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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100433
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[近代史4] 朝鮮は儒教国家、儒教を知らないと朝鮮人の行動様式は理解できない 中川隆
4. 中川隆[-11304] koaQ7Jey 2020年9月19日 17:07:48 : M1Y1DSUrM2 : dVcuMm9ISmM2Z3c=[5]

 あるカンパより…… 2020年09月19日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1253.html
 
 また無記名のカンパが届きました。誌面を借りて深くお礼申し上げます。
 ただ、添付手紙に、若干気になる記述があったので、説明させていただきます。

 以下、手紙から引用

 【韓国=儒教については、いささか違和感がありまして、儒教は朴正熙以前のことであり、金大中や途中を飛ばして、現在の文在寅ではアメリカから独立を勝ち取って、日本が到底追いつくことのできない民主主義の国になっっていると感じています】

 引用以上=
 と書かれていましたが、儒教の影響は、我々の想像を遙かに超えて巨大なものであり、「国家権力と統治」ある限り、類似した思想は、永久に続くものと考えています。

 そもそも、儒教が成立したのは2500〜2300年前、春秋時代の孔子と、その数百名の弟子たちによるものとされていますが、4000年前の夏・殷・周の王朝の頃から、すでに、母系氏族社会が崩壊し、男系氏族=封建社会が成立した可能性があります。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90

 これらの歴史の総括から「書経」(尚書)が2700年以上前に成立していて、そのエッセンスに、「牝雞之晨」(ひんけいのしん)という男尊女卑の思想が明記されていて、その意味は、「女性が活躍すれば国が滅びる」という意味です。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E7%B5%8C#:~:text=%E3%80%8E%E6%9B%B8%E7%B5%8C%E3%80%8F%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86,%E3%81%AE%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

 孔子は、頻繁に書経から引用を行い、論語に記載していて、儒教思想の根幹の多くを書経から得ている可能性があります。
 私が考えるに、儒教思想は、国家権力を維持すべき論拠を明らかにしたものではありますが、それは母系氏族社会の崩壊=男系氏族社会(王朝の成立)の変遷のなかで、「誰でも対等・平等」という自然な考え(原始共産制)を否定し、家の権威と継承を前面に出し、それによって国家権力を正当化するための理屈をならべたものだと思います。

 したがって、東アジアでは、国家権力と、孔子儒教が一体となって、国家を成立させてきたと考えられます。
 実際に、儒教の影響は、つい戦前に至るまで、本家の中国、朝鮮、ベトナム、日本において、強力な国家主義の価値観を成立させてきました。これらの国では、儒教と一体化している男尊女卑思想が浸透し、女性の権利は軽視されてきました。

 儒教は、朝鮮半島において、非常に特異な独自の発展を遂げて、現在の朝鮮文化の基礎をなしています。
 これを体系として持ち込んだのは、(南北朝時代の)李成桂という李朝初代王です。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82#:~:text=%E5%9B%BD%E5%8F%B7%E3%81%8C%E3%81%BE%E3%81%A0%E9%AB%98%E9%BA%97,%EF%BC%88%E9%87%91%E9%87%8E%E9%83%A1%EF%BC%89%E3%81%AE%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%80%82

 これもまた徹底した封建制=男尊女卑思想に貫かれ、根底にある女性差別から、無数の派生差別が成立し、朝鮮半島では差別と序列だらけの奇っ怪な観念国家となってしまいました。
 北朝鮮では51もの階級に分化し、階級が一つでも違えば、互いに見下し、嘲笑し、妬むという独特の朝鮮文化を継承しています。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E8%BA%AB%E6%88%90%E5%88%86

 朝鮮で著しい階級階層分化と差別が成立した事情は、おそらく朝鮮族が、かつて沿海州(濊)にいたオロチョン族、エベンキ族が西進して新羅に入り、現在の朝鮮人の先祖となったため、濊文化が、そのまま儒教と融合したせいではないかと考えます。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%8A

 オロチョン・エベンキは、狩猟漁撈民族で、非常に残酷であったと記録されています。日本海北部が凍結すると、北海道にも渡ってきて、アイヌを皆殺しにした事件が、ユーカラに記録されています。

 何度も書きましたが、儒教の本性は、見栄、体面、メンツの文化で、自分たちの権力を神格化し、権威の虚構に陶酔していたいという、いわば妄想の世界の住人たちです。

 蘇る儒教の迷妄 2018年04月28日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-329.html

 儒教国は見栄とメンツだけで成立している。中身は空っぽ、本当に何もない……2019年11月01日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-922.html

中国共産党が絶賛する孔子の思想 2020年06月27日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1168.html

 私は、アマチュア無線をやっていたので、電磁波には詳しい方ですが、ソチ五輪で、真央がSPで奇っ怪な転倒を重ねた競技を見ていて、瞬時に、これが電磁波による真央への陰謀攻撃であると理解しました。
 
 キューバ米大使館へのマイクロ波攻撃と、ソチ五輪における浅田真央の不調 2018/09/03
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/?mode=m&no=468

 韓国という国は、国のメンツのためなら、どんな陰謀、不正でもやってのける体質があります。これが儒教のメンツ思想から来ているのは明らかです。
 http://oshima-h.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-6e57.html
 オリンピックや国際競技で、韓国が世界中から鼻つまみになっていることはご存じでしょう。
 https://www.youtube.com/watch?v=RzaieDZSmXo&ab_channel=koutya0734

 これは、朝鮮・韓国人が、見栄のためなら、どんな嘘・インチキでも許されると洗脳されているからです。
 また、これらの非合理な思想性の根底にある「最初のボタンの掛け違い」は、私は、儒教がもたらした女性蔑視、男尊女卑社会にあると考えています。
 https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section2/2004/07/post-155.html

 すべての差別の根底に「女性差別」があるのです。朝鮮社会は「女性は子を産むための道具」としてしか見ない封建主義であり、韓国人と結婚した日本人女性の大半が、「家のために奉仕する思想」を強要され、日常的なDVも相まって、嫌気がさして離婚してしまいます。(統一教会から送り込まれた女性たちは、カネを取り上げられ、事実上の性奴隷監禁状態にあるそうです)

 日本でも戦前の大政翼賛思想の下で、自由人であった金子みすゞは自殺に追い込まれましたが、韓国では女性の自殺が極めて多いことが特色です。
 私の知る韓国女性も、韓国での女性蔑視に嫌気がさして日本に来たと言っていました。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA

 儒教思想による影響は、「朴正熙以前まで」というような小さく軽いものではありません。それは数千年にわたって東アジアの人々を拘束してきた封建思想であり、儒教による封建制度から解放されて、人々が真の自由を獲得できるのは、まだまだ先のことです。

 日本ですら、男性優位、女性軽視の思想が国会議員や企業経営者の脳味噌にこびりついて離れないでいます。
 女性だって、「性的愛玩動物」のような扱いでちやほやされるのではなく、子供の頃から「一人前の働き手」として、責任を持った生活をしてきた(例えば、おしんのような)女性たちは、人間性にも優れ、また技能も体力も視野も男以上に大きい人たちがザラにいるのです。

 こんな女性たちが、会社を経営し、議員や長官になり、医療の主役を担えば、日本は素晴らしい国になるでしょう。
 以上、儒教は死んでいないどころか、まだまだ長い間、我々を苦しめるにちがいないことを書いておきます。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1253.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/564.html#c4

[近代史4] 黒沢清 カリスマ (日活 1999年)
黒沢清 カリスマ (日活 1999年)



監督・脚本:黒沢清
撮影:林淳一郎
音楽:ゲイリー芦屋



『カリスマ』は、1999年制作の日本映画。


黒沢清監督・脚本、役所広司主演の日本映画である。黒沢・役所コンビとしては『CURE』、『ニンゲン合格』に続く3作目。役所主演の黒沢映画としては2作目である。


カンヌ国際映画祭で1999年5月17日に上映され、同年12月8日に製作国の日本に先駆ける形でフランスで劇場公開された。日本における劇場初公開は2000年2月26日。脚本自体はサンダンス・インスティテュートのスカラシップを獲得したが、長らく製作は実現されなかった。そのせいか内容はサンダンスでのスカラシップ獲得時のものと大きく異なっている。


一本の木を巡る人々の対立というストーリーの着想自体は、インディ・ジョーンズの中の宝の奪い合いからヒントを得たらしい(宮台真司との対談より)。しかし、本作の様相はインディ・ジョーンズのそれとはかけ離れたものとなっている。意味深で難解な映画であるが、シネフィルの間では評価は高く、『CURE』に次ぐ黒沢清監督の代表作と言われている。


あらすじ


ある青年が人質篭城事件を起こし、その事件を担当した刑事・薮池五郎(役所広司)は犯人と人質を両方死なせてしまい、心に深い傷を負う。上司から休暇を言い渡された薮池は、ある森で不思議な一本の木を見つける。その木は根から毒素を分泌し、周囲の木々を枯らしてしまう奇妙な木で「カリスマ」と呼ばれていた。他の木々を守るためカリスマ伐採を主張する中曽根(大杉漣)達であったが、カリスマを守ろうとする青年・桐山(池内博之)に妨害され、「カリスマ」を巡って住人たちは次第に対立の度を深めていく。



キャスト


役所広司:薮池五郎
池内博之:桐山直人
大杉漣:中曽根敏
風吹ジュン:神保美津子
洞口依子:神保千鶴
松重豊:猫島
塩野谷正幸:部長
大鷹明良:坪井達夫
目黒幸子:華子
吉田淳:西
田中要次:杉下
稲村貢一:青年
永田正明:代議士
戸田昌宏:若い刑事
川屋せっちん、三浦景虎、ジーコ内山、宮下周邦、山崎豆造、大迫茂生:作業員
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1035.html

[近代史4] 中川隆 _ ホラー映画関係投稿リンク 中川隆
2. 中川隆[-11303] koaQ7Jey 2020年9月19日 17:32:15 : M1Y1DSUrM2 : dVcuMm9ISmM2Z3c=[7]
黒沢清 カリスマ (日活 1999年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1035.html

黒沢清 LOFT ロフト (日活 2005年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1034.html

黒沢清 学校の怪談 木霊(関西テレビ 1998年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1033.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/193.html#c2

[番外地8] 慰安婦を運んだのは日本軍だし、慰安所も日本軍の建物だよ

慰安婦を運んだのは日本軍だし、慰安所も日本軍の建物だよ
業者は単に日本軍から業務委託されただけだ


どちらにしろ未成年者を慰安婦にしたのは死刑相当の犯罪だからね
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/390.html

[番外地8] 明治初めのアイヌ人の人口は17000人 現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代

で?
アイヌ部族は現存するのかい?



明治初めのアイヌ人の人口は17000人
現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代
つまり、アイヌの人口は昔より激増していて純粋アイヌの人数も江戸時代と変わらない
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/391.html

[番外地8] 明治初めのアイヌ人の人口は17000人 現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代 中川隆
1. 中川隆[-11302] koaQ7Jey 2020年9月20日 06:49:32 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[1]
明治初めのアイヌ人の人口は17000人
現在のアイヌ人は日本人とのハーフが10万人、純系のアイヌ人が1万人代
つまり、アイヌの人口は昔より激増していて純粋アイヌの人数も江戸時代と変わらない
アイヌ人が狩猟生活をしていた時は嬰児殺しや産児制限で人口を増やさない様にしていたけど、最近は人口調整していないから人口が増えたんだ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/391.html#c1
[近代史5] ネオコンの中核メンバー 中川隆
10. 中川隆[-11301] koaQ7Jey 2020年9月20日 07:13:12 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[3]

2020.09.20
シリアでロシア軍のパトロール隊に対し、米軍ヘリが挑発的な飛行
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009200000/

 ​シリアの北東部でパトロールしていたロシア軍の車列を2機のアメリカ軍のヘリコプターAH-64が接近して追尾​、そうした挑発的な行為をロシア軍のヘリコプターMi-35とMi-8が止めさせるという出来事が9月16日にあった。

 ドナルド・トランプ大統領はアメリカ軍をシリアから撤退させるかのような発言をしてきたが、実態は逆。例えば、イドリブでアル・カイダ系武装勢力が統合されてファスバトゥなる組織が編成され、資金や武器/兵器はNATOから提供されると言われている。またクルド勢力の統合を進めるため、PYNKなる組織が5月20日に作られた。

 シオニストの一派であるネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル政権を樹立、シリアとイランを分断して個別撃破するという計画を持っていた。

 ところが、ジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベイカーを含む勢力はフセインをペルシャ湾岸産油国の用心棒と考えていたことからアメリカ支配層の内部で抗争が勃発する。そこで暴露合戦が始まり、イラン・コントラ事件やイラクゲート事件が浮上したわけだ。

 アメリカ軍が主導する連合軍は1991年1月から2月にかけてイラクを攻撃したが、その際にブッシュ大統領はフセイン体制を倒さなかった。そこでネオコンは激怒、戦争が終わった直後、国防次官のポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたという。本ブログでは繰り返し書いてきたが、これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官の話である。(​3月​、​10月​)

 1991年12月にソ連が消滅、翌月の2月に国防総省のDPGという形で世界制覇プランがネオコンのウォルフォウィッツ国防次官を中心に作成された。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。新たなライバルの出現を阻止する一方、権力の基盤になるエネルギー資源を支配しようと考えたのだ。

 アメリカが考えた潜在的ライバルには西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアなどが含まれるが、特に警戒したのは中国。そこから東アジア重視という政策が出てくる。産油国でアメリカに近いベネズエラが狙われるのも必然だ。

 ウォルフォウィッツと同じようにネオコンの中心グループを形成していたリチャード・パールやダグラス・フェイスたちは1996年に「決別(A Clean Break: A New Strategy for Securing the Realm)」という文書を公表、その中でも、イスラエルはトルコやヨルダンと手を組んでシリアを包囲して弱体化、フセインを排除すべきだとネオコンは主張している。勿論、その先にはイランの体制転覆がある。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンはロシアがアメリカの属国になったという前提で作成されたのだが、21世紀に入り、ロシアが曲がりなりにも再独立したことから揺らぐ。

 それを修正しようとしたのか、ネオコンは2014年2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、その年の9月から12月まで香港で反中国の「佔領行動(雨傘運動)」を展開させたが、これが裏目に出る。ロシアと中国を接近させることになったのだ。

 2014年にアメリカはシリアのダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を売り出す。ダーイッシュもサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装勢力だが、​2012年8月の段階で、バラク・オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告​していたマイケル・フリンDIA局長は2014年8月に退役させられている。

 ダーイッシュの残虐性を演出してアメリカ軍の介入を容認する雰囲気を作り出す一方、2015年には2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代した。

 ヘーゲルは戦争に慎重だったが、カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。シリアからバシャール・アル・アサド大統領を排除しようとしていたバラク・オバマ大統領とは違い、サラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていたデンプシーはシリア政府と情報を交換していたと言われている。

 統合参謀本部議長が交代になった時点でアメリカはシリアでもリビアと同じように空爆を始めると見る人は少なくなかったが、その直後、9月30日にロシアはシリア政府の要請を受けて軍事介入、ダーイッシュを敗走させる。アメリカは大規模な軍事介入できなくなった。そこで地上軍をこそこそと侵入させ、敗走したダーイッシュに替わり、クルドを使い始めた。

 アメリカはバラク・オバマ政権もドナルド・トランプ政権も1980年代にネオコンが立てていた戦略に基づいて動いている。次の大統領選挙で誰が当選しても、この戦略から逃れることはできないのだろう。をこそこそと侵入させ、敗走したダーイッシュに替わり、クルドを使い始めた。

 アメリカはバラク・オバマ政権もドナルド・トランプ政権も1980年代にネオコンが立てていた戦略に基づいて動いている。次の大統領選挙で誰が当選しても、この戦略から逃れることはできないのだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009200000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/262.html#c10

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
22. 中川隆[-11300] koaQ7Jey 2020年9月20日 07:26:42 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[5]

2020年09月20日
輸出するとGDPが増えるという迷信、輸出大国なんか無い

一日働いても一日遊んでも同じようにGDPに貢献します。
GDPを下げているのは「節約して消費しない人」


輸入は悪で輸出が正義?

最近のニュースでテントの輸入量が過去最高となり、空前のキャンプブームを裏付けているというのがありました。

「ゆるキャン」でキャンプ女子が増え、田舎のキャンプ場は休日は予約で満員の場合もある。

何度かのアウトドアブームでキャンプ場が整備され、何も持たずにキャンプを楽しめる施設も増えた。

一泊数千円と料金はビジネスホテル並みだが、シャワーや温泉、食材まで用意するキャンプ場もある。

自前で全て用意する格安キャンプ場もあり、数百円と格安だがせいぜい水場とトイレがあるだけの施設もある。

格安キャンプ場は村営など公営施設に多く、本気度が低いのかあまり力が入っていない。


大阪税関の2019年テント輸入量は前年比28%増の約1万トンで過去最高、輸入額も同36%増の約118億円で過去最高だった。

さて今回の話題はキャンプではなく、輸入も輸出と同じように経済に貢献しGDPを増大させているという現実についてです。

日本では「輸出は経済にプラスだが輸入はマイナス」、輸入するとGDPが減るので国産化したほうが良いと考える人が多い。


政治家や官僚、経済評論家やテレビタレントまでこう思っている人が多く、宗教か信仰の域にまで達している。

学校の教科書や経済本にも「輸入はマイナス」と書いてあり、その出どころはどうも旧通産省や大蔵省の資料らしい

GDP(国民総生産)の統計を取るのに国内生産を合計し、その後輸出を足して輸入を引くと合計が出ます。

GDPをめぐる迷信

だがら「輸出はGDPにプラス、輸入はマイナス」と言うのだがこれは計算上の方程式に過ぎません。

本当に輸入がGDPを減らすなら世界最大の貿易赤字のアメリカは、アフリカ並みの貧困国家になっている筈です。

現実の世界では経済上位で貿易黒字なのは中国、日本、ドイツ、加えて韓国くらいです。


他のサミット参加国や経済上位国はすべて貿易赤字だが、誰も困っていません。

むしろ貿易赤字国の方が日本より生活水準が高く、良い家に住んで良い生活をしています。

輸出は例えば国内工場でテントを生産して1個2万円などで輸出するが、実際に製造しているのは中国やアジアの新興国です。


テントなどの商品は先進国で製造すると高コストなので、1日1000円以下の賃金の国で製造しています。

もしテントの輸入を禁止してすべて国産化したら、日本人は一日数百円の給料でテントを製造しなくてはならなくなる。

戦時中の日本が正にこれで、輸入がストップしたので女学生まで動員してテントやパラシュートを作らせた。


一方輸入でGDPが本当に減るのかですが、輸入品は輸入価格の2倍から10倍もの値段で販売されています。

テントにしたって輸入原価は販売価格の半分程度の筈で、販売後はキャンプやレジャーで使用されGDPを生み出します。

例えば牛丼に100gの輸入牛肉が入っているとすると、輸入原価はせいぜい牛丼の価格の10%程度です。


牛肉の輸入価格が50円で牛丼が500円なら、100gの牛肉は国内で10倍もの付加価値を生み出しています。

このように輸入したものはGDPから差し引いた何倍ものGDPを国内で生み出すから、むしろ輸出よりGDPに貢献しています。

だから世界最大貿易赤字のアメリカはどんどん豊かになり、世界最大貿易黒字を誇っても、生活はどんどん貧しくなるのです。


輸出国の人は安いテントを製造するために一日数百円の給料で働き、アメリカ人はそのテントで自然公園に出かけてバーベキューで遊んでいます。

一見輸出国のGDPが増えてアメリカは減っているようですが、実はバーベキューで遊んでいるアメリカ人のほうがずっとGDPを増やしています。

一日1000円で働くより、一日1万円を浪費した方がその国のGDPは増えるからです。
http://www.thutmosev.com/archives/83934117.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html#c22

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
135. 中川隆[-11299] koaQ7Jey 2020年9月20日 07:32:59 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[6]

2020年09月20日
最近のニュースでテントの輸入量が過去最高となり、空前のキャンプブームを裏付けているというのがありました。

「ゆるキャン」でキャンプ女子が増え、田舎のキャンプ場は休日は予約で満員の場合もある。

何度かのアウトドアブームでキャンプ場が整備され、何も持たずにキャンプを楽しめる施設も増えた。

一泊数千円と料金はビジネスホテル並みだが、シャワーや温泉、食材まで用意するキャンプ場もある。

自前で全て用意する格安キャンプ場もあり、数百円と格安だがせいぜい水場とトイレがあるだけの施設もある。

格安キャンプ場は村営など公営施設に多く、本気度が低いのかあまり力が入っていない。


大阪税関の2019年テント輸入量は前年比28%増の約1万トンで過去最高、輸入額も同36%増の約118億円で過去最高だった。

国内工場でテントを生産して1個2万円などで輸出するが、実際に製造しているのは中国やアジアの新興国です。


テントなどの商品は先進国で製造すると高コストなので、1日1000円以下の賃金の国で製造しています。

もしテントの輸入を禁止してすべて国産化したら、日本人は一日数百円の給料でテントを製造しなくてはならなくなる。

戦時中の日本が正にこれで、輸入がストップしたので女学生まで動員してテントやパラシュートを作らせた。


一方輸入でGDPが本当に減るのかですが、輸入品は輸入価格の2倍から10倍もの値段で販売されています。

テントにしたって輸入原価は販売価格の半分程度の筈で、販売後はキャンプやレジャーで使用されGDPを生み出します。

輸出国の人は安いテントを製造するために一日数百円の給料で働き、アメリカ人はそのテントで自然公園に出かけてバーベキューで遊んでいます。

一見輸出国のGDPが増えてアメリカは減っているようですが、実はバーベキューで遊んでいるアメリカ人のほうがずっとGDPを増やしています。

一日1000円で働くより、一日1万円を浪費した方がその国のGDPは増えるからです。
http://www.thutmosev.com/archives/83934117.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c135

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル


2020年09月18日
裏舞台で蠢くユダヤ人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827457.html

「救国の英雄」と讃えられたウィンストン・チャーチルは、大英帝国の墓掘り人で、祖国を衰亡に導いた張本人である。しかも、ヒトラーと同じくらいのレイシスト。毒ガス攻撃を躊躇わなかったし、インド人の大量餓死も平気であった。ドレスデンの空爆は、まさしく冷酷無情な「ホロコースト」で、後世に残る大虐殺。でも、チャーチルの評価は今でも高い。マスコミの意向が如何に大切かがよく分かる。

  世に出回る歴史教科書とか通史の類いは、大抵“左巻き”のバイアスがかかかっており、歐洲のユダヤ人を迫害したヒトラーは絶対的な極悪人で、その独裁者を倒したチャーチルは正義の味方となっている。しかし、歴史の真相は複雑怪奇で、世間に広まっているヒトラー像は左翼学者やユダヤ人による宣伝と考えた方がよく、すんなりと納得できるものではない。それと同じく、チャーチルについての英雄伝も政治宣伝の部類に属し、“不都合”な箇所は削除されるか曖昧にされているのが現状だ。ブリテン以外でも知られているユダヤ人学者のマーティン・ギルバート(Martin Gilbert)なんかは、チャーチル礼讃の代表格。彼の代表的な著書『Churchill and the Jews』を繙けば、アッと驚くような情報がたくさん詰まっている。でも、なぜか日本で翻訳されておらず、ポール・ジョンソンとかボリス・ジョンソンの翻訳書くらい。日本人の本だと、河合秀和か木畑洋一の伝記ていど。日本の出版業界や歴史学会は左翼の巣窟だから、彼らの意向に沿わない洋書や主張を覆す書物は決して紹介されることはない。つまり、歐米保守の言論界に疎い一般人は、赤い世界だけを教えられていることになる。

Churchill 0034Martin Gilbert 2Andrew Roberts 01


(左 : ウィンストン・チャーチル / 中央 : マーティン・ギルバート / 右 : アンドリュー・ロバーツ )

  非ユダヤ系の歴史家としては、アンドリュー・ロバーツ(Andrew Roberts)が有名で、彼の著作『Hitler and Churchill』および『Churchill : Walking with Destiny』は世界中で読まれているそうだ。彼も熱心なチャーチルの肯定派で、歐米のユダヤ人から好まれている。一応、ロバーツ氏はマーガレット・サッチャー首相を応援した保守系知識人と思われているが、その雇い主を調べると、「なんだ、世論操作の駒か !」ということが判る。彼は二つのシンク・タンク、すなわち『Centre for Public Studies』と『Centre for Social Cohesion』に属しており、これらの研究機関は形式上、「保守派シンクタンク」となっている。が、その創設者や資金の流れを辿ると、「あれっ!」と驚くような事実に気づく。

  先ず、『Centre for Social Cohesion』は、大手シンクタンクの『キヴィタス(Civitas)』が傘下に収める研究機関だ。そして、この『Civitas』はもう一つ別のシンクタンク、『Transparify』から資金を得て運用されているそうだ。さらに、この『Transparify』を設立した人物がおもしろい。なんと、ユダヤ人の大富豪ジョージ・ソロスが創設した『オープン・ソサエティー財団(Open Society Foundation)』が資金源(パトロン)となっていたのだ。末端の保守派シンクタンクが極左グローバリストの投資家から「お金」を貰っていたなんて、世の中は本当に分からない。

  もう一つのシンクタンク『Centre for Public Studies』は、マーガレット・サッチャー首相と、その内閣で教育・科学大臣を務めたキース・ジョセフ卿(Sir Keith Joseph)、ならびに政治アナリストでジャーナリストのアルフレッド・シャーマン卿(Sir Alfred Sherman)によって設立されたそうだ。日本ではあまり知られていないが、保守派の大御所だったサッチャー夫人は、ユダヤ人が多い選挙区から出馬し、大臣となってからもユダヤ人の支援が絶えなかった。つまり、表向きは冷戦の鉄血宰相でも、裏ではユダヤ・ロビーの世話になっていた、ということだ。だいたい、強力な支持基盤無しで、あのような出世が可能と思う方が間違っている。ヤクザなら「サッチャーの“ケツ持ち”は誰やねん?」と訊くだろう。

Margaret Thatcher 3Keith Joseph 2Alfred Sherman 3


(左 : マーガレット・サッチャー首相 / 中央 : キース・ジョセフ卿 / 右 : アルフレッド・シャーマン卿 )

  サッチャー首相と親しかったキース卿は、アブラハム・ジョセフの息子であったが、その母親サラ・ジョセフ(Sara Joseph)は裕福なグルックシュタイン(Gluckstein)家の娘であった。サラの父親であるサミュエル・グルックシュタイン(Samuel Henry Gluckstein)はタバコの製造業で財を成したユダヤ人。彼は『ザルモン&グルックシュタイン』社の共同創設者として有名だ。相方のバーネット・ザルモン(Barnett Salmon)は、ユダヤ移民の息子で、ロンドンのイーストエンド生まれ。そして、ビジネス・パートナーであるバーネットは、相棒の娘であるヘレナ・グルックシュタイン(Helena Gluckstein)と結婚。ユダヤ人というのは商売で繋がっている仲間と親戚となり、蜘蛛の巣のような閨閥を作ることが非常に多い。バーネットとヘレナの間には五人の子供が生まれ、次男のイシドール(Sir Isidore Salmon)は保守党の政治家となり、三男のハリー(Harry Salmon)はチェーン・レストランとして有名な「J.Lyons & Co.」の会長となった。グルックシュタイン家も異邦人の血統で、その祖先は1841年にドイツからブリテンにやって来たユダヤ移民である。

Samuel Gluckstein 1Barnett Salmon 01Harry Salmon 01Isidore Salmon 02


(左 : サミュエル・グルックシュタイン / バーネット・ザルモン / ハリー・ザルモン / 右 : イシドール・ザルモン )

  三番目のアルフレッド・シャーマン卿も中々興味深い人物で、これまたユダヤ人。彼は青年時代に共産党に属しており、スペイン内戦の時にはボランティアとして参戦した。まったく、ユダヤ人というのは本当に執念深い。イザベラ女王によって追放された時の屈辱を400年以上経っても覚えているんだから、朝鮮人と同じタイプの賤民である。しかも、根っからの根無し草。ユダヤ人は何処に暮らしていようが、どんな国籍を持とうが、心の祖国はイスラエルにある。アルフレッド卿は1950年代、イスラエルの経済顧問を務めたことがあり、デイヴィッド・ベン・グリオン首相とも親しかった。後に、『Jewish Chonicle』紙や『Daily Telegraph』紙で記者を務めたが、アルフレッド卿は政界に関心があったようで、ブリテンの保守党に入り、サッチャー首相の厚遇を得ている。ただし、彼の言論は激しかったので、『Centre for Public Stuies』の所長を努めるヒュー・トーマス(Hugh Thomas)の逆鱗に触れてしまい、研究所から追放されるという汚点があった。

映画監督は宣伝工作員だった !

Alexander Korda 2Maria Corda 2 (左 : アレクサンドル・コーダ / 右: マリア・ファーカス)
  随分と脱線したので話を元に戻す。チャーチルの礼讃者は本当に多いが、その中の一人にアレクサンドル・コーダ(Alexander Korda)がいる。彼はハンガリーで生まれたユダヤ人で、アメリカやブリテンで活躍した映画制作者として有名だ。このユダヤ人は第一次世界大戦が勃発した時、視力が弱いという欠点で運良く徴兵を逃れることができた。ただし、その代わりとして映画雑誌を刊行していたそうだ。(Jenni Frazer, "The Jewish director who kick-started British film --- and coordinated WWII spies", The Times of Israel, 5 January 2019.) やがて戦争が終わり、1919年になると、コーダは映画人としての基盤を築いていた。さらに、彼はハンガリー人女優のマリア・ファーカス(Maria Farkas)と結婚する。高橋伴明や篠田正浩と違い、アレクサンドル・コーダは女房を映画に使って有名にしていたそうだ。しかし、この夫婦はやがて離婚を迎えてしまった。(ちなみに、高橋監督の夫人は『太陽にほえろ !』に出演した女優の高橋恵子で、篠田監督の夫人は『極道の妻たち』でお馴染みの岩下志麻。)

  大戦前、ハンガリーは比較的ユダヤ人に対して寛容で、この異民族は結構な自由を享受していた。ところが、大戦後は世間の風潮が一変し、ユダヤ人への特殊な憎しみが沸き起こったそうである。コーダはある事が切っ掛けで逮捕され、ブダペストにある「ホテル・ゲラート」に監禁されるが、兄弟のゾルタン・コーダ(Zoltan Korda)が懇願したので釈放されたという。もし、この嘆願が却下されていれば、アレクサンドルは通常通り“処刑”されていたに違いない。反ユダヤ主義の嵐が厭になったコーダは、女房と共にハンガリーを去り、ウィーンやベルリンを経てアメリカのハリウッドへ移る。しかし、コーダはハリウッドでの映画制作に満足しなかった。そこで、制作会社の「パラマウント(Paramount)」は彼を英国に派遣し、そこで新たな映画を作らせることにしたという。

Claude Dansey 11(左 / クロード・ダンジー中佐)
  新天地のブリテンでコーダはその才能を発揮する。1933年、彼は『ヘンリー8世の私生活(The Private Life of Henry VIII)』という映画を作り、それが大ヒット。そして、名声を得たコーダは翌年、ウィンストン・チャーチルと交友を持ち、映画制作のアドヴァイザーとして未来の首相を雇ったそうだ。この時期、もう一人別のイギリス人がコーダの才能に目を附けていた。それがクロード・ダンジー中佐(Lieut.Col. Claude Edward M. Dansey)で、彼はローマに設置された英国諜報組織の支部長を務めていた。ダンジー中佐はコーダを「生まれながらのスパイ」と評し、彼に映画プロデューサーとしての隠れ蓑(cover)を与え、ヨーロッパへと派遣したそうだ。英国諜報部は陰ながらコーダを支援し、映画制作の成功を助けたらしい。

  第二次世界大戦が始まる前、英国はどうしても米国の参戦を必要としていた。ヒトラー率いるドイツを倒すべく、フランクリン・ローズヴェルト大統領の策略を知っていたチャーチルは、真珠湾攻撃の知らせを聞いた時、「これで一安心」と思ったそうで、その夜はぐっすりと熟睡できたらしい。米国を対独戦に引きずり込みたい英国は、コーダにハリウッドでプロパガンダ映画を作らせることにした。そこで1941年に制作されたのが、ナポレオン戦争を題材にた『美女ありき(THat Hamilton Woman)』という映画だ。これはエマ・ハミルトン夫人とホレイショ・ネルソン提督の不倫物語であった。ハミルトン夫人役にはヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)が採用され、ネルソン提督役にはローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier)が起用されたから、何とも豪華で羨ましい。アルフレッド・ヒッチコック監督が言ったように、映画の成功は「役者選び」にかかっている。現在のように、政治的考慮から無理矢理にでも黒人やヒスパニック、アジア人俳優を起用するなんて、本当に馬鹿げている。作品の質よりも、有色人種への利益を優先するんだから、せっかくの作品が台無しになるのも当然だ。

Vivien Leigh 3Laurence Olivier 2Vivian Leigh & Laurence Olivier in That Hamilton Woman


(左 : ヴィヴィアン・リー / 中央 : ローレンス・オリヴィエ / 右 : 『美女ありき』で共演したリーとオリヴィエ )

  日本の歴史教科書では全く言及されていないが、米国を参戦させるための裏工作には、多くのユダヤ人が係わっていた。ローズヴェルト大統領の側近にバーナード・バルークやヘンリー・モーゲンソーJr.の他、ソ連のスパイであったハリー・デクスター・ホワイトが居たし、ドイツ製品のボイコットを叫んだのもユダヤ人である。TVドラマや小説、映画、演劇などでもヒトラーが戦争を始めた張本人とされているが、実際は逆で、失敗続きのチャーチルが起死回生のために戦争を望んでいたのだ。しかも、彼の背後には裕福なユダヤ人が控えており、金欠状態の坊ちゃんを財政的に支えていたという。日本では保守派言論人でさえ、ユダヤ人の暗躍については言及を避けている。チャーチル家と親しかったライオネル・ロスチャイルド、そしてナサニエルとヴィクター・ロスチャイルド、アーネスト・カッセル卿(Sir Ernest Cassel)、歐洲のモーリス・デ・ヒルシュ男爵(Baron Maurice de Hirsch)に触れることはない。また、浪費家のチャーチルが如何にして借金から逃れることができたのか、具体的に解説する事も無かった。

Lionel Rothschild 2Nathaniel Rothschild 1Ernest Cassel 02Maurice de Hirsch 1

( 左 : ライオネル・ロスチャイルド / ナサニエル・ロスチャイルド / アーネスト・カッセル卿 / 右 : モーリス・デ・ヒルシュ男爵 )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827457.html
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[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
1. 中川隆[-11298] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:12:59 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[8]
チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた


2020.09.17
ソ連を核攻撃したいことチャーチルが考えていたことを示す新たな文書が出てきた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009170001/

 ウィンストン・チャーチル1951年4月に自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、​ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話していたことを示す文書が発見されたという。1951年10月にチャーチルが首相へ返り咲く直前のことである。


 第2次世界大戦の当時からチャーチルはソ連を敵視している。アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが単身、飛行機でスコットランドへ渡った翌月の1941年6月、ドイツ軍は全兵力の4分の3がソ連へ攻め込んだが、その際にイギリスとアメリカが傍観したのもそのためだろう。そうした米英の姿勢をヒトラーも知っていたかのようだ。


 米両国が動き始めるのはドイツ軍が43年2月にスターリングラードで降伏してから。その年の5月に慌てて両国の首脳は協議、7月にシチリア島上陸作戦を敢行した。その際、コミュニスト対策で手を組んだ相手がマフィアだ。


 スターリングラードの戦いでドイツ軍が敗亡したことによって戦争のの帰趨は決したのだが、しばらく戦争は続く。そして1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死して親ファシストのウォール街がホワイトハウスを奪還、5月にドイツは降伏する。


 その直後にチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論んだ。そして作成されたのがアンシンカブル作戦。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだったが、参謀本部がこの計画を拒否したので実行されていない。


 アメリカでは1945年7月16日にニューメキシコ州のトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験を行って成功した。この日程はポツダム会談が始まる前日に行いたいというハリー・トルーマンの求めで決められた。


 この成功を受けてトルーマンは原爆の投下を許可、26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が投下された。長崎へプルトニウム型原爆が投下されたのはその3日後だ。


 チャーチルは1945年7月26日に辞任するが、46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を宣言、その翌年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。その5年後、チャーチルのソ連を核攻撃したいという欲望はさらに膨らんだわけだ。


 その欲望はアメリカの好戦派も共有、ソ連や中国に対する核攻撃計画を作成しはじめる。1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだのはそのためだ。沖縄のアメリカ軍基地は攻撃のためのものであり、そこの部隊は「殴り込み」が目的だ。


 アメリカの軍や情報機関の好戦派は1957年初頭にソ連を核攻撃する目的で「ドロップショット作戦」を作成、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、​攻撃は1963年後半に実行されることになっていた​。1963年11月22日にソ連との平和共存を訴えていたジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され、それを口実にしてソ連との戦争を始めようという動きがあったが、これは挫折している。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009170001/  
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[近代史4] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト


2019.07.03
独立記念日を祝うアメリカ国民だが、独立宣言を忘れているようだ 《櫻井ジャーナル》
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907030000/


 7月4日はアメリカの独立記念日である。1776年7月4日に独立宣言が採択されたことを記念して定められたのだ。


 ヨーロッパからの植民者がイギリスからの独立を宣言したのだが、その執筆者はトマス・ジェファソン。「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っている。


 宣言に署名した人びとが何を考えていたかはともかく、宣言にある「人間」に制限はついていない。すべての人間は人種、民族、性別、思想、信仰、身分、家柄などに関係なく平等であり、人間としての権利を持っているということだ。


 当然、生まれながらに持っている能力を発揮するために必要な環境がすべての人間に保証されなければならない。人種、民族、性別、思想、信仰、身分、家柄などによって、そうした環境に差があってはならない。安心して生活でき、教育を受けることができ、働くことができなければならない。


 こうした権利を保障しない政府を人びとは「改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」と独立宣言は主張している。


 さらに、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが人民の権利であり義務である」ともしている。


 アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。


 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。


 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。


 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。


 ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。


 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。


 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。


 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。


 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本とアメリカが戦争を始めてしばらくの間、グルーは日本に滞在。離日したのは1942年8月だが、その直前に彼がゴルフをした相手は岸信介だ。大戦後、日本の進む方向を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。グルーが親ファシスト勢力に属していたことを忘れてはならない。


 すでにアメリカでは強大な私的権力が国を上回る力を持っている。その結果、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らか」になっていると言える。


 2011年9月11日以降、アメリカでは国外での侵略戦争、国内での刑務所化が急速に進んでいる。アメリカの属国である日本もその後を追っている。そうした現状を見ながら、「それでもアメリカは民主主義国だ」とか「それでもアメリカの方がましだ」という「左翼」、「リベラル派」、「革新勢力」が日本にはいる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907030000/


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櫻井ジャーナル 2019.06.27
19世紀から中国を手に入れようとしているアングロ・サクソンにとって日本は重要
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201906250000/

 アメリカの支配層は自分たちの意に沿わない国、組織、人物をさまざまな手段を使い、攻撃してきた。1991年12月にソ連が消滅するまでは一応、国連を尊重していたが、それ以降は単独行動主義を打ち出している。日本では国連中心主義を主張していた細川護煕政権が潰されてしまった。1994年4月のことである。


 勿論、細川政権が成立するはるか前から日本とアメリカは軍事同盟を結んでいた。日米安保条約だ。この条約によってアメリカ軍は日本占領が認められている。アメリカが日本を占領し続けたい理由は、日本が侵略のための重要な拠点だからだ。その日本がより積極的にアメリカの戦争に加担することを求められたのである。


 細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその年の8月に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書発表したが、ネオコンはこの報告書を問題視する。国連中心主義に基づいて書かれていたからだ。


 このレポートを最初に問題だと主張したのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニン。ふたりはカート・キャンベル国防次官補(当時)を説得してジョセイフ・ナイ国防次官補(同)らに自分たちの考えを売り込む。そしてナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。ナイ・レポートを境にして日本はアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。


 そうした動きを後押しする出来事も引き起こされた。例えば1994年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件、その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。國松は1994年7月に城内康光から引き継いでいた。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。


 その一方、日本の支配システムを揺るがす出来事も相次ぐ。株式相場の暴落直後の証券スキャンダルでは興銀と東洋信金が関係した不正取引も明らかになった。この取り引きはマネーロンダリングだったという疑いも持たれている。1995年の大和銀行ニューヨーク支店の巨額損失発覚、98年には長銀事件だ。銀行の業務には大蔵省(現在の財務省)が深く関与、不正行為に官僚が無関係だとは言えないだろう。この推測が正しいなら、アメリカの支配層は日本の金融システムの弱みを握り、自由に操る体制ができたと言える。


 第2次世界大戦の終盤、1945年4月にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権はウォール街が奪還して大統領はハリー・トルーマンになる。


 トルーマン政権は中国に国民党政権を樹立しようとするが、失敗。破壊工作機関のOPCも1949年には拠点を上海などから日本へ移動させている。その年に国鉄を舞台とした怪事件、つまり下山事件、三鷹事件、松川事件が引き起こされたのは興味深い。


 中国は19世紀にイギリスから侵略されている。1840年に勃発したアヘン戦争と56年に始まった第2次アヘン戦争だ。香港はその時にイギリスが中国から奪った場所。その後、略奪の拠点として機能する。イギリスやアメリカが香港を手放そうとしないのはそのためだ。アメリカが麻薬取引と深く関係していた蒋介石の国民党に肩入れしたのもそうした背景が影響しているのだろう。


 アヘン戦争と第2次アヘン戦争でイギリスは勝利したが、それは海戦。運輸の中心である海をイギリスに押さえられた中国は苦境に陥るが、イギリスには内陸部を支配する戦力はない。アヘン戦争に投入されたイギリス軍は5000名。7000名はインドの兵士だ。第2次アヘン戦争でイギリス軍は兵士の数を増やしたが、それでも1万3127名。フランスから7000名ほどが参加している。


 圧倒的にイギリスは戦力が不足している。そこで目をつけられたのが日本。明治維新はそうした側面から考える必要がある。ちなみに日清戦争で日本軍は24万人が投入された。明治維新以降、日本は大陸侵略の拠点であり、日本人はアングロ・サクソンの傭兵としての側面がある。


 この構図が揺らいだのはフランクリン・ルーズベルトが大統領だった1933年3月から45年4月。当時、日本を支配していたウォール街がホワイトハウスの主導権を奪われていたのだ。ただ、それでも1932年にJPモルガンの中枢にいたジェセフ・グルーが駐日大使になっている意味は小さくない。なお、大戦後に日本の進路を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。GHQや吉田茂は日米主従構造において脇役にすぎない。主役はウォール街と昭和天皇だ。戦争が終わった直後、ウォール街の代理人を務めていた人物がジョン・フォスター・ダレスにほかならない。


 アヘン戦争以降、アングロ・サクソンにとって東アジアで最も重要な侵略ターゲットは中国。現在、中国と同盟関係にあるロシアも重要な獲物だ。1991年12月にソ連が消滅した直後に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリン、アメリカが唯一の超大国になったと認識したネオコンが描いた世界制覇プランを実現するためにもアメリカは中国とロシアを屈服させる必要がある。そのプランを放棄しない限り、ドナルド・トランプがどのようなことを書き込もうと、彼らが日米安保条約を放棄することはありえない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201906260000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
2. 中川隆[-11297] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:22:31 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[9]
真珠湾攻撃へ至る道のりは1872年の琉球併合から始まっているが、その終着点はまだ見えない
 今から75年前、1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍の基地を奇襲攻撃、アメリカの太平洋艦隊は大きな打撃を受けた。どのような経緯があったとしても奇襲攻撃は奇襲攻撃だった。

 この攻撃へ至る道のりは1872年、薩摩と長州の政権が琉球を併合したときから始まっている。1874年に日本政府は台湾へ派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を始めている。1931年には日本軍の奉天独立守備隊の河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こしたが、この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だった。

 1932年には「満州国」の樹立を宣言、37年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしているが、その時に組織的な財宝略奪作戦が始まったとも言われている。1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こした。

 1932年はアメリカで大統領選挙があった。この選挙でウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバー大統領がニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北してしまう。フーバーの周辺は日本の中国侵略に寛容な姿勢を見せていたが、反植民地、反ファシズムを掲げ、巨大企業の活動を制限して労働者の権利を認めようとしていたルーズベルトが大統領になったことで日本の置かれた状況も大きく変化した。

 ドイツ軍が飛び地問題を解決するためにポーランドへ軍事侵攻したのが1939年9月。その2日後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦は始まるが、約半年の間は戦闘らしい戦闘がなかった。

 1941年5月にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ飛ぶ。西からドイツを攻撃しないと約束させることが目的だったという説もある。

 この年の6月にはドイツ軍がソ連に向かって進撃を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。当初はドイツ軍がソ連軍を圧倒し、42年8月にはスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入する。そうした状況をイギリスやアメリカは傍観していた。日本軍が真珠湾を攻撃したのはこうしたドイツ軍が優勢だった時期だ。

 ところが、1942年6月に日本海軍はミッドウェー諸島の攻略作戦でアメリカ海軍に壊滅的な敗北を喫し、この年の11月にはソ連軍が反撃を開始、翌年の1月にはドイツ軍が降伏している。この結果、日本が苦境に陥っただけでなく、ドイツ軍は主力部隊を失い、戦争の勝敗は決したと言える状況になった。

 慌てたアメリカとイギリスは1943年5月にワシントンDCで善後策を協議、7月にマフィアと手を組んでアメリカ軍がシチリア島へ上陸、44年6月にはノルマンディーに上陸している。「オーバーロード作戦」だ。ハリウッド映画で有名になったが、この時点でドイツ軍の敗北は決定的。アメリカやイギリスが見ていた相手はソ連だ。そこから陣取り合戦が始まる。

 この時点でナチスの幹部やナチス協力者がアレン・ダレスなどに接触、アメリカ側もそうした人びとを救出、逃亡を助け、保護することになる。ルーズベルトが執務中に急死した翌月、つまり1945年5月にドイツが降伏するとウィンストン・チャーチル首相の命令でJPS(合同作戦本部)はソ連を攻撃する作戦を作成した。これが「アンシンカブル作戦」。

 それによると、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始めることになっていたが、参謀本部が反対して実現せず、首相は下野することになる。そのチャーチルは1946年3月にアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言した。ドイツの敗北でソ連を倒すことに失敗、冷戦を始めたと言えるだろう。「日米同盟」はその延長線上にあり、中国やロシアとの戦争へ安倍晋三政権は向かおうとしている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201612080000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c2

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
3. 中川隆[-11296] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:23:32 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[10]
1941年6月にドイツ軍がソ連に向かって進撃を開始、7月にレニングラード(現在は帝政時代のサンクト・ペテルブルグに戻った)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にはスターリングラード市内へ突入、市街戦が始まっている。
 この間、フランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連支援に前向きだったが、実際は傍観している。後にルーズベルト政権の副大統領になるハリー・トルーマンは「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と主張していたが、これはアメリカやイギリスの支配層で一般的な姿勢だった。

 状況が変わるのは1942年11月。ソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人は完全に包囲され、43年1月には生き残った9万1000名の将兵が降伏している。これを見たアメリカとイギリスの首脳は5月にワシントンDCで協議、7月にシチリア島へ上陸する。この島はコミュニストの影響力が強かったため、それに対抗する意味もあってアメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。戦後、シチリア島がマフィアに支配された原因はここにある。

 そして1944年6月、映画の宣伝で人びとの印象に強く残っているノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)が実行され、45年2月にヤルタ会談、4月にルーズベルト大統領が急死、そして5月にドイツが降伏する。ウィンストン・チャーチルが米英独の連合軍でソ連を奇襲攻撃するというアンシンカブル作戦を作成させたのはその直後だ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201703110000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c3

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
4. 中川隆[-11295] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:25:15 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[11]
山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html


DVD『鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密』成甲書房より転載。

以下本文。


これからは2・26事件について語ろうと思います。2・26を追究して、いくらかでもその真実に近づけば、日本のこれからの未来のためにも役立ちます。2・26事件というのは若い将校たちが叛乱を起したと。で、その将校たちの叛乱を気に入らないというので天皇が怒り、数多くの将校たちが処刑されました。しかし、これには裏があります。今、私が秩父宮と昭和天皇は父親が違うということを喋りましたが、これは東久邇が喋ったことなんですね。


笠原和夫は広島のジャンク映画『仁義なき闘い』を初め、色々な芝居の脚本を書いて、それでなお昭和秘録というようなものに挑戦して、2・26にも挑戦します。しかし「2・26は映画になりきれなかった。書けなかった」と、彼は本の中で断念していますが、それはそうなんです。あれを追究すると映画にはなり得ないんです。なぜなら、あれは秩父宮が最初に仕掛けたクーデター劇なんです。これはもう他の人もみなさんご存知なんです。ところが真相は、秩父宮がある時点で若き将校たちを裏切るんです。それで彼らは行き場を失うわけです。


秩父宮が安藤輝三(てるぞう)という大尉に話を持ちかけます。これはまちがいない事実です。そして安藤は非常に冷静な男だったので断ります。しかし秩父宮は懐から懐中時計を出して「俺の真意を汲んでくれ」と言います。それで彼がリーダー格となり、若い将校たちを仲間に入れます。そして革命を起したときに、秩父宮は弘前に逃げます。そして安藤に言います「弘前で軍人たちを募ってやって来るから」と。それで安藤と仲間たちの将校は、秩父宮の言葉を信じて革命を起します。しかしその革命はみなさんがご存知のように失敗します。なぜ失敗したか?彼は途中で天皇の味方につくわけです。私はそう思ってます。それで失敗します。その結果どうなったのか?


結局2・26事件を起した連中は−それとその指導者たちは皇統派と呼ばれています。で、もう一つ統制派というのがあります。統制派というのあは陸軍16期生というのがありまして、陸士ですね、その中で1921年だと思いますが、10月にドイツのバーデンバーデンというところにある4人の男たちが集まります。そういう連中がドイツに集まった所に、東久邇が裏で緒を引いて、結局そこから統制派というのが生まれてくるんです。リーダーは暗殺された永田鉄山という男ですが、永田鉄山は途中で暗殺される。これが一番優秀な男だったわけでありますが、その連中が東久邇と秩父宮にそそのかされて、結局、日本をおかしな方向に持っていくわけです。で、日本はアメリカとソ連を敵対国とするんですが、統制派というのはアメリカを打倒しなければダメだという。まあこれは大体のストーリイですけど。で、皇統派というのはアメリカと戦っちゃいけないと、あくまで日本は敵を想定するならソヴィエトだということなんです。


これは大まかなストーリイですけど、そうした中で、みなさんご存知のようにゾルゲという男がいます。ソ連のスパイをやった男です。そのゾルゲを尾崎秀実(ほつみ)というのと、さっいいました西園寺八郎の息子の公一(きんかず)というのが、ゾルゲに秘密情報を流したというわけです。どんな本を読んでもそういうストーリイです。しかしこれは西園寺公一と昭和天皇が兄弟であったと私は申しました。西園寺八郎が妻に産ませたのが公一です。でその公一と昭和天皇は兄弟です。昭和天皇は木戸幸一を通すんですけど、自分の弟の公一に、ソ連のスターリンに向けて発したい情報を伝えるわけです。それを尾崎秀実という朝日新聞の記者が一緒になって、ゾルゲを却って誘惑するわけです。ゾルゲにおべらかしやインテリ女を与えて、ゾルゲを懐柔します。ゾルゲは女遊びをしてオートバイを乗り回してフザケた男ですけど、で、公安はぜんぶゾルゲをチェックしますけど、天皇一族はゾルゲを野放しにします。


ゾルゲは日本の一番重要な情報をぜんぶ手に入れて、スターリンに渡します。スターリンはそれを信じるわけです。だからスターリンは、日本がソヴィエトを攻めてこないということを知るわけです。天皇を初め統制派の連中ですね、永田鉄山が殺されましたから東条英機が首相になって、アメリカを攻めるストーリイは最初から作られたということなんです。戦争というものは必ずどこかで企みがあるものなんです。昭和天皇が、1938年12月ですから大戦が一年前、これは木戸幸一の日記に出てきます。木戸幸一にこういうことを言っています「もう世界大戦は始まる。そして最後に勝つのはソ連とアメリカで、他の国は全部潰される。日本も同じように潰される。だけど日本人は臥薪嘗胆して質実剛健を維持すれば、10年後には復活する」と。


これは見事に予言的中しているわけですよ。その一年後に第二次世界大戦が始まります。真珠湾攻撃をちょうど一年後にやります。10年後というのはちょうど講和条約の時です。だから考えようによっては、昭和天皇だけが日本のストーリイを全部知っていたんじゃないか、ということになりませんか? 僕はそう思います。で、戦争が始まる一年前に近衛が天皇に面会を申し込みます。天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。近衛はどういうことを言ったかと。


「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。陸軍は石油を一年分しか持ってない。この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。これは木戸日記にはっきり書いてあります。


ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、やっぱりあれは石油があったんですよ。なぜ石油があったか考えてみたことありますか。これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。

◎鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』より該当箇所抜粋。

『多くの資料がソヴィエト連邦解体とともにクレムリンから出てきた。その資料から、野坂参三の過去がかなり暴かれた。世に言ういう二重スパイ説である。しかし、野坂参三が天皇のためのスパイであった、とする文書は闇に消えている。野坂参三が天皇のスパイ、アメリカのスパイ、クレムリンのスパイのみならず、国際金融同盟、すなわち、闇の支配勢力のスパイであったことは間違いのない事実である。』

『野坂参三は天皇のスパイから出発し、ついにクレムリン、アメリカ、そして国際金融同盟のスパイに仕上げられ、次に中国共産党の内部深くに侵入していくのである。その国際金融同盟がつくった太平洋問題調査会の第六回国際会議がアメリカのヨセミテで、1936年8月14日から29日の間に開かれている。この会議にゾルゲ機関の一味の尾崎秀実が日本側委員として出席している。』

『私は太平洋問題調査会の第六回国際会議に出席した尾崎秀実とのコネクションを野坂参三が手配していたと考える。太平洋問題調査会はロックフェラー一味、ロスチャイルド財閥、そしてソヴィエトの謀略機関であった。南進策がこの会議では討論されていない。しかし、「北進策を日本がとるべきではない」ことが討議されたのである。尾崎は帰国後、満州の軍事会社にいた日本共産党員に資料を作らせる。この背後にも間違いなく野坂参三がいたと思われる。この年の六月頃から年末にかけて野坂参三の行方は不明となる。私は尾崎と行動を共にシ、日本に帰国後、秘密裡に満州に入り、モスクワに帰った、とみる。』

◎私見では尾崎秀実を破滅に引き込んだのは吉田茂&白洲次郎である。
次郎のコネクションである牛場友彦と松本次郎が仲介役である。

『白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。

牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン−後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など−との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)

この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。

『私は(通説とは)逆に、西園寺公一と原田熊雄たちが、天皇と木戸、近衛に踊らされていた、とみるのである。ゾルゲ・ルートで一方的に数万点の機密資料を垂れ流した天皇、木戸、近衛は、一方でソ連に日米和平の仲介を依頼すべく闇のルート(たぶん野坂参三のルート)で知らせ、その情報を讀賣新聞に流したのだろう。南進策こそはアメリカとイギリスとの戦争そのものを意味した。』

『私たち平成の世に住む人々は、あの時代の貧乏を理解できない。農村は働き手を兵隊にとられ、娘たちの多くは売春婦になっていった過去を知ろうとしない。天皇とその一族が優雅な生活を続ける一方で、日本人のほとんどは、どん底の生活に落とされていた。どん底に生きる人々を恐れている神の一族は、たえず何かを仕掛けなければ生きていけない。そこに暴力性が要求される。』

『2・26事件を私は、天皇と秩父宮が密かに練った偽装クーデターとの説をとる。秩父宮は密かに仙台から遠回りの鉄道を使い東京に出て来て、高松宮と会談し、その後で二人で天皇と会っている。この事件をいかに収拾するかについて話している。8月15日のあの事件と2・26事件は共通する。前者は三笠宮が策を練り、後者は秩父宮が策を練ったのである。天皇教はたえず暴力装置を作っては、それを策動して生きながらえてきた。どん底の人々は、大きく二つに分かれた。天皇教の側に立って共にその暴力装置に加担する一派と、その逆の立場の人々である。


統制派は天皇側について南進論を推し進めた人々である。皇統派はその暴力装置に対抗すべく日蓮宗に救いを求めた。軍人のほとんどが、軍人たちの一部(天皇教の暴力装置に組み込まれた軍人たち)を除き、アメリカと戦争する拙劣きわまりない行為を知っていた。それでも天皇とその一族は戦争を仕掛けるのである。その謎を徹底的に追究しようとして私は書いてきた。』


『ねずまさしは「天皇昭和紀(上)大日本帝国の崩壊」の中で「2月26日午前4時、第一師団の歩兵および第三連隊の営門から、部隊は堂々と市内へ出発した・・・・かくて彼らは、目ざす重臣五人を殺した、と信じて陸軍省などに引き揚げた・・・牧野は早くも旅館からのがれていたため、護衛の警察官が射殺され、旅館は焼かれた。西園寺ももちろん、ねらわれたが・・・襲撃直前になって突然中止した。」と書かれていることに注目したい。

牧野は数多くのテロの標的となってきた。しかしそのつど、直前にいつも逃亡に成功した。これは何を意味するのか。彼が背後でこれらのテロを操っていた黒幕であることを意味する。岡田啓介首相も難を逃れた。事前に彼の娘婿の迫水久常(終戦時の鈴木内閣書記官長)が岡田首相を連れ出すのである。迫水久恒は、皇統派と見られていた。実際は岡田のスパイだった。』


『このクーデターの首謀が秩父宮であることを書いた。このクーデターを、天皇、高松宮、三笠宮、牧野伸顕、岡田首相らが事前に知っていたのである。天皇は彼ら将校を「暴徒」と決めつける。天皇が最初から「暴徒」と断定しえたのは、密かに秩父宮と共同歩調を取ったからだと私は書いた。しかし、政府要人が数名殺されたり、傷を負ったから、2・26事件は本物のクーデターとして位置づけられ、誰も疑わない。ねずまさしも、である。』


『このクーデターと酷似するのが、あの8・15の「日本のいちばん醜い日」である。将校と兵隊のかわりに、将校と近衛兵を使った。リアリテイを見せるために、一人とはいえ、森近衛師団長を惨殺した。石原莞爾がいみじくも指摘した放送局を占拠するというマネまでもしたのである。この二つの偽装クーデターは、秩父宮と三笠宮の暗躍がなければ決して実行されなかったのである。真の首謀者の二人は未だに闇の中に消えているのである。』


『この事件の結果、どのように変化したのかを書いておきたい。北進策をとる皇統派の将軍・将校たちが主流からはずれ、東条一派−あのバーデンバーデンで密約した一派、東久邇宮と結ばれた一派−の統制派が軍の要職を占めるのである。統制派は南進策を主張する人々である。秩父宮は、自らが天皇になろうとしてクーデターを起させた可能性大である。笠原和夫もその説をとる。しかし、私は天皇と秩父宮が密かに結びつき、2・26事件を若手将校に起させ、南進論一本にすべく行動したのではないかと思っている。』


『この1936年が日本のターニング・ポイントになるのである。1936年、ゾルゲと西園寺公一と原田熊雄、尾崎秀実の暗躍。もう一つは日本共産党の野坂参三の動き。これらと2・26事件が糸のようにもつれあって連動したことは間違いないのである。2・26事件以降、天皇により軍紀がひきしめられる。天皇はその役を東条英機に命じ、陸軍大臣から首相に任命する。東条英機は佐藤賢了中将を軍務局の要職につけ南進策を推進させる。太平洋戦争への道である。』


『天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入するべく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、日本は再び独立国となる、ということであろう。そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、と天皇は語っているように思える。』


『その裏に見え隠れするのは、「木戸よ、このようにして日本を導かなければ、天皇一族の運命が風前の灯となるのだよ。お前も協力してくれ」との天皇の哀訴である。大室寅之祐の代から天皇ニス変えた木戸孝允の孫の木戸幸一は、「天皇と一蓮托生の命である」と答えたのではないのか。天皇はあるルートから、一枚の極秘文書を渡されたと私は考える。その文書に木戸に語っていた内容が書かれていた。「有終の美を挙ぐるは困難ならず」とは、「敗北しても、天皇の命は保証され、国体は護持する」との確証を得たとのことではないのか。日本の国民の民草に天皇が思いを馳せる素振りをするのは、「終戦の詔書」の中だけである。それも見せかけ以外のなにものでもない。』


『天皇が脅されてなんかいなかったと思っている人が多いであろう。私はルーズヴェルト大統領も、チャーチル首相も、スターリンも、闇の支配者たる国際金融資本家たちのグループに脅され続けていた、と書く。天皇においておや、である。まことに日本は国際決済銀行(BIS)により、利益追求システムの中に組み込まれ、ついに必然的に戦争状態の中に入っていく。戦争は巨大なマネー・ゲームである。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。』


『天皇と祖の一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。ひと度、この銀行組織に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手の内に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちんばん金のもうかるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。』


『第二次世界大戦はどのように仕掛けられたか。その第一はヴェルサイユ講和条約にあった。日本は統治諸島を手に入れた。ドイツの賠償金を受け取るとの名目で、国際決済銀行ができ、ドイツに秘密裡に多額のドルを貸し与えた。そしてナチス・ドイツを育てた。共産主義の恐怖を煽る一方で彼らは太平洋問題調査会をつくり、中国を共産主義にすべく動いた。日本の天皇の野坂参三を使い、共産党国家中国の援助をした。これらはすべて、マネー・ゲームの面を持っている。これらの動きに国際決済銀行がからんでいるからである。彼ら、この国際決済銀行を実質ッ的に支配する国際金融同盟は、次々と日本に甘い汁を与え続けた。青島の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。これから軍人たちはヘロインやアヘンの売買をやって大金を稼ぐ。すべては彼らユダヤの国際金融資本家たちが考えた、日本を戦争に導くための甘い汁だった。満州国建設の金は麻薬によったと認めるべき時がきているのだ。』


『1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2千万円。日銀物価価格で計算すると311倍となり、7912億円。東条の10億とか15億がいかに天文学的数字であるかが分る。今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。三井と三菱はペルシャから年ごとに船を出し、アヘンを仕入れ、朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。その金の大半は天皇と三井、三菱の懐に入った。その一部で国際決済銀行を通じてアメリカから必要な軍需物資を仕入れた。戦争を長引かせるよう、国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が天皇を指導したのだ。天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長引かせることで天文学的は利益を上げた。麻薬を売りつけ、その上がりで軍人たちはメシを食っていたのに、何が大東亜構想なのだ。』


『木戸は警察関係の連中と三日に一回ほどの頻度で会っている。これらはすべて天皇に上奏され、また天皇から伝送される。平和運動を抑圧し、終戦工作を妨害しつづけたのは、天皇ヒロヒトその人であったことを理解しないと、戦争の本当の意味が分らない。日本人だけが、昭和天皇を「無私の人』だち思っている。真実はまったく違う人間であったことは、ほぼ間違いのない事実である。戦争がマネー・ゲームであることが理解できたであろうか。田布施のこのグループにやがて、吉田茂が一族として加わってくる。上海にいたサッスーン、ジャーデイン・マセソンというロスチャイルド財閥から援助され財をなした吉田健三は、ある長崎の女郎が生んだ子どもを養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、牧野伸顕の娘と結婚する。満州利権を守るため、田布施村の一族と血の契りを結ぶ。のちにヨハンセン・グループを作り、天皇の承認のもとに、アメリカ大使のジョセフ・グルーに極秘情報を流し続ける。こうして、、マネー・ゲームは続くのである。』


再び鬼塚氏のDVDの続き。


そしてある時になって、「石油はやらない」という時になって、天皇は気がつくわけです「ああ。ついに終わりが来たか」と。ね。これが真相なんですよ。近衛とか木戸はその辺を知らなかったんです。天皇と一部の大本営、『御文庫』といって、天皇の宮殿内の地下深くに『御文庫』をつくり、そこに大本営を置いて、毎日毎日「今度はここ行け」「ここ行け」指図した。それを指図が出来ると、東条に渡すわけです。東条は御文庫の中に入れない。そういうシステムで戦争が進んでいる訳です。最後に天皇も「もう尽きるところまで来たな」って、天皇も終戦工作に入る。終戦工作に入るのはロシアを通して入ろうと、ロシアを通して終戦工作に入りますけど、上手く行きません。


終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。


で、白洲次郎が『カントリー・ジェントルマン』とかいって、戦争のときは鶴川の山の奥で農業をやっていたというのは全部デタラメです。これは『日本水産』の社長であった有馬というやつがいますが、これも貴族ですが、『日本水産』のトップですが、この男の日記にダーッと出ている。「また白洲が来た。とんでもないニュースを持って来た。アメリカがどうのこうの。何で彼はこんなことを知ってるんだろう」ずーっと出てきます。そういう事なんです。で、結局ですね、最初から日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると、すべて矛盾がなく納得できるんです。だからゾルゲを使って、天皇は弟の公一に機密情報を流してソヴィエトに渡せと、で、ソヴィエトを安心させて南進策を取るわけです。で南進政策を取ッとる時に、木戸が日記に書いてますよ。「おい、火事場泥棒をしたな」「へい」と木戸が言うわけですよ。「火事場泥棒も時によってはしょうがねえなあ」と天皇が木戸に言ってんです。火事場泥棒なんです。ね。


あのおとなしいような天皇は非常に頭が良くてですね、昭和天皇はズル賢くてすべて計算してたわけです。だから日本をアメリカとの戦争に持っていくよう仕組まれたら、それに応えるよう敢えて真珠湾攻撃の大事なところで手を抜くわけなんです。だからあれは山本五十六に命じますけど、山本五十六は言ってんじゃないですか。「一年くらいは持つ。勝った勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。そしたら天皇はそれでもいいからやれというわけですよ。やらないと自分の身が危ない。スキャンダルをみなバラされて、全部失う。スイスに貯めた金も失うと。


もう一つ、石油を買うお金は何処から来たかということですが、日本は南方に攻め込みます。中国はもちろん、ビルマからタイからダーッツと行きます。あすこにある金銀財宝をカッさらいます。そして日本に持ち帰ります。それを金を溶かして丸福といいます。丸に福が書いた名前の金貨をつくり、それを持ってフィリピンとかに行って、農家の人に渡して食料を得る。アメリカ軍は自分の国から大きな船で食料を運ぶんですけど、日本はそんな余裕はないわけで、現地調達をやります。フィリピンで現地調達をするのに軍票というのが、こんなの受け入れません、フィリピンの百姓たちは。それで金貨をやります。「そんならしょうがない」って言って、米をもらったり野菜をもらったりして、何万人の兵隊たちがフィリピンの農民から肉や魚を買います。これが戦争なんです。


で、もう一つ、その金貨を黄金をインゴットにしてスイスに送ります。スイスでスイスフランかドルに換えます。そのスイスフランかドルを・・・国際決済銀行というのが出来るわけです。第一次世界大戦の後に出来ます。その決済銀行を通して、日本はアメリカにパナマ国籍で金を払い石油を貰うと。で、アメリカとその石油で戦争をします。太平洋でいっぱい戦争をしました。あれはアメリカの石油をもらって、アメリカの石油を使った軍隊と戦争ごっこをやったということですよ。ドイツも同じです。戦争するのにドイツは分るように石油は出ません。石炭は出ます。で、ドイツのヒトラーが言います。「戦争をしろというけど石油が無い」って。ロイヤル・ダッチッシェルというところのデイターデイングというユダヤ人がヒトラーに言います。「石油は渡す。やれ」って。「誰が持ってくる?」「オナシスというやつのタンカーが来る」「戦争してたら沈没したらどうするんだ?」「オナシスの船は絶対沈没しないから心配するな」。で、戦争中ずっともらいます。


じゃあヒトラーはどうしてスターリンの所に攻め込んだんだ?というと、途中で言われます。「もうやらない」って。じゃあヒトラーはどうしたらいい?スターリンのところへ行って石油を取ばいい。それでヒトラーはロシアを攻め込んで、石油基地を奪おうとして行く過程で滅ぼされます。日本も同じです。イタリヤはどうか?ムソリーニはヒトラーに言われます「一緒に戦おうよ」。ムソリーニは言います「オレは石油がない」。ヒトラー「俺はシェルからもらえるけどお前はシェルからもらえないのか?」ムソリーニ「シェルはオレにくれるといわない」。それでもヒトラーとムソリーニは協定を結んでたから、ヒトラーが戦争を始めた以上、ムソリーニもやらざるを得ません。すぐムソリーニのイタリヤは潰されます。これは石油がないからすぐ潰されます。


戦争というものの実態は「物事はすべて必然性がある」んです。大きな出来事は偶然性で発生するものは何もありません。第一次世界大戦も今いった第二次世界大戦も、ぜんぶ八百長なんです。八百長システムが見事に働けば戦争は長引くんです。戦争は長引くんです。だからノルマンデイー上陸作戦というのがあります。あれは第二次世界大戦が始まって、すぐルーズヴェルトが「勝利の計画」というのを立てます。ウエデマイヤーという優秀な男がいまして、これが計画を立てます。ウエデマイヤーは戦争が始まって一年後に、ルーズヴェルトやステイムソンやらマーシャルやらみんなを説得します。「戦争はこれで終わりです。ヒトラーを、ナチスらを、やっつけましょう」。ね、一年後ですよ。


それがなぜ延びたか?上層部の連中が「No」と言います。誰が「No」と言ったか。スターリンもチャーチルに「これで戦争は終わりやなあ」と。モロトフもチャーチルに会って確約をもらい、ルーズヴェルトに会って「戦争は終わり。終わらせないとみんな可哀そうやな」。でも最後にチャーチルがみんなに言います「戦争は継続しないといけない」。でルーズヴェルトは魂消ます「なぜだ?」って。


チャーチル「戦争は継続しないといけない。継続しないと金儲けに繋がらない。それでアフリカ作戦に切り換えよう」って。アメリカ人は分りません。そこでアイザンハワーという男が登場します。これがウダツの上がらん男です。フィリピンでマッカーサーの下でずーっと中佐であった男です。この男が呼び出されるわけです。で、ヨーロッパに派遣されて、一気に中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥と一年足らずの間に元帥になって総指揮官になります。完全なユダヤ人です。ルーズヴェルトがヨーロッパに行った時に、アイゼンハワーに会います。アイゼンハワーの顔を初めて見たといいます。大元帥の顔をね。で、アイゼンハワーはイギリスの連中に応じます。イギリスの貴族たちが(戦争終了に)反対するわけです。


僕はこれを『20世紀のファウスト』に書いたんですけど、何と悲しいことよと。人間の命なんかどうでも良い連中が、ゴロゴロいるわけですよ。ルーズヴェルトでさえ嘆いているんですよ「戦争が終わるのになぜ終わらせないのか?」。そうこうしているうちに、まあ後で話しますけど原子爆弾ですね、原子爆弾が完成しなかったんですよ。予定通り。これが完成間際になってヒトラーも手を挙げます。で終わります。で日本は「まあ〜だだよ」とステイムソンが言うわけです。「まだガマンしとけ」。そして原爆が完成して、同時にスケジュールが出来た。と同時に何が起きたかというと、天皇は広島に第二総軍を作って、畑という男を入れます。ね。怖い話じゃないですか。


それで戦争を始めるように仕組まれてるわけですよ。僕がいちばん日本人の作家たちが書いた本を読んで情けないと思ったのは、御前会議ですけど、次の日にはもうアメリカは内容を全部知ってます、これは吉田茂が樺山愛輔に流し、樺山愛輔がグルーのところに持って行って、グルーが電報で打って全部次の日には・・・グルーも『回想十年』で書いてます。「ヨハンセン・グループにもらって全部やった」て。まあ後に翻訳されますけどね。まあ僕は昭和史を読んでて「悲しいなあ」て思ったのは、昭和天皇が御前会議の席上、戦争をやれというとき「分った」と。で、杉山元(はじめ)という参謀長に言います「勝てるか?」。「勝てるかどうかはやって見ないと分りません」。すると天皇はみんながシーンとしている時に「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」と読んだ。で、それが戦後になって昭和天皇が戦争に反対した証しだとか、昭和天皇は戦争に責任がないという一番の証拠にされるわけです。この歌を以って反戦の歴史学者もみな賛成するわけです。


井上清やら『人間の条件』を書いた五味川純平もその歌を以って、天皇はやっぱり反戦主義者であったことは認めるということになるわけです。五味川純平の書いた『御前会議』という本があります。『人間の条件』を書いた男が『御前会議』というのを書いてね、その時僕は思いました(彼らは何とダマされやすい歴史学者なんだ・・・)と。これはちょっと歴史の勉強すれば分るんですけど、この歌は戦意高揚のためにずうっと歌われてきたんです。日露戦争の時に天皇が詠んだとされて、ずうっと戦争高揚の歌でやってたのが、突然、戦後になって一部の天皇の周辺の者が「あれは天皇が反戦の意を伝えた」と言ったら、みんな(以下)同文なんです。何て情けないんだ。なぜ歴史を勉強しないのか。


この歌は井沢匡(ただし)というドラマの脚本化が書いたり小説書いたりするのがおりまして、この人は『維新・明治天皇伝』というのを書いています。この中でこの歌は、西南戦争の時に天皇が西郷隆盛を偲んで詠んだ歌だとされてんですよ。飛鳥井雅道(あすかいまさみち)という歴史学者も、井沢説と同じなんですよ。まあ一部は違いますけど。『日露戦争』というのがあるんですけど、これは西南戦争の時に「やっとこの世の中で幸せが来ると思ったのに、自分を助けてくれた西郷は死んでしまった。何と悲しいことだ」という歌なんですよ。「四方の海みな同胞」というのは、「四方の海」は四つの海で四海、「同胞(はらから)」というのは「同胞(どうほう)」なんですよ。「四海同胞(しかいどうほう)」ということなんで、「四海同胞」とは僕たちは簡単に言いますけど、これはずい分前から「同胞(どうほう)」というのは結局、部落民を指す言葉なんです。あんまり良い言葉じゃないんです。天皇のような貴きお方が喋る、歌にするような文句じゃないんです。


足利尊氏が室町幕府を作りますが、その時に負けた楠とか新田の一族が「散所(さんしょ)」「別所(べっしょ)」というんですが、閉じ込められるんですよ。一定の場所に。もう反乱を起さないように。で、それで彼らは部落民になるわけですよ。楠一族とか新田一族は部落民になるわけです。その時に四海同胞衆というのが、彼らの世界から生まれてくるわけですよ。閉じ込められた人間が解放されたと言って、で、そこから坊主になって解放される道があると言って、坊主が沢山生まれてきます。そういう意味なんです。だから明治天皇がこういう風に「俺たちは部落民としてガマンしてきた。四海同胞市民として生まれてきたけど、やっと迎えられたのに西郷は死んでしまった」という歌なんですよ。それを「日露戦争の時に明治天皇が作った」という歌にして、それはそれでいい。戦意高揚の歌だんですよ。八紘一宇の代表的な歌として、ずーっと歌われてきた。で、戦争前まではそれで筋が通ってきた。色んな人がこの歌を、子どもたちの教科書に載っている歌でさえ(戦意高揚の歌として歌ってきた)。


戦争が終わって一部の軍人たちが「反戦の歌を詠んだ」となると(今度は)ずーっとそうなるわけです。何と情けない話じゃないですか。今でも、そのさっき言いました秦とか、そういう連中はみな、この歌を以って「昭和天皇は反戦の意を唱えたけれど、軍人たちは天皇の意に反して戦争をしたんだ、軍人たちがけしからん」ということで、第二次世界大戦の総括をやっているわけですよ。で、その意に逆らう歴史家は未だにいません。私は一人だけ逆らってますけど。どうかみなさんも真実を知って、簡単に人の言うことを、権威者の言うことを信じないでください。これは大事なことなんですよ。

以上転載。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c4

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
5. 中川隆[-11294] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:26:23 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[12]
2017.12.13
中国とロシアが軍事的にも強く結びつく中、米国が日本と韓国を従えて軍事演習を実施した背景
アメリカ、日本、韓国は12月11日から合同軍事演習を実施した。アメリカから参加した2隻のイージス駆逐艦、「ステセム」と「ディケーター」を中心に、日本のイージス駆逐艦「ちょうかい」、韓国のイージス駆逐艦が演習を実施した。東シナ海ではアメリカのB-B爆撃機やF-35戦闘機、F-18戦闘機、また日本から4機のF-15戦闘機が飛行したという。

この演習は朝鮮を想定しているとされているが、実際の相手は中国とロシアのはずである。アメリカと緊密な関係にあるイギリスでは1945年5月にドイツが降伏した直後にソ連を奇襲攻撃する計画を立て、アメリカは1949年に中華人民共和国が建国されてから中国への軍事侵攻を目論んできた。今もその延長線上にある。

イギリスの奇襲計画はウィンストン・チャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に命じて作成させたもので、「アンシンカブル作戦」と名づけられた。それによると、1945年7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、参謀本部に拒否されて実行されていない。日本が降伏する前にソ連を攻撃した場合、日本とソ連が手を組む可能性があると懸念する人もいたようだ。

この計画が流れた後、7月26日にチャーチルは退陣するのだが、日本が降伏して第2次世界大戦が終わった翌年、1946年の3月に彼はアメリカのミズーリ州で「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至まで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言している。

それだけでなく、1947年にチャーチルはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。チャーチルは執拗にソ連の破壊を目論んでいた。ドイツ軍の主力がソ連に攻め込んでいたとき、西側が手薄になっていたにもかかわらずチャーチルはドイツを攻撃させていない。

フランクリン・ルーズベルトが1945年4月に急死した後、副大統領から昇格したハリー・トルーマン大統領は1947年3月、世界的な規模でコミュニストを封じ込める政策、いわゆるトルーマン・ドクトリンを打ち出した。

ジョージ・ケナンがXという署名でソ連封じ込め政策に関する論文を発表したことも有名な話だが、これらは1904年にハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が発表した理論と合致する。イギリスは一貫してロシア制圧を目論んできた。

マッキンダーは世界を3つに分けて考えている。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島だ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指し、そのロシアを支配するものが世界を支配するとしていた。そのロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯をマッキンダーは想定している。日本は内部三日月帯の東端にあり、侵略の重要拠点であるのみならず、傭兵の調達地と認識されていた。

第2次世界大戦後、アメリカでは外交官や軍人の好戦的な勢力がソ連の打倒を目指す。例えば、トルーマン・ドクトリンが発表された2年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告を作成、1954年にアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)はソ連を攻撃するための作戦を作り上げた。SACの作戦は600から750発の核爆弾をソ連に投下、約6000万人を殺すという内容で、この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」が作成されたのは1957年初頭だ。

こうした動きの中、沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、アメリカ軍は暴力的な土地接収を進める。1955年には本島面積の約13%が軍用地になったという。沖縄の軍事基地化はアメリカの世界戦略と結びついていると言えるだろう。

こうした軍事基地化が推進されていた当時、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めていたのがライマン・レムニッツァー。第2次世界大戦でイギリス軍のハロルド・アレグザンダー元帥に取り入り、アレン・ダレスを紹介されている。ダレスとレムニッツァーは大戦の終盤、ナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」をルーズベルト大統領に無断で実施している。

レムニッツァーは琉球民政長官の後、ドワイト・アイゼンハワー政権時代の1960年から統合参謀本部議長に就任するが、次のケネディ大統領とは衝突、議長の再任が拒否されている。衝突の主な原因はソ連に対する先制核攻撃をめぐるものだった。

本ブログでは何度も書いてきたが、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。

これも繰り返し書いてきたが、「核の傘」とはアメリカの先制核攻撃の拠点になることを意味する。1991年12月にソ連が消滅した直後、ネオコンをはじめとする好戦派が作成した国防総省のDPG草稿、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連がアメリカの属国になったという前提で立てられた世界制覇プラン。21世紀に入るとロシアがウラジミル・プーチンの元で再独立に成功、国力を回復させたのだが、それでもアメリカ支配層の内部にはボリス・エリツィン時代のイメージが残っていたようで、例えば、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文の中でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるようになると主張している。

その論文が出た2年後の2008年にアメリカ支配層の幻想を打ち破る出来事があった。その年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官はジョージア(グルジア)を訪問、8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴えてから8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。

ジョージアは2001年以降、イスラエルの軍事会社から無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器の提供を受け、軍事訓練も受けていた。2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。つまり、アメリカやイスラエルは周到に準備した上でジョージアに南オセチアを奇襲攻撃させたのだ。圧勝する予定だったのだろうが、ロシア軍に粉砕されてしまった。この時点でアメリカ軍やイスラエル軍はロシア軍に通常戦で勝てないことが明らかになったと言える。その後、力の差が開いたことはシリアでの戦闘が示唆している。

それでもアメリカ支配層の一部はロシアと中国を制圧しようとしている。アメリカ経済は半世紀近く前に破綻、その後は資金のコロガシ、投機市場の肥大化で誤魔化してきたのだが、その仕組みが揺らいでいることが大きい。ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうだなのだ。投機市場が縮小しはじめたなら大変な勢いで西側支配層の富は消えていく。ロシアと中国が健在である限り、そうした展開になってしまうだろう。来年、アングロ・シオニストの支配者たちはギャンブルに出る可能性がある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712120000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c5

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
6. 中川隆[-11293] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:28:42 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[13]
日米が東アジアでの軍事的な緊張を高めようとしているのに対し、韓国は破壊と殺戮の回避へ動く

東アジアで軍事的な緊張が高まることを望み、そうした状況を作り出しているのはアメリカであり、日本はその戦略に従っている。それに対し、韓国は戦争による破壊と殺戮を避けようとしているのだ。

アメリカの好戦派を代表するネオコンはソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。作業で中心的な役割を果たした人物が国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。冷戦の終結は戦乱の幕開けを意味していた。

世界を冷戦へと導いたのはイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルだ。ドイツが降伏した直後、チャーチル首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令している。そして5月22日に提出されたのが「アンシンカブル作戦」だ。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始めることになっていた。この作戦は参謀本部が拒否したため、実行されていない。

チャーチルは7月26日に退陣、翌1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、冷戦の幕開けを告げた。​1947年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいた​という。

1947年にはアメリカの外交官、ジョージ・ケナンがフォーリン・アフェアーズ誌の7月号に匿名で論文「ソ連の行動の源泉」を発表し、ソ連は基本的に西側との共存を望んでいないと主張、警戒を呼びかけている。その年の5月にアメリカ議会はギリシャやトルコへ合計4億ドルの援助を与えることを決め、封じ込め政策が始まった。

ケナンが書いた草案に基づいてNSC(国家安全保障会議)は1948年にNSC10/2を作成し、それにベースにして心理戦や破壊活動を目的とする秘密機関OPC(政策調整局、当初の名称は特別プロジェクト局)を設置した。

1950年10月にOPCはCIAに吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスがCIAの計画担当副長官に就任、同年8月には全体を統括する副長官になる。計画担当副長官の後任はOPC局長だったフランク・ウィズナー。

1952年8月にはOPCが中核になり、CIAの内部に計画局が設置された。1953年1月にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任すると2月にダレスはCIA長官に納まる。この政権で兄のジョン・フォスター・ダレスはすでに1月から国務長官に就任していた。1970年代に入ると秘密工作の一端が知られるようになり、1973年3月に計画局は名称を作戦局へ変更、2005年10月にはNCS(国家秘密局)に衣替えした。

封じ込め政策はハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が1904年に発表した理論に似ている。彼は世界を3つに分けて考えた。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島。世界島の中心がハートランドで、ロシアを指している。

広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを制圧できれば世界の覇者になれると考え、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯と、その外側に想定する外部三日月地帯で締め上げようとしたのだ。日本は外部三日月地帯の一部と見なされた。

イギリスにとって日本は東アジア侵略の拠点であり、日本軍は彼らの手先ということ。だからこそイギリスは長州の後ろ盾になって明治維新を成功させ、日本の軍事力や生産力の向上に協力したと考えられる。この維新が民主主義を目指していなかったことは自由民権運動の弾圧を見ても明らか。

明治政府は1872年に琉球を併合、74年には台湾派兵、75年には江華島へ軍艦を派遣して朝鮮を挑発した。そこから日清戦争、日露戦争、そして中国侵略へと続く。本ブログでは何度も書いてきたが、日本がウォール街の影響下に入るのは関東大震災以降。戦前も戦後も日本はウォール街の属国だ。そのウォール街と対立関係にあったニューディール派がホワイトハウスの主になったのが1933年。それから1945年4月までそうした状況が続く。その期間を含め、日本とアメリカとの関係を考える上でのキーパーソンが駐日大使だったジョセフ・グルーだ。

植民地主義に反対したニューディール派のフランクリン・ルーズベルト、ソ連との平和共存を打ち出してベトナムからのアメリカ軍撤退を決めていたジョン・F・ケネディ、デタントへ舵を切ったリチャード・ニクソンといった大統領はいたが、全体の流れは侵略へ向かっている。ちなみにルーズベルトはドイツが降伏する前の月に急死、ケネディは暗殺され、ニクソンはスキャンダルで失脚した。

第2次大戦後、日本は軍事力を放棄したことになっているが、旧日本軍の軍人は朝鮮半島や台湾で活動していた。中でも1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した白団は有名。

多くの将校、下士官、兵士が蒋介石軍によって処刑される中、岡村寧次大将など一部の軍人は帰国してGHQ/SCAPに保護される。その岡村の下へ蒋介石は曹士徴を密使として派遣、岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して「台湾義勇軍」を編成することで合意している。富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになったことから義勇軍は白団と呼ばれるようになった。1951年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡る。

白団へ軍事情報を渡していたのは富士倶楽部、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たち。服部はノモンハン事件で作戦指導を行った軍人で、アメリカとソ連との戦争は不可避だと考えていた。占領軍のG2(情報担当)部長だったチャールズ・ウィロビー少将から信頼されるようになる。

1949年に服部大佐は市ヶ谷駅の近くに史実研究所をつくり、その後、約20年間に白団へ6000点ほどの資料(森詠の『黒の機関』によると、軍事図書7000冊、資料5000点余り)を渡しているが、その中には自衛隊の教科書も含まれていた。なお、白団メンバーのうち23名が自衛隊へ入っている。この当時からアメリカ軍と旧日本軍/自衛隊は連携して動いているわけで、アメリカが東アジアで戦争を始めたならば、つまり中国を侵略したならば、自衛隊も参加することになるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801090001/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c6

[近代史4] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト 中川隆
1. 中川隆[-11292] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:32:05 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[14]
2015/6/21
昭和天皇はアメリカと密約していたのか!
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8225138.html

先日から

「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E5%9B%BD%E5%A4%96%E7%B7%A8-%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%A8%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862320


という本をもとに記していますが今日この本を読み終え、また書きたくなったことがでてきたので書きたいと思います。それは‘昭和天皇は原爆が落とされるのを事前に知っていた’という驚愕な事実についてです。つまり昭和天皇はその事実を知っていて日本国民には知らせなかった、すなわち広島、長崎の人たちを見殺しにした、ということです。ではまずはそのことについて記させれている部分を同著から引用するところから始めたいと思います。

(引用開始)

(前略)白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう。柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」(2007年)に次なる記述がある。

「でも工藤さんは本当にいい人でした。確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・と入ってきたんです。そして、玄関に出ていくと、ぼそぼそっと言った。私は本所(墨田区)に住んでいたんですが、あと2〜3日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が9日か10日だと言っていました。そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」

これも不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。

もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・。」

柴田哲孝はこの本の中で「亜細亜産業」について詳述原爆8している。下山事件との関係について書いている。戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥のなかから誕生した昭和通商と結ぶつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父が、この会社の重役であった。柴田は「我が家には白洲次郎と思われる人物が祖父や矢板玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。

