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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100332
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[リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
39. 中川隆[-8773] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:35:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3969]

昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c39
[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
1. 中川隆[-8772] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:36:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3970]

日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&list=PLMA8BWNvBdz-29sRtVJgysWMcX_586YDt&v=eugXzHoKnes


昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おま­けに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通していたのである。


DVD『鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密』成甲書房より転載。


以下本文。


これからは2・26事件について語ろうと思います。2・26を追究して、いくらかでもその真実に近づけば、日本のこれからの未来のためにも役立ちます。2・26事件というのは若い将校たちが叛乱を起したと。で、その将校たちの叛乱を気に入らないというので天皇が怒り、数多くの将校たちが処刑されました。しかし、これには裏があります。今、私が秩父宮と昭和天皇は父親が違うということを喋りましたが、これは東久邇が喋ったことなんですね。


笠原和夫は広島のジャンク映画『仁義なき闘い』を初め、色々な芝居の脚本を書いて、それでなお昭和秘録というようなものに挑戦して、2・26にも挑戦します。しかし「2・26は映画になりきれなかった。書けなかった」と、彼は本の中で断念していますが、それはそうなんです。あれを追究すると映画にはなり得ないんです。なぜなら、あれは秩父宮が最初に仕掛けたクーデター劇なんです。これはもう他の人もみなさんご存知なんです。ところが真相は、秩父宮がある時点で若き将校たちを裏切るんです。それで彼らは行き場を失うわけです。


秩父宮が安藤輝三(てるぞう)という大尉に話を持ちかけます。これはまちがいない事実です。そして安藤は非常に冷静な男だったので断ります。しかし秩父宮は懐から懐中時計を出して「俺の真意を汲んでくれ」と言います。それで彼がリーダー格となり、若い将校たちを仲間に入れます。そして革命を起したときに、秩父宮は弘前に逃げます。そして安藤に言います「弘前で軍人たちを募ってやって来るから」と。それで安藤と仲間たちの将校は、秩父宮の言葉を信じて革命を起します。しかしその革命はみなさんがご存知のように失敗します。なぜ失敗したか?彼は途中で天皇の味方につくわけです。私はそう思ってます。それで失敗します。その結果どうなったのか?


結局2・26事件を起した連中は−それとその指導者たちは皇統派と呼ばれています。で、もう一つ統制派というのがあります。統制派というのあは陸軍16期生というのがありまして、陸士ですね、その中で1921年だと思いますが、10月にドイツのバーデンバーデンというところにある4人の男たちが集まります。そういう連中がドイツに集まった所に、東久邇が裏で緒を引いて、結局そこから統制派というのが生まれてくるんです。リーダーは暗殺された永田鉄山という男ですが、永田鉄山は途中で暗殺される。これが一番優秀な男だったわけでありますが、その連中が東久邇と秩父宮にそそのかされて、結局、日本をおかしな方向に持っていくわけです。で、日本はアメリカとソ連を敵対国とするんですが、統制派というのはアメリカを打倒しなければダメだという。まあこれは大体のストーリイですけど。で、皇統派というのはアメリカと戦っちゃいけないと、あくまで日本は敵を想定するならソヴィエトだということなんです。


これは大まかなストーリイですけど、そうした中で、みなさんご存知のようにゾルゲという男がいます。ソ連のスパイをやった男です。そのゾルゲを尾崎秀実(ほつみ)というのと、さっいいました西園寺八郎の息子の公一(きんかず)というのが、ゾルゲに秘密情報を流したというわけです。どんな本を読んでもそういうストーリイです。しかしこれは西園寺公一と昭和天皇が兄弟であったと私は申しました。西園寺八郎が妻に産ませたのが公一です。でその公一と昭和天皇は兄弟です。昭和天皇は木戸幸一を通すんですけど、自分の弟の公一に、ソ連のスターリンに向けて発したい情報を伝えるわけです。それを尾崎秀実という朝日新聞の記者が一緒になって、ゾルゲを却って誘惑するわけです。ゾルゲにおべらかしやインテリ女を与えて、ゾルゲを懐柔します。ゾルゲは女遊びをしてオートバイを乗り回してフザケた男ですけど、で、公安はぜんぶゾルゲをチェックしますけど、天皇一族はゾルゲを野放しにします。


ゾルゲは日本の一番重要な情報をぜんぶ手に入れて、スターリンに渡します。スターリンはそれを信じるわけです。だからスターリンは、日本がソヴィエトを攻めてこないということを知るわけです。天皇を初め統制派の連中ですね、永田鉄山が殺されましたから東条英機が首相になって、アメリカを攻めるストーリイは最初から作られたということなんです。戦争というものは必ずどこかで企みがあるものなんです。昭和天皇が、1938年12月ですから大戦が一年前、これは木戸幸一の日記に出てきます。木戸幸一にこういうことを言っています「もう世界大戦は始まる。そして最後に勝つのはソ連とアメリカで、他の国は全部潰される。日本も同じように潰される。だけど日本人は臥薪嘗胆して質実剛健を維持すれば、10年後には復活する」と。


これは見事に予言的中しているわけですよ。その一年後に第二次世界大戦が始まります。真珠湾攻撃をちょうど一年後にやります。10年後というのはちょうど講和条約の時です。だから考えようによっては、昭和天皇だけが日本のストーリイを全部知っていたんじゃないか、ということになりませんか? 僕はそう思います。で、戦争が始まる一年前に近衛が天皇に面会を申し込みます。天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。近衛はどういうことを言ったかと。


「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。陸軍は石油を一年分しか持ってない。この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。これは木戸日記にはっきり書いてあります。


ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、やっぱりあれは石油があったんですよ。なぜ石油があったか考えてみたことありますか。これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。

◎鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』より該当箇所抜粋。

『多くの資料がソヴィエト連邦解体とともにクレムリンから出てきた。その資料から、野坂参三の過去がかなり暴かれた。世に言ういう二重スパイ説である。しかし、野坂参三が天皇のためのスパイであった、とする文書は闇に消えている。野坂参三が天皇のスパイ、アメリカのスパイ、クレムリンのスパイのみならず、国際金融同盟、すなわち、闇の支配勢力のスパイであったことは間違いのない事実である。』

『野坂参三は天皇のスパイから出発し、ついにクレムリン、アメリカ、そして国際金融同盟のスパイに仕上げられ、次に中国共産党の内部深くに侵入していくのである。その国際金融同盟がつくった太平洋問題調査会の第六回国際会議がアメリカのヨセミテで、1936年8月14日から29日の間に開かれている。この会議にゾルゲ機関の一味の尾崎秀実が日本側委員として出席している。』

『私は太平洋問題調査会の第六回国際会議に出席した尾崎秀実とのコネクションを野坂参三が手配していたと考える。太平洋問題調査会はロックフェラー一味、ロスチャイルド財閥、そしてソヴィエトの謀略機関であった。南進策がこの会議では討論されていない。しかし、「北進策を日本がとるべきではない」ことが討議されたのである。尾崎は帰国後、満州の軍事会社にいた日本共産党員に資料を作らせる。この背後にも間違いなく野坂参三がいたと思われる。この年の六月頃から年末にかけて野坂参三の行方は不明となる。私は尾崎と行動を共にシ、日本に帰国後、秘密裡に満州に入り、モスクワに帰った、とみる。』

◎私見では尾崎秀実を破滅に引き込んだのは吉田茂&白洲次郎である。
次郎のコネクションである牛場友彦と松本次郎が仲介役である。

『白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。

牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン−後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など−との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)

この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。

『私は(通説とは)逆に、西園寺公一と原田熊雄たちが、天皇と木戸、近衛に踊らされていた、とみるのである。ゾルゲ・ルートで一方的に数万点の機密資料を垂れ流した天皇、木戸、近衛は、一方でソ連に日米和平の仲介を依頼すべく闇のルート(たぶん野坂参三のルート)で知らせ、その情報を讀賣新聞に流したのだろう。南進策こそはアメリカとイギリスとの戦争そのものを意味した。』

『私たち平成の世に住む人々は、あの時代の貧乏を理解できない。農村は働き手を兵隊にとられ、娘たちの多くは売春婦になっていった過去を知ろうとしない。天皇とその一族が優雅な生活を続ける一方で、日本人のほとんどは、どん底の生活に落とされていた。どん底に生きる人々を恐れている神の一族は、たえず何かを仕掛けなければ生きていけない。そこに暴力性が要求される。』

『2・26事件を私は、天皇と秩父宮が密かに練った偽装クーデターとの説をとる。秩父宮は密かに仙台から遠回りの鉄道を使い東京に出て来て、高松宮と会談し、その後で二人で天皇と会っている。この事件をいかに収拾するかについて話している。8月15日のあの事件と2・26事件は共通する。前者は三笠宮が策を練り、後者は秩父宮が策を練ったのである。天皇教はたえず暴力装置を作っては、それを策動して生きながらえてきた。どん底の人々は、大きく二つに分かれた。天皇教の側に立って共にその暴力装置に加担する一派と、その逆の立場の人々である。


統制派は天皇側について南進論を推し進めた人々である。皇統派はその暴力装置に対抗すべく日蓮宗に救いを求めた。軍人のほとんどが、軍人たちの一部(天皇教の暴力装置に組み込まれた軍人たち)を除き、アメリカと戦争する拙劣きわまりない行為を知っていた。それでも天皇とその一族は戦争を仕掛けるのである。その謎を徹底的に追究しようとして私は書いてきた。』


『ねずまさしは「天皇昭和紀(上)大日本帝国の崩壊」の中で「2月26日午前4時、第一師団の歩兵および第三連隊の営門から、部隊は堂々と市内へ出発した・・・・かくて彼らは、目ざす重臣五人を殺した、と信じて陸軍省などに引き揚げた・・・牧野は早くも旅館からのがれていたため、護衛の警察官が射殺され、旅館は焼かれた。西園寺ももちろん、ねらわれたが・・・襲撃直前になって突然中止した。」と書かれていることに注目したい。

牧野は数多くのテロの標的となってきた。しかしそのつど、直前にいつも逃亡に成功した。これは何を意味するのか。彼が背後でこれらのテロを操っていた黒幕であることを意味する。岡田啓介首相も難を逃れた。事前に彼の娘婿の迫水久常(終戦時の鈴木内閣書記官長)が岡田首相を連れ出すのである。迫水久恒は、皇統派と見られていた。実際は岡田のスパイだった。』


『このクーデターの首謀が秩父宮であることを書いた。このクーデターを、天皇、高松宮、三笠宮、牧野伸顕、岡田首相らが事前に知っていたのである。天皇は彼ら将校を「暴徒」と決めつける。天皇が最初から「暴徒」と断定しえたのは、密かに秩父宮と共同歩調を取ったからだと私は書いた。しかし、政府要人が数名殺されたり、傷を負ったから、2・26事件は本物のクーデターとして位置づけられ、誰も疑わない。ねずまさしも、である。』


『このクーデターと酷似するのが、あの8・15の「日本のいちばん醜い日」である。将校と兵隊のかわりに、将校と近衛兵を使った。リアリテイを見せるために、一人とはいえ、森近衛師団長を惨殺した。石原莞爾がいみじくも指摘した放送局を占拠するというマネまでもしたのである。この二つの偽装クーデターは、秩父宮と三笠宮の暗躍がなければ決して実行されなかったのである。真の首謀者の二人は未だに闇の中に消えているのである。』


『この事件の結果、どのように変化したのかを書いておきたい。北進策をとる皇統派の将軍・将校たちが主流からはずれ、東条一派−あのバーデンバーデンで密約した一派、東久邇宮と結ばれた一派−の統制派が軍の要職を占めるのである。統制派は南進策を主張する人々である。秩父宮は、自らが天皇になろうとしてクーデターを起させた可能性大である。笠原和夫もその説をとる。しかし、私は天皇と秩父宮が密かに結びつき、2・26事件を若手将校に起させ、南進論一本にすべく行動したのではないかと思っている。』


『この1936年が日本のターニング・ポイントになるのである。1936年、ゾルゲと西園寺公一と原田熊雄、尾崎秀実の暗躍。もう一つは日本共産党の野坂参三の動き。これらと2・26事件が糸のようにもつれあって連動したことは間違いないのである。2・26事件以降、天皇により軍紀がひきしめられる。天皇はその役を東条英機に命じ、陸軍大臣から首相に任命する。東条英機は佐藤賢了中将を軍務局の要職につけ南進策を推進させる。太平洋戦争への道である。』


『天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入するべく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、日本は再び独立国となる、ということであろう。そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、と天皇は語っているように思える。』


『その裏に見え隠れするのは、「木戸よ、このようにして日本を導かなければ、天皇一族の運命が風前の灯となるのだよ。お前も協力してくれ」との天皇の哀訴である。大室寅之祐の代から天皇ニス変えた木戸孝允の孫の木戸幸一は、「天皇と一蓮托生の命である」と答えたのではないのか。天皇はあるルートから、一枚の極秘文書を渡されたと私は考える。その文書に木戸に語っていた内容が書かれていた。「有終の美を挙ぐるは困難ならず」とは、「敗北しても、天皇の命は保証され、国体は護持する」との確証を得たとのことではないのか。日本の国民の民草に天皇が思いを馳せる素振りをするのは、「終戦の詔書」の中だけである。それも見せかけ以外のなにものでもない。』


『天皇が脅されてなんかいなかったと思っている人が多いであろう。私はルーズヴェルト大統領も、チャーチル首相も、スターリンも、闇の支配者たる国際金融資本家たちのグループに脅され続けていた、と書く。天皇においておや、である。まことに日本は国際決済銀行(BIS)により、利益追求システムの中に組み込まれ、ついに必然的に戦争状態の中に入っていく。戦争は巨大なマネー・ゲームである。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。』


『天皇と祖の一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。ひと度、この銀行組織に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手の内に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちんばん金のもうかるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。』


『第二次世界大戦はどのように仕掛けられたか。その第一はヴェルサイユ講和条約にあった。日本は統治諸島を手に入れた。ドイツの賠償金を受け取るとの名目で、国際決済銀行ができ、ドイツに秘密裡に多額のドルを貸し与えた。そしてナチス・ドイツを育てた。共産主義の恐怖を煽る一方で彼らは太平洋問題調査会をつくり、中国を共産主義にすべく動いた。日本の天皇の野坂参三を使い、共産党国家中国の援助をした。これらはすべて、マネー・ゲームの面を持っている。これらの動きに国際決済銀行がからんでいるからである。彼ら、この国際決済銀行を実質ッ的に支配する国際金融同盟は、次々と日本に甘い汁を与え続けた。青島の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。これから軍人たちはヘロインやアヘンの売買をやって大金を稼ぐ。すべては彼らユダヤの国際金融資本家たちが考えた、日本を戦争に導くための甘い汁だった。満州国建設の金は麻薬によったと認めるべき時がきているのだ。』


『1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2千万円。日銀物価価格で計算すると311倍となり、7912億円。東条の10億とか15億がいかに天文学的数字であるかが分る。今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。三井と三菱はペルシャから年ごとに船を出し、アヘンを仕入れ、朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。その金の大半は天皇と三井、三菱の懐に入った。その一部で国際決済銀行を通じてアメリカから必要な軍需物資を仕入れた。戦争を長引かせるよう、国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が天皇を指導したのだ。天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長引かせることで天文学的は利益を上げた。麻薬を売りつけ、その上がりで軍人たちはメシを食っていたのに、何が大東亜構想なのだ。』


『木戸は警察関係の連中と三日に一回ほどの頻度で会っている。これらはすべて天皇に上奏され、また天皇から伝送される。平和運動を抑圧し、終戦工作を妨害しつづけたのは、天皇ヒロヒトその人であったことを理解しないと、戦争の本当の意味が分らない。日本人だけが、昭和天皇を「無私の人』だち思っている。真実はまったく違う人間であったことは、ほぼ間違いのない事実である。戦争がマネー・ゲームであることが理解できたであろうか。田布施のこのグループにやがて、吉田茂が一族として加わってくる。上海にいたサッスーン、ジャーデイン・マセソンというロスチャイルド財閥から援助され財をなした吉田健三は、ある長崎の女郎が生んだ子どもを養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、牧野伸顕の娘と結婚する。満州利権を守るため、田布施村の一族と血の契りを結ぶ。のちにヨハンセン・グループを作り、天皇の承認のもとに、アメリカ大使のジョセフ・グルーに極秘情報を流し続ける。こうして、、マネー・ゲームは続くのである。』


再び鬼塚氏のDVDの続き。


そしてある時になって、「石油はやらない」という時になって、天皇は気がつくわけです「ああ。ついに終わりが来たか」と。ね。これが真相なんですよ。近衛とか木戸はその辺を知らなかったんです。天皇と一部の大本営、『御文庫』といって、天皇の宮殿内の地下深くに『御文庫』をつくり、そこに大本営を置いて、毎日毎日「今度はここ行け」「ここ行け」指図した。それを指図が出来ると、東条に渡すわけです。東条は御文庫の中に入れない。そういうシステムで戦争が進んでいる訳です。最後に天皇も「もう尽きるところまで来たな」って、天皇も終戦工作に入る。終戦工作に入るのはロシアを通して入ろうと、ロシアを通して終戦工作に入りますけど、上手く行きません。


終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。


で、白洲次郎が『カントリー・ジェントルマン』とかいって、戦争のときは鶴川の山の奥で農業をやっていたというのは全部デタラメです。これは『日本水産』の社長であった有馬というやつがいますが、これも貴族ですが、『日本水産』のトップですが、この男の日記にダーッと出ている。「また白洲が来た。とんでもないニュースを持って来た。アメリカがどうのこうの。何で彼はこんなことを知ってるんだろう」ずーっと出てきます。そういう事なんです。で、結局ですね、最初から日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると、すべて矛盾がなく納得できるんです。だからゾルゲを使って、天皇は弟の公一に機密情報を流してソヴィエトに渡せと、で、ソヴィエトを安心させて南進策を取るわけです。で南進政策を取ッとる時に、木戸が日記に書いてますよ。「おい、火事場泥棒をしたな」「へい」と木戸が言うわけですよ。「火事場泥棒も時によってはしょうがねえなあ」と天皇が木戸に言ってんです。火事場泥棒なんです。ね。


あのおとなしいような天皇は非常に頭が良くてですね、昭和天皇はズル賢くてすべて計算してたわけです。だから日本をアメリカとの戦争に持っていくよう仕組まれたら、それに応えるよう敢えて真珠湾攻撃の大事なところで手を抜くわけなんです。だからあれは山本五十六に命じますけど、山本五十六は言ってんじゃないですか。「一年くらいは持つ。勝った勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。そしたら天皇はそれでもいいからやれというわけですよ。やらないと自分の身が危ない。スキャンダルをみなバラされて、全部失う。スイスに貯めた金も失うと。


もう一つ、石油を買うお金は何処から来たかということですが、日本は南方に攻め込みます。中国はもちろん、ビルマからタイからダーッツと行きます。あすこにある金銀財宝をカッさらいます。そして日本に持ち帰ります。それを金を溶かして丸福といいます。丸に福が書いた名前の金貨をつくり、それを持ってフィリピンとかに行って、農家の人に渡して食料を得る。アメリカ軍は自分の国から大きな船で食料を運ぶんですけど、日本はそんな余裕はないわけで、現地調達をやります。フィリピンで現地調達をするのに軍票というのが、こんなの受け入れません、フィリピンの百姓たちは。それで金貨をやります。「そんならしょうがない」って言って、米をもらったり野菜をもらったりして、何万人の兵隊たちがフィリピンの農民から肉や魚を買います。これが戦争なんです。


で、もう一つ、その金貨を黄金をインゴットにしてスイスに送ります。スイスでスイスフランかドルに換えます。そのスイスフランかドルを・・・国際決済銀行というのが出来るわけです。第一次世界大戦の後に出来ます。その決済銀行を通して、日本はアメリカにパナマ国籍で金を払い石油を貰うと。で、アメリカとその石油で戦争をします。太平洋でいっぱい戦争をしました。あれはアメリカの石油をもらって、アメリカの石油を使った軍隊と戦争ごっこをやったということですよ。ドイツも同じです。戦争するのにドイツは分るように石油は出ません。石炭は出ます。で、ドイツのヒトラーが言います。「戦争をしろというけど石油が無い」って。ロイヤル・ダッチッシェルというところのデイターデイングというユダヤ人がヒトラーに言います。「石油は渡す。やれ」って。「誰が持ってくる?」「オナシスというやつのタンカーが来る」「戦争してたら沈没したらどうするんだ?」「オナシスの船は絶対沈没しないから心配するな」。で、戦争中ずっともらいます。


じゃあヒトラーはどうしてスターリンの所に攻め込んだんだ?というと、途中で言われます。「もうやらない」って。じゃあヒトラーはどうしたらいい?スターリンのところへ行って石油を取ばいい。それでヒトラーはロシアを攻め込んで、石油基地を奪おうとして行く過程で滅ぼされます。日本も同じです。イタリヤはどうか?ムソリーニはヒトラーに言われます「一緒に戦おうよ」。ムソリーニは言います「オレは石油がない」。ヒトラー「俺はシェルからもらえるけどお前はシェルからもらえないのか?」ムソリーニ「シェルはオレにくれるといわない」。それでもヒトラーとムソリーニは協定を結んでたから、ヒトラーが戦争を始めた以上、ムソリーニもやらざるを得ません。すぐムソリーニのイタリヤは潰されます。これは石油がないからすぐ潰されます。


戦争というものの実態は「物事はすべて必然性がある」んです。大きな出来事は偶然性で発生するものは何もありません。第一次世界大戦も今いった第二次世界大戦も、ぜんぶ八百長なんです。八百長システムが見事に働けば戦争は長引くんです。戦争は長引くんです。だからノルマンデイー上陸作戦というのがあります。あれは第二次世界大戦が始まって、すぐルーズヴェルトが「勝利の計画」というのを立てます。ウエデマイヤーという優秀な男がいまして、これが計画を立てます。ウエデマイヤーは戦争が始まって一年後に、ルーズヴェルトやステイムソンやらマーシャルやらみんなを説得します。「戦争はこれで終わりです。ヒトラーを、ナチスらを、やっつけましょう」。ね、一年後ですよ。


それがなぜ延びたか?上層部の連中が「No」と言います。誰が「No」と言ったか。スターリンもチャーチルに「これで戦争は終わりやなあ」と。モロトフもチャーチルに会って確約をもらい、ルーズヴェルトに会って「戦争は終わり。終わらせないとみんな可哀そうやな」。でも最後にチャーチルがみんなに言います「戦争は継続しないといけない」。でルーズヴェルトは魂消ます「なぜだ?」って。


チャーチル「戦争は継続しないといけない。継続しないと金儲けに繋がらない。それでアフリカ作戦に切り換えよう」って。アメリカ人は分りません。そこでアイザンハワーという男が登場します。これがウダツの上がらん男です。フィリピンでマッカーサーの下でずーっと中佐であった男です。この男が呼び出されるわけです。で、ヨーロッパに派遣されて、一気に中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥と一年足らずの間に元帥になって総指揮官になります。完全なユダヤ人です。ルーズヴェルトがヨーロッパに行った時に、アイゼンハワーに会います。アイゼンハワーの顔を初めて見たといいます。大元帥の顔をね。で、アイゼンハワーはイギリスの連中に応じます。イギリスの貴族たちが(戦争終了に)反対するわけです。


僕はこれを『20世紀のファウスト』に書いたんですけど、何と悲しいことよと。人間の命なんかどうでも良い連中が、ゴロゴロいるわけですよ。ルーズヴェルトでさえ嘆いているんですよ「戦争が終わるのになぜ終わらせないのか?」。そうこうしているうちに、まあ後で話しますけど原子爆弾ですね、原子爆弾が完成しなかったんですよ。予定通り。これが完成間際になってヒトラーも手を挙げます。で終わります。で日本は「まあ〜だだよ」とステイムソンが言うわけです。「まだガマンしとけ」。そして原爆が完成して、同時にスケジュールが出来た。と同時に何が起きたかというと、天皇は広島に第二総軍を作って、畑という男を入れます。ね。怖い話じゃないですか。


それで戦争を始めるように仕組まれてるわけですよ。僕がいちばん日本人の作家たちが書いた本を読んで情けないと思ったのは、御前会議ですけど、次の日にはもうアメリカは内容を全部知ってます、これは吉田茂が樺山愛輔に流し、樺山愛輔がグルーのところに持って行って、グルーが電報で打って全部次の日には・・・グルーも『回想十年』で書いてます。「ヨハンセン・グループにもらって全部やった」て。まあ後に翻訳されますけどね。まあ僕は昭和史を読んでて「悲しいなあ」て思ったのは、昭和天皇が御前会議の席上、戦争をやれというとき「分った」と。で、杉山元(はじめ)という参謀長に言います「勝てるか?」。「勝てるかどうかはやって見ないと分りません」。すると天皇はみんながシーンとしている時に「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」と読んだ。で、それが戦後になって昭和天皇が戦争に反対した証しだとか、昭和天皇は戦争に責任がないという一番の証拠にされるわけです。この歌を以って反戦の歴史学者もみな賛成するわけです。


井上清やら『人間の条件』を書いた五味川純平もその歌を以って、天皇はやっぱり反戦主義者であったことは認めるということになるわけです。五味川純平の書いた『御前会議』という本があります。『人間の条件』を書いた男が『御前会議』というのを書いてね、その時僕は思いました(彼らは何とダマされやすい歴史学者なんだ・・・)と。これはちょっと歴史の勉強すれば分るんですけど、この歌は戦意高揚のためにずうっと歌われてきたんです。日露戦争の時に天皇が詠んだとされて、ずうっと戦争高揚の歌でやってたのが、突然、戦後になって一部の天皇の周辺の者が「あれは天皇が反戦の意を伝えた」と言ったら、みんな(以下)同文なんです。何て情けないんだ。なぜ歴史を勉強しないのか。


この歌は井沢匡(ただし)というドラマの脚本化が書いたり小説書いたりするのがおりまして、この人は『維新・明治天皇伝』というのを書いています。この中でこの歌は、西南戦争の時に天皇が西郷隆盛を偲んで詠んだ歌だとされてんですよ。飛鳥井雅道(あすかいまさみち)という歴史学者も、井沢説と同じなんですよ。まあ一部は違いますけど。『日露戦争』というのがあるんですけど、これは西南戦争の時に「やっとこの世の中で幸せが来ると思ったのに、自分を助けてくれた西郷は死んでしまった。何と悲しいことだ」という歌なんですよ。「四方の海みな同胞」というのは、「四方の海」は四つの海で四海、「同胞(はらから)」というのは「同胞(どうほう)」なんですよ。「四海同胞(しかいどうほう)」ということなんで、「四海同胞」とは僕たちは簡単に言いますけど、これはずい分前から「同胞(どうほう)」というのは結局、部落民を指す言葉なんです。あんまり良い言葉じゃないんです。天皇のような貴きお方が喋る、歌にするような文句じゃないんです。


足利尊氏が室町幕府を作りますが、その時に負けた楠とか新田の一族が「散所(さんしょ)」「別所(べっしょ)」というんですが、閉じ込められるんですよ。一定の場所に。もう反乱を起さないように。で、それで彼らは部落民になるわけですよ。楠一族とか新田一族は部落民になるわけです。その時に四海同胞衆というのが、彼らの世界から生まれてくるわけですよ。閉じ込められた人間が解放されたと言って、で、そこから坊主になって解放される道があると言って、坊主が沢山生まれてきます。そういう意味なんです。だから明治天皇がこういう風に「俺たちは部落民としてガマンしてきた。四海同胞市民として生まれてきたけど、やっと迎えられたのに西郷は死んでしまった」という歌なんですよ。それを「日露戦争の時に明治天皇が作った」という歌にして、それはそれでいい。戦意高揚の歌だんですよ。八紘一宇の代表的な歌として、ずーっと歌われてきた。で、戦争前まではそれで筋が通ってきた。色んな人がこの歌を、子どもたちの教科書に載っている歌でさえ(戦意高揚の歌として歌ってきた)。


戦争が終わって一部の軍人たちが「反戦の歌を詠んだ」となると(今度は)ずーっとそうなるわけです。何と情けない話じゃないですか。今でも、そのさっき言いました秦とか、そういう連中はみな、この歌を以って「昭和天皇は反戦の意を唱えたけれど、軍人たちは天皇の意に反して戦争をしたんだ、軍人たちがけしからん」ということで、第二次世界大戦の総括をやっているわけですよ。で、その意に逆らう歴史家は未だにいません。私は一人だけ逆らってますけど。どうかみなさんも真実を知って、簡単に人の言うことを、権威者の言うことを信じないでください。これは大事なことなんですよ。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html


09. 中川隆 2013年3月02日 09:27:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

2・26事件と8・15宮城事件に共通して登場する人物


2・26事件と8・15宮城事件に共通して登場する人物 From 得丸

皆さん、ちょっとびっくりしたのでお知らせします。

2・26事件の磯部・村中が軍を追われることになる昭和9年の11月事件と、昭和10年の永田鉄山惨殺事件と、昭和20年の8・15宮城事件に共通する人物がいることがわかりました。

なんと鬼塚さんの本に引用されていました。

鬼塚英昭さんの「日本のいちばん醜い日」の14ページに、バーガミニからの引用が紹介されています。

「塚本は、1934年に、陸軍大学における北進派即ち征露派の陰謀を暴露するのに、宮廷の密偵を助けたことで、天皇の注意を惹いた。

彼はそれから1935年の間じゅう、大阪で皇叔東久邇宮の下で様々な秘密計画に携わった。その一つは、裕仁の防空室を描いた鈴木記念館の絵のなかで時代錯誤の幽霊となって現れているあの永田軍務局長の殺人であった。」

この1934年の陸軍大学における陰謀というのは、磯部浅一と村岡孝次が陸軍をクビになる11月事件であると思われます。

そして、永田鉄山惨殺事件(=相沢事件)にも、塚本が関係したという記述がバーガミニの本にあったということは、いったいこれは、、、、、、、

2・26事件について、浜田政彦さんが考えている以上の根深い陰謀があるのではないかという気になりませんか


とくまる
==============================

2・26事件の首謀者である磯部、村中と、8・15宮城事件の陰謀の筋書きを書いた塚本は、意外に近い関係だったのですね。

得丸

以下、ネットよりコピペ


塚本誠(陸士36)、村中孝次(陸士37)、磯部浅一(陸士38)は、陸軍士官学校の一年ずつ先輩後輩です。

磯部浅一
・ 山口県出身。陸士(38期)卒。陸軍経理学校卒。
・ 早くから北一輝のもとに出入りし「皇道派」青年将校の先駆的
  存在の一人。
・ 士官学校事件で、村中孝次らとともに、辻政信ら「統制派」の
  陰謀に陥り逮捕。のち停職処分。
・ 冤罪を訴え続け、村中とともに「粛軍に関する意見書」を作成
  、配布。これにより免官となる。
・ 真崎教育総監更迭、相沢事件ののち、相沢を支援しつつ、活動
  を活発化される。
・ 二・二六事件に際しては、栗原安秀とともに時期尚早論を抑え
  、計画を指揮。
・ 獄中で「行動記」「獄中遺書」を書き、決起の正当性を主張。
  刑死。


村中 孝次(むらなか たかじ、1903年10月3日-1937年8月19日)は、戦前日本の軍人、国家社会主義者。北海道旭川市出身。

札幌中学を経て、陸軍士官学校37期。歩兵第27連隊付・士官学校区隊長を経て、1932年歩兵第26連隊付。同年陸軍大学に進むが中退。
この頃から皇道派青年将校グループの中心人物として知られるようになり、維新同志会の西田税らと交遊。1934年大尉。同年磯部浅一らとともにクーデター未遂容疑で検挙され、休職となる(陸軍士官学校事件)。

翌1935年磯部と「粛軍に関する意見書」を作成・配布し、免職となった。また、真崎甚三郎教育総監の更迭は永田鉄山軍務局長を中心とした統制派の皇道派弾圧の陰謀であるとする「真崎教育統監更迭事情」を作成し、相沢三郎中佐に送付。同年の永田軍務局長殺害事件(相沢事件)の遠因を作った。1936年の二・二六事件の首謀者の一人となり、1937年に西田や磯部らと共に射殺された。


塚本 誠
明治36・9・24〜昭和50・8・6
大13・7 陸士卒(36期)
13・10 任歩兵少尉・歩兵第59聯隊付
昭2・10 任歩兵中尉
6・5 仙台教導学校付
7・11 任憲兵中尉・仙合憲兵隊付
7・12 岡山憲兵分隊長
8・8 任憲兵大尉
9・3 憲兵司付
10・3 大阪憲兵隊付
10・4 上海駐在
12・8 上海派遣軍司付
12・12 中支那派遣憲兵隊付
13・3 台北憲兵分隊長
13・7 任憲兵少佐
14・3 参本付仰付(上海駐在)
14・9 支那派遣軍総司令部付
16・3 中支那派遣憲兵分隊長
16・8 東京憲兵隊付(特高第2課長)
17・8 任憲兵中佐
18・8 宇都宮憲兵隊長
19・5 ビルマ方面軍憲兵隊長
19・12 第10方面軍司付
20・4 第10方面軍参謀
20・6 任憲兵大佐
20・8 東部憲兵隊司部員兼憲兵参謀
20・9 軍務局付
20・12 予備役
24年 電通入社
48年 電通取締役で退社

憲兵練習所甲種学生 首席
* 11期:昭和7年11月14日/塚本誠 歩兵中尉
==============================


2・26事件も結局、天皇が仕組んだ陰謀だったのでしょうか、、、、

とくまる
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_02_contents.htm


天皇の陰謀

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた

ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳


私の調べた確証から浮かび上がる天皇の姿は、公式の伝記にあらわれる姿とは、まるで写真のネガとポジのように異なっていた。私の見方では、裕仁は、献身的で、衰えを知らず、利巧かつ細心で、そして忍耐力を備えた、卓越した戦争指導者だった。彼は、アジアから白人を追放するというその使命を、大祖父から引き継いでいた。

だが、国民は無関心かつ後進的であったので、人々をそうした役務にかりだすため、戦争の20年前から、心理的、軍事的に準備を重ね、巧みにあやつっていった。


私は、裕仁を「陰謀」の首謀者として登場させるつもりである。

だが陰謀というこの言葉は、過剰使用と盲目的愛国心のおかげで、一般的には不信をもたれる言葉となっている。だが国際軍事法廷は、日本人指導者に「侵略戦争への陰謀」との判決を下し、1928年から1936年の間の日本を運命付けた少なくとも八件の主要陰謀を明白とさせた。また、陰謀は、日本文化においては、古くから、由緒ある地位に置かれてきた。戦前の日本の領土軍〔植民地配属軍のことか〕は、公式に「謀略部」と称する参謀チームを設けていた。私は、その連合国判事が判明させたリストに、さらに六件の陰謀を加え、それらのすべてを、裕仁を中心とする皇室がからむ陰謀とした。

裕仁は、秘密裏に少数派に働きかけ、最初は日本を欧米との戦争に導き、そしてそれに敗北すると、その記録を隠蔽した。

ある60才代の風変わりな華族は、私に英語で以下のように告げた。

「もちろん、貴君は私をたぶらかそうとしていると思う。貴君は私に何を言わせたいのかね。私は裕仁を子供の頃から存じている。彼は、戦争好きの馬鹿ロマンチストだったし、たぶん今でもそうだと思う。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L2/220216.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c1

[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
2. 中川隆[-8771] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:39:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3971]

鬼塚英昭 昭和天皇による日米戦争策謀論


日本の真相1 明治天皇すりかえ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=igJ12gwRtvQ&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-

日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2

日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3

日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4

日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5

日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=6

日本の真相7 超天才の悪魔 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=7

日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=8

日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=9

偽天皇と田布施システム【The False Emperor】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BNLdWvMNSuU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=10

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c2

[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
3. 中川隆[-8770] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:40:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3972]

70年以上に亘って日本国民に対して絶対的に隠蔽され続けてきた2・26事件の真相、全面開示
太田龍(週刊日本新聞)
2008年1月25日 日本義塾公開講義


今日は「二・二六事件の真相の全体開示」ということをお話しします。ここにバーガミニの後編の32頁のコピーがあるでしょう。二・二六の青年将校達の決起趣意書がそのまま載せてあります。この決起趣意書というのは、バーガミニの本に説明してありますけど、青年将校の主な人達が自分で文章を作成したんでしょう。それを北一輝のところへ持っていったら、北一輝が文章に手を入れて、メリハリの効く語呂にしたと書いてあります。決起趣意書をお読みになったことありますか?

川島陸軍大臣が昭和天皇に謁見して天皇の前で決起趣意書を、青年将校はこういう趣旨で決起したようですと読み上げるわけですよ。読み上げたら裕仁がどう考えたかという事をバーガミニが書いています。

私が決起趣意書を読み上げてみます。


謹んで惟(おもんみ)るに我が神洲たるゆえんは、万世一系たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生々化育(せいせいかいく)を遂げ、ついに八紘一宇を完うするの国体に存す。この国体の尊厳秀絶は、天祖肇国神武建国より明治維新を経てますます体制を整へ、今やまさに万方に向って開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

しかるに頃來、遂に不逞凶悪の徒、簇出(そうしゅつ)して、私心我慾を恣(ほしいまま)にし、至尊絶対の尊厳を藐視(びょうし)し僭上(せんじょう)これ働き、万民の生々化育を阻害して塗炭の疾苦を呻吟(しんぎん)せしめ、したがって外侮外患(がいぶがいかん)、日を追うて激化す。

いわゆる元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、この国体破壞の元凶なり、ロンドン軍縮条約ならびに教育総監更迭における統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭竊(せんせつ)を図りたる三月事件あるいは学匪、共匪、大逆教団等の、利害あい結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にて、その滔天(とうてん)の罪悪は流血憤怒、真に譬(たと)えがたきところなり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の噴騰、相沢中佐の閃発となる、まことに故なきにあらず。しかも幾度か頸血を濺ぎ来たって今なお、いささかも懺悔反省なく、しかも依然として私権自欲におって・・・苟且(こうしょ)(これが分かんないんですねぇ、苟も且つっていうんですね)偸安(とうあん)を事とせり。露支英米との間、一触即発して祖宗遺垂のこの神洲を一擲(いってき)破滅に堕せしむるは火を睹(み)るよりも明かなり。

内外真に重大危急、今にして国体破壊の不義不臣を誅戮(ちゅうりく)し、稜威をさえぎり、御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(さんじょ)するに非ずして皇謨(こうぼ)を一空せん。あたかも第一師団出動の大命煥発せられ、年来御維新翼贊を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衞戍(えいじゅ)の我等同志は、まさに万里征途に上らんとしてしかも顧みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。

君側の奸臣、軍賊を斬所(ざんじょ)して、彼の中枢を粉碎するは、我等の任として能く爲すべし。臣子たり股肱たるの絶対道を、今にして尽くさずんば、破滅沈淪を飜すに由なし。ここに同憂同志機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝腦をつくし、もって神洲赤子の微衷を献ぜんとす。皇祖皇宗の神霊、ねがわくば照覧冥助を垂れたまわんことを。

昭和十一年二月二十六日


っていうんですね。ここにバーガミニが説明してます。裕仁は黙ったままその趣意書に耳を傾けた、その激烈な言葉と軍人精神の勇敢な見せかけの背後に裕仁は彼の好戦的な全政策への完全な否認を読み取ることができた。ベールをかけた腹話的な言い方で反乱者たちは裕仁に請うてこれ以上の外征上の紛争の危険から手を引き、彼の勢力を内政改革と日本の伝統的な大和魂の保持に傾けるように求めていた、という風にバーガミニは説明しているんです。

バーガミニは、二・二六の決起趣意書と、それを裕仁が聞いてどう考えたかという事について、このように説明しているんですけど、こういう説明は、今まで日本人は全く聞いたことはないですよ。バーガミニの評価、説明は大変妥当な、非常に当たり前の説明だと私は思うんですね。

しかし、裕仁はそういう風に考えたけど、川島陸軍大臣、本庄侍従武官長、その他陸軍の中枢将官のほとんどは、こういう青年将校の決起に完全に同調、共鳴というか同情というか支持というか、そういう風な気分だったわけですね。そのことをバーガミニは事実に即してちゃんと説明しています。しかし、日本で今まで出版されている、公表されている、あるいはテレビ、その他等で言われている説明とは甚だしくギャップがあるわけですよ。それで、問題がどこにあるかをまず明確に設定しないとダメですよ。

これはバーガミニの英語の巻の上巻です。上巻と下巻があって、全一巻本というのもあります。日本の翻訳は1973年に出た、いいだもも訳の上下二巻、約1100頁少しなりますかね。バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めてそれを明らかに光を当てたんですよ。

この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を寄せたわけです。驚くべきことが書いてあります。


「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と言ってるんですよ。

これはビックリしませんか? 非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。

この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。これは欧米ではとてつもないエリートです。インサイダーの候補です。

そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたりして、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいになったって言ってるんです。

内輪に見積もっても200万〜500万ドル。今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃないでしょうか。200万〜500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料として使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?

「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす大きな蝿叩きを作るために手を貸した」って言うんですよ。ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達の中核の献身を受けていたって言うんです。

つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかったんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?

本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、どうのこうのって訳ですよ。アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。

そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって言うことになっちゃった。そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、そう言ってますよ。


これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない本だと考えるのは当然ですよ。ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、バーガーミニに襲いかかった。それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下にさらけ出してしまう。そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。

いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。

それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられてしまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だインチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人はそういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。だから、普通の人は理解不可能です。


何故そうなるのか? 日本の天皇教信者と日本の国家権力とその他、それに類する御用作者・御用学者・その他が、バーガーミニを否定するのは当然でしょう。しかし、なんでアメリカの権力がバーガーミニを葬り去ろうとするのですか。この本は全くのインチキだって否定するんですか。

それはまさしく、昭和天皇が単に日本的存在であるだけではなくて、イルミナティ、サタニスト世界権力によって育成された、極めて有能な重要な貴重な傀儡である、イルミナティ、サタニスト世界権力の道具として裕仁は機能したし、ずっとこの本が出た当時もそうだし、今に至るまでそうである、ということの明確な証拠であると私は思います。そう評価することで、バーガーミニの本の重要性と、今それを再評価して日本人がちゃんと勉強する、消化することを始めるべき緊急な必要性があることが証明されると思います。

裕仁は別のことを考えていた

それで、私が読み上げた「蹶起趣意書」については、侍従武官長も、陸軍大将も、他の軍事参議官(まだ予備役になっていない現役の陸軍大将の全部か一部が天皇の軍事顧問の役割を果たすよう設定された職務。軍事参議官会議とは昭和天皇の諮問に答える)も、将官クラスも、ごく少数の非常に突拍子もないへんてこりんな軍人以外の、当時の日本の軍人・将校のほとんどが、この蹶起趣意書にすごく共感したわけです。

当時の日本の人口の6〜7割は農民ですけど、その農民は、第一次大戦後の軍が入ってきて、それから昭和4年(1929年)の世界経済大恐慌の前後からずっと続いてる、日本の経済恐慌の結果、農村は生きることも、死ぬこともできない様な塗炭の苦しみを味わってるわけですよ。兵隊はそういうところから出てくるんですから、将校はそれをひしひしと感じてるわけですよ。だから、多かれ少なかれ趣意書に書かれていることは、天皇の重臣などを殺したというのは、私利私欲、私的目的の為ではなく、こういう趣旨を掲げて、何とか変えてもらいたいと決起した志を酌むべきではないか、少なくとも天皇はその志を酌んで名誉を与えてもらいたいというのが、当時の(海軍は別ですけど)陸軍の首脳層のほぼ全員一致の考えです。

それでも、裕仁は全然問題にしないわけです。全然別の考えなんです。

バーガミニは、二・二六が起きた後、裕仁は単身、厳密に言えば一人じゃないですね、裕仁のそばにいた木戸幸一は、そのころ内大臣府秘書官長だった。二・二六で内大臣の斉藤実が殺されたでしょう。そのあと(1940年から)木戸幸一が内大臣になった。しかし木戸幸一1人じゃない。裕仁(昭和天皇)の摂政時代から、「十一会」という私的な結社を主宰してるんですよ、昭和天皇の顧問団。しかし、バーガーミニは、昭和天皇は単独で自分の考えを強行突破して、あらゆる反対、異論を押し潰して、いくつもの政治決戦に最終的に勝利したと評価してます。

それは全く正当な評価です。日本人は、そんな話はいまだかつて聴いたことがないですからね。だからね、それは非常に衝撃的な評価ですけど、バーガミニの本を最初から読んでいくと、当然そうなるとわかる。

薩摩と長州の宮中掌握

二・二六事件の当事者、関係者をあげていくと11項目ぐらいになる。決起趣意書については先程お話しました。二・二六事件の主役として、表面に出てくるのは4つの勢力なんです。昭和天皇、陸軍の北進派、陸軍の南進派、決起青年将校団の4つです。しかし現象面として挙げていくと、そう言えるという事であって、その現象では物事の本質は見えてこない。本質は何か、さかのぼって突き詰めていくと、落合莞爾さんが吉薗(よしぞの)周蔵〔上原勇作陸軍元帥の私的特務をしていた人物〕の手記について、今ニューリーダーに連載していることの画期的な意味、今まで日本人が全く知らされていない、気がついていない、極めて重要な根源的な近代日本の状況を知る為の要素があります。私も落合さんの連載を読んでいて気がついたんですけど、そもそも孝明天皇を弑逆(暗殺)した主役が長州なんです。公家の一部(岩倉、三条など)が共同謀議して実行したんでしょう。ところが、薩摩が長州と共同歩調をとらないと、それはうまくいかないんですよ。薩摩が孝明天皇を弑逆して大室寅之祐を天皇にすり替えて、イルミナティの傀儡として全く偽者の天皇をでっちあげて、それを本物の天皇として日本人に見せかけて、日本人をずっと騙して、その真相を絶対に秘密にする、そういうシステムを作る上に、薩摩と長州がその二つの主役だった事を私は既に色々なところで言ってます。

しかし薩摩は西郷隆盛が主たる人物。西郷隆盛は、イルミナティのコントロール下で彼らの傀儡となって日本を支配するというような生き方には、究極的にNOと言ったんです。NOと言ったのでフリーメーソンがイルミナティに西郷隆盛の排除を命令したんです。長州と薩摩も彼らの傀儡に対して。それが西南戦争です。西郷さんと一緒に薩摩の武士の約半分は殺されました。残った半分はどうなったかというと、そのすぐ後に大久保も殺されて、その為に、薩摩の力が弱くなって長州のひとり天下のように思われるわけです。

ところが、実はそうでもないんですね。その事を落合さんがずっと調べていって、重要な事実を発見しました。薩摩は英国と戦争をやって、長州は4カ国と戦争をやって、敗北したら掌を返すようにイルミナティの家来になるわけですよ。薩摩も長州も。そして薩摩藩は有能な青年武士をフリーメーソンのグラバーの手引きで英国に留学させた。長州ファイブと英国では言うようですが、その中の一人が伊藤博文です。それから井上(馨)。伊藤と井上は明治時代ずっとペアで日本を支配する。その他、その長州ファイブが、フリーメイソンと、フリーメーソンを上回る直系の長州政権内の決定的なワンワールドの支持の元に動く。これについては加治将一という人の本に割と詳しく書いてある。ところが薩摩も長州とほとんど同時に何人かの青年武士をロンドンに留学させている。そのほうもワンワールド・フリーメーソンに会っただろうと加治って人も言ってます。

しかし、落合っていう人が言うのには、西郷軍(西郷さんの陣営)が完全に潰された後、薩摩は長州に対して弱体化したかというと、そうではないんですね。西郷、大久保、吉井友実〔よしい・ともざね、1828〜1891年。西郷、大久保と同等クラスで、薩摩藩のナンバー3。フランスに留学してワンワールド・フリーメイソンに加入し、明治初期から宮中に入っていた。西郷、大久保なき後、ワンワールドの代理人として宮中を掌握〕の3人が主要な指導的人物と言われていて、その吉井というのが明治になって留学してフリーメーソンに加盟したと落合さんは言ってる。陸軍に入るけど留学して、そして宮中に入る。つまり、ワンワールド、フリーメーソンは宮中を完全に掌握する事を重要な政治課題として設定したと私は思います。

それから、松方正義〔まつかた・まさよし、1835〜1924年。薩摩藩。金融を掌握〕は有名な財政家・金融家ですけど、これもワンワールドでロスチャイルド直系の子分だと言ってます。従って薩摩はワンワールドを通じて西郷さん一派が完全に消えた後も金融を押さえ、宮中を押さえる。そういう風にしてワンワールドは長州の陸軍、薩摩の金融・宮中の勢力が二本立て、両建てで日本をコントロールしたと、私が要約するとなります。

これは私は気がつかなかった。その後、高島鞆之助〔たかしま・とものすけ、1844〜1916年〕という長州(薩摩の言い間違え)の有望というか有能な武士が、陸軍中将になるけど、やはり宮中に入るんです。高島鞆之助もヨーロッパに留学してフリーメーソンに加盟したと言うんです。薩摩の吉井と高島が、普通の歴史には全く出てこないけど、長州の陸軍、官僚と並んで同時にワンワールド、フリーメーソンの日本支配の極めて重要な陣営として機能してる、という事なんです。

私がここで何を言いたいかと言うと、大室寅之祐を擦り替えて天皇にはした。当然、京都で継続してきた日本の朝廷、天皇の系統とはまるで別物ですけど、別物であるにも関わらず、継続した天皇家の正統であると日本人に思わせないといけません。これは非常に難しい仕事ですよ。代々ずっと続いた天皇の正統な継承者であるというふうに日本国民に思わせるように、パフォーマンスというか、フリというか、演技というか、そういう風に作ると同時に、裏のほうでは国民に全く知られないところで宮中はワンワールドの司令通り忠実に動くように演出しなければならない。これは途轍もない難しい仕事ですよ。そういう場に際したのが、吉井と高島。薩摩の非常に有力な武士団の実力者です。


という事を、上原勇作〔うえはら・ゆうさく、1856〜1933年。薩摩藩。山県有朋と同時代の陸軍大将。吉井、高島のひいきで出世。やはりワンワールド〕を調べていた落合莞爾が気がついたという訳なんですね。そういう風に見ると今問題になってる事が凄くよく解る。そうして宮中を握るでしょう。そうすると出てきた現象はどうなるかというと、皇族の男子は全員原則として軍人になるべしというような規則にするんです。軍というのは、陸軍か海軍かのどちらか。従ってバーガミニは、明治、大正、昭和と皇族の表をずっと作って、追って行くわけです。驚いた事に日本には皇族がどうなっているかについて詳しい情報は全くない。変な話だが、わざとそうしてる。そこを調べて行くと、皇族の男子の軍人というのが、陸軍軍人、海軍軍人、ものすごくたくさんいる。そんな事は孝明天皇までの日本の天皇の伝統には存在しないです。

明治天皇がそんな事を考え出して、こういう風にしようなんて事はあり得ない。ワンワールドの司令を受けた宮中を完全に支配する力を得た、吉井、高島、そういう薩摩の藩閥勢力によって宮中がそういう風に作り変えられていった訳ですよ。陸軍軍人、海軍軍人らの皇族は、当然の事ながら英国、フランス、プロシア(ドイツ)、その他ヨーロッパの王室、陸軍・海軍の軍人のシステムをそっくり同じ様なものを作るわけですよ。

大正天皇のクーデタ

大正天皇が明治11年に生まれ、昭和天皇が明治35年(1901年)に生まれ、教育を受ける頃には、宮中のワンワールド支配が濃密に丹念に入念に準備されていたわけです。その結果、どういう現象が起きたか。大正天皇が32歳で天皇に即位する。その時にバーガミニは大正天皇の失敗・未発に終わったクーデタについて書いてます。それはこの本の第2巻で、いいだもも訳には省略されてる部分。

いいだももの要訳では、昭和天皇の時代は昭和3、4年ぐらいから始まる。それまで大正天皇の時代、摂政になる時代、昭和天皇が即位して最初の2,3年。この時代の記述はいいだももの訳には省略されてる。ところが重要な事がたくさん書いてあり、それを追って行かないと話が結びつかないのに、カットされてます。

大正天皇の不発のクーデタなんて、私は日本人の書いたものでは読んだことがない。クーデタとは何を意味するか? 山縣有朋は当時の元老です。大正天皇の時代の元老では、西園寺公望、山縣有朋、大隈重信、主要なのはその3人ぐらいです。大正天皇が山縣有朋と衝突するというんです。衝突って何を意味するかというと、西洋式のナポレオンとかアレキサンドル大王とかいった人物が大正天皇の理想像になったと言うんです。つまり、大正天皇はそういうふうに日本を、国家を、改造する気なんですよ。明治憲法によって作られた議会制度は余計だっていうわけですよ、大正天皇は。そんなものは廃止して天皇の絶対独裁の国家体制にしたいって大正天皇は考えた訳です。それがクーデタです。明治憲法(大日本帝国憲法)の議会で予算が審議されるでしょ。議会が予算を否決すると困っちゃうんです。政治的な焦点は、予算について言えば、日露戦争やって日本は莫大な外債(借金)を背負ってヒーヒーするわけですよ。それで国力を養わなくちゃならないというのが国民、政治家の大多数の意見だけど、しかし、それとは全然逆の方向、つまり日本を西洋をモデルとした帝国として建設に向かって急速に前進すべきだ、その為には陸軍と海軍を増強しなければならない、そして、それに反対する議会ってのは邪魔な奴だ。こんなものは蹴散らかして天皇絶対の国家体制にすべしと大正天皇は考え、それが大正天皇のクーデタだというのです。山縣有朋は、そんなとんでもない事を言うなという訳です。大正天皇に。山縣有朋と大正天皇が正面衝突しかかり、その時点では山縣と長州閥の勢力が圧倒的に強いから、大正天皇は押さえつけられて未発に終わったと書いてある。

こんなことは私は日本人が書いたこれまでの歴史で読んだことがないです。そして、裕仁は大正天皇の不発に終わったクーデタを諦めないで実行しようとする訳です。それが要するに基本なんです。立花隆が『天皇と東大』という本を書いたでしょ。文芸春秋に連載して、いろいろ補足して厚い本を出した。東京帝大の憲法学の教授が二人いて、その一人の上杉慎吉は議会を撲滅せよと言うんですよ。上杉憲法学の根本的なアジェンダは「議会なんていうのは天皇を神聖化する日本の国体に全く反するものだから議会を一刻も早く撲滅せよ」というもの。そこから右翼的な組織が出来たりどうのこうのと立花さんは説明してますけど、それは現象を言ってるだけであって、上杉っていう学者の話じゃありませんよ。もっと根の深い話で、大正天皇が傀儡として議会は邪魔だって言い始めたんですから。邪魔だっていうのは、大正デモクラシーの時代にはとんでもないアナクロニズムで、問題外だと多くの人が思ったかもしれないけど、ところがそうはならないですよ。


昭和になってクーデタ、暗殺、その他、諸々わっと出てきて、二・二六を昭和天皇が完全に圧殺・抹殺した後は、文字通り議会は消えて、お前ら消えて無くなれってふうになって、大政翼賛会でね、陸軍にちょっとでも逆らうような政治家は暴力的に黙らせるというふうに、実現してしまう。イルミナティのワンワールドの意思が働かなければ、日本の純粋な国内の状況でそんな現象は起きないですよ。

ザビエル以来の日本全滅計画

しかしそういう事が何故要求されるのか? 私の『ユダヤの日本侵略450年の秘密』という本に書いてますが、ザビエルが日本に来て「日本はこの地上から抹殺されるべきだ」「日本人はこの地上で生きていてはならない民族だ」「これは我々にとって極めて危険な強力な敵になる可能性があるから一刻も早く一人残らず皆殺しだ」と、ザビエルはイルミナティ本部に申告しているんです。450年あまり、イルミナティの対日アジェンダはずっと継続してます。


家康が鎖国をして次にペリーがやってきたでしょ。ペリーがやってきたら、日本の内部から崩れて、孝明天皇が殺されて日本は既に仮死状態ですよ。神経麻痺してます。ゾンビ人間みたいなものですね。その後に出来た日本の天皇を中心とする支配階級はイルミナティの檻の中に入っている実験動物のネズミのようなものです。孝明天皇弑逆事件以降、主体的な意志を持つことは許されていないんです。

しかし、彼らが日本を完全に抹殺するには日本の独自の軍隊を完全に破壊しないとだめです。独自の武力を破壊して日本全土をイルミナティの軍隊が占領しないと、話は先に進まないです。それはなかなか難しいです。米国は太平洋の遥か向こうにいるでしょ、英国に至っては太平洋どころか延々と日本にやって来て英国が日本を占領する大軍隊を日本に派遣するなんてことは夢物語にもならないです。したがって英国は別のエージェントを使って日本を占領させないとだめでしょう。英国を本部とするイルミナティは、あれこれ謀略の限りを尽くしているわけですよ。

ペリーが来て日本はイルミナティの資本主義のルールの中に取り込まれた。それだけでは話は全然進まないですから、日本全土を占領して日本の陸軍も海軍も一兵も残さず一掃する、消してしまう。話は簡単だけど実行するのは難しいですよ。その為には日本を扇動して、西洋式の帝国主義になる、成り上がるという気持ちを起こさせ、その為に強大な軍隊が必要、陸軍も海軍も強くしなければということにしないといけない。そんな事をすると一般の日本人は汲々として生きていかれないような状況になります。当然ながら一般は日本人はそんな事は嫌だと言うでしょう。そんな事はヤダよと言わせないようにしないといけませんよ。そもそも議会というのが邪魔だとなります。

陸軍でも海軍でも良識的な優れた軍人はね、負けるに決まっている戦争はやらないです。そんな戦争はやるな、自分は反対だというでしょう。そういう反対する良識的な軍人は全部抹殺しないといけません。そしてイルミナティの命令どおり、最終的に日本は満州を占領して、中国全土を占領して、東南アジアも占領して、英国と戦争して、アメリカとも全面戦争して、ソ連とも全面戦争してと、そういうふうにするアジェンダというか、そういう軌跡というか、そういう方向に日本を突き進めないとだめですよ。

普通の日本人、日本の指導者でも政治家でも官僚でも陸軍の軍人でも海軍の軍人でも、多少でもまともな良識持っていれば、そんな事は自分は反対だって言うでしょうよ。そんな事やったら日本が全滅するのは子供だってわかる道理ですから、反対だって言いますよ。だがそんな事でイルミナティは諦めない。そこを何とかして謀略の限りを尽くし、良識的な官僚、政治家、知識人、陸軍軍人、海軍軍人を、みな追放して、イルミナティの挑発、プロパガンダ、謀略にほいほい乗ってくれるアホを日本のトップにして、全世界を敵にして百戦百敗の戦争に突っ込むようにもっていかないといけない。

そんな事は普通の国家体制では出来ませんよ。ほとんど全国民が嫌がることをやらせるには仕掛けが必要です。その仕掛けが絶対主義的天皇制度だった。天皇とは天照大御神から直系した現人神であり、日本の精神をすべて支配し、権力をすべて支配し、天皇の為に死ぬ事が最高の名誉であって、天皇に一言でも批判したり何か言うだけで特高警察がやって来て撃ち殺されても当然だという具合に日本の空気を持っていかないといけません。そういう仕掛けが二・二六の後、日本に完成したんですよ。

そういうふうに二・二六を見ないといけません。二・二六までは陸軍の将官の圧倒的多数は中国との戦争には反対です。当たり前です。最終的に日本はずるずる中国大陸に引きずり込まれて、昭和20年敗戦の時には、日本の陸軍は約100万人の軍を中国全土に占領軍として派遣した。100万の軍隊というのは口で言うのは簡単だけど途轍もない事ですよ。しかも、100万の陸軍の兵隊を中国戦線で維持しながら、さらに英国(英国がアジアに向ける国力は少しだが)と、モロに国力の半分を日本に向けるアメリカと、そういう戦争に向かって突入していく。気が狂ってなければこんな事はしません。普通の日本人であればこんな事はしません。しかしそれに反対すると天皇が出てくる訳です。天皇の命令に反すると直ちに死を意味する。殺されて何も言えないって具合になる。そういう仕掛けが完成したのが二・二六の後です。

二・二六、そして日支事変があって、その後どんどん戦争が拡大していくでしょ。それで予定通り日本は敗戦してイルミナティが日本全土を占領したんです。今に至るまで占領体制下にあります。占領してしまえば、日本は完全に籠の中の鳥、檻の中のネズミとして彼らがどうするのも自由自在。そうなってるでしょ。

根本的な当事者は裕仁だ

日本人には今に至るまでその歴史が一向に釈然としない。釈然としないから二・二六について非常に多くの人がいろんなことをあれこれ言うけどね、しかし一向に問題の真相、本丸に迫らないんですよ。鳥居民という人が『近衛文麿、黙して死す』という本を一昨年出しています。近衛文麿と木戸幸一が元宮中の中枢に近い二人の人物でしょ。近衛文麿は陸軍の一部(統制派)による中国に対する全面戦争には全く反対したんです。一方、木戸幸一は統制派の陸軍とともに陸軍による中国全土占領政策に舵を切るんです。にもかかわらず、大東亜戦争、東京裁判のあと、日本では近衛が悪玉で木戸が善玉になっている。非常におかしい。全くおかしな世論操作が行われているんじゃないかと、この人(鳥居民氏)は言った。


二・二六についても決起青年将校の趣旨が若干でも日本の国家に取り入れられれば、その後、日支事変、中国に対する戦争も開始しないし、その後の全面的な戦争とは全然別の路線を日本はとったはずだけど、その時点で昭和天皇に対して方針・政策を提案する決定的な立場にあった木戸幸一は、二・二六に対して即時徹底的に鎮圧すべきという方針を提起して、昭和天皇はすぐにそれに賛成して、そういうふうに進んでしまったっていうわけで。

近衞は全く別の方針だったけれど、近衞は全く排除されたという風なことを言ってます。だから木戸は二・二六の後の方針についても、それから日本が米国との戦争を回避するかという議論でも、近衞は全く反対したんですね。近衞は、日本は中国から陸軍を全面的に撤兵して、米国と交渉し直して、米国と戦争しないような方向に持っていくべきだと言ったけれども、木戸は陸軍中枢部の線に沿って、中国からの撤兵反対、アメリカとの戦争辞さず、そして実際にアメリカとの戦争というふうに持っていった主犯であるとこの人は言っている。

しかし日本人は、今更そういうことを言われても全然ピンと来ない。というか、今更そんなことを言ってもしょうがないんじゃないかということで終わりになっちゃうわけです。

木戸幸一じゃなくて根本的な当事者は昭和天皇なんです。鳥居って人はそのことには触れることはできない、そのことに触れるとそれはたちまち現代日本の体制を支配している絶対的なタブーと衝突して、自分の方がぺっちゃんこになるかもしれない、だからそういうことはしないというわけです。従って今まで昭和天皇を弾劾する、昭和天皇の政策を告発する、それを否定する、昭和天皇が反日本的な方針を強行したということについては一言も言えない、そういう呪縛が日本人を縛り続けているんですね。

どの識者にもイルミナティ(英・米・露という国家の枠を超えた存在、
自由主義・共産主義という思想の枠を超えた存在)が見えていない

バーガミニは、昭和初年以降の、満州事変以降の日本の戦争の主犯は、その主たる決定者は昭和天皇だという説を立てて、論証していく。だから昭和天皇の陰謀ってわけだ。日本ではいかなる実力者もいかなる人間も政治家も軍人も官僚も、昭和天皇の意思に異議を唱えることはできない。満州事変以降、日本の戦争期間中に総理大臣がたくさん替わっているでしょう。一年か二年ぐらい、ひょっとすると一年未満で辞めたりして、非常にたくさんの総理大臣が替わってます。そういう人たちが共同謀議をして一貫した日本の戦争拡大を遂行するなんてありえない。その方向の主犯、謀議の中心は昭和天皇なんです。昭和天皇は側近を通じてその政策を実行したと一応バーガミニは書いている。その(表面の)現象は書いてある。昭和天皇の背後に存在する勢力についてはバーガミニには分からないんですよ。だから本当にちゃんと調べて自分は解明した、昭和天皇の時代の日本の歴史の真相を解明したと思ったところが、それにアメリカのためにもすごく大きな仕事をした、みんな褒めてくれるよと思ったところが、たちまち背後から襲われて、なんだか訳のわからないうちに潰されちゃうんですよ。彼には見えないイルミナティのアジェンダの中に日本が設定され、日本が取り込まれていて、その結果いろんな現象が出て来るってことがバーガミニには分からない。

私は『ユダヤの日本占領計画』という本の中で、日支闘争計画について割と詳しく説明してます。渡部悌治先生の『ユダヤは日本に何をしたか』という本の中にも日支闘争計画については説明してあります。日支闘争計画というのは1918年の秋、モスクワで全ユダヤ会議の代表とボルシェビキ政権の代表と、イルミナティの代表が集まって日支闘争計画という長期計画を立てた。それは日本と中国を戦わせる。日本と中国の全面戦争に持っていく。その過程で共産主義が中国の中で主導権を取るように持っていく。そしてその次に日本に対してアメリカとの戦争、英国との戦争、最後に共産ソ連との戦争、に持っていく、そして最終的に中国も日本も同時に我々が支配する、そういう計画を立てたというんですね。それがロシア語の新聞に載っていたものを日本の諜報機関が手に入れて、東京に報告したけど、その意味が全然わからないままになっていると渡部先生は言ってます。渡部悌治先生が仰るには、その問題の情報が載っているロシア語の新聞は、1918年の秋に行われたのですからそのあとなんでしょうね、国会図書館にありますよとおっしゃっていました。あいにく私はそれを調べてないんですけど、国会図書館にまだ保存されているなら、ロシア語のわかる人が見れば出てくるでしょう。


それで日支闘争計画というのは、ボルシェビキ共産政権、コミンテルン、共産主義の勢力だけじゃなくて、全世界のユダヤ人組織の代表が入ってる。それからイルミナティの代表が入ってると説明されています。日支闘争計画というのは、ソ連共産主義政権の単独のプログラムではない。全世界のユダヤ人組織、イルミナティの世界組織の計画でもある。真相に迫ろうとする人は、そのところで止まってしまっているんです。

二・二六事件研究家の山口富永(ひさなが)氏。國民新聞という右翼の月刊新聞をずっと購読してて、この山口という人の文章を読んだら、面白いことを言ってると思ったんですけど、最近バーガーミ二の本を読んだら、改めてこの人を注目しなくちゃと思ったんです。

平成2年に出版された『二・二六事件の偽史を撃つ』を最近山口さんから送って頂いた。山口さんは1924年生まれですから、戦争末期軍隊に徴集されたんですね。少年時代、中学生の頃からでしょうか、真崎甚三郎大将と交流があって手紙のやりとりをして、真崎大将と皇道派の志と方針に全面的に共鳴した人なんです。たいていの人は少年時代の話はしばらく経つと忘れちゃって、捨てちゃってサヨナラするのが普通ですけど、この人は84歳に至るまで真剣にそのことを追求しています。


これは最近、連載されたものです。皇道派の真崎大将は、日本の国力相応の軍備強化(口先だけの外交は不可)、戦争の拡大は絶対に反対という人ですからね。真崎大将はイルミナティからすれば、大変邪魔なんです。無自覚的にイルミナティのエージェントにならされた統制派の人たちは、裕仁の直系の軍人でもあるんですよ。統制派の最たる者が有名な永田鉄山少将で、相沢中佐に陸軍省の中で惨殺された(1935年)。永田鉄山がイルミナティの道具として使われた最も代表的な軍人でしょう。

イルミナティにとって真崎は邪魔だから排除しようとした。二・二六事件を奇貨(きっかけ)にして、二・二六事件の共犯者だと称して(真崎を)逮捕して調べたんですけど、陸軍の司法部、陸軍の軍事裁判は無罪の判決を下したんです。もともと何の関係もないですから。皇道派の真崎大将は、イルミナティが日本の完全抹殺に向かって決定的に歩を進めようとするときに、日本の陸軍の良識的な部分として、しかも陸軍の軍人から絶大な信頼を得ていた。そういう人物の排除が、至上命令だったことがよくわかります。

したがって、私は、昭和天皇が二・二六事件の主犯である、日本を滅亡に追い込んだ国賊である、日本の歴史上もっとも顕著なもっとも極悪の国賊である、という風に昭和天皇・裕仁にレッテルを貼り付ける必要があると思います。そういう風に価値観を変えないとダメです。

明治天皇と昭和天皇は全然異質なんです。明治天皇は15歳までは、大室寅之祐、普通の日本人ですからね。傀儡とされたけども、薩長の藩閥の傀儡なんです。それを通じてイルミナティの傀儡に位置づけられたけど、少年時代は日本人として教育されているから、そう簡単には動かされないんですよ。西南戦争で、大久保・木戸一派が、とにかく「西郷を殺せ」っていうけど、明治天皇は本心では絶対反対なんですよ。大久保と木戸は、明治天皇に、西南戦争の最前線に立って、大本営を広島辺りに持っていって、天皇の威光でとせっついたけれども、明治天皇はそれを拒否して、宮中に篭ったまま外に出てこない。これは歴史に残ってます。明治天皇は反対なんですよ。

西南戦争で西郷さんが死んだ後、木戸が途中で病死、大久保は明治11年に殺され、岩倉は明治16年に病死した。その後、明治天皇は西郷隆盛の名誉を回復しろと命令し、それは実行されたんです。「西郷隆盛の遺族はどうしてる?」と明治天皇が尋ねて、調べたら、妻子は山中に隠れてひっそりしていたことがわかって、どうこうとなるわけです。一刻も早く名誉を回復させよと、明治天皇が言うわけです。次に日清戦争を起こすでしょ。明治天皇は日清戦争は反対なんです。しかし、薩長藩閥政権はイルミナティの傀儡だから、明治天皇がなんと言おうとも問題にしないんですよ。明治天皇の意思に反して、日本は日清戦争に突っ込んだわけですよ。

私が『長州の天皇征伐』という本を書いて出すときに、出版社が「明治天皇国賊論」という案をいってきたんですが、明治天皇を国賊と言い切るわけにもいかないんですよ。しかし、昭和天皇は、明々白々、歴然たる日本史上最悪の売国奴です。日本全土を今に至るまでイルミナティの占領下において、日本はその命令通り日銀の利子をゼロに近づけて十何年やっているんですからね。そのお金をユダヤ・アメリカ・イルミナティがただ持っていって盗っていることに、日本の国家は何も言えない。日本の占領はますます強化されてますよ。そういう状態にしろと言われ、その通りに実行したのが裕仁なんですよ。裕仁は日本史上極悪の売国奴だと私は考えてます。裕仁については「国賊・昭和天皇」と言うべき時だと思います。そういう風に日本人の価値観を変えないとだめです。明治天皇は違いますよ。昭和天皇はイルミナティの傀儡として百点満点というわけです。


二・二六でイルミナティの傀儡としての昭和天皇を独裁者としておくことが必要だった。そうしないと、百戦百敗、完全に惨敗して、日本が滅亡することが決まっているような、中国に対する戦争、中国に対する全面戦争はやがて、松岡洋右が当時言ったように、必ず米国との戦争に日本は引っ張り込まれ、最終的にソ連との戦争となる。日本は全世界を敵にして、滅亡するしかない。松岡洋右はそう言ってます。松岡は外務大臣で、昭和天皇が大嫌いなんです。裕仁は松岡についてあれこれ悪態をついてます。

日本を全世界に対する無謀な、惨敗して滅亡するしかない状況に持っていくために、裕仁は使われ、その通りに裕仁は演技したんですよ。これを売国奴と言わずして何と言うんですか? 二・二六事件は、それを象徴的に表しているんです。陸軍の将官が全員、決起将校の心情、政策、志をちゃんと評価すべきだと言ったんです。しかし、昭和天皇はそんなものは問題外だと排除した。バーガミニはそれを「政治戦に裕仁は勝利した」って言ってるんですけど、その通りです。

日本の蘇生には真崎大将の名誉回復が絶対必要条件

二・二六事件についてそう考えると、真崎甚三郎大将の遺志が、今、非常に重要になっている。日本人が、真崎大将の名誉回復をすることが、滅亡寸前の日本の再生と蘇生のために絶対必要条件だと、私は、山口さんの本を読んで気が付いたんです。

この山口さんが、昭和19年に陸軍に徴集されて入隊する時に、真崎大将を訪問した。山口さんが、真崎大将に「今、日本に天皇陛下はおられるのですか?」って聞いたそうです。そしたら真崎大将は「二・二六の将校もそれを嘆いて死んでいった」と言われたと。昭和19年のことです。山口さんは皇道派の志に同調してたから、「今の天皇というのはなんだ?」「あれは本物の天皇なのか?」「今は日本に天皇はおられるんですか?」という疑問が出てきたわけですよ。本当にその通りですよ。実際、銃殺刑に処せられる青年将校十何名の中には、天皇を公で批判した人もいるし、批判しない人もいるけど、と言ってますね。山口さんは非常に重要なことにちゃんと迫ってます。しかし、「裕仁は国賊だ、売国奴だ」とはっきり言い切るのは、日本人にとっては難しいです。左翼はイルミナティの虎の威を借りて「昭和天皇は戦犯だ」とわめくんです。彼らはイルミナティの手先ですからね。イルミナティの虎の威を借りてあれこれ言っているだけのくだらない人達です。左翼そのものがイルミナティのエージェントとして日本をイルミナティに売る売国奴ですから、こういう人たちは問題外。日本人の立場として日本民族の立場から見て昭和天皇とは一体なんだ? そのことに今までで一番接近しているのは、二・二六事件に全然関係ないのに逮捕された皇道派の首領である真崎大将ですね。

真崎大将が「東條ごときはものの数でもないが、自分に対する圧迫が宮中からずっと来た、そのことが一番難しい、苦しいところだった」という趣旨のことを言ったと書いてあります。宮中ってなんですか? 木戸内大臣は天皇の番頭であって、権力そのものじゃないです。宮中ってのは昭和天皇でしょ。しかし真崎大将も昭和天皇に対してストレートにそれを告発する、それを批評することが心理的にできないんですよ。

それを超えることができなければ日本の民族はもう終わりですよ、と私は思います。つまり、イルミナティは孝明天皇を弑逆させて、その辺りに傀儡を作って、明治天皇はなかなかイルミナティからすれば素直じゃないでしょ。大正天皇は明治11年生まれですから、それを教育する宮中はワンワールドの手先。完全に支配してるんだからね。昭和天皇に至っては明治34年生まれですから、ワンワールドによる宮中の支配は完璧になってます。裕仁はイルミナティの純粋培養の作品です。イルミナティの傀儡として終始し、摂政の時代も、昭和前期も、占領中も、一応講和回復後も、イルミナティの言う通り期待通り百点満点と評価していい存在だった。

そうして日本は敗戦、講和回復しても昭和天皇の言うとおりに、ずっと占領下にあります。その件について多少真相に迫った学者などが2〜3名存在します。その学者の研究によれば、朝鮮戦争が起きて米国政府が日本との講和条約交渉を始める。その時に吉田茂首相は常識として当たり前だけど、講和が締結すれば戦争は終結だから米軍は全部撤退する、それが当然と思って進めていた。ところがなんと昭和天皇が吉田首相の頭越しに、吉田首相の知らないところで裏取引、秘密交渉をやるわけですよ。秘密交渉の相手はダレスです。ダレスは共和党系だけど、民主党政権でも有力な外交顧問になってた。対日講和条約はダレスが主任となった。ダレスと言うのは1920年代からロックフェラー財団の最有力者で、イルミナティのコンコンチキですよ。そういう人物と裏取引、直取引して昭和天皇は吉田茂の方針を否定して、講和条約締結後も無期限に日本は米軍に軍事基地を提供する、というよりも米軍に無期限に日本に駐留してもらいたい、と言うわけです。沖縄に至っては50年くらい、事実上半永久的に米国の領土として日本は認める考えがあるということをダレスに対して昭和天皇は言うわけですよ。

これは何なんですか?

これを売国奴と言わずして何というんですか?

日本人が正式に選んだ吉田茂首相とその内閣、吉田茂は常識として戦争終結したら米軍は日本全土から撤退する、そういう当然の前提のもとに講和交渉を始めたんです。当たり前のことじゃないですか。それを昭和天皇が横やりを出して、ダメだというわけです。率直に言えば、日本は米国に無期限に占領してもらいたいと言うわけです。

これは何なんですか? その結果、今のようになってんですよ。これは何なんですか?

しかしこれは昭和天皇の日本に対する無数の裏切りの一つに過ぎません。しかしながら日本人はそのことを公然と報道し、論評し、批評する自由を全く与えられてないんです。というよりは、日本人がその言論の自由を行使する気力を奪われているんです。これは日本が刻々急速に滅亡していく、そういう絶対的な心理的条件以外の何ものでもないと私は思います。しかしそうなった歴史的背景は何なのか? そういうことを日本人には真剣に考える必要があります。

天皇=イルミナティの傀儡、として歴史の再検証を

別の話になるんですけど、日本でユダヤ・フリーメーソン批判を最初にやってずっと最後まで主要な指導的な役割を果たした、四王天延孝陸軍中将〔1879〜1962年〕は、士官学校、陸軍大学を出た日本の陸軍のエリートコースの一人です。そして第一次世界大戦中フランスに観戦武官として派遣されていたんですね。そうしているうちにフランス人にいろいろ友人ができて、その友人から「この戦争はお前、ユダヤが始めた、主体はユダヤだということを知っているか?」って言われるんです。それを聞き逃す人もいるかもしれないけど、四王天さんは真剣に受け止めて研究をはじめるわけです。一体これは何だ? 今は違うでしょうけど、その頃のフランスには非常にたくさんのユダヤ・フリーメーソンに批判的な文書・言論があったんです。そういうものをたくさん集めて、真剣に研究調査していくわけです。

第一次大戦中の観戦武官として派遣されるのは、紛れもない軍のエリートコースですよ。第一次大戦以降日本はシベリア出兵するんですけど、四王天さんは満州の北部に陸軍の諜報機関の事務所を作って、反ボルシェビキ、反共産主義的ロシア人と接触していろいろ情報を得たり工作したりするんです。そういうことを通じてボルシェビキ共産革命が国際ユダヤによって計画され実行されたという話を聞いて、たくさん情報を集める。そうして四王天さんは最も早い時期から日本でユダヤ・フリーメーソンに対する批判、思想戦、それに対する対策、そういうものをずっとやってたわけです。

国際連盟ができると、日本はその頃の世界の主要5カ国の一つになるんですね。その主要5カ国が国際連盟の軍事委員会を作る。日本の陸軍はその国際連盟の軍事委員会の日本軍の代表として四王天さんを派遣するんですよ、ジュネーブに行きます。その頃、陸軍少将になってるんじゃないでしょうか。そういうコースは、軍のエリート・コースですよ。


ところが、ジュネーブから帰任すると、すごく露骨に左遷されるんです。名古屋師団付といっても特別な仕事は何もない、完全な閑職、クビ寸前の地位に置かれる。それでも、四王天さんは日本全国を奔走して、一般の日本人に対して、ユダヤ・フリーメーソンの危険を警告する講演会をたくさんやっているんです。そしたら、上原勇作元帥がじきじきにやってきて、「お前はユダヤ問題なんていうくだらないことはもうやめろ」と言うんだって。「いや、それはできません」と言ったら、たちまちのうちに四王天さんは、陸軍退役ですよ。陸軍からクビです。だから、上原勇作って言う人は何かって思うでしょう。

四王天さんは、昭和16年、大東亜戦争が始まる年に有名な『猶太(ユダヤ)思想及運動』という本を出したんです。その本の序文のなかで、四王天さんは、以前はユダヤ問題を自分がやっていくと、上のほうからやめさせる圧力が非常に強くかかってきて、最近はその頃に比べればずいぶん違ってきた、そんなことを書いていますよ。一番上ってどこかって言ったら、天皇と宮中以外にないですよ。日本のシステムでは。

落合莞爾(かんじ)さんの話では、上原勇作はフランスに留学中にフリーメーソンに加入している。上原元帥は明確なワン・ワールド、フリーメーソンだと言っています。従って、日本では、陸軍・海軍・財界・その他、明治以降の中枢部に、ワン・ワールド、フリーメーソンの指揮系統がずっと機能している、機能していたと見ることができます。

渡部悌治先生は『ユダヤは日本に何をしたか』のなかで、二・二六も背後では、ユダヤ国際資本が操っていたと言って、あまり詳述してないですけど、そう言っています。従って私たちは、地球を支配している、ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティといった勢力をちゃんと確認して、明確に意識して、デーヴィッド・アイクは『グローバル・コンスピラシー』という本を出してますが、そういう枠組みのなかで、もう一度日本の歴史を見直すことが必要です。グローバル・コンスピラシーという大きな枠組みのなかで、孝明天皇弑逆と、それ以降イルミナティの傀儡として作られた歴代天皇、こういうものを批判的、客観的、詳細に検証していく精神的・心理的な力が必要です。


今の日本では、天皇をあれこれ批判したりすること自体が絶対禁止されている。別に法律で禁止されているわけではないけど、自分の内心で押さえつけている。あるいはイルミナティの有力な御用機関として、右翼と称する反日本的な売国奴集団が暴力で脅迫する、そういうことを通じて、発言・言論を抑えてるんです。しかし私は、その精神的呪縛を断ち切らないと日本は完全に滅亡していくだけだと思います。

「今、日本に天皇はおられるのでしょうか?」

私は山口富永(ひさなが)さんを國民新聞で読んでたんですけど、そういうことに最近気がついて、ちゃんとやることにしようと思って連絡しました。この本は平成2年に国民出版社から出てもう絶版で、国民出版社には在庫はなくて、山口さんの手元に若干在庫はあるそうですから、私がほぼ全部50冊くらい買取ることにしたんです。だから、是非皆さん読んで頂きたい。山口さんは、昭和19年、軍隊に入るという時に、「今日本に天皇はおられるのでしょうか?」っていう大胆な質問を真崎大将にしたというんですから、この人の心はちゃんとしていますよ。だから六十数年経った現在でも、しっかりした文章を書いておられるんでしょう。しかしこの人も、世界のイルミナティ・フリーメーソンの陰謀、グローバル・コンスピラシーの存在にはまだ気がついておられないんです。

でも、それは私達がちゃんとやっていく事であって、この人が成し遂げられた仕事は評価していく必要がある。それから、真崎大将の名誉を復権することが絶対必要条件だと私は思います。真崎大将も、昭和天皇がおかしいんじゃないかと内心確信されたじゃないかというふうに推測するんです。しかし、それを言葉に出して言うことは出来ないんですよ。だから、東條ごときは、せいぜい少将どまりの馬車引きくらいが適当な男で、問題視しない。しかし「宮中」が問題なんです。「宮中」とは裕仁のこと。それを何とかしないと、日本はどうにもならないんじゃないか?ということを真崎大将ははっきり認識していたと私は思います。

山口さんが昭和19年に軍隊に入る時に「今日本に天皇はおられるのでしょうか?」と聞くって事は、天皇はいないんじゃないかという気持ちがないと、そういう質問は出てこない。いや、昭和天皇と称する者はいったい何だ?となるでしょう。内心、心の奥にはそういう失望があるわけですよ。そういう必然的な思考の過程、行動の過程として、私がそろそろ問題を前面に押し出さなければならないと思っています。

二・二六事件については、完全に真相が隠蔽されているのみならず、Disinformation(偽情報)が日本人に徹底的に刷り込まれてます。それを転覆するには我々の価値観を変える必要があります。真崎大将の名誉回復は、とっかかりとして重要であり、意味があると思います。

鳥居民という人の本を、まともに読んだことがないけど、この本はざっと読んだ。そしたら木戸幸一を一所懸命叩いてるわけですよ。今更木戸幸一をぶっ叩いてどうなるんですか? 東京裁判で終身刑、その後釈放されて昭和天皇に即優遇されて頭をなでられた木戸幸一を叩いても何も生まれない。この人はすごく臆病な人ですよ〔為清註:臆病だからこそ慎重・入念に策謀するわけで、木戸という人物は決して侮れないと思う〕。臆病というのが今の日本民族にとって一番危険な心理なんですよ。臆病を克服しないと日本はもう生き延びる事も蘇生することも出来ないです。臆病、恐怖を超えるってことをデーヴィッド・アイクは一所懸命言ってます。李洪志の法輪功でも言ってますね。恐怖を超えるには大変高い心理的、精神的次元が要求されます。恐怖を超えるということの意味は中々一筋縄ではないですね。その話はまた別にしましょう。

私は二・二六事件について、初めて本格的に、日本人が真相に迫る動きを始めないといけないと考えてます。私の話を一応終わりにして、皆さんの質問を紙に書いて頂いても口頭でもいいですけど、ちょっと休憩して質問を受けます。何枚か重要な文章のコピーを配りましたので、よくお読みください。

近衛上奏文を無視した裕仁

それでは私の話を続けますね。

日本の国家の中枢部は天皇ですね。中枢に一番近いのは近衛公爵と木戸幸一内大臣。そして木戸と近衛の対立については少し言われてることがありますけど、この鳥居さんの本で比較的詳しく説明されている。しかし鳥居さんの著述家としての立場は大変臆病で、私はあまり感心しないです。

山口富永さんが国民新聞の一面欄に連載物語でいろいろ書いている。昭和19年(20年の誤り)の初め、有名な「近衛上奏文」というのがあるでしょう。近衛文麿が昭和天皇に対して上奏文を提出したって言うんです。その上奏文の筆者は岩淵辰雄という政治評論家だと山口さんは言っています。岩淵辰雄って名前、聞いたことありませんか? この人は戦前、戦時中、戦争後しばらくの間、非常に活躍した重要な政治評論家です。岩淵さんは、真崎大将、皇道派に近い立場の評論家なんです。

それで、近衛文麿が昭和20年の初めに昭和天皇に提出した上奏文の作者は岩淵辰雄であると言ってます。岩淵辰雄は近衛さんを中心にして終戦工作をやったと言うんです。終戦工作とは、単なる評論活動ではなく、岩淵さんと近衛公爵を中心とするグループは、昭和天皇を説得して真崎大将を陸軍大臣にする考えだった。小畑敏四郎というのは皇道派で、退けられていた人です。陸軍中将で予備役になったのではないでしょうか。その小畑敏四郎中将を参謀総長、そして近衛さんを首相って訳です。

そういう体制で日本の国策を完全に一変させる方針を立てたと山口さんは説明してます。もしもそういう構想が実現した場合には、真崎大将は皇道派の総帥として中国との全面戦争にも米英の戦争にも絶対反対の立場ですから、なすべきじゃない戦争を実行した陸海軍(特に陸軍)の主要な指導者ら戦争責任者を何百人も一斉に逮捕して裁判にかけて、日本の国策・外交方針を完全に一変する、そして中国から撤退して米英と講和交渉する、という方針を立てていたと書いてます。

その一環として岩淵辰雄が書いた近衛さんの上奏文を天皇に提出したけれど、天皇はぜんぜん相手にしない。そして東條内閣、憲兵隊の操作を通じて、そうした謀略をした連中を一斉に逮捕する。その逮捕した中に吉田茂も入ってたんじゃないですか。で、この構想は実現しなかったと言ってます。これは東條がどうこうという話ではないです。首謀者は昭和天皇ですから。昭和天皇に上奏文を出してもお話にならないです。だけど、何もしないでいる訳にはいかないから、そういう計画を立てて動いたということでしょう。しかし、その計画にとって決定的な障害物は昭和天皇自身ですから、それは無意味です。

近衛上奏文はその時点で東條政権の憲兵隊を通じて弾圧して、近衛上奏文そのものが見えないように、無いことにされてしまったんじゃないですか。だから日本人は未だに近衛公爵の工作とか背景とか、その構想とか上奏文そのものとか、普通の日本人は知りません。近衛上奏文という言葉はチラッと目についた人もいるかもしれませんけど、普通の日本人は今何も知りません。

しかしそういう事が万が一実現され、真崎陸軍大臣という政権が実現されたとしたら・・・。小畑敏四郎という人は色々因縁があるんですよ。バーガミニは、1920年(大正9年)、ドイツのバーデンバーデンという温泉地でヨーロッパ在勤の陸軍の少佐クラスの将校が集まって国家改造計画を立てたっていう訳です。有名な話です。その中心人物は永田鉄山(当時は少佐)。小畑敏四郎は、そのバーデンバーデンの三羽烏(永田と小畑ともう一人)の一人です。小畑敏四郎のほうは、昭和になるにつれて、中国に対する戦争、中国全土を占領してさらに南進するという基本的な国策に反対の立場だった。だから永田鉄山、東條とは反対の立場だった。したがって、昭和10年前後、小畑敏四郎は中将で退けられて失脚、というか排除された訳です。

それで小畑敏四郎を参謀総長っていう話が出てくる。そういう体制だったら、真崎大将が、統制派、日本を中国、全世界との戦争に引きずり込んだ主要な責任者を全員逮捕して裁判にかけ、一掃するだろうと書いてあります。そうして日本が国家体制・基本政策・国策・外交政策・戦争政策を完全に一変する、そして中国から全面撤兵して蒋介石と講和することを目標に立てた訳です。

そうなると、戦争を実行してきた東條たち統制派の軍人にとっては自滅ですから、絶対に抵抗して排除する、芽を摘むという行動をとるでしょう。東條の憲兵隊は当時はちゃんと生きて働いているから忽ち摘発されて潰された訳です。

「軍部に操られた平和主義者の天皇」というイメージ作り

しかし、昭和天皇とその側近はそれとは全く別な形で米英との平和交渉に入っていく。そのやり方については鬼塚さんが『日本の一番醜い日』という本の中で詳しく書いてます。つまり昭和20年8月15日、昭和天皇はラジオ放送で「敗戦」といった放送をする。その時にまったく偽装の対天皇、対日本政府のクーデタを演出して、危ないところで昭和天皇の放送が実現したという話を作っているけど、それは裕仁と、三笠宮が主たる助手になって、でっち上げた話。そのクーデタによって、昭和天皇は、昭和初年来の戦争また戦争、全世界を敵にして日本が全滅する戦争を推進した軍国主義者の姿から、平和と民主主義の人、連合国の忠実なエージェントへと、一夜の内に変身する。そうした目的の偽のクーデタを実現し、連合国とは裏取引をして、昭和天皇は戦争犯罪から免責されて、占領軍の協力者として温存・保護される、という具合にひょいと変わる事を目的とした偽のクーデタを実行する訳です。それが裕仁のやり方です。


裕仁は、皇道派を復権させると自分の身に火の粉が降りかかる、自分の身すらやばい可能性が大であるし、名誉も何もおかしくなるから、東條を使って完全に消した。近衛さんを中心とする皇道派を復権させて日本が全面的に戦争を停止し、中国から自発的に撤兵して蒋介石政権と講和して、という方向に転換するのを阻止した訳です。

もしも近衛・真崎のラインで日本が方向転換すれば、敗戦後の日本は今のような状況にはなってない事は確実です。すべてを失い、民族の魂を失い、どんどん堕落して滅亡に転落していく方向になってないですよ。しかし裕仁はそこでも明確に日本民族を裏切ったんですよ。日本民族をイルミナティに売り渡した。売り渡した事によって裕仁と一族の身の安全を担保し、保障してもらった訳です。こうして裕仁と一族は日本を裏切って裏切り続けている。その裏切りが日本民族によって完全に暴露され裁かれない限り、決着がつかない限り、日本民族はイルミナティの、天皇という傀儡を使った精神的呪縛に掛けられたまま、まあ、死んでいくしかないですね。今でも日本は精神的にはゾンビ人間です。日本民族は自分の精神を失ってますからね。近衛さんの動きが実現されればそうはなってないでしょう。近衛さんが最後のところで日本の貴族の根性、やる気、勇気を表明しようとした事は評価できるんじゃないですか。

鳥居民という人の本は、私が申し上げたレベルから見ると低い次元で現象をあれこれ言ってるだけです。その程度の話でも、今の日本人につぎ込まれている戦争と敗戦のプロセスに関するデマ情報と比べれば遥かにマシでしょう。

近衛さんが皇道派寄りだったこと、皇道派に同情・同調的だったことは、歴史資料にも少し出てきますよ。それをさらに突き詰めて研究する、考える、そういう事は全くなされてない。なされてないというか、それを突き詰めるとただちに裕仁が標的になりますから、その遥か手前で止まってしまうんです。それを先へ進めないといけないんですよ、私達は。そのために私達に手がかりとして与えられているのは「真崎大将」なんです。

皇道派の荒木貞夫がワンワールドのエージェント? 話は一層複雑に

田崎末松という人の真崎大将の評伝はかなりマシです。皇道派でも荒木大将っているでしょ。荒木大将は皇道派のNO.1、代表と当時言われていた。ところが荒木大将というのは、大変危なっかしいというか、奇妙というか、いかがわしい存在なんですよ。この人はずっと陸軍大臣をやってて、二・二六後も処罰されることもなく、昭和天皇に追放されることもなく、戦時中大臣をやった事もあるんじゃないでしょうか。


私は荒木大将とは非常に奇妙な人物だけど、何だろうと思ったんです。落合莞爾の「ニューリーダー」の連載を読むと、この人が上原勇作元帥の後継者に指名されたとあるんですよ。これは非常に奇妙です。上原勇作はれっきとしたフリーメイソン、ワンワールドのエージェントですよ、日本の軍の中で。単なる薩摩派閥でもないです。そうして上原元帥は全く目に見えない秘密の特殊工作をやったということですが、その後継者に荒木大将が任命されたというのはとても奇妙に思えるでしょ。彼が皇道派というのは辻褄が合いません。上原勇作の後継者という事は荒木大将もワンワールドの紐がついてる事を意味します。

真崎大将にはそういう事が全くない。山口さんの国民新聞の連載の中で、戦時中に英国のスパイとして逮捕され、ビルから投身自殺したコックスという人がいます。そのコックスを警察が取り調べたときの話が色々あるみたいですけど、そのコックスという英国のスパイが自供して、「われわれは日本の陸軍の主要な指導者、軍人を全て接近・工作して取り込んだ」と言うんです。しかし、「真崎大将だけは、全く取り付く島がない、工作する事が出来なかった」と供述したという。幕末から明治初年、フリーメーソンが薩長の維新政権の主要人物を全部取り込んで何らかの形で紐をつけたけど、西郷隆盛だけは頑としてフリーメーソンの誘いにも工作にも応じなかった。それでフリーメーソンは西郷隆盛の排除を指示したという事が「月刊ユダヤ研究」に載ってます。そのことを想起しましたね。真崎大将という人は、現代日本において本当に重要な人物なんです。

「わからない奴はわからないんだ。ほっとけ」

非常に重要な日本民族の指導者であり、指導者たるべきところを排除された真崎大将について、山口さんが言うには、二・二六事件の前から、敗戦後、現在に至るまで、一貫して真崎大将についての偽情報、誹謗中傷、全くの嘘の情報、デマ情報がまかり通っている。その偽情報を振りまいてる主要人物、ジャーナリストの代表格が、半藤一利とか、ハタ何とか(秦郁彦)とか、年中マスコミに出てくる、昭和史についてくだらない話、偽情報を振りまいてる作家ですよ。体制側で持て囃されてる人達。こういう人達を通じて、真崎大将と皇道派についての偽情報をばら撒いてる主要勢力は、左翼だと言ってます。左翼ということは朝日新聞と岩波書店ですね。こういう連中はなぜ皇道派の悪口を言わなければならないのか? 大変興味のあるところでしょ。なぜ左翼、岩波・朝日は、皇道派の悪口を言うの? 全くの嘘八百を並べ立てて、皇道派・真崎大将を貶めてどうしようと? どういう理由でそういう事をするんですか? それは大きな事なんですよ。左翼は決して信用してはなりません。もっともらしい事を言っても、左翼はイルミナティの紐付きですからね。心を許してはいけませんよ、左翼には。リベラル派もね。

山口さんは、少年時代から真崎大将が亡くなるまで親しく交流して、真崎大将の死後も孤軍奮闘して皇道派の旗印を守ってる訳です。こういう人がいるとは本当に改めて見直しました。それで戦後ずっと皇道派が正しかったと伝えようと、活動し続けてる訳です。そしたら、真崎大将に「おまえ、もうわからない奴はわからないんだ。ほっとけ」「もういいよ」「いい加減にもういいんじゃないか」って言われた。「その内、時代が皇道派(我々)の正しさを発見するだろうから」と何度も言われたと書いてあります。しかし、体制側・権力側が垂れ流してる情報以外全く存在しないとすれば、日本人は皆それに洗脳され、何となくそんなもんかという気になります。私も(今まで知らずにいて)ずいぶん恥かしい話だと反省してます。本物の情報がなければ、日本人は洗脳されっぱなしですよ。今、日本は土壇場に追い詰められ、精神的に腐敗が進行してますから、それが一番危険で致命的ですよ。それで、私達は再生・蘇生する方法を見つけなければいけませんが、まずは皇道派・真崎大将のことを日本人が真剣に見直して、名誉回復の動きを起こすことです。

真崎大将の名誉回復ということは、裕仁を告発することになります。ここに山口さんが書いてる真崎大将の言葉がある。「東條ごときは物の数でないけど、しかし自分を弾圧する根源が宮中から来た。その事が一番自分にとっては苦しい事であった」と。宮中ってなんですか? 裕仁ですよ。昭和天皇によって真崎大将はキュウキュウに追い詰められ弾圧される。二・二六と関係ないのに、寺内陸軍大臣は真崎大将を逮捕する。陸軍大臣が陸軍の軍事裁判の委員長だから、陸軍大臣が決定する訳です。寺内陸軍大臣は、青年将校と北一輝の裁判をする前に、判事団(軍事裁判の裁判官、軍人)に判決書を渡してる。判決は有罪で死刑です。事前に死刑の判決を出せと陸軍大臣(軍事裁判の長)の名で紙を配っていた。出来るだけ判決は重く執行は早くとの基本方針を陸軍大臣が与えて、二ヶ月の暗黒裁判で死刑判決、直ちに死刑執行。その後、真崎大将を逮捕。そういう命令を受けていたにも関わらず、裁判官も検察官も(検察官と裁判官は一人二役です)、真崎大将を有罪とする何の証拠もない。寺内陸軍大臣は、真崎は銃殺刑だ、死刑だと大声で喚き立てたそうだ。それでも裁判官・検察官は、「いくら何でも全く関係のない真崎大将を死刑判決には出来ない」という訳で無罪釈放にした。寺内陸軍大臣の方針は裕仁の意思でもありますからね。裕仁は全く無実の真崎大将を殺せって言った訳です。そこで裁判長・検察官のホサカ〔為清註:軍法会議で首席検察官をつとめた匂坂(サキサカ)春平?〕という人は、言われた通り17名、青年将校、北一輝、西田税に死刑の判決を下して、その事に死ぬまで鬱々と苦悩してる。敗戦後は自宅に篭ったきりで、比較的早く死んだと言われてます。この検察官が最高責任者でしょう。しかしそれをやらせたのは誰ですか? 裕仁以外の何者でもない。裕仁は何の為にそうしたんですか? イルミナティの命令を実行したんですよ、裕仁は。

そうして二・二六の時に日本の運命が決定されたんです。陸軍の将官の絶対多数は、決起将校の趣旨は酌むべきものがあり、統制派と裕仁が強行するような中国との全面戦争は絶対してはならないという気持ちだった。日本の軍事専門家は自分たちの軍事力の限界をよく知ってますよ。そういう日本の軍事的・経済的力で、中国全土を占領なんて、どんな戦争をするんだ? 自分達の責任上、絶対賛成できないと思った訳です。日本の国民もそうです。今の様に選挙で投票したら、そんな事に賛成する国民はただの一人もいないですよ。政治家にも。にもかかわらず裕仁は、日本に絶対独裁制を敷き、イルミナティの指揮通り、日本を必敗、百戦百敗、必ず壊滅する戦争へと、日本が滅びる方向に引きずり込んでいったのです。これが日本に対する売国奴でなくて、日本民族に対する裏切りでなくて、何なんですか?

二・二六の時に決定的に転換させられたんです。その頃、日本人の絶対多数、日本の権力層の軍人も、そんな事はしてはならない、出来ないという良識・常識があったんです。当時の日本の国家権力の最も強い力は陸軍が握っていたでしょう。陸軍の絶対多数もそういう考えです。良識の代表は真崎大将です。そういう者を排除して、裕仁はいったい何をしたんですか、日本民族に対して。日本民族に対する裏切りと言わずして、何と言えるんでしょうか?

裕仁と称する人物は日本人ではない。天皇を詐称するイルミナティの傀儡です。イルミナティは、日本という国は彼らにとって最も危険な、致命的・驚異的な存在となるであろうから、絶対抹殺しなければならないと、ザビエルが来た時に既に決定してる。彼らイルミナティのアジェンダ通り、450余年、日本は攻撃され侵略戦争を仕掛けられているんですよ。その侵略戦争の傀儡、道具として、裕仁は百点満点を与えられた存在なんです。

そしてその事が、二・二六事件の全経過を通じて完全に暴露された。

真崎大将もついでに死刑にしようとしたが、陸軍内部の良識が幾らなんでも出来ないといって無罪釈放にした。その後も真崎大将は完全に干されて監視されることになった。近衛文麿が皇道派を復活させ、真崎を陸軍大臣にして、日本の国策を完全に一変し、統制派・裕仁がずっと追求してきた政策を否定してやり直す、一変する方針を立てようとしたら、裕仁は拒否・否定した訳です。

最近になって私がバーガミニの本を読み始めたのは、鬼塚さんの『日本の一番醜い日』を読んでる内に、あれはあの通りだろうけど、それで全てという事でもないしと思ったからで、この半年ほどいろいろ考えて、次第に物事が見えてきました。今日はいろいろ話しましたけど、参考文献や私の話などを参考にして、日本人として、今、何をすべきか、それを真剣に考えて頂ければありがたいと思います。(講義終わり)
http://tamekiyo.com/documents/ota_ryu/226.php


05. 中川隆 2013年3月01日 21:24:38 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?

デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928〜1983)は、アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。バーガミニを抹殺するために、200〜500万ドルの賄賂・監視料が使われた。日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。

バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。

どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。

二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか?

