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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100254
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[近代史3] 人間社会は常に「弱者」を作り出す 中川隆
14. 中川隆[-12178] koaQ7Jey 2019年2月14日 06:02:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

男がやりたい事はみんな同じ _ 6

蛇の館
http://snakecastle.com/index.html

女 縄 Wiki
https://seesaawiki.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU


▲△▽▼

在日の日本人への拷問 2016-01-18 17:25:43 | 日記


北九州監禁事件では


大便排泄を1日1回に限定し

全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです


かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします


【尼崎大量殺人】角田美代子4【コンク李ドラム缶死体】


角田美代子

これだけの凶悪事件を起こした重大犯罪人にしては、こいつの過去が一つも晒されていない。

犯人が日本人の場合は、親戚、何十年も前の同級生、会社関係、全てを晒して追及するハズ。

主犯格に韓国籍の李正則がいることから在日犯罪である事は間違いない。
報道機関、特にテレビメディアは印象操作や犯人隠避の罪で放送免許を剥奪するべき。


民事不介入を盾に見て見ぬ振りをしてきた警察もだらしないけど
所謂『被差別者』に対して強行な捜査をすると、人権派やマスコミがうるさいんだよね
こういう事件が発生するようなシステムが着々と作り上げられてきた


日本人なら微罪でも逮捕するのに、ZやBなら殺人などの重罪でも野放しって
なんかおかしくない?

この国は異常だと思う。


自分が住む部屋でよく殺すよなあ
その辺の神経がやっぱり日本人じゃないって感じ


一部報道では、女性親族が

「女の私からは言えないような猥褻な格好をさせられていた」

と言っていたな。


北九州監禁事件でも、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしいからな。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。


尼崎のコンクリート殺人で捕まってだいぶたってるのに主犯の情報がほとんどでてこない

いつもなら犯人の過去を喜んで暴くマスゴミに在日か同和団体から圧力がかかってるのだろう

もう法律で本当の国籍、本名で報道するようにしないといけないな


☆在日につかまったら若い娘は、舌をかんで自殺するしかないのですね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/96a6656d746c7425de9a2d31c0b09e19


北九州一家監禁殺人事件では、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしい。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1350881970/


北九州一家監禁殺人事件 【監禁中の緒方一家、虎谷一家の待遇】


松永は精力絶倫。

一晩に三度、身体を求めるなどセックスが強く、女性器への入念な舌戯から多くの女性をセックスで溺れさせ、性奴隷にしてコントロールする才能を持つ。

きわめて強いサド志向 で、旦那の見ている前で人妻を犯すことが何よりの快楽。

抵抗できない旦那を前に、抱かれている人妻に何度も「松永の性奴隷である」と告白をさせ、また松永が 妻の媚態を指摘して、夫婦の絆・自尊心を崩壊させる。
また、家族間で近親相姦をするよう暗示(強要)して家族関係を崩壊させる。


・支配者・松永の武器は卓越した話術。相手を油断させ、信用させると同時に、恫喝する二面性によりマインドコントロール下におき支配する。

・ 支配するため「食事・排泄・睡眠・セックス」を重視した。通電により脳を空白にして新しい価値観を植えつける。それを持続させるには生理的欲求を管理・制限することが重要という結論を得たのであろう。

・食事は白米〜下痢便まで奴隷階層により違う。一例として、
食パンの耳だけ、
白米にラードまたは生卵、
具のない即席ラーメンだけ など。

・粗末な食事が日常化すると、おかずが一品増えただけでも感謝するようになった。

・食事は13分で食べ終えないと通電。

・最下層の奴隷に落ちると、下痢便を無理やり食べさせることもあった。

・排泄は一日一回。大便は便座に腰かけずに腰を浮かせて排泄。
小便はペットボトルに排泄。

・過酷な監禁生活が日常化すると、支配者・松永から優しい言葉をかけられると、奴隷たちは慰めになった。

・布団を与えず立ったままで寝かせる。

・家族間での会話は禁止。

・シャワー、歯磨きは何日も禁止。


・女性は松永と寝ると奴隷階層の地位が上がる(シャワー、歯磨き、ベットでの睡眠ができる)ため、自ら積極的に松永の性奴隷となった。

・近親相姦をさせ、行為中の写真を撮り、自尊心を剥奪する。特に主也は義理の母・静美、実 の娘・彩10歳とのセックスを強要された。


【監禁中の緒方一家、虎谷一家への虐待方法】

・ 主な虐待は通電。

コンセントからコードをワニクリップでつなぎ、性器・乳首に電流を流す。

通電されると、痙攣(けいれん)状態となり、ぐっ たりして意志がなくなる。

頭の中が真っ白になり、自分を失い、支配者の言いなりになる。

限度を超えると廃人寸前、糞尿の垂れ流し状態に なることも多々あっ た。


・常につま先立ちで深く腰を降ろす、土俵入りの力士の姿勢”そんきょ”を長時間にわたり命じられる。


【論告書より】

緒方一家の暮らしぶりは昼夜の逆転した生活。一家六人は台所で雑魚寝させられ、平均睡眠時間は3、4時間だった。

起きている間は台所に立ち続けなけていなければならない。

トイレの使用は松永の許可制で、しかも一日1回。

小便はペットボトルにさせられ、大便する際、便座に尻をつけることは許可されなかった。

食事はごく少量で一日1回。時間制限されたうえ食事する際は全員、床に尻をつけることも許されなかった。

違反すると通電暴行をあえて他の緒方一家の面前で行い、見せつけていた。

通電を受けているものをかばった者は松永の次なる対象とされた。松永は誉氏に塩を山盛りにした米飯を食べさせたり、優貴君をのぞく全員に対しサディズムの象徴ともいえる乳首や性器への通電行為を行った。


【緒方純子】

・1962年生まれ。元幼稚園教諭。短大を出て、1982年ごろから自宅近くの幼稚園に教諭として勤務。約3年で退職。

・松永より、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れられた。

・松永と出会う前は、男性経験は一度だけ。男性が一方的に腰を振るだけで感じなかった。

・松永によりセックスに目覚める。以後、積極的に松永を求め、マインドコントロールとともに、 松永のセックスから逃れられない身体になる。

・悪質布団販売の事務員になり、この頃から従業員に通電など虐待に加担していた。


【緒方理恵子】

・98年2月10日(静美殺害から20日後)殺害。享年33歳。

・純子の妹。姉・純子より気が強く、美人。

・純子が殺人を犯したことを聞かされ、主也が交渉に乗り込む時には、すでに松永との愛欲に 溺れる身体になっていた。

・夫・主也が交渉に乗り込んだ際、逆に主也は松永に言いくるめられ、酒の勢いもあり、主也が理恵子を含む緒方一族の頭部を殴る。さらにその後、夫・主也は妹・純子、母・静江と共に 妻・理恵子の女性器に通電してしまう。

・酒に酔い、松永と意気投合した夫・主也に殴られ、通電に心が砕かれ、理性的で気丈な性格 が一転して松永に屈服し、さらに服従するようになる。

・ シャワー、歯磨きを許可され、優しく接してきた松永が寝室へ招く。主也のいる初夜の当初は夫への罪悪感、羞恥心から泣き震えていたが、やがて、女性器への舌戯の快楽に溺れるようになる。

妻の初夜の情事を目撃した主也はやめるよう反撃を試みるが、逆に純子に通電され主也は自尊心を砕かれる。快楽に溺れている中、そんきょの姿勢で見ている主也の前で自ら積極的に松永を求め、媚態をさらし、媚声を発するようになる。

・(主也のいる)初夜の後も、そんきょして屈服している夫・主也の前で、自ら松永を求める告白を何度もさせられる。

このように母・静美と同じ心理的変化を経て松永の性奴隷に変貌し、夫婦関係を破壊される。


・ 妹・純子、母・静美、少女A(仮称・虎谷礼子)はライバルとなり、互いに正妻の座を得ようとする。

正妻はセックスの前にシャワー、歯磨きを許可され、事後も殿様である松永とベットで睡眠。

側室に落ちると寝る場所がソファ、板の間、浴室、立ったまま寝ると、ランクが分かれる。 食事も差がつけられる。


・松永の指示で純子が母・静美、理恵子を全裸で仰向けに並べて寝かせ、同時に女性器へ通電されていた。


【少女A(仮称・虎谷沙織)】

・1981年生まれ。98年当時17歳。2010年現在29歳。

・小学生の頃から松永に犯され性奴隷に。そのため、緒方純子の虎谷沙織に対す る憎悪はすさまじく、最後まで最も仲が悪かった。

セックスに関しては松永の最もお気に入りだった。
https://docs.google.com/document/d/15THHgxepPxfB3ybRf3PWSJr0MA16MQGLq-jwZ651mMg/edit?pli=1&hl=ja


松永が特に好んだ虐待は通電である。松永は電化製品などに使われる電気コードを使う。途中で切った電気コードの被覆を剥き、その先端にワニ口クリップを付ける。そのワニ口クリップをターゲットたる人物の体に取り付け、電気コードをコンセントに抜き差しして電気ショックを与える。

手足の指が多かったが、何度も通電されることで常時火傷を負ったような状態になる。最初に殺された男性は肉が削げ、骨がむき出しになるような状態になっても繰り返し通電されていた。通電箇所は化膿し、体液がしみ出るなどして指同士が癒着して離れなくなったりした。


この通電でもっとも強力なのが、両乳首への通電と上下の唇への通電である。

両乳首へ通電すると、心臓にまで電気ショックが届き、心室細動を起こして心停止状態に陥ることがある。また、唇への通電は、湿った口内から脳幹、脳に電気ショックが伝わり、脳に異常を来すことになる。

最初の殺された男性、3番目に殺された緒方純子の母親は、腕が不自由になるほか、脳に異常を来し、正常な思考を保てなくなるばかりか、前後不覚の状態に陥ることになった。


この通電は、あらゆることへの罰として行われた。監禁している人間に与えられる食事は、1日1回、食パン8枚で、相撲のそんきょの姿勢を取って7分以内に食べなければならないなどというルールがあった。それを守れなければ通電だ。

また、松永は監禁して虐待している人に用便の制限をした。小便は決められた数のペットボトルに出し、大便は1日1回、松永の許しを貰ったときだけできた。万が一大便を漏らしてしまった場合、その大便を家族が見ている前で食べさせられ、汚れたパンツはきれいになるまで吸わされることになる。

それ以外にも、松永は就寝の自由も奪った。監禁されている人は狭い風呂場などに押し込められ、体育座りのまま寝かされた。
また、日中は全員台所に何時間も立たされた。


松永のその虐待は緒方純子の一家7人のうち、緒方純子の妹の4歳の息子以外に全て行われ、9歳の長女の例外ではなかった。

この北九州の監禁・殺害事件でもっとも忌まわしきところは、通電という恐怖で緒方の家族を支配した松永が、家族通しで殺人をさせたことにある。特に、緒方純子の妹の娘は、母親殺しと父親殺しにも荷担させられた。家族で家族を殺した後は、残された家族に殺された人物の解体をさせる。体を解体し、肉をそぎ落とし、内蔵を取り出してバラバラにした上で、人体を鍋で煮込んだりミキサーにかけるなどさせる。

このとき、松永は一切何も手伝わない。ただ指示をしているだけ。

ただ、なぜ一家が松永にいいように支配されたのかという疑問がどうしても残る。

きっかけは、松永と緒方純子の詐欺や暴行などの犯罪を隠すためであった。松永にいいように操られていた緒方純子が罪を犯したかのように松永に言い寄られ、いいとこの旧家である緒方家はそれをひた隠しにしようとして、松永に取り込まれた。

全財産を奪われた挙げ句に、金が調達できない用済みと見なされてからは、次々と殺されるハメになった。緒方純子の妹の夫は、元警察官であったにも関わらず、松永に支配され、洗脳され、奴隷となった。
http://subzero.iza.ne.jp/blog/entry/906887/


詳細は

北九州一家監禁殺人事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/478.html

尼崎ドラム缶事件 現在までに判明した事実
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/454.html

女子高生コンクリート詰め殺人事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/237.html#c14

[近代史3] 原発の専門家だった武田邦彦は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
2. 中川隆[-12177] koaQ7Jey 2019年2月14日 06:39:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【日本国紀】武田邦彦氏のトンデモ著作権説明に答える【虎ノ門ニュース】
https://rondan.net/14045

Contents

1 著作権法を知らないのは武田氏自身
2 事実に著作権は無いが、それを表現した文章には著作権がある
3 『日本国紀』は、 思想・感情の表現を剽窃している
4 コピペを推奨する異様さ
5  総括


著作権法を知らないのは武田氏自身

虎ノ門ニュースで武田邦彦氏が、『日本国紀』のコピペ問題について、歴史的事実には著作権が無いので引用しても問題なしという旨の擁護をしました。

大変な光栄なことに、当ブログにも言及いただき、著作権法を理解していないとご叱正賜りました。が、どうも著作権法を理解していないのは武田氏自身であるように思えます。

まず、武田氏の著作権法理解の要点をまとめれば次のようになるでしょうか。

1.『日本国紀』はコピペで出来た本であるけれども、
2. 歴史的事実に著作権は無いから問題ない。


驚いたことに、もう虎ノ門ニュースでも『日本国紀』は「コピペ本」であることが前提なんですね(笑)

この武田氏の発言は、著作権法を曲解したトンデモ説なのですが、これを『日本国紀』関係者がRTし、それを真面目に信じてしまっている方々も多いようです。そこで、これが間違っていることを説明したいと思います。

事実に著作権は無いが、それを表現した文章には著作権がある

武田氏のとてつもない勘違いは、「歴史的事実に著作権がないが、それを表現した文章には著作権がある」という常識を知らないことです。

次のように専門家も述べています。


誰もが利用して良いのは「事実」そのものであって、それを表現した文章ではないことに注意する必要があります。
BUSINESS LAWYERS「著作物にあたらないものの種類と、利用をする際の注意点」



学術論文もひとつの著作物であるから、当然著作権法の保護の対象となる。ただし保護の対象は著作物の「表現」である。当然のことながら、論文の主張する科学的事実(「クラゲが発光する」など)は思想・感情の表現ではないから著作性はない。
専門図書館 No.236(2009.7)「著作権を考える 第6回(最終回)」


武田氏は番組上で「1+1=2」や「E=mc2」は事実だから著作権は無いと言っていますが、それは当たり前。

しかし仮に「1+1=2」や「E=mc2」を証明・説明した文章があるとするならば、そこには思想性が反映されていますから、その文章に著作権の有ることは言を俟ちません。

これは史学の世界でも同じです「織田信長は1582年に本能寺の変で死んだ」というような単純なものは歴史的事実ですが、この事実を用いた「表現」(論文やWikiepdia記事など)には当然著作権があります。どうも、武田氏はWikipediaを「著作権フリー」(パブリックドメイン)だと勘違いしている節がありますが、Wikiepdiaは自身の記事に著作権のあることを主張しています。

よって、次の武田氏の著作権理解は正しくありません。

『日本国紀』は、 思想・感情の表現を剽窃している

また関係各位は一生懸命に等閑に付していますが、『日本国紀』には歴史的事実を越えて、思想・感情の表現を剽窃している箇所が何カ所もあります。

その中で最も端的なのは、『日本国紀』53頁(第1刷)にある仁徳天皇のコラムです。ここではなんと、『日本書紀』の原文にはない「ニッコリ」という意訳箇所まで剽窃しています。その箇所だけピックアップすれば次のように。


https://rondan.net/14045

@『日本国紀』p. 53(第1刷)
これに対して天皇はにっこりして、こう答えた。

A真木嘉裕「聖帝・仁徳天皇 民のかまどは賑いにけり」大阪新聞(1991.12)
天皇は、ニッコリされて、こう申されました

B宇治谷孟『日本書紀(上)』岩波書店, 1988.
天皇がいわれる

ここに「ニッコリ」という語を挿入したのは、その情景が浮かび上がるようにした真木氏の思想・感情の表現に他なりません。これを百田氏は剽窃してしまったということです。

またこの他にも翻訳など二次創作からの無断転載が数多く見られ、それらも歴史的事実を超えるもの、思想・感情の表現を剽窃しています。

コピペを推奨する異様さ

また武田氏は『日本国紀』を擁護するにあたり、かなり無理筋な主張が多く見られます。コピペを推奨するような異様発言も出てきて驚かされました。


これは僕から言えば、こんな普通に言われていることは、別に百田さん、コピペした方がいいですよ、というのが普通なんです。
1:45:18~

こういう場合はね、どういう指導をしているか。できるだけコピペでいい。えっと電子化されましたから。
1:43:23~


保守論壇内ではコピペでいいと指導しているのかもしれませんが、 少なくとも大学では100%そんな指導はしません。このレベルで無断転載が発覚したら余裕で単位落ちです。 真に受けてコピペする人が出て来て、単位落ちになったらどう責任を取るのでしょうか?

そして『日本国紀』は「Wikipedia記事の間違い」までご丁寧にコピペしてしまっています。武田氏は朝日新聞はフェイクだから著作権を主張できるというようなトンデモ発言をしていましたが、まさにブーメランですね。

 総括

武田氏が著作権に関して無知であることは明瞭でしょう。『日本国紀』には事実を超えた思想・感情の表現を剽窃していることは誰の目から見ても明らかです。

また武田氏の主張が本当に正しいなら、「『日本国紀』に書かれていることはすべて事実だからだ」と豪語した『日本国紀』には著作権がないことになりますが、そんなことありえないでしょう。

最後に、本ブログは『日本国紀』の関係者が足しげく通っておられるようなので、一言いいたい。

『日本国紀』が叩かれている理由は、ひとえに「渾身の筆を振るった」などと嘯いておきながら、実際には コピペ(剽窃)を繋ぎ合わた粗悪本だったことがバレて読者の期待を裏切ったこと、そしてバレた後も反社会的な言動を繰り返して開き直っていることです。真摯に反省することがまず求められるのではないでしょうか。

コメント


pipisan より:2019年1月26日 7:19 AM
「私を批判する本を出すときは、私の許可を得て引用しなければならない」とかほざいている阿呆ですので、著作権も引用も分かっていないのです。
芝浦工大で引退させときゃよかったのに、なんでこんなもんを招聘したんだ名古屋大!

sideswipe より:2019年1月25日 11:30 PM
この先生、まだこんなデマゴーグやってるんですね
ご専門は資源材料工学なのに、何故か他分野に言及して悉く否定されてましたけど
ついて行っているのは疑似科学信者ぐらいのものでしょう
著作権に対する誤認を広めるのもデジャヴのように相変わらずみたいですね
進歩のない人だなあ

https://rondan.net/14045
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/238.html#c2

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
5. 中川隆[-12176] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:01:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]


2019.02.09
【靖国神社】日本のおかげで植民地が独立したという構図
【韓国・北朝鮮は「独立」していないトンデモ説を披見】
https://rondan.net/7720

Contents

1 日本のおかげでアジアは白人支配から独立した!
2 第二次世界大戦後の各国独立
3 韓国と北朝鮮は独立していないという妙技


日本のおかげでアジアは白人支配から独立した!

大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は、建前上は白人列強の植民地支配からアジアを解放し、大東亜共栄圏を建設する聖戦である、と今も昔も吹聴され続けています。

歴史を振り返ると、日本は戦争に敗れ大東亜共栄圏建設の夢は破れたわけですが、その敗北を受け入れられないのか「確かに太平洋戦争に負けても、その後、植民地は解放されたから大東亜戦争には勝った」的な逆ギレ理論が度々確認されます。

例えば、ヘンリー・S・ストークス氏の『大東亜戦争は日本が勝った』(ハート出版, 2017)は、タイトルからしてこれを示しているでしょう。


ところで、靖国神社に併設される博物館「遊就館」においてもこれと同じ逆ギレ理論が確認されます。


第二次世界大戦後の各国独立

遊就館の戦後コーナーにも次のようなパネルがあり、大東亜戦争におかげでアジア民族が独立したと言わんばかりの主張がなされています。


日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。

アジア民族に独立が現実になったのは、太平洋戦争緒戦の日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることは無く、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。
『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.



そして、第二次世界大戦後に独立した各国を、その時期に応じて色分けして次のような地図を提示します。

https://rondan.net/7720
『國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.

アフリカの独立は全く無関係だろとツッコまずにはいられませんが、それよりも韓国と北朝鮮に色がついていないところがツボですね。

韓国と北朝鮮は独立していないという妙技

などと思いながら目を近づけて目録をよく見た所、すごい事実が判明しました。
拡大して比較したものを下にあげましたので、よく見比べてみてください。


https://rondan.net/7720
『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.

そうです。東南アジアとアフリカの諸国は「独立」なのですが、韓国と北朝鮮だけは「成立」なのですね。何なのでしょかこの差は…。

「大韓帝国」を独立国と見做していて、日本は植民地支配などしておらず、したがって独立などしていないと言いたいのでしょう。それとも、いまでも朝鮮半島は日本の植民領土で、独立などしていないと主張したいのかもしれません。

そんな恐ろしい靖国史観の一端でした…。

https://rondan.net/7720
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c5

[近代史3] 靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道 中川隆
1. 中川隆[-12175] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:04:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【靖国神社】日本のおかげで植民地が独立したという構図
【韓国・北朝鮮は「独立」していないトンデモ説を披見】
https://rondan.net/7720
Contents

1 日本のおかげでアジアは白人支配から独立した!
2 第二次世界大戦後の各国独立
3 韓国と北朝鮮は独立していないという妙技

日本のおかげでアジアは白人支配から独立した!

大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は、建前上は白人列強の植民地支配からアジアを解放し、大東亜共栄圏を建設する聖戦である、と今も昔も吹聴され続けています。

歴史を振り返ると、日本は戦争に敗れ大東亜共栄圏建設の夢は破れたわけですが、その敗北を受け入れられないのか「確かに太平洋戦争に負けても、その後、植民地は解放されたから大東亜戦争には勝った」的な逆ギレ理論が度々確認されます。

例えば、ヘンリー・S・ストークス氏の『大東亜戦争は日本が勝った』(ハート出版, 2017)は、タイトルからしてこれを示しているでしょう。


ところで、靖国神社に併設される博物館「遊就館」においてもこれと同じ逆ギレ理論が確認されます。


第二次世界大戦後の各国独立

遊就館の戦後コーナーにも次のようなパネルがあり、大東亜戦争におかげでアジア民族が独立したと言わんばかりの主張がなされています。


日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。

アジア民族に独立が現実になったのは、太平洋戦争緒戦の日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることは無く、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。
『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.



そして、第二次世界大戦後に独立した各国を、その時期に応じて色分けして次のような地図を提示します。

https://rondan.net/7720
『國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.


アフリカの独立は全く無関係だろとツッコまずにはいられませんが、それよりも韓国と北朝鮮に色がついていないところがツボですね。


韓国と北朝鮮は独立していないという妙技

などと思いながら目を近づけて目録をよく見た所、すごい事実が判明しました。
拡大して比較したものを下にあげましたので、よく見比べてみてください。


https://rondan.net/7720
『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.


そうです。東南アジアとアフリカの諸国は「独立」なのですが、韓国と北朝鮮だけは「成立」なのですね。何なのでしょかこの差は…。

「大韓帝国」を独立国と見做していて、日本は植民地支配などしておらず、したがって独立などしていないと言いたいのでしょう。それとも、いまでも朝鮮半島は日本の植民領土で、独立などしていないと主張したいのかもしれません。

そんな恐ろしい靖国史観の一端でした…。

https://rondan.net/7720


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2019.02.09
【トンデモ】靖国英霊と我々はテレパシーで繋がっている
(武田邦彦|別冊正論33『國神社創立150年:英霊と天皇御親拝』「國に英霊はおられるか―の科学的結論」2018)
https://rondan.net/8989


Contents

1 宗教と科学
2 Y遺伝子論の曲解
3 テレパシーによって繋がっている
4 ルイセンコ主義?
5 日本スゴイ論
6 おまけ


宗教と科学

「科学的に証明された」などと言われると、客観的かつ普遍的にその正しさが証明されたような気がします。

中世において、自然科学の仮説が得られると、聖書と照らし合わせてその真正性が審議されました。たとえば地動説は、聖書の記述(天動説)に合致しないとして迫害されました。

近代になり啓蒙主義が起こると、宗教が権威を失うとともに、自然科学が権威を増しました。このため、現代では、自然科学を用いて宗教の真正性を証明しようとする動きもあります。

しかし宗教と自然科学はもともと異なる学問体系に属するため、この両者の親和性は極めて悪く、得てしてトンデモ説(いわゆる疑似科学)になりがちです。

今回はそのようなトンデモの一つ、靖国神社に祀られた英霊と、現代の我々がテレパシーによって繋がっているという説を紹介したいと思います。具体的には、武田邦彦 「靖國に英霊はおられるか―の科学的結論」『國神社創立150年:英霊と天皇御親拝』(別冊正論33, 産経新聞社, 2018)を取り上げます。

Y遺伝子論の曲解

保守にとって靖国神社はナショナリズムの牙城であり、その存在意義を確立することは重要な使命の一つです。

ところで虎ノ門ニュースなどで大活躍中の武田邦彦氏は、本職が科学者であるらしく、「科学」という観点から、天皇のありがたさ、靖国英霊の重要性を主張します。

まず天皇が万世一系の男系でなければならない根拠は、Y染色体論(男系に継承される遺伝情報)が採用されます。つまり、神武天皇から今上天皇に至るまで、同一のY染色体が受け継がれているというのです。

しかしこの説明がともかくオカシイ。


現在の象徴天皇の男性としてのY遺伝子は、神武天皇と全く同一である。つまり、今上陛下の男性としてのご性質・人格は神武天皇と全く同じである。

「男性としてのご性質・人格」という言葉をどの様な意味で用いているのか解りませんが、暴論であることは間違いないでしょう。というか、この理論を適用するならば、ヘイトスピーチのかどでYoutubeをBANされた竹田恒泰氏も、今上陛下も同じ性質・人格を持っていることになりますが、私には両者の性質・人格が同一であるとは到底思えません。

さらにトンデモは加速。



天皇と国民の身分の差、遺伝子の差はあまりにも広いために、天皇家と国民という二階級しか形成されず、支配的地位に就いた国民もその時々の臨時なものであり、いつでも交代するという下克上もあり得る社会を作り出した。


遺伝子の差を要因に階級を論じるという、人種差別そのものの発言。武田氏の理解によれば、先天的な要因によってその人の身分が決められるとお考えのようです。

テレパシーによって繋がっている

疑似科学で天皇のありがたさを垂れ流した後、武田氏は靖国神社に祀られている英霊と、現代の我々とに繋がりがあると説きだします。



私たちの肉体と精神は、今も國神社に祀られている人たちからの遺伝子、テレパシーで存在し、それで生を享け、人生を送っているのだ。


テレパシーによって英霊と我々が繋がっているそうです…。

このテレパシーのたとえも酷い。スマホによる切符予約を持ち出して次のよう説明します。


スマホを使って鉄道の改札機前で切符を予約し、数秒後に改札を通ると予約した切符が出てきて改札ゲートが聞く。これを「常識」で説明できる人はいないだろう。
「テレパシー」も同じで、遠くに離れて暮らすわが子の苦悩を感じられる母親がいる。「そんなことウソだ」と言っても、現在では光より早い通信手段が実験的にも見出されている。六十兆個の細胞同士の通信も存在するのだから、人間同士のテレパシーを否定する方が非科学的である


いくらでも「常識」で説明できる人はいると思うのですが、この人、本当に科学者なのかと疑うくらいの無知さです。きっと携帯電話で通話できることも、この人にとっては常識外の現象なのでしょう。

「光より早い通信手段」というのも、一体何を指しているのか解りませんが、疑似科学そのものでしょう。

ルイセンコ主義?

武田氏によるこのテレパシー論は、「ミーム」「ミラーニューロン」「アフォーダンス 」といった聴き慣れない言葉を駆使して説明されています。

どうやら、武田氏はルイセンコ主義(獲得形質遺伝)とよく似た思想をお持ちのようです。

このルイセンコ主義とは、キリンの首が長いの理由は、自然淘汰の結果ではなく、先祖代々高いところにある餌を食べているうちに「長い首」という遺伝情報を獲得したからであると解釈する疑似科学の一つです。

武田氏も過去の祖先の行いが、様々な形で現代の我々に影響を与えていると言います。



私の体もDNAも、命を捧げてくれた先人からいただいたものであり、先人とは今でもテレパシーでつながり、それがミーム、ミラーニューロン、そしてアフォーダンスとなって私自身を形成している。

生物は遺伝子以外にも様々な「非遺伝的形質、性質の獲得」や周囲環境からの「身体や性質に及ぶ直接的影響」を受ける。たとえば、ミーム(文化的遺伝子)による約三百年前からの共通情報の保有、ミラーニューロン(大脳の脳神経細胞構造)の類似性、アフォーダンス(環境からの人体や性質への直接的な働きかけ)などによって「非遺伝的共通性」を有する

さらに、現世の人間同士だけでなく、現世の人間と過去の人間、人間と自然の聞にも未解明の通信手段がある。それが、先述したミーム、ミラーニューロン、アフォーダンスと呼ばれる連絡である。


ここまでくると、なんだかサイエントロジーのパンフレットを読んでいるみたいですね…。

日本スゴイ論

この様に武田氏は、過去の日本人の行動が、テレパシーによって現代の私たちの存在そのものを規定していると考えています。

この理論に従うと、過去の日本人がスゴくないと、現代の日本人もスゴくなくなってしまいます。そこで武田氏は過去の日本を持ち上げまくり、これを靖国と結びつけます。



人類史上、初めて達成した諸国民の独立と平等!
この輝かしい偉業を自らの生命をかけて成し遂げた人たちが、今、國に祀られている。
私たち日本人は、人類の平等のために命を捧げた人たちを祀る場所を持っていることに誇りを持ち、外国の方が日本を訪れた時には、この三千年に及ぶ歴史と英霊の偉業を説明し、まずは國神社にお参りすることを勧めるのがもっとも大切なことだ。


大東亜戦争はアジア民族独立の聖戦だったから、当時の英霊はスゴイ、それとテレパシーで繋がっている日本人もスゴイ()

しかし日本の歴史が三千年に及ぶって、もしや天照大神から数えているのでしょうか? また外国の方に、英霊の偉業を説明することが大切だと言っていますが、結局、武田氏の英霊の偉業って特攻なんですよね。次の通り。



戦争中、もっとも高貴に命を捧げたのが特別攻撃隊(特攻隊)だった。特攻こそが軍隊の魂であり、もっとも正しい戦い方である。


特攻が「もっとも正しい戦い方である」って、終戦間際のヤケクソ記事みたいなことを現代になっても言ってしまうとは…。きっと武田氏の価値観は、今でも大戦下なんでしょう。

この人が為政者になって戦争になったら平然と特攻させるんだろうなぁと思うと恐ろしいことです。

こんな靖国擁護論は、逆に保守のトンデモさを際立たせているだけだと気が付かないのでしょうか?

というか、「百万歩譲って仮に武田の言う通り、英霊と俺らテレパシーで繋がってんのなら靖国参拝しなくていいじゃん」(by GEISTE)ってことになるのですが、そういう疑問は浮かばないのでしょうか?

おまけ

保守論壇の宿命か、武田氏はちゃんとインテリ層批判も忘れてはいません。



日本社会党に由来する政党や日本共産党、日教組、東大法学部教授、朝日新聞などがその典型だが、不完全な大脳と狭い了見しか持たず、日本人が世界的な偉業を達成したのが理解できない。

しかし「不完全な大脳」しか持っていないって、差別感情剥き出しですね…。


コメント

pipisan より: 2018年12月21日 11:03 PM

武田邦彦に箔を付けた名古屋大学の責任は重い。
旭化成を引退して芝浦工大の教授で終わっていればこんなことにならなかった。

こいつの招聘を決めた名古屋大の工学部長はアホである。
結局、何も実績を残さずに同じ愛知県内の中部大学に行って、地元民放を中心に言いたい放題コメンテーターになって、その揚げ句が今の状態だ。

武田の名古屋大学以降の研究実績は、ゼロと言っていい。
いまだに地上波(中部日本放送)でも出演している。
そして大学のブランディング(というか生徒募集の生き残りで必死の事業)にいそしむEだかFだかランクの中部大は、あろうことか武田を特任教授にしてしまった。他にもノーベル賞候補リストに載っている研究者もいるのに。たぶん、その2氏は武田のせいもあって絶対にプライズを取れないだろう。武田は死ぬまで中部大の特任教授で、元名古屋大学大学院工学部教授になってしまったわけだ。

山本弘が徹底批判した「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」は、百田同様に出典を明示しないパクリ、誤用、捏造、妄想が満ちあふれている。にもかかわらず、武田を講演会に呼んで、放射線対策を考えたいという右や左の市民団体(というかアタマの程度が下)がまだいっぱいいる(右派左派双方から問い合わせを受けた。下の方の人の相手は面倒なので「知らない」と答えた)。

百田と武田は同じインチキでのしあがってきた、売れるためには何をやってもいいと思っている屑だ。
そして日本国民の一定数は、そんなもんに騙される阿呆だと思っている。

https://rondan.net/8989

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/127.html#c1

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
6. 中川隆[-12174] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:37:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

大東亜戦争は日本が勝った -英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」 – 2017/4/17
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E5%8B%9D%E3%81%A3%E3%81%9F-%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%80%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4802400292


内容紹介

「太平洋戦争」はアメリカの洗脳だった
この書は日本のプロパガンダではない。史実である。

日本よ 呪縛から解放されよ!

ヘンリー・S・ストークス 来日50年の総集編

世界史を俯瞰して明らかになった
大東亜戦争の真実

共産党などの左翼は、大東亜戦争は「侵略戦争」であったと言う。
そうであろうか? 史実を検証すると、そこには明らかに「アジア解放戦争」の側面が見て取れる。
アメリカの侵略戦争や、大英帝国の植民地支配での戦争とは、明らかに違った姿を現じている。

私は、大東亜戦争を日本がなぜ戦ったのか、その結果、何が世界に起こったのかは、世界文明史的な俯瞰をもってしてはじめて、明らかになるものだと、そう思い始めた。

世界文明史の中で、大東亜戦争を位置づけようというような野心的な試みは、一冊の本で果たせるものでもないが、その第一歩を英国人ジャーナリストの私が切り開くことで、世界中に多くの賛同者が出てくると、そう確信している。(本文より)


1章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
2章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
3章 日本は「和」の国である
4章 世界に冠たる日本の歴史
5章 オリエントにあった世界の文明と帝国
6章 侵略され侵略するイギリスの歴史
7章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
8章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
9章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
10章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
11章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
12章 日本は中国を侵略していない
13章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
14章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
15章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!


______

日本が果たした人類史に輝く大革命ー「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ – 2017/4/12
ヘンリー・S・ストークス (著), 植田剛彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AB%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%83%BC%E3%80%8C%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%B8-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4915237990

内容紹介

外国特派員協会の最長老が語った歴史の真実とは――

黒人のオバマ大統領や政治家、スポーツ選手達は、第2次大戦中の日本のめざましいアジア進攻がなければ、誕生しなかった…
人種差別の時代に、日の丸が燦然と輝き、アジア、アフリカの植民地は、次々と独立を果たし、世界の歴史は大転換した!

人種平等の、いまある世界を築いたのは、日本であった。

英国人ジャーナリスト、ストークス氏は、50余年前に来日、大英帝国の植民地をすべて奪った日本に、深い憎悪をいだき、邪悪な野蛮な残酷な民族である、との認識をもっていた。「日本=戦争犯罪国家」「南京大虐殺」を信じ込んでいた。

しかし、第三者的視点で日本とアジアの歴史を俯瞰したとき、その見方が誤りであると気づき、「欧米帝国主義下でのアジアや、アフリカの植民地支配と、日本の朝鮮、台湾統治やアジア同胞との関係は、まったく違ったものであることを、ハッキリと世界に知らせる必要がある」と語る。

植田剛彦氏は、150社が加盟する「マスコミ研究会」代表。韓国、朝鮮に精通している他、日本、欧米の近現代史に詳しい。幅広い教養、豊富な内外の情報にストークス氏も舌を巻き、「心から楽しみつつ、日本が取るべき道について、大いに実りある対談ができた」と絶賛。

出版社からのコメント

ヘンリー・S・ストークス氏は、64年、来日。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、『ロンドン・タイムズ』東京支局長、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。外国特派員協会の重鎮。

「私はフェアでありたい」と英国ジェントルマン精神を発揮、東京裁判、南京虐殺、従軍慰安婦等の戦勝国プロパガンダの欺瞞を明確に指摘した『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』は、10万部超のベストセラーとなった。

ベテランジャーナリスト・植田剛彦氏との対談は、日本近現代史の裏表をくまなく明かし、ケント・ギルバート氏が「私には教えられることが多く、知的興奮をおぼえながら読んだ」と後書きに記している。


人種平等の世界を築いたのは、日本であった!
日本のめざましいアジア進攻がなければ黒人のオバマ大統領や政治家、スポーツ選手等は誕生しなかった。イギリス人の大記者と熱く語る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ストークス,ヘンリー・S.
1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、64年、来日。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、67年、『ロンドン・タイムズ』東京支局長、78年、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる

植田/剛彦
評論家、ジャーナリスト。1945年、甲府市生まれ。マスコミ研究会代表。報知新聞社、国際ニュース『ニューストラック・ジャパン』編集長などに就任後、執筆活動に入る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



▲△▽▼


2019.02.09
【トンデモ】『大東亜戦争は日本が勝った』H・S・ストークス|ハート出版, 201
https://rondan.net/624


Contents

1 自画自賛の変容
2 『大東亜戦争は日本が勝った』の目次
3 神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない不可思議さ
4 まとめ


自画自賛の変容

自分で自分を褒めてもみっともない。ましてや日本人が日本人を褒めだすというのは恥ずかしい。そこで、外国人に日本を称賛させようという、さらに恥ずかしい本が最近増えています。


たとえば、井上和彦『ありがとう日本軍:アジアのために勇敢に戦ったサムライたち』(PHP研究所, 2015)は、東南アジア諸国を歴遊して、日本を褒めてるくれる人にインタビューして、それを纏めて「日本スゴイ」本にしてしまったという恐るべき書です。

保守が言われる「美しい日本の心」を持っているのならば、とてもではないがそんな恥ずかしい本は出せない筈なのですが、この井上和彦氏はこの様な類書を数多く刊行されています。

また、外国人著者による日本語の「日本スゴイ」本も興隆を極めています。

ケント・ギルバート氏はこの典型であり、これまでに三十冊以上の書籍を刊行しています。もちろんこれはケント・ギルバート氏が一人で書いたものではなく、いわばプロデューサーがいて、代筆する人がいて、それを「ケント・ギルバート」というブランドで出すという意味です(『ニューズウィーク日本版』2018.10.30)。

したがってケント・ギルバート本は、同氏の思想を語るものではなく、それをプロデュースしているチームのイデオロギーを反映するものです。つまり、日本人が愛国嫌韓嫌中の発言をしても説得力が無いので、権威がありそうな外国人に語らせているだけのことです。

これとよく似た構造は、ヘンリー・S・ストークス氏の著書にも確認されます。同氏は植田剛彦氏との対談本『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』を刊行しています。

この恥ずかしすぎるタイトルが物語っているように、内容は

「大東亜戦争は植民地解放の聖戦であり、そのおかげで有色人種が白人の植民地支配から脱却できた」

というものです。

今回取り上げたいのは、このヘンリー・S・ストークス氏の単著『大東亜戦争は日本が勝った』(訳・構成:藤田裕行)です。これまた恥ずかしすぎるタイトルですが、このオカシナ本を検討していきたいと思います。


『大東亜戦争は日本が勝った』の目次


目次を見れば、その内容に察しが付くため、少々長いですが目次をあげます。(興味のない方は飛ばされても大丈夫です)


はじめに

第一章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
 日本は本当に敗戦国だったのか?
 大英帝国を滅ぼしたのは誰か?
 大東亜戦争に勝ったのは日本だった!

第二章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
 大東亜戦争の果たした世界史的な偉業
 日本が閣議決定した正式な戦争名を、日本のメディアが使えない
 アジアを日本が侵略した?
 『人種戦争』が描く、大東亜戦争の姿
 世界で最初に、人種平等を訴えた日本
 有色人種に同胞意識を持っていた日本
 『人種戦争』による日本の戦争の大義
 中国人は、日本軍を救世主と崇めた
 日本軍を手助けし、イギリス人と戦った中国人
 全く逆転した人種の立場
 日本はアジアの「希望の光」だった

第三章 日本は「和」の国である
 日本人は、対立概念を超克しようとする
 神道は「エコ信仰」──二十一世紀の「世界の信仰」のモデル
 『古事記』に描かれた宇宙創始の世界
 日本では、神々も相談して物事を決める
 日本に民主主義をもたらしたのは、アメリカではない!

第四章 世界に冠たる日本の歴史
 古代からひとつの王朝が続く日本
 産経新聞の『歴史戦』コラムで取り上げられる
 物事は、見る人によって違って見える
 日本を西洋の尺度で測った愚かさ
 日本が世界に誇れる「万世一系」
 天皇によって一つの王朝を続けてきた日本
 先史時代の文明が断絶されているアメリカ
 地政学的に似ている日本とイギリス
 四千五百年前の遺跡「ストーン・ヘンジ」
 五千五百年前に地上六階建てのマンションと同じ高層建築物を建てていた日本
 世界四大文明よりも古い日本の文明
 旧石器時代から侵略されることなくずっと民族が続いて現在に至る国
 日本には、世界を驚愕させる古代からの来歴がある
 神武天皇は、実在した!

第五章 オリエントにあった世界の文明と帝国
 千年、万年のスパンで見なければわからない
 日本文明を独立したものと位置付けたハンチントン
 かつて偉大な文明は全てオリエントにあった
 混迷するイラクは、聖書の地
 古代メソポタミアの民族興亡
 独立し安定していたエジプト文明
 ギリシア文明は、西洋の文明にあらず
 ペルシア戦争とギリシア文化の広がり
 古代ローマとエジプトの接触
 短期間に巨大帝国となったイスラム
 「ユーラシアの覇者」モンゴル帝国
 インド・ムガール帝国の興亡

第六章 侵略され侵略するイギリスの歴史
 侵略されることから始まるイギリスの歴史
 ブリタニアの時代のブリテン島
 イギリス人の神話としての『アーサー王物語』
 ブリテン島におけるキリスト教の歴史
 イングランド王国の誕生とその波乱の歴史
 ブリテン島をめぐる四カ国の歴史
 ノルマン朝とイングランド王ヘンリー一世
 イギリスとフランスの関係を語る「二重王国」と「百年戦争」
 大航海時代の幕開け
 帝国を築く礎となった海賊たち
 清教徒革命の勃発
 イングランド共和国の樹立
 軍を抑制し始めた議会
 王政復古とその条件
 なぜ王政は、危機に陥ったのか
 国王の権力と暴力革命を抑制したイギリス議会
 太陽が沈まない帝国の誕生
 英仏によるインド争奪戦
 世界で始まった大英帝国による覇権戦争
 大英帝国の日本侵略「長崎フェートン号事件」
 支那で勃発した「アヘン戦争」
 インドにおけるイギリス植民地支配への抵抗運動

第七章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
 「先コロンブス期」の南北アメリカ
 アメリカ大陸を植民地化したノース人
 秀吉の「伴天連追放令」の背景
 聖書の神のモーゼへの命令
 鎖国政策を取った幕府の鋭い外交方針
 ローマ法王によって、加速された大虐殺と奴隷制度
 新大陸で悲惨に酷使された黒人奴隷
 奴隷制度を支持したアメリカ民主党と廃止を訴えた共和党
 共和党初代リンカーン大統領就任と南北戦争
 アメリカの黒人奴隷時代に、日本では世界一の都市と文化が栄えていた
 江戸の治安は、東京よりも良かった
 江戸の庶民は、世界一文化的な生活を送っていた
 江戸の日本は、世界史に類例のないほど教育が普及していた

第八章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
 黒船艦隊はシェルガンで武装し、日本をキリスト教化しようと脅迫した
 ヨーロッパのアジア侵略に慄然としたペリー提督
 「マニフェスト・デスティニー」の西部開拓は、太平洋の侵略へ
 大航海時代のスーパースター「クック船長」の大冒険物語
 クックの最期
 尊王攘夷は、日本防衛と国体護持のためだった
 ジャーディン・マセソン商会の暗躍

第九章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
 白人キリスト教徒によるフィリピン侵略
 ホセ・リサールとフィリピン独立運動
 米西戦争で、アメリカがスペインにとって代わる
 独立軍を殲滅にかかったマッカーサー親子
 日露戦争での日本の勝利に歓喜したフィリピン民衆

第十章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
 大日本帝国は、侵略ではなく、防衛のための帝国だった
 白人帝国ロシア南下の脅威
 三国干渉という白人列強の侵略行為
 日英同盟はなぜ締結されたのか
 日本による人種差別撤廃提案はなぜふみにじられたか
 日英同盟廃止を望むアメリカの思惑
 ワシントン軍縮会議の謀略

第十一章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
 日本はアジア最後の砦だった
 日本の朝鮮統治は「植民地支配」ではない
 日本の統治についてデタラメを書く韓国の国定教科書
 人種平等の理念に基づいた「皇民化」教育
 朝鮮王族に嫁いだ日本の皇族・李方子女王
 八紘一宇は、「世界は一家、人類は皆兄弟」という日本の理想
 大和の国・日本には、八百万の神々がいる

第十二章 日本は中国を侵略していない
 国連で「侵略戦争」が定義されたのは「一九七四年十二月」
 日本の満洲への進出は、侵略ではない
 日露戦争の勝利で満洲の権益を獲得した日本
 中国には匪賊が各地に割拠していた
 満洲の在留邦人の保護
 五族協和・王道楽土の満洲国
 日本の大陸への進出は、「パリ不戦条約」を侵していない!
 支那事変は、日本の侵略戦争ではない!

第十三章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
 我々は、もっと真実を知る必要がある
 中国の航空部隊のパイロットは、アメリカの偽装「退役軍人」だった
 戦争を仕掛けたのは、アメリカか、日本か
 日本軍航空部隊との交戦
 中国で航空ビジネスを仕掛ける
 ルーズベルト大統領が、チャイナ・ロビーに応えた
 共同謀議をしていたのは、アメリカだった!
 シェノールトの「日本爆撃計画」
 武器貸与法を議会に提議したルーズベルト大統領
 アメリカによる対日経済封鎖と輸送船への攻撃
 日米戦争を引き起こした元凶の書

第十四章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
 大統領による裏切り行為
 日本に対米戦争を起こさせるための八項目
 挑発目的での巡洋艦の出没
 合衆国艦隊司令長官がルーズベルトに反旗
 暗号解読を活用したマッカラム
 「真珠湾の奇襲」は、アメリカの罠だった!
 泳がされていた帝国のスパイ
 太平洋戦争は、アメリカの「侵略戦争」だ

第十五章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!
 大東亜戦争の虚妄と真実
 大東亜戦争開戦七十周年記念での講演
 大英帝国が刺し違えた日本
 大東亜戦争を高く評価したイギリス人
 大東亜戦争は、アジア解放戦争だった
 “空の神兵”の偉業
 アジアの人々は、日本軍を歓喜して迎えた
 日本よ、大東亜戦争の大義を世界に伝えよ!
 神州不滅を期して


この目次の構成を見ていただければ解るように、タイトルと本の内容にはかなり隔たりがあり、大東亜戦争だけに絞った内容ではなく、保守が主張する歴史修正のエッセンスを散りばめた体裁とっています。

タイトルにもある「大東亜戦争は日本が勝った」とする根拠は、単に

「大東亜戦争は植民地解放戦争で、戦後、アジア諸民族は独立できたので当初の目的は達成された。ゆえに日本の勝利」

という逆切れ理論であり、これの独自性を検討しようにも、それ以上でもそれ以下でもない誠にありふれた保守言論のコピペです。

ところでヘンリー・ストークス氏はイギリス人だそうですが、イギリス的要素は、「第六章 侵略され侵略するイギリスの歴史」と、「第十五章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!」くらいしかありません。

この様な構成内容からも、本書が「ヘンリー・ストークス」ブランドによって出された保守本であることは明確でしょう。


神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない不可思議さ

こういうSF小説を真剣に読んで粗探しすること自体エレガントではないのですが、既に目次の表題の段階で不思議な箇所もあるので指摘しておきます。

それは、第四章に収載される「神武天皇は、実在した!」項と、第六章に収載される「イギリス人の神話としての『アーサー王物語』」項です。

なんとストークス氏は神武天皇の実在を信じてしまい、それが信じられないのはGHQの占領政策の影響であり、これらは「神話」ではなく「現実の来歴」であると断言します。


古事記の中の天皇に関する記載が、神武天皇は多いのに、その後の八代の天皇の事績に関しては極めて少ない。そこで「欠史八代」などと言って、神武天皇の実在を疑問視する進歩的文化人が終戦後から跋扈し始めた。これもGHQの占領政策の影響である。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 77


これは「神話」ではなく現実の来歴であるが、外国人の私には、まるで「神話」のように、御伽噺のように聞こえてしまうのだ。それほど「有り得ない」ことが、この地上で起こっているのが、日本という国なのである。日本人は、このことに大いに誇りを持つべきだ。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 76
……。

いやいやいやいや、その古事記の記述は「神話」ですって! 
なんで、神話的記述が実際に起こったと信じれて、「日本スゴイ」って結論になるのよ!? 

と突っ込まずにはいられません。歴史家でもないストークス氏に神武天皇の実在性を語らせて何の意味があるのでしょうか。

一方、ストークス氏は、こんなに記紀神話をヨイショしてくれるのに、自国の誇りアーサー王については「神話」であって実在しないとあっさり片付けます。


ブリトン人のアーサー王については実在したという説もあるが、あくまで伝説である。五世紀頃のことがイギリスでは「神話」になっていると言ってもいい。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 102



皆さんどう思われますか? 紀元前660年ごろにいたとされる神武天皇の実在は信じられるのに、紀元後5世紀ごろにいたとされるアーサー王の実在が信じられないイギリス人って一体。

たとえば、ある日本人がいて、歴史の専門家でもないのに、檀君(西暦前2370年ごろいたとされる古朝鮮の王)の実在を主張して、聖徳太子(紀元後6世紀ごろ)の実在を否定する人物がいたら(しかも韓国で活動していたら)、普通「ちょっと半島に関係されているイデオロギーの持ち主なのかなぁ」と考えて、その人のその発言を「歴史」としては信用しませんよね。

これとほぼ同じ構造の発言をヘンリー・ストークス氏は平然としてしまっているのです。いったいプロデューサー達は何を考えているのか…。



まとめ

本書は「神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない」というイギリス人ジャーナリストに、歴史を語らせてしまったという奇書でしょう。この本が語る歴史を信じる読者がいるということに驚きです。

https://rondan.net/624
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c6

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
6. 中川隆[-12173] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:38:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

大東亜戦争は日本が勝った -英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」 – 2017/4/17
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E5%8B%9D%E3%81%A3%E3%81%9F-%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%80%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4802400292


内容紹介

「太平洋戦争」はアメリカの洗脳だった
この書は日本のプロパガンダではない。史実である。

日本よ 呪縛から解放されよ!

ヘンリー・S・ストークス 来日50年の総集編

世界史を俯瞰して明らかになった
大東亜戦争の真実

共産党などの左翼は、大東亜戦争は「侵略戦争」であったと言う。
そうであろうか? 史実を検証すると、そこには明らかに「アジア解放戦争」の側面が見て取れる。
アメリカの侵略戦争や、大英帝国の植民地支配での戦争とは、明らかに違った姿を現じている。

私は、大東亜戦争を日本がなぜ戦ったのか、その結果、何が世界に起こったのかは、世界文明史的な俯瞰をもってしてはじめて、明らかになるものだと、そう思い始めた。

世界文明史の中で、大東亜戦争を位置づけようというような野心的な試みは、一冊の本で果たせるものでもないが、その第一歩を英国人ジャーナリストの私が切り開くことで、世界中に多くの賛同者が出てくると、そう確信している。(本文より)


1章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
2章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
3章 日本は「和」の国である
4章 世界に冠たる日本の歴史
5章 オリエントにあった世界の文明と帝国
6章 侵略され侵略するイギリスの歴史
7章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
8章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
9章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
10章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
11章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
12章 日本は中国を侵略していない
13章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
14章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
15章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!


______

日本が果たした人類史に輝く大革命ー「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ – 2017/4/12
ヘンリー・S・ストークス (著), 植田剛彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AB%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%83%BC%E3%80%8C%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%B8-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4915237990

内容紹介

外国特派員協会の最長老が語った歴史の真実とは――

黒人のオバマ大統領や政治家、スポーツ選手達は、第2次大戦中の日本のめざましいアジア進攻がなければ、誕生しなかった…
人種差別の時代に、日の丸が燦然と輝き、アジア、アフリカの植民地は、次々と独立を果たし、世界の歴史は大転換した!

人種平等の、いまある世界を築いたのは、日本であった。

英国人ジャーナリスト、ストークス氏は、50余年前に来日、大英帝国の植民地をすべて奪った日本に、深い憎悪をいだき、邪悪な野蛮な残酷な民族である、との認識をもっていた。「日本=戦争犯罪国家」「南京大虐殺」を信じ込んでいた。

しかし、第三者的視点で日本とアジアの歴史を俯瞰したとき、その見方が誤りであると気づき、「欧米帝国主義下でのアジアや、アフリカの植民地支配と、日本の朝鮮、台湾統治やアジア同胞との関係は、まったく違ったものであることを、ハッキリと世界に知らせる必要がある」と語る。

植田剛彦氏は、150社が加盟する「マスコミ研究会」代表。韓国、朝鮮に精通している他、日本、欧米の近現代史に詳しい。幅広い教養、豊富な内外の情報にストークス氏も舌を巻き、「心から楽しみつつ、日本が取るべき道について、大いに実りある対談ができた」と絶賛。

出版社からのコメント

ヘンリー・S・ストークス氏は、64年、来日。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、『ロンドン・タイムズ』東京支局長、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。外国特派員協会の重鎮。

「私はフェアでありたい」と英国ジェントルマン精神を発揮、東京裁判、南京虐殺、従軍慰安婦等の戦勝国プロパガンダの欺瞞を明確に指摘した『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』は、10万部超のベストセラーとなった。

ベテランジャーナリスト・植田剛彦氏との対談は、日本近現代史の裏表をくまなく明かし、ケント・ギルバート氏が「私には教えられることが多く、知的興奮をおぼえながら読んだ」と後書きに記している。


人種平等の世界を築いたのは、日本であった!
日本のめざましいアジア進攻がなければ黒人のオバマ大統領や政治家、スポーツ選手等は誕生しなかった。イギリス人の大記者と熱く語る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ストークス,ヘンリー・S.
1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、64年、来日。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、67年、『ロンドン・タイムズ』東京支局長、78年、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる

植田/剛彦
評論家、ジャーナリスト。1945年、甲府市生まれ。マスコミ研究会代表。報知新聞社、国際ニュース『ニューストラック・ジャパン』編集長などに就任後、執筆活動に入る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



▲△▽▼


2019.02.09
【トンデモ】『大東亜戦争は日本が勝った』H・S・ストークス|ハート出版, 201
https://rondan.net/624


Contents

1 自画自賛の変容
2 『大東亜戦争は日本が勝った』の目次
3 神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない不可思議さ
4 まとめ


自画自賛の変容

自分で自分を褒めてもみっともない。ましてや日本人が日本人を褒めだすというのは恥ずかしい。そこで、外国人に日本を称賛させようという、さらに恥ずかしい本が最近増えています。


たとえば、井上和彦『ありがとう日本軍:アジアのために勇敢に戦ったサムライたち』(PHP研究所, 2015)は、東南アジア諸国を歴遊して、日本を褒めてるくれる人にインタビューして、それを纏めて「日本スゴイ」本にしてしまったという恐るべき書です。

保守が言われる「美しい日本の心」を持っているのならば、とてもではないがそんな恥ずかしい本は出せない筈なのですが、この井上和彦氏はこの様な類書を数多く刊行されています。

また、外国人著者による日本語の「日本スゴイ」本も興隆を極めています。

ケント・ギルバート氏はこの典型であり、これまでに三十冊以上の書籍を刊行しています。もちろんこれはケント・ギルバート氏が一人で書いたものではなく、いわばプロデューサーがいて、代筆する人がいて、それを「ケント・ギルバート」というブランドで出すという意味です(『ニューズウィーク日本版』2018.10.30)。

したがってケント・ギルバート本は、同氏の思想を語るものではなく、それをプロデュースしているチームのイデオロギーを反映するものです。つまり、日本人が愛国嫌韓嫌中の発言をしても説得力が無いので、権威がありそうな外国人に語らせているだけのことです。

これとよく似た構造は、ヘンリー・S・ストークス氏の著書にも確認されます。同氏は植田剛彦氏との対談本『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』を刊行しています。

この恥ずかしすぎるタイトルが物語っているように、内容は

「大東亜戦争は植民地解放の聖戦であり、そのおかげで有色人種が白人の植民地支配から脱却できた」

というものです。

今回取り上げたいのは、このヘンリー・S・ストークス氏の単著『大東亜戦争は日本が勝った』(訳・構成:藤田裕行)です。これまた恥ずかしすぎるタイトルですが、このオカシナ本を検討していきたいと思います。


『大東亜戦争は日本が勝った』の目次


目次を見れば、その内容に察しが付くため、少々長いですが目次をあげます。(興味のない方は飛ばされても大丈夫です)


はじめに

第一章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
 日本は本当に敗戦国だったのか?
 大英帝国を滅ぼしたのは誰か?
 大東亜戦争に勝ったのは日本だった!

第二章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
 大東亜戦争の果たした世界史的な偉業
 日本が閣議決定した正式な戦争名を、日本のメディアが使えない
 アジアを日本が侵略した?
 『人種戦争』が描く、大東亜戦争の姿
 世界で最初に、人種平等を訴えた日本
 有色人種に同胞意識を持っていた日本
 『人種戦争』による日本の戦争の大義
 中国人は、日本軍を救世主と崇めた
 日本軍を手助けし、イギリス人と戦った中国人
 全く逆転した人種の立場
 日本はアジアの「希望の光」だった

第三章 日本は「和」の国である
 日本人は、対立概念を超克しようとする
 神道は「エコ信仰」──二十一世紀の「世界の信仰」のモデル
 『古事記』に描かれた宇宙創始の世界
 日本では、神々も相談して物事を決める
 日本に民主主義をもたらしたのは、アメリカではない!

第四章 世界に冠たる日本の歴史
 古代からひとつの王朝が続く日本
 産経新聞の『歴史戦』コラムで取り上げられる
 物事は、見る人によって違って見える
 日本を西洋の尺度で測った愚かさ
 日本が世界に誇れる「万世一系」
 天皇によって一つの王朝を続けてきた日本
 先史時代の文明が断絶されているアメリカ
 地政学的に似ている日本とイギリス
 四千五百年前の遺跡「ストーン・ヘンジ」
 五千五百年前に地上六階建てのマンションと同じ高層建築物を建てていた日本
 世界四大文明よりも古い日本の文明
 旧石器時代から侵略されることなくずっと民族が続いて現在に至る国
 日本には、世界を驚愕させる古代からの来歴がある
 神武天皇は、実在した!

第五章 オリエントにあった世界の文明と帝国
 千年、万年のスパンで見なければわからない
 日本文明を独立したものと位置付けたハンチントン
 かつて偉大な文明は全てオリエントにあった
 混迷するイラクは、聖書の地
 古代メソポタミアの民族興亡
 独立し安定していたエジプト文明
 ギリシア文明は、西洋の文明にあらず
 ペルシア戦争とギリシア文化の広がり
 古代ローマとエジプトの接触
 短期間に巨大帝国となったイスラム
 「ユーラシアの覇者」モンゴル帝国
 インド・ムガール帝国の興亡

第六章 侵略され侵略するイギリスの歴史
 侵略されることから始まるイギリスの歴史
 ブリタニアの時代のブリテン島
 イギリス人の神話としての『アーサー王物語』
 ブリテン島におけるキリスト教の歴史
 イングランド王国の誕生とその波乱の歴史
 ブリテン島をめぐる四カ国の歴史
 ノルマン朝とイングランド王ヘンリー一世
 イギリスとフランスの関係を語る「二重王国」と「百年戦争」
 大航海時代の幕開け
 帝国を築く礎となった海賊たち
 清教徒革命の勃発
 イングランド共和国の樹立
 軍を抑制し始めた議会
 王政復古とその条件
 なぜ王政は、危機に陥ったのか
 国王の権力と暴力革命を抑制したイギリス議会
 太陽が沈まない帝国の誕生
 英仏によるインド争奪戦
 世界で始まった大英帝国による覇権戦争
 大英帝国の日本侵略「長崎フェートン号事件」
 支那で勃発した「アヘン戦争」
 インドにおけるイギリス植民地支配への抵抗運動

第七章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
 「先コロンブス期」の南北アメリカ
 アメリカ大陸を植民地化したノース人
 秀吉の「伴天連追放令」の背景
 聖書の神のモーゼへの命令
 鎖国政策を取った幕府の鋭い外交方針
 ローマ法王によって、加速された大虐殺と奴隷制度
 新大陸で悲惨に酷使された黒人奴隷
 奴隷制度を支持したアメリカ民主党と廃止を訴えた共和党
 共和党初代リンカーン大統領就任と南北戦争
 アメリカの黒人奴隷時代に、日本では世界一の都市と文化が栄えていた
 江戸の治安は、東京よりも良かった
 江戸の庶民は、世界一文化的な生活を送っていた
 江戸の日本は、世界史に類例のないほど教育が普及していた

第八章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
 黒船艦隊はシェルガンで武装し、日本をキリスト教化しようと脅迫した
 ヨーロッパのアジア侵略に慄然としたペリー提督
 「マニフェスト・デスティニー」の西部開拓は、太平洋の侵略へ
 大航海時代のスーパースター「クック船長」の大冒険物語
 クックの最期
 尊王攘夷は、日本防衛と国体護持のためだった
 ジャーディン・マセソン商会の暗躍

第九章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
 白人キリスト教徒によるフィリピン侵略
 ホセ・リサールとフィリピン独立運動
 米西戦争で、アメリカがスペインにとって代わる
 独立軍を殲滅にかかったマッカーサー親子
 日露戦争での日本の勝利に歓喜したフィリピン民衆

第十章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
 大日本帝国は、侵略ではなく、防衛のための帝国だった
 白人帝国ロシア南下の脅威
 三国干渉という白人列強の侵略行為
 日英同盟はなぜ締結されたのか
 日本による人種差別撤廃提案はなぜふみにじられたか
 日英同盟廃止を望むアメリカの思惑
 ワシントン軍縮会議の謀略

第十一章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
 日本はアジア最後の砦だった
 日本の朝鮮統治は「植民地支配」ではない
 日本の統治についてデタラメを書く韓国の国定教科書
 人種平等の理念に基づいた「皇民化」教育
 朝鮮王族に嫁いだ日本の皇族・李方子女王
 八紘一宇は、「世界は一家、人類は皆兄弟」という日本の理想
 大和の国・日本には、八百万の神々がいる

第十二章 日本は中国を侵略していない
 国連で「侵略戦争」が定義されたのは「一九七四年十二月」
 日本の満洲への進出は、侵略ではない
 日露戦争の勝利で満洲の権益を獲得した日本
 中国には匪賊が各地に割拠していた
 満洲の在留邦人の保護
 五族協和・王道楽土の満洲国
 日本の大陸への進出は、「パリ不戦条約」を侵していない!
 支那事変は、日本の侵略戦争ではない!

第十三章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
 我々は、もっと真実を知る必要がある
 中国の航空部隊のパイロットは、アメリカの偽装「退役軍人」だった
 戦争を仕掛けたのは、アメリカか、日本か
 日本軍航空部隊との交戦
 中国で航空ビジネスを仕掛ける
 ルーズベルト大統領が、チャイナ・ロビーに応えた
 共同謀議をしていたのは、アメリカだった!
 シェノールトの「日本爆撃計画」
 武器貸与法を議会に提議したルーズベルト大統領
 アメリカによる対日経済封鎖と輸送船への攻撃
 日米戦争を引き起こした元凶の書

第十四章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
 大統領による裏切り行為
 日本に対米戦争を起こさせるための八項目
 挑発目的での巡洋艦の出没
 合衆国艦隊司令長官がルーズベルトに反旗
 暗号解読を活用したマッカラム
 「真珠湾の奇襲」は、アメリカの罠だった!
 泳がされていた帝国のスパイ
 太平洋戦争は、アメリカの「侵略戦争」だ

第十五章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!
 大東亜戦争の虚妄と真実
 大東亜戦争開戦七十周年記念での講演
 大英帝国が刺し違えた日本
 大東亜戦争を高く評価したイギリス人
 大東亜戦争は、アジア解放戦争だった
 “空の神兵”の偉業
 アジアの人々は、日本軍を歓喜して迎えた
 日本よ、大東亜戦争の大義を世界に伝えよ!
 神州不滅を期して


この目次の構成を見ていただければ解るように、タイトルと本の内容にはかなり隔たりがあり、大東亜戦争だけに絞った内容ではなく、保守が主張する歴史修正のエッセンスを散りばめた体裁とっています。

タイトルにもある「大東亜戦争は日本が勝った」とする根拠は、単に

「大東亜戦争は植民地解放戦争で、戦後、アジア諸民族は独立できたので当初の目的は達成された。ゆえに日本の勝利」

という逆切れ理論であり、これの独自性を検討しようにも、それ以上でもそれ以下でもない誠にありふれた保守言論のコピペです。

ところでヘンリー・ストークス氏はイギリス人だそうですが、イギリス的要素は、「第六章 侵略され侵略するイギリスの歴史」と、「第十五章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!」くらいしかありません。

この様な構成内容からも、本書が「ヘンリー・ストークス」ブランドによって出された保守本であることは明確でしょう。


神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない不可思議さ

こういうSF小説を真剣に読んで粗探しすること自体エレガントではないのですが、既に目次の表題の段階で不思議な箇所もあるので指摘しておきます。

それは、第四章に収載される「神武天皇は、実在した!」項と、第六章に収載される「イギリス人の神話としての『アーサー王物語』」項です。

なんとストークス氏は神武天皇の実在を信じてしまい、それが信じられないのはGHQの占領政策の影響であり、これらは「神話」ではなく「現実の来歴」であると断言します。


古事記の中の天皇に関する記載が、神武天皇は多いのに、その後の八代の天皇の事績に関しては極めて少ない。そこで「欠史八代」などと言って、神武天皇の実在を疑問視する進歩的文化人が終戦後から跋扈し始めた。これもGHQの占領政策の影響である。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 77


これは「神話」ではなく現実の来歴であるが、外国人の私には、まるで「神話」のように、御伽噺のように聞こえてしまうのだ。それほど「有り得ない」ことが、この地上で起こっているのが、日本という国なのである。日本人は、このことに大いに誇りを持つべきだ。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 76
……。

いやいやいやいや、その古事記の記述は「神話」ですって! 
なんで、神話的記述が実際に起こったと信じれて、「日本スゴイ」って結論になるのよ!? 

と突っ込まずにはいられません。歴史家でもないストークス氏に神武天皇の実在性を語らせて何の意味があるのでしょうか。

一方、ストークス氏は、こんなに記紀神話をヨイショしてくれるのに、自国の誇りアーサー王については「神話」であって実在しないとあっさり片付けます。


ブリトン人のアーサー王については実在したという説もあるが、あくまで伝説である。五世紀頃のことがイギリスでは「神話」になっていると言ってもいい。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 102



皆さんどう思われますか? 紀元前660年ごろにいたとされる神武天皇の実在は信じられるのに、紀元後5世紀ごろにいたとされるアーサー王の実在が信じられないイギリス人って一体。

たとえば、ある日本人がいて、歴史の専門家でもないのに、檀君(西暦前2370年ごろいたとされる古朝鮮の王)の実在を主張して、聖徳太子(紀元後6世紀ごろ)の実在を否定する人物がいたら(しかも韓国で活動していたら)、普通「ちょっと半島に関係されているイデオロギーの持ち主なのかなぁ」と考えて、その人のその発言を「歴史」としては信用しませんよね。

これとほぼ同じ構造の発言をヘンリー・ストークス氏は平然としてしまっているのです。いったいプロデューサー達は何を考えているのか…。



まとめ

本書は「神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない」というイギリス人ジャーナリストに、歴史を語らせてしまったという奇書でしょう。この本が語る歴史を信じる読者がいるということに驚きです。

https://rondan.net/624
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c6

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
7. 中川隆[-12172] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:53:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【トンデモ】『日本が果たした人類史に輝く大革命:
「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』H・S・ストークス×植田剛彦(自由社, 2017)
https://rondan.net/114


Contents

1 「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命
2 『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次
3 「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度


「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命

今回は、H・S・ストークス×植田剛彦『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』(自由社, 2017)という自画自賛にも程があるタイトルの書を紹介したいと思います。

本書は、もとは2015年に刊行された『目覚めよ!日本』(日新報道)の改訂版のようで、新たにケント・ギルバート氏の解説を加えたようです。

タイトルからも予想できるようにその内容は、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)を「人類史に輝く大革命」と位置づけ、その大革命によって地球は「白人の惑星」から「人種平等の惑星」になったと主張します。


実際にあった出来事の主語と述語を極限まで拡大解釈して、自身の思想理念を語らせてしまうことは保守界隈の常套手段ですが、本書はその典型例でしょう。

本書のタイトルにある内容が事実であれば、大東亜戦争を起こした日本はノーベル平和賞を受賞していてもおかしくないはずなのですが、そのような気配は一向に見られません。どうも保守界隈の認識というものは、世界の常識とはかけ離れているようです。

もちろんこの常識を修正することが保守の目標なわけですが、あまりに荒唐無稽な理論を展開してしまうと、かえって目標を達成できなくなってしまうのないかと危惧します。



『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次

まずは目次を確認してみましょう。細目まであげます。


まえがき ヘンリー・S・ストークス

第一章 日本よ、目覚めなさい!連合国戦勝史観の呪縛からの脱却
 東京裁判は勝者の復讐劇≠セった
 ペリーが種を播き、マッカーサーが刈りとった
 反日思潮に惑わされず、歴史の真実を学び、誇りある国へ
 アジアを独立させたのは日本の進攻だった

第二章 「朝日新聞」の売国キャンペーン≠許してはならない
 日本を攻撃する中韓両国と、手を貸す朝日新聞
 韓国は日本の善意を蔑ろにした
 NHKまで中韓のプロパガンダのお先棒をかついでいる
 慰安婦とは売春婦そのものだった
 無責任な平和主義が日本人の背骨を冒している
 慰安婦をなくすのは戦争をなくすのと同じように難しい
 韓国はソウルの国会前とアメリカ大使館前に「慰安婦像」を設置すべきだ
 日本人が日本を貶める醜さ
 謝罪は罪を認めること、認めれば償いが伴う

第三章 日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった
 満州国士官学校に血書志願した朴正煕大統領
 朝鮮は日韓併合によって近代国家になった
 日本はアジアを大きな家族と見て、朝鮮を豊かに発展させた

第四章 原爆許すまじ
 裁かれるべきはアメリカだ
 日本国憲法は日本「属国化」のための手枷足枷である
 大東亜戦争によって世界の秩序を変えた日本
 「大東亜戦争」を「太平洋戦争」にすり変えたアメリカの奸計
 日本はイギリスをモデルにして「諜報世界」に強くなる必要がある

第五章 南京大虐殺のウソ
 大東亜戦争は自衛戦争であり、同時にアジアを解放した
 東京裁判は「裁判」の名を偽った復讐劇だった
 東京裁判がデッチあげた南京大虐殺

第六章 三島由紀夫とは何だったのか
 三島由紀夫は「殉教」を選んだ
 三島は日本のダヌンツィオ≠セった
 いつ、三島の心≠ェ理解されるのか

第七章 日本の再生に向けて、過去を脱却し力強い未来を築け!
 世界一の日本文化をもっと発信しよう
 危機にあって、なお光る日本人の「思いやり」 ここが共通するイギリス人と日本人
 ユーモア感覚 イギリスと日本は共通項が多い
 日本は異質なものまで受け入れ、昇華して独自の文化を育んだ
 島国にはハイブリッドの文化が醸成される 日本は日本を取り戻せ

解 説 ケント・ギルバート


目次からも明らかなように、実際には「人類史に輝く大革命」だの「白人の惑星」だの「人種平等の惑星」だのといった大げさな話は殆ど出てきません。むしろ、朝日新聞批判、中韓批判、原爆投下批判、南京大虐殺否定論、慰安婦批判などがコンテンツの大部分を占めています。

タイトルが内容がほとんど一致しないという点も、昨今の保守本の傾向の一つです。

「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度

この手の保守本に散見される矛盾が本書にも如実に現れるので、その点を指摘したいと思います。

著者の一人、植田剛彦氏は、

黒人のオバマ大統領が登場したのは日本が白人支配を一掃したからだとか、
日本人は他のアジア人を身近な兄弟として感じていたとか、
日本には民族平等の世界を実現したいという悲願があったとか、
日本人がいかに平等を尊び慈愛と思いやりに満ちた善良な存在であるのか

を強調しています。

にもかからず中国・韓国については

「韓国は日本の善意を蔑ろにした」とか、
「中国と、韓国は日本の国際的な評価を傷つけて」いるとか、
「韓国は世界最大の売春婦の輸出国」だとか、
「日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった」とか、
「慰安婦は売春婦そのものだった」とか、

極めて偏狭な言説をしています。これらの中韓への発言は、彼らが強調していた日本人の美徳と、全く矛盾しているように思えます。

著者の植田剛彦氏は、自身を「品行方正な男性」とまで自画自賛していますが(p. 66)、このような矛盾に全く気がついておられないところに、保守論壇の視野の狭さを感じずにはいられません。

https://rondan.net/114

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c7

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
7. 中川隆[-12171] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:56:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【トンデモ】『日本が果たした人類史に輝く大革命:
「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』H・S・ストークス×植田剛彦(自由社, 2017)
https://rondan.net/114

Contents

1 「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命
2 『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次
3 「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度

「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命

今回は、H・S・ストークス×植田剛彦『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』(自由社, 2017)という自画自賛にも程があるタイトルの書を紹介したいと思います。

本書は、もとは2015年に刊行された『目覚めよ!日本』(日新報道)の改訂版のようで、新たにケント・ギルバート氏の解説を加えたようです。

タイトルからも予想できるようにその内容は、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)を「人類史に輝く大革命」と位置づけ、その大革命によって地球は「白人の惑星」から「人種平等の惑星」になったと主張します。


実際にあった出来事の主語と述語を極限まで拡大解釈して、自身の思想理念を語らせてしまうことは保守界隈の常套手段ですが、本書はその典型例でしょう。

本書のタイトルにある内容が事実であれば、大東亜戦争を起こした日本はノーベル平和賞を受賞していてもおかしくないはずなのですが、そのような気配は一向に見られません。どうも保守界隈の認識というものは、世界の常識とはかけ離れているようです。

もちろんこの常識を修正することが保守の目標なわけですが、あまりに荒唐無稽な理論を展開してしまうと、かえって目標を達成できなくなってしまうのないかと危惧します。

『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次

まずは目次を確認してみましょう。細目まであげます。


まえがき ヘンリー・S・ストークス

第一章 日本よ、目覚めなさい!連合国戦勝史観の呪縛からの脱却
 東京裁判は勝者の復讐劇≠セった
 ペリーが種を播き、マッカーサーが刈りとった
 反日思潮に惑わされず、歴史の真実を学び、誇りある国へ
 アジアを独立させたのは日本の進攻だった

第二章 「朝日新聞」の売国キャンペーン≠許してはならない
 日本を攻撃する中韓両国と、手を貸す朝日新聞
 韓国は日本の善意を蔑ろにした
 NHKまで中韓のプロパガンダのお先棒をかついでいる
 慰安婦とは売春婦そのものだった
 無責任な平和主義が日本人の背骨を冒している
 慰安婦をなくすのは戦争をなくすのと同じように難しい
 韓国はソウルの国会前とアメリカ大使館前に「慰安婦像」を設置すべきだ
 日本人が日本を貶める醜さ
 謝罪は罪を認めること、認めれば償いが伴う

第三章 日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった
 満州国士官学校に血書志願した朴正煕大統領
 朝鮮は日韓併合によって近代国家になった
 日本はアジアを大きな家族と見て、朝鮮を豊かに発展させた

第四章 原爆許すまじ
 裁かれるべきはアメリカだ
 日本国憲法は日本「属国化」のための手枷足枷である
 大東亜戦争によって世界の秩序を変えた日本
 「大東亜戦争」を「太平洋戦争」にすり変えたアメリカの奸計
 日本はイギリスをモデルにして「諜報世界」に強くなる必要がある

第五章 南京大虐殺のウソ
 大東亜戦争は自衛戦争であり、同時にアジアを解放した
 東京裁判は「裁判」の名を偽った復讐劇だった
 東京裁判がデッチあげた南京大虐殺

第六章 三島由紀夫とは何だったのか
 三島由紀夫は「殉教」を選んだ
 三島は日本のダヌンツィオ≠セった
 いつ、三島の心≠ェ理解されるのか

第七章 日本の再生に向けて、過去を脱却し力強い未来を築け!
 世界一の日本文化をもっと発信しよう
 危機にあって、なお光る日本人の「思いやり」 ここが共通するイギリス人と日本人
 ユーモア感覚 イギリスと日本は共通項が多い
 日本は異質なものまで受け入れ、昇華して独自の文化を育んだ
 島国にはハイブリッドの文化が醸成される 日本は日本を取り戻せ

解 説 ケント・ギルバート

目次からも明らかなように、実際には「人類史に輝く大革命」だの「白人の惑星」だの「人種平等の惑星」だのといった大げさな話は殆ど出てきません。むしろ、朝日新聞批判、中韓批判、原爆投下批判、南京大虐殺否定論、慰安婦批判などがコンテンツの大部分を占めています。

タイトルが内容がほとんど一致しないという点も、昨今の保守本の傾向の一つです。


「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度

この手の保守本に散見される矛盾が本書にも如実に現れるので、その点を指摘したいと思います。

著者の一人、植田剛彦氏は、

黒人のオバマ大統領が登場したのは日本が白人支配を一掃したからだとか、
日本人は他のアジア人を身近な兄弟として感じていたとか、
日本には民族平等の世界を実現したいという悲願があったとか、
日本人がいかに平等を尊び慈愛と思いやりに満ちた善良な存在であるのか

を強調しています。

にもかからず中国・韓国については

「韓国は日本の善意を蔑ろにした」とか、
「中国と、韓国は日本の国際的な評価を傷つけて」いるとか、
「韓国は世界最大の売春婦の輸出国」だとか、
「日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった」とか、
「慰安婦は売春婦そのものだった」とか、

極めて偏狭な言説をしています。これらの中韓への発言は、彼らが強調していた日本人の美徳と、全く矛盾しているように思えます。

著者の植田剛彦氏は、自身を「品行方正な男性」とまで自画自賛していますが(p. 66)、このような矛盾に全く気がついておられないところに、保守論壇の視野の狭さを感じずにはいられません。

https://rondan.net/114

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c7

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
8. 中川隆[-12170] koaQ7Jey 2019年2月14日 08:08:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2018.12.09
「ケント・ギルバート現象」に思う論壇の行方
https://rondan.net/628


Contents

1 ケント・ギルバート現象
2 考察
3 課題

ケント・ギルバート現象

『ニューズウィーク日本版』(2018.10.30)に「出版業界を席巻するケント・ギルバート現象の謎」という興味深い記事が掲載されました。その概要はネットでも読むことが出来ます
(リンク@・A)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11174.php
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11191.php

その全容を知るためにはぜひ雑誌をお手に取ってということになりますが、特に筆者が興味深く感じた点をまとめれば次のようになります。

1 2013年〜2014年を境に外国人タレントから保守論客へ転向。

2「ケント・ギルバート」本のプロデューサーは植田剛彦氏と加瀬英明氏。

3「ケント・ギルバート」本のファクトリーは、アメリカ発ネットワークビジネスのレクソールの日本人スタッフ。

4著書の中で「日本解放第二期工作要綱」という偽書を引用した間違いについて、ケント・ギルバート氏は「僕の書いたことをうのみにしなくてもいい」「これ(工作要綱)はスタッフが調べてきた」と弁明。

5講談社の『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』のプロデューサーは、同社の間渕隆氏。間渕氏にイデオロギー的動機はなく、単にマーケティング的理由から。講談社内でも出版したことに批判の声。

6ケント・ギルバート氏曰く「僕は中道より少し右側」「「日本を好きになっていいんだ」というメッセージを発しているだけ」とのこと。

7『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』に、特定の民族を対象にした差別的な記述がある問題については「全員がそうだとは言わない」「文化としてこういう傾向があると知っておかないと、正しい付き合い方ができない」と回答。

8『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』の読者は、都心以外の60歳前後の高齢者が中心。



考察

特に興味深い事実は、Gケント・ギルバート氏の愛読者が「若者」ではなく「高年齢者」であったという点です。

幾つかの調査でも高年齢程愛国傾向になることを報告しており、本記事のライターは

「年齢が上がるほど愛国的」
「嫌韓ムーブメントは当初反権威主義的な若者が担い手だった」
「今は高齢者が中心となって『儒教』もその風に乗った」

と結論づけています。

しかし「若者ほど自民党支持者が多い」というような、これと逆の流れを示唆するデータも数多くあるので、高年齢者ほど愛国的と憶断するのは危険でしょう。

また、購入層が高年齢だからと言って、若年層がリベラルとも必ずしも言えないでしょう。利用者の中心が若年層であるYoutubeにおいて、保守のYoutuber(KAZUYA氏や竹田恒泰氏)はいても、リベラルのそれは見当たりませんので。

また、保守は商業的に回転しやすいという点が強みだということがよく解ります。いわば、ファクトリーで量産された本が、バンバン売れるのです。

心血そそいで一冊のリベラル本を仕上げたとしても、売れないというのは致命的です。これは単に「買い手が保守ばっかりだ」と決めつけてしまうのではなく、市場のニーズにあう保守本が多く、非保守・反保守はそのニーズに答えられていないと評価すべきではないでしょうか。

現状、全く売れていない非保守・反保守こそが、市場のニーズをしっかり分析して情報を発信できるようになれば、保守と対等に戦えるかもしれません。

課題

ここで私が言いたいことは、研究書のように真面目な非保守・反保守の書籍を仕上げても、それを読む人がいなければ意味がないということです。ある意味で非保守・反保守の本は、何らかの形で「日本スゴイ」を否定する内容を含みますので、日本人からすれば読むのが苦痛になるのではないでしょうか。

ビジネスとして回らない以上、保守側の圧倒的な物量の前には勝てません。
この点を大いに反省すべきだと思います。

しかし「ではどうすればよいのか」と言われても、何か妙案があるわけではありません。ですが、早川タダノリさんの『「日本スゴイ」のディストピア:戦時下自画自賛の系譜』(青弓社, 2016)など一連の書籍は、その可能性を大いに感じます。

この一連の書籍の優れた所は、当時の広告やプロパガンダなどを通して、どれだけ戦前・戦中の日本が馬鹿らしかったかが直感的に解ること、それと同時に現在の保守勢力が進めている戦前回帰もどれだけ馬鹿らしいかが煩瑣な説明なしに解るところです。

かつて「女性の会」といえば左向きの団体ばかりだったのに、いまでは「女性の会」を名乗る右向きの団体が多くなってきました。保守にこそ、非保守は学ぶべき時かもしれません。

https://rondan.net/628


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c8

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
9. 中川隆[-12169] koaQ7Jey 2019年2月14日 08:15:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

出版業界を席巻するケント・ギルバート現象の謎
2018年10月25日 安田峰俊(ルポライター)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11174.php


保守派の書籍が多い近年の出版業界でもギルバートの多作ぶりは際立つ SOICHIRO KORIYAMA FOR NEWSWEEK JAPAN

<往年の著名外国人タレントから、次々にヒットを飛ばす論客へ。保守派の「新星」はいかに生まれたか。その背景には、日本の保守系論壇における2人の大物の存在があった>

※本誌10/30号(10/23発売)は「ケント・ギルバート現象」特集。ケント・ギルバートはなぜ売れっ子になれたのか? 読者は「ネトウヨ」なのか? 本人にもインタビューし、言論界を席巻する「ケント本」現象の深層、さらにはデータから読者層の謎を読み解いた。
(この記事は本誌「ケント・ギルバート現象」特集の1記事「出版業界を席巻するケント・ギルバート現象」の一部を抜粋したもの)

現在、30代後半以上の日本人ならば、彼の名前を知らない人のほうが少ないのではないだろうか。80〜90年代、人気番組の『世界まるごとHOWマッチ』や『関口宏のサンデーモーニング』のほか、ドラマや映画にも盛んに出演していたアメリカ人、ケント・ギルバート(66)のことである。

1952年アイダホ州生まれのユタ州育ち。端正なマスクと、流暢で知的な日本語の語り口を武器に、往年の「外タレ(外国人タレント)」ブームを牽引するお茶の間の顔だった。

だが、1997年頃の『サンモニ』の降板以降、テレビで彼の姿を見る機会は減った。もはや「あの人は今」的な存在となって久しい──はずだったが。

近年になって、初老を迎えたギルバートは意外な再ブレイクを果たした。『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所、以下『GHQ』)、『米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体』(KADOKAWA)など、日本の保守派に寄り添う論調の著書で次々とヒットを飛ばすようになったのだ。

なかでも2017年2月に出版された『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社、以下『儒教』)は、電子書籍版と合わせて51万部もの版を重ねた。日本人の「高い道徳規範」を称賛し、「非常識」な儒教国家である中国・韓国・北朝鮮に立ち向かうことを説いた同書は、2017年の年間ベストセラーの第6位に入る健闘ぶりだ(出版取次最大手・日本出版販売調べ)。

他にも小学館や宝島社など有名出版社から著書を出し、2017年だけでも12冊以上、2018年も9月末までに12冊以上を出版(共著含む)。書店の店頭で彼の名前を見ない日はない。とどまるところを知らぬ勢いは、まさに「ギルバート現象」と呼ぶにふさわしい。

そんな彼の主張の根幹を成すのは、日本人が敗戦後に「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と称する連合国軍総司令部(GHQ)の洗脳工作を受け、それが現代の日本の政治や社会に問題をもたらしているとする歴史観である。例えば彼はこう主張する。

「(GHQは)日本人を徹底的に洗脳し、武士道や滅私奉公の精神、皇室への誇り、そして、それらに支えられた道徳心を徹底的に破壊することで、日本人の『精神の奴隷化』を図ろうと試みたのです」

「GHQが去った後(中略)、『精神の奴隷化』政策を継続したのは、日本の政治家と教育界、そして左傾化したマスコミです」(以上、『GHQ』)

終戦直後、GHQが日本で一定の世論工作を実施したことは客観的にも確かだろう。だが、メディアや教育界が70数年後の現在までそれに支配され、国民を「反日」的に洗脳したり、中国や韓国と結託して日本をおとしめたりしている──というのがギルバートの主張だ。慰安婦問題や南京事件への解釈も、日本の保守派寄りのものである。

ギルバートは過去の「外タレ」時代から、日本社会の矛盾点を歯に衣着せず指摘するタイプではあった。だが、現在のような言論を開始したのは2013〜14年頃からだ。

ギルバート現象はいかなる事情で生まれたのか。彼の第2の人生が始まった背景には、日本の保守系論壇における2人の大物の存在があった。

言論人への「転向」の立役者

「2013年10月に私が編集・刊行した『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)は、ケントの『転向』の大きなエポックメイキングだった。一時期低迷していた彼に、第2の出発点を準備できたと自負している。私は彼に『これからのあなたは芸能人ではなく文化人だ』と伝え、背中を押した」

そう話すのは、同書を手掛けたフリー編集者で実業家の植田剛彦(73)である。

三島由紀夫をはじめ、長嶋茂雄などスポーツ界・政財界に幅広い人脈を持つ彼は、ギルバートの「転向」以前にも複数の著書の編集を手掛けてきた。1989〜95年にはケント・ギルバート外語学院(既に閉鎖)の理事長を務め、長年のビジネスパートナーでもあった。

だが、植田には別の顔がある。出版社・自由社の代表として、保守系市民団体「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)が編纂した中学生向け教科書や、杉田水脈、藤岡信勝、倉山満といった保守系言論人の著書を多数刊行しているのだ。彼はこうも言う。「『不死鳥』刊行時のケントには理解不足な面があり、政治的発言を行う覚悟が不十分だった。だが、私が特攻隊についての英文資料を渡したり、勤勉なケント自身が勉強して理解を深めたことで、彼は完成していった」

翌2014年8月、朝日新聞が慰安婦問題に関する過去の誤報を認めた際、ギルバートは自身のオフィシャルブログでこれを批判する。記事はネットユーザーの間で評判になり、同年秋から産経新聞系の夕刊フジが寄稿を打診するようになった。

やがて「理解」を深めたギルバートは、2015年から「正論」「WiLL」など右派系論壇誌の常連寄稿者となり、複数の保守派系市民団体に名を連ねるなど、急速に右旋回を強めていく。

同年末には、過去の歴代受賞者に元自衛隊航空幕僚長の田母神俊雄や元海上保安庁職員の一色正春らタカ派的な著名人が並ぶアパ日本再興財団の懸賞論文で、最優秀藤誠志賞を受賞。保守系言論人としての地位を確立した。

「ケントは正しいことを正しいと言う、真っすぐな人間だ。最近、『WGIPを指摘したらアメリカに帰れなくなるのでは?」と尋ねたが、ケントは『気にしない』と言っていた」(植田)

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11174_2.php

本誌21ページより、


2015年以降は
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11174_3.php


加えてもう1人、「転向」に影響を与えた人物がいる。保守論壇の重鎮で外交評論家の加瀬英明(81)だ。90年代に植田がギルバートを引き合わせ、共著を出して以来の縁である。「長年、ケントに忍耐強く説いていった。彼は真面目なので、話を聞いてくれた。われわれがケントを変えたんだ」

加瀬は安倍政権とも関係が深い日本会議の代表委員や「つくる会」の顧問、歴史問題の否定を訴える「慰安婦の真実」国民運動や「南京事件の真実を検証する会」などの保守系市民団体の会長も務める。彼はこうも言う。

「バテレン(筆者注・戦国時代のキリシタン)を改宗させたようなものだ。最初はヘンリー・ストークスを10数年かけて『調教』したのだが、ケントはその次だった。最初はいずれも、慰安婦や南京の問題について、日本が(悪事を)やったと考えていたんだ」

ヘンリー・ストークスとは、フィナンシャル・タイムズやニューヨーク・タイムズの東京支局長も歴任した知日派のイギリス人ジャーナリストだ。近年は靖国参拝を行ったり、加瀬との共著や『大東亜戦争は日本が勝った』(ハート出版)といった著書を刊行するなど保守派寄りの姿勢が目立つ。

「高齢で体調がすぐれないストークスに代わって、最近のケントは著書を多く出して頑張っている。『転びバテレン』だからこそ、彼は自分でしっかり勉強をしているみたいだ」(加瀬)

もっとも、言論人ギルバートを生んだ立役者は植田と加瀬だけではない。近年の著作のほぼ全てに携わり、イデオロギー面でのサポートも行ってきたスタッフが存在するのだ。


▲△▽▼

データで読み解くケント・ギルバート本の読者層
Newsweek Japan WHAT THE DATA REVEALS
2018年10月29日 高口康太(ジャーナリスト)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11191.php

<50万部超というケント・ギルバートの著書の売れ方は「ほかの本と違う」。購入者の年齢層と立地の数値に表れた謎を追う>

※この記事は本誌10/30号「ケント・ギルバート現象」特集より。ケント・ギルバートはなぜ売れっ子になれたのか? 読者は「ネトウヨ」なのか? 本人にもインタビューし、言論界を席巻する「ケント本」現象の深層、さらにはデータから読者層の謎を読み解いた。

新書ノンフィクションの2017年ベストセラー第1位の座を獲得したのは、ケント・ギルバート著『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社、以下『儒教』)だった(出版取次最大手・日本出版販売調べ)。本稿では内容面に関する論評については対象としない。筆者が興味を持っているのはただ一点、「ギルバートの本の読者は誰なのか?」だ。

というのも、電子書籍版を含めて51万部を超えるベストセラーともなれば、周囲に一人ぐらいは読んだ人がいそうなものだが、筆者の周りには誰もいなかった。ほかのベストセラー本ではそうそうあり得ない話だ。この「謎」をどう考えるべきなのだろうか。本稿ではこのテーマについて客観的な統計データから迫ってみたい。

参照したのは、TSUTAYAとTポイント提携書店のPOSデータ分析サービス「DB WATCH」だ(対象期間は2017年1月1日〜2018年8月31日に設定)。また、同サービスでこの期間、全国でほぼ同数の売上冊数を記録した河合雅司著『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社、以下『未来』)を比較対象として選んだ。2冊のベストセラー本を同一条件で比較することによって、読者層の違いが明らかになる。

まず検討したのは併買データだ(下表)。『儒教』『未来』を購入した人が、調査期間内にほかにどのような書籍を購入したかを示している。それぞれ上位10冊の顔触れを見てみよう。

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本誌26ページより

『未来』の併買データだが、続編の『未来の年表2』を筆頭に近年のベストセラーがずらりと並んでいる。さもありなんという結果だが、『儒教』のランキングは大きく異なる。続編にあたる『中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇』などギルバートの著作2冊が入っているほか、同じく保守系作家として知られる百田尚樹の著作が2冊入っている。保守系の書籍はある特定のグループで重点的に売れていることを示唆するデータだ。

都心以外の高齢者が中心

続いて購入者の人口構成を分析した。下の図は『儒教』『未来』そして新書全体について、同調査期間内の購入者の分布をグラフに表したものだ。新書全体で見ると、購入者の平均年齢は50.09歳、最頻値は49歳だ。『未来』は平均年齢49.66歳、最頻値は48歳と新書全体とほぼ同じ傾向を示している。ところが『儒教』は平均年齢が59.69歳と『未来』よりも約10歳高い。最頻値に至っては68歳と、なんと20歳もの差が出た。50歳以上の購入者が占める比率を算出してみると、『儒教』は78.6%。『未来』の50.5%、新書全体の53.1%と大きな開きがある。『儒教』は圧倒的に高齢者に読まれていることが明らかとなった。

magSR181029graph1-2.pngmagSR181029graph2-2.png

本誌27ページより、

「新書全体」のグラフは
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11191_2.php

ほかに、立地ごとの売れ行きでも顕著な違いが見られた。DB WATCHは加盟店の立地を都心、駅前、郊外ロードサイド(幹線道路沿い)、地方ロードサイドの4つに分類している。『儒教』と『未来』を比較すると、駅前、郊外ロードサイド、地方ロードサイドではほぼ同様の傾向が見られるが、都心では『未来』が『儒教』の2.5倍以上もの売れ行きを記録している。

POSデータから見ると、ギルバートの主要な読者は、都心以外に住む高齢者で、大ベストセラーの『儒教』以外の保守系書籍も購入するなど熱心なファン......という像が透けて見える。

それにしても、なぜ高齢者、なぜ都心以外なのだろうか。

この疑問にヒントを与えてくれそうな統計がある。それが内閣府大臣官房政府広報室による「外交に関する世論調査」だ。この調査では年齢が高くなればなるほど、中国や韓国に親しみを感じない傾向が明らかになっている。

「韓国に対する親近感」という項目では、18〜29歳の50.6%が「親しみを感じる」か「どちらかというと親しみを感じる」と回答。だが、30〜39歳が41.5%、40〜49歳が41.2%、50〜59歳が36.1%、60〜69歳が36.6%、そして70歳以上が30.5%と年齢が上がるにつれて親近感は減少している。

対中国でもこの傾向は同様だ。「親しみを感じる」か「どちらかというと親しみを感じる」との回答は18〜29歳で31.5%。そしておおむね年齢が上がるにつれ減少し、70歳以上の16.8%にまで低下している。

「外交に関する世論調査」には、都市の規模と親近感に関する数値もあるが、規模が小さいほど中韓に対する親近感は低下する。韓国に対して「親しみを感じる」か「どちらかというと親しみを感じる」との回答は大都市が39.6%だが、町村は34.7%にとどまる。対中国では大都市が21%、町村が13.2%という結果になっている。

年齢が高く田舎に住んでいる人ほど、中国・韓国に対する親近感が低い。そして、この傾向はギルバートの本の主要な読者層と一致している。

年齢が上がるほど愛国的

近年、社会的分断という言葉が注目を集めている。年齢や居住地、所得、学歴、人種によって、政治的意見や信条が異なる閉鎖的なグループが生まれている状態を指す。2016年のブレグジット(英EU離脱)国民投票、ドナルド・トランプの米大統領選勝利では、英米両国の社会的分断が満天下にさらされた。英調査機関ロード・アシュクロフトによると、ブレグジットの投票では、65歳以上は60%がEU離脱へ投票したが、18〜24歳では離脱に投票したのは27%にすぎなかったという。

社会的分断が深まれば、グループ間には対話不可能な溝が生まれる。議論によって合意を導き出すという民主主義の基盤を危うくする問題だ。

ギルバートの著作が「都心部以外に住む高齢者」を中心に売れる現象は、日本にも欧米同様の社会的分断が存在することを示しているのだろうか。

この疑問について、計量調査によって日本人の政治意識、対外国人意識を研究している早稲田大学文学学術院の田辺俊介教授に話を聞いた。

田辺が2009 年から継続的に実施している調査でも、確かに年齢が上がるほど、愛国主義が強まる結果が出ている。また別の調査では、アジアよりも欧米を上と見なす「西高東低」の価値観も年齢が上がるほど強まるとの結果が出た。その意味でギルバートの本の読者層とは一致する。ただし、いわゆる「反中嫌韓」のムーブメントが始まった当初から高齢者がその担い手だったわけではないという。

嫌韓感情について田辺が分析したところ、2009年の調査では年齢が若く反権威主義的であることが特に強い嫌韓感情と関連していたが、2013年の調査では反権威主義・低年齢との相関は消えてしまったという。若者から高齢者へ、嫌韓の担い手が変わったという可能性を示唆する結果だ。

初期の嫌韓ムーブメントを牽引した漫画家、山野車輪も同様の見解を示している。

「黎明期の嫌韓は、『マスコミが報じない本当の韓国を知ろうよ』という純粋な啓蒙活動。今の嫌韓は、韓国批判がタブーだった時代が終わり、タブーとされていたこと自体が半ば忘れられている中で、保守勢力や愛国精神と密接に繋がっている」(日刊SPA!)

若者を主体に始まった反権威的ムーブメントが、気付けば高齢者を中心とした保守的な潮流にのみ込まれたという転換であり、『儒教』のベストセラーはその追い風に乗ったと言えるのかもしれない。

ただし、ギルバートの著作はある特定の社会グループに支えられてベストセラーとなったとはいえ、欧米のような社会的分断と日本では状況が異なると田辺は指摘する。

「欧州では実際に移民が国内に入ってきて、『俺たちの職が脅かされる』という生活面の不安が排外主義の発端となった。一方で日本は『治安不安』、現実には治安は悪化していないが、外国人が増えると犯罪が増えるのではないかという不安から始まり、歴史教科書や従軍慰安婦、尖閣、竹島といった国家間の問題によって拡大したという異なる経緯をたどっている」

日本では生活と懸け離れた曖昧な不安でしかなく、欧米ほど社会的分断は激化していないとの見立てだ。しかし、技能実習生の範囲拡大など、受け入れ対策が不十分なまま実質的な移民拡大が進むなか、今後は「職をめぐる競合」という認知にも発展しかねないと田辺は警鐘を鳴らす。

『儒教』の大ヒットに関しては、書き手の思想や出版社の姿勢が問われてきたが、社会問題の側面もあるのではないか。ベストセラー本の背後に日本社会に走る亀裂が見え隠れしている。

(筆者は1976年生まれ。著書に『現代中国経営者列伝』『なぜ、習近平は激怒したのか』。執筆協力:伊藤亜聖・東京大学社会科学研究所准教授)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c9

[近代史3] 理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか?

理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか?


保江邦夫 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


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星辰館〜保江邦夫の公式 webサイト
https://yasuekunio.com/


amazon.co.jp 保江邦夫作品一覧
https://www.amazon.co.jp/l/B004L58AS4?_encoding=UTF8&qid=1549941494&redirectedFromKindleDbs=true&ref_=sr_ntt_srch_lnk_3&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true&sr=8-3

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ジャパニズム 40 (青林堂ビジュアル)
[対談] UFOが日本人に教える「保守の精神」 佐藤守 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-40-%E9%9D%92%E6%9E%97%E5%A0%82%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%A6%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E-ebook/dp/B0789B6BYL

カスタマーレビュー
富士と桜 2017年12月10日

佐藤守氏と保江邦夫氏の対談「UFOが日本人に教える保守の精神」が面白い。
俄かには信じがたいが、両氏の体験からくる数々のUHO談からもその存在を否定できない気がする。

UFOの霊力が日本古来の神道に結び付くとしており、特にUFOに係る霊能者が佐藤空将を導き、嘉手納基地において日米の慰霊碑を建てたこと、開眼供養の時に現れた幻覚など神国日本の奥ゆかしさを感じさせる。

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2019.02.09
【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
https://rondan.net/976


Contents

1 スピリチュアル系保守
2 日本人は宇宙人の子孫
3 真の保守的精神と、その復活法


スピリチュアル系保守

保守論壇はトンデモ議論がまかり通る不可思議な世界であることを、これまで何度も言及してきました。

「重大事件の背後には共産主義者がいた!」という類のコミンテルン陰謀説が今現在大人気ですが、かつてはユダヤ陰謀説も大人気でした。さすがにフリーメーソン陰謀説とかイルミナティ陰謀説が現れることは稀です。あまりに現実離れしていて、読者の心を掴みにくいのかもしれません。

しかし大人気のコミンテルン陰謀説も、既に飽和状態でネタ切れ状態が続いています。そろそろ次の市場が開拓される時なのではないかと観察しています。

そんな観察の折、突然、目に飛び込んできたのは、佐藤守×保江邦夫「UFOが日本人に教える「保守の精神」」『ジャパニズム』40(2017.9)です。

保守もとうとう来るところまで来てしまったか…と感慨に浸らずにはいられません。稲田朋美氏が「多様性尊重が保守の本来」と仰っていましたが、きっとそれはこういうことなのでしょう。

日本人は宇宙人の子孫

この対談「UFOが日本人に教える「保守の精神」」をまず開くと、地球の高度文明はUFOがもたらしたとか、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたとか、左足で祠を蹴ったら戦闘機の左エンジンが故障したとか、ぶっ飛んだ話が目につき、流行りの保守本とは一線を画したハイレベルさに圧倒されます(さらに保江邦夫氏は、量子脳理論を専門とする、大学教授だったというので驚きです)。

肝心の「UFOと保守精神」の関係性については余り言及がないのですが、僅かな言葉のなかにも強力なインパクトを残しています。UFOと日本人と占領軍の関係について次のように説いてあります。


保江 アメリカのUFOは本来エリア51にあって、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からあった異星人のもの、その延長で異星人と協力して作ったものですが、日本上空を飛んでいるものとは種類、概念が違います。もちろんアメリカ政府が宇宙人との密約でつくったものも来ていますが、日本にもともとあったものも飛び続けているんです。

これは日本を守るという意味合いがあります。アメリカ政府も第二次世界大戦の途中から気づき始め、占領下で徹底的に日本のことを調べました。日本人は霊力が強い。特に先帝陛下は非常に強い方でしたから、なぜそこまで強いのかと研究し始めたのです。……

小さな島国にあそこまで手こずったアメリカは何かおかしいと思っていた。そして立ち去っていた宇宙人のようなものが、日本国民の遠い祖先で、現代まで脈々と続き、その精神は神道の世界に隠されている。だから占領軍は神道を解体させて骨抜きにするために、神社庁から意味のある祝詞を全部排除して、意味のない表面的なものだけに作りかえ、神道を形骸化してしまったんですよ。

内容もさることながら、日本語自体が不明瞭なのですが、恐るべき(?)事実を提供しています。次の点が確認できます。


1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


あまりにもスゴすぎてびっくりしますが、こういうトンデモ日本スゴイ論というのは昔からあり、今も絶えることのない現象のひとつです。たとえば、大本教や真光などは、ムー大陸の直系子孫が日本人だというような説を今でも信じています。「ムー大陸」の代わりに「UFO(宇宙人)」が入れ替わっているだけで、共に論理の構造は大体同じです。

真の保守的精神と、その復活法

日本人が宇宙人の子孫だというトンデモ説を用いて、民族の優位性を説くお二人ですが、その根拠は日本人は「どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない」からだそうです。


保江 おそらく日本人が、唯一向こうから来て残った連中の末裔のような気がします。小野田少尉のように、どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない。日本人でなければあんなことはできません。他の国の兵士はあんなふうには絶対できないと思うんです。


ここで宇宙人の末裔たる理想の日本人として言及される小野田寛郎氏は、終戦を知らず29年間もフィリピンでゲリラ戦を続け、帰国の際に「天皇陛下万歳」と叫び、その後は保守活動に専念された方です。小野田寛郎氏のような旧日本軍兵がいるから、日本人が唯一の宇宙人の末裔に違いないという理論は、あまりにも崩壊しすぎていて逆に頷いてしまいそうな勢い持っています。

ところで、同じく28年間グアムに潜んでいた横井庄一氏がここで言及されないのは、きっと彼が戦後の日本社会になじんでしまったからでしょう。

もちろん今の日本を見渡せば、両氏が思い描いているような理想の日本人が極少数しかいないことは誰の目からも明らかです。この事態について両氏は、現代日本人は社会の乱れにゆえに「気づかない」だけで、それに気付けば「本来あった日本の保守の姿」に戻ると説きます。


佐藤 しかし肝心の現代日本人が気づかない、気づかないようにさせられている。尤もやっと気づいた人たちが出始めていますが、その人たちでさえまだ現代の政治の乱れにまだ惑わされているため、本来あった日本の保守の姿になかなか戻れないだろうと思います。
保江 占領下に作られた現状の社会システムの中で、本来の保守に戻るのは難しいですね。皆さんがわからない間に覚醒させる。ふっと気が付く、今のこの生活じゃだめなんじゃないかと。自発的に気づくようなやり方が必要です。例えば一部の古い神道の祝詞の力とか、読経の音とかです。それらは気がつくと「ああ、そうか」と思える精妙さを持っています。

祝詞や読経の音を聞けば、「本来あった日本の保守の姿」を、つまり宇宙人の末裔たる日本人の精神に気がつくことがあるようです。しかしそれに気づいたところで、小野田寛郎氏のようなコテコテの旧日本軍兵になってしまうのですから、気がつかないままのほうが幸せというものでしょう。
https://rondan.net/976


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みなさん、こんにちは。

ついに参議院選に出馬された保江邦夫博士と矢作先生。

「やすえくにお先生のごあいさつ」:国会で次元転移、愛魂道、ハトホルの秘儀を行う日が来るか?
https://quasimoto2.exblog.jp/22810372/

ご幸運をお祈りいたします。

さて、そんな保江邦夫博士の最新本に対するYouTube番組を見つけたので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。

【オカルト・超常現象・物理学】物理学者「保江邦夫」が超常現象や奇跡がなぜ起きるか?その研究結果は… - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7RFIRozl6YE

この内容は、どうやらトカナというサイトのものをまとめたようである。

いずれにせよ、本格的な理論物理学者が国政に行くのは、故伏見康治博士以来のことかもしれないですナ。
ぜひ国会議員に当選して欲しいものである。そして、日本のこころを守って欲しい。
https://quasimoto2.exblog.jp/22939726/

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湯川秀樹の研究を引き継いだ異能の物理学者・保江邦夫に取材! 超常現象や奇跡はなぜ起きる? 2015.12.09.
https://tocana.jp/2015/12/post_8183_entry.html


湯川秀樹といえば、日本人初のノーベル賞を受賞した人物としてほとんどの日本人がその名を知っているだろう。だが湯川博士が最晩年に取り組んでいたある研究テーマについてはほとんど知られていない。湯川博士は1935年(昭和10年)、「素粒子の相互作用について」を発表し、原子核内の陽子や中性子を結合する核力を媒介する粒子として中間子を理論的に予言したことによってノーベル物理学賞を受賞した。しかしその後も中間子理論から非局所場理論、さらに素領域仮説へと湯川博士はあくなき探究を進めていたのである。


■保江邦夫教授の研究とは?

 湯川博士を輩出した京都大学の大学院において、その素領域仮説を専攻し、さらに同理論を形而上学まで適応することによって、従来の物理学では否定されてきた生命活動の背後にあってその本質を左右するような働きを持つ場(空間)の存在を明らかにした人物がいる。理論物理学者の保江邦夫教授(理学博士)がその人だ。今回は保江氏に直接取材した内容も含めて、新著『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』に書かれた保江氏のこれまでの経歴と素領域理論について迫る。


■自らの身に起きた奇跡を解明するために


『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%AB%E3%80%81%E6%84%9B%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%E3%81%8C%E8%A7%A3%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%AB%E6%BA%BA%E6%84%9B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E4%BF%9D%E6%B1%9F-%E9%82%A6%E5%A4%AB/dp/4198640483?SubscriptionId=AKIAIVZOEOBUIKZXXUSQ&tag=tocana-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4198640483


 保江氏は京大並びに名古屋大学大学院で理論物理学を学び、その後ジュネーブ大学理論物理学科講師、東芝総合研究所研究員を経て、現在はノートルダム清心女子大学の教授を務めている。専門は数理物理学だが身体運動科学や脳科学などにも精通し、物理学の基本方程式とされているシュレーディンガー方程式を導くより深いレベルの「ヤスエ方程式」(『量子力学と最適制御理論』を参照)を発見した世界的業績を持つ。一方で合気道をこよなく愛し、開祖植芝盛平が祝詞を奏上していた点に着目しつつ神降ろしの技としての愛魂(あいき)を実践・指導している。

 異能の物理学者が歩んできたこれまでの人生は“奇跡”の連続だったようで、北ドイツに向かうアウトバーンで突然浮かんだ宇宙の原理をあらわす数式(ヤスエ方程式)に始まり、52歳の時には末期の大腸癌手術の際、臨死体験をしている。その際マリア様への祈りによって無事生還し、術後はルルドの泉の水を飲んで全快、それ以降もさらなる奇跡が続く。保江氏の最新刊『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』(徳間書店)では、その数奇な半生と共にさまざまな超常現象や奇跡がなぜ起きるのかについての解説がなされているのだが、そのキーワードとなるのがかつて氏が取り組んでいた「素領域理論」に他ならない。

素領域理論

■量子論よりも最先端!? 物質の“容れもの”とは?

 そもそもこの聞き慣れない素領域とはいったい何なのか? 従来の物理学では陽子、中性子、電子といった物質の最小単位を追い求め、現在は素粒子よりも小さなクォークという粒子を研究対象にしていることは一般によく知られている。それに対して素領域仮説では、物質ではなく、物質の容れものである空間を研究対象としており、空間の最小領域のことを素領域と呼ぶ。

 最初に空間の構造に着目したのがアインシュタインであり、継いで取り組んだのが湯川博士で、それを継承した保江氏はこの極めて専門性の高い抽象概念について次のように教えてくれた。

「数学者の岡潔先生は『空間には情とか愛のような粒々があって、その中に物質が詰まっている』というような主旨のことを述べられています。つまり、粒のような領域と領域の間には隙間があって、そこに“神”と呼んでもいい完全調和がある。すべてがひとつにつながっている空間、これが宇宙の本来の姿で、素粒子はその粒々の間をエネルギーとして飛び移っている。わかりやすいイメージでいうと、ジョッキに注がれたビールの泡、それが空間の正体です」と。

 つまり完全調和からあぶくのように生み出されたのが調和の崩れた素領域であり、その泡は0次元の泡、1次元の泡、2次元、3次元、4次元…など多様な構造を持ち、その泡(素領域)の一つが私たちのいる3次元空間の素領域となる。そして、素領域のエネルギーが素粒子であり、素粒子が集まって原子になり、分子になり、生き物をつくっているというわけだ。保江氏によると、最も発生頻度の確率が高いのが3次元で、それは数学的に証明できるという。
(後編に続く 文=小笠原英晃)
https://tocana.jp/2015/12/post_8183_entry.html


“魂の構造が説明できる”素領域理論とは? 物理学者・保江邦夫教授に取材! 2015.12.10.
https://tocana.jp/2015/12/post_8229_entry.html


前編で紹介した▼空間の解説

「数学者の岡潔先生は『空間には情とか愛のような粒々があって、その中に物質が詰まっている』というような主旨のことを述べられています。つまり、粒のような領域と領域の間には隙間があって、そこに“神”と呼んでもいい完全調和がある。すべてがひとつにつながっている空間、これが宇宙の本来の姿で、素粒子はその粒々の間をエネルギーとして飛び移っている。わかりやすいイメージでいうと、ジョッキに注がれたビールの泡、それが空間の正体です」


 空間の最小領域を規定する素領域理論は「場の量子論」とは何が違うのか? 前編に続いて世界で唯一湯川秀樹博士の研究を引き継いだ保江邦夫教授にわかりやすく解説してもらった。

 場の量子論ではゼロ点エネルギーの総和が計算上無限大になるという発散の問題をくりこみ理論によって回避しているものの、点状の粒子という従来の物理学上の矛盾は内包している。それに対して素領域理論では、粒子は最小領域(泡)の中で惹起されると捉えるのでその矛盾は生じず、また個々の粒子に対応する場を無限に想定する必要もなく、それぞれの泡の固有振動数の違い(鋳型)よって異なる粒子が惹起されると捉える。故にミクロからマクロのスケールにまで適応される統一場理論であり、超弦理論よりもはるかに時代を先駆けていたのが素領域理論なのである。


『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%AB%E3%80%81%E6%84%9B%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%E3%81%8C%E8%A7%A3%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%AB%E6%BA%BA%E6%84%9B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E4%BF%9D%E6%B1%9F-%E9%82%A6%E5%A4%AB/dp/4198640483?SubscriptionId=AKIAIVZOEOBUIKZXXUSQ&tag=tocana-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4198640483

 では、素領域というビールの泡の外と内はどのような構造になっているのか? 保江氏の解説はこうだ。

「泡の内側は素粒子で構成される物質の世界であるのに対して、外側は非物質で、ライプニッツのいうモナド(単一)のような絶対無限の世界。そこは完全調和なので何も起こらない。あるとき完全調和に崩れ(ゆらぎ)が起きたことによって泡が発生し、それぞれの泡の鋳型に応じた素粒子・物質が生まれるのです。そして人間が肉体の死を迎えると非物質の魂となって元の素領域(泡の外=霊界)に溶けていくんです」

■臨死体験エピソードが素領域理論と合致?

