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DbsSfawrpEw コメント履歴 No: 100069
http://www.asyura2.com/acas/d/db/dbs/DbsSfawrpEw/100069.html
[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
236. 中川隆[-5745] koaQ7Jey 2017年12月22日 07:40:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

17年、世界的な高温傾向続く 国内は沖縄除き平年並み 2017年12月21日 19時17分

 気象庁は21日、2017年の世界の年平均気温の速報値が平年を0・39度上回り、エルニーニョ現象の影響などで記録的高温だった15、16年に次いで、1891年の統計開始以来3位になる見通しだと発表した。

国内では、沖縄・奄美が平年を0・5度上回り、北海道から九州はほぼ平年並みだった。

 気象庁によると、欧州南東部で夏の気温が平年を大きく上回ったり、米国南西部からメキシコでも3月から11月に断続的に計5カ月、異常高温になったりするなど、世界各地で気温が上昇した。

国内でも、沖縄・奄美の月平均気温が8月に観測史上1位、9月に同1位タイを記録した。

(共同)

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c236

[リバイバル3] 管球アンプのブーンと云うノイズについて 中川隆
5. 中川隆[-5744] koaQ7Jey 2017年12月22日 07:46:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ディネッセンのアンプは息子宅行を予定 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2017年11月03日
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ddde5ac6ea2ab5fc34428564aaf1f59d

ディネッセンのアンプは最初サブシステム用に考えて購入しましたが、サウンドを聴いて息子宅の低域用に使った方が良いと思いました。

息子宅はWフロントロードRCA箱にD130×2発にオリンパスと同じ中高域ユニットを使って、ホーンのみ「お化けホーン」(HL90・・・古いタイプ)を組合せ、3ウェイマルチアンプでシステムを組んでいます。現在パワーアンプは全て管球式です。

(アンプ・ソース機器部は大幅に変わっています)

当人の希望で、低域はTr型のパワーアンプの方が良いと云っていましたので、丁度良いだろうと思います。(150W/chも有るとサブでは過剰)アンプの入れ替えでGE6550プッシュプルのアンプが出て来ますので、そのアンプをサブシステムに使おうと思います。そのアンプにはゲイン調整が出来る様にしていますので、サブシステムでもプリのボリューム位置を合わせやすいからです。


息子宅も伝送ケーブルはバランス方式で全てXLRケーブルで接続しています。(オリンパスと同じ)今回のアンプはRCA接続になっていますので、ケーブルを1.5mで準備をしました。チャンデバはアキュフェーズF-25を使っていますので、RCAとXLRの切り替えが出来る様になっています。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ddde5ac6ea2ab5fc34428564aaf1f59d

GE6550ppパワーアンプ - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2017年12月11日
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ed4db22dfbc3e63a51ed066017fa3e4a

息子宅のRCA Wフロントロード箱システムの低域用(D130×2)用のパワーアンプ。当該GE6550ppパワーアンプは「内部配線」を全て最高峰ケーブル材に交換済。

前日まで「ノイズ」に悩まされていたらしいので、ディネッセンのアルタイルパワーアンプと交換して持ってきた。

交換した直後、息子曰く

「三段落ちしたみたいな音だなあ。低域が吹き出してくるような圧力が無い。ドライブ力が違いすぎる・・・」

と非常に辛口なコメントが・・・ディネッセンのアンプに浴びせられた。


個人的にはこのGE6550ppパワーアンプが欲しくてもがいていた。
このアンプには@バランス と Aボリューム が付いているので非常に使い勝手が良いのです。

上述写真の様に「自家製プリ」との組み合わせでは、クラロスタットのボリュームを9時の方向以上で使える。

実際に音出しして確認したがノイズはない。

真空管を抜いて綺麗に掃除をしただけで「ノイズ」は消えてしまった。

息子宅ではXLRプラグで使っていたのに対し、現在はRCAプラグで使っている。内部を開けて配線関係の外れ等を確認したが問題なし。「あのノイズは何だったんだろう???」

多分このままXLRプラグで使ってもノイズは出ないだろう。

(このアンプの入力はXLRとRCAの2系統を装備)出力も20W/ch有ります。来週一旦息子宅に返します。その後、このアンプに見合うTR型アンプを手に入れて交換する予定。

ちなみに隣のアキュフェーズのC200+P300の組合せより、はるかにSN比が良く、音数が多く、音の厚みを感じます。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ed4db22dfbc3e63a51ed066017fa3e4a

息子宅のアンプを元に戻す - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2017年12月17日
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5644c0e5aa28e9e3095bf76a47c1eec7


先週息子宅にディネッセンのパワーアンプを持って行きました。低域のD130×2発をドライブする為に使ってもらっていましたが、「ドライブ力不足・音に力が無い・音の厚みがない・三段落ちの音質・・・」等非常に辛口の評価でした。その後使ってもらっていましたが、パワーを上げるとドライブ力が出て来るとの事でしたが、そうなると中・高域とのバランスが崩れるとの事で使いづらいとの事。


「ブーン」と云うノイズが出ていた自作のGE6550ppパワーアンプも真空管の差し替え(抜き差しのみ)でノイズが消え、静寂の中から音が出て来る本来のサウンドになりました。

RCA接続で確認していましたが、息子宅でXLR接続してもノイズは皆無になりました。


音の厚みやドライブ力がまるっきり違うのが一聴しただけで分かります。GE6550ppパワーアンプのサウンドを聴いてからディネッセンのパワーアンプは聴けませんね。これで息子宅も本来のサウンドになり、仕事の疲労を癒してくれるでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5644c0e5aa28e9e3095bf76a47c1eec7

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/770.html#c5

[リバイバル3] やはりこの国は随分と壊れて来ました 中川隆
1. 中川隆[-5743] koaQ7Jey 2017年12月22日 07:58:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017-12-22
横浜寿町。日本三大ドヤ街の1つも高齢者の街になっていた
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171222T0104540900.html

横浜の寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区とならぶ三大ドヤ街の1つとして知られているところだ。寒風が吹きすさぶ2017年12月の真っ只中、私は東京から横浜に向かい、この寿町を歩いてみた。

寿町は横浜からJR京浜東北・根岸線に乗って3つめの石川町が最寄り駅となる。

ここで降りる人々は、そのほとんどが日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」に向かう。日本人と外国人の観光客でごった返す横浜中華街だが、線路を挟んだ向こう側の寿町に足を向ける人はほとんどいない。

寿町に向かうと人の雑踏がすっと消え、エリアに一歩入ると古びた雑居ビルが静かに並び、老いて疲れ果てた人たちの姿がちらほら見えるだけの区域となる。

ここが日本三大ドヤ街のひとつである。

横浜は神戸と共に日本を代表する港町だ。港町は常に荷物を船に出し入れする「荷役労働者」を大量に必要とする。だから、仕事を求めて日本全国から労働者が集まってきたのだが、彼らが寝泊まりする場所が近くに必要だった。

1950年代は桜木町の南側にドヤが密集していたのだが、1957年に職業安定所が寿町に移転するようになると、日雇い労働の斡旋が必要な労働者がみんな寿町に集まるようになってきた。これがドヤ街としての寿町の始まりだった。

かつてホームレスで溢れていた寿町は変わった

寿町には過去に何度か歩いたことがある。一番最後に歩いたのは2001年だったが、その頃のドヤ街は労働者やホームレスで街が覆い尽くされていた。

この当時のドヤは荒み切っていた。

彼らの拠り所になっていた寿町総合労働福祉会館(職業安定所)、通称「センター」も、入口の階段の上から下まで誰かが座っており、二階に上がると今度は翁湯の入口付近でもホームレスがびっしりと雑魚寝しているような場所だった。

寿町を覆い尽くしていたのがドヤだが、そのまわりには居酒屋、大衆酒場、スナック、ゲームスナック、雀荘、違法賭博屋が林立しており、どこも労働者でびっしり埋まっていた。フィリピン女性の姿も見かけた。

石川町駅と寿町をつなぐ狭い路地にはラブホテルも建っていたが、真夜中になるとここに立ちんぼがいて売春ビジネスをしていた。つまり、この当時の寿町は労働者の娯楽である「飲む・打つ・買う」のすべてが揃っていたということだ。

2017年12月。私はこのラブホテル街を抜けて寿町に入ったが、約16年ぶりに入って気付いたのは、かつては溢れるほどいたホームレスがほとんど消えていたことだった。

なぜホームレスが消えたのか。

NGO団体や貧困ビジネスをする団体が、彼らに生活保護を受給させるのを手伝って所定のドヤに押し込み、生活保護費をドヤ代として徴収するビジネスを始めたからだ。

これは、東京の山谷でも、大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)でも起きている現象だ。

労働者の生活保護費を搾取する貧困ビジネスは老いた労働者を家畜のように「飼い殺し」しているのだが、一方で危険で厳しい路上生活を消してしまったのも事実である。

この現状を知ると、それが良かったのか悪かったのか、私はとても複雑な気持ちになる。

ここで降りる人々は、そのほとんどが日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」に向かう。日本人と外国人の観光客でごった返す横浜中華街だが、線路を挟んだ向こう側の寿町に足を向ける人はほとんどいない。

寿町。昼間なのに車はほとんど走っておらず、街を歩いているのは高齢者ばかりである。

NGO団体や貧困ビジネスをする団体が、彼らに生活保護を受給させるのを手伝って所定のドヤに押し込み、生活保護費をドヤ代として徴収するビジネスを始めた。


再び日本にホームレスが溢れるのではないか?

寿町を歩いていると、やはりそこは活気を失って老いて見捨てられた街になっていることを感じざるを得ない。

高齢化した労働者は生活保護費でドヤに収容されたのと同時に、高齢化した多くの労働者は街から消えた。彼らの大半は地方から流れて来た人々である。仕事ができなくなればもう寿町にいる理由もなくなる。

荷役労働も機械化と自動化が進み、かつてのように人海戦術を採らなくてもよくなり、仕事も減り、さらに日本が高齢化したことにより労働者の数も減った。

残った労働者もいるが、彼らは生活保護でドヤに収容されたので街からホームレスが消えてクリーンになった。そのかつての労働者がたまにドヤから出て街を歩いているが、彼らの多くは身体のどこかを壊していた。

肉体労働は長持ちしない。早い人は30代で力尽き、ほとんどの人は40代で体力の限界を迎える。

それもそうだ。肉体労働は夏のうだるような熱気の中で働き、酷寒の凍えるような中で働き、重い荷物を扱って怪我や病気をしやすい傾向にある。

どんなに注意深く生きてきた労働者であっても、身体はどんどん老いて体力を失う。

肉体労働は早めに上がらなければならないのだが、上がることができない人が資産を貯めることができないまま仕事ができなくなると、ホームレスと化すのである。

『平成24年ホームレスの実態に関する全国調査検討会報告書』では日本のホームレスは「55歳以上が全体の7割以上を占める」として半分以上がホームレスの前は肉体労働者であったということが分かっている。

その現状については、こちらに書いた。

(55歳までに資産を保有していないと地獄でもがくことになる )
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171213T1834120900.html

これからの日本は、老いて身体を壊して働けなくなった高齢者で埋まり、彼らのほとんどが生活保護受給者となる。2024年には国民の3人に1人が65歳以上になる国で、社会保障費の増大は全日本人にのしかかってくる。

山谷、あいりん地区、寿町と、三大ドヤ街のすべてを歩いてそこで高齢化をつぶさに見つめると、どのみち国家財政は限界に達して破綻しても不思議ではないことは肌で感じるはずだ。

政府が膨れ上がる財政赤字に悲鳴を上げ、社会保障が破綻すれば、今の貧困ビジネスも破綻して、高齢者はみんな路上に放り出されることになる。

今、日本でホームレスが消えたのだが、社会保障費の極度の削減や破綻の時期を迎えると、再び日本にホームレスが溢れるのではないかと私は身を切るような寒さの中で震えながら思ったのだった。


寿町の光景を写真で見る

寿町から少し外れたところで、ひとりの老婆が寒い中でじっと座り込んでいた。

ドヤには酒を飲ませる店が多い。これは山谷でもあいりん地区でも同じだ。かつては人でいっぱいだったのだろうが、今はシャッターが降りた店もあり、開いている店もそれほど流行っているようには見えない。

普通の住宅を改善したような小さな居酒屋が特徴だ。寿町は昔からこのタイプの店が多かった。

居酒屋の上はドヤの部屋が見える。窓の幅が部屋の幅である。2畳ほどの狭い部屋がびっしりと詰め込まれている。

寿町で有名な「さなぎの食堂」。食べたかったが、閉まっていた。

あるドヤの入口。奧に見えるのは日本共産党のポスターだ。社会からこぼれ落ち、「今の社会をぶっ潰したい」と考える人には日本共産党は魅力的な政党だ。革命で日本を変えてくれるかもしれない。

典型的な労働者スタイルの男。やはり身体が悪いのか、足を引きずりながら歩いていた。

コインシャワーとコインランドリー。ドヤにはこの手の店が山ほどある。

ドヤが林立するこの路地にいるのも、ほとんどが高齢者である。

ドアが開放されているので中をのぞくと、廊下の両側にびっしりと部屋がある作りになっているのが分かる。ほとんどのドヤはこのスタイルだ。

古くなったドヤは安い値段で泊まることができる。だいたい1泊1200くらいだ。1ヶ月泊まろうと思えば約3万6000円になる。

車イスの高齢者も多い。介護施設も寿町であちこちにある。

ドヤ街で最も必要とされているのが身体を壊した高齢者をケアするデイサービスだ。ドヤに敷設されている。

寿町は食堂がほとんどない。多くの食堂が労働者の減少と共に消えていっているのが分かる。

足を悪くして杖をついている人も多い。ゆっくりと、千鳥足で道路を横切っていく。

自動販売機の横にひとりの男が座り込んでいるのだが、凍えるほど寒い中に彼は裸足だった。

酒場の入口にふたりの男が座り込んで酒盛りをしていた。昔の寿町は、街全体がこうだった。

公衆トイレの前には多くの高齢者が集まっていた。ここが談笑の場だった。

こちらを見ている高齢者は女性だ。ドヤには高齢になった女性の存在もあった。

やはり足を悪くした人が街に佇んでいた。ドヤの狭い部屋の中にいてもやることがないので、寒くても路上にいたいのだろう。

こうした高齢者がたくさんいる。

昼間から酒の臭いをプンプンさせながら酔った男がふらふらと歩いていた。

ドヤの名物である自転車。街は自転車でびっしりだ。

「空室あります」「エアコン完備1500円」とある。少ししゃれたドヤは2200円、古なったドヤは1500円以下が多い。

寒い公園でひとり新聞を読んでいる高齢者。その脇を毛並みの良い猫が横切る。

自転車でふらふらと道を横切る人がいた。自転車のカゴには前も後ろも荷物でいっぱいだった。ドヤを出てどこかに行くのだろうか。

ゴミを見ると、ビールの缶と共に栄養ドリンクが山のように捨てられていた。疲れた身体に栄養ドリンクを流し込んで無理しているのが見て取れる。

肉体労働は夏のうだるような熱気の中で働き、酷寒の凍えるような中で働き、重い荷物を扱って怪我や病気をしやすい傾向にある。どんなに注意深く生きてきた労働者であっても、身体はどんどん老いて体力を失う。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/674.html#c1

[リバイバル3] やはりこの国は随分と壊れて来ました 中川隆
2. 中川隆[-5742] koaQ7Jey 2017年12月22日 08:00:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

55歳までに資産を保有していないと地獄でもがくことになる


病気、失職、転職失敗、借金、無学歴、無資格、事故、怪我、障害……。誰でも何らかの問題を人生で抱え、誰でもホームレスに落ちる可能性はある。

金がなければ人はすべてを失い、路上で寝るしかない。それは後進国だろうが先進国だろうが同じことだ。

日本は豊かな国であり、2000年頃までは「貧困」に興味を持つ人はほとんどいなかった。「日本には貧困などない」と思っている人も大勢いた。

しかし本当は日本にも貧困があって、闇がぽっかりと口を開いて人々を飲み込んでいたのだ。

バブル期が日本のピークだったが、1990年にバブル崩壊して以後は状況が悪くなるばかりだった。

その頃から自殺者が急激に増え出して、つい最近まで約3万人台がずっと続いていたことは、貧困が拡大したことと無関係ではない。

自殺者は40代から50代の男性が多い。様々な理由で普通の生活から転がり落ちて人生に行き詰まった男たちが、精神的に追い込まれて自殺する。

「ホームレスになるくらいなら、死んだ方がマシだ」と思い詰め、ホームレスに落ちる前に死んでいく。

肉体労働は、55歳が限界というひとつの証明

日本のホームレスは、何歳代が多いのだろうか。厚生労働省の出している『平成24年ホームレスの実態に関する全国調査検討会報告書』を紐解くと、このように書かれている。

「55歳以上が全体の7割以上を占める」

よく、一流企業を失職してどうにもならなくなった男性が最後にホームレスになったという「転落話」を聞く。

あるいは、ホームレスになる人々の中には、自営業をやっていて多額の負債を抱えたまま会社を倒産させてしまったとか、パチンコや公営ギャンブルにハマって多重債務者になったとか、そういった経歴の人間もいる。

しかし、実際にホームレスを構成する大多数はそうではなく、別の人生のストーリーを持っている。

それは、「若い頃からずっと肉体労働をしていたが、年を取ったり、身体を壊したりしたのをきっかけに働けなくなり、ホームレスにまで落ちた」というものだった。

厚生労働省は「初めて路上(野宿)生活をする前にやっていた仕事」をも調査しているが、全体を見ると45.9%が「建設・採掘従事者」であったことが分かっている。他に多かったのは、「輸送、機械運転従事者」と「運搬・清掃・包装等従事者」である。

あくまでもホームレスで大多数を占めるのは、肉体労働をしていた人たちの生活破綻である。建設作業員などは、社員であっても日雇い労働者に近く、怪我をしたり身体を壊したりすると途端に生活に窮する。

人間だから病気になったり、怪我をするのは誰にでも起こり得ることだ。そして、年を取れば取るほど身体が言うことを聞かなくなっていく。

ホームレスを構成しているのが「55歳以上が全体の7割以上を占める」ということは、肉体労働は55歳が限界だというひとつの証明になっている。

だから、肉体労働をして生きている人たちは、一般論で言えば、それができるのは40代の終わりまでだと考えるべきだ。50代に入ると、とたんに厳しくなる。


「堕ちないための金」を積み立てておくということ

50代と言えば、まだ死ぬ年代でもない。死ぬどころか平均寿命から見るとまだ30年も残っている。

したがって、50代を過ぎても生きるためには、肉体労働ではなく、マネージメントやその他、体力を消耗しないで生きていける何らかの仕事に就けるようにしなければならない。

それがなかなか難しいのが低学歴の人たちだ。肉体労働がキツくなると分かっていても上に這い上がれる人は多くない。

本人の能力が低いからではない。企業は高学歴の人間をマネージメント職につけて、低学歴層を現場につけるからだ。社会はそのようになってしまっているのである。

それであれば、50代に向けて堕ちないように「準備」をしておかなければならない。

準備とは要するに「堕ちないための金」を積み立てておくということだ。しかし、日雇いのような仕事が続くと、その「積み立てる」ということ自体が難しい。

積み立てるどころか、多重債務に堕ちていくのも実はこういった人たちが多い。借金慣れしていくと、やがてその借金が返せなくなって一気に多重債務者になる。

多重債務に堕ちると、もう這い上がるのは難しい。

だから、少なからずの人たちが自殺し、少なからずの人たちが貧困ギリギリの生活になり、少なからずの人たちはさらに堕ちてホームレスとなる。

資本主義は金がすべての世の中だ。

それは自由な世の中の、唯一の絶対ルールと言ってもいい。底辺に堕ちれば堕ちるほど、そのルールはより非情なレベルになって弱者に襲いかかっていく。

金がなければ、世の中に食べ物が満ち溢れていても、自分だけは飢えて死ぬ。食べ物が大量に余っても金のない人間に配るのではなく、破棄するのが資本主義である。

自国に餓死しそうな人がいても関係ない。金がなければ破棄するだけだ。


「55歳以上が全体の7割以上を占める」ということ

国が発展している時代であれば、仕事がいくらでもあるので、こういった人たちも救済されることがある。高度成長期はどんな人であっても仕事に恵まれた。

しかし、経済大国としてのピークを過ぎて経済が縮小していく時代に入ると、普通の人であっても運が悪ければホームレスに転がり落ちていくことになる。

日本もそうだが、経済大国としてのピークを過ぎた国は、往々にして社会保障費の増大に苦しんで財政不足に陥っている。そのため、社会的な弱者に落ちてしまった人は救済されるのではなく逆に突き落とされる。

バブルも崩壊し、長く政治も混乱し、少子高齢化も放置されてきた日本は、いよいよ敗者が見捨てられる段階にきた。最初は確かに肉体労働に就いてきた人たちが50代を過ぎて働けなくなって転がり落ちる傾向が続く。

しかし、ブルーカラーだけが地獄に落ちるのではなく、その次にはホワイトカラーの地獄が待っているのである。

内需が減退して売上が上がらなくなり、それでいてグローバル化によって競争が激しくなり、さらに雇用を削減するイノベーションが進むことによって、企業はホワイトカラーを大量に削減するようになるからだ。

真面目に会社に勤めていても、その会社が社員をリストラしていく。あるいは、会社そのものが破綻していく。

一部上場の巨大企業でも破綻する。たとえば、日本を代表する家電メーカーであっても経営破綻寸前になり、多くの技術者が無理やりリストラで放り出される。

あるいは社会環境が変わったことでお堅い職業であったはずの銀行員も不要になってしまう。

(雇用を削減するイノベーションは、次に銀行員を無職にする)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/10/20171026T1732180900.html

誰が「要らない」と言われて放り出されるのか。IT技術に疎く、それでいて高賃金をもらっている50代の人々である。

若年層は生活破綻しても親の住居に潜り込んで部屋に籠もっていれば生きていける可能性は残されている。しかし、50代の人間が生活破綻したら誰も助けてくれない。

不幸が重なって堕ちても、世の中からは自己責任だと言われて救済はほとんどない。経済的に追い詰められた人に、温かく金を与えてくれる人はひとりもいない。

ホームレスは「55歳以上が全体の7割以上を占める」ということは、55歳までに自らを救うための資産を保有していないと、地獄でもがくことになりかねないということでもある。


大阪あいりん地区にて。ホームレスは「55歳以上が全体の7割以上を占める」ということは、55歳までに自らを救うための資産を保有していないと、地獄でもがくことになりかねないということでもある。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171213T1834120900.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/674.html#c2

[原発・フッ素49] 電力安定供給へ再稼働を 原発、中電専務ら必要性訴え 三重大学生9割「賛同」 (伊勢新聞)  魑魅魍魎男
4. 中川隆[-5741] koaQ7Jey 2017年12月22日 08:02:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html

真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/255.html#c4

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
123. 中川隆[-5740] koaQ7Jey 2017年12月22日 08:22:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

急激に「日本経済化」している米国経済 2017年12月22日


 米国の大型減税を含む財政改革案は12月20日(現地時間)、上下院とも議会を通過しました。これはトランプ政権発足後、初めて公約していた重要法案が実現化したことになり、向こう10年間で1.5兆ドル規模の大型減税となります。

 ただ中身を見れば見るほど大企業と富裕層への優遇策で、一般国民への恩恵が少ないようです。

 ここで表題にある「日本経済化」とはどういう意味なのでしょう?
 
 日本経済においては1997年をピークに一般国民が「疲弊」していくことになり、現在に至るまで一向に改善されていません。

 1997年4月に消費税が3%から5%に引き上げられただけでなく、減税の打ち切りや社会保障費の負担増が重なり、消費の大幅落ち込みにより日本経済が大きく落ち込んでしまいました。

 せっかくバブル崩壊から少しずつ回復していた日本経済は、1997〜98年に金融恐慌一歩手前となるまで「大不況」となってしまいました。その消費税はさらに2014年4月に8%に引き上げられ、2019年10月には10%となる予定です。

 また1996年には派遣法の対象業務が26業種に拡大されたこともありますが、実質賃金は(名目賃金もですが)やはり1997年をピークに、現在に至るまで長期低落中です。

 最近のGDP統計はソフトウエア開発などが加えられて30兆円以上も水増しされていますが、旧基準では1997年がピークだったはずです。さらに家計の貯蓄率、一戸建て住宅着工なども1997年がピークだったはずで、1997年以前の日本経済は現在よりはるかに「元気」だったことになります。

 一方で法人税は、安倍政権となってからだけでも2013年の37%から29%台まで引き下げられています。

 安倍政権のスタートした2012年12月以降、いくら「異次元」金融緩和・量的緩和を続けても、それに付随する円安とも相まって企業業績を押し上げていますが、肝心の一般国民が「疲弊」したままであるため本格的に消費が拡大せず、物価も上昇していません。

 そのため「異次元」金融緩和・量的緩和を想定以上に継続させることになりますが、その恩恵は資産価格上昇を通じて大企業や富裕層に及ぶだけで、一般国民はますます「疲弊」していくことになります。

 ここは本誌が突然に社会主義者になったわけではありませんが、一国の経済とは一般国民を「疲弊」させると、トータルとして大きく成長することはありません。日本でもGDPに占める消費の割合が56%あり、消費が盛り上がらないと日本経済はいつまでたっても本格回復しません。

 この辺を理解していないため、いつまでたっても追加緩和やさらなる法人減税が必要との議論しか出てきません。安倍首相は大企業に賃上げを要請しているようですが、もちろん強制力はありません。

 この状態を「日本経済化」と呼ぶことにすれば、表題にあるように米国経済は急激に「日本経済化」していると感じます。

 足元の米国経済は3%をこえる成長を続けていますが、個人消費は2%台半ば、何よりもFRBが重視するPCE(個人消費)コアデフレーターは1%台半ばで止まったままです。

 先日のFOMCでは「物価停滞は一時的なもの」として利上げに踏み切りました。さらにトランプ政権も、大型減税により大企業や富裕層に恩恵が及べば(一般国民への恩恵は少なくても)米国経済はもっと成長すると考えているはずです。
 
 どちらも間違っています。

 米国GDPに占める個人消費の割合は68%もあり、その米国経済が「日本経済化」すれば、その影響は「20年先輩」の日本経済を大きく上回るはずです。

 つまり急激に「日本経済化」している米国経済で利上げを継続することも、大企業や富裕層に恩恵が及ぶだけの大型減税に過剰期待することも、間違っているはずです。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2143.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c123

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
124. 中川隆[-5739] koaQ7Jey 2017年12月22日 08:26:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月22日
米減税法案 超富裕層だけ減税、子育て世帯は増税か

1%の超富裕層と巨大企業は減税、その他は増税の可能性が高い
引用:http://prt.iza.ne.jp/kiji/world/images/171220/wor17122008210006-m1.jpg

アメリカで減税法案が成立

米下院は12月20日、法人税率を35%から21%に引き下げる法案を可決しました。

10年間で1.5兆ドルの減税は1986年のレーガン政権の大規模税制改革になる。

この減税によって米国の法人税率は欧州や日本より低くなり、大企業にとって米国の魅力が増すとしている。



個人向けの税制でも高額所得者の最高税率引き下げや、相続税の軽減措置などが盛り込まれている。

だが通過した法案には「得をするのは超富裕層だけ」という批判が早くも出てきている。

減税は巨大な多国籍企業を米国に引きとめるためという意味合いがあり、大企業ほど恩恵を受けやすい。


またこうした巨大企業を所有している超富裕層は、株価上昇や配当金などの利益を得るほか、所得税引き下げや相続税軽減までしてもらえる。

その一方で大多数を占めている年収5万ドル以下の労働者には、減税の恩恵はあまりない。

トランプ大統領自身も、恩恵を受ける超富裕層の1人となっている。


減税法案の大部分は8年間の時限措置で、全体でも10年間だけの時限立法となっている。

2026年から2028年にかけては一転して増税になると予想され、財政悪化とともに景気悪化を招く可能性がある。

現在アメリカはリーマンショックの2009年から8年間ずっと好景気であり、失業率や成長率は比較的高い。

将来にツケを回す可能性

経済状況改善のために減税をする必要はないのであり、何のために減税するのかわからない。

アメリカは格差拡大や低所得者の貧困問題をかかえているが、今回の減税は超富裕層対象なので、むしろ格差を拡大する。


また財政悪化も招く恐れも見逃せず、アメリカの「国の借金」は5,000兆円とも6,000兆円とも言われている。

好景気の今減税し、2028年頃にもし不況になっていたら、不況下で増税するというチグハグな政策になってしまう。

よってこの大規模減税は、10年後に失敗の評価を下される可能性が高い。


ではなぜこのタイミングで減税法案を成立させたのかと言えば、民主党と共和党のパワーゲームにあるようです。

オバマの民主党時代には「オバマケア」という医療制度改革を実施し、共和党は8年間何もできなかった。

今度は共和党のトランプ政権なので、以前からの公約だった減税法案を成立させたので、アメリカの経済状況は考慮されなかった。


超富裕層には減税と言いながら、9割の人々にはむしろ増税になる可能性が指摘されている。

というのは減税の財源として、地方政府への補助金が減額され、住宅ローン控除や地方政府に支払った分の税控除が縮小される。

この結果住宅ローン支払い中の世帯は大幅増税になり、しかも住宅価格下落によって資産価値も減少するとも予想されている。

子育て世帯にとっては悪夢のような減税になりかねない。
http://www.thutmosev.com/archives/74159367.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c124

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
238. 中川隆[-5738] koaQ7Jey 2017年12月22日 09:22:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

文春オンライン 2017年12月22日

タイヤ痕がくっきり。地べたで干された中国産「カーペットひじき」の衝撃 週刊文春記者が見た! 危険すぎる中国産食品#5 - 徳山 大樹
http://blogos.com/article/266860/

 写真は4枚の黒いカーペットに見えるかもしれない。しかし、これは敷物ではなく、日本で我々の口に入るひじきだ。


 訪れたのは、中国の浙江省温州市。「温州みかん」で有名なみかんの産地だ。ちなみに、日本の「温州みかん」の産地は鹿児島県や和歌山県で、中国産ではない。温州はみかんだけでなく、沿岸部でひじきの養殖がさかんに行われている。

 写真のひじき加工場は、温州市の沿岸部・洞頭県にある。巨大な海苔のようにも見えるひじきが地面に直接敷かれて、天日干しされていた。照り付ける真夏の日差しによって、早く乾燥させるためだという。見学しようと、敷地内に足を踏み入れた途端、警備員が慌てて飛んできた。

「入っちゃダメだよ!」

 中国語でまくし立てられ、敷地内から追い出されてしまった。ここまで来て、ひじきの実態について、潜入調査できないのか――。

 通訳の日本人ジャーナリスト・林真宣氏も「商談のために来た」と食い下がったものの、警備員は職務に忠実だった。従業員に連絡すらしてくれない。

「ウチは入れないけど、すぐそこのひじき加工会社は警備員なんていないよ」

 警備員はニヤリと笑って手を振った。いい情報を入手して向かったひじき会社は、すぐ近くだった。

地べたに敷かれたひじきの上にタイヤ痕らしきものが

 ここも同じように、ひじきを地面に干している。追い出されたひじき会社と違って、地べたに直接干しておらず、薄いシートを敷き、その上にひじきを並べていた。


 広い敷地に所狭しとひじきが並べられており、足の踏み場も少ない。よく見ると、地べたに敷かれたひじきの上にタイヤ痕らしきものがある。車がひじきの上を通っているのだろうか。

「中国人はあまりひじきを食べないから(笑)」

 敷地内へ入って、加工場の階段を上り、上から「カーペットひじき」を撮影してみた。やはり、車が通ったような跡がある。


写真中央よりやや上の位置にタイヤ痕が

 改めて、ひじきを近くで見てみると、ヒモやビニール袋などがまとわりついている。ゴミだらけなのだ。工場内で寝転がっている老女に話を聞いてみた。


天日干しされているひじきに近寄ってみると……

「地面にひじきを敷いて大丈夫かって? 大丈夫よ。中国人はあまりひじきを食べないから(笑)。ここのひじきはほとんど日本へ出すのよ。ここは80年代から日本へ輸出している老舗なんだから。日本以外にも韓国へ出荷しているわ。あたしたちの仕事は、ひじきに付いたゴミを取り除くことなの。投げ捨てられた海のゴミやビニール紐なんてものが多いわね。夏は暑いから作業着なんて着ないわ」

 老女によると、会社の敷地全面に渡ってひじきを干すため、「トラックが商品の上を通ることは当たり前」だという。

 加工場内を歩いていると、ゴミ取り作業をしている男性たちがいた。


 緑色の麻袋にゴミを取ったひじきを入れていたが、商品が入った袋をクッションソファがわりにして座っている。袋に入っているとはいえ、おせじにもキレイな服装ではない従業員のイスとして扱われるのは耐え難い光景だった。

スーパーの惣菜、弁当、お通しで出されるひじき煮は中国産が多い

 日本に流通するひじきは、約9割が外国産だと言われている。財務省の貿易統計(輸入)を見ると、2016年のひじきの輸入量は約4860トン。韓国から約1950トン、中国から約2910トンのため、この2カ国で輸入ひじきは占められている。およそ5分の3が中国産ひじきだ。韓国産ひじきは、約2000トンの輸入量に対して、金額約33.7億円。一方、中国産ひじきは約3000トンで約16.6億円。いかに安価な中国産ひじきが大量に日本へ入ってきているかよくわかる数字だ。2000年代前半は、韓国産ひじきが輸入量で中国産を大きく上回っていたものの、ここ数年は安い中国産に押されており、逆転を許している。国産ひじきは高価だ。乾燥「芽ひじき」は1キロあたり7000円前後する。一方、中国産は1500円〜1600円程度だ。

 安価飲食チェーンのお通しで出されるひじき煮などは、その多くが中国産だろう。他にも、スーパーの惣菜や弁当のひじきも同様のケースが多い。

「オレは温州の海や川ではもう泳がない。魚だって食べたくない」

 ひじきは、中国人が食べなくても、人の口に入る食品だ。衛生的に疑問を抱かれるような扱いをするのは言語道断ではないか。ただ、問題はそれだけではない。養殖場となっている海の汚染が深刻な問題となっているからだ。

 地元住民の男性はこう嘆く。

「温州は、人工皮革の工場がたくさんあって、工場排水が河川に流れ込んでいるんだ。川から流れてきた汚い水が海を汚染して環境問題となっている。省政府も水質汚染には頭を悩ませているのさ。重金属の汚染が進んでいるからね。オレは温州の海や川ではもう泳がない。魚だって食べたくない。ひじきみたいな海藻や貝類もダメだよ」

 中国問題に詳しい愛知大学の高橋五郎教授の著書『日中食品汚染』(文春新書)によると、2011年の中国の工場などからの排水の廃棄量は、660億トン。2005年の525億トンを約26%上回っている。もし、このままのペースで排水の廃棄量が増え続けたなら、2030年には約1300億トンにのぼると試算されているから驚きだ。

 中でも、浙江省はカドミウム汚染が指摘されている地域だ。重金属類は口にしたところで、すぐに人体への影響が出るわけではない。その代わり、体外へ排出されず、少しずつ蓄積されてゆく。そして、長い月日を経てガンなどの病気の原因のひとつになるから怖いのだ。

 ひじき養殖場のある海へ足を運ぶと、泥水のような色をしていた。お世辞にもキレイとは言えない。ひじきを取るための網も、「カーペットひじき」に劣らず不衛生だ。


ひじきを取るための網。ゴミだらけだ

 養殖場の近くの飲食店に入ると、近海で取れたひじきを出すというので、注文してみた。

「泥水に浸かった酢の物だな……」

「うちのは生ひじきだから、新鮮で美味しいよ!!」

 店のおばさんが太鼓判を押すので、言われるがまま頼んでみた。以前、私は山東省の青島で「ヘドロアサリ」を食べ、ひどい腹痛に悩まされた過去がある(「食べて一晩中トイレから出られなかった中国産『ヘドロアサリ』の恐怖」)。


生ひじきの酢の物

 ほどなくして出された「生ひじきの酢の物」は、なかなかインパクトのあるビジュアルだった。

 日本人が食べるものとは少し違う。ひじきが切られておらず、麺のように長い。強烈な磯の香りが鼻腔を捉えて離さない。むしろ、生臭いと呼んだほうがよかった。

 通訳の林氏は「食べない」という意志を“視線のレーザービーム”で私に向けていた。

「少量の重金属なら死にはしない!」

 そう自分に言い聞かせて、私はひじきを口に運ぶ。海水を飲んだような香りと泥臭さに思わず吐き出してしまった。

「泥水に浸かった酢の物だな……」

 さすがに、それ以上食べられなかった。その晩、やはり腹痛に見舞われた。しかし、大量に食べたりしなかったので、軽くお腹をくだす程度で済んだのだった。

 ひじきは、忘年会・新年会でも目にする機会が多いだろう。カルシウムや食物繊維が豊富で、健康に良いと言われている。ただ、それだけではないということを知っておいていただきたい。 
http://blogos.com/article/266860/
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c238

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
516. 中川隆[-5738] koaQ7Jey 2017年12月22日 10:20:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

株価「過熱」サイン出にくく 日銀「バブル警報」緩和
2017年12月22日 07時01分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017122290070119.html


 日銀が二〇一四年に「金融活動指標」(ヒートマップ)の株についての基準を変更した後、株価の過熱を警告するサインが大幅に出にくくなっていたことが判明した。本紙が専門家の協力を得て調べた。株価が上昇する中、日銀が株を買い続けていることに、専門家からはバブルにつながるとの懸念が出ており、日銀が基準を緩めたまま株を買い続ける是非が問われそうだ。 (渥美龍太)

 ヒートマップは、バブル崩壊やリーマン・ショックが経済に深刻な傷痕を残した反省から、株や土地市場の過熱を早めに知るため一二年に導入した。株価では、東証株価指数(TOPIX)がそれまでの傾向から懸け離れて上昇すると「警報」が示される。警報が続けば日銀は、金融引き締めなどで市場を冷やすことを迫られる。

 だが、日銀は黒田東彦(はるひこ)総裁が一三年に大規模緩和を始めた一年後、基準を変えていた。ニッセイ基礎研究所の上野剛志氏の推計では旧基準では一三年以降「同年七月〜一四年三月」などひんぱんに警報が鳴っていた計算。だが、新基準では一五年の短期間(四〜六月)に一度鳴っただけ。株価はリーマン・ショックで暴落する前の〇五〜〇七年に大幅上昇していたが、新基準をさかのぼって適用した場合、この急騰も過熱とみなされない。

 日銀は「過熱をとらえるためのよりよい基準にした」と説明するが、みずほ証券の上野泰也氏は「株買いなどの金融緩和を続けるため、バブル警戒の姿勢を弱めた」とみる。

 最近の株上昇は、今の緩い基準でも警報が鳴りそうな水準にある。七〜九月はTOPIXで、一七五一が警戒サインが出ない上限だったが、十二月二十一日の終値は一八二二。十月から約一五〇ポイントも上昇しており、十〜十二月は過熱認定される可能性がある。日銀は上場投資信託(ETF)の形で年六兆円ずつ株を買う現行政策を続ける方針を示しているが、上昇局面でも買い続けることで株価を実態以上に押し上げ、バブルを起こす懸念がある。

 日銀の株買い入れには、導入時から異論が根強かった。株価は経済が成長して企業がもうかれば上昇する「景気の鏡」だが、人為的に押し上げても成長にはつながらないとみる経済専門家が多い。他の先進国の中央銀行は株の直接買い入れをしていない。七月まで日銀審議委員を務めた木内登英氏は「事実上株価を上げるためにETFを買っている状況。市場をゆがめており、早く買い入れを減らすべきだ」と提言している。

◆「株価押し上げ策」に変質

 日銀の株買いは、世界の主要な中央銀行が誰もやっていない「禁じ手」とされる。買う理由があいまいなうえ、自らの財務へのリスクを高め、続ければ続けるほどやめるときに価格が暴落する危険も増す。

 黒田東彦総裁は二十一日の会見でも「現時点でバブルになっている状況ではない」として株買い入れを続ける方針を強調した。日銀は株を買う理由を「リスクプレミアムに働き掛けるため」(総裁)と説明する。日銀が株を買うことでリスクが低くなり投資家が買いやすくなる、といった意味合いだ。

 米国の中央銀行が住宅ローン関連債券などリスクの高い資産を買ったのは、もともとリーマン・ショック後に市場が完全に冷え込んだ際、投資家を呼び戻すためだった。だが今、日本の市場はリーマン後のような危機にはなく、非常時の緊急避難的な例外措置はいつのまにか「株価押し上げ策」に変質してしまっている。

 三井住友アセットマネジメントの渡辺誠氏によると、日銀が株を年六兆円買う方針を決めた後、株価が午前中の取引で0・5%以上下げると、午後に必ず日銀が買っている。「下がれば日銀が買ってくれる」という投資家もおり、市場参加者の甘えがバブルにつながりやすい状況といえる。

 日銀は今や約二十兆円の株を抱える。日銀が最大の株主という大企業が増えており、経営に緊張感が失われることも懸念される。株価が下落すれば、日銀自身も大きな損失を抱えることになる。

 それでも続けるのは「政府に気兼ねして株価を下げられないため」(エコノミスト)だろう。

 中央銀行の本来の役割は「パーティーが乱れる前に、お酒の入ったパンチボウルを片付ける」ことといわれてきた。本来の使命を全うするのか、場が乱れきるまで酒を出し続けるのか。中央銀行としての覚悟を問われている。

<金融活動指標> バブルの発生の可能性を早めに察知するための指標。不動産、企業の設備投資、株価など14の項目で、過熱の警報サインが示される。株価では過去の株価データを基にトレンドを算出。トレンドの上下に一定の帯域を設け、超過した場合に「過熱」や「停滞」と判定する。日銀は14年4月に基準変更した際に、帯域の幅を広げ過熱サインが出にくくなった。結果は年2回公表している。

(東京新聞)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c516

[原発・フッ素49] 「あさこはうす」熊谷厚子さん 階段で転倒し重症 暗殺未遂の可能性あり  魑魅魍魎男
2. 中川隆[-5737] koaQ7Jey 2017年12月22日 10:23:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html
真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/256.html#c2

[政治・選挙・NHK237] まるでチャップリン映画「独裁者」の椅子の高さを競い合うシーンさながらだ  赤かぶ
1. 2017年12月22日 10:40:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
チャップリン=ジプシー=チョン

と同定すれば背後関係がわかるよ



http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/452.html#c1

[原発・フッ素49] 「あさこはうす」熊谷厚子さん 階段で転倒し重症 暗殺未遂の可能性あり  魑魅魍魎男
4. 中川隆[-5737] koaQ7Jey 2017年12月22日 10:47:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
3000円だよ
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/256.html#c4
[リバイバル3] 履きやすいリアエントリー タイプのスキーブーツ 中川隆
42. 中川隆[-5736] koaQ7Jey 2017年12月22日 11:22:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>31に追記


スキー用語50「足首の前傾」「足首の後傾」
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12147352885.html?frm=theme

24で前傾、後傾

http://s.ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12123210098.html?frm=theme


39で腰が引ける、腰が入る

http://s.ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12138259865.html?frm=theme


と述べましたが もっと厳密に言うと

これらのポジションになる原因は

足首の前傾角にあります

前傾角とは

斜度に応じた垂線に対し

どの位 前方に傾いているか

を測る尺度の事です


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12147352885-13613004056.html


ここから

「足首の前傾角」とは

ブーツを履いた時

ブーツのベロにスネが当たっているか、

それとも背にフクラハギが当たっているか、

を表す尺度と言えます


ブーツについては89にて後述します

http://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12237673382.html?frm=theme

24で述べたものと同様に

@前傾過多 A適度な前傾 B直立 C後傾

とあります

パウダーやザラメの時、足首が前傾過多だと

トップが潜って失速または

つんのめってしまいます


整地を滑る時、足首が後傾だと

カカトが浮き、テールが制御できず

スピードが出過ぎてしまいます

結果、適度な前傾角を保つ事が

良い滑りになるのです

「足首の前傾」とは この事を言います

別名 足首のロック 足首の緊張感 前傾維持


ポイントは

スネもフクラハギもどちらも

ブーツに軽く触れている程度 に

足首周辺に力を入れて

適度な前傾角を保つようにする事です


「足首の後傾」とは

この前傾角が保てず、

ブーツの背に寄っかかってしまう状態です

別名 足首が起きる


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12147352885-13613004061.html

現代のブーツのようにカフと言う

背もたれのパーツがあると

寄っかかってしまいがちですが、

最終的には カフの無い短靴であっても

前傾角が取れていた様に

ブーツに頼らないで前傾角を

作れるようになると良いでしょう


ただ、これらはブーツの構造並びに

フィットと密接な関係があります


レンタル用のリアエントリーなどでは

そもそもブーツが前に倒れない構造をしていて、

前傾角が取れないで後傾になってしまいます


また、フロントバックルであっても

足のサイズより大きなブーツを履いていたり、

体重よりも硬いブーツを履いていると

同様に前傾角が取れません

本当の前傾・後傾は
実は足首の角度にあったのです

足首の前傾角が保たれていれば

お尻が出てもお尻が下がっても

後傾にはなりません


逆に言えば 上半身の角度がどんなに良くとも

足首が起きていればそのフォームは後傾なのです


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12147352885-13613004044.html


どうしてもポジションが治らない方は

ブーツを見直すのも

一つかも知れませんね^_−☆
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12147352885.html?frm=theme
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/777.html#c42

[政治・選挙・NHK237] 皇室会議、概要のみ。加計学園獣医学部の認可の会議同様、不透明さがある。安倍は、ここでも公私混同して天皇の政治利用を企んで 赤かぶ
1. 中川隆[-5735] koaQ7Jey 2017年12月22日 15:20:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
チョンの知恵遅れ天皇のご機嫌取っても仕方ないだろ
祖国の韓国に引き取って貰えばいいんだ

日本人はみんなアホ天皇一族の扱いに困ってるんだ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/460.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
68. 2017年12月22日 16:12:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
日本の防衛費はGDP比で世界最小
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/785.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c68
[リバイバル3] 履きやすいリアエントリー タイプのスキーブーツ 中川隆
43. 中川隆[-5735] koaQ7Jey 2017年12月22日 16:38:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>42
>レンタル用のリアエントリーなどではそもそもブーツが前に倒れない構造をしていて、前傾角が取れないで後傾になってしまいます

レンタル用のリアエントリーブーツというのはこれですね:


Amazon HE-11 ブーツ 価格: ¥ 4,122 - ¥ 7,442
https://www.amazon.co.jp/HE-11/dp/B01N47NH03/ref=pd_sbs_200_1?_encoding=UTF8&refRID=8GXWJYTR3SCWFF0BBR6V
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/777.html#c43

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
33. 中川隆[-5734] koaQ7Jey 2017年12月22日 16:56:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ユダヤ人は悪い
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c33
[昼休み54] ユダヤ人は悪い 中川隆
1. 中川隆[-5733] koaQ7Jey 2017年12月22日 17:01:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奴隷貿易をしていたユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68402119.html

ヨーロッパ人に隠れてユダヤ人が


(左: 映画ジュー・スース / 右: お金を握ったユダヤ人の風刺画)

  奴隷制は昔から何処にでもあった。古代バビロニアとかエジプト、アッシリア、ギリシア、ローマを調べれば、奴隷を使っていない方が珍しい。日本人は太平洋を隔てたアメリカの黒人奴隷ばかりに目を向けるが、すぐ隣の朝鮮や支那を見ようとしない。李氏朝鮮では奴卑など至る所にいたし、支那では皇帝が支配する人間すべてが奴隷だった。天子を補佐する「宰相」とは、もともと料理を作る罪人という意味で、皇帝の召使い程度。さらに酷いのが「民」という言葉。「針で目を潰された奴隷」という意味で、盲(めくら)になった無知蒙昧の小人(しょうじん)に相応しい漢字である。法律で「奴隷制」をつくらずとも、支那の民衆は端っから搾取の対象である。支那皇帝にとり、天然奴隷は野生動物と同じで、使い捨ての家畜で殺そうが食べようが、ご主人様の勝手。漢籍を学んできたはずの日本人は、これを子供に伝えないなんて、論語読みの論語知らずと一緒である。西歐の奴隷制ばかりに注目する日本人は、学校教育における情報操作に気づいていないのだ。アメリカの黒人奴隷に詳しくても、ロシアの農奴をコロっと忘れている日本人が如何に多いか。奴隷と平民の区別が曖昧なアジアの方をもっと勉強すべきである。(ロシアはスラブ系だけど、モンゴル系アジア人と考えた方が理解しやすい。)

Jewish Merchants 1Jewish traders 1
(左: 相談するユダヤ商人 / 右: 家奴隷商人の集会)

  奴隷貿易の代表格といったら、ヨーロッパ人を思い浮かべるのが普通の日本人である。しかし、そのヨーロッパの奴隷商人をよ〜く調べてみると、異質な顔つきの商人がいるから驚きだ。それは何とユダヤ人の奴隷商であった。またもやユダヤ人なので、ブログを書くのが嫌になってしまう。しかし、一般の日本人が知らないのは、大学教授どもが怠慢だからだ。給料貰っているくせに、手垢のついた講義ノートを何十年も使っている低能教授が居坐っている。文系学部の教授を全員クビにして、学生が個別にお金を払って講義を選べるようにすべし。そうすれば少しは大学が良くなるだろう。落語の寄席みたいに厳しい実力主義にしないと、大学教授は更生しない。名前だけ立派な林家こぶ平(最近は「正蔵」)の落語なんて誰も聞きに行かないだろう。海老名の母ちゃんだけが張り切る寄席なんて恥ずかしい。話を戻すと、ユダヤ人は昔から奴隷貿易に携わっていたという事実がある。これは余り語られない歴史である。

slave trade 10slave trade 11

左: 白人奴隷を見定めるイスラム教徒
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/3/6/3643e756.jpg

右: 白人女性を取り押さえる奴隷商人
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/7/7/77d36ac6.jpg


  ユダヤ人とは元々、メソポタミア文明の地、つまりカナンとかパレスチナという地域に住んでいた民族である。バビロニア帝國やラムセス2世のエジプトで奴隷になっていたユダヤ人は有名だ。チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』を観た日本人も多いだろう。奴隷狩りや奴隷貿易など当り前の世界に住んでいたのだから、ユダヤ人だって奴隷貿易に従事していても不思議ではない。アラブ商人がアフリカ人や東欧のスラブ人捕虜を売り買いしていたように、ユダヤ人も黒人や白人、その他諸々の民族を扱っていたのだ。ユダヤ教徒はどのような食材を用いて料理をするかとか、如何なる方式で礼拝をするのかを厳しく定めているが、奴隷も厳格な戒律に則って扱っていた。強烈な宗教を持たない日本人はユダヤ人の掟を理解しづらい。彼らと違って、日本人は食べ物で宗教的タブーがないから、食材を感情で選んでいる。支那人なら机は喰わないが、人間、犬・猫、トカゲ、熊、猿、ダンボールを食べてしまう。食材にタブーなし。しかしさぁ〜、“胎児のスープ”は残酷というか、気持ちが悪くて見るのも嫌だよね。それと、子供の小便でゆでた卵は、臭いがキツくてちょっと食えないな。隣の朝鮮人も、変な物を食べている。犬肉のスープは有名だけど、クズ野菜を漬け込んだキムチを自慢するなんて貧乏くさい。世界に誇るキムチだってさぁ。でも、朝鮮人はキムチなら鼻くそ入りでも食べるんじゃないか? (あっ、違った。日本人観光客用でした。しかも、食べ残しを日本人に出すとは ! )

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(左: 小便に浸かったゆで卵 / 右: 食品に唾を入れる朝鮮人)

  ここでちょっと、ユダヤ教の戒律を紹介したい。天主(神様)は穢らわしい食べ物を預言者モーセに告げたという。たとえば、禿鷲、鳶(とび)、カラス、みみずく、コウモリなどを挙げている。(レビ記11章13-19節) こんなの禁止されなくても日本人なら食べない。でも、支那人なら肉団子にして、廃棄油で揚げれば一丁出来上がり。(髪の毛で作った醤油をかけて日本で販売したりして。) 他にも、もぐらネズミ、ヤモリ、大トカゲ、カメレオンは汚(けが)れた爬虫類とされている。(11章29-30節) これらの生物をまさか食べないと思うが、見るからに気持ち悪いから汚れていると分かる。また、神様はモーセに漏出(ろうしゅつ)による穢れを告げたそうだ。尿道の炎症による漏出がある人は汚れている。尿道から膿が出ている場合と尿道にたまっている場合は汚れているそうだ。(レビ記述15章2-3節) そして、漏出した人が乗った鞍や衣服、または彼に触れた人は汚れているという。(15章6-10節) 現在の日本なら差別となり大問題になってしまうが、ユダヤ教の社会だと今でも当り前の戒律なのだ。でも、どうやって見分けるのか不思議。まさか、「お前怪しいから、パンツ脱げ」とは言えないだろう。やはり医者に診せた時、周囲の者に暴露されてしまうのかな?

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(左: 赤ん坊のペニスを調べる聖職者/右: 割礼の手術を受ける少年)

  生活の隅々にまで宗教的戒律が徹底しているユダヤ人は、奴隷に関してもちゃんと規則があった。トセフタ(Tosefta/口伝解釈集の附録法典)によれば、ユダヤ教徒の家庭で異教徒の奴隷を使用する場合、その奴隷に割礼を施し、水で清めなければならない。(Catherine Hezser, Jewish Slavery in Antiquity, Oxford University Press, 2005, p.35に引用されている。) 「割礼(circumcision)」とはペニスの包皮を切除することである。えっ ! 痛そう、と思ってしまうが、奴隷だからしょうがない。いくらなんでも麻酔をかけずにペニスの皮むきは酷いだろう。魚肉ソーセージじゃないんだぞ。古代には麻酔が無かったから、大麻かコカインを吸飲して皮削ぎを行ったのか、詳しく知りたいところだ。とにかく、中東アジアの宗教は異様なのだ。(ユダヤ人とペニスの皮むきに関しては、他にも色々なエピソードがあるけど、また別の機会に。ユダヤ人のおぞましい話は多いのだ。女性の皆様、破廉恥な話でゴメンなさい。) ユダヤ教というのは強烈な一神教で、男の信者は小便する度に、「俺はユダヤ教徒なんだ」ということを自覚する。

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(左: 割礼をした赤ん坊のペニスの血を啜るラビ / 右: 割礼を揶揄する抗議の写真)


  しかしなんだなぁ、「チンチンの皮がついている異教徒は、俺たちよりも劣っている」なんて考えるユダヤ人はけしからん。何様のつもりなんだ? 日本人を含めて外人はユダヤ人に隷属する動物なんだって。ユダヤ人は仲間内で異教徒を「ゴイム」と呼び、ニヤニヤしながら蔑む。それに、ユダヤ教徒からすれば、異教徒は穢らわしい獣(ケダモノ)だから、彼が触れた物は不浄である。割礼をして身を清めていない奴隷が作った料理は食えないし、コップに注いでもらったワインだって汚いのだ。ユダヤ教徒はナチスよりも差別心が強かったのである。これを知ればハリウッドのユダヤ人が、なぜ西欧系女優を白い肉として性的に弄ぶのか、が理解できよう。彼らにとって異教徒の女(つまり雌の奴隷)は、どんなに凌辱しても構わない動物なのだ。あのユダヤ人プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタインに触られた女性は、背中に戦慄が走るんじゃないか。気持ち悪いというか、鳥肌が立って寒気がする。女性は生理的嫌悪感を持つだろう。

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左: 捕まえた女の裸を調べる奴隷商人
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中央: 白人奴隷の競売
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右: ハーヴェイ・ワインシュタイン
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  日本では片手落ちの西歐史が教えられている。教養が低い大学教授から習った日本人は、中世のユダヤ人を迫害されて可哀想な民族と思っているだろう。しかし、実際はかなり違うのだ。ツラの皮が厚いユダヤ人には、ヨーロッパ人の嫌がらせだって、何とか切り抜けて生活できるだけの図々しさがあった。本当に辛ければヨーロッパから逃亡しているだろう。第6世紀のイタリアでは、蕃族の侵入で捕虜になった者が奴隷にされたから、奴隷商売が盛んであった。キリスト教世界のヨーロッパでは奴隷の保持だと厳しかったが、奴隷の商いについては緩かったらしい。この抜け穴を利用してユダヤ人は儲けたのだ。第8世紀、フランク王国のカール大帝は奴隷売買の仲介業をユダヤ人に許していたという。第10世紀のスペインだと、ユダヤ人はスロヴェニア人の奴隷を販売してボロ儲けしたらしい。スペインのアンダルシアにいるイスラム教徒のカリフが、ボディーガードを編成するためその奴隷を購入したからだ。(Israel Abrahams, Jewish Life in the Middle Ages, The Jewish Publication Society of America, Philadelphia, 1896, p.98)

これはあまり公表されないことだが、アラブ世界のイスラム支配者は、東欧の白人を自らの近衛兵にしたがる。おそらく東欧の白人は外見が良く、命令に忠実な者が多かったからだろう。

ユダヤ人はヘンチクリンな容姿だから見た目が悪い。学者や役人に向いているが、壮麗な兵隊には不向きである。北アフリカ人やアラブ人は油断がならず、いつ主君の寝首を掻くか分からない。裏切りなど当り前の民族だから信用していなかったのだろう。

これは支那人にも当てはまる。支那人の大富豪は、家族にボディーガードをつける際、人民解放軍の元軍人を絶対雇わない。合衆国海兵隊か英国の特殊部隊(SAS)を除隊した白人を雇うことが多い。つまり、支那人は支那人を信用しないのだ。自分の家族は大切だから、正直な行動を取るのは当然。「支那人に偏見を持ってはいけませ〜ん」、と説教するNHKやTBSの社員は、本当の支那人を直視しろ ! ヤクザだって他の暴力団員を信じないだろう。それと同じだ。


南米で奴隷を所有していたユダヤ人

  アメリカ合衆国で酷使された黒人奴隷について書かれた本は数えればキリがない。まさしく、本棚が潰れるほどで、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)。ところが、ラテン・アメリカでの奴隷は誰が所有していたのか? たいていいの日本人はスペイン人やポルトガル人を挙げるだろう。少々西歐史に詳しい人なら、そこにオランダ人も付け加えるんじゃないか。しかし、奴隷商人や奴隷保有者としてユダヤ人を挙げる日本人は少ないだろう。現在、学校で使われている世界史教科書に詳しくないが、筆者が高校生の時を振り返ってみると、南米について詳しい生徒は少なかった。有名進学校は別にして、今でも公立高校の状況は変わっていないんじゃないか? ゆとり教育世代じゃなくても、スペイン・ポルトガルの歴史や南米植民地を勉強する高校生は少数派だろう。したがって、ユダヤ人の歴史を繙(ひもとく)く高校生なんてごく僅かだ。大学生だって知らない人が多いだろう。でも、欧米の歴史を理解するには、避けて通れない部分なのは確か。時には嫌なものでも勉強しなくちゃ。

  洋書の古本業界をのぞくと、時たま稀覯本を見つけることがある。聞いたこともないような本が高値になっていると気になるから、どんな内容なのか興味が湧く。例えば、ユダヤ人について書かれた本のリストを何気なく眺めていた時、アリエル・トアフの『血の過越祭(Pasque Di Sangue)』が絶版になっていることが分かった。この本は、イタリアに於けるユダヤ人が宗教儀式で血を如何に使ったかを記した歴史書である。しかし、誤解を招く書物だとしてユダヤ人から非難を浴びたのだ。ところが、著者の素性は批判する者でさえ驚く。彼はイスラエルの優秀なユダヤ人学者で、父親のエリオ・トアフは首席ラビ(高位の宗教指導者兼律法学者)だったから、反ユダヤ主義者とはほど遠い人物である。こうした著名な歴史家でも、ユダヤ人に不利な本を出版すれば命さえ脅かされるのだ。そんなこんなで、彼の著書の英訳本は高値になっている。復刻本を出せばいいのに、再版しないのは、それなりの理由があったのだ。もう一つ別の本で気になったのが、セイモア・リーブマン(Seymour B. Liebman)の『新世界のユダヤ人(New World Jewry)』である。スペインやポルトガルに居たユダヤ人が追放処分を受けて、南米に移住した経緯を語った本である。リーブマンはマイアミ大学やヘブライ大学で南米史を教えていたユダヤ人学者で、反ユダヤ主義者ではない。彼は立派な学術書を出版した有名な歴史家である。実は彼の本に、ユダヤ人が奴隷を売買あるいは所有した事実が何気なく記されているのだ。

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(左: セイモア・リーブマン/中央: アリエル・トアフ/右: エリオ・トアフ)


  イベリア半島に長いこと住みついていたユダヤ人が、宗教的理由から迫害されたり、追放されたりした歴史は複雑で長くなるから省略する。スペインやポルトガルに居づらくなったユダヤ人は何処に行ったのか? 北アフリカやトルトコに逃れた者も多少いたのだが、多くは南米に移住し、貿易商人や農園経営者として暮らしていたのである。ラテン・アメリカといえば、スペイン人がインディオの土地を征服し、その金銀財宝を奪ったりしたことでも有名だ。しかし、スペイン人やポルトガル人といったヨーロッパ人は、金銀の掠奪ばかりではなく、支配地域で砂糖きびの栽培も始めたのである。当時、砂糖はシチリアやマデイラ諸島で細々と栽培されるくらいで、主にオリエント地方に輸出されていたらしい。とても希少な嗜好品だったので、高値で取引されたという。こうした高級品は貴族や王妃たちの嫁入り道具と一緒にされ、まるで白い粉の持参金扱い。あまりにも人気の商品だったから、商人は胡椒などのスパイスみたいに、グラム単位で目方を測り、薬局で販売したのである。アメリカ発見以来300年か、ヨーロッパ貿易にとり、アメリカの地で栽培される砂糖ほど重要な産物はなかった。だから、砂糖は別名「白い黄金」と呼ばれたのだ。(E. ガレアーノ 『収奪された大地』 大久保光夫 訳 藤原書店 1991年 pp.128-129) そういえば、ウィーン会議でチョコレート・ケーキが好評だったが、昔は甘い物が貴重品だったのだろう。肥満を気にしない良い時代だった。ヨーロッパでの砂糖需要が増大すれば、プランテーション経営者も利益追求に躍起となる。大農園では早速、廉価な労働力が必要になったから、沢山の奴隷をアフリカから輸入したというわけだ。

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(左: 奴隷を振るに押し込める奴隷商 / 右: 船底に閉じ込められた奴隷)


  黒人奴隷を酷使した者といえば、何はさておきヨーロッパ白人。最近では、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンが奴隷所有者だ、と非難する黒人も増えた。さらには、ジェファーソンは黒人女との間に子供をもうけた、という嘘まで流布している。高山正之まで信じていた。詳しく述べないが、当時のジェファーソン家を調べれば分かることなのだが、日本人は宣伝戦に弱いから直ぐ信じてしまう。話を戻すと、奴隷所有者にはユダヤ人が混じっていたのである。ゼニの臭いを察知すれば、すぐに行動を起こすのがユダヤ人だ。セイモア・リーブマンによると、砂糖きび農園を経営していたユダヤ人は奴隷を使っていた。「ユダヤ人は率先して奴隷所有者であり、奴隷貿易業者であった。」(Seymour B. Liebman, New World Jewry, 1493-1825 : Requiem for the Forgotton, KTAV Publishing House, Inc., New York, 1982, p.145) ユダヤ人って、ヨーロッパのキリスト教徒にイジメられて可哀想な民族のはずなのに、南米でアフリカ黒人をこき使っていたとは ! でも、黒人を侮蔑するユダヤ人ならあり得る話だ。選民のユダヤ人にしてみたら、ヨーロッパ人だって格下の異教徒なんだから、黒人なんか「便利な家畜」程度にしか思えない。実際、ユダヤ教に改宗した黒人でも、同胞とは見なさないのがユダヤ人。サミー・デイヴィス・ジュニア(Sammy Davis, Jr.)の悲劇を思い出せば分かるだろう。(ユダヤ教に改宗した有名人については別の機会に述べる。) 「黒ん坊」は昔から、ユダヤ社会で嫌われている。子供好きなユダヤ人家庭でも、黒人の養子は取らない。息子や娘が結婚するとなれば、狂ったように大反対。また、アーノルド・ウィツニザー(Arnold Wiznitzer)によるれば、「ユダヤ人はプランテーション経営者のみならず、金融業、仲介業、砂糖輸出業、奴隷供給においても重要な役割を果たしていた」そうだ。

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(左: ボビーロオロゴン/中央: ボブ・トップ/右: サミー・デイヴィス・ジュニア)

  ブラジルはポルトガルに支配された地域で、歴史的経緯から白、茶、黒、黄色といった人種が混在する。ここでもプランテーションが盛んであった。インディオも働いていたが、やはり体格の面ではアフリカ人にかなわない。格闘技ファンでなくても、ボブ・サップやボビー・オロゴンを知っているだろう。彼らに学術研究は無理でも、重労働なら楽にこなせるだろう。それに、プロ野球選手や陸上選手の体格を見れば、黒人は筋肉労働に向いてることが分かる。第17世紀、砂糖やタバコの栽培を営む農園主は黒人奴隷に頼り切っていた。プランテーションでは白人労働者も雇われていたが、彼らがすることといったら、奴隷に命令することくらいだった。能無し白人は使いづらい。今だって道路工事では、白人の現場監督に黒人の土方(どかた)といった光景がよく見られる。奴隷を積み込む地点はアフリカのルアンダで、そこではユダヤ人が奴隷を扱うブローカーであった。(New World Jewry, p.159) ここで注意点を一つ。奴隷貿易に関して単純な誤解をする日本人が時たまいる。ヨーロッパの白人が奴隷狩りのために、アフリカの密林をかき分けてアフリカ人の村を襲撃したのではない。アメリカに持ち込まれた黒人奴隷とは、元々アフリカ人が戦争で捕まえた囚人であった。利益目当てのアフリカ人が、部族紛争で負けた者をヨーロッパ人に売却したのだ。本来なら、アメリカ黒人はユダヤ人とアフリカ人をも非難すべきなのだが、彼らは物分かりの良い白人ばかりにその矛先を向けている。ついでにイスラム教徒も批判の対象になるのだが、彼らは非難されたって一向に気にしない。未だに奴隷制を反省していない、というか反省する意味が分からないのだ。現在でも、アラブ人がフィリピン人女中を雇えば、性的サービスを含んでいるのが当り前。強姦したって国外追放にしてしまえば問題なし。我々日本人と精神構造が違うのだ。

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(左: 奴隷を調べる商人 / 右: 奴隷を折檻する商人)

  今でもブラジルは貧富の格差が激しいが、それよりも気になるのが国民の質がとても粗いことだ。貧困のせいもあるが、粗野で乱暴な者が多く、少年ギャングや殺し屋まで存在するから南米は恐ろしい。裕福で白い肌をした上流階級が国家の支配者で、階級が下がるにつれ色が黒くなり、下層階級で色白の子供が生まれればラッキーだ。インディオや黒人奴隷の子孫は、貧困の悪循環から滅多に抜け出すことが出来ない。露骨な人種差別が横行するブラジルの歴史は暗いが、それには理由がある。その原因の一つが宗主国の政策にあった。ポルトガルは植民地に厄介払いをしたそうだ。つまり、ブラジルにその犯罪者や貧乏な国外追放者、農民を送り込んだという。移民の多くは農作業労務者となり、大規模な砂糖きび農園で雇われた。これといった才能も無いから、彼らは奴隷の見張り役くらいしかできない。一方、ユダヤ移民のほとんどは商人だった。宗教的に学問が奨励されていたので、ユダヤ人には頭のいい奴が多い。成功した商人には隠れユダヤ教徒、つまり新キリスト教徒がかなりいたという。当時、スペインはユダヤ教徒にキリスト教へ改宗せよ、と強制していたのだ。頑固なユダヤ人は拒絶したが、脅迫に屈してしぶしぶキリスト教徒になった者が結構いたのである。しかし、それは迫害を避けるための方便で、密かにユダヤ教の信仰を保持していたという。これが「マラーノ」と呼ばれるユダヤ人である。スペイン人から「ブタ(マラーノ)」と蔑まれても、隠れキリシタンのようにユダヤ教を信奉していたのだ。

  ユダヤ人は南米の北部海岸の至る所に移民した。カルタヘナから東に向かいギアナ諸島まで広大な地域に住みついた。彼らは販売用の奴隷を積んだ船でやって来た。奴隷の輸送は王室の独占事業で、ユダヤ人は奴隷販売を行う国王の代理人として任命されていたのだ。ポルトガル国王がペドロ・ゴメス・レイナル(Pedro Gomez Reinal)に独占権を付与したという。(p.170) ヨーロッパのユダヤ人は民衆から嫌われていたが、国王や領主には何かと重宝な存在であった。やはり、頭の回転が速く、商売を任せれば利益をもたらすし、面倒な仕事を適切にこなす。医学、法律、経済にも詳しいから秘書官として抱えておきたい。しかも、ユダヤ人は大金を貯め込んでいる。お金に困れば税金を取るしか能の無い君主は、財政難になるとユダヤ人にお金を融通して貰っていたのだ。浪費しか知らない領主や王様は、お金を稼ぐという事には全く知恵が働かない。そこに商売上手なユダヤ人が漬け込んだというわけ。今では超有名なマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドも、ヘッセン=カッセル伯爵にお金を貸して、宮廷に出入りできるようになった。気前よく貴族にお金を貸したロスチャイルドは、ついに伯爵の資産仲介人になれた。銭勘定と資産運用に長けたロスチャイルト家は、貴族の財務管理をしていたのである。金融に明るい宮廷ユダヤ人が、主君の寵愛を受けたのも当然だった。ユダヤ人が奴隷貿易でも大金を王室にもたらしたことは間違いない。

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(左: ジャック・スパロー船長/中央: ジョニー・デップ/右: ジェリー・ブラックハイマー)

  カリブの海賊はハリウッド映画で有名になったが、カリブ海諸島でプランテーションを営んでいたユダヤ人は知られていない。『パイレーツ・オブ・カリビアン』を制作したジェリー・ブラックハイマー(Jerry Bruckheimer)は、ハリウッドの大御所だが、ユダヤ人の奴隷商は映画にしないだろう。海賊のジョニー・デップなら人気は出るが、サーシャ・バロン・コーエンやエリ・ロス、リーフ・シュライバー、ロン・パールマンを起用して奴隷商人を演じさせたら生々しい。それにユダヤ人観客から非難が殺到し、興行収益が激減するから企画が実現することはないだろう。ユダヤ人プロデューサーのブラックハイマーは数々のヒット作品を手掛けた大物だ。人気TVドラマ「CSI : マイアミ」も彼の作品である。ユダヤ人制作者はヒスパニック移民を酷使するアメリカ白人を描いても、黒人奴隷を売りさばくユダヤ商人は絶対に描かない。しかし、現実の世界では冷血漢のユダヤ人が存在した。ユダヤ人農園経営者は、ごく普通に奴隷や召使いを所有していたのだ。バルバドスに住んでいたユダヤ人が召使いを欲しいと思ったら、彼らはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に行って、適当に調達したそうだ。そこには、召使いとして働くことができる貧乏なユダヤ人のリストがあった。そして、ユダヤ人は約150人の奴隷を所有していた。(New World Jewry, p.176)

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(左: サーシャ・バロン・コーエン/エリ・ロス/リーフ・シュライバー/右: ロン・パールマン)

  世界中をさまようユダヤ人は、カリブ海の小さな島にも住んでいた。キュラソー(Curaçao)には貿易商のユダヤ人が多かった。彼らはカリブ海地域で最大の船主で、政府への物資調達も担っていたという。2千人にも満たない数だったが、キュラソーに定住してから60年くらいは、200隻の船を所有していたらしい。しかも、スペインとの貿易をこっそり行っていたという。海賊対策としてユダヤ人は、しっかりと船を武装していた。ユダヤ人所有の船らしく、船長や乗組員もユダヤ人。その方が船内でのトラブルも少ないだろうし、船員同士の結束も固くなる。こうした貿易船の目的は、アフリカから南米にある13の植民地や、カリブ海のブリテン領、スペイン植民地へ奴隷を運ぶことだった。(p.183)

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(左: 南米の地図 / 右: スリナムの地図)

  2000年前後に日本では格闘技ブームがあり、K-1やプライドといった団体が、オランダ(ネーデルラント)から選手を招いていた。一般の日本国民も、白人選手と共に黒いオランダ人選手が居たことを覚えているだろう。アーネスト・ホーストとか、レミー・ボンヤスキー、メルヴィン・マヌーフはスリナム出身で、アリスター・オーフレムはジャマイカ出身のオランダ人である。これらの有名選手は、嘗てのオランダ領から移住してきた黒人なのだ。オランダ人が支配していたスリナムのトラリカという地域でも、やはり砂糖製造のブランテーションがあった。ここでもユダヤ人は砂糖きび栽培のプランテーションを営んでおり、9箇所のプランテーションでは233人の奴隷と砂糖精製用鍋が55個、106匹の家畜、28名の人夫がいた。それとは別に、6カ所のブランテーションは181人の奴隷と砂糖鍋を39個、66匹の家畜を有していた。これらのプランテーションすべてを、18名のポルトガル系ユダヤ人が所有していたのだ。1694年には、この地域で92戸のセファラディー系ユダヤ人世帯、および12戸アシュケナージム系ユダヤ人世帯が住んでいたという。(上掲書 p.188) スリナムにはユダヤ人が定着した「ジョデン・サヴァンヌ」という集落があって、「ユダヤ人のサヴァンナ」と呼ばれていた。そこではユダヤ人が結束して自治を行っていたらしい。1690年から1722年にかけて、黒人の叛乱が頻発したが、その地域で最大の奴隷所有者だったユダヤ人は率先して弾圧に当たったという。(Cecil Roth, A History of Marranos, The Jewish Publication Society and Meridian Books, 1952, p.292) いやぁ〜、ユダヤ人は異民族を攻撃する時は徹底しているからなぁ。パレスチナ人みたいにぶち殺したんじゃないか? 黒人なんて人間じゃないから。

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(左: アーネスト・ホースト/レミー・ボンヤスキー/メルヴィン・マドーフ/右: アリスター・オーフレイム)

  ユダヤ人というのは非難されると反論する。日本人も見習うべきだ。ユダヤ人の執念は海よりも深く、いつまでも続く。奴隷貿易に従事したことや、黒人を酷使したことを責められれば、膨大な資料を調査して反論する学者が現れる。エリ・ファーバーはユダヤ人の奴隷所有や奴隷貿易について擁護論を張った。ユダヤ人の奴隷売買など取るに足らぬ数であった、と言いたいのだ。(Eli Faber, Jews, Slaves and the Slave Trade, New York University Press, New York, 1998 p.138) 米国の東海岸にある小さなロードアイランド州には、ニューポート(Newport)という港町がある。そこには奴隷が売り買いされる市場があった。ニューポートで奴隷を扱うユダヤ人といったら、モルデカイ・ゴメス(Mordecai Gomez)と、その兄弟デイヴィドとダニエルが有名だ。このセファラディー系ユダヤ人ゴメス家に加えて、アシュケナージム系のレヴィー家がよく知られている。モーゼス・レヴィーは、兄弟のサムエルと義理の息子ジェイコブ・フランクス(Jacob Franks)と一緒に、奴隷貿易を行っていたという。

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(左:ユダヤ人奴隷商のモルデカイ・コーエン/中央: ジェイコブ・ロドリゲス・ロペス/右:アーロン・ロペス)

  その他に有名なユダヤ人奴隷商といったら、アブラハム・ロドリゲス・ロペス(Abraham Rodrigues Lopez)が挙げられるだろう。アブラハムは息子のジェイコブ・ロドリゲス・リヴェラ(Jacob Rodrigues Rivera)と義理の息子モーゼス・ロペス(Moses Lopes)と共に、奴隷貿易に励んでいた。そこへポルトガルから逃れてきたモーゼズの異母兄弟が加わったという。安全なニューポートに移住してきたデュラント・ロペス(Durante Lopes)は、堂々とユダヤ教徒に戻り、名をアーロン(Aaron)に改めた。そんな彼は妻に先立たれると、ジェイコブの娘を嫁にもらったそうだ。これでロドリゲスとロペスの両家は絆を深めたのである。エリ・ファーバーによると、ジェイコブらは非ユダヤ人のウィリアム・ヴァーノンと組んで、アフリカに渡り奴隷を仕入れてきたが、その数は甚だ少なかったという。1763年にシェルブロ号で運んだのは、僅か134名の奴隷で、チャールストンに運んだらしい。1764年から1774年まで、アーロン・ロペスらがアフリカへ航海に出たのは21回だったという。それでも、非ユダヤ人つまりヨーロッパ人と比べたら、ユダヤ人が運んだ奴隷の数は、全体の数パーセントを占めるに過ぎないそうだ。しかし、いくらファーバーがユダヤ人奴隷商を庇ったとしても、そもそもアメリカ入植地において、ユダヤ人の数じたいが少ないだろう。ユダヤ人の人口は全体の5パーセントにも満たなかったのだ。イギリス人の方が圧倒的な多数派なのだから、少数派のユダヤ人が運んだ黒人奴隷が少なくて当然だ。注目すべき点は社会的地位が低かったにもかかわらず、奴隷売買で資本を貯め込んでいたことである。

  スペインでのユダヤ人追放を説明すると長くなるので省略するが、ユダヤ人は多国籍ネットワークを持っていたことが特徴的なのである。スペインやポルトガルを逃げ出したユダヤ人は、もちろん南米や北米の入植地に移り住んだ。しかし、ある一部のユダヤ人はネーデルラント(オランダ州を中心とした連邦)に移住し、アムステルダムに居を構えたのである。日本ではユダヤ人のスピノザ(Benedictus De Spinoza)がオランダの哲学者として知られているが、彼の両親はスペインから逃れてきたセファラディー系のユダヤ人で、貿易で生計を立てていたのだ。スペイン帝國からの独立戦争に勝利したネーデルラントは、宗教的寛容性を誇っていたから、多くのユダヤ人がそれに漬け込んで移住してきた。今でもアムステルダムは新イェルサレムと呼ばれるくらい、ユダヤ人の勢力が強い。ネーデルラント下院議員だったヨブ・コーエン(Marius Job Cohen)は、2001年から2010年までアムステルダム市長を務めていた。ユダヤ人らしく社会民衆党に属しているコーエンを見れば、いかにアムステルダムがユダヤ人の巣窟だったかが分かるだろう。

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(左: スピノザ / 中央: ヨブ・コーエン / 右: オランダのユダヤ人)

  アムステルダムに住みついたユダヤ人は、そこからイングランドに手を延ばしたのだ。護国卿クロムウェルを金銭で籠絡したユダヤ人は、エドワード1世から続いていた入国禁止令を解き、やっとのことでイングランド再上陸を果たした。ユダヤ人の再入国を拒んでいたチャールズ1世が処刑されて、ユダヤ人は萬歳三唱。祝杯の盃を上げたのだ。こうして英蘭米とスペインおよびその南米植民地を結んだ貿易網をユダヤ人は築いたのである。しかも、各地のシナゴーグに集う同胞に協力を要請すれば、難しい商売でもスムーズに進むから、益々商売繁盛だ。これではヨーロッパの地方に住み、個人として貿易を営むオランダ人やイギリス人は太刀打ちできない。遠隔地に親戚や家族を持つ西歐人なんて稀である。ローマ帝国時代でも、ユダヤ人はコンスタンティノポリスやアンティオキア、アテネ、ローマ、キプロス、アレクサンドリアといった主要都市に同胞がいたから、彼らと連携して商売ができた。ローマ軍が征服地に拠点を築けば、必ずそこにユダヤ人が住みつくから、ユダヤ・ネットワークがどんどん拡大する。こうしてみれば、ロスチャイルド家がパリやフランクフルト、ウィーンなどに支店を出して情報と金融ネットワークを作ったのは偶然ではないのだ。国境意識や愛国心、国家への忠誠心などが希薄なユダヤ人には、もともとグローバリスト指向が強いと言える。

ハリウッド映画の欺瞞性

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(左:「アミスタッド」の黒人奴隷 / 右: 黒人俳優に指導するスピルバーギ監督)

  ユダヤ人はイギリス人が建てたアメリカ合衆国を憎んでいる。それならイスラエルに移住すればいいのだが、快適で豊かな国を離れたくない。それに、邪悪な西歐人を批判するという楽しみを捨てたくないのだ。自分を棚に上げ、他民族のあら探しをする事が本能みたいなユダヤ人は、「批判」の学問や「破壊」の藝術が得意である。美しいルネサンス洋式の絵画にケチをつけたいユダヤ人は、それとは違ったへんてこな抽象画を称賛する。ユダヤ人藝術家の人物画なんか観ても感動しない。ピカソやモンクの作品だって一般人には理解できないから、ユダヤ人の絵画は更に不気味である。また、ユダヤ人批評家は西歐キリスト教徒が持つ伝統や慣習をあれこれ考察し、「不合理だ」「迷信だ」「理不尽だ」と悪態をつき、からかったり馬鹿にしたりするのだ。それに、西歐の道徳を踏み潰したいユダヤ人は、同性愛結婚などを推進したりする。現在のアメリカでは、同性愛をめぐって非常に揉めているから、日本人でもよく分かるだろう。異民族が嫌いなくせに、異民族の難民を引き入れるユダヤ人は頭がおかしい。ところが、ユダヤ人は外人を排斥する白人を叱りつけることで気分が高揚する。倫理的優越感に浸ったユダヤ人は、頑固者の白人に博愛を説教するのだ。ハリウッドの大御所監督であるスティーヴン・スピルバーグも、このような歪んだ精神を持つユダヤ人である。彼はことさら黒人に同情を示し、冷酷な白人に対して鞭を揮い、映像を通して高邁な理想を語るのだ。

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(左: スティーヴン・スピルバーグ/マシュー・マコノヒー/モーガン・フリーマン/右: アンソニー・ホプキンス)

  白人による黒人虐待をテーマにして一儲け企んだスピルバーグは、アフリカ人奴隷を描いた『アミスタッド(Amistad)』という作品を手掛けた。この映画は、シエラレオネで捕まったアフリカ人が奴隷船で叛乱を起こした事件を題材にしている。彼らはキューバに向かう途中の船で叛乱を企てて船を乗っ取るが、乗組員の機転で船はアメリカに向けて舵を取ってしまう。アフリカに戻るつもりだった黒人たちは、アメリカ人の船に発見され、奴隷たちは暴動の罪で裁判にかけられる。物語は、黒人奴隷を救おうとする若き弁護士が、法廷で活躍する様子を描いているのだが、その映画は残酷な仕打ちをした白人全体を裁いているのだ。黒人を扱った映画だから映像が暗くならないように、キャストには有名俳優を起用していた。黒人俳優の代表格、モーガン・フリーマンは新聞記者を演じ、マシュー・マコノヒーは弁護士、そして大御所のアンソニー・ホプキンスは元大統領のジョン・クインシー・アダムズを熱演していた。スピルバーグはこのような豪華な役者を揃えて、白人による黒人の奴隷化が如何に残酷なものだったかを伝えようとした。それなら、次回は黒人奴隷を虐待したユダヤ人を描いたらどうなんだ? アフリカ人に対して容赦なく鞭を揮う役に、どのユダヤ人俳優が似合っているのかを考えるのは楽しい。極左俳優のショーン・ペンとか短気な異常者が似合うベン・スティーラーなんか適役じゃないか? 狡猾で計算高い奴隷商人なら、ロン・リフキンとか、サイモン・ヘルバーグ、ホアキン・フェニックスがはまり役かも知れない。

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(左:ション・ペン/ベン・スティラー/ロン・リフキン/サイモン・ヘルバーグ/右:ホアキン・フェニックス)

  アメリカ白人に対してならどんな仕打ちも許されるハリウッドでは、黒人が白人を殺しまくるという異端の西部劇まで制作されたのである。ナチスをメッタ殺しにする『イングローリアス・バスターズ』を制作したクエンティン・タランティーノ監督は、黒人版復讐劇『ジャンゴ 繋がれざる者(Django Unchained)』を手掛けたのだ。解放奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)は賞金稼ぎのドイツ人キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルター)と共に、白人を次々と殺して行く。ジャンゴは奪われた妻を取り戻すべく、大農園の所有者で残酷なカルヴァン・キャンディに復讐を果たす、というストーリーだ。レオナルド・デカプリオが演じるキャンディは黒人に生死を賭けたデス・マッチを命じるという冷血漢だ。これは全くのフィクションだが、白人観客は気分が悪いだろう。しかし、ハリウッドの監督は、わざとショッキングな映画を作って話題を攫(さら)おうとするからしょうがない。だが、もしタランティーノ監督が、黒人を容赦なく撃ち殺す白人用映画を撮ったら、黒人団体が黙っていないだろう。大規模な抗議デモが組織されるかも知れない。それに、きっとテレビ局も映画を非難するだろう。アメリカに藝術や表現の自由はないのだ。それに対して、「弱者の横暴」なら無制限に存在する。

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(左: ジャンゴ役のジェイミー・フォックス/右: キャンディー役のレオナルド・デカプリオ)

  ユダヤ人は政治宣伝が得意だし、人を感動させるような映画を作る才能がある。しかし、そのプロパガンダ映像はユダヤ人に都合の良い社会を作るために利用されているのだ。ユダヤ人は黒人のために汗を流そうなんて思わない。ユダヤ人コメディアンのサラ・シルヴァーマンが、ユダヤ人観客の前で語ったジョークを聞けば分かる。彼女は「キリスト教徒はユダヤ人がイエズスを殺した、て非難しているわ ! 彼を殺したのはユダヤ人じゃないわ。それって黒人じゃない?」と言うと、観客は大爆笑。(実際に十字架につけたのはローマ人である。) 兇暴な黒人なら殺人はお手の物。黒人を用いたジョークはたくさんある。「黒人はすぐ忍者になれる。だって黒い服が要らないでしょう」とか「黒人の強盗に襲われたら、バスケット・ボールを投げつけなさい。そうすれば、その強盗はボールを追いかけるから」とか。才能豊かなユダヤ人は、いくらでも笑い話を作れるのだ。ユダヤ人が人種平等を訴えるのは、白人社会に住む時だけ。イスラエル人は、アフリカ人がユダヤ教徒になっても、あちこちで馬鹿にする。タクシー運転手でも白人客を乗せたりすると、調子に乗って黒人を罵る時がある。黒人についての話が弾むと、つい「あいつらはみんな犯罪者だ」と口走ってしまうのだ。黒人など下層民扱いで、指導者層になっている色白のアシュケナージム系ユダヤ人は、色黒のセファラディーム系ユダヤ人を文化的に劣る同胞として観ているくらいだから、黒人差別くらいで驚いちゃダメ。

  西歐社会で迫害されたユダヤ人は、自分が居候であることを反省しない。むしろ、ユダヤ人を異端者とか異邦人として毛嫌いするヨーロッパ人を悪者にする。他人の塒(ねぐら)を自分の部屋にするには、その所有者がベッドを独占していることに躊躇いを持つよう、考えを変えさせればいい。だから、異質な人種を排斥するアメリカ白人を倫理的に攻撃し、ユダヤ人を排除できないように洗脳するのだ。ユダヤ人は西欧系アメリカ人を直接攻撃しない。黒人という「駒」を前面に出して、黒人と白人が共倒れするよう仕組む。人種闘争が流血の暴動で終われば、白人は異民族排除がどうでもよくなる。暴力の応酬にうんざりしてしまうのだ。それに、過去の例を見れば明らかだ。カトリック信徒とプロテスタント信徒が血みどろの三十年戦争を展開し、終わってみれば人口が激減していた。それ以来、ヨーロッパ人は、宗派をめぐって戦争することを止めてしまったじゃないか。ユダヤ人は他民族を利用して、異人種排斥論を葬り、人種の平等や多民族との共生を実現したのである。ユダヤ人社会では、黒人への侮蔑・差別・偏見がてんこ盛りでも、外部の西歐社会ではユダヤ人の理想通りになった。グローバリストのユダヤ人が、日本の経済構造をメチャクチャにするのは不思議ではない。物や人が地球上を自由にグルグルと回って、最終的にお金がユダヤ人の懐に収まればいいのだ。ユダヤ人にとって都合の良い世界市場を樹立するためなら、東洋の島国など海に沈んだって構わない。うかうかしていると、日本人も使い捨ての奴隷になるかもよ。
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アーリア人の赤ん坊を増やせ ! / 同種族を憎むように改造されたアメリカ人
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フリーダが持っていた出生の秘密

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(写真 / ナチス政権下りの理想的ドイツ人少女)
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  最近のテレビでは予算不足なのか、昔のビデオを集めて懐メロ番組を流す時がある。大きい子供を持つ父親とか母親でも、往年のスターやアイドル歌手を再び目にして大はしゃぎするんだから、若い時の熱狂は一生消えないのだろう。でも、贔屓とするアイドル歌手がいなかった筆者には、残念ながら一緒に懐かしむことができない。とは言え、筆者にも松田聖子とか中森明菜を好きだった友人がいた。しかし、同級生にアバ(ABBA)とかノーランズ(The Nolands)のファンはいなかったから寂しかった。それでも楽しい思い出は尽きない。

今のCDとは違って、LPのアルバムだとジャケットのサイズが大きくて、それぞれのミュージシャンが独自のアイデアを用いてデザインしていたから、ある種の藝術みたいな趣があった。小学生の頃、近所のレコード店に行ってアバのアルバムを注文し、そのレコードが届いたとの知らせを受けた時は嬉しかった。早速、自宅のオーディオ・セットにレコードをかけ、「ヴレヴー(Voulez Vous)」とか「エンジェル・アイズ(Angel Eyes)」「アズ・グッド・アズ・ニュー(As good as new)」といった名曲を毎日のように聴いて、「コンサートに行けたらなぁ」と悔しかったのを今でも覚えている。

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左: ノーランガ
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右: ABBA
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  日本でも1970年代後半から80年代初頭にかけてアバは人気で、ディスコ・ブームも重なっていたから、「ギミ ! ギミ ! ギミ !」とか「ダイシング・クィーン」がよく流れていた。ちなみに、筆者が印象に残っているディスコ・ミュージックと言えば、松田優作のTVドラマ『探偵物語』で使われていた「ディスコ・トレイン(Disco Train)」(歌 / セクシー・リズム・セクションズ)と、沖雅也・柴田恭兵が共演していた『俺たちは天使だ』に挿入されていた「You Can Do, I Can Do」である。(これらの曲はユーチューブにアップされているので、確認したい方は曲名をタイプして検索すれば試聴できます。たぶん、「あの曲か!」と想い出す人もいると思う。) 日本でも成功を収めたアバは、1980年代初頭に解散してしまったが、各メンバーは独自に音楽活動を始めていた。リード・ヴォーカルのアグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)とフリーダ・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)は、そけぞれソロ・シンガーの道を歩むようになていった。

  個人活動を始めたフリーダであったが、新曲の「I know there's something going on」はそれほどヒットせず、アバ時代と比べると凋落の様相を否めない。しかし、彼女はドイツ貴族の奥方となった。アバのメンバーであった頃、フリーダはキーボード奏者のベニー(Benny Andersson)と結婚していたが、まもなく離婚してしまい、それでもバンド活動を続けていたという過去がある。人気絶頂で「アバ」というバンドが解散し、ソロ・シンガーになったフリーダは、造園家で伯爵の称号を持つハインリッヒ・ルッツォ・ルウス(Heinrich Ruzzo Reuß)と結婚し、スウェーデンの歌姫からドイツ人のお妃(プリンセス / Prinzessin Reß von Plauen)へと変身していたのである。普通なら、人も羨む華やかなシンデレラ・ストーリーとなるのだが、フリーダには人に話したくない出生の秘密があった。

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左: アグネッタとフリーダ
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中央: 夫婦となったフリーダとベニー
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右: 再婚したフリーダと夫のハインリッヒ・ルッツォ・ルウス
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  1945年11月に生まれたアニ・フリード(フリーダ / Anni-Frid Lyngstad)は、シニ・リングスタッド(Synni Lyngstad)を母に、アルフレッド・ハーゼ(Alfred Haase)を父に持つ。母のシニは片田舎に住むノルウェー人女性で、まだ18歳の乙女であった。一方、父親のアルフレッドは、ノルウェーを占領したドイツ軍に属する24歳の軍曹であったという。彼は派遣された街でこの娘と出逢い、彼女の姿に惹かれてしまった。この娘に惚れてしまったアルフレッドは、ジャガイモの詰まった袋をプレゼントして交際を始めたそうだ。

現在では笑い話になってしまうが、戦時下の1943年、ノルウェーでは食糧不足が深刻だったので、こうした贈り物は大変貴重であったらしい。逢い引きを続ける若い二人が親密になるのに時間はかからず、彼らは程なくして肉体関係を結ぶようになった。だが、アルフレッドには彼女を幸せに出来ない事情があった。何と、彼は故郷に妻子を持つ既婚者であったのだ。(Ross Benson, "Abba girl's Nazi secret", Daily Mail)

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(左: シニ・リングスタッド / 中央: アルフレッド・リングスタッド / 右: 父のアルフレッドと再会したフリーダ)

  不倫と敗戦は若い二人を引き裂く。1945年、シニは身籠もるが、恋人のアルフレッドは祖国に帰還することになった。悪い時に悪い事は重なるようで、さらなる不幸が彼女を襲うことになる。ノルウェーの寒村に残されたシニは、周囲からの冷たい視線を浴びることになった。村の者は皆、誰が赤ん坊の父親なのかを知っていたので、彼女が街を歩けば、人々は彼女に向かって「このドイツ人の淫売女 !」と罵ったそうだ。敵国の男と情事を交わしてしまったシニとその母アグニーは村八分となり、時が経つにつれ人々からの仕打ちに耐えきれなくなった。そこで、地元に居場所を無くした親子は、隣国のスウェーデンに逃れ、新たな生活を求めるようになったという。(当時、母のアグニーは夫を亡くした寡婦であったそうだ。) スウェーデンに新居を構えたシニは、ウェイトレスとして働くが、間もなく腎臓を患い、21歳の若さで亡くなってしまう。母を失ったフリーダはまだ2歳であった。こうして幼いフリーダは祖母の手で育てられ、寂しい子供時代を過ごしたそうだ。大人になってから、彼女は幼年時代を振り返っていたが、友達はそう多くなかったという。フリーダは父がドイツ軍人であると聞かされていたが、祖母のアグニーは偽の話を孫に伝えていた。すなわち、父のアルフレッドは海路でドイツに帰る途中、船が沈没して亡くなったと教えていたのだ。後にフリーダが父の真相を知ったのは、アバが人気を博していた1977年の頃であったという。

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(写真 / 若い頃の「フリーダ」ことアニ・フリッド)
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アーリア人の赤ん坊を繁殖させる施設

  ドイツ軍人のアルフレッド・ハーゼがノルウェー人娘のシニ・リングスタッドと恋に落ちたのは、偶然の出来事だけではなかった。彼の恋愛は「レーベンスボルン(Lebensborn / 生命の泉)」計画の一環でもあったのだ。エリート組織たる親衛隊(SS /Schutzstaffel)を率いていたハインリッヒ・ヒムラー(heinrich Himmler)は、第三帝國を支える金髪碧眼のアーリア人を増やすことを目論み、ドイツ各地に「レーベンスボルン・ホーム」を創設した。ヒムラーの考えでは、理想的な容姿を備えたエリート部隊の男性が、健康で若いアーリア人の女性と肉体関係を結べば、アーリア人の赤ん坊がたくさん生まれ、ゲルマン民族の肉体が維持できるらしい。もし、個人の自由に任せていると、“へんちくりん”な種族と結婚してしまうから、政府の特別機関が制禦せねばならないという訳だ。こうして、優秀な北方種族の純血性を守り、その優越種族を繁殖させるためには、特別な制度と施設が必要である、との思想がドイツに浸透し始めたのである。

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(左: ハインリッヒ・ヒムラー / 右: レーベンスボルン・ホームで育つアーリア人の赤ん坊)

  ヒムラーは理想の種族でドイツ帝國を満たすことに心血を注ぐ一方で、彼の民族が持つ血統を穢す劣等人種を憎んだ。ドイツ民族の将来を憂いたヒムラーは、薄汚いスラヴ系民族やタカリ民族のユダヤ人、浮浪者のジプシーなどを排斥しようと決心したのである。彼はまた、腐敗と悪徳が蔓延る都会を嫌悪したので、レーベンスボルン・ホームを美しい田園地帯に建てることにした。現在の日本人にはピンとこないだろうが、ワイマール共和国時代には、ホモ風俗とかキャバレーが花盛りで、おぞましい繁華街には売春婦がたむろっていたというから、ヒトラーやヒムラーはこうした悖徳(はいとく)をドイツ全土から一掃した。「極悪人」の烙印を押されたヒトラーだが、意外にも彼は潔癖症で、倫理・道徳的腐敗に対して峻厳だった。美術を愛したヒトラーからすれば、ゲイ同士のセックスとかストリップ劇場などもっての外。ところが、社会道徳など一顧だにしない世俗的ユダヤ人の中には、ゲイとかレズビアンを用いてキャバレーを経営したり、変態趣味やSMショーとかを商売にして儲ける奴がいたそうだ。

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(左: マグヌス・ヒルシュフェルド / 右: 男同士でダンスを楽しゲイのむカップル)

  さらに、マグヌス・ヒルシュフェルド(Magnus Hirschfeld)というユダヤ人学者がセックス学(sexology)で有名だったから、ヒトラーやナチ党の愛国者たちが激怒したのも当然だった。この状態は、メル・ゴードン(Mel Gordon)の著書『官能的パニック(Voluptuous Panic)』を繙けば一目瞭然だ。日本人の読者は、ヒルシュフェルドが丸裸の女性を椅子に坐らせ、その手で彼女の性器を開闢させている写真に驚くだろう。こうした本は大学図書館にも無いから、ほとんどの日本人はワイマール期の社会風俗を知らずに、ナチ・ドイツの風紀取締を非難することになる。まぁ、性器丸出しのゲイやレズビアン、性的な幼児趣味、SMプレー、といった写真が満載の本なんて、公共図書館に置くことができないから、大学生でも第三帝國以前のドイツを理解していないのだ。(筆者はこの本を所蔵しているが、その中に掲載されている写真を紹介できない。ブログ運営のライブドア社の検閲が厳しいしこともあるが、実際、あまりにも卑猥な写真なので、いくら鈍感な筆者でも掲載をためらってしまうのだ。どうか、ご勘弁頂きたい。)

  勇敢なアーリア人戦士と美しいアーリア人の母が住むドイツを理想郷としたヒムラーであったが、いくつかの強引な政策もあったから、批判者が出て来ても不思議ではなかったし、排除されたユダヤ人から恨まれることも当然あった。しかし、彼の方針は英米で行われていた社会政策と同じものであったし、現在の福祉制度に通じているから興味深い。レーベンスボルン計画では、由緒正しいSS隊員と健康なアーリア系女性との婚姻が奨励されており、レーベンスボルン・ホームは未婚女性とその赤ん坊、あるいは既婚者との不倫で子供を産んでしまった女性などを保護し、彼らの面倒を見ていたという。ナチ党は逞しい金髪の戦士と家庭を守る母親を理想とし、帝國の未来を担うゲルマン人の子供を産むよう宣伝したし、そうした出産を半ば国民の義務と見なした。こうしたナチスの方針が「悪」なら、日本の武士は単なる殺人鬼だし、家庭を守る専業主婦も否定されねばならない。

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(写真 / ゲルマン系の母親と赤ん坊)
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  そこで、ゲルマン人の出生率を上げるため、ドイツは幾つかの社会政策を推進した。例えば、10歳以下の子供を3人以上持つ母親は、商店の順番待ちの列で優先的に扱われる「名誉母親証」を与えられたという。また、地方の行政当局は、こうした母親達に家賃と公共料金の割引をする制度を採用し、これから家庭を築こうとする若いカップルには、人種的適合性が証明されれば、独身者からの特別税を財源とした融資が行われたそうだ。子供が一人生まれるごとに融資額の四分の一が免除されたという。ということは、四人目を持てば借金がチャラになるということだ。(キャトリーン・クレイ / マイケル・リープマン 『ナチスドイツ支配民族創出計画 』柴崎昭則 訳、現代書館、1997年、 p.92)

  レーベンスボルン・ホームに熱心だったヒムラーと開業医のグレゴル・エーブナー(Gregor Ebner)は、既婚未婚を問わず、とにかく良い血統を持つゲルマン人の子供を増やしたかった。そこで、赤ん坊を養うことが困難な母親を受け容れて、レーベンスボルン・ホームの看護婦が代わりに養育する場合もあったという。とにかく、レーベンスボルン・ホームは魅力に満ち溢れていた。施設は中世の城を思わせる外観をもち、田園地帯にある高級リゾート・ホテルのようでもあった。当時、出産費用は一人頭400マルクであったが、エーブナーは素晴らしい血統を持つ1000名の子供を確保できるのなら、さしたる出費ではないと考えていたそうだ。資金は様々な方法で調達されていて、レーベンスボルン協会の会員からも徴集していた。会員数は1万3千人。そのうち8千名がSSに所属し、766名は各地の警察組織に属する者であった。会費は月に最低27マルクであったが、父親としての義務を果たしていないSSの隊員は、罰としてなのか、余計に会費を払わねばならなかった。しかも、28歳までに最低2人の子供を持たないSS隊員は、より多くの金額を払わねばならなかったそうだ。(上掲書 p.105)

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(左: グレゴル・エーブナー

中央: ドイツ人の若い女性
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右: 少女と一緒のハインリッヒ・ヒムラー
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  それでも、レーベンスボルン計画を維持するには資金が足りなかったようで、1939年、経済省は拡大する赤字を補填すべく100万マルクの補助金を交付したという。日本政府も少子化対策を取るなら、ナチ・ドイツのレーベンスボルン計画をちょっとは参考にすべきだ。国会議員や地方議員、政府の役人はこぞって児童施設の増加を叫ぶが、肝心の国民はセックスをしても結婚しないし、子供すら産まないから少子化が益々深刻となっている。多少のお金をあげても日本人女性は妊娠を嫌がるし、幼稚園が充実すれば「待ってました」とばかりに外で働くから、専業主婦が減って職業婦人が増えてしまう。子供を増やして生活がキツくなるんなら、子供を産まずに所得を上げようとするのは人情だ。ちょっと脇道に逸れるけど、日本の税制は将来を担う国民に対して酷だ。若い夫婦が借金して新居を構えても、その家屋に固定資産をかけて多額の税金を搾り取るんだから、幸せな家庭を築こうなんて思わない。これじゃあ、まるで懲罰金だ。住宅ローンを返済しながら、年金、国民健康保険、市民税、県民税、ガソリン税の二重課税、自動車取得税、車検に加えて消費税のアップじゃ、重税を払うために働いているようなものである。もし、子供を4、5人産んだら住宅借金を棒引きにして、固定資産税も軽減ないし免除となれば、若い夫婦もちょっとは夜の営みに励むかも知れない。

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(写真 / ナチス時代のドイツにおけるゲルマン系少女たち)
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  ナチ・ドイツの崩壊でハインリッヒ・ヒムラーの評価は最低だが、彼がSSのために考案した儀式には注目すべき言葉がある。夏至と冬至の儀式に集まった民衆は、次のように唱和しなければならなかった。

  我々は祖先を尊敬し、その前で跪く。祖先の血は、使命と責務として我々の中に流れている。

  血縁共同体によって、男は遺産を守る義務を負わねばならない。
  存在することの意味は、遺産を結実へと展開することである。
  生命の輝きを保つ聖なる場所を守るのは、家族である。
  男とその妻は、生命の芽を授け、それを担い、そして伝播させる。
  我々の子供たちは、我々の交わりと存在の証明である。
  そして、我々の孫たちは、我々の偉大さを証拠立てるであろう。
  (上掲書 p.64)

  ドイツ史を研究する日本の左翼学者は、頭ごなしにナチスを糾弾するが、ドイツ国内でアーリア系、つまり北方種族のドイツ人が増える事に問題は無いはずだ。確かに、ポーランドを侵掠し、現地人を弾圧したことは非難されるべきだが、侵略戦争なら歐米各国とも常習犯である。英国はアジアやアフリカに宏大な植民地を獲得し、現地の有色人種を蔑み、レイシズムに基づく秩序を形成して、現地人を奴隷の如くこき使っていた。インド人やビルマ人、アフリカ人からすれば、ドイツ人もイギリス人も変わりはないし、自由や博愛を掲げていたフランス人など完全に偽善者だ。ドイツ人を非難するアメリカ人だって、国内では黒人を家畜として働かせていたし、黒人との混血を忌み嫌い、一滴でも黒人の血が混じった子供は白人と見なされなかった。これは、ユダヤ人の祖父母を持つユダヤ系混血者を「ドイツ人」と見なさなかったナチスと同じである。アメリカ人は嫌がるけど、ナチ党はアメリカの人種法を参考にしていたのだ。当時の西歐世界はどこでも人種差別が横行していたし、他国への侵掠とか劣等人種の征服などは伝統的行為であったから、殊さら騒ぎ立てる程のものでもなかった。

恨み骨髄のユダヤ人

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(写真 / ユダヤ人の集団)

  しかし、ドイツやその他の西歐諸国に住むユダヤには赦しがたかった。彼らは千年以上も異国にタカってきた寄生民族なのに、自らを正当な「ドイツ国民」と考えていたのだ。しかし、ナチ党が台頭すると、如何なる高位高官のユダヤ人も単なる「ユダヤ人」に貶められたから、大騒ぎしても無理はない。以前なら、強欲な領主や君主を札束でビンタすれば、迫害の手が緩んだし、条件次第では引き続き居住が許され、有能なユダヤ人であれば、秘書とか財務官といった手下になることができた。ところが、ヒトラーは甘っちょろい貴族とは決定的に違っていたのである。彼はユダヤ人の袖の下に屈しなかったのだ。ナチスは法律を以てユダヤ人を炙り出した。例えば、


(1) 氏名変更の禁止。ユダヤ人がドイツ風の名前をつけることを禁止したのである。

(2) ユダヤ人の商店はユダヤ人が所有していることを隠してはならない。

(3) ユダヤ人組織は当局に登録せねばならない。

(4) ユダヤ人は自分がユダヤ人であるとこを示す書類を持ち歩かなければならない。

(5) ユダヤ人は不動産業、金貸し屋、工場経営、調査業、結婚仲介業、看護婦、巡回販売員などを営んではならない。

(6) ユダヤ人はドイツ人の劇場に入ってはならない。

(7)ユダヤ人の子供はドイツの学校から排除される。


  これ意外にも様々な禁止条項があった。こうした条例は他国にも適応され、フランスがドイツに占領された時、そこに住むユダヤ人はケルト系のフランス人と区別された。すると、今までフランス人が営んでいると思っていた商店が、実はユダヤ人の店であったとわかってフランスの庶民が驚く、といったケースがあったそうだ。しかも、「こんなに多くあったのか !」と驚嘆したというから面白い。反ユダヤ主義の伝統が根強かったフランスでは、ドイツ人によるユダヤ人迫害に協力する人が少なくなかった。忌々しいユダヤ人を排除してくれたんだから、征服者にしては「良い事」をしたものだ。

  第三帝國の崩壊はドイツ人にとって悲劇であったが、戦勝国の英米にとってもある意味「敗北」であった。経済的に疲弊した英国は別にして、国内に損害が無かった米国も意外なしっぺ返しがあったのだ。あろうことか、ナチスを悪魔にして糾弾したアメリカ人は、自国内で人種差別が出来なくなってしまった。ナチスのユダヤ人迫害はドイツ人の独創ではなく、以前から継承されてきた排除思想が基になっていたのに、まるでドイツ人だけがユダヤ人を虐待したかのような印象操作が戦時中に行われていたのである。ドイツ人が如何なる人種政策を取ろうとも、アメリカ人はそれとは無関係に、従来の人種差別を継続してもよかったのだ。なぜ戦勝国が敗戦国のせいで人種混淆社会になるのか? そもそも、合衆国の白人兵はユダヤ人を救うために参戦したのではないし、黒人との平等を求めて日本兵と戦ったわけでもない。ところが、奇蹟的に生き残った白人兵が帰国すると、国内にはユダヤ人を始めとする戦争難民が押し寄せ、ついでにアジア系移民に関する法的制限も撤廃されてしまったのである。

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(左: ユダヤ人の子供 / 右ユ: ダヤ人の移民)

  激戦に勝ったら厭なユダヤ人を引き受けることになるなんて、まったく馬鹿げている。同じ種族のドイツ人、特に戦争孤児や夫を亡くした母子家庭のゲルマン人なら受け容れてもいいだろう。事実、ジェイムズ・イーストランド上院議員は、戦争で住処を無くしたドイツ難民を優先しようと述べていた。ところが、優先的にやって来たのはむさ苦しいユダヤ人とか、東歐や南歐からの貧民、その他の不愉快な劣等民族であったから、地元のアメリカ人は眉を顰めていた。案の定、住みついたユダヤ人家庭からは筋金入りの共産主義者や、ピンクの左翼、リベラル派気取りのゴロツキ、空論を弄んで社会に害をなす知識人、白人社会にケチをつける左巻きのジャーナリスト、真っ赤に染まった藝能関係者などが輩出されたのである。以前、当ブログで紹介したように、公民権運動で黒人を焚きつけたのはユダヤ人活動家であったし、異人種混淆を奨励する映画を作っていたのもユダヤ人であった。

  映画界やテレビ局、その他の娯楽産業を牛耳ったユダヤ人は、盛んにナチ・ドイツを侮蔑し、ドイツ人が犯したユダヤ人への暴虐、迫害、ガス室殺人などをアメリカ人に吹き込んだ。それにより、上流ないし中流家庭の白人たちは、兇悪犯のドイツ人を蛇蝎の如く嫌うようになってしまった。映画に現れるナチ高官は決まって残忍冷酷で、米軍に銃を向けるドイツ兵は、皆ロボットのように上官に従い、ケダモノのように民間人を殺しまくる。一方、アメリカ兵は人情味に不溢れた正義漢として描かれている。南洋で投降する日本兵を撃ち殺す卑劣なアメリカ兵とか、絨毯爆撃で女子供を皆殺しにするパイロット、焼夷弾で民間人を焼き殺すよう命じる米軍将校などは描かれない。もちろん、占領下の東京や横浜で日本人女性を強姦する黒人兵とか、少女を凌辱する白人兵などは無視。悪いのはナチズムのドイツ人とファシズムの日本人のみだ。

Kristen Stewart 6Teresa Palmer 7Tiffani Thiessen & Alexandra Daddario 1

左: 二枚クリステン・スチュワートとテレサ・パーマー
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右: 二枚ティファニー・ティッセンとアレクサンドラ・ダダリオ
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  こうしたプロパガンダ映像で洗脳されたアメリカ白人は、同種族のドイツ人を殊さら憎み、異人種であるはずのユダヤ人に親近感を覚える。しかし、日本人の目から見れば、西歐系アメリカ人とアーリア系ドイツ人は同胞に見えてしまう。もし、第二次大戦を闘った高齢の白人が子供や孫の配偶者を選ぶとしたら、必ず同種族の西歐人を望むだろう。戦争が終わって帰還した白人兵は、たいてい白人娘と結婚し、自分と“似た”子供をもうけた。ここでは直接関係無いけど、白人俳優には他人なのによく似ている者がいる。例えば、女優のテレサ・パーマー(Teresa Palmer)とクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)は、アメリカ人の目から見ても似た者同士だ。また、映画「ベイウォッチ」に出演したアレクサンドラ・ダダリオ(Alexandra Daddario)と、TVドラマ「ホワイト・カラー」で人気者となったティファニー・ティッセン(Tiffani Thiessen)も、ちょっと見ればよく似ている。これは彼女たちの親が同じ白人同士で結婚し、祖先からの遺伝子を守ってきた結果、同じタイプの容姿が保存されたという実例ではないのか。

住むなら白人地区

  口では綺麗事を述べる人でも、自分のお金を使う時には本音に忠実となる。例えば、いくら南鮮人を擁護する左翼評論家でも、自分の財布で自家用車を買おうとすれば、韓国の「現代(ヒュンダイ)」ではなく、トヨタとかホンダの日本車、あるいはメルセデス・ベンツやBMWいった高級車を選んでしまうだろう。第一、朝鮮のクルマなんか恥ずかしくて友達に見せられない。また、米国に派遣された日本人社員が現地で自宅を購入したり、子供の学校を探そうとすれば、おのずと白人の住宅地に目を向け、グレた子供が少ない白人学校を選んでしまうだろう。アメリカの白人だって「レイシスト」の日本人に賛同するはずだ。しかし、現在では、北方種族だけのドイツ村とか、白人ばかりが住む高級住宅地は評判が悪い。でも、日本人の不動産鑑定士が土地を調べれば、黒人やヒスパニックがひしめく地域より、西歐系アメリカ人だけが住む地域の方に高い評価額をつけてしまうだろう。実際、裕福なアメリカ白人は白人が圧倒的に多い高級住宅地に屋敷を構える。以前、ビル・クリントン夫妻の豪邸を紹介したが、黒人やヒスパニックに同情的なリベラル・カップルは、有色人種が少ないニューヨーク郊外の白人地域に新居を購入していたのである。

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左: アメリカにやって来るヒスパニック移民
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右: アメリカにやって来るムスリム移民 )

  アメリカの白人は敗者の日本人に向かって、「オレ達の国は自由を尊ぶデモクラシーなんだ。お前らみたいに奴隷根性で暮らしている未開人じゃない」と説教するが、彼らに果たして本当の自由があるのか? 例えば、ヒムラーが夢見た金髪碧眼のゲルマン人ばかりで形成される田園地帯が現れたら、裕福な白人層は我先にと土地購入に奔走するだろう。幼稚園や小学校には黒いアフリカ人や褐色のアラブ人が皆無で、どの子供も白い肌に薔薇色の頬をし、大きな青い瞳を輝かせている。こうしたブロンドの幼児は、縮れ毛の黒人が発する独特のアクセントで喋らず、卑猥なダンスに興味を示すことも無い。健全な白人家庭が多くなれば、刑務所に収監された父親とか、福祉金に頼るアバズレ女房、麻薬でラリっているストリート・ギャング、売春婦と大して違わないズベ公、なども激減するだろう。貧困家庭の黒人生徒なんて、卒業後は刑務所に就職するため学校に通っているようなものだ。白人だけの共同体が社会的に公認されれば、リベラル派を気取ったインテリ夫婦だって、アーリア人村に引っ越したくなる。

そもそも、北方種族ばかりのドイツになったからといって、生粋のドイツ人がどんな損害を受けるというのか? 日本人のみならず、西歐系アメリカ人は冷静に考えてみるべきだ。例えば、ドイツ人に生まれた事を誇る親が、金髪を靡かせるアーリア人だらけの幼稚園を訪れて、「うぁぁぁ〜、北歐種族だらけだぁ ! 怖ろしい! こんな幼稚園にウチの子を入れることはできないわ!」と叫ぶのか? たぶん、それとは真逆だろう。もしかしたら、「まぁ、何て素晴らしい幼稚園なの ! どの子もみんな可愛らしいわ! ウチの子もここに通わせたい !」と、うっかり口を滑らすんじゃないか。「ゲルマン系」「アーリア系」「アングロ・サクソン系」と何でもいいが、西歐系アメリカ人はなぜ自分たちの理想を追求しないのか不思議である。

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(写真 / 忌み嫌われるアーリア系の幼児たち)
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  もし、アメリカが「自由の国」ならば、黒人やユダヤ人がギァアギャア騒ごうとも、好ましいタイプの白人だけで住宅地を持ったり、北方種族だけの小学校を作ったり、会員制の白人ゴルフ・クラブを開設すればいいじゃないか。民間組織における「受容」と「排斥」は自由であるべきだ。建国以前、イギリス人入植者は自分の好きなように神様を拝めるよう渡ってきた。彼らは新大陸に根づき、アングリカン教会から指図されず独自の教会を設立し、好き勝手な聖書解釈を行っていたのである。それなのに、アングロ・サクソン入植者の子孫は、自分の好きな者たちだけと暮らすことを禁止され、ユダヤ人が提唱する反米教育や不道徳な価値観に抵抗できない。英国のプロテスタント信徒はカトリック教会に反抗できたのに、ユダヤ人団体の前では隷属するなんて情けない。プロテスタントはユダヤ人の下僕なのか?