川島義之(陸軍大将)が裕仁の前で読み上げた二・二六の決起趣意書(北一輝が手を入れたという)をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。

今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。庶民の味方であるわけがない裕仁は、徹底鎮圧を指示した。木戸幸一(きど・こういち、1889〜1977年。長州藩の木戸孝允=桂小五郎が大叔父)も徹底鎮圧を勧めた。

396年計画 1549.8.15-1945.8.15

こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。ザビエルは、1549年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日)に、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。

日本を訪問したザビエルは、「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」とイエズス会の本部に報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。

イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、西南戦争で抹殺された。孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、イルミナティの宮中浸透は完成していた。大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。

明治天皇は薩長の傀儡だった。間接的にはイルミナティの傀儡とも言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、簡単には染まらなかった。西郷を殺すことにも本心では反対していた。それで死後に西郷の名誉回復もしている。日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。

大正天皇の不発クーデタ。大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、西園寺は自分が仕えた4代(孝明〜昭和)の中で最も知性に優れていたと語っている。大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として日本を改造したかった。議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。その天皇の考えに山県有朋は衝突した。

裕仁は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。立花隆の『天皇と東大』によると、上杉憲法学は議会の撲滅を主張していた。議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように「宮中」から指示をしていたのが裕仁である。日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」として利用されたのが二・二六事件だった。

イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。

中国への戦争に反対していた真崎大将を二・二六事件の「黒幕」だとして刑務所に閉じ込めている間に、統制派は中国との戦争に火をつけた(1937年の盧溝橋事件)。こうして最後にイルミナティの日本滅亡計画(敗戦革命)を完了させるため、アメリカを相手に戦わせたのが「太平洋戦争(Pacific War=平和の戦争)」である。近年になって公開された米国政府文書により、アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。たが、木戸というより裕仁だ。近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。

太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。

裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に日本に駐留することにさせた。沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。

「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」

皇道派の支持者だった山口富永(ひさなが)さんが昭和19年に陸軍に入隊するとき、真崎大将を訪ねて聞いた。「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」

それに真崎大将は「226の将校もそれを嘆いて死んでいった」と答えている。その真崎大将も、宮中(裕仁)に抵抗することはできなかった。真崎大将の死後、その長男が裕仁の通訳を30年も務めた。この天皇の呪縛を超えない限り、日本人に未来はない。
http://tamekiyo.com/documents/ota_ryu/226.php

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c3

[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
4. 中川隆[-8769] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:44:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3973]

天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元 訳
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm#mokuji
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E9%99%B0%E8%AC%80+%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%9F%E3%83%8B&i=stripbooks&adgrpid=52019632743&gclid=EAIaIQobChMIssrhk7DJ4gIVCwYqCh2RjwzYEAAYASAAEgIyRvD_BwE&hvadid=338580746102&hvdev=c&hvlocphy=20638&hvnetw=g&hvpos=1t1&hvqmt=b&hvrand=831006335091229886&hvtargid=kwd-334760778916&hydadcr=4073_10899429&jp-ad-ap=0&tag=googhydr-22&ref=pd_sl_3otvhjudwd_b


2・26事件

忍び寄る大詰め


 皇位周辺の我欲旺盛な古参忠臣たちにとって、身の危険を心配するもっともな理由があった。というのは、裕仁が実際に彼らが暗殺の標的であるかのように言い、暗殺を準備中の者たちに行動を起こす動機を与えていたからだった。暗黙のうちに繰り広げられてきた北進派との三年間にわたる内紛は、もはや充分長引いており、いよいよ決着の時を迎えていた。裕仁とその一族は、公然たる叛乱のみが、国民を恥入らせ、その不平、不満を根こそぎ払しょくさせるに足る大義名分となりえると見ていた。同様に、北進派の荒木、真崎の両将は、同期の古つわものたちと共に、兵卒層の叛乱が充分に大規模で長続きしうるものならば、大衆の支持を獲得でき、裕仁に影響を強いうると考えていた。

 来る対決のために選ばれた暗殺実行者たちは、前年に士官学校事件を起こした若手国体原理派の反ファシスト尉官たちであった。彼らが騒動の中で献身的穏健派と見なされたのは、名目的に北進派と連携していたものの、彼ら自身は対外戦略なぞにはとんと関心はなく、国内の改造と公明さをのみ欲していたからであった。

 これらの国体原理派の若手らは、その決起を1935年11月とする可能性を探るため、酒場や場末の待合で、会合を持ち始めていた。その会合の首領は、二人の元陸軍の同僚、村中と磯部で、この二人がこの三月に、1931年の三月事件への永田の関わりを喚起させるための扇動小冊子を書いていた。この小冊子は、7月に真崎大将を追放する闘いの最中、閑院参謀総長に宛てられたものだったが、それは閑院を怒らせてしまった。この二人の小冊子作者を陸軍から除隊させる許可を天皇より得るため、7月30日、閑院親王は林陸相を葉山の御用邸に送った。現役の兵士を予備役に移籍させることは、陸軍内の問題分子への処罰としては特異な扱いではなかったが、陸軍から完全に除隊させてしまうのはいかにも異例だった。彼らの同僚たちは、除隊で新民間人となった憤懣やる方ないこの二名に大いに同情していた。

 裕仁の弟、秩父親王は、士官学校の同期生である四人を通じて、国体原理派の計画を個人的によく承知していた。彼はこの四人を、いつも自邸に呼んでは歓談していた。またこの後、この四人に銃殺刑の処罰が決まった際、自分たちは秩父親王から勇気付けられたのだと、空しい訴えを行うこととなった。その内の一人は、次のように記した悲嘆の一文を家族に残した。「秩父親王は私にいった。 『クーデタの時、私は君が仲間の先頭に立ち、兵営から行進して出てゆくところを見送らせてほしい』 」。他の一人は、刑務所で書いた一連の詩を残した。この詩は、憲兵隊が押収し、秩父親王の馬番に手渡された。秩父親王は、それに目を通し、それをその若者の家族に返した。その際、秩父親王妃がその内の数編を自ら選び、それを美しい台紙に張り、額にまで入れて返還したため、後に残された両親は、それを身に余る名誉と受け止めていた。

 天皇の二人の叔父、東久邇親王と朝霞親王は、その若い策謀者たちとしばしば語り会い、彼らの憤懣に同情を表した。しかし、彼らに最大の激励を与えた人物は、北進派に手先を浸透させようとの宮廷からの命を受けていた、マレーの虎こと、山下少将だった。山下は、よくその若い策謀者たちと酒場で会い、酒を飲み交わした。そこで山下は彼らに、一般参謀諜報部長をしている三番手烏の岡村少将と、陸軍省報道対策班の根元大佐――永田が殺害された時、剣士相沢に祝福を与えた――を紹介した。山下少将やその同僚は、そうして得た彼らの観察結果をすべて、閑院参謀総長に報告した。

 国体原理派のその若者たちは、天皇の側近から受けた注目に歓喜していたが、用心すべきことは知っていた。彼らは、友人たちから、利用されないようにと警告され、「貴様らは、まるで左翼の衣を着た右翼だな」 と冗談まぎれに言われていた。そうして彼らは、北進派の指導者、元陸相の自宅に代表を遣った。荒木は笑顔で彼らを迎えて激励したが、自分の言質をあたえることのないよう、慎重に対応した。彼らは山下少将――南進派のスパイ――のもとに戻り、「周到な準備なくしては行動しないよう」 との助言をもらった。彼らは、決起の日を、欧米の外交武官が祝福休暇に入っている1935年のクリスマスの日に暫定的に設定した。(36)

 12月20日、彼らは、北進派の第二の指導者、真崎のもとに遣いを送った。彼は遣いに、叛乱を考えるのはおろかなことで、それを、すでに打撃を受け、常時警察の監視下にあると解っているはずの自分のところに相談にくるとは、二重におろなかことだと言い渡した。彼らはさらに、三番目の北進派の将官# 1に会い、いっそう明瞭な助言をもらった。 「天も、陛下も、そして大地も、すべてが君らに反対している。統制派(南進派)の連中は、生煮えの準備で決起する君らを、大掃除のいい機会だとして、手ぐすね引いて待ち受けているのだ」(37)。

 # 1 この将官とは、荒木陸相の下で副大臣であった、柳川平助中将である。彼は、天皇には穏健北進派として知られ、顔の広い鈴木大佐の親しい友人であった。この時、彼は、台湾軍司令官として、厳格な寺内に代わり、台湾に赴任するところであった。後の1937年、彼は、日本軍の南京制圧を可能にした杭州湾上陸作戦を立案して、天皇の目から、北進派の汚名を取り除くこととなる。

 南進派部隊からの潜入者、山下少将は、12月22日に、東京北部の高級割烹で若手理想主義者たちと会うことに同意していた。しかし彼は、その約束を守らず、その夕べを通して、彼が現れるのを空しく待たされている間に、その謀議者らは、クリスマスの日の蜂起の計画は無理だということに決めてしまった。そしてその帰路途上、その内の一グループは、ある警察署に立ち寄り、自主的に自分たちの計画について、全面的に報告することとなった。(38)

 まだ泳がされていた謀議者らは、クリスマスの前夜、北進派の理論家で、強靭な急進的著述家、北一輝の自宅に立ち寄り、慰労にと、酒を少々ふるまわれることとなった。北は、1922年に裕仁の教化機関である皇居内の大学寮への参加を断り、天皇の特務集団から最初に離脱していた。憲兵により数年間にわたって鍛えられた経験から、北はそうした若手に、辛抱強く、時期を待つようにと諭した。そして彼は、前首相の斎藤が内大臣に任命されたことに抗議する小規模な集会に参加してはどうかと、彼らに持ちかけた。北は彼らに、斎藤は1934年の帝国人絹疑獄にからんで賄賂を受け取っていることを確信させた。12月30日、その抗議集会は予定通りに開催され、これまた予期した通り、警察によって解散させられた(39)。その際、若手将校の幾人かが拘留されたが、彼らの計画を満たさせるかのように、数日後に釈放された。

 その年の暮れ、大兄で内大臣秘書の牧野侯爵は、自分の日記に、謀議者の最新の叛乱計画についての警察報告を書き込んでいる。それは例えば、歩兵第一連隊第一中隊は内務大臣公邸を掌握、歩兵第三連隊第三中隊は首相を殺害、歩兵第一連隊第二中隊は斎藤内大臣を捕縛、等々(40)。幾つかの詳細を除き、それは1934年の士官学校事件計画と事実上同じで、それはまた、その通りに、その二ヶ月後に実行されたものであった。かくして、その運命的新年を迎えるまでに、宮中の侍従たちは、暗記しているほどに、その計画を知り抜いていた。

 もし、思いこみの強い宮廷人の誰かが、陸軍将兵の意識の程度について疑いを抱いていたとしても、一月のある日、日本の歩兵の全連隊がその任務中、非任務中の将校ともども、満州国境を越えてロシアに入り、赤軍に投降してしまい、その疑念が現実のものとなってしまうとは予期していなかったろう。そうした将校たちは、国家政策を北進へと変えさせようと、事件をおこそうと望んでいた(41)。その将兵たちは、ただ、その職務執行にあたる満州国の拷問と殺人の地獄から脱け出そうと欲していた。かって日本軍の兵士の誰も、外国軍のもとへと脱走することなどなかったが、いまや、政権の誰もが、絶望のみが彼らをそうした行動に駆ったのだと覚らされることとなった。


もの言う大神(42)

 まさに発生しそうな出鱈目な叛乱に備えて、裕仁のしたたかな叔父、東久邇親王は、過去に裕仁を歯に衣を着せずに批判した貴族を土着宗教を使って脅し、口を封じた。1935年11月22日、東久邇親王は、宗教取り込み詐欺師で腹話術師の、小原たつお、別名、小原竜海〔りゅうかい〕を、皇居南端の明治天皇旧御所にある、当時未使用の一室に呼んだ。そこで東久邇は竜海に、皇室の式服一式や、裕仁の手袋や菊の紋章入りの煙草ケースなどを、彼の好意の印として与えた。竜海はこれらの品々に、口をきく観音像――少なくとも、彼はそう見せることができた――を加え、東京郊外椎名の入船に御堂を設けてそこに祀り、神託所としての事業にした。

 東久邇の紹介によって、竜海は、元宮廷女官長の島津治子――1933年に赤化事件と妾問題に絡んだために皇居を追われた――の後援を獲得した。しかし島津夫人はただ、精神を高揚させ身震いのする彼の交霊術を気に入っていただけだった。彼女の親しい友人も同様であり、また、彼女は理想的な人脈をもっていた。皇后良子の母のいとこ、そして、裕仁の母の貞明皇太后の親友として、彼女は、貴族階級の高齢世代で、―国政に高度な倫理的関わりをもつ、ほぼあらゆる親近的集まりと、強固な霊魂的関係を保っていた。伯爵、伯爵夫人に加えて、彼女の知人たちには、退役陸海軍大将、在郷軍人会の指導者、反機関説論者などなどがいた。そのうちの最も懇意な友人が、神道神主の秦真次で、彼は真崎を追放する争い中の南進派に不利な資料を提供した元東京憲兵隊々長であった。

 1月半ばまでに、島津夫人は、竜海の観音像の腹話術的神託を聞き、霊魂の顕現に参加するため、彼女の友人たちをたくさん連れてきていた。竜海のきらびやかな御堂の外には、本物の刑事が立ち、夜を通し、参加者に関しての記録をつけていた。後の警察報告では、老いた海軍大将山本英輔が、その「集まり」 の常連として、目立っていたとしている。彼は、国体原理派の若手叛乱者が政権を握ろうとした際の首相として、第一の候補者にあがった者の一人だった。他の際立った常連参加者たちは、東京の上流階級の夫人たちだった。その誰もが、そうすることで、数ヶ月先の身の安全が得られると説かれていた。

 降霊会では、貴族階級の一同は、竜海がさずける東久邇親王についての堕落と哲学の合成物を聞かされた。そしてゴシップ談が一同を楽しませ、また、おじけさせもした。1936年12月に療養所に収容された後の警察記録に残された元宮廷女官長の島津治子の話では、参加者の前に生者死者双方の霊魂が現われ、あらゆるたぐいの皇室を冒涜するような話を、次のように告げたという。

 難波大助 (1923年に裕仁の暗殺に失敗して処刑) の死霊が秩父親王 (裕仁の一番目の弟)の生霊と共に現れ、秩父の霊が、難波は自分の婚約者の処女を奪ったと言った# 2。

 高松親王 (裕仁の二番目の弟) が霊となって現れ、彼の実母は、大正天皇にはべった女官の一人の、何某様だ・・・・

 皇太子時代の裕仁仕え、切腹した侍従(乃木大将)が現われ、その霊は、 「秩父親王が正式の皇太子に着くべきだと主張したが退けられた・・・」と、親王自身の服装を着けて言った。

 大正天皇の侍従の霊が現われ、自分は貞明皇太后(裕仁の母)の愛人だった、と言った・・・

 九条家の人たち(貞明皇太后の兄弟と義理の妹)が質問をした。

 秩父親王の生霊が現われ、礼子(伊藤礼子で学習院での赤問題に絡んでいた)との情事関係を話した。

 あらゆる鏡には、表と裏の両面がある。我々の鏡の表面には、我々が大神を崇拝すれば我々は守護されると公に刻まれている。だがその裏では我々は、皇族の役目は、最終的に、天皇維新への道を清め照らし出すことと信じている。裏面はそうした意味をはらみ、表面がいつの日か裏面にお目見えできると平民に説いている。信仰心の篤い人でも、裏面に達するのは序々にである。そのさらに鏡の裏の先には、ひまろぎ等といったさらなる光明があって全き天啓をもたらしている。最も意識の高い人のみがそこに到達しえ、それはめったにあることではない・・・

 7月17日に、この世のあらゆる霊魂の集いがある。五光が初めてお集まりになる・・・ 明治天皇の御霊は、貞明皇太后の用件にさかれ、今回は参加されない# 3。この集いで、国体明徴と維新――神の治世と神の世――への道が開示される。

 五光がなす使命は、摂政を決め、年少の皇太子(現天皇、明仁)のために補佐を選ぶことである。霊魂の世では、皇太子は明治天皇の霊魂を引き継がれ、同時に、偉大なご自身でもおられる。これは我々に明示されてきていることだ。従って、秩父親王は高松親王に道をゆずって引退し、高松親王が補佐と摂政になられる。現天皇は、15年後(1951年)に亡くなる・・・ 現天皇は前世からの罪をあがなう因縁があり、国体明徴の道と維新の実現はできない。彼は早い逝去が避けられない。我々は、大神の維新と国体明徴をなしとげるために、開明をなしとげ、我が国土の大神に至高をささげねばならない。これがいわゆる天の岩戸開きであり、我々がそのための鍵を持っている・・・五光は十、二十、四十の光となる・・・我々は信奉を続け、広げなければならない。


 # 2 兄弟を混同しているようだ。皇后良子の兄、朝融は、1924年、婚約を破棄した。それは、その婚約者が難波の近親者と関係をもっていたからであった。(43)

 # 3 貞明皇太后は、息子の裕仁に対する小陰謀事件に巻き込まれた。五光の正体は不明である。ある教育ある日本人の推測では、4人は数世紀昔に天皇のために死んだ忠臣であり、一人は最近犠牲となった、一番手烏の永田であろうということだ。

 島津夫人が警察で思い出したことは、かくもとりとめのないことだった。しかし、たとえ話が猥雑でつかみどころがなくとも、その話を反論もなく聞いた者には、大逆罪を確信させるに充分なものであった。また悪いことに、その神秘主義は、裕仁を排除することを確かに欲し、裕仁の統治の間の多くの殺人の罪を裕仁にきせているように、いっそう見せてもいた。


最後の扇動

 1936年1月27日、東久邇親王は、1933年の神兵隊事件に連座した疑いで投獄されてきたおよそ500名の屈強な剣士が釈放された時、新たな脅迫の手段に出た。東久邇に忠実な使い走り、安田予備役中佐の監視下で、仮釈放中の彼らが拠点を設立し、叛乱部隊――もし、来る叛乱に何らかの不発が生じた場合、その代役に使える「選りすぐりの部隊」 ――として何時でも動ける用意を整えていた(44)。東久邇の手下の安田は、その動向の情報を使いを通じて東久邇の屋敷の門衛# 4に逐次伝えた。実際には、この予備部隊が役立つことはなかったが、彼らは、この予備部隊となることで、刑の執行からは逃れることができた。

 # 4 東久邇の守衛班長は清浦末雄大尉だった。彼は、1924年の長州閥排除の際、裕仁が閑職から引き立てて政府を率いた、清浦元首相の八男。(45)

 1936年1月28日、永田の殺害者で、東久邇の部下の相沢少尉の軍法会議の裁判手続きが開始された。この手続きは、第一師団の兵営で、感情的に最も高ぶった雰囲気の中で進められた。第一師団は、東京に拠点をおく、二つの師団のひとつで、反ファシストの国体原理派の若手将校がもっとも結集していた師団であった。またそれは、過去の陰謀計画の中で、どの師団より多数の叛乱軍を提供することが期待されていた師団でもあった。軍法会議の相沢被告は、1926年から1931年まで、その師団で大尉と少佐を勤め、その師団の将兵は、その12月に、満州の守備隊任務に直ちに移駐されることが通告されたばかりであった。第一師団はそれまで、戦時下の作戦行動を除き、海外に派遣されたことはなかった。

 暗殺者相沢を担当した弁護人は、満井佐吉中佐だった。彼は、二年前、三井財閥の幹部宅に押し入り、また、数ヶ月の間、北進派の兵卒の中で、南進派のスパイ、山下少将と緊密に共同して働いた。1937年には、満井は、1936年の叛乱に参加した罪で、三年間の執行猶予の判決を受ける。さらに1942年の戦時下、彼は国会議員に選出される。

 相沢の公判では、彼は満員の法廷で活躍した。 「もし、この裁判に誤りがあれば、それは深刻な結果をもたらしましょう。・・・もし、この法廷が、相沢が従った精神の理解を誤れば、第二、あるいは、第三の相沢すらが現れてくるでしょう。・・・圧倒的多数の下士官は、陸軍が影響力を失っているとしてその一掃を決断しており、国民も、陸軍が真に天皇の軍隊であることを証明するよう、心底から望んでいます」、彼は演説した。

 暗殺犯相沢は、被告席に着かされ、同情的な反対尋問を受けた。彼は、東久邇親王と朝霞親王と会ったことについては、ひと言も漏らさなかった。しかし、永田を殺すためではなく、警告するための最初の上京について証言し、「私は車中では眠れず、翌朝、あたかも空から聞こえてくるような声で、早すぎる行動はするな、と言うのを聞きました。・・・後になってから、私は、永田があらゆる悪の根源だと知りました。もし、彼が辞任しようとしないのなら、するべきことは、ただ一つでした。私は、自分を鬼にし、一刀で彼の命を終わらせると決心しました。・・・統帥権により、教育総監が軍事参議院の名誉職に転任させられた時、私には、皇軍を私兵化したかに感じました。」

 大兄で内大臣秘書の木戸は、相沢裁判の進路を閉ざし、その行方に懸念をもたらした。しかし、2月2日、入念な調査の後、彼は、すべてに問題はないと決断した。彼は、弁護人の満井中佐を、満州征服を計画した石原莞爾大佐や、後にアメリカの小型砲艦パナイ号沈没させた火付け役の橋本欣五郎大佐らと比べてみた。三人は皆、国内改造の必要を感じており、国体原理派に同調していた。「しかし、いざという時においては、彼らは外部者と統一戦線を形成するだろう」、と木戸は結んでいる。(47)

 相沢裁判が進行する一方、国会が解散し、国は1932年以来の二度目の総選挙戦に入った。陸軍の北進派は、伝統的な武士道精神の綱領を掲げて〔機関説排除を訴えた〕政友会を押した。反政友会、裕仁の統制派そして清軍運動は、現職の岡田首相を押した。彼らは、ファシストに傾き、「議会政治かファシズムか」とのスローガンのもとで運動した。人々は、そのスローガンに動かされ、205議席のうち、174議席を政友会に与え、地滑り的勝利をもたらした(48)〔訳注〕。それは、裕仁の公式の表明が支持され、彼が密かにもてあそぶファシスト構想が拒絶されたことは明らかであった。

 〔訳注〕 この選挙結果は誤り。1936年2月の総選挙結果は、政友会が敗北し、他方、解散前3議席であった無産政党が、社会大衆党をはじめ21議席に増やした。これは、軍部と戦争政策への有権者の批判と読みとれる。ここに述べられているように政友会が大勝したのは1932年の選挙の結果で、著者は両選挙結果を混同している。


土壇場の勇気

 一月中に、反目する国体原理派の若手将校たちは、秩父親王、川島陸相、北進派の真崎大将のもとを訪問した。三人はいずれも友好的ではあったが、支持も邪魔もしないといった、どっちつかずの態度であった。たとえば、真崎大将は、彼らに金を貸してもよいと言いながら、「何が生じても、誰から提供されたかは言わないように」 とつけ加えた。

 1月28日夕刻、謀略者たちは、同調的な中隊長、山口一太郎大尉――裕仁の侍従武官長本庄大将の娘婿――と会った。2月10日に彼らは再び、山口大尉と彼の勤務する第一師団、第一連隊の参謀室で会った。そこで初めて、彼らは叛乱の計画の具体的な作戦行動について話し合った。その翌日、北進派の理論家、北一輝の自宅に代表を送り、彼の弟子で従事である西田力に会った。彼らと同じく、西田も秩父親王の友人であり同窓生であった。1921年に秩父親王のために書かれた一輝の急進的な論文を最初に謄写版刷りにして知識人に配ったのは西田であった。今、彼は謀反者らを歓迎し、彼らのために大衆的な支持を集めることを約束した。

 2月15日、消極的な叛乱兵士たちは、宮廷から送り込まれている監視役、山下少将と再び会った。その翌朝、若手将校らは、自連隊の兵器庫の武器を得る手順を確認した。また翌々日には、安藤輝三大尉――山下少将に最も親しい陰謀首謀者――は、仲間の会合において、 「私はもうあえて決起する気はない」# 5と率直に吐露して、陰謀計画に冷水をあびせた。

 # 5 1932年、犬養首相暗殺の後、山下の命令で、安藤は、東京大学の学生で血盟団と牧野内大臣の間の連絡係であった四元義隆を自分の住居に数日間かくまった。
 安藤が一同を白けさせた後、他の陰謀者たちはなんとか、 「次週の半ば」 を決行日と決めた。そしてその翌日の2月19日、陰謀者間のさらなる会合で、東海道を下った豊橋の陸軍学校の同魂同志が計画に加わり、老公西園寺親王を暗殺することを引き受けたと知らされて元気付けられた。

 2月21日、一年前に扇動小冊子を書いて軍を追われた磯部と村中は、侍従武官長の娘婿の山口と再び会って、再確認をとった。第一連隊の週番司令として、山口は、自分の連隊には、叛乱に参加しない者でも、それを制圧する命令は誰も受け取らないことを確約した。その夜、週番司令の山口は、北の理論の謄写刷版発行者の西田――北進論の第二の理論家――を自宅に招き、師の北に、決起の日は2月26日に暫定的に決まったことを伝えるように頼んだ。(49)

 決起日4日前の翌朝、若手将校たちは集まり、互いに緊迫していることを認め、そして、東京を占拠しえた時、壁に掲示し、ラジオで放送するつもりの趣意書の最初の文案を書いた後、散会した。(50)

 決起日3日前の2月23日、若手将校たちは、彼らの兵器庫から2,000発分の弾薬を運び出し、また、新たな大尉や中尉を数名、仲間に迎えた。西園寺親王を暗殺する計画は、政治に長けた叛乱の支持者から異論が出た。そこで同日、本庄の娘婿の山口は、失墜した北進派の真崎大将に相談をもちかけた。すると真崎は山口に、情報屋の亀川哲也――政友会の一部# 6から叛乱への資金援助を得る仲介役をしてきていた――に会うように助言した。(51)

 # 6 ことに、日立財閥の創設者、久原房乃助。彼は、株式と広範な資本財の保有に基ずくアメリカ式資本主義の熱心な主唱者であった。

 決起日2日前の2月24日、情報屋の亀川は、相沢の裁判を担当する民間人弁護士を訪ねて蜂起計画の全てを明かし、追放された真崎大将を次期首相に推薦するよう西園寺親王を説得するよう、協力を依頼した。その弁護士は、名を鵜沢聰明という西園寺の友人で、出来るだけのことをし、西園寺には暗殺されようとしていると警告するとすると約束した# 7。(52) この警告は、西園寺の執事で国会議員の津雲国利と、西園寺の以前の秘書である事業家中川小十郎をはじめとする、入り組んだ経路を経て、興津に届けられた。(53)

 # 7 一年後、法務大臣のおひざ元の秘密軍法会議において、憲兵隊は鵜沢弁護人を叛乱の共犯者としてその告訴を試みた。しかし、鵜沢がタイミングよく西園寺に警告を与えていたことが、彼を投獄から救った。というのは、数回の審判の後、西園寺に感付かれることなく鵜沢の裁判を続けることは困難なため、彼に対する裁判は取り下げられたからであった。(54)

 西園寺はその警告の信頼性を疑うことなく、即座に対応した。そして、興津と東京の宮中との間に敷かれている、スパイ秘書の原田という 「確実な連絡回路」を作動させることにした。西園寺は、使用人たちに、あたかも何も知らないよう、また、あたかも老いた主人が何事もなく在宅しているかのように、自然にふるまって電話に出るように指示した。その上で自分は、椅子かごに乗って、密かに、自宅の裏山に移動した。そうしてその人目につかない道で公用車に乗り移り、警護の厳重な静岡県知事公邸へと運び去らせた。(55)

 一方、同じ決起日二日前、野中大尉――秩父親王と親しい叛乱将校の一人――は、趣意書案を北進派理論家の北一輝宅へと届け、それに手を加えてくれるよう依頼した。北は、その軍人たちが書いた無骨な文章を、火炎のような論理と難解な漢文調の文体に改め、古典風名文に作り替えた――これが数日後、天皇裕仁に読み上げられることとなる――。この手直しの後、野中大尉は、北の手下の西田と北の仕事部屋にこもり、その文案を清書し、皇位に提出するための巻物に仕上げた。(56)
 その夕刻、本庄の娘婿の山口大尉は、第一連隊の指令室で謀反者らと会い、叛乱計画の詳細をつめ、陸軍大臣公邸、陸軍省、そして一般参謀本部の警護地図を謄写版印刷したものを200部与えた。

 決起日前日の朝、謀反者らは、かねてからの陰謀の黒幕である前内大臣の牧野が、二時間ほど隔たった湯河原の田舎旅館に隠れているところが発見されたと伝える彼らの一妻からの手紙を受け取り、活気づけられた。この情報に基づき、一人の若手将校が、同志が東京で決起するのと同時に襲撃する準備を整えるため、湯河原へと車で送り出された。(57)

 同じ朝、追放された北進派の真崎大将は、相沢の裁判の弁護側証人として呼び出されていた。彼は、相沢に代わって、宮中の要職にあった者が天皇の許可なく執務中に知り得たことを暴露することは出来ないことを理由に、問われた質問に答えることを拒否した。そして法廷では、真崎は多くをしゃべらずに50分を過ごし、新聞記者の質問にも、その返答を拒否した。その日の午後、相沢の軍人弁護人、満井佐吉中佐は最終弁論を述べたが、能弁ではあったものの、事実はには言及せず、ただ心証を述べただけであった。(58)

 かくして、裁判が開かれていた第一連隊の兵営では、相沢は絞首台に送られるのを黙って受入れ、真崎は沈黙のうちに退役し、そして結局、南進派が勝利するだろうことは、誰の眼にも明白となっていた。第一連隊の若手将校たちは、信念上の望みの余り、自分たちと同世代の天皇が、現実を充分に知っていないのだろうと感じていた。だからこそ、山下少将を通じ、あるいは、侍従武官長本庄の娘婿である山口大尉を通じ、あるいは、秩父親王を通じて、彼らは、裕仁には真実を示し得るだろうと考えていたのだった。(59)


ついに流血(60)

 高貴な人々の勇気付けから三ヶ月以上が過ぎた時、謀反者らは遂に、面目躍如に行動を開始した。その夜を通し、一団をなしていた19人の尉官は、第一および第三連隊の同朋将官たちに号令を発した。秩父親王は1922年から1935年8月まで第三連隊に属しており、彼の名は彼らによって〔同志として〕自由に使われたが、新たな参加者は、いずれも少尉である二名を獲得しえたのみだった。それに、謀反者たちが同僚たちから引き出しえたものも、良くても、邪魔をしない誓い程度だった。

 2月26日、午前2時、皇居からおよそ20区画離れた麻布の第一、第三連隊の兵営に公然と起床ラッパが鳴りわたった。それからの一時間に、まだ眠気に捕らわれていた兵士たちは、陰謀者からの長広舌と、反陰謀者からの警告の双方に見舞われた。それでもなお、兵士たちは高揚した気持ちをもって行動を起こし、午前3時30分頃には、1359名の兵士と91名の下士官たちが、計画に関わってきた2名の大尉、8名の中尉、11名の少尉に従っていた。午前4時には、装備を着けた叛乱兵らは出発を始めた。彼らは、およそ8,500名兵士を兵営に、まだいびきをかいている将校多数を近くの上官宿舎に残していた。彼らはまた、侍従長本庄の娘婿の山口大尉を、邪魔をしないという誓約を守らせるために残していた。

 二月の朝の厳しい寒さの中、兵営の外では、皇居の聖域内の兵営から、精鋭近衛師団第三歩兵連隊第七中隊が彼らに合流した。この合流部隊は、他の部隊と違って、自分たちが叛乱を起こしているとは知らなかった。秩父親王の友人で彼らの指揮官である中橋基明中尉は彼らに、明治神宮での神事のために行進すると説明していた。13台のトラックが先遣隊を運ぶために待機していた。三人の見習い医師が、負傷者が出た場合に備えて同行していた。

 東京は一面、雪に覆われ、まだ雪が降っていた。雪を踏みしめる兵士たちの靴音が、まだ暗く人けのない街路に響いていた。彼らの兵営から皇居までは、1マイル半〔2.4km〕もなかった。午前4時30分までに、堀に囲まれた皇居に近い東京の官庁街の神経中枢のすべてに、偵察兵の列による無言の警戒線が張られた。そこには、国会、陸軍省、幕僚本部、警視庁、国土地理院、内務省、外務省、そして、海軍省と軍令部が位置していた。さらにその警戒線内には、閑院親王、高松親王、内大臣、正副陸軍大臣、正副外務大臣、内務大臣、そして首相の公邸があった。


 午前5時までには、叛乱軍は、主要な目的地を占拠し終わっていた。前線司令部を設置する予定の山王ホテルでは、宿泊客――2,3名の西洋人が含まれていた――が起こされた。それらの客は、ホテルの交換台に配置された人員により、丁重に東京の他のホテルや旅館に新たな部屋がとられた。陸軍大臣公邸では、叛乱兵士は自分たちの存在を川島陸相に通告したが、重い風邪で寝ている必要があるとの要望があり、彼らは、面会のために大臣が起床できる午前7時まで、そのままにしておいた。警視庁では、夜勤にあたっていた巡査たちに彼らが加わって、外部の歩哨が二倍となった。

 参謀本部では、灯りがこうこうとともされ、今や作戦課長の石原莞爾大佐――満州作戦の戦略家――が、遅ればせに届いた決起の報を受け取り、部下と会議を持っている最中だった。午前5時頃、石原大佐は自室から飛び出してきて、外で任務についていた叛乱軍の歩哨一人を撃ち、自分の公用車で自らがすべきことを成しに出て行った。しかし、時はすでに遅しであった。(61)

 暗殺部隊は、 「君側の奸」〔天皇の傍に使える悪人〕 を殺すために、5派に分かれてすでに出発していた。午前5時5分、その第一派が襲撃を開始した。近衛師団の中橋基明中尉に率いられた百名の兵士は、もじゃもじゃの髭を蓄えた日本金融界の “サンタクロース” かつ、秀でた異端派経済専門家である大蔵大臣高橋是清、81歳、の自宅を取り囲んだ。屋外で守衛に当たっていた警官を負傷させた後、中橋中尉は住居内に押し入って老蔵相の寝室に駆け込み、布団をはぎとって 「天誅」と叫んだ。高橋が眼をさました時、中橋は彼に三発発射し、さらに周到に、刀で二度、突き刺した。彼は即死した。

 同じころ、200名の兵士と一人の中尉、三人の少尉からなる第二派の殺人部隊は、新たな内大臣で元首相の斎藤実大将宅を包囲していた。物腰柔らかく、好人物のその老貴族は、前夜遅くまで、アメリカ大使館でグリュー大使夫妻とジャネット・マクドナルド=ネルソン・エディーの映画、 「Naughty Marietta」 を鑑賞し、ぐっすりと寝込んでいた。 (62)

 若い尉官たちが駆け込んでくる音を聞き、斎藤子爵夫人は夫の脇からとび起き、彼らの眼前で寝室のドアを閉じ、 「ちょっとお待ち下さい」 と叫んだ。
 尉官たちがドアを蹴破ると、斎藤大将は起きて、夫人の後ろに寝巻姿で立っていた。三人の尉官はほどんど同時に彼を撃った。夫人は夫の体に被さってしっかりとしがみつき、泣き伏した。尉官たちは、彼女を引き離すことができないため、その体の下に武器を差し込み、ヒステリックにさらに銃弾を撃ち込んだ。後の裁判で、彼らはその老人の喉を切ろうとしたが、婦人が邪魔でそれが果たせなかった、と証言している。 (63)

 全部で47発の銃弾が斎藤大将の体に撃ちこまれ、夫人は両腕と肩に傷を負った。暗殺者らは、引きあげる際に玄関の前で静止し、天皇陛下に 「万歳」を三唱して立ち去った。

 暗殺部隊の第三派は、山下少将の手下、安藤輝三に指揮され、侍従長の鈴木貫太郎大将宅を襲撃した。彼らは、門前での守衛警官との小競り合で手間取り、10分ほど遅れた。鈴木侍従長もその前夜、グリュー夫妻といっしょだった。安藤は、彼が夫人といっしょに寝ているところを発見し、彼と国策について議論してさらに時間をくった。侍従長はなかなかの口上手で、安藤大尉と10分ほどの遣り取りを交わした。

 だが、公式記録によると、午前5時10分、ついに安藤は、拳銃でその議論を断ち切り、その68歳の侍従長に三発を発射した。彼は、脇に居た夫人に、 「まだ脈がおありなので、彼に刀でとどめを与えたい」 と言った。

 武士道を心得ていた夫人は、 「どうしても必要というなら、私がそれを致します」 と答えた。 「恥じ入った」 安藤は、そこでその部屋を後にしたという。

 その後二日間、叛乱軍の同志が雪の中を警戒している間、安藤は近くの料亭 「後楽」 で時間をつぶしていた。そして、叛乱が不成功に終わった時、彼は自殺を試みたが失敗した。明らかに、彼はその狡猾な老被害者と取引をしていた。侍従長鈴木は、四日後、危篤状態を脱して生き延び、後に、戦時中最後の首相となった。

 鈴木は、後に好んで話したように、 「みっともない」 死にそこないを演じた。彼に発射された弾丸の一発は、彼の急所に残っていたらしく、彼を手術した外科医は、「金玉から鉛玉」 を摘出した自分の処置の手際の良さを、偉業めいた歌にして書き残した。

 侍従長の鈴木が苦痛と格闘している時、300名の兵隊と五人の尉官からなる第四派の暗殺部隊は、三人目の南進派海軍大将、岡田啓介首相を襲った。彼の公邸は、フランク・ロイド・ライトの設計になる帝国ホテルを模した奇怪な建築物で、四年前、犬養首相がそこで、霞ヶ浦の飛行士によって撃たれていた。先の悲劇や数々の警告話にも拘わらず、わずか4名の警官が警護についているのみだった。襲撃部隊はその四人を射殺し、五人の尉官は公邸の迷路のような廊下や各部屋を手分けして捜索し始めた。

 73歳の首相は、前夜を名高い芸者の妾と過ごした後で、自分を守ろうという気概はもうなえていた。そして、 「万事休す。何をさわぎ立てる」 と、悲惨げに言った。

 だが、彼の女中や秘書官で義弟の松尾伝蔵大佐は、彼を寝床から引っ張り出し、彼の部屋を出て使用人区画へと急ぎ連れて行った。捜索する兵隊の足音が聞こえると、彼らは首相をそこの便所に礼儀もなく押し込め、そして彼に、内側からかんぬきをかけて閉じるようにと言った。そうしておいて松尾大佐は、英雄的な行動に出て付近の中庭に跳び出して「天皇陛下万歳」 と叫んだ。彼は瞬くうちに機関銃弾の雨を浴び、彼の顔はほとんど識別が出来ないほどの様相と化した。

 彼を撃った兵士たちがその遺体を岡田の寝室に運び、吟味した。彼らは写真とその顔を見比べ、女中たちの機転も手伝って、それが岡田首相だと判断した。

 その朝、憲兵隊員が叛乱軍によって占拠された皇居の堀に沿った地域に入りこみ、兵士たちと平穏に接触した。そうして捜査をしているうちに、憲兵隊は、首相公邸の女中から、岡田首相がまだ生きていることをつかんだ。岡田の秘書官の娘婿やその付添いが、首相の身代りとなった松尾の葬儀をするようにと、叛乱軍の警戒線を越えて呼び出された。他方、ようやく落ち着きを取り戻した岡田は、もっと居心地のよい、押し入れの中に移されていた。松尾の会葬者たちには同情が寄せられ、叛乱軍の監視も緩んでいた。

 翌朝、岡田の生き残った秘書官の福田耕は、お棺運搬係として、フロックコートを着た二十人ほどの年配の憲兵隊員を官邸に連れこんだ。空腹で疲れ切った岡田は、持ちこまれたマスクと丸縁眼鏡で変装し、義弟の葬儀の会葬者に紛れこんだ。棺が官邸から運び出される際、憲兵とともに連れてこられた一人の老いた棺運搬係が心臓マヒを装って倒れ、担架で運び出された。そうした混乱にまぎれて、困憊していた岡田首相を車に押し込み、脱出させた。

 東京での暗殺と時を合わせて、近県でも襲撃が行われた。蜂起の夜、兵士と予備役と士官候補生の一団が、老西園寺を暗殺するために興津に結集したが、警察によって解散させられた。一方、前内大臣の牧野は、20歳の孫娘の和子――戦後の首相、吉田茂の子供――とともに、湯河原の温泉旅館に身を潜め、事前の警戒はしていなかった。午前5時40分、夜中に使命を与えられた叛乱兵の一団が、その旅館に到着し、玄関前に機関銃を据え付け、宿の使用人に弾丸の雨をあびせ、牧野を要求した。すぐに牧野の一人の護衛官が現れ、拳銃を撃ちまくった。彼は、襲撃隊々長の河野寿大尉に傷を負わせたが、機関銃弾で穴だらけにされた。掃射された銃弾は、日本の旅館のやわな構造を貫通し、牧野の看護婦と彼の使用人が負傷した。 (64)

 その短い銃撃戦の間、老いた策謀家牧野と孫娘は、他の泊り客や従業員と一緒に、旅館の裏口から抜け出し、裏山に登った。負傷した河野大尉――逮捕された後に死亡――は、その建物に火を付けるように命じた。建物が燃え上がっている間、兵士たちは、斜面を這い登ってゆくのが見える人影に、機関銃を向けていた。

 後に牧野によって語られ、また、牧野の娘婿の後の首相、吉田茂が幾度も繰り返した話によると、牧野が裏山のある地点に達した時、彼の息はあまりに絶えだえで、それ以上先に進もうにもあまりに急こう配だった。彼はそこにしゃがみ込んでしまい、眼下の処刑執行者らを見やっていた。孫娘の和子は、彼の前に立ちふさがり、着物を広げて彼を隠した。二人とも、炎が彼らを照らし出しており、てっきり、もう最後かと思ったという。彼らからは、兵士たちが明るい炎を背景に、きびきびと動いているのが見えたが、そうした兵士からは、暗い山肌に溶け込んだ彼らはほとんど見えなかった。

 機関銃は発射されず、襲撃が始まってから40分間後、山中にあって牧野は無事やりすごしていた。消防隊が消火を始めたころ、若い叛乱軍兵士は機関銃をしまい、やってきた地域駐屯地に引きあげ始めた。

 東京では、叛乱軍部隊は、その当初の目標を果たし、第二の段階に移っていた。午前6時、斎藤内大臣に47発の弾丸を撃ち込んだ血に飢えた部隊の一部が、渡辺錠太郎大将――前年夏、真崎に代わって教育総監の地位についていた――の自邸前でトラックから跳び降りた。そうした彼らを渡辺夫人が玄関先でさえぎり、その出身部隊の名を要求した。彼らは夫人を脇にどけ、渡辺大将が立って彼らがくるのを待ち構えている居間へと走り込んだ。彼が「止めろ」 と命ずる間もなく、彼に最初の弾丸が撃ち込まれ、そして、いっせい射撃を受けて彼は倒れた。一人の少尉が、自分の刀で大将の喉を切り、その襲撃を終わらせた。


ポーカーの手の内

 暴力沙汰は終わった。その朝も昼近く、叛乱部隊は、五大新聞社の建物を占拠し、そのうち、最も保守的な朝日新聞社の印刷を止めさせたが、人を殺すことはもうなかった。事件を目撃した西洋人を驚かせたことは、そうした叛乱劇が、突然に麻痺状態となって叛乱が終幕すると、1,483名# 8の兵士たちは東京中心部の完璧な占拠地帯に、〔それ以上の作戦展開もなく〕取り残されたことだった。

 叛乱軍が日本帝国の中枢部を掌握したそれからの三日間、裕仁は自分の対処に不満な高官全員を相手に、暗黙の権力闘争を繰り広げていた。そして裕仁は自ら、ほとんど独力でそれを闘い、三つの主要な政治抗争に勝利をあげた。すなわち、彼は、叛乱軍が降伏するまで、次期政府のいかなる政策や人事にも譲歩することを拒否した。次に彼は、陸軍が、叛乱軍の鎮圧のみならずその蜂起そのものにも全面的責任があり、その責任をとる場合も、現人神としての裕仁の力に何らの依頼もあってはならない、と釘を刺した。さらに彼は、宮廷高官や皇族に断固とした態度をとり、公然と異論を表す者らには、それを厳しく圧した。

 # 8 1,359名の兵士、91名の下士官、21名の将官、3名の医師見習い、8名の民間人、そして、1名の予備兵。 (65)

 叛乱が鎮圧された時、裕仁の宮廷人たちは、この三日間に宮中で生じた諸事についての見解を宮廷内に広げたが、彼らの日記が物語るように、それは虚偽であった# 9。つまり 〔そうした見解とは〕、来る戦争という賭けが裏目に出た場合の反作用から天皇を守り、また、裕仁は任務のない叛乱軍兵士に仕事を与え、対中戦争の準備に同意することを強いられていたため、と言うものだった(66)。だが真の状況は、侍従長の本庄の日記に如実に表現されている。すなわち、蜂起の前日の2月25日、天皇は、戦時の足がかりを固めるために北中国の天津駐屯軍の編成拡大を認めた、と本庄は記している。そして天皇は本庄に、その編成拡大は、「外国の不信感を刺激してはならず」、かつ、「(満州征服の前に)我々が関東軍を再編成した場合のように、統制を不便なものにしてはならない」 と、〔その真意を〕告げている。

 裕仁が本庄に説明したところでは、 「要は、我々が何をするかでなく、我々のすることへの世界の反応だ」、だったのである(67)。

 # 9 最近まで、文献証拠がないために、歴史家はそれを受け入れるしかなかった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_50_20_1.htm
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_50_20_2.htm


鎮圧(1936)
叛乱の夜明け

 叛乱兵やその支持者に対する裕仁の圧倒的勝利は、早朝の最初の暗殺の数分前からすでに始まっていた。午前5時、本庄侍従長は東京北西部の自宅で、第一師団の少尉によって揺り動かされて目を覚ました。その少尉は、同師団の500名の士官と兵士が叛乱をおこしてすでに兵営を出発し、それ以上の将兵がそれに続いている、との娘婿の山口大尉からの知らせを持ってきていた。本庄は立ち上がると、ただちに戻り、山口大尉に、兵士に叛乱をやめさせ、兵営に戻させるよう、その少尉に命じした。

  「しかし、もう手遅れです」 と少尉は答えた。

  「最善をつくせ」 と本庄は命じた。そして電話に向かい、憲兵隊司令官と、天皇の寝室の近くに控えている宮中の夜勤番の侍従に電話をかけた。二人とも落ち着いており、当たり障りのない返答だった。本庄は車を呼び、宮中へ向かった。その途中、皇居のすぐ西にある英国大使館付近で、ほぼ一中隊の兵士たちと遭遇した。彼は、その兵士たちの軍服から、精鋭の近衛部隊の宮廷護衛部隊ではなく、彼の娘婿の属す第一師団の叛乱兵だと判断した。だが彼は、車を止めて彼らにそれを確かめようとはしなかった。

 本庄は、午前6時、内宮に到着し、裕仁がすでに起床し、執務に付いているのを知った。数分して天皇に謁見すると、天皇は彼に、 「直ちに事件を終わらせ、この災いを転じて福となしなさい」、と告げた。そしてとがめるよう加えた。「侍従長、お主のみが、この事件が起こると予期し、案じていたね。」

 自分の娘婿のことを想い浮かべながら、本庄は答えた。 「若手士官たちはただ、自分みずから、すべてをおおう天皇の正しき世界の中に、彼らの正義感を託す場所をみつけようとしているだけなのです。」(68)

 木戸幸一侯爵――二ヶ月前までは牧野内大臣の、15分前までは斎藤内大臣の秘書――は、午前5時20分、その斎藤内大臣が襲撃されたと伝える宮廷からの電話で起こされた。木戸は即座に、「重大事件であることをさとった」。彼は警視庁に電話を入れたが、叛乱軍に包囲されていて、誰もが制約を受けずには話せないでいることを知った。 そこで彼は、公用車の車庫に電話し、直ちに宮廷まで行ってっくれるように頼んだ。その車の到着を待つ間、木戸は、近衛親王と西園寺のスパイ秘書の原田に電話して、そのニュースを伝えた。

車が到着すると、彼は用心深く、叛乱軍が占拠していると思われる地区を迂回して、遠回りするように指示した。(69)

 午前6時、皇居外苑にある宮内庁の自分の机に着いた。そこで彼は、状況を掌握するため多くの電話をかけたが、その一本は、6時40分の興津の西園寺宅にかけたものだった。電話に出た女中は、確かに老主人とその家族は静かに就寝中であると告げた。木戸は、西園寺が数マイル離れた静岡県知事公邸にいることを、知っていたかどうかについて、どこにも明らかにしたことはない。木戸は自分の日記に、「大いに安心した」 とのみ記入しているだけであった。(70)

 あまたの電話で出来る限りの情報を得た後、木戸は、宮内庁内で、スパイ秘書の原田の到着を待った。彼は、叛乱軍兵士に検問された時に備えて、宮内省の証明書を手に、午前7時ちょっと前に、徒歩でやってきて、木戸からの指示を受け取った。その受領後、原田は、皇居北の門に向かうのでも、また、任務として西園寺に仕えるため興津に向うのでもなく、叛乱兵士の占拠する地区の自宅に戻り、次の二日間を、近所家の隠れ家から、通常のように電話をかける作業で費やした(71)。

原田は察知していなかったかもしれないが、彼は、 「お節介な小男男爵」 として、叛乱士官の持つ 「発見次第射殺」 のリストにあがっていた(72)。そういう彼は、自分の近所宅に潜みながら、勇敢なスパイ役を演じていた。彼は木戸と綿密に電話連絡を取りながら、夜には危険をおかして外出し、叛乱軍の野営を監視していた。

 木戸は、原田に指示を出した後、皇居内の庭園を歩いて横切り、内宮の裕仁の居住兼執務区画に入っていった。そして、裕仁の執務室の外にすでに集まっていた、侍従武官、湯浅宮内省大臣、広田副侍従長に合流した。彼らは、木戸が電話でその情報提供者より収集したものより、さらに新しい情報を彼に与えた。それによると、侍従長、首相、蔵相、そして内大臣、の全員が襲撃されていた。信頼されている天皇の他の寵臣と同じく、木戸はその後一週間、宮廷にとどまりつづけた。彼には、皇居図書館の裕仁の執務室から廊下を行った先に、仮の小寝室が与えられた。彼は、その侍従の部屋の畳部屋に、布団をしいて寝た。彼は、24時間、いつでも天皇の呼び出しに備えていた。(73)


蹶起趣意書

 2月26日午前7時、川島陸相は、自分の寝室からようやく階下に降りて来て、邸宅の一階を占めた叛乱軍士官と言葉を交わした。彼らは陸相に、蹶起趣意書の正本を渡してそれを天皇に提示するように要求し、その写しの文書は、占拠地区のいたるところに張りだされていた。そこに明記されていた要求事項は、政府は天皇の執権の全面回復を宣言し、陸軍は派閥主義を撤廃し、それまでの陰謀の「首謀者」 である南、小磯、建川、そして宇垣各将を逮捕し、裕仁の特務集団の将官は軍職から追放され、荒木大将を関東軍の司令官にして 「ロシアを威圧し」、そして、陸相はこうした要求を天皇に提示するに先立って、北進派指導者の真崎と協議するよう求めていた。その文書はまた、陸相が、副陸相で天皇が信頼する航空専門家である古荘幹郎中将、および、宮廷の隠れたスパイ――叛乱軍人たちには知られていなかった――である山下奉文少将と話し合うことを推していた。川島陸相はそうした要求を重々しく聞き取り、自分ができるだけのことをする旨、約束した。(74)

 午前8時、海軍軍令部総長の伏見親王が宮中に到着し、すぐさま裕仁に謁見した。彼は、各艦隊は、横須賀海軍基地から東京湾へと航行中であり、天皇の号令ひとつで、叛乱軍地区への砲撃の準備が整っている、と報告した。そして同時に彼は、新内閣を直ちに組閣し、叛乱軍に少々の譲歩を見せるよう助言しようと考えていた。叛乱軍の多くは、秩父親王の親しい友人であり、彼らを余りに過酷に扱うのは良くなかった。天皇は同意したのだろうか?(75)

 それまで伏見には賛成できないことが多くあり、また、議論にも巻き込まれていたことを知っていた裕仁は、ただこう答えた。 「私は海軍の状況について、貴殿の報告を求めただけだ。この事件に関する私の意見については、すでに宮内省大臣の湯浅に述べてある。」

  「それでは、湯浅に伺ってよろしいでしょうか。」
  「その要望については、返答はまたの機会にしよう」 と裕仁は返答し、伏見親王は退席した。憤懣やる方ない伏見は、大兄で賞勲局長の木戸のところに直行し、すべたの親王たちに、そのいざこざの件をつたえるよう、命じた。
 午前9時、川島陸相は、叛乱軍との遣り取りを終わらせて直ちに宮中に到着し、天皇に謁見した。彼は、叛乱軍の蹶起趣意書# 1の巻物を提出し、それを天皇に慎重に読み上げた。(76)

 # 1 私 〔バーガミニ〕 は、蹶起趣意書の原文を以下に引用する。その深遠で近づき難い印象は、要約を許さないためである。そして、これまでに存在する唯一の翻訳版は、1936年にニューヨークタイムスの東京事務所で日本人翻訳者によってなされた独特の文体をもったものである――それは、日本近代史の数冊の文献に様々な形で引用れている――。それは、原文の内容をおおむねは表わしているが、手が加えられ、その灼熱地獄のような特性は失われている。

 〔訳注〕 以下には、英語訳の邦訳に加えて、原文のままの引用も掲載。(ただし、カタカナ書きをひらがな書きに改め) 。

         国体を護持する直接行動のための趣意書 (77)
 永遠の神、天皇に、その統率の下にある我々は、神国の子のそまつな見解でありながら、この不満の意を提出する。我国の本源は、なによりも、一体をなす単独国家の継続的発展の成就と、天の下の全地球の包含にある。至高の優秀さと国体の尊厳は体系的な成長と、神武天皇による国の設立以来、明治維新よる社会変革にいたる注意深い養育によるものである。いまや再び、時勢の秋に到達し、我々は広く外地領土に挑み、新たな光明へとの眼に見える進展を遂げならない。

 先の危機的時代にもかかわらず、いかがわしい不逞の徒が雨後の竹の子のごとく続出して、我々は、我利我欲にふけり、皮相な形式を許して皇位の尊厳を傷付け、すべての人々の創造的前進を阻害し、我らを怒りと悲嘆のうちに苦しませている。日本は益々と外国とのいざこざに巻き込まれ、時の潮流に押し流され、外国のあざけりの的となっている。元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は皆、指導者としてこの国体を破壊に導いてきた。

 (中略)三月事件や、えせ学者、えせ共産党員、逆賊的教団等が徒党を成して陰謀を企て、気付かれないままに、最も著しい事例を作ってきた。その悪事は血で天地をけがし、流血が義憤を表す時代に至っている。血盟団の犠牲的先進性(中略)、5・15事件の噴出、相沢中佐の刀の閃光は、彼らがなすべき理由と彼らを嘆かせた理由をまさしく物語っている。

 今のこの終末に至ってもなお、僅かな反省と忍耐のために、幾度にわたって、生き血がこの地を濡らすのか。かつての如く、ただ時を費し、あるいは、我欲と保身をむさぼっている。今や、ロシア、中国、英国、そして米国とは、一触即発状態にあり、神国を狙い、我が文化と祖先以来の遺産の破壊の寸前にある。これは火を見るより明らかなことではないか。実際、内外には深刻な危機が存在し、無能議員や無能家臣が国体を弱体化し、皇位の神聖なる輝きを曇らせ、維新を遅らせている。(中略)

 第一師団の海外移動の天皇命令を受け取った今、・・・国内情勢をかえりみらざるを得ない。・・・出来うる限り、我々と同志の精神は、宮廷の内壁を壊し、逆賊を斬首する自らの努めを果たさねばならない。我々は、単なる家臣でありながら、皇位より信頼された部下として正道を進まねばならない。たとえ、我々の行動が自らの命や名誉を害そうとも、我々にいささかの動揺もない。


 同じ悲嘆と意志を共有する我々は、この機会に決起する。逆賊を討伐し、至高の正義を正し、この聖地の子としての使命を全うし、我が全身全霊をその火に投じる。我々は大神と祖先に礼拝し、その恩恵とご援助を賜わらんことを。

 昭和十一年二月二十六日

                 蹶起趣意書(原文)
 謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣(欲)にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。

 倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にしてその滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむるは火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。

 恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず、君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。

 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。

 皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。
 昭和十一年二月二十六日


 裕仁は読み上げられる趣意を黙って聞いていた。その高揚した言葉と武士道精神の背後に、彼は、自分の戦争政策への完全な否定を見出していた。その隠された、含みをもった形式に、叛乱兵たちは、今後の外交的混迷の危険の沈静と、彼の精力を国家改造と日本の伝統である素朴な情念への献身を裕仁に請うていた。

  「口実がなんであろうと、私は不興である。彼らはこの国に泥をぬった。陸軍大臣、貴殿に、即座の鎮圧を命ずる」(78) と、裕仁は冷たく言い渡した。

 川島は、自邸を占拠した兵士たちに与えるいくらかの猶予を得ようと努めた。しかし裕仁は川島に、皇位がその趣意を聞きとったこと以外には、皇位によるいかなる同情も理解の意をも表すことを禁じた。


戒厳令初日(79)

 川島陸軍大臣が自分の苦境について考慮するために退席すると、直ちに裕仁は、軍事参議院のすべての将官と、個々に面会を始めた。彼らはその途上、陸軍の叛乱兵によって支障はうけず、また、皇位に自らの忠誠を示し助言を献することに篤い自負を抱く彼らは、全員、まだ閣僚や大将の欠席が目立ったその朝早くから、宮廷に参上してきていた。裕仁は、陸軍は彼ら「暴徒」 を鎮圧して責任を果たせと、彼らにその一点のみを強調した。もしそれができないのなら、海軍に命令を出し、それでもだめなら、自ら現地に出向く積りであった。

 天皇が、責務を負う陸軍長老らに自ら指示を与えている間、陸相公邸で指揮に当たる六名の若手将校は、要求に対する回答を待ちながら、中庭において、助言や希望を言って絶え間なくやって来る上官たちに対応していた。実際、それは信じがたいことであったが、陸相公邸や近くの陸軍省、参謀本部での業務は、叛乱兵たちがその戸口のいたるところに立って警備線を設けているにも拘わらず、順調に続けられていた。

 午前10時、片倉衷〔ただし〕少佐――満州事変当時の南陸相の甥――が川島邸に通常連絡任務でやって来た時、そうした状況の不調和が露呈した。片倉少佐は、1934年の士官学校事件を暴露する手助けを行い、その際、今度の叛乱に参加している多くの若手士官を裏切っていた。驚くまでもなく、そのうちの一人で、小冊子を作成した磯部――不名誉な退役処分となった――が、その彼の頭への一発の弾丸でそれを迎えた。片倉は、後にビルマで不運にも連合軍の捕虜となり、1944年に殺された 〔これは誤りで1991年死亡〕 が、その時は浅い傷で済み、回復した。彼の同僚の士官たちは、その負傷は当然のこととして受け取り、それ以降も、公邸に出入りする訪問者は続いた。

 正午、最後の軍事参議官が謁見をおえた時、川島陸相は、山下少将を宮中の侍従武官室から叛乱軍へと派遣し、返答を与えた。それは簡単なもので、 「天皇は諸君の意図はお聞きになった。陸軍大臣は諸君の動機の真摯なるものを認める。軍事参事会が招集され、国体の保持が決定された。」

 この通知ほどの致命的なものはなかった。血に染まった若い叛乱者は、彼らに対する天皇の、氷のような態度を感じ取った。彼らの敗北であった。もし彼らが空しく死ぬのであるなら、彼らは、最後の一人まで占拠を守り通すことを、山下に宣言するしかなかった。

 山下は宮廷へ電話した。彼は対話を続けよと言われ、部隊の増強が確約された。そしてすぐ後、顔の広い鈴木貞一大佐――天皇に近い人物として知られ――と、第一師団司令官、小藤恵大佐――時分の指揮下にある若手士官への責任を負っていた――が、交渉チームに加わった。

 交渉が、愛国的精神論に足をとられて遅々としている間に、裕仁は、国中で最高の各諮問団を招集し、その午後を彼らとの対応で過ごした。つまり、宮廷のある一室では、天皇の臨席のもとに枢密院会議が開かれ、他の一室では、ようやく宮中へと到着した内閣閣僚が集まっていた。第三の部屋では、軍事参議院が招集されており、北進派指導者の荒木や真崎が参加していた。内閣は、天皇から、岡田首相――その時はまだ押し入れの中に居た――を欠いた政府の継続について問われた。

 それは、長い午後だった。裕仁は、政府における何らかの変化は、改造への一歩であり叛乱の成果とみられかねないため、新首相の指名はしたくなかった# 2。それに、軍事参議官の責務を軽減することも、たとえ口先だけの懐柔だとしても、それを望まなかった。叛乱兵が兵営にもどった時、裕仁は建設的な政府を再開するつもりだった。従ってその時まで、何らの署名もせず、ただ不満足でいる以外、いずれの側にも立たないとの姿勢を維持した。

 # 2 岡田首相が生きているとの知らせは、憲兵がその日の午後早く裕仁に知らせたものと推定される。しかし、首相が占拠地区から脱出に成功した午後遅くになるまで、その存命の知らせは裕仁の周囲の宮廷人には知らされなかった。

 内閣は、内務大臣の後藤文夫を首相代理に選んだ。また、軍事参議院は、ついに、 「説得文」 と 「勅令」 を叛乱軍に発することに同意した。説得文は、「諸君は天皇の注意を喚起することを望み、それは達せられた。諸君の国体の顕現を望む真摯な願いは注目されている」 とのみ述べられていた。勅令は、「1935年度の国防計画にのっとり、諸君らの師団の他部隊とともに、諸君らは、東京防衛のための所定配置につくべし」 というものだった。

 一方、枢密院の御前会議では、天皇からの直接命令を出すことで、叛乱軍を解散させるのがよいのか、それとも、戒厳令を宣言し、鎮圧の責任を陸軍に与えるのがよいのかをめぐって討議された。裕仁は、自由な議論の外見を維持するための必要から、注意深く聞くのみで、何らの発言もしなかった。そこで彼は、採るべき第二の行動を起こし、簡単な便法に出た。すなわち、20ないし30分ごとに侍従武官長の本庄を呼び、あたかもニュースを聞くかのように、「陸軍は、気違いじみた叛乱兵の鎮圧に成功したかね」、と彼に尋ねた。そうしてついに枢密院は、しぶる陸軍に戒厳令を引くよう勧告することに同意したのであった。

 午後3時、第一師団は1935年度の緊急事態計画にもとづき、兵士を防衛配置につかせ、叛乱をおこした同僚兵士と切り離した。午後5時、実りのない半日の交渉の後、山下少将は、報告のために宮中にもどった。その際、三名の叛乱軍士官がその聖域内に入ろうと彼に続いたが、警備兵によって阻止されねばならなかった。

 山下の落胆する報告を聞いた後、湯浅宮内大臣は、信頼に足る家臣はすべてその夜は宮中に宿泊し、軍事参議院が先に決定した戒厳令をその真夜中より発令する、との裕仁の要求を伝えた。川島陸相はそれに従うことを確約したが、戒厳令が効果的かどうかを疑った。彼は湯浅内大臣に、次期内閣に陸軍が望む人物のリストを天皇に提示してもらえないかと要望した。湯浅はその要望を憤慨して拒否し、それを、天皇の大権の干犯であると決め付けた。川島陸相は、「狼狽した様子」 で、戒厳令本部の設置に取りかかった。大角海軍大臣が、午後6時30分、謁見を許され、暫定内閣と暫定首相を指名することで、国民の不安を解消してはどうかと嘆願した。

 天皇はこれを拒否し、 「もし陸軍がこの緊張を避けたいと望むのなら、言葉による確約をもらいたい」 と述べた。その夜、陸相公邸の五名の叛乱軍士官は、林、真崎、荒木、寺内ら、少なくとも七名の将官と対談した。こうした上級制服組の登場でも、膠着状態は打開できなかった。叛乱軍は先の要求を繰り返し、逆賊とすら呼ばないようにとつけ加えた。

 その夜、内閣は、二度にわたって解散した。最初は、午後9時、後藤代理首相が内閣総辞職を宣言した。それは、国家的な災難があった後に行われる、通例的な対応であり、天皇は、これも通例的にそれを却下したものだった。「平和と秩序が回復されるまで、むしろ真剣にその責任を果たすべきだ」、天皇は言った。

 しかし、今回はこれでは終わらなかった。天皇の前から退出した閣僚たちは、その午後をそこで議論して費やした控えの間に戻った。その朝の暗殺で怖れを抱き、また川島陸相になにがしかの同情を抱いて、各自の辞表をとりまとめた。彼らはその提出を午前1時に行った。裕仁は、それを受け入れる以外に選択はなく、それぞれの大臣に、「新内閣が組閣されるまで、政務に留まるよう」 命じた。彼は明らかに、困っていた。彼はその日、もう疲れ切っていた。

 裕仁自身の家族さえ、裕仁が危険なほど非妥協な態度をとっていることを案じていた。伏見親王と朝香親王は、皇族会議の開催を求めており、裕仁の弟、秩父親王は、彼らの肩を持ち、地方からその会議に参加するために呼び出されていた。内大臣秘書の木戸は、朝香親王と東久邇親王の立場を感じ取るため、その夕を二人とともに過ごし、彼らの忠誠を再確認して報告した。

 しかし裕仁は、再確認を受け入れる雰囲気ではなかった。彼は、その朝から着ているしわくしゃとなった軍服をまだ着けており、午前2時少し前、内閣から出された辞表を読むために座った。午前2時、彼は侍従武官長の本庄に電話し、寝床にいる彼を起こした。「川島陸相は辞表を出し、他の閣僚も同じだ。彼は、誰も同じ責任を負うと考えているのかね。そんな感覚で、陸相が務まるとは思えん。」

 本庄は、 「殿下はその後で、格子戸を通り、ご自分の寝室へ入られたのだと思います」 と、裕仁との電話を切ったのち、日記に記入した。


二日目(80)

 2月27日の夜が明けた、決起二日目、雪はやんだものの、寒さは続いていた。戒厳令はその未明、2時50分に公布された。午前5時、侍従武官長本庄は、伏見親王の私的訪問によって、宮中の間に合わせの寝具の中で、寝たりぬ目を覚まさせられた。伏見は本庄に、若手士官たちが夜中、伏見邸を訪れ、叛乱を解決する条件として内大臣の地位を求めてきたと報告した。むろん本庄は、それに言質は与えなかった。午前7時、裕仁の叔父、朝香親王は、裕仁の弟の高松親王を海軍士官学校に訪ね、裕仁が新内閣を早急に指名するよう、彼の後押しを求めた。だが高松はそれを辞退した。

 宮中では、侍従たちの控室が、まるで難民収容所の様相をていしていた。高齢の閣僚、将官、親王、侯爵らが寝巻姿で朝飯や茶をとり、寝心地の悪かった一夜の後、それぞれの会話を交わしていた。皇居の門外では、叛乱軍の歩哨が、雪の中を行き来していた。地下鉄〔「省線」 のことか〕の 「中央線」 は、運行を停止していた。ビジネス街や東京南部の港湾地区に通う通勤人たちは、皇居周辺の占拠地区を避けるため、何度も乗りかえを強いられていた。裕仁は遅くまで眠っていた。いつものオートミールと玉子のたっぷりな朝食の後、彼が机には向かったのは、8時と9時の間であった。

 侍従武官長の本庄は、天皇に朝の挨拶をしに行った際、彼の率直なほとばしる意気に圧倒された。 「もし、叛乱の暴徒たちが、陸軍最高司令官の命令にただちに従わないならば、私は自ら、彼らのところに出かけるつもりだ。」

 それに答えて本庄は言った。 「直接行動部隊の士官は、天皇の部隊に勝手に命令し勝手に出動を命じました。それは、天皇の統帥権を犯すことです。当然、それは許されざることですが、彼らを行動させている精神は考慮に値するものです。彼らは完璧に愛国的確信と国民に成り代わる思想によって行動しております。彼らの心には、陛下を強要しようとが、陛下の力を悪用しようとかと考える積りは毛頭ありません。」

 しばらくした後、裕仁は本庄を呼んで言った。 「彼らは私の右手である家臣たちを殺した。そうした凶暴なる士官には、いかなる心的動機があろうとも、微塵の弁明もありえない。私の最も信頼しうる家臣を倒すことは、真綿をもって私の首を絞めるに等しい勇気だ。」(81)

 本庄は答えた。 「老いた家臣を殺したり傷つけたりすることは、最悪の犯罪であることは言うまでもありません。しかし、彼らは混乱し誤解はしているものの、国のために行っているものと信じております。それが彼らの信念であります。」

  本庄は日記にこう記している。 「私はこう、いろいろ違った方法で陛下に申し上げた。」

 裕仁は、 「侍従長、そなたは、彼らの行動が、単に、私利私欲によるものだということが認められないのかね」、 と首をふりながら言った。

 本庄は、ふさわしい返答ができぬまま、日記にこう書きとめている。 「この日はまた、陛下はたいへん昂ぶっておいでで、行動部隊を鎮圧する陸軍の努力は、どこにも見られぬと言われた。そして私に言われた。『朕# 8は、近衛師団に命令を出し、自ら、叛乱部隊を鎮圧する』」(82)。

 # 8  「朕」 とは、中国のかっての皇帝が用いた 「我々」。この表意文字は、天の耳に話しかける月を表している。(83) 〔この説明はあやしさは脚注のように著者も気付いている。 「朕」 については、翻訳の他の個所ではあえてこの用語は用いず、 「私」 で通している。〕

 その日は丸一日、国民は緊迫にさらされた。そのさ中、裕仁は執拗に、少なくとも13回は本庄を呼びつけ、陸軍が行動を開始したかどうかを尋ねた。川島陸相と老将官のほぼ全員は、皇居から数地区北にある憲兵隊本部に、戒厳令司令部を設置する準備に追われていた。午前10時30分、近衛師団が叛乱軍占拠区画の北西角に、向かい合って陣取った。また、第一師団の忠誠を維持している部隊が、その南西および南東地区に配置された。占拠区画の北東部は、皇居のお堀でさえぎられていた。その日の午後、叛乱軍は皇族会館に押し入り、居合わせた人たちを片っぱしから取調べ、16人の侯爵、伯爵、子爵、男爵たちをひとまとめにして、その夕刻まで、拳銃を突きつけていた。

 西園寺のスパイ秘書の原田は、叛乱軍の警戒線を突破して潜入し、拘束されている皇族の幾人かと接触したが、その帰路、彼の顔を知る叛乱軍士官に阻止された。その士官は後にこう証言している。「もし彼が怖がっている様子を表わさず、あるいは、嘘をついて逃亡を図ったならば、自分は彼を殺しただろう。しかし、彼は、警告するだけで見逃してほしいと、いかにもか細い声で話していた。」(84)

 午後、事が沈静すると、誰もが、裕仁の弟で叛乱軍指導者たちの友人である、秩父親王が東京に到着するのを待ち受けた。秩父親王は、その夜に予定されていた皇族会議で、裕仁に何かを言ってくれるものと期待されていた。内大臣秘書の木戸は、ほぼ丸一日を費やして、朝香、東久邇両親王と 「打開策」 について話し合った。午後5時17分、秩父親王の列車が上野に着いた時、叛乱軍もしくは陸軍が親王を誘拐するとの噂があったため、彼は侍従や警察の厳重な警護で迎えられた。そして彼の車列は、およそ4マイル〔6.4km〕の市街を、サイレンを鳴らしてフルスピードで走り抜け、30分で皇居に到着した。彼は直ちに天皇に謁見し、天皇、皇后との内輪の夕食をとった。

 午後7時頃、彼らに他の親王たちが合流して、皇族会議が開催された# 4。侍従たちの話によれば、発言は申し合わされたもので、その雰囲気は上品なものであった。裕仁は、各々の親王に次々に質問をあたえ、用意された短い見解表示――中国をはじめとする様々な時事、長期軍事計画、そして国政改造など――に耳を貸した。しかし、その主要な懸念は、新内閣が早期に組閣されず、陸軍とともに譲歩が打ち出されなければ、叛乱軍の勢いが地方に広がらないかということだった。裕仁は親族に礼を述べ、そうした諸意見について検討することを約束し、午後8時30分、さしたる盛り上がりもないまま、会議は散会した。その後、秩父親王は大兄の木戸と、およそ30分間、話し合った。(85)

 # 4 皇室典範によると、 「皇族は天皇の配下にあり」、皇族会議は、 「成年に達した男子皇族によって構成される」 とある。加えて、天皇は、外部の立会者、ことに、内大臣、宮内大臣、法務大臣、最高裁長官の出席を求めることが予定されている。1936年段階では、16親王がその資格を有していた。そのうち、6名が「親王」、10名が「王」であった。6名の親王とは、裕仁の3兄弟に、皇族選挙によって親王となる、次直系の家族の3名の王子――陸軍参謀総長の閑院親王、海軍軍令総長の伏見親王、そして、1934年にヒットラーに会った狂信的な賀陽親王――を加えた面々であった。この2月27日の皇族会議に参加した親王たちは、弟の秩父、弟の高松、従兄の伏見、(全員が親王)、そして、叔父の東久邇、叔父の朝香、従兄の梨本、そして、閑院親王の息子の春仁〔はるひと〕(全員が王)であった。(86)

 その皇族会議は、二つの結果をもたらした。そのひとつは、小田原の別荘で意気消沈していた陸軍参謀長の閑院親王が東京に呼ばれ、 「たとえ都合が悪くとも」、天皇の背後に着くことを求められたことだった。翌日、閑院はそれに従ったが、どうしたことか、それから一週間、彼の君主とは会わせてもらえなかった。第二は、会議の夜、秩父親王が、友人で叛乱軍の最高の地位にある、野中大尉あての私信を書き、彼の部隊の撤退を懇請したことだった。野中は、一日考えた末、自分の口に拳銃をくわえて引金を引くという返答を行った(87)。侍従らは、親王たちが自分と叛乱軍下士官たちとの交友や交際関係がゆえに狼狽させられていながら、それでもそうした紛糾の中で、裕仁の側についているのを見て安堵していた。秩父親王は、午後9時10分、警察の護衛とともに宮廷を後にした。

 翌朝、裕仁は、皇族会議についての見解を、宮廷の公式記録とするため、大兄の木戸――賞勲局長――に次のように報告した。 「高松宮が最も良ろしい。秩父宮は、5・15事件の時以来、大きく成長した。梨本宮は、〔この叛乱軍に〕私の恩赦を求めた時、涙を浮かべていた。私は彼を立派だと思う。春仁〔閑院の息子〕は気品がある。朝香親王は、正義の個人にとっての意味と、皇位の大義におけるその位置をのべたが、過激思想の影響を受けており、欠点がある。東久邇親王については、いい感覚を見せていた。」(88)

 裕仁は、一族の模範を示す者として、東久邇親王の最近の恐喝事件と宗教詐欺に関する警察文書を読むことを求められていた。だが天皇は、自分の親族を、通常の日本人の道徳観によってではなく、いかに忠義であるかどうかという基準で判断した。平穏な皇族会議で彼は、自分の親族にただならぬ支配力を証明して見せたのであった。

 会議が解散してしばらくして、真崎、阿部、西の将官たちは、陸相公邸におもむき、その一階で指揮をとる五人の叛乱軍士官に、望みを捨てて天皇の意志に従えと告げた。もし、彼らがそれに従わない場合、北進派の指導者真崎は、彼らを鎮圧するため、自ら特派部隊を指揮せねばならぬと宣告した。疲労し、悲嘆にくれた若き兵士たちは降伏に合意した。午後11時30分、三将官は、近衛師団と第一師団の歩哨に、その夜、叛乱軍占拠地区から脱出しようとする一般兵士には寛大であるようにと命令を出したと、宮廷に報告した。

 しかし、それで事が終わったわけではなかった。叛乱軍は、あらゆる機会を通じて、東京郊外の隠れ家にいる急進的北進派理論家北一輝と、無線連絡を取り続けていた。職業革命家としてのそれまでの長い経歴の中で、北は、クーデタの策謀への表立った参加は避けてきていた。しかし今回は、彼はもう深く関わり、もし叛乱が失敗した場合、処刑される恐れがあった。それまでの二日間、彼は無線機に付きっきりで、その度ごとに叛乱軍を勇気付け、政治的駆け引きの助言を与え、また、霊媒の力をもつとの評判のある妻によるお告げを伝えていた。

 その2月27日の夜、三将官が陸相公邸を引き上げた後のほぼ深夜、北は二人の叛乱士官と話し、まだあきらめてはならず、宮廷への圧力は高まっている。しかし、もしすべてが裏目に出た場合、彼らには審判なしの略式の死刑が科されるだろうと告げた。そして北は、その若手士官たちに、妻が見た夢の話を付けくわえた。それは、貧困のない極楽浄土で若手士官たちが勝利を祝い会っていた。叛乱軍はそれに聞き入り、それに賛同した。

第三日(89)

 決起二日目の2月28日は、再び、曇天だった。侍従武官長の本庄は、午前7時、反乱事件の核心が変化したことを知らされた。すなわち、反乱軍は鎮圧されなければならぬ、というものとなった。ということは、本庄の娘婿、山口一太郎大尉が、いまや明白な反逆者と化した者たちに援助の手を貸したということで、刑務所送りとなることであった。それはまた、本庄自身の長年の忠義の経歴が恥辱にまみれるということでもあった。後に、彼の知人たちが語った話によれば、彼はその日一日で、一挙に、十年以上も年老いたということだった(90)。

 午前11時頃、山口は戒厳令本部へ行き、叛乱軍を武力鎮圧する発令に対し、ほとんど一時間もかけて、それに反対する演説を行った。将官たちは、それに完全な同情をもって聞き入ったが、何も発言はしなかった。正午前、戒厳令参謀の石原莞爾大佐――満州作戦を立てた頭脳明晰な〔日蓮宗〕信者で、以来、対中和平を唱導してきた――は、長い会議机の端から立ちあがって言った。「我々は、出来る限り速やかに、鎮圧せねばならぬ」(91)。 そして彼は部屋を出て、外の使いに、発令書を配達するよう命じた。

 第一および近衛師団は、一団となって鎮圧にあたり、叛乱軍のバリケードを爆破する計画に入った。叛乱軍士官は、 「降伏せよ、さもなくば鎮圧される」とのラジオ放送を聞いた。それに対し、叛乱軍は、 「皇意を過させる機関説論者によって成された命令には従えぬ」 と返答した(92)。

 この段階では、秩父親王の伝言が野中大尉に伝えられ、また、山下少将が妥協に持ちこむ最終案を持っていたため、包囲する鎮圧軍には、 「待機」 と命令されていた。バリケード内での交渉の後、山下は川島陸相を伴って、午後一時、宮中の侍従武官室に戻った。そして山下は本庄侍従武官長に、叛乱軍士官からの誓約――それが作法に則ったものであると天皇に伝える勅使の立会のもとで、全員が自決する――を伝えた。本庄は直ちにその提案を裕仁に報告した。

  「もし彼らが自殺したいのなら、勝手にさせなさい。そうした物たちに宮廷から立会人を送るのは、ともあれ、ありえないこと」、と裕仁は言った。

 本庄は、自分の娘婿が士官を勤める第一師団は、以前の同僚に対して行動をしかけるのを嫌がっています、と哀れっぽく訴えた。

 裕仁は声に鋭利さを込めて言った。 「もし第一師団の司令官が有効に行動できると考えないのなら、彼は自分の責任が何かが解っていないことだ」。

 本庄は 「陛下に、そのような厳しさと怒りを見たのはかってなかった」 と目を見張らされていた。陸軍の指導者たちは、自決提案への裕仁の拒絶に唖然とさせられていた。娘婿の山口は、悲嘆と不可解の中で本庄に電話し、再度、天皇に働きかけてもらうよう懇願した。本庄は山口に、天皇はすでにいかなる曖昧さも含まない決断をし、さらに表すものは何もないだろう、と説明した。それでも、なおも働きかけを求める娘婿に、本庄は、悲しげにその電話を切った。(93)

 午後3時、無頓着な参謀次長の杉山――その表情は 「まるで湯殿の扉のようにぼやけていて」 ――は、裕仁に謁見を求め、さらなる説明を願い出た。誤解があると彼は言い、叛乱者は、自分たちの自決に勅使の立会いを求めているのではない。ただ、ある家臣が、彼らの遺体を見届け、陛下に、決まり正しく腹切りの儀式を果たしているかを報告してほしいのみである。裕仁は、怒りを再燃させて、その新たな面子作り措置を見捨てた。この報が知らされた時、叛乱軍のある士官は、「しかし、飛行機事故ですら、陛下には報告されるだろうに」、と嘆きながら言った。

 杉山参謀次長が天皇のもとに戻り、ほぼ一時間を要して、天皇をもっと慈悲深くさせようと、あらゆる手練手管の努力を行った。そして最後には、廊下に身を横たえ、天皇に、自分を踏みつけてもらいたいとすら訴えた。天皇はただ、彼をまたいで通り過ぎ、隣室で待ちうけている次の用件に取り掛かった。午後4時30分、結局、杉山と戒厳令軍# 5司令官、香椎浩平〔かしい こうへい〕中将は、その日の鎮圧行動はすでに遅すぎ、翌朝、一番に第一行動がとられると天皇に確約した。だが裕仁はそれを素っ気なく却下し、本庄侍従武官長を呼び、陸軍指導層のおしなべての不服従を非難した。

 # 5 少なくとも23,491の兵卒と350の将官が、1,483の叛乱軍に対し集結していた。

 裕仁は、 「陸軍は天皇に属すという話もあるが、陸軍は事件の重要さを意図的に回避しているとの話もある」、と言った。

 それに本庄は、 「軍事政府を樹立しようとの意図のもとで、目下、陸軍は陛下のご意思に従うことを回避していると、この数時間、人々は申しております。こうした声は天皇の陸軍を極めて侮辱し、事件を速やかかつ平和裏に解決しようとしている陸軍の真摯な努力を無視するものです」 と返答した。本庄は後に、日記に次のように記している。

 私は陛下に、陸軍に対する世論の誤解は、聞くに堪えられぬほどに厳しい、と申し上げた。そう言いながら、感情を押さえることができず、悲嘆にくれてしまい、話すこともままならなかった。陛下は一言もおっしゃらず、部屋を出ていかれた。

 ひと時して、陛下は私を呼び、おっしゃられた。 「侍従武官長、陸軍に対するふとどきな非難が高じ、そちはそのように涙して、その理由を示してくれた。だが、もしこの事件がすみやかに解決されねば、よろしくない事態が起こる。すでに三日が過ぎ、政府の地位は揺らいだままだ。外国為替はほぼ停止し、銀行取引がそうなるのも近い。政情不安は首都以外にも広がり、叛乱の危険もある。第一師団の忠誠部隊も、我が部下を殺し、長老たちに野蛮な行いをした同志たちと合流するやも知れぬ。ゆえに私は貴殿、侍従武官長に、自身の異論と感情を軍事参議院で表明するよう許可を与え、状況を直ちに解決するように求める。」

 本庄は、軍事問題に関し、すべての天皇の見解に成り代わる公的責任を負う立場にあった。過去において、この両者の間に見解の違いがあった時、裕仁がその老将をなだめたり、自分が譲歩したりしてその違いを埋めてきた。だが今や、裕仁は特別に、その本庄をそうした責任から解き、〔軍事参議院にのぞみ〕その彼の異論を公式記録に残させようと求めていた。そして同時に裕仁は、本庄に厚く信頼をおいており、腹心としての任務から解こうとしていたのであった。

 (本庄の日記によると) その求めに従い、私は軍事参議院に、代表者を私の部屋によこすようにと求めた。北進派の荒木大将がやってきたので、私は彼に、一方で自分自身の心情と、他方で、天皇のご意志を伝えた。すると荒木大将はこう言った。 「これまで、天皇の命令は、軍事作戦を除き、有無を言わせぬものであると心得ておりました。」

 59歳の荒木、60歳の本庄の二人の大将は、たがいに物悲しく見つめ合った。二人は、1989年に陸軍士官学校を卒業した同期生であり、それ以来、参謀本部において、さまざまの任務を共に果たしてきていた。二人は、過去において裕仁が、異なる意見の助言者の間から選んできたのを知っていた。また二人は、裕仁が、自分が欲する行動を提案している助言者を見つけるために、自分の道を外すことも知っていた。しかし裕仁は、それまでに決して、軍事参議院の助言を無視したことはなかった。だが今や、その35歳の現人神は、菊の御簾の内から出現し、専制的責任の全てを負おうとしていた。その二人の年長の大将は、互いに軽く礼をした後、その皇意に頭を下げた。その後、陸軍のすべての長老は、あたかも自らの責任はないかのように行動し、ただ、他の者に追随するようになった。それは歴史的瞬間であり、その二人の大将は、まゆをわずかに動かす以上の食い違いもなく、それを認めたのであった。

 軍事参議院は、裕仁を危険な地位にさらすことから予防するための一つの努力を行った。午後7時30分、一組の代表団――荒木陸相、前陸相の林大将、そして参謀次長の杉山中将ら――は、小田原からの列車で着いた閑院親王と会い、裕仁の考えを変えるよう彼に説得してもらおうと試みた。閑院親王はそれを断り、自邸へと引き上げていった。陸軍長老からなる代表団は戒厳令本部へおもむき、そこで将校との会議を開き、状況を説明し、「陸軍の軍紀を破壊する武力制圧は、いかなる犠牲を払ってでも避けねばならない」 という意見を共有することに努めた。

 戒厳令軍参謀、石原莞爾大佐――満州作戦立案者――は、正午以降、自分の発した命令が遮られていることを見ていた。その意図は理解されておらず、石原はそこで立ち上って、その代表団を率いる荒木大将を凝視し、そして言い放った。「これは統帥権の干犯である。貴殿の名前と階級を名乗られたい。」

  「貴様は私が荒木大将とよく心得ておろう。貴様は上官に無礼を働こうとするのか。口を慎め。」

 それに石原は、 「できませぬ。皇軍を皇位に対して用いることは、断じて許さざることであり、常識を越え、軍紀どころの問題ではありません。貴殿は自ら大将と称されるが、日本にそうした愚かな大将がおられるとは、信じがたい」、と応じた。(94)

 この信義厚い憤激の表出がゆえ、石原は、数ヶ月後の大粛軍において、陸軍内に留まり得た。その後石原は、 「最後の北進論者」 と認識されるようになった。彼がつかつかと指令室から出て行った後、荒木やその他の大将たちは、翌朝に計画されている鎮圧行動を阻止する何の手だてもなかった。しかし、彼らは香椎戒厳令司令官に、武力によらず、叛乱軍を出来る限り説得するようにと説いた。その夜を通じ、ラジオ放送や叛乱軍の周囲を走るトラックが、「降伏か、さもなくば鎮圧化」 と繰り返した。上空を飛ぶ爆撃機からは、下士官や兵卒は恩赦されると書いたビラが投下された。夜明けには、叛乱軍に、妻や子供たちのために降伏せよ、と示したアドバルーンが上げられた。

 その夜、山口大佐――本庄侍従武官長の娘婿――は、憲兵により大逆罪の嫌疑で逮捕された。


裕仁による解決 (95)

 翌2月29日、蹶起3日目の朝、第一師団の部隊は、叛乱軍の境界線の無防備な部分を通って移動し、予想される戦闘地区から民間人を非難させ始めた。また、叛乱軍側は、しだいに占拠地区の主要拠点へと集結した。午前9時、香椎〔かしい〕戒厳令司令官は、ラジオを通じて国民にこう通告した。 「若手士官たちは遂に、叛乱者と見なされる事態に至った」。午前10時、部隊と鉄条網によって彼らは閉じ込められ、動揺した叛乱軍兵卒が、二人、三人と、彼らの占拠地点の回りの雪の積もった芝生や広場を横切り、脱出を始めた。正午、秩父親王の友人の野中大尉は自殺した(96)。2時過ぎ、すべての部隊が降伏し、憲兵隊によって拘留された。

 裕仁は、最後の最後まで、疑念を頑固にも解こうとはしなかった。朝8時30分、陸軍の行動開始が最初に明らかになった時、内大臣の木戸は、裕仁に、「新内閣を指名して、国民を安心させては」 と助言した。だが裕仁は、 「制圧が完了するまで待ちたい」 と返答した。そして、制圧が終わった時、彼はそれでも満足していなかった。午後2時、彼は、興津に公式の使者を出すのではなく、電話でもって、西園寺親王に従来の要請――上京して首相を奏薦――を行った。腰痛を理由に、西園寺は、上京するまでに少しの時間が欲しいと返答した。午後4時、裕仁は西園寺に再び連絡し、組閣は緊急に必要で、出来るだけ早く上京するようにと告げた。

 西園寺が気持ちを整理している間に、一日が過ぎて3月1日を迎えた。この日は日曜で、東京はこの日曜ばかりは、、西洋伝来の休日を楽しんだのみならず、本当に疲労回復と休養の一日となっていた。だが、裕仁は例外だった。彼は朝早くに起床し、軍服を着け、夕方遅くまで机に向かっていた(97)。それは、その先の数週間に自分に課すつもりの日課だった。彼は毎日一時間の運動を断念し、3月18日には、主要家臣の代表がやってきて、掛け替えのない身体に配慮するように懇願しても、なおも格別な注意は払わなかった。裕仁は、最後の兵が降伏するまで容赦なく攻め立てない限り勝利は危うい、という軍事的金言をそのまま実行していた。

 3月2日、老公西園寺が東京に到着した時、裕仁の大兄たちが整えていた段取りは、ジュリアス・シーザーよろしく、彼らの指導者、近衛親王に、最初は首相の座、次に内大臣の座への就任を、それぞれ拒否するよう準備したものであった。それは、いざ中国との戦争が開始された時、その首相を近衛にする準備としての、手の込んだ芝居だった。近衛はそれまでいかなる公職にも着いたことはなく、ただ貴族院の指導者としてのみ知られていた。つまり国民には、彼が首相にふさわしい器であるとの考えが浸透する必要があった。そして、従順な人々は彼を受け入れたかも知れなかったが、陸軍が厳しい粛軍に面している時、彼はそれを受諾するわけにはいかなかった。だが、このことは、戦争中、彼の陸軍に対する指導性を弱めることにもなった。

 西園寺は、近衛の首相受入れの不誠実を明らかにさせようと努めた。近衛が各方面の有力政治家から推されているのを知って、西園寺は近衛と会い、彼がその気でないことを知った。新聞報道では、近衛の奥ゆかしさと称賛されたが、西園寺は近衛の辞退をよそに、それでも公式に彼を天皇に推薦した。裕仁は自ら、近衛の健康が充分でないとして拒否することで、前例をくつがえした。だが西園寺は、なおも自分の推薦を繰り返して主張したため、裕仁は慣行上やむをえず、3月4日、近衛を呼んで組閣を求めた。

 天皇との謁見を終えた近衛は、内大臣秘書の木戸に、 「まったく困っている」 と打ち明けた。一晩たった翌日、近衛は西園寺に再び会い、容赦を求めた。彼はその時、自分の医者の診断書を持参していた。それは、少なくともあと三ヶ月、その健康は職務を成し遂げ得るものではない、と述べていた。三ヶ月後とは、陸軍の粛正が完了する時だった。

 そこで西園寺は、近衛はこの危機の時にあっても、政府を引き受けるという天皇の命に従うことを拒否したと公表し、自分を後継する血縁者の経歴を台無しにすることも、不可能ではなかった。だが、長い議論の後、そうする代りに、西園寺は態度を和らげた。彼は、国のためとはいえ、自らの健康を犠牲にできない大政治家の苦しい立場を見たと、新聞記者に語った。そうする一方で、彼は謁見室に戻り、実に困惑させられることですが、自分の推薦を変えなければならないと報告した。そうして今度は、裕仁の側近集団のより下位の中年者、広田弘毅外務大臣を推薦した# 6。

 # 6 生え抜き外交官の広田は、地下組織の首領、頭山の手下としてその経歴を始めた。1921年に近衛親王と知己の関係となり、黒龍会の内部より、彼の情報提供者の一人となった。

 広田は、3月5日、裕仁より内閣を組閣するよう命じられたが、3月9日になるまでその職は与えられなかった。というのは、その4日間、軍および政界は、内閣の政治、人事の両面について、それぞれに無理な要求を突き付けていたからだった# 7。「広田の困難」、「政府を組めない日本」と、新聞の見出しを埋めている間に、裕仁は自らの強固な外交諸政策を押し通した。

 # 7 陸軍の強要で、牧野伯爵の娘婿、吉田茂――1946年から1954年の間、5度にわたって首相をつとめる――は、警察を管轄する内務大臣の地位より下ろされた。

 3月4日、裕仁臨席のもとでの枢密院は、叛乱軍の若手士官を非公開の軍法会議にかけることと決めた。ということは、その上告はできず、その刑の執行も直ちになされるということを意味していた。3月2日、陸軍の各大将は、「最近の許し難い事件」 の遺憾の意を皇位に表わすため、その全員が職を辞任した。3月6日、裕仁はその大量辞任を受入れた。それは、単なる形だけのものではなく、4月23日付をもって実行されるものであった。さらに、裕仁は三名の軍規上の例外を残すという規定上のきまぐれを認めた。すなわち、粛軍派指導者、寺内大将とその同僚である西大将および植田大将は辞任しなかった。その寺内は陸相となり、西は教育総監に、そして植田は関東軍司令官となった。

 宮廷の廊下を満たした抗議の声と小走りする足音が静まった時、自身の義務的退職を前に面子を失った苦痛な二週間を待たされていた侍従武官長の本庄は、その例外は「天皇の大権の行使」 とその日記に記している。同様な流れで、3月9日、裕仁は、軍事参議院と陸軍最高司令官のメンバー、閑院元帥、朝香中将、東久邇中将は辞職する必要がないとの措置をとった。

 3月9日、広田内閣がようやくに組織を固め、機能を成し始めた時、裕仁は国威の統一に専念し、朝から真夜中まで、反対派に対し、非機関説に立った教育をほどこした。そして彼は、国事文書の公式署名を、「大日本帝国大権」 から 「大日本帝国神聖天皇」 へと改めた# 8。彼は、その叛乱に加担した4連隊の廃止を考えていたが、天皇への忠誠に対する雅量を見せるため、連隊旗を残し、一部の部隊を維持することは認めた。

 # 8 それは、裕仁が一月末から考えてきた進展だった。

 それと同時に、裕仁は、国防のための新たな徴兵計画を案として承認した。それは、四つの部門からなるもので、その国防体制下にはさまざまな部署が設けられていた。その四部門とは、@ 「憲法条項に従い」 国会に図られる財務部門、A内閣に報告される戦略と総合計画部門、B首相に報告される動員および人事部門、そしてC天皇と少数の参謀将官のみが関与する詳細作戦部門であった。そしてこの1936年3月に組織された専門部署のひとつが、北京近郊での夜間作戦計画で、これは中国との全面戦争への口火となるもので、また16ヶ月後には実際にそうなった計画であった。

 この新国防計画の発足は、対中国戦に備えるというより、国の総合的戦力を構築するために寄与するものだった。日本は、中国戦に勝たねばならないだけでなく、西洋諸国からの介入を阻止せねばならなかった。広田内閣は、すでにその当時「準戦時経済」 として知られた統制計画を打ち立てていた。そして軍事支出はその後の12ヶ月間に三倍以上に膨れ上がった。赤字予算――叛乱で暗殺された賢明蔵相、高橋によって最低限に抑えられてきた――は、いまや時代の要請となっていた。工場の生産割り当てから為替交換まで、経済のあらゆる部門は、安易なお金の増刷と政府の厳しい統制に隷属するものとなった。

 これと同時に、陸軍の規模を17師団から24師団へと拡大するため、詳細な秘密措置がこうじられた。新設された7師団は、予備役から徴用された。対中国戦が開始される先立つ数週間のうちに、余りに手際よく、供給物資、将校、そして再訓練施設が用意されたので、そうした新師団は、一夜にして戦闘準備を整えることができた。こうして、もし公式記録をそのままに信用するならば、第114師団は1937年10月に創設され、ひと月も経たないうちに、中国内にあって、南京にむけて進軍していた。(98)

 陸軍の総体規模の41パーセントにもなるこの劇的な拡大が計画されている間、叛乱に憤慨していた裕仁は、それを指揮した士官の容赦のない粛清を命令し、それにより、その後の二年間、訓練将校に深刻な不足をもたらすほどであった。だが、その粛軍の必要に疑いはなく、また、3月3日の閑院親王と西園寺のスパイ秘書原田との会話に如実に語られているように、「過日の暴動に喚起されなければ進められなかったように――即ち、それが誰であれ、自らの内の臭いものにはふたをせよとの傾向の除去について――、我々には、陸軍の粛清を、容赦無き水準まで、徹底して成し遂げることが求められている。」(99)

 大掃除という誰も嫌がる仕事を担ったのは、粛軍派の寺内新陸軍大臣であった。1936年の3月から8月の間に、陸軍の八千人余りの士官のうち、二千人をお払い箱にした(100)。北進派の拠点部隊とともに、陸軍の戦略的頭脳の優秀な半数が、ほぼ一掃された。この粛清は軍の上層部にもっとも打撃を与えたが、その見返りに、新しく若い人材に昇進の道を開く結果となった。

 この天皇の専制的対処の後に不可避的に噴き出した憤慨や新たな政軍連携に対して、大兄たちの11人クラブはひとつの策を編み出した。それは、裕仁がふさわしいと判断できない内閣には彼が拒否権を持ち、また、その件に一切の形跡も残さないでそれが秘密のうちになされるというものだった。どの内閣も、陸軍および海軍大臣を含めなければならなかった。1913年に改定された法律は、現役および予備役の陸・海両軍大将の中から、その両大臣を選ぶことができた。ところが、現役将校のみが天皇の命令による拘束をうけたので、理論的には、西園寺が推薦する首相候補者には、天皇の許可を受けなくとも、閣僚大臣の一人を指名することができた。天皇は、当然に、そうした内閣の承認を拒否することはできたが、それは儀礼慣行にそうものではなく、彼の偏狭性を見せることにもなりかねなかった。5月初め、枢密院は、天皇臨席のもとで、陸海軍大臣は現役軍人のみに限るという法律改正を広田内閣に推奨した。

内閣はその改正に同意し、裕仁は直ちにそれに署名して改正法が成立した。5月18日、その改正は既成事実となり、ただそれがいつ発効するかのみが報道界と世間に知らされた。裕仁と宮廷内部集団は、その発効日議論を、望ましくない内閣の組閣を阻止したり、独自に〔宮廷の意にそわない〕目的を進める内閣をつまづかせるための常套手段とした。かくして 「軍」 という正体不明の怪物が跋扈をはじめ、恐怖をいだき、敬虔で、タブーを避ける国民は、そうした――叛乱以降、裕仁が名実ともに軍の最高司令官となった――現実にしだいに無知であるようになった。# 9

 # 9 1913年から1936年の23年間に、そうした選任は可能であったにも拘わらず、予備役軍人から両軍大臣が選ばれた事例はなかった。しかし、1944年、厳密には違法でありながら、裕仁は、ただ海軍人事部を呼び、米内という名を現役名簿に復活させるだけで、予備役の海軍大臣を生みだした。

 そうした重大な改変が日本の構造に加えられている一方、2・26事件の主唱者たちは、沈黙のうちに姿を消しつつあった。本庄侍従武官長は、最初、寺内陸相によってその職にとどまるよう勧められていた。3月8日、陸相は本庄に、「私こそ、多くの問題をかかえる地位におります。どうか辞職はなさらんでもらいたい」 と留意を勧めた。

 しかし3月16日、本庄は日記にこう記している。 「寺内が来て、娘婿の山口の罪状についての詳しい情報をくれ、心配していると言ってくれた。・・・その日、山口の家族が私の家に引っ越してきた。彼らの家具は、山口の実家にあずけた。娘とその子供たちを私のところで暮らさせたい、というのがその実家からの要望だった。」

 翌日の3月17日、本庄は皇位に自分の辞任の意志を伝えた。 「陛下は 『どの程度、そちの家族は関与したのか』と聞かれた。私は、 『どの程度は存じませぬが、目下お状況において、優先事項は陸軍の粛正であり、もし事例を示さねばないらならば、辞任する責任を感じます』とお答えした。陛下は、『それはそうであろう。よく考えておく』 と答えられた。」

 3月28日までに、その辞任は受理された。本庄には、お金、美術品、自身の机上の一対の文珍などが贈られた。 「これらを貴殿に贈りたい。私が長く使ったものなので」と天皇は言った。皇太后は、プラチナのカフスボタン、鮮魚、そして、彼女がこしらえたお餅を贈った。4月22日、本庄は、南大将――満州事変時、本庄が仕えた陸相――と伴に、予備軍に着くことを命じられた。

  「愛着の情を禁じえない」 と彼は記した。

 他の被疑者は、はるかに厳しく扱われた。無骨だが誠実な北進派の二番手指導者の真崎大将は、一年半にわたり、憲兵によって拘束された。1936年の最後の週、あくまでも罪状を認めぬ彼は、一ヶ月のハンストを行い、その最後には、水さえ拒否した(101)。病院に担ぎ込まれ、薬品の効果で健康を回復させられた彼は、結局、友人の荒木大将――北進派の一番の指導者――が 「歴史上もっとも長文の法文書」と言う判決をもって、無罪放免となった。その文書は、真崎の大逆罪へのすべての関わりを克明に指摘し、取って付けたような主文により、無罪を判決していた。彼の赦免は、近衛親王の努力――分派主義の傷を癒し、戦争に備える国民的一致を作ろうとする――が大きく寄与していた(102)。

 山下少将――宮廷のために北進派の兵卒をスパイし、若手士官の叛乱にはどっちつかずの態度を示した――は、朝鮮軍の旅団司令官に再任命された。それまでの数ヶ月間、彼は、宮廷からの指示を余りに広く解釈し、叛乱を煽り過ぎたためにその沈静化を難しくさせてしまったのではないかと案じていた。彼の妻によれば、彼は落胆し、民間の仕事を探し始めていたという。そして1936年12月、彼の宮廷での接点であった元侍従武官の川岸文三郎が、彼の上司の司令官として朝鮮に赴任してきた。川岸はその際、天皇からの感謝と激励の文書を持参していた。それを読んだ後、山下は大いに元気付けられた。そして彼はしだいに裕仁からの信頼を得るようになり、1942年には、帝国のためにマレーを征服することとなる。(103)

 叛乱に加わった若手士官は、銃殺刑に処せられた。相沢中佐――一番烏永田を暗殺した――は、叛乱後は閉廷されていた軍法会議に戻され、5月7日、死刑の判決が下り、6月3日、執行された。9日後、生き残っていた叛乱軍の19人の士官のうちの13人が、相沢に続いて銃殺された。彼らは全員、法廷でその意志と意義の申し立てをしたいと希望していた。だが彼らは、開廷の一時間前、軍法会議法務士官より、それが完全非公開で開かれるのを知らされた(104)。

 彼らのほとんどは、その死の直前、天皇に 「万歳」 ――天皇の永久の命を祈る――を献上した。うち何人かは、失望させられた友人、秩父親王に、せせら笑う万歳を加えた。「自分の遺体は貴殿にお任せします」 と言い残した者もいた。ある一人は、 「自分はそうした特権階級者らの深い反省を願う」 と叫んだ。別の者は、もの静かにこう言い残した、「天国行きを前に、皆が天皇陛下のために万歳を唱している。ゆえに自分も、天皇陛下万歳、皇国万歳を繰り返します。」 (105)

 また、他の者は、陸軍に関するいっそう困難なメッセージを発しようと試みた。 「日本人が皇軍への絶対的信頼をおこうとすればするほど、その信頼は裏切られる。ロシアは中央アジアでは無敵であり、それが日本に破壊をもたらすのだ」。北進派は、その東端のウラジオストックへのみ、ロシア攻撃を考えていた。中国の主要都市と農業生産地帯の掌握の後、裕仁がモンゴル砂漠を横切って、ロシアの脇腹、中央アジアに攻撃をしかけるべきだった。だがそれは、試みないで終わろうとしていた。

 2・26事件に関わった民間人が銃殺刑に処された時、北一輝――北進派の老練理論家――は、その居並ぶ銃口を見下して言った。 「座らなければならんのか、それともこのままで構わんのか」。そこで銃殺班が座らそうとすると、彼は叫んだ。「座らせたいのか。キリストや佐倉宗吾(1645年に磔刑にされた義民)のようには、立たせておくわけにはいかんのだな」。 だが、彼のこの皮肉に耳を貸す者はおらず、1937年8月19日、報道陣に注目されることもなく、彼の処刑は実行された。それまで、日本人は彼の苦難の運命論の精神を共有していた。それまで、日本人は自らを、隊列を組んで前進させてきた。そしてかくして、日本人は、中国との戦争開始を、あと一ヶ月後に迫らせていた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_50_21_1.htm
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_50_21_2.htm#kaiketsu

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c4

[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
5. 中川隆[-8768] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:47:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3974]

櫻井ジャーナル 昭和天皇による日米戦争策謀論

櫻井ジャーナル2019.05.02

日本で天皇の代替わり儀式が行われる中、米政府はベネズエラでクーデターに失敗

 日本のマスコミは天皇が退位する、即位すると騒いでいる。彼らにとって天皇とは「至高の存在」なのだろう。日本は第2次世界大戦で降伏する前と同じように天皇制官僚国家であり、その元首は天皇だということである。


 しかし、徳川時代の天皇は忘れ去られた存在だった。当時の天皇は生活に困窮し、短歌を売っていたという話を聞いたこともある。徳川の拠点である江戸に住む人びとが「公方様」として意識していたのは徳川家だ。


 その忘れられた天皇を発掘し、徳川に代わる体制の象徴にしようとした人びとがいた。その人びとによって現在の天皇制、明治王朝が誕生した。その後ろ盾がイギリスの支配層だ。


 徳川から明治へ移行する時期、つまり明治維新の頃、イギリスはビクトリア女王が君臨していた。心霊術にのめり込んでいた人物として知られている。


 女王は夫のアルバート(ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男で、夫妻はいとこの関係)からアドバイスを受けていたとされているが、それ以上に影響力を持っていたと思われるのがネイサン・ロスチャイルド、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)など。


 言うまでもなくロスチャイルドは強大な金融資本の支配者でローズのスポンサー。ステッドはジャーナリストで、ブレッドはビクトリア女王の相談相手だ。後にブレッドはエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。


 当時のイギリスはいわゆる産業革命で生産力が上がったものの、商品が思うように売れない。国内では貧富の差が拡大、民の貧困化が深刻になる。そこで始めたのが麻薬取引と侵略戦争。中国(清)の富を奪うためにアヘン戦争を始めたのが1840年。その年にビクトリア女王とアルバートが結婚している。イギリスが「世界経済の覇者」と呼ばれるようになるのはそれ以降だ。大英帝国とは侵略と略奪で成り立っていた。


 中国より前にイギリスが植民地化していたインドでは1857年に傭兵(セポイ)が武装蜂起、一般のインド人を巻き込んで大反乱になった。鎮圧されたのは1859年。その年にアヘンと武器の取り引きで大儲けしていたジャーディン・マセソンは日本へふたりのエージェントを送り込む。ひとりは歴史小説で有名なトーマス・グラバーで、赴任地は長崎。もうひとりはジャーディン・マセソンの創設者一族に属すウィリアム・ケズウィックで、赴任地は横浜。


 明治政府は1872年の琉球併合から台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争というように東アジア侵略を開始、その背後にはイギリスが存在していた。日本人はイギリスの支配者に操られていたと言える。


 そのイギリスは1899年からボーア戦争(南アフリカ戦争)を開始、金やダイヤモンドを産出する南アフリカを制圧する。その直前に南アフリカではダイヤモンドが発見され、その利権に目をつけたイギリスの支配者たちが引き起こした戦争だった。後に首相となるウィンストン・チャーチルもこの戦争で頭角を現している。この戦争で世界の金をイギリスが支配するようになり、金本位制を採用する国々の通貨も支配できるようになった。


 ちなみにチャーチルは貴族階級の家に生まれたが、父親のランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。


 生前、ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたことでも知られ、その額は現在の価値に換算すると数百万ポンド、つまり数億円。いくらでも借りられたという。ランドルフがロスチャイルドを裏切らない限り、借金は返済する必要がなかったようだ。


 ネイサン・ロスチャイルドと親しい関係にあったジョージ・ピーボディーは銀行を経営していたが、そのパートナーがジュニアス・モルガン。その息子がジョン・ピアポント・モルガンだ。ネイサンはこの若者をアメリカにおけるビジネスの責任者にしている。そして巨大銀行のJPモルガンが生まれる。関東大震災以降の日本に大きな影響力を及ぼすことになるのはこのJPモルガン。


 この銀行が中心になり、アメリカでは1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制を樹立させようというクーデターが計画されている。


 そのJPモルガンが駐日大使として日本へ送り込んできたのがジョセフ・グルー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、グルーと親しかった日本人には秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右などが含まれる。中でも親しかったのは松岡。戦争が始まり、離日する直前にグルーがゴルフした相手は岸だ


 要するにイギリスとアメリカの金融資本はつながっているのだが、その金融資本を中心とする支配層がベネズエラの石油を狙っている。


 4月30日にもクーデターが試みられたが失敗、フアン・グアイドと反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペス(2014年のクーデター未遂で自宅軟禁中だったが、クーデター派によって解放されていた)はスペイン大使館へ逃げ込み、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んだ。


 クーデタの失敗を受け、アメリカのマイク・ポンペオ国務長官はメディアに対し、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は航空機でキューバへ逃げようとしていたが、ロシアの説得で留まったと主張している。実際はごく狭い地域で混乱があっただけで、基本的に国内は安定、逃亡するような状況ではなかった。ポンペオは失笑を買っただけ。


