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[政治・選挙・NHK297] 最多入場日に現地入り…大阪万博取材で見えたリアル 鈴木エイト カルトな金曜日(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
15. 秘密のアッコちゃん[1633] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月17日 00:37:46 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1071]
米国とロシアの対話「生ぬる過ぎる」ゼレンスキー氏、G7前に対露制裁強化を要請
2025/6/15 7:07
https://www.sankei.com/article/20250615-7EWK7V3KSNJAZLICVSZPUGTXUY/
ウクライナのゼレンスキー大統領は2025年6月14日、同国情勢を巡る米国とロシアの対話のトーンが
「生ぬる過ぎると感じる」
とX(旧ツイッター)に投稿した。
ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領を止められるのはトランプ米大統領だけだと表明。
2025年6月16日にカナダで開幕する先進7カ国首脳会議(G7サミット)を前に、対ロ制裁強化を要請した。
ゼレンスキー氏は米ロの対話のトーンを変えることが必要とし
「米国は制裁や武器支援でウクライナと共にあると、プーチン氏ははっきり理解しなければならない」
と指摘。
ロシアは戦争を始めた侵略者で、継続を望んでおり
「ウクライナとロシアを同等に扱うのは極めて不当だ」
と述べた。
2025年6月2日のトルコでの直接交渉でロシアが示した和平案は
「ウクライナが絶対に受け入れられないよう、意図的に書かれた最後通告だ」
と批判。
ウクライナは
「平和に向け、降伏以外の全てに取り組む用意がある」
と強調した。(共同)

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/496.html#c15
[政治・選挙・NHK297] <山本太郎vs小泉進次郎>日本のお米を見捨てる気か!!海外の米より日本の米だろ!!<れいわ新選組 国会>  赤かぶ
26. 秘密のアッコちゃん[1634] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月17日 06:08:20 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1072]
<■352行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>戦闘機の異常接近 無法中国に強く抗議せよ 
社説
2025/6/17 5:00
https://www.sankei.com/article/20250617-6KZ7YTWVYFLZRPSYB4MBMW7XXU/
中国の空母「山東」から発艦したJ15戦闘機が太平洋上空で、警戒監視任務中の海上自衛隊のP3C哨戒機に異常接近した。
現場は沖ノ鳥島西方で、中国軍戦闘機は2025年6月7日は約40分間、2025年6月8日は約80分間に渡って海自哨戒機を追尾した。
両日とも約45メートルまで近づき、2025年6月8日には海自機の前方約900メートルを横切った。
いずれも極めて危険な常軌を逸した飛行で容認できない。
自衛隊機の警戒監視活動は国際ルールに沿っており何の問題もない。
中国はジェット戦闘機がプロペラ機の哨戒機に異常接近した非を認め、謝罪すべきだ。
船越健裕外務事務次官は中国の呉江浩駐日大使に深刻な懸念を伝え、再発防止を求めた。
これに対し、中国外務省の報道官は中国側の活動は国際法と国際慣例に完全に合致していると唱え、日本側が
「近距離偵察」
という
「危険行為」
をやめるよう求めた。
盗人猛々しいとはこのことだ。
反省しない中国軍は挑発を繰り返しかねない。
自衛隊の吉田圭秀統合幕僚長は会見で、
「警戒監視を厳正に実施していく」
「抑止の意志と能力を堅持していく」
と表明した。
国を守る上で極めて妥当な発言だ。
自衛隊に期待したい。
情けないのは石破茂首相と岩屋毅外相だ。
異常接近は領空侵犯に匹敵する問題だと捉えるべきだ。
深刻な懸念ではなく、断固とした抗議の意を首相や外相が示さなくてどうする。
外務次官より下のレベルの中国側への申し入れは2025年6月10日から始めたが、次官の申し入れは防衛省による事案発表の翌日の2025年6月12日だった。
首相や外相を含め、怒りをきちんと示せないようでは国を代表する資格はない。
米国のグラス駐日大使はSNSで
「中国軍戦闘機による危険極まりない行動が、自衛隊機に搭乗する隊員の命を危険に晒した」
「意図的な加害行為だ」
と中国を非難した。
本来、日本の首相、閣僚、政治家が言うべきことである。
異常接近当時、「山東」と「遼寧」の2つの中国空母が西太平洋に初めて同時展開していた。
「遼寧」は中国空母として初めて、小笠原諸島から米領のグアム島を結ぶ第2列島線の東側でも行動していた。
太平洋の守りにも一層力を入れなければ日本は危うい。

「日本が先に中国を誘発したと言う人が政府の中に…」国民・榛葉氏 中国ヘリの領空侵犯で
2025/6/13 10:10
https://www.sankei.com/article/20250613-GXY4GJ5GC5EOXMHREAEMTUNI7Q/
国民民主党の榛葉賀津也幹事長は2025年6月12日の参院外交防衛委員会で、中国軍戦闘機が海上自衛隊機に異常接近するなど
「特異な」(中谷元・防衛相)
事案が続く現状に対し
「海から空にフェーズが変わった」
「相当危機感を持った方がいい」
と強調した。
その上で
「政府の中に
『先に日本が動いたせいで中国を誘発した』
などと、まことしやかに言う人がいる」
「中国の認知戦に完全に陥っている」
と指摘した。
■「心に入ってくるのが認知戦」
中国を巡っては2025年5月3日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で海警局艦船の艦載ヘリコプターが領空侵犯した。
中国ヘリによる領空侵犯は初めて。
2025年6月7、8日には中国空母艦載機が海自哨戒機P3Cに45メートルまで接近した。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。
前者の場合、日本の小型民間機が先立って尖閣に接近しており、中国側は
「日本の右翼分子が操縦する民間機が釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)の領空に侵入した」
と主張。
後者も
「日本の艦艇や軍用機が中国の正常な軍事活動に対し接近して偵察していることが根本原因だ」
などと正当化した。
榛葉氏は同委で、質疑前日に
「変な夢」
を見たと語り始めた。
中国のヘリが尖閣諸島上空を飛行中にエンジンが不具合を起こし、不時着─。
「中国軍が人命救助を目的にババババっと尖閣に行って…」(榛葉氏)。
そこで目が覚め、考え込んでしまって寝られなかったのだという。
榛葉氏は、
「極めて心配なのが与党」
「政府の中でも
『日本の民間機による尖閣周辺での飛行が事態を誘発した』
『先に日本が動いたせいで中国の領空侵犯を誘発した』
と、まことしやかに言う人がいる」
「まさに中国の認知戦に完全に陥っている」
と疑問視した。
■尖閣に公務員常駐は「今こそやるべきでは」
岩屋毅外相は
「中国の認知戦の罠に陥っているとの指摘は当たらない」
と反論したが、榛葉氏は
「中国はサラミをスライスするように日本の心の中にも入ってくる」
と重ねて訴えた。
次に榛葉氏は
「私の大好きな自民党」(榛葉氏)
が、政権交代前後の平成24年衆院選、平成25年参院選で
「尖閣諸島への公務員常駐」
を掲げていたが、平成26年衆院選以降の公約から抜け落ちている状況を疑問視し、
「今こそやるべきではないか」
と促した。
岩屋氏は当時、党安全保障調査会長を務めていたが、同委ではこう答弁するにとどめた。
「尖閣を安定的に維持管理するため、様々な選択肢はあるが、どの方策が真に効果的なのか、戦略的観点から、総合的に判断していかねばならない」
榛葉氏は公務員常駐も
「選択肢の1つか」
と尋ねたが、岩屋氏は
「今それを採用するかは別にして、様々な選択肢の1つではある」
と語った。
■「絶対に戦争をさせない」
榛葉氏は、尖閣有事も台湾有事も起こさせないためには、米国との緊密な連携が何よりも大事だと指摘し、
「絶対に戦争をさせない」
「そのための抑止力をどう構築し、我が国が主体的にコミットしていくのか」
「自衛隊と共に、米国と共に考えていくべき」
と述べた。

自衛隊機に中国軍機接近 統幕長「偶発的衝突 誘発の可能性も」
2025年6月12日 19時22分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250611/k10014832861000.html
防衛省は、今月2025年6月、太平洋上空を飛行していた海上自衛隊の哨戒機が、中国軍の戦闘機から接近されたり前方を横切られたりしたと、2025年6月11日夜に発表しました。
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
防衛省によりますと、今月2025年6月7日と8日、日本周辺の太平洋の上空で警戒監視を行っていた海上自衛隊のP3C哨戒機が、中国軍のJ15戦闘機から追尾されたということです。
戦闘機は中国海軍の空母「山東」の艦載機で、追尾された時間は、2025年6月7日がおよそ40分、2025年6月8日がおよそ80分だったとしています。
いずれの日もおよそ45メートルの距離まで接近された他、2025年6月8日には哨戒機の前方およそ900メートルを戦闘機が横切ったということです。
「山東」は2025年6月7日午後には沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を、2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行していたことが確認されています。
今回の飛行で哨戒機の搭乗員や機体に被害はなかったということですが、
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
中国軍の戦闘機は、2014年5月と6月にも東シナ海上空で監視飛行中の自衛隊機に異常に接近していて、日本政府が中国に抗議しています。
防衛省は今回、公表が発生から数日後になったことについて
「搭乗員からの聞き取りやデータの解析を慎重にしていたため」
としています。
■統合幕僚長「偶発的衝突 誘発の可能性ある深刻な行為」
吉田統幕長は2025年6月12日の定例の記者会見で
「中国軍のミスによって接近をされたという認識は持っていない」
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある深刻な行為だ」
と述べました。
また、中国海軍の空母2隻が初めて同時期に太平洋に進出していることなどを踏まえ、
「中国軍の活動区域が拡大し、軍事活動が活発化していることについては我々としても警戒しないといけない」
「危機感は高まっていると認識して頂いて結構だ」
と述べた上で
「自衛隊として隙のない態勢を示し、力による一方的な現状変更の試みを阻止するという意思と能力を示していくことが大事だ」
と述べました。
一方、自衛隊と中国軍の偶発的な衝突を防ぐため両国の防衛当局どうしが直接連絡を取り合う
「ホットライン」
を今回使用したかどうかについては
「回答を差し控える」
として明らかにしませんでしたが
「中国と直接的な意思疎通を図る必要性は高まっていると思う」
と述べ、対話が重要だという認識を示しました。
■官房長官「中国側に深刻な懸念表明 再発防止厳重に申し入れ」
林官房長官は2025年6月12日午前の記者会見で
「中国軍の行動の意図について確たることを申し上げることは差し控えたいが、中国軍機による特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性があることから 政府として外務省の船越事務次官から呉江浩駐日大使をはじめ外交と防衛のルートで中国側に対し、深刻な懸念を表明し再発防止を厳重に申し入れた」
と述べました。
その上で
「政府としては中国側と引き続き様々なレベルで意思疎通を行うとともに我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くため、今後もわが国周辺の海空域での警戒・監視活動などに万全を期していく」
と述べました。
■中国外務省報道官「日本の接近偵察が根本的な原因」
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の会見で
「中国が関連する海域や空域で行っている活動は国際法や国際的な慣例に完全に則ったものだ」
と述べた上で、今回のケースについては防衛当局どうしが意思疎通を行っていることを明らかにしました。
その一方で
「強調したいのは、日本の艦艇や航空機が中国の通常の軍事活動に対して接近偵察を行っていることが海と空の安全リスクを引き起こす根本的な原因だということだ」
「日本に対して危険な行為をやめるよう強く求める」
と述べ、日本側を非難しました。
■中国軍のJ15戦闘機とは
防衛省によりますと、中国軍のJ15戦闘機は空母の上でも発着できる艦載機でロシア軍の艦載機のSu33戦闘機を模倣したとされています。
各国の艦艇や航空機の情報をとりまとめている2017年から2018年の
「ジェーン年鑑」
によりますと、飛行可能な距離は最大でおよそ3500キロとされています。
空母を飛び立った後、任務を行って再び戻ってこられる範囲を示す
「戦闘行動半径」
は明らかにされていませんが、防衛省関係者は空母が今回よりも日本に近付いた場合には、東京を含め本州が
「戦闘行動半径」
に入る恐れがあるとしています。
■中国軍の戦闘機 ミサイルを装着か
防衛省は、今月2025年6月8日に海上自衛隊のP3C哨戒機が中国軍のJ15戦闘機に追尾された際の写真2枚を公開しました。
このうち、戦闘機の前方から撮影した写真では、機体の左翼の下にミサイルとみられるものが装着されているのが確認できます。
防衛省によりますと、ミサイルとみられるものは、前日の2025年6月7日の飛行でも確認されたということです。
また、もう1枚の写真は、哨戒機の左側から戦闘機を撮影したもので、戦闘機は哨戒機から非常に近い距離をほぼ同じ高度で飛行していたことが分かります。
防衛省によりますと、2025年6月8日に戦闘機が哨戒機の前方およそ900メートルを横切った際は、哨戒機の左側から右側に向けて飛行したということです。
防衛省はこの横切りについて
「運用上必要ないもので、戦闘機のエンジンから出る排気によって哨戒機の飛行に影響が出た恐れもあった」
としています。
■追尾は7日と8日 日本周辺の太平洋上空で
防衛省は、海上自衛隊の哨戒機が中国軍の戦闘機に追尾されたのは
▽今月2025年6月7日が午前10時半ごろから11時ごろにかけてのおよそ40分間
▽今月2025年6月8日が午後2時ごろから3時ごろにかけてのおよそ80分間で、いずれも日本周辺の太平洋上空だったとしています。
防衛省関係者によりますと、このうち2025年6月7日に追尾されたのは中国海軍の空母「山東」が航行していた周辺の空域だったということです。
「山東」は、2025年6月7日午後1時ごろには、沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたことが確認されています。
また、2025年6月8日に追尾されたのは2025年6月7日に追尾された空域よりも東側で、沖ノ鳥島よりは西側だったということです。
防衛省によりますと哨戒機を追尾した戦闘機は2025年6月7日が1機、2025年6月8日が2機で、2025年6月8日については2機のうち1機が至近距離まで接近したり哨戒機の前方を横切ったりしたということです。
■中国空母2隻 同時期に太平洋に進出
防衛省関係者によりますと、中国海軍の空母「山東」は今月2025年6月6日ごろ南シナ海から台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通過して太平洋に進出しました。
防衛省によりますと今月2025年6月7日の午後1時ごろには、ミサイル駆逐艦や補給艦など他の4隻の艦艇と共に沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたのが確認されています。
その2日後の2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行し、「山東」から戦闘機やヘリコプターの発着が行われたということです。
防衛省関係者によりますと発着が行われた海域は本州の紀伊半島から南に1000キロあまりの距離だったということです。
また、「山東」とは別に中国海軍の空母「遼寧」も2025年6月5月下旬以降日本周辺で航行を続け、戦闘機など艦載機の発着も確認されています。
防衛省によりますと、「遼寧」は2025年5月25日に沖縄県の尖閣諸島沖の東シナ海で航行しているのが確認され艦載機の発着も行われました。
その後、2025年5月26日から27日にかけて沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋に進出し、今月2025年6月7日には日本の最も東にある小笠原諸島の南鳥島の南西およそ300キロの日本のEEZ=排他的経済水域内を航行しているのが確認されました。
その翌日の2025年6月8日にはEEZの外側の公海上で艦載機の発着が行われ、周辺には中国海軍のミサイル駆逐艦や補給艦などの艦艇7隻も確認できたということです。
中国が現在運用している空母は「遼寧」と「山東」の2隻で、同時期に太平洋に進出したのは今回が初めてとなります。
中国は
▽南西諸島から台湾、フィリピンに至るいわゆる「第1列島線」と
▽小笠原諸島からグアムなどに至るいわゆる「第2列島線」を有事が起きた際の防衛ラインの1つと位置づけ、アメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているとされています。
防衛省は今回、「遼寧」は初めて「第2列島線」よりも東の海域に進出したとしていて、「山東」についても「第2列島線」の周辺まで進出したことを公表したのは初めてだとしています。
防衛省は中国が空母の運用能力や遠方での作戦遂行能力の向上を図っているとみられるとしています。
2隻の空母などは2025年6月12日も太平洋上での航行を続けているということで、警戒と監視を続けています。
■“「能力見せつける」戦略的メッセージの可能性も”
元空将 武藤茂樹さん
航空自衛隊で司令官を務めた元空将の武藤茂樹さんは、中国軍の戦闘機の飛行について
「高度差なしの45メートルという距離は航空自衛隊が警戒監視で飛行する場合の相手との距離より1桁分近く、極めて近い距離で衝突の危険性を孕む」
「前を横切る飛行も非常に危険で、中国軍機の飛行はアンプロフェッショナルな行為だと言える」
と話しています。
その上で考えられる意図としては
「空母の活動に関する情報を取られないよう空母の付近で活動するP3Cの活動を継続して監視し、近づかせないためのものだった可能性がある」
「日本に対して能力を見せつけるという戦略的なメッセージの可能性もある」
と指摘しています。
防衛省が公表した中国軍機の写真にミサイルとみられるものが確認されたことについては
「中距離ミサイルと短距離ミサイルを搭載していることが分かる」
「いずれも空対空戦闘用のミサイルでP3Cは当然射程に入るが、航空自衛隊が行う領空侵犯などへの対応でも2種類のミサイルを搭載しているので、中国側がどのような任務で飛行したかによって脅威度は変わってくる」
と話しています。
また、今回空母2隻が太平洋で確認されたことついては
「以前は東シナ海や南シナ海の大陸に近い所で運用されていたが、このところ第1列島線の外側に出て太平洋上で運用する状況になり、今回は更にそこから離れて小笠原諸島に近い所で運用している」
「中国は第1列島線から第2列島線の所でアメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているが、空母の運用範囲が広がっていることは戦略を実行する能力が着実に上がっていることを示している」
「大陸から遠距離の場所でも十分な航空戦力の運用ができているかどうかはよく見ておかなければいけない」
と述べ、警戒監視を続けることが重要だと指摘しています。
■防衛省関係者「今までとは違う動き 危機感持たないと」
今回の中国軍の空母や艦載機の動向について防衛省関係者は
「日本は九州や沖縄の南西地域を中心に防衛力を強化してきたが、南鳥島や沖ノ鳥島など小笠原諸島周辺だとレーダーや基地などの防衛基盤が限られるため警戒が難しい」
「今回の空母の展開は今までとは違う動きで、危機感を持たないといけない」
と話しています。
また、別の防衛省関係者は
「いわゆる『第2列島線』上にある硫黄島を東西に挟む形で2隻の空母がいるのはアメリカと日本に対する圧力を感じる」
「『第2列島線』の所までアメリカ軍を寄せつけないようにするための牽制ではないか」
と話しています。

「日本の接近偵察が根本原因」 中国外務省、海自哨戒機への異常接近で責任転嫁
2025/6/12 16:10
https://www.sankei.com/article/20250612-BJDD4K7YXFJPFHRHFWX2YLAMNY/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の記者会見で、中国軍の戦闘機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機に異常接近していたことに関し、
「日本の艦艇や軍用機が、中国の正常な軍事活動に対して接近して偵察していることが海空の安全に関するリスクを引き起こしている根本原因だ」
と述べて反論した。
日本側に
「危険行為」
をやめるよう求めると主張した。
林氏は、中国軍戦闘機の活動に関して
「関係する海空域で活動を行うことは国際法と国際慣例に完全に合致している」
という従来の主張を繰り返した。
同時に、今回の異常接近に関して
「両国の国防部門が既存のルートを通じて意思疎通を保っている」
とも表明した。
日本の防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で2025年6月7、8日に警戒監視を行っていた海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
中国軍機の異常接近は平成26年以来だった。

中国軍機、海自機に45メートルまで接近 太平洋上、防衛省は深刻懸念と再発防止申し入れ
2025/6/12 0:30
https://www.sankei.com/article/20250612-QI4MIQM44ZOKLMCIIFPO5VP4VA/
防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
防衛省によると、山東から発艦したJ15戦闘機が2025年6月7、8日に警戒監視を行っていたP3Cに異常接近した。
2025年6月7日は約45メートルの距離まで接近され、2025年6月8日には針路前方約900メートルを横切った。
自衛隊機や隊員に被害は出ていない。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。

<独自>南鳥島に警戒レーダー配備を検討 防衛省、中国空母進出受け手薄な防空態勢を強化
2025/6/11 19:31
https://www.sankei.com/article/20250611-N5CTWFP4NBL2VODYVZPLN3SD6Q/
防衛省が外国機の領空侵犯と領空接近を監視する航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーを南鳥島(東京都)に配備する案を検討していることが2025年6月11日、分かった。
台湾有事の際に米海軍の接近を阻止するため中国が設定したという防衛ライン
「第2列島線」
を中国海軍の空母が初めて越えるなど海洋進出を強める中、警戒監視態勢を強化する。
一方、太平洋島嶼部への戦闘機部隊の配備や防空識別圏(ADIZ)の設置は行わない方針だ。
令和4年12月に策定した防衛力整備計画には、太平洋の離島などに移動式レーダーの整備を進める方針が明記された。
太平洋では、硫黄島を除く小笠原諸島や伊豆諸島にレーダーがなく、防空態勢が手薄な状況が続く。
南鳥島には海上自衛隊の隊員らが常駐するが、民間人は住んでおらず、防衛省内で
「レーダーを設置しやすい」
との声がある。
同島では地上から軍艦を狙う陸上自衛隊の12式地対艦誘導弾の射撃場を整備する計画もある。
防衛省は太平洋に進出する中国軍機を捕捉するため、沖縄県の北大東島でも移動式レーダーを整備する。
レーダー網の拡充を急ぐ背景には、中国軍の海洋進出の勢いが増していることがある。
中国海軍の空母「遼寧」は今月2025年6月7日、ミサイル駆逐艦などを伴い、南鳥島の南西約300キロに位置する日本の排他的経済水域(EEZ)内を航行した。
空母「山東」も太平洋側に進出し、実戦訓練を行った。
中国の空母2隻が太平洋で活動するのは初めてで、自衛隊幹部は
「今後ますます活動範囲を広げていくだろう」
と危惧する。
日本は台湾有事を念頭に、南西方面での防衛力強化に力を入れてきたが、太平洋の守りは後回しとなっていた。
太平洋戦争中には米空母から発艦した爆撃機で東京などが空襲され、大きな被害が出た。
防空態勢に穴が空いたままでは、中国軍機が領空侵犯などで威嚇を強める可能性もある。

「日本に理性的取り扱い望む」「国際法と合致」 中国が空母の第2列島線初通過で主張
2025/6/9 18:19
https://www.sankei.com/article/20250609-KU2W262E7BJGDO4YIM55M56NGI/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月9日の記者会見で、中国海軍の空母
「遼寧」
が小笠原諸島やグアムを結ぶ
「第2列島線」
を初めて越えたと日本側が発表したことについて、
「中国の軍艦の関連海域における活動は国際法と国際慣例に完全に合致している」
と主張した。
林氏は
「中国は一貫して防御的な国防政策を実行しており、日本側は客観的、理性的に取り扱うよう望む」
と注文を付けた。
中国軍は、日本周辺で空母の活動を活発化させている。
昨年2024年9月には遼寧が、中国の空母として初めて沖縄県の西表島と与那国島の間の接続水域を航行した。

中国空母「遼寧」、南鳥島沖に初進出 防衛省、艦載機やヘリの発着艦を確認
2025/6/8 22:27
https://www.sankei.com/article/20250608-RF5DZVZNXZJBLBNQGWZ4EVFEAI/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月8日、中国海軍の空母
「遼寧」
が2025年6月7〜8日、南鳥島(東京都)の沖合の太平洋を航行し、搭載する戦闘機やヘリコプターの発着を確認したと発表した。
防衛省によると、中国の空母が同海域まで進出したのは初めて。
中国海軍が日本周辺での活動を拡大、活発化させているとして情報収集や警戒監視を強化している。
防衛省によると、2025年6月7日午後6時頃、南鳥島の南西約300キロの排他的経済水域(EEZ)内で、遼寧がミサイル駆逐艦など3隻と共に航行しているのを確認。遼寧は更に南西に進み、2025年6月8日に発着艦を実施した。
遼寧は2025年5月下旬、沖縄周辺の東シナ海や太平洋で発着艦を繰り返した後、太平洋を南進。
その後、南鳥島沖に北上してきたとみられる。
遼寧は旧ソ連製空母を改修し、2012年9月に就役した中国初の空母。
船首に傾斜がついたスキージャンプ式の甲板を備える。
昨年2024年9月、沖縄県の西表島と与那国島の間を通過し、中国空母として初めて日本の接続水域を航行したことが確認された。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/494.html#c26

[政治・選挙・NHK297] <尼崎市議選>福井完樹、当選確実(チダイズム) 赤かぶ
30. 秘密のアッコちゃん[1635] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月17日 06:28:34 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1073]
<△28行くらい>
中国海警船は4倍増、比国は6隻のみ 鹿児島で国内初の日米比合同訓練、結束確認
2025/6/16 19:15
https://www.sankei.com/article/20250616-OKBN2U47ERKVHGAP2J5BXOOD24/
海上保安庁は2025年6月16日、米国、フィリピンの両沿岸警備隊と行う国内初の共同訓練を前に、鹿児島県内で歓迎式典を開いた。
3カ国共同訓練は昨年、マニラで初めて開催。
東シナ、南シナ両海への進出を強める中国を念頭に、日米比の結束を示し、力による現状変更に対抗する構えだ。
訓練は2025年6月20日、鹿児島・錦江湾で実施。
参加する巡視船は海保の「あさなぎ」(6千トン)、比国は日本が供与した「テレサ・マグバヌア」(2265トン)、米国は「ストラットン」(4500トン)。
九州南方の公海上で船舶同士が衝突したと想定し、連携して情報伝達や捜索救助、火災消火の手順を確認する。
中国は離島を巡る領有権争いを激化させている。
中国の海上保安機関である海警局の船舶は東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)へ年間を通じて接近。
南シナ海では軍事拠点化を進めるスプラトリー(中国名・南沙)諸島で、海警局船の比船舶への妨害行動が頻発に起きている。
海保によると、広範囲に活動できる1千トン級船舶は、2012年に中国は日本より少ない40隻だったが、2023年までに推定159隻と4倍に。
日本は51隻から75隻と1・5倍増にとどまる。
さらに2018年、海警局は軍事組織の一部へ編入された。
比国は詳細を明らかにしていないが、海洋監視に使用できる大型船舶は極端に少ない。
米国が2019年までに海軍へ供与した3隻の他、日本も2022年に2隻供与するなど現在は計6隻とみられる。
日本は2028年までに5隻を追加供与する予定。
比国の海上法執行能力の構築は、中国と対峙する日本と同盟国・米国にとって急務となっている。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/497.html#c30
[政治・選挙・NHK297] 石破さんは強気らしい 国民を舐め切っている無策政権と自民党(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
37. 秘密のアッコちゃん[1636] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月17日 10:26:18 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1074]
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台湾有事で米軍部隊がミサイルを撃つ時、自衛隊は撃てるか? 米海兵隊大尉「将来の戦闘」
https://www.sankei.com/article/20250617-ZI7M7NZFLBIANDBMPERS5WNIZI/
台湾有事が起きれば、米海兵隊は小規模部隊が分散展開し、中国軍を発見・追尾し、地対艦ミサイルなどで中国軍を攻撃する−。
海兵隊は新たな作戦コンセプト
「遠征前方基地作戦(EABO)」
の下に装備調達や自衛隊を含む友軍との訓練を進めている。
分散展開した小規模部隊は具体的にどのような判断を迫られるのか。
海兵隊大尉が昨年発表した架空の物語で改めて浮き彫りになったのは、海兵隊は自衛隊とは異なる基準で行動することを求められる実態だ。
台湾有事を想定した海兵隊の作戦を小説仕立てのストーリーで描いたのは、米海兵隊大尉(当時)のテーラー・ハーシュバーガー氏だ。
海兵隊協会が発行する月刊誌「マリンコー・ガゼット」の2024年2月号に
「将来の戦闘」
と題した文書を寄稿した。
米海兵隊は2020年に発表された
「フォースデザイン2030」
の下に大改革を進めている。
第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦のように大規模部隊が上陸作戦を行うのではなく、中国軍のミサイル射程圏内に踏みとどまるため小規模部隊が分散展開するEABOを軸とした軍に生まれ変わる計画だ。
しかし、EABOで中心的役割を担う小規模部隊が具体的にどのような作戦を行うか、現場の下士官や隊員が公式文書だけで理解するのは難しい。
ハーシュバーガー氏は海兵隊員向けのセミナーで、サイバー戦を展開する将来の米中戦争を描いた小説『中国軍を駆逐せよ!』を参考にし、現実に即した架空の物語を執筆したと説明している。
■タガログ語で通信
ハーシュバーガー氏の物語では、2032年に中国軍が台湾を海上封鎖し、米海兵隊が台湾有事に備えて準備を始める。
物語の主人公は100人規模の部隊を率いるジャクソン少佐と、その下で分隊を指揮するルイズ曹長だ。
台湾軍が中国艦艇を砲撃したことで緊張が高まり、米海兵隊は不測の事態に備え、台湾周辺の島嶼に少規模部隊を分散展開することを決定した。
ジャクソン少佐の部隊はフィリピンのルバング島に派遣される。
「周辺地域では中国海軍が活動している」
「動きを隠さなければならない」
ジャクソン少佐の部隊は民間航空機、地元フェリー、漁船に分かれてルバング島に乗り込んだ後も、相互の連絡に細心の注意を払わなければならなかった。
無線で連絡を取り合えば、中国軍に察知される可能性があるからだ。
タブレット上のチャットに加え、地元で手に入れた携帯電話を通じタガログ語でショートメッセージをやり取りした。
地元住民の情報によると、ルバング島には中国軍の特殊作戦部隊が潜入しているようだ。
中国海軍の艦艇もフィリピン沖に向けて接近している。
こうした中、ジャクソン少佐の部隊には、最新式レーダーや地対艦ミサイルシステム
「NMESIS(ネメシス)」
が届けられる。
地対艦ミサイルは、洋上の米海軍艦艇と調整しながら発射の判断を行う。
だが、海軍と連絡を取り合いながら指揮を執るジャクソン少佐は、ネメシスを運用するルイズ曹長の分隊とは一緒に行動しない。
1カ所に固まって敵から察知される危険を避けるためだ。
「自分たちの身を守るためにミサイルを使っていいのでしょうか?」
ルイズ曹長にとって、限られた通信環境で自分が発射の判断を迫られる事態が気がかりだった。
ルイズ曹長の質問にジャクソン少佐は頷いたが
「現時点で中国海軍と戦争状態にはないことを忘れるな」
「中国海軍艦艇にミサイルを撃てば米中は戦争に突入するかもしれない」
と付け加えた。
ルイズ曹長の不安は的中する。
中国軍艦艇がルバング島に向けてミサイルを発射。
島からも地対艦ミサイルが発射され、交戦が始まったもようだが、ジャクソン少佐とのチャットは敵からの妨害を受けて通じず、携帯電話も繋がらない。
ルイズ曹長はやむを得ず、自らの判断でネメシスの発射を命じた−。
■部隊が自律的に判断
ハーシュバーガー氏が描いたストーリーでは、敵のサイバー攻撃などにより指揮統制システムが機能不全に陥る中でも、小規模部隊が自律的に判断して作戦を遂行している。
有事になれば、自衛隊も米海兵隊と同じ戦域で活動することが想定される。
この時、自衛隊部隊は海兵隊と同じようなスピードで判断を下し、作戦を遂行することができるだろうか。
ハーシュバーガー氏の物語は戦争が始まる前の段階の話であり、有事手前のグレーゾーン事態だ。
自衛隊もグレーゾーン事態で自己防衛や緊急避難を目的とした武器使用は認められているが、ルイズ曹長のような判断を現場部隊に求めるのは難しいかもしれない。
このような環境下にあっても、如何にして自衛隊と海兵隊の連携を確保するのか。
ハーシュバーガー氏の物語は海兵隊の現場部隊に新たな作戦コンセプトを浸透させるために発表されたものだが、海兵隊と連携をとるべき自衛隊にとっても重要な宿題を与えている。
http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/498.html#c37
[政治・選挙・NHK297] 「1食228円」に国民激怒!自民・森山幹事長が言い放った一律2万円バラマキの“トンデモ根拠”(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
36. 秘密のアッコちゃん[1637] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月18日 01:56:10 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1075]
<■396行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
中国空母「遼寧」「山東」から戦闘機やヘリ520回発着 防衛省発表、太平洋で同時活動
2025/6/18 0:11
https://www.sankei.com/article/20250618-EIK4T6WFGNO5PGYX53ZJF5ADEM/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月17日、太平洋で初の同時活動が確認された中国海軍の空母「遼寧」と「山東」が2025年6月8〜16日にかけ、艦載する戦闘機やヘリコプターを計約520回発着させたと発表した。
防衛省は
「遠洋での作戦遂行能力の強化を狙っている」
と見て動向を注視している。
防衛省によると、遼寧は2025年6月8日以降、硫黄島(東京都)の南東約650キロの海域から南西に進みながら発着艦を計約290回実施した。
山東は9日以降、沖ノ鳥島(東京都)周辺を時計回りに航行しながら計約230回発着艦した。
山東を巡っては、2025年6月7〜8日、艦載のJ15戦闘機による海上自衛隊のP3C哨戒機への接近が確認され、日本政府が抗議した。
遼寧は一連の航行の中で、中国が制海権確立を目的に伊豆諸島や米グアムを繋ぐ海上ライン
「第2列島線」
を中国空母として初めて越えた。

<主張>戦闘機の異常接近 無法中国に強く抗議せよ 
社説
2025/6/17 5:00
https://www.sankei.com/article/20250617-6KZ7YTWVYFLZRPSYB4MBMW7XXU/
中国の空母「山東」から発艦したJ15戦闘機が太平洋上空で、警戒監視任務中の海上自衛隊のP3C哨戒機に異常接近した。
現場は沖ノ鳥島西方で、中国軍戦闘機は2025年6月7日は約40分間、2025年6月8日は約80分間に渡って海自哨戒機を追尾した。
両日とも約45メートルまで近づき、2025年6月8日には海自機の前方約900メートルを横切った。
いずれも極めて危険な常軌を逸した飛行で容認できない。
自衛隊機の警戒監視活動は国際ルールに沿っており何の問題もない。
中国はジェット戦闘機がプロペラ機の哨戒機に異常接近した非を認め、謝罪すべきだ。
船越健裕外務事務次官は中国の呉江浩駐日大使に深刻な懸念を伝え、再発防止を求めた。
これに対し、中国外務省の報道官は中国側の活動は国際法と国際慣例に完全に合致していると唱え、日本側が
「近距離偵察」
という
「危険行為」
をやめるよう求めた。
盗人猛々しいとはこのことだ。
反省しない中国軍は挑発を繰り返しかねない。
自衛隊の吉田圭秀統合幕僚長は会見で、
「警戒監視を厳正に実施していく」
「抑止の意志と能力を堅持していく」
と表明した。
国を守る上で極めて妥当な発言だ。
自衛隊に期待したい。
情けないのは石破茂首相と岩屋毅外相だ。
異常接近は領空侵犯に匹敵する問題だと捉えるべきだ。
深刻な懸念ではなく、断固とした抗議の意を首相や外相が示さなくてどうする。
外務次官より下のレベルの中国側への申し入れは2025年6月10日から始めたが、次官の申し入れは防衛省による事案発表の翌日の2025年6月12日だった。
首相や外相を含め、怒りをきちんと示せないようでは国を代表する資格はない。
米国のグラス駐日大使はSNSで
「中国軍戦闘機による危険極まりない行動が、自衛隊機に搭乗する隊員の命を危険に晒した」
「意図的な加害行為だ」
と中国を非難した。
本来、日本の首相、閣僚、政治家が言うべきことである。
異常接近当時、「山東」と「遼寧」の2つの中国空母が西太平洋に初めて同時展開していた。
「遼寧」は中国空母として初めて、小笠原諸島から米領のグアム島を結ぶ第2列島線の東側でも行動していた。
太平洋の守りにも一層力を入れなければ日本は危うい。

「日本が先に中国を誘発したと言う人が政府の中に…」国民・榛葉氏 中国ヘリの領空侵犯で
2025/6/13 10:10
https://www.sankei.com/article/20250613-GXY4GJ5GC5EOXMHREAEMTUNI7Q/
国民民主党の榛葉賀津也幹事長は2025年6月12日の参院外交防衛委員会で、中国軍戦闘機が海上自衛隊機に異常接近するなど
「特異な」(中谷元・防衛相)
事案が続く現状に対し
「海から空にフェーズが変わった」
「相当危機感を持った方がいい」
と強調した。
その上で
「政府の中に
『先に日本が動いたせいで中国を誘発した』
などと、まことしやかに言う人がいる」
「中国の認知戦に完全に陥っている」
と指摘した。
■「心に入ってくるのが認知戦」
中国を巡っては2025年5月3日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で海警局艦船の艦載ヘリコプターが領空侵犯した。
中国ヘリによる領空侵犯は初めて。
2025年6月7、8日には中国空母艦載機が海自哨戒機P3Cに45メートルまで接近した。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。
前者の場合、日本の小型民間機が先立って尖閣に接近しており、中国側は
「日本の右翼分子が操縦する民間機が釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)の領空に侵入した」
と主張。
後者も
「日本の艦艇や軍用機が中国の正常な軍事活動に対し接近して偵察していることが根本原因だ」
などと正当化した。
榛葉氏は同委で、質疑前日に
「変な夢」
を見たと語り始めた。
中国のヘリが尖閣諸島上空を飛行中にエンジンが不具合を起こし、不時着─。
「中国軍が人命救助を目的にババババっと尖閣に行って…」(榛葉氏)。
そこで目が覚め、考え込んでしまって寝られなかったのだという。
榛葉氏は、
「極めて心配なのが与党」
「政府の中でも
『日本の民間機による尖閣周辺での飛行が事態を誘発した』
『先に日本が動いたせいで中国の領空侵犯を誘発した』
と、まことしやかに言う人がいる」
「まさに中国の認知戦に完全に陥っている」
と疑問視した。
■尖閣に公務員常駐は「今こそやるべきでは」
岩屋毅外相は
「中国の認知戦の罠に陥っているとの指摘は当たらない」
と反論したが、榛葉氏は
「中国はサラミをスライスするように日本の心の中にも入ってくる」
と重ねて訴えた。
次に榛葉氏は
「私の大好きな自民党」(榛葉氏)
が、政権交代前後の平成24年衆院選、平成25年参院選で
「尖閣諸島への公務員常駐」
を掲げていたが、平成26年衆院選以降の公約から抜け落ちている状況を疑問視し、
「今こそやるべきではないか」
と促した。
岩屋氏は当時、党安全保障調査会長を務めていたが、同委ではこう答弁するにとどめた。
「尖閣を安定的に維持管理するため、様々な選択肢はあるが、どの方策が真に効果的なのか、戦略的観点から、総合的に判断していかねばならない」
榛葉氏は公務員常駐も
「選択肢の1つか」
と尋ねたが、岩屋氏は
「今それを採用するかは別にして、様々な選択肢の1つではある」
と語った。
■「絶対に戦争をさせない」
榛葉氏は、尖閣有事も台湾有事も起こさせないためには、米国との緊密な連携が何よりも大事だと指摘し、
「絶対に戦争をさせない」
「そのための抑止力をどう構築し、我が国が主体的にコミットしていくのか」
「自衛隊と共に、米国と共に考えていくべき」
と述べた。

自衛隊機に中国軍機接近 統幕長「偶発的衝突 誘発の可能性も」
2025年6月12日 19時22分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250611/k10014832861000.html
防衛省は、今月2025年6月、太平洋上空を飛行していた海上自衛隊の哨戒機が、中国軍の戦闘機から接近されたり前方を横切られたりしたと、2025年6月11日夜に発表しました。
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
防衛省によりますと、今月2025年6月7日と8日、日本周辺の太平洋の上空で警戒監視を行っていた海上自衛隊のP3C哨戒機が、中国軍のJ15戦闘機から追尾されたということです。
戦闘機は中国海軍の空母「山東」の艦載機で、追尾された時間は、2025年6月7日がおよそ40分、2025年6月8日がおよそ80分だったとしています。
いずれの日もおよそ45メートルの距離まで接近された他、2025年6月8日には哨戒機の前方およそ900メートルを戦闘機が横切ったということです。
「山東」は2025年6月7日午後には沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を、2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行していたことが確認されています。
今回の飛行で哨戒機の搭乗員や機体に被害はなかったということですが、
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
中国軍の戦闘機は、2014年5月と6月にも東シナ海上空で監視飛行中の自衛隊機に異常に接近していて、日本政府が中国に抗議しています。
防衛省は今回、公表が発生から数日後になったことについて
「搭乗員からの聞き取りやデータの解析を慎重にしていたため」
としています。
■統合幕僚長「偶発的衝突 誘発の可能性ある深刻な行為」
吉田統幕長は2025年6月12日の定例の記者会見で
「中国軍のミスによって接近をされたという認識は持っていない」
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある深刻な行為だ」
と述べました。
また、中国海軍の空母2隻が初めて同時期に太平洋に進出していることなどを踏まえ、
「中国軍の活動区域が拡大し、軍事活動が活発化していることについては我々としても警戒しないといけない」
「危機感は高まっていると認識して頂いて結構だ」
と述べた上で
「自衛隊として隙のない態勢を示し、力による一方的な現状変更の試みを阻止するという意思と能力を示していくことが大事だ」
と述べました。
一方、自衛隊と中国軍の偶発的な衝突を防ぐため両国の防衛当局どうしが直接連絡を取り合う
「ホットライン」
を今回使用したかどうかについては
「回答を差し控える」
として明らかにしませんでしたが
「中国と直接的な意思疎通を図る必要性は高まっていると思う」
と述べ、対話が重要だという認識を示しました。
■官房長官「中国側に深刻な懸念表明 再発防止厳重に申し入れ」
林官房長官は2025年6月12日午前の記者会見で
「中国軍の行動の意図について確たることを申し上げることは差し控えたいが、中国軍機による特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性があることから 政府として外務省の船越事務次官から呉江浩駐日大使をはじめ外交と防衛のルートで中国側に対し、深刻な懸念を表明し再発防止を厳重に申し入れた」
と述べました。
その上で
「政府としては中国側と引き続き様々なレベルで意思疎通を行うとともに我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くため、今後もわが国周辺の海空域での警戒・監視活動などに万全を期していく」
と述べました。
■中国外務省報道官「日本の接近偵察が根本的な原因」
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の会見で
「中国が関連する海域や空域で行っている活動は国際法や国際的な慣例に完全に則ったものだ」
と述べた上で、今回のケースについては防衛当局どうしが意思疎通を行っていることを明らかにしました。
その一方で
「強調したいのは、日本の艦艇や航空機が中国の通常の軍事活動に対して接近偵察を行っていることが海と空の安全リスクを引き起こす根本的な原因だということだ」
「日本に対して危険な行為をやめるよう強く求める」
と述べ、日本側を非難しました。
■中国軍のJ15戦闘機とは
防衛省によりますと、中国軍のJ15戦闘機は空母の上でも発着できる艦載機でロシア軍の艦載機のSu33戦闘機を模倣したとされています。
各国の艦艇や航空機の情報をとりまとめている2017年から2018年の
「ジェーン年鑑」
によりますと、飛行可能な距離は最大でおよそ3500キロとされています。
空母を飛び立った後、任務を行って再び戻ってこられる範囲を示す
「戦闘行動半径」
は明らかにされていませんが、防衛省関係者は空母が今回よりも日本に近付いた場合には、東京を含め本州が
「戦闘行動半径」
に入る恐れがあるとしています。
■中国軍の戦闘機 ミサイルを装着か
防衛省は、今月2025年6月8日に海上自衛隊のP3C哨戒機が中国軍のJ15戦闘機に追尾された際の写真2枚を公開しました。
このうち、戦闘機の前方から撮影した写真では、機体の左翼の下にミサイルとみられるものが装着されているのが確認できます。
防衛省によりますと、ミサイルとみられるものは、前日の2025年6月7日の飛行でも確認されたということです。
また、もう1枚の写真は、哨戒機の左側から戦闘機を撮影したもので、戦闘機は哨戒機から非常に近い距離をほぼ同じ高度で飛行していたことが分かります。
防衛省によりますと、2025年6月8日に戦闘機が哨戒機の前方およそ900メートルを横切った際は、哨戒機の左側から右側に向けて飛行したということです。
防衛省はこの横切りについて
「運用上必要ないもので、戦闘機のエンジンから出る排気によって哨戒機の飛行に影響が出た恐れもあった」
としています。
■追尾は7日と8日 日本周辺の太平洋上空で
防衛省は、海上自衛隊の哨戒機が中国軍の戦闘機に追尾されたのは
▽今月2025年6月7日が午前10時半ごろから11時ごろにかけてのおよそ40分間
▽今月2025年6月8日が午後2時ごろから3時ごろにかけてのおよそ80分間で、いずれも日本周辺の太平洋上空だったとしています。
防衛省関係者によりますと、このうち2025年6月7日に追尾されたのは中国海軍の空母「山東」が航行していた周辺の空域だったということです。
「山東」は、2025年6月7日午後1時ごろには、沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたことが確認されています。
また、2025年6月8日に追尾されたのは2025年6月7日に追尾された空域よりも東側で、沖ノ鳥島よりは西側だったということです。
防衛省によりますと哨戒機を追尾した戦闘機は2025年6月7日が1機、2025年6月8日が2機で、2025年6月8日については2機のうち1機が至近距離まで接近したり哨戒機の前方を横切ったりしたということです。
■中国空母2隻 同時期に太平洋に進出
防衛省関係者によりますと、中国海軍の空母「山東」は今月2025年6月6日ごろ南シナ海から台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通過して太平洋に進出しました。
防衛省によりますと今月2025年6月7日の午後1時ごろには、ミサイル駆逐艦や補給艦など他の4隻の艦艇と共に沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたのが確認されています。
その2日後の2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行し、「山東」から戦闘機やヘリコプターの発着が行われたということです。
防衛省関係者によりますと発着が行われた海域は本州の紀伊半島から南に1000キロあまりの距離だったということです。
また、「山東」とは別に中国海軍の空母「遼寧」も2025年6月5月下旬以降日本周辺で航行を続け、戦闘機など艦載機の発着も確認されています。
防衛省によりますと、「遼寧」は2025年5月25日に沖縄県の尖閣諸島沖の東シナ海で航行しているのが確認され艦載機の発着も行われました。
その後、2025年5月26日から27日にかけて沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋に進出し、今月2025年6月7日には日本の最も東にある小笠原諸島の南鳥島の南西およそ300キロの日本のEEZ=排他的経済水域内を航行しているのが確認されました。
その翌日の2025年6月8日にはEEZの外側の公海上で艦載機の発着が行われ、周辺には中国海軍のミサイル駆逐艦や補給艦などの艦艇7隻も確認できたということです。
中国が現在運用している空母は「遼寧」と「山東」の2隻で、同時期に太平洋に進出したのは今回が初めてとなります。
中国は
▽南西諸島から台湾、フィリピンに至るいわゆる「第1列島線」と
▽小笠原諸島からグアムなどに至るいわゆる「第2列島線」を有事が起きた際の防衛ラインの1つと位置づけ、アメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているとされています。
防衛省は今回、「遼寧」は初めて「第2列島線」よりも東の海域に進出したとしていて、「山東」についても「第2列島線」の周辺まで進出したことを公表したのは初めてだとしています。
防衛省は中国が空母の運用能力や遠方での作戦遂行能力の向上を図っているとみられるとしています。
2隻の空母などは2025年6月12日も太平洋上での航行を続けているということで、警戒と監視を続けています。
■“「能力見せつける」戦略的メッセージの可能性も”
元空将 武藤茂樹さん
航空自衛隊で司令官を務めた元空将の武藤茂樹さんは、中国軍の戦闘機の飛行について
「高度差なしの45メートルという距離は航空自衛隊が警戒監視で飛行する場合の相手との距離より1桁分近く、極めて近い距離で衝突の危険性を孕む」
「前を横切る飛行も非常に危険で、中国軍機の飛行はアンプロフェッショナルな行為だと言える」
と話しています。
その上で考えられる意図としては
「空母の活動に関する情報を取られないよう空母の付近で活動するP3Cの活動を継続して監視し、近づかせないためのものだった可能性がある」
「日本に対して能力を見せつけるという戦略的なメッセージの可能性もある」
と指摘しています。
防衛省が公表した中国軍機の写真にミサイルとみられるものが確認されたことについては
「中距離ミサイルと短距離ミサイルを搭載していることが分かる」
「いずれも空対空戦闘用のミサイルでP3Cは当然射程に入るが、航空自衛隊が行う領空侵犯などへの対応でも2種類のミサイルを搭載しているので、中国側がどのような任務で飛行したかによって脅威度は変わってくる」
と話しています。
また、今回空母2隻が太平洋で確認されたことついては
「以前は東シナ海や南シナ海の大陸に近い所で運用されていたが、このところ第1列島線の外側に出て太平洋上で運用する状況になり、今回は更にそこから離れて小笠原諸島に近い所で運用している」
「中国は第1列島線から第2列島線の所でアメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているが、空母の運用範囲が広がっていることは戦略を実行する能力が着実に上がっていることを示している」
「大陸から遠距離の場所でも十分な航空戦力の運用ができているかどうかはよく見ておかなければいけない」
と述べ、警戒監視を続けることが重要だと指摘しています。
■防衛省関係者「今までとは違う動き 危機感持たないと」
今回の中国軍の空母や艦載機の動向について防衛省関係者は
「日本は九州や沖縄の南西地域を中心に防衛力を強化してきたが、南鳥島や沖ノ鳥島など小笠原諸島周辺だとレーダーや基地などの防衛基盤が限られるため警戒が難しい」
「今回の空母の展開は今までとは違う動きで、危機感を持たないといけない」
と話しています。
また、別の防衛省関係者は
「いわゆる『第2列島線』上にある硫黄島を東西に挟む形で2隻の空母がいるのはアメリカと日本に対する圧力を感じる」
「『第2列島線』の所までアメリカ軍を寄せつけないようにするための牽制ではないか」
と話しています。

「日本の接近偵察が根本原因」 中国外務省、海自哨戒機への異常接近で責任転嫁
2025/6/12 16:10
https://www.sankei.com/article/20250612-BJDD4K7YXFJPFHRHFWX2YLAMNY/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の記者会見で、中国軍の戦闘機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機に異常接近していたことに関し、
「日本の艦艇や軍用機が、中国の正常な軍事活動に対して接近して偵察していることが海空の安全に関するリスクを引き起こしている根本原因だ」
と述べて反論した。
日本側に
「危険行為」
をやめるよう求めると主張した。
林氏は、中国軍戦闘機の活動に関して
「関係する海空域で活動を行うことは国際法と国際慣例に完全に合致している」
という従来の主張を繰り返した。
同時に、今回の異常接近に関して
「両国の国防部門が既存のルートを通じて意思疎通を保っている」
とも表明した。
日本の防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で2025年6月7、8日に警戒監視を行っていた海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
中国軍機の異常接近は平成26年以来だった。

中国軍機、海自機に45メートルまで接近 太平洋上、防衛省は深刻懸念と再発防止申し入れ
2025/6/12 0:30
https://www.sankei.com/article/20250612-QI4MIQM44ZOKLMCIIFPO5VP4VA/
防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
防衛省によると、山東から発艦したJ15戦闘機が2025年6月7、8日に警戒監視を行っていたP3Cに異常接近した。
2025年6月7日は約45メートルの距離まで接近され、2025年6月8日には針路前方約900メートルを横切った。
自衛隊機や隊員に被害は出ていない。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。

<独自>南鳥島に警戒レーダー配備を検討 防衛省、中国空母進出受け手薄な防空態勢を強化
2025/6/11 19:31
https://www.sankei.com/article/20250611-N5CTWFP4NBL2VODYVZPLN3SD6Q/
防衛省が外国機の領空侵犯と領空接近を監視する航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーを南鳥島(東京都)に配備する案を検討していることが2025年6月11日、分かった。
台湾有事の際に米海軍の接近を阻止するため中国が設定したという防衛ライン
「第2列島線」
を中国海軍の空母が初めて越えるなど海洋進出を強める中、警戒監視態勢を強化する。
一方、太平洋島嶼部への戦闘機部隊の配備や防空識別圏(ADIZ)の設置は行わない方針だ。
令和4年12月に策定した防衛力整備計画には、太平洋の離島などに移動式レーダーの整備を進める方針が明記された。
太平洋では、硫黄島を除く小笠原諸島や伊豆諸島にレーダーがなく、防空態勢が手薄な状況が続く。
南鳥島には海上自衛隊の隊員らが常駐するが、民間人は住んでおらず、防衛省内で
「レーダーを設置しやすい」
との声がある。
同島では地上から軍艦を狙う陸上自衛隊の12式地対艦誘導弾の射撃場を整備する計画もある。
防衛省は太平洋に進出する中国軍機を捕捉するため、沖縄県の北大東島でも移動式レーダーを整備する。
レーダー網の拡充を急ぐ背景には、中国軍の海洋進出の勢いが増していることがある。
中国海軍の空母「遼寧」は今月2025年6月7日、ミサイル駆逐艦などを伴い、南鳥島の南西約300キロに位置する日本の排他的経済水域(EEZ)内を航行した。
空母「山東」も太平洋側に進出し、実戦訓練を行った。
中国の空母2隻が太平洋で活動するのは初めてで、自衛隊幹部は
「今後ますます活動範囲を広げていくだろう」
と危惧する。
日本は台湾有事を念頭に、南西方面での防衛力強化に力を入れてきたが、太平洋の守りは後回しとなっていた。
太平洋戦争中には米空母から発艦した爆撃機で東京などが空襲され、大きな被害が出た。
防空態勢に穴が空いたままでは、中国軍機が領空侵犯などで威嚇を強める可能性もある。

「日本に理性的取り扱い望む」「国際法と合致」 中国が空母の第2列島線初通過で主張
2025/6/9 18:19
https://www.sankei.com/article/20250609-KU2W262E7BJGDO4YIM55M56NGI/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月9日の記者会見で、中国海軍の空母
「遼寧」
が小笠原諸島やグアムを結ぶ
「第2列島線」
を初めて越えたと日本側が発表したことについて、
「中国の軍艦の関連海域における活動は国際法と国際慣例に完全に合致している」
と主張した。
林氏は
「中国は一貫して防御的な国防政策を実行しており、日本側は客観的、理性的に取り扱うよう望む」
と注文を付けた。
中国軍は、日本周辺で空母の活動を活発化させている。
昨年2024年9月には遼寧が、中国の空母として初めて沖縄県の西表島と与那国島の間の接続水域を航行した。

中国空母「遼寧」、南鳥島沖に初進出 防衛省、艦載機やヘリの発着艦を確認
2025/6/8 22:27
https://www.sankei.com/article/20250608-RF5DZVZNXZJBLBNQGWZ4EVFEAI/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月8日、中国海軍の空母
「遼寧」
が2025年6月7〜8日、南鳥島(東京都)の沖合の太平洋を航行し、搭載する戦闘機やヘリコプターの発着を確認したと発表した。
防衛省によると、中国の空母が同海域まで進出したのは初めて。
中国海軍が日本周辺での活動を拡大、活発化させているとして情報収集や警戒監視を強化している。
防衛省によると、2025年6月7日午後6時頃、南鳥島の南西約300キロの排他的経済水域(EEZ)内で、遼寧がミサイル駆逐艦など3隻と共に航行しているのを確認。遼寧は更に南西に進み、2025年6月8日に発着艦を実施した。
遼寧は2025年5月下旬、沖縄周辺の東シナ海や太平洋で発着艦を繰り返した後、太平洋を南進。
その後、南鳥島沖に北上してきたとみられる。
遼寧は旧ソ連製空母を改修し、2012年9月に就役した中国初の空母。
船首に傾斜がついたスキージャンプ式の甲板を備える。
昨年2024年9月、沖縄県の西表島と与那国島の間を通過し、中国空母として初めて日本の接続水域を航行したことが確認された。

中国海警船は4倍増、比国は6隻のみ 鹿児島で国内初の日米比合同訓練、結束確認
2025/6/16 19:15
https://www.sankei.com/article/20250616-OKBN2U47ERKVHGAP2J5BXOOD24/
海上保安庁は2025年6月16日、米国、フィリピンの両沿岸警備隊と行う国内初の共同訓練を前に、鹿児島県内で歓迎式典を開いた。
3カ国共同訓練は昨年、マニラで初めて開催。
東シナ、南シナ両海への進出を強める中国を念頭に、日米比の結束を示し、力による現状変更に対抗する構えだ。
訓練は2025年6月20日、鹿児島・錦江湾で実施。
参加する巡視船は海保の「あさなぎ」(6千トン)、比国は日本が供与した「テレサ・マグバヌア」(2265トン)、米国は「ストラットン」(4500トン)。
九州南方の公海上で船舶同士が衝突したと想定し、連携して情報伝達や捜索救助、火災消火の手順を確認する。
中国は離島を巡る領有権争いを激化させている。
中国の海上保安機関である海警局の船舶は東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)へ年間を通じて接近。
南シナ海では軍事拠点化を進めるスプラトリー(中国名・南沙)諸島で、海警局船の比船舶への妨害行動が頻発に起きている。
海保によると、広範囲に活動できる1千トン級船舶は、2012年に中国は日本より少ない40隻だったが、2023年までに推定159隻と4倍に。
日本は51隻から75隻と1.5倍増にとどまる。
さらに2018年、海警局は軍事組織の一部へ編入された。
比国は詳細を明らかにしていないが、海洋監視に使用できる大型船舶は極端に少ない。
米国が2019年までに海軍へ供与した3隻の他、日本も2022年に2隻供与するなど現在は計6隻とみられる。
日本は2028年までに5隻を追加供与する予定。
比国の海上法執行能力の構築は、中国と対峙する日本と同盟国・米国にとって急務となっている。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/499.html#c36

[政治・選挙・NHK297] 石破首相vsトランプ大統領の直接交渉は早くも敗色濃厚…「関税撤廃→引き下げ」に方針転換か(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1638] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月18日 08:26:16 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1076]
<■136行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>日米首脳会談 中東語らぬ首相は失格だ
社説
2025/6/18 5:00
https://www.sankei.com/article/20250618-PD3J5J24TJNYLPM34VXKJHB5BQ/
石破茂首相と日本外交の劣化に落胆の思いを禁じ得ない。
石破首相とトランプ米大統領が、先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開幕したカナダ西部カナナスキスで約30分間会談した。
関税交渉で合意できなかったのは残念だったが、予想された話だった。
それとは別に、看過できない点がある。
イスラエルとイランの激しい交戦という中東問題を両首脳が協議したという話がまるでなかったことだ。
日本は原油の9割超を中東に依存し、日本向けタンカーの多くがペルシャ湾を航行している。
戦火がオイルルートを阻害する重大事態が迫っているかもしれない。
中東情勢への対応は日本にとって、関税交渉に匹敵する重大問題であるはずだ。
サミットで議論するだけでは足りない。
同盟国の大統領とせっかく会談したのに中東について話し合わないでどうする。
もし首相が、議論していたことを披露していなかったのであれば、それもおかしい。
日本が中東情勢に能動的に関わらない姿勢と見做されてしまう。
いずれにせよ首相には国を背負う覚悟が欠けていないか。
一方、合意できなかった関税交渉について首相は
「国益に沿った形での合意の可能性を探っている」
と述べた。
成果を焦る余り、首相が重視する米側の自動車関税などで安易に譲歩し、国益を損ねることが許されないのは勿論である。
だが、赤沢亮正経済再生担当相は既に計6回の閣僚会合を重ねている。
それでも一致していない交渉を打開できるのは両首脳しかいないのに、会談後も合意時期の目標すら明示しないというのはどうしたことか。
対中協議に重きを置くトランプ政権が、当初は最優先だった対日交渉の合意機運を低下させる恐れもある。
そのせいで日米協議が長引き、トランプ関税による日本経済への悪影響が広がることは避けたい。
米政権の高関税政策には揺らぎがある。
トランプ氏が自動車関税の更なる引き上げに言及する一方、ベセント財務長官は相互関税の上乗せ部分の停止期間を延長する可能性を示す。
石破政権に求めたいのは、米側に翻弄されず戦略的かつ主体的に国益を追求する姿勢だ。
合意の行方はトランプ氏次第などと受け身になる必要はない。

米関税交渉「もう一歩のところ」も…首相、参院選迫り安易な妥協できず 長期化の可能性
2025/6/17 20:11
https://www.sankei.com/article/20250617-UNFNOE43UVIHBD2ITSJEX5VKLA/
石破茂首相は2025年6月16日(日本時間17日)、高関税措置の見直しに向けトランプ米大統領と直接交渉に臨んだが、合意の目途は立たなかった。
「もう一歩のところまで進んできている」(政府関係者)
というものの、トランプ氏は日本の国益である自動車への追加関税を取り下げる気配がない。
首相も参院選前に安易な妥協はできず
「もう一歩」
が長期化する可能性もある。
■「認識一致せず」は自動車関税か
G7各国の首脳が直談判しようとトランプ氏を取り合う中、議長国カナダの次に選ばれた相手は石破首相だった。
日本政府は会談の開始間際までトランプ氏が応じるか確信できず、随行の外務省関係者や同行記者団にも知らされないまま突然、先進7カ国首脳会議(G7サミット)の討議の合間に非公開で始まった。
「包み隠さずに、率直に、互いの国益の実現のために腹蔵なく意見交換をした」。
首相は同行記者団に、こう振り返った。
ごく短時間で終わる懸念もあったが、想定を超える30分間続いた。
「双方の認識が一致していない点が残っている」
とも語った。
念頭にあるのは自動車への追加関税だ。
先立って赤沢亮正経済再生担当相は6回も訪米し、液化天然ガス(LNG)の輸入拡大、自動車の非関税障壁の改善、造船分野の協力などを米側に提案した。
2025年6月16日の首脳会談でもトランプ氏は提案を歓迎する姿勢を示した。
しかし肝心の自動車で折り合えず
「五里霧中」(赤沢氏)
の状況に変わりはない。
■トランプ氏は一言「よかった」
首相は2025年7月予定の参院選を念頭に、今回の首脳会談で
「一定の合意」
を目指していた。
だが、トランプ氏にとっては中国のレアアース(希土類)輸出規制の方が切実で、日本との合意を急がなかった。
首相がサミット直前に米国に立ち寄り、時間をかけて会談する案も頓挫した。
首相とトランプ氏は電話会談を4回重ねるなど相性は悪くない。
しかし実利を取るためのディール(取引)に翻弄された。
トランプ氏は日米首脳会談について記者団に問われると、合意への意欲を熱心に語った首相とは対照的に
「良かった」
とだけ答えた。
合意に達した英国には貿易協定を結ぶというカードがあった。
既に米国と自由貿易協定(FTA)締結済みの日本にはその切り札はない。
与党のみならず野党からも
「足元を見られない方がいい」
(立憲民主党の野田佳彦代表)
と安易な妥協に釘を刺す声が増した。
首相自身も
「早さを優先する余り国益を損ってはならない」
との姿勢を強めている。

日米首脳会談での関税交渉に評価二分、与党「関税交渉の行方注視」 野党「ひどい内容」
2025/6/17 12:07
https://www.sankei.com/article/20250617-IQZEF4RW2JPKRKBI4YEHETCJHE/
与党は2025年6月17日、石破茂首相とトランプ米大統領による首脳会談を受け
「日米関税交渉が進展するよう見守り、応援していきたい」
(森山裕自民党幹事長)
と、今後の交渉の行方を注視する構えだ。
野党は、両首脳が合意に至らなかったことを踏まえ
「酷い会談内容だった」
(立憲民主党幹部)
と批判した。
森山氏は記者会見で
「首相とトランプ氏の間で、率直な意見交換が行われた」
と指摘した。
同じ立民幹部は、イスラエルとイランの交戦が激化している中東情勢を踏まえ
「トランプ氏は関税交渉どころではないのかもしれない」
との見方を示した。
林芳正官房長官は会見で
「互いの理解を一層深めつつ、米関税措置をはじめとする諸課題に関し、率直な議論を交わすことができている」
と説明。
「我が国の国益をしっかりと守りながら、日米双方にとって利益となる合意が実現できるよう日米間で精力的に調整を続けていく」
と述べた。

日米首脳会談での関税協議「物別れ」に、武藤経産相「引き続き最優先で取り組む」
2025/6/17 11:40
https://www.sankei.com/article/20250617-T5MGMS4WONJHVHC7WT5LJDSRLI/
武藤容治経済産業相は2025年6月17日の閣議後記者会見で、トランプ米大統領による関税措置の見直しに向けた日米首脳会談が物別れに終わったことについて、
「双方にとって利益となる合意の実現に向け、引き続き最優先かつ全力で取り組む」
と語った。
幅広い分野での関税措置が発動済みの中、交渉の長期化による日本企業への悪影響が懸念され、石破茂首相の帰国を待って対応を協議する考えを示した。
日米首脳会談で両首脳の認識が不一致だった項目について、武藤氏は
「予断をもって話すことはできない」
と明言を避けた。
一方、交渉の長期化による日本企業への影響を巡っては、これまで企業からの資金繰りに関する相談も増えてきていることに触れ、近く3回目となる関連業界・企業に対する聞き取りを実施する考えを示した。
国・地域ごとに課す
「相互関税」
の上乗せ分の一時停止期限が2025年7月9日に迫っていることもあり、国内企業の状況把握に努めた上で
「対応を総理が帰国してから相談したい」
と語った。

G7での中東情勢声明にトランプ氏が署名拒否か、イスラエルに不利な内容を警戒 米報道
2025/6/17 7:25
https://www.sankei.com/article/20250617-AUIZQ4DLYVMMPPXCOJ6XPV2PQE/
米CBSテレビは2025年6月16日、トランプ大統領が先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、イスラエルとイランの交戦に関する共同声明に署名しない方針だと伝えた。
議長国カナダのカーニー首相は紛争拡大回避のため双方に自制を求めるメッセージの発信を目指すが、トランプ氏は先制攻撃したイスラエルに不利な内容になることを警戒しているとみられ、G7の亀裂が露呈する可能性がある。
G7首脳は2025年6月16日、中東情勢を協議。カーニー氏は共同声明の文言調整などを続ける方針で、最終的にトランプ氏と折り合い、G7が一致した対応を打ち出せるかどうかが焦点となる。
ドイツ政府高官は
「米国の判断に委ねられる。最終的には文言の問題だ」
と語った。
トランプ氏は、カナダ西部カナナスキスでの2025年6月16日のサミット開幕に先立ってカーニー氏と会談した際、イスラエルとイランの交戦は双方に
「痛み」
をもたらすとし
「イランは、この戦争に勝っていない」
と指摘。
イランは沈静化を望んでいるとの見方を示し、外交的に解決すべきだと述べた。
トランプ氏はイラン攻撃への関与を否定しているが、イランが報復として発射した無人機やミサイルの迎撃を支援するなど、イスラエルの防衛に協力している。(共同)

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/502.html#c28

[政治・選挙・NHK297] <使い捨てにされる国民民主>減税と企業献金禁止潰した国民(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1639] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月18日 11:46:00 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1077]
<■195行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
日本の「敗北」を決定づけたガダルカナル島の戦い 「餓島」と化した理由と敗因の本質
深層の真相 防衛研リポート
2025/6/18 9:00
https://www.sankei.com/article/20250618-JA7SERF4NVMMTBBKUS5ZDH3ZKA/
昭和17(1942)年、南太平洋のソロモン諸島・ガダルカナル島(ガ島)での日米両軍の戦いは、先の大戦で日本が初めて撤退を強いられ、戦局の分水嶺になったと言われる。
補給を徹底的に断たれた日本軍の戦没者は2万人余り。
うち約7割が飢餓、病気によるもので、ガ島は「餓島」と呼ばれた。
制海権・制空権の喪失と共に、敗北を決定づけたのは、陸軍と海軍の意思の齟齬、日本軍としての統率のなさだった。
ガ島は米国とオーストラリアを結ぶ線上にある。
日本軍が兵站の拠点とするラバウル、米軍の兵站拠点のエスピリトゥサント島のいずれからも約千キロで、双方にとって重要な島だった。
日本海軍は昭和17年7月、米豪の連携を絶つ前線としてガ島に飛行場を建設。米軍は昭和17年8月7日、海兵隊1万人超を上陸させて飛行場を占拠した。
これを奪回すべく、大本営では陸軍部(参謀本部)と海軍部(軍令部)が協力して作戦に臨むこととし、陸海軍は協定を結んだが、指揮系統は異なっていた。
大本営は当初、敵の兵力を低く見誤り、軽装備の陸軍・一木支隊900人を投入。
待ち構える米軍の火力に晒され壊滅した。
その後、川口支隊、第2師団、第38師団と部隊を投入したが悉く退けられた。
苦境に至った大きな要因は、補給線の断絶にあった。
米軍はラバウルからの輸送船を次々と沈め、ガ島の日本軍将兵は十分な武器や食糧がないまま戦闘に臨まなければならなかった。
「日本は陸海軍の戦略が噛み合わず、戦力を集中できなかった」。
防衛研究所の齋藤達志2等陸佐(60)は、意思疎通の問題点を指摘する。
陸軍は
「(部隊に兵站物資の)輸送が完全に行われて、初めて(飛行場の)制圧が可能」
と考えたのに対し、
海軍は
「輸送のためには飛行場の制圧が先決」
との立場。
連合艦隊には、米主力艦隊への攻撃こそ重要で、輸送船の護衛は本来の任務外との考えもあった。
ガ島での作戦は、この矛盾が解決されないまま強行された。
一方、米軍は南太平洋戦域での作戦を主導する海軍が海兵隊、陸軍も指揮する統合作戦を実施した。
米軍も当初は補給に苦しみ、一時は島の放棄を考えるほど追い込まれたが、太平洋戦域最高司令官のC・ニミッツは、悲観的だった南太平洋戦域軍司令官を更迭し、海軍中将のW・ハルゼーを抜擢。
海戦で積極的な作戦を遂行した他、暗号解読やレーダー装備に勝り制海権、制空権を奪った。
「明確な目標を掲げ、戦力を集中させることは軍事の鉄則だ」
と齋藤氏。
ガ島の戦いでは、組織の統率面で問題点が表面化した。
それから80年余り。台湾有事が懸念される今、中国が、その戦訓を研究しているとも言われる。
■届かぬ物資「絶食一週間」
「海軍の任務は、陸軍を安全に海峡を横断せしめ、あらゆる方法をもって上陸を支援し、その後は敵と海との危険にかかわらず、増援軍と補給とが適時に着くことを確保することにあった」。
英首相のW・チャーチルが1944年、ノルマンディー上陸作戦時に述べた言葉。
これは、日本海軍にも当てはまるはずだ。
ガダルカナル島戦で本来海軍が果たすべき役割は大きかった。
日米双方の象徴的なデータがある。
昭和17年8〜11月、ガ島戦で潜水艦が挙げた戦果。
撃沈した輸送船の数は、日本の6隻に対し、米国は10倍の62隻。
米側が徹底して日本の補給線を狙い、日本海軍が防ぎきれなかったことを示している。
日本側はやむなく輸送に向かない駆逐艦で夜間に運んだ。
夜にネズミが巣に餌を運ぶ様子に例えて
「鼠輸送」
と呼ばれたが、積載量が少ない。
海岸への輸送に成功しても、米機の攻撃に遭い物資がなかなか届かなかった。
《輸送力不足の関係上(略)絶食数日間に至れる場合もしばしばあり(略)十二月中旬糧秣の揚陸困難なる時期にありては絶食五日−一週間に達せり》
前線への補給量を記した
「『ガ』島に於ける糧秣揚陸交付数量調」
に、切実な様子が記されている。
密林内の将兵は壮絶な飢餓に苦しみ、戦力は著しく低下した。
昭和17年11月、大本営では撤退論が出始めたが、作戦失敗を意味するため、公式には言い出さない。
だが昭和17年12月26日、ようやく陸軍が海軍に申し入れ、昭和17年12月31日の御前会議で撤退が決まった。
《在「ガ」島部隊は(略)陸海軍あらゆる手段を尽くして之を撤収す》
昭和18年1月4日、大本営が発令した「ケ」号作戦は、準備期間を経て昭和18年2月上旬に実施。
撤退案浮上から約3カ月が経過していた。
ガ島に上陸した将兵約3万人のうち、戦没者は2万人余り。
戦闘死は推定5千〜6千人で、約1万5千人は栄養失調や病に倒れた。
「日本軍では、現地司令官の決断は見られない」
「大本営が官僚的に決め、責任の所在が曖昧だった」。
防衛研究所の齋藤達志2佐は、ガ島の撤退決断の遅さを戒める。
「(将兵の)存在が無意味になる前に如何に動くか」
「その後も有効な戦力として投入するためにも、判断の時期は重要」
「本来そういう組織であるべきだった」
■失敗の果て帰れぬ遺骨〜取材後記
「なぜ、こんな遠い地で死ななければならなかったのか」。
11年前2014年、日本の遥か5600キロ南方にあるガダルカナル島で痛感した。
飛行場奪回のために日本軍が通ったジャングルに足を踏み入れ、思いを強くした。
島といっても、面積は千葉県ほどもある。
大部分は深い密林に覆われ、昼間でも薄暗く、じっとりとした湿気がまとわりつく。
同行した元兵士は
「当時は地図もなく、磁石を頼りに道を切り開いた」
と語った。
日本は南方だけでなく、西はビルマ(現ミャンマー)、北はアリューシャン列島まで勢力を拡大。
ガ島での作戦は、連合艦隊の基地があるトラック島を防衛するため、ラバウルを前進拠点とし、ガ島に飛行場を作った海軍に引っ張られる形で始まった。
当時、ニューギニア、ガ島と2方面に展開した陸軍の戦略は甘さが際立つが、海軍も同じだった。
ノモンハン事件から日米開戦、敗戦まで幾度も名を連ねる陸海軍上層部の同じ人物が、ガ島戦でも登場する。
彼らは、失敗を繰り返しても尚チャンスが与えられた。
惨状から80年余り。
ガ島の密林内には、犠牲になった将兵らの遺骨が今も置き去りにされている。
■ガダルカナル島の戦い
日米にとって戦略上の重要拠点だった地を巡る戦闘。
日本軍は昭和17年8月、米軍に占領された飛行場の奪回を目指して上陸した。
日本軍は次々と地上部隊を投入したが、激戦の中で補給が途絶え、悉く退けられた末、昭和18年2月に撤退。
大本営は敗退を隠蔽するため、「転進」と言い換えて公表した。
3次に渡るソロモン海戦や南太平洋海戦などで連合艦隊の損害も大きく、機動部隊の前線復帰に約1年半を要した。

戦争目的を失った日本
開戦4日後の昭和16年(1941)12月12日、日本はこの戦争を
「大東亜戦争」
と名付けると閣議決定しました。
従って、この戦争の正式名称は
「大東亜戦争」
です。
現代、一般に使われている
「太平洋戦争」
という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものです。
「大東亜戦争」
は前述したように緒戦は日本軍の連戦連勝でした。
開戦と同時にアメリカの真珠湾とフィリピンのクラーク基地を叩き、3日目にはイギリスの東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻の戦艦を航空攻撃で沈めました。
更に難攻不落と言われていたイギリスのシンガポール要塞を陥落させました。
そしてこの戦争の主目的であったオランダ領インドネシアの石油施設を奪うことに成功します。
日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東条英機首相は、
「これで石油問題は解決した」
と言いましたが、彼も政府(そして軍)も、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気付いていませんでした。
結論を言えば、日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を日本国内に輸送することができなかったのです。
開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めていました。
しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、日本国内の流通に支障を来すため、軍は
「半年だけ」
という条件で無理矢理に民間船を徴用したのです。
ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船や油槽船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められる事態となります。
それでも海軍は、輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切ありませんでした。
「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するためのもので、鈍足の輸送船を護衛するためのものではない」
というのが上層部の考えだったからです。
海軍は、かつて日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させて日露戦争に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させれば終結すると考えていました。
そのため艦隊決戦こそが何よりも優先されるという思い込みを持っており、輸送船の護衛などは考えもしなかったのです。
海軍では船舶の護衛任務を
「くされ士官の捨て所」
と呼んで軽侮していましたし、陸軍にも
「輜重輸卒(しちょうゆそつ:物資の輸送をする兵)が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」
と輜重兵を馬鹿にしたざれ歌がありました。
戦争が、輸送や生産も含めた総力戦であるという理解が欠如していたのです。
身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈されました。
それで
「半年だけ」
という約束は反故にされ、軍は更に民間船を徴用することになります。
そのため戦場では勝利を収めながらも、国内経済は行き詰まっていくという矛盾した状況に陥りました。
石油を含む物資の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になったにもかかわらず、軍はその辺りを全く把握・理解出来ていませんでした。
驚くべきデータがあります。
公益財団法人「日本殉職者船員顕彰会」の調べによれば大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、魚船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上に上ります。
その損耗率は何と約43%です。
これは陸軍兵士の損耗率約20%、海軍兵士の損耗率約16%を遥かに超えています。
彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸けで運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には満足に行き渡りませんでした。
それでも軍需物資の不足に悩む政府は、昭和17年(1942)5月に、金属類回収令を発動し、寺の梵鐘、橋の欄干、銅像、更に一般家庭にある余った鍋釜や鉄瓶、火箸に至るまで強制的に供出させたのです。
これにより国民生活は一層逼迫しました。
この時点で、戦争継続は不可能な状況と言えました。

ミッドウェー海戦と言霊主義
昭和17年(1942)6月、聯合艦隊はミッドウェー海戦で、主力空母4隻を失うという致命的な大敗を喫しました。
この戦いは運に見放された面もありましたが、日本海軍の驕りと油断が多分にあったことも確かです。
例えば開戦前のシミュレーションの際、日本の空母に爆弾が命中して攻撃能力を失う事態に陥った時、参謀の1人が空母の被害を低めに修正させて図上演習を続けています。
また作戦前に
「もし敵空母がやってきたら」
と問われた航空参謀は、
「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)です」
とこともなげに答えていたという話もあります。
「鎧袖一触」
とは
「刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで相手を倒してしまう」
という意味の言葉です。
ここには具体的な対策案はありません。
単なる思い込みです。
その発言が事実であったかどうかは不明ですが、ミッドウェー海戦全体を改めて眺めると、そこには上層部の油断や傲慢が随所に見られます。
そして私はここに
「言霊主義」
の悪しき面を見ます。
つまり
「悪い結果は口にしないし、想定もしない」
で、
「良い事だけを言う」
という日本人に特有の精神です。
この後も、日本軍は
「言霊主義」
に囚われ、太平洋の各戦場で独りよがりの作戦を立てて敗北を重ねていきます。
もう1つ日本軍の大きな欠点は情報を軽視したことです。
その典型が昭和17年(1942)8月に始まったガダルカナル島攻防戦でした。
この島をアメリカ軍に奪われたと聞いた大本営は直ちに奪回を試みますが、アメリカ軍の兵力を2000人くらいと根拠もなく見積もり、それなら900人ほどで勝てるだろうと一木支隊を送り込みました。
敵の半分の兵力で勝てると考えるのも大いに問題ですが、実際にはアメリカ軍は1万3000人もいたのです。
また日本軍が持っていない重砲などを装備していました。
アメリカ軍陣地に突撃した800人の兵士のうち777人が一夜にして死亡しました。
その報を受けた大本営は、それではと今度は5000人を送り込みます。
しかしアメリカ軍は更に1万8000人まで増強していました。
結局、ガダルカナル島を巡る攻防戦は半年近くに渡って行われ、日本軍は夥しい人的被害を出し、大量の航空機と艦艇を失って敗退します。
しかもガダルカナル島で亡くなった陸軍兵の多くは餓死でした。
この戦いでは、日本の誇る世界最強の戦艦である大和と武蔵は1度も出撃していません。
兵力を温存したかったという理由もありますが、石油不足のために動かせなかった(大和型戦艦は大量に重油を消費する)という面もありました。
輸送船を護衛しなかったツケが開戦後1年も経たないうちに回ってきたのです。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/501.html#c28

[戦争b26] パレスチナで住民を虐殺し、イランを奇襲攻撃したイスラエルをインド政府は支持(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
50. 秘密のアッコちゃん[1640] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月19日 08:35:09 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1078]
<■142行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
国連事務総長、中東情勢巡り「深い懸念」表明 20日に安保理で緊急会合開催へ
2025/6/19 8:07
https://www.sankei.com/article/20250619-FDPYITO4O5I3FHTQP6E2DDE2MQ/
国連のグテレス事務総長は2025年6月18日、イスラエルとイランの交戦が続いていることを受け、中東地域で軍事的緊張が高まっていることへの
「深い懸念」
を表明した。
グテレス氏は声明で、
「さらなる軍事介入は中東地域だけではなく、国際的な安全保障全体に甚大な影響をもたらしかねない」
と強調。
「市民の命が不必要に、悲劇的に失われている」
と非難した上で、
「停戦につながる即時の緊張緩和」
や国連憲章の順守を求めた。
一方、安全保障理事会は2025年6月18日、緊迫する中東情勢を受けた緊急会合を2025年6月20日午前(日本時間20日深夜)に開催すると決めた。
ウクライナ情勢を巡る緊急会合も2025年6月20日午後(同21日未明)に開かれる。
イランとウクライナがそれぞれ安保理での対応を求めていた。

英仏独、イランと核協議へ 外相級、20日にスイスで トランプ米政権と調整して実施
2025/6/19 7:51
https://www.sankei.com/article/20250619-V25GZEEDRNLPDAJ45VB6DBN3PY/
ロイター通信は2025年6月18日、英国とフランス、ドイツの外相がイランのアラグチ外相とスイス・ジュネーブで2025年6月20日、イラン核問題を巡る協議を開催する方針だと報じた。
協議はイランの核施設への攻撃を検討しているとされるトランプ米政権とも調整して実施される。
外交筋の話として伝えた。
イランに核開発を平和利用目的に限定させることを確約させるのが狙い。
外相級の協議後に専門家による対話も計画しており、議論の行方次第では本格的な協議につながる可能性もある。
英仏独外相は、欧州連合(EU)の外相に当たるカラス外交安全保障上級代表と会談後、アラグチ氏と協議する。(共同)

米、市民避難で航空機や船舶の準備 イスラエル大使が投稿
2025/6/19 6:40
https://www.sankei.com/article/20250619-6P5UWZ3VQJNKNCQ3V2HBKJYNTQ/
米国のハッカビー駐イスラエル大使は2025年6月18日、X(旧ツイッター)への投稿で、在イスラエル米大使館が米市民避難のため航空機や船舶の準備を進めていると明らかにした。
大使館は2025年6月18〜20日の3日間、安全上の懸念を理由に閉鎖している。
ハッカビー氏は避難を希望する米市民に対し、地域の危険情報などに関する大使館のメールを受け取るシステムに登録するよう呼びかけた。(共同)

イランに「最後通告」 トランプ大統領、米軍攻撃「やるかも、やらないかも」と明言避ける
2025/6/19 5:44
https://www.sankei.com/article/20250619-32IN3N3BWVODJDUL4T4SQVGUP4/
トランプ米大統領は2025年6月18日、イスラエルと交戦するイランに
「最後通告」
をしたと明らかにした。
ホワイトハウスで記者団に語った。通告の内容や方法などの詳細は説明しなかった。
米軍によるイラン攻撃については
「やるかもしれないし、やらないかもしれない」
と明言を避けた。
交戦は
「次の1週間が非常に重要になる」
とも指摘した。
トランプ氏は、記者団からイランに最後通告をしたかと問われ、
「そう言えるだろう。最後通告だ」
と認めた。
イスラエルの攻撃で防空システムが破壊されたイランは
「完全に無防備だ」
とした一方で
「まだ勝ったとは言えない」
と話した。
イラン核問題を巡る米イラン両政府の協議について、自身が設定した2025年6月上旬の期限までにまとまらなかったとし、
「なぜ死と破壊が起こる前に交渉しなかったのか。遅すぎる」
と述べ、イランの交渉姿勢がイスラエルの攻撃を招いたと主張。
攻撃を受けたイランが交渉を求め、ホワイトハウスに代表団を派遣すると申し出たと説明した。(共同)

イランの核開発はどこまで進んでいたのか イスラエル、核物質「兵器化」主張も実態は不明
2025/6/18 19:36
https://www.sankei.com/article/20250618-DLXAG6UAXZL2DHJZS4GXGF5SEM/
イスラエルとイランの交戦を巡り、イランの最高指導者ハメネイ師は2025年6月18日、X(旧ツイッター)に
「断固たる対応を取る」
と投稿し、戦闘を継続する考えを示した。
イスラエルはイランによる核開発の進展を先制攻撃の根拠としたが、どれほど開発が進んでいたか実態は不明。
イスラエルは地下核施設の破壊を狙うが、イランは交戦を続けつつ核開発継続を狙う構えだ。
■ウラン濃縮「原発に不要な高水準」に到達
イスラエルのネタニヤフ首相は攻撃開始後の2025年6月13日、
「イランはここ数カ月で、濃縮ウランを兵器化するための一歩を初めて踏んだ」
と述べ、攻撃の正当性を強調した。
イスラエル側はイランの核兵器開発が
「引き戻せないレベル」
まで進む危険があったと繰り返し主張している。
イランはかねて核開発を
「民間利用のため」
と主張してきたが、ウランの濃縮レベルを原子力発電に不要な水準にまで高めていたことは、国際原子力機関(IAEA)も認めている。
原発に必要な濃縮率は数%程度だが、核兵器は90%以上。IAEAによれば、イランは濃縮率を60%まで高めたウランを400キログラム以上貯蔵している。
このウランは数週間で90%に濃縮できるとされ、9発程度の核爆弾の原料になるとみられていた。
■イスラエルの主張、疑問視する向きも
イスラエル軍は2025年6月13日、
「イランの核兵器獲得秘密計画」
と題した資料を公表し、イランがウラン濃縮以外にも核物質の
「兵器化」
を進めていたとする議論を展開した。
資料では、イランが
@ウランの濃縮
A核兵器を起爆する中性子発生装置の開発
B核兵器に必要なプラスチック製爆発物の製造ラインの再開
を進めてきたとしている。
一方、英誌エコノミストは、軍が公表した一連の資料では証拠が明確ではないとして、信頼性に疑問を呈している。
実際、米国のギャバード国家情報長官は今年2025年3月、議会への報告で
「イランは核兵器を製造しておらず、ハメネイ師も核兵器計画を承認していない」
と明言している。
米CNNテレビも米情報機関関係者の話として、イランは積極的に核兵器の開発に取り組んでいなかったと報じている。
■施設破壊も「核の知識」残る
今回のイスラエルによる攻撃によって、イランの主要な核施設の多くが被害を受けたようだ。
IAEAは中部ナタンズの地下ウラン濃縮施設が攻撃で直接的な被害を受けたと明らかにした。
ただ、米国が攻撃に参加しない限り、地中深くに建設された核施設に決定的な打撃を与えるのは困難とみられる。
米軍備管理協会のダベンポート核不拡散担当部長は英メディアに
「知識を爆撃することはできない」
と強調。
もし核施設が致命的な損害を受けたとしても、開発の再開は容易だとする見解を示している。

イラン核施設への打撃はどれほどか 地下攻略に巨大「特殊貫通弾」の運搬必要 鍵握る米国
2025/6/16 10:41
https://www.sankei.com/article/20250616-7V3EY3EHLRKGPI252AWWIKAMYI/
イスラエルはイランへの攻撃で核関連施設を集中的に爆撃している。
事実上、中東で唯一の核兵器保有国であるイスラエルは軍事的優位を維持するため、宿敵イランの核開発計画を安全保障上の脅威と位置づけてきた。
これまでの攻撃はイランの核施設にどの程度の打撃を与えているのか。
米CNNテレビ(電子版)は2025年6月15日、米政府当局者の話を基に、イラン中部ナタンズでは施設の電力供給網を破壊するなど大きな成果を挙げたと伝えた。
ただ、ウラン濃縮用の遠心分離機がある地下部分について、国際原子力機関(IAEA)は
「打撃を受けていないとみられる」
とした。
ウランは濃縮度90%超になると核兵器に転用できる。
科学者3千人がいるとされる中部イスファハンの施設では、建物3件が損傷したことが衛星写真で確認できる。
ただし、イランの核開発関係者は攻撃を予想してナタンズとイスファハンの施設から
「機器類を移動させた」
としており、実害の程度は不明だ。
一方、高性能の遠心分離機があるといわれる中部フォルドウの施設は山岳地帯の地下深くにあり、大きな被害は免れているとみられる。
ここは防空システムも備えており、イスラエル軍の無人機を迎撃したとの観測も出た。
イランの地下施設の攻略に不可欠なのが
「特殊貫通弾(バンカーバスター)」
だ。
コンクリートも貫通する破壊力で、イスラエル軍は昨年2024年9月、地下施設にいたレバノンの親イラン民兵組織「ヒズボラ」の指導者ナスララ師を殺害するのに使ったと報じられた。
イランはレバノンと違ってイスラエルから遠く離れている。
米ニュースサイト、アクシオスはイランの地下核施設の破壊には
「巨大なバンカーバスター」
と、それを運搬する戦略爆撃機が必要で、
「イスラエルは持ち合わせていない」
としている。
このため米軍が戦闘に加わったり、イスラエル支援を本格化したりすれば、イランの核開発が壊滅的打撃を受ける事態があり得る。
ただ、現体制が存続する限り、イランで反米、反イスラエルの根が絶えることはなさそうだ。
英BBC放送(電子版)は、
「イスラエルは核科学者を暗殺できるかもしれないが、イランの(爆弾製造の)ノウハウや専門知識を破壊できる爆弾はない」
と指摘している。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/204.html#c50

[政治・選挙・NHK297] 進次郎氏に自民党内から不安の声…お膝元の三浦市長選で推薦候補まさかの敗北、都議選応援は“諸刃の剣”に(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
29. 秘密のアッコちゃん[1641] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月19日 12:15:29 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1079]
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「移民政策、再エネ」見直す 日本保守党・百田尚樹代表、「食品の消費税は永久にゼロ」
動画
2025/6/19 11:04
https://www.sankei.com/article/20250619-UIRBHLMELJNXNL5W266YU76G5Y/
日本保守党の百田尚樹代表が、2025年夏の参院選に向けた産経新聞の単独インタビューに応じた。
重点政策として
「食品の消費税ゼロ」
「再エネ賦課金の廃止」
「移民政策の是正」
などを訴えた。
石破茂政権については、
「箸にも棒にもかからない」
「国民生活も、国際関係も、何一つ良くなっていない」
「(備蓄米放出も)小泉進次郎農林水産相の功績ではない」
と指摘した。
食品の消費税について、百田氏は
「人間は食品がなければ生きていけない」
「生きていくのに絶対必要なものに税金をかけるということは、言い換えれば『生存税』。」
「『今日1日生きたな。ほな1日分の税金取るわ』ということ」
「これは許せない」
「永久にゼロです」
と語った。
■再エネ賦課金は廃止
再エネ賦課金は
「廃止して、行き過ぎた再エネにストップかける」
「再エネ比率が増えれば増えるほど電気代が上がる」
「国民の家計を直撃し、産業用電気料金を上げる」
「(企業は)国際競争力で勝てない」
と述べた。
移民政策については、
「移民で大切なのは、質と量の問題」
「どういう移民なら、どのくらいの移民なら、日本の治安を維持でき、日本の文化を保てるのかを政府は査定していない」
「我々は移民政策を大幅に見直す」
「外国人排斥ではない」
「日本が大好きで、日本のルールやマナーを守り、日本に貢献したい外国人は大歓迎だが、現実はそういう外国人ばかりではない」
「(他国の)富裕層が東京の中心部をどんどん買っている」
「主要6区の中古マンションが1億2千万円超えた」
「10年後、20年後、東京の中心に日本人が住めなくなる」
「就労外国人の影響で、日本人の給料は上がらない」
などと指摘した。
■日本は内部から壊されている
憲法改正については、
「国民の命、国土を守るため、憲法9条改正は最も大事な政策として掲げている」
「ただ、日本は目に見えない侵略で、じわじわと内部から壊されている危険を感じる」
と語った。

南京事件「非戦闘員の殺害否定できない」政府答弁 河村たかし氏、朝日記事「虐殺」で質問
2025/6/17 15:44
https://www.sankei.com/article/20250617-JRAWEM5UOZG3BKMOGYQC2XCYYE/
日中戦争時の1937年に旧日本軍の南京占領で起きたとされる
「南京事件」
を巡って、政府は2025年6月17日、
「日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為があったことは否定できないと考えている」
とする答弁書を閣議決定した。
日本保守党の河村たかし共同代表が日本軍について
「虐殺事件を引き起こした」
と指摘する朝日新聞の記事を引用した質問主意書に答えた。
従来の政府答弁書を踏襲した形となる。
朝日新聞は2025年5月26日に
「日本軍は南京を攻略した」
「現地軍は殺人、性的暴行、略奪をほしいままにし、『南京虐殺事件』を引き起こした」
と報じており、河村氏は政府に
「(記事で)『南京虐殺事件』を起こしたと書かれているものが、本当にあったと考えているのか」
と質した。
南京事件に関しては、中国側が日本軍の略奪や非人道性を訴える写真を日本の専門家が精査した結果、撮影者や時期などで関連性を否定する指摘が相次いでいる。
河村氏は記事で紹介された日本軍の写真を挙げて、
「日中戦争の写真は加工、合成されたものが多く確認されていると聞く」
「実際に現場で撮影された写真なのか」
と見解を尋ねたが、答弁書は触れなかった。
南京事件に関して外務省はホームページ(HP)で
「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」
と今回の答弁書と同じ表現を記載している。
一方、林芳正外相(当時)は令和5年4月、参院決算委員会で、HPの記述の根拠となった資料について
「外務省で作成したものは確認できていない」
と答弁。
その上で、政府機関で作成したものとして終戦30年後の昭和50年に防衛庁防衛研修所戦史室が出版した戦史叢書
「支那事変陸軍作戦」
第一巻を挙げ、
「該当する記述がある」
と語った。
当時、林氏に質問した自民党の和田政宗参院議員は
「関連文書全部読んだが、意図的に日本軍が殺害したとの明確な記述はない状況だった」
と述べ、
「より事実に即した記述に変えるべきだと思っている」
と苦言を呈していた。

「南京大虐殺記念館」のある中国へ修学旅行 維新西田氏「行かせられない」岩屋外相は反論
2025/4/19 11:45
https://www.sankei.com/article/20250419-JAD3REBOQJDYHBCK5UYUWJDX3U/
日本維新の会の西田薫衆院議員は2025年4月18日の衆院外務委員会で、昨年2024年12月に岩屋毅外相と中国の王毅外相が修学旅行の相互受け入れ促進で合意したことについて、中国の南京市内にある
「南京大虐殺記念館」
などを理由に、
「修学旅行生は行かせられない、と中国側に言っていい話だ」
と批判した。
岩屋氏は
「見解を異にする」
と反論し、日中の相互往来の重要性を強調した。
■西田氏「促進は違う」
西田氏は同委で、
「警備が必要な場所に修学旅行に行かせてよいのか」
という従来の問題意識に加え、修学旅行生が記念館に行って
「自虐史観」
を植え付けられることへの懸念を語った。
西田氏は、日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる
「南京事件」
をめぐり
「30万人が被害にあったと中国が主張しており、記念館の横の壁にも『30万』と書かれている」
「日本政府と見解が違う」
と指摘。
岩屋氏と王毅氏の会談の約2週間前に
「南京事件」
から87年を迎え、安全面を考慮した現地の日本人学校が休校やオンライン授業という臨時措置を取ったことも紹介した。
これらを理由に
「(会談の際に)『日本の修学旅行生は行かせられない』と中国側に言っていいような話だ」
「日本政府と見解が違う施設に行ってしまう危険性を考えれば、相互の修学旅行を促進するのはまだまだ違うんじゃないか」
と述べた。
■岩屋氏「見解を異にする」
「反論があれば」
と答弁を求められた岩屋氏は
「そこは残念ながら見解を異にする」
と明言し、
「若い人がお互いの国に行ってみて理解が深まるということは大いにあると思う」
と述べた。
また、
「個々の学校に中国に行ってくれと政府が言うということではなく、中国を見てみたいという学校があれば、安全確保の観点から外務省は支援する」
と改めて語った。
記念館については
「過去5年間に(修学旅行生が)行ったという情報は入っていない」
「殊更そこに行く選択はあまりないのではないか」
との見解を示した。
これに対し、西田氏は
「純真無垢な子供たちがそういった施設に行く危険性がある、自虐史観を植え付けるような教育の一環になるのはよくない、と指摘している」
「国交断絶しろという論点で言っているのではない」
「大きく認識が違うと更に感じた」
と強調した。

「南京事件」否定しない外務省HP変更を 「記述の根拠ない」阿羅健一氏が要望
2024/4/3 12:52
https://www.sankei.com/article/20240403-WCKGNSPOPNCZTNG2MKEXY4ZQWQ/
日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる
「南京事件」
を巡り、近現代史研究家の阿羅健一氏は2024年4月2日、外務省を訪れ、同省ホームページ(HP)の記述を変更する必要性を主張した。
HPには同事件について
「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」
と記載されている。
阿羅氏は
「記述の根拠は全くない」
「外務省HPは英文でも世界へ発信されたまま、様々な著作に引用されている」
と訴えた。
■事実に即した形に
阿羅氏が代表を務め、ジャーナリストの西村幸祐氏らと設立した
「外務省のホームページの変更を要望する会」
の活動。
同会によると外務省のHPは平成17(2005)年8月から
「(旧日本軍による)南京市民の殺害を否定できない」
という趣旨で記述されているという。
同会はその後、国会内で記者会見し、西村氏は外務省の南京事件を巡る記述について
「曖昧でいい加減だ」
「事実に即した形で変更してもらいたい」
「組織的な軍命令による虐殺は確認されていない」
「(HPの記述を根拠に)とんでもない本がこれからも出てくる可能性がある」
と語った。
中国政府は南京事件を巡って30万人が虐殺されたとも主張しており、西村氏は
「30万人を日本軍が虐殺した(ことを裏付ける)学術論文はどこにもない」
と指摘した。
■公式文書に記述なく
阿羅氏は当時の南京にいた高級将校や下士官、記者、画家、写真家ら300人以上への聞き取り調査や国内外の歴史資料の検証などを通じ、一般市民の虐殺はなかったと判断している。
外務省も令和4(2022)年1月、南京事件に関するHPの記述について
「根拠となった資料」
の公開を求めた阿羅氏に対し、
「該当文書を確認できなかったため、不開示(不存在)とした」
と通知したという。
令和5(2023)年4月には林芳正外相(当時)が国会答弁で根拠となった政府機関の作成資料について、昭和50(1975)年に出版された防衛庁防衛研修所戦史室(当時)の戦史叢書
「志那事変陸軍作戦」
第1巻を挙げたことがある。
しかし、同書の該当する記述を巡っても
「日本軍が意図的に住民を殺害したという文脈で記されているのではない」
「政府の公式文書からは日本軍の意図的な住民殺害についての明確な記述はない」
(自民党の和田政宗参院議員)
との反論がある。

外務省 谷野作太郎の罪 外務省ホームページ「南京虐殺」はなぜ消えない 外務省ホームページの変更を要望する
WiLL2024年5月号 南京事件研究家 阿羅健一
■南京事件の既成事実化
2023年4月3日、林芳正外務大臣が外務省ホームページに記載されている南京事件の根拠を問われ、
「外務省が作成したものは確認できておりません」
と答え1年が経過する。
しかし、ホームページはそのままである。
1982年に教科書誤報事件が起きた時、外務省は根拠を示さず検定なしで南京事件を教科書に書けるようにした。
その時、鈴木善幸総理大臣秘書官として総理大臣に助言していたのは外務省から出向した谷野作太郎(たにのさくたろう)氏である。
1994年5月16日、羽田孜(はたつとむ)総理大臣が参議院本会議で南京事件は否定できないと述べた時、それらの事項を担当する内閣官房内閣外政審議官の室長に就いてたのが谷野氏だ。
2000年1月26日、
「20世紀最大の嘘、南京大虐殺の徹底検証」
という集会が大阪で開かれた時、駐中国大使であった谷野氏は中国の唐外交部長にこう述べた。
「一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たという事については否定できない」
外務省の中で中心となって南京事件の既成事実化を推し進めてきたのは谷野氏であり、林外務大臣の発言を受け、それなら谷野氏はどんな根拠から南京事件を事実と見做しているのか尋ねた。
「その場には外務省の担当者もいたはず、いくら何でもお手紙にあるような単純な回答だったのか、信じ難い気持ちです」
と述べ、南京事件の根拠を4つ挙げた。
@「戦史叢書(そうしょ) 支那事変陸軍作戦(1)」
A「証言による南京戦史」
B「南京虐殺現場の心情」
C「証言による南京戦史」の歩兵第9連隊旗手
D秦郁彦『南京事件』
E「日中歴史共同研究報告書」
F松本重治『上海時代』
これらを見ると、検定なしで記述させた時の根拠は@とAだけなのに驚くが、他を併せても事件を根拠立てるものはない。
これらのうち、これまで議論されなかったのは
「C歩兵第9連隊旗手」
であるが、それは次のような証言である。
第16師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな」
「処罰せよ」
と電話で伝えられたという証言があり、それに対し歩兵第9連隊の連隊旗手・中村龍平がこう証言した。
「中島中将は、北支から中支戦線に転進するに当たって、次のように注意されたました。
”中支の戦闘は、北支のような呑気な戦闘ではない”
”住民の抗日意識は北支とは比較にはならぬ”
”中国軍と一体になって、頑強に抵抗するであろう”
”たとえ住民と言えども、警戒を怠ることなく行動せよ”
「果たせるかな、白卯口上陸後の迫撃作戦間沿道の住民によるゲリラ的襲撃をしばしば受け損害を出しました」
「遂には住民に対しても敵兵同様に警戒せざるを得ない状況になっていったように思います」
「歩38連隊副官児玉氏が
『師団司令部より”俘虜(ふりょ)を認めず、処置せよ”』
と述懐しておられますが、師団長はどうも、そのような気持ちでおられたのではないでしょうか」
この証言を谷野氏は証拠としているのだが、激戦の戦場では勝利を確実なものにするため敵が降伏を申し出てきても攻撃を続行し、師団命令のようなものが出されることがある。
この場合、相手は戦闘員である。
市民がゲリラ活動を行えば、国際法の保護を受けられない。
証言が市民殺害の証拠とならないのは明らかである。
■公開された外交文書
外務省で中心となって南京事件を進めてきた谷野氏の挙げる証拠がこういうものであるから、ホームページに記述された頃から、外務省関係者の間から南京事件を事実と見做すことに反論が出されたのは当然である。
外務事務次官を務めた村田良平氏は2008年にこう記述している。
「南京事件については東中野修道氏らの地道な調査のお陰で、中国の主張は悉く虚偽であり、証拠写真なるものも全て偽造であることが明らかとなった」
それでも、ホームページは変わらない。
そんな昨年2023年の暮れ、1992年10月の天皇陛下訪中に関する外交文書が公開された。
中国では1989年6月に数千人もの学生や市民が殺される天安門事件が起き、欧米は一斉に中国の人権弾圧を批判、中国は国際的に孤立した。
ところが日本は翌年の1990年に制裁を解除、更に1991年には海部俊樹首相が中国を訪問する。
外務省が進めたのだが、そういった日本に中国は狙いを定め、欧米の制裁を解こうと天皇陛下御訪中を持ちかける。
日本への執拗な働き掛けは成功し、天皇陛下御訪中により中国は国際社会に復帰し、経済力を強めるきっかけを掴む。
以来、中国はまっしぐら、海外からの投資が拡大、やがてアメリカに次ぐ経済大国となり、その利益を軍事と弾圧に投じ、今やアメリカに次ぐ軍事大国となり、覇権主義を強めている。
現在の中国を見れば、日本だけが解除に向かい、御訪中を決定したことが間違いであったことは明らかである。
御訪中を進めていることが分かると様々な反対の声が高まったが、反対の1つは
「日本に敵対する中国をなぜ支援するのか」
である。
そういった反対が起こる最中の1992年2月25日、中国は領海法を制定して尖閣諸島を中国領と記載した。
御訪中を日本に哀願しながら、日本に敵対する姿勢を変えようとしない。
反対のもう1つは御訪中が謝罪のためと見做される危惧である。
この危惧に対しても、1992年2月21日に中国の駐日大使が天皇陛下御訪中に触れ、
「両国の不幸な一時期の歴史に対して1つの態度表明が行われれば、中日両国の人民とも大変自然なことと感じると思う」
と都内で述べ、天皇陛下の謝罪が杞憂でないことが分かる。
更に1992年3月には全国人民代表大会で賠償請求の動きが起きている。
指摘されている問題が目の前で繰り広げられ、反対の声は現実のものであった。
他に人権抑圧も危惧された。
この時も御訪中推進の中心となったのは外務省で、中でも谷野アジア局長は、
「天皇陛下御訪中をやりたい」
と、慎重論もあった中国課を御訪中でまとめていたことは知られていたが、公開された外交文書によれば、それを遥かに超えるものであった。
谷野氏は国内で反対する人たちの説得に当たり、中曾根康弘元首相、NHK解説委員長、産経新聞編集局長たちに面会して説得すると共に、中曽根元首相には、
「読売あたりでもう少し声を出してくれると有難いのだが、渡辺社長に働き掛けて頂けないか」
と要請する。
またNHK解説委員長には、
「是非本件の積極的意義を認識し、実現の方向で風を起こしてもらえまいか」
と要請、NHK解説委員長は福田赳夫元首相へ働き掛けてをしている。
産経新聞編集局長への要請に対しては編集局長から、
「中国は陛下の御訪問を契機に日本から更に多くの経済協力を引き出そうとしている」
と指摘されるが、逆手を取るように反対の声も聞く形を取るため編集局長が官房長官から意見聴取されている。
それらの危惧は、尖閣諸島への侵犯、愛国主義運動の開始、チベットやウイグルへの弾圧など直ちに現実となった。
谷野氏は先を見通そうともせず、ただただ中国に迎合していたのである。
■定義を広げた谷野氏
谷野氏について知られていることを挙げれば、1993年、慰安婦を強制連行したという声が内外から挙がるが、政府が調べても証拠は見つからない。
すると1993年3月、谷野外政審議室長は強制の定義を
「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む」
と広げ、1993年8月、谷野室長が中心になって河野談話を作成する。
その際、韓国と擦り合わせが行われたが、2代後の審議室長たちに対し
「韓国政府と一言一句を詰めたということは絶対なかった」
と語り、隠蔽する。
1995年8月、
「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
という村山談話が作成された。
それに対し、2015年3月、我が国が行ったどのような行為を指すものか、具体的に明示されたい、とする質問主意書が出されると、政府は
「お尋ねについてお答えすることは困難である」
と答える。
このような談話の実務責任者も谷野室長で、この作業に谷野室長は心血を注いで当たったという。
そのことを村山談話の原案を起草した松井孝治内閣副参事官はこう言う。
「自分が起草した文章が谷野さんに直されてガラリと変わった」
「賛否両論はあるが『国策を誤り』などという表現は胆力がなければ書けないし、味も素っ気もない”官庁文学”では作成し得ない出来栄えだ」
日本を代表し日々外国と折衝している外務省高官が、何年にも渡り様々な面で日本を貶めていたのである。
■ホームページの変更を要望する
村山談話についてお答えすることは困難であるとの政府答弁書が出された1カ月後の2015年4月、参議院予算委員会で、
「定義できない文言を使っているのは問題ではないかと思います」
と質問されると、外務大臣に就いてた岸田文雄現総理大臣は、
「ご指摘の答弁書におきましては、
『植民地支配』

『侵略』
といった言葉については様々な議論があることから、我が国が過去に行ったどの行為が
『植民地支配』

『侵略』
に当たるのか、また当たらないのかについて、明確な答弁を行うことが困難であることから、そのような趣旨のお答えをした次第であります」
「他方でこの定義について様々な議論があり、お答えし難い文言であっても、その趣旨は十分にご理解頂ける文言であることから、問題であるというご指摘は当たらないのではないかと考えています」
改めて説明できないと答えている。
その上で外務省ホームページに
「日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」
と記述する。
そのため
「『植民地支配と侵略』という文言は回答文から削除すべきと考えるが」
と質問主意書が出される。
すると、
「『植民地支配と侵略』という文言を削除する考えはない」
と答えホームページはそのままである。
2023年4月3日、ホームページに記述されている南京事件について質問された時、林芳正外務大臣は
「平成19(2007)年4月24日に閣議決定された質問主意書への政府答弁、これを記載したもの」
と答えたが、ホームページは2005年8月から記載されており、2007年のものを記載することはできない。
谷野氏が根拠もなく南京事件を認めたため、外務省の後輩は取り消すこともできず、辻褄を合わせようと林外務大臣に証拠とならないものを証拠として虚偽の答弁をさせざるを得ない。
そしてホームページに載せ続けている。
こういった余りの姿勢からだろう、2024年1月26日、参議院の神谷宗幣(そうへい)議員が改めて
「戦史叢書 志那事変陸軍作戦」
が証拠となるのか、質問主意書を提出し、こう質問した。
「戦史叢書 『志那事変陸軍作戦』に日本軍が一般市民を意図的に殺害したという明確な記述がないとされていることから、外務省ホームページの現在の記載内容には根拠となる資料が欠けており、誤解を与えている可能性があると考える」
すると政府は2024年2月6日、ホームページは2007年の政府答弁書を記載したもの、と間違いを繰り返している。
神谷議員は引き下がらない。
2024年2月28日
「『戦史叢書志那事変陸軍作戦』には日本軍が一般市民を意図的に殺害したという記述は見当たらない」
とする再質問主意書を提出する。
すると政府は
「戦史叢書」
にこう記述されていると回答する。
「『遺憾ながら同攻略戦において略奪、婦女暴行、放火等の事犯が頻発した』
『これに対し軍は法に照らし厳重な処分をした』
『たとえ少数であったとしても無辜の住民が殺傷され、捕虜の処遇に適切を欠いたことは遺憾である』
等の記述がある」
これは既に2023年4月23日、和田政宗議員に答えたもので、その際、和田議員から、
前段は
「これは略奪等について記したもの」、
後段は
「日本軍が意図的に住民を殺害したという文脈で記されているのではなく、非戦闘員や住民が巻き添えを食らって死亡したとの記述に続く文脈の中で記されいるもの」
と明確に否定されている。
外務省は近隣諸国条項を設けて教科書に書き込ませ、南京事件は事実という空気を作り上げ、そのため国民の多くが利用するウィキペディアでも南京事件は歴史的事実となっている。
林外務大臣が答弁した2023年4月3日から1年経過する今年2024年4月2日、
「外務省ホームページの変更を要望する会」
はホームページの変更を求めて外務省に面会し、集会を開く。
外務省はホームページを直ちに変更しなければならないし、台湾有事を迎えている今、日本は中国の言うままにならないという姿勢を見せなければならない。