この本や白洲次郎に関する有馬頼寧の日記を見てもわかるように、白洲次郎は、米英の諜報機関と深く繋がっていたと判断して間違いない。柴田は「もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか」との疑問を投げかけている。私は「大いにあった」と答える。次章以下で(私の注:アメリカの)陸軍参謀本部と原爆の関係を追求するなかで、その証明をすることにしよう。徳本栄一郎「英国機密ファイルの昭和天皇」(2007年)には次なる記述がある。

「1985年、彼(白洲次郎)は生涯を閉じたが、英国流ダンディズムと気骨のあるライフスタイルは、白洲ブームとも言うべき現象を起こしている。だがこの白洲次郎には、あまり知られていない、もう一つの顔がある。それは太平洋戦争直前、皇室や吉田茂の意を受け、英国政府との和平工作に奔走した‘密使’であり、戦後は日本進出を狙う英国企業の‘エージェント’としての顔だ。」

徳本栄一郎の「英国機密ファイルの昭和天皇」には、「エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック」として、白洲次郎とウォーバーグ財閥について書かれている。

クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受け取っていなかった。しかも1982年、創業者のシグモント・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見人役を続けた。

「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。そのウォーバーグ卿から頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」

「国際金融寡頭勢力」という言葉を私は使ってきた。この中心にいたのがロスチャイルドとウォーバーグのユダヤ財閥である。一度彼らのエージェントになった者は、死ぬまで、その任務を解かれることはない。

引用文中のクリストファーとあるのはクリストファー・パーピスで、英国系投資銀行SGウォーバーグの幹部で東京支店長を勤めた男である。創業者のシグモント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。

そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。ロスチャイルドとウォーバーグ家は一枚の系図の中に入る。FRB(連邦準備制度理事会)をつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSS(私の注:CIAの前身)の中に入り日本向けの情報担当官となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループ(私の注:戦前の吉田茂反戦グループの略称。実際は裏で戦争を推進していた)に流していく。

白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。徳本栄一郎が「それは太平洋戦争直前、皇室や吉田の意を受け・・・」とあるのはなんとも甘い表現である。「白洲次郎はシグムント・ウォーバーグの忠告を忠実に厳守し、国際金融寡頭勢力のために生涯を捧げた」と書き直すべきである。

父親からの仕送りがなくなり、貧乏のどん底に落とされた留学生白洲は、シグムント・ウォーバーグの援助にすがって生きた。そこに、永遠のエージェントとならざる状況が生じたのである。

白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。

私は前著「日本のいちばん醜い日」でヨハンセン・グループについて詳述した。その中で、外務省編「終戦史録(5)」の中に掲載されている「大井篤手記---天皇制と太平洋戦争」を紹介した。もう一度ここに紹介し、この項を原爆13終わりとする。この中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている。私は(私の注:アメリカの軍事会議の)「目標管理委員会初回会議覚書」(1945年4月27日)については詳述した。その中で、東京湾が原爆投下の目標地に入っていたことを書いた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。

「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報が---その真実性が私には判りませんが---入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそがれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておられなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」

後述するが、原爆の情報は皇室、軍部、ヨハンセン・グループに流れ続けていたのである。しかし、原爆は広島と長崎に落とされた。その心因を追求し続けねばならない。

(引用終わり)

戦前から、引用文にあるウォーバーグ財閥のエージェントであった白洲次郎という、元々は一般人だった人物がいました。この白洲は父親が確か服の卸しの小さな会社を経営していました。この会社が倒産し、イギリスにその当時留学していた白洲次郎は貧乏のどん底に落とされます。そんな白洲に、ロスチャイルド一族であるアメリカのシフ家の血族にあたるウォーバーグ財閥に目をつけられ、広島、長崎への原爆投下計画のためのエージェントにされる。ちなみに、このシフ家のジェイコブ・シフは日露戦争において、ときの蔵相であった高橋是清に戦争資金を調達した人物になります。戦争が起こるときにはロスチャイルドが影にいる、ということを思わせます。

この白洲はヨハンセン・グループという本当は、アメリカの国務次官であったジョセフ・グルーが操っていたグループと繋がっていた。そしてアメリカやイギリスの情報を流し、逆もやっていた。建前の‘反戦’ではなく、戦争推進という目的のために。

さらに白洲は皇室とも繋がっていて、皇室に広島、長崎への原爆投下の情報を流していた。だから皇太后は原爆投下を恐れおののいていた。

だが、原爆は東京には落とされず、広島と長崎に落とされた。それはこの引用文には書いてありませんが、昭和天皇は、原爆投下計画の真の張本人と、鬼塚氏がするアメリカのスティムソン陸軍長官側と密約ができていて、アメリカ側が「無条件降伏を要求するが皇室の地位は戦後も保持させ、東京には原爆を落とさない」とされていた。だから広島と長崎に原爆が落とされた、と著者の鬼塚氏は膨大な資料の検証のもとに、推測として書いています。

ただここで‘推測として’と書きましたが上記の引用文の「大井篤手記---天皇制と太平洋戦争」は外務省編「終戦史録(5)」の中に掲載されているものです。皇室が原爆投下情報を得ていたことを示す証拠としてはこれ以上のものはないでしょう。

そしてこの「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」にはアメリカ側はアメリカ軍の消耗をできるだけ少なくしたいため、沖縄上陸後の本土陸上決戦は避けたい。だからなるべく太平洋戦争を早く終わらせたい。だがそれは「マンハッタン計画」すなわち「原爆投下計画」が遂行された後での話だった。

その原爆投下計画の遂行の本当の理由は、広島に落とされた原爆「リトルボーイ」を製造したロックフェラー=メロン財閥と、長崎へ落とされた原爆「ファットマン」を製造したデュポン=モルガン財閥が原爆産業でカネ儲けするためだった。戦後の米ソ冷戦においての原爆産業の隆盛も視野に入れて。しかもその影で暗躍していたのが先日も記した、ヴィクター・ロスチャイルドであり、ウォーバーグ財閥である、とこの著作には書いてあるのです。

先日、安倍政権が出した「憲法改正法案」には、先日も書きましたが、「天皇、摂政は憲法に拘束されない」といった条項も入っていました。安倍が以前から天皇を戦前の「元首」にしたがっていたことも以前書きました。そして戦前はその元首であった昭和天皇ヒロヒトが日本軍の頂点に立って太平洋戦争が遂行され、広島、長崎に原爆が落とされたのです。

安倍がこの「憲法改正案」や「改正安保法制」をもって日本を戦争する国にしようとしているのは火を見るように明らかです。上述した鬼塚氏の解くところをどう解釈するかは個々人の見解によるところですが、今の安倍政権は極東情勢において中国、韓国、北朝鮮の、本当はありもしない、脅威を我々に煽り、中東情勢においては、可能性がかなり低い‘イランのホルムズ海峡封鎖’の脅威も我々に煽り、「集団的自衛権の行使」の必要性をうそぶいている今の状況が非常に危険な状態にあるのは事実です。
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8225138.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html#c1

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
7. 中川隆[-11291] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:36:42 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[15]
天皇家は戦争中に何をしていたのか
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8120443.html


先日から、

「歴史の真相と大麻の正体」内海聡 著 三五館 刊
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E3%81%A8%E3%80%81%E5%A4%A7%E9%BA%BB%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%86%85%E6%B5%B7-%E8%81%A1/dp/4883206289

という本を読んでいて、その本は私が大麻というものが世界に及ぼしてきた事実を、私が知らない見解で記してあるかもしれない、という期待から読んでいると記してきました。

2そしてこの本は、第一部:歴史の真相 第二部:大麻の正体 に分かれていて、私は第二部の大麻の正体を読むことが一番の目的で読んでいるのですが、その前の第一部の歴史の真相のところで気になることがあったので、先日2回ほどそのことについて書かせて頂きました。ですがまた、その第一部の歴史の真相のところで気になったところがあったのでそのことについて記したいと思います。ではますは「歴史の真相と大麻の正体」からその部分を引用します。

(引用開始)

タイトル:「原爆を落とされてもしょうがない」

商船三井の共同経営者は、天皇家とCIAの日本作戦部長のマクスウェル・クライマンであった。そして天皇家が大東亜戦争時に蓄財した金はナチスのヒトラーの口座に隠されていた。ヒトラーはじつは隠れユダヤ人であることは有名だが、そのヒトラーとともに戦争ビジネスをやっていたのはだれかを考えねばならない。


天皇家の蓄財1

天皇が「原爆を落とされてもしょうがない」と発言したことが知られるが、広島、長崎に原爆が落ちた時も、天皇家はどうやって自分の資産を維持するかに腐心していた。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃がした蓄財は累計で5〜10億ドルにのぼるとしている。天皇家の蓄財に関しては濱田政彦著 「神々の軍隊」(三五館)などが詳しい。

(引用終わり)

これは大東亜戦争時、日本の多くの兵隊が海外に行き、命をかけて戦って死に、東京大空襲など、日本の津々浦々で行われた大空襲で多くの日本国民が命を亡くした最中に、昭和天皇が皇室の資産をいかに守ることに腐心していたかを記した文になります。

この引用文の最後に、

「天皇家の蓄財に関しては

濱田政彦 著 「神々の軍隊」(三五館)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E2%80%95%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%E3%80%81%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%AF%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%87%91%E8%9E%8D%E8%B3%87%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%97%87-%E6%B5%9C%E7%94%B0-%E6%94%BF%E5%BD%A6/dp/4883202119


などが詳しい」とあります。では、その「神々の軍隊」には天皇家の蓄財についてどのように書かれているのか、以下にその部分を引用したいと思います。


(引用開始)


@ 戦前、皇室には予算として年額450万円が国家予算から計上されていたが、一説によれば天皇の総資産天皇家の蓄財3は、最も控えめに見積もっても約16億円であるという。だが、宮内省のこの数字は嘘で、本当の資産総額は、海外に隠した資産を含めれば、信じ難いような天文学的金額であると言われている。皇室予算だけではこのような金額を貯蓄することは不可能であるが、当時皇室は横浜正金、興銀、三井、三菱ほか、満鉄、台湾銀行、東洋拓殖、王子製紙、台湾製糖、関東電気、日本郵船等、大銀行、大企業の大株主であり、その配当総計は莫大なものであった。すなわち、これら企業・銀行の盛衰は、そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。こうなると戦争で、財界が植民地から搾り取るほどに皇室は豊かになるということになる。


A 2.26事件で天皇が、まっ先に事件が日本経済に与える影響を心配したのは当然であろう。「朕が信頼する重臣」とは、財界の代理人たちであるからその怒りは天皇にとっては、しごく正統な怒りであったのだ。


B 財界のトップたちは、2.26事件後の大勢翼賛、国家総動員体制の下、政府の要職に就いて日本を破局へと導いた。一例を挙げれば王子製紙の藤原銀治郎は、海軍省顧問、産業設備営団総裁、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し、戦争経済に貢献している。


C 皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、中でも国際決済銀行、通称"バーゼルクラブ"は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣でなく、すべてを金塊で決済する銀行であった。


D 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に"洗浄"されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。


E 価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。


F 大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠され天皇家の蓄財4ている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。


(引用終わり)※数字は私の書き込みによる。

ではこの引用文についてまとめ及び気になることを書いていきたいと思います。

まず@段落のところですが、

・戦前に天皇家は天文学的な金額を蓄財していた。

・天皇家は横浜正金、興銀、三井、三菱ほか、多くの銀行、財閥の大株主であり、その利益が莫大であった。

・銀行、財閥は当時、戦争経済で儲けていて戦争を続けさせ、植民地政策のもとで利益を上げていて、それによって株価が上がり結果、天皇家の資産は莫大なものになっていった。


A段落目で、「2.26事件で天皇が、まっ先に事件が日本経済に与える影響を心配したのは当然であろう。「朕が信頼する重臣」とは、財界の代理人たちであるからその怒りは天皇にとっては、しごく正統な怒りであったのだ。」とありますが、当時上述したように戦争を遂行すればするほど銀行、財閥などは儲かり結果、天皇家も儲かっていたわけですからその財閥が日本の軍隊に入り込んで、戦争を遂行するように仕向けていたわけです。だから2.26事件で純粋に心から日本の未来を憂いた青年将校が起こした2.26事件が起こったときも昭和天皇は、「天皇家がカネ儲けできなくなる」という理由で2.26事件そして青年将校に対して怒りを覚えたのです。

B段落目

上述したとおりのことが書かれています。「一例を挙げれば王子製紙の藤原銀治郎は、海軍省顧問、産業設備営団総裁、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し、戦争経済に貢献している」、ということです。

C段落目

天皇家は資産を海外でモルガン商会(ユダヤ系財閥)を通して蓄財していて、天皇に近い重臣たちもそのおこぼれに預かり、儲けていたということです。そして天皇家とバチカン、‘バーゼルクラブ’などはグルになってカネ儲けしていたことを示唆しています。

D段落目

田布施2ここではまとめというよりは、文中の、「内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。」の中の「昭和19年」に焦点を当てたいと思います。というのはこの昭和19年に天皇家の資産の蓄財において大きな変化あったからです。では、昭和19年(1944年)に何があったのか。そのことが先日も引用させて頂いた

「日本のいちばん醜い日」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E9%86%9C%E3%81%84%E6%97%A5-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862169


に書かれていましたので以下に引用します。

(引用開始)

(前略)シーグレーブ夫妻の「ヤマト・ダイナスティ」の中に次のような一節がある。

「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分も含んでいなかった。天皇家は日本一の大地主で、ほとんどは徳川幕府が崩壊したときに天皇家にもたらされた(明治維新後に獲得したものがほとんどである:引用者注)。まさしく当時の日本の大地主であったのだ。もちろん、ヒロヒトの自己申告の中には、本土や海外の隠匿された財宝は含まれていない。SCAPの審査員が、この審査をパスさせたのであるが、彼は不機嫌そうに記したのだ。「正確さという面では、この部門では問題外とされた」

占領が終わり、日本人の専門家が天皇の財産を再計算した。その中には皇居や御用邸の不動産、工芸美術品などは計算外としたが、それでも660億円を超えていた。」

私はこのシーグレーブの本を読み、納得した。それは天皇と男爵住吉門左衛門が特殊な関係にあったがゆえであると思ったのである。天皇家の御料地のほとんどが住友財閥の力で移動し、売却されたのである。1944年、住友林業の所有地が莫大に増加するのである。

「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分を含んでいなかった」とシーグレーブが書いているのは事実である。紙幅の都合上、これ以上は書かないが、私は明治から戦前までの御料地獲得に執念を燃やす田布施一族の歴史を追求してきた。そして、この帝国秘密探偵社の資料とシーグレーブの本を読み合わせ、納得した。(後略)

(引用終わり)

昭和天皇の側近であった木戸幸一(木戸孝允の孫)が天皇家の財産を海外に逃がすよう指示した金額は(当時の貨幣価値で)660億円。だがその660億円もの大金であるにもかかわらずそこには天皇家が所有する御料地すなわち皇居や日本各地にある御用邸の土地や御料林は含まれていない。

そして、「裕仁は1944年に材木の蓄えで大もうけしたはずだが、御料林の価値も御料地の値上がり分を含んで天皇家の蓄財2いなかった」とあるように昭和天皇ヒロヒトは1944年に大もうけをした。しかもそれが、前述したように、天皇家が当時結託していた大財閥の一つである住友財閥の住友林業であったわけです。

この事実は私は日本人として絶対に忘れてはいけない事実であると考えます。なぜか? 1944年といったら日本の兵隊の方々が海外に出て、命をかけて、玉粋覚悟で、時には「天皇陛下バンザーイ」と叫んで、心から日本のため、と思いながら死んでいきました。また、日本国内では、多くの日本人が数千人否、数万人否、数十万人否、数百万人もの日本人が空襲で死にました。そのさなかに天皇家は大財閥と結託して、日本国民のことなど露ほどにも頭になく、蓄財に励んでいたからです。この事実は‘戦争とは何か’、‘天皇家とは何か’という疑問を見事に解き明かしています。

E段落目はそのまま抜粋します。

「価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。」

ここで「さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。」とあります。この‘南米’というところに注目すべきと考えます。その理由は次の7段落目に記されています。

F段落目

「大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠されている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。」

この段落では大戦末期から戦後に至る南米地域の状況について書かれています。なぜ南米地域にナチスの残党は逃走したのか?なぜ南米なのか?そしてヒットラーも実は戦争末期に自殺したのではなく、アルゼンチンに逃走した、という説があります。そして私がこの段落を読んで気になったのは第2次世界大戦後、この南米地域の各国がハンガリー系ユダヤ人であるミルトン・フリードマンが唱えたシカゴ経済学(大企業ボロ儲け経済学)を信奉したシカゴ・ボーイズといわれる連中に乗り込まれ、その国の政治・経済を乗っ取られ、結果その国の経済市場が欧米系の大企業に乗っ取られた、という事実です。アルゼンチンやチリやホンジュラスなどがそうです。

そしてその事実と引用文の、「そして南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けている」という記述が関係していると思います。ですがここではこのことについてこれ以上記しません。ただ関係していると思われる、とだけ記させて頂きます。
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8120443.html

天皇家は戦争中に何をしていたのか A
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8123592.html

先日、太平洋戦争中における天皇家の蓄財に記させて頂きました。戦争中に天皇家が日本の土地を買い占めて戦争で多くの日本人が死んでいくさ中に蓄財に励んでいてそれも莫大に儲けていたことや、そもそも天皇家は当時の多くの大財閥、銀行などの大株主で、戦争が長引けば長引くほど植民地における大財閥の事業拡大、生産増産、戦争資金の需要増大による銀行、大企業の株価高騰で大儲けしていたことなどについて記しました。

今日はその天皇家の蓄財について違った面から考察し、記していきたいと思います。では、まずはそのことについて詳しく記してある、先日も引用した「日本のいちばん醜い日」 鬼塚英昭 著 成甲書房 刊  からの引用から始めたいと思います。

(引用開始)

(前略)アメリカは公式には日本への石油の輸出を禁止した。しかし、アメリカ国籍の船、または日本国籍の船によるものが禁止されただけであった。あの太平洋戦争田布施2中も秘密ルートでアメリカの石油、重要な原料(タングステン、四塩化エチル等)が日本へ送られた。

これが戦争の本当の姿なのだ。昭和天皇はこのからくりを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣に秘密にしていた。

あの国際赤十字社のシステムは、戦傷者を救うためにつくられたのではない。国際金融同盟の連中が、商売(=戦争)をスムーズに長きにわたって続けるためにつくられたのである。太平洋の委任統治諸島で密かに石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。この船は攻撃できないという国際条約ができているので、安心して石油や重要物資を日本は購入できた。(後略)

(引用終わり)

前回は戦争時においてその、戦争することによって派生する日本の植民地事業において三井、三菱、住友などの財閥、銀行などが大儲けし、結果天皇家も大儲けする、ということについて記させて頂きました。ですがこの引用文は戦争から派生する要素ではなく、戦争そのものが天皇家を儲けさせていたことを記す内容となっています。

あの、戦前に日本への制裁としてABCD(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)包囲網が1941年に敷かれてアメリカから石油の輸入が途絶え、日本は窮地に追い込まれた、と我々は学校の歴史の授業で教わってきました。だが、実際には「赤十字」という看板を掲げた船で石油が輸入されていた。その赤十字は実は戦傷者の傷を治したり命を救うために設立されたのではなく、戦争を‘スムーズ’に長引かせるために国際金融同盟の連中がつくり上げたものだった。つまり戦者が簡単に死んでしまっては戦争がすぐに終わってしまい、国際金融同盟の連中やそれに纏わる財閥、銀行そして天皇家もカネ儲けができなくなる。だから赤十字を設立して、兵隊の傷の治療をし、延命させ、再度戦場に送り込む、ために赤十字がつくられたということです。

では次に同著から上の引用文に続く、その石油購入の資金についての記述を以下に引用します。

(引用開始)

では、あの大戦中、その莫大な支払い代金はどうしたのか、という問題が出てくる。この代金の主なものは、ア天皇家の蓄財5ジア支配の途中で略奪した、金、銀、プラチナ等の貴金属である。その一部は日本へ持ち帰り(赤十字のマークをつけた船で)、マルフクという金貨に鋳造する。これを現地に送り、食料等の必要物資の現地での購入にあてる。残りの金塊や宝石類は、スイスの国際決済銀行(BIS)に送る。ここで貴金属をドルまたはスイス・フランにし、迂回経路で必要物資の支払いにあてる。残ったドルやスイス・フランは、国際決済銀行か、同一系統のスイス国立銀行の秘密口座に入っていく。かくて、戦争が長引けば長引くほどに天皇一族と、秘密裏に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。

(引用終わり)

日本に石油はなかったが中国侵略などで強奪した金・銀・プラチナを代金の支払いにあてた。その一部が天皇家の資産となった。つまり戦争で金・銀・プラチナなどの貴金属を強奪すればするほど天皇家は儲かるということです。ではさらにこの引用文に続く記述を引用したいと思います。

(引用開始)

近衛文麿首相は幾度も天皇に戦争の中止を訴えた。天皇一族は日清戦争、日露戦争を通じて多額の賠償金を得て、その一部をスイスの銀行に入れることで逆に彼らから弱みを握られた。ルーズヴェルトは借金漬けで弱みを握られていた。チャーチルしかり。スターリンは過去の悪行のほぼ全データを握られ、彼ら国際金融資本家たちを‘ご主人様’と呼んでいた。フルシチョフ元首相の「フルシチョフ回想録」にそのことが克明に書かれている。明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座もスキャンダルの種になりえた。ここに、近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある。

(引用終わり)

この引用文は世界を支配する、本当の仕組みを示唆する記述となっています。ルーズヴェルト、チャーチルというときのアメリカ大統領とイギリス首相が借金漬けで、ロシアのスターリンは悪行のほぼ全データを握られ、国際金融資本家たちに弱みを握られていた、と非常に興味深いことが書かれています。ではここでこの3人のうちの1人であるチャーチルのそのあたりについて同じ鬼塚氏の「20世紀のファウスト」成甲書房 刊 という著作に詳しく書いてあるので以下に引用します。

(引用開始)

(前略)1938年3月下旬、第2次世界大戦勃発の1年前、チャーチルは借金のために田舎の別荘を売りに出そうとしていた。ロスチャイルドから依頼を受けた金融業者サーケインズ5・ヘンリー・ストラコッシュが借金の肩代わりを申し入れた。チャーチルは受けた。そしてそのとき、一つの条件を受け入れることになる。金のないチャーチルはヴィクトリア地区の汚らわしいモルペス・マンションに住んでいた。その過去をみることにしよう。

1928年当時、チャーチルは第一次世界大戦の回顧録「世界の危機」の続編を執筆していた。アスター卿の「タイムズ」から2000ポンドの前払い印税を支払ってもらった。これとは別に世界各国での連載を含めての5,000ポンド以上が彼の懐に入っていた。しかし、彼は貧乏のどん底にあった。ウォール街での株投資で大損失をしていたからだ。このことはすでに書いた。

ユダヤ王ロスチャイルド一族のバーナード・バルークはチャーチルにアメリカ講演旅行をやらせ、1万ポンドの保証をしてやった。それでも借金は返せず、バルークに特別に用立ててもらった。彼はユダヤ王ロスチャイルドの御用新聞「デイリー・メール」のビーヴァルック卿と特別契約を結び、8,000ポンド近い原稿料を得ていた。だがそれでも彼の経済的困窮は、別荘を売り払う段階までいったのである。

しかしチャーチルは海軍大臣、首相へとなっていく。政治家になれば収入は極端に減る。では誰が、何の目的のためにチャーチルの借金を返してやったのだろうか。ここまで書けば答えは書かなずもがなであろう。1939年3月、チェンバレン首相は海軍大臣にチャーチルを迎えなければならなくなる。チャーチルは1914年8月に海軍省に入っている。

海軍大臣になると、チャーチルはルーズヴェルト大統領に手紙を出した。2人は数多くの手紙をやりとりをする。一海軍大臣がアメリカ大統領と、どうして秘密のルートで手紙の交換が出来るのであろうか。この2人は「黒い犬」で、ユダヤ王ロスチャイルドから長い長い鎖の手綱で引っ張られていることを考えれば納得がいくのである。

チャーチルの人気は上昇していく。なぜか。チェンバレン首相の宥和政策に公然と抗議しだしたからである。ヒトラーがポーランド領ダイツィヒの割譲を要求した。チャーチルはヒトラーと闘えと叫びだした。黒い貴族の新聞は、戦争を煽りだした。1938年9月30日、イギリスとフランスは宥和政策をとり、侵略されたチェコを犠牲にして、ヒトラーと現状維持の協定を結んだ。この宥和政策は後にヒトラーによるポーランド侵攻により破られ、第2次世界大戦へと拡大していく。(後略)

(引用終わり)

チャーチルはウォール街での株投資で大損し、借金漬けになっていた。本を書いても借金は返せず、別荘まで天皇家の蓄財6売り払わざるをえないとこまで落ちぶれていて、ヴィクトリア地区の汚いマンション暮しをしていた。そこにユダヤ王ロスチャイルドの回し者バーナード・バルークが大戦が始まる1年前にきて、‘一つの条件’をのまされた。その条件とは・・・・上に書いてあるとおりです。首相になって第二次世界大戦を引き起こす、という条件です。

つまりユダヤ王ロスチャイルドなどの国際金融同盟の連中は、弱みをもっている人間をピックアップし、金を渡し、もちろん恫喝もし、操るということです。このことは世界中で起こっており、日本でも頻繁に起こされていて、政治家のスキャンダル暴露はその一つです。‘女を抱かせる’というハニー・トラップも含めて。

そして天皇家にも、スキャンダルは多々あり、そのことが国際金融同盟の天皇家支配に繋がっているということです。ゆえに「近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある」と著者の鬼塚氏は書いているのです。

そして先の引用文にさらに続く文章ではその戦争時におけるマネー・ゲームの様相が記されていました。以下に引用します。

(引用開始)

この国際決済銀行を舞台にして、戦争は続けられたのである。日本銀行と横浜正金銀行の大株主は天皇であった。天皇は、二人の役員(それ以外に事務局員たちも)をこの国際決済銀行に送り、取引をさせていたのである。天皇の代理人の役員が金儲けに奔走する場面がハイアムの「国際金融同盟」の中に書かれている。

「1942年夏、フランス政府の閣僚であり、ナチス占領下のパリにある民間銀行のヴォルムス銀行の役員であるピエール・プシューは、イブ・ブレアール・ド・ボアサンジューとBISで会合を持った。プシューはボアサンジューにドワイト・D・アイゼンハワー大将が北アフリカに侵攻する作戦を計画中であると語った。彼はこの情報を友人であるヴィシー駐在のアメリカ国務省代表のロバート・マーフィーから手に入れたのである。ボアサンジューはクルト・フォン・シュレーダーにこの情報を伝えた。シュレーダーと他のドイツ人の銀行家たちは直ちに、フランスの取引銀行と同調して、九〇億フランの金貨をBIS経由でアルジェに搬送した。ドイツの敗北を予測して、ドルの為替差損でボロ儲けを狙ったのである。ナチスの協力者たちはほとんど一晩で、自分たちの持ち金を三億五千万ドルから五億二五百万ドルまで増やしたのだった。この取引に関しては、BISのトーマス・H・マッキトリック、ヘルマン・シュミッツ、ミエル・プール、そして日本人役員たちも共謀に加担していた。この取引の別の協力者でナチス最高司令部にいる他の幹部たちに、この秘密を漏らしたものがいた。この男はバチカンの諜報活動グループに所属する工作員だった。この情報は1946年6月21日にオットー・アーベッツがアメリカ政府担当者に宣誓供述したことで明らかになった。」

この一文は、「戦争とは何か」を如実に示している。戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけではなく、巨大なマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。

この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。この銀行に加入していなければ、中国本土に攻め込む力さえなかったのである。ひと度、この銀行に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちばん金の儲かるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知りつくした人物は日本にいなかったし、これからも登場しないだろう。(後略)

(引用終わり)

このように‘戦争’とは国と国の間で行われる利益の収奪、憎悪だけでなく、国際金融同盟の連中がカネ儲けするために引き起こされるということです。否、その方が多いのです。

ところで前回記した私の文で引用させて頂いた「神々の軍隊」濱田政彦 著 三五館 刊 の文の最後に、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない」と記してありましたが、私はこの一文に強く違和感を覚えました。本当にそうか? と。

ではここで上に引用させていただいた本の著者である鬼塚氏の他の著作の一つである、

「天皇のロザリオ」成甲書房 刊
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%82%AA-%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%BD%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%AD%96%E8%AC%80-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862002


からこの一文についての鬼塚氏の見解が書いてある部分を抜粋してこの文を終わりたいと思います。

(引用開始)

(前略)日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の「神々の軍隊」が出た。この本の中で濱田は天皇の秘密資金について触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。

天皇家の蓄財3「 皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、中でも国際決済銀行、通称"バーゼルクラブ"は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣でなく、すべてを金塊で決済する銀行であった。


内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような皇室財産を海外に逃がすように指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に"洗浄"されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。


価値の高い資産である金塊(どこから手に入れたのであろうか?)の一部については、国際金融資本と密接な関係にある華僑(日本軍はユダヤ商人とならんで老練な華僑によって、中国問題で苦しめられた)に売却して外国通貨に換え、スイスにある皇室の口座に入れた。さらにその一部はナチスの資産逃亡の手口を倣って、潜水艦によって秘かに南米アルゼンチンに移送された。

大戦末期、ナチスの残党は、親ナチの南仏、スペイン、ポルトガルを経て、潜水艦でナチスの資産が隠されている南米(アルゼンチン、チリ)に大挙して逃走した。そして天皇家の蓄財7南米各地に拠点置き、戦後も世界の反共団体に援助をあたえ、世界政治に隠然たる影響を及ぼし続けているが、このナチスの隠し資産には天文学的な量の金塊が含まれていた。これらはアルゼンチン、チリを経て、さらに南極に移送されたというが、皇室が潜水艦でアルゼンチンに金塊を移送したというのは、想像以上にナチスコネクションと日本の関係が深いことを示唆するものである。加えて言えば、バチカンがナチスに戦争協力したことが近年明らかになってきているが、皇室とバチカン、そしてバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界的な闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。

M資金の闇は深い・・・・。」

濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏に見えるのは、その資産を戦後の復興に使ったからなのかも知れない。」には全く賛成できない。私は、昭和天皇が戦後も、マニングの書いているように蓄財作戦に熱中したと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人びとを悩ませたのである。

マーク・ゲインの「ニッポン日記」
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E6%97%A5%E8%A8%98-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/4480084282


には天皇の財産について詳しく書かれている。だがここではすべて省略する。初版本で書かれていることが再版本では省略されているとのみ書く。1946年3月24日、マーク・ゲインは天皇の埼玉行幸を描いている。

大麻3「天皇はただ一人で正食をとった。天皇以外の我々は、冷たい飯と悪臭鼻をつく大根の漬物と、その紡績会社から出された刺身の小片を口に押し込んだ。窓からみると、女工たちが列をなして並んでいたので話をしようと思って戸外に出た。彼女らははずかしそうにクスクス笑うだけで誰も答えてくれそうになかった。が、とにかく彼女等は「十五歳」 ---- 最低就労年齢 ---- で、1日9時間半働き、一日三円乃至五円支払われていることを聞き出した。そこへ天皇が出て来たので、彼女等は最敬礼をし、支配人の号令一下、万歳を唱えた。それから彼女等の専制君主をみようと首を伸ばすのであった。」

当時の女性の日給は1日9時間半働いて1日3三円ないし五円。1945年8月15日から約半年たっているので
、インフレが進んだ後だから半年前はもっと安い。たぶん一円から三円であろう。

計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的金額がクローズアップされる。

それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は三十七億二千万円」。

木下道雄の(元侍従長の)「側近日記」
https://www.amazon.co.jp/%E5%81%B4%E8%BF%91%E6%97%A5%E8%AA%8C-%E6%9C%A8%E4%B8%8B-%E9%81%93%E9%9B%84/dp/4163442103


が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。

「ところで戦争直後の天皇家の財産は37億5千万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7,912億円である。」

この数字の10倍近くをスイスの銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100天皇家の蓄財8億円を切っていた。天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。天皇の「キリスト教入信」対策は、この2つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。

これが大東亜戦争を天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。

それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも広田弘毅(私の注:終戦前の首相経験者の1人)のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。

(引用終わり)

ということです。戦前も戦後も天皇家は全く貧乏なんかではないのです。そしてこの天皇を安倍晋三は今の象徴から戦前の元首にしようとしています。明治維新後、伊藤博文が大室寅之祐を明治天皇に仕立て上げ、元首にしたように。その狙いは....... 皆さんもう、お分かりですよね?
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8123592.html

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[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
8. 中川隆[-11290] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:41:15 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[16]
2017.08.07
広島へ原爆を投下して以降、米国支配層は一貫して先制核攻撃を目論み、沖縄の軍事基地化も進めた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708070000/

広島が原子爆弾で破壊されたのは72年前の8月6日のことだった。64キログラムのウラニウム235を使った原子爆弾「リトル・ボーイ」をアメリカ軍の爆撃機が投下、兵士2万人以上のほか、市民7万人から14万6000人、合計すると9万人から16万6000人に達する。勿論、その後も環境中に放出された放射性物質によって人間を含む生物が殺され続けてきた。8月9日には長崎にも原爆が投下されている。

広島と長崎のほか、日本の大都市は焼夷弾で焼かれた。破壊された都市のひとつが東京。1945年3月9日から10日にかけて約300機と言われるB29爆撃機が深川、城東、浅草などを中心に空爆した。その際、そうした地域の周囲に焼夷弾を落として火の壁をつくって逃げ道を奪い、それから攻撃している。10万人、あるいはそれ以上とも言われる住民が殺された。こうした住民逆去るを目的にした空爆を指揮した人物がアメリカ空軍のカーチス・ルメイ少将(当時)。

この軍人による非武装の住民虐殺は第2次世界大戦の後も続く。1948年にSAC(戦略空軍総司令部)の司令官に就任したルメイは1950年に勃発した朝鮮戦争でも同じような空爆を朝鮮半島の北部で実施、3年間に人口の20%を殺したと本人も認めている。アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トン、朝鮮戦争では63万5000トンだと言われている。

ルメイがSACの司令官になった1948年、「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、翌年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

1954年になると、ルメイが指揮するSACはソ連に600から750発の核爆弾を投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。

1956年にSACは核攻撃計画に関する報告書(SAC Atomic Weapons Requirements Study for 1959)とその分析を作成した。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。1957年初頭に作成されたドロップショット作戦も先制攻撃が想定され、300発の核爆弾をソ連の100都市で投下、工業生産能力の85%を破壊することを予定している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

こうした先制核攻撃計画がアメリカで練られているころ、沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づく暴力的な土地接収で、武装米兵が動員されている。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になった。

1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物がライマン・レムニッツァー。この軍人は決して有能ではないのだが、第2次世界大戦の終盤、シチリア島上陸作戦を指揮したイギリスのハロルド・アレグザンダーに取り入ることに成功してから要職に就くようになった。

アレグザンダーはイギリス女王エリザベス2世に近い人物で、上陸作戦の際、下にいたのはイギリス軍のバーナード・モンゴメリーとアメリカ軍のジョージ・パットン。モンゴメリーはウィンストン・チャーチルに近い。

アレグザンダーはモンゴメリーに花を持たせようとしたことから連絡将校だったアメリカの軍人が怒って対立、替わってそのポストに就いたのがレムニッツァー。この人物は貴族が大好きで、モンゴメリーの操り人形になる。レムニッツァーとアレン・ダレスを引き合わせたのはアレグザンダーだと言われている。そして、レムニッツァーとダレスはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチスの幹部と秘密交渉を始めた。サンライズ作戦だ。

1945年5月にドイツが降伏した直後、チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、そして作成されたのがアンシンカブル作戦。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部の反対で実現していない。その直後にチャーチルは下野する。

首相でなくなってもチャーチルは大きな影響力を維持、1946年3月にはアメリカのミズーリ州フルトンで演説し、その中で「鉄のカーテン」が降りていると発言、冷戦の幕開けを宣言している。そして1947年、彼はアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会った際、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだと伝えられている。

そのトルーマンはルーズベルト大統領の急死を受け、副大統領から昇格したのだが、このふたりは親しくなかった。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりだ。

アレン・ダレスやライマン・レムニッツァーと同じようにソ連を先制核攻撃しようと目論んでいたひとりがカーティス・ルメイ。この好戦派グループとケネディ大統領は対立、キューバ侵攻作戦ではアメリカ軍が軍事侵攻することを認めず、ミサイル危機を話し合いで解決する。つまり、ソ連を攻撃するチャンスを潰してしまった。

アメリカ軍がキューバ軍を装って「テロ」を繰り返し、キューバに軍事侵攻するというストーリーのノースウッズ作戦も拒否した大統領はダレスをはじめとするCIA幹部を解任、レムニッツァーの議長再任を認めない。レムニッツァーはNATOを指揮するようになるが、NATOには秘密部隊が存在、イタリアやフランスで要人暗殺や擬装テロを繰り返すことになる。

テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。

アメリカの支配層にとって核兵器は一貫して攻撃のためのもの。これが「抑止力」や「核の傘」の実態だ。守りという点から考えると沖縄に基地を集中させるのは得策でないが、使い捨ての出撃基地だと考えれば納得できる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708070000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c8

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
9. 中川隆[-11289] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:41:48 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[17]
2017.12.13
中国とロシアが軍事的にも強く結びつく中、米国が日本と韓国を従えて軍事演習を実施した背景
アメリカ、日本、韓国は12月11日から合同軍事演習を実施した。アメリカから参加した2隻のイージス駆逐艦、「ステセム」と「ディケーター」を中心に、日本のイージス駆逐艦「ちょうかい」、韓国のイージス駆逐艦が演習を実施した。東シナ海ではアメリカのB-B爆撃機やF-35戦闘機、F-18戦闘機、また日本から4機のF-15戦闘機が飛行したという。

この演習は朝鮮を想定しているとされているが、実際の相手は中国とロシアのはずである。アメリカと緊密な関係にあるイギリスでは1945年5月にドイツが降伏した直後にソ連を奇襲攻撃する計画を立て、アメリカは1949年に中華人民共和国が建国されてから中国への軍事侵攻を目論んできた。今もその延長線上にある。

イギリスの奇襲計画はウィンストン・チャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に命じて作成させたもので、「アンシンカブル作戦」と名づけられた。それによると、1945年7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、参謀本部に拒否されて実行されていない。日本が降伏する前にソ連を攻撃した場合、日本とソ連が手を組む可能性があると懸念する人もいたようだ。

この計画が流れた後、7月26日にチャーチルは退陣するのだが、日本が降伏して第2次世界大戦が終わった翌年、1946年の3月に彼はアメリカのミズーリ州で「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至まで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言している。

それだけでなく、1947年にチャーチルはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。チャーチルは執拗にソ連の破壊を目論んでいた。ドイツ軍の主力がソ連に攻め込んでいたとき、西側が手薄になっていたにもかかわらずチャーチルはドイツを攻撃させていない。

フランクリン・ルーズベルトが1945年4月に急死した後、副大統領から昇格したハリー・トルーマン大統領は1947年3月、世界的な規模でコミュニストを封じ込める政策、いわゆるトルーマン・ドクトリンを打ち出した。

ジョージ・ケナンがXという署名でソ連封じ込め政策に関する論文を発表したことも有名な話だが、これらは1904年にハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が発表した理論と合致する。イギリスは一貫してロシア制圧を目論んできた。

マッキンダーは世界を3つに分けて考えている。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島だ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指し、そのロシアを支配するものが世界を支配するとしていた。そのロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯をマッキンダーは想定している。日本は内部三日月帯の東端にあり、侵略の重要拠点であるのみならず、傭兵の調達地と認識されていた。

第2次世界大戦後、アメリカでは外交官や軍人の好戦的な勢力がソ連の打倒を目指す。例えば、トルーマン・ドクトリンが発表された2年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告を作成、1954年にアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)はソ連を攻撃するための作戦を作り上げた。SACの作戦は600から750発の核爆弾をソ連に投下、約6000万人を殺すという内容で、この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」が作成されたのは1957年初頭だ。

こうした動きの中、沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、アメリカ軍は暴力的な土地接収を進める。1955年には本島面積の約13%が軍用地になったという。沖縄の軍事基地化はアメリカの世界戦略と結びついていると言えるだろう。

こうした軍事基地化が推進されていた当時、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めていたのがライマン・レムニッツァー。第2次世界大戦でイギリス軍のハロルド・アレグザンダー元帥に取り入り、アレン・ダレスを紹介されている。ダレスとレムニッツァーは大戦の終盤、ナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」をルーズベルト大統領に無断で実施している。

レムニッツァーは琉球民政長官の後、ドワイト・アイゼンハワー政権時代の1960年から統合参謀本部議長に就任するが、次のケネディ大統領とは衝突、議長の再任が拒否されている。衝突の主な原因はソ連に対する先制核攻撃をめぐるものだった。

本ブログでは何度も書いてきたが、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。

これも繰り返し書いてきたが、「核の傘」とはアメリカの先制核攻撃の拠点になることを意味する。1991年12月にソ連が消滅した直後、ネオコンをはじめとする好戦派が作成した国防総省のDPG草稿、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連がアメリカの属国になったという前提で立てられた世界制覇プラン。21世紀に入るとロシアがウラジミル・プーチンの元で再独立に成功、国力を回復させたのだが、それでもアメリカ支配層の内部にはボリス・エリツィン時代のイメージが残っていたようで、例えば、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文の中でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるようになると主張している。

その論文が出た2年後の2008年にアメリカ支配層の幻想を打ち破る出来事があった。その年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官はジョージア(グルジア)を訪問、8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴えてから8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。

ジョージアは2001年以降、イスラエルの軍事会社から無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器の提供を受け、軍事訓練も受けていた。2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。つまり、アメリカやイスラエルは周到に準備した上でジョージアに南オセチアを奇襲攻撃させたのだ。圧勝する予定だったのだろうが、ロシア軍に粉砕されてしまった。この時点でアメリカ軍やイスラエル軍はロシア軍に通常戦で勝てないことが明らかになったと言える。その後、力の差が開いたことはシリアでの戦闘が示唆している。

それでもアメリカ支配層の一部はロシアと中国を制圧しようとしている。アメリカ経済は半世紀近く前に破綻、その後は資金のコロガシ、投機市場の肥大化で誤魔化してきたのだが、その仕組みが揺らいでいることが大きい。ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうだなのだ。投機市場が縮小しはじめたなら大変な勢いで西側支配層の富は消えていく。ロシアと中国が健在である限り、そうした展開になってしまうだろう。来年、アングロ・シオニストの支配者たちはギャンブルに出る可能性がある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712120000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c9

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
10. 中川隆[-11288] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:43:01 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[18]
2018.10.04
沖縄の米軍基地は先制核攻撃のために建設され、その計画は今も生きている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810040000/

 沖縄県知事選で翁長雄志前知事の政策を継承するとしている玉城デニーが勝利した。名護市辺野古へ新しい基地を建設するという計画に沖縄県民は反対している。そのことを改めて示したと言える。

 沖縄県にある基地を存続させたがっているのは日本政府であり、アメリカ政府は執着していないという議論がある。悪いのは日本政府であり、アメリカ政府は悪くないと言いたいのだろうが、これには疑問がある。

 ヨーロッパを見るとアメリカ軍/NATO軍はロシアとの国境近くまで勢力を拡大し、国境近くにミサイルを配備している。東アジアでは韓国にTHAAD(終末高高度地域防衛)を強引に持ち込み、日本はイージス・アショアが配備される。中国やロシアとの国境近くにミサイルを配備しているのだ。その理由は先制核攻撃の態勢を整えたいからにほかならならず、沖縄の基地を放棄できないのもそのためだ。

 アメリカやイギリスの巨大資本は第2次世界大戦の前からソ連が的だった。ウォール街はドイツと深く結びついていた。そのドイツが軍の主力にソ連を攻撃させるが、スターリングラードで反撃にあって壊滅、1943年1月に降伏する。これでドイツの敗北が決定的になった。

 そこで慌てたのがイギリスとアメリカの支配層。両国はソ連との新たな戦争について協議している。イギリスではウィンストン・チャーチル首相が中心になったが、アメリカではアレン・ダレスたちOSSの幹部がフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でドイツ側と接触している。

 そして1945年5月、ドイツが降伏した直後にチャーチル首相はJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、5月22日に提出されたのがアンシンカブル作戦。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。これはイギリスの参謀本部が反対して実現していない。7月5日には総選挙があり、保守党は敗北してチャーチルは辞職した。下野したチャーチルは大戦後に冷戦の開始を宣言、ソ連に対する核攻撃をアメリカのハリー・トルーマン大統領に要請したことは本ブログでも書いてきた。

 核兵器を手にしたアメリカはソ連に対する先制核攻撃を目論む。例えば1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 1954年になると、SAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。(前掲書)

 実際にソ連を先制核攻撃するための準備が始まったのは1957年だと言われている。この年の初頭に作成されたドロップショット作戦では、300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(前掲書)

 核爆弾の運搬手段は戦略爆撃機かICBM(大陸間弾道ミサイル)。1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかった。ソ連がICBMの生産でアメリカに追いつく前なら核戦争でアメリカは圧勝できるとライマン・レムニッツァーJCS議長やカーティス・ルメイ空軍参謀長を含む好戦派は考えた。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、​1963年後半に核攻撃するというスケジュールを決めた​とされている。その作戦を実行する上で最大の障害だったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。


 ケネディ大統領は1962年にレムニッツァーの議長再任を拒否するが、イギリス軍の幹部によってNATO軍の司令官に就任する。大戦中、このイギリス軍幹部の紹介でレムニッツァーはアレン・ダレスと知り合い、ナチス幹部を救出するサンライズ作戦に参加した。これはルーズベルト大統領に知らせず実行されている。

 1950年代に沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていく。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になった。これがアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていることは言うまでもないだろう。そうした土地の接収が行われていた1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物がライマン・レムニッツァーだ。

 この当時からアメリカの基本戦略に変化はない。ロシアとの戦争に突き進む姿勢を見せていたヒラリー・クリントンを批判、ロシアとの関係修復を主張して大統領になったドナルド・トランプだが、有力メディア、議会、司法省/FBIからの執拗な攻撃を受け、今ではロシアや中国との軍事的な緊張を高める政策を打ち出している。それがアメリカ支配層の意思であり、日本の政治家、官僚、マスコミはその意思に従う。改憲や緊急事態条項はそうした背景から出てきている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810040000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c10

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
11. 中川隆[-11287] koaQ7Jey 2020年9月20日 09:43:34 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[19]
2019.08.04
広島と長崎に原爆が投下されたとき、すでに米英はソ連との戦争を始めていた
 1945年8月6日にアメリカ軍は広島へウラニウム235を使った原爆「リトルボーイ」を落とし、8月9日に長崎へプルトニウム239を使った原爆「ファット・マン」を落とした。その年の末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われているが、晩発性の放射線障害による犠牲者を含めれば、数字はさらに膨らむ。

 その年の3月9日から10日にかけて東京の下町は大規模な空襲で火の海になり、10万人、あるいはそれ以上とも言われる住民が焼き殺され、そのほかの都市も空爆で多くの人が犠牲になった。3月23日には沖縄本島へアメリカ艦隊が攻撃を開始、26日には慶良間諸島へ上陸した。沖縄の第32軍を指揮していた牛島満司令官が長勇少将と自殺したのが6月23日。アメリカ軍は7月2日に沖縄戦の終了を宣言した。

 その間、4月12日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、5月上旬にドイツが降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日に「アンシンカブル作戦」が提出される。

 その作戦によると、攻撃開始は7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 ソ連へ攻め込んで壊滅したドイツ軍に替わり、アングロ・サクソン軍がドイツ軍とポーランド軍を引き連れて攻め込もうというわけだが、この作戦は実行されていない。参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 チャーチルは7月26日に下野するが、その10日前にアメリカは原爆の爆発実験(トリニティ)を成功させた。これを受けてハリー・トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可し、26日にアメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言を発表したわけである。

 首相の座を降りた後もチャーチルはソ連との戦いを諦めない。そして1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げたのである。

 デイリー・メール紙によると、​1947年にチャーチルはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだ​とするFBIの文書が存在する。

 1932年の大統領選挙でニューディール派のルーズベルトが当選したことを受け、ウォール街、つまりアメリカの巨大金融機関は1933年から34年にかけてニューディール派を倒してファシズム政権を樹立するクーデター計画を立てていた。

 この計画はスメドレー・バトラー少将が阻止、議会でも詳細に証言している。その後の研究でウォール街がナチス時代のドイツを支えていたことも判明しているが、ウォール街はシティ、つまりイギリスの巨大金融機関と深く結びついている。

 ドイツが降伏したのは1945年5月だが、実際は軍の主力は1943年2月にスターリングラードで壊滅している。つまり、その時点でドイツの敗北は決定的だった。それを見てアメリカとイギリスは慌てて動き始め、1943年7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸、1944年6月にノルマンディー上陸作戦を実行した。

 これはソ連軍より先に西ヨーロッパを制圧することが目的で、ドイツ側とも話はついていたはず。スターリングラードでドイツ軍が壊滅してからドイツ軍の幹部たちはアレン・ダレスたちと盛んに接触。その結果、アメリカ政府はナチス幹部などの逃亡を助け、保護し、後に雇用することになる。

 1945年4月に急死したルーズベルトや45年1月まで副大統領だったヘンリー・ウォーレスはウォール街とファシストとの関係を熟知していたはず。ルーズベルトは1938年にファシズムを私的権力が政府を所有している状態だと定義、ウォーレスは44年にファシズムの脅威がアメリカを襲うピークは第2次世界大戦の後だと主張、米英は帝国主義化し、アメリカをロシアとの戦争へ向かわせると警告していた。

 ウォーレスはスキャンダルで副大統領から商務長官へ降格になり、シオニストをスポンサーにするハリー・トルーマンが新たな副大統領になる。ルーズベルトの急死で大統領になるのはこのトルーマンだ。そのトルーマンはウォーレスを嫌い、1946年9月に務長官を辞めるように通告してホワイトハウスから追い出している。その時、すでにチャーチルはソ連との戦争を始めていた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908040000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c11

[昼休み52] 名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は? 中川隆
39. 中川隆[-11286] koaQ7Jey 2020年9月20日 10:20:05 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[22]

『眠る村』
冤罪の可能性強い死刑事件を追う
腑に落ちない村民たちの言動
東海テレビが40年にわたり記録
http://fipa-japan.jp/20190207_01.html

 映画『眠る村』(2018年、齋藤潤一・鎌田麗香共同監督、ドキュメンタリー、東海テレビ放送製作、96分)のタイトルからは、何ら具体的イメージがわいてこない。しかし、司法と政治権力による冤罪(えんざい)の可能性が強い、死刑事件を扱っている。本作は、昭和のミステリーとも言える裁判の記録である。

  昭和のミステリーは、1961年に起きた名張毒ぶどう酒事件である。舞台は、三重と奈良にまたがる葛尾(くずお)。事件は三重県名張市側の名を取り、「名張事件」と呼ばれている。 葛尾は山間の集落であり、住民は現在20世帯、大部分が老齢者で、57年前の事件を知る人々である。

山間の葛尾村落   (C)東海テレビ放送 ※以下同様


法廷の奥西勝

上告審請求の妹、岡美代子


奥西勝宅

奥西勝を支える妹、岡美代子


村人へのインタヴュー中の鎌田麗香監督

事件後に建てられた観音像


証拠とされた「ニッカリンT」

無罪判決を受けた奥西勝被告

40年間の長期取材

 この事件を追うのは、フジテレビ系列の東海テレビ放送(THK/名古屋市東区)で、1978年からドキュメンタリー番組として7作放映し、2018年の本作放映まで、実に40年間にわたる長期取材を続行した。しかも、テレビ版のみならず、劇場版を3作制作している。
東海テレビ放送ドキュメンタリー部門のプロデューサーに阿武野勝彦がいる。この彼が「名張事件もの」のほぼ全作を手懸けている。ドキュメンタリーの強いテレビ局には、必ず彼のようなけん引車的プロデューサーが存在する。     


事件とは

 葛尾は南北に伸びている村落であり、公民館における南北住民同士の懇談会が恒例の慣わしであった。ここで事件が起きた。女性用として振る舞われた、ぶどう酒(男性には日本酒)に何者かが混入した農薬「ニッカリンT」によって、5人の女性が死亡した。その6日後、会に出席していた奥西勝(当時35歳)が犯人として逮捕された。
一審では物証がなく無罪となるが、5年後の控訴審で一転死刑判決を受ける。その後、刑務所から9度の再審請求を出すが、ことごとく裁判所に棄却される。そして2015年、奥西勝は八王子医療刑務所において肺炎により89歳で死亡する。
物証のないこの裁判、司法は容疑者の死亡を待っていたフシがある。これは、帝銀事件における平沢死刑囚の場合と似ている。再審を拒否し、死ぬまで刑務所にとどめておく手法である。


筆者の疑問

 筆者は、一連のドキュメンタリーをテレビ放映で数本見ているが、最後まで腑に落ちなかった記憶がある。
それは村民たちの反応である。村人たちは、奥西勝が三角関係の清算するための犯行と自供(「させられた」と一審ははっきり認めている)後、彼らはそれまでの証言を一変させ、奥西勝真犯人説を唱えるようになった。
取材に対し彼らは寡黙で、できたらこの事件にかかわりたくない様子がはっきりと見てとれる。そして皆、奥西勝1人が泣いてくれればと思っている様子なのだ。
司法の解決手段として、たとえ無実でも犯人を挙げれば一件落着なのだ。老齢の村民たちは、絶対に何かを隠し、この村を平安な地にせねばならぬ意志が感じられた。小さな集落で真相を皆が知っているはずなのに、この沈黙。ムラの掟(おきて)であろうか。


警察の追求の矛先

 犯人とされた奥西勝は、最初は参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道)に就職するが、21歳の時に葛尾に戻り農業に従事し、村の奥西家の分家を継いだ。作中、はっきり触れていないが、本家の主は、懇親会会長の奥西楢雄と思われる。
会長の奥西楢雄も警察の厳しい取り調べを受け、自白させられそうになったと語っている。なぜ、警察の追求の矛先が奥西勝だけに向いたのか、これは司法の沈黙の壁で明らかになっていない。


奥西勝の弱み

 人は、おのおの弱味を持つものだ。個人的経験だが、大学の法学の授業で「人は叩けばほこりが出る」(言外に、警察や公安は常に何らかの理由を付けて君らを引っぱれるの意)を聞いた時、ひどく驚いたことがある。
奥西勝のケースも同様だ。彼は妻以外に、村の未亡人と懇(ねんご)ろとなり、いわゆる三角関係を結んでいた。村社会では有力者が女性を囲い、女性も打算が加わり擁護を求め、男性のお世話になる話は珍しくない。
しかし、奥西勝にはさして財産といわれるものはなく、彼に未亡人を取られた有力者の存在を感じさせる。村人たちも、その間の事情は熟知しているはずだ。
さらにもう1点、茶の栽培をしている農家として、彼は「ニッカリンT」を持っており、それを理由に、彼が犯人に違いないと主張する懇親会出席者の証言もある。農家には農薬は必需品であり、彼1人だけが農薬を持っていたとは言い難い。


現場主義

 この事件の40年にわたる取材でディレクターは3人代わったものの、変わらないのは現場主義である。本作では、3代目の女性ディレクター鎌田麗香がせっせと現場に足を運び、当時を知る村人たちにいろいろと話を聞いて歩いた。
村人たちは、気さくで純粋で勤勉であり、善人ばかりなのだ。そこで鎌田ディレクターは、矛盾する事実を感じ取る。善い人でも、率先して善いことをするとは限らない。そして、「真面目な人柄こそが冤罪を生む要因ではないか」と考え始める。
最終的に人々は「村」という組織の一員たる選択をする。そのため奥西勝には泣いてもらい、証言も一変させる。また、村人たちを見てすごいと思わせるのは、「実は」と真相を語る人間が出現しないことである。
過去に触れまいと、公民館を解体したり、奥西勝の墓を畑に捨てたりと、思い出すことを拒否する。鎌田ディレクターの分析は正鵠(せいこく)を射ているのではなかろうか。


疑問点

 解明できない謎。弁護団は判決を覆すために、状況証拠を科学的な再検証で切り崩しにかかった。まず、ぶどう酒に混入されたとされたのは「ニッカリンT」ではなく、ほかの農薬であることを突き止め、第7次再審請求でこれを指摘し、再審開始の決め手となった。
しかし、7回目の請求は同じ名古屋高裁で、翌年取り消される。時代が違えば、再審決定で保釈された袴田事件の例がある。この一例からしても当時の司法の硬直ぶりが分かる。司法が自白を優先した結果で、この時、奥西勝は79歳。この再審決定で、予想された彼の保釈は期待外れに終わった。
農薬混入に関しても、奥西勝が持ち込み、1人になった10分間に実行したとされていた。だが村人の証言では、3時間前にぶどう酒は会長宅へ届けられ、その後公民館に搬入されたことが分かっている。
3時間あれば、ほかの村人の関与の可能性が疑われる。その後、村人たちの証言は一斉に変わった。一審判決では、この証言の変わり方を「検察の並々ならぬ努力」によるものとしている。
また、ぶどう酒のビンだが、弁護団の科学的鑑定により、王冠に巻かれた「封緘紙(ふうかんし)」が事前に開けられ、毒を入れた可能性が指摘された。奥西勝以外の人間による毒の混入の疑いが発生した。
これらすべての疑問点を無視し、名古屋高裁は弁護団の新証拠を取り上げることなく、自白の信用性を優先させ再審請求を棄却し、奥西勝の死刑は確定する。
そして、第9次再審請求中に奥西勝は獄死。しかし、再審請求、棄却の繰り返しで彼の死後も審理は続いている。
本作を見終わり、司法という「村」が新証拠にきちんと向き合えば、裁判の結果も変わってきた可能性があることを痛感する。
もし冤罪であれば、国家への対し方も変えねばならない。人間の一生を弄(もてあそ)んだ責任は、被疑者に対する賠償だけでは不十分である。例えば、裁判長や検察責任者への損害賠償請求、あるいは高額な罰金と退職金の返納、そして刑事罰が課せられておかしくない。
東海テレビ放送の40年にわたる映像による追及、世の中の公平さを維持するために大いに貢献している。これはメディアの本分である。

(文中敬称略)

《了》
2月2日から東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開

映像新聞2019年1月28日掲載号より転載

http://fipa-japan.jp/20190207_01.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html#c39

[昼休み52] 分かっていても公表できないこともある 中川隆
30. 中川隆[-11285] koaQ7Jey 2020年9月20日 10:22:37 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[24]
第9回死刑映画週間『眠る村』



http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/289.html#c30
[昼休み52] 名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は? 中川隆
41. 中川隆[-11284] koaQ7Jey 2020年9月20日 10:40:11 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[26]
【事件現場を歩く】名張毒ぶどう酒事件の集落を訪ねて【眠る村】
2020/07/28






http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html#c41
[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ
タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ


TANNOY 製品一覧 タンノイ
https://audio-heritage.jp/TANNOY/index.html

逸品館 Tannoy タンノイ スピーカー 製品一覧
https://www.ippinkan.com/SP/tannoy_page1.htm

TANNOY | エソテリック
https://www.esoteric.jp/jp/brand/tannoy


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Club SUNVALLEY/私のオーディオ人生
 今迄沢山のタンノイシステムを聴いてきましたがモニターブラックこそ本来のタンノイサウンドと痛切に感じた、三上先生がおっしゃるにはタンノイはブラックとシルバーがタンノイの音であると云っていましたが私も同感です。シルバーは他で聴くことがありましたがブラックになるとまず聴くことも見ることもできない超が付くレアなユニットになる。

 最近のタンノイのサウンドはこのモニターブラックと比較するとドンシャリ傾向の音になっているのが多い、タンノイのブラック、シルバーのユニットは低域も高域も欲張らず中域から音作りをしているのではないだろうか、特にあの中域の厚みのある心地よい響きと特徴のある音色は最近のタンノイでは聴いたことがない特筆すべき音であった、タンノイブラックを試聴すると現代のタンノイは低域も高域も伸ばしたため中域の薄い(中抜け)不自然な音に感じるがこの音が好みだと云われれば返す言葉も無いが一度でもよいからブラックやシルバーを聴いてみれば私の云っていることが理解できると思う、

 又このモニターブラックも私が愛用しているロンドンウェスタン直系の音と非常に似通った音色が印象に残った、ボックスは多分オリジナルボックスのランカスターを流用されたと思うがユニットとボックスが大変マッチしているからこそ本来のタンノイの響きが出ているのではないだろうか、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028

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Club SUNVALLEY/私のオーディオ人生
第28回オーディオのパラレルワールド
by Y下
 https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028

 今回はオーディオのパラレルワールドになります。テレビで大人気であったドラマ「仁」の中で南方医師が江戸にタイムスリップして現代に戻って来た時にパラレルワールドと云うセリフが出てきました、パラレルワールドとは今の世界と平行したもう一つの世界をパラレルワールドと云います。

オーディオで云うならば皆さんが使っているアルテック、タンノイ、JBLや現代の代表的なスピーカーは一般的な(A)の世界の音ですが(B)の世界はこのようなスピーカーとは隔絶したもう一つの世界の音である。

 私が聴いた限り上手く鳴らされていたウェスタンエレクトリックのカールホーンを使ったホーンシステム、オイロダインやロンドンウェスタン及び直系の音こそ現代のサウンドとは異なる次元の違う(B)の世界と云えよう、では私が体験したもう一つのパラレルワールドの音の世界をご紹介します。今回は三上先生の御好意により先生のホームページから写真をお借りして掲載しました、


ウェスタン13B 隣りにあるのはウェスタンの25Aホーンシステム
ウェスタン15Bシステムと25Aホーンシステム

正面に設置してあるのが有名なシーメンスオイロダインシステム、このサウンドもWEやロンドンウェスタンとは少し系統が違うが見事なサウンドを聴かせて頂いた、

三上先生宅のウェスタン15Bサウンド
 今迄沢山のウェスタンシステムを拝聴させて頂きましたがすべてウェスタンだから良い音とは云えない酷い音も沢山ありますが三上先生宅で聴くウェスタンのシステムは石川県小松市にお住まいの中さんと双璧のお見事としか云いようの無いパラレルワールドの音がしている。勿論スピーカーだけでこのようなサウンドが出るのではない、15Bを鳴らすアンプはWE−300BPPウェスタンの86Bのオリジナルと昇圧トランスは618Bがこの音作りに寄与しているのは云うまでも無い、

 私は人様のシステムの音を褒めるタイプではないが三上先生宅で聴かせて頂いたチェロの響きと音色は実態感を伴った電気臭くなく木の香りが漂う素晴らしいの一言に尽きる、このサウンドをじっくり聴くと低域がどうだとか高域がどうだとか講釈を垂れる音ではない、また大型のホーンシステムなのに音像は大きくならずホーン臭さも無い、最近のテカテカした派手な喧しいサウンドとは違いこれぞ大人のサウンドと云える。多分低域用のユニットがエルタスの4181を使用しているからこそこのようなバランスの取れたサウンドになるのではないか、
 ウェスタンを上手く鳴らすにはやはり4181を使わないとその良さが出てこないのではないだろうか、このウェスタンを試聴すると現代のサウンドは電気臭い音が蔓延していて何となく人工サウンドに聞こえてくる。
 三上先生宅へは沢山のオーディオ評論家が訪れたり雑誌の取材で紹介されたりもしているがこの音作りこそ三上先生のご自身の「自分の音」と思うがただ高価な機器を接続しただけではこのような音にはならない、暗中模索で大変苦労をされたのではないだろうか、


正面に鎮座しているWE−15Bホーンで聴くチェロは現代のサウンドとは全く異なるこれこそパラレルワールドのサウンドであった、

ウェスタン25Aホーン+4181スピーカー
 二つ目のウェスタンは25Aホーンシステムで低域用は4181になります。先程の15Bとは多少音が異なるのがわかる。音は勿論ウェスタンサウンドであるが音の抜けを比較すると好みとしては15Bのが好きかも、このホーンシステムは福井県の万月氏や石川県小松市の中さん宅でいつも聴いていますからそれ程ビックリしないがパラレルワールドのAの世界の音しか知らないマニアが聴けばおそらく言葉が出なく度肝を抜かれびっくりするだろう、25Aホーンを聴くと大変浸透力のある心地よいサウンドだ、
 特に素晴らしかったのは女性ボーカルの歌声が目の前で歌っているような錯覚に捉われた、この25Aの音は小松の中さんと良い音での双璧であるがこのシステムも低域用の4181が寄与している、
 贅沢な注文であるが私の好みからすると後ほど聴かせて頂いたロンドンウェスタンが好みに合うのとこのようなシステムは一般家庭では置けないのが残念だがこの25Aのサウンドもパラレルワールドの音である。


タンノイブラック
 今迄沢山のタンノイシステムを聴いてきましたがこのモニターブラックこそ本来のタンノイサウンドと痛切に感じた、三上先生がおっしゃるにはタンノイはブラックとシルバーがタンノイの音であると云っていましたが私も同感です。シルバーは他で聴くことがありましたがブラックになるとまず聴くことも見ることもできない超が付くレアなユニットになる。

 最近のタンノイのサウンドはこのモニターブラックと比較するとドンシャリ傾向の音になっているのが多い、タンノイのブラック、シルバーのユニットは低域も高域も欲張らず中域から音作りをしているのではないだろうか、特にあの中域の厚みのある心地よい響きと特徴のある音色は最近のタンノイでは聴いたことがない特筆すべき音であった、タンノイブラックを試聴すると現代のタンノイは低域も高域も伸ばしたため中域の薄い(中抜け)不自然な音に感じるがこの音が好みだと云われれば返す言葉も無いが一度でもよいからブラックやシルバーを聴いてみれば私の云っていることが理解できると思う、
 又このモニターブラックも私が愛用しているロンドンウェスタン直系の音と非常に似通った音色が印象に残った、ボックスは多分オリジナルボックスのランカスターを流用されたと思うがユニットとボックスが大変マッチしているからこそ本来のタンノイの響きが出ているのではないだろうか、


手前に見えるのがタンノイのモニターブラックで後方のシステムは珍しい
テレフンケンの085aモニタースピーカーでこのシステムは私も始めて見るシステムで音質、音色はカチッと締まった大変心地よいサウンドであった、


タンノイブラックのボックス内部の写真でユニット自体も大変状態の良いもので強力なアルニコマグネットを採用した初代ディアルコンセットリックスピーカーになる。タンノイファンなら一度は聴く価値はある。


家庭用のシステムに収めたロンドンウェスタン2080A、2090Aの2Wayシステムでこの音を聴くと米国ウェスタンとはベクトルが若干異なるが貴賓と渋さがプラスされた品位の高い音である。音質は一言で云うならば巷でよく耳にする枯れたサウンドとはこの音である。


ロンドンウェスタンの2080A、2090Aボックス内部の写真でスピーカーは強力なアルニコマグネットが使われている。ボックス内部と可愛いワンちゃんのツーショット写真

ロンドンウェスタン2080A、2090A
 最後に拝聴させて頂いたのは幻のスピーカーシステムでロンドンウェスタンだ、私が持参したいつもリファレンスで聴いているビバルディのヴァイオリンソナタのレコードが果たして私のシステムの音とどう違うのか本家の音とはどのような音なのだろうか、不安と期待が入り混じっていたのは間違いない、
 自分のシステムと比較した場合まったく異質な音であれば私のユニットはニセモノになってしまうか上手く鳴らせない力量不足になってしまう、
 早速聴かせて頂くと先程聴いたウェスタンの音とは多少音色も異なるのとスケール感も違う、目を瞑ってビバルディのヴァイオリンソナタをじっくりと聴くと音質、音色が同じイメージに重なり自分の家で聴いているような錯覚を覚えた、このロンドンウェスタンの音は言葉では云えない一種独特のサウンドで現代の一般的なHiFiサウンドとは異なりこれこそパラレルワールドの音だ、
 ヴァイオリンの響きは電気臭くない木の香りすら漂ってくるのがわかる。オーディオを追求していくと最後はこの音に魅了されるのは私だけではないはず、    このロンドンウェスタンのサウンドを聴くと現代のHiFiサウンドは申し訳ないが長く聴いていると時間の経過と共につまらなくなり飽きが来てしまうがロンドンウェスタン系はオーディオマニア、音楽マニアを引き付ける魅力たっぷりのスピーカーと云えよう、ただこのような音を出すには相当レベルの高いアンプと高度なテクニックと肥えた耳を持っていないと上手く鳴らないのではないか、

三上先生に想う
 今回はオーディオのパラレルワールドをご紹介しましたが現代のシステムは駄目とは云わないが(B)の世界の音を聴くとオーディオ観も音楽観も変わるような気がする。私もヴィンテージ愛好家ですから先生とは大変意気投合出来たのではと思う、
 三上先生はもうお亡くなりになりました伊藤喜多男先生や池田圭先生と長年交流があったと云われています。またステレオサウンド誌、管球王国などに先生のシステムが紹介されオーディオ評論家も先生宅へ訪問されている。
 三上先生は私より三つ年が上ですが大変(懐の深い)方で私はこの方こそオーディオの師匠、先生、教授と云える「器」を兼ね添えている方だと思う、
 よくネットなどを拝見すると達人とか師匠、教授、先生と呼び名がついているコラム、ブログを時々見ますがこの方たちは本当に音がわかってそのような呼び名でやり取りしているのだろうか疑問に思うこともある。オーディオに関してはレベルの高い方が沢山いますからそのような方が読まれたら馬鹿にされるか笑い者になるだけですからその辺を弁えないと恥ずかしい思いをするのではないだろうか、
 また真空管アンプ等は自由自在に設計製作が出来てオーディオのすべてを知り尽くしてその呼び名が付いているのなら納得する。
 私は小さな「器」しか持ち合わせていないマニアです。先生、師匠、達人、教授と云われている方達がどれ程の「器」なのか見せて頂きたいものである。

あとがき
 三上先生宅で特に良かったのは可愛い3匹のワンちゃんが私になつき傍で音楽を聴きながら居眠りをしていたのが音よりも印象に残りました、ワンちゃんも良い音はわかるんですね、

 今回はオーディオのパラレルワールドを題材にしましたが皆さんも是非このパラレルワールドのサウンドを体験されると面白い、

 ヴィンテージショップなどでウェスタンやその他ヴィンテージスピーカーを鳴らして店主は能書きばかりでまともに良い音で鳴っていないのが多いのとすべてヴィンテージスピーカーだからパラレルワールドのサウンドと思ったら大間違いである。やはりマニア宅で上手く鳴らされているのを聴くのがベスト、「百聞は一聴にしかず!」

 確かにオーディオは進歩しているが最終的に判断するのは聴く人の感性と鳴らし方ではなかろうか、またパラレルワールドのサウンドは装置を忘れてじっくりと音楽が聴ける。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028

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グッドマン3Way、コアキシャルタイプのバイタボックス、ステントリアン等はタンノイと違って使っている人は極少数で知らない人が多いと思う、こんな超レアーが付くスピーカーを聴かれた方は少ないから情報がまずない、しかもオリジナルの音などあって無いようなものだ、

タンノイなら周りを見れば持っている人は沢山いる、クラシックファンが10人いれば8人まではタンノイと言われている、ヴィンテージショップに行けば何時でもタンノイなら試聴できるから購入しても失敗がなく誰が鳴らしてもタンノイトーンになり安心感はある、
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オーディオの再出発はスピーカーありき

オーディオを再出発するにあたって一番悩ますのはスピーカーです。スピーカーの選定でその人の聴くソースのオーディオ人生は決まるような気がする。1970年代に使用していたスピーカーはエレクトロボイスのユニットを使っていましたが再度同じスピーカーはほしいと言う気が湧きません。(もうコリゴリ)

既製の出来合いのスピーカーシステムの場合、改造が出来ませんから遊び心があまりなく面白みに欠ける部分がありますが失敗をしないのであれば選択の余地はありますが自分の求める音と違えば即売りになってくる。以前から私はフロアー型のスピーカーが自分好みでありました。デザイン的にはタンノイのコーナータイプが部屋の調度品になる素晴らしいデザインですがタンノイのスピーカーシステムはだけは価格が高く私としては手が届きません。特にあのオートグラフはほしいのだがリビングには置いてもらえない、置いたら私は家を追い出される、

クラッシックファンはタンノイで決まりは今の時代も同じですが、あのタンノイサウンドは下手に鳴らすと高域が多少ソリッド的でヒステリックになり低域がボーボーした傾向がある、俗に言うドンシャリ(上手く鳴らせば素晴らしい音ですが)中々良いタンノイサウンドには巡り合わないが私が聴いた中でお見事と言えるタンノイサウンドは皆さんご存知のSUNVALLEY AUDIOさんの試聴室のタンノイだけである、

皆さんが使用しているタンノイサウンドがブリテッシュサウンドの代表と思われているが私は違うと思う、他にも沢山のスピーカーの名器は有りますが英国のヴィンテージスピーカーでタンノイ以外は不思議と巷ではあまり見かけない、ヴィンテージの専門店の話によると「イギリス政府が本国のヴィンテージ品は外に出すな」とおふれがあったとかないとか事実だとすれば非常に残念でもある。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-009

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Club SUNVALLEY/私のオーディオ人生
第3回 懐かしきオーディオ仲間、コンコルド訪問記
by Y下
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-003

当時の懐かしきオーディオ仲間
 1971年〜1974年の4年間が私のオーディオに対しての集大生でもありました。この時代はステレオブームであり、真空管アンプの絶頂期でもあった、当時は神戸にありましたサンセイエンタープライズから欧州の真空管が紹介され珍しいのも手伝って自作マニアは欧州の真空管を使用したアンプを必死になって製作したのを覚えています。

 当時のオーディオ雑誌で無線と実験、ラジオ技術には必ず欧州の真空管を使用したアンプの製作記事が紹介されており人気を得ていた、欧州の真空管と言えば、KT−88,KT−66,DA−30,PX−25A,PX−4等は非常に興味を抱く出力管であったと記憶しています。

 自作マニア同士での情報交換もありお互い珍しい球が手に入ると自慢話に華が咲いた、本当に素朴な時代でもありました、オーディオショップやパーツショップに顔を出せば、お互い初対面でも同じ仲間意識で意気投合してオーディオ談義になります。
 ここで知り合った懐かしき当時のオーディオ仲間達は、もう故人になられた方もお見えと思いますが、年齢や職業など関係なくオーディオの情熱を語ったのであります。

I藤氏のオートグラフ
 I藤氏は愛知県の北部にお住まいの紡績会社を営む方で年齢は40代後半の非常に人当たりの良い中年紳士といったところです。当時の私は22歳で自分より年上の方でしたが、オーディオに関しては年齢に関係なく対等にお話したのを覚えています。

 最初にお会いしたとき、I藤氏が私にどんなシステムで音楽を聴いておられるのかと話かけて来ました、私は「プレーヤーはOO社を使用して、アンプは真空管の自作でスピーカーはエレクトロボイスで聴いている」と言いましたらI藤氏は「エレクトロボイスは一度も聴いたことがない」と興味があったのを覚えています。

I藤氏は「私は現在真空管アンプのDA−30とプリアンプはオンライフのU−22でタンノイのオートグラフで鳴らしておられ、もし宜しかったら聴きにきてください。」とご招待して下さいました。

タンノイのオートグラフはオーディオショップなどによく置いてあり私としては珍しいとは思わなかった、お誘いを受けた以上聴きに行かないと失礼にもあたると思い、軽はずみに「今度の日曜日に行きます」と言ってしまった。

I藤氏のオートグラフ

I藤氏のリスニングルームは会社の事務所が音楽を聴く場所で広さは約30畳もあろうかと思うぐらい広い場所にタンノイのオートグラフが鎮座してあった、リスニングポイントはスピーカーから約5mの場所での試聴がベストポジションであった。
 聴くソースは主にクラッシックがメインで、当時はビバルディーのレコードがリファレンスになっていた、I藤氏も最初の音出しはイム・ジッチの演奏でビバルディーの合奏協奏曲である。
タンノイのオートグラフは部屋の大きさから見れば小さく感じますが、近くに寄るとその存在感には圧倒されてしまいます。
メインアンプはパーツショップが製作したDA−30プッシュブルアンプです。この球はナス管と新型管の二種類がありますが、今回はGEC製の新型のDA−30です。この球は私も製作した経験がありますが、英国の球は米国とは多少ニアンスが違います。
予備機はL社のMQ−36をお持ちですが、ほとんど使用しないと言っていました。MQ−36は6336AのOTLアンプで、巷では有名なアンプです。 タンノイにはDA−30との相性があるらしくほとんど聴かないと言っていました。

I藤氏のオートグラフの音
タンノイのオートグラフと言えばタンノイのスピーカーシステムの中では、最上級に属するシステムですが、当時はこの下にGRF、レクタンギュラーヨーク、VLZがあったのを覚えています。 

I藤氏のオートグラフはモニターゴールドでエンクロージャーはオリジナルではなくU社のボックスですが、音を聴きますとタンノイらしい響きでクラッシック音楽を聴くにはぴったりと思えるぐらい表現力のある力強い音であったと記憶しています。
タンノイはどちらかと言うと繊細感のある音色ですが、この音が日本人好みの音作りかも知れませんが、英国のスピーカーはどちらかと言うとじつくりと聴くスピーカーで、米国のスピーカーはダンスホールで聴くようなスピーカーに感じた。
タンノイで聴くクラッシック音楽は上品な英国の貴婦人のような優しい音に聴こえてくるのですが、私の好みとは多少違う音でもあった、私も当時は年齢も若かったせいでもあるため、貴婦人の音より野生的な音の方が好みではあったが、年を取るとこのような音が好みになるかも。
音楽のソースにもよるが年齢と共に音楽の聴き方も変わってくるはずである、20代は癒し系よりパンチ力のある(かぶりつきの音)を好む傾向があると思うが、音楽の聴き方も世代によって違うから一概にどちらが良い悪いは言えない。
オーディオも大音量で鳴らせば部屋の響きもプラスされて以外と大味な傾向になるが、適量以下の音量で聴く場合は耳が全身のアンテナになり細かいところの音まで聴き取ろうとする。
I藤氏には悪いがオートグラフは確かにスケール感があって圧倒されるが細かく音を聴くと、多少荒い部分が見られる、まだ入荷して日が浅いからそのように聴こえてくるのか、何となく誤魔化されて聴いているような音に聴こえた。

I藤氏が「同じタンノイで上手く鳴らしている友人がいるから今度一緒に聴きにいきましょう」と誘ってくれました。
同じタンノイでも人が変われば違うタンノイの音になる。
人それぞれのタンノイトーンがあるから同一スピーカーでも興味がそそる。タンノイのシステムでどれが一番かを競うのはナンセンスだ。ただオートグラフだけは4畳半や6畳の部屋では鳴らない。
スピーカーシステムは部屋とのバランスも重要ではないか、大型テレビをかぶりつきで見ているようなものだ。

元海軍特攻隊のK藤氏
2週間後に再びI藤氏の自宅にお伺いした、今日はタンノイを上手く鳴らしている方への初めての訪問である。
I藤氏の自宅から車で15分ぐらいのところに友人宅がありました。名前はK藤氏で年齢は50代後半のかっぷくの良い紳士といったところです。
ご挨拶が済んだところで早速オーディオルームに案内していただきました。部屋は12畳の洋室で正面にタンノイV/LZとその横に三菱の2S−305モニタースピーカーが設置してあり左側にプレーヤーとアンプラックが整理されていました。
使用アンプは真空管の2A3シングルアンプ、プリアンプはラックスのCL−35です。プレーヤーはガラードの301、カートリッジは確かオルトフォンのSPU−Gであったような記憶がある。
音出しする前にK藤氏は一枚の写真を取り出して、「Y下さん私は昔、海軍の特攻隊の生き残りです、」とオーディオより戦争中の話が話題になり「全員で写っている写真の右側の人は全員特攻で亡くなってしまった。私も鹿児島の鹿屋基地からゼロ戦で出撃する予定だったが、終戦になり出撃が出来なくなった」と悲しそうな表情で特攻の悲話を話してくれました。
余談ですが、私の親父も軍隊に行きましたからK藤氏のお話をお聞かせいただくと、何となく自分の親父とオーバーラップしてきます。
特攻隊の悲話の話が終わり、早速タンノイから試聴開始です、レコードはイム・ジッチのビバルディーの四季からの音出しとなった。
I藤氏のオートグラフとは違うタンノイV/LZだ、果たしてどんな音で聴かせてくれるのか、固唾を飲んで音楽が鳴るのを待った。
 アーヨのバイオリンが鳴り出したとたん、素晴らしい響きで今まで聴いたことのないタンノイを聴かされた、音のバランスが絶妙である、音がピラミッドバランスになっている。
しかもバイオリンの音色が心地よく聞こえてくる、タンノイのV/LZを最初はバカにしていたけど、この音は英国の皇室のような音だ。
米国のエレクトロボイスとは品位が違う。この違いは何だろう、お国柄が違うと言えばそれまでだが。
 オーディオで他人のシステムの音を初めて聴かせていただくときは、必ず音のピラミッドバランスを重要視して試聴します。
 このバランスが崩れていると音楽が不自然になってくる。オーディオをやられている皆さんもこのピラミッドバランスを重要視してセッティングしてください。
 音にうるさいマニアが聴きにきてもピラミッドバランスになっていれば決して悪いとは、言わないはずです。
 これは大切な音決めの最初の基本ではないだろうか、 
 I藤氏のオートグラフとV/LZと比較するとスケール感こそないが、絶妙なバランスはさすがとしか言いようがないぐらい素晴らしい。オーディオショップで聴くV/LZは、ただ鳴っているだけだ。

三菱2S−305の音
タンノイを聴かせて頂いて感服している後に今度は三菱のモニタースピーカーの音出しとなった。
タンノイの余韻が残っている後の三菱の2S−305モニタースピーカーはどんな響きで鳴り出すのだろう?
レコードはクラッシックから一転して流行歌に変わった、私個人としては、はっきり言って興味がない。しかも美空ひばりと青江三奈だ。戦前派のK藤氏はこんなのが好きなのか、しかもオーディオ装置でこんな歌謡曲を聴くなんて、オーディオマニアはクラッシックかジャズが通り相場なのだが。
三菱のスピーカーからどんな音が聴けるのか、目を閉じてスピーカーに一点を集中しながら美空ひばりの歌が聞こえてくるまで固唾を呑んで鳴り出すのを待った。
最初のイントロから始まり美空ひばりの歌が流れ始めたとき、こんな切ない美空ひばりの歌は聴いたことがない。
低音がどうの高音がどうのと言う次元ではない。歌謡曲なんかバカにしていたけれど感動してしまう。

次は青江三奈の伊勢崎町ブルースだ。
イントロから始まり(あなた知ってる〜港ヨコハマ〜)この歌声を聴くと青江三奈はすごく魅力のある女性と感じた。
お色気ムンムンである。
「俺も青江三奈のファンになっておっかけでもやろうかなぁ」
それぐらい魅力のある歌声だ
良い音で聴く流行歌には本当に感動した。音が良いと歌まで上手く聞こえてくる。今まで色んなスピーカーを聴いてきたがこの三菱の2S−305は、さすがに日本が誇るスピーカーの名機だ、歌謡曲を鳴らしたらこのスピーカーの右に出るものはないぐらい素晴らしい。
この雰囲気はタンノイやエレクトロボイスでは出ない。K藤氏の音には魂がこもっている。
こんな音を聴いてしまうとオーディオとはいったい何だろうと考えさせられた。

(追記)テレビやラジオで青江三奈の伊勢崎町ブルースが流れると、K藤氏のことを思い出して昔を懐かしんでいます。

I藤氏との帰りの車中での会話
 「Y下さんK藤氏の音はどうでした?」この質問には答えようがなかった。井の中の蛙と言うことわざがありますが、それを実感したのが正直な感想であった。I藤氏は「今度はタンノイのオートグラフのオリジナルを鳴らしている友人がいるから一緒に行きましょう」と次の仲間への誘いがありました。
 オーディオへの音作りに対して良い耳を育てるには色んなシステムの音を聴かせていただくのが一番です。
 色んな音を聴くことで、おのずと耳は肥えてきますし自分のシステムの欠点が露出することもあります。また仲間同士でお互いのシステムを聴くことで音への向上心が出てきますから(井の中の蛙)にならないため、是非いろんな音を聴いてください。
 必ず自分が気づかなかった部分が見えてくるはずです。

同世代のO本氏のウェスタンエレクトリックの音
オーディオをやっていますとすべてが年上とは限りません、私の同世代の方も沢山いました。その同世代のオーディオ仲間の一人であるO本氏とオーディオショップで知り合いました。
彼は店舗などの構想図案を書いている方で彼とは大変意気投合してお互いに行ったり来たりの間柄であった。
彼のシステムはプレーヤーが松下製でカートリッジがデンオンのDL−103、メインアンプは自作でWE−205Dシングルアンプ、プリアンプも自作です。
スピーカーはウェスタンエレクトリックのドライバー、555を特注の12Aのカールホーンで音楽を聴いていました。
このウェスタンだけは家庭で聴く気が起こらない。
部屋の中に排気口のダクトのようなものを2つ設置して、かぶりつきでスピーカーの前で聴く、こんな不自然な聴き方がウェスタンなのか?本来はウェスタンのスピーカーは劇場の銀幕の後ろに置いて鳴らすスピーカーなのに、一般家庭に持ち込んで聴くスピーカーとは思えない。
ウェスタンのスピーカーを聴かせるときは決まってドリス・ディーのレコードが定番になっている。
クラッシックのバイオリンなどの弦楽器を鳴らすと振動板がアルミのせいなのか高い音が冷たい響きになる。
どうもコスル音は苦手なのかも、ただし映画のサウンドトラックのレコードをかけると確かにその魅力に惹かれるものはある。
ウェスタンの555の音は中域が少し喧しく聞こえる、このスピーカーを上手く鳴らすのは至難の業だと思う。
それより音を聴く前にあの排気口のようなダクトが気になって音楽どころではなかった記憶がある。
O本氏のウェスタンを聴くと世間で大騒ぎするような特別な音ではなかった、鳴らし方が悪いと言えばそれまでだけど、ウェスタンはもっと大きな部屋で鳴らさないとその良さが出ない、劇場のスピーカーを家庭に持ち込んで聴くのは、どだい無理のような気がした。

タンノイオートグラフのオリジナルの音
 1973年ごろのオーディオ仲間は同じメーカーのスピーカーを鳴らしている方は少なかったのですが、タンノイだけは現代とおなじでクラッシックはタンノイで決まりみたいな風潮があります。
 I藤氏が知っているタンノイのオートグラフのオリジナル持っている方は私もよく知っている方で年齢は40代後半で名前はA野氏と言います。
 A野氏のシステムはタンノイオートグラフとジェンセンの610Bの2本を所有して主にクラッシック音楽を聴いている、アンプはメインアンプが森川忠勇氏の製作した2A3プッシュブルアンプでプリアンプとプレーヤーは忘れましたが、カートリッジはオルトフォンであったと思います。
 早速、オートグラフの音を聴かせていただいた。
 I藤氏のオートグラフとは多少音の響きが違う、勿論部屋も違えばアンプも違うのだが、A野氏のオートグラフは音が横に広がる、しかも楽器の響きが甘い音である。
 音が平面にならずに奥行き感が増している。
 I藤氏のオートグラフとは一味違っていた。
 やはり箱の違いで鳴り方まで変わってしまうのがタンノイなのか。
 タンノイのスピーカーだけは箱に入って(なんぼ)の世界だ、ユニットだけ購入して自作の箱に入れてもタンノイの音にはならない。
 あの箱の響きと一体になってこそタンノイトーンである。
 タンノイだけは本当に神経質になるぐらい難しいスピーカーだ。
 当時は、まだ沢山のオーディオ仲間がいましたけど、まだ現役でやっている方もお見えと思います。
 一度オーディオに首を突っ込んだら死ぬまで抜け出せない、それがオーディオかも?良く言えば生涯現役の趣味だ。
 オーディオをやっている限り頭がボケないと言われている、死ぬまで付き合うことができるのはオーディオしかないと思う。