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(左: 歓迎されるユダヤ人の大人たち / 右: 大切にされるユダヤ人の子供たち)

  ユダヤ人が哀れな難民として入国した頃は、借りてきた猫みたいにおとなしかったが、この異民族は財力や権力を身につけると、次第に地元民の西歐人へ文句をつけるようになった。白人ばかりのコミュニティーはレイシズムの温床だから駄目。アングロ・サクソン人を始めとするゲルマン種族を称讃するのは、反ユダヤ主義に繋がるから禁止。米国をキリスト教国と定義することは、信仰の自由を阻碍することになるから破棄。西歐文明、とりわけイギリス文化を継承することは、多民族・多文化主義を否定するものだから、テレビや学校の教育プログラムから抹消。こんなアメリカ社会に変貌しているのに、アメリカの白人はフランクフルト学派の毒が廻っているせいか、まったく気づかない。その前に、「ネオ・ナチ」という言葉を聞くだけで震え上がってしまうのだ。ただ、筆者の言うことを理解するアメリカ人も居ることはいる。しかし、彼らは社会的地位を失うことを恐れるから、絶対に賛同することはない。こんな具合だから、綺麗事でしかない理想を語るリベラル派が幅を利かせているのだろう。

白人の赤ん坊は高い

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(写真 / レーベンスボルン計画で理想的モデルとされそうなアーリア人の男女と家族)
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  とにかく、レイシズムを否定するアメリカ社会であるが、養子縁組となれば白人の赤ん坊を望む白人夫婦は多い。もし、アメリカにレーベンスボルン・ホームのような養育施設があって、ヒムラーのように純粋なゲルマン人の赤ん坊を斡旋してくれたら、感涙にむせるカップルがたくさん出てくるだろう。事実、白人の赤ん坊は需要過多で、供給が極めて少ない。だから、白人の赤ん坊は値が高く、その次に白人系のヒスパニック、アジア系と値段が下がり、黒人は最低価格だ。幼くても買い手が付かない。売れ残った黒人の子供が成長してしまえば、もう絶望的である。子供が欲しい白人カップルは、しぶしぶ黒人を引き取るが、ユダヤ人カップルはユダヤ人の養子にこだわるし、異民族の子供を欲しがらない。ユダヤ人は二重思考を恥としないからね彼らは白い肌の子供を優先的に迎え入れ、たまにへそ曲がりのユダヤ人カップルが黒人を養子にする程度。しかし、西歐系白人に対しては人種平等を押しつける。(それなら、パレスチナ難民の子供を養子に迎えればいいのに。)

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左: 黒人の赤ん坊
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中央: 支那人の赤ん坊
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右: ヒスパニック系の子供
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   気前よくユダヤ難民を受け容れたアメリカ人は、本当に愚かである。自分の国なのに“くつろぐ”ことができず、常に異国に居るような気分になるし、周りを見渡せば黒人、アラブ人、南米人、支那人、インド人などが目に付く。しかも、言論の自由があるはずなのに、絶えずユダヤ・メディアの検閲が光っている。そして「自由」と「デモクラシー」を掲げて対外戦争をすれば、その都度、望みもしない難民がやって来るのだ。第二次世界大戦でユダヤ人、朝鮮戦争で朝鮮人、ベトナム戦争でベトナム人、イラク戦争でイラク人、ソマリアの紛争ではソマリア人が雪崩れ込んで来た。こんな結末なら、ナチ・ドイツを徹底的に破壊しなけりゃよかった、と歎きたくなる。日本人が高齢のアメリカ白人を捕まえ、「1950年代以前のアメリカと1960年代以降のアメリカと比べたら、どちらが良いのでしょうか?」と尋ねたら、彼らは声を小さくして「そりゃあ、戦前の方さ」と囁くだろう。「でもなぁ、ワシの孫は黒人との混血児なんだよ」という悲しい告白もあったりして、気の毒なインタビューになったりする。

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(写真 / 高値がつきそうな白人の子供)
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  日本人で歴史を研究する者は圧倒的に文系が多いから、歴史を違った角度から考えるという習慣がない。自然科学や数学を専攻する者なら、自然現象をあらゆる角度から考察し、様々な仮説を立て実証したり、研究したりするだろう。たとえ、「定説」であっても、それを疑い、自分で検証するし、学会の大御所が提唱した仮説といえども決定的ではない。ところが、歴史学会に所属する学者だと、長老教授の「史観」に逆らうことはないし、「定説」通りに論文を書けば、やがて正教授になれる。何も無理して有力教授に挑戦する必要はないし、黙って従えば自分も大御所になれるんだから、学会の主流に逆らうのは愚の骨頂だ。アメリカの学会も似たり寄ったりで、かつてアングロ・サクソンが主流だった米国はユダヤ人の天下になってしまった。ナチスにだっで見倣う点はあるだろう。アメリカ人はナチスのユダヤ人虐殺を非難するが、その立派なアメリカには中絶賛成派の「プロ・チョイス」勢力が存在する。「赤ん坊殺し」をチョイス(選択)の問題にするんだから驚く。たしかに、胎児は喋らない。いや、喋ることができない。母親に殺された赤ん坊は天に訴えるしかないのだ。それなら、未婚の母から捨てられた子供を養育したレーベンスボルン・ホームの方が遙かにマシだ。ユダヤ人の子供を殺すことが残酷なら、まだ母親のお腹にいる赤ん坊を殺すことだって悪である。案外、中絶賛成派のフェミニストは、ヒトラーが待つ地獄に直行するかも知れないね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html

ナチスが嫌った醜い藝術
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html

頽廃芸術が横行したワイマール時代

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(上絵画 2枚 / ヒトラーの作品)

  今回のブログは1、2年前から発表しようかどうか迷った記事である。ナチス時代のドイツを知るには、ワイマール時代の社会状況を知る必要があるのだが、その一部があまりにも卑猥なのであからさまに伝えることが出来ない。しかも、ブログ運営会社のライブドアによる「検閲」があるので、たとえ「歴史的事実」でも「破廉恥な現実」を掲載すれば、当ブログの閉鎖を余儀なくされるからだ。それでも、歴史の真相を求める日本人には、偏向史観ではない具体的で“生々しい”情報が不可欠なので、肝心なエロ絵画を載せられないが、とりあえず紹介することにした。

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央: カール・トルッペ Karl Truppe と Franz Triebsch によるヒトラーの肖像画 / 右: アルベルト・シュペーア )


  第三帝國の総統となったアドルフ・ヒトラーが、若い頃、画家を志していたことは有名である。したがって、この伍長上がりの政治家は美術に関しては少々うるさく、自らのドイツ帝國を偉大な藝術で飾ろうと思っていた。ヒトラーがベルリンを壮大な首都にしようとした「ゲルマニア世界都市計画(Welthaupstadt Germania)」は有名で、その担当者に建築家のアルベルト・シュペーア(Berthold K. H. Albert Speer)を据えたこともよく知れられている。現在では、ヒトラーと言えば「極悪人」というレッテルが貼られているので、やることなすこと一切が非難の的になっている。だけど、もし敗戦がなく、目論見通りベルリンの再開発が遂行されていたら、たぶん絢爛豪華な帝都の誕生となったであろう。

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左: ドイツ人の少女
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中央: ナチス時代のドイツ人女性
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右: ナチ党のポスター
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  もっとも、追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だ。しかし、好ましいアーリア人で賑わう街はヨーロッパ諸国の注目を集め、不動産価格が高騰するのは間違いない。きっと、好奇心旺盛な日本人も、世界に冠たる偉大な都市を見物しようと、ベルリンに押し寄せるんじゃないか。現在の歐米人のみならず、日本人も「ユダヤ人の視点」でしかドイツ史を観ないけど、もし、ゲルマン人の目でヒトラーの帝國を眺めれば異なった感想を持つはずだ。

例えば、仮にドイツの住民がアーリア系ドイツ人ばかりになったとする。そうなると、いったい誰が困るというのか? 日本人観光客で、金髪碧眼の北歐人が集まる商店街とか教会を眺めて、「気持ち悪る〜い」と感じる人はいないだろう。日本人女性だと、ゲルマン人の子供が楽しく遊ぶ幼稚園を見て、「アっ! かわいぃ〜い」と声を上げるんじゃないか。日本人の亭主だと、ブロンド美女の保母さんに“うっとり”する姿を女房に見られて、「アンタ、どこ見てんのよ !」と叱られたりしてね。

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左: ヒトラーとドイツ人の少年
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ドイツ軍士官
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右2枚: 理想的なアーリア人女性
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それに、ドイツを訪れたオランダ人やイギリス人の観光客が「あれ〜ぇ? 白人ばかりだ。ユダヤ人がいなくて寂しいなぁ」と愚痴をこぼすのか? ユダヤ人が大嫌いな愛国的フランス人なら、「アレマン人(ドイツ人)は素晴らしい ! ぜひ、我が国もユダヤ人を駆逐しよう !」と叫ぶに違いない。また、 ユダヤ人を大学やホテルから閉め出したアメリカ人も、同種族のドイツを旅行して感動するはずだ。帝國陸軍から派遣された日本人だって、ゲルマン人ばかりのドイツに違和感は無く、ユダヤ人が居なくても不便はない。ちょうど、江戸や大坂に朝鮮人が居なくても寂しくないのと似ている。

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左: ドイツ人の少年
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中央: ドイツ軍士官の家庭
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右: 1950年代のドイツ人女性
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  ナチ党やヒトラーの評判が悪いのは、ドイツを敗戦に導いたことにあるのだが、ユダヤ人や左翼分子が歐米の学会を牛耳っているのも、見過ごせない原因の一つである。ヒトラーにより追放されたユダヤ人は、アメリカやブリテン、カナダなどの西歐世界に移住し、その地で反ナチス本を大量に出版した。したがって、ドイツの事情に無知な一般人は、「ほとんど」と言っていいくらい、ユダヤ人の洗脳を受けている。フランクフルト学派のユダヤ人を迎入れたアメリカはその典型例で、今でもユダヤ人が撒き散らかした害悪により、訳も解らず“のたうち回って”いるのだ。これは丁度、見知らぬ他人から魚を貰って食ったら、その内蔵に水銀が溜まっていたり、回虫のアニサキス(Anisakis)が潜んでいたことから、食後にもがき苦しむのと同じ症状である。

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(上絵画 / ヒトラーによる風景画)

  排除されたユダヤ人の中には藝術家もいて、彼らは亡命先で散々ナチスを呪った。そして、この呪詛を聞いた現地人もユダヤ人アーティストに同情したものである。しかし、この亡命者たちは一体どのような作品を世に送り出していたのか? なぜ、ヒトラーやナチ党員たちは、彼らを排斥したのか? 日本人としては事の善悪を越えて、その理由を知りたい。我々は迫害されたユダヤ人の怨念だけを鵜呑みにするのではなく、迫害した側のドイツ人による言い訳にも耳を傾けねばならないと思う。とりわけ、1942年3月27日にヒトラーが述べた意見は傾聴に値する。ヒトラー曰わく、

  ワイマール共和国時代が特にひどかった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の怖さを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしでの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準には自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。今、ユダヤ人の財産没収のおかげで奴らのペテンの証拠が続々と手に入るというわけだ。屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する。-----これがやつらのペテン藝術の極みともいえる手口だったのだ。著名なユダヤ人から徴発した財産の目録に目を通していつも驚くのは、そこに本物の芸術品ばかりが載っているということだ。(『ヒトラーのテーブル・トーク』 下巻、吉田八岑 訳、三交社、1994年 p.31)

  確かに、ユダヤ人の富裕層はヨーロッパの名画を買い漁っていたようで、ナチスが彼らから奪い取った作品には目を見張るものがあった。最近だと、ナチスに協力した画商のヒルデブラント・ガーリット(Hildebrany Gurlitt)が隠し持っていた絵画に注目が集まったことがある。彼の息子で隠遁生活を送っていたコルネリアスが、ある失態を犯してしまい、盗品が表に現れるという事件が起きた。(Michael Kimmelman, "The Art Hitler Hated", The New York Review of Books, June 19, 2014) 戦災で失われたと思われていた多数の絵画が見つかってドイツ人は驚嘆。その中には、「頽廃藝術(Entartete Kunst)」作品も含まれていたそうだ。ヨーロッパ人の美を愛するヒトラーにとって、ユダヤ人や現代画家の美観は許せなかったそうで、総統は美術展に足を運ぶ度に、その「塗りたくった絵」を取り外させたという。たとえ、プロイセン・アカデミーの“お墨付き”が与えられた作品であっても、「無価値なもの」に対しては容赦無くふるい落としたらしい。

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(左: オットー・ディックスの作品 / 中央: ポール・クリーの作品 / 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  ヒトラーによると、アカデミーの会員はきちんと任務を果たさず、いつも仲間内で“なあなあ”で済ませ、ある宗教担当大臣はユダヤ人の罠に嵌まって“とんでもない駄作”に賞を与えてしまったそうだ。しかも、騙された人々は最初、「これは難解な作品だ」などと一応納得した顔をして、「作品の深層と意味を洞察するためには、提示されているイメージの世界に浸る必要がある」と、もっともな“ご託”を並べたという。そう言えば、日本でも西洋美術展が開催されると、評論家気取りの連中が適当な「講釈」を垂れるし、門外漢の一般客は、その「値段」を聞いて作品の「価値」を決める傾向が強い。庶民はピカソやムンクの作品を観たってチンプンカンプン。「こんなの子供の落書きだよなぁ」と心の底で思っても、その値段が何十億円と聞けば、「うぅぅ〜ん、やはり筆のタッチがひと味違うな !」と急に意見を改めたりする。

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(左: パブロ・ピカソ / ピカソの作品 / エドワルド・ムンク / 右: ムンクの作品)

  だが、ヒトラーによる美術批評家への意見は手厳しい。「一般論として、アカデミーの類いは傾聴に値する程の意見を発表しない」そうで、教授どもは落ちこぼれか、枯渇した老人くらいであるという。たとえ、才能豊かな者がいても、彼らは1日に2時間と教えられないそうだ。(上掲書 p.32) ヒトラーの美術論によれば、真の藝術家は他の藝術家たちとの接触を通して育って行くものらしい。かつて、巨匠といわれた画家たちは、工房の助手としてスタートし、技術と器用さで秀でた者、あるいは将来価値のある作品を生み出せそうな者だけが、徒弟の地位へと昇ったそうである。ヒトラーはルーベンスやレンブラントの例を挙げていた。これなら我々にも解る。例えば、「偉大」と称されるピカソなんかより、フェルメールの油絵の方がよっぽど素晴らしいし、ラファエロの聖母像も傑作だ。ヨーロッパの評論家はムンク(Edvard Munch)の『少女と死』とか『思春期』を称讃するけど、日本人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の美人画とか版画の方が解りやすい。

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(左: フェルメールの名作「真珠の耳飾りをつけた少女」 / 中央: レンブラントの「善きサマリア人」 / 右: レンブラントの「愉快な仲間」)


エロ・グロ作品を描いていた亡命者

  ヒトラーは、当時の風潮に不満を漏らしていた。ドイツの美術学校では自由放任の方針を取っていたようで、天才なら最初から自分のしたいようにしてもよい、と考えていたらしい。しかし、ヒトラーは「天才画家であっても、最初は皆と同じように学習から始めねばならぬ」と考えており、「たゆみない努力によってのみ、描きたいものが描ける」と信じていた。そして、総統は絵の具の混合をマスターしていない者や、背景の描けない者、解剖学を学んでいない者は、大した画家にはならないだろう、と結論づけていた。そこで、ヒトラーは「曾てのように現代も、画家の卵は親方の工房で美術の伝統にどっぷり浸かりながら訓練を受けるべきだ」という。なぜなら、ルーベンスやレンブラントの作品を観ると、弟子と師匠が描いた部分の区別が附きにくかったからである。つまり、ルーベンスやレンブラントの弟子たちは、師匠と同じ技量を身につけていたということだ。

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(左: ゲオルク・グロス / マックス・ベックマン / エルンスト・ルドウィック・キルヒナー/ 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  このように、ヨーロッパに根づく伝統的美意識を愛したヒトラーだから、その伝統を無視する抽象画とか表現主義の作品は許せなかった。ヒトラー率いるナチ党が「頽廃藝術家」と評した者といえば、ゲオルク・グロス(Georg Grosz)や、オットー・ディックス(Otto Dix)、マックス・ベックマン(Max Beckman)、エルンスト・ルドウィック・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)、パウル・クリー(Paul Klee)、ルシアン・フロイト(Lucian Freud)、エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel)などが挙げられる。特に、ユダヤ人と思われがちなゲオルク・グロスは札付きのワルで、キリスト教の家庭に育ったドイツ人であったが、思想的には真っ赤な共産主義者であった。彼はドイツ共産党に属していたけど、ソ連を訪問し、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev / ユダヤ名Hirsch Apfelbaum)やレーニンと会ったことで失望したそうだ。グロスは形だけではあるが、共産主義から足を洗い、風刺画家に専念したらしい。

  ところが、このグロスは単なる絵描きではなかった。ナチ党の台頭により米国へ亡命したグロスには、マーティー(Marty)という息子が生まれ、この倅(せがれ)はマスコミを相手に父親の偉大さを宣伝していたが、ある作品に関しては沈黙を守っていた。彼はある記者のインタビューを受けて、「父の風刺画や油絵、鉛筆画はベルリンの頽廃と腐敗を厳しくも情熱的に描いていました」と述べている。(Rosie Millard, "My father, the famous artist", The Independent, 17 March 1997) しかし、マーティーは父親の藝術を概ね讃美するも、その恥部だけは巧妙に避けていたから狡(ズル)い。この息子は父のエロ・グロ作品を人前で堂々と掲げるべきだ。グロスの作品総てを知らぬ一般人は、ナチスに迫害された可哀想な藝術家としか思わないが、彼の描いた「卑猥な絵」を目にすれば、ご婦人方は両手で顔を覆ってその場を去るだろうし、美術品愛好家の紳士なら、「何だ、この下品な絵は !」と叫ぶに違いない。日本人もグロスのエロ絵画を見れば、なぜナチ党が彼を「ボルシェビキ風の敵No.1」と評したが判るだろう。

George Grosz Pappi und MammiGeorge Grosz 5George Grosz Strassenszene Berlin
(上3 枚 / ゲオルク・グロスの作品)

  憐れな亡命者と思われているグロスは、文字にするのも憚れるような卑猥な絵を描いていた。例えば、性器を剝き出しにした女や、客のペニスを膣に挿入する淫売、巨根をしゃぷる痴女、うつぶせの女を背後から襲う男、醜悪な体型をした中年女など、“おぞましい”としか言いようのない作品を残していたのだ。(ライブドア社の禁止規定に抵触するので、実際の生々しい「猥褻作品」を掲載できなくて残念である。でも、規則だから仕方ない。) とにかく、グロスは露骨に性器を描写していたから、とても一般公開などできない。米国の敬虔なキリスト教徒なら卒倒間違いなし。仮に、美術館の壁に掛けることが出来たとしても、訪問客から猛抗議を受けて、即座に展覧会は中止されるだろうし、主催者は責任を取ってクビになるはずだ。こうなれば、一般のアメリカ人もグロスへの同情を失い、「頽廃芸術」が何であったのかが解る。でも、ユダヤ人や左翼ジャーナリストは困るだろう。ヒトラーは絶対的な悪なのに、その追放政策が正しく思えてしまうからだ。したがって、反ナチス派の評論家や歴史家は事実を隠す。

Ernst Ludwig Kirchner 1909_MarzellaErnst Ludwig Kirchner 5Max Beckman 4Max Beckmann
(左2枚 : ルドウック・キルヒナー / 右2枚: マックス・ベックマン )

  ルドウィック・キルヒナーの作品は卑猥でなかったが、彼の描く人物はどれも醜くて、観ていると暗い気分になる。なるほど、描かれた人物は印象的だが、お世辞にも「美しい」とは言えず、どちらかと言えば「病的」と評した方がいい。ちなみに、キルヒナーは精神病を患っており、展示会に出した自作を撤去されてから一年後に自殺している。フランクフルトのアカデミー会員をクビになったマックス・ベックマンや、700点以上者作品を撤去されたエーリッヒ・ヘッケルの絵も全体的に陰鬱で、部屋に飾ってみたいとは思えない作品である。だいたい、ベックマンの作品などを模範にしたい絵描きがいるのか? 蛭子能収をちょっと上手くしたくらいで、ザビエル山田といい勝負だぞ。(ザビエル山田は漫画『愛の泉』や『オヤジの吐息』の作者である。) 美術評論家は彼らの作品を「素晴らしい」と褒めちぎるんだろうが、一般人ならこんな絵を高値で買おうとはしないし、政治献金の代用品であっても買いたくない。個人の敷地で催されるヤード・セール(庭先の販売会)だと、せいぜい5、6ドルの値札しかつかないんじゃないか。筆者の好みから言えば、安彦良和先生の油絵(例えば、「ガンダム」のシャーとかセイラの人物画)とか、荒木飛呂彦先生が描くジョジョの直筆ポスターなどの方が遙かに価値がある。

Eric Heckel 6Eric Heckel 2Ludwig Meidner
(左と中央 : エーリッヒ・ヘッケル / 右: ルドウィッヒ・マイトナー )

  ユダヤ人の画家になるともっと酷い。ルドウィッヒ・マイトナー(Ludwig Meidner)の絵を見ると、何かの病気を患っているんじゃないか、と思えてくる。だが、彼よりも不愉快なのは、ルシアン・フロイトだ。彼は有名な精神科医であるジクムント・フロイドの孫としても知られている。ルシアンの描く女性などを観ていると、日本人だってヒトラーの反論に賛成するんじゃないか。例えば、ぶくぶくと太った醜い女性とか、性器丸出しの男性などを観れば吐き気がする。ナチ党員たちはゲルマン人女性の美しさや清らかさを称讃したのに、ユダヤ人画家ときたら、北歐種族の肉体的美しさを否定し、それを無視するどころか、却って醜悪にして「美術」と称する。西歐婦人の気品を台無しにした挙げ句、反対の肉体を讃美するんだから、ドイツ人じゃなくても不快になるじゃないか。ヨーロッパ人にとったら、美しい人間というのは、古代ギリシア人が理想とした女神とか、ルネッサンス期の巨匠が描いた英雄である。

Lucian Freud 112Lucien Frud 7Lucian Freud Sleeping
(左ルシアン・フロイド / 中央と右: フロイトの作品)

  しかし、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒のゲルマン人を憎んだユダヤ人は、いじめっ子民族の肉体を讃美したくない。アーリア人の肉体美を描くことは、敵対者の優越性を認めることに繋がるし、セム種族の肉体的劣等性を認めることになるからだ。ユダヤ人は一般的に捻れた性格を持っている。美しいゲルマン人女性に憧れる一方で、彼女たちからの侮蔑に耐えねばならぬ運命を有しているからだ。ユダヤ人は西歐人に対しては、人種平等の説教を垂れるが、仲間内では西歐白人女性を獲物にしているから卑劣だ。(イスラエルの売春宿では、西歐人女性のような東歐女性が人気で、フィリピ人女中やアフリカ人娼婦は安値でランクが落ちる。それにしても、貧乏なルーマニア人やウクライナ人、ロシア人の女性を半ば騙して、次々に密輸するユダヤ人の女衒はあこぎだ。TBSの金平茂紀は朝鮮人娼婦なんか放っておいて、スラヴ系娼婦を取り上げればいいじゃないか。看板番組の『報道特集』で「報道」しろ !)

Cameron Diaz 2Jennifer Aniston 213Teri Polo 222Jennifer Hudson 2

左: キャメロン・ディアス
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ジェニファー・アニストン
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テリー・ポロ
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右: ジェニファー・ハドソン
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ユダヤ人は多民族主義を唱えるくせに、性慾となれば白人女性一本槍だ。 恋愛映画を造るハリウッドのユダヤ人たちは、決まって相手方を西歐人美女にする。例えば、ユダヤ人男優のベン・スティラー(Ben Stiller)は『メリーに首ったけ』ではキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)を共演者にしたし、『アロング・ケイム・ポリー(Along Came Polly)』ではジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)を、『ミート・ザ・ペアレンツ』ではテリー・ポロ(Teri Polo)を恋人役にした。ところが、どのユダヤ人男優も、有名司会者のオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)とか、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、タラジ・ヘンソン(Taraji Henson)、クィーン・ラティファ(Queen Latifah)などを恋人役にはしないのだ。(もしかして、黒人への嫌悪と差別なのか ?)

Taraji Henson 2Oprah Winfrey 1111Queen Latifah 2Courteney Cox 3
(左: タラジ・ヘンソン / オプラ・ウィンフリー / クィーン・ラティファ / 右: コートニー・コックス)

大ヒットTVドラマ『フレンズ』でもユダヤ人的嗜好が滲み出ていた。このドラマを制作したプロデューサーのデイヴィッド・クレイン(David Crane)とマルタ・カフマン(Marta Kauffman)は共にユダヤ人で、ドラマの中でもロスとモニカのゲラー兄弟をユダヤ人に設定していた。兄のロス・ゲラーを演じたデイヴィッド・シュワイマー(David Schwimmer)はユダヤ人だけど、妹役のモニカを演じたコートニー・コックス(Courtney Cox)はイギリス系アメリカ人である。呆れてしまうのは、ユダヤ人のロスが憧れるレイチェル役に、西歐系女優のジェニファー・アニストンを起用していたことだ。『フレンズ』にはユダヤ人女優のリサ・クドローがいたのだから、彼女をフィービー役ではなく、レイチェル役にすれば良かったのに、と思ってしまうが、クレインとカフマンにしたら、いかにも「ユダヤ人のカップル」になってしまいそうで、本能的に嫌がったのだろう。もし、ニューヨークに住む「フレンズ」が、全てユダヤ人となったら、不愉快というか余りにも“リアル”過ぎる。たぶん、制作担当者はユダヤ色を薄めるためにも、異教徒の西歐人をキャストに混ぜたんだろう。

Lisa Kudrow 4David Schwimmer 2Marta Kauffman 1David Crane 2
(左: リサ・クドロー / デイヴィッド・シュワイマー / マルタ・カフマン/ 右: デイヴィッド・クレイン)

  ユダヤ人は現実社会でも、ユダヤ人女性や黒人、アジア系女性に興味を示さず、西歐系女性に性的興奮を覚える。ユダヤ人の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインシュタインについては、以前このブログで触れたからここでは繰り返さない。でも、最近またもやユダヤ人によるセクハラが暴露されたので紹介する。日本ではあまり知られていないが、ミネソタ州選出の上院議員にコメディアン上がりのアル・フランケン(Al Franken)がいる。一連のセクハラ騒動に感化されたのか、彼にセクハラを受けたと表明する女性が現れた。被害者はリーアン・トゥイーデン(Leeann Tweeden)という美女で、以前は水着のモデルや『プレイボーイ』誌のグラビア・モデルを務めたことがあり、現在はテレビ番組の司会やレポーターを務めているそうだ。

Al Franken 1Al Franken 3Harvey Weinstein 1
(左: アル・フランケン / 中央: リーアン・トゥイーデンの胸を鷲摑みにするフランケン / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン )

事件は2006年、彼女が中東アジアに派遣された米軍を慰問した時に起きた。アル・フランケン議員はリーアンが寝ている隙に彼女の胸を鷲摑みにしたり、彼女が嫌がるのに無理矢理キスを迫ったそうだ。(Juana Summers and M.J. Lee, " Woman says Franken groped, kissed her without consent in 2006", CNN, November 17, 2017) セクハラ事件が表沙汰になると、フランケン議員は彼女に謝罪したそうだが、いくら冗談でも有名人の身分を忘れて卑猥な行為をするなんて、アホといか言いようがない。でも、どうしてユダヤ人は黒人とか支那人女性に対しては「いやらしい」事を企てないのか。「人種的平等を考えろ」とは言わないが、獲物に「人種的偏見」を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

Leeann Tweeden 3Leeann Tweeden 4

左: 司会者としてのリーアン・トゥイーデン
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右: モデル時代のトゥイーデン
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怨念が動機になっている美意識

Jankel Adler 221Jankel Adler 231Jankel Adler 3Jankel ADler 5
(左: ヤンケル・アドラー / 右3枚: アドラーの作品 )

  話が逸れたので元に戻す。ナチ党は頽廃藝術をユダヤ人の“せい”にしているが、こうした趣味に人種は関係無さそうだ。確かに、ヤンケル・アドラー(Jankel Adler)のようにポーランド系ユダヤ人の画家がいたけど、オットー・ディックスのようなドイツ人の画家もいたのだ。民族性と美的感覚の関連は不明確だが、二人の絵画は本当に美術なのかどうか判らない。現代の我々が見ても、アドラーの絵は気分が落ち込むほど陰惨である。ただし、ディックスが描いた絵の方が遙かに酷い。ディックスの描く女性など本当に醜く、お金を払って見る藝術とは思えないし、ヒトラーの言うように駄作と評する方が適切である。彼が描いた裸婦など殴り書きみたいだし、赤ん坊を抱く母親の絵は貧相というより怖い。ガリガリの赤ん坊なんてどうかしている。これじゃあ、アメリカ人だってナチスに賛同したくなるじゃないか。

Otto Dix 4Otto Dix self-portrait-with-museOtto Dix Sailor & Girl
(左: オットー・ディックス / 中央と右: ディックスの作品 )

  昔、ヨーロッパでは既存の秩序や常識を否定し、破壊的感情を肯定したダダイズム(Dadaism)が流行ったけど、ユダヤ人には“しっくり”する運動だった。とにかく、ユダヤ人は西歐世界の伝統や秩序を覆したいと願っている。自分の種族が築き上げた訳でもない価値観など紙屑以下。タバコの吸い殻を揉み消すように、西歐人の理想を足で踏みにじりたいのだ。そして、自分たちを“抑圧”し続けた憎い白人を倒したい。だから、アーリア人の美しさを貶して、醜い人物像を「素晴らしい」と言い換えたり、変態的描写を「斬新なタッチ」として言いふらすのだろう。彼らにとり、異教徒の美意識を破壊することは快感なのだ。

Otto Dix Pregnant Woman 2Otto Dix Mother & ChildOtto Dix Ladies of the NightOtto Dix Pregnant woman
(上絵画 / ディックスの作品)

  全共闘世代なら馴染み深いだろうけど、1960年代から1970年代にかけて前衛芸術なるものが“進歩的”と目されていた。フランス語の「アヴァン・ギャルド(avant-garde)」を口ずさみ、寺山修司とか大島渚たちが訳の解らぬ映画を作っていたのを覚えている人も多いだろう。ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、へんちくりんな踊りを披露していたけど、あれも前衛藝術の一種らしい。音楽でも奇妙なものがあり、ユダヤ人音楽家のアーノルド・ショーエンバーグ(Arnold F. W. Schoenberg)とか、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人モートン・フェルドマン(Morton Feldman)が有名だ。まぁ、音楽の趣味は人それぞれだから、余計な事をせずに市場に任せておいた方がいい。

Morton Feldman 1Arnold Schoenberg 1Yoko Ono 2
(左: モートン・フェルドマン / 中央: アーノルド・ショーエンバーグ / 右: ヨーコ・オノ)

  一般的に藝術は「自由」な方が良いけど、人々の精神に及ぼす影響も無視できないので、国家が介入する場合もやむを得ない。例えば、公園や路地裏で公然と映画のセックス・シーンを撮影するのは非常識だし、歩行者天国の日曜日に鞭を握ったSMの女王様が闊歩すれば、親子連れの一般人は目を背けるだろう。また、百貨店の展示会だって、しわくちゃの老婆を題材とした全裸写真とか、中高年ゲイが互いにペニスを握りしめているスナップ写真とかは論外だ。でも、西歐ではたまにある。米国で問題になったけど、小便の中に埋もれるキリスト像という絵画が公開され、世間の非難を浴びたこともあるのだ。藝術作品の弾圧は賛成できないが、常識を越えた「藝術」に一定の制限があってもおかしくはない。

  ナチスによる私有財産の没収は違法だが、ヒトラーたちが「頽廃藝術」に憤慨した気持ちも分かる。ヒトラー総統が自分の帝國だから美しくしたい、と考えてもおかしくはない。「盗人にも三分の理」があるように、ナチ党にも1%くらい擁護論があってもいいんじゃないか。日本人にとって重要なのは、ナチスが怒った理由とその経緯を“具体的”に調べることだ。ユダヤ人の本だと“抽象的”に書かれているだけで、不都合な歴史が省略されている場合が多い。「書物の民」は偶像崇拝を嫌って文字を重視し、映像や視覚を回避する傾向が強いから、我々はどのような素性の者が、如何なる思想で批判しているのか検証してみる必要がある。案外、ユダヤ系著者の素顔と正体を知ったら、「えっ、こんな人なの?!」と驚くんじゃないか。(ワイマール時代のドイツについては、別の機会で述べてみたい。ただし、当ブログが閉鎖命令を受けたら不可能になってしまうだろう。もしかしたら、今回が最終回となってしまうかも知れないので、引っ越しを考えているところです。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html


ヒトラーの嘘と絵画 − 彼はなぜ芸術家になれなかったのか?
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!

 かのショートショートの名手・星新一の短編に、こんな話があるのであらすじを紹介しよう。

 オーストリアのとある町。貧しい画家志望の青年が、愛する女性とのデート資金を求めて質屋にやってくる。担保の質物は何と青年自らが描いた絵。青年は「金を貸してください」と懇願するが、当然、質屋に絵は一顧だにされず「こんな絵で金は貸せません」とキッパリ断られてしまう。そして下記のやりとりが行われる。

「やっとデイトの約束までこぎつけたんです。お願いです、お金を貸してください。お金は必ず返します。ご恩は忘れません」

「だめですな。そんなことで金を貸していたら店はやっていけません。私たちユダヤ人は冷静なんです。甘く見ちゃ困りますな」

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、きさまら冷酷なユダヤ人全部に仕返ししてやる・・・」

「そんなにすごんでも、だめなものはだめですよ。さあ、お帰りください、アドルフ・ヒットラーさん」

(星新一『さまざまな迷路』(新潮社)/「ことのおこり」より)

 絵のサインを見ながら主人は、青年の名前言うのだが、彼がすごい剣幕で帰ったあとも、その狂気じみた目つきを思い出し「いずれなにかやらかすかもしらんな」とつぶやくのだった…。もちろん、ユダヤ人質屋が若きヒトラーに金を貸さなかったのは、星新一のフィクションだ。

 しかし、ヒトラーが画家志望の青年だったことは有名な事実で、実際ヒトラーが描いた絵は何点も世に残されている。彼の美術に対する情熱は相当なものだったようで、当時オーストリアで名門校だったウィーン美術アカデミーを受験している。しかし、成績不振ということで受験に失敗。

ヒトラーが描いた絵「YouTube」より
https://www.youtube.com/watch?v=mALbFREo-bk

 その時の恨みやコンプレックスが逆に独裁者ヒトラーを生んだ原動力ともなったわけだが、こちらがその、オーストリア時代に彼が描いたという絵である。

 見ての通り、独創性のない普通の風景画で、レベル的には“上手な素人絵”というくらいだ。これらの絵を見て、ヒトラーの演説にあるようなエキセントリックで妙に人の心を揺さぶる何かを期待した人は、きっと肩すかしを食らった気分になるだろう。


 ところが、ヒトラー本人は自らの絵について「古典派嗜好」と自負していたそうで、当時台頭してきた、いわゆる「世紀末美術」(幻想的で退廃的な性格を有する作品)やアール・ヌーヴォーといった新しい芸術運動にはむしろ嫌悪感すら抱いていたという。


■真実を吐き出す「世紀末美術」を憎んだヒトラー

 一方でこの絵を見てほしい。こちらは、同じ時代に世紀末美術の騎手として活躍し、わずか28歳の若さで亡くなったエゴン・シーレの作品だ。

エゴン・シーレ1915年作「死と乙女」
http://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

 絵画とはある意味、心の中に溜まっている澱(おり)を吐き出す作業なのだが、ヒトラーの絵と比べ(比べることもないが)、まさに強烈な個を解き放っており、肉体と精神すべてを吐き出してキャンバスに塗布したような絵だ。

 もちろん、ヒトラーはエゴン・シーレの作品を忌み嫌い、憎んでいたという。

 実はエゴン・シーレ。ヒトラーより1歳下にあたるのだが、彼が受験に失敗した1年前にウィーン美術アカデミーに入学していたという経緯があるのだ。元来、世紀末美術の台頭に嫌悪感を抱いていたヒトラーだったが、このことでさらに激しい憤りを抱き、独裁者となってからは徹底的に彼らやアカデミーを「退廃芸術」と呼び、弾圧下に置いたのだ。そして、1930年代にヨーロッパで隆盛していた抽象美術や表現主義、バウハウスなどはもちろん、印象派以降の近代の美術はすべてNG。当時、ユダヤ人らが所有していた絵画は財産と一緒にことごとく没収され、略奪され破壊された。

 これは弾圧の対象こそ違えど、まさに星新一の短編を地で行った話ではないだろうか。

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、オレを認めなかったきさまら退廃芸術家とアカデミー会員全部に仕返ししてやる…」

 さすがは星新一。物事の本質をきちんと捉えているではないか。

 一方でヒトラーが奨励した絵は、農村の労働と大家族を描いた風俗画や、優美で健康的な裸体画、牧歌的風景画、モニュメントとしての巨大彫刻など、芸術としてみると面白くも何ともないものだったのだ。

■ヒトラーの矛盾

 さて、絵とは面白いもので、美しいものを描けば美しくなるというものではなく、立派なものを描けば、それによって人が感動するというものでもない。

adolfhitler4.jpgヒトラーの絵「YouTube」より

 アートに必要なものの一つとして、本当に心の中、体の中にある(自分にとっての)真実を正直に吐き出すことがある。そういった意味において、ヒトラーの絵画は自分にウソをついた絵であり、だからこそ魅力的ではないのかもしれない。

 その理由として、ヒトラーには昔から「ヒトラーユダヤ人説」や「非アーリア説」があとを絶たない。これには、ヒトラーの父親・アロイスが実際には血の繋がった父親ではない可能性や、あるいはアロイス自身が私生児だった可能性があるなどさまざまな憶測が飛び交っているが、要するに、ヒトラーには出生の秘密と謎があったということだ。

 さらに、ヒトラーはアイロスと折り合いが悪かった。そして、“生粋のハプスブルク君主国の支持者”だったアロイスに憎しみを抱いたことが、後のアーリア至上主義、ドイツ民族主義へと走る第一歩となったとも言われている。

 しかしこれは、明らかに大きな自己矛盾だ。ほかにも、ヒトラーは自身を“極貧だった”と吹聴していたが、実際にはそうでもなかったなど、彼はあらゆる独裁者がそうであるように、さまざまな過去を隠し、ウソをウソで固めた人生を送っていたのだった。

 しかし、言葉や経歴でウソが言えても、絵というのはそういう意味でウソがつけない。それは眠ければ寝る、腹が減れば食べるというように、体がウソをつけないのと同じことだ。

 ヒトラーの絵が持つ、えも言えぬ寂しさや荒涼とした風景は彼そのものだったのかもしれない。だが、人の気持ちを惹きつけるには、あまりに貧相なものに違いない。彼は、自分自身を絵で表現するができなかったのだ。

 それにしても、ヒトラーの記事を書いていたら頭の芯を締められるような疲労におそわれた。やはり、何かわるいものがついているのかもしれないな。
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


アドルフ・ヒトラーによって描かれた35枚の絵画
http://musey.net/mag/35

ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが、政治家へと転身する前は画家を目指していたことはよく知られている。

ヒトラーは、1905年に実業学校を退学した後で、ウィーンにある名門美術学校「ウィーン美術アカデミー」への入学を希望するものの、「写実性はあるものの、独創性に乏しい」とされて試験に落とされてしまった。

世紀末美術を嫌悪したヒトラー

当時のウィーンをはじめとするヨーロッパでは、幻想的・退廃的な「世紀末美術」や「アール・ヌーヴォー」と呼ばれる新しい美術の流れが盛んに台頭していたが、ヒトラー自身はこうした運動に興味を示さないどころが、嫌悪感すら抱いていたと言われる。

ヒトラーが受験に失敗する1年前には、世紀末美術の旗手であるエゴン・シーレが同校に入学しているが、彼自身は著書『我が闘争』の中で、20世紀以降のダダイスムやキュビズムについて「狂気であり堕落であり病気である」と断じた上で、これらが「ボルシェヴィズムの公認芸術である」とまで述べている。

そんなヒトラーは、人物画よりも風景画・建築画を好んで描いており、いくつもの習作やデッサンなども残っている。これまで、ヒトラーの作品については様々な評価が見られたが、もし彼がそのまま凡庸な画家になり損ねた青年として人生を終えたならば、ほぼ確実にこれらの作品を我々が目にすることはなかっただろう。

以下では、彼の30枚の作品をまとめてご紹介しよう。


ヒトラーは愛犬家としても有名であり、ジャーマン・シェパード・ドッグのメス「ブロンディ」を飼っていた。ちなみに、ヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンはブロンディを嫌っており、ブロンディを蹴とばしていたことが知られているという。


彼は、第一次世界大戦によって荒廃した街並なども描いている。後に、こうした風景を自らの手によってつくり出すことになる。


ディズニー作品も

なんとその中には、ディズーのピノキオと白雪姫に登場する小人を描いた水彩画もある。これはノルウェー北部の戦争博物館で発見されたもので、ヒトラーが所有していた絵画に隠されていた。
http://musey.net/mag/35

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html#c1

[昼休み54] ユダヤ人は悪い 中川隆
2. 中川隆[-5732] koaQ7Jey 2017年12月22日 17:03:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

古代イスラエル王家の DNAはY-E1b1系統
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/794.html

アフリカの万世一系として知られるエチオピア帝室のY染色体は、ハプログループE1b1a(E-V38)である(注1)。これは、統計学上明らかとなったデータに基づく(注1)。

注1)"DNA from 4,500-year-old Ethiopian reveals surprise about ancestry of Africans"(2015.10.8)
http://www.anthrogenica.com/showthread.php?5577-4500-year-old-Ethiopian-Y-DNA-E1b1-mtDNA-L3-and-considerable-Eurasian-admixture

ソロモン王とシバの女王の子、メネリク1世の男系男子であるエチオピア帝室がY-E1b1aということは
古代イスラエル王家はY-E1b1系統ということになる


メソポタミア地方の古代都市であるバビロンの王・ニムロド(Nimrod)のY染色体は、ハプログループE1b1b1a1b1a(E-PF2211/V13)であると推定されている(注1)。
注1)"Hamitic Genetics-The Roman and Latin E-V13, E-M35.1"
https://hamitic.wordpress.com/famous-hamitics-persons-of-halopgroup-e/

ノア→ハム→クシュ→ニムロドの末裔がY-E1b1b1a1b1aということは
ノアはY-E1b1系統ということになり、古代イスラエル王家がY-E1b1系統ということと整合する

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html#c2

[昼休み54] ユダヤ人は悪い 中川隆
3. 中川隆[-5731] koaQ7Jey 2017年12月22日 17:04:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく何の変哲もない一般的な「オーストリア人」
シシリー (土曜日, 05 7月 2014 23:02)


「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく、何の変哲もない、一般的な「オーストリア人」の可能性が高い状況です。

「アドルフ・ヒトラー」のY染色体ハプロタイプを調査した結果、「E1b1b」であった為、「ユダヤ人」とのデマを広めた者がいました。迷惑な話です。確かに、ユダヤ人であるアルバート・アインシュタインも同じ「E1b1b」であるように、イスラエル人からよく検出されるY染色体ハプロタイプ「マーカ」です。

しかし、Y染色体ハプロタイプを知る者はすぐ分かるのですが、「E1b1b」は、その他、イタリア人、ギリシャ人、エジプト人等からも多く検出される「マーカ」であり、「アドルフ・ヒトラー」が生まれ育ったオーストリアでは、国民の10%が「E1b1b」を占めています。

↓「E1b1b」はヨーロッパ全ての国民から、多かれ少なかれ検出される「マーカ」であり、ジョンソン米大統領、ナポレオン・ポナパルト、ライト兄弟等も同じ「マーカ」です。
http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml

結論として、「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく、何の変哲もない、一般的な「オーストリア人」となります。
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「ユダヤ人」との説があることは知っています。しかし、「アドルフ・ヒトラー」は政治家であるため、生前から、誹謗、中傷、攻撃する話は山ほどあるのは当然です。また、面白おかしく捏造した説もたくさんあります。しかし、科学的根拠もなく、記録すら無いものは、評価には値しません。現時点では「デマ」レベルと考えるほうがいいでしょう。
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http://ugaya.jimdo.com/2013/08/06/%EF%BD%84%EF%BD%8E%EF%BD%81%E3%81%8C%E7%B4%90%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%A8%E3%81%AF/  

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html#c3

[番外地7] アメリカ人は完全なアホだった 中川隆
1. 中川隆[-5730] koaQ7Jey 2017年12月22日 17:19:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

返品大国アメリカ 返品率12% 食べたお菓子も返品

欲しいものを買うのではなく、全部買っておいて「返品しない物」を残す買い方
引用:https://assets.bwbx.io/images/users/iqjWHBFdfxIU/ingGxIO.ei3o/v0/800x-1.jpg

アメリカの返品文化

アメリカは消費大国だが、購入された商品のうち約12%程度が返品されている。(全米小売業協会NRF)

まさかピザを食べ終わってから箱を返品する人は居ないと思われるが、電気製品や日用品ではあたりまえに起きる。

最大のショッピングチェーンであるWalmart (ウォルマート)では、購入した商品が気に入らなければ90日以内なら返品できる。



ウォルマートはレシートが無い場合、12ヶ月間で70ドルまで返品に応じるというルールを公表している。

「レシートが無い」のでウォルマートで購入した事も、逆に購入しなかったのも証明できないが、返品に応じている。

ウォルマートで販売されている商品に限るのだが、その商品はたぶんここで購入した物ではないと、薄々感づいていても応じる。


さすがに現金での返品は1回25ドルまでで、もっと高額の場合は商品券などになるようです。

レシート有りなら90日以内は返品可能で、最新の電気製品を90日ごとに返品して購入返品を繰り返すツワモノも居ると言われている。

ハミガキなどのチューブ物も、ほぼ使い切っていても「気に入らなかった」という理由で返品できるし、お菓子や食品も返品できる。


カリフォルニア州の法律では特別な表示をしていない限り、いかなる商品も7日間は返品に応じなくてはならない。

例えば3分の2食べたピザであっても、「美味しくなかった」という理由で返品でき、拒否すると店は処罰を受ける。

実際に有る例としては、一度焼いて少し食べた「生肉」を、再びパックに詰めなおして数日後に返品する。

ほぼ食べ終わっても返品可能

お菓子も好きなだけ買っておいて、食べてみて美味しくなかったものは(美味しくても)かなり食べてから返品する。

パーティなどでその日着たい服が有ったら、とりあえず購入してパーティには出席し、用が済んだら返品する。

欲しい商品が複数あったら、全部購入しておいて、気に入ったもの以外は全て返品するなどがある。


夏に水着を買っても数回しか使わないので、水着を買っておいてシーズンが終わったら返品する。

しかもこういう事をするのはダウンダウンのスラムに住んでいる●人とかではなく、普通の人がそうしているという。

毎日購入して帰りに必ず何かを返品するのが、多くのアメリカ人の日常になっている。


しかもこうしているのはウォルマートだけではなく、アメリカの多くの小売店が競争の結果こうなっている。

それでは小売店は潰れてしまうのではないかと思うが、ネットショップに押されて大型モールが潰れまくっています。

ネットショップでは返品に手間が掛かるためにむしろ返品は少ないようで、これでは実店舗が潰れるのもやむを得ない。
http://www.thutmosev.com/archives/74165088.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/308.html#c1

[昼休み54] ユダヤ人は悪い 中川隆
4. 中川隆[-5729] koaQ7Jey 2017年12月22日 17:21:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ユダヤ人の原爆観

日本を見るユダヤ人の目は今も厳しいのです。

ユダヤ人学生は、広島の平和記念公園に、ホロコースト慰霊碑があることに驚いて、
「ヒロシマ」の横に「アウシュヴィッツ」を並べて、同列に扱うのはおかしいと言いました。

「むしろ『南京虐殺』を並べて、原因と結果の因果関係を展示すべきではないか」と。

また、ホロコースト生存者の映画を撮ったユダヤ人女性は、
「原爆は日本への罰」と言いました。つまり、原爆の被害を受けた日本でも、
ユダヤ人から見れば、加害者でしかないということです。


ノイマンや投下の乗組員は差別主義者で狂ったサルには神の裁きをと死ぬまで攻撃支持しています。

エノラゲイではアロハシャツを着て原爆を落としていったとどこかで聞きました。

ポール・ティベッツは確か「人類初の原爆投下をした男」というTシャツを作って、得々として着ていたはずですし、「眠れない夜などない」発言でも知られています。


【原爆投下搭乗員の中のユダヤ人について】

原爆を落とした爆撃機の機長、ポール・ティベッツ大佐はユダヤ系のアメリカ人です。
その爆撃機はユダヤ人の母親の. エノラ・ゲイ・ティベッツにちなんで、「エノラ・ゲイ」と 名付けられました。

全人口に対してユダヤ人口が5〜6%にしか過ぎなかった当時のアメリカで、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員として特別に選ばれた15名のうち、ユダヤ人が7名も占めていた。

機長のポール・ティベッツもユダヤ人である。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。ポール・ティベッツ機長をはじめ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調している。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012944300


原爆投下を肯定する在米ユダヤ人組織「SWC」

「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」というユダヤ人組織がある。
「SWC」は、第二次世界大戦中のナチスによるホロコーストを記憶し、ユダヤ人の人権を守るため、1977年に設立された組織である。その名前は“ナチ・ハンター”の異名を持つサイモン・ヴィーゼンタールを記念して付けられている。本部はロサンゼルスにあり、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン、トロント、パリ、エルサレムにもオフィスを開設している。

「SWC」の副館長であるラビ、アブラハム・クーパーの見解:

新潮社編集部の「第二次世界大戦で人類に対する明らかな犯罪が2つあったと思います。ひとつはホロコースト、もうひとつは原爆投下です。その責任追及を『SWC』がする予定はないのでしょうか?」の質問の中で、次の問答がある。

◆編集部 : 原爆による無差別爆撃の事実は明らかで、これは戦争犯罪ですから、アメリカの戦犯追及を考えるべきです。

◆クーパー: 率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません。

◆編集部 : それは納得できません。非戦闘員の殺害は明らかに戦争犯罪じゃないですか。

◆クーパー: ノー。戦争というのは非常に悲惨な出来事なわけですけれども、2つの原爆を落としたことで、戦争が終わったという事実はあるわけです。もしトルーマンが原爆を落とさなければ、さらに多くの死傷者が出たでしょう。
 
●上の取材記事からも分かるように、「SWC」に代表されるシオニスト・ユダヤ人勢力は、自分たちのホロコースト体験は世界に向けて盛んに宣伝するが、他民族が体験したジェノサイド(ホロコースト)に対しては無関心(冷淡)のようである。現在、パレスチナで進行中のホロコーストに対しても冷淡で、むしろユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺を積極的に支持している有様だ。

「SWC」を「平和・人権団体」と呼ぶ人がいるが、「SWC」は非ユダヤ人の平和・人権に関しては無頓着だといえる。その偽善ぶりに、最近では、「SWCはホロコーストを商業化している!」として、一般的なユダヤ人からも批判が出ている。


●なお、日本政府や日本の民間諸団体は、以前からイスラエル政府に、ユダヤ人の災難犠牲者と原爆被害者を合同で追悼するよう呼び掛けている。

つい最近、日本政府はイスラエル政府に、ユダヤの「イェド・ファシム機構」のような「日本災害機構」を広島市に建設する計画を提案したことがある。イスラエルからユダヤの災難を表す物品を提供してもらい展示するというものだった。 しかしこの要請は断られた。
イスラエル政府の外務省高官は、「日本には敬意を表するが、2つの災難を比較することは出来ない」と語った。
 
●このことから分かるように、在米ユダヤ人組織やイスラエル政府は、ユダヤ人が被った災難と、広島・長崎への原爆投下を同列に扱われることを非常に嫌がっているのだ……。

「アウシュヴィッツの悲劇」を、「原爆の悲劇」とは比較することのできぬ「人類史上最悪の出来事」として、このままずっと世界中の人々に強くアピールし続けていきたいのだろう。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15

害虫駆除に貢献したユダヤ人


原爆の発案はユダヤ人シラード

原爆の開発をスタートさせたのはユダヤ系ルーズベルト大統領(強烈な親中反日主義者)

原爆を開発したのはユダヤ人オッペンハイマーを中心とするユダヤ人科学者グループ

原爆を警告無しに日本に投下するべきだと主張したのはユダヤ人オッペンハイマーとユダヤ人フォン・ノイマン

ユダヤ人オッペンハイマーは最初から最後まで投下目標について日本だけを論じドイツを投下目標として論じたことはなかった。

原爆投下を大統領に進言したのはユダヤ人大富豪政治家のバーナード・バルーク(後の国連原子力委員会アメリカ主席代表)

原爆投下命令を出したのはユダヤ系トルーマン大統領

原爆投下指揮官はユダヤ系ルメイ少将(ルメイは民間人への無差別爆撃の発案者で東京大空襲(死者10万人)の指揮官)

原爆を投下したエノラ・ゲイ乗組員15名のうち7名がユダヤ人で機長のティベッツもユダヤ人

戦争中原爆はユダヤ人コミュニティーの独占管理のもとにあり
原爆ホロコーストはユダヤ人によってその開発から投下に至るまで全過程が行なわれた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1322214533

「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者

●戦後のアメリカの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産官学複合体)を生み出す大きなきっかけとなったのは、「マンハッタン計画」である。
「マンハッタン計画」とは、第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた原爆開発計画のことである。5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。

この軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」は、多くのユダヤ人科学者が参加したことで知られている。具体的にみてみよう。

害虫駆除に貢献した科学者

●まず最初は、「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンである。

彼はハンガリーの裕福なユダヤ人銀行家の家に生まれ、1930年に渡米。天才的頭脳の持ち主であり、現在のほとんどのコンピュータの動作原理であるストアードプログラム方式を考案した。アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者で、現在使用されているコンピュータは「ノイマン型コンピュータ」と呼ばれる。また、彼はゲーム理論におけるミニ・マックス法の発明者としてや、自己増殖オートマトンの考案、量子力学についての研究でも知られている。
大戦中は「マンハッタン計画」の軍事顧問として参加。

爆縮レンズ開発に従事し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造できることを10ヶ月に渡る計算により導いた。また、地面ではなく空中で爆発させたほうが原爆の破壊力が増すことも計算により導いた。

その圧倒的な計算力と、極めて広い活躍領域から、「悪魔の頭脳」と評された。

「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張。京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。

しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである(1945年7月22日)。

一般に、この時にスチムソンが京都を原爆のターゲットから外した理由として、「スチムソンは京都が歴史のある都市であることを理解していたから」という“美談”で語られる場合があるが、だまされてはいけない。この“美談”は、戦後、GHQがお涙頂戴好きの日本人を洗脳する為に、意図的に流したニセ情報である。

アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。

スチムソン以外にも、「京都を戦果から救った恩人」と言われるアメリカ人が何人かいるが、すべて何の根拠もない流言に過ぎないのだ。詳しくは吉田守男著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫)を読んで欲しい。当時のアメリカ政府は、日本の文化遺産を根こそぎ破壊することに、なんのためらいもなかったのである。

最終的に、2個の原爆が日本に「無警告」で投下されたことに満足したフォン・ノイマンは、戦後のビキニ環礁の核実験に立ち会ってガンになり53歳の短い人生を終えた。


●「ロスアラモス研究所」の所長に就任して「マンハッタン計画」を主導したロバート・オッペンハイマ(彼はニューヨーク生まれのユダヤ人である)。

ロバート・オッペンハイマーといえば、「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物である。彼は、最初から最後まで投下目標について日本だけを論じており、ドイツを投下目標として論じたことはなかった。

彼は戦時中、日本への原爆使用に反対した科学者たちを巧みにのけ者にしていった。そして、1945年7月に、ロスアラモスで最初の原爆実験に成功した際、狂喜して、「いま私は死神になった。世界の破壊者だ!」と叫んだ。


●害虫駆除に貢献したユダヤ人大富豪バーナード・バルーク

「バルーク家」はラビを生み出すユダヤ人指導者のファミリーで、ロスチャイルド家と深いかかわりをもち、彼は「アグダス=イスラエル・ユニオン」というユダヤ系結社の代表を務めていた。

バーナード・バルークは、相場の世界では冷徹な投資で巨額の資産を作った相場師として有名であり、政治家としても幅広く活躍した。 
第一次世界大戦中は、アメリカの「国家防衛会議」に所属し、総力戦体制の遂行のために設置された「戦時産業調整委員会(WIB)」の委員長を務め、独裁的権力を振るった。1916年のウッドロー・ウィルソン大統領の選挙資金集めでも決定的な役割を演じ、戦争が終わると、ベルサイユ講和会議に参加し、「賠償委員会」の委員長を務めた。そして、法外な賠償金をドイツに支払うように決め、ロスチャイルド商会傘下の国際銀行家たちやダレス兄弟と組んで、ドイツにヒトラー政権が誕生する手助けをした。
彼は、その後も大統領顧問を務め、ウィルソン、ハーディング、クーリッジ、フーバー、ルーズベルト、トルーマンなど、6人から絶大な信頼を寄せられた人物だった。チャーチルの親友でもあった。(バーナード・バルークは「影の大統領」と呼ばれていた)。

第一次世界大戦前、バーナード・バルークは100万ドルの資産を持っていたが、それが終わった時には2億ドルになっていた。ヒトラーが戦争を起こすと、彼はチャーチル、ルーズベルトと語らってアメリカを参戦させた。

バーナード・バルークは、第二次世界大戦中は、原爆開発の有力な支援者となり、「マンハッタン計画」を指導した。「マンハッタン計画」は、最高機密の軍事プロジェクトとして厳しい情報管理が行なわれる一方、大統領直轄の最優先プロジェクトとして、膨大な資金と人材が投入された。この計画の存在については大統領や陸軍長官など限られた関係者のみに知らされ、議会への報告などは一切行なわれなかった。

そして原爆が完成すると、バーナード・バルークは大統領顧問として、原爆の対日使用を積極的にすすめたのである。彼にとって、日本人の命なんてどうでもよかったのだろう。(彼は京都への原爆投下を主張していた)。

戦争が終わると、バーナード・バルークは「国連原子力委員会」のアメリカの主席代表となり、原子力の管理に大きな影響力を持つようになる。彼は全米一のウラン採掘業者グッゲンハイム財閥の代理人として働くウォール街の投機業者でもあったのだ。

このように、ユダヤの大富豪であるバーナード・バルークは、第一次と第二次の2つの世界大戦で重要な役割を演じ、「原爆」と「冷戦」の誕生にも深く関与していたのである。彼は戦争によって自分の資産を増やしていた。一部の研究家の間では、バーナード・バルークは「戦争仕掛人」と呼ばれている。(バーナード・バルークは1965年に亡くなった)。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html#c4

[昼休み54] ユダヤ人は悪い 中川隆
5. 中川隆[-5728] koaQ7Jey 2017年12月22日 17:53:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源がヨーロッパである可能性が浮上
Nature Communications 2013年10月9日
Genetics: Ashkenazi maternal lineages may originate in Europe
Nature Communications

アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの塩基配列解読が行われ、ユダヤ人の母方の系統がヨーロッパ起源である可能性が明らかになった。

これまでに、中近東やコーカサス地方を起源とする学説が表明されていたが、むしろヨーロッパ地中海地方であることが、今回の研究で示唆されている。

アシュケナージ系ユダヤ人の起源をめぐっては激しい論争が繰り広げられている。

父系遺伝するY染色体、母系遺伝するミトコンドリアと両親から遺伝する常染色体に関する遺伝情報を用いて祖先との関係を推定する研究が行われたが、相矛盾する結論が示されていた。

主に中近東(イスラエル/パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダンを含む領域)の人々を祖先とする見解があった一方で、主にコーカサス地方の人々が祖先だとする見解もあったのだ。

今回、Martin Richardsたちは、74点のミトコンドリアゲノムの塩基配列解読を行い、ヨーロッパ、コーカサス地方と中近東に由来する3,500点以上のミトコンドリアゲノムの解析を行い、アシュケナージ系ユダヤ人の詳細な系統史を再現した。

その結果、Richardsたちは、アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの変異の少なくとも80%が、中近東やコーカサス地方ではなく、先史時代のヨーロッパの系統を受け継いでいることを明らかにした。

この結果は、アシュケナージ系ユダヤ人の女性が、約2,000年前には、ヨーロッパに同化していた可能性を示唆している。

Richardsたちは、ヨーロッパの地元の女性が動員されて、改宗したことがアシュケナージ系ユダヤ人コミュニティーの形成にとって重要だったことが今回の研究結果で浮き彫りになり、今回の研究がアシュケナージ系ユダヤ人の系統史の再構築にとっての重要な一段階となったと考えている。
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8799


アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だった

「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する  三鷹板吉

ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した
後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブ
ライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語
をベースとしたイディッシュもその一つです。

 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的
理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりません
でした。変える理由も必要も無かったのです。

 たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。

 スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、
タガログ語は滅びなかったのですよ。

 ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。


ハザール人はあくまでハザール人であり、
東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。

 「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身
のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマ
ンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。

 まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケ
るのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。

 それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなん
ですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm


PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES
James Boster
Society for Psychological Anthropology Meetings
October 1997, San Diego, CA

http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/

アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。

これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。


「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が
“現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では
「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。

実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しない
までもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では
たいへん評価が高い。

そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も
「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。
http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html


アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。

その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。

かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる
以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html


 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れ
られているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人が
ドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降の
カザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。
http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体
の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。

離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、
例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であれば
ブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の
集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることが
できる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、
ほとんど見ることができない。
http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html


 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。

「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在
しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体
に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人における
ユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。

東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人
と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。
したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書
のイスラエル人子孫であると言うことができる。

http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24


現在世界各地に広がっているユダヤ人はすべて古代ユダヤ人の子孫だった.

ユダヤとアラブは血縁 染色体分析で確認

【ワシントン8日共同】ユダヤ人と、パレスチナ人などアラブ人が共通の祖先
を持つことがDNA分析で確認された、と米ニューヨーク大のハリー・オストラー博士らが9日付の米科学アカデミー紀要に発表した。

ユダヤ人とアラブ人に血縁関係があることは旧約聖書など宗教、歴史文書の
記述から当然とみられていたが、遺伝分析ではっきり確認できたのは初めてという。

同博士らは中東地域をはじめ、北米、アフリカ、欧州各国など世界29地域の
1371人の男性のY染色体のDNAを調べた。同染色体は父親から男の子に伝わり、
遺伝的に近い人は共通の特徴を持つ。

その結果、イスラエルや北米、欧州、アフリカ北部に住むユダヤ人のY染色体
に共通点が多いことが判明。ユダヤ人は紀元前にパレスチナから世界各地に
離散した後も他民族とあまり混血せず、遺伝的な同一性を保ってきたと
分かった。

またパレスチナ人、シリア人はユダヤ人とY染色体の特徴を共有しており、
旧約聖書などが示すように遺伝的なルーツは同じと分かった。(共同通信 2000/05/09)
http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bcg_weapons1.html


イスラエルで「建国根拠なし」本、ベストセラーに(朝日新聞)
2008年05月31日11時12分

 【エルサレム=村上伸一】
 シオニズム運動は、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が「祖先の地」に帰還するというもの。著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(61)=歴史学。3月にヘブライ語で出版され、アラビア語やロシア語、英語に訳される予定だ。

 著書では、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ――との説が記されている。

シオニズム運動は欧州で迫害されたユダヤ人たちが19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、追放されたという「通説」だった。

 これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。パレスチナ人から土地を奪うことを正当化するために、「2千年の離散の苦しみ」という理由が必要だったという。

古代ユダヤ人は大部分が追放されずに農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエルの初代首相ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と指摘していた。ユダヤ人の入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなったという。
http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/110.html


パレスチナ人とユダヤ人の比較遺伝学

パレスチナ人は、イスラエルのユダヤ人移民のほとんどと同じくらいのユダヤ人の遺伝子素材を持っています。

異なる地域のユダヤ人の間での遺伝子構造の類似性は過去十年にわたって十分に研究されてきており、Y染色体とミトコンドリアDNAの分析によって、これらの人々の共通の起源が確認された。

Y染色体とミトコンドリアDNAに関する何百もの遺伝子マーカーや、残りのゲノムのほとんどが、異なるユダヤ人社会の共通の起源を確認しています。しかし、また最近の研究で、異なるユダヤ人グループをある共通の先祖に結び付ける類似性のいくつかが、異人種との結婚によりオープンな文化を持つパレスチナ人の多くにも見つけられました。

イスラエルのベストセラーのリストに載っている学者Shlomo Zand本「ユダヤの人々はいつどのように作られたか」は、いくつかの裏づけとなる歴史的証拠を示しています。

現代のイスラエル国家の抑圧の下で数十年にわたり暮らしてきたパレスチナのアラブ人は、実際旧約聖書に書かれている『イスラエルの子供』と全く同じ先祖を持っているとZandは言っています。

およそ1万人の古代のユダヤ人がローマの戦争の最中に打ち負かされたと彼は推測しています。それらの生き残りのうち何人かは、アラブ人の征服者達がその地域を支配下に置いたときに、イスラム教に改宗し吸収されたと彼は言います。そのほか逃げて世界中に散らばり、私達が今日知るユダヤ人コミュニティを作った人々もいます。

Zandの歴史的なパレスチナの人々の説明は、パレスチナ人とユダヤ人の遺伝子分析を比較するこれまでの少数の研究によって立証されています。
http://ja.raelpress.org/news.php?item.146.1


Geneticists Report Finding Central Asian Link to Levites
By NICHOLAS WADE Published: September 27, 2003
A team of geneticists studying the ancestry of Jewish communities has found
an unusual genetic signature that occurs in more than half the Levites of Ashkenazi descent.
The signature is thought to have originated in Central Asia, not the Near East,
which is the ancestral home of Jews.
The finding raises the question of how the signature became so widespread among the Levites,
an ancient caste of hereditary Jewish priests.

ユダヤ人の祖先を研究している遺伝学者のチームはアシュケナージユダヤ人のレビ(祭司)階級の半分以上に出現する遺伝子の特徴を発見した。 この特徴は中央アジアに発するもので、ユダヤ人の祖先と考えられている近東起源のものでない。

アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。
http://www.nytimes.com/2003/09/27/science/27GENE.html


世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。
・ イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒)
・ ミズラヒム
・ 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
 モロッコのユダヤ人
 アルジェリアのユダヤ人
 チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia
・ ペルシア・ユダヤ人
・ イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews
・ ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人)
山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部)
・ グルジーム
・ ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土)
・ インドと周辺のユダヤ人 Jews in India
・ コーチン・ユダヤ人
・ クナナヤ Knanaya(キリスト教徒)
・ ベネ・イスラエル
・ ボンベイ・ユダヤ人
・ バグダーディ(イラク系)
・ マニプール・ユダヤ人(集団改宗者)
・ 中国のユダヤ人 Jews in China
・ 開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1]
・ ヘレニスト
・ ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人)
・ イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い)
・ ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
・ セファルディム
・ アシュケナジム
アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム)
・ アバユダヤ Abayudaya
・ レンバ族(ジンバブエ) Lembas
・ サマリア人
・ ブラック・ジュー
・ ハザールのユダヤ人
・ カライ派
・ クリムチャク人
ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians
・ メシアニックのユダヤ教徒


東ヨーロッパに住み着いたユダヤ人はアシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。

スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン・トルコ圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。
アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒと呼ばれていた。

ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。


ユダヤ人の歴史

旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。

彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。

紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。

北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。

アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。

アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。

紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。

以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。

最盛期の人口は2億5000万人である。


「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり,キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう。

その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。

7世紀 - 10世紀に、カスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教としたが、その後相次いだロシア、ルースィ、ブルガール、オグズとの戦争により帝国は滅んでいる。

残党のハザール人も、結局はイスラム教に改宗したが、わずかに未だにユダヤ教カライ派の信仰を保っているハザール人の集落も東ヨーロッパには現存している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA


■アシュケナジーとスファラディー

 イスラエルに行きますと、よくアシュケナジーかスファラディーかの区別があることを聞きます。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別です。
 アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。彼らの祖先は、紀元1世紀にまで遡ります。当時のローマ帝国拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られています。ドイツやフランスにも居住区をつくりました。経済的には富み栄えたようです。

 アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後です。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされましたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていきました。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーでした。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させました。

 アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話しました。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉です。

 スファラディーとは「スペイン」を指す言葉です。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせました。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍しました。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実ですね。

 やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、1492年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放されました。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーでした。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていました。

 スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていました。今はすたれています。

 中世キリスト教とユダヤ教との論争をテーマにした『バルセロナの宮廷にて』(ミルトス)は、難しい内容を戯曲風にわかりやすく紹介していますので、当時の雰囲気がよく伝わってきます。


■アシュケナジーとカザール人

 宇野正美という人物が、自著の本で「アシュケナジーは本当のユダヤ人ではなく、カザール人というユダヤ教改宗者の子孫である」ということを主張しています。

 しかし、彼の主張がいかに誤りであるか、ここでの説明を見ていただければお分かりだと思います。少しユダヤ人の歴史の知識があれば、いかに虚偽で事実を曲げているかすぐ分かりますが、何も知らない日本人にはもっともらしく聞こえます。念のため、間違いを正しましょう。(氏の本にはその他たくさん誤謬がありますが、ここでは省略します。)

 第1に、アシュケナジーが古代ユダヤ人の流れを汲むことは、歴史的事実です。例えば、ドイツにローマ帝国時代のユダヤ人居住区(例えば、コロニア、つまり現在のケルン)があったことなど、ことさら無視しています。古代以来、ヨーロッパの諸都市にユダヤ人が居住していたことは言うまでもありません。

 第2に、カザール人とは、カスピ海とヴォルガ川沿いにあった国で、8世紀頃その王がユダヤ教に改宗したと伝えられる人々です。その国が10世紀に滅んだのち子孫がどうなったかは歴史に照らして検証される必要がありますが、ユダヤ人は改宗者であってもユダヤ人なのです。本当のユダヤ人でないとは、その点からも言えません。

 シュロモー・ザンド・テルアビブ大学教授が著した『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』という書(ヘブライ語原著、日本語訳はなし)も、このカザール人を論拠としたものです。これに関しては、隔月刊誌「みるとす」2008年8月号にてイスラエル人識者が論破しています。
http://myrtos.co.jp/info/judaism01.php


414 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:30:20 ID:MgwFllOM

どうも

東欧のユダヤ教徒=ハザルの末裔

という風説は欧州でのアラビア語文献学の進展で、昔キプチャク草原にユダヤ教国家が存在したという史実を欧州側が過剰反応し、しかも当時ロシアなどで再三問題になっていたユダヤ教徒問題を安直に結び付けたオリエンタリズム的ロマン主義の匂いを濃厚に感じる。

文献学的調査や考古学的調査では、遊牧部族集団におけるユダヤ教の需要は確認できてはいるようだが、これらテュルク系遊牧民であるハザルが定住化したのが起源ぽいことをいってはいてもそもそもこの定住化→東欧のユダヤ教徒の図式自体実証できてるか怪しい。

11世紀初頭にはすでにほとんど記録から消失傾向にあり、この頃アラル海東方から進出してきたセルジューク朝はムスリムだった。1220年代にチンギス・ハンがクリミア半島方面まで劫略しているが、ハザルやユダヤ教云々は何ら伝えていない。勿論ブルガール族についても触れてはいるがイスラームの信仰を保持していたかすら書いていない。ハザルにいたってはユダヤ教どころか存在自体記録されていない。

つまり、11世紀以降の黒海からアラル海北方地域の遊牧諸民族の動向が良く分かっていないにも関わらず、アシュケナジームはハザルを起源とする説はそもそもが憶測に憶測を重ねている俗説止まりの部分が極めて大きい。


419 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:41:37 ID:MgwFllOM
アシュケナジムとは、元来ドイツのライン川流域に定住していてドイツ語とヘブライ語が交じり合ったイディッシュ語を話す人たち。

カザールとは10世紀頃まで、カスピ海と黒海の間にあったトルコ系遊牧民族国家
ユダヤ教に集団改宗した。

論点は、ポーランド以東のイディッシュ語を話すユダヤ人が、ドイツ起源なのか
カザール期限なのかということ。

ドイツ起源説だけでは、数が多すぎるのが難点
カザール起源説だけだと、なぜドイツ語が変形されたイーディッシュを話すのか説明できない。


424 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:57:18 ID:MgwFllOM
カザール人は、黒髪、茶目トルコ系のはずだな。

なぜ、金髪、青目のアシュケナージ・ユダヤ人が居るのか?

ドイツで交じり合ったという説もあるが、ユダヤ教は2.3世紀には
スラブ人やギリシャ人に対する宣教活動を盛んにした。 キリスト教が
ゲルマンを改宗させようとした時、それに反抗する勢力がユダヤ教になった
という説もある。

白人優越論者=キリスト原理主義者が振りまくカザール=アシュケナジー論は
プロパガンダというのが常識でしょ。
http://2se.dyndns.org/test/readc.cgi/news18.2ch.net_news2_1156420267/


ユダヤ人のY-DNA遺伝子 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

  10月8日付けのNature Communicationsに

「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」

という内容の論文がでました。

一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。

ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の発信者だと言うことは驚くべきことです。 過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのです。


  するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に改宗・入信させたということになります。

ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか(たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に受け入れられたように)は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると

離散したユダヤ人は男性がほとんどで、まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化していったと推測することも出来ます。

  mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の中東系はわづか 8%に過ぎなかった。つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。

  興味のある方は是非、下記原著をお読みください。

A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages

Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Verónica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Jiři Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luísa Pereira & Martin B. Richards

Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13


  ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしもヨーロッパ起源とは言えません。

メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。

  欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。

もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は 49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとってはおぞましいことなのでしょうね!!

  ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンのmtDNAハプロタイプでもあります。ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1ö」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。

一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。   

アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた可能性もあるのです。


  更に言えば図中の mtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。

これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。

この論文の著者の分類は若干恣意的です、

西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と言いきるのは正しくはないですね。ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。


  ヨーロッパで最大の頻度を誇るmtDNAハプロタイプは図のmtDNA「H」になりヨーロッパ人の40〜50%を占めています。


  では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?

一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの頻度分布から調べて見ました。


  この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたるメンバーの報告になっています。研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。

     
また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも面白い一面です。

それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。


  調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて調査していました。

    また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。


・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。

・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。

・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。


  また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。


・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。

・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか?


ともかくこの分野の重鎮中の重鎮の Hammaer と Krafet の二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。


以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると

● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。

  いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を守ってきたのでしょう。


● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。

  Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。   

「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう?   

Ashkenaziを にせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiの Leviteに関しては充分納得出来ます。

  一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。

  不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを中東系と定義するのは非常に無理があります。

  ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。

いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他の Cohen や Israeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。   

何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時 Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。

そうして AshukenaziとSephardi は確立し、現代まで存続してきたようです。   


● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。

36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、   ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。

  ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」であることを如実に表しているようです。

  余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人 Israeliteの重要な構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。


● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。

  いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。   

とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他 Y-DNA遺伝子を Ashkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。

当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか?  

Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と交配を強力に進めた結果、mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。   

アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの先住女性と交配しながら新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。   

その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm


【Y-DNA】ハプロタイプで語るスレ5【mtDNA】

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:14:13.26 ID:bCXeThSu

デヴィッド ロスチャイルドはEタイプのユダヤじゃないかな
Jだと鉤鼻だけど、この人はそうでもない


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:35:31.75 ID:0v1h9MNN

ロスチャイルドの直系ならJ2だよ
Jだと鉤鼻だとかはない

それは=鉤鼻じゃなくなれはJではなくなるということになるからな


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:44:51.71 ID:0v1h9MNN

ロックフェラーはセファルディと言われてるからそれが本当なら
かなりの確立でEだな


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 03:58:46.29 ID:Q9nrpMEV
>>25
アインシュタインもEだそうだけど、セファルディなの?

地理的にはアシュケナージっぽいけど

どっちにしても、ユダヤの定義の1つはは母系で継がれてることのはずなのに、父系でも中東由来のY-DNAが見られるってことは、案外ユダヤ人ってヨーロッパに入ってきてからも内婚的だったのかな

あるいは実際は経済的に困窮して、ユダヤの小金持ちに買われるように嫁いできたゲルマンやスラブの娘っ子を、改宗させて名目上ユダヤ人と言うことにしたのかな。そしてむしろユダヤの血は父系的に継がれていったとか


28 :片手鍋:2013/12/08(日) 07:44:24.26 ID:X+efL8eU

なぜ母系重視かと言うと単にセム系は母系で増えやすいから


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:09:03.36 ID:MlJdVYKE
>>27
アシュケナージは基本的にドイツに住む白人とユダヤ人との混血ユダヤ人で碧眼だったりする。アインシュタインはアシュケナージと言われるが、
中東にいた時の形質がでてるんじゃないかな。
http://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22177000005&GroupCD=0&no=


33 :片手鍋:2013/12/08(日) 11:14:08.99 ID:X+efL8eU
>>32
Eを中東系って言ってる?
http://www.eupedia.com/images/content/Haplogroup-E1b1b.jpg


36 :片手鍋:2013/12/08(日) 11:38:28.90 ID:X+efL8eU
>>32
イタリアンハゲとE系統遺伝子は相関があるはずだ。
http://www.eupedia.com/images/content/Haplogroup-E1b1b.jpg
http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/64/2013/5/1/5105b22666325fe6805bcacace652b9a2e2ec4fb1382539878.png

すなわちチョンマゲとイタリアンハゲは同じくDE系統をルーツに持つ


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:41:38.94 ID:MlJdVYKE
>>33
悪い。中東と言ってもイスラエルでアラビアじゃなかった。
Eでアラビアでは少ないのな。


38 :片手鍋:2013/12/08(日) 12:12:32.67 ID:X+efL8eU
>>37
通説では「YAP遺伝子」が中東で多いって話なんだよね?
あれもY染色体だっけか

Eが多いモロッコは北アフリカだしね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Y-DNA_haplogroups_by_populations_of_Near_East

でも↑ここではモロッコ(Arabs)だね。
なにゆえモロッコがアラブなのか。アラブの定義とは何なのか。

しかもモロッコ人ハゲてないよね。
ハゲてもらわないとこまるじゃないか。
DEハゲ理論が台無しだ。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 12:27:33.61 ID:mImuiEn8

E1b1b が突出して多いのはベルベル人とソマリ族
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/10-6.htm


255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 00:30:37.65 ID:TDt/5Syt

Y染色体にはもう数十個しか遺伝子が乗っていない

それに対してX染色体は1400個以上遺伝子が乗っている

男はXY
女はXX

男の子が父親に似ないとは言われるけど、Yの数十個しか遺伝子をもらっていないから確かに似にくいんだ

そして遺伝子がいっぱい乗っている、女性を大事にしていない人種というのは確実に発展はしないだろう

欧米はレディーファーストだとか、行き過ぎた文化に女性に処女を求めたりすることがあった

ユダヤ人も母親がユダヤ人な場合、ユダヤ人だ

女性を大事にしない人種は遺伝子的観点からみて、発展する余地が少なく遅れをとるだろう


263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 14:49:43.38 ID:EJ3p1psQ
>>255
>ユダヤ人も母親がユダヤ人な場合、ユダヤ人だ

アブラハム、イサク、ヤコブって男系だよね。
いつから女系に変わったんだろ?


266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 02:27:35.81 ID:ZxEAwKC7
>>263
実は建前とか
そうでもなきゃ混血もしてるはずのアシュケナージ系のアインシュタインのY-DNAが中東系のEなはずがない
あるいは意外にも内婚的だったとか?


267 :片手鍋:2013/12/20(金) 11:46:57.41 ID:1yifz514
>>263>>266
あのね、赤ちゃんっていうのはお父さんとお母さんが交わってできるので
お父さんとお母さんの両方の遺伝子をもらって生まれてくるんですよ。


582 :Anonymous:2014/01/24(金) 23:08:15.61 ID:hfG15UMz

ユダヤって母系だからY染色体って意味ないんじゃないの?


588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:46:20.86 ID:Fr+xgJug
>>582
ところがアインシュタインのY-DNAは中東系のE。
予想以上にユダヤ人は内婚的な集団だったか、母系継承はほぼ建前だったか


589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:51:12.96 ID:FlYx9kSo
>>588
前者の方だよ
ユダヤの閉鎖性はかなり根が深い


590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 12:32:17.93 ID:i71BsIWt

ユダヤ確立以前の基層に卑弥呼的な母系社会が有ったんだろ。


591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 12:42:51.83 ID:21gwrWzs

ユダヤは閉鎖性というより、選民意識があって
ユダヤ人が読んでるタルムード、ゾハールには「異邦人(ユダヤ人以外のこと)と性交渉したならばラビに鞭打たれる。

ラビは、その懲らしめられたユダヤ人は雌驢馬と性交渉したからだと言った」とか他にも色々書いてあるけど
ユダヤ人以外の人と結婚するのはかなり難しいように思う


680 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 14:50:38.04 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)

教えてほしいんだけど、ユダヤ人はEに含まれるの?


687 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 18:21:20.50 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>685 
D系統がハム系やセム系になることなどありえないでしょう?


688 :片手鍋:2014/01/28(火) 18:54:02.57 ID:sMoy9eoI
>>687 
そう、Eがハム。


689 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 19:05:00.89 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>688 
ユダヤ人はセム系で、Eを含むということでいいの?

Qは何人なんだい?


690 :片手鍋:2014/01/28(火) 19:20:59.22 ID:sMoy9eoI

Qがセム。
ただこの父系はあんまり子供できないんで、
ユダヤ人は母系を重視することになってるわけだ。


691 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 19:25:29.33 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>690 
アインシュタインはユダヤ人だけど、ハム系の父系祖先をもっていたということだね。


692 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/01/28(火) 19:27:30.02 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>690 
ユダヤ人が母系を重視するってのは、古代からなのかい?
ドイツ第三帝国によって、ドイツに住むユダヤ人女性の八割はドイツ人ゲルマン民族男性と結婚したと聞いたけど。


702 :片手鍋:2014/01/29(水) 01:01:43.45 ID:6MYMSKYD
>>692
>ドイツに住むユダヤ人女性の八割はドイツ人ゲルマン民族男性と結婚した

その結果がこうなわけでしょ。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/03/31/article-0-002BCB7D00000258-577_634x584.jpg


695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 19:51:34.34 ID:TjDFZiUk

ノアを人類の出アフリカとすると

ハム F
セム DE
ヤペテ C


698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 23:36:36.33 ID:Yj582ohQ

アフリカの諸民族を Y-DNA ハプロタイプと言語で分類すると、

E の中で、E1b1a がニジェール・コンゴ語族、
E1b1b がアフロ・アジア語族(セム系以外のいわゆるハム)、
ナイル・サハラ語族とコイサン語族が A (A1b1)、
ピグミーが B だと思う。

あと、セム系(ユダヤ、アラブなど)は J が多い。
J が E の言語になったのがセムじゃないのかな。


694 :片手鍋:2014/01/28(火) 19:45:43.47 ID:sMoy9eoI

「ゲルマン人」の定義はよく分からない
オリバーカーンとかスペンサーウェルズみたいなの?


700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 23:52:41.01 ID:Yj582ohQ途
>>694
ゲルマン人を印欧語族ゲルマン語派の言語を話す人々だとすると、
北欧(フィンランド以外)は I1 なんで元はそうかもね。

でも、印欧語族は R だしな。R1a がスラブ、インド・イラン語派、
R1b がケルト、ラテン、ゲルマン語派にざっくり対応するけど、
そんなに簡単ではないのだろう。


701 :片手鍋:2014/01/29(水) 00:11:54.31 ID:6MYMSKYD
>>700
やっぱりI1=「ゲルマン」になるのか。
いかにも、白デニソワとネアンデルタールが混ざった人種が混ざっているという容姿の人達。


701 :片手鍋:2014/01/29(水) 00:11:54.31 ID:6MYMSKYD
>>700
やっぱりI1=「ゲルマン」になるのか。
いかにも、白デニソワとネアンデルタールが混ざった人種が混ざっているという容姿の人達。


703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 01:03:09.81 ID:JZMvRs6p

アシュケナジのYDNA 現地民と違うけど


815 :片手鍋:2014/02/01(土) 13:28:05.74 ID:MUg5cEoi

白人ってか黄色味のない白さの肌(pasty white)は洞窟人由来だよね。

でも、ネアンデルタールとの混血で変に知恵持ってるのがいる。
それでうっかり人間だと思ってしまうと

http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/03/31/article-0-002BCB7D00000258-577_634x584.jpg

こういう結果になる。

やたら成長が早く、ふけるのも早いのが特徴。


818 :大韓民族回帰 ◆XB7AjTRRiE :2014/02/01(土) 13:43:30.18 ID:pDGkNi6J
>>815
アインシュタインもそうだが、ユダヤ系の遺伝子と白人が混血し障害ではない完全に近いアスペを作りだした。

近代ヨーロッパはそういう人種、次世代のヒト進化のきっかけまでたどり着いた結果として現代の社会秩序を生み出した。

あと成長が早いのは欧米人の遺伝体質だよ。

いずれにしてもこれからのデジタル社会でハイテクを使いこなし頭で人類を支配するデジタリアンが成立する。

そしてその先には遺伝子的なあらゆる欠点を改善したゴッドサピエンスが形成されヒトは遂に種として別れる。


831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 14:50:29.73 ID:LhYwWHsi
>>815
>ユダヤ系の遺伝子と白人が混血し障害ではない完全に近いアスペ を作りだした。
>近代ヨーロッパはそういう人種、次世代のヒト進化のきっかけまでたどり着いた結果として現代の社会秩序を生み出した。


近代化が成功だったとはいえんよw
まだたかだか100〜200年程度だろう

ユダヤ人の成功は、遺伝によるものではなく職業選択の不自由性によるところが大きい

アスペルガーのなかには成功した人もいるが不適応者も沢山いただろう

つまり近代化と遺伝は無関係だしアスペルガーが近代化に対応したともいえない
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1386316632/

2015-06-12
激しい差別と迫害の中でユダヤ人がサバイバルできた理由
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html
ヨーロッパを流浪する民族「ロマ」は、地域社会に同化せず、独自の文化を頑なに守り続けて今もヨーロッパ社会の底辺をさすらいながら問題を起こしている。

(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


ところで、ヨーロッパには、このロマと同じく毒蛇のごとく嫌われた流浪の民族もいる。ユダヤ民族である。

ロマが流浪していたのは自らの意思だったが、ユダヤ人が流浪していたのは、国を失ってどこに定住しようとしても排斥されたからだ。

キリスト教社会の中にあって、イエス・キリストを殺した民族として新約聖書に記されたユダヤ人は、キリスト文化が続く限り迫害の対象になる運命だった。

ユダヤ人の流浪は1948年5月14日にイスラエルという国が建国されるまで続いてきた。いや、イスラエルができてもイスラム教徒と激しい闘争を繰り広げ、今もまだ流浪していると言っても過言ではない。


イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿

新約聖書の物語は、イエス・キリストが奇跡を行う前半と、ユダヤ人に売られて十字架に張り付けにされる後半に分かれている。イエス・キリストが戦っていたのはユダヤ人だった。

ユダヤ人はイエス・キリストを告訴し、死刑にしろと叫び、実際に十字架に追いやった「主犯」だった。銀貨30枚でイエス・キリストを売り飛ばしたユダという男もまたユダヤ人だった。

「人類の救済者」という位置付けのイエス・キリストを迫害して死に追いやったのはユダヤ人だと、聖書は繰り返し述べているのである。

新約聖書は、イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿でいっぱいだ。

そのキリスト教がローマ帝国の国教となり、そこからユダヤ人の受難が始まった。ユダヤ人は「イエス・キリストを殺した民族」として、どこに言っても迫害され続けたのである。

ユダヤ人は流浪するしかない民族となった。そして、どこを流浪しても迫害される民族となった。まさに「イエス・キリストの呪い」を受けた民族だったから、キリスト教徒にとってユダヤ人は許すことのできない敵だったのである。

この迫害は1000年以上も続いてきた。19世紀の東ヨーロッパで「ポグロム」という激しいユダヤ人虐殺が行われたが、このポグロムというのは「破壊」という意味のロシア語である。

「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。このユダヤ人排斥は組織的に、そして継続的に行われ、土地を追われたユダヤ人は、新天地を求めてさまよい続けた。

迫害の中で、悠々と屋根の上に登ってバイオリンを弾く英雄は現れなかった。こうしたポグロムの中で、6万人のユダヤ人が殺されたウクライナのリヴィヴ・ポグロムは写真でも記録されている。


ユダヤ人の老人を後ろから蹴り飛ばすウクライナ人。「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。


資産家として成り上がって行くユダヤ人も多かった

ロマと共に迫害されていたユダヤ民族だが、ではユダヤ人が各地で極貧の身であったのかと言えば、実はそうではない。

もちろん、ユダヤ人ゲットーという隔離地に押し込まれて、まともな仕事を与えられない貧困のユダヤ人も多かった。しかし、それでもその地で資産家として成り上がって行くユダヤ人もまた多かったのである。

ユダヤ人がどこかに定住して自由にビジネスできるようになると、彼らは常にその地の民族を圧倒して富裕層になっていく。そして気が付けば、ユダヤ人が彼らを雇って主従関係が逆転するようなことにもなっていった。

ドイツでも18世紀にはユダヤ人のゲットー(隔離地)からロスチャイルドという一族が銀行業によって資産家に成り上がっていく動きがあった。

ウクライナでもユダヤ人はその地域の富裕層として君臨し、ウクライナ人の上に立っていたのである。

このあたりは、流浪しながら窃盗や売春や胡散臭い占いビジネスで底辺を這い回っていたロマ民族とは、まるっきり立場も運命も違っていた。

ロマとユダヤのこの差はどこから生まれていたのか。

それは、まぎれもなく「教育」に対する姿勢であったと言われている。

ユダヤ人は「本の民族」であると言われている。迫害されても、貧困に落ちても、流浪の中の絶望にあっても、彼らは教育と書に対する熱意をまったく失わなかった。

モーセ五書を記した「トーラー」と呼ばれる書を子供の頃から教え、子供たちは旧約聖書を何度も何度も反復してそれを暗唱できるまで鍛え上げられた。

そして、激しい迫害の中で、どのように生きればいいのかを「タルムード」を通して教育されてきた。


ユダヤ人排斥の中で、人前で服を剥ぎ取られたユダヤ人の女性。どこに定住しても、ユダヤ人に対する迫害は止まることはなかった。


「迫害される環境から、いかに生き残るか」の書

ユダヤ人は、国もなければ安住の地もない。常に迫害され、差別され、時には略奪の対象とされて、築いてきたものは一瞬にして破壊された。

彼らは生き延びるために、土地にも財産にも共同体にも頼れなかった。頼れるのはただひとつ、サバイバルするための「頭脳」だけだったのである。

だから、教育は彼らの最大の武器であり、旧約聖書も、トーラーも、タルムードも、「迫害される環境から、いかに生き残るか」について微に細を入れて書かれていた。

ユダヤ人にとって本を読むというのは娯楽ではない。教育とはサバイバルだったのだ。本を読んで学ぶことが、ユダヤ人にとっては殺されるか生き残るかの苛烈な社会の中のサバイバルの指針だったのである。

だから、同じ流浪の民族であっても、ロマ民族と、ユダヤ民族は、その運命はまるで違っていた。

ユダヤ人は、外からふらりとやってきて底辺を這い回るのではなく、その頭脳によっていつしか富裕層に成り上がって現地の民族を支配する立場になっていく。

それが激しい恐怖を生み出し、宗教的な憎しみも加わって、激しい虐殺を生み出す元になっていったのだ。

東ヨーロッパで吹き荒れた「ポグロム」は、1930年代以降は自分たちの上に君臨する豊かなユダヤ人から奪うという歴史的な背景もあった。

異質な民族が自分たちの上に君臨して自分たちを支配することの恐怖も、ユダヤ人に対する過剰な虐殺の原因のひとつであったとしても不思議ではない。

ユダヤ人の武器である「教育」とは、それほどまで凄まじいものであったとも言える。


集団で暴行され、服を脱がされるユダヤ人女性。こうした「ポグロム」の後、ユダヤ人はナチスによる「ホロコースト」で民族虐殺に追いやられていった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html


80:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/08 08:51 ID:aXAhx3AV(1)
インド人の一部がコーカソイドと言えども、イギリス人の植民地統治は容赦がなかった。

インド人は黒または褐色の有色人種でアフリカのニグロに対する扱いと基本的に同じだった。

気に入らないインド人を射殺するのは白人の自由であり、動物と間違って 撃ったと言えば無罪放免であった。

インド人がインド・ヨーロッパ語族であろうと、アラブ人がコーカソイドであろうとほとんどのヨーロッパ人からみて彼らが「白人」ではないことは明白な事実である。

87:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/09 15:36 ID:q1J7uQci(1)

イタリア人はアメリカ移民当初、白人認定されず、かなりの差別を受けてたみたいだ。
だからアル・カポネのようなアウトローが出てきたとも言える。

イタリア人でもローマから北は白人っぽいが、南は刑事コロンボやイタリア語講座の先生のように、もろ地中海系。

狭義ではアルプス以北というか、地中海に飛び出たイタリアとイベリア半島はヨーロッパでも別格だね。


195:名無しさん@お腹いっぱい。[] /07/27 20:55 ID:9l8nU5QU(1)

インドのガンジーは若き弁護士時代を南アで過ごすが、完全に ニグロ(黒人)扱いを受けた。

いくらコーカソイドでくくって、インド人やアラブ人を欧米系と同じ人種と定義しても、当の欧米系はインド、アラブ系とははるかかなたに分かれたのであって、意識上他人種と考えている。


115 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/21 00:21 ID:cvT+ciN3(1)
白人は自分に近くて似ているけど異なる者が嫌いなんだよ。
アラブ人のことも大嫌い。


317 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 14:17:44 ID:W+akTwxs(3)

戦前に両親の都合でポーランドの奥地に送られたドイツの子供(髪も目も黒)が 金髪碧眼しかいない小さな農村で苛められる話があります。

そのポーランドの田舎は千年このかた、髪の黒い人など見たこともなくこいつは白人ではない、ユダヤ人かアジア人に違いないと言われます。

もちろん少年はふつうのドイツ人で、ユダヤ人やジプシーではないのですが髪が黒いというだけで人間あつかいされない。

外の世界など見たこともない金髪碧眼の村で、テレビもない時代ですからね。
彼らは安物アメリカ映画ふうの、差別はいけないなどという考えもない。

生活も千年前そのままで、女が浮気すると、相手を斧で殴り殺し目をえぐりだす
まさにキリスト教伝来前、ローマ時代のヴァイキングの生活。
二十世紀でこんな村があることが不思議におもえますが、広大なポーランドのこと、
領主は税さえおさめれば農民など一切かまわなかったのでしょう。
古いヴァイキングの血は、不毛の島とか、ポーランド内陸の田舎などに保存されて
のこってる。


320:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 17:02:39 ID:W+akTwxs(3)

北欧ではフィンランド人が古い人種でしょう。
スウェーデン人に次第に北に押しやられて凄い差別を受けてました。
そのスウェーデン人は南方から来たわけで・・・

スウェーデンやノルウェーには内陸に差別を受ける少数民族がいます。
かれらが本当の北欧原住民で、非キリスト教徒として迫害され、ほとんど滅んだ。
http://read2ch.com/r/geo/1036574273/



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html#c5

[政治・選挙・NHK237] 小沢節炸裂「私なんかの本が・・・」 重版出来!「小沢一郎の権力論」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-5739] koaQ7Jey 2017年12月22日 19:14:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
次の選挙の大義は「小沢のような反日の議員を絶対に落選させること」だ

アメリカの株式市場は2008年のリーマンショックで衝撃的な大暴落に見舞われたのだが、日本の株式市場もアメリカと一緒につるべ落としの暴落となった。

この大混乱はずっと尾を引くのだが、アメリカが混乱を収束させたのは2009年の終わりあたりからである。2010年に入ってからは暴落した株式はどんどん回復して、2011年には早くもリーマンショック以前に値を戻した。

ところで、リーマンショックの震源地とは遠かったはずの日本はどうだったのか。

リーマンショックの激震が収まったのは、やはりアメリカと同じ2009年の終わりあたりである。ところが、ここから日本はアメリカと対照的な動きを見せるようになった。

日本の株式市場はまったく元に戻らず、元に戻るどころかどんどん低迷していったのである。この低迷は2012年までずっと続いていた。

本来であれば、サブプライムローンに関わっておらず、バブル崩壊の震源地でもなかった日本はアメリカよりも早く立ち直っていなければならなかった。

それなのに、なぜこの2009年から2012年まで日本は地獄のような経済低迷を迎え、地を這い回っていたのか。


2009年から2012年の地獄の経済低迷は誰の責任か?