 アメリカ支配層が発する嘘の質が急速に劣悪化している。アメリカを中心とする支配システムの崩壊は早いかもしれない。アメリカの支配システムが崩れれば、日本の天皇制官僚制も維持できなくなる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905010001/


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櫻井ジャーナル 2019.04.24

米支配層が維持しようとした天皇制官僚体制の恥部がひとつ明らかに

 インドネシアのバンカ島で日本軍の兵士は1942年2月、22名のオーストラリア人看護師を銃殺したという。海の中を行進させ、機関銃で射撃、ひとりを除いて殺害したのだが、その前に看護師は兵士から性的暴行を受けていたことを示す証拠の存在が明らかにされた。(​英語​、​日本語​)証拠を隠滅し、なかったことにするという手法は今でも使われている。NGT48のケースもその一例だが、隠しきれないこともある。


 日本のアジア侵略は1872年の琉球併合から始まるが、アメリカとの戦争は1941年12月7日の真珠湾攻撃から。1942年6月のミッドウェー海戦で日本の艦隊が敗北するまで日本側は勝ち戦だと考えていたようだ。そうした中、バンカ島での虐殺は引き起こされたことになる。


 外国へ攻め込んだ軍隊の兵士が女性に性的に暴行するという話はしばしば聞く。日本軍に限った話ではない。日本軍の特徴はブレーキがきかなくなることにあると言えるだろう。性的暴行への対策として日本軍が作り上げたのが慰安婦の仕組みだ。戦争経験者は次のような文章を残している。


 「日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。」(高見順著『敗戦日記』)


 「あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)


 「そこで、出てきたのが『慰安婦』というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書)


 「女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。」(前掲書)


 「何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書)


 敗戦後、日本の将兵が戦場で行ったことを批判的に語るおとなもいたが、多くの「元兵士」にとって身に覚えのある話であり、口にすることはできなかっただろう。勿論、事実を否定することもできない。1945年に20歳代だった人は1975年でも50歳代だ。日本社会には戦場の記憶が鮮明に残っていた。荒唐無稽な話はできない。


 戦争経験者が少なくなるに連れ、妄想を平然と口にする人が増えてくる。メディアもそうした妄想の拡散に協力した。


 それでも慰安婦の存在を否定できないため、商売として行っているのだから問題がないと言う人もいるが、その考え方は日本人の堕落、退廃を示している。


 第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用され、庶民の生活水準は悪化し、東北地方では娘の身売りが増えた。欠食児童、争議なども社会問題になっている。こうした貧富の差を拡大させる政策を推進したのが浜口雄幸内閣だ。


 そうした政策に反発する人も少なくなかった。その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。井上は当時、日本でも最もJPモルガンに近いとされていた人物。団もウォール街と緊密な関係にあった。


 その年の5月には五・一五事件が引き起こされ、1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはある。


 井上が殺された1932年に駐日アメリカ大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。このことは本ブログで繰り返し書いてきた。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかもグルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーである。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあったわけだが、1933年から45年4月にかけての期間はウォール街と敵対関係にあったニューディール派がホワイトハウスで主導権を握った。ニューディール派の中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領だ。


 ルーズベルトが急死するとウォール街がホワイトハウスを奪還、ドイツのナチは救出され、日本の天皇制官僚システムは存続することになる。戦争責任も曖昧なまま幕引きになった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)


 ウォール街は日本を支配するシステムとして大戦前から天皇制官僚システムを使っていた。それを戦後も存続させるため、戦争責任の追及と民主化の推進という儀式を早く終わらせる必要があった。


 そこで1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)を設立、48年11月に判決が言い渡されている。その年の12月23日に東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎない。本来なら処罰されて当然であるにもかかわらず被告席にいない人がいた。


 そして新たな憲法が制定される。その憲法は第1条から第8条で天皇制の存続を定めている。「象徴」という修飾語をつけてはいるが、天皇制の存続を謳っている。「戦争の放棄」を定めたその後、第9条だ。


 戦後日本の進む方向を決めたジャパンロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。内務官僚、思想検察、特別高等警察といった戦前日本の治安体制の中枢は戦後も要職に就いている。「国体」は護持されたのだ。


 バンカ島での出来事をオーストラリア政府が封印したのは日本の「国体護持」を望むウォール街の意向に沿った行動だと言えるだろう。その国体に関わる儀式が近く行われる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904230000/


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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その1)

 1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲った。死者/行方不明者は10万5000人以上、その損害総額は55億円から100億円だという。当然のことながら金融機関もダメージを受けた。


 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引したのだが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したため、手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。


 そうした中、復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断し、森賢吾財務官が責任者に選ばれた。交渉相手に選ばれた金融機関がアメリカのJPモルガン。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。


 当時、JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。


 日本に対して大きな影響力を持ったラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争で世界の金を支配することにイギリスは成功、金本位制を最小した国々の通貨を支配できる立場になった。JPモルガンはイギリスの巨大金融資本の影響下にあった金融機関だ。


 金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする考え方をする人物だった。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。


 その1932年にアメリカでは大統領選挙があり、巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破って当選する。


 そのルーズベルトは大統領に就任する17日前、つまり1933年2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会で銃撃事件に巻き込まれた。ジュゼッペ・ザンガラの撃った弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。


 次期大統領を狙っていた可能性があるわけで、背後関係などをきちんと捜査する必要があったのだが、何も事情を聞き出せない、あるいは聞き出さないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809010000/


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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)

 本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。


 その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。


 バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。


 バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。


 クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。


 1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。


 一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。


 1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/


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2018.09.13
米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その1)

 ロシアのウラジオストックで2015年から毎年開催されているEEF(東方経済フォーラム)はウラジミル・プーチンの外交戦略において重要な意味を持っている。アメリカは東アジアの軍事的な緊張を高めようとしているが、それに対抗してロシアは緊張を緩和、地域の経済発展につなげようとしているのだ。プーチンの戦略に中国や韓国は賛成、連携している。この3カ国に朝鮮も加わった。

 今年のEEFは9月11日から13日に開かれているが、そこで朝鮮は自国の鉄道と韓国に鉄道を結びつけることに前向きな姿勢を見せた。ロシアには以前からシベリア横断鉄道を延長して朝鮮半島を南下させようという計画がある。その計画とリンクしていることは間違いないだろう。


 この鉄道計画はロシアから天然ガスや石油を輸送するパイプラインの建設計画、そして中国の一帯一路とも関係している。大英帝国の時代からアングロ・サクソンの基本戦略はユーラシア大陸の周辺部分から内陸部を締め上げていくというもの。物資の輸送が海運中心だった時代は効果的な戦略だったが、そうした戦略を高速鉄道やパイプラインは揺るがせている。


 現在、東アジアでアメリカの戦略に従っている数少ない国のひとつが日本。その日本に対し、プーチンは前提条件なしで平和条約を結ぼうと日本側へ提案したという。ソ連/ロシアと中国の制圧を長期戦略の中心に据えているアメリカは日本がソ連/ロシアや中国と友好関係を結ぶことを許さない。プーチンも当然、そうしたことを熟知している。アメリカの政策で疲弊している日本へのちょっとしたメッセージだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809120000/


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その2)


 アメリカは東アジアでも軍事的な緊張を高めようとしてきた。2009年に総理大臣となった鳩山由紀夫は東シナ海を「友愛の海」にしようと提案したが、これはアメリカ支配層を激怒させたことだろう。その後、日本ではマスコミが鳩山を攻撃、鳩山は2010年に首相の座から引きずり下ろされた。


 そして登場した菅直人内閣は中国との関係を破壊する。2010年に「日中漁業協定」を無視して石垣海上保安部は中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まったのだ。それ以降、日本は中国に敵対する国になった。


 こうした政策は日本の企業に打撃を与える。中国は日本企業にとって重要なマーケットだったからだ。アメリカの中東政策は石油価格を暴騰させる可能性があるのだが、これも日本にとっては大問題。ロシアという中東より低コストで安定的なエネルギー資源の供給源が日本の近くに存在するが、ロシアとの関係を深めることをアメリカ支配層は許さないだろう。


 こうしたアメリカの政策は一貫したもの。1955年6月に鳩山一郎内閣はソ連と国交正常化の交渉を始めた。その一方、重光葵外務大臣(副総理)は同年8月に訪米してジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談、「相互防衛条約」の試案を提示した。


 その試案の中で「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始」、「アメリカ合衆国の陸軍及び海軍の一切の地上部隊は、日本国の防衛6箇年計画の完遂年度の終了後おそくとも90日以内に、日本国よりの撤退を完了するものとする」としている。


 日本とソ連は「歯舞、色丹返還」で領土問題を解決させる方向で動き始めたのだが、ダレス米国務長官は激怒、2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝したという。沖縄は歴史的に独立国であり、その意味でもアメリカの姿勢は傲慢だ。


 こうした恫喝はあったが、鳩山首相は1956年10月、河野一郎農相をともなってモスクワを訪問、鳩山首相とニコライ・ブルガーニン首相(ソ連閣僚会議議長)は日ソ共同宣言に署名して12月に発効した。それにタイミングを合わせるように鳩山は引退する。


 鳩山一郎の辞任を受けて行われた自民党総裁選でアメリカは岸信介を後押しするが、中国やソ連との交流を促進しようとしていた石橋湛山が勝つ。その石橋は2カ月後に病気で倒れ、首相臨時代理を務めることになったのが岸。翌年の2月に岸は首相に選ばれた。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130000/


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)

 明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。


 その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。


 しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。


 イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。


 このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。


 このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。


 このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。


 1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。


 ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。


 そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。


 この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。


 それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。​その演習に中国軍は3200名を参加させている​。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。


 明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130001/

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2018.09.21 自民党総裁選という茶番

 自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。


 アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。


 ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。


 アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。


 その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)


 1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。


 このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。


 唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。


 安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。


 1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。


 グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。


 グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。


 松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/

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元徴用工への損害賠償を認めた韓国での判決が日本軍による略奪へ波及するか?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811040000/
2018.11.05 櫻井ジャーナル

 元徴用工が新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟で、韓国の大法院は10月30日に同社への支払を命じた。大法院は日本の最高裁に相当、これで合計4億ウォンの支払いを命じたソウル高裁の判決が確定した。日本政府は徴用工の問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決している」という立場だが、個人の請求権は消滅していないと大法院は判断したのだ。かつて、日本政府もこの事実を認めていた。1965年当時の韓国大統領は1961年5月の軍事クーデターを指揮した朴正熙である。

 第2次世界大戦後、韓国も日本と同じようにアメリカ支配層の影響下にあったが、イギリスの戦略を引き継いだアメリカの目は中国、そしてソ連/ロシアに向けられている。イギリスの基本戦略とも言うべきハルフォード・マッキンダーの論文が発表されたのは1904年だが、侵略して略奪するという基本方針はその遙か前から行われてきた。

 イギリスが侵略の手を東アジアまで伸ばしてきたのは19世紀。1840年から42年にかけてのアヘン戦争、56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)は象徴的な出来事だった。

 こうした戦争でイギリスは中国(清)に勝利したが、内陸部を制圧する力はなかった。当時の主な輸送集団は船であり、主要な港を押さえられたことは清にとって大きな痛手だったが、占領されたわけではない。

 占領のための地上軍として機能したのは日本軍だ。現在の中東でアル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)が果たしている役割と似ている。だからこそ、米英の支配層は戦費を融資、技術的な支援をした。外交的にも助けている。あの強欲な米英支配層がこうしたことを行ったのは、その先に自分たちの利権があったからにほかならない。

 日本は東アジアを侵略した際、組織的に財宝を略奪している。その財宝の多くはフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれるが、戦況が悪化してフィリピンから日本へ運べなくなると、フィリピンに隠す工作を始めた。その隠された財宝は後に山下兵団の財宝と呼ばれるようになる。

 もっとも、山下奉文が日本軍第14方面軍の司令官に就任したのは1944年9月のことで、財宝の集積作業は終盤にさしかかっていた。作業を指揮していたのは本間雅晴、田中静壱、は黒田重徳のころだ。ちなみに、田中静壱は関東軍憲兵隊の司令官だったことがあるが、そのときに細菌戦用兵器を開発するための生体実験にかかわっている。

 1945年8月当時、田中の副官だった塚本清(素山)は略奪したダイヤモンドを日本へ運んだひとりと言われ、敗戦後はアメリカ軍と緊密な関係を持っていた。1961年には創価学会の顧問に就任している。

 日本が降伏した後、その隠された財宝のありかを調べる責任者がエドワード・ランズデール。表面的には軍人だが、実際はOSS、戦後はCIAの幹部だ。朝鮮戦争が休戦になった直後にジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成、その団長をランズデールが務めている。その後、キューバに対する破壊活動などを指揮した。

 ランズデールの下で日本人に対する取り調べを行っていたのが情報将校だったサンタ・ロマーナ。このロマーナが親しくしていた女性がイメルダ。ロマーナはイメルダをフェルディナンド・マルコスに紹介、ふたりは結婚する。マルコスは財宝の一部を掘り出して大金持ちになり、大統領になったといわれている。

 そのマルコスのライバルだったベニグノ・アキノ元上院議員が1983年8月にマニラ国際空港で射殺され、社会が不安定化する。アキノへはNEDを通じてCIAのカネが流れ込んでいた。

 アメリカ軍は1986年2月にマルコスを拉致して国外へ連れ出した。その背後ではCIAが蠢いていたのだが、その工作で中心的な役割を果たしたと言われているのがアドナン・カショーギ、リチャード・アーミテージ、ポール・ウォルフォウィッツなど。アドナン・カショーギはジャマル・カショーギの伯父にあたる。

 フィリピン国外へマルコスが連れ出されると、財宝の分け前をよこせという裁判が起こされる。弁護士がでっち上げ事件で攻撃されたりしたが、それでも裁判の過程で財宝に関する情報が明るみに出てきた。

 日本軍が盗んだ財宝は金の百合と呼ばれているが、これとドイツがヨーロッパで盗んだ金塊、いわゆるナチ・ゴールドをアメリカ支配層は一体化させた。いわゆるブラック・イーグルだ。その一部は1960年頃から日本の支配層が運用しているとも言われている。

 この秘密資金は日本やドイツが盗み、アメリカが横取りしたものである。個人の請求権は存在するということになると、この秘密資金を返せという個人の要求が出てきても不思議ではない。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c5

[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
6. 中川隆[-8767] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:50:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3975]
2019.07.03
独立記念日を祝うアメリカ国民だが、独立宣言を忘れているようだ 《櫻井ジャーナル》

 7月4日はアメリカの独立記念日である。1776年7月4日に独立宣言が採択されたことを記念して定められたのだ。


 ヨーロッパからの植民者がイギリスからの独立を宣言したのだが、その執筆者はトマス・ジェファソン。「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っている。


 宣言に署名した人びとが何を考えていたかはともかく、宣言にある「人間」に制限はついていない。すべての人間は人種、民族、性別、思想、信仰、身分、家柄などに関係なく平等であり、人間としての権利を持っているということだ。


 当然、生まれながらに持っている能力を発揮するために必要な環境がすべての人間に保証されなければならない。人種、民族、性別、思想、信仰、身分、家柄などによって、そうした環境に差があってはならない。安心して生活でき、教育を受けることができ、働くことができなければならない。


 こうした権利を保障しない政府を人びとは「改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」と独立宣言は主張している。


 さらに、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが人民の権利であり義務である」ともしている。


 アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。


 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。


 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。


 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。


 ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。


 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。


 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。


 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。


 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本とアメリカが戦争を始めてしばらくの間、グルーは日本に滞在。離日したのは1942年8月だが、その直前に彼がゴルフをした相手は岸信介だ。大戦後、日本の進む方向を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。グルーが親ファシスト勢力に属していたことを忘れてはならない。


 すでにアメリカでは強大な私的権力が国を上回る力を持っている。その結果、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らか」になっていると言える。


 2011年9月11日以降、アメリカでは国外での侵略戦争、国内での刑務所化が急速に進んでいる。アメリカの属国である日本もその後を追っている。そうした現状を見ながら、「それでもアメリカは民主主義国だ」とか「それでもアメリカの方がましだ」という「左翼」、「リベラル派」、「革新勢力」が日本にはいる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907030000/

▲△▽▼


【討論】大東亜戦争の真実[桜R1-8-10] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EpuYlwj_xwY

パネリスト:
 鈴木荘一(歴史家)
 山正之(コラムニスト)
 長浜浩明(作家・古代史研究家)
 林千勝(戦史研究家)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
司会:水島総


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c6

[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
7. 中川隆[-8766] koaQ7Jey 2019年8月18日 09:51:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3976]

2019.08.15
大戦でファシズム勢力は勝利、日本では天皇制官僚システムが護持された


 第2次世界大戦は日本の降伏で終わったことになっている。日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎がアメリカの軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印したのは1945年9月2日のことだった。


 しかし、日本では8月15日が「終戦の日」ということになっている。昭和天皇(裕仁)が日本人向けの声明、いわゆる「終戦勅語」が放送された日だ。


 これについて堀田善衛は「負けたとも降服したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者(帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦=引用者注)に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌みな二重否定、それきり」で、「その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の軀にこたえた」と書いている。(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年)日本軍への停戦命令が出たのはその翌日だ。


 日本政府は「国体護持」にこだわったというが、1945年4月12日にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死した段階で日本の国体、つまり天皇制官僚システムが維持されることは決定的になっていた。その死によってニューディール派は急速に弱体化、親ファシズムのウォール街が主導権を握ったからだ。


 ルーズベルトは1933年3月から大統領を務めている。副大統領は1933年から41年までがジョン・ガーナー、41年から45年までがヘンリー・ウォーレス、そして45年がハリー・トルーマン。政治信条がルーズベルトに最も近かったのは大統領と同じニューディール派のウォーレスだろう。


 このウォーレスは1944年4月9日付けのニューヨーク・タイムズ紙で、アメリカに対する最も大きなファシムズの脅威は戦争の後にやってくると主張している。ルーズベルトが初めて大統領に選ばれた直後、アメリカの巨大資本がニューディール派を排除してファシズム体制を樹立する計画を立てていたことを考えると、その懸念は理解できる。


 そのクーデター計画はスメドリー・バトラー海兵隊退役少将が阻止、議会で計画の内容について明らかにしている。その当時は経済が不安定で、1939年に第2次世界大戦が始まると経済を支配している勢力を摘発することは困難になった。ルーズベルト政権の内部でファシズム派を摘発する動きが出てくるのは戦争の終結が近くなってからだ。


 その頃、有権者に最も人気があったのはウォーレス。1944年に行われたギャロップの世論調査によると65%がウォーレスを支持、トルーマンは2%にすぎない。ウォーレスが次の大統領になれば、アメリカのファシズム勢力は粛清され、ドイツや日本のファシストも厳しく処罰される可能性が高かった。


 そうした中、ウォーレスのスキャンダルが発覚、1945年3月に副大統領から商務長官へ格下げになる。その翌月に大統領が急死、ルーズベルトと意見が違ったトルーマンが大統領へ昇格し、5月にはドイツが降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はアメリカ、イギリス、ドイツ、ポーランドでソ連を奇襲攻撃するアンシンカブル計画を立てたわけだ。


 アメリカの巨大資本やその代理人はナチスの元高官らを逃がすためにラットラインを作る。そうした人びとをアメリカの国務省やCIAは雇うが、それはブラッドストーン作戦と名づけられた。ドイツの科学者やエンジニアを雇うペーパークリップ作戦もある。


 その一方、日本では天皇制官僚システムが維持され、特別高等警察、思想検察、裁判官は戦後も要職に就く。戦争中に犯罪的なことを行った軍人でもアメリカにとって利用できる人たちは保護されている。


 日本が降伏した24日後、哲学者の三木清が獄死した。疥癬という皮膚病の患者が使っていた毛布を三木にあてがい、意識的に病気を感染させ、不眠と栄養失調で死に至らしめた可能性が高い。その前日、ソ連のバチェスラフ・モロトフ外相は憲兵や警官など戦前の治安体制が存続していることを批判しているのだが、その通りだった。


 この事件を調べていたロイターのR・リュベン記者は10月3日に山崎巌内相をインタビュー、その際に内相は特高警察の健在ぶりを強調し、天皇制に反対する人間は逮捕すると言い切っている。同じ日、岩田宙造法相は中央通訊社の宋徳和記者に対し、政治犯を釈放する意志のないことを明言した。


 政治犯が釈放されるのは、ロイターのインタビューが記事になってから。その記事を受けてSCAP(連合軍最高司令官)のダグラス・マッカーサーが「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令し、6日後の10月10日に政治犯は釈放されたのだ。


 しかし、すでにアメリカの巨大資本はジャパン・ロビーと呼ばれるグループを編成、日本の天皇制官僚システムを再建することになる。冷戦が民主主義を潰したのではない。戦争で勝利したファシズムが冷戦を生み出したのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908140000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c7

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
89. 中川隆[-8765] koaQ7Jey 2019年8月18日 11:08:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3977]
セックスと悟り

 このブログを始めてもう10年になるが、いつか書いてみたいと思いながら、ずっと書けなかったテーマがある。「タントラ」である。人生が変わるほどの気づきをセックスがもたらす――そんな場面を幾度も目の当たりにしてきたから、生き方の真理を探求する宗教が、なぜ人間の根幹である「性」を避けて通るのかと僕は納得できないままきた。


 禁欲を是とする宗教にあって「タントラ」は、セックスで悟ろうというものだ。現在「タントラ」「セックス」「動画」などの複数ワードで検索すると、いくつもの動画がヒットする(ウイルス感染のリスクや、巧みに購入手続きへ誘導するものも交じっているようなので、もしも見るならば慎重にされたほうがいい)。これら動画のすべてを見たわけではないけれど、見た限りで言えば「タントラ」とは名ばかりのものばかりだった。


 話を戻すと、これまで書けなかった理由は、ひとえに難しいからである。僕なんかじゃ、とても歯が立たない。だが、出家を決断し上座部仏教の僧侶として修行を積んでいる友人の影響もあって、ここ数年、禅や仏教の本を読み進めてきたり、その流れでチベット密教の本も読んだりした。そして、これまでの現場での体験を照らし合わせると、「タントラ」とはこういうことなのかと僕なりに思い至ったところもある。なので今回は書いてみようと思う。僕の理解に誤りがあれば、読者のみなさんにご指摘・訂正いただくとして……。


 「タントラ」という言葉自体は耳にした人も多いはずだが、「タントラ」を定義しようとするとけっこう厄介である。ヒンドゥー教のある種の聖典を指すこともあれば、仏教においては後期密教の聖典を指すこともある。じゃあ、ともかく聖典のことなのかと言われると、そうとも限らない。ある教義(信仰上の教え)を指す場合もある。この教義としての「タントラ」は「タントリズム」とも呼ばれる。また、インドの後期密教を指して「タントラ仏教」と呼ぶこともある。


 だんだん読むのが面倒になってきた人もいると思うので、僕なりの解釈を示そう。「タントラ」とは「人間の本性は宇宙の本体と同じであるから、人間の欲望や肉体を否定するのではなく、性の実践をも積極的に取り入れ、セックスによって神(宇宙)と一体となること」である。ただし「タントラ」におけるセックスは悟りを得るためであって、生殖や性欲の発散が目的ではない。


 次に歴史的な背景を見ていこう。インドの先住民の間には土着的な宗教が芽生えていた。ここにアーリア人が侵入してくる。紀元前1500年頃の話である。アーリア人のほうが文化も進んでおり、先住民を支配してしまう。とはいえ、両者の間には婚姻もあったようで、混血も起きていった。


 ところが、先住民は風土病を保菌しており、すでに免疫も獲得しているものの、新しく来たアーリア人に免疫はない。なので、多くのアーリア人が死んでいった。感染を防ぐために隔離政策がとられる。純血アーリア人、混血アーリア人(混血の度合いによって2階層)、先住民と分類され、分類が異なる者の同居や婚姻が禁止される。これがカースト制度の起こりである。その後、この政策は宗教に組み込まれてゆく。


 現在もインドで多数派を占めるヒンドゥー教だが、ヒンドゥー教の定義も広義・狭義でいろいろあってわかりづらい。たとえば、前述した先住民の土着的な宗教を指す場合もあるようだが、アーリア人が信仰していたバラモン教が変容を迫られ、もともとあった土着的な宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教になったという見方もある。


 では、なぜアーリア人のバラモン教は変容を迫られたのか? そこには仏教の誕生がある。ブッダが目にした当時の世の中は、きっと苦しみに満ちていたのだと思う。もちろん今の日本にも差別は存在しているけれど、紀元前5世紀頃のカースト制度は人間扱いされない多くの人々を公然と生み出していたのだ。


 ブッダはカースト制度の下層に位置する人は言うに及ばず、カーストに属さない不可触民でさえも、苦しみから逃れる方法はあると説いた。それがいわゆる解脱(げだつ)である。その方法論が教えとして広まってゆく。そして仏教という宗教を形づくっていった。


 こうしてインドでは、仏教が大きな勢力を持つに至る。1世紀頃に成立したクシャーナ王朝は、仏教を手厚く保護した。ただ、この王朝の支配は北インドに限られ、全土には及んでいない。代わって4世紀頃に登場したグプタ王朝はインドのほぼ全土を支配したが、ヒンドゥー教を国教に定めてしまう。いつの時代も権力者と宗教は持ちつ持たれつの関係で、お互いに利用し合いながら歴史を作ってきたわけだが、無視された仏教には苦難の道が待っていた。


 ヒンドゥー教はもともと多神教であるけれど、生き延びようとした仏教は、ヒンドゥー教の中の神々やいろいろな教えを取り入れて、多神教になっていく。このようにして変貌を遂げた仏教はのちに「密教」と呼ばれることになるのだが、密教が取り入れた教えのひとつに今回の「タントラ」がある。
http://blog.livedoor.jp/yoyochu/archives/54905150.html


続・セックスと悟り

 前回は、インドで仏教が密教となって生き延びようとしたところまで書いた。で、生き延びられたのかというと、13世紀初頭、ヒンドゥー教とイスラム教によって滅ぼされてしまう、政治力と武力でもって。


 では、密教はこの世から消滅してしまったのだろうか? 空海が唐に渡り、密教を持ち帰ったのが9世紀初頭。真言宗はもちろん今でも健在だし、日本に密教はある。ところが、空海が持ち帰ったのは実は中期密教で、「タントラ」が取り入れられるのは後期密教なのだ。


 いや、空海が亡くなった後でも「タントラ」が伝わる経路はあっただろうと思う人もいるだろうが、これは中国で止まっている。長い間、中国では儒教が大きな影響力を持っていた。儒教が「タントラ」を受け入れない。なので、中国には広まらなかったし、日本にも来なかった。結局、概念としてその片鱗がうかがえるのが、以前に紹介した『理趣経(りしゅきょう)』くらいである。


 となると、後期密教の「タントラ」はどこに残っているのか? インドで仏教が消滅する前、その末路を予見した僧侶たちは新天地を求めて、チベット高原へと旅立っていった。こうして後期密教の命脈はチベットへと継承されてゆく。


 歴代のダライ・ラマも所属する、チベット密教最大の宗派がゲルク派である。ゲルク派の開祖ツォンカパ(1357年〜1419年)は、ブッダ以来、2500年の仏教史において“最後の巨人”とも称される。そのツォンカパが、仏教のあらゆる教えや修行法のなかで頂点に位置すると評価したのが、『秘密集会(ひみつしゅうえ)タントラ』という経典である。その特徴は、解脱に至る方法として性的ヨーガ(性行為のあるヨーガ)が採用されている点だ。


 ゲルク派の修行には、「生起次第(しょうきしだい)」と「究竟次第(くきょうしだい)」という2つの段階がある。ツォンカパは「生起次第」として49の修行プロセスを記している。そのなかの1つを紹介すると、「宝生如来(ほうしょうにょらい)として明妃(みょうひ)と性的ヨーガを実践する」というのがある。如来とは仏の最高位だが、宝生如来は財宝を生み出して人々に福徳を授ける仏。明妃は女性の尊格。如来と同格とも、菩薩と同格とも、いろいろな説がある。いずれにしても、自分が宝生如来になって、女性の尊格とセックスせよとなる。


 「究竟次第」では、性行為にて極限的な快楽を追い求めながらも、同時に極端な呼吸コントロールも行ない、死に瀕することも少なくなかったようである。ただし、前述の「宝生如来として明妃と」もそうだが、ツォンカパは、性的ヨーガの有効性を認めながらも、実際の行為は禁止していた。


 えっ、実際にはやってなかったの!? という話だが、これは仏教の戒律が僧侶の性行為を禁じているからだ。悟りを得るためのセックスなのに、それを行なえば戒律を破ってしまうというジレンマ。では、どうすればいいのか? ツォンカパは観想(かんそう)としてのみ、この修行を行なうことを求めたという。観想とは要はイメージなのだが、単なる想像や妄想とは異なる。修行者の霊的な力によって女性パートナーを出現させ、彼女とセックスせよ、というわけである。


 「なんだ、イメージの相手とするだけか」とか、「霊的な力で出現させるってどういうことだ」とか思う人もいるだろう。ツォンカパは禁じたが、これまで行なわれてきた性的ヨーガがむろん全部イメージだったわけではない。生身の相手と実際のセックスをした記録はたくさん残っている。たとえば、当時ゲルク派を離れ、他宗派に移って実践した僧侶もいたし、近年では(といっても1970年代だが)、ラジニーシがインド・プーナのアシュラムで試みた「タントラ・グループ」がそれである。


 しかし、実際のセックスでもイメージのセックスでも、悟りに至る可能性は同じではないかと僕は思うのだ。このブログの読者のなかには、催淫テープを聴いている女の子が何もされていないのに感じ出し、イッてしまう光景をご覧になった方もいるだろう。ただ、だれが聴いてもすぐにそうなるわけではなく、とりわけ不感症に近い子には事前に呼吸法が不可欠である。


 最初はゆったりした腹式呼吸(長息)から入り、徐々に短息や性器呼吸など、さまざまな呼吸法を行なってもらう。短息などの激しい呼吸では、その子の精神を危機的な状況にさらすこともある。大袈裟な、と思う人もいるかもしれない。短息をしていると思考が飛ぶ。思考が飛べば、自分を自分たらしめている枠が外れる。外れると、自分がどうなってしまうかわからない不安が湧いたり、過去のトラウマがよみがえったりする。そうなったとき、僕はその子の手を握ったり、「大丈夫だよ」と声をかけたり、長息に戻させたりする。


 タントラにおいて呼吸は要諦と思われるが、思考が機能し、客観的かつ冷静に分析をしていたのでは、催淫テープにも入っていけない。自分を自分たらしめている(と本人が思っている)枠からも自由になってテープを聴いたとき、女の子の目の前には男が現われ、その男とするセックスは実際のセックスと差異がない。いや、往々にしてそれ以上の場合もある。イッたことがないと言う女性が、催淫テープで初めてオーガズムを体験することもたびたびあったのだから。


 なぜそのようなことが起きるのか? 彼女たちは日常的な意識から変性意識状態になっていたからである。このことからも、修行者が変性意識状態に至ったとき、宝生如来として明妃と交わる性的ヨーガも、きっとリアリティをもって実践できていただろうと思うのである。


 もともとセックスは悟るためにあるわけではない。快を得たい、その結果として子孫が残るというのがセックスだ。ところが、セックスによっても悟れるということに、遠い昔、だれかが気づいた。というか、たまたまそういう現象が起きた。宗教的な表現を使えば、それは「神と一体となった」も同然だった。


 ああなるためにはどうしたらいいのかを探求したすえにタントラが生まれたのではないだろうか。考えてみれば、瞑想にしても滝行にしても、悟りを得る方法はいろいろあるけれど、その修行によって変性意識状態に至るという点ではセックスも同じだと僕はあらためて思うのである。


*参考文献
ツルティム・ケサン、正木晃著『増補 チベット密教』(ちくま学芸文庫)
松長有慶著『密教』(岩波新書)
宮元啓一著『ブッダが考えたこと』(角川ソフィア文庫)


http://blog.livedoor.jp/yoyochu/archives/54906175.html


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c89

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
189. 中川隆[-8764] koaQ7Jey 2019年8月18日 15:18:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3978]

2019年08月18日
日本政府が円高防止でドルを買う裏介入を実施 

外貨準備が増え続けるのは、政府がドルを買って円安に誘導しているから


画像引用:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/img.imidas.jp/topics/wp-content/uploads/2017/09/05225508/A-40-032-08-06-1_sp.png

裏介入は存在するか

為替市場で円高が進んでいて8月現在は105円台だが、1ドル100円を割るかどうかが焦点になっています。

2016年秋にも同じことがあり、英EU離脱から為替市場が乱高下し何度も1ドル100円割れを試した。

結局2016年の円高は1ドル100円で反転したのだが、この時重要な役割を果たしたのが為替介入でした。


公式に発表されている日本政府による介入は野田政権の2010年以降行われていないが、実は毎日実施されています。

大掛かりに円を売ってドルを買い、為替相場を操作するのが為替介入だが、毎日こつこつドルを買うのは「ドル調達」といっています。

これがばかにならないほどの金額で、平均すると日本政府や日銀は年間10兆円前後もドル買いをしています。


日本が貿易をするには国際通貨であるドルが必要なので、貿易上必要だからという名目でドルを買っているのです。

その一方で買ったドルで米国債などを購入するので外貨準備や米国債保有高は、どんどん上がって世界一になっています。

2019年8月現在の外貨準備高は1.3兆ドルで世界2位、1位は中国の3.1兆ドルでした。


米国債保有高は日本が1.12兆ドルで世界1位、中国は2位で1.11兆ドルでした。

見て分かるように日本の外貨準備の8割以上が米国債なのに対し、中国の外貨準備の64%は米国債以外が占めています。

中国の外貨準備の6割は実際にはどこにあるのか不明なので、実際には「この世に存在しない架空のお金」だと考えられています。

9か月で10兆円のドル購入

日本政府が120兆円も米国債を持っているのは過去にそれだけの円を売ってドルを買ったからで、現在も増え続けています。

日本は2018年10月以降、米国債保有額を計1000億ドル相当以上増やしたが、言い換えると日本政府は9か月間で10兆円以上ドルを買った事になります。

これが「裏介入」で、為替介入という言葉を使っていないだけで、日本政府は円高防止のためにドルを買っています。


その原資は国家予算なのだが実際には日銀が円を発行するだけなので元手はタダ、無料で米国債を買えるので悪い取引ではない。

余りにもドルが余って仕方がないので麻生総理の時に韓国と通貨スワップを結び、韓国に恩を売ろうとした。

だが韓国は「お金を借りて欲しいなら日本が謝罪して金を払え」と妙な事を言って解消されてしまいました。


最近ドル円相場が100円台で乱高下しているのは、円買いをする外国の投機筋に対して、日本政府がドル買いで対抗しているからと考えられます。

日本政府が裏介入で使えるのは年間10兆円レベルまでで、20兆や30兆になれば米政府は「為替操作だ!」と騒ぎ始めます。

政府が密かに(アメリカはもちろん知っているが)買えるドルには限界があり、その額を超える円買いがあれば防衛ラインの100円を突破されます。

このように為替市場は政府と外国の投機筋が、10兆円単位のお金を投げ合って戦っています。
http://www.thutmosev.com/archives/80713768.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c189

[近代史3] 香港デモが終わらない理由 & 香港デモの正体を見極めよ 中川隆
3. 中川隆[-8763] koaQ7Jey 2019年8月18日 17:18:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3979]

2019年08月18日
香港は共産化しチベット・ウイグルのようになる

きのうのチベットは今日の香港、明日の沖縄、日本政府のように甘やかしたりはしない


画像引用:https://ameblo.jp/dragonfly-island/entry-11097084253.html

香港は共産化でチベットのようになる

香港は犯罪者の中国引き渡し条例をきっかけに大規模デモが発生し、暴動に発展している。

中国共産党は武力鎮圧を連想させる発言をし、香港と中国の境界線には治安部隊装甲車数百台が集結している。

実際には中国本土から公安や警察や軍の特殊部隊が潜入しているのは、周知の事実になっている。



2011年の中国反日暴動では、デモ隊が日本企業を襲っていたが、その先頭で群衆を指揮したのは治安部隊でした。

また2014年頃の中国漁船団の日本領海侵入事件では、100隻以上の船団の中心で、海軍と思われる軍人が指揮していた。

香港ではデモ隊に対抗する「愛国者」グループが登場し、デモ隊を襲っているが、中身は香港警察と本土の治安部隊です。


香港の問題はひとつは香港が「中国の領土」ではないことで、歴史上イギリスの植民地として「発展」しました。

日本の植民地になることで朝鮮が民主化し発展したように、香港はイギリスの植民地だから発展しました。

その民主主義を一度知った香港人を、明日から19世紀の部族国家にするというのが香港返還でした。


沖縄では「中国に返還してもらおう」という人が知事をしているが、実際に返還されたらいかなる政治運動もできなくなります。

政府を批判したり、政府の軍事計画を妨害したら拘束されて山奥の収容所に入れられ、行方不明者として処理されます。

言論や研究や集会の自由もなくなって、共産党が決めた教育が行われるようになり、学校では「漢民族の歴史」だけを教え、先祖の墓は全て壊されます。

沖縄・香港と、チベット・ウイグル

中国ではジャーナリストは国家資格なので、中国共産党が認めた人だけがメディアで発表でき、無資格で記事を書くと逮捕される。

ネットでブログを書くにも審査が必要で、共産党が指定した検査官数人が、全員合格を出さないとネットサイトを開設できない。

SNSや匿名掲示板も実名登録が必要で、公開はされないが政府は誰が書いたか把握している。


中国本土のチベットやウイグルなどでは、PCやスマホにスパイソフトインストールが義務化されている。

スパイソフトはスマホやPCでなにをしたか、何を保存したか逐一公安に報告し、ソフトなしのスマホを携帯していると逮捕される。

スパイソフト義務化は中国全土に広がりつつあり、顔認証システムも構築されている。


全世界の半分の防犯カメラが中国に存在し、顔認証で公安や警察と連動したタイプが増えている。

駅やバス停や交差点などで人々の顔を撮影し、公安のデータと照合し不審者を把握している。

この不審者は「政府に盾突く人」という意味で、例えば「辺野古基地反対」と叫ぶような人です。


このようにもし沖縄が実際に中国のものになったら、半分の70万人は本土のゴビ砂漠辺りに移住させるでしょう。

残った沖縄人は「一人っ子政策」で出産制限して人口が減るようにし、代わりに本土から漢民族を移住させ乗っ取ります。

チベットやモンゴルやウイグルで中国が散々やってきたことなので、そうなると断言できるのです。


これを今まさにやられているのが香港で、この先自分がどんな目に遭うか分かっているので騒いでいます。

本土と統一された香港は、民主主義を唱えるようなのは全員山奥か砂漠の極貧農民にするか、収容所に送ります。

残った香港人は共産党への忠誠を誓わされ、個人の意思を捨てるよう強要されます。


香港にも共産党にゴマをすって利益を得ようというジャッキーチェンのような人間がいて、香港人同士が戦っています。

中国人には政府を裏切って、利権を捨てて民衆のために戦う人は居ないので、おそらく鎮圧されるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80731736.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/576.html#c3

[近代史3] 韓国の外貨準備は存在しない「見せ金」 ウォン下落なら支えられず

2019年08月18日
韓国の外貨準備は存在しない「見せ金」 ウォン下落なら支えられず



もし外貨準備を水増ししていたら、通貨下落を支えられない


画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20160112/10/nobody0728/16/c4/j/o0500053613538742612.jpg

日韓通貨スワップの間違い

韓国は現在世界経済混乱の影響で通貨のウォンが下落していて、通貨防衛をしていると見られています。

ウォンが下落して危機に陥った事は過去20年で2回あり、1997年には失敗して国家破産しました。

97年はアジア通貨危機が発生し、通貨を高値に維持していた東南アジア諸国が次々に破産しました。



次いで韓国のウォンも下げ始めたが、公式には約250億ドルの外貨準備がある筈でした。

ところがこの「250億ドル」が韓国経済の見栄えを良くする飾りに過ぎず、実際にはどこにも存在しませんでした。

韓国は日本の銀行に救済を依頼したが、日本の主要銀行は韓国は信用できないとして融資を拒否しました。


こうして韓国はわずか数千億円分の支払いができずに国家破産し、IMFの管理下に入りました。

次の危機は2008年のリーマンショックで、またウォンが暴落し韓国はまた日本に助けを求めてきました。

この時の総理は麻生現財務大臣で、よせは良いのに通貨スワップを30億ドルから200億ドルに増額し、韓国を助けてしまいました。


金を受け取った韓国は日本に媚びる必要がなくなり、竹島騒動を起こして「天皇が土下座するなら謝罪させてやる」という名言を残しました。

こんな場合イギリス流外交では、相手が破産してから買い叩き、自国の支配下に置くのが当たり前だが、この辺が外交音痴なのでしょう。

この後も韓国には通貨危機が起き、2015年のチャイナショックでは中国人民元が下落し、連動して韓国ウォンも下落した。


だが麻生総理が締結した日韓通貨スワップでウォン暴落が回避され、その後も日韓通話スワップによって危機は起きなくなった。

すると韓国はさらに反日を激化させ、李・朴・文と過激さを増していったのは周知のとおりです。

このように韓国は「金を借りるまで」は少しペコペコするが、「金を借りた後」は倍返しとばかり恨みを爆発させます。

韓国の外貨準備はいくらか

1997年のアジア通貨危機では250億ドルあると言っていた外貨準備が、実際にはゼロだったので破産しました。

2019年現在韓国は公称4000億ドルの外貨準備があり、日本や中国の1兆ドル以上には及ばないが、十分な金額です。

それは「本当に存在するなら」充分ですが、1997年と同じく現実には所有していないのに、あると言っています。


日本は1.2兆ドルの外貨準備のほとんどを米国債で保有していて、米財務省の発表とも一致しています。

韓国の米国債保有額は約1000億ドルほどに過ぎず、後の3000億ドルは所在が不明です。

カラクリの一つは日本の外貨準備は政府が保有する外貨なのに対し、韓国は民間が保有する分を含めて外貨準備と言っています。


民間がいくらドルを保有していても、ウォンが下落した時「そのドルでウォンを買え」と命令できないので、無いのと同じです。

民間保有分が約1000億ドル、政府保有分が約3000億ドルなので、米国債を差し引いて2000億ドルが行方不明です。

報告書によると米国債の他に株式1000億ドル、長期債や社債や(いかがわしい)有価証券900億ドルほどを保有しています。

この米国債以外の有価証券を、そもそも韓国政府は所有していないのではないかという疑惑が以前からある。


このカラクリはおそらく、借金をした分債権を購入し「カードで借りて銀行に預金している」ような見せ金と考えられています。

韓国経済研究所の試算では、1200億ドル程度外貨不足が生じるとしているので、4000億ドルよりかなり少ないのでしょう。


韓国の対外債務は4400億ドル、外貨準備は4000億ドルなので、韓国は純債務国で借金のほうが多い国です。

ちなみに日本は341兆円のプラスで、外貨が余ってしょうがない国なので、韓国に少し貸してもお腹は痛みません。(だからタカられます)


もし韓国が外貨準備を水増ししているとすると、大幅な対外債務超過国なので、ウォンが下落したら支えられる筈がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80727446.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/579.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 朝鮮関係投稿リンク 中川隆
9. 中川隆[-8762] koaQ7Jey 2019年8月18日 17:26:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3980]
韓国の外貨準備は存在しない「見せ金」 ウォン下落なら支えられず
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/579.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/973.html#c9
[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
196. 中川隆[-8761] koaQ7Jey 2019年8月18日 20:40:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3981]

78. 2019年8月18日 11:05:08 : 8OmLBqbYio : dFN4QS91VjU0amM=[3]

70、80年も経って、極秘文書が発見された云々と大騒ぎをやらかすのは、怪訝で、奇異なことだ。
バーガミニは、当時一級の資料を用いて、裕仁の陰謀を余すことなく、描き出した。

戦後、マッカーサーは、関係者を脅迫して、戦争の責任が、裕仁ではなく、偏に当時の政府・軍にあるように、半ば強制した。

来たる東京裁判では、すべての責任を、東條に押し付けることで一致していた。

> Fellers and MacArthur employed
simple intimidation. All Japanese officials and military
officers were expected to take the line that responsibility
for the war lay exclusively with the government and the
military; the emperor was not in any way to blame.・・・・
It would be best to blame all responsibility on Tojo.'


同時に、米国内向けに、平和主義者で、民衆と交わる裕仁のイメージアップ作戦が行われた。

> Starting in February 1946, the emperor was
put on the public relations
circuit, promoting his new image as a great
pacifist, touring Japan and shaking hands with the people.
(以上、Yamato Dynastyからの引用。)


記事の内容から、拝謁記も、この線にそって書かれていることは明白だ。




80. 2019年8月18日 17:11:55 : hHRyrQsPsY : Nk5rVnVxSUM2Vk0=[190]

>>78さん、同感だ。

天皇が「後悔している」と言うのは「後悔していない」と言うよりもその方が自分の安全に繋がるからであって、何も驚くことではない。本当に心から悔いているのであれば、もっともっと沢山の闇の中の真実を告白する筈だ。
バーガミニも「ヒロヒトが操り人形で真珠湾攻撃を12/2まで知らされていなかったというのは嘘だ」と暴露している。

「大海令第一号」(真珠湾作戦計画書)は天皇、2~3の皇族、永野、杉山、山本と数人の腹心だけが知っていた。


天皇「海軍は何日を(攻撃)メドにしているのか」

永野「12月8日」

天皇「それは月曜日ではないのかね」(ハワイ時間では7日、日曜日)

永野「休みのあとは誰でも疲れているでしょうからその日を選びました」

以上杉山メモより。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/552.html#cbtm
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c196

[アジア23] 韓国で日本製品の大規模不買運動 (RFI) 無段活用
1. 中川隆[-8760] koaQ7Jey 2019年8月19日 04:51:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3982]
儒教の国とは価値観が違うから国交断絶するしかないだろ

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[アジア23] 今年韓成長率2.2%→1.9%... `亞4匹の`すべて下方修正 パイプライン
1. 中川隆[-8759] koaQ7Jey 2019年8月19日 04:51:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3983]
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[経世済民132] アベ“断韓”外交で早くも始まった経済損失に日本企業が悲鳴(日刊ゲンダイ) :政治板リンク  赤かぶ
8. 中川隆[-8758] koaQ7Jey 2019年8月19日 04:54:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3984]
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[政治・選挙・NHK264] 日韓対立で『ワシントン・ポスト』が日本の歴史修正主義が原因と指摘!「日本が罪への償いを怠ったことが経済を脅かす」(リテ… 赤かぶ
28. 中川隆[-8757] koaQ7Jey 2019年8月19日 04:55:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3985]
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[政治・選挙・NHK264] <よし、来たな!>れいわが倍増、政党支持率 共産に並ぶ4.3% 共同通信世論調査  赤かぶ
36. 中川隆[-8756] koaQ7Jey 2019年8月19日 05:03:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3986]


山本太郎は在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者


れいわ が障害2議員を入れたのは山本太郎を介護者として代弁させて国会に出ずっぱりで演説させる為だよ


山本太郎=演説だけでドイツを変えた名優ヒトラーの再来、斎藤まさし =ゲッペルス


▲△▽▼


れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。

森氏の父親は連合赤軍派最高幹部田宮高麿。
母親は森順子、ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。

森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。

斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?


国会に難病議員2人入れて介護者という名目で山本太郎が二人の代わりに代弁してれいわの名を売るんだろ

すべて斎藤まさしのアイデアさ

素人の山本太郎が4億円も寄付を集めたり、わざわざ難病議員を立候補させる訳がないというのがわからないアホが多過ぎるんだな

山本太郎は世界同時革命を目指すキチガイ斎藤まさし(酒井剛)の書いた台本通りに演技してるだけだよ


____


斉藤まさし(2018、8最高裁にて公職選挙法違反で有罪)が山本太郎の街宣に現れた!

やはり山本太郎は操り人形だったのね。


山本太郎の選挙を指揮していると言われてる斉藤まさしが新宿西口で行われた「山本太郎の街頭演説」の場に現れた。

元俳優の山本太郎を使って革命を目指す斉藤まさしの姿が良くお分かりになったでしょう。

監督の指示に従って演技をする、山本太郎は未だに役を演じているように見えますね。

しかし、その俳優は色々問題のある人物だった。

週刊新潮に強姦魔だと書かれても、名誉棄損で訴えることが出来ない。法廷で争う事が出来ない山本太郎という男を担いでしまった。

ME TOO のプラカード持ってパフォーマンスしていた議員達は山本太郎に強姦されたと勇気をもって告発した女性にはダンマリか!

未成年の女の子を強姦しても、革命家斉藤まさしの書いたシナリオ通りを演じておけば、参議院議員にもなれるか。

もし、事実じゃなないのなら、何故週刊新潮を訴えないのか?

____


無知な一般大衆が知らない山本太郎・斉藤まさしやヒトラー、レーニンを操っていた黒幕


ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
重信房子、田宮高麿、山本太郎・斉藤まさし、北朝鮮、オウム真理教の深い関係

2011年4月に行われた第17回統一地方選挙の三鷹市議会議員選挙に、代表を務める市民の党からよど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男、森大志が立候補しているが斉藤まさしは市議選に擁立した背景について取材で

「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」
「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」
「そうした縁もあって、長男が帰国してきてからつながりがあった」

と述べている。 北朝鮮や田宮との関係について「救う会」会長の西岡力は「酒井(斎藤まさし)代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と批判している


山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。


よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが
重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。


重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?

ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。


 あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。


http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/616.html#c36

[近代史3] 統一協会は何故危険なのか? 中川隆
6. 中川隆[-8755] koaQ7Jey 2019年8月19日 06:06:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3987]
2019.08.19
中露の政策に則って動いている朝鮮が米韓軍事演習で中国と軍事的つながり強化

 ​アメリカ軍と韓国軍の合同軍事演習は8月21日から開始​されるという。この演習に朝鮮政府は反発して韓国政府との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に​朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問​、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。

 朝鮮は1980年代の後半にソ連から見捨てられた。1985年にソ連の書記長となった欧米に厚い信仰を寄せるミハイル・ゴルバチョフの政策に基づいている。

 そうした朝鮮に対して手を差し伸べたのが統一教会。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。

 この統一教会はジョージ・H・W・ブッシュと緊密な関係にあり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の創設にも参加している。

 WACLはヨーロッパと東アジアの反コミュニスト勢力、つまりヨーロッパのABN(反ボルシェビキ国家連合)と東アジアのアジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)が合体して作られた組織。その創設にはCIAが関係している。

 APACLは1954年に創設された。その中心は台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関だが、日本からも児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのはこの年だ。

 統一教会の資金が流れ込んだ朝鮮だが、1990年代の終わりになるとアメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。1991年12月にソ連が消滅したことを受けて翌年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、世界制覇に向かって単独行動を始めたことと無縁ではない。

 そのドクトリンを日本へ受け入れさせるために作成されたのが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書いたもので、国連中心主義の立場を放棄してアメリカの単独行動を容認するように求めたのだ。

 その前年、1994年の6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれるという事件(松本サリン事件)が引き起こされ、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同月30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。

 1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。その当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 その後、日本は急ピッチでアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。例えば1996年の「日米安保共同宣言」、97年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、99年の「周辺事態法」、2000年の「アーミテージ報告」といった具合だ。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。

 それと並行して朝鮮半島での戦争を想定した軍事作戦がアメリカで作成されている。例えば、国家としての朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという1998年のOPLAN(作戦計画)5027-98。2003年には空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うというCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。

 そして2010年3月、米韓両軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。

 この沈没に関して5月頃から李明博政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。アメリカ支配層の内部でもこの人脈はこの時点で朝鮮半島の軍事的な緊張が高まることを望んでいなかったということだろう。

 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。

 日本では東アジアの平和を訴えていた鳩山由紀夫首相が2010年6月に検察やマスコミの圧力で辞任している。そして誕生したのが菅直人政権。尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、尖閣列島の領有権問題に火をつけて日中関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めた。

 それに対し、ロシア政府は朝鮮半島を含む東アジアをビジネスで安定化させるという政策を実践に移している。2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。

 ロシア政府はシベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を南下させて釜山までつなげるという計画を持っていた。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはず。現在、この計画は中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながっている。

 2011年の提案を金正日は受け入れるが、その年の12月に急死してしまう。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の院長だった元世勲は暗殺説を唱えていた。

 その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールして東アジアの軍事的な緊張を高め、朝鮮半島に鉄道やパイプラインを建設するというロシアのプランはアメリカ主導の「制裁」で難しくなる。朝鮮の好戦的な姿勢はアメリカを利することになった。

 その朝鮮の姿勢が変化したことを示す出来事が2018年3月26日にあった。金正恩労働党委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談したのだ。同委員長が韓国の文在寅大統領と板門店で会談したのはその1カ月後、4月27日のことだ。

 また、5月31日にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。9月にウラジオストクで開催されるEEF(東方経済フォーラム)に招待、そこでウラジミル・プーチン大統領と会談してはどうかという提案だ。

 この段階で朝鮮の後ろ盾としてロシアと中国がついたわけだが、韓国もロシアと中国との関係を強化していく。東アジアはロシアと中国を中心に回転しはじめたのだ。

 こうした流れは日本も巻き込んでいる。日本の有力企業でスキャンダルが明るみにでたことも無縁ではないだろう。アメリカの属国である日本だが、ビジネスはロシアや中国を抜きに成り立たない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/299.html#c6

[近代史3] 重信房子、北朝鮮、オウム真理教の深い関係 中川隆
9. 中川隆[-8754] koaQ7Jey 2019年8月19日 06:06:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3988]
2019.08.19
中露の政策に則って動いている朝鮮が米韓軍事演習で中国と軍事的つながり強化

 ​アメリカ軍と韓国軍の合同軍事演習は8月21日から開始​されるという。この演習に朝鮮政府は反発して韓国政府との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に​朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問​、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。

 朝鮮は1980年代の後半にソ連から見捨てられた。1985年にソ連の書記長となった欧米に厚い信仰を寄せるミハイル・ゴルバチョフの政策に基づいている。

 そうした朝鮮に対して手を差し伸べたのが統一教会。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。

 この統一教会はジョージ・H・W・ブッシュと緊密な関係にあり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の創設にも参加している。

 WACLはヨーロッパと東アジアの反コミュニスト勢力、つまりヨーロッパのABN(反ボルシェビキ国家連合)と東アジアのアジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)が合体して作られた組織。その創設にはCIAが関係している。

 APACLは1954年に創設された。その中心は台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関だが、日本からも児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのはこの年だ。

 統一教会の資金が流れ込んだ朝鮮だが、1990年代の終わりになるとアメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。1991年12月にソ連が消滅したことを受けて翌年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、世界制覇に向かって単独行動を始めたことと無縁ではない。

 そのドクトリンを日本へ受け入れさせるために作成されたのが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書いたもので、国連中心主義の立場を放棄してアメリカの単独行動を容認するように求めたのだ。

 その前年、1994年の6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれるという事件(松本サリン事件)が引き起こされ、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同月30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。

 1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。その当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 その後、日本は急ピッチでアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。例えば1996年の「日米安保共同宣言」、97年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、99年の「周辺事態法」、2000年の「アーミテージ報告」といった具合だ。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。

 それと並行して朝鮮半島での戦争を想定した軍事作戦がアメリカで作成されている。例えば、国家としての朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという1998年のOPLAN(作戦計画)5027-98。2003年には空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うというCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。

 そして2010年3月、米韓両軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。

 この沈没に関して5月頃から李明博政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。アメリカ支配層の内部でもこの人脈はこの時点で朝鮮半島の軍事的な緊張が高まることを望んでいなかったということだろう。

 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。

 日本では東アジアの平和を訴えていた鳩山由紀夫首相が2010年6月に検察やマスコミの圧力で辞任している。そして誕生したのが菅直人政権。尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、尖閣列島の領有権問題に火をつけて日中関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めた。

 それに対し、ロシア政府は朝鮮半島を含む東アジアをビジネスで安定化させるという政策を実践に移している。2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。

 ロシア政府はシベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を南下させて釜山までつなげるという計画を持っていた。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはず。現在、この計画は中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながっている。

 2011年の提案を金正日は受け入れるが、その年の12月に急死してしまう。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の院長だった元世勲は暗殺説を唱えていた。

 その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールして東アジアの軍事的な緊張を高め、朝鮮半島に鉄道やパイプラインを建設するというロシアのプランはアメリカ主導の「制裁」で難しくなる。朝鮮の好戦的な姿勢はアメリカを利することになった。

 その朝鮮の姿勢が変化したことを示す出来事が2018年3月26日にあった。金正恩労働党委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談したのだ。同委員長が韓国の文在寅大統領と板門店で会談したのはその1カ月後、4月27日のことだ。

 また、5月31日にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。9月にウラジオストクで開催されるEEF(東方経済フォーラム)に招待、そこでウラジミル・プーチン大統領と会談してはどうかという提案だ。

 この段階で朝鮮の後ろ盾としてロシアと中国がついたわけだが、韓国もロシアと中国との関係を強化していく。東アジアはロシアと中国を中心に回転しはじめたのだ。

 こうした流れは日本も巻き込んでいる。日本の有力企業でスキャンダルが明るみにでたことも無縁ではないだろう。アメリカの属国である日本だが、ビジネスはロシアや中国を抜きに成り立たない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html#c9

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
45. 中川隆[-8753] koaQ7Jey 2019年8月19日 06:07:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3989]
2019.08.19
中露の政策に則って動いている朝鮮が米韓軍事演習で中国と軍事的つながり強化

 ​アメリカ軍と韓国軍の合同軍事演習は8月21日から開始​されるという。この演習に朝鮮政府は反発して韓国政府との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に​朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問​、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。

 朝鮮は1980年代の後半にソ連から見捨てられた。1985年にソ連の書記長となった欧米に厚い信仰を寄せるミハイル・ゴルバチョフの政策に基づいている。

 そうした朝鮮に対して手を差し伸べたのが統一教会。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。

 この統一教会はジョージ・H・W・ブッシュと緊密な関係にあり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の創設にも参加している。

 WACLはヨーロッパと東アジアの反コミュニスト勢力、つまりヨーロッパのABN(反ボルシェビキ国家連合)と東アジアのアジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)が合体して作られた組織。その創設にはCIAが関係している。

 APACLは1954年に創設された。その中心は台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関だが、日本からも児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのはこの年だ。

 統一教会の資金が流れ込んだ朝鮮だが、1990年代の終わりになるとアメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。1991年12月にソ連が消滅したことを受けて翌年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、世界制覇に向かって単独行動を始めたことと無縁ではない。

 そのドクトリンを日本へ受け入れさせるために作成されたのが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書いたもので、国連中心主義の立場を放棄してアメリカの単独行動を容認するように求めたのだ。

 その前年、1994年の6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれるという事件(松本サリン事件)が引き起こされ、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同月30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。

 1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。その当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 その後、日本は急ピッチでアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。例えば1996年の「日米安保共同宣言」、97年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、99年の「周辺事態法」、2000年の「アーミテージ報告」といった具合だ。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。

 それと並行して朝鮮半島での戦争を想定した軍事作戦がアメリカで作成されている。例えば、国家としての朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという1998年のOPLAN(作戦計画)5027-98。2003年には空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うというCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。

 そして2010年3月、米韓両軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。

 この沈没に関して5月頃から李明博政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。アメリカ支配層の内部でもこの人脈はこの時点で朝鮮半島の軍事的な緊張が高まることを望んでいなかったということだろう。

 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。

 日本では東アジアの平和を訴えていた鳩山由紀夫首相が2010年6月に検察やマスコミの圧力で辞任している。そして誕生したのが菅直人政権。尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、尖閣列島の領有権問題に火をつけて日中関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めた。

 それに対し、ロシア政府は朝鮮半島を含む東アジアをビジネスで安定化させるという政策を実践に移している。2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。

 ロシア政府はシベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を南下させて釜山までつなげるという計画を持っていた。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはず。現在、この計画は中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながっている。

 2011年の提案を金正日は受け入れるが、その年の12月に急死してしまう。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の院長だった元世勲は暗殺説を唱えていた。

 その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールして東アジアの軍事的な緊張を高め、朝鮮半島に鉄道やパイプラインを建設するというロシアのプランはアメリカ主導の「制裁」で難しくなる。朝鮮の好戦的な姿勢はアメリカを利することになった。

 その朝鮮の姿勢が変化したことを示す出来事が2018年3月26日にあった。金正恩労働党委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談したのだ。同委員長が韓国の文在寅大統領と板門店で会談したのはその1カ月後、4月27日のことだ。

 また、5月31日にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。9月にウラジオストクで開催されるEEF(東方経済フォーラム)に招待、そこでウラジミル・プーチン大統領と会談してはどうかという提案だ。

 この段階で朝鮮の後ろ盾としてロシアと中国がついたわけだが、韓国もロシアと中国との関係を強化していく。東アジアはロシアと中国を中心に回転しはじめたのだ。

 こうした流れは日本も巻き込んでいる。日本の有力企業でスキャンダルが明るみにでたことも無縁ではないだろう。アメリカの属国である日本だが、ビジネスはロシアや中国を抜きに成り立たない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c45

[近代史3] 文在寅大統領の大衆扇動とその背景にあるアメリカの分断統治政策 中川隆
2. 中川隆[-8752] koaQ7Jey 2019年8月19日 06:08:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3990]
2019.08.19
中露の政策に則って動いている朝鮮が米韓軍事演習で中国と軍事的つながり強化

 ​アメリカ軍と韓国軍の合同軍事演習は8月21日から開始​されるという。この演習に朝鮮政府は反発して韓国政府との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に​朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問​、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。

 朝鮮は1980年代の後半にソ連から見捨てられた。1985年にソ連の書記長となった欧米に厚い信仰を寄せるミハイル・ゴルバチョフの政策に基づいている。

 そうした朝鮮に対して手を差し伸べたのが統一教会。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。

 この統一教会はジョージ・H・W・ブッシュと緊密な関係にあり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の創設にも参加している。

 WACLはヨーロッパと東アジアの反コミュニスト勢力、つまりヨーロッパのABN(反ボルシェビキ国家連合)と東アジアのアジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)が合体して作られた組織。その創設にはCIAが関係している。

 APACLは1954年に創設された。その中心は台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関だが、日本からも児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのはこの年だ。

 統一教会の資金が流れ込んだ朝鮮だが、1990年代の終わりになるとアメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。1991年12月にソ連が消滅したことを受けて翌年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、世界制覇に向かって単独行動を始めたことと無縁ではない。

 そのドクトリンを日本へ受け入れさせるために作成されたのが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書いたもので、国連中心主義の立場を放棄してアメリカの単独行動を容認するように求めたのだ。

 その前年、1994年の6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれるという事件(松本サリン事件)が引き起こされ、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同月30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。

 1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。その当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 その後、日本は急ピッチでアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。例えば1996年の「日米安保共同宣言」、97年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、99年の「周辺事態法」、2000年の「アーミテージ報告」といった具合だ。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。

 それと並行して朝鮮半島での戦争を想定した軍事作戦がアメリカで作成されている。例えば、国家としての朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという1998年のOPLAN(作戦計画)5027-98。2003年には空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うというCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。

 そして2010年3月、米韓両軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。

 この沈没に関して5月頃から李明博政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。アメリカ支配層の内部でもこの人脈はこの時点で朝鮮半島の軍事的な緊張が高まることを望んでいなかったということだろう。

 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。

 日本では東アジアの平和を訴えていた鳩山由紀夫首相が2010年6月に検察やマスコミの圧力で辞任している。そして誕生したのが菅直人政権。尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、尖閣列島の領有権問題に火をつけて日中関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めた。

 それに対し、ロシア政府は朝鮮半島を含む東アジアをビジネスで安定化させるという政策を実践に移している。2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。

 ロシア政府はシベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を南下させて釜山までつなげるという計画を持っていた。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはず。現在、この計画は中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながっている。

 2011年の提案を金正日は受け入れるが、その年の12月に急死してしまう。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の院長だった元世勲は暗殺説を唱えていた。

 その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールして東アジアの軍事的な緊張を高め、朝鮮半島に鉄道やパイプラインを建設するというロシアのプランはアメリカ主導の「制裁」で難しくなる。朝鮮の好戦的な姿勢はアメリカを利することになった。

 その朝鮮の姿勢が変化したことを示す出来事が2018年3月26日にあった。金正恩労働党委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談したのだ。同委員長が韓国の文在寅大統領と板門店で会談したのはその1カ月後、4月27日のことだ。

 また、5月31日にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。9月にウラジオストクで開催されるEEF(東方経済フォーラム)に招待、そこでウラジミル・プーチン大統領と会談してはどうかという提案だ。

 この段階で朝鮮の後ろ盾としてロシアと中国がついたわけだが、韓国もロシアと中国との関係を強化していく。東アジアはロシアと中国を中心に回転しはじめたのだ。

 こうした流れは日本も巻き込んでいる。日本の有力企業でスキャンダルが明るみにでたことも無縁ではないだろう。アメリカの属国である日本だが、ビジネスはロシアや中国を抜きに成り立たない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/571.html#c2

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
33. 中川隆[-8763] koaQ7Jey 2019年8月19日 06:30:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3979]
北朝鮮や日本の新左翼、創価学会・オウム、山本太郎・れいわ新選組は CIA と統一教会に支配されている

2019.08.19
中露の政策に則って動いている朝鮮が米韓軍事演習で中国と軍事的つながり強化

 ​アメリカ軍と韓国軍の合同軍事演習は8月21日から開始​されるという。この演習に朝鮮政府は反発して韓国政府との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に​朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問​、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。

 北朝鮮は1980年代の後半にソ連から見捨てられた。1985年にソ連の書記長となった欧米に厚い信仰を寄せるミハイル・ゴルバチョフの政策に基づいている。

 そうした北朝鮮に対して手を差し伸べたのが統一教会。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。

 この統一教会はジョージ・H・W・ブッシュと緊密な関係にあり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の創設にも参加している。

 WACLはヨーロッパと東アジアの反コミュニスト勢力、つまりヨーロッパのABN(反ボルシェビキ国家連合)と東アジアのアジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)が合体して作られた組織。その創設にはCIAが関係している。

 APACLは1954年に創設された。その中心は台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関だが、日本からも児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのはこの年だ。

 統一教会の資金が流れ込んだ朝鮮だが、1990年代の終わりになるとアメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。1991年12月にソ連が消滅したことを受けて翌年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、世界制覇に向かって単独行動を始めたことと無縁ではない。

 そのドクトリンを日本へ受け入れさせるために作成されたのが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書いたもので、国連中心主義の立場を放棄してアメリカの単独行動を容認するように求めたのだ。

 その前年、1994年の6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれるという事件(松本サリン事件)が引き起こされ、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同月30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。

 1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。その当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 その後、日本は急ピッチでアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。例えば1996年の「日米安保共同宣言」、97年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、99年の「周辺事態法」、2000年の「アーミテージ報告」といった具合だ。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。

 それと並行して朝鮮半島での戦争を想定した軍事作戦がアメリカで作成されている。例えば、国家としての朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという1998年のOPLAN(作戦計画)5027-98。2003年には空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うというCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。

 そして2010年3月、米韓両軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。

 この沈没に関して5月頃から李明博政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。アメリカ支配層の内部でもこの人脈はこの時点で朝鮮半島の軍事的な緊張が高まることを望んでいなかったということだろう。

 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。

 日本では東アジアの平和を訴えていた鳩山由紀夫首相が2010年6月に検察やマスコミの圧力で辞任している。そして誕生したのが菅直人政権。尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、尖閣列島の領有権問題に火をつけて日中関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めた。

 それに対し、ロシア政府は朝鮮半島を含む東アジアをビジネスで安定化させるという政策を実践に移している。2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。

 ロシア政府はシベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を南下させて釜山までつなげるという計画を持っていた。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはず。現在、この計画は中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながっている。

 2011年の提案を金正日は受け入れるが、その年の12月に急死してしまう。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の院長だった元世勲は暗殺説を唱えていた。

 その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールして東アジアの軍事的な緊張を高め、朝鮮半島に鉄道やパイプラインを建設するというロシアのプランはアメリカ主導の「制裁」で難しくなる。朝鮮の好戦的な姿勢はアメリカを利することになった。

 その北朝鮮の姿勢が変化したことを示す出来事が2018年3月26日にあった。金正恩労働党委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談したのだ。同委員長が韓国の文在寅大統領と板門店で会談したのはその1カ月後、4月27日のことだ。

 また、5月31日にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が北朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。9月にウラジオストクで開催されるEEF(東方経済フォーラム)に招待、そこでウラジミル・プーチン大統領と会談してはどうかという提案だ。

 この段階で北朝鮮の後ろ盾としてロシアと中国がついたわけだが、韓国もロシアと中国との関係を強化していく。東アジアはロシアと中国を中心に回転しはじめたのだ。

 こうした流れは日本も巻き込んでいる。日本の有力企業でスキャンダルが明るみにでたことも無縁ではないだろう。アメリカの属国である日本だが、ビジネスはロシアや中国を抜きに成り立たない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c33

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
49. 中川隆[-8762] koaQ7Jey 2019年8月19日 06:55:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3980]

ムスリムに音楽の授業拒否を認めることはイスラム過激派を育成していることと同じ。特別扱いは禁止を! 2019年08月18日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12508468780.html


結婚式を狙ったイスラム過激派のテロはよくあります。そしてまた昨日もありました。


結婚式の最中に自爆テロか アフガンで200人超死傷 8/18(日) 12:34配信Yahoo

17日夜、アフガニスタンの首都、カブールの結婚式が行われていた式場で爆発がありました。現地のジャーナリストは当局からの情報として、これまでに50人以上が死亡して、150人以上がけがをしていると伝えています。当時、式場には約1200人が招待されていて、AP通信などによりますと、爆発はミュージシャンらが集まっていたステージの近くで起きたということです。自爆テロとみられています。

(一部抜粋)

補足すると、この地区は少数派のシーア派が多く、過去にイスラム国と繋がりのある過激派組織が何度かテロ攻撃を仕掛けてきました。今回タリバンは関与を否定しています。(WSJ)

アフガニスタンはかつて仏教国でした。「アラー・アクバル」と叫びながらタリバンが破壊したバーミヤンの大仏は、630年に唐の仏僧玄奘がこの地を訪れたときには美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していた(Wikipedia)」、そういう国だったのです。

現在のアフガニスタンは99%がムスリムの国です。(棄教が死刑なら増え続けるわけです)

その中で多くのムスリムたちがミュージシャンを呼んで結婚式をしているのです。

マンチェスターのイスラムテロも、パリ同時多発テロの中で最も死者が多く出たバタクラン劇場もテロの場所は歌手のコンサート会場でした。

イスラム過激派には音楽に親しむような人間はテロの標的でも構わないという意識があるのでしょう。


イスラム教では音楽自体が明確に禁止されてはいないものの、楽器を使った音楽は避けられることが多い。これは、預言者ムハンマドの言行録「ハディース」において、楽器が「悪魔の呼びかけ」であるという記述があるためだ。世俗的な価値観を認めないイスラム過激派にいたっては、楽器の使用を禁じており、楽器を燃やす動画を公開してその意志を示している。(EXCITEニュース)

日本という世俗国家にムスリムが増殖中ですが、お人好し日本人は彼らのごり押しに屈してばかりいます。

群馬県伊勢崎市の公立小学校全校児童350人中ムスリムが6%(21人)もいて、学校近くにモスクまで建てられてしまい、引き寄せられるようにムスリムが集まってきているそうです。

その税金で運営されている公立小学校はムスリムに、全く合理的でない7世紀の教えを守ることを認め特別扱いしています。

「イスラム教では人を興奮させる歌や楽器の演奏が禁じられているので授業を受けられず音楽の時間は別室で自習をさせている」というのです。(NHK)

過激派でなければムスリムでも音楽家を呼んで結婚式をしている人がいるのです。

音楽家付近で自爆テロをしていることを思い出してください。

音楽コンサート会場が過去何度も狙われていることも思い出してください。

テロ被害に遭うムスリムがいる中、テロ実行犯側のムスリム思想に日本は屈しました。

すると、必然的に次のようなことが言えるのです。

日本の公立学校が

イスラム過激思想のムスリムに屈し

その子供を特別扱いすることで

過激思想は正しいというメッセージを発信!

将来のホームグロウンテロの担い手になり得る

イスラム過激派の卵を公費で絶賛育成中!

イスラムの過激思想は逐語的解釈から始まります。

その逐語的解釈の実行を公立学校に要求することはジハードでありスタートなのです。

私たちは間抜けなことに日本でテロ事件が起こる手助けをしているのです。ポーンびっくりゲッソリ

図工や音楽の授業に出ず、お祈りをして…こういう子供たちが日本人に多い仏教徒や神道の氏子に対して教えられているのは次の通りです。恐怖を覚えるほどのヘイト思想なのです。


コーラン3-110

あなたがたは、人類に遣された最良の共同体である。あなたがたは正しいことを命じ、邪悪なことを禁じ、アッラーを信奉する。啓典の民も信仰するならば、かれらのためにどんなによかったか。だがかれらのある者は信仰するが、大部分の者はアッラーの掟に背くものたちである。

コーラン98-6

啓典の民の中(真理を)拒否した者も、多神教徒も、地獄の火に(投げ込まれ)て、その中に永遠に住む。これらは、衆生の中最悪の者である。

イスラムフォビアでムスリムが被害者だ〜ではないんですよ。

彼らこそが非ムスリムへのヘイトを最初に始め、何世紀経っても止めないのです。

異教徒へのヘイト思想を保ちながら非ムスリムの国に進出して勢力を拡大中なのです。

イスラムは単なる宗教ではありません。民主主義とは共存できない社会体制です。

-----------------------------------------------------------------------------

関連過去記事(たくさんあるのでほんの一部です)

・英国:イスラム化された町はほとんどの住民がムスリムとなり”多様性”は完全に消滅しました!

・オランダ:元ムスリムのアヤーン・ヒルシ・アリ氏「イスラム教徒と妥協はない。妥協は民主主義内だけ」

・スウェーデン:元ムスリムのソマリア人「スウェーデン人は50年でスウェーデンを失うだろう」

・仏:ジハーディストが公共サービス部門に浸透/15人がアラー・アクバルと叫びながら警察署を襲撃

・多文化共生主義は移民受け入れに有害。日本で公的機関がハラル食を提供すべきでないと思う理由。

・インドネシア:多数派イスラム教徒による不寛容の拡大 日本はムスリムとの共生が難しいことを知るべき


https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12508468780.html
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c49

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
174. 中川隆[-8761] koaQ7Jey 2019年8月19日 07:11:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3981]

2019年08月19日
自国に誇りを持たない日本人 黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html


ノルウェー人の日本人蔑視

  8月14日に放送されチャンネル桜の番組で、キャスターの高山正之が白人の日本人蔑視について持論を述べていた。彼が持ち出したのは、1999年のカンヌ国際広告祭で金賞を獲得したCMで、ブローテン航空(現在は「SAS Braathens」)が作ったTV広告だ。この映像は、外国語を知らない日本人乗客が、スチュワーデスから差し出された袋入りのサンドウィッチを「おしぼり」と勘違いして顔を拭いてしまう、という設定になっている。具体的に言えば、機内食を渡された日本人が、かけていた眼鏡を外し、ビニール袋の中にある白いパンを「おしぼり」と早合点するという設定になっていた。そして、何も疑わず顔を拭いたら、ピーナツバター(あるいは生クリーム)がベッタリと附いてしまったというオチになっている。さらに、第二幕があって、しばらくすると、スチュワーデスが再び例の袋をもってきた。ところが、ノルウェー語(または英語)を全く話せない日本人は、「お腹いっぱいです」というジェスチャーで答える。ここで観客は大爆笑、という筋書きになっていた。

  高山氏はこうしたTV広告を作ったブローテン航空に怒っていたが、それにもまして、金賞を与えた審査員に日本人がいたことで腹を立てていた。テレビ業界に詳しい人なら驚かないが、審査員の中に電通から派遣された日本人が含まれていたのだ。事件に興味を持った高山氏は博報堂のある社員に接触し、内情を探ってみたという。すると、件(くだん)の審査員は「田中」という人物で、英語が流暢に話せる帰国子女ということが分かった。金賞を与えるには全員の同意が必要であったというから、田中氏も賛成票を投じた訳だ。高山氏は番組の中で日本人意識に缼(か)けた電通社員に憤慨し、「なぜ、こんな侮辱的作品に賞を与えたのか。日本人なら反対しろ」と不快感を表していた。

  こうしたエピソードを聞くと、「やはり、帰国子女だと日本人の立場ではなく、西歐人の立場で考えてしまうんだろうなぁ〜」と思ってしまう。まぁ、日本で生まれ育ち、日本の学校に通った日本人でも、「日本国民」という意識の無い者が多いから、田中氏だけを責めるのは酷だろう。でも、西歐人の前に出ると、途端に卑屈な態度を示す日本人には吐き気がする。特に、歐米人が主催する国際会議や文化評議会などに出席する文化人とか大学教授がそうだ。現地で使用される言葉は英語かフランス語になってしまうので、ゲルマン語が苦手な日本人は、中々発言することができない。まるで「入れ歯を忘れた老人」か「貧血の吸血鬼」みたいだ。

  たとえ共通語を話せたとしても、日本語のように上手く駆使できない場合、思ったことを充分に伝えることはできないから、不満を残す結果となる。もっとマズいのは、拙い英語で相手に誤解を与えてしまうことだ。また、外人に対して反論したくても、反論するだけの知識や論理、度胸すらも無いから、多数派に賛同してお茶を濁す場合だってある。誠に情けないけど、日本国内で威張っている官僚だって似たり寄ったりだ。普段は傲慢不遜な高級官僚でも、アメリカやヨーロッパで開かれる国際会議に出席したりすると、借りてきた猫みたいにおとなしくなる。イギリス人やフランス人相手に猛反論して、日本の国益を守ろうとする役人なんかほぼゼロ。ちょうと、WBAのヘビー級ボクサーに挑戦するバンタム級のアマチュア・ボクサーみたいなものだから、最初から試合を投げている。

大切だが無視される科目

  戦後の日教組教育で洗脳された日本人には、「日本人」としての自覚が無い。もちろん、外国旅行をすれば、いくら暢気な国民でも「自分は日本人」という意識くらいは持つ。だが、それ以上の知識が無いから、「日本人の矜持」をどう保持したらいいのか分からない。日本にいる時は、日本人という意識を持たなくても暮らせるから、敢えて「日本人」ということは考えなくても済む。けど、こんなのは温室の中で大股広げて寝ているデブ猫と同じである。もし、こうした日本人が仕事の都合でアメリカやブリテン、フランス、ドイツなどに転勤したら大変だ。それに、もし家族ぐるみの移住となれば、現地の学校に子供を通わせる選択になるから一大事。ところが、脳天気な親は何とかなるだろうと楽観する。しかし、後になって国語(日本語)や社会(歴史)といった重要科目に気づく。自分の子供がどんな風に育ってしまうのか予想できない親は結構多い。

  例えば、息子がイングランドやアメリカの学校に通ったとする。たぶん、こうした子供は両親よりも上手に英語を話すようになるだろう。英語に劣等コンプレックスを持つ母親だと、「いゃ〜ん、ウチの子、英語ペラペラやん〜 !」と嬉しくなるが、肝心の母国語がお粗末になっていることに気づかない。確かに、日本にずっと居たら大金を払って英会話塾に通わせても、一向に上手くならないから、“お得”な感じがする。アホらしいけど、単純な親は「日本に帰ったらみんなに自慢しよう !」と大喜び。しかし、こうした“バイリンガル”の息子は、どのような日本語を話し、どれくらいの読解力、および作文能力を持つのか? なるほど、イギリス人のクラスメイトを持つ子供は、平均的日本人以上に上手い英語を話し、英語である程度の文章(随筆)くらいは書けるようになる。

  ただし、日本語となれば、どうなのか? 一般的に帰国子女の場合、知っている漢字の数が少ないし、常用漢字以外の正字や歴史的假名遣いを知らないから、ちょっとした古い本を読むこともできない。例えば、「體」を「体」の正漢字と分からないし、「燈油」が「灯油」、「證據」が「証拠」とも判らない。「辨」と「辯」の違いも分からないから、「辨當」を「べんとう」とは読めないし、「花瓣」という漢字を見て「かべん」と発音できないこともある。「欠」が本来は「あくび」で、「闕席(けっせき)」とか「缼陥(けっかん)」使用する漢字ではないと知らない場合もあるから困ったものだ。また、高貴な人物に関する言葉遣いだってあやふやになるから、「天皇陛下から御諚(ごじょう)を賜る」と聞いても、何が何だか見当もつかないし、「袞龍(こんりょう)の袖に隠れる伊藤博文」という陰口を耳にしても、「天子様の御衣のことかぁ」とは思わない。日本の随筆に馴染みが無い帰国子女だと、「判官贔屓(ほうがんひいき)」と聞いて、源義経じゃなく「ハルク・ホーガン(有名なプロレスラー)を好きな人かなぁ〜」と思ってしまう。バイリンガル女子で英語の発音を自慢する人は多いけど、谷崎潤一郎とか森鷗外の小説を原文で読むことができない人は結構いるぞ。まづ、歴史的假名遣いと舊漢字が分からないから、ついつい本を閉じてしまう。こんな状況なら、幸田露伴の小説なんてもっと無理。

  歐米諸国の学校に通う日本人の子供が直面する問題の一つが、歴史の授業だ。もし、イングランドの学校に通うことになったら、英国の歴史を学ぶことになるけど、日本の歴史を学ぶ機会は無い。子供の将来を心配する親なら、日本史の教科書を与えて勉強させるかも知れないが、文科省の教科書なんてつまらないから、子供は直ぐ投げ捨てたくなる。運良く歴史好きの親であれば興味を引くような説明もできるが、一般の親だと副読本を買い与えて終わりだ。普段の宿題で忙しい子供は、日本史を知らないまま地元の高校を卒業し、そのまま歐米の大学に入るか、日本に戻って「帰国子女枠」で推薦入学というパターンになる。試験入学を選ぶ者であれば、英語を中心とした筆記・面接試験を受け、「国際関係学部」とか「比較文化学科」などに進むタイプが多いんじゃないか。でもこれでは、「日本に“留学”する日本人学生」になってしまうだろう。ただし、「国際化時代」とやらを歓迎する大学ならOKだ。何しろ、“国境に囚われない地球市民”が理想ときている。日本語能力なんて端っから価値は無い。英語が上手ならトコロテン式に御卒業だ。

  一般の日本人はさほど重要に思っていないが、「歴史」の授業はある意味、数学や理科の授業よりも重要になってくる。なぜなら、「良き公民」を育成するための必須科目であるからだ。幾何学の試験で30点ないし20点しか取れなくても、成人すれば投票権を与えられるし、元素記号を全て暗記していなくても社会問題は理解できる。しかし、日本の過去を知らないと現在“懸案”となっている政治問題の経緯が分からない。ちゃんとした歴史認識知識を備えていれば、支那人や朝鮮人からのイチャモンにひれ伏すことはないが、カラっぽの頭じゃ平身低頭、有り金を献上して赦しを乞う破目になる。こうした人物は祖先の名誉を傷つけても心が痛まない。そもそも、家庭教育に「名誉」を重んずる徳目が無いんだから。

  日本国民全てが数学者や物理学者になる必要はないが、社会に責任を持つ有権者が記憶喪失状態では困る。祖先との繋がりを忘れ、国家の威信を損なう政策に賛成する国民が増えれば、国家の衰退は避けられない。現在だけを生きている日本人には理解できないだろうが、まっとうな「日本国民」とは、その職業に関係なく、祖先の遺産を引き継ぐ伝承者であり、将来の子孫へ遺産を手渡す保管者でもある。「死んだ後に核戦争が起きても、多民族国家になっても俺の知ったことじゃない !」と言い切る日本人は、自分の息子や娘、幼い孫の顔を見てから断言すべきだ。

帰国子女は祖国に「根」を持っているのか?

  国史を学ばない日本人には、真の愛国心は育たない。かつて、フランスには保守的知識人が少なからずいて、心から自分の郷里を、祖父母の亡骸(なきがら)が眠る大地を、偉大な伝統を誇る祖国を愛していた。例えば、「アクション・フランセーズ(Action Française)」を率いるシャルル・モラスや、反ユダヤ主義を掲げてフランスらしいフランスを守ろうとしたモリス・バレス(Maurice Barrés)が挙げられる。ちなみに、トランプ大統領の補佐官を務めていたスティーヴ・バノンは、マラスを称讃していたそうだ。(Michael Crowley, The Man Who Wants toUnmake the West, Politico Magazine, March/April 2017)

Charles Maurras 1Maurice Barres 1Steve Bannon 1


(左 : シャルル・モラス / 中央 : モリス・バレス / 右 : スティーヴ・バノン )

  とりわけ、バレスの思想は注目に値する。彼と比べたらジャン=ジャク・ルソーやジャン=ポール・サルトルなんて屑に等しい。普遍主義とか世界市民を理想にする左翼知識人と違い、バレスはフランスの大地に“根”を張った国士であった。彼にとってフランスとは「平等」とか「博愛」といった安っぽい言葉で成り立つ共和国ではない。フランスとは王家や教会との赤い絆で結ばれた歴史的結晶体であった。フランス文化の髄液を吸収して育ったバレスにすれば、各国を渡り歩き、ゼニ儲けに専念するユダヤ人など、根無し草のコスモポリタン、すなわち地球上をうろつく寄生民族に過ぎない。「真のフランス人」とは、祖先の遺灰が染み込んだ郷里に根を張る地元民、すなわち王国を築いてきたガリア人である。バレスはフランスの衰退を憂い、祖先との一体感を強調することで祖国を救おうとした。
  
 ・・・私たちが祖先からの連続だということをきっちり理解する、それも単に口先でというだけでなく、感受性鋭くありありと思い描くかどうかにかかっている。このことは、解剖学的にも正しい。祖先が私たちのなかで考え、語っている。一つながりの子孫たちは、同じ存在でしかない。周囲に存在する生命の働きかけのせいで、きわめて巨大な複雑さがそこに出現するかも知れない。しかし、だからといって、何も変質しはしない。それは、完全に仕上げられた建築の秩序に似ている。つねに同一の秩序である。それは、部屋の配置を変更した家に似ている。同じ土台の上に建てられているだけでなく、同じ切り石でできている。つねに同じ家である。(モーリス・バレス 『国家主義とドレフュス事件』 稲葉三千男 訳、創風社、pp.23-24.)

  バレスによれば、フランスの個人は家族の中、民族の中、国家の中で自己発見するそうだ。また、彼は巨大な中央集権によって支配されるフランスに危機感を覚えた。この保守派知識人は、地方色豊かなフランス、独特な歴史の中で育ってきた国、地方から成るフランスを愛し、中央から国家を統制しようと謀るコスモポリタンに対抗しようとした。バレスは言う。「フランス全体の国民性は、地方の国民性で形づくられている」。(上掲書、p.110.)

  愛国者のバレスは、国際主義者によって破壊されようとするフランスを目の当たりにした。そこで彼は地方主義を掲げる。つまり、フランスの大地に根を持つ国民を鼓舞して、自らの援軍にしようとしたのだ。彼は次のように宣言する。

  に心からの忠誠を捧げる。なぜなら、私はプロヴァンス人で、プロヴァンスを熱愛しているからだ。フランス国家の伝統を救おうと立ち上がった全ての人と、私は忠実に連帯する。(上掲書、p.201)

  バレスから見れば、フランスとはガリア人とフランク人の血が流れる巨木のような国家である。もし、大地からの養分を吸収する根が切断されれば、その枝や幹は衰弱し、やがて枯れてしまう。革命に酔いしれた左翼分子は、太古から脈々と続く王国の幹と根を巨大な斧で切り離すことに喜びを感じていた。ちょうど、王侯貴族や聖職者の首を刎(は)ねたように、彼らは何の躊躇もなく国家の連続性を切断しようとする。ただし、中央官庁で国家を牛耳るグローバリストは、ギロチンではなく法律という鋏(ハサミ)でフランスをズタズタに切り裂こうとした。バレスは行政官が作り出す法律によって、家庭や生誕地への愛を維持する地方の風俗や慣習が破壊されたと嘆く。

  先祖伝来のものは全て馬鹿げているから、新案の混合物に取り代えねばならない、と世間ではいう。そうすることで精彩のない愚劣な人びと、あらゆる種類の浮浪者たち、古くから土地々々の伝統を捨てて祖国および祖国を象徴する国旗を軽蔑する人びとを生み出した。(上掲書、p.103)

  本来、国家を形成する公民には、本能とも言える素朴で強固な祖国愛があるはずだ。しかし、祖先の歴史から切り離された子供達、すなわち、意図的に頭を改造され、下らない知識を詰め込まれた記憶喪失者には、祖国への愛や誇り、過去と未来に対する使命感や義務感が無い。こうした孤児(みなしご)が求めるものは、目先の銭であったり、見栄を張るための学歴、儚くも消えてしまう世間からの評判、セックス、スクリーン(映画や娯楽)、スポーツにグルメ(食欲)などである。したがって、日本の歴史を学ばなかった帰国子女に、祖国を誇りとする精神や先祖に対する感謝と敬意が無いのも当然だ。もっと酷い奴になると、傲慢な歐米人と一緒に祖国を小馬鹿にし、それが“進歩的人間”の証しだと思ってしまう。西歐諸国で育った日本人は、日本にどんな価値があるのか知らないから、西歐的な思考や行動様式の方が“上等”なんだ、と勝手に思ってしまうのだ。

  しかし、根無し草の日本人には困った事がある。たとえ、どんなに英語が上手でも、彼らは白人にはなれない。西歐諸国に住んでいれば有色人種と見なされ、日本に帰国すれば日本人のツラをした異邦人。「バイリンガル」になったと喜んでいる親は、現実に直面すると、我が子が「コスモポリタンのエイリアン(異質な浮浪者)」になってしまったことに愕然とする。「日本語や日本史なんて勉強しても価値が無い」と思う親は、フランスに住んでフランス人の友人をつくり、彼らに向かって次のように言ってみればいい。

  「フランスに住めば誰でもフランス語を喋れるし、フランス史を学んでも大金を摑める訳じゃないから、そんな事をしても時間の無駄よ」、と。

  まともなフランス人なら、顎を外すくらい驚くだろう。たぶん、「哀れな奴だ !」と見下すに違いない。常識的なフランス人は、我が子が正しい発音でフランス語を話し、優雅で論理的な文章を書けるよう教育する。子供にとって、美しいフランス語は貴重な財産だ。また、ヨーロッパ文明の中心であるフランスの歴史を学ぶことは喜びであると共に、国民になるための基礎である。パリの街をうろつくジプシーならいいけど、偉大なるフランスに属し、ガリア人の血を引く正統な国民であれば、祖先の栄光と悲劇を心に刻まなければならない。一方、フランスに潜り込んだアルジェリア人やギニア人なんか、フランス史を学んでも「外国史」と変わらないから、「何で俺達が死んだ白人を褒めなきゃならないんだ?!」と唾を吐く。彼らはゲットーの壁に落書きを刻むのが精一杯。しかも、卑猥な言葉か汚い罵倒語だけ。苦笑してしまうが、たまに綴りが間違っていたりする。

  電通の社員なんかに日本国民としての名誉や義務を求めるのは、端っから無理と分かっている。が、こんな連中を「上等国民」と勘違いする庶民も情けない。いくらテレビ局を牛耳る大企業といっても、所詮は銭を最優先するビジネス組織じゃないか。ブローテン航空のCMに反対しなかった田中氏はエリート社員だったのかも知れないが、日本人としての誇りは持っていなかった。もしかしたら、西歐人と真っ向から対峙して、「日本人を馬鹿にするな !」と怒ることを恥じていたのかも知れない。なぜなら、左翼リベラリズムを格好いいと思う西歐人は、国民国家を優先するナショナリズムを「カビ臭い因習」と見なすからだ。でも、田中氏は一体どの国に属していたのか? もし、彼が日本人であったなら、「自分も日本人である」といった事実を忘れていたことになる。英語をネイティヴ並に喋ったからといって、イギリス人に変身できる訳じゃない。歐米で育った帰国子女の中には、自分を白人と錯覚している者がいて、ブローテン航空のCMで描かれる日本人を目にすると、「私はあんな日本人じゃない !」という態度を示す。こういう人物には、「そうだよねぇ〜。君は西歐人みたいだ。だが、君の両親や祖父母は、あの間抜けな日本人と同し種類なんだよ」と言ってやれ。どんな顔つきになるのか楽しみだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c174

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
199. 中川隆[-8760] koaQ7Jey 2019年8月19日 07:12:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3982]

2019年08月19日
自国に誇りを持たない日本人 黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html


ノルウェー人の日本人蔑視

  8月14日に放送されチャンネル桜の番組で、キャスターの高山正之が白人の日本人蔑視について持論を述べていた。彼が持ち出したのは、1999年のカンヌ国際広告祭で金賞を獲得したCMで、ブローテン航空(現在は「SAS Braathens」)が作ったTV広告だ。この映像は、外国語を知らない日本人乗客が、スチュワーデスから差し出された袋入りのサンドウィッチを「おしぼり」と勘違いして顔を拭いてしまう、という設定になっている。具体的に言えば、機内食を渡された日本人が、かけていた眼鏡を外し、ビニール袋の中にある白いパンを「おしぼり」と早合点するという設定になっていた。そして、何も疑わず顔を拭いたら、ピーナツバター(あるいは生クリーム)がベッタリと附いてしまったというオチになっている。さらに、第二幕があって、しばらくすると、スチュワーデスが再び例の袋をもってきた。ところが、ノルウェー語(または英語)を全く話せない日本人は、「お腹いっぱいです」というジェスチャーで答える。ここで観客は大爆笑、という筋書きになっていた。

  高山氏はこうしたTV広告を作ったブローテン航空に怒っていたが、それにもまして、金賞を与えた審査員に日本人がいたことで腹を立てていた。テレビ業界に詳しい人なら驚かないが、審査員の中に電通から派遣された日本人が含まれていたのだ。事件に興味を持った高山氏は博報堂のある社員に接触し、内情を探ってみたという。すると、件(くだん)の審査員は「田中」という人物で、英語が流暢に話せる帰国子女ということが分かった。金賞を与えるには全員の同意が必要であったというから、田中氏も賛成票を投じた訳だ。高山氏は番組の中で日本人意識に缼(か)けた電通社員に憤慨し、「なぜ、こんな侮辱的作品に賞を与えたのか。日本人なら反対しろ」と不快感を表していた。

  こうしたエピソードを聞くと、「やはり、帰国子女だと日本人の立場ではなく、西歐人の立場で考えてしまうんだろうなぁ〜」と思ってしまう。まぁ、日本で生まれ育ち、日本の学校に通った日本人でも、「日本国民」という意識の無い者が多いから、田中氏だけを責めるのは酷だろう。でも、西歐人の前に出ると、途端に卑屈な態度を示す日本人には吐き気がする。特に、歐米人が主催する国際会議や文化評議会などに出席する文化人とか大学教授がそうだ。現地で使用される言葉は英語かフランス語になってしまうので、ゲルマン語が苦手な日本人は、中々発言することができない。まるで「入れ歯を忘れた老人」か「貧血の吸血鬼」みたいだ。

  たとえ共通語を話せたとしても、日本語のように上手く駆使できない場合、思ったことを充分に伝えることはできないから、不満を残す結果となる。もっとマズいのは、拙い英語で相手に誤解を与えてしまうことだ。また、外人に対して反論したくても、反論するだけの知識や論理、度胸すらも無いから、多数派に賛同してお茶を濁す場合だってある。誠に情けないけど、日本国内で威張っている官僚だって似たり寄ったりだ。普段は傲慢不遜な高級官僚でも、アメリカやヨーロッパで開かれる国際会議に出席したりすると、借りてきた猫みたいにおとなしくなる。イギリス人やフランス人相手に猛反論して、日本の国益を守ろうとする役人なんかほぼゼロ。ちょうと、WBAのヘビー級ボクサーに挑戦するバンタム級のアマチュア・ボクサーみたいなものだから、最初から試合を投げている。

大切だが無視される科目

  戦後の日教組教育で洗脳された日本人には、「日本人」としての自覚が無い。もちろん、外国旅行をすれば、いくら暢気な国民でも「自分は日本人」という意識くらいは持つ。だが、それ以上の知識が無いから、「日本人の矜持」をどう保持したらいいのか分からない。日本にいる時は、日本人という意識を持たなくても暮らせるから、敢えて「日本人」ということは考えなくても済む。けど、こんなのは温室の中で大股広げて寝ているデブ猫と同じである。もし、こうした日本人が仕事の都合でアメリカやブリテン、フランス、ドイツなどに転勤したら大変だ。それに、もし家族ぐるみの移住となれば、現地の学校に子供を通わせる選択になるから一大事。ところが、脳天気な親は何とかなるだろうと楽観する。しかし、後になって国語(日本語)や社会(歴史)といった重要科目に気づく。自分の子供がどんな風に育ってしまうのか予想できない親は結構多い。

  例えば、息子がイングランドやアメリカの学校に通ったとする。たぶん、こうした子供は両親よりも上手に英語を話すようになるだろう。英語に劣等コンプレックスを持つ母親だと、「いゃ〜ん、ウチの子、英語ペラペラやん〜 !」と嬉しくなるが、肝心の母国語がお粗末になっていることに気づかない。確かに、日本にずっと居たら大金を払って英会話塾に通わせても、一向に上手くならないから、“お得”な感じがする。アホらしいけど、単純な親は「日本に帰ったらみんなに自慢しよう !」と大喜び。しかし、こうした“バイリンガル”の息子は、どのような日本語を話し、どれくらいの読解力、および作文能力を持つのか? なるほど、イギリス人のクラスメイトを持つ子供は、平均的日本人以上に上手い英語を話し、英語である程度の文章(随筆)くらいは書けるようになる。

  ただし、日本語となれば、どうなのか? 一般的に帰国子女の場合、知っている漢字の数が少ないし、常用漢字以外の正字や歴史的假名遣いを知らないから、ちょっとした古い本を読むこともできない。例えば、「體」を「体」の正漢字と分からないし、「燈油」が「灯油」、「證據」が「証拠」とも判らない。「辨」と「辯」の違いも分からないから、「辨當」を「べんとう」とは読めないし、「花瓣」という漢字を見て「かべん」と発音できないこともある。「欠」が本来は「あくび」で、「闕席(けっせき)」とか「缼陥(けっかん)」使用する漢字ではないと知らない場合もあるから困ったものだ。また、高貴な人物に関する言葉遣いだってあやふやになるから、「天皇陛下から御諚(ごじょう)を賜る」と聞いても、何が何だか見当もつかないし、「袞龍(こんりょう)の袖に隠れる伊藤博文」という陰口を耳にしても、「天子様の御衣のことかぁ」とは思わない。日本の随筆に馴染みが無い帰国子女だと、「判官贔屓(ほうがんひいき)」と聞いて、源義経じゃなく「ハルク・ホーガン(有名なプロレスラー)を好きな人かなぁ〜」と思ってしまう。バイリンガル女子で英語の発音を自慢する人は多いけど、谷崎潤一郎とか森鷗外の小説を原文で読むことができない人は結構いるぞ。まづ、歴史的假名遣いと舊漢字が分からないから、ついつい本を閉じてしまう。こんな状況なら、幸田露伴の小説なんてもっと無理。

  歐米諸国の学校に通う日本人の子供が直面する問題の一つが、歴史の授業だ。もし、イングランドの学校に通うことになったら、英国の歴史を学ぶことになるけど、日本の歴史を学ぶ機会は無い。子供の将来を心配する親なら、日本史の教科書を与えて勉強させるかも知れないが、文科省の教科書なんてつまらないから、子供は直ぐ投げ捨てたくなる。運良く歴史好きの親であれば興味を引くような説明もできるが、一般の親だと副読本を買い与えて終わりだ。普段の宿題で忙しい子供は、日本史を知らないまま地元の高校を卒業し、そのまま歐米の大学に入るか、日本に戻って「帰国子女枠」で推薦入学というパターンになる。試験入学を選ぶ者であれば、英語を中心とした筆記・面接試験を受け、「国際関係学部」とか「比較文化学科」などに進むタイプが多いんじゃないか。でもこれでは、「日本に“留学”する日本人学生」になってしまうだろう。ただし、「国際化時代」とやらを歓迎する大学ならOKだ。何しろ、“国境に囚われない地球市民”が理想ときている。日本語能力なんて端っから価値は無い。英語が上手ならトコロテン式に御卒業だ。

  一般の日本人はさほど重要に思っていないが、「歴史」の授業はある意味、数学や理科の授業よりも重要になってくる。なぜなら、「良き公民」を育成するための必須科目であるからだ。幾何学の試験で30点ないし20点しか取れなくても、成人すれば投票権を与えられるし、元素記号を全て暗記していなくても社会問題は理解できる。しかし、日本の過去を知らないと現在“懸案”となっている政治問題の経緯が分からない。ちゃんとした歴史認識知識を備えていれば、支那人や朝鮮人からのイチャモンにひれ伏すことはないが、カラっぽの頭じゃ平身低頭、有り金を献上して赦しを乞う破目になる。こうした人物は祖先の名誉を傷つけても心が痛まない。そもそも、家庭教育に「名誉」を重んずる徳目が無いんだから。

  日本国民全てが数学者や物理学者になる必要はないが、社会に責任を持つ有権者が記憶喪失状態では困る。祖先との繋がりを忘れ、国家の威信を損なう政策に賛成する国民が増えれば、国家の衰退は避けられない。現在だけを生きている日本人には理解できないだろうが、まっとうな「日本国民」とは、その職業に関係なく、祖先の遺産を引き継ぐ伝承者であり、将来の子孫へ遺産を手渡す保管者でもある。「死んだ後に核戦争が起きても、多民族国家になっても俺の知ったことじゃない !」と言い切る日本人は、自分の息子や娘、幼い孫の顔を見てから断言すべきだ。

帰国子女は祖国に「根」を持っているのか?

  国史を学ばない日本人には、真の愛国心は育たない。かつて、フランスには保守的知識人が少なからずいて、心から自分の郷里を、祖父母の亡骸(なきがら)が眠る大地を、偉大な伝統を誇る祖国を愛していた。例えば、「アクション・フランセーズ(Action Française)」を率いるシャルル・モラスや、反ユダヤ主義を掲げてフランスらしいフランスを守ろうとしたモリス・バレス(Maurice Barrés)が挙げられる。ちなみに、トランプ大統領の補佐官を務めていたスティーヴ・バノンは、マラスを称讃していたそうだ。(Michael Crowley, The Man Who Wants toUnmake the West, Politico Magazine, March/April 2017)

Charles Maurras 1Maurice Barres 1Steve Bannon 1


(左 : シャルル・モラス / 中央 : モリス・バレス / 右 : スティーヴ・バノン )

  とりわけ、バレスの思想は注目に値する。彼と比べたらジャン=ジャク・ルソーやジャン=ポール・サルトルなんて屑に等しい。普遍主義とか世界市民を理想にする左翼知識人と違い、バレスはフランスの大地に“根”を張った国士であった。彼にとってフランスとは「平等」とか「博愛」といった安っぽい言葉で成り立つ共和国ではない。フランスとは王家や教会との赤い絆で結ばれた歴史的結晶体であった。フランス文化の髄液を吸収して育ったバレスにすれば、各国を渡り歩き、ゼニ儲けに専念するユダヤ人など、根無し草のコスモポリタン、すなわち地球上をうろつく寄生民族に過ぎない。「真のフランス人」とは、祖先の遺灰が染み込んだ郷里に根を張る地元民、すなわち王国を築いてきたガリア人である。バレスはフランスの衰退を憂い、祖先との一体感を強調することで祖国を救おうとした。
  
 ・・・私たちが祖先からの連続だということをきっちり理解する、それも単に口先でというだけでなく、感受性鋭くありありと思い描くかどうかにかかっている。このことは、解剖学的にも正しい。祖先が私たちのなかで考え、語っている。一つながりの子孫たちは、同じ存在でしかない。周囲に存在する生命の働きかけのせいで、きわめて巨大な複雑さがそこに出現するかも知れない。しかし、だからといって、何も変質しはしない。それは、完全に仕上げられた建築の秩序に似ている。つねに同一の秩序である。それは、部屋の配置を変更した家に似ている。同じ土台の上に建てられているだけでなく、同じ切り石でできている。つねに同じ家である。(モーリス・バレス 『国家主義とドレフュス事件』 稲葉三千男 訳、創風社、pp.23-24.)

  バレスによれば、フランスの個人は家族の中、民族の中、国家の中で自己発見するそうだ。また、彼は巨大な中央集権によって支配されるフランスに危機感を覚えた。この保守派知識人は、地方色豊かなフランス、独特な歴史の中で育ってきた国、地方から成るフランスを愛し、中央から国家を統制しようと謀るコスモポリタンに対抗しようとした。バレスは言う。「フランス全体の国民性は、地方の国民性で形づくられている」。(上掲書、p.110.)