満州事変
世界恐慌の少し前の昭和3年(1928)、満州を実効支配していた張作霖が列車ごと爆殺されるという事件が起きたのです。
元は馬賊だった張作霖は権謀術数に長けた人物で、日露戦争後に日本陸軍の関東軍と手を結び、軍閥を組織して満州を実効支配し、徴収した金を全て自分の物としていました。
当初、張作霖と関東軍の関係は良好でしたが、大正の終わり頃から、物資の買い占め、紙幣の乱発、増税などを行い、関東軍と利害が対立するようになっていきます。
更に欧米の資本を入れて、日本の南満州鉄道(満鉄)と並行する鉄道を敷設したことで、両者の衝突は避けられなくなりました。
満鉄は鉄道事業が中心として満州全域に広範な事業を展開する会社で、日本軍による満州経営の中核たる存在であっただけに、関東軍としても見過ごすわけにはいかなかったのです。
張作霖爆殺事件はそんな状況下で起こりました。
事件の首謀者は関東軍参謀と言われてきましたが、ソ連の関与があったとする説もあり、現在も論争が続いています。
ただ、この時、
「張作霖爆殺」
に関しての陸軍の調査と、彼らを庇うかのように二転三転する内閣の報告に関して、昭和天皇は不快感を顕にし、田中義一首相(元陸軍大臣)の内閣は総辞職しました。
天皇は自分の言葉(それを首相に伝えたのは鈴木貫太郎侍従長)が内閣に影響を与えてしまったことを反省し、以後は内閣の決定には拒否権を発動するなどの
「親裁」
は行わないようになりました。
それをやれば日本は専制君主国家になってしまうという思いからです。
張作霖の跡を継いだ息子の張学良はこの後、満州に入植してきた日本人と朝鮮人の権利を侵害する様々な法律を作ります。
また父の張作霖が満鉄に並行して敷いた鉄道の運賃を異常に安くすることで満鉄を経営難に陥れました。
そのため満鉄は昭和5年(1930)後半から深刻な赤字が続き、社員2000人の解雇を余儀なくされたのです。
日露戦争でロシア軍を追い出して以降、日本は満鉄をはじめとする投資により、満州のインフラを整え、産業を興してきました。
そのお陰で満州は大発展したのです。
この頃、清では戦乱が相次ぎ、日本は満州の治安を守るためにを置いていました。
そのため清から大量の難民が押し寄せることとなります。
そうしたこともあって日露戦争が始まった明治37年(1904)頃には約1000万人だった満州の人口は、20数年の間に3000万人にも増えていました。
同じ頃、蒋介石率いる中国国民党政権と中国共産党による反日宣伝工作が進められ、排日運動や日本人への脅迫やイジメが日常的に行われるようになりました。
日本人に対する暴力事件も多数発生しました。
代表的な事件は
「南京事件」
と呼ばれるもので、これは昭和2年(1927)3月に、蒋介石率いる中国国民党が南京を占領した際、中華民国の軍人と民衆の一部が、日本を含む外国領事館と居留民に対して行った襲撃事件です。
暴徒は外国人に対して、暴行・略奪・破壊などを行い、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、デンマーク人、フランス人が殺害されました(この時、多くの女性が凌辱された)。
この暴挙に対して、列強は怒り、イギリスとアメリカの艦艇は直ちに南京を砲撃しましたが、中華民国への協調路線(及び内政不干渉政策)を取る幣原喜重郎外務大臣(「日英同盟」を破棄して「4カ国条約」を結んだ全権大使)は、中華民国への報復措置を取らないばかりか、逆に列強への説得に努めました。
更に日本政府は国内の世論を刺激しないように、
「我が在留婦女にして凌辱を受けたる者1名もなし」
と嘘の発表をしたため、現状を知る南京の日本人居留民を憤慨させたのです(政府は居留民たちが事実を知らせようとする集会さえも禁じている)。
この時、報復攻撃をしなかった日本に対し、中国民衆は感謝するどころか、逆に
「日本の軍艦は弾丸がない」
「張子の虎だ」
と嘲笑したと言われています。
事実、これ以降、中国全域で、日本人に対するテロ事件や殺人事件が急増します。
満州でも、中国共産党に通じたテロ組織が、日本人居留民や入植者を標的にしたテロ事件を起こすようにもなりました。
しかし被害を受けた日本人居留民が領事館に訴えても、前述の通り、時の日本政府は、第2次幣原喜重郎外交の
「善隣の誼(よしみ)を淳(あつ)くするは刻下の一大急務に属す」(中国人と仲良くするのが何より大事)
という対支外交方針を取っていたため、訴えを黙殺しました。
それどころか幣原喜重郎外務大臣は、
「日本警官増強は日支対立を深め、ひいては日本の満蒙権益を損なう」
という理由で、応援警官引き揚げを決定します。
そのため入植者たちは、満州の治安維持をしている関東軍を頼り、直接、被害を訴えるようになっていきます。
それでもテロ事件は収まらず、昭和5年(1930)後半だけで、81件、死者44人を数える事態となりました(負傷者は数えきれない)。
この時、中国人による嫌がらせの一番の標的になっていたのが朝鮮人入植者でした。
これは多分に両者の長年の確執と性格による所もあったと考えられます。
韓国併合により当時は
「日本人」
だった朝鮮人は、何かにつけて中国人を見下す横柄な態度を取っていたと言われ、中国人にしてみれば、長い間、自分たちの属国の民のような存在と思っていた朝鮮人にそのように扱われのが我慢ならなかったものと考えられます。
中国人から執拗な嫌がらせを受けた朝鮮人入植者は、日本政府に対して
「日本名を名乗らせてほしい」
と訴えます。
最初は日本名を名乗ることを許さなかった統監府も、やがて黙認する形で認めることとなります。
日本政府の無為無策では南満州鉄道や入植者を守れないという意見が強まる中、関東軍は昭和6年(1931)9月、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業であるとして、満州の治安を守るという名目で軍事行動を起こしました。
政府は不拡大方針を取りましたが、関東軍は昭和7年(1932)7月までに満州をほぼ制圧し、張学良を追放しました。
いわゆる
「満州事変」
です。
「事変」
とは、大規模な騒乱状態ではあるが、宣戦布告がなされていない国家間の軍事的衝突を意味します。
以後、日本は中国大陸での泥沼の戦いに突入していくこととなります。

盧溝橋事件から支那事変
昭和12年(1937)7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍が、中華民国軍が占領している後方の陣地から射撃を受けたことがきっかけで、日本軍と中華民国軍が戦闘状態となります。
ただこれは小競り合いで、4日後の昭和12年(1937)7月11日には現地で停戦協定が結ばれました。
しかし東京の陸軍本部は派兵を望んでいて、最初は不拡大方針だった近衛文麿首相はそれに押し切られるように、昭和12年(1937)7月11日の臨時閣議で派兵を決めます。
盧溝橋の発砲事件に関しては、中国共産党が引き起こしたという説もありますが、真相は不明です。
異常な緊張状態の中、その月昭和12年(1937)7月の29日、北京東方で、
「通州事件」
通州事件(2) Sさんの体験談
https://nezu3344.com/blog-entry-6033.html
が起きます。
この事件は、
「冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)」(昭和10年【1935】から昭和13年【1938】まで河北省に存在した自治政府であるが、その実体は日本の傀儡政権であるとされる)
の中国人部隊が反乱を起こし(中国国民党や中国共産党が使嗾【しそう:そそのかすこと】したとも言われる)、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人や乳児を含む民間人233人を虐殺した事件です。
その殺害方法は猟奇的とも言うべき残虐なもので、遺体のほとんどが生前に激しく傷付けられた跡があり、女性は子供から老人までほぼ全員強姦された上、性器を著しく損壊されていました。
これらの記録や写真は大量に残っていますが、まともな人間なら正視に耐えないものです。
この事件を知らされた日本国民と軍部は激しく怒り、日本国内に反中感情が高まりました。
また昭和12年(1937)8月に上海の租界で2人の日本の軍人が射殺された(大山事件)こともあり、日本人居留地を守っていた日本軍と中華民国軍が戦闘状態に入りました(第2次上海事変)。
この時、ドイツの指導と武器援助を受けていた中華民国軍は屈強で、日本軍は思わぬ苦戦を強いられます。
当時、上海の租界には約2万8000人の日本人が住んでいましたが、実は大山事件前にも、日本人を標的にした中国人によるテロ事件や挑発的行為が頻発していました。
昭和6年(1931)、商社や商店、個人が受けた暴行や略奪は200件以上。
通学児童に対する暴行や嫌がらせは約700件。
殺害事件だけでも、昭和7年(1932)から昭和12年(1937)までの間に何件も起きています。
犠牲者も軍人だけでなく、托鉢僧や商社員、新聞社の記者など民間人が多数含まれていました。
第2次上海事変は中華民国の各地に飛び火し、やがて全国的な戦闘となりました。
ただ、日本がこの戦闘を行ったのは、そもそもは自国民に対する暴挙への対抗のためでした。
「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)
というスローガンが示すように
「暴れる支那を懲らしめる(膺懲)」
という形で行った戦闘がいつの間にか全面戦争に発展したというのが実情です。
当時、日本は中華民国との戦闘状態を総称して
「支那事変」(あるいは「日華事変」)
と呼んでいました。
支那事変は大東亜戦争が始まるまでの4年間、両国とも宣戦布告を行わずに戦い続けた奇妙な戦争でした。
その理由は、
「戦争」
となれば、第3国に中立義務が生じ、交戦国との交易が中立義務に反する敵対行為となるからです。
従って両国が共に
「事変」
扱いとして戦い続けたため、国際的にも
「戦争」
とは見做されませんでした(実質は戦争)。
装備に優る日本軍は僅か3カ月で上海戦線を突破し、その年昭和12年(1937)の12月には首都南京を占領しました。
日本軍は、首都さえ落とせば、中華民国は講和に応じるだろうと見ていたのですが、蒋介石は首都を奥地の重慶に移して抵抗します。
中華民国には、ソ連とアメリカが積極的な軍事援助を行っていて、最早戦争の早期終結は望めないこととなっていました。

昭和12年(1937)12月、日本軍による南京占領の後、
「30万人の大虐殺」
が起きたという話がありますが、これはフィクションです。
この件は日本と日本人の名誉に関わることですから、やや紙幅を割いて書きます。
「南京大虐殺」
は、日本軍の占領直後から、蒋介石が国民党中央宣伝部を使って盛んに宣伝した事件です。
例えば、南京大虐殺を世界に最初に伝えたとされる英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員であったオーストラリア人記者のハロルド・ティンパリは、実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています。
その著作
”What War Means:The Japanese Terror in China"(邦訳『外国人の見た日本軍の愚行ー実録・南京大虐殺ー』)
の出版に際しては、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われていたことが近年の研究で明らかになっています。
また『南京大虐殺』を世界に先駆けて報じたアメリカ人記者ティルマン・ダーディンも『シカゴ・デイリー・ニューズ』記者のアーチボルド・スティールも南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)。
当時、南京には欧米諸国の外交機関も赤十字も存在しており、各国の特派員も大勢いたにもかかわらず、大虐殺があったと世界に報じられてはいません。
30万人の大虐殺となれば、世界中でニュースになったはずです(捕虜の処刑は別)。
また、同じ頃の南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人です。
もう1つおかしいことは、日本軍が占領した1カ月後に南京市民が25万人に増えていることです。
いずれも公的な記録として残っている数字です。
仮に日本軍が1万人も殺していたら、住民は蜘蛛の子を散らすように町から逃げ出していたでしょう。
南京市民が増えたのは、街の治安が回復されたからに他なりません。
当時の報道カメラマンが撮った写真には、南京市民が日本軍兵士と和気藹々と写っている日常風景が大量にあります。
占領後に捕虜の殺害があったことは事実ですが、民間人を大量虐殺した証拠は一切ありません。
20万人という数字は安全区だけのもので、それ以外の地区は含まれていないという主張もありますが、安全区以外の地域にはほとんど人がいなかったという外国人の証言が多数残っています。
もちろん一部で日本兵による殺人事件や強姦事件はありました。
ただ、それをもって大虐殺の証拠とは言えません。
今日、日本は世界で最も治安の良い国と言われていますが、それでも殺人事件や強姦事件は年間に何千件も起きています(近年の統計によれば、殺人は900〜1000件、強制性交等はそれ以上)。
ちなみにアメリカでは毎年、殺人と強姦を合わせると数十万件も起きています。
ましてや当時は警察も法律も機能していなかったことを考えると、平時の南京では起こらないような痛ましい事件もあったとは思われます。
また南京においては
「便意兵」
の存在もありました。
便意兵とは分かり易く言えばゲリラです。
軍人が民間人のふりをして日本兵を殺すケースが多々あったため、日本軍は便意兵を見つけると処刑したのですが、中には便意兵と間違われて殺された民間人もいたかもしれません。
こうした混乱が起きるのが戦争だとも言えます。
例えば戦後の占領下で、アメリカ軍兵士が日本人を殺害したり、日本人女性を強姦したりした事件は何万件もあったと言われます。
これらは許されることではありませんが、占領下という特殊な状況において、平時よりも犯罪が増えるのは常です。
要するに、南京において個々の犯罪例が100例、200例あろうと、それをもって大虐殺があったという証拠にはならないのです。
30万人の大虐殺と言うからには、それなりの物的証拠が必要です。
ドイツが行ったユダヤ人虐殺は夥しい物的証拠(遺体、遺品、ガス室、殺害記録、命令書、写真その他)が多数残っており、今日でも尚、検証が続けられています。
しかし
「南京大虐殺」
は伝聞証拠以外に物的証拠が出てきません。
証拠写真の大半は、別事件の写真の盗用ないし合成による捏造であることが証明されています。
そもそも日中戦争は8年も行われていたのに、南京市以外での大虐殺の話はありません。
8年間の戦争で、僅か2カ月間だけ、日本人が狂ったように中国人を虐殺したというのは余りにも不自然です。
とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました。
「南京大虐殺」
とは、支那事変以降、アメリカで蒋介石政権が盛んに行った反日宣伝活動のフェイクニュースでした。
日本軍による
「残虐行為」
があったとアメリカのキリスト教団体とコミンテルンの工作員が盛んに宣伝し、
「残虐な日本軍と犠牲者・中国」
というイメージを全米に広めたのです。
このイメージに基づいて、後年、第二次世界大戦後に開かれた
「極東国際軍事裁判」(東京裁判)
では、日本軍の悪行を糾弾する材料として
「南京大虐殺」
が取り上げられることになります。
実は東京裁判でもおかしな事がありました。
この裁判では、上官の命令によって1人の捕虜を殺害しただけで絞首刑にされたBC級戦犯が1000人もいたのに、30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将1人しか罪に問われていないのです。
規模の大きさからすれば、本来は虐殺命令を下した大隊長以下、中隊長、小隊長、更に直接手を下した下士官や兵などが徹底的に調べ上げられ、何千人も処刑されているはずです。
しかし現実には、処刑されたのは松井大将1人だけでした。
東京裁判で亡霊の如く浮かび上がった
「南京大虐殺」
は、それ以降、再び歴史の中に消えてしまいます。
「南京大虐殺」
が再び姿を現すのは、東京裁判の4半世紀後のことでした。
昭和46年(1971)、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が
「中国の旅」
という連載を開始しました。
その中で本多は、
「南京大虐殺」
を取り上げ、日本人が如何に残虐な事をしてきたかを、嘘とデタラメを交えて書いたのです。
これが再燃のきっかけとなりました。
この時の取材、本多の南京滞在は僅か1泊2日、
「南京大虐殺」
を語った証言者は中国共産党が用意した僅か4人でした。
後に本多自身が
「『中国の視点』を紹介することが目的の『旅』であり、その意味では『取材』でさえもない」
と語っています。
本多の連載が始まった途端、朝日新聞をはじめとする日本の多くのジャーナリズムが
「南京大虐殺」
をテーマにして
「日本人の罪」
を縦断する記事や特集を組み始めました。
そうした日本国内での動きを見た中国政府は、これは外交カードに使えると判断したのでしょう。
以降、執拗に日本政府を非難するようになったというわけです。
本田勝一の記事が出るまで、毛沢東も周恩来も中国政府も、1度たりとも公式の場で言及したことはなく、日本を非難しなかったにもかかわらずです。
それ以前は、中国の歴史教科書にも
「南京大虐殺」
は書かれていませんでした。
「無かった事」
を証明するのは、俗に
「悪魔の証明」
と言われ、私がここで書いた事も、
「無かった事」
の証明にはなりません。
ただ、客観的に見れば、組織的及び計画的な住民虐殺という意味での
「『南京大虐殺』は無かった」
と考えるのが極めて自然です。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/505.html#c29

[政治・選挙・NHK297] 「1人2万円現金給付」再断念は秒読みか…SNSではブーイング止まらず、世論調査でもはっきりNO(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
23. 秘密のアッコちゃん[1642] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月19日 19:57:59 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1080]
<■205行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
イランの終わりの始まりか、指導者個人を狙った攻撃に出たネタニヤフ首相の賭け 宮家邦彦
宮家邦彦のWorld Watch
2025/6/19 18:00
https://www.sankei.com/article/20250619-GYBL6WHLERJA7CXWNRWSQPOAHE/
衝撃的映像を見た。イラン国営放送のスタジオでイスラエルの爆撃による爆発の瞬間が生放送で流れたのだ。
2025年6月13日未明から始まったイスラエルとイランによる大規模攻撃の応酬に出口はいまだ見えない。
2025年6月16日からカナダで開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)は米大統領早期帰国で尻すぼみ、米国軍事介入の可能性すら取り沙汰された。G7首脳外交の成果も期待されたが、米国はイラン問題に忙殺され、
「関税交渉」
どころではなかった。
激動の1週間ではあったのだが、日本での関連報道・議論には若干
「違和感」
を禁じ得ない。
■予想より早く
イスラエルの攻撃は筆者見立てより若干早かった。
大方の予想は
「攻撃は米イラン協議失敗後」
だったが、実は2025年5月中旬に興味深い話を聞いていた。
米国の事情通が
「イスラエルは核施設よりもイランの政治・軍事指導者個人を狙っている」
と言うのだ。
当時はまさかと思ったが、結果的にこの情報は正しかった。
ではイスラエルのネタニヤフ首相はなぜ賭けに出たのか。
■千載一遇のチャンス
理由は3つ考えられる。
第1は「米・イラン核合意潰し」だ。
最近の交渉進展でトランプ政権は核合意実現のため対イラン譲歩も辞さない可能性があった。
イスラエルがこの悪夢を回避する手法は常に同じ、軍事的緊張を高め交渉を
「潰す」
ことである。
第2の理由は
「内政上の生き残り」
だ。
ネタニヤフ首相は強引な司法改革、汚職疑惑、ガザ戦争を巡り政治的に追い詰められている。
対イラン攻撃は政治的延命にもつながると考えたのだろう。
最後は
「軍事的な機会の窓」
だ。
前回の攻撃でイランの防空システムは機能不全となっている。
今なら思い通りの軍事作戦が可能、と考えた可能性は十分あるだろう。
■戦争目的は何か
全ての戦争は目的が明確でなければ成功しない。
今回誰でも考え付く戦争目的はイランの
「核開発阻止」
だろうが、イスラエル単独での核施設完全破壊は恐らく無理である。
そこで考えられる次の目的が
「指導者の暗殺」
だ。
これは件の米事情通が述べた話とも呼応する。
イラン国内のイスラエル諜報工作網は強力だから、従来対象外とされてきた
「最高指導者」
も例外ではなくなるかもしれない。
となれば最終的な戦争目的が
「体制転換」
となる恐れもある。
ネタニヤフ首相もその可能性を排除していない。
■問題の本質は何か
だが、筆者が最も違和感を覚えるのは今回の戦争の本質に関する議論だ。
今もイラン指導層は
「イスラエル」
の存在を否定し、地上から抹殺すべき
「悪魔」
と見なしているが、長年敵対してきたアラブ諸国ですら、こんな敵対的姿勢を示す国家はもはやない。
従来ハマスやヒズボラなど代理勢力を使って戦ってきたそのイランが、今はイスラエルに直接多数のミサイルを撃ち込み、核兵器開発疑惑だってくすぶっている。
このような脅威に直面するイスラエルが必要に応じ自衛権を行使するのは当然だ。
今回の攻撃について、その本質を熟知する欧州、カナダ、オーストラリアなど西側諸国は一様に、イランの核開発を批判した上で、イスラエルの自衛権を認め、双方に抑制された対応を求めている。
なるほど、これが西側の最大公約数なのだろうなと思うのだが、日本はちょっと違った。
2025年6月13日の外務大臣談話は自衛権には触れず、
「極めて遺憾であり、今回の行動を強く非難する」
と述べているだけだ。
如何なる経緯でこうなったかは知る由もないが、日本も賛成したG7首脳声明では、
「非難」
などしていない。
実に不思議な外務大臣談話である。
宮家邦彦
みやけ・くにひこ
昭和28(1953)年、神奈川県出身。
栄光学園高、東京大学法学部卒。
53年外務省入省。
中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。
第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。
現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所理事・特別顧問。

国連事務総長、中東情勢巡り「深い懸念」表明 20日に安保理で緊急会合開催へ
2025/6/19 8:07
https://www.sankei.com/article/20250619-FDPYITO4O5I3FHTQP6E2DDE2MQ/
国連のグテレス事務総長は2025年6月18日、イスラエルとイランの交戦が続いていることを受け、中東地域で軍事的緊張が高まっていることへの
「深い懸念」
を表明した。
グテレス氏は声明で、
「さらなる軍事介入は中東地域だけではなく、国際的な安全保障全体に甚大な影響をもたらしかねない」
と強調。
「市民の命が不必要に、悲劇的に失われている」
と非難した上で、
「停戦につながる即時の緊張緩和」
や国連憲章の順守を求めた。
一方、安全保障理事会は2025年6月18日、緊迫する中東情勢を受けた緊急会合を2025年6月20日午前(日本時間20日深夜)に開催すると決めた。
ウクライナ情勢を巡る緊急会合も2025年6月20日午後(同21日未明)に開かれる。
イランとウクライナがそれぞれ安保理での対応を求めていた。

英仏独、イランと核協議へ 外相級、20日にスイスで トランプ米政権と調整して実施
2025/6/19 7:51
https://www.sankei.com/article/20250619-V25GZEEDRNLPDAJ45VB6DBN3PY/
ロイター通信は2025年6月18日、英国とフランス、ドイツの外相がイランのアラグチ外相とスイス・ジュネーブで2025年6月20日、イラン核問題を巡る協議を開催する方針だと報じた。
協議はイランの核施設への攻撃を検討しているとされるトランプ米政権とも調整して実施される。
外交筋の話として伝えた。
イランに核開発を平和利用目的に限定させることを確約させるのが狙い。
外相級の協議後に専門家による対話も計画しており、議論の行方次第では本格的な協議につながる可能性もある。
英仏独外相は、欧州連合(EU)の外相に当たるカラス外交安全保障上級代表と会談後、アラグチ氏と協議する。(共同)

米、市民避難で航空機や船舶の準備 イスラエル大使が投稿
2025/6/19 6:40
https://www.sankei.com/article/20250619-6P5UWZ3VQJNKNCQ3V2HBKJYNTQ/
米国のハッカビー駐イスラエル大使は2025年6月18日、X(旧ツイッター)への投稿で、在イスラエル米大使館が米市民避難のため航空機や船舶の準備を進めていると明らかにした。
大使館は2025年6月18〜20日の3日間、安全上の懸念を理由に閉鎖している。
ハッカビー氏は避難を希望する米市民に対し、地域の危険情報などに関する大使館のメールを受け取るシステムに登録するよう呼びかけた。(共同)

イランに「最後通告」 トランプ大統領、米軍攻撃「やるかも、やらないかも」と明言避ける
2025/6/19 5:44
https://www.sankei.com/article/20250619-32IN3N3BWVODJDUL4T4SQVGUP4/
トランプ米大統領は2025年6月18日、イスラエルと交戦するイランに
「最後通告」
をしたと明らかにした。
ホワイトハウスで記者団に語った。通告の内容や方法などの詳細は説明しなかった。
米軍によるイラン攻撃については
「やるかもしれないし、やらないかもしれない」
と明言を避けた。
交戦は
「次の1週間が非常に重要になる」
とも指摘した。
トランプ氏は、記者団からイランに最後通告をしたかと問われ、
「そう言えるだろう。最後通告だ」
と認めた。
イスラエルの攻撃で防空システムが破壊されたイランは
「完全に無防備だ」
とした一方で
「まだ勝ったとは言えない」
と話した。
イラン核問題を巡る米イラン両政府の協議について、自身が設定した2025年6月上旬の期限までにまとまらなかったとし、
「なぜ死と破壊が起こる前に交渉しなかったのか。遅すぎる」
と述べ、イランの交渉姿勢がイスラエルの攻撃を招いたと主張。
攻撃を受けたイランが交渉を求め、ホワイトハウスに代表団を派遣すると申し出たと説明した。(共同)

イランの核開発はどこまで進んでいたのか イスラエル、核物質「兵器化」主張も実態は不明
2025/6/18 19:36
https://www.sankei.com/article/20250618-DLXAG6UAXZL2DHJZS4GXGF5SEM/
イスラエルとイランの交戦を巡り、イランの最高指導者ハメネイ師は2025年6月18日、X(旧ツイッター)に
「断固たる対応を取る」
と投稿し、戦闘を継続する考えを示した。
イスラエルはイランによる核開発の進展を先制攻撃の根拠としたが、どれほど開発が進んでいたか実態は不明。
イスラエルは地下核施設の破壊を狙うが、イランは交戦を続けつつ核開発継続を狙う構えだ。
■ウラン濃縮「原発に不要な高水準」に到達
イスラエルのネタニヤフ首相は攻撃開始後の2025年6月13日、
「イランはここ数カ月で、濃縮ウランを兵器化するための一歩を初めて踏んだ」
と述べ、攻撃の正当性を強調した。
イスラエル側はイランの核兵器開発が
「引き戻せないレベル」
まで進む危険があったと繰り返し主張している。
イランはかねて核開発を
「民間利用のため」
と主張してきたが、ウランの濃縮レベルを原子力発電に不要な水準にまで高めていたことは、国際原子力機関(IAEA)も認めている。
原発に必要な濃縮率は数%程度だが、核兵器は90%以上。IAEAによれば、イランは濃縮率を60%まで高めたウランを400キログラム以上貯蔵している。
このウランは数週間で90%に濃縮できるとされ、9発程度の核爆弾の原料になるとみられていた。
■イスラエルの主張、疑問視する向きも
イスラエル軍は2025年6月13日、
「イランの核兵器獲得秘密計画」
と題した資料を公表し、イランがウラン濃縮以外にも核物質の
「兵器化」
を進めていたとする議論を展開した。
資料では、イランが
@ウランの濃縮
A核兵器を起爆する中性子発生装置の開発
B核兵器に必要なプラスチック製爆発物の製造ラインの再開
を進めてきたとしている。
一方、英誌エコノミストは、軍が公表した一連の資料では証拠が明確ではないとして、信頼性に疑問を呈している。
実際、米国のギャバード国家情報長官は今年2025年3月、議会への報告で
「イランは核兵器を製造しておらず、ハメネイ師も核兵器計画を承認していない」
と明言している。
米CNNテレビも米情報機関関係者の話として、イランは積極的に核兵器の開発に取り組んでいなかったと報じている。
■施設破壊も「核の知識」残る
今回のイスラエルによる攻撃によって、イランの主要な核施設の多くが被害を受けたようだ。
IAEAは中部ナタンズの地下ウラン濃縮施設が攻撃で直接的な被害を受けたと明らかにした。
ただ、米国が攻撃に参加しない限り、地中深くに建設された核施設に決定的な打撃を与えるのは困難とみられる。
米軍備管理協会のダベンポート核不拡散担当部長は英メディアに
「知識を爆撃することはできない」
と強調。
もし核施設が致命的な損害を受けたとしても、開発の再開は容易だとする見解を示している。

イラン核施設への打撃はどれほどか 地下攻略に巨大「特殊貫通弾」の運搬必要 鍵握る米国
2025/6/16 10:41
https://www.sankei.com/article/20250616-7V3EY3EHLRKGPI252AWWIKAMYI/
イスラエルはイランへの攻撃で核関連施設を集中的に爆撃している。
事実上、中東で唯一の核兵器保有国であるイスラエルは軍事的優位を維持するため、宿敵イランの核開発計画を安全保障上の脅威と位置づけてきた。
これまでの攻撃はイランの核施設にどの程度の打撃を与えているのか。
米CNNテレビ(電子版)は2025年6月15日、米政府当局者の話を基に、イラン中部ナタンズでは施設の電力供給網を破壊するなど大きな成果を挙げたと伝えた。
ただ、ウラン濃縮用の遠心分離機がある地下部分について、国際原子力機関(IAEA)は
「打撃を受けていないとみられる」
とした。
ウランは濃縮度90%超になると核兵器に転用できる。
科学者3千人がいるとされる中部イスファハンの施設では、建物3件が損傷したことが衛星写真で確認できる。
ただし、イランの核開発関係者は攻撃を予想してナタンズとイスファハンの施設から
「機器類を移動させた」
としており、実害の程度は不明だ。
一方、高性能の遠心分離機があるといわれる中部フォルドウの施設は山岳地帯の地下深くにあり、大きな被害は免れているとみられる。
ここは防空システムも備えており、イスラエル軍の無人機を迎撃したとの観測も出た。
イランの地下施設の攻略に不可欠なのが
「特殊貫通弾(バンカーバスター)」
だ。
コンクリートも貫通する破壊力で、イスラエル軍は昨年2024年9月、地下施設にいたレバノンの親イラン民兵組織「ヒズボラ」の指導者ナスララ師を殺害するのに使ったと報じられた。
イランはレバノンと違ってイスラエルから遠く離れている。
米ニュースサイト、アクシオスはイランの地下核施設の破壊には
「巨大なバンカーバスター」
と、それを運搬する戦略爆撃機が必要で、
「イスラエルは持ち合わせていない」
としている。
このため米軍が戦闘に加わったり、イスラエル支援を本格化したりすれば、イランの核開発が壊滅的打撃を受ける事態があり得る。
ただ、現体制が存続する限り、イランで反米、反イスラエルの根が絶えることはなさそうだ。
英BBC放送(電子版)は、
「イスラエルは核科学者を暗殺できるかもしれないが、イランの(爆弾製造の)ノウハウや専門知識を破壊できる爆弾はない」
と指摘している。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/509.html#c23

[政治・選挙・NHK297] 国民民主党の失速が止まらない…“山尾志桜里騒動”で参院選は連合推薦候補も共倒れ危機(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 秘密のアッコちゃん[1643] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月20日 08:28:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1081]
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<主張>学術会議法が成立 変われないなら再改革だ
社説
2025/6/20 5:00
https://www.sankei.com/article/20250620-5OKVA7Z7LRO3FE4R3XZSZBJ3XY/
日本学術会議を現在の
「国の特別機関」
から
「特殊法人」
に移行させる新たな学術会議法が成立した。
令和8年10月に新組織になる。
学術会議の光石衛会長は、独立性を損なう懸念が払拭されないまま法案が国会に提出され、修正されずに成立したとして、
「非常に残念だ」
とする談話を発表した。
歴代会長6人は声明を出し、石破茂首相に学術会議の独立性と自主性の尊重を約束するよう求めた。
令和2年に菅義偉首相(当時)が会員候補のうち6人を任命しなかったことについて
「会員選考の自主性、独立性、学問の自由の決定的侵害」
と改めて批判した。
国民を守るための軍事研究を忌避し続けてきたことへの反省はどこにもない。
国政選挙や首相指名選挙などの民主的な手続きを経て就任した首相による正当な人事に、今も尚反発している。
独善的な姿勢に呆れる他ない。
そもそも新法は独立性を損なう内容ではない。
学術会議の総会で会員を選任するとしている。
外部有識者による選定助言委員会を設けるが、この委員の選任も総会が行う。
運営の透明性を確保するため、首相任命の監事や評価委員を置き、業務や財務の監査や活動状況の評価を行う。
学術会議側は政府の介入を受ける恐れがあるとしているが、今後も税金が投入される以上、評価の仕組みを設けるのは当然だ。
政府に関わりたくないなら、自分たちだけで資金を集めればよい。
ただし、新法には抜本改革から程遠いという問題がある。
学術会議は例えば、新型コロナ禍の際、提言などで国民から評価されるような役割を果たさなかった。
学術会議の目的として条文に
「社会の課題の解決に寄与すること」
を新たに掲げたが、この程度で実効性が確保できるとは思えない。
学術会議が最も反省すべきなのは、昭和25年と42年に軍事目的の科学研究を拒否する声明を出し、平成29年にそれらの継承を宣言したことだ。
再出発には一連の声明の撤回が必要だ。
反省も撤回もしないのなら、政府は予算を執行の段階で大幅に絞り込むべきだ。
閉鎖的で反国民的な組織から、本当に国民のためになる組織に生まれ変われないのなら、再改革しなければならない。

「右の人が入る法案許せるか」発言に坂井担当相「多様性確保の選考方法との評価」学術会議
2025/5/9 19:07
https://www.sankei.com/article/20250509-UBMKTBTAWRE6JOBJ3N67OOMDZI/
日本学術会議を国の特別機関から特殊法人に移行する法案を可決した2025年5月9日の衆院内閣委員会。
日本維新の会の三木圭恵氏は2025年4月の同会議総会で法案について
「これまでとは違う人が入ってくる」
「右に立っている人が入ってくる状態を許していいのか」
と述べた会員の発言に苦言を呈した。
「左派であろうと右派であろうと色々な人が入って学術を究明していくことが必要だ」
と強調した。
■「適切な選考方法とされた」
発言を巡っては2025年4月7日の同委で学術会議について
「一定の政治的考えを持つ人を排除していたとの疑念が生じる」
(自民党の平沼正二郎衆院議員)
などと疑問視する声が上がり、北海道大の宇山智彦教授が2025年4月8日、フェイスブック(FB)で自身の発言だと明らかにした。
宇山氏はFBで
「学術会議の法人化を中心的に唱えてきたのは、日本会議や統一教会と繋がりのある政治家たちであり、その人々が自分たちと同じ政治的立場を持つ人を学術会議の会員にしようと考えていても全くおかしくない」
などと主張した。
法案を所管する坂井学内閣府特命担当相は、宇山氏の発言について
「今までは右に立つ人が(学術会議の会員に)入っていなかったが、今後入ってくる認識を持っているからだと思う」
と指摘。
その上で
「法案で議論している選考方式が、この人がいうような右側に立つ人だけではなく幅広くダイバーシティーを確保するもので、色々な人が入ってくる」
「適切な選考方法だと評価されていることかと思う」
と語った。
■野党共闘の元会長連名の政治的中立は
また、法案を巡っては今年2025年2月に広渡清吾氏ら学術会議の歴代6会長が石破茂首相に撤回を求める共同声明を明らかにしている。
会長退任後の広渡氏は、平成29年の衆院選で共産党の機関紙やユーチューブチャンネルなどに登場し野党統一候補を応援した経緯があり、三木氏は
「声明に
『共産党と一緒に統一候補を掲げて戦う』
という人の名前を載せてしまうこと自体、学術会議の自浄能力の限界を感じる」
「(共同声明に)広渡氏の名前を消した方がいいと思う」
と指摘した。
坂井氏は、共同声明の政治的中立性を問われ、
「なかなか難しい」
「政治的勢力から独立して学術的な活動していただくのが望ましい」
と述べ、
「(法案が成立すれば)党派的な主張を繰り返す会員は、学術会議は解任できる」
「どのような場合が該当するかは学術会議で判断されるべき」
とメリットを挙げた。

日本学術会議の特殊法人化法案、可決 衆院内閣委 立民は独立性を懸念し、反対
2025/5/9 17:20
https://www.sankei.com/article/20250509-DTP7QRWKHZLKZPOL4AWKE5PIKU/
衆院内閣委員会は2025年5月9日、日本学術会議を現行の
「国の特別機関」
から
「特殊法人」
へと移行させる法案について、与党などの賛成多数で可決した。
近く開かれる本会議で衆院を通過、参院に送られる見通し。
立憲民主党など野党の一部は、政府介入が強まり独立性に懸念があるとして、法案に反対の姿勢を示している。
法案は学術会議を国から切り離した上で、首相任命の監事や評価委員を新設する内容。
学術会議は政府による監視が強まり自由な活動ができなくなる恐れがあるとし、法案の修正を求めている。
立民の山登志浩議員は、科学的な知見から政府と異なる意見が表明された場合に、人事や資金面での影響が出る可能性があるとして
「法案には政府が介入、関与する仕組みが残っている」
と批判した。
坂井学内閣府特命担当相は
「学術会議の独立性や自律性を抜本的に高めるための法案だ」
と強調した。

「右の人が入る法案許せるか」発言は北大教授 FBで「学術会議が右派にお墨付きは害」
2025/5/8 18:57
https://www.sankei.com/article/20250508-I3ZK2ZQPNNAFRAJZTJG7SDPFGU/
北海道大の宇山智彦教授(中央アジア近代史・現代政治)は2025年5月8日、フェイスブック(FB)で、日本学術会議を特殊法人化する政府提出法案を巡り2025年4月の同会議の総会で
「法律が通ることでこれまでとは違う人が入ってくる」
「文系には右に立っている人がいる」
「そういう人たちがここに入ってくる状態を許していいのか考える必要がある」
などと述べた人物は自身だと明らかにした。
発言した意図について
「(学術会議は)現在は政府と協力しつつ独立した立場を保てる研究者が会員になっているが、法人化後には右派が入って学術会議の活動を政治化する可能性があるのではないか」
と説明。
そう疑問視する理由として
「学術会議の法人化を中心的に唱えてきたのは、日本会議や(旧)統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と繋がりのある政治家たちであり、その人々が自分たちと同じ政治的立場を持つ人を学術会議の会員にしようと考えていても全くおかしくないからである」
と主張した。
現在の学術会議に関しては
「共産党に連なるような左派の存在は全く感じられない」
「学術会議の外での法人化反対運動が軍学共同反対運動とかなり重なっていることもあり、学術会議もそのイメージで見られがちだ」
と指摘した。
一方、過去の学術会議では共産党系などの左派の会員が政治的な主張や活動をしていたとして
「決して好ましいことではなかった」
とした上で
「法人化後の学術会議に右派が入ることも同様に好ましくない」
とした。
宇山氏は
「右派の影響力の下で学術会議が、ジェンダーなど人権の問題や歴史観について、世論や学界の見方とは異なる抑圧的・国粋主義的な立場を取り、自民党右派や他の右派政党の政策にお墨付きを与えれば、大きな害があるだろう」
などと主張した。
問題の発言を巡って、法案を審議した2025年5月7日の衆院内閣委員会で発言者名を伏せたまま
「素直に解釈すると右の人に入ってほしくないと捉えられる」
「一定の政治的考えを持つ人を排除していたとの疑念が生じる」
(平沼正二郎氏)
など疑問視する声が自民党議員から上がっていた。

「右の人が入れる法案許せるか」学術会議会員の懸念に、自民・平沼氏「排除していたの?」
2025/5/7 17:45
https://www.sankei.com/article/20250507-HD6C5NFP5VGVDFYQZ642GHKCB4/
日本学術会議を特殊法人化する政府提出法案を審議した2025年5月7日の衆院内閣委員会では、東京都内で2025年4月14〜16日に開かれた学術会議総会で
「この法律が通ることで、これまでとは違う人が入ってくる」
と懸念を示した一部会員の発言が問題視された。
■学術会議は「特定思想で固めるか」
自民党の平沼正二郎衆院議員らによれば、この会員は総会で
「文系には政府にすり寄る、かなり右に立っている人が確実にいる」
「そういう人たちがここに入ってくる」
「そういう状態を許していいのか考える必要がある」
と述べたという。
平沼氏は
「素直に解釈すると右の人に入ってほしくないと捉えられる」
と述べ、会員が推薦した候補者を首相が形式的に任命する方式で行われる従来の会員選考について
「一定の政治的考えを持つ人を排除し、特定の思想で会員を固めていたとの疑念が生じる」
と指摘した。
その上で今回の法案に基づく会員選考について、
「異なる考えを持つ者を排除する選考を行えず、幅広い形で平等な選考が行われるのか」
と政府側に尋ねた。
■政府担当者も発言に「えっ」
内閣府の笹川武官房審議官は
「そういうことに資するための法案だ」
と述べた上で、会員選考について
「実質的な絞り込みを2回行い、過程を公開する」
「専門グループが選んだ候補がそのままスルーして会員になるわけではない」
「委員会や総会で実質的に絞り込まれる」
と強調した。
笹川氏も問題の発言をオンライン中継で聞いていたといい、
「『えっ』と思った」
「ただ実際はどうか分からない」
と述べた。
政治的な考えに応じて会員候補が排除されていたかどうかは不明だとした。
問題の発言については、自民の黄川田仁志衆院議員も2025年5月7日午前の同委で質した。
参考人の梶田隆章前学術会議会長は
「政治的な傾向がどうこうということについて、全く議論したことがない」
と述べるにとどめた。

<主張>学術会議の法案 反省ないのに税金投入か
社説
2025/3/19 5:00
https://www.sankei.com/article/20250319-IYNQVK6VS5KJNK75ZXMKUZVPYI/
政府は日本学術会議を現在の
「国の特別機関」
から特殊法人に移行させる学術会議法案を閣議決定し、国会に提出した。
首相が任命する監事や評価委員を置き、業務や財務の監査や活動状況の評価を行う。
透明性を高めるのが狙いだが、会員の選任では、首相任命をやめ、学術会議が総会で決める。
外部有識者による選定助言委員会も設けるが、同委員を選任するのも総会だ。
これで一体、何が改まるというのか。
法案は学術の知見を活用し、社会の課題解決に寄与することを目的としているが、期待できず、改革に値しない。
学術会議の光石衛会長は自主性、独立性の観点から懸念が払拭されていないとして、
「閣議決定は遺憾だ」
とする談話を発表した。
閣議決定に先立ち、歴代会長6人は
「責務を果たすことができない」
と法案撤回を求める声明を出した。
梶田隆章前会長は
「監視を強めるなど政府の思いのままにコントロールしようとしている」
と訴えた。
だが、これまで日本のために十分な責務を果たしてきたとはとても言えない。
中国が
「核汚染水」
とレッテルを貼った東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出では、科学的知見に基づく反論をしてこなかった。
会見で大西隆・元会長は
「科学的な観点から議論する余地はあったかもしれない」
と述べたが、今更何を言っているのか。
新型コロナウイルス禍でもろくな役割を果たしてこなかった。
最大の問題は、防衛力の充実に関する研究を妨害する要因となってきたことだ。
昭和25年と昭和42年に軍事目的の科学研究を拒否する声明を出し、それらの継承を平成29年に宣言した。
学術会議は一連の声明を撤回していない。
侵略者から国民を守れなくてもよいということか。
政府は、このような反国民的行動をとってきた反省のない学術会議に対し、年間10億円前後の財政支援を継続する方針だ。
これは許し難い。
体制が改まるまでの間も、税金投入は最小限にしなければならない。
学術会議は政府の関与に反対するのなら、国費に頼らず自分たちで資金を集めればよい。
政府は改革効果が疑われる同法案を取り下げ、抜本的に改めて、出し直すべきだ。

学術会議への補助金投入は安保研究規制声明の破棄を条件に 保守党・島田氏が質問主意書で
2025/3/17 17:35
https://www.sankei.com/article/20250317-47G3XR7XXZFRNHOKA5NLKWVGSY/
日本保守党の島田洋一衆院議員は2025年3月17日、
「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究」
を声明で規制対象としている日本学術会議に対する国の補助金について、
「声明の破棄を条件とすべきではないか」
との質問主意書を提出した。
学術会議を巡っては、2026年10月に現在の
「国の特別機関」
から特殊法人へ移行させる日本学術会議法案が今国会に提出されており、国が新法人を財政支援することになっている。
島田氏は主意書で、将来的に軍事技術へ応用可能な基礎研究を助成する防衛装備庁の
「安全保障技術研究推進制度」
について、
「日本学術会議が、軍事研究を禁止した過去の同会議声明を踏まえて、安保研究制度は
『問題が多い』
とする批判声明を出し、同制度に対する大学からの応募が急減した」
と指摘した。
その結果、
「関連分野における研究の停滞や共同研究中止、海外研究者に論文発表の先行を許すといった事態を招いてきたと考える」
とし、
「政府はこの声明の破棄を補助金供与の条件とすべきではないか」
と石破茂首相に質した。
島田氏は産経新聞の取材に対し、
「提出された法案の第48条には政府が
『必要と認める金額を補助することができる』
と書かれている」
「ということは、税金を投入しなくてもいいというようにも読める」
「自衛隊の能力向上や自衛官の命を守ることを阻害している団体に税金を出すのはとんでもない」
「自衛隊に対する裏切りだ」
と話した。

学術会議、税金投入額2割増の12億円 与党「見合った活動なければ、さらなる改革も」
2025/3/7 20:02
https://www.sankei.com/article/20250307-FJEGWRE2DBIA5LFIO3YHXIHWRU/
2025年3月7日に閣議決定された日本学術会議法案で、学術会議は法人化される方向となった一方、国による年間10億円程度の財政支援は継続される。
学術会議側が国から完全に切り離されることに反発したためだ。
抜本改革とは言い難く、国益に適う組織に生まれ変わるかどうかも見通せない。
「戦後から続く法人化への議論に区切りをつけた」。
内閣府幹部は今回の改革の意義をこう強調した。
法人化の必要性は学術会議設立当初から指摘されてきた。
政府方針に反する見解を示す場合もある組織が国の機関であるのは不適切との考えからだ。
昭和28年には吉田茂首相(当時)も民間移管を検討した。
近年は自民党や保守層を中心に学術会議の法人化を求める声は更に強まっていた。
国民の税金で運営される組織であるにもかかわらず、大学などによる軍事研究を妨害する学術会議への不満が募っていた。
学術会議は昭和25年に軍事研究を忌避する声明を出し、平成29年にその継承を表明した。
科学技術の発展で軍事と民生の線引きが難しい中、声明は
「時代錯誤」
との批判が根強い。
新型コロナウイルス禍や東京電力福島第1原発処理水の海洋放出といった国民生活に関わる重要テーマでも、学術会議は科学的知見に基づく発信が不十分だった。
菅義偉政権の会員候補の任命拒否をきっかけに組織の在り方を巡る議論は大きく進んだ。
だが、国からの出資がない民間法人化には学術会議が抵抗し、内閣府所管の特殊法人への移行にとどまった。
この結果、税金の投入は継続され、令和7年度予算案では例年より2割程度多い約12億円が盛り込まれている。
法案では国益にかなう組織への変革を促すため
「社会課題の解決に寄与」
との基本理念を明記した。
政府関係者は
「デュアルユース(軍民両用)の先端技術研究も含まれると解釈できる」
と解説する。
ただ、拘束力はなく、確実に履行されるかは不透明だ。
自民中堅は
「予算に見合った活動ができないなら、更なる改革も必要だ」
と牽制した。

学術会議法案を閣議決定 国の特別機関から特殊法人へ移行も10億円の国費支援は継続
2025/3/7 16:04
https://www.sankei.com/article/20250307-H5BUXOK4M5IIRG2MMKEC6KZ43U/
政府は2025年3月7日、日本学術会議を来年2025年10月に現在の
「国の特別機関」
から特殊法人へ移行させる日本学術会議法案を閣議決定した。
首相が任命する
「監事」
や評価委員を置き、業務や財務の監査を行うことが盛り込まれたものの、意見に法的拘束力はない。
年間約10億円という国費による財政支援は継続される。
林芳正官房長官は同日の記者会見で
「日本学術会議の機能が強化され、国民の期待にしっかりと応えていくことを期待する」
と述べた。
法案では、学術会議を
「科学者の代表機関」
と位置づける。
社会課題の解決への寄与や人類社会の持続的な発展、国民の福祉向上に貢献するといった理念も明記した。
国は運営の自主性、自律性に配慮しなければならないとした。
また、これまでの首相による会員任命はなくし、学術会議総会が任命。
外部有識者からなる
「助言委員会」
が意見を述べる。
学術会議の組織の在り方見直しは、令和2年の菅義偉元首相による会員候補6人の任命拒否が発端。
現行制度では現会員が推薦した候補を首相が形式的に新会員として任命しており、国費を投じながら実質的に身内の推薦で会員が決まる不透明さに菅氏が懸念を示した。
令和5年には岸田文雄前首相が、第三者機関を会員選考に関与させる改正案の提出を試みたが、学術会議側の反発で断念している。

日本学術会議、令和8年に特殊法人へ移行 首相任命の「監事」が監査 閣議決定
2025/3/7 9:14
https://www.sankei.com/article/20250307-523GVOEY6BMDXOI2CP53QFYPNQ/
政府は2025年3月7日、日本学術会議を令和8年10月に現在の
「国の特別機関」
から、特殊法人へ移行させる日本学術会議法案を閣議決定した。
新法人を国が財政支援し首相による会員任命をやめる一方、首相任命の役員
「監事」
や評価委員を置き、業務や財務の監査などをする。
政府は会員選考や活動の透明性を高めるとしているが、運営に一定程度関与する仕組みを残す。
現在の選考では、現会員が学術的な業績などから会員候補者を選んで推薦し、首相が推薦に基づき新会員を任命している。
法案は、学術会議を
「科学者の代表機関」
とし、人類社会の持続的な発展、国民の福祉向上に貢献することを基本理念に明記した。
国は運営の自主性、自律性に配慮しなければならないとした。
新法人では、学術会議総会が会員を任命するが、外部有識者からなる
「助言委員会」
が意見を述べる。
定員は現在の210人から250人に増やし、政府への勧告権限は維持する。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/507.html#c22

[政治・選挙・NHK297] 「小手先の給付でなく減税を」共産・田村智子氏 都議選応援で石破首相の2万円給付に異論(産経新聞) 達人が世直し
13. 秘密のアッコちゃん[1644] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月20日 08:56:58 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1082]
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<正論>国防上重要な沖縄戦の歴史認識 
日本経済大学准教授・久野潤
2025/6/20 8:00
https://www.sankei.com/article/20250620-CTG3EDUAOBIEDBK7DXI2I273VQ/
■共産主義から沖縄守る大御心
2025年4月2日付の本欄拙稿で80年前の沖縄戦において、日本軍が沖縄を見捨てるどころか全力で戦い、一方で戦後の日本再建の布石も打っていたことについて述べた。
『昭和天皇実録』の昭和22年9月19日の項に
「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」
し、それが
「米国の利益となり、また日本を保護することにもなる」、
そして
「米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべき」
で、
「この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろう」
と思し召しであったことが記されている。
このいわゆる
「天皇メッセージ」
により沖縄に対する主権が確保されたと評される(ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』など)一方、反皇室的な論者の間では戦後も引き続き基地設置を認め、自己保身のため沖縄を犠牲にしたとの主張も根強い。
後者はまったくの曲解と言わざるをえないが、共産主義の脅威が矮小化されている結果でもある。
昭和20年5月にドイツが降伏した後、沖縄防衛も絶望的となった昭和20年6月、ソ連の対日参戦情報(昭和20年2月のヤルタ会談で米英と密約)などを無視する格好で、東郷茂徳外相の命で広田弘毅元首相、次いで佐藤尚武駐ソ大使がソ連に対する連合国との和平斡旋交渉を開始した。
実際のソ連は終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領へ侵攻し、昭和20年8月15日を過ぎても侵略を続けたことは周知の通りだが、沖縄失陥により指導層のソ連への期待が高まり判断を狂わせたことは歴史の重要な教訓である。
沖縄を守るためにも、戦後に誕生した中華人民共和国を含む共産主義勢力を排除すべきことが、昭和天皇によりいち早く示唆されたことになる。
歴代天皇の沖縄への痛切な大御心(おおみこころ)については本稿で繰り返すまでもないが、共産主義の脅威から国土を守ることは、現在に至るまで国防の重要課題であり続けている。
■日本中の将兵が沖縄で戦った
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日は沖縄県制定の
「慰霊の日」
とされ毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)で県および県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開催されている。
平成2年以降、コロナ下を除いて現職首相も参列し、メディアで大々的に報道されるが、もう1つの、もとい本来の戦没者慰霊顕彰のよりどころである沖縄県護国神社(那覇市、昭和11年創建)で同日に斎行される沖縄戦全戦歿(せんぼつ)者慰霊祭はあまり知られていない。
筆者は実は、こちらの方へ参列している。
「全國護國神社會」
所属の護国神社52社の祭神は、基本的に幕末以来の地元出身殉難者・戦没者等だ。その中で沖縄県護国神社の祭神は
「日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊」
17万7913柱で、
「北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者」
即ち沖縄出身でない沖縄戦戦没者(都道府県別で最多の北海道は1万90柱)も含まれている。
その前で
「沖縄は見捨てられた」
などと言えようか。
現行憲法の
「政教分離」
解釈から公的行事で神道式の
「慰霊」
を殊更に避けようとする戦後の風潮には違和感を覚えるが、出自も違う数多の戦没者にとっての結節点は、靖国神社に祀られるということであった。
その靖国神社に準ずる護国神社での慰霊顕彰に、沖縄戦に思いを致す日本人はもっと目を向けるべきであろう。
■建国以来の信頼関係回復へ
このことは、単なる過去の話ではない。
先月2025年5月刊行された齋藤達志『完全版沖縄戦』は
「沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さと共にそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日のもとに明らかにした」
と厳しく指摘している。
沖縄戦で無念にも的確に県民を守れなかったのはその通りとしても、同時に、それを受け止めた現在における一部日本人の歴史認識の
「未熟さ」
を筆者は思わずにはおれない。
国土を守る戦いとは、当地の住民を守るのみならず、後世まで敵勢力に対する抑止力を持たせるべきものである。
我が国が建国以来、王朝交代等なく継承されてきたのも、君主と国民、国民と<祖国を守る者>が支え合うという、三者の信頼関係が2000年以上続いてきたからに他ならない。
歴史上、革命や間接侵略の際にはこの信頼関係破壊が図られた。
「沖縄県民を守ろうとしたが守れなかった」
史実が
「天皇も軍隊も沖縄を守ろうとしなかった」
という話に転化されることで、
「これからも自衛隊は日本を守らないかもしれない」
との疑心暗鬼を生み、侵略される隙を作ることになる。
日本国民と、天皇そして<祖国を守る者>との建国以来の信頼関係が今後も保たれるかどうかは、沖縄戦に対する歴史認識にかかっているといっても過言ではない。

<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡
日本経済大学准教授・久野潤
2025/4/2 8:00
https://www.sankei.com/article/20250402-AAS6XLCBVBMX7MOEWXZDVW5OYQ/
■沖縄へ向け大和出撃80年
本年は沖縄戦、そして戦艦「大和」出撃から80年の節目でもある。
今もって史上最大の戦艦である「大和」は、その艦名も相俟(あいま)って我が国戦史上特筆すべき存在であり、またその出撃の当否をめぐる議論も戦後絶えなかった。
昭和20(1945)年4月1日の連合軍沖縄本島上陸の際、連合艦隊は「天一号」「菊水」の特攻作戦を発動した。
鹿屋基地(鹿児島県)の第五航空艦隊の司令長官は、かつて山本五十六連合艦隊司令長官を補佐する参謀長として、またマリアナ・レイテの両海戦で第一戦隊司令官として「大和」に座乗した宇垣纏(まとめ)海軍中将。
宇垣は独断で麾下(きか)の零戦を出撃させ、沖縄へ向かう「大和」上空直掩(ちょくえん)を図るが、零戦隊の本務もあり果たせなかった。
昭和20(1945)年4月7日の「大和」沈没を聞いた宇垣は、陣中日誌『戦藻録』に
「抑々茲(そもそもここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈(だけ)の総攻撃なるやの(筆者注・昭和天皇の)御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」
と記している。
これをもって「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄を何としても救わねばという大御心(おおみこころ)に思いを致すべきであろう。
「大和」出撃を後押しした連合艦隊司令部の心情を表す、神重徳(かみしげのり)参謀の言葉が伝わっている。
「もし大和を柱島あたりに繫(つな)いだままで、大和が生き残ったままで戦争に敗けたとしたら、何と国民に説明するのか」
(吉田満・原勝洋『ドキュメント戦艦大和』)
これに対して高田利種参謀副長が
「これをやらないで今度の戦さに敗けたとしたら、次の日本を作る事が出来ないのではないかというのが、神参謀の本心だと判断した」
ことで、
「国民」
がこの時点に存在した日本人のみを指すのではなく、後世の我々をも含む概念であったことも理解できる。
沖縄の戦況を憂う大御心を拝した軍人たちにとって、将来に渡り
「あの時の日本軍は固有の国土を全力で守らなかった」
との誹(そし)りを受けることはあってはならないのだ。
■受け継がれていた楠公精神
さて作戦名の菊水とは、後醍醐天皇に忠節を尽くして湊川の戦いで殉節(戦死)し、後世広く崇敬された大楠公こと楠木正成の家紋である。
戦後史観のもとでは、大楠公は衆寡敵せぬ情況で仕方なく出陣して玉砕した点が、日本軍の思想に影響を与えたかのように評されてきた。
実際の大楠公は足利尊氏の反逆に対し我が国の正道を示し、それを継承する布石を打って湊川へ向かった。
戦前の日本人もそれを理解していたからこそ長男正行(まさつら)を故郷へ帰した
「桜井の訣別」
の逸話に涙したのである。
「大和」出撃に際しても、桜井の訣別≠ェあった。
出撃3日前の昭和20(1945)年4月3日に卒業したばかりの海軍兵学校74期生42人・海軍経理学校35期生4人が少尉候補生として乗り組んでいた。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は出撃前日の昭和20(1945)年4月5日、彼らに退艦を命じる。
候補生たちは命令撤回を懇願したが、有賀幸作「大和」艦長に
「この戦(いくさ)はまだまだ先が長いぞ」
「お前たち候補生にはもっと働き甲斐のある戦闘が待ち構えておる、自重せよ」
と諭され退艦した(中田整一『四月七日の桜』)。
参陣を懇願する子に大楠公が、更に長きに渡り皇室に忠節を尽くすべしと自重を諭したのと軌を一にする。
■絶望的な戦局でも尚…
沖縄への出撃を命じられた伊藤は当初大反対であった。
神の要請で「大和」を訪れた草鹿龍之介連合艦隊参謀長から
「一億総特攻の魁(さきがけ)」
となってほしいと説得され納得したとされる。
沖縄失陥までの10次に渡る菊水作戦で海軍は940機、陸軍は887機が特攻を行い、それによる連合国側死傷者は1万人近くを数えた。
加えて、残存水上兵力をかき集め「大和」以下10隻の第二艦隊も出撃させたのであるから、沖縄は見捨てられたとする戦後の言説が筆者には理解し難い。
そして宇垣も終戦の玉音放送後に湊川≠ヨ向かった。
最後の特攻隊として「彗星」爆撃機11機を率い出撃する直前まで書いていた『戦藻録』最後の頁は、以下の行で締められている。
「独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万艱(ばんかん)に抗し、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完(まっと)うせん事を望む」
「余又楠公精神を以て永久に尽す処あるを期す」
大楠公は湊川で弟正季(まさすえ)と刺し違える際「七生滅賊」を誓い合い、その精神が幕末の志士さらに近代軍人に受け継がれることで日本を護(まも)り続けた。
「大和」出撃も無駄だったどころか、絶望的な戦局でも最後まで国土を護るため戦った確固たる足跡を残している。
筆者は先述「大和」退艦の候補生の1人で同期を代表して有賀艦長に直談判した阿部一孝氏(令和5年6月逝去)から直接話を伺う機会があった。
「沖縄特攻は、今の日米関係の土台になっているはず」。
沖縄を易々と見捨てるような日本であったならば、米国も今のような同盟国として扱わなかったであろう。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

沖縄戦最初の戦死 歴史に葬られた特攻隊長 伊舎堂用久
正論2025年4月号 作家 将口康浩
大陸に対し、海に弧を描き、鹿児島から沖縄の島々が連なっている。
国境に近い最西端、八重山諸島の中心が石垣島。
沖縄本島から400km、台湾との距離は僅か270kmしか離れていない。
石垣島の北170kmに点在する尖閣諸島では中国船の頻繁な領空侵犯を受けている。
かつて沖縄は、東から攻め上がった米軍との戦いの地となった。
今、西からの攻勢に晒されている。
尖閣諸島最大の魚釣島の地番は沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地。
ちょうど80年前の昭和20(1945)年、石垣島から出撃、慶良間諸島沖で米艦隊に体当たり攻撃を行った伊舎堂用久大尉の生まれは石垣市登野城156番地。
自分の郷土は自分で守ると、特攻隊長として故郷から出撃した。
石垣島西部に陸軍白保飛行場が広がっていた。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、指揮所前に陸軍特別攻撃隊
「誠第17飛行隊」
と、その護衛に当たる
「独立飛行第23中隊」
の隊員、関係部隊長40名が集合していた。

本25日1650、慶良間群島周辺に空母2、特設空母4以上よりなる敵機動部隊遊弋中なり
飛行団は敵機動部隊を攻撃せんとす

中央気象台石垣島測候所は昭和20(1945)年3月26日の天候は快晴と予報していた。
海上に浮かぶ眼下の敵を発見しやすい絶好の飛行日和だった。
昭和20(1945)年3月26日午前4時。
見送りを受け、初めに第23中隊所属の直掩機6機、続いて誠第17飛行隊の特攻機4機が離陸した。
11歳だった石垣島宮良の小浜義勝はその日をよく覚えている。
迫る米軍艦艇に体当たりをする特攻機が石垣島から出撃することは子供でも知っている公然の秘密だった。
日の出は午前6時37分、まだ月が残っていた。
「飛行機が飛んでいる」
姉の声がした。
布団にくるまり、眠っていた小浜義勝はすぐに飛び起きた。
耳を澄ますと、聞き慣れた陸軍機の爆音がする。
急いで庭に出て、北の空の機影に姉と2人で懸命に手を振った。
傍らでは、目を閉じたままの母は手を合わせて拝み、父は言葉もなく呆然と見送っていた。
その日、米空母に突撃して戦死したと聞いた。
戦後も生まれた石垣島で暮らし、老齢となった小浜義勝は伊舎堂用久の戦死についてこう語っていた。
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂用久中佐が故郷を守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
熾烈を極めた沖縄戦は石垣島の白保飛行場から飛び立った伊舎堂用久隊が口火を切る。
伊舎堂用久率いる10名が沖縄戦最初の戦死者となった。
しかし、この事実を知る者は少ない。
■「用久元気」空からの手紙
中国戦線から1年ぶりに帰国、静岡県浜松で新型機に乗り換えるための訓練を受ける。
僅か1カ月ほどの浜松滞在後、那覇経由で台湾花蓮港(現・花蓮市)に向かう。
途中、石垣島の生家上空を旋回、通信筒を落とす。
帰省することができない伊舎堂用久からの空からの手紙だった。

用久元気 台湾花蓮港ニ居ルコトニナリマシタ 今前進スル途中

最早故郷の地を踏むことはない、珊瑚礁に当たる砕ける波と白浜、緑深い山々、港に続く懐かしい家並み。
空からこれが見納めとじっくりと眺めたに違いない。
手紙を受け取った父の伊舎堂用和、母の伊舎堂ミツも同じ心持ちだっただろう。
だが、10カ月後、再び故郷の地を踏む。
帰るに帰れなかった石垣島に7年ぶりの帰郷を果たす。
そこが最期の地となった。
昭和19(1944)年10月25日、レイテ沖海戦で初めての特攻攻撃が行われた。
同年昭和19(1944)年11月中旬、花蓮港からフィリピンのルソン島ツゲガラオ基地まで、伊舎堂用久は99式軍偵察機で飛行、米軍の進攻状況や特攻隊の現況などを10日間に渡り偵察分析する。
整備の岡本泰憲曹長だけが同行した。
夕食後、ツゲガラオ基地の宿舎を抜け、2人で空を見上げる。
交わす言葉はなく、無言のままだった。
岡本泰憲曹長が手記に残している。
「群青色に澄んだ夜空に散らばる南十字星を伊舎堂中尉と感無量の想いで眺めた思い出は忘れられない」
この時点では台湾での特攻隊編成は決まっていなかった。
しかし、伊舎堂用久を単機で現地視察に行かせた理由は1つしかない。
沖縄で特攻隊出撃命令を下す際、敵を迎え撃つ沖縄県民と後続の陸軍航空兵の士気を高める上で、第8飛行士団幹部は郷里の英雄を最初の隊長にすべきと当初から考慮していた。
無論、伊舎堂用久自身もその意を汲んでいた。
昭和19(1944)年11月末、同師団に特攻隊編成指示が出された。
死に向かう道しかない集団の団結心と1人1人の闘志の高揚、持続だった。
そのためには集団を率いる隊長の責任感や統率力、人柄、技量が重要になる。
部下にこの人とならば、と思わせるような男でなければならない。
編成を任された作戦主任参謀の石川寛一中佐は隊長に伊舎堂用久を指名した。
石川寛一中佐は偵察出身で、伊舎堂用久との関係も深く、知悉の間柄でもあった。
伊舎堂用久を司令部に呼び出し隊長就任を要請した。
何の迷いも躊躇いもなく、伊舎堂用久が即答する。
「私にやらせて下さい」
昭和19(1944)年12月8日、
「誠第17飛行隊」
が編成された。
伊舎堂用久は昭和19(1944)年12月1日、大尉に昇級した。
希少な石垣島出身の飛行隊長が郷土から特攻出撃する筋書きが完成した。

伊舎堂用久大尉 陸士55期、24歳、沖縄出身
石垣仁中尉 陸士56期、23歳、山形出身
安原正文少尉 幹部候補生9期、24歳、高知出身
川瀬嘉紀少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、東京出身
大門修一少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、茨城出身
久保元治郎少尉 金沢大、特別操縦見習士官1期、22歳、千葉出身
芝崎茂少尉 特別操縦見習士官1期、23歳、埼玉出身
黒田釈伍長 少年飛行兵、21歳、愛媛出身
有馬達郎伍長 少年飛行兵、17歳、鹿児島出身
林至寛伍長 少年飛行兵、17歳、東京出身
小林茂兵長 少年飛行兵、16歳、東京出身

誠第17飛行隊11名のうち生き残った者は誰1人としていなかった。

昭和20(1945)年2月28日、誠第17飛行隊は石垣白保飛行場に到着した。
伊舎堂用久にとって7年ぶりの故郷で過ごす最期の37日間だった。
隊員は飛行場近くのオーセと呼ばれる拝所がある白保集落の中心に分宿する。
毎朝、オーセ前に集合し、全員で体操を行う。
その後、隊長宿舎前で点呼を取り、その日の作業日程やその日の行動確認を行い、最後に隊長が訓示をするのが日課だった。
門前で伊舎堂用久がキビキビと名前を呼び、隊員が返事をする光景を見た前盛家の嫁、敏子は規則を厳格に守る軍隊の様子に驚かされる。
「物腰の柔らかい方で、隊長は部下に対しても、温情みある態度で接し、叱り付けるようなことはありませんでした」
死にだけ向かっていく伊舎堂用久の心中を慮り、話しかけたこともあった。
「夜はきちんと熟睡できますか」
「出撃の日を待つのみですから、何も考えずに、その日を来るのを待っています。今はただ、明鏡止水の心境です」

比ぶなき幸い哉我選まれて今南海の雲と散り征く 石垣仁中尉
死生有命不足論 只祈必中撃沈 安原正文少尉
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき 伊舎堂用久大尉
人間到処在青山 芝崎茂少尉
きづなをば たちて飛びゆく 白雲の無心の境地 機にまかせて 大門修一少尉

残された寄せ書きが5名の遺書となった。
■「部下のことを・・・」家族との面会拒む
地元出身の有名人だったが前盛家の家族以外、他の島民たちと接触することはほとんどなかった。
伊舎堂用久の母ミツと姉の3女トヨ子、妹の4女節子が隊長宿舎を訪ねてきたことがある。
前盛家の長男、善助がそのことを伝えると、伊舎堂用久は毅然として面会を断った。
「部下は本土出身で、帰りたくても帰ることができない」
「部下の気持ちを思うと、自分だけ家族に会うことはできない」
陸軍士官学校入校以来、故郷に帰ることが叶わず、あれほど会いたかった母と姉妹たちだ。
しかし歓喜するどころか、すげなく追い返す。
「大尉殿は会うことはできないと言っている」
母たちに善助が申し訳なさそうに言った。
自宅のある登野城と白保は10km近くある。
子供の足では3時間近くかかるだろう。
会えないまま、落胆し帰って行った。
「公私の区別について、かなり厳格に考えていた」
「妹さんが手作りのご馳走を持参して面会に来ても会わなかったようだ」
「せっかく訪ねてきたのだから、堅苦しく考えずに会ってあげたらどうか、と勧めたことがある」
「しかし、部下は帰ろうと思っても帰る所もない」
「いくら肉親でも部下の手前、忍びないと拒み通したことは並みの人のできることではない」
「こういうことなどで部下たちは心服していた」
上司の第9飛行団長の柳本栄喜大佐は戦後、こう書き記す。
柳本栄喜大佐も面会を勧めるが、伊舎堂用久は頑なに拒んでいた。
「家に帰って1度、両親に顔を見せてはどうか」
石垣島に駐屯していた第69飛行場大隊長の浅沼紀平少佐は伊舎堂用久に顔を合わせる度に、帰宅を促していた。
しかし、伊舎堂用久の返事は変わらなかった。
「部下の事を考えれば、そういうわけにはいきません」
誠第17飛行隊の整備兵が戦後、こう語っている。
「伊舎堂隊長は石垣島に実家があり、お父さんも妹さんもいらっしゃる」
「それなのに隊長は家に帰らぬ」
「皆で是非、家に帰ったら如何ですかと言っても、
『戦争をしているんだ』
と言って、部下の訓練をしていた」
「あの隊長のためなら喜んで命を捨てることができる」
部下にとって、伊舎堂用久と行動を共にすることは当然の成り行きだった。
しかしながら、出撃が間近となった時、浅沼紀平少佐の再三再四の要請に根負けし、浅沼紀平少佐と共に車で登野城にある実家に向かった。
玄関で出迎えた父、伊舎堂用和は伊舎堂用久を上座に座らせた。
厳格な父は3男と根性の別れになることを悟っていた。
特攻隊長就任の経緯も、戦死後の処遇も、戦局の行方も語らず、2人は静かに杯を交わす。
帰りの車中で漏らした言葉が浅沼紀平少佐の脳裡で渦巻く。
「いずれ、敵が沖縄に上陸すれば、私は第1次特攻隊として特攻することになる」
「死ぬことは何とも思わないが、私たちが死んだ後、祖国日本はどうなるだろうか」
「それが心残りです」
如何に特攻機で戦艦を撃沈させようとも、挽回しようがないところまで追い込まれていた。
既に日本は敗戦すると腹を括っていた。
「我々が残っているから心配ない」
それしか浅沼紀平少佐には返す言葉がなかった。
昭和20(1945)年3月25日正午、台湾の第10戦隊が那覇西方海上で米空母2隻を含む大規模な艦隊を発見する。

第9飛行団長は明26日早朝、誠第17飛行隊を基幹とする特別攻撃隊をもって慶良間群島周辺の敵機動部隊に対し左のごとく攻撃すべし
攻撃時刻 0550 編成および攻撃方式 甲編成第1方式
直掩機の装備 爆装備

連絡を受け、隊員たちの賄いをしていた仲宗根千代も大急ぎで弁当を作り、持って行った。
飛行中、機上で食べることができるように、竹の皮に包んだ握り飯弁当だった。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、戦闘指揮所に隊員や関係者が集合する。
第9飛行団長の柳本栄喜大佐が最後の命令を下す。
「敵はいよいよ我が国土に侵寇しようとしている」
「諸君の成功を祈る」
別れの杯に酒を満たし、白鉢巻き姿の隊員が酌み交わす。
仲宗根千代が食事を作っていた隊員の鉢巻きには
「お母さんお先に」
と書かれていた。
「いずれ私たちも祖国のため殉死する運命を免れないと思っていたので、特別な感情は浮かばなかったけど、今でもあの時の姿が浮かんでくる」
■戦死知らずに面会
出撃時刻は翌昭和20(1945)年3月26日午前4時だった。
「伊舎堂隊長の出撃です。すぐ来てください」
姉・伊舎堂トヨ子の夫である石垣信純の兵舎に整備兵が飛び込んで来た。
石垣信純は現地招集の工兵隊中隊長だった。
兵舎から飛行場まで約1km。
自動車もなく、これが義弟との別れになる。
息を切らせ、走りに走った。
到着した時、伊舎堂用久機は既にエンジンを掛け、プロペラが回り始めている。
もう駄目だ、遅かったと呆然と立ち尽くす。
そこへ誰かが石垣信純の手を取り、急いで搭乗機の近くまで連れて行く。
既に特攻機を守る直掩機は離陸し、上空で待機している。
操縦席で眼前を伊舎堂用久はまさに飛び立とうとしていた。
思わず石垣信純は動こうとする搭乗機にしがみつく。
伊舎堂用久はようやく義兄の姿に気付く。
言葉は一言だけだった。
「姉さんによろしく」
石垣信純が何か言う間もなく、滑走路を駆け、伊舎堂用久機が空に舞い上がる。
言葉も声も無く、その場に崩れ落ちる。
慶良間諸島沖合に艦隊を発見、大型空母2隻、小型空母2隻を含む大艦隊だった。
一斉に駆逐艦の対空砲火が始まり、凄まじい米軍の火力を見せつける。

いまより我、突入す

予定時刻の昭和20(1945)年3月26日午前5時50分、芝崎茂少尉、川瀬嘉紀少尉、黒田釈伍長の順に打電が入る。
伊舎堂用久大尉も体当たり攻撃を敢行する。
昭和20(1945)年6月23日まで続く、沖縄戦の最初の戦いだった。
弁当を届けた仲宗根千代はそのまま司令部に残り、連絡を待っていた。
伊舎堂用久隊突入、成功の報が届く。
歓喜の声も、泣き叫ぶ声もなく、司令部全員が同時に合掌、隊員たちの冥福を祈った。
ただ一人、伊舎堂用久の当番下士官だけが泣き叫び、床に座り込んでいた。
仲宗根千代は忘れられない。
「往時に思いを致す時、あの若さで異性を知ることもなく、青春を楽しむこともなく、只々祖国の安泰と慈母の穏やかなることを念じ、黙々として死の首途に赴いた少年特攻兵の面影は今でも忘れることは出来ません」
「司令部のその時の一種悲壮、感動的な光景は今尚脳裡に浮かんできます」
第1団に引き続き、昭和20(1945)年3月29日に安原正文少尉、昭和20(1945)年4月2日に久保元治郎少尉と有馬達郎伍長、昭和20(1945)年4月8日に林至寛伍長が出撃、昭和20(1945)年5月14日に大門修一少尉、伊舎堂用久隊全員が散華した。
石垣仁中尉は昭和20(1945)年3月22日、台湾沖で戦死、小林茂兵長は台湾での訓練中に事故死していた。
伊舎堂用久が戦死した昭和20(1945)年3月26日、事情を知らない父と母、姉、妹が揃って白保飛行場を訪れる。
出撃が近付いていることを察知、最期になるかもしれないと心づくしのご馳走を携えていた。
いずれ、この日が来ることの心積もりはあったとはいえ、茫然自失となる4人。
周囲も憚らず、地面にうつ伏せて泣きじゃくる母。
姉と妹も母の背に追いすがり声を上げる。
子に先立たれる母ほど、哀切なものはない。
泣き崩れる親子の姿に周りの者も涙を流す。
「武人としての本望ではないか」
父・伊舎堂用和だけは気丈に振る舞うが、心中は慟哭していただろう。
■歌われなくなった唄
伊舎堂用久隊に感状が授与され、ラジオや新聞各紙が一斉に報道する。
石垣島出身の毎日新聞、宮良高夫記者が
「伊舎堂大尉よ。あなたの武勲はふるさとの海に咲く赤い花とともに永久に故郷を飾るのだ」
と記事に書いた。
武功を讃える
「伊舎堂隊の唄」
はかつて、沖縄に暮らす老若男女誰もが知らぬ者がいなかった。
伊舎堂用久の陸士同期、藤森正義の義弟が那覇航空測候所に勤務していた。
日本復帰間もない頃、義弟から那覇の街でよく歌われていると手紙で知らされ、
「沖縄県民の心の中に生き続けていることを嬉しく思う」
と藤森は書き残す。
だが、いつしか伊舎堂用久の武勲が故郷で語り継がれることも、歌が口ずさまれることもなくなった。
伊舎堂用久の長兄の伊舎堂用展、伊舎堂用展の妻・伊舎堂ハツは戦争で命を失った。
伊舎堂用久の父の伊舎堂用和も終戦翌日昭和20(1945)年8月16日に病死した。
八重山諸島では米軍上陸に備え、マラリア有病地域の山間部に疎開して罹患、約3000人が死亡。
「戦争マラリア」
と呼ばれている。
伊舎堂ハツもマラリアで死亡した。
伊舎堂用八7歳を残したままの38歳だった。
伊舎堂用展は米軍と交戦の末、戦死。
両親を失った伊舎堂用八は4女、伊舎堂節子の手で育てられる。
八重山高校教諭などを務め、家を継いだ伊舎堂用八が叔父、伊舎堂用久の志を語ることができる唯一の遺族となった。
「伊舎堂用久戦死の意義は沖縄人の誇りと、自分の故郷は自分で守る気概を持ってほしいというメッセージを後世の沖縄人に伝えようとしたこと」
沖縄県糸満市の平和祈念公園に
「空華(くげ)之塔」
が建立されている。
沖縄戦で戦死した陸海軍の航空将兵を祀っている。
昭和39(1964)年11月1日、遺族を代表して母・伊舎堂ミツが除幕を行った。
それほどに伊舎堂用久の名は重いものだった。
「昭和20年(1945)3月26日は沖縄戦が開始された日として地元紙は大きく報道されるが、沖縄戦第1号の特攻には何も触れられない」
「沖縄県民が特攻史を何も知らない」
意図的に忘却されている歴史の真実に伊舎堂用八は憤怒する。
伊舎堂用八も老齢となった。
伊舎堂用久の位牌や写真、手紙などの遺品は今後どうなるのか、処遇も不明である。
石垣市南ぬ浜町で、平成25(2013)年8月15日に
「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」
の除幕式が行われた。
戦死から68年後、ようやく建立にこぎつけた。
忘れ去られたまま、月日が経過していた。
顕彰碑建立期成会が発足後、寄付の申し出が殺到、2000人以上、700万円の寄付金が集まる。
寄付者の手紙にこう書かれていた。

顕彰碑が立派に建立され、尖閣を含む沖縄の地の守り神としての役割を果たさんことを祈念しています。
碑には
「郷土と国を愛し、悠久の大義に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐と隊員の遺功」
と記された。
伊舎堂用久の遺詠
「指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき」
とともに、石垣島から出撃した特攻隊31名全員の氏名、年齢、出身地が刻銘された。

蒼海を望む高台に碑はある。
北には尖閣諸島、西には八重山の島々、その先には台湾がある。
更に先には中国大陸がある。
「祖国日本はどうなるか、それだけが心残り」
出撃直前、魂の底から絞り出された言葉だった。
伊舎堂用久が我々に問いかけている。
国を守るということは何か。
国を守ることは故郷を守り、そこに暮らす父母や兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人を守ることだった。
今の祖国を見てどう感じるだろうか。
こんな日本になりましたと伊舎堂用久に見せることが出来るだろうか。
尖閣諸島を跋扈する中国船舶を見せることが出来るだろうか。
日本人として突き付けられている。
歴史の1ページとして郷土から出撃、戦死した伊舎堂用久の人柄、生き方。
現代に生きる我々が先人の犠牲の上にあることを忘れないと共に、もう起きてはならない戦争の凄惨な真実を残すためにも語り継がなければならない。
伊舎堂用久隊出撃から今年2025年でちょうど80年を迎える。
沖縄戦が始まった昭和20年(1945)3月26日。
これからも忘れてはならない日。
石垣島から出撃した誠第17飛行隊。
沖縄戦最初の戦死。
郷土を守ろうとした伊舎堂用久。
日本人が決して忘れてはならない名である。
■地元紙連載が単行本に
当時は軍神とまで崇められながら、戦後は歴史から消されてしまった伊舎堂用久中佐。
せめて地元の人たちには沖縄戦の最初の戦死者について知ってほしいと、筆者は昨年2024年3月から8月に渡り石垣市を拠点とする地元紙・八重山日報で伊舎堂用久中佐について連載した。
その連載が
『歴史に葬られた特攻隊長 〜故郷・石垣島から出撃した伊舎堂用久中佐』
として2025年3月20日、徳間書店から刊行される。
ぜひ一読を乞いたい。

<産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと
2025/3/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170
日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。
戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。
高校教科書の検定を見て改めて思う。
▼だからこそ知ってほしい。
「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。
こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。
80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
伊舎堂はそのとき24歳。
▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。
八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された
『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店)
に詳しい。
沖縄では
「軍人を美化するな」
とされ、特攻を知らない人が多い。
顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。
▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。
旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。
陸軍では作文教育を重視した。
刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。
毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。
▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。
戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は
「本望ではないか」
と気丈に語ったという。
婚約者との再会は、叶わなかった。
▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。
碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。
忘れてはならない歴史である。

「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会
2025/1/17 17:40
https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/
沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が
「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」
と題して講演した。
宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。
「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」
と指摘した。
沖縄戦を巡り、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたという非難があることに触れ、
「『捨て石』のために死んだというのか」
「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」
と強調。
「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」
と述べた。
また、戦後80年を振り返り、
「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」
と憂慮した。

すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」
2024/10/19 19:18
https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」
「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」
との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。
公演は2024年10月20日まで。
いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。
女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。
知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
■ようやく実現した沖縄公演
主催者によると、
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。
特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。
ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。
好評を博し、今年2024年も開催することになったという。
沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。
劇中でも、特攻隊員たちが
「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」
と決意し、上官も
「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」
と語る場面があった。
■先陣切った伊舎堂中佐
今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。
米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。
伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。
中山市長は
「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」
「平和の有難味を改めて感じた」
と公演を振り返り、
「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」
「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」
と強調した。
2024年10月20日の公演は2回。
午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。
まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、
「なでしこ隊」
率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は
「お待ちしています」
と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。

先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演
沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹
2024/10/9 9:00
https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/
■沖縄県民の拒絶反応
「こら、いらないわ」
受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。
特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。
プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は
「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」
と述懐する。
資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。
演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。
板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。
出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。
今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。
誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。
慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
24歳であった。
■「避けてきた」沖縄公演
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年。
以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は
「ずっと避けてきた」(石神さん)
という。
そこに、転機が訪れる。
那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。
今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは
「未来へつむぐ」
の東京公演をたまたま観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
と衝撃を受け、
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と痛感したという。
教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、
「未来へつむぐ」
の東京公演を見て、赤嶺さんは
「沖縄で伝えられていない歴史」
に気付いたのだ。
初の沖縄公演に向けて奔走。
残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。
観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから
「真実を教えてくれてありがとう」
といった反応も寄せられた。
同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。
同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」
と語っていた。
この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。
戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。
理解に苦しむ。
■タブー視された特攻隊と日の丸
沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
軍は
「悪」
と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。
こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。
大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた
「鉄の暴風」
が吹き荒れた。
当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。
県民は心から早期の本土復帰を願った。
願いを込めて旧国鉄の特急列車に
「なは」
と命名したほどである。
だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。
革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。
復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。
いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。
伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。
「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」
と語っていた。
沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。
旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。
陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。

早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち
正論モーニング
2024/10/30 7:00
https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/
先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした
「特別攻撃(特攻)」
を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。
この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言が反響を呼んだ。
スポーツ選手と
「戦争」
の組み合わせには意外性も感じるが、実は
「鹿児島の特攻資料館」
には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。
■映画・小説に感銘受ける?
早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、
「今やりたいこと」
を問われ、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」
と発言した。
散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは
「軍国主義を賛美している」
などの批判が起きた。
国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。
週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。
昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』)
の影響を指摘する声も多かった。
現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。
筆者も
『あの花』
説に賛成だ。
ヒントは、
「鹿児島の特攻資料館」
という早田さんの発言自体にある。
鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、
「知覧特攻平和会館」(南九州市)

「万世特攻平和祈念館」(南さつま市)
が知られている。
海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。
だが、
「特攻資料館」
という名称の施設はない。
一方、
『あの花』
の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が
「特攻資料館」
と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。
早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で
「特攻資料館」
という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。
『あの花』
には、こんな一節がある。
主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。
≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫
生きていることや卓球をできることが
「当たり前ではない」
という早田さんの発言に通じるものがある。
■アスリートの研修に
その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。
大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。
井上教授は、同会館が2000年以降、そんな
「自己啓発の聖地」
となっていることを、
『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年)
で紹介した。
ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。
今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。
ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。
彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。
「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」
「競技に打ち込める平和な時代に感謝」
「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」
「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」
「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」
「私たちが今あるのも彼らのおかげ」
「彼らに恥じない生き方をする」
先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。
逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。
「平和」
を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。
■「世界の記憶」登録を
同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。
かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
「世界の記憶」(世界記憶遺産)
への登録を再び目指すことだ。
同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。
だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。
以降は申請を見送っている。
当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。
「軍国主義だ」
との批判が説得力をもってしまったのだ。
知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は
「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」
「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」
と話す。
ぜひ登録を目指してほしい。
実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。
(大阪正論室参与)

「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い
2024.8/15 11:38
https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/
パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言への称賛が止まらない。
SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。
特攻隊員の遺品や関係資料を展示する
「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)
が改めて、大きな注目を浴びている。
早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について
「アンパンマンミュージアム」
と共に、知覧特攻平和会館を挙げて
「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」
と述べた。
この発言に対し、SNSでは
「早田選手ありがとう」
「この人は偉いよ」
「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」
「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」
などの声が続々と投稿された。
終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。
著名人も反応した。
作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、
「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」
「有難う、早田さん」
と感謝の思いを綴った。
知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。
今年2024年2月に訪問した鈴木はXに
「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」
と投稿していた。

<主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を
社説
2024/10/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/
亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。
先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。
第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。
特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。
先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。
太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。
その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。
昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。
昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。
人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。
生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が
「統率の外道」
と認めていたように戦術として正常ではない。
大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。
特攻は戦後、
「軍国主義の象徴」
などと批判された。
選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。
現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。
特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。
特攻を
「カミカゼ」
と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。
特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。
日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

<産経抄>特攻隊のこともっと知ろう   
2024/5/6 5:00
https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/
学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。
先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。
今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。
翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。
中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。
中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している
「歴史に葬られた特攻隊長」
で名を知った。
沖縄では戦後、軍人は
「悪」
などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。
産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。
そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。
中佐を知る人の
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。
来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で
「特攻隊員が散華しました」
といった記述にも批判があるようだ。
「国のために命を捨てることが美化され、怖い」
などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。

直球&曲球
葛城奈海 桃李ものいわざれども
2023/11/2 10:00
https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/
今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。
2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、
「防人と歩む会」
の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。
湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。
1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。
昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。
以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき

何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。
悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。
伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。
存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。
しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。
そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、
「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」
という古文を引用。
桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。
そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。
伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。
24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。
私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに
「ものいわぬ桃李」
であろう。(英霊たちに思いを寄せて)

錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ


【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧
2022/5/3 19:37
https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/
第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。
3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。
慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。
19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し
「命の尊さを語り継ぐことを誓う」
と話した。
遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。
最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。
伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は
「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」
と話した。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/506.html#c13

[政治・選挙・NHK297] 立民の小沢氏、不信任提出を要求 賛同30人が会合 舞岡関谷
17. 秘密のアッコちゃん[1645] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月21日 07:50:39 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1083]
<▽36行くらい>
<主張>通常国会 「中東」を論ぜずに閉幕か
社説
2025/6/21 5:00
https://www.sankei.com/article/20250621-MXKOBYHST5M3LPFTM3M3RPINQE/
与野党は、日本にも深く影響する中東危機を通常国会で論じることなく、2025年7月参院選の選挙運動を優先して閉じてしまうのか。
国会は2025年6月22日に会期末を迎える。
立憲民主党の野田佳彦代表は2025年6月19日、内閣不信任決議案の提出見送りを表明した。
与野党の関心は参院選に向かっている。
だが、それでいいのか。
イスラエルとイランの交戦に関し、国会は予算委員会や外交防衛関係の委員会で集中的に審議していない。
国会会期を小幅延長してでも、日本と国民に必要な議論をすべきではないのか。
日本は原油の9割を中東に依存している。
安全保障やエネルギー安保、経済への影響は甚だ大きい。
中東方面に米軍が出動しているが、その間隙を突いて北東アジアで中国が軍事的圧迫を強める恐れもある。
野田氏は不信任案見送りについて、日米関税交渉や中東情勢のため
「政治空白を作るべきではない」
と語った。
重要な問題と言うなら、なぜ会期延長と国会審議を求めなかったのか。
石破茂首相もそうである。
中東情勢に関し国民の代表と質疑を交わすつもりはないのか。
国会は先進7カ国首脳会議(G7サミット)の首相報告とそれへの代表質問も行っていない。
政府も与野党も何を考えているのか。
極めて残念だ。
今国会は他にも多くの課題が残った。
安定的な皇位継承に向けた皇族数確保を巡っては、衆参正副議長の取りまとめが見送られた。
男系継承という最重要原則を踏まえた立法府の総意形成が急がれる。
憲法改正では、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党などの5党派が、緊急時の国会議員任期延長を可能にする憲法改正骨子案を衆院憲法審査会の幹事会に示したのはよかった。
だが、自民が改憲原案を作成する条文起草委員会の設置を提案したことに対し、立民が拒否したのは問題だ。
物価高対策の議論は活発だったが、各党が給付金や消費税減税など参院選を睨み人気取りに走ったのは頂けない。
一方で中国軍機が海上自衛隊の哨戒機に異常接近する事態が起きても、対中認識や抑止力向上の議論は十分ではなかった。
年金制度改革法は成立したが基礎年金底上げの議論が深まらなかったのも残念だった。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/513.html#c17
[政治・選挙・NHK297] 進次郎農相いきなり「作況指数」廃止のお粗末…“統計のブレ”は父・純一郎元首相の農水省リストラのツケが原因(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1646] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月21日 08:22:08 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1084]
<■2071行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<産経抄>石破首相はトランプ米大統領と靖国参拝するといい
2025/6/21 5:00
https://www.sankei.com/article/20250621-JOBYJ4WTDJODHFK6J5PBOAA5XA/
「日米首脳による靖国参拝は今こそ実現させるべきです」。
山上信吾前駐オーストラリア大使が月刊誌『WiLL(ウイル)』7月号で訴えている。
日本の首相と米大統領が揃って靖国神社に参拝すれば、日米同盟の強固さと、台湾海峡でともに血を流す覚悟を内外に示すことができ、何よりの抑止力となると。
▼それだけではない。
日米は既に安倍晋三内閣時代に当時のオバマ米大統領が被爆地である広島を、安倍氏が日米開戦の端緒となったハワイ・真珠湾を訪れ和解の力を世界に発信している。
その上で靖国も一緒に参拝すれば、中国や韓国もそうそう文句は言えまい。
▼首相がごく当たり前に靖国に参拝できるようになれば、昭和50年を最後に途絶えている天皇陛下のご親拝にも道は開ける。
上皇陛下は天皇在位中、宮内庁職員に、そろそろ靖国に行けないかとご下問になったと別の元宮内庁職員から聞いた。
陛下のご親拝がかなえば、祀られた246万柱の英霊もさぞ喜ぶことだろう。
▼日米両首脳による靖国参拝については、抄子も首相時代の安倍氏に2度提案したが、ハードルは高そうだった。
安倍氏は言った。
「そうなれば一番いい。だけどスタッフがいるからなかなか難しい」
(平成29年2月)
「これは至難の業なんだよ、みんなが思っている以上にね」
(令和元年5月)
▼石破茂首相は言えば、元々靖国参拝に否定的な立場である。
平成29年5月には韓国紙のインタビューに対し、
「若い頃は何も知らずに参拝した」
と述べた上で
「靖国神社の本当の意味を知っているので、今は行けない」
と答えている。
▼ただ、首相が仮にトランプ米大統領を靖国に連れていければ、安倍氏もできなかったことを実現したと誇れよう。

<主張>首相と戦後80年 靖国神社参拝を最優先に
社説
2025/4/14 5:00
https://www.sankei.com/article/20250414-XNG5AIBCWNILJKPBOMIVB2JYWA/
戦後80年の今年2025年、石破茂首相は先の大戦(大東亜戦争)を検証したい考えだ。
近く有識者会議を設置し、その報告を踏まえて、歴史観や戦争への見解を首相自身が会見で表明したいのだという。
一方で、自民党内の懸念の声を受け、戦後80年の首相談話を終戦の日に出すことは見送る。
石破首相に強く求めたい行動がある。
それは、春秋の例大祭や終戦の日などの機会に、靖国神社を参拝することだ。
談話よりも、有識者会議よりも、記者会見で私見を披露するよりも、礼を尽くして戦没者(英霊)を追悼、慰霊する方が、遥かに大切である。
日本は大東亜戦争で、陸海軍人、民間人など合わせて310万人の同胞を喪(うしな)った。
日本史上最大の悲劇といってよい。
戦争に思いを致すなら、靖国神社参拝こそが最もふさわしい振る舞いである。
靖国神社は近現代日本における戦没者追悼の中心施設だ。
戊辰戦争や日清・日露の戦役なども含め、日本を守るため斃(たお)れた246万余柱の英霊をお祀(まつ)りしている。
境内の鎮霊社では、空襲などで亡くなった一般国民を祀っている。
どの国も、伝統的様式に沿って戦没者を追悼している。
それが、国に殉じた人々への礼節ある態度である。
国を守るため尊い命を捧げた日本の英霊にとって、靖国神社に祀られることは自明だった。
政治リーダーの参拝は日本国と英霊の約束に含まれる。
もちろん最も大切なのは天皇陛下の御親拝である。
ところが、昭和後期以降、中韓両国の内政干渉などで首相の参拝が政治問題化し、多くの首相が参拝しなくなった。
勅使の参向はあるものの御親拝は途絶えた。
首相就任前の昨年2024年9月、石破首相は、天皇陛下の御親拝の環境が整わなければ自身は参拝しない考えを示した。
倒錯した発想で理解し難い。
首相が参拝を重ね、御親拝の環境を整えていくのが務めではないか。
自民党(石破総裁)の今年2025年の運動方針には
「靖国神社参拝を受け継ぎ」
とある。
首相は昨年2024年、靖国神社秋季例大祭に合わせ真榊(まさかき)を奉納した。
尊崇の姿勢が真実であるのなら、戦後80年の今、中韓両国や心ない左派勢力に阿(おもね)ることはない。
参拝して英霊に頭(こうべ)を垂れてほしい。

<正論>年頭にあたり 日本国復活再生の標識は何か 
東京大学名誉教授・小堀桂一郎
2025/1/7 8:00
https://www.sankei.com/article/20250107-P6Q54ZGVRZLRXBLQD75W6ULRIU/
■萎縮からの脱却できたか
本年2025年は昭和100年にして且つ戦後80年なる節目の年だとの認識が昨年から広く人々の口の端に上つてゐた。
前者については歳月の歩みの迅速に対する感慨を又新たにするといふだけの事であるが、後者は国民に向けての或る重大な問ひかけを含んだ数字である。
それは改めて言ふ迄もなく、敗戦とそれに続く6年8箇月の米軍占領下に受けた屈辱と萎縮からの脱却といふ国民的目標は達成できたのか、との厳しい設問である。
この問ひに対し、文明の繁栄の眼に見える現象のみに着目する人々は昂然(こうぜん)と答へるであらう。
東京オリンピック開催と新幹線の営業開始を一の劃期(かっき)として、経済大国への成長が開始された。
やがて自然科学分野でのノーベル賞受賞者の続出、藝術の世界では国際コンクールでの優勝といふ形で世界的成功を収める若い才能の輩出、是亦(これまた)国際映画祭での大賞を以て日本映画の水準の高さも定評となる。
スポーツの世界に於いても戦後早い時期に水泳での世界新記録更新、山岳界での世界の諸高峰への登頂成功、探検家達の孤独な実績の幾つか、そしてつい最近では米国の野球界を制覇した若い日本人選手の活躍と人気は正しく世界的な話題であり、国民の自慢の種でもある。
米軍の国土占領に伴ふ旧皇軍の完全な武装解除の結果、軍備も兵員も零(ゼロ)の状態に迄武力を毟(むし)り取られてゐた我が国は、現在は通常兵器の性能とその運営能力の熟達が恐らく世界最高水準に達してゐると見られ、日本の科学技術の最先端部からの寄与により、自衛隊は戦前の陸海軍に比べて遙かに精強な武備である事は確かである。
この様に見てくると、日本国民の才能と精力は今や国際社会の頂点に立つてゐる。
産業経済界の繁栄も端的に国民の能力と士気の反映であり、80年前の頽落(たいらく)は全く面目を一新し、日本は戦前の姿を取り戻した形で蘇生したのだ、との満足を秘かに覚え、それを口にしたい人も少なくないと思はれる。
■靖国神社への冷淡な視線
ここでその自己満足に対する疑問提出の順序がめぐつて来る。
分かり易い例を挙げる。
日本の国政に携はる人が諸外国を訪問すれば、その人には慣例として軍人墓地乃至(ないし)その象徴としての無名戦士の墓碑への表敬訪問が日程に組み込まれ、彼は慣例に従つて素直にその墓碑等への儀礼的参拝を果す事になるであらう。
我が国での護国の戦士達の霊廟(れいびょう)に相当する宗教的施設は靖国神社である。
何らかの公的使命を帯びて日本を訪問する賓客は、国際的相互儀礼の型に基いて靖国神社を表敬訪問し参拝する義理を有する。
訪問を受け入れる日本側にも賓客を靖国神社に案内し、参拝してもらふ状況を作るのが礼儀といふものである。
従来諸外国の海軍艦艇が日本に寄港する度に乗組の兵員達が公的に参拝団を組んで靖国神社に表敬訪問し参拝を果す例は多かつた。
在日米空軍の一部隊が礼儀正しく参拝に来た具体例も一つ筆者の記憶の中にある。
近年靖国神社を見る
「公」
の視線が内外ともに冷淡になつた1つの契機は、平成25年12月26日の故安倍晋三首相の神社公式参拝ではなかつたかと思ふ。
あの時、中韓両国は予想通り不快感を表明するの挙に出た。
日本と唯一軍事同盟を結んでゐた米国政府までが<失望>を表明した。
この表明は日本と中韓両国の間には不穏な波風が立つて欲しくない、と見る米国政府の士気の低下、外交姿勢懦弱(だじゃく)の反映に過ぎないと見る我が国の方こそ失望したものである。
曽(かつ)ては世界の警察官を自負してゐた米国が三流国並みの弱音を吐いたのは甚だ気色の悪い事だつた。
■不思議な国から普通の国へ
ところがかう考へた時にふと我が国の政府自身の靖国神社に対する不敬不遜の姿勢に気がついて我々は愕然とする。
靖国神社の春秋の例大祭当日に首相の参拝はない。
天皇の御親拝も昭和50年11月21日の行幸を最後として50年間途絶えたままになつてゐる。
上皇上皇后両陛下は平成の御代30年間に1度も御親拝の機会を持たれなかつた。
首相の参拝が定例普通の行事として扱はれて定着すれば、それが畏(かしこ)き辺(あた)りの御親拝に径(みち)を開く確かな機縁となる、との我々の何十年反復しての立論も顧みられる事なく終つた。
斯(か)くして我が日本は、欧米の文明国では当然自明の行事である、国家元首による護国の英霊への鎮魂の参拝が行はれない不思議な国となつてしまつてゐる。
戦後80年を期して、日本が現世界の自由主義諸国と同様の普通の国に立ち戻る事業を成し遂げるか否か。
その成否を判定する標識は幾つかあるが、自主憲法の制定、交戦権を有する国軍の保持といふ緊急の要請と並んで重要な標識が1つある。
即ち靖国神社への天皇及び首相をはじめとする国政の担当者達の折にふれての参拝と、報道機関がそれを当然の事として肯定する事態の実現である。

室谷克実「深層韓国」
「靖国参拝してどこが悪い」林官房長官は言えないのか 生稲晃子氏めぐる共同通信の大誤報 韓国の「靖国神社=悪」に嵌った日本政府
2024.11/29 06:30
https://www.zakzak.co.jp/article/20241129-AG6AJXYGIFPPVMDUW5EMNARTWQ/
どれほど話し合ったところで徒労でしかない。
基礎認識と目的が違う2者の論争とは、そういうものだ。
新潟県佐渡市で開かれた世界文化遺産
「佐渡島(さど)の金山」
の追悼式を巡る、日韓の(外交チャンネルに限らない総体的)論争。
ようやく、日韓双方が別個に執り行った追悼式が終わったが、残ったのは
「靖国神社参拝は悪いこと」
とするような印象操作ではないのか。
■佐渡島金山・追悼式が残す「印象操作」
佐渡島金山で働いていた朝鮮人労働者は、半島から妻を呼び寄せ、佐渡で2人の子供を儲けた。
日本企業で働いていた朝鮮人労働者は日本人労働者と同等の給与を貰い、国民年金にも加入していた。
日本本土にいた朝鮮人慰安婦は、陸軍大将を上回る収入があり、それをせっせと郵便貯金していた…。
「強制連行された朝鮮人労働者が、まさか」
「強制連行された性奴隷が、あり得ないことだ」
と日教組教育の優等生≠ヘ叫ぶだろう。
だが、これらは日本側に物証が残っている。
韓国紙がお涙頂だい£イの記事の中で、自己矛盾とも気が付かずに報じた事例もある。
それなのに、韓国の一般世論は
「強制連行された労働者」
という虚論で凝り固まっている(慰安婦は『性奴隷』との見方がかなり揺らいできた)。
佐渡の追悼式について、韓国側は
「凝り固まった虚論」
に基づき、日本側に対応を求めた。
日本側が読み上げる
「追悼の辞」
の内容にまで介入するのが国際常識なのか。
基礎認識が違うから、決して一致することはないのだ。
更に、追悼式に政府代表として参列した生稲晃子外務政務官が
「靖国神社に参拝していた」
とする共同通信社の大誤報があった。
韓国マスコミは、それに飛び付いた。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は
「金建希(キム・ゴンヒ=夫人)大事」
が祟って保守系紙にも見放され、支持率20%のレームダックだ。
「ハイ、そんな政務官が出る追悼式には参加しません」
と決断する他なかった。
韓国が自ら開催を求めた追悼式に出ようが出まいが、どちらでもいい。
問題は、林芳正官房長官が
「生稲氏は靖国に参拝していない」
とばかり強調したことだ。
これは、韓国の
「靖国神社=悪」
の決め付けに嵌った釈明でしかない。
「日本の政治家が靖国神社に参拝して、どこが悪い!」
と、何故言えないのか。
追悼式騒動は、
「靖国参拝は悪いこと」
という日韓政府共同の
「印象操作」
を残したのだ。 (ジャーナリスト 室谷克実)

靖国神社に落書きの実行役か、中国で男を拘束と現地報道 別の恐喝事件関与で
2024/8/28 1:07
https://www.sankei.com/article/20240828-YIQVLUZXEBMHHIQL4WREPCCQYA/
東京都千代田区の靖国神社の石柱に落書きが見つかった事件を巡って、中国メディアは27日、中国当局が実行役とみられる男を別の恐喝事件に関わった疑いで拘束したと報じた。
男は董光明容疑者で、警視庁公安部が逮捕状を取り、指名手配している。
5月31日夜、別の中国籍の男2人と共謀し、靖国神社の入り口近くの石柱に赤いスプレーを使って「Toilet」と書き、不敬な行為をした疑いが持たれている。董容疑者は6月1日未明、中国に向け出国していた。
中国メディアによると、浙江省杭州市の警察当局が拘束した。
「鉄頭」という名のインフルエンサーで、落書き事件の直後、インターネット上に「鉄頭」名の動画が出回り、落書きする様子が映っていた。(共同)

靖国神社落書きは中国籍の10代男性か 単独で実行、発覚日にホテルに戻り出国
2024/8/23 13:15
https://www.sankei.com/article/20240823-ZAENFCMM7VKK7B2A3KZGGMBU2Y/
靖国神社(東京都千代田区)の神社名が刻まれた
「社号標」
と呼ばれる石柱への落書きが見つかった事件で、関与した人物は中国籍の10代男性とみられることが23日、捜査関係者への取材で分かった。
警視庁が器物損壊容疑で捜査を続けている。
捜査関係者によると、男性は事件の数日前に複数人で日本に入国。
18日夜に一人でホテルを出て、靖国神社に向かった。
現場の防犯カメラからは同日夜、社号標に上がっているこの男性とみられる人物の姿が映っていた。
男性は一度ホテルに戻った後、19日に出国したという。
落書きは19日未明、神社関係に発見された。
社号標には
「厠所(トイレ)」

「軍国主義」
「狗(犬)」
などと、中国で使われている簡体字を用いて書かれていた。

靖国神社落書き、関与の人物が中国へ出国か 警視庁
2024/8/22 21:52
https://www.sankei.com/article/20240822-JKEW3EKKUFIETNHWPN6O6M6JGA/
東京都千代田区の靖国神社で19日に石柱への落書きが見つかった事件で、関与したとみられる人物が同日に中国へ出国していたことが22日、捜査関係者への取材で分かった。
数日前から日本に滞在していたといい、警視庁が器物損壊の疑いで詳しい経緯を調べる。
捜査関係者によると、18日夜に不審な人物が石柱の台座に上がる様子が防犯カメラに残っており、同一とみられる人物が19日に中国へ出国したことが確認された。
この人物は、落書きの画像を中国の交流サイト(SNS)に投稿したとみられる。
落書きは19日午前3時50分ごろに神社職員が見つけ、石柱に中国語で
「トイレ」
などを意味する文字が書かれていた。

<主張>また卑劣な落書き 靖国神社の静謐守り抜け
社説
2024/8/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20240822-PQDXXX7SJBMJTO455UEHCIGINQ/
東京・九段の靖国神社への卑劣な犯罪が再び起きた。
神社名を記す社号標という大きな石柱への落書きが19日未明に見つかった。
中国語でトイレを指す「厠所」や簡体字で「狗(いぬ)」「軍国主義」と読める落書きだ。
中国のSNSに中国人とみられる男が落書きの画像をアップし関与をほのめかす投稿があった。
今年5月にも中国人3人組が社号標に落書きする犯罪があったばかりだ。
靖国神社に祀(まつ)られている戦没者(英霊)を侮辱し、平安な眠りを妨げようというのか。
極めて下品な犯行が再び起きたことに強い憤りを覚える。
許される話ではない。
警視庁は全力で捜査を進めてもらいたい。
靖国神社にどのような見方を持つとしても、神聖さを冒瀆(ぼうとく)し、ほくそ笑むような犯罪をしていいわけがない。
自らの品性を貶(おとし)め、自国のイメージを損なうことさえわからないのか。
5月の事件は犯行の様子が中国のSNSに投稿された。中国人容疑者のうち2人は中国へ逃亡し、日本に残っていた1人が礼拝所不敬などの容疑で警視庁公安部に逮捕された。
今回の事件も中国人の関与が疑われている。
岸田文雄首相や上川陽子外相、警察当局は中国政府に捜査への協力を求め、容疑が固まれば5月の事件と合わせ引き渡しを求めるべきだ。
今回の事件が中国人によるものなら、5月の事件の容疑者を中国国内で野放しにしている中国政府の対応が影響したと言わざるを得ない。
中国外務省報道官は
「外国にいる中国公民は現地の法律を順守」
するよう促していた。
ならば一罰百戒で臨み犯行を抑止すべきだった。
長年の中国政府による反日教育が日本や靖国神社への憎悪を社会に広げ、没義道(もぎどう)な犯行を厭(いと)わない恥知らずの容疑者を生んだ可能性もある。
5月の事件後の警備体制が十分でなく、落書きを許してしまったことを全ての関係者は反省すべきだ。
靖国神社では過去にも中国人、韓国人らによる放火や落書きなどの事件があった。
摘発と警戒を怠れば犯行がエスカレートする恐れがある。
英霊の静かな眠りを守るのは日本の国の義務である。
政府与党や警察当局は、日本の心を守る国家的問題ととらえ、警備を急ぎ厳重にしてもらいたい。

靖国神社、落書きは18日夕方以降か 警視庁 防犯カメラに不審な人物
2024/8/20 14:09
https://www.sankei.com/article/20240820-ZMNMNYLOTNLKTIUC4PH3DHGSLQ/
東京都千代田区の靖国神社の石柱に19日に落書きが見つかった事件で、防犯カメラの映像などから18日夕方以降に書かれた疑いがあることが20日、捜査関係者への取材で分かった。
神社職員が見つけ110番通報した時間よりも前に撮影されたとみられる画像が中国の交流サイト(SNS)に投稿されているといい、警視庁が関連を調べる。
捜査関係者によると、18日夕方以降に不審な人物が石柱の台座に上がる様子が防犯カメラに残っていた。
110番通報は19日午前3時50分ごろ。
石柱に中国語で「トイレ」などを意味する文字が書かれていた。
麴町署が器物損壊などの疑いで調べている。

靖国神社の落書き、中国人が関与か 警視庁が捜査 「厠所」「軍国主義」など
2024/8/20 12:01
https://www.sankei.com/article/20240820-EC45W7RXJ5INRIBOC4LYUZYSNU/
東京都千代田区の靖国神社で19日、入口の石柱に中国語とみられる落書きがされているのが見つかった事件で、落書きは18日の夕刻以降にされた疑いがあることが20日、捜査関係者への取材で分かった。
中国のSNS上には犯行をほのめかす投稿もあり、関連を調べる。
捜査関係者によると、事件後に中国国内のSNSに中国籍とみられる男が落書きの画像を挙げて関与をほのめかす投稿をしていたことが判明。
現場周辺の防犯カメラ画像でも、18日夕以降に投稿者と同一人物の疑いがある男性の姿が確認されたという。
落書きには黒いマジックペンが使われたとみられる。
事件は19日未明に発覚。
神社の職員が神社名を示す「社号標」に中国語でトイレを意味する「厠所」や簡体字で「軍国主義」などと読み取れる落書きがあるのを発見。
警視庁は器物損壊容疑で捜査を進めている。
現場では5月にも中国籍の男3人による落書きの被害があった。

靖国神社にまた落書き 5月と同じ場所「厠所」や「屎」 警視庁が器物損壊容疑で捜査
2024/8/19 9:25
https://www.sankei.com/article/20240819-5ONTTKHVIVIWHB4OHXR4KPRCNU/
19日午前3時50分ごろ、東京都千代田区九段北の靖国神社で
「石柱に落書きされた」
と男性職員から110番通報があった。
警視庁麴町署員が駆けつけたところ、神社入り口の神社名を示す「社号標」に中国語とみられる落書きが6個あった。
警視庁は器物損壊容疑で落書きした者の行方を追っている。
麴町署によると落書きは社号標とその台座に各3個ずつあった。
中国語でトイレの意味の「厠所」や、「屎」「狗」「軍国主義」とも読み取れる簡体字とみられる落書きもあった。
現場の社号標では5月にも中国人の男3人が落書きし、うち1人が器物損壊容疑などで逮捕。
もう2人についても警視庁が逮捕状を取っている。

<産経抄>靖国参拝 ご注進報道はここらで終わりにしよう 
2024/8/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20240824-OCATCWVOYBKEHKBMD6UU2HRENI/
17日の小欄は、木原稔防衛相の靖国神社参拝に関する朝日新聞の
「日韓関係に冷や水も」
との記事に疑問を示し、
「(参拝に)何の問題があろうか」
と書いた。
すると朝日はさらに、米国務省報道担当者のコメントを取り
「防衛相の靖国参拝『後ろ向き』」
との記事を掲載していた。
よほど日韓関係に影響を及ぼしたいらしい。
▼記事は当局者が
「参拝は後ろ向きに見える」
と指摘したと記すが、その認識は正しいのか。
米国人は国務省高官といえども
「日本と韓国が、戦争をしていないことを知らない」(外務省事務次官経験者)
者が多い。
日韓併合は戦争の結果ではなく本来、参拝は韓国とかかわりはない。
▼安倍晋三元首相もオバマ米大統領当時、バイデン副大統領は、韓国にとり慰安婦問題よりも靖国参拝問題が重要だと勘違いしていると指摘していた。
そんな米側の誤解を正すのではなく、そそのかしてどうするのか。
日米韓のどの国の利益にもならない。
▼朝日もずっと靖国神社に否定的だったわけではない。
例えば昭和26年10月7日の朝刊紙面では、東京裁判の国際検事団付として来日した米青年、リード氏が帰国後も絶えず日本の友人に身代わりで靖国参拝をしてもらい、奉納金も送っていることを大きく取り上げている。
▼「靖国神社にねむるみたま≠スちの大きな犠牲が忘れられるなら、それは日本の悲劇だ」
「日本の皆さん、どうかみたま≠ヨ祈りを」。
朝日が紹介したリード氏の言葉である。
匿名の国務省報道担当者の曖昧なセリフより、よほど真情が伝わる。
▼靖国参拝問題も慰安婦問題も、日本側が批判してくれとばかりに外国に
「ご注進」
したことで騒動となった。
このパターンはここらで終わりにしたい。

全ての御霊安らかなれ 靖国神社参拝は戦没者との約束だ 論説委員長 榊原智 
終戦の日に
2024/8/15 5:00
https://www.sankei.com/article/20240815-VSTWEVBTLBPBJEK457UC4LR4W4/
79回目の終戦の日を迎えた。
日本は、大東亜戦争と呼称した先の大戦で、陸海軍人、民間人合わせて310万人の同胞を喪った。
全ての御霊安らかなれと心からの祈りを捧げたい。
昭和天皇の玉音放送を拝聴し終戦を知った国民は齢を重ね、ごく少数になっている。
そうであっても、日本史上、最大の悲劇だ。
あの戦争を語り継ぎ、鎮魂と平和の祈りを重ねたい。
戦没者(英霊)は日本や故郷、愛する人たちを守ろうと出征した。
子を儲けずに逝った若者も多かった。
■頭を垂れた安倍元首相
尊い命を捧げた英霊にとって靖国神社に永く祀られることは自明で、いわば日本の国との約束だった。
これは極めて大切な話だ。
だからこそ靖国神社が戦没者追悼の中心であり続けるべきなのである。
後世の人間が賢(さか)しらぶって
「新しい国立追悼施設」
など造っていいはずもない。
日本の独立を守った120年前の日露戦争など幾多の戦いの戦没者も靖国神社に祀られている。
今から11年ほど前の話になる。
平成25年4月、安倍晋三首相(当時)が硫黄島を視察した。
昭和20年3月に2万余の日本軍守備隊が玉砕した激戦地だ。
自衛隊の航空基地などの視察を終え父島へ向かう飛行機に搭乗する際、安倍氏は予想外の行動をとった。
滑走路にひざまずき、手を合わせ頭を垂れた。
そして滑走路を撫でたのである。
その下にも英霊の遺骨が眠っていると知っていたのだろう。
滑走路地区を含め遺骨収集は今も続いている。
記者団は父島へ先乗りしており、報道を意識したパフォーマンスではなかった。
当時、海上幕僚長として案内役を務めていた河野克俊元統合幕僚長は
「心底、戦没者に対する哀悼の意が深い方だった」
と振り返っている。
政治のリーダーが英霊への感謝の念を持つことは大切だ。
ただ、安倍氏でさえ、首相在任中に靖国神社を参拝したのは平成25年12月の1度きりだった。
以来、首相の靖国神社参拝は途絶えている。
勅使参向はあるが、天皇陛下ご親拝の環境はいつまでたっても整わない。
政治家が、中韓両国の干渉、メディアを含む左派勢力の反発を懸念しているからだろう。
英霊との約束を守らない日本であっていいわけがない。
自民党総裁選不出馬を表明した岸田文雄首相や閣僚、総裁選への立候補を志す政治家らは終戦の日や春季、秋季の例大祭などの機会に参拝してもらいたい。
国会は主権回復後の昭和28年8月、
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
を全会一致で採択した。
政府は関係国政府の同意をとりつけ、死刑を免れたA級を含む全ての
「戦犯」
の釈放を実現した。
刑死・獄死した受刑者の遺族にも年金を支給した。
その後、連合国によって刑死した人々も靖国神社に合祀されるようになった。
■自衛隊は勇戦の顕彰を
「A級戦犯」
として禁錮7年の判決を受けて服役した重光葵(まもる)は東条英機内閣の外相当時、人種平等を掲げた世界初の有色人種諸国のサミット、大東亜会議を実現した人物だ。
恩赦後に衆院議員に当選し、昭和29年から31年まで鳩山一郎内閣の副総理兼外相だった。
国連総会で日本の加盟受諾を演説し、各国代表から盛大な拍手を浴びている。
このようないきさつを顧みず、刑死した
「A級戦犯」
合祀などを理由に靖国神社参拝を難ずる勢力があるのはとても残念だ。
日本は平和を希求する民主主義国だ。
政治家は日本を敵視する国への配慮よりも、英霊や遺族へのおもんぱかりを優先してほしい。
靖国神社を忌避する勢力は自衛隊との切り離しにも拘っている。
だが、自衛隊も陸海軍も日本の軍事組織である点は同じだ。
自衛隊と自衛隊員は、英霊が祖国を守ろうと必死に戦った勇戦奮闘の史実を学び、語り継ぎ、顕彰してほしい。
それは自衛隊を一層精強に育て、平和を守る抑止力を高める。
戦後最も厳しい安全保障環境にある今、台湾有事や朝鮮半島有事が日本有事に容易に転化することは世界の安保関係者の常識となっている。
ロシアのウクライナ侵略や中東情勢、米大統領選の行方も、日本の針路に深く関わる。
首相選びとなる自民党総裁選に名乗りを上げる政治家は英霊への追悼、顕彰の思いを示すとともに具体的な外交安保政策、抑止力向上策を語るべきだ。
いずれも平和を守っていくために大切なことである。