 実はこのイメージとまったく同じ体験をしている人物がいる。三度の臨死体験を持つ彗星捜索家の木内鶴彦氏で、木内氏は臨死状態で見た宇宙開闢の様子を著書の中で次のように記述している。

<「五次元の世界ではすべてを『膨大な意識体』が満たしており、バランスがとれた完全な世界をつくっています」「そこにひずみが生まれると、空間が動きます」「その動きは回転する渦のように見えました」>

 保江氏によるとこの現象は素領域理論と合致するという。木内氏が見た渦が私たちの宇宙だとすると、物質はその中だけに存在し、渦の外は素領域と素領域をつないでいる完全調和の神の領域であり、それを保江氏は「愛」と仮定し、「愛や祈りには、時空を超え、奇跡を起こすほどのとてつもない力がある」と断言する。

 これは、神が自身を認識するために万物や人間を創造したとされる考え方に近い。つまり、真っ白な壁に1点のシミが生じることによってその壁が白と認識できるのと同じように、一旦調和が崩れることによって完全調和の在り様が認識され、認識されることで再び調和状態へと導かれる――保江氏はその調和を回復するのが人間の役割ではないかと考えているのだ。


■正しい物理学の知識をスピリチュアル探究者に学んでほしい

 だとしたら、本来私たちの肉体も完全調和(神)の意図でできており、病因などの異物を排除するには愛の作用で素領域の機能を復活させればいいということになる。

『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』には、保江氏のさまざまな不思議な体験や能力が書かれている。その中には、門外不出の伯家神道の秘儀取得に加えて、スペイン人の神父からはキリスト由来の活人術という不思議な力を授かったり、ロシアのUFO研究者からはUFO操縦の秘訣を教わったことなど、一般的とはいえないエピソードも多々ある。また、保江氏が末期癌から奇跡的治癒を遂げたことなども書かれているが、祈りによって神への愛を示したことで、自身の大腸本来の素領域機能が復元した結果と考えればこれも説明がつく。

 保江氏は『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』を上梓した理由について、

「スピリチュアル系の本を出している人たちがあまりにも物理学の知識が乏しく、誤った引用をしている。だから予め僕の体験を知ってもらった上で、スピリチュアルなことに関心のある人に物理学的なこともきちんと学んでもらえる本を出したかった」と語る。

 従来の常識を根底からくつがえし、軽薄な精神論をも排す素領域理論、“魂の世界”を科学的な視点で捉えた本書は、はたして読者諸氏の空間にどのような作用を及ぼすか?――まさにそれはあなたの愛と情に委ねられているに違いない。
(小笠原英晃)
https://tocana.jp/2015/12/post_8229_entry.html


因みに、湯川秀樹の業績で残っているのは戦前の物だけで、戦後は完全なアホになってしまって、理論物理の研究者からは相手にされなくなっていたそうです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/239.html

[近代史3] 理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
1. 中川隆[-12168] koaQ7Jey 2019年2月14日 08:59:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

ジャパニズム46 – 2018/12/8
ソウル奉恩寺で得た年末南北統一という御託宣 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A046/dp/4792606381/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1549950743&sr=1-1&keywords=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0++46

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2019.02.09
【スピリチュアル系保守】「年末南北統一という御託宣」
(保江邦夫|『ジャパニズム』2018.12)
https://rondan.net/8410

Contents

1 『ジャパニズム』は、保守界の『月刊ムー』
2 夢で見た光景が目の前に
3 ホテルでの霊能者との出会い
4 十二月末に南北朝鮮統一!


『ジャパニズム』は、保守界の『月刊ムー』

ある人はこんなことを言っていました。

「トンデモ保守とスピリチュアルには親和性がある」と。

まさにその言葉を具現化した雑誌が『ジャパニズム』です。本雑誌は、KAZUYA氏や杉田水脈氏などの流行りの保守論客が寄稿しているのと同時に、非常にサブカル・オカルト色が強いのが特徴です。今回は、そんな『ジャパニズム』46(2018.12号)に掲載された、保江邦夫「年末南北統一という御託宣」を紹介したいと思います。

夢で見た光景が目の前に

この記事では、著者の保江邦夫氏が、韓国にある大仏から「年末に南北統一する」という御託宣を受けるという話なのですが、その経緯も既にスピリチュアル。


同行の二人の楽しげな声を聞きながら窓の外を眺めていたとき、ふと半年ほど前に見た夢の一場面が蘇ってくる。……それが、今自分の眼前にあるソウルの南部市街地交差点の角地だったのだ!

半年前の夢を覚えてるってスゴイデスネー。

むしろ、今思いついたんじゃないんですか!?

ホテルでの霊能者との出会い

その後、古い寺に訪問するために、ホテルに泊まった保江氏。何とそのホテルの廊下で霊能者から話しかけられたそうです。


廊下で参加者のお一人に呼び止められてしまう。見ると霊能力者として知られる男性だったが、立ち話で教えて下さったのはその日の午前中にあった献茶式での不思議な出来事。日本側の献茶の最中に仏様が現れ、なんとこの僕への伝言を託されたとのこと。それは「くれぐれも身体に気をつけるように」というものだったのだが、それを聞いたときに男性は仏様にその理由を聞いたそうだ。すると「あの者にはもうひと働きしてもらわねばならなくなるから」とお答え下さったという。

普通、廊下で自称霊能力者から話しかけれたら、いろいろ疑ってしまいますが、さすが保江氏。これを素直に信じてしまったそうです。

しかも納得した理由が凄い。


もうひと働き……仏様からそんなお言葉を頂いたなどと聞いてすぐに納得できるわけはないのだろうが、そのときの僕にはスッと腑に落ちるものがあった。何故なら、ちょうど二ヶ月前に神様からのご依頼を受けて未曾有の大災害から日本を救ったばかりだったのだ。

そ、そうですか…。日本を救ってらっしゃったんですか…。

そういえばこの保江氏は、佐藤守氏との対談で、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたなどと言っていましたね (;゚Д゚)


関連記事【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
2018年11月7日
十二月末に南北朝鮮統一!

その後、目的地である古いお寺に行き、霊気の強い場所で写真を撮ろうとしたら持っていたカメラが全て動かなかっただのなんだの「ありきたり」な話が続きます。

そしていよいよお目当てだった仏像を拝すると、なんと保江氏は、占術を使ってその仏像に問いかけます。


僕自身の行動の背後に潜む霊的な意味を知りたいと思った僕は、陰陽師の家系に伝わる北斗七星の占術によって目の前の大仏に問いかけてみた。すぐに返ってきた御託宣は衝撃の内容だった……占術の驚愕の結果は、「十二月末における朝鮮半島南北統一」というものだった!

十二月末に朝鮮半島の南北統一という結果以前に、「朝鮮にある仏教の仏像でも、日本の陰陽道でOKなのか」という不思議な日韓(印)親睦に感動が生じてしまいます。

十二月末に朝鮮半島の南北統一……あともう二週間しかないけどどうなるんでしょうか!?

肥大化した保守運動は、このようなトンデモまで生み出してしまうのです。

https://rondan.net/8410

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http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/181.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/239.html#c1

[近代史3] 理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
2. 中川隆[-12167] koaQ7Jey 2019年2月14日 09:14:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

保江邦夫 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の理学博士。

専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。
ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。


量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。
少林寺拳法武道専門学校[1]講師。
冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。
大東流合気武術宗範佐川幸義直門。

特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。

日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
アメリカ数学会会員。身体運動文化学会会員。
日本サイマティクス・セラピー研究会顧問。


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経歴

1970年 岡山朝日高校を卒業。

1974年 東北大学理学部天文学科を卒業。

1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程前期課程を修了。
名誉教授だった湯川秀樹が提唱していた「素領域理論」を題材として修士論文を提出し、当時日本唯一の理論物理専門の欧文学術雑誌『Progress of Theoreical Physics』に掲載された(Vol.57,pp.318-328 1977)。

1978年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程後期課程を修了。
高林武彦教授に師事。その2年で8編の論文を欧米の数理物理学専門誌に発表。
「量子摩擦を含む開放系の量子力学理論」の論文を提出し、理学博士号を取得。

1978年 スイス連邦共和国へ渡欧。ジュネーヴ大学理学部理論物理学科講師。

1982年 東芝総合研究所の研究員。

その後、岡山のノートルダム清心女子大学大学院に教授として勤務し、現在に至る。

研究テーマは、

1.量子場脳理論による脳の基礎的情報処理過程と生命素過程の物理的解明についての理論的研究

2.武術極意における脳機能の役割についての理論的並びに実験的研究

3.確率過程による量子力学の数理物理学的基礎づけ、確率変分学の基礎とその応用[2][3]

2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころを大切にする党から比例区で出馬するも落選。


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武道の探求

高校時代から武道に憧れを抱いていた保江は東北大学時代、合気道部に所属。先輩である橋本敬三がたびたび合気道部に訪れ、彼から操体法を学ぶ。

ある理由により保江は2年次に退部を申し出る。それでも合気道部の仲間は保江を気遣い籍を残したままとし、4年次には副将の肩書を与えて復部するのを待ってくれていた。

名古屋大学大学院時代には合気道を再開する。また、同大学院にて木村達雄と邂逅。木村の合気道に対する純粋な思いに感銘を受ける。そして木村と共に名古屋大学の合気道部創設に関わり、山口清吾師範に学ぶ。

スイス滞在時において現地の合気道道場へ通う。ところがドイツ山岳地帯出身の大男には保江の合気道の技は通用しなかった。そうした折、たまたまスイスを訪れていた木村達雄から鍛練方法の一つである四股を学んだ。木村からは一日に2000回四股踏みを行えと言われたが、保江は一日300回四股を鍛練した。すると、そのドイツ人の大男を難なく投げれるようになる。

「秘伝日本柔術」(新人物往来社 松田隆智編)大東流篇佐川宗範の項を何度も読み返し、佐川宗範の自然で崇高な姿に魅せられた保江は木村に佐川道場の入門を取り次いでもらうよう懇願する。いったん断られるが「まあ、入門のためにスイスから帰国するくらい覇気のある奴なら許可してもいいだろう」との返事を得て、ようやく手に入れた職を辞し、帰国する決意をする。

1982年、佐川道場に入門するためにスイスから帰国。木村達雄の紹介により佐川道場に入門。佐川幸義直門となり大東流合気武術を学ぶようになる。後に佐門会への参加を許され、100回を越える稽古に参加する。ある時に妻の持病のため岡山へ帰らざるを得ない旨を佐川宗範に告げたところ、特別に10日間にわたる一対一の直伝講習を受けることを許された。これを最後に佐川宗範の直伝講習はなくなる。その後しばらくたって、岡山から東京へ行く機会を得るようになり、また佐川道場の稽古に参加できるようになる。

地元岡山にて戦前天才少女と言われた畠瀬幸枝に薙刀・天道流剣術を学ぶ。加えて、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父から修道師に伝わる護身技法を学ぶ。その技法が後の冠光寺流柔術の基礎となる。

現在は、合気道星辰館道場(岡山市:責任者 北村 好孝 合気会所属)において、合気道の指導も行っている。


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スイス連邦共和国ジュネーヴ大学への奉職

ジュネーヴ大学では教授のチャールス・P・エンツに師事。エンツはスイスの天才物理学者ウォルフガング・パウリの最後の助手であった。保江は、スイスにて主に確率制御問題に没頭する。

ジュネーブでは4年間モレゾン通りに居をかまえる。ここで、確率変分学の基本となったヤスエ(保江)方程式を不思議な体験のもとに発見する。以下、ヤスエ方程式を発見した当時の記述の要約。

「スイスに来て2度目のクリスマス時期。セミナー講師招聘のためイタリアに向かった。

ドイツの国境を越えた辺りに、アウトバーンが広がりアクセルを踏み込んでいった。ランチャー特有の甲高いエンジン音が鳴り響き、スピードメータの時速190キロ近くになったとき、あれほど激しいエンジン音や風切り音が鳴り響いていた車内が、一瞬のうちにそれこそ何の音もしない完全な静寂の世界に変貌した。振動も消えた。まるで雲の絨毯の上を滑らかにすべっていくかのように車窓の外の景色だけがゆっくりと穏やかに流れていくのが見える。

時間が止まったような感じもあったが、不安とか怖さは全くなかった。むしろ、何か非常に大きな存在に暖かく見守られているという確信も生まれた。このまましばらく様子を見ようという気持ちになった。 そして、時速190キロで突如出現してきたこの静寂の世界の中で、自分の額の裏側としか表現できないところにフッと何か数式のようなものが浮かびあがってきた。 (中略)

あの状況はなんだったのだろう、あの数式は?どうやら自分の頭は一時おかしくなっていたのかもと考えた。あるいは疲労のため脳が混乱していたに違いないとも思った。しかし、その晩ホテルの部屋に入って便せんにその数式の詳細を書き込んでみた。しばらく紙の上の方程式を眺めて考えていくうち、ふと方程式に現れる関数の中に具体的な形を入れてみたらどうなるだろうかと思い、いくつか計算してみた。1964年にプリンストン大の数学者エドワードネルソンが発見していた方程式が導けてしまった。ということは、目の前にある不可思議な方程式は、既に知られていた重要な方程式をひとつの特殊ケースとして含む、より一般的で普遍的な基礎方程式に違いない」

「再度計算をチェックしてみたが、どこにもミスはない。その突然脳裏に浮かんだのは、原子分子のスケールはもちろん、日常的スケールから宇宙的スケールに至るまで成り立つ、最も普遍的な最小作用の法則そのものを表す具体的な数式だった。この数式は日常的スケールや宇宙的スケールの場合には既に物理学の基本原理として確立している最小作用の法則の数式そのものと一致することがわかった。では、原子や分子のスケールではどうなったかというと、いささか面倒な数式展開の果てに、あの方程式が出てきたのだ!僕はついに大学院のときからの希望を達成した。

これまで世界中の物理学者達によって基本方程式と考えられてきたシュレーディンガー方程式は単に最小作用の法則が成り立つことから派生的に導かれた浅いレベルの基本原理にすぎない」(「路傍の奇跡」から抜粋)

Stochastic calculus of variations Kunio Yasue

http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022123681900793


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量子脳理論および量子脳力学

梅沢博臣の1978年,79年の論文に起源を持つアプローチ。量子脳理論とも呼称する。

量子脳理論とは、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。心または意識に関する量子力学的アプローチ(Quantum approach to mind/consciousness)、クオンタム・マインド(Quantum mind)、量子意識(Quantum consciousness)などとも言われる。具体的な理論にはいくつかの流派が存在する。

宇宙が創成されたとき、何もない無の状態、すなわち宇宙をひとつの量子力学系と考えたときのその真空状態(最低エネルギー固有状態)からトンネル効果による相転移で疑似真空状態としての比較的平坦な宇宙が出現したとされる。そして、その宇宙の上での踊る素粒子もまた、場の量子論により記述される。スケールこそ違え、これと同じ現象が人間の脳の中で生じているという、この考え方を量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)と呼ぶ。

心とは、記憶を蓄えた脳組織から絶え間なく生み出される光量子(フォトン)凝集体であり、場の量子論によって記述されるその物理的運動が意識である。

脳をひとつの量子力学系と考えたとき、外部からの刺激を受けてその無の状態、すなわち真空状態からトンネル効果による相転移で準安定な疑似真空状態が出現する。これがその刺激の記憶に他ならない。新たなる刺激は再びトンネル効果の引き金となり、脳の量子力学系は別の真空状態と転移する。これは以前の刺激の記憶を加味した新たな刺激の記憶であり、したがって単なる新たな刺激のみの記憶ではない。つまり、脳の量子力学系の疑似真空状態はつねに過去は記憶の総体を表している。宇宙の上で踊る素粒子の運動に対応するものは、脳の場合は、過去の記憶上での人間の意識そのものと考える。意識とは、過去の記憶総体である脳の量子力学系における疑似真空状態の上に生成と消滅を繰り返す励起エネルギー量子の運動にほかならないとする。これを量子脳力学という。

1999年5月25日から28日まで、我が国ではじめてツーソン会議が東京青山の国際連合大学にて開催された。その内容は意識科学を中心とし、会議の幹事が保江であった。保江は、この国際会議を手作り国際研究集会と呼称し協力を各方面に仰いだ。開催が極めて難しい状況であったが、保江の熱意が国連大学高等研究所のデラ・センタ所長に通じて国連大学を開催場所として確保できた。保江によれば、後になって考えるとこれも合気(愛魂)の効果だったのかもしれないと回顧している。


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数理物理学方法序説

50歳を目前に「数理物理学方法序説」を記す。対象は高校2年生以上とあるが実際には大学理学部で理解できるような内容である。

(1) 複素関数論

複素平面上にルベーグ測度を簡潔に導入するところから出発し、その上で定義される解析関数の基本的な性質を解説する。実数直線上の関数に比べて圧倒的な美しさを持つ複素関数の世界が広がる。ページ数の制約から等角写像、保型関数、射影変換、超幾何微分方程式やそのモノドロミー表現といった魅力的な話題を割愛してある。最初の3分の1は測度論、2変数ルベーグ積分、超関数の入門書となり後半の3分の2がごく標準的な複素関数論への入門書となっている。一般的には見られないルベーグ積分入門に紙数を割いているのが特徴である。保江らしい記述は最終章の「可換多元体への誘い」にある。天文学の恩師である菊池定衛門先生が書いた「高階複素数論」を紹介している。標準的な複素関数論では見ることができない高度な内容である。

(2) ヒルベルト空間論

東北大学理学部2年次に在学中、数学の講義にて鶴丸孝司からヒルベルト空間上の完全作用素のスペクトル分解の解説を受ける。保江いわく「長引く大学紛争にうつつをぬかす自分たち学生の頭にガツーンと衝撃を与えるような内容だった」、そして学問を通じて学生運動で貴重な時間を浪費すべきでないことを身をもって伝えたという。 この気魄に満ちた空間論に多いに感銘を受け、一生ヒルベルト空間に浸っていたいとまで思うようになる。 ヒルベルト空間は複素関数を要素とする無限次元のベクトル空間なので実在する空間ではない。ヒルベルト空間のおかげで量子力学は数学的な正当性を与えられる。距離空間、ノルム空間、バナッハ空間そしてヒルベルト空間など関数解析の基礎を最短のルートで学ぶことができる。

2巻ヒルベルト空間論は、実は東北大学在学中に習った鶴丸教授の講義ノートそのものだという。学部に上がり、京大院や名大院に進学してからも、そしてスイスのジュネーブ大に就職してからも、常にこのノートを大事に携帯していたと後日供述している。

(3) 量子力学

量子力学はシュレディンガー流とハイゼンベルク流の定式化がある。1つは超準数学の無限小解析を確率力学および確率過程に組み込む方法、そしてもう1つは確率力学とニュートン力学を組み合わせる方法である。前者は1960年代に、後者は1980年代になって発見された。どちらの方法からでも量子力学の基礎方程式が見事に導かれる。

(4) 確率論

最初の3分の1は確率測度を使った確率論の導出、後半の3分の2は確率過程論である。確率過程というのは時間とともに変化する確率変数のことであり、ブラウン運動などの粒子のランダムな運動を数学的に記述するモデルとして利用されている。

定理や証明の存在はいつもルベーグ測度やヒルベルト空間論によって裏付けられている。確率論にしても同様。確率空間をはじめ確率変数やその期待値、分散、確率分布関数など基本的なことがらの存在が証明されていく。8章でブラウン運動など不確定な物理量で示される現象を時間を変数とする確率微分方程式を使って導く説明があるこの段階での理論は時間パラメーターについて対称的で、分子運動論でいえば粒子と粒子の間の相互作用はないという状況となる。

(5) 変分学

理論物理学の基礎方程式は、メタ理論としての変分学の枠組みに乗せることで数学的に整備され、見通しのよい議論が可能になる。この変分学の基本を、ヒルベルト空間上の解析学として数学的に解説してある。 全体的な流れとしては、多変数実関数の微分、バナッハ空間上で定義されるフフレッシェ微分など解析学系の話題からはじまり、微分形式やその微分と積分、ストークスの定理など幾何学的な話、そしてソボレフ空間を定義してからソボレフ空間上の汎関数の変分、フーリエ級数、フーリエ変換などが紹介される。種々雑多な分野の寄せ集めに見えるが、バナッハ空間やヒルベルト空間での微分や汎関数の変分問題として一意解が存在するという主張が全体を貫いている。

(6) 解析力学

通常の解析力学の本では一般化座標の座標変換あたりから始めるが、本書ではいきなり多様体が導入される。一般化座標は多様体上の点の位置で表され一般化運動量はそれを微分した多様体上の接ベクトルに対応する。接ベクトルは接ベクトル空間を張りる。多様体上に定義される接ベクトルバンドル(接ベクトル束)、ベクトル場、ベクトル場のフローなどはそれぞれ解析力学上の概念と対応付けながら説明が進んでいく。

解析力学としての展開はラグランジュ力学系からハミルトン力学系、正準変換と母関数、ポワッソン括弧積という通常の順番で行われる。式展開上の微分は面倒だが丹念に追えば理解できる。本書のユニークさはその応用例にある。著者は学部生ときに天文学を専攻していたことが強く反映されている。制限付き多体問題や多粒子の基準振動、衝突散乱問題、天体力学で行われる摂動法などは入門書では滅多にお目にかかれない例である。

天体力学での摂動法とは、天王星の軌道の乱れから海王星を発見できたという歴史が示すように、理想的な楕円軌道からのずれを近似法で求めることを言う。このような近似計算をハミルトン力学系という理想化された理論でどのように行えばよいかが説明されている。

特筆すべきは第15章「リー環とリー微分」の部分。解析力学の本でリー環やリー微分の記述は少ない。

ハミルトン系力学では正準方程式がポワッソン括弧で表されるというのが解析力学だが、それが多様体上で代数学のリー環の定義を満たし、さらにHフロー(ハミルトニアンのフロー)に沿うリー微分として定義される。多様体上にリー環があれば、それは(リー環の)構造定数によって完全に決定されるし、ハミルトニアンのフローも決定されることになる。ハミルトニアンのフローによって物体の運動が決定される。このように代数学と幾何学と力学が美しく結びついていることがこの章で示されている。本書は解析力学の範疇を超えて現代数学との関係を明確に示すことに成功している。

(7) 連続群論

連続群は別名「リー群」とも呼ばれる。物理学で扱う対象はなんらかの自由度についての連続的な変換からなる連続変換群がほとんどなので、この群が特に重要視される。

最初の6章は群論とは全く関係ないヒルベルト空間の簡潔な復習、有界線形作用素、スペクトル分解、解析ベクトルなど関数解析系の話が続く。 7章以降はじまる群論の解説を読み、やっとその理由がわかるような構成である。すべてが関連を持っているためである。 ニュートン力学における3次元ユークリッド空間、アインシュタインの4次元時空間、量子場の理論のゲージ場にそれぞれ対応するガリレイ群、ローレンツ群、ゲージ群はそれぞれ対応するリー群(連続群)の構造定数に対応し、リー群はリー環という代数構造に対応し、リー環はヒルベルト空間のユニタリー作用素によって表現される。またリー環に微分可能多様体が付随しているため、多様体上のベクトル、接ベクトル空間、ベクトル場のフローなどが関連している。最初の6章がヒルベルト空間論のユニタリー作用素など関数解析系の説明に割かれていたのはそのような理由による。量子場の理論と作用素環論という代数学の結びつきが順を追ってはっきりと示されている。

(8) 微分幾何学

曲った空間を数学的に取り扱うためのいくつかの概念(測地線、接続、共変微分、曲率など)を導入することから出発し、それをもとにして、一般相対性理論の基礎方程式とその簡単な解まで一気に論ずることを目指している。数式付きで解説される他の中級者向けの一般相対性理論入門とは異なり、多様体についての説明を導入部分に置き、現代微分幾何学との関わりを強く意識している。4次元の擬リーマン時空多様体は一般相対論では「曲がっている」わけだが、一般的なリーマン多様体ではこの「曲率」だけでなく「ねじれ」も定量化されること。そしてこの「ねじれ」が現代において最先端の多次元空間の非可換幾何学に結びついていること。保江は近年提唱されている「コンヌ博士の非可換幾何学」や「超ひも理論」などについて「人為的過ぎる」と懐疑的な考えを持っている。重力場の微分方程式を導くために変分法を使って説明している。ここでは全宇宙のエネルギー積分を表す汎関数に対して最小作用原理を使う。また作用積分に含まれている質点の質量は時空の4次元空間の計量から導かれる無限小の質点測度として与えること、この無限小の量の積分がディラックのデルタ関数として計算されていること、幾何学的な計量が質量という実在的な量に結びついていることも示している。

また、第3章と第18章で大数学者リーマンが1854年にゲッティンゲン大学で行った講演の内容を紹介している。


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ノートルダム清心女子大学大学院への奉職


スイスから帰国後、義兄の世話により東芝総合研究所の研究員となる。同社の提携先でコンピュータ研修を受けていた。その後、スイス渡欧時に世話になったローマカトリック教会の神父が保江の知らぬ間にバチカンへ推薦状を書いてくれた。その結果、ローマカトリック法王庁からノートルダム清心女子大に直接依頼が届き、同大学院に勤務する。

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佐川道場での大東流合気武術の修業

木村達雄から紹介をうけ佐川道場に入門する。はじめて会った佐川からは優しさがにじみ出るような雰囲気があり、とても武道の達人の様相ではなかったという。その際「きみのような優しい人間は、うちに来ても強くなれないよ。それでもよかったら通っておいで」との言葉をもらう。

佐川道場での教えはすこぶる厳格なものであり、佐川いわく「武を志して入門したからには、たとえ門人となって二日目だからといって逃げるわけにはいかないのだ。また何も教わっていなくても、武門の恥とならないよう、たった二日間で見てきた全てを工夫して敵を倒す。その心構えがないようでは、そもそも入門は許されない」(「Excelで学ぶ金融市場の予測の科学」(講談社 142頁)など、保江の書籍のいたるところに佐川道場で得た佐川語録が引用されている。

一方、合気道を基礎として武道の心得があった保江は佐川道場で異様な光景を目にする。鍛えた先輩方や他武道経験者が、90歳を超える高齢の佐川にいとも簡単に投げられ潰され倒されるのである。それも単に崩れるとか、よろめく程度ではなく、数メートル吹き飛ばされるような光景も何度も目にした。そこで、人間の底力、整然と秩序だった力の妙技、合気の技の数々を知ることになる(出典:「量子の道草」(日本評論社))。しかしそれは常識ではありえない光景であった。道場の先輩である木村達雄でさえ、「自分は無意識に(佐川)先生に遠慮して倒されているのだろうか」と自問自答するくらいの技の威力であった。

理学博士である保江は、佐川が使う大東流の技を、物理学的な面、心理学的な面、そして生理学的な面を含め多数から考察した。その最終的な結論は「佐川の合気は、そのいずれも超越した存在である」というものであった。佐川の考察可能な技法については、DVD「保江教授の合気テクニカル」でその一部を紹介している。


内容は以下の通り。


筋骨格系技法

1.弱腰 - 相手の身体骨格構造の弱点を攻める
2.平面骨格 - 相手を平面骨格構造に追い込む
3.緩い肘 - 運動量と慣性力を利用する
4.緩い膝 - 角運動量と重力を利用する

神経制御系技法

1.作用点を動かす - 連続移動作用点を使う
2.多自由度構造 - 相手の支えにならない多自由度構造を作る
3.錐体路系神経支配 - 相手の身体制御機能を停止させる
4.皮膚・脳神経支配 - 相手の脳神経機能を混乱させる


保江は仕事の時間の都合上、昼間の稽古に出ることが多かった。そこには木村をはじめ、少数の門人の参加しかなかった。強くなりたいという欲求よりも、むしろ達人である佐川の技を見たい、そして合気の技をかけてもらうことだけで幸せを感じていた保江は、直伝講習において、ある驚愕の事実に気づく。

以下、「合気開眼」(海鳴社)95頁からの記述を転記。

「僕の直伝講習を最後に、佐川先生とだけ一対一で教えていただく昔ながらの形はなくなり、他の先輩からの面前で先生が技をかけてみせて下さる形に変わったし、(中略)そして、思い出すのはその直伝で受けた合気の技のどれもが、(中略)柔らかく暖かく心地よく包み込まれたかのように自分の体がフワフワになり、(中略)

こんな不思議な体験を続けていくうちに、さらに不思議なこともわかってきた。それは、先生が僕の腕をつかんで技をかけとき、確かにつかんだかのような手の形にはなっているのだが、つかまれていた僕の腕の皮膚感覚では何もつかまれていないということ。つまり、佐川先生の手の内の皮膚が僕の腕の皮膚と接触して何らかの力を伝えてきて倒されるわけでないということだ」

佐川宗範の直伝を受けたものだけが知る、にわかに信じられない事実が語られている。


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実父輝義との世界一周旅行

保江の父である保江輝義(1998年4月1日没)は、陸軍二式単座戦闘機 鍾馗(しょうき)そして三式戦闘機 飛燕(ひえん)のパイロットであった。

保江は、この父を連れ二人で1996年9月1日から9月17日の16日間世界一周親孝行旅行に出かけた。ファーストクラスを使用した旅行であったが、何と航空運賃の全額は40万円弱であるという信じ難いものであった。チケットを外貨建てにし韓国をスタートとするなどの当時のやり方が紹介されている。詳細については、「戦闘機乗りジイさんの世界一周」(講談社)の後書きを参照。

この書籍では、高齢の輝義が戦闘機乗りであったという事実だけで、複数の異国の航空機パイロットが輝義に敬意を示し機長室に招き写真を特別に許可したなど、興味深い事実が語られている。


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末期ガンからの生還、奇跡の体験〜合気(愛魂)開眼

「数理物理学方法序説」を書き終えた直後から、片方の耳の聴力を失う。1年半以上にわたる睡眠時間4時間および体を酷使した過酷なスケジュールの結果、立つことさえできなくなるという多発性脳神経症と診断される。退院したあとも聴力を失ったままとなり、またそのころから腹部が膨れてくる症状が生じた。総合病院の救急受付にて検査を受けたところ、腸閉塞が進行したことによる大腸ガンを宣告される。保江本人はガンであっても隠遁者様(エスタニスラウ神父)にお願いし祈っていただければ、何とかなると考えた。


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冠光寺眞法

1990年前後より聖賢エスタニスラウ・マリア・ヨパルト[4](三原市羽倉のカトリック修業場「四方庵」の隠遁者)に師事し、聖母マリアを祀る修道騎士団寺院に伝わるイエス・キリスト伝来の秘技を伝授される。これは、もとは、イエス・キリストが直接使用した活人術である。 大脳由来の心象をイエスの説く「愛」そのものに変化させ思考を停止し凡そ人間全てに備わるその心の心の成立前提である生命現象を司る「魂」間の行動制御法である。その効果は日本武術の最高極意「合気」と酷似する。また、イエスが説いた「愛」により己を迫害する者をも受け入れ決して敵意を抱かないという原理故に、そもそも悪用は原理的に成り立たない。 これを世に広めるため、光り輝く冠をつけることを許された唯一の存在である聖母マリア=冠光、キリスト教寺院=寺ということから、「冠光寺眞法」(コムニタ、コミュニタ Comunitat)と保江が命名した。

平成26年6月現在、4名に冠光寺眞法免許皆伝が授与されている。そのうち一人は、空手道真義館館長麻山慎吾。


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冠光寺流柔術

元々は、如何なる場合にも敵意を抱かず相手を受け入れることで発現する冠光寺眞法を修得するために考えだされた、カトリックの聖地モンセラート山中において隠遁を選択した神父達によって密やかに行われてきた一見柔道や相撲に似た組み技系の荒行である。

自分を殺傷せんと加えられる相手の攻撃を受けてなお、相手を愛し受け入れることが可能になるように修練する目的を持つが、襲いくる敵を目の前に己の防御・反撃を完全に放棄しなければならないため、眞法共々至難の業といえる。 保江は、冠光寺眞法と併せて、物理法則に裏付けられた力学技法を加味した「冠光寺流柔術」を活人術と位置づけた。そのため、ロシア正教に伝わった同様の技法を基本とする旧ソビエト陸軍の格闘技として発展したロシア武術システマと類似点もあるとされる。最も大きな特徴は「汝の敵を愛せよ」というキリストの教えを柔術技法に活かして合気に似た効果を生み出すことで、筋力や運動能力に劣る者が優る者を制することができることにあるという。

冠光寺流柔術は、現在岡山市野山武道館、関西、名古屋、東京、およびハワイ(ホノルル)にて伝授している。 合気(愛魂)を取得するための方法として柔術形式の形をとっている。

DVD「合気を掴む!(基本編)」にて、柔和無拍子な合気の6技法が公開されている。

1.マザーテレサ効果 - 相手のことを本当に大切に思う。それにより相手の筋肉は自然に反応し動く。

2.支える力の効果 - 長年の友人に会えて「ああ嬉しい」という気持ちで握手するように掴む。

3.溶け込む力の効果 - 両手で持たれても、心配せず相手に溶け込む。

4.伝える力の効果 - 掴んできた相手の腕を愛する。「腕フェチ」になり、新しいコレクション増えて喜ぶように。

5.拡がる力の効果 - 「子供のような心」になる。自由で動ける状態を体で喜び、それを相手にぶつける。

6.包み込む力の効果 - 投げ飛ばすのではなく、我が子である赤ん坊をお風呂に入れるように包み込む。


DVD「合気を掴む!(実践編)」同、融合大円和な合気の6技法。

1.祈りの力の効果 - まず最愛の人が幸せに生きていけるように願う。頭で願ってもダメで心で願う。

2.湧き出る力の効果 - 愛情を持って進んで、相手にぶつかっていく。

3.絡み合う力の効果 - 相手と自分の間に“愛の接着剤”があると思い相手をペターとくっつけてしまおう”という気持ちで接する。

4.受け止める力の効果 - 相手との繋がりを“愛の糊”で作ると想像する。それから相手の骨格を徐々に変えていくと想像する。

5.今に生きる力の効果 - “愛の鳥もち”をネバネバと相手との間に出すと想像する。この鳥もちでベタベタベターっとの感じで。

6.真剣な力の効果 - 愛を全開にして前にだけ出る、それだけ。絶対に下がらない。躱したり逃げたりしたら終わり。


一例として、「秘伝」平成23年6月号に以下の記載がある。合気の仮説として、「合気とは敵の筋肉が無意識下で働くことで敵があたかも倒されたような動作を誘導する技法である」と定義。また、合気挙げの方法として意識による相手の変化を実例をあげて解説している。


ケース1 「相手を母親と思い、幸せを祈る」

ケース2 「ケース1に加え、全人類の幸せを祈る」

ケース3 「ケース1に加え、全人類と全天使の幸せを祈る」

ケース4 「ケース1に加え、全人類と全天使と神様の幸せを祈る」

合気挙げを行う場合の注意点として、抑えこんでくる相手が足の筋肉を鍛えている場合はよく挙がるが、反対に、鍛えてない相手の場合は挙がりにくいことが多いと指摘している。


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合気へのアプローチ


保江は、「秘伝」平成23年3月号で自らの合気へのアプローチを以下のように3つに総括している。

A 物理学者としてのアプローチ

B 特異体験をした一個人としての形而上学的なアプローチ

C 脳科学者としてのアプローチ

そのアプローチの目的は、世に出ている合気技法が定義なく使用されている現状を憂い、将来において武道界等において「合気」という意味不明な用語が一人歩きしてしまい、もはや何人たりともその真の意味や実像を求めることはおろか、言葉としての存在すら失われてしまいかねない懸念を払拭したいと語っている。

これらのアプローチにて合気を解読しようとし複数の書籍にてその成果を発表したことから、ある意味で誤解され、かつ混乱させたことを「身から出た錆」と自ら認め語っている。そして人間・保江邦夫の本音として、合気の原理とか作用機序というものは、形而上学的な色合いの濃いものであると考えていると告白。一方で、塩坂からは一番誤解を受けたと思われる形而上学的なアプローチについて、「道家や日本古来の神仙道・密教・修験道の中にも形而上学的な合気が確かに存在する」というコメントを引き出した。この点で両者の意見は一致する。

これら3つのアプローチを用いて既存の合気技法を篩にかけることにより、真の合気技法が存在するのか否かを問うていきたいと述べている。

現時点(平成21年)で、保江は合気の作用順序を以下のように定義づけている。(「脳と刀」194頁)

1.相手が攻撃してくる前から自分の精神的内面をあたかも夢想しているかのような状態、たとえば夢遊病疾患者や全ての執着を捨て去った赤ん坊のような内面をつくりあげる。このとき、眼は虚ろにして相手はもちろんのこと、どこにも焦点をあわさないで空(くう)を見て、自我意識による思考雑念は無視する。

2.このような内面操作により、自分の右脳が広範囲に活性化するだけでなく、大脳基底核が強く活性化する。

3.すると、攻撃してくる相手の大脳皮質の活性が一瞬の間だけ極度に低下し、その間は大脳皮質による精神機能が停止する。その結果、相手の意識に空白が生まれ、大脳皮質運動野による身体制御ができなくなる。

4.また、相手の大脳基底核の機能も低下し、その結果、パーキンソ病の症状と同じように身体骨格筋の正常動作が阻害され、身体運動の自由が効かなくなるとか、ハンチントン舞踊病と同様に何ら意図していないにもかかわらず、骨格筋を緊張させる神経電位信号が末梢に送られて手足が勝手に動いてしまうようになる。

これら合気発動の作用順序の公開理由については、広大無辺な合気実相のほんの入り口にすぎないと断った上で、これらの技法は、魂に導かれた調和に溢れる生き様を歩むことができる活人術技法にも繋がるためと称している。

一方で、こうした合気を武術技法まで昇華させるには細かい方法で補完する必要がある。大東流に見られる門外不出の扱いは、悪用しない厳選した人物を選ぶためでもあるという。

脳科学や神経科学については理論的考察が先行するため、机上の空論に陥りやすい危険性を有している。こうした点を厳に踏まえつつ実証実験や考察を継続している。


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ボディバランスコミュニケーション(BBC)

現在社会におけるコミュニケーションの延長上の一つとして、ボディバランスコミュニケーション(BBC)を山崎博通(少林寺拳法武道専門学校校長)とともに提唱している。BBCは、日本武道や少林寺拳法などの精神技法の昇華として位置づけられるという。

保江は、ノートルダム清心女子大において、身体科学の授業(1年から4年まで受講可能)として担当指導している。

第1講 歩き方 第2講 呼吸法 第3講 転び方 第4講 遊び 第5講 受け入れる 第6講 委ねる

この講座では、武道における身体運動をスタートとし、力学と精神の理解をこえて自者と他者との融合である自他融合まで説いている。自他融合は愛魂に通じる内容でもあるが、保江は、いずれ母親となる女子大生へ、賢く優しい母親になって欲しいとの願いを込めて全てを伝えている。


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NPO コムニタ活人塾

2012年2月18日、NPOコムニタ活人塾を設立し塾長に就任。理事長は冠光寺流柔術の弟子でもある服部徹。目的は愛の心に満たされた社会の実現を目指すコムニタの心を、多くの方々に伝えることであった。そして、2013年3月に目的を達成したため閉会した。 ここで、保江は武術を介することなく愛魂を伝える術をすべて伝授した。活人術の具体的な手法として、10の例を示した。活人術のエッセンスとしては「愛し、愛され、在るがまま」と伝えている。

1 損なクジをひく 
2 しもべになる 
3 自分の気持ちの中に何も留めおかない 
4 朝、目が覚めたら手を合わせる 
5 物を活かす 
6 人を神様と思う 
7 人に寄りそう 
8 愛する 
9 愛されていると思い込む 
10 在るがまま


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量子モナド理論

京都大学大学院時代からの盟友中込照明の提唱する量子モナド理論により、万物すべて物理学のみならず合気の存在でさえ説明可能としている。


兵器マニア

物理学の精華として兵器が存在することから、保江はかなり兵器について研究、精通している。また、ダグラス A-4C スカイホーク、ハリアー GR3 、陸軍二式単座戦闘機 鍾馗、超軽量偵察機、そしてエアストリーム CCD-24 などの機体の一部を自宅庭に保持している。


UFOと宇宙人

保江はUFOと宇宙人について深く研究している。もともとこうした興味から天文学科を目指した経緯がある。 「合気の道」及び「愛の宇宙方程式」にて、合気の技がUFOの操縦技術につながるものであるのとの見解を示した。

また、小惑星の一つに、保江の名前を冠したものがある。

名前は「(8101) 保江 (Yasue)」 仮符号「1993 XK1」発見日「 1993年12月15日」発見者「小林隆男」観測所「Oizumi」MPC「46681」

彼は岡山県美星天文台に依頼してこの小惑星を写真撮影してもらい、自分の名刺の裏面に印刷している。


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弟子

ジャンクロード・ザンブリニ
- フランス系スイス人。ジュネーヴ大学社会学部哲学科卒。同大学院にて理論物理学を専攻する。彼は保江の指導により理学博士号を取得し、アメリカのプリンストン大学数学教室の研究員として渡米した。


治部(じぶ)眞里
- 数理物理学の弟子。保江との共著・共訳多数。現在、スイスのOECD所属。元 文部科学省科学技術政策研究所第1調査研究グループ上席研究官。治部は文学部出身であるが、ノートルダム清心女子大情報理学研究所において保江のもとで助教授を経て、岡山大学にて医学博士を取得し、文部省に入省する。その後、マギル大にてMBA取得。The 11thEuropean Meeting on Cybernetics and Systems Researchにおいて最優秀論文賞受賞。 元北海道大学客員教授、元清心女子高等学校スーパーサイエンススクール(SSH)運営指導委員会副委員長、元岡山ESDプロジェクト相談役。


炭粉(すみこ)良三
- 冠光寺眞法・冠光寺流柔術の弟子。著名フルコンタクト空手道場で修業する有段者。当初、「合気」なるものを「そんなものがあるなら俺たちの試合に出てみろ」とその存在を全く信用していなかった。保江と立ち会った際、保江の合気に感服して弟子入り。著書に『合気解明』『合気真伝』『合気流浪』『合気深淵』『合気解体新書 - 冠光寺眞法修行叙説』(いずれも海鳴社)。この書籍の中で、炭粉は合気と時間の関係について記述している。今までの合気の書籍には触れられていない内容である。なお、保江との立ち会いの模様は『合気解明』(第二部)に、さらにその闘いの分析 は、『合気解体新書』(第二部)に詳しい。また合気に治療原理を発見し自身の施術体験として『零式活人術』『零式活人術II』(いずれも海鳴社)。

畑村洋数
- 冠光寺眞法・冠光寺流柔術の弟子。保江から許可を得て、既存のフルコン空手と合気(愛魂)を融合させ、氣空術を創始する。神戸にてフルコン空手拳友会を主催している。冠光寺流柔術5段・冠光寺眞法7段を允可。著書に『謎の空手・氣空術〜合気空手道の誕生(保江邦夫監修)』『続 謎の空手・氣空術(保江邦夫監修)』(いずれも海鳴社)。『合氣と空手の融合 氣空術 新次元の受けと突き(特別協力 保江邦夫)【DVD】』(BABジャパン)


木下淳人
- 冠光寺眞法・冠光寺流柔術の弟子。保江から関東支部長に任命される。某合氣道元世界チャンピオン。現在は合氣道眞伝会を主催。冠光寺流柔術7段を允許。


加藤久雄
- 自然学舎「どんぐり亭」亭主。保江の活人術を学び、森に建てられた山小屋で、不登校等で苦悩する親子を支える活動を行う。著書に『どんぐり亭物語』(海鳴社)。「65点の君が好き」弱虫先生の日記帳(風雲舎)


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DVD

すべて合気・冠光寺眞法・冠光寺流柔術の技術教伝ビデオである。

『冠光寺眞法』 - キリスト伝来の活人護身術 -(海鳴社)
『唯心論武道の誕生』 下記参照
『保江教授の合気テクニカル』 - VOL.1 筋骨格系技法編 - (BABジャパン)
『保江教授の合気テクニカル』 - VOL.2 神経制御系技法編 - (BABジャパン)
『合気を掴む!』 - VOL.1 基本編〜柔和無拍子な合気の6技法 - (BABジャパン)
『合気を掴む!』 - VOL.2 応用編〜融合大円和な合気の6技法 - (BABジャパン)


著書

数学・物理学・脳科学

日本評論社 数理物理学方法序説シリーズ

1巻『複素関数論』
2巻『ヒルベルト空間論』
3巻『量子力学』
4巻『確率論』
5巻『変分学』
6巻『解析力学』
7巻『連続群論』
8巻『微分幾何学』
別巻『物理数学における微分方程式』

この1〜8巻を1年半ですべて書き下ろした。別巻については、各巻の例題について補完する意味で出版。

講談社ブルーバックス

『早わかり物理50の公式』- 公式で読み解く物理のしくみ -
『数学版これを英語で言えますか?』
『数の論理』- マイナスかけるマイナスはなぜプラスか? -
『Excelで学ぶ量子力学』 - 量子の世界を覗き見る確率力学入門 -
『Excelで学ぶ金融市場予測の科学』 - 市場を動かす中心金融定理とは何か - 2000年版
『Excelで学ぶ金融市場予測の科学』- ブラック-ショールズ理論完全制覇 - 2003年版
『脳と心の量子論』 - 場の量子論が解きあかす心の姿 -(治部眞里との共著)

通常の単行本

単独執筆
『量子力学と最適制御理論』- 確率量子化と確率変分学への誘い -
『確率微分方程式』- 入門前夜 - (朝倉書店すうがくぶっくす)
『数値確率解析入門』 (朝倉書店すうがくぶっくす)
『量子の道草』- 方程式のある風景
『量子の道草』- 方程式のある風景 -(増補版) 増補版のみ桜井進との対談が掲載されている。

英文論文集『It appears!』(1993) 編纂:治部眞里 1976〜1992年に公表された保江の英語論文集


一部執筆

日本生物物理学会シリーズ・ニューバイオフィジックス刊行委員会編『脳と心のバイオフィジックス』
高橋康監修 SGCライブラリ 25『数理科学』2003年7月臨時別冊『量子場脳理論入門』-脳・生命科学のための場の量子論
『数理科学』2010年1月臨時別冊『多彩な量子の世界』 - その広がりに映し出される発展と深化 -
森毅 編『数値確率解析入門』
青木薫 編『この数学書がおもしろい』
林晋 編『パラドックス!』


以下、すべて治部眞里との共著

Quantum Brain Dynamics and Consciousness: An Introduction (Advances in Consciousness Research, V. 3)(英字論文)
『1リットルの宇宙論』- 量子脳力学への誘い
『1リットルの量子論』- アインシュタインのロマンと湯川秀樹の夢

金融工学

(上記を除く)
『笑ってわかるデリバティブ』(北村好朗との共著)

コンピュータプログラミング
『秘伝機械算術』-Unix流FORTRAN派入門 -
『秘伝機械算術』-正伝Unix流C派見参 - (共著)

亡き父へのレクイエム
『戦闘機乗りジイさんの世界一周』

合気
『合気開眼』
『唯心論武道の誕生』(DVD付き書籍)
『脳と刀』-精神物理学から見た剣術極意と合気 - フランスの脳科学者大谷悟との対談が含まれる。
『合気の道』
『合気問答』(塩坂洋一との共著)
『合気真髄』-愛魂、舞祈、神人合一という秘法
『合気の秘訣』

柔術
『武道の達人』
『武道vs.物理学』
『物理学で合気に迫る 身体「崩し」の構造』

ボディーバランス・コミュニケーション
『ボディーバランス・コミュニケーション』(宗由貴監修 山崎博通との共著)
『自立力育成のためのボディーバランス・コミュニケーション』(保江邦夫監修 山崎博通著)

自伝
『路傍の奇跡』

愛魂
『魂のかけら』(佐川邦夫というペンネームで執筆している)
『愛の宇宙方程式』
『人を見たら神様と思え』
『予定調和から連鎖調和へ』
『神さまにつながった電話』
『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』

神意
『伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を授かった僕がなぜ』
『古神道《神降ろしの秘儀》がレムリアとアトランティスの魂を蘇らせる時』
『ありのままで生きる』(矢作直樹との共著)
『神に近づくには波長をあわせればいい!』


UFOほか
『あの世飛行士 未来への心躍るデスサーフィン』(木内 鶴彦との共著)
『あの世飛行士 [予約フライト篇]死んでる場合じゃないよ 』(木内 鶴彦との共著)
『物理で語り尽くすUFO・あの世・神様の世界』(井口 和基との共著)


電子書籍
『サイレントクイーン』(でじたる書房)竹久おさむというペンネームで執筆している。


以下、すべて治部眞里らとの共訳。

梅沢博臣,ジョセッピ・ヴィティエロ共著『量子力学』- 変換理論と散乱理論 -日本評論社
マリリン・ファーガソン著『ライフ・チェンジ 』 - (たま出版 プラグマジック・シリーズ)
マリリン・ファーガソン著『マインド・チェンジ』 - (たま出版 プラグマジック・シリーズ) マリリン・ファーガソンは占星術的に見て現在水瓶座の時代であることを説いた著書『アクエリアス革命』(監訳:堺屋太一(のちの大臣))で知られる。

編集
高林武彦『量子力学』 - 観測と解釈問題 - (恩師の遺稿)
『No Matter, Never Mind』 - Proceedings of Toward a Science of Consciousness -(治部らとの共同編集。1999年に国際連合大学で開催した国際会議の資料)

受賞
最優秀論文賞

(BEST PAPER AWARD,in the 11th European Meeting on Cybemetics and Systems Research)1992


論文
A note on the derivation of the Schrödinger-Langevin equation 1977[5]
Derivation of Relativistic Wave Equations in the Theory of Elementary Domains 1978[6]
Stochastic quantization: A review 1979[7]
The Onsager-Machlup Lagrangian and the Optimal Control for Diffusion Processes 1980[8]
Schrödinger's variational method of quantization revisited 1980[9]
Stochastic calculus of variations 1980[10]
A path-probability representation for wavefunctions 1981[11]
Stochastic calculus of variations revisited 1986[12]
Computer stochastic mechanics 1988[13]
Stochastic neurodynamics 1988[14]
Quantum Measurement by Quantum Brain 1995[15]
Effect of anesthetics on the self-sustained oscillation in an artificial membrane induced by repetitive conformational change of DOPH molecules between hydrophilic and hydrophobic phases 1998[16]
保江邦夫: 物性若手夏の学校第41回「観測問題の本質と解決」(物性基礎論),1996
Y.Saito and K.Yasue: Frontier Perspectives, Vol.10,No.1(2001)28
Y.Saito and K.Yasue:大阪市立科学館研究報告 11,15-19(2001)


寄稿
『合気の継承』(木村達雄還暦記念文集)「兄弟子木村達雄の背中を見続けた四半世紀」平成19年


雑誌連載

『材料開発ジャーナル』
『数学セミナー』 理系のための知的好奇心 1995.6力学おもちゃから見た現代数学 1996.7方程式のある風景 ディラック方程式(上) 1996.12方程式のある風景 ディラック方程式(下) 1997.2
『素粒子研究』 量子論における最小作用原理(1)─確率解析学と確率変分学─‥‥70-6 (1985)量子論における最小作用原理(2)─確率量子化と量子の運動法則─‥‥71-2 (1985)量子論における最小作用原理(3)─最小作用の法則と量子力学─‥‥71-5 (1985)量子論における最小作用原理(4)─ザンブリニの構成理論─‥‥73-1 (1986)頭を使った場の量子論(治部 眞里)‥‥80-6 (1990)
『Futures Japan』 「なにわ金融工学道」と称し2002年6月から12月号に連載。
『ダ・ヴィンチ』第141号 一青窈のふむふむのヒトトキ:保江邦夫×一青窈 前編 テレポーテーションできるのは物質ではなく状態である
『ダ・ヴィンチ』第142号 一青窈のふむふむのヒトトキ:保江邦夫×一青窈 後編 エリア51の秘密について
『月刊秘伝』(BABジャパン)「物理学から見た崩しと合気」と称し隔月連載。平成22年10月号にて全18回終了。
『月刊秘伝』(BABジャパン 平成22年9月号「あの頃の佐川道場」佐川道場の先輩である塩坂洋一と対談。
『月刊秘伝』(BABジャパン)2011年3月号から「合気往復書簡集」と称して塩坂洋一と対談形式にて連載。
『月刊秘伝』(BABジャパン)2012年11月号「合気新時代への愛魂とチャックアーツ」
『月刊秘伝』(BABジャパン)2014年6月号「ミカエル・リャブコ(システマ創始者)と対談」

ブログ

空想科学私小説家顛末記という名のブログも存在する。

テレビ出演

ABCテレビ「クイズ!紳助くん」(大阪地上波では2010年3月15日放送)漫才コンビ「プラスマイナス」にアホ合気を野山道場にて指導。極真空手と対決。
NHK「ニュースコア6」(2010年4月22日 18:10〜)岡山武道館から道場での指導風景を生中継。
フジテレビ「クイズ!ヘキサゴンII」(2010年6月23日放送)物理学による護身術をスザンヌたちに教授したあと、「おバカさんは素晴らしい講座」を講義。
TBSテレビ「オールスター感謝祭」(2010年10月2日放送)早く物事に反応する方法をアホになることと解説し、芸人・演者にアホトレーニングを行い最強のアホガンマンが誕生。
OHKテレビ「ニョッキン7+th」(2010年10月22日放送)大学教授が教える、脳をダマしてウマく生活する方法とは!?
ABCテレビ「探偵ナイトスクープvsクイズ!紳助くん2010」(2010年12月31日放送)総集編を放送。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/239.html#c2

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
81. 中川隆[-12166] koaQ7Jey 2019年2月14日 09:19:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

天才理論物理学者 保江邦夫は何時悟りを開いたのか?

保江邦夫 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


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星辰館〜保江邦夫の公式 webサイト
https://yasuekunio.com/


amazon.co.jp 保江邦夫作品一覧
https://www.amazon.co.jp/l/B004L58AS4?_encoding=UTF8&qid=1549941494&redirectedFromKindleDbs=true&ref_=sr_ntt_srch_lnk_3&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true&sr=8-3

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ジャパニズム 40 (青林堂ビジュアル)
[対談] UFOが日本人に教える「保守の精神」 佐藤守 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-40-%E9%9D%92%E6%9E%97%E5%A0%82%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%A6%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E-ebook/dp/B0789B6BYL

カスタマーレビュー
富士と桜 2017年12月10日

佐藤守氏と保江邦夫氏の対談「UFOが日本人に教える保守の精神」が面白い。
俄かには信じがたいが、両氏の体験からくる数々のUHO談からもその存在を否定できない気がする。

UFOの霊力が日本古来の神道に結び付くとしており、特にUFOに係る霊能者が佐藤空将を導き、嘉手納基地において日米の慰霊碑を建てたこと、開眼供養の時に現れた幻覚など神国日本の奥ゆかしさを感じさせる。

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2019.02.09
【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
https://rondan.net/976


Contents

1 スピリチュアル系保守
2 日本人は宇宙人の子孫
3 真の保守的精神と、その復活法


スピリチュアル系保守

保守論壇はトンデモ議論がまかり通る不可思議な世界であることを、これまで何度も言及してきました。

「重大事件の背後には共産主義者がいた!」という類のコミンテルン陰謀説が今現在大人気ですが、かつてはユダヤ陰謀説も大人気でした。さすがにフリーメーソン陰謀説とかイルミナティ陰謀説が現れることは稀です。あまりに現実離れしていて、読者の心を掴みにくいのかもしれません。

しかし大人気のコミンテルン陰謀説も、既に飽和状態でネタ切れ状態が続いています。そろそろ次の市場が開拓される時なのではないかと観察しています。

そんな観察の折、突然、目に飛び込んできたのは、佐藤守×保江邦夫「UFOが日本人に教える「保守の精神」」『ジャパニズム』40(2017.9)です。

保守もとうとう来るところまで来てしまったか…と感慨に浸らずにはいられません。稲田朋美氏が「多様性尊重が保守の本来」と仰っていましたが、きっとそれはこういうことなのでしょう。

日本人は宇宙人の子孫

この対談「UFOが日本人に教える「保守の精神」」をまず開くと、地球の高度文明はUFOがもたらしたとか、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたとか、左足で祠を蹴ったら戦闘機の左エンジンが故障したとか、ぶっ飛んだ話が目につき、流行りの保守本とは一線を画したハイレベルさに圧倒されます(さらに保江邦夫氏は、量子脳理論を専門とする、大学教授だったというので驚きです)。

肝心の「UFOと保守精神」の関係性については余り言及がないのですが、僅かな言葉のなかにも強力なインパクトを残しています。UFOと日本人と占領軍の関係について次のように説いてあります。


保江 アメリカのUFOは本来エリア51にあって、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からあった異星人のもの、その延長で異星人と協力して作ったものですが、日本上空を飛んでいるものとは種類、概念が違います。もちろんアメリカ政府が宇宙人との密約でつくったものも来ていますが、日本にもともとあったものも飛び続けているんです。

これは日本を守るという意味合いがあります。アメリカ政府も第二次世界大戦の途中から気づき始め、占領下で徹底的に日本のことを調べました。日本人は霊力が強い。特に先帝陛下は非常に強い方でしたから、なぜそこまで強いのかと研究し始めたのです。……

小さな島国にあそこまで手こずったアメリカは何かおかしいと思っていた。そして立ち去っていた宇宙人のようなものが、日本国民の遠い祖先で、現代まで脈々と続き、その精神は神道の世界に隠されている。だから占領軍は神道を解体させて骨抜きにするために、神社庁から意味のある祝詞を全部排除して、意味のない表面的なものだけに作りかえ、神道を形骸化してしまったんですよ。

内容もさることながら、日本語自体が不明瞭なのですが、恐るべき(?)事実を提供しています。次の点が確認できます。


1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


あまりにもスゴすぎてびっくりしますが、こういうトンデモ日本スゴイ論というのは昔からあり、今も絶えることのない現象のひとつです。たとえば、大本教や真光などは、ムー大陸の直系子孫が日本人だというような説を今でも信じています。「ムー大陸」の代わりに「UFO(宇宙人)」が入れ替わっているだけで、共に論理の構造は大体同じです。

真の保守的精神と、その復活法

日本人が宇宙人の子孫だというトンデモ説を用いて、民族の優位性を説くお二人ですが、その根拠は日本人は「どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない」からだそうです。


保江 おそらく日本人が、唯一向こうから来て残った連中の末裔のような気がします。小野田少尉のように、どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない。日本人でなければあんなことはできません。他の国の兵士はあんなふうには絶対できないと思うんです。


ここで宇宙人の末裔たる理想の日本人として言及される小野田寛郎氏は、終戦を知らず29年間もフィリピンでゲリラ戦を続け、帰国の際に「天皇陛下万歳」と叫び、その後は保守活動に専念された方です。小野田寛郎氏のような旧日本軍兵がいるから、日本人が唯一の宇宙人の末裔に違いないという理論は、あまりにも崩壊しすぎていて逆に頷いてしまいそうな勢い持っています。

ところで、同じく28年間グアムに潜んでいた横井庄一氏がここで言及されないのは、きっと彼が戦後の日本社会になじんでしまったからでしょう。

もちろん今の日本を見渡せば、両氏が思い描いているような理想の日本人が極少数しかいないことは誰の目からも明らかです。この事態について両氏は、現代日本人は社会の乱れにゆえに「気づかない」だけで、それに気付けば「本来あった日本の保守の姿」に戻ると説きます。


佐藤 しかし肝心の現代日本人が気づかない、気づかないようにさせられている。尤もやっと気づいた人たちが出始めていますが、その人たちでさえまだ現代の政治の乱れにまだ惑わされているため、本来あった日本の保守の姿になかなか戻れないだろうと思います。
保江 占領下に作られた現状の社会システムの中で、本来の保守に戻るのは難しいですね。皆さんがわからない間に覚醒させる。ふっと気が付く、今のこの生活じゃだめなんじゃないかと。自発的に気づくようなやり方が必要です。例えば一部の古い神道の祝詞の力とか、読経の音とかです。それらは気がつくと「ああ、そうか」と思える精妙さを持っています。

祝詞や読経の音を聞けば、「本来あった日本の保守の姿」を、つまり宇宙人の末裔たる日本人の精神に気がつくことがあるようです。しかしそれに気づいたところで、小野田寛郎氏のようなコテコテの旧日本軍兵になってしまうのですから、気がつかないままのほうが幸せというものでしょう。
https://rondan.net/976


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ジャパニズム46 – 2018/12/8
ソウル奉恩寺で得た年末南北統一という御託宣 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A046/dp/4792606381/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1549950743&sr=1-1&keywords=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0++46
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2019.02.09
【スピリチュアル系保守】「年末南北統一という御託宣」
(保江邦夫|『ジャパニズム』2018.12)
https://rondan.net/8410


Contents

1 『ジャパニズム』は、保守界の『月刊ムー』
2 夢で見た光景が目の前に
3 ホテルでの霊能者との出会い
4 十二月末に南北朝鮮統一!


『ジャパニズム』は、保守界の『月刊ムー』

ある人はこんなことを言っていました。

「トンデモ保守とスピリチュアルには親和性がある」と。

まさにその言葉を具現化した雑誌が『ジャパニズム』です。本雑誌は、KAZUYA氏や杉田水脈氏などの流行りの保守論客が寄稿しているのと同時に、非常にサブカル・オカルト色が強いのが特徴です。今回は、そんな『ジャパニズム』46(2018.12号)に掲載された、保江邦夫「年末南北統一という御託宣」を紹介したいと思います。

夢で見た光景が目の前に

この記事では、著者の保江邦夫氏が、韓国にある大仏から「年末に南北統一する」という御託宣を受けるという話なのですが、その経緯も既にスピリチュアル。


同行の二人の楽しげな声を聞きながら窓の外を眺めていたとき、ふと半年ほど前に見た夢の一場面が蘇ってくる。……それが、今自分の眼前にあるソウルの南部市街地交差点の角地だったのだ!

半年前の夢を覚えてるってスゴイデスネー。

むしろ、今思いついたんじゃないんですか!?

ホテルでの霊能者との出会い

その後、古い寺に訪問するために、ホテルに泊まった保江氏。何とそのホテルの廊下で霊能者から話しかけられたそうです。


廊下で参加者のお一人に呼び止められてしまう。見ると霊能力者として知られる男性だったが、立ち話で教えて下さったのはその日の午前中にあった献茶式での不思議な出来事。日本側の献茶の最中に仏様が現れ、なんとこの僕への伝言を託されたとのこと。それは「くれぐれも身体に気をつけるように」というものだったのだが、それを聞いたときに男性は仏様にその理由を聞いたそうだ。すると「あの者にはもうひと働きしてもらわねばならなくなるから」とお答え下さったという。

普通、廊下で自称霊能力者から話しかけれたら、いろいろ疑ってしまいますが、さすが保江氏。これを素直に信じてしまったそうです。

しかも納得した理由が凄い。


もうひと働き……仏様からそんなお言葉を頂いたなどと聞いてすぐに納得できるわけはないのだろうが、そのときの僕にはスッと腑に落ちるものがあった。何故なら、ちょうど二ヶ月前に神様からのご依頼を受けて未曾有の大災害から日本を救ったばかりだったのだ。

そ、そうですか…。日本を救ってらっしゃったんですか…。

そういえばこの保江氏は、佐藤守氏との対談で、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたなどと言っていましたね (;゚Д゚)

関連記事【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
2018年11月7日
十二月末に南北朝鮮統一!

その後、目的地である古いお寺に行き、霊気の強い場所で写真を撮ろうとしたら持っていたカメラが全て動かなかっただのなんだの「ありきたり」な話が続きます。

そしていよいよお目当てだった仏像を拝すると、なんと保江氏は、占術を使ってその仏像に問いかけます。


僕自身の行動の背後に潜む霊的な意味を知りたいと思った僕は、陰陽師の家系に伝わる北斗七星の占術によって目の前の大仏に問いかけてみた。すぐに返ってきた御託宣は衝撃の内容だった……占術の驚愕の結果は、「十二月末における朝鮮半島南北統一」というものだった!

十二月末に朝鮮半島の南北統一という結果以前に、「朝鮮にある仏教の仏像でも、日本の陰陽道でOKなのか」という不思議な日韓(印)親睦に感動が生じてしまいます。

十二月末に朝鮮半島の南北統一……あともう二週間しかないけどどうなるんでしょうか!?

肥大化した保守運動は、このようなトンデモまで生み出してしまうのです。

https://rondan.net/8410


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みなさん、こんにちは。

ついに参議院選に出馬された保江邦夫博士と矢作先生。

「やすえくにお先生のごあいさつ」:国会で次元転移、愛魂道、ハトホルの秘儀を行う日が来るか?
https://quasimoto2.exblog.jp/22810372/

ご幸運をお祈りいたします。

さて、そんな保江邦夫博士の最新本に対するYouTube番組を見つけたので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。

【オカルト・超常現象・物理学】物理学者「保江邦夫」が超常現象や奇跡がなぜ起きるか?その研究結果は… - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7RFIRozl6YE

この内容は、どうやらトカナというサイトのものをまとめたようである。

いずれにせよ、本格的な理論物理学者が国政に行くのは、故伏見康治博士以来のことかもしれないですナ。
ぜひ国会議員に当選して欲しいものである。そして、日本のこころを守って欲しい。
https://quasimoto2.exblog.jp/22939726/

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湯川秀樹の研究を引き継いだ異能の物理学者・保江邦夫に取材! 超常現象や奇跡はなぜ起きる? 2015.12.09.
https://tocana.jp/2015/12/post_8183_entry.html


湯川秀樹といえば、日本人初のノーベル賞を受賞した人物としてほとんどの日本人がその名を知っているだろう。だが湯川博士が最晩年に取り組んでいたある研究テーマについてはほとんど知られていない。湯川博士は1935年(昭和10年)、「素粒子の相互作用について」を発表し、原子核内の陽子や中性子を結合する核力を媒介する粒子として中間子を理論的に予言したことによってノーベル物理学賞を受賞した。しかしその後も中間子理論から非局所場理論、さらに素領域仮説へと湯川博士はあくなき探究を進めていたのである。


■保江邦夫教授の研究とは?

 湯川博士を輩出した京都大学の大学院において、その素領域仮説を専攻し、さらに同理論を形而上学まで適応することによって、従来の物理学では否定されてきた生命活動の背後にあってその本質を左右するような働きを持つ場(空間)の存在を明らかにした人物がいる。理論物理学者の保江邦夫教授(理学博士)がその人だ。今回は保江氏に直接取材した内容も含めて、新著『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』に書かれた保江氏のこれまでの経歴と素領域理論について迫る。


■自らの身に起きた奇跡を解明するために


『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%AB%E3%80%81%E6%84%9B%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%E3%81%8C%E8%A7%A3%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%AB%E6%BA%BA%E6%84%9B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E4%BF%9D%E6%B1%9F-%E9%82%A6%E5%A4%AB/dp/4198640483?SubscriptionId=AKIAIVZOEOBUIKZXXUSQ&tag=tocana-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4198640483


 保江氏は京大並びに名古屋大学大学院で理論物理学を学び、その後ジュネーブ大学理論物理学科講師、東芝総合研究所研究員を経て、現在はノートルダム清心女子大学の教授を務めている。専門は数理物理学だが身体運動科学や脳科学などにも精通し、物理学の基本方程式とされているシュレーディンガー方程式を導くより深いレベルの「ヤスエ方程式」(『量子力学と最適制御理論』を参照)を発見した世界的業績を持つ。一方で合気道をこよなく愛し、開祖植芝盛平が祝詞を奏上していた点に着目しつつ神降ろしの技としての愛魂(あいき)を実践・指導している。

 異能の物理学者が歩んできたこれまでの人生は“奇跡”の連続だったようで、北ドイツに向かうアウトバーンで突然浮かんだ宇宙の原理をあらわす数式(ヤスエ方程式)に始まり、52歳の時には末期の大腸癌手術の際、臨死体験をしている。その際マリア様への祈りによって無事生還し、術後はルルドの泉の水を飲んで全快、それ以降もさらなる奇跡が続く。保江氏の最新刊『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』(徳間書店)では、その数奇な半生と共にさまざまな超常現象や奇跡がなぜ起きるのかについての解説がなされているのだが、そのキーワードとなるのがかつて氏が取り組んでいた「素領域理論」に他ならない。

素領域理論

■量子論よりも最先端!? 物質の“容れもの”とは?

 そもそもこの聞き慣れない素領域とはいったい何なのか? 従来の物理学では陽子、中性子、電子といった物質の最小単位を追い求め、現在は素粒子よりも小さなクォークという粒子を研究対象にしていることは一般によく知られている。それに対して素領域仮説では、物質ではなく、物質の容れものである空間を研究対象としており、空間の最小領域のことを素領域と呼ぶ。

 最初に空間の構造に着目したのがアインシュタインであり、継いで取り組んだのが湯川博士で、それを継承した保江氏はこの極めて専門性の高い抽象概念について次のように教えてくれた。

「数学者の岡潔先生は『空間には情とか愛のような粒々があって、その中に物質が詰まっている』というような主旨のことを述べられています。つまり、粒のような領域と領域の間には隙間があって、そこに“神”と呼んでもいい完全調和がある。すべてがひとつにつながっている空間、これが宇宙の本来の姿で、素粒子はその粒々の間をエネルギーとして飛び移っている。わかりやすいイメージでいうと、ジョッキに注がれたビールの泡、それが空間の正体です」と。

 つまり完全調和からあぶくのように生み出されたのが調和の崩れた素領域であり、その泡は0次元の泡、1次元の泡、2次元、3次元、4次元…など多様な構造を持ち、その泡(素領域)の一つが私たちのいる3次元空間の素領域となる。そして、素領域のエネルギーが素粒子であり、素粒子が集まって原子になり、分子になり、生き物をつくっているというわけだ。保江氏によると、最も発生頻度の確率が高いのが3次元で、それは数学的に証明できるという。
(後編に続く 文=小笠原英晃)
https://tocana.jp/2015/12/post_8183_entry.html


“魂の構造が説明できる”素領域理論とは? 物理学者・保江邦夫教授に取材! 2015.12.10.
https://tocana.jp/2015/12/post_8229_entry.html

前編で紹介した▼空間の解説

「数学者の岡潔先生は『空間には情とか愛のような粒々があって、その中に物質が詰まっている』というような主旨のことを述べられています。つまり、粒のような領域と領域の間には隙間があって、そこに“神”と呼んでもいい完全調和がある。すべてがひとつにつながっている空間、これが宇宙の本来の姿で、素粒子はその粒々の間をエネルギーとして飛び移っている。わかりやすいイメージでいうと、ジョッキに注がれたビールの泡、それが空間の正体です」


 空間の最小領域を規定する素領域理論は「場の量子論」とは何が違うのか? 前編に続いて世界で唯一湯川秀樹博士の研究を引き継いだ保江邦夫教授にわかりやすく解説してもらった。

 場の量子論ではゼロ点エネルギーの総和が計算上無限大になるという発散の問題をくりこみ理論によって回避しているものの、点状の粒子という従来の物理学上の矛盾は内包している。それに対して素領域理論では、粒子は最小領域(泡)の中で惹起されると捉えるのでその矛盾は生じず、また個々の粒子に対応する場を無限に想定する必要もなく、それぞれの泡の固有振動数の違い(鋳型)よって異なる粒子が惹起されると捉える。故にミクロからマクロのスケールにまで適応される統一場理論であり、超弦理論よりもはるかに時代を先駆けていたのが素領域理論なのである。


『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%AB%E3%80%81%E6%84%9B%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%E3%81%8C%E8%A7%A3%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%AB%E6%BA%BA%E6%84%9B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E4%BF%9D%E6%B1%9F-%E9%82%A6%E5%A4%AB/dp/4198640483?SubscriptionId=AKIAIVZOEOBUIKZXXUSQ&tag=tocana-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4198640483

 では、素領域というビールの泡の外と内はどのような構造になっているのか? 保江氏の解説はこうだ。

「泡の内側は素粒子で構成される物質の世界であるのに対して、外側は非物質で、ライプニッツのいうモナド(単一)のような絶対無限の世界。そこは完全調和なので何も起こらない。あるとき完全調和に崩れ(ゆらぎ)が起きたことによって泡が発生し、それぞれの泡の鋳型に応じた素粒子・物質が生まれるのです。そして人間が肉体の死を迎えると非物質の魂となって元の素領域(泡の外=霊界)に溶けていくんです」

■臨死体験エピソードが素領域理論と合致?

 実はこのイメージとまったく同じ体験をしている人物がいる。三度の臨死体験を持つ彗星捜索家の木内鶴彦氏で、木内氏は臨死状態で見た宇宙開闢の様子を著書の中で次のように記述している。

 保江氏によるとこの現象は素領域理論と合致するという。木内氏が見た渦が私たちの宇宙だとすると、物質はその中だけに存在し、渦の外は素領域と素領域をつないでいる完全調和の神の領域であり、それを保江氏は「愛」と仮定し、「愛や祈りには、時空を超え、奇跡を起こすほどのとてつもない力がある」と断言する。

 これは、神が自身を認識するために万物や人間を創造したとされる考え方に近い。つまり、真っ白な壁に1点のシミが生じることによってその壁が白と認識できるのと同じように、一旦調和が崩れることによって完全調和の在り様が認識され、認識されることで再び調和状態へと導かれる――保江氏はその調和を回復するのが人間の役割ではないかと考えているのだ。


■正しい物理学の知識をスピリチュアル探究者に学んでほしい

 だとしたら、本来私たちの肉体も完全調和(神)の意図でできており、病因などの異物を排除するには愛の作用で素領域の機能を復活させればいいということになる。

『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』には、保江氏のさまざまな不思議な体験や能力が書かれている。その中には、門外不出の伯家神道の秘儀取得に加えて、スペイン人の神父からはキリスト由来の活人術という不思議な力を授かったり、ロシアのUFO研究者からはUFO操縦の秘訣を教わったことなど、一般的とはいえないエピソードも多々ある。また、保江氏が末期癌から奇跡的治癒を遂げたことなども書かれているが、祈りによって神への愛を示したことで、自身の大腸本来の素領域機能が復元した結果と考えればこれも説明がつく。

 保江氏は『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』を上梓した理由について、

「スピリチュアル系の本を出している人たちがあまりにも物理学の知識が乏しく、誤った引用をしている。だから予め僕の体験を知ってもらった上で、スピリチュアルなことに関心のある人に物理学的なこともきちんと学んでもらえる本を出したかった」と語る。

 従来の常識を根底からくつがえし、軽薄な精神論をも排す素領域理論、“魂の世界”を科学的な視点で捉えた本書は、はたして読者諸氏の空間にどのような作用を及ぼすか?――まさにそれはあなたの愛と情に委ねられているに違いない。
(小笠原英晃)
https://tocana.jp/2015/12/post_8229_entry.html


因みに、湯川秀樹の業績で残っているのは戦前の物だけで、戦後は完全なアホになってしまって、理論物理の研究者からは相手にされなくなっていたそうです。
 

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保江邦夫 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB

保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の理学博士。

専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。
ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。


量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。
少林寺拳法武道専門学校[1]講師。
冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。
大東流合気武術宗範佐川幸義直門。

特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。

日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
アメリカ数学会会員。身体運動文化学会会員。
日本サイマティクス・セラピー研究会顧問。


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経歴

1970年 岡山朝日高校を卒業。

1974年 東北大学理学部天文学科を卒業。

1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程前期課程を修了。
名誉教授だった湯川秀樹が提唱していた「素領域理論」を題材として修士論文を提出し、当時日本唯一の理論物理専門の欧文学術雑誌『Progress of Theoreical Physics』に掲載された(Vol.57,pp.318-328 1977)。

1978年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程後期課程を修了。
高林武彦教授に師事。その2年で8編の論文を欧米の数理物理学専門誌に発表。
「量子摩擦を含む開放系の量子力学理論」の論文を提出し、理学博士号を取得。

1978年 スイス連邦共和国へ渡欧。ジュネーヴ大学理学部理論物理学科講師。

1982年 東芝総合研究所の研究員。

その後、岡山のノートルダム清心女子大学大学院に教授として勤務し、現在に至る。


研究テーマは、

1.量子場脳理論による脳の基礎的情報処理過程と生命素過程の物理的解明についての理論的研究

2.武術極意における脳機能の役割についての理論的並びに実験的研究

3.確率過程による量子力学の数理物理学的基礎づけ、確率変分学の基礎とその応用[2][3]

2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころを大切にする党から比例区で出馬するも落選。


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武道の探求

高校時代から武道に憧れを抱いていた保江は東北大学時代、合気道部に所属。先輩である橋本敬三がたびたび合気道部に訪れ、彼から操体法を学ぶ。

ある理由により保江は2年次に退部を申し出る。それでも合気道部の仲間は保江を気遣い籍を残したままとし、4年次には副将の肩書を与えて復部するのを待ってくれていた。

名古屋大学大学院時代には合気道を再開する。また、同大学院にて木村達雄と邂逅。木村の合気道に対する純粋な思いに感銘を受ける。そして木村と共に名古屋大学の合気道部創設に関わり、山口清吾師範に学ぶ。

スイス滞在時において現地の合気道道場へ通う。ところがドイツ山岳地帯出身の大男には保江の合気道の技は通用しなかった。そうした折、たまたまスイスを訪れていた木村達雄から鍛練方法の一つである四股を学んだ。木村からは一日に2000回四股踏みを行えと言われたが、保江は一日300回四股を鍛練した。すると、そのドイツ人の大男を難なく投げれるようになる。

「秘伝日本柔術」(新人物往来社 松田隆智編)大東流篇佐川宗範の項を何度も読み返し、佐川宗範の自然で崇高な姿に魅せられた保江は木村に佐川道場の入門を取り次いでもらうよう懇願する。いったん断られるが「まあ、入門のためにスイスから帰国するくらい覇気のある奴なら許可してもいいだろう」との返事を得て、ようやく手に入れた職を辞し、帰国する決意をする。

1982年、佐川道場に入門するためにスイスから帰国。木村達雄の紹介により佐川道場に入門。佐川幸義直門となり大東流合気武術を学ぶようになる。後に佐門会への参加を許され、100回を越える稽古に参加する。ある時に妻の持病のため岡山へ帰らざるを得ない旨を佐川宗範に告げたところ、特別に10日間にわたる一対一の直伝講習を受けることを許された。これを最後に佐川宗範の直伝講習はなくなる。その後しばらくたって、岡山から東京へ行く機会を得るようになり、また佐川道場の稽古に参加できるようになる。

地元岡山にて戦前天才少女と言われた畠瀬幸枝に薙刀・天道流剣術を学ぶ。加えて、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父から修道師に伝わる護身技法を学ぶ。その技法が後の冠光寺流柔術の基礎となる。

現在は、合気道星辰館道場(岡山市:責任者 北村 好孝 合気会所属)において、合気道の指導も行っている。


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スイス連邦共和国ジュネーヴ大学への奉職

ジュネーヴ大学では教授のチャールス・P・エンツに師事。エンツはスイスの天才物理学者ウォルフガング・パウリの最後の助手であった。保江は、スイスにて主に確率制御問題に没頭する。

ジュネーブでは4年間モレゾン通りに居をかまえる。ここで、確率変分学の基本となったヤスエ(保江)方程式を不思議な体験のもとに発見する。以下、ヤスエ方程式を発見した当時の記述の要約。

「スイスに来て2度目のクリスマス時期。セミナー講師招聘のためイタリアに向かった。

ドイツの国境を越えた辺りに、アウトバーンが広がりアクセルを踏み込んでいった。ランチャー特有の甲高いエンジン音が鳴り響き、スピードメータの時速190キロ近くになったとき、あれほど激しいエンジン音や風切り音が鳴り響いていた車内が、一瞬のうちにそれこそ何の音もしない完全な静寂の世界に変貌した。振動も消えた。まるで雲の絨毯の上を滑らかにすべっていくかのように車窓の外の景色だけがゆっくりと穏やかに流れていくのが見える。

時間が止まったような感じもあったが、不安とか怖さは全くなかった。むしろ、何か非常に大きな存在に暖かく見守られているという確信も生まれた。このまましばらく様子を見ようという気持ちになった。 そして、時速190キロで突如出現してきたこの静寂の世界の中で、自分の額の裏側としか表現できないところにフッと何か数式のようなものが浮かびあがってきた。 (中略)

あの状況はなんだったのだろう、あの数式は?どうやら自分の頭は一時おかしくなっていたのかもと考えた。あるいは疲労のため脳が混乱していたに違いないとも思った。しかし、その晩ホテルの部屋に入って便せんにその数式の詳細を書き込んでみた。しばらく紙の上の方程式を眺めて考えていくうち、ふと方程式に現れる関数の中に具体的な形を入れてみたらどうなるだろうかと思い、いくつか計算してみた。1964年にプリンストン大の数学者エドワードネルソンが発見していた方程式が導けてしまった。ということは、目の前にある不可思議な方程式は、既に知られていた重要な方程式をひとつの特殊ケースとして含む、より一般的で普遍的な基礎方程式に違いない」

「再度計算をチェックしてみたが、どこにもミスはない。その突然脳裏に浮かんだのは、原子分子のスケールはもちろん、日常的スケールから宇宙的スケールに至るまで成り立つ、最も普遍的な最小作用の法則そのものを表す具体的な数式だった。この数式は日常的スケールや宇宙的スケールの場合には既に物理学の基本原理として確立している最小作用の法則の数式そのものと一致することがわかった。では、原子や分子のスケールではどうなったかというと、いささか面倒な数式展開の果てに、あの方程式が出てきたのだ!僕はついに大学院のときからの希望を達成した。

これまで世界中の物理学者達によって基本方程式と考えられてきたシュレーディンガー方程式は単に最小作用の法則が成り立つことから派生的に導かれた浅いレベルの基本原理にすぎない」(「路傍の奇跡」から抜粋)

Stochastic calculus of variations Kunio Yasue

http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022123681900793


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量子脳理論および量子脳力学

梅沢博臣の1978年,79年の論文に起源を持つアプローチ。量子脳理論とも呼称する。

量子脳理論とは、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。心または意識に関する量子力学的アプローチ(Quantum approach to mind/consciousness)、クオンタム・マインド(Quantum mind)、量子意識(Quantum consciousness)などとも言われる。具体的な理論にはいくつかの流派が存在する。

宇宙が創成されたとき、何もない無の状態、すなわち宇宙をひとつの量子力学系と考えたときのその真空状態(最低エネルギー固有状態)からトンネル効果による相転移で疑似真空状態としての比較的平坦な宇宙が出現したとされる。そして、その宇宙の上での踊る素粒子もまた、場の量子論により記述される。スケールこそ違え、これと同じ現象が人間の脳の中で生じているという、この考え方を量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)と呼ぶ。

心とは、記憶を蓄えた脳組織から絶え間なく生み出される光量子(フォトン)凝集体であり、場の量子論によって記述されるその物理的運動が意識である。

脳をひとつの量子力学系と考えたとき、外部からの刺激を受けてその無の状態、すなわち真空状態からトンネル効果による相転移で準安定な疑似真空状態が出現する。これがその刺激の記憶に他ならない。新たなる刺激は再びトンネル効果の引き金となり、脳の量子力学系は別の真空状態と転移する。これは以前の刺激の記憶を加味した新たな刺激の記憶であり、したがって単なる新たな刺激のみの記憶ではない。つまり、脳の量子力学系の疑似真空状態はつねに過去は記憶の総体を表している。宇宙の上で踊る素粒子の運動に対応するものは、脳の場合は、過去の記憶上での人間の意識そのものと考える。意識とは、過去の記憶総体である脳の量子力学系における疑似真空状態の上に生成と消滅を繰り返す励起エネルギー量子の運動にほかならないとする。これを量子脳力学という。

1999年5月25日から28日まで、我が国ではじめてツーソン会議が東京青山の国際連合大学にて開催された。その内容は意識科学を中心とし、会議の幹事が保江であった。保江は、この国際会議を手作り国際研究集会と呼称し協力を各方面に仰いだ。開催が極めて難しい状況であったが、保江の熱意が国連大学高等研究所のデラ・センタ所長に通じて国連大学を開催場所として確保できた。保江によれば、後になって考えるとこれも合気(愛魂)の効果だったのかもしれないと回顧している。


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数理物理学方法序説

50歳を目前に「数理物理学方法序説」を記す。対象は高校2年生以上とあるが実際には大学理学部で理解できるような内容である。

(1) 複素関数論

複素平面上にルベーグ測度を簡潔に導入するところから出発し、その上で定義される解析関数の基本的な性質を解説する。実数直線上の関数に比べて圧倒的な美しさを持つ複素関数の世界が広がる。ページ数の制約から等角写像、保型関数、射影変換、超幾何微分方程式やそのモノドロミー表現といった魅力的な話題を割愛してある。最初の3分の1は測度論、2変数ルベーグ積分、超関数の入門書となり後半の3分の2がごく標準的な複素関数論への入門書となっている。一般的には見られないルベーグ積分入門に紙数を割いているのが特徴である。保江らしい記述は最終章の「可換多元体への誘い」にある。天文学の恩師である菊池定衛門先生が書いた「高階複素数論」を紹介している。標準的な複素関数論では見ることができない高度な内容である。

(2) ヒルベルト空間論

東北大学理学部2年次に在学中、数学の講義にて鶴丸孝司からヒルベルト空間上の完全作用素のスペクトル分解の解説を受ける。保江いわく「長引く大学紛争にうつつをぬかす自分たち学生の頭にガツーンと衝撃を与えるような内容だった」、そして学問を通じて学生運動で貴重な時間を浪費すべきでないことを身をもって伝えたという。 この気魄に満ちた空間論に多いに感銘を受け、一生ヒルベルト空間に浸っていたいとまで思うようになる。 ヒルベルト空間は複素関数を要素とする無限次元のベクトル空間なので実在する空間ではない。ヒルベルト空間のおかげで量子力学は数学的な正当性を与えられる。距離空間、ノルム空間、バナッハ空間そしてヒルベルト空間など関数解析の基礎を最短のルートで学ぶことができる。

2巻ヒルベルト空間論は、実は東北大学在学中に習った鶴丸教授の講義ノートそのものだという。学部に上がり、京大院や名大院に進学してからも、そしてスイスのジュネーブ大に就職してからも、常にこのノートを大事に携帯していたと後日供述している。

(3) 量子力学

量子力学はシュレディンガー流とハイゼンベルク流の定式化がある。1つは超準数学の無限小解析を確率力学および確率過程に組み込む方法、そしてもう1つは確率力学とニュートン力学を組み合わせる方法である。前者は1960年代に、後者は1980年代になって発見された。どちらの方法からでも量子力学の基礎方程式が見事に導かれる。

(4) 確率論

最初の3分の1は確率測度を使った確率論の導出、後半の3分の2は確率過程論である。確率過程というのは時間とともに変化する確率変数のことであり、ブラウン運動などの粒子のランダムな運動を数学的に記述するモデルとして利用されている。

定理や証明の存在はいつもルベーグ測度やヒルベルト空間論によって裏付けられている。確率論にしても同様。確率空間をはじめ確率変数やその期待値、分散、確率分布関数など基本的なことがらの存在が証明されていく。8章でブラウン運動など不確定な物理量で示される現象を時間を変数とする確率微分方程式を使って導く説明があるこの段階での理論は時間パラメーターについて対称的で、分子運動論でいえば粒子と粒子の間の相互作用はないという状況となる。

(5) 変分学

理論物理学の基礎方程式は、メタ理論としての変分学の枠組みに乗せることで数学的に整備され、見通しのよい議論が可能になる。この変分学の基本を、ヒルベルト空間上の解析学として数学的に解説してある。 全体的な流れとしては、多変数実関数の微分、バナッハ空間上で定義されるフフレッシェ微分など解析学系の話題からはじまり、微分形式やその微分と積分、ストークスの定理など幾何学的な話、そしてソボレフ空間を定義してからソボレフ空間上の汎関数の変分、フーリエ級数、フーリエ変換などが紹介される。種々雑多な分野の寄せ集めに見えるが、バナッハ空間やヒルベルト空間での微分や汎関数の変分問題として一意解が存在するという主張が全体を貫いている。

(6) 解析力学

通常の解析力学の本では一般化座標の座標変換あたりから始めるが、本書ではいきなり多様体が導入される。一般化座標は多様体上の点の位置で表され一般化運動量はそれを微分した多様体上の接ベクトルに対応する。接ベクトルは接ベクトル空間を張りる。多様体上に定義される接ベクトルバンドル(接ベクトル束)、ベクトル場、ベクトル場のフローなどはそれぞれ解析力学上の概念と対応付けながら説明が進んでいく。

解析力学としての展開はラグランジュ力学系からハミルトン力学系、正準変換と母関数、ポワッソン括弧積という通常の順番で行われる。式展開上の微分は面倒だが丹念に追えば理解できる。本書のユニークさはその応用例にある。著者は学部生ときに天文学を専攻していたことが強く反映されている。制限付き多体問題や多粒子の基準振動、衝突散乱問題、天体力学で行われる摂動法などは入門書では滅多にお目にかかれない例である。

天体力学での摂動法とは、天王星の軌道の乱れから海王星を発見できたという歴史が示すように、理想的な楕円軌道からのずれを近似法で求めることを言う。このような近似計算をハミルトン力学系という理想化された理論でどのように行えばよいかが説明されている。

特筆すべきは第15章「リー環とリー微分」の部分。解析力学の本でリー環やリー微分の記述は少ない。

ハミルトン系力学では正準方程式がポワッソン括弧で表されるというのが解析力学だが、それが多様体上で代数学のリー環の定義を満たし、さらにHフロー(ハミルトニアンのフロー)に沿うリー微分として定義される。多様体上にリー環があれば、それは(リー環の)構造定数によって完全に決定されるし、ハミルトニアンのフローも決定されることになる。ハミルトニアンのフローによって物体の運動が決定される。このように代数学と幾何学と力学が美しく結びついていることがこの章で示されている。本書は解析力学の範疇を超えて現代数学との関係を明確に示すことに成功している。

(7) 連続群論

連続群は別名「リー群」とも呼ばれる。物理学で扱う対象はなんらかの自由度についての連続的な変換からなる連続変換群がほとんどなので、この群が特に重要視される。

最初の6章は群論とは全く関係ないヒルベルト空間の簡潔な復習、有界線形作用素、スペクトル分解、解析ベクトルなど関数解析系の話が続く。 7章以降はじまる群論の解説を読み、やっとその理由がわかるような構成である。すべてが関連を持っているためである。 ニュートン力学における3次元ユークリッド空間、アインシュタインの4次元時空間、量子場の理論のゲージ場にそれぞれ対応するガリレイ群、ローレンツ群、ゲージ群はそれぞれ対応するリー群(連続群)の構造定数に対応し、リー群はリー環という代数構造に対応し、リー環はヒルベルト空間のユニタリー作用素によって表現される。またリー環に微分可能多様体が付随しているため、多様体上のベクトル、接ベクトル空間、ベクトル場のフローなどが関連している。最初の6章がヒルベルト空間論のユニタリー作用素など関数解析系の説明に割かれていたのはそのような理由による。量子場の理論と作用素環論という代数学の結びつきが順を追ってはっきりと示されている。

(8) 微分幾何学

曲った空間を数学的に取り扱うためのいくつかの概念(測地線、接続、共変微分、曲率など)を導入することから出発し、それをもとにして、一般相対性理論の基礎方程式とその簡単な解まで一気に論ずることを目指している。数式付きで解説される他の中級者向けの一般相対性理論入門とは異なり、多様体についての説明を導入部分に置き、現代微分幾何学との関わりを強く意識している。4次元の擬リーマン時空多様体は一般相対論では「曲がっている」わけだが、一般的なリーマン多様体ではこの「曲率」だけでなく「ねじれ」も定量化されること。そしてこの「ねじれ」が現代において最先端の多次元空間の非可換幾何学に結びついていること。保江は近年提唱されている「コンヌ博士の非可換幾何学」や「超ひも理論」などについて「人為的過ぎる」と懐疑的な考えを持っている。重力場の微分方程式を導くために変分法を使って説明している。ここでは全宇宙のエネルギー積分を表す汎関数に対して最小作用原理を使う。また作用積分に含まれている質点の質量は時空の4次元空間の計量から導かれる無限小の質点測度として与えること、この無限小の量の積分がディラックのデルタ関数として計算されていること、幾何学的な計量が質量という実在的な量に結びついていることも示している。

また、第3章と第18章で大数学者リーマンが1854年にゲッティンゲン大学で行った講演の内容を紹介している。


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ノートルダム清心女子大学大学院への奉職


スイスから帰国後、義兄の世話により東芝総合研究所の研究員となる。同社の提携先でコンピュータ研修を受けていた。その後、スイス渡欧時に世話になったローマカトリック教会の神父が保江の知らぬ間にバチカンへ推薦状を書いてくれた。その結果、ローマカトリック法王庁からノートルダム清心女子大に直接依頼が届き、同大学院に勤務する。


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佐川道場での大東流合気武術の修業

木村達雄から紹介をうけ佐川道場に入門する。はじめて会った佐川からは優しさがにじみ出るような雰囲気があり、とても武道の達人の様相ではなかったという。その際「きみのような優しい人間は、うちに来ても強くなれないよ。それでもよかったら通っておいで」との言葉をもらう。

佐川道場での教えはすこぶる厳格なものであり、佐川いわく「武を志して入門したからには、たとえ門人となって二日目だからといって逃げるわけにはいかないのだ。また何も教わっていなくても、武門の恥とならないよう、たった二日間で見てきた全てを工夫して敵を倒す。その心構えがないようでは、そもそも入門は許されない」(「Excelで学ぶ金融市場の予測の科学」(講談社 142頁)など、保江の書籍のいたるところに佐川道場で得た佐川語録が引用されている。

一方、合気道を基礎として武道の心得があった保江は佐川道場で異様な光景を目にする。鍛えた先輩方や他武道経験者が、90歳を超える高齢の佐川にいとも簡単に投げられ潰され倒されるのである。それも単に崩れるとか、よろめく程度ではなく、数メートル吹き飛ばされるような光景も何度も目にした。そこで、人間の底力、整然と秩序だった力の妙技、合気の技の数々を知ることになる(出典:「量子の道草」(日本評論社))。しかしそれは常識ではありえない光景であった。道場の先輩である木村達雄でさえ、「自分は無意識に(佐川)先生に遠慮して倒されているのだろうか」と自問自答するくらいの技の威力であった。

理学博士である保江は、佐川が使う大東流の技を、物理学的な面、心理学的な面、そして生理学的な面を含め多数から考察した。その最終的な結論は「佐川の合気は、そのいずれも超越した存在である」というものであった。佐川の考察可能な技法については、DVD「保江教授の合気テクニカル」でその一部を紹介している。


内容は以下の通り。


筋骨格系技法

1.弱腰 - 相手の身体骨格構造の弱点を攻める
2.平面骨格 - 相手を平面骨格構造に追い込む
3.緩い肘 - 運動量と慣性力を利用する
4.緩い膝 - 角運動量と重力を利用する


神経制御系技法

1.作用点を動かす - 連続移動作用点を使う
2.多自由度構造 - 相手の支えにならない多自由度構造を作る
3.錐体路系神経支配 - 相手の身体制御機能を停止させる
4.皮膚・脳神経支配 - 相手の脳神経機能を混乱させる


保江は仕事の時間の都合上、昼間の稽古に出ることが多かった。そこには木村をはじめ、少数の門人の参加しかなかった。強くなりたいという欲求よりも、むしろ達人である佐川の技を見たい、そして合気の技をかけてもらうことだけで幸せを感じていた保江は、直伝講習において、ある驚愕の事実に気づく。

以下、「合気開眼」(海鳴社)95頁からの記述を転記。

「僕の直伝講習を最後に、佐川先生とだけ一対一で教えていただく昔ながらの形はなくなり、他の先輩からの面前で先生が技をかけてみせて下さる形に変わったし、(中略)そして、思い出すのはその直伝で受けた合気の技のどれもが、(中略)柔らかく暖かく心地よく包み込まれたかのように自分の体がフワフワになり、(中略)

こんな不思議な体験を続けていくうちに、さらに不思議なこともわかってきた。それは、先生が僕の腕をつかんで技をかけとき、確かにつかんだかのような手の形にはなっているのだが、つかまれていた僕の腕の皮膚感覚では何もつかまれていないということ。つまり、佐川先生の手の内の皮膚が僕の腕の皮膚と接触して何らかの力を伝えてきて倒されるわけでないということだ」

佐川宗範の直伝を受けたものだけが知る、にわかに信じられない事実が語られている。


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実父輝義との世界一周旅行

保江の父である保江輝義(1998年4月1日没)は、陸軍二式単座戦闘機 鍾馗(しょうき)そして三式戦闘機 飛燕(ひえん)のパイロットであった。

保江は、この父を連れ二人で1996年9月1日から9月17日の16日間世界一周親孝行旅行に出かけた。ファーストクラスを使用した旅行であったが、何と航空運賃の全額は40万円弱であるという信じ難いものであった。チケットを外貨建てにし韓国をスタートとするなどの当時のやり方が紹介されている。詳細については、「戦闘機乗りジイさんの世界一周」(講談社)の後書きを参照。

この書籍では、高齢の輝義が戦闘機乗りであったという事実だけで、複数の異国の航空機パイロットが輝義に敬意を示し機長室に招き写真を特別に許可したなど、興味深い事実が語られている。


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末期ガンからの生還、奇跡の体験〜合気(愛魂)開眼

「数理物理学方法序説」を書き終えた直後から、片方の耳の聴力を失う。1年半以上にわたる睡眠時間4時間および体を酷使した過酷なスケジュールの結果、立つことさえできなくなるという多発性脳神経症と診断される。退院したあとも聴力を失ったままとなり、またそのころから腹部が膨れてくる症状が生じた。総合病院の救急受付にて検査を受けたところ、腸閉塞が進行したことによる大腸ガンを宣告される。保江本人はガンであっても隠遁者様(エスタニスラウ神父)にお願いし祈っていただければ、何とかなると考えた。


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冠光寺眞法

1990年前後より聖賢エスタニスラウ・マリア・ヨパルト[4](三原市羽倉のカトリック修業場「四方庵」の隠遁者)に師事し、聖母マリアを祀る修道騎士団寺院に伝わるイエス・キリスト伝来の秘技を伝授される。これは、もとは、イエス・キリストが直接使用した活人術である。 大脳由来の心象をイエスの説く「愛」そのものに変化させ思考を停止し凡そ人間全てに備わるその心の心の成立前提である生命現象を司る「魂」間の行動制御法である。その効果は日本武術の最高極意「合気」と酷似する。また、イエスが説いた「愛」により己を迫害する者をも受け入れ決して敵意を抱かないという原理故に、そもそも悪用は原理的に成り立たない。 これを世に広めるため、光り輝く冠をつけることを許された唯一の存在である聖母マリア=冠光、キリスト教寺院=寺ということから、「冠光寺眞法」(コムニタ、コミュニタ Comunitat)と保江が命名した。

平成26年6月現在、4名に冠光寺眞法免許皆伝が授与されている。そのうち一人は、空手道真義館館長麻山慎吾。


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冠光寺流柔術

元々は、如何なる場合にも敵意を抱かず相手を受け入れることで発現する冠光寺眞法を修得するために考えだされた、カトリックの聖地モンセラート山中において隠遁を選択した神父達によって密やかに行われてきた一見柔道や相撲に似た組み技系の荒行である。

自分を殺傷せんと加えられる相手の攻撃を受けてなお、相手を愛し受け入れることが可能になるように修練する目的を持つが、襲いくる敵を目の前に己の防御・反撃を完全に放棄しなければならないため、眞法共々至難の業といえる。 保江は、冠光寺眞法と併せて、物理法則に裏付けられた力学技法を加味した「冠光寺流柔術」を活人術と位置づけた。そのため、ロシア正教に伝わった同様の技法を基本とする旧ソビエト陸軍の格闘技として発展したロシア武術システマと類似点もあるとされる。最も大きな特徴は「汝の敵を愛せよ」というキリストの教えを柔術技法に活かして合気に似た効果を生み出すことで、筋力や運動能力に劣る者が優る者を制することができることにあるという。

冠光寺流柔術は、現在岡山市野山武道館、関西、名古屋、東京、およびハワイ(ホノルル)にて伝授している。 合気(愛魂)を取得するための方法として柔術形式の形をとっている。

DVD「合気を掴む!(基本編)」にて、柔和無拍子な合気の6技法が公開されている。

1.マザーテレサ効果 - 相手のことを本当に大切に思う。それにより相手の筋肉は自然に反応し動く。

2.支える力の効果 - 長年の友人に会えて「ああ嬉しい」という気持ちで握手するように掴む。

3.溶け込む力の効果 - 両手で持たれても、心配せず相手に溶け込む。

4.伝える力の効果 - 掴んできた相手の腕を愛する。「腕フェチ」になり、新しいコレクション増えて喜ぶように。

5.拡がる力の効果 - 「子供のような心」になる。自由で動ける状態を体で喜び、それを相手にぶつける。

6.包み込む力の効果 - 投げ飛ばすのではなく、我が子である赤ん坊をお風呂に入れるように包み込む。


DVD「合気を掴む!(実践編)」同、融合大円和な合気の6技法。

1.祈りの力の効果 - まず最愛の人が幸せに生きていけるように願う。頭で願ってもダメで心で願う。

2.湧き出る力の効果 - 愛情を持って進んで、相手にぶつかっていく。

3.絡み合う力の効果 - 相手と自分の間に“愛の接着剤”があると思い相手をペターとくっつけてしまおう”という気持ちで接する。

4.受け止める力の効果 - 相手との繋がりを“愛の糊”で作ると想像する。それから相手の骨格を徐々に変えていくと想像する。

5.今に生きる力の効果 - “愛の鳥もち”をネバネバと相手との間に出すと想像する。この鳥もちでベタベタベターっとの感じで。

6.真剣な力の効果 - 愛を全開にして前にだけ出る、それだけ。絶対に下がらない。躱したり逃げたりしたら終わり。


一例として、「秘伝」平成23年6月号に以下の記載がある。合気の仮説として、「合気とは敵の筋肉が無意識下で働くことで敵があたかも倒されたような動作を誘導する技法である」と定義。また、合気挙げの方法として意識による相手の変化を実例をあげて解説している。


ケース1 「相手を母親と思い、幸せを祈る」

ケース2 「ケース1に加え、全人類の幸せを祈る」

ケース3 「ケース1に加え、全人類と全天使の幸せを祈る」

ケース4 「ケース1に加え、全人類と全天使と神様の幸せを祈る」

合気挙げを行う場合の注意点として、抑えこんでくる相手が足の筋肉を鍛えている場合はよく挙がるが、反対に、鍛えてない相手の場合は挙がりにくいことが多いと指摘している。


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合気へのアプローチ


保江は、「秘伝」平成23年3月号で自らの合気へのアプローチを以下のように3つに総括している。

A 物理学者としてのアプローチ

B 特異体験をした一個人としての形而上学的なアプローチ

C 脳科学者としてのアプローチ

そのアプローチの目的は、世に出ている合気技法が定義なく使用されている現状を憂い、将来において武道界等において「合気」という意味不明な用語が一人歩きしてしまい、もはや何人たりともその真の意味や実像を求めることはおろか、言葉としての存在すら失われてしまいかねない懸念を払拭したいと語っている。

これらのアプローチにて合気を解読しようとし複数の書籍にてその成果を発表したことから、ある意味で誤解され、かつ混乱させたことを「身から出た錆」と自ら認め語っている。そして人間・保江邦夫の本音として、合気の原理とか作用機序というものは、形而上学的な色合いの濃いものであると考えていると告白。一方で、塩坂からは一番誤解を受けたと思われる形而上学的なアプローチについて、「道家や日本古来の神仙道・密教・修験道の中にも形而上学的な合気が確かに存在する」というコメントを引き出した。この点で両者の意見は一致する。

これら3つのアプローチを用いて既存の合気技法を篩にかけることにより、真の合気技法が存在するのか否かを問うていきたいと述べている。

現時点(平成21年)で、保江は合気の作用順序を以下のように定義づけている。(「脳と刀」194頁)

1.相手が攻撃してくる前から自分の精神的内面をあたかも夢想しているかのような状態、たとえば夢遊病疾患者や全ての執着を捨て去った赤ん坊のような内面をつくりあげる。このとき、眼は虚ろにして相手はもちろんのこと、どこにも焦点をあわさないで空(くう)を見て、自我意識による思考雑念は無視する。

2.このような内面操作により、自分の右脳が広範囲に活性化するだけでなく、大脳基底核が強く活性化する。

3.すると、攻撃してくる相手の大脳皮質の活性が一瞬の間だけ極度に低下し、その間は大脳皮質による精神機能が停止する。その結果、相手の意識に空白が生まれ、大脳皮質運動野による身体制御ができなくなる。

4.また、相手の大脳基底核の機能も低下し、その結果、パーキンソ病の症状と同じように身体骨格筋の正常動作が阻害され、身体運動の自由が効かなくなるとか、ハンチントン舞踊病と同様に何ら意図していないにもかかわらず、骨格筋を緊張させる神経電位信号が末梢に送られて手足が勝手に動いてしまうようになる。

これら合気発動の作用順序の公開理由については、広大無辺な合気実相のほんの入り口にすぎないと断った上で、これらの技法は、魂に導かれた調和に溢れる生き様を歩むことができる活人術技法にも繋がるためと称している。

一方で、こうした合気を武術技法まで昇華させるには細かい方法で補完する必要がある。大東流に見られる門外不出の扱いは、悪用しない厳選した人物を選ぶためでもあるという。

脳科学や神経科学については理論的考察が先行するため、机上の空論に陥りやすい危険性を有している。こうした点を厳に踏まえつつ実証実験や考察を継続している。


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ボディバランスコミュニケーション(BBC)

現在社会におけるコミュニケーションの延長上の一つとして、ボディバランスコミュニケーション(BBC)を山崎博通(少林寺拳法武道専門学校校長)とともに提唱している。BBCは、日本武道や少林寺拳法などの精神技法の昇華として位置づけられるという。

保江は、ノートルダム清心女子大において、身体科学の授業(1年から4年まで受講可能)として担当指導している。

第1講 歩き方 第2講 呼吸法 第3講 転び方 第4講 遊び 第5講 受け入れる 第6講 委ねる

この講座では、武道における身体運動をスタートとし、力学と精神の理解をこえて自者と他者との融合である自他融合まで説いている。自他融合は愛魂に通じる内容でもあるが、保江は、いずれ母親となる女子大生へ、賢く優しい母親になって欲しいとの願いを込めて全てを伝えている。


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NPO コムニタ活人塾

2012年2月18日、NPOコムニタ活人塾を設立し塾長に就任。理事長は冠光寺流柔術の弟子でもある服部徹。目的は愛の心に満たされた社会の実現を目指すコムニタの心を、多くの方々に伝えることであった。そして、2013年3月に目的を達成したため閉会した。 ここで、保江は武術を介することなく愛魂を伝える術をすべて伝授した。活人術の具体的な手法として、10の例を示した。活人術のエッセンスとしては「愛し、愛され、在るがまま」と伝えている。

1 損なクジをひく 
2 しもべになる 
3 自分の気持ちの中に何も留めおかない 
4 朝、目が覚めたら手を合わせる 
5 物を活かす 
6 人を神様と思う 
7 人に寄りそう 
8 愛する 
9 愛されていると思い込む 
10 在るがまま


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量子モナド理論

京都大学大学院時代からの盟友中込照明の提唱する量子モナド理論により、万物すべて物理学のみならず合気の存在でさえ説明可能としている。


兵器マニア

物理学の精華として兵器が存在することから、保江はかなり兵器について研究、精通している。また、ダグラス A-4C スカイホーク、ハリアー GR3 、陸軍二式単座戦闘機 鍾馗、超軽量偵察機、そしてエアストリーム CCD-24 などの機体の一部を自宅庭に保持している。


UFOと宇宙人

保江はUFOと宇宙人について深く研究している。もともとこうした興味から天文学科を目指した経緯がある。 「合気の道」及び「愛の宇宙方程式」にて、合気の技がUFOの操縦技術につながるものであるのとの見解を示した。

また、小惑星の一つに、保江の名前を冠したものがある。

名前は「(8101) 保江 (Yasue)」 仮符号「1993 XK1」発見日「 1993年12月15日」発見者「小林隆男」観測所「Oizumi」MPC「46681」

彼は岡山県美星天文台に依頼してこの小惑星を写真撮影してもらい、自分の名刺の裏面に印刷している。


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弟子

ジャンクロード・ザンブリニ
- フランス系スイス人。ジュネーヴ大学社会学部哲学科卒。同大学院にて理論物理学を専攻する。彼は保江の指導により理学博士号を取得し、アメリカのプリンストン大学数学教室の研究員として渡米した。


治部(じぶ)眞里
- 数理物理学の弟子。保江との共著・共訳多数。現在、スイスのOECD所属。元 文部科学省科学技術政策研究所第1調査研究グループ上席研究官。治部は文学部出身であるが、ノートルダム清心女子大情報理学研究所において保江のもとで助教授を経て、岡山大学にて医学博士を取得し、文部省に入省する。その後、マギル大にてMBA取得。The 11thEuropean Meeting on Cybernetics and Systems Researchにおいて最優秀論文賞受賞。 元北海道大学客員教授、元清心女子高等学校スーパーサイエンススクール(SSH)運営指導委員会副委員長、元岡山ESDプロジェクト相談役。


炭粉(すみこ)良三
- 冠光寺眞法・冠光寺流柔術の弟子。著名フルコンタクト空手道場で修業する有段者。当初、「合気」なるものを「そんなものがあるなら俺たちの試合に出てみろ」とその存在を全く信用していなかった。保江と立ち会った際、保江の合気に感服して弟子入り。著書に『合気解明』『合気真伝』『合気流浪』『合気深淵』『合気解体新書 - 冠光寺眞法修行叙説』(いずれも海鳴社)。この書籍の中で、炭粉は合気と時間の関係について記述している。今までの合気の書籍には触れられていない内容である。なお、保江との立ち会いの模様は『合気解明』(第二部)に、さらにその闘いの分析 は、『合気解体新書』(第二部)に詳しい。また合気に治療原理を発見し自身の施術体験として『零式活人術』『零式活人術II』(いずれも海鳴社)。


畑村洋数
- 冠光寺眞法・冠光寺流柔術の弟子。保江から許可を得て、既存のフルコン空手と合気(愛魂)を融合させ、氣空術を創始する。神戸にてフルコン空手拳友会を主催している。冠光寺流柔術5段・冠光寺眞法7段を允可。著書に『謎の空手・氣空術〜合気空手道の誕生(保江邦夫監修)』『続 謎の空手・氣空術(保江邦夫監修)』(いずれも海鳴社)。『合氣と空手の融合 氣空術 新次元の受けと突き(特別協力 保江邦夫)【DVD】』(BABジャパン)


木下淳人
- 冠光寺眞法・冠光寺流柔術の弟子。保江から関東支部長に任命される。某合氣道元世界チャンピオン。現在は合氣道眞伝会を主催。冠光寺流柔術7段を允許。


加藤久雄
- 自然学舎「どんぐり亭」亭主。保江の活人術を学び、森に建てられた山小屋で、不登校等で苦悩する親子を支える活動を行う。著書に『どんぐり亭物語』(海鳴社)。「65点の君が好き」弱虫先生の日記帳(風雲舎)


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DVD

すべて合気・冠光寺眞法・冠光寺流柔術の技術教伝ビデオである。

『冠光寺眞法』 - キリスト伝来の活人護身術 -(海鳴社)
『唯心論武道の誕生』 下記参照
『保江教授の合気テクニカル』 - VOL.1 筋骨格系技法編 - (BABジャパン)
『保江教授の合気テクニカル』 - VOL.2 神経制御系技法編 - (BABジャパン)
『合気を掴む!』 - VOL.1 基本編〜柔和無拍子な合気の6技法 - (BABジャパン)
『合気を掴む!』 - VOL.2 応用編〜融合大円和な合気の6技法 - (BABジャパン)

著書

数学・物理学・脳科学

日本評論社 数理物理学方法序説シリーズ

1巻『複素関数論』
2巻『ヒルベルト空間論』
3巻『量子力学』
4巻『確率論』
5巻『変分学』
6巻『解析力学』
7巻『連続群論』
8巻『微分幾何学』
別巻『物理数学における微分方程式』

この1〜8巻を1年半ですべて書き下ろした。別巻については、各巻の例題について補完する意味で出版。


講談社ブルーバックス

『早わかり物理50の公式』- 公式で読み解く物理のしくみ -
『数学版これを英語で言えますか?』
『数の論理』- マイナスかけるマイナスはなぜプラスか? -
『Excelで学ぶ量子力学』 - 量子の世界を覗き見る確率力学入門 -
『Excelで学ぶ金融市場予測の科学』 - 市場を動かす中心金融定理とは何か - 2000年版
『Excelで学ぶ金融市場予測の科学』- ブラック-ショールズ理論完全制覇 - 2003年版
『脳と心の量子論』 - 場の量子論が解きあかす心の姿 -(治部眞里との共著)


通常の単行本

単独執筆
『量子力学と最適制御理論』- 確率量子化と確率変分学への誘い -
『確率微分方程式』- 入門前夜 - (朝倉書店すうがくぶっくす)
『数値確率解析入門』 (朝倉書店すうがくぶっくす)
『量子の道草』- 方程式のある風景
『量子の道草』- 方程式のある風景 -(増補版) 増補版のみ桜井進との対談が掲載されている。

英文論文集『It appears!』(1993) 編纂:治部眞里 1976〜1992年に公表された保江の英語論文集


一部執筆

日本生物物理学会シリーズ・ニューバイオフィジックス刊行委員会編『脳と心のバイオフィジックス』
高橋康監修 SGCライブラリ 25『数理科学』2003年7月臨時別冊『量子場脳理論入門』-脳・生命科学のための場の量子論
『数理科学』2010年1月臨時別冊『多彩な量子の世界』 - その広がりに映し出される発展と深化 -
森毅 編『数値確率解析入門』
青木薫 編『この数学書がおもしろい』
林晋 編『パラドックス!』


以下、すべて治部眞里との共著

Quantum Brain Dynamics and Consciousness: An Introduction (Advances in Consciousness Research, V. 3)(英字論文)
『1リットルの宇宙論』- 量子脳力学への誘い
『1リットルの量子論』- アインシュタインのロマンと湯川秀樹の夢


金融工学

(上記を除く)
『笑ってわかるデリバティブ』(北村好朗との共著)

コンピュータプログラミング
『秘伝機械算術』-Unix流FORTRAN派入門 -
『秘伝機械算術』-正伝Unix流C派見参 - (共著)

亡き父へのレクイエム
『戦闘機乗りジイさんの世界一周』

合気
『合気開眼』
『唯心論武道の誕生』(DVD付き書籍)
『脳と刀』-精神物理学から見た剣術極意と合気 - フランスの脳科学者大谷悟との対談が含まれる。
『合気の道』
『合気問答』(塩坂洋一との共著)
『合気真髄』-愛魂、舞祈、神人合一という秘法
『合気の秘訣』

柔術
『武道の達人』
『武道vs.物理学』
『物理学で合気に迫る 身体「崩し」の構造』

ボディーバランス・コミュニケーション
『ボディーバランス・コミュニケーション』(宗由貴監修 山崎博通との共著)
『自立力育成のためのボディーバランス・コミュニケーション』(保江邦夫監修 山崎博通著)

自伝
『路傍の奇跡』

愛魂
『魂のかけら』(佐川邦夫というペンネームで執筆している)
『愛の宇宙方程式』
『人を見たら神様と思え』
『予定調和から連鎖調和へ』
『神さまにつながった電話』
『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』

神意
『伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を授かった僕がなぜ』
『古神道《神降ろしの秘儀》がレムリアとアトランティスの魂を蘇らせる時』
『ありのままで生きる』(矢作直樹との共著)
『神に近づくには波長をあわせればいい!』


UFOほか
『あの世飛行士 未来への心躍るデスサーフィン』(木内 鶴彦との共著)
『あの世飛行士 [予約フライト篇]死んでる場合じゃないよ 』(木内 鶴彦との共著)
『物理で語り尽くすUFO・あの世・神様の世界』(井口 和基との共著)


電子書籍
『サイレントクイーン』(でじたる書房)竹久おさむというペンネームで執筆している。


以下、すべて治部眞里らとの共訳。

梅沢博臣,ジョセッピ・ヴィティエロ共著『量子力学』- 変換理論と散乱理論 -日本評論社
マリリン・ファーガソン著『ライフ・チェンジ 』 - (たま出版 プラグマジック・シリーズ)
マリリン・ファーガソン著『マインド・チェンジ』 - (たま出版 プラグマジック・シリーズ) マリリン・ファーガソンは占星術的に見て現在水瓶座の時代であることを説いた著書『アクエリアス革命』(監訳:堺屋太一(のちの大臣))で知られる。


編集
高林武彦『量子力学』 - 観測と解釈問題 - (恩師の遺稿)
『No Matter, Never Mind』 - Proceedings of Toward a Science of Consciousness -(治部らとの共同編集。1999年に国際連合大学で開催した国際会議の資料)


受賞
最優秀論文賞

(BEST PAPER AWARD,in the 11th European Meeting on Cybemetics and Systems Research)1992


論文
A note on the derivation of the Schrödinger-Langevin equation 1977[5]
Derivation of Relativistic Wave Equations in the Theory of Elementary Domains 1978[6]
Stochastic quantization: A review 1979[7]
The Onsager-Machlup Lagrangian and the Optimal Control for Diffusion Processes 1980[8]
Schrödinger's variational method of quantization revisited 1980[9]
Stochastic calculus of variations 1980[10]
A path-probability representation for wavefunctions 1981[11]
Stochastic calculus of variations revisited 1986[12]
Computer stochastic mechanics 1988[13]
Stochastic neurodynamics 1988[14]
Quantum Measurement by Quantum Brain 1995[15]
Effect of anesthetics on the self-sustained oscillation in an artificial membrane induced by repetitive conformational change of DOPH molecules between hydrophilic and hydrophobic phases 1998[16]
保江邦夫: 物性若手夏の学校第41回「観測問題の本質と解決」(物性基礎論),1996
Y.Saito and K.Yasue: Frontier Perspectives, Vol.10,No.1(2001)28
Y.Saito and K.Yasue:大阪市立科学館研究報告 11,15-19(2001)


寄稿
『合気の継承』(木村達雄還暦記念文集)「兄弟子木村達雄の背中を見続けた四半世紀」平成19年


雑誌連載

『材料開発ジャーナル』
『数学セミナー』 理系のための知的好奇心 1995.6力学おもちゃから見た現代数学 1996.7方程式のある風景 ディラック方程式(上) 1996.12方程式のある風景 ディラック方程式(下) 1997.2
『素粒子研究』 量子論における最小作用原理(1)─確率解析学と確率変分学─‥‥70-6 (1985)量子論における最小作用原理(2)─確率量子化と量子の運動法則─‥‥71-2 (1985)量子論における最小作用原理(3)─最小作用の法則と量子力学─‥‥71-5 (1985)量子論における最小作用原理(4)─ザンブリニの構成理論─‥‥73-1 (1986)頭を使った場の量子論(治部 眞里)‥‥80-6 (1990)
『Futures Japan』 「なにわ金融工学道」と称し2002年6月から12月号に連載。
『ダ・ヴィンチ』第141号 一青窈のふむふむのヒトトキ:保江邦夫×一青窈 前編 テレポーテーションできるのは物質ではなく状態である
『ダ・ヴィンチ』第142号 一青窈のふむふむのヒトトキ:保江邦夫×一青窈 後編 エリア51の秘密について
『月刊秘伝』(BABジャパン)「物理学から見た崩しと合気」と称し隔月連載。平成22年10月号にて全18回終了。
『月刊秘伝』(BABジャパン 平成22年9月号「あの頃の佐川道場」佐川道場の先輩である塩坂洋一と対談。
『月刊秘伝』(BABジャパン)2011年3月号から「合気往復書簡集」と称して塩坂洋一と対談形式にて連載。
『月刊秘伝』(BABジャパン)2012年11月号「合気新時代への愛魂とチャックアーツ」
『月刊秘伝』(BABジャパン)2014年6月号「ミカエル・リャブコ(システマ創始者)と対談」


ブログ

空想科学私小説家顛末記という名のブログも存在する。


テレビ出演

ABCテレビ「クイズ!紳助くん」(大阪地上波では2010年3月15日放送)漫才コンビ「プラスマイナス」にアホ合気を野山道場にて指導。極真空手と対決。
NHK「ニュースコア6」(2010年4月22日 18:10〜)岡山武道館から道場での指導風景を生中継。
フジテレビ「クイズ!ヘキサゴンII」(2010年6月23日放送)物理学による護身術をスザンヌたちに教授したあと、「おバカさんは素晴らしい講座」を講義。
TBSテレビ「オールスター感謝祭」(2010年10月2日放送)早く物事に反応する方法をアホになることと解説し、芸人・演者にアホトレーニングを行い最強のアホガンマンが誕生。
OHKテレビ「ニョッキン7+th」(2010年10月22日放送)大学教授が教える、脳をダマしてウマく生活する方法とは!?
ABCテレビ「探偵ナイトスクープvsクイズ!紳助くん2010」(2010年12月31日放送)総集編を放送。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


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2019.02.09
【靖国神社】日本のおかげで植民地が独立したという構図
【韓国・北朝鮮は「独立」していないトンデモ説を披見】
https://rondan.net/7720
Contents

1 日本のおかげでアジアは白人支配から独立した!
2 第二次世界大戦後の各国独立
3 韓国と北朝鮮は独立していないという妙技

日本のおかげでアジアは白人支配から独立した!