コンコルド訪問記
 真空管アンプを製作されている方で、千葉県の館山にありますコンコルドの佐久間駿氏をご存知ない方はあまりいないと思います。
 雑誌のMJ誌やラジオなどでエッセイを披露されている方です。
 佐久間駿氏は真空管アンプ界では国内はもとより海外でもその知名度をお持ちの66歳になられる方で直熱3極管アンプのオーソリティーで、佐久間トーンの愛好家が全国に沢山お見えです。
 レストラン・コンコルドで佐久間氏製作のアンプ試聴会もたびたび行なわれているようで、このコラムをお読みの方で実際に行かれた方もいると思いますが、写真も沢山撮らせて頂きましたので、今一度写真を見ながらこの訪問記を読んでいただければ幸いです。
 6月の後半に所用で千葉県に行ったおり館山のコンコルドに寄る機会が出来ましたので皆様にはコンコルドのすべてとはいきませんが、私が訪問して佐久間トーンの音を聴かせて頂きましたから、その報告と内容をコラムでご紹介します。
 佐久間氏は初対面にも関わらず、にこやかに私を向かい入れて下さいました、私は名古屋から来ましたY下と自己紹介しましたら大変嬉しそうな顔をして「遠方から来ていただける方は本当に嬉しい、今日はゆっくりとコンコルドの音を聴いてください。」と人柄の良さを感じる佐久間氏です。
 佐久間氏の愛用のスピーカーは、アルテックのA−5、クリプッシュホーン、ローサ、ウェスタンエレクトリックの4つのスピーカーがあり、この中で佐久間氏のお気に入りのローサとウェスタンを音量を上げて試聴させて頂いた。
 ウェスタンの555から奏でる音は芳醇な密度のある音質でこれがウェスタンとは思えない大人しくて優しい音です。
 レンジはナローレンジですが音のまとめ方は素晴らしいの一言で、これぞ匠のワザです。このウェスタンで聴いたチェンバロの音はウェスタンらしからぬ音で、今まで沢山のウェスタンを聴いて来ましたが、ここのウェスタンだけは他には無い、シットリ感のある癒し系の音です。
 次に聴かせて頂いたのは、一つのボックスに入った英国のローサの4発入りのスピーカーです。
 このローサのユニットはすべてビンテージ物で、私も初めて見るユニットです。
この4つのユニットは大変ユニークな取り付けになっています。
 アンプ側のスイッチの設定で同時に4つを鳴らすことも出来、個々でも鳴らすことの出来る面白い発想のシステムです。同じローサでも年代が違えば音も違う大変遊び心のあるスピーカーで、私も始めて体験した。
 私個人も英国のスピーカー党ですが、このローサも魅力のある音で大変捨てがたい渋みのある音色です。
 私も現在、グッドマン、ヴァイタボックス、ステントリアンの3種類を愛用していますが、やはり英国のスピーカーは音質より音楽を聴かせてくれる音楽性のあるスピーカーと思います。
 先程のウェスタンとローサを比較しますと不思議と同じような音になっています。
 オーディオは不思議なものでスピーカーを変えれば音は変わるはずですが、その人の感性でチューニングしますと同じような音になってしまう。
 佐久間氏にはオーディオマニアのファンもいれば、演奏家の方も沢山支持している方もいると聞かされましたが、この音を聴きますとうなずける部分もあります。
 佐久間氏のウェスタン、ローサを845のアンプでじっくりと聴かせて頂くと、現代のスピーカーとは一線を引いた音ですがこの音には好みが分かれると思う、私のビンテージスピーカーとウェスタン、ローサと比較しますと共通点のある部分があります。その共通点は中域の響きを大事にして音楽を美味しく聴かせてくれるです。
 コンコルドには2時間程いましたが大変勉強になりました。
 帰り際に佐久間氏が「Y下さん車で名古屋に帰るなら綺麗なネェちゃんばかり見ていると事故になるから」この一言だけがコンコルドの音やアンプより印象に残りました。(笑)

レストラン・コンコルドの店内の様子

アルテックの低音用とウェスタンのSPウェスタンは上向きに付いている テーブルの上には製作されたアンプ郡がいっぱい置いてある

コンコルドに入って右側に佐久間アンプが山ほど置いてある 後方にはアルテックのA−5右側にはクリプッシュが設置してある

電蓄に似たウェスタン555のドライバ―とアルテックのホーン 非常にユニークなローサの4発入りスピーカー

ローサのPM−6角フレームタイプが見える 佐久間駿氏と私のツーショット写真

後書き
当時も今もオーディオマニアの情熱は変わらない。
変わるとすれば当時のマニアは横のつながりが強かった。
マニア同士は世代を超えてすべて友達感覚で交流が盛んであったが、現代のマニアは他人とは接触を避けて自分だけで密かに楽しみ、自分の音を他人に聴かせない。
また自ら同じマニアの人の音を聞きに行こうともしない。
これはこれで良いのだが良い音を追求しようと思ったら沢山の音を聴かないと、何時まで経っても「井の中の蛙」だ。
そうならないためには是非サンバレーさんの試聴会等に参加して新しい仲間を見つけてほしい。
きっと大橋さまも協力してくれるはずだ。
オーディオは自分が求める音ではなく、自分が出したい音に目標を建てれば暗中模索にならない「自分が出したい音」を早く決めれば遠回りせずに済むのではないか。
そのためには、沢山の音を聴く必要がある。
とかくオーディオマニアは偏屈で頑固一徹のポリシーを持った方が多い。
私より遥かに素晴らしい音で音楽を聴いている方は星の数ほどいます。
そのような方たちの音を聴かせて頂いて良い音を知る。
 オーディオの聖地と言われる、乗鞍高原のペンション・ウインズ、山中湖のペンション・すももの木、レストラン・コンコルドに行ってオーナーのお話や音を聴かせて頂いたが、すべてプラスになることばかりで新しい発見でもあった。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-003

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Club SUNVALLEY/私のオーディオ人生
第7回 男の隠れ家で鳴らすオートグラフ
by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-007

6回は「ウェスタンサウンドの真髄と魅力を聴く」のテーマでしたが、今回は皆さんもご存知のタンノイです。しかもタンノイの究極のユニットでモニターシルバー搭載のオートグラフをたっぷりと試聴して来ましたのでご報告させて頂きます。 
     
男の隠れ家
男の隠れ家の持ち主は名古屋市内在住の私より一つ若いと言ってもこの年になれば変わりません、「何をいまさら?」団塊の世代のT田氏です。T田氏は若い頃からオーディオに情熱を燃やす「親父世代」です。この方の隠れ家とはT田氏が自宅を新築されるときに何と地下室に21畳の大変立派なリスニングルームを作られ音響効果を考慮して設計された、この男の隠れ家で聴くタンノイの素晴らしいサウンドと自作で製作された真空管アンプを見ると頭が下がる思いを感じるのは私だけではない、しかもタンノイのオートグラフが左右に鎮座しているのを見ると圧倒されてしまう、

タンノイモニターシルバー
過去にも現代にも私個人としては沢山のオートグラフを聴いて来ましたがT田氏のオートグラフはかの有名なモニターシルバー搭載の究極のオートグラフである。タンノイのモニターシルバーは日本では40〜50セットしかなく非常に珍しいレアーなユニットでこのユニットを使用したオートグラフは中々見ることも出来ないし聴くのも簡単ではない、
 このユニットを少しご紹介しよう、タンノイのユニットはデュアルコンセントリックと言うユニットでホーンツィーターが貫通型になって一つのマグネットで低域と高域を受け持つ独特な構造になっているが、考え方を変えればマグネットが二ついらないからケチなやり方のような気がしないでもない、
 私の愛用しているステントリアンのコアキシャルもタンノイと同じような一つのマグネットで受け持たせている、
 今回、試聴したモニターシルバーは1953年にオートグラフに取り付けてニューヨークのオーディオショーに初めて公開された珍しいユニットであり、フレームが銀色のハンマートン塗装を施した見た目にも綺麗なユニットで製造は1953〜1957年ごろまで製造されたらしい、正式名は「LSU/HF15」になります。それ程台数的には沢山作られていないのが現状でこのユニット単体だけでも非常に高価になっています。
 このユニットを実装したオートグラフは昨年亡くなられた80歳になる私の友人のT松氏も持っていて訪問するたびに耳にタコが出来るぐらい聴かされたユニットだ、
 モニターシルバーが生産終了後にモニターレッドに変わりました、モニターレッドは1958年〜1967年迄でその後はモニターゴールドに引き継がれて行きました、モニターゴールドも1967年〜1974年で生産が終了しています。

クラッシックを聴くならタンノイが定番
 イギリスのスピーカーと言えばすぐに頭に浮かんでくるのはタンノイですがまだ他にも沢山のスピーカーがあります。ヴィンテージスピーカーではパルメコ、グッドマン、ワーフェデール、ヴァイタボックス、ローサ、ローラ等の沢山のメーカーがありますがタンノイを除いて当時のスピーカーはボックス付きは少なかったと思います。タンノイだけはオリジナルエンクロージャーに入った状態で市販されていましたからタンノイに限っては遊び心があまりなくしかも自作のボックスではオリジナルと比較してあまりにも音が違うので自作するマニアは少なかった記憶があります。
 タンノイのユニットでシルバー、レッド、ゴールドと年代別に試聴した経験を述べますとシルバーは低域も高域も欲張らない多少ナローな響きになりレッドになると低域と高域が少し伸ばしたような音になります。その分中域が薄くなる感じです。ゴールドになると現代のソースに適した現代的な音作りになります。これは好みと言えば好みですが・・・・・
モニターシルバーで聴くオートグラフ
 早速オートグラフを試聴させて頂きました、使用機器の説明は以下のようなラインナップになります。
CDプレーヤー 不明
プリアンプ A社の半導体アンプ
メインアンプ 自作の管球式45PP アンプ
スピーカー  タンノイモニターシルバー38cmデュアルコンセットリック
スピーカーボックス 進工舎製
試聴用CDは前回ウェスタンエレクトリックで聴いたコジェーナのヘンデルのアリア集のトラック4からである。 
同席された方は私を含めT田氏の同じ会社にお勤めのオーディオマニア2名です。

モニターシルバーで聴くコジェーナの音
 いつものようにチェロの独奏からコジェーナの歌声が流れ始めた、前回のウェスタンサウンドに近い音色と響きを伴った音である、タンノイスピーカーなのに中域のコクと密度のあるビンテージ特有の押し出しの強い音だ、室内楽、独奏、声楽にはこの45PPアンプの良さがもろに出ている。
 巷ではオートグラフはバックロードホーンのため多少低域が遅れて出てくると言われていますが測定器で測定すれば遅延時間は確認できるかも知れませんが人間が聴く以上はほとんど無視しても良いのではないでしょうか、その遅れの分かる高度な耳を持った人なら別ですけれど・・・私は耳が悪いので遅れはわかりません、
 このモニターシルバーの音色は私が所有しているグッドマンとは違う音色でどちらかと言えばヴァイタボックスに近い感じです。英国のスピーカーはシットリ感が前面に出てきて多少暗いサウンド志向のような気がします。
 昔からこの45と言う球は小編成などの室内楽にはぴったりである。全員がうっとりと音楽にハマっているのが良くわかる素晴らしい響きだ、T田氏が求めているのはこのような音なのかも知れない、
 この後、私が持参したバッハのバイオリンソナタも見事に鳴らしきるオートグラフの実力をまざまざと見せ付けられた、スケール感はさすがにオートグラフです。これが最初に感じた印象だ、

ソファーで聴くモニターシルバー装着のオートグラフを試聴されている
同じ会社のオーディオマニアの方


今回の試聴で活躍したT田氏自慢の45PPアンプです。


以前に購入されたマッキントッシュのMC−275であるが哀れにも埃だらけ、
名機なのに粗大ゴミのように見える(マッキンマニアが見たら品粛を買う)


ラックの上側に自作45PPアンプがあり下側に哀れなマッキントッシュのMC
−275が置かれている。


現在製作中の管球アンプ、球は不明である。

T田氏はそれ以外に沢山の球を保有している、私が「こんなに沢山の球を持っていて何時までに作るの?」と聞きますとT田氏いわく「定年になったら時間が出来る、それからボチボチ作れば良い」と満面の笑顔で語っていたのが印象だった、

以前に購入されたタンノイのアーデンがリスニングルームの片隅に置いてある。
現在はほとんど聴かないらしい(もったいない)


沢山のアンプをラックにまとめているがメーカーはA社のプリアンプを除いて不明である。
不明と言うより関心がないと言うのが本音、


リスニングポイントで聴くカウンターバーの中には沢山のワインとウィスキーが
寝かせてあるがこれを見ると羨ましいの一言、


真ん中にT田氏を挟んで楽しそうにワインを飲んでいるがこのカウンター席で聴くオートグラフは最高!、T田氏はいつも一人でこのポジションで一杯飲みながら自己満足の音楽三昧だ、

アナログは有名なノッティンガムとアームはSME−3012、カートリッジがオルトフォンのSPU−Gを使用した贅沢な組み合わせです。
このアナログシステムで聴く音楽は素晴らしいのだがターンテーブルに乗っているのは非常に珍品なドーナツ盤だ、

オートグラフで聴かせる青春時代の流行歌
 誰もが想像しないタンノイオートグラフしかもモニターシルバーで聴くドーナツ盤、これには私は参ったの一言、写真を見てください。当時、大流行したいしだあゆみちゃんの(ブルーライトヨコハマ)である。
( 街の灯りがとても綺麗ねヨコハマ~)一緒に歌いたくなってくる。いしだあゆみちゃんは
本当に美人ですね、この曲を聴くと我が団塊の世代はもとより私より年配の方も年下の方も青春時代に逆戻りしますよ、
本当に懐かしく感じてタイムスリップしたような気になるのは私だけでもあるまい、
しかしこんなドーナツ盤が新品同様で持っているとは夢にも思いません。ここのT田邸は
どんな曲にもリクエストにお応えできるジュークボックスだ!
次の写真を見てください。皆さんが懐かしむ橋幸夫と吉永小百合ちゃんの(いつでも夢を)のドーナツ盤だ、本当に懐かしい、しかもお二人とも若い!
最後の止めは一世を風靡したグループサウンズのザ・タイガースの(花の首飾り)のドーナツ
盤である。この曲も当時は大ヒットした名曲です。
それ以外にも島倉千代子、ザ・ピーナッツ、カーナビッツの(好きさ)を聴かせて頂いたがもう此処まで来るとオーディオを忘れて完全に時代が逆行して青春時代を謳歌している気分になる、
タンノイのオートグラフでまさかこのような歌が聴けるなんて想像できません。確かにドーナツ盤の音質は?が付きますが、10代20代の自分の子供たちにこの歌を聴かせたら(こんな曲バカじゃないの)と軽蔑されるかも?でもいいんです、我々の青春時代ですから・・・

タンノイモニターシルバーが入っている進工舎のオートグラフ
サランネットを外したオートグラフの正面写真です。おわかりのようにユニットはホーンロードがかかっています。中心にユニットが薄く見えますが紛れも無いモニターシルバーです。

今回のT田氏には参りました、オートグラフで聴く歌謡曲は涙ものです。しかも当時のドーナツ盤を高価なオーディオシステムで聴く、オーディオマニアに対しての嫌味なのか、これまた楽しいひと時を過ごさせていただき感謝、感謝、
ドーナツ盤を聴くのなら昔はクリスタル・カートリッジの付いたポータブルプレーヤー
が定番のはずだが、T田氏のオーディオへの拘りは執念すら憶える、オーディオはクラッシック、ジャズだけが主体ではない、どんなジャンルでも楽しめればそれで良いのではないだろうか、音を追求するのも良いが大切なものが忘れているような気がしないでもない、

欲を言えば
今回の試聴で感じたのはこれだけの素晴らしいシステムですからプリアンプは半導体を使用せず是非とも管球式のプリアンプを使っていただきたい、メインアンプが真空管ですから半導体のプリアンプは合いません、それでは半導体のメインアンプにすれば解決かと思われますが、はっきり言って半導体のアンプではタンノイが鳴りません。また半導体のプリアンプはツルンとした音でゾリゾリ感がなく奥行き感も乏しくなります。ここは是非良質な管球式プリアンプを導入するか自作で製作していただきたい、

今回は私が悪者
管球式のプリアンプをT田氏にくどいように薦めていたらそこへ奥様が来られた、すかさずT田氏は奥様に「Y下さんが半導体のプリアンプは駄目だから真空管のプリアンプを買え!と俺にしつこく言うんだ」と自分は被害者になりきっていたが、当の本人は本当はほしいんだとバレバレです、今回は私が悪者にされてしまったが、一同大笑いである、何処の家庭でも奥様の権力は凄いと感じたしだいです。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-007

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第12回グッドマンスピーカーの音と英国ヴィンテージスピーカー
by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-012

 SUNVALLEY AUDIOさんのコラムでの私の情報の発信の場として紹介させて頂いておりますが今回はグッドマンスピーカーと私が愛蔵しています英国ヴィンテージスピーカーの全容を写真付きで公開したいと思います。写真撮影とそれに付随する文面は素人です。その辺はご考慮をお願いしたいのと音に関しては私個人の主観ですから参考程度にしてください。

 最近入手した非常に珍しいスピーカー、このスピーカーに見憶えのある方は長くオーディオに携わった諸先輩の方と存じます。名前は○○製で12インチです、英国ヴィンテージスピーカー(パートU)で詳しくご紹介させて頂きます。

グッドマンを鳴らす真空管アンプ
 グッドマン3Wayを鳴らすには現代の半導体アンプでは鳴らない、このようなヴィンテージスピーカーは真空管アンプで駆動するのがベストである。このスピーカーに合わせて試作した出力管はチェコで生産されていたKRのPX−25ナス管を清水の舞台から飛び降りる気持で大奮発して購入したのはよいがこのPX−25は古典球ではなく現代の技術で製作されたらしいから鳴らすまでは未知数である。

 いよいよグッドマン3Wayシステムのユニットを実装しました、ネットワークは予め製作しておきましたのでスピーカーシステムは完成、さぁ?英国のスピーカーはどんな音色と音質なのか未体験ゾーンに突入であるが試聴する音源は安物のCDプレーヤーで出力をダイレクトにメインアンプに接続しての試聴方法です。

スピーカーは自分の個性が主張できる
 オーディオの音に関してはあくまで個人の主観になります。言葉や文章で色々書いても読まれた方は想像だけで終わってしまう、過去の名器でもひどい音の出し方を聴けばそれがそのスピーカーの能力と判断してしまえば大変残念なことになります。セッティングもデタラメでボックスも簡易型でアンプなら何でも良いではスピーカーが惨めになるだけでこの辺を弁えないと違った評価になってしまう、今まで色んなマニアの能書きを聞かされて耳にタコが出来たがよ〜く話を聞いていくと単なる個人の主義主張にしかならない、世のオーディオマニアは能書きは一流、音は三流になっているのが多い、もっと素直な気持ちになれば音も素直な音になるのにと思うこともある。オーディオの世界は不思議なもので20年30年経っても良い音がでなければ死ぬまで出ないと思う、どこかで方向を転換すれば道が開けるはずだが・・・・良い音を出そうと思ったら耳より性格を治す事と言いたい、(これは私にも言える)

 又スピーカーに限らずオーディオもそうだが他人まかせの評価を鵜呑みにせずにじっくり聴きこんで決めないと必ず後悔する。

グッドマンスピーカーの音

 グッドマンスピーカーとアンプを接続して少しづつ音量を上げてみる、出てきた音は言葉では言い表わせない音である。アメリカのスピーカーとはまったく違う音である、一言で言うと地味な多少暗さを伴った響きで個性の強い音色でもある。ホーンスピーカーなのにホーン臭さがなくアルテックのA5、A7とは明らかに音作りが違う、この答えではグッドマンスピーカーは理解できない、ここで比較対照できるスピーカーがなければ答えにならない、

 皆さんがお持ちのタンノイスピーカーと比較してみた、比較対照は私の友人が愛用しているタンノイのオートグラフで内蔵ユニットはモニターシルバーである、勿論部屋もアンプ違うから絶対的な評価ではないことを付けくわえさせていただきたい、

 タンノイのモニターシルバーの音は上質な木作りのコンサートホールの響きでゆったりとして雰囲気を大切にした音、それに対してグッドマンは宮殿のホールで聴くエレガントな響きになる、タンノイもグッドマンも同じヴィンテージスピーカーである以上は音の傾向として似たような色感だ、どちらも優劣を付けられないレアなスピーカーでもある。タンノイもグッドマンも音の共通点は品位があり中域に厚みとコクをプラスした音になっている。(これが英国の伝統あるサウンドなのか?)現代のタンノイスピーカーはこれに多少繊細感がプラスされ上も下も伸ばした音になっているが人によっては中域がうすいと言う人もいる(この部分が日本人好みかも)音のコクとか味は少なめな感じで料理で言えば薄味的な印象と感じとれるがタンノイが好きなマニアなら気にもならない、タンノイもグッドマンも同じ英国製ですから極端には音の方向性は違わない、なぜだろう?ヴィンテージマニアにこの点を指摘したら「タンノイはグッドマンにOEMで作らせていたから似たような音」「タンノイもグッドマンも同じである」と言われる「やっぱり」昔も今も同じなのか、そう考えると必死にタンノイを探さなくてもグッドマンでも十分ではないか、

 同じグッドマンでもAXIOM−80を聴いたことがあるが多少高域が煌びやかになるぐらいで大きな差はないが過去に聴いた記憶を紐解いてこちらの3Wayタイプと比較すると中音ホーンの抜けの良さや緻密さではAXIOM−80とは異なる音色です。

 グッドマンはもう過去の古いスピーカーになってしまったが、今このスピーカーを聴くと現代のスピーカーとは見劣りは感じられないぐらい良いユニットなのだが一般的には手に入りにくいのとユニットを実装して音楽を楽しむマニアが減少したのも原因ではなかろうか、中古ショップに出ているグッドマンもあってもAXIOM−301か80ぐらいでその他のユニットはあまり見かけない、売れた本数が少なかったかも知れない、

VITAVOX,DU−120
 VITAVOXと聞くと私以上の諸先輩はよくご存じですがこのスピーカーを知らない方に少し付け加えていただきます。VITAVOX(ヴァイタボックス)は戦前からある有名なスピーカーでロンドンウェスタン直系のスピーカーメーカーと聞いている。シアター用が専門ですが家庭用にも素晴らしいシステムも出していました、特に有名なのはVITAVOX191コーナーホーンとバイトンメィジャーがあります。191コーナーホーンはタンノイのオートグラフと二分するぐらい素晴らしいのが特徴で家具の調度品にはピッタリ当てはまるデザインでもあります。昔私がエレクトロボイスの3Wayでオーディオを楽しんだ時に京都のジャズ喫茶「ヤマトヤ」にこの191コーナーホーンが鎮座してあった、音は芳醇な響きで非常に奥ゆかしく鳴っていたのを記憶しています。この音を初めて聴いた時「オーディオは聴かせてくれる音」これこそ自分が求めていた音だったのかも知れません、その夢は30数年経っても忘れられないぐらい私に強烈なインパクトを与えてた、VITAVOXと聞くだけで私にとっては未体験な音に感じる不思議と謎の多いスピーカーである。今回ご紹介するDU−120はVITAVOXではコアキシャルスピーカーユニットでこのタイプ以外にDU−121もあるがこちらはフェライトのマグネットの2本しか発売されなかった、このスピーカーの詳細を少しご説明します。ユニットは多分1950年の後半から1960年の前半に発売されたものでマグネットは大型のアルニコマグネットを搭載、ツィーターは特殊なポリエステルフィルムの振動板になっておりツィーターの音だし部分はアルミのパンチングで保護されている。クロスオーバーは2000HZで低域側をカットせずにそのままスルーになっている、ネットワークはコンデンサー1本だけで高域のみのカットになっています。この時代の同軸はネットワークを使用せずにコンデンサーのみでのカットが結構ありましたが私に言わせればケチな方法と思う、本格的に使うならネットワークもアッティネーターも必要ではないだろうか、その点タンノイのユニットは高いだけあってしっかりしているがあのネットワークを収容してあるケースがプラモデルのイメージと重なるので少しマイナスだ、
 ヴァイタボックス12インチのコアキシャルスピーカーでフレームをよ〜く見ますとタンノイのモニターレッドによく似ています。マグネットは強力なアルニコマグネット

 スピーカーユニットの中心にツィーターが飛び出している。ツィーターの振動板はポリエステルフィルムで珍しい振動板でもある。
 マグネットカバーにVITAVOX−DU120のシールが貼ってある。スピーカーからの引出し線は私が一部改造した部分です。

ヴァイタボックスの音
 グッドマンのウーファーを外してこのユニットを実装しての試聴になりました、
出てきた音は「何んだ!こりゃ〜」こんなスピーカーの音は今まで聴いたことがない!ひどいのも限度がある、低音がまるでなく中高音はカミソリを振り回したような鋭い響きで音楽を聴くには耐えないスピーカーではないか、これがVITAVOXの音なのか!今回の購入は大失敗かも?言葉が出ない絶句である。昔はエレボイのスピーカーで苦汁を味わされて泣かされた経験が蘇ってきた、このスピーカーこそ名器ではなく迷器であるが考えようによっては良いスピーカーこそテクニックと苦労が必要ではないだろうか、上手く鳴らせば感動ものであるが今の時点では落胆の言葉がぴったりだ、

DU−120の改造
 このスピーカーを宿らせるにはこのままの状態では不可能のなで大手術が必要だ、病院に行ってユニットに点滴を打てば治る問題ではない、手術をすればきっと当時の音が必ず宿るはずの気持ちで早速改造に取り組んだ、改造はこれに合わせたネットワークを自作するのとボックスを新たに特注で作ってもらう事、吸音材の量を調整しながら耳で確認する方法しかない、ボックスはグッドマンは米松合板を使用していたから今回はフィンランドバーチで作っていただくことに決定した、

改造後のVITAVOX.DU−120
 ボックスが完成してユニットを取り付けて音だしで固唾を飲んでヴァイタの音を待った、出てきた音は最初に聴いた音とは似ても似つかない実に渋い音である。この時代のスピーカーの開発者は多分この世にはいないと思う、このスピーカーの本当の音などは私にもわからない、知っているのはスピーカーの開発者と当時携わった方だけだと思う、何十年も前のスピーカーに使用してあるカットオフ用のオイルコンデンサーははっきり言って塵である、オイルコンデンサーが当時の状態を維持しているはずはない、こんな塵コンデンサーでもオリジナル崇拝者は使っていると聞く、はっきり言って良い音を出す以前の問題では・・・・これはアンプにも言える、私に言わせればビンテージアンプもそうですが今の時代からすればパーツはすべて当時の状態ではないのにマニアはオリジナルを尊重している、これは一種の宗教のようなもので不思議なマニアが沢山いる、

グッドマンスピーカーとの比較
 同じ英国の伝統あるスピーカーなのに音の傾向はずいぶんと違う、グッドマンはどちらかと言えばふくよかさが前面に出していたがこのヴァイタボックスはより古典的なドライな音色を持っているがボックスの材質も違えば容積も違うから「これがヴァイタの音だ!」とは断言できない、クレデンザ、HMV,ウェスタンと発展してきた音響技術の延長線上にあるような大変地味な音でかの有名な191コーナーホーンの音に似た奥ゆかしく暗い響きを伴っている、大橋氏が日記に書かれた「石作りの教会で聴く音」と表現されていますが的を得た答えだと思う、
 最後にこのスピーカーの音の印象を大橋氏が店主日記で的確に表現されていますからこれを参考にして頂ければ幸いです。(2006年6月13日の第3試聴室現る?)の日記(店主日記は終了致しました。)です。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-012


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第14回これがタンノイだ!
by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-014

 第14回目のコラムはタンノイ特集「これがタンノイだ!」を紹介させて頂きます。オーディオマニアのみならずタンノイマニア、タンノイファンの憧れであるタンノイ、このタンノイに拘った「ヴィンテージ・タンノイ博物館」をご紹介します。日本でこのような歴代のタンノイスピーカーを展示してあるタンノイ博物館を私は今まで見たことも聞いたこともありません、今回は沢山写真を撮らせていただきましたのでここで聴くタンノイとホールの作りの良さを皆さんに見て頂きたいためにコラムでご紹介させて頂きます。では早速ご案内しましょう、

ヴィンテージタンノイ博物館

三重県まちかど博物館/タンノイ博物館(MUSEUM OF TANNOY)
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/da/detail?kan_id=835614
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/t/detail?kan_id=835614
http://hiroshi-t.com/TANNOY.pdf


 このタンノイ博物館の建物は総ヒノキ作りの注文住宅のモデルルームになっており外観は日本建築の良さを余すところなく作られております。建物は最近出上がったばかりなのか室内に入りますとヒノキの匂いがプンプン漂ってきます。「これぞ木の香りだ!」
 一般的な試聴室とは違う一軒の建物の中が一つのホールになっており部屋の広さがビックな36畳で天井高が何と7メートルもある吹き抜けになっています。オーナーの松橋氏はここを「ヴィンテージ・タンノイ博物館」と言っています。では写真を見ながらご紹介させて頂きます。

タンノイ博物館の試聴の部屋
 先ほども書きました広さは36畳で左右にタンノイのオートグラフが鎮座しています。部屋が広すぎるのでオートグラフが小さく見えてきます。オートグラフの横にはジャズファンが聴くためのJBLのエベレストが置いてあります。
 オートグラフの左右の間隔は約6メートルで音楽を聴く最適ポジションはスピーカーから約8メートル離れた場所になります。左側には生演奏用のグランドピアノがあり此処のホールで月に1〜2回はクラッシックの定期演奏会が行われておりこのホールを別名でSHOKO−HALLとも呼びます。またこのホールは2階もあり1階、2階を合わせて70名程の客席がご用意できるそうです。  このスピーカーはタンノイのオートグラフで実装していますユニットはモニターレッドになります。タンノイのモニターレッドとマッキントッシュMC−275の組み合わせは有名な剣豪作家の五味氏も愛用していました。オートグラフの横はJBLのエベレストですが何となく存在感が薄れてくるほどオートグラフの偉大さを痛感させられます。「何時かはオートグラフ」オーディオマニア、音楽マニアの夢ですね、 JBLのエベレストが小さく見えるほどオートグラフの偉大さを痛感させられます。

ホールの左右にオートグラフの小型版のオートグラフミニです。このエンクロージャーはユートピア製ですが一般家庭で聴くのならこれで十分、その横にはオートグラフの後継機と評価の高かったウェストミンスターが展示してあります。ウェストミンスターの上には10インチのモニターレッドが入ったVLZがさり気なく置いてあります。
ホールの2階から下を見下ろす写真になります。ここのホールは2階席もあり2階からもタンノイを見下ろしながら聴けるようになっています。この2階席で美味しいコーヒーを飲みながらオートグラフを聴けば加山雄三の歌のセリフで「僕は幸せだなぁ〜」の心境にもなる。
別室の2階の12畳の試聴室には有名なタンノイGRFメモリーが整然と置かれている。


同じ部屋にはタンノイランカスターとゴールドが入ったVLZも置いてある。隣の写真はタンノイのプロ用のロックウッド・メジャーになります。このスピーカーは放送局用のモニタースピーカーで移動がしやすいようにボックスの横に取手が付いているのとキャスターも付いています。
ランカスターの内部写真です。ボックスの周りに吸音材がびっしりと貼ってあります。ユニットはゴールドになります。


左側のスピーカーはタンノイでも非常に珍しい無指向性のスピーカーシステムで名前は忘れました。右の写真はユートピア製のタンノイGRFになります。
2階の廊下にこれまた有名なレキュタングラーヨークがさり気なく展示してありました。
2階から客席側の写真になります。試聴させて頂いた翌日はここでコンサートが予定されているので補助椅子が沢山並べられていました。
1階の右後方からのホールの全景です。オートグラフがホールを引き締めているのが手に取るように分かります。


タンノイを鳴らす真空管アンプ、マッキントッシュのMC−275とプリアンプはマランツ#7の組み合わせです。音源はレコードではなくCDになります。

一階ホールから見上げた天井で高さ7メートルの吹き抜けですが光熱費がかかりそうのような気がしますがこれだけの空間があればオートグラフが芳醇な響きで謳歌するのが良くわかりますね、

ここのタンノイ博物館の館長で松橋氏です。非常に温和な優しい方で初対面でも気さくな人柄で人情味の厚い好感の持てる方で年齢は団塊の世代で私より一つ若い館長です。この松橋館長は昔からスピーカーの浮気もせずにタンノイ一筋の超が付くタンノイマニア、いやタンノイコレクターと呼ぶのが相応しいかな?同じ英国党でも私とは正反対の性格「もっと見習わなければ」、タンノイを使っているマニアは本当に優しい方ばかりです。その点私は浮気者でひねくれ男ですから・・・・

タンノイ博物館のオートグラフの音

 これだけの広さがあればオートグラフも水を得た鯉のような気がしてくる。事実その音は想像を遥かに超えた素晴らしい音で館長の人柄が反映された雄大かつ緻密な響きです。このホールの木の香りと木造りのコンサートホールはベストマッチングではなかろうか、私が持参したコジェナーが歌うヘンデルのアリア集は雄大かつ緻密な音で「これがタンノイだ!」と唸らせた音楽性の高い音であった、クラッシックファンがタンノイを望むのは理解できる。その後に館長のお気に入りでワーグナーの歌劇を聞かさせて頂いたが大編成にも関わらず音に圧迫感がありません。家庭で聴くタンノイとは世界が違っていた、

あとがき
 タンノイを写真付きでご紹介させて頂きましたが、このタンノイ博物館は最近オープンしたばかりで4月からは入場料として一人1,000円だそうですがコーヒーとお茶菓子付きですから音楽喫茶に行くよりも安いのではないでしょうか、

 松橋館長と音楽談義、オーディオ談義に華を咲かせるのも良いのではないか、いつかはオーディオ雑誌などに取り上げられるのではないかと思います。是非一度、日本では此処にしかないヴィンテージタンノイ博物館を見学して下さい。場所は三重県になります、SUNVALLEY AUDIOのコラムを見たと言えば暖かく迎えてくれますから気楽に訪問して下さい。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-014

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html

[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
21. 中川隆[-11283] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:09:54 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[28]
タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c21
[近代史4] タンノイのスピーカーは買ってはいけない 中川隆
7. 中川隆[-11282] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:10:57 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[29]
タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/494.html#c7
[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
1. 中川隆[-11281] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:16:32 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[30]
オールドタンノイの製品

・Tannoy Monitor Black (1947〜53)
・Tannoy Monitor Silver (1953〜57)
・Tannoy Monitor Red (1957〜67)
・Tannoy Monitor Gold (1967〜74)
・Tannoy HPD385 (1974〜76)
・Tannoy HPD385A (1976〜79) :タンノイ最後のアルニコ仕様
・Tannoy HPD315 (1974〜79) :タンノイ最後のアルニコ仕様
・Tannoy DC386 (1979〜 : この時期からアルニコからフェライトへ変更になる
・Tannoy K3808 (1979〜 : この時期からアルニコからフェライトへ変更になる
・Tannoy Corner York 15in (1950)
・Tannoy Corner York 12in (1950年代後半)
・Tannoy Autograph (1953) : 15in
・Tannoy Autograph Millennium (2001) : 500万円・ペア/税抜
・Tannoy Landsdown (1954) : 12in
・Tannoy GRF (1955) : 15in
・Tannoy Canterbury (1950年代後半): 12in
・Tannoy Chatsworth U (1950年代後半) : 12in
・Tannoy V-LZ in Cabinet (1961) : 10in
・Tannoy Rectangular York (1967) : 15in
・Tannoy Rectangular GRF (1968) : 15in
・Tannoy Arden (1976) : 15in


TANNOY 製品一覧
https://audio-heritage.jp/TANNOY/index.html

TANNOY スピーカーシステム(プレステージシリーズ1980年頃まで)一覧
https://audio-heritage.jp/TANNOY/speaker/index.html

TANNOY スピーカーユニット一覧 タンノイ
https://audio-heritage.jp/TANNOY/unit/index.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c1

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
4. 中川隆[-11280] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:23:45 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[33]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC 612Aでクラシック音楽を聴いて見る 2010年05月15日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c

#612Aがほぼ完成し、テストCDとして澤野工房のJAZZCDをメインに今まで聴いて来ました。今朝は初めてクラシックの「弦楽合奏」を聴いています。

612a2

ALTECのSPでは「クラシックは聴けない」、「弦楽器のゴーイングが不得手」とか雑誌では書かれていますが「Trail仕様のALTEC」ではその様な事は有りません。瑞々しく艶やかな音色で鳴ってくれます。イタリア合奏団の「コレルリ:弦楽合奏協奏曲」をかけていますが音のヌケやキレが素晴らしい上に艶やかな弦楽器に響きを出しています。

クラシックはタンノイ、弦楽器の再現はタンノイが良いと云われていますが、私はタンノイのSPは避ける様にしています。ALTECの同軸とタンノイの同軸は双璧の様に云われていますが、個人的にタンノイも使って来ましたが「潜在能力を引き出す」と云う点ではALTECに軍配を上げます。タンノイのユニットはコーン紙をホーンの延長に使っていますので「コーン紙の強度」がネックとなって来る点(コーン裏面にリブを取り付けている点)で大音量再生しますと「モタツキ」や不要共振を発生する構造になっている事が私の選択から外れます。またユニットへの接続で4Pソケットを使っている事やネットワーク基板の強度のない事も興味の対象から外れます。タンノイはイニシャル時点でそれなりのグレードで聴かせてくれますが私の望む音質には届かないユニットなのです。

その点アルテックの同軸ユニットは低域と高域が完全に分離していますし、SP端子も別個に有り、高域のダイアフラムにも手を入れる事が出来ます。30年前の販売時点で無かった技術をALTEC同軸のユニットに手を入れますとその「潜在能力の高さ」に驚かされます。

個人的には「最強のフルレンジユニット」だと思っています。とにかくヌケ切ってなっているサウンドにご機嫌で幸せな気分になれます。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c4

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
5. 中川隆[-11279] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:40:31 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[34]
タンノイ創設者の「ガイ・R・ファウンテン(1901年-1977年12月10日)」は一番小さなスピーカーシステムの「イートン」を愛用していた


TANNOY Eaton \80,000(1台、1976年頃)
2ウェイ・1スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型
使用ユニット 全帯域用:29.5cm同軸
出力音圧レベル(新JIS) 87.5dB/W
外形寸法 幅350×高さ520×奥行250mm 重量 14kg
http://audio-heritage.jp/TANNOY/speaker/eaton.html

彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。

システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それとティアックのカセットです

彼はステータスシンボル的なものはけっして愛さなかったんですね。その代り、自分が好きだと思ったものはとことん愛したわけで、

そのためある時には非常に豪華なヨットを手に入れたり、またある時にはタンノイの最小のスピーカーを使ったりしました。

つまり、気に入ったかどうかが問題なのであって、けっして高価なもの、上等そうにみえるものということは問題にもしなかった。

大掛かりなシステムがいいわけではなく「シンプルな響き」の方が「重厚長大な響き」に勝るという事なのです
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b93b6d7d42835ea091105bb9a4bb4b4b/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c5

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
6. 中川隆[-11278] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:44:27 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[35]
TANNOY(タンノイ) 「Landsdown」12inモニターシルバー搭載スピーカーシステム | VintageAudio
2010/05/04 2015/06/01
https://vintage-audio.jp/?p=450


TANNOYの中でも珍しいシステムが入荷しましたので、ご紹介致します。

Tannoy Landsdown
12インチモニターシルバー搭載のスピーカーシステム「Landsdown」です。

「Landsdown」は1954〜61年頃まで製造されていたようです。1958年までが12インチのモニターシルバー、それ以降はモニターレッドが搭載されていましたが、今回はモニターシルバー搭載モデルです。当時の12インチ搭載モデルの中では最高級タイプです。(下記を参照下さい)

Tannoy Landsdown 当時のカタログ 4
1956年のHiFi Years Bookでは。。。
・Tannoy Autograph(15in) £150.3
・Tannoy GRF(15in) £116.10
・Tannoy York(15in) £71.8
・Tannoy Landsdown(12in) £68.5

1960年のHiFi Years Bookでは。。。
・Tannoy Chatworth U(12in) £49.15
・Tannoy Canterbury(12in) £43.15
・Tannoy Landsdown(12in) £75
・Tannoy York(12in) £66
・Tannoy York(15in) £75
・Tannoy GRF(15in) £122
・Tannoy Autograph(15in) £165

写真をご覧頂くとわかりますが、丁度TANNOY AutographやGRFを半分にした様な、ロータイプです。スピーカーの高さって、試聴ポイント(通常は椅子に座って耳の位置)より下にユニットがくる様な設計のスピーカーシステムは基本的に家庭用となりますので、このモデルも家庭用高級タイプになります。また、キャビネットの構造は、バスレフタイプとなります。

結構勘違いされている方が多いと思うのですが、通常英国では家庭用スピーカーシステムとしては大型でも12インチ搭載モデルを使用していました。Tannoy AutographやGRFなどはある意味特殊用途で大きな広間などにおく場合に使われていました。その場合はキャビネットの構造もバックロードホーン型を採用しています。一般的な部屋の広さでスピーカーシステムからリスナーまでの距離が近い場合は、低域がリニアに出る、バスレフ型か密閉型なのです。余計なお話しですが、モニター(検聴用)スピーカーにバックロードホーン型なんて存在しないのです。低音域のリニアリティを求めるなら、バスレフ型か密閉型なんです。Tannoy AutographやGRFなどバックロードホーン型は家庭用PAに位置付けられます。スケール感や音場感には優れますが、リニアリティは無理な要求なのです。Tannoy AutographやGRFはメーカーのフラッグシップモデルだから良いと言うのは間違いです。リスナーの用途に応じて機材は選択するべきです。

だから、一般の家庭での音楽鑑賞用としてはTANNOYであればこの「Landsdown」が最も高級であり適当だと思います。そしてモノラル(1本)で使用する場合は、やはりモニターシルバーが良いですね。モニターレッドが悪い訳ではないのですが・・・TANNOYという会社は世の中の流行りに敏感なメーカーだと思います。一般的には1958年にステレオが始まったと同時に、モニターレッドにモデルチェンジしますが、モニターレッドはステレオ再生に最適化されたエネルギーバランスになる訳です。だから、逆にモノラル1本で使用する場合はモニターシルバーの方がバランスがいいのです。

組合わせるパワーアンプは、QUADUではありませんよ。通常はLEAK TL-12plusあたりが適当です。TANNOYにQUADUという組み合わせが国内では常識化されていますが、QUADUはESL専用アンプと考える方が普通でしょう。ESLはコンデンサー型スピーカーでその発音構造から考えても(勿論試聴しても)わかりますが、繊細ではあるけどダイナミック型スピーカーと比較すれば全くエネルギーバランスが異なります。スピーカーとアンプの組み合わせでは、それぞれのメリットとデメリットを補いあいマッチングを取るのですが、ESLの過度な線の細さや押し出し感の無さをQUADUは補うような音質(バランス)で作られているのですから、TANNOYの様なダイナミック型スピーカーに組合わせるとボケ気味の音になって正常なのです。しかも、TANNOYは当時の英国系の中でも、どちらかと言えば荒い音質のスピーカーに分類されるのですから・・・余計にボケて荒い音になります。そこで、まぁ一般的に使えるのがLEAKとなります。こだわるならモニターシルバー時代であればTANNOYのアンプやその他HiFi系のアンプとなり、いろいろ選択肢はありますが、QUADUだけは違いますよ。どうしてもQUADと言われるなら、QUADT型が良いでしょう。QUADTは「コーナーリボン」というGoodmansの12インチウーファーにリボントィーターを組み合わせたアコースチィカル社(QUAD社)のオリジナルスピーカーシステム用のアンプで、こちらは通常のダイナミック型スピーカー使用なので良いのです。ちなみに「コーナーリボン」も数台在庫あります。

Landsdown+LEAK TL-12plusでの組合わせは、やはり家庭用高級機の内容を伴ったサウンドです。ソースを選ばず、忠実度の高い鳴りをします。普通に聴けるいいシステムだと思いますよ。

TANNOYの1950年代のシステムをお探しの方、是非ご検討下さい。現在では非常にレアなシステムです、1本しかありませんので、お早めにお問い合わせ頂ければと思います。また、もっと大型がいいと言われる方にはGRF15inシルバーオリジナル(脚付)も1本在庫がありますのでお問い合わせ下さい。その他、TANNOYのアンプや各社HiFi系のアンプも多数在庫あり。


TANNOY(又はTANNOY系)のシステムも在庫あります。
・TANNOY ランカスター(密閉型) 15inモニターレッド 2台(STペアー)
 └スタジオ仕様 側面に取手付、背面板にB&Kの公正特性データー表付
・TANNOY ランカスター(バスレフ型) 15inモニターゴールド 数台 
・PYE HF-25SC 15inモニターシルバー 数台
 └ステレオ仕様で使用する場合はモニターレッドに入れ替えも可能

https://vintage-audio.jp/?p=450


岡山県 玉野市 Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/458.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c6

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
7. 中川隆[-11277] koaQ7Jey 2020年9月20日 12:48:19 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[36]
TANNOY(タンノイ) [Autograph]管球式アンプ レストア | VintageAudio
2010/11/26 2015/06/01
https://vintage-audio.jp/?p=650

TANNOY(タンノイ) [Autograph]管球式アンプ レストアです。

TANNOYプリアンプ TYPE HF.C/VA/200(8)

TANNOYパワーアンプ TYPE HF/200AC/12L(6)

1950年代タンノイも自社スピーカーシステムと組み合わせる為の管球式アンプ(プリアンプ・パワーアンプ)を製造していました。TANNOYとQUADが純正みたいに言っている方が多いですが、モニターレッド搭載システム辺りまでは、TANNOY社製アンプが、本来純正の組み合わせなのですよ。

今回のレストア依頼品は・・・
 ・プリアンプ TYPE HF.C/VA/200 (1956〜1958年)【初期型】
 ・パワーアンプ TYPE HF/200AC/12L (1958〜1959年)

お客様からはオリジナルに準じた仕様で復元(レストア)して下さい。というご依頼!

当店では基本的に故障した個所のみ、また電気的にのみ正常になるような修理、つまり一般修理は基本的に行っていません。当然お客様からのご要望やご予算があれば、そういった一般修理も行いますが、基本的にはレストア(復元)となります。

しかし、レストアは言うほど簡単ではありません。
オリジナルの回路構成、回路定数、ワイアリングを遵守する事は当然です。ただ、交換に要する部品全てがオリジナル部品(デットストック)が入手できる訳でもありませんし、デットストックと言っても交換時点で良品であっても、スグに不良となる部品もあります。その辺りを見極めながら、オリジナル以外の部品を使用する場合は、極力オリジナル部品の特性に近い内容のモノをセレクトして、適材適所で使って行きます。

最近(現行)部品を使えば良いとか、定数が近似値だから使うとか、そういった安易な修理ではオリジナルの復元(レストア)は不可能です。Vintageアンプは、電気的には正常な修理が出来ていても、駄目なんですよ。また、修理代をケチったのか?修理者の能力・経験不足なのか?酷い内容の修理が多いです。例えばWE製のワイアを使った方が、音が良くなるとかで、全てのワイアをWEのケーブルに交換されている英国製アンプを目にしますが、交換されてしまった段階でそのアンプは、復元できない状態になっており、大切な機材がこの世の中から消えてしまいます。こういった修理者の訳の分からないエゴで、わざわざ壊されている機材が最近多いのです。

さて。。。下記の写真をご覧下さい。

TANNOYアンプ交換部品
今回のTANNOYのアンプで交換した部品です。

殆どは経年劣化による部品の不良ですが、このプリアンプは改造されていました。改造のされ方から考えて、たぶんファクトリーカスタマイズだろうと思いますが、プリアンプの最終段にEF86でカソードフォロア回路が組まれていました。本来このプリアンプはECC83×2本構成なのです。たぶん、当時のオーナーがプリ⇒パワー間を離して設置したかった?のではないでしょうか。。。ただ、TANNOYのプリアンプは小電流型の回路構成です。ここに1つ回路を追加する事は、電源回路の大幅な定数変更必要になるのですが、このプリアンプでは電源の供給方法を変更せず安易に電源を取られていました。結果、ノイズレベルが当時のHiFi系のアンプでは考えない値(7〜8mV)出ていましたので、ここはお客様に確認しオリジナル構成に戻しました。

その他、劣化したCR部品は1点1点測定し、適材適所で置き換えています。プリアンプのデカップリング用の電解コンデンサー等は、複数個使用しオリジナルの定数になるようにしています。あり合わせの部品を使った訳ではないのですよ。電解コンデンサーは基本的に消耗部品なので、ケースバイケースで現行の一般部品を使います。カップリングコンデンサーは、直接信号が通過する部品なので、気を使います。修理費用に制限がなければ、軍規格のハーメチックシールタイプを使用します。当時のカップリングコンデンサーは、信号の通過特性が現行のフィルムコンデンサー程良好ではありませんので、ここに特性の良すぎるコンデンサーを使用すると設計時点の予測外の事が起こったり、音質が大きく変化してしまいます。ただ、一般規格のデットストック品等を使うと、交換時には正常な部品であっても、スグに不良になる事が多いのです。この辺りの耐久性は、さすが軍規格です。

抵抗器はカーボン抵抗ならカーボンを使います。特に当時の英国製アンプは、米国製アンプに比較し電力容量が1クラス低い抵抗を使っており、熱の影響で抵抗値が増大しているモノが多いのです。また、交換時に金属皮膜抵抗を使いたがる修理者がいますが、当時の英国製アンプはハイ・インピダーンス設計のアンプが多いので、金属皮膜抵抗を入れてしまうと、誘導ノイズ等いろいろ悪影響が出ます。あと、英国系のアンプの可変抵抗器(VR)にガリが発生したからといって、接点復活剤をスプレーする方って多いと思いますが、接点復活剤を入れるとその可変抵抗器は死にますのでご注意ください。ウェハに接点復活剤が染みて僅かでも導通が出来ます。ハイ・インピーダンス回路ではその抵抗値さえも影響がでますので、そのVRは使えなくなるのです。

また、TANNOYのプリアンプは、フォノイコライザー回路が各社イコライジングに対応しているマルチタイプなので、大量のコンデンサーを交換します。この交換を行わなければ、正常なイコライザーカーブ特性が出ません。

最後に、真空管の選別です。今回はお客様からの指定でムラード製・GEC製当時のオリジナルで全て揃えました。元々付いていた真空管で不良なのモノは交換。出力管のKT66は特性が若干落ちておりこのアンプには使えないという判断と、アンバランスが30mAもあったので2本交換してバランスさせました。前段管はノイズレベルを確認しながら、セレクトしました。

接続ケーブルもケーブルとコネクター部の断線や半田不良がありましたので、その他細かな所と合わせて手直しを行います。

これでレストアは完了です。

ご使用時の注意点としては・・・

・パワーアンプのカバーは外してご使用ください。外した方が通気が良くなりパワー管(KT66)に優しくなります。

・電源電圧200Vで調整していますので、必ず200Vで使用すること。また、現時点で真空管のセレクトは行っているので、興味本位で真空管を差し替えな事、真空管の順番を変更しないことくらいでしょうか。。。

今後は2〜3年に一度、真空管と電解コンデンサーの定期チェックを行っていけば長らく安定して使えることでしょう!

レストア後の試聴ですが・・・
特に1950年代の英国製HiFi系アンプの能力(帯域特性・歪み特性・S/N特性)は非常に優れています。高級機になればなる程その傾向が強いのです。だから、かなりクリアーでシャープな音質になります。レストア直後は、音が硬すぎるという印象を持つ人も多いのです。ただ、それで正常なのです。レストア直後にも関わらず、まったりしたボケ気味の音質だった場合は、それは完全な修理が行われていない可能性もあります。各メーカーの音作りやシリーズ(グレード)により、若干の傾向の違いはありますが、概ねそんな感じになります。現在において、部品が劣化した状態のアンプの音を基準に考えたら駄目なのです。部品が劣化し特性が出ていないのですから、ボケボケの音質になって当然なのです。

今回のTANNOYのアンプも当時の英国系高級HiFiらしいサウンドです。派手な色付けない、極めて端正なサウンドです。

英国系の高級HiFi機材(アンプやスピーカー)って、高級機になればなる程色付けの少ないクリアーで端正なサウンドになっていきます。水を飲んでいるような感覚です。だから、コメントに苦労するんですよね。悪く言えば特徴的な音質ではないのです。HiFi(高忠実度)ですから・・・ね。機材に色が付いていては、ソースに対して高忠実度再生になりませんからね。

オーディオの音質の骨格はスピーカーとアンプによってほぼ決定されますが、これも高級機なればなる程、それぞれの相性を求めてきます。TANNOYのアンプは、TANNOYのスピーカーによくマッチします。どこがどうとかという話ではなく、ほんとスムーズに音が出てきます。バランスもいいのです。当然といえば当然ですね!これがTANNOYの考えていた音質なんですから・・・

今ここに試聴用として12インチシルバーが搭載された「Landsdown」があり、それで試聴していますが・・・LEAK TL-12Plusでは若干音の線が細くなり上ずった感じになるのですが、TANNOYのアンプではそれが全くありません。重心が下がり音に厚みが増した感じです。バランスが良くなりました。しかも、クリアーなサウンドで、J-pop等Vintage機材では苦手とされるソースも見事に朗々と鳴らしてくれます。てか、J-popが鳴らないVintage機材はどこか故障していますよ。

大切に使ってくださいね。

この記事はTANNOYアンプのレストア記事ですが、記事を読んで頂いて、TANNOY純正サウンドに興味をお持ちの方は、決して安い機材ではありませんが、販売できるアンプも多少ありますので、お気軽にお問い合わせください。

https://vintage-audio.jp/?p=650

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c7

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
8. 中川隆[-11276] koaQ7Jey 2020年9月20日 13:02:38 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[37]
楠薫さんがタンノイを見限った理由

以前私が使っていたタンノイのスピーカーは、「タンノイ・ホール」と称されるほど、特徴のあるホール感タップリの音を聴かせてくれます。どんな音源を持ってきても、 タンノイの音に染めてしまうので、ある意味では安心して聴いていられるメリットがある反面、ウィーンフィルのムジークフェラインならではの音を楽しみたいと思った時、 あるいはアナログ・レコードではなく、CDならではの空間分解能に優れた、広がりのある音場を楽しみたい場合には、この「タンノイ・ホール」が邪魔してしまうことが ありました。

 デジタル録音以前のアナログ録音の時代は、各楽器の音を明瞭に収録するため、マイクロフォンを多数使用する「マルチマイク・セッティング」が中心でした。 しかしこれはともすると、トランペットとフルート、ヴァイオリンが、別々の場所からニョキッと顔を出し、本来、ホールで聴くことの出来る、見事に融け合った、 美しい響き、とはいきません。そこで特にスピーカーではユニットの持つ固有の音だけではなく、エンクロージャーの響きを上手に引き出すことによって音をブレンド・ 再構築し、あたかもホールの中で聴いているような雰囲気を醸し出す必要があったのです。

 言い方を変えれば、クラシック音楽を中心にアナログレコードを主にお聴きになる方には、それが媚薬のように効いてくるわけで、「CDの音が堅くて嫌だ」 「CDはキンキンしている」と感じていらっしゃる場合には、うってつけのスピーカーと言えましょう。  しかし、タンノイのスピーカーの特徴である同軸2ウェイ(デュアルコンセントリック)ユニットは1947年、ロナルド・H・ラッカムらが開発、 1953年、ニューヨーク・オーディオショーに発表されたAutograph(オートグラフ)に搭載、同時に発売された、50年以上も前の技術です。

新しいCD時代ならではの良さを楽しむには、一つのスピーカー・ユニットに低域を担当するウーファーと、高域を担当するツィーターを組み込むのは、 歪みの点でも不利です。そして不足する低域をエンクロージャーを共鳴させることで補う手法は、音像がどうしても大きくなりがちで、 ピンポイントの音像で音場描写を得意とするCDには、その良さが活きてきません。
http://www.kusunoki.jp/audio/Sonus_Faber/Sonus_Faber_Stradivari/Sonus_Faber_Stradivari.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c8

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
9. 中川隆[-11275] koaQ7Jey 2020年9月20日 13:10:44 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[38]
楠薫 2005年7月現在のオーディオシステム
http://www.kusunoki.jp/audio/audiohistory/AudioSystem2005/history2005.html


さて、メインシステムですが、

オートグラフ・ミレニアム
http://www.kusunoki.jp/audio/TANNOY/Autograph_Millennium/Autograph.html


を石のアンプで動かしたらどうなるか、 ということで

VIOLAのBravo
http://www.kusunoki.jp/audio/VIOLA/Bravo/VIOLA_Bravo.html

を試聴。 その頃使っていた、

ユニゾンリサーチのS6
http://www.kusunoki.jp/audio/Unisonreserch/S6/Unisonreserch_S6.html

のコクと色気、それに躍動感が及ばない様に思ったのですが、実はこれはLINNのLINN Klimax Kontrolとの相性が悪かったためで、

VIOLA Cadenza
http://www.kusunoki.jp/audio/VIOLA/CADENZA/VIOLA_CADENZA.htm

VIOLA Symphony
http://www.kusunoki.jp/audio/VIOLA/SYMPHONY/VIOLA_SYMPHONY.htm

の組み合わせでは、Klimax KontrolよりもさらにS/Nが良く、 チェロのアンプを手がけていた方々によるアンプだけあって、高域の少し線は細いものの、美しくみずみずしいサウンドは、 他に類を見ないほど。

 発作が起きて、二つともセットで購入してしまうことになりました。

 このアンプ、現代最高峰のアンプと言っても良く、オートグラフ・ミレニアムの欠点をも露呈することになってしまいました。

 これは設置した部屋のせいもあるのですが、オートグラフ・ミレニアムはコーナーにちゃんと ぴったり付けるようにしないと、十分な低域が出ません。しかも同軸2ウェイでは、高域が歪っぽくなり、澄んだ美しい透明な高域が出ないことがあります。

 これが逆に弦楽器では、眩のこすれる際の、生々しさをうまく出してくれるのですが、ジャズを 鳴らした際の、シンバルの「シャーン」と余韻を伴い、超高域まで伸びていく美しい音色や、デジタル録音のS/N が良く、ホールの余韻をふんだんに取り入れた優秀な録音を再生となると、どうも最新の スピーカーの方に分があります。

 もちろん、下手な録音の場合は、最新のスピーカーでは、録音のまずさも露呈してしまいますので、 ある一定レベルのサウンドを保証する意味では、タンノイのスピーカーは素晴らしいものがあります。  タンノイのスピーカーは、ユニットだけでなく、そのエンクロージャーの独特の響きでもって 音を再構築し、スピーカーで新たなライブの音を作り出す、と言うのが特徴です。ですから、 タンノイ・ホールと称されるほどの個性的な独特の響きは、そのサウンドを好きになれるかどうかが、 一番の問題でしょう。

 個人的な好みを申し上げるのなら、タンノイの音は「凄く好き」です。しかし、もう少し色彩感を 出して欲しい。セッティングの問題ではあるのですが、低域ももっと出て欲しい。

 こんなかなり贅沢な望みを満足させてくれたスピーカーが、Sonus FaberのStradivari Homageでした。現代のスピーカーの中で、クラシック音楽を中心に、ジャズなどの最新デジタル録音を楽しく 聴くことが出来るスピーカーは、他にもいろいろあるかと思いますが、VIOLAのアンプが生きてくる組み合わせで、となると、このスピーカーをおいて他にないように思います。

http://www.kusunoki.jp/audio/audiohistory/AudioSystem2005/history2005.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c9

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
10. 中川隆[-11274] koaQ7Jey 2020年9月20日 13:17:21 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[39]
楠薫 2016年8月現在のオーディオシステム
楠 薫のオーディオ三昧 2016年8月のオーディオシステム System3
http://www.kusunoki.jp/audio/audiohistory/AudioSystem2016/audiohistory20160812.html

私の原点とも言うべき、タンノイのスピーカーの中でも、最も欲しかった スーパーレッドモニターのお目見えです!

アンプはプリがEAR864、パワーがEAR861。

クラシック音楽はもちろん、ジャズも実に気持ちよく鳴らしてくれます。

タンノイではジャズは鳴らない、タンノイはクラシック音楽専用、ましてや畳の へやではジャズは絶対無理、などと言って憚らない方々にお聴かせすると、 目が点になって、絶句するのが楽しくて、ついつい、やり過ぎてしまいます。

スピーカーケーブルはAET Evidence SP 2.7mです。
電源ケーブルも、インターコネクトケーブルも、皆、AET Evidence Evidenceシリーズで 固めているせいか、実にワイドレンジでスケール感抜群で切れ味もあり、拙宅には 欠かせないケーブルです。


■ タンノイ・スピーカーシステム ■
http://www.kusunoki.jp/audio/TANNOY/TANNOY.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c10

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
11. 中川隆[-11273] koaQ7Jey 2020年9月20日 13:43:40 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[40]
709 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/22(水) 13:12

タンノイをお持ちの方は大体真空管アンプをお使いのような気がします。
技術的、音響的、音楽的に観て何故真空管アンプが似合うのでしょうか?

710 名前:K :2001/08/22(水) 19:23
>>709

ハーマングループを離れてから出したプレステージ・シリーズは、石のアンプでもけっこううまく鳴ります。QUAD 606などはその最右翼かと思います。さらにALCHEMISTのAPD24A&25Aなども相性が良いアンプだと思います。KRELLはA級増幅でパワーもあり、ドライブ能力も凄いアンプを世に送り出していますが、初期のKSA50はけっこうG.R.F.Memoryとは相性は良かったのですが、Model 600は8Ωで600Wものパワーを誇るのに、寸詰まりの低域で、がっかりさせられてしまいました。

それで、ふと思いついたのですが、タンノイの特にプレステージ・シリーズは、オートグラフなどのヴィンテージオーディオから連綿と続く独特のサウンドを持っており、オートグラフやIII LZなどが開発された頃は、真空管アンプがまだまだ主流でした。ですから、ユニットは確かに新しくなったとはいえ、コンセプトとしては古くからのものをひきずっているわけですから、その当時、すでにほとんど完成の域に達していたタンノイのスピーカーシステムは、古い真空管アンプとの方が40年以上も経た現在でも、今もって相性が良いのだと思います。

石のアンプでも、ALCEMISTのAPD25Aの様にトランスがあるものはとても相性が良いことを考えると、出力トランスを搭載してダンピング・ファクターがあまり高くない(10以下のものがけっこうある)真空管アンプは、確かに低域の制動性が悪いのですが、適度にエンクロージャーを響かせて音作りしているタンノイのスピーカーには、むしろそれがメリットになっているのではないかと思っています。

これは、ダンピングファクターが確か1000くらいあったModel 600では相性がイマイチだったことの裏付けになっているようにも思えます。初期のKSA50は100は超えていたと思いますが(300〜400程度?)、Model 600程ではなかったので、そこそこ鳴ってくれたのではないかと思っています。

また、タンノイ・ファンは、基本的にはホールの中で響いている感じを大切にしますので、たとえ録音の上では直接音が鋭く刺激的に録音されていても、音にベールを被せてしまう、という批判があったにせよ、しなやかでみずみずしく、ふくよかな真空管サウンドの方が好みなんだと思います。

時にタンノイの同軸2ウェイのツィーターは、鋭く金属的な音になってしまうことがあり、そういう傾向を回避する意味でも、真空管アンプはタンノイ・スピーカーに寄与しているのではないかと思っています。

711 名前:月よりの使者?けっこう仮面 :2001/08/23(木) 20:37

 「音作り」というのが敵視されることがあり、タンノイのような箱を鳴らすスピーカやトランス/結合コンデンサを使いまくる管球アンプは過去の製品呼ばわりされることがあります。

「みずみずしい、というのは偶数次高調波歪がたれ流しになっているだけだろう」

てな具合に。 でも、音は収録した段階で既に色がついているんですよ。マイクの種類、位置により違う音がします。マイクアンプや録音でも変わりますし、それ以前に会場や(ライブなら)客の入りでもう変わります。K先生がタンノイと管球アンプを愛好するのも録音趣味・演奏趣味が背景にあるんじゃないかと勝手に分析している次第です。

714 名前:K :2001/08/23(木) 23:13

私が結局タンノイと真空管の組み合わせになるのは、ご指摘の通り、私が自ら演奏をし、録音もやるせいもあるかと思います。自分が演奏側に回ってみるとわかりますが、演奏している時に演奏者が耳にする自分の音って、ピークだらけの荒々しくてバランスもへったくれもなく、うるおいなんて皆無の音だったりします。しかしある程度離れた所で聴くと、ホールの残響がうまく丸みを与え、うるおいのある、美しいフルートの音色になってくれたりします。風呂場で歌うと、上手くなったように聴こえる様なものですね。

録音する場合には、再生側での劣化や解像度不足も考え、指揮者のポジションほどではありませんが、そこそこ分離も良く、かつ、あまりライブになりすぎないように、でも、ちゃんと綺麗に残響を録れる場所を選びます。そうすると、どうしてもマイクロフォンの周波数のピークの部分もあったりして、も高域がピーキーに聴こえたり、潤いのない荒っぽい音に聴こえたりします。そう言う時にタンノイ&真空管アンプは、本当にそういったアラを見事に隠してくれます。

ちなみにこれをJBLの4343で再生すると、とても聴いていられません(^^;
だから、けっこうオンマイクで録って、JBL4343でちゃんと聴ける演奏をするジャズプレーヤーって、ほんと凄いものだと感心したものでした。


730 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 17:06 ID:c1Z2OqvI

田舎にアーデン(アルニコ)が有る。問題はアンプ。何で鳴らそうか?
昔のラックスは相性が良かったけど、今のラックスはストレートになってしまって、必ずしもタンノイとは合わないような気がする。

731 名前:K :01/08/28 10:33 ID:sPyiG9wk
>>730
確かにSQ38Dを聴いた感じでは、少しストレートという感じがしないでもないですね。
ならば、中古で昔のラックスを手に入れるというのはいかが?
ヤフオクなどでけっこう出ていたりします。

新しいところでは、ユニゾン・リサーチのsimply 2(18万)はいかがでしょう?
昔のラックスを思わせる、ちょっと柳腰風の、美しいサウンドが特徴です。

個人的にはC.R.ディベロップメンツのRomulus 6L6PP(28万)などが、ちょっと耽美的と言われるかも知れませんが、浮遊感まで見事に再生してくれる、好きなアンプだったりします。


112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/29(金) 08:32

タンノイファンには球アンプ使ってる人多いと思うけどそれら以外に良かった例外的なアンプを教えて下さい。

114 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/29(金) 21:59
>>112
ジェフで鳴らすとイヤな音がしなくなる。
ついでに低域も少しは締まる。
ホールトーンも、はにゃ〜んと聞こえる。

131 名前:Kさんおしえて :2001/06/30(土) 11:29
>>114
のジェフは合わないんでしょうか?
最新アンプでおすすめはあるのですか?

132 名前:居座っちゃった? K :2001/06/30(土) 17:10

ジェフの音は確かに綺麗だと思います。解像力もあって、ホールトーンも素晴らしい。
でも、特にプレステージ・モデルのG.R.F.Memoryより上の、38cmユニットを駆動するには、少し柳腰風。ただしこれはメインがModel 10、プリがSynergy IIでの感想。


ゴールドムンドのMimeisis 28はタンノイらしいふくよかですぅーっと弛緩する低域と異なり、私の感覚とは違う路線の緊張感のある中低域が特徴。 McIntoshに少し似ていなくもない、ビロードのような感じで、好きな人にはたまらない感触なんでしょうが、私の好みではありませんでしたので、販売店の方が超強力に推したものの、却下。


で、ステラヴォックスPW1。これがゴールドムンドと同じ所で作っている割に、意外にもシャープで力がみなぎっている感じがして、あまりクセがなく、良い感じでした。今、石のアンプで、価格もそこそこ(買値で42万円)となると、これかなぁ?


C.R.ディベロップメンツのWoodham 300Bは、美しさと伸びやかさで勝負するなら、ジェフを凌ぐと思います。浮遊感の美しさをこれくらい出すパワーアンプは他にないでしょう。組み合わせるプリは、同社のKaster Proがベスト。ただ、個人的にはやっぱり低域のドライブ感がもう少し欲しいです。

そういう意味では、ちょっと前のモデルのArtemisの方が良かった様に思います。
ちなみにその前のRemusは低域の締まりがイマイチでした。


FMアコースティックFM411は、あまり文句の付けようがないのですが、遊びの部分、弾ける感じがありません。でも、美しさと楽器の質感を脚色せずに出すという点では、最右翼かも知れません。しかし、いかんせん、価格が320万! 価格交渉しても286万でしたので、購入するには至りませんでした。

あとそうそう、何だか音がこじんまりしてしまったのが、購入意欲を減退させた一因でした。プリがFM155だったせいもあるかも知れません。


マークレビンソンNo.334Lも全体的には悪くはないのですが、低域が出ませんでした。
これは、ダンピングファクターが高くてスピーカーをしっかり止めるために、余計に響かず、聴感上、低域が出ていないように感じるからかも知れません。理論上はこちらが「正しい音」なのかも知れないのですが、個人的に「これで鳴らすなら、スピーカーはウィルソン・オーディオのSystem 6か、ATC SCM150Pslだな」と思ったので、却下。


パスラボのX600は、同社のプリ、X1プリと組むと俄然、本領発揮します。ちょっと低域は肥大気味かな、と思わないでもないのですが、不思議とタンノイの音を邪魔せず、みずみずしい高域も、プリがX2だと線の細さだけが目立ってしまいますが、X1なら良い感じです。

以上は、G.R.F.Memory、あるいはAutograph Millenniumと組み合わせて試聴した個人的
な感想です。

560 名前:中村主水 :2001/08/02(木) 02:17
 
 現在カンタベリー15(HEになる前の型)を使ってクラシック(オケもの中心)をよく聴きます。パワーアンプの買い替えを検討中なので、ご教授ください。

 タンノイの音楽を濃厚に聴かせる部分に惚れていますが、ここへいわゆるハイスピードアンプを組み合わせると、楽音の立ちあがりが改善され、より演奏者の意図が表現されるのではないかと考えるようになりました。ゴールドムンドあたりはどうかと思うのですが、いかがなものでしょう? 


562 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/02(木) 07:52
>>560中村主水様

タンノイに俗に言う”ハイスピ−ド”アンプを組み合わせるとの御意見ですが大阪日本橋の逸品館のオリジナルアンプで鳴らすと不思議な体験をされるでしょう。

アンプが”ハイスピ−ド”(?)過ぎるとエンクロ−ジャ−が鳴らないためタンノイの良さが完全に死んでしまいます。ユニットだけ鳴ってるタンノイは聞けませんね。


563 名前:K :2001/08/02(木) 13:26
>>560 中村主水 さん

>タンノイの音楽を濃厚に聴かせる部分に惚れていますが、ここへいわゆるハイス
>ピードアンプを組み合わせると、楽音の立ちあがりが改善され、より演奏者の意図
>が表現されるのではないかと考えるようになりました。

私もそう考え、10年ほど前、サイテーションというハーマンカードンのアンプを使ったことがありました。確かに、中高域のスピード感は増し、素晴らしいと思ったのですが、いかんせん、低域が出ませんでした。


私はMarantzの古いmodel 1&5が非常に相性が良いと思いました。たぶん、ダンピングファクターが適度に低い真空管アンプの中で、無帰還あんぷでなく、そこそこNFBがかかっているのが良いように思います。

479 名前:K :2001/07/26(木) 09:10

>プライマー200シリーズのブリ+パワー+CDが細身に調教してくれて、
>そこそこに鳴ってくれている様に思います。

プライマーですか!これなら低音が出過ぎることはないですね。スピーカーコントロールも良いようだし。
ただ、逆に、低音が出ない可能性があります。

石のアンプはダンピングファクターが良すぎるので、スピーカーを余計に振動させないという点では、最新のエンクロージャーが響かないタイプのスピーカーなら良いようなのですが、逆にタンノイのような、エンクロージャーを響かせて音造りをしているものでは、低域が出ないかも知れません。

私はかつて、サイテーション・シリーズという、ハーマンカードンのダンピングファクターがかなり高いアンプも使っていましたが、これがまったく低音が出ませんでした。

で、「黄金の組み合わせ」というウエスギアンプに換えたら低音が出るようになって、換えた当初は大喜びでした。ま、そのぬか喜びも一ヶ月程度で終焉し、今度は低音が出過ぎる弊害を味わうことになるのですが……。

いずれにしても、スピーカーを手に入れてからが勝負、ですね。


474 名前:K :2001/07/26(木) 00:16

>パワーアンプがU-BROS3に変わり、細かなセッティング変更を行いましたが、
>会社の独身寮の四畳半という事もあってか、ゆるんだ低音の制御が出来ず使いこなせませんでした。


私もウエスギアンプをいろいろ使ってみたのですが、結局ウエスギではその低域をコントロール出来ず、シェルターというメーカーに走ってしまいました。で、それでも満足が出来ず、いろんなお宅を訪問して、相性の良さそうなアンプを探し回ることになってしまいました。

ところが、たいていが「人に勧められたから」とか、「雑誌に載っていたから」ということで選ばれ、「まぁ、こんなものでしょう」ということで終わりにしている方がなんと多いことか。買ってみたものの納得せず、ショップに泣きついたら「こちらのアンプにしてみたら?」と言われてそれに換えても結局解決せず、買い換え買い換え、ローン地獄にはまって行った方もいらっしゃいました。

446 名前:K :2001/07/21(土) 23:46

タンノイのコクのある音がお好きならそれほど難しいことではないのですが、その独特のコクや懐の深さを生かしながら、キレを求めると、何だかビールの宣伝みたいになってしまいますけど、そういう場合は、私は真空管アンプの組み合わせをお奨めしています。

中でもMarantz model 7&8の組み合わせは、質感を出来るだけ正確に伝えながら、低域をしっかりコントロールしてくれるので、ダレが少なく、良い結果を導いてくれるかと思います。中古ならけっこう安く手に入りますし、本当はオリジナルが良いのですが、なかなか程度の良いものを探し当てることは難しく、レプリカの真空管を換えたりして使いこなすのが一番かと思います。

そして、エアータイトという日本のメーカーのATM300、これ、けっこうイケます。ラックスの方達が独立して創ったメーカーですが、ラックスの先入観をうち砕いてくれるほど、ストレートな鳴りっぷりが見事です。しかもCDダイレクト入力があり、便利です。ただ、300Bのシングルアンプですので、オートグラフの様に能率が98dBもあれば問題ないでしょうが、95dBを切るとちょっと厳しいかも知れません。


スピーカーケーブルは銀線ではなく、銅線の単線が相性が良く、CDプレーヤーはSTUDERなどの音が分厚くかつ前に出てくるタイプが良いかと思います。

タンノイの古いタイプで分解能と音場の描出能を求めるのは、ある程度までは可能かも知れませんが、プレステージシリーズで例をとるなら、一つ前のTWWですら、どんなに頑張っても、ウィルソン・オーディオのSystem 6には絶対に敵いません。ソナスファーベルのアマトールにすら勝てません。

もしあるレヴェルまで持っていこうと頑張るとするなら、CDにはリンのIKEMIやCD12、プリにはせめて石のアンプでコニサー、真空管ならソニックフロンティアかコンバージェントオーディオ、メインにはRed Rose Model 2 or 1もしくは特注になりますが是枝300Bプッシュプルアンプを持ってきて、しかもインターコネクトケーブルもスピーカーケーブルも銀線タイプ、特にスピーカーは単線の銀線か、キンバーケーブルの銀線タイプという具合に、超ド級システムとなってしまいます。

確かにこれだとそれなりに高分解能で鳴ってくれますが、スピーカーをSystem 6を持ってくれば、もっと良く鳴ってくれるでしょう。

これから新たに買おうと思っている場合は、昔のコッテリとした音が良ければ、中古を選ぶべきだと思います。新しいHEタイプは昔のようなコクのある鳴り方はしてくれません。かといって、System 6の様な完璧なビシッとした眼前に広がる音場を呈してもくれません。そういう意味では中途半端なんですけど、今我が家で鳴っているオートグラフ・ミレニアムは、「こいつ、本当にタンノイかよ!?」というくらい、弾けた鳴り方をしています。これは是枝300Bプッシュプルアンプのスピーカー制動力が見事なことと、我が家のモデルはワイヤリングがウェスタンのもの単線綿巻線を使用していること、バンディングは太番手包縛糸とワックスによる結線という、プラスチックを使わない方法を採っているお陰と思っています。プリのコニサーもS/Nの悪さを除けば、素晴らしいアンプかと思います。

最新のタンノイで高分解能で楽しみたい場合は、先に挙げた超ド級システムの中のスピーカーケーブルを単線でなく、撚線タイプのキンバーケーブルにすると良いみたいです。

317 名前:K :2001/07/13(金) 23:03

いや〜、本当にタンノイって気難しい、なかなかこちらの思うように鳴ってくれな
いスピーカーなのですよ。先日まで使っていた、Red Rose Music のModel 5は、「銀線の音が乗り過ぎじゃないの? おまけに蛍光灯のノイズに弱い様ね」と、蜜月はわずか1週間。

次のコニサー4.0は、みずみずしい音と楽器の質感の正しさでは群を抜いていますが、「S/Nの悪いプリね。私のような能率の良いスピーカーには合わないわ」と、たった1週間で足蹴にされる始末。

お気に入りはCD12と、メインアンプがなんと、是枝さんというオーディオ評論家が創った、300Bプッシュプルアンプ。これって、メチャクチャ高価なんですよねぇ。しかも是枝さんの一品ものだし。

プリはMarantz model7がかろうじて当確ラインすれすれ。あとはCRディベロップメンツのカスター・プロの結果待ちという状態。Red Roseから新しく出ると言う噂の石のプリアンプには少し興味があるけど…。

EARから出た新しいプロ用プリアンプならV20でS/Nの良さは魅せてくれたから良さそうな気がするが……。

スピーカーケーブルも、あんなにアルテック604-8Kでは素晴らしかったJPSも、「透明感の足りないケーブルね」と、そっぽを向かれる始末。長崎からφ2.5mm銀単線ケーブルを取り寄せてみたり、友人宅のハーベースで良かったS/A Labs High End Horse3.5を取り寄せる手配してみたり、もう、大変なんです(^^;

471 名前:K :2001/07/24(火) 22:07


RHRはオールホーンの欠点でもある、低域の伸びが不足します。コーナーで内振りを大きくすればある程度は解決するかも知れませんが、根本的にアンプで補ってやらないと、難しいかも知れません。

低域を制動させるには、ダンピングファクターの比較的高めな、NFBを少し多くかけているアンプを選ぶと良いかも知れません。Marantzのmodel 2,5,8,9はそれほど多くNFBをかけてはいませんが、それでも現在多くなりつつあるノンNFBタイプに較べれば多く、トランスの能力も加わり、低域が膨らみすぎる感じにはならず、OLD タンノイで、低域の膨らみに困っていらっしゃる方にはお奨めのアンプです。

それに較べてRHRやウェストミンスター・ロイヤルは、基本的にはコーナーに置きを考えたタイプではないので、根本的にオートグラフのような低域の伸びは望めないかと思います。ですから、アンプ側で補う必要があります。

NFBが少ないアンプで少しウーファーの制動は悪くなりますが、よく響かせてやるようにすれば、聴感上、低域が伸びているように感じることが出来、デメリットを差し引いても、十分、メリットがあるように思います。

あるいは、McIntoshのアンプのように、その素晴らしいトランスの性能を存分に生かし、低域が伸びやかで独特のコクのある、ビロードのようなサウンドがマッチする様に思います。

ちなみに、エアータイト(A&M)のATM300は、NFBを0〜6まで3段階に変更できる優れもので、スピーカーの特性に合った選択が出来、重宝しています。


129 名前:50 :2001/06/30(土) 08:54

マランツの真空管、マッキン、クオード等で鳴らしたり、鳴らしている人の音を聞いたりしたことがありますが、

マランツだと端正で標準的な音、
マッキンだと弦が耳をくすぐるような美音、

クオードだとかなりレンジは狭まってちょっとキツイところもあるが、シブくて聴き込むと何とも味のある音で鳴っていました。

この3種は好みもあるけど、定番的アンプだと思います。

130 名前:戻ってきたK :2001/06/30(土) 10:11
>>129

ちょっと追加するなら、McIntoshのアンプは低域が伸びるのですが、締りがないと感じるかも知れません。パンチ力を望むのも、少々無理。

Marantzはそっけないと感じるかも知れませんが、楽器の持つ質感を一番正確に表してくれますし、タンノイ独特の箱鳴りはあまり目立たず、引き締まった感じがしますので、私個人的には一番好きなサウンドです。

クォードは低域が寸詰まりに感じるかも知れませんが、一番エネルギッシュで古いモノラル録音盤を聴くのには一番かも。


138 名前:K :2001/06/30(土) 23:39

どのモデルか、組み合わせるCDプレーヤー、室内楽かオーケストラ曲かどうかで、違ってきます。

現行のスターリング(トールボーイ型)では、C.R.ディベロップメンツのKalypso 10th Anniversary(定価\198,000)か、ユニゾンリサーチのSR1(Hi-brid Stereo Integrated Amplifier MOS-FET/ECC82×2 80W+80W 定価\150、000)が価格的なバランスからも良いかと思います。

初期のスターリング、コルクをフロント・バッフルのタイプは、低域のコントロールを必要としますので、私はマランツの#7と#8の組み合わせをお奨めします。

G.R.F.Memoryになりますと、最初期のコルクを貼ったモデルでは、やはり#7と、友人が持ってきたマイケルソン&オースチンのTVA1がちょっと鳴りっぷりが良すぎる感じがなきにしもあらずですが、今のところベストと思っています。

以上はアナログプレーヤーはトーレンス126、CDがルボックスB225での組み合わせです。


オートグラフ・オリジナルを鳴らす場合は、今のところ、マランツ#1&#2を超えるものを知りません。
メインアンプが#5でもけっこうイケルのですが、イマイチそっけな気がします。#2のコクのある、しかしシッカリスピーカーをドライブするサウンドはさすがです。

五味康祐先生と同じシステムで鳴らしている方を4軒ほど回ったのですが、みな、低域のコントロールに苦慮されており、石神井の五味先生宅にお邪魔したときには既に先生は他界されていましたので、かつての音を偲ぶにとどまりました。


新しいオートグラフ・ミレニアムは、CDプレーヤーがSTUDER A730では良さが発揮出来ません。LINN の CD12を選ぶべきです。高解像度でクセが少なく、ステージがドーンと広がって聴こえるので、古いオリジナルとは違った楽しみ方があると思います。オリジナルオートグラフにはA730の方が良いように思います。

で、組み合わせるアンプですが、うすうす、お気づきになった方がいらっしゃるかも知れません。Red Rose MusicのModel 5が、今のところ、圧倒的に良い様です。しかも、真空管をMullardのEL34に交換したものが。

Model 1&3の組み合わせで鳴らすよりも、もっと空間が広がって、荒々しさがないのに力強く、浮遊感まで見事に再生してくれます。

アナログプレーヤーは、今のところEMT927とトーレンスのプレステージモデルくらいしか比較していませんが、かけるレコードが60〜70年代が中心なせいか、EMTの方が私には好みです。ちなみにRed Rose Musicにはプリがありませんので、マランツの#1のプリを流用しています。そういったことも多少関係しているかも知れません。

ウェストミンスター・ロイヤルを最高に素敵に鳴らしていらっしゃるのは、岩手県一関市(ジャズ喫茶ベイシーのある所)のジャズ喫茶、ROYCEだと思います。オリジナル・マランツ#7&是枝重治先生(管球王国で執筆されている方)お手製300Bプッシュプルアンプという組み合わせです。

ROYCE 岩手県一関市
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/3707/royce.html
http://community.phileweb.com/mypage/entry/2022/20090504/11719/

オリジナル・オートグラフを、あの箱鳴りを感じさせずに実に爽やかに、美しく、颯爽と鳴らしている最右翼は、長野県原村のペンション「ムジカ」です。

メインアンプは広島の音楽家のお手製で、WE-262B-349A-284Dのモノラル構成。ステレオプリアンプはカンノ・スーパーパーマロイ・トランス結合式タイプSPU、プレーヤはガラード401、カートリッジはオルトフォンSPU-G、昇圧トランスはカンノSPU30、CDプレーヤーはフィリップスLHH1000です。

先ほど挙げた#1&#2で鳴らすオートグラフと傾向は違いますし、古のオートグラフらしくなくて、物足りなく思われるかも知れません。でも、個人的にはこういう行き方もアリかと思っています。


334 名前:K :2001/07/14(土) 21:40


まず、すでに何回も私がその名前を出している、岩手県一関市山目十二神140-4 ROYCE 0191-23-4665 ここはジャズ喫茶です。ウェストミンスター・ロイヤルをMarantz#7と300Bプッシュプル、845
シングルアンプで鳴らしています。ここのお店の凄いところは、アンプをいろんな人から借りて、それでも満足いかず、アンプ製作者を呼んで、
「このアンプのこういう音と、そちらのアンプの、こんな感じの音が出るアンプを作ってほしい」
と、具体例を挙げてアンプを作らせ、
「このレコードにはこういう感じで音が入っている。それがまだ出ていない。直してくれ」
と、徹底的にパーツ、配線まで換えさせて理想の音に近づけて行ったのです。ですからオーナーのイメージ通りの音がしっかり出ていると思います。

クラシック音楽なら長野県原村のペンション・ムジカ。ここはHPがあります。
http://musica.maxnt.co.jp/
どんなシステム構築をされているか、細かく紹介されています。
ただ、ムジカはご主人を亡くされ、奥さんが今一人で頑張っていらっしゃいますから、忙しいシーズンには、オートグラフ聴き放題というわけにはいかないかも知れません。

ここの凄いところは、とにかくオートグラフの「ぼよよ〜ん」とした低域の響きが、本当にしないんです。寸前の所でかわしているんです。そしてさわやかでみずみずしい颯爽とした弦楽器の音が聴きものです。


それから、ちょっと誤解を招いているフシもありますので、ここで改めて申し上げておきますと、タンノイを購入したから良い音で鳴るとか、タンノイだったらみんな良い音で鳴っているわけではありません。
私が50軒以上のタンノイのスピーカー、オートグラフでも20軒以上鳴らしているお宅にお邪魔して聴かせていただいておりますが、私が本当に「凄い!」と思ったのは、タンノイ全体としても、5〜6軒です。

おっしゃるとおり、ぼわ〜ん、ぼよ〜んと箱が鳴って、ピントはボケているし、位相がズレて聴くに耐えないお宅がけっこうあったのは事実です。でも、「幸福なタンノイ」を目指して、お互い情報交換し、切磋琢磨していらっしゃる方の音は、やはり違います。

309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/13(金) 16:25

タンノイではグラモフォンのペルゴレージ「スターバトマーテル」アバド盤のメゾソプラノとアルトの歌い手をきちんと分離して再生出来ないと思う。確かに音は美しいとは思うが、音楽の観賞用として、そういう再生力では問題があると思う。


311 名前:K :2001/07/13(金) 18:55
>>309
>タンノイではグラモフォンのペルゴレージ「スターバトマーテル」アバド盤のメゾソプラ
>ノとアルトの歌い手をきちんと分離して再生出来ないと思う。

ふぅむ、それは不幸なタンノイですね。ちゃんとしたアンプで、しっかり振り角までチェックしてチューニングされたタンノイなら、むしろもっと難しいと思われる、ジョスカン・デ・プレ作曲「ミサ・パン・リングァ」演奏:タリス・スコラーズ(Gimell CDGIM009)の、十数人中ソプラノの左の二人の声の微妙な違い、体を左右に揺れ動かしているその様子までわかるかと思います。

ま、私なんかよりも、岩手県一関市のウェストミンスター・ロイヤルでジャズを鳴らしている
ROYCEというジャズ喫茶で、Waltz for Debby Bill Evans Trio(RIVERSIDE VDJ-1536)を
お聴きになると良いですよ。

地下鉄の騒音が、左から右の奥に2回、その反対に抜けるのが1回、なんて具合に、本当に手
に取るようにわかるかと思います。


タンノイは、ある意味では、チューニングが非常に難しいスピーカーです。単にポンと置いたら鳴るスピーカーではありません。エンクロージャーをある程度響かせながら、同軸2ウェイは、90°のサービスエリア内で、シビアに定位させないといけないので、ちょっとした机や椅子の影響も受けやすいのです。
ましてやコーナータイプのオートグラフは、コーナー付けが基本ですから、最初から内振りの角度が決められているようなもの。

そういう困難を克服して、クープラン作曲「モッテト集」 演奏:Feldman,Poulenardら(Harmonia mundiHMC901150)の二人の女性の歌声の掛け合いが、時として顔を見合わせながら、またある時にはちょっと背伸びするように上向きに発声している様まで手に取るようにわかるようになった時の嬉しさというのは、また、格別なものがあります。

そもそも、私が最初のタンノイ製品、スターリングを購入するきっかけになったのが、
「秋葉原のとあるお店の前を通り過ぎた時にたまたま流れていたバイロイトのワーグナーの音楽。それがタンホイザーだったか何であったかは忘れたが、声のリアルさと、テノールの歌手がクルリと振り向いた様まで手にとるようにわかった時の衝撃は今でも忘れない。」

と言うような具合で、定位の良さと声質のリアルさに衝撃を受けて発作が起きて購入したくらいなんですから、ちゃんと追い込めば、ある程度までは到達することが可能だと思います。
もっとも、それが再現できるようになるまでの苦労を考えたら、確かにエンクロージャーが響かず、サービスエリア角度が広いウィルソン・オーディオのSystem 6の方が楽でしょうけどね。

447 名前:K :2001/07/22(日) 01:18
題:タンノイを鳴らしていて個人的に良いと思ったシステム


1)ESOTERIC P-1,D-1 → SHELTER Model 404-2
→ C.R.DEVELOPMENTS Artemis →カンタベリー15


アナログプレーヤー:トーレンス126 
カートリッジ:オルトフォンMC20 Super 
トランス不明
インターコネクトケーブル:モガミ(プリ・メイン間自作)

スピーカーケーブル:ベルデン(型番ちょっと不明)
 

和室に置かれたシステムで、これくらい見事になっている組み合わせはないかと思います。 スピーカーの下に厚さ3cm御影石の板を入れたのが正解だった様です。ボーカルも、カルテットも見事で、CDを中心に聴いているのに耳障りな高域がありません。解像力もかなりなもので、かといってちゃんとタンノイトーンを出している、不思議なシステムです。

2)REVOX C221Mk 2 → エアータイトATM-1 → スターリング TW

 インターコネクトケーブル:JPS Superconductor 2(プリ・メイン間)
 スピーカーケーブル:JPS Superconductor 2

 私がエアータイトというブランドのアンプを聴いて、これは良いかも知れない、と思ったお宅。
 CDしか聴きませんが、これが悔しいくらい、タンノイらしさを失わずに、見事な鳴りっぷりでした。ATM-1はCDダイレクトが可能なアンプなので、あえてプリを使っていないそうです。

 ケーブル類は私の音を聴いて、お気に召したらしく、速攻で注文されていました。2ヶ月後、再びお寄りしたところ、「いやぁ、ジャズも聴けるようになったんですよ」と、嬉しそうでした。
 繊細な室内楽も素晴らしかったと思います。

3)STUDER D730 → Marantz model 1 → Marantz model 5 → G.R.F.Memory TWW

アナログプレーヤー:EMT927 
カートリッジ:オルトフォンSPU A/E
昇圧トランス:Triad HS-1

インターコネクトケーブル:JPS Superconductor 2(すべて)
 
スピーカーケーブル:JPS Superconductor 2
 

これは私が2000年3月まで使っていたシステムです。クラシックからジャズまでオールマイティーに鳴らすにはこれしかない、という感じで組んでいます。ポピュラーやロックは聴きません。 ジャズは1960年代が中心なので、これで十分という感じでした。

4)トーレンス126&オルトフォンMC20 Super2 → Marantz model 7
→ 300Bプッシュプルアンプ& 845シングルアンプ


 ケーブル類はプリとメインの間がJPS Superconductorです。他はちょっと不明。

 改めて書くまでもない、岩手県一関市ジャズ喫茶ROYCEのシステムラインナップ。とにかく豪快にかつ高分解能に鳴ります。「アルテックA7を緻密にしたような感じ」とは、とあるジャズ評論家のお言葉。なるほど、と思いました。徹底的に手を入れた手作りメインアンプの勝利でしょう。

5)糸ドライブ自作砲金プレーヤー → アーム・カートリッジ EMT
→ 昇圧トランス UTC・WE
LPプレーヤー ガラード301 → プリアンプ マッキントッシュ C22
→ マッキントッシュMC60 →タンノイオートグラフ・モニターレッド・箱ユートピア

 ユートピア箱でなかなか良かった例です。1960年代もしくはそれ以前のモノラルを中心におかけになるシステムなので、現代のレコードをかけると、ちょっと低域が膨らみすぎの様な気がします。しかし、1960年代前半のオペラなどを聴くと、本当に素晴らしい印象でした。

6)EMT 927 オルトフォンSPU A → WE 618昇圧トランス
→ CONVERGENT AUDIO TECHNOLOGY SL1

Ultimate & EAR 864B → Marantz model 9 & EAR 861 
→ オリジナルオートグラフ・モニターレッド


 まぁ、よくぞここまで仕上げた、という感じの音です。豪快さと繊細さを併せ持ち、古いレコードから新しいレコードまで、堪能することができました。個人的にはベンツマイクロのカートリッジとフォノアンプで奏でたEARの美しくて精悍なサラブレッドの馬の様なサウンドが印象的で、今の私の求めるサウンドの方向性を決定づけたシステムでもあります。 

 

7)ペンション・ムジカ
 http://musica.maxnt.co.jp/ をご覧下さい。

 プレーヤはガラード401 オルトフォンSPU-G → 昇圧トランス:カンノSPU30
→ カンノ・スーパーパーマロイ・トランス結合式タイプSPU
→ WE-262B-349A-284Dのモノラルパワーアンプ

 CDプレーヤーはフィリップスLHH1000


 改めて言う必要もないかと思いますが、これほど清々しい弦楽器と膨らみすぎない低域を聴かせるオートグラフはないでしょう。もう、脱帽の一語に尽きます。 

  450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/22(日) 21:08

お金の無い若者や初心者にこれいいよ!っていうお手ごろなアンプありませんか?