<主張>靖国神社を冒瀆 中国は容疑者引き渡しを
社説
2024/6/5 5:00
https://www.sankei.com/article/20240605-PADVPPR7VBKI3IP3M5GJCPS6XE/
靖国神社の石柱に落書きされた部分はブルーシートで隠されていた=2024年6月1日午後、東京都千代田区
https://www.sankei.com/article/20240605-PADVPPR7VBKI3IP3M5GJCPS6XE/photo/E3Y6GOB53ROWTDLSIAS3G5PI3Y/
東京・九段の靖国神社の
「社号標」
という石柱に、英語で
「トイレ」
と落書きされる事件が起きた。
中国の動画投稿アプリで、男が石柱に向かって放尿するような仕草をし、赤いスプレーで落書きする犯行の様子が投稿されていた。
警視庁公安部が器物損壊容疑で捜査している。
容疑者は上海在住とみられる中国籍の男で、撮影役と一緒に中国に向けて出国したという。
靖国神社は246万余柱の英霊が眠る近現代日本の戦没者追悼の中心施設である。
極めて下品な犯行で冒瀆したことは絶対に容認できない。
警視庁は容疑者を急ぎ特定してもらいたい。
岸田文雄首相と上川陽子外相は最大限の憤りを表明し、中国側に容疑者の引き渡しを求めるべきだ。
落書きは2024年6月1日早朝、通行人が発見して警察に通報した。
犯行の動画が投稿されたことからも計画的な仕業とみられる。
中国のSNSでは
「とても美しい」
「よくやった」
と称賛する声が上がったというから呆れる。
靖国神社を批判的に捉えるとしても、今回のような犯行が許されるはずもない。
日本には多くの中国人がいるが、その大多数は今回のような愚かな行為をしていない。
下品な犯行やそれを礼賛する投稿が中国人のイメージ悪化を招くことがなぜ分からないのか。
中国外務省の報道官は記者会見で今回の事件を巡り、
「外国にいる中国公民は現地の法律を順守し、理性的に訴えを表現するよう注意を促したい」
と述べた。
良くない事だったと考えてはいるようだが、注意喚起だけで済む話ではない。
日本と中国は犯罪人引き渡し条約を結んではいないが事は重大である。
中国政府は日本側の捜査に協力し、容疑者を拘束して引き渡してもらいたい。
報道官は同じ会見で靖国神社を
「日本軍国主義が発動した精神的な道具であり象徴だ」
と批判した。
だが参拝者は静謐(せいひつ)な環境で英霊を悼み、平和への誓いを新たにしている。
中国側の長年の反日教育が事件の容疑者の靖国神社への憎悪を掻き立てたのではないかと恐れる。
靖国神社では過去にも中国人、韓国人らによる放火や落書きなどの事件があった。
英霊の静かな眠りを守るため警察が警備を厳重にすべき時である。

靖国神社落書き事件で日本政府が外交ルート通じ中国に懸念表明、注意喚起を要請 
2024/6/4 17:39
https://www.sankei.com/article/20240604-UYXFQGBU2NPCFN6HOMZSXWLKE4/
上川陽子外相は2024年6月4日の記者会見で、靖国神社(東京都千代田区)の石柱に中国籍とみられる男が落書きする映像が中国の動画投稿アプリ
「小紅書(レッド)」
に投稿されたことに関し、
「我が国の関係法令に反すると思われる行為を是認、助長するような動画が作成され、拡散されるようなことは受け入れられるものではない」
と述べた。
その上で
「外交ルートを通じ、中国政府に事案の発生に対する懸念を表明すると共に、中国国民に現地法令の順守、冷静な行動を取るよう注意喚起することを要請した」
と明らかにした。

靖国神社で石柱に落書き疑い中国籍の男、撮影役と約5時間後には出国 計画的か
2024/6/3 21:09
https://www.sankei.com/article/20240603-QW3O22CA4FO7FME3ZSTUUHOJ5U/
東京都千代田区の靖国神社で石柱に落書きが見つかった器物損壊事件で、落書きをした疑いのある中国籍の男が犯行の約5時間後には出国していたことが2024年6月3日、捜査関係者への取材で分かった。
男は出国直前に落書きをしており、警視庁公安部は計画的な犯行とみて捜査している。
捜査関係者によると、男は2024年5月31日午後9時55分から同10時までの間に落書きをしたとみられ、その直後の2024年6月1日未明の便で出国した。
男は中国・上海在住とみられている。
男が落書きする様子は、中国の動画投稿アプリ
「小紅書(レッド)」
に投稿されており、撮影役も一緒に出国したことが確認された。
落書きは2024年6月1日午前5時50分頃、通行人が発見し、周囲にいた警察官に申し出た。
神社入り口の
「社号標」
という石柱に赤いスプレーを使い、英語で
「トイレ」
と書かれていた。
また、同日午後7時頃には同神社のこま犬に中国語で書かれた張り紙があるのを通行人が発見し、110番通報した。
中国語で
「世界人民は団結しよう」
「ただしおまえらは含まない」
という趣旨が記されていた。
公安部が関連を調べている。
動画によると、男は、辺りが薄暗い中、石柱の台に登り、石柱に向かって放尿しているような仕草をした。
その後、赤いスプレーで英語で
「ToiLet」
と書いて立ち去った。
男は英語で
「アイアンヘッド」
と名乗っていた。

靖国神社落書きは「日本人の魂を汚す行為」在日中国人も冷ややか「馬鹿野郎といいたい」
2024/6/3 18:59
https://www.sankei.com/article/20240603-6O3XHXQ5K5HZNMJYR2KCN6VAMU/
靖国神社(東京都千代田区)の石柱が
「トイレ」
と英語で落書きされた。
中国のSNSに投稿された動画では、中国籍とみられる男が石柱に赤いスプレーで落書きし、放尿するような仕草が映っている。
警視庁公安部は器物損壊容疑で男の行方を追っているが、慰霊の場を汚した男に対し、静かな怒りが広がる。
日本で暮らす中国出身者も、日本人の感情を踏みにじる行為に冷ややかな目を向けている。
「どの国も国のために命を落とした人への畏敬の念がある」
「戦争で亡くなった人を祀る、日本人にとって神聖な場所が汚されたのは不愉快で残念だ」
「日本人の魂を汚す行為だ」
民主党の衆院議員だった牧野聖修氏は2024年6月3日、産経新聞の取材にこう語った。
牧野氏は中国共産党政権下で迫害されるチベット仏教徒を支援していることで知られる。
牧野氏は
「僕たちが靖国神社を汚されることが嫌なように、どこの国も国のために命を落とした人に対しては感謝の念と崇敬の思いを持っているはずだ」
「こういうことをすれば歴史問題を巡り、両国関係を友好なものにしようとしても乗り越えられない状況になってしまう」
と指摘した。
中国政府が弾圧している民族や香港人への支援活動を続ける古川郁絵氏も
「私にとっては大切な英霊が祀られている神域だ」
「英霊は日本を守るために命懸けで戦った方々で、今の私たちが存在する先祖そのもの」
「その魂を汚された気がする」
と語った。
在日中国人で中国の民主化を求める
「民主中国陣線」
の盧家熙(ろ・かき)氏は産経新聞の取材に答え、男について
「旧日本軍の侵略への反対などの考えがあったのだろうが、それはデモや集会で表現すればいいことだ」
「日本の法律に違反するような行為を行うべきではない」
と述べた。
■「目の前にいれば首根っこをつかまえる」
日本ウイグル協会理事で、2023年10月に日本国籍を取得した田中サウト氏は
「英語でトイレと書き、放尿するとは一線を越えた行動で、とても驚いた」
「SNSにアップして自身を愛国主義者だと中国人にアピールしたいのだろうが、凄く嫌な感じだ」
「狭い視野で愛国心を煽ることはおかしい」
と不快感を示す。
ベストセラー「歌舞伎町案内人」(角川文庫)の著者で、日本に帰化したジャーナリスト、李小牧氏も産経新聞の取材に、男の行為について
「中国人のイメージが悪くなる」
「中国人の観光客も日本に来ているのに、あの男が全ての中国人の印象になりかねない」
「目の前にいれば首根っこをつかんで110番する」
「元中国人として馬鹿野郎と言いたい」
と語った。

自衛官國参拝と愛する人への言葉
Hanada2024年4月号 元陸上幕僚長 岩田清文
■疑念が残る新聞の大騒ぎ
國神社を私的に参拝する際、公用車を利用したとして、去る2024年1月26日、陸上自衛隊の幹部が処分された。
22名が参拝したのは、2024年1月9日(火)の午後3時過ぎ、皆、時間休を取って私的な立場で参拝している。
報道からは、休暇中の私的な行動において公用車を利用したことが処分の理由とされ、処分のレベル的には軽いものとされている。
しかし、この程度の事でなぜ一部の新聞は大騒ぎするのか。
本件を最初に報道した毎日新聞(2024年1月13日)は、
「第二次大戦のA級戦犯が合祀されている靖国神社を自衛官が組織的に参拝していたとすれば、不適切だと言わざるを得ない」
と指摘し、宗教活動に関する隊員への指揮事項を記した1974年の防衛事務次官通達への抵触にも言及している。
A級戦犯が合祀されている神社に、自衛官が参拝してはいけないということなのか。
A級戦犯や特定の戦没者のみを崇めるために参拝する自衛官はまずいないだろう。
後ほど述べるが、彼らは国を守る務めにおいて純粋に祈願するために参拝しているはずだ。
今回は休暇中の私的な参拝であり、自らの意志に基づくものと思う。
更に、毎日新聞は参拝当日、國神社で待ち構えるようにして取材していたという。
その取材を基に、50年前の古い通達を探し出してきて、通達違反ではないかと厳正な対処を迫った。
これらからは意図的、計画的にこの参拝を大袈裟に取り上げ、自衛隊と國神社との関連性を問題にしたかったと思わざるを得ない。
そもそも、自衛隊内部の行動予定をどのようにして事前に知り得たのか、疑念も残る。
一方で、産経新聞は2024年1月16日の誌面において、
「陸上自衛隊の参拝は当然だ」
と主張している。
参拝の目的が、2023年4月に陸自ヘリコプターが沖縄県・宮古島沖で墜落した事故の調査委員会メンバーが安全祈願をすることにあったとした上で、能登半島地震対応中の緊急性を要する状況におては、公用車を使用することも当たり前だとしている。
更に、A級戦犯に関しては、国会が1953(昭和28)年、
「戦犯」
赦免を全会一致で決議、政府はA級を含め刑死した受刑者の遺族にも遺族年金を支給してきたことを例示し、他国の干渉に迎合せず、日本自身の立場を尊重すべきとの主張だ。
加えて、50年前の防衛省の次官通達を改めるべきとの指摘もある。
このように賛否両論の主張が報道される中、自衛官が國神社を参拝する意味や思いについては、ほとんど報道されない。
もちろん、現役自衛官がそのようなことを公にすることは憚れるのだろう。
そこで、1自衛官OBとしての思いではあるが、紹介させて頂きたいと思う。
現役当時から、個人的には、もしいざという時が訪れ、最後の時が来たならば、國神社に祀ってほしいとの願いを持っていた。
國神社には、日清戦争や日露戦争、そして大東亜戦争に至るまで、
「祖国日本を護る」
との一念の下、尊い生命を捧げられた246万6000余柱が祀られている。
我々自衛官と同じ
「国のために命を懸ける」
との志を持たれていた先人が祀られる國神社に、自分の死後もありたいと思っていたからである。
台湾有事・日本有事の危機感が高まる中、自己の死生観に磨きをかけている自衛官諸氏も多いことであろう。
その中には、いざという時は國神社に祀ってもらいたいという、私と同様の気持ちを持つ自衛官もいるものと思う。
自衛隊員は皆、入隊に当たり、自衛隊法の規定に基づき服務の宣誓を行う。
その宣誓には、
「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」
との1文がある。
これは、
「命を賭してでも国を守る」
ことを国家・国民に対して誓うものであり、命のやり取りを意味するものである。
私自身も、その覚悟で37年間勤務してきた。
自らの立場が曖昧な憲法を順守しつつ、自己の命を懸けてでも国を守ろうとする。
この耐え難い矛盾に苦悩しつつも、私は現役時代、自分自身に、そして部下たちに、こう言い聞かせてきた。
「我々は、自己犠牲による利他の精神、他を利する精神を実践する崇高な価値観、生き様を職業としている」
「自らの道が正しいことを信じ、迷うことなく、悩むことなく、ただひたすら誇りと矜持を持って国防の任に邁進すべきである」
■慰霊碑は「誓い」の場
「士は、己を知る者のために死す」
との言葉がある。
国家として、自衛隊員に
「命を懸けろ」
と言うなら、その隊員の気持ちを理解し、あるべき姿に改革していくのが政治の責任だろう。
その改革の1つが、いざという時に、国の命令により究極の任務を遂行し、戦死という最大の犠牲を払った隊員に対する慰霊の在り方である。
最高指揮官である内閣総理大臣の命を受け、国土防衛の任を遂行中に命を賭した場合、その隊員の国家への忠誠と献身を称え、霊を慰めることは不可欠であり、国家としてのその姿勢が、他の隊員をして国を守ろうとする強い気概を育むのである。
その際、隊員の死後、どこに葬るかは士気にも関わる極めて重く重要な問題である。
2022年12月に閣議決定した安全保障関連3文書においては、有事に関する強い危機感が示され、戦争を抑止するための具体化が進んでいる。
その中において、仮に自衛官が戦死した場合の様々な処遇等を検討すると共に、死後における慰霊の在り方についても、静かに議論を進めていくべきだろう。
現状のままであれば、防衛省・自衛隊全体としては市谷駐屯地での慰霊、および各地域としては司令部が所在する一部の駐屯地等において慰霊されるであろう。
しかし一般隊員の視点から見れば、死後、そこに戻るという意識を持つ者は少ないだろう。
それら慰霊碑の前では年に1度、追悼式が執行されているが、一般隊員にとっては、その慰霊碑が共に国のために散った戦友、皆の魂が戻る場所と思っている者は少ない。
どちらかと言えば、2度と事故等で仲間を失ってはならないとの
「誓い」
の場であり、ご遺族にとっては故人に再び
「手を合わせる」
場なのである。
明治以来、日本国は国のため国民のために命を捧げた英霊を、國神社において永遠に慰霊し崇敬することとした。
敗戦の結果として、国家として崇め敬い続けることはできなくなったが、宗教法人としての國神社が国に代わり継承している。
当時、
「死んで國で会おう」
と国の命令で戦地に赴いた方々には、明確に魂が戻る場所、精神的な拠り所があったと認識する。
もちろん、現状、国として1宗教法人を指定して英霊を祀ることはできないことは理解するものの、この点は、今後議論をしていく必要があるのではないか。
■戦後日本の原点
例えば、過去には2001(平成13)年、諮問機関である
「追悼・平和祈念のための記念碑施設の在り方を考える懇談会」
を発足させ、翌2002(平成14)年12月24日に提出された報告書では、国立の無宗教の追悼・平和祈念施設が必要と指摘されていた。
報告はされたものの、その後の動きはない。
当時の報告書には、施設の性格を國神社と区別化するため、次のように説明している。
國神社は、
「國事に殉ぜられたたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その『みたま』を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため」
「創立せられた神社」
とされている。
これに対し、新たな国立の施設は
「死没者全体を範疇とし、この追悼と戦争の惨禍への思いを基礎として日本や世界の平和を祈るものであり、個々の死没者を奉慰(慰霊)・顕彰するための施設ではなく、両者の趣旨、目的は全く異なる」
と述べられており、前述したような戦死した自衛官の魂が戻る場所とは思えない。
追悼施設のみならず、そもそも自衛官の戦死に関わる具体的な検討が疎かになっていること自体が、我が国が未だに戦後レジーム(体制・政治体制)からの脱却が図られていないことの証左かもしれない。
安倍総理は、その戦後レジームから脱却する具体的取り組みの1つとして、終戦から70年経った2015(平成27)年8月15日の前日、2015(平成27)年8月14日に戦後70年談話を閣議決定した。
そこには、
「尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」
「2度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。(中略)先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してきた」
「あの戦争には何ら関りのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「しかし、それでも尚、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」
と強調している。
特に、
「70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」
と述べたことは重要だ。
■主権国家として堂々と
我々日本人は、いつまで國神社での慰霊を他国に配慮し続けるのか。
戦後70有余年、これまでの平和を大事にする日本の歩み、そして日本の生き様に自信と誇りを持ち、主権国家として堂々と生きていくべきではないのか。
主権とは、対外的には国家の独立性を保持し、外国からの干渉を排除する権利と理解する。
であるならば、神社への参拝という日本人としてごく自然の風習を守り続ける独立性、そしてその行為に対する外国からの干渉を排除して初めて、我が国は主権国家と言えよう。
國神社は
「祖国を守るという亡くなられた方々の神霊」
を祀る場であり、そこには日本人として戦い、亡くなった台湾や朝鮮半島出身者、そして大東亜戦争終結時に、いわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども含まれている。
身分や勲功の区別もなく、国のために戦ったという1点において共通していれば一律平等に祀られることこそ、死後、その魂は永遠にこの世に留まり、国や地域などの場所で守り神となるという、悠久の歴史の中で伝わる日本人の伝統的信仰に則するものと私は理解している。
この國神社に赴き、戦没者を追悼して日本の安寧を祈祷することは、日本が長年に渡り培ってきた社会的儀礼であり、習俗的行為である。
私は、陸上幕僚長に就任するその日の早朝、個人的に國神社に参拝し、國神社の神霊に、陸上防衛の責任者としての決意と同時に、願わくばご加護を賜ることを祈祷した。
その3年後、離任当日の早朝、改めて参拝し、陸上幕僚長の職を解かれたことと、併せて37年間の防人としての任を終えることを報告し、感謝の意をお伝えした。
日本人としてごく自然のことであり、参拝後は純粋に清々しい気持ちを持つことができた。
■人的基盤の抜本的検討を
清々しい気持ちで退官はしたが、今になっても尚、現役の後輩たちのことを思うと、彼らが真に命を懸けられる、普通の国としてのあるべき軍事組織に進化すべきであると強く願っている。
現状、防衛省においては、人に関する強化施策の検討が進んでいるようである。
2024(令和6)年1月に防衛省が発表した
「人的基盤の強化に係る各種施策の進捗状況について」
によれば、部外人材も含めた多様な人材の確保や、隊員のライフサイクル全般における活躍を推進することなどが報告されている。
それぞれ重要な施策であり、是非具現化されることを願っているが、そこには、これまで述べてきたような有事に真正面から向き合い、国を守るため熾烈な環境で戦い、状況によっては国土防衛の現場で最期を迎える自衛官の栄典、慰霊・顕彰、遺族に対する手厚い補償、そして負傷した自衛官の一生の処遇など、本質的な検討が見当たらない。
物事の重さから公にはせず、静かに検討がなされていることを願っているが、それこそが人的基盤の抜本的検討ではないか。
冒頭の報道に戻るが、参拝した自衛官たちは、2023年4月6日に宮古島海域において殉職した同僚たちを思いながら、航空安全を誓うと共に祈願するとの純粋な気持ちで参拝したものと信じる。
國神社に参拝する自衛官の思いには、個人ごとに様々な意味があると思う。
しかし共通するものは、いざという時は身をもつて国防の責任を果たすとの強い思いが根拠にあることは言うまでもない。
その殉職した第8師団長坂本雄一陸将はじめ殉職隊員追悼式が、2023年10月21日、岸田首相、木原防衛大臣らが参列して挙行された。
式典の終わりに、遺族代表として坂本陸将の夫人が参列をされた。
私も参列した席で拝聴したが、涙が止まらなかった。
読者の方々にも共有して頂きたく、その挨拶全文を紹介したい。
彼らを含む自衛官、そしてその家族がどういう気持ちで国のために貢献しようとしているのかをご理解頂く一助となれば幸いである。
少し長くなるが、是非最後まで読んで頂きたい。
■自衛官の家族としての覚悟
令和5年度自衛隊殉職隊員追悼式に当たり、殉職隊員遺族を代表致しまして、ご挨拶申し上げます。
この度は自衛隊の皆様をはじめ多くの方々に、救助活動など様々なご支援ご尽力を賜り、深く感謝申し上げます。
そして本日は、自衛隊最高指揮官・岸田内閣総理大臣ご臨席の下、木原防衛大臣主催による殉職隊員追悼式を執り行って頂き、私ども遺族一同、厚く御礼申し上げます。
今から25年前に夫から言われ、ずっと心に在った言葉があります。
「自衛官の家族として、覚悟を持っていて下さい」
”自衛官の家族としての覚悟”、そして夫の言葉の根本にある彼自身の大きな覚悟、今回改めてこの言葉を夫の遺志として理解しました。
命を捧げた自衛官たちは皆一様に、国の守りに覚悟を持って臨み、職務に真摯に懸命に取り組み、身をもつて責務の完遂に務め、最後の瞬間まで誇りを持った自衛隊員であったのだと確信致します。
家族として、1国民として、亡き自衛官たちに深く敬意と感謝の念を捧げたいと思います。
自衛隊の皆様より、心のこもったお言葉をたくさん頂戴致しました。
「仲間を失った悲しみを忘れることなく、その思いを継承し、引き続き日本の平和のために任務に邁進して参ります」
このお言葉は亡き自衛官たちの強い遺志であり、家族としまして大きな支え、励みとなります。
自衛隊の皆様の強い絆に触れる中で、我らが自衛官たちは素晴らしいお仲間に恵まれ、同じ志を持って国防を担い、充実した豊かな人生を送ったのだと実感できました。
この素晴らしいご縁に感謝申し上げます。
ここに集う家族は皆、大切な人を突然なくしました。
その大切な人は誇り高き自衛隊員であると共に、良き家庭人でまおります。
家族をとても大事にし、家族それぞれにとっても彼らは大切な存在です。
大事な息子であり、娘であり、頼れる兄弟、姉妹、愛する夫、尊敬する父、そして、心通う友人であります。
■「ありがとう」を贈りたい
突然の別れにより、今私たちは、それぞれが色々な思いと向き合っています。
悲しみや憤り、混乱、不安な気持ち
この挨拶を考えている時、思いました。
「このまま失ったことを悲しみ続けるのではなく、彼らが残してくれているものを大事に見つめていきたい・・・」
「そして、過去に一緒に出来なかったことを悔やんだり、これから出来ないことを嘆いたりするのではなく、今まで一緒にいられたこと、出来たことを喜びたい・・・」
彼らの強さや優しさ、誠実な言葉や行動、考え方・・・彼らとの関りは私たちに大きな幸せや喜び、良い影響を与えてくれています。
それらはこれからも失われることはなく、私たちの心に残り、大きな力となって支え続けてくれる。
生きていくための道標となっていく・・・。
夫たちも私たちがこのように前向きに考え、笑顔で生きていくことを望み、
「頑張れよ」
「頼んだよ」
と、傍で応援してくれているように感じます。
国のために命を賭し、平和の礎となった自衛官たちを家族として、これまでも、これからもずっと誇りに思い、彼らの今までの足跡や今回の出来事が、今後に活かされ繋がることを願い、そして私たち自身も国の守りについて真剣に向き合い考えることを明言し、先に逝ってしまった愛する人に言葉を贈りたいと思います。
「ありがとう」
「お疲れ様でした」
「これからも見守って下さいね」
最後に、日本の平和を守るために、隙のない備えに万全を期し、覚悟と責任感を持って厳しい訓練や任務に臨まれている自衛隊の皆様に、衷心より敬意と感謝の意を申し上げますと共に、今後、崇高な職務を無事に遂行され、益々ご活躍されますことを祈念申し上げます。
そして本日ご参列の全ての皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げ、日本そして世界の平和を強く願い、遺族代表の挨拶とさせて頂きます。
有難うございました。
令和5年10月21日
自衛隊殉職隊員 遺族代表
坂元雄一 妻(陽子)

<産経抄>靖国神社に参拝してなぜ悪い    
2024/2/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20240226-XQ6ZYGBZABLUDJKCQJ2X6HM7XQ/
2024年1月下旬に行われた日教組の教研集会で、日本軍の特攻隊員の遺書を題材にした授業が報告されていた。
日教組も変わったのかと思い、本紙社会部記者が報じた記事を恐る恐る読んだ覚えがある。
▼改めて紹介すると、長崎県の中学教員は修学旅行の事前学習として特攻隊員の遺書を題材にした。
家族や友人への思いなど項目に分け感想を書かせ、歴史的背景を考えさせた。
▼兵庫県の小学校教員は、当時の検閲について触れ、遺書に本音を書けたのかなどの観点で指導した経緯を報告していた。
本紙記者の取材に、近代史の専門家は
「検閲は作戦に支障が出る地名などが対象」
とし、
「検閲されたから一律に本音を書けなかったわけではない」
などと指摘していた。
▼月替わりで靖国神社の社頭に掲示されている遺書に胸を打たれたことを思い出した。
今月は
「兄上に遺(のこ)す」
と題した遺書で、23歳で戦死した特攻隊の海軍少尉は、両親や教師先輩への感謝を綴り、出撃への思いを記している。
▼後半では長男でない自分は家の事に
「何も云(い)う事なし」
とし
「兄上を中心に一家団(だん)欒(らん)して国家の為(ため)に」
と託した。
出撃が迫る中、
「甚だ簡単ですが兄上に遺す」
と結んでいる。
こうした遺書には共通して家族らを思う心情が溢れている。
▼命をかけ国に尽くした英霊を祀る靖国神社に、相変わらず冷淡な論調がある。
朝日新聞は2024年2月25日付の社説で
「陸上自衛隊に続き海上自衛隊でも」
などと批判している。
2023年5月に海自練習艦隊司令部(広島県呉市)の司令官と海自幹部候補生学校の卒業生らが研修の休憩時間に参拝したというのだが、どこが問題なのか。
弊紙は首相をはじめ、靖国神社に参拝しないほうがおかしいと主張しているのだが。

誤解招く行動避けるべきだ 海自靖国参拝で木原防衛相
2024/2/22 11:50
https://www.sankei.com/article/20240222-HDRUCED3YRLZZFILJPZ4ERG4RE/
木原稔防衛相は2024年2月22日の閣議後記者会見で、海上自衛隊の幹部らが2023年5月に東京都千代田区の靖国神社を集団で参拝していたことについて
「誤解を招く行動は避けなければならない」
「私的参拝だったと聞いており、詳細は確認中だ」
と述べた。
木原氏は、海自練習艦隊司令部(広島県呉市)の司令官と海自幹部候補生学校の卒業生らが2023年5月17日に東京・九段下周辺の史跡で研修し、休憩時間に参拝したと説明。
「隊員個々の自由意思により、玉串料は私費で支払った」
と説明した。

海自隊員ら靖国集団参拝 幕僚長「私的」問題視せず
2024/2/20 18:53
https://www.sankei.com/article/20240220-OLDZRETIXJJ7RFS2VZC2TAV5LE/
海上自衛隊練習艦隊司令部(広島県呉市)の司令官らが遠洋練習航海を前にした研修期間中の2023年5月、制服を着用し東京都千代田区の靖国神社を集団で参拝していたことが2024年2月20日、防衛省への取材で分かった。
海自トップの酒井良海上幕僚長は2024年2月20日の記者会見で
「研修の合間の時間に、個人の自由意思で私的に参拝した」
「問題視しておらず、調査する方針はない」
と述べた。
防衛省によると、海自の研修は2023年5月17日、165人が参加し、東京・九段下周辺で実施した。
酒井氏の説明では、司令官の今野泰樹海将補を含む多くが参拝した。
玉串料はまとめて納めたとしている。
2024年1月9日には陸上幕僚副長らが靖国神社に集団参拝し、公用車の使用が不適切だったとして計9人が処分された経緯がある。

防衛省、弊害通達廃止の前例
阿比留瑠比の極言御免
2024/2/1 1:00
https://www.sankei.com/article/20240201-5Q5WLJGVF5OJFDUZJGLD3ZXBEM/
陸上自衛隊幹部らが集団で靖国神社に参拝したことが、部隊としての宗教施設参拝などを禁じた1974(昭和49)年の事務次官通達に抵触するかどうかを調べていた防衛省は、通達違反ではなかったとの結論を出した。
そもそも内閣法制局でもない防衛省が、
「信教の自由」
を定める憲法20条の解釈に踏み込むような通達を出す方が異例だろう。
木原稔防衛相が2024年1月30日の記者会見で、通達改正に言及したのも当然だと言える。
「およそ50年前に策定された非常に古いもので、それ以降、信教の自由や政教分離についての判例もいくつか出ている」
「そういった積み重ねも踏まえ、必要に応じて改正を行うべきだ」
この件に関しては、小沢慶太記者が2024年1月27日の本紙政治面で
「自由意思による参拝をも萎縮させるような通達はむしろ廃止すべきではないか」
と書いていた。
また、2024年1月31日の正論では岩田清文元陸上幕僚長が靖国に参拝する自衛官の思いについて、
「共通して、いざという時は身をもって国防の責任を果たすとの強い思いが根底にある」
と指摘する他、こんな自身の心情も吐露していた。
「我々自衛官と同じ
『国のために命を懸ける』
との志を持たれていた先人が祀られる靖国に、自分の死後もありたいと思っていた」
こうした
「思想・良心の自由」(憲法19条)
に基づく慣習的行為すら、安易に制限を加えようとする発想の方がよほど危険である。
それでも朝日新聞は2024年1月30日の社説
「陸自靖国参拝 組織性は否定できない」
で、こう書いていた。
「旧軍との『断絶』をどう考えているのか。疑問を持たざるをえない」
「航空安全祈願がなぜ靖国神社でなければいけないのかも、よくわからない」
「戦後、平和憲法の下で再出発した自衛隊に、歴史への反省を疑わせるような振る舞いがあってはならない」
朝日新聞の理屈で言えば、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)に新憲法を貰って再出発した日本は、戦前の日本とは
「断絶」
しているのだから、朝日新聞が好んで追及する戦争責任も問えないことにはならないか。
なぜ靖国かが本当に分からないなら、岩田氏に取材してみたら如何か。
■猛反発の「言論統制」
ともあれ、小沢記者の通達廃止の提言に付言すれば、防衛省の事務次官通達の中には11年前の2013年に廃止になったものもある。
2010(平成22)年11月の民主党の菅直人政権時、防衛省が出した自衛隊行事での民間人による民主党政権批判を封じる通達がそれである。
航空自衛隊の航空祭で、自衛隊を支援する民間団体の会長が
「まだ自民党の内閣の方がまともだった」
「一刻も早く菅直人政権をぶっ潰して、自民党政権に戻しましょう」
と挨拶したことが
「極めて不適切だ」
として、参加を控えさせることも含めた政治的発言制限の通達を出したのだった。
これには当然、自衛隊やOB組織、そして自民党など野党から
「言論統制だ」
と猛反発が起きた。
翌2011(平成23)年2月に6野党が通達撤回要求で一致したのを受けて、菅直人政権側は翌2011(平成23)年3月に各部隊に行事での民間人挨拶の内容を提出させるよう求めていた文書課長連絡を廃止した。
そして政権交代して安倍晋三内閣となっていた2013(平成25)年2月、通達は廃止された。
前例はあるのだから、木原氏には自衛隊を差別するかのような古びた通達については、改正であれ廃止であれ速やかに実行に移してもらいたい。

<正論>自衛官の靖国参拝の意味と思い 元陸上幕僚長・岩田清文
2024/1/31 8:00
https://www.sankei.com/article/20240131-FHPQHDOPFFJLVIBZ2ABXACDT4U/?809072
■国のため命懸けた先人の志
現役当時から、個人的には、もしいざという時が訪れ最後の時が来たならば、靖国神社に祀ってほしいとの願いを持っていた。
靖国神社には、戊辰戦争に始まり日清・日露戦争、そして大東亜戦争に至るまで、
「祖国日本を護る」
との一念の下、尊い生命を捧げられた246万6000余の柱が祀られている。
我々自衛官と同じ
「国のために命を懸ける」
との志を持たれていた先人が祀られる靖国に、自分の死後もありたいと思っていたからである。
台湾有事・日本有事の危機感が高まる中、自己の死生観に磨きをかけている自衛官諸氏も多いことであろう。
その中には、いざという時は靖国に祀ってもらいたいという、私と同様の気持ちを持つ自衛官もいるものと思う。
2022年12月に閣議決定した安全保障関連3文書でも有事に関する強い危機感が示され、戦争を抑止するための具体化が進んでいる。
その中で自衛官が戦死した場合の様々な処遇等を検討すると共に、慰霊の在り方についても静かに議論を深めていくべきだろう。
現状、防衛省では人的基盤強化の抜本的な検討が進んでいるようであるが、報道のような
「丸刈りの廃止」
という小手先の処置だけでは抜本的改革とは言えない。
特別職の国家公務員という位置付けではなく、いざという時は国のため命を懸けることを誓った存在であることを念頭に置いた、真に
「抜本的」
な検討が必要である。
そもそも自衛官の戦死に関わる具体的な検討が疎かになっていること自体が、我が国が未だに戦後レジームからの脱却が図られていないことの証左かもしれない。
安倍晋三首相(当時)はその戦後レジームから脱却する具体的取り組みの1つとして、2015(平成27)年8月15日の前日、14日に戦後70年の談話を閣議決定した。
そこには
「尊い犠牲の上に、現在の平和がある」
「これが、戦後日本の原点」
「2度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」
「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持」
と述べた上で、
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「しかし、それでも尚、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」
と強調している。
特に
「70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」
と述べたことは重要だ。
■慰霊まで他国に配慮する呪縛
我々日本人は、いつまで靖国での慰霊を他国に配慮し続けるのか。
戦後80年を目前に、これまでの平和を大事にする日本の歩み、そして日本の生き様に自信と誇りを持ち、主権国家として堂々と生きていくべきではないのか。
主権とは、対外的には国家の独立性を保持し、外国からの干渉を排除する権利と理解する。
であるならば、神社への参拝という日本人としてごく自然の風習を守り続ける独立性、そしてその行為に対する外国からの干渉を排除して初めて我が国は主権国家と言えよう。
■日本人としてごく自然のこと
靖国神社は
「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」
を祀る場であり、そこには、日本人として戦い、亡くなった台湾や朝鮮半島出身者、そして大東亜戦争終結時に、東京裁判でいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども含まれている。
身分や勲功の区別なく、国のために戦った1点において共通していれば、一律平等に祀られる点こそ、死後、その魂は永遠にこの世に留まり、国や地域などの場所で守り神となるという、悠久の昔から伝わる日本人の伝統的信仰に基づくものと私は理解している。
この靖国神社に赴き、戦没者を追悼して日本の安寧を祈禱することは、日本人が長年に渡り培ってきた社会的儀礼であり習俗的行為である。
私は、陸上幕僚長に就任するその日の早朝、個人的に靖国神社に参拝し、靖国の神霊に、陸上防衛の責任者としての決意と同時に、願わくばご加護を賜ることを祈願した。
その3年後、離任当日の早朝、改めて参拝し、陸上幕僚長の職を解かれたことと、併せて37年間の防人としての任を終えることを報告し、感謝の意をお伝えした。
日本人としてごく自然のことであり、参拝後は、純粋に清々しい気持ちを持つことができた。
今、現役自衛官の靖国参拝に関する報道があるが、参拝した自衛官たちは、2023年4月に宮古島海域において殉職した同僚たちを思いながら航空安全を祈願するとの、純粋な気持ちで参拝したものと信じる。
靖国に参拝する自衛官の思いには、個人ごとに様々な意味があると思う。
しかし共通して、いざという時は身をもって国防の責任を果たすとの強い思いが根底にあることは言うまでもない。

木原稔防衛相「必要に応じて改正すべき」 部隊参拝禁じた通達見直しに言及
2024/1/30 11:59
https://www.sankei.com/article/20240130-4K2XNROE5ROQNL6AHWG57MVVZ4/
木原稔防衛相は2024年1月30日の記者会見で、陸上自衛隊幹部らが公用車を使って集団で靖国神社を参拝したことを巡り、宗教施設の部隊参拝などを禁じた1974(昭和49)年の事務次官通達について
「内容を不断に検討し、必要に応じて改正を行うべきだと考えている」
との認識を示した。
木原氏は通達について
「50年前のものであり、それ以降、信教の自由や政教分離原則に関する最高裁の判例もいくつか出ている」
と改正の必要性に言及した。
陸自幹部らの靖国参拝について、防衛省は通達違反の可能性があるとして調査したが、憲法で認められる私的参拝と結論付けた。
一方、幹部ら3人が公用車を利用したことは適切ではないとして計9人を処分した。

(社説)陸自靖国参拝 組織性は否定できない
2024年1月30日 5時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S15851129.html?iref=pc_rensai_long_16_article
同じ部署に所属する幹部らが、示しあわせて集団で参拝した。
しかも、確認されただけで、過去5年の恒例行事だったとみられる。
各人の自由意思に基づく
「私的参拝」
だというが、組織性は否定できない。
旧軍との
「断絶」
をどう考えているのか。
疑問を持たざるをえない。
陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)らの今月(2024年1月)初旬の靖国神社参拝を、宗教的活動に関する事務次官通達に抵触する疑いがあるとして調べていた防衛省が、違反はなかったと発表した。
憲法は
「信教の自由」
を保障する一方、宗教上の行為を強制されないことや、国による宗教的活動の禁止を定めている。
これを受け、防衛省は事務次官通達などで、部隊としての参拝や隊員への参加の強制を禁じているが、今回の事例はいずれにも当たらないと結論づけた。
調査によれば、小林氏を委員長とする陸自の航空事故調査委員会の関係者41人に、航空安全祈願のための靖国参拝の案内があり、うち22人が参加した。
全員が自由意思で応じ、私的参拝との認識から、休暇をとり、玉串料も私費で払ったという。
参拝が自発的で、私的参拝の外形を整えていたとしても、
「実施計画」
をつくったうえ、トップを含む大勢のメンバーが一斉に行動している。
これを部隊としての活動ではないというのは、苦しい説明ではないか。
そもそも、航空安全祈願がなぜ靖国神社でなければいけないのかも、よくわからない。
防衛省は通達違反を否定したうえで、小林副長ら3人が移動に公用車を使ったことについては、その必要はなく
「不適切」
だったと認め、訓戒とした。
公用車の使用自体、公務の延長上と受け止められても仕方ないというのに、正面からの検討を避けたと言うほかない。
もちろん、自衛隊員が一国民として、神社仏閣に参拝することに、何ら問題はない。
しかし、自衛隊の幹部が集団を率いて靖国神社に参拝するとなると話は別だ。
靖国神社は戦前、旧陸海軍が共同で管理した。
戦没者を
「英霊」
としてまつり、国家主義や軍国主義の精神的支柱となった。
東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯14人が合祀されてもいる。
それゆえ、政治指導者など公的な立場にある者の参拝は、過去を正当化するものと受け止めざるをえない。
戦後、平和憲法の下で再出発した自衛隊に、歴史への反省を疑わせるような振る舞いがあってはならない。

靖国参拝に公用車利用の陸自幹部処分、信教の自由萎縮させる通達廃止を
2024/1/26 20:27
https://www.sankei.com/article/20240126-D3QMV5DP5RISHC6N2N47ESDVRA/
靖国神社を参拝する際に公用車を利用したとして陸上自衛隊の幹部が処分された。
防衛省の内部調査によって同省が定める公用車の利用基準に照らし、適切ではないと見做されたためだ。
一方で、参拝は
「私的な行為」
で、同省事務次官通達が禁止する部隊参拝には当たらないと判断した。
より規律が重んじられる自衛隊にあって、違反が認められた場合に厳正な処分を下すことは当然だ。
ただ、今回の処分はあくまで公用車利用に関する違反が認められたものであって、自衛隊員による靖国神社参拝の是非とは別の議論である。
今回の参拝を巡っては、極東国際軍事裁判(東京裁判)のいわゆるA級戦犯が合祀されている靖国神社である点を殊更に強調し、批判する向きがある。
憲法20条は、信教の自由を保障している。
自衛隊員といえども一国民として神社仏閣などを自由に参拝する権利がある。
個人であろうが集団であろうが、私的に靖国神社を参拝することに何ら問題はない。
むしろ国を守る自衛隊員が、過去に国を守るため尊い命を捧げた戦没者の追悼施設を訪れることは自然な行為ではないか。
1974(昭和49)年に出された事務次官通達は、隊員個人の信教の自由を尊重すると共に、自衛隊が組織として宗教的活動に関わっていると疑念を抱かれないよう、宗教施設への部隊参拝や隊員への参加の強制を厳に慎むよう定めている。
ただ、2024年と同様の靖国参拝は過去にも行われていたとみられ、全国の部隊が靖国以外の宗教施設を集団で参拝している例もあるという。
通達は半世紀前に出されたものであり、既に形骸化しているとの指摘がある。
防衛省は、参拝に際して公用車の利用や玉串料の公費支出の禁止を通達に追記することを検討するが、今回の事案で明らかなように、私的か公的かの線引きは難しい。
もちろん隊員への参拝の強制はあってはならないが、自由意思による参拝をも萎縮させるような通達はむしろ廃止すべきではないか。

靖国私的参拝に公用車利用で陸幕副長ら9人処分 防衛省
2024/1/26 20:03
https://www.sankei.com/article/20240126-4RUWJQT6KZK7ZOPDLNGUTAOJLY/
防衛省は2024年1月26日、東京都千代田区の靖国神社を私的に参拝した際に公用車を利用したとして陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら9人を処分したと発表した。
小林氏ら3人を訓戒、監督不十分で森下泰臣陸幕長(同)ら4人を注意、公用車利用などの報告を受けた2人を口頭注意とした。
同省によると、小林氏ら陸自航空事故調査委員会の関係者22人は2024年1月9日午後、全員が時間休を取得して靖国神社を参拝した。
参拝は新年の安全祈願が目的で、実施計画を事前に作成して行われた。
小林氏ら3人が公用車を利用していた。
陸自は、能登半島地震の災害派遣対応に備えるため公用車を利用したと説明。
同省は参拝時に小林氏が緊急に参集しなければならない蓋然性は低かったなどとして
「適切でなかった」
と指摘した。
一方、実施計画に基づく参拝であることなどを踏まえ、宗教施設の部隊参拝などを禁じた事務次官通達に違反する可能性があるとして調査したが、私的参拝と結論付け、通達違反は認めなかった。

主張
靖国神社 陸自幹部の参拝は当然だ
2024/1/16 5:00
https://www.sankei.com/article/20240116-3R3N5OQ3KNJYVACCSLHO4MGNUQ/
陸上自衛隊の幹部が靖国神社を参拝したことを、在京の中国大使館や一部のメディアなどが批判している。
防衛省は宗教の礼拝所を部隊で参拝することなどを禁じた昭和49年の事務次官通達に反していないか調査中だ。
いずれも日本の戦没者(英霊)追悼を蔑ろにするもので容認できない。
陸自幹部の靖国神社参拝は公的、私的を問わず何の問題もなく、むしろ推奨されるべき話である。
処分を強行するなら言語道断で、歴代防衛相を含め防衛省自衛隊の幹部が定期的に参拝していない現状の方がおかしい。
小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら数十人が2024年1月9日、靖国神社を参拝した。
小林副長は時間休を取得していた。
2023年4月に陸自ヘリコプターが沖縄県・宮古島周辺で墜落した事故の調査委員会メンバーが安全祈願をするのが主な目的だった。
公用車を利用したり、参拝が行政文書に記載されたりした点を難じ、次官通達にも反したという指摘がある。
敗戦で解体された陸軍と、陸自が別組織である点や、極東国際軍事裁判(東京裁判)のいわゆるA級戦犯が合祀されている点を理由にした批判もある。
だが、能登半島地震で陸自は動員中で、事態に応じて直ちに陸幕に戻れるよう公用車を使用するのは当たり前だ。
そもそも安倍晋三、小泉純一郎両元首相ら歴代首相の靖国神社参拝は公用車を利用したではないか。
国会は昭和28年、「戦犯」赦免を全会一致で決議し、政府はA級を含め刑死した受刑者の遺族にも年金を支給してきた。
靖国神社の問題は日本の立場を取るべきで、中国などの内政干渉に迎合してはならない。
靖国神社や護国神社は近代日本の戦没者追悼の中心施設で、他の宗教の礼拝所と同一視する次官通達は異常だ。
戦没者追悼や顕彰を妨げる50年も前の時代遅れの通達は改めるべきだ。
日本を守るため尊い命を捧げた戦没者にとって靖国神社に祀られることは自明だった。
だからこそ、占領期も含め戦後長く、昭和天皇のご親拝や首相、閣僚の参拝が続いた。
国内左派の批判や外国の内政干渉に怯え、首相や閣僚の参拝が近年減ったのは残念だ。
日本の礼節を取り戻すためにも、岸田文雄首相、木原稔防衛相は率先して参拝してもらいたい。

陸自幹部らの靖国参拝巡り「時代遅れの通達こそ見直すべき」自民・山田宏氏
2024/1/12 17:24
https://www.sankei.com/article/20240112-476JJVJLXRFNFGPNIY4UQ6AJUU/
陸上自衛隊幹部や隊員ら数十人が2024年1月9日に東京・九段北の靖国神社を参拝したことを巡り、防衛省が調査に乗り出すなど波紋が広がっている。
宗教施設の部隊参拝や隊員への参拝の強制を禁じた事務次官通達に違反する可能性があるためだ。
幹部らは時間休を取得し、私費で玉串料を収めたが、参拝の実施計画が作成され、一部の公用車使用から部隊参拝に該当するなどと指摘されている。
こうした指摘に対し、自民党の山田宏参院議員は半世紀前の昭和49年に出された通達の見直しを訴える。

国のために尊い命を捧げられた英霊を、自衛官が参拝するのは当たり前だ。
50年前の時代遅れの通達を見直さず、放っておいたことが問題だ。
もちろん参拝の強制はあってはならない。
ただ、隊員が自由意思に基づいて皆で参拝することは、現通達からも問題ないと考える。
世界の常識だ。
2023年4月には陸自ヘリコプターが沖縄県の宮古島周辺で墜落し、隊員10人が死亡した事故が起きた。
今回、靖国で安全を祈願した陸自幹部や隊員は事故を調べた航空事故調査委員会のメンバーだ。
痛ましい事故を2度と起こさせまいと皆で祈願して何が悪いのか。
国のために尽くした英霊に安全を祈願するのは、英霊への慰霊でもある。
陸自幹部の集団参拝は日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」や毎日新聞がスクープとして報じたが、自衛官の靖国参拝を問題視する国民は少ないのではないか。
防衛省は釈明に追われているようだが、萎縮しないかを危惧する。
こんなことで有事の際に自衛隊は戦えるのか。
50年前に比べ、日本の周りは軍事的な脅威ばかりだ。
現在の日本の安全保障環境に合わせて、自衛官の靖国参拝のあり方も他国の軍隊の在り方と同様に国際標準にすべきだろう。

陸幕副長ら集団で靖国参拝 規律違反の可能性、防衛省が調査
2024/1/11 20:49
https://www.sankei.com/article/20240111-FWG5A6IQU5LY7M52SN7CJRRMZQ/
防衛省は2024年1月11日、陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)が2024年1月9日に公用車を使い、東京都千代田区の靖国神社を参拝していたと明らかにした。
小林氏が委員長を務める陸自航空事故調査委員会の関係者数十人と集団で参拝した。
同省は宗教施設の部隊参拝などを禁じた事務次官通達に違反する可能性があるとして、調査を始めた。
同省によると、小林氏らは2024年1月9日午後に時間休を取得して靖国神社を参拝した。
参拝は新年の安全祈願が目的で、同委員会としての実施計画に基づき行われた。
小林氏以外の一部参加者も公用車を利用していた。
同省は、公用車の利用や実施計画による参拝であることを踏まえ
「外形的には事務次官通達に違反する可能性がある」
「規律違反が認められる場合は厳正に対処する」
としている。
陸自は、参拝は
「私的な行為」
で、公用車の使用に関しては
「能登半島地震の災害派遣中であり、速やかに職務に戻るための備えだった」
と説明している。
事務次官通達は昭和49年に出され、宗教上の礼拝所への部隊参拝や隊員に参加を強制することは厳に慎むべきと定めている。
平成27年6月に陸自化学学校が精神教育として隊員に靖国神社を参拝させたことが通達違反に当たるとして関係者が処分された例がある。

陸幕副長、公用車で靖国 「災害派遣に備え」と説明
2024/1/11 11:32
https://www.sankei.com/article/20240111-MGX4N4BB4FMDLGJUX7BHJD757I/
陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)が2024年1月9日午後に公用車を使い、東京都千代田区の靖国神社を参拝していたことが2024年1月11日、陸自への取材で分かった。
小林氏は時間休を取得し、新宿区の市谷にある防衛省との間を公用車で往復。
現地で合流した複数の陸自幹部と共に参拝した。
陸自は、小林氏が参拝したのは勤務時間外で
「私的な行為」
と説明。
公用車の使用に関しては
「能登半島地震の災害派遣中であり、速やかに職務に戻るための備えだった」
と説明している。
小林氏は2024年1月9日午前、防衛省に出勤。
午後に時間休を取った間に公用車で靖国神社を訪れた。
参拝は新年の安全祈願が目的だった。
他の陸自幹部らも勤務時間中ではなかったという。

中国大使館、陸自幹部の靖国参拝に「歴史冒とく」と反発
2024/1/15 19:43
https://www.sankei.com/article/20240115-QT3446AZYRKSPCS7SYP7M5ODEI/
在日中国大使館は2024年1月15日までに、陸上自衛隊幹部による靖国神社参拝について
「歴史の正義を公然と冒瀆し、被害国の民衆の感情を深く傷つけた」
として
「断固反対する」
との報道官の談話をサイトに掲載した。
談話は、日本に対し
「侵略の歴史を直視し、軍国主義と徹底的に決別」
することを求めた。
2024年1月13日に中国語で掲載され、日本語版はない。

現在、首相の國神社参拝に反対する理由として最も頻繁に掲げられているのが
「國神社には、戦争を指導したA級戦犯が祀られている」
というものです。
米国をはじめとする連合国は、大きな惨禍をもたらした太平洋戦争(日本側の呼称は大東亜戦争)の原因を明らかにするという名目で東京市ヶ谷の陸軍施設において軍事裁判を行いました。
この裁判の正式な名称を
「極東国際軍事裁判」、
通称
「東京裁判」
と言います。
「A級戦犯」とはここで裁かれた日本の指導者のことです。
裁判の被告の人数は28名で、このうち2名は裁判中に病死、1名は精神異常とされ免訴されました。
そして、残りの被告全員の25名に有罪判決(死刑7名、終身禁固刑16名、有期禁固刑2名)が出ています。
この
「A級戦犯」
のうち死刑になった7名と、獄中で病死した7名の合計14名が、國神社に祀られているのです。
國神社は本来、日本の近代国家を建設・防衛するために戦死、戦傷病死した人をお祀りしている神社なので、何故
「A級戦犯」
が祀られているのか疑問に思う方があるかもしれませんが、これには理由があります。
国際法上の戦争は、実際に弾丸が飛び交う戦闘行為が停止しても終結したとはみなされません。
国際法上は、講和条約が発効するまでは戦争状態が続いているとされます。
即ち、「A級戦犯」の「刑死」・「獄死」は、弾の飛び交う戦闘の中ではないものの、連合国との戦争状態における公務上の死(法務死)として位置付けられたのです。
それで、日本が独立した後に日本政府と国民の合意によって國神社に合祀されたのです。

「A級戦犯」合祀後も参拝する外国の要人たち
いわゆる
「A級戦犯」
合祀後も多くの外国の要人が國神社へ参拝している。
要人の日程を作成する外務省が、國神社への案内に消極的であるにもかかわらず、閣僚・大使クラスだけでも以下のようにかなりの数になる。
1980年 昭和55年 チベット、ダライ・ラマ14世
1981年 昭和56年 インドネシア共和国、アラムシャ・ラトウ・プラウィネガ宗教大臣
1987年 昭和62年 ドイツ連邦共和国、クルグ元駐日大使ほか
1990年 平成2年 ロシア共和国、エリツィン大統領
1991年 平成3年 チリ共和国、ルネ・アベリウク通産大臣ほか
1992年 平成4年 スリランカ民主社会主義共和国、C・マヘンドラン駐日大使ほか
1993年 平成5年 リトアニア共和国、アドルファス・スレジェベシス首相
1995年 平成7年 ミャンマー連邦、ウ・アエ文化大臣
1996年 平成8年 パラオ共和国、イナボ・イナボ政府顧問
2005年 平成17年 ソロモン諸島国、アラフ・ケマケザ首相
「極東国際軍事裁判」通称「東京裁判」は、勝者である連合国が敗戦国を一方的に裁いた不法不当な裁判です。
東京裁判の特に大きな問題点は2つあります。
まず1つ目は、被告が犯行を犯したとされる時点では、まだ存在していなかった法律(「平和に対する罪」「人道に対する罪」)で裁くという近代法治社会を否定する違法裁判であったということと、もう1つは、連合国側の戦争犯罪を不問に付したということです。
一瞬にして20万人もの命を奪った米国による広島・長崎への原爆投下や、東京を始め66都市への無差別爆撃による40万人の非戦闘員の殺戮、ソ連による満州侵略とこれに続く日本人のシベリア抑留などは、
「非戦闘員への攻撃・殺傷の禁止」
「捕虜虐待の禁止」
「残虐兵器の使用禁止」
に当たる重大な国際法違反です。
また、原爆投下などの無差別爆撃は、明らかに組織的・計画的な民間人虐殺に該当しますから、連合国の指導者こそ
「A級戦犯」
として裁かれるべきでしょう。
東京裁判の問題点は、これだけに留まりません。
この裁判では、判事・検事ともに連合国側からしか選ばれませんでした。
判事や検事は、敗戦国や中立国からも選ばれなければ、決して公正な裁判とは言えません。
また、連合国にとって都合の悪い陳述や弁護は許されず、証拠資料も却下されました。
更に、驚くべきことは、被告1人1人の判決の理由たる事実も証拠も一切提示されなかったことです。
東京裁判の判事で唯一国際法の権威であったインドのパール判事は、被告全員の無罪を主張しました。
また、オランダのレーリンク判事は裁判終了後、
「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような事実誤認があったが、裁判中は緘口令がしかれて言えなかった」
と発言し、オーストラリアのウエッブ裁判長は帰国後、
「東京裁判は誤りであった」
と述べています。
そして、日本人被告を厳しく告発したアメリカのキーナン首席検事自身も帰国後
「東京裁判は公正なものではなかった」
と発言しているほど、でたらめな裁判だったのです。
東京裁判では、全ての日本人被告に有罪判決が出たが、3人の判事は、少数意見として他の判事と違った見識を示した。
1人はフランスのアンリ・ベルナール判事、もう1人はオランダのベルト・レーリンク判事、そして最後はインドのラダ・ビノード・パール判事である。
ベルナール判事は、被告に有利な証拠の多くが却下されたことなどに疑問を呈し、レーリンク判事は、
「平和に対する罪」
で被告に死刑を科す国際法上の根拠が存在しないことを明らかにした。
また、パール判事はその反対意見書の中で、日本が国家としての犯罪行為を行っていないことを理路整然と国際法に基づいて説明し、被告全員の無罪を主張した。
パール博士は、東京裁判の判事11人の中で唯一の国際法の専門家であった。
占領軍当局は、パール判決書に戦慄し、法廷における同意見書の朗読を卑劣にも禁止した。
また、日本での発刊も許さなかった。
1953年にようやくインドのカルカッタで発刊されたパール判決書は、全世界の国際法学者に深い感銘を与えたという。

極東国際軍事裁判
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4

ラダ・ビノード・パール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

ベルト・レーリンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

連合国軍によって裁かれた日本人「戦犯」には、A・B・C級の3種類があります。
この3つの「戦犯」の違いは、罪の軽重の度合いではなく、罪の種別として使用された言葉です。
「B・C級戦犯」とは、当時の国際社会において国際法で禁止されていた民間人の殺戮・捕虜の虐待・非軍事施設への爆撃・残虐兵器の使用禁止などに違反した者を指します。
これら「通常の戦争犯罪」の「監督、命令に当たった者」が「B級戦犯」で、「その直接の実行者」が「C級戦犯」とされたようですが、厳密な区別はありません。
「B・C級戦犯」の裁判は、日本ばかりではなく、アジア・太平洋の各地で行われましたが、「通常の戦争犯罪」を裁いたとされるこれらの裁判でも、ほとんどの日本人被告たちは身に覚えのない罪を着せられ、次々と処刑されていきました。
一方、以上のような従来の戦争犯罪に加え、
「平和に対する罪」
「人道に対する罪」
という当時の国際社会には存在していなかった新しい罪状を、連合国が勝手に作って起訴したのが「A級戦犯」です。
「A級戦犯」の起訴は
「罪刑法定主義」(法に規定がないことは罪に問えない)

「事後法の禁止」(事件の後で法律を作って、その法律がなかった時まで遡って処罰することの禁止)
という、ローマ法王以来の法治社会の2大原則に反する行為でした。
人類は、一時の感情で人を裁くことの愚かさや危険性を学び、長い年月をかけて法治社会を築き上げてきました。
しかし、戦勝国である連合国は、勝者の驕りにまかせて人類の歩みを退歩させる極東国際軍事裁判(東京裁判)を強行したのです。
1945年(昭和20年)8月、日本の敗戦にともなって、日本軍将兵は故郷へ戻り家族との生活を始めた。
しかしそれも束の間、占領軍によって約5700名の日本人が
「戦犯容疑者」
として突如呼び出しを受け、このうちの1000名以上が帰らなかったのである。
いわゆる「B・C級戦犯」の裁判は、アメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア・フランス・フィリピン・中華民国の戦勝7カ国がアジア太平洋の49カ所で東京裁判と併行して行い、901名の日本人を処刑した。
他に裁判中または判決後に病死・虐待・自決などで亡くなった人が100余名ありその死者の数は1000余名である。
「B・C級戦犯」は建前の上では「通常の戦争犯罪」を犯した者として裁かれたが、実際は、日本軍に戦闘で敗れたことや、捕虜にされた屈辱を逆恨みした連合国軍将兵による復讐裁判であった。
敗れた屈辱を晴らすためには、マレー半島でイギリス軍を破った山下奉文中将やフィリピンで米軍を破った本間雅晴中将、インドネシアではジャワ派遣軍司令官の原田熊吉中将などが処刑され、捕虜収容所の関係者では警備員や所長、軍医等で処刑される者が多かった。
いずれも捕虜に対する虐待がその犯罪理由だが、戦犯とされた1人1人に処刑されるに値する行為を見出すことは難しい。
当時の日本軍人一般のことを考えても捕虜をひどく(死刑に値する程酷く)虐待する看守など皆無で、日本軍としても捕虜に対する出来得る限りの配慮を払っている。
一例を挙げるならば1942年(昭和17年)2月の陸軍大臣通達8号では、捕虜に対し、日本軍兵士とほぼ同量(一般の日本国民の約2倍)の主食・魚・野菜・味噌などを与えることが決められている。
一方、イギリス軍による捕虜の待遇は苛酷で、必要な食料も与えられない中で多くの日本人捕虜が死亡している。
また、アメリカ軍兵士は捕虜を取るのを面倒がり、投降してきた日本兵や民間人を殺害した記録も多数残されている。
捕虜虐待で裁かれるべきは事件は、むしろ連合国軍の方にこそ多くあったがこれらは一切不問に付されたのである。

東京裁判で「A級戦犯」を裁いた「平和に対する罪」とは、被告たちが「共同謀議」して、「侵略戦争」を「計画・準備・開始・遂行」して世界の平和を攪乱した罪のことです。
最初は、ナチスドイツの戦争犯罪者を裁くために連合国が急拵えで作った罪状(ニュールンベルク裁判のための国際軍事裁判所条例)ですが、連合国はこれを日本にも適用しようとしました。
しかし、ヒトラーという独裁者がナチスという単一の政党に結集したメンバーたちと協力して戦争を企図、遂行したドイツと違って、日本の場合は、裁判の対象期間の1928年(昭和3年)から東條内閣の成立までに15の異なった内閣が成立し、閣内不一致や議会の反対などにあって瓦解しています。
特に初期の田中義一内閣、浜口雄幸内閣、林銑十郎内閣の期間中は、被告の中で閣僚や参謀総長(陸軍)、軍令部長(海軍)を務めた人が誰1人としていませんでした。
しかも28名(含2名病死・1名免訴)の 「A級戦犯」の被告同士は必ずしも協力関係にはなく、政権にいた者とそれを倒そうとした者、反英米派と親英米派、お互い政敵であった者など様々です。
日本の場合はドイツと違い、指導者たちの思惑が入乱れ、国家意思の不統一、一貫性の無さが混乱状態を招き、遂には外国の圧迫(中国における在留日本人への迫害虐殺・米英による対日石油禁輸等)を受けて戦争に突入してしまったというのが真相でしょう。
一貫して「共同謀議」を行い「侵略戦争」を「計画・準備・開始・遂行」した「平和に対する罪」に、これら日本人被告たちが問われるはずがありません。
ところが、東京裁判では、ほとんど(25人中23人)の日本人被告たちが、侵略のための「共同謀議」を行ったとして有罪とされたのでした。
東京裁判における、文官唯一の刑死者廣田弘毅(首相、斉藤実・岡田啓介内閣の外相)は、最も中国(以下中華民国を指して使用)から信頼され尊敬を受けた日本人である。
1935年(昭和10年)1月22日の議会では、「不脅威・不侵略」の対外原則を唱え、1935年(昭和10年)1月26日には、
「自分の在任中に戦争は断じてない」
と断言、中国側に大いに歓迎されたのであった。
中国の蒋介石軍事委員長や汪兆銘行政委員長(首相)らは廣田演説を絶賛し、それまでほとんど放置されてきた排日取締りを直ちに実施した。
新聞への排日言論掲載の禁止、日貨排斥(日本製品の排除)の停止の決議、政府の検定のない排日教科書の使用禁止命令が次々と実行されていったのである。
ナショナリズムの高揚期には、どこの国にも見られ、為政者はしばしばこれを国民の不満の捌け口として利用し、自らの政権の安定を図ろうとする。
しかし、当時の中国政府はそうした誘惑を断ち切り、排日運動を禁圧したのである。
両国の友好ムードの中で、1935年(昭和10年)5月、廣田外相は、在中国の公使館を大使館に昇格させた。
当時、米国やヨーロッパの列国は、中国に公使館しか置いておらず、日本の中国重視の姿勢はより一層鮮明になった。
通知を受けた汪兆銘は感極まり、
「これで両国は東亜の大道を手を取って歩けるのです」
と言ったと伝えられている。
また、列国も、日本にならって次々に公使館を大使館に昇格させたため、中華民国の国際的な地位は大いに向上したのであった。
しかし、中国政府が排日運動を禁圧しても、政府組織に浸透した共産党細胞は排日煽動を続けていた。
また、東北軍閥の張学良も共産党と結んで蒋介石を逮捕拘禁し、蒋介石に抗日戦を強要するのである。
1937年(昭和12年)7月、日本と中国は遂に全面的戦闘に突入する。
東京裁判で「A級戦犯」を裁いた「人道に対する罪」とは、特定の集団や民族の抹殺を企て組織的に実行された大量虐殺・虐待のことです。
これも元々はナチスドイツのユダヤ人虐殺を裁くために連合軍が作った法律を、日本に適用しようとしたものですが、この点も、日本は、計画的・組織的にユダヤ人を虐殺したナチスドイツとは、全くケースが異なっていました。
したがって、日本には「人道に対する罪」で有罪となった人はいません。
日本人で唯一この嫌疑を掛けられたのは中国の首都南京を攻略した松井石根(まつい いわね)大将です。
連合国側(検事)はあらゆる手段を用いて、松井大将を中国人の大量虐殺(南京大虐殺)を計画実行した罪で有罪にしようとしましたが、結局これを立証できませんでした。
つまり、全ての検事・判事を連合国側が独占し、被告側に著しく不利な状況にあっても、日本がナチスドイツのような、国家の政策(軍の作戦)として計画的に民間人を大量虐殺したこと(「人道に対する罪」)を立証することはできなかったのです。
しかし、結局連合国(判事)側は、松井大将を、
「部下の虐殺を止めようとしたが効果がなかった」
という
「不作為(積極的な行動を取らなかった)」
の罪で強引に絞首刑にしました。
松井大将の処刑は、首都南京を占領された中国の復讐心を満たすために必要なものだったのでしょうか。
松井石根大将は、青年時代からの日中友好論者で、孫文の中国革命を支援したが、1937年(昭和12年)の第2次上海事変の際は陸軍きっての知中派として上海派遣軍司令官に任命された。
中国の首都南京の攻略戦では、全軍に対し
「一般居留民並びに中国民衆を紛争に巻き込まざるよう常に留意」
するよう訓令を出し、軍規風紀の厳正を伝達、
「外国の権益を犯した者、掠奪行為や火を失する(誤って火事を出す)者は厳重に処罰すべし」
と命じた。
1937年(昭和12年)12月13日、日本軍の攻撃で、南京は陥落、松井石根大将は、それから5日目に入城したが、軍規違反の報告(今日言われるような民間人大虐殺の報告ではなかったが)を受けると直ちに違反者を出した部隊を南京から退城させた。
また、松井石根大将が上海に引き揚げた後、南京警備で残した部隊に不法行為のあることを聞くと、違反者の厳罰と損害賠償を訓令している。
翌1938年(昭和13年)凱旋帰国した松井石根大将は、熱海伊豆山に居を構えたが、両軍に多くの戦死者が出たことを悲しみ、日中両軍将兵の霊を弔い両国の友好を願ってこの地に観音像の建立を思いたつ。
この観音像は、大場鎮や南京などの激戦地の土を取り寄せて作られ
「興亜観音」
と名付けられるのである。
松井石根大将は、雨の日も風の日も、山上の観音堂まで2qの道を登って参詣し、読経三昧の生活を送ったという。
しかし、1948年(昭和23年)12月23日、 松井石根大将は、理不尽にも東京裁判で戦犯として裁かれ、絞首刑に処せられるのである。
辞世には次の一首がある。
<天地も人もうらみずひとすじに 無畏を念じて安らけく逝く>

日本は、サンフランシスコで連合国が作成した対日平和条約に調印、1952年(昭和27年)4月28日にこの条約は発効し、日本は約7年間に及ぶ連合国の占領から独立を回復しました。
そして、この条約の第11条には、
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」
と、あたかも東京裁判やその他の「戦犯」裁判を認めるかのような内容が書かれていました。
このことをもって、日本政府は東京裁判を受け容れたとする理屈が大手を振って罷り通っています。
しかし、この考えは間違っています。
『Treaty Of Peace With Japan
日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/sanfran.html
Article 11
第十一条
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。』
問題になっている条約の該当部分は、日本語訳では「裁判」を受諾となっていますが、実は条文の英文の原文ではこの部分は「judgments」(諸判決)になっているのです。
「裁判」と「判決」では大きく意味が異なります。
要するに日本は、東京裁判のあり方や組織、判決理由などを受諾したのではなく、「判決」即ち「戦犯」に対する懲役などの刑の執行の継続を約束したに過ぎないのです。
アメリカなどの連合国は、日本が独立した途端に戦犯を無罪放免にし、連合国の正義を宣伝した東京裁判の成果を無にしてしまうことを恐れました。
それで、せめて裁判の結果拘禁されている「戦犯」の刑の執行を日本政府が肩代わりすることや、赦免や減刑などについて、連合国との相談なしに、独自の裁量で処理することを禁じておこうとしたのです。
アメリカは、本当は日本に東京裁判の内容まで受諾させたかったのかもしれませんが、サンフランシスコ講和会議の席上では、メキシコやエル・サルバドル、アルゼンチンの代表らから東京裁判批判が起こり、インド代表に至っては、
「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)は日本を対等な独立国として扱っていない」
として会議を欠席(後に、より寛大で友好的な日印平和条約を締結)するような情勢でしたから、「判決」の受諾が精一杯の要求であったと思われます。
1986年(昭和61年)、ソウルで世界中の国際法学者が集まる
「国際法学会」
が開催されましたが、この会議でも諸外国の主だった学者が
「サンフランシスコ講和条約第11条は、日本が東京裁判の正当性を認めなければならないと義務付けるものではない」
と共通の見解を表明しました。
国際法の学会でも、日本が受諾したのはあくまで、「判決」のみであるとの解釈が主流なのです。
サンフランシスコ講和条約第11条の諸判決(judgments)は、何故「裁判」と変えられたのか。
國學院大學の大原康男教授の取材に答え、当時外務省条約局にいた藤原万里氏は、
「(judgments)”諸判決”と訳すのが正しい」
「これが”裁判”となったのは(判決を受諾するのは被告なので、国が受諾するという表現は)、言葉のすわりが悪かったので、裁判を受諾するに変えたのではないか」
と述べている。
また、当時の国会答弁において外務省の西村熊雄条約局長も、サンフランシスコ講和条約の解釈については、あくまで判決の受け入れを指しているとの趣旨の答弁を行っている。
1952年(昭和27年)4月28日の講和独立によって、日本人に言論の自由がもたらされると、日本弁護士会をはじめとして戦犯釈放運動 が全国に広がり、たちまち4000万名もの署名が集まりました。
国民の熱望は、やがて政治を動かし、
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する国会決議」
が1953年(昭和28年)8月3日の衆議院本会議を皮切りに5回も可決されました。
この時の決議には、日本社会党(現在の社会民主党)も参加しています。
また、政府も連合国側関係各国と粘り強く交渉し、ようやくその同意を得て、「戦犯」は全員釈放となったのです。
1953年(昭和28年)から、遺族援護法などの関係法が次々と改正されました。
政府は「戦犯」の刑死、獄中死者を「法務死亡者」と位置付け、その遺族にも一般戦死者と同様に遺族年金や弔慰金を支給するようにしたのです。
また、懲役などの刑で服役していた「戦犯」が釈放されると、軍人恩給の支給が受けられるようにしました。
もともと恩給法の規定では、犯罪者(懲役、禁固の受刑者)に恩給は支給されない決まりでしたから、「戦犯」だった人に受給資格が与えられたことは、国内法的には「戦犯」は犯罪者でないと公認されたことになります。
「A級戦犯」の罪で拘禁されていた人の中には、保釈後、副首相兼外務大臣となった重光葵(しげみつ まもる)氏(禁固刑7年)や法務大臣となった賀屋興宣(かや おきのり)氏(終身禁固刑)もいます。
重光氏は、外務大臣として安保条約交渉や旧ソ国交回復交渉、国連加盟問題に取り組み、国連加盟の受諾の演説をしました。
賀屋氏は、岸内閣時代には外交調査会長を務めて安保改定に取り組んでいます。
この時も、「A級戦犯」だった彼らが指導的地位に就くのはおかしい、とのクレームは、かつての連合国のどの国からもありませんでした。
現在の社会民主党(日本社会党が改名)は、いわゆる「A級戦犯」問題で、首相の國神社参拝を厳しく非難しているが、講和独立後の社会党は、東京裁判を批判し、「戦犯」の人権や家族の生活保護のために活発に運動していた。
例えば、社会党の古屋貞雄衆議院議員は、1952年(昭和27年)12月の
「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
の採択に当たり、東京裁判の不当性を次のように訴えている。
「戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります」
「しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及するということは、正義の立場から考えましても、基本的人権の立場から考えましても、私は断じて承服できないところであります」
「世界人類の中で最も残虐であった広島・長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもって戦犯を処分することは断じて日本国民の承服しないところであります」
「ことに、私ども、現に拘禁中のこれらの戦犯者の実情を調査致しますならば、これらの人々に対して与えられた弁明並びに権利の主張を蔑ろにして下された判定でありますことは、ここに多言を要しないのでございます」
また、1953年(昭和28年)7月9日には社会党(右派)の堤ツルヨ衆議院議員も、衆議院厚生委員会で、
「(戦犯受刑者は)早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない」
「しかもその英霊は國神社の中にさえも入れてもらえないというようなことを今日の遺族は非常に嘆いておられます」
と述べ、遺族援護法を戦犯処刑者、獄死者に適用できるよう改正することを求めている。

國神社には、幕末から大東亜戦争までの国家の危機に際して主として戦場で亡くなられた戦歿者らの御霊(みたま)が祀られています。
古来、日本人は、山川草木にも神の命があると信じてきました。また、人間が死んだ時も、その人の霊は一定期間を経て神様(仏様)になり、先祖代々の「祖霊」となって一族を見守ってくれると信じられてきました。江戸時代には、地域社会に貢献した武士や農民たちが次々と守護神として祀られています。日本には、元々そのような民族の文化伝統がありましたから、明治になって近代国家が確立されると、その成立の過程で亡くなった人を特別な神として国家的規模でお祀りするようになったのでした。これが、國神社の前身である東京招魂社です。
この東京招魂社は、戊辰戦争における官軍戦死者の招魂祭を行うために、1869年(明治2年)、九段坂上に仮説の社殿を作ったのが始まりです。これが1879年(明治12年)、明治天皇の思召しで「國神社」となりました。その社名には、「国家を安泰にする」という願いと祈りが込められています。國神社には、その後外国との戦争などで亡くなった軍人、軍属らが次々と合祀され、現在は約246万余柱(御霊の数は柱で表す)の御霊がお祀りされています。そして、これら國神社に祀られている御祭神は、「英霊」として称えられ、遺族は勿論、その他の国民からも崇敬されているのです。今現在の国の平安があるのは、国家の危急に際して尊い生命を捧げられたご英霊のおかげであると、参拝を通じ感謝の誠を捧げる神聖な場所が國神社です。
首相の國神社参拝は、日本国憲法の第20条が定めた政教分離の規定に違反している、という議論がある。確かに、憲法20条の第3項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあり、そこだけ見れば、憲法は政府が宗教に関わることを一切禁止しているとも読める。しかし、第2項の条文は、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」となっており、それは取りも直さず、「国及びその機関」が宗教行事に関係することを前提とし、その上で「参加」を「強制されない」ことを謳っている。第2項の解釈をもとに第3項を解釈し直すと、「国及びその機関」が宗教と関係することを全て禁止するわけではなく、「国及びその機関」が過度に宗教に関係する場合のみを指してこれを「宗教的活動」と呼び、禁止しているとする方が正しい。そして、いかなる場合がその「宗教的活動」に当たるのかを判断するのが、有名な「目的効果基準」である。これは三重県津市の地鎮祭訴訟の最高裁判決にあるもので、憲法の定める「政教分離」がかなり緩やかなものであることを示している。
この目的効果基準によれば、「目的」に宗教的意義があり、実際に特定の宗教への強力な援助や、干渉となる顕著な「効果」が確認できる場合でなければ、「宗教的活動」とは見なされない。よって、首相の國神社参拝が憲法違反でないことは明白である。
一部の裁判官は、國神社への参拝者の一時的増加をもって、これを「効果」と主張しているが、もし目的効果基準がそれほど厳格なものならば、文部科学省からミッション系私学への助成金なども全て違憲としなければなるまい。
また、どのような人を國神社へ合祀するかについては、國神社だけで決めるのではなく、戦前は、陸軍省・海軍省が、戦後は厚生省(現在の厚生労働省)が、これに深く関わっていました。いわゆる「A級戦犯」の合祀についても厚生省は大きく関係しています。
日本が独立した4年後の1956年(昭和31年)、当時の 厚生省の引揚援護局は、各都道府県に合祀事務に協力するよう通知を出しました。そうして集まった戦歿者の名簿に基づいて作られた「祭神名票」が國神社に送られ、これに従って國神社側は崇敬者総代会にこれを諮り、毎年の戦歿者の合祀を決めてきました。
國神社が、いわゆる「A級戦犯」を1978年(昭和53年)秋の霊璽奉安祭において合祀したのも、1966年(昭和41年)に届いた 「祭神名票」に基づいています。厚生省は、 「A級戦犯」として刑死した者並びに獄中で死亡した14名を、日本国の法務死として位置付けていたのです。
以上のように「A級戦犯」は、決して國神社が独断で合祀したのではなく、多くの国民の支持と、国民の代表たる政府機関の正式な手続きによって進められてきたのです。
ちなみに、「B・C級戦犯」の刑死者・獄中死者の國神社への合祀は、「A級戦犯」より早い、1959年(昭和34年)より開始されました。 「A・B・C級戦犯」ともに、その刑死者・獄中死者に対する日本政府としての扱いは、あくまで「法務死」であり、國神社では「昭和殉難者」としてお祀りされています。
國神社の御祭神は、嘉永六年(1853年)のペリー来航以来、日本の近代国家を建設するために挺身しその中で亡くなった人、それから明治国家の誕生後はこの国を守るために戦争などで亡くなった軍人軍属とそれに準ずる人たちである。
東郷平八郎元帥や大山巌元帥といった功績の大きな将軍でも公務中に亡くなった人でないので國神社には祀られていないが、名も無き二等兵でも公務中に亡くなれば(戦死だけでなく戦病死も含む)、御祭神として祀られる。また、軍人ではなくとも、軍の命令で従軍看護婦等の仕事に従事して亡くなった人は、やはり國神社に祀られている。「ひめゆり部隊」などで従軍看護婦として活躍した女子学生や軍の戦闘組織の一員として戦死した「鉄血勤皇隊」などの沖縄の学生、満州開拓団や義勇軍、空襲警報下に避難誘導や防火に務めた警防団員、国家総動員法に基づく徴用者や、徴用された船舶の船員、それに映画『氷雪の門』で有名な、樺太真岡の女性電話交換手(迫り来るソ連軍の攻撃の中で最期まで交換業務を務め自害した)などもみなそうである。
また、戊辰戦争における官軍側の戦死者や、明治維新の実現のために奔走し、凶刃に倒れた坂本龍馬や中岡慎太郎らの志士たちも國神社の御祭神である。
2002年(平成14年)12月、小泉元首相の國神社参拝に対する内外の批判をかわすべく設置された「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が、国立・無宗教の追悼施設建設を提言しました。この提言では、ただ漠然と外国にありそうな戦歿者追悼施設をイメージしたようですが、実際に死者をどう慰霊追悼するのかは、それぞれの国の伝統文化、宗教の問題に関わることで、単純に外国と同一に考えることはできません。國神社の創建は、日本人の伝統的な文化に根ざしたものでした。
「死んだら國神社で会おう」と戦友に誓い、、「父に会いたければ九段に来て手を合わせればいつでも会える」と家族に言い残して散っていった英霊方が、政治的な理由で後世の人が勝手に作った国立追悼施設になど行くはずがありません。小泉元首相は、「先の大戦の戦歿者のことを思うと國に代わる施設はない」と言い、仮に新施設ができたとしても國神社参拝を継続する考えを表明していました。本当にその通りであると思います。しかしそれならば、いっそ新施設の建設構想はきっぱりとやめればよいでしょう。
また、「A級戦犯」の神霊をどこかに分祀したらいいという意見もありますが、それは神道の合祀の意味を本当には理解していない発言です。
「合祀」を蝋燭の炎に例えて言えば、小さな蝋燭の個々の火を大きな蝋燭の炎と一緒にするようなものです。一方、「分祀」はとは、逆にその大きな蝋燭から別の蝋燭に火を移すようなものです。しかし、別の蝋燭に移しても、元の大きな蝋燭の炎はそのまま残っています。これと同じように「A級戦犯」をどこかに新しい神社に分祀しても、元の國神社には、「A級戦犯」の神霊も残るのです。つまり、どこか別の所へ「A級戦犯」の神霊を祀っても、「A級戦犯」を祀る場所が増えるだけなのです。「A級戦犯」分祀論は何ら問題の解決にはなりません。
明治維新実現のために斃れた志士をお祀りするため、1869年(明治2年)、東京に東京招魂社が創建され、地方にも各々招魂社が建てられました(京都は東京より先に創建)。1879年(明治12年)、東京招魂社は國神社となりましたが、後に地方の招魂社も護国神社と名称を改められ、今日に至っています。國神社の英霊方は、各々出身地の護国神社にもお祀りされていますので、是非両方にお参りに出かけられてはいかがでしょうか。
護国神社一覧
http://www.yasukuni.or.jp/history/gokoku.html
欧米の先進諸国における政教分離は、あくまで国家と教会(特定の宗教団体)の分離であって、国家と宗教の分離ではない。よって、これらの国々の戦歿者追悼施設も宗教と密接な関係を持っている。
日本には、アメリカのアーリントン墓地にある「無名戦士の墓」を「無宗教施設」と誤解し、同様の施設を日本にも建設すべきと主張する人がいるが、この「無名戦士の墓」はれっきとした宗教施設である。墓石には、「神のみぞ知るアメリカの兵士」と刻まれ、その裏手には教会もある。また、大統領の参列のもと年3回国家によって開催される慰霊祭の司祭はユダヤ教、キリスト教の従軍牧師が務めている。
「無名戦士の墓」には、日本の千鳥ヶ淵戦歿者苑のように、多数の遺骨が納められているわけではなく、各戦争毎に1体のみが全戦死者を象徴する意味を込めて埋葬されている。

靖国神社の初詣人数がものすごい事に!!!
http://www.news-us.jp/article/384299992.html
2014年 初詣神社ランキング (1月3日17時現在)
1. 明治神宮(東京都渋谷区):約319万人
2. 伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区):約277万人
3. 住吉大社(大阪府大阪市住吉区):約260万人
4. 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市):約251万人
5. 靖国神社(東京都千代田区) :約245万人
6. 熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区):235万人
7. 大宮氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区):約205万人
8. 太宰府天満宮(福岡県太宰府市):約204万人
靖国神社は例年の8倍の人出
■ニュース速報:靖国神社への参拝者が例年の8倍に 寝た子を起した中国や韓国に衝撃が走る
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1388798422/
國神社の境内には、戦歿者の遺品や遺書などを展示する遊就館があります。ここでの展示は、占領軍から強制された東京裁判史観に捉われない、日本人独自の立場からの内容になっています。
國神社には年間で約500万人もの参拝者があり、遊就館へも多数の参観者が訪れています。出口には感想を記載する自由記述ノートが準備されていますが、そこには、とりたてて戦争を賛美したり、戦争をかっこいいと捉える内容のものは1つもありません。
展示品の中の、戦歿者の遺書や家族に宛てた手紙は、家族を思い、郷里を思いながらも、祖国に殉じていく心境を綴ったものばかりで、いずれも「戦争賛美」とは無縁のものです。
國神社を戦争賛美と結び付けて語る人は、一体何を根拠にそのような主張をするのでしょうか。
また、國神社の境内にはご本殿とは別に「鎮霊社」という社があり、そこには、世界中の戦争で亡くなった人の霊が祀られています。世界中の戦争犠牲者を慰霊している施設まである國神社が、戦争賛美や軍国主義の神社であるはずがありません。
マスコミはあたかもアジアの全ての国々が首相の國神社への参拝に反対であるかのように論じていますが、実際に反対しているのは中国と韓国だけです。むしろアジアには理解を示している国の方が多いくらいです。例えば、平成17年に自民党の安倍幹事長代理がインドネシアのバンバン・ユドヨノ大統領に、この問題について説明した際には、大統領は「国のために戦った兵士のお参りをするのは当然のことだと思う」と大いに理解を示したといいます。(読売新聞6月4日)。また、平成14年に来日したアジアの国々ーーインド、タイ、スリランカ、インドネシアの指導者(政府要人、外交官、軍人など)は次々に國神社に参拝しています。
他のアジア諸国でも希に反対の声をマスコミが報じますが、調べてみると、華僑か日本の団体が現地へ出向いて煽動しているものがほとんどです。例えば、平成17年6月に國神社の近くで反日パフォーマンスを繰り広げた台湾原住民高金素梅氏(父親は中国人で、生粋の原住民でない)の支援者には日本の過激派や大陸系台湾人による反日団体の人がずらりと並んでいます。
中国・韓国から「侵略」と批判されている大東亜戦争を評価するアジア各国の指導者たちは決して少なくない。以下に、その一例を紹介したい。
◆ククリック・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸民族が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは『身を粉にして仁を為した』日本というお母さんがあったためである」
◆ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとても敵わないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思っていた」
◆モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」
◆アラムシャ(インドネシア元副首相)
「我々は、日本軍がインドネシアに上陸してきた時は熱狂的に迎えました。大東亜戦争がなかったならば、アジア・アフリカ会議もできなかったし、アジア・アフリカの独立もあり得なかったでしょう」
◆ラダ・クリシュナン(インド元大統領)
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた」
◆バー・モウ(ビルマ元首相)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかし、またその開放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国は少ない」
◆J・R・ジャワルダナ(スリランカ元大統領)
「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た」
日中国交回復・日中友好の原点となった1972年(昭和47年)9月29日の「日中共同声明」には、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」とあります。しかし、そこには「侵略」という文字はありません。当初中国側が示したものには「日本軍国主義による侵略戦争」と「謝罪」も含まれていましたが、日本側はこれを拒否し、協議の結果この文言で合意したのです。「戦争」の原因は双方にあるのです。この文言は、日中共同声明に至る日中交渉の最終場面で中国側が持ち出したもので、それ以前の交渉経緯では「侵略」という歴史認識は前提条件ではありませんでした。第一、「声明」における過去の反省などの表現は、国際的な常識から言えば、それで「手打ちをした」ということを意味し、そのことについて今後拘束される筋合いのものでありません。ましてや永遠に謝り続けることなど論外です。「声明」は、あくまで未来志向の内容であると捉えるべきです。「日中共同声明」では、将来の日中関係に適用されるべき諸原則を明確にしていますが、それは、「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存」であり、これこそが日中関係の前提に他なりません。
田中角栄首相(当時)は、訪中直後の国会で「過去の戦争で中国に大変な迷惑をかけ、損害をかけたと深く反省を致しております。過去の戦争が侵略戦争と断定できるものかどうか、そういうことを、私の立場では申し上げられません」<1972年(昭和47年)11月7日、衆議院予算委員会> と答弁していますが、これに対して中国側も「日中共同声明の精神に反する」などと抗議したことはありません。
首相の國神社参拝は、日中共同声明に何ら抵触するものではなく、むしろ中国側の態度こそ「内政に対する相互不干渉」の原則に反していると言わねばなりません。
現在も多くの日本人が中国へビジネスで出かけているが、戦前も多くの日本人が中国に居住し、そこで経済活動に従事していた。中国の排外運動が、特にこれらの日本人を標的とし始めるのは、1927年(昭和2年)の南京事件がきっかけである。南京事件とは、東京裁判で捏造された1937年(昭和12年)のいわゆる「南京大虐殺事件」ではない。中国国民党の軍隊による、日本を含む列国居留民への暴行略奪事件のことである。この事件の際、列国の軍隊は敢然と中国軍へ反撃を加えたが、日本軍のみは中国側を刺激することを避けて沈黙を守った(日本軍には死者も1名出ている)。のみならず、当時の日本政府は「我が在留邦人にして凌辱を受けたる者1人もなし」と虚偽の発表まで行ったのである。この後日本人居留民は、中国兵の暴状と政府の無策を訴える国民大会を開こうとしたが、政府はそれすら禁止した。
この事件以降、「与し易し」と見られた日本に、中国の排外運動は集中する。有名な「日貨排斥」とは、日本製品を買わないという運動ではなく、日本製品なら掠奪してもよいという運動で、中国国民党の省・県本部が直接指導していた。また、翌1928年(昭和3年)には、済南で日本人居留民20数名が中国軍によって惨殺され、以降も日本人虐殺事件が頻発するのである。
現在の中国では、日本軍による暴行掠奪虐殺こそが両国の紛争の原因と教育しているが、実際は、当時そのような事件は皆無であった。逆に中国軍の方こそ無辜の日本人に対する虐待事件を次々と引き起こし、国際連盟から強い批判を浴びていたのである。

韓国が、「A級戦犯」の問題で、首相の國神社への参拝を批判するのはおかしなことです。
「A級戦犯」が裁かれた東京裁判が対象とした期間は、1928年(昭和3年)から1945年(昭和20年)ですが、その間韓国は日本の領土の一部で、韓国人は日本人でした。
両国政府は、1910年(明治43年)に日韓併合条約を締結し、当時は1つの国になっていたからです。
したがって、韓国と日本は戦争してわけでもなく、勿論「A級戦犯」は韓国人への加害者でありません。
当時の韓国人(朝鮮人)には、日本軍の将校や総督府の高等官もいて、日本人の部下を使役しながら、大日本帝国の国策の遂行に邁進していました。
それだけではありません。
朝鮮籍出身者の貴族院議員や衆議院議員もいて、帝国議会で日本の国策決定にも参加していたのです。
当時の韓国人が日本人として、共に連合国軍と戦ったのは紛れもない歴史的事実です。
しかし、戦後の韓国人は、なかなかこの明白な事実を認めようとしませんでした。
1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結へ向けた交渉の時にも、このことは大きな問題となりました。
日本側の主張は、
「日本と韓国は1910年(明治43年)に合併して1つの国になり、戦後日本から分離して独立した」
とする、ごく常識的な内容でした。
しかし、韓国側は、
「日韓併合条約は締結当初から無効である」
とし、
「韓国は、日本から不法に軍事占領されてきた」
という認識に立っていました。
それだけではありません。
韓国は、
「日本に対する戦勝国としてサンフランシスコ対日講和条約交渉に参加する権利がある」
とまで主張していたのです。
しかし、あまりにも大人げない韓国の主張は、他の参加国からは全く相手にされませんでした。
国際社会の認識は、日韓併合条約は日本の敗戦までは有効で、これを過去に遡ってまで無効とする韓国の訴えはおかしいと断じたのです。
このように、韓国の主張は、実に突飛で誰からも見向きもされない論理です。
交戦国でない韓国に、「A級戦犯」問題について、日本を批判し、首相の國神社参拝について云々する資格は全くありません。
■日本の朝鮮統治と列国の植民地支配
ヨーロッパ諸国は、植民地から莫大な富を収奪し本国へ持ち帰ったが、逆に日本は内地の税収から朝鮮・台湾などの新領土へ資本を投下し、鉄道や道路、水道、学校等を内地同様に整備した。
朝鮮半島に京城帝国大学が設置されたのは、名古屋帝国大学より早い1926年(昭和元年)で、1932年(昭和7年)には既に半島で重化学工業も興っている。
李朝時代の両班、常人、奴婢という厳しい身分差別も、日本の明治維新に倣って撤廃され、実力と経済的余裕さえあれば、ナンバースクールや帝国大学へ進学し、出世することが可能となった。
政府ー総督府の高官や軍の将校となった半島出身者は、日本人の部下を使役することもできたのである。
また、内地に在住の半島出身者には参政権(選挙権、被選挙権)があり、半島出身の衆議院議員や貴族院議員(勅撰)が帝国議会で活躍していた。
■日韓併合以前の韓国の様子
「大両班(支配階級)は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる」
「その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる」
(ローマ法王庁が韓国でマリ・ニコル・アントン・ダブリュイ主教が収集した資料をもとに編纂した『朝鮮事情』より)
「私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしながらも、飢えに苦しむ農民の様が理解できなかった」
「『どうしてそれらの土地を耕さないのか』と聞いたところ、『耕せば耕すほど、税を取られるだけのことだ』という返事があった」
(カナダ人ジャーナリスト、マッケンジーの著書『朝鮮の悲劇』より)
我が国は、中国・韓国に対する友好の証として、戦後多額の経済援助を実施してきました。
しかし、両国は、これらの経済援助が日本からのものであることを国民にほとんど知らせてはいません。
日本は韓国へ、国交正常化の際に総額8億ドル(有償2億、無償3億、民間経済協力3億)=2880億円を援助しました。
現在の貨幣価値に換算すれば3兆円近い額です。
敗戦の焼け野原から立ち上がりつつあった日本にとって、とてつもなく大きな金額です。
これを元手にして韓国は
「漢江(はんがん)の奇跡」
と言われる、驚くべき経済発展を実現することができました。
その後も韓国への経済援助は続き、1970年(昭和45年)から1990年(平成2年)までの間、各地のダムの建設や下水処理施設、医療施設などに対し、5800億円もの 有償資金協力が行われてきました。
ソウルの地下鉄網もこの資金で建設されました。
中国に対しては、1980年(昭和55年)から2003年(平成15年)までに総額3兆円の有償資金協力、1400億円の無償資金援助、1450億円の技術協力援助をしてきています。
援助は空港や鉄道、地下鉄、ダム、病院の建設など多岐に渡りますが、その結果が今日の中国経済の発展です。
1994年(平成6年)からは、NGOを通じての支援も行い、砂漠地帯への植林事業支援など、2003年(平成15年)までに3億5000万円の支援をしています。
日本との友好を本当に望んでいるならば、中国・韓国の両国は国民にこれらのことを知らせるべきです。
ところが逆に、中国・韓国の両国は徹底した反日教育を行い、事実を歪めて日本のことを悪く教えています。
これでは、真の友好への道のりは程遠いと言わざるを得ません。
中国・韓国の両国は本当に日本との友好を望んでいるのか、疑問が湧いてきます。

対中国ODAに関する基礎資料
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/seisaku/kondankai/senryaku/21_shiryo/pdfs/shiryo_2_1.pdf

日本のODAプロジェクト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/gaiyou/odaproject/asia/china/index_01.html

対中ODA概要
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/chiiki/china.html

支那事変(日中戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)における中国側の死傷者の数は刻々と変化している。
戦争終了直後の国民政府の発表では死傷者約130万人だったのが、中国共産党政権に代わった後の1960年年代には1000万人となり、1970年代には1800万人、これが1991年の中国政府国務院新聞弁務公室の
「中国人権白書」
では実に2100万人となっている。
更に1998年に早稲田大学で行われた講演で江沢民国家主席は
「死傷者は3500万人」
と主張、最近は死者だけで3500万人(『抗日戦争記念館』他)にまで増えている。
中国にとっては、国民の犠牲者数も所詮外交カードにしか過ぎないのだろうか。
相手国の立場を尊重することは大切です。
しかし、相手の言いなりになることと「友好」とは違います。
韓国は、すぐ
「植民地支配をした」
と日本を非難しますが、日本と韓国が1つの国になったのは、両国政府が正式に合意した国際条約に基づくものです。
当時、韓国と関係のあったアメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・ロシア・中国なども、それを承認しています。
また、条約締結時の韓国の国内情勢は、ほとんど
「日韓合邦」
を支持していました。
親日的な一進会(公称100万の会員を擁した韓国最大の民間政治団体)などは勿論、かつては反日的活動さえ展開していた他の民間団体も一斉に賛成に回り、閣僚の大部分も賛成しました。
高宗皇帝のみは反対であったと言われてきましたが、最近の研究では皇帝自身も条約締結に向けてかなり積極的に活動したことが明らかになっています。
また、韓国人の中には、
「日本に強制されて仕方なく条約を結んだ」
と言う人もいますが、もともと国際条約というものは強制のある場合も多いのです。
日本が幕末に結んだ列国との不平等条約がそうですし、三国干渉による遼東半島の中国(清国)への返還やポツダム宣言の受諾もそうです。
例え、強制されたものであっても一旦締結された以上は、これを尊守するのが国家としての責任です。
ましてや、締結に対して大きな反対もしなかった韓国が、
「強制された」
などと言っては国際社会の笑い者です。
自主独立の気概に溢れる現在の韓国政府は、日韓併合条約締結の事実を認めたくないのかもしれませんが、だからといって、都合よく歴史を改竄することは許されないことです。
また、日本側も
「韓国は被害者だから、何でも言うことを聞く」
という姿勢では、真に相手を独立国家として認めたことになりませんし、また相手の尊敬や信頼を得ることもできません。
お互いが理解し合うために、日本はもっと議論するべきです。
日本が交戦した中華民国は、1952年(昭和27年)の日華平和条約によって日本に対する
「戦争賠償の請求」
を放棄している。
1972年(昭和47年)には、日本が、中国大陸の正統政府として、中華人民共和国を認め、
「日中共同声明」
が出されたが、ここでも戦争賠償は
「解決済み」
とされ、更に1978年(昭和53年)の
「日中平和友好条約」
でも同声明内容の
「尊守」
が確認されている。
また、韓国に対しては、日本と交戦したわけではないので、戦争賠償の義務は当初から存在しないが、1965年(昭和40年)の日韓基本条約と4つの基本協定により、有償・無償・民間協力合計8億ドルの経済援助が決定し、双方の間で一切の請求権(個人の分を含めて)の放棄が確認されている。
しかも、中国・韓国は、日本が戦前・戦中に国内から持ち出した膨大な資産(国有・私有含めて)を接収している。
その額は、連合軍最高司令部(GHQ)の当時の調査によれば、中国本土約68億ドル、満州約113億ドル、台湾約25億ドル、北朝鮮約32億ドル、南朝鮮約29億ドルで、現在の中国・韓国の領域分の合計だけでも約210億ドルである。
これを現在の価値に換算すると、日本の消費者物価の上昇率で計算すれば約1050兆円、また、国家予算の規模の拡大をもとに計算すれば、実に2100兆円にもなるのである。
中国・韓国が首相の國神社参拝を非難し始めたのは、実は比較的最近のことです。
講和独立直前の1951年(昭和26年)から、日本のほとんどの総理大臣は、國神社に参拝してきましたが、このことが国際的非難を浴びることはありませんでした。
1965年(昭和40年)の
「日韓基本条約」
締結直後に佐藤栄作首相が國神社を参拝した際も、1972年(昭和47年)に
「日中共同声明」
が発せられた直後に田中角栄首相が國神社を参拝した際も、中国・韓国は何の批判もしていません。
また、いわゆる「A級戦犯」が國神社に合祀されたのは1978年(昭和53年)。
そしてそのことがマスコミに大きく取り上げられ、一般に知られるようになったのは翌年1979年(昭和54年)4月ですが、この後に大平正芳首相が國神社に参拝した際も、 中国・韓国は全く問題にしませんでした。
中国が、首相の國神社参拝に反対する態度を明確にし始めたのは、1985年(昭和60年)8月以降のことです。
当時、中曽根康弘首相の國神社参拝をどうしても阻止したかった朝日新聞は、中国特派員に繰り返し
「日本の軍国主義化」
を吹聴させ、紙面でも連日國神社参拝への批判キャンペーンを展開しました。
また、同様の意図で社会党(現・社民党)も活動し、田辺誠書記長ら訪中団は中国首脳に対して、
「日本が軍国主義化を始めた」
としきりに訴えた<1985年(昭和60年)8月26日>ため、中国はこの問題が外交上のカードとして有効であることを認識したのでした。
一方、この頃の韓国には、
「國問題は日本の国内問題」
と冷静に考える空気が、政府・マスコミともに強く、首相の國神社参拝に対する批判はほとんどありませんでした。

中国こそ軍国主義だ!
中国は、日本の
「軍国主義化」
を批判しているが、戦後70年以上の間、日本は、戦争は疎か、軍事力で威圧して自らの意志を他国に強いてきたことなど1度もない。
「軍国主義国家」
と言われるに相応しいのは、むしろ中国の方ではないだろうか。
中国は、平和な仏教国チベットを無残にも侵略支配し、自らの意のままにならないベトナムに対しても
「懲罰」
を加えるとして侵攻した。
また、ベトナムが実効支配していた西沙諸島をミグ戦闘機で攻撃、続いて南沙諸島も占領し、これらの島々を自らの支配へ組み入れた。
そして、台湾に対しても公然と武力侵略を宣言し、着々とその実現の準備を進めているのである。
中国は国内においても、新疆ウイグル・チベット・内モンゴルなどの独立運動家を虐殺又は逮捕拷問し、天安門事件で
「民主化」
を訴える自国民を戦車で蹂躙、現在も法輪功など反共産主義的勢力への苛酷な弾圧を続けている。
中国の
「軍国主義批判」
に対しては、日本人はもっと明確に反論すべきではないだろうか。
米国の識者は國問題を次のように見ている。
「現代の中国の指導者たちはアジアの覇権を求め、唯一、中国に対抗し得るライバルの日本を國問題で道義的に劣等だとするレッテルを貼り、屈服させようとしている」
(ダニエル・リンチ南カリフォルニア大学教授)
「日本は最近、日米同盟を強化する形で中国の軍事増強への懸念や台湾海峡の平和と安定への関心を明確に表明するようになった」
「中国は、この日本の政策や態度に激しく反発し、國神社参拝もその範疇の対応と見なすことができる」
(アーサー・ウォルドロン・ペンシルバニア大学教授)
「日本は償いが足りない、ドイツのように誠実に謝罪し賠償すべきだ」
と言う人がいますが、ドイツの場合は、政府がユダヤ民族の撲滅という明らかに間違った目的を掲げて戦争をしたので、謝罪も行い、被害を受けた個人に対する
「補償」
を実施してきました。
しかし、日本の場合、政府及び軍の方針として他民族の虐殺や迫害を掲げたことはありません。
計画的虐殺、即ち
「人道に対する罪」
は、連合国が日本を恣意的に罪に陥れようとした東京裁判の法廷でもとうとう立証できませんでした。
ニュールンベルク裁判で死刑となった12人のドイツ人被告は、全て
「人道に対する罪」
が問われましたが、我が国では、その罪状で有罪となった人は1人もいません。
また、ドイツ政府が被害者個人に対し補償として支払った総額は、1995年(平成7年)時点で、日本円にして実に約6兆円にものぼるそうですが、それはナチスの行った惨劇があまりにも大規模であったということです。
その被害者の多さから、実際に1人1人に渡る金額は微々たるものとなり、例えばポーランド人の場合、1人平均は4万円にしかなりませんでした。
それに、我が国は、戦場となり惨禍を被ったアジア諸国の政府に対し、賠償や援助を誠実に行ってきています。
ところが、ドイツは、第二次世界大戦で戦場となった周辺国に対して全く国家賠償を行っていません。
確かに、ドイツの国家賠償は、1953年のロンドン債務協定第5条で、
「ドイツの統一まで免責する」
とされていました。
しかし、現在のドイツ政府は、
「1990年の東西ドイツの統一後もどこの国からも申し出がなかったので、もう支払う必要がない」
と開き直っています。
ドイツの方が誠実で、日本は不誠実というのは、余りにも勉強不足で軽薄な意見です。
ドイツは国策としてユダヤ人を迫害したが、日本はむしろユダヤ人を保護した。
第一次近衛内閣の五相会議では
「猶太(ユダヤ)人対策要網」
が決定され、ユダヤ人を他の民族と同じく公正に扱い、排斥してはならないことが謳われていた。
また、在リトアニア日本領事館の杉原千畝副領事が、6000人余のユダヤ人にビザを発行して、その脱出を助けた話はあまりにも有名である。
しかし、ハルピン特務機関の樋口季一郎機関長は更に多くのユダヤ人を助けている。
1938年(昭和13年)3月、ソビエト連邦 (現在のロシア)と満州国(現在の中国東北地方に、民族協和の理想を掲げて建国された)の国境に、2万人(数千人との説もある)のユダヤ人難民が突如現れた。
樋口は満州国外交部(外務省)と掛け合い、入境のための必要な措置を依頼すると共に、南満州鉄道総裁の松岡洋右(後にA級戦犯として起訴拘留され、裁判中に死亡)には彼らの輸送の便宜をはかってくれるよう訴えた。
松岡は直ちに臨時列車を用意し、難民たちは無事入境、脱出を成し遂げるのである。
これら一連の行為にドイツは激怒し、リッペンドロップ外相が日本政府へ抗議、関東軍(満州に駐留していた日本軍)にも照会があった。
しかし、樋口は、当時関東軍の参謀長であった東條英機中将(後にA級戦犯として死刑)に、
「これは人道問題です」
「満州国は五族協和を謳っており、差別はおかしい」
と意見具申した。
東條も
「尤もだ」
とこれに同意し、
「日本はドイツの属国ではない」
「救出は正しい」
と外務省に回答したのである。
戦後の日本は貧しいながらも着実に賠償問題を解決していった。
まず、1954年(昭和29年)ビルマ(現・ミャンマー)に対し賠償協定を結び、日本人の役務(技術労働力の提供)と生産物で総額2億ドル分を賠償として供与(10年分割)することを決定、またこれとは別に5千万ドルに相当する経済協力を日本人の役務で行うことを決めた。
続いて、フィリピンに対しては、1956年(昭和31年)に5億5千万ドルの賠償支払と、経済協力として2億 5千万ドルの借款供与が、インドネシアとは、1958年(昭和33年)に2億2千万ドルの賠償と4億ドルの経済協力(借款)、ベトナムには、1959年(昭和34年)に3千9百万ドルの賠償と750万ドルの経済協力 (借款)がそれぞれ決められている。
首相が國神社への参拝を中止しても問題は、解決しません。
中国・韓国が、首相の國神社参拝を批判する理由の多くは、極めて政治的なものです。
中国は、首相が國神社への参拝を中止した後は閣僚の参拝中止を要求してくるでしょうし、
「A級戦犯」
の分祀を勝ち取った次は、
「B・C級戦犯」
の分祀を要求するでしょう。
國神社参拝問題が終われば教科書、その次は尖閣諸島の領有権と、次々と攻勢をかけてくるのは目に見えています。
中国は、國問題を外交上のカードの1つとしか考えていません。
また、中国政府は、国内に貧富の格差や少数民族の差別など共産党独裁政権に対する不満を抱えているため、日本に不満の矛先を向けさせるべく國問題を利用しているとも言われています。
実際、2005年(平成17年)4月に中国の各地で起こった反日暴動は、政府公安関係者の指導で行われていました。
一方、韓国の盧武鉉元大統領も、かつて支持率が低迷していた時期に、島根県の
「竹島の日」
制定問題で日本を激しく攻撃したところ、支持率が大幅アップしたことに味をしめ、支持率が必要な際には
「反日」
を民衆にアピールしています。
2005年(平成17年)の6月の日韓首脳会議でも、北朝鮮の核問題などそっちのけで、殆どの時間を國神社参拝問題や教科書問題に費やしていました。
盧武鉉元大統領が、自らの支持率を手っ取り早く上げるために、反日のターゲットを探し、攻撃するパフォーマンスを繰り返していたのは明白です。
そんな他国の事情に阿り、日本のために尊い生命を捧げた方々への感謝の参拝を中止していいものでしょうか。
私は、首相が、毅然とした態度で國神社に参拝されることを強く望むものです。
「まず主権国家である日本の総理大臣が、中国に限らず他の国から國神社に参拝してはいけないと指図されるようなことがあれば、逆に参拝すべきだと思います」
「なぜなら内政干渉を許してはいけないからです」
「もう1つは、全ての国が戦死者を祀りますが、それぞれのやり方で良いのだと思います」
(アーミテージ元米国国務副長官)

東京裁判における「A級戦犯」刑死者・獄死者
◆刑死
東條英機:陸軍大将、参謀総長、陸軍大臣(第三次近衛内閣)、首相
板垣征四郎:陸軍大将、支那派遣軍総参謀長、陸軍大臣(近衛内閣・平沼内閣)
土肥原賢二:陸軍大将、陸軍航空総監
松井石根:陸軍大将、中支方面軍司令官
木村兵太郎:陸軍大将、ビルマ派遣軍司令官、陸軍次官(近衛内閣・東條内閣)
武藤章:陸軍中将、陸軍省軍務局長
廣田弘毅:駐ソ大使、外務大臣(斉藤内閣・近衛内閣)、首相
◆服役中に死亡
平沼騏一郎:首相、枢密院議長
小磯国昭:陸軍大将、朝鮮総督、拓務大臣(平沼内閣・米内内閣)、首相
白鳥敏夫:駐伊大使
梅津美次郎:陸軍大将、関東軍司令官、参謀総長、陸軍次官(廣田内閣・林内閣・近衛内閣)
東郷茂徳:駐独大使、駐ソ大使、外務大臣(東條内閣・鈴木内閣)
◆未決拘禁中に死亡
永野修身:陸軍大将、軍令部総長、海軍大臣(廣田内閣)
松岡洋右:外務大臣(近衛内閣)
◆禁固
荒木貞夫:陸軍大将、陸軍大臣(犬養内閣・斉藤内閣)、文部大臣(近衛内閣・平沼内閣)
橋本欣五郎:陸軍大佐、大日本赤誠会統領
畑俊六:陸軍元帥、支那派遣軍総司令官、陸軍大臣(阿部内閣・米内内閣)
星野直樹:満州国総国務長官、東條内閣書記官長
賀屋興宣:大蔵大臣(近衛内閣・東條内閣)
木戸幸一:文部大臣(近衛内閣)、厚生大臣(近衛内閣)、内務大臣(平沼内閣)、内大臣
南次郎:陸軍大将、関東軍司令官、朝鮮総督、陸軍大臣(若槻内閣)
岡敬純:海軍中将、海軍省軍務局長
大島浩:陸軍中将、駐独大使
佐藤賢了:陸軍中将、陸軍省軍務局長
嶋田繁太郎:海軍大将、軍令部総長、海軍大臣(東條内閣)
鈴木貞一:陸軍中将、企画院総裁(近衛内閣・東條内閣)
重光葵:駐英大使、駐華大使、外務大臣(東條内閣・小磯内閣)
◆訴追免除
大川周明:満州東亜経済理事長 *精神障害と認定

明治維新実現のために斃れた志士をお祀りするため、1869年(明治2年)、東京に東京招魂社が創建され、地方にも各々招魂社が建てられました(京都は東京より先に創建)。1879年(明治12年)、東京招魂社は國神社となりましたが、後に地方の招魂社も護国神社と名称を改められ、今日に至っています。國神社の英霊方は、各々出身地の護国神社にもお祀りされていますので、是非両方にお参りに出かけられてはいかがでしょうか。

護国神社一覧
http://www.yasukuni.or.jp/history/gokoku.html

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/511.html#c28

[政治・選挙・NHK297] 進次郎農相の化けの皮ズルズルはがれる…“コンバイン発言”で大炎上、これじゃあ7月参院選まで人気持たず(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1647] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月21日 20:11:27 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1085]
<■430行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<独自>中国軍機の異常接近時、日中がホットライン使用せず 緊急事での機能不全、露わに
2025/6/21 18:10
https://www.sankei.com/article/20250621-7U7VEDXLSJKPBJOBBXKJGI3L6M/
中国軍戦闘機が2025年6月7、8両日に海上自衛隊のP3C哨戒機に異常接近した際、日中両政府が防衛当局幹部間のホットライン(専用回線)を使用していなかったことが2025年6月21日、分かった。
日中のホットラインはこれまで交流行事での使用にとどまっており、偶発的な衝突に繋がりかねない事案発生時に機能しづらい実態が浮き彫りとなった。
複数の日中外交筋が明らかにした。
日本政府は今回の異常接近に関し
「偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
(林芳正官房長官)
と批判してきたが、ホットライン使用には至らなかった。
防衛相経験者は
「空の出来事は事態の推移が早く、ホットラインで協議するのは難しい」
と明かす。
防衛省によると、太平洋に進出した中国海軍の空母「山東」を海自のP3Cが監視していたところ、山東から発艦したJ15戦闘機が2025年6月7日に約40分間、2025年6月8日に約80分間に渡ってP3Cを追尾した。
J15はミサイルとみられるものを搭載し、P3Cに約45メートルまで異常接近した他、同じ高度で前方を横切るなど危険な動きを見せた。
昨年2024年、海自の護衛艦「すずつき」が中国領海を一時航行した際や、中国軍機が日本領空を初めて侵犯した際もホットラインは使われなかった。
ホットラインは使用前に毎回、当局間で協議するなど内部の運用規定があるとされ、日本政府が使いたくとも中国側が拒否すれば機能しない。
中国は日本への領海侵入や領空侵犯を繰り返すなど威嚇を強めており、偶発的な衝突に発展しかねない事案が今後も続く可能性がある。
日本としては対話の実効性を確保すると共に、抑止力向上のための防衛力強化が欠かせなくなっている。

ホットライン
不測の軍事的衝突を回避したり、相互の信頼醸成を図ったりするための専用電話回線。
日中間では2023年3月に開設した。
防衛当局の幹部同士が直接連絡を取り合うもので、自衛隊と中国軍の相互通報体制
「海空連絡メカニズム」
の柱に位置付けられている。
日本政府はホットラインの使用の有無を原則公表していない。