大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は、建前上は白人列強の植民地支配からアジアを解放し、大東亜共栄圏を建設する聖戦である、と今も昔も吹聴され続けています。

歴史を振り返ると、日本は戦争に敗れ大東亜共栄圏建設の夢は破れたわけですが、その敗北を受け入れられないのか「確かに太平洋戦争に負けても、その後、植民地は解放されたから大東亜戦争には勝った」的な逆ギレ理論が度々確認されます。

例えば、ヘンリー・S・ストークス氏の『大東亜戦争は日本が勝った』(ハート出版, 2017)は、タイトルからしてこれを示しているでしょう。


ところで、靖国神社に併設される博物館「遊就館」においてもこれと同じ逆ギレ理論が確認されます。


第二次世界大戦後の各国独立

遊就館の戦後コーナーにも次のようなパネルがあり、大東亜戦争におかげでアジア民族が独立したと言わんばかりの主張がなされています。


日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。

アジア民族に独立が現実になったのは、太平洋戦争緒戦の日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることは無く、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。
『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.



そして、第二次世界大戦後に独立した各国を、その時期に応じて色分けして次のような地図を提示します。

https://rondan.net/7720
『國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.


アフリカの独立は全く無関係だろとツッコまずにはいられませんが、それよりも韓国と北朝鮮に色がついていないところがツボですね。


韓国と北朝鮮は独立していないという妙技

などと思いながら目を近づけて目録をよく見た所、すごい事実が判明しました。
拡大して比較したものを下にあげましたので、よく見比べてみてください。


https://rondan.net/7720
『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 107.


そうです。東南アジアとアフリカの諸国は「独立」なのですが、韓国と北朝鮮だけは「成立」なのですね。何なのでしょかこの差は…。

「大韓帝国」を独立国と見做していて、日本は植民地支配などしておらず、したがって独立などしていないと言いたいのでしょう。それとも、いまでも朝鮮半島は日本の植民領土で、独立などしていないと主張したいのかもしれません。

そんな恐ろしい靖国史観の一端でした…。

https://rondan.net/7720


6. 中川隆[-12174] koaQ7Jey 2019年2月14日 07:37:38: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240] 報告
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大東亜戦争は日本が勝った -英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」 – 2017/4/17
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E5%8B%9D%E3%81%A3%E3%81%9F-%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%80%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4802400292

内容紹介

「太平洋戦争」はアメリカの洗脳だった
この書は日本のプロパガンダではない。史実である。

日本よ 呪縛から解放されよ!

ヘンリー・S・ストークス 来日50年の総集編

世界史を俯瞰して明らかになった
大東亜戦争の真実

共産党などの左翼は、大東亜戦争は「侵略戦争」であったと言う。
そうであろうか? 史実を検証すると、そこには明らかに「アジア解放戦争」の側面が見て取れる。
アメリカの侵略戦争や、大英帝国の植民地支配での戦争とは、明らかに違った姿を現じている。

私は、大東亜戦争を日本がなぜ戦ったのか、その結果、何が世界に起こったのかは、世界文明史的な俯瞰をもってしてはじめて、明らかになるものだと、そう思い始めた。

世界文明史の中で、大東亜戦争を位置づけようというような野心的な試みは、一冊の本で果たせるものでもないが、その第一歩を英国人ジャーナリストの私が切り開くことで、世界中に多くの賛同者が出てくると、そう確信している。(本文より)


1章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
2章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
3章 日本は「和」の国である
4章 世界に冠たる日本の歴史
5章 オリエントにあった世界の文明と帝国
6章 侵略され侵略するイギリスの歴史
7章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
8章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
9章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
10章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
11章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
12章 日本は中国を侵略していない
13章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
14章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
15章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!


______


日本が果たした人類史に輝く大革命ー「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ – 2017/4/12
ヘンリー・S・ストークス (著), 植田剛彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AB%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%83%BC%E3%80%8C%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%B8-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4915237990


内容紹介

外国特派員協会の最長老が語った歴史の真実とは――

黒人のオバマ大統領や政治家、スポーツ選手達は、第2次大戦中の日本のめざましいアジア進攻がなければ、誕生しなかった…
人種差別の時代に、日の丸が燦然と輝き、アジア、アフリカの植民地は、次々と独立を果たし、世界の歴史は大転換した!

人種平等の、いまある世界を築いたのは、日本であった。

英国人ジャーナリスト、ストークス氏は、50余年前に来日、大英帝国の植民地をすべて奪った日本に、深い憎悪をいだき、邪悪な野蛮な残酷な民族である、との認識をもっていた。「日本=戦争犯罪国家」「南京大虐殺」を信じ込んでいた。

しかし、第三者的視点で日本とアジアの歴史を俯瞰したとき、その見方が誤りであると気づき、「欧米帝国主義下でのアジアや、アフリカの植民地支配と、日本の朝鮮、台湾統治やアジア同胞との関係は、まったく違ったものであることを、ハッキリと世界に知らせる必要がある」と語る。

植田剛彦氏は、150社が加盟する「マスコミ研究会」代表。韓国、朝鮮に精通している他、日本、欧米の近現代史に詳しい。幅広い教養、豊富な内外の情報にストークス氏も舌を巻き、「心から楽しみつつ、日本が取るべき道について、大いに実りある対談ができた」と絶賛。


出版社からのコメント

ヘンリー・S・ストークス氏は、64年、来日。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、『ロンドン・タイムズ』東京支局長、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。外国特派員協会の重鎮。

「私はフェアでありたい」と英国ジェントルマン精神を発揮、東京裁判、南京虐殺、従軍慰安婦等の戦勝国プロパガンダの欺瞞を明確に指摘した『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』は、10万部超のベストセラーとなった。

ベテランジャーナリスト・植田剛彦氏との対談は、日本近現代史の裏表をくまなく明かし、ケント・ギルバート氏が「私には教えられることが多く、知的興奮をおぼえながら読んだ」と後書きに記している。


人種平等の世界を築いたのは、日本であった!
日本のめざましいアジア進攻がなければ黒人のオバマ大統領や政治家、スポーツ選手等は誕生しなかった。イギリス人の大記者と熱く語る。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ストークス,ヘンリー・S.
1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、64年、来日。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、67年、『ロンドン・タイムズ』東京支局長、78年、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる

植田/剛彦
評論家、ジャーナリスト。1945年、甲府市生まれ。マスコミ研究会代表。報知新聞社、国際ニュース『ニューストラック・ジャパン』編集長などに就任後、執筆活動に入る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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2019.02.09
【トンデモ】『大東亜戦争は日本が勝った』H・S・ストークス|ハート出版, 201
https://rondan.net/624


Contents

1 自画自賛の変容
2 『大東亜戦争は日本が勝った』の目次
3 神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない不可思議さ
4 まとめ


自画自賛の変容

自分で自分を褒めてもみっともない。ましてや日本人が日本人を褒めだすというのは恥ずかしい。そこで、外国人に日本を称賛させようという、さらに恥ずかしい本が最近増えています。


たとえば、井上和彦『ありがとう日本軍:アジアのために勇敢に戦ったサムライたち』(PHP研究所, 2015)は、東南アジア諸国を歴遊して、日本を褒めてるくれる人にインタビューして、それを纏めて「日本スゴイ」本にしてしまったという恐るべき書です。

保守が言われる「美しい日本の心」を持っているのならば、とてもではないがそんな恥ずかしい本は出せない筈なのですが、この井上和彦氏はこの様な類書を数多く刊行されています。

また、外国人著者による日本語の「日本スゴイ」本も興隆を極めています。

ケント・ギルバート氏はこの典型であり、これまでに三十冊以上の書籍を刊行しています。もちろんこれはケント・ギルバート氏が一人で書いたものではなく、いわばプロデューサーがいて、代筆する人がいて、それを「ケント・ギルバート」というブランドで出すという意味です(『ニューズウィーク日本版』2018.10.30)。

したがってケント・ギルバート本は、同氏の思想を語るものではなく、それをプロデュースしているチームのイデオロギーを反映するものです。つまり、日本人が愛国嫌韓嫌中の発言をしても説得力が無いので、権威がありそうな外国人に語らせているだけのことです。

これとよく似た構造は、ヘンリー・S・ストークス氏の著書にも確認されます。同氏は植田剛彦氏との対談本『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』を刊行しています。

この恥ずかしすぎるタイトルが物語っているように、内容は

「大東亜戦争は植民地解放の聖戦であり、そのおかげで有色人種が白人の植民地支配から脱却できた」

というものです。


今回取り上げたいのは、このヘンリー・S・ストークス氏の単著『大東亜戦争は日本が勝った』(訳・構成:藤田裕行)です。これまた恥ずかしすぎるタイトルですが、このオカシナ本を検討していきたいと思います。


『大東亜戦争は日本が勝った』の目次


目次を見れば、その内容に察しが付くため、少々長いですが目次をあげます。(興味のない方は飛ばされても大丈夫です)


はじめに

第一章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
 日本は本当に敗戦国だったのか?
 大英帝国を滅ぼしたのは誰か?
 大東亜戦争に勝ったのは日本だった!

第二章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
 大東亜戦争の果たした世界史的な偉業
 日本が閣議決定した正式な戦争名を、日本のメディアが使えない
 アジアを日本が侵略した?
 『人種戦争』が描く、大東亜戦争の姿
 世界で最初に、人種平等を訴えた日本
 有色人種に同胞意識を持っていた日本
 『人種戦争』による日本の戦争の大義
 中国人は、日本軍を救世主と崇めた
 日本軍を手助けし、イギリス人と戦った中国人
 全く逆転した人種の立場
 日本はアジアの「希望の光」だった

第三章 日本は「和」の国である
 日本人は、対立概念を超克しようとする
 神道は「エコ信仰」──二十一世紀の「世界の信仰」のモデル
 『古事記』に描かれた宇宙創始の世界
 日本では、神々も相談して物事を決める
 日本に民主主義をもたらしたのは、アメリカではない!

第四章 世界に冠たる日本の歴史
 古代からひとつの王朝が続く日本
 産経新聞の『歴史戦』コラムで取り上げられる
 物事は、見る人によって違って見える
 日本を西洋の尺度で測った愚かさ
 日本が世界に誇れる「万世一系」
 天皇によって一つの王朝を続けてきた日本
 先史時代の文明が断絶されているアメリカ
 地政学的に似ている日本とイギリス
 四千五百年前の遺跡「ストーン・ヘンジ」
 五千五百年前に地上六階建てのマンションと同じ高層建築物を建てていた日本
 世界四大文明よりも古い日本の文明
 旧石器時代から侵略されることなくずっと民族が続いて現在に至る国
 日本には、世界を驚愕させる古代からの来歴がある
 神武天皇は、実在した!

第五章 オリエントにあった世界の文明と帝国
 千年、万年のスパンで見なければわからない
 日本文明を独立したものと位置付けたハンチントン
 かつて偉大な文明は全てオリエントにあった
 混迷するイラクは、聖書の地
 古代メソポタミアの民族興亡
 独立し安定していたエジプト文明
 ギリシア文明は、西洋の文明にあらず
 ペルシア戦争とギリシア文化の広がり
 古代ローマとエジプトの接触
 短期間に巨大帝国となったイスラム
 「ユーラシアの覇者」モンゴル帝国
 インド・ムガール帝国の興亡

第六章 侵略され侵略するイギリスの歴史
 侵略されることから始まるイギリスの歴史
 ブリタニアの時代のブリテン島
 イギリス人の神話としての『アーサー王物語』
 ブリテン島におけるキリスト教の歴史
 イングランド王国の誕生とその波乱の歴史
 ブリテン島をめぐる四カ国の歴史
 ノルマン朝とイングランド王ヘンリー一世
 イギリスとフランスの関係を語る「二重王国」と「百年戦争」
 大航海時代の幕開け
 帝国を築く礎となった海賊たち
 清教徒革命の勃発
 イングランド共和国の樹立
 軍を抑制し始めた議会
 王政復古とその条件
 なぜ王政は、危機に陥ったのか
 国王の権力と暴力革命を抑制したイギリス議会
 太陽が沈まない帝国の誕生
 英仏によるインド争奪戦
 世界で始まった大英帝国による覇権戦争
 大英帝国の日本侵略「長崎フェートン号事件」
 支那で勃発した「アヘン戦争」
 インドにおけるイギリス植民地支配への抵抗運動

第七章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
 「先コロンブス期」の南北アメリカ
 アメリカ大陸を植民地化したノース人
 秀吉の「伴天連追放令」の背景
 聖書の神のモーゼへの命令
 鎖国政策を取った幕府の鋭い外交方針
 ローマ法王によって、加速された大虐殺と奴隷制度
 新大陸で悲惨に酷使された黒人奴隷
 奴隷制度を支持したアメリカ民主党と廃止を訴えた共和党
 共和党初代リンカーン大統領就任と南北戦争
 アメリカの黒人奴隷時代に、日本では世界一の都市と文化が栄えていた
 江戸の治安は、東京よりも良かった
 江戸の庶民は、世界一文化的な生活を送っていた
 江戸の日本は、世界史に類例のないほど教育が普及していた

第八章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
 黒船艦隊はシェルガンで武装し、日本をキリスト教化しようと脅迫した
 ヨーロッパのアジア侵略に慄然としたペリー提督
 「マニフェスト・デスティニー」の西部開拓は、太平洋の侵略へ
 大航海時代のスーパースター「クック船長」の大冒険物語
 クックの最期
 尊王攘夷は、日本防衛と国体護持のためだった
 ジャーディン・マセソン商会の暗躍

第九章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
 白人キリスト教徒によるフィリピン侵略
 ホセ・リサールとフィリピン独立運動
 米西戦争で、アメリカがスペインにとって代わる
 独立軍を殲滅にかかったマッカーサー親子
 日露戦争での日本の勝利に歓喜したフィリピン民衆

第十章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
 大日本帝国は、侵略ではなく、防衛のための帝国だった
 白人帝国ロシア南下の脅威
 三国干渉という白人列強の侵略行為
 日英同盟はなぜ締結されたのか
 日本による人種差別撤廃提案はなぜふみにじられたか
 日英同盟廃止を望むアメリカの思惑
 ワシントン軍縮会議の謀略

第十一章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
 日本はアジア最後の砦だった
 日本の朝鮮統治は「植民地支配」ではない
 日本の統治についてデタラメを書く韓国の国定教科書
 人種平等の理念に基づいた「皇民化」教育
 朝鮮王族に嫁いだ日本の皇族・李方子女王
 八紘一宇は、「世界は一家、人類は皆兄弟」という日本の理想
 大和の国・日本には、八百万の神々がいる

第十二章 日本は中国を侵略していない
 国連で「侵略戦争」が定義されたのは「一九七四年十二月」
 日本の満洲への進出は、侵略ではない
 日露戦争の勝利で満洲の権益を獲得した日本
 中国には匪賊が各地に割拠していた
 満洲の在留邦人の保護
 五族協和・王道楽土の満洲国
 日本の大陸への進出は、「パリ不戦条約」を侵していない!
 支那事変は、日本の侵略戦争ではない!

第十三章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
 我々は、もっと真実を知る必要がある
 中国の航空部隊のパイロットは、アメリカの偽装「退役軍人」だった
 戦争を仕掛けたのは、アメリカか、日本か
 日本軍航空部隊との交戦
 中国で航空ビジネスを仕掛ける
 ルーズベルト大統領が、チャイナ・ロビーに応えた
 共同謀議をしていたのは、アメリカだった!
 シェノールトの「日本爆撃計画」
 武器貸与法を議会に提議したルーズベルト大統領
 アメリカによる対日経済封鎖と輸送船への攻撃
 日米戦争を引き起こした元凶の書

第十四章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
 大統領による裏切り行為
 日本に対米戦争を起こさせるための八項目
 挑発目的での巡洋艦の出没
 合衆国艦隊司令長官がルーズベルトに反旗
 暗号解読を活用したマッカラム
 「真珠湾の奇襲」は、アメリカの罠だった!
 泳がされていた帝国のスパイ
 太平洋戦争は、アメリカの「侵略戦争」だ

第十五章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!
 大東亜戦争の虚妄と真実
 大東亜戦争開戦七十周年記念での講演
 大英帝国が刺し違えた日本
 大東亜戦争を高く評価したイギリス人
 大東亜戦争は、アジア解放戦争だった
 “空の神兵”の偉業
 アジアの人々は、日本軍を歓喜して迎えた
 日本よ、大東亜戦争の大義を世界に伝えよ!
 神州不滅を期して

この目次の構成を見ていただければ解るように、タイトルと本の内容にはかなり隔たりがあり、大東亜戦争だけに絞った内容ではなく、保守が主張する歴史修正のエッセンスを散りばめた体裁とっています。

タイトルにもある「大東亜戦争は日本が勝った」とする根拠は、単に

「大東亜戦争は植民地解放戦争で、戦後、アジア諸民族は独立できたので当初の目的は達成された。ゆえに日本の勝利」

という逆切れ理論であり、これの独自性を検討しようにも、それ以上でもそれ以下でもない誠にありふれた保守言論のコピペです。

ところでヘンリー・ストークス氏はイギリス人だそうですが、イギリス的要素は、「第六章 侵略され侵略するイギリスの歴史」と、「第十五章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!」くらいしかありません。

この様な構成内容からも、本書が「ヘンリー・ストークス」ブランドによって出された保守本であることは明確でしょう。


神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない不可思議さ

こういうSF小説を真剣に読んで粗探しすること自体エレガントではないのですが、既に目次の表題の段階で不思議な箇所もあるので指摘しておきます。

それは、第四章に収載される「神武天皇は、実在した!」項と、第六章に収載される「イギリス人の神話としての『アーサー王物語』」項です。

なんとストークス氏は神武天皇の実在を信じてしまい、それが信じられないのはGHQの占領政策の影響であり、これらは「神話」ではなく「現実の来歴」であると断言します。


古事記の中の天皇に関する記載が、神武天皇は多いのに、その後の八代の天皇の事績に関しては極めて少ない。そこで「欠史八代」などと言って、神武天皇の実在を疑問視する進歩的文化人が終戦後から跋扈し始めた。これもGHQの占領政策の影響である。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 77


これは「神話」ではなく現実の来歴であるが、外国人の私には、まるで「神話」のように、御伽噺のように聞こえてしまうのだ。それほど「有り得ない」ことが、この地上で起こっているのが、日本という国なのである。日本人は、このことに大いに誇りを持つべきだ。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 76
……。

いやいやいやいや、その古事記の記述は「神話」ですって! 
なんで、神話的記述が実際に起こったと信じれて、「日本スゴイ」って結論になるのよ!? 

と突っ込まずにはいられません。歴史家でもないストークス氏に神武天皇の実在性を語らせて何の意味があるのでしょうか。

一方、ストークス氏は、こんなに記紀神話をヨイショしてくれるのに、自国の誇りアーサー王については「神話」であって実在しないとあっさり片付けます。


ブリトン人のアーサー王については実在したという説もあるが、あくまで伝説である。五世紀頃のことがイギリスでは「神話」になっていると言ってもいい。
 ヘンリー・S・ストークス『大東亜戦争は日本が勝った』ハート出版, 2017, p. 102



皆さんどう思われますか? 紀元前660年ごろにいたとされる神武天皇の実在は信じられるのに、紀元後5世紀ごろにいたとされるアーサー王の実在が信じられないイギリス人って一体。

たとえば、ある日本人がいて、歴史の専門家でもないのに、檀君(西暦前2370年ごろいたとされる古朝鮮の王)の実在を主張して、聖徳太子(紀元後6世紀ごろ)の実在を否定する人物がいたら(しかも韓国で活動していたら)、普通「ちょっと半島に関係されているイデオロギーの持ち主なのかなぁ」と考えて、その人のその発言を「歴史」としては信用しませんよね。

これとほぼ同じ構造の発言をヘンリー・ストークス氏は平然としてしまっているのです。いったいプロデューサー達は何を考えているのか…。

まとめ

本書は「神武天皇の実在は信じるのに、アーサー王の実在は信じない」というイギリス人ジャーナリストに、歴史を語らせてしまったという奇書でしょう。この本が語る歴史を信じる読者がいるということに驚きです。

https://rondan.net/624



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2019.02.09
【トンデモ】『日本が果たした人類史に輝く大革命:
「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』H・S・ストークス×植田剛彦(自由社, 2017)
https://rondan.net/114
Contents

1 「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命
2 『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次
3 「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度


「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命

今回は、H・S・ストークス×植田剛彦『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』(自由社, 2017)という自画自賛にも程があるタイトルの書を紹介したいと思います。

本書は、もとは2015年に刊行された『目覚めよ!日本』(日新報道)の改訂版のようで、新たにケント・ギルバート氏の解説を加えたようです。

タイトルからも予想できるようにその内容は、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)を「人類史に輝く大革命」と位置づけ、その大革命によって地球は「白人の惑星」から「人種平等の惑星」になったと主張します。


実際にあった出来事の主語と述語を極限まで拡大解釈して、自身の思想理念を語らせてしまうことは保守界隈の常套手段ですが、本書はその典型例でしょう。

本書のタイトルにある内容が事実であれば、大東亜戦争を起こした日本はノーベル平和賞を受賞していてもおかしくないはずなのですが、そのような気配は一向に見られません。どうも保守界隈の認識というものは、世界の常識とはかけ離れているようです。

もちろんこの常識を修正することが保守の目標なわけですが、あまりに荒唐無稽な理論を展開してしまうと、かえって目標を達成できなくなってしまうのないかと危惧します。


『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次

まずは目次を確認してみましょう。細目まであげます。


まえがき ヘンリー・S・ストークス

第一章 日本よ、目覚めなさい!連合国戦勝史観の呪縛からの脱却
 東京裁判は勝者の復讐劇≠セった
 ペリーが種を播き、マッカーサーが刈りとった
 反日思潮に惑わされず、歴史の真実を学び、誇りある国へ
 アジアを独立させたのは日本の進攻だった

第二章 「朝日新聞」の売国キャンペーン≠許してはならない
 日本を攻撃する中韓両国と、手を貸す朝日新聞
 韓国は日本の善意を蔑ろにした
 NHKまで中韓のプロパガンダのお先棒をかついでいる
 慰安婦とは売春婦そのものだった
 無責任な平和主義が日本人の背骨を冒している
 慰安婦をなくすのは戦争をなくすのと同じように難しい
 韓国はソウルの国会前とアメリカ大使館前に「慰安婦像」を設置すべきだ
 日本人が日本を貶める醜さ
 謝罪は罪を認めること、認めれば償いが伴う

第三章 日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった
 満州国士官学校に血書志願した朴正煕大統領
 朝鮮は日韓併合によって近代国家になった
 日本はアジアを大きな家族と見て、朝鮮を豊かに発展させた

第四章 原爆許すまじ
 裁かれるべきはアメリカだ
 日本国憲法は日本「属国化」のための手枷足枷である
 大東亜戦争によって世界の秩序を変えた日本
 「大東亜戦争」を「太平洋戦争」にすり変えたアメリカの奸計
 日本はイギリスをモデルにして「諜報世界」に強くなる必要がある

第五章 南京大虐殺のウソ
 大東亜戦争は自衛戦争であり、同時にアジアを解放した
 東京裁判は「裁判」の名を偽った復讐劇だった
 東京裁判がデッチあげた南京大虐殺

第六章 三島由紀夫とは何だったのか
 三島由紀夫は「殉教」を選んだ
 三島は日本のダヌンツィオ≠セった
 いつ、三島の心≠ェ理解されるのか

第七章 日本の再生に向けて、過去を脱却し力強い未来を築け!
 世界一の日本文化をもっと発信しよう
 危機にあって、なお光る日本人の「思いやり」 ここが共通するイギリス人と日本人
 ユーモア感覚 イギリスと日本は共通項が多い
 日本は異質なものまで受け入れ、昇華して独自の文化を育んだ
 島国にはハイブリッドの文化が醸成される 日本は日本を取り戻せ

解 説 ケント・ギルバート


目次からも明らかなように、実際には「人類史に輝く大革命」だの「白人の惑星」だの「人種平等の惑星」だのといった大げさな話は殆ど出てきません。むしろ、朝日新聞批判、中韓批判、原爆投下批判、南京大虐殺否定論、慰安婦批判などがコンテンツの大部分を占めています。

タイトルが内容がほとんど一致しないという点も、昨今の保守本の傾向の一つです。


「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度

この手の保守本に散見される矛盾が本書にも如実に現れるので、その点を指摘したいと思います。

著者の一人、植田剛彦氏は、

黒人のオバマ大統領が登場したのは日本が白人支配を一掃したからだとか、
日本人は他のアジア人を身近な兄弟として感じていたとか、
日本には民族平等の世界を実現したいという悲願があったとか、
日本人がいかに平等を尊び慈愛と思いやりに満ちた善良な存在であるのか

を強調しています。

にもかからず中国・韓国については

「韓国は日本の善意を蔑ろにした」とか、
「中国と、韓国は日本の国際的な評価を傷つけて」いるとか、
「韓国は世界最大の売春婦の輸出国」だとか、
「日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった」とか、
「慰安婦は売春婦そのものだった」とか、

極めて偏狭な言説をしています。これらの中韓への発言は、彼らが強調していた日本人の美徳と、全く矛盾しているように思えます。

著者の植田剛彦氏は、自身を「品行方正な男性」とまで自画自賛していますが(p. 66)、このような矛盾に全く気がついておられないところに、保守論壇の視野の狭さを感じずにはいられません。

https://rondan.net/114


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c15

[昼休み53] 阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
23. 中川隆[-12163] koaQ7Jey 2019年2月14日 10:24:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

原発の専門家だった武田邦彦は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/238.html


理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/239.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html#c23

[リバイバル4] ヴォルテールの言葉 「僕は君の意見には反対だ。しかし、君がそう主張する権利は、僕が命をかけて守る」 中川隆
4. 中川隆[-12162] koaQ7Jey 2019年2月14日 10:49:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

言論の自由についての私見(再録) - 内田樹の研究室 2019-02-14
http://blog.tatsuru.com/2019/02/14_0903.html


安倍首相が国会で民主党政権の時代を「悪夢」と評したことについて批判を受けた。
それについて「私には言論の自由がある」という反論をした。
どうもこの人は(この人に限らず)「言論の自由」という概念を勘違いして使用している人が多いように思われる。
「言論の自由」について私の原則的な立場はいまから10年以上前に書いた以下の文章に尽くされている。
2008年6月に書いたもので、若干「それ何の話?」というような昔のことにも言及しているけれど、その辺はスルーして欲しい。

言論の自由についての私見
9年前にインターネットにホームページというものを開設したときに、一つ自分にルールを課した。それは必ず固有名で発信し、自分の発言については責任を引き受けるということである。
実利的な理由もあった。
私も学者である以上、万が一他の誰もまだ述べていないようなオリジナルな学術的知見を発見する可能性は絶無ではない。その場合、当該学術情報についてのプライオリティは私に属する。
むろん、文学研究のような浮世離れした世界では、そのようなプライオリティが現実的な利益(特許権とか)をもたらすことはほとんどない。しかし、「このアイディアを最初に思いついた人」として人に知られるのは(そのアイディアの被引用回数が増えると)なかなか愉快なことである。だから、何かアイディアを思いついたら「固有名のタグ」をつけておくことにしたのである(書き留めておかないと翌日には忘れてしまい、自分の論文にさえ使うことができないというより実利的な理由もあったが)。
紙媒体に寄稿したテクストも、ブログのテクストも、だから私の場合、原則は同じである。「自分の書いたことについては、その責任を引き受ける」、「自分が書いたことがもたらす利得については、それを占有するにやぶさかではない」。わかりやすい理屈だと思う。
ところが、この「わかりやすい話」がインターネット上ではなぜか通用しない。現在ネット上で発言している人の大部分は匿名の書き手だからである。
率直に申し上げて、私は彼らが匿名を貫く理由がうまく理解できないのである。
どうして、自分の書いたものに責任を取ろうとしないのか?どうして、自分の書いたことがもたらす利得を確保しようとしないのか?
この二つの問いのうちでは、第二の問いの方が答えやすそうだから、こちらから先に手を付けよう。
どうして、自分の書いたことがもたらす利得を確保しようとしないのか?
理由はわりと簡単である。それは書かれたテクストが書き手に利得をもたらす可能性がきわめて低いからである。
ノーベル賞級の科学的発見をした人がインターネットに匿名で自分の仮説を公開するということは考えにくい(今のところ一人もいない)。
知的所有権のもたらす利益が大きいであることが予測される場合、人はふつう匿名を選択しない。だから、匿名者が知的所有権(いやな言葉だが)を主張しないのは、合理的に推論すれば、自分が発信しているメッセージが知的に無価値であるということを彼ら自身が知っているからである。「これを書いたのは誰だろう?ぜひ、この人の書き物を本にしたい」とか「この人のアイディアでビジネスを始めたい」とか「この人にしかるべきポストをオッファーしたい」ということがありうると思っていれば、誰でも自分が何者であるかを明らかにする。それをしないのは、自分の書き物には学術的先見性であれ芸術的独創性であれ、知的価値のあるものは含まれていないという評価を本人自身が下しているからである。
にもかかわらず毎日数百万、数千万の人々が匿名での発信を続けている。だとすると、「知的に無価値なこと」を書くことによっても、やはり彼らは何らかの「利得」を手に入れていると考えなければならない。人は何の利益もないことをこれほど懸命にはやらない。
この場合に彼らが得ている「利得」はさしあたり「知的所有権」とか「知的価値」というような言葉で実定的に計量できるものではない。
では、彼らは何を手に入れているのだろう。
おそらく、彼らは「他者の逸失利得」を自分の「売り上げ」に計上しているのである。
そう考えてはじめてネット上の匿名の発言の相当数が「批判する言葉」であることの説明がつく。彼らの目から見て「不当な利益を占有している」と思われる他者が、その社会的地位や威信やポピュラリティを失うことを「自己利益の達成」とみなす奇習を身体化してなければ、こういうことは起こらない。
自分自身には直接的利益をもたらさないけれど、他者が何かを失い、傷つき、穢されることを間接的利益として悦ぶという言論のありようを言う適切な日本語がある。
「呪い」というのがそれである。
匿名の発言の多くが「呪い」の語を発しているということが知れると、「なぜ彼らは自分の書いたものの責任を取ろうとしないのか?」という問いにも自動的に答えが出る。
それは発した言葉が発信者に戻ってくると、それは発信者自身をしばしば致命的に傷つけ、損なうからである。「呪いを発信する人」として知られることは、現代のような近代社会においても、その人の社会的信用を損ない、友人や家族からの信頼を傷つけるに十分である(言葉遣いが激しい場合には刑法上の罪に問われることもある)。だから、mixiのように、発信者が誰であるかを(小さな内輪の集団内では)特定可能である場合には、公共的には匿名性が担保されていても、「呪い」の言葉はほとんど見ることができない。
呪いの発信者として名が知られるということは、現代社会においても致命的だということを彼らは知っているのである。
呪いの言葉は触れるすべてのものを侵す。だから、発信者は自分が吐き出した「毒液」から身を避けなければならない。匿名は毒から身をかわすための「シールド」である。彼らは単に刑法上の罪を問われることを恐れてそうしているだけではない、自分がそのように危険な言葉の発信者であるという事実を自分自身に対してさえ隠蔽したいのである。
しかし、匿名での罵倒中傷によって人を傷つけ、それによって他者がこうむる社会的な損失や心理的な傷をおのれの「得点」にカウントするというこの「呪い」の習慣は、今の私たちの社会では「言論の自由」の名において擁護されている。
私は「呪いの言葉」も「言論の自由」という大義において擁護されるべきかどうかという原理的な問題について考えてみたいと思う。

議論の第一の前提は私たちの社会は言論の自由が抑圧されている社会ではないということである。
むろん、「日本には言論の自由が存在しない」と主張する人もいる。ある高名な社会学者が最近そう書いていた。けれども現にこの人に潤沢に提供されている発言機会を勘定に入れると、その主張に同意することは私にはできない。少なくとも私の場合に限って言えば、これまで言論の自由を具体的に侵された経験を持たない。さまざまな機会に、私は政治家や官僚や財界人や知識人を批判してきた。学生の頃などは、さらに勢いに乗って、革命による現政権の転覆の喫緊であることなどを書いたけれど、そのときも誰からも「そのようなことは書くな」という圧力を受けたことがない。私が操觚の人となったのちでも、「そのようなことを書いてもらっては困る」ということを言ってきたのは新聞社二社だけである。これらの新聞社はつね日頃から「言論の自由」をたいへん声高に主張しているところであった。彼らもまたさきの知識人と同じく「日本には言論の自由が存在しない」と信じており、「言論の自由が存在しない」という原事実をその寄稿者にまず経験させるべきだと考えたのかも知れない。
冗談で言っているのではない。
「言論の自由は存在しない」ということを平然と言える人間は、まさにその自らの発言に呪縛されるからである。その自己呪縛のメカニズムについては、またのちに論じる。
もう一度繰り返すが、私たちの社会は言論の自由が抑圧されている社会ではない。そうではなくて、「言論の自由」という概念が誤解されている社会なのだと私は思っている。
私たちは「言論の自由」という概念をどう誤解しているのか。それを解明するために、まず言論の自由についての予備的な確認から始めよう。
私の立てる第一命題は次のようなものである。
あらゆる言葉はそれが誰かに聞き届けられるためのものである限り口にされる権利がある。
これが「言論の自由」の根本原理と私の信じるものである。およそ人間の脳裏に生じたすべての言葉は、それが人間の脳裏に生じたという一事を以て、何らかの人間的真理を表示している。そして、どのようなものであれ(それが人間の底知れぬ邪悪さや愚かさについての真理であっても)、人間にかかわる真理は沈黙に勝る。
私はそう信じている。「言論の自由」にかかわるすべての推論はここから出発する。
そんなことわかりきったことじゃないかと言う人がいるだろう。そうだろうか。それほどわかりきったことだろうか。私はそうでもないと思う。具体的な例を取り上げてみよう。
少し前にヨーロッパに歴史修正主義という思潮が登場した。その中の一人にフランスの歴史学者ロベール・フォーリソンという人がいて、ナチスのユダヤ人強制収容所にはガス室はなかった、ユダヤ人たちは伝染病で死んだという説をなしたことがあった(この説を真に受けた日本人が『マルコポーロ』という雑誌にそのことを書いて、イスラエル大使館とユダヤ人人権団体の抗議で雑誌そのものが廃刊になったことがあったことをご記憶の方もいるだろう)。当然のようにヨーロッパのメディアはこの説に烈しい攻撃を加えた。
このときアメリカの言語学者ノーム・チョムスキーは、「言論の自由」を擁護する立場から、人は誰であれ言いたいことを言う権利があり、とりわけ、その意見が人々の神経を逆なでするようなものの場合は、一層擁護されねばならないと書いた。
「議論の余地なく自明のことは、表現の自由の擁護は自分が賛同する意見にのみ限定されるべきではなく、すべての人がそれを耐え難いものとみなすような見解においてこそ、もっとも力強く擁護されるべきであるということである。」(Noam Chomsky, 'Quelques commentaires élémentaires sur le droit à la liberté d'expression', in Robert Faurisson, Mémoire en Défense, La Vieille Taupe,1980,p.XII)
チョムスキー自身はフォーリソンの説にはまったく同意できないと書いている。説くところには同意できないけれど、私は自分が同意できない科学的理説を公開する権利を擁護したい。チョムスキーはそう述べた。
美しい言葉だ。けれども、私はこのチョムスキーの擁護論に軽々には同意することができない。それはフォーリソンが誰に向かって、何を成し遂げようとしてその言葉を語っているのかということをチョムスキーが問わなかったからである。
ことの真偽はともあれ、それによって傷つく人がどれほどいようと、汚される価値がどれほどあろうと、誰にでも言いたいことを言う権利はあるという言葉に私は同意しない。私たちは無人の荒野で、空に向かって語っているわけではないからだ。
すべての言葉はそれを聴く人、読む人がいる。
私たちが発語するのは、言葉が受信する人々に受け容れられ、聴き入れられ、できることなら、同意されることを望んでいるからである。だとすれば、そのとき、発信者には受信者に対する「敬意」がなくてはすまされまい。
発語は本質的に懇請である。私はそう思っている。聞き届けられることを望まないで語られる言葉というものは存在しない。そして、もし、その言葉がチョムスキーの言うように「すべての人がそれを耐え難いものとみなすような見解」であるならば、それだけ一層、それを提示するときに、受信者に対する敬意がなくてはすまされないと私は思う。
言論の自由が問題になるときには、まずその発言者に受信者の知性や倫理性に対する敬意が十分に含まれているかどうかが問われなければならない。というのは、受信者に対する敬意がなければ言論の自由にはもう存在する意味がないからである。
メッセージはその正否真偽を審問される場に差し出されるとき、「その正否真偽を審問する場」の威信を認めなければならない。そこで真として受け容れられることを望み、そこで偽として退けられることを望まない、という基本的な構えを放棄するようなメッセージは「言論の自由」の請求権を放棄しているのと同じことである。
「私は誰がどう思おうと言いたいことを言う。この世界に私の意見に同意する人間が一人もいなくても、私はそれによって少しも傷つかない。私の語ることの真理性は、それに同意する人間が一人もいなくても、少しも揺るがない」という人間には「言論の自由」を請求する権利がない。私はそう考える。
「私は誰の承認も得なくても、つねに正しい」と言う人が「言論の自由」を求めるのは、「すべての貨幣は幻想であり、無価値である」と主張する人間が、その主張を記した自著の印税を求めるのと同じく背理的である。というのは、「言論の自由」とはまさに「他者に承認される機会を求めること」に他ならないからである。
「言論の自由」は、自分の発する言葉の正否真偽について、その価値と意味について、それが記憶されるべきものか忘却に任されるべきものかどうか吟味し査定するのは私ではなく他者たちであるという約定に同意署名する人間だけに請求権がある。自分が発する言葉は、他者に聴き取られなくても、同意されなくても、信認されなくても、その意味と価値をいささかも減じないと言い張る人間には「言論の自由」を請求する権利がない。なぜなら、彼の言葉は他者たちの場に差し出されるに先立って、すでに真理であることが確定しているからである。もし、言論の正否真偽を審問する場の成立に先立って、すでに真理である言葉が存在しうるなら、「自由な言論の場」に存在理由はない。
言論の自由とは端的に「誰でも言いたいことを言う権利がある」ということではない。発言の正否真偽を判定するのは、発言者本人ではなく(もちろん「神」や独裁者でもなく)、「自由な言論のゆきかう場」そのものであるという同意のことである。言論がそこに差し出されることによって、真偽を問われ、正否を吟味され、効果を査定される、そのような「場が存在する」ということへの信用供与抜きに「言論の自由」はありえない。
むろん、つねに正しく言論の価値を査定する「場」が存在するというのは、ある種の「空語」である。
自由な言論の場では、すべての真なる命題は必ず顕彰され、すべての偽なる命題は必ず退けられると信じるほど私は楽観的な人間ではない。しかし、現実的に楽観的でありえないということと、原理的に楽観的であらねばならないというのは次元の違う話である。
私は「言論の自由が確保されていれば、言論の価値が正しく査定される可能性はそうでない場合よりはるかに高い」ということを信じる。
そして、この信念はそのような「場」に対する敬意として表現されるほかない。
私が言葉を差し出す相手がいる。それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど情緒的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信認だけが自由な言論の場を起動させる。その原理は言語や親族や貨幣のような制度が起動する場合と変わらない。まず他者への贈与があり、それから、運動が始まる。
「場の審判力」への無償の信認からしか言論の自由な往還は始まらない。
もし、言論が自由に行き交うこの場の「価値判定力」を信じなかったら、私たちは何を信じればよいのか。
「場の審判力」を信じられない人間は、「私の言うことは正しい」ということを前件にして言葉を語り出すことしかできない。「お前たちが私の言うことを否定しようと、反対しようと、それによって私の言うことの真理性は少しも揺るがない」と言わなければならない。
しかし、もしそうだとしたら、彼には「自由な言論が行き交う場」に言葉を差し出さなければならないいかなる必然性があるのだろうか。せいぜい、洗脳、宣伝、教化のために功利的に利用することしかできまい。むろん、その場合には、彼の言葉に対するすべての疑問や異議申し立ては「真理」の名において退けられる。だが、そのような言論のありようを「言論の自由」のみごとな実現であると思う人間は一人もいない。
言論の自由とは、まさにその「場の審判力」に対する信認のことだからである。言論において私たちが共有できるのは、それぞれの真理ではない(それは「それぞれの真理」であるという時点ですでに共有されていない)。私たち「それぞれの真理」の理非が判定される「共同的な場」が存在するということについての合意だけである。
そのような「場」はレディメイドのものとして、制度的にごろりとそこにある、というものではない。それは私たちが身銭を切って、額に汗して、創り出さなければならないものである。
だからこそ、「日本には言論の自由がない」と書いた社会学者の言葉に私はつよい違和感を覚えたのである。「言論の自由」とは「場の審判力に対する信認」のことであり、「私は私が今発している当の言葉の正否真偽を査定する場の審判力を信じる」という遂行的な「誓い」の言葉を通じてしか実現しない。そのような場は「存在するか、しないか」という事実認知的なレベルではなく、そのような場を「存在させるか、させないか」という遂行的なレベルに出来するのである。「場への信認」は私が今現に言葉を差し出している当の相手の知性と倫理性に対する敬意を通じて、今この場で構築される他ないのである。「言論の自由」はどこかにかたちある制度として存在しているわけではない。そうではなくて、今ここで、私たちが言葉を発する当のその瞬間に私たちが「身銭を切って」成就しつつあるものなのである。

むろん、私の差し出したメッセージが「偽」の判定を受けて退けられる可能性はつねにある。だから、私は私の主張が相当数の人にとって「耐え難いもの」であると思われる場合には(例えば私が今主張していることは「理解し難い」ことの一つである)、できる限り論理的に、情理を尽くして、理解を得られるように言葉を選ぶことにしている。

正しさを担保するのは正しさではない(それは「私は正しい。なぜなら私は正しいからだ」という原理主義的な同語反復にしか帰着しない)。正しさを担保するのは正否の判定を他者に付託できるという人間的事実である。

誤解されないように急いで付け加えるが、この付託は現に他者たちが過たず真偽正否の判定を下すという事実に基礎づけられているのではない。そうではなくて、この付託によって、真偽正否の判定を下しうるような知性と倫理性に「生き延びるチャンスを与える」ことができるという事実に基礎づけられているのである。
信認だけが、人間を信認に耐えるものにする。

そのことを私は「受信者への敬意」、「受信者への予祝」、あるいは端的にディセンシー(decency 礼儀正しさ)と呼んでいるのである。
それは「呪い」の対極にあるところのものである。

私たちは今のところ言論の自由をゆたかに享受している。けれども、この事態を「言論の自由など存在しないと言い放つ自由」や「呪いの言葉を吐く自由」に矮小化する人々が「言論の自由」の基盤を休みなく掘り崩してるということについては十分に警戒的でなければならないと私は思っている。

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/106.html#c4

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
21. 中川隆[-12161] koaQ7Jey 2019年2月14日 11:05:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

新自由主義に対抗 反米の牙城となったベネズエラ 歴史的背景を見る 2019年2月14日
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10894

 ベネズエラを含むラテンアメリカは、16世紀にスペインやポルトガルによって征服され、カリブ海では先住民がほぼ全滅して、それに代わる労働力としてアフリカから黒人奴隷が連れてこられた歴史がある。19世紀以降はアメリカが米墨戦争でメキシコの半分を、米西戦争でキューバとプエルトリコを奪いとり、その後も軍事介入をくり返して「アメリカの裏庭」にしてきた。さらに1950年代からは、そのアメリカが世界最初の新自由主義の実験場にしようと策動してきた地域である。長年にわたって残酷な搾取と抑圧、軍事政権による弾圧を経験してきたラテンアメリカの人人は、アメリカからの独立と民主主義を求めて立ち上がり、2000年代には反米左翼政府を次次と誕生させた。

 新自由主義の実験場としての歴史は、1970年代のチリに始まる。

 1970年、チリの大統領選で人民連合のアジェンデが勝利し、それまでアメリカが支配していた世界一の規模の銅鉱業をはじめとして、同国の経済の主要部分を国有化する方針を打ち出した。権益の喪失を恐れたアメリカは、CIAを送り込んでチリの軍隊を訓練したうえ、1973年9月11日に将軍ピノチェットにクーデターを起こさせ、アジェンデを殺害し政権を掌握した。同時に数万人の市民を拘束し、そのうち数千人をサッカースタジアムなどでみせしめに処刑した。

 続いてピノチェットは、ミルトン・フリードマンらアメリカのシカゴ学派をチリに招いた。フリードマンらは、50年代からチリの留学生を教育しては新自由主義の伝道者としてラテンアメリカ全域に派遣して、政権転覆後の経済運営を周到に準備していた。


フリードマン

 フリードマンは「ショック療法が必要」といって、銀行をはじめ500の国営企業の民営化、外国からの輸入自由化、医療や教育を中心にした公共支出の削減、パンなど生活必需品の価格統制の撤廃などをおこなった。公立学校はバウチャーとチャーター・スクールにとってかわられ、医療費は利用の都度の現金払いに変わり、幼稚園も墓地も民営化された。軍事政権がおこなった最初の政策の一つが学校での牛乳の配給停止だったが、その結果、授業中に失神する子どもが増え、学校にまったく来なくなってしまう子どもも少なくなかったという。

 それでも新自由主義は「チリに奇跡をもたらした」ともてはやされ、フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞した。

 しかし、それから10年たった80年代半ば、チリの対外累積債務は140億jにまで膨れ上がり、超インフレが襲い、失業率はアジェンデ政府下の10倍となる30%に達してチリ経済は破綻した。1988年には45%の国民が貧困ライン以下の生活を強いられる一方、上位10%の富裕層の収入は83%も増大した。

 70年代にはチリに続いてアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにもアメリカの支援を受けた軍事政権が成立し、新自由主義の実験場となった。アルゼンチンで軍事政権がまずおこなったのは、ストライキの禁止と雇用主に労働者を自由に解雇できる権利を与えることだった。多国籍企業を歓迎するために外資の出資制限も撤廃し、何百社もの国営企業を売却した。

 これらの軍事政権が民衆の反抗を押さえつけるために共通してとったのが、反体制派を拉致して「行方不明」にするやり方で、その背後ではCIAが暗躍していた。アルゼンチンの軍事政権下で行方不明になった人は3万人にのぼり、そのうち8割以上が16〜18歳の若者だったといわれる。

 そして軍政の下で、大量の輸入製品を国内市場にあふれさせ、賃金を低く抑え、都合のいいときに労働者を解雇し、上がった利益は何の規制も受けずに本国に送金できたので、もっとも恩恵を受けたのはGMやフォード、クライスラー、メルセデス・ベンツなどの多国籍企業だった。

80年代の中南米 累積債務危機とIMF管理

 1980年代に入ると、1982年のメキシコの債務返済猶予宣言を皮切りに、ラテンアメリカでは累積債務危機が爆発した。地域全体の累積債務の総額は、1975年の685億jから、1982年には3184億jへと急膨張した。

 ここでIMF(国際通貨基金)や世界銀行がラテンアメリカ諸国に押しつけたのが、構造調整計画と呼ばれる新自由主義政策だった。それは債務返済を最優先にさせるため、国内産業保護、外資の規制、社会福祉政策などを撤廃させ、規制緩和、自由化、民営化を各国に強制した。公務員の削減や社会保障支出の削減、増税や公共料金引き上げがおこなわれた。公共企業の民営化・外資への売却や貿易の自由化が進められた。

 その結果、80年代にはほとんどの国で経済成長がマイナスになり、国民経済は破壊された。80年から89年の間に、この地域の一人当たりの所得は15%低下し、都市部での最低賃金はペルーで74%、メキシコで50%低下した。失業者の総数は全労働者の約44%に達した。

 「失われた10年」と呼ばれたこの80年代をへて、90年代に入って米ソ二極構造が崩壊するなか、アメリカはラテンアメリカへの新自由主義政策に拍車をかけた。1990年、米大統領ブッシュが米州イニシアチブ構想を打ち出し、94年には米州自由貿易圏構想を発表した。

 だが、厳しい緊縮政策と民営化によって失業者は増大する一方、対外債務は減るどころか増加の一途をたどり、ラテンアメリカ全体で7000億jをこえた。1999年、この地域の貧困人口は43・8%にのぼり、改革の恩恵は一握りの富裕層に偏り、植民地時代にさかのぼるきわめて不平等な社会構造があらわれた。

 ベネズエラを見てみると、ペレス政府(1989〜1993年)は、累積債務問題の解決といってIMFと合意書を交わし、緊縮財政政策を実行した。公共料金の大幅引き上げ、各種補助金の縮小・廃止、基礎生活物資(コメ、小麦粉、粉ミルク、医薬品など)の価格統制の廃止・自由化、付加価値税の導入などが短期間に進められ、国民生活に打撃を与えた。

 ペレス政府は1990年、政府管理下にあった三つの銀行を売却し、91年にはVIASA航空と国営電気通信会社CANTVを民営化した。CANTVに対しては、米電機メーカーGTEや電話会社AT&Tなどが地元企業と連合をくみ、出資比率40%で経営権を獲得した。

 価格自由化によって物価が2〜3倍に高騰する一方、所得税の最高税率や輸入自動車の関税を引き下げた。89〜98年のインフレ率は年平均53%にのぼった。貧困層が1982年の33・5%から、99年の67・3%へ増大し、そのうち半数以上が極貧層だった。1989年のバス運賃の大幅引き上げをきっかけに国民の不満が爆発し、1000人をこえる犠牲者を出したといわれるカラカソ大暴動が発生した。


バス料金の大幅値上げを契機にしたカラカソ暴動


新自由主義反対のシンボルとなったチャベス政府

 こうして新自由主義に反対するたたかいがラテンアメリカ全域に広がるなかで、1999年2月のベネズエラを皮切りに、2003年にブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアで、2004年にはウルグアイで、新自由主義と米州自由貿易圏を支持する親米政府があいついで打倒され、反米左翼政府が誕生した。

 なかでもラテンアメリカにおける新自由主義反対のシンボル的な存在になったのが、1998年の大統領選で、40年続いた二大政党制を打ち破って誕生したベネズエラのチャベス政府である。

 チャベスは、腐敗した寡頭支配層を批判して、これまで政治から疎外されてきた大衆の政治参加を訴え、またアメリカの支配からの独立、新自由主義反対、富の平等な分配と貧困の撲滅を訴えて、広範な大衆の支持を獲得して大統領に当選した。チャベスはこの変革をスペインの植民地支配からのラテンアメリカの独立を訴えたシモン・ボリバルの名を冠して「ボリバル革命」と呼んだ。

 チャベスは大統領に就任すると、国民投票で憲法制定会議を設立し、ボリバル革命を掲げた新憲法を制定した。それによって政策決定の過程に国民が直接参加できるようになり、議員のリコール制が導入された。大企業や大地主の農地が農民に分配され、国民には食料、教育、医療、職業が保障された。石油資源は国家の管理下におかれ、領土内に外国軍隊が入ることは禁止された。

 ベネズエラの主要産業は石油であり、輸出総額の約80%、国庫収入の約50%、国内総生産の25%を占める。80年代以降、多くの基幹産業部門が民営化されるなか、ベネズエラ石油公社は国営企業として残ったものの、米多国籍企業と結びついた大企業が経営権を握っていた。チャベス政府は経営陣を刷新し、政府が管理運営権を完全に掌握した。

 チャベス政府は直接民主主義を制度化し、政治に国民を参加させることをめざした。全国各地に200〜400世帯を単位とする共同評議会をもうけた。共同評議会は予算を持ち、条例をつくることができ、地元の事柄について決定を下すことができる。また、教育、医療、食料助成、社会サービス、土地改革、環境保護などの社会開発計画への住民参加を制度化した。低所得者向けの住宅建設や医師の派遣、安価な基礎食料品の供給、低所得者向けの無料の食堂の運営、識字教育、失業者の職業訓練などがとりくまれた。

 こうした改革によって、GDPは2002年の920億jから2006年には1700億jと、4年間で倍近い増加となった。財政赤字やインフレが大きく改善され、失業率も1999年の16%から2006年には9・6%へと下がった。

米国排除して地域的統合へ

 ラテンアメリカのたたかいは、アメリカがNAFTA(北米自由貿易協定)を南北アメリカ大陸に拡大しようとした米州自由貿易圏構想を各国の反対で頓挫させ、ラテンアメリカ諸国民自身の力による真の地域的統合に向けたとりくみを発展させた。

 チャベス政府は、加盟国がアメリカとFTA(自由貿易協定)を結んだ3国グループ(G3。他の2国はメキシコとコロンビア)やCAN(アンデス共同体。コロンビアとペルーが対米FTA調印)から脱退し、2007年に南部南米共同市場(メルコスル)に加盟した。

 チャベス政府は石油資金を外交の武器に使い、同盟国キューバには好条件で石油を輸出するとともに、キューバからは医師や教師などの人材を多数導入して国内改革の力にした。2006年にはブラジル、アルゼンチン、ボリビアとともに、ベネズエラの石油と、同国およびボリビアの天然ガスを南米南部まで送るパイプライン網建設計画を打ち出し、アメリカの石油メジャーに対抗してラテンアメリカのエネルギー統合をめざした。

 また、アメリカが牛耳る米州開発銀行に対抗して、南米開発銀行を創設する構想を打ち出した。こうしたラテンアメリカ自身の立場を内外に知らせるため、キューバ、アルゼンチン、ウルグアイなどに働きかけて、2005年7月に国際テレビ放送網「テレ・スル」を発足させた。こうしたことはアメリカの南北アメリカ大陸支配に大打撃を与えた。

 戦後、アメリカは主権を持つ独立国の内政に干渉し、カネと軍事力で政府を転覆させ、新自由主義政策を押しつけるというやり方をくり返してきたが、それはことごとく失敗している。独立と民主主義を求める人人のたたかいに、さまざまな紆余曲折は避けられないが、そのたびに力を増していくことを押しとどめることはできない。
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焦る米国のベネズエラ転覆策動 石油暴落による混乱に乗じて反米政権を攻撃
2019年2月14日
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 国内経済の混乱が続く南米ベネズエラで、トランプ米政府が軍事介入を示唆し、大統領をすげ替えるための内政干渉を強めている。長きにわたって米国の「裏庭」といわれ、欧米の植民地支配に晒されてきた中南米において、新自由主義改革による収奪を拒否して政治・経済の自立を目指した「ボリバル革命」の成果を潰し、ふたたび対米従属へと逆戻りさせる動きがあらわれている。自国に従わないものには問答無用の制裁を課し、みずから困窮状態を作りながら「人道」を掲げて政権転覆を謀るという手口であり、事態がどのように推移するにせよ、そのなりふり構わぬ内政干渉への南米諸国の反発と国際的な批判は強まらざるを得ない。

 ベネズエラでは、反植民地政策を実行したチャベス大統領が死去(2013年3月)して以降、後継者であるニコラス・マドゥロ大統領が「21世紀型の社会主義」を掲げて国政の舵をとってきたが、米国の経済制裁を受けて国内経済は悪化の一途をたどってきた。

  

 その大きな引き金になったのが原油価格の暴落だ。現在、ベネズエラの原油確認埋蔵量は、サウジアラビアを抜いて世界最大規模を誇っている【棒グラフ参照】。1920年、オリノコ油田が発見されたことによって石油資源は外貨を稼ぐうえでの中心産業となったが、その収益の多くはベネズエラ石油公社(PDVSA)を操る寡頭支配勢力とその周囲をとり巻く中間層が独占し、国内で75%を占める貧困層の生活は貧しいままに置かれた。改革によって米石油メジャーの直接支配は排除されたものの、その後も蔓延する汚職と利権の拡大に国民の反感は高まり、1998年、史上最高の得票で大統領に就任したチャベスは、この石油利権にたかる利権構造を一掃し、収益の多くを医療や教育の無償化、社会保障の拡充、農地改革などの貧困層対策に注ぐ政策を進めた。2007年には100jを超えて高騰する原油価格を追い風にして、石油メジャーが介入を狙ってきたPDVSAをはじめとする主要産業の国有化に踏み切った。


チャベス前大統領

 国際的には、米国が覇権拡大の道具としてきた新自由主義にもとづく米州自由貿易地域(FTAA)や国際通貨基金(IMF)に対抗し、米州ボリバリアーナ対抗政策(ALBA)を中心にした経済協定をキューバやボリビアと結んで新たな貿易圏の確立を目指し、石油をキューバに好条件に輸出するかわりに医師や教師などの人材を導入して国内改革にも力を入れた。2000年代にはブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイなど中南米各国に続続と左派政権が生まれ、南米12カ国の政治統合を進める南米諸国連合の結成にも繋がった。

 経済力の弱いカリブ海と中米の国国との間で「カリブ石油協力体制」を発足し、2006年には、ブラジル・アルゼンチン・ボリビアとともに、ベネズエラの石油や天然ガスを将来的に南米南部にまで送るパイプライン建設計画を打ち出してエネルギー統合を進め、欧米の石油メジャーの支配から脱却する道を強めた。これらの改革は、キューバを除くほとんどの国で、植民地時代の寡頭支配が続いてきた中南米の歴史的な要求を反映して推し進められたものといえる。

 自国の覇権を脅かすこれらの動きを憎悪する米国は、ベネズエラ国内の旧支配勢力と結託して過去21年間に6回の大統領選挙に対抗馬を立てたものの一度も勝つことができず、2002年には軍の一部によるクーデターをけしかけてチャベスを拘束したり、石油公社のゼネストを仕掛けるなど干渉を強め、昨年8月にはドローン爆弾によるマドゥロ大統領の暗殺未遂事件まで起こした。

 現在、急激に進んでいる原油安【折れ線グラフ参照】も制裁措置の一環といえる。投機マネーが暴れ回る原油先物市場は、ベネズエラなどが加盟するOPEC(石油輸出国機構)の価格支配力はすでに失われ、その価格はエクソン・モービルをはじめ原油市場のシェアを寡占している石油メジャー(大手6社のうち3社が米企業)と巨額の余剰マネーを握る投機筋が操作するものとなっている。急激に進んだ原油安は、これらの投機マネーが原油市場から一斉に引き揚げられたことを意味しており、米国内でのシェールオイル増産とあわせて、ベネズエラや中東で反米の旗を振るイランなどの産油国経済を揺さぶるものとなった。

 石油収益に依存してきたベネズエラにとって原油価格の暴落は大打撃となり、デフォルト(債務不履行)寸前になるほど国内経済は危機に直面した。さらに米国政府は、ベネズエラへの制裁を強め、経済の支柱である国営石油公社PDVSAを標的にした経済制裁を発動。同社による石油の輸出を禁じ、米国内の資産を凍結した。それによってベネズエラは年間110億j(約1兆2000億円)の輸出収入を失い、70億j(約7700億円)もの資産が凍結された。ボルトン米大統領補佐官は、米国以外の第3国にもベネズエラ産の原油の取引をしないよう働きかけ、金融大手もあいついでPDVSA債権の取引停止に踏み切った。

 ベネズエラ産の原油は硫黄分の多い重質油であるため、米国から輸入するナフサを加えて希釈しなければ製品化できないが、米国内の資産凍結によって輸入できず石油生産そのものが滞る事態となった。ラテンアメリカ地政学戦略センターは、これら制裁によってベネズエラが受けた損失は、2013年〜17年で3500億j(約38兆5000億円)に上ると発表している。制裁と同時に米国の石油メジャーが、ベネズエラが保有するカリブ海の石油精製施設や輸送施設をあいついで封鎖、買収したことも指摘されている。


マドゥロ大統領

 制裁による物資不足と、自国通貨の価値を裏付ける石油の生産ができないなかで、ベネズエラ国内では物価高騰にともなうハイパーインフレが進行し、1月の物価上昇率が268万%にまで上った。年内には1000万%を超えるといわれ、国民は食料や医療品などの生活必需品も手に入らず、300万人が国外に脱出する事態にもなっている。米国政府は、これをチャベスやマドゥロ政府が進めた「反米社会主義」政策や、貧困層を救済する「バラ撒き」の結果であるとして批判を画一化し、日本の商業メディアもこれに追従しているが、そこに追い込んだ米国の関与を見過ごすわけにはいかない。ベネズエラ国内で起きている抗議デモは、チャベス以来の改革を否定するものでも、米国の介入を支持するものでもなく、むしろマドゥロ政府がこのような外圧の介入に有効に対抗できていないことに対する反発が大勢を占めていると現地のジャーナリストがのべている。

露骨きわまる内政干渉

 みずから作り出した混乱につけ込んでさらに介入を強めるトランプ米政府は、一昨年来、軍の一部を使ったクーデターを幾度も仕掛けてきた。だが、昨年1月の大統領選でマドゥロ大統領が再選されたため、国会で多数を占める野党が「野党の有力者が不当に排除された」「正統性がない」として再選挙を要求。親米路線への回帰を主張するグアイド国会議長が「暫定大統領」に名乗りを上げると、すぐさま米国政府は承認したうえ追加制裁を発動し、マドゥロ政府の退陣を要求した。


グアイド国会議長

 このグアイド国会議長と米国との背後関係が暴露されている。グアイドは、ベネズエラのベロ・カトリック大学で機械工学を専攻した後、ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学で政治学を専攻し、2005年から翌年にかけてセルビアに本部がある「非暴力行動応用戦略センター(CANVAS)」でトレーニングを受けた経歴を持つ。CANVASは、旧ユーゴのミロシェビッチ体制を倒すために1998年に作られた運動体「オトポール(抵抗)!」から派生した組織で、アメリカ開発援助庁(USAID)や共和党国際研究所(IRI)、投資家ジョージ・ソロスが設立にかかわる政府系NGOの全米民主主義基金(NED)などからの資金援助を受けている。民主化要求運動の活動家を養成することを目的としているが、米国務省やCIAの指令を受けて世界各地で活動し、中央アジアでの「カラー革命」や中東の「アラブの春」などで、米国政府の意図に従って反米的な政府の転覆に関与してきたことが広く知られている。

 米国やEUのうち17カ国がグアイドを大統領として承認しているものの、現状ではグアイド自身が国内で承認されたという実体はなにもなく、グアイドが主張する「大統領不在時は国会議長が職務を代行する」という憲法の規定もでっち上げであることが明らかになっている。

 グアイドは「私が大統領になれば欧米からの支援物資が得られる」と国民に支持を呼びかけているが、制裁によって経済的困難に追い込み、その苦しみを利用して政治的主導権を奪うという手法は、イラクをはじめ世界各地で米国が使ってきた常套手段である。

 米国自身も直接関与を隠そうとしない。ボルトン大統領補佐官(安全保障担当相)は、「ベネズエラの広大な未開発の石油埋蔵量のため、ワシントンはカラカス(首都)での政治的成果(クーデター)に大きな投資をしている」「アメリカの石油会社にベネズエラへの投資と石油生産を可能にすることができれば、それは経済的にアメリカにとって大きな利益をもたらす」と放言し、これに対してベネズエラのアレアサ外相は「もはやワシントンはクーデターの黒幕というよりも、攻撃の前線に立ち、暴力を煽って従順なベネズエラ野党に命令を出している。証拠はあからさま過ぎて米国内ですら疑う人はない」と反論している。

 この露骨な内政干渉に対して、ロシア、中国、イラン、シリア、トルコ、ニカラグア、キューバ、ボリビアなどは、「ベネズエラの権力簒奪(さんだつ)を正当化している」と批判を強め、メキシコ、ウルグアイ、ローマ法王庁、国連事務総長、EUは、米国協調とは距離を置いて対話を呼びかけているが、米国政府は「対話の時は終わった」と拒否し、ベネズエラの隣国コロンビアにある7つの軍事共用基地への兵力派遣も示唆している。兵糧攻めにするだけでなく、軍事介入の可能性までちらつかせて恐怖心を与え、ベネズエラ国軍と政権の分裂を促そうと躍起になっているものの、それは米国がベネズエラ国内で民主的な政権転覆ができるほどの影響力を持たず、依拠する基盤が極めて脆弱であることを物語っている。

 米国の常軌を逸したベネズエラ介入は、世界最大の埋蔵量を誇るベネズエラの石油資源への利権回復とともに、金、ボーキサイト、天然ガス、淡水などの豊富な資源を略奪すること、さらに中南米・カリブ地域を自国の「裏庭」としてきた「モンロー宣言」(米大陸を米国の単独覇権とする)を復権させ、社会主義キューバへの包囲を強化して反米勢力を抑えつけること、自国の覇権を脅かす中国・ロシア・イラン・トルコなどの関係を断ち切る意図を背景にしたものにほかならない。

 ベネズエラ国内の深刻な困窮を作り出したのは、自国への服従を目的にした米国による制裁であり、「人道」や「民主主義」を主張するのなら制裁を解除し、主権を踏みにじる内政干渉をやめることが筋といえる。軍事的、経済的な圧力を行使して主権を奪いとる凶暴さは、世界中で覇権が縮小しつつある米国の焦りの裏返しでもある。力ずくの略奪は植民地支配とたたかってきたベネズエラを含む中南米の反発を強め、国際的にも米国の孤立を一層深めることは疑いない。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10884

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ベネズエラ転覆に乗り出す米政府 暫定大統領でっち上げる内政干渉 2019年2月2日
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 米トランプ政府がベネズエラのマドゥロ政府転覆策動に乗り出している。アメリカは昨年5月におこなわれたベネズエラ大統領選で、チャベス前大統領の反米・反新自由主義路線を踏襲するマドゥロ大統領が再選したことに反発。「不当に当選した」「不正なマフィア国家だ」と主張して承認せず、アメリカに忠実なグアイド国会議長を暫定大統領としてでっち上げた。そしてベネズエラの収入源である石油取引を停止する経済制裁を加えて、国内経済を崩壊状態に追い込み、米軍派遣までちらつかせて現マドゥロ政府退陣を迫っている。一主権国家であるベネズエラの大統領を、アメリカが力ずくで勝手に変えようとする異常きわまる「内政干渉」が顕在化している。

 米政府は1月28日、ベネズエラの国営石油会社に対し、アメリカへの石油輸出を禁止し、米国内の資産を凍結する経済制裁を科したと発表した。アメリカが二期目の大統領として認めていないマドゥロ政府最大の収入源を絶ち、退陣圧力をかけることが狙いだ。原油の確認埋蔵量世界一を誇るベネズエラは石油輸出が唯一の外貨獲得源で、アメリカは最大の輸出先である。これを遮断することで、ベネズエラの年間約110億j(約1兆2000億円)もの輸出収入を失わせ、さらに70億j(約7700億円)の資産も凍結し、大打撃を与えようとしている。

 ベネズエラではチャベス前大統領の死によって2013年4月にマドゥロ政府が発足したが、それ以後、欧米諸国から陰に陽に加わる退陣圧力がエスカレートした。そのなかで原油価格が低迷し、経済は破綻状態になり、昨年のインフレ率は約170万%に達した。物価高や物不足のなかで国民は配給に長蛇の列を作り、捨ててあるゴミ袋から食料を調達するほど貧困化が進んでいる。このベネズエラ国民の困難を助けるのではなく利用し、更なる「兵糧攻め」で巻き起こる批判の矛先をマドゥロ政府に集中させ、親米政府樹立を狙っているのがアメリカだ。

 今回の制裁についてアメリカ側は「制裁を解除して欲しければ、腐敗根絶にとりくむと明言しているグアイド暫定大統領の管轄下に入ることだ」(ムニューシン米財務長官)と明言した。ボルトン大統領補佐官(安全保障担当)は「ベネズエラの安定と民主主義はアメリカの国益に通じる」「すべての選択肢はテーブルにある」とのべ、軍事介入も辞さない姿勢を示した。米メディアは同補佐官が「コロンビア(ベネズエラの隣接国)へ米兵5000人」と走り書きしたノートを持っていたとも報じている。

 ポンペオ米国務長官は国連安保理の緊急会合で「すべての国はどちらにつくのか決めるときだ。自由の部隊を支えるか、それとも暴力集団と結託するかだ」とのべ敵意をむき出しにした。イギリスやオーストラリア、イスラエルなど親米諸国もアメリカの主張に同調している。

 他方、ベネズエラ側は「大統領選を望む帝国主義者たちには2025年を待ってもらおう」(マドゥロ大統領)、「子どもじみている」(アレサ外相)と猛反発している。中国やロシアが「外国への介入だ」と非難したほか、北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコも「われわれは世界のどこであれ、クーデターを企てる側の味方はしない」と表明。南アフリカが「他国の影響下で解決されるべきではない」と指摘し、EU加盟国のギリシャも「正当な大統領はマドゥロ」との立場をとっている。

 ベネズエラでは大統領選で再選されたマドゥロ大統領が1月10日に二期目をスタートさせた。しかし野党が多数を占める国会は「選挙の正当性がない」と大統領再任を認めなかった。「有力な野党政治家が排除されたまま実施された」「大統領は空位だ」と主張している。


制憲議会選挙の投票後、勝利を喜ぶベネズエラの人々(2017年7月)

 そして「大統領不在時は国会議長が職務を代行する」という憲法規定に則って、反マドゥロ派のグアイド国会議長が暫定大統領への就任を宣言(1月26日)した。するとアメリカやカナダなどの親米国がすぐさまグアイド国会議長を大統領として承認。その2日後にアメリカが経済制裁で援護射撃に動いている。米メディアはグアイド国会議長が昨年末、秘密裏にワシントンを訪れ、アメリカの支持をとりつけていたことも報じている。グアイド国会議長は、アメリカと連携した外圧の強化、反政府デモなどの世論扇動、軍隊の切り崩しに動いている。

 他方、ベネズエラ最高裁判所は「他国による内政干渉にかかわった疑いがある」として1月29日にグアイド国会議長の予備的捜査を検察に許可した。するとボルトン米大統領補佐官がツイッターに「グアイド氏を傷つけたり民主主義の転覆を試みたりすれば深刻な結果を招く」と書き込んでいる。こうした一連の事実はマドゥロ政府転覆を狙う黒幕がアメリカであることを示している。

チャベスの社会化踏襲するマドゥロ政府

 ベネズエラでは1958年に軍事政府から民主化して以後、1990年代初めまで民主行動党(AD)とキリスト教社会党(COPEI)による二大政党制が継続した。しかしこの二大政党は発足当初から政治的密約であるプント・フィホ協定を結び、選挙や重要施策をめぐって、必要なときはいつでも結託することをとり決めていた。そのため政治家や軍高官の汚職事件が頻発した。

 また1970年代までは石油開発や工業化政策で、右肩上がりの経済成長が続いたが、1980年代には一転して失速した。一人当りの国内総生産(GDP)は1983年をピークに急落し、90年代末には30年前の水準に落ち込んだ。中間層の所得が低下して貧困層が拡大し所得格差が拡大した。失業者が増え、道ばたで物を売ったり、家政婦など日雇いのような職業で生計を立てる人が増えた。

 このなかで1989年に登場したペレス政府が押し進めたのが国際通貨基金(IMF)の指図に基づく新自由主義経済政策だった。「インフレ抑制」を掲げて価格規制を廃止し、公共料金の引き上げ、国内ガソリン価格の引き上げ、各種補助金の縮小・廃止、付加価値税の導入を問答無用で実施した。バスなど公共運賃の引き上げが引き金となって国民の怒りが爆発し、1000人をこす犠牲者を出したカラカソ大暴動も発生した。


チャベス前大統領

 そのなかで1992年には新自由主義政策を批判したチャベスを中心とする若手軍人が主導しペレス政府打倒のクーデターを起こし、数カ月後には別の軍人が2回目のクーデターを起こした。この行動はどちらも失敗に終わったが、全国で新自由主義政策反対の抗議行動が拡大した。翌93年にはペレス大統領を辞任に追い込み、94年にはプント・フィホ協定を結んだ二大政党以外の候補が大統領選に勝利し、新自由主義政策反対を掲げるカルデラ政府が発足した。

 そして1998年に発足したチャベス政府は新自由主義政策と真反対の政策を推進した。「経済開発より社会開発の重視」を掲げ、豊富な石油収入を原資に、道路・鉄道などの都市インフラの整備、住宅建設などの公共投資に力を注いだ。1990年代に進んだ民営化の流れを逆行させ、食品流通、農業、製造業、観光業、航空業、公的金融機関など国営企業を多数新設した。失業対策では企業に解雇禁止措置を設けた。低所得者向けの住宅建設を進め、食品など基礎生活物資を低価格で提供するためにメルカルと呼ばれる国営流通・小売企業を設立した。

 こうした国内施策を基盤にしてベネズエラは、アメリカによる反新自由主義施策をはね返す中南米の拠点になっていった。現在のマドゥロ大統領はこのチャベスが進めた施策を基本的に踏襲してきた。そのためアメリカはマドゥロ政府を目の敵にして退陣に追い込もうとしている。

 この問題はアメリカにつくか、それ以外の国につくかというような問題ではない。米トランプ政府の介入は「アメリカのいうことを聞かないから、アメリカのいうことを聞く大統領にかえよ」というものであり、「一主権国家の内政や政治体制はその国の国民が決める」という民主主義の原則を否定する行為である。「一国の内政問題はそれぞれの国家の意思によって決められるべきで、他国が干渉してはならない」というのは国際法上の原則であり、国連憲章でも「内政不干渉の原則」を明記している。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10759


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ベネズエラ政府の転覆狙う米国 反新自由主義の拠点に軍事介入企む 2017年8月24日
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/4502


制憲議会選挙の投票後、勝利を喜ぶベネズエラの人々(7月30日、首都カラカス)

民族主権回復の潮流拡大

 アメリカは東アジアにおいて北朝鮮に核攻撃もちらつかせた軍事挑発を強めているが、中南米で反米を貫いてきたベネズエラに対しても「軍事介入も選択肢」として恫喝を加えている。ベネズエラに対しては、とりわけ2013年のチャベス大統領の死後、親米反政府勢力を指図して転覆策動を図ってきた。世界一の原油埋蔵量を有するベネズエラ経済の崩壊を狙って、中東諸国を巻き添えにしながら原油価格の暴落を仕掛けてきたし、そのことによる政情不安につけ込む形で、目下、マドゥロ政府の倒壊を企む動きが顕在化している。アメリカがベネズエラに対してなにをしてきたか、現在どういう局面を迎えているのか見てみた。


 ベネズエラでは7月30日、憲法改定のための制憲議会選挙が実施され、親米勢力の妨害をうち破って勝利した。今回の制憲議会選挙は、国会で多数を占める親米野党勢力がアメリカの内政干渉のための道具となり、四月以降攪乱や破壊活動をくり返すなかでおこなわれた。


 チャベス前政府は新自由主義にもとづくアメリカの支配に反撃して主権を回復し、労働者や勤労人民のための諸改革をおこなってきたことで知られている。2013年のチャベス大統領の死後、それを引き継ぐマドゥロ政府に対し、アメリカは新自由主義政策による支配と石油資源の略奪を狙ってさまざまな攪乱・干渉をおこなってきたが、制憲議会選挙はこの妨害を打ち返す意味合いを持った。


 制憲議会選挙は親米野党勢力がボイコットし、あるいは全国150カ所の投票所を襲撃して投票できなくするなどの暴力的な妨害や投票行動への恫喝が加わるなかで、それでも有権者の41・53%を占める808万9000人が投票した。そして6120人が立候補し、545人の制憲議会議員が選出された。


 8月4日に開かれた初の制憲議会で、議長は「制憲議会は祖国をみずからのものにし、新自由主義を復活させようと企む国内少数派による深刻な紛争のなかから生まれた。制憲議会は暗黒の右翼独裁勢力にうち勝った」と表明した。制憲議会は発足後、ただちに親米野党勢力が多数を占める国会の立法権を剥奪した。

中南米諸国 トランプの恫喝に反発

 ベネズエラの制憲議会選挙の勝利に対して、多くの中南米諸国は支持を表明している。ボリビア、ニカラグア、エルサルバドル、キューバをはじめ中南米・カリブ海諸国の人民運動の代表300人は制憲議会を歓迎する共同声明を発表した。


 他方でトランプは「ベネズエラ独裁糾弾」を叫び、対ベネズエラ制裁に踏み出した。11日には「必要ならば、軍事介入の可能性も否定しない」と公言した。


 これに対しベネズエラの国防相は「狂気の沙汰」と強く糾弾し、米国政府を「世界を自分たちの思惑で動かせるとの考えを持つ、エリート諸国の頂点に立つ輩」と呼び、「もし本当にアメリカが攻撃を仕掛けてくるならば、国を防衛する」と真っ向からたたかうことを表明した。


 ブラジル外務省はトランプの発言直後に、「ベネズエラ問題は対話を通じて、平和的に解決されなければならない」との立場を表明した。これは8日にペルーのリマでおこなわれ、ベネズエラのメルコスル(南米南部共同市場)への参加資格停止を決定した会議の後に出された宣言とも立場を同じくするものだ。同宣言には、「国際法と内政不干渉の原則の完全なる順守のもとに、(ベネズエラ安定化のための)交渉を支持する」と記されている。


 中南米諸国はマドゥロ政府が国会をしのぐ権限を掌握する制憲議会を設置したことには批判する国国もあったが、アメリカによる軍事介入は断固として認めない立場を一致して強調している。


 制憲議会に抗議してベネズエラ大使を11日に追放したばかりのペルーのルナ外相も「国内外問わず、武力に訴えるとの脅しは、ベネズエラに民主的統治を復帰させるという目標や国連憲章に記された原則を阻害するものだ」と主張した。メキシコも「国連憲章に沿い、武力による威嚇や行使を拒絶する」と宣言した。コロンビアも同様にトランプの発言を批判する声明を出した。


 メルコスルは制憲議会設立を理由にベネズエラを無期限の資格停止処分とすることを決めたばかりであったが、12日の声明で「民主主義促進の唯一の手段は対話と外交だ。暴力や武力行使は拒否する」と表明した。


 こうした中南米諸国の反発を受けてアメリカのペンス副大統領は、トランプの発言の余波の火消しのため、コロンビア、アルゼンチン、チリ、パナマを歴訪し、「われわれには多くの選択肢があるが、ベネズエラ危機は平和的に解決できる」と各国でくり返した。


 13日には最初の訪問地コロンビアでサントス大統領と会談した。隣国ベネズエラと緊張関係にあるサントス大統領ですら、「軍事介入という考えは微塵ほども許されるべきではなく、“選択肢を捨ててはいない”という言葉さえ行き過ぎだ」とトランプ大統領に釘をさした。チリのパチェレ大統領も共同記者会見で「軍事介入もクーデターも支持しない」と明言した。こうした各国の表明に対して、ベネズエラのアレアサ外相は12日、「中南米を含む世界各国が団結し、武力行使を拒否したことに感謝する」と表明した。


 中南米諸国がアメリカのベネズエラに対する軍事介入に対して断固として反対を表明するのは、かつてどの国もアメリカから同様の軍事的な制裁を受けた経験を持つからである。たとえばチリでは1973年にアメリカから支援を受けた流血の軍事クーデターにより、アジェンデ社会主義政府が転覆した。現バチュレー政府は同政府の流れを汲んでおり、軍事侵攻絶対反対の立場をとっている。このほかの中南米諸国も戦後一貫してアメリカの軍事的経済的制裁の対象となり、政府転覆策動とたたかってきた歴史を持つ。


労働者5万人が米国の内政干渉に抗議(昨年6月、カラカス)

度重なる転覆策動 原油価格の下落も画策

 ベネズエラを見てみると、1999年にアメリカの新自由主義支配から主権の回復を掲げて立ち上がり、チャベス大統領が就任した。当時のアメリカ・ブッシュ政府は3年後の2002年にチャベス政府打倒のクーデターを計画する。これは失敗するが、アメリカの介入はそれで終わらなかった。アメリカがベネズエラに照準をあてて介入する主要な要因は、世界一の埋蔵量のある石油と世界第4位のガスを狙っているからにほかならない。アメリカは2006年にもクーデターを計画している。「親米民主的機関」に湯水のごとく資金援助し、チャベスの政治的拠点を切り崩し、チャベス派勢力を分断し、アメリカ企業を保護し、チャベスを国際的に孤立させる、といった計画を立てていたことも暴露された。


 アメリカ支配層は中南米諸国でアメリカの手先を育成するため、1946年にパナマにSOA(現在の名称はWHINSEC=西半球安全保障協力研究所)を設立した。対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などの訓練を実施するための機関で、1984年にパナマから追い出され、米国ジョージア州に移動して同様の活動をおこなっている。


 第2次大戦後に民主化の波が中南米にも押し寄せるが、それをアメリカはクーデターや軍事侵攻によって力ずくでつぶしてきた。キューバだけでなく、1954年のグアテマラ、64年のブラジル、71年のボリビア、73年のチリがそうであったし、現在もブラジル、アルゼンチン、ベネズエラなどで政権転覆をしかけている。こうした鋭い矛盾関係が、アメリカの軍事介入を拒否し、平和的な手段で問題を解決することを選択する力となっている。


 1999年にベネズエラでボリバル革命に人人が立ち上がって以来、中南米地域でボリバル革命の影響は拡大し、アメリカの支配力は弱体化している。新自由主義政策に従属するのではなく、地域統合によって民族主権を回復し、独立を勝ちとる勢力が台頭し、中南米においてはアメリカを排除することが地域の利益につながるということが共通理解となって広がっている。


 そのもとで、アメリカは中南米諸国での新自由主義復活のためにますます巨額の国家予算をつぎこみ、各国で反政府勢力を後押しして干渉を強めている。「環境開発」「人権の擁護」「民主主義の強化」などの旗を掲げて親米勢力にドルを支援し、アメリカの政策から逸脱した国国の政治的な出来事に頻繁に介入している。「米国国際開発庁(USAID、1960年代から開始)」に加えて「全米民主主義基金(NED)」、あるいは国際事件のための「全米民主主義機構(NDI)」「共和党国際研究所(IRI)」などを通じて、数千万jを親米勢力に支援しているとされている。全米民主主義基金(NED)は1982年11月に設立された。基金の目的は反共産主義と反社会主義である。現在国務省のもとで割り当てられる年間予算は1億3200万jをこえる。NEDは世界の70カ国以上で活動しているが、中南米ではベネズエラにおける資金提供が突出している。


 2002年以降、中南米ではアメリカが糸を引くNGOの数が目に見えて増大しており、ベネズエラにはとくに介入が激しい。USAIDとNEDが単独で1億jを投資し、親米野党勢力や300をこえる新しい組織をつくるために使われている。たとえばベネズエラではステアと呼ばれるNGOが2002年のクーデターに直接参加していたが、NEDから数万jを受けとっていたことが発覚した。こうした資金が、石油価格暴落による統治の揺らぎに効果的に作用して、目下、親米野党勢力が反政府活動を扇動し、内部から転覆策動を仕掛けて反米政府を揺さぶっている。


 ブッシュのベネズエラ転覆政策を引き継いだオバマ政府は2015年、ベネズエラを「米国の安全保障にとって重大な脅威」と位置づけ、マイアミに司令部を置く米南方軍を中心にクーデター計画を練ってきた。そして、当時の南方軍司令官であったジョン・ケリーがトランプ政府の首席補佐官に就任している。


 アメリカの目的は、政府転覆によって権力を掌握して新自由主義政策を復活させ、石油やガス資源を略奪するとともに、多国籍企業とくにアメリカ企業が利益を得るために国有財産の民営化をはかることにある。キューバと並んで近年は反米の旗手として台頭してきたベネズエラだが、これを徹底的に叩いて反米政府を転覆させることが、その他の中南米諸国への見せしめにもなる関係だ。


 この数年、ベネズエラの経済を揺さぶる大きな要因となったのは、石油価格の大幅な下落である。CIAは世界有数の産油国であるサウジアラビアやクウェート、イラクなどに過剰な生産増加政策をとらせ、世界的に過剰供給状態をつくり、石油価格の下落を操作した。その結果、中東の産油国もサウジアラビアを筆頭に財政危機を迎えたが、輸出の9割以上を原油に依存するベネズエラでも経済危機は深刻化した。


 2016年のベネズエラの原油価格は1バレル=24jと2014年の3分の1以下に下落した。15年1〜9月の経常収支は130億jの赤字に転落し、15年は同国の歳入は70%も減少した。チャベス大統領は、原油収入を元手に低所得者層への無料診療所や無償住宅建設などの福祉政策を充実させてきた。だが、原油価格下落のもとで経済危機は深刻化し、対外債務は膨らみ、15年9月時点で対外債務残高は1388億jと前年同期を5%上回った。


 この苦境のもとで、親米野党はIMF(国際通貨基金)の介入による対外債務の借り換えを主張してきた。ベネズエラは04年を最後にIMFの介入を拒否しているが、野党勢力は経済危機のもとで長年敵対関係にあるアメリカやその手先であるIMFとの対話を進める方向を推進した。IMFが財政破綻の各国に「救世主」のような顔をして乗り込み、財政援助と引き替えに市場開放を迫り、米多国籍企業や金融資本が食い物にしていく構造は、アジア通貨危機やアルゼンチンの破綻、ギリシャ破綻を見るまでもなく、既に嫌というほど見てきた光景である。このアメリカの世界支配を担う急先鋒の軍門に下るか否かは、ベネズエラにとってその主権がどうなるのかも含めてゆるがせにできない問題といえる。

80年代からの経験 新自由主義に反撃機運

 中南米諸国はアメリカが80年代初めから90年代にかけて新自由主義を先行して実施してきた地域である。80年代初めに債務危機が爆発し、地域全体の累積債務が膨脹した。累積債務危機からの脱出策として、アメリカがIMFや世界銀行を通じて押しつけてきたのが、構造調整計画と呼ばれる新自由主義政策である。その結果、中南米諸国は国民経済は破壊され、失業者は増大し、賃金は低下、高インフレのもとで貧困化は急速に進んだ。


 80年代から20年以上にわたりアメリカ主導の新自由主義のもとで苦難を押しつけられた中南米諸国では、2000年代に入って反撃が始まった。その端緒を切り開いたのが1999年ベネズエラのチャベス政府誕生だった。


 チャベスは中南米の解放と統合を掲げ、アメリカの支配からの独立、新自由主義反対、富の平等な分配を訴え、貧困層への福祉政策を充実させた。教育予算を倍加し、貧困層の児童の就学や無料給食を保障した。また公共投資を拡大して雇用を拡大させ、多国籍企業から農地を接収して農民に分配した。また、05年にはアメリカとの軍事的な関係も断ち、軍事顧問団の受け入れを中止した。


 ベネズエラに続いてブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ウルグアイなどで新自由主義を支持する親米政府が打倒され、アメリカから独立した政府が次次と誕生した。ベネズエラのチャベスがキューバのカストロと接近し、これらの国国が中南米諸国の統合やアメリカ支配からの脱却へと進んでいくのに対して、これを全力で阻止して、アメリカの「裏庭」として隷属の鎖につなごうとする力が激突している。ベネズエラを巡る矛盾の根底に横たわっているのは、マドゥロの資質であるとか、制憲議会の善し悪しといった部分の問題ではない。


 アメリカ政府がベネズエラに対して執拗に経済的締め付けを強め、軍事的な脅しをかけて政府転覆を策動するのは、豊富な石油資源を狙っていることと同時に、ベネズエラが中南米地域において反米を貫き、新自由主義政策に反対する中心的な存在だからにほかならない。米多国籍企業や金融資本による搾取や社会の私物化を拒否する中心軸になっているからである。


 パクスアメリカーナが崩壊しつつあるなかで、それに抗うかのようにアメリカの狂暴さが増している。米国内を貧乏人だらけにした結果、市場は早くから狭隘化して頭打ちとなり、終いには消費の先取りであるサブプライムのようなインチキ証券をひねり出したが、その金融工学も世界中を巻き込んでパンクした。こうして世界中を搾取し続けるしか生き残りの道がないことに狂暴さの原因がある。しかし同時に、傲慢なる抑圧支配を断ち切り、民族の独立を求める世論が中南米地域全体に広がっており、植民地扱いを拒み、武力攻撃を許さない力も強まっている。


 中東、東アジアと同じように、中南米でも抜き差しならない緊張感を伴いながら反米闘争が激化し、アメリカの孤立化が進行している。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/4502
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c21

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
16. 中川隆[-12160] koaQ7Jey 2019年2月14日 11:22:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【トンデモ】「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(松木國俊×但馬オサム『WiLL』2019.1)
https://rondan.net/8306

Contents

1 根強く続く植民地支配正当化論
2 願望と現実の区別がついていない
3 「半島が一番輝いたのは日本統治時代」
4 プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

根強く続く植民地支配正当化論

先の2018年10月30日に韓国大法院(最高裁)が、新日鉄住金に対し、元徴用工四名に四億ウォンの損害賠償支払いを命じる判決を下しました。

これを受け、『WiLL』『Hanada』『正論』といった保守系オピニオン雑誌は普段以上に反韓記事一色です。

これら反韓記事の問題点は、日韓関係の改善を目指した建設的な議論なのではなく、「日韓断交」など極論を唱え煽情しているだけであること。つまり、鬱憤のたまったネトウヨ向けの、国内消費用コンテンツでしかない点です。

そんな国内消費用コンテンツの典型的記事がありましたので紹介します。その名も、松木國俊×但馬オサム「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(『WiLL』2019.1)です。

願望と現実の区別がついていない

この対談「半島が一番輝いたのは日本統治時代」は、半島問題の専門家(?)である松木國俊氏と、『こんなに明るかった朝鮮支配』というタイトルからしてお察しの本を刊行した但馬オサム氏との間で交わされます。

出だしからスピード感。


松木 ……これでは徴用工問題ばかりか、統治時代のあらゆる不都合な出来事が訴訟の対象となるでしょう。日韓は実質的に断交となり、韓国は自滅するしかありません。日本側にもある程度被害は出るでしょう。
それを避けるには日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要がありますね。



「断交」とか「韓国は自滅する」とかネトウヨが好きそうなキーワードが頻出しますが、20年以上前から同じことを言っているのに、一向に断交も自滅も起きていない事実を鑑みるべきでしょう。

そして「日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要があります」という上から目線の発言。本当に一方的な見解です。韓国側も、同じく日本に対して真の姿を知る必要があると思っているでしょう。論壇というレベルでは、日韓共に同レベルのことを言い合っているだけなんです。

つまり「韓国は自滅する」とか「真の姿を知る必要がある」というのは、現実的な客観的事実を提示しようとしているのではなく、この記事を読むネトウヨ読者の願望を代弁しているに過ぎないということです。

「半島が一番輝いたのは日本統治時代」

そんな両者が主張する「朝鮮統治時代」の真の姿というものも、現実の有り様を全く反映していません。


但馬 ……日韓併合時代というのは、日本という押し込み強盗がそのまま居直って家を乗っ取ったの状況……これ自体が嘘っぱち



しかし、容疑者(日本側)が「強盗ではなかった」と幾ら強弁しても、原告側(韓国側)が「強盗だった」と主張している以上、このような容疑者(日本側)の居直り的発言は逆効果というものです。

たとえば強盗裁判のテレビニュースが流れていて、容疑者が「あれは押し込み強盗じゃない。俺がその家にいた時は、みんな幸せだと言っていた!」と弁護していたら、普通、視聴者は「うわぁ。キモ。現実が見えてねぇ」って思いますよね。それと同レベルのことを保守論壇もしているということです。

別の例を出せば、たとえば芸能人が逮捕されたら、事務所など関係各位は普通「世間を騒がせて申し訳ありません」と言いますよね? ここで「不当逮捕だ!」なんて言ったら、逆効果となり、社会の理解は得られません。普通はそこまで計算して、本心では不当だと思っていても、対外的には反省しているようにコメントするものです。それが社会常識です。

それができない保守というのは、ほんとキモい。


プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

また、この対談では、当時の新聞などに掲載された広告から半島統治の実態を探ろうとします。但馬氏は次のように述べています。


松木 『300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配』 (ビジネス社)を読みましたけど、面白かったですね。……資料集めはどうされたんですか。

但馬 最初はネットで見つけてコツコツと。集め始めたら、これは面白いものになるぞ、とハマッてしまって。で、当時の新聞を探し出しては、広告を拾い集めたんです。



で、その広告を調べると、ファッションや美容体操の広告があったり、タイプライターの広告があったりしたので日本統治時代の半島は輝いていたとのことです。

うーん。広告主が、暗くつまらない内容の広告を出すとでもお考えなのでしょうか。どうやら、そもそも「購買意欲の沸かないような広告を掲載するわけがない」という常識すらないようです。

また政府による検閲もありましたから、日本を侵略者として非難する記事や広告が新聞(雑誌、ポスターなど)に掲載されるはずがありません。

つまり但馬氏と松木氏は、政府の検閲を受けた後の、プロパガンダ的性格を持つ媒体の記述を真に受けて「日本統治時代の半島は輝いていた」と決めつけるるという愚を犯しています。

少し調べれば誰にでも解ることですが、日本統治時代の半島が輝いていなかったことを示す地下文章などはごまんとあります。

この松本・但馬両氏には、自説に不利な根拠も検証したうえで、正しい歴史を描いていただきたいと思うばかりです。加えて、この馬鹿げた対談を読んで、その内容を真に受けてしまう読者がいないことを願います。


https://rondan.net/8306
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c16

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
8. 中川隆[-12159] koaQ7Jey 2019年2月14日 11:22:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【トンデモ】「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(松木國俊×但馬オサム『WiLL』2019.1)
https://rondan.net/8306

Contents

1 根強く続く植民地支配正当化論
2 願望と現実の区別がついていない
3 「半島が一番輝いたのは日本統治時代」
4 プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

根強く続く植民地支配正当化論

先の2018年10月30日に韓国大法院(最高裁)が、新日鉄住金に対し、元徴用工四名に四億ウォンの損害賠償支払いを命じる判決を下しました。

これを受け、『WiLL』『Hanada』『正論』といった保守系オピニオン雑誌は普段以上に反韓記事一色です。

これら反韓記事の問題点は、日韓関係の改善を目指した建設的な議論なのではなく、「日韓断交」など極論を唱え煽情しているだけであること。つまり、鬱憤のたまったネトウヨ向けの、国内消費用コンテンツでしかない点です。

そんな国内消費用コンテンツの典型的記事がありましたので紹介します。その名も、松木國俊×但馬オサム「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(『WiLL』2019.1)です。

願望と現実の区別がついていない

この対談「半島が一番輝いたのは日本統治時代」は、半島問題の専門家(?)である松木國俊氏と、『こんなに明るかった朝鮮支配』というタイトルからしてお察しの本を刊行した但馬オサム氏との間で交わされます。

出だしからスピード感。


松木 ……これでは徴用工問題ばかりか、統治時代のあらゆる不都合な出来事が訴訟の対象となるでしょう。日韓は実質的に断交となり、韓国は自滅するしかありません。日本側にもある程度被害は出るでしょう。
それを避けるには日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要がありますね。



「断交」とか「韓国は自滅する」とかネトウヨが好きそうなキーワードが頻出しますが、20年以上前から同じことを言っているのに、一向に断交も自滅も起きていない事実を鑑みるべきでしょう。

そして「日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要があります」という上から目線の発言。本当に一方的な見解です。韓国側も、同じく日本に対して真の姿を知る必要があると思っているでしょう。論壇というレベルでは、日韓共に同レベルのことを言い合っているだけなんです。

つまり「韓国は自滅する」とか「真の姿を知る必要がある」というのは、現実的な客観的事実を提示しようとしているのではなく、この記事を読むネトウヨ読者の願望を代弁しているに過ぎないということです。

「半島が一番輝いたのは日本統治時代」

そんな両者が主張する「朝鮮統治時代」の真の姿というものも、現実の有り様を全く反映していません。


但馬 ……日韓併合時代というのは、日本という押し込み強盗がそのまま居直って家を乗っ取ったの状況……これ自体が嘘っぱち



しかし、容疑者(日本側)が「強盗ではなかった」と幾ら強弁しても、原告側(韓国側)が「強盗だった」と主張している以上、このような容疑者(日本側)の居直り的発言は逆効果というものです。

たとえば強盗裁判のテレビニュースが流れていて、容疑者が「あれは押し込み強盗じゃない。俺がその家にいた時は、みんな幸せだと言っていた!」と弁護していたら、普通、視聴者は「うわぁ。キモ。現実が見えてねぇ」って思いますよね。それと同レベルのことを保守論壇もしているということです。

別の例を出せば、たとえば芸能人が逮捕されたら、事務所など関係各位は普通「世間を騒がせて申し訳ありません」と言いますよね? ここで「不当逮捕だ!」なんて言ったら、逆効果となり、社会の理解は得られません。普通はそこまで計算して、本心では不当だと思っていても、対外的には反省しているようにコメントするものです。それが社会常識です。

それができない保守というのは、ほんとキモい。


プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

また、この対談では、当時の新聞などに掲載された広告から半島統治の実態を探ろうとします。但馬氏は次のように述べています。


松木 『300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配』 (ビジネス社)を読みましたけど、面白かったですね。……資料集めはどうされたんですか。

但馬 最初はネットで見つけてコツコツと。集め始めたら、これは面白いものになるぞ、とハマッてしまって。で、当時の新聞を探し出しては、広告を拾い集めたんです。



で、その広告を調べると、ファッションや美容体操の広告があったり、タイプライターの広告があったりしたので日本統治時代の半島は輝いていたとのことです。

うーん。広告主が、暗くつまらない内容の広告を出すとでもお考えなのでしょうか。どうやら、そもそも「購買意欲の沸かないような広告を掲載するわけがない」という常識すらないようです。

また政府による検閲もありましたから、日本を侵略者として非難する記事や広告が新聞(雑誌、ポスターなど)に掲載されるはずがありません。

つまり但馬氏と松木氏は、政府の検閲を受けた後の、プロパガンダ的性格を持つ媒体の記述を真に受けて「日本統治時代の半島は輝いていた」と決めつけるるという愚を犯しています。

少し調べれば誰にでも解ることですが、日本統治時代の半島が輝いていなかったことを示す地下文章などはごまんとあります。

この松本・但馬両氏には、自説に不利な根拠も検証したうえで、正しい歴史を描いていただきたいと思うばかりです。加えて、この馬鹿げた対談を読んで、その内容を真に受けてしまう読者がいないことを願います。


https://rondan.net/8306
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c8

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
285. 中川隆[-12158] koaQ7Jey 2019年2月14日 11:23:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【トンデモ】「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(松木國俊×但馬オサム『WiLL』2019.1)
https://rondan.net/8306

Contents

1 根強く続く植民地支配正当化論
2 願望と現実の区別がついていない
3 「半島が一番輝いたのは日本統治時代」
4 プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

根強く続く植民地支配正当化論

先の2018年10月30日に韓国大法院(最高裁)が、新日鉄住金に対し、元徴用工四名に四億ウォンの損害賠償支払いを命じる判決を下しました。

これを受け、『WiLL』『Hanada』『正論』といった保守系オピニオン雑誌は普段以上に反韓記事一色です。

これら反韓記事の問題点は、日韓関係の改善を目指した建設的な議論なのではなく、「日韓断交」など極論を唱え煽情しているだけであること。つまり、鬱憤のたまったネトウヨ向けの、国内消費用コンテンツでしかない点です。

そんな国内消費用コンテンツの典型的記事がありましたので紹介します。その名も、松木國俊×但馬オサム「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(『WiLL』2019.1)です。

願望と現実の区別がついていない

この対談「半島が一番輝いたのは日本統治時代」は、半島問題の専門家(?)である松木國俊氏と、『こんなに明るかった朝鮮支配』というタイトルからしてお察しの本を刊行した但馬オサム氏との間で交わされます。

出だしからスピード感。


松木 ……これでは徴用工問題ばかりか、統治時代のあらゆる不都合な出来事が訴訟の対象となるでしょう。日韓は実質的に断交となり、韓国は自滅するしかありません。日本側にもある程度被害は出るでしょう。
それを避けるには日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要がありますね。



「断交」とか「韓国は自滅する」とかネトウヨが好きそうなキーワードが頻出しますが、20年以上前から同じことを言っているのに、一向に断交も自滅も起きていない事実を鑑みるべきでしょう。

そして「日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要があります」という上から目線の発言。本当に一方的な見解です。韓国側も、同じく日本に対して真の姿を知る必要があると思っているでしょう。論壇というレベルでは、日韓共に同レベルのことを言い合っているだけなんです。

つまり「韓国は自滅する」とか「真の姿を知る必要がある」というのは、現実的な客観的事実を提示しようとしているのではなく、この記事を読むネトウヨ読者の願望を代弁しているに過ぎないということです。

「半島が一番輝いたのは日本統治時代」

そんな両者が主張する「朝鮮統治時代」の真の姿というものも、現実の有り様を全く反映していません。


但馬 ……日韓併合時代というのは、日本という押し込み強盗がそのまま居直って家を乗っ取ったの状況……これ自体が嘘っぱち



しかし、容疑者(日本側)が「強盗ではなかった」と幾ら強弁しても、原告側(韓国側)が「強盗だった」と主張している以上、このような容疑者(日本側)の居直り的発言は逆効果というものです。

たとえば強盗裁判のテレビニュースが流れていて、容疑者が「あれは押し込み強盗じゃない。俺がその家にいた時は、みんな幸せだと言っていた!」と弁護していたら、普通、視聴者は「うわぁ。キモ。現実が見えてねぇ」って思いますよね。それと同レベルのことを保守論壇もしているということです。

別の例を出せば、たとえば芸能人が逮捕されたら、事務所など関係各位は普通「世間を騒がせて申し訳ありません」と言いますよね? ここで「不当逮捕だ!」なんて言ったら、逆効果となり、社会の理解は得られません。普通はそこまで計算して、本心では不当だと思っていても、対外的には反省しているようにコメントするものです。それが社会常識です。

それができない保守というのは、ほんとキモい。


プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

また、この対談では、当時の新聞などに掲載された広告から半島統治の実態を探ろうとします。但馬氏は次のように述べています。


松木 『300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配』 (ビジネス社)を読みましたけど、面白かったですね。……資料集めはどうされたんですか。

但馬 最初はネットで見つけてコツコツと。集め始めたら、これは面白いものになるぞ、とハマッてしまって。で、当時の新聞を探し出しては、広告を拾い集めたんです。



で、その広告を調べると、ファッションや美容体操の広告があったり、タイプライターの広告があったりしたので日本統治時代の半島は輝いていたとのことです。

うーん。広告主が、暗くつまらない内容の広告を出すとでもお考えなのでしょうか。どうやら、そもそも「購買意欲の沸かないような広告を掲載するわけがない」という常識すらないようです。

また政府による検閲もありましたから、日本を侵略者として非難する記事や広告が新聞(雑誌、ポスターなど)に掲載されるはずがありません。

つまり但馬氏と松木氏は、政府の検閲を受けた後の、プロパガンダ的性格を持つ媒体の記述を真に受けて「日本統治時代の半島は輝いていた」と決めつけるるという愚を犯しています。

少し調べれば誰にでも解ることですが、日本統治時代の半島が輝いていなかったことを示す地下文章などはごまんとあります。

この松本・但馬両氏には、自説に不利な根拠も検証したうえで、正しい歴史を描いていただきたいと思うばかりです。加えて、この馬鹿げた対談を読んで、その内容を真に受けてしまう読者がいないことを願います。


https://rondan.net/8306
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c285

[リバイバル3] 朝鮮人が反日になった理由 中川隆
45. 中川隆[-12157] koaQ7Jey 2019年2月14日 11:24:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2019.02.09
【トンデモ】「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(松木國俊×但馬オサム『WiLL』2019.1)
https://rondan.net/8306

Contents

1 根強く続く植民地支配正当化論
2 願望と現実の区別がついていない
3 「半島が一番輝いたのは日本統治時代」
4 プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

根強く続く植民地支配正当化論

先の2018年10月30日に韓国大法院(最高裁)が、新日鉄住金に対し、元徴用工四名に四億ウォンの損害賠償支払いを命じる判決を下しました。

これを受け、『WiLL』『Hanada』『正論』といった保守系オピニオン雑誌は普段以上に反韓記事一色です。

これら反韓記事の問題点は、日韓関係の改善を目指した建設的な議論なのではなく、「日韓断交」など極論を唱え煽情しているだけであること。つまり、鬱憤のたまったネトウヨ向けの、国内消費用コンテンツでしかない点です。

そんな国内消費用コンテンツの典型的記事がありましたので紹介します。その名も、松木國俊×但馬オサム「半島が一番輝いたのは日本統治時代」(『WiLL』2019.1)です。

願望と現実の区別がついていない

この対談「半島が一番輝いたのは日本統治時代」は、半島問題の専門家(?)である松木國俊氏と、『こんなに明るかった朝鮮支配』というタイトルからしてお察しの本を刊行した但馬オサム氏との間で交わされます。

出だしからスピード感。


松木 ……これでは徴用工問題ばかりか、統治時代のあらゆる不都合な出来事が訴訟の対象となるでしょう。日韓は実質的に断交となり、韓国は自滅するしかありません。日本側にもある程度被害は出るでしょう。
それを避けるには日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要がありますね。



「断交」とか「韓国は自滅する」とかネトウヨが好きそうなキーワードが頻出しますが、20年以上前から同じことを言っているのに、一向に断交も自滅も起きていない事実を鑑みるべきでしょう。