451 名前:K :2001/07/22(日) 22:43
>>450
まず、タンノイのスピーカーは何をお使いになるか、です。

タンノイのタンノイたる所以のスピーカー、プレステージシリーズをお使いいただけるとして、新型のトールボーイタイプのスターリングを念頭に入れて検討してみます。

で、アンプは価格を抑える意味合いからもプリメインタイプを選びます。となると、>>447 でお書きしたエアータイトのATM-1 (\360,000)がお奨めかと思います。

繊細さとパワー感を併せ持ち、スピーカーコントロールもかなりなものかと思います。何よりも、低域のダブツキがかなり抑えられつつ、低域の伸びが良いというのは、特筆すべき点でしょう。

もう少し価格を下げたいのなら、C.R.ディベロップメンツのKalypso 10th Anniversary(\198,000)か、ユニゾンリサーチのSR1(Hi-brid Stereo Integrated Amplifier MOS-FET/ECC82×2 80W+80W \150、000)あたりが良いかと思います。Kalypsoは小気味よく軽快で、繊細さも併せ持ったアンプです。
一方、SR1は、ちょっと線が細いかも知れませんが、スケールの大きさをちゃんと出してくれるので、スターリングに使用している友人は、けっこう気に入っているみたいです。

452 名前:K :2001/07/23(月) 02:14
タンノイ用システムを安くあげる方法を考えてみました。

タンノイにはなぜだか真空管アンプが合う様で、今までパスラボの方を除いて、どうも石のアンプでちゃんと鳴っていたのを耳にしたことがありません。あ、ユニゾンリサーチのSR1はプリ部が真空管で出力がMOS-FETですから、ハイブリッドでしたね。これは良い感じでした。

で、真空管アンプを使用することを大前提として、何とか安く上げる方法を考えてみました。


SOUNDというメーカーのValve 100(\80,000)は、6L6GCを使用した8Wのプリメインアンプです。ICLが値上げしてしまったので、唯一、10万を切るモデルです。

実際にはタンノイと組み合わせていないのですが、B&W 805と組み合わせてみた感じでは、タンノイを鳴らすには、ちょっと力不足になる可能性はあります。ただ、相手が能率の悪いB&Wでしたから、タンノイで93dBもあれば、けっこういけるかも知れません。雰囲気は非常に良かったので、もし機会があればお試しになってみると良いでしょう。

で、これも実際はタンノイでは試していなくて、アルテック604-8Gの友人宅で試してみたのですが、エアータイト(A&M)のキット・ブランドである、アコースティック・マスターピースのKT88シングル・ステレオパワーアンプM101が、けっこう合うかと思います。キットと言っても、半田付けが済んだ半完成品モデルが1万円プラスの\128,000ですから、ビス止めを数カ所行う必要がありますが、お手頃価格かと思います。定格出力は8Wですが、我が家のATM300も8Wながら、ユニゾンリサーチのSR1よりもパワー感があるほどですから、十分、いけると思います。

しかも有り難いことに、他の製品版と同様、CDダイレクトに対応でき、プリアンプも別売でC101(キット価格\98,000)が用意されていて、最初はメインアンプだけ、余裕が出来たらプリを購入してセパレートで使うと言うことも出来ます。


720 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/24(金) 20:22

是非タンノイで聞いてみたい想像しただけでウキウキするアンプってありますか?
僕が行きつけのお店にあったカウンタ−ポイントSA−4は良さそうでしたが。


721 名前:K :2001/08/24(金) 21:07
>>720
私は友人宅のG.R.F.Memoryでプリ、メインともカウンターポイントの組み合わせで聴きましたが、カウンターポイント、非常に良かったですよ。ジャズがあんなふうに鳴ってくれるとは、私も意外でした。

さて、タンノイと相性が良くて、ウキウキする様なサウンドで鳴ってくれるアンプの一つに、Marantzの
オリジナル#7と#8Bの組み合わせがあります。

これを聴くまでは、私はタンノイのスピーカーでジャズなんて絶対に聴けないと、盲信していたのですが、この組み合わせで聴いてからというもの、それは誤りであることが身にしみてわかりました。

また、カンタベリー15とEARのV20の、妖艶な組み合わせも捨てがたいものがあります。

他には最近聴いてビックリしてしまった、AIR TIGHT(A&M LIMITED)のATM-1というのもあります。これはCDダイレクトが付いているので、プリ無しで聴くことが出来ます。国際的にはATM-2の方が出力が片チャンネル80Wも出るので人気がありますが、個人的にはちょっと荒っぽくて、単調な気がするので、繊細で弾むような鳴り方をするATM-1の方が好きです。

さらに同社のATM-300は芯のある立ち上がりの鋭い低域と、みずみずしくてフレッシュな高域が見事。オートグラフ・ミレニアムだけでなく、アルテックの604-8Kにも相性が良くて、今、我が家ではそちらとの
組み合わせで使用しています。


485 名前:K :2001/07/27(金) 16:06

S/A Labs High End Horse3.5のケーブルをつなげるました(^^)v

そしてその成果ですが、大笑い。今まで、「鳴らない」と文句ばかり言っていたタンノイのオートグラフ・ミレニアムですが、なんと鳴りすぎるくらい、鳴る様になっちゃいました(^^;

確かにジャズなどを鳴らすには、JPSのSuper Blue 2は良かったし、低域が肥大せずに、高域まで
一本、ビシッと芯が通っていたのですが、クラシック音楽を聴く場合は、特にタンノイのスピーカ
ーを使って「高解像度」かつ「伸びやかな低域」で聴こうとしたら、S/A Labs High End Horse3.5
の方が、断然、気持ちよく聴くことが出来ます。

低域は伸びる伸びる、ホーンの板も、よく響きます。そして何よりも、LINNのCD12の、ステージにオーケストラの演奏者がビッシリ密集して並んでいる感じが出てくるようになり、「現代版・オートグラフ」ならではのサウンドを楽しむことが出来ます。

おそらくこの音は、旧タンノイ派からは、「ソナス・ファーベルじゃああるまいし、小綺麗で分解
能良く、色気たっぷりに鳴らしてどうする!」とお叱りを受けるかも知れません。また、ウィルソン・オーディオのSystem 6派からは、「分解能ではウチに敵わないんだし、高分解能で聴きたかったら、タンノイなんて問題外」と言われそうです。

でも、EARのV20で鳴らした時の音を聴いてしまうと、もう、後戻りは出来ません。

CD12のお陰もあるのでしょうが、凛として清々しく、透明感(これはSPケーブルのお陰?)
あふれるタンノイサウンド……。

どこかで聴いたことがあるようだと思ったら、なんとあの、長野県原村のペンション・ムジカの清
々しさに相通じるものがあるんです。もう少し、我が家の方が、低域は出ていますし、V20なら
曇らずに、スッと出てくれます。分解能では、圧倒的に我が家の勝ちです。

時代が変われば変わったで、オートグラフで鳴らす音楽の楽しみ方も、新たな展開を見せてくれる
ものだと、感心した次第です。

それにしても、V20で良いとなると、コニサーや是枝300Bプッシュプルアンプが、宙に浮い
てしまいます。コニサーが160万。是枝300Bが168万。合わせたものが、55万円少々のプリメインアンプに敗れてしまったと言うのは、なんとも皮肉な話です。

516 名前:K :2001/07/28(土) 14:55

現時点での我が家のシステムは、下記の通りです。

CD12 → Red Rose Music Silver 1(インターコネクトケーブル)
→ EAR V20 → S/A Labs High End Horse3.5(スピーカーケーブル)
→ オートグラフ・ミレニアム

http://mimizun.com/2chlog/pav/ebi.2ch.net/pav/kako/992/992992601.html

EAR V20プリメインアンプ
http://www.mmjp.or.jp/ippinkan/newpage124.htm

EAR の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/480.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c11

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
12. 中川隆[-11272] koaQ7Jey 2020年9月20日 14:02:29 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[41]

「音楽&オーディオ」の小部屋

オーディオ訪問記 2014年09月02日

このたびの試聴会は、つい最近我が家にお見えになったNさん(福岡)の「音のいい三極管の中でもWE300Bと並んで最高峰とされるPP5/400真空管の音を是非聴いてみたい」とのご要望で実現したもので、同行者はNさんのほかにKさん、Mさんの計4名、自分にとってSさん宅はこれで3度目だった。
             

Sさんは圧倒的な「ブリティッシュ・サウンド」党で、使ってあるスピーカーは


「タンノイ・コーナーヨーク・シルバー」

「AXIOM80」

の2系統のシステム。


老舗ブランドのタンノイのユニットは自分のおぼろげな記憶によると

(モニター)ブラック、シルバー、レッド、ゴールド、HPD

へと変遷を遂げており、初期のブラック、シルバーはまずお目にかかることがない珍品だが、

Sさんは知人のイギリスのディーラーを通じてようやくこのシルバーを手に入れられたそうだ。当時はモノラルの時代だからステレオ方式として程度の揃った2本を手に入れるのは至難の業だったろう。

製造のロットナンバーがN0.4(写真右)、片方が200番台とのことで非常に珍しい初期タイプのシルバーである。

これらスピーカーを駆動しているのは、これまた世界に2セットしかない珍しいアンプ。      

BBC放送局の技術者が個人的な趣味で作ったアンプだそうで、製作当時ヨーロッパのアンプ選手権で「グランプリ」の栄誉に輝いたもの。

出力管は前述したように「PX25」真空管の親分筋に当たる「PP5/400」で(現在オークションでは35万円で出品されている!)トランスはパートリッジ(イギリス)を使用。

なおCDプレイヤーはつい最近手に入れられたフィリップスの「LHH2000」。これはマニアの間で名器として知られているものの、何せ古い製品なのでピックアップが“へたっている”ものが多いが、今回の購入に当たって別途に程度のいい一式に入れ替えられたそうで念が入っている。


はじめに「タンノイ・シルバー」を聴かせていただいたが、「AXIOM80」と音質がそっくりなので、

「AXIOM80にしてはえらい低音が出てますね」

「いいえ、鳴っているのはシルバーです」

とのご返事に思わず赤面(笑)。

同じタンノイといいながら、ユニットが違うとまったく別物との感を深くした。
あのタンノイ独特の鈍重な音(もちろん、それがいいという人も沢山いるが!)がすっかり影を潜めてメチャ繊細な音がするのに驚いた。


滅多に聴けない音を聴かせていただき大満足だったが、実は今回の試聴会で我が家からアンプを持参させてもらった。

26日(火)の試聴会で好評だった「刻印付き2A3」シングルアンプ。

         

Sさん宅の「AXIOM80」は最初期のオリジナルユニットで我が家の復刻版と違ってどういう鳴り方をするのか大いに興味があったのでSさんのご了解のもとに持参したわけだが、さすがに「PP5/400」には位(くらい)負けするものの期待以上の善戦だった。

同行したKさん(福岡)が持参されていた「2A3の1枚プレート」(アクチュラス)、「4ピラー」(レイセオン)ともそれぞれ差し換えて比較試聴したが、個人的にはやはり「2A3の1枚プレート」に一日の長があるように思った。

オークションにも滅多に出ることがない球だが、今後手に入れたい真空管の筆頭である。

およそ4時間ほど、心ゆくまで“品のいいイギリスの音”を堪能させていただいて一同帰途についたが。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/4106b665a971050732f538d2b01e12d4


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どうも気になる「タンノイ」さんのオークション - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年11月13日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/df629ef2aeef7672918cc942f559d86a

「タンノイ」といえば英国を代表するクラシック向きのスピーカーとしてよく知られていますよね。

もし知らない方がいるとすれば、それはこの世界では「潜(もぐ)り」です(笑)。

日本でも根強い人気があって、クラシック・ファンであれば購入時に候補として一度は俎上に乗せると言っても過言ではあるまい。

自分もその例に漏れない。しかし、実際に購入してはみたものの、そのタンノイさんに不満を感じだしたのにそれほど時間はかからなかった。

なにしろ低音域はボンヤリしているし、グッドマン系に比べると中高音域はやたらに硬いしヴァイオリンの音色もイマイチ。

まあ、人それぞれだけどね(笑)。

オーディオに限っては思い切った「行動派」なので、ボックスだけは少しの改良に留めてそのまま活用することにし、中身のユニットについてはそっくり入れ替えた。

ただし、黙っておけばいいものをときどきブログでタンノイさんの否定的な面を強調したりするもんだから、途端に該当記事の「共感バナー」のアクセスが減少気味になるのに気付いている(笑)。

このブログの読者の中には「タンノイ使用者」が多い現実に改めて気付かされるが、何といっても(このブログの)取り柄は「自分の思ったままに書く」ことだけなので怯むつもりはまったくない。

とはいえ、「雉も鳴かずば撃たれまいに」の感はたしかにある(笑)。

そういう状況のもとで、ずっと昔のタンノイさんのモデルについてはある種の憧憬をいまだに持っている。

たとえばユニットにとって一番大切な「マグネット」でいえば「シルヴァー」「レッド」「ゴールド」あたりのもので、とても透明感に優れ、しなやかな中低音域に恵まれているのが素敵。

お値段次第によって”あわよくば手に入れたい”という色気はまだ捨て切れていない。

そういう中、このほど興味深い出品物が二つあった。

まずは、箱の方から。

解説には、「タンノイ 12インチ用 オートグラフエンクロージャ Utopia製 ペア の出品です。同時出品しておりますモニターシルバーを取り付けていたエンクロージャです。ユートピア社により、オリジナルを忠実に12インチ用にスケールダウンされたものです。」

素人の工作ではまず無理ともいえる豪華な箱に大いに食指をそそられる。

そして、中に容れる肝心のユニットはもはや幻の存在とも言っていい「モニター・シルヴァー」である。

   

解説では、「タンノイ モニターシルバー 12インチ LSU/HF/12L ペア の出品です。センターキャップが装着されていないので、おそらく希少な初期型のユニットかと思います。

コーン紙の状態は、撚れやピンホールも無く良い状態かと思います。出品に当たり、音出し確認を行いましたが、ビビリも無く問題の無いことを確認しました。ネットワークはおそらくオリジナルと思われます(購入時に販売店より聞いています)が、カバーの欠品と当方の浅学のため断言出来ません。」

ちなみに、口径38センチの「モニターシルヴァー」と「コーナーヨーク」(オリジナル)の箱のセットを持っている知人の話によるとペアで「180万円」で手に入れたとのことだった。

   

今回は口径「12インチ」(30センチ)だから、やや小ぶりになるが自分の好みでは「38センチ」よりも「口径30センチ」の方がスケール感では劣るものの音声信号に対する応答性に関しては上。

したがって願ったりかなったりの出品物だが、スペースの関係で箱の方はちょっと厳しい。

問題はユニットである。最後まで注目していたところ、最終落札価格は「601、000円」(10日夜)なり。

ちなみに箱の方は「102,000円」だった。合計すると「703,00円」になる。安ッ!

「ウェストミンスター」を持ってなければ参戦したんだけどなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/df629ef2aeef7672918cc942f559d86a


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黄金の組み合わせ - 「音楽&オーディオ」の小部屋

タイトルの「黄金の組み合わせ」と聞いてピンとくる方はきっと年配のオーディオ愛好家に違いない。

50年ほど前のオーディオ専門誌「ステレオサウンド」で見かけた言葉だが、スピーカーが「タンノイVLZ」、アンプは「ラックスの38F」アンプの組み合わせがそうだった。たしか、五味康介さんがこの組み合わせを強力に後押しされていたと記憶している。

当時は大のタンノイ・ファンだったので、我が家でもこの組み合わせを導入して大いに楽しませてもらったが、そのうち「あさはか」にもオーディオ評論家の口車に乗せられて「VLZ」(イン・オリジナル・キャビネット)を下取りに出しヤマハの「1000モニター」を購入してしまった。

今となっては、とんでもないことを仕出かしたわけだが、これはいまだに後悔していることの一つである。

たとえば、昨年(2017年)の12月にオークションに出品されていた「VLZ」(箱付きのモニターレッド)は落札価格が35万円前後だったが、片や「1000モニター」の今の相場は2万円前後だから月とスッポンだ(笑)。

振り返ってみるとタンノイの中ではこの「VLZ」(口径25センチ)が一番バランスが取れていた。

その後、口径38センチに換えてから、あのスピード感のない「ぼんやりした低音域」が嫌になって、いつのまにか「タンノイ嫌い」になってしまったが、もしかしてあのまま「VLZ」を使っていたら、こうも迷路を彷徨しなかったかもしれない。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/32dbdc93ac28ca05dc04a9cfc6d96235


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2018九州ハイエンド・オーディオ・フェア - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2018年04月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0c186ce30301a4edc1cab900c1fb40ab

去る15日(日)、「2018九州ハイエンド・オーディオ・フェア」(会場:福岡市、「マックス・オーデイオ」主催)に行ってきた。         

タンノイさんの「カンタベリー」(356万円)だが、これも感心できなかった。やたらに高音域がうるさく何だか金属的な響きがするし、低音域の沈み込みも明らかに足りない。

昔のタンノイは良くも悪くも「いぶし銀のような音」に特徴があったのだが、まさに隔世の感がある。

クラシック再生に限らずジャズの再生も併せて狙ったような音だったがどうも周波数レンジを広げ過ぎて音の密度を薄くしたような印象で、このスピーカーもただでくれるといっても要らない。

   

モニターオーディオ(イギリス)の「PLー300U」(160万円)だが、これが一番気に入った。日本のイギリス大使館に収めてあるそうだが、とてもバランスが良く品のいい音で感心した。

低音域の沈み込み、独特のツィーターによる高音域の自然な佇まいなど非の打ちどころがなく、これは欲しいなあ、一瞬、我が家のウェストミンスターを叩き売ろうかと思ったほど(笑)。



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ときどきメールをいただくタンノイ愛好家の「I」さん(東日本)からも次のようなコメントが寄せられた。ご本人のご同意のもとに、以下のとおり掲載させていただこう。

「タンノイは、ボワンボワン・キーキーという定説的な評価がありますが(これがお好きな方もいますが)、私は決してこれがタンノイの真実ではないと思います。

私自身は、Hpd385A、モニターゴールド15を通じて16年間タンノイと格闘(笑)していますが、そういった縁で個人宅で様々なタンノイを聴かせていただく機会に恵まれました 。

どのお宅のいずれも、定説的な音で鳴っているところはなく、タンノイの使いこなしについて様々なご教示を頂くことが出来ました。

アンプやケーブルの選択に気を使われていることはもちろんなんですが、ある法則があることに気が付きました。

@ モノラルパワーアンプを使用している。

A 機材は、スピーカーの間に置かない。

B spは、mm単位で調整

C タンノイ以外のスピーカーは置かない。

私がここまでタンノイへの興味が尽きないのは、十数年前に聞かせていただいた定説的な音とは真逆のタンノイを聴いてしまったからなんです。

部屋いっぱいに展開するオーケストラ、立体的な音像、風のように静かに流れて来る低弦楽器、これが本当のタンノイと知ったゆえなんです。

〇〇さんにも、本当のタンノイの音を知って欲しい。そうすればもう「タンノイさん」なんて揶揄するような言い方をしなくなるんじゃないかと(笑)。

機会があれば、拙宅の音もぜひ聴きにいらしてください。ヒントは惜しみなく公開しますので(笑)。」

実は、これまでオートグラフを主体に幾多のお宅の「タンノイ」を聴かせていただきましたが、オーケストラはともかく、総じて「ボーカル」「ヴァイオリン独奏」「金管楽器の咆哮」にやや憾みが残ったのは残念です。ジャズはもちろん論外でした。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9568e8f5f2b4af0e31e792af48c096aa


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オークション情報〜タンノイ・コーネッタ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年06月08日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84f3f8c63940901db0d50f05d579347f

オークションの画像を観ただけで「これは欲しいなあ!」と、思わずつぶやいてしまった。

解説にはこうある。
今回のTANNOY cornetta コーネッタは、1976年のステレオサウンド誌の企画によって、タンノイ・オートグラフを模して誕生しました。
又、2008年12月にステレオサウンド誌のタンノイ特集号にて、コーネッタ製作記事などの復刻版が出ました。

今回のコーネッタのサイズは、横幅830mm×奥行き540mm×高さ1,050mmです、オートグラフの高さは1,500mm以上あり、横幅が1,080、奥行き730mmですので、小型化設計・企画され、国内でキャビネット作成されましたのが、ステレオサウンド版のタンノイ Cornettaです。

タンノイの10インチ 希少なラージ・フレームのモニターゴールドを搭載しております。
型番は、IIILZ,ユニット:MONITOR GOLD LSU/HF/III.LZ/8/Uです。

タンノイの同軸スピーカーは、BLACK → SILVER → RED →GOLD → HPDとモデルチェンジして行きますが、RED、 GOLD期の10インチ・ユニットの名称が III-LZです。

過去に、TANNOY III-LZとして、オリジナルや国産キャビネットでのシステムを、数回紹介させて頂いておりますがスピーカーシステムの名称では無く、正式にはユニットの名称です。

タンノイ MONITOR GOLD III LZ 搭載のコーネッタをLUXMAN SQ38FDと繋ぎ、レコード、CDで試聴致しました...
音像定位の素晴らしさは、さすがにTANNOYです....

楽器の細やかな表情、繊細な響きと綺麗な余韻、多楽器でのスケール感と広がり.... 
低域の力感と豊かな量感があり、クラシック楽曲だけでなく、JAZZやポップス等々....様々な楽曲を堪能できました。

♪音楽に浸り癒される....優雅で素晴らしいシステムです♪

元々、タンノイでコーネッタ名のモデルはありますが、アメリカ市場用のシステムで、四角型キャビネットのバックロードホーンで、デザイン・音質共にまったく違うシステムです。

今回のコーネッタは、ステレオサウンド誌の企画でオートグラフを模して誕生した、オールド・タンノイの風格と気品のある銘システムです。」

とまあ、以上のとおり。

所詮は叶わぬ夢だと分かっている。現在4つのスピーカーがあってそれほど広くもない部屋に”たむろ”しているのでこれ以上増やすのは無理だと分かっていてもそれでも欲しい〜(笑)。

タンノイは我がオーディオの歴史においても無視できない存在となっている。もちろん「五味康祐」さんから多大の影響を受けているのだが、「VLZ・イン・オリジナルキャビネット」→「インパルス15」→「ウェストミンスター」という系譜を辿ってから、同じ英国のワーフェデール・グッドマンへと展開していった。

その中で現在一番後悔しているのが「VLZ」を手放してしまったことで、当時は無知だったなあとつくづく思う。今振り返ってみるとタンノイの中で一番バランスのいいユニットだった。

逆の言い方をすればタンノイの「15インチ」(口径38センチ)は自分には合わなかった。インパルス15は友人にそっくり進呈したし、ウェストミンスターのユニットはワーフェデールのユニットに入れ替えている。

なぜ合わなかったのかはあえて言わない。いちいち欠点を羅列すると愛用者を不愉快にするだけだから(笑)。

それだけに、今回のコーネッタは過去の汚点を覆すチャンスだったのだが、どうせ40万円以上はするだろうと思っていたら、なんと落札価格を見たら、「246,000円」だった。安いッ!

まったく手が出ない価格ではなかった!

結果論だが、この価格なら参戦して落札した暁には知人の広い(およそ80坪)部屋の片隅にでも置かせてもらう手もあったのにと臍を噛んだ。

まあ、結局「縁」が無かったんでしょうね〜。(涙)

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84f3f8c63940901db0d50f05d579347f
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c12

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
13. 中川隆[-11271] koaQ7Jey 2020年9月20日 14:20:21 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[42]
136 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/30(土) 22:05

タンノイはレッド>シルバ>ゴルド で良いのですか。


141 名前: おなかすいた 投稿日: 2001/07/01(日) 00:37

ブラック>シルバー>レッド>ゴールド だべ

143 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/01(日) 00:55
>>141
あたり!

144 名前: K 投稿日: 2001/07/01(日) 00:56
>>141
>ブラック>シルバー>レッド>ゴールドだべ

ををっ、「ブラック」とは、1947年に発表された1号機のことですね?
残念ながら私はまだ聴いたことがありません。
どこかで聴けませんかねぇ。
シルバーなら、京都の老舗旅館のオーナーのを聴いたことがありますが……。

93 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/28(木) 22:16

タンノイのSPはロンドンウエスタンの血が流れているのではないかと、妄想しているのですが、タンノイの出発点はなんなんでしょ。

146 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/01(日) 02:24
>>93
ロンドン・ウエストレックスつながりならバイタボックスだろう。

97 名前: 通行人K 投稿日: 2001/06/28(木) 22:55
>>93
1944年にオーディオショー(どこのかは失念)に出品されたALTEC 604です。

ちなみにタンノイはこれにヒントを得て1947年に同軸2ウェイを開発して、1953年にニューヨークのオーディオショーに発表しています。


100 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/28(木) 23:35
>>97
おおっ!ありがとうございます。妄想がはずれていたのは残念ですが。

604をヒントにしたら605みたいになっちゃったと言うことですね。
うーん。ロンドンウエスタンつながりならすごいと思ったのに。

106 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/29(金) 00:30

タンノイ好きな人は、他の同軸をどう思っているのかな。

109 名前: 通行人K 投稿日: 2001/06/29(金) 00:37
>>106
ちなみに私はアルテックの604-8K、604-Gも持っております。

で、8Kは山本音響工芸のエンクロージャーBX280に入れて聴いておりますが、ジャズがとても素晴らしいのは勿論、クラシック音楽、特にオケもののパワフルなサウンドは気に入っています。


147 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/01(日) 10:54

ブラックはアルテックを黒くペイントした物かアルテックのOEMと思うけど
タンノイはもともと、SP屋ではなく電気屋なので突然、同軸SPが出来るとは
考えにくい。

同軸SPは、ウエスタンとジェンセンが共同で開発した物です。


148 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/01(日) 12:18

製品化された最初の同軸は ALTEC 在籍中のランシングが作った 604 だって本に掲載されていたよ。

604が入れられた銀箱は、ALTEC に吸収される前のランシング社のもの。

吸収された時に権利が ALTEC に移ったもの。
つまり、604入り銀箱は基本的にランシングの作品。

ちなみに、ALTECの515も、288も、旧A-7箱もランシングの設計。

192 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/03(火) 16:38
>>93
152でKさんが紹介している中に、最初のウーファーは米マグナのウーファーを
使っているとありますね。

最初の同軸は、明らかに Goodmans のOEMです。
フレームやマグネットの形状が Goodmans のAudiom系のウーファーと同じです。


193 名前: K 投稿日: 2001/07/03(火) 17:20
>>192
最初の2ウェイ・スピーカーは、文献によると同軸ではなく、ウーファーとツィーター別々だった様です。1933年当初はアメリカマグナボックス社製のウーファーを搭載していて、タンノイオリジナルのウーファーを搭載するようになったのは、1936年からですから、ひょっとすると、その間、グッドマンなどにOEM依頼していた、ということは考えられないでしょうか?

また、自分が見たわけでないので何とも言えないのですが、世界初の同軸はアルテック604ですが、イギリスではひょっとしたらグッドマンの方がタンノイより同軸タイプの開発は早かったかも知れません。ですから、タンノイが1947年までに同軸タイプを自社生産する までの間、OEMだった可能性は、否定できないと思います。

194 名前: K 投稿日: 2001/07/03(火) 17:30
>>193
それにしても、グッドマンとタンノイ、スピーカーに関しては、ひょっとしたらグッドマンの方がユニット開発に関しては、先を行っていたのかも知れませんね。


196 名前: 192 投稿日: 2001/07/03(火) 18:05

Kさんなら、TANNOYのBlack、Silver、REDの外観は見た事があると思います。(写真か実物か問わず)

Black、Silverの頃はのシンプルなフレームは、Goodmans のものと同じです。Goodmansは英国最大のスピーカーメーカーであり、他社へのOEMも非常に多く、生産台数は圧倒的です。

TANNOY製品も Goodmans にOEMを依頼していたか、部品の供給を受けていたと考えるのが自然です。他の例をあげれば、Goodmans は米国ラファイエットラジオ、Knightラジオ、英国VitavoxなどにOEMをしています。

私は、TANNOY も Goodmans も好きで両方持っていますが、その当時、PA屋であった TANNOY と古くからのHiFi Speaker専業メーカーの Goodmans を比べて、

> ひょっとしたらグッドマン
> の方がユニット開発に関しては、先を行っていたのかも知れませんね

というのは、ちょっと…

197 名前: 192 投稿日: 2001/07/03(火) 18:18

タンノイ独自のウーファーとありますが、コーン紙の型って、めちゃくちゃお金がかかるんですよ。
たとえば、JBL の D123 というスピーカーがありますが、これと、Jensen と Westrex(型番は知らないのですが)と、全く同じ形のコーンを使っているものがあります。型の共用かどこかの OEM ですね。

古い Goodmans の業者向けの広告で、

「うちは、どんな形のコーンも、どんな配合の紙でも準備できます。」

というのが、あります。

となると、Tannoy のウーファーというのも、タンノイ仕様の Goodmans の紙なのかもしれません。後に(HPDでしたっけ?) からドイツのクルトミュラーコーンに変わりますね。


198 名前: K 投稿日: 2001/07/03(火) 18:38

>コーン紙の型って、めちゃくちゃお金がかかるんですよ。

コーン紙だけでなく、型って、なんでも高価ですからねぇ。

現在は金型の技術は、日本が世界最高だと、日立のICチップ製造責任者が申して
おりましたっけ。

>となると、Tannoyのウーファーというのも、タンノイ仕様の
>Goodmansの紙なのかもしれません。後に(HPDでしたっけ?)
>からドイツのクルトミュラーコーンに変わりますね。

私は英国タンノイ社の営業担当者と直接話したことがありますが、

「あの火災が起こる前までは、すべて自社で生産していた。ユニットの紙の配合は、 秘密だったからね。火災さえなければ、クルトミューラーにお願いすることはなかった。ハーマン・グループの傘下に入ることもなかった」

と言うようなことを言っていました。

営業の方だから、東洋から来た私のような一見さんに真実を話す必要はないという
ことで、嘘をついていたとも思えないのですが……。

もし、形状が似ているとすれば、型造りはグッドマンに依頼し、実際に自分の所で
製造していた、ということは考えられませんか?

アッセンブリ工場の元担当者に訊いてみようと、当時の資料を探してみたのですが、残念ながら見あたりません。私が調べられるのは、ここまでの様です。

199 名前: 192 投稿日: 2001/07/03(火) 18:46

英国の会社は、お互いに部品のやり取りをしていますから、Kさんの仰るような話があったのかもしれませんね。


200 名前: K 投稿日: 2001/07/03(火) 18:55
>>198
>もし、形状が似ているとすれば、型造りはグッドマンに依頼し、実際に自分の所で製造していた、ということは考えられませんか?

と書いた後、

「設計プランの幾つかを社長の所に持っていき、最終設計図は、社長自ら描いた」

と言っていたことを思い出しました。

となると、コーン紙の金型が同じ、ということも考えにくい様な……。

でも、当時のコーン紙の金型がべらぼうに高価だったとしたら、グッドマンのをそ
のまま使い、フレームやボイスコイル等でオリジナリティーを出していた、とも考
えらますね。

ま、グッドマンに金型造りをお願いしていた可能性は、いずれにしてもありますね。


215 名前: K 投稿日: 2001/07/06(金) 10:06

ハーマンの傘下に入ってからというもの、いくら経営体質改善のため、とはいっても、クラフマンシップを持っていた老練なエンジニア達もみんなクビを切ってしまったのはどうかと思います。

安くて手のかからない収益性の良い製品を中心に作っていって、ブランドイメー
ジだけで聴かせるのは無理があることを N.J.クロッカーや T.B.リビングソトンな
どの、かつてのタンノイ生え抜きの方達が気付いて、タンノイを復活させてくれ
て本当に良かったと思います。


216 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/06(金) 11:41

ヒノの親父が、今のタンノイは Goodmans の工場で生産している。
といっていたけど、どうなんだろうね?

TEAC あたりも金をだして、Harmanから株を買い戻したけど、工場に関しては、一度焼けちゃって、難しいだろうしね。

確かに、新生タンノイの工場として、TANNOYマークのついたビルの写真は見たことがあるけど、そんなもの、どうとでもなるしね。

TANNOYって、TANNOY と Modaunt Short と、あと何社かでグループを
作っていましたよね?

217 名前: K 投稿日: 2001/07/06(金) 17:58
>>216
>ヒノの親父が、今のタンノイはGoodmansの工場で生産している。
>といっていたけど、どうなんだろうね?

まだそんなことを言っているんですねぇ。(^^;

ヒノ製オートグラフの音が悪いと言うと、必ず口にするのがそのセリフ(^^;;

私が更に、

「レッドを入れても、お宅のオートグラフじゃ、あんまり良い音しないねぇ」

とチャチャを入れたところ、烈火のごとく怒って、

「ティアック製のエンクロージャーしか聴いたことのないヤツに何がわかるか!」

と言われ、二度と敷居をまたげない身となってしまいました(^^;;;

確か、TDシリーズの時だったと思いますが、グッドマンの研究者と共同研究やっていますから、製造も部分的にお願いしちゃっているかも知れません。

タンノイがクルトミューラー社のコーン紙を使うようになってから堕落したと言う人に対して、

「そりゃぁ、あんたの様に1960年代のLPしか聴かん人間には、昔のモニターレッド以外はクズにうつるだろうさ。でも、最新のデジタル録音のCDを昔のオートグラフと今の G.R.F.Memory、どちらで聴くと訊かれたら、俺は新しい Memory にするね。

それを堕落と言うなら、それでも構わない。どちらを選ぶかは俺自身だし、もしユーザーのことを考えないで製品開発していたとしたら、会社はつぶれちゃってい
るか、俺のようなユーザーは見向きもしなくなっているだろうね」

といいうようなことを申しておりました。

私も同感で、タンノイというメーカーが、このデジタルの時代に信念を持って製品作りをしていれば、たとえ組み立て工場がグッドマンでも、セレッションでも、はたまたバイタボックスの共同工場でも、どこでも構わないと思います。

ただ、オートグラフのようなプレステージシリーズの場合は、設計も大切ですし、組み立てる場合は、それなりに熟練した方達が携わっていないと困ります。
だからと言って、タンノイの工場で組み立てたものでないとタンノイでない、なんて言うつもりは毛頭ありません。

出てきた音が、タンノイならではのサウンドを持ち、工作精度もかなり高くて私を満足させるものであったら、それは私にとって、やはり「タンノイ」だと思うのです。

>TEACあたりも金をだして、Harmanから株を買い戻したけど、
>工場に関しては、一度焼けちゃって、難しいだろうしね。


でも、「今度のはKEFにも負けない最新設備だ!」と、自信ありげでしたけど(^^;

>確かに、新生タンノイの工場として、TANNOYマークのついたビルの
>写真は見たことがあるけど、そんなもの、どうとでもなるしね。

叔父が申しておりましたけど、けっこう立派な工場だそうです。
で、「確かにそこで全部のユニットを製造するには、ちょっと足りないかもしれない。
JBLと共同で、東南アジアに低価格帯の製造拠点を持ったという噂もある」と申しておりました(^^;

>TANNOYって、TANNOYとModaunt Shortと、あと何社かでグループを
>作っていましたよね?

セレッションの研究施設は素晴らしいそうで、傘下に収めてから、小型モデルをたくさ ん出すようになりましたよね。それはそれで良いことだと思います。


218 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/06(金) 18:14

基本的にKさんの考えには同意できるんだけど、僕のIIILZ(英国から取り寄せた本物。日本で売られたIIILZの多くは国産箱らしい)の裏板の響きとか凄いですよ。

良いにせよ悪いにせよ、この響きが IIILZ というシステムの音に大きな影響を与えているわけで、違う材料で箱を作っても、全然違う音になってしまう。

もちろん、その「ちがう」が、より良いである可能性もあるわけだけどね。

あと、オートグラフは、モノラル時代に、モノラルで音の広がりを作る為の設計。あれをステレオで使うというのが、根本的に間違っています。

(そりゃ、アンチタンノイが言うように、音が散漫になるよね。もともと音を広げているんだから)


219 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/06(金) 18:19

それにしても、ヒノの親父
健康なユニットの紙を変なオリジナルに交換してしまうのは、やめてくれないかなぁ…

鹿革エッジもそうだけど、数年後にはリセールバリューすらないゴミになっちゃうよ。


222 名前: K 投稿日: 2001/07/06(金) 22:20
>>218
IIILZですか! いやぁ、懐かしい。

私は友人がIIILZが欲しいと言うことで、かけずり回って、やっと手に入れ、我が家で1週間、エージングとチェックをしたことがあります。あれは、もう、ヴァイ
オリンそのもの、という感じですね。

いかに板を響かせて美しい音色をつくるか、その極意のようながあるように思いました。

>あと、オートグラフは、モノラル時代に、モノラルで音の広がりを作る為の設計。あれをステレオで使うというのが、根本的に間違っています。(そりゃ、アンチタンノイが言うように、音が散漫になるよね。もともと音を広げているんだから)

オリジナルはモノラルが主なシルバーの時代と、ステレオがメインになってくるレッド以降は、私は比較試聴したことがないのですが、板の響かせ方が違っているそうです。

ま、「ユニットが違うんだから、響きが違って当然じゃないの?」と私は答えましたが(^^;

オートグラフは低域のホーンでまるで音に包まれているような感じを出しながら、フロントのホーンのおかげもあって、実はけっこうシャープな音像を結びます。

特に新しいミレニアムなどは、もの凄くシャープに音像を結びます。

G.R.F.Memoryよりも音像は小さいくらいです。


321 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/14(土) 01:46

ウエスタンのSPの良さは材質によるところが大きいと聞きますが(例えばヨークの鉄やホーンなど)しかしアルテックには、ほとんど採用されていません。

タンノイも1号機から半世紀が経っていますがやはり、古い物の方がコストが掛かっているのでしょうか?

初期のユニットと今のユニットを比べて材質的、構造的に良くなっているところ悪くなっているところなど、Kさんの思うところが聞いてみたいのですが。

324 名前: K 投稿日: 2001/07/14(土) 08:52
>>321
>やはり、古い物の方がコストが掛かっているのでしょうか?


アルニコマグネットは、高価だとききます。
超初期のブラック・モニターについては、ちょっとどうだったかは存じません。

>初期のユニットと今のユニットを比べて材質的、構造的に良くなっているところ悪くなっているところなど、


モニターレッドと較べて、ユニットを叩いてみた時の変な共鳴は無くなっています。
コーン紙もガシッとしていて厚みがあり、叩いた時にレッドだと少し高めの「コーン」という響きですが、G.R.F.Memory やウェストミンスター・ロイヤルでは、「ドス」と低めで余計な響きが付いてきません。

おそらくは耐入力UPと、特に低域再生の改善を図ったら、こういうふうになったのではないかと思います。

ただ、タンノイの場合、ユニットの「余計な響き」というのも計算に入れて、たとえばオートグラフなどは設計されているように思えるので、特性的には最新機種が良いのかも知れませんが、再生したときのタンノイ独特の味わいとかは、昔の機種の方があるのではないでしょうか?

411 名前: K 投稿日: 2001/07/19(木) 13:44

オートグラフは確かにモノラル時代に開発され、ステレオとして発売した後、ガイ・R・ファウンテン氏自身、

「ステレオの時代に(オートグラフが)生き残れないかと思っていたが、同軸2ウェイのお陰で、他の(その頃の)スピーカーよりも定位が良く、むしろステレオ時代になって世の中に認められた気がする」

というような記事を1960年代半ばのイギリスの雑誌(雑誌名失念)に載せていたそうですから、よくよくそこのところはわかっていたのでしょう。

ちなみにモニター・レッドは当時の最高のモニタースピーカーを目指してモニター・シルバーをベースに開発されたものですが、当初は録音スタジオなどに小型のエンクロージャーに納めて納入されていたそうです。ですから、オートグラフ専用のスピーカーではありませんでした。

しかしその性能を生かして音楽を楽しむスピーカーシステムにするべく、ガイ・R・ファウンテン氏は、オートグラフにこだわったところが、また、素晴らしいと思います。

モニター・ゴールドの時にもコーナータイプを止めようと言う話もあったそうなんですが、オールホーンにこだわり、低域が出ないというホーンシステムの欠点を補う意味でも、コーナータイプの方が良いのだ、と力説したそうです。

ガイ・R・ファウンテン氏にとって、ピンポイントの音場表現よりも、ホーンロードに木を多用して共鳴させ、音像はやや大きくなっても豪快に鳴るスピーカーシステムが「音楽的に良い」と感じたんだと思います。その上、当時の技術では、なかなか20Hz再生が難しかったわけですから、20Hz再生が出来るというだけでも、オートグラフは存在価値があるモデルだったのだと思います。

1981年、タンノイがハーマングループから独立、復活を遂げますが、その際にもどういう商品構成でいくか、だいぶ議論があったそうです。

当時はBBCモニターが躍進してきていて、ロジャース、スペンドール、ハーベースの御三家に加え、KEFなどもコンピューター解析を利用した、位相管理を重視した製品作りが行われていました。

タンノイの営業担当者はそういった時流に乗った製品開発を望んだそうですが、社長をはじめとするメインスタッフは、「タンノイという看板がある限りは、ガイ・R・ファウンテンの遺志を継ぐ製品作りをしていく」との意見だったとのこと。

ただ、オートグラフを作るには、それなりの高度な木工加工技術を有するエンジニアが必要で、ガイ・R・ファウンテン時代からのスタッフとして一人は居たそうですが、商品として作り続けるには熟練工一人だけでは駄目だ、ということで、急造チームでも製造可能な、G.R.F.Memory になったといういきさつがある様です。

これには、3ウェイのスピーカーの商品開発を新たにすると、膨大な開発費用と、最低2年以上の開発期間が必要ということで、「KEFと同じ路線で勝負しては、後塵を拝し続けるばかりだ」という副社長の意見も影響していたのかも知れません。

それにしてもこの頃のタンノイは、何故だかKEFを最大のライバル視していた様です。おそらく1977年発表、翌年発売のModel 105がよほど衝撃的だったんでしょうね。(^^;

ま、いろんな意味で、タンノイのスタッフ達は自分たちのアイデンティティーというものを、しっかり理解していたのだと言えましょう。


415 名前: K 投稿日: 2001/07/19(木) 16:26

タンノイとKEF(BBCモニター)の関係について、面白いことを聞きましたので、書きます。

1950年代より、BBCのD・E・L・ショーターを中心に、1960年のFM放送に向け、モニタースピーカーの開発が行われておりました。

この開発に協力し、製造を担当したのがKEFの社長レイモンド・クック。

LS5/1Aと言う、EL34プッシュプルの専用アンプが付属した、2ウェイ3スピーカーシステムを1960年に完成させています。その後、微細なモデルチェンジをして、完成度を高めて行きます。

1967年にモニターゴールドを搭載、モニタースピーカーを発売したタンノイ社でしたが、モニター・レッドで好評を博したタンノイのモニタースピーカーも、このLS5/1Aには及ばなかったのか、次々と取って代わられたそうです。

英デッカのモニタースピーカーも、1965年頃にはモニター・レッドから、LS5/1Aにとって代わられたそうで、さすがに心中穏やかではなかったでしょうね。

そういうわけで、モニターレッドはけっこうモニタースピーカーとして活躍したのですが、モニターゴールドは、どちらかと言うと、オートグラフなどタンノイのコンシューマー用スピーカーとして活躍したモデルだったそうです。

そうそう、BBCモニター御三家と言う場合は、ロジャース、スペンドールは正しかったのですが、あと一つがハーベースではなく、「チャートウェル」を入れなければならないそうです。

1963年にBBC技研に入社した、ハーウッドの弟子のデイヴィッド・W・ステビングスが1974年にBBCを辞して創設したのが、チャートウェル・エレクトロ・アコースティック・リミッテッド社で、1976年にLS5/8を完成。これはロジャースのOEMで製造されることになり、さらにこれからアンプ部を取り除いたモデルが、PM510として1980年、ロジャースから発売されることになります。

この1980年は実は大変な年で、1966年設立のB&W社が銘機801を発売している年なんですね。

よくよく見ると801は、KEF105にそっくりですね(^^;

私はこの形を見ていると、「親亀の背中に小亀を載せて、さらに(?)その上に孫亀載せて〜」って歌(?)を思い出してしまいます。

またこの年は、ショーターの後を受けてBBC技術研究所の主任研究員だったH・D・ハーウッドがBBCを辞してハーベース社を設立、Monitor HLを発売した年でもあります。

1981年にハーマンから独立したタンノイって、本当に大変な時期に新たな出発をしなければならなかったんですね。

ちなみに1971年、最初のBBCモニターの称号を手に入れたのは、上記のKEF社。

更にスペンドール(BC IIが有名)、ロジャースと続きます。

ロジャースは1978年発売の小さなBBCモニターLS3/5Aが有名。

これはBBCのピーター・デンビーにジム・ロジャースが協力、開発したものだそうです。
http://ebi.2ch.net/pav/kako/992/992992601.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c13

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
14. 中川隆[-11270] koaQ7Jey 2020年9月20日 14:21:31 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[43]
タンノイの1号機モニター・ブラックが聴ける店

Cricket Record
http://www.cricket-record.jp/

サウンド・コーディネーター 「札幌音蔵 」
http://www.cricket-record.jp/page/36


クラシック中心にジャズ、歌謡曲まで販売しています。
初版盤、輸入盤、日本盤、10吋、EP、CDと種類も豊富。
店舗にはネット掲載以外のレコードも揃えています。 

試聴用のスピーカーはタンノイの1号機モニター・ブラックをタンノイ製のアンプで鳴らしています。

営業時間:12:00〜19:00定休日:毎週水曜日

札幌市白石区栄通8丁目1−34 (東北通り沿いです。)

【クリケットレコード】 ☎:011-867-0130 
【札幌音蔵】 ☎:011-855-1214

地下鉄 東西線南郷7丁目下車 徒歩7分

AUDIO札幌音蔵の隣りの店舗です。駐車場3台有り。


地図
http://www.mapion.co.jp/m2/43.035695618854334,141.40972916666666,16/v=m1:%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%B8%82%E7%99%BD%E7%9F%B3%E5%8C%BA%E6%A0%84%E9%80%9A8%E4%B8%81%E7%9B%AE1-34
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92003-0021+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%B8%82%E7%99%BD%E7%9F%B3%E5%8C%BA%E6%A0%84%E9%80%9A%EF%BC%98%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%E2%88%92%EF%BC%93%EF%BC%94/data=!4m2!3m1!1s0x5f0b2baeb850b57d:0x912aa2e9826660e7?sa=X&ei=ytovVaO6H6HGmAWyg4DwCA&ved=0CGMQ8gEwCg

タンノイ・ユニットの選び方 Cricket Record
http://www.cricket-record.jp/page/31
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c14

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
15. 中川隆[-11269] koaQ7Jey 2020年9月20日 14:23:52 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[44]
「音楽&オーディオ」の小部屋
オーディオ訪問記 2014年09月02日

今回の試聴会の最終目的となるSさん宅の音である。
スピーカーは「AXIOM80」とタンノイ「シルヴァー」のコーナーヨーク。

周知のとおりタンノイの38センチ口径のユニットは巷間、称されるところの


「ブラック」 → 「シルヴァー」 → 「レッド」 → 「ゴールド」 → 「HPD」


という変遷を遂げている。そして、残念なことにこの順番に手に入れるのが難しくなり、また音の方は次第に悪くなっていく(笑)。

このシルヴァーはイギリスからの直輸入とかでロットナンバーは3というから最初期のもの。

素晴らしい音だった。一同絶賛!

「通常のタンノイのイメージとはまったく異なる音ですね。驚きました。まるでアクロス・ホール(福岡)で聴いているみたいです。日頃タンノイを聴いている方にはぜひ一度この音を聴いていただきたいものですねえ。」とGさん。

自分も驚いた。

「この前聴かせていただいたときとは随分違う印象を受けました。細かい音の粒子が部屋いっぱいに広がって音響空間をふわっと漂っている感じです。それかといって音の芯もしっかり出ています。

これまでいろんなお宅でタンノイを聴かせていただきましたが、間違いなくベストだと思います。どこがどう変わったんでしょう?」

「AXIOM80」と「タンノイ・シルヴァー」と交互に聴かせていただいたが、どちらに軍配を上げるか非常に難しい(笑)。

強いて言えば、全体的な“ゆとり”という点で「タンノイ・シルヴァー」かなあ・・・。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f42c1cfd4c25fa845a6501e70cf88936
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c15

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
16. 中川隆[-11268] koaQ7Jey 2020年9月20日 14:29:15 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[45]
「音楽&オーディオ」の小部屋
「AXIOM80」愛好家三人組の例会〜第3回〜 2015年07月28日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/6b09390fa41dd3cc6898c0baf2307804

三日前の25日(土)は「AXIOM80」愛好家によるオーディオの試聴会だった。


まずKさん宅で「AXIOM80」とラウザーの「PM6」を聴かせていただいたが、「いったいどちらが鳴っているんですか?」と戸惑うほど似通っている音だった。

同じイギリス系のユニットなので共通した音色があるのは分かるが、たった16センチ口径のラウザーから信じられないような低音が出ているのには驚いた。

駆動しているアンプは1925年頃に製造された古典管「210」(トリウムタングステン)のシングルアンプで「これはいい球ですなあ!」。

「ええ、もっとエージングを重ねるとさらに良くなると思います。210は稀少管ですが十分ストックがありますので安心して鳴らせます。」

Kさんの古典管のコレクションはマニアにとっては喉から手が出るほどの逸品がズラリで、「どうせ死ぬまでには使い切れないでしょうから少しばかり譲ってくださいよ」と、いつも冗談交じりに“からかう”のだが頑として首を縦に振ろうとはされない(笑)。

何年もかかって苦労して集められたのでそれぞれ愛着があり、どうやら命尽きるまでの縁として大切にされる方針のようだ。ま、オーディオに限らずほんとうに良い物とは持ち主が亡くなってからじゃないと市場に出回らないのが普通というものだろう。

二度と製造が利かない貴重な文化遺産だから、心ある人が手に入れて次代に引き継いでもらいたいものだが、近年は、ほんとうの価値が分からない海外の投資家によって買い漁られているようで残念。


1時間半ほど聴かせていただいて、いよいよ本命のSさん宅へ向けて出発。

今回の「例会」でのハイライトは我が家から持参した「71A」シングルアンプとSさん宅の「PP5/400」アンプの聴き比べである。「一騎打ち」と言いたいところだが、あまりにも格が違い過ぎるので「チャレンジ」という言葉が正しいだろう。

天下の銘管とされる「PP5/400」に対して「71A」がどのくらい善戦できるのか、まあ、価格からすると幕下が横綱に挑むようなものだが興味は尽きない(笑)。

           

左側の銅版シャーシのアンプが「71A」シングルで、入力トランス、ドライバートランス、出力トランスはすべて「UTC」(アメリカ)で固めている。真空管はすべて1920年代製造のナス管。

右側の「PP5/400」アンプは、イギリスのエンジニアの手になるもので、ヨーロッパのアンプコンテストで「グランプリ」」を取った逸品、世界で2セットしかない極上品の輸入物。トランス類はすべてパートリッジ。


スピーカーは「AXIOM80」とタンノイの「コーナーヨーク」の使い分け。

後者にはロットナンバー4の「シルヴァー」が入っている。

タンノイのユニットはその長い歴史を通じて「ブラック」〜「シルヴァー」〜「レッド」〜「ゴールド」〜「HPD」と変遷を遂げているが、段々と音が悪くなっているのはマニアなら周知の事実(笑)。

ちなみにSさんが随分と購入を迷われていた最初期の「ブラック」(東京のショップで480万円!)がとうとう売れたそうで、心残りというか何やら複雑なご心境のご様子だった。

         

左側のスピーカーが「AXIOM80」、右側がタンノイの「コーナーヨーク」。

はじめに「コーナーヨーク」の方を聴かせていただいたが「いつ聴いてもいい音ですねえ!」と一同、感嘆の声を上げた。タンノイといいながら、あの鈍重さはいっさい影を潜めて音抜けの良さや音色は「AXIOM80」と極めて似通ったところがあり、ブラインド(目隠し)で聴かされるとどちらが鳴っているのかおそらく誰も分からないだろう。

Kさん宅の音もそうだったが、どんなに違うSPユニットを使っても持ち主の調教によって音が似通ってくるのは否めない事実のようだ。我が家の「AXIOM301」(ウェストミンスターの箱入り)と「AXIOM80」の音もこのところ随分似通ってきた気がする。

余談はさておき1時間ほど聴かせていただいてから、いよいよ本番の「71A」アンプに繋ぎ替え。さあ、と一同固唾を呑んで耳を澄ませた。

テスト盤は「ワーグナー」でスピーカーの方は「タンノイ・シルヴァー」。


結論から言うと大善戦だった。「71A」がありのままの誇張のない個人的に楽しむワーグナーだとすると「PP5/400」の方は演出付きで聴衆向けの楽劇に仕上がっている。

好みが分かれるところだが、たかだか出力1ワットにも満たないアンプが、ワーグナーを結構スケール感豊かに鳴らすのだから一同驚いた。どうやら、いいスピーカーともなるとアンプから実力以上のものを引き出すようだ(笑)。

帰宅後にいただいたSさんのメール(抜粋)にこうあった。

「正直、ワーグナーをあそこまで鳴らし切る真空管アンプには久しぶりに出会いました。もちろんPP5/400は素晴らしいのですが、〇〇さんの71Aアンプは凄いと思います。ブルックナー辺りも聴いてみたいと思わせる素晴らしいアンプです。大切にしてください。」


アンプはパワーが全てではありませんねえ。ハイエンドのマニアが高出力・高価格のTRアンプを使っている例を雑誌などでよく見かけるが「真空管(古典管)じゃないと絶対に出ない音があるのに勿体ないことするなあ。」といつも思うが、まあ、趣味というものは人それぞれなので謗るのはこの辺で止めておこう(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/6b09390fa41dd3cc6898c0baf2307804


▲△▽▼


タンノイさんを敬遠する理由 2015年12月17日 | オーディオ談義

「AXIOM80」愛好家による試聴会も一段と佳境に入って、いよいよタンノイ・ウェストミンスターの箱に入れた「フォリップスのユニット」の試聴に入った。

その結果を述べる前に、オリジナルのタンノイさんのユニット(HPD385:口径38センチ、同軸2ウェイ)をなぜ外したかという理由を述べておかないと「画竜点睛を欠く」というものだろう(笑)。

ジャズを聴くのならJBL、クラシックを聴くのならタンノイとおおかたの相場は決まっているが、どうして世のタンノイファンの顰蹙をかうような行為を仕出かしたのか。

元はといえば熱心なタンノイファンだった。「VLZ」(オリジナル・イン・キャビ)から始まって「インパルス15」そして「ウェストミンスター」とグレードアップしてきたが、そのタンノイさんの音にいつしか就いていけないようになってしまった。今となってみると、「VLZ」が一番まともな音で鳴っていたような気がする。

「いい音」と「好きな音」は違うので、あくまでも好みの違いという観点からその理由を述べてみよう。また、これは我が家の「ウェストミンスターTW」という型式に限られた話なので念のため。

まず、弦の音色がちょっと硬すぎる。もっと余韻たっぷりに、ふわっと柔らかい響きが出てくれないと困る。我が家のシステムは「弦の音色」が第一優先事項である。次に中低音域がぼんやりしていて音階がはっきりしない。ネットワークに使ってある部品(特にコイル)がイマイチのようでそのせいかもしれない。総じて全体的な「雰囲気」で聴かせようとするスピーカーだが、自分のポリシーとは相容れない。

もちろん、この雰囲気の世界が好きという方も沢山いるだろうから、それはそれで良しということになる。

まあ、そういうわけでHPD385の代わりにJBLのD130ユニットや「AXIOM80」(復刻版)など入れ替わり立ち代わり変遷してきたわけだが、どうやら現在のフィリップスのユニット(アルニコ・マグネット)に落ち着いた。

この箱にはやはりフルレンジのユニットが合っているようだ。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/8f2471a499d6695863c10fc377090dec


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SPユニット「AXIOM300」の到着 2015年12月04日 | オーディオ談義

「ネット・オークション」に英国のヴィンテージ・スピーカーの名門グッドマン社の「AXIOM300」がようやく登場した!

グッドマンはユニットだけで肝心の箱を作らなかったので、日本ではそれほど著名ではないが、本国イギリスではタンノイさんより格上と位置付けられているメーカーである。

稀少なアルニコ・マグネットで口径30センチのダブルコーンのフルレンジ・スピーカー。

オーディオ仲間からも「滅多にオークションに出ることはありませんが、もしAXIOM300が出たら絶対に買いですよ。」と、耳にタコができるほど散々聞かされてきたほど(笑)。

迷うことなく落札。競争相手もおらず、入札者は自分だけだったので出品価格でゲットできた。

「AXIOM300」の後継機種となる「AXIOM301」を持っているが、これはフェライト・マグネットでコーン紙が厚くててやや重たいのでどうしても音のスピード感がイマイチである。まあ、悪くはないんだが・・・。


現物を見てみると、想像以上に傷みが激しかった。エッジの外周にもところどころ綻びが見える。これでは誰も入札しなかったはずだと納得(笑)。

それにしてもコーン紙が薄くて実に軽い。明らかに音声信号に対する応答性の素性の良さが窺い知れる。そして重たい。アルニコマグネットの重量感はいい音質の保証みたいなものである。

さっそく、修繕に取り掛かって1時間ほどでどうにか完了。まあ、言ってみれば応急措置でいずれはSP修理専門店に出すことになるだろう。

とにかく雑音がするかどうかが最大のポイントなので、裸のユニットのままで真空管アンプに繋いでしばらくテレビの音を聴いてみた。

まったく異常なしだったのでこれなら大丈夫とばかり、ためらうことなくウェストミンスターの箱に入れているフィリップスのユニットとの交換作業に取り掛かった。

いつもの手慣れた作業で2時間ばかりで終了。             

胸をワクワクさせながら本格的な試聴に入った。先ず歌謡曲をかけてみた。「ええ音やなあ!」と感心した。

音がこなれているというのが第一印象でこれまで使ってきたフィリップスが「うら若き乙女の音」だとすると、これはお色気たっぷりの熟女の音といえるだろう。しかも上品さも兼ね備えている。さすがにグッドマンで「AXIOM80」と、どこか似たところがある。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/5277e68eaee4217d53b8191e6e8fe4ab


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☆ グッドマンのユニットとタンノイの箱は相性が悪い

今回の試聴会はウェストミンスターの箱に入れたばかりのグッドマンのユニット「AXIOM300」(口径30センチ:ダブルコーン、アルニコマグネット付き)がハイライトだったが、クラシック音楽向きでとても品が良くていい音なのだが、一緒に聴いていると、ちょっとおとなし過ぎる印象を受けた。

前回のブログで、この音について熟女のお色気といった表現をしたが、もっと「元気はつらつ」さが欲しい気がする。熟女は熟女でもいろんな年代があるのでねえ(笑)。

よく考えてみると、グッドマンのユニットは「ARU」(ユニットの背圧を調整する器具)付きで鳴らすのが前提になっており、非常にクリチカルな鳴らし方が求められるが、それをタンノイさんの箱に入れて鳴らそうなんて考えるのが土台無理だったかもしれない。

そもそもイギリス本国で強力なライバル関係だった両社だが、グッドマンにしてみると自社のユニットをタンノイの箱に入れてうまく鳴らそうなんてつゆほども考えなかったに違いない。

やはりグッドマンのユニットは同社指定のこじんまりとした箱に容れてやるに限るようだ。同社のポリシーそのものがスケール感ではなく、緻密な再生の方を求めているように思える。

こういうことは、はじめに気が付いておけば「無駄な作業をしなくて済んだものを」だが、実際に試行錯誤してみないと思いつかない。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/54c6a03947cba3cf284eacf58d624265


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去る7日(月)に半日かけて入れ替えた我が家のSPユニットたち。      

これがフィリップスの口径30センチのアルニコ・マグネットタイプだが、これをウェストミンスターの箱に取り付けてみた。          

次に、SPユニット「AXIOM300」ユニットをグッドマン指定の箱に取り付けて、両者の完成後の画像がこれ。
            

今日(11日)が金曜日だから早くも5日目になるが、ようやく「こなれた音」が出てくれて各ユニットが落ち着くところに落ち着いたという感じ。

一番変わったのが「AXIOM300」でウェストミンスターの箱に入れていた時よりももっと奥行き感があって豊かな音が出てきたのにはほんとうに感激。

やはりグッドマンとタンノイさんは水と油だ。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/8adf3b2733f6d6f8c62d297df6b62ffa
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c16

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
17. 中川隆[-11267] koaQ7Jey 2020年9月20日 14:35:57 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[46]
タンノイ同軸型ユニット
https://www.cricket-record.jp/page/31


モニター・ブラック(1号機)【販売:1947‐1953 】

SP盤時代に製造されたSP盤に合う音です。
1号機では、クラシック、ジャズも素晴らしい音で鳴ります。
タンノイのユニットの中では最も質感の高い音です。
箱はオートグラフではありません。(下記画像参照)
現在では超入手困難なユニットです。

モニター・ シルバー 15Ω 【販売:1953‐1957】

モノラルのレコードの出始めに製造され、モノラル盤がうまく鳴るユニットです。

【前期タイプ】
全体が黒い布ですっぽりと覆われています。この布のために音のヌケが少し悪い感じがあります。現在ではボロボロになっているものがほとんどですが、外せばよくなります。
※前期はセンターキャップがないので、布で覆われてました。

【後期タイプ】
布で覆われてはいません。音は前期、後期タイプで違いはほとんどありません。
※モニターレッドと比べて、上下の伸びはイマイチですが、それを補って余りある音の質感、そして何よりも渋い音が魅力。この音に慣れるとレッドは聞けないという方もいます。
中域の質感の高い充実度は特筆ものです。

モニター・ レッド 15Ω 【販売:1957-1967】

ステレオ盤と同時期に製造されたユニット。ステレオ盤によくマッチした音で鳴ります。
初期VLZに搭載(1961年から10吋のレッドを使用)

【前期タイプ】
コーン紙のところのセンターキャップが飴色になります。

【後期タイプ】
センターキャップは黒色です。


音の違いは、後期タイプは上がさらに伸びて、少しにぎやかな音になります。

五味康祐氏で有名なレッド搭載のオートグラフはオーケストラ再生でその本領が発揮されます。シルバーにはない、上下の伸び(レンジ感)がクラシック・ファンには高評価のユニットです。ヴァイオリンの高音の伸びは魅惑の響きを奏でます。

モニター・ ゴールド 8Ω 【販売:1967‐1974】

トランジスタの登場で、これに対応するため8Ωのインピーダンスに変更されたユニット。後期VLZに採用。国内ではシュリロ貿易が総代理店として輸入を開始。
低域がやや膨れて、分解能が少々落ちた感じの音になりますが、現代の音楽に向いている傾向の音作りです。

VLZの中でお薦めできるのはこのゴールドから以前のタイプです。十分にタンノイらしい魅力的な音がします。
これで大人のジャズを楽しむことも可能です。


HPD 8Ω 【販売:1974‐1979】

アーデン、バークレー、チェビオット、デボォン、イートンに採用される。
国内はTEACが代理店となる。
VLZ(チャーヴェニング)に採用される。

HPD315はタンノイ最後のアルニコ仕様です。


【前期タイプ】
左画像のようなマグネットのカバーの色。

【後期タイプ】
マグネットカバーがゴールドに近い色合いになります。
ネットワークの形状も違ってきます。アッテネーターとターミナルが別々。


DC386 8Ω 【販売:1979〜

アーデンMkU、バークリーMkUに採用される。

※この時期からアルニコからフェライトへ変更になる。

K3808 8Ω 【販売:1979〜

スーパー・モニター・レッドに採用される。

【モニター・レッド前期タイプ:飴色センターキャップ】
https://www.cricket-record.jp/page/31

【 TANNOYのユニットの選び方について】−同軸型2wayユニット

●ブラックからゴールドまではフィクスドエッジです。ゆえにゴールドまでは低域の切れがあります。

●ゴールド以前のユニットはより音楽性豊かな表現力があります。

●音の質感、密度、表現力においてはブラックに近くなるほど高まります。

●高域、低域の伸びはレッド、ゴールドにあります。オーケストラの雰囲気はレッドが得意とするところです。

●音を聞くならゴールド、音楽を聞くならシルバー、レッドといったところでしょうか。

●HPD以降はコーン紙の重量が重くなり、音の反応がやや劣りますが、新しい録音はうまく鳴らします。


・シルバー、レッド、ゴールドは現在、品薄で入手困難な状況になっているのが現状です。

・特にシルバーと初期レッドの極上品は希少、貴重品です。

・ゴールドも良い状態のものが容易には見つからなくなってきています。

・タンノイユニットは一生ものとしてご使用され、愛機とされるお客様が多いユニットです。

・良い状態のユニットを選択し、価格だけで選ばずに入手されることをお奨めいたします。

   
♦タンノイ1号機(オリジナル) 38cmモニター・ブラック 
・タンノイ1号機(オリジナル) 30cmシルバー・ユニット入り 
※ブラック30cmは極めて少ない。

      
♦オートグラフ:1953〜1974                   
♦ミニ・オートグラフ(日本製)ユートピア製品

♦GRF:1955〜1974 
♦べェルヴェデーレ (米国タンノイ)


レクタンギュラーG.R.F (英国製オリジナル)モニターレッド(飴キャップ)  

   
♦VLZ (モニター・レッド入り初期型)          
♦VLZ (モニター・ゴールド入り後期型)


♦VLZ (モニター・ゴールド・ラージ・フレーム)
ゴールドの中でもフレームの幅が広いタイプです。
普通のタイプよりも音が優れており、希少なVLZで入手困難なスピーカーです。

   
♦スターリングSE (VLZの後継機、25cm同軸2wayユニット、8Ω、フェライト)
https://www.cricket-record.jp/page/31

・Tannoy Monitor Black (1947〜53)
・Tannoy Monitor Silver (1953〜57)
・Tannoy Monitor Red (1957〜67)
・Tannoy Monitor Gold (1967〜74)
・Tannoy HPD315 (1974〜79)
・Tannoy HPD385 (1974〜76)
・Tannoy HPD385A (1976〜79)


・Tannoy Corner York (1950)
・Tannoy Autograph (1953)
・Tannoy V-LZ in Cabinet (1961)
・Tannoy Arden (1976)
・Tannoy Westminster (1982)
・Tannoy Stirling (1983)


現行品のハイエンド
・Tannoy Kingdom Royal
・Tannoy Westminster Royal-GR
http://www.esoteric.jp/products/tannoy/kingdomroyal/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c17

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
152. 中川隆[-11266] koaQ7Jey 2020年9月20日 17:34:24 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[49]
今日はアレキサンドライト邸に 1 : GRFのある部屋 2020年 09月 20日
https://tannoy.exblog.jp/31374890/

最近は、「行ったり来たり」の「行ったり」の記事を書くことがほとんど無くなりました。この半年、Hさん邸以外には、i さん邸にしかお邪魔していません。電話では皆さんと交流させていただいていますが、実際にお伺いすることがほとんど無くなってしまったのです。そんな中、Germanの会の御常連のアレキサンドライト伯爵邸が大変な事になっているとの、Aionさんや夜香さんの情報を聴き、今回も横浜のMさんとご一緒にお伺いすることになりました。

西武池袋線の最寄りの駅で、横浜のMさんと待ち合わせです。Mさんは、ご自宅そばの元町中華街駅から、一本なので所要時間は杉並から向かう私とほとんど時間がかかりません。昨日は、真夏日がぶり返した日で、直通電車一本で来られるMさんは、バスを乗り継いで西武池袋線にたどり着いた私と二時丁度に待ち合わせ、出向かいに来ていた伯爵の車で、ご自宅に向かいました。前回も横浜のMさんとご一緒に真夏に来たことを思い出しました。

横浜のMさんは、現在のパラゴンのある部屋を大幅に模様替えをして大型のスクリーンを導入した映画館化を図っています。そのメインスピーカーにXRT-29より大型の、XR-290を導入されました。中央のパラゴンを移動させてそこに大型スクリーンを埋め込みます。XRT-29を使った時のイメージ図はこちらです。現在、特注のスクリーンとプロジェクターの到着待ちで、10月中には完成予定です。

そこに入れられたXR-290も大変大きなSPですが、持ち運ぶときは分割できるそうです。今日、Mさんと一緒に伯爵邸にお邪魔するのは、マーク・レヴィンソンがチェロ時代に開発したストラディバリウス・グランドマスターを聴かせていただくためです。チェロのグランドマスターはユニット数は、XR-290より少ないのですが、キャビネットは一体で230キロもあるそうです。高さは、2,200mmでXR-290と同じです。とても普通の部屋では入りません。その音を聞けるのは大変楽しみで残暑厳しい中をバスを乗り継いできたのです(笑)。

グランドマスターは四半世紀も前、新潟のオーディオ店のオーナーのご自宅で聞いたことがあります。その時は圧倒的な重低音で本当に驚きました。EMTの927とDecolaもその時はじめて聞きました。その時の驚きが広がり、927は友人達に拡まりましたし、Decolaはその時の驚きが切っ掛けで、後年手に入れたのは周知の通りです。その時、聴いたオールチェロのシステムにも驚きました。そのオーナーのレヴィンソンとの交友が実を結んだのでしょう。その時聴いたのが、オールチェロのアンプと、今日のストラッド・グランドマスターだったのです。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31374890&i=202009%2F20%2F99%2Ff0108399_11333158.jpg

挨拶もそこそこに、何時もの部屋とは違った一階の部屋のとおされました。八畳と十畳が繋がった大きな部屋の向こうにグランドマスターがその偉容を見せています。スイスのアルプスで眼前にマッターホルンを見たときのような感動です。よく見ると2メートル以上もあるスピーカーが左右に開いたように置かれています。今までに感じたことの無い、アルプスの山がこちらに向かって迫ってくるような感覚を覚えたのです。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31374890&i=202009%2F20%2F99%2Ff0108399_11561783.jpg

スピーカーの専用台をよく見ると、後ろから前に、外側から内側へと傾斜しているのです。この台の上で正面を向けるとスピーカー自体が内側に、また前側に、あたかもピサの斜塔のように傾斜して立っているのです。聴いている聴取位置に向かってスピーカーが倒れ込んでくるような怖さも感じます。アレキサンドライトさんは、ほぼ二ヶ月間掛かって追い込んだ結果、現在では下の板目を見ると解るのですが、少しだけスピーカーを外側に向けて設置されていました。

NYでは問題ないでしょうが、地震の多い日本では後ろ側で転倒防止の柔らかなロープでも張るか、これだけ高いスピーカーは何らかの地震対策を取らないと怖いかもしれません。その特異な配置方法を理解するまでに数分間かかりました。しかし、見れば見るほどの偉容です。Mさんが今回の映画館用に導入されたマッキントッシュのXR290も超弩級のスピーカーですが、大きさや重量はグランドマスターと変わりませんが、決定的に違うのは価格です。290は450万円でしたが、チェロのグランドマスターは1400万もしたのです。理由は使っているユニットです。

マッキンは専用のユニットを低音4本、中音12本、高音24本!も使用していますが、自社開発の専用ユニットです。グランドマスターは、Dynaudio製の"Consequence"に使用されている最高級ユニットを、低音2本、中音と高音に8本づつも使っています。コンシーケンスをダブルスタックしたような贅沢さです。その思いっきりぶりに感心しました。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31374890&i=202009%2F20%2F99%2Ff0108399_12472244.jpg

それを鳴らす機器類も、もちろんオールチェロです。待ちきれませんね!説明をお聞きして、早速音出しをして貰いました。

一聴してすぐ解りました。これは美音ですね〜。Mさんも聞いてすぐに言われました。これはGRFさん好みの音だと!

https://tannoy.exblog.jp/31374890/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c152

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
19. 中川隆[-11265] koaQ7Jey 2020年9月20日 18:20:39 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[52]
タンノイのスピーカーは買ってはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/494.html

LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html

ウェストミンスター・ロイヤルが聴ける店 _ 一関市 _ ジャズ喫茶 ROYCE
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/212.html

オートグラフが聴ける宿 _ 原村 _ ペンション・ムジカ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/213.html

三重県 青山高原 タンノイ博物館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/714.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c19

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
20. 中川隆[-11264] koaQ7Jey 2020年9月20日 18:48:16 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[53]
TANNOYの系譜


Original Model (15インチ) 1947年

Monitor Silver 1953年

Monitor Red 1958年
Monitor Gold 1967年

HPD 1974年

尚、silverには12インチ、Redには12インチ、10インチ(VLZ)
Goldには12インチ、10インチ(VLZ markU)というヴァリエーションモデルが存在する。


TANNOY Monitor Red
天使の囀り、典雅な趣きがあり、落ち着いてしっとりしたマイルドな聴き味。
柔らかい羽根でやさしく撫ぜられるフェザータッチ。羽毛で包み込まれるような感覚に陥る。
あまりの心地よさに眠りに落ちるか、気が付いたら夜明けを迎えている。
芸術性の高さは文字通り頂点を極める。シビアーな現代の視点からすると音が籠り過ぎるのと、
豊かな箱鳴りでスポイルされているようで低域分解能が低すぎるのがいささか気になる。
しかしこれが部屋に有ったら病み付きになってしまい、四六時中音楽流し続けているだろう。

音の不鮮明さは気になる人には気になるだろう。聴き疲れとは無縁の心地良い音色。


TANNOY VLZ
MONITOR GOLD Redとは傾向が違う。キリッとした緩みのない硬質さ、

歯切れのよい芯の硬さが特徴的。中高域に独特の個性がある。歪み成分が低次の

ハーモニックスを醸造する。芸術的な表現力の高さや奥ゆかしさはHLcompactより

上回る。歪み率 fレンジ ニアリティ等特性面は物足りない。性能はそれでも

MONITOR Redより確実に進歩しているが、音楽性の高みでは相当な開きがある。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c20

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
21. 中川隆[-11263] koaQ7Jey 2020年9月20日 18:56:13 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[54]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC 612Aでクラシック音楽を聴いて見る 2010年05月15日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c

#612Aがほぼ完成し、テストCDとして澤野工房のJAZZCDをメインに今まで聴いて来ました。今朝は初めてクラシックの「弦楽合奏」を聴いています。

612a2

ALTECのSPでは「クラシックは聴けない」、「弦楽器のゴーイングが不得手」とか雑誌では書かれていますが「Trail仕様のALTEC」ではその様な事は有りません。瑞々しく艶やかな音色で鳴ってくれます。イタリア合奏団の「コレルリ:弦楽合奏協奏曲」をかけていますが音のヌケやキレが素晴らしい上に艶やかな弦楽器に響きを出しています。

クラシックはタンノイ、弦楽器の再現はタンノイが良いと云われていますが、私はタンノイのSPは避ける様にしています。ALTECの同軸とタンノイの同軸は双璧の様に云われていますが、個人的にタンノイも使って来ましたが「潜在能力を引き出す」と云う点ではALTECに軍配を上げます。タンノイのユニットはコーン紙をホーンの延長に使っていますので「コーン紙の強度」がネックとなって来る点(コーン裏面にリブを取り付けている点)で大音量再生しますと「モタツキ」や不要共振を発生する構造になっている事が私の選択から外れます。またユニットへの接続で4Pソケットを使っている事やネットワーク基板の強度のない事も興味の対象から外れます。タンノイはイニシャル時点でそれなりのグレードで聴かせてくれますが私の望む音質には届かないユニットなのです。

その点アルテックの同軸ユニットは低域と高域が完全に分離していますし、SP端子も別個に有り、高域のダイアフラムにも手を入れる事が出来ます。30年前の販売時点で無かった技術をALTEC同軸のユニットに手を入れますとその「潜在能力の高さ」に驚かされます。

個人的には「最強のフルレンジユニット」だと思っています。とにかくヌケ切ってなっているサウンドにご機嫌で幸せな気分になれます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c


▲△▽▼


Trail仕様 ALTEC#612A
Mr.トレイルのオーディオ回り道
昨夜は定例のオフ会 2010年05月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e2c521b47d8299abc82dd7d9c3e568

昨夜は30年来のオーディオ仲間の例会を私の事務所で行いました。出来たばかりのTrail仕様ALTEC#612Aのお披露目を致しました。

612a1

仲間の方の印象はすこぶる「好印象」だったようで皆さん興味津々だった様です。以前612Cを使われた方もいらっしゃいますので「ALTECでこんなサウンドも出るのか?」と驚かれていました。また初めてALTECのサウンドも聴かれた方も「ALTECとはこんな音も出せるのか!!」と驚いていらっしゃいました。

612a2

軽く反応する低音とキラ星の様な輝きと艶の有る高音のサウンドが出ますので、他のシステムを聴かせても612Aに戻してくれとの要望で、612Aオンリーのオフ会になりました。チョッと今までにない反応で皆さん#612Aにクギ付けになられた様でした。

小音量から大音量まで楽々とこなしてくれます。クラシックの弦楽合奏も聴いていただきましたがタンノイのサウンドを軽く超えています。

音の粒立ちや音数の多さ、艶やかな質感等タンノイでは出せていない弦楽器のしなやかさまで出して来ます。

Trail仕様ですので小音量にしてもほとんど「音痩せ」が有りませんので安心して使えます。いつになく「ALTEC談義」まで出て来ました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e2c521b47d8299abc82dd7d9c3e568

▲△▽▼


詳細は

史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c21

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
22. 中川隆[-11262] koaQ7Jey 2020年9月20日 19:02:52 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[55]
723名無しの笛の踊り2020/02/13(木) 10:32:58.10ID:FsSQFsv+

湯布院の喫茶店とかタンノイばかりだからね

日本のクラシックファンがみんなタンノイ信者なのは何故かな?
上杉佳郎がクラシックでは世界一だとか言ったからかな?
イギリスではタンノイなんか誰も買わないよ


724名無しの笛の踊り2020/02/13(木) 10:58:12.18ID:r7RaLX3k

タンノイは駅ホームのPA


725名無しの笛の踊り2020/02/13(木) 12:09:06.78ID:FsSQFsv+

日本人を騙したダメ・オーディオ

1.JBL
2.タンノイ
3.B&W
4.アキュフェーズ
5.ラックス
6.上杉アンプ

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1476003942/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c22

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
23. 中川隆[-11261] koaQ7Jey 2020年9月20日 19:14:12 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[56]
59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/09(木) 14:12:19 ID:005A6FYY

オートグラフをステレオで使うのが間違い。音がボケるに決まってる。
本来の使い方である、モノラルで使ってごらん :p

http://mimizun.com/log/2ch/pav/1139323064/


218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/06(金) 18:14

オートグラフは、モノラル時代に、モノラルで音の広がりを作る為の設計。あれをステレオで使うというのが、根本的に間違っています。 そりゃ、アンチタンノイが言うように、音が散漫になるよね。もともと音を広げているんだから。

399 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 09:48

モノラル時代に音の広がりを強制的につけるためにああいった構造をとった、オートグラフ(でも、クリップッシュのコーナーでも、JBLのハーツフィールドでも、エレボのパトリシアンでもなんでもいいけど)をステレオで使おうとするのか、疑問。

ああいったスピーカーをステレオで使って、音がボケて低位が出ないのはアンチ君じゃないけど、あたりまえだよね。

理論とか構造じゃなくてさ、聴感だよ。

聴感上、モノーラルで広がりをつけるように作ったスピーカーな分けだから、それをステレオで使う時の聴感上のデメリットが大きいって事。

たとえば、Autographというビンテージスピーカーを正しく理解した上では、モノラルで使うのが正しいし、ステレオでビンテージスピーカーを使いたいのならば、ステレオに適したものがある。と、それだけの話だよ


406 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 11:29

僕がGRFで比較した時は、ステレオだと音がにごってしまい悲しかった。モノーラルだと、不思議に音が広がるし、2台使用と比較して、音もクリアな感じになるし、良かったよ。

GRFの製造時期とあわせて考えて、そういうことか。と、理解できたよ。

http://mimizun.com/2chlog/pav/ebi.2ch.net/pav/kako/992/992992601.html

              /               \
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c23

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
24. 中川隆[-11260] koaQ7Jey 2020年9月20日 19:16:44 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[57]
モノラル時代のスピーカーは指向性が広いので、ステレオのように正面で聴くのではなく、部屋の響きを織り交ぜて斜め横から聴くのが本来の姿である。


コーナーホーンと言えばスピーカーの王様のごとく高額な大型システムを思い浮かべるかもしれないが、1950年代に Electro-Voice のコーナーホーン箱が7種類あったなかで、Baronetは最も小さい末っ子。


 Baronet の高さ 50cm×幅35cm はこの時代のコーナーホーンの中でも最も小さいもので、逆に言えば、RCA MI-4400(ラビリンス箱)や Lowther TP1、あるいは広告だけだった JBL Hartsfield などの特別な存在を除くと、一般の人が手に入れられる8インチ用のエンクロージャーでは、もっとも複雑な構造をもつものともいえる。


Baronetは、Klipsch Horn社からFolded Corner Hornのパテント(US Pat. 2310243、2373692)の供与を受けており、おそらく Paul Wilbur Klipsch 自身が設計したコーナー型バックロードホーン箱である。

Klipsch 氏の特許は基本的にKホーンと呼ばれる低域キャビネットにあり、Patrician や Georgian に搭載されている。

本家の Kllipsch ホーンにはエレボイのユニットを搭載したバージョンもあったことから、両社は良い協力関係にあったといえる。Baronet、Aristcrat、Regency などはそれより小さいシリーズはショート・バックロードホーンであり、エレボイからの要請をうけて設計しなおしたと思われる。


 Klipsch氏は日本ではあまり有名ではないが、1940年にコーナーホーンを特許申請し、1935年に J.B.Lansing 氏が開発したシェラーホーンとは違い、家庭用で劇場並の迫力ある低音再生を可能にしたもの。

この方式の面白さは、低音再生を強制的な電気増幅や共振ではなく、実物大のアコースティックな響きで解決した結果、大容量のホールの感覚に近い空気感が得られるところにある。(逆に言えば、クラブ・ジャズのようなタイトな低音とは異なる) 

英米のスピーカー製造における Klipsch 氏の影響力は非常に大きく、1940〜50年代においてどのメーカーもコーナー型バックロードホーンが最も高級機種として羽振りをきかせていた。

ちなみにアメリカン・タンノイと呼ばれる機種は、米国で Klipsch 氏の特許があるので販売できなかったため製造されたもの。

コーナーホーンの多くが日本で有名ではない理由は、ひとつは家屋の規模の問題、もうひとつは物品税が高価なため、システムでのスピーカー輸入が阻まれた結果、バラ売りユニットの性能だけが幅を効かせて、エンクロージャーの性能まで思いが及ばなかったからであろう。


Hi-Fi初期の1950年代は、キット製品に人気があり、アンプをはじめエンクロージャーのマニュアルや図面を¢50〜$1で売っていた。

当時は Hi-Fi機器が電蓄から抜け出したばかりの時代で、例えば Decca 社の Decola のような一体型コンソールは超高級品であって、Hi-Fi 対応のパーツを掻き集めたバラ売りが最も経済的だった。


KD7キットの言葉を借りると

「Baronet はその名のとおり、Hi-Fiスピーカー用のエンクロージャーとして、小さなアパート、子ども部屋、避暑地の別荘など、重たく嵩張るものが歓迎されないどの場所でも良質な音楽の要求に応えます。

Baronet の造りは大きな容積のエンクロージャーではありませんが、再生音の高忠実性と周波数特性を犠牲にしません」とある。

当時の量販店の広告にも「省スペース(Space Saver)システム」という文字が躍るほどで、ミニマムなオーディオ・システムとしてBaronetは注目を浴びていた。

 Baronetの置き方はこのコンパクトな箱により、標準とされるコーナー&床置きはもとより、壁掛けやディスクトップの置き方も多くみられる。

私もモノラルならディスクトップがお勧めである(壁掛けは昔の校内放送の思い出が悪くあまり気乗りしない)。

エレボイ社のカタログには "for Close Lisning" と書いてあり、ややモニター的な聴き方に近いような気がするが、パーソナルに音楽を楽しむために、小音量でちょっとした読書コーナーを作るには最適である。

モノラル時代のスピーカーは指向性が広いので、ステレオのように正面で聴くのではなく、部屋の響きを織り交ぜて斜め横から聴くのが本来の姿である。
http://quwa.fc2web.com/Audio-103.html

上の図版でも女性の姿が目立つが、Baronetは大げさではなく音楽を楽しみたいユーザーに希求していて、シンプル=人間の生活中心の思想が現れている。

これはエレボイの看板「Temple of Tone(音響の神殿)」とは趣向が大きく違うものの、Baronetのもつ可能性を巧く言い当てているように思える。

 かの銀幕の大女優マレーネ・ディートリッヒも、ニューヨークのアパートでBaronet(それもフルレンジのみの初期型)を使っていたらしく、1997年のサザビーズ・オークションに、GE社の"Stereo Classic 7700"ステレオアンプ、ガラード社のRC型オートチェジャーとセットで出品された。

アパートの居間はグランドピアノを置くサロン風の部屋だが、よくヨーロッパの音楽家が比較的質素なステレオを自宅に置いていることの例に漏れず小粒なシステムながら、いずれも1950年代のビンテージである。

映画用の Altec ではなく、さりとてステレオ時代に躍進した JBLや ARでもなく、初期型の Baronetであるあたりは、彼女の活躍した時期を考えると、これがちょうど良かったのかもしれない。ゴージャスなジャズ・バンドを従えるよりは、ピアノに寄り添って静かに歌う彼女の姿とも重なる。
http://quwa.fc2web.com/Audio-103.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c24

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
2. 中川隆[-11259] koaQ7Jey 2020年9月20日 20:22:36 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[58]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語


というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/


遺伝学は日進月歩だから去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、ジャーナリストや普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c2

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
3. 中川隆[-11258] koaQ7Jey 2020年9月20日 20:23:57 : 8yaWWvP5cQ : Mm9tOGFLcEdsOTI=[59]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語


というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/


遺伝学は日進月歩だから去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c3

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
25. 中川隆[-11257] koaQ7Jey 2020年9月21日 03:19:53 : sRwbmN4RVK : eVVBcExXSE45OFk=[1]
因みに、タンノイのオートグラフとかウェストミンスター、GRF等 は日本や東南アジアの御上りさん向けに特別生産している機種で、イギリス本国で使っている人は一人もいません:

イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない _ イギリス人は何故そんなにケチなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/447.html


イギリスでは

貴族や資産家は デッカ・デコラかワーフェデール
音楽関係者は QUAD ESL

一般の音楽ファンはせいぜいセレッションの DITTON 15 かグッドマン MAXIM程度でしょうか:

セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html

グッドマン MAXIMスピーカーシステム
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1076.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c25

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
26. 中川隆[-11256] koaQ7Jey 2020年9月21日 04:07:01 : sRwbmN4RVK : eVVBcExXSE45OFk=[2]
「オーディオ巡礼」(五味康祐) | PHILE WEBコミュニティ

五味康佑氏のこういう評論は70年代〜80年代前半にかけてのものですね。そういう時代を懐かしく思い出されますね。

byベルウッド at2016-02-21 23:33

懐かしいですよね。こういう雑誌や本が、ある種日本独特のオーディオ・ジャーナリズムとでもいう文化を創り上げたのでしょうね。クラシックの一種鼻持ちならない「教養主義」をオーディオにまで持ち込んだ五味の功罪ですね。中味は『教養』としてはかなり空疎ですが…(笑)。

これで分厚いカタログみたいな雑誌を眺め、こんな精神学的オーディオ本を読んでため息ばかりという珍妙な「オーディオ趣味」がいまだにはびこっています。おいおい、本ばかり読んで聴いてんのかよ!?…みたいな(爆)

byベルウッド at2015-09-05 09:37

オートグラフが本来の音が鳴るようにするには10年かかるというような話しはまるで精神修養みたいな話しです。3日ぐらいでちゃんと鳴らすことができるようにコツを教えるのが「評論家」じゃないですかねぇ(笑)。

byベルウッド at2015-09-03 22:35


タンノイのブランドイメージを造ったのは間違いなくこの五味でしょうね。

英国人の義弟に「タンノイはどうよ?」と聞いたことがあるのですが、タンノイにはハイエンドオーディオというイメージはないそうです。英国人にとってタンノイとは、駅構内とか学校放送用のスピーカーなんです。だから高級感が持てないし、人気もない。

それだけに人声をよく伝える中低音の魅力はあります。スタジオモニター用といっても放送局のアナウンサーモニターなんでしょう。けっして録音スタジオのモニターではないようです。基音域に焦点をあてて帯域をうまく作っていますね。そこが魅力の歴史的名器がモニターレッドなどなんだと感じます。現代にも通用するJBLやアルテックとは明らかに違います。

byベルウッド at2015-09-05 09:48

https://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20150903/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c26

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
27. 中川隆[-11255] koaQ7Jey 2020年9月21日 04:16:15 : sRwbmN4RVK : eVVBcExXSE45OFk=[3]
14: ひまじん :2006/02/20(月)t

いまだに、JBLとTANNOYの迷信が語り継がれている。

JBLがジャズ向きと言うのは、古きジャズ喫茶で好んでオールドJBLのスピーカーを使ったイメージが今日まで語り継がれている。

TANNOYがクラシック向きと言うのは、五味康祐さんがオートグラフを好んで使ったことから語り継がれている。

オーディオマニアという方々は、実に保守的でなかなか考えを変えようとしない。

40:パルジファル

名器を作れるようなメーカーには、その叡智と技術を駆使した「夢を持てるような」物作りに励んでもらいたいですね。大衆に媚びを売るようなことはして欲しくない。 JBLなどは、会社が大きくなりすぎて、利益優先の大衆受けする安物が主力製品になってしまいました。残念です。

 かつての、ハーツフィールド(今聴いても素晴らしい!)に匹敵するようなものも作ってくれませんかねー。


41:>>40

JBLは残っているのはブランド名だけで、会社自体は消滅しています。
それにユニットは、ほとんど中華製。(他、タンノイや有名海外メーカーも同じ)

現在の老舗オーディオメーカーに期待する物は何ひとつありません。明日にでも、貴重で残り少ないヴィンテージ物を探しに行くことをお勧めします。

13:ビックリマスダ

タイノイファンですが、JBLとTANNOYが、そんなに人気が有るとは思っていません、結構マイナーでは?