理由は言うまでもない。日本では2009年から2012年まで民主党が政権を取っていて、この政権によって政治も経済も大混乱に見舞われてしまったからである。

民主党政権が下野して第二次安倍政権が本格的にスタートした2013年から株価が怒濤の如く上昇していったのを見ても、それが分かる。

日経平均株価が2008年の後半に1万円割れしたのは、アメリカのサブプライムローン問題とリーマン・ショックがあったからだ。それはアメリカと世界経済の問題であり、日本の問題ではなかった。

しかし、2009年から2012年の日本の経済低迷は、世界経済やリーマンショックは関係ない。この時期の地獄は、民主党政権の問題だ。

民主党が稀に見る信じがたいまでの「無能集団」だったので、それがゆえに日本は這い上がれなかった。

民主党の党首だった鳩山由紀夫は全世界から「ルーピー」だと言われて嘲笑されていたし、菅直人は頭の中が空き缶だと言われた。

さらに野田佳彦に至っては、今でも収束できていない原発事故を2012年12月16日に「収束した」と言った信じがたい嘘つき男だった。

こんな無責任な人間どもが政権を取って適当な政治をしていたのだから、回復するはずの株価さえ回復しなかったのは当然だ。まさに株価も景気も「地を這う」状態だったのである。

しかもこの民主党には中国・韓国・北朝鮮の息のかかった工作員が大量に紛れ込んでいて、意図的に日本の破壊を目論んでいたのだった。

円高も、日本企業に大きなダメージを与えて中国・韓国の企業を躍進させるものだったし、東日本大震災の復興予算が食い物にされて韓国に流れていたという実態もあった。

さらに瀕死になっている日本経済をよそに、韓国のために日韓通貨スワップさえ積極的に結ぼうとしていた。


日本は安倍政権によって間一髪で助かったのだ

民主党はマニフェストを掲げて「あれもする、これもする」と国民に約束して政権を奪い取ったのだが、ことごとく約束を破っていった。

マニフェスト詐欺という言葉も生まれたが、国民に「詐欺だ」と言われるほど民主党政権はひどかったのだ。

埋蔵金があると言ってなかったし、天下りを許さないと言って郵政三役を天下りさせたし、赤字国債を抑制すると言って過去最大の赤字国債を発行したりした。

逆にマニフェストに入っていないことには、力を入れて推し進めようとしていた。民主党政権はマニフェストにはなかった「何」をしようとしていたのか。

朝鮮人学校無償化、外国人地方参政権、人権侵害救済法案、外国人住民基本法、夫婦別姓等である。まさに反日政策のオンパレードだった。

しかしながら、マスコミの民主党絶賛の声に洗脳されて多くの日本人が2010年に入ってもまだ民主党を支持していた。

この時点で、私はもう日本は終わりだと確信して、資産の半分はドル建てのアメリカの株式、残りはゴールドに変えて、日本円をなるべく持たない方向に切り替えた。

さらに2012年の初頭にはもう一度考え方を変えた。この時にゴールドをすべて売却し、資産のほぼ90%をアメリカの多国籍企業に投資して現在に至っている。

日本の景況感の悪化、異常な円高、株式市場の低迷は、すべて民主党の売国のせいだった。

だから、2012年12月16日に民主党政権が崩壊して自民党政権が復活したとき、日本がリセットされたと気付かなかった人はほとんどいない。

もし、第二次安倍政権が生まれていなかったら、日本は確実に崩壊していたのは間違いない。日本は安倍政権によって間一髪で助かったとも言える。


次の選挙の大義は「反日議員を落選させること」だ

安倍政権にも欠点はある。相変わらず消費税を増税すると言っているし、守られもしないのに韓国と日韓合意をして翻弄されたりしている。報復外交もしない。韓国と断交もしない。

中国・韓国・北朝鮮は反日国家であり、日本にとって危険極まりない存在であるのはすでに明確になっている。にも関わらず、国内に大量の工作員が紛れ込んで工作活動をしているのを放置し続けている。

北朝鮮も日本の上空を横切ってミサイルを飛ばし、「核兵器で日本の4つの列島を海へ沈める」と恫喝しているのに、いつも遺憾の意を表明するくらいでうやむやにする。

国内には北朝鮮の工作機関である朝鮮総連が堂々と存在しているのに、まったく手をかけない。

パチンコという違法ギャンブルが街中に林立して日本人をギャンブル依存症に陥れ、その利益が北朝鮮のミサイルの資金源になっているのにこれも見て見ぬフリをしたままだ。

おおよそ、反日国家には何もできていないのが安倍政権である。しかし、それでも自ら売国していた民主党政権とは100倍も200倍も良い政権であると評価できる。

再び政権交代するというのは絶対にあり得ない選択肢であり、特に民進党みたいな政党に期待をかけるというのは、まわりを巻き込んで自殺すると言っているのと同じである。

民進党の前代表だった村田蓮舫は、どこの国の誰なのかまったく分からないままだし、現在の代表である前原誠司は北朝鮮の女性と親しく付き合っているのが週刊紙でバラされている。

民進党はすでに民意を失っており、支持率も8%かそれ以下くらいしかない泡沫政党になりつつあり、次々と離党者が沸いて出て党内はガタガタだ。

まだこんな政党が残っているというのがどうかしている。

次の選挙でやらなければならないのは、日本を混乱させることしか能がない民進党や反日議員をことごとく選挙で落とすことである。

次の選挙の大義は「反日議員を落選させること」である。これ以上に大切なことは他にない。


安倍政権は日本にとって重要な政権である。もし、第二次安倍政権が生まれていなかったら、日本は確実に崩壊していたのは間違いない。日本は安倍政権によって間一髪で助かったとも言える。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170925T1456020900.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/470.html#c1

[リバイバル3] ヒヤリ・ハット体験 _ スキー事故で半身不随になりたくなかったら… 中川隆
30. 中川隆[-5739] koaQ7Jey 2017年12月22日 19:45:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

危険!スノーボーダーの板流し。
【17-18シーズン 37日目】 天候:晴れ〜雲
12/21(木) かぐらスキー場でスノーボード&スキー。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3186.html


ちょっと気になるというか不安な事が…。

初心者スノーボーダーの板流しがとても多く感じるのです。
毎年たまに見かける事はありましたが、
今シーズンはすでに何回も目撃しています。

斜面で板を流したらそれはもうスノーボードではなく凶器です。
どんな事があってもソールを下にして手を離してはダメ、絶対に!
リーシュコードって物があるにはありますが、あれはあまり意味が無く…。
スキーと違いビンディングが解放する事は基本的に無いので、
ビンディングを装着している状態で着用してもまったく意味がありません。
板を流している子のリーシュコード着用率が高いのもあまり意味が無い事を物語っているような。

基本的に板をコース内で外さない。
板を手で持つ場合は絶対に離さない。

この2点を徹底するだけで板を流すなんてのはあり得ないんだけどなぁ。
スノーボードをソリみたいにする行為、あれがかなり危ないです。
あと出来たら板手持ち乗車も無しにした方がいいかと。
スノーボードでのリフトの乗り降り、たしかに最初は難しいです。
でもスノーボードをする上で避けては通れない。
わたくしめも最初は何度もコケました。
たまに今でもコケます(笑)
初心者がコースの上で板を着けていない状態に慣れちゃう事が、板流し多発に繋がっているような気がするんだよな。

一度流した板は猛スピードで斜面を流れていきます。
流した本人ではもう捕まえられません。
小さな子供にぶつかったらと思うと…。
大人でもまともに喰らったらただでは済みません。
大きな事故が起きない事を祈るばかりですが、
スキー場にも何かしら対策をと思ってしまいます。

初心者が増えるのは良いこと、どんどんスキーやスノーボードの素晴らしさを知って欲しいですが、
スキー場には集客営業だけでなく、マナーやルールの啓発活動にも力を入れて欲しいな。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/778.html#c30

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
43. 中川隆[-5738] koaQ7Jey 2017年12月22日 20:23:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

かぐらスキー場不遇コースを考察する。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3175.html


かぐらスキー場は、

「かぐらエリア」 「田代エリア」 「みつまたエリア」

3つのエリアから構成される巨大なスキー場です。
それぞれ特色がありコース数も沢山あります。

来場されたお客さんが滑る事が多いコースは

かぐらエリアなら

◆かぐらメインバーン
◆ジャイアントコース
◆テクニカルコース


田代エリアなら

◆アリエスカコース
◆ダイナミックコース
◆チャレンジバーン


みつまたエリアなら

◆ファミリーコース
◆大会バーン

などが花形コースだと思われ、
その他にも

◆かぐらpark
◆Area 51s park
◆Mitsumata Ups 'N' Downs
◆モーグルコース
◆バンクドコース

などパークやコブ、バンクドなど様々な滑走者に多彩なコースを提供してくれます。

もちろん、かぐらの魅力はコース内だけでなく、裏山の滑走エリアが豊富なのも最大の魅力。

“田代落ち”なんて下記のコースよりよっぽど有名ですもんね(笑)

もう何年もかぐらスキー場をホームとしているわたくしめですが、
飽きるどころか毎年新しい発見があり、11月から5月までのロング営業を楽しませていただいております。

そんな魅力的なコースが多いかぐらですが、
「え?こんなコースあったの?」
みたいなマイナーなコースをご紹介します。

かぐらスキー場 勝手にマイナーコースランキング(笑)


5位
◆下山コース

17-16シーズン、本日(12/16)よりオープンしました。
土日組の方には当たり前かもしれませんが、平日は基本的にクローズしているのです。
平日券組にとってはマイナーというかかなりレアコース。
ロープウェイのトラブルなどで極稀に開放される時を狙え!

4位
◆ゴンドラライン

みつまたエリアとかぐらエリアを結ぶ重要なコース。
みつまたロープウェイからかぐらで滑る方は必ず滑る事になるのですが、
シーズン始めと終わりは雪が少なくなり下地のピスラボが剥き出しになる事も。

初心者にはちょっと大変な斜度なので難関になる事も。

そして、
何よりこのコースが不遇なのは、
名前を憶えてもらえない事!
常連でも、「ゴンドラに行くコース」とか「かぐらに行くコース」とか、
「ゴンドラコース」と間違えていたり(笑)
名前を憶えてもらえない可愛そうなコースなのです…。

3位
◆林間エキスパートコース

近年は1/1より運行開始の第5ロマンスリフト通称“ゴロマ”の線下コース。
ディープパウダーや野生的なコブが楽しめる立派なコースですが、
滑走者はほとんどいないなんて事も!?
ゴロマに乗車する皆さんの目的はここではないようで(笑)

2位
◆ゴンドライーストコース

かぐらスキー場の最南端に位置するこのコース。
かぐら常連組でもあまり近寄る事が無い不遇コース。

ドラゴンドラで苗場に接続するのが目的って感じで連絡コースみたいに思われているのか。
実はスノーボードクロスの大会が行われたりもするちゃんとしたコースです。

1位

◆田代エリアの短い連絡コース

スカイラインコース
しらかばコース
かもしかコース
親切コース
田代湖コース


など、色々ありちゃんと名前も付けられているのですが、
名前が憶えられない(笑)

「次どこ滑る?」 「ジャイアント行く?」 「チャレンジ行こうよ!」
なんて会話は日常茶飯事ですが、
「今日どこ滑る?」 「かもしかコース行こう!」 「次はしらかばコース滑ろう!」 「ゴンドライーストコースはどうかな?」
これじゃどこのスキー場にいるのか分からない(笑)

これらを全て把握している方はいるのだろうか??
短いけどかもしかコースとか面白いんだけどな。

田代エリアはリフトの接続がもうちょっと良かったららなぁといつも思っちゃいます。

以上独断と偏見による勝手にマイナーコースランキングでした。

今シーズンはマイナーなコースも積極的に滑って、せめて名前はちゃんと憶えよう(笑)
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3175.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c43

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
239. 中川隆[-5737] koaQ7Jey 2017年12月22日 20:53:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

1日2個のトマトが肺機能低下を緩和、リンゴなども同様の効果
2017年12月22日 18:16 発信地:パリ/フランス

【12月22日 AFP】1日に2個以上のトマトを食べた人は肺機能の低下率が緩和されるとの研究結果が21日、医学誌「European Respiratory Journal」で発表された。とりわけ元喫煙者に効果があり、特にリンゴなど果物を1日に3カット以上食べていた人にも同様の傾向が見られたという。

 論文の共同執筆者で、米ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)ブルームバーグ公衆衛生学部(Bloomberg School of Public Health)のバネッサ・ガルシアラーセン(Vanessa Garcia-Larsen)氏は声明で、「喫煙をやめた人の肺の損傷の回復に、食事が役立つかもしれないことを今回の研究は示している」と説明。「また喫煙の習慣がなかった人の場合でも、果物の豊富な食事が肺の自然な老化を遅らせる可能性も示唆している」と指摘した。

 今回の研究では、2002年にも実施された健康調査に参加したドイツ、英国、ノルウェーの680人から取得したデータを分析。調査対象者には10年後に再び質問に答えてもらい、2種類の肺機能検査を受けてもらった。

 また食事と肺の健康の関連性を分析するに当たり、調査対象者の年齢、身長、体重、性別、収入、運動習慣のレベルといった別の要因も考慮されたという。

 その結果、通常は30歳前後から始まるとされる肺機能の低下において、トマトや果物を多く摂取する人は低下率が減少することが判明。特に元喫煙者にはその相関性がさらに「著しく」現れたという。研究者らは、トマトや果物をたくさん取る食事が喫煙でダメージを受けた肺の回復に一役買っていることを示唆すると述べている。(c)AFP

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c239

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
79. 中川隆[-5736] koaQ7Jey 2017年12月22日 20:59:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

少子化対策は「プーチンに学べ」--名越健郎
大統領は最近、新たな出産奨励策を発表した。
 2017年12月18日 10時15分 JST | 更新 2017年12月18日 10時15分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/putin-birth_a_23308103/?utm_hp_ref=jp-homepage


フランスの著名な歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏が『毎日新聞』(12月10日)のインタビューで、先進国では出生率が高いフランスは「経済も治安も悪い」が、「次世代の人口が維持できるので数十年後も存続する。日本はわからない」と日本の人口減少に警告。「出生率アップのいい事例はロシア。ぜひロシアの政策を研究すべきだ」と提言した。ロシアはソ連邦崩壊後の経済危機で、毎年人口が大幅に減少したが、ウラジーミル・プーチン露大統領は積極的な財政的インセンティブを導入し、出生率は著しく改善した。昨年から再度低下し始めると、大統領は最近、新たな出産奨励策を発表した。国家存亡にかかわる人口減少に直面する日本にとって、「人口対策はプーチンに学べ」ということになる。


「母親手当」で出生増
 ソ連崩壊後、経済・社会混乱が続いたロシアは1990年代に少子化が進み、1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率は、1999年には1.16まで落ち込んだ。男性の平均寿命が60歳前後と低かったこともあり、毎年70〜80万人規模で人口が減少していた。

 こうした中で、プーチン大統領は2006年の議会演説で、「人口減少は国家危急の問題であり、国家の存続が脅かされている。それは愛と女性と家族にかかわる問題だ」と力説。人口増を「国家プロジェクト」に指定し、第2子を出産した母親を対象に、25万ルーブル(当時のレートで約110万円)を住宅取得・修繕費、教育費、母親の退職後の年金加算などの形で国家が支払う方針を発表。児童手当の増額、母親の産休中の賃金保証なども含め、2007年から実行させた。

「母親資本制度」と呼ばれるこの一時金は、第3子以降についても適用され、額も毎年増加され、現在は約45万ルーブル(約86万6000円)。ルーブルの為替レートが下落し、外貨換算では減少しているが、平均月収の7〜8カ月分といったところだ。

 都市部はともかく、地方ではかなりの奨励金となり、出生率は導入前の2006年の1.30%から、導入後は1.41%(07年)、1.50%(08年)、1.54%(09年)と好転し、2015年は1.75%まで上昇した。1990年代に年間110〜120万人程度だった新生児の誕生数は、2015年は194万人に増加した(2015年の日本の合計特殊出生率は1.45。出生数は100万5677人だが、2016年から100万人を割り込んだ)。


官製ベビーブーム
 むろん、出生率の上昇は、プーチン体制下での社会・経済環境の安定を背景にしている。プーチン大統領自身、各地を訪れて「生めよ増やせよ」の官製ベビーブームを煽った。男性の平均寿命が65歳まで上昇したこともあり、ロシアの人口は2013年から、わずかながら自然増を記録するようになった。人口問題の改善は、プーチン政権の最大の功績の1つだ。

 なお、国家統計局が発表したロシアの人口は2017年1月時点で1億4680万人で、2013年より350万人程度増加している。これは、2014年に併合したウクライナ領クリミアの人口約200万人を加えたためで、ロシアの出生率、出生数もクリミアをカウントしている。

 だがロシアの出生数増加は、出産可能年齢の女性の人口が増えたことに伴う自然増の要素が最も大きい。1980年代後半のペレストロイカ(再編)の時代はベビーブーム期で、出生率は2を超えていた。この世代が2005年以降20歳を過ぎ、人口再生産年齢に入った。プーチン政権はその波に乗って出産奨励策を打ち出し、効果を上げたといえる。

 出生率上昇の闇の部分は、非ロシア人の出生率がロシア人以上に上昇し、人口動態に変化がみられることだ。多民族国家・ロシア連邦に占めるロシア人の比率は現在79%とされるが、25年前のロシア独立時は83%だった。イスラム教徒のチェチェン人女性は生涯に平均4人子供を生むとされ、イスラム人口の膨張が目立つ。イスラム教徒の人口は公表されていないが、2000万人近いとの説もあり、ロシアの人口問題専門家の間では、今世紀末にはイスラム系の比率がロシア系を抜くとの予測もある。
昨年から人口減に
 だがプーチン体制下で順調に増加してきた出生率も、2016年から再び低下しつつある。国家統計局によれば、2016年の出生数は前年より3%減少した。2017年1〜9月の新生児は計120万人で、前年同期比より16万人、11.5%の減少となった。

 出生数の減少は、80年代のベビーブーム期に生まれた女性が次第に高齢となったことが大きい。90年代の経済危機の時代に生まれた女性の人口層は薄く、今後再び人口減少社会に逆戻りしそうだ。

 ロシア国立研究大学高等経済学院人口問題研究所のビシエフスキー所長は、「出産可能女性の減少により、ロシアは今後15年は人口減少が続く」とし、2050年の人口は1億700万人まで減少しそうだと予測した。同所長は、今後深刻な労働力不足に直面する可能性があるとし、旧ソ連に居住するロシア系住民の帰還促進や外国人労働者の誘致拡大を提案した。

 ロシアの場合、5歳未満の児童死亡率が1000人当たり7.7人と高い(日本は同2.7人)。交通事故の死者は年間約2万5000人(日本は約3900人)、他殺約1万5000人(日本は約290人)、HIV感染者推定200万人(日本は推定2万5000人)、麻薬常習者推定400万人(日本は推定20万人)など、出生数は日本より多くても、社会環境から短命に終わるケースが多いことも事実だ。
新たなバラマキ型出産奨励策
 こうした中で、プーチン大統領は11月28日、クレムリンで人口問題について演説。「ロシアの人口動態が再び悪化しており、包括的な措置を策定することが急務だ」とし、人口増に向けた新たな政策を打ち出した。

 大統領は、「人口問題が悪化したのは、自然の摂理によるもので、驚くにはあたらない。第2次世界大戦と1990年代半ばに続く人口減時代がまた訪れつつある」と分析。今後10年間の人口減少を食い止めるための安定化措置が必要だと強調した。

 その上で、(1)2018年1月以降、第1子に対して18カ月間、低所得者層向けに生活状況や地域差に応じて子供手当てを支給する(2)第2子を生んだ母親への「母親資本制度」を2021年末まで延長し、一部を現金支払いにする(3)出生率の高い地方自治体への子育て関連の連邦予算支給を拡大する(4)2人以上の子供がいる家庭の住宅取得に際し、政府が住宅ローンの金利の一部を負担する(5)保育所の待機児童をゼロにする(6)児童病院を増設し、小児科医の医療水準を改善する――と述べ、「この包括措置が好ましい結果をもたらすと確信する」と語った。

 大統領によれば、一連の出産奨励策の予算は3年間で5000億ルーブル(約9620億円)で、政府の国民福祉基金などから拠出する。

 原油価格下落や低成長、欧米の経済制裁によって政府基金が縮小する中で、バラマキ型の大盤振る舞いだ。来年3月の大統領選出馬を表明したプーチン大統領の人気取り政策ともとれる。大統領陣営は、通算4期目は人口対策に加えて教育、医療、給与増も目玉に据える方針。ウクライナ、シリアなど地政学的野望が目立った3期目と違って、プーチン4期目は一転して内政重視型となるかもしれない。
北方領土交渉にも影響
 2014年2月、安倍晋三首相がソチ冬季五輪開会式出席のためソチを訪れた時のこと。プーチン大統領はG7(主要7カ国)首脳で唯一出席した首相を昼食会で歓待したが、その際大統領は日本の人口減少に触れ、「母親資本制度」などロシアの取り組みを説明し、出生率が上昇したことを紹介したという。この発言はロシア筋からの情報で、日本側はこのやりとりを公表しなかったが、「知日派」のプーチン大統領は日本の少子化や人口減を憂慮し、ロシアの取り組みを参考にするよう暗に持ち掛けたのかもしれない。

 プーチン流人口増加策は、母親にインセンティブを与えることにある。ロシアは米国と並ぶ離婚大国だけに、母親の権利を尊重している。母親への資金援助は、所得の低い地方では魅力的であり、出生率向上に一役買ったのは間違いない。ロシアは年金が安く、寿命も短いだけに、日本と違って医療・年金の負担は大きくなく、子育て支援に予算を回しやすい。日本では、民主党政権時代の子供手当は挫折したが、ロシアはプーチン大統領の強権支配であり、政策を即決しやすい要素もある。さらに、社会主義時代の伝統で幼稚園や託児所など育児支援施設が充実しており、待機児童はほとんどいない。日本がロシアに学ぶ教訓は少なくない。

 東京・内幸町にある国立社会保障・人口問題研究所の予測では、人口減少社会に入った日本の人口は2100年に約6400万人まで減少する。さらに、出生率が現状のままでは、西暦3300年の日本の人口はたったの3人という。3人では、麻雀もできないし、ゴルフも1組成立しない。憲法を改正して自衛隊を合憲にしても、人口減で自衛隊自体が兵力を充足できないだろう。国論を二分する改憲よりも人口対策を最優先課題に掲げ、ロシアのように国策として取り組むべきだろう。

 プーチン政権が北方領土交渉で強硬姿勢を貫くのは、1つにはロシアが日本の人口減を察知し、国力が大幅に低下することを視野に収めている可能性がある。今後日本の人口が激減すれば、4島を返されても開発・定住は難しい。出生率を上昇させなければ、ロシアは本格交渉に応じないかもしれない。(名越 健郎)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c79

[原発・フッ素49] 過労死ライン・残業80時間/月は被ばく死を過労死にすりかえ雇用主に責任転嫁する政府の策略だ  魑魅魍魎男
5. 中川隆[-5735] koaQ7Jey 2017年12月23日 08:25:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html


真実を知りたければ:

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/260.html#c5

[リバイバル3] 癌はニンニクで治そう: 中川隆
7. 中川隆[-5734] koaQ7Jey 2017年12月23日 08:26:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

1日2個のトマトが肺機能低下を緩和、リンゴなども同様の効果
2017年12月22日 18:16 発信地:パリ/フランス

【12月22日 AFP】1日に2個以上のトマトを食べた人は肺機能の低下率が緩和されるとの研究結果が21日、医学誌「European Respiratory Journal」で発表された。とりわけ元喫煙者に効果があり、特にリンゴなど果物を1日に3カット以上食べていた人にも同様の傾向が見られたという。

 論文の共同執筆者で、米ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)ブルームバーグ公衆衛生学部(Bloomberg School of Public Health)のバネッサ・ガルシアラーセン(Vanessa Garcia-Larsen)氏は声明で、「喫煙をやめた人の肺の損傷の回復に、食事が役立つかもしれないことを今回の研究は示している」と説明。「また喫煙の習慣がなかった人の場合でも、果物の豊富な食事が肺の自然な老化を遅らせる可能性も示唆している」と指摘した。

 今回の研究では、2002年にも実施された健康調査に参加したドイツ、英国、ノルウェーの680人から取得したデータを分析。調査対象者には10年後に再び質問に答えてもらい、2種類の肺機能検査を受けてもらった。

 また食事と肺の健康の関連性を分析するに当たり、調査対象者の年齢、身長、体重、性別、収入、運動習慣のレベルといった別の要因も考慮されたという。

 その結果、通常は30歳前後から始まるとされる肺機能の低下において、トマトや果物を多く摂取する人は低下率が減少することが判明。特に元喫煙者にはその相関性がさらに「著しく」現れたという。研究者らは、トマトや果物をたくさん取る食事が喫煙でダメージを受けた肺の回復に一役買っていることを示唆すると述べている。(c)AFP

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/731.html#c7

[番外地6] 「日本のホワイトカラーは生産性が低い」という都市伝説に騙されるな 中川隆
8. 中川隆[-5733] koaQ7Jey 2017年12月23日 08:35:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の労働生産性
http://blog.livedoor.jp/columnistseiji/archives/51736003.html


共同通信の記事です。

 日本生産性本部は20日、2016年の労働生産性の国際比較を発表した。一人の労働者が一定の労働時間でどれだけのモノやサービスを生み出すかを算出。日本の1時間当たりの生産性は46.0ドル(約4700円)で、経済協力開発機構(OECD)加盟の35カ国の中で20位、先進7カ国(G7)で最下位だった。

 生産性本部によると、G7での日本の最下位はデータが取得可能な1970年以降続いている。欧米より非効率な働き方が改めて示され、安倍政権が看板政策として掲げる「生産性革命」の浸透が急務になりそうだ。

 担当者は「飲食や宿泊などのサービス業の生産性が低い」と分析している。


 飲食業や旅館やホテルの生産性が低いように言っていますが…

 この記事を読むと、そうしたサービス産業に従事している人の仕事の仕方が非常に非効率のようなイメージを与えるのですが、それは本当なのでしょうか?

 例えば、運送業で働く人々の働きぶりを国際的に比較して、日本の労働者は仕事がスローすぎるの
でしょうか?

 ヤマト運輸や佐川急便で働いている人の見て、そんな感想を抱きますか?

 本当に怒られますよ、と言いたい!

 違うのですよ。

 労働生産性なんていうから、生産性が低い、イコール仕事に仕方がのろいと思い込みがちなのですが、そうではなく、彼らの給料、或いは稼ぎが少ないだけの話なのです。

 労働生産性の算出式の分子が、物理的な仕事の量や質であるのならば、労働生産性が低いこと、イコール能率が悪いとなる訳ですが、分子は金額で表示される付加価値の合計額なのです。

 従って、幾ら立派な仕事をしても、それに与えられる報酬が安ければ労働生産性が上がる筈はないのです。

 それに、日本の社会って、基本的に副業が認められないではないですか?

 だから、幾ら能率的に仕事をこなすことができ、従って、より短い時間でそれまでと同じ収入を確保できるようになっても、他の仕事をすることができない、と。

 だから、仕事を能率的にこなそうというインセンティブが働きにくいのです。

 組織のなかで自分だけ早く仕事を終わらせると、さらに仕事を押し付けられるだけ。しかし、給料は以前と同じ。

 その辺りのことを安倍総理は分かっているのか、と。

 分っていて、生産性革命なんて言っているのか、と。

 それに、労働生産性の数値を国際比較する際、どうして先進国の数字だけ持ってくるのか、と。

 もっと言えば、何故中国の労働生産性について言及しないのか、と。

 中国の労働生産性は、日本と比べて著しく低い!

 何故か?

 単に賃金が相対的に低いからなのです。

 では、中国の労働者は、怠け者が多いのか?

 そんなことはありません。

 もう少し深みのある議論ができるようにならないと、経済の活性化などできる筈がありません。

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/756.html#c8

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
99. 中川隆[-5732] koaQ7Jey 2017年12月23日 08:50:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

教科書が変わる大発見? 「縄文人」の食生活に、常識破りの新仮説
「狩猟・採集民」ではなく「狩猟・栽培民」だったかもしれない。
 2017年11月01日 18時38分 JST | 更新 2017年11月02日 00時46分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/01/kodai-history_a_23262970/


第5回「古代歴史文化賞」大賞を受賞した小畑弘己・熊本大教授(右)と溝口善兵衛・島根県知事。

古(いにしえ)の時代、日本列島に暮らしていた縄文人。学校では「縄文人は狩猟・採集民」と教えられたが、もしかしたら彼らは「農耕」を営んでいたのかもしれない――。

11月1日、日本の古代史に関する優れた書籍を表彰する「古代歴史文化賞」の選定委員会が開かれ、第5回大賞に小畑弘己・熊本大教授の

『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』(吉川弘文館)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%83%8D%E3%82%92%E3%81%BE%E3%81%8F%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E6%9C%80%E6%96%B0%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%8C%E8%A6%86%E3%81%99%E8%BE%B2%E8%80%95%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%B0%8F%E7%95%91-%E5%BC%98%E5%B7%B1/dp/4642058168


が選ばれた。


受賞作の内容は、これまで縄文人に対して抱いてきた「狩猟・採集民」のイメージに新風を吹かせるものだった。

小畑氏は、縄文土器に残る植物の種や昆虫の圧痕を調べることで、日本列島でいつ頃から農耕が始まったのか検証を試みた。これには土器が作られた際に粘土の中に紛れ込んだコクゾウムシや大豆(ダイズ)の痕跡が手がかりになった。

その結果、小畑氏は「縄文時代前期には小豆(アズキ)や大豆(ダイズ)の栽培が始まり、晩期には粟(アワ)・黍(キビ)・稲(イネ)がすでに伝来していた可能性が高い」と説明。

縄文人は「狩猟・採集民」ではなく、「狩猟・栽培民」だったという仮説を提唱し、縄文人を「豊かな狩猟・採集民」だとする日本の研究者の定説とは異なる説を唱えた。

審査委員長の金田章裕・京大名誉教授は「新しい視点や方法・技術に基づいて資料を観察することで、歴史研究に新地平が開かれる可能性を示した」と、選定理由を述べた。

小畑氏は受賞を受けて、「私が扱わせていただいている資料は、日々、暑い日も寒い日も遺跡を掘っている人たちの賜物。そういった中から新しい考古学の発見ができたことが嬉しい」「全国の博物館などには手付かずで眠る土器がある。『第二の発掘』として、こうした資料の研究が進めば...」と、喜びを語った。

________


カスタマーレビュー

読む価値がない。2017年11月11日

三角神獣鏡の成分分析をした東北大学金属材料研究所の鈴木謙爾氏は、考古学者や歴史学者について以下のように述べている。

「材料(物質)科学においては客観的データに基づいて考察や理論構築が進められるのですが、歴史学としての考古学では理論構築や主観的
考察が先行し、自説に好都合なデータのみを拾い上げるという指向が強いようです。」

さらに、農学者の佐藤洋一郎氏は「稲の日本史」22Pで、こう書いている。

「一般的に学問の世界はフェアの世界だと思われるが、嫉妬と猜疑心に満ち溢れた、わけのわからない議論が横行する奇妙な世界である。」

お二人とも、理系の人間であるが客観的なデータの積み重ねで実証する手法をとる科学者にとっては、考古学の世界は「嫉妬と猜疑心に満ち溢れた、わけのわからない議論が横行する奇妙な世界」なんでしょうね。

この本は、まさに奇妙な理屈が横行する本で全くもって噴飯モノである。

たとえば、稲についてはプラントオーパルについては無視して縄文時代の稲の炭化米は少数で新しい年代からの混入が考えられるとウソをついているが、プラントオーパルは形状でジャポニカ米であることがわかるが、このジャポニカ米のプラントオーパルが「彦崎遺跡」の6000年前の地層から大量に発見されているし、縄文時代中期から30地点以上の遺跡から土器内から「ジャポニカ米のプラントオーパル」が発見されており、中国の同時期に稲の栽培がされていることが実証されている。

また、この本では佐藤洋一郎氏がラオスの焼き畑農業を実地検分し、道具がなくとも農業はできると実証したところ、この著者は名前を出さずに「暴論」と決めつけ、現代の焼き畑農業では道具が使われているとわけのわからない論を展開している。

この著者の論でいけば、昔の農業はトラクターがないから農業はなかったというぐらいの暴論であるが「奇妙な世界」である考古学の世界では、この奇妙な屁理屈がまかり通るらしい。

この本は何やら立派な賞を受賞したそうで、わけのわからない話である。

佐藤洋一郎氏の「稲の日本史」を読んで、佐藤氏の論旨明快で客観的なデータを用いての「縄文農業論」に興味を覚えて、この本を手にとったのだが、失望した。

佐藤氏に対する猜疑心と嫉妬露わなトンデモ本であった。

この本を読む前に佐藤洋一郎氏の本を読んでから、この本を図書館で借りて(買うのはカネを捨てるようなものだ)読むといい。

幼稚な著者の理屈に唖然とするだろう。

考古学者というのは、このレベルなのか。

以前から考古学者の本を読んで根拠の薄いことを平気で強弁する傾向があると思っていたが、この本はひどすぎる。

追記

130P 「Va期 マメ類・ウルシの栽培開始=縄文時代前期(7300〜5500年前」と書かれているが、鳥浜貝塚からは12600年前の「ウルシの木」が発見され、9000年前には垣ノ島遺跡から「漆塗りの土器」が発見されている。

ウルシというのは人里植物なので人の管理が必要であるし、漆の採取には2〜3年かかるのでウルシの栽培の開始が7300年前からというのは明らかにデタラメで、考古学者なら知らないはずもなく意図的にウソをついてとしか思えない記述である。

131P「一定規模の集団の移住を伴う」日本人のDNA分析と土器の拡散状況から、この時期に外部から大規模な移住が行われていた形跡がなかったことが確認されており、何をもってこういう書き方をしているのかわからない。

この本を読むと、科学的と副題につけながら俯瞰的かつ客観的に論じておらず、偏狭的かつ独善的な記述が目立ち、間違った認識を与えるのではないかとおもう。

三内丸山遺跡の動植物遺体を分析した論文によると、植物の栽培に依存していたと報告されている。

「縄文集落の発達」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/36/5/36_5_350/_pdf

この本による農耕の定義からすると、6500年前から「農業」が行われていたことになる。

他の文献なり書籍を読んでいると、いかがわしさプンプンのトンデモ本である。

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蒼穹の歴女
ダイズとアズキの起源は日本2016年2月2日

本書は古民族植物学(Palaeoethnobotany)から「豊かな狩猟採集社会」といわれていた縄文文化の
「農耕」の証明を行ったものです。

≪実をいうと、筆者は縄文時代を専門に研究しているわけではない。(中略)
しかし、その程度のものが縄文時代について語れるのか、と不安になった読者の方もいらっしゃるであろうが、
研究の中心にあっては見えないもの、気づかないものが、周辺からみえることがある。
また、専門家ではないため、「当たり前」が当たり前に思えず、素朴な疑問を抱き、
それが結果的にいくつかの新しい発見につながった≫(3頁)

これが著者の強みであると同時に弱みであり、本書ではダイズとアズキの起源については強みとして、
イネの起源と伝播については弱みとして顕著に表れます。

≪本書に通底するもう一つの隠れたテーマは、狩猟採集社会や牧畜社会の「農耕」の証明である。
「農耕」の定義は非常に複雑であり、厳密に使用するとイメージを損ねるため、そのまま使用している。
教科書で習った、縄文時代は狩猟採集社会であり、弥生時代以降に農耕社会へと突入するという「常識」は、
本書では「非常識」と考えている≫(4〜5頁)

本書における表向きの主人公はコクゾウムシ(Sitophilus zeamais MOTSCHULSKY)です。
文字通り穀物を食べる害虫の一種です。

≪でも、米喰いムシなら、縄文時代じゃなく、弥生時代じゃないかという、賢明な読者の方もいらっしゃるであろう。
しかし、最近こいつが縄文時代の遺跡からたくさん見つかり始めたのである。
まさに米櫃に湧くように、たくさん……≫(2頁)

このコクゾウムシが縄文時代の「農耕」を証明してくれることになります。
但し、縄文時代のメジャーフードはイネではなくダイズでした。

≪我が国で最も古いダイズ属の資料は、
宮崎県王子山遺跡から発見された約一万三〇〇〇年前のツルマメの圧痕である≫(23頁)

このツルマメが後に見られる「栽培化徴候群」とコクゾウムシにより、
縄文時代のメジャーフードだったことが分かるのです。

≪縄文ダイズ「クマダイ」はこれまで遺伝子学で想定されていた日本起源のダイズの存在を
考古学的に証明したものと評価できる≫(22頁)

ダイズとアズキの起源は中部地方や西関東地方であることまで判明します。

縄文文化は「豊かな狩猟採集社会」という思い込みとは異なり、
一万六千年前頃からアサ、エゴマ、ヒエ、アブラナ科を栽培し、前期にはアズキ、ダイズ、ゴボウの栽培も開始され、
特にダイズをメジャーフード化した「農耕社会」だったことになります。

ここまでが最初の二つの章の内容で、
土器編年の科学的信頼性が低いことを除いては比較的に理路整然と書かれているのですが、

その後の章「イネはいつ日本にやってきたのか」は論理的整合性がとれておらず、
非科学的なバイアスのかかった思い込みによって語られています。

≪遺伝学の立場からは台湾経由で南西諸島を北上したという説もあるが、
考古学的にはその証拠はまったくつかまれておらず、
中国大陸の沿岸部を北上したイネが山東半島から遼東半島を経て、朝鮮半島を南下し、朝鮮・対馬海峡を越えて、
北部九州もしくは山陰地方に伝わったというルートがもっとも信頼できる伝播ルートである≫(118〜119頁)

全くもってデタラメです。


遺伝学で判明しているのは、伝播ルートが朝鮮半島経由ではないという事実です。
「台湾経由」と主張しているわけではなく、日本と台湾が相同だと指摘しているだけです。

逆に「もっとも信頼できる伝播ルート」と主張する朝鮮半島経由に考古学的証拠は一切ありません。

≪中国大陸側の第二起源地がいまだ不明である≫(57〜58頁)
≪大陸側の第二起源地は朝鮮半島南部(韓国)と考えられる≫(58頁)

「第二起源地」が必ず存在するという根拠があるわけでもないにもかかわらず、思い込みに囚われています。

≪今日では長江中下流域がイネ栽培開始の場所であることがわかってきている≫(118頁)

のであれば、大陸から海に出て海流にまかせるだけで九州に到達するともいえます。
(元寇[弘安の役]の際、本軍[江南軍]十万は大陸[現在の浙江省]から海路で直接九州に襲来しています。)

≪弥生時代の水稲耕作そのものは技術・人・思想がすべて輸入されたものであったという点である≫(61頁)

≪我が国や朝鮮半島でのイネの出現は、この竜山文化の農耕文化の影響下にある≫(121頁)

と主張したかと思えば、

≪朝鮮半島の最初の農耕化が寒冷化に起因する遼東・遼西からの人間集団の南下、
つまり農耕パッケージの移入によって形成されたものではないことは確かである≫(127頁)

≪人の移動をともなう農耕パッケージそのものの移入ではなく、起源地との文化的接触によって、
栽培穀物と道具(加工法)に関するわずかな情報が伝わっただけで、
それ以後地域ごとに発展してきたと考えざるを得ない≫(127頁)

と支離滅裂で混乱した記述になっています。

「残された問題」で著者自身が書いているように、

≪土器から出てくる圧痕穀物を土器型式ごとに並べても穀物の拡散状況は復元できない≫(148頁)

のであり、そもそも土器編年の科学的信頼性が乏しいことが問題です。

縄文文化は「豊かな狩猟採集社会」というのが日本の考古学者たちの伝統的かつ一般的な考えでしたが、

≪これに対し、クロフォード氏は、「農耕」の定義を狭くとらえていること、
多くの日本人考古学者にとっての農耕とは「水稲耕作」と同義であること、
それは、イネが多様な作物の単なる一つにすぎないということを無視した、還元学者の議論である≫(40頁)

ゲイリー・クロフォードさんによるこの指摘は、著者にも当てはまります。
本書における「イネはいつ日本にやってきたのか」は還元学者の議論に陥っており、蛇足です。

「見ようとしなければ何も見えない」と著者は本書で述べていますが、
逆に見ようとしたことから様々なバイアスが考察にコンタミネーションしています。

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ジャスミン
圧痕の解析については刮目の出来だが、水稲の伝来についての論はかなり粗い
2016年6月23日

 今まで重要視されていなかった土器に残るドングリや稲の害虫の圧痕などから、縄文時代の食生活を解明しようという著者の研究は、目を剥くような成果を納めたと言える。

 しかし,水稲の伝来について、一方的に朝鮮半島北部経由と断定していることについては、学者としての見識が疑われる。一つの根拠で歴史を断定することは、故江上波夫東大名誉教授の「騎馬民族征服王朝説」や故大野晋学習院大学名誉教授の「クレオールタミル語説」を始めとして、かなり危険なことであると思われる。

 水稲はそれ単体だけではなく、それに伴う栽培・保存技術を持つ人々がその民俗風習を伴って伝わってきている。もちろん朝鮮半島経由の水稲もあったと思われるが、古民俗学、古気象学、水稲自体と弥生人および現代人の遺伝子解析、日本語の構成など、現在判明している事実のすべての点からも、合理的な解釈ができるような論立てがなされていないと、将来消え行く仮説にしかならないと思われる。
 新進気鋭の学者であるが故に、水稲朝鮮半島北部経由伝来説も可能性があるという程度の仮説に止めておいて欲しかったと思う。

 古代史の研究では異説を積極的に取上げている異色の研究家である安本美典博士の、この本に対する評価を伺いたいものである。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%83%8D%E3%82%92%E3%81%BE%E3%81%8F%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E6%9C%80%E6%96%B0%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%8C%E8%A6%86%E3%81%99%E8%BE%B2%E8%80%95%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%B0%8F%E7%95%91-%E5%BC%98%E5%B7%B1/dp/4642058168

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c99

[政治・選挙・NHK237] ウソとデタラメで固めたネットのゴミを取り締まれ! 赤かぶ
3. 中川隆[-5731] koaQ7Jey 2017年12月23日 08:53:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html

真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


因みに、半歩前へ氏の投稿も殆どがデマだった
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/484.html#c3

[昼休み53] 日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは 中川隆
23. 中川隆[-5731] koaQ7Jey 2017年12月23日 09:45:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

記事 田原総一朗 2017年12月23日 相次ぐ米軍の落下物問題、その元凶は何か?

沖縄のアメリカ軍普天間基地は、住宅密集地に隣接している。「世界一危険」ともいわれている。そんな基地に隣接する小学校の校庭に、米軍のヘリコプターから窓のような部品が落下したのだ。沖縄の人たちからは、当然、不安と憤りの声があがり、大きな問題になっている。

なぜ、このような事故が起きたのか。最大の原因は「日米地位協定」にある、と僕は思っている。たとえば東京の上空を見てみよう。実は、首都圏の空のほとんどは米軍に占用されているのだ。

羽田空港に発着する民間の航空機は、米軍管理下の空域を避けて、大きく迂回しなければならない。だから、狭いルートに航空機が集中する。そのため航空機同士がニアミスを起こす危険な要因のひとつとなっている。日本の航空機は日本の空を自由に飛ぶことができないのだ。

だが、沖縄の空はさらにひどい。たとえば、羽田から那覇へ向かう場合だ。那覇空港の30キロほど前から、航空機は高度約300メートルまで下がる。乗客の実感としては海面スレスレだ。高度600メートル以上の空域は、米軍に占用されているからだ。

もっと納得いかないことがある。米国本土では、一般の民家の上を米軍機が低空飛行することが禁じられているのだ。それなのに、沖縄では米軍機が低空飛行をし続けている。罰せられることはない。

加えて、公務中の米軍兵士が犯罪を犯しても、日本に裁判権はない。治外法権だからだ。そのため、これまで米軍兵士が起こした、いくつもの悲惨な事件があった。

そのなかでも、1995年に起きた、少女暴行事件は記憶に新しい。米軍兵士3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団で強姦したのだ。強姦致傷および逮捕監禁事件である。ところが犯人である米軍兵士3名は、当初、日本側に引き渡されなかった。そのことが、沖縄県民の怒りに火をつけた。沖縄県民の間にくすぶっていた反基地感情や反米感情が一気に爆発、大問題になった。このような状況になった元凶が、「日米地位協定」なのだ。

この協定は、アメリカが日本を占領していた時代に作られたものだ。それが、そのまま、いまも続いている。ところが、歴代の日本の首相は、協定の改正をしようとしてこなかった。なぜか。

ひとつは、アメリカが断固として反対しているからだ。そして2つめは、この協定による被害が、ほとんど沖縄県内に限られているからだ。「本土には関係ない」ということだ。

沖縄の面積は、日本の国土の約6%だ。ところが、日本にある米軍基地の、実に約70%が、沖縄に集中している。太平洋戦争において、日本で唯一、地上戦があった場所が沖縄であり、多くの民間人の犠牲者を出したきた。その沖縄に、である。沖縄県民の怒りが収まらないのは、当然のことだろう。

2カ月ほど前の10月11日にも、沖縄本島北部にある東村高江に米軍の大型ヘリコプターが墜落している。現場は民間の空き地だが、幸いケガ人はいなかった。

この事故に対して日本政府は、原因究明を徹底的に行うことを米軍に求めた。解明されるまでは再飛行しない、という約束も取りつけた。ところが米軍は、その4日後、日本側に何の連絡もないまま、再びヘリ飛行を再開したのだ。

その際の、日本政府の対応も問題だった。日本の防衛大臣は、「遺憾に思う」と発言したきりだったのだ。具体的な抗議は何もしていない。

相次ぐ落下物問題では、住宅密集地にある普天間から、辺野古への基地移転問題が浮かび上がってくる。だが、たとえ辺野古へ移転したとしても、それは沖縄の負担を県内でたらい回しにしただけだ。県知事はじめ、県民の多くが大反対なのも当然だろう。

そのような状況のなかで、日本政府は基地移転の工事を続けている。まるで、沖縄という地方自治体を無視にしているかのようだ。これでは、沖縄県民にしてみれば、対米従属の典型にしか思えないだろう。

かつての自民党に野中広務さんという政治家がいた。彼は、沖縄に何度も足を運び、沖縄の問題に真剣に向き合った。そんな「真の政治家」がたくさんいたのだ。いま、自民党にそんな政治家はいるのか。日本政府と沖縄県が、これ以上、断絶した状況にならないためにも、真の政治家が必要とされている。
http://blogos.com/article/267083/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/532.html#c23

[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
35. 2017年12月23日 09:59:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

IT先進国・中国で進む恐怖の情報管理社会の近未来
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/902.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c35
[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
123. 中川隆[-5730] koaQ7Jey 2017年12月23日 10:10:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅掲示板は中国とCIAの工作員に24時間監視されているから発言には気を付けてね


IT先進国・中国で進む恐怖の情報管理社会の近未来 2017年12月21日
http://diamond.jp/articles/-/153312


テクノロジーの急速な進歩によって、私たちのプライバシーはどうなるのだろうか? そんな未来を占うのが「IT先進国」となった中国の現状だ。
「革命」の中心はアリババ(阿里巴巴)の「アリペイ(支付宝)」とテンセント(騰訊)の「ウィーチャットペイ(微信支付)」で、いずれもスマホを使った決済システムだ。中国経済では国家的企業による寡占化が進んでおり、決済市場もこの2社だけで90%以上のシェアを占めている。

中国ではスマホ決済が当たり前

 アリババの電子決済サービス「アリペイ」の利用者は5億人を超え、1日あたりの決済件数は2億件前後にのぼる。「5億人の決済牛耳る」(日経新聞12月5日朝刊)によれば、杭州の名刹では賽銭箱にQRコードが貼ってあり、スマホをそれにかざすだけで好きな額を収められるという。最近では60代、70代でもスマホで払うひとがかなりいるそうだ。

中国では賽銭もスマホで払える(南寧の観音禅寺) (Photo:cAlt Invest Com)

 新興国で無線LANネットワークが爆発的に広がったのは有線の通信ネットワークが貧弱だったからだ。先進国では有線ネットワークに巨額の投資を行なってきたため、通信大手はそれを無にしてしまう無線ネットワークの普及に及び腰だった。これと同じことが中国の金融インフラでも起きている。「電子決済社会化」が急速に進んだのは、中国の決済インフラが先進国に比べて大きく遅れていたからだ。

 日本でスマホ決済が普及しないのは、先進国のなかでは突出して現金取引が好まれているということもあるが、クレジットカードでポイントを貯めたほうがずっと得だからでもある。クレジットカードの普及していない中国では、スマホがたちまち決済手段の主流に躍り出た。

 さらに、100元札のニセ札が大量に出回っているという事情が後押しした。ニセ札をつかまされると丸損だが、スマホ決済なら自分の銀行口座から引き落とされるのでその心配がないのだ。

 もうひとつ見逃せないのが、利用手数料の安さだ。クレジットカードを導入する店は取引高の3〜5%の決済手数料をカード会社に支払わなければならないが、アリペイではわずか0.6%だ。そのうえ裏技があって、多くは個人商店のかたちをとり、「個人間の送金は無料」というサービスを利用して決済手数料をまったく払っていないのだという。

 その背景には、アリペイがテンセントのウィーチャットペイとの激しい競争にさらされているという事情がある。スマホをQRコードにかざす仕組みは同じなのだから、多少でも条件が悪ければ利用者はさっさと乗り換えてしまうだろう。

 そのためアリババは、アリペイでの利益を現時点では重視していないという。アリペイは生鮮食品宅配の「盒馬(フーマー)鮮生」、シェア自転車の「ofo」、出前アプリ「餓了麼(ウーラマ)/『おなか空いた?』の意味)」、配車アプリ「滴滴出行」などグループの事業の支払いに使えるようになっており、決済インフラを安価に提供することでグループ全体の収益を最大化しようとしているのだ。

レンタル自転車もスマホで借りる(南寧)    (Photo:cAlt Invest Com)

 アリペイの大きな特徴は、「芝麻信用」という信用情報管理システムを導入したことだ。「芝麻」は中国語で「ゴマ(胡麻)」のことで、「アリババと40人の盗賊」の「開けゴマ」の呪文にひっかけて、「ゴマで(将来の可能性が)開かれる」意味だという。

「芝麻信用」はアリペイの決済データとリンクし、月1回更新される。利用者の信用枠は950点満点で評価され、勤務先や学歴などの個人情報を追加入力するとスコアが増す。評価が高ければ融資金利や与信枠が優遇されるほか、ホテルやシェア自転車を利用する際のデポジット(保証金)が無料になることもある。上海の消費者金融会社は、「芝麻信用」のスコアだけで最大5000元(約8万5000円)を無担保で融資するサービスを始めた。

「芝麻信用」の仕組みは、クレジットカードの信用情報と同じで目新しいものではない。そのちがいは、欧米や日本など先進国では信用情報の利用に厳しい規制が課せられているが、中国では決済市場の寡占化で消費者の信用情報が2つの大手企業に集中し、アリババやテンセントはほとんど規制のない状態でそれを利用することができることにある。


国家が個人情報をすべて管理する国

 中国で起きているのは、民間企業への個人情報や信用情報の集積だけではない。そうした情報が国家(中国共産党)に流出する危険をはらんでいる。

 日経新聞11月28日朝刊では、「国民監視に懸念も」として、中央銀行である中国人民銀行が2018年中をめどに、すべての電子決済を人民銀系の決済システム経由で行なうよう通知したと報じている。アリペイだけでなくテンセントのウィーチャットペイも対象で、これによってスマホでの電子決済取引を国家が完全に把握することが可能になる。

 11月には、河南省の男性がアリペイの残高10万元(約17万円)を凍結された。男性が民事上の支払いを怠ったとして、地元の裁判所が資産凍結をアリペイ側に申請したのだという。同様の事例は今年後半に入って急増しており、アリペイの金融情報が当然にように国家に利用されている。

 中国のIT企業が利用者のプライバシー情報を公安当局などに提供するのは「共産党独裁」の下で事業を行なわなければならないからだが、それと同時に中国当局の規制が自らの事業利益の源泉だからだ。これは以前書いたが、アリババやテンセントが中国で爆発的に顧客を増やすことができたのは、AmazonやTwitter、LINEなど競合するグローバル企業の進出を「国策」として食い止めたからだ。中国の大手IT企業と中国共産党は「運命共同体」なのだ。

[参考記事]
●GoogleもTwitterも禁止。中国ネットサービスの「巨大なガラパゴス」化はさらに進む
http://diamond.jp/articles/-/72731


スマホとカメラで常に個人を特定できる中国という監視社会

 日経新聞はそれ以外でも、中国のプライバシー問題の記事を繰り返し報じている。12月1日朝刊の「映画館、客に身分証要求」によれば、河南省鄭州市では10月の中国共産党大会の治安維持強化の一環として、映画館の観客が入場時に身分証の提示を求められている。上海の弁護士は、これを全国に先駆けた試行措置ではないかと疑っているという。

南寧の映画館      (Photo:cAlt Invest Com)

 中国では「グレートファイアウォール(ネットの長城)」と呼ばれるネット監視システム「金盾工程」によってGoogle、Facebook、Twitterなどのサービスを使うことができない。そのため中国国民の大半は、中国版LINEである「微信(ウィーチャット)」などを利用しているが、そこでのやりとりは共産党の指示によって企業(テンセント)が自主検閲している。

 日経新聞12月12日朝刊「中国、強まるネット言論統制」によれば、当局が「敏感詞」と呼ぶ検閲対象語は2010年に約1000だったが、15年に5000を超え、最近では1万以上に増えた。AI(人工知能)を使って、「習近平」の「習」と「近平」の間にスペースを入れたり、発音が同じでちがう漢字を使っても削除されるし、敏感詞を紙に書いて撮影した写真をアップしても削除される。隠語も検閲対象で、習近平と容貌が似ている「くまのプーさん」が敏感詞になったため、政治とまったく関係のない話題まで発信できなくなったとして世界で話題になった。

 中国のネット企業は統制強化にともない、投稿された文章や写真をチェックする「審査員」を増やしており、その総数は500万人に達するともいわれる。月給は6000元(約10万円)で、1日12時間パソコン画面を凝視し、検閲漏れは処分される。審査員は大卒の20代が中心だが、1年を超えて勤務する割合は3割以下だという。

 日経新聞12月8日朝刊「中国ネット遮断 日本企業にも」では、中国国内から海外のサーバーにアクセスするVPN(仮想私設網)が頻繁に遮断され、日本企業の業務に支障がでていることが報じられている。

 VPNによって海外とのあいだに仮想の専用線を引けば、グレートファイアウォールを回避して日本の本社のイントラネットにアクセスすることができる。中国政府は今年1月にVPN規制を強化する方針を発表したが、外資系企業の活動に配慮して日常業務に使うVPNは取り締まり対象外とされるはずだった。ところが9月以降、中国当局がVPNを次々と使用不能にし、日系企業で頻発する通信トラブルの原因となっている。9月末には、Googleの検索につづき日本のYahoo!の検索も遮断されている。――ちなみに私は10月はじめに深センと広西チワン自治区の南寧を訪れたが、いずれもVPN経由で海外のサーバーに問題なく接続できた。

 中国電信(チャイナテレコム)などが提供する国際専用線を利用すればこうしたトラブルはなくなるが、問題はVPNとちがって、「その気になれば通信の傍受や抜き取りは可能」(日本の大手通信会社幹部)なことだ。「VPNの遮断は日本企業を専用線に誘導し、情報を盗み取るためではないか」との“陰謀論”が囁かれる所以だ。

 日経新聞12月13日朝刊「監視社会が生む調整」では、中国の監視カメラの現状を解説している。それによれば中国公安当局は顔写真と身分証、電話番号などをデータベース化した「天網工程」と呼ばれる監視システムを構築しており、中国で稼働する監視カメラ1億7600万台以上のうち少なくとも2000万台は天網とつながっている。広東省広州市のホテルでは、チェックインの際にパスポートの提示と同時に顔写真の撮影を求められるという。

 中国の監視カメラは2020年には6億2600万台まで増える見通しで、スマホの位置情報や決済情報とも連動して膨大な個人情報を収集する。

 日経新聞の記者は、広東省で通信機器の民間企業を経営する40代の中国人男性から、待ち合わせ前に3時間、スマートフォンの電源を切るよう指示される。GPSがオフでも電源が入っていれば、街中に張り巡らせたアンテナとカメラで個人を特定することができるかだという。

 この男性は記者に、こう助言した。「待ち合わせ場所で落ち合ったら1カ所にとどまらず、歩きながら会話する。今はこれが一番安全だ」

あらゆるところに監視カメラが…(南寧中山路小吃街)  (Photo:cAlt Invest Com)

現代的な監視社会の本質は情報処理にある

 日本もいまでは至る所に監視カメラが設置されている。テロ対策特別措置法や特定秘密保護法の議論では、国民のプライバシーが危険にさらされるとの批判の声があがった。

 こうしたときに必ず出てくるのが、「やましいことがなにもないなら、そんなことを気にする必要はない」との反論だ。監視カメラの映像は事件が起きたときにしか再生されないのだから、一般人の生活にはなんの影響もない。テロ対策特別措置法が取り締まるのはテロリストだし、特定秘密保護法は防衛・外交の機密漏洩を防ぐためのものだからほとんどの国民には無関係だ――。

 この論理はものすごく強力で、おまけにある程度まで正しい。監視カメラの映像が犯人逮捕に結びついた事例は実際にあるし、テロ対策や機密を保護する法律も必要にちがいない。しかし、それにともなうプライバシー侵害を無制限に認めてしまっていいのだろうか。

 じつはこの議論は、9.11同時多発テロ以降、アメリカではげしくたたかわされている。「やましいことは何もない」論とプライバシー擁護とが対立しているのだ。

 ジョージタウン大学法科大学院教授のダニエル・J・ソロブは『プライバシーなんていらない!?』で、「安全のためならプライバシーが犠牲になってもやむを得ない」という主張を批判的に検討している。この本の原題は、「Nothing to hide(やましいことは何もない)」だ。

 ソロブはこの本で、「やましいことは何もない論」に代表される保守派の議論を否定し、「プライバシーさえ守られれば安全などどうでもいい」と主張しているわけではない。

「安全」と「プライバシー」は、どちらかを取ればもう一方を失うようなトレード・オフの関係ではない。話をこじらせるのは、プライバシー擁護派の一部が極端な主張(監視カメラをすべて撤廃しろ)をし、保守派がそれを面白おかしく取り上げて「あんな奴らのいうとおりにしたら安全な暮らしが失われてしまう」と二者択一を迫ることだ。これではそもそも議論が成立しない。

 ソロブは、「プライバシーのない社会」というのは、ジョージ・オーウェルが『1984』で描いたようなビッグ・ブラザー(超越者)による徹底的な市民への監視・洗脳のことではないという。それは、フランツ・カフカが『審判』で描いた不可解で理不尽な迷宮世界に近い。

 銀行支配人ヨーゼフ・Kは、30歳の誕生日の朝に見知らぬ2人の男の訪問を受け、自分が逮捕されていることと監視下にあることを告げられるが、なぜ捕まったのかは教えてもらえない。Kは必死になって自分の罪がなにかを解明しようとするが、秘密裁判所が彼に関する事件記録を保有しており、それをもとに捜査が行なわれていることまでしか知ることができない。審判は進まず、弁護士は役に立たず、なにひとつわからないまま31歳の誕生日の前夜、2人の処刑人の訪問を受け、郊外の石切り場で心臓を一突きされて殺されてしまう……。

『審判』には、ビッグ・ブラザーのようなはっきりとした権力の主体は出てこない。官僚制(裁判所)はKに関する重大な判断を行なうために個人情報を用いるが、その情報がどのように用いられたかにKが関与することを拒絶する。

 ここからソロブは、現代的な監視社会の本質は、監視や情報収集というよりも「データの貯蔵・使用・分析」といった情報処理にあると指摘する。「やましいことは何もない論」は、「データベースによって引き起こされる問題を監視の問題として把握しようとすることに難点がある」のだ。

小説『審判』の恐怖の監視社会が目の前に

「やましいことは何もない論」は、プライバシーが悪いことを隠すものだという潜在的な前提で成り立っている。テロリストや犯罪者は自分の正体を隠すためにプライバシーを隠れ蓑にしようとする、というわけだ。

 ところで『審判』において、Kはなにかの「行動」をしようとしてそれを禁止されたのではなく、彼に「やましいことは何もない」。問題はプライバシーが侵害されたことではなく、権力(官僚組織)が彼のプライバシーをどのように扱っているかわからないことであり、それ以前にどのような個人情報を保有しているのか不明なことだ。そしてソロブは、アメリカをテロリストの魔手から守るために活動しているNSA(アメリカ国家安全保障局)のような諜報機関がまさにそのような存在で、その活動が聖域化されていることによって、市民はNSAがどのような個人情報を保有し、そこからどうやってテロリストを摘発しようとしているかを知ることができないと述べる。これは日本でも同じで、わたしたちはカフカの『審判』的状況を生きているのだ。

 ソロブは現代的な監視機関の官僚主義の害悪を「無頓着、誤謬、濫用、失望、透明性及び説明責任の欠如」だとして、次の4つにまとめている。

(1) 集約 
一見して差し障りのないデータの小さな断片を組み合わせ、ひとびとが隠したいと願う情報を収集する。

(2) 排除 
政府による国家の安全保障上の措置は個人がアクセスできない巨大なデータベースで行なわれ、市民は自分の情報を知ることができない。

(3) 二次的利用 
特定の目的のために得られたデータを、本人の同意なくして無関係な目的のために活用する。

(4) 歪曲 
収集された個人情報がその人物の真の姿を映しだすとは限らない。人間像はしばしば歪曲され、無実のひとに「危険人物」のフラグが立てられる。

 歪曲について、ソロブは次のような例をあげている。

 あるひとがメタンフェタミンの製造方法に関する数冊の本を購入したことを当局が知ったとする。その情報により、当局は彼がメタンフェタミン製造所をつくっているのではないかと疑うことになる。だが彼は小説家で、メタンフェタミンをつくる人物を登場させようと考えただけかもしれない。

 当局に欠けているのはプライバシーの「完全なストーリー」なのだが、小説家は自分がなぜ嫌疑を受けたのかを知ることができない。

 現代においてこうした『審判』的状況にもっとも近いのが中国だろう。「くまのプーさん」についてSNSで話題にしただけで削除され、その記録はずっと当局のデータベースに残って、いつどのようなかたちで使われるかわからないのだから。 

 もちろん「やましいことは何もない論」のひとたちは、「中国と先進国はちがう」と主張するだろう。日本には個人情報を守るための法律や、人権の尊重をうたった憲法がある。

 しかしほんとうに、そこまで無邪気に国家権力を信じることができるのか。中国当局が利用している監視テクノロジーは技術的にはなんら目新しいものではなく、先進諸国でもかんたんに利用できる(あるいはすでに利用している)ものばかりだ。

 日本人はずっと、中国を「1周遅れ」だと見なしてきた。だがいつのまにか、巨大な隣国のひとびとは「未来世界」を生きているのかもしれない。
http://diamond.jp/articles/-/153312


共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c123

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
139. 中川隆[-5729] koaQ7Jey 2017年12月23日 10:17:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html

詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。

アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

Ewan McGregor 8Cameron Diaz 2Will Smith 4Murray Abraham 1
(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

kids in thai 2Filipino girls 6chinese girl 2
(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

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(写真 / フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )

  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c139

[近代史02] 中国人のこういう所が大好き 中川隆
100. 中川隆[-5728] koaQ7Jey 2017年12月23日 10:25:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国の「世界一悲しいホッキョクグマ」 各国で怒りの声続く
2016年10月29日 7:33 発信地:香港/中国
http://www.afpbb.com/articles/-/3106108?cx_part=ycd

中国・広州の動物園「正佳極地海洋世界」で飼育されるホッキョクグマのピザ(2016年10月28日提供)。(c)AFP/Humane Society International/Maizi/Vshine

【10月29日 AFP】中国・広東(Guangdong)省広州(Guangzhou)市のショッピングセンターで飼育・展示されている「世界一悲しいホッキョクグマ」とされる雄の「ピザ(Pizza)」を救出する国際的キャンペーンに、100万人以上の署名が集まったことが、動物愛護団体の発表により明らかになった。今週には、ピザの哀れな姿を映した新たな動画が公開され、怒りの声を改めて呼び起こしている。

 広州市のショッピングセンター内にある動物園「正佳極地海洋世界(Grandview Aquarium)」では、ピザに加え約500種の動物が飼育されており、動物愛護団体が施設の閉鎖と飼育動物たちの移送を求めている。

 今週には、同国の50に及ぶ動物愛護団体が連名で、この動物園が違法に運営されているとの理由で閉鎖を求める書簡を、広東省の朱小丹(Zhu Xiaodan)知事とショッピングセンター宛に送付した。

 AFPが確認した朱知事宛の書簡のコピーによると、この動物園にはホッキョクギツネやオオカミ、セイウチなどの動物たちが「窓もなく、環境エンリッチメント(動物の健康な飼育のための環境上の工夫)も施されていない小さな空間」で飼育されているという。

 書簡に加え、世界中から計100万人分の署名を集めた請願書2件も朱知事に送られた。

 動物園側は、同施設が「法律を遵守している」と説明した上で、今後は「動物の権利と福祉の保護を強化する」とも約束していた。

 しかし動物愛護団体「国際人道協会(HSI)」が今週公開した動画では、観覧客が携帯電話で写真を撮る中、ピザが40平方メートルのガラス張りの部屋の中を、頭を振りながら歩き回る姿が映し出されていた。

 動画の中では、ピザが寂しげな様子で空気口の前に横たわる場面もあった。HSIの国際メディアディレクター、ウェンディー・ヒギンズ(Wendy Higgins)氏はAFPに対し、これはピザが「新鮮な空気を吸おうとしている」姿だと説明している。

 また、HSIの獣医学顧問を務めるアラステア・マクミラン(Alastair Macmillan)教授は、動画の中で頭を振りながら歩き回るピザの行動は「欲求不満と劣悪な生活」により引き起こされていると指摘している。

 ピザについては、英イングランド(England)のヨークシャー野生動物公園(Yorkshire Wildlife Park)が、代わりとなるホッキョクグマを飼育しないことを条件に引き取りの申し出をしたが、動物園側は国外組織の介入は不要として、これを拒否している。(c)AFP

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/289.html#c100

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
70. 中川隆[-5727] koaQ7Jey 2017年12月23日 10:27:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html


詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。


アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

Ewan McGregor 8Cameron Diaz 2Will Smith 4Murray Abraham 1
(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

kids in thai 2Filipino girls 6chinese girl 2
(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

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(写真 / フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )

  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c70

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
88. 中川隆[-5726] koaQ7Jey 2017年12月23日 10:47:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

1666 O.M.さん(アマチュアコントラバス奏者) Thu Apr 7 04:07:48 JST 2016

▪ 古典的なユニットは、WRアンプとは合わない

WRアンプと組み合わせるスピーカーについて当方が経験したことを投稿いたします。

当方は後述のように川西先生がリファレンスにしておられる B&W 805 MATRIX を導入し、JBL D130、LE175を処分することを決断しました。

当方はオーケストラ等でコントラバスを弾いいておりまして、JBL D130、LE175は「コントラバスの音を再現するのに此れに勝るユニットはない」というオーディオとコントラバスの大先輩の主張を受け入れて揃えたものでありました。

導入直後は確かに、分厚い中低音に、ホーンの厚い中高音にしびれました。

しかしすぐにどうしても「耳につく不快な音」に気がつき悩むことになります。

またヴィオラやピアノの左手がどうも落ち込んでいます。

サイン波を入れても音圧がガタガタで特に 1,000Hz〜2,000Hzに凹みがあります。

結果的にこれは過制動による歪んだ音だとわかりましたが、それがわかるまでに数カ月かかりました。

過制動だと判明するまでの道のりが本当に長く苦しかったです。

ネットワークが悪いかと思って高価な素子を買い求めたり、ホーンドライバを買い換えようか、高域用のツイータを導入しようかと悩んだりと落ち着かない日々でした。

川西先生に相談しようにも何が不満なのかうまく表現できません。

とうとう当方のイライラが爆発してWRアンプが悪い!と川西先生に怒りをぶち撒けました。

しかし、このことで結果的に正しい解決の道が開けました。


川西先生より3台のアンプを送って頂きまして解決策を探っていきました。

比較試聴していきますと、JBL は高出力になるにつれて解像度が上がるのですが歪みは決して消えません。

その後一般的な管球アンプを入手してみると、あんなに悩んでいた歪みはすっと消え去り素直な鳴り方です。

しかし音の粒が大雑把です。

なんというか「古い音」とでもいうのでしょうか、
これがスタンダードなJBLの音なんだと納得いたしました。

これらのいわゆる古典的なユニットは管球アンプの特性に合わせた設計である、
という結論に達しました。

録音されたものを適切に再生させようと思うならば現代的な設計のスピーカーを用いて WRアンプで鳴らすのが最善であると分かりました。


▪805matrixと WRアンプはやはり最高であった!

そうなるとしても、当方はしっかりした低音が欲しい。
大型のスピーカーが必要ではないかと考えました。

川西先生がリファレンスとされているスピーカーはブックシェルフ型です。

いくらこのスピーカーで低音も十分出ていると言われてもにわかには信じられません。

しかし B&W の MATRIX で 805 より大型の 802、801 という選択肢も難しい。

802 は川西先生もおっしゃるように中途半端な感がします。

801 は巨大過ぎて躊躇します。
丁度良品が市場に出ていたので思い切って 805 MATRIX を導入することといたしました。

80 5MATRIX 導入当初はウーハーが熟れていないのか低音がすかすかでこれは大失敗だったかと思ったものの、急速に音が変わっていきました。

数日鳴らし込んだ 805MATRIX の音は、当方が今まで聴いてきたブックシェルフ型スピーカーのイメージを覆します。

和音の響きという縦のラインと、音と音の繋がり、進行感という横のラインがこれまで聞いたことがないくらいに自然です。

フルオーケストラの5弦コントラバスの響きさえも十分再現されています。
この低音の再現性の高さは正に川西先生が掲示板で何度も書いておられることです、やはり川西先生は正しかったのです!

クラシック、ジャズ、タンゴ、ロック、ポップス等々全てにおいてコントラバス、
エレキベースの音がくっきり聞こえ全く問題を感じません。

ピアノの低い音の金属巻きの弦を叩いたズンとした響きもあります。
グランドハープも所有しておりますが、その生音と比べても遜色ありません。
目の前で吉野直子さんが演奏している感じです。

ホーンじゃないと分厚い中高音は得られないと思っていましたが全くホーン以上です。
歪みなく繊細でしっかりとした音圧です。
バイアンプで駆動しツイータの音量を相対的に大きくするとJBL のホーンで頑張って出そうともがいていた音が出てきました。奏者の息遣い、細やかな指の動きがはっきり見えます。

定位感もびっくりします。スピーカーがすっかり消えています。

実際のところ JBL も B&W も音の方向性は違いがありません。

世の中では前者は音が前に出る、ジャズ向きだ、後者は音が後ろに広がる、クラシック向きだなどと言われたりしており当方もそう思い込んでいました。

実際に使ってみると当方が JBL のユニットを使って鳴らした音の延長上に B&W の音がありました。JBL も B&W も当時の技術の制約の中で生の音を再現するために
ユニットを開発していたわけで、JBL も真空管アンプを使えば B&W と音のベクトルは全く同一です。


またタンノイのスターリング(TW)も試しましたが、スピーカーの癖のようなものは感じますが、特にクラシック向きという印象はありませんでした。

ただ WR アンプでは 805 程には上手く鳴っている感じは致しません。

JBL のように何か鳴らしにくい要素があるのかもしれません。


805 MATRIX ですと、出力の違う WRアンプで聞いても音は全く同じです(もちろん個体差による極僅かな音の違いはあるような気がしますが誤差の範囲内でしょう)。

5W でも 100W でも再生された音のクオリティは同じく高いです。

JBL の古典ユニットのように W数で解像度が変化するということはありません。

最も安価な E-5H でも何ら問題ないわけです。

どんなジャンルの音楽を聴こうとも、アンプもスピーカーも正しい方向に向かって適切に作られたものを選べば良いだけであって、その一つの方向が WRアンプであり、B&W MATRIX シリーズであるということでしょう。

ジャズ向きだとか、オーケストラ向き、室内楽向きなどというスピーカーはなく、またスピーカーのグレードアップなどというのもなく、WR アンプを基軸におけば、あとはつないだスピーカーの音が生と比べて適切かどうかを基準にすれば良いのではないでしょうか。

川西先生は出力の違うアンプを貸し出してくださいます。

もし比較試聴して音が違った場合はスピーカーに問題があるのかもしれません。

805MATRIX にサイン波を入れてみて驚きました。なんと50Hzまでも音圧が落ちずに
出ているではないですか! サイン波で性能が図れる訳ではありませんがこの数値だけでも805MATRIX は少なくともコントラバスの再生には問題がないように思われます。

そもそもコントラバスは低音楽器というよりは倍音楽器と認識したほうが
しっくりくるかもしれません。弦の振動で震えた駒が表板を叩くことで発生する
豊かな倍音が重要です。基音の周波数を基準に考える必要はないかもしれません。

この小さな805MATRIX でここまで再現されるのであれば、ウーハーの追加された801、802 もどれだけの再現性があるのか興味があるところです。

しかし、これらはユニット数が増えるのでどうしてもチェロが下に、ヴァイオリンが上にくるような定位における違和感が生じるだろうと想像出来てしまいます。

店頭で聞いた最新の B&W の大型スピーカーをそこにあるメーカーのアンプで鳴らしたのを聞いた時にはそういう違和感が大きかったのです。

805 は 805 なりに大変バランスのよい完成されたスピーカーだと思います。

805 MATRIX と WRアンプを組み合わせて音楽を楽しんでいると、スピーカーの B&W の開発者とアンプの川西先生の、生の音を再現したいという熱い思い、熱い執念が出会って見事に実を結んでいるのだと深く実感いたします。

オーディオで求めるものは人それぞれですが、もし生を基準にした再生音を求めるならば、第一候補は川西先生がリファレンスに用いている 805 MATRIX が最良の選択であり、さもなくば現代において素直に設計されたスピーカーを使用するのが良いだろうと思われます。

オーディオ装置などは単なる道具ですので、当方の経験したように懐古的なものや
根拠がはっきりしないのに高額なものなどに惑わされないようにして正しい方向のものを選べば良いでしょう。WRアンプは間違いなくそういうものです。


____


1669川西 哲夫さん(WRアンプ開発・設計者) Thu Apr 14 2016

O.M.さん、詳細で単刀直入なご投稿ありがとうございます。

 O.M.さんが使用されていたスピーカーは、ずっと B&W の CDM1 だとばかり思っていました。そして暫く音信が途絶えておりました。

 去年の文化の日の頃でしたか、久し振りにお便りがありました。それは、お持ちの ΕC-1 と Ε-10 のアップグレードのお話でした。2年ほど前にΕ-10 のプロトタイプをお貸し出しし、WR アンプを気に入って頂きご購入頂いたのを思い出しました。

 しかしよくお話を伺うとどうもチャンデバを使ってマルチ駆動をされているようで、ローチャンに Ε-10、ハイチャンにはもっと以前にご購入頂いた WRP-α9/A をお使いになっている事が分かり、結局、WRP-α9/A の安定化電源化も含めてアップグレードをして頂く事になったのでした。

 ところが「どうせアップグレードするならΕC-1 に EQ 基板を載せて LP も聴けるようにしたい」とご希望が脹らみ、結果的に大手術となりました。そのご報告はWR掲示板の 163 6と 1642 に詳述されていますので、改めてお読み頂ければ幸いです。

この時に「WRアンプの音は革命的だ!」と言う名誉あるご感想を頂いたのです。


 実はこの頃に既にヘッドアンプのご注文も賜っており、それは年末ギリギリに納入させて頂いたのでした。この絡みで純粋MCカートリッジが見直されています。また、MMの再生音にも劣るCDの音を改善すべく、プレーヤーも32bitDACを積んだものに買い換えられています。

 このように短期間で O.M.さんは急速な坂道を登られたのです。それが何処かに歪となって皺寄せが来るとは夢にも思っていませんでした。詰まり音が良くなったら、又それだけ粗が目立って来る事になり易いのだと思います。今まで隠れていた欠点が表に出てくる可能性があるのです。

 11月の末頃には、ローチャンとハイチャンの繋がりが悪い、と言うようなお話をチラホラされています。この時に初めて私は O.M.さんが D130+LE175+D91 をお使いになっていると認識したのです。

12月に入ってからこの問題が大きくクローズアップされて来ています。

既に、チャンデバは止めて LE175 の方をコンデンサーでカットする方法に変わっていましたが、そのコンデンサーの質で音がコロコロ変ると仰っています。そこで、私が ASC を推奨して


> ツイータのハイパスのコンデンサーですが、川西先生ご推奨の ASC がやっと届きまして、
> この違和感がすっきりと解決できました!

と一度は満足されています。

 この後、ヘッドアンプ導入によるMCカートリッジの音について色々感想を寄せて頂いたのですが鉄心入り MCカートリッジの音が

> ジャズベースが鉄芯だと一旦PAを通した音に聞こえてきました。

と仰っていたので、最初は誇張かと思っていたのですが、今思えばスピーカーの問題が顔を出していたのかも知れません。

確かに、鉄心入りMCは純粋 MC に比べてそう言う傾向が多少はあるのですが、その時「PAを通した音」と言う表現に多少違和感はありました。

 2月に入ってハイパスのコンデンサーで随分悩まれたようです。エージングの問題、耐圧の問題等で音がかなり変ると言うのがご不満のようでした。今思えばそう言う事で音に大きな変化がある場合は、別に本質的な問題が隠されている事が多いのです。

 中高域に違和感があるとカットオフ周波数を下げたくなるものです。その為にはコンデンサーの容量を増やさなくてなりませんが、そうそう思い通りの容量のコンデンサーが手に入る訳ではありません。勢い、コンデンサーの並列接続になります。

 コンデンサーはそれぞれ直列にインダクタンス分を持っていますので、不用意に並列接続すると高周波領域に共振峰ができ、システムに何らかの問題があると、それが音質に微妙に影響してくるのです。WR アンプのパスコンにも昔から1Ωの抵抗を直列に入れています。

 O.M.さんもこれで暫く悩まれたようですが、並列にされた2つのコンデンサーそれぞれに直列に0.5Ωから2Ω位を入れるようにアドバイスさせて頂いたのです。その結果、

> この音を聞けば、昨日までの音は奇妙奇天烈であったのは一目瞭然です。
> バイオリンのパワーに負けず、ビオラやチェロの粘っこい音が難なく聞き取れます。
> 当然ピアノの左手もしっかりしており、低音の太い金属弦の粘っこい感じ、
> 高音はキンキンせずにカンカンなる感じが出ています!
> これはすごい。正にこの方向の音が欲しくて右往左往しておったのです。

と言うレポートを頂き私は一安心したのです。それから3月の半ば頃までは便りがなく満足されているのかなと思っていたのですが、また問題が発覚したようでした。

それはウーハーとツイターを別々のアンプで鳴らすと、本来はもっと良くなるはずなのに耳に着く違和感があって改悪になると言う問題でした。

音楽がちぐはぐに聴こえると言う事でした。

 ウーハーを鳴らしている Ε-10H の音と、ツイターを鳴らしている WRP-α9/A (Ε-5H 相当)の音がかなり違うと言うご不満でした。

WRP-α9/A の方が膜が掛かったようになると言う事でした。

私は5W以下で鳴らすなら、Ε-5H とΕ-50H の音はそんなに変わらないと常々申し上げていますし、今回のアップグレードの時もそれを確認して発送していますから、これは何かあるなと薄々思い始めていました。しかし、未だスピーカーのダンピングの問題だとは気付いていませんでした。


 それ以降、こちらのΕ-10Hプロト、WRP-ΔZERO(Ε-50H相当)、100W機(Ε-100H相当)を次から次とお貸し出しし様子を見させて頂きました。

それに依ると、Ε-10HよりΔZERO、ΔZEROより 100機とドンドン分解能が上がると言う事でした。

この時に、音の表現を形容詞などで表現すると誤解の元になると痛感し、なるべく具体的に表現するように努めるべきであると悟ったのです。こちらで鳴っている音と余りに違うレポートを頂くと、何を頼りにそれを判断すれば良いか分からなくなるのです。

 この頃に頂いたご感想の一片を記しますと


> 届いたアンプでは、音の次元が違います。これはすごい。
> 当方のアンプもつなぐスピーカーが805matrix だとこのような素晴らしい音で鳴るのでしょうか。
> まったく信じられません!


と言うように、ハイパワーアンプなら結構良く鳴るものの、ご所有の α9/A やΕ-10H では、とても上手く鳴らせないと言う内容です。

この頃は他に何かあると思いつつも、まだネットワークの問題も気になっていて、スピーカーのインピーダンス上昇の問題も考慮し、打ち消しの為の直列素子を入れるように進言したりしましたが、少し効果はあったものの本質的な解決には至りませんでした。

 この頃になると O.M.さんもアンプの問題もさる事ながら、真空管時代に開発された JBL の問題点に気付き始めて居られたのでしょう。

真空管アンプと高帰還アンプ、又大きな箱に入れないと低音が出ない昔のスピーカーと小型エンクロージャーに入れてハイパワーで鳴らす現代のスピーカーの違い等々について、色々調査されたようです。

 D130+LE175 を聴いて衝撃を受けた時、鳴らしていたのは真空管アンプだった事も思い出されたのでしょう。

一度は真空管アンプで鳴らす必要性と、既に JBL を諦めて 805 MATRIX を探す気にもなられていたのだと思います。それから5日程音信が途絶えていました。

 真空管アンプを入手し、805 MATRIX も注文したと言うメールが突然ありました。

真空管アンプは3結シングルのミニパワーアンプでしたが、次のようなレポートが添えられていました。


> JBL とWRアンプでは高出力に比例して解像度は上がります。100Wの解像度はαZEROをはるかに
> 凌ぎます。しかし、しぶとく残り続ける「うまく鳴っていない感じ」があります。

 しかし、3結で鳴らすと

> これが管球アンプだとこの鳴らない感じがすっと消えているのです。
> 解像度は一気に落ちているのに、耳触りはとても自然です。

と言う風に仰っています。

真空管アンプだとずっと付き纏っていた違和感がスッと消えるようです。

どうも、WRアンプだと無理に JBL の穴を叩いているようです。しかし、次のようにも仰っています。

> 管球アンプの解像度はMMとMCのような違いがあります。いや、もっとあるかもしれません。
> WRアンプの解像度を聞いてしまうと全く笑ってしまう大雑把さなんです。
> しかし管球アンプですとユニットの発音の様子が全く異なり、総体的にこれが
> 当時のスタンダードな再生音であると納得できるような質感です。

 生の音を求めて近代的なスピーカーを高帰還アンプで鳴らすのと、昔ながらのゆったりした音を楽しむのと両極端を経験された事になります。

この音の違いの要因はアンプの出力インピーダンスの違いだと思います。

昔ながらのスピーカーはやはり当時想定された目的で使うべきなのでしょう。

無理に定電圧駆動するとコーン紙の振動が制動され過ぎてしまう為に、一部に耳障りな音が残ると考えられます。

D130 がアルニコを使っているのも裏目に出た感じです。

察するに昔の真空管アンプでも、それなりにダンピングが効いた音が出るように図られていたのだと思います。

 振動学的には、臨界粘性減衰係数に、系の粘性減衰係数が近付くと減衰振動は振動的でなくなり、単調減衰になってしまいますが、このような系は反応が鈍くなりますので、切れのある軽い音にはならないのです。

電気振動でも言えて、方形波特性を余り鈍らせるとアンプの音は硬直して来ます。
制動不足でリンキング状態になると音は荒れますが、少しアンダー気味で低い山が1つ見える程度が良いとされています。

 しかし、805 MATRIX が到着すると、

> 805MATRIX 届きまして、衝撃です!
> JBL と合わせて、もう必要のないものとなりました。

O.M.さんは生楽器の音を再現する為のオーディオを目指して居られますので、当然の結果となったのです。どのように衝撃だったかは次に示す文章から見て取れます。

> E-10H で駆動していますが、805 を慣らしきってやろうという先生の熱い思いがビシビシと
> 伝わってきます!第一印象だと低音が薄いかな?と思いやはり失敗だったかなあと思ったものの、
> しばらく聞いていると音がこなれてきたのか、バランスがよく感じてきました。

 ハイパワーアンプに比べてご自分のものは大きく見劣りがするとお感じになっていたはずですが、805 MATRIX ならものの見事に鳴ったようです。

音のバランスが聴くうちに良くなったのは、やはり長い間眠っていたスピーカーのエージングが進んだ為ですが、耳が小型スピーカーに慣れたこともあると思います。さらに、

> この小さな筐体SPでピアノがこんなに満遍なく聞こえるのは奇跡ですね!
> 掲示板や先生のメールに書いてある左手の最低音が聞こえるという記述はさすがに
> 言い過ぎだろう、聞こえていても蚊の泣くような微かな響きでしょうと思っていたのですが、
> まさかまさかこんなに聞こえるとは!


と仰っていて、私が Feastrex で体感した時と似たような衝撃を受けられたようです。この音が認識できると本当に幸せな気分になるから不思議です。

そして、やっとO.M.さんは納得の行く音を手に入れられたのです。

> 全体の音楽性は明らかに805 です。時間軸に沿って響きが繋がっていく感じに破綻がありません。
> 定位感もすごいです。よそ様のところでのJBL で相当大音量で試聴距離も離れて聞いた時にSPが
> 消えている感覚がありましたが、自宅では近接で歪みが多く耳につくのかいまいちです。
> それに比べればこの805はとても素晴らしい!スピーカーを意識することが全くない!
> やっと色々な呪縛から解放されました。

 この成功は B&W805 MATRIX でなければ得られないのではありません。

又 B&W805 MATRIX に WR アンプを無理に合わせている訳でもありません。

その証拠にサトウさんの追試でもっと小型で安価な DENON の USC-M3E を繋いでも「これだけでも十分立派な鳴りです。」と仰っています。

D130では過制動になり違和感が残りましたがその理由ははっきりしています。

現代のスピーカー、特にヨーロッパ系のものなら全く問題はないと思います。
どうぞ安心して、WRアンプをお求めになって下さい。
http://west.wramp.jp/datawr35.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c88

[リバイバル3] スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ 中川隆
59. 中川隆[-5726] koaQ7Jey 2017年12月23日 15:51:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

スキー用語24「前傾」「後傾」
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12123210098.html?frm=theme

これはスキーヤーを真横から見た時の
ポジションの話になります


※ポジションとは位置、姿勢を意味する英語


スキーを履いて 斜面に立つと

板が滑り始める訳ですが

この時きょうつけして直立不動でいると

板が先に滑って行ってしまい

いわゆる 体が遅れる の状態になります

※直立は 棒立ち とも呼ばれます


そうならない為には直立よりも

やや前屈みの姿勢を作れば

幾らかは板に追いつける様になるのです


この時の姿勢が「前傾」です


コツは

足裏をベタ踏みし、

スネをブーツのベロに当て、

両コブシを前に出し

腰は中腰

肩は前の金具の真上

目線は遠くを見る


と言う風にすると出来上がる形が

ほどよい前傾

また ナチュラルポジション 基本ポジション

と言うものです


ジャンプやスクワットに例える先生もいます


イメージ的には柔道家やサッカーの

ゴールキーパーのような構えに近くなります


また、前傾をやり過ぎると 前傾過多 とか

かぶりすぎ と呼ばれ

テールが軽くなり やはりスキーを

操作し辛くなるので

外傾と同じで ほどよい位置をいろいろと

探ってみてください


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12123210098-13554008589.html


対して

足首が起きてふくらはぎがブーツの背に

当たっていたり

上半身が起き過ぎている

手が後ろに下がっている


などの姿勢になるとそれは「後傾」

と呼ばれます


腿がとても疲れ、スキーの操作性も悪いので

余り推奨されていません

ブーツに関しては89にて後述します

http://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12237673382.html?frm=theme


ブーツが大きすぎたり

リアエントリーであったり

体重や技量よりも固いブーツを履いていると

足首の前傾が取りづらいので

どうしても後傾が治らないと言う方は

ブーツを見直してみるのも一つかも知れません


「足首の前傾」については50にて後述します

http://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12147352885.html?frm=theme


整地では悪玉の後傾も

パウダーでは役に立つ存在です

詳しくは116「ウィリー」にて後述します

http://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12246851843.html


滑っている最中 常にほどよい前傾角が

保たれていることを

いい位置に乗る とか ポジションが良い

と言いますので

確認にはビデオが一番ですょ(^O^)


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12123210098.html?frm=theme
↑前傾過多〜前傾〜直立〜後傾〜後傾過多

https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12123210098.html?frm=theme


スキー用語50「足首の前傾」「足首の後傾」
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12147352885.html?frm=theme


24で前傾、後傾

http://s.ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12123210098.html?frm=theme


39で腰が引ける、腰が入る

http://s.ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12138259865.html?frm=theme


と述べましたが もっと厳密に言うと

これらのポジションになる原因は

足首の前傾角にあります


前傾角とは

斜度に応じた垂線に対し

どの位 前方に傾いているか

を測る尺度の事です

https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12147352885-13613004056.html

ここから

「足首の前傾角」とは

ブーツを履いた時

ブーツのベロにスネが当たっているか、

それとも背にフクラハギが当たっているか、

を表す尺度と言えます

ブーツについては89にて後述します

http://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12237673382.html?frm=theme


24で述べたものと同様に

@前傾過多 A適度な前傾 B直立 C後傾

とあります


パウダーやザラメの時、足首が前傾過多だと

トップが潜って失速または

つんのめってしまいます

整地を滑る時、足首が後傾だと

カカトが浮き、テールが制御できず

スピードが出過ぎてしまいます

結果、適度な前傾角を保つ事が

良い滑りになるのです

「足首の前傾」とは この事を言います

別名 足首のロック 足首の緊張感 前傾維持

ポイントは

スネもフクラハギもどちらも

ブーツに軽く触れている程度 に

足首周辺に力を入れて

適度な前傾角を保つようにする事です

「足首の後傾」とは

この前傾角が保てず、

ブーツの背に寄っかかってしまう状態です

別名 足首が起きる


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12147352885-13613004061.html

現代のブーツのようにカフと言う

背もたれのパーツがあると

寄っかかってしまいがちですが、

最終的には カフの無い短靴であっても

前傾角が取れていた様に

ブーツに頼らないで前傾角を

作れるようになると良いでしょう


ただ、これらはブーツの構造並びに

フィットと密接な関係があります

レンタル用のリアエントリーなどでは

そもそもブーツが前に倒れない構造をしていて、

前傾角が取れないで後傾になってしまいます

レンタル用のリアエントリーブーツ(中川隆 註)
Amazon HE-11 ブーツ 価格: ¥ 4,122 - ¥ 7,442
https://www.amazon.co.jp/HE-11/dp/B01N47NH03/ref=pd_sbs_200_1?_encoding=UTF8&refRID=8GXWJYTR3SCWFF0BBR6V


また、フロントバックルであっても

足のサイズより大きなブーツを履いていたり、

体重よりも硬いブーツを履いていると

同様に前傾角が取れません


本当の前傾・後傾は
実は足首の角度にあったのです


足首の前傾角が保たれていれば

お尻が出てもお尻が下がっても

後傾にはなりません

逆に言えば 上半身の角度がどんなに良くとも

足首が起きていればそのフォームは後傾なのです


https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/image-12147352885-13613004044.html


どうしてもポジションが治らない方は

ブーツを見直すのも

一つかも知れませんね^_−☆
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12147352885.html?frm=theme




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html#c59

[政治・選挙・NHK237] 皇室  天皇陛下84歳 退位、多くの努力に感謝 仕事辞めるくらいで元号を気軽に変えるな! 加計物語
1. 中川隆[-5725] koaQ7Jey 2017年12月23日 18:12:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
チョンの天皇は日本人の敵、天皇一族の祖国の韓国に引き取ってもらおう

有識者として選ばれたある保守系有名言論人は「天皇は祈るだけで、何もしなくて良い」と発言し、天皇は激怒したとも言われている。

「自分の生き方を全否定する内容」に強い不満を感じたと、宮内庁関係者を通じて表明している。

現天皇は昭和天皇の後を受け継ぎ、象徴天皇として公務に全身全霊を捧げてきたという自負を持っている。


だが時として天皇自身の強い思いが空回りしたり、国の利害と食い違う事もあり、「平成」の約30年間を通じて矛盾が拡大した。

天皇が終戦の日や新年や、折に触れて表明する「おことば」は、度々日本政府の立場を潰してきた。

最近の例では平成27年8月14日の戦後70年談話、いわゆる『安倍談話』と翌日に天皇が表明した「おことば」の矛盾が挙げられる。


謝罪は公務ではない

平成27年8月14日の安倍談話では「村山談話」「河野談話」のような中国や韓国への直接の謝罪や、侵略戦争で日本批判の文言を盛り込まなかった。

「植民地支配から永遠に決別」「すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」「繰り返し痛切な反省と心からのおわび」などの言葉はあった。


戦後60年の「村山談話」は文章の大半が日本の侵略非難と、中国韓国への謝罪だったので、大きく転換したと言える。

もっとも村山談話より前の時代は、「戦後XX年」は戦争で被害に遭った「日本人を追悼する」日だったので、元に戻ってはいない。

村山総理は戦争被害に遭った日本人には一言も触れずに、ひたすら日本人を罵倒し、批判する談話を読み上げていました。


こういう経緯があって安倍談話が発表された翌日、平成27年8月15日に日本武道館における全国戦没者追悼式で、天皇の「おことば」が発表された。

「さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」という一節が含まれていました。

言葉は丁寧だが「日本が戦争を起こしたのを反省しなさい」「日本さえ存在しなければ戦争は起きなかった」という村山首相談話と同じような事です。


いつもこうであり日本の政治家や首相、要人が過去を反省する必要はないと言った後で、天皇が「いや日本人は永遠に謝罪しなさい」と否定してしまう。

終戦の日のたびにこうしたパターンが繰り返され、日本人は天皇によって恥をかかされるのが、毎年恒例になっている。
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/500.html#c1

[リバイバル3] 自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか 中川隆
80. 中川隆[-5724] koaQ7Jey 2017年12月23日 18:52:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
自分が有利な分野で生きるのは、最も合理的な生き方となる

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人には誰にも得手・不得手というものがある。自分の生き方・自分の人生が、自分の得意とする分野のものであって、しかもそれで稼ぐことができるのであれば、まさにそれこそが天職となる。

天職を得ると、没頭して仕事ができる。そして、没頭することがよりパフォーマンスを向上させる。パフォーマンスが向上することによって、得手がより得手になって、それで生活することが可能になる。

世間体が良い仕事や、給料が良い仕事や、派手な仕事が良い仕事なのではない。自分の得意が発揮できて、没頭できて、それで食べていける仕事が「自分の仕事」なのである。そのような天職を得ると、仕事が生きる目的になる。

不得手で無関心な仕事で生きていくほど虚しいことはない。そうであれば「得手・不得手」を早いうちに見極め、何があっても得意分野で生きていくのが合理的な生き方であると言える。

ところで、得意というのは、往々にして「生まれつきの才能」が左右するのは誰もが知っていることだ。

運動能力、知的能力、芸術センス、言語能力……。遺伝子的に何らかの有利なものを持っている人は、遺伝的な能力によって他者を凌駕できる可能性がある。

生まれつきの能力は、気づかなければ目覚めない

ただ、生まれつきの能力というのは、気づかなければ目覚めない可能性もある。

猛烈な「運動能力」を持っているのに、本人もまわりもまったく気付かずに怠惰な生活をして肥満して能力発揮できなかったり、恐るべき「知的能力」を持っているのに、貧困のせいで教育を受けられずに能力が発揮できないこともある。

子供が持つ才能を伸ばすのではなく、親のエゴで子供の才能を無視して何かを強制すると、子供も生まれ持った独自の能力を生かすことができずに腐ることもある。

芸術的なセンスがあるのに、芸術の素地のない両親が芸術の道に行かせなかったり、言語能力が抜群なのに、それとまったく何の関係もない仕事に就いていたりすることもある。

生まれつきの能力や才能は、見付けられないと本人すらも気付かないまま眠ったままだ。

本当は超能力的な能力が発揮できるはずの人が、何もできないで人生を終わらせたりするのは、往々にして「自分の不得意な分野」で生きようとしているからでもある。

また、「生まれつきの才能」に自分では気付いていても、別の関心があって才能を自ら捨てるケースもある。「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」というのは、才能を磨かない結果として起きている事象でもある。

「信じられない才能」は発見されないと、誰も気付かないし、気付いてもそれは原石なので、磨かないと社会に認知されるほどにまで至らない。

能力や才能を自然と発揮できるようになる人もいるが、そうでない人の方が多い。それが「発見」できないと、せっかく持っていたはずの能力は死んでしまうのである。

もし、やりたくもない仕事をして、日々を流されるように生きているとしたら、間違いなくそれは自分の中の「信じられない才能」を埋もれさせている。

自分の能力を発見できていない。何か貴重な才能を持っているのに、自分がそれに気付いていないので、埋もれさせてしまっている。


自分の生まれつきの才能は何なのかを必死で捜す

運動能力に秀でた遺伝子というのはある。知的能力に秀でた遺伝子というのもある。

現在、科学は遺伝子の研究を急ピッチで進めているが、仮に研究がもっと進んで分子レベルで遺伝子が解明されるようになったら、とんでもないことになるかもしれない。

運動能力から言語能力、音楽能力まで、人類に貢献する様々な才能の中で「自分は何が秀でているのか」が、すべて正確に分かるようになるからだ。

音楽能力が秀でているとしても、音楽にまったく関心がなければその才能は使われることはないかもしれない。絶対音感を持つ人でも、全員が音楽の仕事をしているわけではない。

自分に才能や能力があると分かっていても、その方面に関心が向かないということもあり得る。

しかし、自分には何が得意なのかを知るというのは、決して無駄なことではない。

遺伝的才能と自分の関心が合致すれば、それこそ凡人を凌駕する結果を残すこともできるようになる。また、自分の子供に何の才能があるのかを知ることができれば、その才能を伸ばして上げることもできる。

今まで自分が何が得意なのかまったく分からず、分かっていても錯覚だったり、願望だったりすることもある。

しかし、自分の得意な分野が遺伝的にどこなのか、それを正確に解析できる時代が、いずれやってくる。

ただ、そういった科学の進歩の恩恵にいつ浴せるのかは誰にも分からない。倫理的にも道徳的にも遺伝子を丸裸にすることが問題視されて受け入れられない可能性もある。

だとすれば、どうしたらいいのか。

自分の才能は、自分で見つけるしかない。今の生き方や仕事が自分のやりたいことでも得意なものでもないというのであれば、まずは立ち止まらなければならない。

そして、「自分の生まれつきの才能はいったい何なのか」を捜す必要がある。


他人よりもはるかに楽に普通の水準を超越できる

生まれ持った才能はその片鱗が表に表れることもあるが、最初は熟練されていないので見過ごされることも多い。

中には子供たちを注意深く見てきた教師や、ある方面で慧眼を持つ人がいて、秘めた能力を見抜く人もいるが、ほとんどの場合は誰も気付かないのが普通だ。

他人どころか自分自身も気付いていない可能性がある。

たとえば、音楽が色で見えたり、文字に匂いを感じたりする「共感覚」を持つ人がいる。

(天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/01/20120122T2313000900.html

この人は自分がそうであっても、他人もそうだと思っているので子供の頃はそれが特別な感覚であるということに気付かない。

特別な才能なのに、本人は日常なので気付かないのである。それと同様に、特異な才能も気付かなくても不思議ではない。

その遺伝的な才能は、もしかしたら自分の想像もしなかった分野のものであるかもしれないので驚愕するかもしれない。それは、捜さないと分からないのである。

それが見つかったからと言っても、自分がその分野に関心がなければ当惑するばかりで、どうしようもないということもあり得る。

しかし、その「遺伝子的に有利」なものを伸ばしていくことによって、他人よりもはるかに楽に普通の水準を超越できる。そして、努力と経験で恐るべき結果が出せる。

人が容易にできないのに、自分には何の苦もなくできるものが何かないだろうか。自分は大したことがないと思っていたのに、他人が驚くようなものは何かないだろうか。

必死になってそれを見付けなければ手遅れになる。

自分の能力が低い分野でいくら努力しても、ものになることはない。努力すれば、ある程度まで能力を伸ばすことができることはできるが、ほどほどで終わってしまうだけだ。努力のわりには大して能力が伸びないのである。

しかし、「遺伝子的に有利」に当たれば、努力すればするほど、能力が飛躍的に伸びていく。

そして、その努力が苦にならない。自分が有利な分野に潜り込み、他を切り捨て、才能を伸ばし、その世界で生きるのは最も合理的な生き方となる。

自分が知らなければならないのは自分の能力だ。どの分野に遺伝的才能があるのかを知ることによって、劇的な能力を発揮することが可能になる。

今からでも遅くない。それを見付けることによって人生の限界を突破できる可能性が見えてくる。


自分が知らなければならないのは自分の能力だ。どの分野に遺伝的才能があるのかを知ることによって、劇的な能力を発揮することが可能になる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171223T1536240900.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/564.html#c80

[リバイバル3] 錯聴 (auditory illusion) _ 音の錯覚 中川隆
16. 中川隆[-5723] koaQ7Jey 2017年12月23日 18:55:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/01/20120122T2313000900.html


「共感覚」という言葉をご存知だろうか。天才と言われる人たちや、一瞬見たものをすべて記憶できるという劇的な記憶力を持つ人たちサヴァン症候群の人たちに共通する感覚がこの「共感覚」である。

これは、「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」と説明されるの現象である。

つまり、こういうことだ。

数字を見れば、数字ひとつひとつに特定の色が見えて絵が見える。音を聞けば、音の高さによって特定の色が見える。

共感覚が記憶の強化に結びつく

単語を見れば、単語の文字列の長さによって特定のイメージが湧く。数式を見れば、やはり数字の色と公式の形でよって特定の形が浮かんできたり、特定の味がする。

他にもいろんな「共感覚」があるのだが、そういった「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」感覚を持った人が世の中にはいて、それが記憶の強化に結びつくのだと言われている。

音を聞けば色が見えるのが、なぜ記憶の強化に結びつくのかと言うと、感覚を総動員してその音を脳裏に刻みこむことになるからだ。

たとえば、"aroy"という単語があったとする。これはタイ語で「おいしい」という意味のものだ。

これを覚えなければならないとき、「おいしい」という意味を単に記憶するのが普通の人の記憶方法だ。

しかし、「共感覚」を持った人は、"aroy"という単語を見た瞬間に舌においしいものを食べた感覚を蘇らせることができる。

共感覚を持った人は、おいしいものを食べたときにだけ聞こえる音もあったりするから、そんな音が聞こえる。

さらには、おいしいものを食べたときにだけ見える色もあったりするから、"aroy"という単語を見た瞬間に特定の色まで見える。

さて、あなたは"aroy"という単語を見た瞬間に、味を感じ、音を聞き、色を見るだろうか?

そんな感覚を持っていたら、それが共感覚を持っているということだ。もちろん、普通の人はそんな感覚など何も持っていない。

だから、"aroy"という単語を見たところで、何ら感慨も思い浮かばないし、ましてや何度覚えても忘れるし、覚えたことすらも覚えていない状態になる。

しかし、共感覚を持っている人は、たちどころにそれを記憶することができる。あまりにも「感覚が鋭敏」すぎて、「覚えざるを得ない」というのである。

音を聞くと、色が見える。音が色を感じさせる。共感覚は、ある感覚が別の感覚を呼び起こす。

共感覚は天才の入り口

なぜ単語を見て、そんなたくさんの感覚が一度に感じられるのか、普通の人はまったく分からない。

「そんなたくさんの感覚が湧き上がったら、毎日疲れてしょうがない」と思うかもしれないが、どうやらそれは当たっている。

実際、ありとあらゆるイメージがどんどん入り込んでくることになるので、共感覚を強く持つ人は非常にナイーブで、自閉症的な症状もあって最初から意思疎通も難しい人たちである。

サヴァン症候群の人たちも共感覚を持っていると書いたが、まさに意思疎通が非常に困難な「天才たち」なのである。

ここに1個のリンゴがあるとする。彼らの見ているリンゴは、私たちの見ているリンゴの数十倍にも数百倍にも拡大されたものであり、すべての感覚が総動員されて迫ってきているはずだ。

リンゴを見ただけで、味から色からイメージから喜怒哀楽まですべてが再現されていたら、たしかに共感覚も度が過ぎれば日常生活が送れなくなるのもうなずける。

もっとも、共感覚を持っていたからサヴァン症候群になったのか、それともサヴァン症候群だったから共感覚を持つのかは何も分かっていない。

自閉症は、その原因はまだ詳しく解明されたものではないようだ。しかし、興味深いものではある。

普通の人が、ほどほどにそのような共感覚を持っていたら、恐らく「天才」だと絶賛されるはずだ。

特定の日の曜日をたちどころに言え、一瞬見ただけの風景を書き起こすことができ、一度聞いただけの曲をピアノで弾くことができ、円周率を延々と暗唱することができ、複数の外国語を覚えることができるようになる。

共感覚は天才の入り口なのである。

よく、物を覚えるときは音読すればいいと言われる。これも共感覚を使った記憶になるからだと考えられている。

見て、それを声に出して、それを聞くのである。ただ黙読するよりも3倍の感覚を使っている。効果があるのは当然だ。

数字や数式に色がつき、味がつき、音がつき、イメージがつく。共感覚は、数字を見ても何も感じない一般人には想像もつかないが……。

ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ

ところで、記憶とは何かを調べているうちに出会ったこの「共感覚」という言葉や現象をはじめて見た時、私は「ああ、あれのことか」と思いながら読み進めていた。

私は一般人であり「共感覚」など持っていないし、そんな能力の欠片もない。しかし、共感覚がどんなものだか知っている。

それが「共感覚」という言葉で表す現象だということを知らなかっただけで、実は共感覚というものがどんな感覚で、どうやれば手に入れることができるのか、知っているのである。

もちろん、あなたも「共感覚」を試してみることができる。

答えは"Lucy in the sky with diamonds"(ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)だ。


Lucy In The Sky With Diamonds - The Beatles (lyrics) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eKXfqpg-Q-k

自分の描いた絵の中の、川に浮かぶボートの中
タンジェリンの木と、ママレードの空

『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』はビートルズの名曲中の名曲だ。

この意味のわからない不思議な世界と、サイケデリックな映像を見ていると分かると思うが、これはいかにも「共感覚」を現している。

空には色があってマーマレード
女の子の目は万華鏡
空に女の子とダイヤモンド

この歌が歌われたのは1967年。アメリカではサイケデリック・ロックが盛んなときだった。


共感覚は、これで手に入れることができる

1943年の春。スイスのある研究所でアルバート・ホフマンという研究者が麦角アルカロイドについて研究していた。1938年、研究を進めていたホフマンは合成したこの薬をLSDと命名した。

LSDは期待された薬効成分としてあまり効果がなかったので一時的に研究は中止された。

しかし、改めて1943年にこの合成薬は取り出されて研究されることになった。

その研究中に、アルバート・ホフマンはこの薬を誤って自ら吸引してしまったのである。

途中で気分が悪くなったアルバート・ホフマンは研究を中止して、めまいがする中で休んでいたとき、「幻覚」が爆発した。

物が歪み、万華鏡のような光が渦巻き、幻想的な光景が次から次へと浮かんでは消えていく。

これに驚いたアルバート・ホフマンは、今度は幻覚を見るために、改めて自分を臨床実験にした。

最初の気分の悪さが消えると、そのあとから浮かんで来るのは「信じがたい多幸感」と「見たこともないような鮮明で、美しく、幻想的な世界だった」というのである。

LSDを摂取すると、ほとんどの人に現れるのが視覚の変容だ。光が幸せなシャワーのようになだれ込んできて、それが例えで言うと、まさに「万華鏡」の世界なのである。

Lucy in the sky with diamonds(頭文字はL.S.D)の空飛ぶ女の子ルーシーの目も「万華鏡」だと歌われている。

「LSD-幻想世界への旅」ではアルバート・ホフマンはこのように言っている。


視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。
ここで注目して欲しい。「それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった」と書かれているのが分かる。

それぞれの音にふさわしい色?
それぞれの音にふさわしい形?