そして「日韓両国民が「朝鮮統治時代」の真の姿を知る必要があります」という上から目線の発言。本当に一方的な見解です。韓国側も、同じく日本に対して真の姿を知る必要があると思っているでしょう。論壇というレベルでは、日韓共に同レベルのことを言い合っているだけなんです。

つまり「韓国は自滅する」とか「真の姿を知る必要がある」というのは、現実的な客観的事実を提示しようとしているのではなく、この記事を読むネトウヨ読者の願望を代弁しているに過ぎないということです。

「半島が一番輝いたのは日本統治時代」

そんな両者が主張する「朝鮮統治時代」の真の姿というものも、現実の有り様を全く反映していません。


但馬 ……日韓併合時代というのは、日本という押し込み強盗がそのまま居直って家を乗っ取ったの状況……これ自体が嘘っぱち



しかし、容疑者(日本側)が「強盗ではなかった」と幾ら強弁しても、原告側(韓国側)が「強盗だった」と主張している以上、このような容疑者(日本側)の居直り的発言は逆効果というものです。

たとえば強盗裁判のテレビニュースが流れていて、容疑者が「あれは押し込み強盗じゃない。俺がその家にいた時は、みんな幸せだと言っていた!」と弁護していたら、普通、視聴者は「うわぁ。キモ。現実が見えてねぇ」って思いますよね。それと同レベルのことを保守論壇もしているということです。

別の例を出せば、たとえば芸能人が逮捕されたら、事務所など関係各位は普通「世間を騒がせて申し訳ありません」と言いますよね? ここで「不当逮捕だ!」なんて言ったら、逆効果となり、社会の理解は得られません。普通はそこまで計算して、本心では不当だと思っていても、対外的には反省しているようにコメントするものです。それが社会常識です。

それができない保守というのは、ほんとキモい。


プロパガンダをすぐに信じてしまう幼稚な精神構造

また、この対談では、当時の新聞などに掲載された広告から半島統治の実態を探ろうとします。但馬氏は次のように述べています。


松木 『300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配』 (ビジネス社)を読みましたけど、面白かったですね。……資料集めはどうされたんですか。

但馬 最初はネットで見つけてコツコツと。集め始めたら、これは面白いものになるぞ、とハマッてしまって。で、当時の新聞を探し出しては、広告を拾い集めたんです。



で、その広告を調べると、ファッションや美容体操の広告があったり、タイプライターの広告があったりしたので日本統治時代の半島は輝いていたとのことです。

うーん。広告主が、暗くつまらない内容の広告を出すとでもお考えなのでしょうか。どうやら、そもそも「購買意欲の沸かないような広告を掲載するわけがない」という常識すらないようです。

また政府による検閲もありましたから、日本を侵略者として非難する記事や広告が新聞(雑誌、ポスターなど)に掲載されるはずがありません。

つまり但馬氏と松木氏は、政府の検閲を受けた後の、プロパガンダ的性格を持つ媒体の記述を真に受けて「日本統治時代の半島は輝いていた」と決めつけるるという愚を犯しています。

少し調べれば誰にでも解ることですが、日本統治時代の半島が輝いていなかったことを示す地下文章などはごまんとあります。

この松本・但馬両氏には、自説に不利な根拠も検証したうえで、正しい歴史を描いていただきたいと思うばかりです。加えて、この馬鹿げた対談を読んで、その内容を真に受けてしまう読者がいないことを願います。


https://rondan.net/8306
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c45

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
57. 中川隆[-12156] koaQ7Jey 2019年2月14日 14:15:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]
牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c57
[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
170. 中川隆[-12155] koaQ7Jey 2019年2月14日 15:11:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]
2018.09.20
約2千年前の弥生時代、なぜ凄惨に殺された人骨が大量発掘…国と課税と戦争の誕生
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html


 鳥取市の青谷上寺地遺跡で見つかった2〜3世紀(弥生時代後期)の人骨のDNAを最新技術で分析する調査を、国立科学博物館や国立歴史民俗博物館、鳥取県埋蔵文化財センターなどが始めた。

「産経WEST」の報道によれば、遺跡中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。

 人間はなぜ戦争をするのか。古くから多くの思想家や研究者が答えを探してきた問いだ。日本で戦争が始まったとされる弥生時代の歴史は、その難問に対するヒントを与えてくれる。

 通説では紀元前4世紀ごろに九州北部で始まったとされる弥生時代といえば、水稲農耕が始まった時代として知られる。縄文時代晩期に渡来人によって北九州に伝えられた水稲技術が、まず西日本、次いで東日本にも広まった。

 同じ時期に日本列島に広まったものがある。戦争だ。

 考古学の研究結果によれば、狩猟採集に基礎を置く縄文時代には、集団と集団とがぶつかり殺し合う戦争はなかった。専用の武器をつくらなかったし、ムラの守りを固めることもなかった。殺されたことが確かな埋葬人骨もごく少ない。

 ところが弥生時代に入ると様子が一変する。周囲に堀を巡らした環濠集落や、台地や山頂に築く高地性集落など、防御を固めた集落が現れる。青銅・鉄・石による専用の武器が登場し、武器を祭器として尊崇する信仰まで生まれる。

 とくに強烈な印象を残すのは、前述の青谷上寺地遺跡でも見つかった、殺傷された証拠を残す人骨である。神戸市の新方遺跡の墓地では、1列に葬られた男性3人の遺骨の中から、それぞれ石鏃が見つかった。そのうち壮年から熟年のたくましい男性は、頭から胴と腕にかけて、17個もの鏃を射ち込まれていた。いろいろな方向から弓矢で集中攻撃されたらしい。

 奈良市の四分遺跡の例もすさまじい。1つの木棺に一緒に葬られた若い男女の遺骨のうち、女性のほうは胸の部分に石鏃が1本。男性のほうは、背中や腰の左右から、鉄の武器で刺されたり切られたりした傷が数カ所、左の肩甲骨や左右の腸骨にある。さらに左の目あたりが鋭利な凶器で骨までざっくりと削られている(松木武彦『人はなぜ戦うのか』)。

弥生時代に農耕と戦争が同時に広まった理由として、歴史学の通説では、農耕社会では狩猟採集よりもたくさんの生産物がとれ、富ができやすいから、その奪い合いが引き金となって戦争が起きると説明されてきた。

国家は欲しい物をつねに暴力で奪う


 しかし、この説明には飛躍がある。人が他人の富を手に入れる方法は、奪うだけではないからだ。ドイツの社会学者フランツ・オッペンハイマーは、人間が生きるために必要な富を手に入れ、欲望を満足させるには、根本的に対立する2つの手段があると指摘した。労働と略奪である。

 オッペンハイマーのいう労働には、自分の労働で物をつくりだすだけでなく、それを互いの合意のもとに他人と交換することも含む。一方、略奪とは欲しい物を暴力や詐欺によって他人から一方的に奪うことを指す。オッペンハイマーは労働を「経済的手段」と呼び、略奪を「政治的手段」と呼んだ。政治の主体である国家は、欲しい物をつねに暴力で奪うからだ。奪う相手が自国民なら課税で、他国民なら戦争でという方法の違いがあるにすぎない。

 他人の富の略奪を目的とする戦争は、明らかに略奪である。しかし、富が欲しければ、交換という選択肢もあるはずだ。事実、弥生時代は異なる集団の間に戦争しかなかったわけではない。石材、木材、山海の産物など縄文時代以来の日常物資の平和な交換が、むしろ普通だった。

 だとすれば、問わなければならないのは、なぜ農耕によって築かれた富を手に入れる際、平和な交換という方法だけでなく、戦争という方法が新たに加わったかだ。

戦争と課税はコインの裏表


 考古学者の松木武彦氏は、人工物や社会をつくったヒトの心に注目する「認知考古学」に基づき、弥生時代における本格的な稲作農耕と戦争とは、ひとつの文化を構成するセットをなしていた可能性があると指摘する。そのルーツは遠く海外にある。

 日本の縄文時代後半、世界ではいわゆる四大文明が芽生え、栄えていた。メソポタミアのチグリス・ユーフラテス両川のほとり、エジプトのナイル河谷、インドのインダス川上流、中国の黄河流域では世界に先駆けて大規模な農耕が始まり、都市が現れ、軍隊をもって戦争を行う古代国家が生み出され、王侯や貴族が支配の頂点に立つ社会が発達する。

きっかけは当時地球上で進行した寒冷化に伴い、温暖なこれらの地帯に周囲から多くの集団が流れ込んだことにある。環境の変化を乗り切る方策のひとつとして、農耕によって自然を支配する一方で、武力によって人を支配するという支配的性向をもつ文化が編み出された。この文化が中国から日本に伝わり、弥生時代の戦争をもたらしたと松木氏はみる(『列島創世記』)。

 同じく考古学者、寺沢薫氏の指摘も興味深い。同氏はR・カーネイロの2つの戦争モデルを紹介する。第1は、アマゾンなど広大な未開の森林を控えた地域だ。負けたグループは征服や賠償の対象にされようものなら、森林の奥地に引っ越す。

 第2は、これとは対照的なペルーの海岸地帯だ。戦争で負けたグループは逃げるところがない。殺されるか勝者に隷属するかだ。敗者は勝者の政治組織に吸収される。この政体が拡大しペルー全体をまとめるようになったとき、インカ帝国が成立した。四大文明発祥の地もおおかたこのモデルだという。

 弥生時代の九州北部は第2のモデルそのものだと寺沢氏は言う。戦争に勝った共同体と敗れた共同体の間には歴然とした階級関係が生まれる。敗北した共同体は首長の下に一見従来どおりの生活を送っているように見えるが、じつは支配共同体に生産物や労働力の一部を貢納というかたちで税金のように支払ったり、特殊技術を提供したりする義務がある。

 寺沢氏は、九州北部では過酷な戦争を通じ、日常的な小共同体がクニ(大共同体)や国(大共同体群)、その連合へと統合されたと述べ、弥生時代前期末の紀元前3世紀末に生まれたクニこそが日本列島における最初の国家だとみる。定説とされる7世紀を大きくさかのぼる説だ。

 それでもオッペンハイマーが言うように国家の本質が略奪にあるとすれば、戦争でほかの共同体を隷属させ、税で財産を奪うクニは、小規模ながら立派な国家といえよう。国家は戦争から生まれ、課税によって育つのだ。

 ここで戦争についてひとつの教訓が導かれる。国家が他国民の富を奪う戦争と、自国民の富を奪う課税は、同じコインの裏表である。どちらも平和な交換を拒絶し、暴力に訴える略奪の異なる形態にすぎない。

 課税が最終的には暴力によって実行されることは誰もが知っている。世界から戦争をなくすには富裕層に増税し富の再分配を強化せよという主張もあるが、まったくの誤りだ。課税という暴力を好む心で、戦争の暴力をなくすことはできない。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)

<参考文献>
木下正史『倭国のなりたち』(日本古代の歴史 1)吉川弘文館
松木武彦『人はなぜ戦うのか——考古学からみた戦争』中公文庫
松木武彦『列島創世記』(全集 日本の歴史1)小学館
寺沢薫『王権誕生』(日本の歴史 02)講談社学術文庫

https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c170

[近代史3] 被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した 中川隆
10. 中川隆[-12154] koaQ7Jey 2019年2月14日 15:11:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2018.09.20
約2千年前の弥生時代、なぜ凄惨に殺された人骨が大量発掘…国と課税と戦争の誕生
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html


 鳥取市の青谷上寺地遺跡で見つかった2〜3世紀(弥生時代後期)の人骨のDNAを最新技術で分析する調査を、国立科学博物館や国立歴史民俗博物館、鳥取県埋蔵文化財センターなどが始めた。

「産経WEST」の報道によれば、遺跡中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。

 人間はなぜ戦争をするのか。古くから多くの思想家や研究者が答えを探してきた問いだ。日本で戦争が始まったとされる弥生時代の歴史は、その難問に対するヒントを与えてくれる。

 通説では紀元前4世紀ごろに九州北部で始まったとされる弥生時代といえば、水稲農耕が始まった時代として知られる。縄文時代晩期に渡来人によって北九州に伝えられた水稲技術が、まず西日本、次いで東日本にも広まった。

 同じ時期に日本列島に広まったものがある。戦争だ。

 考古学の研究結果によれば、狩猟採集に基礎を置く縄文時代には、集団と集団とがぶつかり殺し合う戦争はなかった。専用の武器をつくらなかったし、ムラの守りを固めることもなかった。殺されたことが確かな埋葬人骨もごく少ない。

 ところが弥生時代に入ると様子が一変する。周囲に堀を巡らした環濠集落や、台地や山頂に築く高地性集落など、防御を固めた集落が現れる。青銅・鉄・石による専用の武器が登場し、武器を祭器として尊崇する信仰まで生まれる。

 とくに強烈な印象を残すのは、前述の青谷上寺地遺跡でも見つかった、殺傷された証拠を残す人骨である。神戸市の新方遺跡の墓地では、1列に葬られた男性3人の遺骨の中から、それぞれ石鏃が見つかった。そのうち壮年から熟年のたくましい男性は、頭から胴と腕にかけて、17個もの鏃を射ち込まれていた。いろいろな方向から弓矢で集中攻撃されたらしい。

 奈良市の四分遺跡の例もすさまじい。1つの木棺に一緒に葬られた若い男女の遺骨のうち、女性のほうは胸の部分に石鏃が1本。男性のほうは、背中や腰の左右から、鉄の武器で刺されたり切られたりした傷が数カ所、左の肩甲骨や左右の腸骨にある。さらに左の目あたりが鋭利な凶器で骨までざっくりと削られている(松木武彦『人はなぜ戦うのか』)。

弥生時代に農耕と戦争が同時に広まった理由として、歴史学の通説では、農耕社会では狩猟採集よりもたくさんの生産物がとれ、富ができやすいから、その奪い合いが引き金となって戦争が起きると説明されてきた。

国家は欲しい物をつねに暴力で奪う


 しかし、この説明には飛躍がある。人が他人の富を手に入れる方法は、奪うだけではないからだ。ドイツの社会学者フランツ・オッペンハイマーは、人間が生きるために必要な富を手に入れ、欲望を満足させるには、根本的に対立する2つの手段があると指摘した。労働と略奪である。

 オッペンハイマーのいう労働には、自分の労働で物をつくりだすだけでなく、それを互いの合意のもとに他人と交換することも含む。一方、略奪とは欲しい物を暴力や詐欺によって他人から一方的に奪うことを指す。オッペンハイマーは労働を「経済的手段」と呼び、略奪を「政治的手段」と呼んだ。政治の主体である国家は、欲しい物をつねに暴力で奪うからだ。奪う相手が自国民なら課税で、他国民なら戦争でという方法の違いがあるにすぎない。

 他人の富の略奪を目的とする戦争は、明らかに略奪である。しかし、富が欲しければ、交換という選択肢もあるはずだ。事実、弥生時代は異なる集団の間に戦争しかなかったわけではない。石材、木材、山海の産物など縄文時代以来の日常物資の平和な交換が、むしろ普通だった。

 だとすれば、問わなければならないのは、なぜ農耕によって築かれた富を手に入れる際、平和な交換という方法だけでなく、戦争という方法が新たに加わったかだ。

戦争と課税はコインの裏表


 考古学者の松木武彦氏は、人工物や社会をつくったヒトの心に注目する「認知考古学」に基づき、弥生時代における本格的な稲作農耕と戦争とは、ひとつの文化を構成するセットをなしていた可能性があると指摘する。そのルーツは遠く海外にある。

 日本の縄文時代後半、世界ではいわゆる四大文明が芽生え、栄えていた。メソポタミアのチグリス・ユーフラテス両川のほとり、エジプトのナイル河谷、インドのインダス川上流、中国の黄河流域では世界に先駆けて大規模な農耕が始まり、都市が現れ、軍隊をもって戦争を行う古代国家が生み出され、王侯や貴族が支配の頂点に立つ社会が発達する。

きっかけは当時地球上で進行した寒冷化に伴い、温暖なこれらの地帯に周囲から多くの集団が流れ込んだことにある。環境の変化を乗り切る方策のひとつとして、農耕によって自然を支配する一方で、武力によって人を支配するという支配的性向をもつ文化が編み出された。この文化が中国から日本に伝わり、弥生時代の戦争をもたらしたと松木氏はみる(『列島創世記』)。

 同じく考古学者、寺沢薫氏の指摘も興味深い。同氏はR・カーネイロの2つの戦争モデルを紹介する。第1は、アマゾンなど広大な未開の森林を控えた地域だ。負けたグループは征服や賠償の対象にされようものなら、森林の奥地に引っ越す。

 第2は、これとは対照的なペルーの海岸地帯だ。戦争で負けたグループは逃げるところがない。殺されるか勝者に隷属するかだ。敗者は勝者の政治組織に吸収される。この政体が拡大しペルー全体をまとめるようになったとき、インカ帝国が成立した。四大文明発祥の地もおおかたこのモデルだという。

 弥生時代の九州北部は第2のモデルそのものだと寺沢氏は言う。戦争に勝った共同体と敗れた共同体の間には歴然とした階級関係が生まれる。敗北した共同体は首長の下に一見従来どおりの生活を送っているように見えるが、じつは支配共同体に生産物や労働力の一部を貢納というかたちで税金のように支払ったり、特殊技術を提供したりする義務がある。

 寺沢氏は、九州北部では過酷な戦争を通じ、日常的な小共同体がクニ(大共同体)や国(大共同体群)、その連合へと統合されたと述べ、弥生時代前期末の紀元前3世紀末に生まれたクニこそが日本列島における最初の国家だとみる。定説とされる7世紀を大きくさかのぼる説だ。

 それでもオッペンハイマーが言うように国家の本質が略奪にあるとすれば、戦争でほかの共同体を隷属させ、税で財産を奪うクニは、小規模ながら立派な国家といえよう。国家は戦争から生まれ、課税によって育つのだ。

 ここで戦争についてひとつの教訓が導かれる。国家が他国民の富を奪う戦争と、自国民の富を奪う課税は、同じコインの裏表である。どちらも平和な交換を拒絶し、暴力に訴える略奪の異なる形態にすぎない。

 課税が最終的には暴力によって実行されることは誰もが知っている。世界から戦争をなくすには富裕層に増税し富の再分配を強化せよという主張もあるが、まったくの誤りだ。課税という暴力を好む心で、戦争の暴力をなくすことはできない。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)

<参考文献>
木下正史『倭国のなりたち』(日本古代の歴史 1)吉川弘文館
松木武彦『人はなぜ戦うのか——考古学からみた戦争』中公文庫
松木武彦『列島創世記』(全集 日本の歴史1)小学館
寺沢薫『王権誕生』(日本の歴史 02)講談社学術文庫

https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/113.html#c10

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
10. 中川隆[-12153] koaQ7Jey 2019年2月14日 15:30:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

スキー場積雪ランキング 2019年2月14日更新
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/


1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 587cm
.

2シャルマン火打

新潟 積雪量 500cm
.

3関温泉

新潟 積雪量 470cm
.

4湯殿山

山形 積雪量 450cm
.

5赤倉温泉

新潟 積雪量 445cm
.

6キューピットバレイ

新潟 積雪量 430cm
.

7八甲田

青森 積雪量 430cm
.

8妙高スキーパーク

新潟 積雪量 420cm
.

9夏油高原

岩手 積雪量 410cm
.

10かぐら

新潟 積雪量 390cm
.

11ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 375cm
.

12ニュー・グリーンピア津南

新潟 積雪量 360cm
.

13赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 360cm
.

14谷川岳天神平

群馬 積雪量 350cm
.

15HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 345cm
.

16斑尾高原

長野 積雪量 340cm
.

17GALA湯沢

新潟 積雪量 340cm
.

18舞子スノーリゾート

新潟 積雪量 335cm
.

19野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 330cm
.

20森吉山阿仁

秋田 積雪量 330cm
.

21松之山温泉

新潟 積雪量 320cm
.

22六日町八海山

新潟 積雪量 320cm
.

23ニセコビレッジスキーリゾート

道央 積雪量 320cm
.

24上越国際

新潟 積雪量 310cm
.

25天元台高原

山形 積雪量 310cm
.

26夕張リゾート マウントレースイ

道央 積雪量 310cm
.

27HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ

長野 積雪量 300cm
.

28野沢温泉

長野 積雪量 300cm
.

29湯沢高原

新潟 積雪量 300cm
.

30キロロスノーワールド

道央 積雪量 300cm
.

31HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 290cm
.

32HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 290cm
.

33糸魚川シーサイドバレー

新潟 積雪量 290cm
.

34池の平温泉

新潟 積雪量 290cm
.

35石打丸山

新潟 積雪量 290cm
.

36NASPAスキーガーデン

新潟 積雪量 285cm
.

37HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 280cm
.

38シャトー塩沢

新潟 積雪量 280cm
.

39十日町市松代ファミリー

新潟 積雪量 280cm
.

40サッポロテイネ

道央 積雪量 280cm
.

41神立高原

新潟 積雪量 275cm
.

42タングラムスキーサーカス

長野 積雪量 270cm
.

43さかえ倶楽部

長野 積雪量 270cm
.

44竜王スキーパーク

長野 積雪量 270cm
.

45たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 270cm
.

46HAKUBA VALLEY 白馬乗鞍温泉

長野 積雪量 265cm
.

47戸狩温泉

長野 積雪量 265cm
.

48丸沼高原

群馬 積雪量 265cm
.

49川場

群馬 積雪量 260cm
.

50札幌国際

道央 積雪量 260cm
.

51安比高原

岩手 積雪量 255cm
.

52水上高原スキーリゾート

群馬 積雪量 250cm
.

53宝台樹

群馬 積雪量 250cm
.

54ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 250cm
.

55ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 250cm
.

56鳥海高原矢島

秋田 積雪量 245cm
.

57志賀高原 焼額山

長野 積雪量 240cm
.

58奥志賀高原

長野 積雪量 240cm
.

59ムイカスノーリゾート(旧六日町スキーリゾート)

新潟 積雪量 240cm
.

60岩原

新潟 積雪量 240cm
.

61一本杉

新潟 積雪量 240cm
.

62ニノックススノーパーク

新潟 積雪量 240cm
.

63湯沢パーク

新潟 積雪量 235cm
.

64志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 230cm
.

65志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ

長野 積雪量 230cm
.

66志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 230cm
.

67志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 230cm
.

68志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 230cm
.

69わかぶな高原

新潟 積雪量 230cm
.

70水上高原藤原

群馬 積雪量 230cm
.

71スノーパーク尾瀬戸倉

群馬 積雪量 230cm
.

72黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 230cm
.

73カムイスキーリンクス

道央 積雪量 230cm
.

74富良野

道北 積雪量 226cm
.

75HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 225cm
.

76羽黒山

山形 積雪量 225cm
.

77黒姫高原スノーパーク

長野 積雪量 220cm
.

78志賀高原中央エリア 寺小屋

長野 積雪量 220cm
.

79立山山麓(極楽坂・らいちょうバレー)

富山 積雪量 220cm
.

80グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 220cm
.

81ルスツリゾート

道央 積雪量 220cm
.

82妙高杉ノ原

新潟 積雪量 215cm
.

83村上市ぶどう

新潟 積雪量 213cm
.

84北志賀小丸山

長野 積雪量 210cm
.

85IOX-AROSA

富山 積雪量 210cm
.

86湯沢中里スノーリゾート

新潟 積雪量 210cm
.

87八海山麓

新潟 積雪量 210cm
.

88かたしな高原

群馬 積雪量 210cm
.

89Asahi自然観スノーパーク

山形 積雪量 210cm
.

90志賀高原中央エリア 東館山

長野 積雪量 200cm
.

91HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド

長野 積雪量 200cm
.

92五日町

新潟 積雪量 200cm
.

93苗場

新潟 積雪量 200cm
.

94箕輪

福島 積雪量 200cm
.

95花笠高原

山形 積雪量 195cm
.

96X-JAM 高井富士

長野 積雪量 190cm
.

97白馬さのさか

長野 積雪量 190cm
.

98志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 190cm
.

99志賀高原中央エリア 西館山

長野 積雪量 190cm
.

100片品オグナほたか

群馬 積雪量 190cm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c10

[近代史3] 風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由 中川隆
16. 中川隆[-12152] koaQ7Jey 2019年2月14日 15:36:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

沖縄の風俗、時給は1500円 都合のいい愛の裏の実態
聞き手・伊藤和行 2019年2月14日

社会学者・上間陽子さん

 2012年から、沖縄の風俗業界で働く女性の調査を続けています。きっかけは、その2年前に県内で起きた女子中学生へのレイプ事件でした。加害者の少年3人は女子中学生と泡盛を飲み、公園のトイレで暴行しました。母子家庭だった女子中学生はその後、自殺しました。


うえま・ようこ琉球大大学院教授。沖縄の風俗業界で働く女性の聞き取り調査を続け、2017年

「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」
https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%B8%E8%B6%B3%E3%81%A7%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B-%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1-at%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E4%B8%8A%E9%96%93%E9%99%BD%E5%AD%90/dp/477831560X

を出版。

 そんな彼女にネット上では「沖縄では中学生が酒を飲む」「夜中に外出させる親が悪い」といった批判が出ました。背景には沖縄の貧困があるのに、実態は見ないふりをされている。親や恋人からの暴力、経済格差、未成年の違法労働など沖縄内部のひずみを直視しないといけないと考えました。

 沖縄県が16年に発表した初めての独自調査で、子どもの貧困率は約3割にのぼり、全国の倍近い結果となりました。戦後、在日米軍基地は沖縄に集められ、47年前まで27年間、米国統治下に切り離され、福祉や経済振興が置き去りにされていた歴史を踏まえれば、沖縄だけの問題ではないと考えます。

 貧困の影響を特に受けるのが子どもや女性です。調査で知り合ったある女子中学生は、虐待のあった家を出て、キャバクラやピンクサロンなどの風俗店で働いていました。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html#c16

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
171. 中川隆[-12151] koaQ7Jey 2019年2月14日 15:46:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

戦乱の時代(受傷人骨と環濠集落・高地性集落)

弥生時代は、縄文時代とはうってかわって、集落・地域間の戦争が存在した時代であった。

武器の傷をうけた痕跡のある人骨(受傷人骨)の存在などは、戦争の裏付けである。また、集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落や、低地から100m以上の比高差を持つような山頂部に集落を構える高地性集落なども、集落や小国家間の争いがあったことの証拠であると考えられてきた。

受傷人骨

弥生時代前期の墓には、人骨の胸から腰にかけての位置から十五本の石鏃が出土した例がある。

多くの石鏃が胸部付近に集中して見つかる墓の事例は、瀬戸内海を中心とする西日本一帯に比較的多く見られる。かつては、戦闘の際に矢を何本も射込まれてやっと倒れた人物と解釈されることが多く「英雄」などとも呼ばれたが、近年では、矢を特定の部位に集中して射込まれていることの不自然さから、刑罰として処刑されたとか、何らかの儀礼的行為の際の犠牲(生贄)となって胸に矢を射込まれたなどといった解釈もある。平和的な解釈としては、埋葬の際に副葬品として鏃を胸のあたりに埋納したと考える者もいる。

北部九州では、前期から中期にかけて銅剣・銅戈・石剣・石戈の切っ先が棺内から出土することが多い。こうした例は、武器を人体に刺突した際に先端が折れて体内に残ったものと解釈される。しかし武器の先端を折りとって副葬品として棺内に埋納するという風習があったのではないかといった反論をする者もいる。

佐賀県吉野ヶ里遺跡や福岡県筑紫野隈・西小田遺跡などでは、中期前葉の男性甕棺数が女性の倍にも達する事実があり、男性が戦闘に参加する機会が多い事を示すと考えられる。

甕棺内に頭部を切断された胴体だけが埋葬されていたと考えられる事例が見つかっており、戦闘の際に敵に首を切られた死体を持ち帰り、埋葬したものと理解されている。

戦争やテロの時に敵の首を取る慣習は、戦国時代や幕末でも続いていたが、その始まりは弥生時代にあった。しかしこのような例が本当に戦闘の犠牲者なのかは論証されておらず、何らかの儀礼的行為によるものと主張する者もいるが、未だ論証されていない。

受傷人骨の中でも、明らかに武器によってつけられたと考えられる傷のある人骨の存在は、戦闘の存在を示す証拠である。

例えば額から右眼にかけて致命的な傷痕があり、更に右手首を骨折していた人骨が見つかっているが、右手首の骨折は、攻撃から身を守る際につけられる、防御創と呼ばれる種類の傷としては一般的なもので、戦闘による受傷者である可能性は極めて高い。

また人骨に武器の切っ先が嵌入している事例も、北部九州を中心に数例が確認されているが、これらは武器による受傷人骨であることが明らかである。

このような受傷人骨の例は縄文時代にもないわけではないが、弥生時代には前代と比べて明らかに数が増加しており、縄文時代と比べて戦争が頻繁に起こったであろう事は確実といわれている。


また、戦闘の証拠とされる上記のような事例のうち、武器の切っ先が棺内から出土する例、頭部がない人骨、あるいは人骨に残る受傷例などは、前期後半から中期前半の北部九州地域、特に福岡県小郡市を中心とした地域に多く認められる事が特徴的である。

弥生前期後半から中期前半は、西日本の多くの地域で集落が可耕地に乏しい丘陵上へと一斉に進出することが指摘されており、各地域において弥生集団が急激な人口の増加を背景に可耕地の拡大を求めた時期であるとされる。この可耕地の拡大が原因となって、各地で土地と水に絡む戦いが頻発したものと考えられ、中でも北部九州における受傷人骨の多さは、こうした争いが頻発した証拠と考えられている。なお、中期後半以降は受傷人骨や切先が棺内から出土する例は減少する。


大規模な集団殺戮を示す遺跡としては、鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡が代表的である。

日置川と勝部川の合流点の南側に弥生中期から村が形成され、弥生後期後葉に戦争の結果とみられる状況で集落が廃絶したと思われる(住居跡は未発掘)。

東側の溝(防御施設と港の機能を兼ねていたか)から100人分を超える人骨が見つかり、少なくとも10体、110点の人骨に殺傷痕が見られた。

人骨は女性や老人や幼児も含めて無差別に殺されており、刀剣による切り傷がついた骨、青銅の鏃が突き刺さった骨がある。治癒痕はなく、骨に至る傷が致命傷となってほぼ即死したと思われる。

出土状況も凄惨で、溝に多数の死体が、埋葬ではなく折り重なって遺棄されている。

遺物も、原型を保った建築物の一部や、様々な生活用品が、通常の遺跡ではありえないほど大量に出土している[40]。

死者の中に15〜18歳の若い成人女性がおり、額に武器を打ち込まれて殺されている。

殺戮した後、死体の処理と施設の破壊を兼ねて、死体や廃棄物で溝を埋め立てたものと思われる。

略奪はしただろうが、破壊した住居や不要な生活用品は捨てられた。
通常なら再利用や腐朽で失われるものが、保存条件もよくて大量に残存した。

虐殺以後は集落は復興せず、現代まで水田として利用された模様である[41]。

なお虐殺死体が弥生時代に増加すること及びそれらを研究することが専門の研究者にとっても大きな精神的負担になっていることを、松木武彦は新聞の評論で述べている[42]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c171

[近代史3] 被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した 中川隆
11. 中川隆[-12150] koaQ7Jey 2019年2月14日 15:47:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

戦乱の時代(受傷人骨と環濠集落・高地性集落)

弥生時代は、縄文時代とはうってかわって、集落・地域間の戦争が存在した時代であった。

武器の傷をうけた痕跡のある人骨(受傷人骨)の存在などは、戦争の裏付けである。また、集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落や、低地から100m以上の比高差を持つような山頂部に集落を構える高地性集落なども、集落や小国家間の争いがあったことの証拠であると考えられてきた。

受傷人骨

弥生時代前期の墓には、人骨の胸から腰にかけての位置から十五本の石鏃が出土した例がある。

多くの石鏃が胸部付近に集中して見つかる墓の事例は、瀬戸内海を中心とする西日本一帯に比較的多く見られる。かつては、戦闘の際に矢を何本も射込まれてやっと倒れた人物と解釈されることが多く「英雄」などとも呼ばれたが、近年では、矢を特定の部位に集中して射込まれていることの不自然さから、刑罰として処刑されたとか、何らかの儀礼的行為の際の犠牲(生贄)となって胸に矢を射込まれたなどといった解釈もある。平和的な解釈としては、埋葬の際に副葬品として鏃を胸のあたりに埋納したと考える者もいる。

北部九州では、前期から中期にかけて銅剣・銅戈・石剣・石戈の切っ先が棺内から出土することが多い。こうした例は、武器を人体に刺突した際に先端が折れて体内に残ったものと解釈される。しかし武器の先端を折りとって副葬品として棺内に埋納するという風習があったのではないかといった反論をする者もいる。

佐賀県吉野ヶ里遺跡や福岡県筑紫野隈・西小田遺跡などでは、中期前葉の男性甕棺数が女性の倍にも達する事実があり、男性が戦闘に参加する機会が多い事を示すと考えられる。

甕棺内に頭部を切断された胴体だけが埋葬されていたと考えられる事例が見つかっており、戦闘の際に敵に首を切られた死体を持ち帰り、埋葬したものと理解されている。

戦争やテロの時に敵の首を取る慣習は、戦国時代や幕末でも続いていたが、その始まりは弥生時代にあった。しかしこのような例が本当に戦闘の犠牲者なのかは論証されておらず、何らかの儀礼的行為によるものと主張する者もいるが、未だ論証されていない。

受傷人骨の中でも、明らかに武器によってつけられたと考えられる傷のある人骨の存在は、戦闘の存在を示す証拠である。

例えば額から右眼にかけて致命的な傷痕があり、更に右手首を骨折していた人骨が見つかっているが、右手首の骨折は、攻撃から身を守る際につけられる、防御創と呼ばれる種類の傷としては一般的なもので、戦闘による受傷者である可能性は極めて高い。

また人骨に武器の切っ先が嵌入している事例も、北部九州を中心に数例が確認されているが、これらは武器による受傷人骨であることが明らかである。

このような受傷人骨の例は縄文時代にもないわけではないが、弥生時代には前代と比べて明らかに数が増加しており、縄文時代と比べて戦争が頻繁に起こったであろう事は確実といわれている。


また、戦闘の証拠とされる上記のような事例のうち、武器の切っ先が棺内から出土する例、頭部がない人骨、あるいは人骨に残る受傷例などは、前期後半から中期前半の北部九州地域、特に福岡県小郡市を中心とした地域に多く認められる事が特徴的である。

弥生前期後半から中期前半は、西日本の多くの地域で集落が可耕地に乏しい丘陵上へと一斉に進出することが指摘されており、各地域において弥生集団が急激な人口の増加を背景に可耕地の拡大を求めた時期であるとされる。この可耕地の拡大が原因となって、各地で土地と水に絡む戦いが頻発したものと考えられ、中でも北部九州における受傷人骨の多さは、こうした争いが頻発した証拠と考えられている。なお、中期後半以降は受傷人骨や切先が棺内から出土する例は減少する。


大規模な集団殺戮を示す遺跡としては、鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡が代表的である。

日置川と勝部川の合流点の南側に弥生中期から村が形成され、弥生後期後葉に戦争の結果とみられる状況で集落が廃絶したと思われる(住居跡は未発掘)。

東側の溝(防御施設と港の機能を兼ねていたか)から100人分を超える人骨が見つかり、少なくとも10体、110点の人骨に殺傷痕が見られた。

人骨は女性や老人や幼児も含めて無差別に殺されており、刀剣による切り傷がついた骨、青銅の鏃が突き刺さった骨がある。治癒痕はなく、骨に至る傷が致命傷となってほぼ即死したと思われる。

出土状況も凄惨で、溝に多数の死体が、埋葬ではなく折り重なって遺棄されている。

遺物も、原型を保った建築物の一部や、様々な生活用品が、通常の遺跡ではありえないほど大量に出土している[40]。

死者の中に15〜18歳の若い成人女性がおり、額に武器を打ち込まれて殺されている。

殺戮した後、死体の処理と施設の破壊を兼ねて、死体や廃棄物で溝を埋め立てたものと思われる。

略奪はしただろうが、破壊した住居や不要な生活用品は捨てられた。
通常なら再利用や腐朽で失われるものが、保存条件もよくて大量に残存した。

虐殺以後は集落は復興せず、現代まで水田として利用された模様である[41]。

なお虐殺死体が弥生時代に増加すること及びそれらを研究することが専門の研究者にとっても大きな精神的負担になっていることを、松木武彦は新聞の評論で述べている[42]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/113.html#c11

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
3. 中川隆[-12149] koaQ7Jey 2019年2月14日 19:26:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]
驚愕の真実!東京新聞が「恐怖の中国」を報道!  2019/02/14
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/441.html
https://85280384.at.webry.info/201902/article_136.html

▼驚愕の真実!東京新聞が「恐怖の中国」を報道!

 東京新聞が中国共産党による少数民族ウイグル族への弾圧の実態を告発した。

 習近平中国を許してはならない。

 このフェイスブックを見ている中国シンパよ、それでもまだ、非道な習近平独裁を支持するのか?ネットを使ってここで、「教宣活動」を続けるのか?

 東京新聞が「ウイグル収容所の証言 中国化強要 24時間尋問、全裸検査」と銘打って、残酷で非道な習近平の「恐怖の中国」をレポートした。

************************

 少数民族ウイグル族弾圧で、昨年9月まで中国政府の「再教育施設」に入れられていた女性が、1年以上続いた収容生活を証言した。

 24時間続く過酷な尋問に、「手足を縛られて寝た」という劣悪な環境など「中国化」を強要された実態を訴えた。

 女性はカザフスタン人のウイグル族、ギュルバハール・ジャリロアさん(54)。カザフとウイグル自治区との間で洋服を貿易する事業を営んでいた1017年5月、友人からの電話で「商品が届いたから来てほしい」と言われてウルムチを訪ね、突然中国の治安機関に拘束された。

 身に覚えのない「テロ活動支援」が容疑だった。

 弁護士の要求を拒否され、裁判もないまま1年3カ月にわたり再教育施設に収容された。

 窓のない部屋は幅3メートルに奥行き7メートル、壁は高さ6メートルほどで、約40人の女性が詰め込まれた。

 全員が横になれず、夜は交代で就寝。私語は禁止され、見つかると手足を縛られた。

 週に一度検査と称して全裸にされ、「ドアの外から男性監視員が見ていた。屈辱だった」。粗末な食事で体重は九キロ減った。

 特に3カ月に一度の割合で呼び出された尋問は、水も与えられずに24時間続いた。

 失神すると手を針で刺された。収容者は定期的に注射を打たれ、「頭がボーッとした」と鎮静剤が投与されたのではと疑う。

 部屋のテレビでは習近平の演説が流され、中国共産党の歌を合唱させられた。

 ウイグル語の読み書きができないジャリロアさんは書かなかったが、ほかの女性たちは「政府と党に感謝する」などとする反省文を繰り返し書かされたという。

詳しくはここをクリック
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201902/CK2019021402000140.html?ref=rank


ウイグル収容所の証言 中国化強要 24時間尋問、全裸検査
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201902/CK2019021402000140.html
2019年2月14日 東京新聞 朝刊

※キャプチャー


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c3

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁

世にも奇妙な物語 【もう一人の花嫁】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=aZcppgbmmnU
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%8A%B1%E5%AB%81&sp=mAEB


1991年4月4日放送

キャスト

伊藤繭子 沢口靖子.
美奈子 山下容莉枝.
伊藤良雄 高島忠夫.


スタッフ

脚本 月島水樹 (北川悦吏子)..
演出 鈴木雅之
https://www.fujitv.co.jp/kimyo/084-088.html#num087

第221話 もう一人の花嫁

自分と同じように結婚式場から逃げ出す自分の母親がいた。

ちゃんと結婚してくれないと自分が生まれてこない事になると知った沢口は結婚をしきりにすすめるが,母は

「自分には本当に好きな人がいる、親に決められた結婚なんてしたくない」

という。

その言葉を聞いた沢口は母親の逃走を手伝う。母は喜んで

「ありがとう…そういえばあなたの名前、聞いてなかったわね」

「靖子です」

「靖子さんね…ありがとう・・・あなたの名前、生まれてくる子供につけていいかしら?」

泣きながら頷く沢口。と、急に元の世界へ戻ってしまった…
父が言った。

「おまえのかあさんもな、おまえと同じようにこうやって逃げ出そうとしたんだぞ」
つまり、婚約者が父親じゃなくて、本当に好きだった人が父親だったってオチ。


キャスト: 沢口靖子
放送日: 1991年 春の特別編


___

主人公は結婚式を今日行う予定の花嫁。しかし、コックである父親は式当日の現在でも結婚に反対らしく、主人公が声をかけても後ろを向いたまま「後で行く」と答えただけだった。

主人公が着る予定の花嫁衣装は、幼い頃に亡くなった母親の形見だった。母との思い出に浸りながらふと、その衣装に泥跳ねの跡があるのを見つけて「何かしら?」と疑問に思う主人公。式の時間は迫り、準備をしなければいけないが、父親はまだ来ない。どうしても父親に祝福してもらいたいと思った主人公は、着替え部屋の窓から飛び降りた。

気が付くと、そこは見慣れた街ではなく三輪のトラックが走り、人々の服装もどこか古めかしくなっていた。タイムスリップしたらしい。そこで主人公は、若き日の母親に出会う。正体は明かしていないが親子故か、主人公と母親は話しているうちにすっかり意気投合していった。美容師志願の主人公は、母親の髪をセットしてあげることに。そこで母親は悩みを打ち明けた。彼女は親から勧められた相手との縁談が進み、今日挙式予定なのだが、実は他に本当に好きな相手がいて、彼と駆け落ちすべきかどうか悩んでいたのだ。

その話に「頑固者の父親はきっと親の勧めた相手に違いない」と思った主人公は、親の意見を尊重するべきだと進め、了解した母親と別れた。

しかし、その後で自分の境遇と照らし合わせて「父と結婚しないと言う事は私は消えてしまうかもしれないけれど、やっぱりお母さんには好きな人と結婚してほしい」と思い直し、結婚式場で既に着替えを済ませていた母親の手を取って、外へ連れ出した。外には、駆け落ちの相手が待っていた(逆光で顔は見えない)。水たまりを跳ねかせながら彼のもとへ走る母親。

「ありがとう。生まれて来る子にはあなたの名前を付けるわ」思わず泣きながら「お母さん…」と言ってしまう主人公だったが、母親は微笑んでいた。

そして気付くと元の結婚式場の前にいた。自分は消えなかったのかと疑問が残りつつ着替えると、父が駆けつけてくれた。仕事を早く切り上げたと言う。「懐かしいなぁ…この泥の染みは、母さんが父さんと逃げる時についた染みなんだよ。あの時、手伝ってくれた人がいてね…その人の名前をお前に付けたんだ」

あの時の主人公の選択は、間違っていなかったのだ。

父親は、あの時の母親同様自分の意志を貫き通した主人公を祝福し、晴れて主人公は結婚式へと向かった。花婿と進み出る中、参列者の席を振り返ると、父親の隣の空席に嬉しそうな母親の姿が。「お母さん…」再び主人公の目から涙がこぼれた。
http://yonikimo.com/221.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 時の女神 (1994年7月7日)

世にも奇妙な物語 時の女神 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1OxcoSStvwM
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1994年7月7日

第261話 時の女神


物語は、年老いた柳葉敏郎が下校する娘を迎えに行くことから始まる。
花屋に立ち寄った柳葉は、マーガレット(だったような)を見て
今は亡き妻のことを思い出す。

以下、回想シーン。

小学校の七夕の時、下校中に水野真紀を見かける。
大学生になった時、当時の彼女とのデート中に、また水野を見かける。
就職した時、通り雨を避けるため入った店で水野に出会う。
子供の頃から思いを募らせていた柳葉は、水野に交際を申し込む。
やがてふたりは結婚した。
夫婦生活の中で、おかしなことがあった。
忘れ物を取りに家に戻ると、今出たばかりなのに妻がいない。
捜してみると、さっきいなかったはずの場所にいる。
しかもマーガレットを持って・・・
こうやってふと消えることがたまにあった。

妻は、人差し指と中指を重ね合わせる
(欧米でいうところの「幸運を祈る」の表現と同じ)のが好きだった。

妻「こうしていると、

私(人差し指)があなた(中指)に抱かれているように見えるの」

時が経って、妻は病魔を患った。
働き盛りだったのだろう。それでも夫は妻の死に目になんとか間にあった。
自分の最後を知っていた妻は、自分の秘密を話し始めた。

妻「わたしはね、時を越えることができるの。
私は、将来自分の夫になるあなたを、子供の時から見ていたのよ」

夫「じゃあ、僕の未来も見に行ったの?」

妻「一度だけね」

そんな話をしながら、妻は逝ってしまった。
夫は悲しみにくれ、それでも娘を立派に育て上げた。

回想シーン終わり


あのとき妻はあんなことを言ったが、おもしろい話だった。
そんなことを思い出しながら、マーガレットを見つめる。
その瞬間、柳葉の頭の中で、全てが繋がった。

まだ妻が生きていた頃、手にしていたマーガレット。あれは……。

柳葉を手前にして、カメラは背景へフォーカス。
背後にあの人がいることを確信し、振り返る柳葉。

車道を挟んだそこには、妻がいた。
人差し指と中指を重ね合わせて、手にしたマーガレットを差し出す柳葉。
目には涙がにじんでいた。

「世にも奇妙な物語」の感動モノのなかで、
最も人気の高い作品のひとつ。


キャスト: 柳葉敏郎/水野真紀
放送日: 1994年 七夕の特別編
原作・脚本: 筒井康隆
http://yonikimo.com/261.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/241.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
119. 中川隆[-12148] koaQ7Jey 2019年2月14日 20:00:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

世にも奇妙な物語 _ 時の女神 (1994年7月7日)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/241.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c119
[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
16. 中川隆[-12147] koaQ7Jey 2019年2月14日 21:00:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

若者を自己破産に追い込む不動産投資の新たな手口。レオパレス問題で終わりではない
2/14(木) 12:10配信 BUSINESS INSIDER JAPAN
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190214-00010001-binsiderl-bus_all

相続税対策をうたう不動産投資ブームで、人口減少にもかかわらず新築アパートをよく見かける


スルガ銀行のシェアハウス向け不正融資問題に続いて、レオパレス21の問題がメディアを賑わしている。

【全写真を見る】若者を自己破産に追い込む不動産投資の新たな手口。レオパレス問題で終わりではない

レオパレスのようにアパート建築まで手がける大手賃貸事業者のビジネスモデルは、いずれも共通している。

相続税対策をうたって地主にアパート建築資金のほぼ全額を借り入れさせ、完成したら事業者ないしはそのグループ会社が一括して借り上げる(サブリース)。地主は保証された家賃を受け取って借り入れを返済し、最後に収支はトントンか若干プラスとなる、というものだ。

事業者は、自社が建てた家屋を借り上げるだけで、アパートを売るわけではない。家賃を一定期間保証するとはいえ、アパート所有に伴うリスクは基本的に地主が負う。
.

「最初は高額家賃保証、のちに減額」は法的にはアリ

最高裁の判例は、借り手を守るための借地借家法で定められた「経済事情の変動による賃料増減請求権」を、借り手がサブリース事業者の場合にも原則として認めているので、運用が厳しくなれば、アパートの貸し手である地主に借り上げ賃料の減額を求めることができる。

穿った言い方をすれば、仮にサービスを売らんがために無理な家賃水準で借り上げをしても、保証期間(最近ではわずか2年ほどのケースもあると筆者は聞いている)が過ぎたら、地主に減額を求めればよいという“割り切り”も成り立つということだ。

レオパレスの深山英世社長は、国の基準を満たさないアパートを建てた建築基準法違反の問題について、「作業効率を上げるのが一番の狙い」と発言しているが(日本経済新聞2019年2月8日付)、そういう業績優先の発想がアリなら、契約獲得のために借り上げ家賃の設定を甘めにするのもまたアリということにならないか。

借り上げ家賃の設定については、建築基準法違反とは違って、事業者が責任を負うことがないからなおさらだ。
.

銀行が不動産投資ローンから手を引いた

本来、さまざまなリスクを勘案してアブナイと思ったら銀行は融資をしない。そこで歯止めがかかるはずだ。ところが、地主への融資の場合は土地を担保に取れるから、銀行はほぼ無審査で貸してくれる。アパート運営がどうなろうが、最後は担保の土地を売れば回収できる、とこれまた“割り切り”で成り立っているのである。

最近はそういうことすら考えず、サラリーマンを相手に土地の購入資金まで貸す銀行があるようだ。スルガ銀行のように自ら審査書類を偽装するところまである世の中なので、借り主はよほど慎重でなくてはならない。アメリカではこれを「Caveat Emptor(買い主は注意せよ)」の原則という。

だが、実はこの問題については、もはや心配無用。スルガ銀行の不正融資問題をきっかけに、金融庁がようやく重い腰をあげて不動産投資ローンを問題視し始めたからだ。

長年の規制行政のもとで顧客より前に監督当局を見て仕事をする態度の染みついた銀行は、こうなると態度を豹変させる。すでに、案件の良否にかかわりなく融資そのものが難しい状況になってきているようだ。融資がつかなければ事業は始まらない。

それはそれでどうだかなとは思うが、まあ、そもそも相続税対策という動機そのものがそんなにほめられたものではないし、アパートが供給過剰なのは明らかだから、社会にもたらす弊害の大きさを考えると仕方ないだろう。


住宅ローンを悪用した「新たな手口」

そう思っていた矢先にまた新手の問題が登場した。Business Insider Japanの読者層とも重なる若い世代を中心に被害が増えているので、ここで注意を喚起しておく。

報道によると、インターネット専業の住信SBIネット銀行が、借り入れ希望者の居住用の住宅ローンとして実行した融資が、実際には投資用不動産の購入に使われていた疑いがあったということだ(日本経済新聞2019年1月11日付)。筆者の知る限り、同行だけでなく複数の融資機関で同様の問題が起きているようである。

記事を読むと銀行が被害者のように思えてくるが、実際の被害者は借り手である。記事ではそのあたりが明確にされていないため、どういうことかを筆者が知り得た範囲で紹介しておく(伝聞に基づきつつ一般化した例であることに注意してほしい)。

まず、悪質な事業者が、ネット上で投資用不動産への投資を呼びかける。対象は、空き家が増えているものの売却が容易でない首都圏遠郊の中古マンションが多いようだ。

事業者はこのマンションを借り上げ、最近流行りのリノベーションを施し、高い利回りで賃貸運用するという。顧客はわずかの頭金(こちらは事業者が消費者金融などを紹介するのだとか)を支払い、残りの投資額をすべて金融機関からの借り入れでまかなう。それを返済をしてもなおけっこうな収入が得られるというのが宣伝文句だ。

顧客が興味を示すと、事業者は融資の申し込み書類を作成してくれる。そこで本来なら不動産投資ローンを借りるべきところを、自分で住むためと偽って住宅ローンを申し込むのである。

すでに書いたように、不動産投資ローンは審査が厳しくなって融資を受けるのが難しい。一方、住宅ローンの金利は不動産投資ローンに比べて格安で、35年返済と非常に長期なので、融資審査さえ通れば負担を大幅に抑制することができる。審査でされそうな質問の答え方を指南される場合もあると聞く。

めでたく融資が下りたら、事業者は借り上げ保証やリノベーションの費用と称して数百万円を抜く。最初の数カ月は約束通りの家賃が支払われるが、ほどなく家賃の入金が止まり、事業者にも連絡ができなくなる。顧客は金融機関への返済ができなくなるので、ここで問題が発覚するわけだ。


ミレニアル世代が狙われている

実は、事ここに至っても事態の深刻さを認識できない人が少なくないそうだ。

当たり前の話だが、融資申込書に署名捺印している以上、銀行など金融機関への返済を負担するのはどこまでも顧客であって、「住宅ローンだとは知らなかった」とは言えない。しかも、資金使途を偽ったことは、契約書に定められた「期限の利益喪失」事由にあたるので、即時に全額を返済せねばならなくなる。

もともと売れる見込みのない遠郊の中古マンションを高値で買わされているのだから、抵当権を実行(=不動産を競売にかける)しても全額返済できる見込みはきわめて薄い。下手をすると自己破産まで追い込まれることもありうる。

貸し出し難で住宅ローンの融資競争に明け暮れる銀行のスキをついた手口だが、形の上では顧客が金融機関をダマしたことになるため、銀行などの責任を問うことはほぼ不可能である。事業者側も最初からダマすつもりだから、かなりタチが悪いと思ったほうがよい。

「There is no such thing as a free lunch. (うまい話には必ず裏がある)」

まさに、住宅ローン適齢期のミレニアル世代を狙った話なので、どうか注意してほしい。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c16

[リバイバル3] アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄 中川隆
5. 中川隆[-12146] koaQ7Jey 2019年2月15日 09:23:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

批判者や敵対者を転向させるよりも効率が良く成功率も高い方法とは?

世界は言うまでもなく、多種多様だ。いろんな人がいろんな考え方、生き方、ライフスタイル、文化、習慣を持ち、それぞれ自分のやり方に従って生きている。

当然、日本の中でも様々な考え方の人がいて、同じ日本人と言っても仔細に見るとひとりひとりまったく違う。比較的、画一的で似通っていると言われている日本人でも、個性は千差万別なのである。

地域によっても違う、性別によっても違う、職業によっても違う、資産額によっても違う、そして世代によっても違う。

現代の80代の日本人と20代の日本人は、使っている言葉さえも微妙に違っているし、互いに相手のよく使う言い回しや言葉が理解できないことすらもある。それは別に不思議なことでも何でもない。

1億2000万人の人口がいる国で、みんながみんな同じ考え方をしていると思う方がどうかしている。人は違っていて当然なのである。

「考え方や生き方が違う」というのは、人々がそれぞれ自分流の生き方や考え方を持っているということである。だから、中には自分にはまったく理解できない生き方や考え方をしている人と必ず遭遇するということでもある。

問題はここからだ。(鈴木傾城)

あなたも間違いなく批判される

互いの違いを認識し合うのは、とても意外な驚きがあったり、楽しかったりすることもある。しかし、それだけではない。中には衝突したり自分を激しく当惑させたり、怒らせたりするものもある。

人々には自分なりの考え方や生き方があって、どうしてもそれを変えることができないコアになる部分があるのだ。たとえば、宗教的なものや主義主張に関する事柄は、往々にしてそれを認めない人と激しい論争や対立を引き起こす。

しかし、そのような大仰なものだけではない。単に相手の性格のちょっとした点、相手の話し方や態度、相手のファッション、相手の趣味が合わないというだけでも、人は面白いほど対立し、反目し合うのだ。

これは何を意味しているのかというと、自分が何をしてもしなくても必ず自分を批判・攻撃してくる人間が一定数いるということなのである。

分かりやすいのは、個性がとんでもなく強い人や、主義主張が明確だったり先鋭だったりする人だ。このような人々は他人よりも目立つ分だけ、批判や攻撃を受けやすい。それを避けることは絶対にできない。

しかし、個性を消して主義主張をしなくても、それで他人からの批判や攻撃を避けられるかと言えばまったくそんなことはない。この世で批判・攻撃を受けない人はどこにもいない。

柔和で優しい人でも、慈愛に満ちた人でも、理性と知性を持った人でも、聖人君子のような生き方をしている人でも、ちょっとした材料で批判されるし攻撃される。

つまり、あなたも間違いなく誰かに批判され、攻撃されるということだ。

もちろん、批判や攻撃を受ける「度合い」はそれぞれ違う。ほとんどすべての人から批判・攻撃を受ける人もいるのだが、中にはそれほど批判や攻撃が目立たない人もいるのは間違いない。

しかし、他人からの批判や攻撃をゼロにすることなどできはしない。世の中はそれほど多種多様であり、千差万別であるということだ。

助けない、教えない、関わらない

世界は、私たちが想像する以上にたくさんの人間が存在している。そして人々の考え方や生き方は驚くほど幅がある。

だから、自分とはまったく逆の考え方を持っている人が存在しても不思議ではないし、自分の趣味や嗜好に批判的な人がいても何らおかしいことはない。

インターネットが普及し、SNSが定着するに従って、自分をさらけ出す人も増えているが、それと同時に自分に対する批判や攻撃や誹謗中傷に悩む人も爆発的に増えている。

しかし基本的に、私たちは別に批判者や敵対者のことは何ひとつ考える必要はない。その存在を気にする必要もなければ対処を考える必要すらもない。

私たちは、どんなに100%理解してもらおうとして相手を説得しても、必ず取りこぼしが生まれるからだ。反論しようが説得しようが無駄だ。説得されると、逆に憎悪する人間が次から次へと生まれてくる。

だから、常に効率と確率を重視して考える必要がある。

自分の個性や生き方を認めてくれない人や、自分を激しく攻撃・批判してくる人を説得したり、逆批判したり、論争したりするのは時には必要かもしれない。しかし、常に必要であるとは限らない。

なぜなら、それには課題なエネルギーと時間を消費して、しかも相手が理解してくれるよりも、むしろ逆に意固地にさせてより激しく憎しみを募らせる結果になることの方が大きいからである。

つまり、報われないことの方が多いし、自分の貴重な時間も無駄になる。関われば関わるほど泥沼になる。それよりも、敵対者はあっさりと切り捨て「助けない、教えない、関わらない」を徹底し、別の部分に力を入れた方がいい。

味方を探し、増やし、関係を強化する

批判者や敵対者とは分かりあえなくてもいい。敵対したままでもいい。嫌われてもいい。好かれる努力をしなくてもいい。見捨てていい。自分の貴重な時間を使って説得しなくてもいい。関わらなくてもいい。相手に合わせなくてもいい。相手を理解しなくてもいい。

あっさりと断ち切ればいい。それが最も効率的だ。

どのみち、あまりにも世界観も生き方も違いすぎて「話が通じない」のだから、分かってもらおうと思わなくてもいい。話が通じない上に自分の邪魔になるのであれば、関係を断ち切るのが最も合理的な対処方法である。

努力しなければならないのは、自分を理解してくれる人を探したり、増やしたり、関係を強化する方だ。間違えても批判者や敵対者を説得したり、転向させることではない。

「自分の味方を探し、増やし、関係を強化する」

この方が、批判者や敵対者を転向させるよりも効率が良く、成功率も高く、何よりもやり甲斐もあり、人生を充実する。批判者や敵対者に分かってもらおうとして泥沼に落ちる必要はない。私たちがしなければならないのは「取捨選択」なのである。

素晴らしい人に囲まれるためには、理解者と敵対者をふるいにかけることだ。理解者を増やし、敵対者を遠ざける。これは、とてもシンプルな話である。

しかし、「他人に嫌われたくない」「誰にも好かれたい」という気持ちがある人ほど、あるいは、律儀で、真面目で、責任感が強い人ほど、無意識に「批判者や敵対者に分かってもらえる方向」に努力してしまう。

それは、すぐに止めた方が良い。ここは何があっても間違ってはいけない。私たちがしなければならないのは、「自分の味方を探し、増やし、関係を強化する」ことだ。その方が効率的なのだから、この部分を全力で取り組む必要がある。(written by 鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=11452
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html#c5

[近代史3] 人間社会は常に「弱者」を作り出す 中川隆
15. 中川隆[-12145] koaQ7Jey 2019年2月15日 09:28:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

苛めは愉しい _ 大矢誠が猫 13匹 を拷問して逮捕される!
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/836.html

ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/237.html#c15

[近代史3] 人間社会は常に「弱者」を作り出す 中川隆
16. 中川隆[-12144] koaQ7Jey 2019年2月15日 09:41:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

ドッグヴィルの世界
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/269.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html

狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html

新興宗教「神の子どもたち」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/181.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/237.html#c16

[近代史3] 人間社会は常に「弱者」を作り出す 中川隆
17. 中川隆[-12143] koaQ7Jey 2019年2月15日 09:44:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

人殺しを告白する暗いスレ


472 :2006/11/16(木) 07:26:52 ID:Pr1CjVsrO

昔の話なんですけどねぇ…あたし、山に人を埋めたんですよ。

なかなか、キチ○ガイのくせにやたらいい体してる女がいましてね、そいつをちょいと犯っちまったんですよ。

一通り楽しんだ後はオモチャ遊びしましてね、それにも飽きてちょいとSMの真似事をしてみたんですがねぇ…

えぇ…お尻に鉄パイプを突っ込んだり、チクビを切り取ったりしていましたら、何だかぐったりしていましてねぇ…

そんなんじゃ詰まらないもんですから捨てたんでさ。
http://www6.plala.or.jp/ohzora-soul/md/text/015_99.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/237.html#c17

[近代史3] 人間社会は常に「弱者」を作り出す 中川隆
18. 中川隆[-12142] koaQ7Jey 2019年2月15日 09:44:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

2001/08/25(土) 22:52

今年3回目のスナッフビデオの撮影を、9月1日(日付的には9月2日) 深夜2時から都内某倉庫で行います。

今回の生贄は、スイスで1年前に行方不明となった邦人女性(29)です。

当時ニュースなどで大きく取りあげられたからご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。 仲介業者から先月購入したばかりです。

約一ヶ月間、体を洗っておらず下着も替えていない状態のため多少臭いますが、元々美形な女性なのでさほど気になりません。


そこで、今回募集するのは、その女性と性行為をしていただける男性を、先着5名募集いたします。 もちろん撮影時には覆面をつけるなど、素顔が決してバレないように配慮いたします。 また、最後にその女性を殺すのですが、皆様が殺害に加わることは決してございません。 どうぞご安心下さい。

日本人の成人男性であればどなたでも参加できます。 謝礼は残念ながら出せませんが、それでも《自分がHした女性が目の前で殺される姿を見てみたい》という方は、次のとおりに行動してください。


まず、撮影当日深夜0時30分に新宿アルタ前にお集まり下さい。

その付近にニューヨークヤンキースの帽子をかぶったホームレスが立っている(又は座っている)はずです。

そのホームレスに《あした晴れますか?》と尋ねて下さい。

それがキーワードです。

そのホームレスは、無言であなたに《撮影現場に向かうワゴン車が停めてある場所を書いた地図》を手渡すでしょう。

あなたはその地図をみて、アルタ前から数分歩いた場所に停めてあるワゴン車をさがして下さい。

見つけたら、そのワゴン車の運転席のドアを《4回》ノックして下さい。

窓越に運転手に声をかけたり、通行人の目を引くような行動は慎んで下さい。

ドアが開いたら素早く乗車し、車内にいるスタッフに地図を手渡して下さい。

それと引き換えにアイマスクを受けとったら素直につけていただきます。

これは、出演者同士が顔を見合わせることがないようにするためと、撮影現場までの運行経路を秘密にするためです。 何卒ご理解願います。

先着順のため、5名ワゴン車に乗っていただいた時点で、直ちに撮影現場に向います。 地図をもらえてもワゴン車を見つけられなかった方々は、残念ですがこの時点でお引き取り願います。

撮影終了後も、来たときと同じようにアイマスクをつけてワゴン車に乗ってもらい、一人ひとり別々の場所(新宿駅周辺に限定)で降りてもらいます。


これは、出演者同士の素性がバレないようにするための配慮です。

撮影終了時刻は朝5時を予定しております。

ひやかしや、軽い気持ちでの参加は固くお断わりいたします。

上映会の日時場所については改めてご連絡いたします。

それでは皆様のご参加お待ちしております。
http://www6.plala.or.jp/ohzora-soul/md/text/015_02.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/237.html#c18

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 過去からの日記 (2004年9月20日)

世にも奇妙な物語 過去からの日記 - YouTube 動画
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2004年9月20日


スタッフ

原案:高橋徹郎
脚本:大野敏哉
演出:土方政人


キャスト

山岡貴志:西島秀俊
北嶋ゆりえ:蒼井優
川本幸一:菊池均也
滝田渉:顔田顔彦
北嶋里美:深沢エミ
渡辺良子:緒方康子

挿入曲

妹尾武「蒼茫」


____

第387話 過去からの日記


小説家としてデビューしてから3年、一向に新作が出来ず、
もはやアルバイトをしないと食べていけない主人公。
アルバイトの帰りに古本屋で自分のデビュー作が束になって
売ってるのを見て、思わず買ってしまう。
家に帰ってみてみると、その中に日記帳が紛れてるのに気づく。

開いてみると、
「8月31日、今日も何もいいことがなかった。」
というピンクの文字が目に入った。ページをめくってみると
前の日も、そのまた前の日も似たような内容の
1行程度の文が綴られていた。主人公はふと、
8月31日のところに「俺も同じ」と書いてみた。
すると、その下に「俺って誰ですか?勝手に人の日記に
いたずらしないでください」と綴られていった。
そこから、主人公と少女の交換日記が始まった。

まずはお互いの自己紹介。主人公は現在の自分の状況を
余さず綴った。そして、少女は「ゆりえ」という17歳の
子だということが分かった。さらに、ゆりえは2001年の
世界から書いていることも分かった。3年前(後)の人間と
交換日記をしていることに二人は驚くのであった。やがて、
ゆりえは当時新作だった主人公のデビュー作を読み、
気に入ってくれたのだった。

ある日、主人公がもう死にたいと書くと、ゆりえは
死にたいなんて簡単に言わないでほしいと書いた。
ゆりえは重病を患い、ずっと入院していたのだ。
主人公は軽率な書き込みを謝罪した。

ゆりえは入院している病院の中庭にあるベンチ(近くに
大きなケヤキの木が有る)が好きだった。
ある日、ゆりえの病状が悪化し、暫く日記は打ち切りとなった。
その間、主人公は書きかけの小説を完成させ、出版社に勤める
友人に見せるが、やはり受け入れられなかった。
挙句の果てに、「もう書くべきことはないんじゃないのか?」
と言われ、出版社で働くことを勧められた。

日記は主人公がそのことを告げたことから再会した。
ゆりえは本心ではないにしろ、主人公を応援した。
そして、自分の命があと1年であることを告げ、
小説の方も諦めないでほしいと付け足した。

主人公は驚き、奇跡とは自分で起こすものだと言った。
ゆりえは生きている、そう信じた主人公はゆりえが
入院している(していた)ベンチのところで会う約束をした。
約束の日、主人公は出版社での面接を終えてから行く予定だった。
しかし、会社側の都合で面接は一向に始まらない。
痺れを切らした主人公は友人に謝り、出版社を飛び出した。

何とか、約束の時間に間に合った主人公。ベンチに座って待つが、
いつまで経ってもゆりえは来ない。そして、病院の人間に
聞いてみた主人公は愕然とした。ゆりえはもうこの世には
居なかった。奇跡は起こらなかったのだ。
ベンチに戻る主人公。一方、2001年のゆりえは
約束の時間にベンチに座っていた。主人公は日記に
ゆりえは生きていたと嘘を書いた。

書いているうちに、思わず涙がこぼれ、日記の文字を滲ませた。
ゆりえは文字が綴られていくのを見ていたが、突然文字が
滲んだのを見て、主人公が嘘をついているのを確信した。
それでも、主人公の気持ちを理解したゆりえ。二人は
日記帳を閉じ、同時に横に置き、上に手を置いた。
二人の手が重ねられた。主人公が横を見ると、
そこにはもう日記帳はなかった。

何かを思い立ち、家に帰って筆を進める主人公。
やがて「過去からの日記」と言う小説を完成させ、
冒頭でゆりえへの思いを綴った。小説は大ヒットし、
半年後にはサイン会を開くにまで至っていた。
友人から「やっと書くべきことが見つかったな」
と言われ、続編を書くことを勧められるが、
もうこの物語は自分の中では完結していると言って断った。

小説がヒットしてからも、主人公はベンチのところに
やってきていた。ベンチに座っている主人公のもとに一人の
女性が歩み寄った。それは紛れもなく20歳になったゆりえだった。
「ずっと、信じていたんだよ。」
奇跡は起こったのだ。


キャスト: 西島秀俊
放送日: 2004年 秋の特別編
http://yonikimo.com/387.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/242.html

[近代史3] タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年)

タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年)


動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=Andrey+Rublyov


監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・コンチャロフスキー、アンドレイ・タルコフスキー
音楽 ヴャチェスラフ・オフチニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
製作会社 モスフィルム
公開 1971年12月24日

キャスト

Andrei Rublyov アナトリー・ソロニーツィン
Kirill イワン・ラピコフ
Danil ニコライ・グリニコ
Feofan ニコライ・セルゲニフ
Boriska ニコライ・ブルーリャーエフ
A half-witted girl イルマ・ラウシュ
The Grand Duke ユーリー・ナザーロフ
The Duke the younger ユーリー・ナザーロフ
A Strolling Player ローラン・ブイコフ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%95_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

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映画のストーリー


〈第一部・動乱そして沈黙〉

一四〇〇年。降りしきる雨の中、三人の僧侶が田舎道を急いでいた。アンドレイ・ルブリョフ(A・ソロニーツィン)とキリール(I・ラピコフ)とダリール(N・グリニコ)は、モスクワのアンドロニコフ修道院の同じ僧房で神への奉仕と絵画の修業に十年近い歳月を過ごした研鑽の仲間たちである。

三人は雨やどりで立ち寄った丸太小屋で陽気な旅芸人が、富裕階級の聖職者の道徳的廃退を面白おかしい物語にして歌い踊るのを見たが、途中で一度キリールが小屋から姿を消した理由をアンドレイもダリールもそのときは気づかなかった。いきなり三人の騎兵隊がきて旅芸人をムリヤリ連れ去ったのはその直後のことだった。支配階級への民衆のささやかな抗議はいつもこのようにして圧殺されていたのだ。

一四〇五年。ある旅の途中で、キリールはフェオファン・グレク(N・セルゲエフ)に出会った。乞食坊主のような風態ながら、この男こそ国にならぶ者なきイコン(聖像画)の名匠だ。自分の画才がアンドレイにはるかに及ばぬことを知っているキリールはフェオファンに取り入りモスクワの寺院にイコンを描く仕事をもらうとそのための大公からの招請状を自分にあて修道院へ届けてほしいこと、それもアンドレイの見ている前で自分に手渡してほしいことを約束させたが、意外にも大公から届いた招請状はアンドレイあてであった。賢明なフェオファンはいち早くキリールの魂胆を見抜いたのだ。落胆と憤懣からキリールは逆にアンドレイを出世欲のかたまりと決めつけ、宗教界の堕落を罵って、僧職を捨て俗界へ飛び出してしまった。

一四〇六年。モスクワでのアンドレイの新しい生活が始まった。弟子たちの協力を得て彼は連日寺院の白い壁に向かったが、絵筆は一向に進まなかった。ペストがはびこり、飢饉がうち続き、民衆が年貢の高さに苦しめられながらしかもなお、無為な生活に甘んじているという現在の暗黒世界は早く終わらねばならない、そして人間は自分たちの力で地上に幸福を作りださねばならない−−そう信じているアンドレイには、たとえ「最後の審判」を壁画にするにしても、今までのように古い伝統をそのままなぞってキリストや使徒たちの周囲に地獄の釜ゆでの残酷な光景や悪魔の恐しさをただ毒々しく彩って描くことが耐えられなかった。彼が描きたいのは“愛”であった。忍耐と寛容に充ちた神の愛なのであった。

〈第二部・試練そして復活〉
一四〇八年。タタール人の突然の襲来はその頃であった。大公と公弟の争いに端を発したこの襲撃はロシア国内を地獄図に変貌させ、塁々たる屍の山を築き上げ、寺院をも血の海にして火を放った。

殺戮の嵐が通りすぎたあと、生きて堂内に残ったのはアンドレイと彼が助けた知的障害者の少女(I・ラウシュ)とフェオファンだけだった。

アンドレイが絵筆を捨てる決意をしたのは、その日である。少女の生命を救うためにせよ人をひとり殺してしまったことが彼の心をさいなんだからだが、理由はそれだけではなかった。同じロシアの土地で同じ信仰のもとに生きる者同志がなぜこのような殺し合いをせねばならないのか? もはや彼は人を信ずることが出来ず、ただ労働に生きる決意をかため、アンドロニコフ修道院へ戻っていった。

一四一二年。大飢饉が三年も続き、長い冬はいつまでも終わろうとしない。そんなある日、キリールが修道院へ戻ってきた。彼はかつての醜い出世欲とも無縁の人間になっていたが、旧交が戻った彼の前でも相変わらずアンドレイは言葉を知らぬ者のように無言の行を守り続けていた。

一四二三年。ロシアはなお暗黒の中にあったが、その底に秘めた生命力を諸外国に示威するため、大公は教会の頂きに飾る巨大な鐘の鋳造を技術者たちに命じた。しかしその鋳造の名人と言われた男はすでに死んでいて、そのひとり息子ボリースカ(N・ブルリャーエフ)が生前に父から秘訣を教えられたと主張するのを半信半疑ながら、彼をリーダーに、ともかく作業が開始された。まず最良質の粘土さがしから始まり、それを固めて作り上げた鐘の鋳型に、これまた彼ら自身の力で築いた溶鉱炉から銅を流し込むまで、技術者たちの不眠不休の努力は、まさに生命をけずる凄まじさで、ことにボリースカの創造への情熱は狂気じみて凄絶だった。その少年の姿を沈黙のうちに見守るアンドレイの瞳にも感動の色はかくせなかった。

ようやく完成した大鐘が各国からの使節団の前で、ロシアの大空に高らかな音を鳴り響かせたあと、大地につっ伏して号泣する少年にアンドレイは初めて近寄った。「父が鋳造の秘訣を教えてくれたなどといったのはウソだった。ただ鐘を自分で作りたくて……」。無邪気な少年にかえって泣きじゃくるボリースカを抱き寄せて、アンドレイはやさしくいった。「泣くことはない。お前は立派にやりとげたではないか。私はもう一度絵筆をとってお前と一緒にやっていこう」。十五年ぶりに彼の口から出た言葉だった。

古代ロシア美術史の今も燦然と輝くイコン美術の巨匠アンドレイ・ルブリョフの偉大な画業への出発は、実にこの瞬間から始まったのであった。
https://movie.walkerplus.com/mv12430/


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アンドレイ・ルブリョフ

アンドレイ・ルブリョフ(ロシア語:Андре́й Рублёвアンドリェーイ・ルブリョーフ;ラテン文字表記の例:Andrei Rublev、1360年頃 - 1430年)はロシアの修道士、15世紀ロシア、モスクワ派(ルブリョフ派)における最も重要な聖像画家(イコン画家)のひとりである。

正教会では聖人とされ、記憶日は二つある(ユリウス暦:7月4日・1月29日、グレゴリオ暦換算:7月17日・2月11日)。

師にフェオファン・グレクがいる。

1405年頃修道士となりアンドレイの名を用いるようになった彼の作品のうち、もっとも重要なものは、創世記17章に材を取った『至聖三者』(聖三位一体)のイコンである(114cm×112cm、板、テンペラ)。アブラハムの許を3人の天使が訪れたという旧約の記述は、古くから正教会では「旧約における至聖三者の顕現の一つ」として捉えられ、アブラハムとサラによってもてなされる3人の天使の情景はイコンにも描かれてきたのであるが、3人の天使の情景のみが取り出されて描かれているのがこのイコンの新しい特徴である。

この作品はもともと知人である修道士の瞑想のために書かれたものであったが、後に(1511年頃?)ロシア正教会は教会会議でルブリョフの図像を、三位一体の唯一正当な聖像として認めるようになった。正教会に属さないカトリックでもルブリョフの『至聖三者』を用いることがある。

『至聖三者』は1904年ごろ再発見、修復された。

彼の様式に倣った聖像画家の一派をルブリョフ派と呼ぶ。

彼を題材とした映画『アンドレイ・ルブリョフ』(1967年、監督:アンドレイ・タルコフスキー)は1969年カンヌ国際映画祭の国際批評家賞を受賞している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%95


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/243.html

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
113. 中川隆[-12141] koaQ7Jey 2019年2月15日 11:26:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

天皇一族が漢民族だったという事が証明されつつある:

サイエンスZERO 動画
日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明
https://www.dailymotion.com/video/x6zvxyz


弥生人は韓国人に近い遺伝子だと思われてたが今回の調査で違うことがわかった
大がかりなDNA解析による新情報では弥生人の初期は縄文人に近い遺伝子だったが集団の戦いなどで弥生人は時代が進むにつれて韓国人のDNAに近づいて
現代日本人はほとんど韓国人のDNAと一緒になった

これ旧日本人が韓国人に大虐殺された後に中出しレイプされて生まれたのが俺たち現代日本人ってことになるぞ

ナレーション(弥生人の核DNA分析から予想された現代日本人の位置は ここ。弥生人同士がまじわって 現代日本人が成立したと考えられるからです。ところが…。)

篠田謙一:実はですね 現代日本人はもう既に この辺りだということが分かったんですね。つまり 弥生人って 混血していけば恐らく 混血する相手は
この縄文人になりますから当然 現代日本人の位置っていうのはこちらに ずれてくるはずなんですよね。ところが そうならなくてこっちに来てしまったということで
ちょっと 考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり こっち(韓国人)に引っ張る 何かがなければいけないということになるんですね。

小島瑠璃子:てことは 韓国とか あとは大陸の方と多くまじわりながら人口を増やしてったのが私たちってことですか?

篠田謙一:そういうことになると思うんです。

小島瑠璃子:え〜!



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2018.12.26
現代日本人のDNAは中国人と縄文人の間 NHKサイエンスZERO
https://phity.net/japanese-yayoi-dna-chinese

動画
https://www.dailymotion.com/video/x6zvxyz

弥生人のDNA分析から意外な事実が判明

遺伝子学や考古学、言語学などさまざまな研究分野の専門家がチームを結成。
40体に及ぶ弥生人の人骨をDNA分析をした。
謎に包まれてきた弥生人を最新科学で解き明かす!


弥生人のDNA分析

鳥取県の弥生遺跡で発掘された人骨のDNAは、9割が渡来人だった。縄文人のDNAは、1割と少なかった。渡来人が縄文人に入れ替わっていた。

弥生人はどこにルーツをもつ、どんな集団だったのか?

弥生人のDNAから渡来人は中国大陸の各地から渡来してきたことがわかった。

渡来は2世紀から始まった。渡来人は、縄文人にはない鉄製の器具、ガラスの装飾品を持って来た。

縄文人からどのようにして、現代日本人になったのか?

現代日本人のDNAは、弥生人よりも中国・韓国人に近い。弥生時代のあと、古墳時代も中国からの流入が続いたためと思われる。

弥生人のDNAから、縄文人と交わっていた形跡がある。
https://phity.net/japanese-yayoi-dna-chinese

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2018.09.20
約2千年前の弥生時代、なぜ凄惨に殺された人骨が大量発掘…国と課税と戦争の誕生
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html

 鳥取市の青谷上寺地遺跡で見つかった2〜3世紀(弥生時代後期)の人骨のDNAを最新技術で分析する調査を、国立科学博物館や国立歴史民俗博物館、鳥取県埋蔵文化財センターなどが始めた。

「産経WEST」の報道によれば、遺跡中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。

 人間はなぜ戦争をするのか。古くから多くの思想家や研究者が答えを探してきた問いだ。日本で戦争が始まったとされる弥生時代の歴史は、その難問に対するヒントを与えてくれる。

 通説では紀元前4世紀ごろに九州北部で始まったとされる弥生時代といえば、水稲農耕が始まった時代として知られる。縄文時代晩期に渡来人によって北九州に伝えられた水稲技術が、まず西日本、次いで東日本にも広まった。

 同じ時期に日本列島に広まったものがある。戦争だ。

 考古学の研究結果によれば、狩猟採集に基礎を置く縄文時代には、集団と集団とがぶつかり殺し合う戦争はなかった。専用の武器をつくらなかったし、ムラの守りを固めることもなかった。殺されたことが確かな埋葬人骨もごく少ない。

 ところが弥生時代に入ると様子が一変する。周囲に堀を巡らした環濠集落や、台地や山頂に築く高地性集落など、防御を固めた集落が現れる。青銅・鉄・石による専用の武器が登場し、武器を祭器として尊崇する信仰まで生まれる。

 とくに強烈な印象を残すのは、前述の青谷上寺地遺跡でも見つかった、殺傷された証拠を残す人骨である。神戸市の新方遺跡の墓地では、1列に葬られた男性3人の遺骨の中から、それぞれ石鏃が見つかった。そのうち壮年から熟年のたくましい男性は、頭から胴と腕にかけて、17個もの鏃を射ち込まれていた。いろいろな方向から弓矢で集中攻撃されたらしい。

 奈良市の四分遺跡の例もすさまじい。1つの木棺に一緒に葬られた若い男女の遺骨のうち、女性のほうは胸の部分に石鏃が1本。男性のほうは、背中や腰の左右から、鉄の武器で刺されたり切られたりした傷が数カ所、左の肩甲骨や左右の腸骨にある。さらに左の目あたりが鋭利な凶器で骨までざっくりと削られている(松木武彦『人はなぜ戦うのか』)。

弥生時代に農耕と戦争が同時に広まった理由として、歴史学の通説では、農耕社会では狩猟採集よりもたくさんの生産物がとれ、富ができやすいから、その奪い合いが引き金となって戦争が起きると説明されてきた。

国家は欲しい物をつねに暴力で奪う


 しかし、この説明には飛躍がある。人が他人の富を手に入れる方法は、奪うだけではないからだ。ドイツの社会学者フランツ・オッペンハイマーは、人間が生きるために必要な富を手に入れ、欲望を満足させるには、根本的に対立する2つの手段があると指摘した。労働と略奪である。

 オッペンハイマーのいう労働には、自分の労働で物をつくりだすだけでなく、それを互いの合意のもとに他人と交換することも含む。一方、略奪とは欲しい物を暴力や詐欺によって他人から一方的に奪うことを指す。オッペンハイマーは労働を「経済的手段」と呼び、略奪を「政治的手段」と呼んだ。政治の主体である国家は、欲しい物をつねに暴力で奪うからだ。奪う相手が自国民なら課税で、他国民なら戦争でという方法の違いがあるにすぎない。

 他人の富の略奪を目的とする戦争は、明らかに略奪である。しかし、富が欲しければ、交換という選択肢もあるはずだ。事実、弥生時代は異なる集団の間に戦争しかなかったわけではない。石材、木材、山海の産物など縄文時代以来の日常物資の平和な交換が、むしろ普通だった。

 だとすれば、問わなければならないのは、なぜ農耕によって築かれた富を手に入れる際、平和な交換という方法だけでなく、戦争という方法が新たに加わったかだ。

戦争と課税はコインの裏表


 考古学者の松木武彦氏は、人工物や社会をつくったヒトの心に注目する「認知考古学」に基づき、弥生時代における本格的な稲作農耕と戦争とは、ひとつの文化を構成するセットをなしていた可能性があると指摘する。そのルーツは遠く海外にある。

 日本の縄文時代後半、世界ではいわゆる四大文明が芽生え、栄えていた。メソポタミアのチグリス・ユーフラテス両川のほとり、エジプトのナイル河谷、インドのインダス川上流、中国の黄河流域では世界に先駆けて大規模な農耕が始まり、都市が現れ、軍隊をもって戦争を行う古代国家が生み出され、王侯や貴族が支配の頂点に立つ社会が発達する。

きっかけは当時地球上で進行した寒冷化に伴い、温暖なこれらの地帯に周囲から多くの集団が流れ込んだことにある。環境の変化を乗り切る方策のひとつとして、農耕によって自然を支配する一方で、武力によって人を支配するという支配的性向をもつ文化が編み出された。この文化が中国から日本に伝わり、弥生時代の戦争をもたらしたと松木氏はみる(『列島創世記』)。

 同じく考古学者、寺沢薫氏の指摘も興味深い。同氏はR・カーネイロの2つの戦争モデルを紹介する。第1は、アマゾンなど広大な未開の森林を控えた地域だ。負けたグループは征服や賠償の対象にされようものなら、森林の奥地に引っ越す。

 第2は、これとは対照的なペルーの海岸地帯だ。戦争で負けたグループは逃げるところがない。殺されるか勝者に隷属するかだ。敗者は勝者の政治組織に吸収される。この政体が拡大しペルー全体をまとめるようになったとき、インカ帝国が成立した。四大文明発祥の地もおおかたこのモデルだという。

 弥生時代の九州北部は第2のモデルそのものだと寺沢氏は言う。戦争に勝った共同体と敗れた共同体の間には歴然とした階級関係が生まれる。敗北した共同体は首長の下に一見従来どおりの生活を送っているように見えるが、じつは支配共同体に生産物や労働力の一部を貢納というかたちで税金のように支払ったり、特殊技術を提供したりする義務がある。

 寺沢氏は、九州北部では過酷な戦争を通じ、日常的な小共同体がクニ(大共同体)や国(大共同体群)、その連合へと統合されたと述べ、弥生時代前期末の紀元前3世紀末に生まれたクニこそが日本列島における最初の国家だとみる。定説とされる7世紀を大きくさかのぼる説だ。

 それでもオッペンハイマーが言うように国家の本質が略奪にあるとすれば、戦争でほかの共同体を隷属させ、税で財産を奪うクニは、小規模ながら立派な国家といえよう。国家は戦争から生まれ、課税によって育つのだ。

 ここで戦争についてひとつの教訓が導かれる。国家が他国民の富を奪う戦争と、自国民の富を奪う課税は、同じコインの裏表である。どちらも平和な交換を拒絶し、暴力に訴える略奪の異なる形態にすぎない。

 課税が最終的には暴力によって実行されることは誰もが知っている。世界から戦争をなくすには富裕層に増税し富の再分配を強化せよという主張もあるが、まったくの誤りだ。課税という暴力を好む心で、戦争の暴力をなくすことはできない。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)

<参考文献>
木下正史『倭国のなりたち』(日本古代の歴史 1)吉川弘文館
松木武彦『人はなぜ戦うのか——考古学からみた戦争』中公文庫
松木武彦『列島創世記』(全集 日本の歴史1)小学館
寺沢薫『王権誕生』(日本の歴史 02)講談社学術文庫

https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html


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戦乱の時代(受傷人骨と環濠集落・高地性集落)
弥生時代は、縄文時代とはうってかわって、集落・地域間の戦争が存在した時代であった。

武器の傷をうけた痕跡のある人骨(受傷人骨)の存在などは、戦争の裏付けである。また、集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落や、低地から100m以上の比高差を持つような山頂部に集落を構える高地性集落なども、集落や小国家間の争いがあったことの証拠であると考えられてきた。


受傷人骨

弥生時代前期の墓には、人骨の胸から腰にかけての位置から十五本の石鏃が出土した例がある。

多くの石鏃が胸部付近に集中して見つかる墓の事例は、瀬戸内海を中心とする西日本一帯に比較的多く見られる。かつては、戦闘の際に矢を何本も射込まれてやっと倒れた人物と解釈されることが多く「英雄」などとも呼ばれたが、近年では、矢を特定の部位に集中して射込まれていることの不自然さから、刑罰として処刑されたとか、何らかの儀礼的行為の際の犠牲(生贄)となって胸に矢を射込まれたなどといった解釈もある。平和的な解釈としては、埋葬の際に副葬品として鏃を胸のあたりに埋納したと考える者もいる。

北部九州では、前期から中期にかけて銅剣・銅戈・石剣・石戈の切っ先が棺内から出土することが多い。こうした例は、武器を人体に刺突した際に先端が折れて体内に残ったものと解釈される。しかし武器の先端を折りとって副葬品として棺内に埋納するという風習があったのではないかといった反論をする者もいる。

佐賀県吉野ヶ里遺跡や福岡県筑紫野隈・西小田遺跡などでは、中期前葉の男性甕棺数が女性の倍にも達する事実があり、男性が戦闘に参加する機会が多い事を示すと考えられる。

甕棺内に頭部を切断された胴体だけが埋葬されていたと考えられる事例が見つかっており、戦闘の際に敵に首を切られた死体を持ち帰り、埋葬したものと理解されている。

戦争やテロの時に敵の首を取る慣習は、戦国時代や幕末でも続いていたが、その始まりは弥生時代にあった。しかしこのような例が本当に戦闘の犠牲者なのかは論証されておらず、何らかの儀礼的行為によるものと主張する者もいるが、未だ論証されていない。

受傷人骨の中でも、明らかに武器によってつけられたと考えられる傷のある人骨の存在は、戦闘の存在を示す証拠である。

例えば額から右眼にかけて致命的な傷痕があり、更に右手首を骨折していた人骨が見つかっているが、右手首の骨折は、攻撃から身を守る際につけられる、防御創と呼ばれる種類の傷としては一般的なもので、戦闘による受傷者である可能性は極めて高い。

また人骨に武器の切っ先が嵌入している事例も、北部九州を中心に数例が確認されているが、これらは武器による受傷人骨であることが明らかである。

このような受傷人骨の例は縄文時代にもないわけではないが、弥生時代には前代と比べて明らかに数が増加しており、縄文時代と比べて戦争が頻繁に起こったであろう事は確実といわれている。


また、戦闘の証拠とされる上記のような事例のうち、武器の切っ先が棺内から出土する例、頭部がない人骨、あるいは人骨に残る受傷例などは、前期後半から中期前半の北部九州地域、特に福岡県小郡市を中心とした地域に多く認められる事が特徴的である。

弥生前期後半から中期前半は、西日本の多くの地域で集落が可耕地に乏しい丘陵上へと一斉に進出することが指摘されており、各地域において弥生集団が急激な人口の増加を背景に可耕地の拡大を求めた時期であるとされる。この可耕地の拡大が原因となって、各地で土地と水に絡む戦いが頻発したものと考えられ、中でも北部九州における受傷人骨の多さは、こうした争いが頻発した証拠と考えられている。なお、中期後半以降は受傷人骨や切先が棺内から出土する例は減少する。


大規模な集団殺戮を示す遺跡としては、鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡が代表的である。

日置川と勝部川の合流点の南側に弥生中期から村が形成され、弥生後期後葉に戦争の結果とみられる状況で集落が廃絶したと思われる(住居跡は未発掘)。

東側の溝(防御施設と港の機能を兼ねていたか)から100人分を超える人骨が見つかり、少なくとも10体、110点の人骨に殺傷痕が見られた。

人骨は女性や老人や幼児も含めて無差別に殺されており、刀剣による切り傷がついた骨、青銅の鏃が突き刺さった骨がある。治癒痕はなく、骨に至る傷が致命傷となってほぼ即死したと思われる。

出土状況も凄惨で、溝に多数の死体が、埋葬ではなく折り重なって遺棄されている。

遺物も、原型を保った建築物の一部や、様々な生活用品が、通常の遺跡ではありえないほど大量に出土している[40]。

死者の中に15〜18歳の若い成人女性がおり、額に武器を打ち込まれて殺されている。

殺戮した後、死体の処理と施設の破壊を兼ねて、死体や廃棄物で溝を埋め立てたものと思われる。

略奪はしただろうが、破壊した住居や不要な生活用品は捨てられた。
通常なら再利用や腐朽で失われるものが、保存条件もよくて大量に残存した。

虐殺以後は集落は復興せず、現代まで水田として利用された模様である[41]。

なお虐殺死体が弥生時代に増加すること及びそれらを研究することが専門の研究者にとっても大きな精神的負担になっていることを、松木武彦は新聞の評論で述べている[42]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3


http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c113

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
114. 中川隆[-12140] koaQ7Jey 2019年2月15日 11:29:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]
被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した

同和部落民は日本に先住していた縄文人・弥生人の末裔

朝鮮から渡来した漢民族の天皇一族が畿内を完全に乗っ取って、被支配者の縄文人・弥生人を迫害してエタ地域に隔離したのが同和部落の起源


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畿内の被差別部落民は日本先住の縄文人・弥生人の子孫

2013年12月17日 形質人類学のデータ

第1章で説明したように、エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、


部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。


とし、


頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。


と書き、さらに、


大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。


と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099203.html


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小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。

このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落

われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。

(中略)

身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。

大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)


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網野善彦 『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』 岩波現代文庫

私がこの『東日本と西日本』を読んで、とくに衝撃をうけた記憶がはっきりとあるのは、小浜基次さんの論文でした。

小浜さんは大阪大学の名誉教授で、形質人類学・解剖学の専門家、1904年に生まれ、1970年に亡くなっておられます。

この文章は短いものですが、小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、
東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘しておられます。

その中で私がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びとがきわめてよく似ており、
形質上は同じであると指摘されている点です。

そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人の違いに比べて、
はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。

これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、
さらに衝撃だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。

小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、
被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、実際に関西では少なからずあったと思います。

これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、
差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。

小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。


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埴原和郎 東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授

私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。

その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと
想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。

時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、
畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは
代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。

この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、
近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および
日本歴史を考えるうえできわめて重要である。


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畿内の被差別部落民は日本先住の縄文人・弥生人の子孫 _ 2

chielien_4f89277efa984404924a2bf6bさん 2016/8/30 21:55:06

同和地区、被差別部落関連のご相談です。気分を害される方もいらっしゃるかと思いましたがネットで調べても詳しく分からないのでこちらでご相談させていただくことにいたしました。

付き合って5ヶ月ほどの彼氏がいる30代の女性です。

年齢のこともあり、付き合い始めからお互い結婚を意識した中で、お付き合いをしております。付き合って3ヶ月頃には互いの両親にも会うことができ、双方の両親ともに私たち自身は気に入ってくださっています。ただ、、彼のご両親が同和地区や被差別部落出身のことを気にされる方のようで、私の苗字と、両親祖父母の出身地が九州ということを知ると、祖父が部落出身ではないかということを気にされてるということを聞きました。

第三者機関で調べてくださって結構ですとお伝えしたのですが、付き合いもまだ浅く、結婚の話にも具体的になっていないので調べないと言われました。彼もご両親と言い合いになったりして辛い思いをしています。なんとかこれから結婚という先を見て楽しくお付き合いを続けたいと思っているので、彼も私も自分達なりに調べたところ、そちらの出身ではないと思っているのですが、それでは信じてもらえる証拠にならず困っています。興信所に調べてもらいたいと思っています。そこでお聞きしたいのですが、

@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。

A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。

B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。

探偵も興信所も、部落問題は取り扱わないと記載されていることが多いので困っています。もちろん私も彼も差別はしてはいけないという考えですが、彼のご両親にも色々と事情があり、彼のことを思って気にしているので、彼とご両親を仲違いさせていることに心苦しいのです。ただ私も彼もお互いこの人と結婚したい‼︎と心から願っています。とはいえ彼の大切なご両親に祝福されないまま強行突破はしたくありません。わがままかもしれませんが、、

とにかく調べる方法がなにかあれば助言をいただけると大変嬉しいです。
また、同じような経験をされた方がいらっしゃったらどのようにされたのかお聞きしたいです。

大変深い悩みで辛い思いをしております。差別だというご叱責は遠慮していただきたいです。

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Answer katuragi_893さん 2016/9/11 8:49:32

部落とは元来、村の集落を表す単語で昔はズバリ、穢多村・穢多・非人村・非人と言っていましたが、余りに露骨すぎるので今は穢多村・穢多・非人村・非人の隠語で部落を使ってます。同和は「同胞融和」の意味でこれまた穢多村・穢多・非人村・非人の隠語です。(江戸時代中期以前は穢多と非人は違うモノでしたが江戸時代後期?頃から、セックス、混血、共同行動で今では非人も穢多に同化し同じモノです。有名な非人の末裔に「フーテンの寅」こと車 寅次郎がいます)
https://www.youtube.com/watch?v=HR01VW7qpKY
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穢多とは奴隷の末裔で日本人じゃ無い。諸説あるが

穢多(えた)とは
日本人とは異なる異人種・異民族。
古代、日本人との戦争に負けた民族が日本人に捕えられ奴隷となっていた民族、穢多族。

非人(ひにん)とは
罪を犯した者に与えられる刑罰の一つ。
罪を犯した者は罰として、非人の身分に落とされた。

穢多は奴隷の末裔。具体的には国栖・土蜘蛛の末裔(マレーポリネシア系人種)+蝦夷の俘囚+中世、近世の流民、罪人・賎民との混血。日本人では無い。

室町時代から「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。穢多の子はいつまでも穢多である」との絶対的概念があるから、穢多族の子は確定的に穢多族に成る。それ故、穢多族男女は既成事実作り中出し妊娠H狙って来る傾向があり大変危険です。

超強力な穢多部落優遇が存在してる段階で差別は無いし、現実は非穢多部落民が穢多部落民からヤリタイ放題されてます。穢多部落民忌避は邪馬台国と出雲帝国時代、2300年前からある日本の伝統文化です。西日本では婚姻忌避は存在していますが、あれは差別ではありませんし誰だって穢多の子は穢多で忌避される血筋を入れたくありません。もし、穢多部落民が逆の立場なら絶対穢多部落民の血筋は入れないでしょう。

或る左翼部落問題活動家が自分の息子の嫁に穢多部落民女を忌避し破談にしたのはこの部落の真実知ってるからです。左翼部落問題活動家で息子の嫁に穢多部落民女を忌避した奴は狡い奴です。他人には穢多部落民と婚姻しても何ともないよ言いながら、自分の息子の嫁には人種的、歴史的に穢多と言う階級の真の意味を知ってるかから忌避したんです。ホントに狡い奴です。

穢多部落民との結婚は彼も穢多部落民に成り、産まれて来る子も穢多部落民に成ると言う事です。わかっていましたか?。彼との子供も排除・忌避される側に成るという事です。本音と建て前、違いますから今でも就職忌避・婚姻忌避が現実に存在していますから貴方の子供が成人した時に穢多の血筋で就職忌避・婚姻忌避に遭遇するでしょう。。
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全部説明したと思いますが私の書き込みを絶えずチェックし絶えず削除
依頼を出す真実を知られたく無い歴史隠蔽、穢多部落民血筋(DNA)拡散
を狙う穢多部落民に付き纏われてるのでコピペで失礼します。

実際、部落の問題にはこれがあり、奴等が「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と言えた義理ではありません。

山口組ヤクザ約70%の者が部落出身者であり約10%の者が韓国人等の外国人。 カプランとデュブロ

潜入ルポ ヤクザの修羅場(鈴木智彦著 文春ウェブ文庫)

「不良はある程度の年齢になると、ヤクザになるか、右翼になるか、同和にいくか進路を決めるんですわ」彼のいう右翼も同和も”似非”を意味しており、純粋なそれに所属している人間たちにとっては迷惑な話だろう。しかし、彼の何気ない一言は、関西の暴力社会の基本構造をストレートに現している。鈴木智彦は曰く「暴力団と政治団体と人権団体の三位一体は、裏社会最強のコンビネーションだ」、「大阪ではかつて、同和利権を制するものがヤクザ社会を制すると言われていた」。

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実。

被差別部落と暴力団(鈴木智彦)

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実で、仮に一般人と穢多非人部落民が婚姻し、その婚姻が破綻し穢多部落民と離婚しょうとしても、離婚する時は、解同(人権団体)が出て来て「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と喚き散らし一般人の親・親戚の所に押しかけます。

警察は相手が解同(人権団体)なのと民事不介入で介入してくれません。
ヤクザ(暴力団)、右翼団体(政治団体)の場合は警察が介入してくれますが解同(人権団体)の場合は警察が介入しないのを知ってて奴等はやって来ます。
$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
穢多部落民は過去戦争を煽動・推進したことから天皇から絶対的に嫌悪・忌避・排除されています。

穢多部落民忌避の根源は天皇が絶対的に穢多を嫌悪・忌避・排除してるからです。千年経っても変わりません。

天皇・皇后、障害者支援施設視察

:質問:
@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。
A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。
B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。


:回答:完璧に調べる方法はある。

ただ、貴方が穢多だった場合、自殺、、、。。。魔の宗門人別改帳、江戸時代穢多管理は仏教(宗門)で行っていたので菩提寺が穢多寺なら絶対穢多で一般百姓は原則穢多寺を菩提寺に出来ません。曽祖父の嫁、曽祖母の菩提寺もついでに調べたら完璧に判ります。どの寺が穢多寺だったかは今でも完璧に判ります。逃げられません。徳川幕府の完璧な穢多部落民、嫌悪・忌避・排除に感謝すべきですね。

私は前、この菩提寺による穢多判別の回答をしましたが、穢い穢多部落民共によって削除されました。でも、これが核心です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12163671097


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漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口

天皇一族は

中国華北 → 韓国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹波 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土


の順に朝鮮を追われて日本に移民して以降、支配地域を広げて行った様です。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に日本人(縄文人・弥生人)は少数民族となってしまいました。


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中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html


・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html


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大阪鶴橋に済州島住民が多い理由 仁徳天皇が渡来人歓迎


仁徳天皇や天智天皇は渡来人を歓迎し、百済洲や百済郡、百済寺に百済川もあった


画像引用:地名で分かる渡来人の分布https://www.facebook.com/295367367249272/photos/a.296474680471874/298873963565279/?type=1&theater


仁徳天皇時代には百済島や百済川まであった

大阪市の生野区には日本最大の「移民地域」である鶴橋が存在しています。

鶴橋駅前から市場に入ると韓国語が通用するし、それどころか日本語が通じにくかったりする。

鶴橋の歴史は非常に古く、仁徳天皇の西暦400年ごろにはすでに大勢の百済人や新羅人が住んでいました。


大陸では東晋が滅亡する末期で、半島では百済・新羅・任那日本府が並立し、半島南部はヤマト政権の支配下にあった。

半島南部ではヤマトの大王(天皇)の支配の証である前方後円墳多数が見つかっていて、百済や新羅も日本の影響下にあった。

仁徳天皇の2代前には神功皇后の三韓征伐が行われたと記紀に記されていて、事実である可能性が高まっている。


奈良県でヤマト政権が成立したのは古墳からは西暦200年代と推測され、もっとも近い港である大阪湾が半島や大陸との交易地になった。

当時の大阪市はまだ海に島が点在している状況で、生野区や鶴橋もまだ島や海岸だったと考えられています。

百済や新羅の商人や労働者、上は貴族や王家まで様々な人が大阪や奈良に移民してきました。


これが古墳時代の渡来人で、百済滅亡によって日本に難民が押し寄せて、特に大阪の生野区に移民が増えました。

大阪湾には島が点在していると書いたが、当時は「百済洲」「新羅洲」という名前の島があり、名前の通り百済や新羅の人たちが住んでいた。

鶴橋周辺には「百済郡」があり「百済川」まで流れていたと記録されています。


半島からの移民受け入れに最も熱心だったのが仁徳天皇で、一時は大阪に住み、渡来人のようすを自ら視察したともされています。

渡来人にとって仁徳天皇は最大の理解者なので、彼らが最大級の天皇陵を大阪に作ったとしても不自然ではありません。


百済滅亡で難民が押し寄せた

時代は下って西暦660年ごろ、斉明天皇と天智天皇(母子)の時代になり、ヤマト政権は半島の支配地を失いました。


660年に同盟国の百済が羅漢同盟(新羅と漢)に滅ぼされ、663年に再興を目指した白村江の戦いで日本軍は負けてしまった。


百済滅亡より前に、任那日本府も羅漢に滅ぼされていたと考えられます。

百済滅亡にともなって大勢の百済人が日本に亡命し、縁故を頼って旧百済洲などがあった大阪に住みました。


この中の滅亡した百済の王子・善光は天智天皇の許しを得て「百済郡」の領主となり、百済王一族は長く栄えたとされている。

百済王敬福は大出世して750年に河内守となり、河内国に移住したが多くの百済人の子孫はそのまま残った。

百済郡がどこだったのかは不明だが、鶴橋は「猪飼野」と呼ばれる百済人居住地でした。


当時日本人はあまり豚やイノシシを食べず、百済人はイノシシを飼育していたのでこの名がついたとされている。

百済を滅ぼした新羅の人も日本と絶縁したわけではなく、やはり大阪を中心に多く居住していた。

こうした渡来人は日本にとっては労働力であり、当時としては進んだ技術や知識を持っていたので重宝された。


たとえば法隆寺など日本の初期の寺は、百済人やその子孫が設計や建設に関わっている。

渡来人は大阪湾の埋め立てにも動員され、習慣や文化の違いから他とは違う文化を築いていった。

秀吉の朝鮮出兵の時にも大量の渡来人が移民または連行されて、大阪城や江戸城の建設に動員されたと言われている。


韓国からの20万人大脱走

時はさらに下って明治維新後は半島からの移住者が増えて、終戦時には200万人前後に達していました。

1948年の調査では約150万人が韓国に帰国し、約65万人が残っていたが10万人は戦後に密航してきた人たちでした。

このあと1948年から1953年にかけて「済州島事件」と朝鮮戦争、保導連盟事件によって20万人以上が日本に密航してきた。


この一連の事件はアメリカが任命した韓国初代大統領の李承晩が行った大粛清が原因で、十万人I以上が日本に逃れたとされている。

当時の研究では送還された人を除いて25万人が日本に密航した可能性があると書かれている。

結局10万人ほどは朝鮮戦争が終わっても帰国せず、戦前からの居住者と混ざって「特別永住者」になっている。


李承晩が最も弾圧したのが済州島で、30万人のうち6万人が犠牲になり、10万人ほどが日本に逃れた。

鶴橋には戦前から済州島出身者が多かったので、縁故を頼って大勢の済州島民が鶴橋周辺に定住しました。

これらの人たちが現在の鶴橋を形成し、一説には住民の過半数が半島系の先祖を持っている。


日本に最初の渡来人が移住したのは縄文以前を除くと今から3000年前で、稲作を伝えたとされている。

それから定期的に渡来ブームがあり、特に半島で戦争や混乱が起きると渡来が増え、やはり縁故を頼って大阪にたどり着く。
http://www.thutmosev.com/archives/78516496.html


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中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国人のチベットでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/282.html

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c114

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
115. 中川隆[-12139] koaQ7Jey 2019年2月15日 11:30:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240]

天皇一族が漢民族だったという事が証明されつつある:


サイエンスZERO 動画
日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明
https://www.dailymotion.com/video/x6zvxyz

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c115

[近代史3] タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年)


タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年)

動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%BE+%D0%B4%D0%B5%D1%82%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE&sp=mAEB


監督 アンドレイ・タルコフスキー
原作 ウラジミール・ボゴモーロフ
脚本 ウラジミール・ボゴモーロフ ミハイル・パパーワ
音楽 ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1962年4月6日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%9D%91%E3%81%AF%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F

キャスト

Ivan コーリヤ・ブルリヤーエフ
Kholin V・ズブコフ
Galystev E・ジャリコフ
Katasonov S・クルイロフ
Gryaznov N. Grinyko
Maska V. Maryavina
Ivan's Mother I. Tarkovskaya
The Oldman D. Milyucheko

映画のストーリー

イワン(コーリヤ・ブルリヤーエフ)がいまも夢にみた美しい故郷の村は戦火に踏みにじられ、母親は行方不明、国境警備隊員だった父親も戦死してしまった。

一人とり残された十二歳のイワンが、危険を冒して敵陣に潜入し少年斥候として友軍に協力しているのも、自分の肉親を奪ったナチ・ドイツ軍への憎悪からであった。

司令部のグリヤズノフ中佐、ホーリン大尉、古参兵のカタソーノフの三人が、イワンのいわば親代りだ。グリヤズノフ達はイワンをこれ以上危険な仕事に就かせておくことはできない……これが、少年を愛する大人たちの結論だった。しかし、イワンはそれを聞くと頑として幼年学校行きを拒否した。憎い敵を撃滅して戦いに勝たねば……やむなくイワンをガリツェフ(E・ジャリコフ)の隊におくことにした。

ドイツ軍に対する総攻撃は準備されていたがそのためには、対岸の情勢を探ることが絶対必要であった。出発の日、カタソーノフはざん壕から身をのり出し敵弾に倒れてしまった。執拗に彼の不在の理由をきくイワンにはその死は固く秘されホーリン、ガリツェフの三人は小舟で闇の中を対岸へ。

二人が少年と別れる時がきた。再会を約して少年は死の危険地帯の中に勇躍、進んで行く。その小さな後姿がイワンの最後だった。終戦。ソビエトは勝った。が、そのためには何と大きな犠牲を払われねばならなかったか……。

かつてのナチの司令部。見るかげもなく破壊された建物の中に、ソビエト軍捕虜の処刑記録が残っていた。その記録を一枚一枚調べるガリツェフ。あった。イワンの写真が貼りつけられた記録カードが。戦争さえなかったらイワンには平和な村の毎日だった筈なのに……。
https://movie.walkerplus.com/mv13198/


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/244.html

[近代史3] タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年) 中川隆
1. 中川隆[-12147] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:22:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=x6kqlveBhVY


51:30 から 異教徒の女性 マルファ との対話


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


▲△▽▼


アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。

先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。

先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。

しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。

アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。


そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。


すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。

森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。

アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。

小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。

女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。

アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。


アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。

小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。

翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。
全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。


異教の女マルファとの会話

マルファ
なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ
裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ
何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?


ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ
あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。 
http://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/243.html#c1

[近代史3] タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年) 中川隆
2. 中川隆[-12146] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:31:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・ルブリョフ 神谷武夫
http://www.kamit.jp/19_gerzen/rublyov.htm



ネルリ河畔の ポクロフ聖堂
http://www.kamit.jp/19_gerzen/xnerl.htm


 過酷な運命に翻弄された建築家、アレクサンドル・ヴィトベルクのことを想うとき、私には もう一人のロシアの芸術家、アンドレイ・ルブリョフ (1360 頃-1430) の姿が それに重ねあわされる。というよりも、20世紀の映画作家、アンドレイ・タルコフスキー (1932-86) が 描いたところの画家『アンドレイ・ルブリョフ』の内面、と言ったほうが よいかもしれない。

 中世のロシア、15世紀はじめに ウラジーミルの ウスペンスキー大聖堂や モスクワの アンドロニコフ修道院聖堂などで 壁画やイコンを制作した この画家の生涯について、史実はあまり多くを語ってくれない。したがって 映画のルブリョフは、ひたすらタルコフスキーの想像力によって作られた エピソードの積み重ねによって描かれている。それらのエピソードとは「旅芸人 1400年」、「フェオファン 1405年」、「アンドレイの苦悩 1406年」、「沈黙 1412年」、「鐘 1423年」と題される8章から成り、それらの年号から、映画は ルブリョフの壮年期の 23年間を扱ったことになる。

 その背景として表現されているロシアは あまりにも暗い、まさに暗黒の時代である。モスクワ大公兄弟どうしの憎悪、タタール・モンゴルの侵攻、しいたげられる民衆、戦争と殺戮、そうした中で生きるルブリョフの姿もまた 苦悩に満ちている。

 映画が日本で公開されたのは、今から 29年前(1974年)の冬、銀座と新宿の "アート・シアター" において だった。タルコフスキーの名を 世に知らしめた『僕の村は戦場だった』は、それよりも さらに9年前だったから、当時の私は見ていず、『アンドレイ・ルブリョフ』が 最初に見たタルコフスキーの映画だった。 初めて聞く名前の監督であり、何の予備知識もなかったが、何かありそうだ という予感をもって見に行ったその映画は、モノクロ・フィルムである上に、暗いタッチの映画だった。しかし、その時に受けた深い感動は忘れられない。それは、私の心の中にも暗い気分が満ちていたから だったかもしれないが、さらに タルコフスキーに ゲルツェンの姿が重ねあわせられたからでもあった。



アンドレイ・ルブリョフ『三位一体』
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 けれども、アンドレイ・ルブリョフの代表作とされるばかりでなく、ゾートフによれば「中世ロシア・ルネサンス美術の最高傑作である」とされるイコン画『三位一体(トローイツア)』 を見ると、そこには 輝くような平和な光と、透明感あふれる 慈愛の気分が満ちている。それは 彼よりも1世紀前のイタリアの画家・ジョットーが パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂や アッシジのサン・フランチェスコ聖堂に描いた、心を洗うような清澄な壁画を髣髴とさせよう。それなのに、映画の中のルブリョフは、なぜ こんなに暗いのだろうか。

 「フェオファン 1405年」で描かれるエピソードは、ノヴゴロドのスパース・プロブラジェーニエ聖堂の フレスコ画を描いた画家、フェオファン・グレーク (1350 頃-1410 頃) の助手を ルブリョフが勤めた、という史実にもとづいている。フェオファンとは 名前が示すように もともとギリシア人(グレーク)であり、本来はテオファネスという。ジョットーにとっての師・チマブエにも相当するフェオファンは、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)からロシアにやって来て、ビザンチン絵画の技法をロシアに伝えた。ルブリョフは 彼の壁画制作に協力しながら、写実的であるよりは象徴的な その方法を身につけ、さらに それをロシア化する。

 その天上の世界のような 清らかで純粋な感覚表現によって、ルブリョフは中世ロシア最高の画家と讃えられるようになるのであるが、映画の このエピソードは、まだルブリョフがフェオファンの助手となる前を描いている。

 ルブリョフの競争相手でもあった修道士 キリールが、フェオファンのアトリエを訪ねる場面がある。彼が モスクワの街を歩いていくと、その背後で「おれは無実だ!」と叫ぶ男が 無理やり断頭台に かけられようとしている。その騒ぎを家の中で聞いたフェオファンは、「やめなさい、一体いつまで その男を いじめるつもりだ。あんたたちも 彼に劣らず罪人なのに、裁くとは恥知らずだ」と、窓から叫ぶ。映画全体のストーリーとは関係のない、こうした場面を挿入するというのが、この映画全体の手法であって、この場面ひとつでも、当時のソ連支配層(スターリニストたち) の禁忌にふれただろうことは 容易に想像できる。

 さて、フェオファンは職業的な画家であったから 宗教に対して自由であったが、ルブリョフは修道士としての画家であったから、画家である以前に 宗教的な倫理に従わねばならない。タルコフスキーは そこに 屈折した魂の軌跡を想像して、そうした彼の苦悩を この映画の根幹にすえた。

 次のエピソード「アンドレイの苦悩 1406年」において、民衆とは いかなるものかについて、ルブリョフとフェオファンに議論をさせるのである。フェオファンは、「人間は忘れっぽい動物だ。過去の失敗を忘れて 悪行をくり返している。進歩なんてものは 全然ない。イエスが再臨しても、また磔(はりつけ)にするだろう」と言う。

 ルブリョフの脳裏をよぎるのは、十字架を背負い 押しつぶされそうになりながら ゴルゴタの丘を登っていく イエスのイメージである。ユダヤの民衆にも 弟子にも裏切られて、雪のロシアで磔刑につくイエスの映像は、ルブリョフの晴朗な『三位一体』のイコン画と比べて、いかにも沈鬱である。民衆は「みんな同じ愚かな仲間なんだ。悪は至る所にある。わずかな金で裏切る人間もいる。大衆は災難続きだ。それでも彼らは黙々と働いている。不平も言わず、十字架を背負って歩いているんだ。イエスは死を選んだ。それは人の世の残酷と不正を教えるためだ」とルブリョフは言う。

 そして映画は「襲来 1408年」のエピソードで、モスクワ大公兄弟の争いに乗じて攻め込んだタタール軍による、ウラジーミルの襲撃と殺戮を描く。後にゲルツェンの流刑地となる ウラジーミルの町である。 "タタール" とは、中国では韃靼人と呼ばれた モンゴル系の遊牧民で、彼らは 14、15世紀にたびたびロシアを攻撃し 支配した。このタタール族に蹂躙された時代を、ロシア史では "タタールのくびき" と呼ぶ。ウラジーミルの町は焼かれ、大公と市民が たてこもるウスペンスキー大聖堂も破壊されて、暴行と殺戮が行われる。

 その時、犯されそうになった白痴の娘を助けるために、ルブリョフは斧で一人の兵士を殺めてしまう。しかも その兵士はタタールではなく、タタールと結んだ大公の弟軍のロシア人同胞、キリスト教徒だった。



映画『アンドレイ・ルブリョフ』のチラシ


 戦のあと、廃墟のようになったウスペンスキー聖堂で、亡霊として現れたフェオファンに ルブリョフは言う。「私は決心した、私は絵を捨てる」と。なぜ、との問いに、人を、ロシア人を殺めたからだ と答える。フェオファンは「悪は 人間の形でこの世に現れる。だから 悪を倒すための人殺しもあるさ。神は許して下さるだろう。だが 己を許すな。罰しながら生きるのだ。すべきことは、聖書にあるとおりだ。"善をなすことを覚えよ、真実を探せ。悩むものを救え、孤児にやさしくせよ。そうすれば、お前の罪は軽くなるだろう。罪に汚れたその身も、雪のように潔白となろう" と書いてある」と言って、自分に厳しくなりすぎないよう 求める。しかしルブリョフは きかず、「許しを乞うために、無言の行に入る。これからは、一切 口をきかない」と答える。その無言の行の実践を描くのが、映画の次のエピソード「沈黙 1412年」である。

 この寓意は何だろうか? 私には、戦争中の林達夫 (1893-1984) の "沈黙" が思い出されるのである。国家が 太平洋戦争の総力戦へと突き進むにつれて、かつての社会主義者はおろか、自由主義者でさえも大政翼賛会に身をゆだねて、"神国日本" が "鬼畜米英" を倒すのだと 戦争を謳歌するとき、正気のある人間だったら、沈黙するほかはない。当時、林達夫がマイナーな雑誌の片隅にわずかに書き残した文章は、こう語っている。


 こうして私は、時代に対して 完全に真正面からの関心を喪失してしまった。 私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ 空語、空語、空語! としてしか感受出来ないのである。私は たいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。余りに見え透いているのだ。私は、そんなものこそ有害無益な "造言蜚語" だと、心の底では確信している。 救いは絶対に そんな美辞麗句からは来ないと断言してよい。(「歴史の暮方」)

 友人だとばかり思っていた学者や知識人が、軍国主義になだれ込んでいく。 数年後に戦争に負ければ、たちまち手のひらを返して "平和主義者" になる連中なのだが。


 私は あまりにペシミスティックなことばかり 語ったかもしれない。だが、正直のところ、哲学者ならば、プラトンのように ユートピアを書くか、ボエティウスのように『哲学の慰め』を書くかする外には手がないような時代のさ中にあって、威勢のよいお祭りに、山車の片棒かつぎなどに乗り出す気などは 一向に起こらぬ。絶壁の上の死の舞踊に参加する暇があったなら、私ならば エピクロスの小さな園を せっせと耕すことに努めるであろう。これは現実逃避ではなくして 生活権確保への 行動第一歩なのである。(「新スコラ時代」)

 戦争中、彼は庭造りに精をだしたが、言論人としては 全く沈黙した。それが本当の 知識人の良心というものだ。戦争中の日本の建築家たちが どのような発言をし、どのような図面を書いたかは、今度の藤森照信の『丹下健三』に詳しく書かれている。文化人たちが 良心を裏切って権力に迎合する そうした状況は、帝政ロシアの時代にもあった。そして、革命後のスターリン・ロシアの時代には一層、そうであった。タルコフスキーは、それを中世におけるイコン画家の行為によせて、シンボリックに描いたのである。この映画には、中世の時代に見せかけながら、ソ連の窒息しそうな社会体制に対する批判が 至るところに込められている。そう、これこそ ゲルツェンの仲間の歴史家・グラノフスキーの方法だったのである。

 ルブリョフはフェオファンに問う、「こんな時代が 一体いつまで続くんだ?」と。フェオファンは、「分からん、永遠にだろう」と答える。ロシアの暗黒の中世も、近世の帝政時代も、そして近代のソ連邦の時代も、さらにまた 我々が生きる現代も、歴史は永遠に繰り返し続ける。歴史家グラノフスキーは モスクワ大学公開講座で、暗い中世を論じながら、それを 19世紀の帝政ロシアと重ね合わせて、黙示的にツァーリズムを批判した。タルコフスキーは 『アンドレイ・ルブリョフ』において、中世ロシアと帝政ロシアと、さらに 20世紀のソヴィエト・ロシアとを重ね合わせて描いたのである。



映画『アンドレイ・ルブリョフ』の飛翔シーン
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 この映画が ソ連で上映禁止になり、5年もの長きにわたって お蔵入りしたのは 当然のことであったと言える。言論を抑圧する側を 最も刺激したのは、おそらく冒頭の「プロローグ」であったろう。これもまた 本編の筋とは何の脈絡もなく挿入されている 幻想的なエピソードである。

 川に面した とある古い聖堂に、追手の追撃を逃れてきた男が着くと、すでに用意されていた熱気球に乗って、聖堂の屋上から 空中に飛翔するのである。驚愕した人々が見守る中で、何者とも知れぬ "飛ぶ男" は、「俺は飛んだ、俺は飛んでいるぞ」と歓喜の叫び声をあげる。しかしそれも束の間、まもなく気球は破れ、男は地面に墜落して崩れ去るのである。

 人は、抑圧の現実世界を脱して、自由の世界へ飛翔しようと 夢見る。しかし 現実の絆や権力による束縛は強く、自由は容易に得られない。たちまちのうちに 包囲網にからめとられ、沈黙させられてしまう。事実 タルコフスキーは、この映画をつくったことによって、その後の5年間を沈黙させられたのである。ソ連では 映画はすべて官製であったから、当局の許可がなければ映画を撮ることはできない。フルシチョフによるスターリン批判 (1956年)があっても、強固な体制は簡単には変わらない。"飛ぶ男" のシーンは、タルコフスキーによる "内面の叫び" のような 体制批判だったろう。

 私はまた、現代日本の流行歌手の中で、唯一 聴くことを好む 中島みゆき (1952- ) の歌に 思いをはせる。「この空を飛べたら」という 彼女の作詞・作曲になる "自由への希求" の歌は、『アンドレイ・ルブリョフ』の この場面に触発されて作られたのではなかろうか。


"空を飛ぼうなんて 悲しい話を   いつまで考えているのさ "
" 暗い土の上に 叩きつけられても  こりもせずに 空を見ている "
" ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね  こんなにも こんなにも 空が恋しい"

 この映画のずっと後、私はもう1本、"飛ぶ男" の映像を見ることになる。 それはフランスの太陽劇団を率いる アリアーヌ・ムヌーシュキン(1939- )が脚本・監督をした『モリエール』であって、そこでは "自由への希求" が いとも たやすく実現されていた。1983年 8月 6日、岩波ホールで それを見た日の日記には、こう書いてある。


 映画『モリエール』の初日。素晴らしい映画だった。4時間という長さに、終りの方は少々沈んでしまったが(それが宮廷を舞台とするようになったからか)、とりわけ 前半は感動的で、思わず 涙ぐんでしまうほどだった。それは ストーリーが感動的だったわけでもなければ、悲嘆の場面があったわけでもない。その演劇的で祝祭的な映像空間と、そこで繰り広げられる遠い時代の人間たちの夢と希望の燃焼が、あまりにも美しかったからである。

 汚い街角の大道芸人たちによる いかがわしい祝典の頭上を、いかつい人造の翼をつけた "飛ぶ人間" が出現した時には、あの『アンドレイ・ルブリョフ』の冒頭シーンを思い出した。そして、こちらは失敗もせず、軽やかに、自由に飛び続けるのである。

 中世と 帝政ロシアと ソヴィエト・ロシアを重ね合わせた、暗い社会の谷間に "飛ぶ男" は墜落し、神を恐れぬふとどきもの と捕えられるモノクロの映像に比べて、極彩色のモリエールは まさしくルネサンス人、青く澄み切った空を背景に "飛ぶ男" は、社会の絆、運命のいましめを断って、自由の未来をめざして飛び立っていくのである。  Oh, Liberté ! Oh, Liberté !



映画『モリエ-ル』の 飛翔シーン
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 王政を倒して 共和制を実現させた実績感に裏打ちされて、フランス人には 未来への自信と楽天性があるのだろうか。その反対にロシアは デカブリストの乱以来、絶えず改革運動がつぶされて 抑圧の重みに押しつぶされてきたから、ロシアの文学、芸術には 常に悲劇性がつきまとう。ロシア文学に登場する人物たちには、というより ロシアの芸術家たちには、しばしば 人類の苦悩を一身に背負っているような趣がある。トルストイもそうであったし、ドストエフスキーも、画家のイワーノフもそうであり、そしてタルコフスキーもまた その最後の作品となった『サクリファイス』において、そうであったように見える。

 ところで、『アンドレイ・ルブリョフ』の飛翔シーンの舞台となった聖堂は、落合東朗の『タルコフスキーとルブリョフ』(1994年、論創社刊)にも書いてないのだが、ウラジーミル郊外の ボゴリューボヴォにある、

「ネルリ河畔のポクロフ聖堂」 (1165年)
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である。 初期ロシア建築の傑作と うたわれている珠玉の聖堂だが、さらにまた不思議なことには、『ロシア建築案内』にも この聖堂は紹介されていない。

 このネルリ河は雨季に増水して、聖堂の敷地は小さな島のようになる。水面に姿を映す白亜の聖堂は、小規模ながら凛とした気品をたたえている。きっとタルコフスキーは、ロシアの古典建築の中でも、とりわけ この聖堂が好きだったのだろう。映画では "飛ぶ男" から見た、聖堂の高い位置の壁面彫刻も写されている。

 しかしながら、この映画で誰もが一番感動するのは、最後のエピソードであろう。そのタイトルは「鐘(コロコル)」という! あの日、映画を見ていて、このタイトルが出てきた時、私は思わず ゲルツェンの「鐘(コロコル)」誌 を連想したのである。

 モスクワ大公は 新しい聖堂のために、鐘造りの職人を さがさせた。ところが 疫病によって職人の親方たちは 皆死んでしまっていた。しかし 鋳物師の息子だった少年・ボリースカは、自分は父親から 鐘造りの秘密を教わっている、と嘘をついて、鐘造りの責任者の地位を獲得する。嘘がばれたら どうしよう という恐怖心と戦いながら、彼は必死で鋳型に使う 特上質の粘土を探し、大勢の職人たちに采配を振るって鋳型を造り、十分な量の銅と銀を用意させ、ついに火をいれて流し込む。
 奇妙なことに、このエピソードでは 少年・ボリースカが主人公であって、ルブリョフは脇に退いてしまう。無言の行を続けているルブリョフは、時々傍らから 気遣わしげに ボリースの悪戦苦闘を見守っているだけだ。

 ようやく 鐘は ひび割れもせずに できあがり、鋳型をはずすと、大公や外国の使節たちが訪れ、その衆目の前で鐘を吊り上げて、初めて鳴らしてみせる時が来る。この大鐘を吊り上げるには 巨大な足場を組み、四方八方にロープを張って、大群衆が力をあわせて引く。しかし外国の賓客は、「聖母マリアに誓って言うが、この鐘は鳴らんよ。これは鐘などと言えるものではない」とつぶやく。

 誰もが 不安の気持で注視する中、撞木を振って打ち当てると、鐘は 堂々たる音を立てて、みごとに鳴るのである。激しい緊張感が破れるとともに 感極まった少年は、野に倒れこんで泣きじゃくる。その時ルブリョフが現れて、父親のように少年を抱え起こし、初めて沈黙を破って、「泣くな」と言う。

 ボリースカは「父さんは 秘密を教えてくれなかった。ひどい親さ」と言いながら 泣き続ける。ルブリョフは、「立派にできたじゃないか。何を泣くんだ、祝うべき日だぞ。さあ、もういい、元気を出せ。もう泣くな、私と一緒に行こう。 私もまた絵を描く。お前は鐘を造れ」と 声をかけ続ける。画家、アンドレイ・ルブリョフの復活である。

 ここで不意に画面はカラーとなり、「エピローグ」として、ルブリョフが描いた イコン画のディテールを なめるように映し出していく。



アンドレイ・タルコフスキー (from website "Nostalghia com")


 こうして映画を見終わった時、私は、この監督は必ずや ソ連から亡命するだろう と直感した。これほど批判精神に満ち、自由への希求を持ち続ける芸術家が、いつまでもソ連にとどまっていられるわけもない、と思ったのである。タルコフスキーは、まさに映画上の ゲルツェンだと思われた。

 たとえば、この最後の 鐘のエピソードが いかに感動的であろうと、映画全体の筋から言って、いかにも唐突である。アンドレイ・ルブリョフの生涯を描く上で、不可欠のエピソードであったとは、とうてい思えない。タルコフスキーがこのエピソードを 強引に最終章にいれたのは、鐘を鳴らせたかったのではないか。ノヴゴロドの "自由の鐘" を。ゲルツェンが ノヴゴロドの鐘を鳴らせようと 「コロコル」 誌を発行したように、タルコフスキーは鐘を鳴らし、民衆(ナロード) をして、空を飛ばせたかったのではないだろうか。

 また、この映画を あらためて DVDで見て、私は思う。そもそも タルコフスキーは アンドレイ・ルブリョフという 一芸術家の生涯を描きたかったのだろうか? ゾートフが言う "ロシアの真の芸術的天才のシンボル" であるところの ルブリョフの生涯を? 彼は公式には そのように語っている。しかし、それにしては ルブリョフの芸術家としての主張や創作過程は ほとんど描かれていない。映画の最後にルブリョフの作品群が、突然カラーになって映し出されるのも、とってつけた感じがしないであろうか?

 タルコフスキーが描こうとしたのは、なによりも、人間の尊厳や 言論の自由を圧殺する ソ連の体制への批判だったのではないか。ゲルツェンが 生涯をかけて帝政ロシアを批判し、人間の自由と尊厳を回復しようとしたように。それだからこそ、この映画は当局によって 上映禁止にされたのである。

 タルコフスキーがソ連を出たのは、私の予想よりもずっと遅かった。それは、私がこの映画を見た 8年後の 1982年で、イタリアで『ノスタルジア』を撮るためだった。ゴスキノ(国家映画委員会)による攻撃のせいで、「20余年間 ソヴィエトの映画界にいて、およそ 17年のあいだ、絶望的な失業状態にあった」 というのは、まさに流刑中の建築家 ヴィトベルクのような思いであったろう。『ノスタルジア』を撮り終わったあとも 彼はロシアには帰らず、1984年に 事実上の亡命宣言をする。

 もしも タルコフスキーが その2年後、54歳の若さで死ぬ というようなことがなければ、1991年のソ連崩壊にも立会い、祖国に戻ることが あったかもしれない。しかし ゲルツェンと同じように、窒息状態のロシアを去ったあと、ロシアの大地への大いなる愛を抱きながらも、彼は2度と再び祖国の土を踏むことは なかったのである。

 しかし、ロシアに いたたまれなくなって ヨーロッパに亡命していながら、ヨーロッパにもまた絶望せざるをえなかった心情がまた、ゲルツェンとタルコフスキーに共通であろう。亡命宣言の後、二人とも2度とロシアの地を踏むことはなかったが、しかし ヨーロッパに安住の地を見出したわけではなかった。彼らの心は たえず祖国 ロシアに向けられていた と言っていい。

 中国の文学者・巴金 (1904-2005) は "文化大革命" 時に批判され、暗黒の時代を生きたが、その間 ただひたすら ゲルツェンの『過去と思索』を読み、訳しながら耐えたという。ソ連で、映画を作ることを妨げられて 長い不遇の時を過ごしていた タルコフスキーもまた、『過去と思索』を読み、国家によって作品の実現を妨げられた ヴィトベルクの生涯に、自己を重ね合わせていたのではないだろうか。それが『アンドレイ・ルブリョフ』の構想のもとになったのではあるまいか、と思われてならないのである。



映画『ノスタルジア』のチラシ


 タルコフスキーがロシアを出て 最初につくった映画は、イタリアを旅するロシアの詩人(これが どうしても "亡命ロシア人" のように見えてしまうのだが)の心象風景を 詩的に描いた『ノスタルジア』である。この映画のラスト近く、イタリアの ロマネスク − ゴチックの聖堂と ロシアの農村風景が重ねあわされる幻想シーンは 美しく、感動的だった。(これも 亡命ロシア人の "望郷の念" を描いているように映る。)

 その聖堂とは、イタリア中部のトスカナ地方に 廃墟として残る、サン・ガルガーノの シトー会修道院聖堂である。これはイタリアを代表する シトー会修道院建築として名高い カザマリの修道院の分院で、聖堂の建立は 13世紀であるから、母院と同じように ゴチック様式で建てられた。しかしシトー会の修道院は、修道士の観想を妨げるものとして すべての装飾的なものを拒否しようとしたから、尖頭アーチをはじめとする ゴチックの建築言語を用いていても 、後期ゴチックのように骨ばっていず、柱頭彫刻もなく、壁が多い瞑想的な建物となるがゆえに、その建築の性格は 著しくロマネスク的となる。

 また、映画に出てくる もうひとつの聖堂のクリプト(地下聖堂)は、ローマに近い ラツィオ地方の トゥスカーニャにある 聖ピエトロ聖堂のもので、これは純然たる 11世紀のロマネスクである。こうしたロマネスク建築や シトー会の修道院が、タルコフスキーの映画には しっくりと調和する。そこにはルネスンス以後の建築に見られない 深い精神の充足があり、魂の内面に降りていくような 深い静寂がある。それはバッハの音楽のもつ、いわば "抑制された歓喜" ともいうべき性格と同一のものだ。タルコフスキーが これらの聖堂やクリプトを映画の舞台に選んだのは、必然だったと言えよう。私にとってタルコフスキーの映画は、バッハの音楽と ロマネスクの建築と 切り離しがたく結びついている。

 再び 中島みゆきにふれると、かつての彼女の歌は、通常のポピュラー音楽とは異質の 深い内面性に彩られ、バッハの音楽にきわめて近いものであった。その言葉と音の流れは しばしば バッハのカンタータを聴いているような思いにさせるが、彼女の最高作というべき「異国」と「エレーン」は、あたかも "亡命日本人" の "望郷の歌" のように聞こえる。シュヴァイツァーは 長大なバッハの評伝において、バッハの音楽の本質を "晴れやかな死への憧れ" と書いたが、そのことは タルコフスキーの映画にも、中島みゆきの(ロックではない、バラードの)音楽にも言えるような気がするのである。

  
トゥスカーニャの聖ピエトロ聖堂
http://www.kamit.jp/19_gerzen/xtusca.htm
http://www.kamit.jp/19_gerzen/xtuscania.htm

 ところで 建築家のヴィトベルクは、「救世主聖堂」のコンペにおいて 新古典主義様式を採用した。それが私には 釈然としないところであった。ゲルツェンが描いたような神秘主義者であり、精神の深みを求めたヴィトベルクに、"アンピール(帝国)様式" とも呼ばれる ナポレオン帝政下の建築様式が ふさわしかったとは思えない。今回 インターネットで彼の図面を見出して意外な感に打たれたのである。

 ヴィトベルクは ロシアから外に出たことがないので、そして ロシアには ロマネスク建築がないので、ロマネスク様式に親しむことは なかったことだろう。しかし、もしも彼がヨーロッパを旅していれば、必ずやロマネスクの聖堂に、彼の性格と一致するものを 見出したはずである。

 彼は最初に手がけた大聖堂でつまずいて、そのまま朽ちていってしまったから、ゲルツェンやタルコフスキーのような 亡命体験を もたなかった。ヨーロッパに亡命すれば、それまでの "西欧派" も、近世ヨーロッパの欠陥を まのあたりにすることになり、それが さらに感覚と認識の深みをもたらしたはずなのだ。

 ゲルツェンがヨーロッパに絶望して、異国の地にありながら ロシアに目を向けなおしたとき、そこにロシアの農民を見出し、1861年 11月の『コロコル』誌に、初めて "ヴ・ナロード"(Going to the people, 人民の中へ)と書いたのである。

 ヴィトベルクは アレクサンドル帝の時代に、ロシアの偉大さを讃えるモニュメントとしての「救世主聖堂」を設計した。そこに付与された性格は、彼に影響を与えた 新古典主義の建築家、ルイ・エチエンヌ・ブレが最も好んだ語 "SUBLIME"(崇高さ)であったろう。しかしアレクサンドルのあとに帝位についた ニコライが支配するロシア帝政には、深く絶望したはずである。したがって、もしもゲルツェンやタルコフスキーのように ヨーロッパに亡命して、「救世主聖堂」を設計し直したとすれば、それはきっと、新古典主義ではなく、ロマネスク様式に近いものであったにちがいない と思う。


*  *  *  *

 私はこのサイトで、時代に虐げられ、迫害の中で 生涯身を屈することなく生きた、ロシアの芸術家たちを描こうとしてきたのであるが、タルコフスキーの映画を論じたついでに、もう1本の古い映画を紹介しておきたい。それはロシアではなく、ポーランド映画である。

 ポーランドの映画監督といえば、アンジェイ・ワイダが最も名高いが、私にとってワイダは『地下水道』でも『大理石の男』でも、"出来事" を描いた監督という印象が強い。ロシア文学のように 人間の内面をより深く描いたのは) イェジー・カワレロウィッチ (1992-2007) ではなかったろうか。私が見た記憶のある彼の作品は、『尼僧ヨアンナ』(1961)、『夜行列車』(1965)、それに『戦争の真の終り』(1957) の3作である。1922年生まれというから、タルコフスキーの 10歳上になる。その後 日本では あまり名前を聞かないが、実際には創作活動を続け、2001年には シェンキェヴィッチの『クオ・ヴァディス』(河野与一訳、1979年、岩波文庫)を映画化したらしい。

 私が見た 3作の内、『尼僧ヨアンナ』と『夜行列車』は 時々名画座などで上映され、ビデオも出ていたから 見た人も多いと思うが、『戦争の真の終り』は ほとんど 知られていないのではないだろうか。私にとって 彼の作品の中で この映画が一番印象深かったのは、映画の主人公が 建築家だったからである。それも、ヴィトベルクと同じように 悲運の建築家なのだった。

 回想シーンで描かれる主人公は 若く、将来を嘱望される建築家で、美しい妻をもらい、洋々たる前途に輝いていた。ところが、第2次世界大戦が勃発し、ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵入して領土を分割すると、運命が一変する。

 彼は出征して捕虜となったのか、あるいはユダヤ人としての受難であったのか、ナチスの強制収容所に入れられて、絶えず虐待を受け、精神に失調をきたすのである。夫を待ち続けた妻も、ついに 彼が死んだものとあきらめ、新しい人生を生きるべく 別の男と愛し合うようになっていた。そこへ突然、廃人のようになった夫が帰ってくると、妻は とまどう。 仕事もできず、時々 てんかん性の発作をおこす夫を、全面的に受けいれることはできない。その妻の態度がまた 彼の症状を さらに悪化させ、ほとんど口のきけない 唖者のようになってしまう。

 彼の回復に期待をかけた4年の後に、彼女はあきらめ、恋人と新しい家庭を持つために、夫の建築家を 廃疾者として田舎に住まわせることを決心する。 それを知った夫は、出かける妻に そっと紙切れを渡す。歩きながら妻がそれを見ると、「私を捨てないでおくれ」と書いてあるのだが、しかし彼女は気持を変えない。それを察した夫は、家人の留守中に 屋根裏部屋で首を吊って死んでしまうのである。 戦後4年、これが "戦争の真の終り" だった、という映画である。



映画『戦争の真の終り』建築家のアトリエのシーン

 この場合の建築家は、特に自由のために戦った というわけではないが、過酷な運命に翻弄されて 悲惨な結末に導かれていった。私がこの映画を見たのは まだ学生時代、封切りではなく、ポーランド映画特集か何か ではなかったかと思う。まだ建築家の卵にすぎなかったのに、なぜか 身につまされるものを 感じてしまったのである。(あとで わかったのだが、この映画は 1965年 8月に、新宿と銀座のアート・シアターで公開された。)

 映画の中の この建築家は、特に気分の良い日には、いかにもヨーロッパの建築家らしい、画家のようなアトリエで、住宅のスケッチ・プランなどを作っていることがある。そこへやってきた妻は、口をきけぬ夫の前で ひとりごとのように言う。

 「今でも町を歩いていて、昔 あなたが設計した住宅の前を通りかかると、思わず立ち止まって、ずっと眺めていることがあるわ」 と。

 自らの意思ではなく、外力によって、設計したくとも設計できない状態に 突き落とされてしまった 建築家や映画作家の姿、それが 最も うら哀しい姿で描かれていたのが、この映画だった。若い私は、なぜか そこに 自分の未来の姿を投影してしまったのである。後に、マフィアによる仕事の妨害は、それを現実のものとするのであるが。

http://www.kamit.jp/19_gerzen/rublyov.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/243.html#c2

[近代史3] タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年) 中川隆
3. 中川隆[-12145] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:33:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー
『アンドレイ・ルブリョフ』に関して


私は、アンドレイ・ルブリョフ、15世紀の偉大なロシアの画家の映画を作りたいのです。

私は、創造者の人格と彼が生きた時代との関連に興味があります。生まれ持った感受性のおかげで、画家は自分の生きる時代のもっとも深い意味を理解し、この意味を全き形で提示することができます。この映画は歴史映画でも伝記映画でもありません。

私は画家の芸術的な成熟の過程と、彼の才能を分析する過程に、すっかり魅了されています。

アンドレイ・ルブリョフの作品は、ロシアのルネサンスの頂点を記録しています。
ルブリョフは私たちの文化史でもっとも傑出した人物のひとりです。
彼の人生と芸術はけたはずれに豊かな素材を含んでいます。

台本づくりに着手する前に、私たちは歴史資料とスケッチを研究しました。
もっぱら、映画で見せることができないのは何かを決定するためにです。
たとえば、私たちは時代様式に、つまり、衣装や風景や言語に、限られた興味しか持っていません。

映画での出来事が実際に15世紀に生じているなと思わせようとして、歴史的な細部にこだわると、観客の関心がそれてしまいます。

時代臭さのない室内装飾、時代臭さのない(しかし適切な!)衣装、風景、現代の言葉ーこうしたことすべてが、もっとも重要なことだけを表現する助けになるでしょう。

映画はいくつかのエピソードで成立しますが、直接論理的に関連づけされてはいません。

しかし、すべてのエピソードは共通の思考の流れで内的に関連することになります。

挿話が年代順に並べられるかどうかはまだ分かりません。

私たちは、エピソードのドラマツルギーが三位一体の壮大なイコンを創造する理念を生み出す頃のルブリョフの人格の進化を内的に暗示するものと首尾一貫させたいと願っています。

それと同時に、正典的な制限とその型どおりの論理と形式を伴った伝統的なドラマツルギーを避けたいと思っています。

それらは、典型的な障害で、生の十全さと複雑さを表現するのを不可能にするものです。(中略)


芸術家を題材にした映画は時々こんなようになってしまいます。

つまり、主人公が何らかの出来事を目撃する、そして観客は彼が熟慮に沈むのを見守る、最後に彼は自分の思いを作品に表現する。

私たちの映画でルブリョフがイコンを描く場面はありません。

彼は人生を生きていくだけです。

エピソードのすべてに登場するわけでもありません。

映画の最後の部分、そこだけはカラーで撮影するつもりですが、そこはルブリョフのイコン画に捧げられます。

イコンしか映しません。

ドキュメンタリーのように、細かいところまで、きちんと見せるつもりです。

イコン画が映されるたびに、同じ音楽のテーマが流れます。
そのイコンの理念が現れる時代に対応するルブリョフの生の局面で鳴り響いたテーマです。

映画のこのような構造は、その目標から必然的に導き出されます。

つまり、人間性の弁証法を提示して、彼の精神の生を検証したいと思うのです。


________________________________________


 このインタヴューは、『アンドレイ・ルブリョフ』製作の初期の段階でなされた。

 若々しく、新たな理念に燃える監督の姿が鮮やかに映されている。

たぶん、この時期に、自分のこのような試みが多くの反発と猛烈な批判を生み出すとは思っていなかっただろう。

撮影は困難を極め、同志コンチャロフスキーとの反目、そして決別が待っている。
追いつめられた彼は命を削るような撮影を決行して、農民に文字通り殺されそうになる。

映画は完成しても5年間上映禁止になる。

無断でフランスの映画会社が出品したカンヌで国際批評家大賞を受け、そのためにソ連国内で立場はますます追い詰められる。

 しかし、そこから出会いも生まれた。

『アンドレイ・ルブリョフ』を見たクラウディオ・アバドは感激して、後に自分の指揮するムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』の演出を依頼し、実りある友情が始まったのだった。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov.html

Tarkovsky on Tarkovsky 『アンドレイ・ルブリョフ』


映画の最も重要な慣例のひとつは、映画のイメージは私たちが見聞きする実際の、自然の、生きた形態でのみ体現できるということだ。

私たちが提示するものは自然主義的でなければならない。

私が自然主義と言うとき、実在の不愉快な側面に執着するという否定的な意味ではなく、映画的なイメージの感覚知覚におけるその役割という意味だ。

スクリーンに描かれた夢は、生そのものの自然の形態と同じように明確に目に見える要素で構成されていなければならない。

映画はルブリョフに関するものです。

…しかし私たちにとって映画の真実の精神的なヒーローは、ボリスカです。

映画の狙いは、非常に困難な時代から出現する伝染性の、狂熱のエネルギーを示すことです。
つまり、そういうエネルギーがボリスカのなかで目覚めて、燃えさかり、鐘鋳造につながるのです。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/selfcomment.html

アンドレイ・タルコフスキー
『アンドレイ・ルブリョフ』を語る


美は、植物が種子から生長するように、悲嘆から育つ


私たちは『アンドレイの受難』と題された脚本をアンドレイ・コンチャロフスキーと書いています。

偉大なロシアの画家アンドレイ・ルブリョフの人生をあつかった映画です。

友人のなかには、戦争でめちゃめちゃにされた子ども時代の映画、どう見たって現代的な映画から、「時代物」、ロシアの中世にどうやって移ることができるのか分からないって言ってます。


別に変なところはないでしょう。

主題テーマが、利用される叙述の形式を支配するだけのことです。

素材は15世紀から引っ張ってきますが、現在の問題を語るつもりです。

私は、芸術家とその時代、当時の民衆との絆に興味があります。

私は芸術の力に関する自分の見解を述べてみたいと思います。


ルブリョフは彼の作品において人間性の偉大な理想を称えています。

友愛の理念、人間の連帯が映画で最も重要なものになるでしょう。
真に偉大な芸術は時とともにますます貴重になります。

どれほど多くの人の思い、感情、希望が何世紀にわたってルブリョフの絵に染みこんでいったことか、そうに違いありません! 

私はスクリーンにそういう希望を伝えたいと思います。


映画は15のノヴェッラ:小話で構成されます。

アクションはルブリョフ、ダニル・チェルニー、キリルの3人の人物をめぐって集中します。

詩的な構造は全編にわたって保持されますが、叙述の連鎖を数回断ち切ることになります。

長年、映画は劇場のドラマツルギーに依存してきましたが、今や映画芸術は詩に近づいてきています。私には、詩における探求と近代映画の探求に非常に密接な関係が見えます。

私は、アレゴリー、隠喩、直喩を用いるのを好みます。

私は、不可能に思えるものが向かい合う状況が好きです。

認識からすり抜けるように思える複数のテーマを対峙させることは、私の内部に、イメージにあふれた最も深い思念を揺り動かします。

ますます多くの映画が詩的イメージに基づいて作られようとしています。

新作で私は古典的ロシア詩の比喩体系を具体的に利用するつもりです。(1963年)

映画のアイデアは「僕の村は戦場だった:イワンの少年時代」をやっている頃にすでにあった。


自分のアイデアじゃないと認めますね。

あるときモスクワ郊外の森を散策していたんだ、私とコンチャロフスキーと映画俳優のヴァジル・リヴァーノフでね...

ちょうどそのときにリヴァーノフが3人でルブリョフの脚本を書こうと提案した。
彼はぜひ主役をやりたいと。

でも、いろいろあってリヴァーノフは脚本書きに参加できなかった。
一方私たちのほうはすっかり虜になったその企画をあきらめることはできなくなった。

私たちはずいぶんすんなりと仕事を進めた。

1年後(もう少し後か)台本の異稿が3つ出来上がっていた。

私たちはもう一度見直しをして、時代考証のさまざまなソースを恐ろしくたくさん研究しなければならなかった。

少なくとも、旧来の出来合いの考え方を捨てることができるためにね。


台本の最終ヴァージョンにかかっているときに私たちはまだどこかしっくりこない部分があると感じていた。

でも出来上がったとき私は台本が成功作であると感じることが出来た。

それから良い映画が作れると感じたから、成功なんだね。

脚本家として私は経験が浅かった。

『ルブリョフ』の前に私は2作しか仕事をしていなかった。

すべてに満足したわけではなかったが、一貫性、首尾の統一の印象はそれが良い作品だと示唆していた。

私がつくろうとしているまさにそのたぐいの映画にうってつけの脚本だから立派な仕事だというわけだ。

俳優、ロケ地、カメラマンの貢献をあてにしているけど、この脚本は私たちの仕事を最後まで導いてくれる主導テーマを含んでいる。

当然、シーンを追加しますよ、省くシーンもあるだろうし、ただ土台はしっかり出来上がりました。


「この映画で私が何を言いたいのか」という質問に答えるなら、おおまかなことしか言えません

芸術と民衆との絆について直接何か述べるつもりはありません。

これはまあ、明らかでしょう。

脚本に明確に出ていると私は思います。

私は、自然の美を探り、美というものは、種子から植物が生長するように、悲劇から、災厄から育つことを観客に気づいてもらいたいとは願っています。

私の映画は美しい、族長的な古いロシアをめぐる物語にはならないでしょう。

私の願いは、輝かしく驚異に満ちた芸術が隷属、無知、文盲の悪夢の「続き」として出現することがどのようにして可能であったのかを示すことです。

私はこうした相互依存の関係を見つけだし、この芸術の誕生を跡づけたいと思います。

こういう条件が満たされたときはじめて私はこの映画が成功作だと思えるでしょう。


ここでオマール・ハイヤームの絵に触れておきましょう。

ご存じですか、薔薇の木があって、その根元に虫が何匹も食らいついているという絵を? 

しかし、死からのみ、不死は生まれるのです。

不死を理解するときに、私たちは死を理解するでしょう。

絡み合った白と黒とでも言いましょうか

そういう周期性を、生を理解する客観的で弁証法的様式と、例示の様態と共に、この映画を形作る基礎にするつもりです。

私たちはカメラマンのヴァディム・ユーソフとロケ地を選びました。
彼とは『イワンの少年時代』で既に仕事をしています。

脚本の仕事が続いている頃、ユーソフは別の映画作りに参加しました。

映画の歴史的な側面から、たくさんの人が必要な大きなシーンが求められ、そのために少なからぬ困難が生じることを忘れてはいけないでしょう。

例えば、クリコヴォ平原の戦いは省くことが出来ません。

ロシアがはじめて外国からの侵略者に対する道徳的な優越を悟る象徴になっているのですから。

ロシアが形成されるこの時代はディミトリー・ドンスキーの勝利抜きでは考えられません。

実現するのは面倒でしょうが、とにかく絶対に欠かせないエピソードです。
それは、(ロシアの王子が片棒を担いだもので、裏切りと腐敗の個人的な象徴となった)タタール人のウラジミール襲撃や、新しい鐘の鋳造のエピソードが欠かせないのと同じです。

これらのシーンはどれも小規模な解決が許されません。
こみ入った準備が必要です。(1965年)


伝記映画? 

違います、このフィルムは誰かの伝記を飾るエピソードが銀幕に再現されることはありませんから、伝記映画のジャンルに入りません。

ルブリョフの生涯を再構築することが私の意図だったのではなく、既に触れたように、私は主に人間に興味があるのです。

また過去の時代の雰囲気に興味があるのです。

しかし、だからといって時代劇になるわけじゃありません。

私の意見では、歴史的正確さは出来事を歴史的に再構築するという意味ではありません。

私たちが示したいことにとって重要なのは、それが真実味を帯びたあらゆる特性を保持すべきだということです。

俗に言う「時代もの」はしばしば、あまりに装飾過多で芝居がかっています。

異国趣味をすべて排除することも私の意識的な決定です。

エキゾチシズムは過去のものなら何でも凄いなと驚かせてそれでよしとする所まで来てしまいました。過去を含めて、すべてを通常の展望に収めて眺めるように努力しましょう![ノ]


ソロニーツィンに関して、私はただただ運が良かった。

最初、私はこの役を有名な俳優に任せることはできないと分かっていただけでした。

悪魔に憑かれたような一念が目に見えるような、強い表現力のある顔でなければならないと私は悟りました。

ソロニーツィンは、打ってつけの肉体的な外観であるだけでなく、複雑な心理過程の偉大な解釈ができる人物です。(1969年)


主役の俳優は映画に一度も出たことがない人物でなければならかった。

誰もが自分なりのルブリョフ像をもっているのだから、他の役を思い出させる人を使うことは出来ない。そういうわけで、それまで端役しかやったことのないスヴェルドロヴスクの劇場の俳優を選んだのです。

ソロニーツィンは、月刊「イスクーストヴォ・キノ」に載った脚本を読んで、モスフィルムまで自前ではるばるやって来て、自分以上にルブリョフをやれる者はいないと宣言したのです。

スクリーンテストをして、実際、はまり役だと私も納得しました。


『アンドレイ・ルブリョフ』をカットした者はいません。私以外にはね。

自分でいくつかカットをしました。

第1版で映画は3時間20分でした。第2版は3時間15分。

私は最終版を3時間6分まで短縮しました。

最後の版がベストで、もっとも成功していると私は確信しています。

長すぎるシーンをカットしただけです。
観客はそれらがないことにも気づきません。

カットは主題を変えてもないし、私たちにとってこの映画で重要であるものを変えてもいません。

言い換えると、意味のないひどく長いシーンを省いたのです。

観客に心理的なショックを引き起こすために野蛮なシーンをいくつか短縮しました。

ただの不愉快な印象を引き起こすためではありません。

それでは私たちの意図が台無しになります。

長いディスカッションの間カットするように忠告してくれた友人と同僚みんなの判断は、結局正しかったのです。

それを理解するのにしばらく時間が必要でしたがね。

最初私は、彼らが私の創造的個我を抑圧しようとしているのではないかと思いました。

後になって、私はこの最終版が私の要求以上の成果を挙げていることを理解しました。

だから映画が現在の長さに短縮されたのを全然後悔していません。[ノ]


画家のように色彩のハーモニーに敏感でない限り、日常生活で色彩に注目することはない。

例えば、私にとって映画のリアリティは白黒の階調に存在しています。

しかし『ルブリョフ』で私たちは生とリアリティを一方では芸術と関連づけ、もう一方でその絵と関連づけなければならなかった。

最後の色彩のシークェンスとモノクロフィルムの間の、このような関連は、私たちにとってルブリョフの芸術と彼の生の相互依存を表出する方策でした。

言い換えると、一方で、日常生活が合理的に現実的に提示され、他方でー彼の生を因習的な芸術で総括をして、次の段階で、その論理的な継続が来る。

アンドレイ・ルブリョフの壮麗なイコンをそんな短い時間で示すのは無理です。
だから私たちは選び抜いた細部を呈示し、観客を細部の断片の連続から、ルブリョフの至高の創造である、あの名高い「三位一体」のフルショットまで導いて、彼の仕事の全体像の印象を創造しようと努めました。

私たちは色彩のドラマツルギーのようなもので観客をこの作品まで導き、印象主義的な流れを創造し、観客が断片から総体へと移動するように願いました。

色彩のフィナーレは、およそ250メートルのフィルムを占めますが、観客に休息を与えるために必要だったのです。

モノクロームの最後のシーンが終わるとすぐに観客が映画館を出ていってほしくなかった。

観客は、ルブリョフの生から自らを引き離し、省察する時間を与えられるべきなのです。

私たちの狙いは、色彩を眺めながら私たちがつけた音楽に耳を傾けることで、観客が映画の全体から一般的な性質の結論をいくつか引きだして、心の中でその主要な道筋を選り分けることができるということです。

手短に言うと、観客に本をすぐに手放してほしくないんです。

もし『ルブリョフ』が「鐘」のエピソードでそのまま終わっていたら失敗作になっていただろうと思います。何としても観客を映画館にとどめる必要があったのです。

彼がどれほど偉大であったかを示すために、芸術家の生の継続のようなものを、付け加える必要がありました。

彼はそれらすべての経験を、最悪の経験を生き抜いたという事実をです。

そして、そうした体験からはじめて、彼の作品の色彩は得られたのだということをです。


こうした思いのすべてを観客に伝える必要がありました。

フィルムが雨にうたれる馬のイメージで終わることを指摘したいと思います。

私にとって馬は生命と同義であるので、象徴的なイメージなのです。馬を見ていると、私は生命そのものの本質にじかに触れているという感じがします。

もしかすると馬がとても美しい、人に優しい動物であるからなのでしょう。

それに馬はロシアの風景の特徴といってもいいでしょうから。

『ルブリョフ』には馬の出るシーンが数多くあります。

気球で空を飛ぼうとして人が死ぬ冒頭のシーンを思い出してください。

一頭の悲しげな馬は沈黙の目撃者なのです。

最後のシーンの馬の存在は、生命そのものがルブリョフの芸術のすべての源泉であったという意味なのです。(1969年10月)


原作者の特権を行使して私たちはアンドレイが沈黙の行に入るように決めました。

しかしそれは私たちが彼に同意するという意味ではありません。

それどころか、その後のエピソードで私たちは観客にアンドレイの沈黙が無意味であるということを納得させようとします。

その後の事件に直面すると、それは無駄なのです。

私たちの主人公は芸術家として何も出来ないのです。

彼は参加することが出来ないのです。

彼の沈黙は私たちにとって非常に幅広い、抽象的な、ほぼ象徴的な意味を持っていました。

アンドレイが沈黙しているエピソードで、映画の意味にとって根元的な重要性を帯びた出来事が生じます。

狂った村娘の登場人物がありますね、ブラゼナーヤです。

彼女は突然タタール人と一緒に行ってしまいます。

タタール人のひとりが好きになり、彼と一緒に行ってしまう。

狂った者だけが侵略者に輝かしく喜ばしいものを見いだすことができます。

彼女の狂気によって私たちは状況の馬鹿さかげんを強調したかった。

正気の人間ならあんなことはしないですよ。

しかしアンドレイは何か行動を起こすべきだったし、彼の責任ある立場に対するこの攻撃を許すべきではない。


なぜなら昔のロシアではブラゼナーヤは神聖な者と見なされました。

ブラゼナーヤ、ユロージヴィを侮辱することは当時大きな罪だと思われていましたから。

ところが彼は何も反応しない。

彼は誓いを守り、一言もことばを発さない。

アンドレイは他者のために立ち上がりもしなければ自分を守ることも出来ない。

ローラン・ブイコフの演じる旅芸人は、自分を警備隊に売ったのはアンドレイだと思う。

なぜなら彼が踊りながら貴族をからかった浮薄で批判的な歌を歌うのを眺める群衆の中にアンドレイがいるのを見たからです。

長い年月が経って、鞭打たれ多くの苦難を経験した流刑から帰ってきて、旅芸人は人々の面前でルブリョフを裏切りの罪で訴えます。

ルブリョフは身の潔白を証明できません。

彼は最後まで無言です。

彼は聖三位一体大寺院の壁画を描くように召喚されます。

彼はそれでも無言のままです。

彼は自分に引きこもり、自分の才能を埋もれさせて、狂人のように生きます。
何もかもが狂っている。

ルブリョフは正常な人間が行動するように行動しない。

祖国を愛する誇り高い市民が当然なすべき事をやらない。

自らの信念の力によって、鐘づくりに賭けた確信と情熱によって、ボリースカだけがアンドレイを沈黙から呼び覚まします。

強靭さ、人間の愛すべき創造力、忍耐力、そして自らの運命に対する信頼がルブリョフを罪深い誓いを破らせるように強制します。(1967年2月1日)
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov2.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/243.html#c3

[近代史3] タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年) 中川隆
1. 中川隆[-12144] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:37:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

僕の村は戦場だった


噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。

タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまいました。


一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。

蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。

ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。

うれしそうに駆け寄る少年。

次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。

実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。


湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。


戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、

少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、

あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショット

などタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。


すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。

しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。

ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・


処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。
http://d.hatena.ne.jp/kurawan/20100510


▲△▽▼

19 :無名画座@リバイバル上映中:2006/02/25(土) 18:52:48 ID:nrY8uN4r

原作は「イワンの少年時代」というタイトルですよね。

でも何だか皮肉な題だなあ。少年時代を少年のまま過ごすことも叶わず、
戦争によって踏みにじられ、大人にならざるをえなかったイワン。

回想シーンがあどけない笑顔を浮かべてたのに、現実のシーンでは微笑を忘れた
一切感情を押し殺した表情をしてたのが余計に哀しい。


25 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 10:25:13 ID:za8+WElc
もし、記憶違いなら悪いけど少年のお母さんが腋毛生やしてたような・・・


26 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 14:54:33 ID:pWzQBXUM
おっ、いいところに目をつけましたね。なかなか目ざといですな。
あのお母さんはどうも色っぽすぎていかんです、ハイ。

28 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 21:33:09 ID:BSZv+BGP
いや、ほんとに。
少年の回想シーンとは思えないほど肉感的ですね。


『鏡』を観ててもそう思うんですが、

どうもタルコフスキーにとって母親というのは
そういう肉感的な存在としてイメージされるみたいです。


29 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/10(金) 21:02:41 ID:G7Eo1+60

母親役はイリーナ・タルコフスカヤ。


30 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/11(土) 13:38:57 ID:UEITlvEh

おそらくイリーナ・タルコフスカヤさんは監督の最初の奥さんではないかと。
(同姓同名でなければ、イリーナという奥さんがいたはず)


38 :無名画座@リバイバル上映中:2006/05/12(金) 17:13:15 ID:9534X0Wy
浜辺で母が手を振って立ち去ろうとするところ恐いぐらい。


48 :無名画座@リバイバル上映中:2006/09/03(日) 23:38:29 ID:VbWH5bGO
ラストの水はすごかった
http://mimizun.com/log/2ch/kinema/1139048950/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/244.html#c1

[近代史3] タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年) 中川隆
2. 中川隆[-12143] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:40:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
http://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/244.html#c2

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
17. 中川隆[-12142] koaQ7Jey 2019年2月15日 15:04:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
レオパレス、施工不良でぎりぎり成り立つずさん経営。大家さんはどうすれば救われるのか?=姫野秀喜 2019年2月14日
https://www.mag2.com/p/money/637430




世間を騒がせている「レオパレス21」の施工不良問題。大家さんに話を聞くと、起こるべくして起きた問題であることがよくわかります。


やりきれない大家と1万4千人の住人、引越シーズンに転居できる?

レオパレス「界壁施工不良」問題の発覚は1年前から

問題が明らかになったのは、2018年5月のテレビ東京の番組『ガイアの夜明け』での報道が事の発端でした。

この番組が、レオパレス21社(以下、レオパレス社)が建築した「ゴールドネイルシリーズ」と呼ばれるアパートの屋根裏に防火のための「界壁」が存在しないということを公表したからです。

この「界壁」とは建築基準法で定められた防火のための設備で、これがない建物は建築基準法違反となります。

番組では実際のオーナーと調査する業者が、屋根裏を調査し「界壁」がないということを報道しました。番組は映像を放送し、まさに動かぬ証拠を同社に突きつけました。

2018年5月、すぐに、レオパレス社は緊急会見を行い、アパートの全棟検査を行う旨を公表しました。全棟検査において、何らかの不備が見つかった建物は約1万棟にも達するとのことです。

ここまでが2018年の「界壁」問題の発端です。

実はまったく検査が進んでいない?

そして、同番組は2019年2月に追跡報道を行います。その報道では、全棟調査の進捗について疑義が述べられます。

レオパレス社のHPでは、すでに9割以上の調査が完了しているとあるところ、レオパレス社への集団訴訟を行っているLPオーナー会への報告書には、1棟も完了していないというのです(LPオーナー会については、下記の前回記事をご参照ください)。

【関連】突撃取材「家主の私がレオパレスを訴えた理由」集団訴訟はなぜ起きたか?=姫野秀喜

先日、私は1人のレオパレスオーナーに話を伺う機会がありました。そのオーナーが言うには、「全棟検査については、まだ連絡が来ていない」とのことでした。なお、そのオーナーはご自身の土地に、レオパレスを建てたこともあり、また別のD社の建物を建てたこともあるとのことですが、建物の質としてはD社の方が良かったと言われました。

ありえないレオパレスのずさんな工事

そもそも、どうしてこのようなずさんな工事が行われたのでしょうか。

レオパレス社の説明によると、「図面と施工マニュアルの整合性の不備」および「社内検査態勢の不備」によって、このような問題が生じたとのことです。

なぜ、図面と施工マニュアルが不整合を起こしたのかという点については、「物件のバージョンアップが頻繁に行われ、建物の仕様が分かりにくくなっていた」「施工業者に渡している図面と施工マニュアルの整合性に不備があった」と説明しています。

そんなことがありえるのかと不思議に思い、プロの大工さんにヒアリングしてみたところ、「普通は天井の上まで壁を作るので、施工しない場合、違和感を感じる」とのことでした。

たとえマニュアルの不備があったとしても(人によるが)、現場で気づくことがあったはずとのことでした。

また、「界壁」に不備があるだけにとどまらず、オーナーに説明した設計とは異なる断熱材(ウレタン系)を使用していたり、本来2重にすべきところを1重のまま施工していたり等、プロの大工さんから見て明らかに不審な点があるとのことでした。

新築を建て続けないと経営が持たないレオパレス

そもそも、地主向けに賃貸アパートを建設しサブリースをする業者の収益構造は、

(通常の工務店で建築するよりも)過大な建築費用で収益を上げ
   ↓↓↓
(需要がない地域の満室にならない)サブリースを支払う

というものです。

イナゴの集団が食い尽くして移動するように、営業マンがマイクロバスで田舎に集団で訪れ、相続を心配する田舎の地主に一気呵成に建設を促していくスタイルです。

そのため、常に新築を建て続けなければ収益が悪化してしまうのです。

ビジネスモデルに限界が来ていた

レオパレス社は収益悪化を防ぐために、2009年より「終了プロジェクト」と呼ばれるプロジェクトを開始しました。これは、採算の悪い逆ざや(家賃収入よりもサブリース金額の方が大きい)のアパートについて「サブリース契約を終了させる」というものでした。



2009年時点では、すでに建築時に粗利を上げ、その粗利を切り崩しながらサブリースを行うというビジネスモデルに限界が来ていたといえるのです。

2009年のレオパレス社の有価証券報告書(第36期)によれば、連結の売上高は約7,300億円であり、そのうちアパート請負事業の売上高が約3,600億円と売り上げの約50%を占めるほどでした。

同年の賃貸事業における売上高は約3,300億円ですが、入居率の低下による採算悪化による売上総利益の減少を報告しています。

そして、翌年2010年の有価証券報告書には下記の記載があります。

「(レオパレス社は)定められた固定賃料をオーナー様にお支払いしています。従って、この期間中に当社が受け取る住居人からの家賃収入に変動が発生した場合には、当社の収益性に影響が及ぶ可能性があります。」

不採算アパートが収益性に影響を与えるということをしっかりと認識していたということです。

逆ざやになってしまうサブリースを多数抱えた同社が、工事を簡素化して工期を短く、建築コストを少しでも小さくし、建築時の粗利を大きくしたいと思うのは不思議ではないと思うのです。

この界壁のずさんな工事は、後々生じることが分かっている、サブリースの逆ざやを埋めるために建築時に大きな粗利を上げなくてはならないというビジネスモデルが生みだした必然と言えるでしょう。

借り主、大家さんへの影響

レオパレス社は2月7日に法令違反の疑いのある物件が1,324棟あったと調査結果を発表しています。そして、最大でおおよそ1万4,000人の方に他住居への引っ越しを依頼することになるとのことです。

引っ越し費用および、それにより発生するレオパレスの空室の賃料についてはレオパレス社側が負担するとのことですが、サブリース契約を結んでいないオーナーについては定かではありません。

レオパレスを退去せざるを得ない入居者は、新たに別のレオパレスに移るのか、同社の関係しない全く別の賃貸物件に引っ越すことになりますが、引っ越し費用が3〜4倍に高騰している4月の引っ越しシーズンに、果たして引っ越しすことができるのか疑問が残ります。

レオパレスオーナーについては、サブリース契約によって当面の賃料収入は保証されますが、いつまでも保証が続くのかは明らかになっていません。

オーナーによっては改修工事が2年後、3年後になることもあるそうですので、それまでの間、保証を続けてもらえるよう契約内容をしっかりと見直さなくてはなりません。

「元レオパレス」が大量に売りに出る?

2018年、レオパレスの界壁問題が発覚した後、大量のレオパレスが売りに出ていることが(不動産業者の物件登録サイト)レインズにて確認されました。

【関連】不動産投資に異変? 最近やたらとレオパレスが売りに出ている件=姫野秀喜

そして、その時点ですでに一部の金融機関ではレオパレス物件については融資審査を行わない(融資しない)方針を打ち出していました。

金融機関が融資をしないのですから、一般の投資家では物件を買うことはできません。

一部のレオパレス物件は業者などに安く購入されたとのことです。

今後はそういった元レオパレス物件が市場に出てくることが予想されます。

元レオパレス物件を転売する業者が、きちんと界壁などを改修しているのであれば問題ありませんが、もしも改修されず見た目だけを変えて転売しているのであれば要注意です。



2018年4月より宅建業法が改正され「ホームインスペクション(住宅診断)の説明」が義務化されました。

これは中古住宅(共同住宅を含む)を売買する際に、ホームインスペクションという中古住宅の診断調査を行ったか、行うかということを説明するというものです。調査の実施を義務化したわけではないので注意してください。

今後、投資家としては物件の外観が元レオパレスと思われるものについては、慎重に調べる必要があります。そして、元レオパレスだと判明した場合は、ホームインスペクションによる界壁調査を売買の条件に加える必要があると考えます。

また、レオパレスオーナーは、できるだけ早く界壁調査を行い、レオパレス社に改修工事を行ってもらう必要があります。そして改修工事を完了した際には、第三者による界壁調査を行い、その調査報告書を大切に保管しておいてください。

その調査報告書こそが、レオパレス物件を少しでも高く売却できるためのキーとなるからです。

きちんと界壁が改修されているという第三者の調査報告書を銀行に提出することで、買主側の融資が出る可能性が高まるからです。

「不動産投資」への影響は限定的?

2018年1月のかぼちゃの馬車に始まり、TATERUの問題、そしてレオパレスの界壁問題と、不動産の不祥事に事欠かない1年でした。

融資は引き締まり、三為業者(転売屋)や不採算アパートを販売していた業者が多数撤退しています。

そんな中でのレオパレス界壁問題に関する追加報道ですが、私は不動産全体へ与える影響は限定的だと考えています。

というのも、融資が出ても出なくても、本当に儲かる良い物件はもともと一握りしか存在しないからです。

私は毎日、投資不動産情報を見続けていますが、書類スペック上、採算が取れそうな物件の数は全体の3%程度です。そして、実際に購入すべきと判定できるものは、その3%のなかの10軒に1軒、すなわち0,3%程度です。

成功できる不動産の数はそもそも極めて少ないため、レオパレス物件が購入対象から外れたとしても、さしたる影響は出ないと考えるからです。

融資についても悲観はしていません。たとえ、レオパレス物件は融資してもらえなくても、それ以外の極めて希少な儲かる良い物件を持ち込めば、融資をしてもらえるからです。

大切なのは金融機関がどういった姿勢で融資審査を行っているかを知り、その審査に適合し、かつ自身の収益性に合致する物件を持ち込むかなのです。

自身の収益性を財務三表により適切に把握し、事業計画を銀行に説明できる投資家であれば、市場全体が落ち込んでも問題ないのです。

むしろ融資が出にくくなればなるほど、しっかりした投資家にとってはチャンスが広がります。

不動産投資家はレオパレスによる不動産全体への影響をただ恐れるのではなく、きちんと理論武装して、目の前に突然現れるチャンスをつかんで欲しいと思います。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c17

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
18. 中川隆[-12141] koaQ7Jey 2019年2月15日 15:24:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

こんな田舎になぜ? 田畑に軒を連ねる「レオパレス銀座」70代オーナーの憤り
2/15(金) 8:00配信 AERA dot.
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190214-00000052-sasahi-soci&p=1

レオパレス銀座とも呼ばれる三重県津市の郊外


 国の基準を満たさない施工不良アパート問題で揺れるレオパレス。かねてより、ずさんな建築や管理体制が指摘されていた。今回の件で、退去が必要になる住民は1万4000人にも及び、事態の収束はみえていない。朝日新書『負動産時代』では、同社がアパートをオーナーから一括で借り上げる「サブリース契約」と呼ばれる手法で管理物件を増やしてきたことを取り上げている。その驚くべき実態とは。同書より内容を一部紹介する。

*  *  *
■サブリースが「負動産」を後押しする

 人口減が進む日本で、賃貸アパートは増え続けている。国土交通省の統計では貸家の新設着工戸数は2016年度から2年連続で40万戸を超えた。15年の相続税増税を受けて、「アパートを建てて借金することで税金を減らす」という対策を売り文句に不動産業者が地主に対する営業を強化してきた。

 賃貸アパートの経営者は古くから「大家さん」と呼ばれ、所有するアパートを自ら管理・運営することも多かった。近年はこうした「大家さん」という存在は減り、管理会社が入居者の募集からアパートの管理、修繕などを一括して請け負う形態が増えている。その中でも、地主のオーナーが建てたアパートを不動産業者が一括で借り上げ、入居者にまた貸しする契約のことをサブリース契約と呼び、「今はサブリースでなければ新規の建設はほとんどできない」(大手建設会社の営業社員)と言われるほど広がっている。空室の有無にかかわらず、オーナーには家賃が支払われる。入居者募集や物件の管理などは業者側が行う。一見すると手軽に思える手法で、オーナーも安心してアパート経営に乗り出せそうな手法だが、ここに「負動産」を生む落とし穴がある。

■こんな田舎になぜ? 田畑に軒を連ねる「レオパレス銀座」

 三重県の県庁所在地・津市の中心駅から車で15分ほど走ると、水田や畑が目立つ海辺近くの地区に低層アパートが立ち並んでいる。この地区で06年に賃貸アパートを建て、大手不動産会社、レオパレス21とサブリース契約を結んでいる大家の男性(71)によると、この一角には40棟ほどの賃貸アパートがある。このエリアではレオパレスが多くの建物を管理しており、男性はこの一帯を「レオパレス銀座」と呼んでいる。


男性は市街地から離れており、農地も多いためアパート経営には不向きと考えていた。しかし、足繁く通ってくる営業の社員から「家賃を30年間保証します」と言われて飛びついた。男性の両親は反対したが、「広い土地を持っているから、借金を作って相続税を減らさないと遺産相続ができない」と言って説得し、両親と共有名義でアパートを建てた。

 だが、男性が建設した時期と相前後して、この地区には次々とアパートが建てられた。男性がアパートの名称などから調べたところ、レオパレス21の物件が多くを占めるが、他の不動産業者もこの地区の地主を回り、アパートを建てている。

■レオパレスの営業社員「撤退するから大丈夫」

 男性は憤る。

「私が建ててわずか3年のうちに、周囲にどんどんアパートが増えましたよ。こんなにたくさんアパートを建てられたら、空室だって増えるし、アパートの価値だって下がってしまう。当初、レオパレスの営業社員は、適正な数が建てば自分たちは撤退するから大丈夫です、と言っていたから信用していたのに……」

 30年保証と言われていたはずの家賃も、築10年で約2割の引き下げを求められた。レオパレスとの交渉の末、従来通りの家賃は維持したが、「空室が増えればこの先どうなるか分からない」との不安を募らせる。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c18

[リバイバル3] 毎日 座ってばかりいると早死にする 中川隆
3. 中川隆[-12140] koaQ7Jey 2019年2月15日 17:59:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
“座りすぎ”が病を生む!?〜“座りすぎ大国”日本 忍び寄る健康リスク/Nクロ現
2015年11月11日(水)放送
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3731/1.html

≪“座りすぎ”に注意” 世界で始まった取り組み≫

国を挙げて座りすぎの対策に取り組むオーストラリア。メルボルンにある小学校を訪ねてみると…。

「ぼくはジェレミー」 「私はケイシー。
教室の机について紹介するわ。」

「この机は、高さが調節できるんだ。
座るときはこうして、立つときはこうするんだ」

この小学校では去年(2014年)から、長時間座り続けることを避け、立ちながら授業を受けられるようにしています。

「座っていると背中や首が痛くなるけど、立つと体が楽ちん」

小学校教師
「クラス全員で1日30分は立って過ごすようにしています。子どもたちは前より集中して授業を受けています」

“座りすぎ”防止のキャンペーン動画
“オーストラリア人は労働時間の8割を座って過ごしています。
オーストラリア人よ、立ち上がれ。”

オーストラリアでは官民一体となって、座りすぎに警鐘を鳴らすキャンペーンを展開。

職場では1日2時間以上立って過ごすよう勧めています。

“オーストラリア人よ、立ち上がれ。”

積極的な啓発活動に取り組む背景には、長く座ることの問題を指摘した、ある研究がありました。
国内の45歳以上の男女22万人を3年近くにわたって追跡した調査。
期間中に亡くなった人たちの生活スタイルを調べたところ、座る時間が大きく影響していました。
1日4時間未満の人たちと比べて11時間以上だった人たちは死亡するリスクが40%も高まっていたのです。

なぜ、長く座り続けることが健康へのリスクを高めるのか。
ネヴィル・オーウェン博士。
15年前から座りすぎと健康との関わりを研究してきた第一人者です。

“座位行動”研究の第一人者 ネヴィル・オーウェン博士
「長く座りすぎると、確かに体に悪影響があります。
そこで私は健康へのリスクについて、より科学的に検証してみようと考えたのです。」

これまでの研究から、長く座り続けると体の代謝機能や血液の流れに悪影響を及ぼし、深刻な病につながることが分かってきました。
立ったり歩いたりしているときは脚の筋肉がよく働きます。
このとき、筋肉の細胞内では血液中から糖や中性脂肪が取り込まれエネルギーとして消費される「代謝」が盛んに行われます。

ところが座ると、全身の代謝機能を支えてきた脚の筋肉が活動せず、糖や中性脂肪が取り込まれにくくなり、血液中で増えてしまいます。

さらに座った状態が長く続くことで全身を巡る血流が悪化し、血液がどろどろになります。
その結果、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞、さらに糖尿病などのリスクが高まるのです。

“座位行動”研究の第一人者 ネヴィル・オーウェン博士
「長時間座り続けると、脚にある大きな筋肉が働くのをやめてしまいます。
体にあるいくつもの重要なスイッチがオフになってしまうのです」

≪“座りすぎ大国”日本 忍び寄る健康リスク≫

明らかになってきた座りすぎのリスク。
そうした中、世界で最も座る時間が長い国、日本です。
世界20の国や地域で座っている時間を比較した調査では、最も長い7時間という結果が出ています。
早稲田大学では去年から、座りすぎが健康へどのような影響を与えるのか追跡調査を始めています。

「こちらをベルトにつけていただいて。」

調査では、370人の参加者に加速度計と呼ばれる測定器を渡し、1日のうち座っている時間を集計します。

参加者の1人、武者英之さん、52歳です。ゴム部品を製造する工場を営む武者さん。
健康のため、朝は歩いて出勤するのが日課です。 職場でも、事務所と工場の間を頻繁に行き来するようにしています。

武者英之さん
「デスクワーク主体の人よりは立ち動いてるなと、自負というか、そういう気持ちは持っています」

ところが、計測の結果は…。

武者英之さん
「ちょっとショックを受けてるんですけれど」

武者さんが座っている時間は、1日なんと9.8時間にも及んでいました。 一方、歩くなど動いている時間は、僅か1時間余りにすぎません。

武者英之さん
「意外と座っているんだなと。これは非常に驚きですね。」

北海道大学大学院 鵜川重和助教
「(長く座る人は)肺がんの発症の可能性が高い。
肝臓がんや慢性閉塞性肺疾患の可能性が高くなることが明らかになってきた。
今後は感染症や、これまで明らかになっていない、がんとの関連も明らかにしたい」

あれだけ体を動かしていたのに、なぜこんな結果になってしまったのでしょうか。実は武者さん、出勤するとデスクワークに追われ、午前中はほとんど座りっ放し。

午後、外回りに出かけても、得意先まで往復2時間の運転中もずっと座りっ放し。家に帰っても食事をしたり、テレビを見たり、寝るまでの4時間ほとんど座り続けていました。

運動することは心がけていても、いったん座ると、なかなか立ち上がることのなかった武者さん。体にも影響が見られました。

代謝が進まず、おなか周りは98センチ。内臓脂肪は標準の1.5倍に達していました。

武者英之さん
「結局こういうところに数字が表れてくるので、さあどうしようかと」

さらに最近、長く座り続ける生活が、より深刻な病につながる可能性も明らかになってきました。
北海道大学の鵜川重和さんは、全国およそ12万人の生活スタイルと病気の関係を20年にわたって調査したデータを解析。

すると男性の場合、座ってテレビを見ている時間の長さが肺がんの発症率に関わることを突き止めました。
座っている時間が、2時間未満の男性と比べ、4時間以上だと肺がんの発症率が3割以上上がっていたのです。

≪“座りすぎ”が病を生む!? 驚きの最新報告≫

ゲスト岡浩一朗さん(早稲田大学スポーツ科学学術院教授)

── ●座りすぎがもたらす健康リスク、どこまで科学的な根拠として裏付けられた研究なのか?

座りすぎの健康リスクの研究というのは、ここ15年ぐらいで非常に進展しました。
その中でも座りすぎてることっていうのが、先ほどのVTRにもありましたように、死亡のリスクにつながっているといったようなことがあります。
それらは、大事なことっていうのは、体を動かしている、あるいはたばこを吸っている、そういったような死亡に関わるようなところの影響を統計学的に調整したとしても認められるということなんですね。
そういった点が非常に重要なところだと思います。
そのメカニズムに関しまして、体を動かすということが、これまで例えば大腸がんであるとか、閉経後の乳がんであるとか、そういったことの予防につながるということは分かってはいるんですけれども、“座りすぎ”が、がんの予防と、どうしてがんが発症するのかということに関係するかどうかというのは、まだまだメカニズムは分からないところがあります。

今ありましたように、座りすぎてることが例えば糖尿病につながっていくと、非常に代謝機能が落ちていくというのは分かってるんですね。
そのメカニズムっていうのは、まだまだ分からない部分もあるんですけれども、例えば、筋肉から糖のとり込みに関わるようなグルコースの輸送体というようなものであったりとか、そういう機能が低下したり、それから脂肪の分解酵素といわれているような、リポタンパクリパーゼというようなものの機能が非常に低下すると。
それが結果として、糖尿病だとか、その先にあるような心身疾患だとか、脳卒中だとか、そういったもののリスクを引き出すというふうに考えられていると思います。

── ●リポートの武者さんは一生懸命動いているつもりだったが、結果は“座りすぎ”だった この結果は多くの人々に通じる?

そうですね、武者さんの場合、大体10時間ぐらい1日座っていられるということと、それが生活、起きている時間の6割ぐらいを占めるということだったと思うんですね。
それも見ていただければ分かるとおり、仕事はパソコン、移動は車、それから家に帰るとずっと座ってテレビを見たりすると。
一般的な生活習慣だとは思うんですけれども、すべてどちらかというと環境が非常に、例えば、仕事はもう常にパソコンに向かっていますので座り続けてしまいます。
家に帰ってもリモコンを使ってテレビを見たりとか、そういったようなことで非常に環境が大きく影響しているんじゃないかなという思いはあります。

── ●座っていること自体が問題?

そうですね。
座ること自体はあまり問題ではないというかですね、やはり長時間、続けて座ってしまうことが、座り続けていることが大きな問題なんだと思います。
もちろん立ち仕事の方なんかはずっと立ち続けている、そういった方々が腰痛になったりとか、そういうふうなリスクもありますし、要するに同じ姿勢をずっと続けているといったようなところが大きな問題になってくるんだと思います。
(どれぐらい、座ったあと立たないといけない?)
そうですね、まだはっきりとした時間というところも、まだまだ分かっていないところが多いんですが、大体30分、あるいは1時間に1度くらいは少なくとも立ってですね、少し動いたりするといったところが、重要になってくるかと思います。

── ●オーストラリアでは子どものときから認識を持たせようという取り組みが、もうすでに始まっているが?

特にオーストラリアなんかは、肥満の問題が非常に多くあります。
それによっては、子どものころの肥満が、やっぱり大人になっても、そのまま持ち越されてしまうといったようなことも分かっていますので、子どものころからしっかり対策をしていくというのが重要なんだと思います。

≪脱“座りすぎ”生活! 職場を大改革!≫

オフィス環境の大改革に乗り出した、大手IT企業です。皆さん、パソコンに向かい座ってお仕事かと思いきや。
あれ?立ってる。

「上げるときは…。」

この企業では今年(2015年)8月、社員1万3,000人分の机を一新しました。
最高125センチまで上げられ、立ったままデスクワークができます。

「(立って)使っている人が多いので、最近はよく上げて使っています」

「あまり運動もしないので、仕事の時間中ぐらいは立って、1日の終わりに体が痛いこともなくなって、その辺は改善したと思います。」

机は1台18万円ほど。
多額の費用をかけても、社員の健康を守ることは企業にとっての責任だと考え、導入に踏み切りました。

楽天 ファシリティマネジメント課 高橋朋之課長
「健康というのがこのオフィス作りのコンセプトにあって、快適な姿勢で最大限の仕事をしてもらうことをなるべく実現したいと思っています」

この机を開発した事務機器メーカーです。事務用のいすを主力製品としてきたこのメーカー。これまで60年以上、ひたすら座り心地のよさを追求してきました。

「この時代(高度経済成長期)は体を支えるために最もシンプルな構造で、背もたれがちょっと動くだけの機能だった」

より快適ないすが求められるようになったのは1990年代。職場にパソコンが普及し始めたのがきっかけでした。

「3種類の硬さの違うウレタンをブレンドしまして。」

長時間座り続けても疲れないいすを開発するため、素材や形状などの研究が加速しました。
ところが座りすぎの健康リスクが相次いで報告される中、このメーカーでは大きな方針転換を迫られたのです。

岡村製作所 販促企画室 武田浩二室長
「やってきたことが根底から覆るんじゃないか。否定されたことがあった。新しいテーマとして取り組まないとダメなんだ」

どうすれば座りすぎの弊害を避けることができるのか。 新たな製品開発の突破口が、業界で長く定着してきた机の高さを見直すことでした。

岡村製作所 販促企画室 武田浩二室長
「市販されているものは72センチの高さが常識となっていますので、我々の机の高さの固定概念」

立ったままでの仕事を可能にしたこの机。「仕事は座ってするもの」という従来の発想を転換する、大きなチャレンジでした。
発売から10か月、座り続けることをやめたことで思わぬ効果が出ている職場もあります。

この日、事務機器メーカーの担当者は110台の机を導入した企業を訪ね、聞き取り調査を行いました。すると、体調面の改善に加え社員の働き方にも影響を与えていることが分かりました。

「ちょっとコピーしてすぐ確認して、そういうときは立っている方が早いですね」

岡村製作所 販促企画室 武田浩二室長
「スピード感がアップしたイメージ?」

「いちいち(立ったり座ったり)、ガシャンガシャンがないので」

さらに、こんな声も。

「コミュニケーションが増えた。(立ち話の)場面が非常に増えてきているのは見ても分かりますよね」

あちらこちらで社員どうしが立ち話をする光景が見られるようになり、職場の風通しがよくなったといいます。

「(立つのと座るのは)半分半分くらい」

岡村製作所 販促企画室 武田浩二室長 「あーそんなに、50パーセントくらい」

「立っている方が好きです」

長く座って働くことが当たり前だった日本の職場。
座りすぎのリスクを減らす取り組みは、オフィスの風景を変えていくことになるのでしょうか。

≪変えられますか? “座りすぎ”生活≫
── ●仕事は座ってするものだという常識を変えるころに来ている?

そうですね、じゃあ立ちましょうか。
(やはり健康に悪い?)
そうですね。これまでだとやっぱり、働けば働くほど不健康になるようなオフィスという感じだったと思うんですね。
これからはやっぱり、目指すべき、健康経営といったようなことばも浸透してきてますし、働けば働くほど健康になるようなオフィスを、やっぱり作っていかなきゃいけないんじゃないかなと思うんですよね。
(それが生産性の向上にもつながる可能性が?)
そうですね。 社員の職務の満足感だとか、その仕事の能率がよくなるだとか、そういったことにもやっぱりつながっていくんじゃないかなというふうに思っています。

── ●求められるのは、歩いたり走ったりという行動?

そうですね。こちらを見ていただきたいんですけれども、今おっしゃっていただいたのはここの部分(歩く・走るなど)だと思うんですね。
これを増やすことっていうのは、非常に重要なことだと思うんですね。
一方で、今やっぱりやらなきゃいけないなと思っていることは、この“座っている”という部分を、ここにありますような、さまざまな生活の中の活動っていうんでしょうか、自宅でできるような活動もそうですし。
(具体的には、“家事や洗濯”“水やり”“ストレッチ”“部屋の片づけ”?)
そうですね。そういった自宅でのことであったりとか、職場でいえばコピーを遠くに取りに行ったりとか、少し立って歩くとかですね、そういったようなことを積極的にやるというのが大事になってくるんじゃないかなと思います。
特に、やっぱりここの活動(家事・立ち仕事)を増やしていこうというのが非常に重要なテーマになっていると思います。

── ●立ったオフィス環境、海外ではどれほど進んでいる?

例えば、アメリカ・シリコンバレーなどのITベンチャーなんかですと、非常に多くの人たちが立ってパソコンで仕事をしているというようなことを聞きますし、例えば北欧なんかで見ますと、新しくオフィスに導入する机がほとんど、9割方がスタンディングデスク等の可動式のものを導入しているといったようなことも情報としてあります。
(それは健康への投資という考え方で?)
そうですね。
これまでのコストという考え方から、社員への投資ということが重要なポイントなんじゃないかなと思います。

── ●高齢化社会の中で、立つ・動くことが難しい方々も増えているが、どういった動きが大事?

やっぱり脚をしっかり使うということが大事になってくるかと思います。
例えば、今、立ってますけど、少しかかとをゆっくり上げたりですね、こういうようなことを生活のいろんな場面でやったりとか、さらには、いちばん体の中の大きな筋肉ですから、このももの前の筋肉をこう、ゆっくり。

(どこかを持ちながら・つかまりながらでよい?)
そうですね、持った形でさまざま、例えば台所に行ったときとか、やれることたくさんあると思いますので、そういう運動を少し取り入れていくといいんじゃないかなと思います。

(座ったままでは?)
座ったままでも、例えばこういうような運動をするとかですね。
つま先を上に上げるといったようなところが重要なんだと思います。
 

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/755.html#c3

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
237. 中川隆[-12139] koaQ7Jey 2019年2月16日 08:26:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

小4女児虐待死事件を取材した探偵が明かす、信じられない現実 必ずやるべきガイドラインに沿った対応すらしていなかった
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/579.html
https://www.mag2.com/p/news/386038
2019.02.13 by 阿部泰尚『伝説の探偵』


千葉県野田市で1月24日、小学校4年生の栗原心愛さんが虐待死した事件。逮捕された父親の異常な言動や児童相談所の考えられない対処など、次々と信じ難い「真相」が明らかになりつつありますが、そもそも心愛さんの命を救うことはできなかったのでしょうか。今回のメルマガ『伝説の探偵』では、さまざまな児童虐待案件を見届けてきた現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんが、これ以上虐待による被害者を出さないため、役所や政治家が今すぐすべきことについて記しています。


■千葉県野田市虐待死事件について


私がT.I.U.総合探偵社を立ち上げて間も無く、調査依頼を受けて数日あるアパートを張り込んだとき、事前情報で聞いていた小学生と未就学の幼児の姿がなかった。風邪でも引いて家にいるのだろうと勝手に思い込んでいたが、調査の最終日に真っ暗になった部屋のベランダで人影が動くのをみた。


深夜、街灯もまばら、耳の感覚がなくなるほどの寒い日、その姉妹は裸足でベランダに置かれた物置の中に閉じ込められていたのだ。


翌日、その地域の児童相談所に直接通報したが、私が言われた言葉は、「無関係の人からの通報ですぐに動くわけにはいかない」。ならばどうしたら動くのか?と問えば「死ぬほどの怪我をするなりして、病院から通報でもあれば…」であった。


私の率直な感想は、この国では虐待児は守ってもらえないのだということだ。


だから私は、もしも児童虐待を発見した時は、無償で調査をすることを決めたのだ。権限のない私が動くのは大きなリスクが伴う。時には通報されるし、虐待親に雇われた弁護士に訴えると脅されることもある。それでも私がこの活動をやめないのは、一人でもまともな大人が真剣に信念を持って動けば、現状を変えられることもあるからなのだ。


前述の事件は、その母親が彼氏を家に連れ込む際に、その彼氏が子供を邪魔者扱い(暴力・暴言)を吐くことや情事を見せようとするなどの行為から、ベランダにわざわざ物置を置いて行っていた虐待行為であった。そして、その母親自体も悩んでいた。近隣住民を説得し通報してもらったり、地元警察に見てもらい、結果的にこの虐待は止んだが、その母親の就業や子供達のケア、ストーカー化した暴力彼氏を追っ払う(玄関前で騒ぐ、待ち伏せして叩こうとするなど)など、多くの人を巻き込んで再生に取り組んだ。


「一体、こんなことをしてあなたに何のメリットがあるのか?」


今でもそうだが、私はこの言葉を投げかけられる。思いつくままに、答えるとすれば、「見過ごすことは、私の正義に反する」だ。


あの時に比べれば、今は法整備なども進み、虐待防止への理解も社会的に進んでいるから、随分児童相談所も動きやすくなっているはずだ。


ところが、目黒の船戸結愛ちゃんの事件や千葉県野田市での虐待死、栗原心愛ちゃんの事件が発生している。その間にも多くの児童虐待死が起きており、何も変わっていないではないかと思えて仕方がない。


■栗原心愛ちゃん虐待死事件の概要
ニュースで明らかになっているが、千葉県野田市山崎の小学4年生、栗原心愛(みあ)ちゃんが自宅で死亡し、父・勇一郎容疑者が逮捕され、続いて母・なぎさ容疑者が逮捕されたという事件。

両親は沖縄で結婚、離婚、再婚という関係で、離婚原因は勇一郎容疑者のなぎさ容疑者へのドメスティックバイオレンスであった。


再婚後、一家は千葉県に移り住む。勇一郎容疑者は、沖縄観光についての仕事をしており、真面目な仕事ぶりで転居後も同じ会社の東京事務所に勤務していた。


事件が表に浮上したのは2017年11月生活アンケートの自由欄の記載に心愛ちゃんが「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きている時にけられたり叩かれたりされています。先生、どうにかできませんか」と書いたことであった。聞き取りと確認技、小学校は児童相談所に通報、児童相談所は一時保護を決定した。


一家は3ヶ月に一度程度の引越しを繰り返していた様子で、虐待の疑いが生じると、転居していた可能性が強い。こうした虐待常習者は、虐待に依存していることが多く、異常な執着が見受けられるケースが多い。一方、母・なぎさ容疑者は、元々DVの被害者であるがその後の再婚、子への虐待の放置などから見ても、勇一郎容疑者に精神的支配をされていた可能性が高い。


勇一郎容疑者は野田市教育委員会で前述のアンケートを閲覧複写させろと威圧的に要求し、恐怖を感じた市教委は開示に応じてしまった。一方、なぎさ容疑者は勇一郎容疑者のメッセンジャーとなり、心愛ちゃんに「暴力を受けているというのは嘘、家族と暮らしたい、児童相談所の人と会うのも嫌だ」という内容の手紙を書かされており、これを児童相談所も薄々勇一郎容疑者が書かせたのだろうと勘ぐりつつも、一時保護の解除に応じてしまった。


その後転校した小学校では特に問題なく、心愛ちゃんは学級委員長などをしていてしっかりしていたようだ。ところが服で隠れる部分は痣だらけであった。


心愛ちゃんは、今年1月の始業式以降はお休みで、1月24日自宅で遺体で発見された。


■事件現場


事件が起きた千葉県野田市山崎のアパートは、アパートというより小型のマンションという造りで、多くは2LDKの間取り、家賃は6万円代後半である。

近くには国道16号線や歩いてすぐ東武野田線梅郷駅があり、小学生などもよく遊ぶ小さな公園や畑もある。新旧の家屋が並ぶような街並みで、印象としては自動車が比較的多いと感じる地域だ。事件は3階の一室で起きたのだが、近隣住民はメディアが殺到してから事件を知ったという人の方が多いという印象であった。


事件現場から車で5分程度の場所に野田市市役所や警察署がある。多くの記者などは、市役所にいるということであった。


■関係者の話


事件を受けた2月8日厚労・文科省が野田市で聞き取りをしたというニュースが流れた。報道では、派遣された副大臣や、それに応じた野田市市長、千葉県内の児童相談所を所管する千葉県健康福祉部部長が報道陣の質問に答えた様子が報じられているが、どなたも「児童相談所、学校、教育委員会の連携の強化」や「弁護士や警察OBの配置」について話している。


つまりは、弁護士をつけるだけの予算がないので国が支援するなど、仕組みの話が多いのだが、ハッキリ言って的外れなのだ。


そもそも児童福祉法の改正に伴い何度も関係機関の連携や児童相談所と警察の情報共有は強化されてきた。はじめの小学校のようにアンケートでSOSを拾い、確認をして児童相談所が一時保護したという連携は全国的に広がりつつあるのだ。


この事件の大きな問題はヒューマンエラーであり、事なかれ主義になった児童相談所、教育委員会自体の問題なのである。


関係者は私に、その場には教育長もいたんですと話した。各局の報道を比較すると、確かにこの聞き取りには教育長がいたことを報じている局もあった。


続けて、関係者は、「教育長は次から次へと出てくる隠蔽とも取られかねない不祥事的な情報について、膿は全て出せ、隠しても無駄、全て包み隠さず報告しなさい」と怒られていたと話していた。


例えば、児童相談所は自身らが持つチェックシートで、心愛ちゃんの状況が一時保護を解除できない要件があるという結果があったのに放置したし、教育委員会については加害者である父親からの開示に応じて、心愛ちゃんが書いたアンケートを提示してしまったのだし、始業式以降学校に来ない状況で電話や家庭訪問などについてしていたのかという情報もいまだに出ていない。


つまり、公共の行政機関であれば、必ずやるべきガイドラインに沿った対応すらしていなかったのである。

今後も報道が進めば、今まで隠していたことが明るみに出るはずだと関係者は言っていた。


■教員の話


仮に栗原心愛ちゃんと同じような状況であった子を教員が発見した場合、どのような対応が可能か聞いてみた。すでにガイドラインがあり、見てわかるレベルであれば、校長に確認してすぐに児童相談所に通報するそうだ。

ガイドラインでは、本人以外にも親などにも確認してから職員会議や学校経営層での承認を経て児童相談所などに通報するということになっているが、「そんなのしていたら、子供が死んじゃうでしょ」ということから、すぐに通報という手段を取る事もあるとのことであった。


多くの学校教員はいじめでこそ後手後手の対応が目につくが、児童虐待問題については戦う姿勢の教員が多く、実務上の機能的なシステムはできているのだ。


運用する学校は、この事件でも一時保護までさせている実績があるが、もう一方は気がつかず、本来最も動くべき教育委員会が敵前逃亡の上、機密情報まで漏らすという大失態をしたのである。要は無能なのだ。できない人にどんなに良い道具を持たせても、できないものはできないのだ。


■児童相談所の限界


虐待死が起きるたびに、児童相談所は徹底的な批判の嵐に晒されてきた。その度に言われるのが人員不足だ。確かに、職員の労働環境は極めてきつい。一人が抱える案件数が度を越しているのだ。


しかし、付け焼き刃の人員強化をしても無駄であり、人が育ち機能し始めるまでには、数年待つ必要もある。


ただし、今回の事件で出た柏児童相談所の所長は経歴を見る限り、児童相談所の職員としてはベテランと言える。一時保護までの判断も早かった。しかし、保護解除までの経緯は、勇一郎容疑者を恐れての意味合いがチラつき、要領を得ない。


ベテランであっても、怖いものは怖いのだろう。本来それではいけないのだが、児童生徒にまつわる問題ではモンペやクレーマー、異様なキレ方をする大人は必ずいるものだ。現場は危険なのだ。24時間いつでも起きる虐待事件に児相単独では対応できないし、学校と教育委員会といくら連携するにしても、心愛ちゃん虐待死事件で起きたように、虐待親からの恫喝に屈し、「ひみつはまもるよ」と書いてあった守られるはずのアンケートを渡してしまっている。

つまり、この連携も児童相談所も限界なのだ。


■児童相談所解体論と警察


虐待死が止まらない、児童相談所が虐待を把握していながらみすみす見過ごす現状から、機能しない役所は税金の無駄だという声は多い。

だからこそ、厚労・文科省の副大臣は、警察OBや弁護士の配置について言及したのだろうが、虐待親の脅しに対抗したりすることはできても、それを機能させるには予算が必要だし、もしも、アンケートを渡してしまってから、一時保護を解除してしまってからでは、手遅れになり兼ねない。


一方で、児童相談所には有能な人材は確かにいる。そして、今支えられている家族もいる。


児童相談所は機能している面では極めて有効な組織であることは間違い無い。例えば、自ら虐待をしてしまうことに悩む親や様々な問題を抱える児童生徒へのカウンセリングや対応には、現場にいて有効性があることは確かだ。


目黒の船戸結愛ちゃんの事件や千葉県野田市の栗原心愛ちゃん事件でわかることは、虐待常習者は引越しをして児童相談所をめくらまししようとする事だ。連携や全国的な情報共有を進めるというが、それができていないということは事件が起きている以上明らかだ。であれば、情報共有ではなく、情報を一括管理した方が良いだろう。


そして、警察との情報共有もよく問題となるが、いっその事、警察署に場所を借りて直接情報のやり取りをしたらどうかと思う。そうなれば、暴力的なモンペや恫喝をしようとする輩は寄りつかないだろう。


あくまでも、1つの提案でしかないが、現場にいて思うことは、確かに今のままでは救える命が救えないということだ。政治家の面々がいかにも深刻そうに「遺憾」砲を撃ったりするのは構わないが、彼らにできることは、子どもに関する問題にきちんと予算をつけることだろう。野田市に限らず、全国的に。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c237

[お知らせ・管理21] 2019年02月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
32. 中川隆[-12138] koaQ7Jey 2019年2月16日 08:31:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
「赤かぶ」も 日高見連邦共和国も中国の工作員だろ

日本で活動している中国のネット工作員は 5万人もいるんだ

早く追い出した方がいいよ


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/546.html#c32

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
71. 中川隆[-12137] koaQ7Jey 2019年2月16日 09:05:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

細かいノウハウ - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年02月16日


☆ 電源ケーブル「ドミナス」の活用

電源ケーブルの威力をまざまざと思い知らせてくれたのがPADの「ドミナス」だった。音質の密度の濃さとか何か根源的なものを変えてくれるのだからたまらない。

   

ただし、電源ケーブルがなぜ音の支配力を持つのか、科学的に説明できないのであくまでも聴感上の話として受け止めていただきたい。

ずっと昔の10年以上も前に購入したこのドミナスは全部で4本持っているが、そのうち3本はプリアンプ1台、パワーアンプ2台に使っている。

そして残り1本をどこに使うのが一番効果的なのかとずっと思案中だった。なるべくデジタル機器に使いたいところだが海外メーカーの取説には「弊社の電源ケーブル以外は使うな、故障しても知らないよ。」みたいなことが書いてあってちょっとためらう。

国産のデジタル機器ならどうだろうかと、取説をよく読んでみるとCDトラポ「TL3 3.0」(CEC)とDAコンバーター「HD7A-192」(フェーズメーション)にはいっさいそんなことが書いていない。

そこで、まずCDトラポに差し込んでみると聴感上まったく変化なし、ということは効果なし。そこで今度はDAコンバーターに使ったところ音が激変した。

もちろん、いい方にである。音に元気が出る、艶が出る、厚みが出るといった表現になるのだろうか。真空管やアンプを換えた時以上の差が出てくる。

どうやら、電源ケーブルの最大効果の発揮先は「DAコンバーターにあり」と断言してよさそうだ。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/8bc3a2c09b634479fa618ac844ea9b48
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c71

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
12. 中川隆[-12136] koaQ7Jey 2019年2月16日 09:05:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

細かいノウハウ - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年02月16日


☆ 電源ケーブル「ドミナス」の活用

電源ケーブルの威力をまざまざと思い知らせてくれたのがPADの「ドミナス」だった。音質の密度の濃さとか何か根源的なものを変えてくれるのだからたまらない。

   

ただし、電源ケーブルがなぜ音の支配力を持つのか、科学的に説明できないのであくまでも聴感上の話として受け止めていただきたい。

ずっと昔の10年以上も前に購入したこのドミナスは全部で4本持っているが、そのうち3本はプリアンプ1台、パワーアンプ2台に使っている。

そして残り1本をどこに使うのが一番効果的なのかとずっと思案中だった。なるべくデジタル機器に使いたいところだが海外メーカーの取説には「弊社の電源ケーブル以外は使うな、故障しても知らないよ。」みたいなことが書いてあってちょっとためらう。

国産のデジタル機器ならどうだろうかと、取説をよく読んでみるとCDトラポ「TL3 3.0」(CEC)とDAコンバーター「HD7A-192」(フェーズメーション)にはいっさいそんなことが書いていない。

そこで、まずCDトラポに差し込んでみると聴感上まったく変化なし、ということは効果なし。そこで今度はDAコンバーターに使ったところ音が激変した。

もちろん、いい方にである。音に元気が出る、艶が出る、厚みが出るといった表現になるのだろうか。真空管やアンプを換えた時以上の差が出てくる。

どうやら、電源ケーブルの最大効果の発揮先は「DAコンバーターにあり」と断言してよさそうだ。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/8bc3a2c09b634479fa618ac844ea9b48
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c12

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 栞の恋 (2010年10月4日)

世にも奇妙な物語 栞の恋 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_MYL1gH634o
https://www.youtube.com/watch?v=DaCvogsvUGA
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E6%A0%9E%E3%81%AE%E6%81%8B&sp=mAEB


第447話 栞の恋

原作 朱川湊人(「かたみ歌」 所収 新潮社)
脚本 坂元裕二
演出 岩田和行
放送日: 2010年10月4日 20周年スペシャル・秋〜人気作家競演編〜


キャスト

加川邦子 - 堀北真希
高田啓二 - 竹財輝之助
恵美 - 澤田育子
女 - 井上美琴
帯刀耀一郎 - 比田勝憲人、地曳豪
DJ - 大塚和彦
古本屋店主 - 岸部一徳


物語で加川邦子が憧れているサリーは、古本屋店主を演じている岸部一徳でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E_20%E5%91%A8%E5%B9%B4%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E7%A7%8B_%E3%80%9C%E4%BA%BA%E6%B0%97%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E7%AB%B6%E6%BC%94%E7%B7%A8%E3%80%9C



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/245.html

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 雪山 (2000年11月3日)


世にも奇妙な物語 雪山 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9jFnGeIJDLQ
https://www.youtube.com/watch?v=Uzbumv7rrqU
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++%E9%9B%AA%E5%B1%B1

監督 落合正幸
脚本 鈴木勝秀 落合正幸
配給 東宝
公開 2000年11月3日

キャスト

木原美佐 - 矢田亜希子
結城拓郎 - 鈴木一真
真辺春臣 - 宝田明
山内義明 - 大杉漣
近藤麻里 - 中村麻美
救助隊員 - 石橋祐、小西崇之、藤田正則
真辺の妻 - 浅川綾
乗客 - 河合杏奈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%B7%A8

第205話 雪山


ある日起こった飛行機事故。その飛行機は雪山に墜落し、生き残ったのは美佐(矢田亜希子)とその友人・麻里(中村麻美)、カメラマンの結城(鈴木一真)、医師の真辺(宝田明)、そして中年の男・山内(大杉漣)だった。
麻里が事故のせいで足を怪我し、どうにかして山小屋まで運ぼうとするが力つき、仕方なく彼女を埋めていってしまう。

そしてついに山小屋を見つけ、喜ぶ四人だったが,美佐が友達を助けなければと結城とともに行く。しかし結城は誤ってスコップで麻里の首を突き殺してしまう。怖くなって二人は山小屋に駆け戻った。

その山小屋で救助隊を待つ四人は、それぞれ持っていた食料を皆で分け始める。山小屋の中にもいくつか食料があった。何と毛布まで揃っていた。

やがて四人は寒さで眠くなってくるが、全員が一度に眠り込んでしまったら凍え死んでしまう。一人見張り番を置き、残り三人は眠るというルールで全員仮眠を取る。そして見張り番だった人は次の人を起こしに行き、番を交代してその場所で眠るというルールだ。
山内→結城、結城→真辺、真辺→美佐・・と一人ずつ順番に起こす役が交代して行くが、それからしばらく経った後、不意に目覚まし時計が鳴り山内が目を覚ました。何故か全員が自分の寝場所でそれぞれ眠っている。「俺を起こしたのは一体誰なんだ?」
順番が来るたびに最初に見張り番をしていた者を起こした人間が誰だか分からない。それが何回か繰り返された後、美佐がある事に気づく。

山内→結城、結城→真辺、真辺→美佐、ここまではいい。だがこの後、美佐が山内を起こしに行こうとしても山内は結城を起こすため次の場所に居て、元の場所に居ないのだ。それなのに美佐は山内の場所で誰かを起こし、誰かと交代した事になる・・。
思わず悲鳴を上げる美佐。「私達以外の誰かが居る!」

美佐は、まさか麻里が復讐のために蘇り、自分達を殺しに来たんだと思いこむ。そして謎の人影が彼女の目の前をよぎった・・。

やがて暗闇の中で真辺が何者かに殺され、そして山内まで死んでしまう。
残ったのは美佐と結城だけとなる。

「俺達の事をビデオに残すんだ!これが俺達が生きた証だ!」
そう言いながらビデオを自分達の前に設置し、二人は眠りに落ちていく。

ふと目が覚めた美佐。隣りで眠っていたはずの結城を見ると、彼の背中には斧が突き刺さっていた。半狂乱になりながらも、誰が結城を殺したのか確かめるため震えながらビデオを見る美佐。

そこに写っていたのは、白い服の女。麻里の服だった。

(やっぱり麻里が・・)

カメラの中の女は結城にオノを振り下ろす。
そしてカメラは女の顔を映し出した。
それは麻里では無く・・美佐だった。

(どういう事?まさか・・私が殺したの?)

美佐は叫んだ。

救助隊の声で我に帰る美佐。自分がいたはずの山小屋はどこかへ消えていて、死体だけが自分の周りにゴロゴロと転がっている。放心状態の美佐に「君の名前は?」と尋ねる救助隊。

「私の…私の名前は…?」

麻里の服を着ている美佐。それとも・・
(私が麻里?)
雪の中に埋もれて絶命している友人が着ていたのは、美佐のスキーウェアだった。


キャスト: 矢田亜希子
放送日: 2000年 映画の特別編
http://yonikimo.com/205.html

この劇中で語られる「戻ってくる死体」の話は、ドラマ版エピソード「歩く死体」として放映されたもの:


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/246.html

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 雪山 (2000年11月3日) 中川隆
1. 中川隆[-12135] koaQ7Jey 2019年2月16日 09:58:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語 歩く死体 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3Q1iYvTAItU
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++%E6%AD%A9%E3%81%8F%E6%AD%BB%E4%BD%93

第67話 歩く死体

主人公は風景専門のビデオマン。
撮影のために別れようとしていた愛人とともに雪山に登るが事故が起こり、遭難する。

愛人は重傷を負い、主人公も足を痛める。
怪我と悪化した天候のため下山できないまま
なんとかビバークしたテントの中で妻は亡くなる。

直後、天候は回復するが、
怪我の具合から下山は不可能と判断した主人公は
雪の中に愛人の亡骸を埋め、ビバークを続けることにする。

翌朝、埋めた筈の愛人の亡骸が傍らに横たわっているのに驚く主人公。
再び埋葬するが、次の日もその次の日も
やはり傍らに横たわる愛人の亡骸。

「まさか死体が歩いているのか?」
恐怖に駆られる主人公は、自分が眠っている間に何が起こっているか
確認するため、入り口にビデオカメラを設置する。

翌朝。やはり傍らに横たわる愛人。
主人公が恐る恐るビデオを確認しようとしたその時、
救助隊がテントに入って救助され、そのまま入院する主人公。
愛人の亡骸も霊安室に安置される。

その夜、救助隊詰所。
主人公が撮影していたビデオを確認する一同。
そこに映っていたのは、夢遊状態でテントから出て行き、
雪まみれの愛人の亡骸を連れ帰る主人公の姿だった。

病院。
非常灯だけが灯る廊下。「←病室 →霊安室」の表示の下、
主人公が病室に向かっている。愛人の亡骸を引きずりながら……。

キャスト: 渡辺裕之
放送日: 1991.3.14
原作・脚本: 小野沢美暁
http://yonikimo.com/67.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/246.html#c1

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ 墓友 (2014年4月5日)

世界奇妙物語 - 墓友 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AY7dgOdyj2s
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E++%E5%A2%93%E5%8F%8B

脚本 - 吉井三奈子
演出 - 松木創
放送日: 2014年 春の特別編

キャスト

軽部 千代美 - 渡辺えり
伊能 夕子 - 真野響子
江上 - 円城寺あや
篠田 - よしのよしこ
工事作業員 - 菅谷哲也
夕子の隣人主婦 - 兎本有紀
自転車の青年 - 上野山浩
医師 - 石原善暢
近所の主婦A - 森澤早苗
近所の主婦B - 和泉今日子
老婦人A - 仲野元子
老婦人B - 小貫加恵
千代美の娘(声) - 上原梓


軽部千代美(渡辺えり)は桜の木々が立つ共同墓を生前に購入する。その共同墓の隣を購入した伊能夕子(真野響子)をバス停まで傘に入れたことから「墓友」になる千代美。

ある日、千代美がビル清掃の仕事をしているところに夕子が現れる。「傘に入れてくれたお礼です」と、コロッケを持参して渡す。さらに、2人は食事をともにするとすっかり意気投合。千代美は、趣味の観劇のことなども夕子に話すのだった。伊能はバツイチで、娘がいるが嫁いでおり、白金に独りで住んでいた。

休日、自宅でくつろいでいる千代美のもとに夕子がやってくる。その夕子の姿に驚く千代美。夕子が着ていたコートは初対面の時に千代美が着ていたものと、おそろいのものだったのだ。「お揃いのものを買ったんです。だって、私たち、墓友でしょ?」と告げる。また、夕子は自分とおそろいの赤いマフラーを千代美に手渡し、観劇に誘う。

また、日曜日に歌舞伎に誘うが、その日は千代美は社員とともにバス旅行に行くことになっており、誘いを断る。当日、バスに乗ると夕子が乗っていた。夕子は、千代美たちとともにイチゴ狩りに向かった。

別の日、千代美にぶつかりそうになった自転車に乗った男が、千代美に罵詈雑言を吐いて立ち去った。その姿を見ていた夕子。翌日、自転車は完全に破壊されていた。また、夕子は千代美に無断で風呂の改装を行った。

夕子のことを気持ち悪くなった千代美は、同僚がほしがったため、マフラーを渡す。さらに、夕子の「白金にある5LDKのマンション」に向かうと、そこは古びたアパートだった。夕子の部屋のドアをノックすると、隣人は「結婚もしてないし、娘なんかおらず、天涯孤独」と教えられる。


また、マフラーをあげた同僚が、マンションから転落死した、と知らされる。夕子からの電話に出た千代美は、夕子から「あの女には、赤いマフラーは似合わないわ」と告げられる。恐ろしくなった千代美は、共同墓を解約することにした。

慌てて墓地に向かう千代美の前に、夕子が現れる。夕子は千代美の解約を阻止しようと、追い回す。崖っぷちに追い詰められた千代美に、夕子は「私は友達が出来たことがないの。一緒に死んで、同じお墓に入ろう」と誘う。千代美の「あなたは、友達なんかじゃない」と言う言葉に、夕子は「あなたが墓友だって言ったんじゃない…ウソだったのね。じゃあ、私一人で死ぬわ」と言い、自らの腹部を刺す。駆け寄る千代美に、夕子は「私のことを心配してくれるの?…やっぱり友達ね」と言い、ともに崖から飛び降りる。

病院に搬送され、夕子は死亡し、千代美は命拾いをした。千代美は夕子の墓参りをする。墓に花を手向けたその瞬間、墓下から手を引きずり込まれる……というのは、千代美の夢だった。引きずり込まれた後、千代美の心拍は停止して死亡した。結局、千代美は夕子の墓友になってしまうのだった。
http://1wordworld.blog26.fc2.com/blog-entry-611.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/247.html

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
150. 中川隆[-12134] koaQ7Jey 2019年2月16日 13:44:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

日産、経産省に介入要請=ルノーとの統合阻止で−米紙
2/16(土) 10:52配信 時事通信

 【ニューヨーク時事】米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は15日、日産自動車が仏自動車大手ルノーとの経営統合の阻止に向け、日本政府に支援を求めていたと報じた。

 カルロス・ゴーン被告が昨年11月に逮捕される数カ月前に、日産幹部らがルノーの筆頭株主である仏政府の圧力を警戒し、経済産業省に要請した。

 報道によると、経産省は当事者間の対話や意思決定を円滑にすることを目的とした合意文書案を作成。同省が協議を監視することを認める内容なども盛り込んだ。一方で、日産幹部の間では、日本政府による過度な干渉につながることを懸念する声が上がったという。

 同紙は、経産省による直接的な関与が明らかになり、「企業連合の将来は両社が決めるべきだとする日本政府の表向きの立場との違いが際立つ」と指摘した。

 経産省の当局者は同紙の取材に、合意文書案に関して何も知らないと説明。一般論として、日本政府は当事者に十分な対話や情報共有を求めてきたと語った。 

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c150

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
1. 中川隆[-12133] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:19:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年05月16日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html


90年代の前半くらいのころ、「世にも奇妙な物語」が大好きだった。小説をだいたい持ってた。でも今タイトルを見ても半分くらいはどんな話か思い出せない。少しずつ動画で見ていきたい。

毎晩一話ずつ見るとしても何年も見れるな。これはいい時代になった。


この記事では、それぞれの話の感想を書いていく。今回は第一シリーズ。1990年の4月から9月まで。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。

記事の最後に、ベスト10、ワースト3を決めるから、最後まで見ていってくださいね。

毎日一話ずつ見ることにします。一話ごとに書いている感想が30話ぶんくらい溜まったらブログにまとめます。つまり、このシリーズは一ヶ月に一度の更新を予定してます。



(動画のリンクを貼るけど、削除される場合があります)

1990.4.19

"900419@恐怖の手触り /世にも奇妙な物語" https://t.co/oGfzoMUrKN
見た。オチが予測できるし間延びしたところがあるが、きれいな終わり方がよかった。タモリの登場のさせかたがいい。

"900419A噂のマキオ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/j7Utshfhoa
見た。どんな話かまったく忘れていた。こわかった。

マキオっていうカタカナ表記の名前がうまいな。怖さにつながる。このころは人面犬が流行ってたんだなあ。
そして、やっぱりちょっとだけタモリがでている。

こわくないポイントもあるんだけどね。あの白目はどうなんだ、文章を削除しちゃえばいいじゃないか、とか。でも怖さのほうが強かった。

いまは「噂」って流行らないよねえ。すぐ証拠を撮影できるし、調べれば大抵のことはわかるから。
あるのかないのか、はっきりしないから噂は盛り上がる。

「人面犬に噛まれると顔が犬になる」って言ってたのがおもしろかったな。なんだそりゃあ。そいつが人を噛むとどうなるんだ? そいつに噛まれた犬が人面犬になるのか?
そういうむちゃくちゃな枝葉がのびてくるのも噂のおもしろいところだ。

"900419B楊貴妃の双六 /世にも奇妙な物語" https://t.co/v8fBlzs3HM
「楊貴妃の双六」見た。映画の「ジュマンジ」みたいな話だったと記憶しているが、「ジュマンジ」もどんなんだったかほぼ忘れてしまった。マス目に書いてあることが本当に起こるすごろくの話。
オレと同じ工藤という人が、女性を妊娠させてトラブルになっていた。その工藤を勝俣州和が演じてたんだけど、カッチャンって全然変わらないな。

エンディングが見れたのがよかった。変なもやもやした空間に椅子が浮かんでいて、最後のほうで欠片が集まってきて部屋になるやつ。この番組の基本のやつ。
これで1990年4月19日の放送ぶんを見終わった。

1990.5.3

"900503@ロッカー /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ZqKWsHXyTD
「ロッカー」これは何となく覚えてた。織田裕二が閉じ込められる話だ。知ってたけど、緊迫感がすごい。ロッカーから出られないだけでも嫌すぎるのに、さらに精神的に追いつめようとしてくる。夢の挿入の仕方よ。

閉じ込められるのってけっこう怖い。ほかには、電話ボックスに閉じ込められる話もあったし、柵に頭を突っ込んだら取れなくなる話もあったな。閉じ込められる話を集めて比較しても面白そう。

織田裕二が「助けてくれーっ」って叫ぶところがあるんだけど、そこで山本高広の「キタ〜」を思い出した。

"900503Bマイホーム /世にも奇妙な物語"
https://t.co/gXR3P9Owgu
「マイホーム」見た。その前に「闇の精霊たち」という話があるんだが、動画見当たらず、またいつか。
風呂場の扉にゴキブリが挟まれる場面だけ覚えていた。おお、オレの記憶力よ。

夢のマイホームを安く手に入れた若い夫婦が、さんざんな目にあう話。ちょっとやりすぎじゃないかというくらい嫌がらせが次々に起こる。

最後にタモリが「もっと身の回りに気をつけていればこんなことには〜」って言うんだけど、無理だろ。どこまで遡れば避けられただろう。家を買う時点で詰んでいる。開始一分で運命が決まったようなもんだ。

1990.5.17

"900517@死体くさい /世にも奇妙な物語"
https://t.co/8olC6hAz8n
関根勤さんが鼻をクンクンする話。家が臭いような気がして消臭しまくり、そのうちに家に死体が埋まっていると言い始める。臭いに支配されてゆくさまが見事。なかなか味のあるラストだった。
二話つづけて引っ越しトラブルの話だなあ。
断片がつながつてひとつの妄想が完成するところ、伏線がうまいことに今回は気がついた。

オープニングのタモリが無理して低い声を出しているようだった。BGMも低い。低ければ怖いだろうという感じですね。
見れなかった「闇の精霊たち」がほかの動画サイトにあるかと思って探したが見つからず。

"【世にも奇妙な物語】息づまる食卓/ゴミが捨てられない【1990年】"
https://t.co/wevR2utJLq
「ゴミが捨てられない」見た。奇妙ではあるが、オチのせいで怖くない。
この時代ってゴミ袋が半透明じゃなかったんだな。黒い袋でゴミを出している。
それにしても、フルートが痙攣してるみたいなへんなBGMだなあ。

仕事はバリバリこなせるのにゴミ捨てができないというギャップがあり、東京に馴染んでいるけど家族と話すときは訛るところにもうひとつギャップがある。実家から送られたリンゴがでてくるから青森だろう。リンゴの品種はサンふじだった。

しかし、なんでこんなにゴミが溜まるんだろ。管理人の言うとおりに出せばいいと思うんだけど。ひとつひとつのゴミ袋がとても軽そうだから、事態が深刻に見えない。
ゴミに厳しい管理人が奇妙な人物で、この人が元凶に見えるが、ほかの住人はちゃんとやってる。

エスカレートしていくのは面白いけどオチは弱い。オチが弱いと全体が弱く感じる。終わりよければ、だな。

これも引っ越しトラブルみたいなもんだ。臭いのつぎはゴミというわけだ。
あたらしい環境になるときに奇妙なものが入り込んでくる。「マイホーム」も「死体くさい」も「ゴミが捨てられない」もそんな話だ。三つそれがつづいた。

"900517B息づまる食卓 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/T0SVE6CJNB
「息づまる食卓」見た。なるほど息苦しい。8分くらいの話だが、長く感じる。これに近い気まずさ、オレは経験したことある。
転落死だったっけ。小説版では毒殺だった気がする。

小説とドラマでオチが変わる話があって、そういうのもお楽しみなんだよね。あんまり見たことないけど、コミック版もあったなあ。

1990.6.7

"900607@プレゼント 世にも奇妙な物語" https://t.co/1kkPhjwk2u
「プレゼント」見た。国生さゆりっていいなと思った。引き込まれた。
肝心の内容は忘れてたけど、ケーキに顔を押しつけられるシーンと、死体の手がビーン! ってなるところは覚えてた。

殺人事件を解決したから刑事が昇進確定、っていうことほんとにあるのか。なんかそのへんが腑に落ちなかった。
「ここは死体が浮いてこない」という伏線の張り方、「天使の顔をしたエゴイスト」、刑事が犯人のことを「やっこさん」っていうような台詞まわし。

ドラマに刑事を登場させるときはこうしなければならない、という決まりがあってそれに合わせてる感じだったな。着てるものもいかにも刑事っぽかった。
刑事が携帯電話を持ってた。

"900607A殺人者は後悔する /世にも奇妙な物語" https://t.co/ASeikM7WBy
「殺人者は後悔する」見た。阿藤海が若い。仲良くはないがなんとか結婚記念日を祝おうとしている夫婦。ギスギスした感じ、やり直そうとするときの感じ、今なら少しはわかる。未来を変えようとしてる様子がわかりやすくて楽しい。
男がだまされて終わるのは「プレゼント」と同じ結末だ。

この話ではタモリがアナウンサー役だった。サングラスじゃないふつうの眼鏡をしていた。
タモリの登場回数が多いなあ。こんなにしょっちゅう出てきたっけ。タモリ探しも楽しみなドラマだ。

"900607B親切すぎる家族 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/NBDRXcgtlr

「親切すぎる家族」見た。主演の古尾谷さんって、自殺したんじゃなかったっけ。それが見ている間ずっとこびりついていた。
自殺した役者さんが、死ぬ人を生きながら演じている。

ストーリーは、ちょっと藤子Fの短編にありそうな感じ。家庭と仕事に疲れているところに、とつぜん声をかけられて、ついていったら別の家庭が待っていた。

落としどころはわりとありふれているようだけど、写真のなかの顔が変わったことを合わせて考えると、夢と現実が混ざって複雑になる。あの写真は変わりつづけていくんだろう。
怖いとかより、理想的な死にかただと思う。なごむ。

でも、それとは別な見方もできる。
主演の男性は序盤で、老人の資産を食い物にするような仕事をしていた。言葉たくみに出資を誘っていた。それを考えると、老人を騙してきた男が老人にやりかえされた、因果応報の話ともとれる。

1990.6.28

"900628@猿の手様 /世にも奇妙な物語" https://t.co/8Ht3pOsC5F
「猿の手様」見た。三つまで願い事を叶えてくれるが見返りも大きい「猿の手」をめぐる物語。
会社を大きくしたアイデア商品「全自動孫の手」がしょうもなくておもしろい。「猿の手」と「孫の手」がかかっているのか。こんなものを何千台も何万台も発注する人たちがいる。

「アウターゾーン」にもこういうのなかったっけ? と思ったら「魔神の手」だった。それも三つの願い事が叶ってリスクがある。展開はまったく違う。
こういうのは「自分だったら何を願うか」って考えるのもおもしろい。

"900628A悪魔のゲームソフト /世にも奇妙な物語"
https://t.co/XELpX9l4yg
「悪魔のゲームソフト」見た。ゲーム画面がしょぼくて、どうにも古い。面白そうにゲームしてるけど、中身がつまんなそう。1990年のゲームの描写だとしても。
あと、話がワンパターンでオチも読めてしまう。オチが読めるっていうか、それ以前に、落ちてもいないかも。

