23. 2010年10月26日 00:12:00: B5offegeiY
阿修羅さんへ
-----------
中日新聞 2010/10/15 朝刊 新聞報道のあり方委員会(新聞週間の特別記事)
「取材現場から 特捜神話崩壊(東京社会部 小嶋麻友美)」より全文掲載
『検察を監視する覚悟』
厚生労働省元局長、村木厚子さんの無罪が確定した文書偽造事件に絡み、大阪地検特捜部の捜査対象となった企業関係者の口調は、ジョッキのビールを飲み干してますます鋭くなった。
「当時取材に来たメディアの中には、村木さんが関与したという特捜部の構図を疑っている記者もいた。なのになぜ、書けなかったのか」
村木さんの無罪判決と主任検事の証拠品改ざん事件は検察への信頼を失わせた。同時に、特捜部の旗振り役と化したメディアにも批判が向けられている。
東京地検特捜部の事件を取材する中で、時に感じた疑問を苦く思い出す。専門的な商取引をめぐる事件では、特捜部の描く構図より企業側の主張の方が筋が通っている、と思った。「被告を怒鳴ったことはない」。取調べ担当検事の法廷での証言は、事前の取材で特捜部関係者から聞いた話と違っていた。
書けなかったのは、検察の大義を過信していたせいだ。メディアは、政官財の不正を監視する役割においては特捜部と同じ方向を向いている。そのことに間違いはないが、そもそも検察自体を監視していくこともメディアの使命だ。
昨年来、相次ぐ検察審査会の起訴議決は、「黒白を付けるのは公の法廷で」という無罪推定の原則をあらためて示した。裁判員裁判では法壇に座った市民たちが、予断を持たず、法廷に出された証拠だけで判断しようと懸命に努力している。
根幹から変わり始めている刑事司法。これまで以上に捜査当局と被疑者側の対等報道に取り組む覚悟と実行力が求められる。
特捜事件をどう報じるべきか。取材する側には、検察に食い込む努力をする一方で、検察情報を絶対視しない姿勢がこれまで以上に必要だ。
その上で一層、事件の周辺を広く深く取材することで真実が見えてくるはず。何より大切なのはそれを忠実に伝える勇気なのだと思う。
----------
特捜部の構図という状況は、小沢氏の「西松献金疑惑に発する取調べから表れた、一度しかなされていない単なる『農地法による登記時期のズレ(と言われていますが詳しくはどうなんでしょ?)』を起訴相当とすることを理由に、市民から選ばれたとは名ばかりの『検察審査会』(平均年齢30〜35歳、幅は度重なる年齢修正による。実際の有権者の平均年齢は50代で、70歳以上の辞退を入れてもせいぜい40代になるのは明白でこの変動は「審査会など存在しない!!」ことによるものであろう)によって強制起訴された件」も同じですよね。
つまり、この記者の論調なら小沢氏の特捜捜査から続く検審の強制起訴も「勇気を持って、疑ってかかるべき」であるわけです。
しかし、この記者は『昨年来、相次ぐ検察審査会の起訴議決は、「黒白を付けるのは公の法廷で」という無罪推定の原則をあらためて示した。』と述べています。ここに大きな論理的矛盾が生じているのです。
無罪推定とは「捜査を受けたり起訴された段階でマスコミや市民が取る立場であって、裁判に持ち込むことはないと考えること」です。なぜなら裁判にするのは「有罪にするため」であって、裁判を起こさなければ「有罪にはできない」からです。
記者クラブで大林検事総長が話した「起訴に足る証拠はない」という言葉をご存じありませんか?
記者クラブに所属しているメディアがこれを無視しつづけながら、「権力の監視」「報道の自由」を言うのは間違っていますよね。
裁判では証拠がなければ有罪にはできません。しかし、強制起訴したということは「有罪にしたい」「有罪に違いない」という『思い込み』が存在している事は分かりますよね。
全ての報道(インチキCIAメディアである読売産経新潮文春等の一部は除く)は「無罪を前提にした報道」をしなければいけないのです。
(そうでなければ報道は信用を失います。これは因果の法則ですから、はっきり言えば自業自得です。読売産経は設立経緯により最初から信用などありません。)
戦前の「嘘で塗り固められた政治」によって大勢の命が失われました。そして、日本はアメリカへと売り渡されました。
今、再びインチキ政府が負け戦をしています。しかし、これは国民が動きさえすれば止められるものです。
彼らは「神に従って」この負け戦をしているようですが、私は神を恐れませんから(というより、神は単なる生き物ですから)これを止めなければ私は幸せになれないと思って「無償で」動いているのです。
仏教では共存の考え方が競争の考え方に負けたとき人類が滅亡すると説いています。(スマナサーラ長老の書による)
「悪人でも幸せに生きる権利がある」ことを認めなければ、あなたの幸せに生きる権利も剥奪されます。
(べつに小沢氏が悪人であるというわけではありませんので、勘違いなさらないようお願いします。)
これはこの世界の「生命ネットワーク」が起こす因果ですから、避けることはできません。
(五戒等を守れば因果を和らげることはできますけどね。)
今の世の人は(それどころか神という生き物も!)この生命ネットワークシステムに逆らって生きています。だからいくらあがいても「幸せにはなれない」のです。
(宇宙の大原則である因果法則が最初に存在しているのです。その中で生まれたのが「神(々)」であって、神も輪廻システムの一員でしかありません。他の多くの生物と同じ立場に過ぎません。)
この生命ネットワークシステムに従って生きてください。そうすれば自然にあなたも幸せに生きられるようになりますよ。
小沢氏も誰かの(逆)恨みを買っているようですが、恨むこと=怒ることは、その人自身の悪因果を積み重ねることになり、不幸をもたらします。
自分が幸せになるかどうかコントロールできるのは、自分自身しかありません。
恨むのはそろそろやめたほうがいいと思います。人間界より低レベルとされる「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」に堕ちることになるかもしれませんよ。(「阿修羅道」は除いておきますね。)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/147.html#c23