これはまさに「共感覚」であると、誰もが認めるはずだ。そうなのだ。つまり、LSDを取るだけで、「共感覚」を手に入れることができるのである。


枠を打開するためにLSD

結論から言えば、あなたが共感覚というものがどんなものなのかどうしても手に入れたいと思うのであれば、LSDを試してみればいいということになる。

これほど手軽で共感覚を手に入れることができる手段を他に知らない。LSDは規制され、違法となっているが、感覚を増幅させるパワーはあまりにも強烈過ぎるからだろう。

しかし、このクスリがまだ違法ではなかった1965年までは、多くの人たちがLSDを試して、その幻覚の素晴らしさに酔い、爆発的にLSDの幻覚音楽が生まれた。

このときの音楽をサイケデリック・ロックというが、音楽史上、これほど芳醇の時代はなかった。

まさに「共感覚」がそれを生み出していたので当然だ。

LSDを得て、共感覚を手に入れたミュージシャンは、まさにみんなまとめて「天才」にまで増幅されていたのである。

ミュージシャンには、マリファナも、LSDも与えられていたが、このふたつは幻覚や多幸感には必須なのだ。そして、一般の感覚に煮詰まったミュージシャンは、枠を打開するためにLSDを切望する。

LSDで共感覚を得たミュージシャンとそうでないミュージシャンの差は圧倒的に違う。

感覚が「共感覚」となって増幅されているほうは、もはや「音符に書き表せない」まで「超越」していく。

言葉ではよく分からないというのであれば、「音符を超越した音楽」、すなわち「共感覚」が産み出した音楽を「見て」ほしい。

アメリカ国家をここまで素晴らしく表現できるミュージシャンは、ジミ・ヘンドリックスの前にも後にも登場していない。


あなたは何も発言しないほうがいい

共感覚は普通を簡単に超えさせる。LSDは共感覚を生み出す。だから、結論から言えば、LSDを取れば誰でも簡単に共感覚が得られる。

知覚が変化し、感情が変化し、意識が変化し、視覚が変化する。LSDを取れば、あなたも簡単に常識を超えることができるのである。

ミュージシャンはその共感覚が音楽に活かせる。

あなたが、何に活かせるのかは分からない。もしかしたら、あなたの何らかの天才性は、LSDで常識を超えるかもしれない。共感覚が常識を超える感覚を現すのだから、そうなって当然だ。

今でも、LSDなどは、どこでも手に入るドラッグなのだが、いかんせん違法であり、逮捕されれば人生を棒に振ることになる。

アルコールで共感覚は得られない。共感覚どころか、感覚のすべてが「鈍感」になるだけである。鈍感になった感覚から素晴らしいものは生まれてこない。

LSDはその逆だ。強烈なまでの鋭敏な感覚、万華鏡のような多彩な光を得て、新しいものが生み出される確率が高い。

本当はアルコールを麻薬指定して厳禁とし、かわりにLSDを解禁すれば、共感覚を得た人たちが才能を爆発的に開花させるので文化をさらに深化させることができる可能性もあった。

共感覚を得るLSDは禁止された。
多幸感を得る大麻は禁止された。

そして、その代わりに「禁止されなかった」のは何だったのか。それは、酒とタバコだ。

感覚を鈍感にさせる酒は与えられた。
病気を引き起こすタバコは与えられた。

あなたは才能を伸ばすLSDを厳禁されて、かわりに鈍感になるアルコールが与えられている。アルコールならどこにでも手に入って、どんどんあなたの感覚を鈍らせる。

あなたは多幸感を得て治療薬にもなっていた大麻を厳禁されて、かわりに病気になるタバコが与えられている。タバコならどこにでも手に入って、どんどんあなたを病気にさせる。

なぜ国際社会や国家が、人々を愚鈍にさせる酒と病気にさせるタバコを許して、才能や多幸感を与えるLSDや大麻を禁止したのか分からない。

まるで、国民を天才にしたり、幸せな感覚を味わせるのは、絶対に許さないと叫んでいるかのようだ。

そして、人々はLSDも大麻も禁止されたので、自分が何を禁止されたのか、それを最初から知らない。

あなたが禁止されたのは、才能と多幸感だ。あなたが与えられたのは、鈍感と病気だ。

しかし、それに気がついても、あなたは何も発言しないほうがいい。それを指摘すると、「反社会的だ」「危ない人間だ」と後ろ指を指されることになる。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/756.html#c16

[昼休み52] 何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口 中川隆
67. 中川隆[-5722] koaQ7Jey 2017年12月23日 19:06:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/01/20120122T2313000900.html

「共感覚」という言葉をご存知だろうか。天才と言われる人たちや、一瞬見たものをすべて記憶できるという劇的な記憶力を持つ人たちサヴァン症候群の人たちに共通する感覚がこの「共感覚」である。

これは、「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」と説明されるの現象である。

つまり、こういうことだ。

数字を見れば、数字ひとつひとつに特定の色が見えて絵が見える。音を聞けば、音の高さによって特定の色が見える。


共感覚が記憶の強化に結びつく

単語を見れば、単語の文字列の長さによって特定のイメージが湧く。数式を見れば、やはり数字の色と公式の形でよって特定の形が浮かんできたり、特定の味がする。

他にもいろんな「共感覚」があるのだが、そういった「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」感覚を持った人が世の中にはいて、それが記憶の強化に結びつくのだと言われている。

音を聞けば色が見えるのが、なぜ記憶の強化に結びつくのかと言うと、感覚を総動員してその音を脳裏に刻みこむことになるからだ。

たとえば、"aroy"という単語があったとする。これはタイ語で「おいしい」という意味のものだ。

これを覚えなければならないとき、「おいしい」という意味を単に記憶するのが普通の人の記憶方法だ。

しかし、「共感覚」を持った人は、"aroy"という単語を見た瞬間に舌においしいものを食べた感覚を蘇らせることができる。

共感覚を持った人は、おいしいものを食べたときにだけ聞こえる音もあったりするから、そんな音が聞こえる。

さらには、おいしいものを食べたときにだけ見える色もあったりするから、"aroy"という単語を見た瞬間に特定の色まで見える。

さて、あなたは"aroy"という単語を見た瞬間に、味を感じ、音を聞き、色を見るだろうか?

そんな感覚を持っていたら、それが共感覚を持っているということだ。もちろん、普通の人はそんな感覚など何も持っていない。

だから、"aroy"という単語を見たところで、何ら感慨も思い浮かばないし、ましてや何度覚えても忘れるし、覚えたことすらも覚えていない状態になる。

しかし、共感覚を持っている人は、たちどころにそれを記憶することができる。あまりにも「感覚が鋭敏」すぎて、「覚えざるを得ない」というのである。


音を聞くと、色が見える。音が色を感じさせる。共感覚は、ある感覚が別の感覚を呼び起こす。

共感覚は天才の入り口

なぜ単語を見て、そんなたくさんの感覚が一度に感じられるのか、普通の人はまったく分からない。

「そんなたくさんの感覚が湧き上がったら、毎日疲れてしょうがない」と思うかもしれないが、どうやらそれは当たっている。

実際、ありとあらゆるイメージがどんどん入り込んでくることになるので、共感覚を強く持つ人は非常にナイーブで、自閉症的な症状もあって最初から意思疎通も難しい人たちである。

サヴァン症候群の人たちも共感覚を持っていると書いたが、まさに意思疎通が非常に困難な「天才たち」なのである。

ここに1個のリンゴがあるとする。彼らの見ているリンゴは、私たちの見ているリンゴの数十倍にも数百倍にも拡大されたものであり、すべての感覚が総動員されて迫ってきているはずだ。

リンゴを見ただけで、味から色からイメージから喜怒哀楽まですべてが再現されていたら、たしかに共感覚も度が過ぎれば日常生活が送れなくなるのもうなずける。

もっとも、共感覚を持っていたからサヴァン症候群になったのか、それともサヴァン症候群だったから共感覚を持つのかは何も分かっていない。

自閉症は、その原因はまだ詳しく解明されたものではないようだ。しかし、興味深いものではある。

普通の人が、ほどほどにそのような共感覚を持っていたら、恐らく「天才」だと絶賛されるはずだ。

特定の日の曜日をたちどころに言え、一瞬見ただけの風景を書き起こすことができ、一度聞いただけの曲をピアノで弾くことができ、円周率を延々と暗唱することができ、複数の外国語を覚えることができるようになる。

共感覚は天才の入り口なのである。

よく、物を覚えるときは音読すればいいと言われる。これも共感覚を使った記憶になるからだと考えられている。

見て、それを声に出して、それを聞くのである。ただ黙読するよりも3倍の感覚を使っている。効果があるのは当然だ。


数字や数式に色がつき、味がつき、音がつき、イメージがつく。共感覚は、数字を見ても何も感じない一般人には想像もつかないが……。

ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ

ところで、記憶とは何かを調べているうちに出会ったこの「共感覚」という言葉や現象をはじめて見た時、私は「ああ、あれのことか」と思いながら読み進めていた。

私は一般人であり「共感覚」など持っていないし、そんな能力の欠片もない。しかし、共感覚がどんなものだか知っている。

それが「共感覚」という言葉で表す現象だということを知らなかっただけで、実は共感覚というものがどんな感覚で、どうやれば手に入れることができるのか、知っているのである。

もちろん、あなたも「共感覚」を試してみることができる。

答えは"Lucy in the sky with diamonds"(ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)だ。


Lucy In The Sky With Diamonds - The Beatles (lyrics) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eKXfqpg-Q-k


自分の描いた絵の中の、川に浮かぶボートの中
タンジェリンの木と、ママレードの空

『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』はビートルズの名曲中の名曲だ。

この意味のわからない不思議な世界と、サイケデリックな映像を見ていると分かると思うが、これはいかにも「共感覚」を現している。

空には色があってマーマレード
女の子の目は万華鏡
空に女の子とダイヤモンド

この歌が歌われたのは1967年。アメリカではサイケデリック・ロックが盛んなときだった。


共感覚は、これで手に入れることができる

1943年の春。スイスのある研究所でアルバート・ホフマンという研究者が麦角アルカロイドについて研究していた。1938年、研究を進めていたホフマンは合成したこの薬をLSDと命名した。

LSDは期待された薬効成分としてあまり効果がなかったので一時的に研究は中止された。

しかし、改めて1943年にこの合成薬は取り出されて研究されることになった。

その研究中に、アルバート・ホフマンはこの薬を誤って自ら吸引してしまったのである。

途中で気分が悪くなったアルバート・ホフマンは研究を中止して、めまいがする中で休んでいたとき、「幻覚」が爆発した。

物が歪み、万華鏡のような光が渦巻き、幻想的な光景が次から次へと浮かんでは消えていく。

これに驚いたアルバート・ホフマンは、今度は幻覚を見るために、改めて自分を臨床実験にした。

最初の気分の悪さが消えると、そのあとから浮かんで来るのは「信じがたい多幸感」と「見たこともないような鮮明で、美しく、幻想的な世界だった」というのである。

LSDを摂取すると、ほとんどの人に現れるのが視覚の変容だ。光が幸せなシャワーのようになだれ込んできて、それが例えで言うと、まさに「万華鏡」の世界なのである。

Lucy in the sky with diamonds(頭文字はL.S.D)の空飛ぶ女の子ルーシーの目も「万華鏡」だと歌われている。

「LSD-幻想世界への旅」ではアルバート・ホフマンはこのように言っている。


視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。
ここで注目して欲しい。「それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった」と書かれているのが分かる。

それぞれの音にふさわしい色?
それぞれの音にふさわしい形?

これはまさに「共感覚」であると、誰もが認めるはずだ。そうなのだ。つまり、LSDを取るだけで、「共感覚」を手に入れることができるのである。


枠を打開するためにLSD

結論から言えば、あなたが共感覚というものがどんなものなのかどうしても手に入れたいと思うのであれば、LSDを試してみればいいということになる。

これほど手軽で共感覚を手に入れることができる手段を他に知らない。LSDは規制され、違法となっているが、感覚を増幅させるパワーはあまりにも強烈過ぎるからだろう。

しかし、このクスリがまだ違法ではなかった1965年までは、多くの人たちがLSDを試して、その幻覚の素晴らしさに酔い、爆発的にLSDの幻覚音楽が生まれた。

このときの音楽をサイケデリック・ロックというが、音楽史上、これほど芳醇の時代はなかった。

まさに「共感覚」がそれを生み出していたので当然だ。

LSDを得て、共感覚を手に入れたミュージシャンは、まさにみんなまとめて「天才」にまで増幅されていたのである。

ミュージシャンには、マリファナも、LSDも与えられていたが、このふたつは幻覚や多幸感には必須なのだ。そして、一般の感覚に煮詰まったミュージシャンは、枠を打開するためにLSDを切望する。

LSDで共感覚を得たミュージシャンとそうでないミュージシャンの差は圧倒的に違う。

感覚が「共感覚」となって増幅されているほうは、もはや「音符に書き表せない」まで「超越」していく。

言葉ではよく分からないというのであれば、「音符を超越した音楽」、すなわち「共感覚」が産み出した音楽を「見て」ほしい。

アメリカ国家をここまで素晴らしく表現できるミュージシャンは、ジミ・ヘンドリックスの前にも後にも登場していない。


あなたは何も発言しないほうがいい

共感覚は普通を簡単に超えさせる。LSDは共感覚を生み出す。だから、結論から言えば、LSDを取れば誰でも簡単に共感覚が得られる。

知覚が変化し、感情が変化し、意識が変化し、視覚が変化する。LSDを取れば、あなたも簡単に常識を超えることができるのである。

ミュージシャンはその共感覚が音楽に活かせる。

あなたが、何に活かせるのかは分からない。もしかしたら、あなたの何らかの天才性は、LSDで常識を超えるかもしれない。共感覚が常識を超える感覚を現すのだから、そうなって当然だ。

今でも、LSDなどは、どこでも手に入るドラッグなのだが、いかんせん違法であり、逮捕されれば人生を棒に振ることになる。

アルコールで共感覚は得られない。共感覚どころか、感覚のすべてが「鈍感」になるだけである。鈍感になった感覚から素晴らしいものは生まれてこない。

LSDはその逆だ。強烈なまでの鋭敏な感覚、万華鏡のような多彩な光を得て、新しいものが生み出される確率が高い。

本当はアルコールを麻薬指定して厳禁とし、かわりにLSDを解禁すれば、共感覚を得た人たちが才能を爆発的に開花させるので文化をさらに深化させることができる可能性もあった。

共感覚を得るLSDは禁止された。
多幸感を得る大麻は禁止された。

そして、その代わりに「禁止されなかった」のは何だったのか。それは、酒とタバコだ。

感覚を鈍感にさせる酒は与えられた。
病気を引き起こすタバコは与えられた。

あなたは才能を伸ばすLSDを厳禁されて、かわりに鈍感になるアルコールが与えられている。アルコールならどこにでも手に入って、どんどんあなたの感覚を鈍らせる。

あなたは多幸感を得て治療薬にもなっていた大麻を厳禁されて、かわりに病気になるタバコが与えられている。タバコならどこにでも手に入って、どんどんあなたを病気にさせる。

なぜ国際社会や国家が、人々を愚鈍にさせる酒と病気にさせるタバコを許して、才能や多幸感を与えるLSDや大麻を禁止したのか分からない。

まるで、国民を天才にしたり、幸せな感覚を味わせるのは、絶対に許さないと叫んでいるかのようだ。

そして、人々はLSDも大麻も禁止されたので、自分が何を禁止されたのか、それを最初から知らない。

あなたが禁止されたのは、才能と多幸感だ。あなたが与えられたのは、鈍感と病気だ。

しかし、それに気がついても、あなたは何も発言しないほうがいい。それを指摘すると、「反社会的だ」「危ない人間だ」と後ろ指を指されることになる。

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html#c67

[近代史02] イリーナ・スルツカヤ _ Let it be 中川隆
12. 中川隆[-5721] koaQ7Jey 2017年12月23日 19:07:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/01/20120122T2313000900.html

「共感覚」という言葉をご存知だろうか。天才と言われる人たちや、一瞬見たものをすべて記憶できるという劇的な記憶力を持つ人たちサヴァン症候群の人たちに共通する感覚がこの「共感覚」である。

これは、「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」と説明されるの現象である。

つまり、こういうことだ。

数字を見れば、数字ひとつひとつに特定の色が見えて絵が見える。音を聞けば、音の高さによって特定の色が見える。


共感覚が記憶の強化に結びつく

単語を見れば、単語の文字列の長さによって特定のイメージが湧く。数式を見れば、やはり数字の色と公式の形でよって特定の形が浮かんできたり、特定の味がする。

他にもいろんな「共感覚」があるのだが、そういった「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」感覚を持った人が世の中にはいて、それが記憶の強化に結びつくのだと言われている。

音を聞けば色が見えるのが、なぜ記憶の強化に結びつくのかと言うと、感覚を総動員してその音を脳裏に刻みこむことになるからだ。

たとえば、"aroy"という単語があったとする。これはタイ語で「おいしい」という意味のものだ。

これを覚えなければならないとき、「おいしい」という意味を単に記憶するのが普通の人の記憶方法だ。

しかし、「共感覚」を持った人は、"aroy"という単語を見た瞬間に舌においしいものを食べた感覚を蘇らせることができる。

共感覚を持った人は、おいしいものを食べたときにだけ聞こえる音もあったりするから、そんな音が聞こえる。

さらには、おいしいものを食べたときにだけ見える色もあったりするから、"aroy"という単語を見た瞬間に特定の色まで見える。

さて、あなたは"aroy"という単語を見た瞬間に、味を感じ、音を聞き、色を見るだろうか?

そんな感覚を持っていたら、それが共感覚を持っているということだ。もちろん、普通の人はそんな感覚など何も持っていない。

だから、"aroy"という単語を見たところで、何ら感慨も思い浮かばないし、ましてや何度覚えても忘れるし、覚えたことすらも覚えていない状態になる。

しかし、共感覚を持っている人は、たちどころにそれを記憶することができる。あまりにも「感覚が鋭敏」すぎて、「覚えざるを得ない」というのである。


音を聞くと、色が見える。音が色を感じさせる。共感覚は、ある感覚が別の感覚を呼び起こす。

共感覚は天才の入り口

なぜ単語を見て、そんなたくさんの感覚が一度に感じられるのか、普通の人はまったく分からない。

「そんなたくさんの感覚が湧き上がったら、毎日疲れてしょうがない」と思うかもしれないが、どうやらそれは当たっている。

実際、ありとあらゆるイメージがどんどん入り込んでくることになるので、共感覚を強く持つ人は非常にナイーブで、自閉症的な症状もあって最初から意思疎通も難しい人たちである。

サヴァン症候群の人たちも共感覚を持っていると書いたが、まさに意思疎通が非常に困難な「天才たち」なのである。

ここに1個のリンゴがあるとする。彼らの見ているリンゴは、私たちの見ているリンゴの数十倍にも数百倍にも拡大されたものであり、すべての感覚が総動員されて迫ってきているはずだ。

リンゴを見ただけで、味から色からイメージから喜怒哀楽まですべてが再現されていたら、たしかに共感覚も度が過ぎれば日常生活が送れなくなるのもうなずける。

もっとも、共感覚を持っていたからサヴァン症候群になったのか、それともサヴァン症候群だったから共感覚を持つのかは何も分かっていない。

自閉症は、その原因はまだ詳しく解明されたものではないようだ。しかし、興味深いものではある。

普通の人が、ほどほどにそのような共感覚を持っていたら、恐らく「天才」だと絶賛されるはずだ。

特定の日の曜日をたちどころに言え、一瞬見ただけの風景を書き起こすことができ、一度聞いただけの曲をピアノで弾くことができ、円周率を延々と暗唱することができ、複数の外国語を覚えることができるようになる。

共感覚は天才の入り口なのである。

よく、物を覚えるときは音読すればいいと言われる。これも共感覚を使った記憶になるからだと考えられている。

見て、それを声に出して、それを聞くのである。ただ黙読するよりも3倍の感覚を使っている。効果があるのは当然だ。


数字や数式に色がつき、味がつき、音がつき、イメージがつく。共感覚は、数字を見ても何も感じない一般人には想像もつかないが……。

ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ

ところで、記憶とは何かを調べているうちに出会ったこの「共感覚」という言葉や現象をはじめて見た時、私は「ああ、あれのことか」と思いながら読み進めていた。

私は一般人であり「共感覚」など持っていないし、そんな能力の欠片もない。しかし、共感覚がどんなものだか知っている。

それが「共感覚」という言葉で表す現象だということを知らなかっただけで、実は共感覚というものがどんな感覚で、どうやれば手に入れることができるのか、知っているのである。

もちろん、あなたも「共感覚」を試してみることができる。

答えは"Lucy in the sky with diamonds"(ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)だ。


Lucy In The Sky With Diamonds - The Beatles (lyrics) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eKXfqpg-Q-k


自分の描いた絵の中の、川に浮かぶボートの中
タンジェリンの木と、ママレードの空

『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』はビートルズの名曲中の名曲だ。

この意味のわからない不思議な世界と、サイケデリックな映像を見ていると分かると思うが、これはいかにも「共感覚」を現している。

空には色があってマーマレード
女の子の目は万華鏡
空に女の子とダイヤモンド

この歌が歌われたのは1967年。アメリカではサイケデリック・ロックが盛んなときだった。


共感覚は、これで手に入れることができる

1943年の春。スイスのある研究所でアルバート・ホフマンという研究者が麦角アルカロイドについて研究していた。1938年、研究を進めていたホフマンは合成したこの薬をLSDと命名した。

LSDは期待された薬効成分としてあまり効果がなかったので一時的に研究は中止された。

しかし、改めて1943年にこの合成薬は取り出されて研究されることになった。

その研究中に、アルバート・ホフマンはこの薬を誤って自ら吸引してしまったのである。

途中で気分が悪くなったアルバート・ホフマンは研究を中止して、めまいがする中で休んでいたとき、「幻覚」が爆発した。

物が歪み、万華鏡のような光が渦巻き、幻想的な光景が次から次へと浮かんでは消えていく。

これに驚いたアルバート・ホフマンは、今度は幻覚を見るために、改めて自分を臨床実験にした。

最初の気分の悪さが消えると、そのあとから浮かんで来るのは「信じがたい多幸感」と「見たこともないような鮮明で、美しく、幻想的な世界だった」というのである。

LSDを摂取すると、ほとんどの人に現れるのが視覚の変容だ。光が幸せなシャワーのようになだれ込んできて、それが例えで言うと、まさに「万華鏡」の世界なのである。

Lucy in the sky with diamonds(頭文字はL.S.D)の空飛ぶ女の子ルーシーの目も「万華鏡」だと歌われている。

「LSD-幻想世界への旅」ではアルバート・ホフマンはこのように言っている。


視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。
ここで注目して欲しい。「それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった」と書かれているのが分かる。

それぞれの音にふさわしい色?
それぞれの音にふさわしい形?

これはまさに「共感覚」であると、誰もが認めるはずだ。そうなのだ。つまり、LSDを取るだけで、「共感覚」を手に入れることができるのである。


枠を打開するためにLSD

結論から言えば、あなたが共感覚というものがどんなものなのかどうしても手に入れたいと思うのであれば、LSDを試してみればいいということになる。

これほど手軽で共感覚を手に入れることができる手段を他に知らない。LSDは規制され、違法となっているが、感覚を増幅させるパワーはあまりにも強烈過ぎるからだろう。

しかし、このクスリがまだ違法ではなかった1965年までは、多くの人たちがLSDを試して、その幻覚の素晴らしさに酔い、爆発的にLSDの幻覚音楽が生まれた。

このときの音楽をサイケデリック・ロックというが、音楽史上、これほど芳醇の時代はなかった。

まさに「共感覚」がそれを生み出していたので当然だ。

LSDを得て、共感覚を手に入れたミュージシャンは、まさにみんなまとめて「天才」にまで増幅されていたのである。

ミュージシャンには、マリファナも、LSDも与えられていたが、このふたつは幻覚や多幸感には必須なのだ。そして、一般の感覚に煮詰まったミュージシャンは、枠を打開するためにLSDを切望する。

LSDで共感覚を得たミュージシャンとそうでないミュージシャンの差は圧倒的に違う。

感覚が「共感覚」となって増幅されているほうは、もはや「音符に書き表せない」まで「超越」していく。

言葉ではよく分からないというのであれば、「音符を超越した音楽」、すなわち「共感覚」が産み出した音楽を「見て」ほしい。

アメリカ国家をここまで素晴らしく表現できるミュージシャンは、ジミ・ヘンドリックスの前にも後にも登場していない。


あなたは何も発言しないほうがいい

共感覚は普通を簡単に超えさせる。LSDは共感覚を生み出す。だから、結論から言えば、LSDを取れば誰でも簡単に共感覚が得られる。

知覚が変化し、感情が変化し、意識が変化し、視覚が変化する。LSDを取れば、あなたも簡単に常識を超えることができるのである。

ミュージシャンはその共感覚が音楽に活かせる。

あなたが、何に活かせるのかは分からない。もしかしたら、あなたの何らかの天才性は、LSDで常識を超えるかもしれない。共感覚が常識を超える感覚を現すのだから、そうなって当然だ。

今でも、LSDなどは、どこでも手に入るドラッグなのだが、いかんせん違法であり、逮捕されれば人生を棒に振ることになる。

アルコールで共感覚は得られない。共感覚どころか、感覚のすべてが「鈍感」になるだけである。鈍感になった感覚から素晴らしいものは生まれてこない。

LSDはその逆だ。強烈なまでの鋭敏な感覚、万華鏡のような多彩な光を得て、新しいものが生み出される確率が高い。

本当はアルコールを麻薬指定して厳禁とし、かわりにLSDを解禁すれば、共感覚を得た人たちが才能を爆発的に開花させるので文化をさらに深化させることができる可能性もあった。

共感覚を得るLSDは禁止された。
多幸感を得る大麻は禁止された。

そして、その代わりに「禁止されなかった」のは何だったのか。それは、酒とタバコだ。

感覚を鈍感にさせる酒は与えられた。
病気を引き起こすタバコは与えられた。

あなたは才能を伸ばすLSDを厳禁されて、かわりに鈍感になるアルコールが与えられている。アルコールならどこにでも手に入って、どんどんあなたの感覚を鈍らせる。

あなたは多幸感を得て治療薬にもなっていた大麻を厳禁されて、かわりに病気になるタバコが与えられている。タバコならどこにでも手に入って、どんどんあなたを病気にさせる。

なぜ国際社会や国家が、人々を愚鈍にさせる酒と病気にさせるタバコを許して、才能や多幸感を与えるLSDや大麻を禁止したのか分からない。

まるで、国民を天才にしたり、幸せな感覚を味わせるのは、絶対に許さないと叫んでいるかのようだ。

そして、人々はLSDも大麻も禁止されたので、自分が何を禁止されたのか、それを最初から知らない。

あなたが禁止されたのは、才能と多幸感だ。あなたが与えられたのは、鈍感と病気だ。

しかし、それに気がついても、あなたは何も発言しないほうがいい。それを指摘すると、「反社会的だ」「危ない人間だ」と後ろ指を指されることになる。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/551.html#c12

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
64. 2017年12月23日 19:08:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

イリーナ・スルツカヤ _ Let it be
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/551.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c64
[政治・選挙・NHK237] 政府予算案 目に余る政権の無責任 東京新聞社説  赤かぶ
3. 中川隆[-5723] koaQ7Jey 2017年12月24日 08:01:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>公共事業費を高水準で維持したり、防衛費は四年連続で過去最高を更新したりするなど、歳出抑制の意思は感じられないのである


また悪質なデマを垂れ流してるな

公共事業費は昔の半分に減っている

だから日本はデフレになったんだ

予算を今の2倍、3倍にしなければ永遠に不況が続いて国家破綻だ


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/520.html#c3

[原発・フッ素44] 「あさこはうす」の熊谷あさ子さんは、40年間津軽で発生例のないツツガムシ病で急死した 魑魅魍魎男
27. 2017年12月24日 08:03:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html

真実を知りたければ:

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/665.html#c27

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
60. 中川隆[-5722] koaQ7Jey 2017年12月24日 08:06:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

どっちがいいか?AAC MP3音質・汎用性・圧縮率を比較してみる
https://www.winxdvd.com/blog/saiko-aac-vs-mp3.htm

音声ファイル形式といったら普段はAACとMP3をよく耳にする。音楽配信サービスからダウンロードした楽曲や、YouTubeなどのサイトに投稿された動画や、携帯電話向けの着うたなどでもAACかMP3形式が採用される。ではMP3 AACどっちがいいのか?迷っているんだよね。今回は音質・圧縮率・汎用性などを比較してAACとMP3の違いを解説し、AAC MP3変換の方法も紹介するよ。


AACとMP3の違いは?

MP3とは、MPEG Audio Layer 3規格によって音声データの圧縮方式の一つ。拡張子は.MP3。
高い圧縮率ながらも音質の劣化はほとんど発生しなくて、更に320kbpsのMP3とCD、FLAC、APE(圧縮していない音源)の 音質と比べて人間の耳でまったく聞き分けられない。一方、MP3を発明したドイツのフラウンホーファー研究所が4月23日、MP3に関連する各種特許の保護期間が終了したと発表。

AACとは、MP3と同じで音声データを扱うための圧縮方式の一つ。拡張子としては、標準的な.aacのほか、.m4a、..3gp、.m4p、m4r、.f4vなどもよく用いる。1997年開発された音声規格AACはMP3の後継形式として策定され、MP3よりも更なる高品質化・高圧縮化の音を提供できる。iPodおよびiTunesが標準でAACを使用することを発端に、次世代DVDの音声規格として普及してきた。

AACとMP3の違い MP3 AACどっち AAC MP3音質


YouTubeからMP3へ動画ダウンロード・変換ししたい!

オススメの最適なソリューション:
WinX HD Video Converter Deluxe -迅速にYouTubeの音楽をMP3に無料で変換保存できる。初心者でも操作しやすい!

MP3対 AAC比較 AAC MP3変換

1AACとMP3の違い:AAC MP3どっちの音質のほうがいいがいいのか?

誰でも知っている通り、AACとMP3は非可逆圧縮方式を採用されたから、CD、FLAC、APEといったロスレス形式の音声ファイルと比べると音質の差が少々ある。ではMP3対 AAC比較したら、AAC MP3音質ってどっちが上なのか?実は非可逆圧縮の音源に対しては、ビットレート値が高いなるほど音質が良くなり、逆に低くなるほど劣化される一方、上限周波数も音質に影響を与える。ここでは圧縮しない曲をAAC MP3変換してみて、右画像にように、CBR(固定ビットレート)モードで、ビットレートが192kbps以上なら、AACの上限周波数はMP3より少ない。ビットレートが160kbpsになると、MP3とAACの上限周波数は約19KHz。ビットレートが128kbpsになると、AACの上限周波数はMP3を大幅に超えた。というこで、理論上ではAAC MP3音質比較するなら、MP3高ビートを勧めて、ビットレートが160kbps以下であればAACほうがいい。

一方、実際には256kbpsのAAC は320kbpsのMP3と同じ程度のクオリティと持っている。ビットレートが低いと、MP3エンコードする時高域周波数がカットされて、楽曲においての楽器の高周波倍音も損なわれる。切り捨てられる音が人間の耳で普通に聞き取れないが音の立ち上がりや質感がやや劣る。AACでは48の全帯域幅(最大96kHz)音声チャンネル対応でき、16の低周波サウンドトラックも含めることができて、DVDの次世代標準された音声符号化規格となっている。

まとめ:AAC MP3音質比較:AAC > MP3

【関連記事】H.264(AVC)対H.265(HEVC)、H264とH265ファイルの違いは何ですか?
https://www.winxdvd.com/blog/saiko-h265-vs-h264.htm


AACとMP3の違い

2 AACとMP3の違い:音声の圧縮率はMP3 AACどっちが一番高いのか?

MP3エンコードする場合は、非圧縮音声データ量を最大約1/10〜1/12のサイズに圧縮するだけではなく、低周波数帯域のゆがみも極めて少ない。12KHz〜16KHzといった高域周波数を犠牲にすればさらに高い圧縮率を得ることもできる。

AACは高圧縮高品質の代表のようなコーデックとして、エンコードする場合は、非圧縮音声データ量を最大約1/20のサイズまで圧縮し、MP3の圧縮率を大幅に超えた。右側の表から明らかなように、AACとMP3は低ビットレートで同じなサイズを持ち、高ビットレートでAACサイズがはるかに小さくなっている。

まとめ: 圧縮率でMP3 AACどっちがいい:AAC > MP3


3 AACとMP3の違い:汎用性・用途でMP3対 AAC比較してみる

MP3は今最も広く知られ普及している音声形式として、汎用性も高くてほとんど全てのデジタルオーディオプレーヤー、モバイル端末に対応できる。それにエンコード・デコード速度もAACより速いし、ID3タグ情報も編集しやすいし、数百曲の音楽も短い時間でエンコード・デコードすることができるたため、音楽愛好家の間で長く流行をつづける。でも著作権保護機能がないから、MP3音楽ファイルの不正コピー、ネット通じて不正配布、交換も問題となっている。

1997年開発された音声規格AACはMP3を超えるためのだが、色々な原因で普及が進まなってしまった。けれど音質・圧縮率に優れるのメリットで徐々に知られるようになってきているにつれて、AACはiPhone、iPod、iPad、iTunes、Nintendo端末、PlayStationなどのデバイスにおける標準の音声フォーマットになる。またApple Musicといった音楽配信サービスにもAAC形式を採用する。


まとめ:汎用性でMP3 AACどっちがいい:MP3 > AAC


追記:AAC MP3変換に関するフリーソフト&サイトオススメ


MP3 AACどっち

WinX HD Video Converter Deluxe:シンプルで使いやすい!YouTube、FC2、ニコ動などのサイトから好きな音楽・曲を勝手気ままダウンロードしてAAC、MP3に変換することができる。
https://www.winxdvd.com/hd-video-converter-deluxe/index-jp.htm


AAC MP3音質 MP3対 AAC比較

AAC MP3変換
online-convert:サイトの表記は英語だが、ビットレートやサンプリング周波数、音声チャンネルも設定可能で簡単にAAC MP3変換することができる。

URL:http://audio.online-convert.com/convert-to-aac

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c60

[お知らせ・管理21] 2017年12月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
39. 中川隆[-5721] koaQ7Jey 2017年12月24日 08:15:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>38 は精神分裂病だね
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/504.html#c39
[昼休み53] IT先進国・中国で進む恐怖の情報管理社会の近未来 中川隆
1. 中川隆[-5720] koaQ7Jey 2017年12月24日 08:19:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-12-24
中国のウイグル支配は最先端の人民監視システムで行われる


中国は漢民族ではない辺境国のウイグル人の地区を「新疆」だと言って強制支配している。

ウイグル人はイスラム教徒で独自の文化を擁しているのだが、長らく中国共産党と対立して莫大な死者を出してきた。

何度も何度も独立運動が起こされて、そのたびに中国は凄まじい強権を発動してこれを取り締まった。この歴史の中で、漢民族はウイグル人に憎悪されるようになっている。

こうした民族対立と歴史対立を続けながら中国がこの地区を完全に掌握したいと考えているのは、この地区こそが中国の一帯一路の要所となるからである。さらにこの地区には地下に膨大な資源が眠っている。

中国はこの地区を絶対に手放さない。しかし、中国が支配を強めれば強めるほどウイグル人の抵抗と中国憎悪は激しいものになって対立の根は深まっている。

そのため、中国はどうしたのか。ウイグル人の収入を増やして懐柔するのと同時に、ウイグル人を徹底的に監視するために超高度な監視システムを構築するようになった。

まさにジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」に見られる国民徹底監視の「ビッグブラザー」がウイグルに現れた。

ウイグル人はいかに中国に監視されているのか?

中国のウイグル人監視は常軌を逸するレベルにあると、ヒューマン・ ライツ・ウォッチは報告している。中国はありとあらゆる監視をウイグル人に課している。

ウイグル人は常にIDカードを携帯する義務がある。ウイグル人は長いヒゲを生やすことができない。ウイグル人はベールを着用することができない。

ウイグル人はウイグル文化を研究してはならない。ウイグル人は生体データを提出しなければならない。ウイグル人は指定の場所で教育を受けなければならない。

ウイグル人は指定の場所で医療を受けなければならない。ウイグル人は指定の場所に住まなければならない。ウイグル人はガソリンを買うには身分証明が必要だ。ウイグル人は電車に乗る時は検問を受けなければならない。

ウイグル人は日常のありとあらゆる行動に関して監視されるようになっている。

上記はほんの一例だ。ウイグル人は、ホテルでも、ショッピングモールでも、銀行でも検問が必要で、すべての行動は中国当局に監視され、掌握される。

ウイグル人もスマートフォンを使えるが、公安当局が求めたらこのスマートフォンの中身も公安が調べることを阻止してはならないことになっている。

新疆ウイグル自治区では、監視カメラが無数に設置され、さらに町の至る所に交番が建てられて公安がウイグル人を監視している。

少しでも中国政府に反発する態度をしたり、抗議したり、暗号ソフトを使っていたり、反中国のコンテンツを所持したりしていると、問答無用に拘束される。

いったん拘束されると、いつ出所できるのかまったく分からない。場合によっては「国家分裂罪」で死刑になる可能性もある。ウイグル人の研究者がウイグル文化を研究していたというだけで「国家分裂罪」で起訴されるのである。

インターネットはウイグルだけでなく中国全土が完全監視下にあって、見られるコンテンツも決まっており、匿名で何かを書き込むというのは事実上、不可能になっている。


人民は徹底的に弾圧され、監視される社会と化す

「中国が素晴らしい、中国は発展している、中国は平和的、次の時代は中国の時代だ、日本は中国を見習え」と、未だに中国を絶賛している人がいる。

しかし、中国が他国を侵略するのであれば、その国はどうなってしまうのか。

その答えがウイグルである。

人民は徹底的に弾圧され、監視され、いったん監視システムが構築されたら、もう二度と反政府的な言動をすることができなくなるのだ。

欧米や日本にとって技術革新や最先端技術というのは、自分たちの日常を豊かにするためのものだ。最先端技術は楽しみであり、喜びでもある。

ところが、中国にとって技術革新や最先端技術というのは、人民を効率的に監視し、弾圧し、異分子を炙り出すものなのである。人民にとって悪夢であり、恐怖である。

それを、中国はウイグルでやっているのだ。

こんな中で新疆ウイグル自治区に住みたいという人はいないはずだ。自分が監視され、下手な言動をしたら公安に拘束されるかもしれないような不自由極まりない場所に行きたいと思う人間はどうかしている。

中国政府がやっているのは、ウイグル人に対する明白な人権侵害であるのは間違いない。

ところが、この凄まじい人権侵害に対して抗議する国外の良識ある人は、「内政干渉だ」と中国政府から徹底的に抗議される。そして以後は「中国の敵」と認定されて、事あるごとに執拗な攻撃を受けることになる。

だから、欧米の「自称」人権主義のエスタブリッシュメントたちは中国に何も言わない。チベットでも激しい弾圧が繰り返されているが、人権主義だったバラック・オバマ前大統領でさえも中国市場のために何も言わなかった。

エスタブリッシュメントは口ではきれい事を言っているが、人権よりも金だったのである。

2009年に起きたウイグルの暴動。以後、中国は徹底的にウイグル人を弾圧・監視してきた。


中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例

中国が民主化することは、中国共産党がこの国を支配している限りは絶対にない。

新疆ウイグル自治区やチベット自治区を見ても分かる通り、中国が民主化したら途端にこれらの国々は漢民族の支配から抜け出そうと独立運動を起こすからだ。

中国が民主化するというのは、中国がバラバラになるということと同じ意味なのである。

中国が激しい勢いで、それも国外からの批判をモノともせずに辺境国を徹底弾圧・徹底監視するのは、そうしないと国家が分裂してバラバラになってしまうからだ。

また、漢民族であってもすべての人民が中国共産党を支持しているわけではない。中国ではしばしば暴動が起きて、反政府運動も生まれるのだが、そのたびに中国政府は容赦なく弾圧してきた。

天安門事件では、1989年6月3日から4日の2日間で、中国政府は反政府運動をする人民を一気に3000人も殺したと最近になって香港紙は書いている。

中国政府は自分たちに反対する人間は、容赦なく殺しまくる体質を内包しているのである。この体質が、チベット自治区や新疆ウイグル自治区で発揮されている。

中国は独裁国家であり、独裁である限り民主化はなく、民主化がないのだから自由もない。自由に政権批判などしていたら、次の日には拘束されるか死体になって発見される国だ。

こんな国が他国の技術を盗みまくって経済発展したからと言って、「中国は素晴らしい」とか「中国は次の超大国」だとか言って賛美している人の気が知れない。

中国のやり方、中国の体質、中国の徹底弾圧・徹底監視に危機感を抱けないのであれば、それはあまりにも想像力が足りないとしか言いようがない。

「騙した方よりも騙された方が悪い」という国を賛美したり褒めたりすることの危険性を、もっと真剣に考えるべきだ。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が他国を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。


チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/902.html#c1

[番外地7] チョン・キョンファ 名演集 中川隆
1. 中川隆[-5719] koaQ7Jey 2017年12月24日 08:56:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

女性にたいする先入観を覆して成功したヴァイオリニスト(チョン・キョンファの場合)

ビジネスの世界でも、もしかしたら

まだまだ女性への偏見とか先入観があり、

女性が成功する場や機会を奪う傾向が

あるのかもしれません。


このブログでもすでに、クララ・シューマン や

ファニー・メンデルスゾーン のことを取り上げ、

19世紀のヨーロッパで、女性が音楽家として

やっていくのが、いかに難しかったかを

ご紹介しました。


21世紀の現在、女性の社会的地位は

向上しているかのように見えますが、

結婚、出産ということが絡んでくると、

どうしても問題が出てくるようです。


また、性差へ対する謂れのない

偏見とか先入観も、まだまだ

どこか残っているのかもしれません。


今から30年も40年も前なら、

そういう風潮はもっと激しかったでしょう。


しかも、アジア人としてアメリカ合衆国で

成功を収めようとすると、

さらにいろいろな問題や障害があったでしょう。


今回は韓国出身の女性のヴァイオリニスト、

チョン・キョンファを取り上げます。


音楽一家に生まれ、兄弟はいずれも

優秀な音楽家として世界的に有名です。


韓国で生まれ育ち、最初のレッスンも

初舞台もソウルでしたが、韓国では

十分な音楽教育はできないだろう、

と思った両親は、思い切ってアメリカへ

子供たちをつれて移り住みます。


教育に熱心で、しかも外国を目指す

韓国の底力を感じさせます。


当時、キョンファは13歳でした。


ヴァイオリン教師として有名な

アイヴァン・ガラミアン に師事します。


ガラミアン は確かに優れた教師でしたが、

女性に対してはちょっとした偏見というか、

まぁ、先入観がありました。


結局、女は結婚すると仕事はできなくなる、

最初からそうとわかっているのなら、

なぜ女の子に手間ひまかけてレッスンなんぞ

してやらねばならないのだろうか?!


ガラミアン のレッスンは厳しいものでした。


男女を問わず、どにかく厳しかったようです。


しかし、キョンファにとって、先生の厳しい

レッスンが、むしろちょうどよかったらしく、

めきめき腕をあげていきました。


それどころか、ガラミアン の厳粛なレッスンは

彼女に合っていたともいえるほど、彼女は

文句も言わず、どんどん伸びていったのです。


それは、もしかしたら、思春期中の女の子が

ニューヨークに来て間もなく持たざるを得なかった

劣等感を克服するための努力そのものだった

のかもしれません。


韓国では神童扱いされ、ちやほやされても、

世界の中心地ともいえるニューヨークに来れば、

キョンファくらいの、あるいはそれ以上の才能を

持った若者はうじゃうじゃいるわけで、たいして

話題にもなりません。


おまけに言葉のハンディーもあり、なかなか

思うように自己表現もできなかったのです。


となると、多感なティーンエイジャーの心の拠り所は

ヴァイオリンだけとなったのでしょう。


キョンファがあまりに熱心に練習するので、

両親は娘の健康のことに気遣っていたそうです。


さて、キョンファの努力は次第に実を結びます。


チャイコフスキーコンクールに出場

できるほどにまでなりますが、

政治的な背景があり、出場はできませんでした。


韓国は『冷戦時代』には国民はいわゆる『東側』、

『共産圏』の国には入国できなかったのです。


それで、別のもう一つのコンクールに出場

することになりました。


ここでまた問題が持ち上がります。


ガラミアン 先生のもとで勉強していた

ピンカス・ズカーマン がそのコンクールに

出場することになっていたからです。


ガラミアンは、女性は結婚すれば音楽家をやめて、

ただの女に成り下がると思っていたわけだし、

愛弟子のピンカス・ズカーマン のほうを

やはりひいきしていたのだろうし、

有名なヴァイオリニスト、アイザック・スターン も

ズカーマン を支持していたこともあって、

キョンファにとって不利なように見えました。


しかし、開けて見なければわからないのが

コンクールの結果です。


両者は互角に戦います。


ということで、コンクールの審査員である

アイザック・スターン は、両者にもう一度

演奏してもらって『優劣』をつけてもらう

ように提案しますが…


結局、二人は『優劣』つけがたいということで、

コンクール始まって以来、初めて、第1位が

二人の参加者に与えられることになったのです!


それがキョンファの国際的な活動のきっかけと

なります。


ガラミアン の元を離れ、ヴァイオリニストの

ヨーゼフ・シゲティの元でさらに研鑽を積み、

ますます芸に磨きをかけます。


とにかく、うまくなりたい一心で練習に

練習を重ねたのでしょう。


成功しないほうがおかしいほどです。


世界的に評価されている指揮者や

器楽奏者たちからも望まれて、共演する

機会を与えられ、それによって、さらに

成長する…


ニューヨークのジュリアード音楽院の恩師、

ガラミアン は、女性としてそのまま仕事を続け、

成功を収め続けるには、結婚をしないこと、

子供を持たないこと、などと主張していた

らしいのですが、キョンファは、結婚もし、

子供も持ち、それでもヴァイオリニストとしての

キャリアはそのまま維持し、ずっと成功を

収め続けています。


すごいことです!


異国の地で、言葉もままならず、劣等感も

持たざるを得ない状況下にあったかもしれないのに、

それにもめげず、また教師の先入観にもめげず、

国際的な評価と名声を得たキョンファの生き方と

その力強い音楽作りは、僕たちに勇気と希望を

与えてくれるのではないでしょうか。


あ な た も 何か周囲の偏見とか先入観とかに

悩まされてはいませんか?


そういう時、ヴァイオリニストのチョン・キョンファの

半生が、あ な た を 奮い立たせ、何らかのヒントを

与えてくれるかもしれませんよ。


あ な た の ご成功を心からお祈りします。
https://ameblo.jp/denis-jr/entry-10881198273.html


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/206.html#c1

[番外地7] マルタ・アルゲリッチ 名演集 中川隆
2. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2017年12月24日 09:03:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


こんなに知ってしまって良いのだろうか

『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』(オリヴィエ・ベラミー)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81-%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%A8%E9%AD%94%E6%B3%95-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%BC/dp/4276217962


弱りめにたたり目とばかり週末からひどい胃痛と熱に悩まされた。昨日医者に診てもらった帰りに、おぼつかない足取りで書店に入るが、書棚を眺めども眺めども何の勧興も湧かずにいた。最後の書棚でこの書を見つけて、なにか怖ろしいものが隠されているのだと確信しつつ、やはり思わず買い求めた。そして体調のことはそっちのけに一気に読んでしまった。『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』(オリヴィエ・ベラミー著、音楽之友社)。

こんなにアルゲリッチのことを知ってしまって良かったのだろうか・・・。これが深いため息とともに読後に思ったことだった。

幼少時代から出会ったそれぞれの師たちから吸収していったこと、そして師に影響を与えていったこと。クラウディオ・アラウがアルゼンチンで弾いたベートーヴェンのピアノコンチェルト第4番ト長調を聴いた際のことは有名だけれども、そのあとに数々の名演奏家との出会いと触発啓発があった。

フリードリッヒ・グルダによってウイーンに学ぶ計らいをしてもらい、マドレーヌ・リパッティ(亡きディヌの妻でこれまたピアニスト)にも師事し、クララ・ハスキルに出会い、そして1957年のブゾーニ・コンクールとジュネーヴ・コンクールで一と月を開けずして連続して優勝をしてしまうこと。引き続いてのヨーロッパ・デビュー後4年を経たずして、演奏活動から身を引いてしまったこと。そしてミケランジェリのもとに1年半も留まったにもかかわらず、その間わずか4回しかレッスンをうけなかったこと。

思春期以降の恋愛の遍歴。3人の娘(リダ・チェン、アニー・デュトワ、ステファニー・アルゲリッチ)のそれぞれの父親(ロバート・チェン、シャルル・デュトワ、スティーヴン・コヴァセヴィッチ)とのことも、ここまで知ってしまうと、もし隣に彼女がいたとしたら、なにか労いの言葉をかけてしまいそうになるほどだ。そんな一連のあとミッシェル・べロフが登場してくる。ああ知らなかった。絶頂期のべロフに襲った手の病気は、過労や酷使ということではなく、彼女との間の愛と音楽の力量についての葛藤による神経性ジストニアの可能性が大であったのだ。

そのような彼女の変遷を見守ってきたネルソン・フレイレ。いまも温かく彼女を支え共に音楽を昇華させる彼の姿勢にはただだた感銘する。

この書は、なんとも不可思議でしかし芸術家の間であれば常識的な恋愛関係の複雑さについても、サイドストーリーとしてそこここに散りばめている。アルゲリッチのパートナーだったスティーヴン・コヴァセヴィッチは、ジャクリーヌ・デュ・プレの最初のパートナーだったということ{バレンボイムの前)。そしてそのダニエル・バレンボイムはアルゲリッチが多く競演するバイオリニストのギドン・クレーメルの最初の妻(エレーナ・バシキローヴァ)と再婚していること。

まだまだある。アルゲリッチがシャルル・デュトワと別れたのは、彼がキョンファ・チョンと隠れて付き合っていたことが発覚したためであること。ピエール・フルニエの妻は、もともと同じチェロ奏者のグレゴール・ピアディゴルスキーと結婚していたこと、イーヴォ・ポゴレリチはショパンコンクウールで落ちた21歳の時すでにピアノの師でありずっと年長のアリス・ケゼラーゼと結婚していたこと。

こんなことまでも知ってしまっていてよいのだろうか、とこれについてもただただ驚くばかりだ
http://hankichi.exblog.jp/16780936/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/185.html#c2

[原発・フッ素49] 犬の飼育数減「尋常でない」 目立つ50代の減り幅 (朝日新聞)  魑魅魍魎男
1. 中川隆[-5720] koaQ7Jey 2017年12月24日 15:55:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html

真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/263.html#c1

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
163. 中川隆[-5720] koaQ7Jey 2017年12月24日 16:33:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月23日
韓国から脱出して海外移住する若者達 日本での就職も人気

韓国で就職を諦めて外国に移住する人が多い
引用:http://www.kjclub.com/UploadFile/exc_board_67/2014/10/26/vlcsnap-2014-10-25-23h53m49s148.jpg

出て行く人が入ってくる人より多い

日本は国籍離脱者より外国からの帰化者の方が多いか、トントンの状況が続き、人数も1000人前後と少ない。(外務省資料)

海外で生活する在留邦人は2013年で125万8,263人、日本で生活する在留外国人は、2015年に在日を除いて188万3,563人でした。

在日(特別永住者)は34万8,626人であり、「日本から出て行く人」より「日本に来る人」がずっと多い。



韓国に在住する外国人は2014年に179万7000人で、中国人が半分を占め、日本が4万9000人(2.7%)だった。

ところが韓国以外の国で生活する韓国人は、韓国政府によると2014年に718万人も居ました。

韓国政府は国籍ではなく「在外同胞」と呼んでいて、外国籍の韓国系外国人も含んでいると思われます。


例えば日本に住む同胞は約85万6000人(2015年)だが、日本政府によると在日韓国人は34万人しか居ません。

足りない51万人は、日本に帰化した元韓国人であり、われわれの常識では既に韓国人ではない。

日本ではアメリカに帰化した日本人は、あくまで「日系人」であり日本人ではないが、韓国人の感覚は違う。


2016年に韓国国籍を放棄した韓国人は3万6404人で、10年間で22万3611人に達し、日本の年間500人から1000人よりかなり多い。

韓国国籍を放棄した人は、米国国籍を取得した人が最も多く、継いで日本国籍取得者が多かった。

逆に韓国に帰化する外国人の人数は、2014年に1万8000人ほどで、離脱者の方が多い状況が続いているのが分かる。

韓国から脱出する韓国人

韓国経済の景気悪化にともなって、韓国から脱出する若者が増加している。

ソウルの若者の失業率は20%とされていて、就業していても非正規の低賃金労働が多く、それだけでまともな生活はできない。

韓国の大企業はサムスンや現代が有名だが、そうした一流企業に就職しても、40代でリストラされるケースが多い。


意識調査では20代と30代の8割が外国への移住を希望し、40代も7割が移住を希望している。

移住先として人気なのはやはり米国で、最近人気上昇しているのは北欧や欧州、高学歴な人を高収入で雇っているという話です。

日本は空前の人手不足で、隣りの韓国は空前の就職難なので、やはり日本で就職しようという人も居るが、以前とは違ってきている。


1970年以前は密航者として日本に渡り、不法滞在しながら底辺労働をし、養子や婚姻などで在日として在留資格を得る人達が居た。

80年代から2000年代も韓国と日本には明らかな経済格差があり、女性の「夜の職場」とか肉体労働などが多かった。

今の韓国の若者はもっと良い働き先を求めていて、以前のように底辺労働をしようとは思っていない。


IT技術者などで高収入を得るために日本に来るので、将来は社内で日本人との競争になるでしょう。

日本で就職した韓国の若者への調査では、6割近くが「現在の生活に満足」と回答している。(韓国貿易協会東京支部調査)

不満と答えたのは意外にも15%で、85%が「知人にも日本での就職を勧めたい」と答えている。


彼らの何割かは、将来は日本に永住して「在日」になるのかも知れない。
http://www.thutmosev.com/archives/74181189.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c163

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
164. 中川隆[-5719] koaQ7Jey 2017年12月24日 16:49:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「自国民でも殺す」で殺された韓国大統領
12/23(土) 11:15配信 プレジデントオンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171223-00024041-president-bus_all&p=1


逮捕後の取り調べの中で、朴正熙大統領暗殺事件当時の状況を再現する金載圭・KCIA元部長(中央、写真=AP/アフロ)


1979年、韓国の朴正熙大統領が、実質的な政権ナンバー2に射殺されました。なぜそんな事件が起きたのか。殺害現場には2人の若い女性。大統領が月に数回、若い女性を集めて催す「行事」の最中だったのです。しかも、朴大統領は死の直前、政権への反対デモを封じるため、「自国民でも殺す」と宣言していました――。

■大統領専用の秘密施設

 それは大統領官邸「青瓦台」の西側の一画、鍾路区の宮井洞にありました。レンガ造りの二階建ての建物で、高い塀に囲まれており、要人の私邸のような表構え。政府関係者さえも、多くが秘密施設の存在を知りませんでした。

 後に明らかになったことですが、この建物は当時のKCIA(韓国中央情報部)が管理運営する「安全家屋(安家)」と呼ばれる施設でした。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領はいったい、ここで何をしていたのでしょうか。

 宮井洞の安家では、大統領のための酒宴がひんぱんに行われていました。当時のKCIA(中央情報部)の朴善浩(パク・ソンホ)儀典課長の証言によると、大統領、中央情報部長、秘書室長、警護室長などの大統領側近も加わった「大行事」が月2回程度、朴正熙だけの「小行事」が月8回程度。そして朴善浩は、「行事」ごとに同席する女性を2〜3名手配する任務を負っていました。(*1)

■KCIAの「裏の任務」

 朴正熙はタレント志望の学生やモデル、歌手や女優を好みました。また、同じ女性が再度呼ばれることはほとんどありませんでした。夕方頃に、その夜が「大行事」になるか「小行事」になるかの連絡が朴正熙から大統領警護室長にあり、警護室長はKCIAの儀典課長に指令を出し、女たちを大急ぎで確保させていました。

 諜報機関のKCIAがこのような指令に奔走したというのは驚きですが、KCIAは国民の個人情報を一手に握っており、大統領にとって安全な女を選び出すことができました。そして、KCIAは女たちに「秘密施設でのことを口外してはならぬ。お前を見張っている」と半ば脅迫し、大統領の元へ送りました。KCIAには打ってつけの任務だったのです。

 実際に、KCIAを恐れて、口外する女はいませんでした。それでも、娘が母親に告げ、母親が「娘が大統領の慰み者になった」と怒鳴り込んで来たこともありました。この母親は「娘を大統領夫人にするように」と執拗に迫ったそうです。

 朴正熙がテレビに出ている歌手や女優を見て、「一度、彼女に会いたい」と言えば、秘書がすぐにKCIAに連絡を取り、KCIAはその歌手や女優が所属するプロダクションに圧力をかけ、差し出させました。差し出しを拒めば、テレビ局からのオファーが無くなるということもあったようです。その中には、国民の誰もが知っているようなスターたちも含まれ、呼び出された女性は200人を超えたとの話もあります。(*2)

■そして起こった運命の「10・26事件」

 1979年10月26日午後7時40分頃、この秘密施設での「大行事」の最中、朴正熙は暗殺されます。KCIA部長で朴正熙の側近であった金載圭(キム・ジェギュ)が、朴を撃ち殺したのです。

 酒宴の席には、朴正熙、警護室長の車智K(チャ・ジチョル)、秘書室長の金桂元(キム・ケウォン)、タレント志望の女子大生1名と歌手1名、金載圭を入れて計6名がいました。この席で朴正熙は、当時の反朴政権活動に対するKCIAの失態について、金載圭を叱責しはじめました。車智チョルも大統領と一緒になって、金載圭をなじりました。

 すると金載圭は腰から拳銃を取り出し、車智Kに銃口を向け、朴正熙に「閣下、こんな虫けらのようなヤツと一緒に政治ができますか」と叫び、車を撃ちました。そして、「何をしている! 」と怒鳴った朴正熙に向かっても、引き金を引きました。

 朴正熙と車智Kにとどめを刺そうと、金載圭はさらに拳銃を撃とうしますが、拳銃が故障して作動しません。そこで、金載圭は外で待たせておいた部下の朴善浩から拳銃を借り、部屋に戻ります。

 車智Kは腕を撃たれていました。胸を撃たれ意識不明の大統領を置いて部屋から脱出しようとした車智Kは、戻ってきた金載圭に出くわして射殺されます。金載圭はさらに、倒れていた朴正熙に近づくと、頭部を撃ってとどめを刺しました。同席していた秘書室長の金桂元と、2人の女性は逃がされました。

■政権ナンバー2の男がなぜ

 大統領を射殺した金載圭とは、いったい何者でしょうか。金載圭は朴正熙よりも9歳年下でしたが、1946年に設立された南朝鮮国防警備隊士官学校では同期でした。日本陸軍にも従軍経験があり、日本名は金本元一です。

 朝鮮戦争では将校として活躍します。持ち前の真面目さと勤勉さで、周囲からも高く評価され、准将に昇進します。

 1961年、朴正熙が起こした5・16軍事クーデターに、金載圭は直接関わってはいませんでしたが、朴正熙と同郷の慶尚北道亀尾市出身ということもあって、後に大統領の目に止まります。実直な金載圭は朴正熙に忠誠を誓うようになり、朴正熙もそれを評価し、要職を歴任させます。旧日本陸軍出身ということもあり、金載圭と朴正熙はよく日本語で密談していたという話もあります。1976年、金載圭は遂にKCIAの部長に就任し、実質的な政権ナンバー2となります。

朴正熙の娘である朴槿恵(パク・クネ)前大統領のスキャンダル「崔順実(チェ・スンシル)事件」も、その源流をさかのぼると金載圭の名前が出てきます。崔順実の父親である崔太敏(チェ・テミン)は新興宗教の教祖で、1974年の文世光事件で母を失い悲しみに暮れていた朴槿恵に接近したのです。朴槿恵は崔太敏を信じました。

 朴正熙は崔太敏を不審に思い、調査させます。当時、KCIAの部長であった金載圭は「崔太敏と朴槿恵が部屋に入れば、一日中出てこない」という内容の報告を大統領にしています。また、崔太敏率いる宗教団体「大韓救国宣教団」のさまざまな不正も、金載圭が調査し、大統領に書類を提出していました。

 朴正熙が崔太敏と朴槿恵の2人を呼んで直接、聞いたところ、崔太敏はこう答えます。「私たちは霊的な家族や夫婦のようなものであって、肉体に関する浅ましい話はしないでほしい」(*3)。朴槿恵の弁護もあり、大統領は納得し、金載圭を叱責しました。しかし、今から思えば、崔太敏に危険を感じていた金載圭は正しかったのです。

■「100万や200万程度殺しても心配ない」

 では、朴に忠実であった金載圭がなぜ、朴を射殺したのでしょう。事件から40年近くたった今も、その動機については韓国内で意見が別れています。

 朴大統領殺害事件の捜査指揮を執っていた保安司令官の全斗煥(チョン・ドゥファン、後に大統領)は、金載圭が自ら大統領になろうとして朴を殺したと断定し、「内乱目的殺人罪」で起訴しました。一方、金載圭本人は事件後の裁判の最終陳述で、事件は韓国の建国の理念である「自由民主主義」を回復するために起こした革命である、と主張しました。

 車智チョルと金載圭という側近同士の対立が、事件のきっかけとなったという見方もあります。傲慢不遜(ごうまんふそん)で年上の人間にも敬語を使わず、本来KCIAの領分である政治にまでしばしば口を出す車智チョルと、自分こそが朴の忠実な部下であると自認する金載圭との間には、事件のはるか以前から確執がありました。以前から仕事上2人をよく知っており、問題の宴席にも同席して生き残った秘書室長の金桂元は、大統領の面前で8歳も歳下の車智チョルにトゲのある皮肉を投げかけられ、激怒した金載圭が偶発的に事件を起こしたのではないかと、法廷で証言しています。

 しかしそれならば、朴正熙までを殺す必然性はなかったはずです。そこで浮かび上がるのが、当時の「釜馬民主抗争」に対する朴正熙の対応です。

大統領暗殺より10日ちょっと前の1979年10月4日、韓国の国会で、最大野党の新民党総裁である金泳三(キム・ヨンサム)の除名決議案が、与党の画策により通過しました。金泳三の地元である釜山とその隣の馬山市(現昌原市)では、これに反発した学生や市民による、反朴政権の大規模デモが発生します。

■内乱を危惧する部下、流血も辞さない大統領

 この「釜馬民主抗争」の情勢を分析していた金載圭らKCIAは、「事態は深刻で、放置すれば暴動が5大都市(ソウル、釜山、仁川、テグ、光州)すべてに広がり、内乱になる」と朴正熙に報告しました。金載圭は自ら釜山を視察し、朴正熙政権の破局の可能性を感じ取っていたのです。

 しかし朴正熙は、「KCIAが手ぬるいから、こんなことになった! 」と激怒しました。報告の場にいた車智Kは大統領に同調し、「閣下、カンボジアでは(ポル・ポト政権が)300万程度殺しても問題ありませんでした。デモ隊を100万や200万程度殺しても心配ありません」と暴言を吐きます。朴正煕は「今度は大統領である私が発砲命令を下す! 」と叫んだといいます。

 金載圭は肝硬変を患っており、そう長くは生きられないことを自覚していました。流血の惨事を防ぐためにも、自国民への発砲命令をも辞さない大統領の暴走を終わらせることが自らの使命であると、覚悟を決めたとも考えられます。

 金載圭は裁判の結果、絞首刑となります。


 (*1)雑誌「新東亜」1998年11月号 「朴善浩軍法会議証言録音記録」

(*2)「新東亜」2005年12月号 「金載圭弁護人アンドンイル弁護士が打ち明けた『大統領の私生活」」

(*3)ハンギョレ新聞2016年11月5日 崔太敏の知人、チョン・ギヨン牧師インタビュー

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c164

[政治・選挙・NHK237] 東京新聞望月記者「政権の矛盾のしわ寄せを受けるのは官僚」(NEWS ポストセブン) 赤かぶ
2. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2017年12月24日 17:28:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
> 加計問題を告発した前川喜平前文科次官は官邸との対決の矢面に立ちましたが、その他大勢の匿名の官僚たちが、「自分たちは安倍政権のためじゃなく、国民のために仕事をしているのに」と不満を溜め込んでいるんです。


こいつ、何も知らない知恵遅れだろ

官僚の上司はアメリカ軍人、日本の政治家は上役じゃないから無視してるのさ:

米軍の動き 横田基地ー六本木ヘリポートーニューサンノー米軍センター @
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html


さて、選挙というのは単なるショー。
自民が勝っただの、立憲君主が躍進しただの。

選挙とは、ちゃんと国民主権でやってますよ〜
国民様の意見を聞いてますよ〜というポーズ。
プロレス中継とほぼ変わらないのです。

でも、バカな一般市民はプロレスの方に一喜一憂して、その裏のプロモーターについてはスルーしてるのです。

まぁ、良く言うことですが、
真実の動きを知りたければ、ヒト、モノ、カネの動きを追え。

例えばカネについては巨額の年金ファンドがどこを買ってるのか。
そこに着目すれば、だいたい未来が予測できてしまう。
先日ブラックロックが軍需産業株をしこたま買ってると書きました。

では一方、例えばヒト、モノはどうでしょう。
例えば軍隊。
多くのヒト、物資が動くのは軍隊でしょう。

どこかの国の政治を理解するのにはテレビの政治ショーではなく、軍隊の動きを見る。
それでその国の政治が分かってしまうのです。

以下の本は最近ベストセラーになってる本でした。

在日米軍の動きを書いてる本です。

知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書)
矢部 宏治 講談社 2017-08-17
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/


読んだ人も多いのじゃないでしょうか。

著者がこう言ってます。

今、日本に住んである程度生活に満足してる高齢者はこの本は読まない方が良いでしょう。
なぜならこの国に対する幻想が根底から崩れ絶望してしまうからだ。

日本の未来を知る必要のある若者だけが読んだ方が良い。
そう言ってます。

ワタスもそう思います。

この本の書評欄には、著者の命が心配と書いてありましたが、確かに結構危ない線まで書いてます。

まぁ、とにかく、元も子もないことが書いてあるのです。

日本は独立国だって?
ブハハハハ! アホか!
あんた、まだそんなこと信じてるの?

そんなことは幻想だよ。


日本の国会も単なるお飾り単なる政治ショーだよ。
在日米軍の動きを見たらわかるでしょ。

本当にこの日本を治めてるのは月2回開かれる米国軍人会議だよ。

毎月横田基地からヘリが飛んで来る。
そこにアメリが軍人が7名乗って来る。
そして日本の官僚が6名が呼び出されて、これからこの国をどう動かすかが決定されてるんだよ。

それを日米合同委員会と言うんだよ。
その仕組みは戦後70年間変わってないよ。

それなのに政治がどうのこうの。何党が勝っただの。バカなの?

と言ってる本でした。

うーん。。なんとも。。これは。。

ワタスが面白いと思ったのは横田基地からのルートですね。

毎月2回、横田基地から7名のアメリカ軍人が軍用機で六本木ヘリポートに降り立つ。

そこからニューサンノー米軍センターというところに移動するそうです。
車で5分だそうです。

六本木ヘリポートとは、六本木トンネルの上にあるヘリポートですね。
一度に2台もヘリが飛んで来ることもあるようです。

六本木ヒルズの横。ちゃんと米軍基地という立て看板があります。

うーん。こんなとこに米軍基地があったのか。


六本木トンネルは青山一丁目の交差点から青山霊園の脇を抜けて六本木六丁目の交差点に行くトンネルです。
この上にヘリポートがあるようです。

これは動画。こんな感じでヘリが六本木と、横田基地を行き来しています。


東京桜散歩 六本木に米軍基地が 米軍ヘリコプターが飛び立つ 2014.4.5 Roppongi - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q-dXO6WAJ5o

20120322ヘリ23区唯一の米軍施設麻布米軍基地.3GP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A8ejBfzC0dI


ヘリが低空を飛ぶので住民たちがうるさい!返還デモが起きてるようでした。
ここは別名赤坂プレスセンターと呼ぶようです。

で、ヘリで降り立ったアメリカ軍人たち。
ニューサンノー米軍センターというところに向かいます。

ニューサンノー米軍センターとはこんな場所。別名ニューサンノーホテルです。


こんな感じで会議が開かれるようです。

隔週木曜日の午前11時前、横田基地から米軍軍人7名が、軍用ヘリで六本木にある米軍基地六本木ヘリポートに降り立つ。

そこから会議室がある南麻布の米軍施設ニューサンノー米軍センターに到着する。

そこには日本側6人の各省庁の官僚が呼ばれている。
アメリカ側は全員軍人。中に1人だけアメリカ大使館公使がいる。

この秘密会議で決められた内容は国会に報告する義務も外部に公表する義務もまったくない。
事実上ノーチェックで実行できる。

その秘密会議は、日本の国会や憲法より上位の存在なのです。

これが日米合同委員会と呼ばれる会議です。

以下は組織図。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html


ここに出席する日本側6名は、外務省なら北米局長、法務省なら大臣官房長、農林水産省経営局長、財務相大臣官房審議官・・等々のトップ官僚たち。

で、この組織図の上司が米軍になるのです。
つまり日本の官僚達のトップが忠誠を誓ってるのは米軍ということです。

安倍ちゃんや政治家などお飾りということです。

以下は、この本に載ってた漫画。

http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/japan-taboo/ より

この漫画でも描いてるように。
実は、今までこの日米合同委員会についてはアメリカ側からもたびたび批判が来ていた。
米軍の軍人たちが日本の官僚に直接指示を与えるなんておかしい。
駐日公使が駐日大使に報告しているのです。
公使とは大使のすぐ下の立場の人です。

というわけで、日本政府は毎月2回、横田幕府からお使いが来て、
下々が命令をきく仕組みで動いていた。
それは戦後もずーっと変わってなかった。

ちゃんちゃん。

元も子もないお話ですね。

この本は、他に日本の空域が完全、日本人のものではなく在日米軍で使われてるとも書いてます。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/528.html#c2

[昼休み53] 日本の経済の専門家は頭がおかしい 中川隆
5. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2017年12月24日 18:55:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2017/12/25(968号)


狙いは需要創出政策の阻止


勝手に意味をスリ変え

ここ数週に渡りデフレギャップや潜在成長率などを取上げてきたが、これに関する議論が混乱していることを説明した。混乱の原因は、同じ経済用語でも使う者によってその意味が異なるからと筆者は考える。特に主流派と言われる経済学者やエコノミストが問題である。この違いをはっきりさせないまま彼等は勝手に議論を展開する。

そもそも彼等は経済論議を深めようといった意思を全く持っていない。もし議論を深めるつもりなら、最初に使う経済用語の意味や定義をはっきりさせる必要がある。しかし始めから議論なんかするつもりがないので、主流派の経済学者やエコノミストはこの重要なプロセスを省略し、一方的に片寄った持論を押付ける。日経新聞などはこの手のプロパガンダまがいの論説で溢れている。これら対し「おかしい」という意見を日本のメディアはまず取上げない。唯一の例外は、日経新聞では「カトー」氏のコラムぐらいである。


彼等と筆者達ではデフレギャップや潜在成長率の認識が異なる。筆者達は実際の供給力の天井と現実の名目GDPの差がデフレギャップと捉え、そのデフレギャップを元に算出した最大可能な成長率が潜在成長率と認識している。日本の供給力の天井は、主流派の経済学者やエコノミストが想定しているよりずっと高いというのが筆者達の主張である。

デフレギャップが1〜2%とか、ましてやデフレギャップがマイナスになる事態(つまりインフレギャップの発生)なんて絶対に考えられない。おそらく彼等は、日本ではなくインフレが常態化している中南米やアフリカなどの経済を想定した経済モデルでも使っているのであろう(あるいは「セイの法則」がある程度通用した19世紀の経済を想定)。


ところが今日、デフレギャップが極小(彼等のばかげたデフレギャップの算出方法で)となったにもかかわらず、一向に物価が上昇しない現実に直面している。先週号で述べたように、困惑した主流派の経済学者やエコノミストはデフレギャップのゼロの意味を「必ず物価が上がる」ではなく「上がりやすい状況になる」と卑怯にも勝手にスリ変えている。その程度の話なら、何故、彼等がこれまでデフレギャップや潜在成長率をことさら取上げて来たのか意味がない。

筆者は、政府機関は人心を惑わせるこれらの数字の算定を即刻止めるべきと言いたい(少なくともこれらのデタラメな経済数字の公表はするな)。もっとも主流派の経済学者やエコノミストの意図は見え透いている。人々(政治家を含め)が需要不足に関心が向かないないよう、供給サイドがパンク状態ということを強調したいのであろう。要するに財政出動による需要創出政策を阻止することが真の狙いと見られる。


先週号で説明したように、日本のデフレギャップや潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識して算出されている。この詐欺的な算出方法に同調する日経新聞は、日本中の人手不足の現場を必死になって捜し回って記事にしている。人手不足だからこれ以上の需要創出政策は不要と言いたいのであろう。

しかし人手不足の職場は、不正規雇用が中心で低賃金のところばかりである。例えば時給1,000円のアルバイトが足らないといった類の話になる。このような職場には、外国人の労働者が目立つのですぐ分る。しかし日経新聞を始め、日本のメディアは「時給1,000円」の意味を考えない。年間2,000時間も働いても(日本の正規雇用労働者の年間労働時間の平均はもっと少ない)、たった2百万円の収入にしかならない仕事である。一時的、あるいは片手間で働くのなら別だが、外国人を除けばそのような職場に人が集るわけがない。

もう一つの人手不足の現場は、昔から人々が敬遠する3Kの職場である。特に団塊の世代が引退しているので人手不足が顕在化している。ところがまだ有効求人倍率を見て、日本は完全雇用と言っている間抜けなエコノミストがいる。しかし求人の中にどれだけ多くの「ブラック職場」が含まれているか彼等は関知しないようだ。


履歴効果に負けないために

観念論者が唱えるNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップや潜在成長率の算定方法が、「おかしい」という声はとうとう米国でも起っている。失業率が完全雇用に近いと言われるレベルまで下がっているのに、米国でも一向に物価は上昇しないし賃金の上昇も鈍い。特にこれを気にしているのが米FRBである。

16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
http://www.adpweb.com/eco/eco904.html


で述べたように、求人が増えているといっても「雇用の質」が問題とイエレンFRB議長は適確な指摘をしている。米FRBが金融政策の転換に慎重なのも、このような米国の雇用情勢が影響している。移民が多く新興国並の需要がまだ期待できる米国でも、自然失業率というものに対する疑問が呈されているのである。米国より経済が成熟し高齢化が進む日本で、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識した議論がまかり通っていることの方が異常である。


そして日本経済が長く不調を続けることによって、本当の経済力を失うことを心配する声がある。先週号で紹介した「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。ここで言う潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)に基づいて算出されるインチキ潜在成長率ではなく、本当の意味での日本の潜在的な成長力と筆者は理解している。ケインズが言っていた資本主義経済における経営者のアニマルスピリットみたいなものと考えて良い。

たしかにここ30年間を見ても、経済が上向くと「次は財政再建だ」という声が必ず上がり、緊縮財政に転換し日本経済の成長を阻止する動きが起った。例えば異次元の金融緩和と大型補正予算で13年度は日本経済が上向いたが、14年度の消費増税と補正予算の大幅削減で日本経済は沈んだ。このようなことを続けていては、経営者のアニマルスピリットが萎えるのは当たり前である。

また「カトー」氏は同コラムでサマーズ元財務長官の「履歴効果」を引合いに出している。「履歴効果」とは「不況が長引くと物的資本や人的資源への投資が減少し、不況の影響が履歴のように潜在成長率に残っていく」というものである。そして「カトー」氏は「履歴効果のことを考えると、潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きい」と指摘している。したがってこの対策には拡張的なマクロ政策が必要と「カトー」氏は結論付けている。


サマーズ元財務長官は

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html

14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
http://www.adpweb.com/eco/eco807.html

で紹介したように、「米国経済の長期停滞論」を展開している。サマーズ氏は、米国のデフレギャップが10%以上あると主張している。つまりNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップの算出方法を完全否定しているのだ。したがってこれでは賃金が上がるはずがないとサマーズ氏は指摘している。

米国のデフレギャップが10%なら、生産設備の稼働率が米国より常に10%程度低く推移していた日本のデフレギャップは15〜20%程度と見て良いと筆者は思っている。またサマーズ氏は、「履歴効果」に負けないためには需要創出のマクロ政策が必要と説いている。ただし需要創出は財政政策を中心にすべきと主張し、金融緩和政策に偏重することをサマーズ氏は警戒している。

これは金融緩和政策への偏重によるバブル生成とバブル崩壊を危惧するからである。またサマーズ元財務長官は、米国だけでなく日本の経済政策にも同様のことが言えると指摘している(金融政策偏重に警鐘)。この意見に筆者は賛成である。しかし日本の来年度の予算編成を見ても、とても十分な財政政策が組込まれているとは思われない。筆者は新規国債発行による大胆な財政政策を主張してきた。しかし残念ながら、日本ではこれからも金融政策に偏重した政策が続くのである。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/894.html#c5

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
71. 中川隆[-5717] koaQ7Jey 2017年12月24日 19:05:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


グローバル企業が支援する愚民か政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html


「お遊び」としての英語教科

Nathalie Delon 1English teacher 7
(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。

  @ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。

特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

Filipino maids 1Vietnamese workers 1
(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。

English teacher in AsiaEnglish teacher in Korea
(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

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(左: 英語を話す黒人女性  / 右: カナダの白人女性 )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

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(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

Indian man 5Jamaican in Britain 1Muslim man 3
(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c71

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
140. 中川隆[-5716] koaQ7Jey 2017年12月24日 19:05:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

グローバル企業が支援する愚民か政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

「お遊び」としての英語教科

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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。


  @ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。

特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

Filipino maids 1Vietnamese workers 1
(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。

English teacher in AsiaEnglish teacher in Korea
(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

English teacher 6Alexz Johnson 1
(左: 英語を話す黒人女性  / 右: カナダの白人女性 )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

kate 21Meghan Markle 11Queen Elizabeth IIPrince Philip 2
(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

Indian man 5Jamaican in Britain 1Muslim man 3
(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c140

[政治・選挙・NHK237] 安倍壊憲を国民投票で断固阻止しよう−(植草一秀氏)  赤かぶ
1. 中川隆[-5715] koaQ7Jey 2017年12月24日 19:35:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
普通選挙をやっている国に憲法は必要ない

法律について何一つ知らない学生アルバイトがやっつけ仕事で でっち上げた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた  
 
経済コラムマガジン 15/6/15(848号)

22才のベアテが作った日本国憲法条文


•日本の憲法学者の素性

6月4日の衆院憲法審査会で、安保法案の審議に影響を与えかねないハプニングが起った。与党の参考人の憲法学者がなんと「集団的自衛権は違憲」と表明したのである。野党側参考人二人はもちろん「集団的自衛権は違憲」としているので、三名の参考人全員が違憲を表明したことになる。野党はこの「棚からぼたもち」的発言に飛びつき、反安保法案の攻勢を強めている。

安倍政権は安保法案を今夏までに仕上げる予定であったが、この憲法学者の不規則発言がとんだ逆風になっている。直接的には関係のない衆院憲法審査会が、現在の重要法案審議の足を引張る形になった。マスコミも事態を面白がり、連日、これを取上げている。


そこで今週は、経済から離れ日本国憲法と憲法学者を取上げる。まず筆者は、昔から「日本国憲法はばかばかしく」、また「日本の憲法学者は怪しい」とずっと思ってきた。図らずしもそれを示してくれたのが、衆院憲法審査会での三名の憲法学者の意見表明というハプニングであった。

よく知られている話であるが、日本国憲法とその成立過程は本当にデタラメであった。新憲法の原案をGHQがたった8日間で作成し、これを和訳して日本政府に示した。日本政府はこのデタラメの原案を元に体裁を整え日本国憲法を策定し、47年5月3日に新憲法は施行された。この成立過程を見れば、いかに現行の日本国憲法がデタラメであるか理解できるはずである。

しかし卑怯者の日本の憲法学者は、当然、成立過程の真相を知っているのに、ほとんどこの真実に触れない。むしろ日本国憲法の正統性を声高に唱えるばかりである。そもそも成立過程が本当にデタラメなのだから、一つ一つの条文を吟味することは無意味とさえ筆者は考える。この無意味でばかばかしいことを毎日やっているのが、ほとんどの日本の憲法学者である。


このデタラメさを示す一例として、ベアテ・シロタ・ゴードンという当時22才の女性が日本国憲法作成に関与した話を取上げる。ベアテ女史は、両親がウクライナ系ユダヤ人であり、元の国籍はオーストリアであったが(ロシア革命でユダヤ人が排斥されたため両親がウクライナからオーストリアに移住した)、後に米国に変った。父親レオは有名なピアニストで、演奏会を開くため半年の滞在予定で来日した。しかし東京音楽学校(現在の東京芸大)の教授の職を父親のレオが得たため、5才のベアテは両親と共に日本に住むことになった。

彼女は大森ドイツ学園とアメリカンスクールで16才まで教育を受けた。途中でアメリカンスクールに移ったのは、ドイツでナチスが台頭し、ユダヤ人のベアテが大森ドイツ学園に居づらくなったからである。両親は教育熱心で、ベアテにフランス語と英語の家庭教師を付けた。この結果、彼女は、ドイツ語、ロシア語だけではなく、フランス語、英語、さらにラテン語にも堪能になった。また10年間も日本に住んでいたため日本語もできた。この語学の才が後に日本国憲法起草に関わるきっかけを作った。

16才で彼女はサンフランシスコのミルズ・カレッジに留学した。一時、両親も訪米したが、大平洋戦争開戦の直前に日本に戻った。戦争で両親との連絡が途絶え、仕送りがなくなったベアテは、アルバイトとして米連邦通信委員会(FCC)で日本短波放送の翻訳の仕事を得た。さらにFCCから戦争情報局(USOWI)に移り、ここでは対日プロパガンダの原稿作成のアルバイトを行った。彼女はタイム誌を経て、終戦後、両親が住む日本に戻りGHQ民政局に職を得た。GHQに採用されたのも、ベアテが日本語が堪能であったからである。とにかく当時の米国には、日本語を理解する者がほとんどいなかった(日本語が出来る白人は全米で60名程度)。


•日本国憲法は「埋草」

GHQは、日本の占領統治に法律の整備が必要と考え、まず憲法を新たに制定することにした。ところが時間に迫られ、憲法の原案を一週間で策定することになった。ここで狩り出されたのが、日本語が出来る22才のベアテ女史であった。まるで冗談のような話であるが本当の事である。

実際、彼女は日本国憲法の24条、25条、27条の制定に深く関わった。特に24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)はほぼベアテ女史が原案を策定したと言って良い。GHQ上層から日本国憲法策定の指示を受けた彼女が参考にしたのは、ワイマール憲法、米国憲法、フィンランド憲法、そして何とソ連憲法であった(都内の図書館でこれらを閲覧)。ちなみにソ連憲法を参考に「土地の国有化」を日本国憲法に取入れようと条文を作ったが、さすがにこれは上司が削ったという。


このように日本国憲法の成立過程は相当デタラメであった。ところがこのデタラメさはGHQにとって決して不合理ではなかった。とにかく早急な日本統治に必要な法体系の整備に迫られていた。明治憲法を廃する以上、これに替わる新たな憲法を作る必要があった(もちろん暫定的な憲法)。つまり明治憲法の「埋草」が新しい日本国憲法である。したがって「埋草」だから体裁が整っておれば何でも良かったのである。

GHQは、連合国の占領が終わり日本が独立すれば、当然、日本国民は自分達で憲法を新たに制定するものと考えた。しかし少なくとも占領終了までは憲法は形として必要であり、したがって占領政策を邪魔するものでなかったなら何でも良かった。法律を専門に学んだわけでもない22才女史のアルバイト感覚で作った憲法の条文も可であったのである。また暫定的な憲法だからこそ、素人の22才の女史に憲法原案の策定を命じることができたのである。むしろ占領が終結して60年以上も経っているのに、このデタラメな憲法を改正しない日本の方が異常と米国は考えていると筆者は思っている(内政干渉になるから口には出さないのであろう)。


問題の戦争放棄の第9条も日本の占領政策に沿うものである。当然、敗戦国の日本が占領軍にクーデターを起こすことを警戒した条文と考えられる。しかし未来永日本が戦力を持たないということは全く想定していなかった。それどころか第9条を押付けておきながら、早くも新憲法施行の翌年の48年には米側の関係部署で「日本の限定的再軍備」という答申がなされている。

再軍備は日本側が働きかけたのではなく、新憲法で日本に戦争放棄を迫ったはずの米国から打診されたのである。むしろ再軍備を渋ったのは、吉田茂首相率いる日本政府の方であった。たしかに戦後の経済の混乱で食う物も食えない状態の日本にとって、とても再軍備の余裕はなかった。

しかし朝鮮戦争の勃発などによって、米国からの再軍備の要請はさらに強くなった。ついにこの要請を受け入れ日本は、50年に警察予備隊を設立、また52年はこれを保安隊に改組し、さらに54年には自衛隊を発足させた。これから解るように戦争放棄を唱った第9条は、米側(GHQ)の手違いみたいなものであった。実際、筆者は、新憲法の施行が1年遅かったなら、戦争放棄の第9条は憲法に盛込まれなかったとさえ思っている。


筆者は、日本国憲法のいい加減な成立過程を考え、大半の憲法学者を筆頭に日本の護憲派に対して強い嫌悪感を持つ(はっきり言って彼等は軽蔑の対象である)。護憲派は、嘘つきで詐欺師とさえ思っている。またなぜか憲法学者には、不遜で理由もないのに他人を見下すような者が多い。

衆院憲法審査会で「集団的自衛権は違憲」と表明した憲法学者の中には、よくテレビでよく見かける者がいる。彼は討論番組に出ると他の出席メンバーを「もっと勉強しろ」と罵倒する。しかし意見を聞かれると決まって「憲法を改正するのが筋」としか言わない。まるで小学生の答えである。もちろん現憲法の改正が事実上無理と解っていての発言である。筆者は、この憲法学者がテレビに登場すると直にチャンネルを変える。
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 英米派と大陸派の憲法観の違い

世界の中で日本だけが「憲法」を異常な捉え方をしていると筆者は思っている。年中、憲法で騒いでいるのは日本ぐらいである。このような事態になったには、先週号で取上げたように戦後の左翼勢力と左翼思想の存在が原因としてある。また日本のマスコミと憲法学者がこれを助長してきたと筆者は思っている。こんな中、今週は安倍政権に対しいくつかの提言を行いたい。


まず観念論者は、全体の法体系の中で憲法というものを位置付ける。理想的な憲法がまず出来上がり、その下に各種の法律が制定される。もし法律が憲法を逸脱していたなら違憲ということになる。

しかしどれだけ完全で理想的な憲法を作っても、時間が経ち状況が変化すれば、現実に合わなくなる。そこで憲法の改正という話になる。しかし一般の法律と異なり、どの国でも憲法改正の条件を厳しくている。例えば議院議席の3分の2以上の賛成というのが一般的である。さらに日本のように全ての条項の改正に国民投票を課す国がある。ただそのような国は少数派である(アイルランド、オーストラリア、韓国など)。


ところで案外知られていないことであるが、憲法に重きを置いている国とそうではない国がある。前者の国は成文憲法を絶対と捉え、一般の法律が憲法に逸脱することを許さない。ドイツやフランスといった大陸派の国である。したがってこのような国では頻繁に憲法の方が改正されている。戦後だけでも、ドイツ59回(先週号で58回としたのは間違い。ドイツが異常に多いのはおそらく東西ドイツの統合も影響)、フランス27回、イタリア16回という具合である。

これらの大陸系の成文主義に対して、英米のような成文憲法を軽く見る一方で、むしろ判例を重視する国がある。このような国では憲法改正にこだわらない(ただそれでも米国は戦後6回の憲法改正を行っているが)。特に英国は成文憲法さえ制定していない。

日本は、事実上憲法改正が不可能なので、これまで憲法の事実上の解釈の変更で現実に対処してきた。典型例が砂川事件裁判での最高裁判決「日本には自衛権がある」である。この判例を元に政府は自衛隊の整備を進めてきた。これは英米派に近い対応だったと言える。


ところがこれに対して日本の左翼やその取巻きの憲法学者は、ずっと大陸系の成文主義にこだわってきた。したがって自衛隊は違憲と強固に主張してきた。もっとも保守陣営にも成文主義を唱え、憲法改正を推進する者がいる(憲法を改正して自衛隊の立場を明確にすると主張・・既に必要がないのに)。

GHQがたった一週間で作った憲法原案を占領下の日本政府に示し「ほれこれで憲法を作れ」としたのも、米国が憲法というものに重きを置いていないからと筆者は思っている。新憲法施行後、たった1年で日本の再軍備を画策したり、本当に米国は憲法を軽んじる国と理解する必要がある。ちなみに筆者は、昔、改憲を支持していたが、今日、憲法不要論を唱えている。


上記で述べたように成文憲法を軽視する英米に対して、成文憲法を重視する大陸系(ドイツやフランスなど)に分けられる。しかし大陸系の国々は、成文憲法に重きを置く結果、何十回も憲法を改正するという馬鹿馬鹿しいことをやっている。あまりにも憲法に細かい事柄を盛込むからこのような事態に陥るのである。むしろ憲法は、抽象的で未来永劫変ることがないような価値観だけを条文化すれば良いのである。そしてこれを突き詰めれば憲法不要論となる。


また日本の憲法学者の「立憲主義」という言葉は、怪しくしばしば誤解を招くと筆者は思っている。筆者は、立憲主義は王権に対抗する概念と理解している。つまり欧州における歴史的な王権と民権の緊張関係から生まれた言葉なのである。国王(君主)の自分勝手な振舞い、例えば国民に住民に重税を課したり、無謀な戦争を始めるといったことを牽制するための議会と王との間の取決めが憲法の始まりと筆者は認識している。

立憲主義は、王権を制限する概念と筆者は捉えている。つまり国王の暴走から国民を守るものが立憲主義であり憲法と思っている。ところがドイツやフランスには既に国王は存在せず、政治を司るのは選挙で選ばれた政治家である。そもそも中世の欧州のように国王(君主)が絶対的な政治権力を持つような国は、今日、少なくとも先進国には見当たらない。つまりどの先進国でも、政府は選挙民の投票行動でひっくり返るのである。もはや政府を憲法で縛る必要はない時代になっている。つまり大陸派の成文憲法の重視という考えは、本当に時代錯誤で時代遅れである。


•憲法改正の可能性は全くない

今日の最大の政治的テーマは安保法制である。安倍政権はこの法案成立を目指し9月まで国会の会期を大幅に延長した。しかし一連の法案が憲法に抵触すると言って、野党は強い抵抗を示している。これに対して与党は、法案はギリギリ合憲の範囲内と突っぱねている。

また安保法案に関連し、憲法改正を先行させるのが筋という意見が多い。しかしこのもっともらしい話が曲者と筆者は見ている。今日、憲法を改正しようという動きはむしろ安保法案成立の足を引張ると考える。安倍政権が本当に安保法案の成立を目指すのなら、憲法改正の動きを中断するか、一層のこと止めるべきと思っている。もっとも憲法が不要と考える筆者にとっては、憲法改正なんて論外ではある。


そもそも日本国憲法を改正することは不可能である。まず両院で三分二の賛成を得ることが考えられない。小選挙区比例並立制になり、衆議院だけはかろうじて与党が三分二の議席を得るケースが稀に出てきた。しかし参議院で与党が三分二の議席を得ることは絶望的である。

実際、これまでの参議院選で与党が三分二の議席に近付いたことさえない。特に与党にとって難しいのは複数議席の選挙区であり、ここは事実上の中選挙区になる。中選挙区では各党が議席を分け合うことになり、与党にとって不利である。そして複数議席の選挙区の定員が増えている。したがって与党が三分二の議席を得ることがますます難しくなっている。つまり衆参の与党が同時期に三分二の議席を占めるということは奇跡であり、未来永劫ないことと筆者は思っている。


そして意外と問題なのが国民投票と筆者は見ている。各種の世論調査を見ても、憲法改正に賛成する国民は5割を超えている。しかし憲法第9条の改正に限れば、賛成が5割を大きく下回る。つまり第9条含みの憲法改正案は、国民投票で否決される可能性が大きい。与党はこのことを甘く考えている。

もし国民投票で第9条含みの憲法改正案で5割以上の賛成を得るには、よほどの状況に日本が置かれた場合しか考えられない。筆者は、5年前の中国漁船の海上保安庁の巡視船への体当たり事件みたいなものがタイミング良く起らない限り、5割以上の賛成を得るということはないと見ている。つまり仮に奇跡が起って衆参で与党が三分二の議席を占めたとしても、国民投票で否決される可能性が極めて高く、その場合には憲法改正は大失敗に終わるのである。安倍政権としては、この大きなリスクのある方向に進むべきではないと筆者は考える。


また奇跡的に憲法改正が国民投票の段階を迎えれば、護憲派という左翼勢力は実力以上の力を発揮し大いに張切るはずである。左翼というものはどの時代でも自分達の非力を自覚している。しかしその分プロパガンダに長けているのが左翼である。マスコミを取込むのもうまく、今日の安保法案審議の報道にも左翼勢力の影響が見受けられる。むしろボロボロなのが保守陣営であり、彼等は「けんか」の仕方を知らない。特に若い保守派政治家は、左翼のことを全く解っていない。

日本の左翼勢力(=護憲派)は、ソ連の崩壊や成田闘争の敗北などで(他には労働組合の弱体化など)ほぼ消滅したはずであった。ところが福島原発事故をきっかけに少しずつ盛返している。ひょっとすると今回の安保法案闘争は、保守と左翼の最終決戦になるかもしれない。この大事な時期に憲法改正という左翼にとって「絶好の餌」を投入れるなんて信じられないことである。


安倍政権は今の安保法案の成立を目指して真直ぐに進めば良い。憲法を改正しようとするから下らない憲法学者が大勢しゃしゃり出てくるのである。特に憲法を先に改正すべきという憲法学者は「隠れ護憲派」と見なして良い。少なくとも憲法改正の動きは、安保法案成立にとって邪魔なだけである。

今の安保法案は憲法の許容範囲を越え違憲という声が大きい。しかしそれは個人や団体の意見に過ぎない。法案成立までの手続きに瑕疵がなければ、当然、法律は制定されることになる。

ただ法案成立後、もちろん新しい法律が違憲と訴えられるかもしれない。しかしその場合は最終的に最高裁がどのような判断をするかである。まず最高裁が高度に政治的な問題と判断を回避することが考えられる(統治行為論)。また部分的に違憲と判断することも有りうる。その場合には成立した法律の手直しが必要になるかもしれない。しかしこれらは今の段階で考えることではない。そして今日の安倍政権にとって最も需要なことは、日本国民が被る可能性がある軍事的な脅威に対する必要な法整備である。あまり時間はない。
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161 :山師さん:2015/06/28(日) 12:59:52.28 ID:Q8XtQQ6v
  
割と分かりやすい、自衛権の合憲性の根拠。
憲法の立法主旨からの見方で、アメも意図的に自衛権の禁止は外したと証言してるよ。

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私はその憲法作成の実務責任者であるチャールズ・ケーディス氏に長時間インタビューして、当時の実情や占領軍側の考えを詳しく聞いた

(『憲法が日本を亡ぼす』ではその記録を全文収録した)。

占領軍がいかに大ざっぱに、一方的に、日本の戦後の憲法を書き上げたかを、ケーディス氏は米国人らしい率直さで認めるのだった。

同氏の明かした日本憲法の真実を簡単にまとめると、以下のようになる。

(1)新憲法は日本を永久に非武装のままにしておくことを最大の目的とした。

(2)日本の自国防衛の権利までを否定する方針で、その旨の明記が最初の草案にあったが、ケーディス氏自身の考えでその否定の部分を削除した。 ← これ

(3)「交戦権」という言葉はケーディス氏にも意味不明であり、「国の交戦権を認めない」という部分はもし日本側から要請があれば、すぐに削除した。

(4)第9条の発案者が誰だったのかはケーディス氏には分からない。

(5)米国側は日本が新憲法を拒むという選択はないと見ていた。
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これ以外で、枝野や長谷川の集団的自衛権合憲論も有るけど・・・。


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憲法9条を作ったのは、GHQのケーディス大佐であることは知ってますか?

ケーディス大佐とは、チャールズ・ルイス・ケーディス(Charles Louis Kades、1906年3月12日 - 1996年6月18日)はアメリカの軍人・弁護士であり、GHQ民政局課長・次長を歴任し、日本国憲法制定に当たっては、GHQ草案作成の中心的役割を担い、戦後日本の方向性に負の大きな影響を与えた人です。


GHQは、連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ、聯合国軍最高司令官総司令部、連合国最高司令官総司令部)の略で、太平洋戦争(大東亜戦争)の終結に際してポツダム宣言の執行のために日本において占領政策を実施した連合国軍の機関です。


憲法9条は上に挙げた、GHQのケーディス大佐によって書かれました。

その時、39歳です。

書いたケーディス大佐が、後に、

「まだ、あの憲法9条を改正してないのは、驚きだ。」

と述べています。

また、彼は、弁護士であるけれども、日本語及び日本の法律に疎く、

「9条に
『国の交戦権はこれを認めない』
と書いてあるけれども、私は交戦権の意味がよく分かっていなかった。」
と後に述べているのです。

さらに、あほのケーディスは、

「交戦権を放棄すると、戦争ができなくなるが、それがどういうことを意味するのか、よく分かっていなかった。」
と述懐しています。


ケーディスの人間性を表すものとして、ケーディスは不倫をしています。

鳥尾敬光子爵夫人と不倫関係になり、ケーディスにも妻がいましたが、マッカーサーはケーディスのようなケースが増えないように高官に限って妻子を呼び寄せたほどです。

ケーディスの妻キャサリンは来日すると、キャサリン宛に一本の匿名電話がかかってきました。

「あなたの夫に日本人の恋人がいるのをご存知か」と。

すったもんだして結局二人は離婚しました。


そして、共産主義者として有名で、

ケーディスは帰国すると国務省のジョージ・ケナンを訪ね、こういわれます。

「あなた方は、日本を共産主義国家にしてソ連に進呈しようとしていたのだという噂もありますよね」

ケーディスは企みがあばかれ、民政局を辞任しました。

その辞任の日は、わざわざ昭和24年5月3日のGHQ憲法記念日にあわせたのです。


吉田総理はマッカーサーに

「日本を赤化させるつもりですか」
とストレートに言ったといいます。

ケーディスに対しても昭和24年1月の総選挙の勝利の後、

「Did you enjoy staying in Japan?」
と言っています。

直訳すると
日本での滞在をご堪能されましたか?

という意味ですが、
「まだ日本にいるつもりか?」
という皮肉の意味で使いました。

ケーディスが民生局を辞任した際、他にもこうも言われています。

「彼は日本人に自ら手本を示した。

空虚な理想主義者は奢りと腐敗に溺れ、自滅する、と。」

日本進駐の経験のあるロバート・アイケルバーガー(当時、陸軍中将)がコメントしました。
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-11494227701.html


憲法9条 総司令部案の真相 西修先生
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/tag/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E5%A4%A7%E4%BD%90


憲法9条がどのような経緯でできたか、理解することが大切

 憲法9条を正しく解釈するには、同条がどのような経緯で成立したか、その真相を理解することが肝要です。以下でポイントを書きとどめることにしましょう。

 9条の原点は、昭和21(1946)年2月3日、マッカーサー元帥によって示された『マッカーサー・ノート』の第二原則にあります。次のようです。

 「国の主権的権利としての戦争は、廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な意思に委ねる。いかなる日本の陸海空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も日本軍隊に決して与えられない」
 
総司令部案の変更点
 ここでとくに注意を要するのは、戦争には「紛争解決の手段としての戦争」と「自己の安全を保持するための手段としての戦争」の2種類があり、その両方とも放棄するよう『日本国憲法』に明記しなければならないと考えられていたことです。

 前者の文言は、すでに1928年の『戦争放棄に関する条約』(不戦条約)に存在していました。そしてこの規定は、自衛戦争を排除するものでないことが国際的合意となっていました。そのことを承知のうえで、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」、すなわち自衛戦争の放棄をも憲法に加えるように求めたのです。

 ところが、連合国軍総司令部内で検討された結果、2月13日に日本側に示された『総司令部案』は、次のようになっていました。

 「国権の発動たる戦争は、廃止する。武力による威嚇または武力の行使は、他国間との紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。陸軍、海軍、空軍その他の戦力は、決して認められることはなく、また交戦権も、国家に対して与えられることはない」

ケーディス氏の証言
 どこが違うでしょう。一番大きな違いは、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」の部分がすっぽり削られ、新しく「武力による威嚇または武力の行使」が加えられていることです。このように変えたのは、総司令部民政局次長で『総司令部案』をとりまとめたチャールズ・ケーディス大佐です。

 私がマサチューセッツ州郊外のケーディス氏宅を訪れたのは、昭和59(1984)年11月のことです。ケーディス氏は、私に語ってくれました。「マッカーサー・ノートにあった『自己の安全を保持するための手段としての戦争』の文言を削除したのは、それが非現実的だと考えたからです。また当時、国連憲章で『武力による威嚇または武力の行使』(2条4項)の限定的な放棄が規定されていたので、加えたのです」

 こうして、この段階で「非現実的」な内容(自衛戦争も不可能)から、「現実的」な内容(自衛のための武力行使は可能)に変更されたのです。


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当時の吉田茂政権は明らかにGHQの傀儡(かいらい)で、これは否定しようがない。
例えば、アメリカから「定員法」のように何十万人もの人員を整理する法律を作って日本経済を効率化し、アメリカ資本を投下できる下地を作れと言われれば、「はいはい、その通りにします」と、吉田政権は首切り法案を作って大量解雇をやるわけです。

でも、これって今と同じじゃないですか? アメリカが日本に戦争を手伝わせたいから法律を作る。アメリカが基地を欲しいから沖縄の民意を平気で踏みにじる。TPP問題なんかも同じです。

こうして、アメリカがもたらす「利権」が政治と深くつながり、日本の政治がアメリカの言いなりになってゆく。その転換点となったのが「あの夏」であり、「下山事件」なのだと思います。

―もうひとつ興味深いのは、同じGHQの中でも、現行の日本国憲法を事実上、起草したといわれる「GS」(民政局)と、戦後の対共産主義対策や下山事件にも深く関わったと思われる「G2」(参謀第二部)のせめぎ合いです。

柴田 新憲法制定をはじめ、GHQにおいて日本の民主化政策の中心を担い、労働組合の組織化も進めるなど左派リベラル的な性格を持っていたGSのトップが、汚職問題(昭和電工事件)で失脚させられます。それも白洲次郎や当時の警察、吉田茂らが裏で手を引く形で。

すると、GSによって「公職追放」されたり、巣鴨プリズンに入ったりしていた政治家や右翼などが「共産主義対策」の名の下、ライバルのG2によって次々と復活する。その中には児玉誉士夫(よしお)や笹川良一のような右翼などもいて、今の総理の祖父、岸信介もそのひとりです。

その後、G2が実権を握っていく中で、アメリカの利権を介して、こうした政治家や経済界、右翼などが水面下で強く結びつきながら日本の「戦後」が作られた。そうなると今度は事実上、「GSが作った」日本国憲法が邪魔になってきた。しかし憲法は簡単には変えられない。彼らにとってはそれがずっと「取れない重し」になっていたのです。

―別の言い方をすれば、今、しきりに議論されている憲法の問題も、その根っこはGHQの内部にあった「GS対G2」の構図の中にあるとも言える、と?

柴田 そう、結局すべては「下山事件」が起きた時代と地続きなんです。そして僕はその時、日本が踏み込む道を間違えたのではなかったのかと思う。

例えば、原発の問題もそうです。下山事件の時に国鉄の総電力化で政治家が利権をむさぼっていたのと同じようなことが、福島で原発を造った時にも起きていた。それもアメリカの言いなりになって、もう使わなくなった古い型の原子炉かなんか買わされてね。

今も集団的自衛権を含む法整備をやっていますよね。あれも日本のために必要な法整備ではないし、当然、憲法改正もせず、その解釈を無理やり変えてでもやろうという話でもない。実は集団的自衛権で焦っているのはアメリカのほうなんですよ。アメリカはたぶん、中国と南シナ海の問題で一戦あってもおかしくないと踏んでいる。その時にアメリカだけが泥をかぶりたくないから日本の自衛隊も使いたい。

そうやって、日本は永遠にアメリカの言いなりになり続ける。本当に今の日本はアメリカの植民地ですよね。僕は昔から言っているんだけど、最近、本当にそうなってきた気がします。
http://www.asyura2.com/15/senkyo191/msg/261.html


2015年08月23日
「憲法学者」とは何者? GHQが指示し東大が育てた狂気の学問

「憲法学」は日本にしか無い学問で、GHQの憲法を合法化するために創作された


今年の夏は「憲法学者」が活躍し、正義のヒーローとして悪を退治した(とマスコミが言っている)

だが「憲法学」は学問ではなく、GHQから「違法な新憲法を合法にしろ」と命令されて作ったのです。


でっち上げ憲法

現在の日本国憲法は合法と思われているが、1940年台や50年代には違法だと思われていた。

知られているように日本国憲法は日本人が草案したものではなく、アメリカ軍が考案しアメリカ軍が強要した。

アメリカ軍は日本を軍事占領していたので拒否権はなく、日本の国会で強制的に可決させました。


この時、国民投票や日本国民の民意を取る手続きは一度も行われなかった。

1946年(昭和21年)5月16日の帝国議会で可決し、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。

日本軍の停戦が昭和20年8月15日で、米軍が上陸したのは9月以降なので、実質半年しかありませんでした。


1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサー(米軍人)は日本政府に憲法改正を命令し、同時に多くの指示を出した。

政治犯の釈放や天皇批判の合法化、警察解体などを法的根拠無く勝手に行いました。

当時はアメリカ軍人が銃を構えて東京を占領していたので、違法であっても皆が従いました。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が違法なので「従わない」と回答し総辞職しました。

一介の軍人に過ぎない人間が日本の支配者になり、憲法改正を命令した、これが現在の憲法の最大の問題点です。

日本側は憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正する姿勢を示した。


マッカーサーは違法に憲法を改正して「合法化しろ」と指示した


「違法な憲法を合法にしろ!」

1945年11月ごろに委員会が中心になって憲法改正の協議をし、46年1月にGHQに提出した

天皇を中心とし、米軍の希望を取り入れて帝国憲法を発展させる内容だったが、マッカーサーは突っぱねた。

米軍が望む憲法は天皇と日本人を「犯罪者」として権力から追放し、アメリカに従わせるものだった。


マッカーサーは日本側の改正案を無視して、勝手に憲法草案を作成していた。

憲法改正ではなく「新憲法」の制定であり、過去の日本を否定する内容になっていた。

新憲法は2月4日から10日の7日間で作成されたが、法の専門家は参加せず、GHQの臨時職員などが作成した。


この英語の文章を適当な日本語で翻訳したものが「日本国憲法」で、3月7日の新聞で国民に発表された。

ここまで日本人は憲法作成に一人も関わっておらず、英文を翻訳しただけである。

後は先に書いた経緯で、5月の帝国議会で可決したが審議は実質的に何もしませんでした。


「アメリカと戦争をするか新憲法を可決するか」どちらかの選択肢しかなかったからです。

新憲法には当然ながら「違法である」という批判があり、法学者には「無効な憲法である」という人が多く居た。

ここで誕生したのが「憲法学」であり、GHQから「新憲法を合法化しろ」という命令が出されたのである。


学問ですらない「憲法学」

日本側の改正案を「無資格の軍人」に過ぎないマッカーサーが否定し、銃を突きつけて可決させたのが現行憲法です。

誰がどう考えたって違法で無効ですが、米軍はここで「東京大学」を利用する事にしました。

日本の国法学を支配していたのは東大で、現在も最高学府として法学を支配しています。


東京大学で最も権威ある教授が「合法」と言いさえすれば、国法学者全員が従うシステムだったのです。

当時帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

しかし改正後にGHQから圧力が掛かると態度を一変させ「実は合法でした」と言い出した。


くそみたいな説だが「8月15日に日本が降伏したのではなく、国民が革命を起こして天皇を倒した」のだそうである。

どう見てもフランス革命やロシア革命の猿真似、パクリでGHQからの指示でそう言っていた。

当時はいわゆる「戦犯裁判」が行われていて、GHQから目を付けられると戦争協力者として刑務所に入れられたのである。


東大教授ならどんな理由でも戦犯に仕立て上げられる訳で、宮澤俊義教授も自分の命が掛かっていたから従ったのでしょう。

こうして宮澤俊義を開祖として、新憲法は合法であるという「憲法学」が誕生し、GHQの命令で憲法学者が活動を始めた。

「憲法学」とは最初から新憲法は合法という立場に立つものなので、そもそも学問ですらも無かったのです。


一介の軍人が無資格で銃を突きつけて「日本国憲法」を強要し、合法化しろと迫ったので、東京大学が発明したのが「憲法学」です。

現行憲法を改正するとかしないとか、現行憲法に照らして合法か違法かを議論しているが、その前に議論する事がある。

現在の「日本国憲法」そのものが、違法であり無効だという事です。
http://thutmose.blog.jp/archives/40859147.html#more


―憲法研究会の「憲法草案要綱」をめぐって― - 一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ」
http://alter-magazine.jp/index.php?%E2%80%95%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%8D%89%E6%A1%88%E8%A6%81%E7%B6%B1%E3%80%8D%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%81%A3%E3%81%A6%E2%80%95
日本国自主憲法試案 憲法研究会編:憲法9条改正
http://jpconstitution.blog129.fc2.com/blog-entry-11.html


日本国憲法は、 「日本国民が主権を保有していない時期」 すなわち、1945年8月15日から、サンフランシスコ条約が発効になった1952年4月28日の「間」に作られた


幣原首相が憲法九条を提案したとして、一体、何の権利を持って提案したのか、という問題が生じます。幣原首相は、日本国民の主権を代表する立場だったのですか?