任意の者を消すことのできるゲームソフト。つまり、まわりくどい「どくさいスイッチ」(ドラえもんの)みたいなもんだが、そう考えると、まだまだ前半のところで終わっている。
主人公がゲームにとりこまれるとか、今まで消えたもの達が復讐するとか、怪獣に勝つキャラがあらわれるとか、もうひとふんばりほしい。

ゲームの怖い話ってところが当時は新しかったんだろうか。

弱い主人公が弱いゆえに逃げて一方的にやられるのは、ゲームとしてなーんもおもしろくない。強い怪獣とやりあうからおもしろいんだ。わかってねえなあ。

これまでの話で一番不満が多い。暫定のワースト作品。

"900628B死後の苦労 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/dtogg9tmE6
「死後の苦労」見た。完全に忘れてた。見てるはずなんだけど。
ゆうゆとか、なつかしい。そのまんま東もでてる。髪がある。痩せてたころの彦麿呂がでてたっていうけど、わからなかった。

結婚直後に亡くなった二人が、この世に戻るために、守護霊となって仲の悪い男女をくっつけようとする。途中から守護霊と人間が会話できちゃってたりして、設定がなんだかゆるい。

軽い話なんだけど最後には感動した。
っていうか、前向きなんだよ。目的のために二人がドタバタしながらがんばる姿がいい。少女漫画みたいなノリがある。

1990.7.26

"【 何回見ても 面白い 】 世界奇妙物語 【死ぬほど好き】【 ルナティック・ラヴ】"
https://t.co/SbMMZ15JYc

「半分こ」「くせ」は動画が見当たらなかった。
「死ぬほど好き」見た。
好きな子の気持ちをたしかめるためにイタズラで葬式をする話。「ロッカー」に似ている。別バージョンとして見れる。

"900726A禁じられた遊び /世にも奇妙な物語" https://t.co/6kPLzr3bAR
「喪服の少女」動画見つからず、「禁じられた遊び」見た。奇妙だなあ。自然のなかの話というのがめずらしい。

子供が生き物を殺す遊びを始めて、エスカレートしていく話。大人が魚を釣るのも狩りをするのも生き物を殺すことだが、子供がそれを真似する。
父親は生き物を無駄に殺すなと言っているし、間違ったことは教えてないんだが、子供は命が循環するということに強い興味をしめす。

"900726B時のないホテル /世にも奇妙な物語"
https://t.co/lr7xkVnkeG
「時のないホテル」見た。山奥のホテルでゆったりした話。人が半透明だったり気味の悪いところはあるが、悪いことはおこらない。
渡辺満里奈が、若いどころか幼いくらいだ。

1990.8.9

"900809@追いかけた男 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/u6drK1Mq7I
「追いかけた男」見た。完全に忘れたか、見てない話だ。すごくおもしろかった。
片岡鶴太郎演じる警察官の二宮が、不審人物を取り押さえようとして、うっかり殺してしまう。そこへ同僚の警察官が駆けつける。二宮は「白いコートの男がやった」と嘘をついてしまう。しかし白いコートの男があらわれる…
警官が荒っぽかったり、すぐ発砲したりする。カナヅチ強盗のその後も気になる。
とまどいながら追いかけるのがいい。

"900809A超・能・力! /世にも奇妙な物語"
https://t.co/I05iiqJnwb
「超・能・力!」見た。オチは忘れてたけど、親子の透視を見抜く場面はおぼえてた。
おもしろかった。してみると、主人公もまた予知夢を見る力があったということだな。しかし一歩遅かった。

"900809B遅すぎた恋人 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/QoqJqpzrA2
「遅すぎた恋人」見た。マザコンの彼の子供を産もうか迷っている女性のまえにあらたな男性があらわれる。

遅すぎるんじゃなくて、先回りしてるような気がする。いいタイミングで先回りしてきたというか。
地味だと思っていたが、いま見るとなかなか珍しい内容なんじゃないか。

1990.8.23

"900823@屋上風景 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/XnwxPSKc4F
「屋上風景」見た。会社訪問にきたが、下に行くはずのエレベーターは屋上につくし、会う人は会社を悪く言う。じわじわとした奇妙さで、いいと思う。
直接主人公が死んだりはしないんだよな。話に聞いて気味悪いことがあって、でも自殺は回避する。危険を普通に回避する話。

"900823A坂道の女 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/FdX0V1mk9q
「坂道の女」見た。これは完全に忘れてた。「屋上風景」は見た記憶があるから、これも見たはずなんだけど。
内容は、だいぶ古典的な「怪談」だ。死んだ女や子供の霊が亡くなった場所にあらわれるという話。口紅で男女関係を暗示するのがまた古い。
雰囲気があって、よかった。

"900823Bだれかに似た人 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/c3u37XFrp4
「だれかに似た人」見た。喫茶店「サンプトム」でだれかに似た人と会うと、その人が亡くなる。そんなことが何度もつづく。という話。

しかし、そんなことがあるんだったら、四回も行くだろうか。オレなら一回か二回で気味悪くなって行かなくなる。

ドラマのなかでドラマの撮影が終わるのはちょっと意表をつかれたが、パニックになって死ぬのが二回つづくとおもしろくない。

パニックになったから死んだのであって、気のせいだったのだということもできる。

鏡だと思ったものが鏡じゃないことも二度つづくが、鏡に殺されるのはいい畳み掛け。
少々くどい話ですね。

1990.8.30

"世にも奇妙な物語"
https://t.co/fxHYgohWhQ
「生き蟹」見た。カニの恩返しみたいな話。
蟹を売る店の人が演技うまいし、買ってる奥さんのはしゃぎぶりもいい。
新聞が燃えるんだけど「統一後も西側軍駐留」という見出しがみえる。ベルリンの壁かな。

"900830Bカウントダウン /世にも奇妙な物語" https://t.co/bgHwqkgkPW
「ゲームセンターの奇跡」見つからなかった。
「カウントダウン」見た。かなり異色で、これはほんとに90年のものなのか、ほんとに世にも奇妙な物語なのか、疑ってしまった。でもまあ、こういうコミカルなやつもあって、幅広いのもこの番組の特徴だ。
へなちょこな主人公、害のない奇妙さ。

数字が減っていくと、それだけで世界滅亡を考えるのはなんなんだろうな。なにもされてないのにパニックに陥る。不思議な心理だ。
校庭に緑があったのが印象的だった。
机をどうこうするんじゃなくて、あの場所に先になにか置いておくとか建物を建てちゃうのがいいと思う。

1990.9.6

"900906@整形手術 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/8mfWevER14

「整形手術」みた。どんな話かは知っていたが、映像はほとんど覚えてなかった。
すごくキザな場面があって、ちょっととばした。「赤いバラは情熱、白いバラは真実。男と女に必要なのは、それだけだ」みたいなことを言ってた。なんじゃそれ。

整形前がコントみたいな顔だけど、眉毛とかは整形手術の問題じゃなくて、化粧とか手入れでなんとかなるんじゃないの。

"900906B仰げば尊し /世にも奇妙な物語" https://t.co/EwBu34kd6Z
「大注目の男」見つからず、「仰げば尊し」見た。
これ好きだなあ。かつての暴力教師がホームに入り、その教え子が世話をする。殺される話かと思ったら、もう一段先に恐怖があった。
タイトルも皮肉がきいてる。「日本男児か」だけは覚えてたけど、こんな話だったのか。

1990.9.13

"900913@お墓参り /世にも奇妙な物語" https://t.co/khGTsj1y3H
「お墓参り」見た。流行さんがいい味出している。落ちぶれても金持ちになっても憎めない人だ。終始コミカルで、楽しく見れた。
最後はああなっちゃうけど、なんだかんだで楽しく生きていけそう。

"900913A配達されない手紙 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/TxiPo5h0e6
「配達されない手紙」見た。卵のシーンしか覚えてなかったけど、なかなか面白いな。
誤配の手紙によって同じマンションの主婦の不倫を知る。それに返事を書いて関係をめちゃくちゃにする。だが自分に続々と手紙が届くようになる。

混みいった話でよくわからず、ネットで調べてしまった
https://t.co/yp548iq6SV
ここがわかりやすい

"「人面草」 濱田万葉"
https://t.co/5ZUaDzdSnA
「人面草」見た。特別な死生観というのかな。しきたりというのか、そういうののなかで生きている村の老人の話。戦争や家族愛もからんできて、BGMもよくて、感動をおぼえた。

こういう風習のある国、どこかにありそうね。
ファイナルファンタジー10には「異界おくり」ってあるけど、それを思い出した。

1990.9.20

"900920@通勤電車 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/6dRVR3NbAN
「通勤電車」見た。通勤するたびに一年経っていて、そのあいだの記憶がない話。いつのまにか昇進して、結婚して、子供ができている。起こっていることの異常さのわりには本人は気楽で、昇進を喜んでいる。

オレだったら嫌でたまらないけどな。仕事の中身が把握できなくて立場がみるみる変わっていくなんて。まるで仕事にならないじゃん。あっという間に若さがなくなっちゃうし。
長く会社をつづけさえすれば偉くなれて、偉くなれさえすれば幸せというのは、短絡的だ。

"世にも奇妙な物語 自動振込"
https://t.co/kOEFKMEYuc
「自動振込」見た。
1990年のドラマだけど、いまとATMが変わらないことに驚いた。

話はだいたい知っていた。突然大金が振り込まれて、浮かれていたら、それが生涯の給料の前払いだったという話。

まだ500万も余ってるわけだし、そんなにひどい感じには見えなかったな。……でも考えてみたらこれで一生やっていくわけだから絶望的だ。
それにしてもうまい詐欺師がいたもんだ。

"900920Bおじいちゃんの恋文 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/dvgeV0NATI
「おじいちゃんの恋文」見た。15分の話だが9分でオチが読めてしまった。
孫が自分と同じ人を見たときのリアクションがおもしろい。

おじいさんが、孫の名前で若い女性と文通する。会ってほしいと言われ、生涯の最後に神に願って孫の体を手に入れる。
旧かなに反応するあたり、お互いが老人である伏線だろう。
若くありたい、青春をしたいという老人の気持ちはとてもよくわかる。同情を禁じ得ない。
でも相手も同じ状況ならば、なぜ相手はまた会いたいと言えるのだろう。

これで第一シリーズを見終わった。まだ1990年だ。先は長い。
39話のうち、33話を見て、6話は動画が見つかっていない。後でまた探す。

■ここまでの個人的ベスト10

1 ロッカー
2 噂のマキオ
3 追いかけた男
4 人面草
5 仰げば尊し
6 超・能・力!
7 親切すぎる家族
8 死体くさい
9 屋上風景
10 お墓参り


■ここまでの個人的ワースト3

1 悪魔のゲームソフト
2 恐怖の手触り
3 プレゼント

以上です。ではまた今度。
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c1

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
2. 中川隆[-12132] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:21:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年06月22日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【1】1990年4-9月 : ▼存在しない何かへの憧れ http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html
のつづき。

90年代の前半くらいのころ、「世にも奇妙な物語」が大好きだった。でも今タイトルを見ても半分くらいはどんな話か思い出せない。少しずつ動画で見ていきたい。
毎晩一話ずつ見るとしても何年も見れる計算だ。


この記事では、それぞれの話の感想を書いていく。今回は1990年の10月から1991年3月まで。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。

記事の最後に、今回のベスト10、ワースト3を決めるから、最後まで見ていってくださいね。



(動画のリンクを貼るけど、削除される場合があります)

1990秋の特別編

"90秋@絶対イヤ! /世にも奇妙な物語"
https://t.co/hNdotrp11H
「絶対イヤ!」見た。これはよく覚えてる。初めてのこの番組の特別編だったのも覚えてる。

「いや」というたびに別の世界に飛ぶ話。危険な場所が多いが、そうでもないのもある。「いやいやと言ってるうちに30になり、もう一度いやといったら35」は伏線だろう。

"90秋Aミッドナイトコール /世にも奇妙な物語"
https://t.co/NItsJvsQvg
「ミッドナイトコール」見た。怖いのを覚えていたが、記憶よりももっと怖かった。怖いよ。やばい。
このころは携帯が普及してなくて、公衆電話があって、ナンバーディスプレイはなくて、それでいて留守番電話機能はあったんだな。
気持ち悪い留守電、古びた電話ボックス、落書き、きれかけた電灯、電車、真夜中。怖い要素がいろいろある。

あの留守電、トラウマもんじゃないか。プーッていう通話音と、電車の音と、きれぎれの女の声の組み合わせ。

死ぬ瞬間に恋人が一瞬あらわれるのが印象的。

"世にも奇妙な物語 そこに扉があった"
https://t.co/Lb93xeQ8s9
「そこに扉があった」見た。怖いような、でも小学校のころの恋愛が甘酸っぱいような。田舎の学校の雰囲気がほのぼのとしていて。
どんな気持ちになっていいのかわかんないような話だ。怖さとか感動がぶつかりあっている。
壁のなかから扉がでてくるイメージが強烈だ。

評価に迷う話だが、まさにこの感じが「奇妙」と言える。
閉じ込めて殺したという過去が、扉を開けたことで変化したってことかな。

"世にも奇妙な物語 「代打はヒットを打ったか?」 伊武雅刀"
https://t.co/WiL3r7Dzud
「代打はヒットを打ったか?」見た。これは覚えてないなあ。どちらかというと「笑い」寄りの作品。野球の結果が知りたいがために大きなトラブルを起こしてしまう。
嫌なオッサンの演技がうまいもんだ。無理のある話を、演技力で強行突破した感かある。

"90秋D幸福の選択 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/IGLF3vPpxs
「幸福の選択」見た。独身で仕事をバリバリこなす生き方を選んだ女性が、子持ちの専業主婦の生き方を一週間だけ体験し、人生をやり直したい願望にかられる。

いい話で、ちょっと涙出た。
優しい気持ちを取り戻したことで、独身の生き方も良くなっていくんじゃないかなあ。30前なら子供だって可能性あるし。
皿を割る占いって珍しい。CHANELが「SANEL」になったのがおもしろかったな。

これで90年の秋の特別編おわり。

1991冬の特別編

"91正月@大予言 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/GuDeQX8w3A
ここから91年の作品になる。
「大予言」見た。必ずあたる予言者が、男の三日後の死を予言する。男は一躍有名人となる。だが当日になっても男が死なない。
という話。

先のことを想像させるようにここで終わりにするのはわかるんだけど、なんかもうちょっと迫力がほしいと思った。

"91正月A王様の耳はロバの耳 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/z5owk3EV6M
「王様の耳はロバの耳」見た。血を吸うくだりとか、床屋がキスしてくるとか、はじめから飛ばしてるなあと思ったが、だんだん見てるのが苦しくなってきた。タイトルを何度も言うのがくどくて、どうも効果的と思えないんだよな。
殺す場面が省略されすぎてるし、女二人の気持ちもわからない。
「王様の耳はロバの耳」って、秘密を暴露する言葉のはずなんだけど、秘密を隠すために言ってる場面もあるよね。それもよくわからない。

"中森明菜・・世にも奇妙な物語 「さよなら6年2組」"
https://t.co/1r5gj7iBaF
「さよなら6年2組」見た。戦争で卒業できなかった子供たちが教室にあらわれる話。
当時の子供ってこんな感じだったのかなあ。ハライチっぽい子がいた。

そうそう。「帰れない」は動画が見つからなかった。

"91正月D復讐クラブ /世にも奇妙な物語" https://t.co/tmvL4geHAV
「復讐クラブ」見た。これはよくできた仕組みだなあ。感心した。
復讐を依頼すると、ほかの会員が復讐してくれる。自分も誰かの復讐をすることと引き替えに。
「ハナクソをつけられる」っていう復讐はいいな。些細な恨みには些細な復讐ってことか。やり過ぎないのがいい。

でも考えてみれば、他人のための復讐がバレずに何度もできるなら自分の復讐もうまくやれそう。

"世にも奇妙な物語 冬の特別編 E昔みたい 【1991.1.3放送】"
https://t.co/D3Wl053qn9
「昔みたい」見た。小説版ではすごくエロくて倒錯していて、当時の自分は影響を受けた。男が裸で監禁される結末だった。
ドラマではどうなるのか、ドキドキしながら見たが全然そういうのはなかった。

シーレ展で十年前の恋人と再会するが、男はほとんど忘れていて女は細部までしっかり覚えている。女は十年間待ち続けていた。女の執念がじょじょに明かされる。

シーレってところがセンスいいし、選曲もじわじわくる。

1991.1.10

"910110@瞳の中へ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/3PHjlSBXTV
「瞳の中へ」見た。映像はきたないわ音は途中からループするわで充分には楽しめない。検索してたら、フジテレビで有料で配信してるっぽいのを知ったけど。

ここから第2シリーズ。
目が合った人が次々死んでいくコンタクトレンズの話。主役が明るくてかわいいんで、そこが一番よかった。
なんで同僚だけは平気だったんだろう。

ああ、梅酒の人なのか。

"910110Aもういちど /世にも奇妙な物語"
https://t.co/Lf0cYjzcpS
「もういちど」見た。「殺人者は後悔する」みたいな話だけど、うまくいくところがちがう。しかしよく走る。運命を変えるのはむずかしいってことだね。


"910110B盗聴レシーバーの怪 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/S2jBb7fe6C
「盗聴レシーバーの怪」見た。盗聴に夢中で勉強のおろそかな予備校生の話。殺人の話を聞いてしまい警察に電話するが、追われている気がしておかしくなってしまう。

電話を盗聴してるのに電話で大事な話をしたり、ガバガバなところがある。
つくりかけのパズルとか、網とか、象徴的だ。音が混じりあっているのとリンクして、生活も雑然としている。
名前を連呼されるのはこわいな。

1991.1.17
"910117Aあの日に帰りたい /世にも奇妙な物語"
https://t.co/31NDZEhsBD
「時間よ止まれ」動画見つからず「あの日に帰りたい」見た。どっちも歌のタイトルみたいだ。

松尾貴史がおもしろい。大島渚のものまねが一瞬映ってた。

タイムマシンを発明した知人と運命を入れ替えて自分の手柄にしようとする話。耳掻きをできるヘッドホンはよく覚えてる。女を押しつけあうのはちょっとおもしろいかも。

"910117B視線の町 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/GzP8m9wbUe
「視線の町」見た。3分過ぎにおっぱいが出るのがめずらしい。
なかのいい父と娘もいいな。

江戸時代みたいな無人の町を見た父と娘は、誰かに見られているような気配を感じる。そこで、亡くなった母の姿を見る。
図書館の古い文書に二人のことが書かれていた。

異色な話だよ。父と娘ふたりが主役というのもめずらしければ、江戸時代がでてくるのも、おっぱいが出るのも、今までの話とちがう。最初に原作者の名前が出るのと関係していそうだ。

1991.1.24
"910124@忘れられたメス /世にも奇妙な物語"
https://t.co/EgTkOKZmLX
「忘れられたメス」見た。こわいというより、痛い話。とがったものが苦手な人にはたまらないだろう。

手術患者のからだの中に置き忘れたメスを、再手術でとりだそうとして、患者を死なせてしまう話。
シュヴァイツァー博士のイメージが悪くなるなあ。

世にも奇妙な物語 留守番電話
https://t.co/BJrOAff6hG

「留守番電話」見た。YouTubeに無くて、パンドラテレビとかいうサイトで見た。全部のつもりが、再生してみたら後半だった。

留守番電話にストーカーみたいな知らない声が入りつづける話。「愛は勝つ」が流れてた。この頃の歌だったか。

"910124Bざしきわらし /世にも奇妙な物語" https://t.co/klQou3Gfkl
「ざしきわらし」見た。地味だけどすごくいい話だ。子供にしか見えない子供のおばけ「ざしきわらし」の思い出。そして、再会。
こころ暖まる、すばらしい話だ。ショパンの曲が不思議に調和している。

1991.1.31
"910131@UFO /世にも奇妙な物語"
https://t.co/SHduIQh4hn
「UFO」見た。ジャーナリストがUFOの謎を探り、ついに証拠を撮影するが……。という話。
ひねりが効いてておもしろかった。
ミステリーサークルも流行ったねえ。

"910131Aテレフォンカード /世にも奇妙な物語"
https://t.co/aWbAZr4wtT
「テレフォンカード」見た。
電話の怖い話ってけっこうあるんだな。「留守番電話」もそうだし「ミッドナイトコール」もそうだった。

心霊写真みたいなテレフォンカードをつかうと、亡くなった友達の声がする。カードを0まで使い終わったときに、異変が起こる。

永作博美、好きなんだよねえ。
それにしても減るのが速いカードだ。ナンバーディスプレイや携帯電話の普及で古めかしくなってしまった話だ。

"910131Bプリズナー /世にも奇妙な物語
https://t.co/VDhcY4D4dA
「プリズナー」見た。これはいいなあ。こわくて不思議。
幻のビデオ「プリズナー」を探し当てた男。そこには「助けてくれ」とこちらに手を伸ばす男が映っていた。

どこでもドアみたいなのがたくさんある風景、印象深い。司会のおじさんはなんだったんだろう。
竹中直人はこういうの似合うなあ。
かなり好きな話だけど、テレフォンカードのなかの死者に招かれる話と発想は似ている。

1991.2.7
"バカばっかりだ 世にも奇妙な物語"
https://t.co/ZGww1NPn3H
「バカばっかりだ」見た。バカな大人に憤る子供だったが、突然みんなの外見が精神年齢を反映するようになる。
ちょっといい話かと思ったら志村けんのコントみたいな結末だった。

"910207Aこけし谷 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/hN6QQ5ur23
「こけし谷」見た。因果応報というか、理屈の通る話で。
こけし谷を取材しテレビ番組をつくっていた男が、こけし谷のこけしを汚いと言って放り投げる。それから怪現象にみまわれる。心を入れかえて怪現象が止む。

ネタバレサイトを見たら、子供をおろせと言ってたらしい。動画見てもわかんなかったな。
こけしは「子消し」ともいうよね。

1991.2.14
"910214@黒魔術 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/FiyhXpRece
「黒魔術」見た。高嶋政伸が夫婦をやっていると、なんかハラハラする。黒魔術のようなものがあれば、直接に夫婦喧嘩をせずにすむのだなあ。
いい人そうな人ほど黒魔術をやっているってわけか。

保険の加入が伏線というのはコメント見てはじめて気づいた。なるほど。

「さよなら蔵町キネマ」は動画が見つからなかった。知らない話なのであらすじだけは読んだ。

"世にも奇妙な物語 廃校七番目の不思議"
https://t.co/GMWLHUY3On

「廃校七番目の不思議」見た。学校のいろんな怪談がでてきて、気のせいだとか本当だとか言ってキャーキャーする話。

音楽室のピアノが鳴るとかトイレがどうとか、ありふれたものばっかりで退屈する。最後なにあれ。あれが七番目の不思議なのか。
悲鳴だけはすごくて、悲鳴がこわい。

"910214B峠の茶屋 /世にも奇妙な物語" https://t.co/nSooubpgzf

「峠の茶屋」見た。峠の茶屋で「ここで一生暮らしたい」と言ったばかりに出られなくなる。自然の一部になってしまった人から手がかりを得て、なんとか東京に戻るが、東京は緑に覆われていた。

これは東京に何が起こったというんだろうか。それとも主人公だけにそう見えているのか。

オレが茶屋の主人だったらさびしくなくなってうれしいと感じるだろうな。
ストラビンスキーの春の祭典みたいなBGMだ。

しかし、「みずから望んで」木になっている人というのはどんなもんだろうな。どんなつらいことがあったんだろう。

1991.2.21
"コレクター"
https://t.co/1e3zmGAD2I
「コレクター」見た。面白いなこれ。
サインを集める女、断末魔を録音して集める無差別殺人者、凶器を集めるおじいちゃん。
名無し姓無し顔も無し、はなかなかいいサインだ

1991.2.28
"910228A家族の肖像 /世にも奇妙な物語" https://t.co/azGS5ojKud
「家族の肖像」見た。自動車事故で両親を失った子供が主人公。かつて住んでいた家に戻ると、亡くなったはずの両親に会える。だがその家は他人の手に渡ることになる。

子供がかわいそうで、同情する。これっきり両親はもう現れないような気がする。でも強く生きてほしいな。

「極楽鳥花」「運命の赤い糸」「私じゃない」は動画みつからず。「極楽鳥花」は裕木奈江が出てたんだよ。当時好きだった。

"910228Bモルモット /世にも奇妙な物語"
https://t.co/r3wusnsQ1b
「モルモット」見た。小堺一機さんが悪徳医師を演じる。若いな小堺さん。
医師が薬で患者を弄ぶ。夜な夜な望遠鏡で患者が苦しむさまをのぞいて笑っている。

こういう話、全能感があって好きだな。覗きもあるし。陰湿で。
簡単に人の家をのぞけたり、浸入できたり、近所付き合いが密接だったりするのは、この時代の「近さ」だね。

悪人には悪人なりの理屈があるものだが「あいつらは自分の甘さを薬でごまかそうとしている」という批判はするどい。

1991.3.7
"910307B石田部長代理の災難 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/G6018f2W4N
「石田部長代理の災難」見た。これはいくらか覚えてた。伊東四朗は今とそんなに変わらない。
社内で盗難事件が相次ぐ。偶然が重なり、部下の財布をふところにする部長代理。

終わりかたがいいな。シーンとしてて。
真犯人が他にいるはずなんだけど、それが最後まで謎のままなんだよな。それが気になる。

「コインランドリー」「受験生」は動画みつからず。うーん、欠けているところが多いなあ。

1991.3.14
"910314@歩く死体 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/nvYdqIk3eN

「歩く死体」見た。いくつか動画があるが、どれも同じ場所で音ズレが起きている。後半で前半の音声がでている。無音よりもたちが悪い。

やたら怖かった記憶があるが、話の内容は忘れていた。

起きているときと寝ているときで逆のことを望んでいることってあるのか。雪山こわい。
それにしても死体映え(?)する女優さんだ。

"910314B8時50分 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/o8kSypXwvZ
「8時50分」見た。これはよく覚えてる。
桜田淳子は「ゴミが捨てられない」につづいて二度目だな。

占い師からお先真っ暗だと告げられる。運命を良くするには亭主を8時50分に殺すしかない。そのための計画を練り、実行に移すが……。

サティの「グノシェンヌ」が印象的に使われる。
一話目の「歩く死体」もラストで死体を引きずってるのに、三話目もラストで死体を引きずってる。脚本が同じ人だ。
たしか小説版では「8時45分」になっていて、謎だった。中身は同じなのに。
花をもっていくエンディング、また見たかったので見れてよかった。

第二話の「離れません」は動画みつからず。全体の6割から7割くらいしか見れてないんじゃないか。

1991.3.21
"910321@真夜中 /世にも奇妙な物語" https://t.co/iA6zTzkv1C
「真夜中」見た。夜間のデパートの警備員が、子供を見かける。かつてこのデパートでは火事で六人の子供が犠牲になったという。
途中で音声がとぎれるがだいたいちゃんと見れた。だいたい予想できるラストだけど、炎が出るのはやりすぎの感もある。

サザエさんかあ。歌を歌うと逆に霊を呼んでしまうとも聞いたことがある。

過剰なんだよ。炎が出て、声がきこえて、しかもそれがサザエさんの歌。ぬいぐるみ抱いてて、トイレで、ポール牧っていうのは盛りつけすぎている。適切な情報量というものがある。
考えてみたら、サザエさんが大好きな女の子というところに無理がある。


44話中、見れたのは33話。75パーセントかー。見れなかったやつは、あとでまた探してみる。またアップされるかもしれないし。

じゃあ、ここからベスト10とワースト3を独断で選んでみましょう。


■今回のベスト10
1 プリズナー
2 ミッドナイトコール
3 歩く死体
4 モルモット
5 ざしきわらし
6 家族の肖像
7 幸福の選択
8 復讐クラブ
9 盗聴レシーバーの怪
10 昔みたい


■今回のワースト3
1 廃校七番目の不思議
2 真夜中
3 王様の耳はロバの耳

以上です。ではまた今度。

▼▼▼

【こっちもおすすめ】
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。

2018年5月のオレの短歌とその余談
https://note.mu/mk7911/n/n75bf05a79de6

未来賞をいただいて、いま書きたいこと
https://note.mu/mk7911/n/n0b1f389aea2f

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首
https://note.mu/mk7911/n/n58e5f4337568


などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c2

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
3. 中川隆[-12131] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:22:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年07月25日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html


「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【1】1990年4-9月 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【2】1990年10月-1991年3月 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

のつづき。

90年代の前半くらいのころ、「世にも奇妙な物語」が大好きだった。でも今タイトルを見ても半分くらいはどんな話か思い出せない。少しずつ動画で見ていきたい。
毎日一話ずつ見るとしても何年も見れる計算だ。


この記事では、それぞれの話の感想を書いていく。今回は1991年の4月から9月まで。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。

記事の最後に、今回のベスト10、ワースト3を決めるから、最後まで見ていってくださいね。



(動画のリンクを貼るけど、削除されている場合があります)


"910411A息子帰る /世にも奇妙な物語"
https://t.co/M8yMYMdaVL
「息子帰る」見た。これは見逃したやつだ。布施さんは「猿の手様」から二度目。ほとんど台詞がなくて、ボクシングしている。

大事な試合のため、ボクサーが父の死に目にあえない。……はずなのだが、父のそばにボクサーのすがたのままの息子があらわれる。

マウスピースのくだりがおもしろい。
ハウンド・ドッグかなんかの歌が途中で流れてきて、いつもの「世にも奇妙な物語」とはちがう印象だった。


"910411B占いセット /世にも奇妙な物語" https://t.co/YJ84whH1RC

「占いセット」見た。音がおかしかったので、あらすじを見てから映像だけ見るやりかたにしようかと思ったら、後半の音は大丈夫だった。

田中美佐子演じる主人公が、占いセットで同じ集合住宅のおくさん達を占う。なにも見えなかったのでデタラメの占い結果を言うと、それが実現したといってトラブルになる。

あらすじサイトのコメント欄で「配達されない手紙」に似てるというコメントを見たが、たしかにそうだ。奥さん同士でいびるのも同じだし。芝居と見せかけたつもりが本当になってしまうのも同じ。
ああいうコメントは先に読まないほうがいいな。

"91春@偶然やろ? /世にも奇妙な物語"
https://t.co/KemYK0f8KP
「鏡」「ど忘れ」を飛ばしていたことに気づいたが、どちらも動画がない。
春の特別編の「偶然やろ?」見た。この番組を見たくない妹に「最初の一話だけでいいから見せて」と言って見せてもらった記憶がある。

「偶然やろ?」は明石家さんま主演。うだつのあがらないサラリーマンの秋山。(秋山っていう名前が明石家さんまの略みたいだ)
突然、思ったことが現実になりはじめる。「こんな会社つぶれたらええ」と思ったらほんとにつぶれてしまう。

特別編の第一話にしては弱いんじゃないかという気がするが、さんまが出てるということがポイントなのか。
さんまがサラリーマンやるとこんな感じなのかと思いながら見た。

"91春B急患 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/NoCWBW8Cjs
「急患」見た。こわいねえ。よくわからないし気持ち悪いしこわい。傑作だねえ。
検索してみると、のちに映画になったとか。

急患として運ばれてきた患者が、緑色の液体を流している。患者はとつぜん消えてしまう。関わった病院の関係者がつぎつぎに緑色の液体を流しながらおかしくなっていく。

顔がとつぜん出てきて驚かせてきたり、指を刃物で切る場面があったり、いつもより怖がらせ方、見せ方がちゃんとホラーだ。佐野史郎の狂い方にちょっと笑いそうになった。

「朝まで生殺人」は動画みつからず。他局の番組タイトルをもじっていることに、当時は気づかなかった。

"91春D夢を買う男 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/Z1R5h1I37w
「夢を買う男」見た。柳葉敏郎演じる主人公が、あやしい男から、10年の寿命と引き換えに夢を買う。注射を打たれて夢を見る。どんな夢かと思って見ていると、平凡な家庭で子供を育てている場面がつづく。夢を見終わった男に待っている現実とは。

この頃が湾岸戦争だったんだな。「湾岸戦争関連のニュースは情報が入り次第お伝えいたします」の字幕とともに暗闇を車のヘッドライトが流れていくところが印象的だった。

「もう一人の花嫁」は動画見つからず。

"910418Bズンドコベロンチョ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/3vUr3FnKBb
「ズンドコベロンチョ」見た。すごい印象的なタイトルで、中身は一度見ただけなのにタイトルはずっと覚えてた。
あらためて見ると、おもしろいな。ずっとニヤニヤしてた。

フリもよくできている。物知りでむずかしい言葉ばっかり使ってる主人公が、ズンドコベロンチョという知らない言葉に振り回される。どうしてもそれを知ることができないうちに、ズンドコベロンチョは深く入り込んでくる。
視聴者もわからないわけで、一緒になってズンベロがなんなのかを考えることになる。
断片的な手がかりがあるが、それもあまりに多岐にわたり、ますます混迷を極めていくことになる。

竿竹屋みたいにトラックが「ズンベロ〜」って言いながら走っていくのがおもしろい。
ラストにみんなでてくるのもヤケクソ感があっていい。
有名なだけあって、これは傑作だよ

呪いの紙人形、愛車物語、ライバルは動画みつからず。

"910502@言う事を聞く子 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ynrJdXI1yR
「言うことを聞く子」見た。早見優は「マイホーム」以来か。だんだん二度目の出演の人が増えてきたな。
なんでも素直に言われたことを実行する子が転校生としてやってくる話。

この番組らしさがよく出ていると思う。5分くらいに露骨な伏線がでてきてオチが読めてしまうが、ひとひねりしてくる。
赤い光が、どうもなあ。

少し前に「急患」を見たときに気づいたんだけど、この番組のエピソードってわりと論理的にできてるんだよな。「急患」はこまかい理屈をすっとばして恐怖を追求していて印象にのこった。

「言うことを聞く子」みたいに理屈ばっかりで出来ている話を見ると、この番組らしさがよく出ているなあと思う。奇妙だけど納得のいく死に方であり、納得のいく怖さ。そこに面白さもあり、限界もある。

なんでも言うことを聞く子が転校してくる
→悪い人は死ねばいいんだ、お前は悪いやつを退治してくれるよな「はい」
→いじめっこの命令にしたがっている転校生に気づき、担任が「わたしが悪かったのよ」と言う
→「悪い人は死ぬんです」と言って転校生が担任を刺しにくる。

いつにもまして理屈っぽい。
入院をはさんだのが一工夫で、これによって恐怖がたかまっている。

この「ワンクッション」もこの番組らしいやり方だ。「超・能・力!」とかもそうだけど、こわいことがあって、ガバッと目が覚めて、夢かと思って安心したら、またきて今度こそやられる。そういう二段階恐怖は効果的なやり方だ。またそれかと思ってもやっぱり怖い。

"910502A不眠症 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/Zao77yNrxx
「不眠症」見た。ラサール石井演じるさえないサラリーマンが不眠症で苦しんでいる。ロシアンルーレットで不眠症を治すクラブに行き、ぐっすり眠り出世もする。
最初は6人だったロシアンルーレットが4人になり2人になり……。

ううむ、不眠症に治す代償としては高すぎるなあ。医者がこういう場所を紹介するのがこわい。

一命をとりとめたと思ったら病院まで追いかけてくるのは「言うことを聞く子」と同じラストだ。

"910509A伝言板 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/QdNYBGRbC5

「伝言板」見た。存在しない恋人への伝言を伝言板に書いたら、本当に彼があらわれた。彼と楽しい日々を過ごすが、一緒に撮った写真に彼は写っていない。

「伝言板」っていうのが古いんだよな。四半世紀前っていうのを遠く感じたり近く感じたりするが、これは遠く感じる作品。

「嘘がほんとになる」系の作品ってあるね。「噂のマキオ」とか「配達されない手紙」とか。軽い気持ちでやったデタラメに、最後まで付き合わされることになる。

「目覚まし時計」「目撃者」は動画が見つからなかった。

"910509B女優 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/DdHU2mgN5x
「女優」見た。BGMがうるさくて、BGMのあるところでは台詞が聞こえなかった。したがって、よくわからなかった。

役と普段の自分の区別がつかなくなった女優がカウンセラーのもとをおとずれる。そこからどんでん返しが起こる。

"910516A奇跡の子供 /世にも奇妙な物語" https://t.co/GjwQaj7kNW
「奇跡の子供」見た。飛行機事故で一人だけ生き残り「奇跡の子供」と呼ばれた小学生が、主人公(三田寛子)のクラスにやってくる。彼には、自分を不幸にあわせた者に仕返しする能力がある。飛行機のなかでは母に激しく叱責されたときいう。

わかりやすいというか、敷かれたレールに沿って話がすすんでゆく。これというひねりがない。
こんな優しい先生がいたらいいなと思った。あと、机の上に立ってはしゃぐのがすごい。

「ルームメイト」は動画が見つからない。

"910516B着せ替え人形 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/2KVhJ3KagZ
「着せ替え人形」見た。鶴瓶が髪フサフサしてる! メガネしてないし。当時は普通に見てたけど、今になって驚いている。

青木のもとにとつぜん等身大の着せ替え人形がとどく。はじめは間違いだろうと思っていたが、いつのまにか夢中になっている。青木はそれを人形ではなくマリコだというようになる。同僚はマリコと電話したという。
青木が入院したとき、マリコが来ることになった。怯える青木。

鶴瓶と着せ替え人形のミスマッチがいい。まさかこんな人がそんなことを!? っていうところ。
肝心な部分(動いたりしゃべったりしているマリコ)の隠しかたが上手くて、なかなかおもしろいと思う。
飛躍がある。まず、人形がとどいたと思ったらもう夢中になっているところ。それから、病院から式までのところ。後者の飛躍は活きているが、前者ら不自然さを感じた。えらそうな言い方でごめんなさい(いつもだけど)。

"910530A覆面 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/45LdhjKEm3
「覆面」見た。ライガーが本人役で出ている。ボクシングの話だった「息子帰る」をプロレスに変えたみたいな話だ。子供、ライガー、替え玉の三人いるから少し複雑化している。

入院してる男の子がいて、ライガーが励ましにくる。試合に勝つから君も手術に勝てと。しかしライガーはトラックにはねられ入院する。代わりに男の子の父(兄にも見えた)がライガーの覆面をかぶって試合に出ることになる。

筋書きはいいけど、いろいろ嘘臭い。スキンヘッドの人の演技がおかしいし、画面効果や効果音がおかしい。観客のタモリがもろにタモリなのはちょっとおもしろい。
ライガーがかっこいいからなんとか成立している。

生死をさまよっている人が、なにかあって急に回復する話、食傷気味。
最初にライガーがでてきたとき、試合中なのにもう一人出てきたのが一番気になる。録画だったのか? どちらか偽者だったのか? ライガーは分身ができるよっていう伏線??

「三人死ぬ」は動画が見つからなかった。あったと思ったら、中身が「プレゼント」だった。
「三人死ぬ」は覚えてるけど、けっこう怖かった。予言が次々にほんとになる系の話。

"910530B切腹都市〜ハラキリシティ〜 /世にも奇妙な物語" https://t.co/OjgasMPzJb
「切腹都市」見た。おもしろい。当時テレビで
見たけども。竹中直人がいい味だしている。

ケント・ギルバート演じる主人公は日本に対して古いイメージをもっている。彼は日本でビジネスをすることになる。
日本は彼のイメージどおり、武士、忍者、芸者、そしてハラキリの国であった。

珍妙な日本の様子がおもしろい。趣がある。日の丸弁当で終わらせるところはうまいんじゃないかなあ。ほんとの東京は現代的……と思わせて、弁当の中身は古いままであると。

"910606A夢 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/bsLADDC4Mw
「夢」見た。世良公則演じる医師は、たびたび殺人犯になった夢を見る。赤いものが夢の引き金になっているらしい。法廷に立つモノクロの夢のなかで、自分の血が赤く見えてきて、夢ではなくなってゆく。

悪夢がどんどん強まってゆく奇妙な話。因果応報や理屈でなしに、ただただイヤなものが迫ってくるタイプの話には力がある。
赤いものばっかり目につくところがおもしろい。現実が夢にまざってゆくさまが、色を通して描かれている。

"世にも奇妙な物語 秘密の花園"
https://t.co/h3csO9bAun
「秘密の花園」見た。うーむ傑作。
クローン技術を人間に応用することをすすめる研究者の主人公が、亡くなった恋人のクローンをつくりだす。クローン彼女は塀の向こうに行きたがり、ケンカが増えてくる。クローン彼女を殺してしまおうと彼は決意する。

衝撃の結末。どうしてこんなことになったんだと、驚いて呆気にとられた。
考えてみれば、平手打ちが伏線になっていたんだろう。彼女のほうが平手打ちが強かった。血がでるくらいの平手打ちをしてきた。ならば、銃を奪って撃つくらいはするだろう。

あと、追いかけてつかまえて抱きしめる遊びがいいなと思った。

"910613@ともだち /世にも奇妙な物語"
https://t.co/8ti9RWWKJU
「ともだち」見た。これは覚えてた。タモリの導入部分がなかなかいい。
接客の笑顔がうまくつくれなかったり恋人とうまくいかなかったりする主人公に、「ともだちになってください」と男があらわれる。断るとつきまとわれる。

最後のさわやかなBGMの使い方とか、表情とか、うまいなあ。
単純な物語だが、つきまといかたに特徴があり、ゾッとしながら見れる。

"910613A心霊写真 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/VMO0EsQnJT
→「心霊写真」見た。
千堂あきほ演じる主人公を撮った写真の、肩に手が乗っている。手のアザから、かつて自殺したサイトウくんという男とおもわれる。気味がわるくて写真をやぶってしまう。それから、悪夢を見たり、つきまとわれたりする。サイトウは、ラブレターを笑われたのを恨んでいた。

これもつきまとわれる話だ。すべての写真で肩に手が乗っているのはやりすぎだ。BGMがおおげさだ。
主人公が錯乱するのはわかる。サイトウくんのキャラが独特だ。木にのぼって双眼鏡をのぞく趣味。インターネットがあればそんなことしてないだろうな。長い手紙を書いちゃうのとか、わからなくはない。

サイトウくんが事情をペラペラしゃべりすぎて、理屈っぽい。ドラマだから物語が要るとしても、分からない部分がなさすぎる。結末はなるほどと思った。

芥川龍之介が木にのぼってる古ーい映像を見たことあるけど、昔の人は木にのぼれたんだねえ。サイトウくんはひ弱そうだけど高い木にのぼっている。

"910620Bユリコちゃん /世にも奇妙な物語"
https://t.co/0jtP9JcX4T
「ユリコちゃん」見た。原作が筒井康隆。
サザエさんみたいなつつましい家庭。おとうさんが起きてくると母と娘と息子が動揺している。おとうさんのご飯もなければ着るものも用意されてない。食べて味もしない。おとうさんが出かけようとするとみんなが止めて、そして泣き出す。おとうさんは真実に気づく。

ユリコちゃんは女の子の名前で、この話ではそんなに目立ってるわけじゃない。タイトルが「おとうさん」でも「おかあさん」でも不思議じゃない。
ユリコちゃんがギリギリのところで踏ん張っている感じはする。そういえば冒頭で泣いてるのがユリコちゃんか。
おとうさんの何気なさが印象的だ。猫がいるのがこのドラマとしてはめずらしい。

"910620A笑う女 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/T2D53RssxM
「笑う女」見た。

上の階から女の笑い声、男の叫びが聞こえる。見ると天井に穴があいていて、液体がこぼれてきたり、血のついた刃物や目が見えたりする。あわてて管理人と一緒に上の階に行ってみると誰も住んでいない。だがそこで指輪を拾う。……

笑う女よりも天井の穴のほうが恐怖や不思議を感じる。
「嘘ついてたら殺さなきゃいけない」も笑ってるのもよくわからないが、不可解なところとつじつまのあう部分が混ざりあって、妙だ。

解かれる謎と解かれない謎。刃物、血、女、笑い声。避けられない運命、ねじれる空間と時間。この番組に求められているものをまんべんなく入れているという印象だ。なかなかの傑作。

「ベビーシッター」「あの世への伝言サービス」は動画見つからず。

"世にも奇妙な物語 百円の脳みそ"
https://t.co/qhrliQqX3m
「百円の脳みそ」見た。勝俣が演じる学生が、頭の良くなるみそを売る屋台に出会う。アインシュタインの脳みそが十万円、紫式部三万円。主人公は性格の悪い東大生の脳みそを百円で買う。彼は大学に合格したが、頭のなかをコントロールされてしまう。

全体にわたって九州の言葉が使われている。どこかコミカルで、ひとなつこい感じだ。
ほかの脳みそを買って食べたら解決するんじゃないかと思った。

この番組によくあるパターンだけど、あやしい店や商売人が出てくる。それで、高い代償を支払わされることになる。「笑ゥせぇるすまん」みたいだ。

"910704Aタイムスクーター /世にも奇妙な物語"
https://t.co/IapJRpYAHv
「タイムスクーター」見た。社長令嬢との結婚話に舞い上がった主人公は、交際中の恋人を殺したいと考える。そこにあらわれた占い師が、時間を行き来できるタイムスクーターを主人公に与える。恋人の子供時代に行って殺して戻って来れば犯行がばれないためだ。

主人公が高嶋政伸で、「黒魔術」以来二作目。前にも書いたけど高嶋政伸というと夫婦のトラブルのイメージがあるから、恋人を殺そうとするところに変な真実味を感じてしまった。

調べたら原作は漫画なんだな。

川に溺れてるのを見捨てようとするところからのフェイントがおもしろかった。
占い師がスクーターを貸し出すって変な感じだ。占い師を演じた岸辺シローも、タイムスクーターがほしい側の人なんじゃないか?

しかしあんなにいい恋人がいるのに捨てようとするかねえ。天秤が釣り合っているように見えない。
このドラマにでてくる1990-1年の男たちは出世しようとする気持ちが強いし、女は男に出世を求めてくる。

"「我が家はどこだ」 柄本明"
https://t.co/YrCkvstwJu
「我が家はどこだ」見た。主役の柄本明の演技がすごい。

酔っぱらって自宅を間違える主人公。あたらしい自分の家に、どうしてもたどり着くことができない。同じように帰れなくなった男性と話しながら、大切なことにきづく。

柄本明がのりにのっていて楽しい。それに尽きる。

"910725@残像 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/Mb43Rtb4UG

「残像」見た。
主人公が引っ越してきた部屋には、大きな鏡があった。ダイヤルをひねると、なんと鏡に過去がうつる。二年前に住んでいた女、七年前に住んでいたロック少年、十年前に住んでいた中年夫婦。鏡を眺めて暮らしていたある日、鏡の中で夫が妻を殺しているのを目撃してしまう。

これは覚えてた。ドキドキしたけど、オレはどうやら「のぞき」の話が好きらしい。
写真屋の店員がタモリか。
十年前の事件を追いかけようとするなんて、危ないことをするもんだ。それにしても、しょうもない通報だったなあ。

"910725A嘘八百屋 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/o52oNEnvdC
「嘘八百屋」見た。
「嘘八百屋」では人を幸せにする嘘を売っている。ほかに家庭をもっている男との別れ話を切り出せない主人公(西村知美)は、言いたいことが言えるようになる魔法の水と、未来の自分からかかってくるという黒電話を売ってもらう。

夢のあるふわふわした話で、西村知美にぴったりだ。こういう「キャスティング」っていうの? 役者をあてる采配がいつも上手だと思う。
こういうお店があったら素敵だなあと思った。むしろなんで無いんだろう、っていうくらい。

"910725Bリフレイン /世にも奇妙な物語"
https://t.co/BZC43mfAgt
「リフレイン」見た。
松崎しげる演じる主人公には、同じ日が何度も訪れる。同じ朝のニュースを見て、同じ事故を目撃して、そして同じように家族が暴力団の抗争にまきこまれて殺される。夜12時になるとまた朝になる。同じ日を五回くりかえした主人公は、あることをしてその日を終わらせる。

原因不明の奇妙な話。それでいて、自分がこんなことになったらどうしようと不安にもなる。印象的な話で、よく覚えていた。
仲の悪い夫婦のあいだでよくわからないことになって子供が泣くのがかわいそうだし、狂ったような主人公の笑いも迫ってくるものがある。

傑作だけど、ただ、すぐ殴る取り調べとか、すぐ撃ってくる暴力団員にはやや不満。

"910808B記憶の沼 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/N5uOjnlsFx

「記憶の沼」見た。
主人公は、沼で女の子に導かれて溺れ死ぬ夢を繰り返し見る。ひとり旅の電車のなかで、夢で見た女の子に出会う。電車を降りた女の子を追いかけて降りた駅のそばには、夢と同じ沼がひろがっていた。宿の人の話では、以前その沼で女の子が亡くなったという。

主演の若村麻由美さんが美しくて、うっとりと見た。
沼に引きずりこまれるのがなかなか怖かったが、物語は意外なところに着地する。
おそろしいと思いながらも追いかけてしまう、あるいは逃げてしまう。そのあたりの心の移り変わりがひとつのポイントかな。
すぐ女を殴る男がでてきて、こういうのはなんだか引いてしまう。

おれに関する噂、ボタン、つまらない男、この気持ち伝えて、19XX、の五つは動画がない。ごっそり欠けている。うーむ。

"910822@ボロボロ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/kI1FgnjuAF
タイトルは「ボロボロ」だが、中身は「朝まで生殺人」だった。見ていなかったので見た。音声がおかしかったが、イヤホンしたら普通に聞こえた。

脚本家が殺人シーンを朝までに書き直すことを命じられる。そこへあらわれた手伝い・ヤマダマサコは奇妙な女で、脚本家のかつての殺人シーンをすべて覚えている。あの殺しかたはすでに書いた、この殺しもすでに書いた。アイデアを探しあぐねる脚本家に、ヤマダマサコはあらたな殺しを提案する。

討論番組とはなんの関係もなかった。おおげさなようだが手が込んでいて、楽しめた。この番組も、脚本家がさまざまな奇妙さを苦しんで考えだしているのだろう。

"910822A大蒜ニンニク /世にも奇妙な物語"
https://t.co/cuSTBMsR7j

「にんにく」見た。
榊原郁恵の演じる主人公は、無人の八百屋でにんにくを盗んでしまう。見られていたのではないかと不安になり、挙動不審になる。にんにくを戸棚に隠し、夜には公園ににんにくを埋める。そのころ、近所ではOLのバラバラ殺人が起こっていて、その件で主人公のもとへ警察がくる。

「にんにくにんにく……」というささやき声をよく覚えているが、内容は忘れていた。
テレビ欄の「大蒜」が読めなくて父にきいたら「オオニラ……?」と言っていたのを覚えている。

主人公が落ち着かなくなるところはリアリティを感じた。悪いことしたときってあんな感じだよな。
もっとコミカルにも、もっと怖くもできそうだけど、どっちにも転ばないこの匙加減。

"世にも奇妙な物語"
https://t.co/TomW1u94rX

「パパは犯罪者」見た。
小倉久寛演じる主人公は娘のためにドラゴンボールのビデオを借りにいく。しかし40円たりない。ビデオ屋の閉店時間が迫っている。主人公はさまざまな方法でなんとか必死で40円を貯める。成り行きで、瓶で人を殴ったり、強盗に土下座をしたり……。

これはよく覚えてた。小倉さんの演技に味がある。あらすじは記憶してても、演技力って記憶に残らないものだな。
演技力といえばビデオ屋の店員もキャラが濃い。丁寧なのに横柄にも見える、ギリギリ実在しそうなキャラ。

「柵」「ま・ば・た・き」「告白パーティ」は動画みつからず。「柵」はまた見てみたかったなー。

"910905A人格改造ドリンク /世にも奇妙な物語"
https://t.co/oTL8fBJ9Ti

「人格改造ドリンク」見た。
蟹江敬三演じる主人公は人格改造ドリンク「営業スマイル」「企画力」などをこっそり飲んで、なんとか仕事している。ドリンクの効き目は一時間で、ドリンクなしではいられない。家族といるときは「一家団欒」。だがドリンクを常用しているのは主人公だけではなかった。

一度使うと常に使いつづけないといけないのがつらそうだ。中年サラリーマンの日々のしんどさが描かれていて、こっちまでぐったりしてくる。
自殺しようとする息子を止めてたら娘に言い寄られる展開がおもしろい。
オチはとても弱いが、じっとりと後をひく味わいがある話だ。

「替え玉」は動画みつからず。

"910905B仙人 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ALWcPZyjzi

「仙人」見た。
仙人になりたがっているゴンスケ。仙人になる方法を教えてやると言って二十年のタダ働きをさせる医者とその妻。二十年たったその日、ゴンスケは高い木にのぼらされる。木のてっぺんで両手を離せと医者の妻は言う。手を離したら木から落ちるが、言うことをきかないと仙人になれない。

芥川龍之介が原作の、古い時代を舞台にした物語。
内容は覚えてたけど、あらためてゴンスケの真面目さと医者の妻の悪さを感じた。

"世にも奇妙な物語 「冗費節減」 嶋大輔"
https://t.co/vuLtBfl1LP

「冗費節減」見た。
主人公のつとめる会社では、無駄を省くためにさまざまな努力がおこなわれ、特に言葉を略して話している。「アイスミルクティーください」が「ア」にまでなってしまう。主人公はそれについてゆくことができなくなってくる。そしてついにブチギレる。すると……

学習ビデオの「時間がかかる」「やや時間がかかる」「時間がかからない」がうまく使われている。
世の中そのものが変化して自分がとりのこされてしまう「ズンドコベロンチョ」型の作品。

「整理癖」「ビデオドラッグ」は動画がみつからなかった。
それより、いつもこのシリーズを見ている「こわ こわ」という動画チャンネルが削除されてしまった。大量の「世にも奇妙な物語」の動画が削除されてしまった。それは倫理的には正しいことだが、この企画はこれからどうなるんだ。

"910926AカラオケBOX /世にも奇妙な物語"
https://t.co/LCJLcohqar

「カラオケBOX」見た。
カラオケの映像に出てきたことが本当になる。「キャッツアイ」を歌うと宝石を手に入れ、「ツイてるねノッてるね」で大金を手にする。だが、次にカラオケに行ったときには殺人の場面が映ったり、亡くなった恋人が映像に映ったりする。

でてくる歌がいちいち古いなあと思う。でもカラオケ自体の基本的なところは今と当時ではそんなに変わらないかも。
ラストシーンがよくわかんなかった。女性はトラックにひかれたのかひかれてないのか。いずれにしてもトラックはどこにいったのか。

「長い一日」は動画がみつからなかった。
見れない作品が多い。何をまだ見てないか、整理しておいたほうがいいな。

"910926Bもう酒ヤ・メ・タ! /世にも奇妙な物語" https://t.co/XIlK717Xgr

「もう酒ヤ・メ・タ!」見た。
まったく音のない動画だった。途中で関係ない音楽が一部ながれる。
60分ある白黒のサイレント映画を見たことがあるけど、それに比べればわかりやすいものだ。一度見たことある話だし。

三宅裕司演じる主人公は酒癖が悪い。朝は覚えのない場所で目覚めて、人間関係が悪くなっている。何が起こっているのか突き止めるため、探偵に依頼する。
あるとき目覚めると森のなかで、そばに死体があった。それを苦にして首をつる。会社には探偵の撮った映像がとどいた。そこに映ったものは……

会社でなにも仕事をしてなさそうなのが気になった。
タモリのでるエンディングで結末がひっくり返るのがいいね。


■今回のベスト10
1 急患
2 ズンドコベロンチョ
3 秘密の花園
4 残像
5 リフレイン
6 笑う女
7 夢
8 冗費節減
9 着せ替え人形
10 ユリコちゃん

■今回のワースト3
1 覆面
2 奇跡の子供
3 言うことを聞く子


ベスト7でもいいくらいだった。
動画が見つからず、見れてない話が50話ほどになった。
それではまた。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c3

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
4. 中川隆[-12130] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:26:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018年08月24日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ
【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html


のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。

記事の最後に、今回のベスト10、ワースト3を決めるから、最後まで見ていってくださいね。



(動画のリンクを貼るけど、削除されている場合があります)


"世にも奇妙な物語 #133 バイパスの夜 寺田稔"
https://t.co/THwz1dzCZ3
「バイパスの夜」見た。
──タクシーの客が銀行強盗と殺人をしてきたといえば、運転手は学生と浮気した女房を殺したという。ふたりの話はゆっくりと交わっていく。──

どちらもいい役者だけど、無口な運転手がとくにいい味だしている。いい演技。ほとんど台詞だけで成り立っている。
コメント欄はへんなのがわいている。

ニュースおじさん 戦争はなかった 開かずの踏切 40年 赤い雲 耳鳴り 真夜中のディスクジョッキー 聞こえる 死にたくない ボクの好きな先生
動画がみつからなかった。



"世にも奇妙な物語 「超短編集2」"
https://t.co/ZqeRGhU9eU

「still」見た。
──主人公が朝起きると家族が止まっている。外に出ると人々が止まっている。だが時間は動いている。動いている人を探すが誰もいない。そんなとき、車の音がする。車に乗っていた男二人は主人公を「回収」しようとする。──

これ、えらく面白かった記憶があり、いま見てもなかなか良かった。怖がるようなものではないが、動かない人をたくさん見ていると妙に不安になる。回収の人たちは「業者」って感じだったな。「センターに連絡」って言ってたな。背後に組織がありそう。
人が交換されてたな。連続した時間のなかを生きているつもりでいるが、こんなことだったらわけわからないな。

わからなさが解明されるわけじゃなくて、別のわからなさに切り替わるっていうのがいいな。最後だってそうでしょう。

しかし「超短編集2」じゃないよ。12分あるんだから。タイトルがおかしい。



"【 何回見ても 面白い 】 世にも奇妙な物語【死神】【隣の声】怖い話 恐怖"
https://t.co/8V22QASVlw

「死神」見た。
──主人公(そのまんま東)は恋人との結婚に踏みきれないでいる。そんなある日、死神があらわれる。死神は足元にいればいいが枕元にいるとその人は死ぬという。ある日彼女が崖から転落し、搬送先の病院のベッドの枕元に死神があらわれる。主人公は彼女をすくうためベッドを動かす。──

最後のろうそくの場面がとても印象的だ。
あらためて見ると筋の通った話だ。崖では落ちたふりをしたり、病院では死神をあざむこうとする。その報いを受けたとはいえるが、動機はちょっとしたことなんだし、同情する。

主人公には弱いずるい心と、彼女を守ろうとする心の両方があり、好感をもった。オレが「人間らしさ」を感じるのはこういう男だ。



"世にも奇妙な物語 未来の思い出"
https://t.co/q40hJ5fE9X
「未来の思い出」見た。
──林家こぶ平と石田ゆり子が演じる二人が撮った写真には老夫婦が写っている。未来が写った写真。彼は仕事をがんばるようになり、未来の写真の背景がきれいになる。だが仕事のしすぎから二人の仲が悪くなっていき、ついには写真の女性が別の女性に変わってしまう。──

なんだかんだで普通にいい話だ。男は極端になったりぐらぐらするけど、石田ゆり子のほうは安定してていい。
こういう写真があったらもっと頑張れたりするんだろうか。



"911107Aボールペン /世にも奇妙な物語"
https://t.co/KWr1TnA1t7

「ボールペン」見た。
──緑のボールペンで毎日願い事を千回書くと願いが叶うという噂がある。スポーツで勝ったり、欲しいチケットを手に入れたり、続々と願いを叶える者があらわれる。主人公の高校生ふたりは、ひそかに想っている互いの名前を毎日千回緑のボールペンで書き続けた。すると……──

これは覚えてた。万葉集の授業があるけど、こういう願掛けは古くからあったかもしれないね。「とりかへばや」だったら伏線になってたな。
「幸せなら手をたたこう」を歌いながら自転車こいでるお巡りさんはなんなんだ。幸せそうだなあ。
入れ替わってからが本番でしょうに

あと「ギュイギュイーン!」みたいな音はなんなんだ。はりつめた意識、みたいなのを表現しているのか。昔のドラマっぽさがある。



"911107Bみどり紙 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/Z9qNh9KILw
「みどり紙」見た。動画に音声がなかった。

記憶で書く。──自然のなくなった未来が舞台。植物がないせいで、酸素がない。人間を植物にする技術があって、国から「みどり紙」が届いたら植物にならなければならない。主人公たちはみどり紙から隠れ逃げ回っている。──

スケールの大きな傑作と記憶している。ぜひともまた見たかったので、音声がないのは残念。
今だったら「みどり紙」が「みどりメール」だったりするのだろう。



"無人艦隊 世にも奇妙な物語"
https://t.co/AeGZ2Nu7eU

「無人艦隊」見た。
──船から人が突然消えてしまう原因不明の現象がおこる。それを調査している主人公たちの船からも、つぎつぎに人が消えてしまう。そんななかで、戻ってきた者がいた。彼は「思い出した」のだという。──

なかなかモヤモヤする話だ。原因不明の怪現象に、なぜ効果があるのかわからないような解決策。目がかすむとか、白い空間とか、ごく断片的なことしかわからない。謎が濃い。
演技が下手なのが気になる。こういう場所が舞台というのはめずらしい。

動画が四つもあった。動画がひとつもない話も多いのに。
軍事的なことに興味ある人たちが見るのかなあ。



"怪しい鏡 世にも奇妙な物語" https://t.co/kr90m6POW6
「あやしい鏡」見た。
──金と地位だけを信じる汚い父と、それを憎む娘の物語。娘は別荘で父への憎しみを語り、殺そうとする。
あやしい鏡がある。人を殺した者がその前に立つと殺した者の影が映るという。──

娘(南野陽子)が雰囲気のある役をしている。「よくてよ」みたいな言葉づかい、ひさしぷりに聞いた。
これって父が勝ったっていうことなんじゃないの。そこが不満。



"911114B驚異の降霊術"
https://t.co/BiK9OK6GIN
「驚異の降霊術」見た。がちゃがちゃした話だ。
──テレビ番組で降霊術師がシャーロック・ホームズの霊を呼び出すという。架空の人物の霊を呼び出せるはずがない、と男がその場にたちあう。──

本物と偽者のあいだを行ったり来たりして、どっちなんだと揺さぶられるが、降霊術師のおばちゃんのキャラが濃すぎていかん。
ニセモノであることを暴こうとするというだけでも、オカルトに対してはだいぶ優しい態度だと思う。

消えた「こわ こわ」という動画チャンネルが動画をあげなおしていた。見てないのがあるから、明日からはすこしさかのぼる予定。



"910411@呪いの紙人形"
https://t.co/ze3twMFf9u
「呪いの紙人形」見た。
──誰もかれもが嫌いになっていた子どもが、魔術師に出会い、呪いの紙人形を手にする。人形に名前を書けば人形に起きたのと同じ目に合わせることができる。新しい父親、先生、医者、男友達を呪うと、15年後に効果があらわれはじめた。──

すっかり状況がかわってから呪いの効果があらわれる。呪いをかけた人に跳ね返ってくるわけで、意地悪な道具だなあ。
急に大人になったり、また子供に戻ったりするところに少し無理がある。魔術師のヒゲよ。

無いと思ってた動画が見つかったので、少しさかのぼっている。



"910502B目覚まし時計"
https://t.co/FeKiP6vk96
「目覚まし時計」見た。
──玉の輿を望むドジなOLの主人公(南果歩)は不幸をとりのぞく不思議な目覚まし時計を手にする。災難が起こると目覚まし時計が鳴って、翌日の朝のベッドにワープする。
交際中の彼の「大事な話」を聞こうとすると目覚まし時計が鳴って聞きそびれてしまう。──

南果歩、好きなんだよねえ。彼の名前が「工藤」なのでドキドキした。
玉の輿をねらってるドジなOLという設定が、いかにもドラマっぽい。こういう人ってほんとにいるのかと思ってしまう。

番組が番組なので、ハッピーエンドになろうとすると何か起こるんじゃないかと警戒する。



"910613Bベビーシッター"
https://t.co/yrf48Dj39y
「ベビーシッター」見た。
──主人公(浅香唯)がベビーシッターにむかった先は小説家の家だった。ここにきたことを誰にも言ってないことを確認される。動いているような気がする絵がある。窓が閉まっているのに入ってくる風、とつぜんの停電。子供ふたりは「悪魔」だった。──

すぐ雷が鳴ったりガラスが割れたりして、ガチャガチャした話。「エクソシスト」とかそういうのを見てつくったような内容。
浅香唯がかわいい。



"910829A告白パーティー"
https://t.co/etVa936hot
「告白パーティー」見た。
──女性四人があつまり、秘密を告白しあう。エスパー、殺人鬼、宇宙人、そして……──

「廃校七番目の不思議」みたいな話だ。典型的なやつをいくつかつめこんで、ほんとか嘘かわからなくする。
ガニメデ星人ってこんなんなのかと思ったのを覚えている。あの宇宙人もほんとに「典型的」だ。耳がとがってて羽がはえたら宇宙人って。予想を超えていかない。



"91秋C開かずの踏切"
https://t.co/L8tAY8UZeU

「開かずの踏切」見た。
──主人公(石田純一)がバイクで田舎道を走っていると踏切の遮断機が降りていて足止めされる。しかし電車はこない。そこへ奇妙な人たちがあらわれる。作業員ふうの男が息子に買ってやったミドリガメの話をしたり、女が100円をねだってきたりする。──

これは面白かったな。好きだよ。
開かずの踏み切りは都会にあるものだけど、田舎にひっくり返されたことでシュールな風景になる。
すぐ死ぬミドリガメを売る商売の話、老人の「故障したら直すものだ、故障したら捨てるという人間がいるが、その人間こそ故障している」という話。
それから野球少年もだけど、踏切の住人たちは現代社会からやや距離をおいている。興味深い人たちだ

最後ちょっとよくわかんなくなるけど、踏切があの世とこの世を隔てていたんだろう。ってことはみんな死者なわけで、ちょっとさみしいな。

似てる話をあげるなら「峠の茶屋」とか「我が家はどこだ」かな。閉じ込められてるわけじゃないんだけど、同じ道ばかりグルグルして進めなくなって、そんななかで出会いや気づきがある。
この「開かずの踏切」は、住人のキャラが立っていたし、のどかで良かった。

この番組は都会の若者〜中年の話が多いんで、たまに田舎とか昔っぽいの話があると印象にのこる。こどもや老人の存在感もドラマを豊かにする。

のどかと言ったけど、血液や鋭利な刃物のようなものの映像が瞬間的に挿入される。サブリミナルかと思ってしらべたけど、一度見てわかるのだからそうではないだろう。これらはラストシーンへの伏線になっている。



"91正月B帰れない"
https://t.co/JHq3jEbgZ8
「帰れない」見た。
──主人公(片岡鶴太郎)は家族とうまくいっていない。おでん屋で電話をかりて、もう帰らないと宣言する。それから自分の家を見つけられず、帰れなくなる。待ち合わせをしても会えない。──

二回つづけてループものだ。「我が家はどこだ」とかなり似ているが、オチは180度ちがう。
飲み物の入れ物でループを悟るのが「開かずの踏切」と同じだ。



"911121@前世の恐怖 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/QIR060uOBw
「前世の恐怖」みた。
──主人公(近藤正臣)は殺人の妄想がとまらない。自分は殺人鬼の生まれ変わりではないかと思い込む。──

それ以上、なんともまとめようがない。
わけもない殺意におそわれているけど、そんなになんの理由もなく人を殺したくなるものだろうか。殺人鬼ってそういうことじゃないんじゃないか。毎日の満員電車が罪ほろぼしというわけか。
ただの思い込みの激しい男かと思っているところに、妻のこころの声というかたちでオチがつく。

女性ばかりを狙うっていうのけど、酒場では男性客を刺そうとしていたなあ。



"911121A三日間だけのエース /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ONf4ckSK7z

「三日間だけのエース」みた。
──幼馴染みだが喧嘩も多い二人の男子高校生が、トラックにはねられる。一人は軽傷だが一人は即死。即死の彼は野球の大会のためどうしてもあきらめきれず、三日間だけもう一人の体を借りて生きることになる。──

出演者に「森且行」の文字を見て、なんか心動いた。このころはそういう時代だったのか。
神様がいい味出している。
勝ったからいいけど、あの試合で負けるっていうケースもありうるんだよなあ。



"911121Bそこではお静かに /世にも奇妙な物語"
https://t.co/4rJOEBQuUT

「そこではお静かに」みた。
──騒音で困っている作家の主人公が、しずけさを求めて人里離れたホテルにやってくる。そこは本当にしずかな場所で、誰も物音をたてない。主人公がたてる音が響きわたる。──

よかった。音がないところで人は祈り、音楽を奏でる。野原で人がうねり狂うような一瞬の場面がすばらしい。しずけさを映像にすることに成功していて、詩的だ。

運転しながら携帯電話で通話している場面があって、それは法律で禁止されていると字幕がでていた。



"911128@シガレットボム /世にも奇妙な物語"
https://t.co/vL6GHNiWL5
「シガレット・ボム!」見た。
──主人公(保阪尚輝)は恋のライバルをやっつけるために実験室の火薬をつかい、タバコの爆弾をつくる。それをライバルに吸わせようとする。しかしタバコは人から人にわたってゆく。──

タバコの強い時代だったんだなと思った。普通に歩きタバコもするし、吸い殻のポイ捨てもしている。
いきなり刺してくるヤーさんがでてきた。
主人公の嘘の下手くそさよ。こっちがひやひやする。
話はおもしろい。いつ爆発するか、ハラハラした。



"世にも奇妙な物語 「チャネリング」 佐藤B作"
https://t.co/Be7S8LZTzE

「チャネリング」見た。
──インチキ霊媒師三人組のリーダー格の男をほかの二人が担ぎ上げ、襲ってきたところを反撃して殺してしまう。二人は金を持って逃げようとするが、殺したはずのリーダーは生きていて、また襲ってくる。それを霊の力でまた殺す。──

このあいだ見た「驚異の降霊術」もこういう題材だったなあ。どうも古くさく感じる。ドタバタしている。

「悲鳴」「行列」は動画が見つからず。「行列」はおもしろい話だったと記憶している。



"911205A毛皮が脱げない /世にも奇妙な物語"
https://t.co/FCYeMIAwr6
「毛皮が脱げない」見た。
──毛皮好きな二人の友人にあきれ、主人公は「そんなに毛皮が好きなら犬か猫にでもなればいいのに」と言って五円玉の入ったサイフを放り投げる。五円は神社の賽銭箱に入り、これが本当のことになる。──

言ったらほんとになっちゃう系の話。毛皮が脱げなくなって犬や猫になっちゃうのが怖いと感じられれば怖い話。まあ、オレはべつに。

山下達郎とか恋人はサンタクロースとかがクリスマスソングとして流れていた。このころから変わってないのかー



"911205B海亀のスープ /世にも奇妙な物語" https://t.co/qHhCuyilJj

「海亀のスープ」見た。
──世界的に有名な画家・柴山が、海亀のスープを飲んだ直後、謎の自殺をする。その謎を追う記者は、事情を知っていそうな男(いかりや長介)から話を聞き出す。
柴山と彼はかつて船乗りで、難破して無人島にたどり着いた。衰弱していた柴山のため、彼はスープをつくった。──


「ニュースの海」って番組がでてきた。TBSの「ニュースの森」ってあったなあ。
これ、たしか有名な話だよね。ネット掲示板で流行らなかったっけ? 完全に忘れていて、ドキドキしながら見た。

あと、1991年当時って携帯電話が普及してないと思い込んでたけど、けっこう出てくる。大きいけど、そんなに違和感ない。



"911219Aハネムーン /世にも奇妙な物語"
https://t.co/HTiCwavzJh

「ハネムーン」見た。
──新婚のふたりが別荘を訪れる。夫は仕事のトラブルですぐに出ていき、妻(高木美保)と使用人(野際陽子)が残される。別荘では次々に奇妙なことがおこる。以前この近くでなくなった「前の奥さん」の仕業らしい。──


わりと、こういうときのテンプレートに添って話が動いているように見える。似たようなのを見たことある。なんだろう。「マイホーム」かな。
ヴァイオリンが雰囲気を出している。話がよくある感じなので、雰囲気での味付けが大事になってくる。

ホーム・ドラマ、まだ恋ははじまらない、佐藤・求む、神様、は動画みつからず。
「ホーム・ドラマ」はきつい話だったと記憶している。



"世にも奇妙な物語 もうひとり (風間杜夫)" https://t.co/Y3yiACuXkg

「もうひとり」見た。
──やったはずのない仕事がほめられる。もらっていない見積もりがもらったことになっている。知らないあいだに昇進している。主人公は、もうひとりの自分に翻弄される。家に帰ると、そこにもうひとりの自分の靴がある。──


このころは公衆電話がこみあっているんだなあ。タバコもたくさん吸っている。
ドストエフスキーの「分身」みたいな話。この展開はおもしろいなあ。ありそうな話だけど、うまく動かしている。



"世にも奇妙な物語 「王将」 丹波哲郎"
https://t.co/ycVIkoXAw2
「王将」見た。
──将棋の世界の若き天才の挑戦を、大名人が七年の沈黙を破ってついに受けることになった。若き天才・龍ヶ崎は驚異的な記憶力をもっていて、パソコンを使い相手の過去の勝負をすべて把握する。だが大名人の手を読むことは困難だった。棋風が見えないのだ。──


変な将棋で勝負が決まるあっけない話のように記憶していたが、いやいやとんでもない、迫力のあるすばらしい話だ。
二十数年ぶりに「世にも奇妙な物語」を見直しているわけだが、評価の上がり方がもっとも大きい話だった。

若い天才の野心や苦悩がよく描かれているし、老いた名人の底知れないところもよく描かれている。ひとつの勝負に七年かけるなんて、さすが、人間の大きさがちがう。見事でした。
短歌の世界に通じるかもと思いながら見た。あんな老人になってみたい。いいもの見せてもらったなあ。



"91冬A午前3時のノック /世にも奇妙な物語"
https://t.co/9svrAnWp1m

「午前3時のノック」見た。
──主人公(工藤静香)は言いたいことが言い出せないタイプで、クリスマスシーズンだというのに楽しく過ごせずにいる。
そんなある日、毎晩3時に部屋をノックする音がする。警察を呼ぶなどするが解決しない。──

途中で動画の音声がおかしくなるので、いいところで意味がわからなくなってしまった。
まあつまり、ノックしてきたのは意外な相手だったというお話。
工藤静香ってモノマネのイメージがつよいなあ。本物なのにモノマネっぽく感じる。



"世にも奇妙な物語"
https://t.co/MpVCWXjwVt
「犬の穴」見た。
──主人公(三浦友和)は部下と不倫していたが別れる。相手が自殺する。その犬をあずかることになる。主人公は犬を捨てようとするが、犬は家にもどってきてしまう。何度やっても同じ。
犬は、人には見えない「犬の穴」を通って戻ってくるのだともいう。──

時間をかけてゆっくり進む話だなと思った。内容のわりには長いような。沼へのはまりかたがなんか不自然な気がした。離れられないはずだったのにエリーはどうして男を見殺しにしたのか。男ではなく家になついていたのか?



"世にも奇妙な物語 23分間の奇跡"
https://t.co/xQVzON6swK

「23分間の奇跡」見た。
──小学校の新任教師(賀来千香子)は生徒たちを前もって調査して把握している。ほめたりお菓子を配って子供の心を掌握する。反抗的な生徒をクラス委員にし、前の教師がかけた額を捨てさせる。──

なんかいつもの「世にも奇妙な物語」じゃないみたいで、あれ? と思いながら見た。ぐいぐいくる先生だなあと思って見ていたが、じわじわとこわくなってくる。途中で終わったような印象もあるが、あの時点ですでに「(将棋でいえば)詰み」だ。

教室の外側で大きなことが起こったはずなんだが、それがトシユキくんのもってる新聞の切れはしでしかわからなくて気になった。はっきりわからないから普遍性のある話になったんだろう。

これを「奇跡」と呼ぶところにセンスを感じた。完成されたマニュアルを正確におこなった結果だ。トシユキくんをまるめこむやりかたも実にスムーズだった。

■■■


今回おもしろかった話10
1 23分間の奇跡
2 王将
3 開かずの踏切
4 ヴァーチャル・リアリティ
5 still
6 そこではお静かに
7 死神
8 海亀のスープ
9 シガレット・ボム!
10 みどり紙
「みどり紙」はもっと上のはずなんだけど、音声が聞けなかったので残念だった。
「ヴァーチャル・リアリティ」はこの記事で感想を書いてないけど、三ヶ月くらい前にYouTubeで見た。


今回つまんなかった話3
1 告白パーティ
2 驚異の降霊術
3 毛皮が脱げない


んじゃまた。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c4

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
5. 中川隆[-12129] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:28:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【5】1992年4-12月
http://mk7911.blog74.fc2.com/blog-entry-3990.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベスト7を決めるから、最後まで見ていってくださいね。


"世にも奇妙な物語 シャドウ・ボクサー"
https://t.co/ROjCVMquK6

「シャドウ・ボクサー」見た。
──主人公のボクサー(柳葉敏郎)は、試合に負けてから再起をはかり練習にはげむが、スピードが出ない。はやく、はやく、はやくと心に唱えながら練習を繰り返しているうちに、周囲がゆっくり動いているように感じはじめた。試合には勝つが、彼はどんどん加速していく。──

うん。こういうのが「世にも奇妙な物語」なんだよな。ひとつの変なことがほかのすべてに影響してくる。
奇妙なだけでなく、悲しさがある。恋人が見えなくなるつらさがよく描かれている。

ハッピーバースデー・ツー・マイホームは動画が見つからず。これで1991年おわり。第2シリーズおわり。



"「笑いの天才」 菊池桃子"
https://t.co/EW2dzYjFyu

「笑いの天才」見た。
──売れないお笑いコンビ「ツインピークス」のこはる(菊池桃子)は笑いがとれずに悩んでいる。神でも悪魔でもいいからお願い、わたしに笑いを取らせて! と叫ぶと、何を言っても大爆笑されるようになる。仕事の外でも、何か言うたび常に大爆笑され、生活に支障をきたしはじめる。──

これって、「シャドウ・ボクサー」と同じ流れだ。遅くて勝てない→速くなろうとする→速すぎる、というのが「シャドウ・ボクサー」。
笑いがとれない→とろうとする→笑われすぎる、というのが「笑いの天才」

その後のながれは違うけど、なんとなく「世にも奇妙な物語」の典型になっていると感じる。こわいことになる→夢だった→やっぱり夢じゃなかった、のながれ。
でも常に爆笑だから、こわくならないし、こっちもちょっとつられて笑ってしまう。



"世にも奇妙な物語 常識酒場 【今井雅之】"
https://t.co/f9pGMOQBtt
「常識酒場」見た。
──超能力をもった兄弟が酒場に入る。居合わせた客たちが超能力をバカにするのを見かねて、能力をつぎつぎにつかって酒場をめちゃめちゃにしてしまう。──

不自然なところが気になる。客の注文を無関係な客がバカにしたりするだろうか。超能力のテレビ番組がでてくるところも唐突だった。その場面の以前も以後もテレビは無いし。

奇遇、震える愛、気づかれない男、けむり男、デンデラ野、血も涙もない
は動画がみつからない。



"世にも 瞬"
https://t.co/RNe1DUe8PK

「瞬」見た。
──主人公は、ふつうに生活しているつもりなのだが時間に間に合わない。気がつくと時間がとんでいる。そんなことがエスカレートしていき、毎日行っているつもりの会社に無断欠勤してしまう。──

ひとりだけ速くなってしまう「シャドウ・ボクサー」の逆バージョンだ。時間がとぶのは「通勤電車」にも似ているが、いつ飛ぶのかがわからない恐怖がある。

あんまり見たことないタイプの回転寿司だ。皿が回っているけど目の前に握っている人がいる。
イカをとろうとしたらサバをとってしまいキレるくだりはおもしろい。

「いたれりつくせり」「精神力」動画みつからず。



"世にも すてきな休日"
https://t.co/8sckW0zQIQ

「すてきな休日」みた。
──主人公(高木美保)はいたずら電話に悩まされている。部屋のなかを見ているような内容の電話が留守電に入っている。警察を呼ぶがたよりにならない。ずけずけ入ってくる隣人、注文してないのに届くピザ、なれなれしい水道屋、水をかけてきた男。災難がつづく。──

動画に低評価が多いのが意外。気持ち悪い話だけど、それを見せているんでしょう。
女性であるというだけで受ける被害だし、ハラスメントに満ちている。

ボイスチェンジャーが今と同じだ。ツイキャスのマイキーさんという人がボイチェンして放送してるけど同じ声だ。4分の1世紀経っているのに。



"世にも 顔"
https://t.co/waBi7qSzMm

「顔」見た。
──主人公(きたろう)は、まわりの人々の顔がだんだん区別できなくなってくる。見るたびに顔がかわってゆくように思えてならない。変わったね変わったねと言って不審がられる。──

誰も死なないしひどい目にも合わない、大きな山もひねりもない。それが逆にめずらしい話だ。

顔のかわりかたが微妙でよくわからなかったが、OLがかわいくなったのだけはわかった。あれ、なってるっけ? オレまで不安になってきた……。



"【 何回見ても 面白い 】 世にも奇妙な物語 【食べ過ぎた男】 【 迷路】 怖い話 恐怖"
https://t.co/EP6Xplwhd7

「食べ過ぎた男」見た。
──主人公(草刈正雄)は食欲がとまらない。家族といても、大事な商談のときにも、狂ったように食べつづけてしまう。彼は病院に連れていかれる。医師が見たのは、胃袋で瞬く間に消えてゆく食べ物だった。──

これ、当時テレビで見てすごく怖かったのを覚えていて、今回覚悟しながら見た。雪山がでてくる話は怖いのが多い。

序盤から雪山の伏線がびっしり貼ってあることに気づいた。手のふるえかたが尋常でなくて、それもこわい。



"920514B青い鳥 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/K8uLNr0tVs

「青い鳥」見た。
──主人公(藤田朋子)の前に不思議な男の子があらわれる。いたと思うといつのまにか消えている。主人公はそれが小さい頃に一緒に遊んだ子だと思い出す。──

地味だし大きな展開はないんだけど、しみじみしたところがある。ざしきわらし的な話。「青い鳥」があんまり関係ないような。



"世にも奇妙な物語 もれパス係長"
https://t.co/M8Sj4I4796

「もれパス係長」見た。
──主人公(小野寺昭)は心のなかが周りに漏れてしまう。テレパシーならぬ「もれパシー」がある。そんな彼が大事な会議で発表することになった。──

コメディーですね。ドタバタした話。どんどん漏れて、それをつくろっていこうとして、どうにもならなくなっていく。
見かけによらず毒舌なことを考えているものだ。

「タガタガの島」「声が聞こえる」動画みつからず



"世にも奇妙な物語 ハイ・ヌーン 玉置浩二"
https://t.co/U5U5fkeIki

「ハイ・ヌーン」見た。
──主人公(玉置浩二)は店のメニューをはじから順番に注文してゆく。近所の人が見物にきて店はにぎわい、応援ムードがたかまってゆく。──

これはよく覚えている。筋は覚えているので、細部を見た。
うだるような夏、クーラーが故障している店、高校野球、商店街。丸眼鏡、背広、少ない口数。ひとつの世界が完成している。
母と子、青年、おじさん、店の主人に奥さん、それぞれキャラがある。

電機じかけの幽霊、人形、お前が悪い、リフレクション、は動画みつからず



"世にも奇妙な物語 38′25″"
https://t.co/LNp2hRyRNO

「38分25秒」見た。
──主人公(勝俣州和)の買った携帯電話は38分未来につながる。普通につながる家の電話を組み合わせて、競馬で金もうけをたくらむ。──

これ、うちにはじめてビデオデッキがきたときに録画した回だ。なつかしい。何回も見たはずなんだが、今見たら新鮮だった。

携帯電話が鍵になる話。BGMはアレンジがきいている。カメラワークというか見せ方がうまい。うまく作ってあるなあ。
「いいかげん」動画みつからず



"箱の中 世にも奇妙な物語"
https://t.co/W8mQeswwet

「箱の中」見た
──深夜、エレベーターに男女ふたりが閉じ込められてしまう。男が変な気を起こしかけたころに女が豹変する。女は男をシマダという人物と決めつけて責めてくる。凶器をつきつけたり、かと思うと歌いだしたりする。──

これも録画したから何度も見たはずで、エレベーターの話なのは知っていた。でも緊迫感がすごい。女のかわりようがおそろしい。



"920625B不幸の伝説 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/6a5YsItTuo

「不幸の伝説」見た。
──酒を飲みながら話している二人のサラリーマン。そのひとりが言うには、12時間以内に10人に話さないと不幸になる「不幸の伝説」という話があるそうだ。これを話さなかったために不幸になった田中くんという男がいて、──

これもよく覚えてる。一時流行った「不幸の手紙」を口頭で伝える形にしたわけだが、そうなると伝えるのが難しくなっていておもしろい。
不幸の伝説のなかに不幸の伝説がでてくるという、剥いても剥いても中身がない仕組みになっている。
この回は三話ともおもしろいな。


"920702B言葉のない部屋 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/wwKq7VidRp

「言葉のない部屋」見た。
──1970年を舞台にした話。青森から東京に出てきて工場で働いてる主人公(木村拓哉)は、なにをしてもパッとしない内気な青年。職場の理解あるおじさんが辞めていき、孤独が深まる。そんなある日、青年は録音機を手に入れる。──

キムタクの東北弁がうまい。1970年を再現することに力が入っている。終盤までなかなか奇妙なことが起こらないが、青年のやりきれない日々がずっしりと重い。

あと、タイトルいいね。この内容にこのタイトルをつけるのはたいしたもんだ。

景気のいい時代にもこういう人はいる。っていうか、景気のいい時代に設定してあるからこそ、この暗さが活きているんだろう。

「水を飲む男」「ラッキー小泉」は動画みつからず。たぶんこの週は見てない。



"920709@似顔絵の女 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/IlhlTmPPVN

「似顔絵の女」見た。
──女性と別れて意気消沈している主人公(錦織一清)のまえに、謎の似顔絵描きがあらわれる。またたく間に顔を描いてよこすが、知らない女の顔だ。それからすぐに、会社にその顔の女が配属されてくる。──

よくわからない終わり方だったけど、女が空からふってきたということなのか。だとすると雑だなあ。なんとなく、絵描きに金を払わなかったことが関係しているような気がする。
最初の似顔絵にでてきた橘っていう女の子がかわいかったな。



"世にも奇妙な物語 DOOR"
https://t.co/CRpoayTUIi

「DOOR」見た。
──交際している女性が暴力団の組長の娘で、男は組の者に捕まって二つのドアのある部屋に監禁される。赤いドアと青いドア。どちらかに爆薬が仕掛けられている。「赤いドアを」のメモが落ちている。男は二つのドアの前に苦悩する。──

印象のある話で、ドキドキしたのを覚えている。
今はそれより、序盤の無理矢理な展開が気になる。すぐ気絶するスプレーとか。
でも男の決断はこれでいいと思う。バッドエンドにも見えるが、きもちのいい最後だと思う。

「顔色」「完全犯罪」は動画みつからず。



"920806@待ちぶせ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/oakT06c5Ol

「待ちぶせ」見た。
──主人公(小堺一機)は小学校のころに年上の三人組にいじめられた記憶がある。会社のなかで、通勤の道で、あらゆる場所で三人組に待ち伏せされているような恐怖を感じ、生活に支障をきたすまでになる。主人公は彼らが現在どうしているか突き止めようとする。──

小堺さんがいじめられっ子っぽく見えてくる。キャスティングの妙だ...
http://mk7911.blog74.fc2.com/blog-entry-3990.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c5

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
6. 中川隆[-12128] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:30:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年10月23日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベスト10を決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"隣の声 世にも奇妙な物語"
https://t.co/BXKCs1KKxK
「隣の声」見た。

──主人公(松下由樹)は一緒にユーミンを聴く恋人がいたが、別れる。悲しみながら部屋でユーミンのレコードを聴いていると隣から音がする。レコードに傷が付き聴けなくなる。レコードを捨てるが、捨てたはずのレコードの音が隣から聞こえてくる。──


ここから1993年。当時レコードはもう珍しいものになっていたと記憶している。

うるさいはずの隣が空室だったとか、壁から手がでてひっぱられるとか、ありがちではあるが、それでもけっこう怖いよ。歪んだユーミンもだけど、ヴァイオリンの音もこわい。
「翳りゆく部屋」っていい歌だな。

「非常識宴会」動画見つからず

"世にも奇妙な物語 心の声が聞こえる"
https://t.co/9B1TJZQLfS

「心の声が聞こえる」見た。
──主人公の女子高生(内田有紀)が買った石には、人の心を読む不思議な力がある。
そんなある日、乗ったエレベーターが故障して男と二人で閉じ込められる。男の心のなかには殺意が感じられた。ニュースで話題になっていた、女子高生ばかり狙う連続殺人鬼が頭をよぎる──

ここから1994年。
この話、この番組の第一回の最初の話「恐怖の手触り」に似ている。オチまで同じだ。エレベーターではなく、車の中だったが。
援交やブルセラの話がでてくるが、この頃だったか。女子高生を特別視する風潮もこの頃からなのか?

ガード下の出来事、ラブチェアー、いじめられる女、は動画見つからず。1993年のぶんがあっという間に終わった。

"世にも奇妙な物語「ルナティク・ラヴ"
https://t.co/WhwLpE2vk0

「ルナティック・ラヴ」見た。
──主人公(豊川悦司)は一人の女性を一方的に愛していて、公衆電話からかけたり、家に近づいたり、彼氏の車のフロントガラスを割ったりしている。また、女性と彼氏について情報を集めている。──

うっかりコメント欄を先に見てしまって、岩井俊二によるストーカーを題材にした作品だと知ってしまった。当時はまだストーカーという言葉も広まってなかったと記憶している。
あらすじにすると消えてしまうが、電話の間だとか雨だとかが効果的だ。演技力がある。

なんでユミを殺す必要があったんだろ。
まあ必要はなくても、そうすることで主人公が一途でアブナイ奴だという感じはでる。
ああそうか、本命の彼女を忘れさせようとしてきたんだよな、ユミは。それが主人公には許せなかったのか。暴力でしか表現ができない男なんだな。

それより「言葉の戦争」の動画がなかったのが残念だ。見たかったなあ。カタカナ語が使えなくなって、漢字まで使えなくなる世界が描かれるんだよな、たしか。

"世にも奇妙な物語 にぎやかな食卓  (いしだ壱成)"
https://t.co/OiTDUd0Poq

「にぎやかな食卓」見た。
──大学受験をひかえた主人公(いしだ壱成)にはにぎやかな家族がいた。大学合格祝いのあと、家族がだんだんいなくなっていく。お姉ちゃんは留学で、おじいちゃんが入院で、お父さんは出張で。不安なそのころ、主人公は衝撃の事実を知らされる。──

これ覚えてた。見終わってから振り返ってみると、いろいろ腑に落ちる。タモリの前置きも響いてくるし、合格祝いの大げさだったこと、外国に行ったお姉ちゃんに会いにいこうとするとうまくいかず手紙を書くのも強く止められた理由もわかる。入院のベッドがからっぽなあたりでオチがわかった。

ほんとに絵に描いたような仲良し家族で、見ていて気持ちいいくらいだった。

考えてみればオレは高校に入りたてのころに家族が危うい時期があり、その思い出が重なって、なかなか心に響いてくる話だった。
せつないが明るい終わりかたもいいなあ。

"世にも奇妙な物語 罰ゲーム"
https://t.co/kgYxwNr6kU

「罰ゲーム」見た。
──友人の姉貴(永作博美)から、ゲームをやろうと言われて一緒にやる。それは、サイコロを振って、出た目の少ないほうがあらかじめ紙に書いた罰ゲームをするというものだった。姉貴が書いた「罰」とは。──

たぶんこれはテレビで当時見た。
永作博美の、サディスティックで無邪気ですこしセクシーなキャラがすごくて、それを見る回だな。逆立ちみたいな間抜けな罰ゲームをしてるのも見てみたかったけど。

ふたり、転校生、時間よ戻れ、ある朝パニック、指名手配の男、かげふみ、は動画なし。
「ふたり」は中学二年のころに見て刺激を受けた。当時書かされていた「生活ノート」にこの作品のことを書いて先生に提出したのを覚えている。

"096 1994 기묘한 이야기 94 칠석 특별편 시간의 여신「時の女神」"
https://t.co/NVVkV28cwB

「時の女神」見た。
──主人公の男(柳葉敏郎)が小学生のときにあらわれた白い服のすてきな女性(水野真紀)は、同じ姿でその何年も後にもあらわれる。ふたりは結婚する。彼女は、過去や未来に行くことができるという。──

水野真紀の「女神」っぽさがまぶしい。服の白さのせいもあるだろう。これの前の「罰ゲーム」の永作博美とは対照的だ。
七夕の笹があまり効いてないようだが、七夕に放送されたものだから、その意味ではあっていいものなのだな。
最後に再会したのはいいけど、このあと人生の目標を見失ってしまわないか心配してしまった。娘が生き甲斐になるのかな。

"世にも奇妙な物語 出られない"
https://t.co/LvLmVDzw79

「出られない」見た。
──主人公(斎藤由貴)は田舎の彼の家に行く途中で電話ボックスに入るが、そのままドアが開かなくなり出られなくなる。カードは使えず小銭がない。炎天下の田舎道、人通りも少ない。緊急ボタンは反応しない。──

たまにある、田舎の話がなかなかいいんだよな。いつか見た「開かずの踏切」もよかったし。
閉じ込められる話ってけっこうあるけど、これはコミカルにつくられている。
汗だくの斎藤由貴がいい。
あと、動画のコメント欄よかった。みんな勝手なこと言ってて。

「恐竜はどこへ行ったのか?」動画なし。

"世にも奇妙な物語 思い出を売る男"
https://t.co/9b60B3RvN2

「思い出を売る男」見た。
──主人公(小堺一機)はリストラされ、借金の催促に追われている。思い出を買い取る研究所があると知り、そこで初恋や甲子園の記憶など次々に売り払い、やっと借金を完済する。そんなある日、離婚した妻から子供が重病だと知らされる。さらに多額の費用が必要になる──

これは覚えてる。生活がつらそうだったから、つらい話として覚えてた。いい友達がいるんだし、あたらしい仕事についてもよかったんじゃないかなあ。そこで歯止めになったんじゃないか。
主人公も借金とりも封筒のお金をちゃんと確認しないのが気になる。
絶望のふちから立ち直る結末は感動的だが、このあとちゃんとやっていけたのかは心配になる。

小堺さんは、「モルモット」「待ちぶせ」「思い出を売る男」と三話でている(もっと出てるかも)。「待ちぶせ」は忘れられない記憶や思い出してしまった記憶に苦しむ話だから、かなり対照的だ。
思い出を売ったから忘れてるんだ、と他人には絶対言わないよね。手術費用もそうだけど、自分ひとりで抱え込むタイプなんだろうな。そこが見ていてかわいそうなつらいところだ。

「君だけに愛を」動画なし。
1994年ぶんおわり。次から1995年。

"95冬@ブルギさん /世にも奇妙な物語"
https://t.co/X2o1bbhlB7

「ブルギさん」見た。
──主人公(田原俊彦)は、ゆずってもらったバッジをつけて「ブルギさん」になる。それから多くの人にもてなしを受けるようになる。祈る人、泣く人、もてなすことで救われたという人があらわれる。ブルギさんとはなんなのか、考えるのをやめたころに、ある招待を受ける──

これは覚えてた。途中でエッチなところがあるから特に覚えていた。
「ブルギさん」がなんなのかわからない「ズンドコベロンチョ」的なところから、一生ぶんの幸福を前借りする「銀行振込」っぽさに移る、このドラマらしさのある話だった。

こういう宗教はちょっとありそう。多くの人が知ってたんだから、でかい宗教なんだね。
月への生け贄って言ってたけど、白くて丸いバッジは満月を意味していたというわけか。

"鍵 世にも奇妙な物語"
https://t.co/ULcyO3uldL
「鍵」見た。
──主人公(江口洋介)は毎晩うなされる。医者によると、忘れている過去があるらしい。鍵を拾い、鍵を開けた先でまた鍵を拾う。鍵を通して、秘められた過去が明らかになってゆく。──

1995年の「鍵」を見たはずが、2003年の「鍵」を見てしまっていた。同じタイトルで中身は違う。
なんかあたらしい感じがしたんだよなー。特に女の子が90年代っぽくないというか。
でもこれはこれですごく面白かった。どきどきした。
あしたこそ「鍵」をみる。

"95冬A鍵 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/VnCUf3GJo4

「鍵」見た。
──主人公(松雪泰子)は一人で夜道を帰る。途中で鍵をなくしたことに気づき、交番に寄る。交番の引き出しに自分の鍵があるように見えるんだが、邪魔されて確認できない。不動産屋で鍵をもらって帰って留守電を聞いているときにそれは起こる。──


前半は音がおかしい動画だ。

何が起こるというわけでもないのに、しずかに気味が悪い。
でもこういうことはちょっとありそう。なくしたものを、あるはずのない場所で見つけてしまうことは。

あまり話がまとまっているように見えないのがかえって不気味だったな。わかりやすい異変がない。なにを見せられているのかという気にもなる。
どこから始まっていたんだろう。警官が悪だとしたら、交番に来るのを見越してわざと鍵を奪ったのか。
出てくる男性みんなが悪者に見えてくるのは「すてきな休日」に似ているが、これはもっと抽象的だ。

こういうもやもやした話、いいね。

"そのボタン押すな 世にも奇妙な物語"
https://t.co/GB32LTpBMq

「そのボタンを押すな」見た。
──主人公(西村雅彦)が連れてこられたせまい部屋。何もないが、「押すな」と書かれたボタンだけがある。彼はボタンを押したくなるが、我慢する、だがやはり押したくなる。彼はついにボタンを押す。すると──

7分くらいの短い話。西村雅彦の怪演。部屋に入る前から様子がおかしいが、どういう設定なんだろう? コントみたいなオチだ。

博士のあごひげがおかしい。もっともらしく見せようとしてつけたヒゲなのだとしたらセンスがない。
とぼけた男の質問が真実を言い当てているのがおもしろい。真実の解明には、厳密な実験だけではなくて、エラーみたいなものも必要なのかもしれない。

"友子の長い朝"
https://t.co/QAFjXn0VoM
「友子の長い朝」見た。

──主人公の友子(ともさかりえ)は、朝礼に遅刻してしまう。朝礼にまぎれこむ方法を考え、遅刻の言い訳を考える。考えに考えた、友子の言い訳はなんと、──

完全にひょうきんな、たのしい明るい作品。この想像力はなにかの分野では役に立ちそうだなあ。
たしかに高校生のころって、ちょっとしたことですごく想像力をはたらかせたりしたもんだ。だから、大袈裟だとは思うけど、たのしく見れました。

「夢のつづき」動画なし

"トイレの落書き 世にも奇妙な物語" https://t.co/zcvdlmu0MH

「トイレの落書き」見た。
──主人公(木村拓哉)は深夜の駅のトイレに閉じ込められてしまう。出られない。トイレには気味の悪い落書きがたくさんある。そして、落書きの内容が本当に起こる。──

けっこう怖い話だ。「溺れて苦しめ」も怖いし、「この壁に死んだ女が眠っている」も怖い。
トイレがきたない。閉じ込められる系の話のなかでも、この状況になりたくないと思わせる力は強い。

"笑う頭脳 世にも奇妙な物語"
https://t.co/o4EDG8LYbz

「笑う頭脳」見た。
──パソコンを使った凶悪犯罪を犯していた男(佐野史郎)が自殺しているのが見つかった。刑事(橋爪功)がしらべていくと、脳を移植する女医(鷲尾いさ子)が捜査線上に浮かび上がる。パソコンで病院患者を人質をとり五億円を要求する卑劣な犯罪がおきる──

刑事ドラマだな。橋爪功はこういうのが似合う。脳を移すってことは、移される側の人がもっていた脳はどうなっちゃうんだ。死ぬのか。
ドジを踏んで捕まるような内容だったら気持ち良かっただろう。未解決でおわるから刑事ドラマではなく世にも奇妙な物語の枠なんだろう。解決するかしないかがドラマのジャンルを分けている、とみた。

"世にも奇妙な物語「友子の長い夜」ともさかりえ" https://t.co/JjDQTJmAK5

「友子の長い夜」見た。
──友子(ともさかりえ)はテストのために一夜漬けをこころみる。計画表をつくると、部屋が汚いことが気になり、掃除をする。片付けて家具の位置を変える。出てきた漫画に読みふけり、うどんをつくる。時間は刻々と過ぎてゆく。──

「友子の長い朝」と同じシリーズだ。こういうシリーズものは珍しい。勉強しようとするとほかのことしちゃうのはありがちなところだが、徹底させることで「あるある」が「ないない」まで突き抜けることができる。

「地図にない町」「23歳の老人」動画なし。
「世にも奇妙な物語 23歳の老人」というタイトルの全く無関係な動画があった。

"地獄のタクシー(佐野史郎)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/Og8yIdbDcl

「地獄のタクシー」みた。
──主人公の医師(佐野史郎)は、患者を実験のための道具とみなし、命をないがしろにしていた。ある夜タクシーを呼ぶと、不気味なタクシーがくる。財布を忘れて病院へ戻ると、そこは誰もいない。かつて亡くなった患者があらわれ苦しみを訴えてくる。──

始まりかたを見ると、なにかホラー映画が下敷きになっているようだ。
足を切断されるおばあさんの叫びは覚えてた。手術のくだりは痛そう。なかなかの怖さ。

佐野史郎は「笑う頭脳」で出てきたばっかりだ。といっても半年たってるんだな。オレには二日だけれども。

"95秋C殺人者の高橋さん /世にも奇妙な物語" https://t.co/Lc2NmxLmQv

「殺人者の高橋さん」見た。
──主人公の夫婦(布施博と石田えり)は借金取りを殺してしまう。その翌日から「殺人者の高橋さん」と呼ばれるようになる。ぎょっとするが、ほかのひともみんな同じように汚点が肩書きになっていて、それを気にしていない。──

「心から楽しんでいただけているか心配です」とタモリが前置きしてたのはなんだったんだろう。「殺人者」と心になくても言ってしまう世界への伏線ととらえればいいのか。

「どーなってるの!?」って古いなあ。これが、いいタイミングで使われている。
こういう世界はおもしろいなあ。オレはなにを名前の上に乗せられてしまうんだろうなあ。


今回おもしろかった話10

1 にぎやかな食卓
2 隣の声
3 鍵
4 地獄のタクシー
5 トイレの落書き
6 思い出を売る男
7 ブルギさん
8 罰ゲーム
9 出られない
10 友子の長い夜

つまらなかった話
1 心の声が聞こえる


▼▼▼


【こっちもおすすめ】
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。


角川「短歌」2018年9月号の荻原裕幸さんの歌壇時評の感想すこし
https://t.co/CzRqDYixti

「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
https://t.co/9LDZrsWmr0

【2】
https://t.co/lcoeLM1kt6

【3】
https://t.co/f993MV2JHS

【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a

【5】選考座談会・後編
https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f6

2018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。


などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c6

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
7. 中川隆[-12127] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:31:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年11月09日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベスト10を決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"96冬C先生の「あんなこと」 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/H7Nqv835nO

「先生の「あんなこと」」見た。
──教師である主人公(西村雅彦)は悪事がおこると生徒にカマをかけて謝らせる。叩いてホコリのでない生徒などいないからだ。
万引きをした女子生徒が、主人公の「あんなこと」を知ってると言い出す。主人公はパニックにおちいる。──

いやな先生がだんだん弱い滑稽なものに変わっていく様子がおもしろい。誰だかわかんなかったけど西村雅彦だったのか。演技うまいよなあ。
財布を蹴って拾うやつは意味わからなかった。

マエストロ、追っかけ、赤ちゃん教育ソフト、ザ・ニュースキャスターは動画がない。
1996年にはいった。

"96春@ミッドナイトDJ /世にも奇妙な物語"
https://t.co/64IivAWy0a

──主人公のラジオDJ(石黒賢)は番組でリスナーと電話をつないで過激なトークをしている。17歳の不登校の少女に、お前はもう手遅れだと言い放つと、少女は主人公に感謝し、会いたがる。あるとき、主人公のことが見えるという男と電話がつながる。男の言うことはつぎつぎに的中する。──

とても面白かった。ラジオ局ってよく知らないから興味ある。こんな毒舌の番組も聴いたことない。あったら聴くかも。それだけですでに面白い。

菅野美穂がいい役をやっている。ラジオを聴いて自殺したってことだよな。そりゃ化けて出て番組を下ろされてもしょうがないわけだが、
そこですっきり終わらないのがこの番組らしいところだ。番組を下ろされたから、番組を荒らす電話をするようになるわけだが、だったらそのまえにかけてきた男は何者だったのかという謎がのこる。その前のDJだったりするのか?