とくにタンノイは日本でしか売れないとか聞いていますが・・・

3:いちぶ

昔、タンノイのブックシェルフを購入しました。しかしトランペットなどの高音がきつ過ぎて、すぐ手放してしまいました。今はヤマハNS1000Mを聞いています。


2:ばん

JBLのコントロール1を車で使ってます。音は正直大したことありません。
自分の世代ではJBLって異常な人気がありましたが・・・。今はどうなんでしょうか。
USAでは元々、日本ほど人気のあるブランドではないと聞いたこともありますが。

タンノイも神格化されてましたねぇ、昔は。
今は随分と安いシリーズもあるからそうでもないでしょうけど。英会話の先生がイギリス人だったんで聞いたけど全然知りませんでした。ダイソンはよく知ってましたけどね(^^)/。

個人的には、タンノイの古典的なタイプの方のSPは、箱鳴りのような付帯音が気になってあまり好きではありません。


4:koyama

イギリス人には、タンノイと言っても通じないでしょう。
向こうでは正確には「タノイ」と発音すれば通じます。

でもあまり向こうはハイファイオーディオ店が無いんですよね...。
それに比べたら、日本は世界一のオーディオ天国です。ハードオフを始めUSED市場も充実したますしね。日本人に生まれてよかった。

5:Fox

30年ほど前にJBL L-26というスピーカーを聴いていました。あの頃のJBLは確かにエネルギッシュな音を出していました。JAZZ喫茶はどこに行ってもJBL、自分では買うことが出来ない大型システムの音を聴きたくて新宿や吉祥寺によく通いました。


261:ひまじん

タンノイ伝説、JBL伝説で商売出来るのは、悪徳業者ぐらいでしょう。
タンノイもJBLもすでに伝説で飯が食えないから、製品も随分変わってきてますよ。

伝説をいまだに信じているのは、骨董品マニアであって、オーディオマニアとは違う人種なのでしょう。

でも聞いた話では、機器はもの凄く高価な物を集めているが、ソフトは少ししか持っていなかったそうです。

女性のブランドバックの収集と同じ心理なのかもしれません。ルイビトンとかエルメスとか言うのと同じ話なのかもしれません。

でも、偽物を本物といつわるのは、詐欺ということでしょう。


262:パルジファル

 JBLが近年多用している安物のホーン&ドライバーを聴くと全く哀しい限りだ。
 質を落としてまでそれを使用するのは、AV向けの単なるファッションか。

 その点、かつてのホーンドライバーは、今聴いても十分楽しめる。
 小生が使用しているのは、JBL創業の翌年、1947年に発表されたモデルだが、恐らく死ぬまで使えるのではないかと思う。

62:名器好き

オーディオは音楽の手段が、目的化した趣味とも言いえますね。
だから、色々な楽しみ方が存在すると思います。

「良い音がわからない」といって次々買い換える人。でもそれも立派な趣味かも知れません。音楽と違い、いつも同じ”音”ではアキますから。

でも好みがはっきりしていて、装置を換えない人が、趣味的にレベルが高い人とは限りません。とんこつラーメンが世界一といわれても、異論のある人のほうが多いでしょう。

一度、名器というものを疑ってみることが大事です。名器の根拠は?たぶん、オーディオ雑誌で書かれているから、ベテランのオーディオマニアがそう言っているから、ということが多いでしょう。

JBLやタンノイの名器は、世界的に見て、日本や日本に影響された極東の一部の国だけに通用する不思議な現象です。(一部のコレクターは別として)

だから、粗大ゴミ化したそれらの「名器」を、独自のルートで欧米から仕入れ日本に持ち込み、かなりの差額で、かせぐブローカーもいます。もちろん、欧米のオーディオマニアにそれらの良さがわからないともいえますが、それならば、現地では有名で、それにより利益が上がらず日本に入ってきてない他のメーカーにも、たくさん「名器」が存在します。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/lite/read.cgi/music/11602/1110765266/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c27

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
28. 中川隆[-11254] koaQ7Jey 2020年9月21日 04:47:15 : sRwbmN4RVK : eVVBcExXSE45OFk=[4]
タンノイ オートグラフ ミレニアム を聴ける店
音楽カフェ Blossom :ブロッサム
http://www.cafe-blossom.jp/
https://www.facebook.com/cafeblossom1
http://cafe-blossom.blogspot.jp/

埼玉県 越谷市 東大沢5丁目15番3

TEL048-954-9005

営業時間:
午後2時30分〜8時30分(ラストオーダー) 午後9時30分閉店

貸切りランチは午後12時〜2時(要予約)
貸切ディナー(時間は相談、要予約)

定休日:火曜日・水曜日


アクセス

東武伊勢崎線「北越谷」駅東口より徒歩約11分。

バスご利用の場合は、「北越谷」駅東口2のりば:老人福祉センター(くすのき荘)行きにて キャンベルタウン公園入口(二つ目)下車徒歩3分。

1. 店の裏に2台分の駐車場があります。
 ご利用に際しては、事前に、お問合せ、御予約をお願い致します。

2. 徒歩5分の処にコインパーキングがあります。
 詳細は
https://www.repark.jp/parking_user/time/result/detail/?park=REP0009809&p=1&st=4&lat=35.8910841&lon=139.7909377&word=%25E5%259F%25BC%25E7%258E%2589%25E7%259C%258C%25E8%25B6%258A%25E8%25B0%25B7%25E5%25B8%2582&plc=%25E5%259F%25BC%25E7%258E%2589%25E7%259C%258C%25E8%25B6%258A%25E8%25B0%25B7%25E5%25B8%2582&pref=11&city=222&


地図
http://www.cafe-blossom.jp/map/index.html
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92343-0022+%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E8%B6%8A%E8%B0%B7%E5%B8%82%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E6%B2%A2%EF%BC%95%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%93/@35.9052375,139.787693,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x60189617136c57bb:0x7f00d794d925d164!8m2!3d35.9052375!4d139.7898817?hl=ja


ブレンドコーヒー 500円
紅茶 500円
http://www.cafe-blossom.jp/menu/index.html


(1) 建物はカナダより輸入。 イギリス風外観

(2) 音楽を楽しむために、遮音、内装材、床構造に配慮しました。 コンクリートベース+構造用合板+遮音マットの上に、直接ブラックウォルナットの無垢床材を貼っております。
床材床の鉄筋.

(3) 建物は2x6工法を採用し、外部との遮音を行うため壁の厚みは20cm程度と十分確保しました。壁材はスピーカ背面はオーク他の面は吸音壁と腰板の組み合わせ、音響を配慮した天井材を使用しています。

(4) 室内面積は、約30畳(50m2)。天井高さは 5.5m と充分確保しました。

オーディオ装置


英国製大型スピーカ、タンノイオートグラフミレニアム

レコードプレーヤはトーレンス TD520 に、SME3012トーンアームを取り付け、カートリッジはオルトフォン MC20Wを使用。


真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプ

プリアンプ : 真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプ

メインアンプ : 大型直熱真空管 845 を使用した三段直結アンプ。 
モノラルアンプ 2台 (上田順筰氏 特製)

レコード盤(1) 店主が長年にわたり収集したしたレコード盤。 管弦楽曲、ジャズバラード 等、約3,000枚のコレクションがあります。


お出しするパンは、全て当日焼いた自家製のパンです。
http://www.cafe-blossom.jp/owner/index.html

『音楽カフェBlossom』さんをお訪ねして丸2日が経つが、あの音体験は強烈である。

音楽カフェ Blossom BLOG
タンノイ オートグラフ ミレニアム 845シングル/EL156PP真空管メインアンプ
http://cafe-blossom.blogspot.com/2009/08/8.html


いや、音自体はクラシックでは包み込むようなおおらかさで、一方、録音の良いポピュラー系のディスクでは大型モニターを起源とするスピーカーらしい鮮やかさを見せはするが、「鮮烈で耳について離れない」という類の音ではない。音楽の好きな方が、気持ちよく、かつ音楽の生命感を失わずにという方向で、機器と空間との調和をはかってたどりついた音だ。

つまり、聴き手に押し付けをせず、心地よくくつろいでいただこうというホスピタリティーに富んだ音で、カフェというお店の性格に合った音である。記事の通り、機器のというより空間の次元が違いすぎて、我が家の装置と音を比べようとか、どのくらい差があるかなどという下心は最初から持ちようがないのだが、しかし、自宅で聴く音の聴こえ方が変わってしまっていることは否定できない。

今はスペンドールBCUで聴いているが、ステージがやはり縮尺モデルである。このスピーカーは、中型ながらオーケストラの響きをそれらしく聴かせると言われたもので、私自身もイメージで補いつつ擬似演奏会を楽しんでいたが、オートグラフ・ショック以来、ミニチュア・スケールのイメージがぬぐいきれない。この点は、隣家からの苦情を覚悟してボリュームを上げれば、幾分かは改善されるが、それにしても本質的な差は埋めようがない。

もう一点、高音、とくに弦の音に艶が乗りすぎる。この点も、「BCUは、実際以上に美しく聴かせるので、モニターには向かない」などと評する人も多かった元々の特徴なのであるが、これが少々邪魔になるのだ。(一昨日までは、これがたまらない魅力だったのに)

スターリングに戻せば、艶めきは控え目になり、縮尺が1/5から1/3くらいには修正できるかもしれないが、今はそうせずに、この艶をもう少し部屋の響きと調和させる方向を探ってみようと思う。

試みにいつもより聴取位置をギリギリまで後ろに下げて、キッチンの中に半分体を入れて聴いてみた。“空間が鳴っている”感じが出て、オートグラフの試聴感に近づいた。しかし、微細な繊維で織り込んだような、きめ細かな高音は聴き取りにくくなる。この、顕微鏡を覗くような“粒子の細かな、絹のようにやわらかな高音”は、オートグラフにないBCUの持ち味である。私の好きな、英国のスピーカーにしか聴けない美点である。これを捨ててはなるまい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatupulin/55747793.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c28

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
29. 中川隆[-11253] koaQ7Jey 2020年9月21日 04:50:09 : sRwbmN4RVK : eVVBcExXSE45OFk=[5]
モニターレッド入りタンノイ オートグラフを聴ける店

タンノイ博物館
http://www.forest-energy.com/tannoy/
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/da/detail?kan_id=835614


三重県 津市 白山町伊勢見 150-195 青山高原保健休養地

電話
090-2685-1673
059-264-2223


館長 松橋 健(まつはし けん)

開館時間 10:00〜17:00

土曜・日曜・祝日開館

要予約(平日希望の場合も)


アクセス

国道165号線青山高原入口から車で5分

駐車場 9台

地図
https://www.google.com/maps/place/34%C2%B039'14.2%22N+136%C2%B015'58.3%22E/@34.65395,136.266193,14z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x0!8m2!3d34.653942!4d136.266201?hl=ja-JP

入館料
一人 2,000円 (2時間以内) 2時間超えの場合、一律 3、000円。
※日本茶/紅茶/珈琲の内一品付

※2時間超えの場合、終了迄時間の制限はありませんので充分お楽しみ下さい。
※近くに食事する処がありません。ご希望でしたら館長オリジナル料理(スパゲッティー等500円/人)で可能。


現在の視聴可能 Loudspeaker


Tannoy Autograph 15 ‘’Monitor Red Tannoy社承認箱

VLZ origina110’’MonitorGold・Lockwood Major HPD385 Small Autograph 12"Monitor Gold(U-topia箱)

Quad  ESL63

JBL Everest DD-55000

50年前の名機ですが柔らかくて力強い音質は最近の高級機器にも負けません。

Autograph 15" MR は断突に素晴らしいですが、Small Autograph 12"MG も魅力的。箱がオリジナルと同じ構造のバックロード・ホーン採用。更に10"MG の入った VLZ が光り輝きます。ヴァイオリンの再生では、これに優るSPは無いのでは?JAZZも聴かれる方はLockwood Major(GB)の力強よい響きの虜になるかも?ESL63は、他とは違うコンデンサーSPの響きが味わい深い。

Everest は JBL の旗艦(Flag Ship)SP。眼前で JAZZ の Live が炸裂。意外と Classicも聴かせます。


MARATS #7 Original

AIR TIGHT ATM-2 KT-88×4本


現在 AIR・TIGHT 社の ATM-2・ KT-88×4 アンプで再生中。
MC275 は故障中で、近日修理予定。

LPプレイヤーはEMT-948(DD)・カートリッジTSD-15導入。
LPの魅力を再認識させてくれます。

タンノイ博物館 Museum of TANNOY
能楽堂の構造及びヨーロッパの音楽Hall
http://www.forest-energy.com/tannoy/

故五味康祐氏が生前に「わがタンノイオートグラフ」で「貴婦人(Autograph)の為に理想のリスニング・ルームを造らねばならない。」と計画されていましたたが残念ながら実現する事はありませんでした。無念だったと思います。そこで、「日本の伝統木構造」・「能舞台の構造」・「ヨーロッパの音楽Hallの構造」等を研究して、当館は青山高原に「理想のリスニング・ルーム(Hall)」を完成させました。

Hallの概要は、間口7.25M・奥行8.5M、天井高さSP設置側4.5M・客席最深部7.5Mを確保し、容積は余裕の450M3です。当初、左右SPユニット中心間が6.3Mもありましたので、音の中抜けを心配していましたが杞憂に終わりました。

其の道の専門家の方・音楽マニアの方の一致した評価は

「素晴らしい!!」
「Autographからこんな凄い音が!?」
「CDには無限の音楽が入っている事を実感。
「自分の弾く楽器の響きに驚いた。」
「CD録音の為に調整が不必要で、Hallはどのようにして設計されたのですか?」

等の有り難いお言葉を頂戴しています。

もし、当館Hallより響きが良いと自慢のリスニングルームを所有の方は是非、当館へお越し下さい。

データがどんなに良くても、ヒアリング(聴感)がポイントですから。

※ホールのレンタルも承っております

皆様の眼前で演奏家が歌い・弾き・語ります。演奏会の成功は演奏者と皆様が一体になって創り出されます。

スタジオ録音よりライブ録音の方に名演が多い事はその事を証明しています。

タンノイ博物館内 Shoko Hall 概要


床面積
62u(18.7坪・37.5帖)
間口7.25m×奥行8.5m
空間容積 450㎥

天井高さ
ステージ側4.5m(最低)
客席側7.5m(最高)

仕上材&下地材&
防音断熱材
-

床材
東紀州産ヒノキ無垢板30mm
壁・材・竹小舞下地 土壁厚さ80mm

柱材
ヒノキ(東紀州産)7寸(21cm)・5寸(15cm)・4寸(12cm)
杉(吉野産) 5寸(15cm)・4寸(12cm)

梁材
杉(東紀州産) 背 1尺3寸(40cm)〜8寸(24cm)・(吉野産)
背1尺(30cm)

天井材
杉(東紀州産) 厚さ30mm ニュージーランド産ウール断熱材70mm

野地板
ヒノキ(東紀州産) 厚さ30mm(瓦下地板)

響きの素晴らしいShoko-Hall 62u(18.7坪・37.5帖)お貸しします

写真のように上部吹き抜けの設計で、響き(音質)の素晴らしさが最大の売りで、

「自分のピアノの音がこんなに綺麗に響いたのは初めて。」
「ここで、CD録音をしてみたい。」

等の評価を頂戴しています。 100席(一階65席・二階35席)の収容が可能です。

音楽仲間の定期演奏会等に最適です。

青山高原保健休養地管理事務所が隣接.駐車場は50台以上OKです。
演奏会(半日) \30,000円

練習(半日) \10,000 Piano(ヤマハC5)使用料込み
http://www.forest-energy.com/tannoy/


キット屋コラム「私のオーディオ人生」第14回 by Y下
第14回 これがタンノイだ!
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-014

オーディオマニアのみならずタンノイマニア、タンノイファンの憧れであるタンノイ、このタンノイに拘った「ヴィンテージ・タンノイ博物館」をご紹介します。

日本でこのような歴代のタンノイスピーカーを展示してあるタンノイ博物館を私は今まで見たことも聞いたこともありません、今回は沢山写真を撮らせていただきましたのでここで聴くタンノイとホールの作りの良さを皆さんに見て頂きたいためにコラムでご紹介させて頂きます。では早速ご案内しましょう、


ヴィンテージタンノイ博物館

 このタンノイ博物館の建物は総ヒノキ作りの注文住宅のモデルルームになっており外観は日本建築の良さを余すところなく作られております。建物は最近出上がったばかりなのか室内に入りますとヒノキの匂いがプンプン漂ってきます。「これぞ木の香りだ!」

 一般的な試聴室とは違う一軒の建物の中が一つのホールになっており部屋の広さがビックな36畳で天井高が何と7メートルもある吹き抜けになっています。オーナーの松橋氏はここを「ヴィンテージ・タンノイ博物館」と言っています。では写真を見ながらご紹介させて頂きます。

タンノイ博物館の試聴の部屋


 先ほども書きました広さは36畳で左右にタンノイのオートグラフが鎮座しています。部屋が広すぎるのでオートグラフが小さく見えてきます。オートグラフの横にはジャズファンが聴くためのJBLのエベレストが置いてあります。

 オートグラフの左右の間隔は約6メートルで音楽を聴く最適ポジションはスピーカーから約8メートル離れた場所になります。左側には生演奏用のグランドピアノがあり此処のホールで月に1〜2回はクラッシックの定期演奏会が行われておりこのホールを別名でSHOKO−HALLとも呼びます。またこのホールは2階もあり1階、2階を合わせて70名程の客席がご用意できるそうです。


 このスピーカーはタンノイのオートグラフで実装していますユニットはモニターレッドになります。タンノイのモニターレッドとマッキントッシュMC−275の組み合わせは有名な剣豪作家の五味氏も愛用していました。オートグラフの横はJBLのエベレストですが何となく存在感が薄れてくるほどオートグラフの偉大さを痛感させられます。「何時かはオートグラフ」オーディオマニア、音楽マニアの夢ですね、


JBLのエベレストが小さく見えるほどオートグラフの偉大さを痛感させられます。


ホールの左右にオートグラフの小型版のオートグラフミニです。このエンクロージャーはユートピア製ですが一般家庭で聴くのならこれで十分、その横にはオートグラフの後継機と評価の高かったウェストミンスターが展示してあります。ウェストミンスターの上には10インチのモニターレッドが入ったVLZがさり気なく置いてあります。

ホールの2階から下を見下ろす写真になります。ここのホールは2階席もあり2階からもタンノイを見下ろしながら聴けるようになっています。この2階席で美味しいコーヒーを飲みながらオートグラフを聴けば加山雄三の歌のセリフで「僕は幸せだなぁ〜」の心境にもなる。

別室の2階の12畳の試聴室には有名なタンノイGRFメモリーが整然と置かれている。


同じ部屋にはタンノイランカスターとゴールドが入ったVLZも置いてある。隣の写真はタンノイのプロ用のロックウッド・メジャーになります。このスピーカーは放送局用のモニタースピーカーで移動がしやすいようにボックスの横に取手が付いているのとキャスターも付いています。

ランカスターの内部写真です。ボックスの周りに吸音材がびっしりと貼ってあります。ユニットはゴールドになります。


左側のスピーカーはタンノイでも非常に珍しい無指向性のスピーカーシステムで名前は忘れました。右の写真はユートピア製のタンノイGRFになります。

2階の廊下にこれまた有名なレキュタングラーヨークがさり気なく展示してありました。

2階から客席側の写真になります。試聴させて頂いた翌日はここでコンサートが予定されているので補助椅子が沢山並べられていました。

1階の右後方からのホールの全景です。オートグラフがホールを引き締めているのが手に取るように分かります。


タンノイを鳴らす真空管アンプ、マッキントッシュのMC−275とプリアンプはマランツ#7の組み合わせです。音源はレコードではなくCDになります。


一階ホールから見上げた天井で高さ7メートルの吹き抜けですが光熱費がかかりそうのような気がしますがこれだけの空間があればオートグラフが芳醇な響きで謳歌するのが良くわかりますね、

ここのタンノイ博物館の館長で松橋氏です。非常に温和な優しい方で初対面でも気さくな人柄で人情味の厚い好感の持てる方で年齢は団塊の世代で私より一つ若い館長です。この松橋館長は昔からスピーカーの浮気もせずにタンノイ一筋の超が付くタンノイマニア、いやタンノイコレクターと呼ぶのが相応しいかな?同じ英国党でも私とは正反対の性格「もっと見習わなければ」、タンノイを使っているマニアは本当に優しい方ばかりです。その点私は浮気者でひねくれ男ですから・・・・
 

タンノイ博物館のオートグラフの音

 これだけの広さがあればオートグラフも水を得た鯉のような気がしてくる。事実その音は想像を遥かに超えた素晴らしい音で館長の人柄が反映された雄大かつ緻密な響きです。このホールの木の香りと木造りのコンサートホールはベストマッチングではなかろうか、私が持参したコジェナーが歌うヘンデルのアリア集は雄大かつ緻密な音で「これがタンノイだ!」と唸らせた音楽性の高い音であった、クラッシックファンがタンノイを望むのは理解できる。その後に館長のお気に入りでワーグナーの歌劇を聞かさせて頂いたが大編成にも関わらず音に圧迫感がありません。家庭で聴くタンノイとは世界が違っていた、
 


あとがき

 タンノイを写真付きでご紹介させて頂きましたが、このタンノイ博物館は最近オープンしたばかりで4月からは入場料として一人1,000円だそうですがコーヒーとお茶菓子付きですから音楽喫茶に行くよりも安いのではないでしょうか、

 松橋館長と音楽談義、オーディオ談義に華を咲かせるのも良いのではないか、いつかはオーディオ雑誌などに取り上げられるのではないかと思います。是非一度、日本では此処にしかないヴィンテージタンノイ博物館を見学して下さい。場所は三重県になります、キット屋のコラムを見たと言えば暖かく迎えてくれますから気楽に訪問して下さい。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-014


TANNOY博物館(三重)に行ってきました。2012年03月27日
http://blog.goo.ne.jp/4g1g4g0/e/ae352e804e93568bf674a08d390695a4

TANNOYというと、現在はエソテリックが輸入をしているイメージですが、
この博物館で扱っているのは1950年代〜80年代のものです。

故五味康祐氏が愛用したことでも有名な名機
「オートグラフ」を聴くことができるということで、行ってきました!


場所は、三重県の津市。

電車で行く場合は「西青山」が最寄り駅になり、大阪から1時間半、名古屋から2時間程で行ける場所になります。

ちなみに、駅舎はこんな感じ。


Wikipediaによると、乗降人員は 11人/日程度。
ハイキングコースがあるのですが、その看板も…

なお、電車は30分に一本あるので、アクセスは容易です。


館長の松橋さんに相談したところ、駅まで車で迎えに来てくださいました。
松橋さんは、この博物館以外のお仕事もお忙しいようで、来館時は事前に電話をしておくと良いでしょう。


自動車で来る場合は、この看板が目印ですね。


TANNOY博物館に到着すると、意外にも普通の住宅っぽい外観です。
住宅設計工房の展示場を兼ねているとのことでした。

中に入ると、あっと驚く大空間。
オートグラフに、JBL DD-55000に、グランドピアノが余裕で納まっています。

そして、圧巻の二階吹き抜け構造。

この二階にも椅子が多数あり、
ここに演奏家を招いて行う音楽コンサートでは、ここも満席になるとか。

西洋の某ホールを思い出す作りですねw

お伺いした時は、KT88を使った真空管アンプが修理中で、
代わりにEL34を使ったAIR・TIGHTの真空管アンプで「オートグラフ」を聞かせて頂きました。

↑間近で見ると、ド迫力の巨漢スピーカー。


広大なリスニングルーム全体が楽器のように鳴り響き、
「音楽の波の中にいる」といった感じの不思議な感覚でした。

床板も盛大に振動しているなど、従来のオーディオルームと違うイメージでしたが、それがこの音に結びついているのでしょう。欠点を探し出す聴き方ではなく、音楽に浸る感覚で聴くと満足度が高いと感じるはずです。

天井の高さも非常に効果的なようで、
コンサートホールで体感する「管楽器が斜め上方から聞こえてくる」が見事に再現できていました。

お目当ての「オートグラフ」ですが、この部屋に溶け込んでいるようで、
以前、秋葉原の「ヒノオーディオ」で聴いた復刻版とはちょっと違う感じでした。

ヒノオーディオverの方は、雄大で重厚な感じで、いかにもクラッシック専用な雰囲気だったのに対し、こちらの TANNOY博物館で聴いた音は、小気味良く張り出してくる感じでした。JAZZにもマッチする感じですが、金属的な硬さは皆無です。ユニットが「Monitor-Red」だったのもポイントかもしれません。


松橋さんの陽気な人柄もあって、滞在していた二時間があっという間に過ぎてしまいました。オートグラフ以外の大型SPも5機種程度(視聴可能かは不明)あるようでしたし、特にクラッシック好きな方であれば、3時間以上の長居をしたくなるでしょう!

この博物館は高台にあり、平地より気温が7℃程度低いとのこと。
これからの季節、日帰りの避暑気分で訪れても良さそうですね!
http://blog.goo.ne.jp/4g1g4g0/e/ae352e804e93568bf674a08d390695a4
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c29

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
30. 中川隆[-11252] koaQ7Jey 2020年9月21日 05:01:23 : sRwbmN4RVK : eVVBcExXSE45OFk=[6]
ウェストミンスター・ロイヤルが聴ける店 _ 一関市 _ ジャズ喫茶 ROYCE
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/212.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c30
[番外地8] 『からっ風野郎』は、1960年(昭和35年)3月23日公開の日本映画
普通の人格障害者ならこんなみっともない映画まで作らないでしょう

『からっ風野郎』は、1960年(昭和35年)3月23日公開の日本映画。監督は増村保造。脚本は菊島隆三。製作は大映(大映東京撮影所)。作家の三島由紀夫が映画俳優として初主演した作品である[1][2][3]。傾きかけた落ち目な組の二代目ヤクザが敵対する組の殺し屋に命を狙われる中、惚れた女の一途な純情にうたれ堅気になろうとした矢先に殺されてしまうという異色のヤクザ映画である[4][3]。公開当時は、映画倫理管理委員会より成人映画(映倫番号11655)の指定を受けた[5][6]。

当時、既に高名な作家となっていた三島が、ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男を演じ、相手役の若尾文子は激しく愛に生きるヒロインを好演して不慣れな三島をカバーした[7][3]。大映の専属俳優として正式契約し意気込んで華々しく映画デビューした三島だったが、その大根役者ぶりを酷評され、興行的にはヒット作となったものの俳優演技の難しさを痛感する経験となった[8][3][7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A3%E9%A2%A8%E9%87%8E%E9%83%8E

元は裕次郎のための脚本だそうです (さすらい日乗)

この脚本は、三島由紀夫の小柄に合わせ競馬の騎手の話で、八百長のことだったそうです。ところが当時馬主協会の会長だった永田雅一の反対でだめになり、再度脚本を探した。
すると菊島隆三が裕次郎用に書いたのがオクラになっていることを思い出し、急きょ書き直したそうです。

三島由紀夫のコンプレックスのことを良く描いていると思う。
孤独で船越英二だけが唯一の友人というのは、非常によく三島由紀夫の孤独さを表現していると思います。
https://blog.goo.ne.jp/wangchai/e/47279bc82a94a1bfd5c1fca1ff09a7bb
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/392.html

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
31. 中川隆[-11251] koaQ7Jey 2020年9月21日 08:42:35 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[3]
ここは40年前からモニターレッドとマランツアンプの逝かれた誇大宣伝をやっていますね(呆れ):

ガス燈 GAS LIGHT
ヴィンテージオーディオ&CD/レコード専門店
https://www.gastokobe.com/location

兵庫県神戸市中央区元町通3-10-11 正翁ビル2F
TEL 078-332-0130

OPEN: 13:00~19:00 日・祝休
*臨時休業の場合がありますので、なるべく事前に(特に遠方のお客様は)お電話でご確認下さい


アクセス
JR元町駅西口(海側)から神戸(西)方面へ徒歩約5分
元町商店街の一つ山側の通り
(喫茶チェリーの隣ビル、1階美容院)

SWING JAZZのCD/レコードやクラシックの貴重盤を探究されてる方、ヴィンテージオーディオでお悩みの方、興味がありこれから始められる方など、ご来店お待ちしております


SPEAKER
https://www.gastokobe.com/speaker

タンノイ(レッド・シルバー)は、天を摩す巨人の森であり、芸術、文化の森であり、神秘なる森である。

タンノイの森にたどりついただけで、しめたものであるが・・・・・・。

この森の中から、何を選択するか--------は、その人の教養の深さと、センスを必要とするが、

上質なる名器を手にした趣味人のみが、名器との出合いがあろう。

例えば、ペルルミュテール(P)のモーツアルトのピアノソナタ(仏VOX / 6LP)のように、

何が真の名盤であり、自身の人生の糧になるかは、上質なる名器群がきっと語ってくれるであろう。

タンノイ コーナーヨーク、G.R.F.、オートグラフが名器(黄金の三兄弟)であることには違いないが、

同じ15インチのレッド、シルバーが入っていながら、エンクロージャーによって、音楽の表情、解釈、

姿が、こんなにも異なり、且つ、それぞれが完成された表現を発するスピーカーが他にあろうか。

個々に意味を内包していることに、真のタンノイファンは、驚き、快楽されておられることであろう。

レコード芸術再生の永遠の名器といえよう。

いろいろなる名盤(名演)が誕生したのが50年以上前である。

例えば、アンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP)

パリのモーツアルト(仏PATHE / 7LP)

TRIO OF FRANCE(仏PRETORIA / 1LP)

エネスコのバッハ無伴奏ソナタ(CONTINENTAL / 3LP)

ルフェビュールのバッハ(仏FBLP / 1LP)を

タンノイ レッド、シルバーが登場したのも50年前である--------。ここに真理があり符合する。

名器が真の名盤と連関するのは、人間の社会、思想、芸術、文化の奥深いところの根源的なるもの、

本質的なるものを捉え、それを明日に照らしだそうとする信念、哲学が内在しているが故に、

現代の新奇なものを越えて、なお魅力的なのであろう。

軽薄な時代が終焉し、精神性のある社会が、一刻も早く到来することを希求してやまぬ。

アメリカタンノイ オートグラフ プロフェッショナルについて

甘く、そして、しなやかに、

豪華にして高雅に、

欧米が栄え輝いていた1950年代を髣髴(ほうふつ)させ陶酔さす。

身体は大きいが、表情は可憐にして気高く、くちもとは自然にして、唇には生気が漂い、生身が眼前に立脚しているよう。

ビオロンの響きは、オーケストラに於いては、雄大に、独奏に於いては、孤高に美音を発し、眼前に舞台を演出し演じてくれる。

ある時は静謐(せいひつ)に、ある時は優雅に、ピアノに於いては、陰翳(いんえい)が深く、ピアニストの内面を抉(えぐ)り出し、

名演奏名盤であればあるほど、歌い舞い、受者を鼓舞さす。

スピーカー(ユニット)が、2個内包されているがために、1950年代の名車(12気筒のエンジンを搭載した)にのり、

ここちよい旅をしているようでもある。

いろんな顔を持ち、いろんな表情をし、ある仮面をかぶり、受者を迷宮の世界に案内し、人生を遊ぶ。

ホット&スイートJAZZが、おれにまかせろと言わんばかりに鳴り響き、恍惚の世界に誘惑し、時を忘れる。

タンゴに於いては、カナロが偉大なリーダーであったことを、そしてガルデルにおいては飛行機事故で世を去った損失と悲しみを教え、

耽(ふけ)させる。

又、日本が誇る藤沢嵐子と早川真平が、世界のタンゴ界に認められた所以が理解出来よう。

シャンソンとて待ってましたと言わんばかりに、ダミアの暗い日曜日が、受者の内面に迫る。

ティノ・ロッシの甘く囁く歌声が、そしてルシエヌ・ボワイエの歌声が、パリを誘(いざな)う。

幅広い表現を可能にしてくれる魅惑的なるスピーカーである。

常に、タンノイ レッドが得意とする気品を失うことなく・・・・・・・。

アメリカタンノイ インペリアル(15インチレッド&シルバー各2個入り)について

決してセンチメンタルには鳴らない。

官能よりも知性を好み、永遠の至高の感覚で、人間性と無窮(むきゅう)を語りかけてくる。

常に、簡潔に、されど音楽が持つ衝撃力は惜しみなく。

天才が些細な不正にも苦しむ純潔な精神、微々たる瑕瑾(かきん)をも見逃し得ぬ精妙な感性、完璧のみが至上の逸楽をもたらすことを、啓示してくれる。

高貴にして神聖なる魂は、虚偽と罪業(ざいごう)と醜悪の世界に窒息する様を・・・・・・、偉大なる芸術家が幸福であるためには、

俗衆の喝采を必要としないことを、”インペリアル”は教え、語り、諭すであろう。

バッハからブルックナーまで、ガーシュインからジョン・ケージまで、ドビュッシーから武満徹まで、声楽からオペラまで、ニューオーリンズからフリージャズまで、総てを受け入れてしまう幻のスピーカー。

その秘密、解析(かぎ)はそれぞれに2個(15インチレッドorシルバー)が内包されこだわりの構造がなせる技なのであろう。

こんな魅惑的なるスピーカーが、当時少数しか創られなかったことが、惜しまれてならぬ。

英国人が、アメリカ人の為に賢慮(けんりょ)を尽くし辿りついた舞台、インペリアル。

アメリカ タンノイ群評-----------。

   すでにオーディオ文化の遺産として揺るぎなき地位を確立している英国タンノイ オートグラフ、G.R.F.、コーナーヨーク(15インチレッド

   orシルバー入り)の話ではない。

   アメリカ タンノイと言うだけで、日本のクラシック音楽ファンに誤解され、敬遠され、充分なる理解を得ず(試聴されず)不当なあしらいを

   受けているアメリカ タンノイレッドorシルバーについて光明を与えねばならぬと考えているのである。

   一聴すれば(音楽、レコードが好きな輩には)解析(わかる)であろうが・・・・・・名器には、歴史と、隠れたる仕掛けが内包していることを。

   そして固定観念は危険であることを。発見と感動のない世界には、凡庸なる人生が待ち伏せしているだけだと。

   アメリカ タンノイレッドorシルバー達は、語りかけてくれるであろう。感動とともに・・・・・・。


TANNOY オートグラフ、コーナーヨーク、VLZ

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アメリカタンノイの魅力------------。

アメリカ東海岸のサウンドを希求する人間にとっては、見逃すことのできない存在であろう。

1954年ロングアイランド(ニューヨーク州)に設立されたるアメリカタンノイ社は、1973年まで数々の魅力あるスピーカーを産みつづけた。

日本上陸が遅れたが為に、当時殆どの人々は関心をもつことなく(出合いなく)現在に至っているのだが・・・・・・、

オートグラフプロフェッショナル(15インチレッド各2入り)、インペリアル(15インチレッド各2入り)を頂点として、ボザーク、KLHの音色に魅了されたる人間にとっては、アメリカタンノイのサウンドにすばやく反応されることでしょう。

オートグラフプロは別として、他は英国タンノイに比べ、低域は締りぎみで重く暗く(陰けいが深く)その上箱の響きが押えぎみのため、

JAZZが”いき”に鳴るのである。

中域から高域にかけては、タンノイユニットの特徴である金属的な肌合を有しているが故に、管楽器、ピアノがイメージ良く且上品に鳴り響く。

ヨーロッパへの希求性とヨーロッパからの遠心性がアメリカ文明の宿命であるかのようにして産まれたのが、アメリカタンノイ群なのであろう。

透徹されたる英国人の知性が、アメリカという大陸で華(はな)開いたる珍しき逸品と言えよう。

特に、スタンダードオートグラフ(レッド入り)チューダーオートグラフ(レッド入り)、オートグラフプロ(レッド各2入り)、インペリアル(レッド各2入り)の4種類は一聴に値するしろものであるばかりか、イギリスタンノイ黄金の三兄弟に無い魅力が内包されていることに、タンノイファン及びタンノイでJAZZを鳴らしてみたいと考えているファンは、一聴に値する魅力あるスピーカーと言えよう。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

日本人のタンノイファンにとって敬遠しがちの隠れた名器。

アメリカタンノイ群の復権あるいは深き淵よりの詩い------------。

通説としてタンノイの弱点と言われてきたピアノ、管楽器、打楽器が気品を失うことなく鳴り切るアメリカタンノイの魅力は、幅広い音楽を楽しむ人間にとって救いの神器となろう。

特に1950〜60年代に創られたる名器シルバー、レッド入り大型アメリカタンノイは、豊かな国(1950〜60年代)アメリカ人の要望を満足させた英国人の叡知の作であるだけでなく、後生の金字塔となり多くの音楽ファンを楽しませ続けるであろう。

1950年代にLP名盤が続出したごとく、1950年代に歴史的名スピーカー群が誕生した意味は大きい。

オートグラフプロ(レッド入り)及びインペリアル(レッド入り)が無冠の王者ならば・・・・・、スタンダードオートグラフ(レッド入り)、チューダーオートグラフ(レッド入り)は、流たくの清士であろう。

高貴を弑(しい)し、美を屠(と)り、理想を犯す、荒涼たる今の世にあって、黄金期のタンノイシルバー、レッドを搭載した大型スピーカーでの音楽鑑賞は比類なき精神の高揚となろう。

JAZZをここまで物語り表現しうるスピーカーはそう多くはない。

初期の上質なるマランツ#7と#9とのコンビで聴く大型タンノイ群は、宝珠(ほうしゅ)に似て、燃えたる美の王宮なり、遠来の王を迎えることの出来る人は、至上の歓喜を得ることのできる稀世の人となりえよう。

タンノイの固定観念に縛られている輩、行動を興さない輩には未来のイヴとの出合いはない。

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レコードとオーディオという二つの芸術が、相擁(そうよう)し、至高の交歓(こうかん)を遂げた幸福なる時代は、

もはや終焉(しゅうえん)してしまったのであろうか----------。

かつては上質なる機器からは、レコード内に於けるノイズを看取(かんしゅ)することなく、不思議にも良質なる音楽のみが、昇華され、

芸術的香気を、満喫させてくれる時代もあった。

すでに、名器をお持ちの趣味人は、日々このような場景に、満悦されておられることであろうが・・・・・・・。

弱音器をかけたような、忍び音(しのびね)の音楽は、最も素朴な人々と、最も洗練されたる人々を、同時に魅了させずにはおかない。

現代美術が、見るという行為によって始まるように・・・・・・、聞く側が、名器を産むのであろう。

レコードが円熟し切った時期と、オーディオが熟し切った時期が、対峙しあうかのように・・・・・同時代に誕生し、完結してしまったのであろう。

名器、名盤にはディオニューソスなる神が、宿っているとしかいいようのない現象が、名器から現前として発する。

真の音楽ファン、レコードファンであれば、レコードに針を下した瞬間、躍動と静止が、等価を保ちつつ、執拗に自己に投影を仕掛け、眩惑

しつづけるスピーカーに出会いたくはないか、それを可能にしてくれるスピーカーが、タンノイの黄金の三兄弟オートグラフ、G.R.F.、

コーナーヨーク(いずれもレッドorシルバーのユニットが内包されていなければ、意味をなさないが・・・・・・)と言えよう。

入口のカートリッチから厳選しなければ、この手の夢は実現しないだろうが・・・・・・。

追伸、巷では、ヴィンテージオーディオは、腐りかけの音が魅力があると言うが、創られた当時の状態に出来るだけ近づけた名器を聞くことのない輩の戯言(たわごと)にすぎぬ。ここに現状のヴィンテージオーディオの世の限界が潜(ひそ)んでいるのかもしれぬ。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

翼をもち、風を呼ぶ感性たれ-------------------。

生まれながらにして神秘の香(こう)に滲透(しんとう)された或る種の魂を内包したる人間は救われるが・・・・・・。

水晶体は我々の網膜の上に投射する映像や、空気が我々の鼓膜に伝達する震動のみを、唯一の現実として信じる人々は、眼あれど見えず、耳あれど聴こえぬ不幸なる輩に過ぎぬ。

五官が我々に啓示する外界の世界は現実ではなく、いわんや絶対でもないことを感動している人間のみが、一級の芸術作品との出合いに、融合できるのであろう。

神秘を信じる魂を有したる人間は、水晶体が屈折し得ぬものを見、空気が伝達し得ぬものを聴くことのできる賢者である。

その分、苦悩と葛藤と練磨を要求されつづけられるであろうが・・・・・・。

” 我が夢はその彼方にあり ” と呟(つぶや)く貴兄の多からんことを・・・・・・。
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​Amplifier こだわりの美学
https://www.gastokobe.com/amplifier

マランツについて・・・・・、

例え、名真空管をもって挑んだとしても---------

EL - 34を果敢に探求しつづけてきた”ソール・B・マランツ”の姿勢には、かなわない。

単純ほど美しい。

簡素ほど心をうつ。

こだわりほど恐ろしい。

オーディオの最高の目標は”格式”と”格調”と”気品”である。

既存の意味と価値を研き出し、蒐集し、積み重ね、修飾し、装飾する。

そして、陶酔させてくれる。

正に、マランツ#7,8,9,10,10Bのための凱切(がいせつ)な措辞(そじ)である。

しなやかな張りつめた意識、神経のもと・・・・・レコード芸術という

絢爛(けんらん)たる非現実の織物を眼前にて紡がれる、あでやかに音は縫いとられてゆく、

宏荘(こうそう)にして斉荘(せいそう)---------

象徴にして棲蒼(せいそう)--------

生きようとする影が優雅な死の影のように眼下に落ちる。

禁断の果実に近づき深淵し、感嘆し、酩酊する。

工(たく)まれたるレトリックの凝縮、

幻惑的な装飾の技兩

マランツ#7,8,9,10,10Bならありうる。

集うことを許さぬタンノイ ”レッド” ”シルバー”と

正に、両雄である。


  機械は、バラのように、美しくなければならぬ。

  詩人が、言葉を支配するごとく・・・・・、名盤たちは、名器を支配する。

  高潔なる精神の持主であればあるほど、感じ(解す)るであろうマランツ群の魅惑(悦楽)。

  清雅(せいが)にして、鋭敏なる音色(音感)、稀有(けう)なる音人(貴人)ならではの音業(偉業)。

  幽韻(ゆういん)にして、幽思(ゆうし)---------。

  嫋嫋(じょうじょう)として、鬼(き)の長い旋律は、

  柔らかい青い影、淡紅(たんこう)と、灰色の諧調へと誘う。

  世に、これほどまでに渾然(こんぜん)として、微妙なる快楽があろうか。

  華やぐ外観の影に、見え隠れする、憂愁(ゆうしゅう)と、悲哀と、倦怠の色(音)は、

  棲涼(せいりょう)たる鬼気となって、音間に漂い、或る説明し得ぬ神秘なる世界に遭遇し、

  決定的なる色調(音調)を、帯(お)びるのであろう。

  これぞ正に、マランツ群ならではの措辞(そじ)といえよう。

 

******MARANTZ # 9 の新しい在庫商品(ペア2セット)2016. 10. 24現在******


*MARANTZ #9 ペア2セット(在庫3&4)入荷分、掲載しました。(2016.10.30現在)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

*MARANTZ #9 ペア2セット、近日中入荷予定。(2018.7.4現在)
(#1386, #1387 連番セット。他1セット。)


*MARANTZ #7 在庫あります。(2018.7.4現在)
(10800番台、10900番台、他。)



商品の値段等、お問い合わせは、「ガス燈」TEL 078-332-0130まで、
よろしくお願い致します。

(在庫状況は、掲載時と異なる場合がありますので、ご了承下さい。
尚、入荷予定商品の予約も可能です。)
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マランツのアンプについては

オールド マランツ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/635.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c31

[リバイバル3] オールド マランツ 中川隆
61. 中川隆[-11250] koaQ7Jey 2020年9月21日 08:53:50 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[4]
ここは40年前からモニターレッドとマランツアンプの逝かれた誇大宣伝をやっていますね(呆れ):

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*臨時休業の場合がありますので、なるべく事前に(特に遠方のお客様は)お電話でご確認下さい


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タンノイ(レッド・シルバー)は、天を摩す巨人の森であり、芸術、文化の森であり、神秘なる森である。

タンノイの森にたどりついただけで、しめたものであるが・・・・・・。

この森の中から、何を選択するか--------は、その人の教養の深さと、センスを必要とするが、

上質なる名器を手にした趣味人のみが、名器との出合いがあろう。

例えば、ペルルミュテール(P)のモーツアルトのピアノソナタ(仏VOX / 6LP)のように、

何が真の名盤であり、自身の人生の糧になるかは、上質なる名器群がきっと語ってくれるであろう。

タンノイ コーナーヨーク、G.R.F.、オートグラフが名器(黄金の三兄弟)であることには違いないが、

同じ15インチのレッド、シルバーが入っていながら、エンクロージャーによって、音楽の表情、解釈、

姿が、こんなにも異なり、且つ、それぞれが完成された表現を発するスピーカーが他にあろうか。

個々に意味を内包していることに、真のタンノイファンは、驚き、快楽されておられることであろう。

レコード芸術再生の永遠の名器といえよう。

いろいろなる名盤(名演)が誕生したのが50年以上前である。

例えば、アンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP)

パリのモーツアルト(仏PATHE / 7LP)

TRIO OF FRANCE(仏PRETORIA / 1LP)

エネスコのバッハ無伴奏ソナタ(CONTINENTAL / 3LP)

ルフェビュールのバッハ(仏FBLP / 1LP)を

タンノイ レッド、シルバーが登場したのも50年前である--------。ここに真理があり符合する。

名器が真の名盤と連関するのは、人間の社会、思想、芸術、文化の奥深いところの根源的なるもの、

本質的なるものを捉え、それを明日に照らしだそうとする信念、哲学が内在しているが故に、

現代の新奇なものを越えて、なお魅力的なのであろう。

軽薄な時代が終焉し、精神性のある社会が、一刻も早く到来することを希求してやまぬ。

アメリカタンノイ オートグラフ プロフェッショナルについて

甘く、そして、しなやかに、

豪華にして高雅に、

欧米が栄え輝いていた1950年代を髣髴(ほうふつ)させ陶酔さす。

身体は大きいが、表情は可憐にして気高く、くちもとは自然にして、唇には生気が漂い、生身が眼前に立脚しているよう。

ビオロンの響きは、オーケストラに於いては、雄大に、独奏に於いては、孤高に美音を発し、眼前に舞台を演出し演じてくれる。

ある時は静謐(せいひつ)に、ある時は優雅に、ピアノに於いては、陰翳(いんえい)が深く、ピアニストの内面を抉(えぐ)り出し、

名演奏名盤であればあるほど、歌い舞い、受者を鼓舞さす。

スピーカー(ユニット)が、2個内包されているがために、1950年代の名車(12気筒のエンジンを搭載した)にのり、

ここちよい旅をしているようでもある。

いろんな顔を持ち、いろんな表情をし、ある仮面をかぶり、受者を迷宮の世界に案内し、人生を遊ぶ。

ホット&スイートJAZZが、おれにまかせろと言わんばかりに鳴り響き、恍惚の世界に誘惑し、時を忘れる。

タンゴに於いては、カナロが偉大なリーダーであったことを、そしてガルデルにおいては飛行機事故で世を去った損失と悲しみを教え、

耽(ふけ)させる。

又、日本が誇る藤沢嵐子と早川真平が、世界のタンゴ界に認められた所以が理解出来よう。

シャンソンとて待ってましたと言わんばかりに、ダミアの暗い日曜日が、受者の内面に迫る。

ティノ・ロッシの甘く囁く歌声が、そしてルシエヌ・ボワイエの歌声が、パリを誘(いざな)う。

幅広い表現を可能にしてくれる魅惑的なるスピーカーである。

常に、タンノイ レッドが得意とする気品を失うことなく・・・・・・・。

アメリカタンノイ インペリアル(15インチレッド&シルバー各2個入り)について

決してセンチメンタルには鳴らない。

官能よりも知性を好み、永遠の至高の感覚で、人間性と無窮(むきゅう)を語りかけてくる。

常に、簡潔に、されど音楽が持つ衝撃力は惜しみなく。

天才が些細な不正にも苦しむ純潔な精神、微々たる瑕瑾(かきん)をも見逃し得ぬ精妙な感性、完璧のみが至上の逸楽をもたらすことを、啓示してくれる。

高貴にして神聖なる魂は、虚偽と罪業(ざいごう)と醜悪の世界に窒息する様を・・・・・・、偉大なる芸術家が幸福であるためには、

俗衆の喝采を必要としないことを、”インペリアル”は教え、語り、諭すであろう。

バッハからブルックナーまで、ガーシュインからジョン・ケージまで、ドビュッシーから武満徹まで、声楽からオペラまで、ニューオーリンズからフリージャズまで、総てを受け入れてしまう幻のスピーカー。

その秘密、解析(かぎ)はそれぞれに2個(15インチレッドorシルバー)が内包されこだわりの構造がなせる技なのであろう。

こんな魅惑的なるスピーカーが、当時少数しか創られなかったことが、惜しまれてならぬ。

英国人が、アメリカ人の為に賢慮(けんりょ)を尽くし辿りついた舞台、インペリアル。

アメリカ タンノイ群評-----------。

   すでにオーディオ文化の遺産として揺るぎなき地位を確立している英国タンノイ オートグラフ、G.R.F.、コーナーヨーク(15インチレッド

   orシルバー入り)の話ではない。

   アメリカ タンノイと言うだけで、日本のクラシック音楽ファンに誤解され、敬遠され、充分なる理解を得ず(試聴されず)不当なあしらいを

   受けているアメリカ タンノイレッドorシルバーについて光明を与えねばならぬと考えているのである。

   一聴すれば(音楽、レコードが好きな輩には)解析(わかる)であろうが・・・・・・名器には、歴史と、隠れたる仕掛けが内包していることを。

   そして固定観念は危険であることを。発見と感動のない世界には、凡庸なる人生が待ち伏せしているだけだと。

   アメリカ タンノイレッドorシルバー達は、語りかけてくれるであろう。感動とともに・・・・・・。


TANNOY オートグラフ、コーナーヨーク、VLZ

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アメリカタンノイの魅力------------。

アメリカ東海岸のサウンドを希求する人間にとっては、見逃すことのできない存在であろう。

1954年ロングアイランド(ニューヨーク州)に設立されたるアメリカタンノイ社は、1973年まで数々の魅力あるスピーカーを産みつづけた。

日本上陸が遅れたが為に、当時殆どの人々は関心をもつことなく(出合いなく)現在に至っているのだが・・・・・・、

オートグラフプロフェッショナル(15インチレッド各2入り)、インペリアル(15インチレッド各2入り)を頂点として、ボザーク、KLHの音色に魅了されたる人間にとっては、アメリカタンノイのサウンドにすばやく反応されることでしょう。

オートグラフプロは別として、他は英国タンノイに比べ、低域は締りぎみで重く暗く(陰けいが深く)その上箱の響きが押えぎみのため、

JAZZが”いき”に鳴るのである。

中域から高域にかけては、タンノイユニットの特徴である金属的な肌合を有しているが故に、管楽器、ピアノがイメージ良く且上品に鳴り響く。

ヨーロッパへの希求性とヨーロッパからの遠心性がアメリカ文明の宿命であるかのようにして産まれたのが、アメリカタンノイ群なのであろう。

透徹されたる英国人の知性が、アメリカという大陸で華(はな)開いたる珍しき逸品と言えよう。

特に、スタンダードオートグラフ(レッド入り)チューダーオートグラフ(レッド入り)、オートグラフプロ(レッド各2入り)、インペリアル(レッド各2入り)の4種類は一聴に値するしろものであるばかりか、イギリスタンノイ黄金の三兄弟に無い魅力が内包されていることに、タンノイファン及びタンノイでJAZZを鳴らしてみたいと考えているファンは、一聴に値する魅力あるスピーカーと言えよう。

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日本人のタンノイファンにとって敬遠しがちの隠れた名器。

アメリカタンノイ群の復権あるいは深き淵よりの詩い------------。

通説としてタンノイの弱点と言われてきたピアノ、管楽器、打楽器が気品を失うことなく鳴り切るアメリカタンノイの魅力は、幅広い音楽を楽しむ人間にとって救いの神器となろう。

特に1950〜60年代に創られたる名器シルバー、レッド入り大型アメリカタンノイは、豊かな国(1950〜60年代)アメリカ人の要望を満足させた英国人の叡知の作であるだけでなく、後生の金字塔となり多くの音楽ファンを楽しませ続けるであろう。

1950年代にLP名盤が続出したごとく、1950年代に歴史的名スピーカー群が誕生した意味は大きい。

オートグラフプロ(レッド入り)及びインペリアル(レッド入り)が無冠の王者ならば・・・・・、スタンダードオートグラフ(レッド入り)、チューダーオートグラフ(レッド入り)は、流たくの清士であろう。

高貴を弑(しい)し、美を屠(と)り、理想を犯す、荒涼たる今の世にあって、黄金期のタンノイシルバー、レッドを搭載した大型スピーカーでの音楽鑑賞は比類なき精神の高揚となろう。

JAZZをここまで物語り表現しうるスピーカーはそう多くはない。

初期の上質なるマランツ#7と#9とのコンビで聴く大型タンノイ群は、宝珠(ほうしゅ)に似て、燃えたる美の王宮なり、遠来の王を迎えることの出来る人は、至上の歓喜を得ることのできる稀世の人となりえよう。

タンノイの固定観念に縛られている輩、行動を興さない輩には未来のイヴとの出合いはない。

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レコードとオーディオという二つの芸術が、相擁(そうよう)し、至高の交歓(こうかん)を遂げた幸福なる時代は、

もはや終焉(しゅうえん)してしまったのであろうか----------。

かつては上質なる機器からは、レコード内に於けるノイズを看取(かんしゅ)することなく、不思議にも良質なる音楽のみが、昇華され、

芸術的香気を、満喫させてくれる時代もあった。

すでに、名器をお持ちの趣味人は、日々このような場景に、満悦されておられることであろうが・・・・・・・。

弱音器をかけたような、忍び音(しのびね)の音楽は、最も素朴な人々と、最も洗練されたる人々を、同時に魅了させずにはおかない。

現代美術が、見るという行為によって始まるように・・・・・・、聞く側が、名器を産むのであろう。

レコードが円熟し切った時期と、オーディオが熟し切った時期が、対峙しあうかのように・・・・・同時代に誕生し、完結してしまったのであろう。

名器、名盤にはディオニューソスなる神が、宿っているとしかいいようのない現象が、名器から現前として発する。

真の音楽ファン、レコードファンであれば、レコードに針を下した瞬間、躍動と静止が、等価を保ちつつ、執拗に自己に投影を仕掛け、眩惑

しつづけるスピーカーに出会いたくはないか、それを可能にしてくれるスピーカーが、タンノイの黄金の三兄弟オートグラフ、G.R.F.、

コーナーヨーク(いずれもレッドorシルバーのユニットが内包されていなければ、意味をなさないが・・・・・・)と言えよう。

入口のカートリッチから厳選しなければ、この手の夢は実現しないだろうが・・・・・・。

追伸、巷では、ヴィンテージオーディオは、腐りかけの音が魅力があると言うが、創られた当時の状態に出来るだけ近づけた名器を聞くことのない輩の戯言(たわごと)にすぎぬ。ここに現状のヴィンテージオーディオの世の限界が潜(ひそ)んでいるのかもしれぬ。

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翼をもち、風を呼ぶ感性たれ-------------------。

生まれながらにして神秘の香(こう)に滲透(しんとう)された或る種の魂を内包したる人間は救われるが・・・・・・。

水晶体は我々の網膜の上に投射する映像や、空気が我々の鼓膜に伝達する震動のみを、唯一の現実として信じる人々は、眼あれど見えず、耳あれど聴こえぬ不幸なる輩に過ぎぬ。

五官が我々に啓示する外界の世界は現実ではなく、いわんや絶対でもないことを感動している人間のみが、一級の芸術作品との出合いに、融合できるのであろう。

神秘を信じる魂を有したる人間は、水晶体が屈折し得ぬものを見、空気が伝達し得ぬものを聴くことのできる賢者である。

その分、苦悩と葛藤と練磨を要求されつづけられるであろうが・・・・・・。

” 我が夢はその彼方にあり ” と呟(つぶや)く貴兄の多からんことを・・・・・・。
https://www.gastokobe.com/speaker


▲△▽▼

​Amplifier こだわりの美学
https://www.gastokobe.com/amplifier

マランツについて・・・・・、
例え、名真空管をもって挑んだとしても---------

EL - 34を果敢に探求しつづけてきた”ソール・B・マランツ”の姿勢には、かなわない。

単純ほど美しい。

簡素ほど心をうつ。

こだわりほど恐ろしい。

オーディオの最高の目標は”格式”と”格調”と”気品”である。

既存の意味と価値を研き出し、蒐集し、積み重ね、修飾し、装飾する。

そして、陶酔させてくれる。

正に、マランツ#7,8,9,10,10Bのための凱切(がいせつ)な措辞(そじ)である。

しなやかな張りつめた意識、神経のもと・・・・・レコード芸術という

絢爛(けんらん)たる非現実の織物を眼前にて紡がれる、あでやかに音は縫いとられてゆく、

宏荘(こうそう)にして斉荘(せいそう)---------

象徴にして棲蒼(せいそう)--------

生きようとする影が優雅な死の影のように眼下に落ちる。

禁断の果実に近づき深淵し、感嘆し、酩酊する。

工(たく)まれたるレトリックの凝縮、

幻惑的な装飾の技兩

マランツ#7,8,9,10,10Bならありうる。

集うことを許さぬタンノイ ”レッド” ”シルバー”と

正に、両雄である。


  機械は、バラのように、美しくなければならぬ。

  詩人が、言葉を支配するごとく・・・・・、名盤たちは、名器を支配する。

  高潔なる精神の持主であればあるほど、感じ(解す)るであろうマランツ群の魅惑(悦楽)。

  清雅(せいが)にして、鋭敏なる音色(音感)、稀有(けう)なる音人(貴人)ならではの音業(偉業)。

  幽韻(ゆういん)にして、幽思(ゆうし)---------。

  嫋嫋(じょうじょう)として、鬼(き)の長い旋律は、

  柔らかい青い影、淡紅(たんこう)と、灰色の諧調へと誘う。

  世に、これほどまでに渾然(こんぜん)として、微妙なる快楽があろうか。

  華やぐ外観の影に、見え隠れする、憂愁(ゆうしゅう)と、悲哀と、倦怠の色(音)は、

  棲涼(せいりょう)たる鬼気となって、音間に漂い、或る説明し得ぬ神秘なる世界に遭遇し、

  決定的なる色調(音調)を、帯(お)びるのであろう。

  これぞ正に、マランツ群ならではの措辞(そじ)といえよう。

 

******MARANTZ # 9 の新しい在庫商品(ペア2セット)2016. 10. 24現在******


*MARANTZ #9 ペア2セット(在庫3&4)入荷分、掲載しました。(2016.10.30現在)

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*MARANTZ #9 ペア2セット、近日中入荷予定。(2018.7.4現在)
(#1386, #1387 連番セット。他1セット。)


*MARANTZ #7 在庫あります。(2018.7.4現在)
(10800番台、10900番台、他。)

商品の値段等、お問い合わせは、「ガス燈」TEL 078-332-0130まで、
よろしくお願い致します。

(在庫状況は、掲載時と異なる場合がありますので、ご了承下さい。
尚、入荷予定商品の予約も可能です。)
https://www.gastokobe.com/amplifier

タンノイについては

タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/635.html#c61

[リバイバル3] ソニー プリアンプ TA-2000・TA-2000F 中川隆
11. 中川隆[-11249] koaQ7Jey 2020年9月21日 09:24:53 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[5]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
50年前のアンプを甦らせるには・・・ 2020年09月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8f04f53d5902a689796b50be50e8b753


現在、TA-3130FとTA-3140Fの2台の「Fシリーズ」のアンプを修理に出しています。50年前のアンプを現代に甦らせるには「メンテ」が欠かせません。SW類の故障、内部のコンデンサー類の劣化等々不具合は何処で出るか分かりません。リスクを持っている機器たちなので、「修理代」がかかる事を覚悟しないと使えません。

次に修理に出すのは、上段のTA-2000プリアンプです。こちらは「直出し電源ケーブル」の時はノイズもなく正常な動作をしていましたが、電源をインレット化してより強力な電源ケーブルを使い出したら、耐え切れなくなってノイズを出し始めました。使うにつれ幾分ノイズの質や大きさが変化して来ましたがなかなか収まりません。この状態では内部の半導体がやられている可能性が高いです。しっかりと不具合を直して使いたいと考えています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8f04f53d5902a689796b50be50e8b753
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1066.html#c11

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
78. 中川隆[-11248] koaQ7Jey 2020年9月21日 09:25:27 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[6]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
50年前のアンプを甦らせるには・・・ 2020年09月21日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8f04f53d5902a689796b50be50e8b753


現在、TA-3130FとTA-3140Fの2台の「Fシリーズ」のアンプを修理に出しています。50年前のアンプを現代に甦らせるには「メンテ」が欠かせません。SW類の故障、内部のコンデンサー類の劣化等々不具合は何処で出るか分かりません。リスクを持っている機器たちなので、「修理代」がかかる事を覚悟しないと使えません。

次に修理に出すのは、上段のTA-2000プリアンプです。こちらは「直出し電源ケーブル」の時はノイズもなく正常な動作をしていましたが、電源をインレット化してより強力な電源ケーブルを使い出したら、耐え切れなくなってノイズを出し始めました。使うにつれ幾分ノイズの質や大きさが変化して来ましたがなかなか収まりません。この状態では内部の半導体がやられている可能性が高いです。しっかりと不具合を直して使いたいと考えています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8f04f53d5902a689796b50be50e8b753
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c78

[近代史5] 縄文人の起源 中川隆
15. 中川隆[-11247] koaQ7Jey 2020年9月21日 09:46:16 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[8]
2019/06/17
現代人のゲノムから過去を知る
〜Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少〜
渡部 裕介(生物科学専攻 博士課程3年生)
中 伊津美(生物科学専攻 特任研究員)
Seik-Soon Khor(研究当時:大学院医学系研究科国際保健学専攻 特任研究員、
現在:国立国際医療研究センター)
澤井 裕美(研究当時:大学院医学系研究科国際保健学専攻 助教、
現在:日本赤十字社)
人見 祐基(研究当時:大学院医学系研究科国際保健学専攻 助教、
現在:星薬科大学 特任講師)
徳永 勝士(研究当時:大学院医学系研究科国際保健学専攻 教授、
現在:国立国際医療研究センター.NCBN 中央バイオバンク センター長)
大橋 順(生物科学専攻 准教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

発表のポイント

日本人男性345名のY染色体全長の塩基配列解析を行い、縄文人に由来するY染色体系統を同定した。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図解析によって、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、急激な人口減少が起きていたことを明らかにした。
現代人のゲノムデータから縄文時代の人口の変化を推定した。
本研究の成果は、日本人の形成過程を解明する上で重要な知見となることが期待される。

発表概要

今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析をすると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。

本研究の結果は、縄文時代の遺跡数や規模などの変化から類推されてきた縄文時代後期・晩期に起きた急激な人口減少を裏付けるものである。

現代日本人のゲノム多様性を調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。

発表内容

現代日本人の成立過程に関しては諸説あるが、日本列島にいた縄文人と大陸から渡ってきた弥生人が混血したとする「混血説」が広く受け入れられている。日本列島人を対象としたゲノムワイドSNP解析においても、この説を支持する結果が得られている(Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium. 2012, J Hum Genet)。しかし、縄文人の歴史についてはいまだ不明な点が多い。

縄文人は、狩猟採集を生業としながらも定住生活を行い、非常に高い人口密度を達成した世界的にも注目される集団である。発見された遺跡数やその規模等をもとに、縄文時代の人口は縄文時代後期・晩期にかけて急減し、弥生時代に入って急増したと推定されている(Koyama. 1979, Senri Ethnological Studies)。しかし、遺跡の発見はそのロケーション等に依存しており、遺跡が無いのか(人口が少なかったのか)、それとも発見できていないのかを判断することは難しい。

今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体(注1)の全塩基配列決定と変異解析を行った。常染色体と異なりY染色体は組換えを受けないため、塩基配列の違いをもとにY染色体の系統を区別することができる。そこで、日本人男性345名のY染色体の系統解析(注2)を行ったところ、日本人のY染色体は7つの系統に分かれることが示された(図1)。さらに、韓国人・中国人を含む他の東アジア人を併せて解析した結果、日本人で35%の頻度でみられる系統1は、他の東アジア人集団ではほとんど観察されないことが示された(図2)。

図1. 日本人345名のY染色体の分子系統樹。数値は各系統のブートストラップ値。
図2. 各Y染色体クレードの東アジア集団における地理的分布。
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

系統1に属する日本人Y染色体の変異を詳細に解析したところ、系統1はYAP (注3)という特徴的な変異をもつY染色体ハプログループD1b (注4)に対応していることが示された。YAP変異は、形態学的に縄文人と近縁と考えられているアイヌ人において80%以上という高い頻度で観察されることが知られている。渡来系弥生人の主な母体である韓国人集団や中国人集団には系統1に属するY染色体が観察されなかったことも踏まえると、系統1のY染色体は縄文人に由来すると結論できる。ちなみに、同一検体のミトコンドリアDNA (注5)の系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。

次に、系統1に含まれた122人の縄文人由来Y染色体を対象に遺伝子系図解析(注6)を行ったところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、人口が急減した後、急増したことが示された(図3)。なお、本研究はY染色体を対象としており、厳密には男性の集団サイズの変化を推定したことになるが、男性の数のみが変化したとは考えにくいため、女性の集団サイズも同様の変化を示したと思われる。


図3. 系統1に含まれる縄文人由来Y染色体を用いて推定した集団サイズの変化。 縄文時代晩期から弥生時代にかけて縄文人の人口が減少したことを示している。本研究では系統1のY染色体のみを用いて推定しているため(バイアスがあるため)、相対的な人口の変化を示している。
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給が可能になったためと考えられる。

本研究では、現代日本人のY染色体データをもとに縄文時代の人口の変化を推定した。現代日本人のゲノムデータを調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。本研究は、混血した集団の祖先集団における人口の変化を推定する良いケーススタディであり、本研究がとったアプローチは日本人のみならず他の集団の解析にも役立つことが期待される。


用語解説

注1 Y染色体
男性がもつ性染色体の一つであり、性別決定に重要なSRY遺伝子を含む。父性遺伝するため、集団遺伝学的研究ではY染色体の系統は父系を反映する遺伝マーカーとして利用される。↑

注2 系統解析
塩基配列またはアミノ酸配列を比較し、配列間の進化的関係(分岐のパタン)を調べる統計学的手法。↑

注3 YAP
Y-chromosome Alu Polymorphismの略。Y染色体の長腕部にある約300塩基からなるAlu配列の挿入変異。アフリカ人集団にも観察されることから、アジア人の祖先がアフリカを出る前に誕生した変異と考えられている。↑

注4 Y染色体ハプログループD1b
Y染色体上の多型サイトの組合せによって分類される系統をハプログループといい、YAP変異をもつハプログループDの下位系統の1つ。↑

注5 ミトコンドリアDNA
細胞小器官であるミトコンドリア内にあるDNA。母性遺伝するため、集団遺伝学的研究では、ミトコンドリアDNAの系統は母系を反映する遺伝マーカーとして利用される。↑

注6 遺伝子系図解析
全ての生物において、親の遺伝子が複製されたコピーが子どもに伝わる。したがって、時間を遡って遺伝子コピーの親を辿っていくと、最終的に一つの共通祖先遺伝子に到達する。この過程を表現したものを遺伝子系図といい、遺伝子系図からその集団の人口の変化を推測することができる。↑

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/195.html#c15

[近代史5] 日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取… 中川隆
2. 中川隆[-11246] koaQ7Jey 2020年9月21日 10:44:30 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[11]
2020/9/21
今更の「ジャパンライフ」...いつもの恫喝が始まった  
 
■ 何故、今、ジャパンライフなのか?■

「桜を見る会」がクローズアップされていた時、招待客の中にジャパライフの会長に届いた招待状が、ジャパンライフの顧客勧誘に使われていた問題が明らかになりました。

ジャパンライフはネズミコウ紛い(マルチ商法)の手法で顧客から資金を集める悪質な商売を40年も続けていました。国会で、ジャパンライフの資金が政治家に流れでいる事が追求された事もある「札付きの悪徳企業」です。山口会長は当時、「中曽根内閣の全閣僚と面識が有る。」などと顧客に吹聴していました。中曽根元首相にも1000万円の資金が渡っていたとも噂されました。

ジャパライフを桜を見る会に招待したのが誰なのか、葉書の整理番号から「首相枠」では無いのかと追求が始まり、招待者名簿の公開が野党より要求されましたが、統括していた内閣府は「破棄した」の一点張りで「隠蔽」を図ります。

この問題がもう少し追求されたら安倍政権のダメージは小さく無かったでしょう。ジャパンライフの山口会長は、安倍首相の父親で有る安倍晋太郎氏が財務大臣時代の1984年のNY外遊に何故か同行していました。この時秘書だった安倍元首相とも面識があったはずです。

しかし折りよく新型コロナウィルスが流行を始め、人々の関心は桜を見る会から離れて行きます。

所が、ジャパンライフの会長と幹部社員十四人が、いきなり逮捕されました。既に人々の記憶から薄れ始めた問題が、今何故、蒸し返されるのか?


■ アベ退陣の裏を妄想する ■

陰謀脳は、今回の様な「不審」な事件に反応します。そして妄想が掻き立てられます。

安倍首相が急遽辞任したのはジャパンライフ問題の追求が始まる事を知っていたからではないか?

普通の陰謀脳は「安倍氏の退陣で検察への圧力が効かなくなった」とか「派閥の均衡関係が崩れて、反安倍勢力が裏で暗躍している」などと妄想するでしょう。

しかし私は重度の陰謀脳なので、裏で糸を引くアメリカの姿を幻視してしまいます。アメリカが日本政府に何か無理難題を押し付ける時、政権のアキレス腱をマスコミに追求させると私は妄想しています。

安倍政権は反TPPなどを政策に掲げて政権を奪取しますが、政権発足当時オバマ大統領との関係は冷え切っていました。アメリカのマスコミも安倍首相を戦前復帰を夢見るアナクロな政治家と評していました

ところが、がモリカケ問題がマスコミを賑わすにつれて安倍政権はアメリカとも関係修復に努力する様になりますの一方でロシアとの国交正常化交渉を続けるなど、オバマ政権としては「信用ならざる政権」でもありました。

そんな冷えた日米関係はトランプ大統領の登場で激変します。安倍元首相はトランプが当選すると真っ先に訪米して世界の首脳で最も早い時期にトランプ支持を世界にアピールします。その後もゴルフ外交を続けるなど親密さをアピールします。その一方で防衛装備の購入拡大など、トランプのディールを丸呑みする関係が続きます。

私は安倍氏が真っ先に訪米したのはトランプが安倍元首相を恫喝したからだと妄想しています。大統領選挙で接戦を制した後も米国内の反トランプの気運は衰えておらず、トランプ大統領は支持者や国民に分かりやすい成果を示したかった。その為には日本を脅すのが手取り早い。「モリカケの真相をバラすぞ」と脅せば、安倍首相はアメリカにすっ飛んで来る。

■ 安倍退陣の本当の理由は米国債の買い支えでは? ■

表面上は「友人」、その実態は「ジャイアンとのび太」の日米関係ですが、トランプの要求はエスカレートし続けたと私は妄想しています。

そしてコロナ禍においてアメリカが最も問題視するであろう事は、米国債の需給バランス。FRBの超低金利政策で米国債投資のリスクは金利に見合わなくなっています。更に米中関係の悪化は米国債の需要を圧迫します。

中国が米国債の保有額を減らす一方で、日本は中国を抜いて保有額トップに返り咲いています。アメリカとしては、もっと日本に米国債を買わせたい。ゆうちょマネーやGPIFで足りなければ、日銀に直接米国債を購入させたいと要求したかも知れません。

リーマンショック時の円高局面で当時政権を取っていた民主党の前原氏が、日銀の米国債購入による為替介入に言及しましたが、これは日銀法に抵触するので直ぐに却下されました。

仮に、今回トランプが日本政府に強引に米国債購入を迫ったとしたならば、恫喝の材料にジャパンライフを持ち出してもおかしく有りません。資金の流れが明らかになれば安倍元首相のみならず複数の大物政治家の政治生命が断たれる可能性は否定出来ません。

そこで安倍首相は日本の歴代首相のお家芸を披露した。そう「辞任」です。

しかし、政権に影響力を持ち続けようという魂胆をアメリカは見逃しません。むしろ「見せしめ」も為に徹底的に追い詰める。小沢一郎氏も、東京地検と検察審議会を使って葬られた。

ジャパライフ問題には他にも多くの大物政治家が絡んでいるので、これは自民党に対する恫喝としても機能します。言う事を聞かなければリストを公開するぞ....。まあヤクザの手口ですが効果的です。

■ 円高で巨額の損失を生む米国債投資 ■

日米金利差が縮小する中で米国債投資は為替リスクの影響をモロに受ける。為替ヘッジすれば良いとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、ヘッジコストを考えた場合、どこまでのドル安を想定するかは頭が痛い所です。

日本の金融機関も出来れば米国債投資からは逃げたいでしょう。これは日本に限った話ではありません。

だからアメリカはリーマンショックの後にギリシャ危機を利用してユーロを攻撃した。ドルの独歩安を防ぎ、米国債を防衛したのです。

コロナ緩和によって信じられない程の資金が世界に溢れかえる今、その資金量を持ってしてもコロナ前の市場価格を維持する事が精一杯です。投資家達はリスク高いジャンク債などの資産をFRBに押し付け、さらに米国債からも手を引い始めている。そしてまんまと、紙切れを現金化している。

こんなモラルハザードがいつまで続くのか?

残念な事に日本政府にもツケは回されて来るでしょう。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2644.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/149.html#c2

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
29. 中川隆[-11245] koaQ7Jey 2020年9月21日 10:46:37 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[13]
アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c29
[番外地8] バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史 中川隆
1. 中川隆[-11244] koaQ7Jey 2020年9月21日 10:57:04 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[14]

デヴィッド・バーガミニは歴史家としての評価も高いし、直接当事者から聞いたり当時の文献を調べて本を書いているから間違いなんかないよ。問題は真実を語られると困る人間が多いという事さ:
バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めてそれを明らかに光を当てたんですよ。

この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を寄せたわけです。驚くべきことが書いてあります。


「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と言ってるんですよ。

これはビックリしませんか? 非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。

この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。これは欧米ではとてつもないエリートです。インサイダーの候補です。

そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたりして、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいになったって言ってるんです。

内輪に見積もっても200万〜500万ドル。今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃないでしょうか。200万〜500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料として使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?

「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす大きな蝿叩きを作るために手を貸した」って言うんですよ。ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達の中核の献身を受けていたって言うんです。

つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかったんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?