 何しろ、当時の日本国民には主権がなかったわけで、「存在しない主権を代表する」ことはできません。幣原首相が憲法九条の提案者だったとしても、「主権がない時期に制定された憲法」であることには変わりませんし、むしろ幣原首相は一体全体「何の権利」に基づき、憲法九条を提案したのか、という別の問題が出てきてしまいます。


 憲法九条の提案者については、諸説あるようですが、問題はそこではなく、主権という「根本的な話」なのです。


日本国憲法を作ったのは軍隊のアルバイト


マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、軍による独裁には従わないとして東久邇宮内閣は総辞職しました。

マッカーサーは連合軍という軍隊の司令官にすぎず、日本政府や議会に命令する立場に無いのに、勝手に軍事政権を作った事になる。


日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


アルバイトに適当な憲法を書かせて「拒否するなら何発でも原爆を落す」と議員らを脅迫した。


軍事政権が作った憲法

マッカーサーは民政局長のコートニー・ホイットニーに憲法作成を命令し、ホイットニーはアルバイト職員らに草案を書かせた。

こうして約7日間で書き上げたのが「日本国憲法」の原文の英語版でした。

当時日本の新聞はGHQの支配下にあったので、マッカーサーは日本政府に伝える前に、勝手に新聞で発表してしまいました。


先に日本政府に伝えるとまたゴネだして、内容を変更したり無効になると考えたからでした。

日本の国会議員らは新聞を読んで初めて憲法の内容を知り、激怒して絶対反対の態度を取りました。

するとマッカーサーは「新憲法を承認しなければもう一度戦争だ、原爆をまた落す」と言って脅迫しました。


東京大学などの法学者は新憲法を違法だと言い、反対の態度を取ったが、これも「認めなければ戦犯にしてやる」と脅迫して認めさせました。

当時マッカーサーはA級戦犯、B級戦犯などランク付けし、連合軍に反抗的な公務員や学者らを逮捕しては処刑していました。

GHQを恐れた東京大学は「憲法学」という学問を作り、日本国憲法は日本国民が作ったと言い出しました。


これが今日に残っている「憲法学」で、マッカーサーが「戦犯になるか憲法を認めるか」と脅迫して作らせた学問です。

GHQ支配下の新聞、NHKはこぞって「国民が新憲法を作った」という嘘の報道を繰り返し、やがて嘘の方が事実として広まりました。

帝国議会は「もういちど原爆を落とされたいか」と脅迫され、ほとんど審議せず新憲法を承認しました。


新憲法は「国民が作った」という宣伝の後で、1947年(昭和22年)5月3日に施行され、今日に至っている。

これを誰が作ったと考えるかはその人の考え次第だが、少なくとも日本の総理大臣や国会議員はまったく関与していない
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html


2016年08月19日
日本国憲法を作ったのは軍隊のアルバイト
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html


マッカーサーはやらせ写真を作るのが大好きで、こういう写真を撮らせてはマスコミに掲載させた。

http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/8/c8d8b55f.jpg


日米両国の高官が「日本国憲法を作ったのは我が国だ」と主張している。


日本国憲法の珍論争

日本国憲法を作ったのは誰かという珍論争が日米の政府当局者で勃発し、互いに牽制している。

8月15日に大統領候補ヒラリークリントンの応援演説をした、副大統領のバイデンが次のように発言した。

「日本が核兵器を持てないように、我々が日本の憲法を書いたのを、トランプ候補は知らないのではないか」


この前に対立候補のトランプは様々なヒラリー批判や民主党批判をしていて、その中に次のような演説があった。

「日本には米軍駐留陽を負担してもらう。あるいは米軍に頼らず核武装して自分で守ってもらう」という趣旨の発言だった。

バイデンはトランプへの反論として、日本が核武装出来ないことを指摘し、そうなるように我々が憲法を作ったと話した。


実際はどうかというと、日本国憲法に核武装を禁止した条文はないし、軍隊の保有も軍事行動も禁止するとは書かれていない。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と憲法に書いてあるのに陸海空軍が存在するのは周知の事実で、これは次の理由による。

『国権の発動たる戦争』は先制攻撃『武力による威嚇又は武力の行使』は侵略戦争という意味で書かれていた英語の日本語訳だとされている。

国の主権者による戦争の禁止、恫喝行為と武力行使禁止、それらを行うための軍事力禁止と書かれています。


終戦後に軍事政権樹立した日本

ひっくり返すと侵略戦争や先制攻撃以外の戦争は認められているし、軍事力による反撃も、核保有も禁止していません。

集団的自衛権もミサイル防衛も、安保法制も、もちろんどこにも禁止とは書いてありません。

バイデン副大統領の発言の半分は誤解ですが、もう半分の「我々が憲法を作った」の部分はどうでしょうか。


英語の原文があり、それを日本語に訳したから「変な日本語」になっているのですが、そもそも英語の原文が存在するのが奇妙です。

時間を追って経緯を見るために1945年(昭和20年)8月15日に戻ってみます。

8月30日に帝国海軍厚木飛行場にマッカーサーが降り立って、パイプを咥えた有名な写真を撮ったが、このポーズはやらせだった。


マッカーサーという男はこういう記念写真が大好きで、硫黄島に旗を立てる写真などを作っては見せびらかしていた。

それはともかく10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、軍による独裁には従わないとして東久邇宮内閣は総辞職しました。

マッカーサーは連合軍という軍隊の司令官にすぎず、日本政府や議会に命令する立場に無いのに、勝手に軍事政権を作った事になる。


日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


アルバイトに適当な憲法を書かせて「拒否するなら何発でも原爆を落す」と議員らを脅迫した。


軍事政権が作った憲法

マッカーサーは民政局長のコートニー・ホイットニーに憲法作成を命令し、ホイットニーはアルバイト職員らに草案を書かせた。

こうして約7日間で書き上げたのが「日本国憲法」の原文の英語版でした。

当時日本の新聞はGHQの支配下にあったので、マッカーサーは日本政府に伝える前に、勝手に新聞で発表してしまいました。


先に日本政府に伝えるとまたゴネだして、内容を変更したり無効になると考えたからでした。

日本の国会議員らは新聞を読んで初めて憲法の内容を知り、激怒して絶対反対の態度を取りました。

するとマッカーサーは「新憲法を承認しなければもう一度戦争だ、原爆をまた落す」と言って脅迫しました。


東京大学などの法学者は新憲法を違法だと言い、反対の態度を取ったが、これも「認めなければ戦犯にしてやる」と脅迫して認めさせました。

当時マッカーサーはA級戦犯、B級戦犯などランク付けし、連合軍に反抗的な公務員や学者らを逮捕しては処刑していました。

GHQを恐れた東京大学は「憲法学」という学問を作り、日本国憲法は日本国民が作ったと言い出しました。


これが今日に残っている「憲法学」で、マッカーサーが「戦犯になるか憲法を認めるか」と脅迫して作らせた学問です。

GHQ支配下の新聞、NHKはこぞって「国民が新憲法を作った」という嘘の報道を繰り返し、やがて嘘の方が事実として広まりました。

帝国議会は「もういちど原爆を落とされたいか」と脅迫され、ほとんど審議せず新憲法を承認しました。


新憲法は「国民が作った」という宣伝の後で、1947年(昭和22年)5月3日に施行され、今日に至っている。

これを誰が作ったと考えるかはその人の考え次第だが、少なくとも日本の総理大臣や国会議員はまったく関与していない
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html


2017年05月04日
安倍首相、2020年まで憲法改正表明 日本国憲法の暗黒面


マッカーサーは尿漏れしながらタラップを降り、独裁者になった
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


憲法改正の日程

安倍首相は憲法記念日の5月3日、憲法改正推進のフォーラムにビデオメッセージを寄せて改憲を訴えました。

首相はメッセージで、新憲法が2020年に施行されるようにしたいと具体的な年限を示した。

また憲法9条について、自衛隊の存在が明記されるように追加し、位置づけを明確にしたいと語った。


自民党総裁の任期は3年で2回まで続けて就任できるので2018年までだったが、3回に延長されたので2021年9月まで可能になった。

日本国総理大臣には期限がないので、理論上は自民党の総裁でなくなっても、総理を続けることは出来る。

改正には衆議院参議院が別々に3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。


国民投票の過半数は憲法の日本語で定義されておらず、護憲派は有権者の過半数だと主張していたが、これだと絶対に憲法改正はできない。

日本国憲法は英語で書いた文章を日本語に翻訳したので英語の原文が存在し、一応「日本語から翻訳した」事にしている。

GHQの原文では「投票者の過半数」と書かれているので、日本人の半分しか投票に行かなくても改正可能だという解釈になった。


2020年に改正憲法施行とすると1年前には国民投票が必要で、その1年前には衆参両院の法案審議を始める必要がある。

その前に改正憲法の条文を明確に決定して国民に示す必要があり、2017年か遅くとも2018年には示されなくてはならない。

2012年に自民党から示された憲法改正案は、はっきり言えば稚拙の印象があり、架空戦記小説に似ている。


日本国憲法の根本的矛盾

2012年自民党案は改正内容が多岐に渡っていて、個別の議論だけで数年を要し、その間に政権が交代したら白紙になってしまう。

緊急に必要なのは「戦争の権利」あるいはもっと穏やかに「自衛権の明記」、それと憲法改正手続きの簡素化の2点だけです。

衆参両院でそれぞれ3分の2が必要なのは、当時のアメリカ軍が日本を敵国と見なしていたため、憲法を改正できないようにしたのです。


世界のどの国でも多数決の原則に基づいて議会の過半数で改正できるのが当たり前で、両院それぞれの3分の2としているのは全世界で日本だけです。

この制度では衆議院で100%の議員が改正賛成でも、参議院の3分の1の議員が反対したら憲法改正はできません。

少数意見が通り多数意見が排除される仕組みで、こういう制度を「独裁政治」と言います。


なぜ独裁を奨励するのかといえば、日本国憲法が成立した1946年の日本は、1人の軍人が全ての権限を握る「独裁国家」だったからです。

この軍人とは東条英機ではなく米軍人のダグラス・マッカーサーで、公式な資格がないのに勝手に憲法を作って議会に承認させました。

誰もこれを指摘しないので自分で書くが、マッカーサーは連合軍総司令官で、トルーマン大統領から日本占領を命じられた。


だが一体何故、「ただのアメリカ軍人」が日本を占領して議会や政府に命令し、憲法を勝手に作り変える権限を。アメリカ大統領が与えるのだろうか?

連合国(=国連)が任命したというが、日本は国連加盟国ではないので、そいつらに指図される筋合いがない。

1945年8月に日本が受け入れたのはポツダム宣言だけであって、米軍の日本占領に合意しても居ない。

トルーマン大統領は「天皇の処遇」「憲法を自由に作る」「戦争裁判を開く」などの権限を与えたが、なぜアメリカ大統領にこうした権利があると考えるのかも謎です。


独裁者になった尿漏れ男

1945年8月28日、帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーがパイプを咥えて降り立った。

マッカーサーは写真にはこだわりがあり、硫黄島の有名な写真や、厚木に降り立った写真など、すべて演出させた「やらせ写真」でした。

厚木の輸送機から降りるマッカーサーは、日本軍人から襲撃される恐怖から、尿を漏らしながらタラップを降りました。


マッカーサーは開戦時にフィリピンにいたが、部下を置き去りに逃げ出し、沖縄や本土では民間人への空襲を命令した、そんな人間でした。

マッカーサーは軍事法廷や天皇の処罰などをチラつかせながら憲法(帝国憲法)改正を命じ、帝国議会は現行憲法(帝国憲法)の改正案を示した。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、日本側はマッカーサーの命令を拒否し、時間を掛けて改正すると回答しました。


1946年1月、日本政府はGHQに憲法改正案を提出したが、GHQは却下し独自の憲法を作成する事にした。

特にマッカーサーを激怒させたのが天皇の身分を存続させる点で、彼は天皇を「犯罪者」として定義させたがった。

イラクやアルカイダの首謀者をアメリカは犯罪者と定義したが、あれと同じ事を日本でもやりたかったようです。


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html


日本国憲法、アメリカが書いた 2016-08-17
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12191064891.html

我が国の憲法(日本国憲法)は、 「日本国民が主権を保有していない時期」 すなわち、1945年8月15日から、サンフランシスコ条約が発効になった1952年4月28日の「間」に作られたからこそ、問題なのでございます。


 誰が日本国憲法を書いたかといえば、もちろんGHQです。


 などと書くと、すぐに、

「いや、憲法九条は幣原喜重郎首相(当時)が提案したとマッカーサーが語っている。日本国憲法は『押し付け憲法』ではない」

 などと、妙な反論をされてしまうのですが、誰が提案したとしても、日本国憲法が「日本国民に主権がない時期に制定された憲法」であることに変わりはないのです。


 ついでに書いておくと、幣原首相が憲法九条を提案したとして、一体、何の権利を持って提案したのか、という問題が生じます。幣原首相は、日本国民の主権を代表する立場だったのですか?


 何しろ、当時の日本国民には主権がなかったわけで、「存在しない主権を代表する」ことはできません。幣原首相が憲法九条の提案者だったとしても、「主権がない時期に制定された憲法」であることには変わりませんし、むしろ幣原首相は一体全体「何の権利」に基づき、憲法九条を提案したのか、という別の問題が出てきてしまいます。


 憲法九条の提案者については、諸説あるようですが、問題はそこではなく、主権という「根本的な話」なのです。


『バイデン副大統領「日本国憲法、米が書いた」
http://mainichi.jp/articles/20160816/k00/00e/030/200000c

 バイデン米副大統領は15日、東部ペンシルベニア州スクラントンで民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説をし、「私たちが(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と語った。共和党大統領候補の実業家、ドナルド・トランプ氏(70)を批判する中での発言だが、米政府高官が、日本国憲法を「(米国が)起草した」と明言するのは極めて異例だ。 』


 核武装させないためというよりは、日本国を二度とアメリカの脅威に成長させない「瓶の蓋」として機能させるために、「アメリカ」が日本国憲法を書いたのでしょうが、それをアメリカの有人が認める発言したのは、初めてではないかと思います。いずれにせよ、わたくしたち日本国民が、アメリカが書いた憲法により政治的な制約を受け、安全保障が弱体化していっていることは紛れもなき事実なのです。


 ちなみに、わたくしは憲法九条の改正論者ですが、例えば、

「日本国憲法はアメリカが押し付けた憲法だ。無効だ!」

 などと、ラディカルなことを言いたいわけではありません。同時に、今すぐ憲法九条(及び前文)を改正するべき、と主張したいわけでもありません。


 と言いますか、現在の日本が憲法九条改正を巡り国民投票をやった日には、間違いなくブレグジットの英国以上に国民が分断され、国民統合が壊されることで逆に安全保障が揺らぐ可能性が高いと思います。中国という仮想敵国の脅威が本格化しているこの時期に、国民統合を壊す国民投票を実施するのは、むしろ危険だと思います。(そういう意味で、イギリスの国民投票は本当に参考になりました)


 ならば、中国にどう対処するべきか、と言われそうですが、ですから尖閣諸島の問題は公務員(自衛隊)を常駐させれば、とりあえずは終わります。南シナ海の問題は、より厄介ですが、こちらは東南アジア諸国(及びアメリカ)と集団安全保障の道を探るしかありません。


 いずれにせよ、まずは国民が、

「自分たちは外国(アメリカ)が書いた憲法下で安全保障に関する制約を受け、さらに中国という仮想敵国の脅威が高まっている」

 という「事実」を認識した上で、議論していくべきだと思うのです。


 上記を認識すれば、例えば憲法九条をご神体のごとく崇める行為が、いかに愚かであるかが分かります。草案者がGHQだろうが、マッカーサーだろうが、幣原首相だろうが、誰であろうとも、日本国憲法が「日本国民が主権を持たない時期」に制定されたことに変わりはないのです。


 ちなみに、別にわたくしは反米ではありませんし、上記の「事実」により反米感情を高めたいわけでもありません。アメリカは、あくまで自国の国益のために、日本国憲法を書いたわけです。もちろん、先日も書いた通りハーグ陸戦条約違反ですが、それを日本国側から追求しないのが問題なのです。


 この手の「事実」が国民に広く共有されて初めて、我が国はアメリカの「瓶の蓋」から逃れることができるでしょうし、中国との「軍事バランス」を均衡させることも可能になります。


 それにしても、アメリカの政治家が「日本国憲法、アメリカが書いた」と堂々と発言してしまうわけですから、時代の移り変わりをまざまざと感じさせられました。


日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは

なぜ、日本では国会議員が地方議員の仕事をしているのか 2015年6月15日
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991


日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。

それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。


ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。


日本はなぜ帰途と原発を止められないか


「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。


日米合同委員会1日米合同委員会2

下記の参考資料を読んでいただければ、総理になった人間ですら、日米合同委員会のことを知らなかったことがわかる。日本の政治は見事なまでに空洞化しているのである。


<参考資料>

(*週プレNews 2014年12月16日より)

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!


矢部宏治

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論


<民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E3%80%8C%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%9F%A2%E9%83%A8-%E5%AE%8F%E6%B2%BB/dp/4797672897


の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。
そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。

このふたりが、辺野古移設反対派の圧勝に終わった11月の沖縄県知事選や総選挙を踏まえ、事実上、今も米軍の占領状態が続いているこの国の姿と、日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩んでいくためにはどうすればいいのか、その方法を考えた!>


首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体

―まずは鳩山さんに、矢部さんの本を読まれた率直な感想から伺いたいのですが?


鳩山  正直申し上げて“ぶったまげた”というか、矢部さんがここまで勇気を持って取材され、この本を書かれたことに敬服しました。先にこの本を読んでいれば、私も総理を辞めずに済んだかもしれない、と(笑)。

もちろん、私は自分の非力について言い訳する気はありません。総理として一度は沖縄県民に期待感を与えながら(県外移設を)実現できなかったのは私に大きな責任があります。

ただ、この本を読んで、当時、自分がもっと政治の裏側にある仕組みを深く理解していれば、結果が違っていた部分もあるのかなとは思いました。それだけに、自分が総理という立場にありながら、この本に書かれているような現実を知らなかったことを恥じなきゃいかんと感じるわけです。


矢部  鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?


鳩山  物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。

 しかし、矢部さんのこの本はもっと深いところで米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながって一体となった姿を見事に解き明かしてくれて、いろんなことが腑(ふ)に落ちました。この本を読んで、目からうろこが何枚落ちたかわからないくらい落ちましたね。


矢部  在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?


鳩山  お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。

 私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。


矢部  日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。

 なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。

 しかも、在日米軍基地の違憲性をめぐって争われた1959年の砂川裁判で、当時の駐日米国大使だったダグラス・マッカーサー2世が裁判に不当な形で介入し、「日米安保条約のような高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判例を残してしまった。ですから日米合同委員会の合意事項が仮に憲法違反であっても、日本国民にはそれを覆(くつがえ)す法的手段がない。


鳩山  それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。


矢部  ですから、鳩山さんの言う「官僚たちが忠誠を誓っていた何か別のもの」、つまり鳩山政権を潰(つぶ)したのは、この60年続く日米合同委員会という米軍と官僚の共同体であり、そこで決められた安保法体系だというのが現時点での私の結論ですね。


―そうした仕組みの存在を知った今、鳩山さんはどのような思いなのでしょうか。

鳩山  日米合同委員会に乗り込んでいきたいぐらいだね。「何をやってるんだ、おまえら!」みたいな感じで。

 ただ、そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。


矢部  このような「見えない力」の存在は、政権内にいないと、野党の立場ではまったく知り得ないものなのでしょうか?


鳩山  私も自民党時代がありましたので、8年は政権党にいたわけですが、当選1回や2回の新人議員の間は、官邸内部で何が動いているか知りようもありませんでした。でも与党の一員としては扱ってもらっていたと思います。

 それが野党となると、与党、特に与党の中枢の方々とは情報量が圧倒的に違う。官僚も野党に話す場合と与党に説明に行く場合では、丁寧さも説明に来る人の役職も全然違う。そのぐらい野党に対しては、官僚は区別し、冷たい対応をしていました。

 つまり、自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

 この先、特定秘密保護法によって、ますます国民には何も知らせない国になるわけで、非常に恐ろしいことだと思います。


日本全土が「米軍の基地」という現実

矢部  「横田空域」という、1都8県の上に米軍が管理している広大な空域がありまして、日本の飛行機はここを飛べない。これなんか典型的な「米軍が自由に日本の国土を使える」事例ですね。


鳩山  私も横田空域のせいで、日本の航空会社が非常に不自然な飛行ルートで飛ばされていることは知っていましたが、「沖縄と同じように、米軍の優位性というのが東京や関東周辺にもあるんだな」という程度にしか理解していなかった。

 しかし、具体的に図を見ると、関東上空がこれほど広範囲に米軍に「占領」されているという事実に仰天しますよね。沖縄だけではなくて、実は日本全体がアメリカに今でも支配されているも同然ですから。


矢部  飛行ルートの阻害もありますが、それより問題なのは、米軍やCIAの関係者が日本の国境に関係なく、この空域から自由に出入りできる、入国の「裏口(バックドア)」が存在することです。これはどう考えてもおかしな話で、こんなことは普通の主権国家ではあり得ません。

 この問題なんて国際社会にアピールしたら、みんなすごく驚くと思うんです。これは今、日本で起きているほかの問題、特に原発の問題にも絡んでくる話ですが、日本という国が置かれている状況の歪(ゆが)みやおかしさを伝えるいい事例になると思っています。

 結局、日米安保条約とは、米軍が「日本の基地」を使う権利ではなく、「日本全土」を基地として使う権利を定めたものなのです。

 旧安保条約の第1条で米軍にその権利が認められ、60年の安保条約で文言は変わっていますが、その権利は残されている。これを「全土基地方式」というのですが、これはなんとしても国際社会にアピールして変えていかないといけない


鳩山  矢部さんの本だと、米軍がそんなことをできる根拠は、敗戦国である日本を今でも「敵国」と見なした、国連憲章の「敵国条項」があるから、という話でしたが。


矢部  そこの説明は少し複雑で、旧安保条約第1条には、そうしたメチャクチャな軍事利用のあり方は、日本側が望み、アメリカ側がそれに応えたものだということが書かれている。そうした戦後処理を日本が望んだ以上、日本の主権や国民の人権がいくら侵害されていても、国連は口を出せないというロジックになっているんです。一種の法的トリックと言ってもいい。

 ですから、日本にちゃんとした政権が誕生して、国際社会で堂々と議論し、「全土基地方式はやめてくれ」と言ったら「それは敵国条項があるから無理だ」とは絶対ならないと思います。


米軍の占領状況を米国民に訴えろ!

鳩山  矢部さんのような方の努力もあって、私もようやく目隠しが外れて真実が見えてきたわけですが、問題はそこから先をどうするかです。やはり一部の人たちだけが目隠しを外すんじゃなくて、日本の国民の多くに触れられるPR戦術というか、日本の戦後の背後には何があるのかをきちんと解き明かす手段が必要だと思いますね。

 それと、日米関係に関わっている米軍関係者を除けば、アメリカの議会や国民は日米合同委員会なるものがどういう役割を果たしてきたのか、それが今も日本の主権をさまざまな形で侵害している事実も知らないと思います。しかし、こうした状況はアメリカの国民から見ても「異常なこと」だと映るはずですから、われわれが海外、特にアメリカの議会や国民に対して「日本は今も事実上、米軍に占領されているけれど、本当にこれでいいのか?」と訴えることが重要です。


矢部  情報発信という意味では、今、ドイツなど多くの国が日本の原発汚染に対して「何を考えてるんだ!」って相当に怒っている。基地の問題だけだと「勝手にやっててくれ」となるかもしれないけれど、原発の問題はそうはいかない。全地球的な問題です。

 あれだけ深刻な原発事故を起こした日本がなぜ、今再び原発推進への道を進もうとしているのか? その背景には「日米原子力協定」という、自国のエネルギー政策すらアメリカの同意なしには決められないという、客観的に見ても非常に歪(いびつ)な構造がある。それをうまく国際社会にアピールできたら、こうした日本の歪んだシステムに世界の光が当たる可能性はあります。


鳩山  そうですね、日本のメディアも完全に取り込まれてしまっているのであれば、基地の問題だけではなく、原発も併せて海外に訴えるほうが、圧倒的に意義があると思います。

ただし、そうした「外圧」に頼るだけでなく、結局はこの国の政治を変えない限り、そして多数派にならない限り、こうした流れは大きく変えられません。


*2015.03.16 NEWSポストセブンより

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」


東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。


※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。


「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」


 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。


 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。


「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決め(※注2)になっているからです。」


※注2/1996年2月に、日米両政府は日米地位協定の9項目についての運用改善で合意。「日米合同委員会の公表」もそこに含まれた。しかし、結果的に「合意内容」の公表こそ一部改善はされたものの、会合内容が公表されることはなかった。


 「基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい」


 必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。(終わり)
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991  


アメリカは1943年の時点で日本には未来永劫 自主防衛力は持たせないという方針を決めていた


日本はアメリカの仮想敵国 _ 米軍は日本が独立するのを阻止する為に日本に駐留している
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/528.html


アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。

アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。

 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/532.html#c1

[原発・フッ素49] 犬の飼育数減「尋常でない」 目立つ50代の減り幅 (朝日新聞)  魑魅魍魎男
6. 中川隆[-5715] koaQ7Jey 2017年12月24日 20:11:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>4
>あなたの過去レスは原発板に限らず、どこを見てもヒドイものですね。
支離滅裂、それを統合・判断する中枢にディスオーダーがあるから、


具体的に間違いを指摘しろよ
俺は正しい可能性が高い記事をコピペしてるだけだからね

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/263.html#c6

[政治・選挙・NHK237] 日本をダメにした幕末・維新のワースト1、吉田松陰ー(天木直人氏)  赤かぶ
1. 中川隆[-5714] koaQ7Jey 2017年12月24日 20:15:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
項羽や劉邦も秦の始皇帝も織田信長も同じ様なレベルだろ

変革期の世の中を変える人間はこの類だというだけさ
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/534.html#c1

[原発・フッ素49] 犬の飼育数減「尋常でない」 目立つ50代の減り幅 (朝日新聞)  魑魅魍魎男
8. 中川隆[-5714] koaQ7Jey 2017年12月24日 20:29:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>7
 線量が多い方が健康になるんだよ
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/263.html#c8
[政治・選挙・NHK237] ツケは全部若者に!目に余る安倍政権の無茶ぶり!   赤かぶ
1. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2017年12月24日 21:21:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>国債依存度は3割以上を占め、国の借金残高は1100兆円を超えた。このカネは一体誰が払うのか?


また財務省のデマを拡散してるな

払う必要なんかないんだよ

日銀が国債を買ったらそれで償却したのと同じだからね
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/535.html#c1

[リバイバル3] スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ 中川隆
60. 中川隆[-5712] koaQ7Jey 2017年12月24日 21:47:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

スキー用語81「推進滑走」「スケーティング」
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12234012400.html


その名もズバリ
推進と名のつく技術があります

「推進滑走」とは

両板を揃えてパラレルの状態にしたら

ストックで雪を刺して

倒す事で前に進む滑走法の事です

まだ斜面で滑れない段階の

初心者レッスンで習います

体の前に刺しすぎて 力一杯体を引き寄せて

進もうとしている子供がいますが

あれは疲れます


より楽に推進するには

ブーツの真横に刺します

そのまま前にストックを倒せば

十分スキーは滑って行きます


ただ、スピードを出したい時は

この限りではありません

別名 漕ぐ かく 押す

ストックを刺して前に倒し、

体が進む一連の流れを

1漕ぎ、1かき、又は1ストロークと呼びます

※ストロークとは漕ぐ、行程を意味する英語


クロスカントリースキーの

クラシカル走法でも行われています


「スケーティング」とは

足をV字に開いて

雪を蹴って前に進む滑走法の事です


※スケートとは脚の骨を意味する

オランダ語が語源の英語


アイススケートやインラインスケートの

加速の方法と同じ動きなので

こう呼ばれています


片板を開き出したら

反対の足で雪を蹴り、

その反動を利用して

初めに開いた板に体重を乗せて

滑らせる事で前に進みます


低腰にして 脚部の曲げ伸ばしを

使えば より強く雪を蹴れるので

より早く遠くに行けるのは

他の推進系と同じですね


別名 蹴る 蹴り キック

開き出した板の使い方により

インエッジに乗る

@インエッジスケーティング


アウトエッジに乗る

Aアウトエッジスケーティング

の2種類があります

また、ストックの使い方により

2蹴りに1漕ぎのものを

Bラピッドスケーティング


1蹴りに1漕ぎのものを

Cスーパースケーティング

と分ける事もあります

クロスカントリースキーの


フリー走法でも行われています


このうち、雪面を蹴る動きが

アルペンでは加圧や加速に関わってきますので

平地移動も練習のうちと捉えると

ダルさが減りますょ(-_^)☆
https://ameblo.jp/takanamitaichi1230/entry-12234012400.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html#c60

[政治・選挙・NHK237] 天皇陛下に弓引く不敬・不届きな男・安倍晋三!   赤かぶ
3. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2017年12月25日 09:17:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

天皇は憲法のお蔭で天皇の地位が保証されているから護憲なんだろ
もともと現行憲法は天皇の地位を保証する為にGHQが急いで作らせたものだしね:

東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?
天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね:


革命に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html



新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。
当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。

そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。


1937年12月に日本軍は南京を攻略している。

中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が指揮したことになっているが、事実上のトップは昭和天皇の叔父にあたる上海派遣軍の司令官だった朝香宮鳩彦だった。

そこで何が行われたかをイギリスも知っていたはずだが、その直後、イギリスの支配層でソ連を第1の敵と考える勢力が「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようと考えていたという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)


日本の場合、最大の問題になる人物は昭和天皇。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、同じことを考える人が日本軍と戦った国々、例えばイギリスやオーストラリアには少なくない。ソ連も天皇に厳しい姿勢を示していた。

 つまり、そうした人びとの影響力が強まる前にアメリカの支配層は天皇制官僚国家を維持するために手を打とうとする。1946年1月に設立された極東国際軍事裁判(東京裁判)の目的はそこにある。その裁判では厳罰に処せられた人がいる反面、本来なら起訴されるべき人が起訴されていない。

 新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。

 占領時代、アメリカ軍が中心のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の内部でも、多くの将校は天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張していたという。焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

 ビッターはニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟で、この枢機卿はジョバンニ・モンティニ(ローマ教皇パウロ6世)と同様、CIAと教皇庁を結びつける重要人物だった。

 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、1953年秋に来日したリチャード・ニクソンはバンク・オブ・アメリカ東京支店の副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」というのだが、この会談では闇資金の運用について話し合われたとされている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608070001/

天皇はロックフェラーの指示通りに動いてるだけだよ
天皇は戦前からウォール街と国際金融資本の手先だからね。

今、ロックフェラーは日本を中国小日本省にしようとしている:


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1975年、昭和天皇はウィリアムズバーグに到着して後、2週間にわたってアメリカに滞在し、10月4日のニューヨークでロックフェラー邸訪問

アメリカのマスコミは連日大々的に報道し、新聞紙面のトップは天皇の写真で埋まった(在米日本大使館の職員たちは、その写真をスクラップして壁に張り出したという)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87


ロックフェラー3世邸を訪問、昭和天皇は余りの豪華な邸宅に驚いた様子であったが、ロックフェラー3世の「私どもの銀行の東京支店が皇居に近いからぜひ利用してください」という問いかけに「預ける方か借りる方か」と答えて、「どちらでも結構です」とロックフェラー3世に返されて一座は笑いの渦となったという。
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/12929545.html


皇皇后両陛下のアメリカ合衆国御訪問の御日程について
6月16日(木)
ロックフェラー家との晩餐会(ロックフェラー邸)


カトリック教徒になろうとした昭和天皇
http://www.asyura2.com/17/senkyo232/msg/294.html#c1


天皇一族は自他共に認めるチョンなんだから、祖国の韓国に引き取って貰えばいいんだよ
天皇も皇太子も両方共 知恵遅れで日本の恥なんだな
昭和天皇は殺人鬼だったし

日本人はみんな困ってるんだ


http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/546.html#c3

[政治・選挙・NHK237] 畏れ多い!安倍晋三ごときが小生意気なことを!  赤かぶ
3. 中川隆[-5717] koaQ7Jey 2017年12月25日 09:19:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
天皇は憲法のお蔭で天皇の地位が保証されているから護憲なんだろ
もともと現行憲法は天皇の地位を保証する為にGHQが急いで作らせたものだしね:
東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?
天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね:


革命に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html


新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。
当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。

そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。


1937年12月に日本軍は南京を攻略している。

中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が指揮したことになっているが、事実上のトップは昭和天皇の叔父にあたる上海派遣軍の司令官だった朝香宮鳩彦だった。

そこで何が行われたかをイギリスも知っていたはずだが、その直後、イギリスの支配層でソ連を第1の敵と考える勢力が「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようと考えていたという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)


日本の場合、最大の問題になる人物は昭和天皇。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、同じことを考える人が日本軍と戦った国々、例えばイギリスやオーストラリアには少なくない。ソ連も天皇に厳しい姿勢を示していた。

 つまり、そうした人びとの影響力が強まる前にアメリカの支配層は天皇制官僚国家を維持するために手を打とうとする。1946年1月に設立された極東国際軍事裁判(東京裁判)の目的はそこにある。その裁判では厳罰に処せられた人がいる反面、本来なら起訴されるべき人が起訴されていない。

 新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。

 占領時代、アメリカ軍が中心のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の内部でも、多くの将校は天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張していたという。焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

 ビッターはニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟で、この枢機卿はジョバンニ・モンティニ(ローマ教皇パウロ6世)と同様、CIAと教皇庁を結びつける重要人物だった。

 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、1953年秋に来日したリチャード・ニクソンはバンク・オブ・アメリカ東京支店の副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」というのだが、この会談では闇資金の運用について話し合われたとされている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608070001/

天皇はロックフェラーの指示通りに動いてるだけだよ
天皇は戦前からウォール街と国際金融資本の手先だからね。

今、ロックフェラーは日本を中国小日本省にしようとしている:


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1975年、昭和天皇はウィリアムズバーグに到着して後、2週間にわたってアメリカに滞在し、10月4日のニューヨークでロックフェラー邸訪問

アメリカのマスコミは連日大々的に報道し、新聞紙面のトップは天皇の写真で埋まった(在米日本大使館の職員たちは、その写真をスクラップして壁に張り出したという)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87


ロックフェラー3世邸を訪問、昭和天皇は余りの豪華な邸宅に驚いた様子であったが、ロックフェラー3世の「私どもの銀行の東京支店が皇居に近いからぜひ利用してください」という問いかけに「預ける方か借りる方か」と答えて、「どちらでも結構です」とロックフェラー3世に返されて一座は笑いの渦となったという。
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/12929545.html


皇皇后両陛下のアメリカ合衆国御訪問の御日程について
6月16日(木)
ロックフェラー家との晩餐会(ロックフェラー邸)


カトリック教徒になろうとした昭和天皇
http://www.asyura2.com/17/senkyo232/msg/294.html#c1


天皇一族は自他共に認めるチョンなんだから、祖国の韓国に引き取って貰えばいいんだよ
天皇も皇太子も両方共 知恵遅れで日本の恥なんだな
昭和天皇は殺人鬼だったし

日本人はみんな困ってるんだ

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/548.html#c3

[番外地6] “独立”する富裕層  〜アメリカ 深まる社会の分断〜 中川隆
5. 中川隆[-5716] koaQ7Jey 2017年12月25日 10:11:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月25日
カタルーニャ州選挙で独立派が勝利も 逮捕や国外逃亡で過半数割れ

独立派は選挙で勝ったが、数名が逮捕中なので議会は過半数割れ
引用:http://media.ws.irib.ir/image/4bn48a043ea878yuqo_800C450.jpg

カタルーニャ州議会選挙

スペイン・カタルーニャ州の州議会選挙が2017年12月21日に実施され、独立派が過半数を得ました。

選挙は比例代表制で、定数135議席のうち独立派の3党で70議席を獲得し、もし小選挙区制だったらもっと多くを占めていた計算になる。

これに先立つ2017年10月1日にはカタルーニャ自治州による独立住民投票が実施され、9割以上が独立に賛成していました。


スペイン政府は憲法上独立投票は無効だと言い、警官を配備して投票を妨害したり、投票所を閉鎖させたりした。

プチデモン州首相は2日以内にカタルーニャ共和国の独立を宣言するとしていたが、スペイン政府は州首相や閣僚を逮捕する方針を示した。

プチデモン州首相はベルギーに逃亡したが、独立派が持っていた議席は政府に没収され、独立運動は潰された。


州政府はEUに加盟するのを独立後の政策の基本としていたが、交渉に応じた国は一カ国もなかった。

こうした前置きがあって12月21日にカタルーニャ州議会選挙が実施され、独立派は約52%の議席を獲得しました。

67議席だと50%を割り込むので、過半数といっても3議席の差だが、議会は再び住民投票や独立宣言などを行う事が出来る。


スペインのラホイ首相の国民党(PP)は、たった3議席しか獲得できず、求心力の低下が懸念されている。

投票前後にスペインの株価指数などは下落し、混乱が長期化するという懸念がもたれている。

ただ独立派3党の議席は分散していて、最大議席を獲得したのは、反独立強硬派のシウダダノス党になった。

独立は再び潰されるか

今回の当選者には独立派の70人中7人が独立投票を実施した罪で逮捕されたり逃亡していて、実際には議会に出席できない。

すると現実の州議会の議席数は「独立反対派65」「独立派63」になり、実は反対派が多数を占めている。

独立住民投票を実施したプチデモン前州首相はベルギーに滞在しているが、スペイン政府は引渡しを求め、帰国すれば逮捕される。


こうした情勢を見ると国際社会、特に英仏独などの欧州主要国がカタルーニャに賛成しない限り、再び政府に鎮圧されるでしょう。

欧州主要国は今の所、州議会との接触すら拒絶しており、相手にしない態度をとっている。

英仏独もまた自国内に独立を希望する地域やグループを抱えているためで、自国に飛び火するのを恐れている。


カタルーニャ独立問題の特徴は、通常独立運動は民族や宗教、政治主張などの対立で起きるが、そうしたものとは関係がない点です。

カタルーニャは「カタルーニャ民族」でもスペインと異なる宗教でもなく、共産国家やイスラム国家を作ろうとしているのではなかった。

独立したほうが経済的に豊かになれるという主張で、例えば東京が日本から独立するのに近い。


スペインは経済政策失敗などで長い不況が続いており、対照的にカタルーニャは経済成長を続けていました。

独立すればカタルーニャは政府への「上納金」を払わずに済み、スペイン政府の債務を払わなくても良くなります。

こうした金目当ての独立なので、国際社会にはもう一つ同情が広がり難い。
http://www.thutmosev.com/archives/74189329.html

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/649.html#c5

[政治・選挙・NHK237] 「大人げない発言大賞」 安倍晋三首相が文句なしの金賞授賞、おめでとうございます。 gataro
1. 中川隆[-5715] koaQ7Jey 2017年12月25日 10:23:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
前川喜平は言葉だけカッコ付けてるんだよな:

文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店である。7月初旬のある夜、本誌もまたここで働く女性の生態を“調査”すべく、店に入った。南国のモンステラの葉が壁一面を覆う店内には、カウンター席の他、ガラスで仕切られた向かい合わせの席がある。
1時間1ドリンク付きで3500円、2時間4800円。女性は無料。ドリンク飲み放題、スナック菓子食べ放題。席に座ると、男性の手元にはピンク色のメッセージカードが置かれる。ニックネーム、職業、血液型書き、「食事」「カラオケ」「飲み」「女の子におまかせ」の4項目から1つを選択。全て記入したら店員経由で気になる女性に送る。先方がOKの場合、相席して“次の予定”を交渉する。

この夜、店内には9人の女性がいた。ミニスカワンピの20代前半から、スーツを着たアラフォーまで、さまざま。グラスを片手にスマホをいじり、男性からの指名を待つ。一晩遊ぶ男を求め、あるいは交際相手を求め、店に集った素人女性である。

「ま、多くが“ワリキリ”目的だけどね。要は、エンコー。お金のために割り切って寝ますってこと。前川さん、よく来てました。あたしも指名されたことあるんで。貧困調査なのかなぁ。教育問題とか難しい話をしてたけど。『このあと外出る?』みたいな交渉もあった。アタシは断ったけど、ついてく娘もいた」

出会い系カフェは、いわばグレーゾーンの商売であり、自由恋愛が前提になっている。出会って気に入れば自由恋愛に発展するし、気に入らなければ断ることができる。「文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店」もそのようなお店であり、話では断られることが多かったようだ。

60代のおっさんでは、よほどのことがない限りワリキリに応じてくれる子はいないだろう。あったとすれば自由恋愛ではなく個人売春に近いだろう。このような人物が文部科学省の事務次官をしていたのだ。そして何人かの子と個人売春までしていたのだろう。状況的にそうなる。
http://2013tora.jp/kabu395.html


2017年07月02日
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団


この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


天下り官僚に翻弄される私大の悲惨

私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283

http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/554.html#c1

[お知らせ・管理21] 管理人さんへ 長文コピペのキング 中川隆さんの 取り扱いで要望です 知る大切さ
17. 中川隆[-5714] koaQ7Jey 2017年12月25日 10:31:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
ネット工作やれば月100万円は稼げるからね

いい転職口が無ければ簡単には止められないよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/499.html#c17

[文化2] 池田信夫の逝かれっぷり 中川隆
48. 中川隆[-5714] koaQ7Jey 2017年12月25日 11:23:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2017/12/11(966号)
日本の経済の専門家はおかしい


日本の経済論壇の「闇」は深い

筆者は、

16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
http://www.adpweb.com/eco/eco885.html


などで日本の経済学者やエコノミスト、そして日経新聞の論説委員等を批判してきた。これらの日本の経済の専門家が言っていることが「おかしい」と思うからである。また筆者は何となくこの原因を分っているつもりである。

日本経済の低成長の原因は慢性的な需要不足と先週号で説明した。しかし日経新聞の論説委員を始め日本の経済の専門家は、どうしても原因を需要不足とは認めないのである。そこで彼等は、低成長の原因を人手不足や低い生産性など供給サイドの話で誤魔化している。


だから人手不足を示すデータをやたら強調したがる。また間抜けなエコノミストの中には「日本は完全雇用状態」と言って譲らない者までいる。しかし先週号で述べたように、本当に日本が人手不足ならもっと賃金が上昇しているはずである。

それどころか全てのメガバンクが大きなリストラ計画を発表している。大手銀行の事実上の定年は52〜53才という話は昔聞いたことがる。ところがそれが最近では、どうやら50才程度までに早まっているという記事を日経新聞が掲載している。日経新聞にはこのような矛盾した話が満載である。そこで今週はこのような矛盾した話を二つ取上げる。


日本の経済成長率は、内閣府から国内総生産(GDP)の情報として定期的に公表されている。日経新聞などのメディアは、この数字の推移に基づき経済成長の様子を解説している。内閣府が公表するのは「消費、投資(設備・住宅)、政府消費、公共投資、輸出・輸入」と需要の項目毎の数字とそれらの合計である。日本経済成長率はこれらの需要項目の数字を積上げて算出されている。

日経新聞などメディアのこれに対する分析と解説は、例えば「天候不順で消費が落込んだ」「半導体の需要が好調なので設備投資が増えた」「予算消化が進まず公共投資が減った」「円安と中国の景気持直しで輸出が増えた」といった具合である。注目されるのは全てこれらは需要サイドの話ということである。まさに先週号で述べたように「需要で日本の経済成長は決まる」のである。日本の生産性が上下したことが原因で経済成長率が変動したといった話は一切出ない。これは当たり前の話であり、需要が増えれば当然のこととして工場や商業施設の稼働率が上がり生産性が上がるのである。


ところが日本の経済の専門家は、日経新聞などで日本経済の成長に関しては「生産性の向上が必須」「生産力の増大が必要」と供給サイドのことしか言わない。したがって彼等は「設備投資を喚起する政策が必要」「家庭の主婦も職場に狩出すような政策が必要」といった主張を繰返す。つまり日本の経済成長を決めるのは全て供給サイドという話になっている。

ところが同じ日経新聞の紙上では、前述の通り日本の経済成長を全て需要サイドだけで分析・解説して見せるのである。明らかに日経新聞や日本の経済の専門家の経済成長に関する論調は矛盾している。筆者は、もっと辛辣に「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」と言う他はないと思っている。

不思議なことに、日本の経済論壇では誰もこのような矛盾を指摘しないし問題にもしない。しかし「おかしい」と指摘する経済学者やエコノミストがいることを筆者は知っている。ところがこのような声をほとんどの日本のメディアは取上げない。まことに日本の経済論壇の「闇」は深いと言える(日本のメディアもおかしい)。


算出方法がおかしいデフレギャップ

もう一つの「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」ことを示す事例は、日本のデフレギャップの認識である。これに関しては日本の潜在成長率も関係する。筆者は

06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で、これらの算出方法がおかしいと指摘して来た。しかし今日でもこのインチキな算出方法が続いているのである。

日本のデフレギャップを政府はわずか1〜2%と公表して来た。それどころか直近ではデフレギャップがなくなり、逆にインフレギャップが生じたと驚くようなことを言っている。ところが誰もこれを「おかしい」とは指摘しない。


デフレギャップを文字通りに解釈すれば、供給力が需要を上回る場合の両者の差額ということになる。たしかに理論上では、これがゼロになることは有りうることである。しかしこれがマイナスになり、逆にインフレギャップが発生したのだからただごとではない。

これも文字通りに解釈すれば、日本全体で需要が生産力を上回ったことになる(一部の特定の企業に限るなら有り得る現象である)。これはちょっと有り得ないことであり、少なくとも日本の景気が超過熱状態ということを意味し、当然、物価は高騰しているはずである。ところが日本経済は低迷し、物価は一向に上がっていない。日銀なんて、物価上昇率の達成目標年度を毎年延期しているほどである。


結論を言えば、筆者が何回も指摘してきたようにデフレギャップや潜在成長率の算出方法がおかしいのである(実際のデフレギャップはずっと大きい)。しかし関係者がこれは「おかしい」と気付いているのか不明である。また「おかしい」と気付いていたとしても修正する気があるのか、これも不明なのである。

それにしてもこの怪しいデフレギャップを基づき経済政策が実施されることが問題である。構造改革派と見られるある経済閣僚は、日本のデフレギャップや潜在成長率が著しく小さく算出されていることを知らないと思われる。この大臣は「日本の経済成長率を上げるには潜在成長率を大きくする他はない」と言っているようだ。

日本のデフレギャップや潜在成長率を著しく小さく算出している裏には、日本経済の問題点を需要サイドから供給サイドにスリ変える意図が見える。これには財政再建派も悪乗りしている。もし需要サイドの問題、つまり需要不足が認められると財政支出による需要創出という話が避けられなくなると財政再建派は思っている。


デフレギャップや潜在成長率の算出方法や認識の違いには、理論経済学上の対立の影響も垣間見られる。先週号で、古典派(新古典派)経済学に基づく構造改革派と財政再建派、そして財政による需要創出の有効性を唱えるケインズ主義の積極財政派という分類を行った。デフレギャップや潜在成長率を異常に小さく算出している経済学者やエコノミストは、古典派(新古典派)経済学の信奉者と見て良い。

そもそも古典派(新古典派)経済学ではデフレギャップという概念は存在しない。古典派(新古典派)経済学の理論的な根幹をなす「セイの法則」では、作った物は全て売れることになっている。したがってパラメーターが動き価格メカニズムが機能すれば、失業者や生産設備の遊休は発生しないことになっている。

古典派(新古典派)経済学の世界では、自然失業率以上の失業は労働者の技能が劣るからであり、需要拡大策ではなく職を得るための教育訓練が必要と説く。また遊休状態の生産設備は、既に陳腐化していて使い物にならないから廃棄すべきと考える。たしかに「セイの法則」からは、このような結論が導き出される。
http://www.adpweb.com/eco/  

経済コラムマガジン 2017/12/18(967号)

経済論議混迷の根源はNAIRU


卑怯な言い訳を行う経済学者とエコノミスト

デフレギャップの推計には、

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で取上げた「可変NAIRUアプローチ」という方法がある。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemplayment)とはインフレ非加速的失業率のことである。これを自然失業率、つまり長期的にインフレ率に関係なく一定水準で存在する失業者の割合と同じという見方がある。

例えば失業率が5%であっても、自然失業率が3%であれば、実際の失業率は両者の差である2%と見る。もしこの2%の失業が解消すれば、実質的に失業者はいなくなり完全雇用ということになる。またこの状態(自然失業率の3%)でさらに追加の求人があれば、賃金率は上昇しインフレになるという認識である。


日本のデフレギャップの推計はこのインフレ非加速的失業率(自然失業率と言って良い)を念頭に行われている。また潜在成長率の推計はこのデフレギャップを元に算出される。失業率がインフレ非加速的失業率まで下がればデフレギャップはゼロになると解釈される。

デフレギャップがゼロになった状態で追加的に需要が増えても、賃金が上昇するので名目GDPが増えても実質GDPは増えないという考え方がある。つまり財政政策による需要創出は物価が上昇するだけなので無駄と見なす。したがってデフレギャップがゼロに近付けば、これ以上の経済成長のためには生産性を上げるしかないと主張する。

またデフレギャップや潜在成長率は内閣府や日銀など政府の機関で算出されているので、これらは公式の経済数字として扱われる。つまりこれらの数字は日本の経済政策に深く関わっていると言える。また多くの経済学者やエコノミストも同様の手法でデフレギャップを捉えている。日経新聞などには、これらの数字を絶対的なものと見なす論説ばかりが目立つ。


特に考えが固い経済学者は、デフレギャップがゼロの状態で少しでも需要が増えると、物価が止めどなく上昇するという。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で紹介したA教授はその典型であろう。A教授は「1兆円も財政支出を増やすと日本でハイパーインフレが起る」「私のシミュレーションプログラムでは、物価がどんどん上昇し計算不能に陥る」と言って引下がらない。どうもデフレギャップがゼロの状態が「閾(しきい)値」になっているようだ(まさにルーカス方程式)。またA教授が内閣府でも働く官庁エコノミトでもあることから、内閣府の現状認識が垣間見られる。

しかし驚くことに公表されるデフレギャップがゼロに近付き、それどころかマイナスとなった(逆にインフレギャップが発生)。ところが賃金が上がらず物価も一向に上昇しないのである。これが日本経済の現実の姿である。おそらくこれらの間抜けな面々にとっては信じられないことである。

そこでこれらの経済学者やエコノミストは、極めて卑怯な言い訳を行う。例えば「同じ可変NAIRUアプローチを使っても、研究者によってデフレギャップや潜在成長率の推定値に多少幅がある」「デフレギャップがゼロになると物価が上がりやすくなるだけ(必ず上がるとは言っていない)」と言った具合である。彼等は自分達の考え(経済理論)が根本的に間違っていることは絶対に認めない。そのうち本誌でも取り上げるが、認めると「まずい」のであろう。


NAIRUが潜在成長率を決めている

まずデフレギャップを失業率、つまり労働サイドだけに偏重して算定することがおかしい。供給力を規定する生産関数は、労働・資本・生産性の三要素ということになっている。しかしこれらの経済学者やエコノミストは労働と生産性をことさら重視するが、資本、つまり生産設備についてはほとんど触れない。

これについては

02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」
http://www.adpweb.com/eco/eco276.html

で取上げた。生産関数に関し、経済企画庁時代の80年代及び90年代の労働への分配率は0.54から0.58であり、資本への分配率は、0.42から0.46であった(同じ年の両者を合計すると1.00になる)。ところが2001年度の「経済財政白書」では、資本のウエートがいきなり0.33に引下げられ、労働への分配率が0.67と大幅に引上げられている。これは伸びの低い労働(就業者数は、1970年から2000年では1.2倍にしか増えていない)への分配率を大きくしデフレギャップを小さく算定するためのトリックと故丹羽春喜大阪学院大学名誉教授は推察していた。おそらく資本軽視(労働重視)の流れは、最近もっと酷くなっていると筆者は認識している。実際のところ

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で述べたように、日本の設備稼働率は低く経済産業省の調査統計部経済解析室のIIPの稼働率指数担当者に直接聞いた話では72〜74%で推移していた。


また

02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html


で取上げたように、この話を裏付ける大手製造業に対するアンケート結果が日経新聞の02年7月8日の一面トップに掲載された。需要が増えた場合の増産方法を問うものであった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は76%の「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。おそらくこの余剰生産力は今日でも保持されていると筆者は思っている(原発が止まっても遊休状態の火力発電所を動かしたように、ある程度の余剰生産力を持っている)。

つまり日本の生産力は5〜10%程度の需要増に即座に対応できると思われる。しかも需要増による物価の上昇はほとんど考えられないのである。つまり今日のデフレギャップや潜在成長率の認識と議論は全く現実離れしている。


06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html


で述べたように政府系エコノミストはGDPの過去の実際値の平均値や、景気動向指数を使って「潜在成長率」を算出している。つまりこれでは、大きく経済が落込こみ、かつその状態が長く続いた場合、落込んだ状態が普通、あるいは正常と見なすことになる。当然、デフレギャップはものすごく小さく算出される。特に日本経済はバブル崩壊、橋本政権の逆噴射財政政策、リーマンショックなどによる急激な落込みを経験している。

しかもその正常時とやらの失業率をNAIRU(インフレ非加速的失業率)と見なしている可能性がある。特に最近の労働偏重のデフレギャップの算出方法を考えると、極端な話、このNAIRU(インフレ非加速的失業率)だけでほとんど潜在成長率も決まることになる。


これらの一連の話に表立って「異」を唱えていたのは、筆者が知る限り故丹羽教授だけであった。唯一の例外は数年前に日経新聞の大機小機欄に掲載された「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。

17/11/13(第962号)「これからの重大な政治課題」
http://www.adpweb.com/eco/eco962.html


で述べたように、虚言・妄言が溢れる日経新聞にあって、「カトー」氏は「唯一まともで良識のある執筆者」と筆者は評価している。

まず「カトー」氏は、内閣府、日銀の両方とも、潜在成長率のNAIRUを使った推計値は信頼性が低いと指摘している。次に不況によって潜在成長率が下がっていることが考えられると言う。潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きいと述べ、拡張的なマクロ政策が必要と説く。さらに「履歴効果」にも言及している(これについては来週号)。最後に「カトー」氏は消費増税などはもってのほかと締めている。
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経済コラムマガジン 2017/12/25(968号)

狙いは需要創出政策の阻止


勝手に意味をスリ変え

ここ数週に渡りデフレギャップや潜在成長率などを取上げてきたが、これに関する議論が混乱していることを説明した。混乱の原因は、同じ経済用語でも使う者によってその意味が異なるからと筆者は考える。特に主流派と言われる経済学者やエコノミストが問題である。この違いをはっきりさせないまま彼等は勝手に議論を展開する。

そもそも彼等は経済論議を深めようといった意思を全く持っていない。もし議論を深めるつもりなら、最初に使う経済用語の意味や定義をはっきりさせる必要がある。しかし始めから議論なんかするつもりがないので、主流派の経済学者やエコノミストはこの重要なプロセスを省略し、一方的に片寄った持論を押付ける。日経新聞などはこの手のプロパガンダまがいの論説で溢れている。これら対し「おかしい」という意見を日本のメディアはまず取上げない。唯一の例外は、日経新聞では「カトー」氏のコラムぐらいである。


彼等と筆者達ではデフレギャップや潜在成長率の認識が異なる。筆者達は実際の供給力の天井と現実の名目GDPの差がデフレギャップと捉え、そのデフレギャップを元に算出した最大可能な成長率が潜在成長率と認識している。日本の供給力の天井は、主流派の経済学者やエコノミストが想定しているよりずっと高いというのが筆者達の主張である。

デフレギャップが1〜2%とか、ましてやデフレギャップがマイナスになる事態(つまりインフレギャップの発生)なんて絶対に考えられない。おそらく彼等は、日本ではなくインフレが常態化している中南米やアフリカなどの経済を想定した経済モデルでも使っているのであろう(あるいは「セイの法則」がある程度通用した19世紀の経済を想定)。


ところが今日、デフレギャップが極小(彼等のばかげたデフレギャップの算出方法で)となったにもかかわらず、一向に物価が上昇しない現実に直面している。先週号で述べたように、困惑した主流派の経済学者やエコノミストはデフレギャップのゼロの意味を「必ず物価が上がる」ではなく「上がりやすい状況になる」と卑怯にも勝手にスリ変えている。その程度の話なら、何故、彼等がこれまでデフレギャップや潜在成長率をことさら取上げて来たのか意味がない。

筆者は、政府機関は人心を惑わせるこれらの数字の算定を即刻止めるべきと言いたい(少なくともこれらのデタラメな経済数字の公表はするな)。もっとも主流派の経済学者やエコノミストの意図は見え透いている。人々(政治家を含め)が需要不足に関心が向かないないよう、供給サイドがパンク状態ということを強調したいのであろう。要するに財政出動による需要創出政策を阻止することが真の狙いと見られる。


先週号で説明したように、日本のデフレギャップや潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識して算出されている。この詐欺的な算出方法に同調する日経新聞は、日本中の人手不足の現場を必死になって捜し回って記事にしている。人手不足だからこれ以上の需要創出政策は不要と言いたいのであろう。

しかし人手不足の職場は、不正規雇用が中心で低賃金のところばかりである。例えば時給1,000円のアルバイトが足らないといった類の話になる。このような職場には、外国人の労働者が目立つのですぐ分る。しかし日経新聞を始め、日本のメディアは「時給1,000円」の意味を考えない。年間2,000時間も働いても(日本の正規雇用労働者の年間労働時間の平均はもっと少ない)、たった2百万円の収入にしかならない仕事である。一時的、あるいは片手間で働くのなら別だが、外国人を除けばそのような職場に人が集るわけがない。

もう一つの人手不足の現場は、昔から人々が敬遠する3Kの職場である。特に団塊の世代が引退しているので人手不足が顕在化している。ところがまだ有効求人倍率を見て、日本は完全雇用と言っている間抜けなエコノミストがいる。しかし求人の中にどれだけ多くの「ブラック職場」が含まれているか彼等は関知しないようだ。


履歴効果に負けないために

観念論者が唱えるNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップや潜在成長率の算定方法が、「おかしい」という声はとうとう米国でも起っている。失業率が完全雇用に近いと言われるレベルまで下がっているのに、米国でも一向に物価は上昇しないし賃金の上昇も鈍い。特にこれを気にしているのが米FRBである。

16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
http://www.adpweb.com/eco/eco904.html


で述べたように、求人が増えているといっても「雇用の質」が問題とイエレンFRB議長は適確な指摘をしている。米FRBが金融政策の転換に慎重なのも、このような米国の雇用情勢が影響している。移民が多く新興国並の需要がまだ期待できる米国でも、自然失業率というものに対する疑問が呈されているのである。米国より経済が成熟し高齢化が進む日本で、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識した議論がまかり通っていることの方が異常である。


そして日本経済が長く不調を続けることによって、本当の経済力を失うことを心配する声がある。先週号で紹介した「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。ここで言う潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)に基づいて算出されるインチキ潜在成長率ではなく、本当の意味での日本の潜在的な成長力と筆者は理解している。ケインズが言っていた資本主義経済における経営者のアニマルスピリットみたいなものと考えて良い。

たしかにここ30年間を見ても、経済が上向くと「次は財政再建だ」という声が必ず上がり、緊縮財政に転換し日本経済の成長を阻止する動きが起った。例えば異次元の金融緩和と大型補正予算で13年度は日本経済が上向いたが、14年度の消費増税と補正予算の大幅削減で日本経済は沈んだ。このようなことを続けていては、経営者のアニマルスピリットが萎えるのは当たり前である。

また「カトー」氏は同コラムでサマーズ元財務長官の「履歴効果」を引合いに出している。「履歴効果」とは「不況が長引くと物的資本や人的資源への投資が減少し、不況の影響が履歴のように潜在成長率に残っていく」というものである。そして「カトー」氏は「履歴効果のことを考えると、潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きい」と指摘している。したがってこの対策には拡張的なマクロ政策が必要と「カトー」氏は結論付けている。


サマーズ元財務長官は

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html

14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
http://www.adpweb.com/eco/eco807.html

で紹介したように、「米国経済の長期停滞論」を展開している。サマーズ氏は、米国のデフレギャップが10%以上あると主張している。つまりNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップの算出方法を完全否定しているのだ。したがってこれでは賃金が上がるはずがないとサマーズ氏は指摘している。

米国のデフレギャップが10%なら、生産設備の稼働率が米国より常に10%程度低く推移していた日本のデフレギャップは15〜20%程度と見て良いと筆者は思っている。またサマーズ氏は、「履歴効果」に負けないためには需要創出のマクロ政策が必要と説いている。ただし需要創出は財政政策を中心にすべきと主張し、金融緩和政策に偏重することをサマーズ氏は警戒している。

これは金融緩和政策への偏重によるバブル生成とバブル崩壊を危惧するからである。またサマーズ元財務長官は、米国だけでなく日本の経済政策にも同様のことが言えると指摘している(金融政策偏重に警鐘)。この意見に筆者は賛成である。しかし日本の来年度の予算編成を見ても、とても十分な財政政策が組込まれているとは思われない。筆者は新規国債発行による大胆な財政政策を主張してきた。しかし残念ながら、日本ではこれからも金融政策に偏重した政策が続くのである。
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http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html#c48

[文化2] 池田信夫の逝かれっぷり 中川隆
49. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2017年12月25日 11:27:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済学というイデオロギー 2017-12-24
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12338740907.html


 さて、毎度おなじみの国の借金でございます。


『国・地方の借金1108兆円に…なお先進国最悪
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20171222-OYT1T50044.html

 財務省は22日、2018年度末の国と地方を合わせた長期債務(借金)の残高が、17年度末の見込み(1087兆円)より約21兆円増え、1108兆円になるとの見通しを発表した。

 09年度から約288兆円増え、過去最大を更新する。
 内訳は国が約915兆円、地方が約192兆円となる。国民1人当たりの金額に換算すると、17年度より18万円多い、約874万円の借金を抱える計算だ。(後略)』



 さて、国の借金(正しくは「政府の負債」)云々の説明はとりあえず置いておいて、本日は「国の借金プロパガンダ」の根本について書いてみたいと思います。


 昨日のシンポジウムで、中野剛志先生や藤聡先生が強調していらっしゃいましたが、事の本質は、
「正しいか、間違っているか?」
 ではないのです。


 経済学という、現実を無視した特定の「イデオロギー」に日本の政界、官界、学会、財界、そしてマスコミが染まってしまっており、「現実にどう対処するか?」という普通の道を選べなくなっているのが、現実の日本です。


 人類の歴史において、イデオロギー先行で政治が行われたとき、大抵、国民は酷い目にあいます。


 現在の日本国民は、「経済学というイデオロギー」先行で政治が行われている結果、ひたすら貧困化しているという「根本」を理解して欲しいのです。

「自由貿易はとにかく正しい。反対する奴は、頭がおかしい」

「グローバリズムは歴史の必然だ」

「民間活力の導入(民営化)は、とにかくいいことだ」

「既得権益をぶち壊す規制緩和は、経済成長に貢献する」

「プライマリーバランス黒字化を達成しなければ、国の借金で破綻する!」


 上記は、全て経済学(厳密には新古典派経済学)に基づくイデオロギーです。
つまりは、コミュニズムやファシズムと同じであると理解しなければなりません。


 無論、自由貿易やグローバリズム、民営化、規制緩和、PB黒字化が「正しい環境」というのもあるのでしょう。とはいえ、それを言ったら「コミュニズム」や「ファシズム」であったとしても、有効な時期があるかも知れません。


 自由貿易、グローバリズム、民営化、規制緩和、PB黒字化、コミュニズム、ファシズムなどなど、これらは全て「道具」であって、目的ではないのです。


 目的はあくまで経世済民。国民を豊かに安全に暮らせるようにすること。これ以外に、政府の存在目的はありません。


 経世済民を達成するために、現実を踏まえて、いかなる政策を講じるか。これが、本来の政治の仕事なのです。


 ところが、現在の日本はイデオロギー先行になってしまっています。しかも、「経済学」という、過去400年近く、人類を苦しめたイデオロギーに染まってしまい、政策が立案されています。
 結果、例により国民が不幸になっている。


 イデオロギーではなく、現実を踏まえた政策を。この方向転換だけkで、日本国民は「豊かで安全な国家」を手に入れることができるのですが、現実はままなりません。


 もっとも、昨日のシンポジウム懇親会のラストでも話しましたが、我々日本国民がグローバリズムあるいは経済学というイデオロギーに苦しめられるのは、今に始まった話ではありません。始まりは、恐らく1543年にポルトガル人が種子島に漂着した時点なのです。


 過去、500年近く、我々の先人たち(日本人)はグローバリズムに苦しめられ、足掻き、何とか生き延び、妥協し、繁栄の道を探ることを続けてきたのです。


 今の我々も、過去の日本人たちと同じなのです。


 我々の足掻きは、1587年に豊臣秀吉がイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を送り、「奴隷交易(まさに「ヒトの移動」の自由!)」を禁止した、その延長線上にあるという話です。


 日本国が繁栄するためには、経済学あるいはグローバリズムというイデオロギーを、打破しなければなりません。


http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html#c49

[政治・選挙・NHK237] 奇怪!産経がまたけさ、狂った主張を始めた!  赤かぶ
4. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2017年12月25日 12:09:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/505.html

真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/556.html#c4

[昼休み53] 日本の経済の専門家は頭がおかしい 中川隆
6. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2017年12月25日 12:45:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月25日
日本企業の格付け世界最強になっていた 資本移動で日経2倍もあり得る


日本企業の多くが無借金で米国より格付けが高く、成長余地が大きい
引用:https://www.nikkei.com/content/pic/20170613/96959999889DE3E5E7EAE5EAE2E2E3E0E2E4E0E2E3E5968693E2E2E2-DSKKZO1758781012062017DTA000-PB1-2.jpg

日本企業いつの間にか世界最強になっていた

2017年は日本企業の不祥事が相次いで、「日本企業がだめな理由」みたいな事が語られていた。

だがその裏で実は日本企業の体力は強化され、欧米企業より潜在力が高まり将来有望になっていました。

日経新聞によると日本企業の格付けはA以上が75%に達し、約40%のアメリカよりもかなり高い。


債務の少なさや潜在成長力などが評価され、デフレ不況の頃とは様変わりした。

2016年度末時点では上場企業約3,600社のうち、2,000社以上が実質無借金経営をしていました。

実質無借金とは手元資金から、借入金や社債などの有利子負債を引いた金額がプラスになる企業で、財務体質の健全さを示している。


一方でこのような無借金企業は、借金をしないために得られる筈の成長を達成していない可能性がある。

無借金を重視するあまり、借金をして投資すれば成長できるのに、その機会を逃しているかも知れない。

日本企業は2017年に過去最高益を挙げているが、それずら本来持っている成長力より、低すぎる可能性がある。


バブル崩壊から最近までの日本では、株式投資は危険だとして定期預金などゼロ金利投資にお金が流れていた。

確かに日本株は1991年から2011年まで20年間下げ続けたが、株式市場から資金が引き揚げられたので、企業は十分な投資を得られなかった。

日本の株式市場は水が枯れた井戸のようになり、企業は債務を恐れ、労働者の首切りを行って無借金経営を目指した。

資本の逆流は起きるか

過半数の日本企業は事業で挙げた自己資金のみで営業していて、外部からの投資を活用できていない。

もしバブル期の日本や現在のアメリカのように、十分な投資資金が企業に流れたら、大きく成長する可能性がある。

東証が「枯れた井戸」から湧き水を噴出し、企業が十分な資金を得たら、日本株は3万円や4万円にもなるかも知れない。


銀行は預金で集めた金の運用先がなく、数百兆円もの金が活用されずに余っているとも言われている。

企業も内部留保を有効に活用しておらず、新規事業に投資せず、慎重な経営をしている。

アメリカでは資産の7割が企業に投資されて現金は2割だが、日本はちょうど逆で、現金や預金が7割を占め活用されていない。


もし7割の現金預金が株式市場などを通じて企業に投資され有効に活用されて利益を上げたら、日本の株価は簡単に2倍になります。

これが日本で今後予想されている資本の逆流で、活用されずに余っているお金を利用すれば、バブル全盛期以上の成長も可能です。

裏返していえば現在の日本は国民が保有する資産の7割は活用されておらず、日本は本来の国力の3割しか使っていない。
http://www.thutmosev.com/archives/74208872.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/894.html#c6

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
141. 中川隆[-5712] koaQ7Jey 2017年12月25日 12:58:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

伝統の意義と謙虚さ From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/media/11389

やっぱり、今年の流行語大賞に「忖度」(そんたく)が入りましたね。

森友学園の問題以降、「忖度」という言葉をメディアで頻繁に聞くようになりました。最近「忖度」は、悪い意味を込めて使われていいます。「権威ある相手におもねって、その意をくみ取る」というような意味で用いられる場合がほとんどとなっています。

ですが、もともとは「忖度」という言葉に特段に悪い意味はありません。国語辞典をみると、「(相手の気持ちを)おしはかること。推測」という語釈が掲載されています(『三省堂国語辞典』)。つまり、他者の気持ちを推測し、おもんぱかるということです。悪い意味どころか、むしろ「思いやり」「やさしさ」など日本人が伝統的に大切にしてきた道徳に密接な関係を持つ語なのです。

政権批判と絡めて使う最近の用法のおかげで、「忖度」という言葉のイメージがすっかり悪化してしまいました。その影響で、日本の古くからの道徳意識そのものにも悪いイメージが付着してしまわないかと心配になります。

私は、「忖度=権威者におもねり、その意図を汲むこと」という使い方をし、マスコミを中心に面白がっている風潮がどうも好きになれません。

「忖度」やその背景にある「他者の心を推し量ること」を重視する日本の伝統的な道徳意識は、ムラ社会的で遅れた、劣ったものだとする冷笑を奥底に感じるからです。

ですが、「忖度」やその背景にある日本の伝統的な道徳意識は、決して劣ったものではなく、また豊かな可能性を含み持つものなのです。

(この点については、以前、本メルマガで書きました。以下をご覧ください)
【施 光恒】】「『忖度』を悪者扱いするなかれ」(『新・経世済民新聞』2017年9月1日付)
https://38news.jp/economy/11015

日本人はもともと頭でっかちに「ことあげ」することを嫌う性質があるためか、自分たちの文化や慣習の意義をきちんと知的に(つまり言語化して)理解してこなかった面があります。日本人の間では、日ごろのなじみぶかい文化や慣習はごく日常のものですし、それに対して漠然と愛着を感じている場合が多いのであまり問題は生じません。

しかし、知的に理解していない分、文化や慣習のある側面について外国人などに疑問を投げかけられたり、批判されたりすると、その意義をうまく説明できず、そうした文化や慣習を遅れたもの、劣ったものだと考えてしまう場合が少なくないようです。下手をすると、その結果、そうした文化や慣習を「改革すべきだ!」となってしまいます。

例えば、「忖度」の場合だと、「他者の心を推し量ることを中心とする日本の道徳意識は改めるべきだ。小学校からディベート教育を大規模に導入すべきだ!」とかにつながりがちです。

伝統や慣習の意義がわからなくなってきていることを表す最近の例としては、徒弟制についてでしょうか。少し前に、「寿司職人になるための修行は必要か否か」ということがネット上で一時期、話題になっていました。

寿司職人がある程度長い期間、師匠について修行することの意義、つまり徒弟制の意義を、多くの人はきちんと説明できていないように思いました。

この点について私が感銘を受けたのは、大相撲の鳴門親方(ブルガリア出身の元大関・琴欧州)が簡潔ながら的確に語っていたことです。

もう半年以上前の記事ですが、『週刊文春』の阿川佐和子氏との対談記事で、鳴門親方は、付け人(付き人)制度の意義に次のように触れていました(「阿川佐和子のこの人に会いたい」『週刊文春』2017年5月4日・11日号)。

***
鳴門親方: 稽古すれば強くはなります。それよりは素直で気配りができるかどうか。関取が出れば付け人が必要になるわけで、食事のときに水がなかったりするとパッと持って来ることができるとかの気配りが必要。

阿川氏: いま何が必要なのか瞬時に気づく能力ですか?

鳴門親方: ええ。その力があれば、稽古場で私が教えていても、さらにそれ以上に自分で何が必要なのかわかって稽古することができます。そういう子はどんどん伸びていきますよ。
***

「付け人」制度や徒弟制一般について、暑苦しいとか、前時代的だなどと批判するのは簡単です。ですが、長年残ってきた慣習ですので、「付け人」制度にもなんらかの意義があるはずです。

鳴門親方は、実にサラッと、その意義の一つを語っています。

師匠や兄弟子(先輩力士)と同じ空間で長い時間を過ごし、稽古以外の雑用などもこなすことを通じて、師匠や兄弟子のものの見方を学び、その見方から自分自身を見つめる観点が習慣として身についていく。

すると、稽古場でも、自分の現時点での技量を常に師匠の観点から見つめ、吟味し、いま自分にとって何が欠けているか気づき、どうすればいいか、あれこれ考えることができるようになる。

こういう気づきや自己吟味の能力を身につけた者は、学ぶ速度や、その後の伸びが違ってくる。

鳴門親方は、以上のようなことを簡潔に指摘しています。

これは学問的にみても妥当だと思います。教育学者の生田久美子氏(東北大学名誉教授)も、相撲や日本舞踊、邦楽などの徒弟制のなかでの学習の意義について、同じような指摘をしています(生田久美子『「わざ」から知る』(コレクション認知科学6)、東京大学出版会、2007年(新装版)、70-91頁)。

徒弟制度は、様々な職人の世界や武道や芸道の修行で今でも多くの日本人にとって比較的身近なものです。ですが、その意義や効用を、うまく説明できる日本人はあまりいないのではないかと思います。鳴門親方は、外国出身だったからこそ、徒弟制度の意義を知的に理解し、説明できるようになったのかもしれません。

伝統は、何世代もの人々の検討をへてきたものですから、パッと見でわかりにくくても、実は奥深い意義や幅広い可能性を備えていることが多いのです。すぐに非合理だ、ムラ社会的だなどと判断し、改革するぞ〜となってしまうと、気づかぬうちに大切なものを失い、自分たちの可能性を狭めてしまう場合が少なくないように思います。

伝統の前には、ひとまず謙虚になってみる。その構えが案外重要でしょう。浅はかでゴーマンな「インテリ」にはご用心!ですね。

長々と失礼しますた

追伸1
ところで、上の本文中にリンクを張った2017年9月1日付のメルマガで触れた、夏バテして7月以降、花をつけなくなった我が家の黄色いハイビスカスですが、その後、忖度の甲斐があったのか11月末にやっと再び花をつけました!\(^o^)/ 12月になった今でも、大きな花を咲かせています。うちの子は、ハイビスカスなのに冬好きなのかな!?(ウェッブ版の冒頭の写真は、私が12月6日に撮ったものです)。

追伸2
「忖度」については、似たようなことを少し違う角度から、昨日付の産経新聞(九州・山口版)のコラムにも書きました。よろしければご覧ください。
(「『忖度』への冷笑と道徳の矮小化」(『産経新聞』2017年12月7日付)
http://www.sankei.com/region/news/171207/rgn1712070051-n1.html

創造性の土台と閉塞感 From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


前回の本メルマガでは、徒弟制の意義について触れました。
日本人自身が、日本の伝統や習慣のよい点がわからなくなってきているのではないかと書きました。

外国人に「この習慣、変じゃない?」と言われると、お人よしの日本人は「そうかもなあ。変えるべきかも」と思ってしまう場合が多いように感じます。

厚切りジェイソンという米国人の芸人さん(兼 IT企業の役員)がいます。「Why ジャパニーズ・ピーポー?」などと問いかけて、日本の習慣の不思議なところに突っ込むのを一つの持ちネタにしています。(厚切りジェイソンの漢字ネタを動画でみたら、結構、面白かったですwww)

その厚切りジェイソン氏、以前、ツイッターでこういう書き込みをしていました。

***
幼稚園→周りと合わせろ
小学校→周りと合わせろ
中学校→周りと合わせろ
高校→周りと合わせろ
大学→周りと合わせろ
会社→周りと合わせろ
パターンパターン!見えてきたよ!

「やりたいことが分からない」とよく相談受ける理由。
自分で考える機会が今までなかったから。
***

これはあまり面白くありません。「日本人は同調主義的で主体性がない!」という欧米人がよくしたがる陳腐な日本批判です。
(´・ω・`)

ですが、こういう批判をされると、「そうだよなあ。日本人ももっと自律性や主体性をもたないといかん!」などと素直に思ってしまう日本人も少なくないようです。

地域によりますが、最近では、外国人の子弟が、日本の小学校や中学校に通うことも比較的普通になってきました。子供を通わせている外国人の父兄が、日本の学校の指導のありかたに素朴な疑問をもつことも増えてきています。

日本の学校には、班活動、給食当番、教室の掃除、部活動など、集団で共同作業をする場面が多くあります。例えば、こういうものについて「集団主義的過ぎないか。子供の個性を圧殺してしまうのではないか」などと心配になる外国人父兄も結構いるようです。

彼らにまさに「なぜ?」と問いかけられたとき、日本の学校の教師は、自分たちが普段やってきたことの意義をきちんと説明できないとまずいはずです。ですが、これ、結構難しそうです。

いくつかの答え方があるでしょうが、私だったら、例えば、次のように答えたいと思っています。

「「創造性」や「個性の発揮」についてのとらえ方が日本と欧米などとはかなり異なる。班活動や給食当番など、日本の学校で集団での共同作業を重視するのは、もちろん他者との協調や調和それ自体が大切だということもあるが、それだけではない。子どもたちの創造性や個性を十分に伸ばし、発揮させるためにも、他者と良い関係を築いていくことを覚えるのは重要だと日本では強く考えられているからである」。
(`・ω・´)

つまり、日本は、個々の子どもの創造性や個性を軽視しているのではない。むしろ、それを発達させるためにも、他の子どもたちとよい関係を作り、共同でいろいろなことをする練習を積むことが大切だと考えてきたということです。

この点について、以前、評論家の山崎正和氏が、日本文学者のドナルド・キーン氏に触れつつ、興味深いことを述べていました。日本と欧米の詩歌に対するとらえ方の違いです(山崎正和『室町記』朝日選書、1976年)。

欧米では、詩人や作家は、しばしば孤独で天才的な隠遁者のイメージがあります。実際、米国の著名な女流詩人エミリー・ディキンソンは今でいう「ひきこもり」に近い人でした。よく知られたところでは『ライ麦畑でつかまえて』でよく知られている作家J・D・サリンジャーも長く隠遁していました。

米国などの考えだと、詩歌は、神の啓示を受けて作られるので、詩人や作家は、あまり人付き合いせず、隠れ住むような暮らしをしていてもいいのです。詩歌をはじめとする芸術は、啓示を受けた個人が生み出すという発想が根底にあります。神を背負った個人が作ると想定されるのです。

他方、キーン氏は驚きをもって記していますが、日本の伝統では、詩歌は常に、人と人との関わりのなかで生まれると考えられてきました。

和歌も俳句も、歌会や句会といった社交の場で作られるのが基本でした。時には、吟行という具合に皆で出かけて行って、歌を詠むこともよくありました。

場の雰囲気や感情を共有し、人と人とが関わり、お互いに批評し合う中で、よりよき詩歌が生まれると想定されてきたのです。詩歌だけではなく茶道や華道にしても、日本の芸術は、社交の場で人をもてなす中で作られるものでした。

日本と欧米のこのような相違は、芸術観の相違であると同時に、創造性に対する見方の違いでもあります。欧米では、創造性を担うのはあくまで個人です。かつては背景に神の啓示がありましたが、世俗化の進んだ現代では神はあまり意識されず、個人の独創がそれを担うという発想に立ちます。

他方、日本では、創造性が生じるのは、人と人との間です。つまり、良き人間関係がある場です。状況を共有し、そこで生まれる感情を分かち持つ人々の相互作用のなかから新奇のユニークなものが生じるという発想です。

創造性についてのこうした日本的な見方は、教育心理学者も指摘しています。臼井博氏は、日米の比較研究の結果をいくつか参照しつつ、「個人主義の伝統の強いアメリカでは創造性を個人の中の特徴であると見やすいのに対して、日本ではそれをむしろ個人間に共有される特徴とみる傾向があるのではなかろうか」(『アメリカの学校文化 日本の学校文化』金子書房、2001年、91頁)と述べています。

つまり、日本では、創造性は、誰か特定の個人の内部から生じるものというよりは、人と人との間から生じると考えられる傾向があるということです。各人の個性の発達も、やはり、よき人間関係の経験を通じて、生じてくると考えるわけです。

そういうことから、日本の学校では、個々の感情移入能力を磨き、他者とのよい関係を築く能力を重視するのです。そのため、班学習や給食当番、清掃、部活動などの集団活動の場を数多く設定し、協調性を陶冶し、また、学級会や「朝の会」「帰りの会」といった皆の生活を振り返って話し合う場を作り、他者への感情移入能力を磨くことを大切だと考えてきたのです。

「創造性」に関する日米の発想の違いは、ビジネスの現場などにも表れます。例えば、米国では、イノベーションを起こす主体として想定されがちなのは、起業家です。独創的個人である起業家が天与の才でもってブレイクスルーを起こすというのが、ビジネスの場での創造性発揮のイメージでしょう。

最近では、日本でも起業家とかイノベーションとかシリコンバレーとか米国的な見方をもてはやすようになってきています。

ですが、それでも日本人にとってなじみ深いのは、やはり、いわば「プロジェクトX」的な見方ではないでしょうか。つまり、新製品の開発など創造性が必要とされる場合、ひとまず、よき信頼関係が得られる場を作り、その場における「知の共有」「感覚の共有」を図っていく。そして皆で、忌憚のないやり取りや試行錯誤をしながら、新奇な、優れたものを生み出していくという見方です。

例えば、「知識経営」を広めた経営学者の野中郁次郎氏は、かつてそのような見方で日本企業の創造性を分析し、大きな話題を呼びました(野中郁次郎、竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社、1996年)。

気がつけば、また、ちょっと文章が長くなってきました…
f(;^ω^)

結局、何が言いたいかといえば、前回と同じ結論ですが、日本人は、自分たちの日頃の習慣や決まりごとといったものの意義を、知的に理解し、ある程度、言葉で説明できるようにしておくことが現在では必要ではないかということです。

そうしなければ、外国人にうまく説明できないばかりか、日本人自身が、日本的なものの見方を理解できなくなってしまい、みずから良かれと思って「改革」を進めてしまう。その結果、日本人の多くにとって暮らしやすい、また、能力を磨き発揮しやすい社会的基盤を壊してしまうということになってしまうのではないかと危惧します。

今回取り上げた創造性に関しても、米国型の起業家重視の見方が最近では広まりつつあるように、日本人自身が、日本的見方を忘れつつあるというか、きちんと理解できなくなっているように思います。

「創造性とは人と人との間に生まれるものであり、それゆえ、その発揮のためには、相互に信頼し合える良き人間関係づくりがまず大切だ」というような創造性についての日本的見方が忘れられ、改革によって米国型の組織がどんどん増えていけば、結局、創造性を発揮する条件が損なわれ、日本人は創造性を伸ばしにくくなってしまうのではないでしょうか。

その結果、改革すればするほど閉塞感が高まるという、ここ20年間繰り返されてきた光景がまたひとつ再現されることになってしまうのではないかと思います。
https://38news.jp/column/11440
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c141

[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
69. 中川隆[-5711] koaQ7Jey 2017年12月25日 13:35:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の官僚は悪い
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c69
[リバイバル3] 中川隆 _ 売国政治家・御用学者 関係投稿リンク 中川隆
27. 2017年12月25日 13:37:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の官僚は悪い
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/461.html#c27
[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
1. 中川隆[-5710] koaQ7Jey 2017年12月25日 13:46:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の教育を滅茶苦茶にした前川喜平がやっていた事教えてあげる


文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店である。7月初旬のある夜、本誌もまたここで働く女性の生態を“調査”すべく、店に入った。南国のモンステラの葉が壁一面を覆う店内には、カウンター席の他、ガラスで仕切られた向かい合わせの席がある。

1時間1ドリンク付きで3500円、2時間4800円。女性は無料。ドリンク飲み放題、スナック菓子食べ放題。席に座ると、男性の手元にはピンク色のメッセージカードが置かれる。ニックネーム、職業、血液型書き、「食事」「カラオケ」「飲み」「女の子におまかせ」の4項目から1つを選択。全て記入したら店員経由で気になる女性に送る。先方がOKの場合、相席して“次の予定”を交渉する。

この夜、店内には9人の女性がいた。ミニスカワンピの20代前半から、スーツを着たアラフォーまで、さまざま。グラスを片手にスマホをいじり、男性からの指名を待つ。一晩遊ぶ男を求め、あるいは交際相手を求め、店に集った素人女性である。

「ま、多くが“ワリキリ”目的だけどね。要は、エンコー。お金のために割り切って寝ますってこと。前川さん、よく来てました。あたしも指名されたことあるんで。貧困調査なのかなぁ。教育問題とか難しい話をしてたけど。『このあと外出る?』みたいな交渉もあった。アタシは断ったけど、ついてく娘もいた」

出会い系カフェは、いわばグレーゾーンの商売であり、自由恋愛が前提になっている。出会って気に入れば自由恋愛に発展するし、気に入らなければ断ることができる。「文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店」もそのようなお店であり、話では断られることが多かったようだ。

60代のおっさんでは、よほどのことがない限りワリキリに応じてくれる子はいないだろう。あったとすれば自由恋愛ではなく個人売春に近いだろう。このような人物が文部科学省の事務次官をしていたのだ。そして何人かの子と個人売春までしていたのだろう。状況的にそうなる。
http://2013tora.jp/kabu395.html


2017年07月02日
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団


この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


天下り官僚に翻弄される私大の悲惨

私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283

内田樹の研究室 2017.11.03 大学教育は生き延びられるのか?

ご紹介いただきました、内田でございます。本日は、国立大学の教養教育の担当の人たちがお集まりになっていると伺いました。ずいぶんご苦労されてると思います。日々本当に胃が痛むような、苛立つような思いをしていらっしゃると思います。今回のご依頼をいただいたとき、かなり絶望的な話をしようと思ったんですけども、先ほどみんなを励ますようなことをお話しくださいと頼まれましたので、なんとか終わりの頃には少し希望が持てるような話にできればと思っています。

「大学教育は生き延びられるのか?」という問いの答えは「ノー」です。それは皆さん実感してると思います。大学教育は生き延びられるのか。生き延びられないです。今のまま状況では。

でも、仕方がないと言えば仕方がないのです。急激な人口減少局面にあり、経済成長の望みはまったくない。かつては学術的発信力でも、教育水準でも、日本の大学は東アジアの頂点にいましたけれ。でも今はもう中国やシンガポール、韓国にも台湾にも抜かれようとしている。急激に大学のレベルが下がっているのです。そして、急激に大学のレベルが国際的に低下していることについて、当の大学人たちにも教育行政の当局にもその自覚がない。これが危機の本質だと思います。

私は今もいくつかの大学で客員教授や理事をして、大学の現場とのかかわりを維持していますけれど、フルタイムの大学教員ではありません。ですから、好きなことを言わせてもらいいます。

正直に言って、日本の大学は、このままではもう先はないです。教育制度は惰性が強いですから、簡単には潰れはしません。民間企業のようにいきなり倒産するということはない。でも、じりじりと駄目になってゆく。長期停滞傾向が続いて、20年、30年経ったあたりで、もう本当に使い物にならなる。それでもまだ組織としてはもつでしょう。医療とか教育というのは「それがなくては共同体が存続しえない」本質的な制度ですから、最終的には現場にいる人たちが身体を張って守ります。ですから、どんなにシステムがおかしくなっても、公的な支援が途絶えても、それでもなんとか持続はします。でも、それはほんとうに現場の人が命を削ってもたせているからもっているのであって、公的制度としてはもう破綻している。ブラック企業と同じでです。フロントラインに立ってる生身の人間が必死になって現場を回しているわけで、その人たちがばたばた過労死しているおかげでかろうじてシステムの体をなしている。大学もそういう状況にいずれなりますし、局所的にはもうそうなっている。

医療の世界でかつて「立ち去り型サボタージュ」という言葉が使われました。小松秀樹さんの書かれた『医療崩壊』という本がその事実を明らかにしました。小松先生とは一度お会いしたことがありますけれど、その時に教えられたのは、「医療崩壊」というけれど、医療もやはり惰性の強いシステムなので、簡単には崩壊しないということでした。それは現場に立って医療の最前線を守っているドクターやナースは自分の健康や家庭生活を犠牲にしても医療を守ろうとするからです。そういう「業」を抱えた人が医療の現場に立っている。だから、制度的に破綻していても、簡単には崩壊しないんだ、と。でも、生身の人間ですから、彼らのオーバーアチーブメントに頼って支援の手当をせずに放置しておけば、いずれ一人倒れ二人倒れ、前線の維持が難しくなる。そういうお話でした。

10年ぐらい前に医療で起きたのと同じことが今、大学で起こっているような気がします。教育現場で働いてる人間を支援するという体制が国にも自治体にもメディアにも市民社会にもない。逆に、公的な制度やメディアが現場の教職員たちを追いつめている。精神的にも身体的にも「まだ働き方が足りない」と負荷をかけている。
それでもなんとか現場がもっているのは、教育に関わる人間もまた医療人と同じようにある種の「業」を抱えているからです。教員という職業を選ぶ人には一定の傾向性があります。医療を職業に選ぶ人たちと同じように、教員は学校という場が好きなんです。教室で若い人たちの前に立って何かを教えることが好きで、研究が好きで、アカデミアで異なる領域の知性と出会うことが好きで、という人が学校教育の場には引き寄せられてくる。だから、常軌を逸した負荷がかかっていても、なんとか踏みとどまろうとする。家庭生活や健康を犠牲にしても、自分の職域を守り抜こうとする。今の日本の大学がこれほど否定的環境にありながら、なんとか保っているのは、教育人たちのこの「業の深さ」のおかげです。

でも、生身の人間が蔵している生命資源は本来であれば他のことに使わなければいけないものです。一家団欒とか、文化活動とか。運動したり、遊んだり、自分の好きな研究をしたり、そういう本当にしたいことを断念して、その資源を学校の管理業務とか文科省の命じてくる意味のない作業に割かなければならない。

僕は選択定年制で大学を5年早く辞めたのですが、最大の理由は会議と書類書きが受忍限度を超えたからです。研究することも教育することも大好きなんですけれど、会議と書類書きが大嫌いでした。50代の途中からは6年間管理職でした。授業のない日に会議のためだけに登校するということが何度もありました。だから、あと5年いても、退職まで管理職が続くことがほぼ確実だったので、申し訳ないけれど60歳で退職しました。そういう意味では僕も「立ち去り型サボタージュ」の一人なんですよね。でも、これ以上いると、自分自身が干上がってしまうと思った。60歳になって、残りの人生のカウントダウンが始まったのに、まだやり残した仕事がたくさんある。研究の領域でもありましたし、武道家としてもやらなければならないことがたくさんありました。大学を守るためには現場に残って、僕も仲間たちと激務を分担しなければいけないということは理屈ではわかっていたのですが、会議と書類書きで自分の時間をこれ以上費やすことに耐えられなかったのです。その点では忸怩たる思いがあります。そうやって現場を棄てた人間の慚愧の思いを込めて、今日本の大学教育が一体どういうところにあるか、お話をしたいと思います。

まず具体的な実態から、お話します。2002年から日本の学術研究は質、量ともに国際競争力が低下しています。2015年の「人口あたり論文数」は世界37位。中国、台湾、韓国のはるか後塵を拝しています。現在の日本の学術的発信力はOECD諸国の中では最下位レベルです。

論文数の減少が著しいのが、かつて国際競争力が高かった分野だというのも気になります。工学系は2004年以降論文数が減少し、競争力は低下している。生命科学系、農学系、理学系も低下傾向です。社会科学系では論文数はそれほど減っていませんが、もともと国際競争力のない分野です。総体として、日本の大学の国際競争力は過去15年間下がり続けています。

でも、この「人口当たり論文数」が先進国最低という事実をメディアは報道したがりません。代わりによく報道するのが「教育に対する公的支出の比率」です。公的支出の中に占める教育費の割合は先進国最低。それも5年連続です。この事実についての反省の弁を政府部内から聞いた記憶が僕にはありません。この国の政府は教育研究の支援には関心がないということです。ですから、今のシステムが続く限り、教育に対する公的支出比率先進国最下位という定位置に日本はとどまり続けることになります。

なぜ、日本の大学の学術的発信力がこれほど急激に衰えたのか。僕は35年間大学の教壇に立ってきましたので、この経年変化を砂かぶりで観察してきました。はっきりした変化が始まったのは1991年の大学設置基準の大綱化からです。

誤解して欲しくないのですが、設置基準の大綱化そのものが研究教育能力の劣化をもたらしたわけではありません。大綱化を導入せざるを得なくなった歴史的な教育環境の変化があり、それが日本の大学の学術的な生産力を損なったのです。でも、これについて教育行政当局は何も分析していない。先進国の中で日本の大学教育のアウトカムが最低レベルにまで下がったという事実については「全部大学の責任」であり、教育行政には何の瑕疵もないという態度を貫いている。悪いのは文科省ではなくて大学であるわけですから、失敗の原因を探求するのも、対応策を講じるのも全部大学の自己責任であるという話になっている。ですから、文科省の仕事はそういう「できの悪い大学に罰を与える」ことに限定されている。そうやって毎年助成金を削り、学長に権限を集中させて教授会自治を否定し、大学の自由裁量権を奪い、自己評価自己点検作業を強要し、次から次への大学への課題を課して、研究教育のための時間を奪っておいて、その上で「どうして研究教育がうまくゆかないのか」について会議を開き、山のような報告書を書くことを義務づけている。

文科省は大学に自己評価を求めていますが、僕はまず文科省自身が自己評価する必要があると思います。過去25年間の教育行政を点検して、現状はどうか、なぜこんなことになったのか、どうすれば改善できるのか。大学に要求するより先に、文科省自身がPDCAサイクル回してみればいい。どんな点数がつくかみものです。

先ほど申し上げましたが、転換点は91年の大学設置基準の大綱化でした。それまでの日本の大学はよく言われる通り「護送船団方式」でした。いわゆる「親方日の丸」です。箸の上げ下ろしまでうるさく文部省が指図する代わりに、面倒は全部見る。そういう家父長制的な制度だった。

でも、大綱化によって、細かいことに関しては、大学の自由に任せようということになった。家父長的な制度がなくなって、大学が自由にカリキュラムを作ることができるようになったことそれ自体はたいへんよいことだったと僕は思います。当時も僕はこの方向性を歓迎しておりました。「自己決定・自己責任」でいいじゃないかと僕も思いました。でも、文科省が大学に自由を与え、権限委譲することに裏がないはずがない。実際にそれが意味したのは大学の淘汰を市場に委ねるということでした。

91年段階で、今後18歳人口が急激に減ってゆくことが予測されていました。60年代には250万人いた18歳人口は以後漸減して76年に156万まで減りましたが、その後V字回復して1992年に205万人に戻しました。そして、そこから減り続けた。2017年では120万人。25年間で40%減少したことになります。

大綱化は18歳人口がピークアウトして、以後急減局面に入り、増え過ぎた大学定員を満たすことが困難な局面に入るということがはっきりわかった時点で導入されました。これから大学の数を減らさなければいけないということは文科省(当時は文部省)にもわかっていました。もう護送船団方式は維持できない。文部省と大学はそれまで親鳥とひな鳥のような関係でした。親鳥はひな鳥を扶養する代わりにあらゆることについて口出しした。でも、親鳥が増え過ぎたひな鳥を扶養できない時代がもうすぐ来ることがわかった。護送船団のロジックからしたら、ひな鳥が死んだらそれは親鳥の責任になる。こんな弱い鳥を産んだお前が悪いということになる。でも、これから後、ひな鳥はばたばた死ぬ。だから、親鳥の仕事を放棄して、「これからは自己裁量で生き抜きなさい」と言い出した。なぜ、淘汰圧に耐えられないような高等教育機関をなぜ認可したのか。なぜそこに税金を投入したのか。そういう問いに対して文部省には備えがなかったからです。

でも、それはある意味では当然のことでした。明治の近代学制の導入以来、日本の教育行政の最大の使命は教育機会の増大だったからです。国民にいか多くの、良質な就学機会を提供するか、それが近代日本の教育行政の本務だった。だから、学校を増やすことを正当化するロジックでしたら教育官僚は無限に作り出すことができた。そして、実際にそのロジックを駆使して、国民の就学機会を増やし続けたのです。それは敗戦後も変わりませんでした。敗戦国日本は軍事力や外交力ではなく、むしろ経済力や教育力や学術的発信力によって国際社会に認知される道を進むべきだということについては国民的な合意が形成されていました。

だから、ある意味で文部省の仕事は簡単だったのです。でも、80年代になって難問に遭遇しました。18歳人口が減ることがわかってきたからです。しばらくは大学進学率の上昇が期待できるので、大学定員は満たせるだろうけれど、それもどこかで天井を打つ。そのあとは大学を減らさなければならない。でも、文科省にはどうやって教育機会を増やすかについての理屈はあるけれど、どうやって教育機会を減らすかのロジックがなかった。護送船団方式でそれまでやってきたわけですから、自分が認可し、自分が指図して育てて来た大学に対して「お前は失敗作だったから廃校しろ」というわけにはゆかない。製造者責任を問われるのは文部省自身だからです。

そこで大学の淘汰は市場に委ねるというアイディアに飛びついたのです。強者が生き残り、弱者は淘汰されるというのは市場では自明のことです。自分の生んで育てたひな鳥を殺す仕事を親鳥は放棄して、市場に丸投げしたのです。これが91年の大学設置基準大綱化の歴史的な意味です。これは明治維新以降の教育行政の決定的な転換点でした。でも、その時点では僕も僕のまわりの大学人も、この変化の歴史的意味に気づいていなかった。18歳人口が減ってゆく以上、大学が生き残りをかけてそれぞれに創意工夫を凝らすことは「当たり前」のことであり、その淘汰プロセスで大学教育研究の質は向上するに違いないと、僕も信じておりました。

けれども、この期待はまったく外れてしまった。市場に委ねるということは、それぞれの大学に好き勝手なことをしてくれということではなかったのです。というのは、求められたのは、どの大学が「要らない大学」であるか可視化することだったからです。そのためにはシンプルでわかりやすい指標に基づいて大学を格付けしなければならない。市場はそれを要求してきたのです。

この場合の「市場」というのは、どの大学のどの学部を受験するか選ぶ志願者たちとその保護者のことであり、また彼らが就職する先の企業のことです。志願者と保護者が求めたのは「そこを卒業すると、どれくらいの年収や地位が期待できるか」についての情報であり、採用先が求めたのは「そこを卒業した労働者にはどれくらいの能力と忠誠心を期待できるか」についての情報でした。

大綱化というのは自由化のことだと僕は勘違いしていました。でも、そうではなかったんです。それは「どの大学から順番に淘汰されてゆくかを可視化して、市場に開示せよ」ということだったのです。

僕は大学のカリキュラムの自由化によって、それぞれ日本中の大学が、それぞれの教育理念と教育方法を持ち、それぞれの教育プログラムを編成して、それぞれ異なる達成目標をめざすということになると思い込んでいた。でも、大綱化から後、大学に求められたのは均質化・同質化でした。「自由に競争してよい」というものの、その競争の結果出てくる優劣の差はわかりやすい仕方で表示されなければならない。それは競争することは自由になったけれど、教育や研究のあり方が自由になったわけではない。むしろそれはより不自由なものにならざるを得なかった。というのは、格付けのためには全ての大学の活動を同じ「ものさし」で考量する必要があったからです。格付けというのはそういうことです。複数の教育機関の優劣を判定するためには、同じ「ものさし」をあてがって差を数値的に表示しなければならない。入学者の偏差値であるとか、就職率であるとか、卒業時点でのTOEICスコアであるとか、そういう共通性の高い「ものさし」を当ててみせないと大学間の優劣は可視化できない。そして、そのためにはものさしが当てやすいように教育内容を揃えることが全大学に求められることになった。

まことに逆説的なことですけれど、「好きにやってよい。その結果について格付けをする」と言われたのだけれど、よく考えてみたら「同じようなことをしないと格付けができない」以上、日本中の大学が自発的に相互模倣する他ないという倒錯的な事態が生じることになったのでした。

でも、それと同じことはすでに研究領域でも起きていたのでした。若い研究者たちは専任のポストを求めて競争することを強いられています。でも、研究領域がばらばらで、テーマがばらばらで、研究方法もばらばらだと、研究成果の優劣は確定しがたい。それよりは、研究者たちができるだけ同じ研究領域に集中して、同じ研究方法で、同じ研究課題に取り組んでいてもらう方がひとりひとりの出来不出来を比較しやすい。当然です。その結果、若い研究者たちを競争的環境に投じたら、研究者ができるだけたくさんいる領域を選んで専攻するようになった。誰も手がけない、前人未到の領域こそが本来なら研究者の知的関心を掻き立てるはずですけれど、そういう領域に踏み込むと「研究成果が査定不能」というリスクを負うことになる。「格付け不能」というのは市場からすると「無価値」と同義です。だから、リスクを避ける秀才たちは「誰も手がけない領域」ではなく「競争相手で混み合っている領域」に頭から突っ込んでゆくようになった。そうやって日本の学術研究の多様性は短期間に急激に失われていったのでした。

部分的に見ると適切なように見えるものも、少し広めのタイムスパンの中に置き換えると不適切であり有害であるということがあります。大学の格付けというのは、まさにそのようなものでした。大学の優劣を可視化するという社会的要請はそれだけ見れば合理的なものに思えますけれど、その帰結が大学の均質化と研究成果の劣化だったとすれば全体的には不適切なものだったという他ない。

自己評価というのも今ではどこの大学も当たり前のようにやっていますけれど、そもそも何のために自己評価活動が要るのかというおおもとのところに還って考えるということをしていないので、膨大な無駄が生じている。はっきり言って、こんなものは日本の大学には不要なものです。でも、アメリカでは大学の評価活動を熱心に行っているから日本でもやろうということになった。それは社会の中における大学のありようが日米では全然違うということがわかっていないから起きた重大な誤解です。

アメリカの大学の中にはとても大学とは言い難いようなものがたくさんあります。大学設置基準が日本とは違うからです。アメリカの場合、ビルの一室、私書箱一つでも大学が開校できる。校地面積であるとか、教員数であるとか、蔵書数であるとか、そういうことについてうるさい縛りがない。教育活動としての実態がないのだけれど、「大学」を名乗っている機関がある。そういう大学のことをDegree millとか、Diploma millと呼びます。「学位工場」です。学士号や修士号や博士号を単なる商品として売るのです。

学位工場はアメリカの商習慣から言うと違法ではありません。というのは、一方には金を出せば学位を売るという大学があり、他方には金を出して学位を買いたいという消費者がいて、需給の要請が一致してるからです。売り買いされているものが無価値な、ジャンクな商品だということは売る側も買う側も知っている。無価値なものを売り買いしており、その価格が適正だと双方が思っているなら、法的な規制はかけられない。そうやってアメリカ国内には無数の学位工場が存在している。
そこでアメリカの「まともな大学」が集まって、「まともな大学」と「学位工場」の差別化をはかった。でも、「学位工場」のブラックリストを作ることはできません。それは彼らの営業を妨害することになり、場合によっては巨額の賠償請求を求められるリスクがあるからです。合法的に経営されている企業の活動を妨害するわけにはゆかない。だから、「この学校はインチキですよ。この大学の出している修士号とか博士号とかはほんとうは無価値なんですよ」ということはアナウンスできない。できるのは「私たちはまともな大学であり、私たちの出す学位は信頼性があります」という自己主張だけです。でも、自分ひとりで「うちはまともです」と言っても十分な信頼性がない。だから、世間に名の通った「まともな大学」を集めて、「まともな大学同士でお互いの品質保証をし合う」という「ホワイトリスト」の仕組みを作った。それが相互評価です。

でも、日本にはそんな相互評価の必要性なんかありませんでした。だって、学位工場なんか存在しなかったからです。日本の大学は厳しい設置基準をクリアしてきて創立されたもので、教育しないで、学位を金で売るようなインチキな大学は存在する余地がなかった。

でも、確かにある時点からそれが必要になってきた。それは小泉内閣以後の「規制緩和」によって、大学の設置基準も緩和されたからです。厳しい設置基準審査は割愛する。その大学が存在するだけの価値があるかどうかの判定は市場に委ねる。「事前審査」から「事後評価」へというこの流れは「護送船団方式」から「市場へ丸投げ」という大綱化と同じ文脈で登場してきました。

2003年に規制緩和路線の中で株式会社立大学が登場しました。「構造改革特区」においては学校法人ではなく、株式会社にも学校経営への参入が容認されたのです。それ以前は私立学校の設立母体となることができるのは学校法人だけでした。規制緩和によって、2004年から続々と株式会社立大学が設立されました。でも、株式会社立大学のその後はかなり悲惨なものでした。

全国14キャンパスを展開したLECリーガルマインド大学は2009年度に学部が募集停止。2006年開学のLCA大学院大学も2009年に募集停止。TAC大学院大学、WAO大学院大学は申請に至らず。ビジネス・ブレークスルー大学は2012年度の大学基準協会の大学認証評価で「不適合」判定を受けました。実質的に専任教員が置かれていないこと、研究を支援・促進する仕組みが整備されていないこと、自己点検評価・第三者評価の結果を組織改善・向上に結びつける仕組みが機能していないことなどが指摘されましたが、これは経営破綻に至った他の株式会社立大学にも共通していたことでした。

でも、僕はこの失敗についても株式会社立大学を推進した人々からまともな反省の弁を聞いたことがありません。導入時点では、財界人たちからは、大学の教員というのはビジネスを知らない、マーケットの仕組みが分かってない、組織マネジメントができていない、だから駄目なんだということがうるさく言われました。生き馬の目を抜くマーケットで成功している本物のビジネスマンが大学を経営すれば大成功するに決まっているという触れ込みでしたが、蓋を開けてみたらほとんど全部失敗した。それについても、なぜ失敗したのかについて真剣な反省の弁を聞いたことがありません。誰の口からも。もし大学人に足りないのはビジネスマインドだというのが本当なら、この「ビジネスマン」たちもかなりビジネスマインドに致命的な欠陥を抱えていたということになります。でも、それよりむしろ学校教育に市場原理を持ち込むという発想そのものに誤りがあったのだと僕は思います。

これらの出来事はすべて同一の文脈の中で生起したことです。これらの出来事に伏流しているのは「市場は間違えない」という信憑です。学校教育の良否を判定するのは市場であると考えたビジネスマンたちは、消費者が喜びそうな教育商品・教育サービスを展開すれば、必ず学生たちは集まってくると考えました。株式会社立大学はいろいろな手で志願者を集めましたが、それは商品を売る場合と同じ考え方に基づくものでした。駅前で足の便がいいとか、スクーリングなくて一度も登校しなくても学位が取れるとか。でも、消費者を引き付けようとするなら、最終的に一番魅力的な訴えは「うちは勉強しなくても学位が取れます」ということになる。そうならざるを得ない。市場モデルでは、学習努力が貨幣、単位や学位が商品とみなされます。最も安価で商品を提供できるのがよい企業だという図式をそのまま学校教育に適用すれば、学習努力がゼロで学位が取れる学校が一番いい学校だということになる。実際に、そう信じて株式会社立大学の経営者たちは専任教員を雇わず、ビデオを流してコストカットに励み、学生たちには「最低の学習努力で卒業できます」と宣伝した。それは学位工場に限りなく近いかたちの大学を日本にも創り出そうとしたということです。でも、幸いにもその企ては成功しなかった。果たしてその失敗の経験から、株式会社立大学の導入を進めた人々は一体何を学んだのか。たぶん何も学んでいないと思います。今も「大学では実学を教えろ」とか「実務経験者を教授にしろ」と言い立てている人はいくらもいます。彼らの記憶の中では株式会社立大学のことはたぶん「なかったこと」になっているのでしょう。