「熊の木本線」動画なし。

"受験生(工藤正貴)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/Z5Cee7Fyof

「受験生」見た。
──成績不振になやむ主人公が、「エジソンバンド」を手に入れる。頭に巻くと、頭がよくなる。ただし、ほかの願いごとをしてはいけない。主人公はエジソンバンドで好成績を連発する。だが試験当日、鉛筆が折れたり気が散っておもうようにいかない。──

BGMがエレベーターアクションだ。エレベーターを上がったり下がったりするのが、受かるか落ちるかの受験生に重なってくる。
それはいいんだけど、ほかのBGMも主張してきてどうも話に入りづらい。
なーんか安っぽいんだよな。
しょうもないオチだけど、呆然としている描写はなかなかいい。

これはけっこう初期の話だ。古い見逃したやつの動画が上がってきているので、そちらを見始めた。あとまわしにすると、いつ消えるかわからない。
動画がなくて見逃している話が110話くらいある。多い。それらがアップされているのを見かけたら、古いほうから優先的に見るようにする。

"ボロボロ(三田村邦彦)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/Bzq2u8JVMA

「ボロボロ」見た。
──主人公(三田村邦彦)はうだつのあがらないサラリーマン。五百万を着服した疑いをかけられ、誰かにつけ狙われ、主人公はノイローゼになる。愛想をつかし妻はでてゆく。彼の慟哭は、やがて哄笑に変わる。──

最後のほうがよくわからなくてあらすじサイトを見てしまった。
電話線をちぎるとかゴミ捨て場を荒らすとか、なかなか迫力あった。

"柵(小林克也)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/GfGfynXZoE

「柵」見た。
──部下と上司のはざまで仕事に苦労している主人公(小林克也)は帰り道に柵に顔がはさまって抜けなくなってしまう。たちの悪い通行人の男(間寛平)に財布をとられ、工務店の男(佐野史郎)にチェーンソーで襲われる。柵に顔をはさまれながら、主人公は人生に思いをはせる。──

伊東四朗が主演だと記憶していたが違った。記憶ってあてにならないなあ。佐野史郎がまた出ていた。なんか多くない?「笑う頭脳」「地獄のタクシー」「バカばっかりだ!」まだあったかな。

これも出られなくなる系の話だ。出られない話にもいろいろバリエーションがあるもんだなあ。
解決してるのかしてないのか、妙な決着なのがおもしろい。

「社会にがんじがらめにされている」という読みができるんだな。となると、「こんなところで死にたくない」と火事場の馬鹿力で脱出することにも、なにかの意味がくわわってくる。

"ビデオドラッグ(古村比呂)【世にも奇妙な物語】" https://t.co/UhRd3BB42e

「ビデオドラッグ」見た。
──心理学の無意識の領域について研究し教えている主人公(古村比呂)。学生たちのあいだで「ビデオドラッグ」というビデオがやりとりされている。それを見た学生たちが次々に事件を起こす。ダビングされたビデオドラッグには「コロセ」という信号が含まれていた──

特徴的な音と映像だったし、目を切るのがイヤで覚えていた。この刑事は車だん吉?
YouTubeでビデオドラッグみたいなのあるなあ。気持ちよくなれるとかっていうの。オレは特になにも感じないけど。

なにかに関わった人がつぎつぎ死んだり不幸になる系の話ってあるな。「心霊写真」も見た人が死んでいく話だった。「テレフォンカード」も。「サブリミナル」も。

"行列(世良公則)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/BY1iw9odXv

「行列」見た。
──主人公(世良公則)は長い行列を見かける。最後尾の人に、なんの行列かをきくと「例の」という。後ろからすぐ人がきてならぶ。行列が伸びてゆき、ちょっと電話しているあいだに最後尾が見つからなくなる。最後尾へ行くためのタクシーがあらわれる。──

かなり「奇妙」度が高いと感じる。「ズンドコベロンチョ」とか「ブルギさん」とか、不可解なものに巻き込まれてゆく話は好きだな。
行列の前後の男女がくっついてはなれなくなること、謎のタクシー、蕎麦屋にかわっている男。行列とはなんなのか、考える余地がおおいにある。

「例の」ではなく「霊の」なのかと思った。人生は死を待つ行列なのだ、みたいな意味があるのかと思った。

"逆探知(橋爪功)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/wRszASxcsY

「逆探知」見た。
──刑事(橋爪功)らは、奇妙な誘拐事件の捜査をする。亡くなっているはずの子供が誘拐され、2000万を要求される。子が亡くなったのを信じない母だけでなく、父親までがその声を電話ごしに聞く。逆探知に成功し、捜査員が犯人の家に行くと、そこにいたのは、──

「笑う頭脳」と同じく、解決しない事件に橋爪功が演じる刑事が巻き込まれる話。
骸骨をゆさぶる老婆のところだけは怖くて覚えていた。こわいだけじゃなく、「もうひとつの現実」ということを考えさせられる。

"ラッキー小泉(山下真司)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/2PDUX9tAvS

「ラッキー小泉」見た。
──ラッキー小泉と言われるほど運の強い小泉(山下真司)の会社へ、運の悪い「万年勝造」がやってくる。それからというもの、小泉には不運なことが続けざまに起こる。万年が茶柱がたったと大喜びした日、小泉は「消えちまってください」と頭を下げる。──

コメディータッチの軽い作品だ。運と不運のぶつかりあい。
紙をやぶる場面が三回あり、それが気になった。

"赤と黒(岸本加代子)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/lEiEBg27ek

「赤と黒」見た。
──町を走っている男、時限爆弾のしかけられた部屋に囚われている女。──

三分しかない、珍しい作品。これが短くて、つぎの「マジシャンのポケット」が長かったのは覚えてる。
これだけではよくわかんないんだけど、男と女が関係なかったってことなのか。

ネタバレのサイトを見てきた。「赤と黒」が服の色なのは分かってたけど、「チコク」が赤い文字っていう指摘はなるほど。

"なんなのォ!?(泉ピン子)【世にも奇妙な物語】" https://t.co/niR5hz1bfS

「なんなのォ!?」見た。
──主人公(泉ピン子)は、どんくさい夫と息子に嫌気がさしている。となりのかっこいい旦那さんと秀才の息子と入れ替わってしまえばいいのにと、言いながらうっかり階段から落ちてしまう。すると、となりの息子さんがただいまと言って入ってくる。──

願ったら叶ってしまったけど、叶わない方がよかったという話。「シャドウボクサー」「笑いの天才」とかの系統。
どんくさい夫が蛭子さんだ。泉ピン子もさすがのいい演技をしている。
オチが読めてしまった。そこからもう一回なにかあるかと思ったら、なにもなかった。

"トラブル・カフェ(今井雅之)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/BkZNN5yrGr

「トラブル・カフェ」見た。
──超能力がつかえる兄弟は、その能力をコントロールできないために苦しんでいる。喫茶店にくるが、さわれば人の過去が見えるし、コーヒーが豆に戻ったりする。そこへテレパシーで話しかけてくる男がいる。強大な能力をもった男だ。──

これは録画して何度か見たと思うんだけど、部分的にしか覚えてない。コーヒーが豆に戻ったり、アイスコーヒーが沸騰するのは覚えていたけど、あとは覚えてない。
「常識酒場」の続編だな。ほかの能力者がでてきて面白くなった。

動画のサムネイルがタモリなのがめずらしい。YouTubeでこのドラマを長く見てきたけど、初めてかも。
この冒頭のタモリのトークも覚えてた。正義はしちゃいけないことばかりだが悪はそれがない。それで正義はほんとうに悪に勝てるのか。

"ニュースおじさん(大竹しのぶ)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/IL96g4nTEt

「ニュースおじさん」見た。
──主人公(大竹しのぶ)はテレビのニュースの現場にいつもいるおじさんに気づく。カメラマンに看板がおちてくるニュースの現場でおじさんとニアミスし、それからニュースおじさんを街で見かけるようになる。夫とドライブすると、後ろの車におじさんが乗っていた──

まず「ミス吊り橋」ってなんだよ。
テレビの隅にいた人が無言でどんどん近づいてくるところに怖さがある。存在に気づいたからニュースにして消されたのだと考えてみるのもいいな。
無名のころの篠原涼子がでているとコメント欄で話題になっていた。

"蟹缶(高田純次)【世にも奇妙な物語】"
https://t.co/dtt9VKfJSq
「蟹缶」見た。

──主人公(高田純次)の店に強盗が入る。強盗は蟹缶ひとつを盗んでいく。いい加減な態度の警察に対し、主人公は150万盗まれたと話す。大事になり、主人公の運命は悪いほうに転がっていく。商工会とトラブルになり、移転予定先がなくなる。ある夜、犯人が蟹缶をもってくる──

岩井俊二作品なんだね。高田純次の演技がとてもいい。強気ではねっかえりな店の主人を見事に演じている。
途中できれていたのであらすじサイトで結末を確認した。床屋の感じ、商工会の人々、警察。脇役もいい。

"96春B怪我 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/gtMrYHgNTo

「怪我」見た。
──夫(今井雅之)が帰宅すると妻(鷲尾いさ子)は全身に怪我をしている。階段から落ちたという。その後、妻の妊娠がわかり、夫は喜ぶ。交通事故の被害者が消えるという事件が起こり、警察がくる。その話のあいだに妻の体に傷があらわれたり消えたりする。──

怪我が出たり消えたりする不思議な体の女の話。感動的な台詞のあたりで動画の音声がおかしくなる。一番いいところなのになー。そこが聞けないので良いとも悪いともいえない。
今井雅之、けっこう出てくるなあ。「トラブル・カフェ」で見たばっかりだ。

「年功不序列」動画なし

"世にも奇妙な物語 不定期バスの客 【 中居正広】"
https://t.co/WoTRj8iRCS

「不定期バスの客」見た。
──コンビニで店員を刺してしまった主人公(中居正広)はバスをさえぎって停めて、乗る。乗員乗客に刃物をつきつけてバスジャックするが、乗客の様子がおかしい。妙にみんな落ち着いている。みんな名札をつけている。彼らは何者でこのバスはなんなのか。──

いつものよりちょっと長め。見ごたえあった。中居くんが窮地に追いやられる様子がなかなかよかった。演技が下手とは思わなかったな。
宇宙塵の人、この人だけでもストーリーができそう。

"(怖い)世にも奇妙な物語" https://t.co/jWHpECBL8J

「壁の小説」見た。
──連続殺人事件の捜査をしている刑事(大塚寧々)は、事件そっくりの内容の小説が壁に書かれた閉鎖病棟に閉じ込められる。壁いっぱいに書かれたことは現実となる。小説を書いたのは院長としてここへ案内した男だとわかる。──

このへんから全然おぼえてない。見てない話ばかりだ。番組を見るのをやめたんだろう。ドラマの方向性もなんかオレの知ってる「世にも奇妙な物語」から変わっていってる。いまどきのドラマっぽく感じるが、それでもまだ1996年かー。

興味深い内容だったが、殺人鬼のくだりで変だと思い、男が草原で抱かれるあたりでバカバカしくなって目をそむけてしまった。
書かれたことが現実になるのは、キムタクの出てた「トイレの落書き」もそうだった。

「のどが渇く」動画なし

"世界奇妙物語 - 1996秋 - 公園初登場"
https://t.co/BVaI49ZJiQ

「公園デビュー」見た。
──引っ越してきた主人公(鈴木保奈美)は娘といっしょに公園にいくが、様子がおかしい。服装は決められていて、場所も決められていて、オモチャの持ち込みは厳禁。戸惑っていた主人公だったが、徐々に公園のルールに溶け込んでゆく。──

そこそこ面白いけど、23分もかけるほどの内容かなあ。15分でピリッとした話をやってきたのを見てるから、間延びしてるように見える。
素通りする男性が、結局べつになんでもなかったのがいい。モニュメントも馬鹿馬鹿しさに拍車をかけていて良かった。それにしても音楽で感動させようとしすぎだろう。

"世にも奇妙な物語 ゴリラ (勝俣州和)"
https://t.co/ov4b8v1I6I

「ゴリラ」見た。
──日中友好のしるしに来日した幻の白ゴリラのオスとメス。そのオスが危険な状態にあり、影武者として主人公(勝俣州和)が政府に選ばれた。着ぐるみのバイトの感覚でゴリラとして仕事する主人公。だが本物のゴリラが亡くなる。皮膚を移植され、主人公はゴリラとして中国へ──

特殊な内容で、展開が読めなかった。オレはてっきり、メスのゴリラも人間だったというオチになると思ってた。抱き合うところはギャグみたいだったが、最後きっちりしめたね。なかなかの傑作。

"恐怖のカラオケ歌合戦 世にも奇妙な物語"
https://t.co/EpAqAnxvaP

「恐怖のカラオケ歌合戦」見た。
──カラオケが下手でさんざんバカにされた男が、同じメンバーを研究室に監禁してカラオケ大会をおこなう。研究室の巨大植物は音楽が大好きで、歌の下手な者を呑み込んでしまう。──

しょうもなかったな。つまらない。見てられなくて途中で本を読みはじめた。
みんなで媚びて命乞いをするけど、オレは怒りたくなった。そんなことして楽しいかと。同情はするけど、やられた以上のことをやりかえす、それも自分以外の力でそれをやるのはいきすぎだろう。
それに植物の判断基準もわからんよ。けっこううまい人も食べちゃってるし。

どうしちゃったんだ、世にも奇妙な物語。持ち直してくれ。

"世にも奇妙な物語 テレパシー・ラブ"
https://t.co/mGWKTpOMzt

「テレパシー・ラブ」見た。
──主人公(水野真紀)と会社の上司の松下(生瀬勝久)はテレパシーがつかえる。松下は家庭を持つ身でありながら主人公にテレパシーで言い寄る。迷惑をかけない割りきりの関係ということで松下を受け入れるが、ある夜、主人公は松下がほかの女といるところに出くわす──

最後のほう、なんかごちゃごちゃしてよくわかんなかったよ。妻、主人公につづく第三の女が家を燃やそうとしていて、それを回避するために刺したってこと? なにも刺さなくてもよくない? 結局燃えちゃったわけだし。

男もテレパシーがつかえるなら、自分のフロッピーの場所はなんでわからなかったのか。
弁当ってなに? 気持ちわるい。あんな男いる?
「テレパシー」がなんなのか、わからなかった。声に出さずに会話する力なのか、未来予知なのか。予知するわりには不幸になるし。

それにしても水野真紀はよかった。超能力者っぽかった。

っていうか、テレパシーあんまり関係ない気がする。
男がひどい奴だったっていう話じゃないかなあ。妻にもきっと猛アタックして飽きたんでしょ。主人公にも猛アタックして飽きたんでしょ。それで三人目に猛アタックしたんでしょ。

"世界奇妙物語 - 1996冬 - 2040年的耶誕夜"
https://t.co/P4gWK2Zp1n

「2040年のメリークリスマス」見た。
──漫画家を目指しながら警備員をしている主人公に、たびたび「おじいちゃん」と呼びかけてくる電話がかかってくる。イタズラだと思っていたが、火事を言い当てたことから話をするようになり、孫が2040年からかけている電話であることを知る。──

これはいい話だったなあ。未来がないと思っていた主人公を孫が励ます。あきらめかけていた漫画、あこがれの女性。ふさがっていた状況が電話でひらけてゆく。せつなくも前向きなラスト。

"97春@完全治療法 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/fGzAjGAWwm

「完全治療法」見た。
──主人公(武田真治)が目覚めると、2020年の病院だった。末期ガンの治療法が見つかると信じて20年の冷凍睡眠をしていたのだ。だが2020年になっても治療法は見つかっていない。だが臓器移植が発達していて、クローンからの臓器移植という方法がある。──

ここから1997年の放送分。
いま2018年だけどたしかにガンの治療法はないなあ。患者である主人公が疑って病院内を歩き回る話、どっかで見たなあ。「ロンドンは作られていない」だったかなあ。

なかなか面白かった。自分がクローン側だったっていうことだよな。記憶が戻ってこない点はそれで納得できる。
看護婦さんがきれいなようだったが画質も悪いしカメラが近くにいかないから残念。

音声が終盤おかしくなるのが残念。タモリの言うとおり、たしかに三人は「いかさま師」だ。いかさま師というのは、一枚しかないはずのカードを複数枚もっているものだが、クローンもそういうところがある。

"世にも奇妙な物語 管理人"
https://t.co/ahLKGsXzYY

「管理人」見た。
──主人公(松嶋菜々子)が引っ越してきたマンションは決まりがきびしい。ごみの分別、騒音にたいして、隣人がたずねてくるばかりでなく、電話が鳴りやまず、ファックスも止まらない。主人公は管理人に会おうとするが、どうしても会うことができない。──

松嶋菜々子がきれい。このころ井上陽水奥田民生の「ありがとう」流行ってたんだな。ファックスがでてくる話は初めて。

途中まで不可解でなかなかよかったが、最後の豹変は納得いかない。それに、あの黒電話はなに? 階段で人が死んでただで済むだろうか?
「ゴミが捨てられない」という話が初期のころあって、それをもっとちゃんと怖くした感じだな。あれは冗談みたいなしょうもないラストだった。
しかしこっちだって、ラストはそうとう無理矢理なところがある。

取り決めといえば「公園デビュー」も取り決めの厳しい話だった。あれも、支配される側から支配する側になる話だった。でもあれは子供がいたし、同じように追い出された人がいたから解決できた。
「管理人」の場合は孤立無援なのがつらいところだ。

"世にも奇妙な物語「扉の先」椎名桔平"
https://t.co/kz8N77P0Um

「扉の先」見た。
──死刑囚の男(椎名桔平)が別の死刑囚の男(今井雅之)に、死刑になるときどうなるかの話をする。普段は引きずるような足音で来る看守が、かかとからこつこつと足音をさせて近づき「移送」と声をかけて……──

また今井雅之が出ていた。
かなり面白い。歴代でもトップ10は固いんじゃないか。こわがらせてもらった。演技のうまさもあるんだろう。
しかし粗末な食事だなあ。せめてこぼれないように出してほしい。
異様に再生数が多いんだけど、それも納得できる。

"懐かしのTV 1997.03.31 世にも奇妙な物語 私に似た人 西村雅彦 タモリ"
https://t.co/HcrDUhoY9c

「私に似た人」見た。
──主人公(西村雅彦)は仕事で忙しい毎日を過ごしている。身に覚えのないことを言われることが増えて、自分そっくりの人を見かけるようになる。そっくりな男を追いかけていくと、音楽スタジオに入る。そういえば学生のころに自分はジャズをやっていたのだった──

西村雅彦もけっこう出てくるなあ。
「もぬけの殻」って感じのヒョロロロ〜♪ っていう音が印象的。
「忙」という漢字は心を亡くすと書くっていう、金八先生みたいなことを言うサックス奏者。

学生時代に音楽やってたこと、大人になって忘れたりするかなあ。覚えてるけどなあ。
あと、書斎が立派だった。どんな本を読むのか気になった。岩波文庫があったようだが。
途中まで、どっちに転ぶかわからないのがハラハラした。怖い方向にいきそうで。だから最後は安心した。よかったね。

"世にも奇妙な物語 ウィルス" https://t.co/hb4HOeIagG

「ウィルス」見た。
──主人公(広末涼子)は留学から帰る飛行機のなかにいた。とつぜん防護服を着た何者かが入ってきてガスを放ち、みんな意識を失う。主人公が意識をとりもどすとなにもない部屋のなかにいた。出られない。まだやりたいことはいっぱいあるのに。脱出をこころみる。──

広末涼子は初登場。広末好きなんだよねえ。うれしい。
説明がすくないので、そういうストレスはある。水がないのが一番気になった。

部屋にあるわずかなものから脱出のため・生きるためのアイデアを出して実行するところが良かった。

で、これはこれからどうなるのだろう。部屋にもどるの?

"97秋B女は死んでいない /世にも奇妙な物語"
https://t.co/vINEkvqi2D

「女は死んでいない」見た。
──銀行強盗のひとりである主人公(杉本哲太)は、目撃者の女を刺し、女を助けるふりをする。刑事に問い詰められる。刑事は女が生きていることを告げる。そこへポケベルのメッセージがくる。0310-345。これが状況を変える。──

ポケベルの数字でやり取りするっていうのがおもしろい。さかさまにするとアルファベットになるというのは考えたね。携帯電話が出てきているけどポケベルもかろうじてある、という時代かな。
女を刺す場面を官能的だと思った。
タイトルが最後に出るのが新鮮。良かった。

「無実の男」動画なし。

"世にも奇妙な物語 望みの夢" https://t.co/76pKHYfrX9

「望みの夢」見た。
──主人公(菅野美穂)は好きな男を望遠鏡で覗いてそれを日記に書いている内気な女の子。だが彼が親友のトモコと付き合っていると知る。叶わぬ恋に苦しむ主人公は、望みの夢が見られる「夢ディスク」に溺れてゆく。──

菅野美穂かわいい。っていうか、だんだん主役がかわいいとかそういう魅力の比重が高まっている気がする。
夢と現実がごちゃごちゃになる話なのは見当つくわけだけど、どうすり替えていくかが大事なところだ。

妄想が楽しそうだ。都合のいい妄想ができたら楽しいだろうな。夢でも遠慮しちゃうよオレは。

そういえば以前「夢を買う男」っていう話があったな。それと比較すると、この番組の中身の変化が見えるようにおもう。
どうやって見たい夢を見たか、どんな夢だったか、夢から覚めるとどうやっていたか。

「夢を買う男」の場合は、大金をはたいて夢を見たのだった。夢のなかでは平凡な家庭を営んでいて、現実には世界が核でほとんどやられていたのだった。
「望みの夢」は、夢は睡眠薬とディスクで手軽にどこでも見れるし、夢のなかでは都合のいい恋愛が見れて、現実は自分の性格がちがう。

夢をコントロールするにしても、夢を入手する敷居の高さがまるでちがうし。家庭や戦争の話と、恋愛の三角関係なのも、だいぶちがう。もしかするとウォークマンやCDプレーヤーの登場が関係してるのか。
同じフィクションでも、どんな話が作られるかというのはその時代を写しているとおもう。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1997秋SP 自殺悲願 (山崎努)"
https://t.co/fWLEBd8UEr

「自殺悲願」見た。
──世の中では、自殺した作家の本が売れている。作家の主人公(山崎努)は、本を増刷しても全く売れない。責任をとれと出版社側に言われ、自殺を試みるがことごとく失敗する。そんなある日、作家の自殺についてどう考えるか、雑誌から取材がくる。──

この主人公みたいなのがオレのイメージする作家だよ。古いイメージのような気がするけど、本がぎっしりたくさんある部屋で、丸めた原稿用紙が散らばっていて、風貌もしゃべり方もこんなんで。まさにこれ! って感じ。

運命は意地悪なものだよっていう話と見れば、まあいつも通りの話だ。
一種の風刺にも見えたけどね。つまり、本が売れるには分かりやすいレッテルというか、キャラ立ちが必要だという。中身じゃなくて話題ですよと。本の中身のことは全く出てこないじゃないですか。純文学であるということだけ。

売れ方も奇妙だけど、まあありそうな話だ。自分の本を踏み台にして首くくる最初の自殺が回収された、というのが特に奇妙なポイントだな。

"98春@サムライ化する男 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/YJUDoecFXB

「サムライ化する男」見た。
──主人公(香取慎吾)はだらだらした男で、いい加減な仕事をしている。会社の屋上で寝ていたら急に何かがきて、サムライのような性格になる。真っ直ぐで不正をゆるさない。会社と折り合いがつかなくなる。ひょんなことから政治家になる。──

ここから1998年。サムライの世界に迷いこんでしまう「切腹都市」の逆だな。
なんか香取慎吾っぽいと思うよ。無理のある話で。フジテレビっぽいというか。越後屋とか坂本龍馬とか「こういうのなら皆さんにもお馴染みでしょう?」というところをつまんでくる。

時代に詳しくないから、越後屋と坂本龍馬とエレキテルが同時に出てくるのがありうることなのかどうかもわからないけど、たぶん無茶なんだろうなと想像はつく。

無茶だなあと思いながらもけっこうおもしろく見て、予想のつかなかったオチだ。といっても夢オチだ。

"トラウマ 世にも奇妙な物語"
https://t.co/FB9NZjKKvF

「トラウマ」見た。
──主人公(稲森いずみ)は、自分以外の顔が認識できない。これはトラウマによるものだ。大学で教授が自殺しているところを見たからだ。精神科医は「まきもどし法」でトラウマの克服をはかる。そのときの記憶をまきもどしてゆくと、あらたな記憶がよみがえった。──

小堺さんが出ていた「まちぶせ」に似た話だ。いじめられた記憶が殺した記憶になる話だった。

「トラウマ」という言葉ってこの頃に出てきたのかな。そんなに古い言葉ではない気がするけど。

プロコフィエフが鳴りっぱなしだ。使い勝手のいい曲のようで、深刻であればわりとどんな場面でも合う。

顔が見えなくなるような分かりやすいものじゃないから精神医学ってむずかしいんだよな。
解決はしないが真実は分かったわけで、夫は悪人じゃないわけで、よかったんじゃないですか。


YouTubeで「世にも奇妙な物語」で「一週間以内・長め」で検索したら、見つからなかった話の動画が上がっているのを見つけた。この方法はつかえる。
すぐ消されてもすぐアップするわけで、それならば、アップされたタイミングで見れればいい。
今回の「トラウマ」は、二時間前にアップされたものを見た。

"98春Dそして、くりかえす /世にも奇妙な物語"
https://t.co/ZW2XYukpSo

「そして、くりかえす」見た。
──主人公(内村光良)は最悪な一日を過ごす。車に水をかけられ、会社が倒産の危機におちいる。夜の12時になると朝になり、再び同じ日がはじまる。運命を変えて新しい日を歩むべく、主人公は様々に行動する。──

松崎しげるの出てた「リフレイン」みたいな話だ。あれは暴力団や殺しや冷えきった家族が出てきてつらい話だったが、こちらはもうすこしのどかだ。楽しむ余裕がある。いいと思うけどね。永遠の生を手に入れたのと同じことでしょう。

途中で音声がなくなる部分があり、彼女とのくだりがよくわからないのが惜しい。

「くしゃみ」「5分後の女」動画みつからず。


今回おもしろかった話10

1 扉の先
2 ミッドナイトDJ
3 行列
4 ゴリラ
5 柵
6 不定期バスの客
7 2040年のメリークリスマス
8 完全治療法
9 自殺悲願
10 ウイルス

つまらなかった話3
1 恐怖のカラオケ歌合戦
2 サムライ化する男
3 テレパシー・ラブ


以上です。つづく。

▼▼▼


【こっちもおすすめ】
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。


角川「短歌」2018年9月号の荻原裕幸さんの歌壇時評の感想すこし
https://t.co/CzRqDYixti

「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
https://t.co/9LDZrsWmr0

【2】
https://t.co/lcoeLM1kt6

【3】
https://t.co/f993MV2JHS

【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a

【5】選考座談会・後編
https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f6
2018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。


などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c7

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
8. 中川隆[-12126] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:32:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]


2018年11月28日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。


今まで動画が見つからなかった作品がいくつもアップされていたので、今回はそれを見た。


"髪 世にも奇妙な物語"
https://t.co/azX2azF47X

「髪」みた。
──主人公(五十嵐いづみ)は失恋して「失恋美容室」という店で髪を切る。注射を出してくる奇妙な店だった。主人公は髪とともに彼の記憶をなくす。それから相手だった男は髪にたたられる。長い髪が部屋にあるせいで新しい女とうまくいかなくなり、悪夢を見て、階段から落ちる。──

1992年に戻ったわけだが、古く感じる。画質もだけど、こわがらせ方も古い。髪が首にまきつくとか、浴槽に髪が浮かぶとか。

復讐の話としてみればいいのかな。失恋を完全に癒して相手を不幸にできたんだから、完璧だ。
怖いところがあるから不幸な話として見たくなるが、考えてみれば不幸になった男はろくでもないわけだし、主人公の女性は立ち直ったんだから、ハッピーエンドだ。

お互いに記憶を亡くしたわけだけど、お互いにニコニコしてて、ここからワンチャンあるのかねっていう終わりかただ。

髪がズルッて落ちる夢、こわいね。
あと、オレは首になにかが巻き付くのを見るのがつらいので、そこは苦しい話だった。

"人形 世にも奇妙な物語"
https://t.co/CwfOye6Suz

「人形」見た。
──暴力団員である主人公(杉本哲太)はわら人形を手に入れる。人形の無事を保てば不死身になれるという幸福のわら人形。人を殺して追われる身となった主人公。人形の安全を確保するのは難しく、なかなかうまくいかない。人形を金庫の中に入れることを考え付く。──

最後は一本とられた。なるほどという面白さがあった。
杉本哲太って、笑っていいともでは無口なキャラクターだけど、ドラマではちがうね。「女は死んでいない」でも人を殺していた。


"整理癖 世にも奇妙な物語"
https://t.co/TH0lyOwE1P

「整理癖」見た。
──医師である主人公(渡辺裕之)は几帳面で整理癖がある。院内のすこしの乱れも許せない。カルテを整理するための棚をつくり、あいうえお順に並べた。しかしアで始まる名前の患者が多すぎて入りきらなくなる。主人公にはこれがなんとしても許せず、悩みの種となる。──

これは覚えてた。眼がギョロついててなかなかよかったな。

"震える愛 世にも奇妙な物語"
https://t.co/hObF9Um0Rf

「震える愛」見た。
──主人公(南果歩)には、不思議な力がある。男が自分を裏切る様子が見えて苦しくなって、感情がたかまってくると、相手の男が変死する。それを事件として捜査している刑事(西岡徳馬)は主人公が原因らしいとつきとめ、接触する。─

南果歩が好きなので、楽しみに見た。奇妙だが、悲しさと美しさがあった。
わざとらしいのは気になる。写真をばらまいてその上で寝るとか、誰が見ても刑事だとわかるような格好の刑事とその帽子とか、コンパの席の「彼女は最近悲しいことがあって落ち込んでるわ。男性軍、チャンスよ」とか。

あとは、死ぬところをもうすこし映してもよかったかも。かなり抽象的な死にかたになっている。
それにしてもこの番組にでてくる刑事は、事件を解決できない可能性が高い。解決できたら奇妙じゃないけども。

"ボタン 世にも奇妙な物語"
https://t.co/kjMIBBwu9b

「ボタン」見た。
──主人公(伊武雅刀)は、コンドルと呼ばれる殺し屋。大金を積まれ、依頼を受ける。主人公が歩いているとスーツのボタンが脚立にひっかかる。これがきっかけで連鎖が起こる。果物がころがり、ベビーカーが走りだす。──

ピタゴラスイッチみたいな作品。サムネイルの赤ちゃんがかわいい。とにかくいろんなことが起こる。人が多い。美しい姫もいれば、がめつい奥さんたちもいて、なかにはあまりドラマで見ないタイプの顔の人もいる。
どうなっていくのかハラハラした。オレはこういうの好き。

"電気じかけの幽霊 世にも奇妙な物語"
https://t.co/lZqC7LnybY

「電気じかけの幽霊」見た。
──主人公(坂上忍)の恋人レイコは感電死してしまう。それから半年、主人公にあたらしい恋人ムツミができると異変が起こる。電気系統でのトラブルが続出。亡くなったレイコがテレビにあらわれ、電気の力でムツミを呪い殺そうとしてくる。──

若くてさわやかな坂上忍が活躍する話。CGとか、なんか特撮っぽいところがあるんだけど、こういうのは技術が不足しているというか、チャチで弱いと感じる。

"お前が悪い! 世にも奇妙な物語"
https://t.co/bFI2QDVX2n

「お前が悪い!」見た。
──主人公(石橋保)は突然二人組に言いがかりをつけられる。逃げて喫茶店に入ると、飲み物がこぼれたのを自分のせいにされる。会社では部長のギャンブルが当たらないのも自分のせいにされる。どこへ行っても自分のせいにされ、警察や人々から逃げ回る。──

序盤から起こっていることが最後まで手をかえ品をかえ繰り返される。変化もないしオチも見え見えだ。主人公に演技力があるのですくわれる。

"つまらない男 世にも奇妙な物語"
https://t.co/6T6D2yCY9G

「つまらない男」見た。
──主人公(中山仁)は生真面目でつまらない男だが、陽気な係長を見習ってウケを狙うようになる。ことわざをもじったシャレを連発するがまったくウケない。トイレでネタを考える試行錯誤の日々。──

たぶん小説版で読んだのを覚えてた。石橋を叩いて渡る木梨とか、溺れる者は体育が2とか。
すべって死にそうになって、ウケたら生き返ったってこと? それは普通におもしろい。
「粉末転倒」を言うために会社のデスクにあれを入れてあるのか。
たしかにつまんないけど、あまり見たこと無いつまらなさで、ちょっと気になる。
脚本が北川悦吏子さんだ。「半分、青い」の。

"妄想特急 世にも奇妙な物語"
https://t.co/RY1Y6UrTWZ

「妄想特急」見た。
──主人公(中井貴一)は妄想癖がある。大事な面接に行く途中でも次々に妄想してしまう。女性の定期券を拾い、電車のなかで妄想。いかんいかんと面接のことを考えていると、今度は、面接で女性の定期券から妄想をしたことを話すところを妄想する。──

これは覚えてる。なかなか込み入ったつくりになっていて面白いな。枠のなかに枠、枠のなかに枠。
まあたしかに、ご都合主義の妄想で、創造性って感じではないよ。女の妄想ばっかりで。
現実にこういうひとがいたら、精神科への受診をすすめる。

"夢のつづき 世にも奇妙な物語"
https://t.co/CDJpxIWjiU

「夢のつづき」見た。
──会社社長である主人公(片岡鶴太郎)はいい夢を見るが現実はうまくいかない。悪夢を見ることで現実に運を呼び寄せる呪術があると聞き、術を受ける。すると連日悪夢にうなされるが会社の業績は急激に上がる。だが寝不足がたたり体を悪くする。──

これ覚えてた。スパゲティがミミズになる場面とラストだけ覚えてた。
どう転んでも人生はつらいなあ。それだけですよ。平凡が一番だよ。
死刑執行の周辺、たぶんほんとのやつとはだいぶ違うんだろうなと思いながら見た。

昨日の「妄想特急」も現実があやふやになる話だったが、そっちはコミカルでたのしかったな。命が危険にさらされるかどうか、生活が大きく左右されるか否か、のちがいだな。

"ふたり 世にも奇妙な物語"
https://t.co/PJioNLMgwA

「ふたり」見た。
──主人公(西田ひかる)は思っていることを言えない性格の大学生。主人公に、高校のころの同級生のミシマ君という男が憑依する。ミシマ君は言いたい放題の性格で、主人公はふたつの心に左右される。──

これはテレビで見ていて、中学二年のころに心を動かされたのを覚えている。西田ひかるが好きだったんだよ。このドラマでは西田ひかるがずっとメガネかけてる。一人二役を演じていてなかなかよかった。
さわやかな話だったな。NHKみたい。

オレも言いたいこと言えない生徒だったからかな。なんかはげまされたんだよ。
今はそういうふうには見れないけども。

"ラブチェアー 世にも奇妙な物語"
https://t.co/0w4fUyPcIJ

「ラブチェアー」見た。
──男(石橋保)が買ったラブチェアーをほしがっていた女(南果歩)。ふたりは同じ部屋に住むようになるが女のこだわりが激しく、男の妹を始末しようとしたり、部屋中のものを同じ柄に合わせたり、男の辞表を勝手に出したりする。男は女からの脱走をこころみる。──

南果歩、けっこう出てくるなあ。ここでは危ない女を演じている。思い込むとそればっかりになっちゃうんだな。ここまで極端ではないけどこういう人はいそう、というところを突いてくる。

"赤ちゃん養育ソフト 世にも奇妙な物語"
https://t.co/o1rWcKKP4k

「赤ちゃん養育ソフト」見た。
──夫(野村宏伸)は買ってきた「赤ちゃん養育ソフト」を使い、妻(永作博美)と一緒に育てはじめる。生まれてきた男の子に名前をつけて、言葉を教えたりミルクをあげたりした。だがうまくいかなくなり、ロッカーに赤ちゃんを捨ててしまう。──

永作博美が好きだから見ていられるけど、どうにもおもしろくない。無理矢理感動させようとしてくる。この感動のさせかたはどこかで見た。「私の赤ちゃん」のときと同じだ。いなくなったはずの赤ちゃんがあらわれるという筋書きも同じだ。

ロッカーからどうやって出てきたのか、そこが納得いかない。
捨てられてから異変となって登場したんだから、化けて復讐しにきたんだと思ったら、ぜんぜん違った。夫婦もべつに捨てたことを謝りもしないよね。

電気をいじってどうにかするのは、どれくらい意味があったのかなあ。その部分は「サマー・ウォーズ」っぽかった。

"熊の木本線 世にも奇妙な物語"
https://t.co/hWwfx9R7U4

「熊の木本線」見た。
──作家の主人公(石田純一)は休暇に田舎へ蕎麦を食べにいった。電車のなかで出会った村人に言われるまま寄り道し、ひょんなことから通夜に出ることになる。通夜では村人たちが「熊の木節」を歌い踊り、おおいに盛り上がった。主人公も歌ってみろとすすめられる。──

作家だというけど手書きで書いてたな。最後に「完」て書いて○で囲んでた。「ラブチェアー」の男性主人公はワープロで書いてたな。

特に大きなオチもないのが珍しいパターンだし、それがいい味になっている。ふつうなら事故が起こって「ギャーッ」で終わるところだが、そこをおさえている。
村人たちがリアルだったな。まるでほんとの宴会だよ。

"ガード下の出来事 世にも奇妙な物語" https://t.co/EgQWpFZveD

「ガード下の出来事」見た。
──主人公(菅原文太)がガード下の屋台の飲み屋で飲んでいると、客がきておもしろい話をする。だが肝心なところで邪魔が入り、オチを聞き逃してしまう。──

覚えてたけど、最後こんなんだったのは忘れていた。不運な主人公だと思っていたけど、助かったのを考えると幸福だったわけだ。不運と幸運は繋がっているという、そういう話として見た。

ほとんどしゃべらない役が菅原文太に似合っている。
オチを考えずに済むんだから、話をつくるほうは楽なのかと考えてみたが、んなこたあないか。

"闇の精霊たち 世にも奇妙な物語"
https://t.co/GuLRD7jq8M

「闇の精霊たち」見た。
──駄菓子屋をいとなむ主人公(岸田今日子)は子供たちに精霊の話をする。立ち退きをせまる三人組も居合わせる。主人公によれば、人間にうらみをもつ精霊がいまも壁の向こうにいて、その壁はこの店にあるという。──

かなり初期の話で、タモリが目立つ役で出ている。三人組がひどいやつらだなあ。ベルリンの壁崩壊がまだ新しい出来事だったころだ。

"くせ 世にも奇妙な物語"
https://t.co/bMH123Z1aZ

「くせ」見た。
──主人公(菊池桃子)は容姿をほめられるとうれしくなってものを盗んでしまう「くせ」がある。それでもいいという男性(宮川一朗太)と結婚するが、主人公の盗癖によるトラブルがつづく。──

これもかなり初期の話。そんなに男は女の容姿をほめるものなのか、容姿をほめられると女はそんなにうれしいものなのか。まあいいけどさ。
コミカルな話。タモリがサングラスを残して消えるのがよかった。あとタコ。

"留守番電話 世にも奇妙な物語"
https://t.co/70mYM2294m

「留守番電話」見た。
──主人公(仙道敦子)はビンゴ大会で留守番電話が当たる。毎日留守電に知らない男の声が入るようになる。自分を見ているようなことを言う。男性と交際するようになると、留守電の男は怒りをあらわにする。──

留守番電話が最新のものであること、店で「愛は勝つ」が流れているところに時代を感じる。
ドラマは覚えてないけど小説版で読んでいるので筋書きは目新しくない。女性にあんな声出せるのか。

テレクラで待ち合わせしようとしてるタモリがいちばん不審だったな。目印のものを目立たせようとしていたのだろう。

"ザ・ニュースキャスター 世にも奇妙な物語"
https://t.co/u1p0Qg5TYs

「ザ・ニュースキャスター」見た。
──ニュースキャスターである主人公(飯島直子)は降板を言い渡される。動揺して原稿を読み間違えるが、読み間違えたとおりのことが実現する。味をしめた主人公は原稿を自分でつくるようになる。読むことがみんな真実になり、番組は視聴率一位をとるが……。──

飯島直子、見かけなくなったなあ。うつくしいなあ。役に合ってるし、ニュース読むのがうまい。まさに「麗子」だよなあ。男の影がないが、いらないからいないって感じなのか。
テレビ番組の裏側ってせわしないなあ。
言ったらほんとになる系。「噂のマキオ」をはじめとしてそういう話がときどきある。

"君だけに愛を 世にも奇妙な物語"
https://t.co/rlkVfxovJl

「君だけに愛を」見た。
──主人公(財前直見)が失恋してバーで飲んでいると男に誘われる。そのままついていくと屋敷のなかで男が変貌する。危険を感じてやっとのことで逃げだす。五年後、夫がじょじょにおかしくなって、五年前の男のように主人公を襲う。──

覚えてた。人形がぶら下がっているところとか、服がやぶけるところとか。
台詞がキザすぎて引くけど、けっこう怖いな。音楽が効果的。病院のくだりがこわいよ。
っていうか、わざわざ怖い方にいきすぎているくらいだ。丸めた紙は広げるし、ヘッドホンの音楽は聴くし、病院にも山荘にも必要ないのに行くし。

"ライバル 世にも奇妙な物語"
https://t.co/x3EeK64Whb

「ライバル」見た。
──主人公(佐藤浩市)は息子が野球をするのをゆるさない。それにはわけがあった。子供の頃、ライバルのケンジにボールを当てて、いまだ意識が戻らないのだ。 主人公の前にケンジがあらわれ、野球の勝負をいどむ。ほんもののケンジなのか? ──

「三日間だけのエース」に似てるし「息子帰る」にも似てる。世にも奇妙な物語でスポーツを扱うとこうなりやすいようだ。
筋には変わったところがないが、清々しい作品。

"いいかげん 世にも奇妙な物語"
https://t.co/XIDRuOtd6n

「いいかげん」見た。
──主人公(篠田三郎)は几帳面な性格で、いいかげんな人間がゆるせない。酒場でドアをあけたら、世界が変わってしまう。そこでは、いいかげんなことをした人間はただちに射殺されてしまう。──

極端な性格の人が、性格のせいで奇妙なことになる話はときどきある。「切腹都市」の世界観みたいだな。
すっかりいいかげんになった主人公は、現実の世界で処分されてしまいそうな気がする。

今回おもしろかった作品七つ
1 ボタン
2 ラブチェアー
3 ガード下の出来事
4 妄想特急
5 ふたり
6 人形
7 熊の木本線


つまらなかった作品三つ
1 赤ちゃん養育ソフト
2 電気じかけの幽霊
3 くせ

それではまた次回。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c8

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
9. 中川隆[-12125] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:33:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2018年12月24日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【9】1990-2000年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html


のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、上から(古いのから)順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"世にも奇妙な物語 中学教師"
https://t.co/AiRoBPKezN

「中学教師」見た。
──新任教師の主人公(稲垣吾郎)は緊張していた。はじめての教室にいき、間違えないように気をつけながら出席をとる。立ち合うという教頭を待たず授業を始めようとすると生徒から反対の声があがる。自習室へ連れて行かれますよと。──

ポイントをしぼらせずにさまざまな奇妙さがおそいかかってくる。自習室の噂、勝手にひらくロッカー、人数の合わないクラス、瓶の花、ゲームをとりあげられた生徒、……。
かわいい女子が多い気がした。

しばらく古いのを見てたけど、また1998年から続けていく。またなにか見逃してたのがアップされたら戻る。

"世にも奇妙な物語 黄色が恐い"
https://t.co/V6F6xA9NnV

「黄色が怖い」見た。
──乙女座の主人公(鶴田真由)は朝のテレビの星占いで12位。黄色いものに気をつけなければならない。黄色いものによって次々にトラブルがおこり、主人公は黄色を過度に恐れるようになる。──

朝のテレビの占いって、20年前にはあったんだな。さいごに最下位がでるのも同じ。
小さいころよく見てたズームイン朝にはなかった気がする。
この番組ってけっこう時代を反映しているから、このころ定着してきたものだったのかも。

占いって当たらないものだけど、よく当たるようになったら困るね。
星占いってことは12人に1人がこんなトラブルになってたのか。
財布をおとして小銭がちらばるの、ドラマといえども見るといやな気分になる。

"98秋Bダジャレ禁止令 /世にも奇妙な物語"
https://t.co/VYvw8tCwiu

「ダジャレ禁止令」見た。
──ダジャレが違法となり、ダジャレ大好きの主人公(小野武彦)は苦しい日々を過ごす。摘発が相次ぎ、同僚は会社を去る。ある夜、「ダジャレ言えます」の貼り紙を見つける。たどっていくと、そこは地下組織だった。──

ダジャレがひどくて、ところどころ見ていられなかった。ほんとに禁止されたらいいのにと思ってしまった。

禁止すれば、地下組織ができて、主人公のようにダジャレに殉じて死ぬ者もでてくる。

禁止事項ができて、やぶるとたちまち危ないことになるのは「いいかげん」で見たばっかりだ。地下組織に入ってそのタイミングで摘発されて主人公がなんとか逃げるところまでまったく同じだ。

"世界奇妙物語1998 懲役30天"
https://t.co/JZHcxsGKDD

「懲役30日」見た。
──七人を殺害した主人公(三上博史)に課せられたのは、なんと懲役30日。炎暑のなかで屋上に立たされる懲役を29日、やっとのことでつとめあげた主人公に30日目に待っていたのは、なんと電気椅子。だが彼は死ななかった。──

死刑制度が撤廃された世界というのがひとつの世界観だ。死刑がないから囚人を収容しきれないという論理はきびしいなあ。
っていうか、五分ごとに注射を打ってるのか? 

でも刑務所ものは面白いよ。しらない世界だし。「扉の先」も良かった。
浦島太郎の逆と考えればいいのか。良いものが圧縮されるのが浦島太郎で、苦しいものが引き伸ばされるのが懲役30日。でも結局はおじいさんになる。

"長い一日 世にも奇妙な物語"
https://t.co/lQEnT65TYx

「長い一日」見た。
──主人公(根津甚八)は15年前に人を殺していて、今日がついに時効の日。夜12時までおとなしくすごそうとしていたが、そうはいかない。窓からボールが飛び込んできて、隣の夫婦喧嘩に巻き込まれる。──

時計がぐにゃぐにゃする描写がいい。
平泉成さんもこの番組にけっこう出てくる俳優さんだ。ボールをとるところ、ハラハラした。
いつも思うけど、けっこうすぐに人の家に上がり込むドラマだ。

一日くらい山荘にこもればいいというコメント欄の指摘は、もっともだ。
オチが昨日見た「懲役30日」と同じだ。

「ホーム、スィートホーム」動画見つからず。

"世にも奇妙な物語 パパラッチ"
https://t.co/XJMXZqJ3Sh

「パパラッチ」見た。
──パパラッチをやっているカメラマン(木村拓哉)は、 自分が撮られている気がしはじめて、こそこそ暮らすようになる。部屋のなかにカメラが仕掛けられていることに気づく。それが二度もつづき、気がおかしくなる。──

音声が小さくてよく聞こえなかった。
途中までよかったけど、銃撃戦のあたりからおかしくなった。それから未来のテレビ番組がでてくるし。無茶している。
やっぱり20分は長くて15分くらいでまとめるのがいいんだよ。そんな気がする。

ここから1999年。

"世界奇妙物語1999春 親切成金"
https://t.co/v6hGq01vp8

「親切成金」見た。
──主人公(萩原聖人)が親切をすると、そのあと必ずいいことがありお金に恵まれる。それをくりかえてついには億単位の金を手に入れる。欲に目がくらんで、さらなる大金ほしさに財産を老人ホームに寄付するが、見返りはない。──

萩原聖人って親切な人が似合うなあ。「2040年のメリークリスマス」では夢を追うひたむきな役だったな。
親切→金のくりかえしが単調で、そんなに面白いわけではない。感じはわるくないけど。

"99春Bのぞみ、西へ /世にも奇妙な物語" https://t.co/PTopVQXzyl

「のぞみ、西へ」見た。
──主人公(中嶋朋子)は大阪弁が苦手で、聞くとじんましんがでる。しかし彼の父が大阪弁以外をきくと死んでしまう病気であるため、努力して大阪弁を練習し、言葉が変化する薬を飲む。そしていよいよ彼の父にあいさつすることとなる。──

どこまで嘘につきあうか、ということを考えてしまう。まず主人公の体質が嘘くさいし、それをのりこえると彼の父の奇病がたちはだかる。これは完全にデタラメだ。そのうえ、飲むと言葉が変化する薬がでてくる。また嘘だ。
最初のほうで嫌になって、ほかのことをしながら見た。

主人公の名前と新幹線の名前がかかっているシャレを最後まで直接は明かさない、よく食べるおばあさん、そしてオチ。こまかいところはおもしろい。

「関西弁以外を聞くと死んでしまう」がぶちこわしなんだよな。そんなわけないもん。それならとっくに死んでるはずだ。ここがもっと現実的であれば耐えられたかも。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1999春SP 協力者"
https://t.co/zVkrlw6d3G

「協力者」見た。
──主人公(永作博美)は触ったものの持ち主の過去を見ることができる。警察から「協力者」としてたよりにされている。しかし主人公は、見たくないものが見えるその能力をつらく思っていて、使いたくない。警察は事件解決のため説得をこころみる。──

モノから過去がみえるのは「恐怖の手触り」からある、昔ながらのものだ。犬がポイントで、犬のおかげで話が前にすすむ。何度も通ったり、マメなのも大事だね。
とにかく永作さんがかわいい。

"世にも奇妙な物語 時間のない街 1999"
https://t.co/57FPZKHlEY

「時間のない街」見た。
──主人公(渡辺謙)は大きな企業の社長をしていて、冷酷な性格だ。ふとなつかしい街に立ち寄るが、そこは25年前と変わっていない。ほんとうにタイムスリップしてしまったのか。自分の住んでいた部屋に行くと、友人から電話がかかってくる。──

たまにこういう「なつかし系」みたいな話がある。キムタクの「言葉のない部屋」もなつかし系だけど、タイトルまで似ている。
雰囲気がいい。実際の70年代はこんなにいい雰囲気ではなかったんだろうけど。

街をまるごと買うとか記憶がごっそり消えるとか、なかなか無茶だけど、雰囲気がいいし余韻もあるしで楽しんだ。

"99秋@モザイク /世にも奇妙な物語"
https://t.co/vF1zK3KpiO

「モザイク」見た。
──主人公(江角マキコ)は報道番組の制作にたずさわっている。国がクローンの技術を使っておこなっていることを告発する番組をつくるが圧力がかかる。モザイクを使ってマネキンを証言者として出演させたときから、主人公の視界にモザイクがかかるようになった。──

タモリが、奇妙な世界に迷いこんでしまったら、奇妙な世界の決定にしたがうだけだと言っていた。
前回はルーレットで今回はスロットマシンだけど、ギャンブルが好きなのかな。

素朴な番組づくりで賞をとったことが主人公の考え方のもとになっている。しかし気がつくと初心からずいぶん離れている。そういうことはあるよね。
江角マキコは初めて出たな。

ところどころ音声がなくて、特に最後の方はよくわからなかった。
でも緊迫感があっていい話だった。

"世界奇妙物語·準則警察"
https://t.co/hq17hXsjh6

「マニュアル警察」見た。
──主人公(玉置浩二)は妻を殺して警察に自首しに行った。しかし手続きが煩雑で、なかなか自首できない。そうこうするうちに、被害者の夫としての役割をこなさなければいけないくなってしまう。──

誇張されてはいるものの、こういうことはありそうだ。リアリティが感じられた。
ハンバーガー屋までマニュアル化されていて、この世界全体がそうなってしまったようだ。
加害者とわかっていながら被害者として扱われるというところが一番の見どころかな。

"世界奇妙物語 - 1999秋 - 選擇錯誤的男人"
https://t.co/KMlGv5Jh1W

「逆男」見た。
──主人公(田中直樹)は運が悪く、ことごとく選択を誤る。恋人にアドバイスされ、自分が思ったほうの逆を選ぶようにしたらたちまちうまくいくようになる。昇進をかさね出世した主人公は恋人と疎遠になってゆく。──

最初にタモリが出てきた場面に終盤でつながるんだけど、その瞬間が気持ちいい。
突き出た棒グラフがすばらしい。
お笑いコンビの片方がでるというのはわりと珍しい。エレベーターでの一連の動きが芸人だ。
途中ででてくる太った女性、愛嬌があってオレはわりと好き。これっきりだったのかな。
このあと地位も恋人も失うと考えると、見事すぎる結末だ。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1999秋SP 和服少女"

https://t.co/W37xqYRLyt

「和服の少女」見た。
──主人公(保阪尚輝)には和服の少女が見える。誰かが亡くなるとき、そこには和服の少女がいる。和服の少女が頻繁に見えるとともに身の回りで人の死が相次ぎ、ついには主人公の恋人も亡くなってしまう。感極まった主人公は和服の少女を追う。──

コメント欄では主人公への同情が集まっていた。たしかに、なんにも悪くないのに次々にまわりの人が死ぬし主人公も不幸になる。
ところどころ怖い。ヌッとあらわれるところとか。
「ニュースおじさん」とか「黄色が怖い」に似た話だ。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1999秋SP 我是女演員 菅野美穗"
https://t.co/GV83mgWhLm

「私は、女優」見た。
──主人公(菅野美穂)は女優で、撮影をしていた。ナイフを取りだし、男に近づくと、男が振り向き、主人公は悲鳴をあげる。主人公は我にかえる。男を刺さなきゃいけなかったのだ。……彼氏は、主人公が一人でいるのを見た、撮影隊なんていなかったという。──

動画見つからないと思っていたが見つけた。おすすめに出てきた。
菅野美穂、不安定な役が多い。「真夜中のDJ」も精神的にあぶなかったし、「望みの夢」では現実と夢を行き来しまくっていた。

一つずつ嘘がはがれていって、なにも残らなくなる、不思議な後味の作品。
彼は最初からきらきらしてて妄想っぽかったが、噴水で濡れてハンカチを出すっていう出会い方も妄想っぽい。

"기묘한 이야기 총 든 남자 銃男"
https://t.co/2MSl3g4AVd

「銃男」見た。
──自信がなくて、なにをやってもダメな主人公(草なぎ剛)に、ある日、銃がとどく。隠し場所が思いつかず銃をふところにいれて生活しはじめると、みるみる自信がわいてきて、会社での業績が上がる。自信満々の主人公は、倒産間近といわれる企業に多額の融資をもちかける。──

電車のなかの男が「志村、お前逆ばっかりいくよな」と話していた。これはココリコ田中演じる「逆男」のことだな。あれは志村という役名だった。
「逆男」も失敗ばかりの男が突然うまくいくようになる話で、棒グラフがでてきた。

銃ってそんなに自信をもたらすものなのか。みんなが銃をもつようになると、銃のためのアクセサリーも出てくるというわけだ。
調子にのってる草なぎくんもいいね。オチに驚いた。しかも伏線が利いている。

ここから2000年。どんどんいきましょう。

"奇数 世にも奇妙な物語"
https://t.co/xVgkeK0ql5

「奇数」見た。
──主人公(柳葉敏郎)がバスに乗る。二人がけの席があるのに、二人連れもみんな一人がけの席に縦一列に座っている。バス停のたびに前から一人ずつ降りていく。11丁目で降りたい主人公は、自分が七番目に座っていることに気づく。──

まとめられないよこれは。いままでないタイプの話じゃない? カメラと音楽の効果で、むやみにドキドキする。
樅の木は棺や卒塔婆に使われたという話が伏線になっているようでなってないのがいい。

「記憶リセット」動画みつからず。もしかしたら中国語のタイトルでアップされているかも。

"冷やす女 (世にも奇妙な物語)"
https://t.co/nhJsxVpfDf

「冷やす女」見た。
──主人公(水野美紀)は彼(辻仁成)のために部屋を寒くしている。温度計を部屋にたくさんぶら下げて、氷を買い込み、冷房をつけている。彼はなにも言わず座っている。──

かなしいまでにうつくしい話だった。
映像や音楽がいつもの感じと違っている。センスいい。話はあんまり動かないんだけど、愛情を尽くす様子がじっくり描かれている。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 2000春SP 死亡的瞬間"
https://t.co/LsrrwGfF6w

「最後の瞬間」見た。
──主人公(伊東四朗)は生命保険の勧誘を仕事にしている。主人公には人の死が見える。どんなふうに死ぬのかが見えてしまう。病院にいる主人公の妻は、自分の死が近いのを予感していて、自宅で死にたいという。仕事を理由にそれをしりぞける主人公だったが……──

伊東四朗っていい演技するなあ。ちょっと感動する。
みんな生命保険に入ってないものなのだなあ。マジか。

「世界奇幻物語」のタイトルでけっこういろいろアップされているようだ。見逃したものがあったら見ておこうと思う。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1998春SP 5分鍾後的女人"
https://t.co/eGKplJnzyp

「5分後の女」
──主人公(安田成美)はいつも五分遅れる。どうやら自分そっくりのもう一人の誰かがいて、五分前に同じ行動をしている。彼のところへ行けば五分前まで会っていたというし、コートを買おうとすれば五分前に売れている。主人公はついに五分前の女においつく。──

彼氏が裸なのが謎なんだが、事後だからってこと? うっとりした男で、こいつも謎だ。
砂時計が出てきすぎる。わざとらしさが気になる。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1997秋SP 容易被冤枉的男人"
https://t.co/RBn8KiMljR

「無実の男」見た。
──主人公(草剪剛)は、なぜか悪いことを自分のせいにされる。自分そっくりの指名手配のポスターが貼り出され、警察や人々に追いかけ回される。ただひとり信じてくれるのは恋人だった。用意していた指輪を恋人に差し出そうとしたそのとき、──

一ヶ月前に見た「お前が悪い!」に似た話。あれは自殺に追い込まれるのだった。こっちは射殺されている。恋人の有無は大きい要素だ。それと「殺人犯」で固定されているか、あらゆることを押しつけられるかの違い。

"大注目の男 世にも奇妙な物語"
https://t.co/MJ6wMWOJd6

「大注目の男」見た。
──主人公(柳沢慎吾)が目覚めると、家族がジロジロ見てくる。通勤の途中で会う人たちも、会社の人たちも、見てくる。タクシーに乗ると運転手が後部座席の主人公を見ながら運転する。たまらず運転手を下ろして運転を代わる。──

初期の作品。
こういう話なのは覚えてたけど、あらためて見ると短くまとまってて面白い。無言で見ているのがシュールだ。こっちを見ながら別の話をする同僚たちとか、車に人が集まってくるところとか、エレベーターの中で全員が見てくるとか、場面場面が異様で面白い。
どさくさに紛れてフジテレビの目玉マークがでてくるのがちょっとふざけている。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1992春SP 奇遇"
https://t.co/Ld6MveGAtJ

「奇遇」見た。
──主人公(片岡鶴太郎)のとなりに、同姓同名の男(仲本工事)が住んでいる。妻の名前も同じ、職場は同じビル。同じタイミングで同じことをしていて、会うたび「奇遇ですなあ」と声をかけてくる。主人公は、男からどうにか逃れようとする。──

仲本工事ってこういうの合うよねえ。正体不明な感じがする人だ。
鶴太郎は奇妙な世界でなにかと苦しんでいる。「帰れない」は解決しないままだったし、「夢のつづき」では死んでいた。今回は、まあまあ良い終わりかただった。
解決はしないんだけど、自分の側が変わることで落ち着く。という意味では「帰れない」と同じではあるな。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1991 家庭電視劇"
https://t.co/t5qxmAxXTg

「ホーム・ドラマ」見た。
──念願のマイホームをてにいれた主人公(松原千明)とその家族。主人公は家が傷ついたり汚れたりすることに我慢ならない。しかし二人の子供は散らかすし汚すし犬を拾ってくる。主人公は犬を箱に入れて川へ棄てる。──

1991年だから、初期のほうの作品。これは覚えているし、当時ちょっと怖かった。家が真っ黒に汚れる場面が。
夢に食い殺されないようにね、と冒頭のタモリが言っている。

いま見ても気味悪い嫌な話だよ。タバコも油もどんどん禁止していくのとか、家具をなくすとか、女の子がいなくなるとか。
当時は汚れるのが怖いと思ってたけど、いまは過剰反応がこわい。

1991といえばちょうどウチも引っ越したばかりだったなあ。
それと、初期のこの番組ってあたらしい場所に引っ越してくる話が妙に多い。環境の変化が奇妙な世界につながっている。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1991 要死三個人"
https://t.co/ThiqYFYD8s

「三人死ぬ」見た。
──弁護士の主人公(露口茂)はテレビ局で占い師の水晶球を割ってしまう。時間が数年前に巻き戻り、過去の銀行の人質事件に巻き込まれる。三人が亡くなる事件だと報道で分かっている。主人公はどうにか生き残ろうとし、犯人に加担する。──

傑作。伏線がしっかりしていて、心理描写に緊張感がある。射殺の描き方がうまく、悲鳴が自然だ。「四年前はまだ有名じゃなかったんです」というギリギリのユーモア。
身元不明というのは忘れていた。ただ死ぬよりも悲惨な終わり方だ。

"世界奇幻物語 / 世界奇妙物語 1990 倒時計"
https://t.co/YJqvRb81Lf

「カウントダウン」見た。
──主人公(宍戸開)が引っ越してきた部屋には、前の住人であるロシア人の物が残っていた。そこに自衛隊の機密文書を見つけてぎょっとする。宅配便がきて前の住人あての荷物がとどく。興味本位でみてみると銀色の機械だった。さわったらカウントダウンが始まった。──

前に阿部サダヲ主演の「カウントダウン」という話をみたけど、それは2007年の作品だった。
宍戸開のものは、緊張感がありながらも主人公がひょうきんでたのしい。ちょっとオチが見えてたけどね。


今回おもしろかった話10

1 冷やす女
2 三人死ぬ
3 大注目の男
4 ホーム・ドラマ
5 懲役30日
6 モザイク
7 マニュアル警察
8 逆男
9 銃男
10 中学教師

今回つまんなかった話1
1 のぞみ、西へ


以上です

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c9

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
10. 中川隆[-12124] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:35:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年01月20日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ【10】1992-2001年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52229619.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html

【9】1990-2000年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html

のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、古いのから順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。

"世界奇妙物語 - 2000秋 - 斷定男"
https://t.co/KalpE10tak

「断定男」見た。
──主人公(ユースケ・サンタマリア)は態度が曖昧で、上司にあきれられている。不倫相手が妻のもとへ来ると聞き、仕事を抜け出すが、外へ出ると周りがなにもかも曖昧になっている。曖昧なタクシー、曖昧な電車。帰ると不倫相手と妻が刃物を向けあっている。──

おもしろいよ。曖昧な世界と断定の世界。一見反対の世界のようだが、変わらないものもある。
着メロが爆笑問題の「でたらめなひと」だ。ケータイの着メロとか、曖昧なしゃべり方とか、そのあたりが2000年だ。

18年前ってそんなに今と変わらないな。古さがない。
断定的なタクシーや電車がおもしろい。
職場の上司の人、ほかの話でも上司の役で出てた人だな。飯島直子の「ザ・ニュースキャスター」だったか。

中国語のアカウントがアップしてた古いものを見終わったので、また2000年秋から進めていく。古いのが見つかったらまた戻る。

"世界奇妙物語2000秋 發電課長"
https://t.co/cAdeq11dR7

「発電課長」見た。
──深刻な電力不足に陥った日本では、自転車での発電が日常となっている。主人公(角野卓造)は会社の発電課で毎日自転車をこぎ、家庭でもまた自転車をこぐ日々を過ごしている。──

よかった。
特殊な設定に見えるが、それと同時に現実味もある。よくみつけたものだ。
発電からうまれる仲間のつながり、家族の信頼。角野卓造っていい役者だなあ。

"世にも奇妙な物語 よう、鈴木! (陣内孝則)"
https://t.co/JORAMgkJGO

「よう、鈴木!」見た。
──主人公の鈴木(陣内孝則)はありふれた名字のおかげで、パーティーで重要人物と間違えられ高価な土産をもらう。味を占めてそれを何度も繰り返す。同窓会の案内がきて出席すると、どうも様子がおかしい。「鈴木」が珍名ということになっているのだ。──

陣内孝則の演技がよくて楽しく見れるんだけど、考えてみれば無理な話だ。
ああいうパーティー荒らしって犯罪なんだろうか。それを捕まえるためだけにパーティーをひらく必要あるんだろうか。チョウソガベさんのアタックはなんなんだ。いらないだろう。


"雪山 世にも奇妙な物語"
https://t.co/KqX1oIQhsH

「雪山」見た。
──雪山で遭難した五人。歩けなくなった一人を埋めて四人は小屋にたどりつく。あたたかくない炎にあたり、味のしない食料をとり、死ぬのを恐れながら交代で睡眠をとる。──

傑作といわれていたのでおそるおそる見た。「歩く死体」に「食べすぎた男」を掛け合わせたような話。

コメント欄をみるとさらに面白かった。タモリと駅のくだりも合わせて見るというのは気づかなかったな。駅の人々も遭難して幻を見ているのだとすると、携帯の通話がむなしく響く。

こういう、考えるともっと怖くなるような話がネットでは喜ばれるね。論争になって盛り上がるんだろう。

雪から血があふれだすのがこわいよ。ああいうのは今までなかったよ。しかし、掘り起こそうとして突き刺すなんて、お笑いみたいだ。

毛布を取り合ったりしてギスギスしてるのが嫌だったな。
人の思い込みってすごい。小屋だって、かすかに見えたと思ったら中に入ってたもんね。

「バーゲンハンター」「さとるの化け物」は音声がなかったから見なかった。早回ししてるようなゴニョゴニョした音がかすかに聞こえるだけだ。高評価もあるところからすると、聞こえてる人もいるのか。

"世にも奇妙な物語 携帯忠臣蔵"
https://t.co/3eHs5S4QA8

「携帯忠臣蔵」見た。
──主人公・大石内蔵助(中井貴一)は親の仇をとるつもりもなく、のらりくらりと女と遊んでばかりいた。ある日、主人公は携帯電話を見つける。現代日本から、歴史の調査の電話がかかってきている。とまどう主人公だったが、徐々に携帯電話を使いこなせるようになる。──

布団をかぶってはだかにならずにエッチしてるのが印象的だった。そしてよく邪魔される。
親の敵討ちってそんなに大事なんだな。主人公以外みんな真面目だ。

"世にも奇妙な物語 チェス"
https://t.co/Mnh8Fw9zty

「チェス」見た。
──チェスのチャンピオン(武田真治)はコンピューターと戦い、負ける。それ以来チェスから遠ざかっていた。そんなある日、彼を招きチェスをさせようとする老人がいた。そこで駒を取ると、外でチェスのように配置されていた人間がひとり刺されて死ぬ。──

なんかもう、きのうの「携帯忠臣蔵」もだけど、このあたりからオレの知ってる「世にも奇妙な物語」じゃないというか、別の番組だよ。つくりが違う。映像がきれいになったなあ。

なんのリアルな感じもないよ。新聞がちらかってるのは何? ホームレスっていうこと?
杖をついてる老人が歩きながらしゃべるわけないよ。
音のしない拍手が上品でいやらしい。
最後のネタばらしも納得いかない。医師が目の前で痙攣して死ぬショック療法なんてあるか。
感動のさせかたが安っぽいんだよ。勝負より家族をとったから偉いっていうのは。
あれで勝ったとはいわないでしょ。機械を壊して勝ちになるなら、最初からチェスする必要がない。

映像がきれいだから余計に残念さがある。外側ばっかり立派で中身のおもしろさがない。作ってるひとたちがみんな入れ替わったのか?

"世にも奇妙な物語 結婚シミュレーター"
https://t.co/6EdHgCZUeJ

「結婚シミュレーター」見た。
──主人公(稲森いずみ)は映画館で出会った男性と結婚することになる。「結婚シミュレーター」でふたりが結婚するとどうなるかを見る。シミュレーターのなかでは、仕事でいそがしい夫と家事を負担する妻のあいだで関係が悪化し、離婚する。──

シミュレーターで結婚をやめちゃうことなんてあるのか。だったらそのサービスって提供する側が損だ。必ず幸せになるシミュレーターにしたほうが、喜ばれるしもうかりそう。
便器の蓋とか、寝るとき灯りを消すかとか、目玉焼きに何をかけるかとか、そういうところから溝が広がっていくんだなあ。

空撮っていうの? 高いところから撮影する場面が多い。
悪魔のパンプキンマン、よかったな。

とてもいい話だった。
「携帯忠臣蔵」「チェス」でこの番組の行方が心配になっていたんだけど、こっちで盛り返した。

"世界奇妙物语·2000 秋季特別篇b 标清"
https://t.co/dKQF8nb5DD

「バーゲンハンター」見た。
──ガオファイガーというロボットのおもちゃが人気で、これをもっていないことで子供が仲間はずれにされる。それを知った母(松下由樹)たちは怪我人が続出するというドラゴンデパートのバーゲンに出かける。だがそこには強敵がいた──

「世にも奇妙な物語」で検索しても「バーゲンハンター」で検索しても出てこない動画を、探し当てた。「世界奇幻物語 2000」で検索した。

熱い話のような、馬鹿馬鹿しいような話だ。ドラゴンデパートっていうのは、ありそうで無いおもしろい設定だ。悪役がいたり、ライバル関係があったりして、バトル漫画みたいだ。おばさんのやることを少年漫画っぽくつくるのは、ひとつのアイデアだな。
しょうもないことに真剣になるというのは「公園デビュー」の系列だな。

でも、苦労して手にいれたガオファイガーが「仲間に入れてもらうため」のものだと思うと微妙だ。あんなやつらの仲間に入って楽しいかねえ。あんなやつらのためにそこまでするなんて。

猫を抱いて外出して、デパートにまで行くっていうのが一番わかんないよ。

"世界奇妙物语·2000 秋季特別篇b 标清"
https://t.co/dKQF8nb5DD

「さとるの化物」見た。
──静かに酒を飲む紳士(林隆三)のそばで、男(沢村一樹)は女性たちにトランプの手品をやっている。男は波長が合う者の心が読めるのだという。女性たちが帰ると男は紳士にからむ。トランプを完全に当てて、人間の心を読む「さとるの化物」の話をする。──

どんでん返しが見事だった。まんまとやられて気持ちよかった。
泡を吹く描写にゾッとする。
自分の思っていることが、送りつけられた意識にすぎないというのは怖いね。
「飛行機が落ちるぞ」は回収しなかったな。こういう予言はきっちり実現させるのがこの番組のパターンなんだけど。

っていうか、マスターが本を読みながらイメージしていることを、紳士の意識として男に送り込んだわけでしょ。アクロバティックだ。たいしたもんだ。

2000年放送ぶんは「記憶リセット」という話だけ見つかってない。見つからなければ2001年にすすむ。

"主婦さち子の秘かな愉しみ (世にも奇妙な物語)"
https://t.co/5dyOL2kBSs

「主婦さち子の秘かな愉しみ」見た。
──主人公(野際陽子)は家事とパートにいそがしい。ひそかな楽しみは、恋愛小説を読むことだった。生活に疲れたある夕方、恋愛小説に出てくるリチャードが目の前にあらわれる。リチャードとの恋の日々が始まる。──

惣菜の仕事が大変そうで、ネチネチ注意する年下の上司がいやらしくて、こちらまで参ってしまいそうだった。家庭でも大事にされてないし。リチャードがあらわれてくれて良かった。これからのさち子の幸せを願いたくなる。いい話で、ちょっとせつない。

BLACK ROOM
https://t.co/nxw3u6IAHT

「BLACK ROOM」見た。
──主人公(木村拓哉)が留学先から帰ってくると、家が辺鄙なところにあり、奇妙に広くなっている。両親にそれをきいてもよくわからない。しかもマサコという妹ができたらしい。それについてもよくわからない。押し問答をしているうちに、それは起こる。──

かなりコメディー寄りの作品。母親が樹木希林さんだね。しょうもないけど、終わってから思い出すとぶっとび具合がちょっと楽しい。問答がおもしろくないけど、これをやりたかったんだなと。

パンドラTVというサイトで見た。YouTubeのコメント欄にURLが貼られていたから。
ちょっと見づらいがしょうがない。
そのサイトで探したら、ほかの見れなかったやつもいろいろアップされていた。これからしばらくパンドラTVで見るかも。

よく探すと、古いやつは二本くらいしか未視聴のやつがない。「のどが渇く」「逆転」が見つかった。うーん。なかなか埋まらないなあ。

一人のユーザーが、とんでもない量のアニメやドラマをアップしてるんだよ。このサイトだと削除されないんだね。

逆転
https://t.co/nINbk1470E
「逆転」見た。

──主人公(片岡鶴太郎)は飛び降り自殺の現場に遭遇し、気絶する。それからというもの、世の中の人々は悲しいときに笑い、たのしいときに泣いている。主人公は無表情で暮らすようになるが、どうにもこの世界に慣れることができない。──

同じ片岡鶴太郎主演の「帰れない」と似たつくりだ。おかしな世界に迷いこむ→同志をみつける→解決はできない。
表情がないのが離婚の原因になるかねえ。しかもあんなに悲しんで。
ポスターの表情がかわるのがおもしろい。

のどが渇く
https://t.co/6VqNwvZeZd

「のどが渇く」見た。
──主人公(椎名桔平)は三日も砂漠をさまよっている。飲み水がなくなり絶望しかけたときにオアシスを発見し、奇跡の生還を遂げる。普段の生活に戻った主人公だが、のどが渇いてたまらない。また、水が砂のように感じられる。──

「食べすぎた男」の砂漠バージョンだ。はじめからそんな気はしていた。
ラストシーンが幻想的だ。怖がらせる方向の「食べすぎた男」とはそこがおおきく違う。

エキストラ
https://t.co/nuTBsUMsCe

「エキストラ」見た。
──主人公(香取慎吾)は役者を目指していて、エキストラの仕事をする。だがドラマでも映画でもなくカメラもない。台詞を言うと翌日給料が振り込まれている。彼は知ってしまう。誰もがどこかで決められた台詞をしゃべっているエキストラなのだと。──

カップルもおじさんも、精神科医も台詞を読んでいる。台詞を間違えると世界が止まってしまう。知り合ったおじさんは自殺する役を与えられ、台詞を言いながら死んでいった。こんなのはおかしいと主人公は台詞を拒絶するが、それ以来、部屋がなくなり食事もままならない。
もう一度エキストラをするために出向いた仕事先でわたされたのは、一生ぶんの台本だった。

──というところでオチになりそうだが、まだ先がある。

かなり奇妙で、見たことない感じの話だ。ひとつのバイトのつもりが、そこから世界が歪みだしていく。

実際の世界は逆で、言ったことが事実になり歴史になっていく。でも自由にしてるつもりでも神様がつくった台詞を言っているんだよ、と考えることもできそうだ。

台本が厚いと思った。オレの一生ぶんの台本は、かなり薄いと思う。無口だから。昨日なんて500文字くらいしかしゃべってないと思う。

13番目の客
https://t.co/1xLdxsQaR2

「13番目の客」見た。
──主人公(草なぎ剛)は仕事でいそがしい。大事な結婚式に出るために理髪店に寄ると、たくさんの従業員がいた。終わって出ようとすると出られず、理髪店で訓練をすることになる。はじめは抵抗したが、徐々によろこびと清らかな心を得る。──

これもなんかすごい話だ。初期は一話15分だったから倍くらいの長さになってるわけだが、それだけの内容になっている。
不思議な「秩序」にまきこまれていくのは「エキストラ」も同じだが、ここではただの思考停止ではなく、よろこびを感じるものになっている。
「エキストラ」は苦々しい秩序から抜けられない話だが、「13番目の客」はよろこばしい秩序から抜けてしまう苦しみが描かれている。

食事のパンの場面でどうしてもキリストと12人の使徒を思う。宗教的な色合いがある。宗教の平安は死後までつづきうるものだが、抜けるシステムがある。
この話がなにを意味するのか考察の動画がYouTubeにあがっていたが、答えを他人に求めるよりも、自分のなかに謎としてそっと置いておきたくなる。
宗教は最後まで面倒をみるから宗教なんだな。宗教が死後のことまで言う意味がわかった。
入ったら出られなくなって、出たら入れなくなる。完全に遊ばれている。神にも悪魔にも思えるなにかに遊ばれている。

僕は旅をする
https://t.co/fNu25Z1d0M

「僕は旅をする」見た。
──主人公(稲垣吾郎)の姉は旅行に行くと言い出ていったが、急行列車と接触し、首のない遺体で発見された。主人公は姉の死が受け入れられない。主人公が姉の旅行するはずだった場所をまわると、姉と電話した人や姉と会ったという人がいた。──

亡くなる人が別の場所で目撃されるというのは、よく聞く話だ。
主人公と姉の関係に特殊なものがあってどきどきする。
ゆったりとした旅の雰囲気がある。海の場面。
似た顔の人物が物語に陰影をあたえている。

有と無、生と死のはざまに姉はいる。主人公が旅することで、姉は安心して行くべき場所に行けたんじゃないか。変なオチだし、引きずられたにしては顔がきれいすぎるが、これは「いい話」なんだろう。

"世にも奇妙な物語 恐竜はどこへ行ったのか【佐野史郎】"
https://t.co/oUsFvYZnio

「恐竜はどこへ行ったのか」見た。
──自分の体を傷つける精神の病で入院している元教授(佐野史郎)に、研究者(松下由樹)が面会する。元教授は恐竜の絶滅の理由を、危険を察知して異次元に移動したからだとする。彼は脳のR領域と呼ばれる部分が異次元移動と関係していることを突き止め、それを活性化する薬を開発した。──

あらすじがうまくまとまらないなあ。
最初の叫びが最後につながるのは良かった。

佐野史郎の演技がすごい。
佐野史郎、結構出てくるなあ。「地獄のタクシー」では医師で、「笑う頭脳」ではコンピューターを使った連続殺人犯で、「バカばっかりだ!」は大人っぽい子供で、「柵」では工務店だった。
そのどれよりも今回はぶっとんだ役だった。知性と狂気を兼ね備えている。
脳みそとワープの関係はわかんないよ。

オトナ受験
https://t.co/CNyYw557cH

「オトナ受験」見た。
──主人公(中居正広)は、大人免許不所持で捕まり、訓練を受けることになる。電車でのマナー、説得の仕方などを学び、順調に課題をクリアしてゆく。一緒に訓練していたタカハシが脱走する。主人公の最後の試験は、タカハシへの裁きを言い渡すことだった。──

恋人役が広末涼子だ。いいなあ。広末好きなんだよ。
突然世の中が変わるというのは「銃男」みたいだし、拍手で無理矢理いい話にするのは「チェス」みたいだ。BGMが前に出すぎだし、ちょっとどうかと思っていたが、最後のオチが面白かった。

あの赤い制服、どういう服なんだろう。後ろの首のあたりに紐があるけども。
分厚いマニュアルがあって、親が死んだときの悲しみ方までその通りにしなければいけないのは、狂ってる。狂ったマニュアルに反発したら合格するというのも、なんかいやだなあ。

でもマジで、「じつはみんなであなたを騙してました」って感じでパラパラ拍手する展開は嫌い。

あと、すぐに免許がだせないと人が駆けつけてきて逮捕するのもおかしい。逮捕の手続きが簡略すぎるし、お爺さんお婆さんなんて、バッグからすぐになにか取り出すのは困難なんだよ。
老人の視点がないよね。いないことになっている。

これでSMAPの特別編はおわり。全体的におもしろかったな。傑作を揃えてきたな。YouTubeには一本も上がってなくて、しかし代わりに「パンドラTV」という動画サイトになじんできた。

"友達登録 世にも奇妙な物語"
https://t.co/3PGi48qjED

「友達登録」見た。
──主人公(深田恭子)には友達がいない。ケータイに「友達登録」のメールがくる。登録するとすぐに友達があらわれた。明るい子、おとなしい子。次々に登録しては消していく。消去すると、その子はもうどこにもあらわれなくなる。──

31万回再生されていて、やたらコメントが多かった。規約をよく読めということですね、というコメントが正論だ。
時代を反映している。携帯サイトの感じが。「うざい」という言葉が初めて出てきた。

一種の「どくさいスイッチ」だ。
便利なものがでてきて、それに復讐されるという形は藤子不二雄的といえる。Fの「ドラえもん」もそうだし、Aの「笑ゥせぇるすまん」もそうだ。

"世にも奇妙な物語 株式男" https://t.co/pkHPGaiCNK

「株式男」見た。
──主人公(市川染五郎)はうだつのあがらないサラリーマンだったが、自分と同じ名前の株があることを知る。たまたま人助けをすると、その株が上がる。仕事がうまくいくようになり、株も急上昇。自分の株で大もうけする。しかしちょっとしたことで転落することになる。──

「逆男」のパターンかと思った。冴えないサラリーマン→大逆転→転落。
でももっと気味の悪い話だ。

大事な話はなぜかいつも海の近くでして、終わると汽笛が鳴る。

社長から娘との結婚話をもちかけられるのも「逆男」と同じなんだよ。

"世にも奇妙な物語 太平洋は燃えているか?"
https://t.co/XJ0P57RIYH

「大平洋は燃えているか?」見た。
──主人公(川岡大次郎)は自宅から突然連れていかれる。そこは司令室のような場所だ。聞けば、1945年に消息を絶ったはずの爆撃機「雷神」がアメリカへ向けて飛んでいるという。雷神には主人公の祖父が乗っている。雷神を止められるか。──

なかなかいい話だったし、世にも奇妙な物語らしいオチだ。

案の定、コメント欄に当時のことに詳しい人たちがあらわれて言い争っている。テレビもビデオカメラも、携帯できる通信機も当時の日本にはあったというコメントが印象的だった。

知らない俳優さんだったな。目が特徴的だ。
軍事ジャーナリストだという人が、若いころの田原総一朗みたいだった。

"世にも奇妙な物語 心臓の想い出"
https://t.co/zpkin0WwSk

「心臓の想い出」見た。
──心臓の移植が成功し一命をとりとめた主人公(羽田美智子)は、謎の男の声が聞こえるようになり、また、見えるようにもなる。男と知り合い、彼が臓器の提供者の女性の恋人だったとわかる。臓器提供者の家を訪れた主人公は、その死の真相を知る。──

移植された臓器といえば「笑う頭脳」があったな。男が襲ってくるのは「君だけに愛を」を思い出す。
沢村一樹って前にも「さとるの化物」でやばい役をやってたな。

いい話になりかけると逆転して怖いことが起こる。昨日の「大平洋は燃えているか」もそうだった。一難去ってまた一難、というのがこの番組らしい。
取り出された心臓がつらいし、柵が刺さって死ぬのもつらいなあ。

ドラマチック・シンドローム
https://t.co/jJ4hjM9Ttv

「ドラマティック・シンドローム」見た。
──主人公(優香)は平凡な男性と付き合っているが、ドラマを楽しみにしていて、ドラマチックな恋愛にあこがれている。憧れていた胸板の厚い男性と出会い、ドラマみたいな恋が始まりそうだったが、思わぬ方向へそれてゆく。──

タカユキの「愛してるよ」の言い方が良かった。ドラマのために仮病をつかうが、わざとらしくてかわいい。主人公がひょうきんなのがいいよ。

っていうか、女を殺したのは誰なんだ。マコトさんはあくまで否定していたが……。

「厭な子供」動画みつからず。最初の3分の1だけがニコニコにあったようだった。

"世にも奇妙な物語 「おばあちゃん」 柊瑠美"
https://t.co/10yjfk7iBd

「おばあちゃん」見た。
──主人公(柊瑠美)は両親と、病院にいるおばあちゃんに会いにいく。管につながれ動かないおばあちゃん。しゃべれないはずのおばあちゃんの声が主人公には聞こえる。おばあちゃんは、会いたい人がいるので体を一日貸してほしいと主人公に頼む。──

最後にけっこう驚いた。それに尽きる。
コメント見ると、この柊瑠美さんという人は、「千と千尋〜」の声を担当したことで注目されたんだそうだ。言われてみると同じ声だが、気づかなかった。演技がうまいほうではないけど、子役だとこんなものかと思って見ていた。財布を投げる動き、どうですこれ。

千と千尋は、豚になった両親のところへ戻ってきて救うけど、こっちはそうならなかった。つい、物語を重ねてみたくなる。

後味悪い話として解説してる動画があったけど、嫌な感じはしなかったな。
入れ替わってめでたしめでたしになるのはなぜかスポーツがらみの話が多い。「ライバル」「三日間だけのエース」「覆面」。

「仇討ちショー」動画みつからず。YouTubeで探して、パンドラTVで探して、Googleで探すようにしている。
あとで「世界奇幻物語 2001」でも検索してみることにする。中国語で別タイトルになっていることがあるから。

世にも奇妙な物語 奇跡の女
https://t.co/mPtRrumNFl

「奇跡の女」見た。
──主人公(観月ありさ)は飛行機事故にあうが一人だけ助かる。それ以来、死の恐怖にとらわれながら病院で過ごしている。階段で後ろから押してくる者がいる、水に沈めようとしてくる者がいる。それは被害者のひとりの母である看護婦だった。──

最後の方はいい話になるんだけど、そんなもんかねえと思いながら見た。
お芝居の稽古でいきなり首をしめられるところが印象的だった。

世にも奇妙な物語 ママ新発売!
https://t.co/s1Av5Q08If

「ママ新発売!」見た。
──主人公(ともさかりえ)の母は母親参観にきてくれないし、母親の自覚もない。主人公はともだちと一緒に何でも売っているデパートのママ売り場で、あたらしいママを買う。しかし新しいママは主人公を捨てる。主人公たちはいらないもの売り場の10円の商品となる。──

なんだこりゃと思ったし、これが「世にも奇妙な物語」であることをしばらく信じられなかった。ディズニーとかそういう映画みたい。でもまあ、これはこれで面白いよ。主人公がおかしな脱出計画を練るところは「友子」のシリーズみたいだった。
あと、新しいママがたまらん。

うさぎのジャックの場面はよかった。
自分が捨ててきたすべてのものと再会することができたら、けっこう感情をゆさぶられると思う。

世界奇妙物語2001秋 復仇秀
https://t.co/Tqs9RlhwBJ

「仇討ちショー」見た。
──父を殺された主人公(中谷美紀)は法律により仇討ちが認められる。さだめられた場所や方法により仇討ちが開始され、テレビ中継が入る。主人公はなかなか犯人を撃つことができない。うかうかしている間に、犯人がさだめられたエリアから逃走してしまう。──

架空のテレビ番組ということだが、さすがフジテレビだけあり、うまく番組をつくっている。法律もそれっぽいし。今でいうと「逃走中」に近いかな。番組としてのクオリティの高さに感心した。
国民がテレビの前で熱狂するというのは、テレビの見る夢なんだろうな。

なんともしょうもないオチで、頭に刺さっているところがちょっと笑えた。

途中で飲料水のCMの撮影をするところなんて、なかなかふざけている。テレビの軽薄さを描いている。
真面目なのは仇討ちさんと犯人と、それから役人だけだ。「ショー」とはそういうことだ。

■今回おもしろかった作品
1 13番目の客
2 エキストラ
3 雪山
4 さとるの化物
5 結婚シミュレーター
6 発電課長
7 おばあちゃん
8 仇討ちショー
9 僕は旅をする
10 恐竜はどこへ行ったのか


■今回つまらなかった作品
1 チェス
2 株式男
3 逆転


んじゃまた。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52229619.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c10

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ もう一人の花嫁 中川隆
11. 中川隆[-12123] koaQ7Jey 2019年2月16日 21:36:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年02月16日
「世にも奇妙な物語」全部見て順位つけるぞ【11】 〜2003年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52231187.html

「世にも奇妙な物語」全部見て順位をつけるぞ

【1】1990年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52214819.html

【2】1990年10月-1991年3月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52217094.html

【3】1991年4-9月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52219169.html

【4】1991年10-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220996.html

【5】1992年4-12月
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52222482.html

【6】1993-95年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52224548.html

【7】1996-98年4月、ほか
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225576.html

【8】1990-96年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52226691.html

【9】1990-2000年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52228148.html

【10】1992-2001年
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52229619.html


のつづき。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8295/title.htm
このデータベースを参考にして、古いのから順番にYouTubeなどで見ていく。
(動画のリンクを貼っておくけど、消えている場合があります)

記事の最後に、今回のベストを決めるから、最後まで見ていってくださいね。

世にも奇妙な物語 無視ゲーム
https://t.co/LFZKfdOME2

「無視ゲーム」見た。
──主人公(内山理名)は、ルームメイトを軽く扱っていて、彼を連れ込んで三人で住む。だが突然立場がかわる。彼がルームメイトと一緒になって、主人公を無視するようになる。大学でも存在感が薄くなっていると言われる。──

ルームメイトっていうのが今まで見られなかった設定。
コメント欄では不評だったが高評価600の低評価150くらいの割合。
まあ登場人物が似てるし、オチは途中でわかっちゃうし、階段ですべって死ぬのもアレだし、なんで無視されて相手にさわらないんだろうと思う。

誰にも見えなくなったら、さびしいかもしれないが、しばらくは気楽だろうなと思うよ。そういう立場になりたいと思っちゃった。

ここから2002年。2001年のぶんは「厭な子供」の動画だけどうしても見つけられなかった。

おかしなまち 世にも奇妙な物語
https://t.co/TXXrQfM1Qq

「おかしなまち」見た。
──主人公(柳葉敏郎)は、リストラの増えた職場で鼻をグズグズさせながら真面目に働いている。「岡科町(おかしなまち)」へ行き仕事をすることになる。そこでは誰もがシャレを言いギャグをかましている。主人公は徐々に馴染んでいく。──

コメント欄の「おかしいけどおもしろくはない」「受付の女くそわろた」に同意する。
おもしろそうだけど、おもしろくはないんだよね。楽しそうな町だけど、住むのはきつそう。
ギャグよりも、切符を犬の形にしてくれるみたいなことが心あたたまるなあ。

世にも奇妙な物語 トカゲのしっぽ
https://t.co/vcZvSuhJaz

「トカゲのしっぽ」見た。
──主人公(柏原崇)はピアニストで、事故で右腕を失った。教授が開発したトカゲの再生能力を利用した治療法を受け、右手が再生する。しかし右手はトカゲのようで、思うようにならない。教授のもとをたずねると、人間離れした何かの力により教授は死んでいた。──

ついこのあいだの「心臓の想い出」みたいな話だ。からだのパーツをつけかえるがうまくいかない話。医療ミスっていうのはこわいよ。

トカゲとショパンのワルツの取り合わせがふしぎだ。
楽譜のおたまじゃくしがトカゲになるところが怖いというかイヤだ。
しかしまあ、右手から体ののこり全部を再生させるとか、やばいな。その発想はなかった。

"夜汽車の男"
https://t.co/xRvFWiSYUM

「夜汽車の男」見た。
──主人公(大杉漣)は汽車で弁当を食べる。どんな順番で食べるか、それぞれの味はどうか、慎重に考えながら食べ進めてゆく。──

コメント欄を見たら、すごく好評でおどろいた。大杉漣さんの訃報を聞いてこの動画を見に来たという人がいた。

弁当のなかにもドラマがある。なるほどね。弁当にかぎらず、ドラマの種はいたるところにありそうだね。

"マンホール 世にも奇妙な物語"
https://t.co/GCQBLHi4uz

「マンホール」見た。
──主人公(香川照之)は妻とうまくいかず、会社でもリストラにあいそうだ。出社するとマンホールにはまってしまう。深くて出られない。なかには事務局長のネズミがいて、出るためには手続きが必要だという。そのあいだ、ネズミ人間が代わりに出社する。──

よりによってこれがサムネイルか。
おもしろいけど、終わってみると印象がないなあ。
ああそうだ。リストラを切り出せない部長がよかった。

ホテルの場面が強烈すぎてほかの印象がぶっとんだ。動物の行為を人間に置き換えるとあんなふうなのかなあ。

コミカルだけど、カフカ的な話なのかと思えてきた。入ったらなかなか出られなくなるところ、未知の手続きに振り回されるところ、動物の姿になってしまい家族に苦しめられるところ。

"採用試験 世にも奇妙な物語"
https://t.co/Cz7fMJu7JR

「採用試験」見た。
──主人公(深田恭子)ら五人が受けている採用試験は奇妙なものだった。「さいたさいたさくらがさいた」とひたすら紙に書かされる試験。手の上に皿と水の入ったグラスを置かれ一時間そのままでいる試験。そして最後の試験は、棄権者の続出する内容だった。──

へーなるほどと思った。終わってから考えてみると、たしかにそういうことを試す試験だったと納得する。

「ロンドンは作られていない」に近いアイデア。
不景気っていうのはこの番組にも及んでいて、リストラとか就職難が出てくる。深田恭子のロボットっぽさが存分に発揮されている。

知らなすぎた男
https://t.co/abIaWTO9TU

「知らなすぎた男」見た。
──消防士の主人公(佐藤浩市)は、妻との関係にうんざりしていて、別れたいと思っている。同僚は、自分が変わればものの見方も変わる、ポジティブシンキングだと励ます。それから、主人公には妻が別人のように美しく見える。主人公は妻とやりなおすことを決意する。──

叶姉妹みたいな巨乳の奥さんが気になってしょうがない話だった。なかなかの棒読みだけども。
妻との関係を取り戻そうとしたが、ザリガニを殺したことの復讐を受けたように思える。いや、ザリガニこそ真実を知っていて主人公を止めようとしたのか。
ホースで水をかけられながらも「良かったな」と言ってくれる同僚がいいね。

世にも奇妙な物語 連載小説
https://t.co/70M8iaEqhI

「連載小説」見た。
──小説家の主人公(木村佳乃)は、ネタがなくて困っている。飛び降り自殺を考えていると、むかいの部屋に飛び降り自殺しようとしている男がいる。そこから小説を考えつく。それからというもの、むかいの部屋を覗き見ながら連載が書かれる。──

途中までけっこう怖い。向かいの部屋に勝手に上がり込んでいくのがマイナス。地球滅亡までのカウントダウンが機能しなくてマイナス。部屋から死体が出てきてマイナス。小説の内容が露骨でマイナス。テロリストが世直しでバイクに発砲するか? マイナス。
テロリストとか、小説家のファンがいかにもそれっぽいのはプラス。

"世にも奇妙な物語 声を聞かせて" https://t.co/Rf9kpqcXA3

「声を聞かせて」見た。
──主人公(加藤晴彦)に、知らない女性から電話がかかってくる。合コンで一度会ったことがあるという。それからよく電話するようになるが、決してすがたはあらわさず、主人公のことがなにもかも見えている。──

「電気じかけの幽霊」に「テレフォンカード」と何かを足したような話。
林原めぐみの声がたまらない。気味の悪い役を見事に演じている。
思えば最初は控えめだったのになあ。地獄へのカーナビがこわい。

"昨日の君は別の君 明日の私は別の私 (世にも奇妙な物語)" https://t.co/wdlq6Zj7UJ

「昨日の君は別の君 明日の私は別の私」見た。
──主人公(藤原紀香)は子育てに追われる毎日を過ごしている。夫は仕事で帰ってこない。そんなある日、パソコンの画面に自分があらわれる。プロポーズを断り雑誌編集の仕事を続けている、もうひとりの自分。──

スマホを新しくしたら、再生速度が変えられるようになったので1.5倍速で見た。台詞は聞き取れるし問題ない。

「幸福の選択」みたいな話だけど、子役がよく演技してるし、感動的だ。もう一人の旦那が現れるのがいい。最後もちょっと含みをもたせているし。
お互いにとってプラスになってるのがいいよね。親子の関係がよくなるし、雑誌編集の仕事も良い方向にいく。

"世にも奇妙な物語 顔を盗まれた"
https://t.co/hZ6UiJlpMT

「顔を盗まれた」見た。
──主人公(稲垣吾郎)は取り調べを受けている。暴行も盗みも主人公はかたくなに否定する。証拠の映像を見せられても主人公はちがうと言い張る。主人公は顔を盗まれたと話し出す。少し前からさまざまなあらぬ疑いをかけられるようになり、記憶が途切れるなどしていた。──

「急患」に似たところがある。悪の実体は見えず、緑色のなにかを通して描かれる。また、それは広がってゆく。

りんごをかじって放りだすのと、CDをばらまくのは同じように人間ばなれしている。

すぐに胸ぐらをつかむような取り調べのやりかたを見ていると、おいおいまたか……と思う。
電話がかかってきて出たけど、一言も発してなかったのもおかしい。

ここから2003年。

世にも奇妙な物語 『レンタル・ラブ』"
https://t.co/s4sjXrdWaA

「レンタル・ラブ」見た。
──家庭から父親がいなくなった時代の物語。母(飯島直子)の子供が、「お父さん」に興味をもち、父親ロボットを欲しがる。レンタルした父親のロボット(仲村トオル)は徐々に言葉を覚え、家族に馴染んでいく。海で溺れた子供を父は助けるが──

飯島直子いいなあ。前に「ザ・ニュースキャスター」で出てきたときは一人暮らしで男の影もなかったが、今度は家族の話だ。母と子でどうやって生計を立てているのかわからない。

レンタルで、しかもロボットでオンとオフができたら家族って気楽だろうなあ。飯島直子のロボットだったらほしい。置く場所があればなあ……。

顔をひらくのはどういう機能?
BGMがやすっぽい。

あ、そっか。ロボットだから働かなくていいんだ。
読み聞かせているのが「ピノキオ」、という伏線の張り方。

"追いかけたい 世にも奇妙な物語"
https://t.co/tfgkyO3Ibo

「追いかけたい」見た。
──主人公(京野ことみ)は追いかけて勝手に撮影してくる男に迷惑している。その一方で、一度接触したピザ屋の従業員に片想いして、電話したりメールしたりマフラーを編んだりしている。主人公は彼にマフラーをわたすために彼を追いかけて、部屋を突き止めるが……。──

京野ことみいいなあ。「飯島直子いいなあ」と書いたばかりだけども。
メガネの男がやるとストーカーになることが、京野ことみがやると嫌な感じがしない。最後、きれいに一周した。

「わたしメールやらないんだ」に時代を感じる。

"世にも奇妙な物語 超税金対策殺人事件"
https://t.co/Vow2Bq0gFo

「超税金対策殺人事件」見た。
──小説家の主人公(西村雅彦)は連載小説の締め切りに追われている。そこへ、多額の税金の知らせが届く。数々の贅沢をなんとか必要経費とするため、税理士である友と妻と協力し、小説のなかにむりやりハワイやスーツや骨董品を登場させる。──

旭川からハワイへの転換がじつに鮮やかだ。案の定……なオチも含めて、たのしい作品。
バタバタした奥さんだなあ。

最近見た「顔を盗まれた」も「連載小説」も作家が主人公だった。そりゃあ自分のことは描きやすいだろうねえ。

"世にも 影の国"
https://t.co/JmDJha0lyA

「影の国」見た。
──カウンセラーの主人公(桜井幸子)がパソコンのクライアントのデータを整理していると、記憶にない男のデータがある。再生してみると、男(大杉漣)は、影たちはそこに存在している、自分は影の国からきて影の国へ帰らなければいけない、等々と奇妙なことを語る。──

理解が追い付かないが、相当こわい話だ。
記憶から消えたり、居るのに見えなかったり、人が突然消えるのがこわい。156あるコメントを見たが、結局わからない。

カウンセラーが動揺することに批判的なコメントがある。病気を分類する几帳面さが、そこからあふれ出すものに過剰に反応するのか。

パソコンで動画を見てるのがあたらしかったな。だんだん携帯とかネットとかパソコンとかが頻繁に出てくるようになったな。

2003年の春のぶんが終わった。古いものがいくつか見つかったので明日からそれを見る。こういうのは、うかうかしてると消されるやつだから。

"世にも奇妙な物語 【人間国宝】"
https://t.co/XpuGP9EyqM

「人間国宝」見た。
──主人公(松村雄基)は幻の掘り師から背中に入れ墨を入れてもらう。まもなく掘り師が亡くなり、背中の入れ墨が国宝に認定される。作品の保護のため監視されるようになる。監視の目から逃れようとするが、懸賞金をかけられ、ついに捕まってしまう。──

1992年9月放送。結局入れ墨はどんなものかわかんないんだね。ぎりぎりで映らない。
背中に爪をたてたら捕まる場面は覚えてた。
おもしろい設定の話だ。

"世にも奇妙な物語 【ゲームセンターの奇跡】"
https://t.co/PiohWQHMkZ

「ゲームセンターの奇跡」見た。
──塾と家庭に疲れてゲームセンターに入り浸る少年が、10万点とると奇跡が起こるゲームをプレイする。10万点とったそのとき、少年はゲームセンターのおじさん(谷啓)と入れ替わる。いじめっこや親に仕返しをして再び元の姿に戻るが……。──

1990年8月の、かなり初期の作品。
いやーしかし古くさいゲーセンだ。ピンボールみたいなゲームだ。おじさんが声をかけてくるところも古い。
いきなりビンタしたりスカートめくりするところがおかしかった。おどるポンポコリンを口ずさんでいた。

"世にも奇妙な物語 【ど忘れ】"
https://t.co/pCvYSSKgw3
「ど忘れ」見た。
──主人公(坂上香織)は母のど忘れにあきれていたが、自分も円周率を忘れる。ど忘れはエスカレートしていき、人の名前も自分の家も名前も忘れていく。──

1991年3月。
ひたすらど忘れが進行していく話。治ったとみせかけて治ってない点だけがひねりがある。
こういう病気はありそう。奇妙というのとはちがう気がする。

「夢をあきらめないで」がケンタッキーで流れている場面があった。ヘアースタイルも古く感じる。

"世にも奇妙な物語 【あの世への伝言サービス】"
https://t.co/N50C36kCRZ

「あの世への伝言サービス」見た。
──主人公(吉村明宏)は亡くなった人へのメッセージを伝えるとして老人から金を巻き上げていた。そこへ若い女性があらわれ、亡くなった婚約者に指輪を返しメッセージを伝えたいという。婚約者は死ぬ間際に、彼女に手を出すやつは殺すと言い残した。──

91年6月。これちょっと覚えてた。
吉村明宏っていうとアッコにおまかせのイメージが強い。しかしなんだよあのメガネ。
デブの演技がいまいちだ。殺すといってもあまり怖くない。

詐欺師で、呪い殺されそうになって土下座して、そのうえでさらに女に近づこうとしてるわけでしょう。殺されてもあんまり同情できない。死ぬときの顔がちょっとインパクトあった。

"世にも奇妙な物語 【もう一人の花嫁】"
https://t.co/xerIdvylk9

「もう一人の花嫁」見た。
──二階から飛び降りた主人公(沢口靖子)はタイムスリップする。亡くなったはずの母が今まさに結婚しようとしていた。親が決めた相手と、自分が好きな相手のあいだで揺れる母。主人公は母を説得する。──

1991年4月。テンポが悪いような気がして1.5倍速で見た。
二階から飛ぶ意味がわからなかったが、タイムスリップのためなのだろう。昔の日本がでてくる話はわりと好き。古い結婚式だと思った。
親のしたことを忠実に子が受け継いでゆくという話で、こういうのはいまは流行らんだろうね。
親子の情の部分が、ちょっと感動的だった。死んだお母さんに会うとか、感動するよ。

"世にも奇妙な物語 【時間よ止まれ】"
https://t.co/CgXvOofcC5

「時間よ止まれ」見た。
──主人公(山本淳一)は、くしゃみをするとしばらく時間を止められることに気づいた。学校でくしゃみをして女性教師の胸をさわろうとすると、もう一人動ける女子生徒がいて止められる。二人は、宝くじの抽選会場に行き、時間を止めて結果を変えようと企む。──

男子のバカなところにとても共感する。
交通事故の多いドラマだと思ってたけど、二回でてくる。
BGMがうるさいのはなんだろう。動画編集のアレなんだろうか。
91年1月。

マネキンの使い方がおもしろい。
交差点でボール遊びなんかするかなあ。

"世にも奇妙な物語 【穴】" https://t.co/1QJCH5KBLL

「穴」見た。
──ゴミ処理場の建設をめぐり、主人公(いかりや長介)の会社と近隣住民は対立していた。建設予定地に大きな穴が見つかった。調査するが底がわからないほど深い。穴はゴミ処理に使われるようになり、あらゆるものが捨てられた。会社は発展したが、7年後のある日……。──

92年12月。ビデオに撮って見てたのを思い出した。星新一の作品。
いやあ、うまくできた話だなあ。
このシタールふうのBGM、何回か出てきている。

バケツをくくりつけた紐がどこで切れたのか気になる。
屋上から穴へ再び運ばなきゃいけないね。会社のビルの屋上なのが救いでしょう。死体とか、また隠せるから。

"パーフェクトカップル 世にも奇妙な物語" https://t.co/jAoqVR3tQY

「パーフェクトカップル」見た。
──主人公(矢田亜希子)のところに突然知らない男性から花束が届く。会いにいくと、相手の男性はすでに亡くなっていて、その母が送ったのだという。男性は主人公を電車で見かけて片想いしていたという。──

古いのを見終わったので2003年秋のつづきから。
なんとも皮肉なタイトルだ。まったく関わりのない二人を完璧なカップルだというのだから。
この調子だと、男性も母に殺られたんじゃないのか。

自分勝手で思い込みが激しいといえば、南果歩の出てた「ラブチェアー」を思い出したが、あれは恋人同士だった。知らない人の親というのは、それとはまた違った気味の悪さだな。
男がまったく出てこなくてどんな人かもわからないのが謎めいている。

"기묘한 이야기 2003 가을 특별편 #01"
https://t.co/A7wiC8gOeF

「遠すぎた男」見た。
──主人公(中村獅童)のまわりには、なぜか人が寄り付かない。医者にかかってもわからない。そのせいで夫婦の仲は悪くなり、会社はクビになってしまう。だが、彼に向いているあたらしい仕事がみつかった。──

意外なオチだったな。良かった。
それにしても不思議なことだ。もっともっと無理に近づくとどうなるんだろう。

"世にも奇妙な物語 迷路"
https://t.co/Vt05Imqeh1

「迷路」見た。
──主人公(谷原章介)ら三人は、廃墟と化したテーマパークの迷路に入る。かつて、迷路の中にある金塊を求めた14名の参加者たちはみんな行方不明になったという。主人公が道しるべのためにつかんでいた紐は、途中で切れていた。一人がパニック状態になる。──

古代の伝説を下敷きにした、厚みのある話。
「アイテム」という単語がゲームっぽくしているし、奇声を発する男がちょっとギャグみたいだ。
おもしろかった。薬液には驚いた。
GPSってこのころからあったんだな。
金塊ひとつで、ずいぶん殺伐とするものだ。

"기묘한 이야기 2003 가을 특별편 #02"
https://t.co/yihnP5sAJ2

「影が重なる時」見た。
─主人公(八嶋智人)の周囲で、自分の影を目撃する人が急増している。本人にしか見えず、みんな空を見ている。調べた結果、時間が影響していることがわかった。影のつけている時計はどれも4時39分をさしている。──

2003年の最後の話。
久しぶりに世界が滅んで終わる話を見た気がする。いつ以来かは思い出せないけど。
子役がかわいい。八嶋さんはトリビアの泉のイメージが強いなあ。
でも実際は世界が滅びることのほうが重要すぎて、幽霊どころじゃなくなるとおもう。
滅びるけどちょっとハッピーエンドみたいになってる。よくわからん幸せだ。

■今回おもしろかった話
1 穴
2 影の国
3 超税金対策殺人事件
4 迷路
5 夜汽車の男
6 昨日の君は別の君、明日の私は別の私
7 遠すぎた男
8 採用試験
9 パーフェクト・カップル
10 マンホール

■今回つまらなかった話
1 ど忘れ
2 連載小説
3 おかしなまち

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52231187.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/240.html#c11

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ あけてくれ (2004年9月20日)

世にも奇妙な物語 あけてくれ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=-scPRlQhr5I
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E3%81%82%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C+&sp=mAEB

原作 - 松山ひろし「開けてくれ」(「3本足のリカちゃん人形」所収 / イースト・プレス)

脚本・演出 - 君塚良一

放送日: 2004年 秋の特別編

キャスト

シナコ - 優香
ケンタロウ - 石垣佑磨
ミユキ - 一戸奈未
ヒロシ - 井澤健
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E7%A7%8B%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%B7%A8_(2004%E5%B9%B4)


第386話 あけてくれ


主人公と彼氏、友達とその彼氏の4人は久しぶりに別荘に遊びにいくことにするが
主人公の彼氏は用事があるということで
3人は先に車で別荘に向かうことにし、その車内で主人公は寝てしまう

目が覚めるとそこは別荘のベットの上、すると友人の彼氏から
主人公の彼氏が車でここへ来る途中事故にあって死んでしまったと聞かされる
現実が受け入れられずショックを受ける主人公

すると別荘の玄関から戸を叩く音とともに「あけてくれ」という声が

それはまぎれもなく死んだはずの彼氏の声
どうやら霊になった彼が主人公を道連れにしにきたらしく
さまざまな口実でドアを開けさせようとする

友人とその彼氏は「開けたら連れて意かれる」と主人公を説得
無論、最初は死者である彼氏の呼びかけに恐怖していた主人公だが
ドア越しに聞かされる二人の思い出話に耳を傾けているうち
とうとう耐え切れなくなり、友人とその彼氏が止める間もなくドアを開けてしまう
結果、悲鳴と供にドアの向こうへ引きずられていく主人公。ここでいったん意識は途切れ・・・

気がつくとそこは病院の治療室だった
そして目の前には「よかった、気がついた」と安堵の表情を浮かべる彼の姿が

彼の話によれば、先に車で別荘へ向かっていた3人の車が事故に遭い
友人とその彼氏は死亡。残った主人公も意識不明の重体だったらしく
何度も「目を、あけてくれ」と呼びかけ続けていたという
事実を知り開けてよかったと胸を撫で下ろす主人公

と、その時。治療室のドアが激しく鳴り響く
そして「○○!あけて」「○○ちゃんあけてくれ!」という友人とその彼氏の声が・・・

一方、彼氏は不敵な笑みを浮かべていた
http://yonikimo.com/386.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/248.html

[近代史3] 世にも奇妙な物語 _ あけてくれ (2004年9月20日) 中川隆
1. 中川隆[-12122] koaQ7Jey 2019年2月17日 09:31:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

世にも奇妙な物語では「あけてくれ」、やりすぎコージーでは「運命の帰り道」で放映されていた内容ですが、2つとも細部は違うものの同一の物語

原作 - 松山ひろし「開けてくれ」(「3本足のリカちゃん人形」所収 / イースト・プレス)

やりすぎコージー「運命の帰り道」 - YouTube 動画
https://www.dailymotion.com/video/x6bsgj
https://www.youtube.com/watch?v=OR1H6T60NmY
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%8E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC+++%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%B8%B0%E3%82%8A%E9%81%93&sp=mAEB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/248.html#c1

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
152. 中川隆[-12121] koaQ7Jey 2019年2月17日 10:10:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

2019年2月17日
【三橋貴明】手じまいに入った日本銀行


近況といえば、日本銀行の
マネタリーベース(以下、MB)が増えていません。

【日本のマネタリーベースと
マネーストック(左軸、億円)と貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_62.html#kaheijousuu

月ベースの末日MB残高増加率を
各年平均で見ると、

13年が3.29%、14年が2.75%、
15年が2.19%、16年が1.76%、
17年が0.9%、18年が0.4%。

最近は、MB残高を前月末よりも
減らす月が増えて参りました。

日本銀行は明らかに量的緩和の
「手じまい」に入っていますが、
理由はもちろん、

「購入可能な国債が金融市場から消える」

わたくしが以前から警告していた
「日銀のXデイ」が近づいているためです。

さすがの日銀も、
黒田東彦元・財務官が日銀総裁に就任して以降、

すでに370兆円(!)
ものMBを増やしてさえ、

我が国がデフレから脱却できないとは
想像だにしていなかったのでしょう。

もちろん、
我々は日銀がインフレ目標を設定し、
MBを拡大したところで、

政府が緊縮財政を維持する限り、
インフレにはならないと主張し続けてきましたが、
自分たちの予測が当たったところで、
別に嬉しくはありません。

マネーストックをMBで割った「貨幣乗数」も、
何と2倍という前代未聞の水準に落ち込んでいます。

貨幣乗数は昨年4月以降、
2倍で「固定」されています。

日銀は、貨幣乗数について
2倍を割り込ませないことを
決意しているように見えます。

別に、貨幣乗数が
2倍を割り込んだところで、
現状に変化(良い変化も、悪い変化も)
があるわけではないですが、

とりあえずの「閾値」のつもりなのかも知れません。

ちなみに、
直近の長期金利(十年物国債金利)は
▲0.021%と、マイナスの領域に舞い戻っています。

このままでは、
最終的に日銀が量的緩和の
「継続不可能」を宣言せざるを得ない、
日銀Xデイがやってくることになります。
(間違いなく、超円高、株価暴落になるでしょう)

解決策は簡単で、
政府が国債を発行すればいいのです。
ところが、安倍政権は相変わらずの緊縮財政。

政府が緊縮路線を改め、
国債を増発し、有効需要(GDPになる支出)を拡大する。
そうすることで、量的緩和が担保できます。

正しい道は、あまりにも明らかなのです。

それにも関わらず、
政府は国債増発に乗り出そうともしない。

ほとんどの野党にしても、財政拡大は口にしない。
新しい政党が必要です。
https://38news.jp/default/13207
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c152

[昼休み53] 多文化共生とは移民がレイプしまくるのを放任する事 中川隆
23. 中川隆[-12120] koaQ7Jey 2019年2月17日 10:16:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

フィンランド:移民によるレイプ多発に付き、移民が学校や保育所を訪問する「統合プロジェクト」を中止 2019年02月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12440163209.html

昨年12月にフィンランドで前代未聞の難民による少女レイプ事件をブログで紹介しました。

クリップフィンランド:少女への性犯罪で難民大量逮捕。SNSを利用した手口に警察が注意喚起!
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html

その後の様子をお伝えします。

新年の挨拶でフィンランドのSauli Niinistö大統領(写真下)が、ヨーロッパの民主主義の将来について深刻な懸念を表明しました。

その挨拶の中で、論争となっている性犯罪の増加と治安悪化について触れています。

そして、ヨーロッパは自分たちの価値観について破壊的な戦いに陥ってしまったとして、特にフランスのイエローベスト運動に注目しました。

ヨーロッパの価値観を広めるどころか、自国でそれを守らなくてはいけなくなっています。

大統領は、フィンランドは世界で最も民主的で平等で自由な国だと述べました。

「私たちの強さは常に信頼されてきました。教育から社会福祉、警察から医療まで、当局への信頼も強みです。」

私たちの国の安全を作り出している人たちが評価される習慣があることが、フィンランドの安全保障となっている、と大統領は続けました。

しかし、最近とりわけ警察に対する否定的な姿勢がこの国で注目されています。

「警察に対する不適切で攻撃的ともいえる行動がますます常態化してきています。公共サービスを提供する人たちが、その対象者を恐れなくてはいけない状況は何かが非常に間違えています。」

大統領は最近国内で起きた女性や少女に対する集団レイプにも触れました。

メディアは、アフガニスタンとイラクの男たちがフィンランドの性犯罪統計上でいかに圧倒しているかを報じており、論争が国民の間で怒りを呼んでいます。

「私たちは助けを必要とする人達を守るための国際条約に署名し、その合意内容に従うことになっています。しかし、私たちはそのシステムは他の目的で入国する人たちが悪用できるものであることを学びました。」

「更に付け加えると、私達からの保護を求めた人達の中で、保護を受けながら自ら非人間的な行いで治安悪化を作り出している人達の有様を見ているのです。」このように大統領は結論付けたのです。

https://voiceofeurope.com/2019/01/finnish-president-some-who-have-sought-protection-in-our-country-have-created-insecurity-through-inhuman-deeds/

四角02

自警団「Soldiers of Odin (SOO)=オーディンの戦士」が、移民たちによるフィンランド人の子供へのレイプ事件への対策として Ouluの町の巡回を始めました。

Soldiers of Odin (SOO)は2015年10月欧州難民危機の時に自国への難民が10倍にもなったことに危機感をもって設立された団体で、スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、イギリス、ベルギー、エストニア、カナダ、オーストラリア、アメリカにも加盟団体があります。

警察と安全保障担当当局は困惑しており、内務大臣が「フィンランドでは社会秩序維持は公務である。これはシンプルなことであり、我々はこれに拘る」と述べています。

https://voiceofeurope.com/2019/01/the-finns-fight-back-after-multiple-cases-of-child-rape-soldiers-of-odin-patrol-the-streets-of-oulu/

四角02

フィンランドの Oulu(オウル)では、今後移民たちは学校や保育園への訪問を禁止されます。

何件もの移民による少女へのレイプ事件で、保護者達が「(人種や宗教の)統合プロジェクト」への不満を表明したからです。

警察によると犯人は最近フィンランドに入国した移民の男たち、被害者は全員15歳未満の少女です。

レイプ‐ウェーブ(レイプの波)としてメディアに取り上げられた有名な場所の1つがオウルでした。

ESIKOTOと呼ばれる統合プロジェクトは、移民が学校や保育所を訪れて授業や研究グループから社会について学ぶもので、多文化主義を促進することにもなっていました。

しかし自治体の責任者は保護者の意見を受け入れてプロジェクトを終了することにしました。

警察によると2017年から2018年の1年間で性犯罪が20%増加していたということです。

https://voiceofeurope.com/2019/02/migrants-banned-from-finnish-schools-and-daycare-centers-after-multiple-child-rape-cases/

四角02

日本政府は全く勉強をすることなく、いや、日本をグローバリストに捧げるつもりなら勉強したからこそ、急ピッチで日本でも多文化共生主義を推し進めているのでしょう。

労働力が足りないなら、その場所にだけその時期だけ外国人労働者を割り当てる方法もあり、そのためなら外国人用の健康保険制度を作ったりすることも可能です。でもしません。

あくまでも私たちのシステムに彼らを潜り込ませて一緒にすることしかやりません。

だから、これは移民政策なのです。

外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策 平成 30 年 12 月 25 日(官邸HP)

政府としては、条約難民や第三国定住難民を含め、在留資格を有する全ての外国人を孤立させることなく、社会を構成する一員として受け入れていくという視点に立ち、外国人が日本人と同様に公共サービスを享受し安心して生活することができる環境を全力で整備していく。

という多文化共生への意気込みが最初のところに書かれています。ゲッソリ

フジテレビ

いつの間にこのようなネパール人不良グループが形成されたのか、さすが世界のゴミ箱だけあって変なのが日本に集結しています。どうして不良グループとわかっていながら在留許可を取り消して国外退去にしていないのか、日本政府の対応が酷いですね。

これが中東ならネパール人はこんなことできなかったのです。はこ怒る

カタールのワールドカップ建設現場で働いてたネパール人は毎年200人ほど死んでいると大使館が述べていたほどです。

こういうところから、間抜けで腑抜けな日本にシフトしてきてしまったのです。

ネパール人を純朴で素直で良い人だと思っていたら大間違いです。

これが彼らの故郷での真の姿です。下矢印(ロイヤル蒲田ボーイズと同じ顔しているでしょ!)