  愛国者のバレスは、国際主義者によって破壊されようとするフランスを目の当たりにした。そこで彼は地方主義を掲げる。つまり、フランスの大地に根を持つ国民を鼓舞して、自らの援軍にしようとしたのだ。彼は次のように宣言する。

  に心からの忠誠を捧げる。なぜなら、私はプロヴァンス人で、プロヴァンスを熱愛しているからだ。フランス国家の伝統を救おうと立ち上がった全ての人と、私は忠実に連帯する。(上掲書、p.201)

  バレスから見れば、フランスとはガリア人とフランク人の血が流れる巨木のような国家である。もし、大地からの養分を吸収する根が切断されれば、その枝や幹は衰弱し、やがて枯れてしまう。革命に酔いしれた左翼分子は、太古から脈々と続く王国の幹と根を巨大な斧で切り離すことに喜びを感じていた。ちょうど、王侯貴族や聖職者の首を刎(は)ねたように、彼らは何の躊躇もなく国家の連続性を切断しようとする。ただし、中央官庁で国家を牛耳るグローバリストは、ギロチンではなく法律という鋏(ハサミ)でフランスをズタズタに切り裂こうとした。バレスは行政官が作り出す法律によって、家庭や生誕地への愛を維持する地方の風俗や慣習が破壊されたと嘆く。

  先祖伝来のものは全て馬鹿げているから、新案の混合物に取り代えねばならない、と世間ではいう。そうすることで精彩のない愚劣な人びと、あらゆる種類の浮浪者たち、古くから土地々々の伝統を捨てて祖国および祖国を象徴する国旗を軽蔑する人びとを生み出した。(上掲書、p.103)

  本来、国家を形成する公民には、本能とも言える素朴で強固な祖国愛があるはずだ。しかし、祖先の歴史から切り離された子供達、すなわち、意図的に頭を改造され、下らない知識を詰め込まれた記憶喪失者には、祖国への愛や誇り、過去と未来に対する使命感や義務感が無い。こうした孤児(みなしご)が求めるものは、目先の銭であったり、見栄を張るための学歴、儚くも消えてしまう世間からの評判、セックス、スクリーン(映画や娯楽)、スポーツにグルメ(食欲)などである。したがって、日本の歴史を学ばなかった帰国子女に、祖国を誇りとする精神や先祖に対する感謝と敬意が無いのも当然だ。もっと酷い奴になると、傲慢な歐米人と一緒に祖国を小馬鹿にし、それが“進歩的人間”の証しだと思ってしまう。西歐諸国で育った日本人は、日本にどんな価値があるのか知らないから、西歐的な思考や行動様式の方が“上等”なんだ、と勝手に思ってしまうのだ。

  しかし、根無し草の日本人には困った事がある。たとえ、どんなに英語が上手でも、彼らは白人にはなれない。西歐諸国に住んでいれば有色人種と見なされ、日本に帰国すれば日本人のツラをした異邦人。「バイリンガル」になったと喜んでいる親は、現実に直面すると、我が子が「コスモポリタンのエイリアン(異質な浮浪者)」になってしまったことに愕然とする。「日本語や日本史なんて勉強しても価値が無い」と思う親は、フランスに住んでフランス人の友人をつくり、彼らに向かって次のように言ってみればいい。

  「フランスに住めば誰でもフランス語を喋れるし、フランス史を学んでも大金を摑める訳じゃないから、そんな事をしても時間の無駄よ」、と。

  まともなフランス人なら、顎を外すくらい驚くだろう。たぶん、「哀れな奴だ !」と見下すに違いない。常識的なフランス人は、我が子が正しい発音でフランス語を話し、優雅で論理的な文章を書けるよう教育する。子供にとって、美しいフランス語は貴重な財産だ。また、ヨーロッパ文明の中心であるフランスの歴史を学ぶことは喜びであると共に、国民になるための基礎である。パリの街をうろつくジプシーならいいけど、偉大なるフランスに属し、ガリア人の血を引く正統な国民であれば、祖先の栄光と悲劇を心に刻まなければならない。一方、フランスに潜り込んだアルジェリア人やギニア人なんか、フランス史を学んでも「外国史」と変わらないから、「何で俺達が死んだ白人を褒めなきゃならないんだ?!」と唾を吐く。彼らはゲットーの壁に落書きを刻むのが精一杯。しかも、卑猥な言葉か汚い罵倒語だけ。苦笑してしまうが、たまに綴りが間違っていたりする。

  電通の社員なんかに日本国民としての名誉や義務を求めるのは、端っから無理と分かっている。が、こんな連中を「上等国民」と勘違いする庶民も情けない。いくらテレビ局を牛耳る大企業といっても、所詮は銭を最優先するビジネス組織じゃないか。ブローテン航空のCMに反対しなかった田中氏はエリート社員だったのかも知れないが、日本人としての誇りは持っていなかった。もしかしたら、西歐人と真っ向から対峙して、「日本人を馬鹿にするな !」と怒ることを恥じていたのかも知れない。なぜなら、左翼リベラリズムを格好いいと思う西歐人は、国民国家を優先するナショナリズムを「カビ臭い因習」と見なすからだ。でも、田中氏は一体どの国に属していたのか? もし、彼が日本人であったなら、「自分も日本人である」といった事実を忘れていたことになる。英語をネイティヴ並に喋ったからといって、イギリス人に変身できる訳じゃない。歐米で育った帰国子女の中には、自分を白人と錯覚している者がいて、ブローテン航空のCMで描かれる日本人を目にすると、「私はあんな日本人じゃない !」という態度を示す。こういう人物には、「そうだよねぇ〜。君は西歐人みたいだ。だが、君の両親や祖父母は、あの間抜けな日本人と同し種類なんだよ」と言ってやれ。どんな顔つきになるのか楽しみだ。

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[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
101. 中川隆[-8759] koaQ7Jey 2019年8月19日 07:12:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3983]

2019年08月19日
自国に誇りを持たない日本人 黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html


ノルウェー人の日本人蔑視

  8月14日に放送されチャンネル桜の番組で、キャスターの高山正之が白人の日本人蔑視について持論を述べていた。彼が持ち出したのは、1999年のカンヌ国際広告祭で金賞を獲得したCMで、ブローテン航空(現在は「SAS Braathens」)が作ったTV広告だ。この映像は、外国語を知らない日本人乗客が、スチュワーデスから差し出された袋入りのサンドウィッチを「おしぼり」と勘違いして顔を拭いてしまう、という設定になっている。具体的に言えば、機内食を渡された日本人が、かけていた眼鏡を外し、ビニール袋の中にある白いパンを「おしぼり」と早合点するという設定になっていた。そして、何も疑わず顔を拭いたら、ピーナツバター(あるいは生クリーム)がベッタリと附いてしまったというオチになっている。さらに、第二幕があって、しばらくすると、スチュワーデスが再び例の袋をもってきた。ところが、ノルウェー語(または英語)を全く話せない日本人は、「お腹いっぱいです」というジェスチャーで答える。ここで観客は大爆笑、という筋書きになっていた。

  高山氏はこうしたTV広告を作ったブローテン航空に怒っていたが、それにもまして、金賞を与えた審査員に日本人がいたことで腹を立てていた。テレビ業界に詳しい人なら驚かないが、審査員の中に電通から派遣された日本人が含まれていたのだ。事件に興味を持った高山氏は博報堂のある社員に接触し、内情を探ってみたという。すると、件(くだん)の審査員は「田中」という人物で、英語が流暢に話せる帰国子女ということが分かった。金賞を与えるには全員の同意が必要であったというから、田中氏も賛成票を投じた訳だ。高山氏は番組の中で日本人意識に缼(か)けた電通社員に憤慨し、「なぜ、こんな侮辱的作品に賞を与えたのか。日本人なら反対しろ」と不快感を表していた。

  こうしたエピソードを聞くと、「やはり、帰国子女だと日本人の立場ではなく、西歐人の立場で考えてしまうんだろうなぁ〜」と思ってしまう。まぁ、日本で生まれ育ち、日本の学校に通った日本人でも、「日本国民」という意識の無い者が多いから、田中氏だけを責めるのは酷だろう。でも、西歐人の前に出ると、途端に卑屈な態度を示す日本人には吐き気がする。特に、歐米人が主催する国際会議や文化評議会などに出席する文化人とか大学教授がそうだ。現地で使用される言葉は英語かフランス語になってしまうので、ゲルマン語が苦手な日本人は、中々発言することができない。まるで「入れ歯を忘れた老人」か「貧血の吸血鬼」みたいだ。

  たとえ共通語を話せたとしても、日本語のように上手く駆使できない場合、思ったことを充分に伝えることはできないから、不満を残す結果となる。もっとマズいのは、拙い英語で相手に誤解を与えてしまうことだ。また、外人に対して反論したくても、反論するだけの知識や論理、度胸すらも無いから、多数派に賛同してお茶を濁す場合だってある。誠に情けないけど、日本国内で威張っている官僚だって似たり寄ったりだ。普段は傲慢不遜な高級官僚でも、アメリカやヨーロッパで開かれる国際会議に出席したりすると、借りてきた猫みたいにおとなしくなる。イギリス人やフランス人相手に猛反論して、日本の国益を守ろうとする役人なんかほぼゼロ。ちょうと、WBAのヘビー級ボクサーに挑戦するバンタム級のアマチュア・ボクサーみたいなものだから、最初から試合を投げている。

大切だが無視される科目

  戦後の日教組教育で洗脳された日本人には、「日本人」としての自覚が無い。もちろん、外国旅行をすれば、いくら暢気な国民でも「自分は日本人」という意識くらいは持つ。だが、それ以上の知識が無いから、「日本人の矜持」をどう保持したらいいのか分からない。日本にいる時は、日本人という意識を持たなくても暮らせるから、敢えて「日本人」ということは考えなくても済む。けど、こんなのは温室の中で大股広げて寝ているデブ猫と同じである。もし、こうした日本人が仕事の都合でアメリカやブリテン、フランス、ドイツなどに転勤したら大変だ。それに、もし家族ぐるみの移住となれば、現地の学校に子供を通わせる選択になるから一大事。ところが、脳天気な親は何とかなるだろうと楽観する。しかし、後になって国語(日本語)や社会(歴史)といった重要科目に気づく。自分の子供がどんな風に育ってしまうのか予想できない親は結構多い。

  例えば、息子がイングランドやアメリカの学校に通ったとする。たぶん、こうした子供は両親よりも上手に英語を話すようになるだろう。英語に劣等コンプレックスを持つ母親だと、「いゃ〜ん、ウチの子、英語ペラペラやん〜 !」と嬉しくなるが、肝心の母国語がお粗末になっていることに気づかない。確かに、日本にずっと居たら大金を払って英会話塾に通わせても、一向に上手くならないから、“お得”な感じがする。アホらしいけど、単純な親は「日本に帰ったらみんなに自慢しよう !」と大喜び。しかし、こうした“バイリンガル”の息子は、どのような日本語を話し、どれくらいの読解力、および作文能力を持つのか? なるほど、イギリス人のクラスメイトを持つ子供は、平均的日本人以上に上手い英語を話し、英語である程度の文章(随筆)くらいは書けるようになる。

  ただし、日本語となれば、どうなのか? 一般的に帰国子女の場合、知っている漢字の数が少ないし、常用漢字以外の正字や歴史的假名遣いを知らないから、ちょっとした古い本を読むこともできない。例えば、「體」を「体」の正漢字と分からないし、「燈油」が「灯油」、「證據」が「証拠」とも判らない。「辨」と「辯」の違いも分からないから、「辨當」を「べんとう」とは読めないし、「花瓣」という漢字を見て「かべん」と発音できないこともある。「欠」が本来は「あくび」で、「闕席(けっせき)」とか「缼陥(けっかん)」使用する漢字ではないと知らない場合もあるから困ったものだ。また、高貴な人物に関する言葉遣いだってあやふやになるから、「天皇陛下から御諚(ごじょう)を賜る」と聞いても、何が何だか見当もつかないし、「袞龍(こんりょう)の袖に隠れる伊藤博文」という陰口を耳にしても、「天子様の御衣のことかぁ」とは思わない。日本の随筆に馴染みが無い帰国子女だと、「判官贔屓(ほうがんひいき)」と聞いて、源義経じゃなく「ハルク・ホーガン(有名なプロレスラー)を好きな人かなぁ〜」と思ってしまう。バイリンガル女子で英語の発音を自慢する人は多いけど、谷崎潤一郎とか森鷗外の小説を原文で読むことができない人は結構いるぞ。まづ、歴史的假名遣いと舊漢字が分からないから、ついつい本を閉じてしまう。こんな状況なら、幸田露伴の小説なんてもっと無理。

  歐米諸国の学校に通う日本人の子供が直面する問題の一つが、歴史の授業だ。もし、イングランドの学校に通うことになったら、英国の歴史を学ぶことになるけど、日本の歴史を学ぶ機会は無い。子供の将来を心配する親なら、日本史の教科書を与えて勉強させるかも知れないが、文科省の教科書なんてつまらないから、子供は直ぐ投げ捨てたくなる。運良く歴史好きの親であれば興味を引くような説明もできるが、一般の親だと副読本を買い与えて終わりだ。普段の宿題で忙しい子供は、日本史を知らないまま地元の高校を卒業し、そのまま歐米の大学に入るか、日本に戻って「帰国子女枠」で推薦入学というパターンになる。試験入学を選ぶ者であれば、英語を中心とした筆記・面接試験を受け、「国際関係学部」とか「比較文化学科」などに進むタイプが多いんじゃないか。でもこれでは、「日本に“留学”する日本人学生」になってしまうだろう。ただし、「国際化時代」とやらを歓迎する大学ならOKだ。何しろ、“国境に囚われない地球市民”が理想ときている。日本語能力なんて端っから価値は無い。英語が上手ならトコロテン式に御卒業だ。

  一般の日本人はさほど重要に思っていないが、「歴史」の授業はある意味、数学や理科の授業よりも重要になってくる。なぜなら、「良き公民」を育成するための必須科目であるからだ。幾何学の試験で30点ないし20点しか取れなくても、成人すれば投票権を与えられるし、元素記号を全て暗記していなくても社会問題は理解できる。しかし、日本の過去を知らないと現在“懸案”となっている政治問題の経緯が分からない。ちゃんとした歴史認識知識を備えていれば、支那人や朝鮮人からのイチャモンにひれ伏すことはないが、カラっぽの頭じゃ平身低頭、有り金を献上して赦しを乞う破目になる。こうした人物は祖先の名誉を傷つけても心が痛まない。そもそも、家庭教育に「名誉」を重んずる徳目が無いんだから。

  日本国民全てが数学者や物理学者になる必要はないが、社会に責任を持つ有権者が記憶喪失状態では困る。祖先との繋がりを忘れ、国家の威信を損なう政策に賛成する国民が増えれば、国家の衰退は避けられない。現在だけを生きている日本人には理解できないだろうが、まっとうな「日本国民」とは、その職業に関係なく、祖先の遺産を引き継ぐ伝承者であり、将来の子孫へ遺産を手渡す保管者でもある。「死んだ後に核戦争が起きても、多民族国家になっても俺の知ったことじゃない !」と言い切る日本人は、自分の息子や娘、幼い孫の顔を見てから断言すべきだ。

帰国子女は祖国に「根」を持っているのか?

  国史を学ばない日本人には、真の愛国心は育たない。かつて、フランスには保守的知識人が少なからずいて、心から自分の郷里を、祖父母の亡骸(なきがら)が眠る大地を、偉大な伝統を誇る祖国を愛していた。例えば、「アクション・フランセーズ(Action Française)」を率いるシャルル・モラスや、反ユダヤ主義を掲げてフランスらしいフランスを守ろうとしたモリス・バレス(Maurice Barrés)が挙げられる。ちなみに、トランプ大統領の補佐官を務めていたスティーヴ・バノンは、マラスを称讃していたそうだ。(Michael Crowley, The Man Who Wants toUnmake the West, Politico Magazine, March/April 2017)

Charles Maurras 1Maurice Barres 1Steve Bannon 1


(左 : シャルル・モラス / 中央 : モリス・バレス / 右 : スティーヴ・バノン )

  とりわけ、バレスの思想は注目に値する。彼と比べたらジャン=ジャク・ルソーやジャン=ポール・サルトルなんて屑に等しい。普遍主義とか世界市民を理想にする左翼知識人と違い、バレスはフランスの大地に“根”を張った国士であった。彼にとってフランスとは「平等」とか「博愛」といった安っぽい言葉で成り立つ共和国ではない。フランスとは王家や教会との赤い絆で結ばれた歴史的結晶体であった。フランス文化の髄液を吸収して育ったバレスにすれば、各国を渡り歩き、ゼニ儲けに専念するユダヤ人など、根無し草のコスモポリタン、すなわち地球上をうろつく寄生民族に過ぎない。「真のフランス人」とは、祖先の遺灰が染み込んだ郷里に根を張る地元民、すなわち王国を築いてきたガリア人である。バレスはフランスの衰退を憂い、祖先との一体感を強調することで祖国を救おうとした。
  
 ・・・私たちが祖先からの連続だということをきっちり理解する、それも単に口先でというだけでなく、感受性鋭くありありと思い描くかどうかにかかっている。このことは、解剖学的にも正しい。祖先が私たちのなかで考え、語っている。一つながりの子孫たちは、同じ存在でしかない。周囲に存在する生命の働きかけのせいで、きわめて巨大な複雑さがそこに出現するかも知れない。しかし、だからといって、何も変質しはしない。それは、完全に仕上げられた建築の秩序に似ている。つねに同一の秩序である。それは、部屋の配置を変更した家に似ている。同じ土台の上に建てられているだけでなく、同じ切り石でできている。つねに同じ家である。(モーリス・バレス 『国家主義とドレフュス事件』 稲葉三千男 訳、創風社、pp.23-24.)

  バレスによれば、フランスの個人は家族の中、民族の中、国家の中で自己発見するそうだ。また、彼は巨大な中央集権によって支配されるフランスに危機感を覚えた。この保守派知識人は、地方色豊かなフランス、独特な歴史の中で育ってきた国、地方から成るフランスを愛し、中央から国家を統制しようと謀るコスモポリタンに対抗しようとした。バレスは言う。「フランス全体の国民性は、地方の国民性で形づくられている」。(上掲書、p.110.)

  愛国者のバレスは、国際主義者によって破壊されようとするフランスを目の当たりにした。そこで彼は地方主義を掲げる。つまり、フランスの大地に根を持つ国民を鼓舞して、自らの援軍にしようとしたのだ。彼は次のように宣言する。

  に心からの忠誠を捧げる。なぜなら、私はプロヴァンス人で、プロヴァンスを熱愛しているからだ。フランス国家の伝統を救おうと立ち上がった全ての人と、私は忠実に連帯する。(上掲書、p.201)

  バレスから見れば、フランスとはガリア人とフランク人の血が流れる巨木のような国家である。もし、大地からの養分を吸収する根が切断されれば、その枝や幹は衰弱し、やがて枯れてしまう。革命に酔いしれた左翼分子は、太古から脈々と続く王国の幹と根を巨大な斧で切り離すことに喜びを感じていた。ちょうど、王侯貴族や聖職者の首を刎(は)ねたように、彼らは何の躊躇もなく国家の連続性を切断しようとする。ただし、中央官庁で国家を牛耳るグローバリストは、ギロチンではなく法律という鋏(ハサミ)でフランスをズタズタに切り裂こうとした。バレスは行政官が作り出す法律によって、家庭や生誕地への愛を維持する地方の風俗や慣習が破壊されたと嘆く。

  先祖伝来のものは全て馬鹿げているから、新案の混合物に取り代えねばならない、と世間ではいう。そうすることで精彩のない愚劣な人びと、あらゆる種類の浮浪者たち、古くから土地々々の伝統を捨てて祖国および祖国を象徴する国旗を軽蔑する人びとを生み出した。(上掲書、p.103)

  本来、国家を形成する公民には、本能とも言える素朴で強固な祖国愛があるはずだ。しかし、祖先の歴史から切り離された子供達、すなわち、意図的に頭を改造され、下らない知識を詰め込まれた記憶喪失者には、祖国への愛や誇り、過去と未来に対する使命感や義務感が無い。こうした孤児(みなしご)が求めるものは、目先の銭であったり、見栄を張るための学歴、儚くも消えてしまう世間からの評判、セックス、スクリーン(映画や娯楽)、スポーツにグルメ(食欲)などである。したがって、日本の歴史を学ばなかった帰国子女に、祖国を誇りとする精神や先祖に対する感謝と敬意が無いのも当然だ。もっと酷い奴になると、傲慢な歐米人と一緒に祖国を小馬鹿にし、それが“進歩的人間”の証しだと思ってしまう。西歐諸国で育った日本人は、日本にどんな価値があるのか知らないから、西歐的な思考や行動様式の方が“上等”なんだ、と勝手に思ってしまうのだ。

  しかし、根無し草の日本人には困った事がある。たとえ、どんなに英語が上手でも、彼らは白人にはなれない。西歐諸国に住んでいれば有色人種と見なされ、日本に帰国すれば日本人のツラをした異邦人。「バイリンガル」になったと喜んでいる親は、現実に直面すると、我が子が「コスモポリタンのエイリアン(異質な浮浪者)」になってしまったことに愕然とする。「日本語や日本史なんて勉強しても価値が無い」と思う親は、フランスに住んでフランス人の友人をつくり、彼らに向かって次のように言ってみればいい。

  「フランスに住めば誰でもフランス語を喋れるし、フランス史を学んでも大金を摑める訳じゃないから、そんな事をしても時間の無駄よ」、と。

  まともなフランス人なら、顎を外すくらい驚くだろう。たぶん、「哀れな奴だ !」と見下すに違いない。常識的なフランス人は、我が子が正しい発音でフランス語を話し、優雅で論理的な文章を書けるよう教育する。子供にとって、美しいフランス語は貴重な財産だ。また、ヨーロッパ文明の中心であるフランスの歴史を学ぶことは喜びであると共に、国民になるための基礎である。パリの街をうろつくジプシーならいいけど、偉大なるフランスに属し、ガリア人の血を引く正統な国民であれば、祖先の栄光と悲劇を心に刻まなければならない。一方、フランスに潜り込んだアルジェリア人やギニア人なんか、フランス史を学んでも「外国史」と変わらないから、「何で俺達が死んだ白人を褒めなきゃならないんだ?!」と唾を吐く。彼らはゲットーの壁に落書きを刻むのが精一杯。しかも、卑猥な言葉か汚い罵倒語だけ。苦笑してしまうが、たまに綴りが間違っていたりする。

  電通の社員なんかに日本国民としての名誉や義務を求めるのは、端っから無理と分かっている。が、こんな連中を「上等国民」と勘違いする庶民も情けない。いくらテレビ局を牛耳る大企業といっても、所詮は銭を最優先するビジネス組織じゃないか。ブローテン航空のCMに反対しなかった田中氏はエリート社員だったのかも知れないが、日本人としての誇りは持っていなかった。もしかしたら、西歐人と真っ向から対峙して、「日本人を馬鹿にするな !」と怒ることを恥じていたのかも知れない。なぜなら、左翼リベラリズムを格好いいと思う西歐人は、国民国家を優先するナショナリズムを「カビ臭い因習」と見なすからだ。でも、田中氏は一体どの国に属していたのか? もし、彼が日本人であったなら、「自分も日本人である」といった事実を忘れていたことになる。英語をネイティヴ並に喋ったからといって、イギリス人に変身できる訳じゃない。歐米で育った帰国子女の中には、自分を白人と錯覚している者がいて、ブローテン航空のCMで描かれる日本人を目にすると、「私はあんな日本人じゃない !」という態度を示す。こういう人物には、「そうだよねぇ〜。君は西歐人みたいだ。だが、君の両親や祖父母は、あの間抜けな日本人と同し種類なんだよ」と言ってやれ。どんな顔つきになるのか楽しみだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c101

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
53. 中川隆[-8758] koaQ7Jey 2019年8月19日 07:12:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3984]

2019年08月19日
自国に誇りを持たない日本人 黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html


ノルウェー人の日本人蔑視

  8月14日に放送されチャンネル桜の番組で、キャスターの高山正之が白人の日本人蔑視について持論を述べていた。彼が持ち出したのは、1999年のカンヌ国際広告祭で金賞を獲得したCMで、ブローテン航空(現在は「SAS Braathens」)が作ったTV広告だ。この映像は、外国語を知らない日本人乗客が、スチュワーデスから差し出された袋入りのサンドウィッチを「おしぼり」と勘違いして顔を拭いてしまう、という設定になっている。具体的に言えば、機内食を渡された日本人が、かけていた眼鏡を外し、ビニール袋の中にある白いパンを「おしぼり」と早合点するという設定になっていた。そして、何も疑わず顔を拭いたら、ピーナツバター(あるいは生クリーム)がベッタリと附いてしまったというオチになっている。さらに、第二幕があって、しばらくすると、スチュワーデスが再び例の袋をもってきた。ところが、ノルウェー語(または英語)を全く話せない日本人は、「お腹いっぱいです」というジェスチャーで答える。ここで観客は大爆笑、という筋書きになっていた。

  高山氏はこうしたTV広告を作ったブローテン航空に怒っていたが、それにもまして、金賞を与えた審査員に日本人がいたことで腹を立てていた。テレビ業界に詳しい人なら驚かないが、審査員の中に電通から派遣された日本人が含まれていたのだ。事件に興味を持った高山氏は博報堂のある社員に接触し、内情を探ってみたという。すると、件(くだん)の審査員は「田中」という人物で、英語が流暢に話せる帰国子女ということが分かった。金賞を与えるには全員の同意が必要であったというから、田中氏も賛成票を投じた訳だ。高山氏は番組の中で日本人意識に缼(か)けた電通社員に憤慨し、「なぜ、こんな侮辱的作品に賞を与えたのか。日本人なら反対しろ」と不快感を表していた。

  こうしたエピソードを聞くと、「やはり、帰国子女だと日本人の立場ではなく、西歐人の立場で考えてしまうんだろうなぁ〜」と思ってしまう。まぁ、日本で生まれ育ち、日本の学校に通った日本人でも、「日本国民」という意識の無い者が多いから、田中氏だけを責めるのは酷だろう。でも、西歐人の前に出ると、途端に卑屈な態度を示す日本人には吐き気がする。特に、歐米人が主催する国際会議や文化評議会などに出席する文化人とか大学教授がそうだ。現地で使用される言葉は英語かフランス語になってしまうので、ゲルマン語が苦手な日本人は、中々発言することができない。まるで「入れ歯を忘れた老人」か「貧血の吸血鬼」みたいだ。

  たとえ共通語を話せたとしても、日本語のように上手く駆使できない場合、思ったことを充分に伝えることはできないから、不満を残す結果となる。もっとマズいのは、拙い英語で相手に誤解を与えてしまうことだ。また、外人に対して反論したくても、反論するだけの知識や論理、度胸すらも無いから、多数派に賛同してお茶を濁す場合だってある。誠に情けないけど、日本国内で威張っている官僚だって似たり寄ったりだ。普段は傲慢不遜な高級官僚でも、アメリカやヨーロッパで開かれる国際会議に出席したりすると、借りてきた猫みたいにおとなしくなる。イギリス人やフランス人相手に猛反論して、日本の国益を守ろうとする役人なんかほぼゼロ。ちょうと、WBAのヘビー級ボクサーに挑戦するバンタム級のアマチュア・ボクサーみたいなものだから、最初から試合を投げている。

大切だが無視される科目

  戦後の日教組教育で洗脳された日本人には、「日本人」としての自覚が無い。もちろん、外国旅行をすれば、いくら暢気な国民でも「自分は日本人」という意識くらいは持つ。だが、それ以上の知識が無いから、「日本人の矜持」をどう保持したらいいのか分からない。日本にいる時は、日本人という意識を持たなくても暮らせるから、敢えて「日本人」ということは考えなくても済む。けど、こんなのは温室の中で大股広げて寝ているデブ猫と同じである。もし、こうした日本人が仕事の都合でアメリカやブリテン、フランス、ドイツなどに転勤したら大変だ。それに、もし家族ぐるみの移住となれば、現地の学校に子供を通わせる選択になるから一大事。ところが、脳天気な親は何とかなるだろうと楽観する。しかし、後になって国語(日本語)や社会(歴史)といった重要科目に気づく。自分の子供がどんな風に育ってしまうのか予想できない親は結構多い。

  例えば、息子がイングランドやアメリカの学校に通ったとする。たぶん、こうした子供は両親よりも上手に英語を話すようになるだろう。英語に劣等コンプレックスを持つ母親だと、「いゃ〜ん、ウチの子、英語ペラペラやん〜 !」と嬉しくなるが、肝心の母国語がお粗末になっていることに気づかない。確かに、日本にずっと居たら大金を払って英会話塾に通わせても、一向に上手くならないから、“お得”な感じがする。アホらしいけど、単純な親は「日本に帰ったらみんなに自慢しよう !」と大喜び。しかし、こうした“バイリンガル”の息子は、どのような日本語を話し、どれくらいの読解力、および作文能力を持つのか? なるほど、イギリス人のクラスメイトを持つ子供は、平均的日本人以上に上手い英語を話し、英語である程度の文章(随筆)くらいは書けるようになる。

  ただし、日本語となれば、どうなのか? 一般的に帰国子女の場合、知っている漢字の数が少ないし、常用漢字以外の正字や歴史的假名遣いを知らないから、ちょっとした古い本を読むこともできない。例えば、「體」を「体」の正漢字と分からないし、「燈油」が「灯油」、「證據」が「証拠」とも判らない。「辨」と「辯」の違いも分からないから、「辨當」を「べんとう」とは読めないし、「花瓣」という漢字を見て「かべん」と発音できないこともある。「欠」が本来は「あくび」で、「闕席(けっせき)」とか「缼陥(けっかん)」使用する漢字ではないと知らない場合もあるから困ったものだ。また、高貴な人物に関する言葉遣いだってあやふやになるから、「天皇陛下から御諚(ごじょう)を賜る」と聞いても、何が何だか見当もつかないし、「袞龍(こんりょう)の袖に隠れる伊藤博文」という陰口を耳にしても、「天子様の御衣のことかぁ」とは思わない。日本の随筆に馴染みが無い帰国子女だと、「判官贔屓(ほうがんひいき)」と聞いて、源義経じゃなく「ハルク・ホーガン(有名なプロレスラー)を好きな人かなぁ〜」と思ってしまう。バイリンガル女子で英語の発音を自慢する人は多いけど、谷崎潤一郎とか森鷗外の小説を原文で読むことができない人は結構いるぞ。まづ、歴史的假名遣いと舊漢字が分からないから、ついつい本を閉じてしまう。こんな状況なら、幸田露伴の小説なんてもっと無理。

  歐米諸国の学校に通う日本人の子供が直面する問題の一つが、歴史の授業だ。もし、イングランドの学校に通うことになったら、英国の歴史を学ぶことになるけど、日本の歴史を学ぶ機会は無い。子供の将来を心配する親なら、日本史の教科書を与えて勉強させるかも知れないが、文科省の教科書なんてつまらないから、子供は直ぐ投げ捨てたくなる。運良く歴史好きの親であれば興味を引くような説明もできるが、一般の親だと副読本を買い与えて終わりだ。普段の宿題で忙しい子供は、日本史を知らないまま地元の高校を卒業し、そのまま歐米の大学に入るか、日本に戻って「帰国子女枠」で推薦入学というパターンになる。試験入学を選ぶ者であれば、英語を中心とした筆記・面接試験を受け、「国際関係学部」とか「比較文化学科」などに進むタイプが多いんじゃないか。でもこれでは、「日本に“留学”する日本人学生」になってしまうだろう。ただし、「国際化時代」とやらを歓迎する大学ならOKだ。何しろ、“国境に囚われない地球市民”が理想ときている。日本語能力なんて端っから価値は無い。英語が上手ならトコロテン式に御卒業だ。

  一般の日本人はさほど重要に思っていないが、「歴史」の授業はある意味、数学や理科の授業よりも重要になってくる。なぜなら、「良き公民」を育成するための必須科目であるからだ。幾何学の試験で30点ないし20点しか取れなくても、成人すれば投票権を与えられるし、元素記号を全て暗記していなくても社会問題は理解できる。しかし、日本の過去を知らないと現在“懸案”となっている政治問題の経緯が分からない。ちゃんとした歴史認識知識を備えていれば、支那人や朝鮮人からのイチャモンにひれ伏すことはないが、カラっぽの頭じゃ平身低頭、有り金を献上して赦しを乞う破目になる。こうした人物は祖先の名誉を傷つけても心が痛まない。そもそも、家庭教育に「名誉」を重んずる徳目が無いんだから。

  日本国民全てが数学者や物理学者になる必要はないが、社会に責任を持つ有権者が記憶喪失状態では困る。祖先との繋がりを忘れ、国家の威信を損なう政策に賛成する国民が増えれば、国家の衰退は避けられない。現在だけを生きている日本人には理解できないだろうが、まっとうな「日本国民」とは、その職業に関係なく、祖先の遺産を引き継ぐ伝承者であり、将来の子孫へ遺産を手渡す保管者でもある。「死んだ後に核戦争が起きても、多民族国家になっても俺の知ったことじゃない !」と言い切る日本人は、自分の息子や娘、幼い孫の顔を見てから断言すべきだ。

帰国子女は祖国に「根」を持っているのか?

  国史を学ばない日本人には、真の愛国心は育たない。かつて、フランスには保守的知識人が少なからずいて、心から自分の郷里を、祖父母の亡骸(なきがら)が眠る大地を、偉大な伝統を誇る祖国を愛していた。例えば、「アクション・フランセーズ(Action Française)」を率いるシャルル・モラスや、反ユダヤ主義を掲げてフランスらしいフランスを守ろうとしたモリス・バレス(Maurice Barrés)が挙げられる。ちなみに、トランプ大統領の補佐官を務めていたスティーヴ・バノンは、マラスを称讃していたそうだ。(Michael Crowley, The Man Who Wants toUnmake the West, Politico Magazine, March/April 2017)

Charles Maurras 1Maurice Barres 1Steve Bannon 1


(左 : シャルル・モラス / 中央 : モリス・バレス / 右 : スティーヴ・バノン )

  とりわけ、バレスの思想は注目に値する。彼と比べたらジャン=ジャク・ルソーやジャン=ポール・サルトルなんて屑に等しい。普遍主義とか世界市民を理想にする左翼知識人と違い、バレスはフランスの大地に“根”を張った国士であった。彼にとってフランスとは「平等」とか「博愛」といった安っぽい言葉で成り立つ共和国ではない。フランスとは王家や教会との赤い絆で結ばれた歴史的結晶体であった。フランス文化の髄液を吸収して育ったバレスにすれば、各国を渡り歩き、ゼニ儲けに専念するユダヤ人など、根無し草のコスモポリタン、すなわち地球上をうろつく寄生民族に過ぎない。「真のフランス人」とは、祖先の遺灰が染み込んだ郷里に根を張る地元民、すなわち王国を築いてきたガリア人である。バレスはフランスの衰退を憂い、祖先との一体感を強調することで祖国を救おうとした。
  
 ・・・私たちが祖先からの連続だということをきっちり理解する、それも単に口先でというだけでなく、感受性鋭くありありと思い描くかどうかにかかっている。このことは、解剖学的にも正しい。祖先が私たちのなかで考え、語っている。一つながりの子孫たちは、同じ存在でしかない。周囲に存在する生命の働きかけのせいで、きわめて巨大な複雑さがそこに出現するかも知れない。しかし、だからといって、何も変質しはしない。それは、完全に仕上げられた建築の秩序に似ている。つねに同一の秩序である。それは、部屋の配置を変更した家に似ている。同じ土台の上に建てられているだけでなく、同じ切り石でできている。つねに同じ家である。(モーリス・バレス 『国家主義とドレフュス事件』 稲葉三千男 訳、創風社、pp.23-24.)

  バレスによれば、フランスの個人は家族の中、民族の中、国家の中で自己発見するそうだ。また、彼は巨大な中央集権によって支配されるフランスに危機感を覚えた。この保守派知識人は、地方色豊かなフランス、独特な歴史の中で育ってきた国、地方から成るフランスを愛し、中央から国家を統制しようと謀るコスモポリタンに対抗しようとした。バレスは言う。「フランス全体の国民性は、地方の国民性で形づくられている」。(上掲書、p.110.)

  愛国者のバレスは、国際主義者によって破壊されようとするフランスを目の当たりにした。そこで彼は地方主義を掲げる。つまり、フランスの大地に根を持つ国民を鼓舞して、自らの援軍にしようとしたのだ。彼は次のように宣言する。

  に心からの忠誠を捧げる。なぜなら、私はプロヴァンス人で、プロヴァンスを熱愛しているからだ。フランス国家の伝統を救おうと立ち上がった全ての人と、私は忠実に連帯する。(上掲書、p.201)

  バレスから見れば、フランスとはガリア人とフランク人の血が流れる巨木のような国家である。もし、大地からの養分を吸収する根が切断されれば、その枝や幹は衰弱し、やがて枯れてしまう。革命に酔いしれた左翼分子は、太古から脈々と続く王国の幹と根を巨大な斧で切り離すことに喜びを感じていた。ちょうど、王侯貴族や聖職者の首を刎(は)ねたように、彼らは何の躊躇もなく国家の連続性を切断しようとする。ただし、中央官庁で国家を牛耳るグローバリストは、ギロチンではなく法律という鋏(ハサミ)でフランスをズタズタに切り裂こうとした。バレスは行政官が作り出す法律によって、家庭や生誕地への愛を維持する地方の風俗や慣習が破壊されたと嘆く。

  先祖伝来のものは全て馬鹿げているから、新案の混合物に取り代えねばならない、と世間ではいう。そうすることで精彩のない愚劣な人びと、あらゆる種類の浮浪者たち、古くから土地々々の伝統を捨てて祖国および祖国を象徴する国旗を軽蔑する人びとを生み出した。(上掲書、p.103)

  本来、国家を形成する公民には、本能とも言える素朴で強固な祖国愛があるはずだ。しかし、祖先の歴史から切り離された子供達、すなわち、意図的に頭を改造され、下らない知識を詰め込まれた記憶喪失者には、祖国への愛や誇り、過去と未来に対する使命感や義務感が無い。こうした孤児(みなしご)が求めるものは、目先の銭であったり、見栄を張るための学歴、儚くも消えてしまう世間からの評判、セックス、スクリーン(映画や娯楽)、スポーツにグルメ(食欲)などである。したがって、日本の歴史を学ばなかった帰国子女に、祖国を誇りとする精神や先祖に対する感謝と敬意が無いのも当然だ。もっと酷い奴になると、傲慢な歐米人と一緒に祖国を小馬鹿にし、それが“進歩的人間”の証しだと思ってしまう。西歐諸国で育った日本人は、日本にどんな価値があるのか知らないから、西歐的な思考や行動様式の方が“上等”なんだ、と勝手に思ってしまうのだ。

  しかし、根無し草の日本人には困った事がある。たとえ、どんなに英語が上手でも、彼らは白人にはなれない。西歐諸国に住んでいれば有色人種と見なされ、日本に帰国すれば日本人のツラをした異邦人。「バイリンガル」になったと喜んでいる親は、現実に直面すると、我が子が「コスモポリタンのエイリアン(異質な浮浪者)」になってしまったことに愕然とする。「日本語や日本史なんて勉強しても価値が無い」と思う親は、フランスに住んでフランス人の友人をつくり、彼らに向かって次のように言ってみればいい。

  「フランスに住めば誰でもフランス語を喋れるし、フランス史を学んでも大金を摑める訳じゃないから、そんな事をしても時間の無駄よ」、と。

  まともなフランス人なら、顎を外すくらい驚くだろう。たぶん、「哀れな奴だ !」と見下すに違いない。常識的なフランス人は、我が子が正しい発音でフランス語を話し、優雅で論理的な文章を書けるよう教育する。子供にとって、美しいフランス語は貴重な財産だ。また、ヨーロッパ文明の中心であるフランスの歴史を学ぶことは喜びであると共に、国民になるための基礎である。パリの街をうろつくジプシーならいいけど、偉大なるフランスに属し、ガリア人の血を引く正統な国民であれば、祖先の栄光と悲劇を心に刻まなければならない。一方、フランスに潜り込んだアルジェリア人やギニア人なんか、フランス史を学んでも「外国史」と変わらないから、「何で俺達が死んだ白人を褒めなきゃならないんだ?!」と唾を吐く。彼らはゲットーの壁に落書きを刻むのが精一杯。しかも、卑猥な言葉か汚い罵倒語だけ。苦笑してしまうが、たまに綴りが間違っていたりする。

  電通の社員なんかに日本国民としての名誉や義務を求めるのは、端っから無理と分かっている。が、こんな連中を「上等国民」と勘違いする庶民も情けない。いくらテレビ局を牛耳る大企業といっても、所詮は銭を最優先するビジネス組織じゃないか。ブローテン航空のCMに反対しなかった田中氏はエリート社員だったのかも知れないが、日本人としての誇りは持っていなかった。もしかしたら、西歐人と真っ向から対峙して、「日本人を馬鹿にするな !」と怒ることを恥じていたのかも知れない。なぜなら、左翼リベラリズムを格好いいと思う西歐人は、国民国家を優先するナショナリズムを「カビ臭い因習」と見なすからだ。でも、田中氏は一体どの国に属していたのか? もし、彼が日本人であったなら、「自分も日本人である」といった事実を忘れていたことになる。英語をネイティヴ並に喋ったからといって、イギリス人に変身できる訳じゃない。歐米で育った帰国子女の中には、自分を白人と錯覚している者がいて、ブローテン航空のCMで描かれる日本人を目にすると、「私はあんな日本人じゃない !」という態度を示す。こういう人物には、「そうだよねぇ〜。君は西歐人みたいだ。だが、君の両親や祖父母は、あの間抜けな日本人と同し種類なんだよ」と言ってやれ。どんな顔つきになるのか楽しみだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68777235.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c53

[政治・選挙・NHK264] また河野太郎が韓国相手にやらかした!(くろねこの短語) 赤かぶ
5. 中川隆[-8760] koaQ7Jey 2019年8月19日 09:34:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3982]
儒教の国とは価値観が違うから国交断絶するしかないだろ

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%81%95%E3%81%84%E5%9B%BD

【東京発信・Cool Eyes】第16回 歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%83%BB%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%A8%E6%BA%80%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8D

じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91

宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E6%9C%9D%E9%AE%AE

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/620.html#c5

[政治・選挙・NHK264] 政治汚染水化した「民主党」 れいわ4.3%  赤かぶ
10. 中川隆[-8759] koaQ7Jey 2019年8月19日 09:45:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3983]
山本太郎は在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

れいわ が障害2議員を入れたのは山本太郎を介護者として代弁させて国会に出ずっぱりで演説させる為だよ


山本太郎=演説だけでドイツを変えた名優ヒトラーの再来、斎藤まさし =ゲッペルス


▲△▽▼


れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。

森氏の父親は連合赤軍派最高幹部田宮高麿。
母親は森順子、ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。

森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。

斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?


国会に難病議員2人入れて介護者という名目で山本太郎が二人の代わりに代弁してれいわの名を売るんだろ

すべて斎藤まさしのアイデアさ

素人の山本太郎が4億円も寄付を集めたり、わざわざ難病議員を立候補させる訳がないというのがわからないアホが多過ぎるんだな

山本太郎は世界同時革命を目指すキチガイ斎藤まさし(酒井剛)の書いた台本通りに演技してるだけだよ


____


斉藤まさし(2018、8最高裁にて公職選挙法違反で有罪)が山本太郎の街宣に現れた!

やはり山本太郎は操り人形だったのね。


山本太郎の選挙を指揮していると言われてる斉藤まさしが新宿西口で行われた「山本太郎の街頭演説」の場に現れた。

元俳優の山本太郎を使って革命を目指す斉藤まさしの姿が良くお分かりになったでしょう。

監督の指示に従って演技をする、山本太郎は未だに役を演じているように見えますね。

しかし、その俳優は色々問題のある人物だった。

週刊新潮に強姦魔だと書かれても、名誉棄損で訴えることが出来ない。法廷で争う事が出来ない山本太郎という男を担いでしまった。

ME TOO のプラカード持ってパフォーマンスしていた議員達は山本太郎に強姦されたと勇気をもって告発した女性にはダンマリか!

未成年の女の子を強姦しても、革命家斉藤まさしの書いたシナリオ通りを演じておけば、参議院議員にもなれるか。

もし、事実じゃなないのなら、何故週刊新潮を訴えないのか?

____


無知な一般大衆が知らない山本太郎・斉藤まさしやヒトラー、レーニンを操っていた黒幕


ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
重信房子、田宮高麿、山本太郎・斉藤まさし、北朝鮮、オウム真理教の深い関係

2011年4月に行われた第17回統一地方選挙の三鷹市議会議員選挙に、代表を務める市民の党からよど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男、森大志が立候補しているが斉藤まさしは市議選に擁立した背景について取材で

「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」
「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」
「そうした縁もあって、長男が帰国してきてからつながりがあった」

と述べている。 北朝鮮や田宮との関係について「救う会」会長の西岡力は「酒井(斎藤まさし)代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と批判している


山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。


よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが
重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。


重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?

ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。


 あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/619.html#c10

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
200. 中川隆[-8764] koaQ7Jey 2019年8月19日 13:21:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3978]

【Front Japan 桜】ピジンイングリッシュで良いじゃないか [桜R1-8-14] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=k_3m3SLm2co

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c200

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
175. 中川隆[-8763] koaQ7Jey 2019年8月19日 13:22:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3979]

【Front Japan 桜】ピジンイングリッシュで良いじゃないか [桜R1-8-14] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=k_3m3SLm2co

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c175

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
34. 中川隆[-8765] koaQ7Jey 2019年8月19日 17:16:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3977]

2011年07月18日
菅直人とポルポトを結ぶ「新生」
https://coffee-eclair.at.webry.info/201107/article_16.html


ついに菅直人はポル・ポトとも繋がってしまいましたねぇ。『公安当局や米情報機関も関心を持っている』日本国首相は、首相在任中の不逮捕特権というシステムに、今後更にしがみ付かざるを得ない気がします。

積極報道は産経新聞のみなのか。なお産経の報道では・・・。

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・市民の党の代表は酒井剛(選挙用の偽名?斎藤まさし)
  ・マルクスレーニン主義者であることを隠さず。思想的には極左  ・田英夫(元社民連代表)の娘婿の経歴あり
  ・菅直人は国会議員以前からの付き合い
  ・強い革命思想を持つ「僕は、革命のために選挙をやっている」
  ・今年4月の東京都三鷹市議選で田宮元リーダーの長男を擁立(落選)
  ・鷲尾、黒岩議員らによる献金、事務員の重複
・「政権交代を目指す市民の会」は市民の党と密接な関係
  ・草志会が献金(平成19〜21年に計6250万円)   「政治的にいろいろな意味で、連携をすることによってプラスになると考えて寄付した」
  ・奈良氏は今月10日投開票の神奈川県厚木市議選に立候補し、7選
    ・市民の党出身で、同党に毎年約150万円を個人献金

・機関紙「新生」は”市民の党”の機関紙(昭和54年〜平成14年)
  ・菅直人が「新生」に寄稿
  ・よど号犯、田宮元リーダーが北朝鮮から送った文章を掲載
  ・カンボジアのポル・ポト派幹部のイエン・チリト元社会問題相からもメッセージを受け取る(イエン氏は、今年6月に始まったポル・ポト派の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷に被告として出廷中)

市民の党“機関紙” 菅首相、30年前から寄稿 よど号犯やポル・ポト派幹部も 2011.7.17 22:09
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110717/crm11071722180012-n1.htm

菅首相側献金団体「選挙は革命のために」 セクトに所属しない元活動家集団「ケンカしながら…」 2011.7.13 11:11 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110713/plc11071311120010-n1.htm
-----------------------------------


しかし日本では共産革命の下地が整っている訳ではないから、今回の菅直人による政権奪取は国民に受け入れられる筈がありません。小泉改革により進んだとはいえ、世界中で進む貧富の差や階級間の軋轢は日本においては小さく、また失業率も低く抑えられており、民族的対立は天皇陛下による国体が維持されているために、以前より弱体化したとはいえ強い連帯を維持している。このため有権者がこの菅直人ら極左政権の実態を目にすれば、詐欺にあったような感覚に陥るでしょう。それを報道しない自由によって隠蔽するのは相変わらずのマスメディアです。


共産革命の危険にさらされるのは急速に進んだ貧富の差や、新たに生まれた階級と闘争、そして民族的対立に資本主義の失敗が重なるといった条件が求められますが、その中でも最も危険なのは中国であり韓国である気がします。勿論先進諸国も皆危険ではあるけれど、何しろ歴史的経験を持ち合わせているから、幾分か修正されるのでは。それにナショナリズム的連帯を、中国は持ち合わせているとは思えないので。


プロレタリアート不在で進んだため、一般的な共産革命と言えるのか甚だ疑問である、実質毛沢東の独裁国家としての中国共産党ですが、共産党的資本主義の導入により現在では労働者階級が存在している状況にある。それが余りに急激な成長によって貧富の差が急拡大し、国をまとめるための反日政策は上手くいっているとは思えない。そして暴力装置による抑えつけが、革命を抑え込むことが出来るのか。中国の民主化運動とは実態は反政府運動であって、結局のところ起きたとしても易姓革命に過ぎないと思えますが。。。但し毛派を見ると、『腐った共産政府を共産革命する』という皮肉な構図も見えてきます。


ま、大中華でおきることは、小中華も似たりよったりなものかと。


そんな東亜大陸とその盲腸とは一線を画する日本において、色々悪だくみをする連中がトップを始めとして跋扈しておりますが、この言葉を国民は突きつけてやるべきでしょう。第二次大戦後の日本国体の維持=天皇制の維持が、戦後日本の発展に不可欠であったことは、この言葉を実践・証明したものに他ならないと思います。


「国事を悪用したり、思いつきの議論や思想を信用して実験を企てようとしたりすることは、時代の重要事項を重視する賢明な行政官が決してやってはならないことである。そして、仮に、公共の善のために何らかの改善処置を施そうとする場合すらも、新たに行う事項は、可能な限り古代からの社会構造に合うように調整すべきであり、国体の主要な柱と梁は、そっくりそのまま保守しなければならない(ヒューム)」

https://coffee-eclair.at.webry.info/201107/article_16.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c34

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
35. 中川隆[-8764] koaQ7Jey 2019年8月19日 17:20:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3978]
山本太郎氏の選挙参謀と菅直人元首相の“深い仲”2013.07.23
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-743.html?sp

 参院選に東京選挙区から無所属で立候補し、4位当選を果たした山本太郎氏(38)の選挙を取り仕切っていた人物が、市民の党の斎藤まさし(本名・酒井剛)代表だったことがわかった。

 斎藤氏は「市民派選挙の神様」とも呼ばれる選挙プロ。斎藤氏は菅直人元首相と以前から親交があり、1980年の衆院選では菅氏を斎藤氏が応援している。この時、菅氏は4度目の国政挑戦で初当選を果たした。

 斎藤氏が代表を務める市民の党は、よど号ハイジャック犯の息子と関係が深く、その派生団体は2年前に菅元首相の資金管理団体から2009年までの3年間で合計6250万円の献金を受け取っていたことが、国会で問題となったことがある。

 今回の参院選では、斎藤氏は山本陣営のボランティアを統括し、裏選対の最高責任者として選挙を取り仕切ったという。

 山本陣営の関係者によれば、都内に1万4000カ所以上ある掲示板に選挙ポスターを貼る作業を斎藤代表が指揮。公示の日に朝から1000人以上のボランティアをバスやレンタカーに分乗させて他のどの陣営よりも早く山本氏のポスターを貼り終えた。

 斎藤氏は「菅さんとは消費税の増税をめぐって喧嘩別れして以来、口もきいていませんから、僕が菅さんの意を汲んで動くことはあり得ない」としている。

文「週刊文春」編集部

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2948

<引用終り>

こんな記事につられて(笑)、週刊文春を買ってきました。

しかし山本太郎、アホな奴だとは思っていましたが酷い!!

コイツが山本太郎

しかも上掲の記事にはなぜか書いてないが山本陣営には新左翼「中核派」が深く食い込んでいる。

その新左翼とは中核派の事

コイツが中核派

左が織田陽介、右が山本太郎。良く似てますね。

週刊文春記事の全文を書き写す時間は無いが、概略をまとめてくれた方がいるのでそれを引用します。

これが週刊文春の記事

見出しは

選挙カーに中核派幹部 反原発議員 山本太郎を操る“極左グループ”

以下は冒頭部

 「当初はとても当選圏内に入っていませんでした。ところが、選挙戦が進むにつれて尻上がりに勢いが伸び、街頭演説に集まる人の数も増えていきました」(政治部記者)。東京選挙区から無所属で立候補し、六十万票を超える得票で四位当選を飾った山本太郎氏(38)。ただ、素人とも思えぬ見事な選挙を演出した“支援者”を懸念する声が…。以上、冒頭より/週刊文春 平成25年8月1日付記事より

<以下は博士の独り言Uより引用、記事要約です>

山本太郎氏の選挙戦を支えた中核派、市民の党

 無所属の素人候補であったはずの山本太郎氏(東京選挙区で当選)の選挙戦は、見事なまでの「プロ仕様」であった。何故か。その背景を観れば、「中核派の機関紙『前進』が毎号のように山本氏への支持を訴えている」と。「投票日直近の七月十五日発行の号では、「全国の力で山本太郎さんを国会へ」と大見出しを掲げ、「火を噴くような山本さんの演説は、(中略)人びとの階級的怒りが凝縮されている」と独自の仰々しい様子で山本氏への投票を呼び掛ける」と。

 さらに、「山本陣営の関係者によると」として、「中核派系の全学連の前委員長や現書記長といった幹部たちが運動員として選挙カーやウグイス嬢、街頭演説でのビラ配りとフル回転していたのだという」と。続けて、中核派以上に山本陣営で大きな影響力を持つのが、市民の党の斉藤まさし(本名・酒井剛)代表だ」と。

 その市民の党については、読者の多くがすでにご存知のことかと思うが、誌面は、「よど号ハイジャック犯の息子と関係が深く、その派生団体は二年前に菅直人元首相の資金管理団体から二〇〇九年までの三年間で合計六千二百五十万円の献金を受けていたことで国会で問題となったことがある」と紹介している。

 事実とすれば、なるほど、それで菅直人元首相は山本氏の応援に熱心だった事由も判る。それにしても、よくぞそれだけの面々が集まったものだ。

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市民の党の斉藤代表

 その市民の党の代表について、誌面は「斉藤氏は「市民派選挙の神様」と呼ばれる名うての選挙プロ」と。「かつてカンボジアで住民の大虐殺を行ったポルポト派を支持し、雑誌の対談記事では「革命のために選挙をやっている」と発言していたこともある」と。「今回の参院選挙では、山本陣営の裏選対の最高責任者として選挙を取り仕切ったという」と紹介している。事実とすれば、それで無所属の素人候補とは思えない選挙が演出できた事由が判る。

 言い換えれば、「革命のための選挙」の、つまりは彼らが表に顔を出さない、その表「人形」として山本氏が祭り上げられていた。それも選挙戦に限らず、それ以前からの「脱被曝」活動を操縦していた疑いも浮上しよう。こすい集団の常套の一つに、人受けの良さそうな莫迦を表(人形)に立てて“革命を遂行する”との手法が有るが、山本氏の選挙戦はまさにその典型とも謂えよう。それに騙されて山本氏を支持した有権者は、中核派や北朝鮮関連団体に一票を投じたに等しい。

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公職選挙法違反の疑いも

 山本氏の選挙戦では、「受信相手の意志を確認せずに山本氏への支持を訴える内容のメールを送信するという初歩的なミスを犯してしまった」(誌面)としているが、その数は尋常ではなかったとの指摘の声も手元に届いている。華々しい選挙運動での子細を調査してみれば、まだ何かがゾロゾロと出て来るのではないか。動向に注目したい。

 そうでなくても、山本太郎氏の詐欺まがいの出鱈目な言動が良識によって砕破される日は遠くない。

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http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2060.html

<引用終り>

此処で名前の出てきた斎藤まさし、こんな奴だ。

空き缶がいやに若いので相当前の写真らしい、ご了承を。

そしてこの斎藤まさし、この名前には憶えがある。北朝鮮とつながり、カンボジアのポルポト派ともつながっていた奴だ。

そして今回の選挙でも活躍した市民の党を仕切っているのがこの斎藤まさし。

ポルポトなど遠い国の遠い過去の話・・・・・

いや違う、現在私たちの目の前にいる奴がその流れを受け継いでいる奴なのだ。


この件は以下のエントリー参照ください。

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/3025119/

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2948320/

そういえば山本太郎は当選したときこんな事を言ったらしい。

今まで支援してくれた人の期待に沿えなかったら殺される、それが怖い。

北朝鮮やポルポトをおもえばもっともな話である。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-743.html?sp
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c35

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
190. 中川隆[-8763] koaQ7Jey 2019年8月19日 19:37:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3979]

2019年08月19日
世界景気後退が来た 日米欧に中国、新興国も成長率低下


リーマンショックから12年が経ち、そろそろ次の危機が来てもおかしくない


画像引用:第2章 第1節 世界経済の動向 : 世界経済の潮流 2018年 I - 内閣府https://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh18-01/s1_18_2_1.html


欧州各国はマイナス成長へ

2019年後半に入って世界各国の経済指標が目に見えて低下し、世界同時景気後退の様相を示している。

最も代表的な四半期(4月から6月)GDPでは、10年間無敗を誇ってきたドイツが0.1%減に沈んだ。

マイナス幅はわずかだったが、今まで欧州のけん引役だったドイツが逆に「お荷物」になった。




ドイツは欧州で突出して輸出依存度が高く、特にEU内と中国との貿易が多かった。

同じEU圏(から離脱するが)イギリスは0.2%減で、8年ぶりのマイナスになった。

EU離脱国民投票でもマイナスにならなかったので、離脱とは関係なく世界景気後退の影響を受けた。


イギリス政界はEU離脱をめぐって混乱していて、有効な経済対策を打ち出せない可能性が高い。

フランスはプラス0.2%を確保したが2008年以来の低成長で、失業率は5%以上とかなり高い。

ユーロ圏全体の4月から6月GDPは0.2%で、1月から3月と比べて半減し、経済の落ち込みが表れている。


このように欧州全体で落ち込みが目立っているが、世界の他の地域でも良くない。

まず日本と経済戦争中の韓国だが、2019年第一四半期は0.4%減、第二四半期は政府の経済対策で1.1%増に回復した。

これは7月に日本政府が3品目輸出厳格化やホワイト国除外を発表する前なので、19年後半はかなり厳しくなるでしょう。

中国とインドも成長鈍化

中国は前年比6.2%増つまり四半期では1.6%増だが、前年の6.6%増より低下している。

中国の成長率は公共投資や公共事業、つまり鉄道や道路や都市建設などインフラ事業によるものなので、成長率の5倍ペースで公的債務を増やしている。

GDP比率で年間30%か低く見ても20%以上債務を増やしていて、各国もようやく中国の債務依存経済が持続不可能なのを指摘し始めた。


GDPそのものの算出根拠も不透明なので、相変わらずGDP水増し疑惑が絶えない。

中国に変わって大国になると予想されていたインドだが、最近躓いて経済が減速している。

19年7月のインド自動車販売は、なんとマイナス30%減で、中国のマイナス10%も超える下落でした。


主な原因は排ガス規制や燃費規制、新規増税などの政策失敗だが、インドの将来性にも懸念が生じた。

インドの成長率は年6%から7%だが、実際は成長率4%台だったのを水増ししていたと告発されている。

これが事実ならインドの実際のGDPは発表より3割程度低い事になり、中国もそうなのかも知れません。

日米にも景気後退の波が来ている

次にアメリカだが4月から6月のGDPは年率2.1%、四半期では0.4%成長と先進国ではもっとも高い成長率を記録した。

だがこれは比較の問題であり、米国内ではリセッション(景気後退)寸前の状態と受け止められている。

数か月前まで中央銀行FRBは株価の加熱やインフレを警戒して利上げしていたが、現在は利下げを検討している。


2019年7月にFRBは2.5%から2.25%に利下げしたが、今年もう2回利下げすると考えられている。

アメリカが利下げするとドル安になるので、各国は競って利下げして通貨を安くし、輸出競争力を維持しようとします。

だが日本は既にゼロ金利なので利下げできず、一方的な円高に進む可能性があります。


19年4月から6月の日本のGDPは前期比0.4%増、年率1.8%増と良かったが、1ドル100円を割ると輸出企業に悪影響がでる。

今までの円高ではまず輸出企業が打撃を受け、ついで株価全体が下落して内需企業も打撃を受けていました。

以前より日本の輸出依存度は低下しているが、1ドル80円台になればある程度の打撃は避けられないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723091.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c190

[近代史3] 日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇

日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇


2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢


国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。



日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html

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日本人の反乱に恐れおののいていた平成天皇

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

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2002年1月26日  「朝鮮と日本の神話を考える」 上田正昭 京都大学名誉教授

昨年12月23日の天皇誕生日の前の12月17日、宮中で記者会見があった。記者クラブが7つ質問している。その中の一つが

「来年はワールドカップで日韓共催でやる。天皇はどう思われるか」

という質問に

「自分の先祖である桓武天皇の生母高野新笠は百済武寧王の子孫であった。
韓国とのゆかりを感じます」

と語られたわけです。私にもすぐ朝日新聞社からコメント依頼がきました。私が感動したのは、人物の交流が皇室を含めてあったのだけれども

「不幸な関係があったということも忘れてはなりません」

とちゃんと言っておられる点ですね。そこがあまり報道されてないんです。

 私は朝日のコメント依頼に「そこが大事だ。それを書いてくれなければコメントしない」と申し上げたのです。1月16日、京都新聞には載りませんでしたが、共同通信が後追いの記事を出しました。なるほどと思ったのは「誕生日の記者会見くらいは自分の言葉で言わせてほしい」と言われたそうです。宮内庁のチェックはなかったようですね。宮内庁は大慌てになったということを1月16日の共同通信配信で知りました。私はその日、松江に行っていまして、山陰中央新報で知りました。実はこれは、神話の問題とも関係があります。


桓武天皇のお母さんの高野新笠は、勅撰の歴史書である『続日本紀』が明記するとおり武寧王の子孫ですが、延暦8年12月に亡くなります。お葬式は正月にあった。葬ったのは大枝の沓掛にある旧山陰道の右手の山の中腹。そこに高野新笠のお墓があります。階段を登らないと行けません。延暦9年1月にお葬式をしている。

『続日本紀』に新笠の伝記が書いてある。どういう人だったかということを書いて百済の神話を書いている。そこに書いてあるものを読むと

高句麗の建国神話と百済の建国神話が同じであったことがわかります。今、残念ながら朝鮮人民民主主義共和国と大韓民国は分断されていますが、百済の建国の神話と高句麗の建国神話は同じです。在日の皆さんが自分の祖国の神話も知らずにいるというのでは残念です。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html


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天皇家は国際金融資本のエージェント

宮内庁のホームページに、天皇皇后両陛下がロックフェラーの自宅でロックフェラー家との晩餐会を行っていることが記載されている


(平成6年)天皇皇后両陛下のアメリカ合衆国御訪問について

6月16日(木)ロックフェラー家との晩餐会(ロックフェラー邸)
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h06america/eev-h06-america.html

天皇という力の正体とは?〜ロックフェラーと手を結んだ昭和天皇〜


天皇財閥は、日本株式会社の長として、戦後も変わることなく勢力を維持し続けてきました。

エリート官僚上がりの首相達が、アメリカの意向にそった政治を行ってきたことは、周知の事実ですが、その礎を築いてきたのが、実は昭和天皇とのことです。昭和天皇は、戦後間もなく、ロックフェラー一族との絆を深め、政界にその影響力を及ぼしていたようです。

引き続き、『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』から抜粋→転載します。

◆属国・日本の指導者を管理する要員

日本は戦後、こぞってアメリカの軍門に降った。これが戦勝国と敗戦国の関係であり、当然のことであった。同時にそれは日本国の「国策」でもあったのだろう。そのことは、昭和天皇みずから範を示すかのように、息子である皇太子(今上天皇)に、アメリカからの家庭教師をつけたことをみても分かる。「ヴァイニング夫人」と呼ばれたエリザベス・ヴァイニング(1902−1999)である。

ヴァイニング夫人は終戦直後から4年間、英語家庭教師及び学習院講師として皇太子の教育にあたった。熱心なクェーカー教徒であった。敗戦国の君主が、皇太子に、戦勝国からの家庭教師をつけるということは、完全にその国に従属したことを示している。最も、これはアメリカから押し付けられたのではなく、昭和天皇みずからの提案であったとヴァイニング夫人は述べている。

日本滞在時の回想録『皇太子の窓』で、彼女は次のように書いている。

「アメリカ人び家庭教師」というのは、占領軍から押し付けられたのだというような推測がしばしば行われているが、これくらい事実に反するものはない。「アメリカ人の家庭教師」というは天皇御自身が思いつかれたのである。皇太子の教育を委任されている人々とご相談になることさえなく、御自分から進んで申し出られたのであって、まったく先例のないことであった。(『皇太子の窓』31ページ)

では、どのようにしてヴァイニング夫人が選ばれたのか。『皇太子の窓』の記載に寄れば、昭和21年(1946)に訪日したアメリカ教育使節団が皇居を訪れた際に、団長のジョージ・ストダード博士に向って、昭和天皇が皇太子の家庭教師をひとり、世話してもらえないかと声をかけたのが、きっかけだったという。

アメリカ教育使節団とは、日本に民主教育を植え付けることを目的とした使節団である。その報告書「アメリカ教育使節団報告書」は、戦後の日本民主教育の大綱であり、いまだに適用され続けている文書である。戦後の「教育勅語」といってよい。

アメリカ教育使節団はマッカーサーの連合軍総司令部からの要請によって招致された団体であり、日本の軍国主義的教育を一掃する目的があった。もっとはっきり言えば、日本人がこれ以上、アメリカに逆らえないように「洗脳」するのが目的であった。この報告書は『アメリカ教育使節団報告書』として講談社から文庫で出版されており、使節団の全員の名前が記載されている。その中には、当然のように「ロックフェラー財団」の名前も見える。

ロックフェラー財団やフォード財団といったアメリカの「財界」は、戦後の日本に対して「フィランソロピー」、つまり慈善事業として巨額の資金を投入している。このことは『戦後日米関係とフィランソロピー』に詳しい。ただし、それは純粋に善意によるものではなく、長期的な「投資」だった。つまり、日本が今後良好な市場になるように、反米的な教育をしないように、下地をつくっていたのである。

こうして背景を探っていけば、昭和天皇がアメリカの政財界、特にアメリカ最大の財閥であるロックフェラー一族に対して、自らの皇太子の教育を任せたことの意味が分かるだろう。ヴァイニング夫人は、属国の指導者を管理するための要員なのである。

一国のトップの行動は、下々の者たちにも影響を与えるだろう。お上のやることを、下々のものはみな真似をするのである。日本の支配階級が、ほぼ例外なく、アメリカべったりであるのは、このような理由があるのである。

◆天皇財閥最後の総帥、昭和天皇

昭和天皇は、天皇財閥の最後の総帥であった。

昭和50年(1975)に、昭和天皇はアメリカを訪問している。ホワイトハウスで開かれた、フォード大統領夫妻主催の晩餐会で行った、有名な「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」というスピーチが、日米両国民の胸を打ったというエピソードとして長く語り継がれている。

そして、そのスピーチは「暖かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べる」と続く。これは、戦後の「天皇外交」により、直接アメリカ財界の代表者であったダレスと談判して今後の日本の体制をつくったのが、昭和天皇であったことを考えれば、みずから決断した事業に対する振り返りであっただろう。

昭和天皇はアメリカ滞在中の10月5日、ニューヨークではロックフェラー三世(1906−1978)邸を訪問している。そして翌日の6日には、ロックフェラー三世主催のジャパンハウスでのレセプションに参加した。

ロックフェラー邸訪問は、大統領との会見などと同じ公式行事ではない。そのために日曜日が選ばれている。このアメリカ訪問の目的、最も重要な目的はこの「非公式行事」にある。それが、ロックフェラー邸訪問であった。朝日新聞社の『天皇のアメリカ ご訪米記念写真集』に収められた隋行記には次のように記されている。


4日夕、ニューヨークのケネディ空港に着き,宿舎ウォルドルフ・アストリア・タワーズに入られた天皇、皇后両陛下は、明けて5日、ご滞米中最初の日曜日を楽しまれた。朝、散歩に出られたセントラルパークでは、待ち受けていた中学生達の日本語のコーラスの輪に囲まれ、お二人とも相好をくずされた。お昼は郊外のロックフェラー家に招待され、投手のロックフェラー三世、弟のロックフェラー副大統領から、家族的なもてなしを受けられた。(『天皇のアメリカ ご訪米記念写真集』89ページ)


ロックフェラー邸では、チェイス・マンハッタン銀行頭取のデイビッド・ロックフェラー氏が「皇居のそばにウチの銀行の東京支店があるからご利用下さい」と申し出たのを「預金ですか、貸し出しですか?」とユーモラスに切り返された。(『天皇のアメリカ ご訪米記念写真集』92ページ)

昭和天皇は、戦前期の天皇財閥の総帥であった。そして戦後の日本においても「象徴」として、「法人」として、日本経済の中枢に存在し続けていた。その天皇が、アメリカを代表する財閥の、統治の党首であるロックフェラー三世(現在の党首は、三世の息子の四世ジェイ・ロックフェラー上院議員)と親しく会っているのである。

おそらく、天皇とロックフェラー三世は初対面ではない。

そのことは、状況証拠から明らかである。それは、昭和26年(1951)の「天皇・ダレス会見」時に、ダレスといっしょに来日したのが、ほかならぬロックフェラー三世だったからである。

ジャーナリスト、松本重治の『昭和史への一証言』はこのように伝えている。


その年(引用者註:1951年)、ジョン・F・ダレスはサンフランシスコ講和条約を結ぶためのアメリカと駆使として日本にやってきますが、その時、ジョン・ロックフェラー三世を連れてきたのです。それはダレスなりの考えがあってのことでした。(中略)日米の文化交流ができないだろうかというわけで、ロックフェラーを連れてきたのです。ロックフェラー自身も、同じ考え方をしていました。(『昭和史への一証言』236ページ)

天皇とロックフェラー三世は、朝鮮戦争さなかの1951年に東京で会っていただろう。そして、ロックフェラー財閥の代理人であるダレスとともに、今後の日本の行方を決定したのである。

昭和天皇は、その返礼のために、四半世紀を経てロックフェラーを訪れた。それは、日本とアメリカを代表する、大財閥の党首同士による約束だったのだろう。
http://www.kanekashi.com/blog/2015/06/4231.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/580.html

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
20. 中川隆[-8762] koaQ7Jey 2019年8月19日 20:52:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3981]

2019年08月19日
中国が発展するほど農民が貧しくなるシステム


効率化すると労働力が不要になり、彼らは村を追われるでしょう

引用:http://japanese.agri.gov.cn/xw/201504/W020150421481525577828.jpg

農民という身分

中国農村部の平均年収は過去10年で2倍になり、目覚ましい成長をとげている。

といっても10年前に年収10万円だったのが現在は20万円程度で、中国都市部の年収の4分の1に過ぎない。

その10年前つまり2000年頃の農村年収は5万円以下だったのだが、現在の中国でも年収3万円以下の人が多く存在している。


これは単に格差や発展の遅れや貧困問題ではなく、身分制度が関係しているので永遠に解消しない。

共産国家は階級社会であり都市戸籍を持つ上級国民と、農村戸籍の下級国民に分かれている。

都市戸籍は約4億人、農民戸籍で都市に住む農民工が約3億人、農村に住む農民戸籍が約6億人となっています。


これが江戸時代の士農工商のように代々世襲され、親が農村戸籍だったら末代までずっと農村戸籍です。

農村戸籍で生まれると都市に移住しても違法な労働者にしかなれず、企業の正社員には絶対になれない。

仕事は清掃業者や建築現場、低賃金の超ブラック労働しかないが、それでも農村農民の2倍ほどの収入になる。


平たく言えば都市戸籍80万円、農民工40万円、農村20万円、極貧農村10万円未満となっています。

さらに上には上海や北京の一流企業サラリーマンは100万円から200万円、中には500万円や1000万円を得ているIT技術者などが居ます。

北京や上海の公務員は給料が高い上に賄賂の実入りが多く、保険や年金が農村の何倍も優遇されています。


下の方もキリがなく、チベットやウイグルの反乱分子と目される地域では、一切の就労や移住が禁止され、やせた土地で自給自足を強いられます。

豊かになると反乱を起こすので、意図的な貧困状態に置かれていて、彼らの年収はゼロから3万円未満です。

これが中国農民が置かれている現状で、日本のテレビ局が取材する「成功した農民」は農民の頂点の成功者に過ぎません。

効率化すると農民はさらに貧しくなる

このような中国農民ですが、中国でも効率化や機械化、省力化などによって農業の効率を上げる試みがされている。

その手本がなぜか日本なのだが、日本の農業は戦後衰退し続けて今や総人口の3%程度しか農業従事者がいません。

工業化が進んだと言えば聞こえが良いですが、要は日本では農業をやっても食えなくなったので、やむを得ず村を捨てたのです。


日本では効率化や機械化によって同じ労働量でも収穫高が何倍にも増えて、大成功したかに見えました。

だが農業は工業とは違い「効率化するほど貧しくなる」のを日本の政治家や官僚は知りませんでした。

今まで100人でやっていた仕事を10人で済むようになったら、90人が失業して農村は貧しくなります。


日本で地方の過疎化が進んでいるのはまさにこれが原因で、2050年にはほとんどの農村が消滅するという予測もあります。

同じ収穫高を得るのに機械化で10分の1の人数で済むようになり、さらに農業自由化で安い外国産にシェアを奪われてしまいました。

もう農業では生活できなくなったので、日本では専業農家はほとんど居なくなり、サラリーマンの兼業農家が増えました。


中国が今進めている効率化や機械化は、農民を豊かにするどころか一層貧しくしてしまうでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80717396.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c20

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
9. 中川隆[-8761] koaQ7Jey 2019年8月19日 21:16:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3982]

 50年前 2019年08月19日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-843.html

 藤圭子が2013年、新宿のマンションから飛び降り自殺したのは衝撃だった。
 彼女が「新宿の女」でデビューしたのは1969年、ちょうど今から50年前だ。
 私は、毎日のように都心でのデモに参加して催涙弾に逃げ惑い、小便横町でホッピーに泥酔しながら聞いた藤圭子の歌が岡林信康と同じくらい好きだった。

 西口公園のベンチの上で一晩を過ごしていると、どこからともなく、すばらしく上手な藤圭子の歌が聞こえてくる。
 歌のうまさ、情緒的に聞かせる迫力ときたら、当時の歌謡御三家、美空ひばり、島倉千代子、都はるみよりも上を行くのではと思ったほどだ。
 確か、私より、二つほど年上なのだが、ほぼ同世代なので、こんな凄い子が突然、芸能界に旋風を巻き起こしている姿に拍手喝采だった。

 藤圭子には学歴もなく、親子で日暮里のトンネル通路に野宿していたこともあると聞き、その極貧の環境から這い上がって、圧倒的な実力で一世を風靡する姿は感動的だった。
 https://www.youtube.com/watch?v=MoVKTIO5S64&t=4777s

 地下トンネルといえば、「火垂るの墓」の冒頭に、清太が三宮駅の構内で餓死した姿が目に浮かぶ。同じ頃、敗戦直後だが、上野駅の地下歩道に暮らす数百名の戦災孤児たちが、毎日のように餓死していったことが知られる。
 日本が戦争に負けて、戦火から解放されたのは、1945年だが、それから20年以上経た、1960年代末でも、まだ「戦後」から抜け出せていなかった。

 権力側としては、1964年の東京オリンピックを戦後の終わりとしたかったようで、戦争のさまざまな残渣を、東京に来る観光客の目から逸らすための工作を行って、上野地下道からも野宿者を追放していたが、藤圭子一家は、まだトンネルのなかにいた。
 上のドギュメンタリーにも描かれているが、戦争中と同じように、圭子は食うや食わずで、太れない体質になり、その衣装は小さすぎて誰も着ることができなかったという。
 オードリーヘップバーンも、戦火のなかで、同じように食べ物がなくて太れない体になったと言っている。

 何度か書いたが、名古屋市の赤線大門から栄に至る広小路通りに、夕方になるとカーバイドの屋台が延々と並んで、ドテと酒を売ったのだが、本当は、これは戦争未亡人たちが、体を売って生活費を稼ぐための舞台だった。
 これが、東京オリンピックの前に、一斉に摘発されて姿を消した。ちょうど、この頃から、政府とメディアは、「敗戦」を「終戦」と言い換えるようになった。
 政府は、戦争未亡人たちの生活を、ろくに支援しようとしなかった。彼女らは、助け合って、赤提灯の小さな飲み屋を開業し、現在の居酒屋文化につながっている。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html

 いわゆる「妾」という一夫多妻制度も、戦争未亡人たちを救うためのものでもあった。
 https://higonosuke.hatenablog.com/entry/20070119

 イスラム文化における多妻制も、同じ意味を持っていたのだ。

 だが、どんなに政府が、「戦後」を見せかけだけで消そうとしても、それは、決して終わっていなかった。
 東京では戦後が消えても、地方にはしっかりと残っていて、そんな地方から藤圭子一家は上京してきたのだ。
 私には、藤圭子という存在が、「戦後」の民衆の苦難を背負って登場した菩薩のように見えた。
 バブル時代に突入してゆくなかで、ウソではない、世間から遠く隠された真実の日本を、歌の中で垣間見せてくれた。

 藤圭子が日暮里のトンネルに野宿していたころ、私は早朝5時に、高田馬場駅前で日雇いの仕事を探した。
 オリンピックの景気高揚を引き継いだ70年代初めの好況時に、高田の馬場で、建築現場の仕事をすると、5000円くらいもらえて、それだけあれば、当時は三日くらい楽に過ごすことができた。

 当時は、年金をかけられるような、ゆとりのある給与をもらっている人も少なく、社会保証制度そのものも未熟な時代だったから、こうした「たちんぼ」と呼ばれる人足寄場の存在は、何の保証もない底辺の生活者にとって最後の命綱であり、救いだった。

 当時、立川に住んでいたのだが、新宿から立川に向かって、よく歩いたものだ。金がなかったわけではない。ただ、歩きに歩いて、東京の雰囲気を肌で感じたかったのだ。 仕事のないときは、奥多摩に向かった。当時は、まだ山渓地図もなくて、地理院の五万図が頼りだった。自分の歩いたルートに赤線を書き込んでゆき、地図が真っ赤になってゆくのが嬉しくてたまらなかった。

 歩くというのは、私にとって青春と同義語だった。
 同時に、藤圭子や岡林信康の歌も青春だった。なんで、藤圭子に惹かれたかといえば、当時、バブルに向かう資本主義社会の最盛期で、社会全体に金儲けを目的にしたウソが満ちていて、無垢のお嬢様や、セレブ、上流階級への憧れという価値観がテレビでもてはやされていた時代のなかで、彼女の持つ虚飾のなさ、恵まれない、社会から排除される立場の、マイナーな価値観に引き寄せられたのだ。

 時代は、本当に「戦後」を粉砕する破壊力に満ちたバブル時代に突入していった。
 原動力になったのは、たぶん田中角栄だろう。
 角栄が登場したのは1972年であり、日本を本当にアメリカから独立させようとしたことが原因で、CIAによってロッキード事件に嵌められて追放されたのが1974年であった。
 その間に「日本列島改造論」を打ち上げ、赤字国債を発行して大規模な景気浮揚を行ったことで、バブル時代が始まったのだ。

 我々、反原発派にとって角栄は、日本に原発を導入した正力松太郎、原発利権をゼネコンに癒着させた中曽根康弘とならんで、原発利権三羽ガラスであり、いってみれば福島第一原発事故の遠因であり、これから日本民族を滅ぼすことになる放射能汚染=悪魔の元凶であるともいえる。
 しかし、紛れもなく、戦後を本当に終わらせた張本人であった。

 50年前、1969年、「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。
ニクソンが第37代アメリカ合衆国大統領に就任し、ラオスやカンボジア、そして北ベトナムに大規模な爆撃を始めたことで、ベトナム戦争の泥沼が劇的に拡大した。
 当時、本多勝一の現地報告にも触発されて、私は勉強や学歴どころではなくなった。結構な進学校にいたのだが、右翼的な教師と衝突して、嫌気がさし東京に出奔した。
 そして、毎日のように催涙ガスの漂う都心のデモに参加していた。

 美濃部亮吉東京都知事が、東京都主催の公営ギャンブルを廃止した。博打は人を幸福にするものではないと美濃部は初めて公的立場で叫んだ。
 今の、安倍晋三や麻生太郎ら、公営博打推進者たちに、耳元で音量を千倍にして聞かせてやりたい。

 7月20日 - アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たす。
 これは、当初から、「映像がインチキだ、まるで月面に空気があるような物理法則に反した映像は、地上で撮影されたものだ」という批判が巻き起こっていた。
 真空下では、月面走行車が巻き上げた砂塵が、必ず放物線を描いて地面に落下するが、公表された映像は、おかしなものばかりだった。
 真空下における着陸船の噴射制御は、今でも超高度な難易度があり、当時の技術では不可能。
 https://www.voynich.com/moon/index.html

https://www.youtube.com/watch?v=2WIs_PwSqCA

 時代は、まだウソに満ちていた。
 CIAは、戦後日本に最大級の警戒心を持ち、米国の意向から外れる政権を絶対に許さなかった。角栄が追放されたのも、そうだし、橋本龍太郎が殺されたのも、CIAによる自民党政治家への警告だった。
 https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12237022306.html

 50年を経た、現代に至って、政治のウソは力を失うどころか、ますますウソの上にウソが建設されるような、巨大な虚構となった。
 私は美濃部亮吉が、「博打は人々を不幸にする汚い仕組み」と言えた半世紀前にこそ、今よりも大きな知性と真実が存在したと思う。

 トランプが登場し、知性というものが、この世のどこかに消えてしまったかのようだ。
 中国やブラジルの独裁政権によって、ロシアのタイガや、アマゾン、カリマンタンなどの巨大森林地帯が、商業目的で無残な皆伐を受け続けている結果、地球上は、一目散に滅亡に向かって駆け出しているようにさえ思える。

 毎年のように凄まじい酷暑がやってくる。
 これは、森林伐採の直接の影響である。巨大森林は地球気象の緩衝としての役割を果たしてきたのだから。
 地球気象はクッションを失って、極端から極端に変化するようになった。シリコンバレーでは60度という気温まで観測され、そして、今度は春秋を失って、いきなり厳冬がやってくる。
 決して「地球温暖化」ではない。むしろ、地球は小氷期に確実に向かっている。酷暑は、森林という緩衝材を失ったせいなのだ。
 我々は、これから、秋のない厳冬を経験させられるだろう。それも、経験したことのないような極低温で、水道管も上水道システムも、一度で壊れてしまうような代物だ。

 50年前には、世界に知性があった。当時の指導者なら、地球環境を激変させる、こうした愚かな産業優先主義に歯止めを打ち込んだことだろうが、今は違う。

 トランプもプーチンも、習も文も、安倍も、もちろんブラジルのボルソナールも、自分の利権以外に何一つ興味のないクズばかりだ。

見る間に地球が壊れてゆく。安倍晋三が登場して、見る間に日本政府が壊れていったのと同じだ。人間も壊れてゆく。

 東京電力が放出した放射能により、子供たちの知性が失われてゆく。大人たちは認知症になってゆく。何もかも壊れてゆく。

 50年前に、誰が、こんな現実を予想しただろう?
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-843.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c9

[政治・選挙・NHK264] 昭和天皇、戦争への「反省」表明望む 初代宮内庁長官「拝謁記」/毎日新聞・msnニュース 仁王像
1. 中川隆[-8760] koaQ7Jey 2019年8月19日 21:39:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3983]
昭和天皇と吉田茂はアメリカのスパイだった


日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。
___

ゴマすり東条さんは毎日三回は 昭和天皇の所へ顔を出して、御用聞きしてたんだ
それである日、昭和天皇が真珠湾を攻撃しろと言ったんで、へいへいとその通りにしたというのが真実


▲△▽▼

御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作り

そこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて

毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ

それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけです

だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです

東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです

他の連中も

そういうシステムで戦争が進んでいく訳です


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日本人はみんな,天皇家は精神薄弱の家系で昭和天皇も自分では何一つ決められない意志薄弱の知恵遅れだと思い込まされてきた.

しかし,それは世を欺く仮の姿だったのだ:


ある60才代の風変わりな華族は、私に英語で以下のように告げた。

「もちろん、貴君は私をたぶらかそうとしていると思う。貴君は私に何を言わせたいのかね。

私は裕仁を子供の頃から存じている。

彼は、戦争好きの馬鹿ロマンチストだったし、たぶん今でもそうだと思う。

しかし、もう数十年もご無沙汰している。私は、自分の古い時代に乱されたくはない。もし、貴君が私の名前をあげるなら、私が貴君には会ったこともないことにする。」


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昭和天皇は若いころから、宮中の書斎にはナポレオンの胸像が飾られていた(有名な話らしい)。パリを訪問したときに土産として自分で買ったもので、珍重していた。

「ナポレオンの軍隊は安上がりの徴集兵で」彼は「この軍隊を愛国心に燃える兵隊の群れに仕上げた。日本の軍隊は葉書一枚で徴兵された“民草”といわれる安上がりの軍隊で、ナポレオンの軍隊以上に愛国心に燃えていた。

ナポレオンは補給のほとんどを現地補給とした。天皇の軍隊はこれを真似た。

ナポレオンは参謀部をつくり、機動力にまかせて、波状攻撃を仕掛けた。天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。」

「あの真珠湾攻撃は、そしてフィリピン、ビルマ、タイ…での戦争は、ナポレオンの戦争とそっくりである。」と鬼塚氏は書いている。そう言われれば確かにそうだ。

 つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。

終戦の玉音放送が流れる日の朝、侍従が天皇を書斎に訪ねると、昨夜まであったナポレオンの胸像がなくなっており、代わってリンカーンとダーウィンの像が置いてあった、と…。

 この変わり身の素早さには驚かされる。つまりもう占領軍が来てもいいように、好戦的なナポレオンの像は撤去し、アメリカの受け(好印象)を狙って、リンカーンを飾り、自分は生物学に専念している(政治に無関心な)人間なのだとの印象を与えるためダーウィンを飾ったのであった。天皇は書斎からしてこうなのです…といえば、戦争責任が回避でき、マッカーサーに命乞いできるという思惑である。

戦後、天皇が海洋生物の研究家になったのは、ただひとえに自分が専制君主ではなかったというポーズであり、戦争中の責任を隠す念のいった方便だった。国民もそれに騙された。

 そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。

大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。

ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。

だから後年、阿川弘之が(あの程度の作家なのに)文化勲章を授賞したのは、海軍と天皇の戦争責任を隠してくれた論功行賞であったとしても不思議はない。

海軍の作戦を宮中の大本営で指導したのが、昭和天皇だったから、天皇としてはどうしても敗戦の責任を海軍に負わせるわけにはいかなかった。そこから「海軍善玉論」を意図的に展開させたのではないか。

佐藤氏は太平洋の作戦全般を大本営の服部卓四郎や瀬島龍三ら下僚参謀が勝手に指揮したと書いているが、知ってか知らずか、さすがに本当は昭和天皇が指導したとは書いていない。

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。


▲△▽▼


昭和天皇の身代わりになって処刑された東条英機

1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。
彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は
限度を越えていた。

中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた

1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人
ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、
あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。


ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、
よく理解できるはずである。

 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。

だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で
天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の
側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。

東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。
彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。

木戸はまた、
刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。

二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、

自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。


▲△▽▼

内閣特別顧問の石原莞爾――退役した満州戦略家――は、敗戦の説明をおこなうため、全国の津々浦々を行脚した。

彼の話す内容は、戦争を始めたのは元首相東条であり、彼以外に責任はない、という単純なものであった。

1930年代初め、石原と東条は、天皇の支持を取り付けるため互いに争っていた。だが東条が勝利していた。今、東条を犠牲者に祭り上げるにあたり、石原ほど詳細を知るものはいなかった。

出身地東京で一年以上の退役生活を送っていた東条は、その中傷を冷徹に受け入れ、戦争の責任を全面的に負うのが自分の意思であると、友人たちには内々に語っていた。

友人たちは彼の意思を尊重したが、以前の部下や下僕たちはそれに反発した。たとえば、官邸に20年間使えてきた給仕は、東条を、もっとも人間的で思慮深い人物であると述べていることが幾度も取り上げられていた。

マスコミ報道等では、第二次世界大戦は日本の軍部が独走し、
天皇は仕方なくそれに引きづられた・・という事になっている。

そのため戦争中首相であった東条英機は戦争犯罪者として処刑され、
天皇は「罪を問われなかった」という事に「なっている」。


1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。

「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に
十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。

ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて
戦争が行われているのでは無い事、

東条が「天皇の指導の下」にその命令通りに戦争を行って来た事を、天皇自身が証言している。

天皇は、自分の行った戦争の責任を全て東条に押し付け、東条を処刑させ、
自分だけ生き延びたのである。

戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、
政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。

東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、
この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。

天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。

私が会った皇室家族の二人は、私との会話に、1926年からの日本の支配者、裕仁天皇についての、いくつもの物語を滑り込ませていた。こうした物語は、印刷物として報じられたことはなく、私は最初、皇室内のゴシップとして聞き流した。
しかし、後にその全体の文脈で見ると、そこには取り上げるべき重要さが潜んでいた。

たとえば、真珠湾攻撃の夜、裕仁がマラヤからの短波放送を聞いていたとか、
彼はかって、息子をもつため、人工授精による出産をおこなっていたとか、
彼の誕生は、一般に言われているより一年早かったとのうわさがある、などなどである。


 こうした話から私が確信することは、裕仁が、少なくとも、そのように見せようとしているような、素直な歴史の被造物なぞでは決してないということである。

彼の侍従の話では、彼は、強力な独裁制の主唱者として登場してきたという。

彼は、卓越した知性の持ち主とも言われている。

1945年までは、彼は、政府のあらゆる詳細に明るく、すべての分野の官吏と逐一協議しており、常時、世界情勢についての全体的視野を保持していたという。

彼の、民事、軍事、宗教上の力は、絶対的なものと受け止められておりながら、
彼はそれをただ儀礼的に、かつ国務大臣の推奨を追認するのみで執行していたとも言われている。

また、どの話の中でも、彼は常に大臣の構想に遅れを取らずに助言を与え、
そして、彼が受け入れられるような推奨案へと舵取りしていたことが次々と語られている。

また、時には、反対する見解をも採用し、少数意見も受け入れ、あるいは、
ひとつの推薦案を丸々無視したとすらも認められていた。

裕仁天皇は、米国との戦争の布告に署名をしていた。それは、彼の意思にはそわずにされたものと言われていたが、戦争開始数ヶ月後の、近衛首相の退陣までに作成された記録には、そうした記述は残されていない。また、もし彼が戦争を差し止めようとしたならば、暗殺されたかもしれないとも言われている。しかし、こうした主張は、こじつけのようである。というのは、兵士も将校もすべて、天皇のために死ぬ備えをしており、彼を暗殺するほどにかけ離れた日本人は、戦争に反対の西洋化した銀行家や外交官だけであったからである。

 裕仁天皇は、1937年、軍隊を華北へ送る命令に判を押した。これも後に、意思にそわずに行われたものと言われ、また、その二ヵ月後には、華中、華南へ出兵する命令にも判を押した。

彼は参謀本部の躊躇した「軍国主義者」の忠告に従い、華南の命令の執行を不本意に延期した。彼は、戦局を自ら掌握できるよう、皇居のなかに、大本営を設置した。

当時の首相が天皇のあまりな傾倒に苦言を呈しているように、彼は戦争計画に没頭するようになった。

そして遂に、彼の伯父は、中国の首都、南京攻撃の命令を引き受け、南京のあるホテルに居を移し、彼の軍隊が、10万人を超える無防備の軍民双方の捕虜を殺しているのを傍観していた。それは、第二次大戦でおこなわれた最初の集団虐殺で、この伯父が東京に戻った時、裕仁は、自らでかけて、伯父への名誉の勲章を与えた。

 それをさかのぼる1931年から32年、裕仁は、満州領有に許可を与えた。これも後になって、不承々々のものとされたが、彼は、自らが代表する天皇の統帥機関により生じた企ての全的責任を負うことに躊躇していた、と当時の記録は明確に記録している。そしてふたたび、この領有が完了した時、彼はその実行者たちに勲章をあたえ、その大将を自分の侍従武官兼軍事輔弼〔ほひつ:天皇への助言者〕の主席にさせている。

 こうした明白な諸事実より、天皇裕仁の行為と、後年、彼について語られた言葉との間には、大きな食い違いがあると結論付けうる。

私は、資料文献を読みながら書き留めたノートのすべてを見直しかつ再考察し、日本の近世の歴史は、第二次大戦以来提起されているように、一部、参謀本部の逆諜報専門家や、一部、皇室取巻きの上層部によって、戦争末期に捏造された幻想に巧に由来している、と確信するようになった。

 こうした日本の表向きの物語は、何度も、すでに生じていたことがその結果にように引き合いに出され、論理的に逆転している。偶然な出来事や自然発生した大衆行動が、高官レベルで、それに先立つ数ヶ月あるいは数年前に、実際に議論されていたことを、その時々の資料は、一度となく示している。天皇の主席政治輔弼、内大臣(訳注)は、慣例のように次期首相を任命し、現職首相の職が危ういような政府の危機の際には、それに先立つ数週間ないし数ヶ月間は、「彼の特務期間」と呼ばれた。そのやり取りは記録として残されてもおり、その中で内大臣は、続く二代の政府の組閣構成やその成果を、正確に見通している。

終戦時、オーストラリア、ニュージーランドそして中国の高官はすべて、裕仁天皇は日本の君主であり、日本の戦争責任者のリストの先頭におかれるべきであることに同意していたことを、キャンベラの書庫で発見して、私には心をやわらげられるものがあった。彼らは、その後、マッカーサー将軍の決定――天皇を国際法の下の戦争犯罪人とするより日本の復興のために用いる――(私自身、これは賢明な決定と思う)に従った。

私の調べた確証から浮かび上がる天皇の姿は、公式の伝記にあらわれる姿とは、まるで写真のネガとポジのように異なっていた。

私の見方では、裕仁は、献身的で、衰えを知らず、利巧かつ細心で、そして忍耐力を備えた、卓越した戦争指導者だった。

彼は、アジアから白人を追放するというその使命を、大祖父から引き継いでいた。だが、国民は無関心かつ後進的であったので、人々をそうした役務にかりだすため、戦争の20年前から、心理的、軍事的に準備を重ね、巧みにあやつっていった。

公式の人物像は、これとは逆に、裕仁を、魅力に乏しいところの多い、文化的な隠居した生物学者で、自らの公務は将官や総督にゆだね、そのすべてのエネルギーをおだやかに、きのこや小さな海洋生物につぎこむ人、と描いていた。

その年の一月、私の調査が終わろうとしていた時、原書房という東京の小さな出版社が、戦時中の陸軍参謀総長、杉山元〔はじめ〕大将が1940年から44年に書きとめた備忘録〔『杉山メモ』〕を出版した。これは、日本国家の最高位の軍事将校による歴然たる手書き資料である。杉山は日本が降伏した1945年に自殺しており、彼の記録を装飾する機会はなかった。記録のほとんどは、無味乾燥な軍事的詳細か、さらに単調な軍事用語で満たされていた。しかし、そのうちのいくつかは、裕仁との会話の言葉どおりの記述である。

それらは、裕仁が、真珠湾攻撃の数ヶ月前、軍事的、経済的計画について、詳細な質問をしていることを記していた。

それは、マッカーサー将軍が語ったという、裕仁が戦後将軍に告白した――1941年にはすべての軍事的、経済的事柄については無知であった――という発言と真っ向から食い違っていた。

 最も驚くべきことは、1941年1月、対米戦勃発の11ヶ月前、裕仁が独自に、真珠湾への奇襲攻撃のフィジビリティー調査を命じていることを、『杉山メモ』が記録していることである。

それ以前では、欧米の歴史家は、少なくとも1941年11月までは、裕仁は真珠湾奇襲攻撃計画については何も知らなかった、と信じていた。1941年当時の侍従長、鈴木貫太郎は、戦後、裕仁は真珠湾攻撃計画については、それが実行されるまでは知らなかった、とはばかることすらなく記している。

 『杉山メモ』はまた、裕仁は、真珠湾計画に、彼の公式軍事輔弼がそれを告知される丸六ヶ月前の段階で、参加していたことを明らかにしている。極東国際軍事法廷の連合軍判事たちに提示され、また、宣誓のもとでの目撃証言や緻密な調査によって検証された証拠は、裕仁を戦争にまで引きずり込んだとされる「軍国主義者」の誰もが、1941年8月まで、真珠湾計画を知らなかったと結論ずけている。


国際軍事法廷は、日本人指導者に「侵略戦争への陰謀」との判決を下し、1928年から1936年の間の日本を運命付けた少なくとも八件の主要陰謀を明白とさせた。また、陰謀は、日本文化においては、古くから、由緒ある地位に置かれてきた。戦前の日本の領土軍〔植民地配属軍のことか〕は、公式に「謀略部」と称する参謀チームを設けていた。

私は、その連合国判事が判明させたリストに、さらに六件の陰謀を加え、それらのすべてを、裕仁を中心とする皇室がからむ陰謀とした。裕仁は、秘密裏に少数派に働きかけ、最初は日本を欧米との戦争に導き、そしてそれに敗北すると、その記録を隠蔽した。

欧米の歴史家は、日本人をえがくにあたって、集団ヒステリーの産物という考えでもってあまりに懲り固まっているようだった。

日本経済の記録は、そうした思い込みが誤りであることを示している。わずか一世紀昔の1868年、日本の経済発展は、1485年にヘンリー七世が王座にあった英国に相当すると見られていた。

過去一世紀の変貌は、常軌を逸した不可解な人々によって成し遂げられたのではなく、もっとも勤勉で知的な人々によってなされたのである。

私は、これまでの生涯、日本人に畏敬とそれを知ることの喜びを感じてきた。日本の指導者たちが、欧米の指導者たちと同様に、極めて賢い人たちであるということは、この著作の基本的前提である。

1945年、連合軍がドイツを制圧した際、何百万ページもの国家文書が発見された。これに対し、連合軍が取り決められた日本の占領を始めた時、戦争終結からまだ2週間しかたっていないにもかかわらず、アメリカ人の手に入ったもので、何らかの重要性をもつ文書は、日本人によって自発的に提供されたものであった。

1937年より1945年まで皇居において天皇が議長を勤めて行なわれた天皇本部の会議議事録は、すべて焼却されたと言われている。陸軍参謀本部、海軍参謀本部、特高警察のファイル類の大半も、同様であった。

▲△▽▼


東京から80キロメートルほど海岸線沿いに下った山間に、節くれだった松林に囲まれ、等身大以上の観音像――慈悲の仏教の女神――が立っている。 観音の衣の背後の草むらの中に、1.2メートルほどの空地を見つけることができる。下部の通路からは見えないそこに、七枚の灰色に変色した無塗装の細板が地面に突き立ててある。

それぞれには、墨で書かれた以下の名前が見られる。

東条英機、板垣征四郎、土肥原賢二、広田広毅、木村兵太郎、武藤章そして松井岩根。

彼らは、日本のヒットラー、ヒムラー、ゲーリングとして、二年間の審問の後の1948年、連合軍によって絞首刑に処せられた者らである。

その近く、数百メートル下った海を見晴らす高台に、小さな神社がある。その軒先には、色とりどりの紙で飾られたしめ縄がかけられている。その周り廊下の端に置かれた台の上に記名帳があり、そうした絞首刑にあった者の家族らが、1950年初め以来、毎月一回ないし二回、そこに記名している。

おおくの日本人にとって、彼ら七人は、そう罰した国際法廷が言う意味での有罪犯ではなかった。彼らは、日本を戦争へと導いた悪い陰謀者でも、ヒットラーやその一味のような狂った者らでもなく、むしろ、天皇への忠誠な奉仕者であり、政府の責任ある官吏であり、西洋式法廷の要求を満たすため、支配階級によって白羽の矢が立てられた象徴的身代わりであった。

 日本人のほとんど誰もが、1948年の戦争犯罪法廷での判決を非難するが、だからといって、日本人は、多数の選択として戦争を行ったとも、その兵隊たちが公式の指令なくして強姦や殺人を行ったとも思っていない。


天皇の7人の最も「忠実な下僕」が絞首刑に、18人が占領の間中の投獄、そして、天皇自身は皇位から退位もせず、「立派な自由主義的な紳士」となった。

1948年12月22日、絞首台に向かおうとする東条、松井ほか5名の男たちは、全員で天皇に「万歳」――裕仁朝廷の永世を誓う――を唱和した。

その処刑に立合う責を負った連合軍の外交代表は一列となって、死刑判決を受けた者らの冷徹なユーモアとも映る行動を、深い印象と共に目撃していた。

裕仁のみが生き長らえ、そして記憶にとどめられていた。

戦争後の四年間、彼は戦前からの擦り切れた背広のみを着て、人々とみじめさを共有する姿勢を表した。

そして1949年、アメリカの新聞が彼をぼろを着て散歩していると報じたと家臣が告げたことを契機に、彼は、彼の結婚25周年を記念して、背広を新調することを受け入れた。

その数年後、作家、小山いと子が、皇后良子について小説を書いた時、その新しい背広について書いて話を終わらせていた。

天皇はイソップやアンデルセンを好み、この作家は、彼女の「天皇の新しい服」という喩えが、彼の好感をさそうだろうことを予期していた。

 「天皇の新しい服」は、喩え話として、1950年代を飾った。1940年代の西洋の判事と報道記者の執拗な疑念は忘れ去られた。


▲△▽▼

神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた


[2019.7.29放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジオ) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ffcFIkJDkSg


2019/07/05 藤井聡 京都大学大学院工学部研究科教授
不条理な大和特攻という大本営決定
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/257604


 この週末、ある雑誌の企画で吉田満氏の「戦艦大和の最期」という文学作品についての座談会を行った。


戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫) – 1994/8/3
吉田 満 (著)

この作品は、先の大戦末期、沖縄戦に特攻出撃した戦艦大和の、出撃命令が出てから撃沈されるまでの数週間を描いた物語だ。吉田氏はこの大和の乗船員で、上官の脱出命令を受ける形で九死に一生を得て奇跡的に生き残り、無事生還した後に、たった一日でその初稿全文を書き上げたという。

 この作品には、この大和の出撃に対して「現場」が猛反発していた様子が克明に描かれている。大和には一機の戦闘機の護衛もなく、ほぼ丸裸の状態で何百何千というアメリカの雷撃機・攻撃機の猛攻を受けることが必定であり、一切何の戦果を上げること無く轟沈することは、誰の目にも明らかだったからだ。

 しかし、そんな現場の大反対を完全に無視する形で、大本営からの大和出撃令は覆らなかった。そして案の定、誰もが予期した通り大和は徳之島沖で米軍機の猛攻を受け、攻撃開始からたった数時間であえなく撃沈した。


 一気に3000人を超える特攻死をもたらした、この史上最大の「特効作戦」の全容を記した『戦艦大和の最期』からは、現場が如何に必死に闘ったかが克明に浮かび上がってくる。そしてわれわれ読者はその戦いに対して、その初稿の最後に書かれていたという『天下に恥じざる最期なり』との結語を繰り返す他にない。


 ただし、そうした現場の兵士達の勇猛果敢な戦いぶりは、その大本営の判断を正当化する論拠にはなり得ない。そもそもわれわれは、「軍事作戦の成果」の視点から現場の幹部全員が猛反対していたという事実、そして、現実は彼らが主張した通りの顛末に終わったという事実をけっして忘れてはならない。

▲△▽▼

昭和天皇の特攻命令:戦艦大和の場合

1945年4月6日,第二艦隊司令長官・伊藤整一中将座乗の巨大戦艦「大和」は,9隻の艦艇をしたがえて徳山沖を出航,沖縄本島西部海域をめざす征途についた。連合艦隊の生き残りをあつめた最後の艦隊出撃である。作戦計画では航空機による護衛は皆無。燃料は全艦片道分しか搭載せず,生還を期さない海上特攻であった。

作戦構想の内容とは,はじめ敵迎撃機の攻撃を吸収する海上の“囮”となって特攻機の突撃を助け,次に敵上陸地点へ殴り込んで徹底的な艦砲射撃を加え,最後に銃をとって陸上戦をたたかう,というものであった。しかしこんな計画が実行できるはずはない。実際,南西海域の制空権と制海権はすでにアメリカ側に握られている。その海域を,わずか10隻の残存艦隊が航空機による護衛もなく進攻すればどうなるかは問うまでもない。出撃命令の下命以前から,伊藤・第二艦隊司令長官は断固反対との意見具申をおこなった。

伊藤中将の頑強な反対を異例の事態と認めた中央は,説得のための特使として,連合艦隊参謀長・草鹿龍之介中将を派遣, “説得”は成功した。しかしそれは,「一億総特攻の模範となるよう,立派に死んでもらいたい」という言葉によってであった。

本作戦発動の一週間前,及川軍令部総長が沖縄方面の戦況ついて,「航空機による特攻攻撃を激しくやります」と天皇に報告した。

すると天皇から重ねて,

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」

と“御下問”があった。及川総長はこれを

「水上部隊は何をしているのか」

という叱正の言葉と解した。

及川総長から連絡を受けた豊田連合艦隊司令長官は,さっそく

「畏レ多キオ言葉ヲ拝シ恐懼二堪エズ」

にはじまる緊急電を発し,あくまで作戦の完遂を期すべし,と呼びかけた。

「海上部隊はあるか?」

という疑問の言葉は

「あるなら使ってはどうか」

という間接的・暗示的命令として解されうる。

「海上部隊はないのか?」

という否定疑問文では,こうした間接的・暗示的命令性がいっそう強まるだけではなく,

「あるのになぜ使わないのか!」

という“叱正”のニュアンスまでが加わってくる。


こうして及川総長と海軍首脳部は

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか?」

という“御下問”を深読みし,そこにまず

「あるなら使ってはどうか?」

という間接的・暗示的な命令を発見する。連日出動してゆく特攻機群にくらべて,空しく係留・温存されている海上部隊は顔向けができない。天皇に対しても,特攻機に対しても面子まるつぶれではないか。間接的・暗示的な命令は

「あるのになぜ使わないのか!」

という“叱正”と解され,“恐懼”の感情を誘発し,海上部隊活用への「焦り」を生む。

海軍上層部の空気は変化し,ついには海上特攻艦隊という構想へ到達したと推定されるのだ。それだけではない。天皇の発言を契機として生じた海軍上層部の空気のこうした変化こそが,草鹿特使の“説得”の真の内容であったと推定することによって,伊藤中将の態度急変の謎も初めて解けるのだ。

こうして,戦艦大和がひきいる10隻の特攻艦隊は,死の南西海域へ向って出撃して行った。

▲△▽▼


鬼塚英昭 昭和天皇はアメリカのスパイだった


日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2

日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3

日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4

日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5


http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/626.html#c1

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
16. 中川隆[-8762] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:08:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3981]

宮崎文夫 あおり運転 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%96%87%E5%A4%AB+%E3%81%82%E3%81%8A%E3%82%8A%E9%81%8B%E8%BB%A2&sp=mAEB


独自取材で判明!「あおり運転暴行事件」容疑者らの“異様な関係性”と“二面性”
8/19(月) 20:29配信 FNN.jpプライムオンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190819-00010016-fnnprimev-soci



「逃げないから“出頭”させて」と必死の抵抗

8月10日、茨城県・常磐自動車道で起きた悪質なあおり運転と暴力行為。
全国に指名手配されていた宮崎文夫容疑者(43)が18日、傷害の疑いで逮捕された。

【画像】バレンタインには喜本容疑者から「ブランドバッグ」を…

「直撃LIVEグッディ!」のカメラは、宮崎容疑者拘束までの一部始終をとらえていた。


宮崎容疑者:
ちょっと待ってくださいよ。自ら出頭しますって今電話してますので。逃げも隠れも…ちょっと待って、今、生野警察署に電話してますので。逃げないんで、行きますから!