その後に登場してきたのが「グローバル教育」です。これも表向きは経済のグローバル化に対応して云々ということになっていますけれど、実態は格付けのためです。大学の優劣をどうやって数値的に可視化するかということが90年代以降の文科省の教育行政の最優先の課題でしたけれど、グローバル教育はまさにそのためのものでした。つまり、「グローバル化度」という数値によって全大学を格付けすることにしたのです。これはたしかに賢い方法でした。「グローバル化度」は簡単に数値的に表示できるからです。受け入れ留学生数、派遣留学生数、海外提携校数、英語で行っている授業のコマ数、外国人教員数、TOEICのスコア・・・これは全部数値です。これらの数値のそれぞれにしかるべき指数を乗じると、その大学の「グローバル化度」がはじき出される。電卓一つあれば、大学の「グローバル化度」は計算できる。

でも、留学生の数とか、海外提携校の数とか、外国人教員数とか、英語での授業の数は大学の研究教育の質とは実際には何の関係もありません。今の日本の大学生は日本語での授業でさえ十分に理解しているとは言い難い。それを英語で行うことによって彼らの学力が向上するという見通しに僕はまったく同意できません。

今、どこの大学でも「一年間留学を義務づける」ということが「グローバル化度」ポイントを上げるために導入されています。学生からは授業料を徴収しておいて、授業は海外の大学に丸投げして、先方が請求してくる授業料との「さや」を取る。何もしないで金が入ってくるのですから、大学としては笑いが止まらない。25%の学生が不在なのですから、光熱費もかからない、トイレットペーパーの消費量も減る、教職員もその分削減できる。いいことづくめです。そのうち「いっそ2年間海外留学必須にしたらどうか」と言い出す知恵者が出てくるでしょう。さらにコストカットが進んで利益が出る。すると誰かさらに知恵のある者が「いっそ4年間海外留学必須にしたらどうか」と言い出すかもしれない。そうしたら校舎も要らないし、教職員も要らない。管理コストはゼロになる。でも、そのときは大学ももう存在しない。でも、自分たちがそういうふうに足元を掘り崩すようなリスクを冒しているということを、この「グローバル教育」推進者たちはたぶん気づいていないような気がします。

シラバスというのも、そのような学校教育への市場原理の侵入の一つの徴候です。もちろんそれまでも授業便覧・学修便覧は存在していたわけですけれど、シラバスはそれとは性格がまったく違います。あれは工業製品につける「仕様書」だからです。含有物質は何か、どういう規格に従って製造されたのか、どういう効用があるのか、そういう情報を消費者に開示するためのものです。ある意味では契約書です。「こういう授業をいついつにする」と教師は約束する。学生はそれが履行されることを教師に要求できる。予定通りに授業をしなかった場合、所期の学習効果が得られなかった場合、学生は教師に対して「契約不履行」でクレームをつけて、謝罪なり補講なりを請求できる。そういう趣旨のものです。

でも、大学の授業は工業製品じゃありません。本来は生身の教師が生身の学生たちの前に立ったときにその場で一回的に生成するものです。そこで教師が語る言葉にはそれまで生きてきて学んだこと、経験したこと、感じたことのすべてが断片的には含まれている。それが何の役に立つのか、そんなことは教師にだって予見不能です。どうしてこの科目を履修することになったのかは学生にだってわからない。学んだことの意味がわかるのは、場合によっては何年も、何十年もあとになることさえある。そういうものです。

スティーヴン・ジョブズは大学時代にたまたま「カリグラフィー(書法)」の授業を履修しました。どうしてそんな趣味的な授業を自分が毎週聴いているのか当時は理由がよくわからなかった。でも、何年か経ってスティーヴ・ウォズニアックと最初のマッキントッシュを設計したときに、フォントの選択と字間調整機能を標準装備として搭載したときに大学時代に「美しい文字を書く」授業を受けたこととの関連に気がついた。

授業がどういう教育効果をひとりひとりの学生にもたらすことになるのか、それは教師にも学生自身にも予見できません。もちろんシラバスに適当なことを書くことはできます。でも、シラバスを目を皿のようにして読んで履修科目を選ぶ学生なんて、実際にはいません。このコマが空いているからとか、友だちが受講しているからとか、この先生面白そうだからとか、試験がなくてレポートだけだからとか、そういう理由で履修科目を選んでいる。

私が在職中にとった統計でわかったことは「シラバス通りに授業をしているかどうか」ということと学生の授業満足度の間には統計的に有意な連関がないということでした。それ以外のすべての質問は学生の授業満足度と相関がありました。「時間通りに授業を始めるか?」とか「板書が見やすいか?」とか「十分な準備をして授業に臨んでいるか?」といった問いは満足度と相関していました。でも、全部の質問の中でただ一つだけ何の相関もない質問がありました。それが「シラバス通りに授業をしているか?」です。学生たちはシラバス通りに授業が行われることに特段の重要性を認めていない。それはアンケートの統計的処理の結果でも、僕の教壇での実感でもそうです。

だから、「シラバスを細かく書け」という文科省からの命令を僕は無視しました。だって意味がないんだから。いやしくもこちらは学者です。論理的にものを考えるのが商売です。シラバスを事細かに書くと授業効果が上がるということについて実証的根拠があるなら、それを示してくれればいいだけの話です。それを示さずに、もっと細かく書けとか英語で書けとか同僚の教員同士でチェックし合えとか、どんどん作業を増やしてきたのです。

僕が教務部長のときにうちの大学のシラバスに「精粗がある」という理由で助成金の減額が告げられました。これは教育行政として自殺行為だと僕は思いました。シラバスを書かせたかったら「それには教育効果がある」という理由を示せばいい。何の教育効果があるのか命令している文科省が知らない作業を現場に頭ごなしに命令して、違反者に処罰を課す。それも「助成金の減額」という「金目の話」に落とし込んできた。僕はこれを「教育行政の自殺」だと言ったのです。仮にも大学教育ですよ。文科省は「大学の教員というのは『金を削る』と脅したら意味がない仕事でも平気でやる生き物だ」という人間観を公然と明らかにしているわけです。財務省あたりが言うならわかりもするが、教育行政を担当する省庁が「人間は金で動く」という人間観を本人も信じ、人にも信じさせようとしていることを少しは恥ずかしいと思わないのか。まことに情けない気持ちがしました。

シラバスは氷山の一角です。大学人全体がこういうやり方にいつの間にかなじんでしまった。意味がないとわかっていることでも、「文科省がやれと言ってきたから」というだけの理由でやる。意味のないことのために長い時間をかけて会議をして、分厚い書類を書いて、教職員たちが身を削っている。腹が立つのはそれが「大学における教育研究の質を高めるため」という大義名分を掲げて命じられていることです。教員の教育研究のための時間を削って、体力を奪っておいて、どうやって教育研究の質を上げようというのです。

問題はこの理不尽に大学人が「なじんでいる」ということだと思います。仮にも学術を研究し、教育している人たちが「理不尽な命令」に対して、「逆らうと金がもらえないから」というような俗な理由で屈服するということはあってはならないんじゃないかと僕は思います。無意味なこと、不条理なことに対して耐性ができてしまって、反応しなくなったら、悪いけど学者として終わりでしょう。目の前で明らかに不合理なことが行われているのに、「いや、世の中そんなもんだよ」とスルーできるような人間に科学とか知性とかについてっ僕は語って欲しくない。

今、日本中の大学でやっていますけれど、評価活動というのはナンセンスなんです。何度も申し上げますけれど、無意味なんです。これは自らの失敗を踏まえて申し上げているんです。神戸女学院大学に教員評価システム導入の旗振りをしたのは僕です。当時、評価に関するさまざまなセミナーや講演に出ました。製造業の人から品質管理についての話も聞きました。そういう仕組みを大学にも導入すべきだと、もっとビジネスライクに大学のシステムを管理しなければいけないと、その頃は信じていたのです。でも、はじめてすぐに失敗だということに気づきました。

僕が考えたのは、大学内の全教員の研究教育学務での活動を数値化して公表し、それに基づいて教員の格付けを行い、予算配分や昇級昇格に反映させるというものでした。さすがに教授会では昇級昇格に反映させるという僕の案は否決されましたけれど、教員たちの評価を各学科・部署の予算配分に反映させるというところまでは同意をとりつけました。

僕は教員の個人的な評価なんて簡単にできると思っていたのです。教育だったら、担当クラス数とか、ゼミで指導している学生数、論文指導している院生数などを数値化して、それを足せばいい。研究だったら年間にどれくらい論文を書いているか、レフェリー付きのジャーナルに書いているのか紀要に書いているのかで点をつける。学務は管理職なら何点、学部長なら何点、入試委員なら何点、というふうに拘束時間の長さや責任の重さで配点を変える。それを電卓一つで叩けば年間の教員の活動評価なんか出せると思っていたんです。でも、それが短慮でした。

配点を決める委員会でいきなり引っ掛かったのが著作でした。単著一つで何点と決めるときに、同僚から待ったがかかった。「年間5冊も6冊も書き飛ばした本と、20年かかって書いた1冊では価値が違う。それが同じ配点というのはおかしい」と言われた。これはおっしゃる通りなんです。年間5,6冊書き飛ばしているというのはもちろん僕のことなんですが、その1冊と、その先生が20年かけて書き上げた畢生の労作d1冊を同点にするのはおかしいと言われたら、たしかにおかしい。でも、そう言われたら全部そうなんです。授業を何コマ担当しているかと言っても、「ウチダ君のように何の準備もしないで、その場で思いついた話をぺらぺら漫談のようにして90分終わらせる教員」と何時間も真剣に下準備をしてから教場に出かける教員の1コマが同じ1コマとして扱われるのは不当である。内容の違いを配点に反映させろと言われたら、こちらはぐうの音もありません。ほんとうなんだから。
何より、気の毒だったのは、教員たちの実際の働きや貢献度を公的な立場から採点することを求められた方々です。だって、そういう人たちはすでに学部長とか学長とかしているわけです。そういう役職に選ばれる人たちというのは教育面でも学生の面倒見がよくて、研究でも高いアクティヴィティを誇っている方々です。そういうただでさえ忙しい人たちに同僚の査定をするという余計な仕事を押しつけることになった。評価活動というのは、そもそも研究教育を効率的に行い、質の向上を果たすために導入したものです。でも、やってみてわかったのは、そんなことのために査定システムを考案したり、合意形成をもとめて会議をしたり、あれこれ書類を書いたりしていたら、それは全部研究教育学務のための時間に食い込んでくるということでした。評価コストは評価がもたらすベネフィットを超える。研究教育の向上のための評価が研究教育の劣化をもたらすという事実に、僕は評価活動をはじめて半年ほどで気がつきました。

僕が教員評価にこだわったのは、教員の中に、あきらかに給料分の働きをしていない教員たちがいたからです。ろくに仕事をしないで高給を食んでいる人たちが手を抜いているせいで、学務の負担が他の教員に回ってくる。さぼる教員のせいで、他の教員たちの研究教育の時間が削られている。それがどうしても許せなかった。そういう怠け者をあぶり出して、仕事をさせなくちゃいけないと思って、教員を管理する仕組みを考えたのです。

でも、これはまったく失敗だった。だって、怠け者の教員というのは評価しようとしまいと関係ないからです。休日を返上してセクハラ講習会を開いても、セクハラ教員はそういう講習会には来ないのと一緒です。絶対にセクハラなんかしそうもない人たちだけが集まってまじめに研修している。そういうのは時間の無駄なんです。働かない人は評価システムがあろうがなかろうが働かない。せいぜい給料分ぎりぎりしか働かない。でも、評価システムを制度設計し、立ち上げ、維持運営するために、これまで研究教育で高い成果を上げて来た教員たちの時間と労力を奪うことになった。この人たちはこれまでもらう給料の何倍もオーバーアチーブしていたわけですけれど、その人たちの足をひっぱることになった。だから、評価システムの導入は、トータルでは、大学全体の研究教育のパフォーマンスを下げることにしかならなかった。

国立大学の場合はもっと悲惨です。独立行政法人化から後、日本の大学の学術発信力は一気に低下しましたけれど、それも当然なんです。法人化があって、学部改組があって、カリキュラム改革があって、そこに自己評価や相互評価が入ってきて、次はCOEだとかRU11だとかグローバル人材教育とか、ついには英語で授業やれとか言われて、この15年くらいずっとそういうことに追い回されてきたわけです。そういう仕事を担当するのは、どこの大学でも30代40代の仕事の早い教員たちです。頭がよくて手際のよい教員たちが、そういう「雑務」を押しつけられた。会議とペーパーワークだけで研究者として脂の乗り切る10年間を空費してしまったという教員が日本中の国立大学に何百人となくいるのです。この人たちがその時間を研究教育に充てていたら、どれぐらいの学的達成が蓄積されたか、それを思うと失ったものの大きさに言葉を失います。

今は定年前に辞める教員がどこの大学でも増えています。専任教員として教えなくても、授業だけすればいいという特任教員の給与や著述での収入だけで生活が成り立つという人はそういう方を選んでしまう。だって、あまりにばかばかしいから。グローバル人材育成と称して、今はどこでも英語で授業をやれというプレッシャーがかかっている。どう考えても、日本人の学生相手に日本人の教員が英語で授業やることに意味があるとは思えない。

実際にそういう大学で働いている人に聞きましたけれど、オール・イングリッシュで授業をするとクラスがたちまち階層化されるんだそうです。一番上がネイティヴ、二番目が帰国子女、一番下が日本の中学高校で英語を習った学生。発音のよい順に知的階層が出来て、いくら教員が必死に英語で話しても、ネイティヴが流暢な英語でそれに反対意見を述べると、教室の風向きが一斉にネイティヴに肩入れするのがわかるんだそうです。コンテンツの当否よりも英語の発音の方が知的な位階差の形成に関与している。

これも英語で授業をしている学部の先生からうかがった話ですけれど、ゼミの選択のときに、学生たちはいろいろな先生の研究室を訪ねて、しばらくおしゃべりをする。その先生のところに来たある学生はしばらく話したあとさらっと「先生、英語の発音悪いから、僕このゼミはとりません」と言ったそうです。その方、日本を代表する批評家なんですけれど、学生はその名前も知らなかった。

そういうことが今実際に起きているわけです。ではなぜこんなに英語の能力を好むというと、英語のオーラルが教員の持っている能力の中で最も格付けしやすいからです。一瞬で分かる。それ以外の、その人の学殖の深さや見識の高さは短い時間ではわからない。でも、英語の発音がネイティヴのものか、後天的に学習したものかは1秒でわかる。

『マイ・フェア・レディ』では、言語学者のヒギンズ教授が出会う人たち一人一人の出自をぴたぴたと当てるところから話が始まります。『マイ・フェア・レディ』の原作はバーナード・ショーの『ピグマリオン』という戯曲です。ショーはヒギンズ教授の口を通して、イギリスでは、誰でも一言口を開いた瞬間に出身地も、職業も、所属階層も分かってしまうということを「言語による差別化」(verbal distinction)としてきびしく告発させます。ヒギンズ教授は誰でも口を開いて発語したとたんに、その出身地も学歴も所属階級もわかってしまうというイギリスの言語状況を批判するためにそういう曲芸的なことをしてみせたのです。すべてのイギリス人は同じ「美しい英語」を話すべきであって、口を開いた瞬間に差別化が達成されるような言語状況は乗り越えられねばならない、と。だから、すさまじいコックニー訛りで話す花売り娘のイライザに「美しい英語」を教えて、出身階層の軛から脱出させるという難事業に取り組むことになるのです。

でも、今日本でやろうとしているのは、まさにヒギンズ教授がしようとしたことの逆方向を目指している。口を開いた瞬間に「グローバル度」の差が可視化されるように英語のオーラル能力を知的優越性の指標に使おうとしているんですから。それは別に、英語がネイティヴのように流暢に話せると知的に生産的だからということではなく、オーラル能力で階層化するのが一番正確で、一番コストがかからないからです。

日本中の大学が「グローバル化」と称して英語教育、それも会話に教育資源の相当部分を費やすのは、そうすれば知的生産性が向上するという見込みがあるからではないんです。知的な生産性という点から言ったら、大学ではできるだけ多くの外国語が履修される方がいい。国際理解ということを考えたら、あるいはもっと現実的に国際社会で起きていることを理解しようと望むなら、英会話習得に教育資源を集中させるよりは、外国語履修者が中国語やドイツ語やトルコ語やアラビア語などに散らばった方がいいに決まっている。でも、そういう必要な外国語の履修については何のインセンティブも用意されていない。それは、英語の履修目的が異文化理解や異文化とのコミュニケーションのためである以上に格付けのためのものだからです。

TOEICはおそらく大学で教えられているすべての教科の中で最も格付けが客観的で精密なテストです。だからみんなそのスコアを競うわけです。競争相手が多ければ多いほど優劣の精度は高まる。前に申し上げた通りです。だから、精密な格付けを求めれば求めるほど、若い人たちは同じ領域にひしめくようになる。「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。

若い人たちは今でも地方を出て東京に行きたがります。そして、ミュージシャンだったり俳優だったり、カメラマンだったり、デザイナーだったり、とにかく才能のある人が集まっているところに行きたがる。それは精密な査定を求めてそうしているのです。故郷の街にいて、どれほどまわりから「町で一番才能がある」と言われても、それでは納得できないのです。もっと広いところで、たくさん競争相手がいるところに出てゆきたい。正確な格付けを求めてそうするのです。競争相手がたくさんいる領域に突っ込んでいって、低い格付けをされても、それは自分のようなことをしている人間が自分ひとりしかいない環境で、格付けされないでいるよりはまだましなんです。狭いところで「あなたは余人を以ては代え難い」と言われることよりも、広いところで「あなたの替えはいくらでもいる」と言われる方を求める。それは自分の唯一無二性よりも自分のカテゴリー内順位の方が自分のアイデンティティを基礎づけると彼らが信じているからです。「そんなことをしているのは自分しかいない」という状態が不安で仕方がないのです。「みんなやっていることを自分もやっている」方がいいのです。たとえどれほど低くても、精度の高い格付けを受けている方が安心できるのです。これは現代日本人が罹患している病です。そして、日本の大学もまたそれと同じ病に罹っている。

大学に格付けを要求するのは社会全体からの要請です。あなたの大学がどういう大学であるのかは、「他の大学を以ては代え難い」ところの唯一無二の個性によってではなく、日本のすべての大学を含む単一のランキングにおいて何位であるかによって決定される、そういう考え方に日本中が同意しているのです。そのせいで、大学の多様性が失われた。本当にユニークな研究教育活動は比較考量ができませんから、格付けすると「評価不能」としてゼロ査定される。研究教育活動がユニークであればあるほど評価が下がるという仕組みがもう出来上がっているのです。そのせいで日本の大学の学術的発信力は致死的なレベルにまで低下している。しかし、文科省はその学術的発信力の低下を「グローバル化が不十分だから。実学への資源投資が不十分だから」という理由で説明して、さらに全国の大学を均質化し、規格化し、競争を激化させ、格付けを精密にしようとしている。その結果、ますますユニークな研究教育のための場所は失われている。

そんなことをしているんですから、日本の大学に未来がないのは当然なんです。多様なできごとが無秩序に生起している場所でのみ、それらのうちで最も「生き延びる」確率の高いものが際立ってくる。

「ランダムさのないところに新たなものは生じない」(Without the random, there can be no new thing)。

これは『精神と自然』の中のグレゴリー・ベイトソンの言葉です。日本の大学教育はまさにその逆の方向に向かって進んでいる。でも、すべてが規格化され、単一の「ものさし」で比較考量され、格付けされるところからは、いかなる新しいものも生まれません。
教育の目的というのは、一言にして尽くせば、どうやって若い同胞たちの成熟を支援するか、それだけです。格付けとは何の関係もない。精密な格付けをすれば、若い人たちがどんどん知性的・感性的に成熟するというエビデンスがあるというのなら、大学からイノベーティヴな発見が次々世界に向けて発信されているというエビデンスがあるというのなら、格付けしたって結構です。でも、そんなエビデンスはどこにもありません。あるのは、大学が評価や査定や格付けにかまけてきた間に日本の大学の学術的発信力は先進国最低レベルに低下したという冷厳な事実だけです。

今、子どもたちの貧困が大きな社会問題になっていますけれど、貧困層の再生産には残念ながら子どもたち自身も消極的には加担してるんです。それは貧困層の人たちに対しては学校でも地域社会でも、「貧乏人らしくふるまえ」という強いプレッシャーがあるからです。貧しい人間は身を縮めて生きるべきだ、イノベーションを担ったり、リーダーシップをとったりすることは許されない。そういう考え方を持つ人が多数派です。そして、貧困層自身も、そういう社会観を自身のうちに内面化してしまっている。自分は貧しいのだから、楽しそうに生きてはいけない。明るくふるまってはいけない。新しいアイディアを提出してはいけない。リーダーシップをとってはいけない、そういう外部からの禁圧をそのまま内面化してしまっている。

以前、ある子育て中の母親がそう訴えていました。その人はシングルマザーで、確かに生活は苦しい。本当なら、親が貧しいことと子どもたちがのびのびと暮らすことの間には関係ないはずなのだけれど、貧しいというだけで、子どもたち自身が委縮してる。貧しい人間はにこにこしてはいけないと思っている。貧しくて不幸だという顔をしなくてはいけない。周囲がそういうふるまいを期待しているので、子どもたちはそれに応えてしまっているんじゃないか、と。

これは例えば生活保護を受けてる人がパチンコやったら許さないとか、芝居や映画見に行ったら怒るとかいうのと同じですね。主婦が子どもを保育園に預けて演劇見に行ったら、「ふざけるな」と怒鳴る人がいる。意地悪なんです。それが社会的なフェアネスだと本気で思って、意地悪をする。異常ですよ、皆さん。でも、日本はもうそういう異常な人が自分のことを「異常」だと思わないくらいに異常な社会になっているんです。

同じことが大学生自身にも起きている。低いランク付けをされると、自動的に自己評価も下方修正してしまう。あなた方はランクが低いんだから、もっとおどおどしなさい、もっといじけなさいって言われると、大学生の方も納得してしまって、おどおどして、いじけるようになる。格付けのせいで、いじけて、怯えて、自己評価を下げて、自分には何もたいしたことなんかできやしないと思っている若者たちを今の日本社会は大量に生み出しています。そんな人たちがどうして未来の日本を支えてゆくことができるでしょう。

冒頭に結論を申し上げましたけど、とにかく日本の大学は、今行われているような仕組みを是認されるのであれば、先はないです。日本の大学は滅びます、遠からず。どこかで抵抗するしかありません。「もういい加減にしてくれ」って、声を上げるべきです。文科省だってそんなにバカばかりじゃない。官僚の中には過去25年間の教育行政がことごとく失敗だったということを素直に認める人だってきっといると思います。でも、役人はその性として「間違えました」「すみません」とは言いません。

だから、大学側で声を合わせて言うしかないんです。国立大学の先生は立場上なかなか声を出しにくいかも知れませんけれど、でも声を出して欲しい。どうしたら教職員がイノベーティブになれるか。どうしたらキャンパスの中がもっと明るくなるか。教職員も学生も笑顔でいて、知的な刺激に満ちている環境をどうやって作るか。それについて考える事が最優先の課題だと僕は思います。

このまま手をつかねていたら、日本の大学は滅びます。皆さんが生活を犠牲にして、命を削って、大学のフロントラインを死守していることを僕はよく存じていますし、それに対して敬意も持ってます。でも、生身の人間ですから、無理は効きません。どこかで燃え尽きてしまう。だから、燃え尽きる前に、声を上げて欲しいと思います。「もういい加減にしろ」って。ちゃぶ台をひっくり返して頂きたい。日本中の学校で先生たちが一斉にちゃぶ台返しをしてくれたら、日本の未来も大学教育も救われるんじゃないかと思ってます。どうぞ頑張っていただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

(2016年5月19日、国立大学教養教育実施組織会議特別講演・サンポートホール高松にて)
http://blog.tatsuru.com/


土台から崩れゆく日本の科学、疲弊する若手研究者たち
これが「科学技術立国」の足元
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11186

 国内の大学の最高峰、東京大学。その将来有望な若手研究者が働く研究室─―そこは、そのイメージとはほど遠い苦境に陥っていた。


(12か月/AFLO)

 東大で物理学を研究する高山あかり助教は、研究室の現状をこう語る。

 「プリンターのトナーや紙、そういった必需品の購入にも気を遣います。研究室の机と椅子も、他のところで不要になったものを譲ってもらいました。研究のための本は自腹で買うことも多いですね」

 こうした物品の購入など研究を行うための経費は、基本的に各研究者に配られる「国立大学運営費交付金」から支払われる。これは文部科学省から各国立大学の財布に入り、そこから各研究者に配分される補助金だ。国立大学の研究者にとって運営費交付金は何にでも使える「真水」であり、研究の基盤となる資金だ。

 昨今ノーベル賞を受賞した研究も、こうした自由に使える基盤的経費が充実していた恩恵が大きいことは、2015年にノーベル物理学賞を受賞した東大教授の梶田隆章氏も指摘している(Wedge本誌12月号17頁にインタビュー掲載)。また、東大名誉教授の安井至氏は「ノーベル賞学者たちが助教の頃は、研究室ごとに現在の価値で1000万円ぐらいは基盤経費が入っていただろう。私が東大から退いた03年でも光熱費・水道代は大学が支払った上で、別途で200万円ぐらいは支給されていた」と語る。


運営費交付金
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11186
(出所)文科省資料を基にウェッジ作成

 しかし1990年代の行財政改革の機運の中、国立大学にも効率化が求められるようになった。2004年に国立大学が法人化されると、基盤的経費は「運営費交付金」として再定義され、国の財政難を背景に前年比で1%ずつ削減されることになった。運営費交付金は法人化から13年間で12%(1445億円)が削減された。

 現在、ある工学系の東大准教授の研究室に支給される運営費交付金は200万円にはとても届かない額だという。さらに研究室の光熱費・水道代、場合によっては大学内の実験施設の賃借料も引かれるようになったため、削減幅は額面以上に大きい。ある理学系の東大研究者は「運営交付金は大学によって金額が異なるが、100万円交付されればかなり高いほうで、多くの研究者はギリギリでやりくりしている」と語る。東大ですら運営費交付金だけでは十分な研究などできないのが現状だ。


不安定になる若手のポスト


 一方で、研究者への研究資金として重視されるようになったのが、科学研究費助成事業(以下、科研費)を代表とする競争的資金だ。科研費は自動的に下りてくる運営費交付金とは違い、文科省に研究テーマを申請し、同じ分野の研究者による審査を経て交付の可否が決定する。17年度で2284億円の予算がつき、04年度から454億増加している。

 だがこの競争的資金への偏重が問題であると、日本より良い研究環境を求めて香港科学技術大学に移籍した川口康平助教授は、次の通り指摘する。

 「科研費は将来にわたって確保できるかどうか予測ができない。使途や期間も限られており、研究者やスタッフを長期間雇用するための人件費に使えない」

 加えて科研費では「真水」である運営費交付金とは違い、申請した研究テーマに使う実験器具などにしか使えないのだ。

 また運営費交付金の減少は、研究資金面以外でも若手研究者たちに死活問題をもたらしている。ポストの不安定化だ。

 東京工業大学の西田亮介准教授は「労働法制上、既存のポストは手をつけにくいので、新規雇用の際に人件費のコントロールが容易な任期つき教員への置き換えが進められている」と指摘する。

 文科省の調査によれば、07年度に39%だった40歳以下の任期つき教員の割合は、17年度には64%に増加している。「3年の期限のある競争的資金で雇われた研究者は、1年目はその分野を学び、2年目に研究して論文を書き、3年目にはその成果をもって次のポストを探すことになるだろう。腰を据えて研究する時間は短い」(梶田教授)


任期つき教員の割合
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11186?page=2
(注)40歳未満の研究者が対象 (出所)文部科学省資料を基にウェッジ作成


 加えて目減りした運営費交付金の影響で、若手研究者は研究時間も奪われている。スタッフを雇ったり外注化したりできず、研究室の雑務も若手研究者が行わざるを得ないためだ。高山助教も、自身で経理や総務的な仕事までこなしているという。科研費申請の書類作成も2週間近く要する。もちろん、大学教員として研究室の学生への指導も行っている。

 文科省の科学技術・学術政策研究所の調査によると、国立大学の教員の勤務時間中、研究に充てられている時間は02年の50・7%から13年には42・5%に減少している。若手はさらにひどいようで、高山助教は「体感で1割程度しか研究に充てられない」という。また工学系のある東大准教授は「准教授以上はまず科研費などの研究費をとってくることが仕事になる。そのため研究は実質的にできていない。若手が厳しいのはもちろん、教授でも時間のない実態は変わらない」と語る。

「ノーベル賞受賞者は生まれなくなる」


 こうした運営費交付金の減少は、日本の科学技術に対し重大な悪影響をおよぼす。

 まず科研費に依存した研究体制は国がどの分野を重視しているか≠ニいう政策的な動向によって、研究内容が左右されてしまう。たとえば「理学系での最近の科研費は『情報分野』に重点が置かれている」(東大の若手研究者)という。重視すべき分野に集中投資されることは研究費の選択と集中を促すという面でメリットもあるが、多様性が失われたり、短期的に成果が見えにくい基礎研究分野が軽視されたりする懸念がある。


(出所)科学技術・学術政策研究所資料を基にウェッジ作成 写真を拡大

 また、研究成果である論文数も減少する。自然科学分野の15年の論文数は、米、英、独、仏、中、韓の主要国が04年比でその総数を大きく伸ばしている一方で、日本のみ減っている。イギリスの高等教育専門誌「Times Higher Education」の「THE世界大学ランキング」04年版では東大は12位、京大は29位、東工大、大阪大学、東北大学、名古屋大学が200位以内にランクインしていたが、最新の18年版では東大は46位、京大は74位に後退し、他の大学は200位以内から転落している。


自然科学分野の15年の論文数
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11186?page=3
(注)2000年以降にノーベル賞を受賞した研究者に限定 (出所)政策研究大学院大学専門職の原泰史氏の 研究データなどを基にウェッジ作成 写真を拡大

 日本は00年以降、自然科学分野で15人のノーベル賞受賞者を輩出し、科学技術大国とされてきた。しかしそれらの受賞の多くは研究者が20代後半から40代前半の若手のころにに行われた研究が後年になって評価されたものだ。次世代のノーベル賞を生む土壌は既に崩壊し始めている。梶田教授は「このままでは日本からノーベル賞受賞者は生まれなくなる」と危機感を隠さない。

 ではどうするべきか。安井名誉教授は「すぐに成果が出る研究は民間がやる。先進国として、あくまで科学技術立国を目指すのならば、運営費交付金を増やすべきだ」と語る。梶田教授や16年にノーベル医学・生理学賞を受賞した東工大教授の大隅良典氏など、運営費交付金増額を求める声は大きい。

 しかし財政難の時代に運営費交付金を増額することは現実的に考えて難しい。川口教授は現状のジレンマをこう分析する。

 「運営費交付金を戻すのはセカンドベスト(次善の策)だ。いったん戻すべきだという危機意識は正しいが、財政難という時代の中で誰にもファーストベスト(最善の策)がわからない。そうこうしているうちにこのままでは大学が崩壊するというところまで来てしまった」


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三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」
財務省が日本を滅ぼす(前編) 2017-10-30
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

 いよいよ明日、小学館から「財務省が日本を滅ぼす 」が刊行になります。

 昨日、日本の繁栄を妨げる「二つの壁」について書きましたが、その一つが「PB黒字化目標」になります。


 とにかく、PB黒字化目標が「骨太の方針」にて閣議決定されている以上、全ての政策がPB黒字化前提になってしまいます。すなわち、

「支出は前年比で削減する。増える場合は、他の支出を削るか、もしくは増税する」

 という前提で予算が組まれざるを得ないのです。


 このPB目標に異様なまでに固執し、日本を亡ぼそうとしているのが、財務省です。


 日本が亡びる云々は、決して大げさな話ではありません。と言いますか、要するにこれの問題です。

 ※IMFの最新データ(World Economic Outlook Oct 2017)から作りました。


【日中両国のGDPが世界のGDPに占めるシェア】

http://mtdata.jp/data_57.html#IMFOct17


 日本のGDPが世界に占めるシェアは、橋本緊縮財政でデフレに突っ込む以前は、17%を超えていました。日本一か国で、世界の17%以上を生産していたのです。


 その後、デフレでGDPが成長しなくなったのですが、世界経済は順調に拡大したため、日本のシェアがひたすら落ちていき、2016年は6.5%。


 反対側で、中国のGDPは世界の2%程度だったのが、世界経済を上回るペースで成長し、今は15%。


 ちなみに、2016年に日本のシェアが少し高まり、中国が落ちていますが、これは「円高人民元安」の影響です。もちろん、2016年にしても、中国の成長率は日本を圧倒していました。


 このままのペースで日本の停滞と中国の成長が続くと、2040年頃に経済規模の差は10倍に開いているでしょう(すでに2.3倍)。中国は経済成長率以上に軍事費を拡大するため、軍事予算の規模は20倍の差がついていると思われます。


 さて、日本の20倍の軍事予算を使う共産党独裁国家に、我が国はいかにして立ち向かえばよろしいのでしょうか。

 立ち向かえない、というのが残酷な答えです。


 デフレから脱却し、経済成長を取り戻さない限り、我が国に待ち構えている未来は良くて発展途上国、最悪、中国の属国化以外にはありません。


 そして、デフレ脱却を妨げてる最悪の「壁」こそが、PB黒字化目標なのです。


 あるいは、実質賃金の低迷(国民の貧困化)、インフラの老朽化、自然災害に対する脆弱化、防衛力の相対的低下、科学技術力の凋落、教育レベルの低下、地方経済の衰退、医療・介護サービスの供給能力低下、そして少子化という日本を悩ませている諸問題は、「政府が予算を使う」ことで解決します。と言いますか、政府が予算を使わなければ解決しません。


 そして、上記の諸問題解決に政府がおカネを使えば、それは「需要」になるため、デフレからの脱却も果たせます。デフレから脱却すれば、経済成長率が上昇し、「中国の属国」という悪夢を回避できるかもしれません。


 日本は、
「政府が国内の諸問題解決に予算を使うと、問題解決と同時にデフレ脱却、経済成長が果たせる」
 という、ある意味で美味しい環境に置かれているのです。


 ところが、政府が予算を増やそうとすると、途端に「PB黒字化目標」が壁となり立ち塞がり、現実には「何もできない」のです。


 何もできないどころか、財務省はPB黒字化を旗印に、ゾッとするほどの勢いで緊縮財政を強行してきます。消費税増税、診療報酬と介護報酬のダブル削減、教育無償化のコストを企業の社会保障費増で賄う、会社員の給与所得控除廃止、たばこ税値上げ、出国税導入などなど、最近、提示された緊縮財政のメニューだけで、こんなにあるのです。


 財政拡大(減税含む)の方向に舵を切り、上記諸問題の解決に政府予算を使えば、我が国は途端に繁栄の道を歩めます(もう一つ、憲法九条第二項という壁は残るものの)。


 それにも関わらず、現実は逆方向に驀進している。


 「財務省が日本を滅ぼす 」以外に、いかに表現しろというのでしょうか。

_____


2017年11月13日【三橋貴明】共犯者育成プロパガンダ
https://38news.jp/economy/11287

財務省の大攻勢
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12326561177.html

犯罪的な現実について
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12326847154.html

小学館「財務省が日本を滅ぼす」では、
財務省が緊縮財政路線を推進する際に
用いている各種プロパガンダについても解説しました。

http://amzn.to/2zt9lub

具体的には、以下になります。

●ルサンチマン・プロパガンダ:
人々のルサンチマンに訴えかけ、
「敵」を攻撃することで国民の留飲を下げ、支持を得る

●恐怖プロパガンダ:
人々の恐怖を煽り、思考停止に追い込む

●「木を見せ、森を見せない」:
いわゆる針小棒大。一部の悪しき事例のみを
クローズアップし、それを理由に全体を否定する

●用語の変更:
文字通り、言葉を言い換えることで、
人々に本質を理解させないようにする

●抽象表現の多用:
抽象的な表現を使うことで、人々に
「何となく」納得感を与え、事実を隠蔽する

●既成事実化:
虚偽情報を繰り返し報じることで、人々に事実として認識させる。
ナチスの宣伝担当相だったヨーゼフ・ゲッペルスの
「嘘も百回言えば真実になる」という言葉は有名

●レッテル貼り:
攻撃対象を悪しき印象を与える呼称で呼び、
発言や人格の信用を失墜させる

●権威の利用:
人々の信用が高い組織、あるいは人物に
語らせることで、嘘に信憑性を持たせる

●藁人形(ストローマン)戦法:
攻撃対象の発言を曲解もしくは捏造し、
「あの人はこんな人だ!」といった
印象操作により、信用を喪失させる

実は、上記以外にも一つ、財務省が
多用するプロパガンダ手法があるのです。

すなわち「共犯者育成プロパガンダ」になります。

原泰久の「キングダム」の第415話「反乱兵の作り方」では、
別に秦王に歯向かう気などなかった
秦軍の兵士たちが、樊於期により
「反乱兵」に仕立て上げられます。

具体的には、投降兵を殺させ
(殺さない場合、自分が死ぬ)、
後に引けない立場へと秦兵を
追い込んでいくのです。

財務省は、政治家や学者、経済人、ジャーナリスト、
評論家に「ご説明」し、マスコミに対しては
記者クラブ財政研究会を利用し、

「日本は国の借金で財政破綻する」
「日本はプライマリーバランス黒字化しなければならない」

などとメディアで発言させます。

一度でも、財政破綻論に与してしまうと、
もはや「共犯者」というわけで、言論人もメディアも、
日本の財政破綻など「あり得ない」という
正しい情報を二度と発信できなくなります。

それどころか、「自分の発言は間違っていなかった」と
思い込む認知的不協和に陥り、
正しい情報を発信する勢力(つまりは我々)を
「攻撃する」という行動にでるケースすらあります。

結果的に、財務省は何もしなくても
反・緊縮路線が潰され、緊縮路線が
「当然の話」として国民の間で共有されていく。

人間は、なかなか「自分が間違っていた」
ということを認められません。

財政破綻論者が反・緊縮路線に転じ、
正しい情報の発信を始めた例は、
本当に極わずかです。

財務省の官僚たちは、経済については
全く知識がない割に、プロパガンダ手法
については熟知しているようです。

プロパガンダとは、特定の政治的意図に基づき、
情報を歪める、あるいは発信することです。

日本を亡ぼそうとしているのは、
単なる情報であることが、改めて理解できます。



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c1

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
2. 中川隆[-5709] koaQ7Jey 2017年12月25日 13:55:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年10月12日【小浜逸郎】日本からはもうノーベル賞受賞者は出ない?
https://38news.jp/economy/11171

今年もノーベル賞が決まりました。

巷では、日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏が
受賞したというので評判になっています。

それは結構なことですが、
残念ながら自然科学部門では、
日本人受賞者がいませんでした。

この数年、物理学賞、化学賞、医学・生理学賞で
矢継ぎ早に日本人が受賞してきました。
ところが今年はゼロ。

ちなみに自然科学部門以外のノーベル賞は、
受賞した方や団体には失礼ですが、
あまりその価値が信用できません。
人文系は基準があやふやだからです。
特に平和賞はいいかげんですね。
でも自然科学部門では、かなり信用がおけます。

ところで、21世紀に入ってからの日本人受賞者は
自然科学部門で16人もいます。
毎年一人の割合ですね。


http://bit.ly/2wKVLxq

この人たちの受賞時の年齢を調べてその平均を出してみました。
すると、68歳と出ました。

これから、いささか悲観的な予測を述べます。

どの分野であれ人間が一番活躍するのは、
30代から50代にかけてでしょう。

日本のノーベル賞受賞者の方たちが研究に一心に打ち込んだのも、
おそらくこの年代だったと思われます。
ですからこの方たちがわき目もふらずに、
寝る間も惜しんで研究に没頭したのは、
おおよそ1970年代から2000年代初頭くらいと
いうことになります。

もちろん受賞時の年齢には相当なばらつきがありますので、
若くして受賞し、いまなお活躍されている方もいます。
しかし平均的にはそうだと思うのです。

ところで言うまでもないことですが、
長年研究に没頭するには膨大な研究費が要ります。
企業研究の場合は応用研究ですから、
その費用は企業がもってくれるでしょう。

しかしノーベル賞を受賞するような研究は、
多くの場合、大学や研究所に身を置いた基礎研究です。
すると、研究費を大学の研究資金や政府の補助金に
頼ることになります。

先ほど述べた1970年代から2000年代初頭という時期は、
日本が今日のような深刻な不況に陥っていない時期で、
間には、一億総中流のバブル期もありました。

調べてみますと、それ以後の失われた二十年の間に、
科学技術研究費の総額はそれほど減っているわけではありません。
しかし文科省の「科学技術関係予算等に関する資料」(平成26年)の
「主要国等の政府負担研究費割合の推移」
および「主要国等の基礎研究費割合の推移」
というグラフを見てください。


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/034/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2014/04/21/1347062_03.pdf

八十年代初頭から、前者は下がり気味、後者はずっと横ばいです。
しかも他の先進国と比べるとたいへん低いことがわかります(前者では最低)。

このことは、政府が、
国家的な基礎研究にろくに投資してこなかったことを意味します。
それでも好景気の時は、民間や大学の資金がある程度潤沢だったのでしょう。

上の資料は2013年までのものですが、
その後、消費増税などもあり、デフレが深刻化しました。
内閣府が出している「科学技術関係予算」という資料の、
「【参考】科学技術関係予算の推移」というグラフを見ますと、
安倍政権成立以降、この予算がさらに削られていることがわかります。


http://bit.ly/2ya9DDa

大学でも、すぐ実用に適さない研究はどんどん削られる傾向にあります。
こうした傾向が続く限り、もう今後日本からは、
自然科学部門でのノーベル賞受賞者は出ないのではないか。
そう危惧せざるを得ないのです。

筆者は去る9月18日にある情報に触れ、愕然としました。
ノーベル賞受賞者で京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんが、
「ご支援のお願い」として寄付を募っているのです。
それだけならさほど驚きませんが、何と次のように書かれていました。

「iPS細胞実用化までの長い道のりを走る弊所の教職員は、9割以上が非正規雇用です。
これは、研究所の財源のほとんどが期限付きであることによるものです。」

とっさに「財務省よ! 竹中よ!」と、怒りがこみ上げてきました。

単年度会計、短期決戦での利益最大化。
長期的な見通しや雇用の安定など知ったことではない。
ノーベル賞級の基礎研究までが、この風潮の犠牲となっているのです。

こういう状態がこのまま続くと、日本の科学技術は、
確実に世界に遅れを取ってしまうでしょう。

寄付に頼るというのはやむを得ない手段と言えますが、
そこにばかり依存してしまうようになるとしたら切ない話です。
国民経済の立場からは、政府の間違った経済政策に対して
もっともっと怒りの声を発するべきなのです。
https://38news.jp/economy/11171


2017年12月21日 才能を潰すのが得意な日本
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授

以前このメルマガに、
「日本からはもうノーベル賞受賞者は出ない?」
という稿を寄せました。
https://38news.jp/economy/11171

ノーベル賞受賞者で京都大学iPS細胞研究所長の
山中伸弥さんが「ご支援のお願い」として
寄付を募っているのです。
そのなかで山中さんは、
「弊所の教職員は9割以上が非正規雇用」と
書いていました。
研究所の財源のほとんどが期限付きだからです。
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/fund/

10年、20年という長期間を要する基礎研究に、
政府や大学は十分な資金を与えず、
しかも短期間に成果を出す研究のみを
優遇する方向にシフトしています。

非正規雇用では給料が不十分なだけではなく、
安心して研究に打ち込めません。
それで、若い優秀な人たちが
基礎研究を諦めてしまう傾向が増大しています。

12月13日18時ごろのNHKラジオ番組に、
一昨年、ノーベル物理学賞を受賞した
梶田隆章さんが出演していました。
梶田さんは、
ニュートリノが質量を持つことを示す
「ニュートリノ振動」の発見という偉大な
業績を成し遂げた方です。

この番組で、梶田さんは、
自分が若い頃は、カミオカンデなどの
巨大な装置による実験を長いこと繰り返し、
結果を理論にまとめ上げることが可能だったが、
今では、基礎研究に取り組もうと思っても、
期限付きの研究費しか得られないので、
若い人たちが自分の若い時のように、
腰を据えて研究に集中することができないと、
山中さんと同じことを話していました。

この問題は、自分たちがいくら頑張っても
どうすることもできない。
できるだけ広くみなさんにこの事情を
知ってもらうほかないと、
切々と訴える梶田さんの声が、
今も耳に残っています。

12月5日には、日本のスパコン開発の第一人者
齋藤元章さんが詐欺容疑で逮捕されました。

齋藤さんは天才です。
2014年に株式会社ExaScalerを立ち上げ、
理化学研究所(RIKEN)および、
高エネルギー加速器研究機構(KEK)と
共同研究契約を結び、
わずか七カ月で「Suiren」を開発します。
これが、スパコンの省エネ性能を競うGreen500で
2位にランクイン。
2015年には、同じくGreen500)で、
RIKENの「Shoubu」、KEKの「Suiren Blue」および
「Suiren」の3台が1位から3位までを独占します。

2017年1月には、科学技術振興機構(JST)が、
未来創造ベンチャータイプの新規課題の緊急募集に、
ExaScalerのスパコンが採択されたと発表。
開発期間2017年1月から12月まででしたが、
齋藤さんは、その締め切り直前に
逮捕されてしまいました。

逮捕容疑は、技術開発助成金を得るのに、
報告書を他の目的に書き換えて
四億円程度の水増し請求をしたというもの。
もちろん容疑が事実なら、いいとは言いませんが、
まだ実際に四億円をもらったわけでもないし、
他の研究者の言によれば、
この程度のことは日常茶飯事だそうです。
注意勧告して書き直させれば済む話。

なぜこういうことになるのか。
政府が先端技術研究のための資金を出し惜しみ、
国家的プロジェクトに
十分なお金をつぎ込まないからです。

齋藤さんは、雑誌『正論』2017年2月号で、
次のように訴えています。

このままでは日本はスパコンで中国に
負けてしまう。中国が一位になると、
エネルギー、安全保障、食料、医療、
自然災害対策など、すべての面で中国に
支配されてしまいかねない。
自分たちのプロジェクトのために
せめて三百億円の資金がほしい、と。

国家の命運がかかっている問題で、
政府がちゃんと資金援助をしないから
最高の頭脳を潰すことになるのです。
これによる日本全体の損失は計り知れません。

三橋さんの著書の題名ではありませんが、
こうして財務省の緊縮路線が日本を滅ぼします。

日本は江戸時代以来の倹約道徳教国家で、
いつも小さなことを大げさに騒ぎ立てて、
物事の優先順位を間違えます。

さらに想像をたくましくすれば、
逮捕した東京地検特捜部にも
反日勢力が入り込んでいるのではないか。
つい数日前も、リニア新幹線の工事をめぐって、
大手ゼネコン四社が談合の疑いで
特捜部の捜査を受けました。
これでリニア新幹線工事はまた遅れるでしょう。
齋藤さん逮捕にしてもリニア新幹線にしても、
某国の勢力が手をまわしているという
陰謀論に与したくなります。

もしそうでないとすれば、
東京地検特捜部や公取委は、
大局を見失い、正義漢ぶって摘発教条主義に
陥っているのです。
亡国を目指す官庁がまた増えました。
https://38news.jp/economy/11433

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c2

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
3. 中川隆[-5708] koaQ7Jey 2017年12月25日 13:58:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中高生の多くに読解力懸念 国立情報学研究所調査 2017年11月27日

 「語の係り受け」など、文章の基本的な構造を理解できていない中高生が多くいるとみられることが、国立情報学研究所の新井紀子教授らの研究チームによる調査で27日までに分かった。新井教授は「読解力が不十分だと社会生活を送る上でも大きな影響が出る」と懸念している。

 調査は2016年4月〜17年7月、中高生を中心とした約2万5千人を対象に実施。中高生の教科書や辞典、新聞記事などに掲載された文章を題材に特別な知識がなくても、基礎的な文法を踏まえていれば答えられるようにした問題を出した。

(共同)


チェスタトンの外国語論 早期英語教育は有害

グローバリストの奴隷育成

  文部科学省の中央教育審議会で子供に英語教育を施す環境作りを議論しているそうだ。(『日本の議論』「英語」は本当に必要なのか / 産経新聞 2014年12月20日) 平成28年度にも改定される新学習指導要領では、小学生高学年から英語が科目として導入されるんだって。高校生には英語で討論や交渉力を高めるような教育方針にするという。まったく役人ってのは、どうして余計なことだけでなく、邪魔な改定をするのだろう? 小学生に英語教育など不必要だし、他の教科の時間を削るから有害である。どうせ現場の教師はてんてこまいになって、やる気のない子供は無理強いされてふくれっ面するだけだ。多少興味を示す子供だって、たかが数時間の授業だから挨拶程度でおしまい。すぐペラペラ喋れると期待した子供は授業に失望するだろう。かくして英語の授業はお遊戯の時間となって、子供の学力はみるみる低下するだけ。したり顔のお役人様にいい英語を教えましょう。
Bloody fool, arsehole ! (アホんだら)

  文部官僚や学校教師は立場上の損得勘定をしているから脇に寄せといて、肝心の子供はどのような意見をもっているのか。ベネッセが6200人にアンケートした調査によれば、中高校生の90パーセントが仕事で英語を使うようになる、と予測していることが分かった。テレビや雑誌、学校などで英語の必要性が宣伝されているから当然だろう。しかし、「自分自身が英語を使うイメージがあるか」との問いに対しては、中学生44パーセント、高校生46パーセントが「ほとんどない」と答えたそうだ。具体的な仕事に就いていない生徒に、切迫した現実的必要性はないだろう。

  ところが、英語教育を推進したいのは財界だ。経団連からやって来た三宅龍哉委員は、海外に社員を派遣するときに企業が英語教育をせねばならぬ、と不満の意見を述べた。要は企業が英語教育費を負担することになるから、学校の方(税立施設)で費用と時間を持ってくれ、と要求しているのだ。虫のいい提案だろう。

  もっとけしからんのは、元入試センター教授の小野博・福岡大学客員教授だ。小野氏は「社会情勢の変化により日本企業のアジア進出が更に拡大したり、逆に移民を受け入れるなど、今後日本社会は変化を余儀なくされる可能性が高い。英語は必ず必要になる」と断言したそうだ。こういう馬鹿が教授になっているのだから、いかに大学が堕落しているか分かるだろう。イギリス人が日本に移住してくるわけがなく、おもに英語圏のアジア人を想定しているのだろう。たとえば、フィリピン人のためにどうして我が国の子供が英語を勉強せねばならぬのか。フィリピン人が移民せぬよう防ぐことの方がよっぽど重要である。「社会情勢の変化」という“まやかし”の言葉を用いるところなど、小野氏には如何にも詐欺師的匂いがする。まるで彼は国境を破壊してアジア人を引き入れようとするグローバリストの手先みたいだ。

  小野氏のような腰巾着を登用する財界と役人は、日本人労働者の生活水準をアジア人並(つまり奴隷状態)に下げて、低賃金でこき使いたいだけだろう。そのために小学生から低賃金労働者にすべく、税金を使って調教しようとする肚は見え透いている。国際企業にとりアジアはリスクが高い。社会インフラが貧弱だったり、政情不安で暴動を気にせねばならない。せっかくの投資がパーになったら大変だ。安全で便利な日本で製品を作りたい。日本にインドやシナ、フィリピンから安い労働者を輸入して、利益を最大限まで上げたい。その時、日本人労働者がアジア人と共同して作業できるために、共通語たる簡単な英語が必要なだけだろう。その英語だって簡単な単語を並べて、お互いに推理しながらの意思疎通だ。

  じゃあ聞くが、英語を社員に強要する社長や重役たちは本当に英語で会話しているのか? そんなに英語力が重要なら、英米の有能人物を雇えばよいだろう。そんなこと言ったらお偉方は沈黙。つまり、自分たちは“日本人社員”に向かって、“日本語”で言いたい放題の指図をしたいが、社員どもは雑談でさえ英語を使えと命令するのだ。ユニクロや楽天の社員はどう思っているのだろうか? 日本語では傲慢な態度の重役らは、英米の白人社員の前だと、そのお粗末な英語を披露せねばならぬから、態度が急変して作り笑顔になることがよくある。彼らは同期の重役仲間とは、日本語で会話しながら“のびのびと”ゴルフを楽しむ。ゴルフ場が会議室。英語で雑談などしない。二極分化している日本では、上流階級の子弟は、進学校で英才教育を受けながら日本語で会話をし、低能教育しか受けていない低賃金労働者は、社会の底辺から抜け出せぬ人生を送り、職場ではブロークン英語を強要される仕組みが出来上がる。

怨みのこもった英語教育熱

  日本人が「英語だ、英会話だ」と騒ぐ原因は、多くの国民に学校での英語教育に対する怨みがあるからだろう。十年間くらい勉強したのに、イギリス人やアメリカ人の前でちっとも流暢に喋れないどころか、外人の話を聴き取ることすらできない。そうした若者が親になったら、自分の子供だけは違った教育で英語を流暢に話せるようにさせたい、などと決意して欧米系のインターナショナル学校に入れたりするのだ。勉強が出来なかった親に限って、お金で環境さえ整えれば我が子は自分と違った秀才になると思っていやがる。ばぁーか。蛙の子はカエルだ。日本では英語が喋れるくらいで、自慢になり仕事がもらえる。日テレで英語を披露していた関根麻里という藝人(何の藝かな?)は、米国なら単なる小娘だからテレビに出られない。オヤジの関根勤のほうがよっぽど外国で通用する。だってカマキリ姿でギャグをする藝人の方がアメリカ人にとって面白い。(若きラビット関根の十八番。ただし娘の番組は一度しか観ていないので詳しく語れない。ゴメンなさい。) つまり、子供にはまづ中身のある教育を施し、立派な日本人に育てることが優先事項である。

  元NHKワシントン特派員だった日高義樹の英語なんて酷かった。テレビ東京のレギュラー番組で、ヘンリー・キッシンジャーにインタヴューしたとき、日高氏は、たんに自分の英語を自慢したいがために、通訳を附けずに対談していた。もともと教養がない日高氏が、不慣れな英語を使って鋭い質問など出来るはずがない。台本通りの質問を得意げに吐いていたから、視聴者はつまらないし、どうでもよくなってシラケてしまう。日高のアホは英語より先に政治や歴史を勉強しろ。むかしソニーが輝いていた頃、盛田昭夫会長の話は傾聴に値するものだった。彼の英語は拙(つたな)くても、思わず聞きたくなるようなモノだった。盛田氏の個人的魅力があったからかも知れないが、彼は米国で信念と情熱を込めて中身のある議論を交わしていたのだ。対話しているアメリカ人は、極東アジアから来た英語を喋る九官鳥ではなく、背骨の通った日本の国士を相手にしていたのである。

  つい最近、エアー・バッグ製造のタカタが、缺陷(けっかん)製品のリコール問題で社長が米国の公聴会に召喚され弁明していた。しかし、彼の英語はどちらかと言えば下手で、筆者は大企業の社長でもこの程度かと思った。(詳しく言えば、話す英語にリズムや強弱がないのだ) 大切なのは弁明の中身であり、誠意を示す表現なり態度である。見え透いた嘘を流暢な英語で語っても、アメリカ人は感心しないのだ。個人的魅力がない日本人がいくら英語を喋っても、そのへんのパンク野郎か乞食と同じだろう。日本人は人格形成を蔑ろにして、簡単な英語で空虚な会話を習得しようとしている。せっかく英語を習得したのに、アメリカ人から「へぇー、英語上手ね。あんた香港からの支那人?」て尋ねられたら、日本人は「何を無礼者」と怒るだろう。語学より大切なことがあるのだ。

英語学習より英国史が先

  数学教育についても言いたいことがあるが、今回は語学教育に限って述べたい。日本人が英語を勉強するときには、何らかの目的があってのことだろう。子供はいったい英語で何がしたいのかがはっきりしないまま、学校で英語を詰め込まれるのだから、英語嫌いになって当然だ。日本の公教育は子供に勉強が嫌いになるようプログラムされている。「そんなこととないぞ。こっちとら、一生懸命頑張ってるんだ」と教師は反論するだろう。でも、スクールがギリシア語の「スコラ(σχλη)」から由来することは周知の通り。つまりギリシア人は日常の雑用や仕事を奴隷にやらせて暇だから、みんなで集まって宇宙や地球の構造や摂理を探求するといった趣味に興じていたのだ。だから、幾何学や哲学、論理学といった学問をあれこれ討論しても、定期テストや入試なんか持ち出さなかった。もちろん最低限の基礎知識は必要だ。まったくの素人では議論にならない。ただ、船大工なら親方が新入り職人をテストすることはあっても、プラトンやソクラテスが哲学の議論で仲間に学期末試験なんて課さない。謂わば「オタク族」の集まりにそんなの要らないのだ。しかし、現在の学校では、子供を将来の労働者にすべく、効率的に職業訓練を施したいから、実力試験を課して達成度を測りたいのである。食肉にされるブロイラーが餌と抗生物質で効率的に飼育されるのと同じ要領。家庭で日本語を話している小学生や中学生が、いきなり外国語を強要され、試験でランクづけされたあげく、もっと勉強しろと命令されたら楽しいはずがない。一週間にたった数時間の授業で文法(syntax/grammar)や発音が全く違う言語を習得するなど無理。苦痛のみが増幅するだけだ。一方、ヨーロッパ人にとって英語は姉妹語だから簡単(gravy)である。

chesterton 1  ここで、英国の有名な偉人ギルバート・K.・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton)を紹介したい。筆者も大好きなイギリス人批評家で、日本でも人気の高い碩学の知識人である。チェスタトンは『デイリー・ニューズ』紙に『歴史VS.歴史家』という文章を掲載した。若いときに彼は、「学校に通っている児童には歴史のみを教えるべし」と喝破した。(G.K.Chesterton, History Versus the Historians, Daily News, 25 July, 1908, in Lunacy and Letters, ed. by Dorothy Collins, Sheed & Ward, London, 1958, pp.128-129) チェスタトンが暴論に思えるような意見を述べたのは、当時の古典科目ではラテン語の習得は必修であったからだ。そしてラテン語の教授方法に苦言を呈したのである。「少年は単にラテン語を学ぶだけではラテン語の重要性は分からぬ。しかし、ラテン人の歴史を学ぶことで、それが分かるであろう。」とチェスタトンは提案したのだ。(ラテン人とはローマ人を指す。)

  さすがチェスタトンの炯眼(けいがん)は鋭い。彼が言うには、アウステルリッツ(Austerlit)という地名を地理の授業だけで覚えることはナンセンスだ。単なる計算を学ぶ算数の授業だって同じこと。しかし、フランス皇帝ナポレオン1世が、アウステルリッツでオーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ皇帝フランツ2世)とロシア皇帝アレクサンドル1世を相手に干戈(かんか)を交えた一大決戦(Bataille d'Austerlitz)となれば話が違う。子供だって大物武将三人が睨み合った三帝会戦(Dreikaiserschlacht)なら、教師の話を手に汗握って聞き入るだろう。日本の子供も桶狭間の戦いや川中島の合戦の話は面白い。弱小藩の織田信長が“海道一の弓取り”今川義元の首をとった逆転劇はスリル満載。智将の上杉謙信と猛将の武田信玄がぶつかった戦の講談は大人だって楽しい。砲兵出身の名将ナポレオンが計算をしたり、地図を見ながら策を練る姿を聞けば、子供たちも地理と算数に興味が沸くだろう。

  チェスタトンは一件無味乾燥な科目でも、その背景を教えてもらえば、子供が“知的好奇心(intellectual curiosity)”が芽生えることを指摘しているのだ。幾何学が嫌いな生徒でも、十字軍のロマンティクな物語やサラセン人の世界を知れば、そのへんてこな数字の羅列に興味を示すかも知れない。(ギリシアの「幾何学Algebra」は中東アジアを経由して西洋に導入されたから。) 英語では「何が何だか分からぬ(It's Greek to me.)」と表現して、ギリシア語などイギリス人には「ちんぷんかんぷん」だろうが、ギリシア人の文化藝術を知れば、その難解な言語を学びたくなる。チェスタトンは、「歴史はすべての学問を、たとえ人類学でも人間臭くする」と言う。「人類学」を人間に親しみのある学問にするとは、いかにもチェスタトンらしいヒューモアだ。

  日本人が外国語習得について考えてみれば、おかしな事に気づくだろう。朝鮮を統治していたのに朝鮮語を喋れる半島在住の日本人(内地人)がほとんどいなかった。朝鮮総督府の役人でさえ、朝鮮語を学ぼうとする者が滅多にいなかったのだ。理由は簡単。馬鹿らしいから。朝鮮人なんて不潔で下劣な民族の言葉をどうして一流国の日本人が学ぶ必要があるのか。初めて見る糞尿だらけの極貧国に、日本人が憧れるような文化はない。朝鮮に渡った日本の知識人だって、儒教を朝鮮人から学ぼうとは思わなかった。小便さえ自分でしなかった両班の姿を見れば笑ってしまうだろう。日本人にはアカンタレと乞食が何を話そうが興味ない。ロシア語なら陸軍将兵も必要を感じたから学ぶ者がいたし、ドイツ語は尊敬するドイツ陸軍とドイツ文化の言葉だから、強制されなくても日本人は進んで学んだのである。現在、支那語に人気がないのは、支那人を見れは納得できる。だって、支那人と話して嬉しいのか?

  我々日本人が英語を学ぶときは、まづ英国史を勉強すべきだ。特殊な職業を目指す子共は別だが、語学能力を本業とせぬ一般の日本人は、イギリス人が如何なる歴史を送ったのか、どんな功績を残したのか、彼らはなぜ大帝国を築くことが出来たのか、などを知るべきだ。そして興味をそそられた者が、イギリス人を自分で理解するために英語を専攻すべきだ。大学入試のためだけの英語とは違い、そこにはイギリス人が感じた事を彼らの言葉で自分も感じることができる喜びがある。こうした語学勉強なら一生続けられるだろう。「ハロー、レッツ・スピーク・イングリッシュ」なんて謳う幼児英会話教室は要らない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68281664.html

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html

詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。

アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

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(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

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(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

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(写真 / フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )

  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html




グローバル企業が支援する愚民か政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

「お遊び」としての英語教科

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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。


  @ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。

特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

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(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。

English teacher in AsiaEnglish teacher in Korea
(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

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(左: 英語を話す黒人女性  / 右: カナダの白人女性 )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

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(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

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(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c3

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
4. 中川隆[-5707] koaQ7Jey 2017年12月25日 14:10:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


2017年06月29日 加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争

官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。
引用:http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201405/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/30jinjikyoku1.jpg


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          

萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。
http://www.thutmosev.com/archives/71561248.html


「株式日記」では、森友学園問題や加計学園問題は、官僚と安倍総理との権力闘争であると書いてきました。官僚たちは人事権を事務次官が持つことによって政治家には介入させなかった。それが内閣人事局が人事権を持つことによって、官僚の権力の源泉が失われて、これが官僚には面白くないことだった。
だから官僚たちにとっては、安倍総理は敵であり、第一次安倍内閣は官僚たちによるマスコミへのスキャンダルリーク作戦で退陣に追い込んだ。それがまさかの第二次安倍内閣の発足によって、官僚たちへの「内閣人事局」による報復が始まった。文科省の天下り問題はその一例に過ぎない。

組織の論理から言えば、官僚の人事は行政のトップである総理大臣や各省の大臣が持つのが当たり前ですが、以前は各省の事務次官が人事権を持っていた。だから官僚たちは、内閣の言うことよりも事務次官の言うことを聞いて、内閣総理大臣の言うことは面従腹背だった。

それが「内閣人事局」ができたことで、内閣総理大臣の権力は非常に大きくなった。それが官僚たちには面白くない。だからまたしてのスキャンダルリーク作戦で安倍総理の足を引っ張り出した。政治家のスキャンダルは警察や検察庁の官僚が握って持っている。豊田真由子議員もそうだし、中川俊直議員もそれでやられている。

いずれも二回生議員で安倍チルドレンとマスコミは呼んでいる。安倍総理がどこまで巻き返せるかは国民の支持率次第ですが、マスコミは連日安倍ネガティブキャンペーンを張っている。やらせているのが財務省官僚たちであり、籠池騒動の元は財務省官僚の安倍総理への裏切りにある。

このような官僚たちの裏切り行為に対して、安倍総理が「内閣人事局」を使っての報復人事が行われるだろう。まさに中堅官僚にとっては安倍総理につくか事務次官につくかの選択を迫られる事態となっている。安倍総理が踏ん張りきれれば官僚のスキャンダルリーク作戦も収まるのでしょうが、マスコミも官邸につくか官僚につくかで分かれている。

もっとも、政界でも反安倍の動きが有り、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部の動きが怪しくなっている。ここでも反安倍に舵を切った石破氏もいれば、安倍政権を支えるかで処遇も違ってくるだろう。問題は安倍政権への支持率であり、共謀罪強行採決では大きく支持率を下げた。

文科省の前川前次官が告発の記者会見を開いて抵抗しているのも、官僚と官邸との権力闘争が主体であり、人事権を取り上げられた官僚の抵抗は続くだろう。しかし安倍政権が長期化すれば官僚への人権発動で、反安倍の官僚たちは飛ばされるから官僚たちも必死だ。
http://2013tora.jp/kabu387.html



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c4

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
5. 中川隆[-5706] koaQ7Jey 2017年12月25日 14:14:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

財務省は日本人の敵

2017年03月15日
森友学園と財務省の関係 また握りつぶすのか

事件の張本人は財務省とマスコミの全面支援で福山市長に収まっている
引用:http://edahiro-naoki.com/toppage_parts/top_gallery1.png


すべてを支配する権力

日本では財務省が国の最高権威ですべての権限を独占し、あらゆる事に介入するが、決して失敗の責任を取らない。

例えば日本はアメリカに安全保障を任せていて、防衛費を1%に制限しているが、これが日本の利益になっているかは疑問です。

安全保障を握るアメリカは貿易交渉でも為替政策でも命令口調で日本に指図し、日本は絶対に拒否できない。

          


米ソ冷戦時代、「ソ連が北海道に上陸したら自衛隊は1週間、いや一日で全滅する」と言われていました。

これを防いでいたのはアメリカの核とアジアやグアム、サイパン、ハワイに展開していた米軍でした。

日本はアメリカで時代遅れになった戦闘機などを高い値段で購入し、「米軍が助けに来るまで」戦う戦力を維持していました。


21世紀になっても防衛費は1%のままで、従って日本はアメリカの要求に言いなりになるしかなく、これが日本経済にダメージを与えている。

アメリカが「円高にしろ」と言えばその通りに、「アメリカに自動車工場をつくれ」「アメリカにハイテク技術を無償でよこせ」などあらゆる要求を飲んできました。

日本が不利益を被るのが分かりきっているのに、防衛費を増額しない理由はただ一つ「財務省が認めないから」です。


消費税も同じで創設以来必ず税収を減らし財政を悪化させたのだが、財務省の要求に従って国会は消費増税を繰り返した。

今も増税すれば経済が縮小し、さらに財政悪化するのが分かりきっているのに、安倍首相は2019年に消費増税を予定しています。

一体なぜ財務省は過去すべて悲惨な失敗に終わり、経済縮小や財政悪化を招く消費増税をやりたいのか、合理的な理由はなにもありません。

財務省と大本営

ただ一度財務省が「正しい」と言って始めた政策を「やっぱり正しくなかった」と言ったら、財務省と財務官僚の権威が傷つきます。

むかし戦争中に日本軍は、負けているのに「我が軍は連戦連勝している」と嘘の発表を繰り返したが、あれと同じ理由です。

大本営は日本軍の権威が傷つくのを極端に嫌がり、ミッドウェイ海戦もレイテ沖海戦も「我が軍の大勝利」と発表しました。


財務省の官僚も消費税創設と消費増税がすべて失敗しているのに、自分の権威が傷つくのを防ぐため「我が軍の大勝利だ」と発表しているのです。

大本営はアホみたいな特攻作戦を繰り返して戦力を無駄に消耗し、優秀なパイロットが居なくなった為、空襲に来た米軍機を迎撃できなくなりました。

原爆投下や東京大空襲の頃には離陸できる戦闘機がなくなって、大本営の官僚たちは地下壕に逃げ込んでいました。


もし大本営や日本軍の官僚が正しい判断をしていたら、日本は「無条件降伏」ではなくもっと有利な条件で講和でき、GHQや米軍に占領されずに済んだでしょう。

財務省の官僚がいかに責任を取らないかは、森友学園の問題でも露呈しています。


森友学園に国有地を売ったのは財務省なのだが、いつの間にか政治家だけに責任を押し付けて自分は逃れようとしています。

森友から賄賂を貰ったり便宜を図った政治家は自業自得ですが、鼻持ちならないのは、財務官僚全員が雲隠れして被害者ヅラをしている事です。

森友学園に国有地を売却し、ゴミを埋め戻すよう指示したのは、近畿財務局の枝広直幹(現福山市長)だと当事者が証言しています。

財務省と森友学園

当時近畿財務局長の枝広直幹は「会った事もない」「聞いた事もない」とロッキード事件の田中角栄みたいな主張を繰り返している。

たとえ枝広直幹が森友学園から賄賂を受け取って便宜を図っていたとしても、この国のルールでは絶対に逮捕や起訴されることはありません。

警察や検察、裁判所にいたるまですべての司法関係に予算をつけているのは財務省なので、いわば東京地検特捜部や最高裁判官の上部機関にあたっています。


自分の給料を決めている部長や社長に向かって「おまえ賄賂貰っただろ」と言ったら自分の給料が下がるか首になるだけです。

大阪府豊中市の市議らは財務省近畿財務局を刑事告発すると息巻いていますが、どこかで制止されるでしょう。

国有地を市場価格の5分の1の、不当に安い値段で売却したのは財務省近畿財務局だし、掘り出したゴミを埋め戻せと言ったのも近畿財務局です。


それでいて財務官僚は誰1人表に出てはこないし、絶対に責任を取ろうとせず、地下に逃げ込んで自分だけ空襲から逃れた大本営のように、逃げおおせるでしょう。

マスコミも財務省の支配下であり、許認可権や捜査権を官僚が握っているので、財務官僚の不正を追及したりしません。

これが日本のルールであり、失われた20年の後も、失われたまま回復できない根本原因でもあります。
http://www.thutmosev.com/archives/69932693.html  

2017年10月23日
日本の財政収支は改善していた

リーマンショックでGDP比9%台に悪化した単年度赤字は3%台になった
引用:ブルームバーグhttps://assets.bwbx.io/images/users/iqjWHBFdfxIU/iFwAlpjvFtG8/v2/750x-1.png


日本の財政赤字が改善傾向

衆議院選挙も終わったが、今回の選挙では「財政赤字」や「財政均衡」が争点になりませんでした。

過去の選挙では日本の借金をどう返すか、大増税しかないという議論が必ず起きていました。

どうして財政議論が沈静化したかというと、この数年で日本の財政赤字は縮小し、改善されつつあるからです。

         
「日本の借金は世界最大!(嘘です)」と騒いでいた財務省のデータを引用すると、2016年財政収支はGDP比4.9%の赤字でした。

2017年度の歳入約63兆円で歳出97.4兆円、単年度の財政赤字は35.3兆円でした。(財政関係基礎データ 平成29年4月より)

歳出のうち「真水」つまり執行する予算は73.9兆円で、国債費が約23.5兆円でした。


歳入が63兆円で歳出が73.9兆円なので赤字額は11.9兆円で、残りは国債償還費用でした。

この国債を日銀が大量に購入していて、9月時点で約400兆円、日本政府が発行している国債残高は865兆円でした。

国債のうち584兆円だけが国が払う債務で、274兆円は建設国債なので高速料金やガソリン税から利用者が払っています。


584兆円のうち短期債務は予算のやりくりで数ヶ月間借りては返済するもので、長期債務はおそらく500兆円くらいでしょう。

政府が返す500兆円のうち400兆円を既に日銀が保有していて、もうすぐ100%に達してしまいます。

現在日銀は国から国債償還を受けると同じ金額の国債を購入しているので、実質的に国は償還していません。


毎度おなじみ財務省の「国の借金」実は政府が返すのは赤い部分の584兆円だけで、そのうち400兆円を日銀が保有しているので、賞味184兆円しかない。
004B
引用:http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/004.gif


財政赤字問題は解消に向かう

では日銀が国債を100%近く保有してしまい、これ以上買えなくなったらどうするか、というのが「金融緩和出口論」です。

そのまま持ってれば良いんじゃないかという意見、いや債券市場の健全性を損なうから全部売却しろという終了論があります。

今まで買い集めた国債を日銀が売り飛ばしたら、どう考えても大混乱になるが、財務省などはそう主張している。


別な考え方としては政府は「永久国債」や50年債、100年債をゼロ金利で発行して、事実上凍結してしまうというのがあります。

イギリスとかは100年以上前の借金をそのようにして「冷凍保存」しているそうです。

日本のGDPがこのままプラスで推移すれば税収は自然に増えるので、数年後には国債を除く単年度赤字はもっと少なく成るでしょう。


すると事実上、財政議論は単年度で黒字化することから、今まで日銀が買い取った国債をどう処理するかという問題に変わります。

日銀を倒産させて第二日銀を立ち上げても良いが、それはあんまりなので、やはり低金利の長期債で「塩漬け」か「冷凍」が妥当でしょう。

米経済メディアのブルームバーグは今週、「日本の財政収支は大幅に改善した」という記事を掲載しました。


それによると2011年ごろに日本の単年度赤字はGDP比9%に達していたが、現在は3%か4%で推移しています。

日本の政府債務そのものも、この2・3年は増えていないとしています。

データの計算方法は書いていないが、GDPのプラスや日銀の国債買い取りで借金の増加は止まりつつある。
http://www.thutmosev.com/archives/73227958.html

2017年11月14日
国の借金が1080兆円、個人資産が1800兆円に増加

財務省が発表する「国の借金」は2倍に膨らませてある
引用:http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/004.gif


「国の借金」という謎の考え

財務省は11月10日に、9月末時点で国の借金が1080兆円に増えたと発表しました。

わずか3ヶ月で1.4兆円増加し、国民1人当たり約852万円の借金だと危機を煽っています。

ところがこの「国の借金」の概念が曖昧で、政府の借金でも公的債務でもない。

欧米や新興国が発表している「政府債務」などとは全く違うので、混乱と誤解を招いています。

2015年に発表された「1053兆円」で解説すると、まず政府短期証券117兆円は為替介入のための、短期の支払いに当てられている。

2012年以来日本は為替介入をしていないが、事務処理のために数ヶ月借りては返すを繰り返していて、実際には存在していません。


財政投融資残高は約163兆円で、特殊法人の借金は「法人の借金」なので国が支払う責任はない。

建設国債残高は250兆円程度で、道路や橋を作った借金なのだが、ガソリン税や有料道路料金などで支払っています。

これらは日本以外の国では「国の借金」に含めておらず、残りの460兆円だけが本当の日本政府の借金です。


日銀の黒田総裁は国債買い取りを進め、日銀の国債保有残高は437兆円(6月末)に達しました。

国の借金は460兆円程度で、そのうち437兆円を日銀が買い取ってしまったので、日本政府は日銀に償還しています。

ところが日銀は日本政府の組織なので、自分の借金を自分に支払っているという状態です。

まあ払わなくても誰も困らないのだが、この制度を維持したい人達が守っています。


個人資産1800兆円を握る人達

9月20日には日銀がもう一つの数字、金融資産残高(個人資産)が1832兆円で過去最高になったと発表しました。

個人資産が1832兆円で国の借金が1080兆円なら、持ってる人に払わせれば一瞬でチャラになるような気がします。

個人資産の多くは富裕層が保有していて、日本では保有資産に税金はかからないので、富裕層は働かず税金も支払っていません。


この現象は世界的にも同じで、富裕層は税金を払わず、労働者が納税した金でサービスを受けています。

これに課税しようというのが消費税なのだが、消費税は資産や収入が少ない人ほど税率が高く、富裕層はほとんど払っていません。

世の中はどこまでも金持ちに有利に作られていて、資産への課税や相続税が検討されていますが、必ず反対意見で潰されています。


てっとりばやく富裕層の全資産を没収してしまえば良いのだが、富裕層は金によって権力を持ち、政治への影響力を持っています。

個人資産がいくら増えても、それが消費や投資にまわらなければ、1円たりとも日本のGDPは増えません。

だが税金も払わず経済にも貢献しない人達の資産ほど、手厚く保護されているのです。
http://www.thutmosev.com/archives/73606389.html




2017年3月21日
【藤井聡】「プライマリー・バランス黒字化」という「悪行」
https://38news.jp/politics/10232


From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)

【マスメディアは、PB黒字化が難しくなった事を批判している】

政府の「基礎的な財政収支」を意味する「プライマリーバランス」、略称PB。

わが国政府は、2010年の菅直人内閣の時に、「2020年にこのPBを黒字化する」という目標をたてました。そして現在の安倍内閣も、この目標を引き継いだ財政運営をしています。
https://38news.jp/economy/10199

その結果、「PB赤字」は、昨年度までで16兆円以上も削られました。そして2010年の頃の「半分」にまで縮小しました。これは、菅直人氏が建てた「中間目標」が達成されたことを意味しています。

ただし、今年1月に公表した直近の財政シミュレーションによると、このままPB赤字は縮小していきますが、2020年次点でも「8.3兆円」の赤字が残される見込み――となっています。

これについて、多くのマスメディアが「批判的」な論調を展開しています。例えば毎日新聞は、

「基礎的財政収支:20年度赤字8.3兆円 険しい財政再建」

という見出しで、政府を非難する記事を配信しています。
http://mainichi.jp/articles/20170126/k00/00m/020/049000c

この記事で、財政再建に積極的でない安倍内閣を批判し、最終的に、

『「首相はむしろ、教育無償化や子育て支援など歳出拡大を伴う施策の強化に意欲を見せており、「黒字化目標を変えたがっているのでは」(首相周辺)との声も出ている。財政健全化は一層難しくなりそうだ。」

とまとめ、黒字化目標を変えたがっている安倍首相は、

「道徳的にワルイ行為」

をしているかのようなニュアンスで、政府を非難しています。

【デフレ下では、PB赤字は善でありPB黒字は悪である】
しかし、本当にこうして安倍首相は批判されなければならないのでしょうか?つまり、プライマリーバランスの赤字が存在することそれ自身は、本当に、

「道徳的にワルイ行為」

なのでしょうか?

答えはもちろん「否」です。

むしろ、少なくとも今のようなデフレ状況では、PB黒字を無理矢理削減するような目標は早々に廃棄し、より適正な財政規律を導入することこそが、日本国民の幸福にとって求められる、道徳的な振る舞いなのです。

なぜなら、PB黒字を無理やり削減するようなことが行われれば、政府支出が削られ、さらなる増税が敢行され、日本の消費も投資もさらに縮小し、国民所得はさらに下がり、失業率はさらに上がり、消費と投資がさらに悪化していく――という激しいデフレスパイラルがわが国を襲うこととなるからです。

だからこそ、そんな「深刻なデフレ化」という悪夢を回避するには、私たちは「PB赤字はいかなる意味で正しいものなのか」という点を、各々の「胆」でシッカリと理解してく必要があります。

ついては、ここでは簡単に、「PB赤字の正しさ」「PB黒字の不道徳」について、改めて解説いたしたいと思います。

【PB赤字=悪と決めつけるのは、視野が狭いからである】
まず、私たちの日常感覚(あるいは、いわゆる主婦感覚)から言えば、「赤字」という言葉を見れば、それだけでパブロフの犬の様に半ば自動的に「ワルイモノだ」と感じ、即座に「赤字は無くさなきゃ!」と感じてしまうのは事実です。そして、世の中には削除すべき「赤字」があることは論を待ちません。

しかし、「赤字や負債は悪いものだ」と「決めつける」感覚は、極めて歪んだ、矮小かつ近視眼的な感覚です。なぜならそれは、「いま、ここにあるサイフ」だけを見た狭い視野からの感覚に過ぎないからです。

「いま、ここにあるサイフ」だけでなく、その周りの人々や、少し先のことまで視野に入れて考えれば、善と悪の方向が全く逆になってくるのです。

例えばある家計がケチケチしていれば、その家計にとってはカネが貯まって良いかもしれないけれども、その家計を相手に商売している側に立てば、これは実に困ったものです。

例えば、毎日、1000円使っていたお客さん達が皆急に500円しか使わなくなったら、その店の売り上げは半分になってしまい、場合によっては閉店に追い込まれます。

あるいは、社長が急にケチになって、給料を半分にすれば、会社のサイフは赤字が減ってよいかも知れないが、従業員にしてみれば、たまったものではありません。住宅ローンが払えなくなってしまう社員もいれば、子供の塾をやめさせないといけなくなる社員もでてくるでしょう。

つまり、誰かが「赤字」を削ったり、「負債」を減らそうとして出費を削れば、その削った側から見れば「倹約」という何よら善き行為をしているかに見える一方で、周りの人から見れば、その行為は単なる「ケチ」なものに過ぎないのです。

つまり、借金を削るとか赤字を減らすとかいう行為は、「削る側」から見れば「善行」ですが、「削られる側」から見れば「善行」どころか「悪行」としか言えないものとなるのです。

【「倹約家」は、時に無能を意味する】
さらに言うと、「経営者」の視点に立てば、さらに違った側面も見えてきます。

「赤字を削って投資を減らす『倹約家』の経営者」と「赤字覚悟で投資を増やす『積極的』な経営者」の両者を考えてみましょう。

前者の『倹約家』の経営者は、経常収支は短期的には改善します。でも、中長期的な会社の売り上げが伸びていく見通しは低いものに留まります。

一方で、後者の『積極的』な経営者は、短期的な経営悪化という、短期的リスクを呼び込んではいますが、中長期的には会社の売り上げを伸ばし、企業をより大きなものにしていくチャンスを持っています。

つまり、倹約家の経営者は、堅実とも言えるが、臆病でケチで「無能」な経営者である疑義があるのです。

一方で、積極的な経営者は、浪費的で危険とも言えるかもしれませんが、将来の「成長」を導く、勇敢でチャレンジングな経営者とも言えるのです。

そして、「成長しなければ倒産する!」という危機に陥った「成長する責務を負った経営者」であるなら、好むと好まざるとに関わらず、「倹約家で臆病なケチ」であることを避けなければなりません。彼は彼の知力と胆力の全てを駆使し、「赤字」を受け入れた勇敢でチャレンジングな経営をせねばならないのです。

そして、デフレに陥ったわが国の内閣は、まさに「成長する責務覆った経営者」に他なりません。そうである以上、赤字に対して過剰に臆病になるのは、「亡国」を導くことは必定なのです。

【政府がケチな倹約家では、デフレが続く】
以上の議論を踏まえれば、次の事実が浮かび上がります。

・「PBを黒字化」することは、国民以外の経済主体、つまり、国民と民間企業にとって、悪影響を及ぼし、デフレ圧力を加速する。

・「PBを黒字化」することは、将来のビジネス・チャンスを縮小させ、経済成長を阻害し、ジリ貧を導く。

さらには、PBを黒字化するためにあらゆる出費を削れば、教育も、研究開発も、防衛も、防災も――あらゆる行政サービスを縮小させ、その国家を亡国へと導いていくリスクをもっています。

だから、とにかくPBを黒字化すべし、という議論は「PB黒字化がもたらす弊害」を無視した暴論に過ぎないのです。

我が国のエコノミスト、官僚、政治家、そして日本国民が、「PB黒字化」という言葉の響きに騙されず、それが一体何を意味しているのかを冷静に理解し、PB、さらには、日本の財政について適切な判断を下されんことを、心から祈念したいと思います。

追伸:国民のマネーを吸い上げる「PB黒字」が如何なる意味で不道徳なのか――さらにご関心の方はぜひ、下記をご一読ください。
https://goo.gl/Jcqhm0

2017年4月11日『日本のプライマリー・バランス規律は、外国よりも甘い』という出鱈目
From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/10324

先進国はいずれも、財政についての何らかの規律、すなわち、「財政規律」を持っています。我が国も、2013年に閣議了承した「2020年度にプライマリー・バランス(PB)の黒字化を目指す」という規律を持っています。

この財政規律を巡っては、これまでに様々な議論が重ねられてきていますが、その一つの視点が「国際比較」の視点。この点について、例えばつい先日公表された財務省主計局が公表した資料(4頁目)では、

『主要先進国が掲げている財政健全化目標と比較すると、日本の目標は緩やかな水準となっている』

と明記されています。
http://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia290407/04.pdf

その根拠として挙げられているのは、「日本だけ利払い費を考慮外としている」という点です。

つまり、日本は「利払い費」を何兆円も払っているのに、それは考慮せずに「収支」を考え、それについて目標を立てているが、諸外国は皆、利払い費も支出の項目に加えて、「収支」を考え、それについて目標を立てている、だから、日本だけ「甘く」て「緩い」目標だという次第です。

・・・・しかし、本年3月1日の参議院予算委員会で、この説明が、

『出鱈目な説明』

だと、指摘されています。

この指摘は、自由民主党の西田昌司議員からのものですが、その議論は極めて説得的なものでしたので、ここではその内容を改めてご紹介したいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=9ONDN6n-iwc

まず、西田議員は次のように質問を切り出しています。

西田昌司議員 「要するに、プライマリーバランスというのはですね、利払い費を入れてないんですよ、と。財政収支の場合には利払い費も入れてますと。だから、借金の返済金額まで入れてますからね、利息の。だから、厳しいんですと。こういう意味でしょ?」

主計局長「尺度としてはそういうことだろうと思います」

西田昌司議員「・・・それでこの話を聞いてですね、みんな、『あ、そうか、プライマリーバランスというのは、各国のあれより緩いんかと。だとしゃーない、守らなしゃーないなと』こういう論法にひき釣りこまれるんです。ところが違うんですね。」

そして現在の各国の財政支出状況を解説した後に、次のような発言につなげていきます。

西田昌司議員「私は、財務省の職員というのは、日本の職員の中でも極めて優秀な方だと思っています。その方々がですね、全く出鱈目な説明をしているという事自体に苛立ちと腹立ちさを抑えることができないんです。」

なぜ、「出鱈目」なのか、そしてなぜ、「苛立ちと腹立ちさを抑えることができない」のか。

その理由について、西田議員はまず、2年前の経済財政諮問会議で、麻生財務大臣が提出した、主要先進国の財政健全化の目標がリストされている下記資料を取り上げます。


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1023892481045028&set=a.236228089811475.38834.100002728571669&type=3

そして、この資料には、確かに日本だけ「利払い費」を考慮外に置く「基礎的」財政収支(つまり、プライマリーバランス)を基準にしていているが、諸外国は、「景気変動」を考慮外に置く「構造的」財政収支を基準にしている、という事が明記されている、だから、日本の財政規律は「緩いものだ」とは言えないのではないか、と指摘します。

これに対して、主計局長は次の様に答弁します。

「あの……どう申し上げますか……財政収支とプライマリーバランスというのはいわば縦軸で…こう…その…金利の分だけ、緩い、基準になっています。で、ご指摘の構造的財政収支というのは、対象となる財政収支の内、まぁ…一時的なものを除たものを、この…なんていいますかモノサシにあてて比較する、という考え方なんで、確かに…あの…財政収支のあてはめを緩めているのは事実でありますけど、いわば、縦の緩め方と横の緩め方といいますか…あの…そういう違いがあるということだろうと思います。」

これに対して西田議員は次の様なツッコミを入れます。

西田昌司「つまり、あなた方が、麻生大臣や総理に説明してきたのは何かといえば、日本のPBよりも、他の各国のG7がやってる方が、厳しいんですと言ってきたわけですよ。ところが、あなたが今、言っているのは、逆さまを言っているんですよ。要するに、日本のPBよりも緩やかに弾力的にね、財政収支の目標は設定しているんですよ。がんじがらめにしてない。税収が減ったら、その分当然いるね、と。」

以上の質疑は、「日本の規律は緩い」という説明は、西田議員が指摘するように「出鱈目な説明」だった、という疑義を白日の下にさらすものです。

なぜなら確かに日本の規律は「利払いを除く」という点では「緩い」が、「景気変動を考慮しない」という点では「厳しい」基準だったことを、主計局長本人が認めているからです。

主計局長のご発言に基づくなら、

・「縦」(利払いの有無の点)では日本の方が「緩い」が、
・「横」(不景気時の減収等の考慮の有無の点)では日本の方が「厳しい」

のです。それにも関わらず、この「横」の論点を無視して「縦」だけを見て、「日本の方が緩い規律だ」と断定するのは、西田議員が指摘するように、「出鱈目」と指摘されても致し方ないところです。

しかも、日本は今「デフレ」であることを考慮すれば、デフレ脱却さえ叶えば、さらに税収が上がることも予期されます。その点を加味すれば、その「出鱈目さ」はさらに深刻なものだとも言えるでしょう。

いずれにせよ、不景気、さらには「デフレ」の影響を加味した「構造的」な財政収支に基づいて財政が運営されているのが先進諸国における国際標準である一方、日本一国だけが、PBという「非構造的」な財政規律に「がんじがらめ」にされてしまっているのです(ちなみに、同じPBでも、構造的PBという概念もあります)。

その結果、諸外国では、「不況・デフレで税収が減ったから」という事を気にせずに思い切った財政支出ができるのに日本だけは、「不況・デフレで税収が減ったから」という理由で、政府支出をカットせざるを得なくなっています。

つまり、日本一国だけが、「非構造的」な財政収支という、「大変に厳しい十字架」を背負わされているのです。

日本のデフレを本当に終わらせるためにも、この収支における「構造性」という、あまり人々に知られてはいないものの、極めて重要な問題の存在を、しっかりとご理解いただきたいと思います。

追伸:デフレ脱却と財政規律、の関係については是非、下記をご一読ください。
https://goo.gl/Jcqhm0


【青木泰樹】財務省の頭の中 2015/06/12 From 青木泰樹@経済学者

税収の上振れが続いています。

2013年度は当初予算に対して3.9兆円の税収の上振れがありました。

2014年度も当初予算での見積額50兆円(うち消費税以外34.7兆円)が、決算時点では54兆円台に達すると見込まれております。

消費税増税分を除いても4兆円前後の税収増です。

税収の上振れは現状の日本経済にとって好ましいのですが、手放しでは喜べません。

なぜ財務省が当初予算をこれほど低く見積もっていたのかについて疑問が残るからです。
財務省の税収見積もりが二年続けて大幅に外れたことは由々しき問題です。

その原因として考えられるのは、経済成長による自然増収を過小評価したがる財務省脳にあるのではないでしょうか。

「経済成長による自然増収などたいした額ではないので、それに頼ってはならない。財政再建はあくまでも歳出削減と増税でやり抜くしかない」と主張したいのでしょう。

経済成長と税収増の関係は、税収弾性値(税収変化率/名目GDP変化率)として知られています。

名目GDPが1%増加したときの税収の増加率を表す指標です。

本日は、税収弾性値から読み取れる財務省の悪弊について考えたいと思います。

これまで財務省は税収弾性値を「1.1」として推計を行ってきました。
かなり低いですね。

この数値は、バブル期以前の税収の伸び率と名目成長率の双方が安定していた1980年代のデータから算出されたもので、ここ15年間は現実に計算される税収弾性値とかけ離れております(この期間の税収弾性値の単純平均は4程度)。

財務省は当該期間における名目成長率がゼロに近い数字であったため、算出される税収弾性値が大きく振れやすく、結果的にたまたま大きな数値となったと説明しております。
異常値だと言いたいのでしょう。

しかし、逆から見れば、財務省の主張する税収弾性値(1.1)はデフレ期およびデフレ脱却期には適用できない異常な数値であるということになります。

現状はコアCPIの動向を見る限り、よく見てデフレ脱却期、下手をするとデフレへ逆戻りといった状況にありますから、今後の経済成長の財政再建効果を測る上で、財務省の主張する税収弾性値を採用すれば、必ず予想が外れてしまいます。

財務省が税収弾性値を限りなく「1」に近づけたい理由の背後には、先の理由とともに主流派経済学の経済観も見え隠れします。

経済学的に見て税収弾性値が1になるのは、税収が全て比例税から成るケースです。

比例税とは所得の一定割合に課税される税で、消費税(所得の一定割合が消費に向かうため)および法人税(黒字企業に限られますが)がその代表です。

比例税率をα%とすれば、所得100に対して税収は100αとなりますから、所得が1%伸びれば、税収も1%伸びることになります。

ですから所得税の累進度をフラット化し、税収に占める比率を下げて消費税中心の税制度にすれば税収弾性値は1に近づくのです。

もちろん、その場合には税制度から所得の再分配機能が失われることになりますから、高額所得者に有利となります。

所得税のように累進税がある場合も、主流派経済学の想定する「需給ギャップの存在しない長期均衡状態」では、税収弾性値は1に近づきます。

ちなみに長期均衡状態(期待が実現している状態)に赤字法人は存在しません。

課税ベースである付加価値は、個人と法人間に分配されています。その分配構造を示すのが、労働分配率(人件費/付加価値)です。

長期均衡状態において労働分配率は一定となりますから、個人と法人間での所得の移動は生じません(割合が一定のまま推移)。

その状態のまま成長するとどうなるか。例えば、主流派経済学の想定する潜在成長軌道に沿って経済が進行する場合です。

税収の中身を

「税収=消費税(比例)+所得税(累進)+法人税(比例)」

とします。


経済成長が1%の時、既述のとおり比例部分は1%の増収です。

所得税に関しては限界税率(税額の増分/所得の増分)が平均税率(税額/所得)に一致した場合は1%、それを上回った場合には+アルファが生ずるわけです。

累進度の低下および所得税の税収に占める割合が低下すればするほど、+アルファの部分は0に近づき、すなわち税収弾性値は1に近づくことになるのです。

内閣府や政府税調における有識者メンバーは、ほとんど主流派経済学者なので彼等の経済観が色濃く答申や報告書に反映されることになり、それが財務省見解の形成されてきた一因でしょう。

主流派学者は、現実経済が平均的には長期均衡軌道上にあると思い込んでいるわけですから。

しかし現実的に言えば、需給ギャップが存在する場合、法人税率が所得税の平均税率を上回っている限り、経済成長による税収弾性値は1より大きくなります。その理由を簡単に説明しましょう。

景気が上向くとき、労働分配率は低下します。なぜなら人件費の部分は景気に即座に反応しないからです。

必然的に景気拡大の恩恵は法人にもたらされ法人税収は増加し、さらに赤字法人も黒字化することによって納税側に加わります。

主流派の想定し得ない、このインパクトが大きいのです。

デフレ脱却途上にあり、需給ギャップが存在する現在の日本経済において、成長による財政再建効果は大きい、少なくとも財務省の想定よりかなり大きいと思います。

税収の上振れは正にその証左ではないでしょうか。

財務省による政策をミスリードするプロパガンダは、税収弾性値にとどまりません。
現在、政府は6月末を目途に2020年度までの財政健全化計画を策定中ですが、ここでも財務省脳がさく裂しております。

内閣府の公表している「中長期試算(平成27年2月公表)」の経済再生ケース(実質成長率2%以上、名目3%以上)によると、2020年度で基礎的収支(PB)の赤字が9.4兆円と推計されています。

これをベースに財務省は、当該年度における9.4兆円の歳出削減を主張しています。
すなわち単年度の財政均衡を目指すというPB目標を堅持しているわけです。まさしく財政均衡主義。

歳出削減を9.4兆円するとどうなるのでしょうか。

普通に考えれば、総需要が減るわけですから、GDPは減少するでしょう。

もちろん、国民所得勘定の恒等式

「GDP=内需(民需+官需)+外需(貿易収支)」

には解釈方法が二つあります。

ケインズ的に解釈すれば、右辺から左辺への因果関係を考えますから、総需要によるGDPの決定式です。

他方、主流派(供給側)からすれば、逆の因果関係を想定しますから、GDPの分配式と解釈されます。

セー法則に基づきGDPが資源の賦存量と生産技術によって先決されていると考え、それが内需と外需に配分されるとするのです。

主流派学者は後者の立場ですから、官需を削減しても自動的に民需が増えると考えてしまいます。

パイの大きさが一定である場合、切り分け方を変えても大きさはかわりませんから。
それゆえ彼等は、歳出削減してもGDPが減少しないと考えてしまうのです。

多少、現実的に考える学者は、歳出削減分を供給能力の増加によって埋め合わせればよいと考えています(「造れば売れる」というセー法則にどっぷり浸かっているのです)。
いわゆるアベノミクスの三本目の矢である成長戦略頼みです。

しかし、妙な話です。

歳出削減は9.4兆円という明確な数値目標を定める一方で、それを埋め合わせるべき総需要の増加に関しては、規制緩和で何とかなると言っているのです。

財務省にしてはどんぶり勘定、かなり無責任ですね。

はっきり言って規制緩和の効果は量的に計測不可能です。
それゆえ9.4兆円の歳出削減の埋め合わせはできません。

構造改革の重要性を主張する人は、改革には時間がかかると言って責任逃れをするのが常ですが、小泉構造改革から10年を経た現在も潜在成長率(ここでは定義に論及しませんが)は低下の一途をたどっているのです。

これまでの構造改革は全く無駄だったのです。

レントシーカーに多少の利益をもたらしただけで、地方の疲弊を助長させたにすぎません。

少なくとも潜在成長率を押し上げられなかったことは疑いのない事実なのです。
規制緩和を唱え続けてきた主流派学者は猛省すべきでしょう。

歳出削減をするのであるならば、それに見合った総需要拡大策をとらなければ景気が悪化することは誰の目にも明らかです。

しかし、財務官僚や有識者と言われる主流派学者にはそれがわからないのです。立場上、言えないのかもしれません。

そして量的効果が明確に測定できる公共事業の実施に対しては、国債残高をこれ以上増やすなと反対するのです。

国債残高の累増問題は、民間への利払い費の膨張をどうするかという問題ですが、日銀が国債を大量に買い取っている以上、既に解決済みの問題であります(ここでは詳細は触れませんが)。

彼等にはそれが全く分かっていないのです。

財務省の主張する歳出削減と規制緩和の組合せは、デフレ化政策パッケージに他なりません。これでは景気低迷に逆戻りしてしまいます。

単年度の財政均衡を目指すPB目標にこだわっている限り、デフレスパイラルから脱却できません。

PB目標の旗は降ろすべきでしょう。

財政再建は中長期的な視点から実施すべきでありますから、それに対応した新たな目標が必要です。

それは経済成長を促すことによって、成長の範囲内で財政再建を図ることに尽きます。
デフレ脱却途上にある経済において、経済成長と財政再建を同時に達成する条件は、一例をあげれば「税収増加率>一般歳出増加率(利払い費を除く政策経費)」でしょう。

初期的にPB赤字があろうと、この条件を満たせば、いずれ財政再建は達成できるのです。

この条件式を経済成長との関係で書き直せば、「名目成長率×税収弾性値>一般歳出増加率」です。

これは単年度目標ではなく、5年なり10年のスパンでこうした状況を目指せばよいのです。

拙速に結果を求める財務省脳からの脱却が望まれるところです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/
 

2017年4月8日財政均衡主義の正体
From 青木泰樹@京都大学レジリエンス実践ユニット・特任教授


財政健全化に向けてとるべきは、「先憂後楽」。


財政制度等審議会(吉川洋会長)は、半年ごとに財務大臣に建議をしていますが、直近の建議の中で、財政健全化の基本的考え方としてこの故事を使っています。

元来の意味から若干離れますが、「先に苦労・苦難を体験すれば、後で楽になれる」と言いたいのでしょう。

もちろん、その含意は「少しでも早く増税および歳出削減を断行し、財政健全化を図れば将来不安は払しょくされる」ということです。

恒例行事のように、毎回毎回、2020年度までの基礎的収支(PB)バランスの達成、すなわちプライマリー赤字の解消を唱え続けています。

さらに今回はハードルを上げて、PBに利払い費も加えた財政収支のバランスを目標にすべしとの提言も加えております。

まさに財務省の意を忖度(そんたく)した建議と言えましょう。

財制審を主導するのは著名な経済学者たちですが、彼らはなぜこれほどまでに財政均衡にこだわるのでしょうか。

今回は、財政均衡の経済学的論拠について考えます。

結論から言えば、彼らは主流派経済学の論理に縛られ、現実が見えなくなっているということです。
もしくは意図的に見ようとしないのかもしれません。

経済学者は「経済学の見地からすれば・・」という前置きをよく使いますが、この常套句を聞いたときは「現実には当てはまらないが・・」と彼らが言っていると解釈するのが適切です。

今回、彼らの言うことを真に受けてはならない理由を具体的にお話ししましょう。

一般論として「現実経済が景気変動を免れないとすれば、財政運営は中長期的視点からなされるべきだ」と考えることは、誰にも受け容れられる極めて自然な見解に思えます。

ここから話を始めましょう。

ただし主たる財政観は二つありますので、各々の考え方の違いを先に示しておきます。

第一に、景気変動によって税収が変動する一方、政策経費は固定されているものが多いため、「出」と「入」のギャップを中長期的にならすべきだという財政観。
これは個人の家計運営にも同通するため、一般に普及している財政観です。
それをここでは、「伝統的財政観」としておきます。

第二に、景気変動によって国民経済は健全な状態から乖離(かいり)するため、そのギャップを埋めるように財政運営をすべきだという現代貨幣理論(MMT)に基づく財政観。

例えばデフレ不況、インフレの高進、金利の高騰といった好ましくない経済状況から脱却すること、すなわち「経済の健全化」を財政運営の目的とし、その達成手段として税と政策経費を用いるという考え方です。

具体的には、景気状況に応じた増減税、財政出動の実施および金融市場への介入等です。

この場合、「出」と「入」のギャップをならすこと、すなわち財政の健全化はもはや目的とはなりません。
それを「機能的財政観」としておきましょう。

財制審の経済学者は、伝統的財政観を主流派経済学の論理に当てはめることによって、短期的な財政均衡を目指すPB目標を掲げています。


彼らの論理を、順を追って説明しましょう。

新古典派経済学の後継の諸学説、マネタリズム、新しい古典派、ニュー・ケインジアン等を主流派経済学と呼びますが、その特徴を一言で言えば、「個人(ミクロ)の主観的満足を求める合理的行動が全体(マクロ現象)を決める」ことです。

逆から見れば、マクロ状況とは全ての個人(合理的経済人)が満足した状態である、と考えているのです。

「この経済学の見地からすると・・、現実経済は常に理想状態にある」ことになります。

学説によって「景気変動は生じない」、「景気変動下においても個人は満足している」、「景気変動に対して何もしなくとも、すぐに理想状態に復帰する」と三通りありますが、本質は変わりません。

すなわち主流派学者は、景気変動が存在しない、もしくは存在しても考慮する必要のない状況を前提に財政均衡を考えているのです。

現実には「景気変動→税収の変動→PB(もしくは財政)赤字や黒字の発生」という因果の連鎖があるのですが、主流派学者は「理想状態=PB(財政)均衡」としか考えません。

景気状況が原因で、結果的にプライマリー不均衡が生じたことを考慮しないのです。

財制審の学者たちは、現実のPB赤字の発生に直面して機械的に増税と歳出削減を唱えていますが、そうした施策がマクロ経済にどれほどの悪影響を及ぼすかについて論じません。

彼らの想定するマクロ経済が、常に完全雇用の達成された理想状態だからです。
つまり、「経済学の見地からすると・・、悪影響は出ない」と考えているのです。

現在の日本経済は未だデフレから脱却しておりませんが、その原因が2014年の消費税増税にあることは衆目の一致するところです。

当時、彼らは全員、PB赤字解消のための消費税増税に大賛成でしたが、それもこの主流派経済観に基づくものです。

財制審の学者の建議どおりに増税した結果、「先憂後苦」になってしまいました。
先に苦難を経験して、後でも苦しんでいるのが日本経済の現状なのです。

さらに主流派学者が、経済の健全化を最優先に考える機能的財政観を軽視する理由も同じです。

彼らが経済の健全化の達成された状態から議論を始めているためです。
機能的財政観の「目的」は、彼らの「前提」なのです。
経済の健全化など考慮の埒外(らちがい)なのです。

それでは、彼らはなぜ財政均衡を唱えているのでしょう。
それは理想状態を示す理論モデルと整合性を保つためです。
単に学問的理由から発しているのです。

以前から論じているように、財政均衡主義が機動的な財政運営より優れていることは論証されていませんし、今後もできません。

なぜなら、それは新古典派の経済モデルの前提である「政府の予算制約式」にすぎないからです。

モデル構築に際して初めから決まっているのですから、証明のしようがないのです。

その辺りの事情を見ておきましょう。

主流派モデルの目的は、予算制約下で、個人が最も満足した状態に達する条件(もしくは最適経路)を示すことです。

予算制約がない、すなわち無限に予算があるならば経済問題は生じません。
好きなだけ買えるわけですから経済学の入り込む余地はないのです。

個人の一生の予算制約を決めるのに用いられるのが、生涯所得(Yp)です。
ただし個人が自由に使える所得は、生涯所得から生涯に支払う税金総額(Tp)を控除した可処分所得です。

それが、個人の予算制約である「恒常所得(Yp−Tp)」です。

ここで「恒常」という用語は、ミルトン・フリードマンの「恒常所得仮説」に由来するもので、予想される全期間の合計額(正確にはその現在割引価値)を示す概念です。

例えば、恒常消費(Cp)は生涯を通じての消費総額、政府支出の恒常水準(Gp)は将来にわたる政府支出の総額といった具合です。

合理的な個人は恒常所得を使い切って生涯を終えます(もしも、使い残しがあれば悔いが残るため)。

所得を使い切ることを横断性条件と言い、それが個人の合理性を担保する条件です。

ここでは「Yp−Tp=Cp」で示されます。

これが個人の予算制約式です。


他方、生涯所得(Yp)はどのように得られるのでしょう。

所得とは生産(量)の分配面を示す概念で、生産(量)は市場の需給均衡(一致)で決定されます。

ここでの市場均衡式は、「Yp=Cp+Gp」となります。

個人の予算制約式と市場均衡式から、「Tp=Gp」が得られます。

これが政府の予算制約式で、「税収総額と政府支出総額は一致しなければならない」ことを意味します。

これが財政均衡なのです。

この政府の予算制約式は、個人の予算制約式から導かれたものですから、最大満足を目指す個人の合理的行動と整合的なものです。

全ての個人が満足した状態が理想状態ですから、そのために財政均衡が必要になるというのが主流派モデルの想定です。

こうした予算制約に従う、すなわち個人の合理的行動の妨げにならないように、財政均衡を図る政府を「リカード型政府」と呼びます。

リカードは、

「政府が政府支出を増加(ΔG)させても、個人は将来の増税(ΔT)を予想するので消費を増やさない」

という中立命題で有名な経済学者です。

恒常所得仮説に従えば、恒常所得(Yp−Tp)に変化がなければ消費は変わらないということです。

最近話題の「物価水準の財政理論(FTPL)」は、政府がこの予算制約に従わない場合(非リカード型政府と言います)にどうなるかという話なのですが、詳細は別の機会に譲りましょう。