本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、どうのこうのって訳ですよ。アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。

そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって言うことになっちゃった。そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、そう言ってますよ。

これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない本だと考えるのは当然ですよ。ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、バーガーミニに襲いかかった。それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下にさらけ出してしまう。そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。

いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。

それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられてしまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だインチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人はそういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。だから、普通の人は理解不可能です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/318.html#c1

[番外地8] バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史 中川隆
3. 中川隆[-11243] koaQ7Jey 2020年9月21日 11:36:16 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[16]
白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。

牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン−後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など−との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)

この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/318.html#c3

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
4. 中川隆[-11242] koaQ7Jey 2020年9月21日 11:43:35 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[17]
だから、
日本人が半島の先住民
kanjin はツングース系で満州の先住民
アイヌが日本列島の先住民

で、kanjin が南下して、半島から追い出された日本人が九州に移民したんだよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c4

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
5. 中川隆[-11241] koaQ7Jey 2020年9月21日 11:59:53 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[18]
6000年前の日本人の遺跡が半島から見つかっているよ:
神澤 秀明 2019年6月
韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析
https://researchmap.jp/hk-k/misc/21287393
http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/nenpyou/yayoi_DNA.htm

縄文人と長江人の混血で、遺伝子は現代日本人と区別が付かないそうだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c5

[番外地8] hantou の人口への縄文人の影響はゼロ
当時は縄文人に近いDNAの民族が 大陸全土にいたんだよ
そもそも縄文人は日本全体でも10万人しかいなかったし、西日本は無人に近かったんだから、hantou の人口への縄文人の影響はゼロだな:

2019/06/17
現代人のゲノムから過去を知る
〜Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少〜

現代日本人の成立過程に関しては諸説あるが、日本列島にいた縄文人と大陸から渡ってきた弥生人が混血したとする「混血説」が広く受け入れられている。日本列島人を対象としたゲノムワイドSNP解析においても、この説を支持する結果が得られている

日本人男性345名のY染色体の系統解析を行ったところ、日本人のY染色体は7つの系統に分かれることが示された(図1)。さらに、韓国人・中国人を含む他の東アジア人を併せて解析した結果、日本人で35%の頻度でみられる系統1は、他の東アジア人集団ではほとんど観察されないことが示された。

系統1はY染色体ハプログループD1b に対応していることが示された。D1b は、形態学的に縄文人と近縁と考えられているアイヌ人において80%以上という高い頻度で観察されることが知られている。渡来系弥生人の主な母体である韓国人集団や中国人集団には系統1に属するY染色体が観察されなかったことも踏まえると、系統1のY染色体は縄文人に由来すると結論できる。

ちなみに、同一検体のミトコンドリアDNA の系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/393.html

[近代史02] 命を賭して悪の帝国と闘ったサダム・フセイン (小沢先生もこれ位カッコ良ければなあ) 中川隆
97. 中川隆[-11240] koaQ7Jey 2020年9月21日 12:59:53 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[22]
2020.09.21
西側の情報操作システムを揺るがせたアッサンジを厳罰に処そうとする米英

 ウィキリークスの中心的な存在だったジュリアン・アッサンジにアメリカは懲役175年を言い渡す可能性がある。そのアメリカへアッサンジを引き渡す法的な手続きがイギリスで進められている。その法廷で裁判長を務めているのがエマ・アーマスノット。この人物の素性が注目されている。本人が軍産複合体や情報機関と緊密な関係にあるだけでなく、夫のジェームズも戦争ビジネスにつながっているからだ。

 アッサンジをアメリカの当局が秘密裏に起訴したのは2011年初めにだと言われている。ウィキリークスは内部告発を公表する支援活動をしてきたが、これはジャーナリズムの役割と重なる。

 ウィキリークスが公表した情報の中でアメリカの支配者を最も怒らせたものはイラクへの先制攻撃や占領政策に関する情報だとも言われている。その中には​2010年4月に公開されたアメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターによる非武装の一団に対する銃撃​が含まれているはずだ。これは2007年7月にバグダッドで引き起こされた出来事だが、その銃撃でロイターの特派員2名を含む非武装の十数名が殺されている。

 日本ではさほど大きく取り上げられず、勘違いで銃撃したと「解説」するマスコミもあったが、実際に公表された映像を見たなら、そうした戯言は言えないはずだ。アメリカの本性と直視することができないのだろう。アングロ・サクソンの支配者がコントロールしている天皇制官僚システムという枠組みの中から踏み出したくないのだ。

 ジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)、マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキーはそうしたマスコミを「プロパガンダ工場」と呼んだ。

 全くその通りなのだが、チョムスキーはアメリカの支配システムの根幹を揺るがすような情報に切り込まない。例えばジョン・F・ケネディの暗殺や2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎への攻撃。ケネディ暗殺はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行であり、911はアル・カイダの犯行だという非科学的な話を受け入れている。こうした非科学的な話に納得せず、疑問を表明する人びとにつけられるタグが「謀略論者」だ。その一方、根拠や証拠を示すことなく、アメリカにとって都合の良い話を西側の有力メディアは流し続ける。

 西側の支配者が人びとに信じさせたい偽情報を拡散させる仕組みが有力メディア。1970年代の後半から西側では気骨あるジャーナリストを排除し、メディア支配の規制を撤廃して寡占化を進められてきた。情報を操作、言論を統制する仕組みの強化だ。そうした情報操作、言論統制の仕組みを揺るがせたのがウィキリークスである。言論の自由に関心を持っていながらアッサンジの問題に関心を持たないということはありえない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009200000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/298.html#c97

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
13. 中川隆[-11239] koaQ7Jey 2020年9月21日 14:55:18 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[29]
O1 は弥生時代以前の日本からは見つかっていない
旧石器時代人はすべて C だよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c13
[近代史3] 有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口 中川隆
18. 中川隆[-11238] koaQ7Jey 2020年9月21日 17:35:47 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[33]

 トランプの切り札2020年09月21日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1255.html


 2020年7月13日、アメリカのポンペオ国務長官は、南シナ海での中国の海洋進出に関して声明を出し「南シナ海の大半の地域にまたがる中国の海洋権益に関する主張は完全に違法だ」と主張した。

 ことの発端は、2014年、中国が、南沙諸島内、ジョンソン南礁を埋め立てて軍事基地かしている証拠をフィリピンが公開したことから始まる。
 2015年7月2日、アメリカの戦略国際問題研究所が、中国が浅瀬を埋め立てているファイアリー・クロス礁の衛星写真を公開し、駐機場や誘導路が整備され3000メートル級の滑走路が「ほぼ完成している」との分析を明らかにした。

  8月6日には、スビ礁(渚碧礁)を埋め立てた人工島に3000メートル級の滑走路が建設されている可能性を示した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B2%99%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E5%9F%9F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%B3%B6%E5%BB%BA%E8%A8%AD
 
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 9月15日には、衛星写真の分析から、中国が南沙諸島で造成した人工島で3本目となる戦略基地・滑走路をミスチーフ礁(美済礁)で建設している可能性が明らかにされた。

10月時点で中国が埋め立てているとされているのは、実効支配しているスビ礁のほか、ファイアリー・クロス礁、 クアテロン礁、ミスチーフ礁、ヒューズ礁、 ジョンソン南礁、ガベン礁、エルダド礁(安達礁)の7つの岩礁である。
 各国は中国が岩礁を埋め立てた人工島を軍事拠点化し、地球上でやり取りされる原油や液化天然ガス (LNG) の半分近くが通る南シナ海の支配を目的にしていると観測している。

 2016年1月30日、アメリカ海軍の横須賀基地所属イージス駆逐艦「カーティス・ウィルバー」が派遣され、西沙諸島のトリトン島から約22キロメートルを航行したことがアメリカ国防総省によって明らかになった。
 南シナ海での「航行の自由」作戦の一環で、前年10月のスビ礁から12海里内の海域での実施以来2度目であり、これに対して中国外交部は批判する談話を発表した。

 このときは、まだオバマ政権であり、副大統領だったバイデン(の息子)が中国の利権と深く結びついていて、中国に直接の打撃を与えるような強力な行動を行わず、「抗議した」というアリバイ証明のような「ちょっかい」に終わった。

 同年、7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、南シナ海を巡る中国の主張や活動についてフィリピンが行った申し立てに関して、中国の主張を全面的に否定する判断を示した。
 判断では中国が歴史的権利を主張する「九段線」で囲まれる海域について、権利を主張する法的根拠はないとされた。また人工島を造成しているすべての岩礁は「島」ではなく「岩」または、高潮時に海面に出ない「低潮高地」であるとし、人工島に200海里範囲の排他的経済水域 (EEZ) は生じないと判断した。

 https://www.sankei.com/column/news/160728/clm1607280005-n1.html

 そもそも、中国の南・西・東シナ海の強奪領有計画は、ケ小平=李鵬時代の1990年頃に計画されたもので、日本列島も、沖縄も、豪州・インドネシアまでも、いずれ中国が領有するという計画だった。
 1994年、当時の李鵬首相は、豪州首相に対して、「20年後に日本は存在しない……中国のものだ」という意味の発言を行った。
 https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/04.pdf

 以下は、1990年段階の、中国の領土拡張計画図
 
 蒋介石軍が1947年、「11段線計画」という領土拡張計画を作成したが、中共軍がこれを継承して、9段線に直して、将来の領土強奪計画図を作成した。
 いずれ、日本・台湾・ニューギニア・インドネシア・豪州、はてはインド・パキスタンまでも中国領とする始皇帝なみの壮大な領土拡張計画で、この計画を作成したのが李鵬である。
 習近平の「一帯一路計画」は、まさに、この構想を実現するステップとして実行されている。

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 また、9段線構想は、別に第一列島線とも呼ばれ、南・西・東シナ海を包括するものだが、さらに、これを拡張した第二列島線構想では、小笠原からマリアナ・グアムを経て、バヌアツに至る巨大な海域も中国領土に取り入れると宣言している。

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 これは、日本会議の笹川財団が提出しているもので、このおかげで、日本右翼は、地球上最大の「永遠の仮想敵国」を手に入れて、防衛力増強を口実に、独自の権益を確保している。
 https://www.spf.org/oceans/analysis_ja02/b141126.html


  習近平中国共産党政権が確立してから、この計画は、実現に向かって激しく暴走を始めた。
 冒頭に掲げた南シナ海、全環礁の軍事基地化は、その手始めであり、日本の尖閣諸島強奪行動も、台湾を攻撃するための軍事拠点を尖閣諸島に建設する目的といわれる。

 2017年、トランプ政権が本格的に稼働し始めてから様相が一変する。
 1月11日、国務長官に指名されたレックス・ティラーソンが、上院外交委員会の指名承認公聴会で、中国による南シナ海での人工島建設を違法行為と批判し、アメリカは中国に対して人工島建設中止を要求し、人工島へのアクセスは認めないとする姿勢を明確に示すべきだと語った。

 同年2月18日、アメリカ海軍は原子力空母カール・ヴィンソンを2015年以来の南シナ海入りをさせて演習を展開した。

 5月25日アメリカ海軍のミサイル駆逐艦「デューイ」が南沙諸島のミスチーフ礁の12海里内の海域を航行し、トランプ政権では初の「航行の自由」作戦が実施された。
 アメリカの作戦実施に関して、中国外交部の陸慷報道局長は25日の記者会見で、アメリカに抗議したことを明らかにするとともに「米軍の行為は中国の主権と安全を損ね、偶発的な事故を起こしかねない」と強調した。

 2019年2月11日、アメリカは「航行の自由」作戦を実施し、ミサイル駆逐艦「スプルーアンス」「プレブル」の2隻が、中国が実効支配するミスチーフ礁とフィリピンが実効支配しているセカンド・トーマス礁 (仁愛礁) から12海里内の海域を航行した。

 2020年7月13日、ポンペオ国務長官は、南シナ海での中国の海洋進出に関して声明を出し「南シナ海の大半の地域にまたがる中国の海洋権益に関する主張は完全に違法だ」と批判した。
 翌日の7月14日には、アメリカの批判に対して中国外交部報道局副局長の趙立堅による記者会見で、「中国の南シナ海での領土主権と海洋権益は十分な歴史と法理に基づいており、国際法にも合致している」と中国は猛反発した。

 2020年オーストラリアは7月23日、密接な経済関係を築いてきた中国に対し、南シナ海における領有権や海洋権益主張について、「法的根拠がない」として中国の主張を正式に退けた。
 これに怒った中国は、豪州からの農産物輸入に大きな関税をかけるなどの嫌がらせを始めたが、9月現在、食料危機が鮮明になるにつれて、態度は右往左往している。
 https://www.bbc.com/japanese/53535697

 7月20日、アメリカは、再び戦略空母ニミッツとレーガンを南シナ海に派遣し、常駐監視体制に当たらせている。
 https://otakei.otakuma.net/archives/2020072007.html

 これから、本ブログの主題だが、11月に選挙が実施されるアメリカ大統領選において、ずっとトランプは劣勢を強いられている。
 以下は9月10日のNHK報道。
 https://www3.nhk.or.jp/news/special/presidential-election_2020/

 ところが、トランプは、この劣勢を瞬時に覆す魔法のランプを隠し持っている。
 民主党支持のマイケル・ムーア映画監督も、本当はトランプが優勢であると認めている。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200904-00196563/

 「魔法のランプ」とは何か?
 それは、選挙代理人投票日の10日くらい前に、中国が南沙諸島に建設した三つの3000m級戦略空軍基地を破壊することだ。
 アメリカという国が、どれほど凄まじい陰謀の血塗られた歴史に彩られてきたかは、これまでブログで何度も書いてきた。

 アメリカは大規模な軍事攻撃をかける前に、真珠湾・トンキン湾で行われたような「見せかけの被害」を演出し、これに対する復讐心を燃え上がらせて、大規模な軍事攻撃を行うのだ。
 真珠湾で被害を受けた老朽戦艦アリゾナ・オクラハマには、米海軍の「不良乗員」ばかりが送り込まれていて撃沈の運命を共にしたが、新鋭空母だったエンタープライズは、なぜか攻撃直前に逃げ出し、後のレイテ沖海戦で、日本軍壊滅の主役となった。

 私は、中国南沙基地を大規模に攻撃する前に、必ずアメリカは陰謀を仕組んでくると予想している。中国軍は、艦船用ミサイルの発射訓練を繰り返していて、おそらく、老朽化して「不良乗組員」が集められた米海軍駆逐艦あたりがミサイルで撃沈されるのではないだろうか?

 これに対し、アメリカは沈黙し、中国は「それ見たことか!」の勝利宣言を行う。そして、その後、南沙諸島軍事基地は一斉攻撃を受けて壊滅するというストーリーだ。
 この戦果が大々的に報道され、トランプに対する熱狂的な支持の嵐が巻き起こる。
 それが大統領選の切り札になると、私は予想している。

 もう、トランプは中国に軍事攻撃をかける以外に勝ち目がない。共和党支持者=福音派の熱狂を背景に、雪崩を打ったような大統領選の高揚が起きるのだ。
 そのタイミングは、早ければ10月、遅くとも一斉投票の7日前あたりではないだろうか?

 もちろん、菅内閣も完全に示し合わせた行動をするはずで、10月に入って自衛隊の基地は、どこも緊張した空気に包まれるだろう。
 もしも外部から様子を観察できるなら、しておいた方がいい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1255.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html#c18

[近代史5] 中国の領土拡張計画 9段線構想
中国の領土拡張計画 9段線構想


 トランプの切り札2020年09月21日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1255.html

 2020年7月13日、アメリカのポンペオ国務長官は、南シナ海での中国の海洋進出に関して声明を出し「南シナ海の大半の地域にまたがる中国の海洋権益に関する主張は完全に違法だ」と主張した。

 ことの発端は、2014年、中国が、南沙諸島内、ジョンソン南礁を埋め立てて軍事基地かしている証拠をフィリピンが公開したことから始まる。
 2015年7月2日、アメリカの戦略国際問題研究所が、中国が浅瀬を埋め立てているファイアリー・クロス礁の衛星写真を公開し、駐機場や誘導路が整備され3000メートル級の滑走路が「ほぼ完成している」との分析を明らかにした。

  8月6日には、スビ礁(渚碧礁)を埋め立てた人工島に3000メートル級の滑走路が建設されている可能性を示した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B2%99%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E5%9F%9F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%B3%B6%E5%BB%BA%E8%A8%AD
 
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 9月15日には、衛星写真の分析から、中国が南沙諸島で造成した人工島で3本目となる戦略基地・滑走路をミスチーフ礁(美済礁)で建設している可能性が明らかにされた。

10月時点で中国が埋め立てているとされているのは、実効支配しているスビ礁のほか、ファイアリー・クロス礁、 クアテロン礁、ミスチーフ礁、ヒューズ礁、 ジョンソン南礁、ガベン礁、エルダド礁(安達礁)の7つの岩礁である。
 各国は中国が岩礁を埋め立てた人工島を軍事拠点化し、地球上でやり取りされる原油や液化天然ガス (LNG) の半分近くが通る南シナ海の支配を目的にしていると観測している。

 2016年1月30日、アメリカ海軍の横須賀基地所属イージス駆逐艦「カーティス・ウィルバー」が派遣され、西沙諸島のトリトン島から約22キロメートルを航行したことがアメリカ国防総省によって明らかになった。
 南シナ海での「航行の自由」作戦の一環で、前年10月のスビ礁から12海里内の海域での実施以来2度目であり、これに対して中国外交部は批判する談話を発表した。

 このときは、まだオバマ政権であり、副大統領だったバイデン(の息子)が中国の利権と深く結びついていて、中国に直接の打撃を与えるような強力な行動を行わず、「抗議した」というアリバイ証明のような「ちょっかい」に終わった。

 同年、7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、南シナ海を巡る中国の主張や活動についてフィリピンが行った申し立てに関して、中国の主張を全面的に否定する判断を示した。

 判断では中国が歴史的権利を主張する「九段線」で囲まれる海域について、権利を主張する法的根拠はないとされた。また人工島を造成しているすべての岩礁は「島」ではなく「岩」または、高潮時に海面に出ない「低潮高地」であるとし、人工島に200海里範囲の排他的経済水域 (EEZ) は生じないと判断した。

 https://www.sankei.com/column/news/160728/clm1607280005-n1.html

 そもそも、中国の南・西・東シナ海の強奪領有計画は、ケ小平=李鵬時代の1990年頃に計画されたもので、日本列島も、沖縄も、豪州・インドネシアまでも、いずれ中国が領有するという計画だった。

 1994年、当時の李鵬首相は、豪州首相に対して、「20年後に日本は存在しない……中国のものだ」という意味の発言を行った。
 https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/04.pdf

 以下は、1990年段階の、中国の領土拡張計画図
 
 蒋介石軍が1947年、「11段線計画」という領土拡張計画を作成したが、中共軍がこれを継承して、9段線に直して、将来の領土強奪計画図を作成した。

 いずれ、日本・台湾・ニューギニア・インドネシア・豪州、はてはインド・パキスタンまでも中国領とする始皇帝なみの壮大な領土拡張計画で、この計画を作成したのが李鵬である。

 習近平の「一帯一路計画」は、まさに、この構想を実現するステップとして実行されている。

nansa03.jpg

 また、9段線構想は、別に第一列島線とも呼ばれ、南・西・東シナ海を包括するものだが、さらに、これを拡張した第二列島線構想では、小笠原からマリアナ・グアムを経て、バヌアツに至る巨大な海域も中国領土に取り入れると宣言している。

nansa04.jpg

 
 これは、日本会議の笹川財団が提出しているもので、このおかげで、日本右翼は、地球上最大の「永遠の仮想敵国」を手に入れて、防衛力増強を口実に、独自の権益を確保している。
 https://www.spf.org/oceans/analysis_ja02/b141126.html


  習近平中国共産党政権が確立してから、この計画は、実現に向かって激しく暴走を始めた。

 冒頭に掲げた南シナ海、全環礁の軍事基地化は、その手始めであり、日本の尖閣諸島強奪行動も、台湾を攻撃するための軍事拠点を尖閣諸島に建設する目的といわれる。

 2017年、トランプ政権が本格的に稼働し始めてから様相が一変する。
 1月11日、国務長官に指名されたレックス・ティラーソンが、上院外交委員会の指名承認公聴会で、中国による南シナ海での人工島建設を違法行為と批判し、アメリカは中国に対して人工島建設中止を要求し、人工島へのアクセスは認めないとする姿勢を明確に示すべきだと語った。

 同年2月18日、アメリカ海軍は原子力空母カール・ヴィンソンを2015年以来の南シナ海入りをさせて演習を展開した。

 5月25日アメリカ海軍のミサイル駆逐艦「デューイ」が南沙諸島のミスチーフ礁の12海里内の海域を航行し、トランプ政権では初の「航行の自由」作戦が実施された。
 アメリカの作戦実施に関して、中国外交部の陸慷報道局長は25日の記者会見で、アメリカに抗議したことを明らかにするとともに「米軍の行為は中国の主権と安全を損ね、偶発的な事故を起こしかねない」と強調した。

 2019年2月11日、アメリカは「航行の自由」作戦を実施し、ミサイル駆逐艦「スプルーアンス」「プレブル」の2隻が、中国が実効支配するミスチーフ礁とフィリピンが実効支配しているセカンド・トーマス礁 (仁愛礁) から12海里内の海域を航行した。

 2020年7月13日、ポンペオ国務長官は、南シナ海での中国の海洋進出に関して声明を出し「南シナ海の大半の地域にまたがる中国の海洋権益に関する主張は完全に違法だ」と批判した。
 翌日の7月14日には、アメリカの批判に対して中国外交部報道局副局長の趙立堅による記者会見で、「中国の南シナ海での領土主権と海洋権益は十分な歴史と法理に基づいており、国際法にも合致している」と中国は猛反発した。

 2020年オーストラリアは7月23日、密接な経済関係を築いてきた中国に対し、南シナ海における領有権や海洋権益主張について、「法的根拠がない」として中国の主張を正式に退けた。
 これに怒った中国は、豪州からの農産物輸入に大きな関税をかけるなどの嫌がらせを始めたが、9月現在、食料危機が鮮明になるにつれて、態度は右往左往している。
 https://www.bbc.com/japanese/53535697

 7月20日、アメリカは、再び戦略空母ニミッツとレーガンを南シナ海に派遣し、常駐監視体制に当たらせている。
 https://otakei.otakuma.net/archives/2020072007.html

 これから、本ブログの主題だが、11月に選挙が実施されるアメリカ大統領選において、ずっとトランプは劣勢を強いられている。
 以下は9月10日のNHK報道。
 https://www3.nhk.or.jp/news/special/presidential-election_2020/

 ところが、トランプは、この劣勢を瞬時に覆す魔法のランプを隠し持っている。
 民主党支持のマイケル・ムーア映画監督も、本当はトランプが優勢であると認めている。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200904-00196563/

 「魔法のランプ」とは何か?
 それは、選挙代理人投票日の10日くらい前に、中国が南沙諸島に建設した三つの3000m級戦略空軍基地を破壊することだ。
 アメリカという国が、どれほど凄まじい陰謀の血塗られた歴史に彩られてきたかは、これまでブログで何度も書いてきた。

 アメリカは大規模な軍事攻撃をかける前に、真珠湾・トンキン湾で行われたような「見せかけの被害」を演出し、これに対する復讐心を燃え上がらせて、大規模な軍事攻撃を行うのだ。
 真珠湾で被害を受けた老朽戦艦アリゾナ・オクラハマには、米海軍の「不良乗員」ばかりが送り込まれていて撃沈の運命を共にしたが、新鋭空母だったエンタープライズは、なぜか攻撃直前に逃げ出し、後のレイテ沖海戦で、日本軍壊滅の主役となった。

 私は、中国南沙基地を大規模に攻撃する前に、必ずアメリカは陰謀を仕組んでくると予想している。中国軍は、艦船用ミサイルの発射訓練を繰り返していて、おそらく、老朽化して「不良乗組員」が集められた米海軍駆逐艦あたりがミサイルで撃沈されるのではないだろうか?

 これに対し、アメリカは沈黙し、中国は「それ見たことか!」の勝利宣言を行う。そして、その後、南沙諸島軍事基地は一斉攻撃を受けて壊滅するというストーリーだ。
 この戦果が大々的に報道され、トランプに対する熱狂的な支持の嵐が巻き起こる。
 それが大統領選の切り札になると、私は予想している。

 もう、トランプは中国に軍事攻撃をかける以外に勝ち目がない。共和党支持者=福音派の熱狂を背景に、雪崩を打ったような大統領選の高揚が起きるのだ。
 そのタイミングは、早ければ10月、遅くとも一斉投票の7日前あたりではないだろうか?

 もちろん、菅内閣も完全に示し合わせた行動をするはずで、10月に入って自衛隊の基地は、どこも緊張した空気に包まれるだろう。
 もしも外部から様子を観察できるなら、しておいた方がいい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1255.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/317.html

[近代史5] 中国の領土拡張計画 9段線構想 中川隆
1. 中川隆[-11237] koaQ7Jey 2020年9月21日 17:59:24 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[34]
有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口


中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/317.html#c1

[リバイバル3] 原音とは何か? 中川隆
15. 中川隆[-11236] koaQ7Jey 2020年9月21日 19:15:26 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[38]
GRFのある部屋 2020年 09月 08日
https://tannoy.exblog.jp/31356931/

音場の話 1

最近、ここで使われている「音場とはなんですか?」というご質問がありました。「音場」という言葉を、しっかりと定義しないと意味や真意が伝わらないと思いました。最近、スクリーンを導入してサラウンドの実験をしていると、従来使ってきたクラシック音楽、とくにオーケストラの音場の意味を説明しないと誤解されると思ったからです。

クラシック音楽は、生の音を聞く芸術です。弦楽器の数や管楽器の本数も、曲によって編成が決まっています。オーディオでの再生はステージ上で演奏されるその「響き」を如何に、忠実に再現するかを問われます。周波数の範囲も、ヴァイオリンの最高音からコントラバスの最低音まで、6オクターブ以上の音程を再現します。

編成も小さな室内楽団ですと、第一バイオリンが8人ぐらいで、弦楽器が五部編成で、8・8・6・4・2の28名程度です。フルオーケストラだと、それが16人の16・14・12・10・8 の 60名の倍以上の編成になります。

それに管楽器が2管編成で10名程度、4管編成だと30名以上で、打楽器もいれると100名の大編成になります。その100名が、幅20メートル、奥行き約13メートルのステージの上に乗るのです。結構満員ですが、奥行きも結構あるのです。それらの大きな面積のオーケストラが、タイミングを合わせて、アンサンブルを構成し、あの大迫力の演奏を展開しています。

それらが、コンサートホールと呼ばれる、大きな箱状のホールでなるのですから、壁に反射して残響を付加します。オーケストラ自身から放射される音と、それらが壁に反射して、反対側のホールの奥へ数十メートル拡散していき、長い残響音を伴うのです。その音が、コンサートホール状で並んで、位置が決まります。その時、オーケストラが出して、その音がホールに響いている音の形態を、私の場合の「音場」と呼ぶのです。

PAを使わないで、コンサートホールに響いた音を、そのイメージを縮小するけれど、忠実に再現するとき音場が再生できます。ですから同じ編成の同じオーケストラだとしても、ホールが違えば違う音がします。

コンサートホールには、大きく分けて二種類のホールがあります。シューボックス型といって、四角い箱状のホールで、端にステージがあります。今ひとつは、ワインヤード形式と呼ばれる、ステージを客席が囲んでいる形状です。オーケストラの後ろには壁は無く、後ろに客席があるからです。サントリーホールやミューザ川崎、札幌のキララ、新潟のリュートピアなどです。最近はこの形式のホールが多くなりました。

シューボックス型は、オーケストラの後ろは壁ですから、音が反響しても客席方向に放射されます。一方のワインヤード型は、おとが拡散していき、残響の出方が違います。シューボックス型の方が特定の残響がつきます。その響きが良い場合、ウィーンのムジークフェラインとか、アムステルダムのコンセルトヘボウとかが代表例です。

ベルリンフィルハーモニーとか、サントリーホールなどのウィンヤード型が今や主流になっているようです。この二つでは形成する「音場」が随分と異なります。そして、録音されたオーケストラには、今ひとつの「音場」形式があります。それは、協会や中規模の録音に使用する会場が狭い場合、客席の座席を外して、その場所にオーケストラが展開している場合です。ウィーンのソフィエンザールやロンドンのキングスウェイホールなどがそうです。その場合、ステージにオーケストラが乗っているわけではないので、客席に展開したオーケストラの上にマイクを吊し集音しています。その場合は、オーケストラの真上から収録していますから、その録音を聴くとオーケストラの中に入って聴いているような音場が出現します。私がよく聴いているクレンペラーのマーラーの七番などがそうです。

またソフィエンザールのDECCA録音のショルティ・ウィーンフィルのワーグナーもそうです。それは、コンセルヘボウのようなホール残響の向こうにオーケストラがあるのでは無く、真下に展開している録音ですね。

これらの三種類の録音形式により「音場」の形式も変わります。それらの違いが正しく再現するには、録音されたときと同じような環境で再現することです。演奏会場で、マイクで集音された音は、そのマイクから放射されるように再生すると、元の音場が出現するのです。

その時集音しているマイクが、単一指向性か無指向性かで出てくる音場は異なります。またSP前方に放射されているホーン型のSPか、私のように無指向性のSPを使うと録音された音場がそのまま再現されてきます。家のSPでは、タンノイの同軸型のホーンが45度の内向きで、通常SPの後方に展開する音場が、交差する前方に出現します。ホーン型は正面(平行法)では、音場の再生は難しいです。

また、QUADのESL57のような平面SPでは、音場は出てきません。同じQUADでもESL63になると、同心円状にディレイが掛かっていて、タンノイのような同軸音場を再現します。57では音場では無く、音色を楽しむSPです。これは会場の中で聴いているのでは無く、ドアを開いたとき聞こえてくる音です。平面SPの楽しみ方は、二つの平面に挟まれた空間から、あたかも平面が続いているように中央に平面SPが出現してモノラルのように充実してオーケストラの響きがすることです。「音場」は出現しませんが、大好きなサウンドですね。
https://tannoy.exblog.jp/31356931/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html#c15

[リバイバル3] 有名店お弁当
有名店お弁当




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1086.html

[近代史4] バイオマス発電の為に放火による森林火災が世界中で激増
バイオマス発電の為に放火による森林火災が世界中で激増


2020年09月21日
世界で森林火災が激増、原因はバイオマス発電

北米では子供が遊びで放火を繰り返し、警察は犯人が子供だと捜査すらしない


世界で森林火災が激増

2018年は世界で過去最大の森林火災が発生し、19年も過去最大で20年も過去最大となっています。

現在燃え盛っているのは米国カリフォルニア州の森林で、一週間で東京都の2倍の面積を焼いた。

ところがこんなのは世界ではささやかな方で、カリフォルニア程度の火災が毎年各地で発生している。


アフリカでは毎年日本列島2個分の面積が焼失し、アマゾンは毎年北海道の面積が燃えています。

2019年夏にはオーストラリア大火災が話題になり、半年間燃え続けてコアラ数万頭が犠牲になった。

原因については各国政府が、ユーカリの自然発火だとか適当に吹いているが、事実は100%放火だと考えられます。


もし落雷などで木に含まれる油分に自然発火するなら、人間の居住地域から遠い森林の中心部に火災が多い筈です。

ところが実際の出火場所は都市や住宅地に近い場所、キャンプ場やレジャー施設の近くが多い。

アメリカやオーストラリアでは実際に少年多数が補導されたが、こうした国で少年は罰を受けないので、何度でも放火を繰り返している。


アフリカやブラジルではもっと酷く、国家事業として放火を奨励し森を燃やしています。

原因は100%放火

どういう事かと言うとオバマ前米国大統領のエネルギー政策でバイオマスが奨励され、燃料が採れる農作物を栽培するようになった。

それには森林が邪魔で、たいていは保護林に指定されているので合法的に伐採はできない。

違法に伐採したりもするが手間がかかる上につかまるリスクが高く、火をつけるのが一番手っ取り早い。


火災で保護林がなくなると政府は保護するのをやめ、「しょうがないから農地にして良いよ」と方針転換します。

森林はめでたく(タダ同然で)放火犯の所有地になり、それを見た他の人も放火を繰り返します。

こうしてブラジルでは毎年北海道一個分、アフリカでは日本列島2個分の森林が火災でなくなっています。


オバマのバイオマス政策は日本でも森林破壊をもたらし、森林を伐採して燃料にして、はげ山を作って「環境を守っている」と言っています。

木材でバイオマス発電して利益を出すには、植林などしたら赤字なので山を丸ごと伐採してほったらかしにするのが「効率が良い」からです。

世界中でエコロジーを追求した結果、森林は放火で消え、山は乱伐ではげ山になっています。


アメリカやカナダの火災は100%放火なので、放火を取り締まって山を警備するしかない。

ところがあの国では森への放火は微罪でしかなく、少年の場合は警官が注意して終わることが多い。

なので今後も北米の森林火災は増え続け、南米や豪州やアフリカでも増え続けるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/83942150.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1038.html

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
16. 中川隆[-11234] koaQ7Jey 2020年9月22日 01:09:35 : BotjVXgQsk : UEFndHQ3RGdqdXM=[2]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語


というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族 jyouka

が、大まかな流れ

遺伝学は日進月歩だから去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c16

[番外地8] 二流小説家 三島由紀夫の格好付け人生 中川隆
3. 中川隆[-11233] koaQ7Jey 2020年9月22日 07:11:35 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[1]
二流小説家 三島由紀夫のカッコ付かなかった格好付け人生
三島由紀夫は19歳の時に徴兵され、軍の入隊検査を受けるが軍医から「肺浸潤」と診断され即日帰郷となった。彼が入るはずだった部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、戦闘でほぼ全滅した。これは軍医の誤診だったとも、仮病を使って兵役逃れをしたとも言われている。何れにせよここで三島は死ではなく、生き延びることを選んだわけだ。しかし後に彼は自衛隊に体験入隊したりした挙句の果て、自ら組織した民兵組織「楯の会」隊員4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げる。享年45歳だった。

戦争で死に損ない、そのことを恥じていた三島は〈美しい死〉〈英雄的な死〉に魅せられていた。彼は若い頃から(老化で体が醜くなる直前の)45歳で死ぬと周囲の人に公言しており、割腹自殺は長年に渡る綿密な計画に基づいていた。「豊饒の海」4部作を書き上げた日に自決しているのがその証である。また31歳(1956年)からボディービルディングに勤しんだのも〈完璧な肉体〉を希求していたことを示している。1960年には映画「からっ風野郎」に主演した。

映画監督の大島渚は「政治オンチ克服の軌跡=三島由紀夫」という文章で次のように述べている。

対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。

▲△▽▼

本多勝一は三島由紀夫については、彼が自爆する2年前の文章が載っていて、

「定向進化の道を歩み始めた生物はもはや手遅れのガン細胞となる」
と予言している。勝手に滅びればいいが、困るのはナチのように、「神々の黄昏」に多くの人を巻きこもうとすることである、とも書いている。


殺す側の発起人たち 本多勝一 1971年

名を口にするのも不快な一小説家が、江戸時代の職業用心棒としての武士階級の真似をしてハラキリ自殺をしたとき、新聞、週刊誌、月刊誌の多くはたいへんな紙数をこの事件のために費やした。(中略)あの小説家は芸能人的な要素があったようだから、一般的週刊誌がこれに飛びついて、何週間にもわたって洗いざらい書きまくることについては、私も大して違和感を覚えない。ところが、日常的にはそういうゴシップ雑誌として通用しているのではない雑誌(特に月刊誌)までが、いつまでたってもこの小説家のことに洪水のごとく紙面を提供しているのは、いささかうんざりさせられた。(中略)


そうした中で、一つだけ私の興味をつよく引いたのは、「三島由紀夫追悼集会」のための発起人名簿であった。そのまま写せば次の通りである。


発起人総代 林房雄

代表発起人 川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之、武田繁太郎、中山正敏 藤島泰輔、舩坂弘、北條誠、黛敏郎、保田與重郎、山岡荘八
発起人 会田雄次、阿部正路、伊藤桂一、宇野精一、大石義雄、大久保典夫、大島康正、桶谷繁雄、小野村資文、川上源太郎、岸興祥、倉橋由美子、小林秀雄、小山いと子、坂本二郎、佐古純一郎、清水崑、杉森久英、曽村保信、高鳥賢司、多田真鋤、立野信之、田中美知太郎、田辺貞之助、中河与一、中村菊男、萩原井泉水、林武、平林たい子、福田信之、水上勉

こうしてみると、さもありなんというひとがもちろん多いけれど、おや、と思わせられるような意外な人も見受ける。いろんな義理もあったのだろう。(中略)しかし、その「意外な人」も含めて、やっぱり私は問いたいのだ。日本が朝鮮や中国などを侵略したこと、これを否定することは、発起人の方々もできないであろう。そのとき、それらの国々で、何万とも知れぬ一般民衆を虐殺(中国での三光政策はその典型)したこと。これもまた否定できないであろう。そして、それらすべてが、最終的に「天皇」の名のもとに行われたこと、これもまた議論の余地はないであろう。背景は少しも「複雑」ではないし、侵略側の事情を「理解」して弁護することはない。

発起人の方々よ、右のような事実に対して、あなた方はどう思っているのだろうか。

あのハラキリ小説家が、日本列島に住む一億の人々の、どの層と関連、或いはどの層の意識の中に生きていたかは、もはや説明するまでもあるまい。逆から言うと、庶民、民衆、人民、大衆(何分様々な表現と歴史がある)とは無縁の、いい気な男の一人であって、別にこういう人も多数の中の一人として、他の人々と同じ意味で存在してもいいけれども、その存在は、あくまで「それ相応のもの」でなければならない。侵略する側、すなわち庶民、民衆、人民、大衆を殺す側によって利用され続けてきた天皇制を、またしても利用しようという男、そんなものを、あたかも大思想家や大芸術家であるかのごとく扱うことに、戦後日本の民主主義なるもののいかさま性を暴露する以上の意味はない。

彼の破滅も、このような意味、つまり「殺す側」と「殺される側」のどちらに立つ人間かをはっきりさせるための踏み絵となってくれた点においてだけは、無駄ではなかった。私にとっては意外に思われる人が、この踏み絵事件で「感動」や「衝撃」の反応を示し、それによって当人が「殺す側」に立つものであることを、庶民、民衆、人民、大衆及び虐殺された中国人、朝鮮人そのほかのアジア人たちに示してくれた。(アジア人の眼には、この発起人名簿は、「殺し屋名簿」に見えるだろう。)
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/322.html#c3

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
153. 中川隆[-11232] koaQ7Jey 2020年9月22日 07:23:03 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[3]
今日はアレキサンドライト邸に つづき : GRFのある部屋 2020年 09月 21日
https://tannoy.exblog.jp/31377124/


一聴して驚きました。美音♪ですね〜。 控えめで、でも美しい音がひたひたと浸透してきます。何よりの驚きは音がユニットからは聞こえてこない事です。上部に一直線で、8本づつの中、高音ユニットが並んでいますが、そこから音が全くしません。音が聞こえるのは下から二本目までのユニットです。ですからSPは、半分ぐらいの大きさのスピーカーに感じるのです。

ここにあるのは、グランドマスターという最上級の機種で、その下にグランドがつかないマスターと呼ばれる機種があるそうです。それは8本ずつのユニットが半分の4本ずつだそうですが、想像するそのスピーカーがなっているのかと思うような上にユニットがない様な音がします。しかし、そのユニットの有る無しの違いは、音の鳴る前の気配の再生能力なのでは無いでしょうか?

このぐらいの大きな背の高い装置になると、音が出る前から威圧感が感じられるのですが、調整があってくると、音は下からなっているように聞こえます。家の和室でもおなじように床の下から聞こえてきます。ホーン型のツイーターと違い、ドーム型の歪みの少ないユニットは、音がスピーカー自身からは聞こえてこず、音場の空間が出現するのです。8本もストレートに並んだ配列は、床と天井の反射を押さえ、ステレオで大事な左右の広がりと奥行きを良く再現します。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、第1音から他のSPでは出せない世界を出現しているのです。

音質の傾向としては、DGの録音方向では無く、EMIやPHILIPSの音を良く再生すると言えばわかっていただけるでしょうか?このような音になる装置は稀です。私の経験でも、よそのお宅できいたのは数えるほどしかありませんし、その中でも今日のこの音が一番驚きました。もっと言えば、クラシックの演奏会場で響く美しい音を再現している装置はほとんど無いと言うことです。嬉しくなりました。家で実験している演奏会場の音の再現は別な方向でもアプローチしても同じ結果になることを証明してくれたからでもあります。

富士山には、登山ルートは何本もありますが、たどり着く頂上は一つ、最後は同じ風景が見えてくるのです。雲海を突き抜けて、他の山々を遙か下に見下ろす霊山の趣があるのです。ザビーネマイヤーのクラリネットの暗いでも透明な音、クリュイタンスのラベルの時代を全く感じない音、何時も聴いているヤンソンスのマーラーの六番の大スケールとコンセルトヘボウの響き。家とHさん邸以外にはじめて聴きました。

イザベル・ファウストのスリーピングビューティがまだ目覚めきれないときのまだ堅い音までしっかりと再現します。また、内田光子のピアノには驚きました。DGでは無くPHILIPSの録音だとすぐわかります。彼女自身の所有するスタインウェイの芯が硬質だけど、響きが柔らかい音ははっきりとわかります。

去年、横浜のGermanの会にお呼びしてライブを聴いたグレース・マーヤのバックのギターの音と彼女の声。そして、定番のチックコリアの硬質な音は、スケールの大きなクラシックを同じ装置で聴いているとは思えない程です。録音、レーベルの違いをはっきりと描き分ける能力は、本当に高いと思いました。真のハイファイ装置ですね。

一般のチェロに対するイメージは硬質な透明感でもありますが、このECMの録音はそのイメージを裏切りません。しかし同じ装置が、透明感は高いが幾分硬質すぎる響きになりがちなEMIの90年代の録音や、時として時代を感じる帯域の狭い音になりがちなクリュイタンスの名盤をここまで再現する装置にお目に掛かったのははじめてです。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、他のSPでは出せない世界を見事に出現していました。


https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31377124&i=202009%2F20%2F99%2Ff0108399_11333158.jpg

分析的な聴き方を必要としないほど、楽しい音楽が鳴っているのは、歌謡曲を聴かせていただいてわかりました。歌謡曲特有の、平面を埋めるほどの音の充実感がそれを証明しています。お見事です。

一緒に来られたMさんも大満足のお顔をしています。そして、私好みの音だと看破されました。そうですね、今まで自宅で構築してきた風景が、違った登山路、違ったアプローチをしていても、3000メートルを超えた景色は同じように聞こえるという当たり前の事に感動している自分がいました。

後半は、何時もの部屋でJBLによる本格的なサラウンドを聴かせていただきました。そちらも素晴らしかったのですが、聴かせていただ行ったムジークフェラインザールでのジョン・ウイリアムスとウィーンフィルの演奏が、別テークの音と映像を合わせてあるのが、すぐわかるほどの音の解像度だと言えばお解りになるでしょうか?

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31377124&i=202009%2F22%2F99%2Ff0108399_04100948.jpg

終わってから、駅の南口にあるアレキサンドライトさん行きつけのフレンチレストランで、地元産の野菜をあしらった美味しいコーズ料理を食べながら、いろいろとグランドマスターの思い出と感動を話していました。こういうレストランでの食事は本当に久しぶりです。Mさんとの感想戦は、石神井公園駅で彼が特急に乗り換えるまで続きました。

帰りも、中村橋から阿佐ヶ谷駅のバスに乗りました。考えてみたら、二車線のバス道路では追い越される車もないのですから、タクシーとほぼ同じ時間でバスも飛ばしています。阿佐ヶ谷駅で渋谷駅のバスに乗り換え、最寄りのバス停で降りて、すっかり秋めいた心地よい空気の中を星を見ながら帰ってきたときもまだ、アレキサンドライトさん邸の素晴らしい音が鳴っていました。
https://tannoy.exblog.jp/31377124/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c153

[番外地8] 日本政府は賠償という言葉は公式文書では使っていない
>日本政府は韓国政府に個人賠償金渡してるから請求先は韓国政府ですよって言ってるだけです。

日本政府は賠償という言葉は公式文書では使っていないよ
そしてkankokuは被害者には一切金を払っていない


日本政府としては併合は合法的だったからって理由で賠償という言葉は使ってません。
そして韓国政府の使い込みは金鍾泌元首相も文書で認めています。


日本企業を kankoku に設立させて、日本の政治家がキックバックを貰うのが目的だったんだよ
最初から賠償の要素はゼロで、単なる経済援助だったんだ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/394.html

[リバイバル3] チェロ AUDIO SUITE + Performance 中川隆
30. 中川隆[-11231] koaQ7Jey 2020年9月22日 08:26:13 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[6]
今日はアレキサンドライト邸に つづき : GRFのある部屋 2020年 09月 21日
https://tannoy.exblog.jp/31377124/

一聴して驚きました。美音♪ですね〜。 控えめで、でも美しい音がひたひたと浸透してきます。何よりの驚きは音がユニットからは聞こえてこない事です。上部に一直線で、8本づつの中、高音ユニットが並んでいますが、そこから音が全くしません。音が聞こえるのは下から二本目までのユニットです。ですからSPは、半分ぐらいの大きさのスピーカーに感じるのです。

ここにあるのは、グランドマスターという最上級の機種で、その下にグランドがつかないマスターと呼ばれる機種があるそうです。それは8本ずつのユニットが半分の4本ずつだそうですが、想像するそのスピーカーがなっているのかと思うような上にユニットがない様な音がします。しかし、そのユニットの有る無しの違いは、音の鳴る前の気配の再生能力なのでは無いでしょうか?

このぐらいの大きな背の高い装置になると、音が出る前から威圧感が感じられるのですが、調整があってくると、音は下からなっているように聞こえます。家の和室でもおなじように床の下から聞こえてきます。ホーン型のツイーターと違い、ドーム型の歪みの少ないユニットは、音がスピーカー自身からは聞こえてこず、音場の空間が出現するのです。8本もストレートに並んだ配列は、床と天井の反射を押さえ、ステレオで大事な左右の広がりと奥行きを良く再現します。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、第1音から他のSPでは出せない世界を出現しているのです。

音質の傾向としては、DGの録音方向では無く、EMIやPHILIPSの音を良く再生すると言えばわかっていただけるでしょうか?このような音になる装置は稀です。私の経験でも、よそのお宅できいたのは数えるほどしかありませんし、その中でも今日のこの音が一番驚きました。もっと言えば、クラシックの演奏会場で響く美しい音を再現している装置はほとんど無いと言うことです。嬉しくなりました。家で実験している演奏会場の音の再現は別な方向でもアプローチしても同じ結果になることを証明してくれたからでもあります。

富士山には、登山ルートは何本もありますが、たどり着く頂上は一つ、最後は同じ風景が見えてくるのです。雲海を突き抜けて、他の山々を遙か下に見下ろす霊山の趣があるのです。ザビーネマイヤーのクラリネットの暗いでも透明な音、クリュイタンスのラベルの時代を全く感じない音、何時も聴いているヤンソンスのマーラーの六番の大スケールとコンセルトヘボウの響き。家とHさん邸以外にはじめて聴きました。

イザベル・ファウストのスリーピングビューティがまだ目覚めきれないときのまだ堅い音までしっかりと再現します。また、内田光子のピアノには驚きました。DGでは無くPHILIPSの録音だとすぐわかります。彼女自身の所有するスタインウェイの芯が硬質だけど、響きが柔らかい音ははっきりとわかります。

去年、横浜のGermanの会にお呼びしてライブを聴いたグレース・マーヤのバックのギターの音と彼女の声。そして、定番のチックコリアの硬質な音は、スケールの大きなクラシックを同じ装置で聴いているとは思えない程です。録音、レーベルの違いをはっきりと描き分ける能力は、本当に高いと思いました。真のハイファイ装置ですね。

一般のチェロに対するイメージは硬質な透明感でもありますが、このECMの録音はそのイメージを裏切りません。しかし同じ装置が、透明感は高いが幾分硬質すぎる響きになりがちなEMIの90年代の録音や、時として時代を感じる帯域の狭い音になりがちなクリュイタンスの名盤をここまで再現する装置にお目に掛かったのははじめてです。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、他のSPでは出せない世界を見事に出現していました。


https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31377124&i=202009%2F20%2F99%2Ff0108399_11333158.jpg

分析的な聴き方を必要としないほど、楽しい音楽が鳴っているのは、歌謡曲を聴かせていただいてわかりました。歌謡曲特有の、平面を埋めるほどの音の充実感がそれを証明しています。お見事です。

一緒に来られたMさんも大満足のお顔をしています。そして、私好みの音だと看破されました。そうですね、今まで自宅で構築してきた風景が、違った登山路、違ったアプローチをしていても、3000メートルを超えた景色は同じように聞こえるという当たり前の事に感動している自分がいました。

後半は、何時もの部屋でJBLによる本格的なサラウンドを聴かせていただきました。そちらも素晴らしかったのですが、聴かせていただ行ったムジークフェラインザールでのジョン・ウイリアムスとウィーンフィルの演奏が、別テークの音と映像を合わせてあるのが、すぐわかるほどの音の解像度だと言えばお解りになるでしょうか?

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31377124&i=202009%2F22%2F99%2Ff0108399_04100948.jpg

終わってから、駅の南口にあるアレキサンドライトさん行きつけのフレンチレストランで、地元産の野菜をあしらった美味しいコーズ料理を食べながら、いろいろとグランドマスターの思い出と感動を話していました。こういうレストランでの食事は本当に久しぶりです。Mさんとの感想戦は、石神井公園駅で彼が特急に乗り換えるまで続きました。

帰りも、中村橋から阿佐ヶ谷駅のバスに乗りました。考えてみたら、二車線のバス道路では追い越される車もないのですから、タクシーとほぼ同じ時間でバスも飛ばしています。阿佐ヶ谷駅で渋谷駅のバスに乗り換え、最寄りのバス停で降りて、すっかり秋めいた心地よい空気の中を星を見ながら帰ってきたときもまだ、アレキサンドライトさん邸の素晴らしい音が鳴っていました。
https://tannoy.exblog.jp/31377124/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1032.html#c30

[近代史5] 金(ゴールド)が異常に上がっている 暴落なしの通貨紙くず化 中川隆
2. 中川隆[-11230] koaQ7Jey 2020年9月22日 08:34:11 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[7]
世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
2020年9月22日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するファンドマネージャー、レイ・ダリオ氏が引き続き世界経済の歴史について書き続けている。

新型コロナウィルスの世界的流行とそれに伴う激しい景気後退に対抗するために日本や米国の政府はこぞって紙幣を印刷し国民に配っている。ダリオ氏はそれによって国の通貨が暴落する可能性を心配しているのである。

しかし以前からの読者には周知の通り、ドルは過去に何度も暴落しており、長期的に見れば今も暴落し続けている。今回はドル暴落相場の1つであるニクソンショックについてダリオ氏が経済的に解説している部分を取り上げたい。

戦後の世界経済とドル

1945年に日本の降伏によって第2時世界大戦が終わり、米国経済は一人勝ちの状態だった。戦勝国でもイギリスは実質的な破綻状態であり、敗戦国である日本とドイツの経済は壊滅的な状態にあった。本土への攻撃を免れたアメリカだけが経済的に繁栄していた。

しかしそれも1960年代には怪しくなってくる。ダリオ氏は次のように説明している。

1960年代にはアメリカは消費活動に大金を費やしたが、戦争のダメージから回復したドイツと日本は自動車産業などでアメリカの強力な競争相手となっていた。結果としてアメリカの貿易収支は悪化していった。

貿易収支の悪化とは国の収入がなくなるということである。しかし当時の米国政府は今の日本やアメリカと同じように、これを紙幣印刷で乗り切ろうとした。ダリオ氏はこう続けている。

米国政府はベトナム戦争や国内の社会保障などの支出を増やすため、中央銀行にゴールドと交換できる紙幣(訳注:金本位制)を印刷させた。人々がそれをゴールドと交換したため、中央銀行の金保有量は減り続けた。

以前からの読者は覚えているだろうが、これはかつて覇権国だった海洋帝国オランダの通貨についてダリオ氏が説明したことと全く同じである。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
愉快な話だが、人類はそれを50年前にも現代にも繰り返し行っているのである。人間は学ばない生き物なのである。

ニクソンショック

そして現代の人々は誰も気付いていないが、紙幣印刷の臨界点は必ずやってくる。アメリカはついにドルと金の兌換を守れなくなり、1971年のニクソンショックにおいてこれを破棄することになる。「ゴールドと交換できる」という理由で人々が保有していた紙幣がゴールドと交換できなくなったのである。

ダリオ氏は当時学生でウォール街でインターンをしており、ダリオ氏の当時の生々しい経験は以下の記事で紹介した通りである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
何が起こったかと言えば、金価格と株価が上がったのである。そしてドルは急落した。正確にはこれらは同じことだった。ドルの価値が下がったので、ドル建てで値段がついていたすべての価格が上昇したのである。

株式市場が上がっただけならばまだ良かったが、ドル建てで売買されていたのは株だけではなかった。日用品の価格も跳ね上がった。1970年代、アメリカのインフレ率は次のようになっている。


これが紙幣の刷り過ぎの結果である。ピークとなった1980年にはインフレ率が何と15%に達している。アメリカにおいて1970年代からインフレの収まる1980年代前半までは景気後退が4度も起こった苦痛の多い時代として記憶されている。

株価が上がったとしても日用品の価格が上がっては何の得にもならないということである。だからダリオ氏は繰り返し「現金はゴミ」だと主張し、紙幣を印刷する政府の対応を信じてはならないと言っている。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
国の経済が窮乏しているにもかかわらず株価が上がっている現在のコロナ相場の状況はニクソンショック直後の現象によく似ている。注意しなければならないのは、金価格は1970年には既に上がり始めていたが、それが日用品に波及し始めたのは上のチャートの通り1972年と2年のタイムラグがあったということである。以下の金価格チャートと比較してみよう。


そしてドル円も暴落した。


ドル円が360円だった時代を覚えている読者はどれだけ居るだろうか。ご存知の通り、その後ドル円は坂道を転がり落ちるように下がり続けている。

株価上昇は経済を救うか

問題は一時は上昇した株式市場だが、それも実際にインフレ率が危機的な上がり方を始めるまで投資家が状況の深刻さに気付いていなかったというだけのことであり、インフレが急激に悪化した1972年にようやく気付いてから半値以下に暴落したのである。


しかしそれは気づけなかったことだろうか。賢明な投資家は事前に気付いていたいものである。紙幣を生み出すことで景気後退を乗り切ろうとする取り組みについてダリオ氏は以下の記事でこう言っている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし誰もこの言葉を理解しない。

ダリオ氏は比較的礼儀正しい言葉で人々の無知蒙昧さ加減に警鐘を鳴らし続けている。

世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
人々は後になって「あれほどの経済危機は誰も予想していなかった」と言い始めるだろう。しかし事前に言っておこう。あなたがたが現実を見ようとしなかっただけである。現実は見ようと思えばすぐそこにある。ただ、誰もそれを見ないだけなのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/208.html#c2

[近代史4] 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する
紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する


世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
2020年9月22日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するファンドマネージャー、レイ・ダリオ氏が引き続き世界経済の歴史について書き続けている。

新型コロナウィルスの世界的流行とそれに伴う激しい景気後退に対抗するために日本や米国の政府はこぞって紙幣を印刷し国民に配っている。ダリオ氏はそれによって国の通貨が暴落する可能性を心配しているのである。

しかし以前からの読者には周知の通り、ドルは過去に何度も暴落しており、長期的に見れば今も暴落し続けている。今回はドル暴落相場の1つであるニクソンショックについてダリオ氏が経済的に解説している部分を取り上げたい。

戦後の世界経済とドル

1945年に日本の降伏によって第2時世界大戦が終わり、米国経済は一人勝ちの状態だった。戦勝国でもイギリスは実質的な破綻状態であり、敗戦国である日本とドイツの経済は壊滅的な状態にあった。本土への攻撃を免れたアメリカだけが経済的に繁栄していた。

しかしそれも1960年代には怪しくなってくる。ダリオ氏は次のように説明している。

1960年代にはアメリカは消費活動に大金を費やしたが、戦争のダメージから回復したドイツと日本は自動車産業などでアメリカの強力な競争相手となっていた。結果としてアメリカの貿易収支は悪化していった。

貿易収支の悪化とは国の収入がなくなるということである。しかし当時の米国政府は今の日本やアメリカと同じように、これを紙幣印刷で乗り切ろうとした。ダリオ氏はこう続けている。

米国政府はベトナム戦争や国内の社会保障などの支出を増やすため、中央銀行にゴールドと交換できる紙幣(訳注:金本位制)を印刷させた。人々がそれをゴールドと交換したため、中央銀行の金保有量は減り続けた。

以前からの読者は覚えているだろうが、これはかつて覇権国だった海洋帝国オランダの通貨についてダリオ氏が説明したことと全く同じである。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903


愉快な話だが、人類はそれを50年前にも現代にも繰り返し行っているのである。人間は学ばない生き物なのである。

ニクソンショック

そして現代の人々は誰も気付いていないが、紙幣印刷の臨界点は必ずやってくる。アメリカはついにドルと金の兌換を守れなくなり、1971年のニクソンショックにおいてこれを破棄することになる。「ゴールドと交換できる」という理由で人々が保有していた紙幣がゴールドと交換できなくなったのである。

ダリオ氏は当時学生でウォール街でインターンをしており、ダリオ氏の当時の生々しい経験は以下の記事で紹介した通りである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645


何が起こったかと言えば、金価格と株価が上がったのである。そしてドルは急落した。正確にはこれらは同じことだった。ドルの価値が下がったので、ドル建てで値段がついていたすべての価格が上昇したのである。

株式市場が上がっただけならばまだ良かったが、ドル建てで売買されていたのは株だけではなかった。日用品の価格も跳ね上がった。1970年代、アメリカのインフレ率は次のようになっている。


これが紙幣の刷り過ぎの結果である。ピークとなった1980年にはインフレ率が何と15%に達している。アメリカにおいて1970年代からインフレの収まる1980年代前半までは景気後退が4度も起こった苦痛の多い時代として記憶されている。

株価が上がったとしても日用品の価格が上がっては何の得にもならないということである。だからダリオ氏は繰り返し「現金はゴミ」だと主張し、紙幣を印刷する政府の対応を信じてはならないと言っている。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


国の経済が窮乏しているにもかかわらず株価が上がっている現在のコロナ相場の状況はニクソンショック直後の現象によく似ている。注意しなければならないのは、金価格は1970年には既に上がり始めていたが、それが日用品に波及し始めたのは上のチャートの通り1972年と2年のタイムラグがあったということである。以下の金価格チャートと比較してみよう。


そしてドル円も暴落した。


ドル円が360円だった時代を覚えている読者はどれだけ居るだろうか。ご存知の通り、その後ドル円は坂道を転がり落ちるように下がり続けている。

株価上昇は経済を救うか

問題は一時は上昇した株式市場だが、それも実際にインフレ率が危機的な上がり方を始めるまで投資家が状況の深刻さに気付いていなかったというだけのことであり、インフレが急激に悪化した1972年にようやく気付いてから半値以下に暴落したのである。


しかしそれは気づけなかったことだろうか。賢明な投資家は事前に気付いていたいものである。紙幣を生み出すことで景気後退を乗り切ろうとする取り組みについてダリオ氏は以下の記事でこう言っている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10831


われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし誰もこの言葉を理解しない。

ダリオ氏は比較的礼儀正しい言葉で人々の無知蒙昧さ加減に警鐘を鳴らし続けている。

世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10592

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

人々は後になって「あれほどの経済危機は誰も予想していなかった」と言い始めるだろう。しかし事前に言っておこう。あなたがたが現実を見ようとしなかっただけである。現実は見ようと思えばすぐそこにある。ただ、誰もそれを見ないだけなのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1039.html

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
85. 中川隆[-11229] koaQ7Jey 2020年9月22日 08:41:28 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[8]
紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する


世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
2020年9月22日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するファンドマネージャー、レイ・ダリオ氏が引き続き世界経済の歴史について書き続けている。

新型コロナウィルスの世界的流行とそれに伴う激しい景気後退に対抗するために日本や米国の政府はこぞって紙幣を印刷し国民に配っている。ダリオ氏はそれによって国の通貨が暴落する可能性を心配しているのである。

しかし以前からの読者には周知の通り、ドルは過去に何度も暴落しており、長期的に見れば今も暴落し続けている。今回はドル暴落相場の1つであるニクソンショックについてダリオ氏が経済的に解説している部分を取り上げたい。

戦後の世界経済とドル

1945年に日本の降伏によって第2時世界大戦が終わり、米国経済は一人勝ちの状態だった。戦勝国でもイギリスは実質的な破綻状態であり、敗戦国である日本とドイツの経済は壊滅的な状態にあった。本土への攻撃を免れたアメリカだけが経済的に繁栄していた。

しかしそれも1960年代には怪しくなってくる。ダリオ氏は次のように説明している。

1960年代にはアメリカは消費活動に大金を費やしたが、戦争のダメージから回復したドイツと日本は自動車産業などでアメリカの強力な競争相手となっていた。結果としてアメリカの貿易収支は悪化していった。

貿易収支の悪化とは国の収入がなくなるということである。しかし当時の米国政府は今の日本やアメリカと同じように、これを紙幣印刷で乗り切ろうとした。ダリオ氏はこう続けている。

米国政府はベトナム戦争や国内の社会保障などの支出を増やすため、中央銀行にゴールドと交換できる紙幣(訳注:金本位制)を印刷させた。人々がそれをゴールドと交換したため、中央銀行の金保有量は減り続けた。

以前からの読者は覚えているだろうが、これはかつて覇権国だった海洋帝国オランダの通貨についてダリオ氏が説明したことと全く同じである。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903


愉快な話だが、人類はそれを50年前にも現代にも繰り返し行っているのである。人間は学ばない生き物なのである。

ニクソンショック

そして現代の人々は誰も気付いていないが、紙幣印刷の臨界点は必ずやってくる。アメリカはついにドルと金の兌換を守れなくなり、1971年のニクソンショックにおいてこれを破棄することになる。「ゴールドと交換できる」という理由で人々が保有していた紙幣がゴールドと交換できなくなったのである。

ダリオ氏は当時学生でウォール街でインターンをしており、ダリオ氏の当時の生々しい経験は以下の記事で紹介した通りである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645


何が起こったかと言えば、金価格と株価が上がったのである。そしてドルは急落した。正確にはこれらは同じことだった。ドルの価値が下がったので、ドル建てで値段がついていたすべての価格が上昇したのである。

株式市場が上がっただけならばまだ良かったが、ドル建てで売買されていたのは株だけではなかった。日用品の価格も跳ね上がった。1970年代、アメリカのインフレ率は次のようになっている。


これが紙幣の刷り過ぎの結果である。ピークとなった1980年にはインフレ率が何と15%に達している。アメリカにおいて1970年代からインフレの収まる1980年代前半までは景気後退が4度も起こった苦痛の多い時代として記憶されている。

株価が上がったとしても日用品の価格が上がっては何の得にもならないということである。だからダリオ氏は繰り返し「現金はゴミ」だと主張し、紙幣を印刷する政府の対応を信じてはならないと言っている。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


国の経済が窮乏しているにもかかわらず株価が上がっている現在のコロナ相場の状況はニクソンショック直後の現象によく似ている。注意しなければならないのは、金価格は1970年には既に上がり始めていたが、それが日用品に波及し始めたのは上のチャートの通り1972年と2年のタイムラグがあったということである。以下の金価格チャートと比較してみよう。


そしてドル円も暴落した。


ドル円が360円だった時代を覚えている読者はどれだけ居るだろうか。ご存知の通り、その後ドル円は坂道を転がり落ちるように下がり続けている。

株価上昇は経済を救うか

問題は一時は上昇した株式市場だが、それも実際にインフレ率が危機的な上がり方を始めるまで投資家が状況の深刻さに気付いていなかったというだけのことであり、インフレが急激に悪化した1972年にようやく気付いてから半値以下に暴落したのである。


しかしそれは気づけなかったことだろうか。賢明な投資家は事前に気付いていたいものである。紙幣を生み出すことで景気後退を乗り切ろうとする取り組みについてダリオ氏は以下の記事でこう言っている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10831


われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし誰もこの言葉を理解しない。

ダリオ氏は比較的礼儀正しい言葉で人々の無知蒙昧さ加減に警鐘を鳴らし続けている。

世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10592

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

人々は後になって「あれほどの経済危機は誰も予想していなかった」と言い始めるだろう。しかし事前に言っておこう。あなたがたが現実を見ようとしなかっただけである。現実は見ようと思えばすぐそこにある。ただ、誰もそれを見ないだけなのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c85

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
1. 中川隆[-11228] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:27:52 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[10]
Wharfedale.co.uk(本社:英)HP
About – WHARFEDALE
https://www.wharfedale.co.uk/aboutus/

Wharfedale 製品一覧 ワーフデール
https://audio-heritage.jp/WHARFEDALE/index.html

Wharfedale 販売代理店 ROCKY international
http://www.rocky-international.co.jp/wharfedale_index.html

ワーフェデール(WHARFEDALE)とは、イギリスのブラッドフォードとその近郊に本社を置く高級オーディオメーカーであり、専らスピーカー専業メーカーとして知られる。名称は創業地の地名に因む。

1932年、ギルバート・A・ブリックスによって創業。当初はラジオ用のラウドスピーカーなどのオーディオ機器を製作していた。1950年には2ウェイスピーカーを製作、その性能の良さを披露するためロンドンのフェスティバルホールやニューヨークのカーネギーホールにて、生演奏と自社のスピーカーシステムを聴き比べさせるデモンストレーションを行い、大きく知名度を得ることになる。

なお、ギルバート・ブリックスは1948年に著したスピーカー設計理論書でも知られ、自身も名うてのピアニストであった。

ワーフェデールは、その後に企業拡大し、1967年には「Denton」シリーズ、1981年には今日に至る主力ブランド「Diamond」シリーズをリリースする。日本では1950年代から三洋電機が輸入販売を行っていたものの、知名度に大きく劣り販売で苦戦を強いられた過去があり、何度か輸入が途絶えたり代理店が変わったりしているが、2002年よりロッキーインターナショナルがオーディオ製品の販売を担っており、オーディオファンから一定の支持を得ている。特に2010年に販売されたDIAMOND10.1は世界でヒットし、日本でも大きく名が売れるきっかけとなった。

海外ではホームシアター用スピーカーやイヤースピーカーなども販売している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c1

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
2. 中川隆[-11227] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:38:56 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[11]
カリスマ音楽評論家 宇野功芳が 50年間使っていたワーフェデールのスピーカー


宇野功芳氏のこと(追補)
http://audiosharing.com/blog/?p=21833

2016年6月にに宇野功芳について、少し書いている。
宇野功芳氏のオーディオについて、もう少しわかったことがあるので書いておく。

コントロールアンプは「宇野功芳氏のこと」で書いているように、マランツのModel 7。
パワーアンプはQUADのIIである。

この組合せは、瀬川先生がModel 7を導入されたときと同じである。
宇野功芳氏は、青木周三氏のアドバイスにしたがって、
当時かなり高価にもかかわらず購入を決められている。
(若い世代の人に、青木周三氏といっても、誰ですか、といわれるんだろうな。)

スピーカーも青木周三氏のアドバイスによるものだそうだ。
スピーカーの中心となるのはグッドマンのAXIOM 80である。
ウーファーはワーフェデールのSuper 15、トゥイーターはSuper 3である。

自作のスピーカーということになる。
最初はすべてワーフェデールのユニットによる3ウェイ、
スコーカーはSuper 8で、ウーファーはSuper 12だったのを、
まずスコーカーをAXIOM 80に交換され、ウーファーを口径アップされている。

エンクロージュアはバスレフ型。
ネットワークについては不明。

アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIIに、SMEのトーんーアーム。
カートリッジは、これを書くにあたって参考にしている「音楽の空間(男の隠れ家増刊)」によれば、
シュアーのULTRA 500である。

CDプレーヤーの写真はなく、ただラックスマンと本文にあるだけだ。

「音楽の空間」にはこうある。
     *
青木さんはオーディオ評論家として一風変わっていて、分離の良すぎる音より、演奏会場のいちばんいい席で聴こえる音、実演に近い音をめざす人だった。それが宇野さんの志向にもぴったり合ったという。あるとき、別のオーディオ評論家が最新の器材をつないでくれたことがあるそうだが、さっぱりいい音が出ず、その評論家が「おかしいなあ」と首をかしげる結果に終わったそうだ。
     *
青木周三氏をオーディオ評論家とするのは少しばかり異を唱えたいが、
宇野功芳氏が志向されていた音の一端は伝わってこよう。

「音楽の空間」に載っているModel 7は、
中央の四つのレバースイッチのひとつ、右から二つ目がいちばん上に上げられている。
Model 7を使われている方、詳しい方ならば、
このスイッチが何なのかおわかりだから、これ以上は書かない。
http://audiosharing.com/blog/?p=21833
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c2

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
3. 中川隆[-11226] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:45:12 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[12]
カリスマ音楽評論家 宇野功芳が死ぬまで 50年間ずっと使い続けていた装置

スピーカー

Wharfedale スーパー3
Wharfedale スーパー15
Goodmans AXIOM80

エンクロージャー : テレビ音響製9立方フィートマルチホール型


プリアンプ : 米マランツ♯7
パワーアンプ : 英クォードU型モノーラル用2台


宇野功芳

上のアンプとスピーカーは いずれもモノーラル時代あるいはステレオ初期の名品である。 今のものに比べると、周波数レンジは狭いし分解能も悪いが、中音域の美しさ、豊かさ、気品は最高で、使用年数は実に五十年を超える。

他のプリアンプと聴き比べたが、マランツ♯7の音は冷たい位の気品が他のプリアンプとはまるで違う。 清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったが、それが正解だった

QUAD II の音質の暖かさと柔らかさは無類である

QUAD II を QUAD のトランジスター・アンプに変えると、最初は楽器の細部のニュアンスが良く聞き取れて愉しめたが、すぐにうるさくなってしまう。 QUAD IIの暗く沈んだ音は何時間聴いても飽きない、疲れない。


青木周三
Marantz とマッキントッシュの真空管式パワーアンプは音が硬くて音楽を聴くのには向かない。メインアンプは QUADII以外には考えられない

Axiom80 は JBL の 30cmウーハーと組み合わせて、大型のエンクロージャーに入れると真価を発揮する。


____


クラシック音楽の世界に於ける音響的な部分に対する異常とも言える執着は、音楽ホールやオーディオ製品に強く反映している。いづれの場合でも、音楽の核心を確実に聴き手に届けると言うよりも聴き手に"快く感じさせる"ということに重点が置かれる。

音楽評論家であり、指揮者でもある宇野功芳という人は若い人にカリスマ的人気があるらしい。

その人のオーディオの"主治医"の青木周三と言う人は

「分割の良すぎる音より、演奏会場の一番いい席で聴こえる音、実演に近い音」を目指す人だという。

分離が良くない、つまり各声部の音がお団子状に固まって聴こえると言うことはどの様な音楽にとってもプラスの条件ではない、

特に多声的な音楽に対しては致命的なマイナス条件なのだがその様な装置で聴けばゲシュアルトやモンテヴェルディのマドリガルはつまらない曲だと思えるのが当然だ。

しかし元々そんなものは価値のないものだと思っているとすれば自分の装置が真実を伝えて居ないことに気付かずに終わるであろう。


 そして、分離の良すぎない音、つまり、分離の悪い音が良い演奏会場の条件だと言うことになってしまう。

宇野功芳という人は

「名ホールとは演奏を美化する。これが第一条件だ、

舞台上の残響に身を包まれて演奏しているとホールが自分を助けてくれている、という喜びで体を満たしホールに任せる気になる…・・

強い和音が鳴った後に残る長い残響はいつまでもその中に浸っていたいと思う程で……」

と述べている。


私は宇野功芳がクソミソに言う日比谷公会堂や東京宝塚劇場(昔の)でシンフォニー オブ ジ エア、ウィーンフィル、ボストン響、イタリアオペラの数々を聴くことが出来た。

それらの体験は確実に音楽の世界に引き入れてくれたのである。今にして思えば、優れた演奏家は美化される必要がないと言うことだったのだと思う。

美化とは或る意味で歪曲なのだから(それは宇野功芳本人も認めている)なのだ。

昔からタイル張りの風呂場で唄を歌うと、上手になったような気がすると言われてきた。現在のカラオケサウンドもそういう錯覚に基づいているのだ。

残響の長いホールというものは演奏家が自己陶酔に浸る分にはいいのかも知れないが、肝腎の聴衆が音楽の核心を掴むことを妨げる、ということに気付くべきなのではないだろうか。

80年代以降、いわゆる"音響の良いホール"が全国各地に出来たのだが、正にそれに符節を合わせるようにクラシック音楽人気が凋落してきているのは偶然ではないだろう。
http://www.amadeo.jp/kyuukyoku.html


>宇野功芳のオーディオの"主治医"の青木周三と言う人は
「分割の良すぎる音より、演奏会場の一番いい席で聴こえる音、実演に近い音」を目指す人だという。

>分離が良くない、つまり各声部の音がお団子状に固まって聴こえると言うことはどの様な音楽にとってもプラスの条件ではない、


つまり、宇野功芳さんはフルトヴェングラーやブルーノ・ワルターが指揮する19世紀のドイツ音楽にしか合わない装置を特に選んで使っているという事なのですね:


クラシックの核心: バッハからグールドまで 片山 杜秀 (著)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」


______


山之内 正の週刊 AVラボラトリー
音楽評論家・宇野功芳氏の試聴室再訪 − 音が激変した理由とは?
2013年 07月 17日 (水曜日)
http://www.infranoise.net/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B/


先日、音楽評論家 宇野功芳氏の自宅試聴室を再訪した。

宇野氏と私の共著『音楽と音の匠が語る目指せ! 耳の達人 』(音楽之友社刊)の企画で互いの試聴室を訪ねたのは昨年の秋だったと思う。 ところが、

「最近、再生システムの音がガラリと変わったので、山之内さん、ぜひもう一度聴きに来て!」

とレコード芸術最新号の誌面でご指名があった。それを読んだ私がディスクを何枚か持参し、9ヶ月ぶりに訪問したのである。

宇野功芳氏の愛用システムは数十年変わっていないが、今回プレーヤーとプリアンプ間のラインケーブルを交換した宇野氏の再生システムはどの製品も使用歴数十年以上と、年季が入っている。

マランツ#7、Quard II、ワーフェデールという組み合わせはアナログレコード時代から不変で、CD登場後にスチューダーのD730とラックスマンのD7を追加。

ワーフェデール製ユニットを収めたスピーカーは途中でミッドレンジをグッドマンに変えるなど小さな変更はあるが、こちらは半世紀以上愛用しているという。

再生音については前掲の本に詳しいが、全帯域で分解能が高く、音の速さもよく揃っているので、演奏のニュアンスがよく伝わり、低音と高音のバランスも良好。

空間表現は最新のシステムほど得意ではないが、音数や基本的な情報量では遜色がなく、演奏評にはとても適していると思う。

前回の訪問時に唯一気になったのは、D730 では中高域がやや硬めの音色になることで、それが目立ちにくいラックスマンの D7 をメインにすることをお薦めした。

「音がガラリと変わった」という冒頭の感想は、機器を入れ替えたためではない。

D730 と #7 の間のラインケーブルをインフラノイズの LIBERAMENTE に変え、D730につないでいた同社のクロックジェネレーター GPS-777 との配線も LIBERAMENTE のクロックケーブルに入れ替えたら、音が大きく変わったのだという。

D730 にはインフラノイズのクロックジェネレーター GPS-777 がつながっている。

クロック用ケーブルもインフラノイズの LIBERAMENTE に新調


「以前はD730の音を長時間聴いていると疲れやすく、ある種のうるささがありましたが、ケーブルを変えたらそれが気にならなくなりました」

と宇野氏は説明する。また、システム導入以来ずっと #7 のトーンコントロール機能で低音を 1ステップ下げて聴いていたのが、ケーブルを交換した後はノーマルの位置でちょうど良いバランスになったという。これも実に興味深い話だ。

#7 のトーンコントロールが数十年ぶりにノーマル位置に戻った。

これまでは1ステップ絞った位置で聴いていたという実際にケーブル変更後のシステムで CDを再生してみた。

宇野氏が大阪フィルを振った《フィガロの結婚》序曲(EXTON OVCL-107)を聴くと、以前は硬さが気になっていたオーボエが他の楽器と自然に溶け合う音色に変わり、低弦の旋律と内声のリズムは以前よりも明快な音で耳に届き、細部まで動きがクリアだ。

トーンコントロールをノーマルの位置に戻したことで低音の量感は増しているはずなのだが、中低音はこもるどころか、前よりもすっきりとした響きを獲得している。これはたしかに大きな変化である。

佐藤久成のヴァイオリン独奏(『オード・エロティーク』 Years & Years Classics YYC 0004)は、以前聴いたときに感じた余分な圧力が一掃され、本来の自然なアタックが蘇っている。ブレースやフレージングが以前よりなめらかに感じられるのもその影響だろうか。


次に、最近私が試聴会などで使っている優秀録音盤のなかから何枚か試聴。

まずはレーゼルのピアノ独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲(モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番&第27番 KING RECORD KIGC12)を聴いた。ドレスデンのルカ教会で収録された注目の新録音で、上方に抜ける柔らかい残響と、力みのない音色で緊密な響きを作り出すピアノとオケの見事なアンサンブルが聴きどころだ。

演奏の特徴を忠実に引き出すだけでなく、録音会場の広々とした空間など、立体感の表現にも開放的な伸びやかさが感じられる。

同じシステムなのに以前とはかなり印象が変わった。


次に、グールドが演奏する《ゴールドベルク変奏曲》の石英ガラス CD(StereoSound SGCD02)を聴いた。

数え切れないほど聴いた演奏なのに、いま初めて聴くような鮮度の高い音が澄んだ音色で浸透し、グールドのハミングはもちろん、ブレスまでもリアルに再現、スピーカーの奥にグールドが座っているような臨場感がある。宇野氏も

「これまでは彼の声がない方がいいと思っていたけど、これで聴くと嫌じゃないね。演奏のニュアンスもとてもよくわかる」

と感心していた。


そのほか、ムラヴィンスキー&レニングラードフィルのチャイコフスキー《悲愴》など数枚のディスクを聴き、以前に比べて中高域のきつさが影をひそめる一方、明らかに音色がクリアになっていることを確認した。


「いまのバランスが凄く気に入っている」

という宇野氏の目下の心配事は、「これ以上音が良くなったら困る!」ということ。

なんとも贅沢な悩みだが、その気持ちはよく理解できる。

音の基準が変わったら演奏の評価基準にも影響が及ぶのは避けられないからだ。

しばらくは機材やケーブルを変えず、いまのバランスを維持した方が良いのでは?というのが私のお薦めだ。
http://www.infranoise.net/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B/


インフラノイズ (ブランド名 ORTHO SPECTRUM) HP
http://www.infranoise.net/about-us/
http://www.infranoise.net/products/


『「音楽」と「音」の匠が語る 目指せ!耳の達人』 宇野功芳・山之内正 共著 (2013.6.21)

音楽評論家=宇野功芳さんとオーディオ評論家=山之内正さんの2人が、クラシック音楽をより深く楽しむ、というテーマの対談だ。

宇野さんは音楽評論家として半世紀を超えて活躍してきた。

フルトヴェングラーとかクナッパーツブッシュへの偏愛はご存じの通り。

山之内さんは、雑誌『Stereo』などで活躍している。

お互いのリスニング・ルームを訪問するのも楽屋話的な面白さ。

宇野さんの装置について、山之内さんが「年季の入ったものだが、古びた音ではない」と言うのも、なかなか人柄を感じさせますね。


宇野によれば、演奏の良し悪しは最初の30秒を聞けばわかるという。

鑑定人が陶器をぱっと見たときに価値がわかるという感覚だ。

録音が良いというのと、音楽の本質が伝わるかどうかは、別の話。

音のバランスが良ければ、音楽も演奏も十分伝わる。

演奏家の個性もわかるし、もちろん曲の良さもわかる。

昔の旧式なラジオで聴いても十分満足できて感動できたのだから。


山之内は、録音や再生に共通する目的は、ただの音ではなくて演奏であり、その向こうにある作品を聴くことだと言う。

実際には、録音や再生でゆがめられてしまったり、指揮者や演奏家が前面に出てきて、作品にたどり着けない要素がある。

それらを超えて、本来の作品の姿が聞こえてくるのが理想だと。


オーケストラの響きは耳だけで聴いているわけではない。床や椅子からの振動を骨伝導によって身体全体で音を聴いている。耳では聴こえないような低い音(暗騒音)から空間の大きさや遠近感を無意識に感じ取っているのだ。

音から伝わる情報の量と質は再生装置や環境によって大きく変わる。

音域ごとに音の大きさが揃わないという問題がある。

もうひとつは音色や応答性の問題だ。

音色を忠実に再現できない装置でオーケストラを聴くと、フルートやオーボエなど特定の楽器の音色がきつくなったり、逆に沈みがちになってしまう。

応答性(音の立ち上がりと減衰)に問題があると、消えるはずの音が余分に残ってしまう。


再生装置を評価するとき、山之内はまずバランスを聴くそうだ。

オーケストラでいえば、弦楽器と管・打楽器、弦の中では低弦と高弦のバランスを重視する。

ハーモニーが聞こえて来ないと音楽はわからない。

ひとつひとつの音がすべてクリアに出てくるというのは、コンサートで体験する現実の響きとは違うと。


さらに、空間表現がどれだけリアルかということ。

音像の大きさや距離感などが、コンサートホールで聴いているような感覚になるかどうか。

スピーカーが置いてあっても、もっと奥から音が出て、その存在が感じられないこと。

音の立ち上がりが大事。

周波数的に盛り上がっていても、音の立ち上がりが鈍いと、よく聞こえない。

楽器の音色というのは、音の立ち上がりの部分で判別される。


録音技術は飛躍的に進化したが、特に空間再現という点では、実演と録音の間のギャップはまだまだ大きい。

実際の演奏会場では聴き手の周囲すべての方向から残響が耳に届き、楽器の響きや空間の大きさを感じさせる。

聞き取れるかどうかの限界に近い弱音とかオケのフォルティシモの大音圧、どちらも家庭では再現が難しいものだ。
http://www21.ocn.ne.jp/~smart/Mimi-130621.htm


再生音はどこを目指すか


私は生の演奏が好きである。様々な音楽をオーディオだけでなく、生でも聴く。ロックや民謡、浪曲から、クラシック、ジャズまで。音楽芸術が好きなのである。

生の音を聞き、自分のオーディオの音とを比べる。

違和感があれば、どこが違うのか追求する。

録音する際、エンジニアによって音は変わっているということは百も承知である。しかし、広く色々な音楽を聞くうちに、何となく基準となるものが出来上がっている。


私が感じる実際の音楽の特徴は次のようなものだ。


1.音量が大きくても、あまりうるさいという感じはしない。

2.音の出方は前では無く、左右後方、上方に広がる。ホールであれば、エコー成分が良く聞こえる。

3.楽器の音は、オーディオでいわれるほど分離感はなく、全体から聞こえる。

4.聞き疲れしない。

5.ホールなどでは、小さな音でも良く聞き取れる

6.意外と刺激的な音はしない。


どうだろう。

もう一つ、マイクを通した音は聞きづらいことがあっても、オペラやクラシックなどマイクを通さない音は意外と聞き取れることを感じたことはないだろうか。

未経験の方は是非クラシックの演奏会へ行ってみてもらいたい。

小さな音でも良く聞き取れるのである。何が違うのか。

私はこれを“聴感上歪”に起因すると考えている。

物理学など、科学によって求められた低歪の現代のオーディオ機器。

本来歪など無いはずなのに、音量を上げるとうるさい、と感じる方は多くいらっしゃるだろう。

私はこれを聴感上歪と呼んでいる。

つまり、オーディオで音楽を聴く場合、音量を上げてもうるさくならない音。

簡単にいえばこれが、一番重要である。

聴感上の歪が無いのである。

高音から低音まで綺麗に再生されて、それでいてうるさくない音。

ある程度の音量でも会話ができ、音は前にではなく、左右後方上方に広がり、エコー成分(または気配など)が綺麗に再生されること。

スピーカーの存在が消えるなど、オーディオのクオリティが上がれば自然にこのようになっていく。


人間の耳はまだまだ未科学である。科学で、絶対と思って作った製品が必ずしも実際の音と同じように聞こえないのは、エンジニアならだれでも分かっているはずである。

1930年代の頃は原音重視であった。アメリカやドイツは国の威信かけて開発していた。

私は、オーディオ機器はこの時点でほぼ完成してしまったと思えるのである。

そして、現代の技術を加えれば、真空管式アンプやフィールド型スピーカーが最も原音に近い再生音が出るというのは私にとって揺るぎが無い事実なのである。
http://omsound.exblog.jp/15834589/


___________


要するに、オーディオ評論家の宇野功芳さんは仕事上、自宅のマンションの6畳のリスニングルームで毎日6時間、7時間 大音量で音楽を聴かなければならないので、以下の条件を満たす機器しか使えないという事でしょう:


クラシックしか聴かない
リスニングルームは6畳
疲れる音は ×
音楽の陰影が巧く表現できないと ×
低音が出て、スケールが大きな音で、音場感も良くないと ×
楽器の音色が正確に再現できないと ×
故障が多いものは ×


即ち、

音が硬いトランジスター・アンプ や マランツ・マッキントッシュの真空管式パワーアンプは ×

故障が多いマランツの真空管式パワーアンプは ×

低音が出ない小型スピーカーや QUAD の静電型スピーカーは ×

クラシック音楽の陰影が表現できないJBLやアルテックやマッキントッシュのスピーカーは ×


従って、QUAD II型アンプ と ワーフェデールかグッドマンの 3 way スピーカー以外は最初から対象外になってしまうのですね。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c3

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
4. 中川隆[-11225] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:53:36 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[13]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記H
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml

 2006年7月、キングインターナショナルから、ぼくの唯一の弟子である有山麻衣子の「幻のコンサート」(KDC6001)が発売されたが、この無名のソプラノ歌手のCDが売れに売れ、2007年3月には4000枚を超えたとの報が入った。4000枚。これはおどろくべき数字である。CDの帯には《女神が導いたかのような天使の歌声》というキャッチ・フレーズが書かれているが、今の世にヴィブラートのないピュアな声が受けたのかもしれないし、昔の文部省唱歌やなつかしい童謡の数々が心を癒したのかもしれない。もう一つ、インフラノイズによる超高音質録音も大きな力になったのであろう。

 あまりのフィーバーぶりに2007年には2枚目のCDが企画された。有山麻衣子はぼくが跡見学園女子大学合唱団の常任指揮者をつとめていた頃の学生で、4年間指導したが、類稀れな美声の持主なので、卒業後はぼくが歌謡曲シリーズをつづけているプロの女声アンサンブル、フィオレッティに賛助出演させることにした。そして2度目の「幻のコンサート」録音ではフィオレッティの若手メンバー2人を加え、トレフォリーネという女声三重唱団を結成、それをメインに有山のソロ8曲を入れて1枚のCDに仕上げようと考えたのである。インフラノイズの録音も有山の独唱も前回以上にすばらしく、トレフォリーネもなかなかの出来ばえだったので発売できると喜んでいたのだが、三重唱のCD化は時期尚早という強い意見がメンバーから出てボツになってしまった。トリオはともかく、そのことによって有山麻衣子の名唱「さくら」「嬉しい雛まつり」「かもめの水兵さん」「みかんの花咲く丘」「めんこい仔馬」「夜のルムバ」「森の水車」「想兄譜」が日の目を見ずに消え去ってしまったのは実に心残りの極みである。

 ところで前回の「幻のコンサート」がCD化されたとき、有山はまともな再生装置を持っていなかった。自分のCDが出るというのにそれでは仕方がない、というので、ぼくはオーディオに詳しい友人と秋葉原を歩きまわり、彼女のためのスピーカーとアンプを探し求めた。値段が手頃で音質の良い品というのはなかなか見つからなかったが、その友人がすすめてくれたデンマークのダリというメ−カーの超小型スピーカー「Menuet」と、マランツのプリ・メイン・アンプPM6100を求めることにした。

ぼくはもともとマランツのアンプの音がクラシック向きで好きだし、ダリは初めて耳にしたが、手のひらに乗るような小型スピーカーなのに、ヴォリュームを上げても音が割れず、中音が充実、低音も大きく張り出し、高音の透明感も十分に満足できる。すごい世の中になったものだ、と感心した。しかし友人がいうには、こういう小型で安価なスピーカーのグレードは驚異的に進歩したが、自分のようにもっと高級な品を求めようとすると、昔に比べてずいぶん音質が悪く、スピーカーが買えなくて困っているという。

eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。

 それはともかく、秋葉原で選んだアンプと2台のスピーカーは全部で15万円ぐらいだったと思う。有山の部屋で鳴らしたが、「第九」のコーラスのフォルティッシモがオーケストラを伴って部屋全体を満たしたときは本当にびっくりした。ピアノのソロもすばらしい。彼女もすごいですね、と大満足。もちろん「幻のコンサート」も上々。これで1、2ヶ月エイジングをすればスピーカーも柔軟性を増していっそう良くなるはずだ。ちなみに、プレーヤーはぼくが予備に持っていたラックスマンのD500X'sを貸すことにした。ぼくが必要になったときは、前記マランツのアンプと対になったCDM1を買えばよい。この組み合わせは安価なわりに音質が優秀で、大いにおすすめしたい。もっともラックスマンは高級品なので音はやや落ちるだろうが、なんといっても再生装置の音を決めるのはスピーカーである。

 ぼくは1990年前後にオーディオ誌『サウンド・トップス』にオーディオの試聴記を連載していた。曰く、「音楽家が聴く最新オーディオ製品」。毎月、同社の試聴室に足を運び、新製品の聴き比べをするのだが、ラックスマンのプレーヤーもその試聴時、いちばん気に入ったので購入したのだ(その後、このD500X'sはD7に改良され、今はそれを使っているが、現在ではもう手に入らない)。

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。彼は仕方がないからB&WかJBLの高級機にしようか、といっているが、ぼくは懸命になって、あわてるなと説得しているのである。

2007年11月記 [宇野功芳]
2018年5月30日
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml


▲△▽▼


宇野功芳については

宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1080.html

宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/529.html

作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c4

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
5. 中川隆[-11224] koaQ7Jey 2020年9月22日 10:11:23 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[14]
赤帯マグネットに駄作なし - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年11月21日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/4aa33f096b5cefcbf988374d23fe9287


オーディオの華といえば「姿かたち」といい、その機能からいって「スピーカーに尽きる」ことに誰も異論はあるまい。野球でいえばエースであり4番バッターである。

ここがしっかりしていないと組織的にガタガタになる(笑)。

たとえば「しょぼいアンプに豪華なスピーカー」 VS 「豪華なアンプにしょぼいスピーカー」のいったいどちらが絵になるのか、もう言わずもがなだろう。

これまで、SPユニットに対してああでもない、こうでもないと長いこと彷徨ってきたが、事(こと)ここに至ってようやく二つに収斂してきた。

一つは「昔のJBLサウンド」であり、もう一つは「古き良きブリティッシュサウンド」だ。両極端のようだが、実は音質に似通ったところがあると思うのは自分だけだろうか。

さて、ずっと愛でてきた口径30センチのユニットのうち「D123」(JBL)、「AXIOM150マークU」(グッドマン)、そして「フィリップス」の花の3姉妹のうち、ご承知のようにフィリップスを嫁に出したので何だかポッカリと心に隙間ができてしまった。

その空白を埋めるかのようにオークションで目に入ったのが「ワーフェデール」(イギリス)のユニット(口径30センチ)だった。

「ブリティッシュサウンド」ファンにとって「ワーフェデール」と聞いただけで胸がときめく。

先年亡くなられた音楽評論家の「宇野功芳」氏が3ウェイシステムのうちウーファーにワーフェデールを、中音域にAXIOM80を使っておられたことを思い出す。

そのブリティッシュサウンドの代表格ともいえるワーフェデールだが、出品タイトルには「水彩画のような気品あるイングランド・トーン 英Wharfedale12インチ〜希少なアルニコ赤バンのフルレンジタイプ〜」とあった。

    

解説文にはこうある。ちょっと長いが引用させてもらおう。

イギリス Wharfedale社の12インチ ( 30cm )、フルレンジ (ウーハ−)、Super12系のユニット。前期の赤帯のアルニコ・マグネットを背負った希少なユニットです。pair での出品になります。

さすがに、このクラスのユニットになると、重量のあるがっしりとしたフレームが採用され、作りに手抜きは見られません。フルレンジがベースになっているようですが、センターキャップの大きさからボイスコイル直径を想像するに、ウーハ−として使用した方が無難なようです。

ただ、もともとの作りがフルレンジであるだけに、このサイズとしては、高域も比較的よく伸びています。(アメリカ系によく見受けられるワイドレンジ・ウーハ−といった感じです。)したがいまして、クロスもかなり広範囲で選ぶことができますので、2way構成も可能だと思います。

また、ツイーターについても、Super 3やSuper 5が一般的でしょうが、その他、広い範囲から選ぶことができると思います。(フルレンジに近い作りですので、一般的なフルレンジ+ツイーターといった使い方もできます。)
当方では、同じWharfedale社のSuper 5 ツイーターと、クロス3,000Hz前後、ツイーターのローカットのみ、−6dB/Oct.で2way を組んで、後面開放の箱で聴いておりました。

音質的には、水彩画的といいいますか、ウェットでありながらさらっとした音質が魅力的だといえます。自らをあまり主張し過ぎない、当時の、気品あるイングランド・トーンといえるかもしれません。

後期のフェライト・マグネットのユニット(Super12系)と比較すると、切れ味では及びませんが、アルニコ特有の中域の充実とともに、音の柔らかさ、しなやかさでは優れているように感じました。(ツイーターをSuper 3にすると、こちらは強い音質のツイーターですので、また印象が変わるかもしれませんが。)

以上のとおりだが、これだけ熱の入った解説文を記載されるほどだから出品者は相当の愛好家だとお見受けした。

何といってもAXIOM80に代表されるように「赤帯マグネットに駄作なし」で、とてもいい音がしそうですねえ。

実は1年半ほど前にワーフェデールのツィーター(口径10センチ)を手に入れて今でも愛用中である。これも赤帯マグネットだが、図体に似合わぬ大きなマグネットが付いている。

周知のとおり、音の切れ味はマグネット(磁束の量)で決まる。

      

通常のツィーター(金属のダイヤフラム)にはとうてい望めない弦の響きが大いに気に入って、わが家ではダントツの存在感を示しているが、今回のユニット(口径30センチ)を購入して2ウェイにすると「ワーフェデールの純正の組み合わせ」が期待できる。

そう思うと「矢も楯もたまらず」即決欄をポチッ(笑)。
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「好事魔多し」 ⇒ 「禍福は糾える縄の如し」 - 「音楽&オーディオ」の小部屋
2017年11月23日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/58f727f33cbe37c8e00d6321bce6334a


前回からの続きです。

オーディオ仲間によると「ワーフェデールは古き良きブリティッシュサウンドの代表格ですね」とのことだが、その口径30センチのユニットをオークションで無事ゲットして順調に我が家に到着。

   

さっそく予備の専用のバッフルの穴あけに取り掛かった。簡単な塗装と合わせて2時間ほどかかって完成後の画面がこれ。

    

専用のエンクロージャー(自作:底板にARUを取り付け)には「鬼目ナット」を埋め込み、ネジ穴を合わせて3種類のユニットをバッフルごと入れ替えができるようにしている。

画像の左から「D123」(JBL)、「ワーフェデール」、そして「AXIOM150 マークU」(グッドマン)。

JBLとグッドマンの音は熟知しており、何ら不満はないがワーフェデールからどういう音が飛び出すのかハラハラ・ドキドキ・ワクワク〜。

インピーダンスが前二者は「16Ωと15Ω」だが、ワーフェデールは「8Ω」なのでネットワークの交換が必要になる。

ここで鳴らし方に4つの選択肢が出てくる。

1 フルレンジで鳴らす。オーディオは「音源が一つ」が理想なのでこれが王道である。

2 フルレンジで鳴らしたままローカットしたツィーターを追加して鳴らす。

3 クロスオーバー4000ヘルツ前後(12db/oct)のネットワークを使って2ウェイシステムを構築する

4 低音域だけネットワーク(4000ヘルツでハイカット)を使ってハイカットし、高音域は別途に良質のコンデンサーでローカット(6db/oct)する。この方式は、コンデンサーの容量次第で高音域の音量調整を自由にできるメリットがある

それぞれ一長一短だが、今回は4でいくことにした。1〜3はゆっくりと時間をかけて後日検証することにしよう。

そういうわけで、まずはネットワークの交換(インピーダンス:8Ω用)から始まった。

前回のブログで述べたようにツィーターは同じワーフェデールの口径10センチのユニットなので、今回はまさに「純正の組み合わせ」といえる。

      

ちなみにツィーターのローカット用のコンデンサーには「ブラック仕様」(ウェスタン製)を2個パラって計7μF(マイクロファラッド)前後とした。            

簡単な結線を済ませて、出てきた音を聴いたとたんに「これは素晴らしい!!」(笑)。

出品者様(元の持ち主)が「水彩画のような気品あるイングランドトーン」と評されていたがまさにその通り。

どちらかといえば淡い色調の細身の音ですっきり感が漂う、そして控えめな自己主張の中に何ともいえない気品が満ち溢れており、弦楽器はことさらに艶があって瑞々しい。自分が理想とする「爽やかな風のように吹き抜けていくサウンド」としては満点に近い。

この音を聴くと、グッドマンは濃い色調の油絵みたいに映るし、JBLは現物に忠実な写実的な絵画を思わせる。

いずれも好き好きだが、自分にはワーフェデールが一番相性が良さそうで、これは永遠のシステムになりそうだ。

ところが「好事魔多し」(笑)〜。

そのうち、左のチャンネルから弱音時にガサゴソと小さなノイズが発生するではないか!