中国空母「遼寧」「山東」から戦闘機やヘリ520回発着 防衛省発表、太平洋で同時活動
2025/6/18 0:11
https://www.sankei.com/article/20250618-EIK4T6WFGNO5PGYX53ZJF5ADEM/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月17日、太平洋で初の同時活動が確認された中国海軍の空母「遼寧」と「山東」が2025年6月8〜16日にかけ、艦載する戦闘機やヘリコプターを計約520回発着させたと発表した。
防衛省は
「遠洋での作戦遂行能力の強化を狙っている」
と見て動向を注視している。
防衛省によると、遼寧は2025年6月8日以降、硫黄島(東京都)の南東約650キロの海域から南西に進みながら発着艦を計約290回実施した。
山東は9日以降、沖ノ鳥島(東京都)周辺を時計回りに航行しながら計約230回発着艦した。
山東を巡っては、2025年6月7〜8日、艦載のJ15戦闘機による海上自衛隊のP3C哨戒機への接近が確認され、日本政府が抗議した。
遼寧は一連の航行の中で、中国が制海権確立を目的に伊豆諸島や米グアムを繋ぐ海上ライン
「第2列島線」
を中国空母として初めて越えた。

<主張>戦闘機の異常接近 無法中国に強く抗議せよ 
社説
2025/6/17 5:00
https://www.sankei.com/article/20250617-6KZ7YTWVYFLZRPSYB4MBMW7XXU/
中国の空母「山東」から発艦したJ15戦闘機が太平洋上空で、警戒監視任務中の海上自衛隊のP3C哨戒機に異常接近した。
現場は沖ノ鳥島西方で、中国軍戦闘機は2025年6月7日は約40分間、2025年6月8日は約80分間に渡って海自哨戒機を追尾した。
両日とも約45メートルまで近づき、2025年6月8日には海自機の前方約900メートルを横切った。
いずれも極めて危険な常軌を逸した飛行で容認できない。
自衛隊機の警戒監視活動は国際ルールに沿っており何の問題もない。
中国はジェット戦闘機がプロペラ機の哨戒機に異常接近した非を認め、謝罪すべきだ。
船越健裕外務事務次官は中国の呉江浩駐日大使に深刻な懸念を伝え、再発防止を求めた。
これに対し、中国外務省の報道官は中国側の活動は国際法と国際慣例に完全に合致していると唱え、日本側が
「近距離偵察」
という
「危険行為」
をやめるよう求めた。
盗人猛々しいとはこのことだ。
反省しない中国軍は挑発を繰り返しかねない。
自衛隊の吉田圭秀統合幕僚長は会見で、
「警戒監視を厳正に実施していく」
「抑止の意志と能力を堅持していく」
と表明した。
国を守る上で極めて妥当な発言だ。
自衛隊に期待したい。
情けないのは石破茂首相と岩屋毅外相だ。
異常接近は領空侵犯に匹敵する問題だと捉えるべきだ。
深刻な懸念ではなく、断固とした抗議の意を首相や外相が示さなくてどうする。
外務次官より下のレベルの中国側への申し入れは2025年6月10日から始めたが、次官の申し入れは防衛省による事案発表の翌日の2025年6月12日だった。
首相や外相を含め、怒りをきちんと示せないようでは国を代表する資格はない。
米国のグラス駐日大使はSNSで
「中国軍戦闘機による危険極まりない行動が、自衛隊機に搭乗する隊員の命を危険に晒した」
「意図的な加害行為だ」
と中国を非難した。
本来、日本の首相、閣僚、政治家が言うべきことである。
異常接近当時、「山東」と「遼寧」の2つの中国空母が西太平洋に初めて同時展開していた。
「遼寧」は中国空母として初めて、小笠原諸島から米領のグアム島を結ぶ第2列島線の東側でも行動していた。
太平洋の守りにも一層力を入れなければ日本は危うい。

「日本が先に中国を誘発したと言う人が政府の中に…」国民・榛葉氏 中国ヘリの領空侵犯で
2025/6/13 10:10
https://www.sankei.com/article/20250613-GXY4GJ5GC5EOXMHREAEMTUNI7Q/
国民民主党の榛葉賀津也幹事長は2025年6月12日の参院外交防衛委員会で、中国軍戦闘機が海上自衛隊機に異常接近するなど
「特異な」(中谷元・防衛相)
事案が続く現状に対し
「海から空にフェーズが変わった」
「相当危機感を持った方がいい」
と強調した。
その上で
「政府の中に
『先に日本が動いたせいで中国を誘発した』
などと、まことしやかに言う人がいる」
「中国の認知戦に完全に陥っている」
と指摘した。
■「心に入ってくるのが認知戦」
中国を巡っては2025年5月3日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で海警局艦船の艦載ヘリコプターが領空侵犯した。
中国ヘリによる領空侵犯は初めて。
2025年6月7、8日には中国空母艦載機が海自哨戒機P3Cに45メートルまで接近した。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。
前者の場合、日本の小型民間機が先立って尖閣に接近しており、中国側は
「日本の右翼分子が操縦する民間機が釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)の領空に侵入した」
と主張。
後者も
「日本の艦艇や軍用機が中国の正常な軍事活動に対し接近して偵察していることが根本原因だ」
などと正当化した。
榛葉氏は同委で、質疑前日に
「変な夢」
を見たと語り始めた。
中国のヘリが尖閣諸島上空を飛行中にエンジンが不具合を起こし、不時着─。
「中国軍が人命救助を目的にババババっと尖閣に行って…」(榛葉氏)。
そこで目が覚め、考え込んでしまって寝られなかったのだという。
榛葉氏は、
「極めて心配なのが与党」
「政府の中でも
『日本の民間機による尖閣周辺での飛行が事態を誘発した』
『先に日本が動いたせいで中国の領空侵犯を誘発した』
と、まことしやかに言う人がいる」
「まさに中国の認知戦に完全に陥っている」
と疑問視した。
■尖閣に公務員常駐は「今こそやるべきでは」
岩屋毅外相は
「中国の認知戦の罠に陥っているとの指摘は当たらない」
と反論したが、榛葉氏は
「中国はサラミをスライスするように日本の心の中にも入ってくる」
と重ねて訴えた。
次に榛葉氏は
「私の大好きな自民党」(榛葉氏)
が、政権交代前後の平成24年衆院選、平成25年参院選で
「尖閣諸島への公務員常駐」
を掲げていたが、平成26年衆院選以降の公約から抜け落ちている状況を疑問視し、
「今こそやるべきではないか」
と促した。
岩屋氏は当時、党安全保障調査会長を務めていたが、同委ではこう答弁するにとどめた。
「尖閣を安定的に維持管理するため、様々な選択肢はあるが、どの方策が真に効果的なのか、戦略的観点から、総合的に判断していかねばならない」
榛葉氏は公務員常駐も
「選択肢の1つか」
と尋ねたが、岩屋氏は
「今それを採用するかは別にして、様々な選択肢の1つではある」
と語った。
■「絶対に戦争をさせない」
榛葉氏は、尖閣有事も台湾有事も起こさせないためには、米国との緊密な連携が何よりも大事だと指摘し、
「絶対に戦争をさせない」
「そのための抑止力をどう構築し、我が国が主体的にコミットしていくのか」
「自衛隊と共に、米国と共に考えていくべき」
と述べた。

自衛隊機に中国軍機接近 統幕長「偶発的衝突 誘発の可能性も」
2025年6月12日 19時22分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250611/k10014832861000.html
防衛省は、今月2025年6月、太平洋上空を飛行していた海上自衛隊の哨戒機が、中国軍の戦闘機から接近されたり前方を横切られたりしたと、2025年6月11日夜に発表しました。
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
防衛省によりますと、今月2025年6月7日と8日、日本周辺の太平洋の上空で警戒監視を行っていた海上自衛隊のP3C哨戒機が、中国軍のJ15戦闘機から追尾されたということです。
戦闘機は中国海軍の空母「山東」の艦載機で、追尾された時間は、2025年6月7日がおよそ40分、2025年6月8日がおよそ80分だったとしています。
いずれの日もおよそ45メートルの距離まで接近された他、2025年6月8日には哨戒機の前方およそ900メートルを戦闘機が横切ったということです。
「山東」は2025年6月7日午後には沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を、2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行していたことが確認されています。
今回の飛行で哨戒機の搭乗員や機体に被害はなかったということですが、
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」
として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
中国軍の戦闘機は、2014年5月と6月にも東シナ海上空で監視飛行中の自衛隊機に異常に接近していて、日本政府が中国に抗議しています。
防衛省は今回、公表が発生から数日後になったことについて
「搭乗員からの聞き取りやデータの解析を慎重にしていたため」
としています。
■統合幕僚長「偶発的衝突 誘発の可能性ある深刻な行為」
吉田統幕長は2025年6月12日の定例の記者会見で
「中国軍のミスによって接近をされたという認識は持っていない」
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある深刻な行為だ」
と述べました。
また、中国海軍の空母2隻が初めて同時期に太平洋に進出していることなどを踏まえ、
「中国軍の活動区域が拡大し、軍事活動が活発化していることについては我々としても警戒しないといけない」
「危機感は高まっていると認識して頂いて結構だ」
と述べた上で
「自衛隊として隙のない態勢を示し、力による一方的な現状変更の試みを阻止するという意思と能力を示していくことが大事だ」
と述べました。
一方、自衛隊と中国軍の偶発的な衝突を防ぐため両国の防衛当局どうしが直接連絡を取り合う
「ホットライン」
を今回使用したかどうかについては
「回答を差し控える」
として明らかにしませんでしたが
「中国と直接的な意思疎通を図る必要性は高まっていると思う」
と述べ、対話が重要だという認識を示しました。
■官房長官「中国側に深刻な懸念表明 再発防止厳重に申し入れ」
林官房長官は2025年6月12日午前の記者会見で
「中国軍の行動の意図について確たることを申し上げることは差し控えたいが、中国軍機による特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性があることから 政府として外務省の船越事務次官から呉江浩駐日大使をはじめ外交と防衛のルートで中国側に対し、深刻な懸念を表明し再発防止を厳重に申し入れた」
と述べました。
その上で
「政府としては中国側と引き続き様々なレベルで意思疎通を行うとともに我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くため、今後もわが国周辺の海空域での警戒・監視活動などに万全を期していく」
と述べました。
■中国外務省報道官「日本の接近偵察が根本的な原因」
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の会見で
「中国が関連する海域や空域で行っている活動は国際法や国際的な慣例に完全に則ったものだ」
と述べた上で、今回のケースについては防衛当局どうしが意思疎通を行っていることを明らかにしました。
その一方で
「強調したいのは、日本の艦艇や航空機が中国の通常の軍事活動に対して接近偵察を行っていることが海と空の安全リスクを引き起こす根本的な原因だということだ」
「日本に対して危険な行為をやめるよう強く求める」
と述べ、日本側を非難しました。
■中国軍のJ15戦闘機とは
防衛省によりますと、中国軍のJ15戦闘機は空母の上でも発着できる艦載機でロシア軍の艦載機のSu33戦闘機を模倣したとされています。
各国の艦艇や航空機の情報をとりまとめている2017年から2018年の
「ジェーン年鑑」
によりますと、飛行可能な距離は最大でおよそ3500キロとされています。
空母を飛び立った後、任務を行って再び戻ってこられる範囲を示す
「戦闘行動半径」
は明らかにされていませんが、防衛省関係者は空母が今回よりも日本に近付いた場合には、東京を含め本州が
「戦闘行動半径」
に入る恐れがあるとしています。
■中国軍の戦闘機 ミサイルを装着か
防衛省は、今月2025年6月8日に海上自衛隊のP3C哨戒機が中国軍のJ15戦闘機に追尾された際の写真2枚を公開しました。
このうち、戦闘機の前方から撮影した写真では、機体の左翼の下にミサイルとみられるものが装着されているのが確認できます。
防衛省によりますと、ミサイルとみられるものは、前日の2025年6月7日の飛行でも確認されたということです。
また、もう1枚の写真は、哨戒機の左側から戦闘機を撮影したもので、戦闘機は哨戒機から非常に近い距離をほぼ同じ高度で飛行していたことが分かります。
防衛省によりますと、2025年6月8日に戦闘機が哨戒機の前方およそ900メートルを横切った際は、哨戒機の左側から右側に向けて飛行したということです。
防衛省はこの横切りについて
「運用上必要ないもので、戦闘機のエンジンから出る排気によって哨戒機の飛行に影響が出た恐れもあった」
としています。
■追尾は7日と8日 日本周辺の太平洋上空で
防衛省は、海上自衛隊の哨戒機が中国軍の戦闘機に追尾されたのは
▽今月2025年6月7日が午前10時半ごろから11時ごろにかけてのおよそ40分間
▽今月2025年6月8日が午後2時ごろから3時ごろにかけてのおよそ80分間で、いずれも日本周辺の太平洋上空だったとしています。
防衛省関係者によりますと、このうち2025年6月7日に追尾されたのは中国海軍の空母「山東」が航行していた周辺の空域だったということです。
「山東」は、2025年6月7日午後1時ごろには、沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたことが確認されています。
また、2025年6月8日に追尾されたのは2025年6月7日に追尾された空域よりも東側で、沖ノ鳥島よりは西側だったということです。
防衛省によりますと哨戒機を追尾した戦闘機は2025年6月7日が1機、2025年6月8日が2機で、2025年6月8日については2機のうち1機が至近距離まで接近したり哨戒機の前方を横切ったりしたということです。
■中国空母2隻 同時期に太平洋に進出
防衛省関係者によりますと、中国海軍の空母「山東」は今月2025年6月6日ごろ南シナ海から台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通過して太平洋に進出しました。
防衛省によりますと今月2025年6月7日の午後1時ごろには、ミサイル駆逐艦や補給艦など他の4隻の艦艇と共に沖縄県の宮古島の南東およそ550キロの海域を航行していたのが確認されています。
その2日後の2025年6月9日には小笠原諸島の沖ノ鳥島の北の日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行し、「山東」から戦闘機やヘリコプターの発着が行われたということです。
防衛省関係者によりますと発着が行われた海域は本州の紀伊半島から南に1000キロあまりの距離だったということです。
また、「山東」とは別に中国海軍の空母「遼寧」も2025年6月5月下旬以降日本周辺で航行を続け、戦闘機など艦載機の発着も確認されています。
防衛省によりますと、「遼寧」は2025年5月25日に沖縄県の尖閣諸島沖の東シナ海で航行しているのが確認され艦載機の発着も行われました。
その後、2025年5月26日から27日にかけて沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋に進出し、今月2025年6月7日には日本の最も東にある小笠原諸島の南鳥島の南西およそ300キロの日本のEEZ=排他的経済水域内を航行しているのが確認されました。
その翌日の2025年6月8日にはEEZの外側の公海上で艦載機の発着が行われ、周辺には中国海軍のミサイル駆逐艦や補給艦などの艦艇7隻も確認できたということです。
中国が現在運用している空母は「遼寧」と「山東」の2隻で、同時期に太平洋に進出したのは今回が初めてとなります。
中国は
▽南西諸島から台湾、フィリピンに至るいわゆる「第1列島線」と
▽小笠原諸島からグアムなどに至るいわゆる「第2列島線」を有事が起きた際の防衛ラインの1つと位置づけ、アメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているとされています。
防衛省は今回、「遼寧」は初めて「第2列島線」よりも東の海域に進出したとしていて、「山東」についても「第2列島線」の周辺まで進出したことを公表したのは初めてだとしています。
防衛省は中国が空母の運用能力や遠方での作戦遂行能力の向上を図っているとみられるとしています。
2隻の空母などは2025年6月12日も太平洋上での航行を続けているということで、警戒と監視を続けています。
■“「能力見せつける」戦略的メッセージの可能性も”
元空将 武藤茂樹さん
航空自衛隊で司令官を務めた元空将の武藤茂樹さんは、中国軍の戦闘機の飛行について
「高度差なしの45メートルという距離は航空自衛隊が警戒監視で飛行する場合の相手との距離より1桁分近く、極めて近い距離で衝突の危険性を孕む」
「前を横切る飛行も非常に危険で、中国軍機の飛行はアンプロフェッショナルな行為だと言える」
と話しています。
その上で考えられる意図としては
「空母の活動に関する情報を取られないよう空母の付近で活動するP3Cの活動を継続して監視し、近づかせないためのものだった可能性がある」
「日本に対して能力を見せつけるという戦略的なメッセージの可能性もある」
と指摘しています。
防衛省が公表した中国軍機の写真にミサイルとみられるものが確認されたことについては
「中距離ミサイルと短距離ミサイルを搭載していることが分かる」
「いずれも空対空戦闘用のミサイルでP3Cは当然射程に入るが、航空自衛隊が行う領空侵犯などへの対応でも2種類のミサイルを搭載しているので、中国側がどのような任務で飛行したかによって脅威度は変わってくる」
と話しています。
また、今回空母2隻が太平洋で確認されたことついては
「以前は東シナ海や南シナ海の大陸に近い所で運用されていたが、このところ第1列島線の外側に出て太平洋上で運用する状況になり、今回は更にそこから離れて小笠原諸島に近い所で運用している」
「中国は第1列島線から第2列島線の所でアメリカ軍の接近を阻止する戦略を取っているが、空母の運用範囲が広がっていることは戦略を実行する能力が着実に上がっていることを示している」
「大陸から遠距離の場所でも十分な航空戦力の運用ができているかどうかはよく見ておかなければいけない」
と述べ、警戒監視を続けることが重要だと指摘しています。
■防衛省関係者「今までとは違う動き 危機感持たないと」
今回の中国軍の空母や艦載機の動向について防衛省関係者は
「日本は九州や沖縄の南西地域を中心に防衛力を強化してきたが、南鳥島や沖ノ鳥島など小笠原諸島周辺だとレーダーや基地などの防衛基盤が限られるため警戒が難しい」
「今回の空母の展開は今までとは違う動きで、危機感を持たないといけない」
と話しています。
また、別の防衛省関係者は
「いわゆる『第2列島線』上にある硫黄島を東西に挟む形で2隻の空母がいるのはアメリカと日本に対する圧力を感じる」
「『第2列島線』の所までアメリカ軍を寄せつけないようにするための牽制ではないか」
と話しています。

「日本の接近偵察が根本原因」 中国外務省、海自哨戒機への異常接近で責任転嫁
2025/6/12 16:10
https://www.sankei.com/article/20250612-BJDD4K7YXFJPFHRHFWX2YLAMNY/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月12日の記者会見で、中国軍の戦闘機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機に異常接近していたことに関し、
「日本の艦艇や軍用機が、中国の正常な軍事活動に対して接近して偵察していることが海空の安全に関するリスクを引き起こしている根本原因だ」
と述べて反論した。
日本側に
「危険行為」
をやめるよう求めると主張した。
林氏は、中国軍戦闘機の活動に関して
「関係する海空域で活動を行うことは国際法と国際慣例に完全に合致している」
という従来の主張を繰り返した。
同時に、今回の異常接近に関して
「両国の国防部門が既存のルートを通じて意思疎通を保っている」
とも表明した。
日本の防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で2025年6月7、8日に警戒監視を行っていた海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
中国軍機の異常接近は平成26年以来だった。

中国軍機、海自機に45メートルまで接近 太平洋上、防衛省は深刻懸念と再発防止申し入れ
2025/6/12 0:30
https://www.sankei.com/article/20250612-QI4MIQM44ZOKLMCIIFPO5VP4VA/
防衛省は2025年6月11日、中国海軍の空母「山東」の艦載機が太平洋上で海上自衛隊の哨戒機P3Cに異常接近していたと発表した。
日本政府は中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を申し入れた。
防衛省によると、山東から発艦したJ15戦闘機が2025年6月7、8日に警戒監視を行っていたP3Cに異常接近した。
2025年6月7日は約45メートルの距離まで接近され、2025年6月8日には針路前方約900メートルを横切った。
自衛隊機や隊員に被害は出ていない。
中国軍機の異常接近は平成26年以来。

<独自>南鳥島に警戒レーダー配備を検討 防衛省、中国空母進出受け手薄な防空態勢を強化
2025/6/11 19:31
https://www.sankei.com/article/20250611-N5CTWFP4NBL2VODYVZPLN3SD6Q/
防衛省が外国機の領空侵犯と領空接近を監視する航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーを南鳥島(東京都)に配備する案を検討していることが2025年6月11日、分かった。
台湾有事の際に米海軍の接近を阻止するため中国が設定したという防衛ライン
「第2列島線」
を中国海軍の空母が初めて越えるなど海洋進出を強める中、警戒監視態勢を強化する。
一方、太平洋島嶼部への戦闘機部隊の配備や防空識別圏(ADIZ)の設置は行わない方針だ。
令和4年12月に策定した防衛力整備計画には、太平洋の離島などに移動式レーダーの整備を進める方針が明記された。
太平洋では、硫黄島を除く小笠原諸島や伊豆諸島にレーダーがなく、防空態勢が手薄な状況が続く。
南鳥島には海上自衛隊の隊員らが常駐するが、民間人は住んでおらず、防衛省内で
「レーダーを設置しやすい」
との声がある。
同島では地上から軍艦を狙う陸上自衛隊の12式地対艦誘導弾の射撃場を整備する計画もある。
防衛省は太平洋に進出する中国軍機を捕捉するため、沖縄県の北大東島でも移動式レーダーを整備する。
レーダー網の拡充を急ぐ背景には、中国軍の海洋進出の勢いが増していることがある。
中国海軍の空母「遼寧」は今月2025年6月7日、ミサイル駆逐艦などを伴い、南鳥島の南西約300キロに位置する日本の排他的経済水域(EEZ)内を航行した。
空母「山東」も太平洋側に進出し、実戦訓練を行った。
中国の空母2隻が太平洋で活動するのは初めてで、自衛隊幹部は
「今後ますます活動範囲を広げていくだろう」
と危惧する。
日本は台湾有事を念頭に、南西方面での防衛力強化に力を入れてきたが、太平洋の守りは後回しとなっていた。
太平洋戦争中には米空母から発艦した爆撃機で東京などが空襲され、大きな被害が出た。
防空態勢に穴が空いたままでは、中国軍機が領空侵犯などで威嚇を強める可能性もある。

「日本に理性的取り扱い望む」「国際法と合致」 中国が空母の第2列島線初通過で主張
2025/6/9 18:19
https://www.sankei.com/article/20250609-KU2W262E7BJGDO4YIM55M56NGI/
中国外務省の林剣報道官は2025年6月9日の記者会見で、中国海軍の空母
「遼寧」
が小笠原諸島やグアムを結ぶ
「第2列島線」
を初めて越えたと日本側が発表したことについて、
「中国の軍艦の関連海域における活動は国際法と国際慣例に完全に合致している」
と主張した。
林氏は
「中国は一貫して防御的な国防政策を実行しており、日本側は客観的、理性的に取り扱うよう望む」
と注文を付けた。
中国軍は、日本周辺で空母の活動を活発化させている。
昨年2024年9月には遼寧が、中国の空母として初めて沖縄県の西表島と与那国島の間の接続水域を航行した。

中国空母「遼寧」、南鳥島沖に初進出 防衛省、艦載機やヘリの発着艦を確認
2025/6/8 22:27
https://www.sankei.com/article/20250608-RF5DZVZNXZJBLBNQGWZ4EVFEAI/
防衛省統合幕僚監部は2025年6月8日、中国海軍の空母
「遼寧」
が2025年6月7〜8日、南鳥島(東京都)の沖合の太平洋を航行し、搭載する戦闘機やヘリコプターの発着を確認したと発表した。
防衛省によると、中国の空母が同海域まで進出したのは初めて。
中国海軍が日本周辺での活動を拡大、活発化させているとして情報収集や警戒監視を強化している。
防衛省によると、2025年6月7日午後6時頃、南鳥島の南西約300キロの排他的経済水域(EEZ)内で、遼寧がミサイル駆逐艦など3隻と共に航行しているのを確認。遼寧は更に南西に進み、2025年6月8日に発着艦を実施した。
遼寧は2025年5月下旬、沖縄周辺の東シナ海や太平洋で発着艦を繰り返した後、太平洋を南進。
その後、南鳥島沖に北上してきたとみられる。
遼寧は旧ソ連製空母を改修し、2012年9月に就役した中国初の空母。
船首に傾斜がついたスキージャンプ式の甲板を備える。
昨年2024年9月、沖縄県の西表島と与那国島の間を通過し、中国空母として初めて日本の接続水域を航行したことが確認された。

中国海警船は4倍増、比国は6隻のみ 鹿児島で国内初の日米比合同訓練、結束確認
2025/6/16 19:15
https://www.sankei.com/article/20250616-OKBN2U47ERKVHGAP2J5BXOOD24/
海上保安庁は2025年6月16日、米国、フィリピンの両沿岸警備隊と行う国内初の共同訓練を前に、鹿児島県内で歓迎式典を開いた。
3カ国共同訓練は昨年、マニラで初めて開催。
東シナ、南シナ両海への進出を強める中国を念頭に、日米比の結束を示し、力による現状変更に対抗する構えだ。
訓練は2025年6月20日、鹿児島・錦江湾で実施。
参加する巡視船は海保の「あさなぎ」(6千トン)、比国は日本が供与した「テレサ・マグバヌア」(2265トン)、米国は「ストラットン」(4500トン)。
九州南方の公海上で船舶同士が衝突したと想定し、連携して情報伝達や捜索救助、火災消火の手順を確認する。
中国は離島を巡る領有権争いを激化させている。
中国の海上保安機関である海警局の船舶は東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)へ年間を通じて接近。
南シナ海では軍事拠点化を進めるスプラトリー(中国名・南沙)諸島で、海警局船の比船舶への妨害行動が頻発に起きている。
海保によると、広範囲に活動できる1千トン級船舶は、2012年に中国は日本より少ない40隻だったが、2023年までに推定159隻と4倍に。
日本は51隻から75隻と1.5倍増にとどまる。
さらに2018年、海警局は軍事組織の一部へ編入された。
比国は詳細を明らかにしていないが、海洋監視に使用できる大型船舶は極端に少ない。
米国が2019年までに海軍へ供与した3隻の他、日本も2022年に2隻供与するなど現在は計6隻とみられる。
日本は2028年までに5隻を追加供与する予定。
比国の海上法執行能力の構築は、中国と対峙する日本と同盟国・米国にとって急務となっている。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/522.html#c28

[政治・選挙・NHK297] 兵庫・斎藤知事を公選法違反容疑で書類送検 知事選でPR会社に報酬(毎日新聞) 赤かぶ
41. 秘密のアッコちゃん[1648] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月22日 08:08:48 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1086]
<▽37行くらい>
<主張>日韓国交60年 専制国家の抑止で協力を
社説
2025/6/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250622-X7Y5FTHNYVN45JRP6TVVOU3GIU/
日韓両国は2025年6月22日、国交を結んで60年の節目を迎えた。
これに先立ち、石破茂首相と就任間もない李在明韓国大統領はカナダで初の対面会談を行った。
両首脳は未来志向の日韓関係を築くことで合意した。
日本は韓国の経済成長に協力し、韓国は自助努力もあって先進民主主義国になった。
だが、韓国は歴史問題で日本に言い掛かりを付け、両国関係はしばしば冷却化した。
自由と民主主義を奉じ、米国と同盟を結ぶ日韓の良好な関係は地域の平和と安定に不可欠だ。
そこで李氏に銘記してもらいたいことがある。
まず、未来志向は言葉のみでは実現しないという点だ。
それに相応しい行動や政策を持続するよう望みたい。
就任時に未来志向の日韓関係を掲げた李明博元大統領は、支持率を落とすと竹島(島根県隠岐の島町)に不法上陸した。
在位中の上皇陛下に
「歴史問題」
で謝罪要求する非礼も働いた。
朴槿恵政権下で、日韓両国が
「最終的かつ不可逆的な解決」
を確認した慰安婦合意を、次の文在寅政権は否定した。
李在明氏は大統領候補になる前、日本を
「敵性国家」
と呼んでいた。
大統領選からは反日を封印して見せたが、本当にこの姿勢が続くのか。
また、日米韓の結束を唱えつつ、中国や北朝鮮との関係も重視する
「実用外交」
を、●蝠(こうもり)外交にしてはならない。
歴代の韓国大統領が試みた米中間でのバランス外交は功を奏した試しがない。
中国、北朝鮮、ロシアという専制国家は強硬姿勢を強めている。
李氏は
「台湾海峡がどうなろうと、我々には何の関係もない」
と発言したことがある。
韓国が台湾有事に日和見を決め込めば、日韓関係も米韓同盟も破局を迎える。
日米と協力し対中抑止の役割を担ってもらいたい。
朝鮮半島有事における韓国の安全保障は米国に加え日本の協力も欠かせない。
石破首相はこの事実を李氏に説くべきだ。
韓国が取り上げてきた
「慰安婦」

「徴用工」
などの所謂歴史問題は史実を歪めた主張だった。
それを蒸し返して日本と対立すれば、北朝鮮や中国が喜ぶだけである。
請求権を巡る問題がとうに解決済みであるのは、60年前の1965年に調印した日韓基本条約と関連協定が示すところだ。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/521.html#c41
[政治・選挙・NHK297] 進次郎農相の化けの皮ズルズルはがれる…“コンバイン発言”で大炎上、これじゃあ7月参院選まで人気持たず(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
31. 秘密のアッコちゃん[1649] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月22日 10:56:54 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1087]
<■914行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<産経抄>沖縄戦終結から80年
2025/6/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250622-VSBMGT3RUVNXJAABK33BSLYR64/
羽化してから数時間で命を終えるカゲロウは、はかなさの象徴として歌に詠まれることも多い。
<壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ>。
芥川龍之介の死を悼み、親しかった斎藤茂吉が手向けた挽歌だ。
▼35年の生涯を駆け抜けた作家の面差しが命短いカゲロウの姿に重なり、寂寥(せきりょう)感が長い尾を引く。
かの羽虫には口がない。
餌を取るということを知らず、子孫を残すためだけに空を漂う。
歌人の小池光さんが
「片道燃料で出撃した戦艦大和のよう」
と、例えていたのを思い出す。
▼その大和は沖縄戦に向かう途中で、米軍機の攻撃により沈んだ。
昭和20年4月7日である。
沖縄本島では第32軍将兵や義勇隊などが戦い、本土からは2500機以上の特攻機や空挺隊が出撃した。
日本は軍民合わせ約18万8千人が亡くなっている。
▼沖縄を、我が国を、子や孫らのあすを守るため、身を盾にして奮戦した人たちである。
米軍の戦死者も1万2千人以上に上った。
明日2025年6月23日は、沖縄での組織的な戦闘が終わってから80年の節目、戦没者に哀悼の誠を捧げる
「慰霊の日」
である。
▼沖縄戦を巡っては、今も尚、本土防衛の
「捨て石」
などと自虐的な歴史観で語られることも多い。
沖縄戦の特攻には、関東や東北など各地から多くの若者が出撃して散華した。
国を守る戦いに、本土も離島もなかった証しである。
英霊への冒瀆を看過することはできない。
▼尖閣諸島をはじめ我が国近海では、中国の威圧的な動きが目に余る。
長きに渡り積み重ねた
「戦後」
に唾する相手には外交努力だけでは十分でない。
防衛力を高めることが国民と国土を守ることに繋がる。
子孫に明日を託した英霊への、それが答えになる。

<正論>国防上重要な沖縄戦の歴史認識 
日本経済大学准教授・久野潤
2025/6/20 8:00
https://www.sankei.com/article/20250620-CTG3EDUAOBIEDBK7DXI2I273VQ/
■共産主義から沖縄守る大御心
2025年4月2日付の本欄拙稿で80年前の沖縄戦において、日本軍が沖縄を見捨てるどころか全力で戦い、一方で戦後の日本再建の布石も打っていたことについて述べた。
『昭和天皇実録』の昭和22年9月19日の項に
「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」
し、それが
「米国の利益となり、また日本を保護することにもなる」、
そして
「米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべき」
で、
「この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろう」
と思し召しであったことが記されている。
このいわゆる
「天皇メッセージ」
により沖縄に対する主権が確保されたと評される(ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』など)一方、反皇室的な論者の間では戦後も引き続き基地設置を認め、自己保身のため沖縄を犠牲にしたとの主張も根強い。
後者はまったくの曲解と言わざるをえないが、共産主義の脅威が矮小化されている結果でもある。
昭和20年5月にドイツが降伏した後、沖縄防衛も絶望的となった昭和20年6月、ソ連の対日参戦情報(昭和20年2月のヤルタ会談で米英と密約)などを無視する格好で、東郷茂徳外相の命で広田弘毅元首相、次いで佐藤尚武駐ソ大使がソ連に対する連合国との和平斡旋交渉を開始した。
実際のソ連は終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領へ侵攻し、昭和20年8月15日を過ぎても侵略を続けたことは周知の通りだが、沖縄失陥により指導層のソ連への期待が高まり判断を狂わせたことは歴史の重要な教訓である。
沖縄を守るためにも、戦後に誕生した中華人民共和国を含む共産主義勢力を排除すべきことが、昭和天皇によりいち早く示唆されたことになる。
歴代天皇の沖縄への痛切な大御心(おおみこころ)については本稿で繰り返すまでもないが、共産主義の脅威から国土を守ることは、現在に至るまで国防の重要課題であり続けている。
■日本中の将兵が沖縄で戦った
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日は沖縄県制定の
「慰霊の日」
とされ毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)で県および県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開催されている。
平成2年以降、コロナ下を除いて現職首相も参列し、メディアで大々的に報道されるが、もう1つの、もとい本来の戦没者慰霊顕彰のよりどころである沖縄県護国神社(那覇市、昭和11年創建)で同日に斎行される沖縄戦全戦歿(せんぼつ)者慰霊祭はあまり知られていない。
筆者は実は、こちらの方へ参列している。
「全國護國神社會」
所属の護国神社52社の祭神は、基本的に幕末以来の地元出身殉難者・戦没者等だ。その中で沖縄県護国神社の祭神は
「日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊」
17万7913柱で、
「北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者」
即ち沖縄出身でない沖縄戦戦没者(都道府県別で最多の北海道は1万90柱)も含まれている。
その前で
「沖縄は見捨てられた」
などと言えようか。
現行憲法の
「政教分離」
解釈から公的行事で神道式の
「慰霊」
を殊更に避けようとする戦後の風潮には違和感を覚えるが、出自も違う数多の戦没者にとっての結節点は、靖国神社に祀られるということであった。
その靖国神社に準ずる護国神社での慰霊顕彰に、沖縄戦に思いを致す日本人はもっと目を向けるべきであろう。
■建国以来の信頼関係回復へ
このことは、単なる過去の話ではない。
先月2025年5月刊行された齋藤達志『完全版沖縄戦』は
「沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さと共にそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日のもとに明らかにした」
と厳しく指摘している。
沖縄戦で無念にも的確に県民を守れなかったのはその通りとしても、同時に、それを受け止めた現在における一部日本人の歴史認識の
「未熟さ」
を筆者は思わずにはおれない。
国土を守る戦いとは、当地の住民を守るのみならず、後世まで敵勢力に対する抑止力を持たせるべきものである。
我が国が建国以来、王朝交代等なく継承されてきたのも、君主と国民、国民と<祖国を守る者>が支え合うという、三者の信頼関係が2000年以上続いてきたからに他ならない。
歴史上、革命や間接侵略の際にはこの信頼関係破壊が図られた。
「沖縄県民を守ろうとしたが守れなかった」
史実が
「天皇も軍隊も沖縄を守ろうとしなかった」
という話に転化されることで、
「これからも自衛隊は日本を守らないかもしれない」
との疑心暗鬼を生み、侵略される隙を作ることになる。
日本国民と、天皇そして<祖国を守る者>との建国以来の信頼関係が今後も保たれるかどうかは、沖縄戦に対する歴史認識にかかっているといっても過言ではない。

<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡
日本経済大学准教授・久野潤
2025/4/2 8:00
https://www.sankei.com/article/20250402-AAS6XLCBVBMX7MOEWXZDVW5OYQ/
■沖縄へ向け大和出撃80年
本年は沖縄戦、そして戦艦「大和」出撃から80年の節目でもある。
今もって史上最大の戦艦である「大和」は、その艦名も相俟(あいま)って我が国戦史上特筆すべき存在であり、またその出撃の当否をめぐる議論も戦後絶えなかった。
昭和20(1945)年4月1日の連合軍沖縄本島上陸の際、連合艦隊は「天一号」「菊水」の特攻作戦を発動した。
鹿屋基地(鹿児島県)の第五航空艦隊の司令長官は、かつて山本五十六連合艦隊司令長官を補佐する参謀長として、またマリアナ・レイテの両海戦で第一戦隊司令官として「大和」に座乗した宇垣纏(まとめ)海軍中将。
宇垣は独断で麾下(きか)の零戦を出撃させ、沖縄へ向かう「大和」上空直掩(ちょくえん)を図るが、零戦隊の本務もあり果たせなかった。
昭和20(1945)年4月7日の「大和」沈没を聞いた宇垣は、陣中日誌『戦藻録』に
「抑々茲(そもそもここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈(だけ)の総攻撃なるやの(筆者注・昭和天皇の)御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」
と記している。
これをもって「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄を何としても救わねばという大御心(おおみこころ)に思いを致すべきであろう。
「大和」出撃を後押しした連合艦隊司令部の心情を表す、神重徳(かみしげのり)参謀の言葉が伝わっている。
「もし大和を柱島あたりに繫(つな)いだままで、大和が生き残ったままで戦争に敗けたとしたら、何と国民に説明するのか」
(吉田満・原勝洋『ドキュメント戦艦大和』)
これに対して高田利種参謀副長が
「これをやらないで今度の戦さに敗けたとしたら、次の日本を作る事が出来ないのではないかというのが、神参謀の本心だと判断した」
ことで、
「国民」
がこの時点に存在した日本人のみを指すのではなく、後世の我々をも含む概念であったことも理解できる。
沖縄の戦況を憂う大御心を拝した軍人たちにとって、将来に渡り
「あの時の日本軍は固有の国土を全力で守らなかった」
との誹(そし)りを受けることはあってはならないのだ。
■受け継がれていた楠公精神
さて作戦名の菊水とは、後醍醐天皇に忠節を尽くして湊川の戦いで殉節(戦死)し、後世広く崇敬された大楠公こと楠木正成の家紋である。
戦後史観のもとでは、大楠公は衆寡敵せぬ情況で仕方なく出陣して玉砕した点が、日本軍の思想に影響を与えたかのように評されてきた。
実際の大楠公は足利尊氏の反逆に対し我が国の正道を示し、それを継承する布石を打って湊川へ向かった。
戦前の日本人もそれを理解していたからこそ長男正行(まさつら)を故郷へ帰した
「桜井の訣別」
の逸話に涙したのである。
「大和」出撃に際しても、桜井の訣別≠ェあった。
出撃3日前の昭和20(1945)年4月3日に卒業したばかりの海軍兵学校74期生42人・海軍経理学校35期生4人が少尉候補生として乗り組んでいた。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は出撃前日の昭和20(1945)年4月5日、彼らに退艦を命じる。
候補生たちは命令撤回を懇願したが、有賀幸作「大和」艦長に
「この戦(いくさ)はまだまだ先が長いぞ」
「お前たち候補生にはもっと働き甲斐のある戦闘が待ち構えておる、自重せよ」
と諭され退艦した(中田整一『四月七日の桜』)。
参陣を懇願する子に大楠公が、更に長きに渡り皇室に忠節を尽くすべしと自重を諭したのと軌を一にする。
■絶望的な戦局でも尚…
沖縄への出撃を命じられた伊藤は当初大反対であった。
神の要請で「大和」を訪れた草鹿龍之介連合艦隊参謀長から
「一億総特攻の魁(さきがけ)」
となってほしいと説得され納得したとされる。
沖縄失陥までの10次に渡る菊水作戦で海軍は940機、陸軍は887機が特攻を行い、それによる連合国側死傷者は1万人近くを数えた。
加えて、残存水上兵力をかき集め「大和」以下10隻の第二艦隊も出撃させたのであるから、沖縄は見捨てられたとする戦後の言説が筆者には理解し難い。
そして宇垣も終戦の玉音放送後に湊川≠ヨ向かった。
最後の特攻隊として「彗星」爆撃機11機を率い出撃する直前まで書いていた『戦藻録』最後の頁は、以下の行で締められている。
「独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万艱(ばんかん)に抗し、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完(まっと)うせん事を望む」
「余又楠公精神を以て永久に尽す処あるを期す」
大楠公は湊川で弟正季(まさすえ)と刺し違える際「七生滅賊」を誓い合い、その精神が幕末の志士さらに近代軍人に受け継がれることで日本を護(まも)り続けた。
「大和」出撃も無駄だったどころか、絶望的な戦局でも最後まで国土を護るため戦った確固たる足跡を残している。
筆者は先述「大和」退艦の候補生の1人で同期を代表して有賀艦長に直談判した阿部一孝氏(令和5年6月逝去)から直接話を伺う機会があった。
「沖縄特攻は、今の日米関係の土台になっているはず」。
沖縄を易々と見捨てるような日本であったならば、米国も今のような同盟国として扱わなかったであろう。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

沖縄戦最初の戦死 歴史に葬られた特攻隊長 伊舎堂用久
正論2025年4月号 作家 将口康浩
大陸に対し、海に弧を描き、鹿児島から沖縄の島々が連なっている。
国境に近い最西端、八重山諸島の中心が石垣島。
沖縄本島から400km、台湾との距離は僅か270kmしか離れていない。
石垣島の北170kmに点在する尖閣諸島では中国船の頻繁な領空侵犯を受けている。
かつて沖縄は、東から攻め上がった米軍との戦いの地となった。
今、西からの攻勢に晒されている。
尖閣諸島最大の魚釣島の地番は沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地。
ちょうど80年前の昭和20(1945)年、石垣島から出撃、慶良間諸島沖で米艦隊に体当たり攻撃を行った伊舎堂用久大尉の生まれは石垣市登野城156番地。
自分の郷土は自分で守ると、特攻隊長として故郷から出撃した。
石垣島西部に陸軍白保飛行場が広がっていた。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、指揮所前に陸軍特別攻撃隊
「誠第17飛行隊」
と、その護衛に当たる
「独立飛行第23中隊」
の隊員、関係部隊長40名が集合していた。

本25日1650、慶良間群島周辺に空母2、特設空母4以上よりなる敵機動部隊遊弋中なり
飛行団は敵機動部隊を攻撃せんとす

中央気象台石垣島測候所は昭和20(1945)年3月26日の天候は快晴と予報していた。
海上に浮かぶ眼下の敵を発見しやすい絶好の飛行日和だった。
昭和20(1945)年3月26日午前4時。
見送りを受け、初めに第23中隊所属の直掩機6機、続いて誠第17飛行隊の特攻機4機が離陸した。
11歳だった石垣島宮良の小浜義勝はその日をよく覚えている。
迫る米軍艦艇に体当たりをする特攻機が石垣島から出撃することは子供でも知っている公然の秘密だった。
日の出は午前6時37分、まだ月が残っていた。
「飛行機が飛んでいる」
姉の声がした。
布団にくるまり、眠っていた小浜義勝はすぐに飛び起きた。
耳を澄ますと、聞き慣れた陸軍機の爆音がする。
急いで庭に出て、北の空の機影に姉と2人で懸命に手を振った。
傍らでは、目を閉じたままの母は手を合わせて拝み、父は言葉もなく呆然と見送っていた。
その日、米空母に突撃して戦死したと聞いた。
戦後も生まれた石垣島で暮らし、老齢となった小浜義勝は伊舎堂用久の戦死についてこう語っていた。
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂用久中佐が故郷を守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
熾烈を極めた沖縄戦は石垣島の白保飛行場から飛び立った伊舎堂用久隊が口火を切る。
伊舎堂用久率いる10名が沖縄戦最初の戦死者となった。
しかし、この事実を知る者は少ない。
■「用久元気」空からの手紙
中国戦線から1年ぶりに帰国、静岡県浜松で新型機に乗り換えるための訓練を受ける。
僅か1カ月ほどの浜松滞在後、那覇経由で台湾花蓮港(現・花蓮市)に向かう。
途中、石垣島の生家上空を旋回、通信筒を落とす。
帰省することができない伊舎堂用久からの空からの手紙だった。

用久元気 台湾花蓮港ニ居ルコトニナリマシタ 今前進スル途中

最早故郷の地を踏むことはない、珊瑚礁に当たる砕ける波と白浜、緑深い山々、港に続く懐かしい家並み。
空からこれが見納めとじっくりと眺めたに違いない。
手紙を受け取った父の伊舎堂用和、母の伊舎堂ミツも同じ心持ちだっただろう。
だが、10カ月後、再び故郷の地を踏む。
帰るに帰れなかった石垣島に7年ぶりの帰郷を果たす。
そこが最期の地となった。
昭和19(1944)年10月25日、レイテ沖海戦で初めての特攻攻撃が行われた。
同年昭和19(1944)年11月中旬、花蓮港からフィリピンのルソン島ツゲガラオ基地まで、伊舎堂用久は99式軍偵察機で飛行、米軍の進攻状況や特攻隊の現況などを10日間に渡り偵察分析する。
整備の岡本泰憲曹長だけが同行した。
夕食後、ツゲガラオ基地の宿舎を抜け、2人で空を見上げる。
交わす言葉はなく、無言のままだった。
岡本泰憲曹長が手記に残している。
「群青色に澄んだ夜空に散らばる南十字星を伊舎堂中尉と感無量の想いで眺めた思い出は忘れられない」
この時点では台湾での特攻隊編成は決まっていなかった。
しかし、伊舎堂用久を単機で現地視察に行かせた理由は1つしかない。
沖縄で特攻隊出撃命令を下す際、敵を迎え撃つ沖縄県民と後続の陸軍航空兵の士気を高める上で、第8飛行士団幹部は郷里の英雄を最初の隊長にすべきと当初から考慮していた。
無論、伊舎堂用久自身もその意を汲んでいた。
昭和19(1944)年11月末、同師団に特攻隊編成指示が出された。
死に向かう道しかない集団の団結心と1人1人の闘志の高揚、持続だった。
そのためには集団を率いる隊長の責任感や統率力、人柄、技量が重要になる。
部下にこの人とならば、と思わせるような男でなければならない。
編成を任された作戦主任参謀の石川寛一中佐は隊長に伊舎堂用久を指名した。
石川寛一中佐は偵察出身で、伊舎堂用久との関係も深く、知悉の間柄でもあった。
伊舎堂用久を司令部に呼び出し隊長就任を要請した。
何の迷いも躊躇いもなく、伊舎堂用久が即答する。
「私にやらせて下さい」
昭和19(1944)年12月8日、
「誠第17飛行隊」
が編成された。
伊舎堂用久は昭和19(1944)年12月1日、大尉に昇級した。
希少な石垣島出身の飛行隊長が郷土から特攻出撃する筋書きが完成した。

伊舎堂用久大尉 陸士55期、24歳、沖縄出身
石垣仁中尉 陸士56期、23歳、山形出身
安原正文少尉 幹部候補生9期、24歳、高知出身
川瀬嘉紀少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、東京出身
大門修一少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、茨城出身
久保元治郎少尉 金沢大、特別操縦見習士官1期、22歳、千葉出身
芝崎茂少尉 特別操縦見習士官1期、23歳、埼玉出身
黒田釈伍長 少年飛行兵、21歳、愛媛出身
有馬達郎伍長 少年飛行兵、17歳、鹿児島出身
林至寛伍長 少年飛行兵、17歳、東京出身
小林茂兵長 少年飛行兵、16歳、東京出身

誠第17飛行隊11名のうち生き残った者は誰1人としていなかった。

昭和20(1945)年2月28日、誠第17飛行隊は石垣白保飛行場に到着した。
伊舎堂用久にとって7年ぶりの故郷で過ごす最期の37日間だった。
隊員は飛行場近くのオーセと呼ばれる拝所がある白保集落の中心に分宿する。
毎朝、オーセ前に集合し、全員で体操を行う。
その後、隊長宿舎前で点呼を取り、その日の作業日程やその日の行動確認を行い、最後に隊長が訓示をするのが日課だった。
門前で伊舎堂用久がキビキビと名前を呼び、隊員が返事をする光景を見た前盛家の嫁、敏子は規則を厳格に守る軍隊の様子に驚かされる。
「物腰の柔らかい方で、隊長は部下に対しても、温情みある態度で接し、叱り付けるようなことはありませんでした」
死にだけ向かっていく伊舎堂用久の心中を慮り、話しかけたこともあった。
「夜はきちんと熟睡できますか」
「出撃の日を待つのみですから、何も考えずに、その日を来るのを待っています。今はただ、明鏡止水の心境です」

比ぶなき幸い哉我選まれて今南海の雲と散り征く 石垣仁中尉
死生有命不足論 只祈必中撃沈 安原正文少尉
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき 伊舎堂用久大尉
人間到処在青山 芝崎茂少尉
きづなをば たちて飛びゆく 白雲の無心の境地 機にまかせて 大門修一少尉

残された寄せ書きが5名の遺書となった。
■「部下のことを・・・」家族との面会拒む
地元出身の有名人だったが前盛家の家族以外、他の島民たちと接触することはほとんどなかった。
伊舎堂用久の母ミツと姉の3女トヨ子、妹の4女節子が隊長宿舎を訪ねてきたことがある。
前盛家の長男、善助がそのことを伝えると、伊舎堂用久は毅然として面会を断った。
「部下は本土出身で、帰りたくても帰ることができない」
「部下の気持ちを思うと、自分だけ家族に会うことはできない」
陸軍士官学校入校以来、故郷に帰ることが叶わず、あれほど会いたかった母と姉妹たちだ。
しかし歓喜するどころか、すげなく追い返す。
「大尉殿は会うことはできないと言っている」
母たちに善助が申し訳なさそうに言った。
自宅のある登野城と白保は10km近くある。
子供の足では3時間近くかかるだろう。
会えないまま、落胆し帰って行った。
「公私の区別について、かなり厳格に考えていた」
「妹さんが手作りのご馳走を持参して面会に来ても会わなかったようだ」
「せっかく訪ねてきたのだから、堅苦しく考えずに会ってあげたらどうか、と勧めたことがある」
「しかし、部下は帰ろうと思っても帰る所もない」
「いくら肉親でも部下の手前、忍びないと拒み通したことは並みの人のできることではない」
「こういうことなどで部下たちは心服していた」
上司の第9飛行団長の柳本栄喜大佐は戦後、こう書き記す。
柳本栄喜大佐も面会を勧めるが、伊舎堂用久は頑なに拒んでいた。
「家に帰って1度、両親に顔を見せてはどうか」
石垣島に駐屯していた第69飛行場大隊長の浅沼紀平少佐は伊舎堂用久に顔を合わせる度に、帰宅を促していた。
しかし、伊舎堂用久の返事は変わらなかった。
「部下の事を考えれば、そういうわけにはいきません」
誠第17飛行隊の整備兵が戦後、こう語っている。
「伊舎堂隊長は石垣島に実家があり、お父さんも妹さんもいらっしゃる」
「それなのに隊長は家に帰らぬ」
「皆で是非、家に帰ったら如何ですかと言っても、
『戦争をしているんだ』
と言って、部下の訓練をしていた」
「あの隊長のためなら喜んで命を捨てることができる」
部下にとって、伊舎堂用久と行動を共にすることは当然の成り行きだった。
しかしながら、出撃が間近となった時、浅沼紀平少佐の再三再四の要請に根負けし、浅沼紀平少佐と共に車で登野城にある実家に向かった。
玄関で出迎えた父、伊舎堂用和は伊舎堂用久を上座に座らせた。
厳格な父は3男と根性の別れになることを悟っていた。
特攻隊長就任の経緯も、戦死後の処遇も、戦局の行方も語らず、2人は静かに杯を交わす。
帰りの車中で漏らした言葉が浅沼紀平少佐の脳裡で渦巻く。
「いずれ、敵が沖縄に上陸すれば、私は第1次特攻隊として特攻することになる」
「死ぬことは何とも思わないが、私たちが死んだ後、祖国日本はどうなるだろうか」
「それが心残りです」
如何に特攻機で戦艦を撃沈させようとも、挽回しようがないところまで追い込まれていた。
既に日本は敗戦すると腹を括っていた。
「我々が残っているから心配ない」
それしか浅沼紀平少佐には返す言葉がなかった。
昭和20(1945)年3月25日正午、台湾の第10戦隊が那覇西方海上で米空母2隻を含む大規模な艦隊を発見する。

第9飛行団長は明26日早朝、誠第17飛行隊を基幹とする特別攻撃隊をもって慶良間群島周辺の敵機動部隊に対し左のごとく攻撃すべし
攻撃時刻 0550 編成および攻撃方式 甲編成第1方式
直掩機の装備 爆装備

連絡を受け、隊員たちの賄いをしていた仲宗根千代も大急ぎで弁当を作り、持って行った。
飛行中、機上で食べることができるように、竹の皮に包んだ握り飯弁当だった。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、戦闘指揮所に隊員や関係者が集合する。
第9飛行団長の柳本栄喜大佐が最後の命令を下す。
「敵はいよいよ我が国土に侵寇しようとしている」
「諸君の成功を祈る」
別れの杯に酒を満たし、白鉢巻き姿の隊員が酌み交わす。
仲宗根千代が食事を作っていた隊員の鉢巻きには
「お母さんお先に」
と書かれていた。
「いずれ私たちも祖国のため殉死する運命を免れないと思っていたので、特別な感情は浮かばなかったけど、今でもあの時の姿が浮かんでくる」
■戦死知らずに面会
出撃時刻は翌昭和20(1945)年3月26日午前4時だった。
「伊舎堂隊長の出撃です。すぐ来てください」
姉・伊舎堂トヨ子の夫である石垣信純の兵舎に整備兵が飛び込んで来た。
石垣信純は現地招集の工兵隊中隊長だった。
兵舎から飛行場まで約1km。
自動車もなく、これが義弟との別れになる。
息を切らせ、走りに走った。
到着した時、伊舎堂用久機は既にエンジンを掛け、プロペラが回り始めている。
もう駄目だ、遅かったと呆然と立ち尽くす。
そこへ誰かが石垣信純の手を取り、急いで搭乗機の近くまで連れて行く。
既に特攻機を守る直掩機は離陸し、上空で待機している。
操縦席で眼前を伊舎堂用久はまさに飛び立とうとしていた。
思わず石垣信純は動こうとする搭乗機にしがみつく。
伊舎堂用久はようやく義兄の姿に気付く。
言葉は一言だけだった。
「姉さんによろしく」
石垣信純が何か言う間もなく、滑走路を駆け、伊舎堂用久機が空に舞い上がる。
言葉も声も無く、その場に崩れ落ちる。
慶良間諸島沖合に艦隊を発見、大型空母2隻、小型空母2隻を含む大艦隊だった。
一斉に駆逐艦の対空砲火が始まり、凄まじい米軍の火力を見せつける。

いまより我、突入す

予定時刻の昭和20(1945)年3月26日午前5時50分、芝崎茂少尉、川瀬嘉紀少尉、黒田釈伍長の順に打電が入る。
伊舎堂用久大尉も体当たり攻撃を敢行する。
昭和20(1945)年6月23日まで続く、沖縄戦の最初の戦いだった。
弁当を届けた仲宗根千代はそのまま司令部に残り、連絡を待っていた。
伊舎堂用久隊突入、成功の報が届く。
歓喜の声も、泣き叫ぶ声もなく、司令部全員が同時に合掌、隊員たちの冥福を祈った。
ただ一人、伊舎堂用久の当番下士官だけが泣き叫び、床に座り込んでいた。
仲宗根千代は忘れられない。
「往時に思いを致す時、あの若さで異性を知ることもなく、青春を楽しむこともなく、只々祖国の安泰と慈母の穏やかなることを念じ、黙々として死の首途に赴いた少年特攻兵の面影は今でも忘れることは出来ません」
「司令部のその時の一種悲壮、感動的な光景は今尚脳裡に浮かんできます」
第1団に引き続き、昭和20(1945)年3月29日に安原正文少尉、昭和20(1945)年4月2日に久保元治郎少尉と有馬達郎伍長、昭和20(1945)年4月8日に林至寛伍長が出撃、昭和20(1945)年5月14日に大門修一少尉、伊舎堂用久隊全員が散華した。
石垣仁中尉は昭和20(1945)年3月22日、台湾沖で戦死、小林茂兵長は台湾での訓練中に事故死していた。
伊舎堂用久が戦死した昭和20(1945)年3月26日、事情を知らない父と母、姉、妹が揃って白保飛行場を訪れる。
出撃が近付いていることを察知、最期になるかもしれないと心づくしのご馳走を携えていた。
いずれ、この日が来ることの心積もりはあったとはいえ、茫然自失となる4人。
周囲も憚らず、地面にうつ伏せて泣きじゃくる母。
姉と妹も母の背に追いすがり声を上げる。
子に先立たれる母ほど、哀切なものはない。
泣き崩れる親子の姿に周りの者も涙を流す。
「武人としての本望ではないか」
父・伊舎堂用和だけは気丈に振る舞うが、心中は慟哭していただろう。
■歌われなくなった唄
伊舎堂用久隊に感状が授与され、ラジオや新聞各紙が一斉に報道する。
石垣島出身の毎日新聞、宮良高夫記者が
「伊舎堂大尉よ。あなたの武勲はふるさとの海に咲く赤い花とともに永久に故郷を飾るのだ」
と記事に書いた。
武功を讃える
「伊舎堂隊の唄」
はかつて、沖縄に暮らす老若男女誰もが知らぬ者がいなかった。
伊舎堂用久の陸士同期、藤森正義の義弟が那覇航空測候所に勤務していた。
日本復帰間もない頃、義弟から那覇の街でよく歌われていると手紙で知らされ、
「沖縄県民の心の中に生き続けていることを嬉しく思う」
と藤森は書き残す。
だが、いつしか伊舎堂用久の武勲が故郷で語り継がれることも、歌が口ずさまれることもなくなった。
伊舎堂用久の長兄の伊舎堂用展、伊舎堂用展の妻・伊舎堂ハツは戦争で命を失った。
伊舎堂用久の父の伊舎堂用和も終戦翌日昭和20(1945)年8月16日に病死した。
八重山諸島では米軍上陸に備え、マラリア有病地域の山間部に疎開して罹患、約3000人が死亡。
「戦争マラリア」
と呼ばれている。
伊舎堂ハツもマラリアで死亡した。
伊舎堂用八7歳を残したままの38歳だった。
伊舎堂用展は米軍と交戦の末、戦死。
両親を失った伊舎堂用八は4女、伊舎堂節子の手で育てられる。
八重山高校教諭などを務め、家を継いだ伊舎堂用八が叔父、伊舎堂用久の志を語ることができる唯一の遺族となった。
「伊舎堂用久戦死の意義は沖縄人の誇りと、自分の故郷は自分で守る気概を持ってほしいというメッセージを後世の沖縄人に伝えようとしたこと」
沖縄県糸満市の平和祈念公園に
「空華(くげ)之塔」
が建立されている。
沖縄戦で戦死した陸海軍の航空将兵を祀っている。
昭和39(1964)年11月1日、遺族を代表して母・伊舎堂ミツが除幕を行った。
それほどに伊舎堂用久の名は重いものだった。
「昭和20年(1945)3月26日は沖縄戦が開始された日として地元紙は大きく報道されるが、沖縄戦第1号の特攻には何も触れられない」
「沖縄県民が特攻史を何も知らない」
意図的に忘却されている歴史の真実に伊舎堂用八は憤怒する。
伊舎堂用八も老齢となった。
伊舎堂用久の位牌や写真、手紙などの遺品は今後どうなるのか、処遇も不明である。
石垣市南ぬ浜町で、平成25(2013)年8月15日に
「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」
の除幕式が行われた。
戦死から68年後、ようやく建立にこぎつけた。
忘れ去られたまま、月日が経過していた。
顕彰碑建立期成会が発足後、寄付の申し出が殺到、2000人以上、700万円の寄付金が集まる。
寄付者の手紙にこう書かれていた。

顕彰碑が立派に建立され、尖閣を含む沖縄の地の守り神としての役割を果たさんことを祈念しています。
碑には
「郷土と国を愛し、悠久の大義に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐と隊員の遺功」
と記された。
伊舎堂用久の遺詠
「指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき」
とともに、石垣島から出撃した特攻隊31名全員の氏名、年齢、出身地が刻銘された。

蒼海を望む高台に碑はある。
北には尖閣諸島、西には八重山の島々、その先には台湾がある。
更に先には中国大陸がある。
「祖国日本はどうなるか、それだけが心残り」
出撃直前、魂の底から絞り出された言葉だった。
伊舎堂用久が我々に問いかけている。
国を守るということは何か。
国を守ることは故郷を守り、そこに暮らす父母や兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人を守ることだった。
今の祖国を見てどう感じるだろうか。
こんな日本になりましたと伊舎堂用久に見せることが出来るだろうか。
尖閣諸島を跋扈する中国船舶を見せることが出来るだろうか。
日本人として突き付けられている。
歴史の1ページとして郷土から出撃、戦死した伊舎堂用久の人柄、生き方。
現代に生きる我々が先人の犠牲の上にあることを忘れないと共に、もう起きてはならない戦争の凄惨な真実を残すためにも語り継がなければならない。
伊舎堂用久隊出撃から今年2025年でちょうど80年を迎える。
沖縄戦が始まった昭和20年(1945)3月26日。
これからも忘れてはならない日。
石垣島から出撃した誠第17飛行隊。
沖縄戦最初の戦死。
郷土を守ろうとした伊舎堂用久。
日本人が決して忘れてはならない名である。
■地元紙連載が単行本に
当時は軍神とまで崇められながら、戦後は歴史から消されてしまった伊舎堂用久中佐。
せめて地元の人たちには沖縄戦の最初の戦死者について知ってほしいと、筆者は昨年2024年3月から8月に渡り石垣市を拠点とする地元紙・八重山日報で伊舎堂用久中佐について連載した。
その連載が
『歴史に葬られた特攻隊長 〜故郷・石垣島から出撃した伊舎堂用久中佐』
として2025年3月20日、徳間書店から刊行される。
ぜひ一読を乞いたい。

<産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと
2025/3/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170
日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。
戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。
高校教科書の検定を見て改めて思う。
▼だからこそ知ってほしい。
「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。
こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。
80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
伊舎堂はそのとき24歳。
▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。
八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された
『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店)
に詳しい。
沖縄では
「軍人を美化するな」
とされ、特攻を知らない人が多い。
顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。
▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。
旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。
陸軍では作文教育を重視した。
刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。
毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。
▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。
戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は
「本望ではないか」
と気丈に語ったという。
婚約者との再会は、叶わなかった。
▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。
碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。
忘れてはならない歴史である。

「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会
2025/1/17 17:40
https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/
沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が
「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」
と題して講演した。
宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。
「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」
と指摘した。
沖縄戦を巡り、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたという非難があることに触れ、
「『捨て石』のために死んだというのか」
「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」
と強調。
「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」
と述べた。
また、戦後80年を振り返り、
「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」
と憂慮した。

すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」
2024/10/19 19:18
https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」
「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」
との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。
公演は2024年10月20日まで。
いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。
女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。
知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
■ようやく実現した沖縄公演
主催者によると、
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。
特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。
ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。
好評を博し、今年2024年も開催することになったという。
沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。
劇中でも、特攻隊員たちが
「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」
と決意し、上官も
「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」
と語る場面があった。
■先陣切った伊舎堂中佐
今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。
米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。
伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。
中山市長は
「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」
「平和の有難味を改めて感じた」
と公演を振り返り、
「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」
「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」
と強調した。
2024年10月20日の公演は2回。
午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。
まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、
「なでしこ隊」
率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は
「お待ちしています」
と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。

先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演
沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹
2024/10/9 9:00
https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/
■沖縄県民の拒絶反応
「こら、いらないわ」
受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。
特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。
プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は
「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」
と述懐する。
資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。
演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。
板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。
出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。
今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。
誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。
慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
24歳であった。
■「避けてきた」沖縄公演
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年。
以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は
「ずっと避けてきた」(石神さん)
という。
そこに、転機が訪れる。
那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。
今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは
「未来へつむぐ」
の東京公演をたまたま観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
と衝撃を受け、
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と痛感したという。
教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、
「未来へつむぐ」
の東京公演を見て、赤嶺さんは
「沖縄で伝えられていない歴史」
に気付いたのだ。
初の沖縄公演に向けて奔走。
残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。
観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから
「真実を教えてくれてありがとう」
といった反応も寄せられた。
同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。
同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」
と語っていた。
この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。
戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。
理解に苦しむ。
■タブー視された特攻隊と日の丸
沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
軍は
「悪」
と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。
こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。
大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた
「鉄の暴風」
が吹き荒れた。
当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。
県民は心から早期の本土復帰を願った。
願いを込めて旧国鉄の特急列車に
「なは」
と命名したほどである。
だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。
革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。
復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。
いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。
伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。
「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」
と語っていた。
沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。
旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。
陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。

早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち
正論モーニング
2024/10/30 7:00
https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/
先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした
「特別攻撃(特攻)」
を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。
この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言が反響を呼んだ。
スポーツ選手と
「戦争」
の組み合わせには意外性も感じるが、実は
「鹿児島の特攻資料館」
には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。
■映画・小説に感銘受ける?
早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、
「今やりたいこと」
を問われ、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」
と発言した。
散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは
「軍国主義を賛美している」
などの批判が起きた。
国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。
週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。
昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』)
の影響を指摘する声も多かった。
現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。
筆者も
『あの花』
説に賛成だ。
ヒントは、
「鹿児島の特攻資料館」
という早田さんの発言自体にある。
鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、
「知覧特攻平和会館」(南九州市)

「万世特攻平和祈念館」(南さつま市)
が知られている。
海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。
だが、
「特攻資料館」
という名称の施設はない。
一方、
『あの花』
の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が
「特攻資料館」
と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。
早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で
「特攻資料館」
という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。
『あの花』
には、こんな一節がある。
主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。
≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫
生きていることや卓球をできることが
「当たり前ではない」
という早田さんの発言に通じるものがある。
■アスリートの研修に
その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。
大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。
井上教授は、同会館が2000年以降、そんな
「自己啓発の聖地」
となっていることを、
『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年)
で紹介した。
ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。
今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。
ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。
彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。
「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」
「競技に打ち込める平和な時代に感謝」
「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」
「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」
「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」
「私たちが今あるのも彼らのおかげ」
「彼らに恥じない生き方をする」
先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。
逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。
「平和」
を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。
■「世界の記憶」登録を
同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。
かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
「世界の記憶」(世界記憶遺産)
への登録を再び目指すことだ。
同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。
だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。
以降は申請を見送っている。
当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。
「軍国主義だ」
との批判が説得力をもってしまったのだ。
知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は
「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」
「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」
と話す。
ぜひ登録を目指してほしい。
実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。
(大阪正論室参与)

「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い
2024.8/15 11:38
https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/
パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言への称賛が止まらない。
SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。
特攻隊員の遺品や関係資料を展示する
「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)
が改めて、大きな注目を浴びている。
早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について
「アンパンマンミュージアム」
と共に、知覧特攻平和会館を挙げて
「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」
と述べた。
この発言に対し、SNSでは
「早田選手ありがとう」
「この人は偉いよ」
「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」
「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」
などの声が続々と投稿された。
終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。
著名人も反応した。
作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、
「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」
「有難う、早田さん」
と感謝の思いを綴った。
知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。
今年2024年2月に訪問した鈴木はXに
「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」
と投稿していた。

<主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を
社説
2024/10/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/
亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。
先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。
第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。
特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。
先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。
太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。
その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。
昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。
昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。
人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。
生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が
「統率の外道」
と認めていたように戦術として正常ではない。
大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。
特攻は戦後、
「軍国主義の象徴」
などと批判された。
選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。
現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。
特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。
特攻を
「カミカゼ」
と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。
特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。
日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

<産経抄>特攻隊のこともっと知ろう   
2024/5/6 5:00
https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/
学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。
先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。
今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。
翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。
中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。
中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している
「歴史に葬られた特攻隊長」
で名を知った。
沖縄では戦後、軍人は
「悪」
などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。
産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。
そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。
中佐を知る人の
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。
来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で
「特攻隊員が散華しました」
といった記述にも批判があるようだ。
「国のために命を捨てることが美化され、怖い」
などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。

直球&曲球
葛城奈海 桃李ものいわざれども
2023/11/2 10:00
https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/
今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。
2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、
「防人と歩む会」
の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。
湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。
1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。
昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。
以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき

何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。
悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。
伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。
存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。
しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。
そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、
「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」
という古文を引用。
桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。
そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。
伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。
24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。
私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに
「ものいわぬ桃李」
であろう。(英霊たちに思いを寄せて)

錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ


【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧
2022/5/3 19:37
https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/
第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。
3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。
慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。
19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し
「命の尊さを語り継ぐことを誓う」
と話した。
遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。
最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。
伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は
「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」
と話した。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/522.html#c31

[戦争b26] 世界の支配者になったと勘違いしたシオニストが自滅の道を歩いている(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
51. 秘密のアッコちゃん[1650] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月22日 11:51:51 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1088]
<■111行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「軍事的に大成功収めた」トランプ氏がイラン攻撃で演説 目的は「核の脅威止めること」
2025/6/22 11:29
https://www.sankei.com/article/20250622-AZBXGMIFVJI43PQY3BIDUKRBLE/
トランプ米大統領は2025年6月21日(日本時間22日午前)、ホワイトハウスで国民に向けて演説し、イラン国内の3つの核施設への米軍による攻撃について、
「軍事的に大成功を収めたことを世界に報告する」
と述べた。
軍事攻撃の目的を巡っては、
「イランの核濃縮能力を破壊し、世界一のテロ支援国家による核の脅威を止めることだ」
と話した。

トランプ氏、イラン空爆後にネタニヤフ氏と電話会談 報復の恐れ 対応協議か
2025/6/22 10:38
https://www.sankei.com/article/20250622-6SE5TWLJQFLGVLJI4TYQT7NEZE/
米国によるイラン核施設への攻撃で、米CNNテレビは2025年6月21日、空爆後にトランプ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相が電話で会談したと報じた。
イランによる報復攻撃の恐れがある中、今後の対応を協議したとみられる。
トランプ氏はこの日、週末で滞在していた東部ニュージャージー州から急遽ホワイトハウスに戻っていた。

中東不安定化を加速か 米のイラン直接攻撃、トランプ氏「好機」と判断
2025/6/22 10:24
https://www.sankei.com/article/20250622-OFC52JCUH5NRXKWU4WYWS6NZEE/
トランプ米政権がイランへの直接攻撃に踏み切り、中東情勢は予測が一層困難な領域に入った。
トランプ大統領は、高関税政策やウクライナ侵略を続けるロシアへの融和姿勢などで米国主導の国際秩序を自ら揺るがしてきた。
今回の攻撃について
「大成功」
と強調したが、日本を含む多くの国がエネルギー調達を頼る中東の不安定化をも加速させる可能性がある。
第2次政権発足前後からトランプ氏は、核問題を巡るイランとの
「ディール(取引)」
に強い意欲を見せてきた。
イランと米欧などが2015年に結んだ核合意から一方的に離脱した後、核合意に代わる解決策を示すことができずにイランの核開発加速を招いた1期目とはまったく異なるアプローチだ。
「外交解決」
を目指したトランプ氏の思惑はしかし、イスラエルが2025年6月13日にイランへの先制攻撃を行ったことで大きく狂った。
トランプ政権が当初、攻撃はイスラエルによる
「一方的な行動」
だとして関与を否定したのは、米側の戸惑いの表れとも言える。
だが、トランプ氏自身は、この状況を好機とも捉えたとみられる。
攻撃で核開発能力が後退し、軍事的にも弱体化したイランであれば、大幅な譲歩を引き出せる可能性があるからだ。
トランプ氏は2025年6月17日、交流サイト(SNS)でイラン最高指導者ハメネイ師の
「隠れ場所を知っているが今は殺さない」
と投稿し、
「無条件降伏」
を要求。
2025年6月18日には記者団とやり取りで、イランへの
「最後通告」
にも言及した。
一方でトランプ氏は、こうした性急な要求で自ら選択肢を狭めた側面もある。
イランが屈服を拒否したことで、トランプ氏は自身が思い描く
「タフな指導者」
像に沿ってイラン攻撃にゴーサインを出す形となった。
イランが何らかの報復攻撃に乗り出すなどして米国との軍事的応酬に発展すれば、原油市場の高騰などに繋がるのは必至。
イスラエルはイランの体制転換を図る姿勢も見せており、トランプ氏の支持勢力や米議会の一部にはこれに同調する声もある。
トランプ政権が流動化する中東情勢を制御できるのか、尚も見通せない。

B2爆撃機出動か 米軍のイラン攻撃
2025/6/22 10:21
https://www.sankei.com/article/20250622-APGGI3A75BPTREBQQ7QUCRJZIM/
ロイター通信は2025年6月21日、米軍によるイランの核施設攻撃にB2ステルス戦略爆撃機が関与したと報じた。
米政府関係者の話としている。
B2は、イランの地下核施設を破壊し得る大型の地中貫通弾(バンカーバスター)を運搬できる。
地下深くに建設された中部フォルドゥのウラン濃縮設備の破壊には米軍が保有するバンカーバスターが必要と指摘されてきた。
ロイター通信によると、今回の攻撃で、トランプ大統領は
「フォルドゥはなくなった」
と投稿。
フォルドゥ攻撃にB2が関与した可能性がある。(ワシントン支局)

「歴史的瞬間だ」トランプ氏 核施設攻撃の米軍賞賛「イランは戦争終結に合意を」
2025/6/22 9:51
https://www.sankei.com/article/20250622-KNVA3LRMGFKAJBFBUFET6WCWEE/
トランプ米大統領は2025年6月21日、米軍がイランの複数の核施設を攻撃したことに関連し、自身のX(旧ツイッター)で
「イランは今、この戦争を終わらせることに合意しなければならない」
と強調した。
トランプ氏は、今回の攻撃を
「米国、イスラエル、そして世界にとって歴史的な瞬間だ」
と指摘した。
攻撃した米軍を
「こんな事が出来る軍隊は他にない」
と称賛した上で
「今こそ平和の時だ」
とも記した。

イランから邦人ら21人が隣国アゼルバイジャンへ出国 日本政府による陸路退避第2陣
2025/6/22 9:43
https://www.sankei.com/article/20250622-BSCKYQQ6R5MNHBA5VNGGZILEIU/
外務省は2025年6月22日、イスラエルとイランの交戦激化を受けて計画した陸路での邦人退避の第2陣として、イランから邦人と家族計21人が隣国アゼルバイジャンに退避したと発表した。
外務省によると、21人は2025年6月22日午前(日本時間同)にアゼルバイジャンの首都バクーに到着した。
家族には外国籍の5人も含まれる。
陸路退避の第1陣は2025年6月19日から2025年6月20日にかけて行われ、イランから66人、イスラエルから21人が、それぞれ隣国に退避した。

トランプ大統領 イラン攻撃で米国民に向け演説へ
2025/6/22 9:39
https://www.sankei.com/article/20250622-JMMXYQRUYRJBJLYFWHIVADSDBA/
トランプ米大統領は2025年6月21日午後10時(日本時間2025年6月22日午前11時)からホワイトハウスで、イランへの攻撃について、国民に向けて演説すると自身の交流サイト(SNS)で明らかにした。
トランプ氏は同日、米軍がイラン中部フォルドゥを含む複数の核施設を空爆したと発表。
演説で、軍事作戦の
「成功」
をアピールするとみられる。(ワシントン支局)

米、複数のイラン核施設を攻撃 フォルドゥなど標的 トランプ氏「成功した」
2025/6/22 9:05
https://www.sankei.com/article/20250622-A7RERHNQBZOKXJ7BXPORMXQX7Y/
トランプ米大統領は2025年6月21日、米軍がイラン中部フォルドゥを含む複数の核施設を空爆したと発表した。
自身のX(旧ツイッター)に投稿した。
トランプ氏は
「フォルドゥ、ナタンツ、イスファハンを含む核施設への攻撃に成功した」
と投稿。
特に地中深くにウラン濃縮施設を有するフォルドゥを集中的に攻撃したとした。
大型の地中貫通弾(バンカーバスター)が使用された可能性がある。
全ての米軍航空機は既にイラン領空を離脱したとしている。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/206.html#c51

[戦争b26] 世界の支配者になったと勘違いしたシオニストが自滅の道を歩いている(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
52. 秘密のアッコちゃん[1651] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月22日 12:04:56 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1089]
<▽32行くらい>
和平応じなければ「将来の攻撃はるかに大きい」 トランプ氏、演説でイランに再攻撃示唆
2025/6/22 11:48
https://www.sankei.com/article/20250622-YYMA6GUMINJGZJP4DZLIJCHIM4/
トランプ米大統領は2025年6月21日(日本時間22日午前)、ホワイトハウスで国民に向けて演説し、イラン国内の3つの核施設への米軍による攻撃について、
「軍事的に大成功を収めたことを世界に報告できる」
と述べた。
軍事攻撃の目的を巡っては、
「イランの核濃縮能力を破壊し、世界一のテロ支援国家による核の脅威を止めることだ」
と説明した。
攻撃対象となった3つの施設は
「完全に消滅した」
と話した。
またトランプ氏は、イランが
「和平に応じなければならない」
と強調。
「そうしなければ(米軍による)将来の攻撃は遥かに大きくなる」
と再攻撃の可能性を示唆し、戦闘停止などの受け入れを迫った。
更にトランプ氏は、イランの攻撃対象は多数残っているとの認識を示し、正確かつ迅速に攻撃を加えて
「数分以内に除去することができる」
と語った。
「今夜、我々が成し遂げたことができる軍隊は世界に他にない」
と述べ、米軍の精強さを誇った。

トランプ氏、イラン核施設「消し去った」主張 攻撃にバンカーバスターを使用
2025/6/22 11:46
https://www.sankei.com/article/20250622-SQOIQBCYTBL2ZLLKF35BGT742M/
トランプ米大統領は2025年6月21日、ホワイトハウスでの演説で、米軍が実施したイラン空爆により同国の核施設を
「完全に消し去った」
と主張した。
主張の真偽や、米側が被害規模をどのように確認したのかは不明だ。
今回の空爆の焦点の1つは、イラン中部フォルドゥの地下深くにあるウラン濃縮施設の破壊に成功したか否か。
米メディアによるとトランプ政権は、B2ステルス戦略爆撃機から大型の地中貫通弾(バンカーバスター)を使用したが、攻撃による影響を評価するには時間を要すると指摘される。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/206.html#c52

[戦争b26] “アメリカ イランの核施設3か所を攻撃 完全に破壊した”トランプ大統領が発表 FOXニュース「バンカーバスター6発使用」(TBS) 赤かぶ
23. 秘密のアッコちゃん[1652] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月22日 21:32:11 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1090]
<▽39行くらい>
米、特殊兵器で地下施設攻撃 イラン指導部に逃げ場ないこと示す 核武装断念迫る
2025/6/22 18:09
https://www.sankei.com/article/20250622-KGUTIN33FVJ7TDE3ZW47DLYC5Q/
トランプ米大統領は地下深くのイラン核施設を破壊するため特殊兵器を用いた作戦を実行し、
「軍事的に見事な成功」
を収めたと強調した。
施設が完全に破壊されていれば、イラン側は他の地下施設も破壊されるリスクに直面することになる。
米メディアによると、米軍は敵のレーダーに探知されにくいB2ステルス戦略爆撃機と地下深くの標的を攻撃できる地中貫通弾(バンカーバスター)を投入した。
精密誘導兵器のバンカーバスターは高速度で落下し、コンクリートで防護された地下の攻撃目標に到達した後に爆発する。
イスラエル軍は昨年2024年9月、レバノンの親イラン民兵組織ヒズボラの指導者殺害に使ったと報じられた。
今回の標的の1つとなったイラン中部フォルドゥのウラン濃縮施設は地下80〜90メートルに位置し、同施設を破壊できるのはバンカーバスターの中でも大型で威力が大きい
「GBU57」
だけとされる。
GBU57は米国以外保有しておらず、B2爆撃機での運搬が必要だった。
複数の米メディアによると、今回の攻撃では6機のB2爆撃機で計12発のGBU57をフォルドゥの地下施設に投下した。
1発のGBU57が貫通できるのは60メートルとされ、フォルドゥの施設を完全に破壊するため複数発を撃ちこむ必要があった。
イランは核施設の他、司令部や要人の避難先として地下施設を活用してきたとみられる。
今回の米軍の攻撃により、イラン指導部や軍幹部にも逃げ場がないことを示した形だ。
トランプ政権は今後、攻撃継続の可能性をちらつかせ、イランに核兵器開発の断念を迫っていくとみられる。

イラン中部フォルドゥの地下核施設は「壊滅」 米メディア報道、バンカーバスター6発使用
2025/6/22 17:21
https://www.sankei.com/article/20250622-UNI4AA3GGVIDLIEZXBYOXFR2BA/
米FOXテレビは2025年6月22日未明、米軍が攻撃したイラン中部フォルドゥの地下核施設について、
「信頼できる情報筋から聞いたところでは、(フォルドゥの核施設は)無くなった。壊滅した」
と報じた。
また、フォルドゥの施設への攻撃には、6発の地中貫通弾(バンカーバスター)が使用されたと伝えた。
FOXは、バンカーバスターが6発使用されたとすれば、米空軍のB2ステルス爆撃機が少なくとも3機投入されたとの見方を示した。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/209.html#c23

[戦争b26] 想定外の報復攻撃で国内が動揺しているイスラエルでは情報統制を強化(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
61. 秘密のアッコちゃん[1653] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月23日 03:34:01 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1091]
<■979行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
皇室への沖縄県民の「思い」
日曜に書く 論説委員・川瀬弘至
2025/6/22 15:00
https://www.sankei.com/article/20250622-JVOGWSCFQBLIVFAUI5VZA3RKA4/
かつて筆者は那覇支局に3年余り勤務し、地元メディアのおかしな報道には慣れっこのつもりだった。だが―。
戦後80年の慰霊の旅として、天皇、皇后両陛下と敬宮愛子内親王殿下が沖縄をご訪問され2025年6月4日、地元紙の琉球新報は社説に書いた。
「今回の両陛下のご訪問を、県民は複雑な思いで受け止めている」
■残念な琉球新報社説
同紙によれば沖縄戦は
「天皇の名の下に戦われた戦争」
であり、
「沖縄は『皇土防衛』の『捨て石』だった」。
このため県民の心には
「癒えることのない『沖縄の傷』が今も存在する」。
それを
「日本本土の国民は知るべきだ」
という。
あんまりの内容だ。
同紙は、上皇陛下の沖縄でのご活動には理解を示しつつ、来県される天皇ご一家に対し
「県民の思いに向き合ってほしい」
と求める。
これでは、ご一家が沖縄に向き合っておられないと言わんばかりではないか。
特に解せないのは、同紙が昭和天皇の
「責任」
を強調している点だ。
昭和天皇の判断が2度に渡り
「沖縄の命運に影響を与えた」
という。
1度目は戦時中の昭和20年2月、元首相の近衛文麿が終戦を具申した
「近衛上奏文」

「拒んだ」
こと、
2度目は戦後の昭和22年9月に
「昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた」
ことで、それが沖縄の
「戦争犠牲」

「戦後の米統治」
に繋がった可能性があるというから、驚く他ない。
同紙は説明していないが、近衛上奏文とは、戦争が続けば
「共産革命」
が起きるから終戦すべきという内容だ。
まずは軍部を牛耳る共産分子の
「一掃が肝要なり」
と求めている。
現代から見れば一理あるにしても、当時としては非現実的な意見で、昭和天皇が採用できなかったことを批判する歴史学者はほとんどいない。
2度目
「責任」
についても同紙は肝心な部分に触れていない。
昭和天皇は単に米軍による沖縄占領を望んだのではなく、
「日本に主権を残しつつ、長期貸与の形を取るべき」
との考えを示したと、米国側の資料に明確に書かれている。
米軍は当時、沖縄の基地の永久使用に固執し、日本から沖縄を完全に切り離そうとしていた。
昭和天皇は何とかそれを止めようと、
「貸与」
の考えを伝えたとする学説が有力だ。
同紙は同日付の社会面でも
「天皇の戦争責任」

「薄れゆく」
のを
「懸念」
する記事を掲載した。
極めて一面的であり、読者をミスリードするものにほかならない。
■適切な沖縄タイムス社説
同じ地元紙でも、同日付の沖縄タイムスの社説は温かみのあるものだった。
同紙は、上皇陛下がご在位中に何度も沖縄に足を運ばれたのは
「沖縄に寄り添い、国民としての一体性を保つために努力することが
『象徴としての務め』
だと理解していた」
からだと強調する。
今回の天皇ご一家のご訪問も
「上皇ご夫妻から託されたバトンを継いでいくための、天皇家の
『継承の旅』
という性格を持っている」
とし、県民側も若い世代による
「記憶の継承」
が大切だと論を繋いだ。
琉球新報の社説が本土と沖縄の分断を浮き彫りにするような内容だったのに対し、沖縄タイムスのそれは、天皇家によって導かれる本土の沖縄理解を促す内容だった。
■夜空を照らす提灯
そのどちらが、県民の
「思い」
に近いか。
天皇ご一家が訪問された際の、県民の奉迎ぶりを見れば明らかだろう。
両紙の社説が掲載された2025年6月4日、天皇ご一家が宿泊された那覇市のホテル近くで提灯行列が行われ、およそ4500人もの県民が集まった。
無数の提灯が夜の街に浮かび上がると、やがてホテルの1室にも提灯が3個ともった。
天皇ご一家が県民と心を1つに、平和の灯を夜空に照らされたのだ。
たちまち湧き起こる感謝の拍手と歓声。
参加者の1人は産経新聞の取材に、
「天皇ご一家の沖縄に寄せる温かいお心を感じた」
と語った。
多くの県民が同じ思いだっただろう。
沖縄は2025年6月23日、沖縄戦の終結から80年となる
「慰霊の日」
を迎える。
天皇陛下はこの日、皇后陛下と共に皇居で黙禱される。
沖縄と本土の国民も心を通わせ、平和の祈りを捧げたい。

<産経抄>沖縄戦終結から80年
2025/6/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250622-VSBMGT3RUVNXJAABK33BSLYR64/
羽化してから数時間で命を終えるカゲロウは、はかなさの象徴として歌に詠まれることも多い。
<壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ>。
芥川龍之介の死を悼み、親しかった斎藤茂吉が手向けた挽歌だ。
▼35年の生涯を駆け抜けた作家の面差しが命短いカゲロウの姿に重なり、寂寥(せきりょう)感が長い尾を引く。
かの羽虫には口がない。
餌を取るということを知らず、子孫を残すためだけに空を漂う。
歌人の小池光さんが
「片道燃料で出撃した戦艦大和のよう」
と、例えていたのを思い出す。
▼その大和は沖縄戦に向かう途中で、米軍機の攻撃により沈んだ。
昭和20年4月7日である。
沖縄本島では第32軍将兵や義勇隊などが戦い、本土からは2500機以上の特攻機や空挺隊が出撃した。
日本は軍民合わせ約18万8千人が亡くなっている。
▼沖縄を、我が国を、子や孫らのあすを守るため、身を盾にして奮戦した人たちである。
米軍の戦死者も1万2千人以上に上った。
明日2025年6月23日は、沖縄での組織的な戦闘が終わってから80年の節目、戦没者に哀悼の誠を捧げる
「慰霊の日」
である。
▼沖縄戦を巡っては、今も尚、本土防衛の
「捨て石」
などと自虐的な歴史観で語られることも多い。
沖縄戦の特攻には、関東や東北など各地から多くの若者が出撃して散華した。
国を守る戦いに、本土も離島もなかった証しである。
英霊への冒瀆を看過することはできない。
▼尖閣諸島をはじめ我が国近海では、中国の威圧的な動きが目に余る。
長きに渡り積み重ねた
「戦後」
に唾する相手には外交努力だけでは十分でない。
防衛力を高めることが国民と国土を守ることに繋がる。
子孫に明日を託した英霊への、それが答えになる。

<正論>国防上重要な沖縄戦の歴史認識 
日本経済大学准教授・久野潤
2025/6/20 8:00
https://www.sankei.com/article/20250620-CTG3EDUAOBIEDBK7DXI2I273VQ/
■共産主義から沖縄守る大御心
2025年4月2日付の本欄拙稿で80年前の沖縄戦において、日本軍が沖縄を見捨てるどころか全力で戦い、一方で戦後の日本再建の布石も打っていたことについて述べた。
『昭和天皇実録』の昭和22年9月19日の項に
「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」
し、それが
「米国の利益となり、また日本を保護することにもなる」、
そして
「米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべき」
で、
「この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろう」
と思し召しであったことが記されている。
このいわゆる
「天皇メッセージ」
により沖縄に対する主権が確保されたと評される(ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』など)一方、反皇室的な論者の間では戦後も引き続き基地設置を認め、自己保身のため沖縄を犠牲にしたとの主張も根強い。
後者はまったくの曲解と言わざるをえないが、共産主義の脅威が矮小化されている結果でもある。
昭和20年5月にドイツが降伏した後、沖縄防衛も絶望的となった昭和20年6月、ソ連の対日参戦情報(昭和20年2月のヤルタ会談で米英と密約)などを無視する格好で、東郷茂徳外相の命で広田弘毅元首相、次いで佐藤尚武駐ソ大使がソ連に対する連合国との和平斡旋交渉を開始した。
実際のソ連は終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領へ侵攻し、昭和20年8月15日を過ぎても侵略を続けたことは周知の通りだが、沖縄失陥により指導層のソ連への期待が高まり判断を狂わせたことは歴史の重要な教訓である。
沖縄を守るためにも、戦後に誕生した中華人民共和国を含む共産主義勢力を排除すべきことが、昭和天皇によりいち早く示唆されたことになる。
歴代天皇の沖縄への痛切な大御心(おおみこころ)については本稿で繰り返すまでもないが、共産主義の脅威から国土を守ることは、現在に至るまで国防の重要課題であり続けている。
■日本中の将兵が沖縄で戦った
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日は沖縄県制定の
「慰霊の日」
とされ毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)で県および県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開催されている。
平成2年以降、コロナ下を除いて現職首相も参列し、メディアで大々的に報道されるが、もう1つの、もとい本来の戦没者慰霊顕彰のよりどころである沖縄県護国神社(那覇市、昭和11年創建)で同日に斎行される沖縄戦全戦歿(せんぼつ)者慰霊祭はあまり知られていない。
筆者は実は、こちらの方へ参列している。
「全國護國神社會」
所属の護国神社52社の祭神は、基本的に幕末以来の地元出身殉難者・戦没者等だ。その中で沖縄県護国神社の祭神は
「日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊」
17万7913柱で、
「北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者」
即ち沖縄出身でない沖縄戦戦没者(都道府県別で最多の北海道は1万90柱)も含まれている。
その前で
「沖縄は見捨てられた」
などと言えようか。
現行憲法の
「政教分離」
解釈から公的行事で神道式の
「慰霊」
を殊更に避けようとする戦後の風潮には違和感を覚えるが、出自も違う数多の戦没者にとっての結節点は、靖国神社に祀られるということであった。
その靖国神社に準ずる護国神社での慰霊顕彰に、沖縄戦に思いを致す日本人はもっと目を向けるべきであろう。
■建国以来の信頼関係回復へ
このことは、単なる過去の話ではない。
先月2025年5月刊行された齋藤達志『完全版沖縄戦』は
「沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さと共にそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日のもとに明らかにした」
と厳しく指摘している。
沖縄戦で無念にも的確に県民を守れなかったのはその通りとしても、同時に、それを受け止めた現在における一部日本人の歴史認識の
「未熟さ」
を筆者は思わずにはおれない。
国土を守る戦いとは、当地の住民を守るのみならず、後世まで敵勢力に対する抑止力を持たせるべきものである。
我が国が建国以来、王朝交代等なく継承されてきたのも、君主と国民、国民と<祖国を守る者>が支え合うという、三者の信頼関係が2000年以上続いてきたからに他ならない。
歴史上、革命や間接侵略の際にはこの信頼関係破壊が図られた。
「沖縄県民を守ろうとしたが守れなかった」
史実が
「天皇も軍隊も沖縄を守ろうとしなかった」
という話に転化されることで、
「これからも自衛隊は日本を守らないかもしれない」
との疑心暗鬼を生み、侵略される隙を作ることになる。
日本国民と、天皇そして<祖国を守る者>との建国以来の信頼関係が今後も保たれるかどうかは、沖縄戦に対する歴史認識にかかっているといっても過言ではない。

<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡
日本経済大学准教授・久野潤
2025/4/2 8:00
https://www.sankei.com/article/20250402-AAS6XLCBVBMX7MOEWXZDVW5OYQ/
■沖縄へ向け大和出撃80年
本年は沖縄戦、そして戦艦「大和」出撃から80年の節目でもある。
今もって史上最大の戦艦である「大和」は、その艦名も相俟(あいま)って我が国戦史上特筆すべき存在であり、またその出撃の当否をめぐる議論も戦後絶えなかった。
昭和20(1945)年4月1日の連合軍沖縄本島上陸の際、連合艦隊は「天一号」「菊水」の特攻作戦を発動した。
鹿屋基地(鹿児島県)の第五航空艦隊の司令長官は、かつて山本五十六連合艦隊司令長官を補佐する参謀長として、またマリアナ・レイテの両海戦で第一戦隊司令官として「大和」に座乗した宇垣纏(まとめ)海軍中将。
宇垣は独断で麾下(きか)の零戦を出撃させ、沖縄へ向かう「大和」上空直掩(ちょくえん)を図るが、零戦隊の本務もあり果たせなかった。
昭和20(1945)年4月7日の「大和」沈没を聞いた宇垣は、陣中日誌『戦藻録』に
「抑々茲(そもそもここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈(だけ)の総攻撃なるやの(筆者注・昭和天皇の)御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」
と記している。
これをもって「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄を何としても救わねばという大御心(おおみこころ)に思いを致すべきであろう。
「大和」出撃を後押しした連合艦隊司令部の心情を表す、神重徳(かみしげのり)参謀の言葉が伝わっている。
「もし大和を柱島あたりに繫(つな)いだままで、大和が生き残ったままで戦争に敗けたとしたら、何と国民に説明するのか」
(吉田満・原勝洋『ドキュメント戦艦大和』)
これに対して高田利種参謀副長が
「これをやらないで今度の戦さに敗けたとしたら、次の日本を作る事が出来ないのではないかというのが、神参謀の本心だと判断した」
ことで、
「国民」
がこの時点に存在した日本人のみを指すのではなく、後世の我々をも含む概念であったことも理解できる。
沖縄の戦況を憂う大御心を拝した軍人たちにとって、将来に渡り
「あの時の日本軍は固有の国土を全力で守らなかった」
との誹(そし)りを受けることはあってはならないのだ。
■受け継がれていた楠公精神
さて作戦名の菊水とは、後醍醐天皇に忠節を尽くして湊川の戦いで殉節(戦死)し、後世広く崇敬された大楠公こと楠木正成の家紋である。
戦後史観のもとでは、大楠公は衆寡敵せぬ情況で仕方なく出陣して玉砕した点が、日本軍の思想に影響を与えたかのように評されてきた。
実際の大楠公は足利尊氏の反逆に対し我が国の正道を示し、それを継承する布石を打って湊川へ向かった。
戦前の日本人もそれを理解していたからこそ長男正行(まさつら)を故郷へ帰した
「桜井の訣別」
の逸話に涙したのである。
「大和」出撃に際しても、桜井の訣別≠ェあった。
出撃3日前の昭和20(1945)年4月3日に卒業したばかりの海軍兵学校74期生42人・海軍経理学校35期生4人が少尉候補生として乗り組んでいた。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は出撃前日の昭和20(1945)年4月5日、彼らに退艦を命じる。
候補生たちは命令撤回を懇願したが、有賀幸作「大和」艦長に
「この戦(いくさ)はまだまだ先が長いぞ」
「お前たち候補生にはもっと働き甲斐のある戦闘が待ち構えておる、自重せよ」
と諭され退艦した(中田整一『四月七日の桜』)。
参陣を懇願する子に大楠公が、更に長きに渡り皇室に忠節を尽くすべしと自重を諭したのと軌を一にする。
■絶望的な戦局でも尚…
沖縄への出撃を命じられた伊藤は当初大反対であった。
神の要請で「大和」を訪れた草鹿龍之介連合艦隊参謀長から
「一億総特攻の魁(さきがけ)」
となってほしいと説得され納得したとされる。
沖縄失陥までの10次に渡る菊水作戦で海軍は940機、陸軍は887機が特攻を行い、それによる連合国側死傷者は1万人近くを数えた。
加えて、残存水上兵力をかき集め「大和」以下10隻の第二艦隊も出撃させたのであるから、沖縄は見捨てられたとする戦後の言説が筆者には理解し難い。
そして宇垣も終戦の玉音放送後に湊川≠ヨ向かった。
最後の特攻隊として「彗星」爆撃機11機を率い出撃する直前まで書いていた『戦藻録』最後の頁は、以下の行で締められている。
「独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万艱(ばんかん)に抗し、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完(まっと)うせん事を望む」
「余又楠公精神を以て永久に尽す処あるを期す」
大楠公は湊川で弟正季(まさすえ)と刺し違える際「七生滅賊」を誓い合い、その精神が幕末の志士さらに近代軍人に受け継がれることで日本を護(まも)り続けた。
「大和」出撃も無駄だったどころか、絶望的な戦局でも最後まで国土を護るため戦った確固たる足跡を残している。
筆者は先述「大和」退艦の候補生の1人で同期を代表して有賀艦長に直談判した阿部一孝氏(令和5年6月逝去)から直接話を伺う機会があった。
「沖縄特攻は、今の日米関係の土台になっているはず」。
沖縄を易々と見捨てるような日本であったならば、米国も今のような同盟国として扱わなかったであろう。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

沖縄戦最初の戦死 歴史に葬られた特攻隊長 伊舎堂用久
正論2025年4月号 作家 将口康浩
大陸に対し、海に弧を描き、鹿児島から沖縄の島々が連なっている。
国境に近い最西端、八重山諸島の中心が石垣島。
沖縄本島から400km、台湾との距離は僅か270kmしか離れていない。
石垣島の北170kmに点在する尖閣諸島では中国船の頻繁な領空侵犯を受けている。
かつて沖縄は、東から攻め上がった米軍との戦いの地となった。
今、西からの攻勢に晒されている。
尖閣諸島最大の魚釣島の地番は沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地。
ちょうど80年前の昭和20(1945)年、石垣島から出撃、慶良間諸島沖で米艦隊に体当たり攻撃を行った伊舎堂用久大尉の生まれは石垣市登野城156番地。
自分の郷土は自分で守ると、特攻隊長として故郷から出撃した。
石垣島西部に陸軍白保飛行場が広がっていた。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、指揮所前に陸軍特別攻撃隊
「誠第17飛行隊」
と、その護衛に当たる
「独立飛行第23中隊」
の隊員、関係部隊長40名が集合していた。

本25日1650、慶良間群島周辺に空母2、特設空母4以上よりなる敵機動部隊遊弋中なり
飛行団は敵機動部隊を攻撃せんとす

中央気象台石垣島測候所は昭和20(1945)年3月26日の天候は快晴と予報していた。
海上に浮かぶ眼下の敵を発見しやすい絶好の飛行日和だった。
昭和20(1945)年3月26日午前4時。
見送りを受け、初めに第23中隊所属の直掩機6機、続いて誠第17飛行隊の特攻機4機が離陸した。
11歳だった石垣島宮良の小浜義勝はその日をよく覚えている。
迫る米軍艦艇に体当たりをする特攻機が石垣島から出撃することは子供でも知っている公然の秘密だった。
日の出は午前6時37分、まだ月が残っていた。
「飛行機が飛んでいる」
姉の声がした。
布団にくるまり、眠っていた小浜義勝はすぐに飛び起きた。
耳を澄ますと、聞き慣れた陸軍機の爆音がする。
急いで庭に出て、北の空の機影に姉と2人で懸命に手を振った。
傍らでは、目を閉じたままの母は手を合わせて拝み、父は言葉もなく呆然と見送っていた。
その日、米空母に突撃して戦死したと聞いた。
戦後も生まれた石垣島で暮らし、老齢となった小浜義勝は伊舎堂用久の戦死についてこう語っていた。
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂用久中佐が故郷を守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
熾烈を極めた沖縄戦は石垣島の白保飛行場から飛び立った伊舎堂用久隊が口火を切る。
伊舎堂用久率いる10名が沖縄戦最初の戦死者となった。
しかし、この事実を知る者は少ない。
■「用久元気」空からの手紙
中国戦線から1年ぶりに帰国、静岡県浜松で新型機に乗り換えるための訓練を受ける。
僅か1カ月ほどの浜松滞在後、那覇経由で台湾花蓮港(現・花蓮市)に向かう。
途中、石垣島の生家上空を旋回、通信筒を落とす。
帰省することができない伊舎堂用久からの空からの手紙だった。

用久元気 台湾花蓮港ニ居ルコトニナリマシタ 今前進スル途中

最早故郷の地を踏むことはない、珊瑚礁に当たる砕ける波と白浜、緑深い山々、港に続く懐かしい家並み。
空からこれが見納めとじっくりと眺めたに違いない。
手紙を受け取った父の伊舎堂用和、母の伊舎堂ミツも同じ心持ちだっただろう。
だが、10カ月後、再び故郷の地を踏む。
帰るに帰れなかった石垣島に7年ぶりの帰郷を果たす。
そこが最期の地となった。
昭和19(1944)年10月25日、レイテ沖海戦で初めての特攻攻撃が行われた。
同年昭和19(1944)年11月中旬、花蓮港からフィリピンのルソン島ツゲガラオ基地まで、伊舎堂用久は99式軍偵察機で飛行、米軍の進攻状況や特攻隊の現況などを10日間に渡り偵察分析する。
整備の岡本泰憲曹長だけが同行した。
夕食後、ツゲガラオ基地の宿舎を抜け、2人で空を見上げる。
交わす言葉はなく、無言のままだった。
岡本泰憲曹長が手記に残している。
「群青色に澄んだ夜空に散らばる南十字星を伊舎堂中尉と感無量の想いで眺めた思い出は忘れられない」
この時点では台湾での特攻隊編成は決まっていなかった。
しかし、伊舎堂用久を単機で現地視察に行かせた理由は1つしかない。
沖縄で特攻隊出撃命令を下す際、敵を迎え撃つ沖縄県民と後続の陸軍航空兵の士気を高める上で、第8飛行士団幹部は郷里の英雄を最初の隊長にすべきと当初から考慮していた。
無論、伊舎堂用久自身もその意を汲んでいた。
昭和19(1944)年11月末、同師団に特攻隊編成指示が出された。
死に向かう道しかない集団の団結心と1人1人の闘志の高揚、持続だった。
そのためには集団を率いる隊長の責任感や統率力、人柄、技量が重要になる。
部下にこの人とならば、と思わせるような男でなければならない。
編成を任された作戦主任参謀の石川寛一中佐は隊長に伊舎堂用久を指名した。
石川寛一中佐は偵察出身で、伊舎堂用久との関係も深く、知悉の間柄でもあった。
伊舎堂用久を司令部に呼び出し隊長就任を要請した。
何の迷いも躊躇いもなく、伊舎堂用久が即答する。
「私にやらせて下さい」
昭和19(1944)年12月8日、
「誠第17飛行隊」
が編成された。
伊舎堂用久は昭和19(1944)年12月1日、大尉に昇級した。
希少な石垣島出身の飛行隊長が郷土から特攻出撃する筋書きが完成した。

伊舎堂用久大尉 陸士55期、24歳、沖縄出身
石垣仁中尉 陸士56期、23歳、山形出身
安原正文少尉 幹部候補生9期、24歳、高知出身
川瀬嘉紀少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、東京出身
大門修一少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、茨城出身
久保元治郎少尉 金沢大、特別操縦見習士官1期、22歳、千葉出身
芝崎茂少尉 特別操縦見習士官1期、23歳、埼玉出身
黒田釈伍長 少年飛行兵、21歳、愛媛出身
有馬達郎伍長 少年飛行兵、17歳、鹿児島出身
林至寛伍長 少年飛行兵、17歳、東京出身
小林茂兵長 少年飛行兵、16歳、東京出身

誠第17飛行隊11名のうち生き残った者は誰1人としていなかった。

昭和20(1945)年2月28日、誠第17飛行隊は石垣白保飛行場に到着した。
伊舎堂用久にとって7年ぶりの故郷で過ごす最期の37日間だった。
隊員は飛行場近くのオーセと呼ばれる拝所がある白保集落の中心に分宿する。
毎朝、オーセ前に集合し、全員で体操を行う。
その後、隊長宿舎前で点呼を取り、その日の作業日程やその日の行動確認を行い、最後に隊長が訓示をするのが日課だった。
門前で伊舎堂用久がキビキビと名前を呼び、隊員が返事をする光景を見た前盛家の嫁、敏子は規則を厳格に守る軍隊の様子に驚かされる。
「物腰の柔らかい方で、隊長は部下に対しても、温情みある態度で接し、叱り付けるようなことはありませんでした」
死にだけ向かっていく伊舎堂用久の心中を慮り、話しかけたこともあった。
「夜はきちんと熟睡できますか」
「出撃の日を待つのみですから、何も考えずに、その日を来るのを待っています。今はただ、明鏡止水の心境です」

比ぶなき幸い哉我選まれて今南海の雲と散り征く 石垣仁中尉
死生有命不足論 只祈必中撃沈 安原正文少尉
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき 伊舎堂用久大尉
人間到処在青山 芝崎茂少尉
きづなをば たちて飛びゆく 白雲の無心の境地 機にまかせて 大門修一少尉

残された寄せ書きが5名の遺書となった。
■「部下のことを・・・」家族との面会拒む
地元出身の有名人だったが前盛家の家族以外、他の島民たちと接触することはほとんどなかった。
伊舎堂用久の母ミツと姉の3女トヨ子、妹の4女節子が隊長宿舎を訪ねてきたことがある。
前盛家の長男、善助がそのことを伝えると、伊舎堂用久は毅然として面会を断った。
「部下は本土出身で、帰りたくても帰ることができない」
「部下の気持ちを思うと、自分だけ家族に会うことはできない」
陸軍士官学校入校以来、故郷に帰ることが叶わず、あれほど会いたかった母と姉妹たちだ。
しかし歓喜するどころか、すげなく追い返す。
「大尉殿は会うことはできないと言っている」
母たちに善助が申し訳なさそうに言った。
自宅のある登野城と白保は10km近くある。
子供の足では3時間近くかかるだろう。
会えないまま、落胆し帰って行った。
「公私の区別について、かなり厳格に考えていた」
「妹さんが手作りのご馳走を持参して面会に来ても会わなかったようだ」
「せっかく訪ねてきたのだから、堅苦しく考えずに会ってあげたらどうか、と勧めたことがある」
「しかし、部下は帰ろうと思っても帰る所もない」
「いくら肉親でも部下の手前、忍びないと拒み通したことは並みの人のできることではない」
「こういうことなどで部下たちは心服していた」
上司の第9飛行団長の柳本栄喜大佐は戦後、こう書き記す。
柳本栄喜大佐も面会を勧めるが、伊舎堂用久は頑なに拒んでいた。
「家に帰って1度、両親に顔を見せてはどうか」
石垣島に駐屯していた第69飛行場大隊長の浅沼紀平少佐は伊舎堂用久に顔を合わせる度に、帰宅を促していた。
しかし、伊舎堂用久の返事は変わらなかった。
「部下の事を考えれば、そういうわけにはいきません」
誠第17飛行隊の整備兵が戦後、こう語っている。
「伊舎堂隊長は石垣島に実家があり、お父さんも妹さんもいらっしゃる」
「それなのに隊長は家に帰らぬ」
「皆で是非、家に帰ったら如何ですかと言っても、
『戦争をしているんだ』
と言って、部下の訓練をしていた」
「あの隊長のためなら喜んで命を捨てることができる」
部下にとって、伊舎堂用久と行動を共にすることは当然の成り行きだった。
しかしながら、出撃が間近となった時、浅沼紀平少佐の再三再四の要請に根負けし、浅沼紀平少佐と共に車で登野城にある実家に向かった。
玄関で出迎えた父、伊舎堂用和は伊舎堂用久を上座に座らせた。
厳格な父は3男と根性の別れになることを悟っていた。
特攻隊長就任の経緯も、戦死後の処遇も、戦局の行方も語らず、2人は静かに杯を交わす。
帰りの車中で漏らした言葉が浅沼紀平少佐の脳裡で渦巻く。
「いずれ、敵が沖縄に上陸すれば、私は第1次特攻隊として特攻することになる」
「死ぬことは何とも思わないが、私たちが死んだ後、祖国日本はどうなるだろうか」
「それが心残りです」
如何に特攻機で戦艦を撃沈させようとも、挽回しようがないところまで追い込まれていた。
既に日本は敗戦すると腹を括っていた。
「我々が残っているから心配ない」
それしか浅沼紀平少佐には返す言葉がなかった。
昭和20(1945)年3月25日正午、台湾の第10戦隊が那覇西方海上で米空母2隻を含む大規模な艦隊を発見する。

第9飛行団長は明26日早朝、誠第17飛行隊を基幹とする特別攻撃隊をもって慶良間群島周辺の敵機動部隊に対し左のごとく攻撃すべし
攻撃時刻 0550 編成および攻撃方式 甲編成第1方式
直掩機の装備 爆装備

連絡を受け、隊員たちの賄いをしていた仲宗根千代も大急ぎで弁当を作り、持って行った。
飛行中、機上で食べることができるように、竹の皮に包んだ握り飯弁当だった。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、戦闘指揮所に隊員や関係者が集合する。
第9飛行団長の柳本栄喜大佐が最後の命令を下す。
「敵はいよいよ我が国土に侵寇しようとしている」
「諸君の成功を祈る」
別れの杯に酒を満たし、白鉢巻き姿の隊員が酌み交わす。
仲宗根千代が食事を作っていた隊員の鉢巻きには
「お母さんお先に」
と書かれていた。
「いずれ私たちも祖国のため殉死する運命を免れないと思っていたので、特別な感情は浮かばなかったけど、今でもあの時の姿が浮かんでくる」
■戦死知らずに面会
出撃時刻は翌昭和20(1945)年3月26日午前4時だった。
「伊舎堂隊長の出撃です。すぐ来てください」
姉・伊舎堂トヨ子の夫である石垣信純の兵舎に整備兵が飛び込んで来た。
石垣信純は現地招集の工兵隊中隊長だった。
兵舎から飛行場まで約1km。
自動車もなく、これが義弟との別れになる。
息を切らせ、走りに走った。
到着した時、伊舎堂用久機は既にエンジンを掛け、プロペラが回り始めている。
もう駄目だ、遅かったと呆然と立ち尽くす。
そこへ誰かが石垣信純の手を取り、急いで搭乗機の近くまで連れて行く。
既に特攻機を守る直掩機は離陸し、上空で待機している。
操縦席で眼前を伊舎堂用久はまさに飛び立とうとしていた。
思わず石垣信純は動こうとする搭乗機にしがみつく。
伊舎堂用久はようやく義兄の姿に気付く。
言葉は一言だけだった。
「姉さんによろしく」
石垣信純が何か言う間もなく、滑走路を駆け、伊舎堂用久機が空に舞い上がる。
言葉も声も無く、その場に崩れ落ちる。
慶良間諸島沖合に艦隊を発見、大型空母2隻、小型空母2隻を含む大艦隊だった。
一斉に駆逐艦の対空砲火が始まり、凄まじい米軍の火力を見せつける。