さて、この主流派モデルに立脚すれば、財政政策は無効となります。

一時的な減税や財政出動をしても将来を見通せる(完全予見と言います)合理的経済人には通用しません。

それでは、政府支出の恒常水準(Gp)を引き上げた場合はどうでしょう。
継続的な財政出動の場合です。

しかし、それも無駄です。財政均衡に阻まれるからです。

確かに市場均衡式から、Gpの増加分だけYpは増加します。

しかし、政府の予算制約式より「Gpの増加=Tpの増加」とならねばなりません。

すると可処分所得(Yp−Tp)はTpの増加分だけ減少しますから、元の木阿弥になるのです。

主流派学者が財政出動に対して冷淡なのは、ひとえに彼らの理論モデルに基づくものです。

主流派経済学、財政均衡、財政政策の否定は、セットなのです。

しかし、その論理は極めて厳しい仮定に基づくものですから現実に適用することは不適切です。

現実経済が理想状態だとしたら、不平不満を言う人は一人もいないはずです。

不確実性がある以上、個人は将来を見通すことはできません。
それゆえ自分の恒常所得をわかる人は誰もいません。


最後に、この主流派モデルの奇妙な構造を指摘しておきましょう。

それは個人の寿命と政府の存続期間が一致していることです(「個人の寿命」を「一族の寿命」に置き換えただけの世代重複モデルも本質は同じ)。

究極の個人と政府の同一視。

個人の家計と政府の財政を同一視することから、財政問題に関するさまざまな誤解が生じているのですが、その本源は主流派モデルにあるということです。

「現実経済」を「経済学の世界」と混同する経済学者ほど、罪深い存在はありません。
https://38news.jp/economy/10315


元財務官僚警告 財務省とメディアの「危機デマ」に騙されるな
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170322-00010001-moneypost-bus_all
SAPIO2017年3月号

〈国の借金は1000兆円を超え、対GDP比で見ると先進国で最悪、ギリシャより悪い。増税して財政再建しなければ、日本は遠からず破綻してしまう〉

 これが財務省の主張であり、「借金1000兆円」と聞けば国民は“やばいんじゃないか……日本も財政破たんしてしまうのでは……”と思う。多くのマスコミも鵜呑みにして国の経済危機を報じてきた。だが、「それは真っ赤なウソ」と指摘するのは、元財務官僚の高橋洋一・嘉悦大学教授だ。

 * * *
 現在の日本の財政は危機でも何でもない。それどころか財政再建はすでに終わっているとさえ言える。

 拙著『日本は世界1位の政府資産大国』などで詳しく書いているが、国の借金が1000兆円あるといっても、日本政府は巨額の金融資産を保有しており、負債(借金)から資産を引いた純債務は約490兆円。しかも、このうち、国債の400兆円以上は日銀が保有している。

 財政法では、日銀が保有する国債は償還期限が来ても全額借り換えできると定められているから、永久に返済しなくてもいい。政府は一応、日銀に金利を払うが、払った金は日銀の利益として政府に納付される。だから事実上、金利もかからない。

 金利ゼロで返済しなくていい借金は、借金とは言えない。そう考えると、日本の純債務は実質的にゼロに近い。金融緩和で日本の財政再建は終わっているのだ。

 にもかかわらず、こんな重要な事実を新聞・テレビは国民にまったく報じないし、いまなお「日本は借金大国」と危機を煽っている。それは大メディアの記者たちが政治家同様、財務官僚に洗脳されているからだ。

 私が役人時代、財務省の重要な発表があった時、局長が課長クラスを集めて、「新聞各社の社説に、(財務省に対して)好意的な記事を書かせろ」と指示を出したことがある。

 財務官僚にとってメディア工作は重要な“仕事”だ。若手時代から記者クラブの記者にレクチャーしたり、資料を渡したりしてパイプを作っている。課長クラスになればデスクや編集委員、論説委員クラスに親しい記者がいるから、メディア工作を競い合わせたわけだ。各社から社説が出た後、局長は再び課長クラスを集めて新聞を並べ、

「この記事はよかった」

 など評点まで付けた。

 こうした手口は昔から変わっていない。3年前に消費税を8%に引き上げたときは課長ばかりか、次官以下の最高幹部が新聞社のトップに「ご説明」に回っていたほどだ。メディアはメディアで、霞が関の中でも特に情報が集まる財務省から常日頃“ネタ”をもらっているから、彼らの意向に刃向かえない。よって、財務省が宣伝する通りの危機説しか報じられない。

 しかし、もし財務省の言うように、国の表向きの借金を減らすために消費税率20%や25%に向けて増税すれば、それこそ大デフレが起きて日本経済は破綻するだろう。

 メディアも国民も、財務省の“危機デマ”に騙されてはならないのだ。

【PROFILE】たかはし・よういち/1955年、東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、大蔵省(当時)入省。理財局資金企画室長などを歴任。小泉内閣で竹中平蔵・経財相補佐官、安倍内閣で内閣参事官を務める。現在、嘉悦大学教授。『日本はこの先どうなるのか』(幻冬舎)ほか著書多数。


【お金は知っている】財務省の“大嘘”を衝いた新浪氏 「再増税不可欠」の論拠吹き飛ばす
2015.06.12 夕刊フジ


 「大きな嘘でも頻繁に繰り返せば真実になる」(ナチス・ドイツの宣伝相、ゲッベルス)。

日本では、財務省が繰り返す「税収の弾性値1」なるものがそうだ。

経済の名目成長率1に対して税収が何倍増えるかというのが弾性値で、1では、名目成長率と同じ伸び率でしか税収は増えない。

たかが数字というなかれ、実は日本経済という巨船の航路を左右する羅針盤も同然である。


 財務省は弾性値1を、財政再建のためには緊縮財政が欠かせないという論拠とし、歴代の政権にデフレ下の緊縮財政を呑ませた。デフレの進行とともに税収が激減し、財政収支が悪化すると、消費税増税を仕掛け、アベノミクスで好転しかけた景気を再びマイナス成長に陥れた。

 財務省はこの2月に内閣府が発表した「中長期の経済財政に関する試算」でも弾性値1を基準とした。高めの経済成長率を維持しても消費税率を10%超に引き上げない場合、財政収支均衡は困難という結論を導いている。性懲りもない日本自滅のシナリオである。

 弾性値1の根拠は薄弱きわまりない。景気が回復し始めた13年度の弾性値は3・8に達する。岩田一政日本経済研究センター理事長を座長とする内閣府の研究会は11年に01〜09年度の弾性値が平均で4を超えるという分析結果をまとめた。

 ところが、当時の民主党政権は報告書をお蔵入りにして、消費税増税へと突っ走った。財務官僚の「大嘘」に対しては、日経新聞など御用メディアや東大有名教授などが疑いもしない。政治家多数も鵜呑みにする。財務官僚が登場しなくても、仕組まれた嘘の情報が報道などを通じてそのまま国民に対して流されるので、「真実」となる。

 筆者は宍戸駿太郎筑波大学名誉教授などとともに、4、5年前から「狂った羅針盤」だと政府に是正を求めてきたが、メディアは同調せず、多勢に無勢だった。

 ところが、ここへきて初めて正論が安倍晋三首相の膝元で飛び出した。経済財政諮問会議メンバーの新浪剛史サントリーホールディングス社長が、6月1日の同会議で、

「過去の税収弾性値をみても、経済安定成長期は少なくとも1・2から1・3程度を示している。

今までの中長期見通しではこれを1・0と置いていた。

これは保守的過ぎるため、弾性値を1・2から1・3程度にすることが妥当である」
(同会議議事要旨から)と言い放ったのだ。

 上記の岩田氏らの弾性値に比べると、ずいぶん控えめな数値だが、絶対視されてきた財務省の弾性値を吹っ飛ばしたという点で、まずは画期的である。

 「1・3」の威力はかなりある。弾性値1・3を当てはめると、2017年度に予定している消費税率10%に引き上げなくても、23年度には消費税増税したケースよりも一般会計税収が上回る試算結果が出る。

 財務官僚がひた隠しにしてきた経済成長なくして財政健全化なしという、当たり前の真実がようやく明るみに出たのだ。 (産経新聞特別記者・田村秀男)
http://www.asyura2.com/15/hasan97/msg/629.html






経済コラムマガジン 17/4/17(935号)

シムズ理論と「バカの壁」


日本の「バカの壁」

日本でシムズ理論に批判的なのは、主に財政均衡派、つまり財政再建派である。財務省がその中心となっているのか不明であるが、その周辺の経済学者やエコノミストがシムズ理論に猛反発している。いわゆる御用学者が「シムズ理論はいい加減」と決め付けている。

財政再建派はこれまでも日本政府が国債を財源にすることに反対してきた。また彼等は消費増税を推進し、各種の保険料を上げるよう政府に働きかけてきた。とにかく国の借金さえ減れば(無くなれば)日本の将来はバラ色と吹聴している。


彼等は、国債の増発によって大きな問題が生じると人々を脅し続けてきた。その主な問題とは「国債価格が暴落し金利が高騰する」と「ハイパーインフレを引き起す」である。しかし日本の国債発行残高は増えているが、一向に金利は上がらない(それどころかゼロ金利やマイナス金利で這っている)。これに対して彼等は日銀が国債を買い続けているからと苦しい言い訳をする。しかし日銀が異次元の金融緩和を始める前から、日本の金利は世界で一番低い水準で推移していたことに彼等は触れない。また一方で日本の家計の金融資産が1,800兆円にも達することも無視する。

つまり「金利高騰うんぬん」の脅し文句はもう使えないのである。したがって財政再建派に残る武器は「ハイパーインフレへの警戒」となる。ところがここに来てシムズ理論が登場し「インフレが起ってもかまわないじゃないか。むしろ物価上昇によって財政は良くなる」と言い始めた。しかもシムズ教授等は、彼等の信仰対象である200年前のリカードの中立命題を使ってこれを説明した。さらにシムズ理論が政治を動かし、現実の経済政策にも影響を及す可能性が出てきたのである。


17/4/3(第933号)「シムズ理論の裏」
http://www.adpweb.com/eco/eco933.html


で述べたように、財政再建派のシムズ理論への批判は、シムズ理論に沿った政策は「インフレを起こす力が全くない」か、あるいは「ハイパーインフレを招く」かのどちらかと非論理的で支離滅裂である。しかも一旦ハイパーインフレが起ると制御不能と意味不明なことを言う。しかしバブル景気のピーク時の物価上昇率がたった3%だったことを考えると、ハイパーインフレなんて有り得ないことである。また財政・金融政策など物価を制御する方法はいくらでもある。

そもそも筆者は、日本経済がおかしくなった原因は、大平政権辺りから始まった財政再建運動だと昔から指摘してきた。つまりシムズ理論を否定する人々が唱える政策(具体的には国債の新規発行を制限しプライマリーバランス回復を目指す財政運営)が採用されたり影響し、これが常に日本経済の足を引張ってきたと筆者は見ている。


過去40年くらいを振返っても、財政再建派が主導した経済運営はことごとく失敗してきた。大平・鈴木政権から始まった財政均衡路線で日本経済は過度に外需依存となり、最終的にはプラザ合意によって超円高になった。この円高不況の対策として過度の金融緩和が実施されバブルが発生し、その次にはバブルの崩壊である。バブル崩壊の影響が残るのに、橋本政権は財政再建に走り財政支出を絞り消費増税を強行した。これによる経済悪化で金融機関の経営危機が表面化し資産価格の下落が止まらなくなった。

小泉政権では再び緊縮財政に転換したため、日本経済は外需への依存度をさらに高めた。特に財政当局は35兆円もの常軌を逸した為替介入を行いこの動きをサポートした。しかしその後この反動が起り、民主党政権下では為替は1ドル75円程度の超円高がずっと続くことになった。12年暮れに安倍政権が発足し、13年度に積極財政と日銀の異次元の金融緩和が実施され、日本経済は回復を見せた。ところが安倍政権の3年目の14年度には、補正予算の大幅減額と消費増税によってアベノミクスは失速した。


筆者は財政再建派を「バカの壁」と思っている。その典型例を示すのが財政制度等審議会会長に最近就いた榊原経団連会長の「19年10月の消費再増税は絶対に必要だ」発言である。まさに「バカの壁」である。


米国の「バカの壁」

米国にも「バカの壁」がいる。「フリーダム・コーカス」と呼ばれている40名程度の下院共和党内の保守強硬派がその一つである。また彼等は「茶会パーティー」とも呼ばれ狂信的な「小さな政府」の信奉者でもある。トランプ政権はオバマケアの代替案を提示したが、オバマケアの廃止を唱える「フリーダム・コーカス」の賛同が得られず撤回に追込まれた。

トランプ大統領の目玉政策はインフラ投資と大型減税である。「小さな政府」を唱えるフリーダム・コーカスは、減税に賛同するかもしれないが財政出動によるインフラ整備には猛反発するであろう。この調整に手間取り具体的な経済政策の策定は、年後半まで大幅に遅れる模様である。トランプ政策を見越し上がって来た米株価は冷や水を掛けられた。このようにトランプ政権の財政運営の前途は多難である。


「フリーダム・コーカス」とは富豪実業家のコーク兄弟の支援を受けた政治家の集りである。なお兄弟は石油関連事業などを反共主義者の先代から受継いだ。彼等の資産は各々220億ドル(一説では二人で800億ドル)と米国有数の大富豪である。ハイエクに影響を受け、反共思想を持ち経済活動への政治介入を徹底的に嫌うコーク兄弟は、コーク財団を創り活発に政治活動を行っている(以前はリバタリアンという政党を創り自ら政治活動を行っていた)。

財団の政治活動の一つは保守色の強い色々なシンクタンク等への経済的支援である。また直接的な資金援助には法的な限度があるので、同じ思想の富豪達のネットワークを構築し保守強硬派の政治家を経済的にサポートしている。つまり「茶会パーティー」は、一見草の根運動と思われがちであるが実態は正反対である。一般の米国民の中には、彼等は選挙上手なエゴイステックな金持ちの手先と見る向きがある。


トランプ氏は、経済的に余裕があるのでコーク財団に関係なく大統領選を戦った。しかし政治運営を考えると「フリーダム・コーカス」の存在を無視する訳には行かない。どうも

17/2/27(第928号)「トランプ大統領のパリ協定離脱宣言」
http://www.adpweb.com/eco/eco928.html

で取上げた「パイプラインの建設や原油開発などにゴーサイン」もコーク兄弟への懐柔策という見方ができる。

ところがオバマケアの代替案は「フリーダム・コーカス」によって潰されたのである。頭から妥協を拒むこの「フリーダム・コーカス」に対し、トランプ大統領は怒り「次の中間選挙は、民主党だけでなく彼等との戦い」と漏らしているほどである。今後、両者がどれだけ歩み寄れるか注目される。


また小さな政府を指向するフリーダム・コーカスはFRBの金融政策にも反対している。もちろんFRBによる国債などの債券の買入れ政策(QE)はとんでもないと言う。またフリーダム・コーカスとは別に、米議会には教条的な財政均衡主義者や中央銀行(FRB)の金融政策を否定する分権主義者がいる。

したがってシムズ理論を米国で実践しようとしてもこれらの「バカの壁」が立ちはだかる。シムズ理論沿った政策は、せいぜい政府が「将来の増税はない」と宣言するといった意味不明なものになる。おそらくシムズ教授の本心はシニョリッジやヘリコプター・マネーによる財政拡大と筆者は見ている。要するに解る者が解れば良いとシムズ教授は考えているのであろう。また少なくともFRBの協力が難しいとしたなら、米国でのシニョリッジと言った場合は政府紙幣ということになる。

むしろ日銀が政府に協力している日本の方がシムズ理論の実行は容易い。既に日銀が400兆円もの日本国債を買っているのだから、後は財政支出を拡大させれば良い。しかしこの前に立ちはだかっているのも例の「バカの壁」である。
http://www.adpweb.com/eco/


経済コラムマガジン 2017/11/20(963号)
PB黒字化は本当に国際公約か
http://www.adpweb.com/eco/eco963.html

「2020年までのPB黒字化」の撤回

10月15日日経新聞3面にかなり重要な記事が掲載されたが、それに反し取扱いが極めて小さかった。「日本はPB(プライマリーバランス)を2020年までに黒字化するという国際公約を撤回する」というものである。日本はこれをワシントンでのG20財務相・中央銀行総裁会議で表明した。しかし総選挙直前ということもあってか、その後、このニュースはほとんど話題にもならなかった。もっともマスコミの方もあまり取上げたくなかったと見られる。

たしかに「PBを2020年までに黒字化する」という話はよく聞く。しかしこれが国際公約にまでなっているという話は、奇妙と筆者はずっと思っていた。筆者はこれについて調べ

17/10/2(第957号)「総選挙と消費増税」」
http://www.adpweb.com/eco/eco957.html

で「民主党政権時代の11年10月のG20の財務相・中央銀行総裁会議で、当時の安住財務大臣が勝手に宣言したものと筆者は理解している」と述べた。ところがもっと調べてみると、この前年の10年6月のトロントのG20サミットで菅元首相が同様の表明を行っている。


ただし各国から日本の財政赤字が問題にされ、財政健全化を迫られた結果「PBの2020年までの黒字化」を約束させられたわけではない。たしかにリーマンショック後にギリシャの財政問題が表面化し、この10年のサミットで各国は13年までに財政赤字を半減させることで合意した。ところがここが重要なところであるが、この合意で日本だけは例外扱いになった。日本だけは財政赤字を半減させる必要はないという話になったのである(それにもかかわらず菅元首相が勝手に「PBの2020年までの黒字化」を表明した)。これは当たり前の話で、日本のような経常収支の黒字が大きくかつ膨大な外貨準備を持っている国が緊縮財政を実施することは、他の国にとってはむしろ迷惑である。

おそらく各国は、日本政府が累積債務の一方で巨額の金融資産を持ち、また日本の公的年金の積立額が世界一ということも知っていたと思われる。また国債のほとんどが日本国内で消化され、金利は世界一低い水準で推移している。この上さらに緊縮財政を行おうとは「フザケルな」という雰囲気だったはずだ。むしろ日本には積極財政を採ってもらいたいというのが、各国の本音であったと思われる。


ところが日経新聞を始め、当時、マスコミは日本の財政赤字が大き過ぎるのでとても無理と見られ、同情され例外扱いなったと完全に間違った報道と解説を意図的に行っていた。それどころか日本の財政再建派の面々は、菅元首相や安住元財務大臣が国際会議の場で一方的に表明したこの話を「国際公約」と騒いで来たのである。

この菅元首相や安住元財務大臣に加え、野田前首相が、「社会保障と税の一体改革」、つまり消費増税(5%から10%への)を推進した中心的政治家と言える。しかし世間では菅元首相や安住元財務大臣が、日本の経済や財政問題に精通している政治家という認識はなかったはずである。ましてや国政選挙で民主党が消費増税を公約に掲げたことはなかった。つまりこれらの民主党の政治家は財務官僚の振付けで踊っていたと見て良いであろう。


今回の国際公約を撤回するという表明に対して各国の反応は冷ややかである。「金利がマイナスになっているくらいなのに、日本は今頃何を言っているか」という雰囲気であろう。しかし日本のマスコミは「PBを2020年までに黒字化する」ことが不可能になったから撤回したとだけ解説する。

そもそも「2020年までに黒字化する」という話は、「2013年までに黒字化する」という以前の目標を延長したものである。この時も特に議論がなく簡単に延長した。国際公約とか言っているが本当に軽いものである。


どうやら安倍総理は解っている

だいたい「PBを黒字化すること」に意義があるのかという根本の論議が欠けている。ところが財政再建派は、「PB黒字化」は当たり前の原理で、これについては議論をさせないという空気を作ってきた。明らかに日経新聞を始めとする日本のメディアもこれに同調してきた。まるで日本において「PB黒字化」に疑問を持つことは犯罪に近い行為という雰囲気が作られている。

たしかに18世紀、19世紀の経済を前提にした経済理論なら、「PB黒字化」によって金利は低く抑えられ、この金利低下によって投資や消費が増えることにもなろう。ところが「PB黒字化」を目標にした14年の消費増税によって、逆に投資・消費が急減した。これに対しては財政学者などの御用学者や財政再建派政治家は、増税後一時的に需要が落込んでもその後日本経済は「V 字回復する」といい加減なことを言っていた。しかしV字回復なんて有り得ず、今日、補正予算と輸出増で日本経済は辛うじて支えられている。


そもそも日本の金利はずっと世界一低い水準で推移してきたのである。それでも投資・消費の水準はずっと低位のままであった。ましてや13年からの日銀の異次元の金融緩和で、とうとう金利はマイナスになった。つまりこれ以上の金利低下は必要がなく、このことは「PB黒字化」が日本経済に対し何もプラスがないことを意味する。

財政再建派は、本当のところ財政にしか興味がなく、「PB黒字化」がもたらす日本経済への悪影響を軽視してきた。だから消費増税分の8割を財政再建に回すといった本当に「馬鹿げたこと」を平気で決めたのである。この大失態で少なくとも自民党内の財政再建派の勢いは弱まった。だから先週号などで紹介したように、魔の2回生(現在は晴れて魔の3回生)の20名弱が集り「政策目標になっているPB(プライマリーバランス)の放棄」や「積極財政」を訴える勉強会を始めるまでになった。

これまで自民党内の財政再建派の力を感じ、このような動きは躊躇された。議員個人が財政再建路線に疑問を持っても、「PBの放棄」なんてとても口に出せない時代が続いてきた。ましてや積極財政派の議員グループが登場するのは20年振りである。筆者が当コラムを発刊したのも、20年ほど前から橋本政権下で構造改革派が生まれ財政再建派と結託し、積極財政派を追詰め始めたことがきっかけであった。


安倍政権の財政運営は、当初から「新規国債は発行しない」と、この「PBの2020年までの黒字化」といった方針にずっと縛られてきた。このため14年に消費税を3%も上げたのに、安倍政権はたった千億円単位の財政支出でさえ自由にならなかった。例えば保育園の待機児童が問題になった時にも、解決のための予算措置が難しいほどであった。

では安倍総理ご自身が「PB黒字化」についてどう考えているかである。これについて日経新聞10月30日の「経済教室」に岩本康志東京大学教授(専門が公共経済学ということだから財政学者)の興味ある文章が掲載されている。この中で「安倍首相は基礎収支(つまりPB(プライマリーバランス))の黒字化に消極的と思われ、選挙後に『アルゼンチンは基礎的収支黒字化で債務不履行になった』とも発言した」という話を教授が紹介している。

要するに安倍総理は解っているのである。ただ「PB黒字化の放棄」や「新規国債の発行」に簡単に踏み出せるか不明である。おそらく「PB黒字化」については、柔軟な形に変えても延長すると筆者は思っている。党内外の財政再建派の勢いは弱まったと言え、まだ隠然とした力がある。早速、「教育無償化について自民党内で議論を行っていないのに、財界との間で3,000億円の拠出の話が出ている」と噛みつく議員がいる。
http://www.adpweb.com/eco/eco963.html


14/12/1(823号)「今から嘘をつくぞ」の決まり文句
http://www.adpweb.com/eco/eco820.html

•財務省のパシリ(使い走り)

財務省のパシリ(使い走り)となっているエコノミストや財政学者達が「今から嘘をつくぞ」という時の決まり文句がある。「国の債務(借金)は1,000兆円を超えている」である。たしかに日本の総債務残高は、1,000兆円を超えている。しかし

14/11/10(第820号)「日本のぺらぺら族」
http://www.adpweb.com/eco/eco820.html

などで取上げたように日本政府は、一方で諸外国に比べ突出して大きな金融資産を持っている。例えば外貨準備高だけでも147兆円もあり、ほかの先進国よりずっと大きい(中国も大きいが、これは外国から流入した投資(投機)資金が積み上がった部分が大きい・・資金流入に対する為替介入で外貨準備が積み上がった)。

この他にも政府系金融機関への貸付といった莫大な金融資産がある。これについて、昔、パシリ連中の中に「政府系金融機関は莫大な不良債権を抱えていて、政府の貸付金は資産性はない」と言い放つ者がいた。しかしもしこの話が本当なら、全ての政府系金融機関は倒産状態ということになる。もちろんこれは嘘であり、外貨準備と合せ政府の金融資産の額は莫大である。

このように国の持っている金融資産を無視して総債務残高だけで日本の財務状態を語ることは間違いであり、とんだ誤解を招く。そして総債務残高から金融資産額を差引いたものが純債務残高である。日本の場合、金融資産が大きいため純債務残高はかなり小さくなる。


また純債務残高を国際比較する場合、OECDの基準ではさらに公的年金(日本の場合は厚生年金・国民年金(127兆円)、公務員共済等(51兆円))の積立金を差引くことになっている。他の先進国では公的年金の積立がほとんどなく、保険料収入と財政支出で年金支給を賄っている。日本の公的年金の積立額は、先進国の中で突出して大きい。

日本以外で公的年金の積立金が大きい国はスウェーデンぐらいである。ちなみにスウェーデンはこの積立金で公共事業を行っているが、特に国民からの反感はないという。たしかに積立金を積み上げることは今日の需要不足の原因となるため、これを公共事業に使うことは投資・貯蓄の資金循環の観点から利にかなっている。


さらに筆者は、純債務残高の算出にあたって中央銀行(日銀)の保有する日本国債を差引くべきとずっと主張してきた。これは日銀保有の日本国債は実質的に国の借金にならないからである。この数字が昨年度末に200兆円を越えさらに増え続けており、いずれ300兆円程度まで増える見通しである。つまり無視できないくらい膨大になっている。

このように日本の純債務残高を算出し国際比較すれば、「日本の財政は最悪で破綻寸前」というセリフがいかに空々しい嘘であるか解る。ところが消費税増税や新規国債発行の制約によって、今年度の予算は完全な緊縮型(消費税増税に加え補正予算が真水で4.5兆円減額されている)になっている。これも日本の財政がそのうち破綻するというとんでもない前提で予算編成がなされた結果である。デフレ経済下でこのような完全に間違った財政政策を行ってきたのだから、連続2四半期マイナス成長になるのも当たり前である(当初のアベノミクスの狙いはこの今年度の緊縮財政で吹っ飛んだ)。


たしかに純債務残高の算出にあたり、個々の人で考えが異なることは筆者も承知している。筆者のように総債務残高から金融資産だけでなく、公的年金の積立金、さらに日銀保有の国債まで差引くべきと考えるのは今のところ少数派かもしれない(今のペースで日銀の国債購入額が増えれば、7〜10年で日本国は実質的に無借金になると筆者は計算している)。そして日本の財政に関し多少なりとも知識がある人ならば、最低でも国の借金から膨大な政府所有の金融資産を差引くことは分っている。

ところが財務省のパシリと成り果てているエコノミストや財政学者達は、財政に関して一般国民は猿程度の知識しか持っていないと舐めている。またエコノミストや財政学者でなくとも増税派の人々は同じセリフを用いて人々を脅している。例えば

13/9/2(第767号)「消費税増税は雲行きが怪しくなった?」
http://www.adpweb.com/eco/eco767.html

で取上げたように、朝まで生テレビ(テレビ朝日系)で五味廣文元金融庁長官から「日本は1,000兆円の債務を抱え、増税を見送れば財政破綻を招く」とまさに「今から嘘をつくぞ」という時の決まり文句が飛出した。さすがにこの時には、他のパネラーから「日本政府の持っている多額の金融資産を無視しているうんぬん」と一斉攻撃を受けていた。


•「今から嘘をつくぞ」の合図

もちろん「今から嘘をつくぞ」という時の決まり文句は、前段の五味廣文元金融庁長官のケースだけではない。日経新聞を開けば、毎日、同様のセリフが載っている。例えば11月20日の一面で日経の吉田透経済部長は「増税延期で財政再建は遠のいた。国の借金は1,000兆円を超え、GDPの倍以上。財政危機に陥ったギリシャより悪い。」と、まさに「今から嘘をつくぞ」という時の決まり文句のオンパレードである。もうこれだけで読む価値のない文章と判定される。

財務省のパシリとなっている財政再建論者が、読者や視聴者の一般国民を猿扱いし脅す時の常套句や仕掛は他にもある。その一つが「国の借金を一万円札で重ねると富士山の何倍になる」といった視覚に訴える表現である。そして典型的な仕掛が「借金時計」であろう。これらが現れたら「今から嘘をつくぞ」という合図と思えば良い。


また再増税延期決定の前、パシリのエコノミストは「もし増税が延期され日本の財政再建路線が疑われたら、国債が売られ金利は急上昇する」と決め付け、これを盛んに喧伝していた。筆者は、増税延期の観測が出た頃から長期金利の動向をずっと注視してきた。再増税延期の話が出る前の最低金利は0.45%であった。

たしかに増税延期の話が出始めた頃からゆっくりと上がり始めた。しばらくして節目となる0.5%を少し超えてきた時、筆者も一瞬「おやっ」と思った(おそらくバカなディーラが国債を少し売ったのであろう)。しかしそれ以降は下がる一方で、これまでの最低金利であった0.45%をも下回った。直近11月28日の長期金利は0.42%である。

たしかに日銀の国債買入れがあると言え、増税延期決定後、逆に金利は低下しているのである。パシリエコノミストは、金利が思うように上がらないのでこの話を避けている。また彼等の中には「金利上昇は、短期ではなく中長期的に起る」と卑怯な言い訳をする者までいる。仮に日銀の国債買入れが有効なら、「金利が止めどもなく上昇する」といったパシリエコノミストの得意な常套句は一体何であったのか。


まもなく衆議院選の公示がされ選挙戦が始まる。当然、消費税の扱いや日本の財政、そしてアベノミクスも話題になるであろう。筆者は、今回の選挙戦で本当の「日本の財政」の姿がどれだけ明らかにされるかを注目している。もし日本の財政の真の姿が有権者にも理解されたのなら、これからの経済政策はガラッと変ると期待できる。

しかし日経新聞を始め各メディアは、これまで散々大嘘(日本の財政は最悪といった)をついて消費税増税を推進してきた。今さら本当の事(日本の財政には問題はなく財政再建なんて全く不要・・金利を見れば明らか)は言えないのである。ただ朝日新聞だけでなく、一般国民の大手メデイアに対する不信感は高まっている。


久しぶりに11月29日の朝まで生テレビ(テレビ朝日系)を観た。選挙戦を控え各党の論客と言われるメンバーが集っていた(政治家以外のパネラーは直前にキャンセルされたという話がある)。しかし事の本質(例えば日本の財政が本当に悪いのかと言った)に迫る議論は全く出ない。各党が主張する建前論を延々と披露するだけである。さすがに筆者も退屈と思って観ていたが、眠さを堪えることができないほどお粗末な内容であった。これでは日本の政治家が官僚に舐められるのも当然である。

選挙戦が始まり、筆者は安倍総理の解散の決断に関する真相や日本の財政の本当の姿などもっと深いところに、どれだけ日本のメディアが迫れるか注目している。しかし筆者のこれまでの経験から、残念ながらこのような話が少しでも出るとしたなら東京や関東では放送されないテレビ番組や週刊誌などに限られると思っている。大手新聞や在京のキー局は本当にダメである。せめて「選挙で700億円も掛かる」といった下らない話だけは止めてくれ。
http://www.adpweb.com/eco/eco823.html


17/11/27(964号)続・「今から嘘をつくぞ」の決まり文句
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実質的な借金(純債務残高)はゼロに

財政再建派(財政規律派)の政治家、財政学者、エコノミストは「日本の財政は最悪」という大嘘をずっと付いている。ところで彼等がこの嘘を付き始める時の「決まり文句」というものがある。これに関しては14/12/1(第823号)「「今から嘘をつくぞ」の決まり文句」などで取上げてきた。

先週号で取上げた「2020年までのPB黒字化は国際公約」もその一つと言えるであろう。この他の代表例は「国の債務(借金)は1,000兆円を超えている」「日本の消費税率は欧州に比べ極めて低い」「国の借金は孫子(まごこ)に引継がれる」などである。このような決まり文句に出会せば、まさに「今から嘘をつくぞ」の合図と思えば良い。


ただ彼等がつく嘘の前触れとなる「決まり文句」に関し、ややこしいのは全てが間違っている訳ではないことである。例えば「PB黒字化は国際公約」は菅元首相や安住元財務大臣が、実際に国際会議の場で表明している。また日本国の総債務残高は1,000兆円を超えている。さらに日本の消費税率の8%は、欧州各国の付加価値税率に比べたしかに低い。

そしてメディアを通してこれらのセリフを受取る側の読者や視聴者のほとんどは、これらの決まり文句に簡単に騙される。また発言する者は、人々をこれで騙せることを知っているからこそ、いまだにこれらの「決まり文句」を使っている。普通の人々より多少は見識が高く、より多くの情報を得られると思われる政治家でさえ、これらの決まり文句に易々と騙されている。そこで今週号では、これらの「決まり文句」が嘘の始まりであることを説明する。


14/12/1(第823号)「「今から嘘をつくぞ」の決まり文句」他で述べたように、たしかに国の総債務は1,000兆円を超えている。しかし一方で国は膨大な金融資産を持っている。具体的には巨額の政府系金融機関への貸付金や外貨準備などである。したがって総債務残高からこの金融資産額を差引いた日本の純債務残高はぐっと小さくなり、そのGDP比率は欧州各国と遜色がなくなる。ところが財政再建派の人々は、まず国が保有するこの巨額の金融資産のことに触れることはない。

また財政の健全性を見る基準として、総債務残高から公的年金の積立金を差引くという考えがある(OECD基準)。特に日本の場合、公的年金の積立金額(公務員共済を含めると180兆円程度)が欧州各国に比べかなり大きい(例外はスウェーデンくらい)。これに対し欧州各国の公的年金の積立金額は小さく(支給額の数カ月分)、年金支給は自転車操業状態である。もし公的年金の積立金も総債務残高から差引いて純債務残高を計算し直し、GDP比率を算出すればむしろ欧州各国より良い数値が出るものと筆者は見ている。


さらに日銀が既に400兆円もの日本国債を購入している。これについて色々な見方があるが、実質的にこの部分は国の借金にならないという考えが成立つ。実際、国はこの400兆円の国債に対して日銀に利息を払うが、最終的に日銀はこの利息を国庫納付金として国に納付する(国の雑収入)。たしかに日銀は一部を準備金として差引いて納付するが、この準備金も国の資産である。このように日銀が購入した日本国債は、実質的に国の借金とはならなくなる。筆者は、今のペースで日銀が国債を買い続ければ、国の実質的な借金(純債務残高)は数年のうちにゼロになると見ている。

財政再建派にとって、この日銀が国債を買うことの本当の意味が一般の人々に知れ渡ることは是非とも避けたいところである。だから彼等は「日銀は異次元の金融緩和の出口戦略を急げ」と盛んに騒いでいるのである。筆者は、むしろ発行する国債を全て永久債(コンソル債)に換え、これを日銀が買えば分りやすくなると考える。特に民進党の新代表になった大塚耕平参議院議員は、永久債発行論者であり、この辺りの仕組についてよくご存じと思われる。永久債発行について与野党で議論すれば良いと筆者は思っている。


次の世代は債権・債務を同時に引継ぐ

日本の消費税率が欧州各国と比べ低いという話も真っ赤な嘘である。これについては

16/4/25(第889号)「日本は消費税の重税国家」
http://www.adpweb.com/eco/eco889.html

で述べたように、欧州各国は軽減税率を採用しているので実質的な付加価値税の負担は見掛けよりかなり軽くなっている。英国などは食料品等の生活必需品の税率がゼロである。英国に長く住んだことがある人なら、むしろ日本の8%の消費税率は重いと感じるはずである。

しかし卑怯な財政再建派は標準税率での比較しか持出さない。それどころか「税率が低い日本の国民は甘やかされている」ととんでもない発言を行う者まで現れている。もし予定通り19年10月に消費税が10%に増税されると、日本は消費税(付加価値税)でトップクラスの重税国家になる。日本より付加価値税が重いのはわずかにフランスだけになる。このような消費税の実体は、何故かマスコミが取上げないので日本の一般国民はほとんど知らない。


「国の借金は孫子に引継がれる」も奇妙な表現であるが、よく出会すセリフである。今日、国債を発行すれば、これを償還しなければならない次の世代の負担がさらに重くなるという理屈である。いわゆる借金の先送りという話になる。一見、これは良識のある者のセリフと捉えられる可能性が高い。

しかし孫子、あるいは次の世代は国の債務をたしかに引継ぐ(相続する)が、彼等は国に対する債権(国債など)も引継ぐ(相続する)のである。つまり次の世代は、国の債務だけでなく国の債権も同時に引継ぐ。しかもほとんどの国債が国内で消化されているので、引継ぐ債務と債権はほぼ同額と見て良い。したがって今日の世代と次の世代の間の問題というより、これは同じ次の世代の間の分配の問題になるのである。

この解決には、たしかに金融資産の相続税を重くするということが考えられる(他には資産課税を重くするという方法がある)。しかし前段で述べたように、既に今日の日本の実質的な純債務残高はほぼゼロになっている。したがって次の世代の分配問題を解決するための相続税の増税なども必要はない。


ここまで国の資産と言ってきたものは、説明を簡単にするため金融資産に限定してきた。しかし国は金融資産以外に様々な膨大な資産を保有している。主に土地や建物、また道路などのインフラなどである。次の世代は、何もせずに生まれながらこれらの資産を当然のこととして引継ぐことになる。ところが財政再建派は、このような点に話が及ぶことを避けたがる。

また次の世代が同じように引継ぐにしても、治安が良く安全で快適な国の方が理想的である。それを実現するための経費を今日新規国債の発行で賄うことは決して悪いことではない。ところが財政再建派は、とにかく新規国債に大反対である。安倍一強と言われながら、安倍政権はわずか2兆円の教育無償化予算にさえ苦労しているのである。

「国の借金は孫子に引継がれる」と言われているが、これから就職しようという次の世代にとってもっと切実な問題は今日の日本の経済状態であろう。日本経済はデフレから脱却したとはとても言えないが、安倍政権は消費税再増税を延期するなどして低いながらもなんとか経済成長を続けている。このような経済政策を評価して、先の総選挙では若い世代ほど自民党への投票が多かった。次の世代である若者達も本当のことを薄々分り始めたのであろう。
http://www.adpweb.com/eco/


2017年5月15日【三橋貴明】デフレとの戦い

国民を貧困化から救うためには・・・
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12273607238.html

財政破綻プロパガンダが日本国を殺す
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12274209607.html


三橋は、小学館から刊行予定の「財務省亡国論(仮)」の執筆にとりかかったわけですが、財務省発の「財政破綻プロパガンダ」は、冗談でも何でもなく日本国を国として殺そうとしています。

財政破綻プロパガンダ、さらにはプライマリーバランス目標という一連の緊縮財政が、日本経済がデフレから脱却することを妨げています。

デフレにより、日本の名目GDPが伸びず、国民の貧困化(実質賃金の低下)に加え、

●財政の悪化(税収が伸び悩むため)
●防衛の弱体化(防衛予算を積み増しできないため)
●防災の脆弱化(公共投資削減及び土木・建設サービスの縮小により)
●生産性の低下(インフラ整備ができないため)
●供給能力の喪失(=発展途上国化)
●科学技術の衰退(=発展途上国化)
●社会保障の弱体化(=セーフティネットの喪失)
●人口の減少(実質賃金が下がり、婚姻率が低下し、少子化が進行するため)

と、ひたすら日本国の弱国化が進んでいっているのです。加えて、小浜先生が「新」経世済民新聞に書いて下さったとおり、


【小浜逸郎】「教育、教育」と騒ぐなら金を使え
https://38news.jp/politics/10433


教育現場までもが、荒廃していっています。

現在の教育は、将来のための「投資」です。現在の教育の荒廃は、将来の「亡国」そのものなのですが、予算削減が続く以上、現場としてはいかんともしようがありません。

さらに、デフレによるルサンチマンの蔓延は、政治の世界でルサンチマン・プロパガンダを流行させ(しています)、国民統合を破壊していきます。政治家が「同じ国民」を攻撃することで、それ以外の国民の拍手喝采を浴びるような国が、存続できるとは思いません。

改めて書いてみると、デフレの影響の凄まじさに、改めて愕然としてしまいます。

現在の日本における「デフレとの戦い」は、大げさでも何でもなく「日本国の運命を決める戦い」であることを知って欲しいのです。
https://38news.jp/economy/10457


財務省の嘘を暴く

日本の未来を考える勉強会 youtube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A

財政再建と成長の二兎を得るためのアベノミクス戦略
平成29年4月12日 講師:内閣官房参与・京都大学大学院教授 藤井聡
https://www.youtube.com/watch?v=BBLFipGeinA

ー貨幣と租税ー 
平成29年4月27日 講師:中野剛志
https://www.youtube.com/watch?v=Zc9-Y5jiIO4

ー財政出動を阻む経済通念についてー 
平成29年5月9日 講師:京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授 青木泰樹
https://www.youtube.com/watch?v=DIQZFKOumDo

ー積極財政で復活する日本経済ー 
平成29年5月16日 講師:株式会社クレディセゾン主任研究員 島倉 原
https://www.youtube.com/watch?v=1hj3c9Fa7mk

ー新しい日本経済の見方〜デフレ完全脱却へやさしい財政政策が必要〜
平成29年6月6日 講師:ソシエテ・ジェネラル証券株式会社 チーフエコノミスト 会田 卓司
https://www.youtube.com/watch?v=e0PVWn9Y1uI

ーデフレーションが国民経済を破壊するー 
平成29年6月15日 講師:株式会社経世論研究所代表取締役社長 三橋 貴明
https://www.youtube.com/watch?v=hkEaFevXWUc





2017年7月3日【三橋貴明】国家存亡の危機


現在、財務省の緊縮財政の影響で、どれほど我が国が小国化したのか(過去形)について書いているわけですが(仮タイトルは「財務省亡国論」)、

財政均衡主義者たちの「妄念」には、本当に恐るべきものがあります。

PB黒字化目標という「狂気」に固執し、
挙句の果てに財務省や緊縮財政派の一部は、財政均衡を「憲法」に書き込もうと図っています。

実際、自民党が作成した「自民党憲法草案」には、

「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない」

という、嫌な予感しかしない文章が盛り込まれています。

「財政の健全」が何を意味するのかは不明ですが、
例えば「PB黒字化」と法律で定義されてしまうと、
事実上「憲法で財政均衡を定める」という話になってしまうわけです。

安倍政権が閣議決定した骨太の方針2017には、
日本経済の喉元に刺さった毒矢とでもいうべき「プライマリーバランス黒字化目標」が残っています。

もっとも、日本のPB黒字化目標は、内閣が判断すれば、抜き取ることができます。
閣議決定は、確かに重いですが、「閣議」決定であるため、内閣が変更することは可能です。

例えば、PB黒字化が「憲法」で定められたら、
あるいは「国際協定」で決まっていたら、どうなるでしょうか。
毒矢を抜き取ることは、限りなく不可能に近くなります。喉に毒矢を突き刺し、
ガムテープで抜けないように固定するようなものですね。

実際、ドイツは財政均衡主義を「憲法」で定めています。ドイツ基本法(憲法)には、
「連邦および州の財政は、原則として、借入による収入なしに、これを均衡させなければならない」
と、書かれているのです。

ドイツはリーマンショック後の2009年、
基本法に「債務ブレーキ条項」を盛り込みました。
結果、ドイツは赤字国債を発行することは(原則)禁止となっています。

また、EU(欧州連合)のマーストリヒト条約では、
単年度の財政赤字を対GDP比で3%以内に収めなければならない「ルール」になっています。
国際法は国内法の上に立つわけです。

マーストリヒト条約を批准したEU加盟国は、国内状況がどうであれ、
財政赤字を対GDP比3%以内とすることを「要請」されてしまいます。

憲法にせよ、国際協定にせよ、
財政均衡主義が固定化されてしまった場合、
日本のデフレ超長期化と「小国化」「後進国化」は決定的になります。

何といいますか、財務省の緊縮財政至上主義により、
既に現在の日本国は「国家存亡の危機」に瀕しているというのが、
「財務省亡国論」を書いている三橋の印象です。
https://38news.jp/economy/10708



三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」
財務省が日本を滅ぼす(前編) 2017-10-30
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

 いよいよ明日、小学館から「財務省が日本を滅ぼす 」が刊行になります。

 昨日、日本の繁栄を妨げる「二つの壁」について書きましたが、その一つが「PB黒字化目標」になります。


 とにかく、PB黒字化目標が「骨太の方針」にて閣議決定されている以上、全ての政策がPB黒字化前提になってしまいます。すなわち、
「支出は前年比で削減する。増える場合は、他の支出を削るか、もしくは増税する」
 という前提で予算が組まれざるを得ないのです。


 このPB目標に異様なまでに固執し、日本を亡ぼそうとしているのが、財務省です。


 日本が亡びる云々は、決して大げさな話ではありません。と言いますか、要するにこれの問題です。

 ※IMFの最新データ(World Economic Outlook Oct 2017)から作りました。


【日中両国のGDPが世界のGDPに占めるシェア】

http://mtdata.jp/data_57.html#IMFOct17


 日本のGDPが世界に占めるシェアは、橋本緊縮財政でデフレに突っ込む以前は、17%を超えていました。日本一か国で、世界の17%以上を生産していたのです。


 その後、デフレでGDPが成長しなくなったのですが、世界経済は順調に拡大したため、日本のシェアがひたすら落ちていき、2016年は6.5%。


 反対側で、中国のGDPは世界の2%程度だったのが、世界経済を上回るペースで成長し、今は15%。


 ちなみに、2016年に日本のシェアが少し高まり、中国が落ちていますが、これは「円高人民元安」の影響です。もちろん、2016年にしても、中国の成長率は日本を圧倒していました。


 このままのペースで日本の停滞と中国の成長が続くと、2040年頃に経済規模の差は10倍に開いているでしょう(すでに2.3倍)。中国は経済成長率以上に軍事費を拡大するため、軍事予算の規模は20倍の差がついていると思われます。


 さて、日本の20倍の軍事予算を使う共産党独裁国家に、我が国はいかにして立ち向かえばよろしいのでしょうか。

 立ち向かえない、というのが残酷な答えです。


 デフレから脱却し、経済成長を取り戻さない限り、我が国に待ち構えている未来は良くて発展途上国、最悪、中国の属国化以外にはありません。


 そして、デフレ脱却を妨げてる最悪の「壁」こそが、PB黒字化目標なのです。


 あるいは、実質賃金の低迷(国民の貧困化)、インフラの老朽化、自然災害に対する脆弱化、防衛力の相対的低下、科学技術力の凋落、教育レベルの低下、地方経済の衰退、医療・介護サービスの供給能力低下、そして少子化という日本を悩ませている諸問題は、「政府が予算を使う」ことで解決します。と言いますか、政府が予算を使わなければ解決しません。


 そして、上記の諸問題解決に政府がおカネを使えば、それは「需要」になるため、デフレからの脱却も果たせます。デフレから脱却すれば、経済成長率が上昇し、「中国の属国」という悪夢を回避できるかもしれません。


 日本は、
「政府が国内の諸問題解決に予算を使うと、問題解決と同時にデフレ脱却、経済成長が果たせる」
 という、ある意味で美味しい環境に置かれているのです。


 ところが、政府が予算を増やそうとすると、途端に「PB黒字化目標」が壁となり立ち塞がり、現実には「何もできない」のです。


 何もできないどころか、財務省はPB黒字化を旗印に、ゾッとするほどの勢いで緊縮財政を強行してきます。消費税増税、診療報酬と介護報酬のダブル削減、教育無償化のコストを企業の社会保障費増で賄う、会社員の給与所得控除廃止、たばこ税値上げ、出国税導入などなど、最近、提示された緊縮財政のメニューだけで、こんなにあるのです。


 財政拡大(減税含む)の方向に舵を切り、上記諸問題の解決に政府予算を使えば、我が国は途端に繁栄の道を歩めます(もう一つ、憲法九条第二項という壁は残るものの)。


 それにも関わらず、現実は逆方向に驀進している。


 「財務省が日本を滅ぼす 」以外に、いかに表現しろというのでしょうか。





2017年11月13日【三橋貴明】共犯者育成プロパガンダ
https://38news.jp/economy/11287

財務省の大攻勢
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12326561177.html

犯罪的な現実について
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12326847154.html

小学館「財務省が日本を滅ぼす」では、
財務省が緊縮財政路線を推進する際に
用いている各種プロパガンダについても解説しました。

http://amzn.to/2zt9lub

具体的には、以下になります。

●ルサンチマン・プロパガンダ:
人々のルサンチマンに訴えかけ、
「敵」を攻撃することで国民の留飲を下げ、支持を得る

●恐怖プロパガンダ:
人々の恐怖を煽り、思考停止に追い込む

●「木を見せ、森を見せない」:
いわゆる針小棒大。一部の悪しき事例のみを
クローズアップし、それを理由に全体を否定する

●用語の変更:
文字通り、言葉を言い換えることで、
人々に本質を理解させないようにする

●抽象表現の多用:
抽象的な表現を使うことで、人々に
「何となく」納得感を与え、事実を隠蔽する

●既成事実化:
虚偽情報を繰り返し報じることで、人々に事実として認識させる。
ナチスの宣伝担当相だったヨーゼフ・ゲッペルスの
「嘘も百回言えば真実になる」という言葉は有名

●レッテル貼り:
攻撃対象を悪しき印象を与える呼称で呼び、
発言や人格の信用を失墜させる

●権威の利用:
人々の信用が高い組織、あるいは人物に
語らせることで、嘘に信憑性を持たせる

●藁人形(ストローマン)戦法:
攻撃対象の発言を曲解もしくは捏造し、
「あの人はこんな人だ!」といった
印象操作により、信用を喪失させる

実は、上記以外にも一つ、財務省が
多用するプロパガンダ手法があるのです。

すなわち「共犯者育成プロパガンダ」になります。

原泰久の「キングダム」の第415話「反乱兵の作り方」では、
別に秦王に歯向かう気などなかった
秦軍の兵士たちが、樊於期により
「反乱兵」に仕立て上げられます。

具体的には、投降兵を殺させ
(殺さない場合、自分が死ぬ)、
後に引けない立場へと秦兵を
追い込んでいくのです。

財務省は、政治家や学者、経済人、ジャーナリスト、
評論家に「ご説明」し、マスコミに対しては
記者クラブ財政研究会を利用し、

「日本は国の借金で財政破綻する」
「日本はプライマリーバランス黒字化しなければならない」

などとメディアで発言させます。

一度でも、財政破綻論に与してしまうと、
もはや「共犯者」というわけで、言論人もメディアも、
日本の財政破綻など「あり得ない」という
正しい情報を二度と発信できなくなります。

それどころか、「自分の発言は間違っていなかった」と
思い込む認知的不協和に陥り、
正しい情報を発信する勢力(つまりは我々)を
「攻撃する」という行動にでるケースすらあります。

結果的に、財務省は何もしなくても
反・緊縮路線が潰され、緊縮路線が
「当然の話」として国民の間で共有されていく。

人間は、なかなか「自分が間違っていた」
ということを認められません。

財政破綻論者が反・緊縮路線に転じ、
正しい情報の発信を始めた例は、
本当に極わずかです。

財務省の官僚たちは、経済については
全く知識がない割に、プロパガンダ手法
については熟知しているようです。

プロパガンダとは、特定の政治的意図に基づき、
情報を歪める、あるいは発信することです。

日本を亡ぼそうとしているのは、
単なる情報であることが、改めて理解できます。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c5

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
6. 中川隆[-5705] koaQ7Jey 2017年12月25日 14:21:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
御用学者たちの真実 2016/10/24

財務省は、財政制度について議論する「財政制度等審議会」や、 国債管理政策について「有識者」から意見を聞く「国の債務管理の在り方に関する懇談会」といった会議を開き、 緊縮財政を推進しようとします。

各会議のメンバーは、基本的には財務省の官僚が選定します。

この種の会議の名簿に「委員」として掲載されることは、 特に「学者」にとってはステータスになります。

当然ながら、緊縮財政を推進する学者以外が財務省に選ばれることはありません。

いわゆる「御用学者」たちですが、 審議会や懇談会の委員に選出されれば、日経新聞などの「御用新聞」に寄稿する機会なども増えます。

御用学者たちが、財務省の飼い犬として御用新聞に緊縮財政推進論を掲載し、世論を動かそうとするわけです。

財務省は、審議会などのメンバー以外にも、「資料提供」「情報提供」など、 様々な手段で学者たちを手中に収め、 御用学者として成長させようとします。

財務省肝いりの御用学者たちは大学の中で教授としてのパワーを高め、その下に就いた准教授、講師、学生たちも、トップ(教授)と同じ路線を進みます。

何しろ、御用学者の下で、反緊縮財政論の論文を書いたとしても、採用されません。

というわけで、御用学者の弟子たちも、緊縮財政派として長じ、財務省に飼い犬として認められ、審議会や懇談会のメンバーになる。

彼らの弟子たちもまた、緊縮財派として教授への階段を上る。

と、御用学者再生産の構造がガッチリと組み上げられてしまっているのが、我が国なのでございます。

かつて、社会保障削減や緊縮財政を「正しい論旨」に基づき批判していた吉川洋氏も、今は立派な御用学者として「財政制度等審議会 財政制度分科会」の会長としてご活躍されています。

以前は、この手の「事実」が一般の国民に知られることはありませんでした。

とはいえ、最近はインターネット等、 新たな情報メディアの出現により、 御用学者たちの真実が世間に広まりつつあります。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/10/24/mitsuhashi-484/

経済学というイデオロギー 2017-12-24
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12338740907.html


 さて、毎度おなじみの国の借金でございます。


『国・地方の借金1108兆円に…なお先進国最悪
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20171222-OYT1T50044.html

 財務省は22日、2018年度末の国と地方を合わせた長期債務(借金)の残高が、17年度末の見込み(1087兆円)より約21兆円増え、1108兆円になるとの見通しを発表した。

 09年度から約288兆円増え、過去最大を更新する。
 内訳は国が約915兆円、地方が約192兆円となる。国民1人当たりの金額に換算すると、17年度より18万円多い、約874万円の借金を抱える計算だ。(後略)』

 さて、国の借金(正しくは「政府の負債」)云々の説明はとりあえず置いておいて、本日は「国の借金プロパガンダ」の根本について書いてみたいと思います。


 昨日のシンポジウムで、中野剛志先生や藤聡先生が強調していらっしゃいましたが、事の本質は、
「正しいか、間違っているか?」
 ではないのです。


 経済学という、現実を無視した特定の「イデオロギー」に日本の政界、官界、学会、財界、そしてマスコミが染まってしまっており、「現実にどう対処するか?」という普通の道を選べなくなっているのが、現実の日本です。


 人類の歴史において、イデオロギー先行で政治が行われたとき、大抵、国民は酷い目にあいます。


 現在の日本国民は、「経済学というイデオロギー」先行で政治が行われている結果、ひたすら貧困化しているという「根本」を理解して欲しいのです。


「自由貿易はとにかく正しい。反対する奴は、頭がおかしい」

「グローバリズムは歴史の必然だ」

「民間活力の導入(民営化)は、とにかくいいことだ」

「既得権益をぶち壊す規制緩和は、経済成長に貢献する」

「プライマリーバランス黒字化を達成しなければ、国の借金で破綻する!」


 上記は、全て経済学(厳密には新古典派経済学)に基づくイデオロギーです。
つまりは、コミュニズムやファシズムと同じであると理解しなければなりません。


 無論、自由貿易やグローバリズム、民営化、規制緩和、PB黒字化が「正しい環境」というのもあるのでしょう。とはいえ、それを言ったら「コミュニズム」や「ファシズム」であったとしても、有効な時期があるかも知れません。


 自由貿易、グローバリズム、民営化、規制緩和、PB黒字化、コミュニズム、ファシズムなどなど、これらは全て「道具」であって、目的ではないのです。


 目的はあくまで経世済民。国民を豊かに安全に暮らせるようにすること。これ以外に、政府の存在目的はありません。


 経世済民を達成するために、現実を踏まえて、いかなる政策を講じるか。これが、本来の政治の仕事なのです。


 ところが、現在の日本はイデオロギー先行になってしまっています。しかも、「経済学」という、過去400年近く、人類を苦しめたイデオロギーに染まってしまい、政策が立案されています。
 結果、例により国民が不幸になっている。


 イデオロギーではなく、現実を踏まえた政策を。この方向転換だけkで、日本国民は「豊かで安全な国家」を手に入れることができるのですが、現実はままなりません。


 もっとも、昨日のシンポジウム懇親会のラストでも話しましたが、我々日本国民がグローバリズムあるいは経済学というイデオロギーに苦しめられるのは、今に始まった話ではありません。始まりは、恐らく1543年にポルトガル人が種子島に漂着した時点なのです。


 過去、500年近く、我々の先人たち(日本人)はグローバリズムに苦しめられ、足掻き、何とか生き延び、妥協し、繁栄の道を探ることを続けてきたのです。


 今の我々も、過去の日本人たちと同じなのです。


 我々の足掻きは、1587年に豊臣秀吉がイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を送り、「奴隷交易(まさに「ヒトの移動」の自由!)」を禁止した、その延長線上にあるという話です。


 日本国が繁栄するためには、経済学あるいはグローバリズムというイデオロギーを、打破しなければなりません。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c6

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
7. 中川隆[-5704] koaQ7Jey 2017年12月25日 14:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 16/10/24(913号)


落日の構造改革派


•スッポリ抜けているもの

日本経済は低成長が続いている。筆者達はこの原因を需要不足と分析している。この主な要因は、日本で30才台、40才台の「消費年齢世代」の人口が減少していることである(需要不足なのだから「生産年齢世代」の人口の減少は主な問題ではない)。また所得(可処分所得)が伸びないこともこの一つの要因になっている。さらに他にも需要不足の要因は色々と考えられるが、ここではこれ以上の言及は省略する。

これに対して、低成長の原因は需要サイドではなく、日本の供給サイドに問題があるからと主張する者が実に多い。この考えから導き出される対策は日本の構造改革ということになる。先週号で述べたように、この構造改革派によとって、筆者達が主張する財政支出による需要創出政策は、むしろ日本の構造改革にとって邪魔であり障害になるらしい。


構造改革派の発想は古典派経済学理論(新古典派経済学を含む)に根ざしている。いわゆる「セイの法則」、つまり作ったものは全て売れるという法則が成立つ世界である。したがってもし売れ残りや失業が生じるなら供給サイドに問題があるということになる。具体的には生産設備が陳腐化していて製品が時代に合わないとか、労働者の質に問題があるということになる。

構造改革派の対策は、まず規制緩和などによる競争政策の強化ということになる。これによって劣化した生産設備やゾンビ企業の退出を促すことになる。また技術的に劣る労働者には教育・訓練を施すということになる。これらの話は、構造改革派に染まっている日経新聞などのメディアでもよく見かける。


構造改革派の経済成長理論の支柱となっている定式がある。それについて

08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html

14/7/7(第804号)「経済成長の三つのパターン」
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html


などで説明した。

これは経済学の教科書に載っている

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+ n(労働人口増加率)

である

(これに技術進歩を加味すると

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

になる)。

したがってs(貯蓄率)が一定なら、経済成長率を大きくするには合理化などによって資本係数を小さくし、労働者に教育・訓練を施し労働投入量を増やせば経済は成長することになる。

上記の経済成長理論の定式は、一見正しく当たり前のように感じる。ところがこれには「スッポリ抜けているもの」がある。それは「需要」である。もし需要不足が常態化しているなら、上記の定式は何の意味もない。つまり構造改革派は、需要サイドを全く見ていないのである。まさに「作ったものは全て売れる」という「セイの法則」の世界にいる。このように構造改革派の経済理論は著しく現実離れしている。


ところが安倍政権の登場で状況は一変した。安倍政権は第一の政策をデフレ経済からの脱却とした。つまりデフレギャップの存在を公式に認め、この解消を第一の政策目標に置いたのである。政府機関も渋々とデフレギャップの存在を認めるようになった。

ところが政府機関の公表するデフレギャップはいつも1〜2%と異常に小さい。これは

16/8/1(第902号)「大きな車はゆっくり回る」
http://www.adpweb.com/eco/eco902.html


で述べたように、デフレギャップの算出に「可変NAIRUアプローチ」という浮き世離れした手法を採っているからである。またデフレギャップ異常が小さいため、潜在成長率も異常に小さく算出されている。

筆者達は、ヘリコプター・マネーによる需要創出政策を唱えている。しかし構造改革派に染まった日本の経済の論客は、デフレギャップが小さいのだからたちまち日本経済にインフレが起り物価が高騰すると脅かすのである。これもヘリコプター・マネー政策への一つの雑音である。


•有り得ないデフレギャップの1〜2%

日本経済の成長率を高めるには、生産性の向上しかないという話をよく聞く。この根拠は潜在成長率がこれだけ小さくなっているのだから、生産性を上げる他はないというのである。具体的には規制緩和によって競争を活発にすることや生産工程への新機軸の導入、そして労働者の教育・訓練などである。ちなみに本誌では過去

01/9/10(第221号)「「生産性」と「セイサンセイ」の話」
http://www.adpweb.com/eco/eco221.html


で、この話を取上げたことがある。

しかしこれらの全てが前段で紹介した構造改革派のセリフと一致する。つまり生産性を上げるということは構造改革を実施することと同じ意味である。言い方を変えると構造改革を行うことによって生産性が上がるという話である。

たしかに国全体ではなく一つの企業で考えると、注文が殺到し生産が間に合わない場合は生産工程の改善(新機軸の導入などを含め)や従業員の教育・訓練が必要になってくる。つまりこの生産性の向上によって注文増に対応するということは有りうる。しかし反対に注文が少なくなるケースが有りうる。この時にはリストラによる生産性の向上という方法が考えられる。また場合によっては不採算部門の整理といういうことが必要になる。


しかし一国の経済を考える場合と一企業を対象にする場合では事情が異なることがある。たしかに国全体の需要が伸びている時代なら、国も企業もやるべきことは似ている。言っているように生産性の向上ということになる。企業はこれによって限られた生産資源(生産設備と労働者)をより効率的に使って最大限の生産を行うのである。国はこの動きを税制などで支援することになる。

ところが今日のようなデフレ経済で需要不足が常態化している現状では、国と企業では利害が異なるといった事態が起る。例えば企業は売上が落ちれば、当然、前述のような生産性の向上のためリストラを考える。しかし国にとって企業のリストラによる失業者の増加は由々しき問題となる。


このように構造改革派の論客は、経済の高度成長期のように需要がどんどん増える時に適合したかもしれない稚拙な経済理論(供給サイドの重視)を、慢性的な需要不足が続く今日の日本にも適用しようとしているのである。筆者はこのことを間違っているとずっと言って来た。

精一杯優しく言えば、構造改革派の面々は現実の経済に疎い「おバカ」の集りということになる。少しでも現実の経済を知っているなら、1〜2%のデフレギャップとかほとんどゼロの潜在成長率といった現実離れしたことは決して言わない。本当にデフレギャップが1〜2%なら、景気は超過熱状態であることを意味する。そのような状況ならほとんどの生産設備の稼働率は100%であり、商店やデパートの店先には買い物客が殺到し長い行列を作っているはずである(終戦直後の日本や旧ソ連時代の店頭と同じように)。

また本当にデフレギャップが1〜2%なら、どの企業や商店ではこれ以上売ることのできる製品や商品の在庫がなくなっていて、営業担当者のほとんどの仕事は注文を断ることになっているはずである。したがって販売促進のための広告・宣伝なんてとんでもないことである。このように「可変NAIRUアプローチ」によって導き出されるデフレギャップの数字はばかばかしく有り得ないものである。


さすがに構造改革派の中にも、段々と問題は供給サイドだけでなく、需要サイドにもあるのではないかと考える者が現れるようになった(日本の供給サイドは特に大きな問題がないと筆者は見ている)。明らかに構造改革派は落日を迎えている。しかしいきなり財政支出による需要創出というわけには行かない。筆者の記憶では、最初に需要サイドに着目した構造改革派は「霞ヶ関埋蔵金」を問題にした人々である(埋蔵金を使っての需要創出をしろと主張)。

その次は外国人観光客の誘致を唱える人々である。これは外国人観光客の買い物による需要増を狙っている。そして最近ではTPP締結が注目されている。ところでアベノミクスの第三の矢である「成長戦略」の柱は規制緩和などによる構造改革だったはずである。ところが奇妙なことに最近になって「成長戦略」の第一はTPPという話が出るようになっている。これは TPP による輸出増が狙いである。

このように外国人観光客の誘致やTPPの目的は需要増といっても外需の増加ということになる。たしかに構造改革よる供給サイドの強化といった現実離れした考えからは、これらはいくらか進歩していると言える。しかしこれに対して筆者達は、これ以上外需依存を高めるのではなく(外需依存はいずれ円高で苦しむことになる)、財政政策(ヘリコプター・マネーなどによる)による内需拡大政策を主張しているのである
http://www.adpweb.com/eco/


経済コラムマガジン 2017/12/11(966号)
日本の経済の専門家はおかしい

日本の経済論壇の「闇」は深い

筆者は、

16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
http://www.adpweb.com/eco/eco885.html


などで日本の経済学者やエコノミスト、そして日経新聞の論説委員等を批判してきた。これらの日本の経済の専門家が言っていることが「おかしい」と思うからである。また筆者は何となくこの原因を分っているつもりである。

日本経済の低成長の原因は慢性的な需要不足と先週号で説明した。しかし日経新聞の論説委員を始め日本の経済の専門家は、どうしても原因を需要不足とは認めないのである。そこで彼等は、低成長の原因を人手不足や低い生産性など供給サイドの話で誤魔化している。


だから人手不足を示すデータをやたら強調したがる。また間抜けなエコノミストの中には「日本は完全雇用状態」と言って譲らない者までいる。しかし先週号で述べたように、本当に日本が人手不足ならもっと賃金が上昇しているはずである。

それどころか全てのメガバンクが大きなリストラ計画を発表している。大手銀行の事実上の定年は52〜53才という話は昔聞いたことがる。ところがそれが最近では、どうやら50才程度までに早まっているという記事を日経新聞が掲載している。日経新聞にはこのような矛盾した話が満載である。そこで今週はこのような矛盾した話を二つ取上げる。


日本の経済成長率は、内閣府から国内総生産(GDP)の情報として定期的に公表されている。日経新聞などのメディアは、この数字の推移に基づき経済成長の様子を解説している。内閣府が公表するのは「消費、投資(設備・住宅)、政府消費、公共投資、輸出・輸入」と需要の項目毎の数字とそれらの合計である。日本経済成長率はこれらの需要項目の数字を積上げて算出されている。

日経新聞などメディアのこれに対する分析と解説は、例えば「天候不順で消費が落込んだ」「半導体の需要が好調なので設備投資が増えた」「予算消化が進まず公共投資が減った」「円安と中国の景気持直しで輸出が増えた」といった具合である。注目されるのは全てこれらは需要サイドの話ということである。まさに先週号で述べたように「需要で日本の経済成長は決まる」のである。日本の生産性が上下したことが原因で経済成長率が変動したといった話は一切出ない。これは当たり前の話であり、需要が増えれば当然のこととして工場や商業施設の稼働率が上がり生産性が上がるのである。


ところが日本の経済の専門家は、日経新聞などで日本経済の成長に関しては「生産性の向上が必須」「生産力の増大が必要」と供給サイドのことしか言わない。したがって彼等は「設備投資を喚起する政策が必要」「家庭の主婦も職場に狩出すような政策が必要」といった主張を繰返す。つまり日本の経済成長を決めるのは全て供給サイドという話になっている。

ところが同じ日経新聞の紙上では、前述の通り日本の経済成長を全て需要サイドだけで分析・解説して見せるのである。明らかに日経新聞や日本の経済の専門家の経済成長に関する論調は矛盾している。筆者は、もっと辛辣に「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」と言う他はないと思っている。

不思議なことに、日本の経済論壇では誰もこのような矛盾を指摘しないし問題にもしない。しかし「おかしい」と指摘する経済学者やエコノミストがいることを筆者は知っている。ところがこのような声をほとんどの日本のメディアは取上げない。まことに日本の経済論壇の「闇」は深いと言える(日本のメディアもおかしい)。


算出方法がおかしいデフレギャップ

もう一つの「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」ことを示す事例は、日本のデフレギャップの認識である。これに関しては日本の潜在成長率も関係する。筆者は

06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で、これらの算出方法がおかしいと指摘して来た。しかし今日でもこのインチキな算出方法が続いているのである。

日本のデフレギャップを政府はわずか1〜2%と公表して来た。それどころか直近ではデフレギャップがなくなり、逆にインフレギャップが生じたと驚くようなことを言っている。ところが誰もこれを「おかしい」とは指摘しない。


デフレギャップを文字通りに解釈すれば、供給力が需要を上回る場合の両者の差額ということになる。たしかに理論上では、これがゼロになることは有りうることである。しかしこれがマイナスになり、逆にインフレギャップが発生したのだからただごとではない。

これも文字通りに解釈すれば、日本全体で需要が生産力を上回ったことになる(一部の特定の企業に限るなら有り得る現象である)。これはちょっと有り得ないことであり、少なくとも日本の景気が超過熱状態ということを意味し、当然、物価は高騰しているはずである。ところが日本経済は低迷し、物価は一向に上がっていない。日銀なんて、物価上昇率の達成目標年度を毎年延期しているほどである。


結論を言えば、筆者が何回も指摘してきたようにデフレギャップや潜在成長率の算出方法がおかしいのである(実際のデフレギャップはずっと大きい)。しかし関係者がこれは「おかしい」と気付いているのか不明である。また「おかしい」と気付いていたとしても修正する気があるのか、これも不明なのである。

それにしてもこの怪しいデフレギャップを基づき経済政策が実施されることが問題である。構造改革派と見られるある経済閣僚は、日本のデフレギャップや潜在成長率が著しく小さく算出されていることを知らないと思われる。この大臣は「日本の経済成長率を上げるには潜在成長率を大きくする他はない」と言っているようだ。

日本のデフレギャップや潜在成長率を著しく小さく算出している裏には、日本経済の問題点を需要サイドから供給サイドにスリ変える意図が見える。これには財政再建派も悪乗りしている。もし需要サイドの問題、つまり需要不足が認められると財政支出による需要創出という話が避けられなくなると財政再建派は思っている。


デフレギャップや潜在成長率の算出方法や認識の違いには、理論経済学上の対立の影響も垣間見られる。先週号で、古典派(新古典派)経済学に基づく構造改革派と財政再建派、そして財政による需要創出の有効性を唱えるケインズ主義の積極財政派という分類を行った。デフレギャップや潜在成長率を異常に小さく算出している経済学者やエコノミストは、古典派(新古典派)経済学の信奉者と見て良い。

そもそも古典派(新古典派)経済学ではデフレギャップという概念は存在しない。古典派(新古典派)経済学の理論的な根幹をなす「セイの法則」では、作った物は全て売れることになっている。したがってパラメーターが動き価格メカニズムが機能すれば、失業者や生産設備の遊休は発生しないことになっている。

古典派(新古典派)経済学の世界では、自然失業率以上の失業は労働者の技能が劣るからであり、需要拡大策ではなく職を得るための教育訓練が必要と説く。また遊休状態の生産設備は、既に陳腐化していて使い物にならないから廃棄すべきと考える。たしかに「セイの法則」からは、このような結論が導き出される。
http://www.adpweb.com/eco/  


経済コラムマガジン 2017/12/18(967号)

経済論議混迷の根源はNAIRU


卑怯な言い訳を行う経済学者とエコノミスト

デフレギャップの推計には、

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で取上げた「可変NAIRUアプローチ」という方法がある。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemplayment)とはインフレ非加速的失業率のことである。これを自然失業率、つまり長期的にインフレ率に関係なく一定水準で存在する失業者の割合と同じという見方がある。

例えば失業率が5%であっても、自然失業率が3%であれば、実際の失業率は両者の差である2%と見る。もしこの2%の失業が解消すれば、実質的に失業者はいなくなり完全雇用ということになる。またこの状態(自然失業率の3%)でさらに追加の求人があれば、賃金率は上昇しインフレになるという認識である。


日本のデフレギャップの推計はこのインフレ非加速的失業率(自然失業率と言って良い)を念頭に行われている。また潜在成長率の推計はこのデフレギャップを元に算出される。失業率がインフレ非加速的失業率まで下がればデフレギャップはゼロになると解釈される。

デフレギャップがゼロになった状態で追加的に需要が増えても、賃金が上昇するので名目GDPが増えても実質GDPは増えないという考え方がある。つまり財政政策による需要創出は物価が上昇するだけなので無駄と見なす。したがってデフレギャップがゼロに近付けば、これ以上の経済成長のためには生産性を上げるしかないと主張する。

またデフレギャップや潜在成長率は内閣府や日銀など政府の機関で算出されているので、これらは公式の経済数字として扱われる。つまりこれらの数字は日本の経済政策に深く関わっていると言える。また多くの経済学者やエコノミストも同様の手法でデフレギャップを捉えている。日経新聞などには、これらの数字を絶対的なものと見なす論説ばかりが目立つ。


特に考えが固い経済学者は、デフレギャップがゼロの状態で少しでも需要が増えると、物価が止めどなく上昇するという。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で紹介したA教授はその典型であろう。A教授は「1兆円も財政支出を増やすと日本でハイパーインフレが起る」「私のシミュレーションプログラムでは、物価がどんどん上昇し計算不能に陥る」と言って引下がらない。どうもデフレギャップがゼロの状態が「閾(しきい)値」になっているようだ(まさにルーカス方程式)。またA教授が内閣府でも働く官庁エコノミトでもあることから、内閣府の現状認識が垣間見られる。

しかし驚くことに公表されるデフレギャップがゼロに近付き、それどころかマイナスとなった(逆にインフレギャップが発生)。ところが賃金が上がらず物価も一向に上昇しないのである。これが日本経済の現実の姿である。おそらくこれらの間抜けな面々にとっては信じられないことである。

そこでこれらの経済学者やエコノミストは、極めて卑怯な言い訳を行う。例えば「同じ可変NAIRUアプローチを使っても、研究者によってデフレギャップや潜在成長率の推定値に多少幅がある」「デフレギャップがゼロになると物価が上がりやすくなるだけ(必ず上がるとは言っていない)」と言った具合である。彼等は自分達の考え(経済理論)が根本的に間違っていることは絶対に認めない。そのうち本誌でも取り上げるが、認めると「まずい」のであろう。


NAIRUが潜在成長率を決めている

まずデフレギャップを失業率、つまり労働サイドだけに偏重して算定することがおかしい。供給力を規定する生産関数は、労働・資本・生産性の三要素ということになっている。しかしこれらの経済学者やエコノミストは労働と生産性をことさら重視するが、資本、つまり生産設備についてはほとんど触れない。

これについては

02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」
http://www.adpweb.com/eco/eco276.html

で取上げた。生産関数に関し、経済企画庁時代の80年代及び90年代の労働への分配率は0.54から0.58であり、資本への分配率は、0.42から0.46であった(同じ年の両者を合計すると1.00になる)。ところが2001年度の「経済財政白書」では、資本のウエートがいきなり0.33に引下げられ、労働への分配率が0.67と大幅に引上げられている。これは伸びの低い労働(就業者数は、1970年から2000年では1.2倍にしか増えていない)への分配率を大きくしデフレギャップを小さく算定するためのトリックと故丹羽春喜大阪学院大学名誉教授は推察していた。おそらく資本軽視(労働重視)の流れは、最近もっと酷くなっていると筆者は認識している。実際のところ

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で述べたように、日本の設備稼働率は低く経済産業省の調査統計部経済解析室のIIPの稼働率指数担当者に直接聞いた話では72〜74%で推移していた。


また

02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html


で取上げたように、この話を裏付ける大手製造業に対するアンケート結果が日経新聞の02年7月8日の一面トップに掲載された。需要が増えた場合の増産方法を問うものであった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は76%の「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。おそらくこの余剰生産力は今日でも保持されていると筆者は思っている(原発が止まっても遊休状態の火力発電所を動かしたように、ある程度の余剰生産力を持っている)。

つまり日本の生産力は5〜10%程度の需要増に即座に対応できると思われる。しかも需要増による物価の上昇はほとんど考えられないのである。つまり今日のデフレギャップや潜在成長率の認識と議論は全く現実離れしている。


06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html


で述べたように政府系エコノミストはGDPの過去の実際値の平均値や、景気動向指数を使って「潜在成長率」を算出している。つまりこれでは、大きく経済が落込こみ、かつその状態が長く続いた場合、落込んだ状態が普通、あるいは正常と見なすことになる。当然、デフレギャップはものすごく小さく算出される。特に日本経済はバブル崩壊、橋本政権の逆噴射財政政策、リーマンショックなどによる急激な落込みを経験している。

しかもその正常時とやらの失業率をNAIRU(インフレ非加速的失業率)と見なしている可能性がある。特に最近の労働偏重のデフレギャップの算出方法を考えると、極端な話、このNAIRU(インフレ非加速的失業率)だけでほとんど潜在成長率も決まることになる。


これらの一連の話に表立って「異」を唱えていたのは、筆者が知る限り故丹羽教授だけであった。唯一の例外は数年前に日経新聞の大機小機欄に掲載された「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。

17/11/13(第962号)「これからの重大な政治課題」
http://www.adpweb.com/eco/eco962.html


で述べたように、虚言・妄言が溢れる日経新聞にあって、「カトー」氏は「唯一まともで良識のある執筆者」と筆者は評価している。

まず「カトー」氏は、内閣府、日銀の両方とも、潜在成長率のNAIRUを使った推計値は信頼性が低いと指摘している。次に不況によって潜在成長率が下がっていることが考えられると言う。潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きいと述べ、拡張的なマクロ政策が必要と説く。さらに「履歴効果」にも言及している(これについては来週号)。最後に「カトー」氏は消費増税などはもってのほかと締めている。
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経済コラムマガジン 2017/12/25(968号)

狙いは需要創出政策の阻止


勝手に意味をスリ変え

ここ数週に渡りデフレギャップや潜在成長率などを取上げてきたが、これに関する議論が混乱していることを説明した。混乱の原因は、同じ経済用語でも使う者によってその意味が異なるからと筆者は考える。特に主流派と言われる経済学者やエコノミストが問題である。この違いをはっきりさせないまま彼等は勝手に議論を展開する。

そもそも彼等は経済論議を深めようといった意思を全く持っていない。もし議論を深めるつもりなら、最初に使う経済用語の意味や定義をはっきりさせる必要がある。しかし始めから議論なんかするつもりがないので、主流派の経済学者やエコノミストはこの重要なプロセスを省略し、一方的に片寄った持論を押付ける。日経新聞などはこの手のプロパガンダまがいの論説で溢れている。これら対し「おかしい」という意見を日本のメディアはまず取上げない。唯一の例外は、日経新聞では「カトー」氏のコラムぐらいである。


彼等と筆者達ではデフレギャップや潜在成長率の認識が異なる。筆者達は実際の供給力の天井と現実の名目GDPの差がデフレギャップと捉え、そのデフレギャップを元に算出した最大可能な成長率が潜在成長率と認識している。日本の供給力の天井は、主流派の経済学者やエコノミストが想定しているよりずっと高いというのが筆者達の主張である。

デフレギャップが1〜2%とか、ましてやデフレギャップがマイナスになる事態(つまりインフレギャップの発生)なんて絶対に考えられない。おそらく彼等は、日本ではなくインフレが常態化している中南米やアフリカなどの経済を想定した経済モデルでも使っているのであろう(あるいは「セイの法則」がある程度通用した19世紀の経済を想定)。


ところが今日、デフレギャップが極小(彼等のばかげたデフレギャップの算出方法で)となったにもかかわらず、一向に物価が上昇しない現実に直面している。先週号で述べたように、困惑した主流派の経済学者やエコノミストはデフレギャップのゼロの意味を「必ず物価が上がる」ではなく「上がりやすい状況になる」と卑怯にも勝手にスリ変えている。その程度の話なら、何故、彼等がこれまでデフレギャップや潜在成長率をことさら取上げて来たのか意味がない。

筆者は、政府機関は人心を惑わせるこれらの数字の算定を即刻止めるべきと言いたい(少なくともこれらのデタラメな経済数字の公表はするな)。もっとも主流派の経済学者やエコノミストの意図は見え透いている。人々(政治家を含め)が需要不足に関心が向かないないよう、供給サイドがパンク状態ということを強調したいのであろう。要するに財政出動による需要創出政策を阻止することが真の狙いと見られる。


先週号で説明したように、日本のデフレギャップや潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識して算出されている。この詐欺的な算出方法に同調する日経新聞は、日本中の人手不足の現場を必死になって捜し回って記事にしている。人手不足だからこれ以上の需要創出政策は不要と言いたいのであろう。

しかし人手不足の職場は、不正規雇用が中心で低賃金のところばかりである。例えば時給1,000円のアルバイトが足らないといった類の話になる。このような職場には、外国人の労働者が目立つのですぐ分る。しかし日経新聞を始め、日本のメディアは「時給1,000円」の意味を考えない。年間2,000時間も働いても(日本の正規雇用労働者の年間労働時間の平均はもっと少ない)、たった2百万円の収入にしかならない仕事である。一時的、あるいは片手間で働くのなら別だが、外国人を除けばそのような職場に人が集るわけがない。

もう一つの人手不足の現場は、昔から人々が敬遠する3Kの職場である。特に団塊の世代が引退しているので人手不足が顕在化している。ところがまだ有効求人倍率を見て、日本は完全雇用と言っている間抜けなエコノミストがいる。しかし求人の中にどれだけ多くの「ブラック職場」が含まれているか彼等は関知しないようだ。


履歴効果に負けないために

観念論者が唱えるNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップや潜在成長率の算定方法が、「おかしい」という声はとうとう米国でも起っている。失業率が完全雇用に近いと言われるレベルまで下がっているのに、米国でも一向に物価は上昇しないし賃金の上昇も鈍い。特にこれを気にしているのが米FRBである。

16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
http://www.adpweb.com/eco/eco904.html


で述べたように、求人が増えているといっても「雇用の質」が問題とイエレンFRB議長は適確な指摘をしている。米FRBが金融政策の転換に慎重なのも、このような米国の雇用情勢が影響している。移民が多く新興国並の需要がまだ期待できる米国でも、自然失業率というものに対する疑問が呈されているのである。米国より経済が成熟し高齢化が進む日本で、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識した議論がまかり通っていることの方が異常である。


そして日本経済が長く不調を続けることによって、本当の経済力を失うことを心配する声がある。先週号で紹介した「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。ここで言う潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)に基づいて算出されるインチキ潜在成長率ではなく、本当の意味での日本の潜在的な成長力と筆者は理解している。ケインズが言っていた資本主義経済における経営者のアニマルスピリットみたいなものと考えて良い。

たしかにここ30年間を見ても、経済が上向くと「次は財政再建だ」という声が必ず上がり、緊縮財政に転換し日本経済の成長を阻止する動きが起った。例えば異次元の金融緩和と大型補正予算で13年度は日本経済が上向いたが、14年度の消費増税と補正予算の大幅削減で日本経済は沈んだ。このようなことを続けていては、経営者のアニマルスピリットが萎えるのは当たり前である。

また「カトー」氏は同コラムでサマーズ元財務長官の「履歴効果」を引合いに出している。「履歴効果」とは「不況が長引くと物的資本や人的資源への投資が減少し、不況の影響が履歴のように潜在成長率に残っていく」というものである。そして「カトー」氏は「履歴効果のことを考えると、潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きい」と指摘している。したがってこの対策には拡張的なマクロ政策が必要と「カトー」氏は結論付けている。


サマーズ元財務長官は

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html

14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
http://www.adpweb.com/eco/eco807.html

で紹介したように、「米国経済の長期停滞論」を展開している。サマーズ氏は、米国のデフレギャップが10%以上あると主張している。つまりNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップの算出方法を完全否定しているのだ。したがってこれでは賃金が上がるはずがないとサマーズ氏は指摘している。

米国のデフレギャップが10%なら、生産設備の稼働率が米国より常に10%程度低く推移していた日本のデフレギャップは15〜20%程度と見て良いと筆者は思っている。またサマーズ氏は、「履歴効果」に負けないためには需要創出のマクロ政策が必要と説いている。ただし需要創出は財政政策を中心にすべきと主張し、金融緩和政策に偏重することをサマーズ氏は警戒している。

これは金融緩和政策への偏重によるバブル生成とバブル崩壊を危惧するからである。またサマーズ元財務長官は、米国だけでなく日本の経済政策にも同様のことが言えると指摘している(金融政策偏重に警鐘)。この意見に筆者は賛成である。しかし日本の来年度の予算編成を見ても、とても十分な財政政策が組込まれているとは思われない。筆者は新規国債発行による大胆な財政政策を主張してきた。しかし残念ながら、日本ではこれからも金融政策に偏重した政策が続くのである。
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http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c7

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
8. 中川隆[-5703] koaQ7Jey 2017年12月25日 15:03:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

リニア「不正な受注調整」問題 2017-12-22

リニア中央新幹線の、いわゆる「入札談合」問題。


『大林・鹿島・大成で先行協議 工費5兆円、利益を確保
http://www.sankei.com/affairs/news/171222/afr1712220003-n1.html

 リニア中央新幹線建設工事をめぐるゼネコン大手4社による談合事件で、大林組の幹部が東京地検特捜部などの調べに対し、「工費が圧縮された中で利益を確保するため大林組、鹿島建設、大成建設の3社で協議を始めた」と説明していることが21日、関係者の話で分かった。特捜部などは、発注元のJR東海がリニア先行開業区間の総工費を約5兆円と試算した平成22年以降、具体的な工事割り振りに向けた協議を重ねたとみて実態解明を急ぐ。(後略)』


 まず、奇妙なのは本件が「談合事件」として報道されている点です。


 元々、問題になっている独占禁止法の「不当な取引制限」には、二種類あります。


 一つ目が、中央政府、地方自治体などの公共工事の物品や公共調達に関する入札に際し、事前に受注事業者や受注金額を「相談」「合意」で決めてしまう行為、すなわち「入札談合」です。


 とはいえ、今回のリニア中央新幹線の建設工事は、「公共工事」ではありません。発注元であるJR東海は民間企業で、資金もJR東海が借り入れで賄うため、税金は投入されません。


 無論、財政投融資は入りますが、あれもまたJR東海の借入金であり、利子付きで返済されるものです。


 今回の件は、いわゆる「談合」ではないのです。「不当な取引制限」には、談合の他にもう一つあります。



 いわゆる「カルテル」です。


 カルテルとは、事業者や業界団体の構成事業者が相互に連絡を取り合い、各事業者が自主的に決めるべき商品の価格や販売、生産数量などを共同で取り決める行為になります。


 つまりは「不正な受注調整」と表現するべきなのですが、なぜか「リニア入札談合」と報じられている点に、極めて違和感を感じます。


 大林組は不正を認めましたが、それはあくまで「不正な受注調整」であり、「入札談合」ではありません。

 上記を踏まえた上で、あえて書きますが、


「これって、何か問題なのですか?」


 リニア新幹線建設は、総工費9兆円の大プロジェクトです。しかも、人類史上最長のトンネルを掘りぬかなければならない、未知のプロジェクトでもあります。


 当然ながら、受注する各社は「数年前」から工事開始に備え、技術開発、人材確保、設備購入等、様々な「準備」を投資として行わなければなりません。


 しかも、大手ゼネコンはそれぞれが得意分野があるわけで、一社で担えるプロジェクトではない以上、各社が事前に相談し、
「最も品質が高いリニア新幹線を、工期に間に合わせるように建設する」
 ことを目的に、受注を調整する。


 繰り返しますが、これって、 何か問題なのでしょうか。


 受注調整の結果、人類史上初の超電導リニア新幹線が建設される。工期に間に合い、JR東海もハッピー。きちんと「利益」を確保することができ、建設会社もハッピー。日本の技術水準が一気に上がり、日本国民もハッピー。


 それでも、「不正な受注調整」ということで、刑事事件の対象になってしまうのが我が国というわけです。


 あえて断言します。独占禁止法は、もっと「現実に即した形」に改正するべきです。


 さもなければ、我が国の土木・建設業は、「日本国民のため」の行動について刑事処分を受ける羽目になり、供給能力や技術力がひたすら衰退していくことになるでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12338225853.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c8

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
9. 中川隆[-5702] koaQ7Jey 2017年12月25日 15:15:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の政治を決定している日米合同委員会とは
 

なぜ、日本では国会議員が地方議員の仕事をしているのか 2015年6月15日
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991

日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。

それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。

ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。

日本はなぜ帰途と原発を止められないか

「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。


日米合同委員会1日米合同委員会2

下記の参考資料を読んでいただければ、総理になった人間ですら、日米合同委員会のことを知らなかったことがわかる。日本の政治は見事なまでに空洞化しているのである。

<参考資料>

(*週プレNews 2014年12月16日より)

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!


矢部宏治

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論

<民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E3%80%8C%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%9F%A2%E9%83%A8-%E5%AE%8F%E6%B2%BB/dp/4797672897

の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。
そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。

このふたりが、辺野古移設反対派の圧勝に終わった11月の沖縄県知事選や総選挙を踏まえ、事実上、今も米軍の占領状態が続いているこの国の姿と、日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩んでいくためにはどうすればいいのか、その方法を考えた!>


首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体

―まずは鳩山さんに、矢部さんの本を読まれた率直な感想から伺いたいのですが?

鳩山  正直申し上げて“ぶったまげた”というか、矢部さんがここまで勇気を持って取材され、この本を書かれたことに敬服しました。先にこの本を読んでいれば、私も総理を辞めずに済んだかもしれない、と(笑)。

もちろん、私は自分の非力について言い訳する気はありません。総理として一度は沖縄県民に期待感を与えながら(県外移設を)実現できなかったのは私に大きな責任があります。

ただ、この本を読んで、当時、自分がもっと政治の裏側にある仕組みを深く理解していれば、結果が違っていた部分もあるのかなとは思いました。それだけに、自分が総理という立場にありながら、この本に書かれているような現実を知らなかったことを恥じなきゃいかんと感じるわけです。

矢部  鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?

鳩山  物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。

 しかし、矢部さんのこの本はもっと深いところで米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながって一体となった姿を見事に解き明かしてくれて、いろんなことが腑(ふ)に落ちました。この本を読んで、目からうろこが何枚落ちたかわからないくらい落ちましたね。

矢部  在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?

鳩山  お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。

 私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。

矢部  日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。

 なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。

 しかも、在日米軍基地の違憲性をめぐって争われた1959年の砂川裁判で、当時の駐日米国大使だったダグラス・マッカーサー2世が裁判に不当な形で介入し、「日米安保条約のような高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判例を残してしまった。ですから日米合同委員会の合意事項が仮に憲法違反であっても、日本国民にはそれを覆(くつがえ)す法的手段がない。

鳩山  それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。

矢部  ですから、鳩山さんの言う「官僚たちが忠誠を誓っていた何か別のもの」、つまり鳩山政権を潰(つぶ)したのは、この60年続く日米合同委員会という米軍と官僚の共同体であり、そこで決められた安保法体系だというのが現時点での私の結論ですね。

―そうした仕組みの存在を知った今、鳩山さんはどのような思いなのでしょうか。

鳩山  日米合同委員会に乗り込んでいきたいぐらいだね。「何をやってるんだ、おまえら!」みたいな感じで。

 ただ、そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。


矢部  このような「見えない力」の存在は、政権内にいないと、野党の立場ではまったく知り得ないものなのでしょうか?

鳩山  私も自民党時代がありましたので、8年は政権党にいたわけですが、当選1回や2回の新人議員の間は、官邸内部で何が動いているか知りようもありませんでした。でも与党の一員としては扱ってもらっていたと思います。

 それが野党となると、与党、特に与党の中枢の方々とは情報量が圧倒的に違う。官僚も野党に話す場合と与党に説明に行く場合では、丁寧さも説明に来る人の役職も全然違う。そのぐらい野党に対しては、官僚は区別し、冷たい対応をしていました。

 つまり、自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

 この先、特定秘密保護法によって、ますます国民には何も知らせない国になるわけで、非常に恐ろしいことだと思います。

日本全土が「米軍の基地」という現実

矢部  「横田空域」という、1都8県の上に米軍が管理している広大な空域がありまして、日本の飛行機はここを飛べない。これなんか典型的な「米軍が自由に日本の国土を使える」事例ですね。

鳩山  私も横田空域のせいで、日本の航空会社が非常に不自然な飛行ルートで飛ばされていることは知っていましたが、「沖縄と同じように、米軍の優位性というのが東京や関東周辺にもあるんだな」という程度にしか理解していなかった。

 しかし、具体的に図を見ると、関東上空がこれほど広範囲に米軍に「占領」されているという事実に仰天しますよね。沖縄だけではなくて、実は日本全体がアメリカに今でも支配されているも同然ですから。

矢部  飛行ルートの阻害もありますが、それより問題なのは、米軍やCIAの関係者が日本の国境に関係なく、この空域から自由に出入りできる、入国の「裏口(バックドア)」が存在することです。これはどう考えてもおかしな話で、こんなことは普通の主権国家ではあり得ません。

 この問題なんて国際社会にアピールしたら、みんなすごく驚くと思うんです。これは今、日本で起きているほかの問題、特に原発の問題にも絡んでくる話ですが、日本という国が置かれている状況の歪(ゆが)みやおかしさを伝えるいい事例になると思っています。

 結局、日米安保条約とは、米軍が「日本の基地」を使う権利ではなく、「日本全土」を基地として使う権利を定めたものなのです。

 旧安保条約の第1条で米軍にその権利が認められ、60年の安保条約で文言は変わっていますが、その権利は残されている。これを「全土基地方式」というのですが、これはなんとしても国際社会にアピールして変えていかないといけない

鳩山  矢部さんの本だと、米軍がそんなことをできる根拠は、敗戦国である日本を今でも「敵国」と見なした、国連憲章の「敵国条項」があるから、という話でしたが。

矢部  そこの説明は少し複雑で、旧安保条約第1条には、そうしたメチャクチャな軍事利用のあり方は、日本側が望み、アメリカ側がそれに応えたものだということが書かれている。そうした戦後処理を日本が望んだ以上、日本の主権や国民の人権がいくら侵害されていても、国連は口を出せないというロジックになっているんです。一種の法的トリックと言ってもいい。

 ですから、日本にちゃんとした政権が誕生して、国際社会で堂々と議論し、「全土基地方式はやめてくれ」と言ったら「それは敵国条項があるから無理だ」とは絶対ならないと思います。


米軍の占領状況を米国民に訴えろ!

鳩山  矢部さんのような方の努力もあって、私もようやく目隠しが外れて真実が見えてきたわけですが、問題はそこから先をどうするかです。やはり一部の人たちだけが目隠しを外すんじゃなくて、日本の国民の多くに触れられるPR戦術というか、日本の戦後の背後には何があるのかをきちんと解き明かす手段が必要だと思いますね。

 それと、日米関係に関わっている米軍関係者を除けば、アメリカの議会や国民は日米合同委員会なるものがどういう役割を果たしてきたのか、それが今も日本の主権をさまざまな形で侵害している事実も知らないと思います。しかし、こうした状況はアメリカの国民から見ても「異常なこと」だと映るはずですから、われわれが海外、特にアメリカの議会や国民に対して「日本は今も事実上、米軍に占領されているけれど、本当にこれでいいのか?」と訴えることが重要です。

矢部  情報発信という意味では、今、ドイツなど多くの国が日本の原発汚染に対して「何を考えてるんだ!」って相当に怒っている。基地の問題だけだと「勝手にやっててくれ」となるかもしれないけれど、原発の問題はそうはいかない。全地球的な問題です。

 あれだけ深刻な原発事故を起こした日本がなぜ、今再び原発推進への道を進もうとしているのか? その背景には「日米原子力協定」という、自国のエネルギー政策すらアメリカの同意なしには決められないという、客観的に見ても非常に歪(いびつ)な構造がある。それをうまく国際社会にアピールできたら、こうした日本の歪んだシステムに世界の光が当たる可能性はあります。


鳩山  そうですね、日本のメディアも完全に取り込まれてしまっているのであれば、基地の問題だけではなく、原発も併せて海外に訴えるほうが、圧倒的に意義があると思います。

ただし、そうした「外圧」に頼るだけでなく、結局はこの国の政治を変えない限り、そして多数派にならない限り、こうした流れは大きく変えられません。

*2015.03.16 NEWSポストセブンより

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」

東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。

※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。

「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」

 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。

 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。

「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決め(※注2)になっているからです。」

※注2/1996年2月に、日米両政府は日米地位協定の9項目についての運用改善で合意。「日米合同委員会の公表」もそこに含まれた。しかし、結果的に「合意内容」の公表こそ一部改善はされたものの、会合内容が公表されることはなかった。

 「基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい」

 必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。(終わり)
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991  


「「日米合同委員会」「国会を関与させないための仕掛けだったんです」吉田敏浩氏インタビュー:岩上安身氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/21239.html
2016/12/6 晴耕雨読

https://twitter.com/iwakamiyasumi

12月2日(金)「岩上安身による『日米合同委員会の研究』著者・吉田敏浩氏インタビュー」の実況を行います。

戦後日本社会における最大のタブーとも言える「日米合同委員会」の実態について、岩上安身が吉田氏にお話をお聞きします。

岩上「吉田さんは今はフリーのジャーナリストですけれど、どういった所から取材を始めましたんですか?」

吉田氏「大学在学中からビルマ(現・ミャンマー)のことを取材を始めました。これまでに新聞社などの社員になったことはなく、ずっとフリーです」

岩上「まず、そもそも日米合同委員会とはいったい何か?といったところから入っていきたいと思います。日米合同委員会は、港区南麻布のニューサンノー米軍センターというところで開催されているんですね」

吉田氏「最寄り駅では地下鉄広尾駅です」

吉田氏「日米合同委員会について本格的に調査した記事や本はほとんどありません。ここで密約を作り、国会での審議を通すことなく、米軍に有利な取り決めが次々と作られているのです」

吉田氏「ニューサンノー米軍センターには、銃を持った日本人警備員がいます。本来は日本人は銃刀法違反になるので銃を持ってはいけないんです。しかし、日米合同委員会での密約で持ってよいことになっているんですね」

岩上「米国と日本の関係というよりも、在日米軍と日本の関係になっているんですね。日本は米軍の下部組織にすぎないと」

吉田氏「日米合同委員会で話し合われている内容は、在日米軍から本国の統合参謀本部まで上がっています」

岩上「基本的には、在日米軍の利益を図ることが最優先になっているんですね」

吉田氏「辺野古新基地建設について、キャンプ・シュワブの水域を立ち入り禁止にしたのも、日米合同委員会での決定によります。しかし、どう話しあわれたかは分からないのです」

吉田氏「既存大手メディアの中でこの日米合同委員会について報じたのは、1957年の読売新聞の記事くらいです。やはり文書が出てこないということと、メディアまでもが日米同盟を神聖不可侵なものと捉えているからではないでしょうか」

岩上「この、黒塗りになっている『日米合同委員会議事録インデックス』とは何ですか?」

吉田氏「私の開示請求に対して、表紙だけが出されました。つまり表紙があるということは、中身があるということですよね。しかし、肝心のその中身はすべて不開示です」

岩上「さて、次のチャプターに移りたいと思います。なぜ、在日米軍兵士は正当に裁かれないのか。その背景には、日米合同委員会で合意された『裁判権放棄密約』『身柄引き渡し密約』『民事裁判権密約』がある、と」

吉田氏「『裁判権放棄密約』とは、米軍兵士の公務外の犯罪を日本が裁くな、というものです。その理由は『兵士の士気の維持』と『部隊の人員充足』というもの」

岩上「ちょっと、呆れ返るような理由なんですけど」

吉田氏「米兵犯罪者は、不起訴が多いんです。その一件一件の報告書が存在するはずです。しかしこれを法務省に情報開示請求をしても、文書が出てこないし、出てきたとしても黒く塗りつぶされているんです。これでは、検証のしようがありません」

吉田氏「民主党政権の時、岡田克也外相のもとで外務省の密約調査が行われました。その時に、この『裁判権放棄密約』に関する文書が部分的に出てきたんですね」

岩上「しかしこういうことがあったため、民主党政権はつぶされたのだとも言えるでしょう」

吉田氏「この『裁判権放棄密約』に関しては、法務省から『米軍関係者を特別扱いしますよ』という通達が出されています」

岩上「日本の司法が在日米軍に完全に従属してしまっている、ということですね」

岩上「その結果、日本の裁判が今どうなっているか、ということです。この密約は今も生き続けている、と」

吉田氏「公務外の米軍人・軍属の刑法犯は起訴率17.4%。一方で、全国の一般刑法犯は起訴率45.4%です。明らかな違いがあるのです」

岩上「さらなる驚きの事実です!なんと最高裁にも在日米軍のための裏マニュアルがあったと」

吉田氏「これは、最高裁判所の事務総局が作成したものです。民事裁判で、米軍は証拠提出も証人出頭もしなくてもよい、という内容です」

吉田氏「日米合同委員会での密約文書には、『合衆国の利益を害すると認められる場合には、かかる情報を公表し、又は使用に供することができない』と書かれています。これが、最高裁判所の裏マニュアルに書かれているのです」

岩上「これはショックです」

岩上「この『民事裁判権密約』が事件の真相解明を阻んだ事例が、1977年9月27日の横浜米軍機墜落事件なんですね」

吉田氏「この裁判では、米軍関係者は最後まで出廷せず、事故調査報告書の提供も行われませんでした」

岩上「さて、次のチャプターが米軍による航空管制の問題です。米軍の横田基地上空は『横田ラプコン』と呼ばれ、日本の民間航空機が入れないようになっていますね」

吉田氏「はい、これもまた日米合同委員会での密約にもとづいています」

吉田氏「これも密約文書そのものは不開示なのですが、外務省の裏マニュアル『日米地位協定の考え方』からその内容は分かります。それによると横田空域について『合同委員会の合意のみしかなく、航空法上積極的な根拠規定はない』などと書いてあります」

吉田氏「日米合同委員会の密約文書では『事実上の問題として委任した』となっています。つまり法的根拠はなにもないけれど、既成事実を合同委員会が追認する、ということなんです」

岩上「つまり占領体制が、今も既成事実として今も続いているということですね」

岩上「こうした空域は、横田だけではなく沖縄にもありますね。それが嘉手納ラプコンです。これは一応、2010年に日本側に移管されました。しかし実態は、新たに『アライバル・セクター』というものが設置されていたと」

岩上「密約というものは、1950年代に生まれたものだと思われてきました。ところがこの嘉手納ラプコンの問題でも分かるように、今も日米合同委員会の中でドンドン密約が生まれているんですね!? これは本当に驚きです」

岩上「ここまでは沖縄の空域に関する話だったんですけど、実はこうした空域制限は全国に拡大されていると。それが『アルトラブ』ということだというのですが」

吉田氏「移動型と固定型がありますが、日本列島を縦断するかたちで米軍専用に設定されています」

岩上「さて、最後のチャプターです。いったい、この日米合同委員会はそもそも何のために作られたのか、という点です」

吉田氏「日米合同委員会の前身に予備作業班というものがありました。これが、国会を関与させないための仕掛けだったんです」

吉田氏「そしてその上で、米軍の特権を保障するための国内立法措置が次々と講じられていくことになります。例えば国有財産管理法では、米軍基地のために国有地を無償で提供できることになっています。他にも土地等使用特別措置法では、民有地の強制収用も」

吉田氏「なんでこんなことになってしまっているかというと、日本には『安保法体系』と『憲法体系』の2つが存在しているからだと思います。そして、前者が後者を侵食している。そのことを可能にする装置として機能しているのが日米合同委員会なのです」

岩上「そしてこの、『安保法体系』の前身が『占領管理法体系』であると。天皇による勅令のうえに、連合国最高司令官(マッカーサー)の指令や覚書が位置していたと」

岩上「長時間となりましたが、最後にまとめをお願いします」

吉田氏「戦後の日本には、『憲法体系』の外に『安保法体系』と日米合同委員会の『密約体系』がある。そしてそれが、今も米軍の占領体制を継続させているのではないでしょうか」

以上で「岩上安身による『日米合同委員会の研究』著者・吉田敏浩氏インタビュー」

の実況を終了します。動画アーカイブは準備が整い次第、IWJのホームページ(http://iwj.co.jp/ )にアップいたします。



「米側の代表者が軍人であることは、現在も日本がGHQの占領継続下にあることの象徴です:兵頭正俊氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/21257.html
2016/12/9 晴耕雨読

https://twitter.com/hyodo_masatoshi

日米合同委員会。


米側の代表者が軍人であることは、現在も日本がGHQの占領継続下にあることの象徴です。


日本もいずれ「制服組」がこの場に出席することになるでしょう。


日本には、すでに文官統制も文民統制(シビリアンコントロール)も、ありません。


観念の「制服組」(安倍晋三)が、武器輸出を可能にしました。


集団的自衛権行使を可能にし、これからアフリカ・中東に参戦し、改憲もやるでしょう。


制服を着ているか否かの違いだけであって、この国の軍事は「背広を着た制服組」(安倍政権)にすでにとって代わられています。


日米合同委員会。


米日1%は、植民地を永続化するために、日本を軍事国家に変えます。


軍人の権力を拡大し、最終的には日米合同委員会を、宗主国の軍人と植民地の軍人とで仕切ることになるでしょうね。


>矢部宏治日米合同委員会を特集した報道ステーションに拍手。こうした形でジワジワと事実が国民に広まっていく。しかしなぜメイン・コメンテーターに、安保村代表の後藤謙次などを使っているのか。「日米合同委員会は単なる手続き機関」というコメントは全くの虚偽。それなら協議内容を完全非公開にする筈がない 


日米合同委員会。


米側代表は在日米軍司令部副司令官。


これは戦勝国にして宗主国の軍人が、まだ占領の延長上であることを威圧的に示していますね。


同時に、実際の政治的な権力者が出席しているのだと思います。


軍人の位置づけが米国は高いですからね。


>Tad #報ステ 日米合同委員会 鳩山元総理「日本側は高級官僚が出席しても、アメリカ側は高級官僚ではなく軍人が出席する。まさに占領されているのに等しいと思います」

日米合同委員会からは多くの検事総長を出しています。


つまり、日米合同委員会には官僚の最高のエリートが出席しています。


実質的な日本の重要な政策はここで決められます。


ここで決められたことが官僚によって法案化され、政府に降ろされるのです。


>萩原 一彦 見てない人は見たほうがいい。今の日米政府がとっても不均衡な力関係にあることがわかる。国民の代表ではない日本の高級官僚と、米国民の代表ではなく高級官僚ですらない米軍人が日本の運命を決める。→報ステ特集「日米合同委員会と日米地位協定」憲法を越える存在!?非公開の日米合同委員会20161206houdoustation @gomizeromirai より - http://www.dailymotion.com/video/x54jwia_%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81

日本の現実は、上位法として、日米合同委員会で作る不可視の「密約法体系」があります。


続いて安保法体系が存在しています。


その後に下位法として憲法が存在しているのです。


これが植民地日本の現実です。


>徳永みちお 官僚が服従を誓う相手は国民でもなく、政治家でもなく、日米合同委員会だ。日本の政治、行政、司法の歪さの原因の一端は日米合同委員会という存在にある。


実は、自民党がいくら気張って新しい憲法を作ったとしてもあまり意味はないのです。


憲法の上に安保法体系が存在し、さらにその上位に日米合同委員会などの不可視の密約法体系が存在するからです。


日本は大きな虚妄の上に成り立った国家なのです。


>よーすけ 鳩山由紀夫のこの証言により日本の基本政策が、日米合同委員会で決められてる事が明らかになったと言える。いわばGHQの延長がこれである。これに逆らったために鳩山氏も嘗ての田中角栄も総理の座を追われたとも言える。許しがたい仕組みである。


安倍晋三が、極端なまでに軍事国家建設に走っています。


これは、背広を着た制服組(安倍晋三)が、背広組のトップに立っているのと同じです。


すでに文民統制(シビリアンコントロール)は、実質的な制服組(安倍晋三)に奪われているのです。


いずれ日米合同委員会に、自衛隊の幹部が出席するようになるでしょうね。


つまり植民地を永続化するために、日本を軍事国家に変える。


軍人の権力を拡大し、日米合同委員会を、宗主国の軍人と植民地の軍人とで仕切る。


その可能性が強くなっています。


安倍晋三は、12月の26、27両日、ハワイでオバマに会うが、プレゼントに「カジノ法案」を強行採決する。


宗主国でのカジノが斜陽になった現在、自国にうじゃうじゃといるギャンブル依存症には目をつぶり、わずか6時間の審議で衆議院可決させた。


安倍晋三が真珠湾を訪れる。


保守の反発を恐れて、首相周辺は、首相は訪問に際して謝罪は予定していない、と必死だ。


「犠牲者の慰霊のための訪問だ」。


バカである。


戦争のできる国へと日本を堕落させ、軍拡に努め、南スーダンにも派兵している。


矛盾したその場しのぎを平気で口にする。


安倍晋三がハワイの米国記者たちに「謝罪はしない」といえるかといえば、とてもおぼつかない。


しかし、こういうことは明確にいわねば、米国では一方的に謝罪にきた、と喧伝され、その見方が定着するだろう。


相手がどう受け取るか。


これが、かれの世界では一貫して欠如している。


「主観の嘘」ばかりだ。


太平洋戦争は、米国に開戦へと追い込まれた、強いられた戦争であった。


真珠湾攻撃も、事前に米国は知っており、参戦の大義を得るために、あえて日本に奇襲させたのである。


このことは米国ばかりか、すでに世界の共通理解になっている。


日本国民だけが米日1%に都合の悪い歴史を知らされていないのだ。


@米国の言い分は、太平洋戦争は日本の宣戦布告なしのパールハーバー急襲から始まり、広島・長崎への原爆投下によって終わった、というものだ。


原爆投下は、戦争を終わらせるためにやむを得ないものであった、とする。


オバマの広島見物はこのストーリー強化の第一幕だった。


A卑怯な真珠湾奇襲、のストーリーを完成させるためには、第二幕として日本の首相にパールハーバーを訪問させ謝罪させなければならない。


そこで初めて米国は太平洋戦争の贖罪意識を払拭できるのだ。


パールハーバーによって広島・長崎を相対化するのだ。


広島とパールハーバーを両国の首脳が相互訪問する戦略は、 1 米国の広島・長崎への贖罪意識の払拭 2 米日軍事同盟の強化 の2点から成っている。


行き着く果ては米日軍事同盟の強化なのだ。


第一幕はすでに上がった。


オバマの広島見物で日本が失ったものは大きい。


相当に国民の暮らしが苦しくなり、生活保護の受給者が増えてきています。


「死ね死ね団」安倍晋三の悪政が、追い詰めているのです。


結局は社会コストの増大になって跳ね返っています。


安倍には自分のやっていることの意味がわかっていませんね。

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟 内閣改造でも絶対に変わらないこと
2017.08.05 矢部 宏治  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

■事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。

<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

■北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

■「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html


安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html




現在も日本は米軍支配の下にある。
 
これは、実質上アメリカ支配の下にあるという比喩的な意味ではない。

今なお日本は米軍の直接支配の下にあるという衝撃的内容である。そのことを明らかにした

矢部宏治氏の著書『「知ってはいけない」〜隠された日本支配の構造〜』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062884399/asyuracom-22


から要約引用したい。


@日本の空は米軍に支配されている。

横田空域(東京都西部から伊豆半島に及ぶ)、岩国空域(山口、島根、広島、愛媛の4県にまたがり、日本海から四国北部に及ぶ、嘉手納空域(沖縄全域に及ぶ)。これらの上空は米軍が定めた空域(高さ以外)、日本の旅客機は飛行することは許されない。またこの空域では米軍はいかなる軍事演習を行うことが出来、日本政府の許可を得る必要もない。2020年には横田空域に墜落事故の多い悪名高きオスプレイの配備が決定されており、沖縄と同様、低空飛行による演習も可能になる。

特定空域だけではない米軍はこのような優先空域を日本全土の上空にいつでも設定できる権利を持っている。事実、航空法(飛行機の安全な運行のための43条に及ぶ規制)は、航空法特例法によって全て米軍機には適用されない。


A米軍は日本全域において治外法権

大使館の敷地や、米軍基地の敷地内は勿論のこと、日本の全域において米軍には日本の警察の捜査は及ばない。

「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず、米軍の財産について、捜索、差し押さえまたは検証を行う権利を行使しない」
(「日米合同委員会=日米安保や在日米軍の運用について決定する委員会」議事録より)
といった合意に基づく。

従って墜落事故はもとより交通事故に至るまで一切日本警察は捜査出来ない。


B米軍は日本全土(及びその周辺)に軍を配備できる

「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」(日米安全保障条約6条)

「日本は安保条約の遂行に必要な基地を提供する。具体的内容は日米合同委員会で定める」(地位協定2条)「アメリカは米軍基地の中で絶対的な権限を持つ。米軍基地の外でも必要な権力を持つ。具体的には日米合同委員会で協議する」(地位協定3条)

「合同委員会の議事録や合意文書は原則として公開しない「合同委員会にて決定した日米合意は、日本の国会の承認を必要としない」(日米合同委員会での合意


C自衛隊は米軍の指揮下にある。

「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであることに合意した。」(占領終了後の1952年7月、吉田茂首相とクラーク大将が合意した密約の統合参謀本部への機密報告書)
現在に至るもこの合意を覆す日米間の合意事項はない。

これらの事項は、いまだに米軍の占領下にあるということを超えて、占領下における戦争協力体制といえる。
これほど米軍に従属的な協定は日本と韓国の安全保障条約及び地位協定だけである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=329076



知らなきゃよかった…日本の空は「実はアメリカのもの」だった エリート官僚も見て見ぬふりの真実
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52721
2017.09.06 矢部 宏治 現代ビジネス

みなさんは、東京都の西部――たとえば世田谷区や中野区、杉並区、練馬区、武蔵野市などの上空が、「日本のものではない」ということをご存じですか?  「なにをバカなことを……」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。 しかし、これらは複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実なのです。

北朝鮮ミサイルの脅威が迫るいまこそ、考えておきたい「日本の空」の真実とは?