いい音がするユニットほど繊細なツクリなので故障しやすいことはAXIOM80の例を見るまでもない。ひたすら故障しないことを目的として作られる工業製品とスピーカー製品との一番の違いはそこにある。

したがって、スピーカーには「ハイリスク ハイリターン」がつきものだ。

すでに出品者に対して「非常に良い評価」(オークション)を済ませているのだが、改めて「片方の1本からノイズが発生します。いかがしましょうか」と、持ち掛けたところ予想した通りとても誠実な方だった。

すぐに返信が来て、次の3つの選択肢を提示された。

1 「契約の解除」 2 「同一ユニットのスペアがあるので交換」 3 「入札額の半分を返還する」

もちろん、2の「スぺアとの交換」を選んだのだが、出品者様が仰るには「ほんのちょっとしたノイズならバッフルへの取り付け角度を変えたら治る場合がありますから試してください」。

そういえば、あのデリケートな「AXIM80」でも似たような経験があったので、バッフルへの取り付け角度を上下逆にしたところすっかりノイズが収まってしまった。これにはうれしい悲鳴。

さっそく出品者様に連絡した。

「お説の通りにしたら治りました。おそらく輸送中の影響でコーン紙に歪みが出ていたのでしょう。かなり繊細なユニットですね。しかし、今後に不安が残りますし音質的には大変気に入りましたので、よろしかったらスペアの分も適価で譲っていただけないでしょうか?」

たいへん虫のいいお願いをすると、次のようなご回答をいただいた。(要旨)

「まずは一安心といったところでしょうか。Wharfedale のクロスエッジは柔らかめですので、12インチとなると、こういうことも起こるんでしょうね。柔らかめのエッジは、Wharfedale 社がエッジに関してはHigh Sensitivityを何より重視していた会社だったからだと思います。

さっそく明日スペアの方を送付しますのでマッチングを試してみてください。お値段はそれからのご相談ということにしましょう。」

もちろん異存はない。ほんとうに稀にみる誠実な出品者様だった。

ちなみに前回のブログを読まれたメル友の「お二人」さんから、相次いでご連絡があって「出品者は〇〇県の〇〇様でしょう。自分も希少なユニットを落札したことがあります。続編がとても楽しみです。」。

ビンゴ!(笑)。どうやら「スピーカー好き」の間ではたいへん著名な方のようだ。

それにしても、ちょっとした故障らしきもののおかげで予備のユニットまでもが手に入ることになったのだから、うれしさもひとしおである。

これこそまさに「禍福は糾える縄の如し」(笑)。
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SPユニット「ワーフェデール」の後日談 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年12月09日
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先日、首尾よくオークションで手に入れた「ワーフェデール」のユニット(口径30センチ)だが後日談を述べてみよう。

    

その前に簡単に経緯を述べておくと、2本手に入れたうちの1本にかすかにノイズが発生し、出品者側(仮に「T」さんとしておこう)から、謝罪の意味を込めて信じられないほどの格安で新たな1本を譲ってもらった。

ほんのわずかな瑕疵なのにと、ご厚意に恐縮の至りだったが、いずれにしろこれでユニットが3本体制となった。

毎日じっくりと試聴しながらワーフェデールはこれまで使ってきたユニットのうちでもトップクラスとも言えるほどで、「やはり赤帯マグネットは素晴らしい。これでようやく理想とする音に出会った。」と、小躍りしているが、オーディオ仲間たちからも絶賛に次ぐ絶賛を浴びている。

となると、さらに欲が出てきた。「もう1本あるとペアが組めるなあ、そうすると希望する仲間に譲ってあげることができる!」

そこで、Tさんに交渉してみた。「たいへん厚かましいお願いですが、残りの1本も適価で譲っていただけないでしょうか。」

すると、「残る1本はボイスコイルのタッチがあってノイズが出ています。ユニットの裏側からスポンジを差し込んで調整中です。半年ほどこの状態を保てればおそらく良くなると思います。そのときはバッフルに取り付けるときに、プラス・マイナスの端子を上側にするといいでしょう。そういうことでよければ〇円でいかがでしょうか。」

これまたほんとうにありがたいお話だった。一も二もなく応諾して、商談成立。すると、Tさんから「スポンジを装着したまま送付しますのでご参考になさってください。」

ほどなく到着したのがこれだった。

   

スポンジの「はさみ方」といっても、聞いただけではどうにも腑に落ちなかったが「百聞は一見に如かず」でようやく納得がいった。なるほど、ボイスコイルのタッチ対策としてこういう矯正方法もあったのかと「目からうろこ」だった。

Tさんに対して無事到着のお礼とともに、「スポンジの件、ブログを通じて広く紹介させてもらっていいでしょうか?」と、お伺いを立てると次のようなご返信があった。

「この方法は、私のオリジナルでもありませんので、どうぞ、ご遠慮なく。自分の気に入ったスピーカーがボイスタッチで鳴らせないでいる趣味家さんにとって、朗報となれば、私も趣味家の一人としてうれしく思います。

ただ、3点ほど補足しておきます。

☆ あくまでも最終的にだめなら専門家に依頼ですよ。(ダメ元の精神で。)

☆ フィックスド・エッジの場合は、コーン紙の方が変形する場合が多いので不向きです。(ロール部分が柔らかければ可能です。)

☆ 持ち上げたい点がフレーム位置の中間にある場合は、その点の左右の2カ所のフレームを使ってスポンジを挟みます。

以上のとおり、Tさんのご理解によりこうして「スポンジのはさみ方」が日の目を見ることになってたいへんありがたい限り(笑)。

とはいえ、世の中の大半のユニットはフィクスド・エッジである。

フィクスド・エッジの場合は周知のとおり頑丈なツクリなのでボイスコイルへのタッチなどはほとんど有りえず、このスポンジ方式はおそらく無用の長物だろう。

そのかわり、音声信号への応答性が悪くどうしても音がこもりがちになって冴えない音になるのがフィクスド・エッジの宿命である。

あの繊細極まりない音を拾える「AXIOM80」は、そもそもエッジが無いツクリだし、ワーフェデールにしても極めて柔らかいロールエッジの持ち主なので、そういうユニットしか繊細な再生は望みようがないのが現実である。

ただし、一方ではエッジが不安定なのでボイスコイルのタッチが生じやすいのも事実なので、見方を変えると、(ボイスコイルのタッチは)「名誉の勲章」とでもいうべきもので繊細な再生ができることの証みたいなものだといえよう。

以前のブログで「SPユニットのツクリはハイリスク・ハイリターン」だと述べたが、そういう意味なのである。日本語で言い換えると「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だ。別に鬼の首を取ったように言うつもりはないが(笑)。

その一方、通常の2〜3ウェイシステムはフィクスド・エッジを使ったユニット(口径30センチ以上)の反応の鈍さを補うために、500ヘルツあたりから金属のダイヤフラムを使ったドライバーの出番となるのが一般的だが、これらはどうしても弦楽器の再生が金属的で乾いた響きになってしまうのが通例だ。

その点、柔軟なエッジを持つワーフェデール(フルレンジ型)は4000ヘルツあたりまで持たせても反応が鈍くならないので、赤帯マグネットの威力ともどもこれが愛用する一番の理由である。

以上、作者の特権で勝手に思うところを断定的に述べさせてもらったが、例によって勘違いや思い込みがあることだろうが、どうか悪しからず〜(笑)。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c5

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
6. 中川隆[-11223] koaQ7Jey 2020年9月22日 10:17:42 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[15]
「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年12月14日

前回のブログと合わせて登場したアンプとスピーカーの組み合わせを整理してみると、

☆ 「PX25」シングルアンプ ⇔ 「ワーフェデール2ウェイ」

☆ 「171A」プッシュプルアンプ ⇔ 「オールJBLの変則3ウェイ」

☆ 「WE300B」シングルアンプ ⇔ 「AXIOM80」

いやはや、こうなると「三つ巴の戦い」というのか「三すくみ」の状態というのか。

広辞苑によると「三すくみ」とは、「ナメクジは蛇を、蛇はカエルを、カエルはナメクジを喰うとあるところから、3者互いに牽制し合っていずれも自由に行動できないこと」とあるので、こちらの方が表現としては適切だろう。

さて、この3つの組み合わせの中でどれが一番「いい音」だろうかと自問自答してみた。

どんなに高価で優秀なスピーカーであっても音楽ソースによって向き不向きがあり、およそ完璧なスピーカーというものはこの世には存在しない。たとえばボーカルの再生に限っては口径10〜20センチくらいのスピーカーが一番いい。歌手の口元がカバのように大きくならないから(笑)。

そこで、「いい音」かどうかは別にして一番「好きな音」となると少しばかり逡巡するがやっぱり「PX25アンプ ⇔ ワーフェデール」になるのかなあ。

ジャズ大好き人間なら一も二もなくオールJBLの「変則3ウェイシステム」にするのだが、根がクラシックファンなので・・・。

ワーフェデールは水彩画のような雰囲気の音の中に何といえない品の良さが漂っていて、ちょっと筆舌に尽くし難い。

ただし、「品の良さって何?」と問われると、ちょっと言葉に詰まってしまう。

どうしても感覚的な表現になってしまうのが辛いところだが、ただ一つ確実に言えることは「聴く人間を内省的にさせて秘めたる感情を揺さぶってくるような音」ということぐらいかな。
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「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年12月30日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7ac900dd846906519083950d2597b737

オークションで運よく手に入れた「ワーフェデール」(イギリス:口径30センチ)のユニットはまるでヨーロッパの貴族社会を思わせるような上品極まりない音質で大いに楽しませてくれた。

周波数レンジの過不足などのオーディオ的な問題をあれこれ詮索するような音ではなく、ただひたすら「音楽」に没入できるユニットだといえよう。

当初は同じワーフェデールの中高音域ユニット(コーン型)を使って2ウェイで聴いていたものの、クラシック以外のジャンルも聴きたくなったので現在はテクニクスの「EAS−25HH22」(4000ヘルツ〜:12db/oct)と組み合わせて聴いているが、まったく不満はない。

    

金属のダイヤフラムを使ったユニットとも立派に共生できるのでかなり柔軟性のあるユニットだと思う。

これで、中型システムとして「AXIOM80」「変則JBL3ウェイ」そして「ワーフェデールの2ウェイ」の3つになったが「いずれ あやめ か かきつばた」で、バラ色の日々を過ごしている(笑)。
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「音楽&オーディオ」の小部屋

オーディオ意欲が減退する SP ユニット 2018年09月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


口径30センチのSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)が我が家にやってきたのは忘れもしない8月31日のことだった。

         

それから2週間、このユニットとじっくり向き合ってきたがおよそ欠点らしい欠点が見当たらないのに驚いている。いや、けっして自慢するつもりはありません。ありのままの感想です(笑)。

オーディオ機器の中でもスピーカーやアンプなどは「あちら立てれば、こちら立たず」みたいなところがあって、長所と引き換えに短所には片目をつぶるのが「我が家における常識」だった。他家でどうかはいざ知らず・・。

とりわけ「音像定位」と「周波数レンジ」はなかなか両立せず、たとえばフルレンジは音像定位にとって理想的だが周波数レンジではどうしても劣るし、2ウェイとか3ウェイシステムは周波数レンジは確保しやすいが音像定位の面でどうしても劣る。

どちらを優先するかはそれぞれの好み次第だが、このトライアクショムは「同軸3ウェイ」だけあって「音像定位」と「周波数レンジ」が両立している。もちろん口径30センチのユニットだから重低音を期待するのは無い物ねだりというもの。

生演奏とは違って電気回路を使ったオーディオ機器に100点満点を期待するのは愚かなことだと、ずっと割り切ってきたつもりだがその常識がまさに覆されんとしている(笑)。

ただし、一方では困ったことが起きている。

これまで我が家では「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット」を入れ替えながら楽しんできた。

          

左からJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150 マークU」、ワーフェデール「赤帯付きマグネット」だが、それぞれに捨てがたい味があって日替わりメニューのように重宝してきた。

今回、これに4番目のユニットとして「トライアクショム」が加わったわけだが、この出現で他の3つのユニットの出番がまったく無くなってしまったのである。

まあ、気分転換という面では存在価値があるかもしれないが「いい音」の基準とされるあらゆるポイントで凌駕しているのだからどうしようもない。

ちなみに、そもそも「いい音って何?」という方に、とあるオーディオメーカーの主張を載せておこう。異論がある方もいると思うがどうか「ワンオブゼム」として受け止めていただきたい。

「原音に近づく正しい音とは」

1 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

2 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

3 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

4 小さな音でも明瞭度が下がらない。

5 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

7 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

8 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上のとおり。

しかし、欠点が見当たらないユニットも考えもので、オーディオ意欲が減退して張り合いを失うのも事実である。

これははたして贅沢な悩みなのだろうか(笑)。
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ゲットした「究極のSPユニット(口径30センチ)」2018年09月06日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/efa3150409eedb9f02cffb5bc0137fef

先日のブログ「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット(口径30センチ)を愉しむ」シリーズを連載したことを覚えておられるだろうか。

グッドマンの「棺桶型エンクロージャー」を改造し、3つのユニットをそれぞれ簡単に入れ替えが利くようにしたもので、その再掲画像がこれ。

     

左から「JBLのD123」、「グッドマンのAXIOM150マークU」、そして「ワーフェデールの赤帯マグネット付き」だが、出てくる音質にそれぞれ捨てがたい味があって日替わりメニューのように入れ替えて楽しんでいたが、いよいよ新たな決定版の登場でそれにも終止符を打つ時がやってきたようだ。

長年探し求めていた幻の「TRI AXIOM 」(以下「トライ・アクショム」)(グッドマン)がオークションに出品されたのだ!

             

解説文を見てみよう。

「Goodmans Tri Axiom Model T88 12インチ( 30センチ同軸 3way ) 16オーム アルニコマグネットです。

TRI AXIOM としては初期のもののようでおそらく1960年代後半頃と思われますが定かではありません。

これ以降のものはたまに見るんですがこれと同じものをほとんど見たことがなく十数年前に入手し使っていました。

エッジに補修跡があります、動作には特に問題ありませんが、あまりに細かいところはご容赦ください。しばらく使ってなかったのでツィーター用のアッテネーターはガリありですが回していれば取れてくると思います。」

以上のとおりだが、通常の口径30センチのユニットではせいぜいダブルコーン方式(2ウェイ)までだが、「トライアクショム」は同軸3ウェイとしてツィーターまで付いているのがミソである。

あの中高音域の艶やかさに定評のあるグッドマンだからさぞや素晴らしい音質だろうとはおよそ想像がつく。また、実際に所有しているオーディオ仲間からも「べた褒め」で、耳にタコができるほどその凄さを聞かされてきた。

やはり執念というものは恐ろしい、とうとう「トライアクショム」を見つけ出したのだから〜(笑)。

こういう希少な逸品ともなると、お値段を問う気にもならず「即決」(もちろん常識の範囲内だが)で落札した。さっそく自宅に届いたユニットを並べてパチリ。

           

輸送中の事故も無く致命的なダメージもないようだ。マグネットの形状が明らかに「アルニコ」タイプなのでひと安心。これが「フェライト」タイプになると平べったい形状になる。

そもそも「アルニコ」と「フェライト」とで音質にどのような違いがあるかは有識者の間でも論争があるところだが、我が経験ではこれまで「フェライト」タイプで気に入った音が出た試しがない。

早くバッフルに取り付けて音出しをしたいのでさっそく工作に取り掛かった。こういうこともあろうかと余分なバッフルを2ペアほど準備していたが、本体に取り付けるためのネジ穴合わせ、直径30センチの穴のくりぬき、そして塗装などたいへんだった。

午前9時から作業に取り掛かって、ようやく音出しができるようになったのが昼食をはさんで午後2時頃のことだった。猛暑の中の玄関先での作業だし、やはり老骨には少しこたえた(笑)。

先日お見えになったオーディオ仲間が一連の「SPユニットの工作」を見て「とてもそこまでは”やる気が起こらん。」と仰っていたが、やはり相当な熱意の後押しがないと無理のようですぞ。

          

ご覧のように、グッドマンにはおあつらえ向きの純正の「ARU」(背圧調整器)がエンクロージャーの下部に付いているので「おかしな音」の出ようはずがないが、こればかりは実際に聴いてみないと分からない。

それくらい、周辺機器とのマッチング次第でスピーカーの音は変わるが、取り分けグッドマンのユニットは繊細なのでアンプを選ぶことでも有名である。

さあ、いよいよ待望の音出しだ!

以下、続く。
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「トライ・アクショム」 VS 「アクショム80」2018年09月09日
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前回からの続きです。

かねてから憧れの的だったSPユニット「トライ・アクショム」(グッドマン)を手に入れ、所定の作業も完了していよいよ音出しへ〜。

              

こういう瞬間は何とも言いようがない不安と期待が交錯する。おそらくオーディオ愛好家ならこの「はらはらドキドキわくわく」感がきっとお分かりのはずだろう(笑)。

日常生活ではめったに味わえない緊張の一瞬だが、じっと耳を澄ましてみるとノイズはしない代わりにやたらにハイ上がりの音が出てきた。慌てて付属のツィーターのレベル調整器を最低にしたところ、見事にバランスの取れた音が出てくれた。まずはひと安心で、後はじっくりと音楽鑑賞に浸った。

つまるところ「トライ・アクショム」は低音とか高音がどうのこうのというよりも「気品のある音」に尽きるようだ。

けっして舞台で大見得を切るような音ではなく、まるで渋〜いイギリスのゼントルマンを思わせるような音だが、こういう音じゃないと伝わらない音楽があることもたしかだ。

そういえば、同じ「AXIOM80」愛好家のSさん(福岡)から次のようなメールが届いた。

「おめでとうございます。私は、トライアクショムがグッドマンユニットの中においてアキシオム80と双璧だと思います。20年ほど前に、知人がイギリスから持ち帰ったトライアクショムSPをQUAD‖+22アンプで聴かせて貰いましたが、その時に受けた衝撃からブリティッシュサウンドの虜になった事を思い出します。

優雅な猫脚のキャビネットに入ったそのトライアクショムは、その後に肥後細川家次代当主の護光さん宅へ嫁いで行きました。もしも、単体ユニットで音楽を完結させたいのであれば、トライアクショムは史上最高のユニットなのではないでしょうか。〇〇さんは、またまたオーディオの歴史的遺産を手に入れられましたね。羨ましいかぎりです。」

Sさん、無断引用お許しくださいね。

ただし、こういう音が出てくれると他の3つのユニットの出番が当分回ってきそうにないのが悩みの種だ(笑)。

翌日、例によって近くにお住いのフルートの名手「Y」さんに来ていただいて試聴していただいたところ、一聴するなり「音の傾向はAXIOM80(以下「80」)と随分似通ってますね。」との第一声。

「そうなんです、爽やかな雰囲気が実に似てますね。これでもツイーターのレベルは最低に抑えているんですよ。」

次から次にいろんな試聴用のCDをかけたが、Yさん持参のCDの中に「佐藤久成」さんの演奏があった。

先年、亡くなられた「宇野功芳」さん(音楽評論家)が高く評価されていたヴァイオリニストだが、それに関連して話題になったのが可憐な「有山麻衣子」さんの歌声。

これも宇野さん一押しの歌手である。「プロの歌手からは絶対に得られない声」と解説にあるが、まったく心が洗われるような清純そのものの声である。

           

以後、これをテスト盤にしてアンプとの相性探しを愉しんだ。

         

左が「WE300B」(1988年製)シングルアンプ(以下「WE300B」)、右側が「6A3・300B兼用」シングルアンプ(以下、「6A3・300B」)である。

後日のためにアンプの概要を記しておこう。

「WE300B」アンプの前段管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管は「274A」(STC)、インプット&インターステージトランスは「UTC」、出力トランスは「PSMプロダクト製」の手巻きによるもの。

次に、「6A3・300兼用」アンプの前段管は「AC/HL」(最初期版:英国マツダ)、整流管は「CV378」(細管:ムラード)、インプット&インターステージトランスは無名の国産もので、出力トランスは「タムラ」(特注品)。

なお、この「6A3・300B」アンプは半年ほど前にアンプ製作歴が40年以上になるKさん(大分市)にお願いして「インターステージトランス」(国産)を組み込んでもらったところ、音の解像力が見事に向上して我が家のエース級に昇格した経緯がある。

総じて我が家の真空管アンプの救世主は「インターステージトランスにある」といっても過言ではないほど。

さて、Yさんのご感想といえば「WE300Bでは有山さんがいかにも18歳の乙女らしい声がしますが、6A3では22歳くらいの少し艶めかしい声がします。どちらがいいとか悪いとかはちょっと判断がつきませんね。」

結局、原音に忠実な音となるとWE300Bアンプに軍配が上がり、音に色気を付け加えて聴きやすい音となると6A3アンプになるということで、いずれも甲乙つけがたし。

ただし、自分の場合は「音に色気が有ること」が「好きな音」の一番の判断基準になっている(笑)。

最後に、原点を確認する意味で「AXIOM80を聴いてみましょうかね」と、スピーカーを交換したところ二人ともアッと驚いた。

音響空間がまるで枠を取り払ったように際限なく広がったのである!

「音の透明度」の向上が如実に感じ取れたので、二人して「こういうシンプルなソースになるとAXIOM80の独壇場になりますね。編成が大きくなるとトライ・アクショムの出番ですから、これら二つのセットがあるともう鬼に金棒!」と、感嘆したことだった。

「トライ・アクショム」と「アクショム80」の両方を毎日愉しめるなんて、もうオーディオ冥利に尽きますわいなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/79b8c46396c68e1860ea86f10c76601a


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魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ 2018年08月02日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84bbe3e0a68f2541bad87747f0963ffe

前々回のブログで述べたように「AXIOM80」を自作のエンクロージャーに移し替えてから始まったSPユニットの「玉突き異動」に大いに楽しませてもらっている。

最後に行き着くところはグッドマン指定のエンクロージャーにどのユニットを納めようかということになった。

候補は3つあって、いずれも口径30センチの旧いユニットになる。

1 JBLの「D123」(初期型グレイ:16Ω)

2 ワーフェデールの赤帯マグネット付きユニット(8Ω)

3 グッドマンのAXIOM150マークU(15Ω)

これまで口径10センチから38センチのユニットまでいろいろ使ってきたが、耳が肥えた人は口径20センチクラスのスピード感を愛でる人が多いが、自分の場合は口径30センチが好き。

前述の3つはそれぞれブランドによる音の特徴があって「D123」は浅いカーブの形状のコーン紙による反応の速さに優れ、グッドマンはクラシック向きの雰囲気感の再現性に優れ、赤帯マグネットは丁度両者の中間あたりに位置する。

このエンクロージャーはバッフルと本体のネジ穴を鬼目ナットで合わせているので、自由自在にユニットの入れ替え可能である。つまり、一つのエンクロージャーでスピーカー3台分が楽しめることになる(笑)。

ただし、いずれもフルレンジとして聴けないことはないが、高音域がちょっと物足りないので相性のいいツィーターを組み合わせる必要がある。

まずは「D123」を装着してみた。クロス1200ヘルツのネットワークを使った2ウェイ方式である。「JBLのD123+パナソニックのホーン型ツィーター」。

          

これで2日間ほど聴いてみたが明るくて澄んだ音には大いに共感を覚えたものの、クラシックにはもう少し湿り気と情感が欲しいところ。

一抹の未練を残しながら今度はワーフェデールの「赤帯マグネット型2ウェイ」に入れ替えてみた。

         

高音域担当のコーン型ツィーターに1200ヘルツは無理なので、クロスオーバー4000ヘルツのネットワークに変更。

「非の打ちどころがないとはこういう音をいうのだろうか。これ以上欲張ると罰が当たるかもしれない。」と、思うほどの素晴らしい音に感激した。

丁度29日(日)にご近所にお住いのYさんに来ていただいたので、聴いていただいたところやはり赤帯マグネットの音の素性の良さに感心されていた。

「これをウェストミンスターに入れてぜひ聴いてみたいですね、どんな音がするんでしょう。」

「ああ、それなら予備軍としての赤帯マグネットをもう1ペア持ってますよ。無理を言って静岡県のTさんに譲っていただいたものです。惜しいことにボイスコイルのタッチがあってノイズが出ていますが、丁度いい修理屋さん(長野県)が見つかったところです。取り付け用の補助バッフルもすでに作ってありますよ。」

   

これで楽しみがまたひとつ増えたことになる(笑)。
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魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その2〜 2018年08月04日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/1eb0debac31b9b0227ccd76f545b2eae

日頃から懇意にさせていただいているメル友の「I」さん(東海地方)は現在、母屋を改造中とのことでしばらくメールが途絶えていたが、久しぶりに近況報告をいただいた。

「前略。〇〇邸のAXIOM80の木製ホーンが取れてしまったのは少々寂しい気がしますが、システムはますます進化をしているようですね。

ARUについては、どこかの本で「無限大バッフルと同じ効果がある」という解説を見た記憶があります。私も小型ボックスで効果を感じたことがあります。いずれJBL130Aウーファーボックスにも応用したいと考えていますが、でかくて手を付けるのが億劫で・・・

今は、オーディオをいじれる環境にないため、ブログでいろいろな人の記事を拝見しています。ジャズファンのブログも見だしました。

私は「オーディオは人それぞれ」というのが基本なので、ブロガーが何を書かれていても、割と素直に読ませていただくのですが、ことジャズになると話は変わってきます。

贔屓のジャズメンの違いです。

〇〇様には私のジャズの好き嫌いを申し上げても何ら差し支えるものは無いと思って申し上げます。差し支えましたらお詫びいたします。

例えばピアニスト!

当方の贔屓は、年代順にいいますと、バッド・パウエル セロニアス・モンク ビル・エバンス もう少し足すとして ウイントン・ケリー マッコイ・タイナー くらいです。

ジャズブロガーの方で、私の好みとダブル場合ももちろんありますが、なんでこのピアニストをと思うこと多々ありです。その方が多い!

なんでやねんピアニスト達 オスカー・ピーターソン マル・ウォルドロン ハンク・ジョーンズ レッド・ガーランド トミー・フラナガン チック・コリア キース・ジャレット フレッド・ハーシュ等々 何度聞いても魂に響いてこないピアニストの皆さん・・・

薄暗いジャズ喫茶の壁際の席の体験が、当方のジャズライフ及びオーディオライフを今だに支配しているということでしょう。」

以上のとおりだが、当方はジャズに疎いもののパウエル、エヴァンスなどの「自己埋没型」のピアニストの良さは大いにわかるつもりです(笑)。

ところで、文中の「オーディオは人それぞれ」という言葉には大いに勇気づけられた。

実を言うと、日頃からいろいろ好き勝手にブログを書きなぐっているが、あまりの(オーディオに対する)「執拗」さに「この人ちょっとおかしいんじゃない」と、読者から奇異の目で見られているのではないかという意識が常に頭の片隅につきまとっている。

別に変人扱いされても実害はないのだが、少なくとも外聞に無関心ではおられない性質(たち)なのでまったく気にならないといえばウソになる。

したがって、「オーディオは人それぞれ」と気楽に読み流していただくと、当方もそれこそほんとうに気楽になります(笑)。

そういうわけで、またもや同じ傾向のお話を。

さて、前回のSPユニット弄りでは「ワーフェデールの2ウェイ」がバッチリうまくいったのでひと安心だが、やはり気になるのはJBLの「D123」である。

やや乾き気味の音がクラシックにそぐわないとアッサリ廃嫡したが、何とか復活できないものか。実はこういうことを考えるのが、もう楽しくて楽しくて・・(笑)。

そこで、現用中のネットワークがスイッチ一つで「2ウェイ → 3ウェイ」に変更できるので試行錯誤をやってみた。3ウェイの場合のクロスオーバーは「500ヘルツ&4000ヘルツ」である。以下、後日のために実験結果を記録しておくことにしよう。

第1案

〜500ヘルツ → JBL「D123」

500ヘルツ〜4000ヘルツ(スコーカー)→ グッドマンのミダックス

4000ヘルツ〜 → ジェンセンのホーン型ツィーター

手っ取り早く画像の方が分かりやすい。

   

これまで、3ウェイ方式はスコーカー(中音域担当)の調整が難しくて何となく敬遠していたが、実際にやってみると位相調整さえうまくいけば「音のたるみ」が少なくなって予想以上の良さを感じた。

D123(口径30センチ)をクロス500ヘルツでハイカット(−12db/oct)するメリットがたしかにあるようで、このクラスの大きさの箱ならむしろこちらの方が正解かもしれない。

ますます欲が出て今度はツィーターだけ取り換えてみることにした。   

以下続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/1eb0debac31b9b0227ccd76f545b2eae

魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その3〜 2018年08月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f367e71a1bedb9e993d0cc2111ed9dd4

前回からの続きです。

「SPユニット(口径30センチ)を愉しむ」シリーズも早くも3回目となった。当初はこんなに続けるつもりはなかったが、「理屈」をグダグダこねるよりも「実践編」の方がグ〜ンと(アクセスが)好評のようでして〜。

どうやら「文章を読む」よりも「画像を見る」方が好きな人が多いらしい(笑)。

前回で示した第2案は次の画像のとおり。

         

この3ウェイの構成を述べておくと、

〜500ヘルツ → JBL「D123」

500〜4000ヘルツ → グッドマンの「ミダックス」(スコーカー)

4000ヘルツ〜 → テクニクス「EAS−25HH22」(以下、「EAS」)

今回の特徴は「EAS」の起用とホーンを取り外したことにある。このEASは1000ヘルツから使える優れものだが、4000ヘルツ以上で使う場合は付属のホーンを外した方がよりクリヤーになって良かった。

ただし、そのままでは音がきつ過ぎるので丸い木製の球を置いて音を拡散してみた。

   

これで、第一案よりもずっとよくなったがまだ十分ではない。やはり弱点はグッドマンのミダックスにある。このスコーカーは500ヘルツ以上を担当しているが、能力自体は700ヘルツ以上からしか使えないのでちょっと無理をさせている。

出てくる音に明らかにその兆候が表れていて、500〜1000ヘルツあたりの音の押し出し感が弱いために全体的に「線の細い」音になっている。ただし、このくらいは好き好きの範疇ではあるが・・。

そこでスコーカーだけ代えて、グッドマンの楕円形ユニットを登場させたのが第3案。

        

もともとフルレンジ用なので500ヘルツ以上の使用はお手の物のはず。ただし、ウーファーの「D123」の音圧レベルが102dbと高いので、その辺がちょっと見劣りするが仕方がない。

ただし「EAS」がすっかりおとなしくなって拡散用の「木製の球」が不要になったのは不思議。

ツィーターとスコーカーは切っても切れない縁があって面白い。

この第3案でアンプをいろいろ試してみた。

すると「6A3シングル」は低音域が出すぎてアウト。「PX25シングル」は比較的低音域が薄いのでどうにか対応できた。

一番良かったのは「71Aシングル」(レイセオンのST管:赤ラベル)だった。前段管に例のヴァルボの「△△△」(ドイツ:バリウム昇華型フィラメント)を使ったやつ・・。何しろ出力1ワット前後だから前二者に比べて低音域がやや薄めだがそれが逆に長所となった。中高音域の抜けの良さは言うまでもないところ。

     

プリアンプのボリュームをぐ〜んと上げられることで低音域と高音域のバランスが見事に取れた。

アンプはスピーカーに助けられ、スピーカーはアンプに助けられの「持ちつ持たれつの関係」であることを改めて痛感した。

それにしても何と「バランスのいい音」だろう。汗水流して獲得した音は格別のようでして!(笑)
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f367e71a1bedb9e993d0cc2111ed9dd4


魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その4〜 2018年08月09日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84a1647a9e334db28286e31856f17d3c

このシリーズもいよいよ「その4」へと佳境に入っていく。お天気も暑いがブログも熱い(笑)。

前回の第3案「JBL・D123の3ウェイ」に味をしめて、「柳の下の2匹目のどじょう」を狙ってみた。

「ワーフェデールの赤帯マグネット」を3ウェイに使ってみたらどんな音が出るんだろうか・・・。

思い立ったが吉日ですぐに行動に取り掛かった。そのためにはスコーカーとツィーターにきちんとした箱とバッフルを作ってやらねばいけない。

そこで日曜日(5日)の午前中、猛暑の中を玄関先で「木工作業」に取り掛かった。ドライバドリルとジグソーの大活躍である。

木屑が辺りに飛び散るので家内が嫌〜な顔をしながら「後できちんと片付けておいてね!」、「フン、そんくらいのこと言われんでもわかっとるわい。」(笑)。

素人のずさん工事で採寸ミスがあったりして散々だったが半日ほどかかってどうにか完成した。

         

スコーカー(グッドマンのユニット)の箱は後面開放にし、ツィーター(ワーフェデール)は平面バッフルにして分けてみた。音像定位に有利なのでユニットの配列を「縦一文字」にするのが何よりの狙いだった。

これで胸をワクワクさせながら聴いてみると、ウ〜ン・・・。

2ウェイのときの素晴らしさが鮮明に記憶に残っているので、どうも音の響きにイマイチの感あり。

3ウェイでは音の密度感が増した感じはするものの、肝心の「音の響き」が少なくなってはどうしようもない。そもそもイギリス系のユニットは人間の耳にとってことさら敏感な1000ヘルツあたりまでは振動板の違うユニットを組み合わせないように作られているのかもしれない。

ワーフェデールは2ウェイで聴くに限るようだ。

このことを胸に刻んで、さあ、最後はいよいよグッドマンの「AXIOM150マークU」(以下「マークU」)の登場だ。

    

今回の「魅惑のSPユニット」シリーズの掉尾を飾る真打の登場である。

画像左からJBLのD123、真ん中が「マークU」、その右が「ワーフェデールの赤帯」だが、ご覧のとおりアルニコマグネットの大きさが並外れており、重量は他のユニットの1.5倍ほどある。

このマグネットで悪い音の出ようはずがない!(笑)。

イギリスのユニットなので頭から3ウェイは除外して2ウェイ方式のネットワーク(クロスオーバー:4000ヘルツ)により聴いてみた。

たしかグッドマン指定のクロスオーバーは5000ヘルツだったと記憶しているので準拠しているはず。

   

4000ヘルツ以上を受け持つツィーターはワーフェデールの「コーン型ツィーター」(赤帯マグネット)である。

いやあ、参った!

さすがに旧き良き時代のグッドマン、気品があって深々とした響きがクラシックにはもってこいの音である。

人生の酸いも甘いも噛み尽くしたような老成した音と言っていいかもしれない。ワーフェデール(口径30センチ)が淡いパステルカラーの水彩画のような音だとすれば、この音からは明らかに濃厚な油絵の匂いがする。

「もう言葉は要らない、あとはただひたすらモーツァルトに耳を傾けるのみである!」と、書いたら格好のつけすぎかなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84a1647a9e334db28286e31856f17d3c


魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その5〜 2018年08月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/54dfcf595d156d78471fb7fcf04c286f

連日の猛暑により「ブログにも夏休みをいただこう」というわけで、たっぷりと英気を養わせてもらって5日ぶりの投稿となった

さて、「魅惑のSPユニットの愉しみ」シリーズもとうとう5回目となった。

          

画像左からJBLの「D123」、グッドマンの「AXIOM150マークU」、ワーフェデールの赤帯マグネット」と、いずれも口径30センチの面々で、一つのエンクロージャーでこれら3つのSPユニットを入れ替えながら愉しむという企画だったが、頭で考えるのと違って実際にやってみると想像以上に新しい発見があった。

そのうちの一つが「3ウェイ」方式と「2ウェイ」方式の比較だった。我が家のオーディオ環境ではという限定付きの話になるが、イギリス系ユニットは3ウェイには向かないということが分かった。

そこで疑惑の目を向けたのがJBLの「D123」である。アメリカ系のユニットだが、もしかしてこれも2ウェイの方が向いているのかもしれない。

よし、「D123」に「175ドライバー」を組み合わせて2ウェイにしてみようか。同じJBL同士である。すぐに取り掛かって、ものの10分とかからずに完成。

             

ネットワークのクロスオーバーは1200ヘルツである。

ワクワクしながら音出ししてみると、想像した以上にGOOD!

イギリス系の音ばかり聴いていると、ときどき無性にJBLを聴きたくなってしまうが、澄み切った秋の青空を思わせるような爽快な音で躍動するJBLサウンドに感激〜(笑)。

そこで調子に乗って、ワーフェデールにも「175ドライバー」を組み合わせてみた。

         

興味津々だったが、これは明らかにアウト。両者の響きが合わず、木に竹を接いだような感じでやはりアメリカとイギリスのお国柄の違いがもろに出た。ワーフェデールには純正の「コーン型ツィーター」がベストのようだ。

これで結局「魅惑のSPユニットの愉しみ」シリーズの組み合わせ結果は次のとおりとなった。

1 JBL「D123」+「175ドライバー」

2 ワーフェデール「赤帯マグネット」+「コーン型ツィーター」

3 グッドマン「AXIOM150マークU」+「コーン型ツィーター」

まあ、順調なところかな(笑)。

なお、1のJBLの組み合わせで思い出すのが往年の名器「ランサー101」である。

            

これは「LE14A」(口径36センチ) + 「175ドライバー」の2ウェイ方式だが、もしJBLで本格的にクラシックを聴こうと思ったらこれに限るという話を知人から聞いたことがある。

おそらく、我が家の1の音と「よく似た音だろうなあ」という気がしている。

「ランサー101」について、ネットの記事を詳しく読んでみると「エンクロージャーのトッププレートに大理石を採用することで最低共振周波数を大幅に下げることに成功している。」とあった。

そこで思いついたのが「AXIOM80」を容れている自作のエンクロージャーである。板厚わずか1.5センチなので共振させるにはもってこいだが、もう少し重量を増やしてやると量感が増えるかもしれない。

加える重量の最適バランス点があるのだろうが、そこで実験的に載せてみたのが075ツィーターである。削り出しのステンレスホーン付きなので重さは10kgぐらいある。

          

これで実際に聴いてみると心なしか量感が増えたような気がする。

「ツィーター」を「重し」代わりに載せる例はおそらく世界広しといえども我が家だけだろうが(笑)、まあ、いずれ適当な庭石を見つけることにしよう。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/54dfcf595d156d78471fb7fcf04c286f
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c6

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
10. 中川隆[-11222] koaQ7Jey 2020年9月22日 10:43:42 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[17]
雑記帳 2020年09月22日
日本語とオーストロネシア語族との関係
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_28.html


 日本語とオーストロネシア語族との関係を指摘した研究(崎山., 2001)を読みました。もう20年近く前(2001年)の論文となるので、あるいは近年の言語学の知見を踏まえてかなりの修正が必要になるかもしれませんが、近年大きく発展した古代DNA研究、とくに、今年(2020年)になって飛躍的に進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)の観点からもと興味深い内容なので、取り上げます。


 複数の言語が接触すると、接触したそれぞれの言語の文法部分に変化が現われる場合もあれば、各言語の文法部分が提供され、新たな一つの言語が生みだされる場合もあります。後者は混合語と呼ばれ、ピジンあるいはクリオール(母語となったピジン)はその一例です。混合のため文法のどの部分が提供されるかは、接触した各言語ごとに異なりますが、あらゆる部分からの供出が起こるこ、と明らかになっています。また、接触する言語の特徴により、ピジン化や混合の仕方も一様ではありません。したがって、言語混合は先住民に匹敵する量の外来者がないと不可能とか、文法と単語が別の系統から来るのは難しいとかいった見解は成立しない、と本論文は指摘します。

 ピジンは言語混合の一つのあり方で、言語混合と同義で論じるべきではありません。ピジンには横浜ピジンのような一世代的(片言的)な形態からオセアニアのメラネシア・ピジンのように約300万人により使用される国家語まで多様です。元の言語の話し手にとって、ピジン化した新しい言語は、元の言語が単純化した(舌足らずの)ように聞こえます。ピジンは元の言語の非体系的部分の合理化を行なっている場合も少なくありません。ピジンは表現可能な内容が限定された不完全な言語である、との見解は言語学でも根強く存在します。これまで比較言語学では、一言語における歴史的な混合という現象が原則として認められてきませんでした。混合言語を認めることは、比較言語学の依拠する「語族」という概念の成立基盤を揺るがしかねない危険思想でもあるからです。したがって言語学では今でも、混合の事実は認めるとしても、「混合はピジン英語や隠語にみられる程度」との見解もあります。

 本論文は、日本語とオーストロネシア語族など他言語との比較から、日本語は混合言語として形成された、と主張します。そのさいに重要な影響を与えたのがオーストロネシア語族で、そのうち、語彙面では西部マレー・ポリネシア語派の要素が多く残る一方で、文法面ではオセアニア語派の特徴が顕著である、と本書は指摘します。本論文はこれに関して、縄文時代中期から古墳時代までの3000年間、オーストロネシア語族が波状的に渡来したことに起因する、と推測します。

 日本語の形成に関与したもう一方の言語として本論文が想定するのは、ツングース語族です。古代日本語は動詞・形容詞の活用語尾の多くをツングース語族に負っている、と本論文は指摘します。上代および現代日本語では連体修飾に二つの語順が存在しますが、これは言語混合の可能性がある、と本論文は指摘します。日本語において、原オーストロネシア語の人称代名詞一人称複数の包括・排除の区別が失われたのは言語接触に基づき、これは日本語の形成における深い混合の跡を反映している、と本論文は推測します。ただ本論文は、民族学的にツングース民族は、紀元前千年紀にアジア東部に拡散した、いわゆるアルタイ化の担い手で、日本列島が本格的にアルタイ化するのは弥生時代からと推定されているので、縄文後晩期とは約3000年の間隙があり、言語混合の開始の時期など今後解明すべき問題はまだ残っている、と指摘します。


 本論文はこのように主張しますが、近年の古代DNA研究の進展を踏まえると、日本語とオーストロネシア語族との関係はたいへん注目されます。日本列島の現代人集団は、大別すると、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球に三区分されます。このうち、日本語と琉球語は、方言なのか同じ語族の別言語なのか、まだ決定的になっていませんが、同一系統の言語であることは間違いないでしょう。以下、まとめて日本語として扱います。一方アイヌ語は、日本語とは大きく異なる系統の言語です。日本語とオーストロネシア語族との関係で注目される古代DNA研究に関しては、アジア東部現代人集団がどのように形成されてきたのか、現時点で最も優れていると私が考えているモデルの概要を以下に述べます(関連記事)。

 非アフリカ系現代人の主要な遺伝的祖先となった出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団はまず、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐し、ユーラシア東部系統は南方系統と北方系統に分岐します。ユーラシア東部南方系統に位置づけられるのは、現代人ではパプア人やオーストラリア先住民やアンダマン諸島人、古代人ではアジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団です。一方、ユーラシア東部北方系統からはアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに南方系統と北方系統に分岐します。アジア南東部北方系統は新石器時代黄河地域集団、アジア東部南方系統は新石器時代の福建省や台湾の集団(おそらくは長江流域新石器時代集団も)に代表され、オーストロネシア語族現代人の主要な祖先集団(祖型オーストロネシア語族集団)です(関連記事)。現代において、日本列島「本土集団」や漢人やチベット人などアジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統ですが、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、チベット人はユーラシア東部南方系統との、日本列島「本土集団」は「縄文人(縄文文化関連個体群)」との混合により形成されました。「縄文人」は、ユーラシア東部南方系統(45%)とアジア東部南方系統(55%)との混合と推定されています。

 これらの古代DNA研究の成果を踏まえると、縄文人はアジア東部南方系統の共有という点で、祖型オーストロネシア語族集団と遺伝的に近い関係にある、と言えます。つまり、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性があるわけです。縄文人がどのように形成されたのか不明ですが、縄文人の大まかな形態は、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代は早期から晩期前半までほとんど同一で、縄文人と同じ形態の人類集団は日本列島以外に存在しないことから、日本列島における独自の混合により形成された可能性が高そうです(関連記事)。

 そこで問題となるのが、日本列島現代人において最も縄文人の遺伝的影響が強く残っていると推定されているアイヌ集団(関連記事)の言語(アイヌ語)とオーストロネシア語族との関係です。これについて、近年の言語学の知見をまったく知らないので、的外れな発言になるかもしれませんが、2005年の論文(橋尾., 2005)でも、アイヌ語とオーストロネシア語族が同系かもしれないと指摘されていることから、アイヌ語がオーストロネシア語族と近縁な関係にあるというか、祖型オーストロネシア語族の影響を一定以上残している、とも考えられます。その意味でも、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性は、真剣に検証すべきではないか、と思います。

 日本語とアイヌ語が大きく異なることに関しては、日本語もアイヌ語も祖型オーストロネシア語族と別系統の言語との混合により形成され、分岐してから長い時間が経ったことにより説明できるように思いますが、言語学の知見は皆無に近いので、的外れなことを言っているかもしれません。さらに、アジア東部南方系統でも、アイヌ集団の主要な祖先と祖型オーストロネシア語族集団の主要な祖先との分岐が更新世だとしたら、言語学で指摘されているアイヌ語とオーストロネシア語族の共通性が検出されるには古すぎるかもしれない、という問題もあります。ただ、言語学でも議論が分かれるくらいの共通性となると、更新世の分岐でも不思議ではないかもしれませんが、門外漢の思いつきにすぎません。

 上述のように、日本語がオーストロネシア語族とツングース語族との混合により形成されたとすると、その融合がいつだったのかが問題となりますが、日本列島にツングース語族をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島にアジア東部北方系統をもたらした集団である可能性が高いように思います。しかし、シナ・チベット語族はアジア東部北方系統集団に由来する可能性が高い、と指摘されています(関連記事)。この問題をどう説明すべきか、以前にも一度試みたものの(関連記事)、とても確信は持てません。それでも、以下で改めて私見を述べます。

 この問題で参考になりそうなのは、バヌアツの事例です(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。アジア東部北方系統集団は、拡散の過程で朝鮮半島や日本列島などにおいて大きな遺伝的影響を現代人集団に残しましたが、その過程で先住民の言語が置換されず、基本的には継承されたかもしれない、というわけです。この想定が妥当だとすると、アジア東部北方系統集団はアジア北東部への拡散の過程で、ツングース語族集団と混合し、その言語を継承して日本列島へと到来した、と考えられます。日本列島でも、先住の縄文人よりもこのツングース語族集団の方が現代「本土集団」には大きな遺伝的影響を残していますが、だからといって遺伝的に優勢な集団の言語により置換されたのではなく、独自の混合言語が成立した、というわけです。これを基盤に、漢字文化の導入にともなって漢語の影響も受けつつ、日本語が成立していった、と考えられます。

 あるいは、アジア東部北方系統集団の言語は、後にはシナ・チベット語族におおむね一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、とも考えられます。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)による分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語や朝鮮語に影響を与えた諸言語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系統集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 別の可能性として考えられるのは、日本語の形成にさいしてオーストロネシア語族の影響をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島に到来した稲作農耕民集団だった、という想定です。黄河中下流域集団では、中期〜後期新石器時代に、稲作農耕の痕跡顕著な増加とともに、遺伝的にはアジア東部南方系統の割合の上昇が指摘されています(関連記事)。黄河中下流域への稲作の導入が、長江流域など中国南部のアジア東部南方系統集団の一定以上の移住を伴っていたとすると、日本列島に稲作をもたらした集団の言語に祖型オーストロネシア語族の影響が残り、それが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も考えられます。縄文人の言語とは別の経路で、日本語に祖型オーストロネシア語族の影響が伝わっている、というわけです。

 ここまで色々と憶測してきましたが、言語学の知見が皆無に近いので、最近の研究を踏まえておらず、的外れな見解になってしまったかもしれません。ただ、今となってはやや古いとはいえ、言語学の見解と最近の古代DNA研究とが符合するところもあるのではないかと考え、一度私見を述べておこうと思い立った次第です。縄文人の言語に祖型オーストロネシア語族の影響があるとして、では縄文人のもう一方の主要な祖先であるユーラシア東部南方系統の言語はどのようなもので、縄文時代、あるいは現代に影響を残しているのかなど、調べねばならないことはまだ多いものの、それは今後の課題とします。


参考文献:
崎山理(2001)「オーストロネシア語族と日本語の系統関係」『国立民族学博物館研究報告誌』第25巻第4号P465-485
https://doi.org/10.15021/00004071

橋尾直和 (2005)「琉球語・アイヌ語・日本語諸方言とオーストロネシア語の若干の比較」『高知女子大学文化論叢』第7号P39-51
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006541555

https://sicambre.at.webry.info/202009/article_28.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c10

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
23. 中川隆[-11221] koaQ7Jey 2020年9月22日 16:37:29 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[21]

2020年09月22日
脱韓国は本当か、外国から韓国への投資が急減

外国工場が利益を上げ、経常収支が増えるほど日本は貧しくなっている

令和元(平成31)年中 国際収支状況(速報)の概要 : 財務省

日本化する韓国

重要な経済指標の一つに直接投資があり、対外直接投資と対内投資に分類されます。

対外投資は韓国からアジアや先進国など外国への投資で、だいたいサムスンの工場を建てるなどが多い。

対内投資は先進国の企業が韓国に進出することで、ユニクロの韓国進出などの形をとっている。


韓国は対外投資が増加しているが対内投資が減少し、平たく言えばお金が韓国から出て行っている。

韓国の2019年対外直接投資は5年連続過去最高と絶好調で、韓国企業が世界に進出している。

ソニーや日産が世界に飛躍した80年代から90年代の日本を連想させるが、その後日本はどうなっただろうか?


主要企業が海外進出し工場がアジアに移転し、日本は失業と不況の嵐が吹き荒れました。

海外進出した企業は外国で売り上げを挙げて経常黒字を稼ぎ、毎年10兆円以上も黒字を積み重ねている。

日本は世界最大の黒字国なのだが経済は縮小し国は貧乏になるばかり、これが平成の30年でした。


そしてこれから韓国も日本と同様の道を辿り衰退します。

外国で稼いでも国は豊かにならない

韓国の2019年の対外直接投資は21%増の618億5,000万ドルと、5年連続で過去最高を更新した。

2014年には約286憶ドルだったので5年間で2倍以上の増加になり、それだけ韓国企業が外国に投資した。

対外直接投資は国内産業の空洞化につながるので、日本を除いて積極的に促進する国は少ない。


外国からの直接投資はGDP比で日本3%、イギリス約45%、アメリカ約14%などとなっている。

これが意味するのは企業が外国に投資するほどその国は貧乏になり、外国から投資を受けるほど豊かになる。

例えば中国の「奇跡の30年」の原動力は外国からの直接投資で、自動車や半導体や重工業やハイテクなど、何でもタダで手に入りました。


日本は投資する側の国なので、これらの技術をお金を払って中国に「差し上げていた」事になる。

韓国は今まさに日本と同じ間違いをおかそうとしており、中国やアジアに無償で技術と資本を差し出している。

対外投資が増えると見返りとして外国工場等での利益が経常黒字になり、表面上とても儲かる。


日本は毎年20兆円も経常黒字を稼いでいるが、稼いだ大半はアメリカや中国で再投資され日本に戻ってきません。

仮に外国で稼いだ金が日本に戻ってきたら1ドル70円などの超円高になるので、日本に送金できません。

こんな風に対外投資で儲かるのは必ず「投資を受けた国」のほうで、投資した方の国はどんどん貧しくなります。


近年先進国が低成長で新興国や後進国が高成長なのも、投資する側が損をし、投資される側が得をするからです

http://www.thutmosev.com/archives/83957698.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html#c23

[近代史4] 黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年)
黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年)



監督:黒沢清 
脚本:大久保智康、黒沢 清


大沢健人
ベンガル
諏訪太朗



1997年7月19日13:54 - 15:20に関西テレビで放送されたスペシャルドラマ。
「霊ビデオ」「保健室」「廃校綺談」の3篇からなるオムニバス学園ホラー。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E6%80%AA%E8%AB%87_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)#%E5%BB%83%E6%A0%A1%E7%B6%BA%E8%AB%87

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1040.html

[近代史4] 黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年) 中川隆
1. 中川隆[-11220] koaQ7Jey 2020年9月22日 20:37:52 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[24]
【第239回】『廃校綺談』(黒沢清/1998)

 96年、97年頃の黒沢はとにかく多忙を極めた。監督としての長編映画の仕事は年間4本か5本はザラで、それ以外にもテレビ用の短編作品も手がけていた。今振り返れば、黒沢にとってプログラム・ピクチュアの幸福な時代は既にほぼ終わりに近づいていたのだが、オファーのあった仕事は断らない誠実な仕事ぶりが内外で驚嘆されていた時代でもあった。またしても関西テレビの田中猛彦プロデューサーのオファーで、全3話の『学校の怪談』シリーズの最新作である『学校の怪談f』の話が持ちかけられる。全3話のドラマのうち、第1話と第2話は『リング』の中田秀夫が担当。第3話の26分間を黒沢が担当した。このドラマは制作会議をする時間がなく、脚本家である大久保智康が『CURE』の合間に打ち合わせをしていたのはあまりにも有名なエピソードである。その大久保は『CURE』のエキストラとしても、何シーンも通行人役をやらされたらしい 笑。

30年の歴史を持つ中学校がこの春、少子化の影響で残念ながら廃校になるという。主人公は中学2年生で、この学校よりも偏差値の高い中学校への編入が予定されている。ほとんどの生徒は残りわずかとなったこの学校での生活にやる気をなくし、クラスは学級崩壊のような様相を呈している。冒頭、高橋洋扮する校長先生のVTRでの講話が実に胡散臭い 笑。その思いは例によって生徒たちにはまったく響かない。主人公である友田(大沢健人)も友人である梶との残りわずかな友情を楽しもうとしている。

ホラー映画というよりも、まず目につくのはこの学校の殺伐とした無機質さであろう。担任であるベンガルも、用務員である諏訪太朗も明らかに大人が子供に接することを逸脱したヒステリックな教育を行っており、特に諏訪太朗の主人公をトイレに押し込める行動は明らかに常軌を逸している。後半のベンガルと主人公との会話の隔たりを明示する場面は、後の『トウキョウソナタ』においても井之脇海とアンジャッシュ児島のやりとりで繰り返される。それどころか8mm時代の処女作である『六甲』や続く『暴力教師・白昼大殺戮』でのサディズムな教師と、それを冷めた目で見つめる生徒とのコミュニケーションにも呼応する。黒沢映画において小学校や中学校、高校も連帯や仲良しとは程遠い事務的で冷たい関係性が目につく。彼は子供がいないため、商業映画の監督になってからはあまりそういう場面を積極的に書こうとはしないのだが、時折こういう委託された仕事の中にひょっこりと顔を出す。黒沢映画の弱点として、子供がまったく子供らしくないというのがある。

学級委員の円山都(鈴木未佳)は、学校の思い出をアルバムにして残そうとクラス会で提案するが、誰一人として関心がない。ここで円山に意見を言うよう指名された友田は、「やっても仕方ないのでは」と軽くたしなめるような言動をつぶやき、賞賛される。この思いがけない賞賛への戸惑いも『トウキョウソナタ』の原型とも言えるやりとりである。その後、円山と友田の微妙な隔たりがやがて思いもかけないような恐怖のきっかけとなる。それは大袈裟に言うならば、学校の思い出を大切に取っておきたい人たちと、思い出には固執せず、未来に向けて歩きたい人たちとのイデオロギー闘争である。まるで『カリスマ』における木を守る側と破壊する側の対立の構図が、この中学生の短編の中にもしっかりと潜んでいる。理科室の壁を破壊した犯人に対し、担任であるダンカンはただただ嘆き怒るのである。

風にたなびくカーテン、横移動の際、左側の抜けにいる幽霊など、その後の黒沢の恐怖の根拠が実に分かりやすい形で提示されている。半透明カーテンは、ここでは保健室のベッドのシートに敷かれている。保健室にあれ程異様なベッドもないと思うが 笑、友田はベッドの下に段ボールからこぼれた地球儀を転がしてしまう。その地球儀を拾うために彼の小柄な体はベッドの下に潜り込み、半透明カーテンを隔てたこちらの世界とあちらの世界はここであっさりと完成する。けたたましい物音と同時に、髪を振り乱した女の幽霊がゆっくりと近づいてくるのである。ホラー演出とは直接関係ないが、彼が地球儀で真っ先に無邪気に指差したのはアメリカという「ここでもないどこか」であることも忘れてはならない。

後半には幽霊に追い詰められる被害者となった諏訪太朗の姿があり、段ボールとゴミの山への唐突なダイブもある。『893タクシー』や『勝手にしやがれ!!』シリーズや『ニンゲン合格』や『トウキョウソナタ』で何度も繰り広げられた黒沢映画の刻印が観る者をたちまち魅了する。知らない人はきっと唐突な出来事だなと思うに違いない 笑。

エレベーターに出た幽霊は逃げられない閉所の出来事であるが、どういうわけかそれ程怖くない。それ以上に怖いのは屋上から手招きする少年の右手の身振りである。幽霊はあまりにも近づいてくると大して怖くないが、ロングの引き絵で一度観せられた後、急にアップになることほど恐いものはない。そうでなくても黒沢は『大いなる幻影』や『回路』のように高所から人を落とすから気が気ではない 笑。やがて佐野の証言により驚くべき秘密が明らかにされ、友田が彼の机の中身を引っ張り出すところは、新作『岸辺の旅』での一瞬での廃墟化に呼応する。この頃から黒沢の中には今につながるテイストがあったのである。

クライマックスの解釈は、黒沢フリークの中でも常に議論される『カリスマ』に次ぐ難問であるが、私はこう読む。主人公である友田も幽霊と交流を持っているが、同じように学級委員の円山も幽霊と交流しているのである。この学校に住む幽霊は冒頭、一瞬だけ校庭に後ろ向きで出て来る。おそらくあの幽霊の手配により、円山はこの学校の思い出を残そうと必死になるが、ほとんどの生徒はついてこない。だからこそのクライマックスのあの物体の落下だと推察するがどうだろうか?黒沢の純然たるホラー短編でありながら、ラストの解釈に黒沢フリークス度が試される1本である。

https://note.com/compactdisco/n/n09b32f4ca195
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1040.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
22. 中川隆[-11219] koaQ7Jey 2020年9月22日 20:38:53 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[26]
黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1040.html
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[近代史4] 黒沢清 蛇の道 (大映 1998年)
黒沢清 蛇の道 (大映 1998年)




監督 黒沢清
脚本 高橋洋
撮影 たむらまさき
音楽 吉田光
製作年 1998年
配給 大映


キャスト


新島直巳 哀川翔
宮下辰雄 香川照之
大槻 下元史朗
檜山 柳憂怜
有賀 翁華栄
コメットさん 砂田薫
少年 丹治匠
少女 佐藤加奈
宮下絵美 小田彩美
新島の娘 田中瑞穂
岡林 森裕悟
新山和敬
小鷲佳敬
臼井秀雄
大島孟


幼い娘を殺された男と、彼に手を貸した謎の男が繰り広げる復讐劇を描いたバイオレンス・ドラマ。


監督は「CURE」の黒沢清。脚本は「リング」の高橋洋。撮影を「萌の朱雀」の田村正毅が担当している。主演は「虹をつかむ男 南国奮斗篇」の哀川翔と、「RAMPO」の香川照之。16ミリからのブローアップ。



映画のストーリー


幼い愛娘を暴行の末、殺害された宮下は、偶然知り合った塾の講師・新島の協力を得て、犯人への復讐を企んでいた。ある組織の幹部・大槻を拉致監禁した彼らは、拷問にも似たやり方で実行犯を暴こうとする。やがて、大槻の口から檜山という男の名前があがった。ところが、その名前を聞いた途端、宮下がひどく狼狽し始めたのである。彼は以前、その男と関係を持っており、彼の恐ろしさを知っていたのだ。それでも、次第にイニシアティヴを持ち始めていた新島の勢いに押されて、宮下は檜山を拉致。大槻と共に監禁し、娘を殺害した犯人の名前を吐かせようとする。ところが、新島が宮下に黙って、大槻と檜山にある提案をしてしまう。適当な名前を出して、犯人をでっちあげようというのだ。保身の為に、大槻たちは有賀という名前をあげる。一方その頃、檜山の女・コメットさんが、檜山捜索に乗り出していた。おとなしそうな容貌とは裏腹に、執念深い彼女の手は徐々に宮下らに迫ってくる。そんなこととは露知らず、新島をすっかり信用しきっている宮下は、罪を擦りつけあう大槻らを殺すと、新島と共に有賀拉致に乗り出した。いよいよ捕らえた有賀を連れて、ふたりは宮下の娘が殺害され、その模様がビデオに収録されたある廃工場へ赴く。そこは、新島の娘が暴行殺害された現場でもあった。宮下は、新島の娘もまた、大槻や檜山たちが製作したロリコンビデオの犠牲者だったことを、そこで初めて知る。宮下の行方を追って、工場へやってきたコメットさん一味。宮下と新島は、憎き組織を次々に銃殺していく。だが、その最後に新島が宮下を殴り倒した。実は、宮下もロリコンビデオの販売の担当として組織に絡んでおり、新島はそんな宮下を利用して、組織壊滅を狙ったのだ。宮下を監禁した新島は、復讐の最後として、宮下の娘が殺される模様を収めたビデオを彼に観せるのだった…。


https://movie.walkerplus.com/mv30828/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1041.html

[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
23. 中川隆[-11218] koaQ7Jey 2020年9月22日 21:06:44 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[28]
黒沢清 蛇の道 (大映 1998年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1041.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c23
[近代史5] 1985年8月12日 日本航空123便墜落事故は自衛隊がミサイルで撃墜した? 中川隆
1. 中川隆[-11217] koaQ7Jey 2020年9月23日 06:33:29 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[37]
2020.09.23
米国のインド・太平洋戦略に中国が対抗の姿勢
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009230000/
 アメリカは2018年5月、太平洋軍という名称をインド・太平洋軍へ変更した。太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱おうというわけである。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ構図になるという。

 アングロ・サクソンにはユーラシア大陸の沿岸地域を支配し、内陸部を締め上げていくという長期戦略がある。その戦略をまとめ、1904年に発表したのが地政学の父とも呼ばれているイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。アメリカのインド・太平洋戦略はアングロ・サクソンの長期戦略と合致している。

 太平洋からインド洋にかけての海域は、中国が進めている一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」と重なる。この構想を習近平国家主席が北京で開かれたアジア太平洋経済協力首脳会議で提唱したのは2014年11月だが、始めて口にしたのは2013年の秋。これ以降、中国はアメリカとの関係を見直し、自立の道を歩み始めた。2019年3月にはイタリアがBRIに参加する。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、2014年は国際関係を大きく変える出来事が引き起こされた。2月にバラク・オバマ政権のネオコン(シオニストの一派)はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させてビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、9月から12月にかけては香港で反中国運動、「佔領行動(雨傘運動)」を仕掛けた。ウクライナではイスラエル、香港ではイギリスと手を組んでいる。そうした出来事はロシアと中国を急接近させることになった。

 2015年1月にロシアを中心とするEAEU(ユーラシア経済連合)が創設された。現在のメンバー国はアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、そしてロシア。同年5月にそのEAEUとBRIが連結すると宣言される。ロシアと中国が戦略的同盟関係に入ったことを象徴する出来事だ。

 アメリカは新疆ウイグル自治区にジハード傭兵を侵入させ、アフガニスタンでは軍事介入を続けているが、その理由のひとつはBRI潰しだと見られている。ジハード傭兵の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。ワッハーブ派はミャンマー、インドネシア、フィリピンなどでも活動している。

 アメリカのインド・太平洋戦略は中国と同盟関係にあるロシアも刺激し、ロシアと中国をさらに接近させることになったが、この戦略は日本も無縁ではない。安倍晋三首相は2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で、「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたという。その安倍が直前に会談したという中国の習近平国家主席は軍部に対し、南シナ海と台湾の監視を強め、戦争の準備をするように命じたと伝えられている。

 中曽根康弘は首相に就任した直後の1983年1月にアメリカを訪問、その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受けた。その中で「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。中曽根は「不沈空母」でなく「巨大空母」と表現したとうが、本質的な差はない。

 ソ連を想定しているので、日本を不沈空母(巨大空母)とした上で4海峡封鎖を中曽根は口にしたのだろうが、相手が中国になると、沖縄から台湾にかけての西南諸島が重要になる。

 アメリカのドナルド・トランプ政権は8月にアレックス・アザー保健福祉長官を、また9月17日にはキース・クラッチ国務次官を台湾へ派遣、蔡英文総統と会談させているが、これは1979年にアメリカが台湾との関係を絶ってから初めてのことで、中国との関係を見直すシグナルと見られる行為だ。こうした訪問に中国は強く反発することは台湾も予想していただろう。これは沖縄におけるアメリカや日本の軍事的な動きと連動していると見られても仕方がない。

 ところで、中曽根の訪米から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖にエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群を終結させ、艦隊演習「フリーテックス83」を実施した。この大規模な演習を報道しなかった日本のマスコミは国外のメディアから嘲笑されている。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとも伝えられている。

 この艦隊演習から4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空の007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。航空機はアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行した後にカムチャツカを横切り、ソ連側の警告を無視して飛び続けてサハリンで再び領空を侵犯、モネロン島の上空で撃墜されたとされている。

 その年の11月にアメリカ軍は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備、NATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画していた。この演習では核攻撃のシミュレーションも行われることになっていたのだが、これをKGBは「偽装演習」だと疑う。ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、ソ連側は応戦の準備を始めた。そこでNATOは演習を中止しているが、非常に危険な状況にあったことは間違いない。

 そうした出来事があってから2年後の1985年8月12日、羽田空港から伊丹空港へ向かっていた日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落、乗員乗客524名のうち520名が死亡している。この墜落に自衛隊が関係している可能性は高いが、その当時、アメリカ軍も自衛隊もまだ軍事的な緊張は高かったはずだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009230000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/311.html#c1

[番外地8] 危険な農薬が付着した食品が知らぬ間に日本に輸入され ている
安倍首相は日本人を病気にしてもアメリカを儲けさせた
から欧米で人気が出たんですね:

危険な農薬が付着した食品が知らぬ間に日本に輸入され
ている

「アメリカ政府の圧力は日本の食卓にも影響が出ていて
対岸の火事ではないですよ」(流通ジャーナリスト)

 日本国内の移動の全面解禁を目前に控えた6月18日、
厚労省は「ジフェノコナゾール」という耳慣れない農薬
を、ひっそりと食品添加物に指定した。

 食品表示一元化検討会委員を務めたことのある薬学博
士の中村幹雄さんは、こう説明する。

「これは“ポストハーベスト農薬”と呼ばれる類いのも
ので、じゃがいもの収穫後に防かび剤として散布されま
す。ジフェノコナゾールは浸透性が高いため、じゃがい
もを洗ったり皮をむいたりしても、その内側に残留する
可能性があります。今後、アメリカ産などのじゃがいも
には添加物として、この“ポストハーベスト農薬”が散
布されるリスクがあるのです」

 こうした規制緩和は今後も続く見通しだ。

「オレンジやレモンなどの柑橘類に使われている『アゾ
キシストロビン』という農薬も、近々、じゃがいもの防
かび剤として使えるようになります。(厚労省の)薬
事・食品衛生審議会で審議中ですが、食品安全委員会は
許可を出しているので、時間の問題です。なぜこうした
変更が続いているかというと、輸出を増やしたいアメリ
カ側の圧力に日本政府が屈したからです」(前出・中村
さん)

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/395.html

[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
32. 中川隆[-11216] koaQ7Jey 2020年9月23日 07:57:49 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[39]
「音楽&オーディオ」の小部屋
ここだけの話にして欲しいのですが・・ 2020年09月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8


先日のことだがオークションにワーフェデール(英国)の口径38センチ(15インチ)のユニットが1本出品されていた。

お値段は「13,800円」と超安いうえに、音がメチャいいとされている「赤帯マグネット」付き!

我が家のウェストミンスター(箱)に使えそうなユニットなので落札したいところだが、なんといってもペアとしてあと1本欲しいところ。

そこでヨーロッパのSPユニットに関して独自の輸入ルートをお持ちの「T」さん(東海地方)に伺ってみた。

「現在オークションにワーフェデールの口径38センチのユニットが1本出品されてます。落札したいのですが、ステレオ用としてあと1本欲しいところです。

そこで、T様のルートから同じ口径38センチが手に入る可能性はありますでしょうか。まことに勝手のいいご相談ですが、いかがなものでしょうか。」

すると、ご親切にも次のような返信があった。

「お元気ですか。

ご照会の件ですが、当該のオークションも覗いてみましたが、アルニコの15インチタイプはなかなか見つけられないと思います。

15インチはどちらかというとアメリカ人好みのようで、イギリス国内では、Wharfedaleに限らず、15インチのユニットそのものが、あまり見受けられないように思います。
ご期待にそえず申し訳ありませんが、これに懲りず、また何かありましたら、いつでもご照会なり、ご相談なりしてください。 では、失礼いたします。」

というわけで、手に入れるのが難しいとなればオークションの出品物を諦めざるを得ない。1本だけではどうしようもないしねえ〜。

さて、ここで何が言いたいのかといえば、イギリスでは15インチ(38センチ)のユニットがあまり見受けられないということ。

たしかにグッドマンやワーフェデールなどの有名どころにしても、15インチがあることはあるがめったに見かけないし、タンノイもあることはあるが使えるのはせいぜい往年のモニター・シルヴァー、レッドあたりまでだろう。

後日、この件を「北国の真空管博士」にご注進したところ次のようなコメントがあった。

「そうなんです。イギリスは口径30センチのユニットが圧倒的に多いです。音のスピード感と繊細な表現力と適度な量感をマッチングさせるとなると口径30センチのユニットがベストと考えているのでしょう。

私もそう思います。したがって、あなたのユニットの選択は間違っていないと思いますよ。口径38センチのユニットを思いどおりに動かすのはたいへんです。タンノイの昔のユニットがなぜいいかというと、コーン紙の重さが軽いのも一因でしょう。」

口径38センチのユニットはそれなりの魅力もあるのだが、どうしても空気を押し出す量と抵抗、そしてコーン紙の重さを考え合わせると、音声信号に対する追従性に問題が出てきそうに思えて仕方がない。

そういうネックがあるので我が家のユニットはウェストミンスター内蔵のユニットまで含めてウーファー系はすべて「口径30センチ」に留めている。

もちろん我が家で常用している小出力の「3極管シングル」アンプとの絡みもあるので一概には言えないが、これまで使ってきた口径38センチのユニットはJBLの「D130」やタンノイなどすべてオークションに放出してしまった。

この画像はウェストミンスターに内蔵しているワーフェデールの赤帯マグネット付きのユニット(口径30センチ)だが、これでも低音域にいっさい不満が無い。

   

そういえば、タンノイの創始者「G.R.ファウンテン」氏が愛用していたのは「オートグラフ」ではなく、口径25センチの「イートン」だったことはよく知られている。

これがイギリス人の良識あるオーディオ観といっていいだろう。

自分もタンノイは「VLZ・イン・オリジナル・キャビネット」「インパルス15」「ウェストミンスター」と使ってきたものの、一番バランスが良かったのは最初に使った「VLZ」だった。今となっては手放さなきゃよかった(笑)。

まあ、「口径38センチ」のユニットが好きという方もいるので、こればかりは好き好きだし、さらには箱の容量とかパワーアンプの出力との兼ね合いもあるので一律には論じられないが肝心の「お耳のセンス」の方は「?」だと内心秘かに思っている。

もちろん、いろいろと差し障りがあるのでこれは「ここだけの話」にしていただくと大いに助かります(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c32

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
7. 中川隆[-11215] koaQ7Jey 2020年9月23日 07:58:44 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[40]
「音楽&オーディオ」の小部屋
ここだけの話にして欲しいのですが・・ 2020年09月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8


先日のことだがオークションにワーフェデール(英国)の口径38センチ(15インチ)のユニットが1本出品されていた。

お値段は「13,800円」と超安いうえに、音がメチャいいとされている「赤帯マグネット」付き!

我が家のウェストミンスター(箱)に使えそうなユニットなので落札したいところだが、なんといってもペアとしてあと1本欲しいところ。

そこでヨーロッパのSPユニットに関して独自の輸入ルートをお持ちの「T」さん(東海地方)に伺ってみた。

「現在オークションにワーフェデールの口径38センチのユニットが1本出品されてます。落札したいのですが、ステレオ用としてあと1本欲しいところです。

そこで、T様のルートから同じ口径38センチが手に入る可能性はありますでしょうか。まことに勝手のいいご相談ですが、いかがなものでしょうか。」

すると、ご親切にも次のような返信があった。

「お元気ですか。

ご照会の件ですが、当該のオークションも覗いてみましたが、アルニコの15インチタイプはなかなか見つけられないと思います。

15インチはどちらかというとアメリカ人好みのようで、イギリス国内では、Wharfedaleに限らず、15インチのユニットそのものが、あまり見受けられないように思います。
ご期待にそえず申し訳ありませんが、これに懲りず、また何かありましたら、いつでもご照会なり、ご相談なりしてください。 では、失礼いたします。」

というわけで、手に入れるのが難しいとなればオークションの出品物を諦めざるを得ない。1本だけではどうしようもないしねえ〜。

さて、ここで何が言いたいのかといえば、イギリスでは15インチ(38センチ)のユニットがあまり見受けられないということ。

たしかにグッドマンやワーフェデールなどの有名どころにしても、15インチがあることはあるがめったに見かけないし、タンノイもあることはあるが使えるのはせいぜい往年のモニター・シルヴァー、レッドあたりまでだろう。

後日、この件を「北国の真空管博士」にご注進したところ次のようなコメントがあった。

「そうなんです。イギリスは口径30センチのユニットが圧倒的に多いです。音のスピード感と繊細な表現力と適度な量感をマッチングさせるとなると口径30センチのユニットがベストと考えているのでしょう。

私もそう思います。したがって、あなたのユニットの選択は間違っていないと思いますよ。口径38センチのユニットを思いどおりに動かすのはたいへんです。タンノイの昔のユニットがなぜいいかというと、コーン紙の重さが軽いのも一因でしょう。」

口径38センチのユニットはそれなりの魅力もあるのだが、どうしても空気を押し出す量と抵抗、そしてコーン紙の重さを考え合わせると、音声信号に対する追従性に問題が出てきそうに思えて仕方がない。

そういうネックがあるので我が家のユニットはウェストミンスター内蔵のユニットまで含めてウーファー系はすべて「口径30センチ」に留めている。

もちろん我が家で常用している小出力の「3極管シングル」アンプとの絡みもあるので一概には言えないが、これまで使ってきた口径38センチのユニットはJBLの「D130」やタンノイなどすべてオークションに放出してしまった。

この画像はウェストミンスターに内蔵しているワーフェデールの赤帯マグネット付きのユニット(口径30センチ)だが、これでも低音域にいっさい不満が無い。

   

そういえば、タンノイの創始者「G.R.ファウンテン」氏が愛用していたのは「オートグラフ」ではなく、口径25センチの「イートン」だったことはよく知られている。

これがイギリス人の良識あるオーディオ観といっていいだろう。

自分もタンノイは「VLZ・イン・オリジナル・キャビネット」「インパルス15」「ウェストミンスター」と使ってきたものの、一番バランスが良かったのは最初に使った「VLZ」だった。今となっては手放さなきゃよかった(笑)。

まあ、「口径38センチ」のユニットが好きという方もいるので、こればかりは好き好きだし、さらには箱の容量とかパワーアンプの出力との兼ね合いもあるので一律には論じられないが肝心の「お耳のセンス」の方は「?」だと内心秘かに思っている。

もちろん、いろいろと差し障りがあるのでこれは「ここだけの話」にしていただくと大いに助かります(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c7

[リバイバル3] 口径38センチ(15インチ)のユニットではまともな音は出ない 中川隆
1. 中川隆[-11214] koaQ7Jey 2020年9月23日 07:59:23 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[41]
「音楽&オーディオ」の小部屋
ここだけの話にして欲しいのですが・・ 2020年09月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8


先日のことだがオークションにワーフェデール(英国)の口径38センチ(15インチ)のユニットが1本出品されていた。

お値段は「13,800円」と超安いうえに、音がメチャいいとされている「赤帯マグネット」付き!

我が家のウェストミンスター(箱)に使えそうなユニットなので落札したいところだが、なんといってもペアとしてあと1本欲しいところ。

そこでヨーロッパのSPユニットに関して独自の輸入ルートをお持ちの「T」さん(東海地方)に伺ってみた。

「現在オークションにワーフェデールの口径38センチのユニットが1本出品されてます。落札したいのですが、ステレオ用としてあと1本欲しいところです。

そこで、T様のルートから同じ口径38センチが手に入る可能性はありますでしょうか。まことに勝手のいいご相談ですが、いかがなものでしょうか。」

すると、ご親切にも次のような返信があった。

「お元気ですか。

ご照会の件ですが、当該のオークションも覗いてみましたが、アルニコの15インチタイプはなかなか見つけられないと思います。

15インチはどちらかというとアメリカ人好みのようで、イギリス国内では、Wharfedaleに限らず、15インチのユニットそのものが、あまり見受けられないように思います。
ご期待にそえず申し訳ありませんが、これに懲りず、また何かありましたら、いつでもご照会なり、ご相談なりしてください。 では、失礼いたします。」

というわけで、手に入れるのが難しいとなればオークションの出品物を諦めざるを得ない。1本だけではどうしようもないしねえ〜。

さて、ここで何が言いたいのかといえば、イギリスでは15インチ(38センチ)のユニットがあまり見受けられないということ。

たしかにグッドマンやワーフェデールなどの有名どころにしても、15インチがあることはあるがめったに見かけないし、タンノイもあることはあるが使えるのはせいぜい往年のモニター・シルヴァー、レッドあたりまでだろう。

後日、この件を「北国の真空管博士」にご注進したところ次のようなコメントがあった。

「そうなんです。イギリスは口径30センチのユニットが圧倒的に多いです。音のスピード感と繊細な表現力と適度な量感をマッチングさせるとなると口径30センチのユニットがベストと考えているのでしょう。

私もそう思います。したがって、あなたのユニットの選択は間違っていないと思いますよ。口径38センチのユニットを思いどおりに動かすのはたいへんです。タンノイの昔のユニットがなぜいいかというと、コーン紙の重さが軽いのも一因でしょう。」

口径38センチのユニットはそれなりの魅力もあるのだが、どうしても空気を押し出す量と抵抗、そしてコーン紙の重さを考え合わせると、音声信号に対する追従性に問題が出てきそうに思えて仕方がない。

そういうネックがあるので我が家のユニットはウェストミンスター内蔵のユニットまで含めてウーファー系はすべて「口径30センチ」に留めている。

もちろん我が家で常用している小出力の「3極管シングル」アンプとの絡みもあるので一概には言えないが、これまで使ってきた口径38センチのユニットはJBLの「D130」やタンノイなどすべてオークションに放出してしまった。

この画像はウェストミンスターに内蔵しているワーフェデールの赤帯マグネット付きのユニット(口径30センチ)だが、これでも低音域にいっさい不満が無い。

   

そういえば、タンノイの創始者「G.R.ファウンテン」氏が愛用していたのは「オートグラフ」ではなく、口径25センチの「イートン」だったことはよく知られている。

これがイギリス人の良識あるオーディオ観といっていいだろう。

自分もタンノイは「VLZ・イン・オリジナル・キャビネット」「インパルス15」「ウェストミンスター」と使ってきたものの、一番バランスが良かったのは最初に使った「VLZ」だった。今となっては手放さなきゃよかった(笑)。

まあ、「口径38センチ」のユニットが好きという方もいるので、こればかりは好き好きだし、さらには箱の容量とかパワーアンプの出力との兼ね合いもあるので一律には論じられないが肝心の「お耳のセンス」の方は「?」だと内心秘かに思っている。

もちろん、いろいろと差し障りがあるのでこれは「ここだけの話」にしていただくと大いに助かります(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1020.html#c1

[リバイバル3] 1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理 中川隆
12. 中川隆[-11213] koaQ7Jey 2020年9月23日 08:00:09 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[42]
「音楽&オーディオ」の小部屋
ここだけの話にして欲しいのですが・・ 2020年09月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8


先日のことだがオークションにワーフェデール(英国)の口径38センチ(15インチ)のユニットが1本出品されていた。

お値段は「13,800円」と超安いうえに、音がメチャいいとされている「赤帯マグネット」付き!