いまより我、突入す

予定時刻の昭和20(1945)年3月26日午前5時50分、芝崎茂少尉、川瀬嘉紀少尉、黒田釈伍長の順に打電が入る。
伊舎堂用久大尉も体当たり攻撃を敢行する。
昭和20(1945)年6月23日まで続く、沖縄戦の最初の戦いだった。
弁当を届けた仲宗根千代はそのまま司令部に残り、連絡を待っていた。
伊舎堂用久隊突入、成功の報が届く。
歓喜の声も、泣き叫ぶ声もなく、司令部全員が同時に合掌、隊員たちの冥福を祈った。
ただ一人、伊舎堂用久の当番下士官だけが泣き叫び、床に座り込んでいた。
仲宗根千代は忘れられない。
「往時に思いを致す時、あの若さで異性を知ることもなく、青春を楽しむこともなく、只々祖国の安泰と慈母の穏やかなることを念じ、黙々として死の首途に赴いた少年特攻兵の面影は今でも忘れることは出来ません」
「司令部のその時の一種悲壮、感動的な光景は今尚脳裡に浮かんできます」
第1団に引き続き、昭和20(1945)年3月29日に安原正文少尉、昭和20(1945)年4月2日に久保元治郎少尉と有馬達郎伍長、昭和20(1945)年4月8日に林至寛伍長が出撃、昭和20(1945)年5月14日に大門修一少尉、伊舎堂用久隊全員が散華した。
石垣仁中尉は昭和20(1945)年3月22日、台湾沖で戦死、小林茂兵長は台湾での訓練中に事故死していた。
伊舎堂用久が戦死した昭和20(1945)年3月26日、事情を知らない父と母、姉、妹が揃って白保飛行場を訪れる。
出撃が近付いていることを察知、最期になるかもしれないと心づくしのご馳走を携えていた。
いずれ、この日が来ることの心積もりはあったとはいえ、茫然自失となる4人。
周囲も憚らず、地面にうつ伏せて泣きじゃくる母。
姉と妹も母の背に追いすがり声を上げる。
子に先立たれる母ほど、哀切なものはない。
泣き崩れる親子の姿に周りの者も涙を流す。
「武人としての本望ではないか」
父・伊舎堂用和だけは気丈に振る舞うが、心中は慟哭していただろう。
■歌われなくなった唄
伊舎堂用久隊に感状が授与され、ラジオや新聞各紙が一斉に報道する。
石垣島出身の毎日新聞、宮良高夫記者が
「伊舎堂大尉よ。あなたの武勲はふるさとの海に咲く赤い花とともに永久に故郷を飾るのだ」
と記事に書いた。
武功を讃える
「伊舎堂隊の唄」
はかつて、沖縄に暮らす老若男女誰もが知らぬ者がいなかった。
伊舎堂用久の陸士同期、藤森正義の義弟が那覇航空測候所に勤務していた。
日本復帰間もない頃、義弟から那覇の街でよく歌われていると手紙で知らされ、
「沖縄県民の心の中に生き続けていることを嬉しく思う」
と藤森は書き残す。
だが、いつしか伊舎堂用久の武勲が故郷で語り継がれることも、歌が口ずさまれることもなくなった。
伊舎堂用久の長兄の伊舎堂用展、伊舎堂用展の妻・伊舎堂ハツは戦争で命を失った。
伊舎堂用久の父の伊舎堂用和も終戦翌日昭和20(1945)年8月16日に病死した。
八重山諸島では米軍上陸に備え、マラリア有病地域の山間部に疎開して罹患、約3000人が死亡。
「戦争マラリア」
と呼ばれている。
伊舎堂ハツもマラリアで死亡した。
伊舎堂用八7歳を残したままの38歳だった。
伊舎堂用展は米軍と交戦の末、戦死。
両親を失った伊舎堂用八は4女、伊舎堂節子の手で育てられる。
八重山高校教諭などを務め、家を継いだ伊舎堂用八が叔父、伊舎堂用久の志を語ることができる唯一の遺族となった。
「伊舎堂用久戦死の意義は沖縄人の誇りと、自分の故郷は自分で守る気概を持ってほしいというメッセージを後世の沖縄人に伝えようとしたこと」
沖縄県糸満市の平和祈念公園に
「空華(くげ)之塔」
が建立されている。
沖縄戦で戦死した陸海軍の航空将兵を祀っている。
昭和39(1964)年11月1日、遺族を代表して母・伊舎堂ミツが除幕を行った。
それほどに伊舎堂用久の名は重いものだった。
「昭和20年(1945)3月26日は沖縄戦が開始された日として地元紙は大きく報道されるが、沖縄戦第1号の特攻には何も触れられない」
「沖縄県民が特攻史を何も知らない」
意図的に忘却されている歴史の真実に伊舎堂用八は憤怒する。
伊舎堂用八も老齢となった。
伊舎堂用久の位牌や写真、手紙などの遺品は今後どうなるのか、処遇も不明である。
石垣市南ぬ浜町で、平成25(2013)年8月15日に
「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」
の除幕式が行われた。
戦死から68年後、ようやく建立にこぎつけた。
忘れ去られたまま、月日が経過していた。
顕彰碑建立期成会が発足後、寄付の申し出が殺到、2000人以上、700万円の寄付金が集まる。
寄付者の手紙にこう書かれていた。

顕彰碑が立派に建立され、尖閣を含む沖縄の地の守り神としての役割を果たさんことを祈念しています。
碑には
「郷土と国を愛し、悠久の大義に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐と隊員の遺功」
と記された。
伊舎堂用久の遺詠
「指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき」
とともに、石垣島から出撃した特攻隊31名全員の氏名、年齢、出身地が刻銘された。

蒼海を望む高台に碑はある。
北には尖閣諸島、西には八重山の島々、その先には台湾がある。
更に先には中国大陸がある。
「祖国日本はどうなるか、それだけが心残り」
出撃直前、魂の底から絞り出された言葉だった。
伊舎堂用久が我々に問いかけている。
国を守るということは何か。
国を守ることは故郷を守り、そこに暮らす父母や兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人を守ることだった。
今の祖国を見てどう感じるだろうか。
こんな日本になりましたと伊舎堂用久に見せることが出来るだろうか。
尖閣諸島を跋扈する中国船舶を見せることが出来るだろうか。
日本人として突き付けられている。
歴史の1ページとして郷土から出撃、戦死した伊舎堂用久の人柄、生き方。
現代に生きる我々が先人の犠牲の上にあることを忘れないと共に、もう起きてはならない戦争の凄惨な真実を残すためにも語り継がなければならない。
伊舎堂用久隊出撃から今年2025年でちょうど80年を迎える。
沖縄戦が始まった昭和20年(1945)3月26日。
これからも忘れてはならない日。
石垣島から出撃した誠第17飛行隊。
沖縄戦最初の戦死。
郷土を守ろうとした伊舎堂用久。
日本人が決して忘れてはならない名である。
■地元紙連載が単行本に
当時は軍神とまで崇められながら、戦後は歴史から消されてしまった伊舎堂用久中佐。
せめて地元の人たちには沖縄戦の最初の戦死者について知ってほしいと、筆者は昨年2024年3月から8月に渡り石垣市を拠点とする地元紙・八重山日報で伊舎堂用久中佐について連載した。
その連載が
『歴史に葬られた特攻隊長 〜故郷・石垣島から出撃した伊舎堂用久中佐』
として2025年3月20日、徳間書店から刊行される。
ぜひ一読を乞いたい。

<産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと
2025/3/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170
日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。
戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。
高校教科書の検定を見て改めて思う。
▼だからこそ知ってほしい。
「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。
こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。
80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
伊舎堂はそのとき24歳。
▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。
八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された
『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店)
に詳しい。
沖縄では
「軍人を美化するな」
とされ、特攻を知らない人が多い。
顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。
▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。
旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。
陸軍では作文教育を重視した。
刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。
毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。
▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。
戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は
「本望ではないか」
と気丈に語ったという。
婚約者との再会は、叶わなかった。
▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。
碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。
忘れてはならない歴史である。

「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会
2025/1/17 17:40
https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/
沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が
「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」
と題して講演した。
宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。
「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」
と指摘した。
沖縄戦を巡り、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたという非難があることに触れ、
「『捨て石』のために死んだというのか」
「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」
と強調。
「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」
と述べた。
また、戦後80年を振り返り、
「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」
と憂慮した。

すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」
2024/10/19 19:18
https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」
「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」
との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。
公演は2024年10月20日まで。
いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。
女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。
知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
■ようやく実現した沖縄公演
主催者によると、
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。
特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。
ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。
好評を博し、今年2024年も開催することになったという。
沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。
劇中でも、特攻隊員たちが
「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」
と決意し、上官も
「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」
と語る場面があった。
■先陣切った伊舎堂中佐
今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。
米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。
伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。
中山市長は
「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」
「平和の有難味を改めて感じた」
と公演を振り返り、
「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」
「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」
と強調した。
2024年10月20日の公演は2回。
午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。
まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、
「なでしこ隊」
率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は
「お待ちしています」
と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。

先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演
沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹
2024/10/9 9:00
https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/
■沖縄県民の拒絶反応
「こら、いらないわ」
受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。
特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。
プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は
「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」
と述懐する。
資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。
演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。
板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。
出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。
今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。
誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。
慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
24歳であった。
■「避けてきた」沖縄公演
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年。
以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は
「ずっと避けてきた」(石神さん)
という。
そこに、転機が訪れる。
那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。
今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは
「未来へつむぐ」
の東京公演をたまたま観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
と衝撃を受け、
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と痛感したという。
教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、
「未来へつむぐ」
の東京公演を見て、赤嶺さんは
「沖縄で伝えられていない歴史」
に気付いたのだ。
初の沖縄公演に向けて奔走。
残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。
観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから
「真実を教えてくれてありがとう」
といった反応も寄せられた。
同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。
同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」
と語っていた。
この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。
戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。
理解に苦しむ。
■タブー視された特攻隊と日の丸
沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
軍は
「悪」
と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。
こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。
大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた
「鉄の暴風」
が吹き荒れた。
当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。
県民は心から早期の本土復帰を願った。
願いを込めて旧国鉄の特急列車に
「なは」
と命名したほどである。
だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。
革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。
復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。
いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。
伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。
「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」
と語っていた。
沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。
旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。
陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。

早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち
正論モーニング
2024/10/30 7:00
https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/
先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした
「特別攻撃(特攻)」
を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。
この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言が反響を呼んだ。
スポーツ選手と
「戦争」
の組み合わせには意外性も感じるが、実は
「鹿児島の特攻資料館」
には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。
■映画・小説に感銘受ける?
早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、
「今やりたいこと」
を問われ、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」
と発言した。
散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは
「軍国主義を賛美している」
などの批判が起きた。
国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。
週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。
昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』)
の影響を指摘する声も多かった。
現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。
筆者も
『あの花』
説に賛成だ。
ヒントは、
「鹿児島の特攻資料館」
という早田さんの発言自体にある。
鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、
「知覧特攻平和会館」(南九州市)

「万世特攻平和祈念館」(南さつま市)
が知られている。
海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。
だが、
「特攻資料館」
という名称の施設はない。
一方、
『あの花』
の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が
「特攻資料館」
と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。
早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で
「特攻資料館」
という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。
『あの花』
には、こんな一節がある。
主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。
≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫
生きていることや卓球をできることが
「当たり前ではない」
という早田さんの発言に通じるものがある。
■アスリートの研修に
その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。
大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。
井上教授は、同会館が2000年以降、そんな
「自己啓発の聖地」
となっていることを、
『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年)
で紹介した。
ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。
今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。
ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。
彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。
「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」
「競技に打ち込める平和な時代に感謝」
「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」
「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」
「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」
「私たちが今あるのも彼らのおかげ」
「彼らに恥じない生き方をする」
先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。
逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。
「平和」
を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。
■「世界の記憶」登録を
同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。
かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
「世界の記憶」(世界記憶遺産)
への登録を再び目指すことだ。
同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。
だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。
以降は申請を見送っている。
当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。
「軍国主義だ」
との批判が説得力をもってしまったのだ。
知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は
「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」
「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」
と話す。
ぜひ登録を目指してほしい。
実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。
(大阪正論室参与)

「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い
2024.8/15 11:38
https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/
パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言への称賛が止まらない。
SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。
特攻隊員の遺品や関係資料を展示する
「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)
が改めて、大きな注目を浴びている。
早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について
「アンパンマンミュージアム」
と共に、知覧特攻平和会館を挙げて
「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」
と述べた。
この発言に対し、SNSでは
「早田選手ありがとう」
「この人は偉いよ」
「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」
「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」
などの声が続々と投稿された。
終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。
著名人も反応した。
作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、
「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」
「有難う、早田さん」
と感謝の思いを綴った。
知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。
今年2024年2月に訪問した鈴木はXに
「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」
と投稿していた。

<主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を
社説
2024/10/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/
亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。
先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。
第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。
特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。
先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。
太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。
その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。
昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。
昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。
人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。
生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が
「統率の外道」
と認めていたように戦術として正常ではない。
大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。
特攻は戦後、
「軍国主義の象徴」
などと批判された。
選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。
現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。
特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。
特攻を
「カミカゼ」
と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。
特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。
日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

<産経抄>特攻隊のこともっと知ろう   
2024/5/6 5:00
https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/
学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。
先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。
今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。
翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。
中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。
中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している
「歴史に葬られた特攻隊長」
で名を知った。
沖縄では戦後、軍人は
「悪」
などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。
産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。
そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。
中佐を知る人の
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。
来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で
「特攻隊員が散華しました」
といった記述にも批判があるようだ。
「国のために命を捨てることが美化され、怖い」
などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。

直球&曲球
葛城奈海 桃李ものいわざれども
2023/11/2 10:00
https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/
今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。
2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、
「防人と歩む会」
の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。
湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。
1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。
昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。
以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき

何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。
悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。
伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。
存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。
しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。
そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、
「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」
という古文を引用。
桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。
そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。
伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。
24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。
私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに
「ものいわぬ桃李」
であろう。(英霊たちに思いを寄せて)

錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ


【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧
2022/5/3 19:37
https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/
第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。
3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。
慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。
19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し
「命の尊さを語り継ぐことを誓う」
と話した。
遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。
最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。
伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は
「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」
と話した。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/207.html#c61

[戦争b26] 米軍、イラン核施設攻撃 トランプ氏「完全破壊」 舞岡関谷
12. 秘密のアッコちゃん[1654] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月23日 03:53:53 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1092]
<■229行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
爆撃機や第5世代戦闘機など125機超投入 「真夜中の鉄槌」作戦、潜水艦からトマホーク
2025/6/22 22:57
https://www.sankei.com/article/20250622-6NZNRXV3XNJZNMQHHHE4JSFZM4/
トランプ米大統領は地下深くのイラン核施設を破壊するため特殊兵器を用いた作戦を実行し、
「見事な成功」
を収めたと強調した。
施設が完全に破壊されていれば、イラン側は他の地下施設も破壊されるリスクに直面することになる。
ヘグセス国防長官とケイン統合参謀本部議長は2025年6月22日の記者会見で、作戦名
「真夜中の鉄槌」
を発表。
敵に探知されにくいB2ステルス戦略爆撃機7機と、地下深くの標的を攻撃できる地中貫通弾(バンカーバスター)の中でも特に威力のある
「GBU57」
14発を初めて投入したと明かした。
精密誘導兵器のバンカーバスターは高速度で落下し、コンクリートで防護された地下の攻撃目標に到達した後に爆発する。
今回の標的の1つとなったイラン中部フォルドゥのウラン濃縮施設は地下80〜90メートルに位置し、同施設を破壊できるのは、米国が保有するGBU57だけとされる。
米メディアによると、フォルドゥの地下施設に対しB2爆撃機6機が計12発のGBU57で攻撃した。
1発のGBU57が貫通できるのは60メートルとされ、同施設を完全に破壊するため複数発を撃ちこむ必要があった。
今回の作戦ではB2爆撃機や第5世代戦闘機など計125機超の航空機を投入。
潜水艦から巡航ミサイル「トマホーク」も発射した。
米軍の攻撃の際にイラン軍からの反撃はなかったという。
イランは司令部や避難施設としても地下施設を活用してきたとみられる。
今回の米軍の攻撃により、イラン指導部らが身を隠すことが難しくなる。
トランプ政権は今後、攻撃継続の可能性をちらつかせ、イランに核兵器開発の断念を迫っていくとみられる。

作戦名は「真夜中の鉄槌」イラン攻撃でヘグセス国防長官会見、強力地中貫通弾を14発使用
2025/6/22 22:06
https://www.sankei.com/article/20250622-DDC6JZ7U4ZOPRPAGGIQOEEJ3ZU/
ヘグセス米国防長官は2025年6月22日、記者会見を開き、米軍によるイランの核施設攻撃は成功したと強調し、
「米軍の抑止力が戻ってきた」
と述べた。
トランプ大統領が平和を求めており、
「イランはその道を進むべきだ」
と呼び掛けた。
国防総省は、作戦名は
「真夜中の鉄槌=ミッドナイト・ハンマー」
だったと明らかにした。
会見に同席したケイン統合参謀本部議長は、核施設への攻撃で、地下深くの標的を攻撃できる地中貫通弾(バンカーバスター)のうち、特に強力な
「GBU57」
を計14発使用したと述べた。
また、作戦にはB2ステルス戦略爆撃機を含む125機以上の作戦機が参加。
米軍機の一部が
「おとり」
として太平洋方面に展開したと明らかにした。
ケイン氏は、米軍の作戦機がイランの空域に入ってから脱出するまでの間、イラン側に探知されることはなく、イランの戦闘機が飛来する様子も見られなかったと言及した。
ケイン氏は攻撃によって核施設が
「極めて甚大な被害を受け、破壊された」
と述べた。
その上で
「最終的な評価には時間を要する」
と付け加えた。

米、特殊兵器で地下施設攻撃 イラン指導部に逃げ場ないこと示す 核武装断念迫る
2025/6/22 18:09
https://www.sankei.com/article/20250622-KGUTIN33FVJ7TDE3ZW47DLYC5Q/
トランプ米大統領は地下深くのイラン核施設を破壊するため特殊兵器を用いた作戦を実行し、
「軍事的に見事な成功」
を収めたと強調した。
施設が完全に破壊されていれば、イラン側は他の地下施設も破壊されるリスクに直面することになる。
米メディアによると、米軍は敵のレーダーに探知されにくいB2ステルス戦略爆撃機と地下深くの標的を攻撃できる地中貫通弾(バンカーバスター)を投入した。
精密誘導兵器のバンカーバスターは高速度で落下し、コンクリートで防護された地下の攻撃目標に到達した後に爆発する。
イスラエル軍は昨年2024年9月、レバノンの親イラン民兵組織ヒズボラの指導者殺害に使ったと報じられた。
今回の標的の1つとなったイラン中部フォルドゥのウラン濃縮施設は地下80〜90メートルに位置し、同施設を破壊できるのはバンカーバスターの中でも大型で威力が大きい
「GBU57」
だけとされる。
GBU57は米国以外保有しておらず、B2爆撃機での運搬が必要だった。
複数の米メディアによると、今回の攻撃では6機のB2爆撃機で計12発のGBU57をフォルドゥの地下施設に投下した。
1発のGBU57が貫通できるのは60メートルとされ、フォルドゥの施設を完全に破壊するため複数発を撃ちこむ必要があった。
イランは核施設の他、司令部や要人の避難先として地下施設を活用してきたとみられる。
今回の米軍の攻撃により、イラン指導部や軍幹部にも逃げ場がないことを示した形だ。
トランプ政権は今後、攻撃継続の可能性をちらつかせ、イランに核兵器開発の断念を迫っていくとみられる。

イラン中部フォルドゥの地下核施設は「壊滅」 米メディア報道、バンカーバスター6発使用
2025/6/22 17:21
https://www.sankei.com/article/20250622-UNI4AA3GGVIDLIEZXBYOXFR2BA/
米FOXテレビは2025年6月22日未明、米軍が攻撃したイラン中部フォルドゥの地下核施設について、
「信頼できる情報筋から聞いたところでは、(フォルドゥの核施設は)無くなった。壊滅した」
と報じた。
また、フォルドゥの施設への攻撃には、6発の地中貫通弾(バンカーバスター)が使用されたと伝えた。
FOXは、バンカーバスターが6発使用されたとすれば、米空軍のB2ステルス爆撃機が少なくとも3機投入されたとの見方を示した。

和平応じなければ「将来の攻撃はるかに大きい」 トランプ氏、演説でイランに再攻撃示唆
2025/6/22 11:48
https://www.sankei.com/article/20250622-YYMA6GUMINJGZJP4DZLIJCHIM4/
トランプ米大統領は2025年6月21日(日本時間22日午前)、ホワイトハウスで国民に向けて演説し、イラン国内の3つの核施設への米軍による攻撃について、
「軍事的に大成功を収めたことを世界に報告できる」
と述べた。
軍事攻撃の目的を巡っては、
「イランの核濃縮能力を破壊し、世界一のテロ支援国家による核の脅威を止めることだ」
と説明した。
攻撃対象となった3つの施設は
「完全に消滅した」
と話した。
またトランプ氏は、イランが
「和平に応じなければならない」
と強調。
「そうしなければ(米軍による)将来の攻撃は遥かに大きくなる」
と再攻撃の可能性を示唆し、戦闘停止などの受け入れを迫った。
更にトランプ氏は、イランの攻撃対象は多数残っているとの認識を示し、正確かつ迅速に攻撃を加えて
「数分以内に除去することができる」
と語った。
「今夜、我々が成し遂げたことができる軍隊は世界に他にない」
と述べ、米軍の精強さを誇った。

トランプ氏、イラン核施設「消し去った」主張 攻撃にバンカーバスターを使用
2025/6/22 11:46
https://www.sankei.com/article/20250622-SQOIQBCYTBL2ZLLKF35BGT742M/
トランプ米大統領は2025年6月21日、ホワイトハウスでの演説で、米軍が実施したイラン空爆により同国の核施設を
「完全に消し去った」
と主張した。
主張の真偽や、米側が被害規模をどのように確認したのかは不明だ。
今回の空爆の焦点の1つは、イラン中部フォルドゥの地下深くにあるウラン濃縮施設の破壊に成功したか否か。
米メディアによるとトランプ政権は、B2ステルス戦略爆撃機から大型の地中貫通弾(バンカーバスター)を使用したが、攻撃による影響を評価するには時間を要すると指摘される。

「軍事的に大成功収めた」トランプ氏がイラン攻撃で演説 目的は「核の脅威止めること」
2025/6/22 11:29
https://www.sankei.com/article/20250622-AZBXGMIFVJI43PQY3BIDUKRBLE/
トランプ米大統領は2025年6月21日(日本時間22日午前)、ホワイトハウスで国民に向けて演説し、イラン国内の3つの核施設への米軍による攻撃について、
「軍事的に大成功を収めたことを世界に報告する」
と述べた。
軍事攻撃の目的を巡っては、
「イランの核濃縮能力を破壊し、世界一のテロ支援国家による核の脅威を止めることだ」
と話した。

トランプ氏、イラン空爆後にネタニヤフ氏と電話会談 報復の恐れ 対応協議か
2025/6/22 10:38
https://www.sankei.com/article/20250622-6SE5TWLJQFLGVLJI4TYQT7NEZE/
米国によるイラン核施設への攻撃で、米CNNテレビは2025年6月21日、空爆後にトランプ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相が電話で会談したと報じた。
イランによる報復攻撃の恐れがある中、今後の対応を協議したとみられる。
トランプ氏はこの日、週末で滞在していた東部ニュージャージー州から急遽ホワイトハウスに戻っていた。

中東不安定化を加速か 米のイラン直接攻撃、トランプ氏「好機」と判断
2025/6/22 10:24
https://www.sankei.com/article/20250622-OFC52JCUH5NRXKWU4WYWS6NZEE/
トランプ米政権がイランへの直接攻撃に踏み切り、中東情勢は予測が一層困難な領域に入った。
トランプ大統領は、高関税政策やウクライナ侵略を続けるロシアへの融和姿勢などで米国主導の国際秩序を自ら揺るがしてきた。
今回の攻撃について
「大成功」
と強調したが、日本を含む多くの国がエネルギー調達を頼る中東の不安定化をも加速させる可能性がある。
第2次政権発足前後からトランプ氏は、核問題を巡るイランとの
「ディール(取引)」
に強い意欲を見せてきた。
イランと米欧などが2015年に結んだ核合意から一方的に離脱した後、核合意に代わる解決策を示すことができずにイランの核開発加速を招いた1期目とはまったく異なるアプローチだ。
「外交解決」
を目指したトランプ氏の思惑はしかし、イスラエルが2025年6月13日にイランへの先制攻撃を行ったことで大きく狂った。
トランプ政権が当初、攻撃はイスラエルによる
「一方的な行動」
だとして関与を否定したのは、米側の戸惑いの表れとも言える。
だが、トランプ氏自身は、この状況を好機とも捉えたとみられる。
攻撃で核開発能力が後退し、軍事的にも弱体化したイランであれば、大幅な譲歩を引き出せる可能性があるからだ。
トランプ氏は2025年6月17日、交流サイト(SNS)でイラン最高指導者ハメネイ師の
「隠れ場所を知っているが今は殺さない」
と投稿し、
「無条件降伏」
を要求。
2025年6月18日には記者団とやり取りで、イランへの
「最後通告」
にも言及した。
一方でトランプ氏は、こうした性急な要求で自ら選択肢を狭めた側面もある。
イランが屈服を拒否したことで、トランプ氏は自身が思い描く
「タフな指導者」
像に沿ってイラン攻撃にゴーサインを出す形となった。
イランが何らかの報復攻撃に乗り出すなどして米国との軍事的応酬に発展すれば、原油市場の高騰などに繋がるのは必至。
イスラエルはイランの体制転換を図る姿勢も見せており、トランプ氏の支持勢力や米議会の一部にはこれに同調する声もある。
トランプ政権が流動化する中東情勢を制御できるのか、尚も見通せない。

B2爆撃機出動か 米軍のイラン攻撃
2025/6/22 10:21
https://www.sankei.com/article/20250622-APGGI3A75BPTREBQQ7QUCRJZIM/
ロイター通信は2025年6月21日、米軍によるイランの核施設攻撃にB2ステルス戦略爆撃機が関与したと報じた。
米政府関係者の話としている。
B2は、イランの地下核施設を破壊し得る大型の地中貫通弾(バンカーバスター)を運搬できる。
地下深くに建設された中部フォルドゥのウラン濃縮設備の破壊には米軍が保有するバンカーバスターが必要と指摘されてきた。
ロイター通信によると、今回の攻撃で、トランプ大統領は
「フォルドゥはなくなった」
と投稿。
フォルドゥ攻撃にB2が関与した可能性がある。(ワシントン支局)

「歴史的瞬間だ」トランプ氏 核施設攻撃の米軍賞賛「イランは戦争終結に合意を」
2025/6/22 9:51
https://www.sankei.com/article/20250622-KNVA3LRMGFKAJBFBUFET6WCWEE/
トランプ米大統領は2025年6月21日、米軍がイランの複数の核施設を攻撃したことに関連し、自身のX(旧ツイッター)で
「イランは今、この戦争を終わらせることに合意しなければならない」
と強調した。
トランプ氏は、今回の攻撃を
「米国、イスラエル、そして世界にとって歴史的な瞬間だ」
と指摘した。
攻撃した米軍を
「こんな事が出来る軍隊は他にない」
と称賛した上で
「今こそ平和の時だ」
とも記した。

イランから邦人ら21人が隣国アゼルバイジャンへ出国 日本政府による陸路退避第2陣
2025/6/22 9:43
https://www.sankei.com/article/20250622-BSCKYQQ6R5MNHBA5VNGGZILEIU/
外務省は2025年6月22日、イスラエルとイランの交戦激化を受けて計画した陸路での邦人退避の第2陣として、イランから邦人と家族計21人が隣国アゼルバイジャンに退避したと発表した。
外務省によると、21人は2025年6月22日午前(日本時間同)にアゼルバイジャンの首都バクーに到着した。
家族には外国籍の5人も含まれる。
陸路退避の第1陣は2025年6月19日から2025年6月20日にかけて行われ、イランから66人、イスラエルから21人が、それぞれ隣国に退避した。

トランプ大統領 イラン攻撃で米国民に向け演説へ
2025/6/22 9:39
https://www.sankei.com/article/20250622-JMMXYQRUYRJBJLYFWHIVADSDBA/
トランプ米大統領は2025年6月21日午後10時(日本時間2025年6月22日午前11時)からホワイトハウスで、イランへの攻撃について、国民に向けて演説すると自身の交流サイト(SNS)で明らかにした。
トランプ氏は同日、米軍がイラン中部フォルドゥを含む複数の核施設を空爆したと発表。
演説で、軍事作戦の
「成功」
をアピールするとみられる。(ワシントン支局)

米、複数のイラン核施設を攻撃 フォルドゥなど標的 トランプ氏「成功した」
2025/6/22 9:05
https://www.sankei.com/article/20250622-A7RERHNQBZOKXJ7BXPORMXQX7Y/
トランプ米大統領は2025年6月21日、米軍がイラン中部フォルドゥを含む複数の核施設を空爆したと発表した。
自身のX(旧ツイッター)に投稿した。
トランプ氏は
「フォルドゥ、ナタンツ、イスファハンを含む核施設への攻撃に成功した」
と投稿。
特に地中深くにウラン濃縮施設を有するフォルドゥを集中的に攻撃したとした。
大型の地中貫通弾(バンカーバスター)が使用された可能性がある。
全ての米軍航空機は既にイラン領空を離脱したとしている。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/208.html#c12

[戦争b26] 想定外の報復攻撃で国内が動揺しているイスラエルでは情報統制を強化(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
63. 秘密のアッコちゃん[1655] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月23日 05:21:44 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1093]
<▽36行くらい>
<主張>沖縄慰霊の日 節目の年に真摯な祈りを
社説
2025/6/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250623-BFQC2ULTX5LQTAL47IWJCYOKFE/
沖縄戦の終結から80年となる節目の
「慰霊の日」
を迎えた。
最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では2025年6月23日、
「沖縄全戦没者追悼式」
が営まれる。
慰霊の日は、広島、長崎の「原爆の日」(8月6、9日)や「終戦の日」(8月15日)と共に、上皇陛下が皇太子時代から、日本人としてどうしても記憶しなければならない
「4つの日」
として慰霊を尽くされてきた日だ。
天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の方々はこの日、黙禱される。
国民も、亡くなった人々に哀悼の誠を捧げたい。
昭和20年3月26日、那覇市の西方約40キロにある慶良間諸島に米軍が上陸し、沖縄戦が始まった。
圧倒的兵力の米軍は昭和20年4月1日に沖縄本島に上陸し、日本軍は激しく抵抗した。
熾烈な地上戦は約3カ月間続いた。
沖縄を守るため、県内外の将兵で第32軍が編成された。
内地から2500機以上の特攻機や空挺隊、戦艦大和を旗艦とする艦隊が出撃した。
沖縄県内では義勇隊や中等学校生らによる鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊が組織され、多くの命が散華した。
牛島満第32軍司令官が昭和20年6月23日に自決し、組織的戦闘が終わった。日本の軍民約18万8千人が亡くなり、米軍も1万2千人以上が戦死した。
その上に今の平和があることを、忘れてはなるまい。
慰霊の日に先立ち、天皇、皇后両陛下は沖縄を訪問された。
2025年6月4日には平和祈念公園内の国立沖縄戦没者墓苑に、2025年6月5日には米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑に供花し、遺族らと言葉を交わされた。
沖縄の苦難の歴史を深く偲ばれる両陛下を、県民は熱い思いで奉迎した。
残念なのは、沖縄戦を巡り偏った言論が県内の一部に見られることだ。
例えば地元紙は、沖縄戦の最大の教訓は
「軍隊は住民を守らない」
ことだと繰り返し報じ、自衛隊の活動も批判している。
だが実際は、日本兵に
「生き延びよ」
と励まされ、助けられた県民も大勢いる。
現在の自衛隊も、沖縄を含む日本の平和維持に欠かせない存在だ。
沖縄の近海で中国は軍事的圧力を一段と強めている。
外交努力に加え、防衛力の充実、国民保護の強化が求められる。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/207.html#c63
[戦争b26] 想定外の報復攻撃で国内が動揺しているイスラエルでは情報統制を強化(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
64. 秘密のアッコちゃん[1656] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月23日 05:46:38 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1094]
<▽35行くらい>
<主張>米軍の攻撃 イランは核放棄に応じよ
社説
2025/6/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250623-UKVKDDNCAJODLI23K5QNILXBQ4/
米国がイランの複数の核施設を軍事攻撃した。
核武装を阻止するとしてイランを攻撃中のイスラエルに加勢した。
イランは反発している。
世界情勢は重大な局面を迎えた。
トランプ米大統領は攻撃の目的に、
「核濃縮能力の破壊」

「核の脅威の阻止」
をあげた。
イランに和平に応じるよう求め、さもなくば追加の攻撃があると示唆した。
この和平とは、核兵器保有の意思と開発手段をイランが放棄するのが前提だろう。
イランは核拡散防止条約(NPT)の加盟国で、核兵器の開発、保有は認められていない。
戦争の拡大を防ぐには、イランは核武装しないと宣言し、その裏付けとなる国際原子力機関(IAEA)査察やウラン濃縮施設の破壊を受け入れなければならない。
原子力発電用のウラン燃料は濃縮度数%で済むが、イランは濃縮度を60%に高めたウランを生産していた。
核兵器級の90%へ近づく行動で、イスラエルなどがイランは短期間で核兵器を生産できると危機感を強めたのは当然だろう。
イランはイスラエルの生存権を認めないと公言する唯一の国である。
イランが核兵器を持てば、直接または親イラン武装勢力によって、イスラエル攻撃に用いられる恐れがあった。
それは核戦争の勃発に繋がる。
今起きている通常戦力による戦いは、1994年の朝鮮半島核危機の際、核武装を企てていた北朝鮮に対し起きたかもしれない事態だ。
当時の米国や日韓は北朝鮮の核武装を見過ごしたが、現代のイスラエルや米国は核武装に進むイランの行動を傍観しなかったことになる。
世界の情勢は大きく変わっていく。
石破茂政権は、トランプ政権と意思疎通を強めなければならない。
同時に、一連の事態が更なる危機を招くことにも備えるべきだ。
邦人救出にとどまらない。
イランがホルムズ海峡に機雷を撒くなどして封鎖の挙に出れば、エネルギー輸入に深刻な支障を来す。
機雷除去へ海上自衛隊の派遣は必要ないのか。
世界の米軍基地や米国民へのテロ攻撃もあり得よう。
在日米軍基地や空港の警備強化も急ぎたい。
中東方面への米軍出動の間隙を突いて、北東アジアで中国が軍事的圧迫を強めてくる事態への警戒も怠れない。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/207.html#c64
[戦争b26] 想定外の報復攻撃で国内が動揺しているイスラエルでは情報統制を強化(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
65. 秘密のアッコちゃん[1657] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月23日 08:28:45 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1095]
<■67行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
日本の原油調達に影響、イラン国会「ホルムズ海峡封鎖」を承認、最終決定は最高指導者ら
2025/6/23 8:00
https://www.sankei.com/article/20250623-GODQIAQDCZNOHBOEPLCXCLGHZU/
イランの国営通信は2025年6月22日、米軍の攻撃に反発する保守強硬派が多数を占めるイラン国会が、原油輸送の要衝ホルムズ海峡の封鎖を求める方針を承認したと報じた。
最終決定は国防・外交政策全般を統括する最高安全保障委員会(SNSC)または最高指導者ハメネイ師に委ねられる。
ペルシャ湾の入り口に位置するホルムズ海峡は、世界で1日に消費される原油の約20%が通過する供給の大動脈。
原油輸入の9割以上を中東に依存する日本へのタンカーの8割が通過するとされる。
封鎖されれば日本のエネルギー調達に大きな影響が出るのは確実だ。
国営通信によると、元革命防衛隊幹部で最強硬派のコウサリ議員は
「国会はホルムズ海峡を封鎖するという結論に達した」
と述べた。
これまでもイランは中東地域で緊張が高まる度に、攻撃艇や機雷などによる海峡封鎖をちらつかせてきた。
ルビオ米国務長官は2025年6月22日、米メディアのインタビューで、イランがホルムズ海峡を封鎖すれば
「経済的な自殺だ」
と指摘。
中国に原油を運ぶタンカーの多くがホルムズ海峡を通過しているとし、中国政府に対し、イランへの影響力を行使するよう呼びかけた。(共同)

イラン・フォルドゥに大穴6カ所、バンカーバスターの着弾痕か CNNが衛星写真分析
2025/6/23 7:39
https://www.sankei.com/article/20250623-BDSW7KJR3ZKHHGNU72ESHSJDSU/
米軍攻撃後の22日に撮影されたイラン中部フォルドゥの地下核施設の衛星画像。写真左上部に攻撃前の衛星画像にはなかった複数の穴が見える(マクサー・テクノロジーズ提供=ロイター)
https://www.sankei.com/article/20250623-BDSW7KJR3ZKHHGNU72ESHSJDSU/photo/UYQKT7TRAZKJLKUISOURL5GWXQ/
米CNNテレビは2025年6月22日、米軍が大型の特殊貫通弾(バンカーバスター)GBU57で攻撃したイラン中部フォルドゥの衛星写真の分析結果を報じた。
攻撃前のものと比較すると、攻撃後の写真では、地下深くにある核施設の上部付近に、少なくとも6カ所の着弾痕とみられるクレーターが確認できると指摘した。
CNNによると、米軍はフォルドゥにB2戦略爆撃機6機から12発のGBU57を撃ち込んだ。
着弾痕とみられるクレーターは地下施設の上部を走る尾根に沿って、2カ所に三つずつ集中してできているとしている。
山の斜面の色が変わっており、爆発で広範囲にわたって灰が飛散したことを示しているという。
また、ワシントン・ポスト紙は衛星写真を分析した結果、地下施設へのトンネルの入り口が土砂で埋まっているように見えると報道。
米軍が攻撃した際の爆風によるものか、イラン側が危険物質の飛散を防ぐために事前に埋めたのかは分からないとした。(共同)

バンス米副大統領「イランの核開発計画と戦っている」全面戦争望まず、「限定的攻撃」強調
2025/6/23 6:44
https://www.sankei.com/article/20250623-L2USPBZBDZN63NA34N2RSZHX7Q/
バンス米副大統領は2025年6月22日、NBCテレビの番組で、米軍によるイラン核施設攻撃について
「イランと戦争をしているのではなく、イランの核開発計画と戦っている」
と述べ、全面戦争は望まない考えを示した。
ヘグセス国防長官も同日の記者会見で攻撃の標的を
「意図的に限定した」
と強調した。
一方、トランプ政権が攻撃の目的とした主要核施設の完全破壊が達成されたかどうかは不透明だ。
ニューヨーク・タイムズ紙は22日、大型の特殊貫通弾(バンカーバスター)GBU57で攻撃を受けたイラン中部フォルドゥの地下核施設は完全な破壊には至らなかったとする米イスラエル両当局者の見方を報じた。
トランプ大統領やヘグセス氏は攻撃の目的を果たしたと主張していた。
バンス氏は番組で、核施設の完全な破壊を確信しているかと問われ
「イランの核兵器開発を大幅に遅らせた」
と述べるにとどめた。
ヘグセス氏の会見に同席した米軍のケイン統合参謀本部議長は核施設に極めて深刻な損害を与えたとしつつ、核開発能力が維持されるかどうかの判断は
「時期尚早だ」
と明言を避けた。(共同)

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/207.html#c65

[戦争b26] “アメリカ イランの核施設3か所を攻撃 完全に破壊した”トランプ大統領が発表 FOXニュース「バンカーバスター6発使用」(TBS) 赤かぶ
26. 秘密のアッコちゃん[1658] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月23日 12:23:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1096]
<▽36行くらい>
トランプ流「力による平和」 「おとりの爆撃機」使い、イランへの奇襲攻撃から無傷の帰還
2025/6/23 9:23
https://www.sankei.com/article/20250623-B5TALWEA5NNB3LCBUDANVCW2TY/
トランプ米大統領はイランの核施設攻撃で
「おとりの爆撃機」
を飛行させるなどして奇襲を仕掛け、軍事力でイランに核兵器開発の断念を迫った。
圧倒的な戦力と無傷の作戦完遂をアピールし、武力行使を躊躇しないトランプ流の
「力による平和」
を国内外に誇示した。
「イランの核開発計画を壊滅させた」
「初期分析では全ての精密誘導攻撃が標的に命中した」
イラン攻撃から一夜が明けた2025年6月22日早朝、米国防総省で記者会見したヘグセス国防長官は米軍の能力をこう誇ってみせた。
会見には米軍制服組トップのケイン統合参謀本部議長が同席し、巨大パネルを持ち込んで
「真夜中の鉄槌」
と名付けた作戦の内容を明かした。
核施設攻撃を担ったB2ステルス戦略爆撃機7機は米本土の基地から発進し大西洋を横断。
空中給油を受けながら1万キロ以上離れたイランの標的まで約18時間かけて飛行し攻撃した。
この際、おとりのB2爆撃機を太平洋方面に飛行させ、大西洋側の爆撃機への注意を逸らせた形だ。
イランに到達したB2爆撃機は地下深くの標的を攻撃できる地中貫通弾(バンカーバスター)計14発を投下し、中部フォルドゥのウラン濃縮施設などを攻撃。B2爆撃機による
「米史上最大級の攻撃」
となった。
作戦では第5世代戦闘機など計125機超の作戦機を投入。
潜水艦から巡航ミサイル「トマホーク」も発射し、バンカーバスターを含め精密誘導兵器計75発を使用した。
3カ所の標的全てに
「極めて甚大な損害」
を与えたと強調している。
イランに反撃の機会も与えず完遂した作戦内容や成果を世界に示すことで、イランに米国への報復攻撃を思いとどまらせ、核兵器開発の断念を促す戦略とみられる。
また今回の作戦は
「極秘」
扱いで、政権のごく一部にしか共有されていなかった。
トランプ氏は2025年6月19日の時点で攻撃は
「2週間以内に決める」
とし時間的猶予があることを敢えて印象付けていた。
しかし、水面下では準備を着々を進め意表を突く格好で実行した。
「力による平和」
を掲げるトランプ氏は、
「予測不能」
な大統領であることを演出し、敵対勢力を押さえ込もうとしている。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/209.html#c26
[政治・選挙・NHK297] 東京都議選、自民大敗で過去最低議席に 都民ファが第1党復帰 <国民民主、9議席>(朝日新聞) 赤かぶ
25. 秘密のアッコちゃん[1659] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 08:08:53 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1097]
<▽35行くらい>
<主張>都議選で自民大敗 厳しい審判と受け止めよ
社説
2025/6/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250624-SHQK76NWMBPTDCGTQC57W3N72U/
2025年6月22日投開票の東京都議選で、自民党が過去最低の21議席(追加公認3を含む)にとどまり、第1会派から陥落した。
公明党も議席を減らした。
小池百合子都知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」は、会派から無所属で出馬した1人を含め32議席を得て第1会派となった。
都議会で小池知事を支える都民ファと自公の知事与党は過半数を維持し、小池都政は信任された。
国民民主党や参政党は新たに議席を獲得した。
大敗した自民が失った議席が、都民ファや国民、参政などへ回った格好だ。
物価高や石破茂政権自体への不満、都議会自民の政治とカネをめぐる問題が影響したとみられる。
今年2025年の都議選は参院選の前哨戦と位置づけられた。
石破首相と自民執行部は、都議選の結果を重く受け止めるべきだ。
政権の敗北でもあると捉えなければなるまい。
自民党本部の木原誠二選対委員長は都議選の結果が参院選に直結するものではないとの認識を示した。
このような甘い見方で漫然と日を過ごせば、参院選で二の舞いを演じるだろう。
自民はまず、石破首相の政権運営への不満から離反が指摘される岩盤支持層の繋ぎ止めに真剣になるべきではないか。
また、石破首相が発表した、全国民への2万円給付方針やガソリン補助拡充はばらまきと見做され、選挙結果にマイナスの影響があったと指摘される。
小池知事は、知事与党が過半数を占めたとはいえ、それに甘んじてはならない。
都議選では物価高対策や子育て支援などが争点となったが、議論が深まったとは言えず、投票率は47・59%にとどまった。
都政への無関心を正す上でも、政策遂行に邁進してもらいたい。
首都東京の課題は多い。
特に防災面では甚大な被害が懸念される首都直下地震や富士山噴火への対策の強化が急がれる。
外国人の不法滞在、不法就労の解消などを含む、治安維持対策も重要だ。
昨夏の都知事選で次点だった前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が立ち上げた地域政党「再生の道」は、擁立した42人全員が落選した。
党としての政策を掲げないようでは、有権者の支持が広がらなかったのも当然と言うべきである。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/533.html#c25
[政治・選挙・NHK297] 石丸伸二氏の「再生の道」が議席ゼロ確実 自民と並び最多42人擁立(朝日新聞) 赤かぶ
27. 秘密のアッコちゃん[1660] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 08:41:36 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1098]
<■244行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
昨夏2024年夏の都知事選で次点だった前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が立ち上げた地域政党「再生の道」は、擁立した42人全員が落選した。
党としての政策を掲げないようでは、有権者の支持が広がらなかったのも当然と言うべきである。

現地匿名座談会 前安芸高田市長・石丸伸二とは何者か?
Hanada2024年8月号
安芸高田(あきたかた)市は、広島市から北東へ80kmほどの中山間部にある。
「平成の大合併」
で、2004年に高田郡吉田町、八千代町、美土里(みどり)町、高宮町、甲田町、向原町が新設合併して安芸高田市が発足した。
林業などが盛んだったが、地域は過疎化が進んでいる。
人口は約2万5000人。
中心部の吉田町には、戦国武将の毛利元就が本拠地とした郡山城の跡や墓がある。
その安芸高田市の石丸伸二市長(41)が、東京都知事選に出馬した。
1期にも満たなかった地元での評判はどうなのか。
安芸高田市の市議、元市議ら4人の男性に集まって頂いた。
■京大卒、三菱UFJ勤務
ーー4年前(2020年)、石丸さんはどういう経緯で市長に当選したのですか。
★A
2020年の7月、この辺りを地盤(広島3区)にしている衆院議員の河井克行さん(法務大臣)に絡む”収賄事件"で、現職だった児玉浩市長が引責辞任、2020年8月に選挙になりました。
児玉さんは後継として竹本峯昭副市長を立て、無投票かとばかり思われていた。
ところが、ここの出身で、京都大学(経済学部)を卒業して三菱UFJ銀行に勤め、ニューヨークに4年ほど赴任していたという石丸氏が突然、そんな
「エリート色」
を引っ提げて立候補したんです。
”贈収賄”事件で街の空気は沈滞ムードでした。
その上、過疎・高齢化が進む一方だったので、市民からは
「高収入を投げ捨てて故郷に戻って立候補した37歳の彼なら、街を活性化してくれるのではないか」
と期待する声が多かったですね。
結果、票数は石丸候補が8000ちょと、竹本候補が5300くらいで、大差で石丸氏が勝ちました。
★D
当時の石丸氏は、銀行で年収1000〜1300万円も稼いでいたんでしょう。
有権者は
「それをかなぐり捨てて故郷に尽くすのは立派だ」
と思った。
ここじゃ、市長をやっても1000万円あるかどうかだから。
★C
石丸氏にとって、逆の意味での
「河井風」
が吹いて、
「立候補した副市長なんて、どうせ前の収賄市長と変わらない」
と見られていた。
★B
石丸氏の親父さんは、地元の電鉄会社に勤めていました。
同じ会社の人が私の関係者にもいて、その伝で、立候補する時、本人が私にも挨拶に来ましたよ。
「立場上、応援はできなけれど、石丸さんは大都会にばかりいたんだろうから、しっかり中山間部の安芸高田市の事を勉強して下さいよ」
とは言っておきました。
■議会で議論が進まない
ーー石丸氏が辞めた現在、市議の熊高昌三さんが、その後継として市長選(2024年7月7日投開票)に出馬する。
★A
彼は石丸市政を評価していた男ですが、それでも議会などで意見が違うと、石丸市長は熊高議員を激しく罵倒していた。
私なら、とても付き合う気になりませんけど、熊高さんは忍耐強いんでしょうね。
★B
そういう人すら大事にしないんだから、2期目に出る気なんてさらさらなかったのでしょう。
ーー市長就任後、まず騒動になったのが、議員の居眠り問題でしたね。
★A
亡くなった武岡(隆文)市議のことですね。
2020年9月25日のことで、居眠りは事実です。
石丸氏がツイッター(現X)で、名前と共に
「恥を知れ!」
と投稿し、拍手喝采を浴びました。
武岡さんは翌日、すぐに
「居眠りしたことを会ってお詫びしたい」
と伝えましたが、石丸市長に
「会う気はない」
と断られました。
携帯メールでも謝意を伝え続け、それは市長も認めています。
それでも
「説明責任を果たせ」
と言われ続けたので、2021年6月10日に武岡さんは記者会見をし、
「医師から睡眠時無呼吸症候群の診断を受けて、居眠りではなく、軽い脳梗塞による意識の喪失だった」
と説明。
しかしその後、
「何で今更また謝罪しなくてはいけないのか」
と口にした発言が、またYouTubeで流されて叩かれてしまい、大変悩んでいました。
亡くなる直前に電話で話しましたが、憔悴しきっていました。
本当に気の毒です。
★B
武岡さんという人は神経質といってもよい性格で、医師の診断書も、市議長を通して正式に石丸市長に出されていました。
しかし、市長は
「個人情報だから受け取れない」
と言って、診断書をシュレッダーにかけたとか。
そもそも議会に出された診断書は公文書ではないのか。
■何でも「無駄だ」と潰す
ーー議会ではどんな事が。
★B
議員の質問に対して
「日本語が正しくない」
と噛み付いたり、
「おっしゃる意味がよく分かりませんが」
などと言葉に拘ってばかりで、内容が前に進まない。
まるで国語の試験のようでした。
正確な日本語でなくとも分かるはずなのに、議論の入り口で止まってしまっていた。
しかも切り取りで映像をYouTubeで発信する。
「あなた方は国語力がない」
といったつまらないやり取りばかりが流れて、議会でどんな事を議論しているのかがさっぱり伝わっていない。
★C
そりゃあ、私ら田舎の爺さんだから、正しい国語になっていないかもしれない。
しかし、石丸という男はハナから地方の年寄りを馬鹿にしているんです。
目上の人を敬うなんて気持ちはかけらもない。
学校の勉強はよくできたかもしれてないけど、人間としては失格だよ。
ーー石丸市長は、既存の事業の廃止を次々と打ち出してきましたね。
★B
2代前の浜田(一義)市長が
「田んぼアート」
という事業を提唱したのですが、石丸市長が
「鶴の一声」
で中止してしまった。
ーー田んぼに絵を描くことで、遠くや空から色んな図柄が楽しめるアート企画ですね。
★B
観光客誘致にも繋げたいとした
「田んぼアート」
は、特別委員会も作って
「さあやろう」
という時で、JAも含めて実行委員会を作り、先進県の青森まで視察に行って研究していました。
色んな企業から苦労して協賛金も集めていたのに、石丸市長は
「そんなものは金にならん」
といった感じで、一方的に中止を決めてしまった。
★A
他にも、八千代の森美術館を
「市外の人が利用するのに税金を使う必要がない」
「市の人は誰も利用してない」
と言って休館。
★B
安芸高田市には他に美術館がなく、八千代の森美術館は地域の文化を発信する重要な拠点でした。
今は赤字でも、長い目で見て施設を活かすやり方を模索することが政治ではないのでしょうか。
何でも
「無駄だ、無駄だ」
と潰す政治なら誰でもできるよ。
★A
市では従来からお見合いのような
「婚活事業」
もやっていましたが、これも潰してしまった。
多い時で年間5組くらい成立していて、他県から
「ノウハウを教えて下さい」
と安芸高田市に学びに来ていましたし、広島県庁からも
「県でやる」
と視察に来ていました。
高齢者ばかりになる中、若い人が増えてほしいという切実な思いで始めたのですが・・・。
★C
12年間やって、59組成立した。
★A
彼は中学の模擬議会にこの事業を持ち出して、生徒から
「続けるべきでは」
と言われ、
「結婚のようなプライバシーに行政が介入すべきではない」
と説明していたとか。
ーーそんなことを中学生に諮るのもちょっと妙ですね。
★C
高宮町に
「たかみや湯の森」
という温泉施設があります。
ここの温水プールは、高田町や高宮町のお年寄りが健康のために使っていたのですが、
「利用客が少なく、採算が悪い」
「1800万円は無駄な出費だ」
とプールをなくしてしまった。
★B
健康福祉という観点が全然ないんですよ。
全て今の採算性だけで物を考えている。
■評価された政策は?
★A
地元の総菜屋さんから給食を納入させることをやめさせ、廿日市(はつかいち)市から納入させるようにした。
地元の商売を潰しているんです。
廿日市の業者と個人的な繋がりでもあるのではないかと疑ってしまう。
また、
「土砂災害が起きると危険だ」
とある保育所の移転を言い出したのですが、代替地がなかなか見つからない。
市長は全く地元の人たちと協議もせず、机上で地図を見ているだけ。
★B
保育所の隣には小学校があるから、保育所が危険なら小学校だって危険だよ。
だけど、そっちはさっぱり言わない。
あれほど市民と直に接しない市長は今迄いなかった。
小中学校の入学式、卒業式や運動会、そういった地域の行事に、石丸市長はまず出なかった。
先日、中国地方の防災協会の表彰式がありました。
市で選ばれた人に市長が賞状を渡すのですが、
「この人はどういう事をしたのですか?」
と言ったことは何1つ訊かない。
地元の受賞者の業績など何の興味もなく、ただ賞状を渡せばいいと思っている。
最初からずっと、安芸高田市とは違う方を見ていたのでしょうね。
安芸高田市のために尽くす気はさらさらなかった。
■教育関連は評価、高かった
ーー逆に、石丸氏が評価された政策はないんですか。
★B
最も受けが良かったのは教育関連ですね。
学校の冷暖房などを充実させ、更に2つの高校(県立向原高校と県立吉田高校)に
「生徒が決める100万事業」
と言って
「自由に使って下さい」
と100万円ずつ渡した。
それも生徒会長に対してで、
「教員は使途に口を挟むな」
と。
そりゃあ、生徒は喜びますよ。
他にも、リクルート社の高い教材を高校生に無償提供して喜ばせている。
そういう若者への受け狙いは大変上手です。
学校も椅子や机を新調するなど手厚くしているので、当初、石丸市長を批判していた教育長は完全にシンパになり、
「石丸市長のお陰で」
と盛んに言うようになった。
ーー子育て政策も評価されているようですね。
★A
小中学校と保育所の給食費を無償化するのに1億円投じました。
廃止施設にかかっていた管理費などから捻出したのですが、毎年やるとなれば、今後どこから捻出するのか。
まあ、国が給食無償化をやるのが分かっているから、一足先にやって自分の業績のように見せたのでしょう。
そういう手法は上手い。
ーー自分から言い出して始めた政策はあるんですか。
★A
広島は大阪と違うお好み焼きで知られています。
そこに目を付けて、
「あきたかた焼き」
を名物にしようというプロジェクト。
他県にまで職員が行って研究して作ったのですが、その時点で市民は市長に着いて行けず、飲食店はほとんど手を上げませんでしたね。
売っているのは3軒くらいですよ。
★B
幟(のぼり)1つ立っていません。
よそから旅行で来ても、どこで食べられるのか分からない。
■人を見下す発言が多い
ーー石丸市長の公費の使い方が問題視されています。
★C
2024年5月に、2泊3日ほど上京して、橋下徹さんのYouTube番組に出演。
そして東京都江東区で行われたイベントで、都知事選に立候補することを宣言した。
安芸高田市のことで上京したわけでも何でもないのに、市の公費で出張したんですよ。
そのことを追及されると、
「市の窓口を通して依頼があったから、市長としての公務だ」
と抗弁しています。
それならどんな依頼だって、市の窓口を通させれば公費でどこにでも行けることになってしまう。
信じられない言い草ですよ。
さすがに趣味のトライアスロン大会は自費で行ったようですが、これも問題があった。
広島市では2018年に多くの人が亡くなった豪雨があったので、2年前(2016年)に台風が広島を直撃するという予報が出た際、市民は緊張して備えていました。
その
「台風直撃」
とされていた日、石丸氏は千葉県でトライアスロン大会に出場し、地元に居なかったのです。
台風はそれたのですが、自慢げにトライアスロンで何番になったという動画を配信していたのを山根温子市議が見付けて問題視した。
すると、
「(台風への)万全の準備を取らせている」
「遠くからでも指示はできる」
ーーそれなら、自治体首長はどんな時でも遠くに遊びに行けますね。市民は監査請求などをしないのですか。
★C
「安芸高田市政刷新ネットワーク」
という市民団体が監査請求をしたことがあります。
ところが、監察委員が調べたところ
「違法性はない」。
市の出張規定では市長、副市長、教育長の3役は
「出張の際、費用を支給する」
となっているだけで、
「公務で」
という条件が書かれていないのです。
市職員や市議会議員の場合は
「公務で」
という条件が付いています。
ーー議員との訴訟沙汰もあったとか。
★C
トライアスロン動画を追及したという山根温子議員とです。
石丸市長は4年前(2020年)、市議会全員協議会で、山根市議から
「議会を敵に回すなら政策が通らなくなる」
などと恫喝された、といった内容をツイッター(X)に複数回投稿した。
山根さんは
「嘘だ。名誉棄損だ」
と石丸市長に500万円、市に330万円の損害賠償を求めたんです。
広島地裁は録音記録を精査して、2023年12月に
「山根さんの恫喝発言はなかった」
と石丸市長による名誉棄損を認め、市に33万円の賠償を命じました。
更に、
「市長としての裁量を逸脱したもの」
「SNSで広報活動をする際に注意義務を尽くしておらず、違法な行為」
としました。
★A
議会では、山根議員が質問すると
「今の質問はウザイ」
とか
「きもい」
とか見下す。
人を蔑視するような発言が多かった。
控訴審判決(広島高裁)が2024年7月3日にありますが、石丸市長は
「控訴する」
という決定も議会に諮らず、
「控訴期限まで時間がない」
と専決処分しました。
ここまで訴訟費用は公費ですよ。
既に市長は退任していますが、2024年7月7日までの期間の市長代理を利用して、判決に不服で専決処分による最高裁への上告をするのかも見所ですね。
■売名のために市長に?
ーー石丸市長は自画自賛しているようですが、財政再建の実際の評価は。
★A
財政調整基金は残し、他の基金を切り崩し、数字のマジックのようなもので
「再建した」
と言っているだけです。
あれこれ事業をやめれば支出は減る。
新しい事をしないので償還金は減り、経常経理は下がり、立ち直っているように見えるだけ。
★C
基金を切り崩しただけですね。
ああいうことは、銀行出だから上手いのよ。
ーー石丸氏は、政治家になりたいという希望を早くから持っていたのでしょうか。
★B
持っていたでしょうけど、国会議員や県会議員では埋もれてしまう。
「お山の大将」、
即ち自分がトップの地位でなくては気が済まない。
だから議員にはならずに、首長という位置を狙ったのでしょうね。
★C
名を売るために1期市長になっただけ。
この市に尽くすなんていう気などさらさらない。
全国的に顔を売るチャンスを窺っていたところ、都知事選に目を付けたんでしょう。
★A
4年前(2020年)にここで立候補した時も、ある新聞社の記者が
「ここの市長を長くやろうなんて気は絶対ない」
「当選したら市は困るのでは」
と言っていたけど、その通りでしたね。
ーーネットを駆使されていましたが、既存メディアとはどういう関係でしたか。
★B
ある新聞記者をよく攻撃していました。
本来、自治体の首長なら地元紙とは良好な関係を持とうとするはずですが、そんな気は一切ない。
2期目以降は出ないつもりだったからでしょう。
★A
聞いた話ですが、ある社は彼を取材する時は事前に社内で会議を開いて打ち合わせて、質問は最低限にする。
やめることもあったそうです。
石丸市長は、自分の事が書かれた気に食わない記事、あるいは記者会見の質問が気に入らないと、会社宛てに公開質問状を送る。
新聞社はその対応に煩わされるから、記者に彼を刺激するような質問をやめさせ、当たり障りのない質問しかさせないんです。
この市出身の都民で、都知事選で彼を応援する人なんかいなんじないかな。
★B
彼の4年間は完全な売名行為ですよ。
1期で辞めるのも、早くから決めていたんじゃないですかね。
繰り返しになるけど、あれほど市民と接しない市長はいなかった。
2期目に出る気ならあり得ない。
★A
1年経って、騙されたと思う人が多くなってきましたからね。
★D
年寄りをあれほど馬鹿にした人はいませんね。
目上の人を敬うことなど全くない。
自分が世の中で一番賢い、頭がいいと思っていて、プライドばかり高い。
★A
市議会では、石丸氏の一番の攻撃対象になったのは私でしょうね。
SNSやYouTubeの影響は本当に怖い。
部分的に切り取られて世界中に発信され、それを真に受けた
「石丸応援団」
から色んな脅しが来ました。
最近は身の危険を感じて、一般質問しようと思っていた質問を封じてしまうことも・・・。
ああいうメディアに踊らされる人が多いのは、本当に怖い世の中ですね。
ーーでは、石丸市長の功績はゼロ?
★C
この騒動で、安芸高田市の名が全国版になったことくらいでしょうね(笑)。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/532.html#c27

[戦争b26] トランプもイスラエルには逆らえない(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
32. 秘密のアッコちゃん[1661] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 09:33:59 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1099]
<■125行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
“イスラエルとイラン 停戦合意” トランプ大統領がSNSに投稿
2025年6月24日 9時04分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250624/k10014842841000.html
アメリカのトランプ大統領は日本時間の24日午前7時すぎ、SNSに
「イスラエルとイランが完全かつ全面的に停戦することで合意した」
と投稿しました。
まずはイランが戦闘を停止し、その後イスラエルが停止するとしていて、双方がこれを履行すれば、日本時間の25日にも戦闘が終結するとの認識を示しました。
トランプ大統領は23日午後6時すぎ(日本時間の24日午前7時すぎ)、SNSに
「イスラエルとイランが完全かつ全面的に停戦することで合意した」
と投稿しました。
このなかでトランプ大統領は、今回の投稿から約6時間後にイスラエルとイランの双方が現在進行中の
「最後の任務」
を終了するとした上で、そのあとについては
「公式にイランが戦闘を停止する」
「12時間が経ったところでイスラエルが戦闘を停止し、24時間が経ったところで、戦争の公式な終結が世界に宣言される」
と説明し、双方がそれぞれ戦闘の停止を履行すれば、日本時間の25日にも戦闘が終結するとの認識を示しました。
その上で
「イスラエルとイランの両国が根気と勇気と知性をもって、『12日間戦争』と呼ぶべき戦争を終わらせることを祝福したい」
とした上で、
「この戦争は何年も続き、中東全域を破壊する可能性があったが、そうはならなかったし、今後もそうはならないだろう」
としています。
ただ、今のところ、イスラエルとイラン、双方から公式な発表はありません。
■“イラン高官が停戦合意認める” ロイター通信
ロイター通信はイランの高官がアメリカから提案されたイスラエルとの停戦について、合意したことを認めたと伝えました。
また、カタールの首相がイランの当局者との電話会談で、停戦案についての合意を取りつけたと伝えています。
■イスラエル軍 イランの一部地域に退避通告
イスラエル軍は24日未明、日本時間の午前7時半すぎ、SNSで、イランの首都テヘランの一部の地域に退避を通告しました。
トランプ大統領が
「イスラエルとイランが停戦することで合意した」
と投稿した後に出されました。

イランが報復 カタールの米軍基地にミサイル攻撃
この記事は、現在リアルタイムで更新中です。

2025年6月24日 8時26分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250624/k10014842721000.html
イランは日本時間の24日午前1時半すぎ、中東カタールのアメリカ軍の空軍基地に対してミサイル攻撃を行い、アメリカがイランの核施設に攻撃を行ったことへの報復だとしています。
アメリカ国防総省の当局者は
「現時点ではアメリカ人の犠牲者の報告は入っていない」
としています。
また、カタールにある日本大使館はNHKの取材に対し、
「カタールに住んでいる日本人の安否確認を続けているが、現時点でけが人などの報告は受けていない」
としています。
目次
撮影した女性 “恐怖をおぼえた”
デスク解説
■“イスラエルとイラン 停戦合意” トランプ大統領がSNSに投稿
イランの国営テレビは日本時間の24日午前1時半すぎ、イランが中東カタールのアメリカ軍基地に対し、軍事作戦を開始したと伝えました。
カタールの首都ドーハ近郊にある、アメリカ軍にとって最大規模のウデイド空軍基地が標的になったとみられ、イランの国営メディアは
「6発のミサイルがカタールのアメリカ軍基地に命中した」
と伝えました。
イラン軍は国営メディアを通じて声明を発表し、
「アメリカによる、イランの核施設への露骨な軍事的な侵略と国際法の明確な違反を受け、カタールにある空軍基地を、破壊的で強力なミサイル攻撃の標的とした」
として、アメリカへの報復だと明らかにしました。
アメリカ国防総省の当局者は取材に対し、ウデイド空軍基地への攻撃について
「イランから発射された、短距離および中距離弾道ミサイルの攻撃を受けたことを確認した」
「現時点ではアメリカ人の犠牲者の報告は入っていない」
としています。
また、カタールの外務省報道官はSNSで声明を発表し、
「カタールの防空システムが攻撃を阻止し、イランのミサイルを迎撃することに成功した」
「負傷者や人的被害は出ていない」
としています。
ニューヨーク・タイムズは複数のイラン当局者の話として、イランはカタールの複数の当局者に対し、攻撃があることを事前に連絡していたと伝えています。
さらにロイター通信は、地域の関係者の話として、イランが攻撃の数時間前に、2つの外交ルートを通じて、アメリカ側に攻撃を通告していたと伝えました。
また23日、アメリカ軍の関係者の話として、カタール以外のアメリカ軍の基地で、イランの攻撃は確認されていないと伝えました。
アメリカのトランプ大統領は、日本時間のきょう午前5時前にSNSに投稿し
「イランは我々の核施設の破壊に対してとても弱い反応を示し、この反応は予想していたもので、我々は非常に効果的に立ち向かった」
としました。
その上で
「イランが我々に早期に通告したことに感謝したい」
「命が失われることなく、誰もけがすることはなかった」
として、イラン側から攻撃の通告があったことを明らかにしました。
イスラエルとイランの攻撃の応酬が続く中、アメリカのトランプ政権は現地時間の22日、イランの核の脅威を阻止するためとしてイランの主要な核施設3か所に攻撃を行い、イラン側は報復する考えを強調していましたが、事前に通告するなど抑制的な攻撃にとどまった形です。
■“米と同じミサイル数で報復” イラン最高安全保障委
イランの外交や国防を管轄する最高安全保障委員会は23日、声明を出し、報復攻撃に使ったミサイルの数は、アメリカがイラン国内の核施設への攻撃に使った爆弾の数と同じだと主張しました。
また、今回攻撃したアメリカ軍の基地は、都市の施設や住宅地から離れた場所にあると説明した上で、カタールの人々を標的にしたものではないとしています。
■カタール 攻撃発表前に空域を一時閉鎖
カタールの当局は、イランの国営テレビが攻撃を発表した約1時間前の現地時間の23日午後6時半(日本時間の24日午前0時半)、国民などの安全を確保するためだとして、空域の一時閉鎖を発表していました。
■近隣国で空域閉鎖相次ぐ
近隣国でも空域の閉鎖が相次いでいます。
イランの隣国、イラクの国営通信は現地時間の23日夜、当局の話として、イラクの上空での航空機の航行が禁止されたと報じました。
また、湾岸のバーレーンやクウェートも空域の一時閉鎖を発表しています。
■仏大統領 “混乱の連鎖 終わらせなければ”
フランスのマクロン大統領は「イランによって領土に攻撃を受けたカタールに対し、連帯の意を表する」とSNSに投稿しました。
そのうえで、「すべての関係者に対し、最大限の自制を保ち、緊張を緩和し、交渉のテーブルに戻るよう呼びかける。この混乱の連鎖は終わらせなければならない」として、関係国に対し、外交的な解決を図るよう促しました。
■イラン革命防衛隊 “強力で壊滅的なミサイル攻撃実施”
イランの軍事精鋭部隊、革命防衛隊の報道官は23日、声明を出し、「革命防衛隊は、強力で壊滅的なミサイル攻撃をウデイド空軍基地に行った。この行動はホワイトハウスと同盟国に対する明確かつ直接的なものだ。われわれはどのような状況下においても、領土の保全や主権、国家の安全保障に対するいかなる侵略行為も放置しない」としています。
■イラン最高指導者 “いかなる攻撃にも屈しない”
またイランの最高指導者ハメネイ師は23日、攻撃のあと声明を発表し、
「我々はどんな状況であれ、如何なる攻撃にも屈しない」
「これがイランの論理だ」
としています。
■撮影した女性 “恐怖をおぼえた”
ドーハ近郊で現地時間の23日夜(日本時間の24日午前1時半すぎ)、マンションの18階のベランダから撮影された映像では、ドンドンという音とともにオレンジ色に光る飛しょう体が飛来する様子や、飛しょう体が迎撃されていると見られる様子も確認できます。
女性はNHKの取材に対し、
「ベランダの窓がドンと風圧で揺れる音がして最初は花火かと思いました」
「2発3発ドンドンと鳴ったのでベランダに出て辺りを見渡すと、ミサイルのような光が見えました」
と話していました。
そして
「街なかに出ると車も走っていて人々も歩いていて、店も営業していて雰囲気は変わらないのに、一気に不安がきた感じです」
「これが戦争なのかなとすごく恐怖をおぼえました」
と話していました。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/211.html#c32

[戦争b26] トランプもイスラエルには逆らえない(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
36. 秘密のアッコちゃん[1662] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 12:58:45 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1100]
<■115行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
トランプ氏“イスラエルとイラン 停戦合意” 実現は予断許さず
2025年6月24日 12時37分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250624/k10014842841000.html
アメリカのトランプ大統領は日本時間の2025年6月24日午前、SNSに
「イスラエルとイランが完全かつ全面的に停戦することで合意した」
と投稿しました。
イランのアラグチ外相もSNSへの投稿で、イスラエルが軍事行動を停止すれば停戦に応じる考えを示しましたが、双方が攻撃を停止し停戦が実現するかは予断を許さない状況です。
アメリカのトランプ大統領は2025年6月23日午後6時すぎ(日本時間の24日午前7時すぎ)、SNSに
「イスラエルとイランが完全かつ全面的に停戦することで合意した」
と投稿しました。
トランプ大統領は、この投稿からおよそ6時間後にイスラエルとイランの双方が現在進行中の
「最後の任務」
を終了するとした上で、その後については
「公式にイランが戦闘を停止する。12時間が経ったところでイスラエルが戦闘を停止し、24時間がたったところで、世界に戦争の終結がたたえられることになるだろう」
と説明し、双方がそれぞれ戦闘の停止を履行すれば、日本時間の2025年6月25日午後、戦闘が終結するとの認識を示しました。
これについて、イランのアラグチ外相はSNSへの投稿で
「イスラエルがテヘラン時間の午前4時までにイラン国民に対する違法な侵略を停止すれば、それ以降イランとしては対応を継続するつもりはない」
として、イスラエルが日本時間の2025年6月24日午前9時半までに攻撃を停止すればイランとしても停戦に応じる考えを示しました。
そして
「イランの軍事行動の停止に関する最終決定はこの後行われる」
としています。
イスラエル側から公式な発表はありませんが、ロイター通信は、ホワイトハウス高官の話として、イスラエル側は、イランが新たな攻撃を行わない限り停戦に合意すると伝えています。
一方、イスラエル軍は日本時間の午前11時すぎ、イランからイスラエルに向けてミサイルの発射が確認され迎撃に当たっていると発表しました。
双方が攻撃を停止し、停戦が実現するか予断を許さない状況です。
アメリカメディアはイスラエルとイランの間で10日間以上に渡って続いた戦闘の終結に向け、トランプ大統領やバンス副大統領、それにルビオ国務長官など、トランプ政権の中枢が総出で仲介外交を一気に展開したと伝えています。
この背景には、今こそ、停戦合意に持ち込むチャンスがあるとの計算があったとみられます。
イランによるアメリカ軍基地への報復攻撃という緊迫した状況の中でも、トランプ大統領は、攻撃自体は抑制的なもので、アメリカに通告もあったとして、イラン側に対話の意思があると判断したんだと思います。
また、イスラエルに対する影響力という点でトランプ政権の元高官は、NHKの取材に対しトランプ大統領が、イスラエルが望むイランの核施設への攻撃に踏み切ったことで、影響力が大幅に増したという見方を示しました。
次の焦点は、対立してきたイスラエルとイランが戦闘終結に向けた取り組みを着実に実行するかどうかです。
トランプ大統領の狙い通りに事が進むのか、この後24時間余りの双方の出方がカギを握ります。
イランのメディアは日本時間の午前10時ごろイスラエルの攻撃が収まったとして首都テヘランに平和が戻ったと伝えています。
ただ、その直前には、これまでで最も激しい攻撃があったとも伝えられています。
今回の停戦の裏側について、アメリカの一部のメディアは、イランが、カタールにある基地を攻撃する一方で、そのカタールを介してアメリカとやり取りしたことをきっかけに話が急に進んだと伝えています。
イスラエルに強硬な姿勢で応じながらも、一般市民への被害も拡大する中、イランとしては早くこの事態を収束させたかったことは間違いありません。
そうした中、アメリカへの報復を大きな被害がでないようにとどめたのは、イスラエルとの仲介を期待してのことだった可能性もあると思います。
イスラエル政府からは、これまでのところ公式な発表はありません。イスラエルが停戦を受け入れるとすると、今回の軍事作戦の目標を一定程度達成したと判断した可能性があります。
連日の空爆で、予定していたイランの軍事目標への攻撃は、その多くが完了したと報じられている他、アメリカがイランの重要な核施設への攻撃を行ったことも大きな要素だといえます。
その上で、トランプ大統領の発表では、まずはイラン側が攻撃を停止することになっていて、イスラエルとしてはそれを見極めようとしていると見られます。
ただ、イスラエルはこれまでも、レバノンやガザ地区での停戦が発効した後も、相手側が攻撃を仕掛けようとしているなどと主張し、攻撃を続けるケースが相次いでいます。
停戦が実現しても、イスラエルがその後も攻撃を停止するかどうかは楽観できないと思います。
■停戦合意の内幕 米報道
アメリカのトランプ大統領がイスラエルとイランとの間の停戦合意を発表したことについて、ロイター通信は、ホワイトハウス高官の話として、その内幕を報じました。
それによりますと、トランプ政権が仲介を行ったのは2025年6月23日でした。
トランプ大統領がイスラエルのネタニヤフ※首相と電話で会談した他、イラン側とは、バンス副大統領とルビオ国務長官、それにウィトコフ中東担当特使が直接的、そして間接的に連絡を取ったとしています。
この中で、イスラエル側は、イランが新たな攻撃を行わない限り停戦に合意するとした他、イラン側も更なる攻撃を行わない意向を示したとしています。
※当初公開した記事で、誤って「大統領」としていましたが、正しくは「首相」でした。失礼しました。
■専門家“再び外交交渉が始まる可能性がある”
1期目のトランプ政権の際、国防総省で中東政策を担当した元高官で、ワシントン近東政策研究所のグラント・ラムリー上級研究員はNHKのインタビューに対し
「イランのアメリカへの攻撃が象徴的なものにとどまり、緊張緩和に向けた余地を生むだろう」
と指摘した上で、イランの核開発を巡り再び外交交渉が始まる可能性があるとの見方を示しました。
ラムリー氏は、イランがカタールにあるアメリカ軍基地に向けて攻撃を行ったあと、NHKのインタビューに応じ
「現時点で、イランの攻撃は象徴的なものにとどまり、アメリカ軍に特別な被害もなかった」
「この状況は双方に緊張緩和に向けた余地を生むだろう」
と分析しました。
その上で
「アメリカとしては、最小限の軍事的関与によって、イランの核開発計画を遅らせることを目指していた」
「トランプ大統領が嫌がっているのは軍事作戦が長引くことだ」
として、トランプ大統領は中東地域での早期の紛争終結を目指したいはずだと指摘しました。
また、ラムリー氏は、アメリカが、イスラエルが望むイランの核施設への攻撃に踏み切ったことで
「トランプ大統領のネタニヤフ首相に対する強力な影響力を生み出した」
と述べ、アメリカのイスラエルへの影響力が大幅に増したと分析しました。
そして今後、イスラエルがイランへの軍事作戦をやめるかどうかがカギになるとした上で
「ひとたびイスラエルが攻撃を終了すれば、イランの核開発をめぐる外交交渉や合意に向けた新たな動きが見られるだろう」
と述べ、再び外交交渉が始まる可能性があるとの見方を示しました。
■林官房長官「停戦 実施に移されることを強く期待」
林官房長官は閣議のあとの記者会見で
「我が国としては、事態を早期に沈静化することが何よりも重要だと考えており、対話の道が再開されることを強く望んでいる」
「この観点からトランプ大統領の停戦の発表を歓迎しており、実施に移されていくことを強く期待している」
と述べました。
その上で
「中東地域の平和と安定は我が国にとっても極めて重要であり、国際社会とも連携し必要なあらゆる外交的努力を引き続き行っていく」
「地域全体の邦人の安全確保にも万全を期していく」
と述べました。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/211.html#c36
[戦争b26] イスラエル政府を助けるため、米政府はイランの核施設にバンカー・バスター(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
53. 秘密のアッコちゃん[1663] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 13:14:38 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1101]
<▽39行くらい>
トランプ氏、「イスラエルとイランが停戦合意」24日午後1時から段階的に開始と説明
2025/6/24 12:31
https://www.sankei.com/article/20250624-63IAY453GJOEFLWVBMRJ4BLGRY/
トランプ米大統領は2025年6月23日、交戦中のイスラエルとイランが
「完全かつ全面的に停戦することで合意した」
と自身の交流サイト(SNS)に投稿した。トランプ氏は停戦について、米東部時間の2025年6月24日午前0時(日本時間同日午後1時)ごろ始まり、24時間かけて段階的に実施し、戦争が正式に終結すると説明した。
これに先立ち、イランは2025年6月23日、中東カタールの首都ドーハ近郊にあるアルウデイド米空軍基地をミサイルで攻撃した。
米軍は2025年6月22日、イラン中部フォルドゥなど3カ所の核施設を攻撃したが、イラン外務省は
「米国による領土と主権に対する攻撃」
への報復だと主張した。
トランプ氏はSNSで、イランの報復攻撃に関して米国人に死傷者はいないと説明し、米軍のイラン核施設攻撃に対する
「とても弱い反応」
だと指摘した。
イランはミサイル14発を発射したが、13発が迎撃され、残り1発は危険のない方向に飛行したため迎撃しなかったという。
イランが発射したミサイルについて米国防当局者は
「短距離と中距離の弾道ミサイル」
としている。
また、トランプ氏はSNSで、イラン側が報復攻撃を事前通告してきたことも明かし、
「感謝する」
と表明。
イスラエルにも和平に向けて動くよう働きかける用意があると語っていた。
イスラエルとイランの停戦合意に関してロイター通信は、トランプ氏がイスラエルのネタニヤフ首相と電話会談を行い、停戦をまとめると共に、バンス副大統領やルビオ国務長官らがイラン側と交渉したと報じた。
トランプ氏の投稿によると、まずイランが戦闘をやめ、その後、イスラエルが戦闘を停止する。
イランのアラグチ外相はX(旧ツイッター)で、イスラエルが2025年6月24日、
「違法な侵略」
をやめればイランも交戦を継続しないと表明、停戦についての
「最終決定はこれから下される」
と述べた。
ロイター通信が報じた。
一方、エルサレムからの報道によると、イスラエル軍は2025年6月24日、イランからイスラエルに向けてミサイルが発射されたと発表。
イスラエル南部の建物に被害が出たという。
停戦の行方は予断を許さない。
トランプ氏はSNSで、イスラエルとイランの
「戦争が何年も続き、中東全体を破壊する可能性があったがそうはならず、今後もならないだろう」
と主張。
イスラエルとイランの
「戦争の終結は世界から称賛されるだろう」
と述べた。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/210.html#c53
[政治・選挙・NHK297] 東京都議選、維新が壊滅(チダイズム) 赤かぶ
22. 秘密のアッコちゃん[1664] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 20:01:16 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1102]
<■91行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
日本保守党の百田尚樹代表、参院選に比例代表で出馬へ 「永遠の0」でベストセラー作家
2025/6/24 19:12
https://www.sankei.com/article/20250624-7YGC4774CZFPTMSZTE5THXIETM/
日本保守党代表で作家の百田尚樹氏が2025年7月の参院選に比例代表候補として立候補することになった。
2025年6月24日に国会内で記者会見し、表明した。
知名度が高く、保守層の
「受け皿」
にもなりそうだ。
「これまで党として国政選挙や都議選で多くの候補が必死に戦う中で、自分は司令塔としてやってきた」
「大政党なら司令塔に徹するのもいいが、カネも人もない中でそうもいかないだろう」
と自ら出馬を決めた経緯を振り返った。
更に
「癌を患っており、出馬を迷ってきたが、調子もよいので出ようと決めた」
「当選できるかは分からないが、有権者の判断に任せようと思う」
とも続けた。
百田氏は産経新聞の単独インタビューで
「憲法9条改正」
「再エネ賦課金の廃止」
などを主張していた。
保守党は昨年2024年秋の衆院選で国政政党となった。
参院選出馬に関してはこれまで態度を明らかしていなかった。
1956年、大阪市生まれ。
同志社大学法学部中退。
テレビの放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手掛けた。
2006年、50歳の時に世に送った「永遠の0」はベストセラーとなった。
「海賊とよばれた男」で第10回本屋大賞を受賞。
2023年9月に日本保守党を立ち上げた。

「移民政策、再エネ」見直す 日本保守党・百田尚樹代表、「食品の消費税は永久にゼロ」
動画
2025/6/19 11:04
https://www.sankei.com/article/20250619-UIRBHLMELJNXNL5W266YU76G5Y/
日本保守党の百田尚樹代表が、2025年夏の参院選に向けた産経新聞の単独インタビューに応じた。
重点政策として
「食品の消費税ゼロ」
「再エネ賦課金の廃止」
「移民政策の是正」
などを訴えた。
石破茂政権については、
「箸にも棒にもかからない」
「国民生活も、国際関係も、何一つ良くなっていない」
「(備蓄米放出も)小泉進次郎農林水産相の功績ではない」
と指摘した。
食品の消費税について、百田氏は
「人間は食品がなければ生きていけない」
「生きていくのに絶対必要なものに税金をかけるということは、言い換えれば『生存税』。」
「『今日1日生きたな。ほな1日分の税金取るわ』ということ」
「これは許せない」
「永久にゼロです」
と語った。
■再エネ賦課金は廃止
再エネ賦課金は
「廃止して、行き過ぎた再エネにストップかける」
「再エネ比率が増えれば増えるほど電気代が上がる」
「国民の家計を直撃し、産業用電気料金を上げる」
「(企業は)国際競争力で勝てない」
と述べた。
移民政策については、
「移民で大切なのは、質と量の問題」
「どういう移民なら、どのくらいの移民なら、日本の治安を維持でき、日本の文化を保てるのかを政府は査定していない」
「我々は移民政策を大幅に見直す」
「外国人排斥ではない」
「日本が大好きで、日本のルールやマナーを守り、日本に貢献したい外国人は大歓迎だが、現実はそういう外国人ばかりではない」
「(他国の)富裕層が東京の中心部をどんどん買っている」
「主要6区の中古マンションが1億2千万円超えた」
「10年後、20年後、東京の中心に日本人が住めなくなる」
「就労外国人の影響で、日本人の給料は上がらない」
などと指摘した。
■日本は内部から壊されている
憲法改正については、
「国民の命、国土を守るため、憲法9条改正は最も大事な政策として掲げている」
「ただ、日本は目に見えない侵略で、じわじわと内部から壊されている危険を感じる」
と語った。

南京事件「非戦闘員の殺害否定できない」政府答弁 河村たかし氏、朝日記事「虐殺」で質問
2025/6/17 15:44
https://www.sankei.com/article/20250617-JRAWEM5UOZG3BKMOGYQC2XCYYE/
日中戦争時の1937年に旧日本軍の南京占領で起きたとされる
「南京事件」
を巡って、政府は2025年6月17日、
「日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為があったことは否定できないと考えている」
とする答弁書を閣議決定した。
日本保守党の河村たかし共同代表が日本軍について
「虐殺事件を引き起こした」
と指摘する朝日新聞の記事を引用した質問主意書に答えた。
従来の政府答弁書を踏襲した形となる。
朝日新聞は2025年5月26日に
「日本軍は南京を攻略した」
「現地軍は殺人、性的暴行、略奪をほしいままにし、『南京虐殺事件』を引き起こした」
と報じており、河村氏は政府に
「(記事で)『南京虐殺事件』を起こしたと書かれているものが、本当にあったと考えているのか」
と質した。
南京事件に関しては、中国側が日本軍の略奪や非人道性を訴える写真を日本の専門家が精査した結果、撮影者や時期などで関連性を否定する指摘が相次いでいる。
河村氏は記事で紹介された日本軍の写真を挙げて、
「日中戦争の写真は加工、合成されたものが多く確認されていると聞く」
「実際に現場で撮影された写真なのか」
と見解を尋ねたが、答弁書は触れなかった。
南京事件に関して外務省はホームページ(HP)で
「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」
と今回の答弁書と同じ表現を記載している。
一方、林芳正外相(当時)は令和5年4月、参院決算委員会で、HPの記述の根拠となった資料について
「外務省で作成したものは確認できていない」
と答弁。
その上で、政府機関で作成したものとして終戦30年後の昭和50年に防衛庁防衛研修所戦史室が出版した戦史叢書
「支那事変陸軍作戦」
第一巻を挙げ、
「該当する記述がある」
と語った。
当時、林氏に質問した自民党の和田政宗参院議員は
「関連文書全部読んだが、意図的に日本軍が殺害したとの明確な記述はない状況だった」
と述べ、
「より事実に即した記述に変えるべきだと思っている」
と苦言を呈していた。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/543.html#c22

[政治・選挙・NHK297] 都議選都民ファ勝利の理由(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
25. 秘密のアッコちゃん[1665] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月24日 20:26:54 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1103]
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日本保守党の百田尚樹代表、参院選に比例代表で出馬へ 「永遠の0」でベストセラー作家
2025/6/24 19:12
https://www.sankei.com/article/20250624-7YGC4774CZFPTMSZTE5THXIETM/
日本保守党代表で作家の百田尚樹氏が2025年7月の参院選に比例代表候補として立候補することになった。
2025年6月24日に国会内で記者会見し、表明した。
知名度が高く、保守層の
「受け皿」
にもなりそうだ。
「これまで党として国政選挙や都議選で多くの候補が必死に戦う中で、自分は司令塔としてやってきた」
「大政党なら司令塔に徹するのもいいが、カネも人もない中でそうもいかないだろう」
と自ら出馬を決めた経緯を振り返った。
更に
「癌を患っており、出馬を迷ってきたが、調子もよいので出ようと決めた」
「当選できるかは分からないが、有権者の判断に任せようと思う」
とも続けた。
百田氏は産経新聞の単独インタビューで
「憲法9条改正」
「再エネ賦課金の廃止」
などを主張していた。
保守党は昨年2024年秋の衆院選で国政政党となった。
参院選出馬に関してはこれまで態度を明らかしていなかった。
1956年、大阪市生まれ。
同志社大学法学部中退。
テレビの放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手掛けた。
2006年、50歳の時に世に送った「永遠の0」はベストセラーとなった。
「海賊とよばれた男」で第10回本屋大賞を受賞。
2023年9月に日本保守党を立ち上げた。

「移民政策、再エネ」見直す 日本保守党・百田尚樹代表、「食品の消費税は永久にゼロ」
動画
2025/6/19 11:04
https://www.sankei.com/article/20250619-UIRBHLMELJNXNL5W266YU76G5Y/
日本保守党の百田尚樹代表が、2025年夏の参院選に向けた産経新聞の単独インタビューに応じた。
重点政策として
「食品の消費税ゼロ」
「再エネ賦課金の廃止」
「移民政策の是正」
などを訴えた。
石破茂政権については、
「箸にも棒にもかからない」
「国民生活も、国際関係も、何一つ良くなっていない」
「(備蓄米放出も)小泉進次郎農林水産相の功績ではない」
と指摘した。
食品の消費税について、百田氏は
「人間は食品がなければ生きていけない」
「生きていくのに絶対必要なものに税金をかけるということは、言い換えれば『生存税』。」
「『今日1日生きたな。ほな1日分の税金取るわ』ということ」
「これは許せない」
「永久にゼロです」
と語った。
■再エネ賦課金は廃止
再エネ賦課金は
「廃止して、行き過ぎた再エネにストップかける」
「再エネ比率が増えれば増えるほど電気代が上がる」
「国民の家計を直撃し、産業用電気料金を上げる」
「(企業は)国際競争力で勝てない」
と述べた。
移民政策については、
「移民で大切なのは、質と量の問題」
「どういう移民なら、どのくらいの移民なら、日本の治安を維持でき、日本の文化を保てるのかを政府は査定していない」
「我々は移民政策を大幅に見直す」
「外国人排斥ではない」
「日本が大好きで、日本のルールやマナーを守り、日本に貢献したい外国人は大歓迎だが、現実はそういう外国人ばかりではない」
「(他国の)富裕層が東京の中心部をどんどん買っている」
「主要6区の中古マンションが1億2千万円超えた」
「10年後、20年後、東京の中心に日本人が住めなくなる」
「就労外国人の影響で、日本人の給料は上がらない」
などと指摘した。
■日本は内部から壊されている
憲法改正については、
「国民の命、国土を守るため、憲法9条改正は最も大事な政策として掲げている」
「ただ、日本は目に見えない侵略で、じわじわと内部から壊されている危険を感じる」
と語った。

日本保守党は王道を歩む
ジャーナリスト 櫻井よしこ
作家 百田尚樹
ジャーナリスト 有本香
Hanada2024年1月号
★櫻井
政治あるいは自民党に期待していないことが無関心に繋がり、それでもその中で自民党政治が続いてきたことの深刻さを痛感している人が多いことが選挙結果に表れている、と見ることができます。
そもそも百田さんと有本さんが堪忍袋の緒を切らして新党結成に踏み出したのは、LGBT理解増進法の成立がきっかけと伺いました。
★百田
はい、そのことはこれまでも月刊『Hanada』やYouTubeなどで度々申し上げてきましたので簡潔にお伝えしますと、LGBT法案という日本を根底から破壊する天下の大悪法を、自民党は党内で反対が多いにもかかわらず、そうした声を一切無視し、ろくな審議もせずに党議拘束をかけて強引に可決、成立させました。
余りの怒りに、こんな暴挙を黙って見ているようでは生きている価値がないとすら思い、せめて自民党に一太刀浴びせたいとの思いで、新党の立ち上げを決意しました。
YouTubeで新党結成を宣言したところ、半日経って有本さんから電話がかかってきて
「百田さん、あれ本気か」
「本気やったら私も相当腹に据えかねることがあるから、私も一肌脱ぐで!」
「本気やろな!」
と。
★有本
そんな言い方はしていませんが(笑)、私もあの異常な法案成立には怒り心頭で、この怒りを共有できるのは百田さんしかいないと思って
「協力しますよ」
と電話したんです。
★百田
LGBT理解増進法の中心概念は、ジェンダー・アイデンティティという意味不明な言葉なんです。
こんな言葉、私は67年間生きてきて初めて聞きました。
多くの人が聞いたこともない、辞書にも『現代用語の基礎知識』にも載っていない、どう訳していいのかも分からない新語を日本の法律の中心概念に据えている。
そんな法律を党内で反対が多数だったのに、平然と通している。
異常ですよ!
狂っているとしか思えない。
■首相が気付いていないこと
★櫻井
その激しい怒りは私も共有します。
ジェンダー・アイデンティティを日本語で
「性自認」
と表現すると、そこからまた別の解釈が生まれて議論があらぬ方向に行きかねない。
そういう懸念により、仕方なしにカタカナ言葉に落ち着いたというのが経緯なわけですが、適切な日本語、つまり母国語に訳せない言葉を我が国の法律に書き込んだこと自体がまずおかしい。
過日、私は岸田首相と対談した際、LGBT法が日本に必要な理由を未だに理解できない。
なぜ立法したのかと尋ねました。
岸田氏は多様性が重要だと答えました。
多くの日本人はLGBTに関して、日本が欧米諸国よりもその種の多様性には寛容であり、LGBT理解増進法は必要がないということを肌感覚で知っています。
にもかかわらず、岸田氏は欧米にもないLGBTに特化した法を作った。
そのことへの国民の深い懸念と反発の強さを、首相は恐らく感じ取っていません。
★有本
このデタラメな法律を作ったことによる余波が早くも生じています。
2023年10月11日付で静岡家裁浜松支部は、
「戸籍上の性別を変更するには生殖能力をなくす手術を受ける必要がある」
とする性同一性障害特例法を憲法違反として、性転換手術なしの性別変更を認めました。
判断理由の1つに、関口剛弘裁判長はLGBT理解増進法を挙げています。
更に2023年10月25日、最高裁大法廷で行われた審理で、戸倉三郎裁判長をはじめ15人の裁判官全員が、生殖機能をなくす手術を求める規定は
「違憲」
と全員一致で決めました。
★櫻井
性別変更に生殖機能をなくす手術が必要だとする性同一性障害特例法の規定を最高裁は違憲としましたが、これは要件を外すことに反対する性同一性障害当事者の多くの意見を無視したものです。
強い違和感と危惧を覚えます。
★有本
2023年7月11日には、最高裁判所が、経済産業省に勤めるトランスジェンダーの職員が職場の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判で、トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だとする判決を言い渡しましたね。
いずれも、LGBT法案が成立していなければ異なった判決が出ていた可能性が高い。
★百田
LGBT法が出来たことによる負の影響が出ていることは明らかです。
法律的な問題は数多くあるのですが、ここではより直接的に申し上げると、今後、女性や児童、特に女児の安全が担保されない社会になる危険性があります。
★有
問題は更に深刻で、あの法律には3カ所、LGBTについて
「児童に教育する」
という旨の記述があります。
★櫻井
その点は自民党も問題視し、家庭の同意なしには児童にそういった教育は出来ないように修正されましたが、不十分だということですね。
★有本
「家庭の同意なしに」
という曖昧な記述では全く不十分です。
削除すべきでしょう。
日本保守党は重点政策で、LGBT法の改正を掲げています。
もちろん廃案が理想ですが、成立した法律をいきなり廃案にするのはハードルが高い。
であるならば、まず
「児童に教育する」
という箇所を削除し、更に中心概念に据えるジェンダー・アイデンティティという意味不明の言葉が一体何を指しているのか、議論の場に引きずり出したいと考えています。

2023年10月17日に発表した
「重点政策項目」
をこの場で披露したい。

日本保守党の重点政策項目(優先して取り組む事柄)
1.日本の国体、伝統文化を守る
@皇室典範を改正し、宮家と旧宮家との間の養子縁組を可能にする。
A名古屋城天守閣の木造復元完遂
BLGBT理解増進法の改正(特に児童への教育に関する条文削除)
2.安全保障
C憲法9条改正(2項の一部削除)
D自衛隊法改正(在外邦人、日本協力者の救助を可能にする)
E海上保安庁法改正(諸外国のコーストガードと同等の対処力を保持する)
F「スパイ防止法」の制定、諜報専門機関への政府投資の促進
G防衛研究への助成促進、防衛産業への政府投資の促進
H外国勢力による不動産(特に土地)買収の禁止(カナダの例を参考に)
I北朝鮮拉致問題解決のために、国内の北朝鮮協力者への制裁強化
J日本版「台湾関係法」制定
3.減税と国民負担率の軽減
K消費税減税・・・まずは8%に、そして5%へ
L名古屋モデルを参考に地方税減税を全国で推進する
Mガソリン税減税
N税の簡素化、不公平感の解消、労働力不足への対応のため「2分2乗」の導入を検討する。
4.外交
O価値観外交ー自由、民主主義、人権等の価値観を共有する国との更なる連携強化
P中国、北朝鮮を念頭に、近隣国での人権問題解決に向けた積極的な働き掛け(日本版ウイグル人権法、強制労働防止法制定)
5.議員の家業化をやめる
Q国会議員の歳費、地方議員の報酬を一般国民並みの給与にまで引き下げる。
R政党交付金を諸外国の事例に鑑み、半額程度に引き下げる。
S資金管理団体の「世襲制」を見直す。
6.移民政策の是正ー国益を念頭に置いた政策へ
㉑入管難民法の改正と運用の厳正化
㉒経営ビザの見直し
㉓特定技能2号の拡大、家族帯同を許す政府方針を見直す
㉔健康保険法改正(外国人の健康保険を別建てにする)
7.エネルギーと産業技術
(日本の優れた省エネ技術を守り活用する。過度な再エネ依存は国益に反する)
㉕再エネ賦課金の廃止
㉖エネルギー分野への外国資本の参入を禁止する法整備
㉗我が国の持つ優れた火力発電技術の活用
㉘電気自動車への補助金廃止(日本の自動車産業の不利益を作らない)
㉙農林水産業の抜本的見直し(就業人口の増大と増産、国内産品の国内消費を強力に進める)
8.教育と福祉
㉚思春期の自殺(1人も死なせない)
対策ー公立高校入試廃止の検討
㉛教科書検定制度(特に歴史)を全面的に見直す(現行制度の廃止)
㉜内申書の廃止、キャリア教育の拡充
㉝少子化による「大学余り」の解消。補助金を減らし統廃合を促す。
㉞留学生制度の見直し(安全保障の観点から出身国を厳選する)
㉟男女共同参画政策に関する支出の見直し
㊱出産育児一時金の引き上げ(国籍条項を付ける)
㊲共同親権制度の導入(民間法制審案を軸に)

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/538.html#c25

[戦争b26] トランプ大統領、イスラエルとイランが停戦で合意したと発表 仲介役をカタールが務めたと報道(TBS) 赤かぶ
18. 秘密のアッコちゃん[1666] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月25日 09:22:05 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1104]
<■70行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>石破氏と中東情勢 首相の資質欠如に呆れる
社説
2025/6/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20250625-GLZQUM6V2RMGZDMY45VXXQF3YY/
日本の首相の最大の責務は、外交安全保障を通じて国家と国民を守り抜くことだ。
石破茂首相にはそれを担う資質に欠けていると指摘せざるを得ない。
国会閉幕を受けた首相記者会見の有様と、招待されていた、オランダでの北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に首相が欠席したことから、それが分かる。
石破首相は2025年6月23日夜の会見で、国会で党派を超えて合意形成を進めた結果、令和7年度予算が成立したと胸を張った。
先進7カ国首脳会議(G7サミット)などに参加し各国首脳と会談したと誇らしげに語った。
それはよいとしても、約20分間の冒頭発言で中東情勢に触れなかったのは極めておかしい。
防災対策をめぐりキッチンカーなどの備蓄を増やす話をしたが、それくらいなら中東情勢にも時間を費やすべきだった。
この時点で、イスラエルとイランの戦いの行方がどのような展開を見せるか、予断を許さない情勢だった。
首相が会見で真っ先に語るべきだったのは、中東における戦火に対し、日本政府がどのような見解を持ち、どのような対応をとるつもりか、だったはずだ。
ペルシャ湾は日本のエネルギー輸送の生命線である。
国民や経済界の不安を解消し、必要であれば国民に協力を求めるべきだったろう。
首相が会見で中東情勢に言及したのは記者に質問されてからだ。
それも体系だった答えではなく、別の複数の記者が質問を重ねた。
しかも、この首相の会見で、現地邦人の退避に尽力している外務省や自衛隊への感謝の言葉はなかった。
内閣の長、自衛隊の最高指揮官であるのに、呆れる他ない。
国際情勢への感度が鈍く、事の軽重が判断できず、部下への思いやりに欠ける姿勢は看過できない。
NATO首脳会議を欠席したのも大問題だ。
トランプ米大統領の出席見送りが理由の1つだったが、トランプ氏は結局出席することになった。
何と間の悪いことか。
首相は2025年6月24日朝、オランダへ出発すべきだった。
トランプ氏がいなくとも、他のNATO諸国の首脳と意見交換し、日本とNATOの結束を固めれば、大いに日本の国益を増したはずだ。
それが分からないセンスの欠如は恐ろしい。

<主張>中東の「停戦」 双方は戦争を終結させよ
社説
2025/6/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20250625-VTTMWVZAY5NNNGMDW7GPV6AV5U/
トランプ米大統領がSNSへの投稿で、交戦してきたイスラエルとイランが
「完全で全面的な停戦に合意した」
と発表した。
米メディアは、カタールが停戦案を仲介したことや、2025年6月25日午前0時(日本時間同午後1時)に戦争が正式に終結する合意だと報じている。
トランプ氏は停戦が
「永遠に続くと思う」
としたが、不透明感は残っている。
イスラエル、イラン双方は最大限の自制を働かせて停戦を順守し、戦争を終わらせてもらいたい。
イスラエルはイランの核武装を阻止するとして、2025年6月13日からイランの核施設などを空軍機などで攻撃した。
イランも弾道ミサイルなどで反撃したがイスラエルが優勢を保っていた。
米国もイランの核施設を戦略爆撃機などで攻撃した。
イランは濃縮度を60%に高めたウラン燃料を貯蔵している。
短期間で核兵器級の濃縮度90%まで高め、核兵器を作ることが出来るとされる。
イランは国家としてイスラエルの生存権を認めていない。
イランが核兵器を保有すれば、直接または親イラン武装勢力によってイスラエル攻撃に使用され、核戦争が勃発する恐れがある。
トランプ氏は米軍の攻撃直後の演説で、イランに
「平和か悲劇か」
と早期の和平を迫った。
今回の停戦が実現すれば、武力行使を躊躇しなかったトランプ政権が、イラン指導部を追い込んだとも言える。
ただしイランの出方には警戒を要する。
一方的に叩かれたイランの軍部や革命防衛隊には報復の念を募らせている勢力があるだろう。
親イラン武装勢力もそうである。
軍事攻撃やテロ攻撃があってもおかしくない。
日本を含む世界の原油輸送の大動脈であるホルムズ海峡をイランの強硬派が封鎖したり、米軍艦船や西側のタンカーを攻撃したりする懸念は残る。
日本も欧州もイランへ自制を働き掛けるべきだ。
最も重要なことは戦争の原因をなくすことだ。
イランは核武装しないと宣言し、国際原子力機関(IAEA)の査察に協力し、ウラン濃縮施設の破壊を受け入れてもらいたい。
高濃縮ウランを隠匿しているならIAEAに差し出すべきだ。
イラン国会で一部が主張する核拡散防止条約(NPT)脱退など論外である。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/213.html#c18

[戦争b26] 対中露戦争の準備が進められている沖縄で「沖縄全戦没者追悼式」が開催された(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
17. 秘密のアッコちゃん[1667] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月25日 09:36:27 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1105]
<■1023行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
両陛下、沖縄慰霊の日ご黙禱 上皇ご夫妻も
2025/6/23 16:06
https://www.sankei.com/article/20250623-G6Y6PPH7HVOZ5P3TVVC3K5IFDQ/
宮内庁は2025年6月23日、天皇、皇后両陛下が同日、御所で、先の大戦で沖縄での組織的戦闘が終結したとされる
「慰霊の日」
にあたり、長女の敬宮(としのみや)愛子さまとともに黙禱を捧げられたと発表した。
上皇ご夫妻もお住まいの仙洞(せんとう)御所(東京都港区)で黙禱された。

<主張>沖縄慰霊の日 節目の年に真摯な祈りを
社説
2025/6/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250623-BFQC2ULTX5LQTAL47IWJCYOKFE/
沖縄戦の終結から80年となる節目の
「慰霊の日」
を迎えた。
最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では2025年6月23日、
「沖縄全戦没者追悼式」
が営まれる。
慰霊の日は、広島、長崎の「原爆の日」(8月6、9日)や「終戦の日」(8月15日)と共に、上皇陛下が皇太子時代から、日本人としてどうしても記憶しなければならない
「4つの日」
として慰霊を尽くされてきた日だ。
天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の方々はこの日、黙禱される。
国民も、亡くなった人々に哀悼の誠を捧げたい。
昭和20年3月26日、那覇市の西方約40キロにある慶良間諸島に米軍が上陸し、沖縄戦が始まった。
圧倒的兵力の米軍は昭和20年4月1日に沖縄本島に上陸し、日本軍は激しく抵抗した。
熾烈な地上戦は約3カ月間続いた。
沖縄を守るため、県内外の将兵で第32軍が編成された。
内地から2500機以上の特攻機や空挺隊、戦艦大和を旗艦とする艦隊が出撃した。
沖縄県内では義勇隊や中等学校生らによる鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊が組織され、多くの命が散華した。
牛島満第32軍司令官が昭和20年6月23日に自決し、組織的戦闘が終わった。日本の軍民約18万8千人が亡くなり、米軍も1万2千人以上が戦死した。
その上に今の平和があることを、忘れてはなるまい。
慰霊の日に先立ち、天皇、皇后両陛下は沖縄を訪問された。
2025年6月4日には平和祈念公園内の国立沖縄戦没者墓苑に、2025年6月5日には米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑に供花し、遺族らと言葉を交わされた。
沖縄の苦難の歴史を深く偲ばれる両陛下を、県民は熱い思いで奉迎した。
残念なのは、沖縄戦を巡り偏った言論が県内の一部に見られることだ。
例えば地元紙は、沖縄戦の最大の教訓は
「軍隊は住民を守らない」
ことだと繰り返し報じ、自衛隊の活動も批判している。
だが実際は、日本兵に
「生き延びよ」
と励まされ、助けられた県民も大勢いる。
現在の自衛隊も、沖縄を含む日本の平和維持に欠かせない存在だ。
沖縄の近海で中国は軍事的圧力を一段と強めている。
外交努力に加え、防衛力の充実、国民保護の強化が求められる。

皇室への沖縄県民の「思い」
日曜に書く 論説委員・川瀬弘至
2025/6/22 15:00
https://www.sankei.com/article/20250622-JVOGWSCFQBLIVFAUI5VZA3RKA4/
かつて筆者は那覇支局に3年余り勤務し、地元メディアのおかしな報道には慣れっこのつもりだった。だが―。
戦後80年の慰霊の旅として、天皇、皇后両陛下と敬宮愛子内親王殿下が沖縄をご訪問され2025年6月4日、地元紙の琉球新報は社説に書いた。
「今回の両陛下のご訪問を、県民は複雑な思いで受け止めている」
■残念な琉球新報社説
同紙によれば沖縄戦は
「天皇の名の下に戦われた戦争」
であり、
「沖縄は『皇土防衛』の『捨て石』だった」。
このため県民の心には
「癒えることのない『沖縄の傷』が今も存在する」。
それを
「日本本土の国民は知るべきだ」
という。
あんまりの内容だ。
同紙は、上皇陛下の沖縄でのご活動には理解を示しつつ、来県される天皇ご一家に対し
「県民の思いに向き合ってほしい」
と求める。
これでは、ご一家が沖縄に向き合っておられないと言わんばかりではないか。
特に解せないのは、同紙が昭和天皇の
「責任」
を強調している点だ。
昭和天皇の判断が2度に渡り
「沖縄の命運に影響を与えた」
という。
1度目は戦時中の昭和20年2月、元首相の近衛文麿が終戦を具申した
「近衛上奏文」

「拒んだ」
こと、
2度目は戦後の昭和22年9月に
「昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた」
ことで、それが沖縄の
「戦争犠牲」

「戦後の米統治」
に繋がった可能性があるというから、驚く他ない。
同紙は説明していないが、近衛上奏文とは、戦争が続けば
「共産革命」
が起きるから終戦すべきという内容だ。
まずは軍部を牛耳る共産分子の
「一掃が肝要なり」
と求めている。
現代から見れば一理あるにしても、当時としては非現実的な意見で、昭和天皇が採用できなかったことを批判する歴史学者はほとんどいない。
2度目
「責任」
についても同紙は肝心な部分に触れていない。
昭和天皇は単に米軍による沖縄占領を望んだのではなく、
「日本に主権を残しつつ、長期貸与の形を取るべき」
との考えを示したと、米国側の資料に明確に書かれている。
米軍は当時、沖縄の基地の永久使用に固執し、日本から沖縄を完全に切り離そうとしていた。
昭和天皇は何とかそれを止めようと、
「貸与」
の考えを伝えたとする学説が有力だ。
同紙は同日付の社会面でも
「天皇の戦争責任」

「薄れゆく」
のを
「懸念」
する記事を掲載した。
極めて一面的であり、読者をミスリードするものにほかならない。
■適切な沖縄タイムス社説
同じ地元紙でも、同日付の沖縄タイムスの社説は温かみのあるものだった。
同紙は、上皇陛下がご在位中に何度も沖縄に足を運ばれたのは
「沖縄に寄り添い、国民としての一体性を保つために努力することが
『象徴としての務め』
だと理解していた」
からだと強調する。
今回の天皇ご一家のご訪問も
「上皇ご夫妻から託されたバトンを継いでいくための、天皇家の
『継承の旅』
という性格を持っている」
とし、県民側も若い世代による
「記憶の継承」
が大切だと論を繋いだ。
琉球新報の社説が本土と沖縄の分断を浮き彫りにするような内容だったのに対し、沖縄タイムスのそれは、天皇家によって導かれる本土の沖縄理解を促す内容だった。
■夜空を照らす提灯
そのどちらが、県民の
「思い」
に近いか。
天皇ご一家が訪問された際の、県民の奉迎ぶりを見れば明らかだろう。
両紙の社説が掲載された2025年6月4日、天皇ご一家が宿泊された那覇市のホテル近くで提灯行列が行われ、およそ4500人もの県民が集まった。
無数の提灯が夜の街に浮かび上がると、やがてホテルの1室にも提灯が3個ともった。
天皇ご一家が県民と心を1つに、平和の灯を夜空に照らされたのだ。
たちまち湧き起こる感謝の拍手と歓声。
参加者の1人は産経新聞の取材に、
「天皇ご一家の沖縄に寄せる温かいお心を感じた」
と語った。
多くの県民が同じ思いだっただろう。
沖縄は2025年6月23日、沖縄戦の終結から80年となる
「慰霊の日」
を迎える。
天皇陛下はこの日、皇后陛下と共に皇居で黙禱される。
沖縄と本土の国民も心を通わせ、平和の祈りを捧げたい。

<産経抄>沖縄戦終結から80年
2025/6/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250622-VSBMGT3RUVNXJAABK33BSLYR64/
羽化してから数時間で命を終えるカゲロウは、はかなさの象徴として歌に詠まれることも多い。
<壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ>。
芥川龍之介の死を悼み、親しかった斎藤茂吉が手向けた挽歌だ。
▼35年の生涯を駆け抜けた作家の面差しが命短いカゲロウの姿に重なり、寂寥(せきりょう)感が長い尾を引く。
かの羽虫には口がない。
餌を取るということを知らず、子孫を残すためだけに空を漂う。
歌人の小池光さんが
「片道燃料で出撃した戦艦大和のよう」
と、例えていたのを思い出す。
▼その大和は沖縄戦に向かう途中で、米軍機の攻撃により沈んだ。
昭和20年4月7日である。
沖縄本島では第32軍将兵や義勇隊などが戦い、本土からは2500機以上の特攻機や空挺隊が出撃した。
日本は軍民合わせ約18万8千人が亡くなっている。
▼沖縄を、我が国を、子や孫らのあすを守るため、身を盾にして奮戦した人たちである。
米軍の戦死者も1万2千人以上に上った。
明日2025年6月23日は、沖縄での組織的な戦闘が終わってから80年の節目、戦没者に哀悼の誠を捧げる
「慰霊の日」
である。
▼沖縄戦を巡っては、今も尚、本土防衛の
「捨て石」
などと自虐的な歴史観で語られることも多い。
沖縄戦の特攻には、関東や東北など各地から多くの若者が出撃して散華した。
国を守る戦いに、本土も離島もなかった証しである。
英霊への冒瀆を看過することはできない。
▼尖閣諸島をはじめ我が国近海では、中国の威圧的な動きが目に余る。
長きに渡り積み重ねた
「戦後」
に唾する相手には外交努力だけでは十分でない。
防衛力を高めることが国民と国土を守ることに繋がる。
子孫に明日を託した英霊への、それが答えになる。

<正論>国防上重要な沖縄戦の歴史認識 
日本経済大学准教授・久野潤
2025/6/20 8:00
https://www.sankei.com/article/20250620-CTG3EDUAOBIEDBK7DXI2I273VQ/
■共産主義から沖縄守る大御心
2025年4月2日付の本欄拙稿で80年前の沖縄戦において、日本軍が沖縄を見捨てるどころか全力で戦い、一方で戦後の日本再建の布石も打っていたことについて述べた。
『昭和天皇実録』の昭和22年9月19日の項に
「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」
し、それが
「米国の利益となり、また日本を保護することにもなる」、
そして
「米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべき」
で、
「この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろう」
と思し召しであったことが記されている。
このいわゆる
「天皇メッセージ」
により沖縄に対する主権が確保されたと評される(ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』など)一方、反皇室的な論者の間では戦後も引き続き基地設置を認め、自己保身のため沖縄を犠牲にしたとの主張も根強い。
後者はまったくの曲解と言わざるをえないが、共産主義の脅威が矮小化されている結果でもある。
昭和20年5月にドイツが降伏した後、沖縄防衛も絶望的となった昭和20年6月、ソ連の対日参戦情報(昭和20年2月のヤルタ会談で米英と密約)などを無視する格好で、東郷茂徳外相の命で広田弘毅元首相、次いで佐藤尚武駐ソ大使がソ連に対する連合国との和平斡旋交渉を開始した。
実際のソ連は終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領へ侵攻し、昭和20年8月15日を過ぎても侵略を続けたことは周知の通りだが、沖縄失陥により指導層のソ連への期待が高まり判断を狂わせたことは歴史の重要な教訓である。
沖縄を守るためにも、戦後に誕生した中華人民共和国を含む共産主義勢力を排除すべきことが、昭和天皇によりいち早く示唆されたことになる。
歴代天皇の沖縄への痛切な大御心(おおみこころ)については本稿で繰り返すまでもないが、共産主義の脅威から国土を守ることは、現在に至るまで国防の重要課題であり続けている。
■日本中の将兵が沖縄で戦った
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日は沖縄県制定の
「慰霊の日」
とされ毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)で県および県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開催されている。
平成2年以降、コロナ下を除いて現職首相も参列し、メディアで大々的に報道されるが、もう1つの、もとい本来の戦没者慰霊顕彰のよりどころである沖縄県護国神社(那覇市、昭和11年創建)で同日に斎行される沖縄戦全戦歿(せんぼつ)者慰霊祭はあまり知られていない。
筆者は実は、こちらの方へ参列している。
「全國護國神社會」
所属の護国神社52社の祭神は、基本的に幕末以来の地元出身殉難者・戦没者等だ。その中で沖縄県護国神社の祭神は
「日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊」
17万7913柱で、
「北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者」
即ち沖縄出身でない沖縄戦戦没者(都道府県別で最多の北海道は1万90柱)も含まれている。
その前で
「沖縄は見捨てられた」
などと言えようか。
現行憲法の
「政教分離」
解釈から公的行事で神道式の
「慰霊」
を殊更に避けようとする戦後の風潮には違和感を覚えるが、出自も違う数多の戦没者にとっての結節点は、靖国神社に祀られるということであった。
その靖国神社に準ずる護国神社での慰霊顕彰に、沖縄戦に思いを致す日本人はもっと目を向けるべきであろう。
■建国以来の信頼関係回復へ
このことは、単なる過去の話ではない。
先月2025年5月刊行された齋藤達志『完全版沖縄戦』は
「沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さと共にそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日のもとに明らかにした」
と厳しく指摘している。
沖縄戦で無念にも的確に県民を守れなかったのはその通りとしても、同時に、それを受け止めた現在における一部日本人の歴史認識の
「未熟さ」
を筆者は思わずにはおれない。
国土を守る戦いとは、当地の住民を守るのみならず、後世まで敵勢力に対する抑止力を持たせるべきものである。
我が国が建国以来、王朝交代等なく継承されてきたのも、君主と国民、国民と<祖国を守る者>が支え合うという、三者の信頼関係が2000年以上続いてきたからに他ならない。
歴史上、革命や間接侵略の際にはこの信頼関係破壊が図られた。
「沖縄県民を守ろうとしたが守れなかった」
史実が
「天皇も軍隊も沖縄を守ろうとしなかった」
という話に転化されることで、
「これからも自衛隊は日本を守らないかもしれない」
との疑心暗鬼を生み、侵略される隙を作ることになる。
日本国民と、天皇そして<祖国を守る者>との建国以来の信頼関係が今後も保たれるかどうかは、沖縄戦に対する歴史認識にかかっているといっても過言ではない。