『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』
https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84-%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%AF%E9%85%8D%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%9F%A2%E9%83%A8-%E5%AE%8F%E6%B2%BB/dp/4062884399/ref=as_li_ss_tl?_encoding=UTF8&qid=&sr=&linkCode=sl1&tag=gendai_asyuracom-22&linkId=7b93ea9ab99059f0c7be060bcf86fb04


の著者・矢部宏治氏による論考。

■とんでもない歪みの正体

おかしい。不思議だ。どう考えても普通の国ではない。みなさんは、ご自分が暮らす「戦後日本」という国について、そう思ったことはないでしょうか。

おそらくどんな人でも、一度はそう思ったことがあるはずです。アメリカ、中国に次ぐ世界第3位の経済大国であり、治安のよさや文化水準の高さなど、誇るべき点もたしかに多い私たちの国、日本。しかしその根っこには、どう隠そうとしても隠しきれない、とんでもない歪みが存在しています。

たとえば私が本を書くたびに触れている「横田空域」の問題です。下の図1のように、じつは日本の首都圏の上空は米軍に支配されていて、日本の航空機は米軍の許可がないとそこを飛ぶことができません。いちいち許可をとるわけにはいかないので、JALやANAの定期便はこの巨大な山脈のような空域を避けて、非常に不自然なルートを飛ぶことを強いられているのです。


図1 首都圏の上空に広がる「横田空域」

図を見るとわかるように、とくに空域の南側は羽田空港や成田空港に着陸する航空機が密集し、非常に危険な状態になっています。また緊急時、たとえば前方に落雷や雹の危険がある積乱雲があって、そこを避けて飛びたいときでも、管制官から、「横田空域には入らず、そのまま飛べ」と指示されてしまう。

6年前に、はじめてこの問題を本で紹介したときは、信じてくれない人も多かったのですが、その後、新聞やテレビでも取り上げられるようになり、「横田空域」について知る人の数もかなり増えてきました。それでもくどいようですが、私は今回もまた、この問題から話を始めることにします。

なぜならそれは、数十万人程度の人たちが知っていればそれでいい、という問題ではない。少なくとも数千万単位の日本人が、常識として知っていなければならないことだと思うからです。

■エリート官僚もよくわかっていない「横田空域」

もちろんこの「横田空域」のような奇怪なものが存在するのは、世界を見まわしてみても日本だけです。では、どうして日本だけがそんなことになっているのでしょう。

私が7年前にこの事実を知ったときに驚いたのは、日本のエリート官僚と呼ばれる人たちがこの問題について、ほとんど何も知識を持っていないということでした。

まず、多くの官僚たちが「横田空域」の存在そのものを知らない。ごくまれに知っている人がいても、なぜそんなものが首都圏上空に存在するかについては、もちろんまったくわかっていない。これほど巨大な存在について、国家の中枢にいる人たちが何も知らないのです。日本を普通の独立国と呼ぶことは、とてもできないでしょう。

「いったい、いつからこんなものがあるのか」「いったい、なぜ、こんなものがあるのか」

その答えを本当の意味で知るためには、今回上梓した『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を最後まで読んでいただく必要があります。じつは私自身、上のふたつの疑問について、歴史的背景も含めて完全に理解できたのは、わずか1年前のことなのです。

■世田谷区、中野区、杉並区の上空も「横田空域」

まず、たしかな事実からご紹介しましょう。横田空域は、東京都の西部(福生市ほか)にある米軍・横田基地が管理する空域です。

もう一度、図1を見てください。大きいですね。いちばん高いところで7000メートル、まさにヒマラヤ山脈のような巨大な米軍専用空域が、日本の空を東西まっぷたつに分断しているのです。

ここで「米軍基地は沖縄だけの問題でしょう?」と思っている首都圏のみなさんに、少し当事者意識をもっていただくため、横田空域の詳しい境界線を載せておきます(図2)。


図2 東京都心部(23 区内)の「横田空域」の境界線

東京の場合、横田空域の境界は駅でいうと、上板橋駅、江古田駅、沼袋駅、中野駅、代田橋駅、等々力駅のほぼ上空を南北に走っています。高級住宅地といわれる世田谷区、杉並区、練馬区、武蔵野市などは、ほぼ全域がこの横田空域内にあるのです。

この境界線の内側上空でなら、米軍はどんな軍事演習をすることも可能ですし、日本政府からその許可を得る必要もありません。2020年(米会計年度)から横田基地に配備されることが決まっているオスプレイは、すでにこの空域内で頻繁に低空飛行訓練を行っているのです(富士演習場〜厚木基地ルートなど/オスプレイの危険性については『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』第2章で詳述しています)。

むやみに驚かすつもりはありませんが、もしこの空域内でオスプレイが墜落して死者が出ても、事故の原因が日本側に公表されることはありませんし、正当な補償がなされることもありません。

そのことは、いまから40年前(1977年9月27日)に同じ横田空域内で起きた、横浜市緑区(現・青葉区)での米軍ファントム機・墜落事件の例を見れば、明らかです。

このときは「死者2名、重軽傷者6名、家屋全焼1棟、損壊3棟」という大事故だったにもかかわらず、パラシュートで脱出した米兵2名は、現場へ急行した自衛隊機によって厚木基地に運ばれ、その後、いつのまにかアメリカへ帰国。裁判で事故の調査報告書の公表を求めた被害者たちには、「日付も作成者の名前もない報告書の要旨」が示されただけでした。

■いまも中国・四国地方を覆う岩国空域

こうした米軍が支配する空域の例は、日本国内にあとふたつあります。中国・四国地方にある「岩国空域」と、2010年まで沖縄にあった「嘉手納空域」です。


図3 「岩国空域」

上の図が、これまであまり取り上げられることのなかった「岩国空域」です。「横田空域」と同じくこの「岩国空域」もまた、山口県、愛媛県、広島県、島根県の4県にまたがり、日本海上空から四国上空までを覆う、巨大な米軍管理空域です。

この空域内の松山空港に向かう民間機は、米軍・岩国基地の管制官の指示どおり飛ばなければなりませんし、空域のすぐ西側にある大分空港へ向かう民間機も、高度制限など大きな制約を受けています。

岩国空域に関して印象に残っているのは、2016年にオバマ大統領(当時)が広島を訪問したときのワンシーンです。アメリカ大統領による初めての「歴史的な」広島訪問に際して、オバマ大統領は中部国際空港から大統領専用機で米軍・岩国基地に移動したあと、この岩国空域を通って、海兵隊の軍用ヘリで原爆ドームへ向かったのです。

車で行けばわずか40キロ、たった1時間で行ける距離をわざわざ軍用機で、しかも4機のオスプレイに先導されるかたちで移動した。さらに同行する大統領付きの武官は「フットボール」と呼ばれる核兵器の「発射キット」を携行していました。

アメリカ大統領とは、すなわち核兵器を世界戦略の中心に据えた世界最強の米軍の最高司令官であり、彼は日本の上空を事実上自由に、自国の軍用機を引き連れて移動することができる──皮肉にも、そうした歪んだ現実世界の姿をまざまざと見せつけた、ノーベル平和賞受賞大統領の広島訪問となりました。

■見せかけにすぎない「独立」と「安保改定」

「日本の空」がすべて戦後70年以上経ったいまでも、完全に米軍に支配されているということは、じつは日本の法律の条文に、はっきり書かれている「事実」です。

下は1952年、占領終結と同時に、新たに制定された日本の国内法(航空法特例法)の条文です。そこにはまさに、身もフタもない真実が書かれているのです。

航空法特例法 第3項
「前項の航空機〔=米軍機と国連軍機〕(略)については、航空法第6章の規定は(略)適用しない」

ここで重要なのは、右の条文で「適用しない」とされている「航空法第6章」とは、航空機の安全な運行について定めた法律だということです。つまり、「離着陸する場所」「飛行禁止区域」「最低高度」「制限速度」「飛行計画の通報と承認」など、航空機が安全に運行するための43ヵ条(第57〜99条)もの条文が、すべて米軍機には適用されないことになっているのです。

要するに、もともと米軍機は日本の上空において、どれだけ危険な飛行をしてもいい、それは合法だということなのです。この条文のもとで米軍は、1952年に占領が終わったあとも変わらず日本の上空で、なんの制約も受けずに飛ぶ権利を持ち続けました。

そして、それから60年以上たった現在に至るまで、この条文はひと文字も変更されていません。そのことだけを見ても1952年の「独立」や、1960年の「安保改定」が、いかに見せかけだけのものだったかがわかるのです。


             

                 ***

本稿は、『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の第1章を再構成したものです。同書の特設サイトでは、第1章のほか、「はじめに」「あとがき」「追記」、各章のまとめとしてのわかりやすい四コマまんが(計9本/商業目的以外であればマンガの使用・拡散は自由です)を無料で公開していますので、ぜひご覧ください。




55年体制崩壊後の変化

 E 政治が国民の手から離れて遊離していると先程から論議になっているが、55年体制のもとで自民党VS社会党だった時期とも様変わりしている。あの時期は、財界が自由経済への保険などといって自民党にテコ入れし、それに対して社会党側に労働組合などがつくという構造だった。支配の枠組みとしては右と左の二刀流だ。しかし、1989年に冷戦が終結し、91年にソ連が解体するというなかで55年体制も必然的に崩壊していった。労働運動も下火になり、連合は労資協調路線で企業の利益を代弁する装置に成り下がった。いまや見る影もない。下関の連合などまるで安倍派の別働隊だ。自民党も組織崩壊は著しいが、これに対決していた格好の野党側も変質して、有権者に見捨てられた。従って、圧倒的な国民は依存したり支持する政党がなくなった。それが国内で大半を占める「支持政党なし」の無党派層として存在している。


 B ただ、実はこの無党派層が選挙において決定的な力を握るようにもなった。政党組織の固定票だけでは勝てないし支持基盤は乏しいので、選挙で人為的に風を作り出すようになった。メディア依存の劇場型が多様されるのはそのためだ。


 A 90年代初頭といえばバブル崩壊の時期にも重なるが、米ソ二極構造が崩壊して、財界としては何が何でも自民党を政権与党にし続けなければならない理由もなくなった。そのなかで、利益誘導の族議員がいたり、旧い自民党体質は経団連にとって商売の邪魔にもなった。そして財界が「政権交代のある民主主義」とか「政治改革」を求め始めた。転機になったのは1988年のリクルート事件だ。佐川急便事件もあった。そうした混乱のなかで、93年には自民党を飛び出した小沢一郎らが新生党や新党さきがけを結成し、非自民連立政府で細川が首相になった。しかしこれも佐川急便に1億円借金していたことが発覚して総辞職に追い込まれ、その後は自民党が社会党をとり込んで自社さ政権が成立した。そして村山富市が首相になった。


 かつて55年体制で非和解的な政党のように見なされていた自民党と社会党が連立政権をつくるのだから、世間を大いに驚かせたし、社会党の裏切りに批判世論は高まった。そして、社会党は今日の社民党を見ればわかるように泡沫政党になっていった。ちょうど与党願望でとり込まれていく、今の民進党みたいなものだ。土井たか子といっても議長ポストを持ってこられたら飛びついていった。支配の枠組みのなかで立ち回っていたに過ぎないことを自己暴露した。いわゆる左とかいうものが自民党批判勢力のガス抜き装置みたいな役割を果たしていたわけだ。55年体制はある意味、冷戦構造のもとでの二刀流だった。支配の側にとっては、それが都合よく機能して政治の安定を保っていた関係だ。


 B これは世界的にも共通している。ソ連や中国の変質とともに左翼も変質してしまい、「労働党」などと名乗りながら支配層の代弁者となったり、政権を持たされると裏切ったりして、大衆から見限られている。その結果、新自由主義による強欲な搾取に対して、まるで対抗する力を持ち合わせていない。大衆が困難に見舞われているのに、現実の外側に机を置いて評論したり、眺めている傾向も強い。観念の世界を彷徨っているのもいる。しかし大衆的な反抗もすごいから、イギリスでコービンが熱烈に支持されたり、アメリカでサンダースが脚光を浴びたりという動きにつながっている。


 D 55年体制は保守VS革新といわれたが、元をたどれば総評も占領軍がつくったものだ。共産党や社会党の存在を合法化したのもGHQで、意図をもってしたことだ。GHQは意識的に労働組合をつくらせ、左翼も台頭させて、今につながる支配の枠組みをつくった。戦後の政治を見るときに、決して財界の意向だけで事は動いていないこと、対米従属構造のもとで、その支配を犯さない限りにおいて、自民党であれ革新であれ飼い慣らされてきたことを見ないわけにはいかない。


 そして結局のところ、政党政治の劣化とか腐敗堕落というけれど、政治家や官僚が実行しているのはアーミテージレポートなり年次改革要望書というだけではないか。自分で何かを考えて実行しているわけではない。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/4953



2017.11.01
米軍の動き 横田基地ー六本木ヘリポートーニューサンノー米軍センター @
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html


さて、選挙というのは単なるショー。
自民が勝っただの、立憲君主が躍進しただの。

選挙とは、ちゃんと国民主権でやってますよ〜
国民様の意見を聞いてますよ〜というポーズ。
プロレス中継とほぼ変わらないのです。

でも、バカな一般市民はプロレスの方に一喜一憂して、その裏のプロモーターについてはスルーしてるのです。

まぁ、良く言うことですが、
真実の動きを知りたければ、ヒト、モノ、カネの動きを追え。

例えばカネについては巨額の年金ファンドがどこを買ってるのか。
そこに着目すれば、だいたい未来が予測できてしまう。
先日ブラックロックが軍需産業株をしこたま買ってると書きました。

では一方、例えばヒト、モノはどうでしょう。
例えば軍隊。
多くのヒト、物資が動くのは軍隊でしょう。

どこかの国の政治を理解するのにはテレビの政治ショーではなく、軍隊の動きを見る。
それでその国の政治が分かってしまうのです。

以下の本は最近ベストセラーになってる本でした。

在日米軍の動きを書いてる本です。


知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書)
矢部 宏治 講談社 2017-08-17
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/


読んだ人も多いのじゃないでしょうか。

著者がこう言ってます。

今、日本に住んである程度生活に満足してる高齢者はこの本は読まない方が良いでしょう。
なぜならこの国に対する幻想が根底から崩れ絶望してしまうからだ。

日本の未来を知る必要のある若者だけが読んだ方が良い。
そう言ってます。

ワタスもそう思います。

この本の書評欄には、著者の命が心配と書いてありましたが、確かに結構危ない線まで書いてます。

まぁ、とにかく、元も子もないことが書いてあるのです。

日本は独立国だって?
ブハハハハ! アホか!
あんた、まだそんなこと信じてるの?

そんなことは幻想だよ。


日本の国会も単なるお飾り単なる政治ショーだよ。
在日米軍の動きを見たらわかるでしょ。

本当にこの日本を治めてるのは月2回開かれる米国軍人会議だよ。

毎月横田基地からヘリが飛んで来る。
そこにアメリが軍人が7名乗って来る。
そして日本の官僚が6名が呼び出されて、これからこの国をどう動かすかが決定されてるんだよ。

それを日米合同委員会と言うんだよ。
その仕組みは戦後70年間変わってないよ。

それなのに政治がどうのこうの。何党が勝っただの。バカなの?

と言ってる本でした。

うーん。。なんとも。。これは。。

ワタスが面白いと思ったのは横田基地からのルートですね。

毎月2回、横田基地から7名のアメリカ軍人が軍用機で六本木ヘリポートに降り立つ。

そこからニューサンノー米軍センターというところに移動するそうです。
車で5分だそうです。

六本木ヘリポートとは、六本木トンネルの上にあるヘリポートですね。
一度に2台もヘリが飛んで来ることもあるようです。

六本木ヒルズの横。ちゃんと米軍基地という立て看板があります。

うーん。こんなとこに米軍基地があったのか。


六本木トンネルは青山一丁目の交差点から青山霊園の脇を抜けて六本木六丁目の交差点に行くトンネルです。
この上にヘリポートがあるようです。

これは動画。こんな感じでヘリが六本木と、横田基地を行き来しています。


東京桜散歩 六本木に米軍基地が 米軍ヘリコプターが飛び立つ 2014.4.5 Roppongi - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q-dXO6WAJ5o

20120322ヘリ23区唯一の米軍施設麻布米軍基地.3GP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A8ejBfzC0dI


ヘリが低空を飛ぶので住民たちがうるさい!返還デモが起きてるようでした。
ここは別名赤坂プレスセンターと呼ぶようです。

で、ヘリで降り立ったアメリカ軍人たち。
ニューサンノー米軍センターというところに向かいます。

ニューサンノー米軍センターとはこんな場所。別名ニューサンノーホテルです。


こんな感じで会議が開かれるようです。

隔週木曜日の午前11時前、横田基地から米軍軍人7名が、軍用ヘリで六本木にある米軍基地六本木ヘリポートに降り立つ。

そこから会議室がある南麻布の米軍施設ニューサンノー米軍センターに到着する。

そこには日本側6人の各省庁の官僚が呼ばれている。
アメリカ側は全員軍人。中に1人だけアメリカ大使館公使がいる。

この秘密会議で決められた内容は国会に報告する義務も外部に公表する義務もまったくない。
事実上ノーチェックで実行できる。

その秘密会議は、日本の国会や憲法より上位の存在なのです。

これが日米合同委員会と呼ばれる会議です。

以下は組織図。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html

ここに出席する日本側6名は、外務省なら北米局長、法務省なら大臣官房長、農林水産省経営局長、財務相大臣官房審議官・・等々のトップ官僚たち。

で、この組織図の上司が米軍になるのです。
つまり日本の官僚達のトップが忠誠を誓ってるのは米軍ということです。

安倍ちゃんや政治家などお飾りということです。

以下は、この本に載ってた漫画。

http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/japan-taboo/ より

この漫画でも描いてるように。
実は、今までこの日米合同委員会についてはアメリカ側からもたびたび批判が来ていた。
米軍の軍人たちが日本の官僚に直接指示を与えるなんておかしい。
駐日公使が駐日大使に報告しているのです。
公使とは大使のすぐ下の立場の人です。

というわけで、日本政府は毎月2回、横田幕府からお使いが来て、
下々が命令をきく仕組みで動いていた。
それは戦後もずーっと変わってなかった。

ちゃんちゃん。

元も子もないお話ですね。

この本は、他に日本の空域が完全、日本人のものではなく在日米軍で使われてるとも書いてます。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html



14. 中川隆[-6029] koaQ7Jey 2017年11月03日 13:38:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部 宏治 本
カスタマーレビュー
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/
ここに書かれている内容については薄々感づいてはいた。全ては日米安保条約である。この条約が曲者。通常の条約とは異なり法的拘束力は日本国憲法よりも上位に位置する。何故そうなったかは最高裁の砂川判決による。それは米軍基地の違法性を憲法で判断する事ができないという特殊性を認めたからである。つまり日本国憲法で安保条約を裁く事はできない。これはアメリカの圧力が掛かった判決である事が判明している。

この最高裁判決により今日まで安全保障に関連した問題には憲法が正常に作用しない。その安保条約に付随させた様々な案件が法律や憲法の適用除外項目とされ、日本に措けるアメリカの軍事行動を有利に導く形で機能している。それを執り仕切っているのが日米合同委員会という秘密会議である。基本は密約であり国会承認は不要。その主導権はアメリカが握り、その判断はアメリカ軍人に任されている。これにより日本は軍事的にアメリカに支配される。

だが時の政府もこの秘密会議を利用して安保条約を拡大解釈する傾向が強まった。つまり軍事面以外でも様々な適用除外項目を設けて法律や憲法に制限を加え、これを安全保障としての名目で括れば砂川裁判と同じで違憲判決できない。原発も実は電力ではなく核兵器技術開発の一環と見做した安全保障分野となりアメリカが決定権を握る。従って日本は口出しできない。

最近では放射性廃棄物の扱いである。これは環境汚染に関する様々な法律からは全て適用除外とされている。その結果、福島県住民の被害の訴えは悉く却下される。その土台となる原子力基本法には安全保障という文言が入っている。

【雑感】
戦後から今日に至るまで日本は軍事的安全保障という側面から見るとアメリカの51番目の州であるという捉え方は正しい。 

@裁判権(治外法権) 
A基地権(米軍基地を自由に作れる) 
B指揮権(有事の際、自衛隊は米軍指揮下に入る) 

という日米合同委員会の密約が存在する限り日本は米軍の支配下にある。そういう意味でこの秘密会議は安保条約を利用したWGIPのようにも見えてくる。

また基地権に関していえば北方領土問題は解決できない。ロシアが北方領土を返還しても、そこに米軍基地ができる可能性を排除しない限り返還には応じない。それはTHAAD配備に反対する立場を見ただけで解る。つまり領土問題は少なくとも日米露の3カ国首脳会議で軍事的利害関係を調整できない限り無理である。



15. 中川隆[-6033] koaQ7Jey 2017年11月03日 13:41:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部 宏治 本
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日米安保体制の産みの親、ジョン・フォスター・ダレスの呪い。(基地権・指揮権の密約)
投稿者M まさベスト500レビュアー2017年10月4日


いつも矢部氏の著書を読んで感心しているが、膨大な資料から難題課題を我々に解りやすく纏めあげ提供してくれるのは非情に有難い、今回もメジャーメディアでは、タブーされている課題に切り込み、現在の日本国民に相当重要な内容がある。簡単に纏めて起きます。

外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方増補版)の中に、○アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。○日本は合理的なしにその要求を拒否することはできず、現在に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の地位協定に「NO」ということはできない。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土変換交渉」は、「変換された島に米軍基地を置かないという約束は出来ない」という方針が、ロシア側に伝えられ、プーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマ日露首脳会議の席上で、「島に米軍基地が置かれる可能性がある」それでは交渉は終わると述べている。もし、安倍晋三が「返還された島には米軍基地を置かないという約束」をしていたら、2010年に普天間県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じになっただろう。

「戦後日本」には、首相ですらよくわからない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めて、残念なことに、そういう掟の殆どは、日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

1977年9月27日に、横浜市緑区(現・青葉区)でのファントム機・墜落事件は、「死者2人、重軽傷6人、家屋全焼1棟、損壊3棟」という大事故だったが、パラシュートで脱出した米兵2名は、自衛隊機によって厚木基地に運ばれ、その後、いつのまにかアメリカへ帰国、裁判で事故の調査報告書には、「日付も作成者の名前もない報告書の要旨」が示されただけだった。

実は、「横田空域」「岩国空域」「嘉手納空域」米軍が管理する巨大な空域があり、「日米合同委員会」という密室で合意されたことから、空域については、いまだに何の国内法の根拠もない、ただ占領時代から続く米軍支配の状態がそのまま継続している。米軍は上空に設定したような優先空域を日本全土の上空にいつでもどこでも設定できる権利を持っていて、米軍機は日本の上空において、どれだけ危険な飛行をしても合法なのである。

アフガニスタンで実践に使われた海兵隊の航空機は、全体平均飛行時間3,747時間(約5ヶ月相当)に1度事故をおこしたのに対して、オスプレー(MV22)はなんと、90時間(約4日相当)に1度事故を起こした事が報告されていて、2020年からは、よりいっそう危険とされる空軍仕様のオスプレー(CV22)も、横田基地に10機配備される。すでに、オスプレーは、10月には横田基地、11月には東富士演習場(静岡県)、12月には岩国基地(山口県)に飛んでいて、12月13日の夜、沖縄で空中給油訓練中に墜落した。米軍ヘリやオスプレーの墜落事故のケースを見てもわかるように、敗戦後70年以上たってもなお、事実上、国土全体が米軍に対して治外法権下にある。

日本国内で米軍の飛行機が墜落して市民が命を落としても、交通事故でけが人が出ても、日本の警察は米軍が勝手に張った規制ロープの中に入れず、証拠物件を捜索したり事故の原因を調べる法的な権利がない。こんな奇妙な国は、世界中どこにも存在しない。

サンフランシスコ講和条約(平和条約)と旧安保条約は、どちらも1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効し、旧安保条約第1条には、「平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」その時から日本はアメリカに対して、非常に大きな軍事上の特権を与えることになる。

アメリカとイラクがむすんだ「イラク・アメリカ地位協定」イラクがアメリカが提案してきた地位協定の草案に、110ヶ所の訂正を求め、中でも、「イラクに駐留する米軍が、イラクの国境を超えて周辺国を攻撃することを禁じる」という条文を加えている。

日本人は、世界一戦争をよくする米軍に対して、「国内に自由に基地を置く権利」と、「そこから飛びたって、自由に国境を超えて他国を攻撃する権利」を両方与えてしまい、これは明らかな「主権喪失条項」この協定を結んでいる国は、世界中の中に、日本と韓国、台湾で、台湾は、1979年に米中が国交を樹立したときにアメリカとの国交が断絶し条約も同じ年に失効している。

日米合同委員会は、「米軍が『戦後日本』において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」であり、この本会議には、日本側六人、アメリカ側七人が出席し、月にだいたい二回、隔週木曜日の午前中の11時前に、横田基地から、軍用ヘリで六本木にある米軍基地から、南麻布にある米軍施設「ニューサンノー米軍センター」の会議室で開かれている。日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対して、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人である。ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接関係が、いまだに続いているということてある。

つまり、「戦後日本」という国は、「在日米軍の法的地位は変えず」「軍事面での占領体制がそのまま継続した」「半分主権国家」として国際社会に復帰したということである。

私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。つまり、「アメリカの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものである。

鳩山首相時代、普天間基地の移設問題で、外務省、防衛省から幹部を二人ずつ首相官邸に呼んで秘密の会合をもち、以前から温めていた「徳之島移設案」という最後のカードを示して、協力を求めた、このメンバーが互いに情報交換しながら、それを外部に漏らさない、漏れた瞬間、この話は潰されてしまう恐れがあった、この連中はやってくれるんじゃないか、期待していたが、4月7日、朝日新聞の夕刊一面に、その機密会合の内容がそのままリークされた。当時の鳩山首相の精神的なダメージは大きかった。

日米合同委員会の実態がわかってくるにつれて、背景が徐々に明らかになり、協議といっても、最終決定権は米軍側が握っていて、「それはすでに米軍の上級司令官[大平洋軍司令官]が決定したことなので、日本政府が承認するかどうかは問題でない」などとスレートに発言しているケースもある。

法務省から合同委員会のメンバーとなる大臣官房長は、その後、かなりの確率で検事総長に就任している。検事総長を出す権利を握っているわけだから、日本の法的な権力構造のトップには、この日米合同委員会が位置している。

1957年群馬県で、21歳の米兵が、41歳の日本人農婦を基地の中で遊び半分に射殺した「ジラード事件」では、秘密合意事項として、日本の検察がジラードを殺人罪ではなく、傷害罪で起訴すること、日本の裁判所に対して可能なかぎり軽くするように勧告することが合意されていた。それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役三年、執行猶予4年」という、判決を出す、判決の2週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められてしまった。

「米軍関係者が日本の法によって裁かれない権利」(裁判権)も、「米軍が日本の国土全体を自由に使用できる権利」(基地権)も、最初は旧安保条約と行政協定の中に書かれていた。

米軍関係者の犯罪について、なぜ行政協定の条文が改善されても実態が変わらなかったかというと、その裏側で、日米合同委員会の秘密協議によって、
○「裁判権放棄密約」〈日本側はいちじるしく重要な事件以外は、裁判権を行使しない〉○「身柄引き渡し密約」〈米軍関係者による犯罪が、公務中に行われたものかどうかわからないときは、容疑者の身柄を米軍に引き渡す〉このふたつの密約が日米合同委員会で結ばれていた。「いちじるしく重要か」、「重要でないか」は、米軍側が決定権を持つ日米合同委員会である。

日本の裁判権を事実上放棄するこの密約について、外務省が真正面からそれを認めるコメント(報道ステーション)をだしている。

「行政協定」=「地位協定」+「密約」という非常に大きな基地権密約について、「公式」が生まれ、そこから無数の密約が生み出されていくことになった。

とてつもない歪みを隠すために、この国は、国家のもっとも重要なセクションにそれぞれ裏マニュアルを必要とするようになった。@最高裁の「部外秘資料」A検察の「実務資料」B外務省の「日米地位協定の考え方」@とAどちらも、米軍関係者に「治外法権」を与え、Bは「裁判権」と「基地権」のあり方について、方針をまとめた、それぞれの裏マニュアルである。

戦後を考える上で、1954年の造船疑獄事件で、当時与党自民党の幹事長だった佐藤栄作の逮捕を、犬養健法務大臣が検事総長に対して指揮権を発動し、止めさせた、犬養はその後責任をとり辞任し、結局、吉田茂内閣の退陣までつながった。

検察裏マニュアルには、米軍関係者の犯罪については、「全ての起訴と起訴猶予について、必ず法務大臣が指揮する」と、「部外秘の通達」が、前年に、法務省検事局から全国の検察庁にあてて通達されていた。たった1度、実行されただけで、法務大臣を失脚させ、内閣を崩壊させ、その後も長く「戦後政治における最大の汚点」と目されて指揮権の発動。それが米兵犯罪については日々つねに「発動」されているという、いかにそれが深刻な状態で有るか、わかると思う。

なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられなかったか、法的な構造問題が沖縄基地問題と同じだった。日本には環境汚染を防止する立派な法律はあるが、放射性物質はその「適用除外」条項があり、大気汚染防止法、土壌汚染対策法、水質汚濁防止法、それぞれ、放射性物質を適用しないまたは、除くと、ある。

1959年「砂川裁判」は、東京都・立川にあった米軍基地拡張工事をめぐる裁判で、東京地裁の伊達秋雄裁判長が、「憲法9条2項に違反」として、旧安保条約を違憲とする判決を下すが、翌日、マッカーサー駐日大使が日本の藤山外務大臣を呼び出し、指示を与えた経緯から、マッカーサー在日大使が最高裁の長官(田中耕太郎)と密会して、日本の司法の歴史における最大の汚点、「司法破壊」を行った。

「安保条約は日本国憲法の上位にある」ことが最高裁の判例として、事実上、確定してしまった。

「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」まさに、「法治国家崩壊」をもたらした大事件が、最高裁の法廷で起きてしまった。

ほとんどの人が、1945年8月15日に「第二次大戦を終えた」(終戦記念日)は、世界の常識とは違い、米国や英国の外交官は、必ず9月2日と答えが返ってくる。「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本のきびしい状況について、目をつぶりつづけてきた、日本の戦後だった。

ミズーリ号の調印式(9月2日)には、重光葵、梅津美治郎(よしじろう)が二人が出席し、天皇の姿は意図的に隠されることになった。

この降伏文章の受け入れから、7年後の1952年4月に独立回復するまで、日本政府や昭和天皇が自分だけの判断にもとづいて、何か重要な文章を作成したり、発表したりすることなど全くなかった。

日本人をうまく誘導するためにつくられる、イメージ操作用のオモテのストーリー(絵本のような歴史)の裏側には、すべて分厚い研究の裏付けがある。もともと、「占領」とは、戦闘行為は、終わっているが、平和条約を結んで国と国の関係が法的に決着するまでには、法的にも政治的にもまだ
「武器を使わない戦争」が続いていて、日本に決定権がないのは当然のことなわけである。

「降伏文書」→「人間宣言」→「戦争放棄」と重大な政策はすべて、まず、天皇自身に宣言させ、それから日本人に受け入れさせるという基本方針があった。

国連憲章のどの条文にルーツがあるのか、さらにその国連憲章の条文はそれぞれどこにルーツをもっているかについて、調べる必要がある。

@大西洋憲章(米英で基本文書作成・1941年4月) A連合国共同宣言(26ヵ国参加・1942年1月) Bダンバートン・オークス提案(米英ソ中で基本文書作成・1944年10月) C国連憲章(50ヵ国参加作成・1945年6月)
非常に理論的かつ戦略的なやり方で、米英は第二次大戦に勝利し、そのまま「戦後世界」を支配し続けた。

憲法9条とは、完全に国連軍の存在を前提として書かれたもので、自国の武力も交戦も放棄したということである。

指揮権密約「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」という密約が、1981年に、「朝日ジャーナル」がアメリカの公文書から発見して、発表している。

戦争になったら、誰かが最高指令官になるのは、現状ではその人物が米軍司令官で有ることに異議はない。という表現で、吉田茂は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認め、「指揮権密約」が成立することになる。軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」であり、絶対に公表は出来なかった。

1951年9月8日、「吉田・アチソン交換公文」という条約は、朝鮮戦争の開始以来、占領軍からの指示によって行っていた米軍への 兵站(へいたん)活動(後方支援)を独立後も続ける。という意味だった。

日米の間には「日本占領下で行っていた米軍への戦争協力」を今後もずっと継続するという法的な関係が21世紀のいまもなお存在している。日本の歪みの根っこにあったのは、「占領体制の継続」ではなく、「占領下の戦争協力体制の継続」であった。

1950年6月に朝鮮戦争が始まり、劣勢を強いられ、米軍はどうしても日本の軍事力を利用しなければならなくなり、憲法9条2項の破壊が、日本国民にその実態を完全に隠したまま行われた再軍備への道であった。朝鮮半島に出撃した米軍部隊のかわりに、からになった米軍基地に配備するために、「軍隊そのもの」だったが、「警察予備軍」が発足された。

対米従属の正体に、旧安保条約があり、「戦後日本」という国がもつ大きな歪みの正体が、すべて条文に収縮されている。

「自衛隊と米軍基地は合憲で、海外派兵は違憲」という憲法解釈が続いてきた。

米軍が書いたこの旧安保条約の原案には、指揮権・基地権について、非常にリアルな日米安保の本質が記されていて、軍事面からみた「戦後日本」の歴史とは、つまりは米軍が朝鮮戦争のさなかに書いた安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだった。

安保条約での集団的自衛権を拒否し続けていたのがアメリカ側で、基本的に個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係「相互防衛条約」とはいいながら、相手国への最終的な防衛義務は負わない条文を、意図的に安保改定交渉の真っ最中に意図的に考え出していた。

安保関連法を強引に可決させた安部首相は、日本が集団的自衛権を行使できれば、アメリカと「互いに血を流して守りあう」対等な関係になれると幻想を抱いているが、日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえなく、指揮権密約を見れば解る。つまり集団自衛権というのは、現在の日米安保条約とは基本的に関係ない概念である。

「戦後世界の歴史は、法的支配の歴史」であり、「国際法→条約→国内法」という法体系でしばっておけば、自分たちは何もしないで、その国の警察や検察が、都合の悪い人間を勝手に逮捕し、アメリカはコストゼロで他国を支配出来る。戦後世界においては、軍事力ではなく、国際法こそが最大の武器になる。詐欺同然のダレスのグランドデザインが、70年近くの時を経て、すべて現実のものになろうとしている。

公平な目で世界を見わたせば、世界大戦の可能性がほぼ消滅した地球上において、国民の平和の配当を還元することなく、突出した軍事力を維持し続け、国連憲章を無視した他国への軍事介入を繰り返しているのは、ただ一カ国アメリカだけである。

「戦後の日本」という国は、アメリカ政府ではなく、アメリカ軍部(日本を占領した米極東軍を編入した米大平洋軍)によって植民地支配されている。
そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態になっているのか、その歴史的経緯や法的構造がさっぱりわかっていない。

サンフランシスコ・システムの法的構造は、安保法体系→日米合同委員会→基地権密約・裁判密約・指揮権密約となっている。これから、「解決策を探す旅」のヒントに、○大国と従属関係に合った国が、どうやって不平等条約を解消したのか、○アメリカの軍事支配を受けていた国が、どうやって脱却したのか、○自国の独裁政権を倒した人たちは、どのような戦略を立てていたのか、を、急いで調べる必要があると、締めている。

素晴らしい、ここまでよく調べあげている、私は改憲や集団的自衛権等の論争で、何時も欠けている論点が有ると感じていて、国連の集団的自衛権の行使の議決権を取り戻さなければ、只、利用される自衛隊になるだけで、ここの問題は大きいと、しかし、矢部氏が指摘している様に、最も重要な論点、「指揮権密約」の問題は深刻で、日本国民の為の自衛隊なら歓迎だか、訳の解らない組織に利用される自衛隊には勘弁してもらいたい。正直、改憲や憲法解釈等の著書を幾つか読んだか、この著書は郡を抜いて素晴らしい内容になっている今後の矢部氏の活動に注目したい。
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知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部 宏治 本
カスタマーレビュー
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米軍に支配された真の日本の姿をあぶり出す全国民の必読書
投稿者本格派ベスト500レビュアー2017年8月23日


本書は、著者が『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』などの自著、または企画編集した「知の再発見」シリーズ等の、米軍による日本支配の構造を知るために極めて重要な本で紹介してきた内容を簡潔にまとめて読みやすい新書版にしたものである。著者の7年間に渡る研究成果の集大成である。

初めてこれらの情報に触れる人にとって、本書はまさに衝撃以外の何物でもないだろう。なおかつ堪らなく面白い。

帯に「9つの掟」とある。その9つとは恐らく9つの章を指しており、それぞれの章で取り上げられているのは以下の内容である。


1.日本上空に設定された飛行禁止区域

2.日本の全国土は米軍の治外法権下にある

3.米軍にとって日本との境界はない

4.米軍幹部と日本の官僚が月2回話し合う日米合同委員会が在日米軍の在り方を決めている、

5.日本国民に示せない内容は密約にし、それを実行するための裏マニュアルを作成し運営する

6.日米安保条約は憲法の上位にある

7.降伏文書、憲法など重要な文書の原案はアメリカが英語で作る

8.自衛隊の指揮権は米軍にある

9.在日米軍は「国連軍の代わり」という詐欺的論理で駐留し続ける


いずれも大多数の国民にとっては初耳の驚くべき内容であろう。しかし、これまでの在日米軍と日本政府との異常な関係性を見聞きして感じてきたであろう様々な疑問にものの見事に応えてくれる内容でもあるはずだ。

ここで詳細を語るには「話せば長い」内容なので、ごく簡単にエッセンスだけ書き出す。詳細については本書をぜひ読んで欲しい。


・日本の上空には、未だに米軍が制空権を握る空域が首都圏を含めていくつかある

・米軍は日本のどこにでも好き勝手に基地を置ける

・「砂川裁判」により、最高裁は在日米軍や原発などの「高度に政治的な内容」に関しては判断をできなくなっている。つまり日米安保条約は憲法の上にある。

・自衛隊の指揮権は米軍が握っている

・憲法9条の戦力放棄は、実現しなかった国連軍が世界の警察として機能することを前提として書かれた

・在日米軍に関する取り決めはすべて、日米安保条約などの「表の取り決め+密約」で構成されている

・軍事に関しては、未だに米軍が日本の官僚に直接指示を出す「日米合同委員会」という仕組みを通じ、占領下そのものの仕組みが続いている


この本を読むと、昨年制定されて国民の大きな反発を受けた安保法案とはどのような意味合いを持つものだったのかがはっきりと理解できるようになっているはずだ。

本書は、公開されたアメリカの公文書を元に構築された紛れもない事実によって構成されている。これが日本の真の姿である。

従って本書は国政を率いて行く政治家及び官僚には必須の知識である。日米関係に関する密約の中身を知らずに在日米軍に関する対米交渉を行なったり憲法改正を行おうとするのは、著者の言う通り極めて危険であり、無益なことである。

我々国民も、この本の内容を知った上で、憲法改正の是非、沖縄基地問題、選挙の投票先などを判断するようになれば、時間は掛かるだろうが、日本も本来あるべき姿へと近づいて行くことができるのではないかと思う。



元防衛大臣石破さんと著者矢部宏治さんがBS番組で討論、事情通の田原総一朗も知らない情報だらけでした。
投稿者1967ADJ2017年9月23日

2017年9月23日のBS激論クロスファイヤーで、番組司会の田原総一朗さん、知ってはいけない 隠された日本支配の構造作者矢部宏治氏と「戦後日本は在日米軍に事実上支配され続けている…!? 知られざる驚愕実態の真偽を元防衛大臣の石破茂衆院議員に直撃! 」

こんな討論番組がありました。

こんな検索で見つかるかもしれません。孫コピーで未来に残したい動画です。
「激論クロスファイア最新 2017年9月23日 石破茂に直撃」
流石に重要情報なので、2日後の9月25日(月)には消されています。

大抵は「君の言ってる事は、事実や資料は一切無い」とか対立しますが・・・
今回は違いますね。

元防衛大臣で軍事オタク、慶応法学部卒の石破さんは流石に戦後の政治家、米側のバックボーンまで知っています。
実際政治の現場では、大臣が、「日米地位協定はどうなっている?」とか言い出すと、防衛庁、省庁の役人、側近などに「そこは語ってはいけない」と圧力が掛かります。
と石破さんが話しています。
田原総一朗さんもこの本まで知らなかった日米合同委員会。この裏側もかなり語っています。

必見でしょう。陰謀論とか思う人は実態を知らないだけです。
陰謀論と馬鹿にしているありえない様な状態が日本では現実だって事ですね。

番組中に「この手の話は驚くほど議員や役人を含みこの話は知らない」と石破さんは番組で言っています。

著者のツイート
矢部宏治‏ @yabekoji 9月20日
田原総一郎さんの「激論!クロスファイア」(BS朝日/23日10時予定)で、元防衛大臣の石破茂さんと対談しました。次期首相の呼び声も高い石破さんですが、密約や地位協定、日米合同委員会について驚くほど率直に内情を語って頂きました。必見です

そうそう、番組司会の田原総一朗さんが石原慎太郎さん都知事時代に横田基地の空港、横田空域を日米で民間機乗り入れ空港。
横田空域返還しようとしましたが・・・・
圧力で結局実現しなかったと言っていましたね。

2017年9月には、NHKスペシャル「スクープドキュメント沖縄と核」
これも密約の話です。1959年米国統治下の沖縄で米軍が那覇空港付近に配備した広島と同等の威力の20キロトンの核兵器を装着した地対空ミサイル、ナイキを核兵器装着のまま点検していると、整備ミスで発射され点検した兵士死亡。水平発射され那覇の海に落ちました。これがもし爆発していたら那覇が吹き飛んでいた。
このレベルの事件は隠されます。

以前ですが・・・・
政界の暴れん坊と言われた喧嘩ハマコー、浜田 幸一さん(元衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長、2012年没)国会で椅子を投げて暴れてる動画がよく出る人。バラエティにもよく出ていた。
若い頃は「千葉でヤクザをしていた」と本人が語り「木更津のダニ」と言われ、相手を差し懲役刑になる。
尊敬する人は関東の大物組長。
その後、議員になるが、ラスベガスでバカラ賭博をして1晩に4億5000万円負け、ロッキード事件絡みの大物右翼が肩代わりした。

そんな浜田 幸一さんは「アメリカは怖いですか?」と番組で質問を受けました。
回答は、「何言ってんだ、アメリカは怖いに決まってる」「アメリカ様様だ・・・・」と回答していましたが・・・

私は当時やばい事言ってると思いましたが・・・
本当の意味を解る人は殆どいなかったでしょう。

もし、石破さんがこの先スキャンダルや自殺、急病で亡くなる。
こんな場合は、今回の件が引き金で諜報機関関与を疑うべきでしょう。

因みに、私が子供の頃から住んでいたエリアはこの本の舞台です。
地元ネタ含みで・・・
東京タワーから六本木方面に歩いて行くと・・・
坂がある途中の飯倉に戦前、水交社のビルがありました。
ここは帝国海軍の将校専用クラブで、山本五十六海軍元帥が戦死した時の国葬時このビルから出発しています。
戦後にアメリカ軍が占拠し当時からフリーメーソンのグランドロッジになっています。(ここに引っ掛かる人もいるかもしれませんが・・)
マッカーサー元帥は、フィリピンのメイソンの最高位と言われています。
不法占拠で裁判にもなったそうですが・・・現在もメソニックビルとしてあります。

鳩山由紀夫総理の弟の鳩山 邦夫さん(元大臣、自民党議員、東大法学部を首席で卒業、2016年没)は・・・
戦後に首相になった祖父、鳩山一郎(政治家、弁護士。1954年(昭和29年)-1956年(昭和31年)第52・53・54代内閣総理大臣)。
鳩山一郎総理本人を含め大臣の半分がメーソン会員だったとテレビ番組で答えています。

坂を下りると機動隊バスが待機しています。

左側に会員制のアメリカンクラブ(世界の諜報機関が集まると言われている)

その先には、ソビエト大使館(現在はロシア大使館)ここは諜報機関関係者が当然います。
監視もするでしょう。

ポルシェがあるミツワモータース。
ここの交差点にも機動隊バスが待機し、右翼の街宣車が来ると道路を封鎖します。

六本木交差点近くにあった国際歯科に通っていましたが・・・
実はここにソビエト大使館関係者がよく治療に来ていました。
一緒になる事が小学生時代にありましたし・・・
ここの待合室には、防衛関係の日本語の兵器専門書が沢山置かれていました。
SDI関連とか・・・かなり勉強させてもらいました。

現在のミッドタウンには、防衛庁、防衛施設庁がありました。
この周りには、地元の小学生なら誰でも知っている刑事が常駐していました。
特徴があり、コートを着た刑事はイヤフォンを付けているので、即判ります。

当時は、防衛庁外部をテレビカメラで監視していて、中では派手な外人の女性等が防衛庁周囲を歩いていると、練習としてテレビカメラで追っかけ続けたなんて話を、現場の関係者から聞いています。

ミッドタウンから星条旗通り方面に進んでいくと・・・
右手にアメリカ軍施設が六本木にあります。
星条旗新聞(米軍向け新聞社)やヘリポートが入っていたので、有名ですが・・
ここにスノーデンがいた諜報機関もあるそうです。

これ以外にも氷川神社の横にはアメリカ大使館の職員施設があり、かなり広いエリアですね。
昔はハロウィン時は入れましたので、地元の子供は入った事があります。

今回の本に出てくる広尾駅から歩いて5分程の山王ホテルは、親戚が米国軍人の家族だった為に、90年代に何度か訪れたことがあります。ここは、六本木で飲んでいる米軍関係者の定宿です。

「どこに泊まっているの?」「ニュー山王だよ」なんて話はよくある話。
当時から日米合同委員会の事は知っていましたが・・・


追記
2017年10月に沖縄の高江でヘリコプターが炎上、落下場所は自宅から300mの農家の私有地。

ここで警察も沖縄県、沖縄県知事も手を出せない。
理由はこの本を読んでる人はすぐ理解できますが・・・
地上波では、現在までこの裏側、理由を取り上げていません。
マスコミの忖度、圧力がありますね。



「戦後日本」に存在する「ウラの掟」を明らかにする―アメリカとの異常な「基地権密約」「指揮権密約」「裁判権密約」
投稿者仮面ライターVINEメンバー2017年9月4日
  
 私の住む北海道では、2016年9月1日付けの日米合同委員会合意(沖縄の訓練負担の軽減等)に基づき、8月10日から28日まで日米共同訓練(ノーザンヴァイパー)が実施され、8月5日にオーストラリアで事故を起こしたMV−22オスプレイなども飛来した。ティルトローター機であるオスプレイの安全性等については、以前から様々な場面で指摘されているところであり、実際、道(庁)や関係自治体などが懸念を示したが、米側は意に介さず強行参加させた(そして8月29日、またもや大分空港に緊急着陸している!)。こうした在日米軍の傍若無人ぶりに、私たち道民や国民は“ごまめの歯ぎしり”状態にある訳だけれども、「なぜ、こうした状況が続いているのか?」を簡潔明瞭に解き明かしているのが、この矢部宏治さん(書籍情報社代表)の著述である。当書は、一人でも多くの日本国民が目を通した方が良いと思われる一冊だ。

 矢部さんは既に

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル 2014年)
https://www.amazon.co.jp/日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか/dp/4797672897/ref=cm_cr_getr_d_rvw_txt?ie=UTF8


『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(同 2016年)
https://www.amazon.co.jp/日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか/dp/4797673281/ref=cm_cr_arp_d_rvw_txt?ie=UTF8


などの著書を世に出し、前者では主にアメリカとの「基地権密約」を、後者では主に「指揮権密約」を、それぞれ公開された既存の文書等を読み解く中で明らかにしてきた。本書は、これらの書物の、いわば要約版(ダイジェスト版)と言える内容であるけれども、私自身改めて知った事実もあった。それは後者で存在を指摘した「横田空域」のほか、「岩国空域」もある、ということであった。まさに「「横田空域」と同じくこの「岩国空域」もまた、山口県、愛媛県、広島県、島根県の四県にまたがり、日本海上空から四国上空までを覆う、巨大な米軍管理空域」(pp.23~24)であるのだ(あと一つが2010年に返還されたが、未だ事実上米軍管理下にある「嘉手納空域」である)。

 さて、日本の「戦後論」について、例えば政治思想史を考究する白井聡さん(京都精華大学専任講師)は「敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化」などされている状況を「永続敗戦論」と論結している。確かに、戦後の日本人の「歴史認識(歴史的意識)」は、まさしくその通りであろう。だが、最も肝要なことは、矢部さんが摘示しているように「「戦後日本」とは、そのスタート時点から現在までずっと、米軍の戦争を支援する法的な義務を負った国なのだということ」(p.205)である。つまり「日本の歪みの根っこにあったのは、「占領体制の継続」ではなく、それよりもっと悪い、「占領下の戦争協力体制の継続」だった」(p.206)という事実である。その文脈に沿いつつ、アメリカとの異常な「基地権(全土基地方式)密約」「(統一)指揮権密約」そして「裁判権(放棄)密約」が導き出されるのである。

 本書では、各章扉ページの裏に漫画家ぼうごなつこさんの四コママンガが配され、上述した「密約群」=「日米間の隠された法的関係」がかなり分かり易く解説されている。冒頭に「日米合同委員会」の名を出したが、この在日米軍と各省にまたがる文官で構成され、「密約」等を処理する機関の存在も尋常ではない(実際、アメリカの外交官も「きわめて異常なもの」と指摘しているらしい!(p.90))。同じくオスプレイの事例を挙げたけれど、米軍機(国連軍機)に関しても、日本の国内法(航空法)は原則適用されない。それらは「占領下の戦争協力体制の継続」という視点から見るとスッキリするのである。「永続敗戦論」とは「アメリカへの従属」と言うより「米軍への従属」がより本質的であり、「「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属がある」(p.94)という点を、私たち日本人はしっかり押さえ、見据えなければならないだろう。

 終わりに、安倍晋三らは2012年の第46回衆議院議員総選挙や2013年の第23回参議院議員通常選挙などにおいて「日本を、取り戻す。」などと喚いていた。ならばまず、安倍の選挙区のある山口県の一部を覆う前出の「岩国空域」や、首都東京を南北に走る「横田空域」を“取り戻す”ことから始めるべきではないのか?そして次に、憲法9条の“加憲”を目指すならば、第3項に「国内に外国軍基地を置かないこと」を明記するのが先決ではないのか?これこそ「日本を、取り戻す」ということであろう。ただし、9条改正によらずとも米軍基地問題解決の手法がある。それは木村草太さん(首都大学東京教授)の『憲法という希望』(講談社現代新書 2016年)の中で述べられており、具体的には憲法41条、92条及び95条の適用だ。米軍基地の設置を内閣の判断のみで決めること(閣議決定)には疑義があり、それを「法律事項」に改めるのである。


なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟
内閣改造でも絶対に変わらないこと
矢部 宏治
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466


私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062884399/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_asyuracom-22&linkId=2abaf902da235672989d2af729b5a43a


の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。


<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。


そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。


「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。


私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。

本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466?page=4


*註1 原文は次の通り。「このような考え方からすれば、例えば北方領土の返還の条件として「返還後の北方領土には施設・区域〔=米軍基地〕を設けない」との法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる」(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月/『日米地位協定の考え方・増補版──外務省機密文書』所収 2004年 高文研)





日本国民の利益損なう対米隷属安倍外交ー(植草一秀氏)
http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/325.html
http://www.twitlonger.com/show/n_1sqa7jq

トランプ大統領が来日した。

トランプ大統領が降り立ったのは羽田でも成田でもない。

横田基地である。

日本を統治しているのは日本政府ではなく、横田政府だと言われる。

トランプ大統領は来日して最初の演説を横田基地で行った。

演説の背景は巨大な星条旗で覆い尽くされた。

日米の国旗を並べて掲げているのではない。

星条旗だけが一面に張り巡らされて、その前でトランプ大統領が演説した。

演説は日本の主権者に対するものではない。

日本に駐留する米軍兵士に向けての演説であった。

「終わらない占領」

日本はいまなお米軍によって占領され続けている。

米軍が日本を支配している。

米国人は横田基地を通過して、いつでも自由に日本に出入りすることができる。

東京六本木には米軍施設があり、

横田基地に飛来した米軍要人は日本政府の管理の外側で日本に飛来して

六本木の米軍ベースを経由して日本で活動し、

そして、何事もなかったかのように米国に帰国する。

日本はいまなお、米国の支配下に置かれている。

そのことを改めて見せつけるための演出が繰り広げられたことになる。

日本で米軍が事故や事件を引き起こしても、日本は現場検証することすらできない。

日本国憲法の上に日米地位協定が存在する。

日本の空を飛ぶ権利は米軍によって制限されている。

米軍は日本政府のいかなる許可をも必要とせず、日本の空を勝手に飛行できる。

ポツダム宣言も、サンフランシスコ講和条約も、

占領軍の日本からの撤退を明記しているが、例外を定める条項が付記されて、

戦後72年を経過したいまも、米軍が日本駐留を続け、日本を支配し続けている。

この米国による日本占領、米国による日本支配に、

一切の抵抗、反抗を示していないのが安倍晋三首相である。

安倍首相の祖父である岸信介氏は米国により助命され、

爾来、米国のエージェントとして活動し続けた。

この経緯をそのまま引き継いでいるのが安倍晋三氏である。

米国にモノを言わず、米国に隷従する。

これが「安倍流」であるが、多くの日本国民が米国への隷従に異論を唱えない。

安倍首相が唱えた「日本を取り戻す」の主語は「米国」だった。

「米国が日本を取り戻す」が安倍首相の基本スタンスなのである。

この意味で安倍首相はトランプ大統領の「アメリカファースト」の主張の信奉者

であるが、「アメリカファースト」は日本の主権者の利益を最優先しないことをも

意味している。

トランプ大統領が大統領選に当選したのは昨年の11月8日だ。

トランプが勝利すればドルと米国株価は暴落、

クリントンが勝利すればドルと米国株価は急騰と言われていた。

そして、クリントンが勝利することは確実だと言われた。

しかし、結果はトランプの勝利になった。

そして、これ以降、米国株価は急騰に次ぐ急騰を続けてきた。

昨年11月4日のNYダウ安値は17883ドルだった。

本年11月3日高値は23557ドルである。

この1年間にNYダウは5674ドル、31.7%の上昇を示した。

トランプ当選でドル暴落、株価暴落を予測してきた専門家は、

完全な見通し失敗になった。

メディアは大統領選のさなかも、大統領選後も、大統領就任後も

トランプ攻撃をし続けてきた。

日本のメディアもNHKを筆頭にトランプ攻撃を展開し続けた。

しかし、トランプ政権は崩壊していない。

そして、トランプ来日となると、手のひらを返して、

今度はトランプを持ち上げる報道に転じている。

トランプ長女のイバンカ訪日は、トップスター訪日の扱いである。

日本のメディアの軽薄さ、NHKの層の薄さが改めて鮮明になっている。

トランプ大統領に対する批判は多いが、

トランプ氏の現実対応能力は決して低いものでない。

この本質を見誤ると、現実を洞察することはできない。

このことを改めて認識し直すべきである。

トランプ大統領がメディアの激しい攻撃を受け続けてきた理由は、

トランプ氏が米国を支配する支配勢力の直接支配下の人物ではないからである。

通常、米国の大統領候補になる者は、米国を支配する巨大資本の支配下の人物である。

巨大資本の支配下に入らない限り、大統領選を戦い抜く資金を確保できないからだ。

しかし、昨年の大統領選では、二人の例外候補が健闘した。

その一人がトランプであり、いま一人は民主党候補を争ったバーニー・サンダース

上院議員である。

トランプは自前資金で選挙を戦い、サンダース氏は民衆のカンパによって選挙を

戦ったのである。

トランプ氏は巨大資本が推進してきたTPPからの離脱を公約に掲げ、

大統領に就任すると、公約どおりにTPPからの離脱を決定した。

トランプは米国を支配する巨大資本の支配下にないことが改めて確認された。

しかしながら、米国大統領が大統領職を遂行するには、どうしても必要な事項がある。

それは議会との融和である。

大統領には強大な権限が与えられるが、

大統領提案を無条件に実行できるわけではない。

主要な提案は、議会の同意を得て、初めて実現できる。

したがって、大統領が自身の提案を実現してゆくためには、

議会との融和が必要不可欠な条件になる。

トランプ大統領は独自の主張を維持しつつも、他方で議会との融和を図っている。

この点を見落とすわけにはいかない。

これまでの議会対応で見落とせない重要なポイントが二つあった。

一つは、最高裁判事人事を、上院共和党の協力を得て、

トランプ大統領の意向どおりに実現したことだ。

最高裁判事の構成は共和党系4名、民主党系4名の拮抗した状況にあった。

9人目の判事を承認させることは難航したが、

トランプ大統領は上院共和党の協力を得て、最高裁判事人事を決着させた。

入国審査強化などの大統領令に対して違憲訴訟が各地で提訴されているが、

最終的な決定権限は最高裁にある。

最高裁の判事構成で共和党系判事が過半数を制することの意味は圧倒的に大きい。

この人事をトランプ大統領が成立させた。

いまひとつの事案は、政府債務上限引き上げ、暫定予算制定について、

トランプ大統領が議会民主党の協力を得て、これを円滑にクリアしたことだ。

これまで、債務上限引き上げ、暫定予算に関する議会審議が難航して、

大きな混乱が何度も繰り返されてきた。

この問題もトランプ大統領は混乱を引き起こすことなくクリアした。

メディアによるトランプ批判をよそに、

トランプ大統領は要所を要領よくクリアしていることが分かる。

人事では大統領選勝利の立役者であったスティーブン・バノン氏を解任した。

トランプ大統領は米国の軍産複合体との衝突を避けているのだ。

トランプ氏は米国を支配する巨大資本の支配下の人物ではないが、

この巨大資本勢力と正面からぶつかることも巧みに避けている。

トランプ大統領の現実主義が垣間見える。


問題は日本の対応である。

安倍首相はただひたすら、米国の指令、命令に隷従しているだけである。

「米国のポチ」に徹すれば、たしかに米国と衝突することはないだろう。

しかし、そのことが、日本の主権者の利益を損なっていることが問題なのだ。

安倍首相はTPPを推進してきたが、

TPPはグローバルな巨大資本の利益を極大化することを目的とする枠組みであって、

日本の主権者にとっては「百害あって一利のない」枠組みだ。

安倍首相はグローバルな巨大資本の命令に従って、これを推進している。

トランプ大統領がTPP離脱を決めたのは、

TPPが米国民に不利益を与える部分があるからだ。

しかし、その米国は日本に対しては米日FTAを求める可能性が高い。

トランプ大統領も、日本から奪えるものは奪おうとの考えを有している。

巨大資本の言いなりになり、米国政府の言いなりになっていれば、

日本は奪われるだけになる。

日本の主権者の利益は損なわれるだけなのだ。

日本の首相として必要な行動は、日本の主権者の利益を守るために、

グローバル巨大資本に対しても、米国大統領に対しても、

言うべきは言う、日本の主権者利益を守るべきは守る、という姿勢である。

安倍首相はこの点を完全に欠いている。

ゴルフに興じ、米国や巨大資本の言いなりになっているだけでは、

日本の主権者の利益は守られない。

対米従属、対米隷属の外交姿勢から脱却することが、いま何よりも求められている。





『スラムに消えた情けない男の話』。

【親分に媚びて生きている男】
むかしある街に、情けないひ弱な男が一人住んでいた。

この男、小金だけは貯め込んでいるようだが、自分一人ではケンカもできないし、まともに他人と交渉することもできない。できることと言えば「親分」に媚びて親分に面倒をみてもらうことくらいだった。

その「親分」、大金持ちで腕っ節の強く、街でいつも一番デカイ顔をしていた。

ひ弱な男はそんな親分の周りをいつも、まるで子犬のようにまとわりついていた。小金を使ってあの手この手で媚びながら、何かあったら親分に泣きついてやっかい事を処理してもらっていた。

その媚びっぷりはまさに街一番。だから町の中ではいつも、侮蔑の目で見られ、どこにいっても何をやってもいつも、軽く小馬鹿にされながら生きているーーー彼は正真正銘、小金もちなことだけが唯一の取り柄の街一番の情けない小物だった。

【凶暴な隣人】
そんな彼の家の隣には、すこぶる凶暴な質の悪いチンピラが住んでいた。

この凶暴なチンピラ、時折、ひ弱な男の家にやってきてモノを盗んでいったり、気に入らない事があればすぐに暴力で威嚇してくる困った奴だった。

そんなある日、このチンピラがなにやら怪しげな「武器」をいくつもいくつも作っていることが分かった。まだ全て完成しないようだが、隣の男を半殺しにできる程度の力はもう身につけているようだった。

だからそのひ弱な男はもう、恐ろしくて凶暴な隣人に何の手出しも出来ないーーそんな状況となってしまっているのだった。

【凶暴なチンピラが「親分」に一か八かのケンカを売る】
ところがそのチンピラ、今度は「親分」にケンカを売ろうとしていることが分かってきた。

このチンピラ、この街で生きて行こうとすれば、この親分の言いなりになっていてはそのうち殺される、だったら、一か八かこの親分にケンカを売って、もう自分には手出しできない様な「凄い武器」をつくっておこう、と考えたようだ。

つまりこのチンピラ、自分の生き残りをかけて親分に手出しさせない凄い武器を作り上げてしまおう、という博打に打って出たわけだ。

とはいえ今の所、その凄い武器はまだ完成していないようだ。が、その凄い武器の完成も時間の問題のようだった。

【親分、チンピラを潰す事を決める】
そんな話を耳に為た「親分」はもちろん、黙っちゃいない。

「今のところあのチンピラの武器は、あの情けない俺の子分を半殺しにできるようだが、俺の身はまだ安全なようだ。だったら、まだ俺のところまであいつの武器が届かないうちに、潰しておかないと、俺の身がヤバくなる。今潰しておかなきゃいかん。」

そう考えた親分は、今のうちにそのチンピラをぶっ潰しておこうと決めた。

とは言え、一つだけやっかいな事がある。

「おそらく俺があのチンピラに攻撃を仕掛けたら、おそらくあいつはすぐに反撃に打って出て、俺の子分のあの情けない男をすぐに半殺しにしてしまうだろう。」

この親分にしてみれば、あの子分はまずまず使い勝手もよく、小金も持っているから重宝していたのだから、半殺しにされて、もう使い物にならなくなるのは少々もったいない──とはいえ背に腹は代えられない──自分が将来やられちまう事を考えればあの少々便利な子分ごとき、半殺しの目に遭おうが消えて無くなろうがまぁ、たいした事じゃない──そう考えた親分は、かの「情けない男」を呼びつけてこう言った。

親分 「おい、あのヤバイおまえの隣人、あいつは俺を攻撃する武器を作ってるようだ。それが完成すりゃ、俺は何をされる分かんねぇ。だから俺はもう、あいつをぶっ潰すことにした。お前も俺に協力しろ。分かったな。」

子分 「はい、親分がそうおっしゃるなら、分かりました。喜んで協力します!」

親分 「もちろん、あいつは反撃してくるだろうけど、大丈夫だ。俺がおまえを守ってやるから。心配するな。安心しろ。」

子分 「なんとお優しいお言葉! 分かりました、ありがとうございます!」

【媚びてばかりで、完全な馬鹿になっていた子分】
もちろん、「大丈夫だ、安心しろ」という「親分」の言葉はウソだ。そんな保証なんてどこにもない。もうその凶暴なチンピラは、情けない子分を半殺しにできる力を身につけてるんだから、攻撃を仕掛けりゃ、その子分は半殺しにされるに決まっている。

だけど子分は、「はい、分かりました」しか言いようがない。ここで親分に盾をついたら、何をされるか分からないからだ。今までずっとイエスマンとして親分の言いなりになってきたその情けない男にはもう、他に残された道などどこにもないのだ。

というよりも、自分で考える力も気力もなくなっているから、親分が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なんだろう──と馬鹿丸出しで思っているようだった。

その馬鹿っぷりに、町中の人々が唖然とした。半殺しにされるのに、何が「なんとお優しいお言葉!」だ。こいつは馬鹿か──? 皆そう思った。

ただし一番びっくりしているのが、その親分自身だった。

「こいつ、ホント馬鹿だなぁ。半殺しにされるのは俺じゃ無くてお前なんだぞ? なのに、やけに素直に俺の協力するって、しかも『なんとお優しいお言葉! ありがとうございます!』ってまでいってやがる。

とはいえまぁ、こんな都合のいいこたぁねぇ。たっぷりと自ら進んで必死に協力してもらって、半殺しになってもらって全部こいつの自己責任、ってことにしておきゃぁ、それでいいだろう。ほんと馬鹿だなぁこいつ。」

【情けない男、案の定、半殺しにされ、スラムに消える】
──かくして、「親分」は、子分の全面協力を得ながら飛び道具で攻撃をしかけた。

そして案の定、その凶暴なチンピラは反撃をしかける。無論その反撃は「親分」に対してではない。我らが「情けない男」に対してだった。結果、情けない男は誠に情けない事に半殺しの目にあわされ、もう再起できないほどの深手を負うこととなった。

しかしこのケンカそのものは、圧倒的に力の強い親分が勝ち、最後にはチンピラは完全に潰されてしまった。その後、そのチンピラの家は、この親分と、隣町の親分とでうまく相談しながら、運営していく事になったようだ。

その後、その哀れな情けない男がどうなったかと言えば──当然誰からも同情されはしなかった。馬鹿丸出しで親分にひっついていって、誰もが予想したとおりに半殺しにされたんだから、誰の目から見てもはっきりとしたいわゆる自己責任、ってやつだ。

もちろん、もうどうしようもないから誠に情けない事に「助けてださい」と親分や周りの人々に泣きついて回ったようで、ちょっとした小銭を何人かから恵んでもらったりはしたようだが、それでは焼け石に水。

結局この情けない男、ちゃんとした病院に行くこともできず、半身不随になって自分でカネが稼げない体になってしまったようだった。だからこの男が生きて行くためにどうしても必要だった「カネ」まで全て失うことになった。

どうしようも情けない男だが、ちょっと前なら「小金」を持っていたから少々ちやほやされることもあった。親分にかわいがられていたのも、そんな「小金」があったからだ。だけど、その頼みの綱の「金」すらなければ、一体誰が彼に見向きするというのか。そんな媚びる以外に何の才能も無いような男に──。

だから今や、その男がどこで何をしているのかを知る人など、もう誰もいない。最近聞いた風の便りでは、隣町のスラム街で、その地区のボスになけなしの金を使って媚びながら生き続けているという事だが──それが本当かどうかも、もう誰にも分からない。
https://38news.jp/politics/11290




日本が囚われ続ける「米国占領下の戦争協力体制」の正体 
矢部宏治氏 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ) 2017年11月20日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/17/senkyo236/msg/117.html
  
   著書で日本の歪んだ現実を指摘した矢部宏治氏/(C)日刊ゲンダイ
 敗戦後70年以上経ってもなお、日本は米軍の治外法権下にある「半分主権国家」だ――。歴代政権が米軍と交わした密約の数々から、国民にひた隠す「ウラの掟」を告発したベストセラー「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」の著者でノンフィクション作家の矢部宏治氏は、この国の行く末を憂える。これからも極めて異常な対米隷属関係を続けるのか、と。

■トランプ来日が見せつけた屈辱的取り決め

  ――先週来日したトランプ米大統領が、矢部さんが最新刊で指摘していた「日本の歪んだ現実」をまざまざと見せつけましたね。

 トランプ氏は訪日の初日、東京都下の米軍・横田基地から「入国」し、その後も埼玉県のゴルフ場、六本木にある軍事へリポートと、米軍専用の「横田空域」内を中心に各地を飛び回りました。その間、日本の法的コントロールはいっさい受けていない。ただ、多くの識者がその様子を見て、「主権国家に対して失礼じゃないか」と激怒していましたが、そこには根本的な認識不足がある。実は軍部だけでなく、米政府関係者は日米地位協定(第5条1項)によって、ノーチェックで日本に入国できる法的権利を持っているのです。だから日本人はトランプ氏に対してではなく、そうした屈辱的取り決めを結んでいる自国の政府と、その現状に対して激怒すべきなのです。

  ――大統領選中は在日米軍撤退をほのめかしていたトランプが、来日時には日米同盟を「宝」と持ち上げました。

 就任後、現在の日米の軍事的な取り決めが、いかに並外れて自国に有利なものか、よく理解したのでしょう。米軍は事実上、日本全土を基地として使える条約上の権利(基地権)を持っています。

 一方、例えば、かつてアメリカの本当の植民地だったフィリピンは、戦後独立した際に、米軍が基地を置けるのはこの23カ所に限ると、具体名を基地協定に明記しています。また、2003年にたった1カ月で米軍に完敗したイラクでさえ、駐留米軍に対し、イラク国境を越えて他国を攻撃することを禁じるという地位協定を結んでいます。他国の軍隊に対して「国内に自由に基地を置く権利」と、「そこから自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」の両方を与えているのは、世界で日本だけなのです。

  ――米軍にすれば、まさに「宝」の関係です。

 そうした状況について、よく「戦争に負けたから仕方がない」と言う人がいますが、それは完全な間違いです。先ほどの、イラクが敗戦後に米国と結んだ地位協定の内容を見れば、そのことがよく分かります。

 ではなぜ日本だけが、そんなおかしな状態になってしまったのか。私もそれが疑問でずっと調べてきたのですが、最近ようやく理由が分かりました。最大の原因は朝鮮戦争(1950〜53年)にあったのです。52年の日本の独立を挟んだ3年間、すぐ隣の朝鮮半島で起きていたこの激しい戦争が、その後の日米の軍事的関係や、ひいては「戦後日本」の在り方に、決定的な影響を及ぼすことになったのです。

  ――最悪な時期に、独立の交渉をしていたのですね。

 旧安保条約や行政協定(現・地位協定)は、朝鮮戦争で苦境に立ったアメリカの軍部が、日本に独立後も全面的な戦争協力をさせるため、自分で条文を書いた取り決めなのです。たとえば旧安保条約の原案には、「日本軍が創設された場合、国外で戦争はできない。ただし米軍の司令官の指揮による場合はその例外とする」と書かれています。

  ――今の自衛隊の立場が、その米軍の原案通りになりつつあることに驚きます。

 旧安保条約についての日米交渉が行われたのは、憲法9条ができてから、まだ4年しか経っていない時期です。だからさすがに国民に見える形では条文化できず、当時の吉田茂首相が米軍司令官との間で、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下で戦う」という「指揮権密約」を口頭で結ぶことになったのです。

  ――これほど重要な取り決めを国民に60年以上も隠してきたのですね。

 加えて問題だったのは1960年の安保改定です。「対等な日米関係を」というスローガンの下、米国との交渉にあたった岸信介首相がウラ側の「基地権密約」で、朝鮮戦争勃発時に生まれた「占領下の戦争協力体制」を法的に固定してしまった。ですから私たちが今生きているのは、安倍首相がよく口にする「戦後レジーム」ではなく、祖父である岸首相が固定した「朝鮮戦争レジーム」の中なのです。

  
   危険な関係はいつまで続くのか(C)AP


戦後初めて対米隷属が生命の危機を生む

  ――こんなおかしな体制が、どうして60年以上も続いてきたのですか。

 日本は戦後、数多くの米軍の戦争を支援してきましたが、そのことで日本国民が生命や財産を脅かされる心配はなかった。いくら米軍の爆撃機が日本から飛び立って北朝鮮やベトナム、イラクを攻撃しても、相手国には日本を攻撃する能力がなかったからです。しかも、米軍の戦争に全面協力することで日本が手にした経済的な見返りは、非常に大きかった。

  ――今は金正恩委員長とトランプとの挑発合戦が過熱する中、北朝鮮は日本に200発の中距離弾道ミサイルを向けています。

 だから今、戦後初めて日本人は、米国への軍事的隷属体制によって、自らの生命が危険にさらされるという全く新しい現実を生きているのです。なのに安倍首相にはその自覚がなく、北朝鮮に対する強硬姿勢を崩さない。極めて危うい状況にあります。

  ――とくに自衛隊の「指揮権」の問題については、ほとんどの国民が知らないと思います。

 この問題で日本と全く同じ状況にあるのが韓国です。でも韓国の人々は皆、米軍が韓国軍の指揮権を持っていることを知っている。朝鮮戦争が開戦した翌月、李承晩大統領がマッカーサー元帥に対して、公式に指揮権を移譲したという歴史的経緯があるからです。だから大統領選の時には、この指揮権の問題が必ず争点になるのです。

  ――日本は密約でその権利を認めてきたため、国民はカヤの外です。

 最大の問題は、米軍が「戦時における指揮権」だけでなく、事実上の「開戦の決定権」も握っているということ。韓国の例を見ると、実際に戦争が始まるはるか以前の段階で、韓国軍は米軍の指揮下に入ることになっています。もちろん日本も同じ状況にある。ただ違うのは、韓国では国民がその問題をよく理解しているために、文在寅大統領も国民の危機感を背景に、「韓国の了承なしに朝鮮半島で戦争を始めることは許さない」と、米国に対して意思表明をすることができた。

 ところが安倍首相は、世界中の指導者が韓国と日本で起きる巨大な被害を懸念して、「北朝鮮問題に軍事的解決などあり得ない」と述べる中、「異次元の圧力が必要だ」などと言っている。自国が攻撃される可能性を全く考えていない、恐ろしい状態にあるのです。

■朝鮮戦争の終焉こそ真の独立の始まり

  ――日本がこれから、特に注意すべきことはなんでしょうか。

 北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)が、遠からず米本土を射程内に収めることは既定事実となっています。そうした状況の中、米軍は日韓両国に「核兵器の地上配備」を強烈に求めてくると思う。1980年代に米国がソ連の中距離核ミサイルに対抗して、欧州の同盟国に中距離核ミサイルを持たせたのと同じ。日韓を前面に立たせ、自分たちは核の撃ち合いの外側にいて危険を避けるという状況をつくろうとするはずです。しかし、北朝鮮に対する日韓の核配備は自動的に、中国との間でも核を撃ち合いかねない「恐怖の均衡」を成立させてしまう。超大国・中国との間で、永遠に続く軍事的緊張が待ち受けています。

  ――自民党防衛族の石破茂元幹事長が「非核三原則」見直しに言及しているだけに不気味です。

 それを防ぐためにも、日本はいまだに休戦中の朝鮮戦争の平和裏な終結に協力すべきです。朝鮮半島で平和条約が結ばれれば、「朝鮮戦争レジーム」に基づいた日本のおかしな対米隷属状況も、終息へ向かう可能性があるのですから。

 (聞き手=本紙・今泉恵孝)

▽やべ・こうじ 1960年、兵庫県生まれ。慶大文学部卒。株歯堂マーケティング部を経て、87年から書籍情報社代表。2010年の鳩山政権の崩壊を機に日本戦後史の共同研究を始める。「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」など著書多数。




23. 中川隆[-5731] koaQ7Jey 2017年12月23日 09:45:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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記事 田原総一朗 2017年12月23日 相次ぐ米軍の落下物問題、その元凶は何か?

沖縄のアメリカ軍普天間基地は、住宅密集地に隣接している。「世界一危険」ともいわれている。そんな基地に隣接する小学校の校庭に、米軍のヘリコプターから窓のような部品が落下したのだ。沖縄の人たちからは、当然、不安と憤りの声があがり、大きな問題になっている。

なぜ、このような事故が起きたのか。最大の原因は「日米地位協定」にある、と僕は思っている。たとえば東京の上空を見てみよう。実は、首都圏の空のほとんどは米軍に占用されているのだ。

羽田空港に発着する民間の航空機は、米軍管理下の空域を避けて、大きく迂回しなければならない。だから、狭いルートに航空機が集中する。そのため航空機同士がニアミスを起こす危険な要因のひとつとなっている。日本の航空機は日本の空を自由に飛ぶことができないのだ。

だが、沖縄の空はさらにひどい。たとえば、羽田から那覇へ向かう場合だ。那覇空港の30キロほど前から、航空機は高度約300メートルまで下がる。乗客の実感としては海面スレスレだ。高度600メートル以上の空域は、米軍に占用されているからだ。

もっと納得いかないことがある。米国本土では、一般の民家の上を米軍機が低空飛行することが禁じられているのだ。それなのに、沖縄では米軍機が低空飛行をし続けている。罰せられることはない。

加えて、公務中の米軍兵士が犯罪を犯しても、日本に裁判権はない。治外法権だからだ。そのため、これまで米軍兵士が起こした、いくつもの悲惨な事件があった。

そのなかでも、1995年に起きた、少女暴行事件は記憶に新しい。米軍兵士3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団で強姦したのだ。強姦致傷および逮捕監禁事件である。ところが犯人である米軍兵士3名は、当初、日本側に引き渡されなかった。そのことが、沖縄県民の怒りに火をつけた。沖縄県民の間にくすぶっていた反基地感情や反米感情が一気に爆発、大問題になった。このような状況になった元凶が、「日米地位協定」なのだ。

この協定は、アメリカが日本を占領していた時代に作られたものだ。それが、そのまま、いまも続いている。ところが、歴代の日本の首相は、協定の改正をしようとしてこなかった。なぜか。

ひとつは、アメリカが断固として反対しているからだ。そして2つめは、この協定による被害が、ほとんど沖縄県内に限られているからだ。「本土には関係ない」ということだ。

沖縄の面積は、日本の国土の約6%だ。ところが、日本にある米軍基地の、実に約70%が、沖縄に集中している。太平洋戦争において、日本で唯一、地上戦があった場所が沖縄であり、多くの民間人の犠牲者を出したきた。その沖縄に、である。沖縄県民の怒りが収まらないのは、当然のことだろう。

2カ月ほど前の10月11日にも、沖縄本島北部にある東村高江に米軍の大型ヘリコプターが墜落している。現場は民間の空き地だが、幸いケガ人はいなかった。

この事故に対して日本政府は、原因究明を徹底的に行うことを米軍に求めた。解明されるまでは再飛行しない、という約束も取りつけた。ところが米軍は、その4日後、日本側に何の連絡もないまま、再びヘリ飛行を再開したのだ。

その際の、日本政府の対応も問題だった。日本の防衛大臣は、「遺憾に思う」と発言したきりだったのだ。具体的な抗議は何もしていない。

相次ぐ落下物問題では、住宅密集地にある普天間から、辺野古への基地移転問題が浮かび上がってくる。だが、たとえ辺野古へ移転したとしても、それは沖縄の負担を県内でたらい回しにしただけだ。県知事はじめ、県民の多くが大反対なのも当然だろう。

そのような状況のなかで、日本政府は基地移転の工事を続けている。まるで、沖縄という地方自治体を無視にしているかのようだ。これでは、沖縄県民にしてみれば、対米従属の典型にしか思えないだろう。

かつての自民党に野中広務さんという政治家がいた。彼は、沖縄に何度も足を運び、沖縄の問題に真剣に向き合った。そんな「真の政治家」がたくさんいたのだ。いま、自民党にそんな政治家はいるのか。日本政府と沖縄県が、これ以上、断絶した状況にならないためにも、真の政治家が必要とされている。
http://blogos.com/article/267083/


日本共産党はマッカーサーが創設した
http://www.thutmosev.com/archives/71957109.html#more

マッカーサーのこうした写真は全部ヤラセで、俳優のように何度もポーズを取っては撮り直した
引用:http://learnlearn.net/Historie,religion,kunst/res/Default/ESS_PasteBitmap02329.png


マッカーサーの歪んだ人格

連合軍総司令官として日本に乗り込んできたダグラス・マッカーサーには多くの知られていない逸話があり、その一つは事実上「日本共産党」の創設者だという事です。

日本共産党と名乗る団体は戦前から存在し、日本をソ連の植民地にするため活動していたが、非合法テロ組織という位置づけでした。

日本の統治者として君臨したマッカーサーには人格上の欠陥があり、『ニセ写真』作りを趣味にしていた。

         

硫黄島に米国旗を立てる写真とか、マッカーサーがフィリピンの海岸に上陸した写真などは全部”やらせ写真”でした。

マッカーサーは映画監督のように戦場で写真や動画撮影を指示し、気に入った構図で自分がヒーローに見えるように報道させていました。

厚木飛行場の輸送機からコーンパイプを咥えて降りてくる写真も、専属カメラマンに映画撮影のように撮影させました。


この時日本軍は武装解除されていたが、襲われるのではないかという恐怖心から、マッカーサーは小便を漏らしていました。

日本に到着してからも彼は、あらゆる写真で自分が格好良く見えるように撮影するため、専属の撮影スタッフを周囲に置いていました。

昭和天皇とマッカーサーが面会した有名な写真があり、マッカーサーは作業服のような軍服のズボンに手を突っ込んでいます。


正装ではなく平服で、胸のボタンを全部止めず、身体を斜めにして立っていたのも計算しつくした『構図』でした。

昭和天皇が自分よりかなり背が低いのが目立つように、昭和天皇を直立不動にさせ、自分がくつろいでいるように撮らせました。

当時新聞を統制していたのはGHQなので、新聞に掲載する写真も記事も、GHQが決めていました。


「マッカーサーが日本の支配者であって、天皇はこれほどみすぼらしい」と日本人に見せ付けて天皇を貶める目的でした。


GHQは何の根拠で日本を占領していたのか

マッカーサーについて70年間一度も議論されず、タブーになっている事は、実は正式な資格が無いのに日本を統治していたという事実です。

マッカーサーは連合軍司令長官だったが、一体何ゆえに日本の支配者となったのか、この根拠が曖昧なままなのです。

日本が1945年8月15日に停戦したとき「ポツダム宣言を受諾し、占領地を放棄する」と言いましたが、アメリカが日本本土を占領して良いとは誰も言っていません。


アメリカ大統領や国連事務総長、あるいは国連安保理が任命したからと言って「だから何?」という事です。

降伏したら占領されるのが当たり前という主張もあるが、それなら日本はロシアを占領できるし、朝鮮や中国の占領は正しかった事になります。

1945年9月2日に東京湾の米戦艦ミズーリ上で、連合国各国と日本代表団が日本の降伏文書に署名調印しました。


文書には連合国軍最高司令官の指示に基づき、日本政府は日本軍と日本国民を従わせると書かれているが日本占領には触れていない。

8月15日の玉音放送でも、9月2日の降伏文書でも連合軍が日本を占領できるとは書かれていない。

日本軍の武装解除については書かれているが、連合軍の日本占領には、天皇や他の誰も合意していない。


マッカーサーが小便を漏らしながら厚木飛行場に降りたのは8月30日、連合軍先遣隊が厚木に到着し武装解除したのは8月28日だった。

9月2日に降伏文書に調印し、9月15日にGHQ本部が日比谷に設置され、GHQによる日本統治が始まった。

だがマッカーサーは武装解除までは良いとして、一体どのような条約や合意に基づいて「日本占領」をしたのだろうか。


この写真も自分は立派に見え、天皇は「みすぼらしい小男」に見えるよう計算されている
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日本国憲法はアルバイトに書かせ脅迫して成立させた

法的根拠がないのに一介の軍人が日本を占領して独裁者になった事が、その後の日本の70年に大きな悪影響を与えた。

例えばマッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、政府が帝国憲法の改正案を示すと、これを拒絶して独自の憲法を創作させました。

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に命じて適当な憲法草案を書かせて、日本政府に無断で新聞に発表しました。


東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣は新憲法が非民主的だとして辞職し、マッカーサーは「もう一度東京を空襲してやろうか」と言って議会を脅迫しました。

日本人は新聞に書いてあるからには日本政府が作ったのだろうと思い込んだが、実際にはマッカーサーがアルバイトに書かせた落書きでした。

東京大学などの法学者もこのやり方に怒り、新憲法反対の立場を取ったが、GHQは反対するものを「戦争犯罪人」として逮捕していきました。


新憲法に反対するものは戦犯になり処刑されるか刑務所に入れられると分かり、反対する人間は居なくなりました。

こうしてできたのが現在の「日本国憲法」であり、日本人は一切関わっていないし、民主主義とは正反対の経緯で成立しました。

マッカーサーが日本を統治するために優遇したのが共産主義者で、特に逮捕歴がある共産主義者を好んで重用しました。


GHQを創設するとすぐに、共産主義者や反政府主義者を釈放させ、労働組合や政党を結成させました。

こうして誕生したのが日本共産党と日本社会党で、事実上GHQが合法化し創設したのです。

マッカーサーの意図は日本の「犯罪者」である天皇や旧時代の権力者に対抗させるため、反政府主義者に力を持たせる事でした。


マッカーサーの共産党優遇

マッカーサー自身は共産主義者ではなかったが、それ以上に日本の「右翼」を嫌っていたので、共産主義者を重用しました。

GHQは主要な新聞社に共産主義者を雇用するよう圧力を掛け、応じなければ事実上活動できなくしました。

こうして日本の新聞社やNHKの上層部は共産主義者や戦前の逮捕者、反政府主義者になり、今日まで続いています。


マスコミだけではなく銀行や企業にもこうした圧力が掛けられ、自動車で有名な「日産」などは特に酷かったとされている。

日産は戦前には三菱や三井以上の最大の財閥だったが、戦争に協力したとしてほとんど解体されました。

自動車生産も認められなかったが、朝鮮戦争勃発で軍事生産が必要になり、共産主義者を経営に参加させる条件でようやく認められました。


こうしたGHQの共産党優遇は1948年まで続いたが、1949年になると米ソ冷戦が始まり、米本国は日本を再軍備させる方針に突然変わりました。

その変化は急激なもので、それまで日本人をわざと飢えさせては笑いものにして楽しんだり、なるべく日本経済が破綻するように仕向けていました。

ところが1949年のある日から、本国は「日本軍を再結成させろ」「日本の産業を立て直せ」と命令してきました。


マッカーサーは最初本国からの指示を無視していたが結局従わざるを得なくなり、1950年には朝鮮戦争が勃発しました。

マッカーサーの間違いは誰の目にも明らかになり、その後アメリカは何度も日本軍を再建しようとしては、日本政府と対立する事になります。

この後日本ではマッカーサーの後遺症で反日カルト政党が大ブームになり、今も日本を破壊するために”日々努力”しているようです。


マッカーサーの占領下では日本を貶めたり日本を破壊する事が正しいとされ、日本の為に貢献する人は戦犯や右翼と決め付けられました。

マスコミは全てGHQの統制下にあったので「日本国民はマッカーサー様を心から慕っています」などの気持ち悪い記事が量産された。

北朝鮮の新聞が金正恩を褒めるのと同じで、これほど気持ち悪い事はない。


そして当時GHQの為に報道していた新聞やテレビは、当時の本当の事を決して話そうとしない。

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醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達
引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg


アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。

          
こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。


経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
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引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg


美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。
http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html


2017年05月04日
安倍首相、2020年まで憲法改正表明 日本国憲法の暗黒面

マッカーサーは尿漏れしながらタラップを降り、独裁者になった
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


憲法改正の日程

安倍首相は憲法記念日の5月3日、憲法改正推進のフォーラムにビデオメッセージを寄せて改憲を訴えました。

首相はメッセージで、新憲法が2020年に施行されるようにしたいと具体的な年限を示した。

また憲法9条について、自衛隊の存在が明記されるように追加し、位置づけを明確にしたいと語った。


自民党総裁の任期は3年で2回まで続けて就任できるので2018年までだったが、3回に延長されたので2021年9月まで可能になった。

日本国総理大臣には期限がないので、理論上は自民党の総裁でなくなっても、総理を続けることは出来る。

改正には衆議院参議院が別々に3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。


国民投票の過半数は憲法の日本語で定義されておらず、護憲派は有権者の過半数だと主張していたが、これだと絶対に憲法改正はできない。

日本国憲法は英語で書いた文章を日本語に翻訳したので英語の原文が存在し、一応「日本語から翻訳した」事にしている。

GHQの原文では「投票者の過半数」と書かれているので、日本人の半分しか投票に行かなくても改正可能だという解釈になった。


2020年に改正憲法施行とすると1年前には国民投票が必要で、その1年前には衆参両院の法案審議を始める必要がある。

その前に改正憲法の条文を明確に決定して国民に示す必要があり、2017年か遅くとも2018年には示されなくてはならない。

2012年に自民党から示された憲法改正案は、はっきり言えば稚拙の印象があり、架空戦記小説に似ている。


日本国憲法の根本的矛盾

2012年自民党案は改正内容が多岐に渡っていて、個別の議論だけで数年を要し、その間に政権が交代したら白紙になってしまう。

緊急に必要なのは「戦争の権利」あるいはもっと穏やかに「自衛権の明記」、それと憲法改正手続きの簡素化の2点だけです。

衆参両院でそれぞれ3分の2が必要なのは、当時のアメリカ軍が日本を敵国と見なしていたため、憲法を改正できないようにしたのです。


世界のどの国でも多数決の原則に基づいて議会の過半数で改正できるのが当たり前で、両院それぞれの3分の2としているのは全世界で日本だけです。

この制度では衆議院で100%の議員が改正賛成でも、参議院の3分の1の議員が反対したら憲法改正はできません。

少数意見が通り多数意見が排除される仕組みで、こういう制度を「独裁政治」と言います。


なぜ独裁を奨励するのかといえば、日本国憲法が成立した1946年の日本は、1人の軍人が全ての権限を握る「独裁国家」だったからです。

この軍人とは東条英機ではなく米軍人のダグラス・マッカーサーで、公式な資格がないのに勝手に憲法を作って議会に承認させました。

誰もこれを指摘しないので自分で書くが、マッカーサーは連合軍総司令官で、トルーマン大統領から日本占領を命じられた。


だが一体何故、「ただのアメリカ軍人」が日本を占領して議会や政府に命令し、憲法を勝手に作り変える権限を。アメリカ大統領が与えるのだろうか?

連合国(=国連)が任命したというが、日本は国連加盟国ではないので、そいつらに指図される筋合いがない。

1945年8月に日本が受け入れたのはポツダム宣言だけであって、米軍の日本占領に合意しても居ない。

トルーマン大統領は「天皇の処遇」「憲法を自由に作る」「戦争裁判を開く」などの権限を与えたが、なぜアメリカ大統領にこうした権利があると考えるのかも謎です。


独裁者になった尿漏れ男

1945年8月28日、帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーがパイプを咥えて降り立った。

マッカーサーは写真にはこだわりがあり、硫黄島の有名な写真や、厚木に降り立った写真など、すべて演出させた「やらせ写真」でした。

厚木の輸送機から降りるマッカーサーは、日本軍人から襲撃される恐怖から、尿を漏らしながらタラップを降りました。


マッカーサーは開戦時にフィリピンにいたが、部下を置き去りに逃げ出し、沖縄や本土では民間人への空襲を命令した、そんな人間でした。

マッカーサーは軍事法廷や天皇の処罰などをチラつかせながら憲法(帝国憲法)改正を命じ、帝国議会は現行憲法(帝国憲法)の改正案を示した。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、日本側はマッカーサーの命令を拒否し、時間を掛けて改正すると回答しました。


1946年1月、日本政府はGHQに憲法改正案を提出したが、GHQは却下し独自の憲法を作成する事にした。

特にマッカーサーを激怒させたのが天皇の身分を存続させる点で、彼は天皇を「犯罪者」として定義させたがった。

イラクやアルカイダの首謀者をアメリカは犯罪者と定義したが、あれと同じ事を日本でもやりたかったようです。


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html

2016年08月19日
日本国憲法を作ったのは軍隊のアルバイト
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html

マッカーサーはやらせ写真を作るのが大好きで、こういう写真を撮らせてはマスコミに掲載させた。

http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/8/c8d8b55f.jpg


日米両国の高官が「日本国憲法を作ったのは我が国だ」と主張している。


日本国憲法の珍論争

日本国憲法を作ったのは誰かという珍論争が日米の政府当局者で勃発し、互いに牽制している。

8月15日に大統領候補ヒラリークリントンの応援演説をした、副大統領のバイデンが次のように発言した。

「日本が核兵器を持てないように、我々が日本の憲法を書いたのを、トランプ候補は知らないのではないか」


この前に対立候補のトランプは様々なヒラリー批判や民主党批判をしていて、その中に次のような演説があった。

「日本には米軍駐留陽を負担してもらう。あるいは米軍に頼らず核武装して自分で守ってもらう」という趣旨の発言だった。

バイデンはトランプへの反論として、日本が核武装出来ないことを指摘し、そうなるように我々が憲法を作ったと話した。


実際はどうかというと、日本国憲法に核武装を禁止した条文はないし、軍隊の保有も軍事行動も禁止するとは書かれていない。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と憲法に書いてあるのに陸海空軍が存在するのは周知の事実で、これは次の理由による。

『国権の発動たる戦争』は先制攻撃『武力による威嚇又は武力の行使』は侵略戦争という意味で書かれていた英語の日本語訳だとされている。

国の主権者による戦争の禁止、恫喝行為と武力行使禁止、それらを行うための軍事力禁止と書かれています。


終戦後に軍事政権樹立した日本

ひっくり返すと侵略戦争や先制攻撃以外の戦争は認められているし、軍事力による反撃も、核保有も禁止していません。

集団的自衛権もミサイル防衛も、安保法制も、もちろんどこにも禁止とは書いてありません。

バイデン副大統領の発言の半分は誤解ですが、もう半分の「我々が憲法を作った」の部分はどうでしょうか。


英語の原文があり、それを日本語に訳したから「変な日本語」になっているのですが、そもそも英語の原文が存在するのが奇妙です。

時間を追って経緯を見るために1945年(昭和20年)8月15日に戻ってみます。

8月30日に帝国海軍厚木飛行場にマッカーサーが降り立って、パイプを咥えた有名な写真を撮ったが、このポーズはやらせだった。


マッカーサーという男はこういう記念写真が大好きで、硫黄島に旗を立てる写真などを作っては見せびらかしていた。

それはともかく10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、軍による独裁には従わないとして東久邇宮内閣は総辞職しました。

マッカーサーは連合軍という軍隊の司令官にすぎず、日本政府や議会に命令する立場に無いのに、勝手に軍事政権を作った事になる。


日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


アルバイトに適当な憲法を書かせて「拒否するなら何発でも原爆を落す」と議員らを脅迫した。


軍事政権が作った憲法

マッカーサーは民政局長のコートニー・ホイットニーに憲法作成を命令し、ホイットニーはアルバイト職員らに草案を書かせた。

こうして約7日間で書き上げたのが「日本国憲法」の原文の英語版でした。

当時日本の新聞はGHQの支配下にあったので、マッカーサーは日本政府に伝える前に、勝手に新聞で発表してしまいました。


先に日本政府に伝えるとまたゴネだして、内容を変更したり無効になると考えたからでした。

日本の国会議員らは新聞を読んで初めて憲法の内容を知り、激怒して絶対反対の態度を取りました。

するとマッカーサーは「新憲法を承認しなければもう一度戦争だ、原爆をまた落す」と言って脅迫しました。


東京大学などの法学者は新憲法を違法だと言い、反対の態度を取ったが、これも「認めなければ戦犯にしてやる」と脅迫して認めさせました。

当時マッカーサーはA級戦犯、B級戦犯などランク付けし、連合軍に反抗的な公務員や学者らを逮捕しては処刑していました。

GHQを恐れた東京大学は「憲法学」という学問を作り、日本国憲法は日本国民が作ったと言い出しました。


これが今日に残っている「憲法学」で、マッカーサーが「戦犯になるか憲法を認めるか」と脅迫して作らせた学問です。

GHQ支配下の新聞、NHKはこぞって「国民が新憲法を作った」という嘘の報道を繰り返し、やがて嘘の方が事実として広まりました。

帝国議会は「もういちど原爆を落とされたいか」と脅迫され、ほとんど審議せず新憲法を承認しました。


新憲法は「国民が作った」という宣伝の後で、1947年(昭和22年)5月3日に施行され、今日に至っている。

これを誰が作ったと考えるかはその人の考え次第だが、少なくとも日本の総理大臣や国会議員はまったく関与していない
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html





2017年07月30日
GHQが日産にしかけた時限爆弾


戦前の日産は日本最大の自動車メーカーだったが、その事でGHQの攻撃対象になった
引用:http://www.tanken.com/nissan1.jpg


日産の創業者

先日ルノー日産は買収した三菱自動車を含めて、2017年上半期の世界販売が世界一になったと発表しました。

2位VWは伸び率が低いうえに新たな排ガス不正が発覚し、下半期も苦戦が予想されています。

3位のトヨタはEVなど次世代技術開発に注力したいとして、早々に世界一レースから棄権を申し出ている。

          

日産は創業以来始めて、年間を通じて世界一になるのが確実だが、知ってのとおり90年代に経営破たんしルノーに買収されている。

事実上日本に本社を置くフランス企業だが、日産が経営破たんした経緯はすでに忘れ去られている。

日産の破綻は日本の終戦前後から周到に用意され、なるべくして破綻した時限爆弾のようなものだった。


戦前の日産はトヨタは言うに及ばず、三菱や三井、住友などを押しのけて日本最大の財閥だったが、どうしてこうなったのか。

まず話は日産の創業に遡り、創業者の鮎川義介は明治13年生まれと明治維新後に生まれ、財閥創業者としては非常に遅い。

旧長州藩士の出身で、外務大臣や大蔵大臣を勤めた井上馨の親戚筋で、東京帝国大学卒というエリートだった。


日本で就職した後、アメリカの鋳鉄工場で技術を会得し明治43年、30歳の時に現在の戸畑鋳物(現在の日立金属)を創設した。

日立と日産はどちらも井上馨が主導して創設した長州系財閥で、いずれも久原鉱業の鉱山を基盤に発展した。

日立は鉱山で使用する機材、日産は鋳鉄業を中心に事業を拡大し、大正期に日産は各種エンジンを製作する機械メーカーになっていた。


軍需で急成長

日産の鮎川義介は既存の財閥創業者と違い、機を見るに敏であり、次々に新たな事業に進出していった。

第一次大戦後の不況で久原鉱業を吸収し、日本産業と改名し、日産コンツェルンを形成しました。

鮎川義介はさらに勢いに乗って、当時最先端の産業だった自動車生産に乗り出し、1931年にダットサンを傘下に収めた。


ダットサンは大正3年(1914年)には脱兎号を開発していて、当時としては進んだ国産技術を持っていました。

日産という巨大財閥の傘下に入ったダットサンはまたたくまに日本最大の自動車会社になったが、需要の大半は軍部だった。

当時の日本は朝鮮、清国、ロシアを次々に倒し、満州国を建国し大陸を開発しようとしていました。


大陸には膨大な輸送需要があり、民間経済は未発達だったので軍部が鉄道や道路を建設し、トラック輸送をしていた。

1945年までに大陸で使われていたトラックのほとんどを日産が製造したが、これが敗戦後に仇となった。

軍事企業としては三菱の方が有名だが、どうしたことかあまりお咎めを受けず、GHQの批判の矛先は日産に向けられた。


日産と日立は井上馨という同じ親をもつ長州藩の兄弟会社ですが、長州藩は戊辰戦争に勝った事で帝国陸軍に支配力を持っていました。

軍と一体になって侵略戦争を行ったとして、久原財閥(日産、日立の母体)の久原房之助はA級戦犯として公職追放された。

鮎川義介も戦犯として逮捕され公民権停止され、以降日産と関わるのを一切禁止されたが、後に参議院議員になっている。


自称”労働者の代表”達は働きもせず暴動に明け暮れた。
このような活動を背後で操り、支援していたのはGHQだった。
1953_Nissan_Labor_Dispute
引用:http://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2017/07/1953_Nissan_Labor_Dispute.jpg


GHQによる日産虐め

日産はGHQによって戦後の自動車生産が制限されたが、GHQは日産をこのまま滅ぼそうと考えていた。

生産制限と同時に刑務所から出所した反政府活動家を日産工場に送り込み、労働争議を起こさせてこれを「民主化」と称していた。

民主化の実態は酷いもので、暴力を振るったり打ち壊したり、物を盗んだりして操業を妨害したのが実態だった。


工場労働者は仕事をせず、上司を監禁して「裁判」と称して大勢で丸一昼夜責め続け、精神を破壊していった。

工場にいる一番偉いのは課長だったので、日産の課長の多くが精神に異常をきたしたり、自分も「民主活動」に加わった。

労働者側の仲間になれば裁判の標的にならず、監禁されたり暴力を振るわれずに済むからだった。

こうした出来事をGHQは「日本でも民主化が根付き始めた」と称賛し、暴動を奨励しては、面白おかしく眺めていた。


GHQは「民主化」を支援したので日産工場の混乱は続き、この間に自動車産業のトップに躍り出たのがトヨタだった。

トヨタは戦前には小規模な自動車生産を行っていたが、軍部との関係は限られていたので、GHQのお気に入りになった。

1950年に朝鮮戦争が始まると日産、トヨタとも突然フル生産を命じられ、以降は急激に成長しアメリカのビッグ3も倒してしまった。


だがGHQによって日産に送り込まれた民主活動家達は、60年間日産の活動を妨害し続け、ついに会社を事実上倒産させてしまいルノーに買収された。

日産の末期がいかに酷かったを物語る伝説として、経営会議でモデルチェンジが決まると、工場長に伺いを立てる。

工場長は労働組合の幹部で、組合は事実上の日産の「本当の経営権」を握っていたとされている。


日産の時限爆弾

組合が同意しないとモデルチェンジできず、日産のモデルチェンジはどんどん遅くなり、内容も陳腐になった。

特にエンジンやシャシーなどを含むフルモデルチェンジは、労働者を酷使するとして一切認めなかった。

こうしてスカイラインもサニーもマーチもブルーバードも、同じエンジンの使いまわし、モデルチェンジ期間の長期化が進行した。


初代マーチが好評だったのに10年間モデルチェンジされなかったのはこれが理由で、2代目も10年、3代目も8年間モデルチェンジしなかった。

日産の労働組合は「労働貴族」という小説にもなったほど有名で、日産社内は社会主義国ソ連のようだったと言われている。

日産の労使協定では「日産車は労組の合意なしにいかなる改良もできない」と書かれていて、モデルチェンジを決めるのは組合長なのだった。


もちろんトヨタやホンダは社長がモデルチェンジを決めていたので、日産がホンダに抜かれたのは当たり前でした。

連合会長の塩路一郎は塩路天皇と呼ばれ、日産の重役人事や経営方針も事実上労組が決めていました。

こうした種を撒いたのはGHQで、種は大きく育って日産を乗っ取り、ついには経営破たんさせてフランス企業になりました。


敗戦前後の混乱期については日産の社史や公式な自動車史でも、知られたくないのかあまり書かれていない。

GHQは戦後すぐ日産を解体倒産させようとしたが、吉田茂首相や池田勇人首相らの抵抗によって、中途半端な虐めに留まったとされている。
http://www.thutmosev.com/archives/71982031.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c9

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