「逃げも隠れもしない」と大声で叫び続ける宮崎容疑者。「生野警察署」という言葉を繰り返し、管轄内の東住吉警察署に連行されることを頑なに拒んでいる。


宮崎容疑者:
ちょっと待ってください、本当に…逃げません!自分から出頭させてくださいよ、本当に。

警察官:
今まで話に来なかったんだから、そのままは信用できないから。

宮崎容疑者:
だからついてきてください、そのまま。

警察官:
じゃあ、車で行くよ。

宮崎容疑者:
車には乗りたくないんです。以前に自分にも不納得な理由で監禁が不起訴になりましたけど、恐喝尋問で…ちょっと待ってください!手で押さえつけるのだけはやめてください!逃げませんし、隠れません!


指名手配後も逃亡を続けていた宮崎容疑者に対し、「信用できない」と警察官は一蹴するが「逃げも隠れもしない」と抵抗を続ける宮崎容疑者。
報道陣のカメラに対して…


宮崎容疑者:
本当に逃げも隠れもしませんし、行為に関して悪い部分があれば、普通に会社としても個人としても責任を取る方向で考えてますので、生野警察署に出頭させてください!生野警察署に!
東住吉警察署は非常に苦い思い出があるので、嫌なんです!車の中にこんな時に入りたくありません。中で何されるか分からないんで!嫌です。そういう噂も聞きますし、自分から行くんで、後ろを張り付くようについてきてください。本当に。逃げも隠れもしません!


この時、宮崎容疑者がもみ合っている場所から道路を挟んだ先には、警察官と共にいる喜本奈津子容疑者(51)の姿があった。

宮崎容疑者が暴力行為に及んだ際、車を降り、携帯電話で撮影をしていた、喜本容疑者だ。
18日、犯人蔵匿・隠避の疑いで逮捕された喜本容疑者は、事件後宮崎容疑者を自宅マンションにかくまい、食事を提供していたとみられている。

すると、宮崎容疑者の口からは「そこに行かせてください、彼女の元に」との言葉が…さらに「喜本さん」と必死に呼びかけると、喜本容疑者は信号を渡り、宮崎容疑者の元へ向かった。


喜本容疑者:
生野署に連れてってくれるっていうから行きましょ。ちょっと押さえつけないでください、逃げませんから。手をつなぎたいんですけど、逃げませんから。


「手をつなぎたい」と訴える喜本容疑者。その後、グッディ!のカメラに向かって驚きの主張を繰り広げた。


宮崎容疑者:
カメラに向かってしゃべれ!

喜本容疑者:
私たち逃げも隠れもしないんで。元々そもそも相手方があおってきたんですよ。あそこの映像、途中から私たちの車入ってきたみたいになってますけど、違いますから、あれ全然。真実を話しますから。


その後、応援のパトカーが到着すると…


宮崎容疑者:
ちょっと待ってください。

喜本容疑者:
そんな興奮させないで。逃げるわけじゃないんだもん。

宮崎容疑者:
喜本!

リポーター:
車に乗らないと暴れています。

喜本容疑者:
暴れてない、暴れてない!なんでそんなに乱暴するの!生野署に連れて行ってください、必ず。絶対ですよ。


その後、茨城県警の取手署に車で移送。捜査員にフードを外されると…
「逃げも隠れもしない」と話していたが、手で顔を隠し、うつむいていた。
宮崎容疑者は「殴ったことは間違いない」と容疑を認めており、喜本容疑者も事件の際、一緒にいたことを認めているという。

喜本容疑者からは“のろけ”も…2人の奇妙な関係

宮崎容疑者と喜本容疑者、2人はどのような関係なのか?
喜本容疑者の高校時代からの友人は、そのなれそめを聞かされたという。


高校の同級生:
彼女は独身で、結婚したくて、それで出会い系のアプリあるじゃないですか。2月の下旬に会った時に「新しい人がこういう人で」「今この人と付き合ってる」とか、写真を見せてもらって。

――宮崎容疑者の話をしている時は幸せそう?

高校の同級生:
はい、うれしそうでした。初めて彼の話を聞いた時も、何度も電話がかかって来たり、まめな人だったので、それでやられちゃったのかなって。


出会い系のアプリで知り合ったとされる2人は、今年2月から交際を開始。知り合ってからまだ半年ほどしかたっていないようだ。
友人の前で、のろけていたという喜本容疑者。しかし、よく話を聞いていくと、衝撃的な話が飛び出したという。


高校の同級生:
2月のバレンタインの時に、彼女はチョコレートを用意してたみたいなんですよ。だけどどこかデパートの閉店ギリギリに連れていかれて、自分(宮崎容疑者)の欲しいものがあるって。これが欲しいんだって言って、30万円のヴィトンをクレジットで買ったって。「店員の前で『俺はホワイトデーに彼女に倍返しするから』って言ってたんだよ」みたいなこと言ってました。

でもせっかく買ってあげたのに、車の上だか横だかに置いて忘れて、その鞄がなくなっちゃったっていうのを聞いて。私は「えー!」って。30万円するものを付き合って間もない人に買ってくれって言うのもおかしいし、お金持ってるなら自分で買えばいいのにって思うのに。普通のOLなのにクレジットカードでローン組んで買ったんだって、そこまでするくらいのめりこんでたんだなって。

(喜本容疑者は)本当にこんなことするような子ではない。この半年で、何かが絶対あったはず。


その後、友人は喜本容疑者と連絡を取ろうとしたが、今年3月以降、音信不通の状態が続いているという。
一体何があったのだろうか。グッディ!は、この半年間に宮崎容疑者と喜本容疑者が訪れた飲食店を取材した。


長時間の“説教クレーム”もSNSには…

今年4月に来店した2人。その時、宮崎容疑者は「彼女に熱いお茶がかかり、やけどした」とクレームを入れてきたという。しかし、店主がやけどを確認しようとすると、それを拒み続けたという。


2人が来店した飲食店店主:
1回目が4月の中旬、10日過ぎかな。2回目が5月だったと思います。
どんな感じか見せてくれますか?って言ったら「ううん」って言ってね。見せてくれないんですよ。普通こぼしたら大変ですよ、拭いたりするんやけど、そこまでのことは確認できてないし、拒否された感じで。3時に入って、7時ちょっとまわったな。

――クレームで4時間ほどいたということですか?

店主の妻:
クレームというか、説教。うちが出したお茶が熱すぎて、それを置く場所が悪いんでこぼしてしもたやないかと。それが連れの女の人にかかった、どうしてくれるという内容でした。


宮崎容疑者のクレームまがいの説教は、なんと4時間も続いたという。
この飲食店は、クレームを機に防犯カメラを設置。その1カ月後、再び宮崎容疑者ら2人が来店したという。


その時の防犯カメラの映像に映っているのは、帽子にマフラー、サングラスにマスクを身に着け、顔を隠した状態の宮崎容疑者。喜本容疑者もキャップにサングラスをしている。

特に何事もなく、食事を注文した2人。しかし、食事を終えると…


店主:
「おい、やけど見したれ」と言うて、大きい声で女性に言うわけですよ。隣とかに座ってる人もびっくりしますよね。


突然、1ヵ月前のクレームを蒸し返して、店主を問い詰めたという。この時2人は「一筆書いてください」と、店主からの謝罪を求めたという。

度々店を訪れては、執拗に因縁をつけた宮崎容疑者。ところが、自身のSNSでは…


<4月16日、宮崎容疑者のSNS>
「ご馳走様でした。大変気さくな方で閉店間際だったにも関わらず温かく出迎えてくださり嬉しかったです!またお伺いしたいと思います」


店主:
なんか友達みたいに書いてあったんです。

――とても仲の良いご主人みたいに書かれていますが…

店主:
逆ですよ。うちはそれで何回も胃の痛い思いして、警察とか弁護士さんも初めて行ったし、飲食店組合とか防犯協会にも電話した。次は入店拒否をしようと思うんです。


独自取材では、宮崎容疑者の二面性が浮かび上がってきた。
.
(「直撃LIVE グッディ!」)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c16

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
73. 中川隆[-8761] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:12:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3982]

2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢


国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。

日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html

▲△▽▼

日本人の反乱に恐れおののいていた平成天皇

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c73

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
28. 中川隆[-8760] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:13:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3983]

2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢


国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。

日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html

▲△▽▼

日本人の反乱に恐れおののいていた平成天皇

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c28

[近代史3] 昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった 中川隆
4. 中川隆[-8759] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:14:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3984]

2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢


国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。

日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html

▲△▽▼

日本人の反乱に恐れおののいていた平成天皇

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html#c4

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
51. 中川隆[-8758] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:15:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3985]
2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢


国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。

日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html

▲△▽▼

日本人の反乱に恐れおののいていた平成天皇

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c51

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
247. 中川隆[-8757] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:16:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3986]
2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢


国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。

日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html

▲△▽▼

日本人の反乱に恐れおののいていた平成天皇

梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c247

[近代史3] 米軍は何故日本に駐留しているのか? 日本は何故軍隊が持てないのか? 中川隆
10. 中川隆[-8756] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:17:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3987]
2019年08月19日
謝罪に取り憑かれた平成天皇 平成30年の悪夢

国家元首が自国の悪口を言いふらすとどうなるか、天皇は理解していなかった


画像引用:http://blog-imgs-93.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/s_ice_screenshot_20160815-151551.jpeg

天皇は謝罪が良い事だと思っていた

2019年5月に平成から令和に元号が変わり、そのとたんに日本は韓国に対して冷たくなりました。

それまでは韓国が何を言ってきても、ただひたすら謝罪してお金を払っていたのに、人が変わったようになった。

6月には韓国への制裁を予告し、7月に入ると半導体素材3品目優遇措置撤廃、ホワイト国除外を打ち出した。

日本政府は第3弾や第4弾も検討中で、韓国が日本側が求める国際法の遵守に応じなければ発動する構えです。

確かに韓国は国連安保理の北朝鮮制裁決議に違反して北に密輸しているし、日本から輸入した軍需物資を勝手に転売している。

だがその手の事は過去70年間ずっとやってきた事で、今年始めたわけではありません。


また韓国は日米の反対を無視してロシアから弾道ミサイル技術を購入し、九州や西日本まで届くミサイル数百発を保有している。

さらに韓国は過去に何度か核開発を試みたことがあり、核兵器開発を目指していたのは公然たる事実です。

また韓国軍は日本を標的として自衛隊に対抗する軍艦や戦闘機を配備し、北朝鮮ではなく日本を仮想敵国としている。


これも70年前からそうだったのであり、竹島を侵略した時から変わっていないだけです。

韓国がやっている事は70年間変わっていないのに、日本側の姿勢だけが今年に入って激変した理由が何かある筈です。

日本が変わった原因は天皇の代替わりで、今まで天皇の存在によってできなかった事を、令和になったから日本政府はできるようになった。

平成悪夢の30年が始まった。

今から30年前の平成元年、昭和天皇が崩御して平成になったが、この瞬間から日本は「謝罪外交」を始めました。

中国にも韓国にも北朝鮮にもロシアにも欧米にも、とにかく誰にでも謝罪して過去の戦争を詫び、お金を払ってきました。

象徴的な事件が1992年(平成4年)の天皇訪中で、当時中国は天安門事件で世界から経済制裁されていたので、全世界が驚きました。


天皇は頼まれてもいないのに自分の意志で中国を訪問し、過去の戦争に謝罪して帰ってきました。

これで中国への経済制裁は有名無実になり、90年代の高度成長が始まり、日本から中国へお金と技術が流出していきました。

韓国へも同様にお金と技術と人が流れていき、天皇は「これで過去の謝罪ができた」と喜んでいました。


だが天皇の謝罪によって日本からお金、技術、人材、様々な権利が流出し、日本経済崩壊の原因を作った。

日中や日韓が経済問題で対立しているのに、天皇がしゃしゃり出てきて談話などで「すべて日本が悪いです」「日本は最悪です」と言ってしまう。

乖離が表面化したのは安倍内閣で、終戦の日に首相は「日本の戦争被害」を訴えているのに、天皇は「日本が侵略した国々の被害」しか言わない。


とうとう天皇はヘソを曲げて退位してしまったのだが、もう30年早く退位してくれたら日本の没落はなかったでしょう。

天皇は1933年(昭和8年)生まれで終戦時に12歳、この時東京大空襲で皇居以外は焼け野原になり、占領した連合軍に粛清される可能性もあった。(この時ソ連軍も東京を占領しようとしていた)

敗戦で子供のころ死を覚悟しなくてはならなかった事や、日本軍や日本に裏切られた、騙されたという思いがあったのでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80723382.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/575.html#c10

[政治・選挙・NHK264] 米国ワシントン・ポストは、安倍政権下の日本より韓国の肩を持っている:対米自爆テロリスト・カミカゼ特攻隊を賛美する安倍氏… 赤かぶ
9. 中川隆[-8755] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:20:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3988]
神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた


[2019.7.29放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジオ) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ffcFIkJDkSg


2019/07/05 藤井聡 京都大学大学院工学部研究科教授
不条理な大和特攻という大本営決定
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/257604


 この週末、ある雑誌の企画で吉田満氏の「戦艦大和の最期」という文学作品についての座談会を行った。


戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫) – 1994/8/3
吉田 満 (著)


この作品は、先の大戦末期、沖縄戦に特攻出撃した戦艦大和の、出撃命令が出てから撃沈されるまでの数週間を描いた物語だ。吉田氏はこの大和の乗船員で、上官の脱出命令を受ける形で九死に一生を得て奇跡的に生き残り、無事生還した後に、たった一日でその初稿全文を書き上げたという。

 この作品には、この大和の出撃に対して「現場」が猛反発していた様子が克明に描かれている。大和には一機の戦闘機の護衛もなく、ほぼ丸裸の状態で何百何千というアメリカの雷撃機・攻撃機の猛攻を受けることが必定であり、一切何の戦果を上げること無く轟沈することは、誰の目にも明らかだったからだ。

 しかし、そんな現場の大反対を完全に無視する形で、大本営からの大和出撃令は覆らなかった。そして案の定、誰もが予期した通り大和は徳之島沖で米軍機の猛攻を受け、攻撃開始からたった数時間であえなく撃沈した。


 一気に3000人を超える特攻死をもたらした、この史上最大の「特効作戦」の全容を記した『戦艦大和の最期』からは、現場が如何に必死に闘ったかが克明に浮かび上がってくる。そしてわれわれ読者はその戦いに対して、その初稿の最後に書かれていたという『天下に恥じざる最期なり』との結語を繰り返す他にない。


 ただし、そうした現場の兵士達の勇猛果敢な戦いぶりは、その大本営の判断を正当化する論拠にはなり得ない。そもそもわれわれは、「軍事作戦の成果」の視点から現場の幹部全員が猛反対していたという事実、そして、現実は彼らが主張した通りの顛末に終わったという事実をけっして忘れてはならない。


▲△▽▼


昭和天皇の特攻命令:戦艦大和の場合


1945年4月6日,第二艦隊司令長官・伊藤整一中将座乗の巨大戦艦「大和」は,9隻の艦艇をしたがえて徳山沖を出航,沖縄本島西部海域をめざす征途についた。連合艦隊の生き残りをあつめた最後の艦隊出撃である。作戦計画では航空機による護衛は皆無。燃料は全艦片道分しか搭載せず,生還を期さない海上特攻であった。

作戦構想の内容とは,はじめ敵迎撃機の攻撃を吸収する海上の“囮”となって特攻機の突撃を助け,次に敵上陸地点へ殴り込んで徹底的な艦砲射撃を加え,最後に銃をとって陸上戦をたたかう,というものであった。しかしこんな計画が実行できるはずはない。実際,南西海域の制空権と制海権はすでにアメリカ側に握られている。その海域を,わずか10隻の残存艦隊が航空機による護衛もなく進攻すればどうなるかは問うまでもない。出撃命令の下命以前から,伊藤・第二艦隊司令長官は断固反対との意見具申をおこなった。

伊藤中将の頑強な反対を異例の事態と認めた中央は,説得のための特使として,連合艦隊参謀長・草鹿龍之介中将を派遣, “説得”は成功した。しかしそれは,「一億総特攻の模範となるよう,立派に死んでもらいたい」という言葉によってであった。

本作戦発動の一週間前,及川軍令部総長が沖縄方面の戦況ついて,「航空機による特攻攻撃を激しくやります」と天皇に報告した。

すると天皇から重ねて,

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」

と“御下問”があった。及川総長はこれを

「水上部隊は何をしているのか」

という叱正の言葉と解した。

及川総長から連絡を受けた豊田連合艦隊司令長官は,さっそく

「畏レ多キオ言葉ヲ拝シ恐懼二堪エズ」

にはじまる緊急電を発し,あくまで作戦の完遂を期すべし,と呼びかけた。

「海上部隊はあるか?」

という疑問の言葉は

「あるなら使ってはどうか」

という間接的・暗示的命令として解されうる。

「海上部隊はないのか?」

という否定疑問文では,こうした間接的・暗示的命令性がいっそう強まるだけではなく,

「あるのになぜ使わないのか!」

という“叱正”のニュアンスまでが加わってくる。


こうして及川総長と海軍首脳部は

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか?」

という“御下問”を深読みし,そこにまず

「あるなら使ってはどうか?」

という間接的・暗示的な命令を発見する。連日出動してゆく特攻機群にくらべて,空しく係留・温存されている海上部隊は顔向けができない。天皇に対しても,特攻機に対しても面子まるつぶれではないか。間接的・暗示的な命令は

「あるのになぜ使わないのか!」

という“叱正”と解され,“恐懼”の感情を誘発し,海上部隊活用への「焦り」を生む。

海軍上層部の空気は変化し,ついには海上特攻艦隊という構想へ到達したと推定されるのだ。それだけではない。天皇の発言を契機として生じた海軍上層部の空気のこうした変化こそが,草鹿特使の“説得”の真の内容であったと推定することによって,伊藤中将の態度急変の謎も初めて解けるのだ。

こうして,戦艦大和がひきいる10隻の特攻艦隊は,死の南西海域へ向って出撃して行った。


▲△▽▼


鬼塚英昭 昭和天皇はアメリカのスパイだった


日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2

日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3

日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4

日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5


http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/635.html#c9

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
17. 中川隆[-8760] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:42:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3983]

あおり殴打撮影「ガラケー女」と宮崎容疑者《そろってサングラスのまま飲食動画》 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=8GsXfK6oXkE


あおり殴打撮影「ガラケー女」と宮崎容疑者《そろってサングラスのまま飲食動画》
「週刊文春」編集部
https://bunshun.jp/articles/-/13476

 茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた「あおり運転暴行」事件で、宮崎文夫容疑者(43)とともに、犯人隠匿の容疑で逮捕された喜本奈津子容疑者(51)。犯行の一部始終を収めた被害者のドライブレコーダーの映像には、喜本容疑者がガラケーを片手に被害者の車へ近付いてくる様子が映っていた。喜本容疑者は8月19日(月)早朝、宮崎容疑者と同じ茨城県警取手署に移送された。


取手署に移送される宮崎容疑者 ©文藝春秋


 宮崎容疑者がオーナーでもある大阪市内の自宅マンションでは、今年5月頃から2人の姿が目撃されている。2人は交際関係にあったという。取手署に移送される際も宮崎容疑者は手で顔を覆っていたが、顔を隠すのは2人とって日常的な行動だったようだ。


取手署に移送される喜本容疑者 ©文藝春秋


「夜に宮崎と女性を何度か見かけたが、2人ともいつもサングラスをして、帽子をかぶっていた。近所づきあいはもちろん、挨拶すらない。むしろ威嚇してくる感じで近寄りがたかった」(地元住民)

 取材班が入手した映像でも、2人はサングラスをかけたまま食事をとっている。


サングラスをかけたまま食事する2人

 今年4月、2人が訪れた飲食店での映像だ。

 2人が起こしたトラブルや奇行は、東京〜大阪間の複数の地域で目撃されている。三重県伊賀市の精肉店でも高級伊賀牛を買い求める宮崎容疑者の姿が目撃されている。2人の活動拠点は大阪だけではなかった。

「宮崎の健康保険証の住所は小田原で、運転免許証の住所は名古屋になっていた。小田原には今年7月まで一軒家に住んでいて、名古屋は約1年前まで古いマンションを借り、会社の所在地にしている。どちらの場所でも、喜本容疑者も目撃されている。

 喜本は宮崎の恋人であると同時に、仕事のパートナーでもある。出会い系サイトで知り合ったようだ。ちなみに喜本の住所は東京・品川区のアパート。2人は車で全国を転々としていた。宮崎の潜伏先はいくつもあったため、県警の捜査も難航し、逮捕まで時間がかかったようだ」(社会部記者)

 品川区内の喜本容疑者のアパートでも奇行が確認されている。

「今年6月くらいから越してきて、留守の日が多かったが、朝方に男女で帰ってきて言い争っていたこともあった。男がいつも女を罵って、女が外に出て行く。その声が聞こえていた。男がいるときは決まって向かいの家の前に高級車を停めていた。先週、先々週くらいはうるさい日が多かったが、ここ何日間かは声が聞こえなかった」(アパート住民)


確保される宮崎容疑者。手前は喜本容疑者 ©文藝春秋

確保される宮崎容疑者。手前は喜本容疑者 ©文藝春秋

 喜本容疑者の親戚は、取材にこう答えた。

「ああいう人ですから10年以上前に縁が切れています。写真もない。他の親戚もみんな離れています。性格に難がある方でして……もう、関わりたくないんです」

 2人の容疑者は8月20日に送検される予定だ。
https://bunshun.jp/articles/-/13476
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c17

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
18. 中川隆[-8759] koaQ7Jey 2019年8月20日 06:44:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3984]

【大阪で逮捕】“あおり運転殴打”宮崎文夫容疑者 「話すのは車と女のことだけ」元同期男性が見た執着
清水 俊一 2019/08/18
https://bunshun.jp/articles/-/13443


 茨城県内の高速道路上で煽り運転を繰り返した末に、男性ドライバーを殴りつけた宮崎文夫容疑者(43)。

 警察は宮崎容疑者を全国に指名手配し、8月18日午前に大阪市内で逮捕した。

「名前を見て彼だと分かった時、ああ、やりそうだな、と思いました」

  こう話すのは、宮崎容疑者と同期入社した男性だ。

 関西の有名私大を卒業した後に宮崎容疑者が入社したのは、精密機器を製造販売する東証1部上場のキーエンスだった。

 同社は世界約50カ国に進出し、海外売り上げ比率が5割を超える超優良企業。社員の待遇が良いことでも知られ、上場企業の平均年収ランキングでは常に上位。2019年3月期の平均年収は、平均年齢35.8歳で実に2110万円に上る。

「今思えば彼が入社できたのは不思議ですが、キーエンスにはコネ入社は無いと言われます。筆記試験はありませんでしたが、適性試験があり、面接も3回か4回行いました」(同期入社の男性)

昔から「車」と「女」に執着

 この事件で特異だったのは、被害者の車に向かってくる宮崎容疑者と共に、車を降り、携帯電話で撮影しながら近づいてくる同乗の女の姿だった。「車」と「女」に宮崎容疑者は昔から執着していたという。

「同期は約40人でしたが、車を持っていたのは2人だけでした。その1人が彼。学生時代から、アルピナの濃紺のBMW5シリーズに乗っていました。話すのは車と女のことだけ。金のネックレスをしていて“女に貰った”と自慢していました。

 研修が終わった後、彼は名古屋に配属されました。キーエンスは待遇が良く、引っ越し代が支給され、車の所有者は専門の業者が運んでくれます。しかし彼は自分の車のハンドルを他人が握ることを嫌がり、“(本社のある)大阪から名古屋までなら自分で運転していく”と、人事部に最後までゴネていました。

 とにかくテンションが高い。しかし、話が面白くない。同期の中では浮いた存在でした」(同前)


仕事はできなかったという。

「入社後の新人研修では断トツでビリでした。ビジネスマナー講習の時には、白いワイシャツの下にハードロックバンドの黒のTシャツを着て、怒られていました。

 キーエンスには複数の事業部がある。彼は研修後、名古屋のMECT事業部に配属されてマイクロスコープ(デジタル顕微鏡)の販売担当になりましたが、辞めるまでに1台も売れなかったのでは?」(同前)

“オレはビッグになる”と言い残し、入社1年たたずに退社

 宮崎容疑者は、入社1年たたずに退社した。

「辞める時、“オレはビッグになる”と言っていました。田原俊彦のビッグ発言は5年も6年も前のことでしたけど(笑)。それに、“中古車屋でもやるわ”とも言っていました。


宮崎容疑者のSNSより

  同期に手を挙げるなどの暴力傾向は見えませんでしたが、上司に怒られても、まったくこたえていなかったのが印象的です。怒られた意味を理解していない、と思うほどでした。

 彼が辞めた2、3年後に未登録番号の着信があり、出てみると彼でした。“オレのこと分かる?”と聞いてきて“いや”と答えると、“冷たいなあ”と言って30分ぐらいネチネチと絡まれました」(同前)

 宮崎容疑者は事件後、大阪市内で食べた牛タン定食の画像を自身のインスタグラムに投稿するなど不可解な行動も見せていた。今回も、まったくこたえていないのだろうか。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c18

[リバイバル4] Western electric 124 amplifier _ すべてのアンプの中で最も艶やかな音の WE350B プッシュプルアンプ 中川隆
3. 中川隆[-8758] koaQ7Jey 2019年8月20日 07:18:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3985]

自分が聴いた中で弦楽と声楽を最高の音で聴かせてくれた真空管アンプ Western electric 124 amplifier

戦後のWEアンプでもっともWE色が強く、百花繚乱の凄美艶音を聴かせる。

適合するスピーカーは

ALTEC A5, A7, 604, 604B oldtype
TANNOY autogrph, VLZ
VITVAOX CN191


http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/133.html#c3

[リバイバル3] 起業するより多国籍企業に投資する(現物株を買う)方がギャンブル度は遥かに低い 中川隆
19. 中川隆[-8757] koaQ7Jey 2019年8月20日 07:25:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3986]

2019年08月20日
個人起業は「頑張らない」ほうが長続きする

自分一人なので、骨身を削る努力は続かない

頑張る起業家は倒れやすい

アンケートによると多くの人が副業を希望していて、中には自分で開業したりネット起業する人もいます。

起業といっても副業としてなら、今はメルカリやヤフオク、アマゾンで個人出品したり、クラウドソーシングもある。

技能や資格を生かして仕事を請け負ったり、古典的な飲食店開業とか人手不足の運送業界などもある。


現在は人手不足なので逆にいえば個人起業でもチャンスがあるが、1人の体力や精神力には限界がある。

よくあるパターンとしては仕事を始めるときは気力体力ともに充実していて、何でもできるように感じる。

寝る間を惜しんで働いて受けれる仕事は全部受けて、限界まで頑張ってしまう。


最初の気力が続くのは3か月までで、戦争のような極限状態でもそれ以上人間の気力は続かないそうです。

半年、1年が経つとペースが落ちていき、3年ほど経つと疲労が蓄積されて、5年くらい経つと心身とも限界になってしまう。

こうして経営的にはなんとかなっているとしても、数年で廃業する人が非常に多い。


中小企業白書によると個人で開業した約3割が1年以内に廃業、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。

個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。

個人と会社を比較すると意外にもどの年数で見ても、個人起業のほうが2倍以上多く生き残っています。

頑張らない方が長続きする

会社設立は勝者総取りで地域に1社しか生き残れないのに対し、個人は小さな隙間があれば続けることが可能です。

個人起業のメリットはコストを安く抑えられることで、人を雇わず自宅オフィスなら新たな固定支出は不要です。

「なんでも屋」とかネット上の作業なら新規コストゼロで開業でき、売り上げはすべて自分のものになります。


個人起業の欠点は労働力が自分一人しかいない事で、自分がどれだけ頑張ったかが売り上げに直結します。

そこで多くの人は寝る間も惜しんで働くのだが、気力と体力は長続きしないものです。

自分が寝る間を惜しんで働かないと利益が出ないという事は、その事業そのものに問題があるかも知れません。


「頑張らない」「サービスしない」「努力しない」それでも続けられるような事なら10年20年とやっていけるでしょう。

だが毎日限界まで働いて精いっぱいお客さんにサービスしなくては経営が成り立たないのでは、その事業は先が見えています。

商店などの閉店の張り紙では「店主が身体を壊したため休業します」というのが非常に多いです。


一方でそれほど頑張らなくても、身体を壊してもやれるような事業だったら閉店しなくても済んだかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/80713380.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/826.html#c19

[リバイバル4] 日本人はネアンデルタール人の生き残り? 中川隆
8. 中川隆[-8756] koaQ7Jey 2019年8月20日 07:34:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3987]

2019年08月19日
ネアンデルタール人と現生人類との交雑をめぐる認識の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_35.html


 現在では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はほぼ定説として確立した、と言ってよいでしょう。しかし、10年ほど前までは、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が主流でした。たとえば、原書が2009年に刊行された『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(関連記事)がそうです。同じく原書が2009年に刊行された『人類20万年遥かなる旅路』(関連記事)は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の可能性を完全に排除しているわけではないとしても否定的で、交雑が起きたとしても取るに足らない程度だった、と主張しています(P344)。

 この状況が大きく変わったのは2010年5月に公表された『サイエンス』論文(関連記事)で、これ以降、ネアンデルタール人と現生人類との交雑を認める見解が優勢になり、現在ではほぼ定説として認められています。日本語環境でも、これ以前には交雑否定説が圧倒的に優勢だったように記憶しています。おそらく、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が最も優勢だったのは、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果が初めて報告された1997年から2010年5月までだったのでしょう。

 しかし、この間も、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の可能性を指摘した遺伝学的研究はあり、たとえば、まだネアンデルタール人のゲノム解析結果がまったく公表されていない2006年7月の時点で、ヨーロッパ系現代人にネアンデルタール人の遺伝的影響があることを報告した論文が公表されています(関連記事)。私は2003〜2004年頃に、現生人類によるネアンデルタール人などユーラシアの先住人類との完全置換説から交雑説へと転向したので(関連記事)、交雑説に否定的な見解が圧倒的に優勢な状況で、交雑説に肯定的な研究を心強く思ったものです。

 ただ、だからといって、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的だった人々を責めることは妥当ではない、と私は考えています。ネアンデルタール人の核DNA解析の詳細な結果が公表されるまで、ネアンデルタール人と現生人類の直接的なDNA比較はミトコンドリアだけで可能でした。mtDNAの比較では、当時も今もネアンデルタール人と現生人類の交雑の痕跡は見つかっておらず、今後も見つかる可能性は皆無に近いでしょう。その意味で、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が主流だったことは、強く批判されるべきではない、と思います。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_35.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html#c8

[近代史3] 人類進化史

2019年08月20日
近年における過去100万年の人類進化史研究の進展
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_37.html


 近年における過去100万年の人類進化史研究の進展を概観した研究(Galway‐Witham et al., 2019)が公表されました。


Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years
First published: 14 August 2019
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/jqs.3137

この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は最近15年ほどの研究の進展を対象としており、広範な分野の研究の進展を簡潔に紹介するとともに、現時点での問題点を整理し、今後の展望も示しており、たいへん有益な人類進化史概説にもなっていると思います。近年の人類進化研究を把握するうえで、当分は必読の文献となるでしょう。以下、本論文の簡単な紹介です。


●21世紀初頭の時点での人類進化史理解

 21世紀初頭の現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説では、過去50万年間の人類進化は比較的単純でした。古代型のハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)が広範に拡散し、化石記録から消える前の40万年前頃に2系統に分岐した、と想定されていました。「古代型」とは、現生人類ではないホモ属のほぼすべての構成員を指し、長くて低い頭蓋や強くて連続的な眉弓が形態的特徴です。これは、現生人類の球状の頭蓋や弱い眼窩上隆起や頤や狭い骨盤とは対照的です。

 ハイデルベルク人の子孫は、ユーラシア西部ではネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)、アフリカでは現生人類へとじょじょに進化しました。その2系統のうち最古の人類遺骸は、ネアンデルタール人系統では40万年前頃となるイギリスのスウォンズクーム(Swanscombe)頭蓋、現生人類系統では13万年以上前となるオモ・キビシュ1(Omo Kibish 1)遺骸(オモ1号)です。ネアンデルタール人系統は寒冷気候に、現生人類系統は熱帯気候に適応した、と考えられます。現代人の遺伝データからは、現生人類がアフリカからユーラシアへと55000年前頃に拡散して、45000年前頃にオーストラリアへ到達し、3万年前頃までにユーラシアのネアンデルタール人は現生人類と最低限交雑したか、もしくはまったく交雑せずに、現生人類に置換されました。

 中国では、陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡や広東省韶関市の馬壩(Maba)遺跡で古代型ホモ属化石が報告されており、ジャワ島では現生人類が拡散してきた45000年前頃まで、エレクトス(Homo erectus)が存在していました。アジアとオセアニアの分布境界線であるウォレス線を越えて東進できたのは、外洋航海が可能だった現生人類だけでした。ヨーロッパでは、「現代的」行動が現生人類の到達した4万年前頃に突然出現した、と考えられていました。「現代的」行動は認知能力の進化に伴い一括して出現した、と想定されていました。

 こうした認識は、この15年ほどの研究の進展により大きく変わらざるを得ませんでした。予想外の人類遺骸が相次いで発見されるとともに、「現代的」行動はアフリカで想定よりもずっと古くからじょじょに出現してきた、という証拠が蓄積されてきました。以下、本論文はこの15年ほどの研究の進展を整理します。


●気候変動

 100万〜70万年前頃には気候変動が激しく、94万〜87万年前頃には、アフリカ北部とヨーロッパ東部で乾燥化が進展しました。これにより、人類も含むアフリカ起源の大型哺乳類がヨーロッパ南部へと拡散した、との見解も提示されています。人類にとって比較的好条件の環境期間も60万〜10万年前頃の間で特定されており、それが人類の出アフリカを可能としたかもしれません。更新世の前期から中期への移行は、一般的には78万年前頃とされますが、大まかには922000〜640000年前頃の移行期により分離されます。

 概して、穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようです。こうした人類の居住可能範囲が変動するなかで、更新世においてアジア南西部の気候は一貫して、人類の居住に適している可能性が指摘されています。26500〜20000年前頃となる最終氷期極大期(LGM)に近づくにつれて、平均乾燥度は増加し、タール砂漠のような地域は断続的に居住に適さなくなりました。一方、気候変動にともない、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5となる130000〜118000年前頃、106000〜94000年前頃、89000〜73000年前頃や、MIS3となる59000〜47000年前頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました。また、軌道も千年単位での急激な気候変動の要因となり、人類の移動に大きな影響を及ぼしたかもしれません。


●混乱が続く中期更新世における人類進化の理解

 78万〜13万年前頃の中期更新世における人類進化についての理解は、多くの人類遺骸の発見と古代DNA研究の進展にも関わらず、混乱したままです。その焦点の一つは、ハイデルベルク人の評価です。上述のように、ハイデルベルク人はアフリカとユーラシアの広範な地域に拡散し、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカの現生人類の祖先だった、との見解が以前は主流でした。一方、ハイデルベルク人の正基準標本とされているドイツのマウエル(Mauer)で発見された下顎骨はネアンデルタール人と現生人類の共通祖先と想定するにはあまりにも特殊化しているとか、ハイデルベルゲンシスは形態学的に多様性が大きく一つの種に収まらないほどの変異幅があるとかいった見解も提示されるようになりました(関連記事)。

 そのため、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見された頭蓋をローデシア人(Homo rhodesiensis)と分類し、アフリカの現生人類の祖先と想定する見解も提示されました。ローデシア人を現生人類の祖先系統とする見解では、ネアンデルタール人系統と現生人類系統のより古い分岐が想定され、たとえば、スペイン北部で発見された85万年前頃のホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)は、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先の形態に近いのではないか、と推測されています。ネアンデルタール人系統と現生人類系統の分岐年代に関してはまだ確定しておらず、60万〜50万年前頃とする見解や、80万年以上前とする見解も提示されています(関連記事)。

 本論文は、中期更新世には少なくとも2つの異なる顔の系統があったかもしれない、と指摘します。一方は、祖先的ではあるものの、現生人類とも類似している華奢な系統で、上述のアンテセッサーと、中国の南京やモロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)で発見された人類遺骸です。もう一方は、比較的高身長のより派生的な系統で、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」(以下、SHと省略)やギリシアのペトラローナ(Petralona)やザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見された人類遺骸です。

 43万年前頃のSH集団は、頭蓋(関連記事)でも頭蓋以外の形態(関連記事)でも核DNAでも(関連記事)ネアンデルタール人系統に位置づけられます。形態的に現生人類系統に位置づけられる人類遺骸として最古のものは、SH集団よりは新しい315000年前頃となり、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡で発見されました(関連記事)。これより明確に現生人類系統に位置づけられる人類遺骸としては、エチオピアのオモ1号があり(関連記事)、年代は195000年前頃と推定されています(関連記事)。

 現生人類の起源に関しては、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。アフリカ外では、イスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)で発見された194000〜177000年前頃と推定されているホモ属の上顎(関連記事)と、ギリシア南部のマニ半島のアピディマ(Apidima)洞窟で発見された21万年以上前のホモ属頭蓋(関連記事)が現生人類と区分されていますが、遺骸が断片的なので、分類に慎重な研究者もいます。


●ホモ・フロレシエンシス

 上述のように、ウォレス線以東に拡散できた人類は現生人類だけだと長年考えられていました。しかし、インドネシア領フローレス島で2003年に発見された更新世の人類遺骸は、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されました。フロレシエンシスの正基準標本はLB1です。フロレシエンシスの身長は105cmほど、脳容量は420mlと現生人類平均値の1/3以下で、樹上生活に適しているように見える上半身や祖先的な手首や比較的短い脚など、祖先的で特異的な特徴を示しています。一方、LB1の顔はより派生的で、歯は現生人類のサイズと類似しているものの、祖先的もしくは特異的な特徴も見られます。

 LB1について、当初は病変の現生人類との見解が強く主張されました。しかし、そうした病変現生人類説はいずれも、LB1の全体的な形態を整合的に説明できず、現在では新種説でほぼ確定したと言えるでしょう。ただ、LB1が現生人類ではないとしても、何らかの病変を示している可能性も指摘されています。フロレシエンシスについては、2016年に大きく研究が進展しました(関連記事)。当初フロレシエンシスの下限年代は12000年前頃と推定されていましたが、5万年前頃までさかのぼり、フローレス島中央のソア盆地のマタメンゲ(Mata Menge)遺跡では、フロレシエンシスと類似した70万年前頃の人類遺骸が発見されています。フローレス島では100万年以上前の石器群も発見されており、フロレシエンシス系統が100万年以上にわたってフローレス島で進化してきた可能性も考えられます。

 フロレシエンシスの起源については、ジャワ島のホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化したとする説と、より祖先的(アウストラロピテクス属的)な人類、たとえばホモ・ハビリス(Homo habilis)から進化したとする説とが提示されており、まだ議論が続いています。更新世のフローレス島への進出には渡海が必要ですが、フロレシエンシス系統がどのようにフローレス島に到達したのかは不明で、海流を考慮するとスラウェシ島から到達した可能性が高い、と推測されています(関連記事)。


●ホモ・ナレディ

 2015年、南アフリカ共和国のライジングスター洞窟(Rising Star Cave)にあるディナレディ空洞(Dinaledi Chamber)で発見された多数の人類化石が公表されました(関連記事)。この人類集団はホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)と分類されました。発見場所が洞窟の奥深くであることから、埋葬の可能性も指摘されています。ナレディの脳容量は400〜610mlで、現生人類やネアンデルタール人のような派生的特徴と、ハビリスのような祖先的特徴とが混在しています。総合的にみると、ナレディの形態の個々の特徴は他の人類集団にも見られるものの、その組み合わせが独特と言えます。ナレディの脳はホモ属と分類するのを躊躇うくらい小さいのですが、その前頭葉、とくに下前頭回および外側眼窩回において、他のホモ属種との共通点が指摘されています(関連記事)。

 ナレディの年代は335000〜236000年前頃と推定されています(関連記事)。フロレシエンシスと、今年(2019年)公表された(関連記事)ルソン島のホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)は、孤立した島で独自に進化した祖先的特徴を有する人類集団と考えられますが、現生人類系統も含むホモ属も存在したアフリカ南部で、ナレディのような祖先的特徴を有する人類が30万年前頃以降も存在していたのは、どのように他のホモ属と共存していたのか、という問題を提起します。ナレディの進化史は現時点ではほぼ完全に不明で、アフリカの他の人類化石がナレディの系統に分類できるかもしれませんし、既知の石器群の中にナレディが製作したものもあるかもしれません。

 このようにアフリカでも、中期更新世に現生人類へと進化していくという観点で単純に進化史を把握できなくなりました。本論文は、30万年前頃のアフリカには、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)に代表される現生人類系統、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見されたローデシア人(Homo rhodesiensis)系統、ナレディ系統という、少なくとも3系統の人類が存在していただろう、と指摘しています。アフリカにおいて中期更新世後期以降も複数系統の人類が存在した可能性は、遺伝学からも提示されています(関連記事)。


●現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との交雑

 古代DNA研究の飛躍的な進展により、過去100万年の複雑な人類進化史が明らかになりつつあります。この分野での大きな成果は、ネアンデルタール人のゲノム解析と、形態学では区分できないような断片的な人類遺骸から、デニソワ人(Denisovan)という分類群を定義できたことです(関連記事)。デニソワ人の種区分は未定です。今では、現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との間に交雑があった、と広く認められています(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類の交雑は、6万〜5万年前頃にアジア南西部で起きた可能性が高そうです。

 現代人へのネアンデルタール人の遺伝的影響として、皮膚や髪や免疫系などが挙げられています。ネアンデルタール人の現代人への遺伝的影響は、サハラ砂漠以南のアフリカ系ではほとんど見られず、非アフリカ系では多少見られ、大きな違いはありませんが、ユーラシア西部系現代人よりもユーラシア東部系現代人の方が、ネアンデルタール人の遺伝的影響は高くなっています。デニソワ人の現代人への遺伝的影響に関しては大きな地理的違いがあり、オセアニアにおいてとくに高くなっており、アジア東部および南部でもわずかに確認されます。どのようにこうした地域的な違いが生じたのか、現時点では確定していません。


●現生人類のDNA解析

 現生人類の古代DNA解析は、アフリカでは15000年前(関連記事)、ユーラシアでは45000年前(関連記事)までしかさかのぼりません。しかし、現代人のゲノムデータは多数得られており、現生人類の進化史の推定に役立っています。現生人類系統では遅くとも20万年前頃には遺伝的多様化が始まっており(関連記事)、出アフリカは6万年前頃と推定されています。しかし、それ以前のアフリカ外における現生人類の存在も複数報告されています(関連記事)。これは、6万年前よりも前の出アフリカ早期現生人類集団が、絶滅したか、後続の現生人類集団により同化されてしまったことを示唆します。

●頭蓋以外の形態の進化傾向

 過去100万年の形態的な人類進化史は、おもに歯を含む頭蓋の分析に依拠しています。頭蓋以外の化石は、比較対象の少なさから特定の分類群に区分することが困難な場合もあります。また、現時点での証拠からは、現生人類と他の古代型ホモ属との違いのほとんどは頭蓋にあることも、頭蓋以外の形態での分類を困難にしています。頭蓋以外の形態でのおもな違いとして、後肢の頑丈さがありますが、後期ホモ属は形態的には、他の分類群よりも多様性が低く、前期ホモ属までよりも大柄という特徴を共有しています。この傾向に合致しないのが、身長146cmほどのホモ・ナレディと、身長106cmほどのホモ・フロレシエンシスです。


●エネルギー消費の変化

 過去100万年の人類進化史における大型化は、エネルギー消費の増加をもたらした、と考えられます。しかし、化石記録からの直接測定は困難です。そこで、移動様式の効率性からエネルギー消費が推定されています。現代人のような移動様式は、100万年前頃以降に出現した、と推測されています。ネアンデルタール人はヨーロッパのアフリカより寒冷な気候に適応し、現生人類よりも頑丈な体格だったので、現生人類よりも1日あたり100〜350kcal余分に摂取する必要があった、と推定されています。一方、フロレシエンシスのように島嶼科により小型化したと思われる人類もいますが、これは、利用可能な資源というかエネルギー消費量の制約に起因するかもしれません。


●技術と身体的進化

 脳の進化と技術開発には相互作用的なところがあり、脳の進化が技術革新をもたらし、その技術革新が大きな脳の維持に必要なエネルギー消費をより容易にした、という側面があります。これは、正のフィードバックシステムと呼ばれています。脳に限らず、身体的特徴と技術も含めた広い意味での文化進化には、しばしば相互作用が見られます。人類の適応に重要な役割を果たした可能性がある技術として火の制御がありますが、衣服も重視されています。衣服は長期間の保存に適さないため、更新世の衣服の使用に関しては骨針が考古学的指標となります。現時点では、骨針は4万年前頃までさかのぼります。履物の使用は、現生人類では4万年前頃までさかのぼりそうです(関連記事)。ネアンデルタール人に関しては、衣服も履物も使用していたのか、そうだとしてどの程度だったのか、まだ明確ではありません。


●人類の行動に関する考古学的視点

 「現代的」行動の起源について、アフリカで後期(5万年前頃)に出現し、急速に世界中へと拡散した、とする見解が以前は主流でしたが、それ以前にアフリカで漸進的に発展した、との見解が現在では有力です。しかし、現生人類との比較におけるネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型ホモ属の行動水準、さらには現生人類と古代型ホモ属との相互作用に関しては、議論が続いています。この問題の解決で注目されているのは、研究の進んでいるヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との共存期間で、以前は最大で数万年ほど想定されていましたが、近年では5000年程度との見解が有力です(関連記事)。


●古代型ホモ属における行動の複雑さ

 過去100万年の更新世の考古学的記録は、最近10年で飛躍的に増加しました。その結果、非現生人類(古代型ホモ属)の行動の複雑さも明らかになってきました。たとえばヨーロッパ西部では、30万〜20万年前頃に、下部旧石器となるアシューリアン(Acheulean)石器群と中部旧石器とが共存していました(関連記事)。ヨーロッパにおいてアシューリアンは70万年前頃以後に出現し、50万年前頃までは断続的ですが、その後は持続的な人口増加が見られ、これは脳容量の増大と関連している、と考えられます。ヨーロッパのアシューリアン集団は、50万年前頃にはヨーロッパの厳しい環境にも適応していきました。こうした持続性は、石器技術そのものというより、火の制御も含む一連の行動に基づいている、と本論文は指摘します。こうして人類がヨーロッパに持続的に生息していくことになったのは、ハイデルベルク人のような新種が出現したためかもしれませんが、本論文はその妥当性について判断を保留しています。

 ユーラシア東部に関しては長年、アジア東部および南東部ではアシューリアンが存在しない、とされてきました。いわゆるモヴィウス線による石器技術の区分ですが、近年では、モヴィウス線の東方でもアシューリアンの存在が確認されています。ただ、モヴィウス線の東方では確認されているアシューリアンが少ないことも確かで、これに関しては、アシューリアン石器に適した石材が少ないからではないか、と推測されています。そのため以前から、たとえば竹が道具の材料として使用されていたのではないか、との見解も提示されています。

 アフリカの考古学的な時代区分は、前期石器時代(20万年前頃まで)→中期石器時代(30万年前頃〜2万年前頃)→後期石器時代(4万年前頃以降)となります。アフリカは広大なので、一気に文化が変わるわけではなく、複数の文化の長期の共存というか移行期間が存在します。前期石器時代のうちアシューリアンは、エレクトスとハイデルベルク人に関連していると考えるのが妥当ではあるものの、例外もある、と本論文は指摘します。中期石器時代の担い手に関しては、現生人類系統と後期ハイデルベルク人系統など複数系統の人類だった可能性が提示されています。上述のように、中期石器時代のアフリカには、現生人類系統だけではなくナレディも存在しており、複数系統が存在したことは確実です。後期石器時代は通常、現生人類が担い手と考えられています。


●ネアンデルタール人の行動の見直し

 ネアンデルタール人の行動に関する知見も、過去10年で飛躍的に発展しました。考古学的な時代区分としては、今でも伝統的な石器技術の5段階区分(様式1〜5)がある程度は有効です(関連記事)。ヨーロッパに関しては、様式4となるオーリナシアン(Aurignacian)の出現が、上部旧石器時代への移行および現生人類の到来と関連づけられています。上述のように、現在有力な年代観では、ヨーロッパにおいて現生人類が到来してから5000年以内に、ネアンデルタール人は絶滅したと考えられます(より正確には、ネアンデルタール人の 形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)。

 ヨーロッパの末期ネアンデルタール人の行動に関して議論となっているのは、中部旧石器と上部旧石器の混合的特徴を示す「移行期インダストリー」です。具体的には、フランス南西部およびスペイン北部のシャテルペロニアン(Châtelperronian)や、イタリアおよびギリシアのウルツィアン(Uluzzian)などです。両者ともに、担い手が現生人類とネアンデルタール人のどちらなのか、あるいはどちらもなのか、という点をめぐって議論が続いています。上部旧石器的なインダストリーの担い手がネアンデルタール人なのか否かという問題は、その認知能力の評価にも関わってきます。

 現時点では、シャテルペロニアンの少なくとも一部はネアンデルタール人の所産である可能性が高い、と言えそうです(関連記事)。しかし、シャテルペロニアンは、ネアンデルタール人が中部旧石器時代となるムステリアン(Mousterian)から独自に発展させたのか、それとも現生人類の影響を受けたのか、現時点では不明です。ウルツィアンをめぐる議論も複雑です。ウルツィアンはずっと、ネアンデルタール人の所産と考えられてきました。しかし近年、現生人類が担い手である可能性も提示されており(関連記事)、さらにはそれに対する反論も提示されています(関連記事)。

 この他に、ヨーロッパ北西部・中央部・南東部やロシアでは、LRJ(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician)やボフニシアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)やセレッティアン(Szeletian)やストレーレスカヤン(Streleskayan)といった「移行期インダストリー」が知られていますが、その担い手にはついては確定していません。「移行期インダストリー」は現生人類とネアンデルタール人の行動および認知能力の比較の重要な指標となり得ますが、現時点では評価が難しいことも否定できません。

 中部旧石器時代後期には、ネアンデルタール人の文化は地域的に多様化していきます。フランス南西部とブリテン島北西部では、握斧の優占するアシューリアン伝統ムステリアン(MTA)、ヨーロッパ中央部および東部ではカイルメッサー(Keilmesser)グループ(KMG)、フランス北部やベルギーといった両者の中間地域では両面加工石器ムステリアン(MBT)です。これらは、石材もしくは機能の反映では説明できず、文化的伝統と考えられています。MBTは、MTAとKMGの移動性の高いネアンデルタール人集団の境界地帯として解釈されています。

 そのため、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人には、明確な地域化された文化的行動があった、と考えられています。ネアンデルタール人の文化が多様だったことは、死者の扱いが時空間的に異なることからも指摘されています。たとえば、ヨーロッパから近東にかけて、埋葬しなかったり、身体の一部を埋葬したり、自然の地形を利用して土葬したり、一部では副葬品を伴って埋葬したり、肉を削ぎ落としたりといったように、多様性が見られます。ネアンデルタール人の食人行為についても、単に栄養摂取目的のものだけではなく、文化的目的も指摘されています。

 オーカーの体系的な利用は「現代的行動」の指標の一つとされますが、ネアンデルタール人によるオーカーの使用例は複数報告されており、20万年以上前までさかのぼりそうな事例もあります(関連記事)。これは、アフリカにおけるオーカーの使用の始まりと時間的に近接しています。オーカーの使用目的としては、治療・防腐・接着・社会的意思伝達などが想定されています。民族誌の記録では、オーカーの使用は「実用的」というよりはおもに「社会的」なのですが、ネアンデルタール人に関しても、47000年前頃のルーマニアの事例は「社会的」と解釈されています。

 「現代的行動」の重要な指標の一つは芸術です。線刻の最古の事例は50万年前頃までさかのぼるかもしれず、その作者はエレクトスと考えられています(関連記事)。これは、芸術に通ずる行動の起源が現生人類の出現前だったことを示唆します。洞窟壁画は芸術の重要な指標とされており、現生人類のみの所産と考えられていました。以前は、最初期の洞窟壁画はヨーロッパで出現したと考えられていましたが、近年では、ヨーロッパの最初期の洞窟壁画とほぼ同年代のものが、スラウェシ島(関連記事)やボルネオ島(関連記事)で確認されています。これらは現生人類の所産と考えられ、アフリカで一連の「現代的行動」が潜在的に可能になった現生人類集団が、世界各地に拡散していった、と考えられます。

 一方、ネアンデルタール人の所産と考えられる洞窟壁画も報告されており(関連記事)、しかも年代は現生人類のものよりずっと古く6万年以上前とされています。ただ本論文は、ネアンデルタール人は個人的装飾品など他の象徴的文化の方を好み、洞窟壁画は比較的珍しかったようだ、と指摘しています。ネアンデルタール人の個人的装飾品の報告事例は、13万年前頃となる加工されたオジロワシの鉤爪(関連記事)など蓄積されつつあり、この点に関してはアフリカや近東の早期現生人類と大きくは変わらない程度と考えられます。ただ本論文は、現生人類とは異なり、ネアンデルタール人による形象的な芸術作品はまだ確認されておらず、そこが象徴的表現におけるネアンデルタール人と現生人類の違いかもしれない、と指摘します。

 本論文は、ネアンデルタール人の行動は総合的に、同時代となるアフリカの中期石器時代の現生人類と大きく異なるものではない、との見解(関連記事)を支持しています。また本論文は、ネアンデルタール人にも言語を含む複雑な意思伝達体系が存在した可能性は高いものの、それが厳密には現生人類と異なっていただろう、ということも指摘しています。また、ネアンデルタール人がタールなどの接着剤による着柄技術を用いていたこと(関連記事)や、薬用植物の効用をよく理解して治療のために使用していたと推測されること(関連記事)なども、ネアンデルタール人の認知能力が一定水準以上だった証拠とされています。本論文は、現時点での遺伝的証拠からは、ネアンデルタール人が現生人類よりも少ない人口と低い遺伝的多様性で、柔軟に環境に適応した、と指摘します。


●結論

 本論文は、21世紀になっての人類進化研究の進展を概観してきました。それらは、新たな発見か新たな手法による既知のデータの再分析に基づいています。しかし、そうしたデータに地域的偏りがあることも否定できません(関連記事)。アフリカはほぼ全域から更新世の人工物が発見されていますが、人類遺骸が発見された地域はアフリカ全土の10%未満です。アジア南東部ではこの回収率はさらに低く、フロレシエンシスやルゾネンシスなど新たな人類遺骸の発見もありましたが、更新世の人類遺骸が乏しいため、その進化系統はまだ不明です。

 ネアンデルタール人の行動は、その絶滅が始まった時点でも、現生人類との生物学的違いにも関わらず、現生人類とはほとんど差がないように見えるまで、研究が進展した、と本論文は評価しています。ただ本論文は、上述のヨーロッパ南部における20万年以上前の現生人類の存在との報告から、ネアンデルタール人が独自に象徴的行動を発展させた、との見解にやや慎重な姿勢を示します。古代DNA研究の飛躍的な進展は、現生人類と古代型ホモ属との交雑を明らかにし、生物種概念という古くからの問題を改めて再考させます。本論文は、人類の形態および行動の進化の要因は複雑で、複数の仮説のうちいくつかの組み合わせが真実に近いかもしれない、と指摘します。もちろん、まだ提示されていない仮説が真実に近い可能性もあるわけで、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Galway‐Witham Y, Cole J, and Stringer C.(2019): Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years. Journal of Quaternary Science.
https://doi.org/10.1002/jqs.3137


https://sicambre.at.webry.info/201908/article_37.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html

[リバイバル4] 日本人はネアンデルタール人の生き残り? 中川隆
9. 中川隆[-8755] koaQ7Jey 2019年8月20日 08:10:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3989]
2019年08月20日
近年における過去100万年の人類進化史研究の進展
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_37.html


 近年における過去100万年の人類進化史研究の進展を概観した研究(Galway‐Witham et al., 2019)が公表されました。


Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years
First published: 14 August 2019
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/jqs.3137

この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は最近15年ほどの研究の進展を対象としており、広範な分野の研究の進展を簡潔に紹介するとともに、現時点での問題点を整理し、今後の展望も示しており、たいへん有益な人類進化史概説にもなっていると思います。近年の人類進化研究を把握するうえで、当分は必読の文献となるでしょう。以下、本論文の簡単な紹介です。


●21世紀初頭の時点での人類進化史理解

 21世紀初頭の現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説では、過去50万年間の人類進化は比較的単純でした。古代型のハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)が広範に拡散し、化石記録から消える前の40万年前頃に2系統に分岐した、と想定されていました。「古代型」とは、現生人類ではないホモ属のほぼすべての構成員を指し、長くて低い頭蓋や強くて連続的な眉弓が形態的特徴です。これは、現生人類の球状の頭蓋や弱い眼窩上隆起や頤や狭い骨盤とは対照的です。

 ハイデルベルク人の子孫は、ユーラシア西部ではネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)、アフリカでは現生人類へとじょじょに進化しました。その2系統のうち最古の人類遺骸は、ネアンデルタール人系統では40万年前頃となるイギリスのスウォンズクーム(Swanscombe)頭蓋、現生人類系統では13万年以上前となるオモ・キビシュ1(Omo Kibish 1)遺骸(オモ1号)です。ネアンデルタール人系統は寒冷気候に、現生人類系統は熱帯気候に適応した、と考えられます。現代人の遺伝データからは、現生人類がアフリカからユーラシアへと55000年前頃に拡散して、45000年前頃にオーストラリアへ到達し、3万年前頃までにユーラシアのネアンデルタール人は現生人類と最低限交雑したか、もしくはまったく交雑せずに、現生人類に置換されました。

 中国では、陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡や広東省韶関市の馬壩(Maba)遺跡で古代型ホモ属化石が報告されており、ジャワ島では現生人類が拡散してきた45000年前頃まで、エレクトス(Homo erectus)が存在していました。アジアとオセアニアの分布境界線であるウォレス線を越えて東進できたのは、外洋航海が可能だった現生人類だけでした。ヨーロッパでは、「現代的」行動が現生人類の到達した4万年前頃に突然出現した、と考えられていました。「現代的」行動は認知能力の進化に伴い一括して出現した、と想定されていました。

 こうした認識は、この15年ほどの研究の進展により大きく変わらざるを得ませんでした。予想外の人類遺骸が相次いで発見されるとともに、「現代的」行動はアフリカで想定よりもずっと古くからじょじょに出現してきた、という証拠が蓄積されてきました。以下、本論文はこの15年ほどの研究の進展を整理します。


●気候変動

 100万〜70万年前頃には気候変動が激しく、94万〜87万年前頃には、アフリカ北部とヨーロッパ東部で乾燥化が進展しました。これにより、人類も含むアフリカ起源の大型哺乳類がヨーロッパ南部へと拡散した、との見解も提示されています。人類にとって比較的好条件の環境期間も60万〜10万年前頃の間で特定されており、それが人類の出アフリカを可能としたかもしれません。更新世の前期から中期への移行は、一般的には78万年前頃とされますが、大まかには922000〜640000年前頃の移行期により分離されます。

 概して、穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようです。こうした人類の居住可能範囲が変動するなかで、更新世においてアジア南西部の気候は一貫して、人類の居住に適している可能性が指摘されています。26500〜20000年前頃となる最終氷期極大期(LGM)に近づくにつれて、平均乾燥度は増加し、タール砂漠のような地域は断続的に居住に適さなくなりました。一方、気候変動にともない、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5となる130000〜118000年前頃、106000〜94000年前頃、89000〜73000年前頃や、MIS3となる59000〜47000年前頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました。また、軌道も千年単位での急激な気候変動の要因となり、人類の移動に大きな影響を及ぼしたかもしれません。


●混乱が続く中期更新世における人類進化の理解

 78万〜13万年前頃の中期更新世における人類進化についての理解は、多くの人類遺骸の発見と古代DNA研究の進展にも関わらず、混乱したままです。その焦点の一つは、ハイデルベルク人の評価です。上述のように、ハイデルベルク人はアフリカとユーラシアの広範な地域に拡散し、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカの現生人類の祖先だった、との見解が以前は主流でした。一方、ハイデルベルク人の正基準標本とされているドイツのマウエル(Mauer)で発見された下顎骨はネアンデルタール人と現生人類の共通祖先と想定するにはあまりにも特殊化しているとか、ハイデルベルゲンシスは形態学的に多様性が大きく一つの種に収まらないほどの変異幅があるとかいった見解も提示されるようになりました(関連記事)。

 そのため、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見された頭蓋をローデシア人(Homo rhodesiensis)と分類し、アフリカの現生人類の祖先と想定する見解も提示されました。ローデシア人を現生人類の祖先系統とする見解では、ネアンデルタール人系統と現生人類系統のより古い分岐が想定され、たとえば、スペイン北部で発見された85万年前頃のホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)は、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先の形態に近いのではないか、と推測されています。ネアンデルタール人系統と現生人類系統の分岐年代に関してはまだ確定しておらず、60万〜50万年前頃とする見解や、80万年以上前とする見解も提示されています(関連記事)。

 本論文は、中期更新世には少なくとも2つの異なる顔の系統があったかもしれない、と指摘します。一方は、祖先的ではあるものの、現生人類とも類似している華奢な系統で、上述のアンテセッサーと、中国の南京やモロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)で発見された人類遺骸です。もう一方は、比較的高身長のより派生的な系統で、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」(以下、SHと省略)やギリシアのペトラローナ(Petralona)やザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見された人類遺骸です。

 43万年前頃のSH集団は、頭蓋(関連記事)でも頭蓋以外の形態(関連記事)でも核DNAでも(関連記事)ネアンデルタール人系統に位置づけられます。形態的に現生人類系統に位置づけられる人類遺骸として最古のものは、SH集団よりは新しい315000年前頃となり、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡で発見されました(関連記事)。これより明確に現生人類系統に位置づけられる人類遺骸としては、エチオピアのオモ1号があり(関連記事)、年代は195000年前頃と推定されています(関連記事)。

 現生人類の起源に関しては、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。アフリカ外では、イスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)で発見された194000〜177000年前頃と推定されているホモ属の上顎(関連記事)と、ギリシア南部のマニ半島のアピディマ(Apidima)洞窟で発見された21万年以上前のホモ属頭蓋(関連記事)が現生人類と区分されていますが、遺骸が断片的なので、分類に慎重な研究者もいます。


●ホモ・フロレシエンシス

 上述のように、ウォレス線以東に拡散できた人類は現生人類だけだと長年考えられていました。しかし、インドネシア領フローレス島で2003年に発見された更新世の人類遺骸は、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されました。フロレシエンシスの正基準標本はLB1です。フロレシエンシスの身長は105cmほど、脳容量は420mlと現生人類平均値の1/3以下で、樹上生活に適しているように見える上半身や祖先的な手首や比較的短い脚など、祖先的で特異的な特徴を示しています。一方、LB1の顔はより派生的で、歯は現生人類のサイズと類似しているものの、祖先的もしくは特異的な特徴も見られます。

 LB1について、当初は病変の現生人類との見解が強く主張されました。しかし、そうした病変現生人類説はいずれも、LB1の全体的な形態を整合的に説明できず、現在では新種説でほぼ確定したと言えるでしょう。ただ、LB1が現生人類ではないとしても、何らかの病変を示している可能性も指摘されています。フロレシエンシスについては、2016年に大きく研究が進展しました(関連記事)。当初フロレシエンシスの下限年代は12000年前頃と推定されていましたが、5万年前頃までさかのぼり、フローレス島中央のソア盆地のマタメンゲ(Mata Menge)遺跡では、フロレシエンシスと類似した70万年前頃の人類遺骸が発見されています。フローレス島では100万年以上前の石器群も発見されており、フロレシエンシス系統が100万年以上にわたってフローレス島で進化してきた可能性も考えられます。

 フロレシエンシスの起源については、ジャワ島のホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化したとする説と、より祖先的(アウストラロピテクス属的)な人類、たとえばホモ・ハビリス(Homo habilis)から進化したとする説とが提示されており、まだ議論が続いています。更新世のフローレス島への進出には渡海が必要ですが、フロレシエンシス系統がどのようにフローレス島に到達したのかは不明で、海流を考慮するとスラウェシ島から到達した可能性が高い、と推測されています(関連記事)。


●ホモ・ナレディ

 2015年、南アフリカ共和国のライジングスター洞窟(Rising Star Cave)にあるディナレディ空洞(Dinaledi Chamber)で発見された多数の人類化石が公表されました(関連記事)。この人類集団はホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)と分類されました。発見場所が洞窟の奥深くであることから、埋葬の可能性も指摘されています。ナレディの脳容量は400〜610mlで、現生人類やネアンデルタール人のような派生的特徴と、ハビリスのような祖先的特徴とが混在しています。総合的にみると、ナレディの形態の個々の特徴は他の人類集団にも見られるものの、その組み合わせが独特と言えます。ナレディの脳はホモ属と分類するのを躊躇うくらい小さいのですが、その前頭葉、とくに下前頭回および外側眼窩回において、他のホモ属種との共通点が指摘されています(関連記事)。

 ナレディの年代は335000〜236000年前頃と推定されています(関連記事)。フロレシエンシスと、今年(2019年)公表された(関連記事)ルソン島のホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)は、孤立した島で独自に進化した祖先的特徴を有する人類集団と考えられますが、現生人類系統も含むホモ属も存在したアフリカ南部で、ナレディのような祖先的特徴を有する人類が30万年前頃以降も存在していたのは、どのように他のホモ属と共存していたのか、という問題を提起します。ナレディの進化史は現時点ではほぼ完全に不明で、アフリカの他の人類化石がナレディの系統に分類できるかもしれませんし、既知の石器群の中にナレディが製作したものもあるかもしれません。

 このようにアフリカでも、中期更新世に現生人類へと進化していくという観点で単純に進化史を把握できなくなりました。本論文は、30万年前頃のアフリカには、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)に代表される現生人類系統、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見されたローデシア人(Homo rhodesiensis)系統、ナレディ系統という、少なくとも3系統の人類が存在していただろう、と指摘しています。アフリカにおいて中期更新世後期以降も複数系統の人類が存在した可能性は、遺伝学からも提示されています(関連記事)。


●現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との交雑

 古代DNA研究の飛躍的な進展により、過去100万年の複雑な人類進化史が明らかになりつつあります。この分野での大きな成果は、ネアンデルタール人のゲノム解析と、形態学では区分できないような断片的な人類遺骸から、デニソワ人(Denisovan)という分類群を定義できたことです(関連記事)。デニソワ人の種区分は未定です。今では、現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との間に交雑があった、と広く認められています(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類の交雑は、6万〜5万年前頃にアジア南西部で起きた可能性が高そうです。

 現代人へのネアンデルタール人の遺伝的影響として、皮膚や髪や免疫系などが挙げられています。ネアンデルタール人の現代人への遺伝的影響は、サハラ砂漠以南のアフリカ系ではほとんど見られず、非アフリカ系では多少見られ、大きな違いはありませんが、ユーラシア西部系現代人よりもユーラシア東部系現代人の方が、ネアンデルタール人の遺伝的影響は高くなっています。デニソワ人の現代人への遺伝的影響に関しては大きな地理的違いがあり、オセアニアにおいてとくに高くなっており、アジア東部および南部でもわずかに確認されます。どのようにこうした地域的な違いが生じたのか、現時点では確定していません。


●現生人類のDNA解析

 現生人類の古代DNA解析は、アフリカでは15000年前(関連記事)、ユーラシアでは45000年前(関連記事)までしかさかのぼりません。しかし、現代人のゲノムデータは多数得られており、現生人類の進化史の推定に役立っています。現生人類系統では遅くとも20万年前頃には遺伝的多様化が始まっており(関連記事)、出アフリカは6万年前頃と推定されています。しかし、それ以前のアフリカ外における現生人類の存在も複数報告されています(関連記事)。これは、6万年前よりも前の出アフリカ早期現生人類集団が、絶滅したか、後続の現生人類集団により同化されてしまったことを示唆します。

●頭蓋以外の形態の進化傾向

 過去100万年の形態的な人類進化史は、おもに歯を含む頭蓋の分析に依拠しています。頭蓋以外の化石は、比較対象の少なさから特定の分類群に区分することが困難な場合もあります。また、現時点での証拠からは、現生人類と他の古代型ホモ属との違いのほとんどは頭蓋にあることも、頭蓋以外の形態での分類を困難にしています。頭蓋以外の形態でのおもな違いとして、後肢の頑丈さがありますが、後期ホモ属は形態的には、他の分類群よりも多様性が低く、前期ホモ属までよりも大柄という特徴を共有しています。この傾向に合致しないのが、身長146cmほどのホモ・ナレディと、身長106cmほどのホモ・フロレシエンシスです。


●エネルギー消費の変化

 過去100万年の人類進化史における大型化は、エネルギー消費の増加をもたらした、と考えられます。しかし、化石記録からの直接測定は困難です。そこで、移動様式の効率性からエネルギー消費が推定されています。現代人のような移動様式は、100万年前頃以降に出現した、と推測されています。ネアンデルタール人はヨーロッパのアフリカより寒冷な気候に適応し、現生人類よりも頑丈な体格だったので、現生人類よりも1日あたり100〜350kcal余分に摂取する必要があった、と推定されています。一方、フロレシエンシスのように島嶼科により小型化したと思われる人類もいますが、これは、利用可能な資源というかエネルギー消費量の制約に起因するかもしれません。


●技術と身体的進化

 脳の進化と技術開発には相互作用的なところがあり、脳の進化が技術革新をもたらし、その技術革新が大きな脳の維持に必要なエネルギー消費をより容易にした、という側面があります。これは、正のフィードバックシステムと呼ばれています。脳に限らず、身体的特徴と技術も含めた広い意味での文化進化には、しばしば相互作用が見られます。人類の適応に重要な役割を果たした可能性がある技術として火の制御がありますが、衣服も重視されています。衣服は長期間の保存に適さないため、更新世の衣服の使用に関しては骨針が考古学的指標となります。現時点では、骨針は4万年前頃までさかのぼります。履物の使用は、現生人類では4万年前頃までさかのぼりそうです(関連記事)。ネアンデルタール人に関しては、衣服も履物も使用していたのか、そうだとしてどの程度だったのか、まだ明確ではありません。


●人類の行動に関する考古学的視点

 「現代的」行動の起源について、アフリカで後期(5万年前頃)に出現し、急速に世界中へと拡散した、とする見解が以前は主流でしたが、それ以前にアフリカで漸進的に発展した、との見解が現在では有力です。しかし、現生人類との比較におけるネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型ホモ属の行動水準、さらには現生人類と古代型ホモ属との相互作用に関しては、議論が続いています。この問題の解決で注目されているのは、研究の進んでいるヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との共存期間で、以前は最大で数万年ほど想定されていましたが、近年では5000年程度との見解が有力です(関連記事)。


●古代型ホモ属における行動の複雑さ

 過去100万年の更新世の考古学的記録は、最近10年で飛躍的に増加しました。その結果、非現生人類(古代型ホモ属)の行動の複雑さも明らかになってきました。たとえばヨーロッパ西部では、30万〜20万年前頃に、下部旧石器となるアシューリアン(Acheulean)石器群と中部旧石器とが共存していました(関連記事)。ヨーロッパにおいてアシューリアンは70万年前頃以後に出現し、50万年前頃までは断続的ですが、その後は持続的な人口増加が見られ、これは脳容量の増大と関連している、と考えられます。ヨーロッパのアシューリアン集団は、50万年前頃にはヨーロッパの厳しい環境にも適応していきました。こうした持続性は、石器技術そのものというより、火の制御も含む一連の行動に基づいている、と本論文は指摘します。こうして人類がヨーロッパに持続的に生息していくことになったのは、ハイデルベルク人のような新種が出現したためかもしれませんが、本論文はその妥当性について判断を保留しています。

 ユーラシア東部に関しては長年、アジア東部および南東部ではアシューリアンが存在しない、とされてきました。いわゆるモヴィウス線による石器技術の区分ですが、近年では、モヴィウス線の東方でもアシューリアンの存在が確認されています。ただ、モヴィウス線の東方では確認されているアシューリアンが少ないことも確かで、これに関しては、アシューリアン石器に適した石材が少ないからではないか、と推測されています。そのため以前から、たとえば竹が道具の材料として使用されていたのではないか、との見解も提示されています。

 アフリカの考古学的な時代区分は、前期石器時代(20万年前頃まで)→中期石器時代(30万年前頃〜2万年前頃)→後期石器時代(4万年前頃以降)となります。アフリカは広大なので、一気に文化が変わるわけではなく、複数の文化の長期の共存というか移行期間が存在します。前期石器時代のうちアシューリアンは、エレクトスとハイデルベルク人に関連していると考えるのが妥当ではあるものの、例外もある、と本論文は指摘します。中期石器時代の担い手に関しては、現生人類系統と後期ハイデルベルク人系統など複数系統の人類だった可能性が提示されています。上述のように、中期石器時代のアフリカには、現生人類系統だけではなくナレディも存在しており、複数系統が存在したことは確実です。後期石器時代は通常、現生人類が担い手と考えられています。


●ネアンデルタール人の行動の見直し

 ネアンデルタール人の行動に関する知見も、過去10年で飛躍的に発展しました。考古学的な時代区分としては、今でも伝統的な石器技術の5段階区分(様式1〜5)がある程度は有効です(関連記事)。ヨーロッパに関しては、様式4となるオーリナシアン(Aurignacian)の出現が、上部旧石器時代への移行および現生人類の到来と関連づけられています。上述のように、現在有力な年代観では、ヨーロッパにおいて現生人類が到来してから5000年以内に、ネアンデルタール人は絶滅したと考えられます(より正確には、ネアンデルタール人の 形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)。

 ヨーロッパの末期ネアンデルタール人の行動に関して議論となっているのは、中部旧石器と上部旧石器の混合的特徴を示す「移行期インダストリー」です。具体的には、フランス南西部およびスペイン北部のシャテルペロニアン(Châtelperronian)や、イタリアおよびギリシアのウルツィアン(Uluzzian)などです。両者ともに、担い手が現生人類とネアンデルタール人のどちらなのか、あるいはどちらもなのか、という点をめぐって議論が続いています。上部旧石器的なインダストリーの担い手がネアンデルタール人なのか否かという問題は、その認知能力の評価にも関わってきます。

 現時点では、シャテルペロニアンの少なくとも一部はネアンデルタール人の所産である可能性が高い、と言えそうです(関連記事)。しかし、シャテルペロニアンは、ネアンデルタール人が中部旧石器時代となるムステリアン(Mousterian)から独自に発展させたのか、それとも現生人類の影響を受けたのか、現時点では不明です。ウルツィアンをめぐる議論も複雑です。ウルツィアンはずっと、ネアンデルタール人の所産と考えられてきました。しかし近年、現生人類が担い手である可能性も提示されており(関連記事)、さらにはそれに対する反論も提示されています(関連記事)。

 この他に、ヨーロッパ北西部・中央部・南東部やロシアでは、LRJ(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician)やボフニシアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)やセレッティアン(Szeletian)やストレーレスカヤン(Streleskayan)といった「移行期インダストリー」が知られていますが、その担い手にはついては確定していません。「移行期インダストリー」は現生人類とネアンデルタール人の行動および認知能力の比較の重要な指標となり得ますが、現時点では評価が難しいことも否定できません。

 中部旧石器時代後期には、ネアンデルタール人の文化は地域的に多様化していきます。フランス南西部とブリテン島北西部では、握斧の優占するアシューリアン伝統ムステリアン(MTA)、ヨーロッパ中央部および東部ではカイルメッサー(Keilmesser)グループ(KMG)、フランス北部やベルギーといった両者の中間地域では両面加工石器ムステリアン(MBT)です。これらは、石材もしくは機能の反映では説明できず、文化的伝統と考えられています。MBTは、MTAとKMGの移動性の高いネアンデルタール人集団の境界地帯として解釈されています。

 そのため、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人には、明確な地域化された文化的行動があった、と考えられています。ネアンデルタール人の文化が多様だったことは、死者の扱いが時空間的に異なることからも指摘されています。たとえば、ヨーロッパから近東にかけて、埋葬しなかったり、身体の一部を埋葬したり、自然の地形を利用して土葬したり、一部では副葬品を伴って埋葬したり、肉を削ぎ落としたりといったように、多様性が見られます。ネアンデルタール人の食人行為についても、単に栄養摂取目的のものだけではなく、文化的目的も指摘されています。

 オーカーの体系的な利用は「現代的行動」の指標の一つとされますが、ネアンデルタール人によるオーカーの使用例は複数報告されており、20万年以上前までさかのぼりそうな事例もあります(関連記事)。これは、アフリカにおけるオーカーの使用の始まりと時間的に近接しています。オーカーの使用目的としては、治療・防腐・接着・社会的意思伝達などが想定されています。民族誌の記録では、オーカーの使用は「実用的」というよりはおもに「社会的」なのですが、ネアンデルタール人に関しても、47000年前頃のルーマニアの事例は「社会的」と解釈されています。

 「現代的行動」の重要な指標の一つは芸術です。線刻の最古の事例は50万年前頃までさかのぼるかもしれず、その作者はエレクトスと考えられています(関連記事)。これは、芸術に通ずる行動の起源が現生人類の出現前だったことを示唆します。洞窟壁画は芸術の重要な指標とされており、現生人類のみの所産と考えられていました。以前は、最初期の洞窟壁画はヨーロッパで出現したと考えられていましたが、近年では、ヨーロッパの最初期の洞窟壁画とほぼ同年代のものが、スラウェシ島(関連記事)やボルネオ島(関連記事)で確認されています。これらは現生人類の所産と考えられ、アフリカで一連の「現代的行動」が潜在的に可能になった現生人類集団が、世界各地に拡散していった、と考えられます。

 一方、ネアンデルタール人の所産と考えられる洞窟壁画も報告されており(関連記事)、しかも年代は現生人類のものよりずっと古く6万年以上前とされています。ただ本論文は、ネアンデルタール人は個人的装飾品など他の象徴的文化の方を好み、洞窟壁画は比較的珍しかったようだ、と指摘しています。ネアンデルタール人の個人的装飾品の報告事例は、13万年前頃となる加工されたオジロワシの鉤爪(関連記事)など蓄積されつつあり、この点に関してはアフリカや近東の早期現生人類と大きくは変わらない程度と考えられます。ただ本論文は、現生人類とは異なり、ネアンデルタール人による形象的な芸術作品はまだ確認されておらず、そこが象徴的表現におけるネアンデルタール人と現生人類の違いかもしれない、と指摘します。

 本論文は、ネアンデルタール人の行動は総合的に、同時代となるアフリカの中期石器時代の現生人類と大きく異なるものではない、との見解(関連記事)を支持しています。また本論文は、ネアンデルタール人にも言語を含む複雑な意思伝達体系が存在した可能性は高いものの、それが厳密には現生人類と異なっていただろう、ということも指摘しています。また、ネアンデルタール人がタールなどの接着剤による着柄技術を用いていたこと(関連記事)や、薬用植物の効用をよく理解して治療のために使用していたと推測されること(関連記事)なども、ネアンデルタール人の認知能力が一定水準以上だった証拠とされています。本論文は、現時点での遺伝的証拠からは、ネアンデルタール人が現生人類よりも少ない人口と低い遺伝的多様性で、柔軟に環境に適応した、と指摘します。


●結論

 本論文は、21世紀になっての人類進化研究の進展を概観してきました。それらは、新たな発見か新たな手法による既知のデータの再分析に基づいています。しかし、そうしたデータに地域的偏りがあることも否定できません(関連記事)。アフリカはほぼ全域から更新世の人工物が発見されていますが、人類遺骸が発見された地域はアフリカ全土の10%未満です。アジア南東部ではこの回収率はさらに低く、フロレシエンシスやルゾネンシスなど新たな人類遺骸の発見もありましたが、更新世の人類遺骸が乏しいため、その進化系統はまだ不明です。

 ネアンデルタール人の行動は、その絶滅が始まった時点でも、現生人類との生物学的違いにも関わらず、現生人類とはほとんど差がないように見えるまで、研究が進展した、と本論文は評価しています。ただ本論文は、上述のヨーロッパ南部における20万年以上前の現生人類の存在との報告から、ネアンデルタール人が独自に象徴的行動を発展させた、との見解にやや慎重な姿勢を示します。古代DNA研究の飛躍的な進展は、現生人類と古代型ホモ属との交雑を明らかにし、生物種概念という古くからの問題を改めて再考させます。本論文は、人類の形態および行動の進化の要因は複雑で、複数の仮説のうちいくつかの組み合わせが真実に近いかもしれない、と指摘します。もちろん、まだ提示されていない仮説が真実に近い可能性もあるわけで、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Galway‐Witham Y, Cole J, and Stringer C.(2019): Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years. Journal of Quaternary Science.
https://doi.org/10.1002/jqs.3137


https://sicambre.at.webry.info/201908/article_37.html  

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html#c9

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
19. 中川隆[-8754] koaQ7Jey 2019年8月20日 08:45:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3990]

“あおり殴打”宮崎容疑者を臨床心理士が分析 喜本容疑者との関係は?身柄確保時も“マウンティング”か
2019年8月20日 7時30分 AbemaTIMES
https://news.livedoor.com/article/detail/16952138/

 茨城県の常磐道であおり運転をしたうえ男性を殴ったとして、大阪市の会社役員・宮崎文夫容疑者(43)が傷害の疑いで逮捕された。また、宮崎容疑者の車に同乗しガラケーで様子を撮影していた交際相手の喜本奈津子容疑者(51)も、犯人蔵匿隠避の疑いで逮捕された。

 宮崎容疑者の身柄が確保される際の映像には、「無理やり乗せられてるやん。暴れてないって、自分から出頭するって言うてんねん。自分から生野警察署に出頭させてください」などと抵抗する様子や、喜本容疑者が「自分から出頭するって言っているのになんで押さえつけるの?ひどすぎる」と叫ぶ声も記録されていた。


 臨床心理士で心理カウンセラーも務める明星大学准教授の藤井靖氏は、宮崎容疑者の抵抗時の様子について「動物のマウンティングに近いなと。近くにいる相手に大きな声を出して、感情を揺さぶろうとしたり威嚇しようとしたりしている。内容はともかくとして、自分が優位に立ちたい、自分がこの場をコントロールしたいという気持ちが表れているように思う。自分で出頭するか否かはこの状況ではどうでもいいわけで、その主張を繰り返すのは、内容に意味があるというよりは少しでも自分の思い通りに事を運ばせたい気持ちの表れ。」との見方を示す。


 また、宮崎容疑者と喜本容疑者の関係性については、「一連の流れを見ていると親密な関係にあることは明らかだが、我々が一般的に考える親密さとは違うように思える。2人とも独特というか、我々が理解できる社会通念上の価値観とは別個のところで発言したりしているように感じる。独特な価値観を持っているということは、社会集団の中では孤立したり疎外されたりするので、その2人が組み合わさることによって、より結束感を強めて支え合う“共依存”のような関係にあったのではないか」と推察した。


 宮崎容疑者は2000年に関西学院大学を卒業後、半導体メーカーに入社。しかし、わずか半年で退社し、その後は仕事を転々としていたという。数年前にマンションと遺産を相続すると、不動産管理や賃貸業等を手掛けるように。宮崎容疑者が所有するマンションの管理会社で働いていた人の証言によると「自分より弱いものに対しては上からでものすごく威圧的。短期で爆発した時の暴れ方が異常」だったという。

 そうした情報から読み取れる宮崎容疑者の人間性について、藤井氏は「一般的には、いい大学を出て一流企業に入った人がなぜこんなことしたのかという見方があると思う」とした上で、「人の能力は、学力や面接を突破するための自己アピール力,コミュニケーション力だけではない。偏差値が高かったり社会的地位が上がると,比例して感情をコントロールしたり物事を客観的に見たりする『非認知能力』も高いレベルを求められるが、宮崎容疑者はそこにギャップがあったのでは。周りの人と比較される中で、仕事もうまくいかず不適応状態になり、結果として社会的に受け入れられない粗暴な部分や自己愛が肥大するに至った可能性があると思う」と話す。


 関係者への取材によると、宮崎容疑者はあおり運転に使った車で、先月21日から今月11日にかけて約2000kmを移動。その間、訪れたとされる飲食店などの様子をSNSに上げている。また、高級車や高級ブランド品などの写真も投稿していた。

 そうした心理について藤井氏は「高級車に乗ったり高級品を買ったり、会社を経営する立場を大っぴらにするのは、宮崎容疑者にとって一番率直に社会的承認の実感を得られる手段だったのでは。逆に言えば、自分自身の本質的な部分では認められる体験や居場所が得られないからこそこういったものに頼るわけで、自分がうまくやれていると手っ取り早く認識する手段としての投稿ではないか。もうひとつは、揉め事を起こしていることは自分でも当然認識していて覚えてもいるが、楽しく普通に生活して、人生うまくやれているんだと思い込みたい現実逃避という面もあると思う」と説明。一方で、「今回のあおり運転は宮崎容疑者の人柄の一端が象徴的に出ているだけであって、いろいろな社会的場面や人との関係の中でのトラブルも多かったのでは」と述べた。
(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)
https://news.livedoor.com/article/detail/16952138/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c19

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
20. 中川隆[-8753] koaQ7Jey 2019年8月20日 08:52:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3991]


宮崎文夫の大学や会社〜常磐道あおり運転の犯人と同乗者まとめ!インスタやFacebookで驚きの私生活を披露 2019/08/19
https://newsmatomedia.com/miyazaki-fumio


2019年8月10日、常磐自動車道でBMWに乗ってあおり運転をした犯人・宮崎文夫容疑者が逮捕されました。

宮崎文夫容疑者の生い立ちや家族、出身高校と大学などの学歴や経歴、経営する2つの会社、同乗者の喜本奈津子、またFacebookとインスタや最近の私生活を総まとめしました。

この記事の目次 [目次を非表示]

宮崎文夫が起こした常磐道あおり運転&暴行事件について


宮崎文夫の生い立ちと家族


宮崎文夫の出身高校と大学・キーエンス勤務について


宮崎文夫の過去の前科や警察沙汰


宮崎文夫の経営する不動産会社「宮崎プロパティマネジメント株式会社」「株式会社オマス」


宮崎文夫の結婚歴や嫁・息子・彼女〜同乗者の「ガラケー女」喜本奈津子も逮捕される

宮崎文夫の結婚歴や嫁・子供について


宮崎文夫の同乗者・喜本奈津子の逮捕


宮崎文夫と同乗者・喜本奈津子は出会い系サイトを通じて知り合っていた

宮崎文夫のFacebookやインスタ・最近の生活ぶりについて


宮崎文夫について総まとめすると…


宮崎文夫が起こした常磐道あおり運転&暴行事件について

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出典:https://twitter.com/

常磐道“あおり”運転&暴行事件は、2019年8月10日、茨城県の常磐自動車道で、車を運転していた男性(24)が高級外車BMWにしつこくあおられ停車させられた上、BMWを運転していた宮崎文夫容疑者(43)に複数回、顔を殴られた事件です。


事件の映像は、連日テレビやネットで流れているが、改めて再現してみる。事件は今月10日の午前6時過ぎ、茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた。被害者の男性(24)が走行中、左側から割り込んできた白いBMWのSUVに進路を妨害され、サービスエリアの入り口付近で車を停めた。BMWからガラケーの携帯電話を手にした女と運転していたサングラスの男が降りてきた。男は、「お前は俺の邪魔をした。ぶっ殺してやるから出てこい」などと怒鳴り、男性の携帯電話を奪おうとした。そのため、男性はブレーキから足を離してしまい、車が前進してBMWに衝突。すると、男は男性に5発のパンチを食らわせた。ガラケーを手にした女は、暴行の瞬間も撮影を続けた……。

引用:【あおり運転】宮崎容疑者の経営する不動産会社は従業員は1人で、今年1月の決算では売上1300万円、利益250万円

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出典:https://twitter.com/

その後の捜査関係者への取材で、警察は、車を運転していた人物を宮崎文夫容疑者(43)と特定し、傷害の疑いで逮捕しました。

ドライブレコーダーの映像から捜査を進めたほか、BMWは神奈川県内のディーラーが貸し出していたものとわかり、ディーラーに返却された車を警察が詳しく調べたところ、宮崎文夫容疑者(43)の指紋が検出されたため、事件に関わったことが判明しています。

宮崎文夫の生い立ちと家族

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出典:https://twitter.com/

宮崎文夫容疑者のプロフィールをまとめると以下になります。

名前:宮崎文夫 (みやざき ふみお)

生年月日:不明

年齢:43歳

住所:大阪府大阪市

出身高校:大阪府立天王寺高等学校

出身大学:関西学院大学

職業:会社経営者(宮崎プロパティマネジメント株式会社、株式会社オマス)

宮崎文夫容疑者の生い立ちについてですが、祖父が資産家で、幼少期はなに不自由なく過ごしていたようです。


「宮崎容疑者のお祖父さんは資産家で、幼少期はなに不自由なく過ごしていました。現在の会社兼自宅となっている大阪市内のマンションに引っ越したのは30年ほど前です。高校は難関進学校に進み、母親もこの頃は『自慢の息子だ』と嬉しそうに話していました」(近隣住民)

大学も関西の有名私立へと進んだが、社会人になってから徐々に陰りを見せる。

引用:【あおり運転殴打】宮崎容疑者(43)過去にも逮捕歴 女性を監禁か ★6

宮崎文夫の出身高校と大学・キーエンス勤務について

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出典:https://twitter.com/


宮崎文夫容疑者の出身高校は「大阪府立天王寺高等学校」、出身大学は「関西学院大学」とFacebookから判明しています。

宮崎文夫容疑者のFacebook

https://www.facebook.com/omasucafe

宮崎文夫容疑者の出身高校である天王寺高校は大阪の難関校として有名で、偏差値は75です。大阪府内の高校の偏差値では3位にあたる高校で、数々の有名人も輩出しています。

大阪府立天王寺高等学校 – Wikipedia

天王寺高校(大阪府)の情報(偏差値・口コミなど)

宮崎文夫容疑者の出身大学である関西学院大学の偏差値は学科によりバラつきがありますが、50-65の間です。高校よりも大学はレベルが一段と落ちています。

関西学院大学 – Wikipedia

関西学院大学/偏差値・セ試得点率|大学受験パスナビ

関西大学卒業後はウィルウェイ馬渕教育グループ 馬渕教室 高校受験本部の英語科講師をしていたようで、その後は株式会社キーエンスの総合職に勤務していたようです。株式会社キーエンスは平均年収2100万と高収入ですが、非常に激務なことで有名です。

年収ランキング1位の「キーエンス」驚きの年収と辞める社員のホンネ

しかしながら、会社員時代、職場での人間関係がうまくいかず、仕事も辞めてしまったそうです。


仕事はできなかったという。「入社後の新人研修では断トツでビリでした。ビジネスマナー講習の時には、白いワイシャツの下にハードロックバンドの黒のTシャツを着て、怒られていました。

キーエンスには3つの事業部がある。彼は研修後、名古屋のMECT事業部に配属されてマイクロスコープ(高性能顕微鏡)の販売担当になりましたが、辞めるまでに1台も売れなかったのでは?」(同前)

“オレはビッグになる”と言い残し、入社1年たたずに退社

引用:【大阪で逮捕】”あおり運転殴打”宮崎文夫容疑者 「話すのは車と女のことだけ」元同期男性が見た執着


「職場での人間関係がうまくいかず、仕事も辞めてしまい、その後は自動車販売などをやっていたが長く続かなかった。ご近所付き合いもなく、荷降ろしのためにマンション前に駐車する車に対して、大声で罵声を浴びせたりして怖かったのを覚えています。警察沙汰もたびたびあったので、正直、関わらないようにしていました」(同前)

引用:【あおり運転殴打】宮崎容疑者(43)過去にも逮捕歴 女性を監禁か ★6

仕事を辞めてからは私生活が荒んでいたようで、警察沙汰を度々起こすようになりました。

宮崎文夫の過去の前科や警察沙汰


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出典:https://twitter.com/

宮崎文夫容疑者は10年前に女性への監禁暴行事件を起こした前科があります。また、2018年には京都でタクシー運転手を監禁した前科もあるようです。


宮崎容疑者は約10年前にも事件を起こしていた。

「朝方に警察官が何人も家の前に着て、私たちの目の前で『○時○分逮捕』と宣告され、連行されていきました。『女性を監禁した』と後で警察官から聞きました。

連行されるとき、宮崎はワーワーとずっと騒いでいて、なかなか警察車両に乗ろうとせず、さらに応援で警察官が何人かやってきて、なんとか後部座席に乗せるような有り様だった。警察から戻ってきてからは、かえって夜に出歩くことが多くなったようでした。昨年は京都でタクシー運転手を監禁したという話も聞きました」(同前)

その後も懲りずに警察沙汰を繰り返していたという宮崎容疑者。

引用:【あおり運転殴打】宮崎容疑者(43)過去にも逮捕歴 女性を監禁か ★6

さらに逮捕はされなかったようですが、2019年1月にも危険運転をしていた疑いがあります。

他にも前科があるようで、前科4犯とも言われています。

宮崎文夫の経営する不動産会社「宮崎プロパティマネジメント株式会社」「株式会社オマス」


宮崎文夫容疑者の経営する会社ですが、仕事を楽しむWEBマガジン「B-plus」のインタビューで判明しています。

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出典:https://twitter.com/anztolchock/status/1162395616783163394

宮崎文夫容疑者は2018年2月26日から宮崎プロパティマネジメント株式会社を設立しており、会社は大阪に本店があり名古屋に事業部があるようです。

大阪本店

大阪府大阪市東住吉区桑津1-18-12

名古屋支店PS事業部

愛知県名古屋市西区上名古屋3-11-12

上名古屋マンション 402号室

会社のHPはありませんでした。会社の従業員は1人で、2019年1月の決算では売上1300万円、利益250万円となっていたようです。


東京商工リサーチ企業情報によると、宮崎容疑者は、昨年2月に大阪市で不動産会社の「宮崎プロパティマネジメント」を設立している。従業員は1人で、今年1月の決算では売上1300万円、利益250万円となっていた。

引用:【あおり運転】宮崎容疑者の経営する不動産会社は従業員は1人で、今年1月の決算では売上1300万円、利益250万円

さらには2018年8月にはグループ会社として株式会社オマスを設立し、経営などのあらゆる相談や、困りごとに応えるコンサルティング業務を手がけていたようです。

宮崎文夫の結婚歴や嫁・息子・彼女〜同乗者の「ガラケー女」喜本奈津子も逮捕される

宮崎文夫の結婚歴や嫁・子供について

宮崎文夫容疑者の結婚歴や嫁、そして子供(息子)の有無については明らかになっていません。

後述のように、宮崎文夫容疑者の現在の交際相手は同乗者の「ガラケー女」喜本奈津子(51)なので今までは結婚歴はなかったとみられています。

宮崎文夫の同乗者・喜本奈津子の逮捕

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出典:https://twitter.com/

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出典:https://twitter.com/

宮崎文夫容疑者と車に同乗していた女性(ガラケー女)は交際相手のようです。スマホ時代では珍しく、ガラケー(黒色)をいじっていたことからネット上ではガラケー女と言われています。


宮崎文夫容疑者の車に同乗していたガラケー女って… もしかして?? pic.twitter.com/VUnx1biGoh
— paul-eiji (@eiji_paul) August 16, 2019


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出典:https://www.sankei.com/images/news/190819/afr1908190002-p1.jpg

このガラケー女が後に逮捕され、喜本奈津子容疑者(51=大阪市東住吉区)と名前が判明しました。喜本奈津子容疑者が大阪市内の自宅に宮崎文夫容疑者をかくまっていたようで、犯人隠避容疑で逮捕されています。


茨城県警は一緒にいたスーツケースを持った容疑者の交際相手の喜本奈津子容疑者(51=大阪市東住吉区)も犯人隠避容疑で逮捕した。宮崎容疑者は日付が変わった19日午前0時5分過ぎ、移送先の茨城県警取手署に到着した。

喜本容疑者は、傷害事件時に宮崎容疑者の車に同乗し、被害者を撮影していた「ガラケー」の女だった。

引用:あおり男容疑認める「間違いない」ガラケー女も移送


喜本容疑者は同じマンションの自室で宮崎容疑者をかくまっていたといい、茨城県警は両容疑者の足取りなどを詳しく調べる。

引用:事件4日後、大阪の飲食店に=あおり運転の男、女と一緒

宮崎文夫と同乗者・喜本奈津子は出会い系サイトを通じて知り合っていた

宮崎文夫容疑者と喜本奈津子容疑者は出会い系サイトを通じて知り合っていたといいます。喜本奈津子容疑者は独身で結婚相手を探していたと報じられています。


番組では2人の関係にフォーカスを当てた。そして女の高校時代からの友人の話として「彼女は独身で結婚したくて。出会い系のアプリってあるじゃないですか。2月の下旬にあった時に『新しい人がこういう人で』って。『今、この人と付き合ってる』とか写真を見せてもらって」という話をプライバシー保護の音声で流していた。

引用:あおり運転逮捕の男女は「出会い系」で知り合っていた…フジ系「グッディ!」報じる

宮崎文夫のFacebookやインスタ・最近の生活ぶりについて


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出典:https://twitter.com/

宮崎文夫容疑者はFacebookやInstagramもやっており、高級外国車を乗り回し、高級ブランドのアイテムを披露するなど、派手な私生活が公開されていました。

宮崎文夫容疑者のFacebook

https://www.facebook.com/omasucafe

宮崎文夫容疑者のInstagram

https://www.instagram.com/omasu2019/?hl=ja

https://www.instagram.com/omasu2018/?hl=ja

宮崎文夫容疑者は親族が亡くなり、その多額の遺産で豪遊をしていたようです。


ここ数年は自身の会社を経営し、神奈川、愛知など、拠点を移していた。宮崎容疑者の贅沢な暮らしぶりを証言する関係者も少なくない。

「親族が亡くなり、多額の遺産が入ったようです。実業家だと名乗り、同窓会にも顔を出すようになりました。初対面の人にも積極的に話しかけるようになって、SNSで『友達申請』を繰り返し、人脈を広げていると聞きました」(宮崎容疑者の同級生)

既報の通り、最近の宮崎容疑者は、高級外国車を乗り回し、SNS上で派手な生活を披瀝していた。サングラスに帽子という出で立ちが多く、同じような恰好をした若い女性と一緒にいるところも目撃されている。

引用:【あおり運転殴打】宮崎容疑者(43)過去にも逮捕歴 女性を監禁か ★6

宮崎文夫容疑者のインスタを見たネット上では「ダサいおっさん」「センス悪すぎ」などの声が上がっています。

宮崎文夫について総まとめすると…

・宮崎文夫は祖父が資産家で、幼少期はなに不自由なく過ごした生い立ちで育った。

・宮崎文夫の出身高校は大阪の天王寺高校、出身大学は関西学院大学。その後、株式会社キーエンスの総合職に勤務するも、職場の人間関係で悩んで退職。その後は道を踏み外して警察沙汰を起こすようになる。

・宮崎文夫は前科4犯。2009年には女性への監禁暴行、2018年にはタクシー運転手の監禁容疑で逮捕されていた。

・宮崎文夫は親族の遺産で近年は豪遊をしていた。2018年2月に宮崎プロパティマネジメント株式会社、8月に株式会社オマスを設立、近年は実業家を名乗っていた。
https://newsmatomedia.com/miyazaki-fumio
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c20

[近代史3] 人類進化史 中川隆
1. 中川隆[-8752] koaQ7Jey 2019年8月20日 09:18:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3992]

2019年08月18日
アジア中央部および北東部における現生人類の早期の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_34.html


 アジア中央部および北東部における現生人類(Homo sapiens)の早期の拡散に関する研究(Zwyns et al., 2019)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。近年では、現代のアジア南東部集団とオーストラリア先住民集団とが、遺伝的系統の近縁性ではアフリカ系現代人と比較して同程度であることや、考古学的証拠から、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3(59000〜29000年前)前半に、アフリカからユーラシア南岸沿いにアラビア半島とアジア南部を経て、急速にアジア南東部とオーストラリアへと現生人類は拡散した、という南岸拡散仮説が有力と考えられるようになってきました(関連記事)。

 しかし、シベリアにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の存在は、ユーラシア北部の草原地帯でもホモ属の拡散があったことを示します。この地域の人類遺骸は少ないのですが、考古学的記録の大きな変化から人類の拡散が示唆されています。初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)の技術的特徴は特定の石刃技法で、それは硬質ハンマーによる打法、打面調整、固定された平坦な作業面もしくは半周作業面を半周させて石刃を打ち割ることです(関連記事)。また、IUPは骨器や装飾品との関連も指摘されています。IUPはシベリアに突然出現し、新たな人類集団の到来を示唆しますが、その年代や存続期間に関しては議論が続いています。

 本論文は、シベリアとモンゴル北部の中間地点に位置し、比較的標高の低い(海抜1169m)地域に位置する、モンゴルのイクトルボリンゴル(Ikh-Tolborin-Gol)地域のトルボー16(Tolbor-16)遺跡の調査結果を報告しています。トルボー16遺跡は北部ハンガイ(Hangai)山脈のトルボー川(Tolbor River)渓谷西側に位置し、トルボー川はその13km南方でセレンゲ川(Selenga River)と合流します。トルボー16遺跡では2011〜2016年にかけて調査が行なわれました。

 トルボー16遺跡ではMIS3から完新世までの6区分の考古学的層位(AH)が確認されており、最深部はAH 6です。遺跡の年代は、多鉱物を対象とした赤外光ルミネッセンス法(IRSL)の改良法(post-IR IRSL)と、石英の光刺激ルミネッセンス法(OSL)と、放射性炭素年代測定法により推定されました。AH2はMIS2、AH3とAH5は38500〜35100年前頃、AH6は45600〜42500年前頃と推定されています。トルボー16遺跡一帯の気候に関しては、MIS3に複数回の変動があった、と推定されています。AH6は、堆積物の有機物含有量が高いことから、比較的湿潤な時期だったと推測されています。AH6の後、気候は乾燥化します。AH6の石器群は、そのほとんどが地元の石材で製作されています。石器群はおもに石刃とその関連人工物(加工品)で構成されています。AH6の石器群は技術的には明確にIUPに分類され、他のIUPと同様に、中部旧石器的要素も見られます。

 IUPは45000年前頃にはアジア北東部に到達した、と推測されています。トルボー16遺跡の明確にIUPに分類されるAH6石器群は、IUPがアルタイ地域とほぼ同じ時期にセレンゲ川流域に出現したことを確証します。この現象の最も節約的な説明は、アジアのIUPは比較的統一されていたか、技術複合だったというもので、IUPはシベリアを横断してモンゴルへと45000年前頃に到達し、その後は南方と東方へ移動して中国北西部に、さらにはおそらくチベット高原まで到達しました。上述のように、トルボー16遺跡のIUPは温暖湿潤な時期に出現した、と推測されます。この時期はグリーンランド亜間氷期12(GI12)とされており、GI12にヨーロッパでは、その前の気候悪化でネアンデルタール人が激減した後、人口が増加した、と推測されています。それは、ユーラシア西部におけるIUPとされるエミレオ・ボフニシアン(Bohunician)の出現と一致します。エミレオ・ボフニシアンは、レヴァントからヨーロッパ中央部への現生人類の拡散を反映している、と考えられています。温暖湿潤だった45000年前頃には、人類は北緯72度という北極圏にまで進出しています(関連記事)。トルボー16遺跡一帯のIUPの終焉は、4万年前頃のハインリッヒイベント4(HE4)による気候悪化と関連しているようです。

 トルボー16遺跡のIUP石器群には、人類遺骸が共伴していないので、その担い手がどの人類系統なのかという問題は、状況証拠から推測するしかありません。シベリアでは、西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)で45000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。モンゴルでは、東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で35000〜34000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。AH6は両者の中間に位置し、年代は西方の現生人類とほぼ同年代で、東方の現生人類よりも1万年ほど古いことになります。セレンゲ川流域では、ビーズのような装飾品や骨器の最古の事例はIUPと関連づけられており、上部旧石器時代以降のそうした人工物は、ほぼすべてが現生人類の所産と考えられています。そのため、トルボー16遺跡のIUPの担い手は現生人類である可能性が高い、と本論文は指摘します。

 一方で本論文は、トルボー16遺跡のIUPの担い手が現生人類ではない在来の人類集団である可能性も検証しています。ネアンデルタール人はアルタイ地域にまで拡散していました。しかし現時点では、アルタイ地域北西部よりも東方でネアンデルタール人の痕跡は確認されていませんし、GI12のシベリア・モンゴル・中国北西部において現生人類ではない人類遺骸は発見されていません。また、ネアンデルタール人がIUPの出現時期までシベリアに存在した可能性はありますが、オクラドニコフ(Okladnikov)洞窟遺跡のネアンデルタール人の文化は、IUPとは異なるムステリアン(Mousterian)に分類されています。種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)はアルタイ地域とチベット高原で確認されていますが(関連記事)、現時点で確認されている年代は、アルタイ地域におけるIUPの出現よりも前です。