<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡
日本経済大学准教授・久野潤
2025/4/2 8:00
https://www.sankei.com/article/20250402-AAS6XLCBVBMX7MOEWXZDVW5OYQ/
■沖縄へ向け大和出撃80年
本年は沖縄戦、そして戦艦「大和」出撃から80年の節目でもある。
今もって史上最大の戦艦である「大和」は、その艦名も相俟(あいま)って我が国戦史上特筆すべき存在であり、またその出撃の当否をめぐる議論も戦後絶えなかった。
昭和20(1945)年4月1日の連合軍沖縄本島上陸の際、連合艦隊は「天一号」「菊水」の特攻作戦を発動した。
鹿屋基地(鹿児島県)の第五航空艦隊の司令長官は、かつて山本五十六連合艦隊司令長官を補佐する参謀長として、またマリアナ・レイテの両海戦で第一戦隊司令官として「大和」に座乗した宇垣纏(まとめ)海軍中将。
宇垣は独断で麾下(きか)の零戦を出撃させ、沖縄へ向かう「大和」上空直掩(ちょくえん)を図るが、零戦隊の本務もあり果たせなかった。
昭和20(1945)年4月7日の「大和」沈没を聞いた宇垣は、陣中日誌『戦藻録』に
「抑々茲(そもそもここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈(だけ)の総攻撃なるやの(筆者注・昭和天皇の)御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」
と記している。
これをもって「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄を何としても救わねばという大御心(おおみこころ)に思いを致すべきであろう。
「大和」出撃を後押しした連合艦隊司令部の心情を表す、神重徳(かみしげのり)参謀の言葉が伝わっている。
「もし大和を柱島あたりに繫(つな)いだままで、大和が生き残ったままで戦争に敗けたとしたら、何と国民に説明するのか」
(吉田満・原勝洋『ドキュメント戦艦大和』)
これに対して高田利種参謀副長が
「これをやらないで今度の戦さに敗けたとしたら、次の日本を作る事が出来ないのではないかというのが、神参謀の本心だと判断した」
ことで、
「国民」
がこの時点に存在した日本人のみを指すのではなく、後世の我々をも含む概念であったことも理解できる。
沖縄の戦況を憂う大御心を拝した軍人たちにとって、将来に渡り
「あの時の日本軍は固有の国土を全力で守らなかった」
との誹(そし)りを受けることはあってはならないのだ。
■受け継がれていた楠公精神
さて作戦名の菊水とは、後醍醐天皇に忠節を尽くして湊川の戦いで殉節(戦死)し、後世広く崇敬された大楠公こと楠木正成の家紋である。
戦後史観のもとでは、大楠公は衆寡敵せぬ情況で仕方なく出陣して玉砕した点が、日本軍の思想に影響を与えたかのように評されてきた。
実際の大楠公は足利尊氏の反逆に対し我が国の正道を示し、それを継承する布石を打って湊川へ向かった。
戦前の日本人もそれを理解していたからこそ長男正行(まさつら)を故郷へ帰した
「桜井の訣別」
の逸話に涙したのである。
「大和」出撃に際しても、桜井の訣別≠ェあった。
出撃3日前の昭和20(1945)年4月3日に卒業したばかりの海軍兵学校74期生42人・海軍経理学校35期生4人が少尉候補生として乗り組んでいた。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は出撃前日の昭和20(1945)年4月5日、彼らに退艦を命じる。
候補生たちは命令撤回を懇願したが、有賀幸作「大和」艦長に
「この戦(いくさ)はまだまだ先が長いぞ」
「お前たち候補生にはもっと働き甲斐のある戦闘が待ち構えておる、自重せよ」
と諭され退艦した(中田整一『四月七日の桜』)。
参陣を懇願する子に大楠公が、更に長きに渡り皇室に忠節を尽くすべしと自重を諭したのと軌を一にする。
■絶望的な戦局でも尚…
沖縄への出撃を命じられた伊藤は当初大反対であった。
神の要請で「大和」を訪れた草鹿龍之介連合艦隊参謀長から
「一億総特攻の魁(さきがけ)」
となってほしいと説得され納得したとされる。
沖縄失陥までの10次に渡る菊水作戦で海軍は940機、陸軍は887機が特攻を行い、それによる連合国側死傷者は1万人近くを数えた。
加えて、残存水上兵力をかき集め「大和」以下10隻の第二艦隊も出撃させたのであるから、沖縄は見捨てられたとする戦後の言説が筆者には理解し難い。
そして宇垣も終戦の玉音放送後に湊川≠ヨ向かった。
最後の特攻隊として「彗星」爆撃機11機を率い出撃する直前まで書いていた『戦藻録』最後の頁は、以下の行で締められている。
「独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万艱(ばんかん)に抗し、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完(まっと)うせん事を望む」
「余又楠公精神を以て永久に尽す処あるを期す」
大楠公は湊川で弟正季(まさすえ)と刺し違える際「七生滅賊」を誓い合い、その精神が幕末の志士さらに近代軍人に受け継がれることで日本を護(まも)り続けた。
「大和」出撃も無駄だったどころか、絶望的な戦局でも最後まで国土を護るため戦った確固たる足跡を残している。
筆者は先述「大和」退艦の候補生の1人で同期を代表して有賀艦長に直談判した阿部一孝氏(令和5年6月逝去)から直接話を伺う機会があった。
「沖縄特攻は、今の日米関係の土台になっているはず」。
沖縄を易々と見捨てるような日本であったならば、米国も今のような同盟国として扱わなかったであろう。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

沖縄戦最初の戦死 歴史に葬られた特攻隊長 伊舎堂用久
正論2025年4月号 作家 将口康浩
大陸に対し、海に弧を描き、鹿児島から沖縄の島々が連なっている。
国境に近い最西端、八重山諸島の中心が石垣島。
沖縄本島から400km、台湾との距離は僅か270kmしか離れていない。
石垣島の北170kmに点在する尖閣諸島では中国船の頻繁な領空侵犯を受けている。
かつて沖縄は、東から攻め上がった米軍との戦いの地となった。
今、西からの攻勢に晒されている。
尖閣諸島最大の魚釣島の地番は沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地。
ちょうど80年前の昭和20(1945)年、石垣島から出撃、慶良間諸島沖で米艦隊に体当たり攻撃を行った伊舎堂用久大尉の生まれは石垣市登野城156番地。
自分の郷土は自分で守ると、特攻隊長として故郷から出撃した。
石垣島西部に陸軍白保飛行場が広がっていた。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、指揮所前に陸軍特別攻撃隊
「誠第17飛行隊」
と、その護衛に当たる
「独立飛行第23中隊」
の隊員、関係部隊長40名が集合していた。

本25日1650、慶良間群島周辺に空母2、特設空母4以上よりなる敵機動部隊遊弋中なり
飛行団は敵機動部隊を攻撃せんとす

中央気象台石垣島測候所は昭和20(1945)年3月26日の天候は快晴と予報していた。
海上に浮かぶ眼下の敵を発見しやすい絶好の飛行日和だった。
昭和20(1945)年3月26日午前4時。
見送りを受け、初めに第23中隊所属の直掩機6機、続いて誠第17飛行隊の特攻機4機が離陸した。
11歳だった石垣島宮良の小浜義勝はその日をよく覚えている。
迫る米軍艦艇に体当たりをする特攻機が石垣島から出撃することは子供でも知っている公然の秘密だった。
日の出は午前6時37分、まだ月が残っていた。
「飛行機が飛んでいる」
姉の声がした。
布団にくるまり、眠っていた小浜義勝はすぐに飛び起きた。
耳を澄ますと、聞き慣れた陸軍機の爆音がする。
急いで庭に出て、北の空の機影に姉と2人で懸命に手を振った。
傍らでは、目を閉じたままの母は手を合わせて拝み、父は言葉もなく呆然と見送っていた。
その日、米空母に突撃して戦死したと聞いた。
戦後も生まれた石垣島で暮らし、老齢となった小浜義勝は伊舎堂用久の戦死についてこう語っていた。
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂用久中佐が故郷を守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
熾烈を極めた沖縄戦は石垣島の白保飛行場から飛び立った伊舎堂用久隊が口火を切る。
伊舎堂用久率いる10名が沖縄戦最初の戦死者となった。
しかし、この事実を知る者は少ない。
■「用久元気」空からの手紙
中国戦線から1年ぶりに帰国、静岡県浜松で新型機に乗り換えるための訓練を受ける。
僅か1カ月ほどの浜松滞在後、那覇経由で台湾花蓮港(現・花蓮市)に向かう。
途中、石垣島の生家上空を旋回、通信筒を落とす。
帰省することができない伊舎堂用久からの空からの手紙だった。

用久元気 台湾花蓮港ニ居ルコトニナリマシタ 今前進スル途中

最早故郷の地を踏むことはない、珊瑚礁に当たる砕ける波と白浜、緑深い山々、港に続く懐かしい家並み。
空からこれが見納めとじっくりと眺めたに違いない。
手紙を受け取った父の伊舎堂用和、母の伊舎堂ミツも同じ心持ちだっただろう。
だが、10カ月後、再び故郷の地を踏む。
帰るに帰れなかった石垣島に7年ぶりの帰郷を果たす。
そこが最期の地となった。
昭和19(1944)年10月25日、レイテ沖海戦で初めての特攻攻撃が行われた。
同年昭和19(1944)年11月中旬、花蓮港からフィリピンのルソン島ツゲガラオ基地まで、伊舎堂用久は99式軍偵察機で飛行、米軍の進攻状況や特攻隊の現況などを10日間に渡り偵察分析する。
整備の岡本泰憲曹長だけが同行した。
夕食後、ツゲガラオ基地の宿舎を抜け、2人で空を見上げる。
交わす言葉はなく、無言のままだった。
岡本泰憲曹長が手記に残している。
「群青色に澄んだ夜空に散らばる南十字星を伊舎堂中尉と感無量の想いで眺めた思い出は忘れられない」
この時点では台湾での特攻隊編成は決まっていなかった。
しかし、伊舎堂用久を単機で現地視察に行かせた理由は1つしかない。
沖縄で特攻隊出撃命令を下す際、敵を迎え撃つ沖縄県民と後続の陸軍航空兵の士気を高める上で、第8飛行士団幹部は郷里の英雄を最初の隊長にすべきと当初から考慮していた。
無論、伊舎堂用久自身もその意を汲んでいた。
昭和19(1944)年11月末、同師団に特攻隊編成指示が出された。
死に向かう道しかない集団の団結心と1人1人の闘志の高揚、持続だった。
そのためには集団を率いる隊長の責任感や統率力、人柄、技量が重要になる。
部下にこの人とならば、と思わせるような男でなければならない。
編成を任された作戦主任参謀の石川寛一中佐は隊長に伊舎堂用久を指名した。
石川寛一中佐は偵察出身で、伊舎堂用久との関係も深く、知悉の間柄でもあった。
伊舎堂用久を司令部に呼び出し隊長就任を要請した。
何の迷いも躊躇いもなく、伊舎堂用久が即答する。
「私にやらせて下さい」
昭和19(1944)年12月8日、
「誠第17飛行隊」
が編成された。
伊舎堂用久は昭和19(1944)年12月1日、大尉に昇級した。
希少な石垣島出身の飛行隊長が郷土から特攻出撃する筋書きが完成した。

伊舎堂用久大尉 陸士55期、24歳、沖縄出身
石垣仁中尉 陸士56期、23歳、山形出身
安原正文少尉 幹部候補生9期、24歳、高知出身
川瀬嘉紀少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、東京出身
大門修一少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、茨城出身
久保元治郎少尉 金沢大、特別操縦見習士官1期、22歳、千葉出身
芝崎茂少尉 特別操縦見習士官1期、23歳、埼玉出身
黒田釈伍長 少年飛行兵、21歳、愛媛出身
有馬達郎伍長 少年飛行兵、17歳、鹿児島出身
林至寛伍長 少年飛行兵、17歳、東京出身
小林茂兵長 少年飛行兵、16歳、東京出身

誠第17飛行隊11名のうち生き残った者は誰1人としていなかった。

昭和20(1945)年2月28日、誠第17飛行隊は石垣白保飛行場に到着した。
伊舎堂用久にとって7年ぶりの故郷で過ごす最期の37日間だった。
隊員は飛行場近くのオーセと呼ばれる拝所がある白保集落の中心に分宿する。
毎朝、オーセ前に集合し、全員で体操を行う。
その後、隊長宿舎前で点呼を取り、その日の作業日程やその日の行動確認を行い、最後に隊長が訓示をするのが日課だった。
門前で伊舎堂用久がキビキビと名前を呼び、隊員が返事をする光景を見た前盛家の嫁、敏子は規則を厳格に守る軍隊の様子に驚かされる。
「物腰の柔らかい方で、隊長は部下に対しても、温情みある態度で接し、叱り付けるようなことはありませんでした」
死にだけ向かっていく伊舎堂用久の心中を慮り、話しかけたこともあった。
「夜はきちんと熟睡できますか」
「出撃の日を待つのみですから、何も考えずに、その日を来るのを待っています。今はただ、明鏡止水の心境です」

比ぶなき幸い哉我選まれて今南海の雲と散り征く 石垣仁中尉
死生有命不足論 只祈必中撃沈 安原正文少尉
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき 伊舎堂用久大尉
人間到処在青山 芝崎茂少尉
きづなをば たちて飛びゆく 白雲の無心の境地 機にまかせて 大門修一少尉

残された寄せ書きが5名の遺書となった。
■「部下のことを・・・」家族との面会拒む
地元出身の有名人だったが前盛家の家族以外、他の島民たちと接触することはほとんどなかった。
伊舎堂用久の母ミツと姉の3女トヨ子、妹の4女節子が隊長宿舎を訪ねてきたことがある。
前盛家の長男、善助がそのことを伝えると、伊舎堂用久は毅然として面会を断った。
「部下は本土出身で、帰りたくても帰ることができない」
「部下の気持ちを思うと、自分だけ家族に会うことはできない」
陸軍士官学校入校以来、故郷に帰ることが叶わず、あれほど会いたかった母と姉妹たちだ。
しかし歓喜するどころか、すげなく追い返す。
「大尉殿は会うことはできないと言っている」
母たちに善助が申し訳なさそうに言った。
自宅のある登野城と白保は10km近くある。
子供の足では3時間近くかかるだろう。
会えないまま、落胆し帰って行った。
「公私の区別について、かなり厳格に考えていた」
「妹さんが手作りのご馳走を持参して面会に来ても会わなかったようだ」
「せっかく訪ねてきたのだから、堅苦しく考えずに会ってあげたらどうか、と勧めたことがある」
「しかし、部下は帰ろうと思っても帰る所もない」
「いくら肉親でも部下の手前、忍びないと拒み通したことは並みの人のできることではない」
「こういうことなどで部下たちは心服していた」
上司の第9飛行団長の柳本栄喜大佐は戦後、こう書き記す。
柳本栄喜大佐も面会を勧めるが、伊舎堂用久は頑なに拒んでいた。
「家に帰って1度、両親に顔を見せてはどうか」
石垣島に駐屯していた第69飛行場大隊長の浅沼紀平少佐は伊舎堂用久に顔を合わせる度に、帰宅を促していた。
しかし、伊舎堂用久の返事は変わらなかった。
「部下の事を考えれば、そういうわけにはいきません」
誠第17飛行隊の整備兵が戦後、こう語っている。
「伊舎堂隊長は石垣島に実家があり、お父さんも妹さんもいらっしゃる」
「それなのに隊長は家に帰らぬ」
「皆で是非、家に帰ったら如何ですかと言っても、
『戦争をしているんだ』
と言って、部下の訓練をしていた」
「あの隊長のためなら喜んで命を捨てることができる」
部下にとって、伊舎堂用久と行動を共にすることは当然の成り行きだった。
しかしながら、出撃が間近となった時、浅沼紀平少佐の再三再四の要請に根負けし、浅沼紀平少佐と共に車で登野城にある実家に向かった。
玄関で出迎えた父、伊舎堂用和は伊舎堂用久を上座に座らせた。
厳格な父は3男と根性の別れになることを悟っていた。
特攻隊長就任の経緯も、戦死後の処遇も、戦局の行方も語らず、2人は静かに杯を交わす。
帰りの車中で漏らした言葉が浅沼紀平少佐の脳裡で渦巻く。
「いずれ、敵が沖縄に上陸すれば、私は第1次特攻隊として特攻することになる」
「死ぬことは何とも思わないが、私たちが死んだ後、祖国日本はどうなるだろうか」
「それが心残りです」
如何に特攻機で戦艦を撃沈させようとも、挽回しようがないところまで追い込まれていた。
既に日本は敗戦すると腹を括っていた。
「我々が残っているから心配ない」
それしか浅沼紀平少佐には返す言葉がなかった。
昭和20(1945)年3月25日正午、台湾の第10戦隊が那覇西方海上で米空母2隻を含む大規模な艦隊を発見する。

第9飛行団長は明26日早朝、誠第17飛行隊を基幹とする特別攻撃隊をもって慶良間群島周辺の敵機動部隊に対し左のごとく攻撃すべし
攻撃時刻 0550 編成および攻撃方式 甲編成第1方式
直掩機の装備 爆装備

連絡を受け、隊員たちの賄いをしていた仲宗根千代も大急ぎで弁当を作り、持って行った。
飛行中、機上で食べることができるように、竹の皮に包んだ握り飯弁当だった。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、戦闘指揮所に隊員や関係者が集合する。
第9飛行団長の柳本栄喜大佐が最後の命令を下す。
「敵はいよいよ我が国土に侵寇しようとしている」
「諸君の成功を祈る」
別れの杯に酒を満たし、白鉢巻き姿の隊員が酌み交わす。
仲宗根千代が食事を作っていた隊員の鉢巻きには
「お母さんお先に」
と書かれていた。
「いずれ私たちも祖国のため殉死する運命を免れないと思っていたので、特別な感情は浮かばなかったけど、今でもあの時の姿が浮かんでくる」
■戦死知らずに面会
出撃時刻は翌昭和20(1945)年3月26日午前4時だった。
「伊舎堂隊長の出撃です。すぐ来てください」
姉・伊舎堂トヨ子の夫である石垣信純の兵舎に整備兵が飛び込んで来た。
石垣信純は現地招集の工兵隊中隊長だった。
兵舎から飛行場まで約1km。
自動車もなく、これが義弟との別れになる。
息を切らせ、走りに走った。
到着した時、伊舎堂用久機は既にエンジンを掛け、プロペラが回り始めている。
もう駄目だ、遅かったと呆然と立ち尽くす。
そこへ誰かが石垣信純の手を取り、急いで搭乗機の近くまで連れて行く。
既に特攻機を守る直掩機は離陸し、上空で待機している。
操縦席で眼前を伊舎堂用久はまさに飛び立とうとしていた。
思わず石垣信純は動こうとする搭乗機にしがみつく。
伊舎堂用久はようやく義兄の姿に気付く。
言葉は一言だけだった。
「姉さんによろしく」
石垣信純が何か言う間もなく、滑走路を駆け、伊舎堂用久機が空に舞い上がる。
言葉も声も無く、その場に崩れ落ちる。
慶良間諸島沖合に艦隊を発見、大型空母2隻、小型空母2隻を含む大艦隊だった。
一斉に駆逐艦の対空砲火が始まり、凄まじい米軍の火力を見せつける。

いまより我、突入す

予定時刻の昭和20(1945)年3月26日午前5時50分、芝崎茂少尉、川瀬嘉紀少尉、黒田釈伍長の順に打電が入る。
伊舎堂用久大尉も体当たり攻撃を敢行する。
昭和20(1945)年6月23日まで続く、沖縄戦の最初の戦いだった。
弁当を届けた仲宗根千代はそのまま司令部に残り、連絡を待っていた。
伊舎堂用久隊突入、成功の報が届く。
歓喜の声も、泣き叫ぶ声もなく、司令部全員が同時に合掌、隊員たちの冥福を祈った。
ただ一人、伊舎堂用久の当番下士官だけが泣き叫び、床に座り込んでいた。
仲宗根千代は忘れられない。
「往時に思いを致す時、あの若さで異性を知ることもなく、青春を楽しむこともなく、只々祖国の安泰と慈母の穏やかなることを念じ、黙々として死の首途に赴いた少年特攻兵の面影は今でも忘れることは出来ません」
「司令部のその時の一種悲壮、感動的な光景は今尚脳裡に浮かんできます」
第1団に引き続き、昭和20(1945)年3月29日に安原正文少尉、昭和20(1945)年4月2日に久保元治郎少尉と有馬達郎伍長、昭和20(1945)年4月8日に林至寛伍長が出撃、昭和20(1945)年5月14日に大門修一少尉、伊舎堂用久隊全員が散華した。
石垣仁中尉は昭和20(1945)年3月22日、台湾沖で戦死、小林茂兵長は台湾での訓練中に事故死していた。
伊舎堂用久が戦死した昭和20(1945)年3月26日、事情を知らない父と母、姉、妹が揃って白保飛行場を訪れる。
出撃が近付いていることを察知、最期になるかもしれないと心づくしのご馳走を携えていた。
いずれ、この日が来ることの心積もりはあったとはいえ、茫然自失となる4人。
周囲も憚らず、地面にうつ伏せて泣きじゃくる母。
姉と妹も母の背に追いすがり声を上げる。
子に先立たれる母ほど、哀切なものはない。
泣き崩れる親子の姿に周りの者も涙を流す。
「武人としての本望ではないか」
父・伊舎堂用和だけは気丈に振る舞うが、心中は慟哭していただろう。
■歌われなくなった唄
伊舎堂用久隊に感状が授与され、ラジオや新聞各紙が一斉に報道する。
石垣島出身の毎日新聞、宮良高夫記者が
「伊舎堂大尉よ。あなたの武勲はふるさとの海に咲く赤い花とともに永久に故郷を飾るのだ」
と記事に書いた。
武功を讃える
「伊舎堂隊の唄」
はかつて、沖縄に暮らす老若男女誰もが知らぬ者がいなかった。
伊舎堂用久の陸士同期、藤森正義の義弟が那覇航空測候所に勤務していた。
日本復帰間もない頃、義弟から那覇の街でよく歌われていると手紙で知らされ、
「沖縄県民の心の中に生き続けていることを嬉しく思う」
と藤森は書き残す。
だが、いつしか伊舎堂用久の武勲が故郷で語り継がれることも、歌が口ずさまれることもなくなった。
伊舎堂用久の長兄の伊舎堂用展、伊舎堂用展の妻・伊舎堂ハツは戦争で命を失った。
伊舎堂用久の父の伊舎堂用和も終戦翌日昭和20(1945)年8月16日に病死した。
八重山諸島では米軍上陸に備え、マラリア有病地域の山間部に疎開して罹患、約3000人が死亡。
「戦争マラリア」
と呼ばれている。
伊舎堂ハツもマラリアで死亡した。
伊舎堂用八7歳を残したままの38歳だった。
伊舎堂用展は米軍と交戦の末、戦死。
両親を失った伊舎堂用八は4女、伊舎堂節子の手で育てられる。
八重山高校教諭などを務め、家を継いだ伊舎堂用八が叔父、伊舎堂用久の志を語ることができる唯一の遺族となった。
「伊舎堂用久戦死の意義は沖縄人の誇りと、自分の故郷は自分で守る気概を持ってほしいというメッセージを後世の沖縄人に伝えようとしたこと」
沖縄県糸満市の平和祈念公園に
「空華(くげ)之塔」
が建立されている。
沖縄戦で戦死した陸海軍の航空将兵を祀っている。
昭和39(1964)年11月1日、遺族を代表して母・伊舎堂ミツが除幕を行った。
それほどに伊舎堂用久の名は重いものだった。
「昭和20年(1945)3月26日は沖縄戦が開始された日として地元紙は大きく報道されるが、沖縄戦第1号の特攻には何も触れられない」
「沖縄県民が特攻史を何も知らない」
意図的に忘却されている歴史の真実に伊舎堂用八は憤怒する。
伊舎堂用八も老齢となった。
伊舎堂用久の位牌や写真、手紙などの遺品は今後どうなるのか、処遇も不明である。
石垣市南ぬ浜町で、平成25(2013)年8月15日に
「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」
の除幕式が行われた。
戦死から68年後、ようやく建立にこぎつけた。
忘れ去られたまま、月日が経過していた。
顕彰碑建立期成会が発足後、寄付の申し出が殺到、2000人以上、700万円の寄付金が集まる。
寄付者の手紙にこう書かれていた。

顕彰碑が立派に建立され、尖閣を含む沖縄の地の守り神としての役割を果たさんことを祈念しています。
碑には
「郷土と国を愛し、悠久の大義に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐と隊員の遺功」
と記された。
伊舎堂用久の遺詠
「指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき」
とともに、石垣島から出撃した特攻隊31名全員の氏名、年齢、出身地が刻銘された。

蒼海を望む高台に碑はある。
北には尖閣諸島、西には八重山の島々、その先には台湾がある。
更に先には中国大陸がある。
「祖国日本はどうなるか、それだけが心残り」
出撃直前、魂の底から絞り出された言葉だった。
伊舎堂用久が我々に問いかけている。
国を守るということは何か。
国を守ることは故郷を守り、そこに暮らす父母や兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人を守ることだった。
今の祖国を見てどう感じるだろうか。
こんな日本になりましたと伊舎堂用久に見せることが出来るだろうか。
尖閣諸島を跋扈する中国船舶を見せることが出来るだろうか。
日本人として突き付けられている。
歴史の1ページとして郷土から出撃、戦死した伊舎堂用久の人柄、生き方。
現代に生きる我々が先人の犠牲の上にあることを忘れないと共に、もう起きてはならない戦争の凄惨な真実を残すためにも語り継がなければならない。
伊舎堂用久隊出撃から今年2025年でちょうど80年を迎える。
沖縄戦が始まった昭和20年(1945)3月26日。
これからも忘れてはならない日。
石垣島から出撃した誠第17飛行隊。
沖縄戦最初の戦死。
郷土を守ろうとした伊舎堂用久。
日本人が決して忘れてはならない名である。
■地元紙連載が単行本に
当時は軍神とまで崇められながら、戦後は歴史から消されてしまった伊舎堂用久中佐。
せめて地元の人たちには沖縄戦の最初の戦死者について知ってほしいと、筆者は昨年2024年3月から8月に渡り石垣市を拠点とする地元紙・八重山日報で伊舎堂用久中佐について連載した。
その連載が
『歴史に葬られた特攻隊長 〜故郷・石垣島から出撃した伊舎堂用久中佐』
として2025年3月20日、徳間書店から刊行される。
ぜひ一読を乞いたい。

<産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと
2025/3/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170
日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。
戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。
高校教科書の検定を見て改めて思う。
▼だからこそ知ってほしい。
「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。
こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。
80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
伊舎堂はそのとき24歳。
▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。
八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された
『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店)
に詳しい。
沖縄では
「軍人を美化するな」
とされ、特攻を知らない人が多い。
顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。
▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。
旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。
陸軍では作文教育を重視した。
刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。
毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。
▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。
戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は
「本望ではないか」
と気丈に語ったという。
婚約者との再会は、叶わなかった。
▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。
碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。
忘れてはならない歴史である。

「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会
2025/1/17 17:40
https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/
沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が
「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」
と題して講演した。
宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。
「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」
と指摘した。
沖縄戦を巡り、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたという非難があることに触れ、
「『捨て石』のために死んだというのか」
「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」
と強調。
「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」
と述べた。
また、戦後80年を振り返り、
「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」
と憂慮した。

すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」
2024/10/19 19:18
https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」
「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」
との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。
公演は2024年10月20日まで。
いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。
女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。
知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
■ようやく実現した沖縄公演
主催者によると、
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。
特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。
ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。
好評を博し、今年2024年も開催することになったという。
沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。
劇中でも、特攻隊員たちが
「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」
と決意し、上官も
「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」
と語る場面があった。
■先陣切った伊舎堂中佐
今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。
米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。
伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。
中山市長は
「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」
「平和の有難味を改めて感じた」
と公演を振り返り、
「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」
「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」
と強調した。
2024年10月20日の公演は2回。
午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。
まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、
「なでしこ隊」
率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は
「お待ちしています」
と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。

先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演
沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹
2024/10/9 9:00
https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/
■沖縄県民の拒絶反応
「こら、いらないわ」
受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。
特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。
プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は
「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」
と述懐する。
資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。
演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。
板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。
出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。
今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。
誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。
慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
24歳であった。
■「避けてきた」沖縄公演
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年。
以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は
「ずっと避けてきた」(石神さん)
という。
そこに、転機が訪れる。
那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。
今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは
「未来へつむぐ」
の東京公演をたまたま観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
と衝撃を受け、
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と痛感したという。
教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、
「未来へつむぐ」
の東京公演を見て、赤嶺さんは
「沖縄で伝えられていない歴史」
に気付いたのだ。
初の沖縄公演に向けて奔走。
残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。
観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから
「真実を教えてくれてありがとう」
といった反応も寄せられた。
同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。
同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」
と語っていた。
この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。
戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。
理解に苦しむ。
■タブー視された特攻隊と日の丸
沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
軍は
「悪」
と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。
こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。
大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた
「鉄の暴風」
が吹き荒れた。
当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。
県民は心から早期の本土復帰を願った。
願いを込めて旧国鉄の特急列車に
「なは」
と命名したほどである。
だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。
革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。
復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。
いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。
伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。
「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」
と語っていた。
沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。
旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。
陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。

早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち
正論モーニング
2024/10/30 7:00
https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/
先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした
「特別攻撃(特攻)」
を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。
この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言が反響を呼んだ。
スポーツ選手と
「戦争」
の組み合わせには意外性も感じるが、実は
「鹿児島の特攻資料館」
には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。
■映画・小説に感銘受ける?
早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、
「今やりたいこと」
を問われ、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」
と発言した。
散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは
「軍国主義を賛美している」
などの批判が起きた。
国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。
週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。
昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』)
の影響を指摘する声も多かった。
現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。
筆者も
『あの花』
説に賛成だ。
ヒントは、
「鹿児島の特攻資料館」
という早田さんの発言自体にある。
鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、
「知覧特攻平和会館」(南九州市)

「万世特攻平和祈念館」(南さつま市)
が知られている。
海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。
だが、
「特攻資料館」
という名称の施設はない。
一方、
『あの花』
の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が
「特攻資料館」
と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。
早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で
「特攻資料館」
という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。
『あの花』
には、こんな一節がある。
主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。
≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫
生きていることや卓球をできることが
「当たり前ではない」
という早田さんの発言に通じるものがある。
■アスリートの研修に
その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。
大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。
井上教授は、同会館が2000年以降、そんな
「自己啓発の聖地」
となっていることを、
『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年)
で紹介した。
ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。
今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。
ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。
彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。
「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」
「競技に打ち込める平和な時代に感謝」
「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」
「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」
「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」
「私たちが今あるのも彼らのおかげ」
「彼らに恥じない生き方をする」
先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。
逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。
「平和」
を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。
■「世界の記憶」登録を
同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。
かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
「世界の記憶」(世界記憶遺産)
への登録を再び目指すことだ。
同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。
だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。
以降は申請を見送っている。
当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。
「軍国主義だ」
との批判が説得力をもってしまったのだ。
知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は
「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」
「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」
と話す。
ぜひ登録を目指してほしい。
実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。
(大阪正論室参与)

「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い
2024.8/15 11:38
https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/
パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言への称賛が止まらない。
SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。
特攻隊員の遺品や関係資料を展示する
「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)
が改めて、大きな注目を浴びている。
早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について
「アンパンマンミュージアム」
と共に、知覧特攻平和会館を挙げて
「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」
と述べた。
この発言に対し、SNSでは
「早田選手ありがとう」
「この人は偉いよ」
「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」
「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」
などの声が続々と投稿された。
終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。
著名人も反応した。
作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、
「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」
「有難う、早田さん」
と感謝の思いを綴った。
知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。
今年2024年2月に訪問した鈴木はXに
「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」
と投稿していた。

<主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を
社説
2024/10/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/
亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。
先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。
第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。
特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。
先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。
太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。
その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。
昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。
昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。
人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。
生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が
「統率の外道」
と認めていたように戦術として正常ではない。
大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。
特攻は戦後、
「軍国主義の象徴」
などと批判された。
選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。
現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。
特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。
特攻を
「カミカゼ」
と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。
特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。
日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

<産経抄>特攻隊のこともっと知ろう   
2024/5/6 5:00
https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/
学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。
先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。
今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。
翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。
中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。
中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している
「歴史に葬られた特攻隊長」
で名を知った。
沖縄では戦後、軍人は
「悪」
などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。
産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。
そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。
中佐を知る人の
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。
来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で
「特攻隊員が散華しました」
といった記述にも批判があるようだ。
「国のために命を捨てることが美化され、怖い」
などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。

直球&曲球
葛城奈海 桃李ものいわざれども
2023/11/2 10:00
https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/
今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。
2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、
「防人と歩む会」
の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。
湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。
1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。
昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。
以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき

何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。
悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。
伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。
存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。
しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。
そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、
「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」
という古文を引用。
桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。
そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。
伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。
24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。
私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに
「ものいわぬ桃李」
であろう。(英霊たちに思いを寄せて)

錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ


【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧
2022/5/3 19:37
https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/
第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。
3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。
慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。
19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し
「命の尊さを語り継ぐことを誓う」
と話した。
遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。
最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。
伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は
「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」
と話した。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/212.html#c17

[政治・選挙・NHK297] <日野市>夜10時00分以降、単位時間ごとの500票束を66%もある候補者に集中 選挙研究所
19. 秘密のアッコちゃん[1668] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月25日 12:44:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1106]
<■151行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「偶発的な衝突の危険高める」 中国の尖閣諸島領空・領海侵犯に抗議 沖縄県石垣市議会
2025/6/25 11:26
https://www.sankei.com/article/20250625-IKTR2DVCIVMKPONU2GJCLZU3JQ/
沖縄県石垣市議会(我喜屋隆次議長)は2025年6月24日の最終本会議で、中国による尖閣諸島(同市)の領海・領空侵犯に対する意見書と抗議決議を賛成多数で可決した。
宛先は意見書が石破茂首相や衆参両院議長など、抗議決議は中国国家主席、在日中国大使。
意見書では2025年5月3日、中国海警局の搭載ヘリが尖閣周辺で領空侵犯したことを
「一方的かつ挑発的な対応で偶発的な衝突の危険を高め、事態をエスカレートさせる」
と非難。
2025年6月7日に機関砲を搭載した中国海警局の船4隻が領海侵入した事案について、長時間の航行で日本の警備体制の限界を試すような行動と指摘した。
その上で
「日本による十分な主権の行使は困難になりつつある」
と問題視。
政府による海空の常時監視と即応体制の構築、海保と自衛隊の連携強化、漁業や民間活動の安全確保、情報発信の強化を求めた。
尖閣諸島での公務員常駐や通信・観測施設の整備など、実効支配を強化する政策の実行も要望した。
抗議決議では、中国の行動は力による一方的な現状変更で、地域の安定と国際秩序を著しく脅かすと指摘した。
中国は日本の正当な領海警備活動に対し、
「挑発」
「侵入」
などと一方的なレッテルを貼り、国際社会に発信すること自国の主張を優勢に見せようとする認知戦を展開している。
抗議決議では、こうした情報戦略は国際秩序やルールへの深刻な挑戦だと断罪。
一連の活動を中止し国際法に基づく責任ある対応をとることを強く求めた。
意見書は賛成13、反対8、抗議決議は賛成16、反対5でそれぞれ可決された。(八重山日報)

尖閣諸島に対する我が国の実効支配の取り組み強化を
サンデー正論
2025/6/8 8:00
https://www.sankei.com/article/20250608-JSMUHUOKMBPUDN3UDTQ3EC2F2I/?422509
日本固有の領土である尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で2025年5月3日、中国海警局艦船の艦載ヘリコプターが領空侵犯した。
中国ヘリによる領空侵犯は初めてだ。
にもかかわらず政府内から出てくるのは直前に日本の民間機による尖閣周辺での飛行が事態を誘発したとの見方で、領空防衛のための具体策は示されていない。
安倍晋三政権で首相秘書官を務めた島田和久元防衛事務次官はシンクタンク「国家基本問題研究所」で行われた研究会で、尖閣の実効支配に向けた取り組みの強化を求めた。
■見送られた公務員の常駐
安倍氏は平成24(2012)年12月に政権に復帰すると、尖閣諸島の警備警戒態勢について
「あるべき姿に戻せ」
と指示した。
民主党政権下では
「過度に中国側との軋轢を恐れる余り、当然行われるべき警戒、警備の手法に極度の縛りが掛けられていた」
からだ。
同時に、尖閣諸島の実効支配と安定的な維持管理をするため、尖閣諸島への公務員の常駐を打ち出した。
平成24年衆院選と翌平成25年参院選の際、自民党が公表した政策にも盛り込まれた。
首相に返り咲いてからも国会答弁で公務員の常駐は
「選択肢の1つ」
と明言した。
安倍首相は平成25年7月24日、米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長マイケル・グリーン氏と昼食を共にした。『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』(文芸春秋)の著者である元朝日新聞主筆の船橋洋一氏も参加した席で、安倍首相
「米国が認めるのであれば、それ(公務員常駐)も合わせてやるのが一番の抑止力になる」
(『宿命の子』)
と述べた。
翌平成26年4月の日米首脳会談後の共同記者会見で、オバマ大統領は、尖閣への日米安保条約5条(武力攻撃に対する共同行動)適用を米大統領として初めて、明言した。
日本側としては成果だったが、続くオバマ発言は島田氏らにとって
「想定外」
だった。
「米国は尖閣諸島の領有権に関する最終的な決定については特定の立場を取っていません」
「(中略)平和的に解決すること、つまり状況を悪化させることなく、大袈裟な表現は使わず、挑発的行動は取らず、日本と中国が協力できる方法を見つけることが重要であると(会談で)強調した」
オバマ政権は
「対中関与政策の真っただ中」(島田氏)
であり、安倍首相は公務員常駐に踏み切れば、オバマ政権は中国ではなく日本を非難しかねないとして思いとどまった。
2017年1月にトランプ大統領が登場した。
安倍首相はトランプ大統領に領有権を認めさせることはできないか考えたものの
「トランプの場合、オバマと違った不可測性がある」
「同盟そのものを守ることが先決だ」
「ここは無理をしないことにした」
(『宿命の子』)。
■習近平主席への働きかけ
安倍首相が公務員常駐の代わりに取り組んだのが、海保増強と中国の習近平国家主席に対する戦略的コミュニケーションだった。
「共産党独裁政権ではトップの判断が重要だ」
「習主席に日本の意思を伝えられるのは自分しかいない」
(島田氏)
と考えたからだ。
中国側は平成25年12月の安倍首相の靖国神社参拝に反発し、首脳会談に応じようとしなかった。
だが、中国側も安倍首相と会談するしかないと方針転換した。
日本国内の
「親中派」
とだけ会談しても、日本との懸案解決には繋がらない。
安倍首相を無視し続けることは困難と悟ったのだ。
習主席に強く進言したのは李克強首相だった。
平成26年11月に北京で会談したのを皮切りに、令和元年12月まで両首脳は10回会談した。
平成28年9月の20カ国・地域(G20)首脳会議の際に行われた会談で、安倍首相は尖閣防衛に対する
「私の意思を見誤らないように」
と明確に伝えた。
想定問答には入っていなかった発言で、安倍首相は通訳にしっかりと訳するよう指示した。
島田氏は平成25年1月に起きた中国海軍艦艇による射撃管制用レーダーの照射、同年5月に沖縄県付近の接続水域を潜航した潜水艦の存在を公表したのはいずれも安倍首相の判断だったと明らかにした。
防衛省は日本側の探知能力を知られたくないとして慎重だったが、安倍首相は
「外交的に抗議をしても、習主席には届かない」
「公にすることで日本の断固たる決意を伝える」
「戦略的コミュニケーションの判断があったでしょう」
「同時に、日本国民に知ってもらう重要性も認識していた」
(島田氏)。
その後、安倍首相は習主席を国賓として招聘した。
両国政府は、新しい両国関係を定義する
「第5の政治文書」
を作ることで検討に入った。
焦点の尖閣諸島については
「静かな海にする」
ことを盛り込む方向で調整していた。
艦船を尖閣周辺には侵入させないということを中国側に認めさせるのが日本側の狙いだった。
習主席の訪日には保守派を中心に強い反対があったが、安倍首相は文書を取り交わしたら
「静かな海」
にする、即ち
「諍(いさか)いのない海」
にするということで、中国側も艦船を入れづらくなる。
そのうち中国国内も騒がなくなっていくのではないかとの期待を込めた。
結局、新型コロナウイルスの感染拡大で訪日は中止となり、
「第5の文書」
が交わされることはなかった。
中国はその後、海警局艦船の装備を強化するなど日中の対立は高まった。
■「領空」という課題
今回のヘリによる領空侵犯について、島田氏は
「日本側の対応を見て、やっても大丈夫との認識に至った計画的なものだろう」
「日米安保条約第5条適用は尖閣が日本の『施政下』にあることが大前提だ」
「中国は『施政下』にあることが揺らいでいることを誇示しようとしている」
「一番の課題はヘリからの離着陸が繰り返される事態になった時、どう有効に対処するかだ」
と指摘する。
島田氏が懸念するのは日本側が先に動いたことで中国の行動を
「誘引」
したとの見解が、日本政府内から出ていることだ。
岩屋毅外相は2025年5月13日の記者会見で
「航行の安全を図る目的で、関係省庁から運航者に安全性を考慮すべきだと伝えた」
と述べた。
中国を
「過度に刺激しないよう飛行の自粛を求めていた」
(共同通信の報道)
というのだ。
安倍政権では尖閣防衛の能力は高まった一方で、実効支配のための公務員常駐は見送られ、宿題として残っている。
領海は海保を中心に必死に守っているが、次は領空という新たな課題を抱えることになった。
自民党の部会では
「無人機等による対領空侵犯措置を本格的に検討に入るべきではないのか」
(木原稔前防衛相)
などの意見が出てきている。
これらの声を早急に政策として反映すべきだろう。
島田氏は安倍首相の取り組みを振り返りながら、現状に警鐘を鳴らすのだった。
「官僚組織は過去のやり方からなかなか前に踏み出せない」
「そこをどうするか」
「それには政治の胆力が必要だ」
「安倍首相は尖閣防衛のやり方を民主党政権とは抜本的に変え海保や自衛隊を増強した」
「併せて、中国側に『島を守る決意を見誤るな』と伝えた」
「意思もあって能力もある」
「それを相手に理解させる」
「それで初めて抑止力になる」
(肩書は当時)

「腐っている」のは誰か 中国は準備周到 石破・岩屋コンビで尖閣は守れない 櫻井よしこ
美しき勁き国へ
2025/6/2 1:00
https://www.sankei.com/article/20250602-DYXPL5VR6FMRRIQAES22TFBROE/

<正論>尖閣の久場・大正島で訓練復活を
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
2025/5/27 8:00
https://www.sankei.com/article/20250527-XQILRUXDGNNB3DZZZJ3PEEYC4U/

中国ヘリの尖閣領空侵犯直後、空自戦闘機がスクランブル 海保と自衛隊の動きを可視化
2025/5/10 13:30
https://www.sankei.com/article/20250511-OZFWKB6QYJDMVLYO3LLIHBUTXI/

<主張>中国ヘリが侵犯 対領空措置の改善を急げ
社説
2025/5/8 5:00
https://www.sankei.com/article/20250508-FFROHGTDKZM5HFBU3L5GMWG4KM/

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/542.html#c19

[政治・選挙・NHK297] 壊れ始めた世界秩序 日本の最優先課題は「自給」だ 金子勝の「天下の逆襲」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 秘密のアッコちゃん[1669] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月25日 16:36:07 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1107]
<■68行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
3連休中日の参院選投票に小沢一郎氏「低投票率大作戦」揶揄 泉健太氏も苦言「国民困る」
2025/6/25 13:03
https://www.sankei.com/article/20250625-BPZQQYSF5BCPNDWQTZZCDPFYS4/
夏の参院選(2025年7月20日投開票)の日程を巡り、立憲民主党の小沢一郎衆院議員事務所は2025年6月25日、投票日が3連休中日に当たることについてX(旧ツイッター)で、
「自民党による『低投票率大作戦』」
と指摘し、
「『無党派層は選挙になど関心を持たず、どこかで遊んでいてくれ、そうすれば組織票で楽勝できる』と(自民党は考えている)」
と苦言を呈した。
政府は今月2025年6月24日の閣議で、参院選日程を
「2025年7月3日公示、2025年7月20日投開票」
と決定。
現行憲法下の国政通常選挙で投開票日が3連休の中日になるのは初めて。
行楽など遠出する人が増える3連休の中日となり、低投票率を懸念する声がある。
立民の泉健太前代表も
「三連休の中日! 困る国民が多いことを、政府はどう思っているのか」
「投票率もどうなるか」
と疑問視した。
泉氏は開票作業に携わる職員らの立場についても
「事務に従事する公務員、投票所の立会人、の三連休は吹き飛ぶ」
と気遣った。

公明党「要望」報道がXで物議「投票率下げる思惑か」 参院選は連休中日7月20日軸に 
2025/1/15 9:50
https://www.sankei.com/article/20250115-CGGYPJJI7RHSBGFRJNKVT5BKAA/
2025年夏の参院選を巡り石破茂内閣が、東京都議選との接近を避けるよう求めた公明党に配慮し、2025年7月20日投開票の見通しとなったとする一部報道がSNSで物議を醸している。
この日は国政選挙では異例となる3連休の中日で、無党派層などの投票率低下が懸念されるからだ。
組織票を期待できる公明側に有利に運ぶとの思惑が指摘されている。
国会召集3日後ろ倒しで投票日は7日ずれる
「来る2025年1月24日に召集させて頂くく」
林芳正官房長官は今月2025年1月14日、衆参両院の議院運営委員会理事会にそれぞれ出席し、通常国会の召集日を伝達した。
会期は150日間。
延長されなければ2025年6月22日に閉会する。
改選を控えた参院議員の任期は2025年7月28日まで。
公選法は参院選の日程について
(1)議員任期が終わる日の前30日以内に行う
(2)選挙を行うべき期間が国会開会中か閉会日から23日以内にかかる場合は、閉会日から24日以降30日以内に行う
と規定している。
夏の参院選の投開票日は2025年7月16日以降22日以内のいずれかとなる。
国政選の投票日は日曜日が定着しており、2025年7月20日の日曜日が軸となる。
一方、政府・自民党は召集日を当初2025年1月21日で調整し、これだと投開票日は2025年7月13日以降19日以内で、2025年7月13日が軸となる。
2025年6月下旬想定の都議選を重視する公明党にとって参院選と近接すれば組織力が分散される。
このため、公明党側の意向を踏まえて召集日を遅らせたと報じられている。
■疑問と批判が錯綜
異例の3連休中日に設定された背景を
「公明党が要望」
と報じた記事に対し、X(旧ツイッター)上では違和感を指摘するコメントが相次ぐ。
国民民主党の伊藤孝恵参院国対委員長は2025年1月14日、
「公明党の要望で、投票率低下が懸念される3連休中日に参院選が行われる? 前例もないのに?」
と書き込んだ。
令和4年の参院選後に公明党の機関紙が
「投票率の向上/政党、政治家の役割は大きい」
と題する主張(社説)を掲載したことを指摘し、3連休中日の投票について、
「なかなか考えづらいのではないか」
と指摘した。
前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏は
「恥ずかしくないのか公明党は」
「与党の立場を使って党利党略に勤しむなど許されると思うな」
と強く批判した。
立憲民主党の小沢一郎衆院議員事務所のアカウントも、
「国民のためではなく自民党・公明党のために全てが決まる」
「1人でも多く投票できるように、ではなく、自公に有利になるように、無党派層がなるべく来ないよう選挙日程が決められる」
と書き込んだ。
■「経済も気分もマイナス」
東京都港区議の新藤加菜氏も
「投票率を下げたい思惑しか見えません」
「シルバー優遇政治をまだ続けるか」
と疑問視した上で、投票率向上を呼び掛けた。
元海上保安官の一色正春氏は
「膨大な数の選挙に関係する人間が三連休を有効に活用できず経済的にも気分的にもマイナスだよ」
と投稿した。
前衆院議員の足立康史氏も
「大丈夫か」
と疑問視している。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/548.html#c19

[政治・選挙・NHK297] れいわ、消費税を即時全廃 参院選公約、10万円給付(東京新聞 TOKYO Web) 達人が世直し
22. 秘密のアッコちゃん[1670] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月25日 19:31:43 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1108]
<▽48行くらい>
外免切替巡り、政府「日本人と外国人の事故率」の分析検討へ 保守党竹上氏の質問主意書に
2025/6/25 16:49
https://www.sankei.com/article/20250625-BCLABY4LZFCVDDHT3X2LQOO7VQ/
外国人が母国の運転免許を日本の免許へ切り替える
「外国免許切替(外免切替)」
制度を巡り、政府は2025年6月24日、外国人の交通安全対策を進める上で、日本人と外国人の事故率の違いを政府として分析・検討する方針を盛り込んだ答弁書を閣議決定した。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に回答した。
観光・娯楽目的のレンタカー利用に関する
「交通事故総合分析センター」
の平成26〜30年調査では、事故リスクの指標
「相対事故率」
に関し、
日本人は「2.5」
だったのに対し、
居住外国人は「9.7」、
訪日外国人は「13.8」
だった。
この相対事故率は運転者が最も過失の重い
「第1当事者」
となる事故リスクを示しており、竹上氏は
「外国人の方が事故を起こす危険性は日本人に比べて顕著に高く、両者の安全性の水準に大きな差がある」
と懸念。
同センターと連携して、日本人と外国人の相対事故率の違いについて調査するよう政府側に求めていた。
竹上氏は外免切替の利用者について、国外で起こした交通事故の実態調査も求めたが、政府が今回、決定した答弁書では
「警察庁においても把握することは考えていない」
と回答するにとどめた。

<独自>外免切替の厳格化「骨太の方針」に明記へ 社会保険料の未納防止も
2025/6/4 19:48
https://www.sankei.com/article/20250604-2LSGUFGAXRJW3D6PJWX4FHNFXQ/
政府が2025年6月中旬にまとめる経済財政運営の指針
「骨太の方針」
に、外国人が母国の運転免許を日本の免許へ切り替えられる
「外国免許切替(外免切替)」
制度について
「運転免許の住所確認や知識確認・技能確認の審査内容の厳格化を進める」
と明記する方針であることが2025年6月4日、分かった。
複数の政府関係者が明らかにした。
外免切替制度は現状、住民票がなくても旅券と一時滞在証明書で切り替えが可能になっている。
ただ、外免切替で日本の免許を取得した外国人による重大事故が相次いでおり、短期滞在の外国人が滞在先のホテルを住所として免許を取得できることや、知識確認(筆記試験)の簡易さが問題視されている。
警察庁は同制度について、国外に転出している日本人や外交官らを除き、住民票の写しによる住所確認を原則とする方向で検討する。
知識確認は
「〇×式」
のイラスト問題で、10問のうち7問に正解すれば合格できるが、問題数を増やすなどの審査の厳格化も進める。
また、政府は、外国人の税・社会保険料の未納付防止や社会保険制度の適正利用に向け、骨太の方針に
「未納付情報や医療費不払い情報の連携による在留審査への有効活用、外国人の保険適用の在り方などの検討を行う」
と記す方針だ。
国土の適切な管理・利用でも
「外国人を含めた全国の土地などの透明性を高める」
として、外国からの投資状況などを踏まえ、所有者の情報やデータベースの充実化を盛り込む方向で調整している。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/546.html#c22

[戦争b26] 窮地に立つイスラエルに手を差し伸べた米大統領だが、計画通りには進まず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
31. 秘密のアッコちゃん[1671] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月26日 08:27:34 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1109]
<■99行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<産経抄>イラン−イスラエルの停戦合意、「力」の新たな段階
2025/6/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20250626-H426MOSJL5NVRPKI62LHF7ZW6E/
戦いにおける格言や箴言(しんげん)には、人それぞれの価値観が滲んで味わい深い。
「戦(いくさ)の勝利は最後の5分間にある」
とナポレオンは言い、劇作家のオリバー・ゴールドスミスは
「最初の一撃で戦は半ば終わる」
と逆の説を述べている。
▼「謀(はかりごと)多きは勝ち、少なきは負く」。
毛利元就の流儀も、生き馬の目を抜く戦国の世では王道だったろう。
干戈(かんか)を交える前段での準備や工作は、
「最初の一撃」
をより効果的にする。
時の古今を問わず、勝利を収める上での肝と言えるかもしれない。
▼イスラエルとイランの戦火は停戦合意でひとまず収拾に向かっているように見える。
イランの核施設を叩いた米軍の空爆が大きな戦果を挙げたのは、前段でのイスラエルの攻撃が効いたからだとされる。
ホルムズ海峡封鎖の懸念は残っても、周辺国へは飛び火は及んでいない。
▼イランによる米側への報復は予告付きで行われ、トランプ大統領が謝意を示す一幕もあった。
全面衝突を望まぬ相手の持ち札を読み切り、顔を立てたのかもしれない。
米国が実践した
「力による平和」
は、他の強権国家への牽制球となるだろうか。
▼日本の近海に視線を戻せば、中国の魔手がすぐそこに迫っている。
NATOは加盟国の国防費を国内総生産(GDP)比5%に引き上げる方針という。
米国が日本などアジアの同盟国に、同様の要求をしたとの報道もある。
米国頼みだった
「力」
は、新たな段階を迎えている。
▼緊張と破裂を繰り返してきた中東の歴史を踏まえれば、余燼(よじん)が燻るイランとイスラエルの動きからは目が離せない。
イランが核兵器開発の願望を捨てたとも言い難い。
戦火が再び燃え上がる恐れは拭えず、日本の備えが求められているのは言うまでもない。

<主張>石破氏と中東情勢 首相の資質欠如に呆れる
社説
2025/6/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20250625-GLZQUM6V2RMGZDMY45VXXQF3YY/
日本の首相の最大の責務は、外交安全保障を通じて国家と国民を守り抜くことだ。
石破茂首相にはそれを担う資質に欠けていると指摘せざるを得ない。
国会閉幕を受けた首相記者会見の有様と、招待されていた、オランダでの北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に首相が欠席したことから、それが分かる。
石破首相は2025年6月23日夜の会見で、国会で党派を超えて合意形成を進めた結果、令和7年度予算が成立したと胸を張った。
先進7カ国首脳会議(G7サミット)などに参加し各国首脳と会談したと誇らしげに語った。
それはよいとしても、約20分間の冒頭発言で中東情勢に触れなかったのは極めておかしい。
防災対策をめぐりキッチンカーなどの備蓄を増やす話をしたが、それくらいなら中東情勢にも時間を費やすべきだった。
この時点で、イスラエルとイランの戦いの行方がどのような展開を見せるか、予断を許さない情勢だった。
首相が会見で真っ先に語るべきだったのは、中東における戦火に対し、日本政府がどのような見解を持ち、どのような対応をとるつもりか、だったはずだ。
ペルシャ湾は日本のエネルギー輸送の生命線である。
国民や経済界の不安を解消し、必要であれば国民に協力を求めるべきだったろう。
首相が会見で中東情勢に言及したのは記者に質問されてからだ。
それも体系だった答えではなく、別の複数の記者が質問を重ねた。
しかも、この首相の会見で、現地邦人の退避に尽力している外務省や自衛隊への感謝の言葉はなかった。
内閣の長、自衛隊の最高指揮官であるのに、呆れる他ない。
国際情勢への感度が鈍く、事の軽重が判断できず、部下への思いやりに欠ける姿勢は看過できない。
NATO首脳会議を欠席したのも大問題だ。
トランプ米大統領の出席見送りが理由の1つだったが、トランプ氏は結局出席することになった。
何と間の悪いことか。
首相は2025年6月24日朝、オランダへ出発すべきだった。
トランプ氏がいなくとも、他のNATO諸国の首脳と意見交換し、日本とNATOの結束を固めれば、大いに日本の国益を増したはずだ。
それが分からないセンスの欠如は恐ろしい。

<主張>中東の「停戦」 双方は戦争を終結させよ
社説
2025/6/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20250625-VTTMWVZAY5NNNGMDW7GPV6AV5U/
トランプ米大統領がSNSへの投稿で、交戦してきたイスラエルとイランが
「完全で全面的な停戦に合意した」
と発表した。
米メディアは、カタールが停戦案を仲介したことや、2025年6月25日午前0時(日本時間同午後1時)に戦争が正式に終結する合意だと報じている。
トランプ氏は停戦が
「永遠に続くと思う」
としたが、不透明感は残っている。
イスラエル、イラン双方は最大限の自制を働かせて停戦を順守し、戦争を終わらせてもらいたい。
イスラエルはイランの核武装を阻止するとして、2025年6月13日からイランの核施設などを空軍機などで攻撃した。
イランも弾道ミサイルなどで反撃したがイスラエルが優勢を保っていた。
米国もイランの核施設を戦略爆撃機などで攻撃した。
イランは濃縮度を60%に高めたウラン燃料を貯蔵している。
短期間で核兵器級の濃縮度90%まで高め、核兵器を作ることが出来るとされる。
イランは国家としてイスラエルの生存権を認めていない。
イランが核兵器を保有すれば、直接または親イラン武装勢力によってイスラエル攻撃に使用され、核戦争が勃発する恐れがある。
トランプ氏は米軍の攻撃直後の演説で、イランに
「平和か悲劇か」
と早期の和平を迫った。
今回の停戦が実現すれば、武力行使を躊躇しなかったトランプ政権が、イラン指導部を追い込んだとも言える。
ただしイランの出方には警戒を要する。
一方的に叩かれたイランの軍部や革命防衛隊には報復の念を募らせている勢力があるだろう。
親イラン武装勢力もそうである。
軍事攻撃やテロ攻撃があってもおかしくない。
日本を含む世界の原油輸送の大動脈であるホルムズ海峡をイランの強硬派が封鎖したり、米軍艦船や西側のタンカーを攻撃したりする懸念は残る。
日本も欧州もイランへ自制を働き掛けるべきだ。
最も重要なことは戦争の原因をなくすことだ。
イランは核武装しないと宣言し、国際原子力機関(IAEA)の査察に協力し、ウラン濃縮施設の破壊を受け入れてもらいたい。
高濃縮ウランを隠匿しているならIAEAに差し出すべきだ。
イラン国会で一部が主張する核拡散防止条約(NPT)脱退など論外である。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/215.html#c31

[政治・選挙・NHK297] 自民党の深刻な支持者離れ…都議選は有利なはずの「低投票率」「1人区」でも惨敗で参院選に影(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 秘密のアッコちゃん[1672] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月26日 12:05:49 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1110]
<■106行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
石破首相に刺さる無数のブーメラン 何も感じていないのか、責任追及せぬ自民の存在意義は
阿比留瑠比の極言御免
2025/6/26 1:00
https://www.sankei.com/article/20250626-NMDREKTHWBP5PP356KYT55EBTI/
若い頃の大言壮語や絵空事のような理想論は、後で振り返ると恥ずかしいものだが、石破茂首相は今、どんな心境だろうか。
過去から飛んで返ってくる無数のブーメランが突き刺さっても、何も感じないのか。
■麻生氏に辞任要求
2025年6月24日には、安倍晋三政権の内閣官房参与で、安倍氏の外交政策スピーチライターを務めた谷口智彦氏が自身のフェイスブックに
「発言の主は、16年前の石破茂氏」
と綴っているのが目にとまった。
石破首相が東京都議会選挙の自民党敗北を受けて、平成21年7月13日のブログに投稿した次の文章を紹介したものである。
《「都議選もあくまで一つの地方選挙であり、国政に直接影響するものではない」というのは理屈としては全くそのとおりなのですが、現実は国政に対する批判がダイレクトに出たことを真摯に受け止め、もちろん内閣の一員である私も含めて深く反省し、何を改めるべきかを示さなくてはなりません。そうでなければ落選した都議候補にあまりに申し訳がないというものです》
当時、麻生太郎内閣の農林水産相だった首相は麻生氏に対し、都議選敗北の責任を取って辞任するよう求めたのだった。
現職閣僚が首相に辞めるよう迫るのは筋が通らない話だが、
「国政に対する批判がダイレクトに出た」
ことを深く反省してのことだろう。
ところが、僅か21議席しか獲得できずに大敗した今回の都議選について記者団に問われた首相は、自身の進退には全く触れずにこう述べた。
「この結果の分析はすぐにできるわけではないが、どのような訴えが届かなかったのかをきちんと分析をして、今後に生かしていかねばならない」
■大敗の責任すり替え
首相は、今回の都議選結果に現れた
「国政に対する批判」
も無視している。
このどんな結果になろうと自分は悪くないという独特の
「石破理論」
は昨年2024年10月の衆院選の際もそうで、少数与党に転落するという惨敗を自民党の在り方の問題にすり替え、こう語った。
「自民党は反省が足りないとご叱責を賜った」
「身内の論理、党内の理屈は一切排除し、政治とカネについて抜本的な改革を行っていく」
今回の都議選の大敗に関しても、自民党内には政治とカネの問題が主因だという見方があるが、そうではないと考える。
税収の上振れが何年も続いても頑なに減税は拒絶し、経済成長の方策は企業に大幅賃上げを求めるだけという石破内閣の無策ぶりや、後手後手の流入外国人への対応など、石破政治そのものに
「ノー」
が突き付けられているのではないか。
2025年4月10日の当欄でも紹介したが、大事なことなので再掲する。
首相は平成19年7月の参院選で当時の安倍首相率いる自民党が大敗した際には、夕刊フジのインタビュー記事でこう明言していた。
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」
「その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる」
「このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」
安倍、麻生両氏に選挙敗北の引責辞任を求めておきながら、自分はいくら選挙で負けても責任を取ることは決して考えない。
そんなトップが平気な顔で首相を続けていることに対し、厳しく責任を追及する声がほとんど聞こえてこない自民党に、存在意義はあるのだろうか。
(論説委員兼政治部編集委員)

自民議員は石破首相の「過去の覚悟」に学べ もう楽にしてあげた方がいい
阿比留瑠比の極言御免
2025/4/10 1:00
https://www.sankei.com/article/20250410-GKJLNIYC4JOSPDF3LH6W2EVSVE/
石破茂首相が昨年2024年10月の衆院選で惨敗を喫したにもかかわらず居座りを決め込んだ際には、自民党の少なくない議員が
「令和7年度予算が成立するまでの暫定政権だ」
との見立てを示した。
政権選択選挙に負けた首相は本来、直ちに辞任すべきだが、少数与党になってしまった以上、予算成立までは首相に責任を負ってもらう。
そして、その後に新しい党総裁を選び直すというストーリーである。
ところが、その予算が成立して1週間以上が経っても、
「石破降ろし」
の風は吹かず、党内は凪に近い。
保守系有志議員グループ
「保守団結の会」
が2025年4月3日に開いた会合では、石破首相に退陣を求める声が出たというが、まださざ波しか立っていない。
トランプ米大統領による
「関税ショック」
で毒気を抜かれた部分もあろうが、あまりに活力がない。
このままずるずると首相の責任も問わずに2025年夏の参院選を迎える気なのか。
そこでふと、もしかしたら石破首相自身は、こんな元気のない党の現状に飽き足らず、内心は不満なのではないかと考えてみた。
過去のスクラップ記事を読み返し、首相がこれまでにどれほど勇気と確信に満ちた発言をしてきたかを確かめた結果である。
■安倍おろしの急先鋒にも
石破首相は平成19年7月の参院選で当時の安倍晋三首相率いる自民が大敗した局面では、安倍降ろしの急先鋒となった。
同年8月2日付の夕刊フジのインタビュー記事では、こう明言していた。
「使命は国民が与えるもの」
「参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」
「その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる」
「このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」
まるで18年前の石破首相の口から、現在の自民への叱責の言葉が浴びせかけられているようではないか。
自民は過去の首相に、存在意義まで問われていることを自覚すべきだろう。
石破首相はまた、インタビューの中で多くの自民議員が落選したことに触れ、こんな憤りを示した。
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」
「でも(安倍)総理は落ちた人の気持ちが分からない」
「(中略)選挙で奥さんともども土下座して、落選した人の気持ちは分からない」
■信なくば立たずは当然
本来、政権選択選挙ではない参院選で敗れた安倍氏をこれほどまで非難し、政権選択選挙そのものである衆院選で無残に負けて続投した石破首相の心境はいかばかりか。
自民議員は首相の苦しい胸のうちを忖度し、首相に代わって
「即座に辞めるべきだ」
と唱和すべきだろう。
石破首相は19年8月11日付の産経新聞のインタビューでは、選挙の持つ意味の重大さをこう指摘していた。
「(安倍)首相が地位に恋々としているとは思わない」
「強い使命感があるのだろう」
「ただ、選挙で民意が示された以上、無視することがあってはならない」
信なくば立たずは、当然のことである。
それが分かっていながら、自身に強く
「ノー」
を突き付けた民意を無視し続けるのはさぞ辛かろう。
もう石破首相を楽にしてあげた方がいい。
自民所属議員は、こうした過去からの石破首相の覚悟を込めた厳しい戒めをどう受け止めるか。
あだや疎かにしてはなるまい。
今こそ首相の信念が込められた言葉に学び、実践していくべきではないか。(論説委員兼政治部編集委員)

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/551.html#c20

[戦争b26] 米軍に空爆されたイランの外相がモスクワを訪問、露大統領と会談(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
13. 秘密のアッコちゃん[1673] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月26日 21:39:12 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1111]
<△29行くらい>
北朝鮮7〜8月にも追加派兵か ウクライナ侵略で韓国情報機関分析
2025/6/26 18:06
https://www.sankei.com/article/20250626-FNM3Q7RRXVMV3B6GUMNJND5TTI/
韓国の情報機関、国家情報院(国情院)は2025年6月26日、北朝鮮が早ければ2025年7〜8月に、ウクライナ侵攻を続けるロシアに追加の兵力を派遣する可能性があるとの分析を示した。
非公開の国会委員会で報告し、出席議員が記者団に明らかにした。
2025年6月17日に訪朝したロシアのショイグ安全保障会議書記が、地雷除去や復興支援のために北朝鮮が工兵ら6千人を派遣する計画を明らかにしていた。
出席議員によると国情院は、北朝鮮が昨年秋に初めて派兵した際、約1カ月前にショイグ氏が訪朝していたことなどから、時期を推定しているという。(共同)

ロシア軍基地で中国兵600人を訓練へ ウクライナ侵攻で得た経験を共有と報道
2025/6/25 7:34
https://www.sankei.com/article/20250625-ARQP4N4DOJJBPNQD6WNK2BFWJQ/
ウクライナの英字紙キーウ・ポストは2025年6月24日、ロシア軍が2025年年内に同国の基地に中国軍兵士約600人を受け入れ、訓練する予定だと報じた。
欧米の兵器にどう対抗するかロシア兵がウクライナ侵攻で得た実戦経験から学ぶ。
ウクライナ国防省情報総局の話としている。
報道によると、対象となる中国軍兵士は、戦車兵や砲兵、防空専門家らが中心。
ウクライナ国防省情報総局は
「ロシアが中国と共に欧米に対抗する姿勢を如実に表している」
と述べた。
米政府は、中国が台湾有事の際に米国の介入を抑止できる戦力を2027年までに整備する目標を掲げていると分析している。
報道が事実であれば、中国には台湾有事を念頭にロシア軍からノウハウを学ぶ狙いがあるとみられる。(共同)

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/214.html#c13

[政治・選挙・NHK297] 野党第1党の「尻込み」こそが深刻な“国難”だ 永田町の裏を読む(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
30. 秘密のアッコちゃん[1674] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月27日 13:07:59 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1112]
<■313行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>柏崎刈羽の再稼働 知事は決断の勇気を持て
社説
2025/6/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250627-3HEEHYNSYRK4JCSTNBNUAR5AXE/
東京電力は柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)での再稼働方針を転換した。
これまで先行してきた7号機に代えて6号機を優先させる。
7号機のテロ対策施設の完成の遅れによる変更だ。
社内での熟議を経ての結論だろうが、迷走感は否めない。
しかしながら、東電自身による判断だ。
決めたからには6号機の早期再稼働に向けての全力投入を期待する。
本命であった7号機を先送りして、6号機でつまずくような失態は断じて避けたい。
計7基の原発を擁する柏崎刈羽の電力供給力は世界最大級であるにもかかわらず、福島第1原発事故などで全基停止の状態が13年以上続いている。
長期の原発停止による収入減と火力発電に伴う支出増で、東電の経営立て直しは、順調からほど遠い状態だ。
原発の再稼働が進んだ西日本との電気料金の格差は、首都圏一帯の家庭や企業を圧迫している。
これから暑い夏を迎え、電力需要の増加が予想される中で中東情勢の行方は予断を許さない。
タンカー航路の不安定化は、液化天然ガスの調達リスクと価格の上昇につながる。
こうした事態にこそ、準備を完了していた7号機の再稼働が役立ったはずなので残念だ。
東電が7号機を断念した直接の要因は、テロ対策施設の工事の遅れである。
再稼働に向けた
「工事計画」
の認可を受けてから5年以内にテロ対策施設が完成しないと原子力規制委員会によって運転停止の命令が下される。
7号機の場合は、その5年の期限が今年2025年10月中旬なので、2025年夏に再稼働しても短期で止めなければならなくなる。
期限の翌日から航空機突入のテロが起きると言わんばかりの極端な制度だ。
多くの識者が弊害を指摘している。
制度改正が必要だ。
また、再稼働に当たっては地元同意が必要だが、柏崎刈羽原発の場合は、新潟県の花角英世知事の意向が読めないことで迷走感に輪がかかる。
県民の意見を聞く公聴会は2025年8月末まで続くので花角氏が6号機の再稼働についての是非を示すのは2025年9月以降となろう。
あまりに遅い。
花角氏には、日本のエネルギー安全保障という大局的な座標軸に柏崎刈羽原発の再稼働を明確に位置づけてもらいたい。

現実路線に舵を切った東電 原発1基稼働で利益1000億円 柏崎刈羽6号機先行稼働へ
2025/6/25 20:09
https://www.sankei.com/article/20250625-TQDOKEVCNJJWLD234EM5TMFKTE/
東京電力は新潟県の柏崎刈羽原発について6号機から先行して再稼働する方針に転換した。
今夏2025年夏の再稼働を目指した7号機はテロ対策施設の工事が遅れ、地元同意も見通せず、現実路線に舵を切った。
経営再建中の東電にとって、原発稼働で見込める利益を優先した
「苦渋の決断」
とも言えるが、道は険しい。
国と東電はこれまで、電力需要が高まる今夏2025年夏以降、7号機を再稼働させる方向で準備を進めてきた。
ただ、原子力規制委員会が認めたテロ対策施設の設置期限が2025年10月13日に迫り、仮に今夏2025年夏の再稼働が実現した場合でも、僅かな時間しか稼働できない。
今月2025年6月21日に燃料装荷が完了した6号機は、技術的に稼働できる状態となる健全性の確認が2025年8月頃に終了する。
地元同意が得られれば、テロ対策施設の設置期限となる令和11年9月まで運転が可能となる。
柏崎刈羽原発の再稼働は東電の経営を左右する。
福島第1原発事故で巨額の賠償責任を負う東電にとって、柏崎刈羽6、7号機の再稼働は再建計画の柱だ。
6、7号機が再稼働すれば火力発電の燃料費が減るため、1基につき年間約1000億円の収支改善を見込む。
赤字が続く経営好転の一手に同原発の稼働は欠かせない。
同原発の稲垣武之所長は2025年6月25日の記者会見で
「7号機を再稼働できなかったことは私どもの力不足だが、地元には6号機が今度どうなるのかを丁寧に説明したい」
と述べた。
当初目指した7号機の早期稼働を断念してでも、
「まずは1基でも動かす」
という経営判断に迫られたことは想像に難くない。
ただ、6号機の先行稼働に方針転換しても、地元同意がハードルとして立ちはだかる。
再稼働について県民の意思を見極める新潟県の公聴会は2025年8月末まで続く。
花角英世知事が判断を示すのは2025年9月以降になるとみられ、先を見通すのはまだ難しい。

<主張>県民投票案を否決 新潟知事は再稼働決断を
社説
2025/4/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250427-FOYXRY3NJJK3HICX2BFOOGBP3E/
東京電力柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)の再稼働の是非を問う県民投票条例案を新潟県議会が否決した。
市民団体が約14万3千人分の署名を集め、制定を求めていた。
原発の再稼働は国のエネルギー政策と不可分の問題である。
再稼働には地元同意が求められるとはいえ、県民投票で是非を判断することはそぐわない。
県議会の判断は妥当だ。
もともと、同県の花角英世知事は県民投票について
「賛成、反対の二者択一の選択肢では県民の多様な意見を把握できない」
と慎重だった。
条例案の否決を受け、花角氏は
「市町村長との意見交換や公聴会、意識調査を検討する」
と述べた。
ただ、市民団体から県民投票を求める声が広がった背景には、再稼働についての花角氏の判断の遅れがある。
花角氏は再稼働の判断に当たり、
「県民の信を問う」
としてきたが、未だ具体的な手法を示しておらず、時間がかかり過ぎていることは否めない。
花角氏は再稼働容認を早く決断すべきだ。
判断材料は整っている。同原発の安全対策を確認してきた県の技術委員会は、22項目の確認事項の大部分は現時点で問題点がないとの報告書をまとめた。国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長も2025年2月に
「今の段階で再稼働できると確信している」
と述べている。
同原発6、7号機を再稼働した場合の経済効果は、廃炉や稼働停止時を大きく上回るという試算もまとまっている。
同原発の再稼働は、東日本の電力供給に大きな役割を果たす。
東日本は電力の多くを東京湾や太平洋沿岸に集中する火力発電に依存する。
テロ対策施設の完成の遅れで、7号機が再稼働しても今年2025年10月には運転を停止しなければならない。
それでも供給力が不足しがちな夏場に稼働する意義は大きい。
首都直下地震が起きれば、東日本の電力供給体制は壊滅的な打撃を受ける。
南海トラフ巨大地震があれば、西日本の電力施設への影響は避けられない。
日本海側に立地する柏崎刈羽原発の再稼働は、こうした災害リスクの軽減に不可欠だ。
同原発の供給力を最大限に生かすには再稼働だけでなく、東西で異なる周波数の変換装置の増強を急ぐなど、広域送電網の整備も求められる。

<主張>柏崎刈羽の再稼働 IAEAも肯定的見解だ
社説
2025/2/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250227-NNT4D6IV55LSPLCYSXED5W3KTM/
国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長が東京電力・柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)について
「今の段階で再稼働できると確信している」
と語った。
同発電所の視察を踏まえての発言だ。
グロッシ氏が柏崎刈羽原発を訪れた2025年2月18日には、原子力発電の最大限の活用などを柱とする第7次
「エネルギー基本計画」
が閣議決定されている。
同氏は
「(東電が)これまで続けてきた安全性や核セキュリティーでの取り組みが結実している」
とも述べた。
原子力の平和利用を目的とする国際機関のトップの時宜を得た声として重く受け止めたい。
平成23年の東日本大震災後から停止中の同原発6、7号機は原子力規制委員会の安全審査に合格しており、7号機は昨年2024年4月にウラン燃料の装荷を終えている。
だが、再稼働に必要な新潟県の花角英世知事の同意が得られない状態が継続中だ。
花角氏の慎重な姿勢は、県民の気持ちを見極めるための苦慮によるものであるにしても、余りに長い。
柏崎刈羽原発の安全対策を独自に確認してきた新潟県の技術委員会も今月2025年2月12日に22項目の確認事項の大部分は現時点で問題となる点がないとの報告書をまとめ、花角氏に提出しているではないか。
同原発7号機は構造上の安全性を高めた改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)という新鋭機だ。
出力は135・6万キロワットで国内最大級の発電能力を備えている。
同機が再稼働すれば首都機能を脅かす火力発電所のトラブルや寒波、酷暑による電力需給の切迫も緩和される。
東電の経営状況は改善され、その効果は福島第1原発の廃炉事業の促進に直結し事故被災地の復興を支えることになる。
新潟県民が使わない電気を県内の原発で作ることを疑問視する声もあるが、偏狭に過ぎないか。
また地元の柏崎市と刈羽村が柏崎刈羽原発の早期再稼働を求めていることを無視するのか。
両市村は県内で原発と最も密接に関係する自治体だ。
テロ対策施設の完成も急がれる。
人工知能時代の企業立地の促進にも脱炭素安定電源である原子力の活用が欠かせない。
花角氏には新潟県のみならず、日本の国益とエネルギー安全保障の国際情勢を視野に収めた上での前向きの決断を求めたい。

東電、柏崎7号機のテロ対策施設、完成は29年8月に 計画変更を規制委に届け出
2025/2/27 11:27
https://www.sankei.com/article/20250227-DBYHO57BFBM7ZNJI4T6XRLXR5Q/
東京電力は2025年2月27日、柏崎刈羽原発(新潟県)7号機のテロ対策施設について、設置期限の2025年10月までの完成を断念し、工事完了時期を今年2025年3月から2029年8月に遅らせると発表した。
東電は今夏までに再稼働を目指すとしているが、期限後は原子力規制委員会から運転停止を命じられ、長期間の停止を余儀なくされそうだ。
東電は2025年2月27日、規制委に計画変更を届け出た。
6号機のテロ対策施設も2026年9月の完成目標を2031年9月に遅らせる。
稲垣武之所長は、定例記者会見で、原子炉建屋の建設と比べて数倍の規模になり、工事関係者も不足したことから計画通り進められなかったとし
「これまでに実施したことがない大規模工事で工期を見通すのが困難な状況だ」
と述べた。
テロ対策施設は
「特定重大事故等対処施設(特重施設)」
と呼ばれ、新規制基準で設置が義務付けられた。
航空機衝突などのテロに備え、原子炉建屋から離れた場所に緊急時制御室や冷却ポンプの設置を求めている。
再稼働に向けた工事計画の認可から5年の猶予期間があり、7号機は今年2025年10月、6号機は2029年9月が期限となる。

IAEAのグロッシ事務局長が柏崎刈羽原発を視察 「今の段階で再稼働できると確信」
2025/2/18 18:03
https://www.sankei.com/article/20250218-TX67JAP6Z5KATJE6D3IPXOC6UA/
国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長が2025年2月18日、再稼働を目指す東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)を視察し、
「今の段階で再稼働できると確信している」
と語った。
その根拠として、
「これまで続けてきた安全性や核セキュリティーでの取り組みが結実している」
と指摘した。
グロッシ氏が同原発を訪れるのは初めて。
グロッシ氏は視察の目的について
「IAEAも同原発にミッションを派遣し、安全性や核セキュリティーについて様々な助言や評価を行ってきた」
「それらがどうなっているか確認する必要があった」
と説明。
自分の目で同原発の安全対策などを確認し、
「満足いく形で対策が取られていることを確認できた」
と感想を述べた。
IAEAでは昨年2024年3〜4月に専門家チームを同原発に派遣し、設備の確認や東電の核物質防護担当者に聞き取り調査を実施。
同2024年6月に同原発のテロ対策について
「適切に再発防止策を講じている」
と評価した。
また、グロッシ氏は昨年2024年3月に来日した際、斎藤健経済産業相(当時)と会談し、
「(同原発の)技術的な評価や支援を惜しまない」
と再稼働を支援する姿勢を示した。
そのため、今回の視察での発言が注目されていた。
グロッシ氏は2025年2月19日、福島第1原発などを視察する。

柏崎刈羽原発「安全対策報告書」を新潟県知事に提出 大部分は問題なし 新潟県技術委
2025/2/12 17:31
https://www.sankei.com/article/20250212-FXIQB6ADWVJHHNYAWRHJLMS5I4/
再稼働を目指す東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の安全対策に問題がないかどうかを確認してきた同県の技術委員会は2025年2月12日、22項目の確認事項のうち、大部分は現時点で問題となる点がないとの報告書をまとめ、花角英世知事に提出した。
知事は
「報告書が、県民の同原発への正しい理解に繋がるよう活用していく」
「今後、報告書の内容を県民に説明していく」
と語った。
報告書を手渡した技術委の小原徹座長(東京科学大教授)は
「県の原子力安全行政に活用してほしい」
と応じた。
また、最も重要なことは
「原発に携わる人が将来に渡り、安全と核セキュリティーへの意識を高く維持し、常に向上させる努力を続けていくこと」
と指摘した。
有識者で構成する技術委は、同原発の水素爆発対策や東電の原発運転者としての適格性など22項目について、東電や原子力規制庁に説明を求め、安全対策面で問題がないかを確認してきた。
今回の報告書は確認結果をまとめたもの。
22項目のうち、水素爆発対策や液状化対策、台風や竜巻といった自然現象への対策など18項目については
「現時点で特に問題となる点はない」
とした。
残る4項目のうち、東電の適格性については
「問題がないと言い切ることはできない」
との技術委の意見を入れた上で、
「(東電の適格性を否定しなかった)規制委の判断を否定するものではない」
とした。
また、東電社員によるIDカード不正使用など核物質防護に関わる一連の問題については、原子力規制委員会が同原発への追加検査を実施し、是正されていることを確認。
技術委の委員からは、東電の不祥事がその後も相次いでいることから懸念する声も出たが、報告書では
「規制委の判断を否定するものではない」
と結論付けた。
県内自治体からは
「規制委の判断を否定するものではない」
という評価をどう解釈したらいいのか分からないとの声も出ている。
知事は、今回の報告書などを県民に提示し、県民の再稼働への考えを見極めた上で再稼働の是非を判断。
自らの判断について
「信を問う」
としている。
どのような方法で信を問うかはまだ決めていないという。

「分かりづらい」柏崎刈羽原発、新潟県の安全対策報告書 市町村が指摘
2025/2/10 17:30
https://www.sankei.com/article/20250210-JEZUXYRNARLMFL5OEBFPY33NEE/
再稼働を目指す東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の安全対策を確認する、県内全30市町村による研究会の実務担当者会議が2025年2月10日、新潟市内で開かれた。
県の技術委員会がまとめた同原発の安全対策に関する報告書について県の担当者から説明を受け、市町村からは
「報告書の結論の一部が分かりづらい」
などの指摘が出た。
会議には、長岡市や柏崎市などウェブ参加も含めて27市町村の担当者が参加。県の担当者と合わせて約60人が会議に出席した。
報告書では、有識者で構成する技術委が、同原発の水素爆発対策や液状化対策など22項目について、東電や原子力規制庁から説明を受けて評価している。
22項目のうち、18項目は
「現時点で特に問題になる点はない」
とし、東電の原発運転者としての適格性の確認など残る4項目については
「原子力規制委員会の判断を否定するものではない」
とした。
長岡、上越、小千谷各市の担当者は、不祥事が続く東電の運転適格性について県民の関心は高いと指摘。
「(東電の適格性を否定しなかった)規制委の判断を否定するものではないという報告書の結論を、どう受け止めればいいのか。よく分からない」
「東電への不信感はぬぐえない」
などの声が相次いだ。
これに対し、県側は
「規制委が多くの時間と人をかけて実施した東電への追加検査の結果を、技術委でこれ以上掘り下げることはできなかった」
とした上で、
「県として今後も規制委と東電の動向を見ていく」
と語った。
技術委は2025年2月12日、報告書を花角知事に提出する。
報告書は、知事が再稼働の是非を判断する際の材料の1つになる。

集めた署名15万筆 「県民投票」条例制定を新潟知事に直接請求へ 柏崎原発の再稼働問題
2025/2/10 10:09
https://www.sankei.com/article/20250210-2MFGXIV57VPYLGLICAEABLHWXY/
東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働の是非について県民投票を行うよう求めている同県内の市民団体は2025年2月9日、県民投票実施のための条例制定を求める署名が最終的に15万128筆集まり、県内有権者の約8%に上ったと発表した。
地方自治法74条では、有権者の50分の1(2%)以上の署名を集めれば、首長に条例制定を請求できると規定。
集めた署名数は条件を満たしており、市民団体は2025年3月中にも、花角英世知事に県民投票実施のための条例制定を直接請求する。
この市民団体は
「柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決める会」。
会では
「知事と県議は15万筆の重みを受け止め、(会が提示した)県民投票条例案に賛同してほしい」
とコメントしている。
県内30市町村で集められた署名は、各市町村選挙管理委員会がチェック。
問題がなければ、会から知事に条例制定を直接請求する。
知事は請求を受理した日から20日以内に県議会を招集し、知事の意見を付けた上で、県民投票条例案を議会に提出。
可決されると、再稼働の是非について県民投票が実施される。

柏崎刈羽原発の避難路整備箇所で合意 政府と新潟県、6年度中に工事に向けた調査に着手
2025/1/29 19:20
https://www.sankei.com/article/20250129-PN5S7R5OBFNT3BQWAKK2GND77I/
東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)で事故が発生した際に使う避難路の整備を巡り、資源エネルギー庁の村瀬佳史長官は2025年1月29日、新潟市の県庁を訪れ、笠鳥公一副知事と2回目の協議を行った。
県側から具体的な整備箇所が示され、村瀬長官ら政府側が同意。
今年2024年度中に工事実施のための調査に着手することになった。
協議には、政府から村瀬氏と内閣府の松下整政策統括官(原子力防災担当)が出席した他、国土交通省の佐々木俊一道路局次長がオンラインで参加した。
県側は、同県柏崎市内の北陸自動車道に新たにインターチェンジ2カ所を整備する他、米山サービスエリア(同市)と刈羽パーキングエリア(同県刈羽村)に新たな進入路を設けることなどを提示。
国道8号柏崎バイパスの早期共用なども示した。
政府側は令和6年度補正予算で41億円を確保。
この補正予算の一部を使い、県側が今年度中に整備に向けた調査に着手することになった。
村瀬長官は
「決めたことは速やかに実行に移す」
と説明。
笠鳥副知事は
「国に(整備の必要性を)理解して頂いた」
と語った。
政府と県は昨年2024年11月に1回目の協議を行い、事故時に同原発から30キロ圏外に円滑に避難するため、同原発から6方向へ放射状に伸びる避難経路を整備することで合意。
政府側は、北陸自動車道でのインターチェンジの追加と緊急進入路整備など、4項目の優先事業を提示、県側が具体的な整備箇所を精査していた。

新潟県知事「東電の信頼回復、見極めている段階」 柏崎刈羽原発の再稼働問題
2025/1/23 14:04
https://www.sankei.com/article/20250123-6XIMOHZBYBJQHELIKIST23VJTI/
新潟県の花角英世知事は2025年1月23日の定例記者会見で、社員によるIDカードの不正使用など不祥事が続いた東京電力について
「信頼を回復できるかどうか見極めている段階」
「今の時点で判断はしていない」
と語った。
柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を目指す東電は、原発などのエネルギー問題を県民に理解してもらうための施設を県内各地に設置している。
知事は
「東電が(信頼回復に)努力していることは認識している」
とした上で、
「東電の努力がどれだけ県民に伝わり、信頼回復に繋がるかを見極めたい」
とした。
知事は2025年1月21日、年始の挨拶に訪れた東電の小林喜光会長らと県庁内で会談。
その際、家屋倒壊時に避難する屋内退避施設の強化について
「協力をお願いしたい」
と東電首脳に語った。
この発言を巡り、同原発の立地自治体である柏崎市の桜井雅浩市長は2025年1月22日、
「合理性を欠く要望は東電の仕事ではないとの姿勢を貫いてほしい」
と挨拶に訪れた東電首脳に求めた。
桜井市長が知事の発言に批判的な姿勢を示したことについて、知事はこの日、
「私は屋内退避施設の強化が必要と言っただけで、東電に何かを作ってほしいと要望したわけではない」
と説明。
再稼働の是非について知事に早く判断するよう求める桜井市長と、花角知事の溝の深さが浮き彫りになった。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/553.html#c30

[政治・選挙・NHK297] 石破自民は参院選も大敗だろう…いやはや、コメ3000円台で胸を張るか?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
48. 秘密のアッコちゃん[1675] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月27日 13:31:15 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1113]
<▽35行くらい>
<主張>NATO首脳会議 GDP比5%を評価する
社説
2025/6/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250627-ARLOHIR5YRPWBEKM3Y6O3462W4/
オランダで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議が、加盟国の国防費の支出目標を2035年までに国内総生産(GDP)比5%に引き上げることで合意した。
欧州側が応分の負担をしていないと不満を訴えてきたトランプ米政権の要求を受けて、GDP比2%とする現行目標から一段と増強するものだ。
ウクライナへ侵略を続けるロシアが域内へ侵攻する事態を抑止するため、自律的な防衛態勢構築に踏み出したと言える。
NATOは、1949年にソ連と共産主義圏の脅威に対峙する米欧の民主主義諸国の集団防衛のために設立された。
冷戦終結後に存在意義が揺らいだ時期もあったが、対露防衛に新たな結束を示したと言える。
再出発を刻んだ合意を歓迎し、着実な実行を求めたい。
目標の内訳は、兵器や人員など中核的防衛費を3.5%とし、軍用インフラ整備など関連経費1.5%を加えたものだ。
対露防衛にはロシアと国境を接するバルト諸国や東欧と、地理的に離れた南欧諸国と認識の差がある。
そうした溝を埋めると同時に、米国の要求水準を満たす方策と言えるだろう。
ルッテ事務総長の指導力も大きかった。
ロシアの欧州侵攻に備え
「戦時」
の危機感を持つよう訴え、トランプ氏の発言を
「外圧」
に結束を演出した。
数値目標に消極的だったスペインなどを脱落させずに、全加盟国の増強に導いてもらいたい。
首脳会議は、域内での防衛産業基盤強化でも合意した。
ウクライナ侵略で露呈した兵器の供給不足の解消は焦眉の急だ。
生産力増強には、日本など同志国との連携も重要である。
首脳宣言はウクライナの将来的加盟に言及しなかったが、英仏独など加盟国は、露軍事拠点の攻撃に不可欠な長射程兵器など支援強化を急いでほしい。
集団的自衛権の行使を定めた北大西洋条約第5条の順守を巡り、トランプ氏が曖昧な発言をしたことには不安を覚える。
5条は対露抑止の核心であり、軽率な発言を慎むべきだ。
米国以外のNATO諸国が数値目標実現へ進めば、米国はその分、台湾有事の抑止に注力できる。
世界の安全保障は連動しているのに、石破茂首相が首脳会議を欠席したのは国益を顧みない重大な誤りだった。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/554.html#c48
[政治・選挙・NHK297] 「大阪万博の夏」がタフ過ぎる! 長蛇の列、強烈な日差し…“灼熱の我慢比べ”はもう始まっていた(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
15. 秘密のアッコちゃん[1676] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月27日 18:20:52 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1114]
<■1142行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
辺野古ダンプ事故から1年、「現場付近で再び警備員負傷」産経報道を沖縄県警本部長認める
2025/6/27 13:22
https://www.sankei.com/article/20250627-NQHCWLCE3FJLLEDTTFBHQNYPAY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が昨年2024年6月、ダンプカーに巻き込まれ死亡した事故を巡り、沖縄県警の小堀龍一郎本部長は2025年6月27日、事故現場付近で今年2025年3月、抗議活動中の高齢男性が安全ネットを乗り越えた際に50代の男性警備員が転倒し、負傷していたとする産経新聞の報道を認めた。
■辺野古死亡事故現場で再び警備員が負傷
同日の県議会本会議で、自民党の島袋大議員の一般質問に答えた。
県土木建築部の砂川勇二部長も
「報道があったことは承知している」
と述べた。
■ガードレール設置、県は依然認めず
死亡事故は昨年2024年6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和の桟橋前の路上で発生し、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、抗議者の女性は重傷を負った。
事故現場付近では今年2025年3月17日にも、抗議者の男性が安全ネットをまたいで乗り越えようとした際、足に絡まり、ネットを持っていた警備員が地面に転倒。
警備員は約1週間のけがを負っており、産経新聞が関係者の話として報じていた。
事業者側は道路管理者の県に、抗議者の事故を防ぐガードレール設置を求めているが、県は未だに
「歩行者の横断を制限することになる」
として、依然設置を認めていない。
■県警本部長「捜査すべき事項多い」
結果的に、事故現場付近で再び警備員が負傷する事案が発生したことになり、島袋県議はこの日の一般質問で、
「必ず同じような事故が起こると、県議会で警告していた」
と県の安全対策を厳しく質した。
産経新聞が入手した事故当時の映像や関係者によると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に対し、路上で対応。
警備員はこの抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた70代の女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行していたダンプカーの前に出たとみられている。
警備員が死亡し、抗議活動中の女性が重傷を負った痛ましい事故の原因究明は今も続いており、小堀本部長は
「重大な事故であると認識している」
「関係者も多く、捜査すべき事項も多いことから慎重に捜査をしている」
と述べた。
■移設反対の市民団体、今も「牛歩戦術」展開
事故から1年が経つ今も現場周辺では、移設に反対する市民団体のメンバーら抗議者がダンプカーの前をゆっくりと横断して抗議する
「牛歩戦術」
が続けられている。
「歩行者を通してください。歩行者優先ですよ」
「違法な規制ですよ!」
今月2025年6月25日、記者が事故現場を訪れると、プラカードを持った10人前後の抗議者がダンプカーの前をゆっくりと横断していた。
現場に配置された警備員は
「速やかに横断してください」
と声を張り上げ、抗議者の横断が終わるとオレンジ色のネットを広げ、抗議者がダンプカーの前に出ないようにしていた。
抗議活動をする市民団体は、牛歩で抗議者が道路を横断し終わると、警備員がダンプカーに合図を送って1台出す
「暗黙のルール」
があったのに、2台続けてダンプカーを出すこともあったなどとして、
「事故の原因は誘導係の警備員の強引な指示(2台出し)と、運転手の前方不注意だ」
と主張。
辺野古移設を進める防衛省側を批判している。
市民団体は2025年6月28日午前10半から、事故現場付近で
「追悼・抗議集会」
を開くという。

<独自>辺野古の警備員死亡事故現場、再び警備員が負傷の事案 抗議者「警備がおかしい」
2025/4/16 21:03
https://www.sankei.com/article/20250416-HAHJACDSW5LZ5KJKELR5KNUD4Q/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員=当時(47)=がダンプカーに巻き込まれ死亡した事故現場付近で今年2025年3月、抗議活動中の70代男性が安全ネットを乗り越えた際に、50代の男性警備員が転倒し、負傷していたことが2025年4月16日、関係者への取材で分かった。
県警も把握し、事実確認を進めている。
「歩行者の横断を制限することになる」
として、ガードレールの設置を拒み続けてきた県の管理責任を問う声も上がりそうだ。
関係者によると、2025年3月17日午前11時35分頃、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和の桟橋入り口で、抗議者の男性が安全ネットをまたいで乗り越えようとした際、足に絡まり、ネットを持っていた警備員が地面に転倒したという。
警備員が負傷したのは、昨年2024年6月の事故現場から約120メートル離れた場所で、安全ネットは抗議者らがダンプカーの前に出ないようにするためのものだった。
腰などを打って負傷した警備員は病院に搬送され、全治1週間のけがと診断された。
産経新聞の取材に、抗議者の男性は
「私も転んだ。お互いさまだ。ネットを持って通行を妨害する警備のやり方がおかしい」
などと話した。
桟橋を利用する事業者や防衛省沖縄防衛局は道路管理者の県に対し、抗議者の事故を防ぐガードレール設置を求めているが、県は設置を認めていない。
県は今年2025年1月、軟らかい素材のラバーポールを設置したものの、防衛局は
「ラバーポールでは妨害行為を防止できず、事故の状況や背景を無視したもの」
と反発している。
県の安全管理に対する姿勢を県議会で追及してきた自民党会派の島袋大県議は
「9カ月前の死亡事故を思い出させる状況だ。県は全く反省していない」
と批判し、
「ガードレールの設置は玉城デニー知事の判断で済むことだ」
と訴えた。

オール沖縄崩壊の真実 八重山日報論説主幹 仲新城誠 産経新聞出版
■無法地帯と化す反対運動の現場
「オール沖縄」
県政下で、辺野古移設反対運動の現場が無法地帯化している現状も2024年6月、浮き彫りになった。
名護市安和桟橋近くの国道で、辺野古移設に使う土砂搬出に抗議している女性(72)と警備員の男性(47)がダンプカーに轢かれ、男性が死亡、女性が足の骨を折る重傷を負った。
沖縄県紙の報道によると、男性はダンプの前に出た女性を止めようとして事故に巻き込まれた可能性があるという。
私はキャンプ・シュワブ前で行われている辺野古移設反対派の抗議活動を何度か見たことがあるが、工事車両の前に飛び出したり、牛歩戦術で車両の往来を妨害するなどの危険行為は日常茶飯事だった。
抗議活動のため長い渋滞の列ができているのも見た。
警備員たちもうんざりしているのが表情から読み取れた。
地域住民からも苦情の声が出ているが、翁長、玉城の2知事は辺野古を訪れ、集会に参加したり、反対派を激励したりしている。
地元メディアは抗議活動に対する批判的な報道を一切しないため、危険な抗議活動に対する抑止力が働かない。
死亡事故は
「起こるべくして起きた」
感が強い。
同年2024年7月の県議会でも事故に関する質疑が相次いだ。
産経新聞によると、島袋大県議(自民党)の一般質問で、港湾を利用する事業者が沖縄県に対し
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたが、沖縄県が認めていなかったことが明らかになった。
事業者は自ら費用を負担するとも申し出たが、沖縄県は
「歩行者の横断を制限することになる」
と応じてこなかった。
この事故を巡っては、沖縄県紙が事故原因は沖縄防衛局や事業者側にあるような主張を展開し、負傷した女性を英雄視するような報道もあった。
同年2024年10月の沖縄県議会では、常任委員会が沖縄防衛局から提供された事故の監視カメラ映像を閲覧したが、与党の
「オール沖縄」
は負傷した女性のプライバシー侵害などを理由に閲覧を拒否した。
映像の内容を報道した産経新聞に対し、玉城は記者会見で
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と批判。
自らは映像を見ていないと強調した。
事故原因の調査に欠かせない監視カメラ映像の確認を拒むのは
「映像を見られると何か都合が悪いことがあるのか」
との疑いを抱かせる。
本来、科学的であるべき事故原因の追及に政治が介入した悪例だと思う。
隣接する本部町の本部港塩川地区でも土砂の搬出が行われており、反対派が同様の抗議活動を展開している。
沖縄県は2023年2月、ダンプカーなどの往来を妨害する行為について沖縄県港湾管理条例の禁止行為に該当し、過料に処することがあると警告する看板を設置したが、反対派の抗議を受け、同2023年5月に撤去した。
基地反対の言動なら何でも許されるという沖縄の雰囲気は、最高裁判決の無視と共に
「オール沖縄」
県政下における法治、モラルの崩壊を示しているのではないか。

事故現場の「証拠」映像、沖縄県議会で玉城知事支持派が閲覧拒否 辺野古抗議事故
動画
2024/10/17 18:00
https://www.sankei.com/article/20241017-HVMQQ74AJRLYFOPVQKDO356KQU/
※産経新聞が入手した事故現場の映像。プライバシー保護のため一部加工しています
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、現場の安全対策を検討している沖縄県議会の土木環境委員会で、玉城デニー知事を支持する県政与党会派が事故当時の状況を捉えたカメラ映像の閲覧を拒否したことが明らかになった。
保守系の県議からは
「県民の不信を招きかねない」
との声が上がっている。
事故は2024年6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和(あわ)の桟橋前の路上で発生。
桟橋から左折して国道に出ようとしたダンプカーが、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、女性は重傷を負った。
産経新聞が政府関係者から入手した映像には、別の抗議者に対応していた警備員の後方から足早に近づいてきた女性が、国道に向かって徐行するダンプカーの前に出る様子が映っていた。
ダンプカーの前に出た女性を後ろから抱えるようにして庇い、守る警備員。
この後、2人はダンプに巻き込まれる
議会事務局によると、カメラ映像は2024年10月11日午後、土木環境委員会で非公開で閲覧された。
閲覧した委員によると、産経新聞が入手した映像と同様とみられる。
ただ12人の委員のうち玉城知事を支持する県政与党会派の委員が閲覧を拒否して退席。
残る7人で閲覧した。
閲覧した県議は2024年10月17日、産経新聞の取材に応じ
「誰がどう見ても動いているダンプカーの前に女性が行っており、危険な行為に感じた」
「今後はこうした抗議の在り方も見直すべきだ」
と話し、
「事実関係を調査するための映像をなぜ見ないのか」
などと疑問視した。

「島耕作」は大騒ぎ、警備員死亡は…何かおかしい沖縄反基地運動 産経新聞・大竹直樹
「正論」1月号
2024/12/14 12:00
https://www.sankei.com/article/20241214-W7UHONVFTBECFBSQKGFTDMYESI/?outputType=theme_monthly-seiron
「ないちゃー」(本土出身者)

「うちなー」(沖縄)
を語るのは難しい。
千言万語を費やしたとしても誤解や反発を招く恐れは否定できないからだ。
2024年10月、講談社の漫画誌「モーニング」の2024年46号(2024年10月17日発売)に掲載された
「社外取締役 島耕作」
が沖縄の地元2紙の紙面を連日賑わせた。
辺野古移設の抗議活動をしている人が
「日当」
で雇われているかのような描写があったためだ。
同誌編集部によると、作者の弘兼憲史氏と担当編集者が沖縄へ赴き、
「『新基地』建設反対派のアルバイトがある」
という話を複数の県民から聞いたが、
「当事者からは確認の取れていない伝聞だった」
という。
沖縄タイムス(2024年10月22日付)によれば、市民約80人が講談社(東京都文京区)の前に集まり、
「デマを撤回しろ」
「沖縄の人たちに謝罪して」
などと声を上げたという。
弘兼氏は編集部と連名で
「ご心痛を与えた皆さまにおわび申し上げる」
と謝罪。
これは共同通信と時事通信が全国に配信し、全国紙やテレビ各局も報じた。
この件については、玉城デニー知事を支持する
「オール沖縄会議」
の幹部は
「労働組合の専従職員が交通費の実費は受け取り、辺野古に応援に行くことはあるだろうが、日当を受けている人はいない」
「なぜ根も葉もない話が出てきたのか」
と疑問視。
沖縄平和運動センターの関係者も
「フェイクだ」
と憤っていた。
米軍基地に関わる問題で
「うちなーんちゅ」(沖縄の人)
の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係しており、
「ないちゃー」
である筆者としては軽々な論評は避けたい。
だが、この
「日当」
に関する1件ではなく、移設工事に関連して発生した交通死亡事故を巡る問題については、
「明らかにおかしい」
と指摘しなければなるまい。
具体的には米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設反対を訴え、抗議活動をしていた女性を制止した男性警備員が、ダンプカーに巻き込まれ死亡した事故を巡る一連の出来事である。
事故後も抗議活動を続ける
「市民団体」(呼称について異論があるのは承知している)
の主張や玉城デニー県政の対応、そして革新寄りの論調が目立つ地元メディアの報道姿勢には率直に言って憤りを覚える。
それは恐らく筆者のみではない。
SNSの発達などでこれまでは県外には伝わりづらかったことも全国に広まり、
「不都合な真実」
も白日の下に晒され、批判を受けやすくなった。
産経新聞は先の事故を巡って、事故直前の防犯カメラ映像を入手し、2024年10月10日に特報した。
報道の反響は大きく、記事を紹介するX(旧ツイッター)のインプレッション(閲覧数)は1000万を優に超え、
「辺野古抗議活動制止警備員死亡」
というワードがトレンド入りした。
「市民団体」
や玉城氏、そしてメディアなどに、様々な意見、感想が投稿されている。
その多くは否定的なものだ。
この1件は、退潮傾向の続く
「オール沖縄」
勢力にとって、歴史的なターニングポイント(転換点)になり、終焉に向かう序章となるのではないか、と思っている。
■「報道しない自由」
「報道しない自由」
というネットスラングがある。
「報道の自由」
を掲げるマスコミが、報道内容を恣意的に選別し、国民に知らせないことも自由になってしまうことの危険性を示していると解されている。
ネットメディアやユーザーにとっては人口に膾炙している言葉だ。新聞やテレビが
「マスゴミ」
と揶揄され、批判や嘲笑の対象になるようになった一因には、この
「報道しない自由」
が存在しているという印象の流通、定着があるだろう。
そして、SNS上などでは、この
「自由」
が、辺野古移設工事を巡るダンプ事故でも行使≠ウれていたと語られている。
改めて経緯を振り返りたい。
事故は2024年6月月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和の桟橋前の路上で発生した。
辺野古「新基地」反対運動に参加していた70代の女性が、抗議活動中に警備員と共にダンプカーに巻き込まれ、警備員は死亡、女性も重傷を負った。
事故後、
「牛歩戦術」
による抗議活動をしてきた市民団体側は、女性は道路に飛び出したわけではないとの姿勢を崩さなかった。
「オール沖縄会議」
も、事故原因は防衛省沖縄防衛局が辺野古
「新基地」
建設工事を急がせるために業者に無理を強いたことにある、と断じた。
地元メディアのカメラの前で、伊藤晋哉・沖縄防衛局長に向かって
「あなたは沖縄県民を1人殺してしまった責任者だ」
となじる幹部までいた。
もちろん、事故発生の一報は全メディアが報じている。
しかし、事故原因を沖縄県警が捜査する中、2報以降の展開は異なる。
産経新聞は断続的に
「牛歩による妨害≠ヘなぜ取り締まれないのか」
「『市民』側の抗議手法に問題はなかったのか」
などと報じた。
一方で、真逆の立場の報道もある。
例えば地元2紙は、抗議者が出入口の片道で牛歩をしたら、ダンプカーが一台出入りするという
「暗黙のルール」
があったが、2台続けての危険な
「2台出し」
が行われていたと指摘。
危険な誘導が頻発し、ダンプカーの運転手からも
「いつかは事故が起きる」
と懸念の声が上がっているなどと報じた。
琉球新報には、重傷を負った女性が
「フェニックス(不死鳥)さん」
と呼ばれていると紹介した上で、
「女性が手術前に残した『骨は折れても心は折れない』の言葉に奮い立った市民が目立つ」
との記事も掲載された。
関係者によると、亡くなった警備員には高校生の娘がいたという。
記事には警備員を悼む言葉はなく、遺族の気持ちは察するに余りある。
実際、警備員の妻は
「今迄で一番憤りを感じる記事だった」
とし、
「(女性の)妨害行為が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われた」
「本当に本当に許せないし、とても辛い」
と心を痛めたとされる。
産経新聞の報道は他のメディアと一線を画するわけだが、あくまで、例えば政府関係者から入手した
「映像」
をはじめ、ファクトに基づいている。
映像には、別の抗議者に対応していた警備員の後方から足早に近付いて来た女性が、国道に向かって徐行するダンプカーの前に出る様子が映っていた。
警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突した。
関係者は
「明らかに女性は警備員の制止を無視して飛び出している」
と証言した。
産経新聞が報じた内容と同様のものとみられる映像は2024年10月11日、現場の安全対策を検討している沖縄県議会の土木環境委員会でも視聴された。
しかし、12人の委員のうち玉城知事を支持するオール沖縄勢力の県政与党会派の委員5人は閲覧を拒否して退席した。
重傷を負った女性の代理人からあった閲覧中止を求める申し入れについて十分協議しておらず、
「委員会で確認する妥当性や人権感覚、倫理観、責任問題にも関わる」
というのが主な理由であった。
「事実関係を調査するための映像をなぜ見ないのか」(保守系県議)
との声もあったが、まさか映像という動かぬ証拠に背を向けるとは思わなかった。
事故現場で牛歩による抗議活動をしてきた市民団体のメンバーによると、重傷を負った女性は
「敢えて飛び出したわけではない」
と説明。
この市民団体と連携する
「オール沖縄会議」
は2024年7月、2人がダンプカーに巻き込まれたのは
「車両乗入部」
と呼ばれる歩道部分で、
「あくまでも歩行者の通行が優先される場所」
だったと主張する資料を公表していた。
閲覧を拒否した5人は、委員長への不信任動議まで提出。
議会事務局によると、県議会で常任委員長に対する不信任案が提出された記録は過去になく、県政史上でも異例の出来事だった。
オール沖縄側の
「主張」
が揺らぎかねない
「不都合な真実」
が露見することを恐れているかのようでもある。
「沖縄における報道の潮目を変える記事だ」
ある地元メディアの記者からはメールでこんな感想もいただいたが、その後も事故映像の内容を詳しく報じるメディアはない。
「背景まで探る報道姿勢」
産経新聞の報道によって多くの人が目にしたであろう映像を、
「私は見ていない」
と言って憚らない人がいる。
玉城知事だ。
それだけではない。
2024年10月31日の定例記者会見では産経新聞を念頭に
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と述べたのだ。
テレビのニュースなどでよく見かける交通事故のドライブレコーダー映像や、防犯カメラ映像も
「捜査中の証拠になり得るもの」
なのだが、玉城氏によれば
「報道を差し控えるべき」
らしい。
加えて、
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
という看過し難い発言もあった。
この発言は、映像提供者にとっては
「圧力」
以外の何ものでもなく、民主主義の根幹を成す
「報道の自由」
をも侵害しかねない。
ウェブサイト
「産経ニュース」
で知事の発言を速報したところ、SNSでは
「報道の自由に対する権力側からの圧力」
「言論統制」
といった反応が相次いだ。
だが、玉城知事の
「由々しき」
発言を報じたメディアは結局、産経以外にはなかった。
一方で、2024年11月になって強制わいせつ容疑で書類送検された沖縄県南城市の古謝景春市長が記者会見で琉球新報記者の質問に
「あの人には答えない」
と回答を拒否し、6分で会見を打ち切った際には、沖縄県マスコミ労働組合協議会や新聞労連沖縄地連、民放労連沖縄地連などが連名で市長に抗議文を出している。
もとより、報道各社のニュースバリュー(報道価値)判断基準はまちまちであると理解しているものの、彼此の対応の差を前に、さすがに
「報道しない自由」
という言葉が頭をよぎった。
とはいえ、必ずしも黙殺≠ウれているわけではない。
沖縄タイムスのコラム
「記者の眼」(2024年11月11日付5面)
では産経新聞が報じた映像についての言及があった。
「全国紙1紙が2024年10月、事故直前を捉えた防犯カメラ映像をウェブ記事で配信した」
とした上で、こう続く。
「(筆者注・産経の)記事が、攻撃や誹謗中傷の材料に使われている」
「僅か6秒の映像だけでは、分からない」
「県民は30年近く、国の強権に晒されてきた」
「権力監視の視点こそ、ジャーナリズムが決して失ってはならないもののはずだ」
ちなみに、記事は産経新聞の紙面にも掲載されているが、それはひとまず置いておこう。
このコラムを執筆した記者に言わせれば筆者は
「権力監視の視点に欠ける」
のかもしれないが、沖縄県政や、その長である玉城氏という
「権力」
にも、厳しい視点を持っていると自負している。
実際、今回の事故では、明らかな行政の不作為があったと考えざるを得ないし、筆者はその追及を続けている。
事故現場の国道では以前から牛歩による抗議活動が行われてきた。
港湾を利用する事業者側は令和4年12月以降、県に対して
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請。
ガードパイプの費用負担まで申し出たが、県はいずれも
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めてこなかった。
ガードレールなりパイプなりが設置されていれば、事故は防げた可能性もある。
しかし、現実に2人が死傷する事故が発生しても尚、対策は手つかずだ。
一方、事故現場からほど近い本部港塩川地区に設置されていた工事車両の往来を妨害する行為への警告を記した看板は、抗議活動を行う数十人が県庁に押しかけて要請し、設置から約2カ月半で撤去されており、本来優先すべき安全を蔑ろにした沖縄県の責任は問われなければなるまい。
先に引いた琉球新報のコラムは
「表面だけではなく背景まで探る報道姿勢で、この問題に向き合っていきたい」
と結んでいる。
けだしその通りだと思う。
地元紙として盤石な態勢を築かれている琉球新報から見れば、那覇支局の所属記者が筆者1人しかいない産経新聞は
「表面だけ」
の取材に映るかもしれない。
しかし、1次情報を発信する報道機関の末席に名を連ねる身として
「背景まで探る報道姿勢」
は持ち続けていることを、ご理解頂きたいものだ。
また、今回の事故に関する取材を重ねる中で、辺野古移設反対を唱える
「市民団体」
が世論喚起を目的に自己の活動を正当化する余り沖縄の抱える問題に共感する人の心を離れさせはしないか、という筆者の懸念も共有させて頂きたい。
実際、
「市民団体」
の振る舞いには疑問を感じることが多々ある。
■どちらが「でっち上げ」?
「産経新聞はでっち上げ!」
2024年7月22日、筆者が事故現場を訪れると、サングラスをした女性が拡声器でこう叫んでいた。
何がでっち上げなのかと問うと
「産経新聞は『車道に飛び出した市民』(と書いた)」
「ここが間違い」
「でたらめ」
という。
だが、この時点で産経新聞は女性が
「飛び出した」
とは書いていない。
この時点でそこまで踏み込めるファクトは持ち合わせていないからだ。
過去記事を検索し、検証して頂いても構わない。
産経新聞が
「抗議者の女性がダンプカーの前に飛び出した可能性が高まった」
と報じたのは、カメラ映像の内容が明らかになった2024年10月10日からである。
「産経新聞は『飛び出した』と書いていましたか」
と尋ねた筆者に、この女性は
「と、思います」
と答えた。
思わず、
「『思う』で、でっち上げといわれたら困ります」
と色を作してしまった。
「でっち上げ」
と言えば、事故現場では2024年10月22日朝、特定の防衛省沖縄防衛局職員のイニシャルと顔写真を載せ
「罪をねつ造、でっち上げた防衛局職員」
などと批判する横断幕も掲げられていた。
この場所では2024年9月26日、沖縄防衛局職員が抗議活動中の70代男性=暴行容疑で現行犯逮捕後、処分保留で釈放=から胸を両手で押され転倒させられる事件が起きていた。
顔写真とイニシャルを横断幕で晒された防衛局職員は事件の被害者だった。
この職員の顔写真には矢印が付けられ、
「この男、行く末が見えている」
と批判。
「許されない!」
といった文言も記載されていた。
県警は横断幕を設置した県内の男性から任意提出を受け、名誉毀損容疑で捜査しているが、この1件も、産経新聞以外はどこも報じていない。
たとえ仮に冤罪だとしても、顔写真を載せて批判するのは単なる個人攻撃だろう。
2024年11月14日には市民団体
「沖縄平和市民連絡会」
のメンバーが県庁を訪れ、
「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」
として土木建築部長と面談し、事故現場にガードレールや車止めポールを設置しないよう求めた。
繰り返し指摘するが、現場では人命が失われているのだ。
こうした
「市民団体」