これから何の罪もない動物を大量殺戮するお祭りに行く前です。これが本当の姿です。

殺し方が酷くて本当の大虐殺なんですが、こういうことに慣れた社会の構成員です。

こちらにも記事があります。


「ガディマイ祭」にはインドやネパールから大勢の巡礼者が訪れ、女神ガディマイのために多くの動物のいけにえが捧げられる。2009年の祭りでは推定50万の水牛や山羊、鶏などの動物が犠牲となった。2014年の祭りでは、インド最高裁がネパールへの動物持ち出し禁止令を出したため、殺される動物の数は大幅に減った。(ロイター)

多文化共生主義は必ず日本人を不幸にします
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12440163209.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html#c23

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年)

タルコフスキー 鏡

監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・タルコフスキー アレクサンドル・ミシャーリン
音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
撮影 ゲオルギー・レルベルグ
公開 1975年3月7日

動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E9%8F%A1(1975)%20?ref=watch_html5


作中挿入音楽

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 『オルガンのためのプレリュード』,『ヨハネ受難曲』 断章
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ 『スターバト・マーテル』 断章
ヘンリー・パーセル 『弦楽組曲』
テーマ音楽作曲:エドゥアルド・アルテミエフ

キャスト

母マリア/妻ナタリア:マルガリータ・テレホワ
父:オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の作者(アレクセイ)/現代の作者の息子(イグナート):イグナート・ダニルツェフ
幼年時代の作者:フィリップ・ヤンコフスキー
医者:アナトーリー・ソロニーツィン
挿入詩朗読:アンドレイ・タルコフスキー
ナレーション:イノケンティ・スモクトゥノフスキー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


映画のストーリー

木々に囲まれた木造りの家で母親(マルガリータ・テレホワ)はいつももの悪いに耽つていた。一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者(アナトリー・ソロニーツィン)が声をかけるが、彼女は相手にしない。

息子(イグナート・ダニルツェフ)が家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。1935年のことだった。その年、父は家を出ていった。

そして今、母からの電話で息子は夢から醒める。彼女は、セルプホフカ印刷所で働いていた頃の同僚の死を知らせてきたのだが、息子は母に夢をみていたことを知らせる。

両親と同様、彼も妻のナタリア(マルガリータ・テレホワ)と別れた。彼は、母に似たナタリアを時々母と間違える程、母への執着が強い。そしてことごとく、林に囲まれた木造りの家と母の姿を思い出す。母もナタリアも彼には哀れに感じられる。

大戦中、モスクワからユリエヴェツに疎開した時、祖父の知人をたずねて行き、宝石と引きかえにお金を借りようとし、肩身のせまい想いをした時のことなど、彼にとって脳裏に鮮かに焼きついている幼い頃のことが思い出される。そして広い草原の夕暮時を彼の子供たちが歩く。
https://movie.walkerplus.com/mv11186/


▲△▽▼

『鏡』 (ロシア語:ЗЕРКАЛО [Zerkalo],英語:The Mirror) は、アンドレイ・タルコフスキーが監督した1975年のソ連映画である。

作者の自伝的要素の強い映画であるが、また同時にロシアの現代の歴史を独特の手法で描き出した作品でもある。タルコフスキーの作品において、中心をなす代表作である。

オープニング−反響の暗喩

『鏡』は、言語症の少年が回復訓練を受けているTV画面の情景から始まる。女医が話しかけ、少年は吃音でうまく話せない。女医は少年をリラックスさせ暗示を与えつつ、「ぼくは話せます」と言ってごらんなさいと指示する。女医の言葉に合わせて少年が鏡像のように言葉を繰り返したとき、彼はうまく話すことが出来る。そして同時に「鏡」というタイトルが出てくる。

このオープニングはきわめて示唆に富んでおり、ここにタルコフスキーの映画のエッセンスが表現されているとも言える。無意識のなかに確かに存在するが、何かの障害によって意識にうまく再現されない記憶・情景。このような「心の深層」のイマージュが、ある魔術的とも言える手順を通じて、この現在に、鏡に映る像のように再現され意識化される。これがタルコフスキーの映画の基本的な構造でもある。

フラッシュバックと記憶

映画はそこから一挙に過去にフラッシュバックし、作者 (タルコフスキー) の少年時代に戻る。まだ若かった母が農場の柵に腰掛けている情景が出てくる。医者だと自称する見知らぬ男 (アナトーリー・ソロニーツィン) が現れ、作者の母と意味ありげな謎めいた言葉を交わし、風の吹くなか遠ざかって行く。その過ぎ去って行く医者の姿と共に、作者の父であるアルセニー・タルコフスキーの詩を朗読する声が流れる。

『鏡』は具体的な筋や物語を持っていない。妻との離婚問題に直面し退廃的に精神の絶望に陥って行く作者の「枠物語」はあるが、ふとした言葉や出来事が映画の場面を多様な過去の記憶の情景へと引き込んで行く。現在は過去の記憶に浸透される。

様々な魅力的でもあれば象徴性に富んだ情景が、あるときは田舎の自然として、家のなかの薄暗い情景として、印象的な雪のなかの坂道を登る少年の姿として現れる。映画は歴史ドキュメンタリーの映像を挿入しながら過去と現代を交互に行き来しつつ、記憶の積み重ねとして構成されている。展開して行く映像の場面に、詩人であった父アルセニーの詩を朗読するタルコフスキーの声が重なって行く。

個人の記憶とロシアの歴史

過去と現在を往復しながら、作者であるタルコフスキーの記憶が呼び出されると共に、ロシア(旧ソ連)の歴史、過去の時代の政治状況などが描き出されている。祖父の別荘で、夜、納屋が燃えた事件。このとき以来、父は家族から去って行ったのだった。母が印刷所で校正係を務めていたとき、印刷物の校正ミスをしたかと思い、早朝に活版の文字を確認しに出かけた情景。誤植が政治的意味を持つとき、人のいのちにも関わった、スターリン独裁時代のソ連の記憶であった。

作者の部屋で、スペイン人たちが闘牛について話している。ニュース映画の映像が現れ、スペイン内戦時代の様々な情景が流れて行く。またソヴィエト最初の成層圏飛行船の成功を祝う人々の姿が映し出される。印象的な情景が幾つもあるが、そのなかの一つは、「魔術的な存在の消失」とも言える、映像の暗喩である。

一人の老婦人の要望に応え、作者の息子イグナートはプーシキンの書簡の一部を朗読する。それは、タタール(チンギス・ハーンなど)の圧倒的な破壊・暴力に対する防波堤となった、ロシア(ルーシ)のヨーロッパ・キリスト教文明史における存在意義に関する一節であった。婦人は部屋のなかのテーブルに向かい紅茶を飲んでいる。イグナートがわずかの時間席を外して部屋に戻って来ると婦人の姿は消えている。紅茶のカップも消えているが、テーブルの上にはついさっきまでカップが置かれていた痕跡があり、それが見ているなかで、湯気が消えるように見る見る消えて行く。

記憶のイマージュの交錯と交響

作者は少年時代、雪のなかの道を歩き、射的場で軍事訓練を受けたことを思い出す。再び、ニュース映像が現れ、濁った川を渡ろうとする兵士たちや、行軍する兵士たちの映像が流れる。ベルリンの陥落とヒットラーの遺体。広島・長崎の原子爆弾のキノコ雲。毛沢東語録を手にした中国人群衆が押し寄せる文化大革命のニュース。中国とソ連の国境紛争であったダマンスキー島事件の情景。そして再び、現在へと時間は戻って来る。

一つの記憶が無意識から呼び出されると、それは別の記憶を更に呼び出し、記憶と記憶が交錯し、それは現在の情景とも交錯して、複雑なこころのイマージュを形造って行く。これは『惑星ソラリス』において、まさに宇宙空間で起こったことであり、歴史大作『アンドレイ・ルブリョフ』は、15世紀のイコン画家の時代と現代のあいだで鳴り響く、歴史と記憶、イマージュの交響音楽とも言える。

タルコフスキー自身は、第二次世界大戦の戦禍のただなかで生まれ少年時代を送った。この経験と記憶が、後に『僕の村は戦場だった (原題:イワンの子供時代,Ivanovo Djetstvo)』の作品イメージの構成に影響を与えているのは自然である。また父アルセニー(オレーグ・ヤンコフスキー)がタルコフスキー母子を、ある意味で見捨てたことも、彼のその後の芸術家としての主題となって来ている。軍服を着た父が少年タルコフスキーを胸に抱くシーンでは、劇的に音楽が高まる。

また映画の後半部でもっとも重い主題となっているのは、母と共に疎開した田舎で、財政的に行き詰まった母が、手持ちの宝石を売って家計の足しにしようと、少年タルコフスキーを伴って、販売交渉に出かける情景である。美しい田園風景の記憶、そして貧しい身なりの少年であった作者が垣間見た、豊かで暖かい家庭。ここにタルコフスキーの映画世界の始源点があると言える。


エピローグ−そしてはじまり

『鏡』は、父と母がまだ若く、高緯度地方の夏の白夜の夕暮れの中、田園の草のなか寝そべって、これから(の戯れにより)産まれる子は、男の子がいいか女の子がいいかと、未来を語っている傍らを、年老いた母が、まだ少年の作者と妹の手を引いて歩いて行く。大地母神的な「ロシアの母」の本能により、(上記の)来たるべき災厄の時代、夢想家で甲斐性の無い父親から、まだ生まれぬ子等を逃れさせているようにも見える。充足感に浸っている父親の傍らで、癇の鋭い若い母親もその事を垣間見、予感しているショットが入る。

十字架の前に赦しを請う、他の男(通りすがりの医師)に心を動かした多情な母、家族の大事な宝物を売り払った母、を捨てて、もはや性の対象ではない安全な老母と、童年時代の美しい記憶に回帰している、という「エディプス・コンプレックス」的解釈もされている。

しかし、映画史に残る名場面、宝石を売りに行った家で、ランプの明りに照らされながら、少年アレクセイが鏡を見つめている有名なシーンで、彼は母を許している(彼が許している、というより、鏡に映った自己の姿・深奥を観照するなかに、「神の赦し、彼らの営みを見守る神、が顕現している。」)という、時空の秩序を越えた情景のなかでクライマックスを迎える。

かつて火事を見たとき、燃える納屋の傍らにあった井戸が、枠組みの木材が虫に蚕食されている。燦然とした光のなかで、草と花のなかで、朽ち果てた過去を背後に記憶が出会い別れ、そして新しい未来へと進んで行く。

記憶と現在−永遠と鏡像

タルコフスキーにとって、過去は記憶のなかに存在する現在であり、現在それ自身も、過去の記憶のイマージュの一つの複合である。このようにしてうつろい行く記憶のなかに「永遠」が存在している。タルコフスキー自身は「永遠」という言葉は使わないが、変わることのない何かが存在しているのであり、それは「鏡」に映る像のなかにその存在の証明を持っている。

『鏡』のなかで、父アルセニーの詩を繰り返し朗読するのは、作者タルコフスキーであるが、父と作者は鏡を通じて、互いに像となっている。母マリアと妻ナタリア(同じ俳優が演じている)も鏡像関係にあり、更に作者と息子イグナート(少年時代の作者とイグナートは同じ俳優である)も互いに鏡像となる。

タルコフスキーの「水」を中心とした自然描写の映像美は魔術的であるが、実は彼の映画の思想そのものが魔術的だと言える。遺作となった映画『サクリファイス (原題:Offret/Sacrificatio)』においては、この「存在の魔術」が、具体的に描かれることになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

▲△▽▼


アンドレイ・タルコフスキー(ロシア語: Андрей Арсеньевич Тарковский, アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー, 英語: Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932年4月4日 - 1986年12月29日)は、ソ連の映画監督である。

「映像の詩人」と呼ばれ、叙情的とも言える自然描写、とりわけ「水」の象徴性を巧みに利用した独特の映像美で知られる。深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を制作・監督する。表現の自由を求めてソ連を亡命し、故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。


1932年4月4日、ヴォルガ川流域のイワノヴォ地区、ユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。

父はウクライナの詩人として著名なアルセニー・タルコフスキー[1]。
タルコフスキーの幼少期に父は家を出て別の家庭を作ったために、主に母親に育てられる(この間の事情は、自伝的作品 『鏡』(1975年) に描かれている)。

この幼少時にタルコフスキーは、作曲家に成る事を夢見て居たと言われる。
赤貧のうちに育ち、芸術学校でまず音楽の勉強をしたが家にピアノが無いので練習不足で断念。次に絵の勉強を始めるが結核で一年間療養生活を送る。

東洋大学のアラビア語に入学するが一年半で中退。ちょうどアメリカ文化に影響を受けた「スチリャーガ」と呼ばれた若者が現れた時期であり、タルコフスキーはその流行の先端を行くジャズと女性が好きな不良少年となった。

心配した母親がシベリア地質調査隊に入隊させ、1953年から1年間をシベリアのタイガの森で過ごす。

その後、映画大学への進学を決意。父親の尽力もあって1954年に全ソ国立映画大学に入学。落ちこぼれだったタルコフスキーが名門のこの学校へ入学できたのは奇跡だったと友人達は証言している。

ミハイル・ロンムのもとで映画を学んで[2]頭角を現し、後にやはりソ連を代表する映画監督となるアンドレイ・コンチャロフスキーやその弟のニキータ・ミハルコフらと親交を結ぶ。アメリカかぶれは健在で3年生のときにヘミングウェイ原作の短編『殺人者』を製作。

タルコフスキーの世代は、スターリン体制が終わりを告げて西側の文化がソ連に急速に流れ込んできた雪解け期が青年期にぶつかっており、タルコフスキーもそうした文化に大きく感化されている。後に彼が書いた映画評論も、ジャン=リュック・ゴダールからルイス・ブニュエル、黒澤明、ロベール・ブレッソン、アンディ・ウォホール、フェデリコ・フェリーニ、オーソン・ウェルズ、ミケランジェロ・アントニオーニ、イングマール・ベルイマンなど西側の映画への言及が多い。

卒業制作短編 の『ローラーとバイオリン』(監督)はニューヨーク国際学生映画コンクールで第一位を受賞。1962年にウラジーミル・ボゴモーロフのベストセラー小説 『イワン』 を原作とした 『僕の村は戦場だった』に急遽代役起用され、長編映画監督としてデビューする。これは1962年のヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ金獅子賞、サンフランシスコ国際映画監督賞を受賞。国際的に高い評価を得る。企画段階では参加していなかった作品ではあるが、「水」や「夢」など、将来のタルコフスキー作品を彩るモチーフはこの時期から現れている。

将来を嘱望されたタルコフスキーは、1962年から63年末にかけてロシアの伝説的イコン画家の生涯を描いた歴史大作映画『アンドレイ・ルブリョフ』の脚本を映画大学の後輩コンチャロフスキーと共同執筆。大作ゆえの予算不足と検閲で苦しみながら1967年に完成するがソ連当局より「反愛国的」と指摘されて、国内では5年間上映されなかった。海外では高い評価を受け、1969年のカンヌ映画祭で国際映画批評家賞受賞。ソ連では71年12月にモスクワで公開された後、地方都市でも公開されて全国で290万人を動員した[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html

[近代史3] タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年)

タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年)


監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・タルコフスキー フリードリッヒ・ガレンシュテイン
音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1972年3月20日


動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%201972%E5%B9%B4?hft=0&st=1550368679845&itc=9&ct=2&cip=1


作中挿入音楽

テーマ曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ コラール・プレリュード 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV 639)

キャスト

クリス・ケルヴィン (心理学者):ドナタス・バニオニス
ハリー (クリスの前妻):ナタリア・ボンダルチュク
アンリ・バートン (宇宙飛行士):ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
サルトリウス (天体生物学者):アナトリー・ソロニーツィン
ギバリャン (物理学者):ソス・サルキシャン
スナウト (サイバネティックス学者):ユーリー・ヤルヴェト
ニック・ケルヴィン (クリスの父):ニコライ・グリニコ
アンナ (クリスの伯母):タマーラ・オゴロドニコヴァ
ギバリャンの客:オーリガ・キズィローヴァ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9


映画のストーリー

未知の惑星ソラリス。その調査は、プラズマの“海”の理性活動の徴候により行き詰まっていた。海に接触しようとする試みはすべて失敗に終っている。

数年前惑星より帰って来た中尉の報告をビデオでみるクリス(ドナタス・バニオニス)は、翌朝、惑星上に浮かぶステーションへ飛んだ。三人の学者のいるはずのステーションは、張りつめた静寂と荒廃の兆。クリスの友人の物理学者は既に原因不明の自殺を遂げており、残された二人−−スナウト(ユーリー・ヤルヴェト)とサルトリウス(アナトリー・ソロニーツィン)も何やらおびえ自閉症がかっている。

彼らはクリスに二人以外の人影を見ても気にするなという。この謎を解明しようと死んだ友人のクリス宛のビデオを発見するが、海にX線を放射した事以外、謎をとく鍵はなかった。サルトリウスの部屋では他の人影を見、ステーション内を歩く少女を見かけるクリス。やがて眠りにつくクリスが目覚めた時、そこには数年前に死んだはずのハリー(ナターリヤ・ボンダルチュク)がいる。クリスはその女−−ハリーの服がチャックもなく着脱不可能なのに気づき、彼女をロケットに乗せ打ち上げた。

自室に戻った彼にスナウトはX線放射以後、海は人間の意識下にある人物をここに送り込んでくると話す。

案の定、ハリーは戻ってきた。ドアを破って入ってくる彼女。そのための傷はみるみる内に元通りになっていった。

図書室でのスナウトの誕生祝いの席上、ハリーは自分達は人間の良心の現われではないかと発言し、考え込む。しばらくしてハリーは液体酸素を飲んで自殺するが、やがて蘇生する。クリスはいつしか彼女を愛の対象と考えるようになった。

クリスは今度は自らの意識をX線放射することを提案する。地球の彼の家、母、ハリー。目覚めるクリス。だが、置手紙を残してハリーはいない。クリスの帰還は近づいていた。彼の家の庭、家より出てくる父。今、クリスは惑星ソラリスと邂逅する。海に浮ぶ彼の家と庭や池と共に−−。
https://movie.walkerplus.com/mv11564/


『惑星ソラリス』(わくせいソラリス、原題ロシア語:Солярис、サリャーリス[1]、英語:Solaris)は、アンドレイ・タルコフスキーの監督による、1972年の旧ソ連の映画である。

ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』(早川書房版での邦題は、『ソラリスの陽のもとに』) を原作としているが、映画自体はレムの原作にはない概念が持ち込まれており、また構成も大きく異なっている。

1972年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1978年、第9回星雲賞映画演劇部門賞受賞。

作品をめぐる評価

タルコフスキーの名前を世界に知らしめた記念碑的作品。1972年のカンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けた。

荒廃した宇宙ステーションを舞台に、カットが途切れず延々とカメラが回り続ける独特の映像感覚や、電子音楽で流れるバッハのコラール前奏曲(BWV639)の音楽感覚が映画評論家たちに絶賛されている。かねてより水・火などの映像の美しさで知られていたタルコフスキーによる海の描き方は、穏やかでありながら神秘的。また、タルコフスキーが生涯を通じて繰り返し愛用した人体浮遊シーンは、この映画の中でも効果的に用いられている。ストーリーは追いづらく、難解と評されることが多い。タルコフスキー監督は、後に意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ、と述べている。

ポーランドの巨匠スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』を原作としているが、レムの作品は「枠物語」として利用しているだけで、主題的には1974年の『鏡』にヴァリエーションが見てとれる。

レムの原作では、惑星ソラリスの表面全体を覆う「海」が、知性を持つ巨大な存在で、複雑な知的活動を営んでいる。人類はこの「ソラリスの海」を研究し何とか意志疎通を試みようと努めるが、何世紀ものときが経過しても、「海」は謎のままに留まり、人類とのコミュニケーションを硬く拒んでいるようにも見える。このような基本設定の上に、「ソラリスの海」上空の軌道に設置された研究用宇宙ステーションに赴任して来た科学者クリス・ケルヴィンが、驚くべき出来事に直面するというところからストーリーが始まる。

タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、レムの原作には無い、地球上での情景とエピソードが物語冒頭に置かれているし、同じく原作には全く登場しない(厳密には研究者ゲーゼが父に似ており、両者が地球上に墓場を持っていないことが作中語られている)、主人公の父親も出てくる。またタルコフスキーによる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中している。レムが、その「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上の大きなテーマとして、「人間と、意思疎通ができない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語を展開するのとは、はっきりと異なる。

このために、レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起きたことは有名。もともとレムは舌鋒鋭く他作家に対しても非寛容な批評を行ってきたことで知られており、独自のSF観にそぐわない自作の映画化には言いたいことがいくらでもあった。これに対して、芸術至上主義のタルコフスキーは自身の芸術観に身も心も捧げている。激しい口論の末に、レムは最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞を吐いたという。

レムはこの映画について「タルコフスキーが作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っている。タルコフスキーの側は「ロケットだとか、宇宙ステーションの内部のセットを作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別を宣言している。

この後、タルコフスキーは『ストーカー』で再びSF作品を原作に選ぶのだが、レムとの一件に懲りた彼は原作者のストルガツキー兄弟と文通しながら「路傍のピクニック」という短編を基にしてシナリオを作成し、宇宙船もあらゆる機械類も特撮も一切無しという特異なSF映画を作り上げることになる。結局のところ、タルコフスキーはSFによる非日常的なシチュエーションに創作意欲を掻き立てられはするが、SFそのものに興味がある訳では無かった。

『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』を公開直後にタルコフスキーは観ているが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしている。また劇中で、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせている。

未来都市の風景として東京の首都高速道路が使われているが、「タルコフスキー日記」によれば、この場面を日本万国博覧会会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可が中々下りず、来日したときには既に万博は閉会。跡地を訪ねたもののイメージ通りの撮影はできず、仕方なしに東京で撮影したとのことである。巨匠はビル街の高架橋とトンネルが果てしなく連続する光景の無機質な超現実感にご満悦だったらしく、日記には「建築では、疑いもなく日本は最先端だ」と手放しの賞賛が書き残されている[2]。

日本初公開は1977年。かねてから親交のあった黒澤明が紹介に努めたが、SFファンなどからは酷評された。その後、各種の上映会等で徐々にタルコフスキーの理解者が増えていき、現在では名作の誉れが高い。黒澤は後に、熊井啓 の手により映画化された『海は見ていた』(英題:" The sea " watches . )の脚本で、『惑星ソラリス』と同様に、「海」の持つ 「限りない優しさ」 を描くことになる。 黒澤とタルコフスキーは、酒が入ると、ともに『七人の侍』のテーマを合唱するなど、肝胆相照らす仲だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
124. 中川隆[-12119] koaQ7Jey 2019年2月17日 11:09:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html

タルコフスキー 鏡 (1975年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html

世にも奇妙な物語 _ あけてくれ (2004年9月20日)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/248.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c124

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
1. 中川隆[-12118] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:44:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。

『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
http://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c1

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
2. 中川隆[-12117] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:47:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「魂の映像詩人〜タルコフスキー」


「僕のみる夢は、いつも同じだ。

僕が40数年前に生れた祖父の家、それが必ず再現される。懐かしい場所だ。

そして白いテーブル・クロスの食卓がある。

家に入ろうとして入れない・・・、そんな夢を何度か見た。

薄汚れた丸太の壁やよく閉まらない扉などを見て、夢だなと思うことがある。

そういう時には妙に物悲しく、目覚めたくないと思ったりする。

時に何事か起きて、あの家も、周囲の林も夢に見なくなる

夢に現れないと、僕は淋しくなる。夢を待ち焦がれるようになる。

夢の中で僕は子供にかえり、幸せを感じるのだ。まだ若いからだろうか?」

『鏡』は、タルコフスキーの作品のなかで最も難解な作品かもしれない。

なぜなら、この作品に貫かれているのは監督の内省的な自伝的要素の強い作品になっているからだ。自分の内面を見つめることさえ難しいのに、人の内面に入るのは困難なことである。

物語は父と別れた母への思いと、同じように妻と子供たちと別れてしまった『私』の回想と夢で綴られる。


母が印刷工場で誤植かもしれないと大騒ぎした日に、同僚のエリザヴェータから身勝手だと責められる。

そして、主人公も妻から「あなたは自信過剰よ。自分が存在するだけで、家族は幸せになると思っている」と母に似たような非難をされる。

自己の存在があっての世界。自己の存在があっての他者。

そうした人と人の繋がりの感情の襞が、この作品では鏡を通して語られる。


作品の冒頭近く、風に揺らぐ草原の中を通りすがりの医者が母に語りかける。

「・・・ごらんなさい。自然も素晴らしい。草も木も感じたり、認識したり、理解するのです。・・・

われわれは走り回り、くだらんおしゃべりをする。自分の中にある自然を信じないからですよ。

世俗のことばかり忙しくて・・・」と。


内なる自然、それは『神』と同義語ではなかろうか。

人間としての良心。善悪や恥に対する認識。

『惑星ソラリス』でもそれらは同じように語られる。そして、スナウトに「人間に必要なのは鏡だ」と語らせている。

自己を見つめるための『鏡』、
自己の内面を時間と空間を飛び越えて映し出す『鏡』。

鏡に映った自己は虚像ではあっても、その内面の多くを物語ってくれる。そして、それは実像なのである。


スターリン政権下、誤植は命とりだったのである。

そのため奔走した母。それを攻める同僚。
観ているものには理不尽さを感じないではいられない。

それは、時代のゆがみの現れ、タルコフスキーのソ連政権に対する不信感の現われだったにちがいない。


ともあれ、この作品は言葉で表し難い。それは冒頭述べたとおりである。

しかし、タルコフスキー特有の映像。この映像を見ているだけで至福のひと時を感じてしまう。

また、感情の奥襞を言葉のやり取りでさらけ出していく手法はベルイマンを、夢のシーン、特に母がベッドから浮き上がるシーンや家の壁が崩れ落ちるシーンにはブニュエルの影響が認められる。


そして、作品の随所に現れる『水』と『火』のイメージは、次作 『ストーカー』を経て『ノスタルジア』で頂点に達する。


≪父の詩≫

「私は予感を信じない 

前兆を認めない 

中傷も毒も恐れない 

この世に死は存在しないのだ 

すべては不死だ 

すべては不滅で17歳でも70歳でも死を恐れる必要はない 

ただ現実と光あるのみ 

この世に闇もなく、死もない 

我々はみな海辺に出る 

不滅の海の広がり
 
我々は力をあわせて綱を引く
 
家というものも永遠だ 

私は好きなときに呼び戻し 

その時代に生き 家を建てる・・・

それゆえに今 我々は妻や子と祖父や孫と一つテーブルにいる 

もし私が手を挙げれば 未来もここに現れる 

光も永久に残るだろう
 
過ぎ去った日々を私は肩に積み重ねて 深い時の森を抜けてきた 

私は自らこの世紀を選ぶ・・・」

鏡《ストーリー》


私の夢に現われる母・マリア。

それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。

うっそうと茂る立木に囲まれた家の前で、母・マリア(マルガリータ・テレホワ)はいつものようにもの思いに耽つていた。

一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者が声をかけるが、彼女は相手にしない。


母は、たらいに水を入れ髪を洗っている。
鏡に映った、水にしたたる母の長い髪が揺れている。


息子≪私の少年時代≫・イグナートが家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。

1935年のことだった。その年、父は家を出ていった。


私は突然の母からの電話で夢から覚め、エリザヴェータが死んだ事を知らされた。
彼女は、母がセルポフカ印刷所で働いていた頃の同僚だった。

私は母に、母の夢をみていたことを知らせる。


両親と同様、私も妻ナタリアと別れた。

妻は、私が自信過剰で人と折り合いが悪いと非難し、息子イグナートも渡さないと頑張っている。

妻のもとにいるイグナートのことは、同じような境遇にあった自らの幼い日を思い出させる。

赤毛の、唇がいつも乾いて荒れていた初恋の女の子のこと。

同級生達と受けた軍事教練のこと。それは戦争と、そして戦後の苦難の時代でもあった。


そして、哀れだった母のこと。

大戦中、疎開先のユリヴェツにいた時、母に連れられて遠方の祖父の知人を訪ねて、宝石を売りに行き、肩身のせまい想いをした時のことなど、彼にとって脳裏に鮮かに焼きついている幼い頃のことが思い出される。


母の負担になったかもしれない自分の少年の日々のことを思うと、私の胸は疾く。

イグナートが同じ境遇をたどっているのかも知れないと思うと、さらに私を苦しめる…


そして、夕暮時、母が遠くで見守るなか、広い草原を子供たちが年老いた母につれられて歩いて行く。
http://acusco.cocolog-nifty.com/higurasi/2008/07/post_20eb.html

アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー


―1985年3月、ストックホルム― 『鏡』に関して


Q. 『鏡』であなたはご自身の生い立ちを提示されました。どのような鏡をあなたは使われたのですか。


その鏡は、スタンダールの鏡のように、道中をたどる鏡ですか。それとも、その中に自分自身を発見し、それまで知らなかった自分自身について何かを学ぶことになった鏡ですか。

言い換えますと、この作品はリアリスティックな作品ですか、それとも、主観的な自動創造なのですか。あるいはもしかすると、壊れた鏡の破片を集めて、映画的なイメージの枠内に収めて、完全な総体を構成する試みなのでしょうか。

映画というものは、部分を集めて一個の総体にする可能性をいつも創造してくれます。

映画は結局、モザイクのように、切り離されたショットから構成されています。

色彩とテクスチャーの異なる個々の断片で構成されています。

ですから、断片の一つ一つはそれ自体では、無意味かもしれません。またそう見えることでしょう。

しかしその総体の中に収まると、断片が絶対に必要なエレメントになるのです。

個々の断片はその総体の枠内でしか存在しません。だから映画は、私にとって最終的な結果を見る目で考えぬかれていない、いかなる断片もフィルムに存在しない、存在し得ないという意味で、重要なのです。

個々の断片のひとつひとつは、まったき総体によって共通の意味にいわば彩色されているのです。

言い換えると、断片は自立した象徴として機能せず、ある独自の、唯一無二の世界の一部としてだけ存在するのです。

そういうわけで、『鏡』はある意味で私の理論的な映画観に最も近いものです。


ご質問は、どのような種類の鏡なのか、でしたね。

ええ、まず第一に、この映画は創作されたエピソードをまったく含まない私自身の脚本に基づいています。

エピソードのすべてが実際に私の家族の歴史のものです。そのすべてです。例外はありません。

唯一創作されたエピソードは、ナレーター、作者の病気です。

作者はスクリーンに映りません。


ところで、この非常に興味深いエピソードは、作者の精神的な危機、彼の魂の状態を伝えるために、必要だったのです。


ひょっとすると、彼は命に関わる病気なのです。

ひょっとするとそれが映画を作り上げるさまざまな回想を生み出す理由なのです。
死ぬ間際に人生の最も重要な瞬間の数々を思い出す人のようにです。

ですから、これは作者が自分の記憶に加えた単純な暴力ではありませんー私は私が欲するものだけを覚えているのですーそんなものではありません、これらは臨終の時の男の回想なのです。

自分の思い出すエピソードを良心の秤にかけているのです。

このように、唯一創作されたエピソードは、他の完全に真実である回想に必要な先行条件になったのです。


この種の創造、このように自分自身の世界を創造することがこの真実かどうか、そうお訊ねなのですね。

ええ、もちろん真実ですが、私の記憶に反射したものとしての真実です。

例えば、撮影に使われた私の子ども時代の家を考えてみましょう。

映画であなたが目にする家です。あれはセットです。

つまり、あの家は昔、私の家が建っていた全く同じ場所にもう一度建てられたのです。

あそこに残っていたものは、基礎すらなかった、かつてそこにあった穴ひとつでした。

まさにその場所に家がもう一度建てられたのです。写真から再建したのです。

これは私にはきわめて大切なことでした。

私が何らかの自然主義者になりたかったからではありません。

そうではなく、映画の内実に対する私の個人的な姿勢の総体がそれにかかっていたからです。

もし家が別物に見えたなら、それは私にとって個人的なドラマになったことでしょう。

もちろんこの場所で樹木はずいぶん生い茂りました。すべてが生え放題で、ずいぶん切り倒さねばなりませんでした。

しかし、私がママをあそこに連れて行くと、ママはいくつかのシークェンスに出ていますから、彼女はあの風景にひどく心を動かされたので、私は正しい印象が創造されたのだとすぐに分かりました。


こう思うでしょうね。なぜまた、過去を念入りに再構築することが必要だったのか、と。

それもまた、ただの過去でなく、私が覚えていること、そしてそれを私がどのように覚えているか、それを再現することが必要だったのか。

私は、いわば、内的で主観的な記憶のために特定の形式を探求しようとしたのではありません。

私は昔のままにすべてを復元しようと努めました。

つまり、私の記憶に固定されたものを文字どおり繰り返そうと努めました。
その結果は非常に不思議なものでした。私には何とも奇妙な経験でした。

観客の興味を引くために、関心を引きつけるために、観客に何かを説明するために、構成されたり創作されたエピソードは何ひとつない映画を私は作りました。


エピソードのすべてが、まさしく私の家族に関する、私の生い立ちの、私の人生の回想だったのです。

そして、それが実は非常にプライベートな物語であるという事実にもかかわらずーもしかすると、まさにそのためにー私は後でたくさんの手紙を受け取りました。

映画を見た人たちは「どうやってあなたは私の人生で起きたことが分かったのか」と訊いてきたのです。

これは非常に重要です、ある内的な意味で、非常に重要です。

これはどういう意味なのでしょう。

これは、道徳的で精神的な意味で非常に重要な事実であると私は言いたいのです。

なぜなら誰かが自分の真実の感情を芸術作品で表出するなら、それは他者にとって秘密のままであることはありえないからです。

もし監督や作家が嘘をついているなら、ものごとを人工的に作り上げているなら、彼の作品は完全に-


Q. 「洗練の極み」


そう。イタリアでは、cervellotico, troppo cervellotico と言う。

「人工的に、よく工夫されている」という意味です。

そんな仕事は誰の心も動かさない。

だから、作家と聴衆の間の相互理解は、それがなければ芸術作品は存在しないのですが、創造する者が誠実であるときにのみ可能なのです。

しかし誠実な作家が自動的に傑出した作品を生むという意味ではないですよ。

能力と才能が基本的な予備条件なのは確かです。

ただし、芸術家の誠実さが欠けていたら、真の芸術的創造は不可能です。

本当のことを言えば、何らかの内的な真実を言えば、必ず理解が得られると私は信じています。

お分かりになりますか。提示された問題がきわめて複雑でも、イメージのシークェンスが、作品の形式構造がきわめて複雑でも、創造者にとって根本的な問題はいつも誠実さなのです。

構造の点で、『鏡』は私の映画で全般的にもっとも複雑なものです?構造としてです。

個々に考えられた断片としてではなく、まさしく一つの構造としてです。
そのドラマツルギーはなみはずれて複雑で、内転したものです。

Q. 夢や追憶の構造に似ていますね。結局これは普通の省察ではありませんね。

ええ、これは普通の省察ではありません。そこには、そういう込み入ったものがたくさんあります。

自分でもよく理解できないものもあります。

例えば、母に出演してもらうというのが私にはとても重要でした

映画にイグナーツ少年が座っているエピソードがあります-イグナーツじゃない-何て名前だったけ?

 作者の息子、彼がだれもいない父親の部屋で座っている。これは現在です、今現在です。

この少年は語り手の息子です。その少年は作者の息子と、少年時代の作者自身の両方を演じています。

で、彼がそこにいるとき、ドアベルが鳴ります。

彼がドアを開けると、女の人が入って来て、「あら、家を間違えたようね」と言います。

家を間違えたのです。これが私の母です。

で、彼女はドアを開けるこの少年の祖母です。

しかしなぜ彼女は彼が孫だと分からないのでしょう。なぜ孫は祖母が分からないのでしょう。


さっぱり分かりません。つまり?

第一にこれはプロットで、台本で説明されていません。

第二に、私にもこれは明確でないのです。


Q. 人生のすべてが理解出来るわけでも、明確なわけでもありません。


そうですね、私にとって、それは?どう言えばいいのかな?

さまざまな感情の絆と折り合いをつけることなのです。

私にとって、母の顔を見ることがきわめて大切なことでした。

この映画は結局彼女についての物語なのです。

彼女は玄関を不安げに、何かおずおずと、入って来ます。

ドストエフスキーの流儀で、マルメラードフの流儀でね。
それから彼女は孫に言う。

「家を間違えたようね」

あなたはこの心理状態を想像出来ますか。

私にとって、このような状況に落ちた母を目にすることが大切だったのです。

混乱した時の、気後れした時の、恥ずかしがっている母の顔を見ることが重要だったのです。

しかしちゃんとしたサブプロットを作るには遅すぎると私は分かっていました。

なぜ孫を認知できないのか、明らかにしてくれるように脚本を書くにはすでに手後れでした。

目が悪かったからとか何とか、ね。それを説明するのは非常に簡単なことだったでしょう。

しかし私は自分に言い聞かせました。


何もでっちあげないぞ。


母にドアを開けさせて、家に入り、息子[原文のママ]を認知できないようにしよう。

少年は彼女がだれか分からない。

この状態で彼女は外に出てドアを閉めることになります。

それは、私にとりわけ身近な人間の魂の状態です。

何か不如意の状態。精神的に縛られた状態です。

これを目にすることが私には大切だったのです。

一種、辱められた状態の人間の肖像です。

おとしめられたという感じです。


これを、彼女の若き日のシーンと並べてみると、そうすると、このエピソードは私に別のエピソードを想起させます。

つまり、若いころにイヤリングを売りにあの医者のところに行きます。

彼女は雨の中で立っています。何か説明しています、何かについて話しています、なぜ雨の中でなのでしょう。何のためなのでしょう。

もしかすると、このような謎が何もなければずっと良いのでしょうね。

しかし全く説明のない、理解不可能なこのようなエピソードがいくつかあります。
で、私たちにはその意味を探る手がかりがないのです。


例えば、人々はこう言うでしょう。

「向こうに座っていて、少年にプーシキンがチャーダーエフにあてた書簡を読むように言うこの年配の女性はだれなのか?」

この女性はだれなのでしょう? アフマートワか??

だれもがそう言います。彼女は実際アフマートワに少し似ています。

横顔が同じなので、彼女を思い出させるのです。

あの女性を演じたのは、タマーラ・オゴロードゥニコワです。私たちの製作マネージャーです。

実際すでに『ルブリョフ』の製作マネージャーでもありました。

彼女は私たちの大の友だちで、彼女の姿は私の映画のほぼすべてに映っています。
彼女は私にとって護符のようなものでした。

この女性がアフマートワだと私は思いませんでした。

私にとって、彼女はある種の文化的な伝統の継続を表象する「彼方」からの人物でした。

彼女はこの少年を何としても、そうした文化的な伝統と結び付けようと努力しています。

文化的な伝統を、まだ若く、今この時代に生きている人間と結び付けようと努力しています。

これはとても大切なことです。

簡潔に言うと?それは、ある種の傾向、ある種の文化的な根っこなのです。


ここに家があります。

ここには、そこに住んでいる男がいます。作者です。

そしてここには、この雰囲気に、こうした文化的な根っこに影響を受ける彼の息子がいます。

結局、この女性がだれであるのかは、明確に指示されてはいません。

なぜアフマートワなのでしょう? 

ちょっと衒いすぎです。この女性はアフマートワではありません。

簡単に言うと、この女性はまさしく、時の、切れた糸を繕うのです。

シェークスピアの『ハムレット』の場合と同じです。

彼女はそれを文化的、精神的な意味で回復させるのです。

それというのは、近代と過去の時代との絆です。プーシキンの時代と、です。

もしかするともっと後の時代と、かもしれませんーそれは重要ではありません。

私がこの映画で獲得した非常に重要な、きわめて重要な経験は、私にとって同様に観客にとってもこの映画が重要であると判明したことでした。

私たちの家族だけの物語であって、それ以外ではありえないということはどうでもいいことです。

この経験のおかげで私は多くのことが見えるようになり理解したのでした。

この映画は、監督としての、こういってもいいなら芸術家としての私と、私の仕事が奉仕する人々との間に絆があるということを証したのでした。

そのためにこの映画は私にとってとても重要だと分かったのです。

なぜなら、私がそれを理解したとき、私が大衆のために映画を作っていないと誰も私に不服をならすことができないからです。

まあ後になってもいろいろな人がぐずぐず言いましたがね。

しかしそれ以来、私はそういう不服を自分に申し立てることができなくなりました。


芸術と実人生ーロシアの伝統


Q. あなたとご家族の人生はリアリズムが典型的に必要とするものに従って形成されていません。
あまり典型的な家族とは言えません。
おっしゃったように、観客は自分の人生が反映された映像をそこに見いだしたのですが。
あなたのご家族、あなたの家、最も身近な家族はあなたに何を与えてきたのでしょうか。
そして後になって、何があなたの芸術的で文化的な霊感の源になったのでしょうか。
この質問をするのは、ポーランドの観客はロシアの芸術家の生い立ちや背景を何も知らないからです。これは大きな特徴です。一方、西側の芸術家はしばしば生い立ちしか知らされていません。

それは正確ですが、不正確でもあります。ある意味で、正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくないですね。

生い立ちを何も知らないという意味で、ロシアの芸術家に関するあなたのご意見は正しくありません。もちろん、現代の芸術家と比較するなら、もしかすると正しいのでしょう。

しかし、私は自分自身と現在の芸術家との比較を考えたことは一度もありません。

私はいつも、19世紀の芸術家と自分が結びついていると感じてきました。

例えば、トルストイ、ドストエフスキー、この流れの作家たち、チェーホフ、ツルゲーネフ、レールモントフ、やブーニンを挙げるなら、彼らの生がどれほど唯一無二のものであり、彼らの作品が人生と、彼らの運命とどれほど密接に結びついていたかがお分かりになるでしょう。

もちろん、私が述べたことは、私が自分をソ連の60年、70年、80年代の、いわば、文化の流れから完全に除外しているという意味ではありません。そうではありません。

しかし私は革命後に突然巨大なギャップが出来たという意見には、原則的に反対です。

この深い溝は、ロシア文化の発達に新段階をもたらすために、意図的に創造されたものです。

しかし私は文化が真空状態で発達できるとは信じません。

貴重な植物を移植しようと努力することは出来ます。

その根を掘り起こして植え替えるのです。

しかし、枯れてしまうでしょう。何も生長しないでしょう。

だから、転換期の作家は自分の運命を非常に悲劇的に経験したのです。

革命前に作家活動をはじめて、その後も仕事を続けた作家たちです。

アレクセイ・トルストイ、ゴーリキー、マヤコフスキー、ブローク。
文字どおりのドラマでした。ブーニンも-。

これは何もかもがもう恐ろしいドラマです。アフマートワも-。他にどんな人がいたか、神のみぞ知るです。悲劇です。ツヴェターエワ-。何も得るものはなかった。

移植は不可能だった。移植はすべきではなかったのです。

文化にこんな恐ろしい実験をするのを許すべきではなかったのです。

こういう生体解剖は、精神を幽閉してしまうので、人体に暴行を加えるよりもさらに酷いことなのです。


プラトーノフを例に取りましょう。

彼は、言うなれば、ロシアにおけるソ連期の発達時代に完全に帰属しています。
また彼は典型的なロシアの作家です。

彼の人生もまた典型的なもので、彼の作品にくっきりと反映しています。
だからあなたのご意見は全面的に正しいと言うことは出来ません。

このような文脈で私のことを言うならば、古典ロシア文化と私との絆は私にとって非常に大切です。

この文化は当然連綿と続いて、今日に至っています。古典ロシア文化が死んだと私は思いません。

私は、人生と作品を通じてーもしかすると無意識のうちにーロシアの過去と未来の間をつなぐこの絆を現実化しようと試みる芸術家のひとりでした。

この絆をなくすことは私にとって致命的でしょう。それなしに私は生き続けることは出来ないでしょう。

過去を未来と結びつけるのはいつも芸術家なのです。

芸術家は或る瞬間に生きているだけではありません。

芸術家は媒体なのです、いわば、過去から未来への渡し守なのです。


ここで私の家族について何が言えるでしょうか。

父は詩人です。

彼は革命が起きたときまだ小さな子どもでした。

革命前に彼が大人であったと言うことは実際出来ません。それは全く正確ではありません。

彼はソ連時代に成長しました。1906年生まれですから、1917年の革命時には11歳でした。

まだ未熟な子どもです。しかし彼は文化的伝統をよく知っていました、教養がありました。

ブリューソフ文学研究所を卒業し、多くの、主導的ロシア詩人のほぼ全員を知っていました。

言うまでもなく、彼をロシアの詩の伝統から切り離して想像することは出来ません。

ブローク、アフマートワ、マンデリシュターム、パステルナーク、ザボロツキーの系譜から切り離して想像することは出来ません。

これは私にとってとても重要な事でした。或る意味で私はこのすべてを父から受け継いだのです。


私を育てたのは、私の両親、特に母です。

なぜなら父は私が3歳の時に母の元を去ったからです。

そういうわけで、私は実は母に育てられたのです。

詩人として父が私にどのように影響したのか、はっきりとしたことを言うのは難しいでしょう。

もっと生物学的な意味で、無意識のレベルで、私に影響しました。

もっとも私はフロイトの信奉者ではありませんが。フロイトにはちっとも感心しません。

ユングも又私の趣味ではありません。

フロイトは俗悪な唯物論者です。切り口が違うだけで、パブロフと同じです。

彼の理論は人間の心理を説明するひとつの可能な唯物論的異稿にすぎません。


父は私に何ら影響しなかった、内的な影響力を持たなかったと思います。

何もかもが概ね母のおかげによっています。

私が自分自身を見いだすのを助けてくれたのは母です。

映画でも私たちの生活状態がとても厳しかった、とても困難であったことがはっきりと分かります。

そういう時代でもありました。

まさにその時に、母は独り残されたのです。

私は3歳、妹は1歳半、母は私たちをずっと育ててくれました。

再婚もせず、いつも私たちと一緒にいました。

母は2度と結婚しなかった。

彼女は夫を、私の父を、一生愛していました。

彼女は並外れた女性でした。実際聖女でした。

最初母は生活に対して全く準備が出来ていなかった、全くです。

そして、この無防備な女性をとりまく全世界が崩壊したのです。

つまり、まず第一に2人の子連れだというのに手に職が何もなかったのです。

私の両親はブリューソフ文学研究所で勉強をしていましたが、そのとき母は妹を妊娠しました。

それで母は免状を何も持っていないのです。

教育を受けた女性として準備する時間が全くなかった。

彼女は文学で自分の才能を試しました。

私は彼女の文章をいくつか見たことがあります。

彼女を襲ったあのカタストロフィが起きなければ、母は全然違った形で自己実現が出来たでしょうね。

だから本当に家に資産がまったくなかったのです。

母は印刷所の校正の仕事をしました。そこで最後まで働いていました。

つまり、戦後も、ずっとです、退職するまでです。

どうやって母がやりくりできたのか、どうやってがんばり抜いたのか、どうやって身体がもったのか、私にはまったく理解できません-分かりません。

どうやって私たちに教育を受けさせることができたのでしょうか。

私はモスクワの美術造形学校を出ましたが、そのためには金がかかる。
どこからその金を捻出したのでしょうか。

私は音楽学校も出ましたし、先生からレッスンも受けましたが、それも母が払ってくれました。


Q. それは戦前ですね?


戦前と戦中と戦後です。

誰もが音楽家になるものだと思っていましたが、私はなりたくなかった。

とにかく、どうしてこんなことが可能だったのか、私には理解できません。

まあ、こう言う人もいるでしょう、何か財産があったんだ、教育のある一家の子どもだから、当たり前でしょう。

ーしかし、ここには当たり前のことは何もなかった。

私たちは文字どおり裸足で歩いていましたからね。

夏には全然靴を履かなかった。靴がなかったんです。

冬になると私はフェルトのブーツを履きました。

それで、母が外出しなければならないときには-私たちは-貧乏なんてもんじゃなかった。

赤貧でもまだ言い表せない。

まったく分かりません、母は-分かりません。

母がいなければ、私はこんなふうにはならなかったでしょう、言うまでもないことですが。

私が今あるのはすべて、母のお陰なのです。


そのために、母は私に非常に強い影響を及ぼしましたー影響という言葉でも足りないー世界のすべてが私にとって母と結びついているのです。

ただし、私は、母が生きているときには、そのことに本当には気づかなかった。

母が死んでから、母の死後に、私は突然そのことに気づいたのです。

それに、あの映画を作っているときでも、もちろん当時母はまだ生きていましたー私は映画のテーマを十分には理解していなかった。

私は自分自身を語る映画を作っていると思っていました。

自分の幼年時代、少年時代、青年時代を書いたオデッサ時代のトルストイのように。

映画を撮り終えたとき、この映画が私ではなく、母についての映画だと分かりました。

これはー私の見方から言うとー本来の理念よりもこのようにして相当高貴な精神のものになりました。この理念をかくも完璧に高貴なものにした変化は、映画の製作中に生じました。

つまり、映画は私と共に始まりました。

私があれらの回想の、いわば、眼なのですから。

しかしそれから、まったく異なることが生じました。

この映画に携わる期間が長くなるほど、この映画が何をテーマとするのか、私にははっきりしてきたのです。


Q. 映画館を出たとき、私はこの映画が一編の詩として作られたのだと思いました。
つまり、映画では不可能なものに思えたのですー親密な抒情的な独白であると。


そうかもしれません、私には分かりません。

私は当時形式について何も考えていませんでした。特別なものを考案するつもりはなかったのです。

私が追求していたのは、記憶における復活です。

いや正確に言うと、記憶ではなく、スクリーンに私にとって重要であるものたちが復活することでした。

一般に、最も重要なことはこの道をたどるということで、例えば、自分の想い出を構築するアラン・レネの道をたどることではなかった。

あるいは、現代文学から例を引くなら、ロブーグリエの道を採ることでなかった。
ロシアの芸術家にとって芸術創造の非常に重要な側面は、必ずしも、より美しいものを創造することではなく、道徳的な責任感であったのです。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー


映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。

例を挙げましょう。

『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。

彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。

そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。

だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。

「解決のマニュアル」に触れることはありません。


与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。


映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。

つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。

別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。


俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。

出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。
http://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c2

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
3. 中川隆[-12116] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:50:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

アンドレイ・タルコフスキー 鏡

使われた音楽 バッハ「ヨハネ受難曲」
使われた意図 語ることによる受難


さて、今回取り上げる作品は前回に引き続きソ連の映画作家アンドレイ・タルコフスキー監督作品。

今回は「鏡」です。何でもタルコフスキー監督の中で一番「難解」な作品なんだそう。ただでさえ、「難解」と定評のある監督さんなのに・・・その中でも一番難解って・・・

この「鏡」という作品の最後のシーンで、バッハの「ヨハネ受難曲」が使われています。

実はマタイ受難曲も使われています。

タルコフスキー監督がマタイ受難曲を使った作品としては、彼にとっての最後の作品である「サクリファイス」や「ストーカー」もあり、これらについては以前に取り上げております。彼にとっても、色々と思い入れがあるんでしょうね。

しかし、この「鏡」では、マタイではなく、ヨハネ受難曲の方が目立つ使い方。だって最後のシーンでヨハネ受難曲が使われるわけですので、否応なしに注目することになる。

では何故に、この「鏡」ではタルコフスキー監督は、作品の最後という重要なシーンにおいて、お気に入りの「マタイ」ではなく、「ヨハネ」を使ったのでしょうか?


ちなみに、ここでこの「鏡」という作品のあらすじを・・・
と、行きたいところですが、ストーリーも何もあったものではありません。ダテに「タルコフスキーの中で一番に難解。」というレッテルを貼られているわけではないんですね。

タルコフスキーの記憶の中から様々なシーンが浮かび上がってくる・・・そのような構成です。


映画の中の様々なシーンの中で、作品の最後のシーンは、キリストの受難のイメージが特に顕著ですよね?

ご丁寧に十字架までかかっている。

おまけに主人公の母親(ご丁寧にマリーアという名前)が、2人の子供の手をつないで歩く。

映画での2人の子供は主人公とその妹のようです。


しかし、このとき観客はマリアとキリストとパプテスマのヨハネの組み合わせを連想します。

パプテスマのヨハネとイエス・キリストは親戚にあたります。

ヨハネのお母さんのエリザベツはイエスのお母さんのマリアと親戚で、お互いの妊娠中も一緒に暮らしていた間柄。よくいう言い方ですと、「生まれる前からの友達」ってヤツです。

だからマリアさんにしてみても、「親戚のヨハネちゃん」くらいの感じなんでしょう。

このマリアとキリストとパプテスマのヨハネの関係は、作品中ではレオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子の絵で予告されています。

将来において、わが子に降りかかる受難をわかっているマリアが、赤子のキリストを抱きしめようとするシーンを描いた有名な絵です。

そこにはパプテスマのヨハネも描かれています。絵画を使うことによってラストシーンを予告し説明しているわけです。


あるいは、雪の中で主人公の少年に小鳥がとまるシーン。

このようなシーンは、キリストがヨハネから洗礼を受けた際に、鳩がキリストにとまったエピソードを思い出しますよね?

タルコフスキー監督の映画「鏡」において、母親マリアが自分の子供の手をつないで歩くラストシーンは、まさに「キリストとマリア」の「鏡」になっているわけです。


この「鏡」という作品は、実に多くの「鏡」となっている。

作品中では、主人公とその父親の間の共通性を強調しています。

主人公とその父親は「鏡」を挟んで向かい合っている状態。

似た容姿の妻。

本人は同じように芸術家。

同じように妻とは不和。


あるいは、レオナルド・ダ・ヴィンチだって、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士という「鏡」をはさんだ状態。いわば、同族意識ですね。

また、ダ・ヴィンチとタルコフスキーも母親の愛への渇望を共通して持っているといえるのでは?

そして、「始めに言葉ありき」の福音書のヨハネに対する同族意識もあるようです。

芸術家として「語る」こと。

そして「受難」。


「語ること」からの受難は、何も、ソ連の問題だけではありません。
いかなる政治体制でも起こっていることです。
だって本当の問題は為政者ではなく大衆なんですから。

それこそ、旧約聖書の時代から、「語った」人は、受難になったでしょ?

にもかかわらず芸術家は「語らないといけない。」存在である。つまり受難は不可避なんですね。


「語る」ことの難しさで、政治に関わることは、最初の方のシーンで出てきます。
主人公の母親が、「検閲に引っかかりそうな言葉を削除しそこなったかも?」と大慌てするシーンですね。


しかし、誰でもわかるシーンは映画の冒頭。

催眠術によって治った吃音者が「私は話すことができます!!」と喜ぶ冒頭。

そのシーンからは、「困難の中」から話すことの喜び・・・つまり芸術家として表現することの喜びが感じられますよね。


しかし、冒頭は「表現する喜び」ですが、ラストは受難のシーン。

「初めに言葉ありき。」のヨハネであり、芸術家肌のヨハネ。

この福音書のヨハネも、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士の同族と言えるわけです。


ヨハネ受難曲の流れる中、十字架を背景にマリアに手を引かれ進んでいく。
2000年前のキリストの受難も、タルコフスキーの受難の鏡といえそうです。

この「鏡」という作品。タルコフスキー監督の様々な自画像が展開されている作品といえそうです。

つまり様々な「鏡」に彩られているわけですね。タルコフスキー監督個人の「鏡」であるとともに、芸術家全般の「鏡」となっているわけです。


「語る」芸術家は「受難」は避けることができない。

神の意思は本人とは無関係にやってくる。


映画の中で数多く登場する草原の草が揺れるシーン・・・これは神がやってくる意味でしょう。


映画における主人公の父親は、神を意味している。

父親に抱かれること、それは神に召し上げられること。

これこそが芸術家誕生の瞬間であり、受難の始まりとなる。


小屋の炎上、原子爆弾、文化大革命、そしてマタイ受難曲の「そのとき大地が割れて・・・」というフレーズ・・・現在の世俗的安定の崩壊のイメージが顕著です。


だからこそ世界には芸術家の聖なるものが必要であり、芸術家は「語らなければならない」。


しかし、それは芸術家の受難につながっていくわけです。

「初めに言葉ありき」のヨハネで終了するこの映画、そのラストのシーンは「言葉ありき」ということで、最初のシーンの「私は話すことができます!」のシーンに回帰して行く・・・

芸術家の受難はかくも終わりなきものと言えそうです。
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/04-06/04-06-29.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c3

[近代史3] タルコフスキー 鏡 (1975年) 中川隆
4. 中川隆[-12115] koaQ7Jey 2019年2月17日 14:58:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

1982年9月9日にチェントロ・パラティーノで開催された「映画泥棒ー国際的陰謀」会議で、タルコフスキーは自らの理念を披露した。

彼は『七人の侍』『少女ムシェット』『ナサリン』『夜』のクリップを映した。

彼に影響を及ぼしたのではなく、彼に最も決定的な印象を刻印した映画である。

以下は彼の話のあらましである。


アンドレイ・タルコフスキー:

「影響、何か流れ込んできたもの、すなわち相互活動の問題は複雑です。

映画は真空では存在しません。

つまり共に働く仲間がいて、その影響は避けられない。

それでは影響、流れ込んできたものとは何でしょうか。

自分の働く環境や共同する人々の選択は、芸術家にとって、レストランで料理を選ぶようなものです。

黒澤、溝口、ブレッソン、ブニュエル、ベルイマンそしてアントニオーニが私の仕事に与えた影響について申し上げますと、『模倣』という意味では何ら影響はありません。

つまり私の観点からは、そんなことは不可能です。

何故なら、模倣は映画の目指すものとは何ら関係ないからです。

自己を表現する自分の言語は自分で発見しなければならないのです。

ですから、私にとって、流れ込んできたものというのは、私が賛嘆し高く評価する人々と共にいるという意味なのです。」


「もしフレーミングやシークェンスに他の監督の反響があると気付いたら、そのシーンは避け修正するように努めています。

こんなことはめったに起きないのですが、『鏡』から例を引きましょう。

私は主人公が室内にいてその母が隣の部屋にいるフレームを採りました。

二女性のクロースアップです。

パノラマショットで、女が鏡を見ながらイヤリングをつけてみて、母もまた鏡を覗き込んでいます。

実際シーン全体は鏡に映ったかのように撮られています。

ところが、実は鏡は存在せずに、女性はキャメラを直に見ているだけなのです。

つまり鏡がある錯覚がある。

この類いのシーンはベルイマンにそっくりのものがありうると気が付きました。

けれども、やはり、そのままで、私の同僚ベルイマンに謝意を表明し、肯定する証として撮ることに決めました。


「このリストにドブジェンコも追加しなければなりませんが、これまでに挙げた監督がいなければ、映画は存在していないことでしょう。

誰もが自分のオリジナルの様式を当然探していますが、もしこれらの監督がコンテクストや背景を与えてくれなかったなら、映画はいわゆる同じ映画にはならないでしょう。

現在多くの映画作家が非常に厳しい時代を経験しているようです。

イタリアの映画は窮地に落ちています。

私のイタリアの同僚たちは、私は映画で最も名声のある監督の幾人かについて語っているわけですが、イタリア映画はもはや存在しないと言いました。

もちろん、映画の観客がこの主な原因です。

久しく映画は大衆の趣味を追ってきましたが、今や大衆はあるタイプの映画は見たくないのです。

実際なかなか良いものなのに、敬遠するのです。


「映画監督の範疇には基本的に二つあります。

一つは、自分が生きている世界の模倣を求める人々で出来ています。

もう一つは自己の世界の創造を求める人々で出来ています。

第2の範疇には幾多の映画詩人が含まれます。ブレッソン、ドブジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤という映画史上最も大切な人たちです。

これらの映画作家の作品の配給は難しい。

その作品は作家の内的霊感を反映しているので、これが必ず大衆の趣味とぶつかるのです。

映画作家が観客に理解されたくないという意味ではありません。

そうではなくむしろ作家自身が観客の、観客も気付いていないような内的感情を捕らえ理解しようとしていると言った方がよいでしょう。


「映画の直面している現在の苦境にもかかわらず、映画は芸術形態であり続けます。

芸術形態の一つ一つが個別のもので、他の芸術形態の本質に含まれない内実を担っています。

例えば、写真は、カルティエ=ブレッソンの天才が実証しているように、芸術形態になれますが、写真は絵画になぞらえることは出来ません。

何故ならば絵画と競合しているわけではないからです。

映画作家が自問しなければならない問いは、何が映画を他の芸術と区別するのか、ということです。

私にとって映画は時間の領域を包括する点で、他に見られない独創的なものです。

音楽や芝居やバレエのように、時間の中で生起するという意味ではありません。

文字どおりの意味での時間です。

フレームとか、「アクション」と「カット」の間のインターヴァルは一体何でしょうか。

映画は時間の観点で実在を固定します。

フィルムは時間を保持する手段なのです。

これほど時間を固定し停められる芸術形態は他にありません。

フィルムは時間で出来たモザイクです。

そのためにはもろもろの要素を集約する必要があります。

3、4人の監督やカメラマンが1時間同じものを撮影したと想像して下さい。

一人一人独自の映像になるはずです。

結局出来上がるのは、3つか4つ全く異なるタイプのフィルムです。

なぜなら、一人一人がこれは捨て、あれは残してと選択して自分のフィルムを作るからです。

そうして、映画に関わる時間を固定する作業をしているにもかかわらず、監督は必ず自分のマテリアルを磨いて、それを通して自己の創造力を表現出来るのです。


「美意識の観点から言いますと、映画は今ひどい時代にあります。

カラーで撮影するのが、可能な限り実在に迫る手段だと考えられているのですから。

私はカラーは袋小路だと思っています。

あらゆる芸術形態は真理に到達して、一般化した形態を得るために苦闘しています。

色彩を使うのは人が実在世界をどのように知覚するのかと関係しています。

カラーであるシーンを撮影するのは、必然的に、フレームを有機的に構成し、このフレームに囲まれた世界の総ては色彩の中にあり、しかも観客にこの事実を自覚させねばならないという事なのです。

モノクロの利点は、その表現力が強烈で、観客の関心を脇にそらさないということです。


「カラー映画にもすぐれた表現様式の例があります。
でも今述べた問題に気付いている監督のたいていは、必ず白黒で撮影する努力をしています。

誰も、カラーフィルムで新しいパースペクティブを創造したり、白黒ほど効果的パースペクティブを作り出すのに成功したためしはないんです。

イタリア・ネオリアリズムが重要なのは、日常生活を掘り下げることによって映画に新境地を開いたという事実からだけではなくて、本質的に言うと、モノクロームでその探求がされたからでもあるのです。

人生の真理は必ずしも芸術の真理に照応していません。

だから今やカラーフィルムは純粋に商業的現象になりさがったのです。

映画は色彩を通して新たなヴィジョンを創造しようとする時代を通って来ましたが、結果は不毛です。

映画は体裁ばかり飾るものになってしまいました。

つまり、私が今見ているような映画は全然立場の違う人には全く違ったものになっているのです。


今ご覧に入れている映画のクリップは、私の心に一番近しいものを表象しています。

ある思考形態の実例であり、この思考がどのようにフィルムを通して表現されるかの実例です。


ブレッソンの『少女ムシェット』で少女が自殺を図るその様子は特に驚異的です。


『七人の侍』の一番若い侍が怖じけづくシークェンスで、黒澤がこの恐怖感をどうやって伝えているでしょう。

若者は草むらで震えていますが、身震いしている姿は目に見えません。

草むらと花々が震えている、揺れているんです。

ここは雨中の決戦です。

三船敏郎演ずる菊千代が死ぬとき、倒れた彼のその脚は泥に埋もれてします。

こうして私たちの目の真ん前で菊千代は死んでしまいます。


ブニュエルの『ナサリン』の、傷付いた娼婦がナサリンに助けられて、椀から水を飲む姿です。

アントニオーニの『夜』の最後のシークェンスは映画史上、ラブシーンが必然となり精神的行為の似姿を取った唯一のエピソードかもしれません。

肉体が相手の近くにあるのが大きな意味を秘めた独創的なシークェンスです。

2人ともお互いに対する感情は涸れ果てているのに、それでも相手の身近にいるのです。

ある友人が昔こう言いました。

夫と5年以上もいるなんてまるで近親相姦よ。

2人がお互いの近くから逃れる出口はありません。

お互いがまるで死に瀕しているかのように、死に物狂いで相手を救おうとしている姿です。


「撮影を始めるときは必ず、『私の仲間』と思っている監督のフィルムを見ます。

模倣するためではなく、彼らの醸し出す雰囲気を味わうためにです。

今お見せしているクリップがみんなモノクロームなのも偶然ではありません。

監督が自分に身近なものを何か掛け替えのないものに変容しているからこそ、これらは重要なのです。

しかもこれらのシーンは日常生活の出来事とは似ていないという点で独創的です。

ここには偉大な芸術家の刻印があり、私たちに彼らの内世界を垣間見せてくれるのです。

これらのシーンの総てが、娯楽を与えるよりはむしろ美を保持することによって、観客の欲求に応じるのです。

今日この種の主題を扱うのは困難を極めています。

そんな話をするのすらほとんど馬鹿げていると言えます。

誰もそんなものにはびた一文払わないでしょう。

でも映画が存在し続けているのは、これらの詩人たちのお陰なのです。


「映画を作るには金が必要です。

詩を書くのに必要なのはペンと紙だけです。

これが映画の不利なところです。

でも映画は屈さないと私は思います。

万難を排して自己の映画を実現する努力をする監督全員に、私は頭を垂れます。

実例としてクリップをご覧戴いた映画は皆、固有のリズムを持っています

(最近は、たいていの監督が快速で短いシーンを使い、カッティングとスピードのある監督こそ本当のプロだと思われています)。

真の監督なら誰でもその目的は、真理を表現することなのですが、そんなのはプロデューサーの知ったことでしょうか。

1940年代にアメリカでストレスのかかる職業をランク付けする調査がありました。

広島に原爆が投下された時代ですから、パイロットが1位を占めました。

2位が映画監督です。監督になるのはほとんど自殺行為というわけです。


「私はヴェネチアから帰ったばかりです。

そこの映画祭の審査員をしたので、現在の映画の完全な退廃を証言出来ます。

ヴェネチア映画祭は悲惨この上ないものだった。

ファスビンダーの『ケレル』のような映画を理解し是認するには、まるっきり異なる類いの精神性が必要だと、私は信じます。

明らかに、マルセル・カルネは私よりずっとそれを是認していましたが。

私は、それは反芸術的現象の現れだと思います。

その関心は、社会学的で性的な問題にすぎない。

ただファスビンダーの最後の作品だというだけで、あの映画が受賞するのは恐ろしく不当なことではないでしょうか。

ファスビンダーは『ケレル』よりずっと良い映画を作っているはずです。

けれども、映画の現在の危機は重要ではありません。

なぜなら芸術は絶えず危機の時代を通り過ぎてはそこで復活するからです。
ただ映画が作れないからと言って、映画が死んだということにはならないのです。


「最良の映画は、音楽と詩のはざまにあります。

映画はどんな芸術形態にも比肩する高いレベルに到達しています。

芸術形態として自らの姿を具体化しています。

アントニオーニの『情事』は随分昔の映画ですが、今日作られたばかりという印象を与えます。

本当に奇跡的な映画で、ちっとも古ぼけていません。

まあ今日作られるような類いの映画ではないかもしれませんが、それでもとても新鮮です。

イタリア人の同僚たちはとても悪い時代にいます。

ネオリアリズムも偉大な監督たちも去ってしまったように見えるし、プロデューサーはドラッグの売人みたいなもんですから。

金儲けだけを考えているんですが、長続きはしないでしょう。

イタリアで上映されている『ソラリス』は私の映画ではないと言いたいです。

でもその配給会社はもう潰れてしまいました。たいていの配給会社の運命じゃないですか。」
http://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/249.html#c4

[近代史3] タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年) 中川隆
1. 中川隆[-12114] koaQ7Jey 2019年2月17日 15:00:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

タルコフスキー、ソラリスを語る


スタニスワフ・レムの『ソラリス』の映画脚本をつくろうと決めたのは、SFに興味があったからではなかった。

一番大切な理由は、『ソラリス』でレムは、私が身近に感じることが出来る道徳的な問題を取り上げたということだった。

レムの小説のより深い意味は、SFの限界内に収まっていない。

文学形式だけを論じるなら、問題を制限することになる。

この小説は、人間理性と知られざる者との衝突を扱っているだけでなく、新しい科学の発見によって生み出された道徳的葛藤をも扱っている。

『進歩の代償』と呼ばれる痛々しい経験の結果として生じる新しい道徳性を扱っている。

ケルヴィンにとってその代価は、物質形態で自分自身の良心の呵責に直接対面せざるをえないということだ。

ケルヴィンは自分の行動原理を変えない。自分自身にとどまる。
それこそ彼の悲劇的なジレンマの根本であるのだが。


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一体全体なぜ、私が見たSF映画のすべてで、監督は観客に未来の物質的な細部をじっくり見せようとするのか? 

なぜ彼らはースタンレー・キューブリックがそう称したようにー自作を予言的と称するのか?
 
専門家にとって『2001年』が多くの事例で食わせ物だ、芸術作品とはとても言えないと言うつもりはない。

私は、『ソラリス』を観客に異国情緒を味わわせることがないように、撮影したいと思う。

当然、テクノロジーの領域での異国情緒という意味だ。

例えば、電車に乗る乗客を撮影して、私たちが電車について何も知らないとしたらーそう仮定しましょうー以前電車を見たことがなかったからです、そのとき私たちは月に着陸する宇宙船のシーンでキューブリックがやったのと類似の効果を獲得するでしょう。
言い換えると、停車場で普通に撮影するやり方で宇宙のシーンを撮影する限り、何もかも上手く行くでしょう。

このように私たちは登場人物を、異国趣味のシーンではなく、リアルなシーンに置く必要があります。

なぜなら映画の登場人物が現実を知覚することによってのみ、観客が理解できるようになるからです。

だから、未来の科学技術を細々と見せると、映画の情緒的な基礎が壊れてしまいます。


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肝心なのは、その「科学技術」の、と言っておきましょう、その発達の各段階で人間は、霊的なエントロピーのようなものと、道徳的価値の拡散と、戦わねばならないということだと思います。

一方で、人間性は自らをあらゆる道徳から解放しようとします。

その一方で、道徳を創造しようとする。

このジレンマが、個人の生においても一般社会の生においても、並はずれて劇的な緊張に満ちた状況を生み出すものになります。

この劇的な解放と、それと同時に、精神的理想の探求は、人間が自らをもっぱら道徳的な問題に捧げることが出来る発達段階に到達するまで続くことでしょう。

人間が絶対的な外的な自由を獲得する段階、それを社会的な自由と呼びましょう、そこで人間は日々の糧に、雨露をしのぐ場所に、子どもの未来を確保することに、いちいち心を惑わす必要はないことでしょう。

そこで、人間はかつて外的自由に捧げた同じエネルギーで、自己の内部深くに降りていくことが出来るでしょう。

私にとってハリーとケルヴィンの間で宇宙ステーションで生じたことは、人間の自分の良心に対する関係が問題なのです。

[…]

映画は奴隷のように本に忠実に従うことは出来ない。

レムの足跡をたどることは、作家と本に対する背信行為になるでしょう。

私は、『ソラリス』の私の個人的な読み方を映像にしようとしました。

作者に忠実であるために、私は時々、ある種のテーマに対する視覚的等価物を探して、小説から逸脱しなければならなかった。

私には対比として地球が必要だった、もっともそれだけのためではありませんが…
私は、地球を観客の心の何か美しいものと等価のものにしたかった。

人の憧憬を表すものです。

だから、ソラリスの神秘的な幻想的な雰囲気に飛び込んだ後、突然地球を一瞥したときに、彼は再び正常に、くつろいで、感じる。

その結果彼はこの平凡さへの憧憬を感じ始める。

言い換えると、彼はノスタルギアの有益な影響を感じる。

結局、ケルヴィンは人間としての自分の義務であると見なす実験をするために、ソラリスに残る決心をする。

このように私は、観客がさらに十全に、さらに鋭敏に、彼の決心の劇的な意義のすべてを実感できるように、地球を必要としたのでした。

私たちの根源的な故郷であった、今も故郷である惑星に帰ることをこのように断念する、そのことの意義が実感できるように、です。


________________________________________


スタンレー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を最近見ました。
人工的なものの印象が残りました。

最新科学技術の業績を見せる博物館にいるかのようでした。

キューブリックはそういうことに酔いしれて、人間のことを、人間の道徳の問題を忘れています。

それがなければ、真の芸術は存在できません。


映画の描写の最大限の直接性に私は信頼をおいています。

この映画でも私はギミックなしで、最も素朴な手段を用います。

今日流行の「スペクタクル」の類は避けています。

確かに、映画はカラーになりますが。
最近まで私はカラー映画に絶対反対でした、しかしどうすればいいのでしょうか、今日ではカラーを避けるのは不可能です。

何とかこの技術を最善のかたちで利用しようと苦心しています。
リアリズムの領域の中でしっくりしたものになるようにです。

SF映画のリアリズム?
 
ええ、可能だと思います。

私たちはこの想像世界を出来るだけ具体的なものにしています。

特にその純粋に外的な現れで、です。

『ソラリス』で示されるリアリティは物質的に経験可能なもの、ほとんど手で掴むことが出来るものになるはずです。

装飾のテクスチャーによって、ワディム・ユーソフの映画スタイルによって、それを実現します。

私たちの映画には、本にない地球上のシーンがあります。

対比のために地球が必要なんですが、それだけではありません。

私は観客に私たちの惑星の美に気づいてもらいたいと思います。

そうすればー調べようもない、神秘的な事柄をはらんだ雰囲気に包まれていたのでーもっと気持ちを込めて、地球に帰ってくるでしょう、その平凡さを自由に喜ばしく呼吸することでしょう。

この映画を見る方にホームシックの苦さを理解してもらいたいと思います。

結局クリスはソラリスにとどまる決心をします。

なぜならそれは科学者としての彼の使命が要求することだからです。

プロジェクトの監督を彼に託した人々に彼が負う責務が求めるからです。

この状況で、地球のイメージは観客の心理的な反応の触媒として作用し、クリスの決定に隠された意味を十分に、明確に見て取ることができるはずです。


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私はSFは好きじゃない。

いやSFが基づくジャンルが好きでない。

テクノロジー、いろいろな未来論的なトリックや工夫が凝らされたああいうゲームが好きでない。

いつでも人工的だ。

でもファンタジーから引き出せる問題には興味がある。

人間と彼が抱える問題、人間の世界、人間の不安。

平凡な生もまたファンタジーにあふれている。

人生そのものがファンタスティックな現象です。

フョードル・ドストエフスキーはそのことをよく知っていた。

だから生そのものに、毎日の生、平凡な生そのものに焦点を定めたいのです。

その中では何だってあり得るのですから。


私の『ソラリス』は結局、サイエンスフィクションではありません。

その文学的な先駆者もそうではない。

ここで大切なのは、人間だ。その人格だ。

惑星地球と結んだ彼の非常に執拗な絆だ。
彼が生きる時代に対する責任感だ。

典型的なSFは好みでない。
私には分からないし、信じてもいない。

実際、『ソラリス』に取り組んでいるとき、私は『ルブリョフ』と同じテーマと取り組んでいた。

人間存在だ。

この2作はアクションが生じる時によって切り離されているにすぎない。


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『ソラリス』は私の映画で一番成功しないものになった。

なぜならSFの要素を避けることが出来なかったからです。

スタニスワフ・レムは脚本を読んで、私がSF要素を排除しようとしているのに気づいて、不愉快になった。

脚色許可を取り消すと脅しました。

私たちは新しい脚本を用意しましたが、そこからは撮影中にこっそり逸脱することが可能だったのです。

そのつもりでした。しかしこの意図は十分には果たせなかったのです。


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スタニスワフ・レムの証言


私にはこの脚本に根本的な留保点がいくつかある。

まず第一に、惑星ソラリスをこの眼で見たかったと思うのだが、監督は不幸なことに、作品が映画的に静かな作品になるべきであるとして、私を拒否した。

第2に、私たちのごたごたの1つでタルコフスキーに言ったことだが、彼は『惑星ソラリス』をまったく製作しなかった。

彼は『罪と罰』を創ったのだ。

フィルムになったのは、この忌まわしいケルヴィンが可哀想なハリーを自殺に追い込んで、それから良心の呵責にさいなまれたが、彼女の出現、奇妙な理解不能な出現によって、ますますひどく苦しむことになる様子だ。

ハリーの出現のこの現象は私には、カントその人から得られる概念を規範とするものだ。

なぜなら物自体、到達不可能なもの、もの自体、浸透不可能な彼岸が存在するからだ。

しかし私の小説でこれは別のやり方で、明白にされ、構成されている…

しかし、第2部の20分を除けば、映画の全編を私は見たことがないことを明らかにしておかねばならない。

脚本はとてもよく分かっているのだが。

なぜならロシア人は原作者に特別に1部を作成する習慣があるからだ。

どうしようもなくひどいことがある。

タルコフスキーは映画にケルヴィンの両親を登場させている。

叔母すら出てくる。

しかし一番ひどいのは母親だ。

なぜなら母親はmat' である、mat' は Rossiya, Rodina, Zemlya [ロシア、母国、大地] であるからだ。

これだけで私は怒り心頭だ。

この瞬間に私たちは馬車を反対方向に引っぱろうとする2頭の馬のようなものだった。
[…]

私のケルヴィンは何の希望もなく惑星にとどまる決心をする。

一方タルコフスキーは島のようなものを出現させ、その島に小屋があるイメージを創造した。

小屋と島のことを聞いたとき、私はいらだちで気も狂わんばかりだった…

こんなものは情緒的なソースにすぎない。

そこにタルコフスキーは彼のヒーローたちをどっぷり浸けたのだ。

科学的な景色を彼は完全に切断して、その代わりに私には我慢ならない奇妙なものをたっぷり導入したことは言うまでもあるまい。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/solaris.html


タルコフスキーのストックホルム・インタビュー


Q:なぜスタニスワフ・レムの『ソラリス』に基づいてなぜ映画を創られたのか、話してもらえますか? 何があなたをあの小説に引きつけたのですか?


私はスタニスワフ・レムを非常に高く評価していて、彼の作品は非常に好きです。

いつでも読めるときに読みます、読めるものは何でも読みます。

彼の散文も好きですが、たまたまーこんなことを言うのは残念なのですがー彼は映画というものをあまり好きじゃない、分からない。

それで、一緒に仕事をしているとき、私たちは不平等なパートナーでした。

私は彼の本をどうしようもなく愛していましたが、彼のほうは私の映画にまったく無関心でした。

彼はいつも作家として考えていました、まず文学だと-。

Q:文学が一番大切なものだった。


さあ、どうでしょう?
 
一番大切じゃなくーとにかく文学が存在していた、事実として。音楽、詩、絵画が存在しているように。

しかし彼は映画を理解できなかった。

今でもそうですよ。彼は、映画とは何であるのか、分かっていない。

たくさんいますよ、非常に頭のいい人たちで、文学、詩、音楽は熟知しているのに、映画は芸術だと思わない人がね。

映画はまだ誕生していないと考えるか、映画を感じられないのです。

森の木を見ることは出来ない、本物の映画と商業映画を区別できないという意味です。

明らかにレムは映画を芸術として真剣に扱わない。

だから、脚本でも自分の小説に忠実であるべきだったと彼は信じているのです、それを絵にするだけで良かったと。

私にはそんなことは出来ない。

その場合、彼は私ではなく、「イラストレーター」である監督に近づくべきだった。


Q:そういう監督なら「動く絵」が作れる。


ええ、よくいるタイプです。


Q:たいてい、死んだ絵しかつくらない。


そんな監督がいます、作家に綿密に従って、作品を例示する人たちです。

このタイプの映画はたくさんありますが、たいてい同じように見えます。

単なるイラストだから、みんな死んでいる、生命が何もない。

それ自体、そして当然ながら、芸術的な価値は全くない。

単なる写し絵です。

文学の原典に従属する副次的なものです。

そういうのをレムは期待していた。

もし本当に彼がそう期待していたなら。私には理解できないことです。

彼がこの手の期待をしていたと考えるのは非常に奇妙なことですが、映画芸術に対する彼の姿勢こそ、まさにこの結果、イラストを期待する人間の位置に彼を置いたのです。
もしかするとそんなことは全然望んではいなかったのでしょうが。

しかし、私たちの脚本が小説の正確な描写からはずれる部分があれば、彼は必ず反対したものでした。新たな道筋を工夫したらいつでも彼は憤然としていました。

あの時私にはとても気に入った脚本の異稿がありました。

その場合、アクションのほぼすべてが地上で起きるのです、その半分以上が、つまり、ハリーをめぐる過去のすべてでした。

なぜ彼女がはるか宇宙の彼方のソラリスで「生まれた」のか。

『罪と罰』を想い出させるものでした。

もちろんレムのオリジナルの理念とは真っ向から衝突しました。

なぜなら私は内面生活の問題、いわば精神的な問題に興味があったからです。

一方彼のほうは人間と宇宙の衝突に興味があった。

括弧付きの「未知なるもの」に興味があった。

これこそ彼の興味を惹くものだった。

言葉の存在論的な意味において、認識の問題とこの認識の限界という意味でーそういうものに興味があった。

人間性が危機にさらされているとすら言ってました、人間が感じないときに認識の危機があると。

この危機は増加している、雪だるまのように、それがさまざまな人間の悲劇のかたちをつくり出している、科学者が経験する悲劇も、です。

そのすべてが熟して一種の爆発を起こす、前進をもたらす、すべてが未来に向かって行進する、などなど。

爆発ーそれはいいでしょう、私も否定しない、しかし私はそんなことにまったく興味がない。

この小説に惹かれたのは、生まれて初めて私がこう言える作品と出会ったから、それに尽きるのです。

つまり、贖い、それは贖いの物語なのです。

贖いとは何か?ー

良心の呵責。言葉の直接的な古典的な意味でー過去の過ち、罪、の記憶が実在になるとき、にです。

私にとってこれこそあの映画を作った理由なのです。


一方、未知との遭遇の問題を語るべきならーその場合も、存在論的な側面は私には重要でなかった。

そうではなく、ある人間の心理状況の再創造だった。

その魂に何が起きているのかを示すことこそ重要だった。

もしその人間が人間であり続けるならー私にはそれが最もかけがえのないことだった。


私の映画の主人公が心理学者であることは偶然ではありません。

レムの小説の主人公も心理学者ですが。

彼は平凡な都市生活者です、俗物です、そう見えます。

私には、彼がそんなふうであることが重要でした。

彼は精神的な幅のかなり限られた人間であるべきです、月並みな人間ですーこの精神的な闘いを、恐怖を経験できるためにです。

苦痛に捕らえられて、自分に何が起きているのか理解できない動物のようにではなく、この精神的な闘いを経験できるためにです。

私に重要であったのは、人間は無意識に自分自身に人間的であることを強制するということです。

無意識に、そしてその精神的な能力が許す限り、人間は野蛮さに反抗します。

人間的であり続ける限り人間は非人間的なものすべてに抵抗します。

そして結局、彼はー少なくともそう見えるでしょうー徹底的に月並みな奴であるにもかかわらず、彼は精神的に高いレベルに立ちます。

まるで自分を断罪するかのようです。

この問題の内側に入り込み、自分を鏡の中に見たかのようです。


結局、彼は精神的に豊かな人間ですー

先に見たように、見かけは知的に限界があるにもかかわらずです。


父親と話すとき彼はどうしようもない俗物です。

バートンと話すとき、月並みな凡庸さで、知識について、道徳について語ります。
凡庸な話をします。

自分の思念を形成し始めると途端に彼は凡庸になる。

しかし何かを感じ始めると、あるいは苦しみ始めると、途端に人間になる。

で、レムはこのことにまったく無感動だった。まるっきり無感動だった。

私はこのことに深く心動かされた。


カンヌで映画が賞を受けて、誰かが彼におめでとうと言ったとき、レムは訊いた。

「で、私はどうしたらいいんだ?」

彼は恨みを込めてそう言ったー

しかし別の見方をしてこう訊けるでしょう。

「確かに。彼はどうしたらいいのだろう?」

もし彼が映画を芸術として扱ったなら、映画というものは、スクリーンに合わせたものは、いつも、いわば作品の廃墟から生じるのだと分かったでしょうに。

しかし彼はそんな風には映画を見なかった。

しかし私は、共に過ごし語り合ったあの日々のことを彼に限りなく感謝しています-
彼はきわめて興味深い人物です。とても楽しい人です。

だから、私が少し苦い思いをしたなら、それは、彼が私と私の映画をあんな風に扱ったからではなかったー映画を一般にあんな風に扱ったからなのです。

ところで、彼によろしくと、私の心からの感謝と敬意を彼に伝えるようにお願いできますか?


 私はいつまでも感謝と共に一緒に仕事をして過ごした時を想い出すでしょう。

しかし、私が先に述べたことは、少なくとも、客観性のために述べておく必要があったのです。


Q:2つの別の問題ですね。


そうです。

ここで私たちはある争点に触れています。

これは、いつも私に問題を提起する。

ええ、こんなことが以前ありました。

誰かに会う。とても知的な人です。

読書家で、詩、絵画、音楽などを知っていて。知識人です。

で、彼は私の新しい映画が好きだと言う。偉大な映画だと言う。

そして「おお、私はうれしい、ありがとう、ありがとう」と言う。
で、彼に話し始めると私は彼が何も理解していないことに気づく。

これはひどい。これはまったくひどい。

これは私がさっき話していたことの逆です。

まあ似たようなーその人は言う

「そうです、そうです、映画、私には分かります」ー

しかし実は映画を理解していない。

映画が何であるか、映画をどのように扱うべきか、映画から何が期待できるかー
映画から何を期待してはいけないか、何を期待すべきか、分かっていない。


これは一体どういうことか? 

詩、絵画、文学、音楽に関しては水の中の魚のように、自由自在なのに、映画のことになると全くの素人だ。

映画に関する議論も話し合いも全然出来ないー自分はその気になっているのに、ですよ! 

これは非常に奇妙なことだ。

私にはこちらのほうが、誰かにこう言われるよりずっと辛いことです。

「ええ、私にはあなたの映画が分からない。

私の意見ではそれは戯言だ。馬鹿馬鹿しい、もったいぶった戯言だ。

政府の金がこんな映画に費やされるのは理解できない。」


こういう手紙を受け取ったこともありますよ。

『ルブリョフ』で大騒ぎしている頃、KGBに直接手紙を送った奴がいた。

「タタールの国家に反対する映画を作るためにタルコフスキーが政府の金を使えないように、タルコフスキーをまっとうに更正させなきゃいかん」
と書いてよこした。


Q:タタール人?!


信じられますか? 

私はただ-

「戦争中タタール人はロシアの兄弟と一緒に、共通の理想のために血を流したのだ。
それなのにタルコフスキーは反タタール映画を作っている。」


分かりますか? 

「反タタール映画を作る気なら、タルコフスキーには二度と何も撮らせるな。」

それだけじゃない。こういう人たちは実は自分たちの歴史を知らなかった。

このタタールの人たちは、自分が『ルブリョフ』で描かれたタタール=モンゴル人とはまったく別であることを確かに知らなかったのです。

2つのまるっきり違うことなんです。

彼らは自分の歴史すら知らない。

カザンにいたときそこで私は同じ話をしました。

私はその手紙を読んで、言いました。

あなたがたはタタール人としての国家の尊厳を言われるが、そういうあなたがたの誰ひとり、知らないー自分が何者であるのかまるっきり分かっていない。

あなたの父祖が誰なのか、覚えてもいない。

あなた方は他の国家と混じり合っている。

ええ。こんなふうにいろんな手紙をたくさん受け取りましたよ、時には侮辱的なものも。

そういう手紙を受け取っても、何とも感じないものですよ。

なぜなら一般にどうしようもない無知な手紙ばかりですからね。

しかし突然誰かに出くわしたら、例えば誰か以前なら文化的な動向に立派な意見を持っていたとしましょう。

その彼が突然、あなたがやったことについてナンセンスなことを話し始めたらー
彼がまったく無理解であることを暴露するならーこれはさらにつらいものですよ。

賛成されるかどうか分かりませんが、例えば1冊の本を読むなら、例えば、何か文学作品を読むなら、読んでいる人と同じ数だけ本もあるんです。

読者のひとりひとりが自分で創造したイメージを見ています。
自分の体験に基づいて作りあげたイメージです。

文学は描写が中心で、映画は例証が中心だから、余計そうです。

でも、映画も個人のヴィジョンを受け容れます。

このことを私はとびきり貴いものだと考えています。

もしそれが文学で可能なら、なぜ映画ではそれと戦わなければいけないのですか?
 
その逆のー一般に当てはまることだけを考慮する、すべての特徴にあてはまるだけを考える、普遍的に受容されことだけ考える?
 
私にはこういうことはまったく理解できない。

これは差別だと思います。

芸術作品は観客、聴衆、読者によって創られると私は信じます。

個人の知覚の可能性を許さないなら、芸術は芸術ではないでしょう。

もちろん、或る程度準備をしておかなければならない。

しかし、一番大切なのは、準備、教育ではなく、むしろ精神的なレベルです。

これが受容なのです。理解というよりむしろ受容です。

もしあなたが受け容れる、受けとめるなら、あなたには理解できるでしょう。

あなたが理解できる日が来るでしょう。

だから、文学作品がその性質固有のやり方で状況を示し、解釈できるなら、なぜ、他のジャンルが、例えば映画作品が、自分のやり方でそれを出来てはいけないのでしょうか? 

そうでしょう? そうであるべきだと私は思いますよ。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

タルコフスキー『惑星ソラリス』


 映画の中の恋愛というのは、往々にして世界との関係の隠喩でもある。

多くの映画の主人公は、ラストで抱えていた問題が一掃されると同時に、パートナーを手に入れる。

まあこれだけだと、単なるそこらの色と出世のサクセスストーリーだが、もうちょっと気取った映画となると、何らかの理由で世界から孤立して暮らしている人物がいて、その人の前にふとした偶然で相手があらわれる。

それが、世界の差し出してくれた関係修復のための蜘蛛の糸になる――そんな映画はたくさん思いつく。

たとえば『ブレードランナー』なんかを考えてもらえばいい。

もちろんこれも一歩間違えると、自分では何もしない怠惰なおたくのところに、労せずして美少女が勝手に宅配されてなついてくれるという、ただの卑しい願望充足話になってしまうので、それを避ける工夫は必要なのだけれど。

 その一つのやり方は、そこで登場する蜘蛛の糸たる相手を、何か受け入れがたい変なものに仕立てることだ。

『ブレードランナー』はそれを、自分の倒すべきネクサス6型アンドロイドにしたことで実現した。
あの映画の長期的な価値は、その仕掛けがきわめて上手に構築されたことからもきている。


 そしてタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』では、その相手はかつて自殺した妻の複製品だ。

 知性を持つらしき惑星ソラリスの海は、近くにやってきた人間が内心に抱いている世界との断絶の根本にあるものを探り出しては再現するという性質を持っている。


主人公の場合、それは自殺した妻だった。


 そうやって世界が、考えもしなかったような形で差し出してきた存在に対して、主人公はどう振る舞っていいかわからない。

いまでも奥さんのことは忘れられないけれど、でも一方で彼女の自殺の原因は自分にあるので、彼女の姿は傷口に塩をすりこまれるような苦痛だ。

耐えきれずに一度はそれを殺してみるし、またどうも自分が変な存在でうとましがられているのに気がついた当の複製奥さんも、自殺を試みるけれど、生き返ってしまう。


 『惑星ソラリス』は、そんな変な生き物とゆっくりと折り合いをつける過程の話となっている。

そこにある逡巡やとまどい、葛藤――それはまさに恋愛で、『惑星ソラリス』はそこにあまりロマンチックな要素を持ち込まないことで、逆に精神的な深みを出し仰せていた。


 いたんだが……『惑星ソラリス』はその最後の最後のところで、あさっての方向を向いてしまう。

主人公の脳内情報を投射されたソラリスの海は、奥さんもどきをあっさり消してくれて、かわりに昔の家とお父さんを復活させ、再会ごっこまで演じさせてくれる。

この時点ですでにソラリスの海は、おたくのビデオデッキまがいの都合のいい妄想再生実現マシーンになってしまっている。

その奥さんもどきをどうするか? 

そこにこそ、その恋愛――そしてそれまで映画が積み重ねてきた問いかけ――の意味があったはずだったのに。


 それはまた、タルコフスキーが常にやってきたごまかしでもある。


NHKがタルコフスキーについてのドキュメンタリーを放送したことがあって、そこにかれの妹が登場した。

そして、お兄さんの映画についてどう思うかと尋ねられたとき、彼女は吐き捨てるようにこんなことを述べたのだ。


 「大嫌いです。 冷たくて人工的で。

だいたい兄は映画で、家族への思慕を繰り返し描きますが、

実際には実家にも全然帰らず、まったく家族に会おうとすらしなかったんです。

あんなの全部、口先だけのインチキです」


 ぼくはこれを聞いて、タルコフスキー映画を見る目が一気に変わってしまった。

かれの描いていた家族への郷愁がまがいものなら、かれが晩年になってますますしつこく押しつけがましく描くようになってきた神だの世界の救済だのといったものも、やっぱりまがいものでしかないんじゃないか。

それはかれが現実の家族をまったく顧みずに脳内家族に萌えていたのと同様、本当の神様でも本当の世界でもない、脳内の物欲しげな妄想でしかないんじゃないか。


 そしてそれはかれの恋愛の描き方にも出ている。

『ノスタルジア』でもそうだ。

主人公は世界のさしのべてくれた実物の愛を無視して、世界を救うとかいう妄想への耽溺を選ぶ。

それはたぶん、世界の頭でっかちたちの間でのタルコフスキーの評価を高めた選択でもあるんだろう。


でもそれは、結局かれが各種の愛や、世界との和解を手に入れられなかった原因でもあるんじゃないか。

だがそもそも、かれは現実にそれを求めていたんだろうか。
http://cruel.org/other/esquiresolaris.html


Marina Tarkovskaïa raconte Andreï Tarkovski
http://www.youtube.com/watch?v=Y4VZ-keEdfY&feature=related

________________


タルコフスキーの評価は厳しかったが、それでも映画の場合は、実に数多くの作品を彼は見たのだった。

彼がもっともよく話題にした創造的な精神は、ブレッソン、アントニオーニ、フェリーニ、黒澤、ワイダ、ザヌーシ、ベルイマンだった。

これと関連して、私は1985年11月の出来事を思い出す。

アンドレイと私はストックホルムの映画博物館で映画ポスター展を見ていた。

私はベルイマンの姿を見つけた。

ベルイマンとタルコフスキーはお互い会いたがっていたが、一度も会ったことがなかったのだ。

ベルイマンは博物館の中の劇場のひとつから出てきたところだった。

このチャンスに、出会いは実に自然で、ほとんど避けがたいと思われた。

2人はおよそ15メートルの距離でお互いを認めることが出来た。

次の瞬間、私は仰天した。

2人ともくるっと踵を返した。

まるで厳しい軍事演習に加わっているかのように。

そして別々の方向に歩いていった。

2人は二度と会わなかった。

こうしてこの世界の2人の偉人は触れあうことなくすれ違ったのである。
http://homepage.mac.com/satokk/mihal/mihal.html


「惑星ソラリス」 原作はスタニスラフ・レム。


その「惑星ソラリス」というと最近リメイクされたようですね。
リメイク版の監督さんは、確か賞味期限切れとして名高い?ソダーバーグさん。

ソダーバーグのデビュー作「セックスと嘘とヴィデオテープ」は確かに見事な作品でした。

現代における宗教的なマターを、あるいは、芸術家としてのあり方を、現代的に扱って「大したモンだ!スゴイ!!」と思ったものです。

今でも様々な俳優や映画スタッフは「セックスと嘘とヴィデオテープ」について、「ソダーバーグ監督はデビュー作であの力量なんて・・・スゴイ!!」と言っているようです。

まあ、逆に言うと、その賛辞こそがソダーバーグの現状を語っていると言えるわけですね?

デビュー作の「セックスと嘘とヴィデオテープ」以降の作品は「語られない」わけ。

本来なら、俳優とか同じ映画業界の人間なら、最新作について語るものでしょ?
いつまで経っても、「デビュー作はスゴかった!!」ではねぇ・・・

このように賛辞を語ることによって、否定的な見解を表明する。

意図的にやっているかはわかりませんが、よくある話です。ホメ殺しみたいなものでしょうか?


さて、さて今回の本題であるタルコフスキーによる本家の「惑星ソラリス」。

私はソダーバーグのリメイク版は見ていませんが、リメイクを作りたくなる、プロデューサーの、心境は理解できなくもありません。

タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」は、

1.セリフがロシア語である。
・・・・この点は、当然のこととして、アメリカの観客には不利ですよね?


2 通常のSF映画の「売り」であるはずの未来風景がショボイ。
・・・最新技術を使えばもっとハデな未来風景が作れるはずです。

ということで、リメイク版を作ろうと思ったのでしょう。
しかし、どのみちねぇ・・・

確かにアメリカ人は字幕がキライでしょう。
しかし、スタニスラフ・レム原作の「惑星ソラリス」を見るような観客は、いくらアメリカ人だってそれなりの水準の人でしょうから、本来は字幕には抵抗がないはずです。

「字幕は絶対にイヤ!!」という観客は、そもそも「惑星ソラリス」なんて理解不能でしょ?

あと、「未来風景がショボイ」・・・これだってねぇ・・・

「惑星ソラリス」は未来世界がテーマである作品ではないのだから、未来風景なんてどうでもいいことですからね?

ハデハデな未来風景を楽しみにするような人には、どのみち「惑星ソラリス」なんて無関係の作品ですよ。

というわけで、「惑星ソラリス」のリメイク版を製作することは理解できなくもないけど
・・・無意味なことは確実ですよ。


大体、リメイクって・・・

タルコフスキー監督の作品を手直しする・・・という発想自体ぶっ飛んでいますよ。

まあ、ソダーバーグもよく引き受けたものだと感心いたします。


さて、この「惑星ソラリス」ではバッハのコラール・プレリュードが使われています。

というか一般的な呼び名では「オルガン小曲集」の中のBWV639「われ汝に呼びかけん、主イエス・キリストよ」です。

まあ、そのコラールのタイトルは映画そのものには、登場しません。

この「惑星ソラリス」はソ連映画なので、SFであれば共産党政府も問題にはしなかったでしょうが、「キリスト」を連想させるような宗教的なものは「慎重」に扱う必要があったはずです。

当時のソ連では、あまりおおっぴらにキリストなんて扱えませんよ。

ちなみに、バッハのオルガン小曲集ですが、これらのオルガン曲は、コラール(プロテスタントにおける会衆歌)の伴奏として使われた曲なんだと思いますが・・・

ということで、タイトルだけでなく歌詞もあるわけです。

大体の大意は下記のようなものらしい。


「わたしはあなたに呼びかけます、イエス・キリストよ!

私の嘆きに耳を傾け、この時に恩寵をおあたえください。

どうか私がひるまぬようにしてください。」


バッハの音楽になじんでいる人だったら、ここで言われる「恩寵」が、「死」を意味しているのは簡単に読み取れるでしょう。

「死による救済を憧れる。」

バッハの音楽にはよく出てくる感情です。


有名な82番のカンタータの「我は満ちたれり。」なんて、そのものズバリの曲ですし。

しかし、タルコフスキーでこの曲を使った意図は、死を求めるというよりも、
「自分の嘆きに耳を傾け・・・恩寵を与えて欲しい。」ということなんでしょう。

この「惑星ソラリス」では、映画の中でも「嘆き」や「恩寵を求める渇望」が顕著です。

そもそも、バッハのオルガン音楽だって、この曲以外にも、他にいくらでもあるわけです。

例えばBWV605は「かくも喜びに溢れる日は」とおめでたいタイトルがついています。

BWV645は有名な「目覚めよと呼ぶ声あり」ですよね?

タルコフスキーは多くのバッハの音楽から、「深い嘆き」と「恩寵への渇望」の音楽を「選択」しているわけです。


では、タルコフスキーの抱える「嘆き」とは?

タルコフスキーの渇望する「恩寵」とは?

イタリアの監督パゾリーニは「映画作家はどの作品でも、同じことを言っているだけ。」と言っています。

作品によって、多少スタイルが違っていても、「言わんとする」ことはいつも同じというわけ。

映画作家の代表例のタルコフスキーも「いつも同じこと」を言っているわけです。


タルコフスキーはルネッサンスに懐疑のまなざしを向けていたのは確実でしょう。

「ノスタルジア」では反ルネッサンスの修道士サヴォナローラを連想させる人間を登場させているでしょ?

「サクリファイス」だって、昔の世界への憧れがでてきます。
昔に製作された地図などを喜んで見たりして。地図というのは一種の世界観ですからね。

他にも、アンドレイ・ルビリョフのイコンがルネッサンスの人間中心主義から遠いのは自明ですし。

その他の作品だっていわずもがな。


神から人類を解放したはずのルネッサンスが、本当に人類を解放したのか?

神を放逐した後の、人類のみの世界の代表例が、ソビエトの共産社会でしょ?

現実の共産社会が、人類の解放からもっとも遠かったのは言うまでもないことでしょう。


ちなみに、ヨーロッパの美術において、ルネッサンス以前と以降で随分違います。
単に表現技法の問題だけではありません。

ルネッサンス以降、画家は自画像を製作し、絵にサインを入れるようになりました。
絵画における遠近法だって、ある意味において、神の視点から人間の視点への変更です。

つまり芸術は芸術家のものになったわけです。
それ以前は「神」のものだったわけです。

だからこそ、自画像は作らなかったし、サインも入れなかった。
芸術家はただ神の代理にすぎなかったわけです。

ルネッサンス以降、芸術は芸術家の創造物ということになった。

それが本当にいいことなのか?

創造という神の領域に人間が踏み込んでしまって・・・
人間はそれに値する存在なのか?

あるいは人間の創造した芸術など、神の創造したものに比べれば、取るに足らぬものではないのか?

人間タルコフスキー、別の言い方をすると芸術家タルコフスキーが創造した映画は、このような人間の「創造」に対する懐疑の念が付きまとっています。
逆説的な存在なんですね。

神を放逐した後で、創造を行う人類・・・
そして映画を創造しているタルコフスキー本人。

タルコフスキーの映画は「人類の創造への懐疑に満ちた創造物」という逆説的存在と言えるように思います。


だからこそ、タルコフスキーとしては、創造することへの「嘆き」は、まさに「汝に呼びかけん!!」と言いたいところでしょう。

人間の創造のむなしさを知り抜いていながら、自らの創造意欲から創造せざるを得ない。
そしてその嘆きから解放されるには、神の恩寵が必要となる。

・・・だから「イエス・キリストよ!」というわけですね。


別にタルコフスキーがキリスト教的な救済を意図していたわけではなく、もっと普遍的な絶対的な存在としての神を考えているわけです。

人類にとってルネッサンスとは?

それは人類の歴史の上では脇道に過ぎず、単なる放蕩ではなかったのか?


20世紀にもなって、そして、よりにもよって当時のソ連で「主イエス・キリストよ!」と呼びかけることは、ルネッサンスの否定に繋がっていくわけです。


この世界を人類のものから、神のものへ返上すること。

それこそが、「放蕩息子の帰還」のラストシーンに繋がるわけです。


御丁寧に犬までがんばっている。
放蕩息子の帰還のシーンに犬はお約束ですからね。

自らの願いがすべてかなうソラリスという場にあって、人間が望むことは、父なる神への帰郷なんだ。


ルネッサンスという人類の放蕩を反省し、父なる神に帰還する。

最後のシーンやバッハのオルガン曲は、父なる神の世界への帰郷への渇望を意図しているんだろうと思います。

ちなみに、私はこの「惑星ソラリス」のヴィデオを持っています。
このヴィデオでの解説は・・・・なかなか・・・何と言うかぁ・・・

まあ、タルコフスキーの作品を解説するというドン・キホーテ的な行為は賞賛に値するかも・・・その点は、私も人のこと言えませんし・・・そういえば、「惑星ソラリス」では、ドン・キホーテも引用されていたっけ・・

そのヴィデオでの「解説」で、タルコフスキーがバッハの曲を使ったのは、バッハの宗教性がタルコフスキーになじみがあったから・・・と「解説」されております。

まあ・・・ただ・・・タルコフスキーが育った共産主義社会において、宗教がなじみとは言えないことは、多少知識がある人は御存知のはず。

またバッハのコラールというのは基本的にプロテスタントのものですよね。
ロシア正教では使わないんじゃないの?

まあ、昔のソ連の音楽家によるバッハの録音なんて、ヴァイオリンとかの器楽曲ばかりでしたものね。ソ連の音楽家による宗教曲のレコードなんて聴いたことないなぁ・・・

それにバッハの曲といっても、器楽曲から宗教曲まで色々とあるでしょ?

それに宗教性ということを言いたいのなら、別の作曲家でもいいのでは?
ハインリッヒ・シュッツとか、あるいはもっと地味な宗教音楽家の作品の方が、そのシーンの宗教性を表現できますよ。

その「選択」からタルコフスキーの意図も見えてくるわけ。

タルコフスキーが持っていたパレットを想定した上で、その選択の意図も見えてくるわけです。
タルコフスキーはバッハの曲というと、この曲しか知らない・・・というわけではないし、宗教音楽というと、この曲しか知らないというわけでもない。

ロシア人はヨーロッパ人だから、バッハの宗教性となじんでいるはず・・・というのは、日本人の主食がキムチというくらいトンチンカンな話。

多分DVDだと、その解説も直っているとは思うんですが・・・

まあ、ルネッサンス的英知であるDVDという媒体で、「ルネッサンス否定」の作品を見るのもオツなものですね。
http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/03-12/03-12-23.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html#c1

[近代史3] タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年) 中川隆
2. 中川隆[-12113] koaQ7Jey 2019年2月17日 15:00:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

放蕩息子の帰還 ルカ傳福音書 第15章


15:1取税人、罪人ども、みな御言を聽かんとて近寄りたれば、

15:2パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎へて食を共にす』

15:3イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、

15:4『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、
九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。

15:5遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、

15:6家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん

「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」


15:7われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のためには、
悔改の必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歡喜あるべし。

15:8又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、
家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。

15:9遂に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、

「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」


15:10われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前に歡喜あるべし』

15:11また言ひたまふ

『或人に二人の息子あり、

15:12弟、父に言ふ

「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」

父その身代を二人に分けあたふ。

15:13幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠國にゆき、
其處にて放蕩にその財産を散せり。

15:14ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、
自ら乏しくなり始めたれば、

15:15往きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。

15:16かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど、
何をも與ふる人なかりき。

15:17此のとき我に反りて言ふ

『わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢ゑて
この處に死なんとす。


15:18起ちて我が父にゆき

「父よ、われは天に對し、また汝の前に罪を犯したり。


15:19今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』
と言はん」

15:20乃ち起ちて其の父のもとに往く。なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、
走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。

15:21子、父にいふ

「父よ、我は天に對し又なんぢの前に罪を犯したり。
今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」

15:22されど父、僕どもに言ふ

「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、
其の足に鞋をはかせよ。

15:23また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して樂しまん。

15:24この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」かくて彼ら樂しみ始む。

15:25然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近づきたるとき、
音樂と舞踏との音を聞き、

15:26僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。

15:27答へて言ふ

「なんぢの兄弟歸りたり、その恙なきを迎へたれば、
汝の父肥えたる犢を屠れるなり」


15:28兄怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勸めしに、

15:29答へて父に言ふ

「視よ、我は幾歳もなんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、
我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。


15:30然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子歸り來れば、
之がために肥えたる犢を屠れり」


15:31父いふ

「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。


15:32されど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、
我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』
http://bible.salterrae.net/taisho/html/luke.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/250.html#c2

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
238. 中川隆[-12112] koaQ7Jey 2019年2月17日 15:26:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249]

「助けて」と言えなくて。子ども虐待と、もうひとつの暴力のこと
2/17(日) 8:04配信 BuzzFeed Japan
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190217-00010001-bfj-soci


信田さよ子さん(右)に話を聞く眞鍋かをりさん


千葉県野田市で10歳の女の子が亡くなり、両親が逮捕された事件の背景には、夫婦間のDVがあった。家族の問題に詳しい臨床心理士の信田さよ子さんは、「同じような条件がそろった虐待はたくさん起きている」と指摘する。【BuzzFeed Japan / 小林明子】

【保存版】虐待から子どもを救うため、大人が知っておきたいこと

千葉県野田市の自宅で10歳の栗原心愛さんが亡くなり、父親(41)が傷害の疑いで逮捕された事件。母親(31)も、暴行を止めなかったのは共謀だとして同じ疑いで逮捕された。

母親は、夫からDV(ドメスティック・バイオレンス)を受けていたという。一家が転居前に住んでいた沖縄県糸満市や、心愛さんが一時保護されていた柏児童相談所も、DVがあることを把握していた。

虐待とDV。家庭内の暴力はなぜ何度も見過ごされ、最悪のケースを招いたのか。

虐待をなくすための活動を続け、「#こどものいのちはこどものもの」のハッシュタグで発信しているタレントの犬山紙子さんと眞鍋かをりさんが、家族の問題に詳しい臨床心理士の信田さよ子さんに話を聞いた。
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妻が思い通りにならないと犬を殴る夫

眞鍋 夫からDVを受けていたとされる母親が、娘への虐待を止めなかったとして逮捕されました。母親の関与の解明はこれからでしょうが、信田さんはどう受け止めていますか?

信田 DVと虐待は通底していると認識されていないことが逮捕につながったのでは、と感じています。

DV(ドメスティック・バイオレンス)は、配偶者や恋人など親密な関係にある人(あった人)から振るわれる暴力とされています。殴る、蹴るなどの身体的な暴力だと思われがちですが、このカウンセリングセンターを訪れる被害女性の3分の2は、身体的な暴力を受けていません。

その代わりに、生活費を渡さないなど経済的に抑圧する、行動を監視する、しょっちゅう罵声を浴びせるなどの精神的な暴力や、性的な暴力の被害に遭っています。「お前はバカだ」「子どもなんか育てられない」と罵られ続け、すべての自信をなくして支配下に入り、マインドコントロールされた状態になることもあります。

妻が思い通りにならないと、そのたびにゴルフクラブでペットの犬を殴る夫もいます。相手が大切にしているものを傷つける行為もDVにあたります。妻を苦しめるために子どもを虐待する、特に女の子の場合は、妻の身代わりとして虐待される場合もあります。

DVから虐待の通告につながる

信田 2004年に児童虐待防止法が改正された後、子どもが同居する家庭内での配偶者に対する暴力も、子どもに著しい心理的外傷を与える言動だという文言が付け加えられました。

2012年から警察庁は「面前DV」という言葉を使い、DVで110番通報を受けた警察が駆け付けたときにそこに子どもがいれば、「心理的虐待(面前DV)」として児童相談所に通告するようになりました。

2018年上半期には、警察が児童相談所に通告した子どものうち45.5%が面前DVによるものでした。児童虐待の通告人数が右肩上がりに増えている主な要因は、面前DVの通告の増加なのです。

「面前DV」の通告がこれだけ多い時代にも関わらず、DVの被害者である母親が、虐待の行為に加担したということで加害者として逮捕されたのです。

犬山 確かにDVに関しての検証や報道は少ないように感じますね。

信田 心愛さんの母親は児童相談所などにDV被害を訴えていたと報じられていますが、母親がDVの被害者支援員や支援団体につながったという情報は現時点ではありません。

東京都目黒区で、両親から虐待を受けていた船戸結愛ちゃんが亡くなった事件を思い出してください。父親が虐待をする。母親が従う。一時保護と保護解除がされている。転居する。女の子が亡くなるーー。

このような条件がそろった虐待は、実はたくさん起きています。目黒も千葉も、そこにいくつかの偶然が重なったために最悪のケースになったわけです。再発を防ぐには、DVという視点を持って、母子を保護することが急務です。
.

家庭内の問題に関知しない

眞鍋 政府は、目黒の事件を受けて2018年7月に策定した「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」を、千葉の事件を受けてさらに徹底するよう呼びかけています。児童虐待に関しては、児童福祉司の増員や専門性の強化、関係機関との情報共有などが対策に盛り込まれ、すべての虐待ケースの安全確認をすることにもなりました。一方、DVに関してはどうなのでしょうか。

信田 日本では、家庭内の問題には関知しないという前提で法制度ができており、虐待の対策でさえ不十分です。残念ながら、DV対策のほうはさらに輪をかけて不十分といえます。

児童虐待の相談先は児童相談所ですが、DVの相談先は、都道府県などが設置している女性相談センターや男女共同参画センター、福祉事務所などが「配偶者暴力相談支援センター」の機能を果たしています。ただ、支援員の多くは週2日勤務だったり、フルタイムではなかったり。待遇改善が必要だと感じています。

児童虐待については児童福祉司による一定の介入が認められており、警察との連携も進んでいます。一方DVについては、被害者支援と警察の連携が取れているとは言いがたいです。

なぜDV対策が不十分なのか

信田 被害者が子どもではなく大人だというのが大きいです。虐待の対策をすると多くの人に支持されるけれど、DVの対策は当事者以外から「よくやった」という声が上がりにくい。なぜなら「子どもの命を救う」というような、いわばヒューマニスティックな満足感や感動が、DVにはないからです。

眞鍋 子どもなら一時保護という形で、強制的に加害者(親)と引き離すことができるけれど、大人の場合、「大丈夫です」と言われてしまうとそれ以上は介入ができないという事情もあるのでしょうか。自らSOSを出してくれない限りは助けられないという。

信田 母親が「大丈夫です」と言ってしまうのは、子どもの問題は母親の問題だと母親を責める論調があるからでしょう。

なぜ逃げないのか。なぜ助けを求めなかったのか。なぜ命をかけてまで子どもを守らないのか。そんな問いは、母親本人にしてみれば最も残酷です。

DVを受け続けていると、今日をなんとか生き延びたい、この瞬間をどうにかやり過ごしたいという思考になり、助けを求めることなんて考えられないような心理状態に追い込まれるわけですから。

皮肉にも、昨年から今年にかけて父親による虐待が明るみになったことで、ようやく母親だけの問題ではないのだということが認識されるようになってきました。
.


「助けて」と言えなくて。子ども虐待と、もうひとつの暴力のこと


のぶた・さよこ / 1995年に原宿カウンセリングセンターを設立。親子・夫婦関係、アディクション(嗜癖)、暴力、ハラスメントなどの問題に関するカウンセリングを行っている。著書に『母が重くてたまらない』、『加害者は変われるか?』など


すぐに逃げろと言われても......

犬山 夫に殴られているという子育て中の母親のツイートを見かけたので、DMで配偶者暴力相談支援センターなどの相談先を伝えたことがあります。その方はすでにセンターに相談をしていましたが、行政や警察の対応に不信感を持っていました。どうやら、誰かに通報されて警察が介入したとき、火に油をそそぐような対応をされたらしいのです。

信田 いったん不信感を持ってしまうと、二度と行政や警察に頼れなくなってしまうケースはあります。相談機関に電話すると「すぐに家を出るように」と言われるけれど、子どもが受験生だったりペットがいたり、さまざまな事情があってすぐに逃げられない人はたくさんいます。

逃げる以外に選択肢がないなら自分はどうすればいいんだ、どうせ誰も助けてくれない、と相談することを諦め、心を閉ざしてしまう人もいます。

眞鍋 子どものために自分さえ我慢すればいい、と考える人もいるでしょうね......どうすればいいんでしょうか。

信田 DVから逃れようとするとき、多くの人は必ず戻ることを考えるんですね。逃げた後に加害者が逮捕されるのでなければ、戻ってから報復されたり、次はもっと巧妙な形で自宅から出られないようにされるかもしれません。戻った時のことを考えると、怖くて逃げられない、と。

それでも、一晩でいいから家を出たほうがいいとアドバイスしています。

1泊できるくらいのお金を常に財布に入れておき、すぐに逃げ込めるビジネスホテルの目星をつけておく。そしていざ家を出るときには、相手に手紙を残したりLINEで送ったりできるように、文章のフォーマットを作っておくのです。

「あなたの暴力に耐えられないので外で一晩、過ごします。必ず帰るので、その間にあなたも自分がした行為について考えてください」といった文面です。

なぜそれが効果的なのかというと、DV加害者が怖がるのは警察ではなく、パートナーがいなくなることなんです。愛していないわけではなくて、むしろ自分のことを最もよくわかってくれ、最も支配できる相手だからこそ、暴力をふるうのです。加害者なのに自分こそが被害者だと思い込んでいることさえあるので、いったん距離を置き、ひどいことをしたのだと気づかせる必要があります。


このままでは子どもも親も救われない

犬山 DVをなくすことが子どもへの虐待をなくすためにまず大事だと感じるのですが、具体的にはどういう支援が必要なのでしょうか。

信田 被害者に逃げろというだけでは限界があるので、加害者へのアプローチが必要です。DV加害者には再発防止プログラムを受けてもらい、あなたがやった行為は100%あなたの責任であり、いかなる理由であろうと暴言、暴力の手段を使ってはならない、と伝え続けるのです。

また、命に関わることなので、警察とDV被害者支援団体の連携も必要です。

そして最も効果があるのは、一般の人たちの感覚による発信です。こうした事件があるたびに、「このままでは子どもも親も救われない、手を差し伸べたなければ」と声をあげることが、DVをなくし、子どもを守れる社会に近づく一歩だと思います。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c238

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