 こうしたことから本論文は、トルボー16遺跡のIUPの担い手は現生人類である可能性が高い、と指摘します。IUPはシベリアとモンゴルで温暖湿潤なGI12に突然出現しますが、そうした人類の文化の大きな変化は現生人類の拡散を反映しているだろう、というわけです。また本論文は、現生人類の早期の拡散が、ユーラシア南岸だけではなく、比較的高緯度の草原地帯でも起き、この頃に現生人類とデニソワ人が交雑した可能性を提示しています。上述のように、現生人類の早期の拡散に関して近年ではユーラシア南岸経路が注目されており、確かにオーストラリア先住民の祖先集団はこの経路でアフリカから東進したのでしょうが、一方で、温暖湿潤な時期を中心に、ユーラシアの比較的高緯度の草原地帯も現生人類の早期の拡散経路だったのでしょう。


参考文献:
Zwyns N. et al.(2019): The Northern Route for Human dispersal in Central and Northeast Asia: New evidence from the site of Tolbor-16, Mongolia. Scientific Reports, 9, 11759.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47972-1


https://sicambre.at.webry.info/201908/article_34.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c1

[近代史3] 人類進化史 中川隆
2. 中川隆[-8751] koaQ7Jey 2019年8月20日 09:21:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3993]

2019年08月17日
遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html


 遺伝学および考古学と「極右」に関する研究(Hakenbeck., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。遺伝学は人類集団の形成史の解明に大きな役割を果たしてきました。とくに近年では、古代DNA研究が飛躍的に発展したことにより、じゅうらいよりもずっと詳しく人類集団の形成史が明らかになってきました。古代DNA研究の発展により、今や古代人のゲノムデータも珍しくなくなり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけの場合よりもずっと高精度な形成史の推測が可能となりました。こうした古代DNA研究がとくに発展している地域はヨーロッパで、他地域よりもDNAが保存されやすい環境という条件もありますが、影響力の強い研究者にヨーロッパ系が多いことも一因として否定できないでしょう。

 現代ヨーロッパ人はおもに、旧石器時代〜中石器時代の狩猟採集民と、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民と、後期新石器時代〜青銅器時代前期にかけてポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた、牧畜遊牧民であるヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の混合により形成されています(関連記事)。この牧畜遊牧民の遺伝的影響は大きく、ドイツの後期新石器時代縄目文土器(Corded Ware)文化集団は、そのゲノムのうち75%をヤムナヤ文化集団から継承したと推定されており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 現代ヨーロッパ人におけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の大きさと、その急速な影響拡大から、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらした、との見解が有力になりつつあります。また、期新石器時代〜青銅器時代にかけてインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらしたと考えられるポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団は、Y染色体DNA解析から男性主体だったと推測されています(関連記事)。そのため、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大は征服・暴力的なもので、言語学の成果も取り入れられ、征服者の社会には若い男性の略奪が構造的に組み込まれていた、と想定されています。

 インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡散について以前は、青銅器時代にコーカサス北部の草原地帯からもたらされたとする説と、新石器時代にアナトリア半島の農耕民からもたらされたとする説がありましたが、古代DNA研究は前者と整合的というか前者に近い説を強く示唆しました。こうして古代DNA研究の進展により、一般的にはヨーロッパ人およびインド・ヨーロッパ語族の起源に関する問題が解決されたように思われましたが、本論文は、飛躍的に発展した古代DNA研究に潜む問題点を指摘します。

 本論文がまず問題としているのは、古代DNA研究において、特定の少数の個体のゲノムデータが生業(狩猟採集や農耕など)もしくは縄目文土器や鐘状ビーカー(Bell Beaker)などの考古学的文化集団、あるいはその両方の組み合わせの集団を表している、との前提が見られることです。埋葬者の社会経済的背景があまり考慮されていないのではないか、というわけです。また、この前提が成立するには、集団が遺伝的に均質でなければなりません。この問題に関しては、標本数の増加により精度が高められていくでしょうが、そもそも遺骸の数が限られている古代DNA研究において、根本的な解決が難しいのも確かでしょう。

 さらに本論文は、こうした古代DNA研究の傾向は、発展というよりもむしろ劣化・後退ではないか、と指摘します。19世紀から20世紀初期にかけて、ヨーロッパの文化は近東やエジプトから西進し、文化(アイデア)の拡散もしくは人々の移住により広がった、と想定されていました。この想定には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。イギリスでは1960年代まで、すべての文化革新は人々の移動もしくはアイデアの拡散によりヨーロッパ大陸からもたらされた、と考えられていました。

 1960年代以降、アイデアやアイデンティティの変化といった在来集団の地域的な発展が物質文化の変化をもたらす、との理論が提唱されるようになりました。古代DNA研究は、1960年代以降、移住を前提とする潮流から内在的発展を重視するようになった潮流への変化を再逆転させるものではないか、と本論文は指摘します。じっさい、ポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団のヨーロッパへの拡散の考古学的指標とされている鐘状ビーカー文化集団に関しては、イベリア半島とヨーロッパ中央部とで、遺伝的類似性が限定的にしか認められていません(関連記事)。中世ヨーロッパの墓地でも、被葬者の遺伝的起源が多様と示唆されています(関連記事)。

 本論文が最も強く懸念している問題というか、本論文の主題は、こうした古代DNA研究の飛躍的発展により得られた人類集団の形成史に関する知見が、人種差別的な白人至上主義者をも含む「極右」に利用されていることです。上述のように、20世紀初期には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。ナチズムに代表される人種差別的な観念は、こうした民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような前提のもとで形成されていきました。本論文は、20世紀初期の前提へと後退した古代DNA研究が、極右に都合よく利用されやすい知見を提供しやすい構造に陥っているのではないか、と懸念します。

 じっさい、ポントス・カスピ海草原という特定地域の集団が、男性主体でヨーロッパの広範な地域に拡散し、それは征服・暴力的なものだったと想定する、近年の古代DNA研究の知見が、極右により「アーリア人」の起源と関連づけられる傾向も見られるそうです。こうした極右の動向の背景として、遺伝子検査の普及により一般人も祖先を一定以上の精度で調べられるようになったことも指摘されています。本論文は、遺伝人類学の研究者たちが、マスメディアを通じて自分たちの研究成果を公表する時に、人種差別的な極右に利用される危険性を注意深く考慮するよう、提言しています。本論文は、研究者たちの現在の努力は要求されるべき水準よりずっと低く、早急に改善する必要がある、と指摘しています。


 以上、本論文の見解を簡単にまとめました。古代DNA研究に関して、本論文の懸念にもっともなところがあることは否定できません。ただ、古代DNA研究の側もその点は認識しつつあるように思います。たとえば、古代DNA研究においてスキタイ人集団が遺伝的に多様であることも指摘されており(関連記事)、標本数の制約に起因する限界はあるにしても、少数の個体を特定の文化集団の代表とすることによる問題は、今後じょじょに解消されていくのではないか、と期待されます。また、文化の拡散に関しては、多様なパターンを想定するのが常識的で、移住を重視する見解だからといって、ただちに警戒する必要があるとは思いません。

 研究者たちのマスメディアへの発信について、本論文は研究者たちの努力が足りない、と厳しく指摘します。現状では、研究者側の努力が充分と言えないのかもしれませんが、これは基本的には、広く一般層へと情報を伝えることが使命のマスメディアの側の問題だろう、と私は考えています。研究者の役割は、第一義的には一般層へと分かりやすく情報を伝えることではありません。研究者の側にもさらなる努力が求められることは否定できないでしょうし、そうした努力について当ブログで取り上げたこともありますが(関連記事)、この件に関して研究者側に過大な要求をすべきではない、と思います。

 本論文はおもにヨーロッパを対象としていますが、日本でも類似した現象は見られます。おそらく代表的なものは、日本人の遺伝子は近隣の南北朝鮮や中国の人々とは大きく異なる、といった言説でしょう。その最大の根拠はY染色体DNAハプログループ(YHg)で、縄文時代からの「日本人」の遺伝的継続性が強調されます。しかし、YHgに関して、現代日本人で多数派のYHg-D1b1はまだ「縄文人」では確認されておらず、この系統が弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来する可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と思います(関連記事)。日本でも、古代DNA研究も含めて遺伝人類学の研究成果が「極右」というか「ネトウヨ」に都合よく利用されている側面は否定できません。まあ、「左翼」や「リベラル」の側から見れば、「極右」というか「ネトウヨ」に他ならないだろう私が言うのも、どうかといったところではありますが。


参考文献:
Hakenbeck SE.(2019): Genetics, archaeology and the far right: an unholy Trinity. World Archaeology.
https://doi.org/10.1080/00438243.2019.1617189

https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c2

[近代史3] ニセコは既に外人に乗っ取られ日本語も通じなくなった 中川隆
3. 中川隆[-8750] koaQ7Jey 2019年8月20日 10:11:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3994]


5億円以上の別荘が飛ぶように売れる北海道ニセコ お金持ちの外国人激増の一方で日本人離れも 2019年08月20日
https://blogos.com/article/398703/

札幌から車で約2時間、人口1万人の小さな町に世界中の富裕層が熱視線を注いでいる。北海道の「ニセコ(NISEKO)」地区。良質なパウダースノー(新雪の粉雪)が海外から人気を集め、2000年代以降、日本屈指の国際リゾート地となった。

5億円以上する別荘がずらりと建ち並び、スーパーマーケットではウニやカニなどの高級食材が飛ぶように売れていくーー。バブルさながらの好景気だが、その買い主は外国の富裕層。外国籍の住民はこの10年間で約4倍に増え、「ゲレンデは外国人だらけで日本人の姿は見かけない」との声も上がる。現場を歩いた。


「交番」よりも大きな字で「KOBAN」と表示されていた(BLOGOS編集部)

「KOBAN」「FOR RENT」「JAPANESE RESTAURANT」――。

日本語よりも大きな字で英語が書かれた看板がいたるところに掲げられている。ここは北海道西部に位置する人口1万人の小さな町・北海道倶知安(くっちゃん)町のひらふ地区だ。2000年代以降、「NISEKO」として知られ世界中からの旅行客を集める国内屈指の高級スキーリゾート地になった。

ゲレンデへと続く目抜き通りに面するスポーツショップに入ると、スタッフからいきなり英語で話しかけられた。


ゲレンデへと続くひらふ地区の目抜き通り(BLOGOS編集部)

店頭に立つのは、スポーツショップを経営するオーストラリア人のジャスティン・グレィビスさん(47)。

アメリカやヨーロッパなど世界中の雪山を旅した後、バイクショップをニセコで経営する友人から現在の仕事を紹介されたといい、4年前に移住した。


オーストラリア人のジャスティンさん(BLOGOS編集部)

「数多くの雪山に旅行で訪れたが、どこもすでにホテルや観光施設などが開発されリゾートとして完成していた。ニセコのように開発が現在進行形で進んでいるリゾートは世界を見渡してもありません」と移住の決め手を語る。

ショップ利用客のうち日本人はほぼゼロ。ここでは英語が“公用語”だ。「日本語ができなくて困るのは、行政の手続きで英語の書類がない時くらい。それ以外は、買い物をするときも英語のまま生活できるので快適です」と話す。

10年間で外国人の住民は4倍に急増

町の人口1万6693人(2019年1月末時点)のうち、外国籍の住民は2048人と過去最高の12%となった。日本人は2009年からの10年間で、1万4968人から1万4645人へと微減しているが、外国人は449人から2048人へと約4倍の増加。いま日本の地方では人口減少が共通の課題となっている中、この町全体としては約1000人増えている。


BLOGOS編集部

同町観光課の沼田尚也さんによると、訪日・在住外国人の人口の増加はもともと町役場で働いていたオーストラリア人が「パウダースノー」の魅力を発信し、口コミで増え始めたことがきっかけだという。


倶知安町観光課の沼田尚也さん(BLOGOS編集部)

「当初は旅行者も移住者もオーストラリア人が圧倒的多数を占めていたが、現在は香港やシンガポール、タイなどアジアからの移住者や投資も高まってきています。外資ホテルの建築数は2006年から2019年までの間に約90倍にも増えました」(沼田さん)。


BLOGOS編集部

ゴミ捨てのマナー違反で地元住民とトラブルも

文化や言葉の違いで発生した諸問題にも町は細かな対応を重ねてきた。

たとえば、日常生活をする際に文化の違いが現れやすい「ゴミ」。

ひらふ地区では以前、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「産業廃棄物」などの区別がわからず、ゴミの日になると全く分別されていない様々なゴミが山のように回収場所に捨てられていたという。

日本人の住民の反発の声もあり、町はエリアごとに分けていたゴミ回収場所を撤廃。現在は、6ヶ月以上滞在する住民を対象に町営で戸別の回収を行うほか、ホテルなどの事業者には清掃センターに直接搬入や収集業者と委託契約するように指示している。

また、スキーやスノーボードなどでは転倒による怪我がつきものだ。緊急時に119番で呼ばれ救急車が出動したのはいいものの、現場でお互いの言葉が通じずコミュニケーションが図れないなど、命にかかわる重大な状況に陥る可能性もあった。

町は2006年に日英の通訳が可能な医療従事者配備に対する補助事業を開始。2018年からはスキー場がオープンする8~22時の間、4人の通訳が常駐する体制を組むほか、iPadを利用した通訳クラウドサービスの導入補助も行っている。

また、医師、看護師含めスタッフ全員が日英のバイリンガル対応可能な民間の医療機関「ニセコインターナショナルクリニック」が2017年にオープン。町だけではなく、民間でも外国人旅行者や移住者にとってのサービス充実が進んでいる。

5万円のウニ、1万円のいちごが飛ぶように売れる

こうした町を挙げた環境整備により、日本屈指の国際リゾート地となったニセコから学ぼうと、国内の自治体からも多くの視察団が訪れるようになった。

しかし、地元で長らく暮らしてきた日本人の生活の暮らしぶりに、影を落としている側面があることも事実。そのひとつが物価や不動産の高騰だ。

1万人規模の小さな町に大型スーパーマーケットが3店営業するという異例の事態となっているが、これらのスーパーは冬場になると超高級スーパーへと変貌。店頭には、「5万円のウニ」や「1万円のホワイトいちご」など高級品がずらりと並ぶという。

地元に長く住む50代の女性は「『こんな高いウニ、誰が買うんだろうね』と近所の人と話していたそばから、外国語を話している家族がさっと現れて、ほとんど値段も見ないで買い物カゴの中に入れていく姿を見たときは、初めはびっくりしました」と話す。

不動産価格も、ほとんどの日本人には憧れることすらできないほどの値段で販売されている。

ひらふ地区の不動産購入価格は、1980年代ごろはコンドミニアム1棟が2000万円ほどだったというが、現在はペントハウス1部屋で5〜8億円が平均だ。


ひらふ地区には高級コンドミニアムがずらりと立ち並ぶ(BLOGOS編集部)

短期滞在の場合でも、冬場は1泊40〜50万円で1週間以上からが相場だといい、同エリアで不動産販売を手がける男性は「今では、不動産の購入で連絡してくる中で日本人はまずいない。ゲレンデでは、日本人を探す方が難しいと言われているぐらい外国人だらけです」と話す。

また、ひらふ地区のようなリゾートエリアの不動産価格の高騰は、日本人の大半が暮らす市街地にも影響し始めている。市街地ではリゾートエリアのホテルで働くスタッフ向けの住宅需要が高まり、従業員宿舎の建設が急増。

それに伴い、市街地のアパートの月額平均賃貸は約5〜6万円と札幌の4万円を超えるまでになった。同町で約30年間カフェを経営する女性(59)は「日本人スタッフを採用するのが年々難しくなってきています」と話す。

パウダースノーはもうない?町は閑散期の観光客増狙う

今後、現在建設中の大型ホテルが次々に開業を迎えるほか、町内の「倶知安駅」は2030年には北海道新幹線の新駅の停車駅となる予定で、さらに観光客が増えることが予想される。

一方で、雪は自然の産物であり、雪山の広さには限りがあるのも事実だ。「ゲレンデはいつも人でごった返すようになり、パウダースノー(新雪の粉雪)はない」との声も上がり、リフトの待ち時間などによりユーザーの満足度が下がることで観光客離れが進むことも懸念される。

その打開策として町が狙うのは閑散期の観光客増だ。冬季(12~3月)に約半数の観光客が集中し、最も少ない秋(10~11月)は全体の約5%と大きな開きがある。


BLOGOS編集部

沼田さんは「雪山を新たに切り拓き、スキー場を造成するという案も確かにあります。しかし、環境への配慮という観点からも慎重に検討されています。夏場にはラフティングや自転車イベントを実施するなどして集客に力を入れるなど、“オーバーツーリズム”にならないよう、バランスを見ながら持続的可能な観光を模索していきたいと思っています」。
https://blogos.com/article/398703/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/184.html#c3

[近代史3] 外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている 中川隆
6. 中川隆[-8749] koaQ7Jey 2019年8月20日 10:13:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3995]
2019年07月15日
訪日外国人による観光公害 地元住民の被害は限界
http://www.thutmosev.com/archives/80393130.html

自分の家の周りがこうだったらどうだろうか?


画像引用:kaigainoomaera | ニヤッとアンテナhttp://niyatto.com/wp/wp-content/uploads/2017/08/e4297948-s.jpg

京都や奈良で外国人観光公害

今世界では「観光公害」という言葉で、増えすぎた観光客がもたらす地域への悪影響が議論されています。

日本より先に観光地化したギリシャやローマでは、外国人観光客による被害が深刻化している。

観光客は宿泊や消費で金をもたらすが、観光業に関わっていない住民には迷惑でしかない。

ホテルやタクシーや土産物屋は金儲けのために納得できるが、古くから住んでいた住人にメリットはない。

パリやローマでは市や政府は詰め込めるだけ目いっぱい外国人観光客を誘致し、面倒な事は住民に押し付けている。

道路がいつも混んでいるのは序の口で、いつも観光客が満員列車のように居るので、犬の散歩すらできない。


近所の公園や路地で子供を遊ばせることもできないし、1人で外出させるのも危険になった。

夜中の3時から明け方まで家の周りを外人がうろついていて、知らない言葉で話し声が聞こえている。

これはローマやギリシャではなく、京都や奈良や大阪で今起きている事です。


ギリシャやローマ、パリと京都奈良の大きな違いは西洋は石造りに対して日本は木造建築である点です。

ローマの競技場には一度に1万人を収容できるのかも知れないが、日本の寺では100人も入れません。

法隆寺も銀閣寺も連日満員電車のような込み具合で、本来の役割を果たしていない。


本来の役割とは言うまでもなく仏教の寺院として、信者が参拝するための施設だという事です。

これは奈良の春日大社なども同じで、神道の信者は外国人を入れるために追い払われています。


外貨不足ではない日本に外国人観光は必要ない

もう一つの問題点は果たして住民の犠牲のうえで受け入れている外国人観光客は、日本経済に貢献しているのかという疑問です。

表面上外国人が使った外貨は輸出と同じで、日本国内で使われた金額がGDPに加算されています。

だが輸出して日本が得た利益は外貨が円に交換されることで円高を招き、1995年や2011年に大不況の原因になりました。


同様に外国人が日本国内でお金を使うと、その分為替レートには円高圧力がかかってきます。

わずか1円円高になっただけで日経平均が下落しているのを見ると、外国人観光による円高の影響は軽視できません。

もう一つの問題点は、観光で外貨を稼ぐのは貿易赤字国がやる事であって、日本のように年20兆円の経常黒字国がやる意味はないという事です。


アメリカ、ローマ、ギリシャ、フランスなど世界の観光国家はすべて貿易赤字、経常赤字国で、外貨不足を観光で補っています。

そうした国々は少しでも外貨収入を得たいから観光に力を入れていて、外貨が不足したら国が破産するのです。

日本は外貨不足どころか外貨が多すぎて円高で困っているのに、何のために観光客を呼ぶのかが分かりません。
http://www.thutmosev.com/archives/80393130.html

▲△▽▼

訪日客激増で暮らし圧迫、バスも乗れない 「観光公害」置き去りの参院選
7/16(火) 14:00配信 京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190716-00010001-kyt-soci

「舞妓さんを触らないで」「自撮り棒使わないで」。外国人にマナー違反項目を伝える高札(京都市・祇園町南側地区)


 お座敷に向かう舞妓さんの袖をつかまえる。宴席に出かける 車まで囲んで写真を撮る―。京都市東山区の花街・祇園町南側で近年、一部訪日客の乱暴な振る舞いが地元住民を悩ませている。一帯は花見小路通沿いにお茶屋など京都らしい建物が建ち並び、入洛する訪日客の約半数が訪れる人気スポットだ。しかし、私有地に無断侵入した撮影や伝統的な建造物の破損も相次ぎ、今や観光公害の象徴的な場所でもある。

 「ここは常連のお客さんをもてなし、ほっこりしてもらう場で、観光のまちではない。舞妓さんはテーマパークのマスコットではないのに」。祇園町南側地区協議会幹事の太田磯一さん(56)はため息をつく。

【動画】観光の外国人が落書き


訪日客激増で暮らし圧迫、バスも乗れない 「観光公害」置き去りの参院選

平日の昼間でも観光客が絶えない花見小路(京都市東山区)


外国人ツーリスト急増、暮らしに副作用

「観光立国」を掲げる安倍政権は、来年の東京五輪に向けてさらなる訪日外国人観光客の呼び込みをうかがう。だが、国内屈指の観光地、京都では住民生活との軋轢(あつれき)が拡大し、「観光公害」が大きな社会問題になっている。日本三大祭りの一つ、祇園祭の華やかな関連行事が続くさなか、参院選京都選挙区(改選数2)の各候補とも「観光公害対策が必要」と訴え、訪日客の波にもまれる有権者へのアピールに懸命だ。

 第2次安倍政権は観光産業を「成長戦略」や「地方創生」の柱に位置づけ、外国人観光客向けビザの要件を緩和し、格安航空会社(LCC)の就航を促した。アベノミクスによる円安誘導も重なり、訪日客は日本全体で3119万人(2018年)に達し、リーマンショックや東日本大震災の影響などで1千万人割れだった2012年の3・7倍になった。

 京都市も2018年の外国人宿泊客数は450万人と、5年間で2・5倍。特に17〜18年は一気に100万人近く増えた。観光消費額も京都市が2020年度の目標額としていた1兆3千億円を、2年前倒しで達成した。一方、反比例するかのように、市民生活への副作用が広がる。
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ホテルばかり建設 町のコミュニティー崩壊 外国人マナーであつれき

 京都中心部のまちなみは一変した。東京や海外の大手資本がホテル、簡易宿所を次々と建設。2016年に3万室だった宿泊施設は、19年には4万6千室まで増えた。土地やマンションの価格が高騰。住まいや企業のオフィス不足が顕著になった。昨年だけで、30代の子育て世代約1300人が、京都市から転出した 。

 清水寺に近い東山区の住宅地では借家が相次いで宿泊施設に変わり、住民の一人は「世帯数が半減した町内もある。コミュニティー崩壊が止まらない」と嘆く。京都に愛着を持つ地場 企業も「市内では事業拡張ができない」と訴える。

 観光客で市バスが満員で「乗れない」「キャリーケースの車内持ち込みが迷惑」など市民から苦情が相次ぐ。京都市は市バスの一部路線で乗車方式を変更するなど、市民生活との調和に躍起だ。

 だが国は、訪日客数を東京五輪が開かれる2020年に4千万人、その10年後に6千万人にと、さらに増やす目標を掲げている。先日京都を訪れた菅義偉官房長官も「観光公害の対応は一義的には自治体の問題」とそっけない態度に終始した。


さらに来日観光客を倍に? 政党の公約は

 参院選で各党の公約を見ても、「文化財の観光活用を拡大し、大人も子どもも楽しめる統合型リゾートを創る」などと観光客増をうたう内容が目立つ。これに対し、京都選挙区の候補は「観光公害が大きな問題になっている」と口をそろえる。その上で「京都市以外の京都府内に訪日客を誘導する」「宿泊施設の急増に歯止めをかける」などと独自の訴えを強めている。

 祇園町南側の太田さんの願いは切実だ。「住民がきちんと暮らせてこそ、まちのたたずまいは保たれる。地域の事情に合わせた観光客数の規制など、政治が何とか知恵を絞ってほしい」

 スペインやイタリアなど欧州ではすでに観光公害が政治問題になり、大きな規制をかける自治体も出ている。

 日本では東京五輪に続き、大阪・関西万博が控え、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備も予定される。2030年に訪日客数が今の2倍となる6千万人に達した場合、京都市民が直面している観光公害の問題が各地に広がる可能性がある。国連も提唱する「持続可能な観光」へ。京都の取り組みが注目されそうだ。
※この記事は京都新聞とYahoo!ニュースの連携企画記事です。21日投開票の参院選を前に、地方の課題を探ります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190716-00010001-kyt-soci


▲△▽▼

インバウンド「様」成長戦略 2019-08-14
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12506128070.html

 発展途上国がなぜ「観光業」に依存するかといえば、大きく、

(1) 製造業やサービス業の資本投資が不十分で、国民の雇用を十分に確保できない

(2) 人件費や物価が安い

 と、二つの理由がありますが、先進国がなぜ「外国人観光客依存の経済」」に落ちぶれるのかと言えば、第一次グローバリズム末期のイギリスが典型ですが、

(3) 将来のための投資に踏み込むことができず、過去の先人の遺産に頼る
 ことになるためです。


 発展途上国は「安いから」、先進国は「投資する根性を無くしたから」こそ、いわゆるインバウンド観光に頼ることになるわけです。


 もっとも、我が国の場合は、長期デフレで衰退途上国として人件費や物価がどんどん安くなっている状況で、将来への投資に背を向け、過去の日本人の遺産にすがり、
「インバウンドが成長戦略」
 などと、意味不明なことを政治家が宣っているわけでございます。


 日本の場合、(1)の理由は全くありません。単に、将来のための投資を推進しさえすれば、「外国人様〜」「中国人様〜」などとやる必要はなくなります。


 ところが、何しろ日本は政府までもが緊縮財政で、将来への投資を拒否しているわけで、日本経済がインバウンド様に依存する羽目になるのは、必然でございます。

『インバウンドとは 訪日外国人、旅行者・消費額が急増

 「インバウンド」と呼ばれる訪日外国人旅行者は2012年以降、急速に拡大している。18年は3119万人で、3000万人の大台を初めて突破した。中国経済の減速や日韓関係の悪化で、先行きに不透明感が増しつつある状況でも伸びは続いており、19年1〜6月も、半期として過去最高の1663万人を記録した。

 人口減少などで国内の個人消費は伸び悩んでおり、インバウンド需要は地域経済のけん引役となっている。旅行消費額も訪日客の増加に伴い拡大しており、18年は4兆5189億円となった。国籍・地域別では中国が全体の34.2%を占めトップ。次いで韓国が13.0%、台湾(12.9%)、香港(7.4%)が続き、上位はアジア勢が独占する。

 政府は東京五輪・パラリンピックが開催される20年にインバウンド4000万人、旅行消費額8兆円を目標に掲げている。一方、外国人観光客が押し寄せる地域では、街中のごみや交通混雑などの観光公害が社会問題となってきた。インバウンドを地域活性化につなげるため、住民生活との両立が課題となっている。』


 断っておきますが、わたくしは別に、
「外国人観光客は来るな」
 などといいたいわけではありません。


 とはいえ、とりあえずは「日本国民が豊かになり、日本国民の消費で観光業を発展させる」のが先だろう、と主張しているのです。


 加えて、現在の日本のインバウンド「様」成長戦略は、

・日本国民(政府含む)が将来への投資を拒否し、過去の先人の遺産に縋りついで食つなぐという、実に情けない考え方が基本

・外国人様に媚び、駅の表示について日本語と英語以外が増えるなど、日本国民が不便を被っている

・インバウンドを利用し、民泊や白タクなど、シェアリング・エコノミーと称するレント・シーキングが進んでいる


 と、実に惨め、かつ邪な発想に基づいているのです。


 加えて、中国や韓国の例を見れば分かりますが、インバウンドは「外交」「政治」により需要が急減するリスクが常にある。外国様に依存する経済を「成長戦略」などといってのける、その感覚が理解できない。


 ということは、あれですか、観光業が依存する中国様のご機嫌を取り、今後、二度と中共に逆らわないようにいたしますか。さもなければ、観光業が大打撃を被りますよ、といった話になってしまうでしょう。


 ここまで、落ちぶれたのです、日本は。反中・反韓の傾向が強い安倍支持者の方々が、なぜか政府のインバウンド成長戦略を批判しない。不思議です。

 皆さんの大嫌いな中国人、韓国人(わたくしも嫌いだけど)をどんどん日本に招き入れているのは、安倍政権なのですよ。特に、安倍政権は中国人に対する観光ビザを規制緩和しまくっております。


 ちなみに、日本国民の観光消費額は、現在、絶賛「横ばい中」です。

【日本人国内旅行消費額の推移(億円)】


http://mtdata.jp/data_65.html#ryokou

 日本の政治(あるいは「政治家」)は、とりあえずデフレ脱却し、日本人の旅行消費額を増やすことを目指すべきです。


 このままインバウンド「様」成長戦略などとやっていると、将来は、日本人女性が外国人「様」に身体を売り、男性はトゥクトゥクならぬ白タクで外国人様を運び、小銭を稼ぐ国に落ちぶれます(もうなりつつあるけど)。それでいいんかい?


 わたくしは、そんな日本は絶対にお断りです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12506128070.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html#c6

[お知らせ・管理20] 中川隆さん、板違いです。板選定ルールをご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。 管理人さん
7. 中川隆[-8748] koaQ7Jey 2019年8月20日 11:52:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3996]

22. 2013年5月20日 07:55:44 : Kse53zYp5s
  
>>21さん、
常人には得体の知れない憎悪に取り憑かれ、ひとりで火病を起こして掲示板荒らしを続けている>>01の変態常習犯罪者については、下記をみれば簡単にプロフィールがわかります。ご参考までに。
  ↓
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1365829311/41

41 :地震雷火事名無し(家):2013/05/08(水) 14:52:16.46 ID:dsy2PwdC0

自称「中川隆」こと W18zBTaIM6 は、「富田誠」その他の複数のハンドルネームを使い回し(←投稿規定違反の累犯!)、しかも歴史板などに明らかに板違いの投稿を執拗に繰り返してきた(←投稿規定違反の累犯!)。

歴史板(http://www.asyura2.com/09/reki02/index.html)で「中川隆」「富田誠」で
検索すると、この変態犯罪者の山のような累犯の事例が一目瞭然となる。

「中川隆」が作ってきた板違いスレッドの事例(大量の犯行のほんの一部)
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あの伝説の名湯は今_ 幻の秘湯 戦慄の二股ラヂウム温泉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/350.html
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ミラーマンの世界
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html
------------------------------------------------------------
小沢一郎先生は政治家の鑑
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/293.html
------------------------------------------------------------
副島隆彦は本当にアホだね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/343.html
------------------------------------------------------------
釈迦は何故日本に再誕したか 1__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/341.html
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史上最強の投資銀行 ゴールドマン・サックス_その強さの秘密に迫る_1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/360.html
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しかも「中川隆」「富田誠」W18zBTaIM6 は、小沢一郎と「朝鮮人呼ばわり」して
執拗に誹謗中傷を続けながら、なぜか在日朝鮮人の過去の犯罪を告発するスレッドに出没して、朝鮮人擁護と日本人攻撃の書き込みを執念深く続けている。

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民主党議員の 『小沢先生と行った中国ハニートラップの旅』 - 富山誠  
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/722.html
衝撃!! 小沢一郎民主党代表の美人秘書(韓国籍)の真実 - 富山誠
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それだけではない。
「中川隆」「富田誠」は猟奇性犯罪と児童ポルノを、アスキーアートを貼り付けて自慰を行ないながら執拗に阿修羅掲示板に貼り付けつづけ、この掲示板に対する
強姦行為を行なっている。

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温泉四方山話1 - 富山誠 2013/4/10 18:06:58  
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/734.html
部落と近親相姦話1 - 富山誠 2013/5/01 17:09:05
多重人格者だった恋人の話 - 富山誠 2013/4/11 19:39:30
秘湯〜夢蛾はここにいる〜 - 富山誠 2013/4/11 18:36:27
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沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは - 中川隆 2012/10/08 00:07:10 (コメント数:4)
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

大阪 飛田遊郭 - 中川隆 2012/10/07 10:31:54
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/445.html
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ヒマを持てあました無職の変態朝鮮人が、阿修羅掲示板でルール違反をものともせず掲示板レイプを繰り返している。 
そんな連続強姦魔が「中川隆」「富田誠」 W18zBTaIM6 だってことだ!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1365829311/41


05. 2013年5月11日 16:37:29 : Kse53zYp5s

「従軍慰安婦」神話を擁護しながら天皇攻撃を執拗に行ない
その一方で投稿規定違反の複数ハンドルネーム使い回しと
板違い不当占拠(サイバー土地ドロボー)と
児童ポルノや猟奇ポルノによる掲示板荒らしを
延々と続けている変態犯罪者がまたこっそりと掲示板破壊工作をしています。
   ↓
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LB 投稿者: 中川隆: W18zBTaIM6 2013/5/11 11:12

ミラーマン 植草教授にお尻を撫でられた女子高生のパンティにもウンスジが付いていたのか? 中川隆
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/406.html#c8

シミパン・下着画像掲示板
http://www.wifes-h-pantie.com/bbs2/bbs2.cgi
                                    
妻のシミ付きパンティ
http://www.shitagi.org/simipanty/index.shtml

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http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/203.html#c7

[お知らせ・管理20] 中川隆さん、板違いです。板選定ルールをご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。 管理人さん
8. 中川隆[-8747] koaQ7Jey 2019年8月20日 11:59:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3997]
02. 2012年4月08日 23:40:15 : Mnxczxr6Dw

このスレッドを立てた自称「中川隆」こそ、他人のコメントを
グーグル検索までして一覧に書き出すほどの、異常なストーカーだろ。(笑)

おまえの無駄に偏執的な、異常な「努力」には呆れるばかりだ。
よほどヒマを持てあました精神異常者だろ、おまえは。(笑)


私は十数年前から阿修羅を見続けてきて、かつては日常的に
有用な情報を投稿していた。 
この阿修羅掲示板も、マスコミよりもたいてい数日から数週間も
早い海外の軍事政治情報などを数多く出してきたことで、マスコミが
ネタ探しをするなど、さまざまな方面で評価が高まり、多くの人たちが
新たにここを見るようになった。すでに現在は投稿をやめた
少なからぬ人々とともに、私も数年前までは、阿修羅の質を高める
ような投稿をすべく、努力してきたし、その効果はあったと思う。
(ただし、ここの管理人が著作権の扱いについてあまりにもダラシない
ので、馬鹿馬鹿しいから情報提供は数年前にやめた。いまはコメント
しか書かないようにしている。)

だが、あらゆる企業がそうであるように、2001年の秋以来、
単にこの掲示板を自己宣伝や個人的な慰みを目的に乱用する者が
数多く新規参入してきた。
「中川隆」は明らかのその1人であったが、他にも掲示板を汚し、
阿修羅の趣旨を踏みにじる投稿をしてきた者は多い。 
中には、公然とこの掲示板の攻撃すべく、外部で組織的な
行動をしていた者もあり、そうしたあからさまな組織的破壊行為には
管理人も公然と、出入り禁止ということで対処してきたのを、私は
見てきた。(十年くらい前には、しつこく荒らしを続けるので出入り禁止
にされた宮ナンタラいう――正確な名前は忘れたが――奴がいて、
外部に、報復的なアングラ掲示板を立てて、阿修羅を呪い続けていた
醜悪なありさまも、観察させてもらった。最近の例で言えば、リチャード
コシミズの独立党カルトと副島隆彦の学問道場カルトと、
r▼yuu▼bu▼fanとかいう自己顕示欲の強い奴が、
阿修羅を自己宣伝の場にして乱用したせいで咎められ、それが
気にくわないと阿修羅にしつこく攻撃をしてきたせいで、一定の
ゾーニング処置を受けている。)

掲示板は、不特定多数の人々が利用する半公共的な場所であり、
それゆえ使用ルールをみんなで守って言論の場所を尊重していくのが
不可欠である。これが出来ない無法者は、掲示板を荒らすばかりで、
それを容認していると、掲示板はどんどん荒れていく。


中川隆の投稿内容は極私的な趣味に偏っており、しかもエロAAを
必ず添加するという奇妙な癖まである。 これは阿修羅の趣旨に
反しているし、喫茶店案内や温泉案内やステレオ機材の感想集などは
広告であって、客観的にはスパムにすぎない。ましてエロAAは、
阿修羅の社会的な評価を故意に汚すものであり、それだけで
プロバイダなどによるアクセスシャットダウン措置の標的にされかねない。

中川隆の投稿は、上記の意味において掲示板荒らしに他ならない。
ご本人は常人では理解しがたいほどの時間と労力を(無駄にw)投入
して、文字数にすれば膨大か分量の投稿をしているわけであるから、
キチガイや変質者の趣味として眺めるなら、無駄な努力とはいえ、
それ自体の存在を否定するつもりは、私にはないのであるが、
しかし、そうした中川隆の「労作」(笑)を、投稿する場所が間違っているのだ。
彼が実際にやっている行為は、掲示板荒らしであり、ここの管理人が
もっとビジネスライクで厳格な人物なら、おそらくとっくの昔に
威力業務妨害で刑事・民事事件にしていたであろう……。

中川隆は、阿修羅にいまのような内容で投稿するかぎり、荒らしとして
機能するしかない。 もちろん、そうした糞のような投稿でも、これを
喜ぶ者はいるかもしれない。 世の中には糞を嗜好するスカトロマニアも
いるからね。(笑) しかし、阿修羅はそうした糞マニアの趣味の掲示板
ではない。


HPに掲げてあるような設立意義を、利用者である我々は尊重せねばならない。
掲示板がその存在理由を公然と掲げている以上、参加者はそれを尊重し、
その目的をともに追求していく広場として掲示板を活用し、たがいに
認識を深めていく触媒として発展させていくべきである。 中川隆は
ルール違反を咎められるたびに、修羅掲示板を誹謗し、利用者たちを
そしり、自分の趣味的投稿を正当化する虚しい言い訳を並べ立てて
きたが、ルール違反を繰り返して、掲示板を荒らしている無法者は
この掲示板に投稿すべきではない。 そんなに自分の趣味を他人に
見せたいなら、自分でホームページなりブログを開けばいいだけの
話である。 中川隆は、この掲示板にとって「悪質な寄生虫」にすぎない。


私は阿修羅から有益な情報を得たいから、同報MLに参加しているが、
このMLが送ってくるメール、つまり殆どすべての投稿とコメントは、日々
2000通くらいになる。保存や活用に値するものは、そのうちの1%
ほどだが、これらに目を遠し、ゴミ投稿を捨てるだけで、膨大な手間に
なる。私はむろん管理人でないから、いくつかの板については同報
MLに登録していない。全部に登録したら、大部分がゴミのような投稿で
またたく間にメールボックスが破綻してしまう。 2ちゃんねるだって
数多くのスレ立て人係やら削除係やらが忙しく働いているから、
あれだけの掲示板が運営できている。阿修羅は、管理人のかきこみを
読むかぎり、管理人が事実上ひとりで管理しているらしいから、
日々2000通をこえる投稿やらコメントに対応するのは不可能に
近いだろう。 しかし荒らしやルール違反や、あるいはクレームが
つきそうな法律違反行為については、きびきびと対処していかないと、
どんどん掲示板が荒れるし、刑事弾圧や訴訟を起こされて消耗する
恐れもある。だから私はお知らせ板で頻繁に、そうした問題を指摘し、
必要な場合は(たとえば「あまがえる」による違法投稿への速やかな
対処を求めるなど)きびしく管理人に迅速行動を促してきた。 


中川隆は、どうしてお知らせ板があり、ルール違反者の通報を
管理人が求めているのか、ついに理解できずにきたことを、この
スレッド投稿によって告白したに等しい。 「中川隆」と名のる
偏執的な投稿者に告ぐ。 おまえは阿修羅に投稿する資格はない。
ここを去って、自分の投稿を他人に見て欲しければ、自分でブログでも
始めろ!
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/605.html#c2
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/203.html#c8

[お知らせ・管理20] 中川隆さん、板違いです。板選定ルールをご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。 管理人さん
9. 中川隆[-8746] koaQ7Jey 2019年8月20日 12:03:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3998]

196. 2012年9月02日 23:50:07 : Kse53zYp5s
>>192
>リバイバル板なので放置
  ↑
管理人さん、「リバイバル板」は本来、すでに投稿された過去記事を
あらためて拾い上げる目的で設置された板でしたよね。

「リバイバル板」とて、他の板(昼休み板を除く)と同じく、
投稿ルールを守って投稿すべき場所であり、
「リバイバル板だから無法地帯」とは決してならないはずですよ。

そもそも過去の投稿だって、ルール無視の荒らし的な投稿は
置されていたわけでないわけで、残っているのはやっぱりルールに沿ったもの
でしょう。 ですからそのリバイバルを目的にした板が無法地帯というのは
矛盾しています。 管理人さんはリバイバル板に寄生して傍若無人を続けている
悪質な投稿者とかかわるのが嫌で、それでしかたなく「されるがまま」に
なっているんじゃないですか?

ルールを無視してエロネタや阿修羅の目的とは無関係の趣味ネタ(温泉とか
スピーカーとか喫茶店とか)や趣味に関わる広告ネタや、児童ポルノとして
刑事弾圧を受ける可能性さえあるポルノAAなどを傍若無人に貼り続ける
あらし常習者 中川隆は、完全に出入り禁止にするか、仮に投稿を許容するにしても
昼休み板だけに限定するという、ルールを尊重した公正な運営をすべきです。

特定の常習荒らしだけを許容して、見て見ぬふりをつづけているなんて、
まるで日本の領土を蹂躙している外国勢力に、見て見ぬふりしてきた気弱な
日本政府と同じじゃないですか。 そんな態度ではだれもルールを順守しなく
なりますよ。 ルールを定めた以上は、管理人さんもそれを守り、違反者には
毅然とした対応をしてください。 そうした勇気と努力が、投稿者全体の
コンプライアンスと士気を高め、維持していくのだということを考えてください。

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/764.html

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/203.html#c9

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
22. 中川隆[-8745] koaQ7Jey 2019年8月20日 12:16:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3999]

2019年08月20日
アメリカから見た米中協議 「豚は太らせて食え」の格言


トランプは習が譲歩できないのを承知で無理難題をふっかけている。

譲歩しなければ中国の崩壊は避けられなくなる


画像引用:https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/b/2/640m/img_b29e05894fd9e39ebe0ea041e9c337c3115975.jpg

アメリカ側の事情

米中貿易協議は7月から進展せず空振りが続いているが、一方で米側は追加制裁を延期すると発表した。

トランプ大統領がは中国からの輸入品年間3000億ドルに、9月1日から10%の関税を課すと予告していた。

だが8月13日になって、電子機器などの制裁発動を12月15日まで延期すると発表し、事実上休戦に入った。



制裁延期を受けてアップル株が上昇したのを見ると、スマホやPCなどIT部品への制裁が延期された。

アメリカ産業界では以前から制裁発動をやめるよう、ロビー活動が展開され企業は大金を投じていた。

「ロビー活動」とは日本語で「賄賂」と訳したほうが適切で、政治家にお金を渡して自分が望む政治を行わせる事です。


アメリカはマネーの国なので合法であり、アップルやマイクロソフトは金を払って制裁を延期させました。

金を受け取るのは国会議員で、元締め役になっている上院の有力議員には特に大金が支払われます。

トランプも議会に配慮せざるを得ないので、一時延期を表明したのでしょう。


もうひとつの理由は大統領選で、2020年11月3日投票なので既に候補者選びが始まっています。

ここでアメリカ経済を停滞させたら2期目の当選が絶望的になるので、アメリカが打撃を受けないよう配慮した。

どちらも中国に配慮した訳ではないので、ほとぼりが冷めたらまた制裁を発動します。

「豚は太らせて食え」

一方中国側の事情ですが、合理的に考えれば90年代日米交渉のように、中国はアメリカに譲歩するしかない。

全てを失うか一部を譲歩するかの選択なので、本来なら中国に選択の余地はありません。

だが中国は共産主義独裁国家なので、西側資本主義国に譲歩すれば共産主義体制が崩壊してしまう。


北朝鮮が韓国に対して「わたしが悪かったので謝罪します」と言ったら、北朝鮮が崩壊するのと同じです。

習近平の売りは愛国心であり、強い中国を掲げて人民を引っ張ってきたので、なおさらアメリカに譲歩はできません。

さらにアメリカは香港問題で中国を責め、このタイミングで台湾にF16を売却してみせました。


習近平は絶対に譲歩できないところに追い込まれてしまい、アメリカは米中合意が成立しないように攻めているように見える。

アメリカとしては中国を大国として存続させるつもりがなく、合意など決裂させてもっと中国を追い込みたいのでしょう。

キリスト教文化には「豚は太らせて食え」という格言があり、植民地の統治などで実践されてきました。


要するに中国は「太りすぎた豚」になってしまい、そろそろ食べ時になったという事なのです。

中国は(イカサマの)GDPで日本を超えたり、表面上威勢が良いが、実は借金とGDPを交換しただけです。

中国は過去10年でGDPの5倍のペースで公的債務を増やしていて、実はGDPなんか無いのです。


誰も利用していない高速鉄道や、無人の100万人都市、利用者のいない巨大空港などを建設してGDPを偽装しています。

金の計算には頭が回るトランプはそれが分かっているので、ここで中国を甘やかす筈がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80732148.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c22

[近代史3] ファーウェイ排除で世界に激震! 日本はどうなる? 中川隆
21. 中川隆[-8744] koaQ7Jey 2019年8月20日 12:16:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4000]

2019年08月20日
アメリカから見た米中協議 「豚は太らせて食え」の格言


トランプは習が譲歩できないのを承知で無理難題をふっかけている。

譲歩しなければ中国の崩壊は避けられなくなる


画像引用:https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/b/2/640m/img_b29e05894fd9e39ebe0ea041e9c337c3115975.jpg

アメリカ側の事情

米中貿易協議は7月から進展せず空振りが続いているが、一方で米側は追加制裁を延期すると発表した。

トランプ大統領がは中国からの輸入品年間3000億ドルに、9月1日から10%の関税を課すと予告していた。

だが8月13日になって、電子機器などの制裁発動を12月15日まで延期すると発表し、事実上休戦に入った。



制裁延期を受けてアップル株が上昇したのを見ると、スマホやPCなどIT部品への制裁が延期された。

アメリカ産業界では以前から制裁発動をやめるよう、ロビー活動が展開され企業は大金を投じていた。

「ロビー活動」とは日本語で「賄賂」と訳したほうが適切で、政治家にお金を渡して自分が望む政治を行わせる事です。


アメリカはマネーの国なので合法であり、アップルやマイクロソフトは金を払って制裁を延期させました。

金を受け取るのは国会議員で、元締め役になっている上院の有力議員には特に大金が支払われます。

トランプも議会に配慮せざるを得ないので、一時延期を表明したのでしょう。


もうひとつの理由は大統領選で、2020年11月3日投票なので既に候補者選びが始まっています。

ここでアメリカ経済を停滞させたら2期目の当選が絶望的になるので、アメリカが打撃を受けないよう配慮した。

どちらも中国に配慮した訳ではないので、ほとぼりが冷めたらまた制裁を発動します。

「豚は太らせて食え」

一方中国側の事情ですが、合理的に考えれば90年代日米交渉のように、中国はアメリカに譲歩するしかない。

全てを失うか一部を譲歩するかの選択なので、本来なら中国に選択の余地はありません。

だが中国は共産主義独裁国家なので、西側資本主義国に譲歩すれば共産主義体制が崩壊してしまう。


北朝鮮が韓国に対して「わたしが悪かったので謝罪します」と言ったら、北朝鮮が崩壊するのと同じです。

習近平の売りは愛国心であり、強い中国を掲げて人民を引っ張ってきたので、なおさらアメリカに譲歩はできません。

さらにアメリカは香港問題で中国を責め、このタイミングで台湾にF16を売却してみせました。


習近平は絶対に譲歩できないところに追い込まれてしまい、アメリカは米中合意が成立しないように攻めているように見える。

アメリカとしては中国を大国として存続させるつもりがなく、合意など決裂させてもっと中国を追い込みたいのでしょう。

キリスト教文化には「豚は太らせて食え」という格言があり、植民地の統治などで実践されてきました。


要するに中国は「太りすぎた豚」になってしまい、そろそろ食べ時になったという事なのです。

中国は(イカサマの)GDPで日本を超えたり、表面上威勢が良いが、実は借金とGDPを交換しただけです。

中国は過去10年でGDPの5倍のペースで公的債務を増やしていて、実はGDPなんか無いのです。


誰も利用していない高速鉄道や、無人の100万人都市、利用者のいない巨大空港などを建設してGDPを偽装しています。

金の計算には頭が回るトランプはそれが分かっているので、ここで中国を甘やかす筈がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80732148.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/452.html#c21

[近代史3] アメリカのロビイストは政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける 中川隆
1. 中川隆[-8743] koaQ7Jey 2019年8月20日 12:18:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4001]

2019年08月20日
アメリカから見た米中協議 「豚は太らせて食え」の格言


トランプは習が譲歩できないのを承知で無理難題をふっかけている。

譲歩しなければ中国の崩壊は避けられなくなる


画像引用:https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/b/2/640m/img_b29e05894fd9e39ebe0ea041e9c337c3115975.jpg

アメリカ側の事情

米中貿易協議は7月から進展せず空振りが続いているが、一方で米側は追加制裁を延期すると発表した。

トランプ大統領がは中国からの輸入品年間3000億ドルに、9月1日から10%の関税を課すと予告していた。

だが8月13日になって、電子機器などの制裁発動を12月15日まで延期すると発表し、事実上休戦に入った。



制裁延期を受けてアップル株が上昇したのを見ると、スマホやPCなどIT部品への制裁が延期された。

アメリカ産業界では以前から制裁発動をやめるよう、ロビー活動が展開され企業は大金を投じていた。

「ロビー活動」とは日本語で「賄賂」と訳したほうが適切で、政治家にお金を渡して自分が望む政治を行わせる事です。


アメリカはマネーの国なので合法であり、アップルやマイクロソフトは金を払って制裁を延期させました。

金を受け取るのは国会議員で、元締め役になっている上院の有力議員には特に大金が支払われます。

トランプも議会に配慮せざるを得ないので、一時延期を表明したのでしょう。


もうひとつの理由は大統領選で、2020年11月3日投票なので既に候補者選びが始まっています。

ここでアメリカ経済を停滞させたら2期目の当選が絶望的になるので、アメリカが打撃を受けないよう配慮した。

どちらも中国に配慮した訳ではないので、ほとぼりが冷めたらまた制裁を発動します。

「豚は太らせて食え」

一方中国側の事情ですが、合理的に考えれば90年代日米交渉のように、中国はアメリカに譲歩するしかない。

全てを失うか一部を譲歩するかの選択なので、本来なら中国に選択の余地はありません。

だが中国は共産主義独裁国家なので、西側資本主義国に譲歩すれば共産主義体制が崩壊してしまう。


北朝鮮が韓国に対して「わたしが悪かったので謝罪します」と言ったら、北朝鮮が崩壊するのと同じです。

習近平の売りは愛国心であり、強い中国を掲げて人民を引っ張ってきたので、なおさらアメリカに譲歩はできません。

さらにアメリカは香港問題で中国を責め、このタイミングで台湾にF16を売却してみせました。


習近平は絶対に譲歩できないところに追い込まれてしまい、アメリカは米中合意が成立しないように攻めているように見える。

アメリカとしては中国を大国として存続させるつもりがなく、合意など決裂させてもっと中国を追い込みたいのでしょう。

キリスト教文化には「豚は太らせて食え」という格言があり、植民地の統治などで実践されてきました。


要するに中国は「太りすぎた豚」になってしまい、そろそろ食べ時になったという事なのです。

中国は(イカサマの)GDPで日本を超えたり、表面上威勢が良いが、実は借金とGDPを交換しただけです。

中国は過去10年でGDPの5倍のペースで公的債務を増やしていて、実はGDPなんか無いのです。


誰も利用していない高速鉄道や、無人の100万人都市、利用者のいない巨大空港などを建設してGDPを偽装しています。

金の計算には頭が回るトランプはそれが分かっているので、ここで中国を甘やかす筈がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80732148.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/530.html#c1

[近代史3] 香港デモが終わらない理由 & 香港デモの正体を見極めよ 中川隆
4. 中川隆[-8742] koaQ7Jey 2019年8月20日 13:27:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4002]
 
2019.08.20
盛り上がらない反中国行動を情報操作でごまかせるのか?


香港で繰り広げられている反中国運動の背後にアメリカとイギリスの情報機関が存在していることは隠しようがない。その手先として働いている人物として、現地の協力者がいる。

 本ブログでも紹介したように、JWマリオット・ホテルでアメリカのジュリー・イーディー領事と会っているところを撮影された黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)もその一部。黄之鋒は2015年11月にナンシー・ペロシ下院議長と会談、17年5月にはネオコンのマルコ・ルビオ上院議員と会っている。


 ネオコンと緊密な関係にあることで知られている反中国運動の指導者の代表格は李柱銘(マーチン・リー)だろう。この李と親しい人物のひとりが黎智英(ジミー・リー)。メディアのグループを所有、アジアのルパート・マードックとも呼ばれている。ドナルド・トランプ政権の好戦派、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官と今年7月に会った。

 ボリス・エリツィン時代のロシアもそうだったが、侵略者や犯罪者は銀行とメディアをまず支配しようとする。カネと情報が支配の柱だと認識しているのだろう。そして社会基盤や基幹産業を乗っ取ろうとする。日本で「民営化」が叫ばれたのはそのためだ。つまり、叫んだ連中は外国を拠点とする巨大資本の手先。

 2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」のときから、このふたりのほかに香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)といった名前が挙がっている。

 こうした活動に対し、1996年からNEDの資金が流れ込んでいることもわかっている。本ブログでは繰り返し書いてきたように、NEDはCIAの資金を流すための仕組み。つまり、香港の反中国運動は「民主化」というタグをつけたCIAの工作だ。

 2014年の反中国行動に参加したのは数万人と言われているのだが、今回、主催者は170万人という数字を出し、それを垂れ流しているメディアもある。計画通りに盛り上がらない反中国行動を情報操作でごまかそうとしているのかもしれない。

 有力メディアの話を鵜呑みにする人は「すごい」と思うのだろうが、会場になった広場に入れる人数は10万人程度だとされている。警察は12万8000人が参加したと発表しているが、これでも多めだろうと考えている人もいる。170万人という数字に説得力はない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/576.html#c4

[昼休み54] 女の停年は35歳 中川隆
9. 中川隆[-8741] koaQ7Jey 2019年8月20日 13:52:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4003]


『ちつのトリセツ』女性編集者が真面目に作った「異色本」の中身
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480


私たちは男も女も、チツのことを知らなすぎるのではないか―一人の女性編集者が立ち上がった。その研究の成果とは。

日本女性の弱点

「よくまあ、こんなことまで書いた、あまりにも恥知らず、と思う方も多いかもしれません。それでも、専門家の方に取材をし、自分自身で実践したことは必ず役に立つ。そう確信したからこそ、恥を承知で、すべてを明らかにしました」

こう語るのは、先月、

『ちつのトリセツ 劣化はとまる』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A1%E3%81%A4%E3%82%B1%E3%82%A2-%E4%BC%9A%E9%99%B0%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B8-%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93-%E4%BB%AE%E9%A1%8C-%E5%8E%9F%E7%94%B0/dp/4770502222/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=9b2408e1c583052c4dae87ee6567fadc


を上梓した径書房編集者の原田純さん(62歳)だ。彼女は同書で、女性にとっても神秘の器官「膣」の実態に迫り、膣のケア方法を体を張って実践している。

そのあまりにもキャッチーなタイトルとは裏腹に、内容はいたってマジメな本であり、カバーには、「明るく、まじめにご利用ください。男性のお客様は、間違った期待をなさらないでください」と注意書きされているくらいだ。

執筆のきっかけは同書の指導・監修を務めた助産師のたつのゆりこ氏から、膣のイロハを教わったことだという。

「たつの先生に出会う前は、私も膣を顧みることはありませんでした。そもそも私たち日本人女性は性に対して無知であることが上品という潜在意識があります。

品位を保つことと無知であることはイコールではないのに、日本人女性は自分の身体の一部である膣のことは、ほとんど知りません。

そのため、多くの日本人女性が自分の膣に対して、わけの分からない不安を抱えています。セックスをしても全く気持ちよくなれないのは、自分のせいだと思い込んだり、逆にパートナーが悪いからだと決めつけてしまったり……。まずは膣のことを知らなければならないんです」

女性は性に貪欲であることがタブー視されるのに加え、同じ性器でもプランプランとぶら下がっていて、男児なら誰もが四六時中触ってしまうペニスと膣では全く事情が異なる。

女性が自分で膣内を確認するためには、股を大きく広げ、鏡で見なければならない。そんなこと、まあ普通はやらない。だから女性にとっても膣はミステリアスな存在。その洞穴には数多くの神秘が隠されているのだ。

『女の濡らせ方』などの著作がある名古屋市立大学名誉教授の渡仲三氏が膣の奥深さを語る。

「膣は女性の身体にある10個の穴の一つ。他には目、鼻、耳、口、それから尿道口と肛門があり、これらの穴の内側は粘膜で覆われています。一つ一つの穴は独立していますが、そもそも身体は一つの統一体であり、身体全体が有機体です。膣と各部位は互いに関係を持っており、緊密につながっています」


なぜ「締まる」のか?

渡氏が言うように膣は身体全体の重要な「穴」と深いつながりをもっており、膣を知ることは己を知ることになるという。原田さんが言う。

「たつの先生もそう言います。たとえば、目と膣の関係。脳の中心部、目の奥にある視床下部や下垂体は、目から入ってくる光に反応してホルモンのバランスを整えていて、女性ホルモンもそこで調整されている。つまり目は、生殖機能と密接な関係があることになる。

また鼻と膣も昔から深いつながりがあると言われています。産後に体調を崩す妊婦さんは、たいてい鼻が詰まっており、膣と鼻は、その深い関係性が指摘されている」


Photo by iStock

また、膣は女性にとっても男性にとっても快楽の源となる。そもそもなぜこんなに気持ちいいのか。東峯婦人クリニック名誉院長、松峯寿美氏がこう解説する。

「女性は奥のほうを突かれたほうが気持ちいいと思われがちですが、本当に感じるのは膣の入り口から奥へ3分の1程度までの長さです。

というのも、解剖学的にもその部分には、皮膚と同じ知覚神経が通っているんです。『性感帯』と呼ばれる箇所もそうですが、どこでも気持ちいいと感じるのは皮膚なのです。だから膣内でも皮膚と同じ感覚神経が通っている箇所は一番感じる。

逆に言えば痛みにも敏感。膣口で痛いと感じると、いくら奥に入れ込もうとしても、ダメでしょうね」

男性を絶頂へと導くあの「締め付け」は子宮を含む骨盤内にある内臓を、胴体の一番下で支えている筋肉、骨盤底筋によるものだという。松峯氏が続ける。

「膣内でペニスと接する粘膜の裏には骨盤底筋がある。だから、この筋肉を鍛えると膣の締まりがよくなります。またその筋肉には動脈や静脈があって、性的に興奮すると、ペニスが太くなるように、女性の膣も充血して締まってくる。膣は子孫を残すように本当にうまくできているのです」

膣のことを理解し、その大切さを自覚してケアに励めば、人生は好転するはず。しかし、多くの日本人女性はそれができていない。

「膣ケア」後進国日本では、膣の手入れを怠り、にっちもさっちも行かなくなってしまった女性がゴマンといる。無知と無関心で、あっという間に膣はその機能を失ってしまうのだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html#c9

[昼休み54] 女の停年は35歳 中川隆
10. 中川隆[-8740] koaQ7Jey 2019年8月20日 13:54:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4004]

女性編集者が猛反省…チツは放っておくとどんどん「劣化」する
『ちつのトリセツ』そのA
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51481?mi=MoneyGendai_AR_7



私たちは男も女も、チツのことを知らなすぎるのではないか―そんな思いから『ちつのトリセツ 劣化は止まる』を著した、径書房の女性編集者の原田純さん(62歳)。前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480)に続き、驚きの研究成果を発表します。

いつの間にかカラカラ

「膣は使っていないと廃用性萎縮が起こります。分かりやすく言うと、運動しないと身体のあらゆるところの関節が固まりますが、あれと同じことが膣にも起こる。使わないと身体は鈍って劣化しますよね。膣も同じなんです。

だから、セックスまたはマスターべーションで、女性ホルモンを多く分泌してケアしてあげることが大切。セックスは相手が必要なので、難しい点もありますが、マスターベーションならいつでもできるはず。それもしていないとなれば、劣化して当然です」

こう語るのは産婦人科医の早乙女智子氏だ。膣や外性器は粘膜なので、潤いが失われると、当然干からびる。熱いセックスやマスターベーションに伴う愛汁で膣の定期メンテナンスを行っているのであれば問題はない。

しかし、そんな人は決して多くはない。本の著者である原田さん自身も20年以上のセックスレスで、マスターベーションも数年やっていないという枯れっぷりだった。

「私はもう60歳も過ぎているし、『そういうことは卒業した』と周りに言っていましたが、本音を言えば、いい人がいたらセックスをしてみたい、セックスぐらいしようと思えばいつでもできると思っていましたね」

しかし原田さんの根拠のない自信は数十年振りに果たした膣とのご対面で、脆くも崩れさる。

鏡でじっくり観察してみると、確かに間違いなく、原田さんの外性器は小さくなっていた。昔はふっくらぽってりしていた大陰唇はいつのまにか厚みを失って、ぺったり、のっぺり。大陰唇の奥の、肉厚の花びらのようだった小陰唇も、厚みを失い、小さく縮こまってクシュっとなっている。

長年、ほったらかしにされていた原田さんの膣は完全に枯れ果てていた。膣内に指を入れるのも痛くて難しいほど、硬く、カラカラになっていたという。前出の松峯氏が語る。

「50歳を過ぎ、更年期後期に差し掛かると、女性ホルモンの減少が顕著になってきます。女性ホルモンが少なくなってくると、膣の粘膜がどんどん薄くなり、潤いもなくなっていく。そうすると、ちょっとこすれても血が出るようになったりして、膣に指を入れるのにも痛みが走る。快感なんて言ってられなくなります」


Photo by iStock

女性ホルモンの減少の他に、「冷え」も膣の劣化の原因になる。身体が冷えると女性は骨盤内の血液循環が悪くなりやすいので、膣も冷えてしまい、カチコチに硬くなる。原田さんが言う。

「たつの先生も、膣の劣化の最も大きな要因は『冷え』だと言っています。現代の働く女性につきものである寝不足、ストレス、乱れた食生活など、その全てが冷えにつながってくる。そして、膣の劣化を加速させるのです」

膣が乾いたり、硬くなると、セックスに支障をきたすだけではない深刻な症状も引き起こす。

膣は筋肉の一種であり、その膣が硬くなっているということは、骨盤内の筋肉がすべて同じ状態になっているということでもある。その骨盤底筋の衰えによって起こるのが、骨盤臓器脱だ。原田さんが言う。

「骨盤内にある膀胱や子宮、直腸といった臓器が下がってきて、膣壁もろとも膣口から出てきてしまう女性特有の疾患です。

『女性のヘルニア』とも呼ばれています。最初に体外に出てくるのは膀胱が多いと言われています。ただ、その出てきた膀胱を体内に戻す手術をしても、次は子宮が下がってきたりして、もう一度子宮を持ち上げたり切除したりする手術をしなければならなくなる」

知らず知らずに膣の劣化は進む。それでもやはり鏡で膣内をマジマジと観察したり、指を突っ込んで膣の状態を確認するという女性は少なく、そうした「はしたない」行為にはどうしても抵抗を持ってしまうそうだ。ただ、膣以外にも膣の状態を知り得る箇所がある。お尻だ。原田さんがこう解説する。

「たつの先生が、男性は女性のお尻を見て女性器の良し悪しを判断することができると言うくらい。膣が冷えて硬くなると、骨盤底筋も衰え、お尻の形に影響が出る。お尻の肉が垂れてきて臀部のふくらみが失われ、へこんでくるのです。そんな『エクボ尻』の女性が増えているそうです。

一方、あたたかく潤った膣を持つ女性のふっくらとした丸いお尻、いわゆる『ハート尻』は少なくなってきている」


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51481?page=2

どんな方法でもいいので放っておかずに、女性は自分の膣を知ることが大切だと原田さんは言う。

「自分の膣の状態を知れば、そのあまりの惨状に打ちのめされることもあるでしょう。でも現実を受け入れれば、戦略を練ることができるんです」

次回『チツのトリセツ』B~チツがプリプリ潤う「女性器マッサージ」では女性器が生まれ変わる「膣ケア」を徹底解説する。

「週刊現代」2017年4月22日号より


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html#c10

[近代史3] 我々は「自分の老い」に向き合ってきたか? 中川隆
10. 中川隆[-8739] koaQ7Jey 2019年8月20日 14:09:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4005]

『ちつのトリセツ』女性編集者が真面目に作った「異色本」の中身
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480


私たちは男も女も、チツのことを知らなすぎるのではないか―一人の女性編集者が立ち上がった。その研究の成果とは。

日本女性の弱点

「よくまあ、こんなことまで書いた、あまりにも恥知らず、と思う方も多いかもしれません。それでも、専門家の方に取材をし、自分自身で実践したことは必ず役に立つ。そう確信したからこそ、恥を承知で、すべてを明らかにしました」

こう語るのは、先月、

『ちつのトリセツ 劣化はとまる』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A1%E3%81%A4%E3%82%B1%E3%82%A2-%E4%BC%9A%E9%99%B0%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B8-%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93-%E4%BB%AE%E9%A1%8C-%E5%8E%9F%E7%94%B0/dp/4770502222/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=9b2408e1c583052c4dae87ee6567fadc


を上梓した径書房編集者の原田純さん(62歳)だ。彼女は同書で、女性にとっても神秘の器官「膣」の実態に迫り、膣のケア方法を体を張って実践している。

そのあまりにもキャッチーなタイトルとは裏腹に、内容はいたってマジメな本であり、カバーには、「明るく、まじめにご利用ください。男性のお客様は、間違った期待をなさらないでください」と注意書きされているくらいだ。

執筆のきっかけは同書の指導・監修を務めた助産師のたつのゆりこ氏から、膣のイロハを教わったことだという。

「たつの先生に出会う前は、私も膣を顧みることはありませんでした。そもそも私たち日本人女性は性に対して無知であることが上品という潜在意識があります。

品位を保つことと無知であることはイコールではないのに、日本人女性は自分の身体の一部である膣のことは、ほとんど知りません。

そのため、多くの日本人女性が自分の膣に対して、わけの分からない不安を抱えています。セックスをしても全く気持ちよくなれないのは、自分のせいだと思い込んだり、逆にパートナーが悪いからだと決めつけてしまったり……。まずは膣のことを知らなければならないんです」

女性は性に貪欲であることがタブー視されるのに加え、同じ性器でもプランプランとぶら下がっていて、男児なら誰もが四六時中触ってしまうペニスと膣では全く事情が異なる。

女性が自分で膣内を確認するためには、股を大きく広げ、鏡で見なければならない。そんなこと、まあ普通はやらない。だから女性にとっても膣はミステリアスな存在。その洞穴には数多くの神秘が隠されているのだ。

『女の濡らせ方』などの著作がある名古屋市立大学名誉教授の渡仲三氏が膣の奥深さを語る。

「膣は女性の身体にある10個の穴の一つ。他には目、鼻、耳、口、それから尿道口と肛門があり、これらの穴の内側は粘膜で覆われています。一つ一つの穴は独立していますが、そもそも身体は一つの統一体であり、身体全体が有機体です。膣と各部位は互いに関係を持っており、緊密につながっています」


なぜ「締まる」のか?

渡氏が言うように膣は身体全体の重要な「穴」と深いつながりをもっており、膣を知ることは己を知ることになるという。原田さんが言う。

「たつの先生もそう言います。たとえば、目と膣の関係。脳の中心部、目の奥にある視床下部や下垂体は、目から入ってくる光に反応してホルモンのバランスを整えていて、女性ホルモンもそこで調整されている。つまり目は、生殖機能と密接な関係があることになる。

また鼻と膣も昔から深いつながりがあると言われています。産後に体調を崩す妊婦さんは、たいてい鼻が詰まっており、膣と鼻は、その深い関係性が指摘されている」


Photo by iStock

また、膣は女性にとっても男性にとっても快楽の源となる。そもそもなぜこんなに気持ちいいのか。東峯婦人クリニック名誉院長、松峯寿美氏がこう解説する。

「女性は奥のほうを突かれたほうが気持ちいいと思われがちですが、本当に感じるのは膣の入り口から奥へ3分の1程度までの長さです。

というのも、解剖学的にもその部分には、皮膚と同じ知覚神経が通っているんです。『性感帯』と呼ばれる箇所もそうですが、どこでも気持ちいいと感じるのは皮膚なのです。だから膣内でも皮膚と同じ感覚神経が通っている箇所は一番感じる。

逆に言えば痛みにも敏感。膣口で痛いと感じると、いくら奥に入れ込もうとしても、ダメでしょうね」

男性を絶頂へと導くあの「締め付け」は子宮を含む骨盤内にある内臓を、胴体の一番下で支えている筋肉、骨盤底筋によるものだという。松峯氏が続ける。

「膣内でペニスと接する粘膜の裏には骨盤底筋がある。だから、この筋肉を鍛えると膣の締まりがよくなります。またその筋肉には動脈や静脈があって、性的に興奮すると、ペニスが太くなるように、女性の膣も充血して締まってくる。膣は子孫を残すように本当にうまくできているのです」

膣のことを理解し、その大切さを自覚してケアに励めば、人生は好転するはず。しかし、多くの日本人女性はそれができていない。

「膣ケア」後進国日本では、膣の手入れを怠り、にっちもさっちも行かなくなってしまった女性がゴマンといる。無知と無関心で、あっという間に膣はその機能を失ってしまうのだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480



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女性編集者が猛反省…チツは放っておくとどんどん「劣化」する
『ちつのトリセツ』そのA
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51481?mi=MoneyGendai_AR_7

私たちは男も女も、チツのことを知らなすぎるのではないか―そんな思いから『ちつのトリセツ 劣化は止まる』を著した、径書房の女性編集者の原田純さん(62歳)。前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480)に続き、驚きの研究成果を発表します。

いつの間にかカラカラ

「膣は使っていないと廃用性萎縮が起こります。分かりやすく言うと、運動しないと身体のあらゆるところの関節が固まりますが、あれと同じことが膣にも起こる。使わないと身体は鈍って劣化しますよね。膣も同じなんです。

だから、セックスまたはマスターべーションで、女性ホルモンを多く分泌してケアしてあげることが大切。セックスは相手が必要なので、難しい点もありますが、マスターベーションならいつでもできるはず。それもしていないとなれば、劣化して当然です」

こう語るのは産婦人科医の早乙女智子氏だ。膣や外性器は粘膜なので、潤いが失われると、当然干からびる。熱いセックスやマスターベーションに伴う愛汁で膣の定期メンテナンスを行っているのであれば問題はない。

しかし、そんな人は決して多くはない。本の著者である原田さん自身も20年以上のセックスレスで、マスターベーションも数年やっていないという枯れっぷりだった。

「私はもう60歳も過ぎているし、『そういうことは卒業した』と周りに言っていましたが、本音を言えば、いい人がいたらセックスをしてみたい、セックスぐらいしようと思えばいつでもできると思っていましたね」

しかし原田さんの根拠のない自信は数十年振りに果たした膣とのご対面で、脆くも崩れさる。

鏡でじっくり観察してみると、確かに間違いなく、原田さんの外性器は小さくなっていた。昔はふっくらぽってりしていた大陰唇はいつのまにか厚みを失って、ぺったり、のっぺり。大陰唇の奥の、肉厚の花びらのようだった小陰唇も、厚みを失い、小さく縮こまってクシュっとなっている。

長年、ほったらかしにされていた原田さんの膣は完全に枯れ果てていた。膣内に指を入れるのも痛くて難しいほど、硬く、カラカラになっていたという。前出の松峯氏が語る。

「50歳を過ぎ、更年期後期に差し掛かると、女性ホルモンの減少が顕著になってきます。女性ホルモンが少なくなってくると、膣の粘膜がどんどん薄くなり、潤いもなくなっていく。そうすると、ちょっとこすれても血が出るようになったりして、膣に指を入れるのにも痛みが走る。快感なんて言ってられなくなります」


Photo by iStock

女性ホルモンの減少の他に、「冷え」も膣の劣化の原因になる。身体が冷えると女性は骨盤内の血液循環が悪くなりやすいので、膣も冷えてしまい、カチコチに硬くなる。原田さんが言う。

「たつの先生も、膣の劣化の最も大きな要因は『冷え』だと言っています。現代の働く女性につきものである寝不足、ストレス、乱れた食生活など、その全てが冷えにつながってくる。そして、膣の劣化を加速させるのです」


膣が乾いたり、硬くなると、セックスに支障をきたすだけではない深刻な症状も引き起こす。

膣は筋肉の一種であり、その膣が硬くなっているということは、骨盤内の筋肉がすべて同じ状態になっているということでもある。その骨盤底筋の衰えによって起こるのが、骨盤臓器脱だ。原田さんが言う。

「骨盤内にある膀胱や子宮、直腸といった臓器が下がってきて、膣壁もろとも膣口から出てきてしまう女性特有の疾患です。

『女性のヘルニア』とも呼ばれています。最初に体外に出てくるのは膀胱が多いと言われています。ただ、その出てきた膀胱を体内に戻す手術をしても、次は子宮が下がってきたりして、もう一度子宮を持ち上げたり切除したりする手術をしなければならなくなる」

知らず知らずに膣の劣化は進む。それでもやはり鏡で膣内をマジマジと観察したり、指を突っ込んで膣の状態を確認するという女性は少なく、そうした「はしたない」行為にはどうしても抵抗を持ってしまうそうだ。ただ、膣以外にも膣の状態を知り得る箇所がある。お尻だ。原田さんがこう解説する。

「たつの先生が、男性は女性のお尻を見て女性器の良し悪しを判断することができると言うくらい。膣が冷えて硬くなると、骨盤底筋も衰え、お尻の形に影響が出る。お尻の肉が垂れてきて臀部のふくらみが失われ、へこんでくるのです。そんな『エクボ尻』の女性が増えているそうです。

一方、あたたかく潤った膣を持つ女性のふっくらとした丸いお尻、いわゆる『ハート尻』は少なくなってきている」


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51481?page=2

どんな方法でもいいので放っておかずに、女性は自分の膣を知ることが大切だと原田さんは言う。

「自分の膣の状態を知れば、そのあまりの惨状に打ちのめされることもあるでしょう。でも現実を受け入れれば、戦略を練ることができるんです」

次回『チツのトリセツ』B~チツがプリプリ潤う「女性器マッサージ」では女性器が生まれ変わる「膣ケア」を徹底解説する。


「週刊現代」2017年4月22日号より


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/446.html#c10

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
21. 中川隆[-8738] koaQ7Jey 2019年8月20日 14:42:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4006]

あおり運転 逮捕の男 去年はタクシー運転手監禁の疑いで逮捕
2019年8月19日 19時06分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/k10012040931000.html


あおり運転をしたうえ、男性を殴ってけがをさせたとして逮捕された宮崎容疑者は去年、京都市内のコンビニエンスストアの駐車場にとめたタクシーの車内で、運転手を監禁したとして逮捕されていました。被害にあった兵庫県に住むタクシー運転手の男性(47)がNHKの取材に応じ、「何をしたいのか分からず、正気じゃないと思った」と振り返りました。タクシー運転手の証言です。


去年3月21日の午前5時半ごろ、大阪中心部の繁華街で宮崎容疑者と連れの男性を乗せ、1キロほど離れたJR大阪駅近くのホテルに送りました。

その際「荷物を持ってくるから待っていてくれ」といわれましたが、ホテル側とトラブルがあったようで、2時間近く待たされたといいます。

天王寺区のJRの駅で連れの男性と別れて1人になったあと、宮崎容疑者の様子がおかしくなったといいます。

百貨店や飲食店、車のディーラーなど20か所近くを次々に回らされたそうです。

その間に阪神高速道路の環状線をゆっくり走るよう指示され、環状線を2周する間、宮崎容疑者は追い抜いていく車のナンバーを1台1台メモしていたということです。

宮崎容疑者は途中で警察にひんぱんに電話をかけて「幅寄せされた」とか、「囲まれている、助けてくれ」などと話していたといいます。

乗車していた時間は半日近くにおよびました。

タクシーの運転手は、前日の夜から勤務していたため交代したいと申し出ても拒否されたそうです。

さらに、車載電話を取り上げられたうえトイレにも行かせてもらえなかったということです。

タクシーの走行経路が不審だったことなどから会社が110番通報してパトカーが駆けつけ、宮崎容疑者は逮捕されました。

その後、起訴猶予となったということです。

タクシー運転手は「何をしたいのか分からず。正気じゃないと思っていました。今回逮捕されたと聞いてほっとしました」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/k10012040931000.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c21

[リバイバル3] 女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化 中川隆
2. 中川隆[-8737] koaQ7Jey 2019年8月20日 15:35:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4007]
『ちつのトリセツ』女性編集者が真面目に作った「異色本」の中身
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480

私たちは男も女も、チツのことを知らなすぎるのではないか―一人の女性編集者が立ち上がった。その研究の成果とは。

日本女性の弱点

「よくまあ、こんなことまで書いた、あまりにも恥知らず、と思う方も多いかもしれません。それでも、専門家の方に取材をし、自分自身で実践したことは必ず役に立つ。そう確信したからこそ、恥を承知で、すべてを明らかにしました」

こう語るのは、先月、

『ちつのトリセツ 劣化はとまる』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A1%E3%81%A4%E3%82%B1%E3%82%A2-%E4%BC%9A%E9%99%B0%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B8-%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93-%E4%BB%AE%E9%A1%8C-%E5%8E%9F%E7%94%B0/dp/4770502222/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=9b2408e1c583052c4dae87ee6567fadc


を上梓した径書房編集者の原田純さん(62歳)だ。彼女は同書で、女性にとっても神秘の器官「膣」の実態に迫り、膣のケア方法を体を張って実践している。

そのあまりにもキャッチーなタイトルとは裏腹に、内容はいたってマジメな本であり、カバーには、「明るく、まじめにご利用ください。男性のお客様は、間違った期待をなさらないでください」と注意書きされているくらいだ。

執筆のきっかけは同書の指導・監修を務めた助産師のたつのゆりこ氏から、膣のイロハを教わったことだという。

「たつの先生に出会う前は、私も膣を顧みることはありませんでした。そもそも私たち日本人女性は性に対して無知であることが上品という潜在意識があります。

品位を保つことと無知であることはイコールではないのに、日本人女性は自分の身体の一部である膣のことは、ほとんど知りません。

そのため、多くの日本人女性が自分の膣に対して、わけの分からない不安を抱えています。セックスをしても全く気持ちよくなれないのは、自分のせいだと思い込んだり、逆にパートナーが悪いからだと決めつけてしまったり……。まずは膣のことを知らなければならないんです」

女性は性に貪欲であることがタブー視されるのに加え、同じ性器でもプランプランとぶら下がっていて、男児なら誰もが四六時中触ってしまうペニスと膣では全く事情が異なる。

女性が自分で膣内を確認するためには、股を大きく広げ、鏡で見なければならない。そんなこと、まあ普通はやらない。だから女性にとっても膣はミステリアスな存在。その洞穴には数多くの神秘が隠されているのだ。

『女の濡らせ方』などの著作がある名古屋市立大学名誉教授の渡仲三氏が膣の奥深さを語る。

「膣は女性の身体にある10個の穴の一つ。他には目、鼻、耳、口、それから尿道口と肛門があり、これらの穴の内側は粘膜で覆われています。一つ一つの穴は独立していますが、そもそも身体は一つの統一体であり、身体全体が有機体です。膣と各部位は互いに関係を持っており、緊密につながっています」


なぜ「締まる」のか?

渡氏が言うように膣は身体全体の重要な「穴」と深いつながりをもっており、膣を知ることは己を知ることになるという。原田さんが言う。

「たつの先生もそう言います。たとえば、目と膣の関係。脳の中心部、目の奥にある視床下部や下垂体は、目から入ってくる光に反応してホルモンのバランスを整えていて、女性ホルモンもそこで調整されている。つまり目は、生殖機能と密接な関係があることになる。

また鼻と膣も昔から深いつながりがあると言われています。産後に体調を崩す妊婦さんは、たいてい鼻が詰まっており、膣と鼻は、その深い関係性が指摘されている」


Photo by iStock

また、膣は女性にとっても男性にとっても快楽の源となる。そもそもなぜこんなに気持ちいいのか。東峯婦人クリニック名誉院長、松峯寿美氏がこう解説する。

「女性は奥のほうを突かれたほうが気持ちいいと思われがちですが、本当に感じるのは膣の入り口から奥へ3分の1程度までの長さです。

というのも、解剖学的にもその部分には、皮膚と同じ知覚神経が通っているんです。『性感帯』と呼ばれる箇所もそうですが、どこでも気持ちいいと感じるのは皮膚なのです。だから膣内でも皮膚と同じ感覚神経が通っている箇所は一番感じる。

逆に言えば痛みにも敏感。膣口で痛いと感じると、いくら奥に入れ込もうとしても、ダメでしょうね」

男性を絶頂へと導くあの「締め付け」は子宮を含む骨盤内にある内臓を、胴体の一番下で支えている筋肉、骨盤底筋によるものだという。松峯氏が続ける。

「膣内でペニスと接する粘膜の裏には骨盤底筋がある。だから、この筋肉を鍛えると膣の締まりがよくなります。またその筋肉には動脈や静脈があって、性的に興奮すると、ペニスが太くなるように、女性の膣も充血して締まってくる。膣は子孫を残すように本当にうまくできているのです」

膣のことを理解し、その大切さを自覚してケアに励めば、人生は好転するはず。しかし、多くの日本人女性はそれができていない。

「膣ケア」後進国日本では、膣の手入れを怠り、にっちもさっちも行かなくなってしまった女性がゴマンといる。無知と無関心で、あっという間に膣はその機能を失ってしまうのだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480

▲△▽▼


女性編集者が猛反省…チツは放っておくとどんどん「劣化」する
『ちつのトリセツ』そのA
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51481?mi=MoneyGendai_AR_7


私たちは男も女も、チツのことを知らなすぎるのではないか―そんな思いから『ちつのトリセツ 劣化は止まる』を著した、径書房の女性編集者の原田純さん(62歳)。前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51480)に続き、驚きの研究成果を発表します。

いつの間にかカラカラ

「膣は使っていないと廃用性萎縮が起こります。分かりやすく言うと、運動しないと身体のあらゆるところの関節が固まりますが、あれと同じことが膣にも起こる。使わないと身体は鈍って劣化しますよね。膣も同じなんです。

だから、セックスまたはマスターべーションで、女性ホルモンを多く分泌してケアしてあげることが大切。セックスは相手が必要なので、難しい点もありますが、マスターベーションならいつでもできるはず。それもしていないとなれば、劣化して当然です」

こう語るのは産婦人科医の早乙女智子氏だ。膣や外性器は粘膜なので、潤いが失われると、当然干からびる。熱いセックスやマスターベーションに伴う愛汁で膣の定期メンテナンスを行っているのであれば問題はない。

しかし、そんな人は決して多くはない。本の著者である原田さん自身も20年以上のセックスレスで、マスターベーションも数年やっていないという枯れっぷりだった。

「私はもう60歳も過ぎているし、『そういうことは卒業した』と周りに言っていましたが、本音を言えば、いい人がいたらセックスをしてみたい、セックスぐらいしようと思えばいつでもできると思っていましたね」

しかし原田さんの根拠のない自信は数十年振りに果たした膣とのご対面で、脆くも崩れさる。

鏡でじっくり観察してみると、確かに間違いなく、原田さんの外性器は小さくなっていた。昔はふっくらぽってりしていた大陰唇はいつのまにか厚みを失って、ぺったり、のっぺり。大陰唇の奥の、肉厚の花びらのようだった小陰唇も、厚みを失い、小さく縮こまってクシュっとなっている。

長年、ほったらかしにされていた原田さんの膣は完全に枯れ果てていた。膣内に指を入れるのも痛くて難しいほど、硬く、カラカラになっていたという。前出の松峯氏が語る。

「50歳を過ぎ、更年期後期に差し掛かると、女性ホルモンの減少が顕著になってきます。女性ホルモンが少なくなってくると、膣の粘膜がどんどん薄くなり、潤いもなくなっていく。そうすると、ちょっとこすれても血が出るようになったりして、膣に指を入れるのにも痛みが走る。快感なんて言ってられなくなります」


Photo by iStock

女性ホルモンの減少の他に、「冷え」も膣の劣化の原因になる。身体が冷えると女性は骨盤内の血液循環が悪くなりやすいので、膣も冷えてしまい、カチコチに硬くなる。原田さんが言う。

「たつの先生も、膣の劣化の最も大きな要因は『冷え』だと言っています。現代の働く女性につきものである寝不足、ストレス、乱れた食生活など、その全てが冷えにつながってくる。そして、膣の劣化を加速させるのです」


膣が乾いたり、硬くなると、セックスに支障をきたすだけではない深刻な症状も引き起こす。

膣は筋肉の一種であり、その膣が硬くなっているということは、骨盤内の筋肉がすべて同じ状態になっているということでもある。その骨盤底筋の衰えによって起こるのが、骨盤臓器脱だ。原田さんが言う。

「骨盤内にある膀胱や子宮、直腸といった臓器が下がってきて、膣壁もろとも膣口から出てきてしまう女性特有の疾患です。

『女性のヘルニア』とも呼ばれています。最初に体外に出てくるのは膀胱が多いと言われています。ただ、その出てきた膀胱を体内に戻す手術をしても、次は子宮が下がってきたりして、もう一度子宮を持ち上げたり切除したりする手術をしなければならなくなる」

知らず知らずに膣の劣化は進む。それでもやはり鏡で膣内をマジマジと観察したり、指を突っ込んで膣の状態を確認するという女性は少なく、そうした「はしたない」行為にはどうしても抵抗を持ってしまうそうだ。ただ、膣以外にも膣の状態を知り得る箇所がある。お尻だ。原田さんがこう解説する。

「たつの先生が、男性は女性のお尻を見て女性器の良し悪しを判断することができると言うくらい。膣が冷えて硬くなると、骨盤底筋も衰え、お尻の形に影響が出る。お尻の肉が垂れてきて臀部のふくらみが失われ、へこんでくるのです。そんな『エクボ尻』の女性が増えているそうです。

一方、あたたかく潤った膣を持つ女性のふっくらとした丸いお尻、いわゆる『ハート尻』は少なくなってきている」


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51481?page=2

どんな方法でもいいので放っておかずに、女性は自分の膣を知ることが大切だと原田さんは言う。

「自分の膣の状態を知れば、そのあまりの惨状に打ちのめされることもあるでしょう。でも現実を受け入れれば、戦略を練ることができるんです」

次回『チツのトリセツ』B~チツがプリプリ潤う「女性器マッサージ」では女性器が生まれ変わる「膣ケア」を徹底解説する。


「週刊現代」2017年4月22日号より


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/829.html#c2

[近代史3] 人類進化史 中川隆
3. 中川隆[-8736] koaQ7Jey 2019年8月20日 18:30:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4008]

2015年06月12日
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html


 新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000〜3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続いてきました。この問題は、インド-ヨーロッパ語族の拡散とも関係して論じられてきました。

 5000〜1300年前頃のユーラシアの住民101人のゲノムを解析した研究(Allentoft et al., 2015)では、青銅器時代のヨーロッパにおける大きな文化的変容は人間集団の移動に伴うものであり、インド-ヨーロッパ語族が青銅器時代にヨーロッパに拡散したとする仮説が支持される、との見解が提示されています。5000年前頃には、ヨーロッパ中央・北部のゲノムは中東からの初期農耕民やそれ以前のヨーロッパの狩猟採集民のゲノムに似ていました。しかし、ヨーロッパ中央・北部集団のゲノムは4000年前頃までには、カスピ海〜黒海の北側の草原地帯に存在したヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のゲノムにもっと類似していました。

 この研究は、薄い肌の色は青銅器時代のヨーロッパにおいてすでに高頻度で存在したものの、乳糖耐性はそうではなかったことも明らかにしています。以前には、ヨーロッパの初期農耕民において畜乳はカロリー摂取の重要な手段であり、新石器時代から乳糖耐性には正の淘汰が働いていたのではないか、と考えられていたのですが、乳糖耐性に関しては、正の淘汰が働いたのは青銅器時代以降のことではないか、と指摘されています。この乳糖耐性は、ヤムナヤ文化集団によりヨーロッパにもたらされた、と推測されています。

 もう一方の研究(Haak et al., 2015)では、8000〜3000年前の69人のヨーロッパ人の全ゲノムデータが作成され、解析・比較されました。その結果、やはり青銅器時代における東方草原地帯(現在の国境線ではウクライナを中心とします)からヨーロッパへの大規模な人間集団の移動が示唆されました。ヨーロッパにおいて新石器時代の始まりとなる8000〜7000年前頃に、遺伝的にはヨーロッパの先住狩猟採集民とは異なり、初期農耕民と密接に関連した集団がドイツ・ハンガリー・スペインに現れました。一方でその頃のロシアには、24000年前頃のシベリア人と高い遺伝的類似性を有する狩猟採集民集団が存在していました。

 6000〜5000年前までには、ヨーロッパの大半の農耕民はその祖先集団よりも多くの狩猟採集民集団のDNAを有していました。一方でこの時期の東方草原地帯の牧畜民であるヤムナヤ集団は、ヨーロッパ東部の狩猟採集民だけではなく、中東の農耕民集団のDNAも継承していました。ドイツの後期新石器時代縄目文土器(the Late Neolithic Corded Ware)文化集団はそのゲノムのうち75%をヤムナヤ集団から継承しており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 この東方草原地帯由来のDNAは、遅くとも3000年前までには中央ヨーロッパ人の全標本に存在し、現在のヨーロッパ人には広く確認されます。この研究は、ヨーロッパのインド-ヨーロッパ語族の少なくともいくつかは、東方の草原地帯に起源があるだろう、と指摘しています。また、中央ロシアのアルタイ山脈近くの4900〜4500年前頃の集団にもヤムナヤ集団の遺伝的痕跡が確認され、インド-ヨーロッパ語族のアジアへの拡散との関連が想定されます。最近では、青銅器時代のヨーロッパにおいて男性人口の拡大があったのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、青銅器時代のヨーロッパにおける文化変容は、大規模な人間の移動に伴っていた可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(Allentoft et al., 2015の引用と、Haak et al., 2015の引用)です。


集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団ゲノミクス

集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団変化

 青銅器時代は大きな文化的変化の時代であったが、その要因は知識の伝達と大規模な人の移動のどちらにあったのだろうか。今回、ユーラシア各地の古代人101人の標本から低カバー率のゲノム塩基配列を得て解析した研究で、この時代に起こった大規模な集団の移動や入れ替わりが明らかになった。得られた解析結果は、青銅器時代のヨーロッパ人では、淡色の皮膚はすでに普通になっていたが乳糖耐性はあまり広まっていなかったことを示しており、乳糖耐性に対する正の選択が働き始めたのは従来考えられていたよりも新しい年代だったことが示唆された。この研究で得られた知見は、インド・ヨーロッパ語族が前期青銅器時代に広がったとする別の報告(Letter p.207)とも一致する。


集団遺伝学:ステップからの大移動がヨーロッパでのインド・ヨーロッパ語族の成因の1つとなった

集団遺伝学:ヨーロッパの言語を変えたステップからの大きな一歩

 今回D Reichたちは、8000〜3000年前に生存していたヨーロッパ人69人の全ゲノムデータを作成した。その解析から、8000〜7000年ほど前に現在のドイツ、ハンガリーおよびスペインに当たる地域で、先住の狩猟採集民とは異なる初期農耕民の血縁集団が出現したことが明らかになった。同時代のロシアには、2万4000年前のシベリア人との類似性が高い独特な狩猟採集民集団が生活していた。6000〜5000年前までに、ロシアを除くヨーロッパの広い地域で狩猟採集民系統が再び現れた。西ヨーロッパ集団と東ヨーロッパ集団は約4500年前に接触し、現代のヨーロッパ人にステップ系統の痕跡が残された。これらの解析から、新石器時代の人口動態に関する新たな手掛かりに加えて、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の少なくとも一部がステップ起源だとする説の裏付けが得られる。この研究で得られた知見は、青銅器時代の古代人101人のゲノムについて調べた別の研究結果(Article p.167)とも一致する。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14507

Callaway E.(2015): DNA data explosion lights up the Bronze Age. Nature, 522, 7555, 140–141.
http://dx.doi.org/10.1038/522140a

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14317

https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c3

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
197. 中川隆[-8735] koaQ7Jey 2019年8月20日 18:41:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4009]

2015年06月12日
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html


 新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000〜3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続いてきました。この問題は、インド-ヨーロッパ語族の拡散とも関係して論じられてきました。

 5000〜1300年前頃のユーラシアの住民101人のゲノムを解析した研究(Allentoft et al., 2015)では、青銅器時代のヨーロッパにおける大きな文化的変容は人間集団の移動に伴うものであり、インド-ヨーロッパ語族が青銅器時代にヨーロッパに拡散したとする仮説が支持される、との見解が提示されています。5000年前頃には、ヨーロッパ中央・北部のゲノムは中東からの初期農耕民やそれ以前のヨーロッパの狩猟採集民のゲノムに似ていました。しかし、ヨーロッパ中央・北部集団のゲノムは4000年前頃までには、カスピ海〜黒海の北側の草原地帯に存在したヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のゲノムにもっと類似していました。

 この研究は、薄い肌の色は青銅器時代のヨーロッパにおいてすでに高頻度で存在したものの、乳糖耐性はそうではなかったことも明らかにしています。以前には、ヨーロッパの初期農耕民において畜乳はカロリー摂取の重要な手段であり、新石器時代から乳糖耐性には正の淘汰が働いていたのではないか、と考えられていたのですが、乳糖耐性に関しては、正の淘汰が働いたのは青銅器時代以降のことではないか、と指摘されています。この乳糖耐性は、ヤムナヤ文化集団によりヨーロッパにもたらされた、と推測されています。

 もう一方の研究(Haak et al., 2015)では、8000〜3000年前の69人のヨーロッパ人の全ゲノムデータが作成され、解析・比較されました。その結果、やはり青銅器時代における東方草原地帯(現在の国境線ではウクライナを中心とします)からヨーロッパへの大規模な人間集団の移動が示唆されました。ヨーロッパにおいて新石器時代の始まりとなる8000〜7000年前頃に、遺伝的にはヨーロッパの先住狩猟採集民とは異なり、初期農耕民と密接に関連した集団がドイツ・ハンガリー・スペインに現れました。一方でその頃のロシアには、24000年前頃のシベリア人と高い遺伝的類似性を有する狩猟採集民集団が存在していました。

 6000〜5000年前までには、ヨーロッパの大半の農耕民はその祖先集団よりも多くの狩猟採集民集団のDNAを有していました。一方でこの時期の東方草原地帯の牧畜民であるヤムナヤ集団は、ヨーロッパ東部の狩猟採集民だけではなく、中東の農耕民集団のDNAも継承していました。ドイツの後期新石器時代縄目文土器(the Late Neolithic Corded Ware)文化集団はそのゲノムのうち75%をヤムナヤ集団から継承しており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 この東方草原地帯由来のDNAは、遅くとも3000年前までには中央ヨーロッパ人の全標本に存在し、現在のヨーロッパ人には広く確認されます。この研究は、ヨーロッパのインド-ヨーロッパ語族の少なくともいくつかは、東方の草原地帯に起源があるだろう、と指摘しています。また、中央ロシアのアルタイ山脈近くの4900〜4500年前頃の集団にもヤムナヤ集団の遺伝的痕跡が確認され、インド-ヨーロッパ語族のアジアへの拡散との関連が想定されます。最近では、青銅器時代のヨーロッパにおいて男性人口の拡大があったのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、青銅器時代のヨーロッパにおける文化変容は、大規模な人間の移動に伴っていた可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(Allentoft et al., 2015の引用と、Haak et al., 2015の引用)です。


集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団ゲノミクス

集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団変化

 青銅器時代は大きな文化的変化の時代であったが、その要因は知識の伝達と大規模な人の移動のどちらにあったのだろうか。今回、ユーラシア各地の古代人101人の標本から低カバー率のゲノム塩基配列を得て解析した研究で、この時代に起こった大規模な集団の移動や入れ替わりが明らかになった。得られた解析結果は、青銅器時代のヨーロッパ人では、淡色の皮膚はすでに普通になっていたが乳糖耐性はあまり広まっていなかったことを示しており、乳糖耐性に対する正の選択が働き始めたのは従来考えられていたよりも新しい年代だったことが示唆された。この研究で得られた知見は、インド・ヨーロッパ語族が前期青銅器時代に広がったとする別の報告(Letter p.207)とも一致する。


集団遺伝学:ステップからの大移動がヨーロッパでのインド・ヨーロッパ語族の成因の1つとなった

集団遺伝学:ヨーロッパの言語を変えたステップからの大きな一歩

 今回D Reichたちは、8000〜3000年前に生存していたヨーロッパ人69人の全ゲノムデータを作成した。その解析から、8000〜7000年ほど前に現在のドイツ、ハンガリーおよびスペインに当たる地域で、先住の狩猟採集民とは異なる初期農耕民の血縁集団が出現したことが明らかになった。同時代のロシアには、2万4000年前のシベリア人との類似性が高い独特な狩猟採集民集団が生活していた。6000〜5000年前までに、ロシアを除くヨーロッパの広い地域で狩猟採集民系統が再び現れた。西ヨーロッパ集団と東ヨーロッパ集団は約4500年前に接触し、現代のヨーロッパ人にステップ系統の痕跡が残された。これらの解析から、新石器時代の人口動態に関する新たな手掛かりに加えて、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の少なくとも一部がステップ起源だとする説の裏付けが得られる。この研究で得られた知見は、青銅器時代の古代人101人のゲノムについて調べた別の研究結果(Article p.167)とも一致する。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14507

Callaway E.(2015): DNA data explosion lights up the Bronze Age. Nature, 522, 7555, 140–141.
http://dx.doi.org/10.1038/522140a

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14317

https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c197

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
22. 中川隆[-8734] koaQ7Jey 2019年8月20日 18:54:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4010]

「降りたら死ぬぞ」タクシー運転手監禁 大阪の40代男を逮捕 京都府警 2018.3.21
https://www.sankei.com/west/news/180321/wst1803210048-n1.html


朝から夕方まで乗車?