「命どぅ宝(命こそ宝)」
をスローガンに活動しているが、空虚に響く。
これを報じた産経ニュース記事を転載したヤフーニュースには約770件のコメントが寄せられた。
「他人の命よりも自分の主張が優先されるのか」
「再発防止のための設備の設置を要求するのが『市民団体』のあるべき姿だと思う」
といった声だ。
今回の事故に関して言えば、少なくとも、オール沖縄に理解を示す革新寄りの既存メディアの論調と
「ネット世論」
は乖離がある。
ネットユーザーの多くが
「市民団体」
の主張や左派メディアの報道に否定的と言える。
事故映像を見ようとしない玉城知事や県政与党会派議員も含め、その底意は見透かされていると言わざるを得ない。
事故後の一連の出来事が、退潮傾向の続く
「オール沖縄」
勢力にとって、大きなターニングポイントになると考えるのは、こうした事情からだ。
■世間との乖離を自覚せよ
「イデオロギーよりアイデンティティー」
をスローガンに辺野古移設を訴え、今に続く
「オール沖縄」
勢力の土台を築いたのは保守派の重鎮だった翁長雄志氏だった。
10年前の平成26年の県知事選に出馬する際、辺野古問題以外は
「腹八分、腹六分」
(で折り合う)と提唱し、保革を超えて結集させた。
しかし近年は共産主導の革新色が強まっている。
有力メンバーだった保守系議員や財界人が離脱するなど求心力が低下したオール沖縄勢力は今年2024年6月の県議選で大敗し、県議会過半数を失った。
2024年9月の宜野湾市長選でも、米軍普天間飛行場(同市)の辺野古移設に反対したオール沖縄勢力側の候補が落選した。
昭和47年の本土復帰後、沖縄では革新勢力が教育界や言論界で強い影響力を及ぼしてきた。
本土復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるが如くタブー視され、自衛隊にも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
繰り返すが、沖縄の歴史と結び付くそうした声について、
「うちなー」
でない筆者は軽々には論評しない。
しかし、今回の事故に関しては別だ。
亡くなった警備員を悼み、死角の多いダンプカーの真ん前を横断する危険な抗議手法は改めるべきだ。
衷心からこう提言したい。
世間との乖離を自覚して頂きたい、と。
さもなくば、オール沖縄勢力は歴史的な役割を終え、それこそ単なる
「選挙互助会」(れいわ新選組、山本太郎代表)
に落ちぶれてしまうだろう。
沖縄では
「ほどほどに、いい加減に」
といった意味で、
「大概」
と言う。
物事を突き詰めて考えない大らかな県民性は
「てーげー気質」
とも形容されるが、いよいよこのままでは足下から
「大概にしろ」
との声が上がってこよう。
(産経新聞那覇支局長)

沖縄の「報道しない自由」 悲惨な事故はなぜ起きたか
風を読む 論説副委員長・川瀬弘至
2024/12/7 10:00
https://www.sankei.com/article/20241207-SAFOMN4Z2ZMO5PRBXA7IXGL7XU/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事で、悲惨な死傷事故により半年近くも中断していた同県本部港からの土砂搬出作業が、2024年12月2日にようやく再開した。
同港近くの路上では数年前から、反対派の活動家らが土砂運搬のダンプカーの前をゆっくり歩いて妨害する抗議活動が行われていた。
しかし2024年6月28日、抗議活動の女性と警備員がダンプカーに巻き込まれ、警備員が死亡、女性も重傷を負った。
この事故については、一般の沖縄県民よりも本紙読者の方がよく知っているのではないか。
事故原因に繋がる肝心な情報を、沖縄のメディアがほとんど報じないからだ。
一連の問題を巡る地元紙などの報道姿勢と、玉城デニー知事や「オール沖縄」勢力の奇妙な対応については、現在発売中の月刊『正論』2025年1月号で産経新聞の大竹直樹那覇支局長が詳細にリポートしているのでぜひ読んでほしい。
リポートによると、地元紙も事故については報じたが、女性が道路に飛び出したわけではないと主張する反基地団体や、防衛省が工事を急がせたからだと批判するオール沖縄勢力に寄った論調が多く、女性を英雄視するかのような報道もあった。
こうした中、本紙が2024年10月10日に報じた防犯カメラ映像が、大きな反響を呼んだ。
そこには、警備員の後方から足早に近付いて来た女性がダンプカーの前に出て、制止しようとした警備員が女性とダンプカーの間に割って入る形となり、そのままひかれてしまう様子が映っていた。
事故を防衛省の責任にしたい勢力には、
「不都合な映像」
と言えよう。
映像は、安全対策などを審議する県議会土木環境委員会でも視聴されたが、オール沖縄勢力の委員は閲覧を拒否した。
玉城氏も見ようとしなかった。
それどころか会見で
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
と批判した。
事故原因に関わる映像を調べずに、どうやって安全対策を講じるつもりなのか。
だが、本紙以外のメディアが報じないため、多くの県民は映像も、玉城氏の
「由々しき」
発言も知らない。
土砂搬出作業が再開した本部港の現場近くでは、牛歩による危険な抗議活動が続いている。
沖縄の
「報道しない自由」
が、再び悲惨な事故を招かぬことを、祈るしかない。

「無謀な『2台出し』やめるべき」 辺野古警備員死亡で沖縄・玉城知事が防衛局に不快感
2024/11/28 14:07
https://www.sankei.com/article/20241128-67XTBT2YQNIMHDTANYOCJE3GO4/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、玉城デニー知事は2024年11月28日の定例記者会見で
「現場で(ダンプカーが連続して出る)『2台出し』のような無謀なことはやめるべきだ」
と述べた。
玉城知事を支持する
「オール沖縄会議」
は2024年7月、事故の背景について、
「2台出し」
や抗議者が渡り終えていないうちに見切り発車でダンプカーを出す危険な状態があったと指摘していた。
事故を巡っては、防衛省沖縄防衛局が県に対する要請文で
「事故は民間事業者の作業を妨害する者による行動に起因したもの」
と断じ、事故から約5カ月経過した今も、県は何ら安全対策が講じられていないとして
「不誠実な対応に終始している」
と批判していた。
防衛局によると、2024年9月以降、現場の安全対策について県の担当者と打ち合わせをしてきたが、県側から具体的な提案は全くなく、
「形式的に場を設けているだけで、安全対策のための実質的な協議になっていない」(防衛局)
という。
これに対し、玉城知事は協議中に防衛局が要請文を出したことに、
「防衛局(の方)が協議にしっかりと対応していないのではないか」
「そう言わざるを得ない」
と不快感を露わにした。
事故現場では、事業者側が以前からガードレールの設置を何度も要請していたが、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
と認めなかった。
一方、市民団体は
「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」
として、ガードレールや車止めポールなどの設置を認めないよう求めていた。
玉城知事は会見で
「歩行者の通行を妨げるガードパイプの設置ではなく、車止め(ポールなど)の設置は検討可能」
との認識を示し、調整を進めているとした。
事故現場では現在、警備員がオレンジ色のネットを広げて抗議者がダンプカーの前に出ないようにしているが、ガードレール設置などの安全対策は講じられていない。
悲劇を繰り返さないために、少なくとも、死角の多いダンプカーの真ん前を横断する危険な抗議手法は改める必要がある。

「私たちは正当な抗議」座り込みでダンプの進路阻む 沖縄・宮城島、土砂搬出開始1週間
2024/11/27 17:15
https://www.sankei.com/article/20241127-YN5HBZIUZ5J37JPMOQE3J33WJM/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設工事で使う土砂を搬出する宮城島(同県うるま市)で2024年11月27日、反対派がダンプカーの前で座り込み、進路を阻んで抗議活動を行った。
県警の機動隊員らが座り込みを続ける人を持ち上げ、歩道の安全な場所まで移動させる一幕もあった。
宮城島では2024年11月20日から土砂の搬出が始まり、2024年11月27日で1週間が経過。
土砂を運ぶダンプカーが出入りするゲート前には
「宮城島の土で基地、造らせない!」
と書かれた横断幕が掲げられ、拡声器で
「ダンプによって宮城島の農道、生活道路が破壊される」
などと訴える声が繰り返し響いていた。
警戒に当たる機動隊員らは
「座り込んだり、立ち塞がったりする行為は道路交通法違反となる」
「低速での歩行や繰り返しの横断については業務妨害(罪)に該当することがある」
と再三に渡り警告。
これに対し、土砂搬出に抗議する人らは
「私たちは正当な抗議です」
と反論し、
「土砂搬入反対」
とシュプレヒコールを上げた。
この日は、牛歩による抗議をしていた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した名護市安和の事故現場で普段抗議活動をしている人の姿も見られた。
辺野古移設工事で使う土砂搬出を巡り、宮城島でも抗議活動が本格化していることが窺える。

ガードレールは抗議者が事故に巻き込まれないよう安全のために設置するものだ。
市民団体と称する反日左翼活動家が事故が起きやすい無茶で危険な抗議活動を行うから事故が起きるのだ。
車道を歩いていけないのは常識中の常識だ。
市民団体と称する反日左翼活動家がいくら屁理屈を言っても心ある人には通じない。
市民団体と称する反日左翼活動家が100%悪い。

警備員死亡の事故現場に「ガードレール設置しないで」 市民団体が沖縄・玉城知事に要請
2024/11/14 17:28
https://www.sankei.com/article/20241114-TVQKJASA5BLJRK73BQYNABNA7U/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、市民団体
「沖縄平和市民連絡会」
のメンバー9人が2024年11月14日、県庁で県の幹部職員と面談した。
市民団体が玉城デニー知事宛てに提出した要請書は
「ガードレールを設置して抗議する市民を排除しても、ダンプトラックの走行が増えれば、交通事故は更に増加する」
と指摘。
「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」
として、ガードレールや車止めポールなどの設置を認めないよう県に求めている。
事故現場となった名護市安和桟橋付近の国道では以前から牛歩による抗議活動が行われてきた。
港湾を利用する事業者側は令和4年12月以降、県に対して
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請。
費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしいと訴えたが、県はいずれも
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めてこなかった。
この日、県庁で応対した県土木建築部の前川智宏部長はガードレールについて
「道路管理者として設置は適切ではないと考えている」
と述べた。
事故現場では現在、警備員がオレンジ色のネットを広げて抗議者がダンプカーの前に出ないようにしている。
市民団体のメンバーからは
「車道を歩くしかない」
「警察官には『車道を歩くな』と言われる」
「おかしいではないか」
「独裁国家だ」
「歩道を完全に止めて封鎖するようなことが許されるのか」
などといった声が上がった。
安和桟橋付近で平成30年以降に発生した交通事故の件数を尋ねられた前川部長が答えに窮していると、市民団体のメンバーから
「何でそんな大事なこと、答えられないの」
と詰め寄られる場面もあった。
市民団体によると、交通事故は30件以上発生しているという。
面談は約45分にも及んだ。

玉城知事の「由々しき」発言でよみがえる尖閣中国漁船衝突事件 辺野古抗議制止警備員死亡
【沖縄考】(50) 那覇支局長・大竹直樹
2024/11/13 9:00
https://www.sankei.com/article/20241113-5TZS3QJ6YJORRGKKEFJSMCVR54/
誤解を恐れずに言えば、沖縄県知事を務める玉城デニーさんは誠実な人だと思っている。
記者会見では質問の論点をはぐらかし、回答になっていないことも多々あるが、批判的な質問をぶつける筆者にも丁寧に答える。
インタビュー取材で撮影した知事の写真をプリントして差し上げたら、わざわざ駆け寄ってきて笑顔でお礼を伝えてくるような人だ。
これはあくまで、玉城デニーさんの人柄の話である。
知事として誠実かといえば、どうであろう。
とりわけ、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設工事現場前で今年2024年6月、工事車両を誘導していた男性警備員が、移設の抗議活動を行っていた女性を制止して現場から出てきたダンプカーに巻き込まれて死亡、女性も骨を折る重傷を負った事故。
この件の対応では誠実さが感じられないのだ。
産経新聞は2024年10月10日、事故当時の状況を伝えるカメラ映像を入手し、徐行するダンプカーに足早に近づく女性と、女性をかばうように制止しようとする警備員の姿が映っていたと報じた。
記事を紹介するX(旧ツイッター)の閲覧数(インプレッション)は1000万を超え、交流サイト(SNS)でも話題になった。
だが、玉城知事は2024年10月31日の定例記者会見で
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と批判。
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
と発言した。
この報道に問題があるなら、テレビのニュースでよく流れる事故当時のドライブレコーダー映像や犯行をとらえた防犯カメラ映像も報じることができなくなるのだが、はて…。
発言の真意は測りかねるが、ともすれば報道の自由を侵害しかねず、正直言って驚いた。
■客観的証拠に背を向ける知事派県議
玉城知事の
「由々しき問題」
発言で、忌々しい記憶が蘇った。
尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で平成22年9月に発生した中国漁船衝突事件である。
検察担当だった筆者は当時、日夜、取材に明け暮れた。
当時の民主党政権は刑事訴訟法上の証拠に当たることを理由に海上保安庁が撮影した衝突映像の公開を拒み、映像をひた隠しにした。
義憤に駆られた海上保安官(当時)が匿名で映像を動画サイトに流出させたが、この時、当時の仙谷由人官房長官はこれを
「由々しき事案」
と指弾した。
流出した映像によって中国漁船の無法ぶりが世間の知るところとなり、日本側に全く非がないことが証明された。
この事件は中国側が強硬姿勢を示し、邦人4人がスパイ容疑で拘束されたことで民主党政権(当時)は狼狽えた。
「あらゆる外交ルートも遮断」(検察首脳)
され、検察当局は、一旦は逮捕した船長を公務執行妨害罪で起訴する方針を固めながら、
「日中関係を考慮」(那覇地検)
して釈放した。
検察が法以外の判断で処分を変えた。
これこそ
「由々しき事案」
と思うが、為政者にとっては映像の流出の方が問題だったらしい。
閑話休題。
玉城知事が
「由々しき問題」
と指摘した事故当時の映像は2024年10月11日、現場の安全対策を検討する沖縄県議会の土木環境委員会でも閲覧された。
しかし、玉城知事を支持する県政与党会派の議員は閲覧を拒否して退席した。
映像を見た県の前川智宏土木建築部長も
「事故の状況を客観的に捉えたもの」
と評価しているのに、客観的証拠に背を向けたのだ。
玉城知事も同様だ。
産経の報道で多くが目にした映像を、
「私は見ていない」
と言って憚らない。
■安全対策にイデオロギーは関係ない
見ていないのではない。
見ようとしていないのだ。
それは、玉城知事を支持する
「オール沖縄」
などの主張と異なる
「事実」
がそこにあるからなのか。
敢えて言えば、
「不都合な真実」
と置き換えてもいい。
そう勘繰りたくもなる誠意を欠く対応ではないか。
亡くなった警備員の妻は
「妨害行為が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われた」
と心を痛めている。
「妨害行為」
とは、抗議活動中にダンプカーに巻き込まれ、重傷を負った女性の行動を指したものとみられる。
映像では、動き出したダンプカーの前にこの女性が飛び出しているように見える。
事故現場では
「産経新聞はでっち上げ!」
などと拡声器で訴える人もいたが、是非映像という動かぬ証拠を直視してほしい。
事故現場では以前から抗議活動の危険性が指摘されていた。
港湾を利用する事業者側は、現場の国道を管理する沖縄県に
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請。
自ら費用を負担するとも申し出ていたが、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
一方で、本部港塩川地区(本部町)に設置されていた工事車両の往来を妨害する行為への警告を記した看板は、抗議活動を行う数十人が県庁に押しかけて要請し、設置から約2カ月半で撤去された。
本来優先すべき安全を蔑ろにした行政の不作為は明らかだ。
地元メディアは、抗議者が道路を横断し終わると、警備員が1台ずつ安全を確認しながらダンプカーを誘導して工事現場から出していく
「暗黙のルール」
が破られ、2台続けての危険な
「2台出し」
が行われたと指摘しているが、事故原因は捜査中だ。
原因究明や現場の安全対策にイデオロギーは関係ない。
誠実な人柄が窺える玉城知事には、人命が失われた、この事故についても誠実な対応を望む。

<独自>「でっち上げ」辺野古抗議活動制止警備員死亡 事故現場で防衛局職員批判の横断幕
2024/11/11 12:24
https://www.sankei.com/article/20241111-QRF7XRECDFIBBCHHQPVKLLNFR4/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故現場で、特定の防衛省沖縄防衛局職員のイニシャルと顔写真を載せ
「罪をねつ造、でっち上げた」
などと批判する横断幕が掲げられていたことが2024年11月11日、捜査関係者への取材で分かった。
沖縄県警は名誉棄損容疑に当たる可能性もあるとみて捜査している。
捜査関係者らによると、横断幕は2024年10月22日午前7時頃に張り出された。
現場にいた警察官が横断幕に特定の個人の顔写真が載っていることを現認。
間もなく横断幕を設置した県内の男性から任意提出を受けた。
事故現場では2024年9月26日、沖縄防衛局の職員が抗議活動中の70代の男性=暴行容疑で逮捕後、処分保留で釈放=から胸を両手で押され転倒させられる事件が起きており、横断幕に顔写真とイニシャルが載っていた防衛局職員は、この暴行事件の被害者だったという。
横断幕には防衛局職員の顔写真に矢印が付けられ、
「罪をねつ造、でっち上げた防衛局職員」
「この男、行く末が見えている」
と批判。
「許されない!」
といった文言も記載されていた。
沖縄防衛局は産経新聞の取材に
「他人を誹謗中傷したり、職務遂行を妨害したりするような行為は、許されないものと考えている」
「そのような行為が職員に対して確認された場合には適切に対応していく」
としている。

<独自>辺野古抗議活動制止の警備員死亡 沖縄県警、事故現場で実況見分
2024/11/4 10:55
https://www.sankei.com/article/20241104-BOZB62JUIJKADMSH25GRFZ4EXI/
抗議活動中の女性を制止した警備員が死亡した事故現場で実況見分を行う捜査員=4日午前9時45分、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
https://www.sankei.com/article/20241104-BOZB62JUIJKADMSH25GRFZ4EXI/photo/VP4S5DQM3VOAJM5PRVO2PFNJHI/
事故現場で実況見分を行う捜査員=4日午前9時39分、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
https://www.sankei.com/article/20241104-BOZB62JUIJKADMSH25GRFZ4EXI/photo/GNZRGTZ6C5NMVE62BXTXK3WA7U/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、沖縄県警は2024年11月4日、事故現場の名護市安和(あわ)の桟橋前の路上で実況見分を行った。
午前9時半頃から始まり、捜査員らがダンプカーの位置や桟橋と国道を繋ぐ
「車両乗り入れ部」
の長さなどを入念に確認した。
事故は2024年6月28日、移設工事に使う土砂を搬出する桟橋前の路上で発生。
桟橋から左折して国道に出ようとしたダンプカーが、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、女性は重傷を負った。
その後の調べで、現場付近に設置されたカメラに事故に至る状況が写っていたことが判明。
産経新聞は政府関係者からこの映像を入手した。
映像や関係者らによると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に路上で対応。
警備員はこの抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行しながら国道に向かうダンプカーの前に出た。
警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突する様子が映像に残されていた。
沖縄県警はカメラ映像の解析を進め、事故に至る原因を調べている。

沖縄県が見解「現場は歩道とも車道とも言い切れない」辺野古抗議活動制止の警備員死亡事故
2024/11/1 18:02
https://www.sankei.com/article/20241101-J7MHVNVV3VMXJBUBPSBYSN3IXI/
警備員の足元に見える白線が国道の車道外側線にほぼつながっている=9月、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
https://www.sankei.com/article/20241101-J7MHVNVV3VMXJBUBPSBYSN3IXI/photo/HHSICWXH3BKJ3P7J3DJCEFTFDI/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、沖縄県は2024年11月1日、産経新聞の取材に対し、名護市安和の事故現場は
「歩道とも車道とも言い切れない」
との見解を明らかにした。
路側帯と車道を区画する
「車道外側線」
のように見える白線が6年前、事故現場付近に引かれていたことも新たに分かった。
現場は辺野古移設工事に使う土砂を搬出する安和港近くの桟橋と国道を繋ぐ車両乗り入れ部。
地元では
「乗り入れ部は歩行者を優先する『歩道』というのが県の認識だ」
との報道もあったが、県は
「道路管理者として、歩道とも車道とも言い切れない」
とした。
車両乗り入れ部は、縁石の一部を下げて段差を小さくした
「切り下げ」
と、車道の路面が連続している
「切り開き」
の2種類があり、現場は後者に該当するという。
男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性がダンプカーに巻き込まれた場所は、国道の車道外側線にほぼ繋がるように引かれた白線の内側だった。
県北部土木事務所によると、車道外側線は元々国道に沿って直線に引かれていたが、平成30年に車両乗り入れ部に向かって引き直された。
白線は国道の車道外側線とほぼ繋がっており、2人がダンプカーに巻き込まれた場所は一見すると車道のようにも見える。
ただ、車両乗り入れ部に引かれた白線が車道外側線を示すものかどうかは分かっていない。
県北部土木事務所は
「車両乗り入れ部を分かりやすくするため、平成30年に外側線を変更したものと考えている」
と説明した。
白線が引き直された経緯を調べているという。

沖縄県幹部「映像は事故状況を客観的にとらえたもの」 辺野古抗議活動での警備員死亡事故
2024/10/31 18:49
https://www.sankei.com/article/20241031-325WRUALFBMBDDWNBMSWBFBWBY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、発生時の状況が映ったカメラ映像を視聴した沖縄県の前川智宏土木建築部長が2024年10月31日、
「映像は事故の状況を客観的に捉えたもの」
との認識を示した。
地元の名護市議会からガードレール設置などを求める意見書を受け取った際、市議らに明らかにした。
事故現場の名護市安和(あわ)の土砂搬出港付近では、市民団体のメンバーらがプラカードを持ってダンプカーの前をゆっくりと横断し、牛歩戦術で土砂の搬入を遅らせようとする抗議活動を展開。
港湾を利用する事業者側が
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたのに、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
この日は名護市議会の金城(きんじょう)隆議長らが県庁を訪れ、玉城デニー沖縄県知事宛ての意見書を提出した。
意見書では
「度重なる要請を受けているのにもかかわらず、沖縄県は何の対策もしていない」
として
「県の対応は不十分」
と批判。
ガードレールの設置や、車両通行を妨げる行為をやめるように指導することなどを求めている。
これに対し、前川土木建築部長は
「歩行者の自由な通行を妨げるような構造物の設置は芳しくない」
との考えを強調。
「ちょっと言い訳がましくなるが、道路法ではゆっくり歩く人を規制する根拠がない」
と指摘し、
「道路は車いすの方など不特定多数の人が利用する」
「歩き方が遅いからといって規制や取り締まりはできない」
とした。
ガードレールの設置には否定的な見解を示す一方、ポールについては
「設置する可能性の余地はある」
と述べた。

沖縄・玉城知事「報道差し控えるべきだ」辺野古抗議活動で警備員死亡事故の映像報道を批判
2024/10/31 16:34
https://www.sankei.com/article/20241031-NXOQSGKJMVOYHB6UDCJ3HSJRZY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、沖縄県の玉城デニー知事は2024年10月31日、事故当時の状況を伝えるカメラ映像を伝えた産経新聞の報道に対し、
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と批判した。
産経新聞が今月2024年10月10日までに政府関係者から入手したカメラ映像には、徐行するダンプカーに足早に近づく抗議活動中の女性と、女性を庇うように制止しようとする警備員の姿が映っていた。
玉城氏は
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
との認識を示し、報道で判明した事故当時の映像について
「私は見ていない」
と強調した。
記者から見ない理由を尋ねられた玉城氏は
「事故の詳細については現在、警察で捜査中であり、事故映像の報道に係る内容について見解を述べることは今の段階では差し控える」
と述べた。
事故当時の映像を巡っては、現場の安全対策を検討している沖縄県議会の土木環境委員会で、玉城氏を支持する県政与党会派の議員が
「映像の出所や内容も曖昧だ」
などと猛反発し、閲覧を拒否したことも明らかになっている。

「安和事故」映像は不都合な真実か 元朝日記者が沖縄で書いた記事を読んでみた
大手町の片隅から 乾正人
2024/10/18 10:00
https://www.sankei.com/article/20241018-AYHXQT6EEZJOBKYTFOHNJ4JMZQ/
事故のカメラ映像。走行するダンプカーの前に飛び出した女性を警備員が止めようとする姿が見える
大抵の作家は、初期作品に佳品が多い。
昭和の文豪・松本清張もそうで、彼が昭和32年に発表した
「地方紙を買う女」
は、繰り返しテレビや映画で映像化されてきた。
都内に住む心中を装った殺人事件の犯人が、地方紙を短期間購読したのを不審に思った作家が謎を解明していくという筋立てだ。
■「地方紙を買う男」の目
私も犯人ではないが、
「地方紙を買う男」
の1人である。
仕事柄、各地を旅することが多いが、駅に降り立つと必ず地方紙を買う。
小学校の運動会やコメの出来具合などご当地新聞しか報じない情報満載で重宝する。
最近は、有料のデジタル版で読める地方紙も増えており、いくつかは期間を決めて購読している。
沖縄の琉球新報もそのうちの1つだ。
視点が弊紙とは180度違うので、勉強になる。
2024年9月25日付の1面を飾った
「『心は折れない』言葉から勇気 新基地抗議の市民思い新た 安和事故 被害女性に寄せ書き」
という記事もそうだ。
琉球新報と沖縄タイムスの地元2紙が
「安和事故」
と名付けた事故は、2024年6月28日に米軍普天間飛行場の移設予定地である名護市辺野古に近い同市の安和桟橋前の道路で起きた。
辺野古
「新基地」
反対運動に参加していた72歳の女性が、抗議活動中に警備員と共にダンプカーに巻き込まれ、警備員は死亡、女性も重傷を負った。
同記事は、彼女が
「フェニックス(不死鳥)さん」
と呼ばれていると紹介。
「女性が手術前に残した『骨は折れても心は折れない』の言葉に奮い立った市民が目立つ」
と断定し、
「新基地断念まで小さな力を結集させたい」
「再び戦場にさせない」
といった彼女への寄せ書きをいくつも書き連ねている。
明治の昔、自由民権運動の先頭に立っていた板垣退助が暴漢に刺され、
「板垣死すとも自由は死せず」
と語った逸話を思い起こす。
何よりビックリしたのは、1面の記事の中に亡くなった警備員を悼む言葉が一言もなかったことだ。
記事を書いた南彰記者は、新聞労連委員長を務めた元朝日新聞の記者で、琉球新報に移籍した有名人である。
■映像の中身報じぬ沖縄2紙
思い切った記事だと感心していたら、小紙の記者が、現場付近に設置されていたカメラ映像を入手し、2024年10月10日に報じた。
映像では、制止を無視して飛び出した女性を警備員が庇ってダンプカーに巻き込まれたように見える。
この映像は、翌日開かれた県議会土木環境委員会で閲覧されたが、玉城デニー知事を支える
「オール沖縄」
系議員は、
「映像の出所や内容も曖昧だ」
などと猛反発。
閲覧を拒否した上に委員長への不信任動議まで提出した(結果は否決)。
議会事務局によると、県議会で常任委員長に対する不信任案が提出された記録は過去にないというから、与党のお怒りは相当なものだ。
しかも沖縄2紙やNHKは揃って映像の中身を詳しく報じていない。
これでは、なぜ県議会が大騒ぎしているのか読者にはさっぱり分からない。
やはり映像は、基地反対派にとって
「不都合な真実」
だったのか。
沖縄2紙もNHKも知る権利や人権擁護に熱心なはずだが、はて。
警備員には人権はないのだろうか。(コラムニスト)

辺野古抗議事故 動かぬ「証拠」露見懸念か 与党会派、異例の委員長不信任案動議
2024/10/17 21:13
https://www.sankei.com/article/20241017-BFW2WGBYWBPJVDO7WH7M2APSWY/
※産経新聞が入手した事故現場の映像。プライバシー保護のため一部加工しています
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、沖縄県議会の土木環境委員会で、玉城デニー知事を支持する県政与党会派が事故当時の状況を捉えたカメラ映像の閲覧を拒否していることが明らかになった。
映像は、真相究明と現場の安全対策を講じる上で重要な資料となるはずで、閲覧を拒否したことは、極めて疑問だと言わざるを得ない。
■「証拠」映像、玉城知事支持派が閲覧拒否
与党会派は2024年10月11日の沖縄県議会土木環境委員会で閲覧を拒否したが、その理由について、重傷を負った女性の代理人からあった閲覧中止を求める申し立てについて十分協議していない点を挙げた。
更に
「出所や内容も曖昧」
「委員会で確認する妥当性や人権感覚、倫理観、責任問題にも関わる」
などとし、閲覧は多数決で強行されたとも訴え、常任委員会では過去に例のない委員長への不信任案動議まで提出した。
事故を巡っては、抗議活動をする市民団体が、牛歩で抗議者が道路を横断し終わると、警備員がダンプカーに合図を送って1台出す
「暗黙のルール」
があったのに、2台続けてダンプカーを出すこともあったと主張。
辺野古移設を進める防衛省側を批判した。
市民団体と連携するオール沖縄会議の幹部が2024年8月、同省沖縄防衛局長に
「あなたは沖縄県民を1人殺してしまった責任者だ」
と罵る場面も見られた。
しかし、事故前の映像を見る限り、制止を無視して飛び出した女性を警備員がかばってダンプカーに巻き込まれたと見られる様子が確認できる。
あるいは、映像という動かぬ
「証拠」
によって、オール沖縄側の
「主張」
が揺らぎかねない不都合な事実が露見することを懸念したのか。
県政与党の閲覧拒否は、そう疑いたくもなる異例の対応だ。

<独自>辺野古抗議活動制止警備員死亡 事故映像を入手 11日に県議会で映像確認へ
2024/10/10 18:56
https://www.sankei.com/article/20241010-OGYWEUDQPZOIXPYAULZWOOPFDY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、現場付近に設置されたカメラに事故に至る状況が映っていることが10日、明らかになった。
産経新聞が関係者からカメラ映像を入手し、確認した。
県議会は11日、土木環境委員会で委員がこの映像を閲覧する方針。
事故は6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和(あわ)の桟橋前の路上で起きた。
桟橋から左折して国道に出ようとしたダンプカーが、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、女性は重傷を負った。
映像や関係者らによると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に対し、路上で対応していた。
警備員は、この抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行しながら国道に向かうダンプカーの前に出る様子が映像に残されていた。
警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突。
10秒ほどの出来事だった。
関係者は
「明らかに女性は警備員の制止を無視して飛び出している」
「警備員は女性を庇うような形でダンプカーに巻き込まれた」
と証言した。
県警はカメラ映像の解析を進め、詳しい事故原因を調べている。
一方、事故現場で牛歩による抗議活動をしてきた市民団体のメンバーによると、重傷を負った女性は
「敢えて飛び出したわけではない」
と説明。
この市民団体と連携する「オール沖縄会議」は7月、2人がダンプカーに巻き込まれたのは
「車両乗入部」
と呼ばれる歩道部分で、
「あくまでも歩行者の通行が優先される場所」
だったと主張する資料を公表していた。

■遺族「精神的に辛い」
事故現場となった辺野古移設工事に使う土砂の搬出港周辺では、移設に反対する市民団体のメンバーらがダンプカーの前をゆっくりと横断して抗議する
「牛歩戦術」
が続けられてきた。
今回明らかになった映像によって、抗議者の女性がダンプカーの前に飛び出した可能性が高まった。
これまで抗議者側は、女性は飛び出したわけではないとの姿勢を崩さず、
「安全に配慮した抗議運動」
を尊重すべきだとも主張していた。
また、骨を折る重傷を負った女性が
「骨は折れても心は折れない」
との言葉を残し、
「市民」
らが勇気づけられたとする地元報道もある。
こうした状況に、警備員の遺族は
「今までで一番憤りを感じる記事だった」
「本当に本当に許せないし、とても辛い」
と心を痛めていたとされる。
今月4日の県議会の一般質問で、遺族の
「思い」
を読み上げた自民党の島袋大県議によると、警備員の妻は
「報道や交流サイト(SNS)では被害者(の女性)に非はなく、非があるのは強引な警備などではないかとの誹謗中傷がほとんど」
と振り返り、
「妨害行為が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われた」
「精神的に辛く、心を痛めていた」
と伝えてきたという。
映像には、徐行するダンプカーに近づく女性と、女性を庇うように制止しようとする警備員の姿が映っており、抗議者側の
「主張」
は崩れつつある。

辺野古ダンプ事故現場の路上で防衛局職員に暴行、抗議活動の76歳男を逮捕 沖縄県警
2024/9/27 17:22
https://www.sankei.com/article/20240927-2MAP7Z24HRODTKPGQUDQCDMDSE/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡する事故のあった現場付近で26日、防衛省沖縄防衛局の職員が抗議活動中の男から暴行を受ける事件があったことが分かった。
県警名護署は同日、暴行容疑で抗議活動をしていた無職の男(76)=同県北中城(きたなかぐすく)村=を現行犯逮捕した。
男の逮捕容疑は26日正午ごろ、名護市安和(あわ)の土砂搬出港「安和桟橋」の出口ゲート付近の路上で、沖縄防衛局の男性職員(54)の胸を両手で押して転倒させたとしている。
現場にいた警察官が暴行を現認し、約1時間後に逮捕した。
捜査関係者によると、逮捕された男は当時、辺野古移設に向けた土砂の搬出に抗議していたという。
現場付近では今年6月28日、抗議活動をしていた女性を制止した名護市の男性警備員=当時(47)=が左折したダンプカーに巻き込まれ、死亡する事故が起きていた。

辺野古ダンプ事故「原因が市民活動にあるかのような印象与えた」 オール沖縄が県警に指摘
2024/9/19 15:52
https://www.sankei.com/article/20240919-PFAF6YA4MJKJXHWIO7JO3CVPZU/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡し、女性が重傷を負った事故を巡り、玉城デニー知事を支持する「オール沖縄会議」と県選出の国政野党国会議員でつくる「うりずんの会」は19日、県公安委員会に対し、苦情申立書を提出したと明らかにした。申し立ては5日付。
苦情申立書によると、県警本部で8月30日、抗議活動の排除や妨害を行わないよう求める要請書を提出しようとした際、椅子やテーブルのない
「倉庫内」
で受け取ると指示され、提出を断念せざるを得なかったという。
県警の対応について、
「県民を愚弄する行為だ」
と抗議している。
要請書では
「県警は『違法行為がなかったかも含め慎重に調べを進める方針』などといった一方的な情報を報道機関に流布した」
と指摘しており、
「事故の原因が(重傷を負った)女性ら市民活動にあるかのような印象を与え、SNSその他のウェブサイトで威圧的な発信が繰り返されている」
と訴えていた。
名護市の安和(あわ)桟橋では8月22日から土砂の運搬作業が再開された。
事故現場には多数の警備員が配置され、オレンジ色のネットを広げて抗議者がダンプカーの前に出ないようにしている。

辺野古ダンプ事故で中止の土砂運搬作業が再開 「対策講じた」と防衛局
2024/8/22 9:58
https://www.sankei.com/article/20240822-TH5U33E4VRMH5IZV6ZNJ5P5BKE/
沖縄県名護市安和(あわ)の国道で6月、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に対する抗議活動をしていた女性が怪我をし、警備中の男性が死亡した事故を受け、政府が中止した埋め立て用土砂の運搬作業が22日、名護市で再開された。
県によると、防衛省沖縄防衛局から21日に
「対策を講じた上で再開する」
と連絡があった。
県側は、事故の原因究明や再発防止が済むまで作業を再開しないよう求めており、玉城デニー知事は21日午後、
「作業再開は誠に遺憾」
と批判していた。
事故は6月28日に名護市安和の国道で発生。
土砂の搬出に抗議するため車道に出た女性と、制止しようとした男性警備員がダンプに巻き込まれた。
警備員が死亡し、女性は重傷を負った。

辺野古ダンプ事故 沖縄・玉城知事宛に防衛局が異例の要請「妨害行為で警備員にも危険」
2024/8/15 17:42
https://www.sankei.com/article/20240815-J6JMDGWK6ZN4NAHKM2YC6OVI5M/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡した事故で、防衛省沖縄防衛局は15日、ガードレール設置などの安全対策や
「妨害者」
への注意・警告の実施を求める玉城デニー知事宛の要請文書を提出した。
防衛局によるこうした要請は極めて異例とみられる。
土砂の搬出港付近では市民団体のメンバーがプラカードを持ってダンプカーの前をゆっくりと横断し、牛歩戦術で土砂の搬入を遅らせようとする抗議活動を続けてきた。
事故について要請文書は
「警備員の制止を聞かず、左折して出ようとする進行中のトラックの前方車道上に(抗議者が)出たことから、制止し続けた警備員がお亡くなりになる事態になった」
とし、
「妨害行為により警備員にも危険が及ぶ事態は重大だ」
と指摘した。
港湾を利用する事業者側が県に
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請し、玉城知事も把握していたが、県が
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めてこなかったことも判明している。
要請文書は
「県の対応が不十分であることは妨害行為が継続していることからも明らかだ」
と強調し、道路や港湾施設の管理者として県が可能な措置を速やかに講じるよう求めている。

辺野古ダンプ事故 「産経新聞はでっち上げ!」への反駁
【沖縄考】(47) 那覇支局長・大竹直樹
2024/8/14 9:00
https://www.sankei.com/article/20240814-MVQJ6M5JPJJ2LOMMJEZ6TZX6SI/
《即、工事断念! もうこれ以上、犠牲者を出すな!》。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡する事故が起きた同市安和(あわ)の現場。
供花の前には7月22日、こう大書きされた横断幕が揺れ、プラカードを持った人が集まっていた。
「産経新聞はでっち上げ!」。
サングラスをした女性が拡声器で叫んだ。
女性が事故に関する本紙報道を批判していることは容易に見当がついた。
とすれば、記事を書いたのは筆者だが、事実と異なることを書いた覚えはない。
女性に近づき、何がでっち上げなのか問うと
「産経新聞は『車道に飛び出した市民』(と書いた)。ここが間違え。でたらめ」
という。
「産経新聞は『飛び出した』と書いていましたか」
「と、思います」
「『思う』で、でっち上げといわれたら困ります」
女性の一言に、思わず色をなしてしまった。
念のため所属を尋ねると、
「普通の市民」
と名乗った。
普通の市民の方といえど、誤ったことをこのまま喧伝されてはかなわない。
1つずつ反駁させていただいた。
■さすがにアンフェアでは
この場を借りて、読者の皆さんにも説明させて頂きたい。
まず本紙は
「土砂搬入のダンプカーに抗議するため車道に出た女性を警備員(記事では実名)が止めに入り、その際、左折したダンプカーに2人とも巻き込まれたとみられている」
と報じた。
一方、地元メディアでは
「死亡した警備員が重傷を負った女性とは別の抗議者を制止したところ、重傷を負った女性がすり抜け、ダンプカーの前に飛び出そうとしたため急いで制止に入り巻き込まれた」
との報道もあった。
だが、少なくとも産経新聞は
「飛び出した」
とも
「すり抜けた」
とも報じていない。
そう指摘すると、女性は
「車道」
の記述も違うと、畳み掛けてきた。
「車道ではない」
とする主張の根拠は、玉城デニー知事を支持する
「オール沖縄会議」
が7月18日に公表した資料に詳しい。
弁護士立ち会いによる現地調査や被害者、目撃者らへの聞き取りの結果、重傷を負った女性と死亡した警備員が倒れていた場所は国道449号の車道部分だったが、2人がダンプカーに巻き込まれたのは、7.3メートル手前の
「車両乗入部」
と呼ばれる歩道部分だった、というのが
「オール沖縄」
側の主張だ。
2人が巻き込まれたのは
「あくまでも歩行者の通行が優先される場所」
で、
「警備員らはまずダンプを止めるべきだったのであり、市民らの歩行を制止したことは法的にも許されない」
と訴えている。
ただ、これまでの沖縄県警への取材で、2人が
「車両乗入部」
で巻き込まれたとの情報は得られていない。
「車両乗入部」
との説明を曲げて
「車道」
と表記したわけではない。
まして、本紙以外の複数の主要メディアも
「車道」
と報じている。
にもかかわらず、産経だけがやり玉に挙げられ、でっち上げとの誹りを受けるのは、さすがにアンフェアではないか。
■「あなたは沖縄県民を殺してしまった責任者」
事故の続報が産経以外のメディアで取り上げられる機会は少ないが、沖縄県議会では俎上に載っている。
自民党会派は、港湾を利用する事業者側が道路を管理する県に
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していた事実を問題視。
玉城知事もこうした要請を把握していたとして議会で追及した。
事業者側は自ら費用負担するので設置させてほしいと申し出ていたのに、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
と、頑として認めなかったというのだから、玉城県政の不作為と言われても仕方ないだろう。
「オール沖縄会議」
は今月2日、防衛省沖縄防衛局に対し、原因究明と安全対策が整うまで全工事の中止を求める要請書を提出し、
「抗議運動に参加している市民には非難されるべき事情は全くない」
と訴えた。
オール沖縄の幹部は防衛局長に
「あなたは沖縄県民を1人殺してしまった責任者だ」
と罵った。
この様子を報じた産経ニュース転載のヤフーニュース記事には500件以上のコメントが寄せられたが、事故を招いた抗議活動に対する批判が多かった。
捏造は慣用読みで、本来は
「でつぞう」
と読む。
でっち上げは漢字で書けば
「捏ち上げ」。
捏(こ)ねるという意味の
「捏(で)つ」
に由来するという。
死角の多い大きなダンプカーの前をわざとゆっくり歩く。
その抗議手法を省みることなく理屈を捏ね、自らの活動の正当性を主張しているように感じた。
抗議運動に携わる方は是非、世間がどのように受け止めているのか。
ヤフーニュースのコメントやSNSなどの反応を見てほしい。

辺野古移設反対派の理不尽な抗議に屈するな。
辺野古移設反対派の理不尽な抗議に屈しているようでは、屈している側も信用できない。
そんなことでは保守派から見限られる。

<主張>辺野古ダンプ事故 危険な抗議活動をやめよ
社説
2024/7/11 5:00
https://www.sankei.com/article/20240711-VUIXRIOQYVOAHN4XDGTBXO6Y4U/
沖縄県や県警が適切に対応していたら、防げた事故だったのではないか。
同県名護市安和(あわ)の国道で2024年6月、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議する女性と警備員の男性がダンプカーにひかれ、男性が死亡する事故が起きた。
女性は足を骨折した。
現場では数年前から、辺野古移設工事に使う土砂を運搬するダンプカーの前を反対派がゆっくりと歩いて妨害する抗議活動が行われていた。
車道に出た女性を警備員の男性が制止しようとして、左折中のダンプカーに巻き込まれたとみられる。
何に抗議するのも自由だが、危険な行為は許されない。
事故を招くような抗議活動は即刻やめるべきだ。
玉城デニー知事は事故について、
「県民の安全に責任を持つ者として極めて遺憾だ」
と述べた。
その上で沖縄防衛局に対し、安全対策が十分講じられるまで土砂の運搬作業を中止すべきとの考えを示した。
作業は2024年7月10日現在、中断している。
これはおかしい。
ダンプカーの前をわざとゆっくり歩くという、極めて危険な行為を道路上で繰り返しているのは反対派の方だ。
抗議はほぼ連日行われ、ダンプカーの渋滞も起きていた。
危険な行為を放置せず、交通の安全と秩序を取り戻すのは行政と警察の責任だろう。
県は2023年2月、同様の抗議活動が行われている辺野古移設の土砂搬入の港湾施設に、注意喚起の看板を設置した。
大型車両の往来を妨害する行為は県港湾管理条例の禁止行為に当たるとし、
「警告」
する内容だ。
ところが、反対派の猛烈な反発を受けて2023年5月に撤去してしまった。
理不尽な抗議に屈し、危険を黙認したことに他ならない。
県警も、十分な取り締まりを行ってこなかった。
県内では、自衛隊駐屯地に武器などを搬入する際に一部の活動家らが道路にしゃがんだり寝転んだりして妨害する行為が繰り返されてきた。
県警が道路交通法の禁止行為に当たるとして排除することもあるが、県内の一部メディアは
「強制排除」
と批判的に報じていた。
今回の事故で警備員は、反対派の危険な行為を制止しようとして犠牲になった。
悲劇を繰り返してはならない。

事故現場、再三のガードレール設置要請も沖縄県認めず 玉城知事も把握 辺野古ダンプ事故
2024/7/10 16:25
https://www.sankei.com/article/20240710-KE7OGDNCAJJDVJLVRFMFKJJZWI/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡した事故で、港湾を利用する事業者側が県に対し、
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたことが2024年7月10日、分かった。
玉城デニー知事もこうした要請を把握していた。
事業者側は自ら費用を負担するので設置させてほしいとも申し出たが、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
一方、牛歩による抗議活動が行われてきた本部港塩川地区(本部町)に設置されていた
「大型車両の往来を妨害する行為」
が県条例の禁止行為に該当すると明記した警告看板は市民の要請を受け、設置から約2カ月半後に撤去していたことも明らかになった。
いずれも同日の県議会本会議で、自民党の島袋大議員の代表質問に、県土木建築部の前川智宏部長が答えた。
県北部土木事務所などによると、牛歩による抗議活動が行われてきた名護市安和(あわ)の国道では令和4年12月以降、事業者側から何度もガードレールの設置を求める要請があった。
事業者側からは費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしいという要請もあった。
だが、県は
「歩道であることからガードレールを設置する予定はない」
「事業者によるガードパイプの設置は歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
県は2023年2月17日、隣接する本部町の本部港塩川地区に
「大型車両の往来を妨害する行為」
などについて、県港湾管理条例で定める禁止行為に該当する旨を明記した警告看板を2枚設置。
禁止行為を行った場合は
「条例に基づき過料を処することがある」
と警告した。
しかし、市民から
「なんで過料を科すのか」
などと
「厳しい意見」
が寄せられたといい、県は現場を確認した上で
「状況は危なくない」
と判断。
2023年5月2日に撤去したという。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/555.html#c15

[戦争b26] 米国やイスラエルによるイランの核濃縮工場空爆にIAEA事務局長が協力した疑い(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
44. 秘密のアッコちゃん[1677] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月28日 07:55:13 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1115]
<■207行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>イラン核協議 ウラン濃縮決別を確実に
社説
2025/6/28 5:00
https://www.sankei.com/article/20250628-3RWI3MAHRROKPIGXJR3GS5GODM/
イランの核開発問題を巡りトランプ米大統領がイランと来週協議する意向を示した。
米国とイランの高官協議はイスラエルのイランへの攻撃で中断していたが、両国の停戦合意を受けて再開へと動く。
米国のウィットコフ中東担当特使は包括的な和平合意を目指すとしている。
忘れてはならないのは、イランがウラン濃縮から決別することが、和平交渉を成功させる唯一最大のカギであることだ。
国際原子力機関(IAEA)によると、イランは60%の高濃縮ウランを400キロ以上貯蔵している。
短期間で核兵器級の濃縮度90%に高めることが可能であり、米国は核弾頭約10発分に相当する量とみている。
原子力発電なら濃縮度数%で済む。
高濃縮も、地下深くにわざわざ建設した濃縮施設も、必要はない。
イランは重水炉も建設中で、イスラエルに攻撃された。
重水炉は核兵器製造に利用可能なプルトニウム抽出に用いられる。
いずれも平和利用に限って認める核拡散防止条約(NPT)を逸脱している。
イランが国家としてのイスラエルの存在を認めていないことも、核武装の意思を捨てていないとの疑念を強めている。
イランは、レバノンの親イラン民兵組織ヒズボラやイスラム原理主義組織ハマスなど傘下の武装勢力を通じ、イスラエルへのテロ活動を主導してきた。
イランが敵対姿勢を改めない限り、イスラエルは臨戦態勢を余儀なくされる。
中東の不安定化や地域紛争は永続する。
米軍の攻撃により、イランの核施設は深刻な被害を受けたとみるべきだ。
だが、蓄積された核開発の知識や技術までは排除できず、最終的には外交で解決しなければならない。
イランは現体制を維持しつつ復興と経済再建を進めることが最大の狙いだろうが、まずは隠し持つ高濃縮ウランを放棄しなければならない。
核施設に対するIAEAの査察を完全に受け入れることも不可欠だ。
制裁緩和の検討はその後である。
イランの一部政治家が唱えるNPT脱退は、許されない。
中国がインド太平洋で軍事覇権の確立を急いでおり、米国には中東に釘付けとなる余裕はない。
トランプ氏がアピールする
「力による平和」
の実現は、これからが正念場である。

<正論>核不拡散妨げる現実に目向けよ 
笹川平和財団常務理事 麗沢大学特任教授・兼原信克
2025/6/26 8:00
https://www.sankei.com/article/20250626-YPOHOWTJNRII3J6H6UQWGRMWNM/
■イラン核施設爆撃の背景
米国のB2ステルス爆撃機が、イラン領内のフォルドゥ、イスファハン、ナタンズにある核施設を爆撃した。
固い岩盤を貫いて地下深くの核施設を破壊するために
「バンカーバスター弾」
が用いられた。
敵対する国の核武装は何があっても拒否するというイスラエルの願望は果たされた。
事の始まりは一昨年2023年、ガザ地区のハマスによるイスラエル市民1200人の虐殺と200人の拉致事件である。
イスラエルのネタニヤフ首相の権威は著しく失墜した。
閣内に強硬な右派を抱えるネタニヤフ氏は、非道との国際的批判を承知でパレスチナ難民が密集するガザ地区に侵攻した。
ネタニヤフ氏は返す刀でハマスを支援していた南レバノンのヒズボラ掃討に打って出た。
ヒズボラ自身もイランの支援を受け、ミサイルを用いてイスラエルを攻撃していた。
ネタニヤフ氏にとっての天佑はシリアのアサド政権のあっけない幕切れである。
イランが
「抵抗の枢軸」
と呼んだイラン、イラク(シーア派民兵)、シリア、南レバノン(ヒズボラ)、ガザ(ハマス)、イエメン(フーシ派)の要が倒れた。
シリア領内のロシア海空軍が撤収した。
そもそもロシアはウクライナ戦争で手一杯である。
その結果、長大な航続距離を誇るF35のシリア上空通過が可能となった。
1979年のイスラム革命以来、イランはイスラエルへの敵意を剥き出しにしつつ、核武装の能力を着実に付けてきた。
イスラエルはウラン濃縮を急ぐイランの核武装を恐れた。
これに対し米国の情報筋は、まだイランは核武装しないと踏んでいたと言われる。
トランプ米大統領は、イランとの核合意の再締結に動いていた。
焦れたネタニヤフ氏が直接の軍事行動に出たのである。
ただしイスラエルの軍事力では地下の核施設を破壊することはできない。
イランは、イスラエルと本格的な戦闘状態に入った以上、一気に核武装に向かうかもしれない。
イランの地下核施設を破壊できるのは米国しかいない。
■核兵器と国際社会
トランプ氏にしてみれば、事ここに至ってはイランが屈服するか、自らの手でイランの地下核施設を葬るかしか選択肢がなかった。
さもなければイランが一気呵成に核爆弾を製造するかもしれない。
そうなればトランプ氏の権威は地に落ちる。
TACO(「トランプはいつも腰砕け」という意味)と揶揄され始めたトランプ氏には、到底受け入れることができなかったであろう。
暴走したかに見えたイスラエルは結局、米国の対イラン戦争参戦を実現した。
それはイスラエルの悲願であった。
米国のイラン爆撃の法的評価は分かれる。
国連憲章の字面を単純に読めば、憲章違反であろう。
しかし、事実関係は複雑である。
国際的な核不拡散の努力に真っ向から挑戦してくる国に、核兵器製造を断念させることは難しい。
ウクライナは核兵器を放棄し、無残にもロシアによって蹂躙されているが、核武装に突き進んだ北朝鮮にはもはや、誰も軍事的に手を出すことができなくなった。
核兵器の除去は、核兵器が完成するまでの短い間でのみ可能なのである。
イランはイスラエルに対する好戦的なプロパガンダを繰り返し、
「抵抗の枢軸」
を使ってテロ攻撃やミサイル攻撃を繰り返していた。
核兵器を使われれば、狭隘な国土のイスラエルは物理的に消滅する。
それならば
「今しかない」
というのがイスラエル側の理屈であろう。
実際、G7の多くの国が米国やイスラエルの自衛権行使を認めている。
■問われる日本の対応
かつて北朝鮮との融和に動いた米国は結局、日本と韓国に北朝鮮の核兵器との共存を強いることになった。
歴史は
「イランを爆撃した米国」

「北朝鮮の核武装を止めることのできなかった米国」
のいずれが正しかったと判断するだろうか。
今後の焦点は、戦争の帰趨である。
総合的な軍事力では到底、イスラエル・米国の連合軍に勝てないイランは、どうするであろうか。
イランによる中東の米軍基地への報復攻撃は、抑制されたものに過ぎなかった。
しかし、イランの神権政治にテヘラン市民が立ち上がるというのは幻想である。
核兵器関連技術者は生存している。
イランは、どれほど臥薪嘗胆してでも、今度こそ核兵器を完成させる決意を固めるかもしれない。
湾岸に石油のほとんどを依存する日本にとっては、ホルムズ海峡の封鎖が最大の懸念材料である。
賢明なイランは国際社会全体を敵に回すことは避けたいであろうが、米国、イスラエルと交渉のテーブルに着くためのカードは
「ホルムズ海峡封鎖」
しかない。
仮に西側主要国が、ホルムズ海峡の機雷除去に動き始めた時、そこに海上自衛隊の姿がなければ、
「誰の石油を守っているのか」
という不満が米国内から噴き出すことは必定であろう。

<産経抄>イラン−イスラエルの停戦合意、「力」の新たな段階
2025/6/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20250626-H426MOSJL5NVRPKI62LHF7ZW6E/
戦いにおける格言や箴言(しんげん)には、人それぞれの価値観が滲んで味わい深い。
「戦(いくさ)の勝利は最後の5分間にある」
とナポレオンは言い、劇作家のオリバー・ゴールドスミスは
「最初の一撃で戦は半ば終わる」
と逆の説を述べている。
▼「謀(はかりごと)多きは勝ち、少なきは負く」。
毛利元就の流儀も、生き馬の目を抜く戦国の世では王道だったろう。
干戈(かんか)を交える前段での準備や工作は、
「最初の一撃」
をより効果的にする。
時の古今を問わず、勝利を収める上での肝と言えるかもしれない。
▼イスラエルとイランの戦火は停戦合意でひとまず収拾に向かっているように見える。
イランの核施設を叩いた米軍の空爆が大きな戦果を挙げたのは、前段でのイスラエルの攻撃が効いたからだとされる。
ホルムズ海峡封鎖の懸念は残っても、周辺国へは飛び火は及んでいない。
▼イランによる米側への報復は予告付きで行われ、トランプ大統領が謝意を示す一幕もあった。
全面衝突を望まぬ相手の持ち札を読み切り、顔を立てたのかもしれない。
米国が実践した
「力による平和」
は、他の強権国家への牽制球となるだろうか。
▼日本の近海に視線を戻せば、中国の魔手がすぐそこに迫っている。
NATOは加盟国の国防費を国内総生産(GDP)比5%に引き上げる方針という。
米国が日本などアジアの同盟国に、同様の要求をしたとの報道もある。
米国頼みだった
「力」
は、新たな段階を迎えている。
▼緊張と破裂を繰り返してきた中東の歴史を踏まえれば、余燼(よじん)が燻るイランとイスラエルの動きからは目が離せない。
イランが核兵器開発の願望を捨てたとも言い難い。
戦火が再び燃え上がる恐れは拭えず、日本の備えが求められているのは言うまでもない。

<主張>石破氏と中東情勢 首相の資質欠如に呆れる
社説
2025/6/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20250625-GLZQUM6V2RMGZDMY45VXXQF3YY/
日本の首相の最大の責務は、外交安全保障を通じて国家と国民を守り抜くことだ。
石破茂首相にはそれを担う資質に欠けていると指摘せざるを得ない。
国会閉幕を受けた首相記者会見の有様と、招待されていた、オランダでの北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に首相が欠席したことから、それが分かる。
石破首相は2025年6月23日夜の会見で、国会で党派を超えて合意形成を進めた結果、令和7年度予算が成立したと胸を張った。
先進7カ国首脳会議(G7サミット)などに参加し各国首脳と会談したと誇らしげに語った。
それはよいとしても、約20分間の冒頭発言で中東情勢に触れなかったのは極めておかしい。
防災対策をめぐりキッチンカーなどの備蓄を増やす話をしたが、それくらいなら中東情勢にも時間を費やすべきだった。
この時点で、イスラエルとイランの戦いの行方がどのような展開を見せるか、予断を許さない情勢だった。
首相が会見で真っ先に語るべきだったのは、中東における戦火に対し、日本政府がどのような見解を持ち、どのような対応をとるつもりか、だったはずだ。
ペルシャ湾は日本のエネルギー輸送の生命線である。
国民や経済界の不安を解消し、必要であれば国民に協力を求めるべきだったろう。
首相が会見で中東情勢に言及したのは記者に質問されてからだ。
それも体系だった答えではなく、別の複数の記者が質問を重ねた。
しかも、この首相の会見で、現地邦人の退避に尽力している外務省や自衛隊への感謝の言葉はなかった。
内閣の長、自衛隊の最高指揮官であるのに、呆れる他ない。
国際情勢への感度が鈍く、事の軽重が判断できず、部下への思いやりに欠ける姿勢は看過できない。
NATO首脳会議を欠席したのも大問題だ。
トランプ米大統領の出席見送りが理由の1つだったが、トランプ氏は結局出席することになった。
何と間の悪いことか。
首相は2025年6月24日朝、オランダへ出発すべきだった。
トランプ氏がいなくとも、他のNATO諸国の首脳と意見交換し、日本とNATOの結束を固めれば、大いに日本の国益を増したはずだ。
それが分からないセンスの欠如は恐ろしい。

<主張>中東の「停戦」 双方は戦争を終結させよ
社説
2025/6/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20250625-VTTMWVZAY5NNNGMDW7GPV6AV5U/
トランプ米大統領がSNSへの投稿で、交戦してきたイスラエルとイランが
「完全で全面的な停戦に合意した」
と発表した。
米メディアは、カタールが停戦案を仲介したことや、2025年6月25日午前0時(日本時間同午後1時)に戦争が正式に終結する合意だと報じている。
トランプ氏は停戦が
「永遠に続くと思う」
としたが、不透明感は残っている。
イスラエル、イラン双方は最大限の自制を働かせて停戦を順守し、戦争を終わらせてもらいたい。
イスラエルはイランの核武装を阻止するとして、2025年6月13日からイランの核施設などを空軍機などで攻撃した。
イランも弾道ミサイルなどで反撃したがイスラエルが優勢を保っていた。
米国もイランの核施設を戦略爆撃機などで攻撃した。
イランは濃縮度を60%に高めたウラン燃料を貯蔵している。
短期間で核兵器級の濃縮度90%まで高め、核兵器を作ることが出来るとされる。
イランは国家としてイスラエルの生存権を認めていない。
イランが核兵器を保有すれば、直接または親イラン武装勢力によってイスラエル攻撃に使用され、核戦争が勃発する恐れがある。
トランプ氏は米軍の攻撃直後の演説で、イランに
「平和か悲劇か」
と早期の和平を迫った。
今回の停戦が実現すれば、武力行使を躊躇しなかったトランプ政権が、イラン指導部を追い込んだとも言える。
ただしイランの出方には警戒を要する。
一方的に叩かれたイランの軍部や革命防衛隊には報復の念を募らせている勢力があるだろう。
親イラン武装勢力もそうである。
軍事攻撃やテロ攻撃があってもおかしくない。
日本を含む世界の原油輸送の大動脈であるホルムズ海峡をイランの強硬派が封鎖したり、米軍艦船や西側のタンカーを攻撃したりする懸念は残る。
日本も欧州もイランへ自制を働き掛けるべきだ。
最も重要なことは戦争の原因をなくすことだ。
イランは核武装しないと宣言し、国際原子力機関(IAEA)の査察に協力し、ウラン濃縮施設の破壊を受け入れてもらいたい。
高濃縮ウランを隠匿しているならIAEAに差し出すべきだ。
イラン国会で一部が主張する核拡散防止条約(NPT)脱退など論外である。

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/217.html#c44

[戦争b26] 米国やイスラエルによるイランの核濃縮工場空爆にIAEA事務局長が協力した疑い(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
45. 秘密のアッコちゃん[1678] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月28日 08:21:58 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1116]
<▽38行くらい>
トランプ氏、ウラン濃縮活動を継続ならイラン再攻撃「当たり前だ」 核施設査察要求
2025/6/28 7:57
https://www.sankei.com/article/20250628-TAYX6UG2VBOSJCX7BN5UU3ZT4E/
トランプ米大統領は2025年6月27日、ホワイトハウスで記者会見し、イラン核施設に国際原子力機関(IAEA)などによる査察を求める考えを示した。
イランがウラン濃縮活動を継続すれば再び攻撃に踏み切るかとの質問には
「当たり前だ」
と答えた。
米イラン核協議再開に向けた水面下の交渉が続く中、圧力を強めた。
イランはIAEAの定例理事会が2025年6月12日にイラン非難決議を採択したことに反発しており、査察を受け入れる可能性は低い。
アラグチ外相は2025年6月27日、X(旧ツイッター)への投稿で、グロッシ事務局長が米イスラエルによる攻撃を受けた核施設の早期訪問に意欲を示していることについて
「無意味だ」
と拒否する意向を示した。
トランプ氏は交流サイト(SNS)にも投稿し、イスラエルとの交戦で
「勝利」
を宣言したイラン最高指導者ハメネイ師を
「嘘をつくべきではない」
と批判。
イランが復興できるよう制裁緩和の可能性を検討してきたものの
「全ての作業を停止した」
と表明した。(共同)

IAEA事務局長の訪問を拒否、イラン外相「無意味だ」 核施設攻撃への姿勢を批判
2025/6/28 7:16
https://www.sankei.com/article/20250628-CKTC4VPQ25K3LCUYJKXX6QQGT4/
イランのアラグチ外相は2025年6月27日、IAEA(国際原子力機関)のグロッシ事務局長が米イスラエルによる攻撃を受けた核施設の早期訪問に意欲を示していることについて
「無意味だ」
と拒否する考えを示した。
X(旧ツイッター)で表明した。
アラグチ氏は、グロッシ氏が、米イスラエルによる核施設攻撃を
「明確に非難しなかった」
と批判。
攻撃に先立つIAEA定例理事会によるイラン非難決議や核施設攻撃をグロッシ氏が
「助長した」
とも述べた。
イラン国会は2025年6月25日、IAEAへの協力の一時停止に向けた法案を可決。
2025年6月26日には最高指導者ハメネイ師の影響下にある護憲評議会が法案を承認している。
IAEA定例理事会は2025年6月12日、イランがIAEAとの保障措置(査察)協定に違反しているとして非難決議を採択。
イランは協定を順守してきたと強調し、欧米諸国の
「政治目的に基づいたものだ」
と反発していた。(共同)

http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/217.html#c45

[政治・選挙・NHK297] 自民党が打ってきたケンカに小沢一郎氏「投票へ」 参院選で悪政に怒れるか 舞岡関谷
10. 秘密のアッコちゃん[1679] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月28日 12:07:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1117]
<■1143行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「沖縄戦」教科書にはこう書いている《沖縄を「捨て石」にする作戦だった》学び舎
2025/6/28 9:00
https://www.sankei.com/article/20250628-VNPYDD2LSFPW5DY53CQHDFECLA/
文部科学省の検定に合格した歴史教科書に記述された「沖縄戦」の文言
沖縄戦が終結して80年が過ぎた。
2025年6月23日の
「慰霊の日」
には、最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で今年2025年も追悼式が営まれた。
戦争の傷痕は深く、今尚旧日本軍に対して複雑な思いを抱える沖縄県民も少なくはないだろう。
ただ、沖縄の地元メディアや革新勢力などが主張するように、日本軍は沖縄を
「捨て石」
にしたわけでは決してない。
沖縄を守るために多くの特攻隊員や軍人が郷土を離れ、命を落としている。
こうした事実を直接的には触れず、沖縄を
「捨て石」
にしたとする中学校の歴史教科書がある。
学び舎の歴史教科書ではこう記述している。
《日本軍は沖縄の戦闘で、「敵の出血消耗」をはかって米軍を少しでも長く足止めし、日本本土の防衛(本土決戦)の時間稼ぎをしようと考えていた。沖縄を「捨て石」にする作戦だった》
(第9章 第二次世界大戦の時代「荒れ狂う鉄の暴風」239ページ)
大本営が
「本土戦備のために時間を稼ぐ持久戦」
と位置付けたのは事実だが、だからといって、即座に沖縄を見捨てたことにはならない。
他府県出身の軍人が沖縄で戦った事実を引くことなく、
「時間稼ぎ」

「捨て石」
を結び付ける説明は誤った理解に繋がるのではないだろうか。
学び舎の歴史教科書では、他にも、日本軍を殊更に貶めるような記述が目立つ。
《住民は、壕やガマ(洞窟)にひそんで戦火を避けていました。日本兵がいたガマでは、食料を出させられ、赤ん坊は外に連れ出すように命じられました。米軍は、降伏してガマから出るように呼びかけましたが、日本兵がガマの出口で銃をかまえていました》(同)
まるで日本軍が悪で、米軍が善のような書きぶりで、説明が一方的ではないだろうか。
帝国書院の歴史教科書でも、日本軍の沖縄県民に対する対応をこう説明している。
《多くの住民が日本軍によって、食料を奪われたり、砲弾の降り注ぐなか、安全な壕を追い出されて犠牲になったりしました》(269ページ)
他の出版社の教科書でも、日本軍により集団自決に至ったり、スパイ容疑で殺害されたりしたことが書かれている。
悪逆非道と断じるような書きぶりも目立つ。
そのような一側面だけを取り上げた記述で、先の大戦の実態を正しく伝えることはできるだろうか。
一方で、令和書籍の歴史教科書では、沖縄を守るために特攻作戦が行われ、2800人以上の特攻隊員が命を落としたことに触れた上で、こう説明する。
《逃げ場を失って自決した民間人もいました。沖縄も離島ですが日本本土です。本土で住民を巻き込んでの陸上戦が行われたのは沖縄だけです》(388ページ)
当然、沖縄も本土だ。
ならば、学び舎が説明するような
「捨て石」
という表現では、その実相は十分伝わらないのではないだろうか。
そして、日本軍が沖縄県民の犠牲に心を痛めていたことも事実である。
沖縄県民の協力と支援を讃え、その窮状を訴えた電文を発信した旧海軍の大田実司令官について、育鵬社の歴史教科書はこう紹介している。
《大田少将は、沖縄の人たちの戦闘協力に感謝し、海軍次官に次のように打電しました。「敵が沖縄攻略を開始してから、陸海軍は防衛戦闘に専念し、県民を顧みる余裕がなかった。しかし、県民は青年・壮年の全部が防衛招集に応じてくれた。しかも若き婦人は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもとより、砲弾運びを申し出る人もいる。看護婦においては、軍の移動で置き去りにされた重傷者を助けている」(要約)》(240〜241ページ)
この後の電文の結びは自由社の歴史教科書にもある。
《沖縄の海軍司令官大田實少将は「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配あらんことを」という電報を打ち、自決しました》(244ページ)

両陛下、沖縄慰霊の日ご黙禱 上皇ご夫妻も
2025/6/23 16:06
https://www.sankei.com/article/20250623-G6Y6PPH7HVOZ5P3TVVC3K5IFDQ/
宮内庁は2025年6月23日、天皇、皇后両陛下が同日、御所で、先の大戦で沖縄での組織的戦闘が終結したとされる
「慰霊の日」
にあたり、長女の敬宮(としのみや)愛子さまとともに黙禱を捧げられたと発表した。
上皇ご夫妻もお住まいの仙洞(せんとう)御所(東京都港区)で黙禱された。

<主張>沖縄慰霊の日 節目の年に真摯な祈りを
社説
2025/6/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250623-BFQC2ULTX5LQTAL47IWJCYOKFE/
沖縄戦の終結から80年となる節目の
「慰霊の日」
を迎えた。
最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では2025年6月23日、
「沖縄全戦没者追悼式」
が営まれる。
慰霊の日は、広島、長崎の「原爆の日」(8月6、9日)や「終戦の日」(8月15日)と共に、上皇陛下が皇太子時代から、日本人としてどうしても記憶しなければならない
「4つの日」
として慰霊を尽くされてきた日だ。
天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の方々はこの日、黙禱される。
国民も、亡くなった人々に哀悼の誠を捧げたい。
昭和20年3月26日、那覇市の西方約40キロにある慶良間諸島に米軍が上陸し、沖縄戦が始まった。
圧倒的兵力の米軍は昭和20年4月1日に沖縄本島に上陸し、日本軍は激しく抵抗した。
熾烈な地上戦は約3カ月間続いた。
沖縄を守るため、県内外の将兵で第32軍が編成された。
内地から2500機以上の特攻機や空挺隊、戦艦大和を旗艦とする艦隊が出撃した。
沖縄県内では義勇隊や中等学校生らによる鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊が組織され、多くの命が散華した。
牛島満第32軍司令官が昭和20年6月23日に自決し、組織的戦闘が終わった。日本の軍民約18万8千人が亡くなり、米軍も1万2千人以上が戦死した。
その上に今の平和があることを、忘れてはなるまい。
慰霊の日に先立ち、天皇、皇后両陛下は沖縄を訪問された。
2025年6月4日には平和祈念公園内の国立沖縄戦没者墓苑に、2025年6月5日には米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑に供花し、遺族らと言葉を交わされた。
沖縄の苦難の歴史を深く偲ばれる両陛下を、県民は熱い思いで奉迎した。
残念なのは、沖縄戦を巡り偏った言論が県内の一部に見られることだ。
例えば地元紙は、沖縄戦の最大の教訓は
「軍隊は住民を守らない」
ことだと繰り返し報じ、自衛隊の活動も批判している。
だが実際は、日本兵に
「生き延びよ」
と励まされ、助けられた県民も大勢いる。
現在の自衛隊も、沖縄を含む日本の平和維持に欠かせない存在だ。
沖縄の近海で中国は軍事的圧力を一段と強めている。
外交努力に加え、防衛力の充実、国民保護の強化が求められる。

皇室への沖縄県民の「思い」
日曜に書く 論説委員・川瀬弘至
2025/6/22 15:00
https://www.sankei.com/article/20250622-JVOGWSCFQBLIVFAUI5VZA3RKA4/
かつて筆者は那覇支局に3年余り勤務し、地元メディアのおかしな報道には慣れっこのつもりだった。だが―。
戦後80年の慰霊の旅として、天皇、皇后両陛下と敬宮愛子内親王殿下が沖縄をご訪問され2025年6月4日、地元紙の琉球新報は社説に書いた。
「今回の両陛下のご訪問を、県民は複雑な思いで受け止めている」
■残念な琉球新報社説
同紙によれば沖縄戦は
「天皇の名の下に戦われた戦争」
であり、
「沖縄は『皇土防衛』の『捨て石』だった」。
このため県民の心には
「癒えることのない『沖縄の傷』が今も存在する」。
それを
「日本本土の国民は知るべきだ」
という。
あんまりの内容だ。
同紙は、上皇陛下の沖縄でのご活動には理解を示しつつ、来県される天皇ご一家に対し
「県民の思いに向き合ってほしい」
と求める。
これでは、ご一家が沖縄に向き合っておられないと言わんばかりではないか。
特に解せないのは、同紙が昭和天皇の
「責任」
を強調している点だ。
昭和天皇の判断が2度に渡り
「沖縄の命運に影響を与えた」
という。
1度目は戦時中の昭和20年2月、元首相の近衛文麿が終戦を具申した
「近衛上奏文」

「拒んだ」
こと、
2度目は戦後の昭和22年9月に
「昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた」
ことで、それが沖縄の
「戦争犠牲」

「戦後の米統治」
に繋がった可能性があるというから、驚く他ない。
同紙は説明していないが、近衛上奏文とは、戦争が続けば
「共産革命」
が起きるから終戦すべきという内容だ。
まずは軍部を牛耳る共産分子の
「一掃が肝要なり」
と求めている。
現代から見れば一理あるにしても、当時としては非現実的な意見で、昭和天皇が採用できなかったことを批判する歴史学者はほとんどいない。
2度目
「責任」
についても同紙は肝心な部分に触れていない。
昭和天皇は単に米軍による沖縄占領を望んだのではなく、
「日本に主権を残しつつ、長期貸与の形を取るべき」
との考えを示したと、米国側の資料に明確に書かれている。
米軍は当時、沖縄の基地の永久使用に固執し、日本から沖縄を完全に切り離そうとしていた。
昭和天皇は何とかそれを止めようと、
「貸与」
の考えを伝えたとする学説が有力だ。
同紙は同日付の社会面でも
「天皇の戦争責任」

「薄れゆく」
のを
「懸念」
する記事を掲載した。
極めて一面的であり、読者をミスリードするものにほかならない。
■適切な沖縄タイムス社説
同じ地元紙でも、同日付の沖縄タイムスの社説は温かみのあるものだった。
同紙は、上皇陛下がご在位中に何度も沖縄に足を運ばれたのは
「沖縄に寄り添い、国民としての一体性を保つために努力することが
『象徴としての務め』
だと理解していた」
からだと強調する。
今回の天皇ご一家のご訪問も
「上皇ご夫妻から託されたバトンを継いでいくための、天皇家の
『継承の旅』
という性格を持っている」
とし、県民側も若い世代による
「記憶の継承」
が大切だと論を繋いだ。
琉球新報の社説が本土と沖縄の分断を浮き彫りにするような内容だったのに対し、沖縄タイムスのそれは、天皇家によって導かれる本土の沖縄理解を促す内容だった。
■夜空を照らす提灯
そのどちらが、県民の
「思い」
に近いか。
天皇ご一家が訪問された際の、県民の奉迎ぶりを見れば明らかだろう。
両紙の社説が掲載された2025年6月4日、天皇ご一家が宿泊された那覇市のホテル近くで提灯行列が行われ、およそ4500人もの県民が集まった。
無数の提灯が夜の街に浮かび上がると、やがてホテルの1室にも提灯が3個ともった。
天皇ご一家が県民と心を1つに、平和の灯を夜空に照らされたのだ。
たちまち湧き起こる感謝の拍手と歓声。
参加者の1人は産経新聞の取材に、
「天皇ご一家の沖縄に寄せる温かいお心を感じた」
と語った。
多くの県民が同じ思いだっただろう。
沖縄は2025年6月23日、沖縄戦の終結から80年となる
「慰霊の日」
を迎える。
天皇陛下はこの日、皇后陛下と共に皇居で黙禱される。
沖縄と本土の国民も心を通わせ、平和の祈りを捧げたい。

<産経抄>沖縄戦終結から80年
2025/6/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250622-VSBMGT3RUVNXJAABK33BSLYR64/
羽化してから数時間で命を終えるカゲロウは、はかなさの象徴として歌に詠まれることも多い。
<壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ>。
芥川龍之介の死を悼み、親しかった斎藤茂吉が手向けた挽歌だ。
▼35年の生涯を駆け抜けた作家の面差しが命短いカゲロウの姿に重なり、寂寥(せきりょう)感が長い尾を引く。
かの羽虫には口がない。
餌を取るということを知らず、子孫を残すためだけに空を漂う。
歌人の小池光さんが
「片道燃料で出撃した戦艦大和のよう」
と、例えていたのを思い出す。
▼その大和は沖縄戦に向かう途中で、米軍機の攻撃により沈んだ。
昭和20年4月7日である。
沖縄本島では第32軍将兵や義勇隊などが戦い、本土からは2500機以上の特攻機や空挺隊が出撃した。
日本は軍民合わせ約18万8千人が亡くなっている。
▼沖縄を、我が国を、子や孫らのあすを守るため、身を盾にして奮戦した人たちである。
米軍の戦死者も1万2千人以上に上った。
明日2025年6月23日は、沖縄での組織的な戦闘が終わってから80年の節目、戦没者に哀悼の誠を捧げる
「慰霊の日」
である。
▼沖縄戦を巡っては、今も尚、本土防衛の
「捨て石」
などと自虐的な歴史観で語られることも多い。
沖縄戦の特攻には、関東や東北など各地から多くの若者が出撃して散華した。
国を守る戦いに、本土も離島もなかった証しである。
英霊への冒瀆を看過することはできない。
▼尖閣諸島をはじめ我が国近海では、中国の威圧的な動きが目に余る。
長きに渡り積み重ねた
「戦後」
に唾する相手には外交努力だけでは十分でない。
防衛力を高めることが国民と国土を守ることに繋がる。
子孫に明日を託した英霊への、それが答えになる。

<正論>国防上重要な沖縄戦の歴史認識 
日本経済大学准教授・久野潤
2025/6/20 8:00
https://www.sankei.com/article/20250620-CTG3EDUAOBIEDBK7DXI2I273VQ/
■共産主義から沖縄守る大御心
2025年4月2日付の本欄拙稿で80年前の沖縄戦において、日本軍が沖縄を見捨てるどころか全力で戦い、一方で戦後の日本再建の布石も打っていたことについて述べた。
『昭和天皇実録』の昭和22年9月19日の項に
「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」
し、それが
「米国の利益となり、また日本を保護することにもなる」、
そして
「米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべき」
で、
「この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろう」
と思し召しであったことが記されている。
このいわゆる
「天皇メッセージ」
により沖縄に対する主権が確保されたと評される(ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』など)一方、反皇室的な論者の間では戦後も引き続き基地設置を認め、自己保身のため沖縄を犠牲にしたとの主張も根強い。
後者はまったくの曲解と言わざるをえないが、共産主義の脅威が矮小化されている結果でもある。
昭和20年5月にドイツが降伏した後、沖縄防衛も絶望的となった昭和20年6月、ソ連の対日参戦情報(昭和20年2月のヤルタ会談で米英と密約)などを無視する格好で、東郷茂徳外相の命で広田弘毅元首相、次いで佐藤尚武駐ソ大使がソ連に対する連合国との和平斡旋交渉を開始した。
実際のソ連は終戦間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領へ侵攻し、昭和20年8月15日を過ぎても侵略を続けたことは周知の通りだが、沖縄失陥により指導層のソ連への期待が高まり判断を狂わせたことは歴史の重要な教訓である。
沖縄を守るためにも、戦後に誕生した中華人民共和国を含む共産主義勢力を排除すべきことが、昭和天皇によりいち早く示唆されたことになる。
歴代天皇の沖縄への痛切な大御心(おおみこころ)については本稿で繰り返すまでもないが、共産主義の脅威から国土を守ることは、現在に至るまで国防の重要課題であり続けている。
■日本中の将兵が沖縄で戦った
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日は沖縄県制定の
「慰霊の日」
とされ毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)で県および県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開催されている。
平成2年以降、コロナ下を除いて現職首相も参列し、メディアで大々的に報道されるが、もう1つの、もとい本来の戦没者慰霊顕彰のよりどころである沖縄県護国神社(那覇市、昭和11年創建)で同日に斎行される沖縄戦全戦歿(せんぼつ)者慰霊祭はあまり知られていない。
筆者は実は、こちらの方へ参列している。
「全國護國神社會」
所属の護国神社52社の祭神は、基本的に幕末以来の地元出身殉難者・戦没者等だ。その中で沖縄県護国神社の祭神は
「日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊」
17万7913柱で、
「北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者」
即ち沖縄出身でない沖縄戦戦没者(都道府県別で最多の北海道は1万90柱)も含まれている。
その前で
「沖縄は見捨てられた」
などと言えようか。
現行憲法の
「政教分離」
解釈から公的行事で神道式の
「慰霊」
を殊更に避けようとする戦後の風潮には違和感を覚えるが、出自も違う数多の戦没者にとっての結節点は、靖国神社に祀られるということであった。
その靖国神社に準ずる護国神社での慰霊顕彰に、沖縄戦に思いを致す日本人はもっと目を向けるべきであろう。
■建国以来の信頼関係回復へ
このことは、単なる過去の話ではない。
先月2025年5月刊行された齋藤達志『完全版沖縄戦』は
「沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さと共にそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日のもとに明らかにした」
と厳しく指摘している。
沖縄戦で無念にも的確に県民を守れなかったのはその通りとしても、同時に、それを受け止めた現在における一部日本人の歴史認識の
「未熟さ」
を筆者は思わずにはおれない。
国土を守る戦いとは、当地の住民を守るのみならず、後世まで敵勢力に対する抑止力を持たせるべきものである。
我が国が建国以来、王朝交代等なく継承されてきたのも、君主と国民、国民と<祖国を守る者>が支え合うという、三者の信頼関係が2000年以上続いてきたからに他ならない。
歴史上、革命や間接侵略の際にはこの信頼関係破壊が図られた。
「沖縄県民を守ろうとしたが守れなかった」
史実が
「天皇も軍隊も沖縄を守ろうとしなかった」
という話に転化されることで、
「これからも自衛隊は日本を守らないかもしれない」
との疑心暗鬼を生み、侵略される隙を作ることになる。
日本国民と、天皇そして<祖国を守る者>との建国以来の信頼関係が今後も保たれるかどうかは、沖縄戦に対する歴史認識にかかっているといっても過言ではない。

<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡
日本経済大学准教授・久野潤
2025/4/2 8:00
https://www.sankei.com/article/20250402-AAS6XLCBVBMX7MOEWXZDVW5OYQ/
■沖縄へ向け大和出撃80年
本年は沖縄戦、そして戦艦「大和」出撃から80年の節目でもある。
今もって史上最大の戦艦である「大和」は、その艦名も相俟(あいま)って我が国戦史上特筆すべき存在であり、またその出撃の当否をめぐる議論も戦後絶えなかった。
昭和20(1945)年4月1日の連合軍沖縄本島上陸の際、連合艦隊は「天一号」「菊水」の特攻作戦を発動した。
鹿屋基地(鹿児島県)の第五航空艦隊の司令長官は、かつて山本五十六連合艦隊司令長官を補佐する参謀長として、またマリアナ・レイテの両海戦で第一戦隊司令官として「大和」に座乗した宇垣纏(まとめ)海軍中将。
宇垣は独断で麾下(きか)の零戦を出撃させ、沖縄へ向かう「大和」上空直掩(ちょくえん)を図るが、零戦隊の本務もあり果たせなかった。
昭和20(1945)年4月7日の「大和」沈没を聞いた宇垣は、陣中日誌『戦藻録』に
「抑々茲(そもそもここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈(だけ)の総攻撃なるやの(筆者注・昭和天皇の)御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」
と記している。
これをもって「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄を何としても救わねばという大御心(おおみこころ)に思いを致すべきであろう。
「大和」出撃を後押しした連合艦隊司令部の心情を表す、神重徳(かみしげのり)参謀の言葉が伝わっている。
「もし大和を柱島あたりに繫(つな)いだままで、大和が生き残ったままで戦争に敗けたとしたら、何と国民に説明するのか」
(吉田満・原勝洋『ドキュメント戦艦大和』)
これに対して高田利種参謀副長が
「これをやらないで今度の戦さに敗けたとしたら、次の日本を作る事が出来ないのではないかというのが、神参謀の本心だと判断した」
ことで、
「国民」
がこの時点に存在した日本人のみを指すのではなく、後世の我々をも含む概念であったことも理解できる。
沖縄の戦況を憂う大御心を拝した軍人たちにとって、将来に渡り
「あの時の日本軍は固有の国土を全力で守らなかった」
との誹(そし)りを受けることはあってはならないのだ。
■受け継がれていた楠公精神
さて作戦名の菊水とは、後醍醐天皇に忠節を尽くして湊川の戦いで殉節(戦死)し、後世広く崇敬された大楠公こと楠木正成の家紋である。
戦後史観のもとでは、大楠公は衆寡敵せぬ情況で仕方なく出陣して玉砕した点が、日本軍の思想に影響を与えたかのように評されてきた。
実際の大楠公は足利尊氏の反逆に対し我が国の正道を示し、それを継承する布石を打って湊川へ向かった。
戦前の日本人もそれを理解していたからこそ長男正行(まさつら)を故郷へ帰した
「桜井の訣別」
の逸話に涙したのである。
「大和」出撃に際しても、桜井の訣別≠ェあった。
出撃3日前の昭和20(1945)年4月3日に卒業したばかりの海軍兵学校74期生42人・海軍経理学校35期生4人が少尉候補生として乗り組んでいた。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は出撃前日の昭和20(1945)年4月5日、彼らに退艦を命じる。
候補生たちは命令撤回を懇願したが、有賀幸作「大和」艦長に
「この戦(いくさ)はまだまだ先が長いぞ」
「お前たち候補生にはもっと働き甲斐のある戦闘が待ち構えておる、自重せよ」
と諭され退艦した(中田整一『四月七日の桜』)。
参陣を懇願する子に大楠公が、更に長きに渡り皇室に忠節を尽くすべしと自重を諭したのと軌を一にする。
■絶望的な戦局でも尚…
沖縄への出撃を命じられた伊藤は当初大反対であった。
神の要請で「大和」を訪れた草鹿龍之介連合艦隊参謀長から
「一億総特攻の魁(さきがけ)」
となってほしいと説得され納得したとされる。
沖縄失陥までの10次に渡る菊水作戦で海軍は940機、陸軍は887機が特攻を行い、それによる連合国側死傷者は1万人近くを数えた。
加えて、残存水上兵力をかき集め「大和」以下10隻の第二艦隊も出撃させたのであるから、沖縄は見捨てられたとする戦後の言説が筆者には理解し難い。
そして宇垣も終戦の玉音放送後に湊川≠ヨ向かった。
最後の特攻隊として「彗星」爆撃機11機を率い出撃する直前まで書いていた『戦藻録』最後の頁は、以下の行で締められている。
「独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万艱(ばんかん)に抗し、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完(まっと)うせん事を望む」
「余又楠公精神を以て永久に尽す処あるを期す」
大楠公は湊川で弟正季(まさすえ)と刺し違える際「七生滅賊」を誓い合い、その精神が幕末の志士さらに近代軍人に受け継がれることで日本を護(まも)り続けた。
「大和」出撃も無駄だったどころか、絶望的な戦局でも最後まで国土を護るため戦った確固たる足跡を残している。
筆者は先述「大和」退艦の候補生の1人で同期を代表して有賀艦長に直談判した阿部一孝氏(令和5年6月逝去)から直接話を伺う機会があった。
「沖縄特攻は、今の日米関係の土台になっているはず」。
沖縄を易々と見捨てるような日本であったならば、米国も今のような同盟国として扱わなかったであろう。

戦争目的を失った日本
開戦4日後の昭和16年(1941)12月12日、日本はこの戦争を
「大東亜戦争」
と名付けると閣議決定しました。
従って、この戦争の正式名称は
「大東亜戦争」
です。
現代、一般に使われている
「太平洋戦争」
という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものです。
「大東亜戦争」
は前述したように緒戦は日本軍の連戦連勝でした。
開戦と同時にアメリカの真珠湾とフィリピンのクラーク基地を叩き、3日目にはイギリスの東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻の戦艦を航空攻撃で沈めました。
更に難攻不落と言われていたイギリスのシンガポール要塞を陥落させました。
そしてこの戦争の主目的であったオランダ領インドネシアの石油施設を奪うことに成功します。
日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東条英機首相は、
「これで石油問題は解決した」
と言いましたが、彼も政府(そして軍)も、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気付いていませんでした。
結論を言えば、日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を日本国内に輸送することができなかったのです。
開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めていました。
しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、日本国内の流通に支障を来すため、軍は
「半年だけ」
という条件で無理矢理に民間船を徴用したのです。
ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船や油槽船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められる事態となります。
それでも海軍は、輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切ありませんでした。
「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するためのもので、鈍足の輸送船を護衛するためのものではない」
というのが上層部の考えだったからです。
海軍は、かつて日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させて日露戦争に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させれば終結すると考えていました。
そのため艦隊決戦こそが何よりも優先されるという思い込みを持っており、輸送船の護衛などは考えもしなかったのです。
海軍では船舶の護衛任務を
「くされ士官の捨て所」
と呼んで軽侮していましたし、陸軍にも
「輜重輸卒(しちょうゆそつ:物資の輸送をする兵)が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」
と輜重兵を馬鹿にしたざれ歌がありました。
戦争が、輸送や生産も含めた総力戦であるという理解が欠如していたのです。
身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈されました。
それで
「半年だけ」
という約束は反故にされ、軍は更に民間船を徴用することになります。
そのため戦場では勝利を収めながらも、国内経済は行き詰まっていくという矛盾した状況に陥りました。
石油を含む物資の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になったにもかかわらず、軍はその辺りを全く把握・理解出来ていませんでした。
驚くべきデータがあります。
公益財団法人「日本殉職者船員顕彰会」の調べによれば大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、魚船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上に上ります。
その損耗率は何と約43%です。
これは陸軍兵士の損耗率約20%、海軍兵士の損耗率約16%を遥かに超えています。
彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸けで運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には満足に行き渡りませんでした。
それでも軍需物資の不足に悩む政府は、昭和17年(1942)5月に、金属類回収令を発動し、寺の梵鐘、橋の欄干、銅像、更に一般家庭にある余った鍋釜や鉄瓶、火箸に至るまで強制的に供出させたのです。
これにより国民生活は一層逼迫しました。
この時点で、戦争継続は不可能な状況と言えました。
ガダルカナル島の戦いでは、日本の誇る世界最強の戦艦である大和と武蔵は1度も出撃していません。
兵力を温存したかったという理由もありますが、石油不足のために動かせなかった(大和型戦艦は大量に重油を消費する)という面もありました。
輸送船を護衛しなかったツケが開戦後1年も経たないうちに回ってきたのです。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

沖縄戦最初の戦死 歴史に葬られた特攻隊長 伊舎堂用久
正論2025年4月号 作家 将口康浩
大陸に対し、海に弧を描き、鹿児島から沖縄の島々が連なっている。
国境に近い最西端、八重山諸島の中心が石垣島。
沖縄本島から400km、台湾との距離は僅か270kmしか離れていない。
石垣島の北170kmに点在する尖閣諸島では中国船の頻繁な領空侵犯を受けている。
かつて沖縄は、東から攻め上がった米軍との戦いの地となった。
今、西からの攻勢に晒されている。
尖閣諸島最大の魚釣島の地番は沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地。
ちょうど80年前の昭和20(1945)年、石垣島から出撃、慶良間諸島沖で米艦隊に体当たり攻撃を行った伊舎堂用久大尉の生まれは石垣市登野城156番地。
自分の郷土は自分で守ると、特攻隊長として故郷から出撃した。
石垣島西部に陸軍白保飛行場が広がっていた。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、指揮所前に陸軍特別攻撃隊
「誠第17飛行隊」
と、その護衛に当たる
「独立飛行第23中隊」
の隊員、関係部隊長40名が集合していた。

本25日1650、慶良間群島周辺に空母2、特設空母4以上よりなる敵機動部隊遊弋中なり
飛行団は敵機動部隊を攻撃せんとす

中央気象台石垣島測候所は昭和20(1945)年3月26日の天候は快晴と予報していた。
海上に浮かぶ眼下の敵を発見しやすい絶好の飛行日和だった。
昭和20(1945)年3月26日午前4時。
見送りを受け、初めに第23中隊所属の直掩機6機、続いて誠第17飛行隊の特攻機4機が離陸した。
11歳だった石垣島宮良の小浜義勝はその日をよく覚えている。
迫る米軍艦艇に体当たりをする特攻機が石垣島から出撃することは子供でも知っている公然の秘密だった。
日の出は午前6時37分、まだ月が残っていた。
「飛行機が飛んでいる」
姉の声がした。
布団にくるまり、眠っていた小浜義勝はすぐに飛び起きた。
耳を澄ますと、聞き慣れた陸軍機の爆音がする。
急いで庭に出て、北の空の機影に姉と2人で懸命に手を振った。
傍らでは、目を閉じたままの母は手を合わせて拝み、父は言葉もなく呆然と見送っていた。
その日、米空母に突撃して戦死したと聞いた。
戦後も生まれた石垣島で暮らし、老齢となった小浜義勝は伊舎堂用久の戦死についてこう語っていた。
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂用久中佐が故郷を守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
熾烈を極めた沖縄戦は石垣島の白保飛行場から飛び立った伊舎堂用久隊が口火を切る。
伊舎堂用久率いる10名が沖縄戦最初の戦死者となった。
しかし、この事実を知る者は少ない。
■「用久元気」空からの手紙
中国戦線から1年ぶりに帰国、静岡県浜松で新型機に乗り換えるための訓練を受ける。
僅か1カ月ほどの浜松滞在後、那覇経由で台湾花蓮港(現・花蓮市)に向かう。
途中、石垣島の生家上空を旋回、通信筒を落とす。
帰省することができない伊舎堂用久からの空からの手紙だった。

用久元気 台湾花蓮港ニ居ルコトニナリマシタ 今前進スル途中

最早故郷の地を踏むことはない、珊瑚礁に当たる砕ける波と白浜、緑深い山々、港に続く懐かしい家並み。
空からこれが見納めとじっくりと眺めたに違いない。
手紙を受け取った父の伊舎堂用和、母の伊舎堂ミツも同じ心持ちだっただろう。
だが、10カ月後、再び故郷の地を踏む。
帰るに帰れなかった石垣島に7年ぶりの帰郷を果たす。
そこが最期の地となった。
昭和19(1944)年10月25日、レイテ沖海戦で初めての特攻攻撃が行われた。
同年昭和19(1944)年11月中旬、花蓮港からフィリピンのルソン島ツゲガラオ基地まで、伊舎堂用久は99式軍偵察機で飛行、米軍の進攻状況や特攻隊の現況などを10日間に渡り偵察分析する。
整備の岡本泰憲曹長だけが同行した。
夕食後、ツゲガラオ基地の宿舎を抜け、2人で空を見上げる。
交わす言葉はなく、無言のままだった。
岡本泰憲曹長が手記に残している。
「群青色に澄んだ夜空に散らばる南十字星を伊舎堂中尉と感無量の想いで眺めた思い出は忘れられない」
この時点では台湾での特攻隊編成は決まっていなかった。
しかし、伊舎堂用久を単機で現地視察に行かせた理由は1つしかない。
沖縄で特攻隊出撃命令を下す際、敵を迎え撃つ沖縄県民と後続の陸軍航空兵の士気を高める上で、第8飛行士団幹部は郷里の英雄を最初の隊長にすべきと当初から考慮していた。
無論、伊舎堂用久自身もその意を汲んでいた。
昭和19(1944)年11月末、同師団に特攻隊編成指示が出された。
死に向かう道しかない集団の団結心と1人1人の闘志の高揚、持続だった。
そのためには集団を率いる隊長の責任感や統率力、人柄、技量が重要になる。
部下にこの人とならば、と思わせるような男でなければならない。
編成を任された作戦主任参謀の石川寛一中佐は隊長に伊舎堂用久を指名した。
石川寛一中佐は偵察出身で、伊舎堂用久との関係も深く、知悉の間柄でもあった。
伊舎堂用久を司令部に呼び出し隊長就任を要請した。
何の迷いも躊躇いもなく、伊舎堂用久が即答する。
「私にやらせて下さい」
昭和19(1944)年12月8日、
「誠第17飛行隊」
が編成された。
伊舎堂用久は昭和19(1944)年12月1日、大尉に昇級した。
希少な石垣島出身の飛行隊長が郷土から特攻出撃する筋書きが完成した。

伊舎堂用久大尉 陸士55期、24歳、沖縄出身
石垣仁中尉 陸士56期、23歳、山形出身
安原正文少尉 幹部候補生9期、24歳、高知出身
川瀬嘉紀少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、東京出身
大門修一少尉 特別操縦見習士官1期、24歳、茨城出身
久保元治郎少尉 金沢大、特別操縦見習士官1期、22歳、千葉出身
芝崎茂少尉 特別操縦見習士官1期、23歳、埼玉出身
黒田釈伍長 少年飛行兵、21歳、愛媛出身
有馬達郎伍長 少年飛行兵、17歳、鹿児島出身
林至寛伍長 少年飛行兵、17歳、東京出身
小林茂兵長 少年飛行兵、16歳、東京出身

誠第17飛行隊11名のうち生き残った者は誰1人としていなかった。

昭和20(1945)年2月28日、誠第17飛行隊は石垣白保飛行場に到着した。
伊舎堂用久にとって7年ぶりの故郷で過ごす最期の37日間だった。
隊員は飛行場近くのオーセと呼ばれる拝所がある白保集落の中心に分宿する。
毎朝、オーセ前に集合し、全員で体操を行う。
その後、隊長宿舎前で点呼を取り、その日の作業日程やその日の行動確認を行い、最後に隊長が訓示をするのが日課だった。
門前で伊舎堂用久がキビキビと名前を呼び、隊員が返事をする光景を見た前盛家の嫁、敏子は規則を厳格に守る軍隊の様子に驚かされる。
「物腰の柔らかい方で、隊長は部下に対しても、温情みある態度で接し、叱り付けるようなことはありませんでした」
死にだけ向かっていく伊舎堂用久の心中を慮り、話しかけたこともあった。
「夜はきちんと熟睡できますか」
「出撃の日を待つのみですから、何も考えずに、その日を来るのを待っています。今はただ、明鏡止水の心境です」

比ぶなき幸い哉我選まれて今南海の雲と散り征く 石垣仁中尉
死生有命不足論 只祈必中撃沈 安原正文少尉
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき 伊舎堂用久大尉
人間到処在青山 芝崎茂少尉
きづなをば たちて飛びゆく 白雲の無心の境地 機にまかせて 大門修一少尉

残された寄せ書きが5名の遺書となった。
■「部下のことを・・・」家族との面会拒む
地元出身の有名人だったが前盛家の家族以外、他の島民たちと接触することはほとんどなかった。
伊舎堂用久の母ミツと姉の3女トヨ子、妹の4女節子が隊長宿舎を訪ねてきたことがある。
前盛家の長男、善助がそのことを伝えると、伊舎堂用久は毅然として面会を断った。
「部下は本土出身で、帰りたくても帰ることができない」
「部下の気持ちを思うと、自分だけ家族に会うことはできない」
陸軍士官学校入校以来、故郷に帰ることが叶わず、あれほど会いたかった母と姉妹たちだ。
しかし歓喜するどころか、すげなく追い返す。
「大尉殿は会うことはできないと言っている」
母たちに善助が申し訳なさそうに言った。
自宅のある登野城と白保は10km近くある。
子供の足では3時間近くかかるだろう。
会えないまま、落胆し帰って行った。
「公私の区別について、かなり厳格に考えていた」
「妹さんが手作りのご馳走を持参して面会に来ても会わなかったようだ」
「せっかく訪ねてきたのだから、堅苦しく考えずに会ってあげたらどうか、と勧めたことがある」
「しかし、部下は帰ろうと思っても帰る所もない」
「いくら肉親でも部下の手前、忍びないと拒み通したことは並みの人のできることではない」
「こういうことなどで部下たちは心服していた」
上司の第9飛行団長の柳本栄喜大佐は戦後、こう書き記す。
柳本栄喜大佐も面会を勧めるが、伊舎堂用久は頑なに拒んでいた。
「家に帰って1度、両親に顔を見せてはどうか」
石垣島に駐屯していた第69飛行場大隊長の浅沼紀平少佐は伊舎堂用久に顔を合わせる度に、帰宅を促していた。
しかし、伊舎堂用久の返事は変わらなかった。
「部下の事を考えれば、そういうわけにはいきません」
誠第17飛行隊の整備兵が戦後、こう語っている。
「伊舎堂隊長は石垣島に実家があり、お父さんも妹さんもいらっしゃる」
「それなのに隊長は家に帰らぬ」
「皆で是非、家に帰ったら如何ですかと言っても、
『戦争をしているんだ』
と言って、部下の訓練をしていた」
「あの隊長のためなら喜んで命を捨てることができる」
部下にとって、伊舎堂用久と行動を共にすることは当然の成り行きだった。
しかしながら、出撃が間近となった時、浅沼紀平少佐の再三再四の要請に根負けし、浅沼紀平少佐と共に車で登野城にある実家に向かった。
玄関で出迎えた父、伊舎堂用和は伊舎堂用久を上座に座らせた。
厳格な父は3男と根性の別れになることを悟っていた。
特攻隊長就任の経緯も、戦死後の処遇も、戦局の行方も語らず、2人は静かに杯を交わす。
帰りの車中で漏らした言葉が浅沼紀平少佐の脳裡で渦巻く。
「いずれ、敵が沖縄に上陸すれば、私は第1次特攻隊として特攻することになる」
「死ぬことは何とも思わないが、私たちが死んだ後、祖国日本はどうなるだろうか」
「それが心残りです」
如何に特攻機で戦艦を撃沈させようとも、挽回しようがないところまで追い込まれていた。
既に日本は敗戦すると腹を括っていた。
「我々が残っているから心配ない」
それしか浅沼紀平少佐には返す言葉がなかった。
昭和20(1945)年3月25日正午、台湾の第10戦隊が那覇西方海上で米空母2隻を含む大規模な艦隊を発見する。

第9飛行団長は明26日早朝、誠第17飛行隊を基幹とする特別攻撃隊をもって慶良間群島周辺の敵機動部隊に対し左のごとく攻撃すべし
攻撃時刻 0550 編成および攻撃方式 甲編成第1方式
直掩機の装備 爆装備

連絡を受け、隊員たちの賄いをしていた仲宗根千代も大急ぎで弁当を作り、持って行った。
飛行中、機上で食べることができるように、竹の皮に包んだ握り飯弁当だった。
昭和20(1945)年3月25日午後11時50分、戦闘指揮所に隊員や関係者が集合する。
第9飛行団長の柳本栄喜大佐が最後の命令を下す。
「敵はいよいよ我が国土に侵寇しようとしている」
「諸君の成功を祈る」
別れの杯に酒を満たし、白鉢巻き姿の隊員が酌み交わす。
仲宗根千代が食事を作っていた隊員の鉢巻きには
「お母さんお先に」
と書かれていた。
「いずれ私たちも祖国のため殉死する運命を免れないと思っていたので、特別な感情は浮かばなかったけど、今でもあの時の姿が浮かんでくる」
■戦死知らずに面会
出撃時刻は翌昭和20(1945)年3月26日午前4時だった。
「伊舎堂隊長の出撃です。すぐ来てください」
姉・伊舎堂トヨ子の夫である石垣信純の兵舎に整備兵が飛び込んで来た。
石垣信純は現地招集の工兵隊中隊長だった。
兵舎から飛行場まで約1km。
自動車もなく、これが義弟との別れになる。
息を切らせ、走りに走った。
到着した時、伊舎堂用久機は既にエンジンを掛け、プロペラが回り始めている。
もう駄目だ、遅かったと呆然と立ち尽くす。
そこへ誰かが石垣信純の手を取り、急いで搭乗機の近くまで連れて行く。
既に特攻機を守る直掩機は離陸し、上空で待機している。
操縦席で眼前を伊舎堂用久はまさに飛び立とうとしていた。
思わず石垣信純は動こうとする搭乗機にしがみつく。
伊舎堂用久はようやく義兄の姿に気付く。
言葉は一言だけだった。
「姉さんによろしく」
石垣信純が何か言う間もなく、滑走路を駆け、伊舎堂用久機が空に舞い上がる。
言葉も声も無く、その場に崩れ落ちる。
慶良間諸島沖合に艦隊を発見、大型空母2隻、小型空母2隻を含む大艦隊だった。
一斉に駆逐艦の対空砲火が始まり、凄まじい米軍の火力を見せつける。

いまより我、突入す

予定時刻の昭和20(1945)年3月26日午前5時50分、芝崎茂少尉、川瀬嘉紀少尉、黒田釈伍長の順に打電が入る。
伊舎堂用久大尉も体当たり攻撃を敢行する。
昭和20(1945)年6月23日まで続く、沖縄戦の最初の戦いだった。
弁当を届けた仲宗根千代はそのまま司令部に残り、連絡を待っていた。
伊舎堂用久隊突入、成功の報が届く。
歓喜の声も、泣き叫ぶ声もなく、司令部全員が同時に合掌、隊員たちの冥福を祈った。
ただ一人、伊舎堂用久の当番下士官だけが泣き叫び、床に座り込んでいた。
仲宗根千代は忘れられない。
「往時に思いを致す時、あの若さで異性を知ることもなく、青春を楽しむこともなく、只々祖国の安泰と慈母の穏やかなることを念じ、黙々として死の首途に赴いた少年特攻兵の面影は今でも忘れることは出来ません」
「司令部のその時の一種悲壮、感動的な光景は今尚脳裡に浮かんできます」
第1団に引き続き、昭和20(1945)年3月29日に安原正文少尉、昭和20(1945)年4月2日に久保元治郎少尉と有馬達郎伍長、昭和20(1945)年4月8日に林至寛伍長が出撃、昭和20(1945)年5月14日に大門修一少尉、伊舎堂用久隊全員が散華した。
石垣仁中尉は昭和20(1945)年3月22日、台湾沖で戦死、小林茂兵長は台湾での訓練中に事故死していた。
伊舎堂用久が戦死した昭和20(1945)年3月26日、事情を知らない父と母、姉、妹が揃って白保飛行場を訪れる。
出撃が近付いていることを察知、最期になるかもしれないと心づくしのご馳走を携えていた。
いずれ、この日が来ることの心積もりはあったとはいえ、茫然自失となる4人。
周囲も憚らず、地面にうつ伏せて泣きじゃくる母。
姉と妹も母の背に追いすがり声を上げる。
子に先立たれる母ほど、哀切なものはない。
泣き崩れる親子の姿に周りの者も涙を流す。
「武人としての本望ではないか」
父・伊舎堂用和だけは気丈に振る舞うが、心中は慟哭していただろう。
■歌われなくなった唄
伊舎堂用久隊に感状が授与され、ラジオや新聞各紙が一斉に報道する。
石垣島出身の毎日新聞、宮良高夫記者が
「伊舎堂大尉よ。あなたの武勲はふるさとの海に咲く赤い花とともに永久に故郷を飾るのだ」
と記事に書いた。
武功を讃える
「伊舎堂隊の唄」
はかつて、沖縄に暮らす老若男女誰もが知らぬ者がいなかった。
伊舎堂用久の陸士同期、藤森正義の義弟が那覇航空測候所に勤務していた。
日本復帰間もない頃、義弟から那覇の街でよく歌われていると手紙で知らされ、
「沖縄県民の心の中に生き続けていることを嬉しく思う」
と藤森は書き残す。
だが、いつしか伊舎堂用久の武勲が故郷で語り継がれることも、歌が口ずさまれることもなくなった。
伊舎堂用久の長兄の伊舎堂用展、伊舎堂用展の妻・伊舎堂ハツは戦争で命を失った。
伊舎堂用久の父の伊舎堂用和も終戦翌日昭和20(1945)年8月16日に病死した。
八重山諸島では米軍上陸に備え、マラリア有病地域の山間部に疎開して罹患、約3000人が死亡。
「戦争マラリア」
と呼ばれている。
伊舎堂ハツもマラリアで死亡した。
伊舎堂用八7歳を残したままの38歳だった。
伊舎堂用展は米軍と交戦の末、戦死。
両親を失った伊舎堂用八は4女、伊舎堂節子の手で育てられる。
八重山高校教諭などを務め、家を継いだ伊舎堂用八が叔父、伊舎堂用久の志を語ることができる唯一の遺族となった。
「伊舎堂用久戦死の意義は沖縄人の誇りと、自分の故郷は自分で守る気概を持ってほしいというメッセージを後世の沖縄人に伝えようとしたこと」
沖縄県糸満市の平和祈念公園に
「空華(くげ)之塔」
が建立されている。
沖縄戦で戦死した陸海軍の航空将兵を祀っている。
昭和39(1964)年11月1日、遺族を代表して母・伊舎堂ミツが除幕を行った。
それほどに伊舎堂用久の名は重いものだった。
「昭和20年(1945)3月26日は沖縄戦が開始された日として地元紙は大きく報道されるが、沖縄戦第1号の特攻には何も触れられない」
「沖縄県民が特攻史を何も知らない」
意図的に忘却されている歴史の真実に伊舎堂用八は憤怒する。
伊舎堂用八も老齢となった。
伊舎堂用久の位牌や写真、手紙などの遺品は今後どうなるのか、処遇も不明である。
石垣市南ぬ浜町で、平成25(2013)年8月15日に
「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」
の除幕式が行われた。
戦死から68年後、ようやく建立にこぎつけた。
忘れ去られたまま、月日が経過していた。
顕彰碑建立期成会が発足後、寄付の申し出が殺到、2000人以上、700万円の寄付金が集まる。
寄付者の手紙にこう書かれていた。

顕彰碑が立派に建立され、尖閣を含む沖縄の地の守り神としての役割を果たさんことを祈念しています。
碑には
「郷土と国を愛し、悠久の大義に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐と隊員の遺功」
と記された。
伊舎堂用久の遺詠
「指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞきたる 千尋の海に 散るぞ楽しき」
とともに、石垣島から出撃した特攻隊31名全員の氏名、年齢、出身地が刻銘された。

蒼海を望む高台に碑はある。
北には尖閣諸島、西には八重山の島々、その先には台湾がある。
更に先には中国大陸がある。
「祖国日本はどうなるか、それだけが心残り」
出撃直前、魂の底から絞り出された言葉だった。
伊舎堂用久が我々に問いかけている。
国を守るということは何か。
国を守ることは故郷を守り、そこに暮らす父母や兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人を守ることだった。
今の祖国を見てどう感じるだろうか。
こんな日本になりましたと伊舎堂用久に見せることが出来るだろうか。
尖閣諸島を跋扈する中国船舶を見せることが出来るだろうか。
日本人として突き付けられている。
歴史の1ページとして郷土から出撃、戦死した伊舎堂用久の人柄、生き方。
現代に生きる我々が先人の犠牲の上にあることを忘れないと共に、もう起きてはならない戦争の凄惨な真実を残すためにも語り継がなければならない。
伊舎堂用久隊出撃から今年2025年でちょうど80年を迎える。
沖縄戦が始まった昭和20年(1945)3月26日。
これからも忘れてはならない日。
石垣島から出撃した誠第17飛行隊。
沖縄戦最初の戦死。
郷土を守ろうとした伊舎堂用久。
日本人が決して忘れてはならない名である。
■地元紙連載が単行本に
当時は軍神とまで崇められながら、戦後は歴史から消されてしまった伊舎堂用久中佐。
せめて地元の人たちには沖縄戦の最初の戦死者について知ってほしいと、筆者は昨年2024年3月から8月に渡り石垣市を拠点とする地元紙・八重山日報で伊舎堂用久中佐について連載した。
その連載が
『歴史に葬られた特攻隊長 〜故郷・石垣島から出撃した伊舎堂用久中佐』
として2025年3月20日、徳間書店から刊行される。
ぜひ一読を乞いたい。

<産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと
2025/3/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170
日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。
戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。
高校教科書の検定を見て改めて思う。
▼だからこそ知ってほしい。
「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。
こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。
80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
伊舎堂はそのとき24歳。
▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。
八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された
『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店)
に詳しい。
沖縄では
「軍人を美化するな」
とされ、特攻を知らない人が多い。
顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。
▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。
旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。
陸軍では作文教育を重視した。
刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。
毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。
▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。
戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は
「本望ではないか」
と気丈に語ったという。
婚約者との再会は、叶わなかった。
▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。
碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。
忘れてはならない歴史である。

「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会
2025/1/17 17:40
https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/
沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が
「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」
と題して講演した。
宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。
「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」
と指摘した。
沖縄戦を巡り、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたという非難があることに触れ、
「『捨て石』のために死んだというのか」
「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」
と強調。
「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」
と述べた。
また、戦後80年を振り返り、
「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」
と憂慮した。

すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」
2024/10/19 19:18
https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」
「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」
との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。
公演は2024年10月20日まで。
いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。
女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。
知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
■ようやく実現した沖縄公演
主催者によると、
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。
特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。
ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。
好評を博し、今年2024年も開催することになったという。
沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を
「捨て石」
にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。
劇中でも、特攻隊員たちが
「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」
と決意し、上官も
「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」
と語る場面があった。
■先陣切った伊舎堂中佐
今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。
米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。
伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。
中山市長は
「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」
「平和の有難味を改めて感じた」
と公演を振り返り、
「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」
「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」
と強調した。
2024年10月20日の公演は2回。
午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。
まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、
「なでしこ隊」
率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は
「お待ちしています」
と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。

先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演
沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹
2024/10/9 9:00
https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/
■沖縄県民の拒絶反応
「こら、いらないわ」
受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。
特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。
プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は
「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」
と述懐する。
資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。
演劇舞台
「未来へつむぐ〜今をありがとう」
は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。
板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。
日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。
いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。
出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた
「なでしこ隊」
の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。
今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。
先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。
誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。
慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。
24歳であった。
■「避けてきた」沖縄公演
「未来へつむぐ」
の初演は平成26年。
以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は
「ずっと避けてきた」(石神さん)
という。
そこに、転機が訪れる。
那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。
今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは
「未来へつむぐ」
の東京公演をたまたま観劇。
「沖縄では
『日本兵に悪いことをされた』
と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」
と衝撃を受け、
「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」
と痛感したという。
教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、
「未来へつむぐ」
の東京公演を見て、赤嶺さんは
「沖縄で伝えられていない歴史」
に気付いたのだ。
初の沖縄公演に向けて奔走。
残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。
観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから
「真実を教えてくれてありがとう」
といった反応も寄せられた。
同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。
同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」
と語っていた。
この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。
戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。
理解に苦しむ。
■タブー視された特攻隊と日の丸
沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
軍は
「悪」
と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。
こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。
大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた
「鉄の暴風」
が吹き荒れた。
当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。
県民は心から早期の本土復帰を願った。
願いを込めて旧国鉄の特急列車に
「なは」
と命名したほどである。
だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。
革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。
復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。
いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。
伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。
「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」
と語っていた。
沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。
旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。
陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。

早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち
正論モーニング
2024/10/30 7:00
https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/
先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした
「特別攻撃(特攻)」
を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。
この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言が反響を呼んだ。
スポーツ選手と
「戦争」
の組み合わせには意外性も感じるが、実は
「鹿児島の特攻資料館」
には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。
■映画・小説に感銘受ける?
早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、
「今やりたいこと」
を問われ、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」
と発言した。
散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは
「軍国主義を賛美している」
などの批判が起きた。
国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。
週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。
昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』)
の影響を指摘する声も多かった。
現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。
筆者も
『あの花』
説に賛成だ。
ヒントは、
「鹿児島の特攻資料館」
という早田さんの発言自体にある。
鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、
「知覧特攻平和会館」(南九州市)

「万世特攻平和祈念館」(南さつま市)
が知られている。
海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。
だが、
「特攻資料館」
という名称の施設はない。
一方、
『あの花』
の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が
「特攻資料館」
と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。
早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で
「特攻資料館」
という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。
『あの花』
には、こんな一節がある。
主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。
≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫
生きていることや卓球をできることが
「当たり前ではない」
という早田さんの発言に通じるものがある。
■アスリートの研修に
その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。
大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。
井上教授は、同会館が2000年以降、そんな
「自己啓発の聖地」
となっていることを、
『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年)
で紹介した。
ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。
今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。
ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。
彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。
「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」
「競技に打ち込める平和な時代に感謝」
「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」
「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」
「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」
「私たちが今あるのも彼らのおかげ」
「彼らに恥じない生き方をする」
先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。
逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。
「平和」
を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。
■「世界の記憶」登録を
同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。
かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
「世界の記憶」(世界記憶遺産)
への登録を再び目指すことだ。
同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。
だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。
以降は申請を見送っている。
当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。
「軍国主義だ」
との批判が説得力をもってしまったのだ。
知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は
「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」
「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」
と話す。
ぜひ登録を目指してほしい。
実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。
(大阪正論室参与)

「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い
2024.8/15 11:38
https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/
パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」
発言への称賛が止まらない。
SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。
特攻隊員の遺品や関係資料を展示する
「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)
が改めて、大きな注目を浴びている。
早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について
「アンパンマンミュージアム」
と共に、知覧特攻平和会館を挙げて
「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」
と述べた。
この発言に対し、SNSでは
「早田選手ありがとう」
「この人は偉いよ」
「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」
「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」
などの声が続々と投稿された。
終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。
著名人も反応した。
作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、
「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」
「有難う、早田さん」
と感謝の思いを綴った。
知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。
今年2024年2月に訪問した鈴木はXに
「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」
と投稿していた。

<主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を
社説
2024/10/25 5:00
https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/
亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。
先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。
第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。
特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。
先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。
太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。
その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。
昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。
昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。
人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。
生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が
「統率の外道」
と認めていたように戦術として正常ではない。
大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。
特攻は戦後、
「軍国主義の象徴」
などと批判された。
選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。
現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。
特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。
特攻を
「カミカゼ」
と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。
特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。
日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

<産経抄>特攻隊のこともっと知ろう   
2024/5/6 5:00
https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/
学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。
先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。
今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。
翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。
中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。
中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している
「歴史に葬られた特攻隊長」
で名を知った。
沖縄では戦後、軍人は
「悪」
などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。
産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。
そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。
中佐を知る人の
「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」
「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」
という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。
来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で
「特攻隊員が散華しました」
といった記述にも批判があるようだ。
「国のために命を捨てることが美化され、怖い」
などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。

直球&曲球
葛城奈海 桃李ものいわざれども
2023/11/2 10:00
https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/
今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。
2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、
「防人と歩む会」
の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。
湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。
1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。
昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。
以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき

何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。
悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。
伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。
存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。
しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。
そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、
「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」
という古文を引用。
桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。
そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。
伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。
24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。
私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに
「ものいわぬ桃李」
であろう。(英霊たちに思いを寄せて)

錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ


【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧
2022/5/3 19:37
https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/
第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。
3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。
慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。
19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し
「命の尊さを語り継ぐことを誓う」
と話した。
遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。
最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。
伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は
「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」
と話した。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/558.html#c10

[政治・選挙・NHK297] 吉村維新が都議選惨敗で内ゲバ激化…党内から高まる「脱・橋下徹か、代表引責辞任か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
27. 秘密のアッコちゃん[1680] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月28日 15:48:19 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1118]
<■153行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「無邪気な獲物になるな」 鼓舞する店長 恐怖からの自由求め独立系書店に集う市民
「戦車」に立ちはだかる香港人 国安法施行5年A
2025/6/28 8:00
https://www.sankei.com/article/20250628-MCSZIU542FNZ3A4SXEI4TWD6TA/
その書店のウェブサイトを見た瞬間、息をのんだ。
トップページに広東語でこう記されていた。
「ハンターになれ、無邪気な獲物になるな」と。
香港は今、2020年に施行された香港国家安全維持法(国安法)という目に見えない戦車の砲弾がいつ、どこから飛んでくるか分からない時代なのだ。
こんな刺激的な言葉を載せて大丈夫か−。
■民主派の著作、天安門事件に関する本も
九竜地区にその「ハンター書店」はあった。
入り口には「自由」と記された赤い紙が貼り付けられている。
その下のポスターには「恐怖を直視せよ」と書かれていた。
店内は若者だけでなく、中年の男女ら10人以上の客で賑わっていた。
一般の書籍に交じって、中国本土では販売できない1989年の天安門事件に関する本や、香港警察に逮捕された民主活動家らの著作も並ぶ。
国安法施行後、こうした本は公立図書館から撤去され、大手書店からも消えていた。
香港社会に広がる自己規制の波だ。
店長は黄文萱(こうぶんけん)(32)、民主派の元区議会議員だった。
「国安法が施行され、次から次へと自由が奪われていく中で市民はされるがまま、ずっと受け身の姿勢だった」
「私はそれが我慢できなかった」
まず2019年の反香港政府・反中国共産党デモのスローガンが禁止された。「香港加油(香港がんばれ)」
の言葉もデモを想起させるとして規制されるケースさえ出てきた。
市民たちはレッドライン(越えてはならない一線)が分からず、自ら自由を制約していく。
自分を守るためだ。
■「暴政」に立ち向かうための20の方法
黄は香港紙で政治専門の記者として働いた後、2019年に区議に転身。
しかし国安法施行後の2021年、中国・香港政府への忠誠を求める当局に反発し自ら辞任した。
その後、彼女は書店経営に興味を覚え、2022年に自分の店を開業したのだった。
黄によると、ハンター書店のような発禁本≠置く独立系書店は香港に約20店ある。
「市民が自由を求めている証拠」
「本の世界には自由がある」
「でも、人を本当に変えるのは本ではない」
「その人自身だ」
店内にあるのは本ばかりではない。
米国の歴史家、ティモシー・スナイダー(55)が自著で示した、
「暴政」
に立ち向かうための20の方法をそれぞれデザイン化したカードも販売している。
「自らの信念を貫け」「勇気を振りしぼれ」「真実を信じよ」…。
黄は知人や客から
「こんな本を売って怖くないの?」
とよく聞かれる。
「私は逆に問いたい。なぜ怖いの? 何が怖いの? ちゃんと恐怖を見つめれば、実はそれほど怖いものではないことが分かるかもしれない」
1929年に始まった大恐慌で萎縮する国民を鼓舞した米大統領、フランクリン・ルーズベルトの名言を彷彿とさせる。
<私たちが恐れなければならない唯一のものは、恐れそのものだ>
■「自ら進んで服従してはならない」
ハンター書店も他の独立系書店同様、政府職員による立ち入り検査を何度も受けている。
「恐怖を与えようとしているだけ」
「罪を犯しているなら逮捕すればいい」
と黄。
その強さは一体どこから来るのだろう。
香港を揺るがした2019年のデモで何を経験したのか。
黄は多くを語らない。
「僕たちは(恐怖ではなく)自由を信じている」
「信仰していると言ってもいい」。
彼女のパートナーの言である。
店内に大きな鏡があった。
その鏡に広東語で文字が記されている。
「あなたが恐れているもの、それはあなた自身です」。
目の前に映し出されるのは自分の顔だ。
恐怖からの自由を求めて、今日も香港人たちがハンター書店の扉を開けるに違いない。
自分自身と向き合うために。
「暴政」
に立ち向かう20の方法のうち、最も売れているカードの言葉は何だろう。
黄は答えた。
「自ら進んで服従してはならない」と。
自己規制を受け入れてきた香港人たちの静かな抵抗だ。
敬称略

苦渋の自己検閲、市民もメディアも沈黙する香港 「今は真相は明らかにならない」
「戦車」に立ちはだかる香港人 国安法施行5年@
2025/6/27 8:00
https://www.sankei.com/article/20250627-I27TGYB6RBK3DM6KTJOS7GV3FY/
香港で最も著名な記者、陳朗昇(44)はしばらく考えた末、こう言い直した。
「一国二制度の質が変わった」。
かつて、彼のこれほど慎重な物言いを聞いたことがない。
確かに陳は
「一国二制度は××だ」
と最初言い切ったのだ。
「香港国家安全維持法(国安法)の条文を初めて読んだとき、どう思ったか」
という私の質問への答えだった。
国安法施行から5年−。
彼のまさかの自己検閲に時代の変化を痛感した。
■表現が極めて曖昧…恣意的な運用可能
2020年6月30日深夜。
ネットメディア「立場新聞」のオフィスで、陳は十数人のスタッフと共に、公布されたばかりの国安法の条文に急いで目を通していた。
国家分裂罪の刑罰を読んだ時だ。
<犯罪行為の重大な者は終身刑…積極的に参加した者は禁錮3年以上…>。
驚いた。
表現が極めて相容れない。
条文にはしかし、香港の法律より国安法が優先されると明記されている。
これでは当局に恣意的に運用されてしまう。
一国二制度の下、中国にはない自由を謳歌してきた香港はこれから一体…。
その夜、陳の興奮が収まることはなかった。
■政府も民間も「透明性欠如」
香港で19年に続発した反政府・反中国共産党デモの現場から、ネット中継を繰り返して人気を博したのが陳だった。
警察による記者への暴行や取材妨害を厳しく批判し、歯に衣着せぬ発言は市民に歓迎された。
2021年、香港記者協会の主席に就任して香港メディアの顔に。
国安法の下でも報道の自由を保障するよう当局に求め続けた。
今月2025年6月、国安法施行から5年が経過する香港について真っ先にインタビューした相手が陳である。
「社会は確かに変わった」。
陳は前回2023年末に会った時より、言葉数が少なくなっていた。
どう変わったのか?
「政府だけでなく民間も透明性が欠如した」
■もう少し詳しく説明してくれないか
「以前は何かおかしなことがあったらメディアが取材して当事者に説明させた」
「今は真相なんか明らかにならない」
どうして?
「自己検閲するからさ」
「市民もメディアも」
陳は実例を示した。
今年2025年2月、香港の学生(高校生)が中国・杭州への研修旅行中に死亡した。
研修旅行は香港政府が強化する
「愛国教育」
の一環である。
学生の死は原因が公表されず、交流サイト(SNS)上で騒ぎに。
しかし政府の治安当局が一方的に
「自殺」
だったとし、詳細な説明がないまま幕が引かれ、社会は沈黙した…。
■暗躍する「中間人」
国安法施行後、本格化したのはメディアへの弾圧だった。
中国に批判的な報道で知られた蘋果(ひんか)日報が国安法違反の罪で起訴され、2021年6月、発行停止に。
陳朗昇が勤める立場新聞も同年2021年末、幹部らが逮捕され、運営停止に追い込まれた。
私が陳と2023年末に会った後、状況は更に悪化する。
2024年9月、陳の上司だった立場新聞元編集長に対し、政府への憎悪などを煽った罪(刑事罪行条例)で禁錮1年9月の判決が下された。
中国の習近平政権を後ろ盾に香港政府が進める言論弾圧を司法が追認した形となった。
「言っていいことと悪いことを考えて話さないといけないんだ」と陳。
どうしても聞きたいことがあった。
彼は2023年末のインタビューで、香港記者協会の主席のポストについて
「僕がやらなければ、他にやる人がいない」
と続ける意思を明かしていた。
しかし昨年2024年、突然辞任したのだ。
「ある人物に『主席をやめた方がいい』と言われた」
「誰かは話せない」
香港では、中国当局者とパイプを持つ
「中間人」
と呼ばれる多くのエージェントが暗躍し、懸案が中国当局の思惑通りに進むように調整しているとされる。
そう話すと、陳は苛立った。
「中間人なんかじゃない」
「実際に権力を持った人間なんだ!」。
陳の口から本当の声が漏れた。
■もがき苦しみながらも現場に留まる意義とは
陳が記者を志すことになった原点は、中国の民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件である。
当時、小学生だった陳は
「なぜ、中国政府は学生を殺したの?」
と疑問を抱いた。
次から次へと
「なぜ?」
が浮かび、時事問題に関心を持ったのだという。
立場新聞の運営停止後、陳は別のネットメディアで職を得た。
だが、今年2025年に入り幹部が経済事件で逮捕され、報道活動はストップ。
それでも約30人のスタッフとともに報道の再開に向けて走り回っている。
今はとりわけ微妙な立場なのだ。
香港を離れる考えも、記者をやめる考えもないと指摘し、こう語った。
「香港に記者としてとどまることに意味があるんだ」
■報道の自由が制限されても?
「仕方がない」
「中国(本土)の記者だって制限の中で努力している」
「記者が(取材対象となる場所から)離れてしまえば何もできなくなる」
フリーランスになってでも報道を続けたい、と言った。
もがき苦しみながらも尚、現場に踏みとどまろうとしている。
いつの日か、
「なぜ?」
の答えを香港でありのまま報道するために。
× ×
天安門事件翌日の1989年6月5日、広場の近くで戦車の行く手を遮った男性は中国民主化運動の象徴となった。
国安法は言わば、香港に進駐した目に見えない戦車≠セ。
今月2025年6月30日で国安法施行から5年。
香港にも戦車の前に立ちはだかる人々がいた。
彼らの言動を通じて、国安法の下で自由が奪われ、一国二制度が死んだ香港社会の変容ぶりを浮き彫りにしたい。
敬称略

香港国家安全維持法(国安法)
2019年に香港で本格化した反香港政府・反中国共産党デモを押さえ込むため、中国の習近平政権が香港政府の頭越しに導入を決定。
条文が事前に公開されないまま、2020年6月30日午後11時、公布と同時に施行された。
規定する犯罪行為には、国家分裂罪、国家政権転覆罪の他、テロ活動罪、海外勢力と結託し国家の安全に危害を加える罪がある。
これらを扇動、幇助、教唆することも罪に問われる。
香港域外での言動や外国人にも適用される。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/560.html#c27

[政治・選挙・NHK297] やがて防衛費大不況 このままではトランプにむしられるだけ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
40. 秘密のアッコちゃん[1681] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月29日 07:13:10 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1119]
<■76行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
トランプ氏、NATO「第5条」順守明言せず 加盟国の集団的自衛権行使定めた条項
2025/6/25 22:13
https://www.sankei.com/article/20250625-2RS5R3JTEZMSXLBTZHIYKC5WTI/
(NATO)首脳会議は2025年6月25日、加盟国の国防費の支出目標を2035年までに国内総生産(GDP)比5%に引き上げることで正式合意し、閉幕した。
トランプ米大統領は会合前、加盟国の集団的自衛権の行使を定めた北大西洋条約第5条を米国が順守するかどうかを明言せず、米国の同盟関与に不安を残した。
■「多くの定義」発言が波紋
トランプ氏はオランダに向かう専用機内で記者団に第5条には
「多くの定義がある」
と述べ、米国のNATOへの関与を疑われかねない発言で、波紋を広げた。
NATOのルッテ事務総長は2025年6月25日、記者団に
「米国のNATOと第5条への全面的な関与を確信している」
と強調し、事態の沈静化に努めた。
トランプ氏も2025年6月25日には記者団に
「我々は彼らとずっと共にいる」
と述べ、集団防衛に関与する立場を示した。
第5条は、加盟国が一カ国でも攻撃されれば加盟国全体への攻撃とみなし、反撃することを明記している。
加盟国の首脳からは
「第5条(の定義)は非常に明確だ」
(オランダのスホーフ首相)、
「第5条(の解釈)を議論の対象にしてはならない」
(ベルギーのデウェーフェル首相)
とする発言が相次いだ。
加盟国は2025年6月25日の本会合で国防費のGDP比5%目標に関し、兵器類の直接的な軍事支出を同3・5%に引き上げると同時に、1・5%を軍用インフラ整備の費用などを広く国防・安全保障費として計上することで合意。
同時に、ウクライナを侵略したロシアに対抗するため、域内での防衛産業基盤を強化するとし、再軍備路線の本格始動を鮮明に打ち出した。
■事務総長「新たな生産戦争」
ルッテ氏は2025年6月24日、防衛産業基盤の強化に関し
「ロシアが我々を上回る(兵器の)生産を実現できるとは考えにくい」
と自信を示し、
「我々は新たな生産戦争に勝たなければならない」
と強調した。
ルッテ氏はまた、中国やイラン、北朝鮮との軍事的連携を強めるロシアとの再軍備競争を勝ち抜くため、欧州と米国が団結して取り組んでいくことが重要だと訴えた。
ロシアによるウクライナ侵略戦争では、NATOとしてウクライナ支援を継続していく立場が改めて打ち出された。
ウクライナのゼレンスキー大統領は4年連続で招待された。
2025年6月25日にトランプ氏と会談予定。
日本からは、石破茂首相の代理で岩屋毅外相が出席。
2025年6月24日にルッテ氏と会談した他、2025年6月25日に開かれるルッテ氏とインド太平洋地域パートナー4カ国(IP4)との会合に出席する。
来年2026年の首脳会議はトルコで、2027年はアルバニアで開かれる予定。

<主張>NATO首脳会議 GDP比5%を評価する
社説
2025/6/27 5:00
https://www.sankei.com/article/20250627-ARLOHIR5YRPWBEKM3Y6O3462W4/
オランダで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議が、加盟国の国防費の支出目標を2035年までに国内総生産(GDP)比5%に引き上げることで合意した。
欧州側が応分の負担をしていないと不満を訴えてきたトランプ米政権の要求を受けて、GDP比2%とする現行目標から一段と増強するものだ。
ウクライナへ侵略を続けるロシアが域内へ侵攻する事態を抑止するため、自律的な防衛態勢構築に踏み出したと言える。
NATOは、1949年にソ連と共産主義圏の脅威に対峙する米欧の民主主義諸国の集団防衛のために設立された。
冷戦終結後に存在意義が揺らいだ時期もあったが、対露防衛に新たな結束を示したと言える。
再出発を刻んだ合意を歓迎し、着実な実行を求めたい。
目標の内訳は、兵器や人員など中核的防衛費を3.5%とし、軍用インフラ整備など関連経費1.5%を加えたものだ。
対露防衛にはロシアと国境を接するバルト諸国や東欧と、地理的に離れた南欧諸国と認識の差がある。
そうした溝を埋めると同時に、米国の要求水準を満たす方策と言えるだろう。
ルッテ事務総長の指導力も大きかった。
ロシアの欧州侵攻に備え
「戦時」
の危機感を持つよう訴え、トランプ氏の発言を
「外圧」
に結束を演出した。
数値目標に消極的だったスペインなどを脱落させずに、全加盟国の増強に導いてもらいたい。
首脳会議は、域内での防衛産業基盤強化でも合意した。
ウクライナ侵略で露呈した兵器の供給不足の解消は焦眉の急だ。
生産力増強には、日本など同志国との連携も重要である。
首脳宣言はウクライナの将来的加盟に言及しなかったが、英仏独など加盟国は、露軍事拠点の攻撃に不可欠な長射程兵器など支援強化を急いでほしい。
集団的自衛権の行使を定めた北大西洋条約第5条の順守を巡り、トランプ氏が曖昧な発言をしたことには不安を覚える。
5条は対露抑止の核心であり、軽率な発言を慎むべきだ。
米国以外のNATO諸国が数値目標実現へ進めば、米国はその分、台湾有事の抑止に注力できる。
世界の安全保障は連動しているのに、石破茂首相が首脳会議を欠席したのは国益を顧みない重大な誤りだった。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/563.html#c40

[政治・選挙・NHK294] 「国民の利益より米国のために動いている」、日米合同委員会廃止要求デモで外務官僚らを叱咤(高橋清隆の文書館) ますらお
19. 秘密のアッコちゃん[1682] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月29日 07:15:44 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1120]
<■188行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>国安法施行5年 香港抵抗の火は消せない
社説
2025/6/29 5:00
https://www.sankei.com/article/20250629-4CRYJYGATNPKHEJRDMPRRIVWBE/
中国主導で香港国家安全維持法(国安法)が施行されて2025年6月30日で5年となる。
中国の習近平政権は国安法は香港に
「安定」

「繁栄」
をもたらしたと主張し、更なる引き締め強化を香港政府に指示した。
国際社会は香港への関心を保ち、香港に高度な自治を認める
「一国二制度」
を反故にした強権体制下の市民を支えるため、香港政府への圧力を強めるべきだ。
中国政府で香港政策を担当する香港マカオ事務弁公室の夏宝竜主任は、国安法施行5年のフォーラムで、国安法施行によって
「反中乱港(中国に逆らい香港を混乱させる)分子に強力な打撃を与えた」
と民主化勢力への弾圧を正当化した。
国安法は
「香港の長期的な繁栄と安定の維持」
に寄与するとも強弁した。
冗談ではない。
市民にとっては国家安全が全てに優先する
「国安治港」(国安による香港統治)
の下、言論・集会の自由が奪われていった5年間だ。
レッドライン(越えてはならない一線)が曖昧な国安法により市民は自己規制を迫られ、社会は沈黙を強いられている。
見せかけの
「繁栄」

「安定」
に意味はない。
中国の民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件以降、香港では毎年6月4日、ビクトリア公園で犠牲者を追悼する
「ろうそく集会」
が行われてきた。
30年以上続いた同集会は香港市民にとって重要な公民教育の場でもあったが、国安法施行後、同集会も警察によって開催を阻止されている。
しかし忘れてならないのは、香港市民は今年2025年も、厳戒態勢が敷かれた公園に花束を抱えて現れたり、ベンチで電子ロウソクを手に祈りを捧げたり、聖書を読んだりして追悼活動をしたことだ。
拘束されるのは覚悟の上で行った無言の抵抗であり、市民がともしてきた良心の火は容易に消せないことを中国・香港当局は思い知るべきだ。
香港でこの5年の間に、愛国教育が強化されたことも座視できない。
中国が
「抗日戦勝80年」
と位置付ける2025年9月3日には中国本土同様、香港でも抗日行事が予定されている。
これも中国式愛国教育の一環だが、反日教育は断じて容認できない。
日本政府は事態を重視し、香港政府に抗議すべきである。

「無邪気な獲物になるな」 鼓舞する店長 恐怖からの自由求め独立系書店に集う市民
「戦車」に立ちはだかる香港人 国安法施行5年A
2025/6/28 8:00
https://www.sankei.com/article/20250628-MCSZIU542FNZ3A4SXEI4TWD6TA/
その書店のウェブサイトを見た瞬間、息をのんだ。
トップページに広東語でこう記されていた。
「ハンターになれ、無邪気な獲物になるな」と。
香港は今、2020年に施行された香港国家安全維持法(国安法)という目に見えない戦車の砲弾がいつ、どこから飛んでくるか分からない時代なのだ。
こんな刺激的な言葉を載せて大丈夫か−。
■民主派の著作、天安門事件に関する本も
九竜地区にその「ハンター書店」はあった。
入り口には「自由」と記された赤い紙が貼り付けられている。
その下のポスターには「恐怖を直視せよ」と書かれていた。
店内は若者だけでなく、中年の男女ら10人以上の客で賑わっていた。
一般の書籍に交じって、中国本土では販売できない1989年の天安門事件に関する本や、香港警察に逮捕された民主活動家らの著作も並ぶ。
国安法施行後、こうした本は公立図書館から撤去され、大手書店からも消えていた。
香港社会に広がる自己規制の波だ。
店長は黄文萱(こうぶんけん)(32)、民主派の元区議会議員だった。
「国安法が施行され、次から次へと自由が奪われていく中で市民はされるがまま、ずっと受け身の姿勢だった」
「私はそれが我慢できなかった」
まず2019年の反香港政府・反中国共産党デモのスローガンが禁止された。「香港加油(香港がんばれ)」
の言葉もデモを想起させるとして規制されるケースさえ出てきた。
市民たちはレッドライン(越えてはならない一線)が分からず、自ら自由を制約していく。
自分を守るためだ。
■「暴政」に立ち向かうための20の方法
黄は香港紙で政治専門の記者として働いた後、2019年に区議に転身。
しかし国安法施行後の2021年、中国・香港政府への忠誠を求める当局に反発し自ら辞任した。
その後、彼女は書店経営に興味を覚え、2022年に自分の店を開業したのだった。
黄によると、ハンター書店のような発禁本≠置く独立系書店は香港に約20店ある。
「市民が自由を求めている証拠」
「本の世界には自由がある」
「でも、人を本当に変えるのは本ではない」
「その人自身だ」
店内にあるのは本ばかりではない。
米国の歴史家、ティモシー・スナイダー(55)が自著で示した、
「暴政」
に立ち向かうための20の方法をそれぞれデザイン化したカードも販売している。
「自らの信念を貫け」「勇気を振りしぼれ」「真実を信じよ」…。
黄は知人や客から
「こんな本を売って怖くないの?」
とよく聞かれる。
「私は逆に問いたい。なぜ怖いの? 何が怖いの? ちゃんと恐怖を見つめれば、実はそれほど怖いものではないことが分かるかもしれない」
1929年に始まった大恐慌で萎縮する国民を鼓舞した米大統領、フランクリン・ルーズベルトの名言を彷彿とさせる。
<私たちが恐れなければならない唯一のものは、恐れそのものだ>
■「自ら進んで服従してはならない」
ハンター書店も他の独立系書店同様、政府職員による立ち入り検査を何度も受けている。
「恐怖を与えようとしているだけ」
「罪を犯しているなら逮捕すればいい」
と黄。
その強さは一体どこから来るのだろう。
香港を揺るがした2019年のデモで何を経験したのか。
黄は多くを語らない。
「僕たちは(恐怖ではなく)自由を信じている」
「信仰していると言ってもいい」。
彼女のパートナーの言である。
店内に大きな鏡があった。
その鏡に広東語で文字が記されている。
「あなたが恐れているもの、それはあなた自身です」。
目の前に映し出されるのは自分の顔だ。
恐怖からの自由を求めて、今日も香港人たちがハンター書店の扉を開けるに違いない。
自分自身と向き合うために。
「暴政」
に立ち向かう20の方法のうち、最も売れているカードの言葉は何だろう。
黄は答えた。
「自ら進んで服従してはならない」と。
自己規制を受け入れてきた香港人たちの静かな抵抗だ。
敬称略

苦渋の自己検閲、市民もメディアも沈黙する香港 「今は真相は明らかにならない」
「戦車」に立ちはだかる香港人 国安法施行5年@
2025/6/27 8:00
https://www.sankei.com/article/20250627-I27TGYB6RBK3DM6KTJOS7GV3FY/
香港で最も著名な記者、陳朗昇(44)はしばらく考えた末、こう言い直した。
「一国二制度の質が変わった」。
かつて、彼のこれほど慎重な物言いを聞いたことがない。
確かに陳は
「一国二制度は××だ」
と最初言い切ったのだ。
「香港国家安全維持法(国安法)の条文を初めて読んだとき、どう思ったか」
という私の質問への答えだった。
国安法施行から5年−。
彼のまさかの自己検閲に時代の変化を痛感した。
■表現が極めて曖昧…恣意的な運用可能
2020年6月30日深夜。
ネットメディア「立場新聞」のオフィスで、陳は十数人のスタッフと共に、公布されたばかりの国安法の条文に急いで目を通していた。
国家分裂罪の刑罰を読んだ時だ。
<犯罪行為の重大な者は終身刑…積極的に参加した者は禁錮3年以上…>。
驚いた。
表現が極めて相容れない。
条文にはしかし、香港の法律より国安法が優先されると明記されている。
これでは当局に恣意的に運用されてしまう。
一国二制度の下、中国にはない自由を謳歌してきた香港はこれから一体…。
その夜、陳の興奮が収まることはなかった。
■政府も民間も「透明性欠如」
香港で19年に続発した反政府・反中国共産党デモの現場から、ネット中継を繰り返して人気を博したのが陳だった。
警察による記者への暴行や取材妨害を厳しく批判し、歯に衣着せぬ発言は市民に歓迎された。
2021年、香港記者協会の主席に就任して香港メディアの顔に。
国安法の下でも報道の自由を保障するよう当局に求め続けた。
今月2025年6月、国安法施行から5年が経過する香港について真っ先にインタビューした相手が陳である。
「社会は確かに変わった」。
陳は前回2023年末に会った時より、言葉数が少なくなっていた。
どう変わったのか?
「政府だけでなく民間も透明性が欠如した」
■もう少し詳しく説明してくれないか
「以前は何かおかしなことがあったらメディアが取材して当事者に説明させた」
「今は真相なんか明らかにならない」
どうして?
「自己検閲するからさ」
「市民もメディアも」
陳は実例を示した。
今年2025年2月、香港の学生(高校生)が中国・杭州への研修旅行中に死亡した。
研修旅行は香港政府が強化する
「愛国教育」
の一環である。
学生の死は原因が公表されず、交流サイト(SNS)上で騒ぎに。
しかし政府の治安当局が一方的に
「自殺」
だったとし、詳細な説明がないまま幕が引かれ、社会は沈黙した…。
■暗躍する「中間人」
国安法施行後、本格化したのはメディアへの弾圧だった。
中国に批判的な報道で知られた蘋果(ひんか)日報が国安法違反の罪で起訴され、2021年6月、発行停止に。
陳朗昇が勤める立場新聞も同年2021年末、幹部らが逮捕され、運営停止に追い込まれた。
私が陳と2023年末に会った後、状況は更に悪化する。
2024年9月、陳の上司だった立場新聞元編集長に対し、政府への憎悪などを煽った罪(刑事罪行条例)で禁錮1年9月の判決が下された。
中国の習近平政権を後ろ盾に香港政府が進める言論弾圧を司法が追認した形となった。
「言っていいことと悪いことを考えて話さないといけないんだ」と陳。
どうしても聞きたいことがあった。
彼は2023年末のインタビューで、香港記者協会の主席のポストについて
「僕がやらなければ、他にやる人がいない」
と続ける意思を明かしていた。
しかし昨年2024年、突然辞任したのだ。
「ある人物に『主席をやめた方がいい』と言われた」
「誰かは話せない」
香港では、中国当局者とパイプを持つ
「中間人」
と呼ばれる多くのエージェントが暗躍し、懸案が中国当局の思惑通りに進むように調整しているとされる。
そう話すと、陳は苛立った。
「中間人なんかじゃない」
「実際に権力を持った人間なんだ!」。
陳の口から本当の声が漏れた。
■もがき苦しみながらも現場に留まる意義とは
陳が記者を志すことになった原点は、中国の民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件である。
当時、小学生だった陳は
「なぜ、中国政府は学生を殺したの?」
と疑問を抱いた。
次から次へと
「なぜ?」
が浮かび、時事問題に関心を持ったのだという。
立場新聞の運営停止後、陳は別のネットメディアで職を得た。
だが、今年2025年に入り幹部が経済事件で逮捕され、報道活動はストップ。
それでも約30人のスタッフとともに報道の再開に向けて走り回っている。
今はとりわけ微妙な立場なのだ。
香港を離れる考えも、記者をやめる考えもないと指摘し、こう語った。
「香港に記者としてとどまることに意味があるんだ」
■報道の自由が制限されても?
「仕方がない」
「中国(本土)の記者だって制限の中で努力している」
「記者が(取材対象となる場所から)離れてしまえば何もできなくなる」
フリーランスになってでも報道を続けたい、と言った。
もがき苦しみながらも尚、現場に踏みとどまろうとしている。
いつの日か、
「なぜ?」
の答えを香港でありのまま報道するために。
× ×
天安門事件翌日の1989年6月5日、広場の近くで戦車の行く手を遮った男性は中国民主化運動の象徴となった。
国安法は言わば、香港に進駐した目に見えない戦車≠セ。
今月2025年6月30日で国安法施行から5年。
香港にも戦車の前に立ちはだかる人々がいた。
彼らの言動を通じて、国安法の下で自由が奪われ、一国二制度が死んだ香港社会の変容ぶりを浮き彫りにしたい。
敬称略

香港国家安全維持法(国安法)
2019年に香港で本格化した反香港政府・反中国共産党デモを押さえ込むため、中国の習近平政権が香港政府の頭越しに導入を決定。
条文が事前に公開されないまま、2020年6月30日午後11時、公布と同時に施行された。
規定する犯罪行為には、国家分裂罪、国家政権転覆罪の他、テロ活動罪、海外勢力と結託し国家の安全に危害を加える罪がある。
これらを扇動、幇助、教唆することも罪に問われる。
香港域外での言動や外国人にも適用される。

http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/620.html#c19

[政治・選挙・NHK297] 立民国民は参院選投票対象外(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
21. 秘密のアッコちゃん[1683] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月29日 07:28:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1121]
<▽35行くらい>
<主張>中東の停戦 国内厳重警備を緩めるな
社説
2025/6/29 5:00
https://www.sankei.com/article/20250629-NPIEBNPOQ5PL5DSVT343XZOL3Y/
警察庁は2025年6月22日、在日米大使館や在日米軍基地を含む国内の米国関連施設の警備を強化するよう、都道府県警に指示した。
警備強化の対象には在日イスラエル大使館などのイスラエル・ユダヤ関連施設、駐日パレスチナ常駐総代表部などのイスラム関連施設も含まれ、攻撃を企てる情報の収集にも努めるとした。
これらの指示は、米軍がイランの核施設を攻撃したことを受けて発せられた。
イスラエルとイランは停戦に合意したとされるが、警備の強化を緩めるわけにはいかない。
停戦合意の行方は不確定要素を含んでいる。
また、停戦を好ましくないとする急進的過激組織や単独犯が国内でテロ行為に及ぶ危険性は去っていないと判断すべきである。
ここで警戒を緩めて国際テロ警備の
「弱い環(わ)」
と見られるようなことがあれば、日本国内がテロリストの標的となる可能性を否定できない。
前例がある。
昭和63年3月21日、東京都千代田区のイスラエル大使館付近の駐車場とサウジアラビア航空事務所前で時限式の爆弾が爆発した。
今も実行犯や、爆発物の詳細は判明していない。
これと前後してクアラルンプールやシンガポール、ドイツでもサウジアラビア関連施設を狙った爆破事件が発生した。
これらは一定の指示の下に各国の潜在テロリストが連携した連続国際テロ事件と見られている。
当時は、前年昭和62年末からイスラエルのガザ地区で抵抗運動が過激化し、8年に及んだイラン・イラク戦争はこの年昭和62年8月に停戦した。
サウジアラビアは親米の立場を強固にしていた。
中東が激動の渦中にあったことは、現在の情勢と酷似している。
スリーパーセルと呼ばれる外国勢力の浸透工作員の存在は、各国で確認されている。
組織的背景を持たない「ローンオフェンダー」型の犯行や、テロ行為を目的とする渡航者にも目を配らなくてはならない。
国内の支援組織の動向把握も必要だ。
主要な関連施設のゲートには装甲車両や機動隊、制服警官を配備するなどの
「見える警備」
も有効である。
テロ警備の最大の要諦は、テロを起こさせないことだ。
国内の混乱阻止に向けて、警察は気を引き締めてほしい。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/561.html#c21
[政治・選挙・NHK297] 西田昌司発言を容認、天皇を元首に、日本も核武装を…これが都議選で躍進した参政党の主張だ ラサール石井 東憤西笑(日刊ゲン… 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1684] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年6月29日 10:45:42 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1122]
<■1185行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
名護市辺野古移設に抗議していた70代の女性の聴取はまだ行われていないのは何故ですか?
直ちに聴取すべきだ。

辺野古ダンプ事故1年、過失責任は 沖縄県警「誰がどのような刑事責任負うのか」捜査
動画
2025/6/28 19:51
https://www.sankei.com/article/20250628-X2QK7N2A5BOE7HN2XWPZ6G4AZI/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた70代の女性を制止した男性警備員が、ダンプカーに巻き込まれ死亡した事故から2025年6月28日で1年となった。
沖縄県警は事故に至る原因を捜査しているが、女性の聴取はまだ行われていない。
事故は複合的な要因で発生したとみられており、過失責任の所在が焦点になりそうだ。
■警備員、抗議女性を制止しようとして犠牲に
県警幹部によると、事故から1年が経つが、捜査すべき項目が多く、慎重に捜査を進めているという。
「誰がどのような刑事責任を負うのかも含め、あらゆる観点から事故原因の究明に努めている」
と語る。
事故は昨年2024年6月28日、土砂搬出港の桟橋前の路上で発生した。
男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の女性に土砂を搬出しようとしていたダンプカーが衝突。2
人は巻き込まれ、警備員が死亡し、女性も重傷を負った。
その後の調べで、現場付近の防犯カメラに状況が写っていたことが判明した。
産経新聞が入手した映像には、警備員が女性を制止しようとダンプカーと女性の間に割って入り、そのままダンプカーの左前面に衝突する様子が残されていた。
■一般論では3者に刑事責任の可能性
事故原因の究明はまだ先となりそうだが、誰がどのような刑事責任を負う可能性があるのか。
業務上過失致死傷事件に詳しい元検事の高井康行弁護士は「一般論」と前置きした上で、
@ダンプカーの運転手
Aダンプカーに発車の合図を送ったとされる交通誘導の警備員
B抗議活動中だった女性
の3者が刑事責任を負う可能性があると指摘する。
防犯カメラの映像。ダンプの前に飛び出した女性を警備員が必死に止めようとする姿が見える
@の運転手は運転上必要な注意を怠っていた場合、自動車運転処罰法違反(過失致死)罪に問われる。
Aの交通誘導の警備員は
「そのタイミングでダンプカーを進行させたら、抗議者の女性が飛び出してきて危なくなるということが予見できたのであれば過失が問われる」
(高井弁護士)
といい、業務上過失致死傷罪が適用される可能性がある。
Bの抗議者の女性は歩行者だが、高井弁護士は
「そのタイミングで横断を始めれば警備員が止めに入り、それによってダンプカーと接触して重大事故になることについて予見が可能であれば、重過失致死罪や過失致死罪に問われる可能性がある」
との見方を示す。
それぞれ危険性を具体的に予見できたか(予見可能性)、必要な措置を講じれば結果は避けられたか(結果回避可能性)−が、捜査の焦点になるとみられる。

辺野古ダンプ事故から1年、「現場付近で再び警備員負傷」産経報道を沖縄県警本部長認める
2025/6/27 13:22
https://www.sankei.com/article/20250627-NQHCWLCE3FJLLEDTTFBHQNYPAY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が昨年2024年6月、ダンプカーに巻き込まれ死亡した事故を巡り、沖縄県警の小堀龍一郎本部長は2025年6月27日、事故現場付近で今年2025年3月、抗議活動中の高齢男性が安全ネットを乗り越えた際に50代の男性警備員が転倒し、負傷していたとする産経新聞の報道を認めた。
■辺野古死亡事故現場で再び警備員が負傷
同日の県議会本会議で、自民党の島袋大議員の一般質問に答えた。
県土木建築部の砂川勇二部長も
「報道があったことは承知している」
と述べた。
■ガードレール設置、県は依然認めず
死亡事故は昨年2024年6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和の桟橋前の路上で発生し、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、抗議者の女性は重傷を負った。
事故現場付近では今年2025年3月17日にも、抗議者の男性が安全ネットをまたいで乗り越えようとした際、足に絡まり、ネットを持っていた警備員が地面に転倒。
警備員は約1週間のけがを負っており、産経新聞が関係者の話として報じていた。
事業者側は道路管理者の県に、抗議者の事故を防ぐガードレール設置を求めているが、県は未だに
「歩行者の横断を制限することになる」
として、依然設置を認めていない。
■県警本部長「捜査すべき事項多い」
結果的に、事故現場付近で再び警備員が負傷する事案が発生したことになり、島袋県議はこの日の一般質問で、
「必ず同じような事故が起こると、県議会で警告していた」
と県の安全対策を厳しく質した。
産経新聞が入手した事故当時の映像や関係者によると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に対し、路上で対応。
警備員はこの抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた70代の女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行していたダンプカーの前に出たとみられている。
警備員が死亡し、抗議活動中の女性が重傷を負った痛ましい事故の原因究明は今も続いており、小堀本部長は
「重大な事故であると認識している」
「関係者も多く、捜査すべき事項も多いことから慎重に捜査をしている」
と述べた。
■移設反対の市民団体、今も「牛歩戦術」展開
事故から1年が経つ今も現場周辺では、移設に反対する市民団体のメンバーら抗議者がダンプカーの前をゆっくりと横断して抗議する
「牛歩戦術」
が続けられている。
「歩行者を通してください。歩行者優先ですよ」
「違法な規制ですよ!」
今月2025年6月25日、記者が事故現場を訪れると、プラカードを持った10人前後の抗議者がダンプカーの前をゆっくりと横断していた。
現場に配置された警備員は
「速やかに横断してください」
と声を張り上げ、抗議者の横断が終わるとオレンジ色のネットを広げ、抗議者がダンプカーの前に出ないようにしていた。
抗議活動をする市民団体は、牛歩で抗議者が道路を横断し終わると、警備員がダンプカーに合図を送って1台出す
「暗黙のルール」
があったのに、2台続けてダンプカーを出すこともあったなどとして、
「事故の原因は誘導係の警備員の強引な指示(2台出し)と、運転手の前方不注意だ」
と主張。
辺野古移設を進める防衛省側を批判している。
市民団体は2025年6月28日午前10半から、事故現場付近で
「追悼・抗議集会」
を開くという。

<独自>辺野古の警備員死亡事故現場、再び警備員が負傷の事案 抗議者「警備がおかしい」
2025/4/16 21:03
https://www.sankei.com/article/20250416-HAHJACDSW5LZ5KJKELR5KNUD4Q/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員=当時(47)=がダンプカーに巻き込まれ死亡した事故現場付近で今年2025年3月、抗議活動中の70代男性が安全ネットを乗り越えた際に、50代の男性警備員が転倒し、負傷していたことが2025年4月16日、関係者への取材で分かった。
県警も把握し、事実確認を進めている。
「歩行者の横断を制限することになる」
として、ガードレールの設置を拒み続けてきた県の管理責任を問う声も上がりそうだ。
関係者によると、2025年3月17日午前11時35分頃、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和の桟橋入り口で、抗議者の男性が安全ネットをまたいで乗り越えようとした際、足に絡まり、ネットを持っていた警備員が地面に転倒したという。
警備員が負傷したのは、昨年2024年6月の事故現場から約120メートル離れた場所で、安全ネットは抗議者らがダンプカーの前に出ないようにするためのものだった。
腰などを打って負傷した警備員は病院に搬送され、全治1週間のけがと診断された。
産経新聞の取材に、抗議者の男性は
「私も転んだ。お互いさまだ。ネットを持って通行を妨害する警備のやり方がおかしい」
などと話した。
桟橋を利用する事業者や防衛省沖縄防衛局は道路管理者の県に対し、抗議者の事故を防ぐガードレール設置を求めているが、県は設置を認めていない。
県は今年2025年1月、軟らかい素材のラバーポールを設置したものの、防衛局は
「ラバーポールでは妨害行為を防止できず、事故の状況や背景を無視したもの」
と反発している。
県の安全管理に対する姿勢を県議会で追及してきた自民党会派の島袋大県議は
「9カ月前の死亡事故を思い出させる状況だ。県は全く反省していない」
と批判し、
「ガードレールの設置は玉城デニー知事の判断で済むことだ」
と訴えた。

オール沖縄崩壊の真実 八重山日報論説主幹 仲新城誠 産経新聞出版
■無法地帯と化す反対運動の現場
「オール沖縄」
県政下で、辺野古移設反対運動の現場が無法地帯化している現状も2024年6月、浮き彫りになった。
名護市安和桟橋近くの国道で、辺野古移設に使う土砂搬出に抗議している女性(72)と警備員の男性(47)がダンプカーに轢かれ、男性が死亡、女性が足の骨を折る重傷を負った。
沖縄県紙の報道によると、男性はダンプの前に出た女性を止めようとして事故に巻き込まれた可能性があるという。
私はキャンプ・シュワブ前で行われている辺野古移設反対派の抗議活動を何度か見たことがあるが、工事車両の前に飛び出したり、牛歩戦術で車両の往来を妨害するなどの危険行為は日常茶飯事だった。
抗議活動のため長い渋滞の列ができているのも見た。
警備員たちもうんざりしているのが表情から読み取れた。
地域住民からも苦情の声が出ているが、翁長、玉城の2知事は辺野古を訪れ、集会に参加したり、反対派を激励したりしている。
地元メディアは抗議活動に対する批判的な報道を一切しないため、危険な抗議活動に対する抑止力が働かない。
死亡事故は
「起こるべくして起きた」
感が強い。
同年2024年7月の県議会でも事故に関する質疑が相次いだ。
産経新聞によると、島袋大県議(自民党)の一般質問で、港湾を利用する事業者が沖縄県に対し
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたが、沖縄県が認めていなかったことが明らかになった。
事業者は自ら費用を負担するとも申し出たが、沖縄県は
「歩行者の横断を制限することになる」
と応じてこなかった。
この事故を巡っては、沖縄県紙が事故原因は沖縄防衛局や事業者側にあるような主張を展開し、負傷した女性を英雄視するような報道もあった。
同年2024年10月の沖縄県議会では、常任委員会が沖縄防衛局から提供された事故の監視カメラ映像を閲覧したが、与党の
「オール沖縄」
は負傷した女性のプライバシー侵害などを理由に閲覧を拒否した。
映像の内容を報道した産経新聞に対し、玉城は記者会見で
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と批判。
自らは映像を見ていないと強調した。
事故原因の調査に欠かせない監視カメラ映像の確認を拒むのは
「映像を見られると何か都合が悪いことがあるのか」
との疑いを抱かせる。
本来、科学的であるべき事故原因の追及に政治が介入した悪例だと思う。
隣接する本部町の本部港塩川地区でも土砂の搬出が行われており、反対派が同様の抗議活動を展開している。
沖縄県は2023年2月、ダンプカーなどの往来を妨害する行為について沖縄県港湾管理条例の禁止行為に該当し、過料に処することがあると警告する看板を設置したが、反対派の抗議を受け、同2023年5月に撤去した。
基地反対の言動なら何でも許されるという沖縄の雰囲気は、最高裁判決の無視と共に
「オール沖縄」
県政下における法治、モラルの崩壊を示しているのではないか。

事故現場の「証拠」映像、沖縄県議会で玉城知事支持派が閲覧拒否 辺野古抗議事故
動画
2024/10/17 18:00
https://www.sankei.com/article/20241017-HVMQQ74AJRLYFOPVQKDO356KQU/
※産経新聞が入手した事故現場の映像。プライバシー保護のため一部加工しています
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、現場の安全対策を検討している沖縄県議会の土木環境委員会で、玉城デニー知事を支持する県政与党会派が事故当時の状況を捉えたカメラ映像の閲覧を拒否したことが明らかになった。
保守系の県議からは
「県民の不信を招きかねない」
との声が上がっている。
事故は2024年6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和(あわ)の桟橋前の路上で発生。
桟橋から左折して国道に出ようとしたダンプカーが、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、女性は重傷を負った。
産経新聞が政府関係者から入手した映像には、別の抗議者に対応していた警備員の後方から足早に近づいてきた女性が、国道に向かって徐行するダンプカーの前に出る様子が映っていた。
ダンプカーの前に出た女性を後ろから抱えるようにして庇い、守る警備員。
この後、2人はダンプに巻き込まれる
議会事務局によると、カメラ映像は2024年10月11日午後、土木環境委員会で非公開で閲覧された。
閲覧した委員によると、産経新聞が入手した映像と同様とみられる。
ただ12人の委員のうち玉城知事を支持する県政与党会派の委員が閲覧を拒否して退席。
残る7人で閲覧した。
閲覧した県議は2024年10月17日、産経新聞の取材に応じ
「誰がどう見ても動いているダンプカーの前に女性が行っており、危険な行為に感じた」
「今後はこうした抗議の在り方も見直すべきだ」
と話し、
「事実関係を調査するための映像をなぜ見ないのか」
などと疑問視した。

「島耕作」は大騒ぎ、警備員死亡は…何かおかしい沖縄反基地運動 産経新聞・大竹直樹
「正論」1月号
2024/12/14 12:00
https://www.sankei.com/article/20241214-W7UHONVFTBECFBSQKGFTDMYESI/?outputType=theme_monthly-seiron
「ないちゃー」(本土出身者)

「うちなー」(沖縄)
を語るのは難しい。
千言万語を費やしたとしても誤解や反発を招く恐れは否定できないからだ。
2024年10月、講談社の漫画誌「モーニング」の2024年46号(2024年10月17日発売)に掲載された
「社外取締役 島耕作」
が沖縄の地元2紙の紙面を連日賑わせた。
辺野古移設の抗議活動をしている人が
「日当」
で雇われているかのような描写があったためだ。
同誌編集部によると、作者の弘兼憲史氏と担当編集者が沖縄へ赴き、
「『新基地』建設反対派のアルバイトがある」
という話を複数の県民から聞いたが、
「当事者からは確認の取れていない伝聞だった」
という。
沖縄タイムス(2024年10月22日付)によれば、市民約80人が講談社(東京都文京区)の前に集まり、
「デマを撤回しろ」
「沖縄の人たちに謝罪して」
などと声を上げたという。
弘兼氏は編集部と連名で
「ご心痛を与えた皆さまにおわび申し上げる」
と謝罪。
これは共同通信と時事通信が全国に配信し、全国紙やテレビ各局も報じた。
この件については、玉城デニー知事を支持する
「オール沖縄会議」
の幹部は
「労働組合の専従職員が交通費の実費は受け取り、辺野古に応援に行くことはあるだろうが、日当を受けている人はいない」
「なぜ根も葉もない話が出てきたのか」
と疑問視。
沖縄平和運動センターの関係者も
「フェイクだ」
と憤っていた。
米軍基地に関わる問題で
「うちなーんちゅ」(沖縄の人)
の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係しており、
「ないちゃー」
である筆者としては軽々な論評は避けたい。
だが、この
「日当」
に関する1件ではなく、移設工事に関連して発生した交通死亡事故を巡る問題については、
「明らかにおかしい」
と指摘しなければなるまい。
具体的には米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設反対を訴え、抗議活動をしていた女性を制止した男性警備員が、ダンプカーに巻き込まれ死亡した事故を巡る一連の出来事である。
事故後も抗議活動を続ける
「市民団体」(呼称について異論があるのは承知している)
の主張や玉城デニー県政の対応、そして革新寄りの論調が目立つ地元メディアの報道姿勢には率直に言って憤りを覚える。
それは恐らく筆者のみではない。
SNSの発達などでこれまでは県外には伝わりづらかったことも全国に広まり、
「不都合な真実」
も白日の下に晒され、批判を受けやすくなった。
産経新聞は先の事故を巡って、事故直前の防犯カメラ映像を入手し、2024年10月10日に特報した。
報道の反響は大きく、記事を紹介するX(旧ツイッター)のインプレッション(閲覧数)は1000万を優に超え、
「辺野古抗議活動制止警備員死亡」
というワードがトレンド入りした。
「市民団体」
や玉城氏、そしてメディアなどに、様々な意見、感想が投稿されている。
その多くは否定的なものだ。
この1件は、退潮傾向の続く
「オール沖縄」
勢力にとって、歴史的なターニングポイント(転換点)になり、終焉に向かう序章となるのではないか、と思っている。
■「報道しない自由」
「報道しない自由」
というネットスラングがある。
「報道の自由」
を掲げるマスコミが、報道内容を恣意的に選別し、国民に知らせないことも自由になってしまうことの危険性を示していると解されている。
ネットメディアやユーザーにとっては人口に膾炙している言葉だ。新聞やテレビが
「マスゴミ」
と揶揄され、批判や嘲笑の対象になるようになった一因には、この
「報道しない自由」
が存在しているという印象の流通、定着があるだろう。
そして、SNS上などでは、この
「自由」
が、辺野古移設工事を巡るダンプ事故でも行使≠ウれていたと語られている。
改めて経緯を振り返りたい。
事故は2024年6月月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和の桟橋前の路上で発生した。
辺野古「新基地」反対運動に参加していた70代の女性が、抗議活動中に警備員と共にダンプカーに巻き込まれ、警備員は死亡、女性も重傷を負った。
事故後、
「牛歩戦術」
による抗議活動をしてきた市民団体側は、女性は道路に飛び出したわけではないとの姿勢を崩さなかった。
「オール沖縄会議」
も、事故原因は防衛省沖縄防衛局が辺野古
「新基地」
建設工事を急がせるために業者に無理を強いたことにある、と断じた。
地元メディアのカメラの前で、伊藤晋哉・沖縄防衛局長に向かって
「あなたは沖縄県民を1人殺してしまった責任者だ」
となじる幹部までいた。
もちろん、事故発生の一報は全メディアが報じている。
しかし、事故原因を沖縄県警が捜査する中、2報以降の展開は異なる。
産経新聞は断続的に
「牛歩による妨害≠ヘなぜ取り締まれないのか」
「『市民』側の抗議手法に問題はなかったのか」
などと報じた。
一方で、真逆の立場の報道もある。
例えば地元2紙は、抗議者が出入口の片道で牛歩をしたら、ダンプカーが一台出入りするという
「暗黙のルール」
があったが、2台続けての危険な
「2台出し」
が行われていたと指摘。
危険な誘導が頻発し、ダンプカーの運転手からも
「いつかは事故が起きる」
と懸念の声が上がっているなどと報じた。
琉球新報には、重傷を負った女性が
「フェニックス(不死鳥)さん」
と呼ばれていると紹介した上で、
「女性が手術前に残した『骨は折れても心は折れない』の言葉に奮い立った市民が目立つ」
との記事も掲載された。
関係者によると、亡くなった警備員には高校生の娘がいたという。
記事には警備員を悼む言葉はなく、遺族の気持ちは察するに余りある。
実際、警備員の妻は
「今迄で一番憤りを感じる記事だった」
とし、
「(女性の)妨害行為が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われた」
「本当に本当に許せないし、とても辛い」
と心を痛めたとされる。
産経新聞の報道は他のメディアと一線を画するわけだが、あくまで、例えば政府関係者から入手した
「映像」
をはじめ、ファクトに基づいている。
映像には、別の抗議者に対応していた警備員の後方から足早に近付いて来た女性が、国道に向かって徐行するダンプカーの前に出る様子が映っていた。
警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突した。
関係者は
「明らかに女性は警備員の制止を無視して飛び出している」
と証言した。
産経新聞が報じた内容と同様のものとみられる映像は2024年10月11日、現場の安全対策を検討している沖縄県議会の土木環境委員会でも視聴された。
しかし、12人の委員のうち玉城知事を支持するオール沖縄勢力の県政与党会派の委員5人は閲覧を拒否して退席した。
重傷を負った女性の代理人からあった閲覧中止を求める申し入れについて十分協議しておらず、
「委員会で確認する妥当性や人権感覚、倫理観、責任問題にも関わる」
というのが主な理由であった。
「事実関係を調査するための映像をなぜ見ないのか」(保守系県議)
との声もあったが、まさか映像という動かぬ証拠に背を向けるとは思わなかった。
事故現場で牛歩による抗議活動をしてきた市民団体のメンバーによると、重傷を負った女性は
「敢えて飛び出したわけではない」
と説明。
この市民団体と連携する
「オール沖縄会議」
は2024年7月、2人がダンプカーに巻き込まれたのは
「車両乗入部」
と呼ばれる歩道部分で、
「あくまでも歩行者の通行が優先される場所」
だったと主張する資料を公表していた。
閲覧を拒否した5人は、委員長への不信任動議まで提出。
議会事務局によると、県議会で常任委員長に対する不信任案が提出された記録は過去になく、県政史上でも異例の出来事だった。
オール沖縄側の
「主張」
が揺らぎかねない
「不都合な真実」
が露見することを恐れているかのようでもある。
「沖縄における報道の潮目を変える記事だ」
ある地元メディアの記者からはメールでこんな感想もいただいたが、その後も事故映像の内容を詳しく報じるメディアはない。
「背景まで探る報道姿勢」
産経新聞の報道によって多くの人が目にしたであろう映像を、
「私は見ていない」
と言って憚らない人がいる。
玉城知事だ。
それだけではない。
2024年10月31日の定例記者会見では産経新聞を念頭に
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と述べたのだ。
テレビのニュースなどでよく見かける交通事故のドライブレコーダー映像や、防犯カメラ映像も
「捜査中の証拠になり得るもの」
なのだが、玉城氏によれば
「報道を差し控えるべき」
らしい。
加えて、
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
という看過し難い発言もあった。
この発言は、映像提供者にとっては
「圧力」
以外の何ものでもなく、民主主義の根幹を成す
「報道の自由」
をも侵害しかねない。
ウェブサイト
「産経ニュース」
で知事の発言を速報したところ、SNSでは
「報道の自由に対する権力側からの圧力」
「言論統制」
といった反応が相次いだ。
だが、玉城知事の
「由々しき」
発言を報じたメディアは結局、産経以外にはなかった。
一方で、2024年11月になって強制わいせつ容疑で書類送検された沖縄県南城市の古謝景春市長が記者会見で琉球新報記者の質問に
「あの人には答えない」
と回答を拒否し、6分で会見を打ち切った際には、沖縄県マスコミ労働組合協議会や新聞労連沖縄地連、民放労連沖縄地連などが連名で市長に抗議文を出している。
もとより、報道各社のニュースバリュー(報道価値)判断基準はまちまちであると理解しているものの、彼此の対応の差を前に、さすがに
「報道しない自由」
という言葉が頭をよぎった。
とはいえ、必ずしも黙殺≠ウれているわけではない。
沖縄タイムスのコラム
「記者の眼」(2024年11月11日付5面)
では産経新聞が報じた映像についての言及があった。
「全国紙1紙が2024年10月、事故直前を捉えた防犯カメラ映像をウェブ記事で配信した」
とした上で、こう続く。
「(筆者注・産経の)記事が、攻撃や誹謗中傷の材料に使われている」
「僅か6秒の映像だけでは、分からない」
「県民は30年近く、国の強権に晒されてきた」
「権力監視の視点こそ、ジャーナリズムが決して失ってはならないもののはずだ」
ちなみに、記事は産経新聞の紙面にも掲載されているが、それはひとまず置いておこう。
このコラムを執筆した記者に言わせれば筆者は
「権力監視の視点に欠ける」
のかもしれないが、沖縄県政や、その長である玉城氏という
「権力」
にも、厳しい視点を持っていると自負している。
実際、今回の事故では、明らかな行政の不作為があったと考えざるを得ないし、筆者はその追及を続けている。
事故現場の国道では以前から牛歩による抗議活動が行われてきた。
港湾を利用する事業者側は令和4年12月以降、県に対して
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請。
ガードパイプの費用負担まで申し出たが、県はいずれも
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めてこなかった。
ガードレールなりパイプなりが設置されていれば、事故は防げた可能性もある。
しかし、現実に2人が死傷する事故が発生しても尚、対策は手つかずだ。
一方、事故現場からほど近い本部港塩川地区に設置されていた工事車両の往来を妨害する行為への警告を記した看板は、抗議活動を行う数十人が県庁に押しかけて要請し、設置から約2カ月半で撤去されており、本来優先すべき安全を蔑ろにした沖縄県の責任は問われなければなるまい。
先に引いた琉球新報のコラムは
「表面だけではなく背景まで探る報道姿勢で、この問題に向き合っていきたい」
と結んでいる。
けだしその通りだと思う。
地元紙として盤石な態勢を築かれている琉球新報から見れば、那覇支局の所属記者が筆者1人しかいない産経新聞は
「表面だけ」
の取材に映るかもしれない。
しかし、1次情報を発信する報道機関の末席に名を連ねる身として
「背景まで探る報道姿勢」
は持ち続けていることを、ご理解頂きたいものだ。
また、今回の事故に関する取材を重ねる中で、辺野古移設反対を唱える
「市民団体」
が世論喚起を目的に自己の活動を正当化する余り沖縄の抱える問題に共感する人の心を離れさせはしないか、という筆者の懸念も共有させて頂きたい。
実際、
「市民団体」
の振る舞いには疑問を感じることが多々ある。
■どちらが「でっち上げ」?
「産経新聞はでっち上げ!」
2024年7月22日、筆者が事故現場を訪れると、サングラスをした女性が拡声器でこう叫んでいた。
何がでっち上げなのかと問うと
「産経新聞は『車道に飛び出した市民』(と書いた)」
「ここが間違い」
「でたらめ」
という。
だが、この時点で産経新聞は女性が
「飛び出した」
とは書いていない。
この時点でそこまで踏み込めるファクトは持ち合わせていないからだ。
過去記事を検索し、検証して頂いても構わない。
産経新聞が
「抗議者の女性がダンプカーの前に飛び出した可能性が高まった」
と報じたのは、カメラ映像の内容が明らかになった2024年10月10日からである。
「産経新聞は『飛び出した』と書いていましたか」
と尋ねた筆者に、この女性は
「と、思います」
と答えた。
思わず、
「『思う』で、でっち上げといわれたら困ります」
と色を作してしまった。
「でっち上げ」
と言えば、事故現場では2024年10月22日朝、特定の防衛省沖縄防衛局職員のイニシャルと顔写真を載せ
「罪をねつ造、でっち上げた防衛局職員」
などと批判する横断幕も掲げられていた。
この場所では2024年9月26日、沖縄防衛局職員が抗議活動中の70代男性=暴行容疑で現行犯逮捕後、処分保留で釈放=から胸を両手で押され転倒させられる事件が起きていた。
顔写真とイニシャルを横断幕で晒された防衛局職員は事件の被害者だった。
この職員の顔写真には矢印が付けられ、
「この男、行く末が見えている」
と批判。
「許されない!」
といった文言も記載されていた。
県警は横断幕を設置した県内の男性から任意提出を受け、名誉毀損容疑で捜査しているが、この1件も、産経新聞以外はどこも報じていない。
たとえ仮に冤罪だとしても、顔写真を載せて批判するのは単なる個人攻撃だろう。
2024年11月14日には市民団体
「沖縄平和市民連絡会」
のメンバーが県庁を訪れ、
「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」
として土木建築部長と面談し、事故現場にガードレールや車止めポールを設置しないよう求めた。
繰り返し指摘するが、現場では人命が失われているのだ。
こうした
「市民団体」

「命どぅ宝(命こそ宝)」
をスローガンに活動しているが、空虚に響く。
これを報じた産経ニュース記事を転載したヤフーニュースには約770件のコメントが寄せられた。
「他人の命よりも自分の主張が優先されるのか」
「再発防止のための設備の設置を要求するのが『市民団体』のあるべき姿だと思う」
といった声だ。
今回の事故に関して言えば、少なくとも、オール沖縄に理解を示す革新寄りの既存メディアの論調と
「ネット世論」
は乖離がある。
ネットユーザーの多くが
「市民団体」
の主張や左派メディアの報道に否定的と言える。
事故映像を見ようとしない玉城知事や県政与党会派議員も含め、その底意は見透かされていると言わざるを得ない。
事故後の一連の出来事が、退潮傾向の続く
「オール沖縄」
勢力にとって、大きなターニングポイントになると考えるのは、こうした事情からだ。
■世間との乖離を自覚せよ
「イデオロギーよりアイデンティティー」
をスローガンに辺野古移設を訴え、今に続く
「オール沖縄」
勢力の土台を築いたのは保守派の重鎮だった翁長雄志氏だった。
10年前の平成26年の県知事選に出馬する際、辺野古問題以外は
「腹八分、腹六分」
(で折り合う)と提唱し、保革を超えて結集させた。
しかし近年は共産主導の革新色が強まっている。
有力メンバーだった保守系議員や財界人が離脱するなど求心力が低下したオール沖縄勢力は今年2024年6月の県議選で大敗し、県議会過半数を失った。
2024年9月の宜野湾市長選でも、米軍普天間飛行場(同市)の辺野古移設に反対したオール沖縄勢力側の候補が落選した。
昭和47年の本土復帰後、沖縄では革新勢力が教育界や言論界で強い影響力を及ぼしてきた。
本土復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるが如くタブー視され、自衛隊にも
「戦場にするな」
「軍拡やめろ」
との批判が渦巻く。
繰り返すが、沖縄の歴史と結び付くそうした声について、
「うちなー」
でない筆者は軽々には論評しない。
しかし、今回の事故に関しては別だ。
亡くなった警備員を悼み、死角の多いダンプカーの真ん前を横断する危険な抗議手法は改めるべきだ。
衷心からこう提言したい。
世間との乖離を自覚して頂きたい、と。
さもなくば、オール沖縄勢力は歴史的な役割を終え、それこそ単なる
「選挙互助会」(れいわ新選組、山本太郎代表)
に落ちぶれてしまうだろう。
沖縄では
「ほどほどに、いい加減に」
といった意味で、
「大概」
と言う。
物事を突き詰めて考えない大らかな県民性は
「てーげー気質」
とも形容されるが、いよいよこのままでは足下から
「大概にしろ」
との声が上がってこよう。
(産経新聞那覇支局長)

沖縄の「報道しない自由」 悲惨な事故はなぜ起きたか
風を読む 論説副委員長・川瀬弘至
2024/12/7 10:00
https://www.sankei.com/article/20241207-SAFOMN4Z2ZMO5PRBXA7IXGL7XU/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事で、悲惨な死傷事故により半年近くも中断していた同県本部港からの土砂搬出作業が、2024年12月2日にようやく再開した。
同港近くの路上では数年前から、反対派の活動家らが土砂運搬のダンプカーの前をゆっくり歩いて妨害する抗議活動が行われていた。
しかし2024年6月28日、抗議活動の女性と警備員がダンプカーに巻き込まれ、警備員が死亡、女性も重傷を負った。
この事故については、一般の沖縄県民よりも本紙読者の方がよく知っているのではないか。
事故原因に繋がる肝心な情報を、沖縄のメディアがほとんど報じないからだ。
一連の問題を巡る地元紙などの報道姿勢と、玉城デニー知事や「オール沖縄」勢力の奇妙な対応については、現在発売中の月刊『正論』2025年1月号で産経新聞の大竹直樹那覇支局長が詳細にリポートしているのでぜひ読んでほしい。
リポートによると、地元紙も事故については報じたが、女性が道路に飛び出したわけではないと主張する反基地団体や、防衛省が工事を急がせたからだと批判するオール沖縄勢力に寄った論調が多く、女性を英雄視するかのような報道もあった。
こうした中、本紙が2024年10月10日に報じた防犯カメラ映像が、大きな反響を呼んだ。
そこには、警備員の後方から足早に近付いて来た女性がダンプカーの前に出て、制止しようとした警備員が女性とダンプカーの間に割って入る形となり、そのままひかれてしまう様子が映っていた。
事故を防衛省の責任にしたい勢力には、
「不都合な映像」
と言えよう。
映像は、安全対策などを審議する県議会土木環境委員会でも視聴されたが、オール沖縄勢力の委員は閲覧を拒否した。
玉城氏も見ようとしなかった。
それどころか会見で
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
と批判した。
事故原因に関わる映像を調べずに、どうやって安全対策を講じるつもりなのか。
だが、本紙以外のメディアが報じないため、多くの県民は映像も、玉城氏の
「由々しき」
発言も知らない。
土砂搬出作業が再開した本部港の現場近くでは、牛歩による危険な抗議活動が続いている。
沖縄の
「報道しない自由」
が、再び悲惨な事故を招かぬことを、祈るしかない。

「無謀な『2台出し』やめるべき」 辺野古警備員死亡で沖縄・玉城知事が防衛局に不快感
2024/11/28 14:07
https://www.sankei.com/article/20241128-67XTBT2YQNIMHDTANYOCJE3GO4/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、玉城デニー知事は2024年11月28日の定例記者会見で
「現場で(ダンプカーが連続して出る)『2台出し』のような無謀なことはやめるべきだ」
と述べた。
玉城知事を支持する
「オール沖縄会議」
は2024年7月、事故の背景について、
「2台出し」
や抗議者が渡り終えていないうちに見切り発車でダンプカーを出す危険な状態があったと指摘していた。
事故を巡っては、防衛省沖縄防衛局が県に対する要請文で
「事故は民間事業者の作業を妨害する者による行動に起因したもの」
と断じ、事故から約5カ月経過した今も、県は何ら安全対策が講じられていないとして
「不誠実な対応に終始している」
と批判していた。
防衛局によると、2024年9月以降、現場の安全対策について県の担当者と打ち合わせをしてきたが、県側から具体的な提案は全くなく、
「形式的に場を設けているだけで、安全対策のための実質的な協議になっていない」(防衛局)
という。
これに対し、玉城知事は協議中に防衛局が要請文を出したことに、
「防衛局(の方)が協議にしっかりと対応していないのではないか」
「そう言わざるを得ない」
と不快感を露わにした。
事故現場では、事業者側が以前からガードレールの設置を何度も要請していたが、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
と認めなかった。
一方、市民団体は
「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」
として、ガードレールや車止めポールなどの設置を認めないよう求めていた。
玉城知事は会見で
「歩行者の通行を妨げるガードパイプの設置ではなく、車止め(ポールなど)の設置は検討可能」
との認識を示し、調整を進めているとした。
事故現場では現在、警備員がオレンジ色のネットを広げて抗議者がダンプカーの前に出ないようにしているが、ガードレール設置などの安全対策は講じられていない。
悲劇を繰り返さないために、少なくとも、死角の多いダンプカーの真ん前を横断する危険な抗議手法は改める必要がある。

「私たちは正当な抗議」座り込みでダンプの進路阻む 沖縄・宮城島、土砂搬出開始1週間
2024/11/27 17:15
https://www.sankei.com/article/20241127-YN5HBZIUZ5J37JPMOQE3J33WJM/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設工事で使う土砂を搬出する宮城島(同県うるま市)で2024年11月27日、反対派がダンプカーの前で座り込み、進路を阻んで抗議活動を行った。
県警の機動隊員らが座り込みを続ける人を持ち上げ、歩道の安全な場所まで移動させる一幕もあった。
宮城島では2024年11月20日から土砂の搬出が始まり、2024年11月27日で1週間が経過。
土砂を運ぶダンプカーが出入りするゲート前には
「宮城島の土で基地、造らせない!」
と書かれた横断幕が掲げられ、拡声器で
「ダンプによって宮城島の農道、生活道路が破壊される」
などと訴える声が繰り返し響いていた。
警戒に当たる機動隊員らは
「座り込んだり、立ち塞がったりする行為は道路交通法違反となる」
「低速での歩行や繰り返しの横断については業務妨害(罪)に該当することがある」
と再三に渡り警告。
これに対し、土砂搬出に抗議する人らは
「私たちは正当な抗議です」
と反論し、
「土砂搬入反対」
とシュプレヒコールを上げた。
この日は、牛歩による抗議をしていた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した名護市安和の事故現場で普段抗議活動をしている人の姿も見られた。
辺野古移設工事で使う土砂搬出を巡り、宮城島でも抗議活動が本格化していることが窺える。

ガードレールは抗議者が事故に巻き込まれないよう安全のために設置するものだ。
市民団体と称する反日左翼活動家が事故が起きやすい無茶で危険な抗議活動を行うから事故が起きるのだ。
車道を歩いていけないのは常識中の常識だ。
市民団体と称する反日左翼活動家がいくら屁理屈を言っても心ある人には通じない。
市民団体と称する反日左翼活動家が100%悪い。

警備員死亡の事故現場に「ガードレール設置しないで」 市民団体が沖縄・玉城知事に要請
2024/11/14 17:28
https://www.sankei.com/article/20241114-TVQKJASA5BLJRK73BQYNABNA7U/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、市民団体
「沖縄平和市民連絡会」
のメンバー9人が2024年11月14日、県庁で県の幹部職員と面談した。
市民団体が玉城デニー知事宛てに提出した要請書は
「ガードレールを設置して抗議する市民を排除しても、ダンプトラックの走行が増えれば、交通事故は更に増加する」
と指摘。
「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」
として、ガードレールや車止めポールなどの設置を認めないよう県に求めている。
事故現場となった名護市安和桟橋付近の国道では以前から牛歩による抗議活動が行われてきた。
港湾を利用する事業者側は令和4年12月以降、県に対して
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請。
費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしいと訴えたが、県はいずれも
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めてこなかった。
この日、県庁で応対した県土木建築部の前川智宏部長はガードレールについて
「道路管理者として設置は適切ではないと考えている」
と述べた。
事故現場では現在、警備員がオレンジ色のネットを広げて抗議者がダンプカーの前に出ないようにしている。
市民団体のメンバーからは
「車道を歩くしかない」
「警察官には『車道を歩くな』と言われる」
「おかしいではないか」
「独裁国家だ」
「歩道を完全に止めて封鎖するようなことが許されるのか」
などといった声が上がった。
安和桟橋付近で平成30年以降に発生した交通事故の件数を尋ねられた前川部長が答えに窮していると、市民団体のメンバーから
「何でそんな大事なこと、答えられないの」
と詰め寄られる場面もあった。
市民団体によると、交通事故は30件以上発生しているという。
面談は約45分にも及んだ。

玉城知事の「由々しき」発言でよみがえる尖閣中国漁船衝突事件 辺野古抗議制止警備員死亡
【沖縄考】(50) 那覇支局長・大竹直樹
2024/11/13 9:00
https://www.sankei.com/article/20241113-5TZS3QJ6YJORRGKKEFJSMCVR54/
誤解を恐れずに言えば、沖縄県知事を務める玉城デニーさんは誠実な人だと思っている。
記者会見では質問の論点をはぐらかし、回答になっていないことも多々あるが、批判的な質問をぶつける筆者にも丁寧に答える。
インタビュー取材で撮影した知事の写真をプリントして差し上げたら、わざわざ駆け寄ってきて笑顔でお礼を伝えてくるような人だ。
これはあくまで、玉城デニーさんの人柄の話である。
知事として誠実かといえば、どうであろう。
とりわけ、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設工事現場前で今年2024年6月、工事車両を誘導していた男性警備員が、移設の抗議活動を行っていた女性を制止して現場から出てきたダンプカーに巻き込まれて死亡、女性も骨を折る重傷を負った事故。
この件の対応では誠実さが感じられないのだ。
産経新聞は2024年10月10日、事故当時の状況を伝えるカメラ映像を入手し、徐行するダンプカーに足早に近づく女性と、女性をかばうように制止しようとする警備員の姿が映っていたと報じた。
記事を紹介するX(旧ツイッター)の閲覧数(インプレッション)は1000万を超え、交流サイト(SNS)でも話題になった。
だが、玉城知事は2024年10月31日の定例記者会見で
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と批判。
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
と発言した。
この報道に問題があるなら、テレビのニュースでよく流れる事故当時のドライブレコーダー映像や犯行をとらえた防犯カメラ映像も報じることができなくなるのだが、はて…。
発言の真意は測りかねるが、ともすれば報道の自由を侵害しかねず、正直言って驚いた。
■客観的証拠に背を向ける知事派県議
玉城知事の
「由々しき問題」
発言で、忌々しい記憶が蘇った。
尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で平成22年9月に発生した中国漁船衝突事件である。
検察担当だった筆者は当時、日夜、取材に明け暮れた。
当時の民主党政権は刑事訴訟法上の証拠に当たることを理由に海上保安庁が撮影した衝突映像の公開を拒み、映像をひた隠しにした。
義憤に駆られた海上保安官(当時)が匿名で映像を動画サイトに流出させたが、この時、当時の仙谷由人官房長官はこれを
「由々しき事案」
と指弾した。
流出した映像によって中国漁船の無法ぶりが世間の知るところとなり、日本側に全く非がないことが証明された。
この事件は中国側が強硬姿勢を示し、邦人4人がスパイ容疑で拘束されたことで民主党政権(当時)は狼狽えた。
「あらゆる外交ルートも遮断」(検察首脳)
され、検察当局は、一旦は逮捕した船長を公務執行妨害罪で起訴する方針を固めながら、
「日中関係を考慮」(那覇地検)
して釈放した。
検察が法以外の判断で処分を変えた。
これこそ
「由々しき事案」
と思うが、為政者にとっては映像の流出の方が問題だったらしい。
閑話休題。
玉城知事が
「由々しき問題」
と指摘した事故当時の映像は2024年10月11日、現場の安全対策を検討する沖縄県議会の土木環境委員会でも閲覧された。
しかし、玉城知事を支持する県政与党会派の議員は閲覧を拒否して退席した。
映像を見た県の前川智宏土木建築部長も
「事故の状況を客観的に捉えたもの」
と評価しているのに、客観的証拠に背を向けたのだ。
玉城知事も同様だ。
産経の報道で多くが目にした映像を、
「私は見ていない」
と言って憚らない。
■安全対策にイデオロギーは関係ない
見ていないのではない。
見ようとしていないのだ。
それは、玉城知事を支持する
「オール沖縄」
などの主張と異なる
「事実」
がそこにあるからなのか。
敢えて言えば、
「不都合な真実」
と置き換えてもいい。
そう勘繰りたくもなる誠意を欠く対応ではないか。
亡くなった警備員の妻は
「妨害行為が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われた」
と心を痛めている。
「妨害行為」
とは、抗議活動中にダンプカーに巻き込まれ、重傷を負った女性の行動を指したものとみられる。
映像では、動き出したダンプカーの前にこの女性が飛び出しているように見える。
事故現場では
「産経新聞はでっち上げ!」
などと拡声器で訴える人もいたが、是非映像という動かぬ証拠を直視してほしい。
事故現場では以前から抗議活動の危険性が指摘されていた。
港湾を利用する事業者側は、現場の国道を管理する沖縄県に
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請。
自ら費用を負担するとも申し出ていたが、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
一方で、本部港塩川地区(本部町)に設置されていた工事車両の往来を妨害する行為への警告を記した看板は、抗議活動を行う数十人が県庁に押しかけて要請し、設置から約2カ月半で撤去された。
本来優先すべき安全を蔑ろにした行政の不作為は明らかだ。
地元メディアは、抗議者が道路を横断し終わると、警備員が1台ずつ安全を確認しながらダンプカーを誘導して工事現場から出していく
「暗黙のルール」
が破られ、2台続けての危険な
「2台出し」
が行われたと指摘しているが、事故原因は捜査中だ。
原因究明や現場の安全対策にイデオロギーは関係ない。
誠実な人柄が窺える玉城知事には、人命が失われた、この事故についても誠実な対応を望む。

<独自>「でっち上げ」辺野古抗議活動制止警備員死亡 事故現場で防衛局職員批判の横断幕
2024/11/11 12:24
https://www.sankei.com/article/20241111-QRF7XRECDFIBBCHHQPVKLLNFR4/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故現場で、特定の防衛省沖縄防衛局職員のイニシャルと顔写真を載せ
「罪をねつ造、でっち上げた」
などと批判する横断幕が掲げられていたことが2024年11月11日、捜査関係者への取材で分かった。
沖縄県警は名誉棄損容疑に当たる可能性もあるとみて捜査している。
捜査関係者らによると、横断幕は2024年10月22日午前7時頃に張り出された。
現場にいた警察官が横断幕に特定の個人の顔写真が載っていることを現認。
間もなく横断幕を設置した県内の男性から任意提出を受けた。
事故現場では2024年9月26日、沖縄防衛局の職員が抗議活動中の70代の男性=暴行容疑で逮捕後、処分保留で釈放=から胸を両手で押され転倒させられる事件が起きており、横断幕に顔写真とイニシャルが載っていた防衛局職員は、この暴行事件の被害者だったという。
横断幕には防衛局職員の顔写真に矢印が付けられ、
「罪をねつ造、でっち上げた防衛局職員」
「この男、行く末が見えている」
と批判。
「許されない!」
といった文言も記載されていた。
沖縄防衛局は産経新聞の取材に
「他人を誹謗中傷したり、職務遂行を妨害したりするような行為は、許されないものと考えている」
「そのような行為が職員に対して確認された場合には適切に対応していく」
としている。

<独自>辺野古抗議活動制止の警備員死亡 沖縄県警、事故現場で実況見分
2024/11/4 10:55
https://www.sankei.com/article/20241104-BOZB62JUIJKADMSH25GRFZ4EXI/
抗議活動中の女性を制止した警備員が死亡した事故現場で実況見分を行う捜査員=4日午前9時45分、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
https://www.sankei.com/article/20241104-BOZB62JUIJKADMSH25GRFZ4EXI/photo/VP4S5DQM3VOAJM5PRVO2PFNJHI/
事故現場で実況見分を行う捜査員=4日午前9時39分、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
https://www.sankei.com/article/20241104-BOZB62JUIJKADMSH25GRFZ4EXI/photo/GNZRGTZ6C5NMVE62BXTXK3WA7U/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、沖縄県警は2024年11月4日、事故現場の名護市安和(あわ)の桟橋前の路上で実況見分を行った。
午前9時半頃から始まり、捜査員らがダンプカーの位置や桟橋と国道を繋ぐ
「車両乗り入れ部」
の長さなどを入念に確認した。
事故は2024年6月28日、移設工事に使う土砂を搬出する桟橋前の路上で発生。
桟橋から左折して国道に出ようとしたダンプカーが、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、女性は重傷を負った。
その後の調べで、現場付近に設置されたカメラに事故に至る状況が写っていたことが判明。
産経新聞は政府関係者からこの映像を入手した。
映像や関係者らによると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に路上で対応。
警備員はこの抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行しながら国道に向かうダンプカーの前に出た。
警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突する様子が映像に残されていた。
沖縄県警はカメラ映像の解析を進め、事故に至る原因を調べている。

沖縄県が見解「現場は歩道とも車道とも言い切れない」辺野古抗議活動制止の警備員死亡事故
2024/11/1 18:02
https://www.sankei.com/article/20241101-J7MHVNVV3VMXJBUBPSBYSN3IXI/
警備員の足元に見える白線が国道の車道外側線にほぼつながっている=9月、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
https://www.sankei.com/article/20241101-J7MHVNVV3VMXJBUBPSBYSN3IXI/photo/HHSICWXH3BKJ3P7J3DJCEFTFDI/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、沖縄県は2024年11月1日、産経新聞の取材に対し、名護市安和の事故現場は
「歩道とも車道とも言い切れない」
との見解を明らかにした。
路側帯と車道を区画する
「車道外側線」
のように見える白線が6年前、事故現場付近に引かれていたことも新たに分かった。
現場は辺野古移設工事に使う土砂を搬出する安和港近くの桟橋と国道を繋ぐ車両乗り入れ部。
地元では
「乗り入れ部は歩行者を優先する『歩道』というのが県の認識だ」
との報道もあったが、県は
「道路管理者として、歩道とも車道とも言い切れない」
とした。
車両乗り入れ部は、縁石の一部を下げて段差を小さくした
「切り下げ」
と、車道の路面が連続している
「切り開き」
の2種類があり、現場は後者に該当するという。
男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性がダンプカーに巻き込まれた場所は、国道の車道外側線にほぼ繋がるように引かれた白線の内側だった。
県北部土木事務所によると、車道外側線は元々国道に沿って直線に引かれていたが、平成30年に車両乗り入れ部に向かって引き直された。
白線は国道の車道外側線とほぼ繋がっており、2人がダンプカーに巻き込まれた場所は一見すると車道のようにも見える。
ただ、車両乗り入れ部に引かれた白線が車道外側線を示すものかどうかは分かっていない。
県北部土木事務所は
「車両乗り入れ部を分かりやすくするため、平成30年に外側線を変更したものと考えている」
と説明した。
白線が引き直された経緯を調べているという。

沖縄県幹部「映像は事故状況を客観的にとらえたもの」 辺野古抗議活動での警備員死亡事故
2024/10/31 18:49
https://www.sankei.com/article/20241031-325WRUALFBMBDDWNBMSWBFBWBY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、発生時の状況が映ったカメラ映像を視聴した沖縄県の前川智宏土木建築部長が2024年10月31日、
「映像は事故の状況を客観的に捉えたもの」
との認識を示した。
地元の名護市議会からガードレール設置などを求める意見書を受け取った際、市議らに明らかにした。
事故現場の名護市安和(あわ)の土砂搬出港付近では、市民団体のメンバーらがプラカードを持ってダンプカーの前をゆっくりと横断し、牛歩戦術で土砂の搬入を遅らせようとする抗議活動を展開。
港湾を利用する事業者側が
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたのに、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
この日は名護市議会の金城(きんじょう)隆議長らが県庁を訪れ、玉城デニー沖縄県知事宛ての意見書を提出した。
意見書では
「度重なる要請を受けているのにもかかわらず、沖縄県は何の対策もしていない」
として
「県の対応は不十分」
と批判。
ガードレールの設置や、車両通行を妨げる行為をやめるように指導することなどを求めている。
これに対し、前川土木建築部長は
「歩行者の自由な通行を妨げるような構造物の設置は芳しくない」
との考えを強調。
「ちょっと言い訳がましくなるが、道路法ではゆっくり歩く人を規制する根拠がない」
と指摘し、
「道路は車いすの方など不特定多数の人が利用する」
「歩き方が遅いからといって規制や取り締まりはできない」
とした。
ガードレールの設置には否定的な見解を示す一方、ポールについては
「設置する可能性の余地はある」
と述べた。

沖縄・玉城知事「報道差し控えるべきだ」辺野古抗議活動で警備員死亡事故の映像報道を批判
2024/10/31 16:34
https://www.sankei.com/article/20241031-NXOQSGKJMVOYHB6UDCJ3HSJRZY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、沖縄県の玉城デニー知事は2024年10月31日、事故当時の状況を伝えるカメラ映像を伝えた産経新聞の報道に対し、
「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」
と批判した。
産経新聞が今月2024年10月10日までに政府関係者から入手したカメラ映像には、徐行するダンプカーに足早に近づく抗議活動中の女性と、女性を庇うように制止しようとする警備員の姿が映っていた。
玉城氏は
「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」
との認識を示し、報道で判明した事故当時の映像について
「私は見ていない」
と強調した。
記者から見ない理由を尋ねられた玉城氏は
「事故の詳細については現在、警察で捜査中であり、事故映像の報道に係る内容について見解を述べることは今の段階では差し控える」
と述べた。
事故当時の映像を巡っては、現場の安全対策を検討している沖縄県議会の土木環境委員会で、玉城氏を支持する県政与党会派の議員が
「映像の出所や内容も曖昧だ」
などと猛反発し、閲覧を拒否したことも明らかになっている。

「安和事故」映像は不都合な真実か 元朝日記者が沖縄で書いた記事を読んでみた
大手町の片隅から 乾正人
2024/10/18 10:00
https://www.sankei.com/article/20241018-AYHXQT6EEZJOBKYTFOHNJ4JMZQ/
事故のカメラ映像。走行するダンプカーの前に飛び出した女性を警備員が止めようとする姿が見える
大抵の作家は、初期作品に佳品が多い。
昭和の文豪・松本清張もそうで、彼が昭和32年に発表した
「地方紙を買う女」
は、繰り返しテレビや映画で映像化されてきた。
都内に住む心中を装った殺人事件の犯人が、地方紙を短期間購読したのを不審に思った作家が謎を解明していくという筋立てだ。
■「地方紙を買う男」の目
私も犯人ではないが、
「地方紙を買う男」
の1人である。
仕事柄、各地を旅することが多いが、駅に降り立つと必ず地方紙を買う。
小学校の運動会やコメの出来具合などご当地新聞しか報じない情報満載で重宝する。
最近は、有料のデジタル版で読める地方紙も増えており、いくつかは期間を決めて購読している。
沖縄の琉球新報もそのうちの1つだ。
視点が弊紙とは180度違うので、勉強になる。
2024年9月25日付の1面を飾った
「『心は折れない』言葉から勇気 新基地抗議の市民思い新た 安和事故 被害女性に寄せ書き」
という記事もそうだ。
琉球新報と沖縄タイムスの地元2紙が
「安和事故」
と名付けた事故は、2024年6月28日に米軍普天間飛行場の移設予定地である名護市辺野古に近い同市の安和桟橋前の道路で起きた。
辺野古
「新基地」
反対運動に参加していた72歳の女性が、抗議活動中に警備員と共にダンプカーに巻き込まれ、警備員は死亡、女性も重傷を負った。
同記事は、彼女が
「フェニックス(不死鳥)さん」
と呼ばれていると紹介。
「女性が手術前に残した『骨は折れても心は折れない』の言葉に奮い立った市民が目立つ」
と断定し、
「新基地断念まで小さな力を結集させたい」
「再び戦場にさせない」
といった彼女への寄せ書きをいくつも書き連ねている。
明治の昔、自由民権運動の先頭に立っていた板垣退助が暴漢に刺され、
「板垣死すとも自由は死せず」
と語った逸話を思い起こす。
何よりビックリしたのは、1面の記事の中に亡くなった警備員を悼む言葉が一言もなかったことだ。
記事を書いた南彰記者は、新聞労連委員長を務めた元朝日新聞の記者で、琉球新報に移籍した有名人である。
■映像の中身報じぬ沖縄2紙
思い切った記事だと感心していたら、小紙の記者が、現場付近に設置されていたカメラ映像を入手し、2024年10月10日に報じた。
映像では、制止を無視して飛び出した女性を警備員が庇ってダンプカーに巻き込まれたように見える。
この映像は、翌日開かれた県議会土木環境委員会で閲覧されたが、玉城デニー知事を支える
「オール沖縄」
系議員は、
「映像の出所や内容も曖昧だ」
などと猛反発。
閲覧を拒否した上に委員長への不信任動議まで提出した(結果は否決)。
議会事務局によると、県議会で常任委員長に対する不信任案が提出された記録は過去にないというから、与党のお怒りは相当なものだ。
しかも沖縄2紙やNHKは揃って映像の中身を詳しく報じていない。
これでは、なぜ県議会が大騒ぎしているのか読者にはさっぱり分からない。
やはり映像は、基地反対派にとって
「不都合な真実」
だったのか。
沖縄2紙もNHKも知る権利や人権擁護に熱心なはずだが、はて。
警備員には人権はないのだろうか。(コラムニスト)

辺野古抗議事故 動かぬ「証拠」露見懸念か 与党会派、異例の委員長不信任案動議
2024/10/17 21:13
https://www.sankei.com/article/20241017-BFW2WGBYWBPJVDO7WH7M2APSWY/
※産経新聞が入手した事故現場の映像。プライバシー保護のため一部加工しています
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が2024年6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故を巡り、沖縄県議会の土木環境委員会で、玉城デニー知事を支持する県政与党会派が事故当時の状況を捉えたカメラ映像の閲覧を拒否していることが明らかになった。
映像は、真相究明と現場の安全対策を講じる上で重要な資料となるはずで、閲覧を拒否したことは、極めて疑問だと言わざるを得ない。
■「証拠」映像、玉城知事支持派が閲覧拒否
与党会派は2024年10月11日の沖縄県議会土木環境委員会で閲覧を拒否したが、その理由について、重傷を負った女性の代理人からあった閲覧中止を求める申し立てについて十分協議していない点を挙げた。
更に
「出所や内容も曖昧」
「委員会で確認する妥当性や人権感覚、倫理観、責任問題にも関わる」
などとし、閲覧は多数決で強行されたとも訴え、常任委員会では過去に例のない委員長への不信任案動議まで提出した。
事故を巡っては、抗議活動をする市民団体が、牛歩で抗議者が道路を横断し終わると、警備員がダンプカーに合図を送って1台出す
「暗黙のルール」
があったのに、2台続けてダンプカーを出すこともあったと主張。
辺野古移設を進める防衛省側を批判した。
市民団体と連携するオール沖縄会議の幹部が2024年8月、同省沖縄防衛局長に
「あなたは沖縄県民を1人殺してしまった責任者だ」
と罵る場面も見られた。
しかし、事故前の映像を見る限り、制止を無視して飛び出した女性を警備員がかばってダンプカーに巻き込まれたと見られる様子が確認できる。
あるいは、映像という動かぬ
「証拠」
によって、オール沖縄側の
「主張」
が揺らぎかねない不都合な事実が露見することを懸念したのか。
県政与党の閲覧拒否は、そう疑いたくもなる異例の対応だ。

<独自>辺野古抗議活動制止警備員死亡 事故映像を入手 11日に県議会で映像確認へ
2024/10/10 18:56
https://www.sankei.com/article/20241010-OGYWEUDQPZOIXPYAULZWOOPFDY/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が6月、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故で、現場付近に設置されたカメラに事故に至る状況が映っていることが10日、明らかになった。
産経新聞が関係者からカメラ映像を入手し、確認した。
県議会は11日、土木環境委員会で委員がこの映像を閲覧する方針。
事故は6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する名護市安和(あわ)の桟橋前の路上で起きた。
桟橋から左折して国道に出ようとしたダンプカーが、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。
警備員は死亡し、女性は重傷を負った。
映像や関係者らによると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に対し、路上で対応していた。
警備員は、この抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行しながら国道に向かうダンプカーの前に出る様子が映像に残されていた。
警備員は女性を制止しようと、ダンプカーと女性の間に割って入る形となり、そのままダンプカーの左前面に衝突。
10秒ほどの出来事だった。
関係者は
「明らかに女性は警備員の制止を無視して飛び出している」
「警備員は女性を庇うような形でダンプカーに巻き込まれた」
と証言した。
県警はカメラ映像の解析を進め、詳しい事故原因を調べている。
一方、事故現場で牛歩による抗議活動をしてきた市民団体のメンバーによると、重傷を負った女性は
「敢えて飛び出したわけではない」
と説明。
この市民団体と連携する「オール沖縄会議」は7月、2人がダンプカーに巻き込まれたのは
「車両乗入部」
と呼ばれる歩道部分で、
「あくまでも歩行者の通行が優先される場所」
だったと主張する資料を公表していた。

■遺族「精神的に辛い」
事故現場となった辺野古移設工事に使う土砂の搬出港周辺では、移設に反対する市民団体のメンバーらがダンプカーの前をゆっくりと横断して抗議する
「牛歩戦術」
が続けられてきた。
今回明らかになった映像によって、抗議者の女性がダンプカーの前に飛び出した可能性が高まった。
これまで抗議者側は、女性は飛び出したわけではないとの姿勢を崩さず、
「安全に配慮した抗議運動」
を尊重すべきだとも主張していた。
また、骨を折る重傷を負った女性が
「骨は折れても心は折れない」
との言葉を残し、
「市民」
らが勇気づけられたとする地元報道もある。
こうした状況に、警備員の遺族は
「今までで一番憤りを感じる記事だった」
「本当に本当に許せないし、とても辛い」
と心を痛めていたとされる。
今月4日の県議会の一般質問で、遺族の
「思い」
を読み上げた自民党の島袋大県議によると、警備員の妻は
「報道や交流サイト(SNS)では被害者(の女性)に非はなく、非があるのは強引な警備などではないかとの誹謗中傷がほとんど」
と振り返り、
「妨害行為が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われた」
「精神的に辛く、心を痛めていた」
と伝えてきたという。
映像には、徐行するダンプカーに近づく女性と、女性を庇うように制止しようとする警備員の姿が映っており、抗議者側の
「主張」
は崩れつつある。

辺野古ダンプ事故現場の路上で防衛局職員に暴行、抗議活動の76歳男を逮捕 沖縄県警
2024/9/27 17:22
https://www.sankei.com/article/20240927-2MAP7Z24HRODTKPGQUDQCDMDSE/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡する事故のあった現場付近で26日、防衛省沖縄防衛局の職員が抗議活動中の男から暴行を受ける事件があったことが分かった。
県警名護署は同日、暴行容疑で抗議活動をしていた無職の男(76)=同県北中城(きたなかぐすく)村=を現行犯逮捕した。
男の逮捕容疑は26日正午ごろ、名護市安和(あわ)の土砂搬出港「安和桟橋」の出口ゲート付近の路上で、沖縄防衛局の男性職員(54)の胸を両手で押して転倒させたとしている。
現場にいた警察官が暴行を現認し、約1時間後に逮捕した。
捜査関係者によると、逮捕された男は当時、辺野古移設に向けた土砂の搬出に抗議していたという。
現場付近では今年6月28日、抗議活動をしていた女性を制止した名護市の男性警備員=当時(47)=が左折したダンプカーに巻き込まれ、死亡する事故が起きていた。

辺野古ダンプ事故「原因が市民活動にあるかのような印象与えた」 オール沖縄が県警に指摘
2024/9/19 15:52
https://www.sankei.com/article/20240919-PFAF6YA4MJKJXHWIO7JO3CVPZU/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡し、女性が重傷を負った事故を巡り、玉城デニー知事を支持する「オール沖縄会議」と県選出の国政野党国会議員でつくる「うりずんの会」は19日、県公安委員会に対し、苦情申立書を提出したと明らかにした。申し立ては5日付。
苦情申立書によると、県警本部で8月30日、抗議活動の排除や妨害を行わないよう求める要請書を提出しようとした際、椅子やテーブルのない
「倉庫内」
で受け取ると指示され、提出を断念せざるを得なかったという。
県警の対応について、
「県民を愚弄する行為だ」
と抗議している。
要請書では
「県警は『違法行為がなかったかも含め慎重に調べを進める方針』などといった一方的な情報を報道機関に流布した」
と指摘しており、
「事故の原因が(重傷を負った)女性ら市民活動にあるかのような印象を与え、SNSその他のウェブサイトで威圧的な発信が繰り返されている」
と訴えていた。
名護市の安和(あわ)桟橋では8月22日から土砂の運搬作業が再開された。
事故現場には多数の警備員が配置され、オレンジ色のネットを広げて抗議者がダンプカーの前に出ないようにしている。

辺野古ダンプ事故で中止の土砂運搬作業が再開 「対策講じた」と防衛局
2024/8/22 9:58
https://www.sankei.com/article/20240822-TH5U33E4VRMH5IZV6ZNJ5P5BKE/
沖縄県名護市安和(あわ)の国道で6月、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に対する抗議活動をしていた女性が怪我をし、警備中の男性が死亡した事故を受け、政府が中止した埋め立て用土砂の運搬作業が22日、名護市で再開された。
県によると、防衛省沖縄防衛局から21日に
「対策を講じた上で再開する」
と連絡があった。
県側は、事故の原因究明や再発防止が済むまで作業を再開しないよう求めており、玉城デニー知事は21日午後、
「作業再開は誠に遺憾」
と批判していた。
事故は6月28日に名護市安和の国道で発生。
土砂の搬出に抗議するため車道に出た女性と、制止しようとした男性警備員がダンプに巻き込まれた。
警備員が死亡し、女性は重傷を負った。

辺野古ダンプ事故 沖縄・玉城知事宛に防衛局が異例の要請「妨害行為で警備員にも危険」
2024/8/15 17:42
https://www.sankei.com/article/20240815-J6JMDGWK6ZN4NAHKM2YC6OVI5M/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡した事故で、防衛省沖縄防衛局は15日、ガードレール設置などの安全対策や
「妨害者」
への注意・警告の実施を求める玉城デニー知事宛の要請文書を提出した。
防衛局によるこうした要請は極めて異例とみられる。
土砂の搬出港付近では市民団体のメンバーがプラカードを持ってダンプカーの前をゆっくりと横断し、牛歩戦術で土砂の搬入を遅らせようとする抗議活動を続けてきた。
事故について要請文書は
「警備員の制止を聞かず、左折して出ようとする進行中のトラックの前方車道上に(抗議者が)出たことから、制止し続けた警備員がお亡くなりになる事態になった」
とし、
「妨害行為により警備員にも危険が及ぶ事態は重大だ」
と指摘した。
港湾を利用する事業者側が県に
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請し、玉城知事も把握していたが、県が
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めてこなかったことも判明している。
要請文書は
「県の対応が不十分であることは妨害行為が継続していることからも明らかだ」
と強調し、道路や港湾施設の管理者として県が可能な措置を速やかに講じるよう求めている。

辺野古ダンプ事故 「産経新聞はでっち上げ!」への反駁
【沖縄考】(47) 那覇支局長・大竹直樹
2024/8/14 9:00
https://www.sankei.com/article/20240814-MVQJ6M5JPJJ2LOMMJEZ6TZX6SI/
《即、工事断念! もうこれ以上、犠牲者を出すな!》。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡する事故が起きた同市安和(あわ)の現場。
供花の前には7月22日、こう大書きされた横断幕が揺れ、プラカードを持った人が集まっていた。
「産経新聞はでっち上げ!」。
サングラスをした女性が拡声器で叫んだ。
女性が事故に関する本紙報道を批判していることは容易に見当がついた。
とすれば、記事を書いたのは筆者だが、事実と異なることを書いた覚えはない。
女性に近づき、何がでっち上げなのか問うと
「産経新聞は『車道に飛び出した市民』(と書いた)。ここが間違え。でたらめ」
という。
「産経新聞は『飛び出した』と書いていましたか」
「と、思います」
「『思う』で、でっち上げといわれたら困ります」
女性の一言に、思わず色をなしてしまった。
念のため所属を尋ねると、
「普通の市民」
と名乗った。
普通の市民の方といえど、誤ったことをこのまま喧伝されてはかなわない。
1つずつ反駁させていただいた。
■さすがにアンフェアでは
この場を借りて、読者の皆さんにも説明させて頂きたい。
まず本紙は
「土砂搬入のダンプカーに抗議するため車道に出た女性を警備員(記事では実名)が止めに入り、その際、左折したダンプカーに2人とも巻き込まれたとみられている」
と報じた。
一方、地元メディアでは
「死亡した警備員が重傷を負った女性とは別の抗議者を制止したところ、重傷を負った女性がすり抜け、ダンプカーの前に飛び出そうとしたため急いで制止に入り巻き込まれた」
との報道もあった。
だが、少なくとも産経新聞は
「飛び出した」
とも
「すり抜けた」
とも報じていない。
そう指摘すると、女性は
「車道」
の記述も違うと、畳み掛けてきた。
「車道ではない」
とする主張の根拠は、玉城デニー知事を支持する
「オール沖縄会議」
が7月18日に公表した資料に詳しい。
弁護士立ち会いによる現地調査や被害者、目撃者らへの聞き取りの結果、重傷を負った女性と死亡した警備員が倒れていた場所は国道449号の車道部分だったが、2人がダンプカーに巻き込まれたのは、7.3メートル手前の
「車両乗入部」
と呼ばれる歩道部分だった、というのが
「オール沖縄」
側の主張だ。
2人が巻き込まれたのは
「あくまでも歩行者の通行が優先される場所」
で、
「警備員らはまずダンプを止めるべきだったのであり、市民らの歩行を制止したことは法的にも許されない」
と訴えている。
ただ、これまでの沖縄県警への取材で、2人が
「車両乗入部」
で巻き込まれたとの情報は得られていない。
「車両乗入部」
との説明を曲げて
「車道」
と表記したわけではない。
まして、本紙以外の複数の主要メディアも
「車道」
と報じている。
にもかかわらず、産経だけがやり玉に挙げられ、でっち上げとの誹りを受けるのは、さすがにアンフェアではないか。
■「あなたは沖縄県民を殺してしまった責任者」
事故の続報が産経以外のメディアで取り上げられる機会は少ないが、沖縄県議会では俎上に載っている。
自民党会派は、港湾を利用する事業者側が道路を管理する県に
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していた事実を問題視。
玉城知事もこうした要請を把握していたとして議会で追及した。
事業者側は自ら費用負担するので設置させてほしいと申し出ていたのに、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
と、頑として認めなかったというのだから、玉城県政の不作為と言われても仕方ないだろう。
「オール沖縄会議」
は今月2日、防衛省沖縄防衛局に対し、原因究明と安全対策が整うまで全工事の中止を求める要請書を提出し、
「抗議運動に参加している市民には非難されるべき事情は全くない」
と訴えた。
オール沖縄の幹部は防衛局長に
「あなたは沖縄県民を1人殺してしまった責任者だ」
と罵った。
この様子を報じた産経ニュース転載のヤフーニュース記事には500件以上のコメントが寄せられたが、事故を招いた抗議活動に対する批判が多かった。
捏造は慣用読みで、本来は
「でつぞう」
と読む。
でっち上げは漢字で書けば
「捏ち上げ」。
捏(こ)ねるという意味の
「捏(で)つ」
に由来するという。
死角の多い大きなダンプカーの前をわざとゆっくり歩く。
その抗議手法を省みることなく理屈を捏ね、自らの活動の正当性を主張しているように感じた。
抗議運動に携わる方は是非、世間がどのように受け止めているのか。
ヤフーニュースのコメントやSNSなどの反応を見てほしい。

辺野古移設反対派の理不尽な抗議に屈するな。
辺野古移設反対派の理不尽な抗議に屈しているようでは、屈している側も信用できない。
そんなことでは保守派から見限られる。

<主張>辺野古ダンプ事故 危険な抗議活動をやめよ
社説
2024/7/11 5:00
https://www.sankei.com/article/20240711-VUIXRIOQYVOAHN4XDGTBXO6Y4U/
沖縄県や県警が適切に対応していたら、防げた事故だったのではないか。
同県名護市安和(あわ)の国道で2024年6月、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議する女性と警備員の男性がダンプカーにひかれ、男性が死亡する事故が起きた。
女性は足を骨折した。
現場では数年前から、辺野古移設工事に使う土砂を運搬するダンプカーの前を反対派がゆっくりと歩いて妨害する抗議活動が行われていた。
車道に出た女性を警備員の男性が制止しようとして、左折中のダンプカーに巻き込まれたとみられる。
何に抗議するのも自由だが、危険な行為は許されない。
事故を招くような抗議活動は即刻やめるべきだ。
玉城デニー知事は事故について、
「県民の安全に責任を持つ者として極めて遺憾だ」
と述べた。
その上で沖縄防衛局に対し、安全対策が十分講じられるまで土砂の運搬作業を中止すべきとの考えを示した。
作業は2024年7月10日現在、中断している。
これはおかしい。
ダンプカーの前をわざとゆっくり歩くという、極めて危険な行為を道路上で繰り返しているのは反対派の方だ。
抗議はほぼ連日行われ、ダンプカーの渋滞も起きていた。
危険な行為を放置せず、交通の安全と秩序を取り戻すのは行政と警察の責任だろう。
県は2023年2月、同様の抗議活動が行われている辺野古移設の土砂搬入の港湾施設に、注意喚起の看板を設置した。
大型車両の往来を妨害する行為は県港湾管理条例の禁止行為に当たるとし、
「警告」
する内容だ。
ところが、反対派の猛烈な反発を受けて2023年5月に撤去してしまった。
理不尽な抗議に屈し、危険を黙認したことに他ならない。
県警も、十分な取り締まりを行ってこなかった。
県内では、自衛隊駐屯地に武器などを搬入する際に一部の活動家らが道路にしゃがんだり寝転んだりして妨害する行為が繰り返されてきた。
県警が道路交通法の禁止行為に当たるとして排除することもあるが、県内の一部メディアは
「強制排除」
と批判的に報じていた。
今回の事故で警備員は、反対派の危険な行為を制止しようとして犠牲になった。
悲劇を繰り返してはならない。

事故現場、再三のガードレール設置要請も沖縄県認めず 玉城知事も把握 辺野古ダンプ事故
2024/7/10 16:25
https://www.sankei.com/article/20240710-KE7OGDNCAJJDVJLVRFMFKJJZWI/
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した警備員が死亡した事故で、港湾を利用する事業者側が県に対し、
「抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたことが2024年7月10日、分かった。
玉城デニー知事もこうした要請を把握していた。
事業者側は自ら費用を負担するので設置させてほしいとも申し出たが、県は
「歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
一方、牛歩による抗議活動が行われてきた本部港塩川地区(本部町)に設置されていた
「大型車両の往来を妨害する行為」
が県条例の禁止行為に該当すると明記した警告看板は市民の要請を受け、設置から約2カ月半後に撤去していたことも明らかになった。
いずれも同日の県議会本会議で、自民党の島袋大議員の代表質問に、県土木建築部の前川智宏部長が答えた。
県北部土木事務所などによると、牛歩による抗議活動が行われてきた名護市安和(あわ)の国道では令和4年12月以降、事業者側から何度もガードレールの設置を求める要請があった。
事業者側からは費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしいという要請もあった。
だが、県は
「歩道であることからガードレールを設置する予定はない」
「事業者によるガードパイプの設置は歩行者の横断を制限することになる」
として認めなかった。
県は2023年2月17日、隣接する本部町の本部港塩川地区に
「大型車両の往来を妨害する行為」
などについて、県港湾管理条例で定める禁止行為に該当する旨を明記した警告看板を2枚設置。
禁止行為を行った場合は
「条例に基づき過料を処することがある」
と警告した。
しかし、市民から
「なんで過料を科すのか」
などと
「厳しい意見」
が寄せられたといい、県は現場を確認した上で
「状況は危なくない」
と判断。
2023年5月2日に撤去したという。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/566.html#c28

[政治・選挙・NHK297] 小沢一郎氏「小泉大臣が恐らく理解していないことがある」進次郎農相に痛烈指摘 舞岡関谷
32. 秘密のアッコちゃん[1685] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月01日 06:13:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1123]
<▽35行くらい>
<主張>生活保護判決 政府は丁寧な手順尽くせ
社説
2025/7/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250701-KABR4TZD4JMVDKCKZOHGC2YCGQ/
最高裁は、政府が平成25〜27年に生活保護費を段階的に引き下げたことは違法だとして減額処分を取り消す判決を言い渡した。
生活保護の基準改定に関する大きな裁量権が行政にあることは認めながら、政府が当時、基準額を引き下げた過程や手続きには裁量権の逸脱や乱用があったとした。
判決を受け、政府は減額分を追加支給する検討に入った。
間違ってはならないのは、最高裁が違法と判断したのはあくまで減額の手順や過程に関してであって、生活保護費の引き下げそのものについてではないということだ。
生活保護は、国民の最低限度の生活を保障する最後のセーフティーネットである。
支給額の増減を決める際には丁寧な検討が必要で、恣意的に決めるべきではないのは当然だ。
政府は、生活保護費のうち食費や光熱費などに充てる
「生活扶助」
の基準額について、従来は一般国民の消費動向などを踏まえて改定してきたが、初めて物価変動率だけを改定の指標にした。
より丁寧な手順を踏むべきではなかったか。
判決は政府の裁量権の逸脱は認めたが、
「職務上尽くすべき注意義務を尽くさず、漫然と改定をしたという根拠は見当たらない」
として、賠償責任は否定した。
厚生労働相が生活扶助基準と一般国民の生活水準に不均衡があると判断したことについては、
「整合性に欠けるところはない」
と指摘した。
生活保護法は、保護費の水準について国民の最低限度の生活の需要を満たすに十分であると同時に、これを超えないものであるよう定めている。
一般的な低所得世帯の消費水準と比べて、生活保護費が高く設定されていれば、受給者に就労意欲は生じまい。
納税する国民の理解も得られない。
政府が減額を決めた当時は、リーマン・ショックに端を発した金融危機により、物価や賃金、家計消費が落ち込んでいた。
生活保護の受給者が増え、一部の生活実態について、一般世帯よりも逆に豊かではないかという不満も生じていた。
政府は保護費が一般的な低所得世帯の消費水準から乖離していないかを、常にチェックすべきである。
物価の変動をどう反映させるかについても、透明性のある制度設計が必要だ。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/570.html#c32

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