 タクシー運転手を脅して車内に監禁したとして、京都府警南署は21日、監禁容疑で大阪市東住吉区桑津、自称・自営業の40代の男を現行犯逮捕した。男は「監禁したつもりはない。逮捕には納得いかない」と容疑を否認しているという。

 逮捕容疑は同日午後5時40分ごろから6時ごろにかけ、京都市南区のコンビニエンスストア前の駐車場に停車したタクシー車内で、兵庫県川西市の男性運転手(46)を「降りたら死ぬぞ」などと脅迫。運転手が降車できないよう、不法に監禁したとしている。

 同署によると、男は同日朝、大阪市内でタクシーに乗車。タクシー会社の「朝から客を乗せたままのタクシーと連絡が取れない」との通報を受け、大阪府警がタクシーの行方を探していたという。
https://www.sankei.com/west/news/180321/wst1803210048-n1.html

あおり運転 宮崎容疑者 運転手監禁も 被害者インタビュー 2019年8月20日
https://www.fnn.jp/posts/00422656CX/201908201222_CX_CX


宮崎文夫容疑者(43)は2018年、京都でタクシーの運転手を監禁した疑いで逮捕されていた。


被害に遭った運転手は、「何かに追われているとおびえていて、被害妄想のようだった」と、当時の様子を語った。


被害に遭ったタクシー運転手は、「怖がっているような、何におびえているのか、よくわからない」と話した。


運転手は2018年3月、大阪市内で宮崎容疑者をタクシーに乗せ、半日にわたり、およそ20カ所を転々と回らされたという。


タクシー運転手は、

「だんだん、命令口調。何かに追いかけられているというのか、被害妄想ですね。追い抜いてくる車が幅寄せしてきているとか、こっちを見てたとか。
『黒い車は絶対怪しい。こんなん刑事が、みんな乗ってんねん』とか」

と話した。


運転手は、交代も拒否され、トイレにも行かせてもらえなかった。


宮崎容疑者は、監禁の疑いで警察に逮捕され、起訴猶予となっている。
https://www.fnn.jp/posts/00422656CX/201908201222_CX_CX

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c22

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
23. 中川隆[-8733] koaQ7Jey 2019年8月20日 19:54:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4011]

あおり運転暴行・宮崎容疑者 「神戸デートでタクシー運転手と警察沙汰に…」出会い系アプリで知り合った女性が告発
2019年8月20日 19時30分 文春オンライン

 茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた「あおり運転暴行」事件。指名手配されていた宮崎文夫容疑者(42)は、8月18日に茨城県警に傷害容疑で逮捕された。


 同時に犯人隠避の疑いで逮捕された恋人の喜本奈津子容疑者(51)とは「出会い系アプリで出会い、2019年2月から交際をスタートさせた」(捜査関係者)。

 喜本容疑者が勤めていた都内の大手AV機器会社の同僚が語る。

「喜本さんは会社に10年以上在籍していますが、社内ではあまり目立たず、親しい人もいなそうでした。最近は事務の仕事をしていましたが、今年2月から体調不良を理由に出社していません」


 宮崎容疑者は喜本容疑者と出会う以前から出会い系アプリを活用してパートナーを探していたという。昨年夏に出会い系アプリで宮崎容疑者と出会ったというのが、兵庫県在住の女性A子さん(40代)だ。

「アプリを閲覧していると、宮崎さんのプロフィール写真が目に留まったんです。大阪の景色を一望できるような景観のいい高級ホテルで、エルメスのネクタイを何個も広げている姿でした。それに対してコメントを残したら、宮崎さんからメッセージがきました。《仕事で全国を飛び回っていますが大阪在住です。よかったらご飯行きませんか?》というような内容だったと思います。その後も熱心なアプローチが続いたので、会うことにしました」

 初めて顔を合わせたのは、大阪の繁華街にある庶民的なしゃぶしゃぶ店だった。

「第一印象はなんとなく目が怖かったのですが、語り口は優しかったです。ただ“金持ちアピール”がすごかった。仕事については父親から受け継いだマンションの経営をしている、仕事で全国を飛びまわっている、起業した友人がパートナーでお互い手伝っているなどと説明していました。仕事の話以外だと、インスタに載せているモンブランのボールペンを自慢したり、好きなネクタイのブランドについて語ったり。ただ、食事中も運ばれてくる食事の写真をすぐにスマホで撮るし、食べ方も汚いから『成金くさいな』とは感じました」(同前)

 その日は平日だったため終電前には解散したが、翌週週末に再び会うことになったという。

「急に《今日、よかったら映画みて、スイーツを食べませんか?》とメッセージがきたんです。暇だったので承諾すると、近くまでタクシーで迎えにきてくれました。大阪のタクシー会社でしたが、どこか遠方から来たようで、料金メーターはすでに4、5万円になっていた。『トラブルがあって事務所を追い出された』と話していて、荷台にはたくさんの荷物が積み込まれていました」

 その後2人はタクシーで神戸の三宮へ向かった。

「連れて行かれたのは高台のカフェ。そこでは『以前に京都でタクシーがらみで誤認逮捕されて大変だったんだよ』なんて話していましたよ。悪びれることはなく、自分が被害者のような話しぶりでした」(※編集部注 2018年3月、宮崎は京都市内でタクシー運転手を監禁した容疑で逮捕されている)


 2人が歓談している最中も、タクシーは待たせたままだった。カフェを出たあとは同じタクシーに乗り込み、神戸市内へと向かった。

「彼が『やっぱり映画よりも車がみたい』と言い出したので、中古車ディーラーをまわることになった。熱心に外車を眺めはじめたので手持ち無沙汰になり、タクシーの運転手さんと話をしていました。運転手さんは『もう何時間も拘束されていて、ずっと自慢話ばかり聞かされていて辛い』『本当にお金は払ってくれるのか。これ以上いらないから早く帰りたい』とボヤいていました。そのときにはすでにメーター料金は6、7万円になっていました」

 結局宮崎容疑者は中古車ディーラーが閉店間際まで居座っていたという。夜も更けてきたのでA子さんが「帰りたい」と言うと、宮崎容疑者は「送っていく」とタクシーに乗り込みA子さんの自宅へと走らせた。

「それまで楽しそうに話していたのですが、運転手さんが道を間違えるといきなり豹変して激高したんです。『オマエわざと間違えているんだろ!』『謝るだけで済まさないぞ!』と怒鳴りだしたため、運転手さんは不憫なほど慌てていました。『大阪のタクシー会社さんだし、道がわからないだけですよね。宮崎さんも怒るのをやめてください』と私も必死でとりなしたのですが彼は聞く耳を持たず、とても怖かったです。運転手さんがSOSのサインを出したようで、しばらくすると複数のパトカーが駆けつけました」


 タクシーは国道沿いに停車し、宮崎は警察官に取り囲まれた。

「警察官は10人以上いたと思います。宮崎さんは今回逮捕されたときのように、警察官に囲まれても『今は彼女を送っていかないといけないから!後で行くから!』とひるむことなく言い逃れようとしていました。もちろん運転手さんに詫びることもありません。結局30分近く暴れ、警察に取り押えられました。運転手さんが『彼女は関係ないから』と庇ってくれたので、私はその場で解放されました。その後は彼が怖くて、すぐにLINEをブロックし、出会い系アプリも退会しました」


 現在宮崎容疑者は取り調べに対して「相手の男性に進路を妨害された。危険な運転をしたつもりはない」と供述しているという。

(「週刊文春」編集部/週刊文春)
https://news.livedoor.com/article/detail/16955408/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c23

[政治・選挙・NHK264] 鴻毛より軽い、天皇の責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」(澤藤統一郎の憲法日記) 肝話窮題
3. 中川隆[-8732] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:03:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4012]
天皇家は戦争中に何をしていたのか
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8120443.html


先日から、

「歴史の真相と大麻の正体」内海聡 著 三五館 刊
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E3%81%A8%E3%80%81%E5%A4%A7%E9%BA%BB%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%86%85%E6%B5%B7-%E8%81%A1/dp/4883206289

という本を読んでいて、その本は私が大麻というものが世界に及ぼしてきた事実を、私が知らない見解で記してあるかもしれない、という期待から読んでいると記してきました。

2そしてこの本は、第一部:歴史の真相 第二部:大麻の正体 に分かれていて、私は第二部の大麻の正体を読むことが一番の目的で読んでいるのですが、その前の第一部の歴史の真相のところで気になることがあったので、先日2回ほどそのことについて書かせて頂きました。ですがまた、その第一部の歴史の真相のところで気になったところがあったのでそのことについて記したいと思います。ではますは「歴史の真相と大麻の正体」からその部分を引用します。

(引用開始)

タイトル:「原爆を落とされてもしょうがない」

商船三井の共同経営者は、天皇家とCIAの日本作戦部長のマクスウェル・クライマンであった。そして天皇家が大東亜戦争時に蓄財した金はナチスのヒトラーの口座に隠されていた。ヒトラーはじつは隠れユダヤ人であることは有名だが、そのヒトラーとともに戦争ビジネスをやっていたのはだれかを考えねばならない。


天皇家の蓄財1

天皇が「原爆を落とされてもしょうがない」と発言したことが知られるが、広島、長崎に原爆が落ちた時も、天皇家はどうやって自分の資産を維持するかに腐心していた。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃がした蓄財は累計で5〜10億ドルにのぼるとしている。天皇家の蓄財に関しては濱田政彦著 「神々の軍隊」(三五館)などが詳しい。

(引用終わり)

これは大東亜戦争時、日本の多くの兵隊が海外に行き、命をかけて戦って死に、東京大空襲など、日本の津々浦々で行われた大空襲で多くの日本国民が命を亡くした最中に、昭和天皇が皇室の資産をいかに守ることに腐心していたかを記した文になります。

この引用文の最後に、

「天皇家の蓄財に関しては

濱田政彦 著 「神々の軍隊」(三五館)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E2%80%95%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%E3%80%81%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%AF%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%87%91%E8%9E%8D%E8%B3%87%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%97%87-%E6%B5%9C%E7%94%B0-%E6%94%BF%E5%BD%A6/dp/4883202119


などが詳しい」とあります。では、その「神々の軍隊」には天皇家の蓄財についてどのように書かれているのか、以下にその部分を引用したいと思います。


(引用開始)


@ 戦前、皇室には予算として年額450万円が国家予算から計上されていたが、一説によれば天皇の総資産天皇家の蓄財3は、最も控えめに見積もっても約16億円であるという。だが、宮内省のこの数字は嘘で、本当の資産総額は、海外に隠した資産を含めれば、信じ難いような天文学的金額であると言われている。皇室予算だけではこのような金額を貯蓄することは不可能であるが、当時皇室は横浜正金、興銀、三井、三菱ほか、満鉄、台湾銀行、東洋拓殖、王子製紙、台湾製糖、関東電気、日本郵船等、大銀行、大企業の大株主であり、その配当総計は莫大なものであった。すなわち、これら企業・銀行の盛衰は、そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。こうなると戦争で、財界が植民地から搾り取るほどに皇室は豊かになるということになる。


A 2.26事件で天皇が、まっ先に事件が日本経済に与える影響を心配したのは当然であろう。「朕が信頼する重臣」とは、財界の代理人たちであるからその怒りは天皇にとっては、しごく正統な怒りであったのだ。


B 財界のトップたちは、2.26事件後の大勢翼賛、国家総動員体制の下、政府の要職に就いて日本を破局へと導いた。一例を挙げれば王子製紙の藤原銀治郎は、海軍省顧問、産業設備営団総裁、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し、戦争経済に貢献している。


C 皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、中でも国際決済銀行、通称"バーゼルクラブ"は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣でなく、すべてを金塊で決済する銀行であった。


D 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に"洗浄"されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。


E 価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。


F 大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠され天皇家の蓄財4ている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。


(引用終わり)※数字は私の書き込みによる。

ではこの引用文についてまとめ及び気になることを書いていきたいと思います。

まず@段落のところですが、

・戦前に天皇家は天文学的な金額を蓄財していた。

・天皇家は横浜正金、興銀、三井、三菱ほか、多くの銀行、財閥の大株主であり、その利益が莫大であった。

・銀行、財閥は当時、戦争経済で儲けていて戦争を続けさせ、植民地政策のもとで利益を上げていて、それによって株価が上がり結果、天皇家の資産は莫大なものになっていった。


A段落目で、「2.26事件で天皇が、まっ先に事件が日本経済に与える影響を心配したのは当然であろう。「朕が信頼する重臣」とは、財界の代理人たちであるからその怒りは天皇にとっては、しごく正統な怒りであったのだ。」とありますが、当時上述したように戦争を遂行すればするほど銀行、財閥などは儲かり結果、天皇家も儲かっていたわけですからその財閥が日本の軍隊に入り込んで、戦争を遂行するように仕向けていたわけです。だから2.26事件で純粋に心から日本の未来を憂いた青年将校が起こした2.26事件が起こったときも昭和天皇は、「天皇家がカネ儲けできなくなる」という理由で2.26事件そして青年将校に対して怒りを覚えたのです。

B段落目

上述したとおりのことが書かれています。「一例を挙げれば王子製紙の藤原銀治郎は、海軍省顧問、産業設備営団総裁、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し、戦争経済に貢献している」、ということです。

C段落目

天皇家は資産を海外でモルガン商会(ユダヤ系財閥)を通して蓄財していて、天皇に近い重臣たちもそのおこぼれに預かり、儲けていたということです。そして天皇家とバチカン、‘バーゼルクラブ’などはグルになってカネ儲けしていたことを示唆しています。

D段落目

田布施2ここではまとめというよりは、文中の、「内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。」の中の「昭和19年」に焦点を当てたいと思います。というのはこの昭和19年に天皇家の資産の蓄財において大きな変化あったからです。では、昭和19年(1944年)に何があったのか。そのことが先日も引用させて頂いた

「日本のいちばん醜い日」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E9%86%9C%E3%81%84%E6%97%A5-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862169


に書かれていましたので以下に引用します。

(引用開始)

(前略)シーグレーブ夫妻の「ヤマト・ダイナスティ」の中に次のような一節がある。

「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分も含んでいなかった。天皇家は日本一の大地主で、ほとんどは徳川幕府が崩壊したときに天皇家にもたらされた(明治維新後に獲得したものがほとんどである:引用者注)。まさしく当時の日本の大地主であったのだ。もちろん、ヒロヒトの自己申告の中には、本土や海外の隠匿された財宝は含まれていない。SCAPの審査員が、この審査をパスさせたのであるが、彼は不機嫌そうに記したのだ。「正確さという面では、この部門では問題外とされた」

占領が終わり、日本人の専門家が天皇の財産を再計算した。その中には皇居や御用邸の不動産、工芸美術品などは計算外としたが、それでも660億円を超えていた。」

私はこのシーグレーブの本を読み、納得した。それは天皇と男爵住吉門左衛門が特殊な関係にあったがゆえであると思ったのである。天皇家の御料地のほとんどが住友財閥の力で移動し、売却されたのである。1944年、住友林業の所有地が莫大に増加するのである。

「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分を含んでいなかった」とシーグレーブが書いているのは事実である。紙幅の都合上、これ以上は書かないが、私は明治から戦前までの御料地獲得に執念を燃やす田布施一族の歴史を追求してきた。そして、この帝国秘密探偵社の資料とシーグレーブの本を読み合わせ、納得した。(後略)

(引用終わり)

昭和天皇の側近であった木戸幸一(木戸孝允の孫)が天皇家の財産を海外に逃がすよう指示した金額は(当時の貨幣価値で)660億円。だがその660億円もの大金であるにもかかわらずそこには天皇家が所有する御料地すなわち皇居や日本各地にある御用邸の土地や御料林は含まれていない。

そして、「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分を含んで天皇家の蓄財2いなかった」とあるように昭和天皇ヒロヒトは1944年に大もうけをした。しかもそれが、前述したように、天皇家が当時結託していた大財閥の一つである住友財閥の住友林業であったわけです。

この事実は私は日本人として絶対に忘れてはいけない事実であると考えます。なぜか? 1944年といったら日本の兵隊の方々が海外に出て、命をかけて、玉粋覚悟で、時には「天皇陛下バンザーイ」と叫んで、心から日本のため、と思いながら死んでいきました。また、日本国内では、多くの日本人が数千人否、数万人否、数十万人否、数百万人もの日本人が空襲で死にました。そのさなかに天皇家は大財閥と結託して、日本国民のことなど露ほどにも頭になく、蓄財に励んでいたからです。この事実は‘戦争とは何か’、‘天皇家とは何か’という疑問を見事に解き明かしています。

E段落目はそのまま抜粋します。

「価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。」

ここで「さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。」とあります。この‘南米’というところに注目すべきと考えます。その理由は次の7段落目に記されています。

F段落目

「大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠されている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。」

この段落では大戦末期から戦後に至る南米地域の状況について書かれています。なぜ南米地域にナチスの残党は逃走したのか?なぜ南米なのか?そしてヒットラーも実は戦争末期に自殺したのではなく、アルゼンチンに逃走した、という説があります。そして私がこの段落を読んで気になったのは第2次世界大戦後、この南米地域の各国がハンガリー系ユダヤ人であるミルトン・フリードマンが唱えたシカゴ経済学(大企業ボロ儲け経済学)を信奉したシカゴ・ボーイズといわれる連中に乗り込まれ、その国の政治・経済を乗っ取られ、結果その国の経済市場が欧米系の大企業に乗っ取られた、という事実です。アルゼンチンやチリやホンジュラスなどがそうです。

そしてその事実と引用文の、「そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けている」という記述が関係していると思います。ですがここではこのことについてこれ以上記しません。ただ関係していると思われる、とだけ記させて頂きます。
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8120443.html


天皇家は戦争中に何をしていたのか A
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8123592.html


先日、太平洋戦争中における天皇家の蓄財に記させて頂きました。戦争中に天皇家が日本の土地を買い占めて戦争で多くの日本人が死んでいくさ中に蓄財に励んでいてそれも莫大に儲けていたことや、そもそも天皇家は当時の多くの大財閥、銀行などの大株主で、戦争が長引けば長引くほど植民地における大財閥の事業拡大、生産増産、戦争資金の需要増大による銀行、大企業の株価高騰で大儲けしていたことなどについて記しました。

今日はその天皇家の蓄財について違った面から考察し、記していきたいと思います。では、まずはそのことについて詳しく記してある、先日も引用した「日本のいちばん醜い日」 鬼塚英昭 著 成甲書房 刊  からの引用から始めたいと思います。

(引用開始)

(前略)アメリカは公式には日本への石油の輸出を禁止した。しかし、アメリカ国籍の船、または日本国籍の船によるものが禁止されただけであった。あの太平洋戦争田布施2中も秘密ルートでアメリカの石油、重要な原料(タングステン、四塩化エチル等)が日本へ送られた。

これが戦争の本当の姿なのだ。昭和天皇はこのからくりを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣に秘密にしていた。

あの国際赤十字社のシステムは、戦傷者を救うためにつくられたのではない。国際金融同盟の連中が、商売(=戦争)をスムーズに長きにわたって続けるためにつくられたのである。太平洋の委任統治諸島で密かに石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。この船は攻撃できないという国際条約ができているので、安心して石油や重要物資を日本は購入できた。(後略)

(引用終わり)

前回は戦争時においてその、戦争することによって派生する日本の植民地事業において三井、三菱、住友などの財閥、銀行などが大儲けし、結果天皇家も大儲けする、ということについて記させて頂きました。ですがこの引用文は戦争から派生する要素ではなく、戦争そのものが天皇家を儲けさせていたことを記す内容となっています。

あの、戦前に日本への制裁としてABCD(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)包囲網が1941年に敷かれてアメリカから石油の輸入が途絶え、日本は窮地に追い込まれた、と我々は学校の歴史の授業で教わってきました。だが、実際には「赤十字」という看板を掲げた船で石油が輸入されていた。その赤十字は実は戦傷者の傷を治したり命を救うために設立されたのではなく、戦争を‘スムーズ’に長引かせるために国際金融同盟の連中がつくり上げたものだった。つまり戦者が簡単に死んでしまっては戦争がすぐに終わってしまい、国際金融同盟の連中やそれに纏わる財閥、銀行そして天皇家もカネ儲けができなくなる。だから赤十字を設立して、兵隊の傷の治療をし、延命させ、再度戦場に送り込む、ために赤十字がつくられたということです。

では次に同著から上の引用文に続く、その石油購入の資金についての記述を以下に引用します。

(引用開始)

では、あの大戦中、その莫大な支払い代金はどうしたのか、という問題が出てくる。この代金の主なものは、ア天皇家の蓄財5ジア支配の途中で略奪した、金、銀、プラチナ等の貴金属である。その一部は日本へ持ち帰り(赤十字のマークをつけた船で)、マルフクという金貨に鋳造する。これを現地に送り、食料等の必要物資の現地での購入にあてる。残りの金塊や宝石類は、スイスの国際決済銀行(BIS)に送る。ここで貴金属をドルまたはスイス・フランにし、迂回経路で必要物資の支払いにあてる。残ったドルやスイス・フランは、国際決済銀行か、同一系統のスイス国立銀行の秘密口座に入っていく。かくて、戦争が長引けば長引くほどに天皇一族と、秘密裏に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。

(引用終わり)

日本に石油はなかったが中国侵略などで強奪した金・銀・プラチナを代金の支払いにあてた。その一部が天皇家の資産となった。つまり戦争で金・銀・プラチナなどの貴金属を強奪すればするほど天皇家は儲かるということです。ではさらにこの引用文に続く記述を引用したいと思います。

(引用開始)

近衛文麿首相は幾度も天皇に戦争の中止を訴えた。天皇一族は日清戦争、日露戦争を通じて多額の賠償金を得て、その一部をスイスの銀行に入れることで逆に彼らから弱みを握られた。ルーズヴェルトは借金漬けで弱みを握られていた。チャーチルしかり。スターリンは過去の悪行のほぼ全データを握られ、彼ら国際金融資本家たちを‘ご主人様’と呼んでいた。フルシチョフ元首相の「フルシチョフ回想録」にそのことが克明に書かれている。明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座もスキャンダルの種になりえた。ここに、近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある。

(引用終わり)

この引用文は世界を支配する、本当の仕組みを示唆する記述となっています。ルーズヴェルト、チャーチルというときのアメリカ大統領とイギリス首相が借金漬けで、ロシアのスターリンは悪行のほぼ全データを握られ、国際金融資本家たちに弱みを握られていた、と非常に興味深いことが書かれています。ではここでこの3人のうちの1人であるチャーチルのそのあたりについて同じ鬼塚氏の「20世紀のファウスト」成甲書房 刊 という著作に詳しく書いてあるので以下に引用します。

(引用開始)

(前略)1938年3月下旬、第2次世界大戦勃発の1年前、チャーチルは借金のために田舎の別荘を売りに出そうとしていた。ロスチャイルドから依頼を受けた金融業者サーケインズ5・ヘンリー・ストラコッシュが借金の肩代わりを申し入れた。チャーチルは受けた。そしてそのとき、一つの条件を受け入れることになる。金のないチャーチルはヴィクトリア地区の汚らわしいモルペス・マンションに住んでいた。その過去をみることにしよう。

1928年当時、チャーチルは第一次世界大戦の回顧録「世界の危機」の続編を執筆していた。アスター卿の「タイムズ」から2000ポンドの前払い印税を支払ってもらった。これとは別に世界各国での連載を含めての5,000ポンド以上が彼の懐に入っていた。しかし、彼は貧乏のどん底にあった。ウォール街での株投資で大損失をしていたからだ。このことはすでに書いた。

ユダヤ王ロスチャイルド一族のバーナード・バルークはチャーチルにアメリカ講演旅行をやらせ、1万ポンドの保証をしてやった。それでも借金は返せず、バルークに特別に用立ててもらった。彼はユダヤ王ロスチャイルドの御用新聞「デイリー・メール」のビーヴァルック卿と特別契約を結び、8,000ポンド近い原稿料を得ていた。だがそれでも彼の経済的困窮は、別荘を売り払う段階までいったのである。

しかしチャーチルは海軍大臣、首相へとなっていく。政治家になれば収入は極端に減る。では誰が、何の目的のためにチャーチルの借金を返してやったのだろうか。ここまで書けば答えは書かなずもがなであろう。1939年3月、チェンバレン首相は海軍大臣にチャーチルを迎えなければならなくなる。チャーチルは1914年8月に海軍省に入っている。

海軍大臣になると、チャーチルはルーズヴェルト大統領に手紙を出した。2人は数多くの手紙をやりとりをする。一海軍大臣がアメリカ大統領と、どうして秘密のルートで手紙の交換が出来るのであろうか。この2人は「黒い犬」で、ユダヤ王ロスチャイルドから長い長い鎖の手綱で引っ張られていることを考えれば納得がいくのである。

チャーチルの人気は上昇していく。なぜか。チェンバレン首相の宥和政策に公然と抗議しだしたからである。ヒトラーがポーランド領ダイツィヒの割譲を要求した。チャーチルはヒトラーと闘えと叫びだした。黒い貴族の新聞は、戦争を煽りだした。1938年9月30日、イギリスとフランスは宥和政策をとり、侵略されたチェコを犠牲にして、ヒトラーと現状維持の協定を結んだ。この宥和政策は後にヒトラーによるポーランド侵攻により破られ、第2次世界大戦へと拡大していく。(後略)

(引用終わり)

チャーチルはウォール街での株投資で大損し、借金漬けになっていた。本を書いても借金は返せず、別荘まで天皇家の蓄財6売り払わざるをえないとこまで落ちぶれていて、ヴィクトリア地区の汚いマンション暮しをしていた。そこにユダヤ王ロスチャイルドの回し者バーナード・バルークが大戦が始まる1年前にきて、‘一つの条件’をのまされた。その条件とは・・・・上に書いてあるとおりです。首相になって第二次世界大戦を引き起こす、という条件です。

つまりユダヤ王ロスチャイルドなどの国際金融同盟の連中は、弱みをもっている人間をピックアップし、金を渡し、もちろん恫喝もし、操るということです。このことは世界中で起こっており、日本でも頻繁に起こされていて、政治家のスキャンダル暴露はその一つです。‘女を抱かせる’というハニー・トラップも含めて。

そして天皇家にも、スキャンダルは多々あり、そのことが国際金融同盟の天皇家支配に繋がっているということです。ゆえに「近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある」と著者の鬼塚氏は書いているのです。

そして先の引用文にさらに続く文章ではその戦争時におけるマネー・ゲームの様相が記されていました。以下に引用します。

(引用開始)

この国際決済銀行を舞台にして、戦争は続けられたのである。日本銀行と横浜正金銀行の大株主は天皇であった。天皇は、二人の役員(それ以外に事務局員たちも)をこの国際決済銀行に送り、取引をさせていたのである。天皇の代理人の役員が金儲けに奔走する場面がハイアムの「国際金融同盟」の中に書かれている。

「1942年夏、フランス政府の閣僚であり、ナチス占領下のパリにある民間銀行のヴォルムス銀行の役員であるピエール・プシューは、イブ・ブレアール・ド・ボアサンジューとBISで会合を持った。プシューはボアサンジューにドワイト・D・アイゼンハワー大将が北アフリカに侵攻する作戦を計画中であると語った。彼はこの情報を友人であるヴィシー駐在のアメリカ国務省代表のロバート・マーフィーから手に入れたのである。ボアサンジューはクルト・フォン・シュレーダーにこの情報を伝えた。シュレーダーと他のドイツ人の銀行家たちは直ちに、フランスの取引銀行と同調して、九〇億フランの金貨をBIS経由でアルジェに搬送した。ドイツの敗北を予測して、ドルの為替差損でボロ儲けを狙ったのである。ナチスの協力者たちはほとんど一晩で、自分たちの持ち金を三億五千万ドルから五億二五百万ドルまで増やしたのだった。この取引に関しては、BISのトーマス・H・マッキトリック、ヘルマン・シュミッツ、ミエル・プール、そして日本人役員たちも共謀に加担していた。この取引の別の協力者でナチス最高司令部にいる他の幹部たちに、この秘密を漏らしたものがいた。この男はバチカンの諜報活動グループに所属する工作員だった。この情報は1946年6月21日にオットー・アーベッツがアメリカ政府担当者に宣誓供述したことで明らかになった。」

この一文は、「戦争とは何か」を如実に示している。戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけではなく、巨大なマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。

この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。この銀行に加入していなければ、中国本土に攻め込む力さえなかったのである。ひと度、この銀行に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちばん金の儲かるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知りつくした人物は日本にいなかったし、これからも登場しないだろう。(後略)

(引用終わり)

このように‘戦争’とは国と国の間で行われる利益の収奪、憎悪だけでなく、国際金融同盟の連中がカネ儲けするために引き起こされるということです。否、その方が多いのです。

ところで前回記した私の文で引用させて頂いた「神々の軍隊」濱田政彦 著 三五館 刊 の文の最後に、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない」と記してありましたが、私はこの一文に強く違和感を覚えました。本当にそうか? と。

ではここで上に引用させていただいた本の著者である鬼塚氏の他の著作の一つである、

「天皇のロザリオ」成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%82%AA-%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%BD%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%AD%96%E8%AC%80-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862002


からこの一文についての鬼塚氏の見解が書いてある部分を抜粋してこの文を終わりたいと思います。

(引用開始)

(前略)日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の「神々の軍隊」が出た。この本の中で濱田は天皇の秘密資金について触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。

天皇家の蓄財3「 皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、中でも国際決済銀行、通称"バーゼルクラブ"は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣でなく、すべてを金塊で決済する銀行であった。


内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に"洗浄"されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。


価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。


大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠されている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして天皇家の蓄財7南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。」

濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。」には全く賛成できない。私は、昭和天皇が戦後も、マニングの書いているように蓄財作戦に熱中したと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人びとを悩ませたのである。

マーク・ゲインの「ニッポン日記」
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E6%97%A5%E8%A8%98-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/4480084282


には天皇の財産について詳しく書かれている。だがここではすべて省略する。初版本で書かれていることが再版本では省略されているとのみ書く。1946年3月24日、マーク・ゲインは天皇の埼玉行幸を描いている。

大麻3「天皇はただ一人で正食をとった。天皇以外の我々は、冷たい飯と悪臭鼻をつく大根の漬物と、その紡績会社から出された刺身の小片を口に押し込んだ。窓からみると、女工たちが列をなして並んでいたので話をしようと思って戸外に出た。彼女らははずかしそうにクスクス笑うだけで誰も答えてくれそうになかった。が、とにかく彼女等は「十五歳」 ---- 最低就労年齢 ---- で、1日9時間半働き、一日三円乃至五円支払われていることを聞き出した。そこへ天皇が出て来たので、彼女等は最敬礼をし、支配人の号令一下、万歳を唱えた。それから彼女等の専制君主をみようと首を伸ばすのであった。」

当時の女性の日給は1日9時間半働いて1日3三円ないし五円。1945年8月15日から約半年たっているので
、インフレが進んだ後だから半年前はもっと安い。たぶん一円から三円であろう。

計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的金額がクローズアップされる。

それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は三十七億二千万円」。

木下道雄の(元侍従長の)「側近日記」
https://www.amazon.co.jp/%E5%81%B4%E8%BF%91%E6%97%A5%E8%AA%8C-%E6%9C%A8%E4%B8%8B-%E9%81%93%E9%9B%84/dp/4163442103


が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。

「ところで戦争直後の天皇家の財産は37億5千万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7,912億円である。」

この数字の10倍近くをスイスの銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100天皇家の蓄財8億円を切っていた。天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。天皇の「キリスト教入信」対策は、この2つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。

これが大東亜戦争を天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。

それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも広田弘毅(私の注:終戦前の首相経験者の1人)のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。

(引用終わり)

ということです。戦前も戦後も天皇家は全く貧乏なんかではないのです。そしてこの天皇を安倍晋三は今の象徴から戦前の元首にしようとしています。明治維新後、伊藤博文が大室寅之祐を明治天皇に仕立て上げ、元首にしたように。その狙いは....... 皆さんもう、お分かりですよね?
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8123592.html

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/667.html#c3

[政治・選挙・NHK264] 鴻毛より軽い、天皇の責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」(澤藤統一郎の憲法日記) 肝話窮題
4. 中川隆[-8731] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:03:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4013]
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、

エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、

エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」

1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」


▲△▽▼


日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた – YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes


「世界大戦は私のせいで多くの人が死んだ?

あ、そう! だから何? 」


昭和天皇の身代わりになって処刑された東条英機

御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作り

そこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて

毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ

それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけです

だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです

東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです

他の連中も

そういうシステムで戦争が進んでいく訳です

____


ゴマすり東条さんは毎日三回は 昭和天皇の所へ顔を出して、御用聞きしてたんだ

それである日、昭和天皇が真珠湾を攻撃しろと言ったんで、へいへいとその通りにしたというのが真実

関係者はみんな八百長戦争だと見破られると困るから真剣に戦った様に見せたかったんだよ:


日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/667.html#c4

[政治・選挙・NHK264] 昭和天皇の「肉声」記録 軍部増長に「反省」の重み 肝話窮題
1. 中川隆[-8730] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:04:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4014]
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、

エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、

エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」

1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」


▲△▽▼


日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた – YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes


「世界大戦は私のせいで多くの人が死んだ?

あ、そう! だから何? 」


昭和天皇の身代わりになって処刑された東条英機

御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作り

そこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて

毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ

それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけです

だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです

東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです

他の連中も

そういうシステムで戦争が進んでいく訳です

____


ゴマすり東条さんは毎日三回は 昭和天皇の所へ顔を出して、御用聞きしてたんだ

それである日、昭和天皇が真珠湾を攻撃しろと言ったんで、へいへいとその通りにしたというのが真実

関係者はみんな八百長戦争だと見破られると困るから真剣に戦った様に見せたかったんだよ:


日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/669.html#c1

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
24. 中川隆[-8738] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:24:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4006]
「あおり運転」で指名手配、晒し者逮捕…警察を過剰対応に走らせたのは異常なワイドショー過熱報道と安倍政権の閣僚だった
https://lite-ra.com/2019/08/post-4912.html
2019.08.20 「あおり運転」警察の過剰捜査とワイドショーの異常報道 リテラ

    
    あおり運転をいち早く報じた『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)


 茨城県の常磐自動車道であおり運転をし、被害者を殴ったとされる宮崎文夫容疑者が18日、逮捕された。テレビのワイドショーは一斉にその逮捕の瞬間の映像を流し、「ようやく逮捕された」「これでモザイクが外せる」などと凶悪事件が解決したかのように大はしゃぎしている。

 しかし、考えてみてほしい。これ、本当にそこまで大騒ぎするような事件だったのか。たしかにドライブレコーダーに映し出されたこの男がやったあおり運転と暴行は犯罪だし、交通ルール上も危険な行為ではある。しかし、男は凶器を所持していたわけでも、殺人などの重大犯罪を犯したわけでもない。やったことはただの傷害なのだ。

 ところが、茨城県警はたかが傷害容疑のこの事件で容疑者を全国に指名手配し、さらには殺人や強盗事件を担当する捜査一課を投入。その後も大阪、名古屋、神奈川など男性の関係先に大量の捜査員を投入した。さらにこの宮崎容疑者の車に同乗し、ガラケーで暴行を撮影していた交際女性まで一緒に「犯人隠避」で逮捕してしまった。

 しかも、ひどかったのが、その逮捕の情報をマスコミに実況中継させたことだ。

「フジテレビや日テレなど複数の局が逮捕の現場にいて、その瞬間を映像に収め、放送していた。これは、事前に捜査当局から逮捕情報の日時や場所をリークされたとしか思えない。警察はマスコミ注目の事件を、格好のPRの機会にしようをと考えたんだろうが、こんな小さな事件で逮捕をショーにするというのは、明らかにやりすぎでしょう」(全国紙社会部記者)

 過剰としか言いようのない警察の対応だが、しかし、警察をこんな風に駆り立てたのは、明らかにマスコミ、特にワイドショーだ。

 そもそも今回の問題はテレビ朝日が被害者男性のドライブレコーター映像を入手、今月12日から13日にかけてニュースやワイドショーで放送したことが発端だった。この映像が大きな反響を呼んだのを受け、各局ワイドショーも一斉に後追い、連日、問題の映像を何度も繰り返し大々的に報道した。その報道時間は、35人もの死亡者を出した京アニ放火事件や、川崎市登戸のスクールバス襲撃事件を超える規模に思えたほどだ。

 報道量だけではない。コメンテーターたちも、まるで史上最悪の凶悪犯罪を語るような調子で、口々にこの暴行を働いた男を糾弾した。

 たとえば『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ)で安藤優子が「ここまで悪質なのは初めて見ました」「下手したら殺されてますよね」と大仰なコメントを発すれば、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)では玉川徹が「常識的じゃないっていうところを越えて、異常性を感じる」と猟奇犯のように糾弾。16日の『ひるおび!』(TBS)では、立川志らくが「どんな重い罪にしても、頭が悪いから理解できない」「人の心がないから、こういうのはどうにもなんない」「法律上ひどい目にあわせないと自分の身で痛い思いをしないと絶対にわからない」と、まるで“死刑にしろ”と言わんばかりのひどいコメントを垂れ流した。

 いや、暴行をはたらいた男に対してだけではない。同乗していた女に対しても、前出の志らくが「バカにバカがくっついてきて」、松本人志が「つがいでなんとか刑に処してほしい」と発言するなど、ヒステリックな糾弾が繰り広げられた。

 そして、こうしたワイドショーや世論の過熱に乗っかったのが、安倍政権の閣僚だった。15日、山本順三国家公安委員長が閣議後の記者会見で、この事件について「言語道断」「あらゆる法令を駆使した厳正な取り締まりを行い、抑止に努めたい」と発言。これを受け、翌日、茨城県警が豹変。「社会的影響の大きい事件」であるとして、異例の指名手配を行なったのである。

■安倍政権の不正を無視し、一般人の微罪を騒ぎ立てるワイドショーの裏

 あおり運転を取り締まることが悪いとは思わないが、しかし、一般人の殺人でもない犯罪に対して、ここまで私刑のような大量報道を展開するというのは、どう考えても異常だろう。

 しかも、この傾向は今回だけではない。このところのワイドショーやテレビのニュース番組を見ていると、一般コンビニの100円のセルフコーヒーで150円のカフェラテを入れて逮捕された男性のような、一般人の微罪や迷惑行為、ご近所トラブルを針小棒大に報道し、凶悪犯罪者のように糾弾するケースがやたら目立っている。一方で、安倍政権の不正や不祥事については、週刊誌が報道してもほとんど後追いしようともしない。これは、メディアの本来の責務を放棄しているとしか思えない。

 しかし、ワイドショースタッフに言わせると、これはむしろ表裏一体のものなのだという。

「一般人のどうでもいいような犯罪を集中的に取り上げるのは、タブーだらけで、ワイドショーがやれるネタが少ないからですよ。政治がらみは、政権や自民党がうるさいのでなるべくやりたくない。芸能スキャンダルも大手事務所所属が怖くて触れられない。そんな時に、一般人の微罪や迷惑行為で面白い映像や証言を入手して放送してみたら、視聴率が良かった。そうなると、一斉に『徹底的にやれ』となるわけです。我々も内心では、こんな必死でやるようなネタかよ、と思うんですが、しようがない」

 マスコミ、テレビの志の低さには呆れる他はないが、しかし、恐ろしいのはこうしたワイドショーの報道姿勢が確実に、国民世論に悪影響を与えていることだ。本当は政治腐敗や不正、貧困や年金問題など、国民が怒るべき問題は山ほどあるのに、身近でわかりやすい“悪”を大々的に騒ぎ立てることで、政治や権力チェックに対する関心がどんどん薄まっていっているのだ。

 しかも、今回のあおり運転報道が世論の支持を受け、視聴率も好調だったことから、ワイドショーの“一般人の犯罪糾弾”傾向はますますエスカレートしていくだろう。

 こうした状況に一体誰がほくそ笑んでいるのか。その異常な報道の裏に何があるのか。わかりやすい事件に単純に怒りを向ける前に、どうかそのことを冷静に考えてみてほしい。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c24

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
25. 中川隆[-8737] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:27:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4007]

宮崎容疑者に“監禁”された12時間...「恐怖のドライブ」を被害者が告白 2019年8月20日
https://www.fnn.jp/posts/00047825HDK/201908201845_livenewsit_HDK


•あおり運転暴行事件の宮崎文夫容疑者、喜本奈津子容疑者が送検
•宮崎容疑者は2018年にタクシー運転手の監禁容疑で逮捕されていた
• 「妄想でしかない」被害者が語った宮崎容疑者の異常性とは

カメラを気にして...宮崎容疑者と喜本容疑者が送検


大阪市内の路上に向けられた防犯カメラ映像。歩いてきたのは自宅から出てきた、宮崎文夫容疑者(43)と喜本奈津子容疑者(51)とみられる男女だ。その後ろから走ってくるのは捜査員とみられる2人。そう、男女2人はこの直後...

宮崎容疑者:
自分から生野警察署に出頭させてください!

捜査員に囲まれ、連行された。


その宮崎容疑者は、8月20日午前7時ごろに茨城・取手署から、身柄を検察に送られた。うつむきながら車に乗り込み、カメラから顔を背けるそぶりを見せ、車に乗ったあとも前にかがみ込むなどカメラを気にする様子が見られた。


交際相手の喜本奈津子容疑者も、同じく20日に送検。こちらはフードをかぶり、表情をうかがい知ることはできなかった。

タクシー運転手“監禁”で逮捕の過去

宮崎容疑者が逮捕されたのは、今回が初めてではない。2018年3月、タクシー運転手を監禁した疑いで京都府警に逮捕されている。その被害者が今回、異様な言動を繰り返した宮崎容疑者との12時間を超える恐怖のドライブを語った。


被害にあったタクシー運転手:
「(ホテルに)出入り禁止になってどう思う運転手さん?」とかそんな話してて、なんか理不尽なことがあってクレームみたいなこと言ったら、出入り禁止になったみたいな話をされてましたね


運転手の男性が大阪中心部で、宮崎容疑者ともう1人の男性をタクシーに乗せたのは、2018年3月早朝5時半ごろのことだった。
途中、連れの男性を降ろすとなぜが行き先を次々と変え始めたという宮崎容疑者。
高速道路に乗ると、大阪環状線をまず2周するよう指示し、異様な様子を見せ始めたという。

運転手が証言した宮崎容疑者の異常性


画像は連行される宮崎容疑者の様子

被害にあったタクシー運転手:
抜いてくる車が幅寄せしてきてるとかこっち見てたとか、妄想でしかないですね。誰も何もしてないので...。自分で110番に電話して、こういうふうなことされている(車に)囲まれている、5台6台。怖いからはよ来て守ってくれとか、そういう言い方するんですね


自ら110番通報した宮崎容疑者は、通り過ぎる車のナンバーをメモしていたという。
しかし、警察が急行する前に今度は高速から降りるように指示。

被害にあったタクシー運転手:
アメリカ村、三角公園行ってくれと

記者:
その後は何を言われた?

被害にあったタクシー運転手:
とりあえず12周まわれと。何で12周なのか分からないですけど

約20カ所に及ぶ行き先変更を繰り返し、乗車時間は12時間を超えていた。


最後に京都市内のコンビニに立ち寄ったところで、監禁の疑いで逮捕された宮崎容疑者。運賃のおよそ5万円は後日に精算され、その後は起訴猶予となった。


被害にあったタクシー運転手:
1年ちょっとたって(宮崎容疑者は)またこんなことが発覚して...はっきり言って、今後そういうことをさせないためにも、被害者の方には気の毒ですけど、絶対に示談は受けないようにしていただきたい

あおり運転の被害者「示談などは全く考えていない」


今回、あおり運転をされたうえ顔を殴られ、怪我をした男性は、FNNの取材に対し「示談などは全く考えていません。お金の問題ではなく社会的制裁を受けてもらえたらと思います。これで社会が少しでも変わることを願っています」とコメントしている。

(「Live News it!」8月20日放送分より)
https://www.fnn.jp/posts/00047825HDK/201908201845_livenewsit_HDK
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c25

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
26. 中川隆[-8736] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:31:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4008]

あおり男の奇行や変装、ガラケー女と交際で変化の声[2019年8月20日20時14分]
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201908200000791.html


茨城県守谷市の常磐自動車道で起きたあおり運転殴打事件で、傷害容疑で逮捕された大阪市の会社役員宮崎文夫容疑者(43)が、犯人隠避容疑などで逮捕された大阪市の会社員喜本奈津子容疑者(51)と交際するようになった今年初めから「奇行」や「変装」が目立つようになったことが20日、分かった。宮崎容疑者が所有する大阪市東住吉区の会社兼自宅マンションの住民や近隣住民が証言した。茨城県警は同日、両容疑者を送検した。

   ◇   ◇   ◇

同じマンションの、別々の部屋で暮らしていた宮崎容疑者と喜本容疑者。2人は周辺で迷惑行為を繰り返していただけではなく、たびたび「奇行」も目撃されていた。

マンションに住む住民は、宮崎容疑者について「今年に入り、あの女の人(喜本容疑者)を見かけるようになってから雰囲気が変わった。髪の毛を染め、サングラスをかけ、香水をつけるようになった。エレベーターに乗ったら、きつい香水のにおいが残っていて、(宮崎容疑者が)帰ってきたんだなと分かるほどだった」と話した。

住民らによると、宮崎容疑者は昨年の冬に母を亡くしたという。「それまでは普通にあいさつをしていた。母を亡くし、落ち込んでいる様子はなかったが、次第に雰囲気が変わっていった」。さらに今年に入って喜本容疑者と交際するようになり、「奇行」が目立つようになった。夜中に奇声を上げたり、住民との接触を避けるようになったという。

近所に住む男性(43)は「早朝や深夜に大きなキャリーバッグを押して、外出する姿を見かけた。夜なのにサングラスをかけて…」と振り返った。マンションの一室で暮らすようになった喜本容疑者について、住民は「真夜中にマンション玄関の植木をハサミで刈っていた。普通の時間ではないので怖かった」と話した。別の住民は「住民の玄関扉の前を水浸しにしたこともあった」と明かした。【松浦隆司】

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201908200000791.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c26

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
27. 中川隆[-8735] koaQ7Jey 2019年8月21日 04:48:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4009]

“あおり殴打”宮崎容疑者を臨床心理士が分析 喜本容疑者との関係は?身柄確保時も“マウンティング”か 2019.08.20
https://abematimes.com/posts/7015596


 茨城県の常磐道であおり運転をしたうえ男性を殴ったとして、大阪市の会社役員・宮崎文夫容疑者(43)が傷害の疑いで逮捕された。また、宮崎容疑者の車に同乗しガラケーで様子を撮影していた交際相手の喜本奈津子容疑者(51)も、犯人蔵匿隠避の疑いで逮捕された。

 宮崎容疑者の身柄が確保される際の映像には、「無理やり乗せられてるやん。暴れてないって、自分から出頭するって言うてんねん。自分から生野警察署に出頭させてください」などと抵抗する様子や、喜本容疑者が「自分から出頭するって言っているのになんで押さえつけるの?ひどすぎる」と叫ぶ声も記録されていた。



 臨床心理士で心理カウンセラーも務める明星大学准教授の藤井靖氏は、宮崎容疑者の抵抗時の様子について「動物のマウンティングに近いなと。近くにいる相手に大きな声を出して、感情を揺さぶろうとしたり威嚇しようとしたりしている。内容はともかくとして、自分が優位に立ちたい、自分がこの場をコントロールしたいという気持ちが表れているように思う。自分で出頭するか否かはこの状況ではどうでもいいわけで、その主張を繰り返すのは、内容に意味があるというよりは少しでも自分の思い通りに事を運ばせたい気持ちの表れ。」との見方を示す。



 また、宮崎容疑者と喜本容疑者の関係性については、「一連の流れを見ていると親密な関係にあることは明らかだが、我々が一般的に考える親密さとは違うように思える。2人とも独特というか、我々が理解できる社会通念上の価値観とは別個のところで発言したりしているように感じる。独特な価値観を持っているということは、社会集団の中では孤立したり疎外されたりするので、その2人が組み合わさることによって、より結束感を強めて支え合う“共依存”のような関係にあったのではないか」と推察した。



 宮崎容疑者は2000年に関西学院大学を卒業後、半導体メーカーに入社。しかし、わずか半年で退社し、その後は仕事を転々としていたという。数年前にマンションと遺産を相続すると、不動産管理や賃貸業等を手掛けるように。宮崎容疑者が所有するマンションの管理会社で働いていた人の証言によると「自分より弱いものに対しては上からでものすごく威圧的。短期で爆発した時の暴れ方が異常」だったという。

 そうした情報から読み取れる宮崎容疑者の人間性について、藤井氏は「一般的には、いい大学を出て一流企業に入った人がなぜこんなことしたのかという見方があると思う」とした上で、「人の能力は、学力や面接を突破するための自己アピール力,コミュニケーション力だけではない。偏差値が高かったり社会的地位が上がると,比例して感情をコントロールしたり物事を客観的に見たりする『非認知能力』も高いレベルを求められるが、宮崎容疑者はそこにギャップがあったのでは。周りの人と比較される中で、仕事もうまくいかず不適応状態になり、結果として社会的に受け入れられない粗暴な部分や自己愛が肥大するに至った可能性があると思う」と話す。



 関係者への取材によると、宮崎容疑者はあおり運転に使った車で、先月21日から今月11日にかけて約2000kmを移動。その間、訪れたとされる飲食店などの様子をSNSに上げている。また、高級車や高級ブランド品などの写真も投稿していた。

 そうした心理について藤井氏は「高級車に乗ったり高級品を買ったり、会社を経営する立場を大っぴらにするのは、宮崎容疑者にとって一番率直に社会的承認の実感を得られる手段だったのでは。逆に言えば、自分自身の本質的な部分では認められる体験や居場所が得られないからこそこういったものに頼るわけで、自分がうまくやれていると手っ取り早く認識する手段としての投稿ではないか。もうひとつは、揉め事を起こしていることは自分でも当然認識していて覚えてもいるが、楽しく普通に生活して、人生うまくやれているんだと思い込みたい現実逃避という面もあると思う」と説明。一方で、「今回のあおり運転は宮崎容疑者の人柄の一端が象徴的に出ているだけであって、いろいろな社会的場面や人との関係の中でのトラブルも多かったのでは」と述べた。
(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)
https://abematimes.com/posts/7015596
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c27

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
39. 中川隆[-8734] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:19:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4010]

有力者に未成年の男女を提供していた容疑で逮捕されたジェフリー・エプシュタインの手帳に記されていた顧客の名前


トランプ大統領
大富豪のデイヴィッド・ロックフェラー
イスラエル元首相のエフード・バラク
大富豪のジョージ・ソロスの甥
イギリスのチャールズ皇太子の弟、アンドリュー王子


「頭部と性器を氷漬け」全米が驚くスキャンダルを起こした大富豪、そのぶっ飛んだ末路とは?
モーリー・ロバートソン 2019年8月18日
https://www.fnn.jp/posts/00047630HDK/201908181130_MorleyRobertson_HDK

ジェフリー・エプスタインの買春事件を扱う連邦裁判官は、来年の6月に裁判を行うと決定した。

「federal judge」は連邦の裁判官、「sex-trafficking」は人身売買や未成年の買春などを指す言葉です。

アメリカ有数の大富豪であるジェフリー・エプスタイン氏が、いまエベレストの頂上から海底へと沈みつつあります。

彼は大変な人脈とお金の持ち主ですが、日本のメディアではあまり報じられていませんね。しかし、ニューヨーク・タイムズは掘れば掘るほど情報が出てくると、続報を伝えています。

一体どのような人物なのか?まずはプロフィールから紹介します。

(7月に逮捕されたジェフリー・エプスタイン被告は8月10日、ニューヨークの勾留施設で意識の無い状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。)

告発者続々…華麗な経歴に詐称疑惑も

ジェフリー・エプスタイン氏(66)は元高校教師。その後、トレーダーに転身し、成功を収めます。総資産は1200億円ともいわれ、トランプ大統領によると「美しい若い女性が好き」とのこと。含みのあるコメントですね。

性的搾取を目的とする未成年者の人身取引の罪と、同様の犯行を共謀した罪の2件で逮捕・起訴されました。
また、これ以外にも被害を訴える人が「#Me Too」運動のように続出しています。全ての案件が裁判になるわけではありませんが、大きな騒動になっています。


逮捕以前にアメリカの雑誌が取材した内容によると、エプスタイン氏はある高校の数学教師として働いていましたが、金融業界に勤める教え子の親に見い出されてトレーダーになったそうです。

そして、投資銀行の重役になった後、独立して大成功。エプスタイン氏の弁護士は、2008年時点で「総資産は1200億円は下らない」と明かしています。
しかし、これにもいわくがあって、「多くのセレブと交流することによって自分の価値を盛っていた」あるいは、「自分の経歴も含めて詐称していた部分がある」と言われています。そのため、実際の総資産は現在のところ不明です。

そんなエプスタイン氏が、現地時間の7月6日に逮捕されました。
有罪の場合、最高で懲役45年の禁固刑となります。エプスタイン氏は一貫して無罪を主張していますが、“大富豪の一事件”に収まりそうにないのが今回の騒動です。

政財界にも波紋 元執事の“手帳”に王族の名前

2007年、エプスタイン氏は人脈を生かし、やり手の弁護士などを通じて、フロリダ連邦警察官と秘密裏に司法取引を行い、重罰を免除されたという経歴があります。
この取引をまとめた当時の検事が、トランプ政権で労働長官を務めていたアレキサンダー・アコスタ氏なのです。思わぬところで人脈が繋がってしまったわけですね。

その“甘い取り引き”の内容はどのようなものだったかというと、エプスタイン氏は週に6日間、自由に外出することが可能でした。自身の会社に出社して12時間働き、刑務所には寝るために帰ってくるだけ。
ほとんど毎日、刑務所から自由に出入りできるという大変に甘い判決でした。

それを手引きしたのが、フロリダ州の検事だったアコスタ氏です。この事実が明るみに出たことでアコスタ氏への批判の声が高まり、身を引くことが適切だとして労働長官を辞任しました。


さらに、2004年頃にエプスタイン氏の元で働いていた元執事が保管していた手帳の存在が明らかになり、波紋が広がっています。

その手帳に記されていたのは、トランプ大統領、大富豪のデイヴィッド・ロックフェラー、イスラエル元首相のエフード・バラク、大富豪のジョージ・ソロスの甥などの連絡先。イギリスのチャールズ皇太子の弟、アンドリュー王子の名前もあったといいます。
この名前が何を意味するのかはわかりませんが、さまざまな憶測を呼んでいます。

「ロリータ号」とあだ名されるエプスタイン氏の自家用機で、自身が所有するヴァージン諸島やカリブの島に着陸し、そこで未成年を交えた性的な“おもてなし”をしていたという情報もあります。

クリントン元大統領とも交流があるエプスタイン氏。誰かがそこへ一緒に行ったかどうかはわかりませんが、どのような著名人・権力者とどのような繋がりがあったのかは、今後の争点になってくるでしょう。

「永遠の命」を求めて…驚きの“農場”計画

また、ニューヨーク・タイムズは、エプスタイン氏がいかにぶっ飛んだ人物かということにも触れています。

大富豪のエプスタイン氏は、とうとう「永遠の命を得たい。自分のDNAを残したい」という思いに至り、ニューメキシコの広大な敷地内にベイビーファーム=赤ちゃん農場を建設しようと計画していたというのです。

周囲に吹聴していたその“農場”の内容は、一度に20人以上の女性たちを妊娠させ、自分の子どもを量産していく、あるいは、そのためのスクリーニングとして、Ph.D.(博士号)を持つような賢くて美しい女性を侍らせるというものです。


また、パーティーに招待したノーベル賞を受賞した科学者たちに「人間の遺伝子を操作できるのか。どうすれば長く生きられるか」ということをやたらと質問し、煙たがられていたといいます。

さらに、「クライオジェニックス」という人間を凍結させて永遠の命をもたらそうとする疑似科学に没頭していて、自身の死後には「頭部と性器を氷漬けにして保管してほしい」と言っていたそうです。
体の一部が残っていれば、未来の科学でクローンを復元できると考えたのです。

大富豪だから法律も守らなくていい、民主党も共和党も含めた多くの政治家を手懐けている、ノーベル賞受賞者をパーティーに招待できて、セレブとも交流がある…と平清盛のように栄華を極めたエプスタイン氏が、ロリコンの性的欲求の他に最後に欲しかったのが、死への恐怖からくる永遠の命への欲求でした。

その結果、子どもを無限にコピーして自身のDNAを人類のDNAの中に潜り込ませ、自分を復元できるように体の一部を保管するためアイスボックスへ、と考えた。

大富豪の行き着く先がこのような末路かと思うと、何とも言えない気持ちになります。

(BSスカパー「水曜日のニュース・ロバートソン」 8/7 OA モーリーの『Twittin’ English』より)
https://www.fnn.jp/posts/00047630HDK/201908181130_MorleyRobertson_HDK
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c39

[日本の事件17] プチエンジェル事件の真相
77. 中川隆[-8733] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:20:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4011]

有力者に未成年の男女を提供していた容疑で逮捕されたジェフリー・エプシュタインの手帳に記されていた顧客の名前

トランプ大統領
大富豪のデイヴィッド・ロックフェラー
イスラエル元首相のエフード・バラク
大富豪のジョージ・ソロスの甥
イギリスのチャールズ皇太子の弟、アンドリュー王子


「頭部と性器を氷漬け」全米が驚くスキャンダルを起こした大富豪、そのぶっ飛んだ末路とは?
モーリー・ロバートソン 2019年8月18日
https://www.fnn.jp/posts/00047630HDK/201908181130_MorleyRobertson_HDK

ジェフリー・エプスタインの買春事件を扱う連邦裁判官は、来年の6月に裁判を行うと決定した。

「federal judge」は連邦の裁判官、「sex-trafficking」は人身売買や未成年の買春などを指す言葉です。

アメリカ有数の大富豪であるジェフリー・エプスタイン氏が、いまエベレストの頂上から海底へと沈みつつあります。

彼は大変な人脈とお金の持ち主ですが、日本のメディアではあまり報じられていませんね。しかし、ニューヨーク・タイムズは掘れば掘るほど情報が出てくると、続報を伝えています。

一体どのような人物なのか?まずはプロフィールから紹介します。

(7月に逮捕されたジェフリー・エプスタイン被告は8月10日、ニューヨークの勾留施設で意識の無い状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。)

告発者続々…華麗な経歴に詐称疑惑も

ジェフリー・エプスタイン氏(66)は元高校教師。その後、トレーダーに転身し、成功を収めます。総資産は1200億円ともいわれ、トランプ大統領によると「美しい若い女性が好き」とのこと。含みのあるコメントですね。

性的搾取を目的とする未成年者の人身取引の罪と、同様の犯行を共謀した罪の2件で逮捕・起訴されました。
また、これ以外にも被害を訴える人が「#Me Too」運動のように続出しています。全ての案件が裁判になるわけではありませんが、大きな騒動になっています。


逮捕以前にアメリカの雑誌が取材した内容によると、エプスタイン氏はある高校の数学教師として働いていましたが、金融業界に勤める教え子の親に見い出されてトレーダーになったそうです。

そして、投資銀行の重役になった後、独立して大成功。エプスタイン氏の弁護士は、2008年時点で「総資産は1200億円は下らない」と明かしています。
しかし、これにもいわくがあって、「多くのセレブと交流することによって自分の価値を盛っていた」あるいは、「自分の経歴も含めて詐称していた部分がある」と言われています。そのため、実際の総資産は現在のところ不明です。

そんなエプスタイン氏が、現地時間の7月6日に逮捕されました。
有罪の場合、最高で懲役45年の禁固刑となります。エプスタイン氏は一貫して無罪を主張していますが、“大富豪の一事件”に収まりそうにないのが今回の騒動です。

政財界にも波紋 元執事の“手帳”に王族の名前

2007年、エプスタイン氏は人脈を生かし、やり手の弁護士などを通じて、フロリダ連邦警察官と秘密裏に司法取引を行い、重罰を免除されたという経歴があります。
この取引をまとめた当時の検事が、トランプ政権で労働長官を務めていたアレキサンダー・アコスタ氏なのです。思わぬところで人脈が繋がってしまったわけですね。

その“甘い取り引き”の内容はどのようなものだったかというと、エプスタイン氏は週に6日間、自由に外出することが可能でした。自身の会社に出社して12時間働き、刑務所には寝るために帰ってくるだけ。
ほとんど毎日、刑務所から自由に出入りできるという大変に甘い判決でした。

それを手引きしたのが、フロリダ州の検事だったアコスタ氏です。この事実が明るみに出たことでアコスタ氏への批判の声が高まり、身を引くことが適切だとして労働長官を辞任しました。


さらに、2004年頃にエプスタイン氏の元で働いていた元執事が保管していた手帳の存在が明らかになり、波紋が広がっています。

その手帳に記されていたのは、トランプ大統領、大富豪のデイヴィッド・ロックフェラー、イスラエル元首相のエフード・バラク、大富豪のジョージ・ソロスの甥などの連絡先。イギリスのチャールズ皇太子の弟、アンドリュー王子の名前もあったといいます。
この名前が何を意味するのかはわかりませんが、さまざまな憶測を呼んでいます。

「ロリータ号」とあだ名されるエプスタイン氏の自家用機で、自身が所有するヴァージン諸島やカリブの島に着陸し、そこで未成年を交えた性的な“おもてなし”をしていたという情報もあります。

クリントン元大統領とも交流があるエプスタイン氏。誰かがそこへ一緒に行ったかどうかはわかりませんが、どのような著名人・権力者とどのような繋がりがあったのかは、今後の争点になってくるでしょう。

「永遠の命」を求めて…驚きの“農場”計画

また、ニューヨーク・タイムズは、エプスタイン氏がいかにぶっ飛んだ人物かということにも触れています。

大富豪のエプスタイン氏は、とうとう「永遠の命を得たい。自分のDNAを残したい」という思いに至り、ニューメキシコの広大な敷地内にベイビーファーム=赤ちゃん農場を建設しようと計画していたというのです。

周囲に吹聴していたその“農場”の内容は、一度に20人以上の女性たちを妊娠させ、自分の子どもを量産していく、あるいは、そのためのスクリーニングとして、Ph.D.(博士号)を持つような賢くて美しい女性を侍らせるというものです。


また、パーティーに招待したノーベル賞を受賞した科学者たちに「人間の遺伝子を操作できるのか。どうすれば長く生きられるか」ということをやたらと質問し、煙たがられていたといいます。

さらに、「クライオジェニックス」という人間を凍結させて永遠の命をもたらそうとする疑似科学に没頭していて、自身の死後には「頭部と性器を氷漬けにして保管してほしい」と言っていたそうです。
体の一部が残っていれば、未来の科学でクローンを復元できると考えたのです。

大富豪だから法律も守らなくていい、民主党も共和党も含めた多くの政治家を手懐けている、ノーベル賞受賞者をパーティーに招待できて、セレブとも交流がある…と平清盛のように栄華を極めたエプスタイン氏が、ロリコンの性的欲求の他に最後に欲しかったのが、死への恐怖からくる永遠の命への欲求でした。

その結果、子どもを無限にコピーして自身のDNAを人類のDNAの中に潜り込ませ、自分を復元できるように体の一部を保管するためアイスボックスへ、と考えた。

大富豪の行き着く先がこのような末路かと思うと、何とも言えない気持ちになります。

(BSスカパー「水曜日のニュース・ロバートソン」 8/7 OA モーリーの『Twittin’ English』より)
https://www.fnn.jp/posts/00047630HDK/201908181130_MorleyRobertson_HDK
http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html#c77

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
53. 中川隆[-8732] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:21:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4012]

有力者に未成年の男女を提供していた容疑で逮捕されたジェフリー・エプシュタインの手帳に記されていた顧客の名前

トランプ大統領
大富豪のデイヴィッド・ロックフェラー
イスラエル元首相のエフード・バラク
大富豪のジョージ・ソロスの甥
イギリスのチャールズ皇太子の弟、アンドリュー王子


「頭部と性器を氷漬け」全米が驚くスキャンダルを起こした大富豪、そのぶっ飛んだ末路とは?
モーリー・ロバートソン 2019年8月18日
https://www.fnn.jp/posts/00047630HDK/201908181130_MorleyRobertson_HDK

ジェフリー・エプスタインの買春事件を扱う連邦裁判官は、来年の6月に裁判を行うと決定した。

「federal judge」は連邦の裁判官、「sex-trafficking」は人身売買や未成年の買春などを指す言葉です。

アメリカ有数の大富豪であるジェフリー・エプスタイン氏が、いまエベレストの頂上から海底へと沈みつつあります。

彼は大変な人脈とお金の持ち主ですが、日本のメディアではあまり報じられていませんね。しかし、ニューヨーク・タイムズは掘れば掘るほど情報が出てくると、続報を伝えています。

一体どのような人物なのか?まずはプロフィールから紹介します。

(7月に逮捕されたジェフリー・エプスタイン被告は8月10日、ニューヨークの勾留施設で意識の無い状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。)

告発者続々…華麗な経歴に詐称疑惑も

ジェフリー・エプスタイン氏(66)は元高校教師。その後、トレーダーに転身し、成功を収めます。総資産は1200億円ともいわれ、トランプ大統領によると「美しい若い女性が好き」とのこと。含みのあるコメントですね。

性的搾取を目的とする未成年者の人身取引の罪と、同様の犯行を共謀した罪の2件で逮捕・起訴されました。
また、これ以外にも被害を訴える人が「#Me Too」運動のように続出しています。全ての案件が裁判になるわけではありませんが、大きな騒動になっています。


逮捕以前にアメリカの雑誌が取材した内容によると、エプスタイン氏はある高校の数学教師として働いていましたが、金融業界に勤める教え子の親に見い出されてトレーダーになったそうです。

そして、投資銀行の重役になった後、独立して大成功。エプスタイン氏の弁護士は、2008年時点で「総資産は1200億円は下らない」と明かしています。
しかし、これにもいわくがあって、「多くのセレブと交流することによって自分の価値を盛っていた」あるいは、「自分の経歴も含めて詐称していた部分がある」と言われています。そのため、実際の総資産は現在のところ不明です。

そんなエプスタイン氏が、現地時間の7月6日に逮捕されました。
有罪の場合、最高で懲役45年の禁固刑となります。エプスタイン氏は一貫して無罪を主張していますが、“大富豪の一事件”に収まりそうにないのが今回の騒動です。

政財界にも波紋 元執事の“手帳”に王族の名前

2007年、エプスタイン氏は人脈を生かし、やり手の弁護士などを通じて、フロリダ連邦警察官と秘密裏に司法取引を行い、重罰を免除されたという経歴があります。
この取引をまとめた当時の検事が、トランプ政権で労働長官を務めていたアレキサンダー・アコスタ氏なのです。思わぬところで人脈が繋がってしまったわけですね。

その“甘い取り引き”の内容はどのようなものだったかというと、エプスタイン氏は週に6日間、自由に外出することが可能でした。自身の会社に出社して12時間働き、刑務所には寝るために帰ってくるだけ。
ほとんど毎日、刑務所から自由に出入りできるという大変に甘い判決でした。

それを手引きしたのが、フロリダ州の検事だったアコスタ氏です。この事実が明るみに出たことでアコスタ氏への批判の声が高まり、身を引くことが適切だとして労働長官を辞任しました。


さらに、2004年頃にエプスタイン氏の元で働いていた元執事が保管していた手帳の存在が明らかになり、波紋が広がっています。

その手帳に記されていたのは、トランプ大統領、大富豪のデイヴィッド・ロックフェラー、イスラエル元首相のエフード・バラク、大富豪のジョージ・ソロスの甥などの連絡先。イギリスのチャールズ皇太子の弟、アンドリュー王子の名前もあったといいます。
この名前が何を意味するのかはわかりませんが、さまざまな憶測を呼んでいます。

「ロリータ号」とあだ名されるエプスタイン氏の自家用機で、自身が所有するヴァージン諸島やカリブの島に着陸し、そこで未成年を交えた性的な“おもてなし”をしていたという情報もあります。

クリントン元大統領とも交流があるエプスタイン氏。誰かがそこへ一緒に行ったかどうかはわかりませんが、どのような著名人・権力者とどのような繋がりがあったのかは、今後の争点になってくるでしょう。

「永遠の命」を求めて…驚きの“農場”計画

また、ニューヨーク・タイムズは、エプスタイン氏がいかにぶっ飛んだ人物かということにも触れています。

大富豪のエプスタイン氏は、とうとう「永遠の命を得たい。自分のDNAを残したい」という思いに至り、ニューメキシコの広大な敷地内にベイビーファーム=赤ちゃん農場を建設しようと計画していたというのです。

周囲に吹聴していたその“農場”の内容は、一度に20人以上の女性たちを妊娠させ、自分の子どもを量産していく、あるいは、そのためのスクリーニングとして、Ph.D.(博士号)を持つような賢くて美しい女性を侍らせるというものです。


また、パーティーに招待したノーベル賞を受賞した科学者たちに「人間の遺伝子を操作できるのか。どうすれば長く生きられるか」ということをやたらと質問し、煙たがられていたといいます。

さらに、「クライオジェニックス」という人間を凍結させて永遠の命をもたらそうとする疑似科学に没頭していて、自身の死後には「頭部と性器を氷漬けにして保管してほしい」と言っていたそうです。
体の一部が残っていれば、未来の科学でクローンを復元できると考えたのです。

大富豪だから法律も守らなくていい、民主党も共和党も含めた多くの政治家を手懐けている、ノーベル賞受賞者をパーティーに招待できて、セレブとも交流がある…と平清盛のように栄華を極めたエプスタイン氏が、ロリコンの性的欲求の他に最後に欲しかったのが、死への恐怖からくる永遠の命への欲求でした。

その結果、子どもを無限にコピーして自身のDNAを人類のDNAの中に潜り込ませ、自分を復元できるように体の一部を保管するためアイスボックスへ、と考えた。

大富豪の行き着く先がこのような末路かと思うと、何とも言えない気持ちになります。

(BSスカパー「水曜日のニュース・ロバートソン」 8/7 OA モーリーの『Twittin’ English』より)
https://www.fnn.jp/posts/00047630HDK/201908181130_MorleyRobertson_HDK
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c53

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
40. 中川隆[-8731] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:35:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4013]

ハーレムを作ろうとしたユダヤ人富豪 / 変態が蠢くアメリカ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/cat_60306978.html?p=6


異色な経歴を持つ大君

  前回、体操選手の少女を食い物にしたアラブ系アメリカ人について述べたが、今回は10代の娘たちを弄(もてあそ)んだユダヤ系アメリカ人を紹介したい。未成年の女性に金を渡して淫らな行為をはたらいたのは、ジェフリー・エプシュタイン(Jeffrey Epstein)という大富豪であった。おそらく、日本の大手メディアでは報道されなかったと思うが、彼の過去を調べてみると、いかにもユダヤ人らしい経歴の持ち主であることが判る。

Jeffrey Epstein 1(左 / ジェフリー・エプシュタイン)

  1953年に生まれたジェフリー・エプシュタインは、ニューヨーク州のコニー・アイランドで育ち、ブルックリンにあるラファイエット(Lafayette)高校に通ったそうだ。彼は数学が得意で、20歳を過ぎた頃には、マンハッタンのエリート私立校と称される「ダルトン(Dalton)」で物理と数学を教えていたという。しかし、この数学教師は大卒ではなかった。確かに、イーストヴィレッジにあるクーパー・ユニオン(Cooper Union)大学とニューヨーク大学(NYU)で科学を勉強したが、学位を取るまでには至らなかったそうである。それでも、生徒からはカリスマ教師と呼ばれていたから、ジェフリーは独学に向いている秀才だったのだろう。

  「ユダヤ人はユダヤ人と群れる」というか、「ユダヤ人が歩くとユダヤ人に出逢う」ようで、ジェフリーの教え子の中には、テッド・グリーンバーグ(Ted Greenberg)という生徒がいたそうだ。単なる偶然だろうが、テッドの父親というのは、有名な投資会社ベア・スターンズ(Bear Stearns)のアラン・コートニー・“エース”・グリーンバーグ(Allan Courtney “Ace” Greenberg)であった。(Vickey Ward, "The Talented Mr. Epstein", Vanity Fair, June 27, 2011) まぁ、「ジュー・ヨーク」の異名を持つニュー・ヨークだから、著名なビジネスマンの子弟がいても不思議ではない。 ただ、ジェフリーは幸運だった。彼はグリーンバーグの娘とも親しかったようで、この親睦を介して直ぐさまベア・スターンズ社に入れてもらえたそうである。彼はグリーンバーグ会長と、その後継者たるジェイムズ・ケイン(James Cayne)会長のもとで投資の腕を磨き、有能な錬金術師に進化したようだ。ところが、ジェフリーは1981年、突如として会社を辞めてしまう。あるインサイダー取引に係わったことで、SEC(證券取引監視委員会)の調査を受け、退社することに決めたそうだ。もしかしたら、ここが潮時と見なしたのかも知れない。彼は辞職後、自分で事業を興し、人も羨む巨万の富を得た。

Ted Greenberg 1Alan Greenberg 1James Cayne 3


(左: テッド・グリーンバーグ / 中央: アラン・グリーンバーグ / 右: ジェイムズ・ケイン)

  ジェフリー・エプシュタインの経歴や生活を観てみると、その幅広い人脈に驚かされる。例えば、彼はコロンビア大学教授のリチャード・アクセル(Richard Axel)と交流があった。皆様ご存じの通り、アクセル教授は神経組織や遺伝子学を専門とする医学博士で、ノーベル生理学賞・医学賞を授与されたことで有名だ。彼はエプシュタインと同じブルックリン育ちで、ユダヤ系アメリカ人という共通点も有している。ちなみに、アクセル博士の両親はポーランド系ユダヤ人で、ナチス・ドイツの迫害を逃れるため、ポーランドからアメリカに渡ってきたそうだ。

Richard Axel 1Henry Kissinger 3Larry King 1Eliot Spitzer 2

(左: リチャード・アクセル / ヘンリー・キッシンジャー / ラリー・キング / 右: エリオット・スピッツァー)

  ニューヨークにはユダヤ人が本当に溢れていて、元国務長官のヘンリー・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)やCNNの看板ホストであったラリー・キング(本名 / Lawrence Harvey Zeiger)といった有名人がすぐ思い浮かぶ。(註 / ドイツ生まれのキッシンジャーはマンハッタンの高校に通い、前科を持つキングはブルックリン育ちである。) 政界を見回してもユダヤ人が多く、州知事になったハーバート・H・リーマン(Herbert H. Lehman)は「リーマン・ブラザーズ」を創業したメイヤー(Mayer Lehman)の息子だし、セックス・スキャンダルで失脚したエリオット・スピッツアー(Eliot Spitzer)元州知事は、ガリシア・ユダヤ移民の孫で、州検事(District Attorney)上がりときている。面白いのは、彼の元上司がロバート・M・モーゲンソー(Robert Moris Morgenthau)であったことだ。氏族名からも判る通り、彼は有名な財務長官ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア(Henry Morgenthau, Jr.)の息子で、母方の曾祖父はメイヤー・リーマンであった。日本人は無頓着だけど、ユダヤ人って色々な家族と閨閥で繋がっており、「巨大な蜘蛛の巣」と呼んでもいい親戚関係を持っている。(参考までに、Daniel Gutweinの『The Divided Elite』を読むと、驚くような血の人脈を知ることができる。怒ってもしょうがないが、日本の大学教は下らない左翼本は熱心に翻訳するくせに、我々にとって有益な洋書になると完全無視を決め込む。これだから、無知な学生が多くても当然なんだよねぇ。)

Herbert Lehman 1Mayer Lehamn 1Robert Morris Morgenthau 2Henry Morgenthau Jr 1


( 左: ハーバート・リーマン / メイヤー・リーマン / ロバート・モーゲンソー / 右: ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア)

  脱線したので話を元に戻す。「ベア・スターンズ」を去ったエプシュタインは、自分の名前を冠した会社を創設し、顧客の資産を運用することで10億ドルもの財産を築いたそうだ。野心家のエプシュタインが不動産のみならず、メディアにも食指を伸ばしたのは、いかにもユダヤ人らしい。彼は有名な『ニューヨーク・マガシン』誌を買収しようとしたが、その王手に待ったを掛けたのも、これまたユダヤ人のお金持ちであった。まず、メディア王のモーティマー・B・ザッカーマン(Mortimer Benjamin Zuckerman)は、大手新聞社の「USA Today & World Report」紙と「New York Daily News」紙を買収した投資家で、老舗雑誌の「アトランティク(The Atlantic)」まで買収していた大物だ。新聞の編集長を務めるザッカーマンは、大学などに多額の寄附を行う慈善家であり、その一方でアメフトチーム(NFL)「ワシントン・レッドスキン」のオーナーでもある。極めつけは、ユダヤ人団体の「主要ユダヤ人機関総裁評議会(Conference of Presidents of Major American Jewish Organizations)」で会長を務めていたことだ。

Mortimer Zuckerman 1Bruce Wasserman 1Donny Deutsch 1Nelson Peltz 1

( 左: モーティマー・ザッカーマン / ブルース・ワッサーシュタイン / ドニー・ドイチュ / 右: ネルソンん・ペルツ)

  その他には、ウォール街の投資家であるブルース・ワッサーシュタイン(Bruce Wasserstein)や、CNNで番組司会を務める広告屋のドニー・ドイチュ(Donny Deutsch)、「トリアン・ファンド・マネージメント」を創設した投資家のネルソン・ペレツ(Nelson Peltz)が挙げられる。このペレツは手広く事業を拡大しており、ピーター・メイと組んで大手飲料メーカーの「スナップル(Snapple)」やシリアル業界の老舗である「クウェイカー・オーツ(Quaker Oats)」を買収していたし、世界各地に店舗をもつハンバーガー・チェーンの「ウェンディーズ(Wendy's)」、ペプシ・コーラで有名な「ペプシコ(PepsiCo)」も手に入れていたのだ。(ここでは関係無いけど、アメリカの自動販売機は不味いドリンクばかりを並べており、筆者は「スナップル」を見るとウンザリした。日本の自販機の方が、よっぽどバラエティーに富んだ品揃えである。) ネルソン・ペレツに言及するなら、一般的には「ハリウッド女優のニコラ・ペルツ(Nicola Anne Peltz)の父親」と紹介した方が分かりやすいだろう。大ヒット映画『トランスフォーマー』を観た日本人は、「あの可愛らしい女の子かぁ」と思い出すに違いない。ちなみに、彼女の母親は元モデルのクラウディア・ヘフナー(Claudia Heffner)だから、美少女に生まれたのもうなづけよう。もう一人の投資家は、大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein)である。セクハラ・スキャンダルで失脚したワインシュタインについては、当ブログで前に述べたから、ここでは繰り返さない。

Nicola Peltz 2Nicola Peltz & Claudia Heffner 1Harvey Weinstein 2

(左: ニコラ・ペルツ / 中央: ニコラと母親のクラウディア・ヘフナー・ペルツ / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン)

  またもや脱線したので元に戻す。ビジネスで成功したエプシュタインの暮らしぶりは、当然ながら派手になった。彼はNYマンハッタンの五番街とマディソン通りに9階建ての豪邸を構え、その広さは5万平方フィートにも及ぶそうだ。都会で豪華な邸宅に住むアメリカ人は、ちょいとカウボーイを真似て田舎に牧場を所有したりする。エプシュタインも1800万ドルを払って、ニュー・メキシコ州に7500エーカーの牧場を購入したそうだ。西歐系アメリカ人を気取ったこのユダヤ人は、ご自慢の牧場を「ゾロ(Zorro)」と名づけたらしい。(たぶん「キツネ」じゃなく、「怪傑ゾロ」にちなんだネーミングだろう。) これだけで飽き足らないエプシュタインは、ヴァージン諸島にある70エーカーの小島「リトル・セント・ジェイムズ」を買い取っていた。さらに、事件の舞台となるフロリダ州パーム・ビーチに680万ドルもする豪邸を構え、ヘリコプターや小型のビジネス・ジェット機「ガルフストリームIV」、プライベート機の「ボーイング727」まで所有していたのだ。

  エプシュタインはこのジェット機をビジネスにも使っていたが、時には大切なお客様や友人を乗せて世界中を駆け巡っていたそうだ。彼の交友関係は幅広く、スーパーマーケット業界の大御所ロン・バークル(Ron Burkle)や藝能界の有名プロデューサー、ケイシー・ワッサーマン(Casey Wasserman / 本名Casey Myer)がいた。このケイシーは映画界の大物ルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)の孫である。祖父のルーは遣り手のユダヤ商人で、ユダヤ人のジュール・シュタイン(Jules Stein)が創業した「MCA(Music Corporation America)」を買収し、大手プロダクションに発展させたことで知られている。彼の会社は有名女優のベティー・デイヴィスやのちに大統領となるロナルド・レーガンの代理を務めていたそうだ。ユダヤ人らしく民衆党に献金していたルー・ワッサーマンが、どうして共和党のレーガン大統領と親しかったのかは、これを知れば解るだろう。後に、ルーは有名な「ユニヴァーサル・スタジオ」を買収し、自分のMCAと合併させて巨大化させていた。本当に、エンターテイメント業界はユダヤ人だらけである。

Ron Burkle 1Casey Wasserman 1Lew Wasserman 2Jules Stein 1

(左: ロン・バークル / ケイシー・ワッサーマン / ルー・ワッサーマン / 右: ジュール・シュタイン)

  エプシュタインの友人はこれに留まらず、未来の大統領になる不動産王のドナルド・トランプや、映画シリーズ『ラッシュ・アワー』で人気者となったクリス・タッカー(Chris Tucker)もいた。興味深いのは、エプシュタインのプライベート・ジェット機に同乗し、2002年にアフリカ旅行を楽しんだ仲間である。その一人は元合衆国大統領のビル・クリントンで、もう片方は人気男優のケヴィン・スペイシー(Kevin Spacey)。何とも豪華なメンバーだ。浮気性が治らないクリトンと、少年を“愛する”スペイシーに、少女を好むエプシュタイン。まさしく「エロス三人衆」と呼んでもいい連中である。映画『ネゴシエーター』やTVドラマ『ハウス・オブ・カーズ(House of Cards)』を楽しんでいたファンには衝撃的であろうが、スペイシーはその昔、14歳の少年アンソニー・ラップ(Anthony Rapp)の太腿や股間を揉んでしまったそうで、昨年、成人したラップ氏に訴えられ、長年かけて築いてきた地位を失ってしまった。

Chris Tucker 2Bill Clinton 5Kevin Spacey 1Anthony Rapp 2

(左: クリス・タッカー / ビル・クリントン / ケヴィン・スーペイシー / 右: アンソニー・ラップ)

  しかも、同性愛者ということがバレたから、熱烈なファンはショックを隠しきれなかった。まさか、実力派の名俳優がゲイで変態だなんて信じられない。でも、真実みたいだ。被害者であるラップ氏の話は生々しく、いくらスペイシーが「酒に酔っていて記憶が無い」と言い訳しても、世間は信じないだろう。若い女性ファンなら「ヤダあぁぁぁ !」と震えて後ずさり。この暴露事件を受けて、ドラマ『ハウス・オブ・カーズ』は打ち切りとなった。やはり、未成年に対する性的犯罪者じゃ、女性ファンは遠ざかるし、男性ファンだって気持ちが悪い。子役からスタートし、映画『ロスト・ボーイ』や『スタン・バイ・ミー』で有名になったハリウッド男優、コリー・フェルドマン(Corey Feldman)が告発していたけど、ハリウッドのプロデューサーとか“お偉方”には、少年への性的な興奮を覚える変態(pedophilia)が多いそうだ。彼は雑誌やテレビで自分の被害や犠牲となった友人の話を暴露していた。(Joe Martino, "Corey Feldman begins naming Hollywood pedophiles, reports them LAPD", Collective Evolution, November 3, 2017)

Corey Feldman 3Corey Haim 2

(左2枚: コリー・フェルドマンの昔と今 / 右2枚: 生前のコリー・ハイム )

  このユダヤ人俳優フェルドマンには、コリー・ハイム(Corey Haim)というユダヤ系カナダ人の友人がいて、亡くなったハイムから忌まわしい体験を聞いていたそうだ。『ロスト・ボーイズ』でフェルドマンと共演した俳優のハイムは、少年愛好家の映画プロデューサーに服従し、屈辱的なアナル(肛門)・セックスを受け容れてしまった。当時、14歳だったハイムは42歳の男にセックスを強要され、その関係は二年にも及んだそうである。フェルドマンが伝えるところによれば、幼いハイムは“ご主人様”から「こんな事はなぁ、ハリウッドでは珍しくないんだぞ !」と言われ、その凌辱にずっと耐えていたそうだ。たぶん、ハイムは怯えきっていたのだろう。もし、セックスを拒絶すれば、有力者から「干される」ことも予想できたから、弱い立場の少年は我慢するしかない。(日本の藝能界でもありそうな話だよねぇ〜。)

  ケヴィン・スペイシーは「幼い男子」に興味を持っていたが、ジェフリー・エプシュタインは「10代の生娘(きむすめ)」にご執心だった。『ヴァニティー・フェア』誌のマイケル・ウォルフ記者によれば、エプシュタインはラルフ・ローレンのスーツを身に纏い、イカしたユダヤ青年に見えたそうだ。この大富豪は格好つけてジゴロ気取り。ハンサム俳優のドン・ジョンソンじゃあるまいし、洒落たシャツを着込んでジーンズを穿くが、靴下は穿かず、素足に紐無し靴、といった風体だった。しかも、こんなフッションのエプシュタインが自家用機に乗り込む時には、若くて美しい女性たちがご同伴。傍(はた)から見ても、彼の娘じゃないことくらいは判る。まだ成人に達していない、18、19歳の若い子で、ファッション・モデル並の美人だ。暴露本の『ハード・ボール』にも記されていたが、ウォール街や投資会社で儲けたユダヤ人どもは、大半が高校時代にモテなかった連中である。恋心を抱いた女の子に近づくも、「何よ、ダサイわね !」と冷たくされ、相手にしてもらえない。だから、商売で成功を収めると憧れの西歐系美女を求めるそうだ。エプシュタインも同じ類いなんだろう。

  エプシュタインは職場だとヤムルカ(yarmulkes / ユダヤ教徒の帽子)を被る“むさ苦しい”野郎どもと一緒に働くが、パーム・ビーチの宮殿では透け透けのドレスを着た美少女に囲まれていたそうだ。当時、53歳のエプシュタインは10代の少女に紐パンティーを穿かせて喜んだり、自分の体をマッサージさせて白昼夢を見ていたそうである。彼の部屋にはエロチックな絵画が飾ってあるし、様々な形をしたセックス玩具も取り揃えられていた。中には、ペニスやヴァギナの形をした石鹸まであったという。もう、日活ロマン・ポルノの世界と変わりがない。(ちょっと古いか。なにせ最近の事情には疎いもので。) ユダヤ人俳優のデイヴィッド・ドゥカヴニー(David Duchovny)やマイケル・ダグラス(Michael Douglas)はセックス依存症で治療を受けたけど、エプシュタインはその自覚症状すら無かったんだから、かなりの重症だ。

Michael Douglas 1David Duchovny 2Jeffrey Epstein 2

(左: マイケル・ダグラス / 中央: デイヴィッド・ドゥカヴニー / 右: 女性と一緒のエプシュタイン)

  エプシュタインの「侍女」は実際、何名いたのかは定かではない。しかし、指と舌とペニスの数を足した人数くらいは居たはずである。例えば、エプシュタインは14歳の少女を侍らせ、性的サービスの代金として300ドルを手渡したそうだ。しかし、彼女が学校のクラスメイトにその大金を見せたところ、友人達の間で話題となってしまい、「淫売(whore)」と呼ばれてしまったそうである。彼女はこんな風に罵倒されることが厭になり、間もなく学校を辞めてしまったという。25歳のブロンド美人のケースだと、別の意味でもっと酷い。ローションを用意した彼女のもとに、タオルだけを身に纏った半裸のエプシュタインが現れ、「服を脱げ」と命令したそうだ。そして、彼女が横になったエプシュタインの胸をマッサージすると、彼は自分で体をまさぐり、バイブレーターを彼女の股間に押しつけたという。(Philip Weiss, "The Fantasist", New York Magazine, December 8, 2007) 日本人女性なら、「何それ ! ヤダ、この変態野郎 !」と叫んで、思いっきりビンダを喰らわすだろう。まったく、ハーヴェイ・ワインシュタインといい、エプシュタインといい、どうしてアメリカのクズ野郎は自慰行為が好きなのか、本当に謎である。(彼らからすれば、「ノーマル」なんだろうけどさぁ。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/cat_60306978.html?p=6


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2018年02月27日
性奴隷を持っていたユダヤ人 / 変態が蠢くアメリカ (後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68701503.html


(左: ジェフリー・エプシュタインと少女の獲得に協力したアドリアナ・ロス / 右: 女性と一緒にパーティーを楽しむアンドリュー王子)

  有り余るほどの財産を用いてハーレムを作り、『プレイボーイ』のヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)気取りで、様々な若い娘を侍らしていたエプシュタインだが、プレイガールの方は彼を嫌っていたようだ。お金の為に“サービス”を行っていたある少女は、彼の体をマッサージしながら時計の方ばかりを見ていたという。別の子は穢らわしい「御主人様」と寝ているとき、目を閉じながら現金のことばかり考えていたらしい。クリスマスを迎えるためにお金が必要だった16歳の少女は、マッサージの最中に「下着を脱げ !」と命令されてショックを受けたという。御機嫌なエプシュタインは更なる妄想に耽り、モデルを務める17歳の少女を相手にした時は、自分で買った下着を彼女につけさせ“ご満悦”だった。「特別奉仕」に身を捧げる少女たちは、傲慢不遜なエプシュタインを唾棄していたそうで、彼の毛むくじゃらな体や、卵形のペニスに嫌悪感を抱いていた。(もしかしたら、割礼を受けた“皮無し”ペニスのことかなぁ。でも、気持ち悪いから、あまり想像したくない。) 屈辱を耐える ハーレムの娘たちは、口々にエプシュタインのことを「変態野郎(pervert)」と呼んでいたそうである

Hugh Heffner 2Hugh Hefner 2


(左: ヒュー・ヘフナー / 右: ヘフナーとプレイ・メイトの女性たち )

  一般の日本人だと、「エプシュタインはどうやって若い子を集めたのか ?」と疑問に思うだろう。それは実に簡単な手口だった。彼は手込めにした娘に、次の獲物をスカウトさせていたのだ。ハーレイ・ロビンソン(Haley Robinson)という18歳くらいの娘は、一度だけ“マッサージ”をさせられたが、それ以降、彼女が同じ事をすることはなかった。ロビンソンの拒絶反応を承諾したエプシュタインは、「それなら他の女を調達してこい。そうすりゃ、一人頭200ドルくれてやる !」と持ち掛けたそうだ。このゲス野郎は、「若けりゃ、若いほどいいぞ」とロビンソンに伝え、彼女は「18歳から20歳くらいの子を要望したのだな」と解釈した。200ドルのお金に目が眩んだ少女たちは、ロビンソンから「いいこと。彼には18歳って言うのよ。彼の体を揉めば揉むほどお金が手に入るんだから !」と告げられたそうだ。こう言い聞かせるロビンソンも内心忸怩たる思いがあったらしく、「まるでハイジ・フレイス(Heidi Fleiss)にでもなった気分よ」と漏らしていた。(このハイジ・フレイスという女は、かつて「ハリウッド・マダム」と称されていた売春組織の元締で、売春斡旋や脱税の廉で逮捕され、懲役刑を受けた前科者セレブである。服役後、彼女はテレビを始めとするマスコミに登場し、一時的に話題の人となった。)

Jerry Epstein 3Heidi Fleiss 1Nada Marcinkova (left)

(左: 逮捕されたジェフリー・エプシュタイン / 中央: ハイジ・フレイス / 右: 写真左側ナーダ・マルシンコヴァ )

  若い娘を金で釣ったエプシュタインは、快楽に夢中で調子に乗っていた。彼がマッサージだけではなく、性交渉にまで及んでいたことは確かである。しかも、このユダヤ人は“奉公人”の一人を「性奴隷(sex slave)」と呼んでいたのだ。エプシュタインはユーゴスラヴィアから性奴隷を購入したそうで、ナーダ・マルシンコヴァ(Nada Marcinkova)という19歳の美女を囲っていた。スケベ親爺のエプシュタインを見ていると、ロシアやルーマニア、ウクライナから“白人”女性を仕入れてくるイスラエルの女衒(ぜげん)を思い出す。イスラエルの売春宿に「白い上玉」を届ける人身売買組織は有名で、狡猾なユダヤ人ブローカーは経済不況に喘ぐ東歐諸国を巡り、「お嬢ちゃん、フランスとかアメリカでモデルにならないかい? いい稼ぎになるよ !」と甘い言葉で口説き落とし、愚かな娘どもを引っ掛けると、白人娼婦を求めるユダヤ人業者に売り渡していた。つくづく呆れてしまうが、イスラエルでは白人女の方に高い“需要”があるので、仲介業者は西歐人に近い東歐娘を“供給”するそうだ。人種差別が無いはずのユダヤ人は、セックス産業においてはレイシストのようで、褐色のアラブ人女や、エチオピアの黒い女には興味が無いらしい。買春では彼らの本音が現れる。それにしても、イスラエルではスラヴ人がスレイヴになっていたとは、とても第21世紀の社会とは思えない。

軽すぎる刑罰
 
  どんな悪行にも「潮時」という幕が訪れる。10代の少女を食い物にしていたエプシュタインは、ベッドの上でアクロバットを楽しんでいたが、実は危ない綱渡りをしていたのだ。18歳と称していた少女が、本当は14歳だったりするので、いくら同意の上とはいえ「淫行」になってしまうのだ。しかし、それは承知の上だった。実際、エプシュタインは16歳の少女を弄んだ後、彼女に向かって「誰にも話すんじゃないぞ !」と口止めをしていたんだら、明らかに確信犯だ。彼は飴(金銭)で少女たちを誘い、鞭(脅迫)で威嚇していた。だが、少女達やその親が警察に駆け込むようになったから、2005年、エプシュタインは警察の監視対象になってしまったという。 2006年にパーム・ビーチ署に逮捕されたエプシュタインは、2008年になると裁判にかけられ、早々と自分の有罪を認めることで懲役刑を軽くしようとした。

Alan Dershowitz 2(左 / アラン・ダーショウィッツ)
  悪い奴には幾つか種類があって、兇暴な馬鹿もいれば狡猾な知能犯もいる。エプシュタインは計算高いビジネスマンで、豊富な財力と幅広い人脈を使って、自分に課せられる刑罰をできる限り低く抑えようとした。まず彼がしたことは、優秀な弁護士を集め、如何にして法の網をくぐり抜けるかであった。こうした難題に最適なのは、やはり同胞のユダヤ人弁護士である。エプシュタインは高名なアラン・ダーショウッィツ(Alan Dershowitz)を雇った。一般の日本人はもう忘れているだろうが、ダーショウィッツはO.J.シンプソンの弁護を務めた「ドリーム・チーム」の一員だ。筋金入りの「親イスラエル派」で、ハーヴァード大学教授となっていたダーショウィッツが弁護士軍団に加われば、鬼に金棒、熊に蜂蜜、ポパイにほうれん草である。

  大金で雇われたダーショウィッツは、敏腕弁護士がよく用いる手口でエプシュタインの罪を軽くしようと図った。すなわち、彼は証言者となった少女たちの信憑性を攻撃したのだ。お金に釣られて売春婦になるくらいだから、少女たちは叩けば埃(ほこり)の出る体で、脛に傷を持つ者だって少なくない。ダーショウィッツは彼女たちがアルコールやドラッグに溺れている点を突き、何名かが前科持ちであったり、非行少女であることも暴露した。こうした不都合な真実を指摘することで、ダーショウィッツは証人の中に嘘つきがいると示唆し、少女たちの話は信用できないと訴えたそうだ。(Andrew Marra, "Jeffrey Epstein craved big homes, elite friends, and investigators say, underage girls", The Palm Beach Post, August 14, 2006) 筆者には少女たちを厳しく尋問するダーショウィッツの顔が目に浮かぶ。昔から、ユダヤ人は法廷で異教徒を糾弾するのが上手だから、彼らの弁舌には相当な年季が入っている。

  有罪を認めたエプシュタインは懲役刑を受けたものの、収容されたのはゴロツキで溢れる刑務所ではなく、穏やかな地元の勾留施設であった。しかも、刑期は18ヶ月ほどで、週に6日は保釈労働プログラムとやらで、自分のオフィスに赴いて働く事ができたという。(Paula McMahon, Feds deceived us about billionaire sex offender's sweetheart deal, teen victims say", The Sun Sentinel, February 11, 2016) これじゃあ、牢獄での服役というより、週末のお泊まりじゃないか。お金を与えて少女に淫らな行為をした奴は、刺青を彫った怖い南米人や殺人鬼の黒人がウヨウヨいる刑務所に放り込むべきだ。散々未成年を食い物にしてきたエプシュタインには、牢獄で“女に飢えた”兇悪犯と一緒に寝泊まりする方が相応しい。数人の囚人に取り押さえられ、肛門を犯されれば、さすがのエプシュタインも反省するだろう。アメリカの刑務所って、本当に凄い変態がいるから、少女を専門にしていた囚人は格好の餌食になるらしい。でも、悪党から「正義の制裁」を下されるなんて皮肉だ。

華麗なる有力人脈

  悪い事をした奴でも、裕福なら有利になるのがアメリカの現実である。エプシュタインは色々な団体に寄付をしていたそうで、例えば、フロリダのバレー団体(Ballet Florida)に19万ドル(約2千万円)も渡していたそうだ。バレリーナには精神的治療を目的としたセラピーとか、怪我を治し体をほぐす“マッサージ”が不可欠なので、エプシュタインは熱心に支援していたそうである。このスケベ野郎は時代劇の悪徳商人みたいに、パーム・ビーチ署にも9万ドルを寄付していたそうだ。彼の逮捕後、この贈り物は返却されたというが、悪党は警察までも抱き込もうとするから狡賢い。警察官を仲間にしようとするくらいだから、政治家に献金することくらい当り前だ。エプシュタインはユダヤ人らしく民衆党贔屓で、ユダヤ人上院議員のジョン・ケリー(John Kerry)、ジョセフ・リーバマン(Joseph Lieberman)、チャールズ・シューマー(Charles Schumer)に献金していた。その他には、上院の大物であるヒラリー・クリントンやクリス・ドッド(Chris Dodd)、元ニュー・メキシコ州知事のビル・リチャードソン(Bill Richardson)などか見受けられる。

John Kerry 1Joseph Lieberman 111Charles Schumer 3Bill Richardson 1

(左: ジョン・ケリー / ジョセフ・リーバマン / チャールズ・シューマー / 右: ビル・リチャードソン)

  しかし、エプシュタインの友人で一番の著名人と言えば、英国のアンドリュー王子だろう。このヨーク公爵はエプシュタインと親密であったが、彼の裁判に呼び出されることはなかった。しかし、「黒い疑惑」に包まれることになったのは確かだ。というのも、エプシュタインの娼婦となっていたヴァージニア・ロバーツ(Virginia Roberts / 30歳)が世間に顔と名前を晒し、アンドリュー王子を含めたお客との過去をバラしたからである。当時17歳だったロバーツ氏は日記をつけており、それをマスコミに公表したから話題になった。とりわけ注目されたのは、エプシュタインが彼女に言い付けた“おもてなし”である。つまり、エプシュタインは彼女に、「1万ドルやるから、ヨーク公と寝ろ !」と持ち掛けたのだ。(Adam Withnall, "Teenage sex slave Virginia Roberts claims she was paid £ 10,000 by Jeffrey Epstein to have sex with Prince Andrew", The Independent, 4 January 2015) ロバーツ氏によれば、アンドリュー王子は彼女が17歳だと判っていたらしい。ただ、本当に性交渉があったのかは証明されていないから、不確定な「疑惑」のままだ。アンドリュー王子は容疑を全面的に否定している。

Virginia Roberts 1Prince Andrew 11Prince Andrew & Virginia Roberts 1


(左: ヴァージニア・ロバーツ / 中央: アンドリュー王子 / 右: 仲睦まじい当時のアンドリュー王子とロバーツ )

  危険な火遊びに夢中だったエプシュタインは、有能な弁護士軍団を率いて刑事裁判を乗り切ったが、民事裁判で痛手を蒙ることになった。彼は餌食にした20数名の女性たちに訴えられ、その内の三人に対し、合計で550万ドル(約5億8千850万円)の示談金を支払う破目になったそうである。三名の「元少女」たちの名前は公表されず、匿名で報道され、「L.M」には100万ドル、「E.W.」には200万ドル、「Jane Doe」には250万ドルが支払われたという。(Jane Musgrave, "Epstein paid three women $ 5.5 million to end underage-sex lawsuits", The Palm Beach Post, October 3, 2017) ただし、三番目の「ジェイン・ドウ」は正体を現し、彼女がヴァージニア・ロバーツであることが判った。(Philip Sherwell, "Prince Andrew sex abuse allegation theown out by judge", The Telegraph, 7 April 2015) 権力の座から転げ落ちたエプシュタインには、次々と非難の矢が打ち込まれ、被害者たちに対しては防戦の一方だ。当時14歳だった女性は、エプシュタインが14歳と判っていてセックスを行った、と告発していたし、世間から叩かれたエプシュタインも未成年との淫行を認めざるを得なかった。

  ただし、彼は自分を「性的な罪を犯した違反者(sex offender)」であると主張し、決して少女たちを狙った「捕食者(predator)」ではないと言い張ったそうである。(Amber Sutherland, "Billionaire Jeffrey Epstein : I'm a sex offender, not a predator", New York Post, February 25, 2011) 要するに、彼は不謹慎な事を行った愚か者であるが、社会に恐怖を与える性犯罪者ではない、と言いたかったのであろう。エプシュタインの弁明は、買春をした教師の言い訳に似ている。例えば、よく地方の高校とか中学から東京に出張した教師が、渋谷の女子高生と「援助交際」をするけど、それが後にバレたとき、「つい魔が差してしまい、申し訳ない」と謝罪するだろう。ところが、こうしたスケベ教師は「お金を払って未成年とセックスをしました」と謝罪するが、少女を襲って強姦したわけじゃないから、自分を「性犯罪者」とは思わない。まぁ、「運が悪かった」と歎くくらいだ。

  数学を得意としたエプシュタインは、倫理・道徳より司法取引やゼニ勘定で罪を償った。あれだけ派手に女遊びをして、たった18ヶ月の“お勤め”なんだから、一般のアメリカ人なら「やっぱり金持ちは罰せられることはないのかぁ」と溜息をつくだろう。もし、名も無き一般白人が同じ事をしたら、もっと重い罰則を受け、出所してからも茨の道は確実だ。性犯罪の前科だと、いつまでも罪が消えず、家族はバラバラになるし、職探しをしても雇ってくれないから、失業者になることが多く、侘しい路上生活が待っている。その点、“はした金”を払って事件を終熄させたエプシュタンは違う。別に一文無しになった訳じゃないから、反省は無い。彼はある友人に「パーム・ビーチは反ユダヤ主義が強いから、俺に対しての陰謀があるんだ」と語っていたそうだ。(前回紹介した記事「The Fantasist」を参照。) まったく、芯から腐っているユダヤ人には附ける薬が無い。こういう奴はイスラエルに追放すべきななんじゃないか。でも、エプシュタインはナチスと同じ迫害だ、と言うかもね。米国で豊かな暮らしをするユダヤ人にとったら、アウシュヴィッツもイェルサレムも変わりがなく、どちらも嫌な場所なのかも知れないぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68701503.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c40

[日本の事件17] プチエンジェル事件の真相
78. 中川隆[-8730] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:36:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4014]

ハーレムを作ろうとしたユダヤ人富豪 / 変態が蠢くアメリカ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/cat_60306978.html?p=6


異色な経歴を持つ大君

  前回、体操選手の少女を食い物にしたアラブ系アメリカ人について述べたが、今回は10代の娘たちを弄(もてあそ)んだユダヤ系アメリカ人を紹介したい。未成年の女性に金を渡して淫らな行為をはたらいたのは、ジェフリー・エプシュタイン(Jeffrey Epstein)という大富豪であった。おそらく、日本の大手メディアでは報道されなかったと思うが、彼の過去を調べてみると、いかにもユダヤ人らしい経歴の持ち主であることが判る。

Jeffrey Epstein 1(左 / ジェフリー・エプシュタイン)

  1953年に生まれたジェフリー・エプシュタインは、ニューヨーク州のコニー・アイランドで育ち、ブルックリンにあるラファイエット(Lafayette)高校に通ったそうだ。彼は数学が得意で、20歳を過ぎた頃には、マンハッタンのエリート私立校と称される「ダルトン(Dalton)」で物理と数学を教えていたという。しかし、この数学教師は大卒ではなかった。確かに、イーストヴィレッジにあるクーパー・ユニオン(Cooper Union)大学とニューヨーク大学(NYU)で科学を勉強したが、学位を取るまでには至らなかったそうである。それでも、生徒からはカリスマ教師と呼ばれていたから、ジェフリーは独学に向いている秀才だったのだろう。

  「ユダヤ人はユダヤ人と群れる」というか、「ユダヤ人が歩くとユダヤ人に出逢う」ようで、ジェフリーの教え子の中には、テッド・グリーンバーグ(Ted Greenberg)という生徒がいたそうだ。単なる偶然だろうが、テッドの父親というのは、有名な投資会社ベア・スターンズ(Bear Stearns)のアラン・コートニー・“エース”・グリーンバーグ(Allan Courtney “Ace” Greenberg)であった。(Vickey Ward, "The Talented Mr. Epstein", Vanity Fair, June 27, 2011) まぁ、「ジュー・ヨーク」の異名を持つニュー・ヨークだから、著名なビジネスマンの子弟がいても不思議ではない。 ただ、ジェフリーは幸運だった。彼はグリーンバーグの娘とも親しかったようで、この親睦を介して直ぐさまベア・スターンズ社に入れてもらえたそうである。彼はグリーンバーグ会長と、その後継者たるジェイムズ・ケイン(James Cayne)会長のもとで投資の腕を磨き、有能な錬金術師に進化したようだ。ところが、ジェフリーは1981年、突如として会社を辞めてしまう。あるインサイダー取引に係わったことで、SEC(證券取引監視委員会)の調査を受け、退社することに決めたそうだ。もしかしたら、ここが潮時と見なしたのかも知れない。彼は辞職後、自分で事業を興し、人も羨む巨万の富を得た。

Ted Greenberg 1Alan Greenberg 1James Cayne 3


(左: テッド・グリーンバーグ / 中央: アラン・グリーンバーグ / 右: ジェイムズ・ケイン)

  ジェフリー・エプシュタインの経歴や生活を観てみると、その幅広い人脈に驚かされる。例えば、彼はコロンビア大学教授のリチャード・アクセル(Richard Axel)と交流があった。皆様ご存じの通り、アクセル教授は神経組織や遺伝子学を専門とする医学博士で、ノーベル生理学賞・医学賞を授与されたことで有名だ。彼はエプシュタインと同じブルックリン育ちで、ユダヤ系アメリカ人という共通点も有している。ちなみに、アクセル博士の両親はポーランド系ユダヤ人で、ナチス・ドイツの迫害を逃れるため、ポーランドからアメリカに渡ってきたそうだ。

Richard Axel 1Henry Kissinger 3Larry King 1Eliot Spitzer 2

(左: リチャード・アクセル / ヘンリー・キッシンジャー / ラリー・キング / 右: エリオット・スピッツァー)

  ニューヨークにはユダヤ人が本当に溢れていて、元国務長官のヘンリー・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)やCNNの看板ホストであったラリー・キング(本名 / Lawrence Harvey Zeiger)といった有名人がすぐ思い浮かぶ。(註 / ドイツ生まれのキッシンジャーはマンハッタンの高校に通い、前科を持つキングはブルックリン育ちである。) 政界を見回してもユダヤ人が多く、州知事になったハーバート・H・リーマン(Herbert H. Lehman)は「リーマン・ブラザーズ」を創業したメイヤー(Mayer Lehman)の息子だし、セックス・スキャンダルで失脚したエリオット・スピッツアー(Eliot Spitzer)元州知事は、ガリシア・ユダヤ移民の孫で、州検事(District Attorney)上がりときている。面白いのは、彼の元上司がロバート・M・モーゲンソー(Robert Moris Morgenthau)であったことだ。氏族名からも判る通り、彼は有名な財務長官ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア(Henry Morgenthau, Jr.)の息子で、母方の曾祖父はメイヤー・リーマンであった。日本人は無頓着だけど、ユダヤ人って色々な家族と閨閥で繋がっており、「巨大な蜘蛛の巣」と呼んでもいい親戚関係を持っている。(参考までに、Daniel Gutweinの『The Divided Elite』を読むと、驚くような血の人脈を知ることができる。怒ってもしょうがないが、日本の大学教は下らない左翼本は熱心に翻訳するくせに、我々にとって有益な洋書になると完全無視を決め込む。これだから、無知な学生が多くても当然なんだよねぇ。)

Herbert Lehman 1Mayer Lehamn 1Robert Morris Morgenthau 2Henry Morgenthau Jr 1


( 左: ハーバート・リーマン / メイヤー・リーマン / ロバート・モーゲンソー / 右: ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア)

  脱線したので話を元に戻す。「ベア・スターンズ」を去ったエプシュタインは、自分の名前を冠した会社を創設し、顧客の資産を運用することで10億ドルもの財産を築いたそうだ。野心家のエプシュタインが不動産のみならず、メディアにも食指を伸ばしたのは、いかにもユダヤ人らしい。彼は有名な『ニューヨーク・マガシン』誌を買収しようとしたが、その王手に待ったを掛けたのも、これまたユダヤ人のお金持ちであった。まず、メディア王のモーティマー・B・ザッカーマン(Mortimer Benjamin Zuckerman)は、大手新聞社の「USA Today & World Report」紙と「New York Daily News」紙を買収した投資家で、老舗雑誌の「アトランティク(The Atlantic)」まで買収していた大物だ。新聞の編集長を務めるザッカーマンは、大学などに多額の寄附を行う慈善家であり、その一方でアメフトチーム(NFL)「ワシントン・レッドスキン」のオーナーでもある。極めつけは、ユダヤ人団体の「主要ユダヤ人機関総裁評議会(Conference of Presidents of Major American Jewish Organizations)」で会長を務めていたことだ。

Mortimer Zuckerman 1Bruce Wasserman 1Donny Deutsch 1Nelson Peltz 1

( 左: モーティマー・ザッカーマン / ブルース・ワッサーシュタイン / ドニー・ドイチュ / 右: ネルソンん・ペルツ)

  その他には、ウォール街の投資家であるブルース・ワッサーシュタイン(Bruce Wasserstein)や、CNNで番組司会を務める広告屋のドニー・ドイチュ(Donny Deutsch)、「トリアン・ファンド・マネージメント」を創設した投資家のネルソン・ペレツ(Nelson Peltz)が挙げられる。このペレツは手広く事業を拡大しており、ピーター・メイと組んで大手飲料メーカーの「スナップル(Snapple)」やシリアル業界の老舗である「クウェイカー・オーツ(Quaker Oats)」を買収していたし、世界各地に店舗をもつハンバーガー・チェーンの「ウェンディーズ(Wendy's)」、ペプシ・コーラで有名な「ペプシコ(PepsiCo)」も手に入れていたのだ。(ここでは関係無いけど、アメリカの自動販売機は不味いドリンクばかりを並べており、筆者は「スナップル」を見るとウンザリした。日本の自販機の方が、よっぽどバラエティーに富んだ品揃えである。) ネルソン・ペレツに言及するなら、一般的には「ハリウッド女優のニコラ・ペルツ(Nicola Anne Peltz)の父親」と紹介した方が分かりやすいだろう。大ヒット映画『トランスフォーマー』を観た日本人は、「あの可愛らしい女の子かぁ」と思い出すに違いない。ちなみに、彼女の母親は元モデルのクラウディア・ヘフナー(Claudia Heffner)だから、美少女に生まれたのもうなづけよう。もう一人の投資家は、大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein)である。セクハラ・スキャンダルで失脚したワインシュタインについては、当ブログで前に述べたから、ここでは繰り返さない。

Nicola Peltz 2Nicola Peltz & Claudia Heffner 1Harvey Weinstein 2

(左: ニコラ・ペルツ / 中央: ニコラと母親のクラウディア・ヘフナー・ペルツ / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン)

  またもや脱線したので元に戻す。ビジネスで成功したエプシュタインの暮らしぶりは、当然ながら派手になった。彼はNYマンハッタンの五番街とマディソン通りに9階建ての豪邸を構え、その広さは5万平方フィートにも及ぶそうだ。都会で豪華な邸宅に住むアメリカ人は、ちょいとカウボーイを真似て田舎に牧場を所有したりする。エプシュタインも1800万ドルを払って、ニュー・メキシコ州に7500エーカーの牧場を購入したそうだ。西歐系アメリカ人を気取ったこのユダヤ人は、ご自慢の牧場を「ゾロ(Zorro)」と名づけたらしい。(たぶん「キツネ」じゃなく、「怪傑ゾロ」にちなんだネーミングだろう。) これだけで飽き足らないエプシュタインは、ヴァージン諸島にある70エーカーの小島「リトル・セント・ジェイムズ」を買い取っていた。さらに、事件の舞台となるフロリダ州パーム・ビーチに680万ドルもする豪邸を構え、ヘリコプターや小型のビジネス・ジェット機「ガルフストリームIV」、プライベート機の「ボーイング727」まで所有していたのだ。

  エプシュタインはこのジェット機をビジネスにも使っていたが、時には大切なお客様や友人を乗せて世界中を駆け巡っていたそうだ。彼の交友関係は幅広く、スーパーマーケット業界の大御所ロン・バークル(Ron Burkle)や藝能界の有名プロデューサー、ケイシー・ワッサーマン(Casey Wasserman / 本名Casey Myer)がいた。このケイシーは映画界の大物ルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)の孫である。祖父のルーは遣り手のユダヤ商人で、ユダヤ人のジュール・シュタイン(Jules Stein)が創業した「MCA(Music Corporation America)」を買収し、大手プロダクションに発展させたことで知られている。彼の会社は有名女優のベティー・デイヴィスやのちに大統領となるロナルド・レーガンの代理を務めていたそうだ。ユダヤ人らしく民衆党に献金していたルー・ワッサーマンが、どうして共和党のレーガン大統領と親しかったのかは、これを知れば解るだろう。後に、ルーは有名な「ユニヴァーサル・スタジオ」を買収し、自分のMCAと合併させて巨大化させていた。本当に、エンターテイメント業界はユダヤ人だらけである。

Ron Burkle 1Casey Wasserman 1Lew Wasserman 2Jules Stein 1

(左: ロン・バークル / ケイシー・ワッサーマン / ルー・ワッサーマン / 右: ジュール・シュタイン)

  エプシュタインの友人はこれに留まらず、未来の大統領になる不動産王のドナルド・トランプや、映画シリーズ『ラッシュ・アワー』で人気者となったクリス・タッカー(Chris Tucker)もいた。興味深いのは、エプシュタインのプライベート・ジェット機に同乗し、2002年にアフリカ旅行を楽しんだ仲間である。その一人は元合衆国大統領のビル・クリントンで、もう片方は人気男優のケヴィン・スペイシー(Kevin Spacey)。何とも豪華なメンバーだ。浮気性が治らないクリトンと、少年を“愛する”スペイシーに、少女を好むエプシュタイン。まさしく「エロス三人衆」と呼んでもいい連中である。映画『ネゴシエーター』やTVドラマ『ハウス・オブ・カーズ(House of Cards)』を楽しんでいたファンには衝撃的であろうが、スペイシーはその昔、14歳の少年アンソニー・ラップ(Anthony Rapp)の太腿や股間を揉んでしまったそうで、昨年、成人したラップ氏に訴えられ、長年かけて築いてきた地位を失ってしまった。

Chris Tucker 2Bill Clinton 5Kevin Spacey 1Anthony Rapp 2

(左: クリス・タッカー / ビル・クリントン / ケヴィン・スーペイシー / 右: アンソニー・ラップ)

  しかも、同性愛者ということがバレたから、熱烈なファンはショックを隠しきれなかった。まさか、実力派の名俳優がゲイで変態だなんて信じられない。でも、真実みたいだ。被害者であるラップ氏の話は生々しく、いくらスペイシーが「酒に酔っていて記憶が無い」と言い訳しても、世間は信じないだろう。若い女性ファンなら「ヤダあぁぁぁ !」と震えて後ずさり。この暴露事件を受けて、ドラマ『ハウス・オブ・カーズ』は打ち切りとなった。やはり、未成年に対する性的犯罪者じゃ、女性ファンは遠ざかるし、男性ファンだって気持ちが悪い。子役からスタートし、映画『ロスト・ボーイ』や『スタン・バイ・ミー』で有名になったハリウッド男優、コリー・フェルドマン(Corey Feldman)が告発していたけど、ハリウッドのプロデューサーとか“お偉方”には、少年への性的な興奮を覚える変態(pedophilia)が多いそうだ。彼は雑誌やテレビで自分の被害や犠牲となった友人の話を暴露していた。(Joe Martino, "Corey Feldman begins naming Hollywood pedophiles, reports them LAPD", Collective Evolution, November 3, 2017)

Corey Feldman 3Corey Haim 2

(左2枚: コリー・フェルドマンの昔と今 / 右2枚: 生前のコリー・ハイム )

  このユダヤ人俳優フェルドマンには、コリー・ハイム(Corey Haim)というユダヤ系カナダ人の友人がいて、亡くなったハイムから忌まわしい体験を聞いていたそうだ。『ロスト・ボーイズ』でフェルドマンと共演した俳優のハイムは、少年愛好家の映画プロデューサーに服従し、屈辱的なアナル(肛門)・セックスを受け容れてしまった。当時、14歳だったハイムは42歳の男にセックスを強要され、その関係は二年にも及んだそうである。フェルドマンが伝えるところによれば、幼いハイムは“ご主人様”から「こんな事はなぁ、ハリウッドでは珍しくないんだぞ !」と言われ、その凌辱にずっと耐えていたそうだ。たぶん、ハイムは怯えきっていたのだろう。もし、セックスを拒絶すれば、有力者から「干される」ことも予想できたから、弱い立場の少年は我慢するしかない。(日本の藝能界でもありそうな話だよねぇ〜。)

  ケヴィン・スペイシーは「幼い男子」に興味を持っていたが、ジェフリー・エプシュタインは「10代の生娘(きむすめ)」にご執心だった。『ヴァニティー・フェア』誌のマイケル・ウォルフ記者によれば、エプシュタインはラルフ・ローレンのスーツを身に纏い、イカしたユダヤ青年に見えたそうだ。この大富豪は格好つけてジゴロ気取り。ハンサム俳優のドン・ジョンソンじゃあるまいし、洒落たシャツを着込んでジーンズを穿くが、靴下は穿かず、素足に紐無し靴、といった風体だった。しかも、こんなフッションのエプシュタインが自家用機に乗り込む時には、若くて美しい女性たちがご同伴。傍(はた)から見ても、彼の娘じゃないことくらいは判る。まだ成人に達していない、18、19歳の若い子で、ファッション・モデル並の美人だ。暴露本の『ハード・ボール』にも記されていたが、ウォール街や投資会社で儲けたユダヤ人どもは、大半が高校時代にモテなかった連中である。恋心を抱いた女の子に近づくも、「何よ、ダサイわね !」と冷たくされ、相手にしてもらえない。だから、商売で成功を収めると憧れの西歐系美女を求めるそうだ。エプシュタインも同じ類いなんだろう。

  エプシュタインは職場だとヤムルカ(yarmulkes / ユダヤ教徒の帽子)を被る“むさ苦しい”野郎どもと一緒に働くが、パーム・ビーチの宮殿では透け透けのドレスを着た美少女に囲まれていたそうだ。当時、53歳のエプシュタインは10代の少女に紐パンティーを穿かせて喜んだり、自分の体をマッサージさせて白昼夢を見ていたそうである。彼の部屋にはエロチックな絵画が飾ってあるし、様々な形をしたセックス玩具も取り揃えられていた。中には、ペニスやヴァギナの形をした石鹸まであったという。もう、日活ロマン・ポルノの世界と変わりがない。(ちょっと古いか。なにせ最近の事情には疎いもので。) ユダヤ人俳優のデイヴィッド・ドゥカヴニー(David Duchovny)やマイケル・ダグラス(Michael Douglas)はセックス依存症で治療を受けたけど、エプシュタインはその自覚症状すら無かったんだから、かなりの重症だ。

Michael Douglas 1David Duchovny 2Jeffrey Epstein 2

(左: マイケル・ダグラス / 中央: デイヴィッド・ドゥカヴニー / 右: 女性と一緒のエプシュタイン)

  エプシュタインの「侍女」は実際、何名いたのかは定かではない。しかし、指と舌とペニスの数を足した人数くらいは居たはずである。例えば、エプシュタインは14歳の少女を侍らせ、性的サービスの代金として300ドルを手渡したそうだ。しかし、彼女が学校のクラスメイトにその大金を見せたところ、友人達の間で話題となってしまい、「淫売(whore)」と呼ばれてしまったそうである。彼女はこんな風に罵倒されることが厭になり、間もなく学校を辞めてしまったという。25歳のブロンド美人のケースだと、別の意味でもっと酷い。ローションを用意した彼女のもとに、タオルだけを身に纏った半裸のエプシュタインが現れ、「服を脱げ」と命令したそうだ。そして、彼女が横になったエプシュタインの胸をマッサージすると、彼は自分で体をまさぐり、バイブレーターを彼女の股間に押しつけたという。(Philip Weiss, "The Fantasist", New York Magazine, December 8, 2007) 日本人女性なら、「何それ ! ヤダ、この変態野郎 !」と叫んで、思いっきりビンダを喰らわすだろう。まったく、ハーヴェイ・ワインシュタインといい、エプシュタインといい、どうしてアメリカのクズ野郎は自慰行為が好きなのか、本当に謎である。(彼らからすれば、「ノーマル」なんだろうけどさぁ。)
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2018年02月27日
性奴隷を持っていたユダヤ人 / 変態が蠢くアメリカ (後編)
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(左: ジェフリー・エプシュタインと少女の獲得に協力したアドリアナ・ロス / 右: 女性と一緒にパーティーを楽しむアンドリュー王子)

  有り余るほどの財産を用いてハーレムを作り、『プレイボーイ』のヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)気取りで、様々な若い娘を侍らしていたエプシュタインだが、プレイガールの方は彼を嫌っていたようだ。お金の為に“サービス”を行っていたある少女は、彼の体をマッサージしながら時計の方ばかりを見ていたという。別の子は穢らわしい「御主人様」と寝ているとき、目を閉じながら現金のことばかり考えていたらしい。クリスマスを迎えるためにお金が必要だった16歳の少女は、マッサージの最中に「下着を脱げ !」と命令されてショックを受けたという。御機嫌なエプシュタインは更なる妄想に耽り、モデルを務める17歳の少女を相手にした時は、自分で買った下着を彼女につけさせ“ご満悦”だった。「特別奉仕」に身を捧げる少女たちは、傲慢不遜なエプシュタインを唾棄していたそうで、彼の毛むくじゃらな体や、卵形のペニスに嫌悪感を抱いていた。(もしかしたら、割礼を受けた“皮無し”ペニスのことかなぁ。でも、気持ち悪いから、あまり想像したくない。) 屈辱を耐える ハーレムの娘たちは、口々にエプシュタインのことを「変態野郎(pervert)」と呼んでいたそうである

Hugh Heffner 2Hugh Hefner 2


(左: ヒュー・ヘフナー / 右: ヘフナーとプレイ・メイトの女性たち )

  一般の日本人だと、「エプシュタインはどうやって若い子を集めたのか ?」と疑問に思うだろう。それは実に簡単な手口だった。彼は手込めにした娘に、次の獲物をスカウトさせていたのだ。ハーレイ・ロビンソン(Haley Robinson)という18歳くらいの娘は、一度だけ“マッサージ”をさせられたが、それ以降、彼女が同じ事をすることはなかった。ロビンソンの拒絶反応を承諾したエプシュタインは、「それなら他の女を調達してこい。そうすりゃ、一人頭200ドルくれてやる !」と持ち掛けたそうだ。このゲス野郎は、「若けりゃ、若いほどいいぞ」とロビンソンに伝え、彼女は「18歳から20歳くらいの子を要望したのだな」と解釈した。200ドルのお金に目が眩んだ少女たちは、ロビンソンから「いいこと。彼には18歳って言うのよ。彼の体を揉めば揉むほどお金が手に入るんだから !」と告げられたそうだ。こう言い聞かせるロビンソンも内心忸怩たる思いがあったらしく、「まるでハイジ・フレイス(Heidi Fleiss)にでもなった気分よ」と漏らしていた。(このハイジ・フレイスという女は、かつて「ハリウッド・マダム」と称されていた売春組織の元締で、売春斡旋や脱税の廉で逮捕され、懲役刑を受けた前科者セレブである。服役後、彼女はテレビを始めとするマスコミに登場し、一時的に話題の人となった。)

Jerry Epstein 3Heidi Fleiss 1Nada Marcinkova (left)

(左: 逮捕されたジェフリー・エプシュタイン / 中央: ハイジ・フレイス / 右: 写真左側ナーダ・マルシンコヴァ )

  若い娘を金で釣ったエプシュタインは、快楽に夢中で調子に乗っていた。彼がマッサージだけではなく、性交渉にまで及んでいたことは確かである。しかも、このユダヤ人は“奉公人”の一人を「性奴隷(sex slave)」と呼んでいたのだ。エプシュタインはユーゴスラヴィアから性奴隷を購入したそうで、ナーダ・マルシンコヴァ(Nada Marcinkova)という19歳の美女を囲っていた。スケベ親爺のエプシュタインを見ていると、ロシアやルーマニア、ウクライナから“白人”女性を仕入れてくるイスラエルの女衒(ぜげん)を思い出す。イスラエルの売春宿に「白い上玉」を届ける人身売買組織は有名で、狡猾なユダヤ人ブローカーは経済不況に喘ぐ東歐諸国を巡り、「お嬢ちゃん、フランスとかアメリカでモデルにならないかい? いい稼ぎになるよ !」と甘い言葉で口説き落とし、愚かな娘どもを引っ掛けると、白人娼婦を求めるユダヤ人業者に売り渡していた。つくづく呆れてしまうが、イスラエルでは白人女の方に高い“需要”があるので、仲介業者は西歐人に近い東歐娘を“供給”するそうだ。人種差別が無いはずのユダヤ人は、セックス産業においてはレイシストのようで、褐色のアラブ人女や、エチオピアの黒い女には興味が無いらしい。買春では彼らの本音が現れる。それにしても、イスラエルではスラヴ人がスレイヴになっていたとは、とても第21世紀の社会とは思えない。

軽すぎる刑罰
 
  どんな悪行にも「潮時」という幕が訪れる。10代の少女を食い物にしていたエプシュタインは、ベッドの上でアクロバットを楽しんでいたが、実は危ない綱渡りをしていたのだ。18歳と称していた少女が、本当は14歳だったりするので、いくら同意の上とはいえ「淫行」になってしまうのだ。しかし、それは承知の上だった。実際、エプシュタインは16歳の少女を弄んだ後、彼女に向かって「誰にも話すんじゃないぞ !」と口止めをしていたんだら、明らかに確信犯だ。彼は飴(金銭)で少女たちを誘い、鞭(脅迫)で威嚇していた。だが、少女達やその親が警察に駆け込むようになったから、2005年、エプシュタインは警察の監視対象になってしまったという。 2006年にパーム・ビーチ署に逮捕されたエプシュタインは、2008年になると裁判にかけられ、早々と自分の有罪を認めることで懲役刑を軽くしようとした。

Alan Dershowitz 2(左 / アラン・ダーショウィッツ)
  悪い奴には幾つか種類があって、兇暴な馬鹿もいれば狡猾な知能犯もいる。エプシュタインは計算高いビジネスマンで、豊富な財力と幅広い人脈を使って、自分に課せられる刑罰をできる限り低く抑えようとした。まず彼がしたことは、優秀な弁護士を集め、如何にして法の網をくぐり抜けるかであった。こうした難題に最適なのは、やはり同胞のユダヤ人弁護士である。エプシュタインは高名なアラン・ダーショウッィツ(Alan Dershowitz)を雇った。一般の日本人はもう忘れているだろうが、ダーショウィッツはO.J.シンプソンの弁護を務めた「ドリーム・チーム」の一員だ。筋金入りの「親イスラエル派」で、ハーヴァード大学教授となっていたダーショウィッツが弁護士軍団に加われば、鬼に金棒、熊に蜂蜜、ポパイにほうれん草である。

  大金で雇われたダーショウィッツは、敏腕弁護士がよく用いる手口でエプシュタインの罪を軽くしようと図った。すなわち、彼は証言者となった少女たちの信憑性を攻撃したのだ。お金に釣られて売春婦になるくらいだから、少女たちは叩けば埃(ほこり)の出る体で、脛に傷を持つ者だって少なくない。ダーショウィッツは彼女たちがアルコールやドラッグに溺れている点を突き、何名かが前科持ちであったり、非行少女であることも暴露した。こうした不都合な真実を指摘することで、ダーショウィッツは証人の中に嘘つきがいると示唆し、少女たちの話は信用できないと訴えたそうだ。(Andrew Marra, "Jeffrey Epstein craved big homes, elite friends, and investigators say, underage girls", The Palm Beach Post, August 14, 2006) 筆者には少女たちを厳しく尋問するダーショウィッツの顔が目に浮かぶ。昔から、ユダヤ人は法廷で異教徒を糾弾するのが上手だから、彼らの弁舌には相当な年季が入っている。

  有罪を認めたエプシュタインは懲役刑を受けたものの、収容されたのはゴロツキで溢れる刑務所ではなく、穏やかな地元の勾留施設であった。しかも、刑期は18ヶ月ほどで、週に6日は保釈労働プログラムとやらで、自分のオフィスに赴いて働く事ができたという。(Paula McMahon, Feds deceived us about billionaire sex offender's sweetheart deal, teen victims say", The Sun Sentinel, February 11, 2016) これじゃあ、牢獄での服役というより、週末のお泊まりじゃないか。お金を与えて少女に淫らな行為をした奴は、刺青を彫った怖い南米人や殺人鬼の黒人がウヨウヨいる刑務所に放り込むべきだ。散々未成年を食い物にしてきたエプシュタインには、牢獄で“女に飢えた”兇悪犯と一緒に寝泊まりする方が相応しい。数人の囚人に取り押さえられ、肛門を犯されれば、さすがのエプシュタインも反省するだろう。アメリカの刑務所って、本当に凄い変態がいるから、少女を専門にしていた囚人は格好の餌食になるらしい。でも、悪党から「正義の制裁」を下されるなんて皮肉だ。

華麗なる有力人脈

  悪い事をした奴でも、裕福なら有利になるのがアメリカの現実である。エプシュタインは色々な団体に寄付をしていたそうで、例えば、フロリダのバレー団体(Ballet Florida)に19万ドル(約2千万円)も渡していたそうだ。バレリーナには精神的治療を目的としたセラピーとか、怪我を治し体をほぐす“マッサージ”が不可欠なので、エプシュタインは熱心に支援していたそうである。このスケベ野郎は時代劇の悪徳商人みたいに、パーム・ビーチ署にも9万ドルを寄付していたそうだ。彼の逮捕後、この贈り物は返却されたというが、悪党は警察までも抱き込もうとするから狡賢い。警察官を仲間にしようとするくらいだから、政治家に献金することくらい当り前だ。エプシュタインはユダヤ人らしく民衆党贔屓で、ユダヤ人上院議員のジョン・ケリー(John Kerry)、ジョセフ・リーバマン(Joseph Lieberman)、チャールズ・シューマー(Charles Schumer)に献金していた。その他には、上院の大物であるヒラリー・クリントンやクリス・ドッド(Chris Dodd)、元ニュー・メキシコ州知事のビル・リチャードソン(Bill Richardson)などか見受けられる。

John Kerry 1Joseph Lieberman 111Charles Schumer 3Bill Richardson 1

(左: ジョン・ケリー / ジョセフ・リーバマン / チャールズ・シューマー / 右: ビル・リチャードソン)

  しかし、エプシュタインの友人で一番の著名人と言えば、英国のアンドリュー王子だろう。このヨーク公爵はエプシュタインと親密であったが、彼の裁判に呼び出されることはなかった。しかし、「黒い疑惑」に包まれることになったのは確かだ。というのも、エプシュタインの娼婦となっていたヴァージニア・ロバーツ(Virginia Roberts / 30歳)が世間に顔と名前を晒し、アンドリュー王子を含めたお客との過去をバラしたからである。当時17歳だったロバーツ氏は日記をつけており、それをマスコミに公表したから話題になった。とりわけ注目されたのは、エプシュタインが彼女に言い付けた“おもてなし”である。つまり、エプシュタインは彼女に、「1万ドルやるから、ヨーク公と寝ろ !」と持ち掛けたのだ。(Adam Withnall, "Teenage sex slave Virginia Roberts claims she was paid £ 10,000 by Jeffrey Epstein to have sex with Prince Andrew", The Independent, 4 January 2015) ロバーツ氏によれば、アンドリュー王子は彼女が17歳だと判っていたらしい。ただ、本当に性交渉があったのかは証明されていないから、不確定な「疑惑」のままだ。アンドリュー王子は容疑を全面的に否定している。

Virginia Roberts 1Prince Andrew 11Prince Andrew & Virginia Roberts 1


(左: ヴァージニア・ロバーツ / 中央: アンドリュー王子 / 右: 仲睦まじい当時のアンドリュー王子とロバーツ )

  危険な火遊びに夢中だったエプシュタインは、有能な弁護士軍団を率いて刑事裁判を乗り切ったが、民事裁判で痛手を蒙ることになった。彼は餌食にした20数名の女性たちに訴えられ、その内の三人に対し、合計で550万ドル(約5億8千850万円)の示談金を支払う破目になったそうである。三名の「元少女」たちの名前は公表されず、匿名で報道され、「L.M」には100万ドル、「E.W.」には200万ドル、「Jane Doe」には250万ドルが支払われたという。(Jane Musgrave, "Epstein paid three women $ 5.5 million to end underage-sex lawsuits", The Palm Beach Post, October 3, 2017) ただし、三番目の「ジェイン・ドウ」は正体を現し、彼女がヴァージニア・ロバーツであることが判った。(Philip Sherwell, "Prince Andrew sex abuse allegation theown out by judge", The Telegraph, 7 April 2015) 権力の座から転げ落ちたエプシュタインには、次々と非難の矢が打ち込まれ、被害者たちに対しては防戦の一方だ。当時14歳だった女性は、エプシュタインが14歳と判っていてセックスを行った、と告発していたし、世間から叩かれたエプシュタインも未成年との淫行を認めざるを得なかった。

  ただし、彼は自分を「性的な罪を犯した違反者(sex offender)」であると主張し、決して少女たちを狙った「捕食者(predator)」ではないと言い張ったそうである。(Amber Sutherland, "Billionaire Jeffrey Epstein : I'm a sex offender, not a predator", New York Post, February 25, 2011) 要するに、彼は不謹慎な事を行った愚か者であるが、社会に恐怖を与える性犯罪者ではない、と言いたかったのであろう。エプシュタインの弁明は、買春をした教師の言い訳に似ている。例えば、よく地方の高校とか中学から東京に出張した教師が、渋谷の女子高生と「援助交際」をするけど、それが後にバレたとき、「つい魔が差してしまい、申し訳ない」と謝罪するだろう。ところが、こうしたスケベ教師は「お金を払って未成年とセックスをしました」と謝罪するが、少女を襲って強姦したわけじゃないから、自分を「性犯罪者」とは思わない。まぁ、「運が悪かった」と歎くくらいだ。

  数学を得意としたエプシュタインは、倫理・道徳より司法取引やゼニ勘定で罪を償った。あれだけ派手に女遊びをして、たった18ヶ月の“お勤め”なんだから、一般のアメリカ人なら「やっぱり金持ちは罰せられることはないのかぁ」と溜息をつくだろう。もし、名も無き一般白人が同じ事をしたら、もっと重い罰則を受け、出所してからも茨の道は確実だ。性犯罪の前科だと、いつまでも罪が消えず、家族はバラバラになるし、職探しをしても雇ってくれないから、失業者になることが多く、侘しい路上生活が待っている。その点、“はした金”を払って事件を終熄させたエプシュタンは違う。別に一文無しになった訳じゃないから、反省は無い。彼はある友人に「パーム・ビーチは反ユダヤ主義が強いから、俺に対しての陰謀があるんだ」と語っていたそうだ。(前回紹介した記事「The Fantasist」を参照。) まったく、芯から腐っているユダヤ人には附ける薬が無い。こういう奴はイスラエルに追放すべきななんじゃないか。でも、エプシュタインはナチスと同じ迫害だ、と言うかもね。米国で豊かな暮らしをするユダヤ人にとったら、アウシュヴィッツもイェルサレムも変わりがなく、どちらも嫌な場所なのかも知れないぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68701503.html



http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html#c78

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
54. 中川隆[-8729] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:36:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4015]

ハーレムを作ろうとしたユダヤ人富豪 / 変態が蠢くアメリカ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/cat_60306978.html?p=6


異色な経歴を持つ大君

  前回、体操選手の少女を食い物にしたアラブ系アメリカ人について述べたが、今回は10代の娘たちを弄(もてあそ)んだユダヤ系アメリカ人を紹介したい。未成年の女性に金を渡して淫らな行為をはたらいたのは、ジェフリー・エプシュタイン(Jeffrey Epstein)という大富豪であった。おそらく、日本の大手メディアでは報道されなかったと思うが、彼の過去を調べてみると、いかにもユダヤ人らしい経歴の持ち主であることが判る。

Jeffrey Epstein 1(左 / ジェフリー・エプシュタイン)

  1953年に生まれたジェフリー・エプシュタインは、ニューヨーク州のコニー・アイランドで育ち、ブルックリンにあるラファイエット(Lafayette)高校に通ったそうだ。彼は数学が得意で、20歳を過ぎた頃には、マンハッタンのエリート私立校と称される「ダルトン(Dalton)」で物理と数学を教えていたという。しかし、この数学教師は大卒ではなかった。確かに、イーストヴィレッジにあるクーパー・ユニオン(Cooper Union)大学とニューヨーク大学(NYU)で科学を勉強したが、学位を取るまでには至らなかったそうである。それでも、生徒からはカリスマ教師と呼ばれていたから、ジェフリーは独学に向いている秀才だったのだろう。

  「ユダヤ人はユダヤ人と群れる」というか、「ユダヤ人が歩くとユダヤ人に出逢う」ようで、ジェフリーの教え子の中には、テッド・グリーンバーグ(Ted Greenberg)という生徒がいたそうだ。単なる偶然だろうが、テッドの父親というのは、有名な投資会社ベア・スターンズ(Bear Stearns)のアラン・コートニー・“エース”・グリーンバーグ(Allan Courtney “Ace” Greenberg)であった。(Vickey Ward, "The Talented Mr. Epstein", Vanity Fair, June 27, 2011) まぁ、「ジュー・ヨーク」の異名を持つニュー・ヨークだから、著名なビジネスマンの子弟がいても不思議ではない。 ただ、ジェフリーは幸運だった。彼はグリーンバーグの娘とも親しかったようで、この親睦を介して直ぐさまベア・スターンズ社に入れてもらえたそうである。彼はグリーンバーグ会長と、その後継者たるジェイムズ・ケイン(James Cayne)会長のもとで投資の腕を磨き、有能な錬金術師に進化したようだ。ところが、ジェフリーは1981年、突如として会社を辞めてしまう。あるインサイダー取引に係わったことで、SEC(證券取引監視委員会)の調査を受け、退社することに決めたそうだ。もしかしたら、ここが潮時と見なしたのかも知れない。彼は辞職後、自分で事業を興し、人も羨む巨万の富を得た。

Ted Greenberg 1Alan Greenberg 1James Cayne 3


(左: テッド・グリーンバーグ / 中央: アラン・グリーンバーグ / 右: ジェイムズ・ケイン)

  ジェフリー・エプシュタインの経歴や生活を観てみると、その幅広い人脈に驚かされる。例えば、彼はコロンビア大学教授のリチャード・アクセル(Richard Axel)と交流があった。皆様ご存じの通り、アクセル教授は神経組織や遺伝子学を専門とする医学博士で、ノーベル生理学賞・医学賞を授与されたことで有名だ。彼はエプシュタインと同じブルックリン育ちで、ユダヤ系アメリカ人という共通点も有している。ちなみに、アクセル博士の両親はポーランド系ユダヤ人で、ナチス・ドイツの迫害を逃れるため、ポーランドからアメリカに渡ってきたそうだ。

Richard Axel 1Henry Kissinger 3Larry King 1Eliot Spitzer 2

(左: リチャード・アクセル / ヘンリー・キッシンジャー / ラリー・キング / 右: エリオット・スピッツァー)

  ニューヨークにはユダヤ人が本当に溢れていて、元国務長官のヘンリー・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)やCNNの看板ホストであったラリー・キング(本名 / Lawrence Harvey Zeiger)といった有名人がすぐ思い浮かぶ。(註 / ドイツ生まれのキッシンジャーはマンハッタンの高校に通い、前科を持つキングはブルックリン育ちである。) 政界を見回してもユダヤ人が多く、州知事になったハーバート・H・リーマン(Herbert H. Lehman)は「リーマン・ブラザーズ」を創業したメイヤー(Mayer Lehman)の息子だし、セックス・スキャンダルで失脚したエリオット・スピッツアー(Eliot Spitzer)元州知事は、ガリシア・ユダヤ移民の孫で、州検事(District Attorney)上がりときている。面白いのは、彼の元上司がロバート・M・モーゲンソー(Robert Moris Morgenthau)であったことだ。氏族名からも判る通り、彼は有名な財務長官ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア(Henry Morgenthau, Jr.)の息子で、母方の曾祖父はメイヤー・リーマンであった。日本人は無頓着だけど、ユダヤ人って色々な家族と閨閥で繋がっており、「巨大な蜘蛛の巣」と呼んでもいい親戚関係を持っている。(参考までに、Daniel Gutweinの『The Divided Elite』を読むと、驚くような血の人脈を知ることができる。怒ってもしょうがないが、日本の大学教は下らない左翼本は熱心に翻訳するくせに、我々にとって有益な洋書になると完全無視を決め込む。これだから、無知な学生が多くても当然なんだよねぇ。)

Herbert Lehman 1Mayer Lehamn 1Robert Morris Morgenthau 2Henry Morgenthau Jr 1


( 左: ハーバート・リーマン / メイヤー・リーマン / ロバート・モーゲンソー / 右: ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア)

  脱線したので話を元に戻す。「ベア・スターンズ」を去ったエプシュタインは、自分の名前を冠した会社を創設し、顧客の資産を運用することで10億ドルもの財産を築いたそうだ。野心家のエプシュタインが不動産のみならず、メディアにも食指を伸ばしたのは、いかにもユダヤ人らしい。彼は有名な『ニューヨーク・マガシン』誌を買収しようとしたが、その王手に待ったを掛けたのも、これまたユダヤ人のお金持ちであった。まず、メディア王のモーティマー・B・ザッカーマン(Mortimer Benjamin Zuckerman)は、大手新聞社の「USA Today & World Report」紙と「New York Daily News」紙を買収した投資家で、老舗雑誌の「アトランティク(The Atlantic)」まで買収していた大物だ。新聞の編集長を務めるザッカーマンは、大学などに多額の寄附を行う慈善家であり、その一方でアメフトチーム(NFL)「ワシントン・レッドスキン」のオーナーでもある。極めつけは、ユダヤ人団体の「主要ユダヤ人機関総裁評議会(Conference of Presidents of Major American Jewish Organizations)」で会長を務めていたことだ。

Mortimer Zuckerman 1Bruce Wasserman 1Donny Deutsch 1Nelson Peltz 1

( 左: モーティマー・ザッカーマン / ブルース・ワッサーシュタイン / ドニー・ドイチュ / 右: ネルソンん・ペルツ)

  その他には、ウォール街の投資家であるブルース・ワッサーシュタイン(Bruce Wasserstein)や、CNNで番組司会を務める広告屋のドニー・ドイチュ(Donny Deutsch)、「トリアン・ファンド・マネージメント」を創設した投資家のネルソン・ペレツ(Nelson Peltz)が挙げられる。このペレツは手広く事業を拡大しており、ピーター・メイと組んで大手飲料メーカーの「スナップル(Snapple)」やシリアル業界の老舗である「クウェイカー・オーツ(Quaker Oats)」を買収していたし、世界各地に店舗をもつハンバーガー・チェーンの「ウェンディーズ(Wendy's)」、ペプシ・コーラで有名な「ペプシコ(PepsiCo)」も手に入れていたのだ。(ここでは関係無いけど、アメリカの自動販売機は不味いドリンクばかりを並べており、筆者は「スナップル」を見るとウンザリした。日本の自販機の方が、よっぽどバラエティーに富んだ品揃えである。) ネルソン・ペレツに言及するなら、一般的には「ハリウッド女優のニコラ・ペルツ(Nicola Anne Peltz)の父親」と紹介した方が分かりやすいだろう。大ヒット映画『トランスフォーマー』を観た日本人は、「あの可愛らしい女の子かぁ」と思い出すに違いない。ちなみに、彼女の母親は元モデルのクラウディア・ヘフナー(Claudia Heffner)だから、美少女に生まれたのもうなづけよう。もう一人の投資家は、大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein)である。セクハラ・スキャンダルで失脚したワインシュタインについては、当ブログで前に述べたから、ここでは繰り返さない。

Nicola Peltz 2Nicola Peltz & Claudia Heffner 1Harvey Weinstein 2

(左: ニコラ・ペルツ / 中央: ニコラと母親のクラウディア・ヘフナー・ペルツ / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン)

  またもや脱線したので元に戻す。ビジネスで成功したエプシュタインの暮らしぶりは、当然ながら派手になった。彼はNYマンハッタンの五番街とマディソン通りに9階建ての豪邸を構え、その広さは5万平方フィートにも及ぶそうだ。都会で豪華な邸宅に住むアメリカ人は、ちょいとカウボーイを真似て田舎に牧場を所有したりする。エプシュタインも1800万ドルを払って、ニュー・メキシコ州に7500エーカーの牧場を購入したそうだ。西歐系アメリカ人を気取ったこのユダヤ人は、ご自慢の牧場を「ゾロ(Zorro)」と名づけたらしい。(たぶん「キツネ」じゃなく、「怪傑ゾロ」にちなんだネーミングだろう。) これだけで飽き足らないエプシュタインは、ヴァージン諸島にある70エーカーの小島「リトル・セント・ジェイムズ」を買い取っていた。さらに、事件の舞台となるフロリダ州パーム・ビーチに680万ドルもする豪邸を構え、ヘリコプターや小型のビジネス・ジェット機「ガルフストリームIV」、プライベート機の「ボーイング727」まで所有していたのだ。

  エプシュタインはこのジェット機をビジネスにも使っていたが、時には大切なお客様や友人を乗せて世界中を駆け巡っていたそうだ。彼の交友関係は幅広く、スーパーマーケット業界の大御所ロン・バークル(Ron Burkle)や藝能界の有名プロデューサー、ケイシー・ワッサーマン(Casey Wasserman / 本名Casey Myer)がいた。このケイシーは映画界の大物ルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)の孫である。祖父のルーは遣り手のユダヤ商人で、ユダヤ人のジュール・シュタイン(Jules Stein)が創業した「MCA(Music Corporation America)」を買収し、大手プロダクションに発展させたことで知られている。彼の会社は有名女優のベティー・デイヴィスやのちに大統領となるロナルド・レーガンの代理を務めていたそうだ。ユダヤ人らしく民衆党に献金していたルー・ワッサーマンが、どうして共和党のレーガン大統領と親しかったのかは、これを知れば解るだろう。後に、ルーは有名な「ユニヴァーサル・スタジオ」を買収し、自分のMCAと合併させて巨大化させていた。本当に、エンターテイメント業界はユダヤ人だらけである。

Ron Burkle 1Casey Wasserman 1Lew Wasserman 2Jules Stein 1

(左: ロン・バークル / ケイシー・ワッサーマン / ルー・ワッサーマン / 右: ジュール・シュタイン)

  エプシュタインの友人はこれに留まらず、未来の大統領になる不動産王のドナルド・トランプや、映画シリーズ『ラッシュ・アワー』で人気者となったクリス・タッカー(Chris Tucker)もいた。興味深いのは、エプシュタインのプライベート・ジェット機に同乗し、2002年にアフリカ旅行を楽しんだ仲間である。その一人は元合衆国大統領のビル・クリントンで、もう片方は人気男優のケヴィン・スペイシー(Kevin Spacey)。何とも豪華なメンバーだ。浮気性が治らないクリトンと、少年を“愛する”スペイシーに、少女を好むエプシュタイン。まさしく「エロス三人衆」と呼んでもいい連中である。映画『ネゴシエーター』やTVドラマ『ハウス・オブ・カーズ(House of Cards)』を楽しんでいたファンには衝撃的であろうが、スペイシーはその昔、14歳の少年アンソニー・ラップ(Anthony Rapp)の太腿や股間を揉んでしまったそうで、昨年、成人したラップ氏に訴えられ、長年かけて築いてきた地位を失ってしまった。

Chris Tucker 2Bill Clinton 5Kevin Spacey 1Anthony Rapp 2

(左: クリス・タッカー / ビル・クリントン / ケヴィン・スーペイシー / 右: アンソニー・ラップ)

  しかも、同性愛者ということがバレたから、熱烈なファンはショックを隠しきれなかった。まさか、実力派の名俳優がゲイで変態だなんて信じられない。でも、真実みたいだ。被害者であるラップ氏の話は生々しく、いくらスペイシーが「酒に酔っていて記憶が無い」と言い訳しても、世間は信じないだろう。若い女性ファンなら「ヤダあぁぁぁ !」と震えて後ずさり。この暴露事件を受けて、ドラマ『ハウス・オブ・カーズ』は打ち切りとなった。やはり、未成年に対する性的犯罪者じゃ、女性ファンは遠ざかるし、男性ファンだって気持ちが悪い。子役からスタートし、映画『ロスト・ボーイ』や『スタン・バイ・ミー』で有名になったハリウッド男優、コリー・フェルドマン(Corey Feldman)が告発していたけど、ハリウッドのプロデューサーとか“お偉方”には、少年への性的な興奮を覚える変態(pedophilia)が多いそうだ。彼は雑誌やテレビで自分の被害や犠牲となった友人の話を暴露していた。(Joe Martino, "Corey Feldman begins naming Hollywood pedophiles, reports them LAPD", Collective Evolution, November 3, 2017)

Corey Feldman 3Corey Haim 2

(左2枚: コリー・フェルドマンの昔と今 / 右2枚: 生前のコリー・ハイム )

  このユダヤ人俳優フェルドマンには、コリー・ハイム(Corey Haim)というユダヤ系カナダ人の友人がいて、亡くなったハイムから忌まわしい体験を聞いていたそうだ。『ロスト・ボーイズ』でフェルドマンと共演した俳優のハイムは、少年愛好家の映画プロデューサーに服従し、屈辱的なアナル(肛門)・セックスを受け容れてしまった。当時、14歳だったハイムは42歳の男にセックスを強要され、その関係は二年にも及んだそうである。フェルドマンが伝えるところによれば、幼いハイムは“ご主人様”から「こんな事はなぁ、ハリウッドでは珍しくないんだぞ !」と言われ、その凌辱にずっと耐えていたそうだ。たぶん、ハイムは怯えきっていたのだろう。もし、セックスを拒絶すれば、有力者から「干される」ことも予想できたから、弱い立場の少年は我慢するしかない。(日本の藝能界でもありそうな話だよねぇ〜。)

  ケヴィン・スペイシーは「幼い男子」に興味を持っていたが、ジェフリー・エプシュタインは「10代の生娘(きむすめ)」にご執心だった。『ヴァニティー・フェア』誌のマイケル・ウォルフ記者によれば、エプシュタインはラルフ・ローレンのスーツを身に纏い、イカしたユダヤ青年に見えたそうだ。この大富豪は格好つけてジゴロ気取り。ハンサム俳優のドン・ジョンソンじゃあるまいし、洒落たシャツを着込んでジーンズを穿くが、靴下は穿かず、素足に紐無し靴、といった風体だった。しかも、こんなフッションのエプシュタインが自家用機に乗り込む時には、若くて美しい女性たちがご同伴。傍(はた)から見ても、彼の娘じゃないことくらいは判る。まだ成人に達していない、18、19歳の若い子で、ファッション・モデル並の美人だ。暴露本の『ハード・ボール』にも記されていたが、ウォール街や投資会社で儲けたユダヤ人どもは、大半が高校時代にモテなかった連中である。恋心を抱いた女の子に近づくも、「何よ、ダサイわね !」と冷たくされ、相手にしてもらえない。だから、商売で成功を収めると憧れの西歐系美女を求めるそうだ。エプシュタインも同じ類いなんだろう。

  エプシュタインは職場だとヤムルカ(yarmulkes / ユダヤ教徒の帽子)を被る“むさ苦しい”野郎どもと一緒に働くが、パーム・ビーチの宮殿では透け透けのドレスを着た美少女に囲まれていたそうだ。当時、53歳のエプシュタインは10代の少女に紐パンティーを穿かせて喜んだり、自分の体をマッサージさせて白昼夢を見ていたそうである。彼の部屋にはエロチックな絵画が飾ってあるし、様々な形をしたセックス玩具も取り揃えられていた。中には、ペニスやヴァギナの形をした石鹸まであったという。もう、日活ロマン・ポルノの世界と変わりがない。(ちょっと古いか。なにせ最近の事情には疎いもので。) ユダヤ人俳優のデイヴィッド・ドゥカヴニー(David Duchovny)やマイケル・ダグラス(Michael Douglas)はセックス依存症で治療を受けたけど、エプシュタインはその自覚症状すら無かったんだから、かなりの重症だ。

Michael Douglas 1David Duchovny 2Jeffrey Epstein 2

(左: マイケル・ダグラス / 中央: デイヴィッド・ドゥカヴニー / 右: 女性と一緒のエプシュタイン)

  エプシュタインの「侍女」は実際、何名いたのかは定かではない。しかし、指と舌とペニスの数を足した人数くらいは居たはずである。例えば、エプシュタインは14歳の少女を侍らせ、性的サービスの代金として300ドルを手渡したそうだ。しかし、彼女が学校のクラスメイトにその大金を見せたところ、友人達の間で話題となってしまい、「淫売(whore)」と呼ばれてしまったそうである。彼女はこんな風に罵倒されることが厭になり、間もなく学校を辞めてしまったという。25歳のブロンド美人のケースだと、別の意味でもっと酷い。ローションを用意した彼女のもとに、タオルだけを身に纏った半裸のエプシュタインが現れ、「服を脱げ」と命令したそうだ。そして、彼女が横になったエプシュタインの胸をマッサージすると、彼は自分で体をまさぐり、バイブレーターを彼女の股間に押しつけたという。(Philip Weiss, "The Fantasist", New York Magazine, December 8, 2007) 日本人女性なら、「何それ ! ヤダ、この変態野郎 !」と叫んで、思いっきりビンダを喰らわすだろう。まったく、ハーヴェイ・ワインシュタインといい、エプシュタインといい、どうしてアメリカのクズ野郎は自慰行為が好きなのか、本当に謎である。(彼らからすれば、「ノーマル」なんだろうけどさぁ。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/cat_60306978.html?p=6


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2018年02月27日
性奴隷を持っていたユダヤ人 / 変態が蠢くアメリカ (後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68701503.html


(左: ジェフリー・エプシュタインと少女の獲得に協力したアドリアナ・ロス / 右: 女性と一緒にパーティーを楽しむアンドリュー王子)

  有り余るほどの財産を用いてハーレムを作り、『プレイボーイ』のヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)気取りで、様々な若い娘を侍らしていたエプシュタインだが、プレイガールの方は彼を嫌っていたようだ。お金の為に“サービス”を行っていたある少女は、彼の体をマッサージしながら時計の方ばかりを見ていたという。別の子は穢らわしい「御主人様」と寝ているとき、目を閉じながら現金のことばかり考えていたらしい。クリスマスを迎えるためにお金が必要だった16歳の少女は、マッサージの最中に「下着を脱げ !」と命令されてショックを受けたという。御機嫌なエプシュタインは更なる妄想に耽り、モデルを務める17歳の少女を相手にした時は、自分で買った下着を彼女につけさせ“ご満悦”だった。「特別奉仕」に身を捧げる少女たちは、傲慢不遜なエプシュタインを唾棄していたそうで、彼の毛むくじゃらな体や、卵形のペニスに嫌悪感を抱いていた。(もしかしたら、割礼を受けた“皮無し”ペニスのことかなぁ。でも、気持ち悪いから、あまり想像したくない。) 屈辱を耐える ハーレムの娘たちは、口々にエプシュタインのことを「変態野郎(pervert)」と呼んでいたそうである

Hugh Heffner 2Hugh Hefner 2


(左: ヒュー・ヘフナー / 右: ヘフナーとプレイ・メイトの女性たち )

  一般の日本人だと、「エプシュタインはどうやって若い子を集めたのか ?」と疑問に思うだろう。それは実に簡単な手口だった。彼は手込めにした娘に、次の獲物をスカウトさせていたのだ。ハーレイ・ロビンソン(Haley Robinson)という18歳くらいの娘は、一度だけ“マッサージ”をさせられたが、それ以降、彼女が同じ事をすることはなかった。ロビンソンの拒絶反応を承諾したエプシュタインは、「それなら他の女を調達してこい。そうすりゃ、一人頭200ドルくれてやる !」と持ち掛けたそうだ。このゲス野郎は、「若けりゃ、若いほどいいぞ」とロビンソンに伝え、彼女は「18歳から20歳くらいの子を要望したのだな」と解釈した。200ドルのお金に目が眩んだ少女たちは、ロビンソンから「いいこと。彼には18歳って言うのよ。彼の体を揉めば揉むほどお金が手に入るんだから !」と告げられたそうだ。こう言い聞かせるロビンソンも内心忸怩たる思いがあったらしく、「まるでハイジ・フレイス(Heidi Fleiss)にでもなった気分よ」と漏らしていた。(このハイジ・フレイスという女は、かつて「ハリウッド・マダム」と称されていた売春組織の元締で、売春斡旋や脱税の廉で逮捕され、懲役刑を受けた前科者セレブである。服役後、彼女はテレビを始めとするマスコミに登場し、一時的に話題の人となった。)

Jerry Epstein 3Heidi Fleiss 1Nada Marcinkova (left)

(左: 逮捕されたジェフリー・エプシュタイン / 中央: ハイジ・フレイス / 右: 写真左側ナーダ・マルシンコヴァ )

  若い娘を金で釣ったエプシュタインは、快楽に夢中で調子に乗っていた。彼がマッサージだけではなく、性交渉にまで及んでいたことは確かである。しかも、このユダヤ人は“奉公人”の一人を「性奴隷(sex slave)」と呼んでいたのだ。エプシュタインはユーゴスラヴィアから性奴隷を購入したそうで、ナーダ・マルシンコヴァ(Nada Marcinkova)という19歳の美女を囲っていた。スケベ親爺のエプシュタインを見ていると、ロシアやルーマニア、ウクライナから“白人”女性を仕入れてくるイスラエルの女衒(ぜげん)を思い出す。イスラエルの売春宿に「白い上玉」を届ける人身売買組織は有名で、狡猾なユダヤ人ブローカーは経済不況に喘ぐ東歐諸国を巡り、「お嬢ちゃん、フランスとかアメリカでモデルにならないかい? いい稼ぎになるよ !」と甘い言葉で口説き落とし、愚かな娘どもを引っ掛けると、白人娼婦を求めるユダヤ人業者に売り渡していた。つくづく呆れてしまうが、イスラエルでは白人女の方に高い“需要”があるので、仲介業者は西歐人に近い東歐娘を“供給”するそうだ。人種差別が無いはずのユダヤ人は、セックス産業においてはレイシストのようで、褐色のアラブ人女や、エチオピアの黒い女には興味が無いらしい。買春では彼らの本音が現れる。それにしても、イスラエルではスラヴ人がスレイヴになっていたとは、とても第21世紀の社会とは思えない。

軽すぎる刑罰
 
  どんな悪行にも「潮時」という幕が訪れる。10代の少女を食い物にしていたエプシュタインは、ベッドの上でアクロバットを楽しんでいたが、実は危ない綱渡りをしていたのだ。18歳と称していた少女が、本当は14歳だったりするので、いくら同意の上とはいえ「淫行」になってしまうのだ。しかし、それは承知の上だった。実際、エプシュタインは16歳の少女を弄んだ後、彼女に向かって「誰にも話すんじゃないぞ !」と口止めをしていたんだら、明らかに確信犯だ。彼は飴(金銭)で少女たちを誘い、鞭(脅迫)で威嚇していた。だが、少女達やその親が警察に駆け込むようになったから、2005年、エプシュタインは警察の監視対象になってしまったという。 2006年にパーム・ビーチ署に逮捕されたエプシュタインは、2008年になると裁判にかけられ、早々と自分の有罪を認めることで懲役刑を軽くしようとした。

Alan Dershowitz 2(左 / アラン・ダーショウィッツ)
  悪い奴には幾つか種類があって、兇暴な馬鹿もいれば狡猾な知能犯もいる。エプシュタインは計算高いビジネスマンで、豊富な財力と幅広い人脈を使って、自分に課せられる刑罰をできる限り低く抑えようとした。まず彼がしたことは、優秀な弁護士を集め、如何にして法の網をくぐり抜けるかであった。こうした難題に最適なのは、やはり同胞のユダヤ人弁護士である。エプシュタインは高名なアラン・ダーショウッィツ(Alan Dershowitz)を雇った。一般の日本人はもう忘れているだろうが、ダーショウィッツはO.J.シンプソンの弁護を務めた「ドリーム・チーム」の一員だ。筋金入りの「親イスラエル派」で、ハーヴァード大学教授となっていたダーショウィッツが弁護士軍団に加われば、鬼に金棒、熊に蜂蜜、ポパイにほうれん草である。

  大金で雇われたダーショウィッツは、敏腕弁護士がよく用いる手口でエプシュタインの罪を軽くしようと図った。すなわち、彼は証言者となった少女たちの信憑性を攻撃したのだ。お金に釣られて売春婦になるくらいだから、少女たちは叩けば埃(ほこり)の出る体で、脛に傷を持つ者だって少なくない。ダーショウィッツは彼女たちがアルコールやドラッグに溺れている点を突き、何名かが前科持ちであったり、非行少女であることも暴露した。こうした不都合な真実を指摘することで、ダーショウィッツは証人の中に嘘つきがいると示唆し、少女たちの話は信用できないと訴えたそうだ。(Andrew Marra, "Jeffrey Epstein craved big homes, elite friends, and investigators say, underage girls", The Palm Beach Post, August 14, 2006) 筆者には少女たちを厳しく尋問するダーショウィッツの顔が目に浮かぶ。昔から、ユダヤ人は法廷で異教徒を糾弾するのが上手だから、彼らの弁舌には相当な年季が入っている。

  有罪を認めたエプシュタインは懲役刑を受けたものの、収容されたのはゴロツキで溢れる刑務所ではなく、穏やかな地元の勾留施設であった。しかも、刑期は18ヶ月ほどで、週に6日は保釈労働プログラムとやらで、自分のオフィスに赴いて働く事ができたという。(Paula McMahon, Feds deceived us about billionaire sex offender's sweetheart deal, teen victims say", The Sun Sentinel, February 11, 2016) これじゃあ、牢獄での服役というより、週末のお泊まりじゃないか。お金を与えて少女に淫らな行為をした奴は、刺青を彫った怖い南米人や殺人鬼の黒人がウヨウヨいる刑務所に放り込むべきだ。散々未成年を食い物にしてきたエプシュタインには、牢獄で“女に飢えた”兇悪犯と一緒に寝泊まりする方が相応しい。数人の囚人に取り押さえられ、肛門を犯されれば、さすがのエプシュタインも反省するだろう。アメリカの刑務所って、本当に凄い変態がいるから、少女を専門にしていた囚人は格好の餌食になるらしい。でも、悪党から「正義の制裁」を下されるなんて皮肉だ。

華麗なる有力人脈

  悪い事をした奴でも、裕福なら有利になるのがアメリカの現実である。エプシュタインは色々な団体に寄付をしていたそうで、例えば、フロリダのバレー団体(Ballet Florida)に19万ドル(約2千万円)も渡していたそうだ。バレリーナには精神的治療を目的としたセラピーとか、怪我を治し体をほぐす“マッサージ”が不可欠なので、エプシュタインは熱心に支援していたそうである。このスケベ野郎は時代劇の悪徳商人みたいに、パーム・ビーチ署にも9万ドルを寄付していたそうだ。彼の逮捕後、この贈り物は返却されたというが、悪党は警察までも抱き込もうとするから狡賢い。警察官を仲間にしようとするくらいだから、政治家に献金することくらい当り前だ。エプシュタインはユダヤ人らしく民衆党贔屓で、ユダヤ人上院議員のジョン・ケリー(John Kerry)、ジョセフ・リーバマン(Joseph Lieberman)、チャールズ・シューマー(Charles Schumer)に献金していた。その他には、上院の大物であるヒラリー・クリントンやクリス・ドッド(Chris Dodd)、元ニュー・メキシコ州知事のビル・リチャードソン(Bill Richardson)などか見受けられる。

John Kerry 1Joseph Lieberman 111Charles Schumer 3Bill Richardson 1

(左: ジョン・ケリー / ジョセフ・リーバマン / チャールズ・シューマー / 右: ビル・リチャードソン)

  しかし、エプシュタインの友人で一番の著名人と言えば、英国のアンドリュー王子だろう。このヨーク公爵はエプシュタインと親密であったが、彼の裁判に呼び出されることはなかった。しかし、「黒い疑惑」に包まれることになったのは確かだ。というのも、エプシュタインの娼婦となっていたヴァージニア・ロバーツ(Virginia Roberts / 30歳)が世間に顔と名前を晒し、アンドリュー王子を含めたお客との過去をバラしたからである。当時17歳だったロバーツ氏は日記をつけており、それをマスコミに公表したから話題になった。とりわけ注目されたのは、エプシュタインが彼女に言い付けた“おもてなし”である。つまり、エプシュタインは彼女に、「1万ドルやるから、ヨーク公と寝ろ !」と持ち掛けたのだ。(Adam Withnall, "Teenage sex slave Virginia Roberts claims she was paid £ 10,000 by Jeffrey Epstein to have sex with Prince Andrew", The Independent, 4 January 2015) ロバーツ氏によれば、アンドリュー王子は彼女が17歳だと判っていたらしい。ただ、本当に性交渉があったのかは証明されていないから、不確定な「疑惑」のままだ。アンドリュー王子は容疑を全面的に否定している。

Virginia Roberts 1Prince Andrew 11Prince Andrew & Virginia Roberts 1


(左: ヴァージニア・ロバーツ / 中央: アンドリュー王子 / 右: 仲睦まじい当時のアンドリュー王子とロバーツ )

  危険な火遊びに夢中だったエプシュタインは、有能な弁護士軍団を率いて刑事裁判を乗り切ったが、民事裁判で痛手を蒙ることになった。彼は餌食にした20数名の女性たちに訴えられ、その内の三人に対し、合計で550万ドル(約5億8千850万円)の示談金を支払う破目になったそうである。三名の「元少女」たちの名前は公表されず、匿名で報道され、「L.M」には100万ドル、「E.W.」には200万ドル、「Jane Doe」には250万ドルが支払われたという。(Jane Musgrave, "Epstein paid three women $ 5.5 million to end underage-sex lawsuits", The Palm Beach Post, October 3, 2017) ただし、三番目の「ジェイン・ドウ」は正体を現し、彼女がヴァージニア・ロバーツであることが判った。(Philip Sherwell, "Prince Andrew sex abuse allegation theown out by judge", The Telegraph, 7 April 2015) 権力の座から転げ落ちたエプシュタインには、次々と非難の矢が打ち込まれ、被害者たちに対しては防戦の一方だ。当時14歳だった女性は、エプシュタインが14歳と判っていてセックスを行った、と告発していたし、世間から叩かれたエプシュタインも未成年との淫行を認めざるを得なかった。

  ただし、彼は自分を「性的な罪を犯した違反者(sex offender)」であると主張し、決して少女たちを狙った「捕食者(predator)」ではないと言い張ったそうである。(Amber Sutherland, "Billionaire Jeffrey Epstein : I'm a sex offender, not a predator", New York Post, February 25, 2011) 要するに、彼は不謹慎な事を行った愚か者であるが、社会に恐怖を与える性犯罪者ではない、と言いたかったのであろう。エプシュタインの弁明は、買春をした教師の言い訳に似ている。例えば、よく地方の高校とか中学から東京に出張した教師が、渋谷の女子高生と「援助交際」をするけど、それが後にバレたとき、「つい魔が差してしまい、申し訳ない」と謝罪するだろう。ところが、こうしたスケベ教師は「お金を払って未成年とセックスをしました」と謝罪するが、少女を襲って強姦したわけじゃないから、自分を「性犯罪者」とは思わない。まぁ、「運が悪かった」と歎くくらいだ。

  数学を得意としたエプシュタインは、倫理・道徳より司法取引やゼニ勘定で罪を償った。あれだけ派手に女遊びをして、たった18ヶ月の“お勤め”なんだから、一般のアメリカ人なら「やっぱり金持ちは罰せられることはないのかぁ」と溜息をつくだろう。もし、名も無き一般白人が同じ事をしたら、もっと重い罰則を受け、出所してからも茨の道は確実だ。性犯罪の前科だと、いつまでも罪が消えず、家族はバラバラになるし、職探しをしても雇ってくれないから、失業者になることが多く、侘しい路上生活が待っている。その点、“はした金”を払って事件を終熄させたエプシュタンは違う。別に一文無しになった訳じゃないから、反省は無い。彼はある友人に「パーム・ビーチは反ユダヤ主義が強いから、俺に対しての陰謀があるんだ」と語っていたそうだ。(前回紹介した記事「The Fantasist」を参照。) まったく、芯から腐っているユダヤ人には附ける薬が無い。こういう奴はイスラエルに追放すべきななんじゃないか。でも、エプシュタインはナチスと同じ迫害だ、と言うかもね。米国で豊かな暮らしをするユダヤ人にとったら、アウシュヴィッツもイェルサレムも変わりがなく、どちらも嫌な場所なのかも知れないぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68701503.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c54

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
197. 中川隆[-8728] koaQ7Jey 2019年8月21日 05:50:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4016]
鴻毛より軽い、天皇の責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」(澤藤統一郎の憲法日記)

 
「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」。これが、「朕」が兵士に下した軍人勅諭の一節である。230万人もの「兵」が、この勅諭にしたがって、鴻毛より軽い死を余儀なくされた。

一方、上から目線で勅諭をたれた「朕」の責任はどうだったか。古来戦のあとには、敗軍の将は死をもって敗戦の罪を贖った。兵を語らず、言い訳をすることなく。敗戦時自決した軍人は少なくない。そんな政治家もあった。自決は忌むべき野蛮な風習だが、自己を一貫するための痛ましい選択であったことは、理解し得ないではない。それほどにも、自らの責任の重さを感じていたということなのだ。最高責任者である「朕」の場合はどうだったのか。ヒトラー・ムッソリーニと並び称されたヒロヒト本人に、いったいどれだけの責任の自覚があったか。

「朕」は、230万の英霊だけにではなく、「朕」のために犠牲になった民間人80万人に対しても、アジア太平洋戦争で皇軍によって殺戮された2000万人の人の死にも責任を取らねばならない。その責任の重さ心苦しさには計り知れないものがあるに違いない。そう考えるのが常識というもの。いや、下々の浅知恵というもの。

初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」公開が話題となっている。昭和天皇(裕仁)の「生の声」が甦ったとされる。NHKは、番組のサブタイトルに「語れなかった戦争の悔恨」とつけた。さぞかしの、慚愧・苦悩・悔恨の「肉声」かと思いきや、何のことはない。責任転嫁・見苦しい弁明をしようとして、許可されなかったというだけのこと。

彼がいう「反省」とは、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」などいう程度のもの。「国民皆に反省すべき悪い点があった」とは、「私だけじゃない」という開き直りの弁明。これを毎日社説は「天皇から国民や他国への謝罪というより、日本人全体が軍の独走を止められなかったことを皆で「反省」しようという趣旨のように読める。」という。そのとおりだ。

それだけではない。「朕」は、再軍備と憲法改正の必要性にまで、言及していたのだ。およそ新憲法の精神を理解せず、君主意識をもったまま。主権が国民に移行した意味すら、分かってはいなかったのだ。

「英霊」諸氏よ。武器も食糧もなく戦場をさまよって餓死した英霊の諸氏よ。特攻という名の自殺を強いられた英霊の諸氏よ。あなた方に死を命じた人は、このような、この程度の人物なのだ。

とりわけこう言っていることが驚きではないか。

「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」

これは、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った1951年8月のこと。「退位したら、『私の場合むしろ好む生活のみがやれる』『むしろ楽』」と考えていたのだ。これが、多くの人を死に追いやった人の発言だろうか。こんな人物のために多くの人が殺し合い、尊い命を失った。

この「朕」の信じがたいほどの無責任ぶりをいかがお考えだろうか。都合の悪いことは国民に知らせず、ベールに包まれた一握りの権力者による忖度の政治。権力や権威に対する批判の言論が封じられた政治の行き着く先が、このような無責任の横行なのだ。実体のないものを有り難がったり、畏れいったりすることをやめよう。昔のこととして看過せず、今の教訓として、よく噛みしめようではないか。
(2019年8月20日)

http://article9.jp/wordpress/?p=13231  

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c197

[政治・選挙・NHK264] 久米宏がワイドショーの嫌韓報道を真っ向批判!「テレビが反韓国キャンペーンをやってる」「韓国叩くと数字が上がるから」(リ… 赤かぶ
8. 中川隆[-8727] koaQ7Jey 2019年8月21日 06:10:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4017]
儒教の国とは価値観が違うから国交断絶するしかないだろ

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%81%95%E3%81%84%E5%9B%BD

【東京発信・Cool Eyes】第16回 歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%83%BB%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%A8%E6%BA%80%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8D

じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91

宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E6%9C%9D%E9%AE%AE

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/672.html#c8

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
43. 中川隆[-8735] koaQ7Jey 2019年8月21日 07:17:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4009]

2019年08月21日
タワマンは高額維持費で都会のゴーストマンションになる


最初月2万だった維持費は30年後には月10万から20万に跳ね上がる


経済的な合理性がないタワマン

2000年代に都心などでタワーマンション建設ラッシュがあり、富裕層の象徴ともてはやされました。

相続税対策になるともいわれ、タワマンを買わないと損だというタワマンブームが起きました。

地価が高い都心で高層マンションに住むのは一見合理的だが、維持費がとんでもなく高額です。



都内の一般的な分譲マンションが6000万円なのに対し、タワマン平均価格は7600万円でした。(2019年)

立地や条件や面積が違うので一概に比較できないが、タワマンは中低層マンションより購入価格が27%高くなります。

現在はタワマンによる相続税節税が対策されてしまい、中低層マンションに比べて有利ではなくなっています。


購入価格が高いと評価額も高いので、固定資産税などの税金も高額になります。

もっと高いのがタワマン特有の設備を維持管理したり修繕する費用で、中低層マンションよりかなり高額になります。

エレベーターは短時間で高層階まで上昇するため高性能だが、一般的なマンションの2倍の価格で30年で交換しなくてはならない。


エレベーターの台数そのものも多いので、中低層マンションの4倍以上の維持費が発生します。

非常用発電機は1台1億円で15年ごとに交換しなくてはならないし、駐車場の費用も驚くほど高いです。

コンシェルジュと呼ばれる管理人が複数人居てサービスしてくれるが、当然彼らの費用も住人が負担します。

数十年後は湯沢のようなゴーストマンションになる?

郊外のアパートで駐車場月5千円、管理人不在の賃貸物件では、管理費は月5千円以下ですが、タワマンは管理費と修繕積立金で月額2万円以上が相場です。

修繕積立金は最初1万円以内だが老朽化に伴って毎年上昇し、10年後には2万円、15年後に3万円、その後も出費が増えるため上昇し続けます。

新築時に管理費と修繕積立金の合計で2万円だったとしても、15年後には6万円、30年後には8万円以上になるのが予想されます。


これほど修繕積立金が増えるのは法律上の基準が厳しいからで、多くの高額設備は15年か30年ごとに交換や大修理が必要になります。

新築から12年目の修繕では中低層マンションが1戸あたり100万円として、タワマンは120万ほどであまり差がありません。

ところが2回目、3回目と回を重ねるごとにタワマンの修繕費用は割高になり、25年から30年目には1戸あたり200万円以上かかると言われています。


12年ごとに240万円の修繕費用が発生したら毎月20万円の負担、半額にケチったとしても毎月10万円の負担になります。

ところが修繕費をケチるとマンション自体の寿命が短くなり、その分早く老朽化してしまいます。

連想するのがスキーブームに建設した越後湯沢のマンション群で、まったく同じ理由でゴーストマンションになっています。


不動産屋のサイトには10万円以下の高級マンションが並び、ほとんどが100万円以下で売られていますが買い手がつかない。

修繕費用がかかるため0円で購入しても損だからで、このため売り手がお金を払って買ってもらう場合も在るとの事です。

タワーマンションも30年後にそうなっていないとも限らない。
http://www.thutmosev.com/archives/80740884.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c43

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
28. 中川隆[-8734] koaQ7Jey 2019年8月21日 08:22:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4010]
常磐道あおり運転、“ガラケー女”のヤバい正体が判明!
7時間のクレームと深夜の奇声…容疑者2人の異様な依存とは!? 2019.08.21.
https://tocana.jp/2019/08/post_108062_entry.html


どちらが主(あるじ)なのか――。茨城県の常磐自動車道で起きたあおり運転暴行事件≠ナ逮捕されたで宮崎文夫容疑者(43)と、同乗者の喜本奈津子容疑者(51)。被害者Aさんは車の窓越しに宮崎容疑者から計5発のパンチを受け、口の中を切るなどのケガを負った。

 一部始終がテレビで報じられるや大炎上し、警察は2人を全国指名手配。今月18日、大阪市内のマンションから出たところを確保した。社会部記者によると「この程度の事件で全国指名手配は異例中の異例。国民の関心が高いこともあり、警察も真面目に動くしかなかった。大阪市内のマンションは宮崎の住まいだったが、隠れていたのは喜本名義の別の部屋。2人は今年に入って交際を開始し、喜本が宮崎のマンションに越してきたようだ」という。

 気になるのは2人の関係性≠セ。「喜本容疑者は結婚願望が強く、昨年婚活サイトで宮崎容疑者と出会い、行動をともにするようになった。交際に発展したのは今年の初めごろ。宮崎容疑者のために30万円もするブランドバッグを購入するなど、金ヅル≠ニしか思えなかった」とは前出社会部記者。

 事件当時も、喜本容疑者は被害者を殴打する宮崎容疑者を制止するわけでもなく、手にした“ガラケー”で証拠動画を撮影していた。これを見る限り、”主”は宮崎容疑者のように思えるが…。

 マンションから出たところを複数の捜査員に囲まれ、パニックに陥った宮崎容疑者はしきりに「喜本さん!喜本さん!」と呼び、しまいには「喜本さん!手をつないで!」と懇願した。


現場取材するスポーツ紙記者によると「宮崎容疑者は近所でも有名なヤバい人≠セったが、拍車がかかったのは喜本容疑者と出会ってから。深夜に奇声を上げたり、街中を2人で徘徊し、クレームを入れられる場所を探していた。某喫茶店は宮崎容疑者に熱いコーヒーがかかったというだけで『大やけどした』とわめかれ、7時間近く説教された」という。

 その時も喜本容疑者は宮崎容疑者を止めることはなかったという。

「実は宮崎容疑者の実母が昨年冬に亡くなっているんです。それでまとまった遺産が入ってきて羽振りは良くなったのですが…。マザコンだった宮崎容疑者の心にポッカリ穴が開いた。それを埋めたのが年上の喜本容疑者。彼女は宮崎容疑者の唯一の理解者で、彼の言動を諫めるどころか、『あなたにはその権利がある』と鼓舞していた。宮崎容疑者は彼女に亡き母の姿を投影していたのかもしれません」(週刊誌記者)

 意外や、依存していたのは宮崎容疑者の方で、それが身柄確保時の「手をつないで!」に繋がったのかもしれない。期せずして日本一有名なカップルになってしまった2人。拘置所で自省の日々を送ってくれればいいが…。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c28

[近代史02] 台湾は中国ではないんだけど 中川隆
10. 中川隆[-8733] koaQ7Jey 2019年8月21日 09:00:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4011]

2019年8月20日 台湾問題のことなど…… 2019年08月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-844.html

 日本台湾、合併への道

 台湾は、かつて清朝支配下にあり、日清戦争によって、日本に割譲され、日本政府が台湾を統治した時代があった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE


  日清戦争の結果、下関条約によって台湾が清朝から日本に割譲された1895年4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に返還された1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの50年間である。
 朝鮮が日本に国際法上、併合されたのが1910年で、同じく1945年に返還されたより、15年ほど長い統治であった。

 当初、台湾総督府は、軍事力を前面に打ち出した強硬な姿勢で行われた。
 総督に任命された樺山資紀・桂太郎・乃木希典・児玉源太郎・佐久間左馬太・安東貞美・明石元二郎の7名はいずれも現役の大将または中将で、初代総督の樺山を除いてそのすべてが陸軍出身者で占められている。
 いずれも、陸軍の武断派・強硬派ばかりで、乃木は、203高地作戦で、知恵のない無謀な突撃作戦を敢行し、屈強で優れた日本の若者たちを大量に死なせたことで知られる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C%B0

 第4代総督の児玉の頃から、総督として腰を据え、体系的な政策を行うようになり、
 第6代総督の安東と第7代総督の明石は特に現地居住民の権益を保護する政策を実施したことで知られ、ここでようやく、総督府が台湾現地住民の支持を受けるようになった。

 ウィキには、相当に詳しい経過が書かれているが、重要なのは、1901年から、総督府が、地元民のために大規模なインフラ整備事業を行い、現在に至るまで、現地住民から強い感謝を示されていることである。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE

 これを担ったのは、1918年以降、烏頭山ダムの建設を指揮した八田与一。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE

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1928年以降、台中「白冷圳」を建設した水利技師 磯田謙雄。
 https://twoffice.exblog.jp/18442993/

 1918年以降、屏東県の地下ダムを建設した鳥井信平。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E4%BF%A1%E5%B9%B3

 これらの技師たちは、大学を出て、すぐに台湾に赴任し、当時の台湾インフラ開発に情熱を燃やした明石らの気概に応えて、身命を投じて、水利インフラ整備に当たり、完成したインフラは、現在に至るまで台湾住民の生活を潤し続けている。
 これらの水利技師たちによる努力の成果により、台湾は、今も世界的な親日国であり続けている。

 東日本大震災では、数ある親日国でも、台湾とブータンが破格の支援を惜しまなかった。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C

 日本台湾史のなかでは、初期の軍事圧政の時代、後藤新平が「阿片暫禁策」と称して、阿片を抑止するフリをして販売利権を独占して、財政資金とするなど、悪質で残念な事例もある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-gotou.html

 1937年以降は、「皇民化策」と称して、台湾人を完全に日本人に同化させる政策が行われた。
 この結果、戦前の皇民化教育を受けた台湾人は、全員が流暢な日本語を話し、たくさんの(数万人以上の)台湾人が日本に移住し、そのまま日本人として生活している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E6%B0%91%E5%8C%96

 こうした日本語教育から、現在までも多くの台湾人が日本を第二の故郷として郷愁を感じていて、台湾と日本の合併を望む声も大きい。
 https://matome.naver.jp/odai/2135872767575727001

 しかし、蒋介石国民党が、毛沢東に追われて台湾に逃げ込み、現地住民を武力弾圧して多数を殺害し、国民党台湾政権を樹立したのだが、このグループ=本省人=国民党は、中国共産党はコミンテルン傀儡政権であり、自分たち国民党が本来の中国本土政権であるとの主張を崩していないので、日本との合併には強力に反対し、八田興一像を毀損して日本への敵意をむき出しにしている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%85%9A

 この数年、中国共産党による領土拡張主義が侵略といえるほど高まっていて、日本の尖閣諸島や、ベトナムの南沙諸島、フィリピンのスカロボー環礁、南沙群島を、すべて中国領土と決めつけて強引に軍事的に占拠する事例が続いている。
 わけても、習近平政権は、台湾は明・清朝時代に中国領土だったと主張し、中国領土であり、軍事的に強奪すると宣言するようになった。

 https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201907/CK2019072502000129.html

 「中国が2020年までに台湾侵攻の準備を終える」 暴かれた習近平指導部の計画 「尖閣諸島奪還は2040〜45年」
 https://www.sankei.com/world/news/171118/wor1711180016-n1.html

 習近平は、このところ、来年には、台湾に軍事侵攻をかけると漏らしはじめていて、トランプ政権が、急遽、台湾にF16を供与するなど軍事的緊張が高まっている・
 https://www.cnn.co.jp/world/35141381.html

 こうした背景から、台湾が中国に対峙して、自国を防衛する戦略を構築しようとすると、「地政学的必然」として、日本との合併が避けられない情勢となっていると思うしかない。
 台湾が日本と対等合併するなら、軍事的にも、米国の介入を必要とせず、中国共産党軍=人民解放軍と日本台湾連合軍が対峙できる実力を身につけることになり、台湾本省人は別として、圧倒的多数の内省人は、日本との合併を強く望むと考えられる。

 なお、現在の台湾政権は、客家で先住民末裔でもある蔡英文で、内省人であり、中国本土に復帰する意思は持たない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A1%E8%8B%B1%E6%96%87

 台湾を中国から守ろうとするなら、結局、日本との結びつきを強化する以外にないという地政学的必然は、現在多くの台湾人に共有されていて、本省人との軋轢が消えてゆけば、ますます、その必然性が高まってゆく事態は避けられないだろう。

 具体的なスケジュールは、まだ、どこからも示されていないが、私は、習近平が台湾侵攻をほのめかし始めた昨年から、軍事侵攻のスケジュールとしての来年2020年を目処に、急速に台湾との対等合併が議論に上ると予想している。

 トランプ政権は、今、台湾政権を支持しているように見えて中国を牽制しているが、彼は駆け引きマニアであり、いつなんどき中国と取引して、台湾を売り飛ばすか知れたものではなく、おそらく台湾政府も本心ではトランプを信用していないだろう。
 だからこそ、一刻も早く、日本と合併してしまえば、台湾を攻撃することは日本を攻撃することになり、国際政治の力関係としては、圧倒的に優位に立つことになる。

 私個人は、早ければ2023年頃には、台湾と日本が対等合併するものと予想している。これは同時に日本経済の市場規模を圧倒的に拡大し、日本の産業問題を解決する切り札になるし、また放射能によって劣化した日本人のDNAを改善する大きな要素にもなるように思う。
  
*****************************************************************************************:

内省人・本省人・外省人の使い分けに、少し私の認識と異なることがウィキに書かれていたので、念のため紹介しておく
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%9C%81%E4%BA%BA


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-844.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html#c10

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
29. 中川隆[-8732] koaQ7Jey 2019年8月21日 10:53:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4012]


あおり殴打事件、容疑者の奇行 母親の死と女との出会いで変化?
2019年8月21日
https://news.livedoor.com/article/detail/16957406/


ざっくり言うと

常磐道のあおり運転殴打事件で逮捕された43歳の男について、東スポが報じた
男と同じマンションの住人は、男の母親が亡くなるまでは問題なかったと証言
ともに逮捕された女と知り合ってから、奇行や凶暴性が際立ってきたという


あおり殴打男を豹変させた2人の女


かつてマンション住民の駐輪場だったスペースは現在も宮崎容疑者の車2台が置きっぱなし


 母親の死後に年上の女と出会い、より凶暴になった――。茨城県守谷市の常磐自動車道で、あおり運転をしたうえ、乗用車に乗る24歳男性を殴打したとして傷害容疑で大阪市の会社役員・宮崎文夫容疑者(43)が逮捕された事件の背景が見えてきた。同容疑者は、犯人隠避容疑などでともに逮捕された喜本奈津子容疑者(51)と交際するようになった今年の初めから明らかに「おかしくなった」と近隣住民らが証言した。また、事件ではネットデマによる飛び火被害も拡大している。

 宮崎容疑者は以前からトラブルメーカーとして知られていた。

 近隣住民は「警察や消防が来てるのはしょっちゅう。近所の人にもカラんでたよ。でも、自分より怖そうな人には行かへん。お年寄りとかが車を見てたら『何、見とんねん』とか、相手を見てカラむタイプ」と話す。

 宮崎容疑者は昨年3月、京都市内のコンビニの駐車場で、タクシー運転手を監禁した疑いで逮捕(不起訴)されている。それ以前にも警察の“お世話”になっていた。

「10年くらい前、(宮崎容疑者が)中古車販売をやってたとき、警察が連行しようとして、2時間くらいマンションに籠城しとった。最後は警察官に『乗れ』って押し込まれてた。逮捕されたとき『東住吉署は嫌だ。生野署に出頭する』ってゴネたのも、それが原因ちゃうかな」(前同)

 もともとトラブルメーカーだったようだが、目に余る“奇行”が際立つようになったのは、今年に入ってからだという。

 宮崎容疑者の部屋がある大阪市内のマンション住人は「お母さんが亡くなるまでは目立った問題もなかった。前はもっと若い女の子を連れていて、ブランドの服を着たりサングラスをかけたりはなかった。それが今年になって、あの女の人(喜本容疑者)を見かけるようになっておかしくなった。香水をつけるようになったのもそれから。一方的に(宮崎容疑者が)マンションの住民用駐輪場を自分の駐車場にしたり、夜中に奇声を上げたりするようになった。女の人(喜本容疑者)が住人の部屋の扉の前を水びたしにしたこともあった」と語る。

 昨年冬に母親を亡くしたことがきっかけとなり歯止めが利かなくなったのだろうか。また、その後、出会い系サイトで知り合ったと報じられた喜本容疑者と交際を始め、見えを張りたかったのか、近隣住人が目を背けるほど、凶暴性が際立ってきたという。母と喜本容疑者の“2人の女”が、宮崎容疑者の人格形成に大きな影響を及ぼしていたのかもしれない。

 一方で、とんでもない“被害”を受けた人たちもいる。同じマンション1階の不動産店「スマイルコーポレーション」もひどい目に遭っている。

 同社代表取締役の矢野大樹氏は「店の前が駐輪場だったんですけど、宮崎容疑者が6月に突然『ベンツが故障した』と住人の自転車を撤去して置いた。『そんなところに置かれたら困る』と伝えたら『ちょっとの間だけ。2週間程度』と言われた。賃貸してる身なので受け入れたんですが、2週間たつとエルグランドまで置かれた」と語る。

 車2台が置ける広さだった駐輪場は人1人やっと通れるスペースに。矢野氏は管理会社を通じ抗議したが改善はなし。それどころか、宮崎容疑者はその2台の前に、今回の事件に使用された横浜ナンバーの白のBMWや、レンタカーも駐車するようになった。矢野氏は車が邪魔で荷物の搬出もできない状態で、移転も検討しているというが、見通しが立たず途方に暮れている。

 ネットデマによる嫌がらせも悩みの種だ。

「(宮崎容疑者が)指名手配されてから、多くの迷惑メールや電話が寄せられるようになった」

 暴行現場をガラケーで撮影した喜本容疑者の姿がボカシ入りで報じられると、ネット上では犯人捜しが始まり、無関係の女性の名前や勤務先、写真などがさらされた。間違えられた女性は法的措置を検討している。

 矢野氏のもとには「ヤクザのフロント企業」「法で裁けんのやったら、ワシが地獄見せたる」といった誹謗中傷メールや、電話で「宮崎に代われ」と言われ、無言電話も寄せられている。

「住所、建物が一致しているだけで、誹謗中傷にさらされている。従業員も心配だし、いい加減な情報でこんなことはやめてほしい」(矢野氏)

 事件の余波はまだまだ続きそうだ。

【薬物使用を疑う声も】宮崎容疑者の特異な言動をめぐっては、ワイドショー番組でコメンテーターから薬物使用を疑う声も上がっていた。あおり運転をした揚げ句に相手を5回も殴るなどといった常軌を逸した振る舞いに、ネット上でも「薬物検査をすべきでは」との意見がみられる。ウェブ媒体「AERA dоt.」はそんな宮崎容疑者について、薬物使用疑惑から「毛髪からの薬物の簡易鑑定も行われる予定だ」という警察庁関係者の情報を伝えている。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c29

[近代史3] 女性受刑者の40%は「覚醒剤」で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる 中川隆
18. 中川隆[-8731] koaQ7Jey 2019年8月21日 11:02:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4013]

覚醒剤逮捕の麻生希被告 裁判で衝撃告白「組員に脅され注射された」
2018年10月18日
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/


 覚醒剤取締法違反(所持・使用)の罪に問われたタレント・麻生希被告(33=本名・島崎彩)の第2回公判が17日、横浜地裁(吉田勝栄裁判官)であり、アウトロー的な作品が多いことで知られるVシネマ(ビデオ映画)も顔負けの事実が明らかになった。暴力団組員に脅されて覚醒剤を注射され、保釈中にも覚醒剤をすすめられたなどと次々と衝撃の告白。「二度とやらない」と誓う麻生被告には、覚醒剤関与が“銃殺刑”となるフィリピン行きも母親から提案された。

 麻生被告は元交際相手の高畑愛平受刑者(27)と都内自宅で覚醒剤を約57グラムも所持し、使用したとされる。2月に逮捕されていた。「10頭身の美貌」を売りに活動していただけあり、タイトなパンツの黒スーツに白シャツ姿はさまになる。

「ガラスパイプに覚醒剤を入れて火であぶって使った」と使用を認めたが、所持については「50グラム以上もあると知らなかった。6〜10グラムと思っていた」と主張する。

 昨年10月21日から同棲を始めた部屋の覚醒剤は主に高畑被告が入手し、麻生被告は「パイプに入れて」とお願いして使っていた。売人との受け渡し現場には麻生被告が出向くこともあった。

 供述調書からは、0・05〜0・1グラムの量を1日に2〜3回も使用していた薬物依存が明らかに。最大で0・1グラムを4回使ったこともあった。

 覚醒剤に手を染めた理由は驚くべきものだった。同棲を始める数日前の昨年10月中旬のこと。「暴力団員に裸を盗撮されて、覚醒剤を使ってることも裸も週刊誌にバラまくと脅された」と告白したのだ。

 SNSを通じて面識のない人物から依頼された名古屋でのイベントの仕事を終えて「イベントの仲間と一緒にホテルラウンジで打ち上げをしました。みんなで飲んで、私はけっこう酔ってて裸でジャグジーに入った。そのとき暴力団員に盗撮された」と明かした。その後「暴力団員の人に『裏カジノの客の相手をしろ』と言われて、脅されて注射を打たれたりした」ことで覚醒剤を覚えてしまったというのだ。

 暴力団員は裸動画や覚醒剤使用の情報をリークしない代わり、麻生被告自身の購入か、購入者の紹介を求めた。「高畑さんに相談したら『それを買って良い付き合いができるなら、とりあえず買ってなだめたほうがいい』と言って買うことになりました。条件交渉は高畑さんと暴力団員。ブツの受け渡しは『知らない人間じゃなく、島崎さんに来てほしい』というので私が」と話す。

 だが、高畑被告の裁判で明らかになった事実とはニュアンスが異なる。自宅にあった覚醒剤の質に満足できない麻生被告から「これよりいいの知ってるよ」と紹介されたのが「名古屋の先生」という密売人だった。

 薬物依存者の再犯率の高さは知られているが、麻生被告は「やめる」と言い切った。「私は勾留中に妊娠が発覚して、勾留中に死産して、とても大変なことをしてしまった。申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいになった。二度としないと誓います」と涙声で誓った。

 検察官は2016年のコカイン所持での裁判(執行猶予判決)を振り返って「コカインの裁判でも『二度としない』と言っている」と追及する。

 それに対する返答は驚くべきものだった。保釈中の9月下旬から今月上旬、すでに覚醒剤の誘惑に遭遇していたのだ。「知人の飲食店で覚醒剤をすすめる男性がいたけど、地元の太田警察に通報しました。通報したことからも、断ち切ると心の底から誓ってます」と述べ、「群馬県警太田署の刑事2課。担当は○○さんです」と相談した刑事の名前まで持ち出した。

 情状証人で保釈中に同居している母親の弁も強烈だった。「どこにも行かないように見張っている」という母親は日本の永住権を持つフィリピン人だ。実刑の可能性も理解していて「出所後は日本でも、私の国でも一緒に住みます。彩ちゃんは娘だから守りたいですよ。私の国、彩ちゃんも勝手に出かけられない。向こうは覚醒剤が厳しい。なかなか手に入らない」と訴えた。

 フィリピンではドゥテルテ政権下で麻薬撲滅作戦が強行され、売人や使用者が数千人も銃殺されている。母親の提案は実効性があるかもしれない。次回公判で結審の予定だ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/307.html#c18

[] 経験者としての意見です。
42. 中川隆[-8730] koaQ7Jey 2019年8月21日 11:02:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4014]

覚醒剤逮捕の麻生希被告 裁判で衝撃告白「組員に脅され注射された」
2018年10月18日
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/


 覚醒剤取締法違反(所持・使用)の罪に問われたタレント・麻生希被告(33=本名・島崎彩)の第2回公判が17日、横浜地裁(吉田勝栄裁判官)であり、アウトロー的な作品が多いことで知られるVシネマ(ビデオ映画)も顔負けの事実が明らかになった。暴力団組員に脅されて覚醒剤を注射され、保釈中にも覚醒剤をすすめられたなどと次々と衝撃の告白。「二度とやらない」と誓う麻生被告には、覚醒剤関与が“銃殺刑”となるフィリピン行きも母親から提案された。

 麻生被告は元交際相手の高畑愛平受刑者(27)と都内自宅で覚醒剤を約57グラムも所持し、使用したとされる。2月に逮捕されていた。「10頭身の美貌」を売りに活動していただけあり、タイトなパンツの黒スーツに白シャツ姿はさまになる。

「ガラスパイプに覚醒剤を入れて火であぶって使った」と使用を認めたが、所持については「50グラム以上もあると知らなかった。6〜10グラムと思っていた」と主張する。

 昨年10月21日から同棲を始めた部屋の覚醒剤は主に高畑被告が入手し、麻生被告は「パイプに入れて」とお願いして使っていた。売人との受け渡し現場には麻生被告が出向くこともあった。

 供述調書からは、0・05〜0・1グラムの量を1日に2〜3回も使用していた薬物依存が明らかに。最大で0・1グラムを4回使ったこともあった。

 覚醒剤に手を染めた理由は驚くべきものだった。同棲を始める数日前の昨年10月中旬のこと。「暴力団員に裸を盗撮されて、覚醒剤を使ってることも裸も週刊誌にバラまくと脅された」と告白したのだ。

 SNSを通じて面識のない人物から依頼された名古屋でのイベントの仕事を終えて「イベントの仲間と一緒にホテルラウンジで打ち上げをしました。みんなで飲んで、私はけっこう酔ってて裸でジャグジーに入った。そのとき暴力団員に盗撮された」と明かした。その後「暴力団員の人に『裏カジノの客の相手をしろ』と言われて、脅されて注射を打たれたりした」ことで覚醒剤を覚えてしまったというのだ。

 暴力団員は裸動画や覚醒剤使用の情報をリークしない代わり、麻生被告自身の購入か、購入者の紹介を求めた。「高畑さんに相談したら『それを買って良い付き合いができるなら、とりあえず買ってなだめたほうがいい』と言って買うことになりました。条件交渉は高畑さんと暴力団員。ブツの受け渡しは『知らない人間じゃなく、島崎さんに来てほしい』というので私が」と話す。

 だが、高畑被告の裁判で明らかになった事実とはニュアンスが異なる。自宅にあった覚醒剤の質に満足できない麻生被告から「これよりいいの知ってるよ」と紹介されたのが「名古屋の先生」という密売人だった。

 薬物依存者の再犯率の高さは知られているが、麻生被告は「やめる」と言い切った。「私は勾留中に妊娠が発覚して、勾留中に死産して、とても大変なことをしてしまった。申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいになった。二度としないと誓います」と涙声で誓った。

 検察官は2016年のコカイン所持での裁判(執行猶予判決)を振り返って「コカインの裁判でも『二度としない』と言っている」と追及する。

 それに対する返答は驚くべきものだった。保釈中の9月下旬から今月上旬、すでに覚醒剤の誘惑に遭遇していたのだ。「知人の飲食店で覚醒剤をすすめる男性がいたけど、地元の太田警察に通報しました。通報したことからも、断ち切ると心の底から誓ってます」と述べ、「群馬県警太田署の刑事2課。担当は○○さんです」と相談した刑事の名前まで持ち出した。

 情状証人で保釈中に同居している母親の弁も強烈だった。「どこにも行かないように見張っている」という母親は日本の永住権を持つフィリピン人だ。実刑の可能性も理解していて「出所後は日本でも、私の国でも一緒に住みます。彩ちゃんは娘だから守りたいですよ。私の国、彩ちゃんも勝手に出かけられない。向こうは覚醒剤が厳しい。なかなか手に入らない」と訴えた。

 フィリピンではドゥテルテ政権下で麻薬撲滅作戦が強行され、売人や使用者が数千人も銃殺されている。母親の提案は実効性があるかもしれない。次回公判で結審の予定だ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/
http://www.asyura2.com/0310/dispute13/msg/131.html#c42

[] 「覚醒剤」
90. 中川隆[-8729] koaQ7Jey 2019年8月21日 11:03:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4015]

覚醒剤逮捕の麻生希被告 裁判で衝撃告白「組員に脅され注射された」
2018年10月18日
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/


 覚醒剤取締法違反(所持・使用)の罪に問われたタレント・麻生希被告(33=本名・島崎彩)の第2回公判が17日、横浜地裁(吉田勝栄裁判官)であり、アウトロー的な作品が多いことで知られるVシネマ(ビデオ映画)も顔負けの事実が明らかになった。暴力団組員に脅されて覚醒剤を注射され、保釈中にも覚醒剤をすすめられたなどと次々と衝撃の告白。「二度とやらない」と誓う麻生被告には、覚醒剤関与が“銃殺刑”となるフィリピン行きも母親から提案された。

 麻生被告は元交際相手の高畑愛平受刑者(27)と都内自宅で覚醒剤を約57グラムも所持し、使用したとされる。2月に逮捕されていた。「10頭身の美貌」を売りに活動していただけあり、タイトなパンツの黒スーツに白シャツ姿はさまになる。

「ガラスパイプに覚醒剤を入れて火であぶって使った」と使用を認めたが、所持については「50グラム以上もあると知らなかった。6〜10グラムと思っていた」と主張する。

 昨年10月21日から同棲を始めた部屋の覚醒剤は主に高畑被告が入手し、麻生被告は「パイプに入れて」とお願いして使っていた。売人との受け渡し現場には麻生被告が出向くこともあった。

 供述調書からは、0・05〜0・1グラムの量を1日に2〜3回も使用していた薬物依存が明らかに。最大で0・1グラムを4回使ったこともあった。

 覚醒剤に手を染めた理由は驚くべきものだった。同棲を始める数日前の昨年10月中旬のこと。「暴力団員に裸を盗撮されて、覚醒剤を使ってることも裸も週刊誌にバラまくと脅された」と告白したのだ。

 SNSを通じて面識のない人物から依頼された名古屋でのイベントの仕事を終えて「イベントの仲間と一緒にホテルラウンジで打ち上げをしました。みんなで飲んで、私はけっこう酔ってて裸でジャグジーに入った。そのとき暴力団員に盗撮された」と明かした。その後「暴力団員の人に『裏カジノの客の相手をしろ』と言われて、脅されて注射を打たれたりした」ことで覚醒剤を覚えてしまったというのだ。

 暴力団員は裸動画や覚醒剤使用の情報をリークしない代わり、麻生被告自身の購入か、購入者の紹介を求めた。「高畑さんに相談したら『それを買って良い付き合いができるなら、とりあえず買ってなだめたほうがいい』と言って買うことになりました。条件交渉は高畑さんと暴力団員。ブツの受け渡しは『知らない人間じゃなく、島崎さんに来てほしい』というので私が」と話す。

 だが、高畑被告の裁判で明らかになった事実とはニュアンスが異なる。自宅にあった覚醒剤の質に満足できない麻生被告から「これよりいいの知ってるよ」と紹介されたのが「名古屋の先生」という密売人だった。

 薬物依存者の再犯率の高さは知られているが、麻生被告は「やめる」と言い切った。「私は勾留中に妊娠が発覚して、勾留中に死産して、とても大変なことをしてしまった。申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいになった。二度としないと誓います」と涙声で誓った。

 検察官は2016年のコカイン所持での裁判(執行猶予判決)を振り返って「コカインの裁判でも『二度としない』と言っている」と追及する。

 それに対する返答は驚くべきものだった。保釈中の9月下旬から今月上旬、すでに覚醒剤の誘惑に遭遇していたのだ。「知人の飲食店で覚醒剤をすすめる男性がいたけど、地元の太田警察に通報しました。通報したことからも、断ち切ると心の底から誓ってます」と述べ、「群馬県警太田署の刑事2課。担当は○○さんです」と相談した刑事の名前まで持ち出した。

 情状証人で保釈中に同居している母親の弁も強烈だった。「どこにも行かないように見張っている」という母親は日本の永住権を持つフィリピン人だ。実刑の可能性も理解していて「出所後は日本でも、私の国でも一緒に住みます。彩ちゃんは娘だから守りたいですよ。私の国、彩ちゃんも勝手に出かけられない。向こうは覚醒剤が厳しい。なかなか手に入らない」と訴えた。

 フィリピンではドゥテルテ政権下で麻薬撲滅作戦が強行され、売人や使用者が数千人も銃殺されている。母親の提案は実効性があるかもしれない。次回公判で結審の予定だ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/
http://www.asyura2.com/0310/dispute13/msg/126.html#c90

[昼休み52] 何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口 中川隆
82. 中川隆[-8728] koaQ7Jey 2019年8月21日 11:04:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4016]

覚醒剤逮捕の麻生希被告 裁判で衝撃告白「組員に脅され注射された」
2018年10月18日
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/


 覚醒剤取締法違反(所持・使用)の罪に問われたタレント・麻生希被告(33=本名・島崎彩)の第2回公判が17日、横浜地裁(吉田勝栄裁判官)であり、アウトロー的な作品が多いことで知られるVシネマ(ビデオ映画)も顔負けの事実が明らかになった。暴力団組員に脅されて覚醒剤を注射され、保釈中にも覚醒剤をすすめられたなどと次々と衝撃の告白。「二度とやらない」と誓う麻生被告には、覚醒剤関与が“銃殺刑”となるフィリピン行きも母親から提案された。

 麻生被告は元交際相手の高畑愛平受刑者(27)と都内自宅で覚醒剤を約57グラムも所持し、使用したとされる。2月に逮捕されていた。「10頭身の美貌」を売りに活動していただけあり、タイトなパンツの黒スーツに白シャツ姿はさまになる。

「ガラスパイプに覚醒剤を入れて火であぶって使った」と使用を認めたが、所持については「50グラム以上もあると知らなかった。6〜10グラムと思っていた」と主張する。

 昨年10月21日から同棲を始めた部屋の覚醒剤は主に高畑被告が入手し、麻生被告は「パイプに入れて」とお願いして使っていた。売人との受け渡し現場には麻生被告が出向くこともあった。

 供述調書からは、0・05〜0・1グラムの量を1日に2〜3回も使用していた薬物依存が明らかに。最大で0・1グラムを4回使ったこともあった。

 覚醒剤に手を染めた理由は驚くべきものだった。同棲を始める数日前の昨年10月中旬のこと。「暴力団員に裸を盗撮されて、覚醒剤を使ってることも裸も週刊誌にバラまくと脅された」と告白したのだ。

 SNSを通じて面識のない人物から依頼された名古屋でのイベントの仕事を終えて「イベントの仲間と一緒にホテルラウンジで打ち上げをしました。みんなで飲んで、私はけっこう酔ってて裸でジャグジーに入った。そのとき暴力団員に盗撮された」と明かした。その後「暴力団員の人に『裏カジノの客の相手をしろ』と言われて、脅されて注射を打たれたりした」ことで覚醒剤を覚えてしまったというのだ。

 暴力団員は裸動画や覚醒剤使用の情報をリークしない代わり、麻生被告自身の購入か、購入者の紹介を求めた。「高畑さんに相談したら『それを買って良い付き合いができるなら、とりあえず買ってなだめたほうがいい』と言って買うことになりました。条件交渉は高畑さんと暴力団員。ブツの受け渡しは『知らない人間じゃなく、島崎さんに来てほしい』というので私が」と話す。

 だが、高畑被告の裁判で明らかになった事実とはニュアンスが異なる。自宅にあった覚醒剤の質に満足できない麻生被告から「これよりいいの知ってるよ」と紹介されたのが「名古屋の先生」という密売人だった。

 薬物依存者の再犯率の高さは知られているが、麻生被告は「やめる」と言い切った。「私は勾留中に妊娠が発覚して、勾留中に死産して、とても大変なことをしてしまった。申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいになった。二度としないと誓います」と涙声で誓った。

 検察官は2016年のコカイン所持での裁判(執行猶予判決)を振り返って「コカインの裁判でも『二度としない』と言っている」と追及する。

 それに対する返答は驚くべきものだった。保釈中の9月下旬から今月上旬、すでに覚醒剤の誘惑に遭遇していたのだ。「知人の飲食店で覚醒剤をすすめる男性がいたけど、地元の太田警察に通報しました。通報したことからも、断ち切ると心の底から誓ってます」と述べ、「群馬県警太田署の刑事2課。担当は○○さんです」と相談した刑事の名前まで持ち出した。

 情状証人で保釈中に同居している母親の弁も強烈だった。「どこにも行かないように見張っている」という母親は日本の永住権を持つフィリピン人だ。実刑の可能性も理解していて「出所後は日本でも、私の国でも一緒に住みます。彩ちゃんは娘だから守りたいですよ。私の国、彩ちゃんも勝手に出かけられない。向こうは覚醒剤が厳しい。なかなか手に入らない」と訴えた。

 フィリピンではドゥテルテ政権下で麻薬撲滅作戦が強行され、売人や使用者が数千人も銃殺されている。母親の提案は実効性があるかもしれない。次回公判で結審の予定だ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html#c82

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
170. 中川隆[-8727] koaQ7Jey 2019年8月21日 11:09:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4017]

覚醒剤逮捕の麻生希被告 裁判で衝撃告白「組員に脅され注射された」
2018年10月18日
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/


 覚醒剤取締法違反(所持・使用)の罪に問われたタレント・麻生希被告(33=本名・島崎彩)の第2回公判が17日、横浜地裁(吉田勝栄裁判官)であり、アウトロー的な作品が多いことで知られるVシネマ(ビデオ映画)も顔負けの事実が明らかになった。暴力団組員に脅されて覚醒剤を注射され、保釈中にも覚醒剤をすすめられたなどと次々と衝撃の告白。「二度とやらない」と誓う麻生被告には、覚醒剤関与が“銃殺刑”となるフィリピン行きも母親から提案された。

 麻生被告は元交際相手の高畑愛平受刑者(27)と都内自宅で覚醒剤を約57グラムも所持し、使用したとされる。2月に逮捕されていた。「10頭身の美貌」を売りに活動していただけあり、タイトなパンツの黒スーツに白シャツ姿はさまになる。

「ガラスパイプに覚醒剤を入れて火であぶって使った」と使用を認めたが、所持については「50グラム以上もあると知らなかった。6〜10グラムと思っていた」と主張する。

 昨年10月21日から同棲を始めた部屋の覚醒剤は主に高畑被告が入手し、麻生被告は「パイプに入れて」とお願いして使っていた。売人との受け渡し現場には麻生被告が出向くこともあった。

 供述調書からは、0・05〜0・1グラムの量を1日に2〜3回も使用していた薬物依存が明らかに。最大で0・1グラムを4回使ったこともあった。

 覚醒剤に手を染めた理由は驚くべきものだった。同棲を始める数日前の昨年10月中旬のこと。「暴力団員に裸を盗撮されて、覚醒剤を使ってることも裸も週刊誌にバラまくと脅された」と告白したのだ。

 SNSを通じて面識のない人物から依頼された名古屋でのイベントの仕事を終えて「イベントの仲間と一緒にホテルラウンジで打ち上げをしました。みんなで飲んで、私はけっこう酔ってて裸でジャグジーに入った。そのとき暴力団員に盗撮された」と明かした。その後「暴力団員の人に『裏カジノの客の相手をしろ』と言われて、脅されて注射を打たれたりした」ことで覚醒剤を覚えてしまったというのだ。

 暴力団員は裸動画や覚醒剤使用の情報をリークしない代わり、麻生被告自身の購入か、購入者の紹介を求めた。「高畑さんに相談したら『それを買って良い付き合いができるなら、とりあえず買ってなだめたほうがいい』と言って買うことになりました。条件交渉は高畑さんと暴力団員。ブツの受け渡しは『知らない人間じゃなく、島崎さんに来てほしい』というので私が」と話す。

 だが、高畑被告の裁判で明らかになった事実とはニュアンスが異なる。自宅にあった覚醒剤の質に満足できない麻生被告から「これよりいいの知ってるよ」と紹介されたのが「名古屋の先生」という密売人だった。

 薬物依存者の再犯率の高さは知られているが、麻生被告は「やめる」と言い切った。「私は勾留中に妊娠が発覚して、勾留中に死産して、とても大変なことをしてしまった。申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいになった。二度としないと誓います」と涙声で誓った。

 検察官は2016年のコカイン所持での裁判(執行猶予判決)を振り返って「コカインの裁判でも『二度としない』と言っている」と追及する。

 それに対する返答は驚くべきものだった。保釈中の9月下旬から今月上旬、すでに覚醒剤の誘惑に遭遇していたのだ。「知人の飲食店で覚醒剤をすすめる男性がいたけど、地元の太田警察に通報しました。通報したことからも、断ち切ると心の底から誓ってます」と述べ、「群馬県警太田署の刑事2課。担当は○○さんです」と相談した刑事の名前まで持ち出した。

 情状証人で保釈中に同居している母親の弁も強烈だった。「どこにも行かないように見張っている」という母親は日本の永住権を持つフィリピン人だ。実刑の可能性も理解していて「出所後は日本でも、私の国でも一緒に住みます。彩ちゃんは娘だから守りたいですよ。私の国、彩ちゃんも勝手に出かけられない。向こうは覚醒剤が厳しい。なかなか手に入らない」と訴えた。

 フィリピンではドゥテルテ政権下で麻薬撲滅作戦が強行され、売人や使用者が数千人も銃殺されている。母親の提案は実効性があるかもしれない。次回公判で結審の予定だ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160011/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c170

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
171. 中川隆[-8732] koaQ7Jey 2019年8月21日 11:16:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4012]

2018年11月14日
「殺人以外なんでもされた」元AV女優・麻生希さん「自己責任論」めぐり激論
https://www.bengo4.com/c_23/n_8855/


若い女性が意に反して、アダルトビデオへの出演を迫られる「AV出演強要」は一時、社会問題として大きく取り上げられたが、メディアの関心が薄れつつある。そんな状況の中で、AV業界が抱える問題について考えるシンポジウム「AV問題について考える会」が11月10日、都内で開かれた。

このシンポは、業界歴30年以上の男優、辻丸さんが主催。元AV女優の麻生希さん、AV監督の安達かおるさん、世田谷区議会議員の田中優子さんらが登壇して、「強要被害者は自己責任なのか?」などをテーマに議論した。麻生さんが「問題視されているようなことは全部された」と、壮絶な体験をカミングアウトする一幕もあった。

●麻生「怒鳴られたり、親に電話されたり、勝手にソープと契約されたりした」

トップ女優として活躍した麻生さんは2016年、コカイン所持などの疑いで摘発された(執行猶予判決)。さらに今年2月、当時交際していた男性と自宅で覚せい剤を所持・使用した疑いで逮捕されて、現在公判中の身にある。

麻生さんは、この後者の事件以降、法廷以外で公開の場に現れるのは初めてとのことだった。この日のシンポでは、現役当時所属していた事務所との間でトラブルがあったことをカミングアウトした。

「『キャンセル料払え』『いくらかけたと思うんだ』と言われたことある。殺人以外なんでもされた感じだから・・・」

「ひどいときは、家の前で『火をつけるぞ』と怒鳴られたこともあるし、現場に乗り込まれて嫌がらせをされたり、親に電話をされたりした。勝手にソープと契約されたこともある」

ほかにも、「家から出るな」と言われたり、報酬をもらえないため、仕方なくドッグフードを食べて過ごした時期もあったという。自殺を考えるまで悩んだこともあったが、最終的に、「麻生希」という女優名を使って活動できることを条件に、事務所と和解することになったそうだ。

●被害者の自覚ないままシステムに組み込まれる

壮絶な体験を口にした麻生さんだが、「自分も悪いと思う」「『私はこんなことされた!辛いんです』という感覚がない」と「自己責任論」を展開。「『麻生希』として生きていた時期はつらいこともあったが、今こうやって発言できる機会をもらえて、女優をしていて良かったと思う」という複雑な心境を明かした。

一方、現役のAV監督として、業界の問題について取り組む安達さんは「本人が『被害を受けた』ということを自覚しないから、『業界に問題がなかった、クリーンだ』とは言えない」「AVに限らないが、被害者だと自覚しないまま、システムの中に組み込まれる人たちもいるのではないか。あくまでも、客観的に検証していくことが必要だろう」と諭した。

●「嫌なら断れ」は力のある人の論理になりうる

また、「嫌なら断ればいい」という考え方について、性被害サバイバーの卜沢彩子さんは「力のある人の論理にもなりうる。嫌なことを『イヤ!』といつも言える人はどれくらいいるのか」「もう仕事が決まっていて、現場に来て、揉めることを避けて、『イヤ!』と言えない人がいると思う。その関係は、力が強いほうが意識する必要がある」と指摘した。

田中さんは「日本社会の隅々に、男女だけでなく、力のある者、ない者の関係が染み渡っている。強い者は権力をふるえるし、弱い者の権利を踏みにじれてしまう。だからこそ、そうしないように、どんな人であっても人権が大事にされなければいけない。AV業界が悪いとは言わないが、そういう体質は改めないといけないのではないか」と述べた。

こうした議論を受けて、麻生さんは「自分だけが良くても、人は嫌なことがある」「もう少し勉強したい」と話していた。

(弁護士ドットコムニュース)
https://www.bengo4.com/c_23/n_8855/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c171

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