我が家のウェストミンスター(箱)に使えそうなユニットなので落札したいところだが、なんといってもペアとしてあと1本欲しいところ。

そこでヨーロッパのSPユニットに関して独自の輸入ルートをお持ちの「T」さん(東海地方)に伺ってみた。

「現在オークションにワーフェデールの口径38センチのユニットが1本出品されてます。落札したいのですが、ステレオ用としてあと1本欲しいところです。

そこで、T様のルートから同じ口径38センチが手に入る可能性はありますでしょうか。まことに勝手のいいご相談ですが、いかがなものでしょうか。」

すると、ご親切にも次のような返信があった。

「お元気ですか。

ご照会の件ですが、当該のオークションも覗いてみましたが、アルニコの15インチタイプはなかなか見つけられないと思います。

15インチはどちらかというとアメリカ人好みのようで、イギリス国内では、Wharfedaleに限らず、15インチのユニットそのものが、あまり見受けられないように思います。
ご期待にそえず申し訳ありませんが、これに懲りず、また何かありましたら、いつでもご照会なり、ご相談なりしてください。 では、失礼いたします。」

というわけで、手に入れるのが難しいとなればオークションの出品物を諦めざるを得ない。1本だけではどうしようもないしねえ〜。

さて、ここで何が言いたいのかといえば、イギリスでは15インチ(38センチ)のユニットがあまり見受けられないということ。

たしかにグッドマンやワーフェデールなどの有名どころにしても、15インチがあることはあるがめったに見かけないし、タンノイもあることはあるが使えるのはせいぜい往年のモニター・シルヴァー、レッドあたりまでだろう。

後日、この件を「北国の真空管博士」にご注進したところ次のようなコメントがあった。

「そうなんです。イギリスは口径30センチのユニットが圧倒的に多いです。音のスピード感と繊細な表現力と適度な量感をマッチングさせるとなると口径30センチのユニットがベストと考えているのでしょう。

私もそう思います。したがって、あなたのユニットの選択は間違っていないと思いますよ。口径38センチのユニットを思いどおりに動かすのはたいへんです。タンノイの昔のユニットがなぜいいかというと、コーン紙の重さが軽いのも一因でしょう。」

口径38センチのユニットはそれなりの魅力もあるのだが、どうしても空気を押し出す量と抵抗、そしてコーン紙の重さを考え合わせると、音声信号に対する追従性に問題が出てきそうに思えて仕方がない。

そういうネックがあるので我が家のユニットはウェストミンスター内蔵のユニットまで含めてウーファー系はすべて「口径30センチ」に留めている。

もちろん我が家で常用している小出力の「3極管シングル」アンプとの絡みもあるので一概には言えないが、これまで使ってきた口径38センチのユニットはJBLの「D130」やタンノイなどすべてオークションに放出してしまった。

この画像はウェストミンスターに内蔵しているワーフェデールの赤帯マグネット付きのユニット(口径30センチ)だが、これでも低音域にいっさい不満が無い。

   

そういえば、タンノイの創始者「G.R.ファウンテン」氏が愛用していたのは「オートグラフ」ではなく、口径25センチの「イートン」だったことはよく知られている。

これがイギリス人の良識あるオーディオ観といっていいだろう。

自分もタンノイは「VLZ・イン・オリジナル・キャビネット」「インパルス15」「ウェストミンスター」と使ってきたものの、一番バランスが良かったのは最初に使った「VLZ」だった。今となっては手放さなきゃよかった(笑)。

まあ、「口径38センチ」のユニットが好きという方もいるので、こればかりは好き好きだし、さらには箱の容量とかパワーアンプの出力との兼ね合いもあるので一律には論じられないが肝心の「お耳のセンス」の方は「?」だと内心秘かに思っている。

もちろん、いろいろと差し障りがあるのでこれは「ここだけの話」にしていただくと大いに助かります(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ad107d1a479a509fc37b820ddac9a3f8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html#c12

[番外地8] 「縄文人」では、現代日本人で多数派のY-DNA D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません。 中川隆
1. 中川隆[-11212] koaQ7Jey 2020年9月23日 09:39:49 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[44]
「縄文人」では、現代日本人で多数派のY-DNA D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません。
これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します。
現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する可能性が高いのです。

つまり

縄文人・アイヌ人は D1a2b でアイヌ語を話していた

四川省の稲作民・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人はD1a2a で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた

日本人は半島の先住民
半島人は満州の先住民
アイヌは日本列島の先住民
皇族はソウルに居た華僑

縄文人は東日本に10万程度、関西はほぼ無人、山の中にしか住んでいないから日本人とは混血していない

というのが今の定説です:

日本語は半島の無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50  


http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/375.html#c1

[番外地8] 林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんだよ。 中川隆
4. 中川隆[-11211] koaQ7Jey 2020年9月23日 09:52:18 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[46]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語

というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族 jyouka

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/363.html#c4

[番外地8] 最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。 中川隆
2. 中川隆[-11210] koaQ7Jey 2020年9月23日 09:52:49 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[47]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語

というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族 jyouka

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/312.html#c2

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
17. 中川隆[-11209] koaQ7Jey 2020年9月23日 09:59:17 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[48]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語

というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族 jyouka

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c17

[番外地8] 林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんだよ。 中川隆
5. 中川隆[-11208] koaQ7Jey 2020年9月23日 09:59:56 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[49]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無紋土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。

縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無紋土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語

というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族 jyouka

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/363.html#c5

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
9. 中川隆[-11207] koaQ7Jey 2020年9月23日 11:06:29 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[51]
ハプロに付く*マークはその下のサブグループのうちのいずれかという意味であり、
D1a2a*の中にD1a2a2aは含まれる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c9
[番外地8] 「縄文人」では、現代日本人で多数派のY-DNA D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません。 中川隆
3. 中川隆[-11206] koaQ7Jey 2020年9月23日 11:32:00 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[52]
626世界@名無史さん2020/09/23(水) 09:24:39.030

本土人は8割、9割が渡来系の大陸人のDNAなんだから縄文人の子孫というのは違和感が
渡来人の子孫というならわかる

627世界@名無史さん2020/09/23(水) 09:31:46.760
>>626
純粋な先住民は一緒ににいるうちに混ざり合いになる。
これを重要するような事でもないな。

628世界@名無史さん2020/09/23(水) 09:36:06.790>>637
そもそも縄文人は10万人で山の中にしか住んでいないんだから混血なんかしないよ
「縄文人」では、現代日本人で多数派のY-DNA D1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません。
これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します。
現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する可能性が高いのです。

つまり

縄文人・アイヌ人は D1a2b でアイヌ語を話していた

四川省の稲作民・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人はD1a2a で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた

日本人は半島の先住民
半島人は満州の先住民
アイヌは日本列島の先住民
皇族はソウルに居た華僑

で相互には混血していない。

629世界@名無史さん2020/09/23(水) 09:40:56.220
同和部落民も日本人とは結婚できなかったから純血のままだったよ

630世界@名無史さん2020/09/23(水) 09:44:46.480
今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、同和部落民だけです。
同和部落民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです

631世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:03:20.550
そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

632世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:14:44.940
>>613-628
「縄文人はアイヌ」「弥生人は朝鮮人」という条件が真であるとき
「朝鮮人は縄文人」「アイヌは弥生人」もまた真である

となれば当然
「日本人は弥生人」「日本人は縄文人」
「沖縄人は弥生人」「沖縄人は縄文人」
も成り立つのである

Q.E.D. 証明終了

和人を朝鮮人の変種と言い張る時、漢人もまた朝鮮人の変種である
故に支那は西朝鮮、日本は東朝鮮、そしてアイヌは東北朝鮮土人と呼ぶことが適切である

文句あるか?

633世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:21:44.160>>638
朝鮮には最初は日本人が住んでいたんだよ
その後、満州から南下したツングース系の朝鮮人に追い出されたんだ

634世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:23:25.190
倭人と日本人はきちんと区別しよう
アイヌと縄文の区別がつかない人みたいになるぞ

635世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:28:00.140
倭人は長江の稲作漁労民の事だよ
日本人は朝鮮にいた縄文人と長江人が混血してできた稲作民だ

636世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:28:49.300
朝鮮にいた縄文人と日本の縄文人はDNAが違うんだ

637世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:29:16.100
>>628
はい
しったか乙
いや〜〜〜君何から何まで間違っててほんま関心するわ〜〜〜www
もっと踊って💛


北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800-3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体は、ハプログループD1a2a2a(D-CTS220)であった[20][21]。
これにより「ハプログループD1a2a系統は縄文系である」という従来からの仮説が立証された。


ねえねえ
ところで君のコピペ別の場所で見つけたんだけど
もしかして君この投稿の中川隆くん本人?
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/114.html

638世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:32:35.780
>>633
朝鮮人はツングースではない
朝鮮人の遺伝子は中国人と縄文人の混血であり、ツングースよりも中国南方民族の方がはるかに近縁

だいたいエベンキツングースがこんな汚い地に居つくワケないだろ
あの唐も遼も清も直接統治を諦めた呪われた半島だぞ

639世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:34:33.420>>640>>642
>朝鮮人の遺伝子は中国人と縄文人の混血であり、ツングースよりも中国南方民族の方がはるかに近縁


それは現代の朝鮮人だろ
6000年前に長江系の稲作民がいて、その後ツングースと漢民族が入ってきて混血したんだよ

640世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:36:23.780
>>639
中川隆くん!

ツングースは関係ないと遺伝子が証明してるよ!
朝鮮はいつも女を貢ぐ側なのにどうやってエベンキになるっていうんだい?
ききみは頭が悪いねえwwww

641世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:37:02.420>>643
百済や高句麗の王家はツングースだよ

642世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:38:56.630
>>639
長江系の稲作民なら中国南方民族そのものだから余計に昔の朝鮮人の方が中国南方人に近縁だろ
そんなことも理解できないでその歳まで生きて来たのか?
頭唐澤未満だな!

643世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:41:52.190
>>641
ツングース語は「善射」を朱蒙や東明それに類する言葉で言わないし
城の事を「庫婁」とも呼ばないだろ

ガチで頭沸いてるな
お前の魂には人権のある人間の肉体は過ぎたる物だからいっぺん死んで虫にでも生まれ変わったら?

644世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:42:05.070>>649
>長江系の稲作民なら中国南方民族そのものだから余計に昔の朝鮮人の方が中国南方人に近縁だろ

朝鮮のO1 が長江系の農耕民だろ
稲作ができるのは長江人だけなのさ

645世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:43:10.840
で?
このガイジは中川隆本人なんか?

646世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:44:39.770
韓国人のルーツは? 北方界でない混血南方系
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 2017年02月02日

韓民族のルーツはどこだろうか。人類・考古学界の一部は、韓民族がアルタイ山脈から出発しモンゴルと満州原野を通って韓半島(朝鮮半島)に入ってきた北方民族だと推定している。これらの地域の人々の言語・風習・顔つきなどと共通点が多いというのがその根拠だった。

だが、科学界の判断は違う。2日、蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST)ゲノム研究所によると、韓民族は3万〜4万年前に東南アジア〜中国東部海岸を経て極東地方に流入して北方人になった南方系狩猟採取人と、新石器時代が始まった1万年前に同じルートで入ってきた南方系農耕民族の血が混ざって形成された。2009年、UNISTは韓民族が東南アジアから北東に移動した南方系の巨大な流れに属しているとサイエンス誌に発表したことがあったが、今回これをより具体化した。

その始まりはロシア・ウラジオストクからやや北の『悪魔の門(Devil’s Gate)』という名称の洞窟から見つかった7700年前の20代と40代女性の頭蓋骨だった。

この地域は韓国の歴史において、旧高句麗・東夫餘・沃沮だった場所だ。ゲノム研究所はスーパーコンピュータを利用してこの頭蓋骨の遺伝子を解読・分析した。

DNA分析の結果、「悪魔の門」の洞窟人は3万〜4万年前に現地に定着した南方系人で、韓国人のように褐色の瞳と凹型の前歯(shovel−shaped incisor)をつくる遺伝子を持っていたと発表された。また、彼らは現代の東アジア人の典型的な遺伝特性を有していた。牛乳が消化できない、高血圧に弱く体臭があまりない、乾いた耳あかが出るなどの遺伝子が代表的だ。この洞窟人は現在近くに住むウルチ(Ulchi)族の先祖と考えられている。周辺の原住民を除けば、現代人のうちでは韓国人が彼らに近い遺伝子を持っていることが判明した。彼らのミトコンドリアDNAの種類も、韓国人が主に持っているものと同じだった。

同研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じだということは母系が同じであることを意味する」とし「2つの人類間の時間的な開きを考慮しても、遺伝子が非常に似通っていると言え、悪魔の門の洞窟人は韓国人の先祖とほぼ同じだと言える」と述べた。

647世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:47:54.570
だが、悪魔の門の洞窟人の遺伝子が韓民族のそれとすべて一致したわけではない。研究陣は正確な韓国人の民族ルーツと構成を計算するために、悪魔の門の洞窟人と現存する東アジア地域50カ所余りの人種に対する遺伝子比較を行った。その結果、悪魔の門の洞窟に住んでいた古代人と、現代ベトナムおよび台湾で孤立している原住民の遺伝子を融合したところ、韓国人の遺伝子を最もよく表していた。時代と生存方式が異なる二つの南方系列の融合だったことを発見した瞬間だった。

だが、現代韓民族の遺伝的構成は1万年前の農耕時代の南方系アジア人にはるかに近い。狩猟採集や遊牧をしていた極東地方の狩猟採取人に比べて、稲作をしていた南方系民族が多くの子供を産みスピーディーに拡散したためだというのがその理由だ。実際、狩猟採集を中心に生活していた過去の極東地方部族たちの現在の人口は多くても数十万人以上にはならない。

パク所長は「巨大な東アジア人の流れの中で、技術発達によって、小さな幹の民族が生じて混ざり合いながら韓民族が形成されたものと推定できる」と説明した。UNISTの研究は国際学術誌「Science Advances(サイエンス・アドバンシズ)」1日付(米国現地時間)に発表された。

648世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:49:46.300>>651
朝鮮人のルーツの悪魔の門はツングース人だよ

649世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:52:17.600
>>644
支那大陸にみられるO1aと日本朝鮮のO1bの分岐年代は31401〜34781年前であり
長江系の農耕民とやらが発生するはるか昔である
故に「朝鮮のO1 が長江系の農耕民」などという頓珍漢な妄説は通用しない

中川くんは「礼文島縄文人骨のY-DNAはD1a2a2a(D-CTS220)でアイヌとは違い、日本人のものだった。アイヌはD1a2a*、D1a2a1aで全く別のY-DNAだ。」ってほざいたね?
ちゃんと見てるよ?
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/216.html

なんで縄文人の遺伝子はそんな細かい最近に分岐した違いばかり見て、O1の方は一番大きい違いを無視するんだい?
ダブルスタンダードは絶対に赦さないよ💢

650世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:55:04.480>>653
長江には沢山の民族がいたんだよ

四川省はD系だし、
それが漢民族に追われてインド、タイ、台湾、雲南省、満州、沿海州、朝鮮、日本に逃げたんだろ
民族も一つじゃないだけさ

651世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:56:15.240
>>648
ツングースも北方モンゴロイドも発生していない時代にそれらが朝鮮人のルーツになれるのか〜
お前違う宇宙に生きてんのなw脱帽だよ
多分お前の生きてる宇宙では超時空太閤ヒデヨシとかコロナで死んだら安倍が来て生き返らせてくるとかあるんだろな〜
面白いからその調子で世界を変えてくれ

652世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:57:09.790>>655
「礼文島縄文人骨のY-DNAはD1a2a2a(D-CTS220)でアイヌとは違い、日本人のものだった。アイヌはD1a2a*、D1a2a1aで全く別のY-DNAだ。」
というのは

雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

からコピペしたんだ。
僕は専門家の書いたものをコピペしてるだけさ。

653世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:57:49.220
>>650
関係ない
お前はO1と言った
男だろ自分の言ったことに責任をとれ中川!

654世界@名無史さん2020/09/23(水) 10:59:39.130
他民族と混血するとDNAが分岐するだけだろ

655世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:00:53.580
>>652
専門家とは匿名のアホのことか?

まあいいアホなお前に特別に教えてやる
ハプロに付く*マークはその下のサブグループのうちのいずれかという意味であり、
D1a2a*の中にD1a2a2aは含まれる
「全く別のY-DNA」と言うのが完全な間違いだ
ちゃんと憶えておけ

656世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:03:23.800>>657>>658
Y染色体ハプログループDの改訂

 恥ずかしながら、3ヶ月近く前(2019年6月19日)に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂していた、と先週(2019年9月第2週)知りました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派のYHg- D1b1がD1a2aに変更されています。「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2bに変更されています。なお「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。もちろん、現時点では東日本の「縄文人」でしかYHgは確認されていないので、今後西日本の「縄文人」でD1a2aが確認される可能性は低くないでしょう。しかし現時点では、現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。

 このように変更された理由は、今年6月10日に公開された研究(Haber et al., 2019B)で、じゅうらいはYHg-DE*とされていたナイジェリア人の系統が、YHg-D0と新たに分類されたためだと思います。新たに提唱された分類名なので、既存の分類名を優先して整合的な分類とするため、D0と提唱された系統はD2にされたのだと思います。この研究は、じゅうらいのYHg-Dの名称を変更せずにすむように、D0という分類名を提案したので、そのままにしておけばよいのではないか、とも思うのですが、門外漢の私が的外れなことを言っているだけかもしれませんので、抗議するつもりも、否定してじゅうらいの分類名を使い続けるつもりもありません。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

657世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:06:04.200
>>656
既に縄文人で確認されてるから時代遅れになったそれを貼る意味はない

658世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:09:07.380
>>656
>「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2bに変更されています

D1a2b (Y34637) アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)

こいつの勘違い、で終わり
D1a2b はアンダマン諸島民のハプロであり縄文人のものではない

659世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:10:35.000>>660
縄文人でも九州にいた部族が違うDNAを持って居て他地域に広がったんだろ:
鬼界カルデラ噴火の影響で縄文時代早期の轟式土器集団が釜山周辺と山陰に移住した
んだよ
約7300年前の鬼界カルデラ噴火は過去1万年では世界最大規模で、火砕流が九州南部にも到達し、九州南部の縄文人を絶滅させたと推測されている。
https://i.imgur.com/MzGV2fP.png


https://i.imgur.com/uVpUZu9.png


その後、6000年前に長江から稲作民が半島に移住して混血したのが日本人
日本語は長江の稲作民が話していた言葉だよ

3000年前に半島の北からツングース人が南下して、日本人は追い出されたんだ

660世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:13:54.100>>662
>>659
遺伝子がそれを否定しているw
無様w

661世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:18:48.880
現代日本の「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団は、漢人系統(84.3%)と「縄文人」系統(15.7%)の混合、もしくは朝鮮人系統(87.6%)と縄文人系統(12.4%)の混合としてモデル化され、両者を統計的に区別できません。
この分析が示唆するのは、日本の「本土」系統が直接的に漢人もしくは朝鮮人によりもたらされた、ということではなく、まだ古代DNAデータの得られていない、漢人と朝鮮人の系統に大きな割合を残した集団と関連した祖先的集団からもたらされた、ということです。

7人の「縄文人」は、紀元前1500〜紀元前1000年頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡の1人と、紀元前3500〜紀元前2000年頃となる千葉市の六通貝塚の6人です。船泊遺跡の方は、高品質なゲノム配列が得られている女性個体ではなく、男性個体が分析対象となっており、
この男性個体はmtHg-N9b1で、YHgは以前D1a2a2b(旧D1b2b)と報告されていましたが(関連記事)、今回はDとのみ報告されています。
六通貝塚の6人のmtHgはいずれもN9bで、さらに詳細に分類されている3人のうち2人がN9b1、1人がN9b2aです。
六通貝塚の6人のうち3人が男性で、YHgはD1a2a1c1(旧D1b1c1)です。

現代日本人のYHg-Dのうち多数派はYHg-D1a2a1(旧D1b1)ですが、これまで「縄文人」で詳細に確認されていたのは現代日本人では少数派のYHg- D1a2a2(旧D1b2)のみでした。

本論文はまだ査読前ですが、これは「縄文人」としては初めて確認されたYHg-D1a2a1の事例になると思います。
これまで、「縄文人」ではYHg-D1a2a1が確認されておらず、YHg- D1a2a2のみだったので、
YHg-D1a2a1が弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も想定していたのですが(関連記事)、
これでYHg-D1a2aが「縄文人」由来である可能性はやはり高い、と言えそうです。
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_41.html

662世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:21:51.580>>663
>>660
>遺伝子がそれを否定しているw

俺は専門家の意見をコピペしてるだけだよ:
九州が握る日本人の謎 古賀英毅
2020/3/13 11:00
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/591652/

国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。
「この人たちが渡来したとするならば、混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。
時期は縄文時代まっただ中の6千年前。
渡来はあったとしても混血は必ずしも必要ないということになる。


土井ヶ浜弥生人 2019年03月30日
https://newwikilihct.memo.wiki/d/%C5%DA%B0%E6%A5%F6%C9%CD%CC%EF%C0%B8%BF%CD

形質は北方新モンゴロイド。
弥生時代の北部九州・山口に分布していた弥生人。頭蓋骨の形質的に純粋な大陸系渡来人だと見られていたが
最新の核ゲノム解析により、少なくとも北部九州弥生人は実は縄文人の遺伝子を受け継いでいることが判明し*1、その割合は東京周辺の現代日本人と同じ1〜2割程度である。

縄文人に近い形質を持つ西北九州弥生人と互いに混血していたようである。
また朝鮮半島南部に進出していた縄文人との混血を経た渡来系弥生人の集団だった可能性もある。
また土井ヶ浜弥生人の居住地域からも西北九州弥生人型の頭蓋骨が発見されており*2、
弥生時代初期段階の縄文系弥生人社会と土井ヶ浜弥生人社会は対立関係になかったと考えられる。

水稲稲作や鉄器を日本に最初にもたらした集団だと考えられている。

核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。
便宜上、この項目では北部九州弥生人も土井ヶ浜弥生人としているが、厳密には北部九州と土井ヶ浜では微妙に違いがある。
現代日本人の頭蓋骨は土井ヶ浜弥生人より北部九州弥生に近い。

663世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:25:13.830
>>662
韓国人がエベンキ人ではなく縄文人だということを証明する専門家の意見をコピペしてありがとう

664世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:26:55.430>>665
ツングース人は狩猟民族で人口が増えなかっただけだよ
百済や高句麗の支配層はツングースの騎馬民族だ

665アイヌ2020/09/23(水) 11:28:05.470
>>664
それを言ってるのはネトウヨだけw

666世界@名無史さん2020/09/23(水) 11:29:46.990
ツングースの満州人も人口が増えなかったから、満州を漢民族に乗っ取られただろ
いくら強くても人口が増えないと滅びるんだよ

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1599068852/l50
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/375.html#c3

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
14. 中川隆[-11205] koaQ7Jey 2020年9月23日 11:58:16 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[53]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
昨日のDITTON15用SPケーブルのW線 2020年09月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8c63591ad3a04ad76ca318044970d108


昨日の記事の続きです。BELDEN 9497の「W線」化を実施しました。

BELDEN 9497はオレンジ色と黒色の2本の線で出来ています。一般的にはオレンジ線を+側に、黒色線をマイナス側に接続して使います。

「W線化」にすると云う事は、オレンジ色と黒色線を合体させて、2本要ると云う事になります。

DITTON15側(O端子)の取り付けです。

アンプ側(Yラグ端子)の取り付けです。

「W線化」する効果は、音数が増えてサウンドが分厚くなり、スケール感が大きくなります。ウーハーだけを見れば「Wウーハー化」に匹敵する音質アップ効果が出ます。

DITTON15は20pウーハーを使った2ウェイの小型SPです。それが1枚目の写真のオリンパスシステムが鳴っていると錯覚する様な大きなスケール感で鳴ってくれます。知らないで聴くと騙されるでしょう。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8c63591ad3a04ad76ca318044970d108
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c14

[近代史5]  「2日に1食が当たり前」働く女性の悲痛な声 コロナで解雇や雇い止め
 「2日に1食が当たり前」働く女性の悲痛な声 コロナで解雇や雇い止め

 ああ、50年前、日本はこんな残酷な国ではなかった。竹中平蔵が登場してから、こうなった 2020年09月23日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1257.html


 「2日に1食が当たり前」働く女性の悲痛な声 コロナで解雇や雇い止め 9月10日
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/643390/

 働く人の5割が非正規、男性の2.5倍

 新型コロナウイルスの感染拡大が、働く女性に深刻な影響を与えている。女性は雇用者に占める非正規の割合が5割超と男性の約2・5倍高く、飲食店の休業などで解雇や雇い止めとなるケースが目立つ。
 女性の非正規労働は、アベノミクスの「雇用創出」を支えてきたが、コロナ禍で「雇用の調整弁」とされている実態が鮮明になった。専門家は「男女間の構造的な格差が改めてあぶり出された」と指摘する。

 「仕事が減り、この先どう生きていけばいいのか。子どもたちには2食で我慢してもらい、私は2日に1食が当たり前です」

 シングルマザーを支援するNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ(東京)には、母親からの悲痛な相談が相次いで寄せられている。同法人などが7月に実施した調査では、母子世帯1388人のうち61・5%が非正規で、半数が収入が減少したと回答。
 平均月収はコロナ禍前から1万2千円減り、10万9千円だったという。

 厚生労働省の集計では、感染拡大に関連する解雇や雇い止めは見込みも含め5万2500人を超えている。同NPOの調査に協力した立教大の湯沢直美教授(社会福祉学)は「生活難で子どもの学費のための貯金がなくなったという声もある。進学断念などで格差が拡大し、固定化する恐れがある」と懸念する。
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コロナ、母子家庭18%で食事減 支出切り詰め、困窮浮き彫り 2020年9月6日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/53697

 新型コロナウイルスの感染拡大で、母子家庭の18・2%が食事回数を減らし、14・8%が1回の食事量を減らしていることが6日、NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」の調査で分かった。勤務先の休廃業や労働時間の短縮で、元から少ない収入がさらに減少。学校給食の停止による食費増などで、支出を切り詰めても困窮状態にあることが浮き彫りとなった。
 ひとり親支援に取り組む同法人の赤石千衣子理事長は「ぎりぎりの生活だったところに新型コロナが追い打ちをかけた。日頃からの政府支援が必要だ」と訴える。
 7月にネットを通じて実施、シングルマザー約1800人から回答を得た
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コロナ長期化で生活困窮が深刻に…母子家庭に届かぬ行政の支援 東京新聞 特報Web
2020/07/27
https://tokuho.tokyo-np.co.jp/n/nb28123d9b211

孤独な子育て 貯金も底つき…
 「子どもを産んだ後、誰にも相談できず不安でいっぱいだった。新型コロナにかかる怖さよりも精神的につらくて死にそうだった」

 大阪市に住むシングルマザーの女性(19)は、こう語る。3月に長男を出産。子どもの父親は育児の責任から逃げ、女性のもとを去った。女性は中学時代に義父から性暴力を受け、母も助けてくれなかったため、頼れない。実家から離れて暮らしながら、1人で子育てせざるをえなかった。

 出産前に勤めた美容室はコロナ禍で業績が悪化し、復職できなくなった。十数万円あった貯金は、すぐ底をついた。育休手当、児童手当、ひとり親世帯に支給される児童扶養手当を合わせ、ひと月に支給されるのは約14万円。生活費の不足に直面した。

空っぽの冷蔵庫 家賃も滞納

 児童扶養手当を申請しても入金まで時間がかかり、3〜5月は特に困窮した。乳児の世話にかかりきりで外出できず、冷蔵庫は空っぽに。家賃を滞納し電気も止められそうになった。女性は「1カ月ほどは白いご飯だけを食べて過ごした。5月まではマスクも手に入らず、区役所の保健師に聞いても『みんなしんどいから』と言われただけだった」と振り返る。

シングルマザーの女性が、長男の成長を願い作ったマスク。乳児は自分で外せないリスクも調べ、普段は着けさせていない。(女性提供)

シングルマザーの女性が、長男の成長を願い作ったマスク。乳児は自分で外せないリスクも調べ、普段は着けさせていない。(女性提供)
 女性から相談を受けたことをきっかけにサポートしている社会福祉士の辻由起子さんは「他のシングルマザーからも、困窮しご飯を食べられない、家賃を払えないといった訴えが次々に寄せられている」と話す。

国の支援策は「使い勝手が悪い」

 コロナ禍の緊急経済対策で政府は1人10万円の定額給付金に加え、低所得者の生活費を融資する「緊急小口資金」制度を拡充。社会福祉協議会などが申請を受け付け、最大20万円を無利子で借りられる。

 ただ、こうした支援策は、シングルマザーを含めたひとり親世帯に必ずしも届いていない。ひとり親には、家族らからDVを受けるなどして避難し、住民票上の住所と別の場所で生活している人もいる。定額給付金の申請書が届かないなど、住所が必要になる支援策をすぐには利用できないからだ。
(続きは有料みたいだ、馬鹿野郎!)
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シングルマザーがコロナウイルスに感染したときの子供の預け先は?心のケアはどうすればいいの? 2020.04.27(少し古いから変更があるかも)
  https://www.s-mama.jp/4829/

********************************************************

 読んでいるうちに、煮えくりかえってくる。安倍晋三は、貧しい母子家庭への支援を、ほとんど行わず、アメリカから超巨額の防衛システムや武器の購入に血道を上げてきた。
 
 全国の「一人親世帯」は約150万、うち母子家庭は95%を占め、就業率は世界最高の82%。(OECD平均は70%だ。つまり日本では支援がないことを意味している)

 その平均年収は約200万円、臨時雇用の場合は約130万円、これに対し一般子供家族では約700万円だ。
https://www.single-mama.com/status/

 つまり、年間130万、毎月10万円と少しで、母子が生活している。家賃を半分(5万円なら六畳一間だろう)払えば、生活費は5万円。
 どうやったら、二人が食える? コロナ禍で、これがさらに半分以下に減った家庭が非常に多い。もう心中しかないではないか?
 これが日本なのか? 世界の恥だ! 日本政府は恥を知れ!担当役人はいますぐ自決しろ!

 こんな貧困社会にした自民党・維新の議員たちは、大半が二世三世で、親の地盤を世襲で受け継いで、年間4200万円もの血税による議員特権を享受し、高級クラブに通い、母子家庭の貧困など何一つ関心を持たない。
 安倍晋三という阿呆は、パート女性は月収25万円だと信じていた。
 https://www.huffingtonpost.jp/2016/01/08/abe-part_n_8942104.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E8%B2%BB#:~:text=%E6%AD%B3%E8%B2%BB%E3%81%AF%E3%80%81%E5%90%84%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8

 どうしてこうなってしまったのか?
 それは、「新自由主義」を日本社会に持ち込んだ、竹中平蔵、小泉純一郎のせいだ。

 ゼロから分かる「日本の格差社会」その元凶と絶望的な「未来予想図」
  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67256?page=3

 日本経済を破壊する「民間議員」竹中平蔵氏が犯したこれだけの罪=三橋貴明
  https://www.mag2.com/p/money/238834

 山口二矢よ、地獄から出てきて竹中平蔵を制裁しろ!
日本中の殺人犯よ、おまえたちは殺す相手を間違えている!
 日本中の底辺の人々を生活苦に追い込み、自殺に追い込んでいる竹中平蔵。その極悪犯罪、その殺人数は、津山事件や京都アニメ事件、相模原ヤマユリ事件の犯人の比ではない。おそらく竹中平蔵のせいで死なねばならなくなった人々は、日本全体で数十万人を下らないだろう。

 どうして、こんな「間接殺人鬼」が、パソナの会長として、自民党の最高顧問として年収数十億円といわれながら君臨していられるのか?
 竹中は、淡路島を買収して王国を作るつもりなのだ。そして、イスラエルが核攻撃を受けたときのユダヤ人の避難先として、ロスチャイルドと共謀して、淡路島に拠点を作るといわれている。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/423493

 https://news.yahoo.co.jp/articles/38003101256e93f7206809e4c7049cd5dd519594

 https://kazzhirock.hatenablog.jp/entry/2020/09/01/180000

 おーい! 日本国民のみなさん! 竹中平蔵が日本国民を90才まで働かせると言ってるぞ!
 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10030/

どこまでも労働者大衆を小馬鹿にする竹中平蔵 2019年10月21日
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-910.html

権力犯罪者 竹中平蔵 2019年05月25日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-754.html

売国奴の行く先 2020年07月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1191.html

追い詰められた母子家庭のみなさん、親子心中はちょっと待て!
 その前に、なぜそうなったのか? 誰がそうしたのかを知っておくべきだ。
 あなたがたが、究極の貧困に陥ったのは、竹中平蔵のせいなのだ。

 貧乏人は、貧乏人どうして団結して、共同体を結成して危機を乗り越えるのだ。
 現在の危機は、まだ戦時中、戦後の恐ろしい荒廃のなかの危機ほどには至っていない。
 互いに助け合う心さえあれば、なんとか乗り切れる。
 いずれ夜は明ける……。世界は必ず合理的な方向に進む。これが弁証法的真理だ。

https://www.youtube.com/watch?v=bzRlRZ9STZ8&ab_channel=QODIP

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1257.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/318.html

[近代史02] 竹中平蔵物語 中川隆
108. 中川隆[-11204] koaQ7Jey 2020年9月23日 14:27:01 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[57]

 ああ、50年前、日本はこんな残酷な国ではなかった。竹中平蔵が登場してから、こうなった 2020年09月23日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1257.html


 「2日に1食が当たり前」働く女性の悲痛な声 コロナで解雇や雇い止め 9月10日
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/643390/

 働く人の5割が非正規、男性の2.5倍

 新型コロナウイルスの感染拡大が、働く女性に深刻な影響を与えている。女性は雇用者に占める非正規の割合が5割超と男性の約2・5倍高く、飲食店の休業などで解雇や雇い止めとなるケースが目立つ。
 女性の非正規労働は、アベノミクスの「雇用創出」を支えてきたが、コロナ禍で「雇用の調整弁」とされている実態が鮮明になった。専門家は「男女間の構造的な格差が改めてあぶり出された」と指摘する。

 「仕事が減り、この先どう生きていけばいいのか。子どもたちには2食で我慢してもらい、私は2日に1食が当たり前です」

 シングルマザーを支援するNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ(東京)には、母親からの悲痛な相談が相次いで寄せられている。同法人などが7月に実施した調査では、母子世帯1388人のうち61・5%が非正規で、半数が収入が減少したと回答。
 平均月収はコロナ禍前から1万2千円減り、10万9千円だったという。

 厚生労働省の集計では、感染拡大に関連する解雇や雇い止めは見込みも含め5万2500人を超えている。同NPOの調査に協力した立教大の湯沢直美教授(社会福祉学)は「生活難で子どもの学費のための貯金がなくなったという声もある。進学断念などで格差が拡大し、固定化する恐れがある」と懸念する。
*************************************************************

コロナ、母子家庭18%で食事減 支出切り詰め、困窮浮き彫り 2020年9月6日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/53697

 新型コロナウイルスの感染拡大で、母子家庭の18・2%が食事回数を減らし、14・8%が1回の食事量を減らしていることが6日、NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」の調査で分かった。勤務先の休廃業や労働時間の短縮で、元から少ない収入がさらに減少。学校給食の停止による食費増などで、支出を切り詰めても困窮状態にあることが浮き彫りとなった。
 ひとり親支援に取り組む同法人の赤石千衣子理事長は「ぎりぎりの生活だったところに新型コロナが追い打ちをかけた。日頃からの政府支援が必要だ」と訴える。
 7月にネットを通じて実施、シングルマザー約1800人から回答を得た
******************************************************************

コロナ長期化で生活困窮が深刻に…母子家庭に届かぬ行政の支援 東京新聞 特報Web
2020/07/27
https://tokuho.tokyo-np.co.jp/n/nb28123d9b211

孤独な子育て 貯金も底つき…
 「子どもを産んだ後、誰にも相談できず不安でいっぱいだった。新型コロナにかかる怖さよりも精神的につらくて死にそうだった」

 大阪市に住むシングルマザーの女性(19)は、こう語る。3月に長男を出産。子どもの父親は育児の責任から逃げ、女性のもとを去った。女性は中学時代に義父から性暴力を受け、母も助けてくれなかったため、頼れない。実家から離れて暮らしながら、1人で子育てせざるをえなかった。

 出産前に勤めた美容室はコロナ禍で業績が悪化し、復職できなくなった。十数万円あった貯金は、すぐ底をついた。育休手当、児童手当、ひとり親世帯に支給される児童扶養手当を合わせ、ひと月に支給されるのは約14万円。生活費の不足に直面した。

空っぽの冷蔵庫 家賃も滞納

 児童扶養手当を申請しても入金まで時間がかかり、3〜5月は特に困窮した。乳児の世話にかかりきりで外出できず、冷蔵庫は空っぽに。家賃を滞納し電気も止められそうになった。女性は「1カ月ほどは白いご飯だけを食べて過ごした。5月まではマスクも手に入らず、区役所の保健師に聞いても『みんなしんどいから』と言われただけだった」と振り返る。

シングルマザーの女性が、長男の成長を願い作ったマスク。乳児は自分で外せないリスクも調べ、普段は着けさせていない。(女性提供)

シングルマザーの女性が、長男の成長を願い作ったマスク。乳児は自分で外せないリスクも調べ、普段は着けさせていない。(女性提供)
 女性から相談を受けたことをきっかけにサポートしている社会福祉士の辻由起子さんは「他のシングルマザーからも、困窮しご飯を食べられない、家賃を払えないといった訴えが次々に寄せられている」と話す。

国の支援策は「使い勝手が悪い」

 コロナ禍の緊急経済対策で政府は1人10万円の定額給付金に加え、低所得者の生活費を融資する「緊急小口資金」制度を拡充。社会福祉協議会などが申請を受け付け、最大20万円を無利子で借りられる。

 ただ、こうした支援策は、シングルマザーを含めたひとり親世帯に必ずしも届いていない。ひとり親には、家族らからDVを受けるなどして避難し、住民票上の住所と別の場所で生活している人もいる。定額給付金の申請書が届かないなど、住所が必要になる支援策をすぐには利用できないからだ。
(続きは有料みたいだ、馬鹿野郎!)
*************************************************************

シングルマザーがコロナウイルスに感染したときの子供の預け先は?心のケアはどうすればいいの? 2020.04.27(少し古いから変更があるかも)
  https://www.s-mama.jp/4829/

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 読んでいるうちに、煮えくりかえってくる。安倍晋三は、貧しい母子家庭への支援を、ほとんど行わず、アメリカから超巨額の防衛システムや武器の購入に血道を上げてきた。
 
 全国の「一人親世帯」は約150万、うち母子家庭は95%を占め、就業率は世界最高の82%。(OECD平均は70%だ。つまり日本では支援がないことを意味している)

 その平均年収は約200万円、臨時雇用の場合は約130万円、これに対し一般子供家族では約700万円だ。
https://www.single-mama.com/status/

 つまり、年間130万、毎月10万円と少しで、母子が生活している。家賃を半分(5万円なら六畳一間だろう)払えば、生活費は5万円。
 どうやったら、二人が食える? コロナ禍で、これがさらに半分以下に減った家庭が非常に多い。もう心中しかないではないか?
 これが日本なのか? 世界の恥だ! 日本政府は恥を知れ!担当役人はいますぐ自決しろ!

 こんな貧困社会にした自民党・維新の議員たちは、大半が二世三世で、親の地盤を世襲で受け継いで、年間4200万円もの血税による議員特権を享受し、高級クラブに通い、母子家庭の貧困など何一つ関心を持たない。
 安倍晋三という阿呆は、パート女性は月収25万円だと信じていた。
 https://www.huffingtonpost.jp/2016/01/08/abe-part_n_8942104.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E8%B2%BB#:~:text=%E6%AD%B3%E8%B2%BB%E3%81%AF%E3%80%81%E5%90%84%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8

 どうしてこうなってしまったのか?
 それは、「新自由主義」を日本社会に持ち込んだ、竹中平蔵、小泉純一郎のせいだ。

 ゼロから分かる「日本の格差社会」その元凶と絶望的な「未来予想図」
  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67256?page=3

 日本経済を破壊する「民間議員」竹中平蔵氏が犯したこれだけの罪=三橋貴明
  https://www.mag2.com/p/money/238834

 山口二矢よ、地獄から出てきて竹中平蔵を制裁しろ!
日本中の殺人犯よ、おまえたちは殺す相手を間違えている!
 日本中の底辺の人々を生活苦に追い込み、自殺に追い込んでいる竹中平蔵。その極悪犯罪、その殺人数は、津山事件や京都アニメ事件、相模原ヤマユリ事件の犯人の比ではない。おそらく竹中平蔵のせいで死なねばならなくなった人々は、日本全体で数十万人を下らないだろう。

 どうして、こんな「間接殺人鬼」が、パソナの会長として、自民党の最高顧問として年収数十億円といわれながら君臨していられるのか?
 竹中は、淡路島を買収して王国を作るつもりなのだ。そして、イスラエルが核攻撃を受けたときのユダヤ人の避難先として、ロスチャイルドと共謀して、淡路島に拠点を作るといわれている。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/423493

 https://news.yahoo.co.jp/articles/38003101256e93f7206809e4c7049cd5dd519594

 https://kazzhirock.hatenablog.jp/entry/2020/09/01/180000

 おーい! 日本国民のみなさん! 竹中平蔵が日本国民を90才まで働かせると言ってるぞ!
 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10030/

どこまでも労働者大衆を小馬鹿にする竹中平蔵 2019年10月21日
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-910.html

権力犯罪者 竹中平蔵 2019年05月25日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-754.html

売国奴の行く先 2020年07月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1191.html

追い詰められた母子家庭のみなさん、親子心中はちょっと待て!
 その前に、なぜそうなったのか? 誰がそうしたのかを知っておくべきだ。
 あなたがたが、究極の貧困に陥ったのは、竹中平蔵のせいなのだ。

 貧乏人は、貧乏人どうして団結して、共同体を結成して危機を乗り越えるのだ。
 現在の危機は、まだ戦時中、戦後の恐ろしい荒廃のなかの危機ほどには至っていない。
 互いに助け合う心さえあれば、なんとか乗り切れる。
 いずれ夜は明ける……。世界は必ず合理的な方向に進む。これが弁証法的真理だ。

https://www.youtube.com/watch?v=bzRlRZ9STZ8&ab_channel=QODIP

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1257.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html#c108

[近代史4] 御用学者列伝 _ 竹中平蔵 中川隆
8. 中川隆[-11203] koaQ7Jey 2020年9月23日 14:27:44 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[58]

 ああ、50年前、日本はこんな残酷な国ではなかった。竹中平蔵が登場してから、こうなった 2020年09月23日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1257.html


 「2日に1食が当たり前」働く女性の悲痛な声 コロナで解雇や雇い止め 9月10日
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/643390/

 働く人の5割が非正規、男性の2.5倍

 新型コロナウイルスの感染拡大が、働く女性に深刻な影響を与えている。女性は雇用者に占める非正規の割合が5割超と男性の約2・5倍高く、飲食店の休業などで解雇や雇い止めとなるケースが目立つ。
 女性の非正規労働は、アベノミクスの「雇用創出」を支えてきたが、コロナ禍で「雇用の調整弁」とされている実態が鮮明になった。専門家は「男女間の構造的な格差が改めてあぶり出された」と指摘する。

 「仕事が減り、この先どう生きていけばいいのか。子どもたちには2食で我慢してもらい、私は2日に1食が当たり前です」

 シングルマザーを支援するNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ(東京)には、母親からの悲痛な相談が相次いで寄せられている。同法人などが7月に実施した調査では、母子世帯1388人のうち61・5%が非正規で、半数が収入が減少したと回答。
 平均月収はコロナ禍前から1万2千円減り、10万9千円だったという。

 厚生労働省の集計では、感染拡大に関連する解雇や雇い止めは見込みも含め5万2500人を超えている。同NPOの調査に協力した立教大の湯沢直美教授(社会福祉学)は「生活難で子どもの学費のための貯金がなくなったという声もある。進学断念などで格差が拡大し、固定化する恐れがある」と懸念する。
*************************************************************

コロナ、母子家庭18%で食事減 支出切り詰め、困窮浮き彫り 2020年9月6日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/53697

 新型コロナウイルスの感染拡大で、母子家庭の18・2%が食事回数を減らし、14・8%が1回の食事量を減らしていることが6日、NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」の調査で分かった。勤務先の休廃業や労働時間の短縮で、元から少ない収入がさらに減少。学校給食の停止による食費増などで、支出を切り詰めても困窮状態にあることが浮き彫りとなった。
 ひとり親支援に取り組む同法人の赤石千衣子理事長は「ぎりぎりの生活だったところに新型コロナが追い打ちをかけた。日頃からの政府支援が必要だ」と訴える。
 7月にネットを通じて実施、シングルマザー約1800人から回答を得た
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コロナ長期化で生活困窮が深刻に…母子家庭に届かぬ行政の支援 東京新聞 特報Web
2020/07/27
https://tokuho.tokyo-np.co.jp/n/nb28123d9b211

孤独な子育て 貯金も底つき…
 「子どもを産んだ後、誰にも相談できず不安でいっぱいだった。新型コロナにかかる怖さよりも精神的につらくて死にそうだった」

 大阪市に住むシングルマザーの女性(19)は、こう語る。3月に長男を出産。子どもの父親は育児の責任から逃げ、女性のもとを去った。女性は中学時代に義父から性暴力を受け、母も助けてくれなかったため、頼れない。実家から離れて暮らしながら、1人で子育てせざるをえなかった。

 出産前に勤めた美容室はコロナ禍で業績が悪化し、復職できなくなった。十数万円あった貯金は、すぐ底をついた。育休手当、児童手当、ひとり親世帯に支給される児童扶養手当を合わせ、ひと月に支給されるのは約14万円。生活費の不足に直面した。

空っぽの冷蔵庫 家賃も滞納

 児童扶養手当を申請しても入金まで時間がかかり、3〜5月は特に困窮した。乳児の世話にかかりきりで外出できず、冷蔵庫は空っぽに。家賃を滞納し電気も止められそうになった。女性は「1カ月ほどは白いご飯だけを食べて過ごした。5月まではマスクも手に入らず、区役所の保健師に聞いても『みんなしんどいから』と言われただけだった」と振り返る。

シングルマザーの女性が、長男の成長を願い作ったマスク。乳児は自分で外せないリスクも調べ、普段は着けさせていない。(女性提供)

シングルマザーの女性が、長男の成長を願い作ったマスク。乳児は自分で外せないリスクも調べ、普段は着けさせていない。(女性提供)
 女性から相談を受けたことをきっかけにサポートしている社会福祉士の辻由起子さんは「他のシングルマザーからも、困窮しご飯を食べられない、家賃を払えないといった訴えが次々に寄せられている」と話す。

国の支援策は「使い勝手が悪い」

 コロナ禍の緊急経済対策で政府は1人10万円の定額給付金に加え、低所得者の生活費を融資する「緊急小口資金」制度を拡充。社会福祉協議会などが申請を受け付け、最大20万円を無利子で借りられる。

 ただ、こうした支援策は、シングルマザーを含めたひとり親世帯に必ずしも届いていない。ひとり親には、家族らからDVを受けるなどして避難し、住民票上の住所と別の場所で生活している人もいる。定額給付金の申請書が届かないなど、住所が必要になる支援策をすぐには利用できないからだ。
(続きは有料みたいだ、馬鹿野郎!)
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シングルマザーがコロナウイルスに感染したときの子供の預け先は?心のケアはどうすればいいの? 2020.04.27(少し古いから変更があるかも)
  https://www.s-mama.jp/4829/

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 読んでいるうちに、煮えくりかえってくる。安倍晋三は、貧しい母子家庭への支援を、ほとんど行わず、アメリカから超巨額の防衛システムや武器の購入に血道を上げてきた。
 
 全国の「一人親世帯」は約150万、うち母子家庭は95%を占め、就業率は世界最高の82%。(OECD平均は70%だ。つまり日本では支援がないことを意味している)

 その平均年収は約200万円、臨時雇用の場合は約130万円、これに対し一般子供家族では約700万円だ。
https://www.single-mama.com/status/

 つまり、年間130万、毎月10万円と少しで、母子が生活している。家賃を半分(5万円なら六畳一間だろう)払えば、生活費は5万円。
 どうやったら、二人が食える? コロナ禍で、これがさらに半分以下に減った家庭が非常に多い。もう心中しかないではないか?
 これが日本なのか? 世界の恥だ! 日本政府は恥を知れ!担当役人はいますぐ自決しろ!

 こんな貧困社会にした自民党・維新の議員たちは、大半が二世三世で、親の地盤を世襲で受け継いで、年間4200万円もの血税による議員特権を享受し、高級クラブに通い、母子家庭の貧困など何一つ関心を持たない。
 安倍晋三という阿呆は、パート女性は月収25万円だと信じていた。
 https://www.huffingtonpost.jp/2016/01/08/abe-part_n_8942104.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E8%B2%BB#:~:text=%E6%AD%B3%E8%B2%BB%E3%81%AF%E3%80%81%E5%90%84%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8

 どうしてこうなってしまったのか?
 それは、「新自由主義」を日本社会に持ち込んだ、竹中平蔵、小泉純一郎のせいだ。

 ゼロから分かる「日本の格差社会」その元凶と絶望的な「未来予想図」
  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67256?page=3

 日本経済を破壊する「民間議員」竹中平蔵氏が犯したこれだけの罪=三橋貴明
  https://www.mag2.com/p/money/238834

 山口二矢よ、地獄から出てきて竹中平蔵を制裁しろ!
日本中の殺人犯よ、おまえたちは殺す相手を間違えている!
 日本中の底辺の人々を生活苦に追い込み、自殺に追い込んでいる竹中平蔵。その極悪犯罪、その殺人数は、津山事件や京都アニメ事件、相模原ヤマユリ事件の犯人の比ではない。おそらく竹中平蔵のせいで死なねばならなくなった人々は、日本全体で数十万人を下らないだろう。

 どうして、こんな「間接殺人鬼」が、パソナの会長として、自民党の最高顧問として年収数十億円といわれながら君臨していられるのか?
 竹中は、淡路島を買収して王国を作るつもりなのだ。そして、イスラエルが核攻撃を受けたときのユダヤ人の避難先として、ロスチャイルドと共謀して、淡路島に拠点を作るといわれている。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/423493

 https://news.yahoo.co.jp/articles/38003101256e93f7206809e4c7049cd5dd519594

 https://kazzhirock.hatenablog.jp/entry/2020/09/01/180000

 おーい! 日本国民のみなさん! 竹中平蔵が日本国民を90才まで働かせると言ってるぞ!
 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10030/

どこまでも労働者大衆を小馬鹿にする竹中平蔵 2019年10月21日
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-910.html

権力犯罪者 竹中平蔵 2019年05月25日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-754.html

売国奴の行く先 2020年07月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1191.html

追い詰められた母子家庭のみなさん、親子心中はちょっと待て!
 その前に、なぜそうなったのか? 誰がそうしたのかを知っておくべきだ。
 あなたがたが、究極の貧困に陥ったのは、竹中平蔵のせいなのだ。

 貧乏人は、貧乏人どうして団結して、共同体を結成して危機を乗り越えるのだ。
 現在の危機は、まだ戦時中、戦後の恐ろしい荒廃のなかの危機ほどには至っていない。
 互いに助け合う心さえあれば、なんとか乗り切れる。
 いずれ夜は明ける……。世界は必ず合理的な方向に進む。これが弁証法的真理だ。

https://www.youtube.com/watch?v=bzRlRZ9STZ8&ab_channel=QODIP

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1257.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/727.html#c8

[リバイバル3] 原音とは何か? 中川隆
16. 中川隆[-11202] koaQ7Jey 2020年9月23日 16:30:22 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[61]
「音楽&オーディオ」の小部屋

オーディオ意欲が減退する SP ユニット 2018年09月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


口径30センチのSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)が我が家にやってきたのは忘れもしない8月31日のことだった。

         

それから2週間、このユニットとじっくり向き合ってきたがおよそ欠点らしい欠点が見当たらないのに驚いている。いや、けっして自慢するつもりはありません。ありのままの感想です(笑)。

オーディオ機器の中でもスピーカーやアンプなどは「あちら立てれば、こちら立たず」みたいなところがあって、長所と引き換えに短所には片目をつぶるのが「我が家における常識」だった。他家でどうかはいざ知らず・・。

とりわけ「音像定位」と「周波数レンジ」はなかなか両立せず、たとえばフルレンジは音像定位にとって理想的だが周波数レンジではどうしても劣るし、2ウェイとか3ウェイシステムは周波数レンジは確保しやすいが音像定位の面でどうしても劣る。

どちらを優先するかはそれぞれの好み次第だが、このトライアクショムは「同軸3ウェイ」だけあって「音像定位」と「周波数レンジ」が両立している。もちろん口径30センチのユニットだから重低音を期待するのは無い物ねだりというもの。

生演奏とは違って電気回路を使ったオーディオ機器に100点満点を期待するのは愚かなことだと、ずっと割り切ってきたつもりだがその常識がまさに覆されんとしている(笑)。

ただし、一方では困ったことが起きている。

これまで我が家では「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット」を入れ替えながら楽しんできた。

          

左からJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150 マークU」、ワーフェデール「赤帯付きマグネット」だが、それぞれに捨てがたい味があって日替わりメニューのように重宝してきた。

今回、これに4番目のユニットとして「トライアクショム」が加わったわけだが、この出現で他の3つのユニットの出番がまったく無くなってしまったのである。

まあ、気分転換という面では存在価値があるかもしれないが「いい音」の基準とされるあらゆるポイントで凌駕しているのだからどうしようもない。

ちなみに、そもそも「いい音って何?」という方に、とあるオーディオメーカーの主張を載せておこう。異論がある方もいると思うがどうか「ワンオブゼム」として受け止めていただきたい。

「原音に近づく正しい音とは」

1 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

2 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

3 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

4 小さな音でも明瞭度が下がらない。

5 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

7 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

8 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上のとおり。

しかし、欠点が見当たらないユニットも考えもので、オーディオ意欲が減退して張り合いを失うのも事実である。

これははたして贅沢な悩みなのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html#c16

[リバイバル3] グッドマン・スピーカーの世界 中川隆
2. 中川隆[-11201] koaQ7Jey 2020年9月23日 16:37:29 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[62]
「音楽&オーディオ」の小部屋

オーディオ意欲が減退する SP ユニット 2018年09月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


口径30センチのSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)が我が家にやってきたのは忘れもしない8月31日のことだった。

         

それから2週間、このユニットとじっくり向き合ってきたがおよそ欠点らしい欠点が見当たらないのに驚いている。いや、けっして自慢するつもりはありません。ありのままの感想です(笑)。

オーディオ機器の中でもスピーカーやアンプなどは「あちら立てれば、こちら立たず」みたいなところがあって、長所と引き換えに短所には片目をつぶるのが「我が家における常識」だった。他家でどうかはいざ知らず・・。

とりわけ「音像定位」と「周波数レンジ」はなかなか両立せず、たとえばフルレンジは音像定位にとって理想的だが周波数レンジではどうしても劣るし、2ウェイとか3ウェイシステムは周波数レンジは確保しやすいが音像定位の面でどうしても劣る。

どちらを優先するかはそれぞれの好み次第だが、このトライアクショムは「同軸3ウェイ」だけあって「音像定位」と「周波数レンジ」が両立している。もちろん口径30センチのユニットだから重低音を期待するのは無い物ねだりというもの。

生演奏とは違って電気回路を使ったオーディオ機器に100点満点を期待するのは愚かなことだと、ずっと割り切ってきたつもりだがその常識がまさに覆されんとしている(笑)。

ただし、一方では困ったことが起きている。

これまで我が家では「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット」を入れ替えながら楽しんできた。

          

左からJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150 マークU」、ワーフェデール「赤帯付きマグネット」だが、それぞれに捨てがたい味があって日替わりメニューのように重宝してきた。

今回、これに4番目のユニットとして「トライアクショム」が加わったわけだが、この出現で他の3つのユニットの出番がまったく無くなってしまったのである。

まあ、気分転換という面では存在価値があるかもしれないが「いい音」の基準とされるあらゆるポイントで凌駕しているのだからどうしようもない。

ちなみに、そもそも「いい音って何?」という方に、とあるオーディオメーカーの主張を載せておこう。異論がある方もいると思うがどうか「ワンオブゼム」として受け止めていただきたい。

「原音に近づく正しい音とは」

1 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

2 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

3 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

4 小さな音でも明瞭度が下がらない。

5 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

7 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

8 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上のとおり。

しかし、欠点が見当たらないユニットも考えもので、オーディオ意欲が減退して張り合いを失うのも事実である。

これははたして贅沢な悩みなのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


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ゲットした「究極のSPユニット(口径30センチ)」2018年09月06日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/efa3150409eedb9f02cffb5bc0137fef

先日のブログ「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット(口径30センチ)を愉しむ」シリーズを連載したことを覚えておられるだろうか。

グッドマンの「棺桶型エンクロージャー」を改造し、3つのユニットをそれぞれ簡単に入れ替えが利くようにしたもので、その再掲画像がこれ。

     

左から「JBLのD123」、「グッドマンのAXIOM150マークU」、そして「ワーフェデールの赤帯マグネット付き」だが、出てくる音質にそれぞれ捨てがたい味があって日替わりメニューのように入れ替えて楽しんでいたが、いよいよ新たな決定版の登場でそれにも終止符を打つ時がやってきたようだ。

長年探し求めていた幻の「TRI AXIOM 」(以下「トライ・アクショム」)(グッドマン)がオークションに出品されたのだ!

             

解説文を見てみよう。

「Goodmans Tri Axiom Model T88 12インチ( 30センチ同軸 3way ) 16オーム アルニコマグネットです。

TRI AXIOM としては初期のもののようでおそらく1960年代後半頃と思われますが定かではありません。

これ以降のものはたまに見るんですがこれと同じものをほとんど見たことがなく十数年前に入手し使っていました。

エッジに補修跡があります、動作には特に問題ありませんが、あまりに細かいところはご容赦ください。しばらく使ってなかったのでツィーター用のアッテネーターはガリありですが回していれば取れてくると思います。」

以上のとおりだが、通常の口径30センチのユニットではせいぜいダブルコーン方式(2ウェイ)までだが、「トライアクショム」は同軸3ウェイとしてツィーターまで付いているのがミソである。

あの中高音域の艶やかさに定評のあるグッドマンだからさぞや素晴らしい音質だろうとはおよそ想像がつく。また、実際に所有しているオーディオ仲間からも「べた褒め」で、耳にタコができるほどその凄さを聞かされてきた。

やはり執念というものは恐ろしい、とうとう「トライアクショム」を見つけ出したのだから〜(笑)。

こういう希少な逸品ともなると、お値段を問う気にもならず「即決」(もちろん常識の範囲内だが)で落札した。さっそく自宅に届いたユニットを並べてパチリ。

           

輸送中の事故も無く致命的なダメージもないようだ。マグネットの形状が明らかに「アルニコ」タイプなのでひと安心。これが「フェライト」タイプになると平べったい形状になる。

そもそも「アルニコ」と「フェライト」とで音質にどのような違いがあるかは有識者の間でも論争があるところだが、我が経験ではこれまで「フェライト」タイプで気に入った音が出た試しがない。

早くバッフルに取り付けて音出しをしたいのでさっそく工作に取り掛かった。こういうこともあろうかと余分なバッフルを2ペアほど準備していたが、本体に取り付けるためのネジ穴合わせ、直径30センチの穴のくりぬき、そして塗装などたいへんだった。

午前9時から作業に取り掛かって、ようやく音出しができるようになったのが昼食をはさんで午後2時頃のことだった。猛暑の中の玄関先での作業だし、やはり老骨には少しこたえた(笑)。

先日お見えになったオーディオ仲間が一連の「SPユニットの工作」を見て「とてもそこまでは”やる気が起こらん。」と仰っていたが、やはり相当な熱意の後押しがないと無理のようですぞ。

          

ご覧のように、グッドマンにはおあつらえ向きの純正の「ARU」(背圧調整器)がエンクロージャーの下部に付いているので「おかしな音」の出ようはずがないが、こればかりは実際に聴いてみないと分からない。

それくらい、周辺機器とのマッチング次第でスピーカーの音は変わるが、取り分けグッドマンのユニットは繊細なのでアンプを選ぶことでも有名である。

さあ、いよいよ待望の音出しだ!

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/efa3150409eedb9f02cffb5bc0137fef


「トライ・アクショム」 VS 「アクショム80」2018年09月09日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/79b8c46396c68e1860ea86f10c76601a

前回からの続きです。

かねてから憧れの的だったSPユニット「トライ・アクショム」(グッドマン)を手に入れ、所定の作業も完了していよいよ音出しへ〜。

              

こういう瞬間は何とも言いようがない不安と期待が交錯する。おそらくオーディオ愛好家ならこの「はらはらドキドキわくわく」感がきっとお分かりのはずだろう(笑)。

日常生活ではめったに味わえない緊張の一瞬だが、じっと耳を澄ましてみるとノイズはしない代わりにやたらにハイ上がりの音が出てきた。慌てて付属のツィーターのレベル調整器を最低にしたところ、見事にバランスの取れた音が出てくれた。まずはひと安心で、後はじっくりと音楽鑑賞に浸った。

つまるところ「トライ・アクショム」は低音とか高音がどうのこうのというよりも「気品のある音」に尽きるようだ。

けっして舞台で大見得を切るような音ではなく、まるで渋〜いイギリスのゼントルマンを思わせるような音だが、こういう音じゃないと伝わらない音楽があることもたしかだ。

そういえば、同じ「AXIOM80」愛好家のSさん(福岡)から次のようなメールが届いた。

「おめでとうございます。私は、トライアクショムがグッドマンユニットの中においてアキシオム80と双璧だと思います。20年ほど前に、知人がイギリスから持ち帰ったトライアクショムSPをQUAD‖+22アンプで聴かせて貰いましたが、その時に受けた衝撃からブリティッシュサウンドの虜になった事を思い出します。

優雅な猫脚のキャビネットに入ったそのトライアクショムは、その後に肥後細川家次代当主の護光さん宅へ嫁いで行きました。もしも、単体ユニットで音楽を完結させたいのであれば、トライアクショムは史上最高のユニットなのではないでしょうか。〇〇さんは、またまたオーディオの歴史的遺産を手に入れられましたね。羨ましいかぎりです。」

Sさん、無断引用お許しくださいね。

ただし、こういう音が出てくれると他の3つのユニットの出番が当分回ってきそうにないのが悩みの種だ(笑)。

翌日、例によって近くにお住いのフルートの名手「Y」さんに来ていただいて試聴していただいたところ、一聴するなり「音の傾向はAXIOM80(以下「80」)と随分似通ってますね。」との第一声。

「そうなんです、爽やかな雰囲気が実に似てますね。これでもツイーターのレベルは最低に抑えているんですよ。」

次から次にいろんな試聴用のCDをかけたが、Yさん持参のCDの中に「佐藤久成」さんの演奏があった。

先年、亡くなられた「宇野功芳」さん(音楽評論家)が高く評価されていたヴァイオリニストだが、それに関連して話題になったのが可憐な「有山麻衣子」さんの歌声。

これも宇野さん一押しの歌手である。「プロの歌手からは絶対に得られない声」と解説にあるが、まったく心が洗われるような清純そのものの声である。

           

以後、これをテスト盤にしてアンプとの相性探しを愉しんだ。

         

左が「WE300B」(1988年製)シングルアンプ(以下「WE300B」)、右側が「6A3・300B兼用」シングルアンプ(以下、「6A3・300B」)である。

後日のためにアンプの概要を記しておこう。

「WE300B」アンプの前段管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管は「274A」(STC)、インプット&インターステージトランスは「UTC」、出力トランスは「PSMプロダクト製」の手巻きによるもの。

次に、「6A3・300兼用」アンプの前段管は「AC/HL」(最初期版:英国マツダ)、整流管は「CV378」(細管:ムラード)、インプット&インターステージトランスは無名の国産もので、出力トランスは「タムラ」(特注品)。

なお、この「6A3・300B」アンプは半年ほど前にアンプ製作歴が40年以上になるKさん(大分市)にお願いして「インターステージトランス」(国産)を組み込んでもらったところ、音の解像力が見事に向上して我が家のエース級に昇格した経緯がある。

総じて我が家の真空管アンプの救世主は「インターステージトランスにある」といっても過言ではないほど。

さて、Yさんのご感想といえば「WE300Bでは有山さんがいかにも18歳の乙女らしい声がしますが、6A3では22歳くらいの少し艶めかしい声がします。どちらがいいとか悪いとかはちょっと判断がつきませんね。」

結局、原音に忠実な音となるとWE300Bアンプに軍配が上がり、音に色気を付け加えて聴きやすい音となると6A3アンプになるということで、いずれも甲乙つけがたし。

ただし、自分の場合は「音に色気が有ること」が「好きな音」の一番の判断基準になっている(笑)。

最後に、原点を確認する意味で「AXIOM80を聴いてみましょうかね」と、スピーカーを交換したところ二人ともアッと驚いた。

音響空間がまるで枠を取り払ったように際限なく広がったのである!

「音の透明度」の向上が如実に感じ取れたので、二人して「こういうシンプルなソースになるとAXIOM80の独壇場になりますね。編成が大きくなるとトライ・アクショムの出番ですから、これら二つのセットがあるともう鬼に金棒!」と、感嘆したことだった。

「トライ・アクショム」と「アクショム80」の両方を毎日愉しめるなんて、もうオーディオ冥利に尽きますわいなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/79b8c46396c68e1860ea86f10c76601a


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1079.html#c2

[番外地8] 「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない 中川隆
2. 中川隆[-11200] koaQ7Jey 2020年9月23日 18:31:59 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[65]
日銀の異次元金融緩和の為に円の価値は既に暴落し紙屑化している
現在の日本の様に、人口が増えない、輸出が増えない、技術が大して進歩しないという状況では GDPが増えない、経済成長しない方が正常です。アメリカや中国の様にGDPが増え、経済成長している国というのは貨幣価値が下がっているだけで、国民は豊かになっていません。
通貨は基本的にはバブルで、お金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。
お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。
国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。
マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。
詳細そもそも日本は 生産年齢人口が減っている、輸出額が減っている、生産効率は変わらないのだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なのです。因みに、総資産はゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースで見ないといけない、ドルは紙屑化しているからドルベースで判断するのは NG。 詳細は

紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

ただし、貨幣価値が減ったからといって給料を上げてくれる親切な会社はないので、実質賃金は下がります。
日本人の給料が上がらないから、人件費を反映する物価も上がらない

しかし、外国に行けば日本円が紙屑になっているのがわかります。
しかし、日本国内での商品価格のコストの大半は人件費なので、貨幣価値が減っても物価はあまり上がりません。
それで日本の物価だけは上がらずデフレ経済になるのですね。  日銀金融緩和の結果、国内物価が上がっていないだけで、円は海外では紙屑になっている。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
商品価格の大半は人件費なので、物価はあまり上がりません。
これが金融緩和してもインフレにならない理由ですね。

そもそも欧米の物価と日本の物価を比較すれば 1ドル=20円程度が適正値なのに、1ドル=110円まで超円安になっている。タイでもラーメン1杯が1000円になっているよ。

ドル自体が紙屑になっていると言われているのに、そのドルに比べても円のこの安さ。

日本人がアメリカに留学できなくなったのはアメリカの授業料が年間何百万円になったからだよ。アメリカでアパートを借りてもワンルームが月30万円だから、日本人はアメリカ留学すらできない。

そもそも日本人が作っている日本の野菜や傘、洋服や日曜品ですら日本人には高値の花になっている。こういうのをハイパーインフレーションというんです 。

今の日本の消費者物価は海外からの安い輸入品の価格が大きく反映されたものです。
安い輸入品が入っていなければ日本が既にハイパーインフレーションになっているのがはっきりと認識できた筈です。
因みに僕がハイパーインフレーションと言っているのは

日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

日銀が大規模金融緩和したのにハイパーインフレーションになっていない、というのは海外からの安い輸入品が物価を押し下げているから、そう錯覚しただけです。

GDPの増加率や経済成長率には意味はありません。
中国やアメリカの様にGDPがいくら増えても、いくら経済成長しても国民の生活が良くなる訳ではありません。
政府がいくら金融緩和しても財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。

日本のマネーストック M2 が増加し続けているのに名目賃金が増えない(実質賃金が減り続けている)というのは大西つねきさんが問題にしていますね。大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

現在は国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスで“超異次元緩和”を実施することによって、これまで(リーマン・ショック以後の金融緩和)にも増してカネが有り余った状態が作り出されようとしています。

日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)を中心とした各国の中央銀行が注ぎ込んだ資金は既に1000兆円を超えました。


MMT の資金供給で労働者の実質賃金が下がった為に実体経済は冷え込み、製造業はじめ各種産業には資金需要がないため、だぶついたマネーがみな金融市場に流れ込み、

2020年3月中旬から6月末だけでも、世界の富豪ランキングでトップのジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)は資産が46%も増加し、1650億j(約18兆円)になっている。

同2位のビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)は12%も増えて1097億jに、同4位のウォーレン・バフェット(世界三大投資家)は6%増の715億j、同5位のラリー・エリソン(オラクル創業者)は19%増加して702億j、同7位だったフェイスブックCEOのザッカーバーグに至っては63%も資産を増やし、891億jになった。

億万長者としては全体でコロナ禍に世界が沈み込んだ14週間(3月中旬から6月末)の期間に6280億jも資産が膨れあがった。

国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスが原因で、富める者は実体と乖離した有り余ったカネによって働かずして富を得て、その他の圧倒的な国民、社会を実際に下支えしている側は失業や貧困、生活が破綻しかねない現実に直面しています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/372.html#c2

[番外地8] 台湾で世代を超えて繰り返される「残虐な日本人エピソード」
台湾で世代を超えて繰り返される「残虐な日本人エピソード」
今でもひりひりするような記憶がある。小学校1年生か、2年生の時のことだった。担任の先生がクラスでこのようなことを言ったのだ。

「日本人はとても残虐な民族だよ。台湾を植民統治していた頃は、台湾人をたくさん殺した。霧社事件という事件があって、日本人の圧政に反抗した台湾人はみんな殺されたんだ」

先生の表情は非常に痛切で、口調も切実なものだった。「日本人がよくやっていた遊びがあった。皆さんよりも小さい子ども、まだ歩けない赤ちゃんをたくさん捕まえて、宙に放り上げるんだ。そして赤ちゃんが落ちてくる時に銃剣で――つまり鋭い刀をつけた銃で、刺し殺すんだ。そうやって、誰が一番上手に、一番多くの赤ちゃんを殺すことができるのか、競い合って遊んでたのよ」

どのような文脈でそういう話になったのか今となってはもはや覚えていないが、話の内容だけがどっしりと記憶の底に鎮座している。そうして幼い私にとって、「残虐で怖い人たち」というのが、日本人に対する第一印象になった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/396.html

[近代史4] 梅干しの塩抜きの方法

梅干しの塩抜きの方法


梅干しの塩抜きについて
塩分濃度が高めの梅干しは、塩抜きして食べやすくすることもできます。

塩抜きした梅干しは傷みやすくなるので、一度にたくさんではなく、少量ずつ塩抜きするようにしましょう。


●梅干しの塩抜きの手順

1. 梅干し200g(約10粒)に対して水1Lを用意します。
2. 容器に水と梅干し、塩をひとつまみを入れてよくかき混ぜます。
ポイント
・塩を入れることで、浸透圧により塩分が抜けやすくなります。
・塩が梅と共に沈殿するため、時々かきまぜてください。
・人肌のお湯を使うと早く塩抜きできます。
3. 好みにより、1時間〜数時間ほど塩抜きします。
4. 塩抜きが終わったらザルにあげ、よく水を切って数時間乾燥させます。
5. 冷蔵庫で保管し、早めに食べきりましょう。


●塩抜き時間について(塩分20%の梅干しを使用した場合)
1粒の大きさや水の温度などにもよりますが、塩抜き時間に対する塩分濃度はだいたい次のようになります。

・3時間漬けたもの…約15%
・半日漬けたもの…約12%
・半日漬け、1度水を取りかえてさらに半日漬けたもの…約5〜10%

https://kawashima-ya.jp/contents/?p=10672#SEC_10
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1042.html

[近代史4] 梅干しの塩抜きの方法 中川隆
1. 中川隆[-11199] koaQ7Jey 2020年9月23日 19:44:10 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[66]
梅干しの健康効果|塩分には要注意?塩抜きの方法や栄養成分を徹底解説
2018.06.19
https://kawashima-ya.jp/contents/?p=10672#SEC_10

梅干しがあの病気も予防?
「梅干しは身体にいい」

というのは、ずいぶん昔から社会の共通認識。

なにせ日本最古の医学書にもその効能が書かれ、戦国時代の武士も携帯していたというのですから、一時期のブームとはわけが違います。

でも、どこが?何が? と聞かれると、ハッキリと答えられる方は少ないのでは?

「おにぎりに入れるくらいしか使い道がない!」なんて思われている方もいらっしゃるかもしれませんね。

今回は、そんな梅干しの驚きの効果効能と、手軽でおいしいレシピをご紹介します!

梅干しとは、梅を塩漬けにして干したもの。赤シソを加えて赤くしたものが一般的です。

日本の伝統食で、英語でも”umeboshi”と呼ばれます。

梅干しが日本の文献に登場するのは平安時代から。

長く薬として使われていたようで、一般庶民の口に入るようになり、現代に近いスタイルで食べられるようになったのは江戸時代といわれています。

似ているものに「梅漬け」がありますが、梅漬けは干さずに漬けたままのものです。

現代では、伝統的な塩漬けだけでなく、はちみつやかつおの味に調味したものも多く出回っています。


梅干しの作り方

梅の生産者や梅干し職人に聞いた美味しい梅干しの作り方をわかりやすく動画付きでご紹介します。

梅干しの作り方の記事を見る

うなぎと梅干しは食べ合わせが悪いって本当?

「うなぎと梅干しは食べ合わせが悪い」と聞いたことはありませんか?

どちらも夏に食べたくなる食材ですが、一体なぜ一緒に食べてはいけないのでしょうか?

結論から先に言うと、現代の医学では全く問題がなく、「うなぎと梅干しは一緒に食べても良い」と言われています。

さまざまなビタミンをたっぷり含んだうなぎは有名な夏のスタミナ食材ですが、脂の多さにより「胃腸に負担をかける」という側面も。

胃液の分泌を促し、消化を助けるうえに口の中をさっぱりとさせてくれる梅干しは、むしろ相性の良い相手とも言えるのです。

うなぎと梅干しで作るひつまぶし…想像しただけでもおいしそうですね!

ちなみになぜこのような言い伝えが生まれたかというと、

「梅干しを食べると食欲が増進してしまい、贅沢品であるうなぎを食べ過ぎてはいけないから」
「梅干しは酸味があるため、うなぎが腐っていた時に分からなくなるといけないから」
このような説があるそうです。

どちらにせよ、うなぎと梅干しの食べ合わせとは関係は無さそうなので安心ですね。

梅干しの栄養成分

さて、「健康によい」と言われる梅干しにはどんな栄養成分があるのでしょうか。

主な成分は次のとおりです。

有機酸
梅干しには、クエン酸、リンゴ酸、シュウ酸、コハク酸など、さまざまな種類の有機酸が含まれています。

ミネラル
梅干しには、カルシウム、リン、鉄などのミネラルが含まれています。

特にカルシウムの量は可食部100g中65mgと豊富です。

ビタミン
梅干しには、ビタミンA、ビタミンEなどのビタミン類が含まれています。

特にビタミンEは、可食部100g中2.3mgと野菜・果物の中では多めです。

梅干しのカロリー

ヘルシーなイメージの梅干しですが、カロリーや糖質はどうなのでしょうか?

あたりの成分を調べてみました。

梅干し(塩漬け)…33kcal(糖質量:6.9g)

梅干し(調味漬け)…96kcal(糖質量:18.6g)

塩だけで漬けたものについては、100gで33kcalと高くはありません。

実際に一度に食べる量は、ご飯一杯につき梅干し10gといったところでしょうから、一食で3kcal程度。たくさん食べるものではないので、カロリーはほとんど気にせずにいただけそうです。

はちみつや砂糖などの入った調味液に漬けたものは、塩漬けのカロリーの約3倍。

塩分控えめで甘みがあるものが多いため「2個、3個と食べてしまう」という場合には要注意です。

梅干しには脂肪燃焼効果もあるため「梅干しダイエット」も話題になりましたが、試すなら塩漬けの梅干しがよさそうですね。

梅干しの健康効果・効能
冒頭でご紹介した日本最古の医学書『医心方』(984年)に、「梅は三毒を断つ」という言葉があります。

「三毒」とは食事の毒、水の毒、血液の毒のことで、その頃から梅の優れた抗菌効果や血液の浄化作用が知られていたことが分かります。

「梅はその日の難逃れ」ということわざもあり、万病に効くとされてきた梅干し。

なんと、今回ご紹介する効果・効能は驚きの12種類です

梅干しの健康効果1 食欲増進・消化促進
食欲増進・消化促進
梅干しの酸味は唾液の分泌を促し、食欲を増進させる効果があります。

また、この唾液中に含まれるアミラーゼという酵素は、ご飯やパンなどの消化を助けるため、消化促進効果も期待できます

 

梅干しの健康効果2 虫歯予防
虫歯予防
「梅干しは酸っぱいから歯を溶かすのでは?」と思われがちですが、梅干しは虫歯の原因となるミュータンス菌を殺菌してくれることがわかっています。

また、唾液の分泌も促すため、逆に歯が溶けるのを防いでくれるそうです。

 

梅干しの健康効果3 食中毒予防
食中毒予防
梅干しに豊富に含まれるクエン酸・塩分には強い抗菌効果があり、食べ物が傷むのを防いだり、食中毒を予防したりする効果があります。

 

梅干しの健康効果4 インフルエンザ予防
インフルエンザ予防
梅干しに含まれる「エポキシリオニレシノール」というポリフェノールの1種には、インフルエンザを予防する効果があるそうです。

ただし、インフルエンザウイルスを抑制するには梅干しを1日5個食べなければならないとのこと。

効果を実感するには塩抜きなどの方法が求められそうです。

 

梅干しの健康効果5 血液浄化
血液浄化
梅干しに含まれるクエン酸には、血管の中で血小板が集まるのを防ぎ、ドロドロの血液をサラサラにする効果があるとされています。

 

梅干しの健康効果6 身体をあたためる効果
身体をあたためる効果
血液をサラサラにする効果がある梅干し。

さらに梅干しを加熱することで「ムメフラール」という成分が生まれ、血行を改善する効果が得られるそうです。

血流をよくすることで身体全体を温め、冷え性の改善も期待できます。

 

梅干しの健康効果7 抗炎症作用
抗炎症作用
梅干しに含まれる「梅リグナン」の一種、「ピノレシノール」には抗炎症作用があり、アレルギーやさまざまな疾患の元になる炎症を抑える効能があります。

 

梅干しの健康効果8 老化防止
老化防止
梅干しに含まれる梅リグナン「ピノレシノール」「リオニレシノール」には抗酸化作用があり、アンチエイジングや、動脈硬化などの生活習慣病の予防に効果が期待できます。

 

梅干しの健康効果9 脂肪燃焼効果
脂肪燃焼効果
梅干しには「バニリン」という、脂肪細胞の燃焼を促す効果のある成分が含まれています。

このバニリンは加熱することで量が増え、冷ましても変わらないそうです。

 

梅干しの健康効果10 骨粗しょう症予防
骨粗しょう症予防
梅干しにはカルシウムと、体内のカルシウムの吸収を高めるクエン酸が両方含まれています。

若いうちからの骨粗しょう症予防として、育ち盛りのお子様にもおすすめです。

 

梅干しの健康効果11 糖尿病予防
糖尿病予防
梅に含まれる「オレアノール酸」には血糖値の上昇を抑える効果があると言われていて、糖尿病の予防効果があるとされています。

特に食前に摂ると効果が高いそうです。

 

参考文献:梅の効能(紀州梅効能研究会)

梅干しは塩分過剰で要注意?
梅干しは塩分過剰で要注意?
文部科学省の取りまとめている食品成分データベースを基に計算すると、昔ながらの塩分濃度の高い梅干しは、一個(可食部)14gに約3gの食塩が含まれています。

食塩の摂取基準量は、成人男性が1日に8g、女性が7gですから、梅干しを1日に3つ食べるとそれだけで1日ぶんの塩分をオーバーしてしまうことになります。

塩分のことを考えると、梅干しは1日1つ程度に留めておくのがよさそうですね。

たくさん食べたい場合は、後ほどご説明する「塩抜き」をしていただくのも方法のひとつです。

減塩梅干しの塩分は?
減塩梅干しの塩分は?
世の中には「減塩梅干し」として市販されている梅干しもあります。

1粒14gとして、塩分濃度による食塩の含有量を比較してみました。

・塩分22%…3g
・塩分15%…2.1g
・塩分10%…1.4g
・塩分9%…1.26g
・塩分8%…1.1g
・塩分5%…0.7g
当然、数字が小さくなるにしたがって塩分控えめになります。

しかし、減塩梅干しは腐りやすいため、防腐剤などを添加していることもあります。

また、欠けた旨味を補うために、糖類や旨味調味料などが加えられていることも多いのです。

「塩分控えめ=健康に良い」と一概にはいえません。購入の際は、ラベルなどをよくチェックしてみてください。

梅干しの塩抜きの方法
梅干しの塩抜きについて
塩分濃度が高めの梅干しは、塩抜きして食べやすくすることもできます。

塩抜きした梅干しは傷みやすくなるので、一度にたくさんではなく、少量ずつ塩抜きするようにしましょう。

●梅干しの塩抜きの手順
1. 梅干し200g(約10粒)に対して水1Lを用意します。
2. 容器に水と梅干し、塩をひとつまみを入れてよくかき混ぜます。
ポイント
・塩を入れることで、浸透圧により塩分が抜けやすくなります。
・塩が梅と共に沈殿するため、時々かきまぜてください。
・人肌のお湯を使うと早く塩抜きできます。
3. 好みにより、1時間〜数時間ほど塩抜きします。
4. 塩抜きが終わったらザルにあげ、よく水を切って数時間乾燥させます。
5. 冷蔵庫で保管し、早めに食べきりましょう。
●塩抜き時間について(塩分20%の梅干しを使用した場合)
1粒の大きさや水の温度などにもよりますが、塩抜き時間に対する塩分濃度はだいたい次のようになります。

・3時間漬けたもの…約15%
・半日漬けたもの…約12%
・半日漬け、1度水を取りかえてさらに半日漬けたもの…約5〜10%
梅干しの賞味期限は?切れても食べられる?
梅干しの賞味期限は?切れても食べられる?
梅干しは賞味期限がない食品というイメージですが、それは昔ながらの梅干しの話。

賞味期限は、梅干しの作り方・漬け方・添加物の有無などによって変わります。

大きく関係するのは塩分濃度です。

塩分濃度20%以上の梅干しは、常温保存で何年でももつとされています。

「100年経っても腐らない」とも言われますが、熟成期間は3年〜5年もあればじゅうぶんで、それ以上熟成させても風味が飛んでしまうようです。

塩分濃度が10%以下の「減塩梅干し」については、製品によって異なりますが、賞味期限は冷蔵で6ヶ月以内というものが多いようです。

「賞味期限」と「消費期限」

ラベルに記載されている「賞味期限」はおいしく食べられる期限であって、その日付を過ぎたからといってすぐに食べられなくなるわけではありません。

未開封のものについては、匂いや見た目に異常がなければ賞味期限が切れていても問題なく食べられることもあります。

ただ、開封後の減塩梅干しについては、早めに食べきる方がよいでしょう。

保存している梅干しには、時々白い点々がつくこともあります。

「カビ?!」と驚きますが、塩やカルシウム、酸の結晶ということもあるので、捨てる前によく見極めてください。

梅干しが乾燥している場合は、結晶である可能性が高いですよ。

かんたん梅干しレシピ
夏バテから生活習慣病まで、さまざまな不調に対応してくれる梅干し。

お料理でも積極的に活用したいですよね。

毎日の食卓で活躍する、お手軽な梅干しレシピをご紹介します。

梅干し×お茶…梅醤番茶
マクロビオティックでは冷え性や風邪をひいた時の定番のお茶。 梅干しのもつ薬効を実感するのにぴったりです。
材料
1杯分
調理時間
5分
梅干し×お茶…梅醤番茶
 材料
・梅干し1粒
・醤油小さじ1
・ショウガ汁小さじ1
・番茶(三年番茶)適量
 つくり方
1カップに梅干し、醤油、ショウガのおろし汁を入れます。
21に熱い番茶を注ぎ、梅干しをよく潰して完成です。温かいうちに飲んでください。
梅干し×野菜…梅干しと長芋の味噌汁
梅と長芋は相性抜群。味噌汁に梅干しってこんなに合うんだ!と驚きます。 海苔はぜひたっぷりとかけてください。
材料
4人分
調理時間
20分
梅干し×野菜…梅干しと長芋の味噌汁
 材料
・長芋10p
・梅干し2粒
・海苔4枚
・だし汁800ml
・味噌大さじ2
 つくり方
1長芋は皮をむいて短冊切りにします。厚めの方がほっくりとした食感が楽しめます。
2だし汁に長芋を入れ、好みの食感になるまで火を通します。
3火を止めて味噌を入れ、味を見ながら梅干しをちぎり入れます。
4器に注ぎ、細く切った海苔を盛りつけて完成です。
梅干し×肉…豚の梅肉チーズ巻き
梅の酸っぱさとチーズのまろやかさがぴったりで、お子さんにも人気の梅干しメニュー。 お弁当にもおすすめのレシピです。
材料
4人分
調理時間
25分
梅干し×肉…豚の梅肉チーズ巻き
 材料
・豚肉(うす切り)400g
・たたいた梅干し2粒
・ピザ用チーズ適量
・オリーブ油適量
・コショウ(好みで)
・大葉(好みで)
 つくり方
1豚肉をまな板に隙間なく並べ、その上に好みで大葉を敷きます。
21の端にたたいた梅干しをのせていきます。豚肉を横断するようにのせてください。
3空いた部分に、しっかりと巻ける程度の量のチーズをのせます。
4梅をのせた方の端からきつく巻いていきます。好みでコショウを振ります。
5熱したフライパンに油をしき、4の巻き終わりの部分を下にして焼いていきます。
6焼き色がつくまで焼き、ひっくり返して蓋をして焼きます。
7火が通ったら好みの長さに切って盛りつけてください。
梅干し調味料…梅干しドレッシングの大根サラダ
食欲がない時の味方、梅干しドレッシング。 サラダ以外にも、しゃぶしゃぶや冷やし中華の漬けダレなどさまざまな料理に応用してみてください。
材料
4人分
調理時間
10分
梅干し調味料…梅干しドレッシングの大根サラダ
 材料
・大根1/3〜1/2本
☆たたいた梅干し1粒
☆好みの油(ごま油、オリーブ油、えごま油など)大さじ3
☆酢大さじ2
☆醤油小さじ1
・かつお節ひとつかみ
・海苔適量
 つくり方
1大根は皮を剥き、スライサーで薄くスライスします。
21を食べやすい太さ(5mm程度、好みで)に切ります。
3☆の材料を器に入れてよく混ぜます。
4大根を皿に盛り、3を回しかけてかつお節、海苔を振りかけて完成です。全体を混ぜてから取り分けてください。
いろんな梅仕事
梅仕事は梅干し作りだけではありません。ここでは梅を使った様々な梅仕事をご紹介します。

チャレンジしたい梅仕事
梅シロップの作り方
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夏バテにも効果的。冷えや便秘解消にも効果あり。
美味しい梅シロップの作り方をご紹介します。

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梅サワーの作り方
甘酸っぱくて美味しい。お子様や大人までゴクゴク飲める梅サワーの作り方をご紹介します。

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梅酒の作り方
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材料さえ揃えば、誰でも手軽に漬けられる「梅酒」。
いろいろな作り方を試して自分だけの「味」にチャレンジしてみてください。

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梅に関連する食品の豆知識
梅を使った食品の豆知識をご紹介します。

梅酢とは?|役立つ使い方や気になる効能、活用レシピもご紹介
梅酢とは?|役立つ使い方や気になる効能、活用レシピもご紹介
醤油、みりん、酒、酢。
調味料入れのレギュラーメンバーの影で、梅酢はちょっと「使いづらい調味料」と思われているかもしれません。
「梅干し作りでできた梅酢、棚にしまいっぱなし」というのもよく聞く話です。
でも、実は梅酢は古くから「調味料のエース」であり、調味以外の使い道もいろいろ。
おまけに多様な効能をもっているとくれば、活用しない手はありません!
今回は、梅酢の健康効果と使い方・レシピまで、盛りだくさんでご紹介します。

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梅醤とは
梅醤とは
梅醤とは、梅干しをすりつぶした梅肉と醤油を練り合わせ、熟成させた食べ物です。
今回は梅醤の活用法を詳しくご紹介いたします。

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梅の黒焼きとは|効能や作り方、おすすめ商品までご紹介
梅の黒焼きとは|効能や作り方、おすすめ商品までご紹介
梅の黒焼きとは、梅干しの実や種を、炭などを使い鉄釜などでじっくり長時間煎って炭化させたものです。
この梅を黒焼きにすると、実は生の梅や梅干しよりも栄養価が増すと考えられており、古くから漢方の生薬としても使われています。
今回は梅の黒焼きの効能や作り方、摂取の方法などをご紹介いたします。

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梅肉エキス
梅肉エキス17の効果・効能。抗がん作用も?副作用はないの?
トロリとした真っ黒な外見、「ひたすら酸っぱい」という味…
「梅肉エキス」は、なにやら取っつきにくい印象のある食べ物かもしれません。
しかし、その効果・効能は多岐にわたり、なんと「梅干し以上」という評判さえあるのです。
今回は、「家庭の万能薬」とも言われる梅肉エキスの多様な健康効果に加え、気になる副作用や家庭で手づくりする際の作り方についてもまとめました。

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三年梅干しとは
三年梅干しとは
三年梅干しとは、生の梅を塩で漬け込み、天日で丁寧に干した後、
三年間樽の中でじっくり熟成させた梅干しことです。
干し上がったばかりの梅干しは塩辛く感じますが、
二年三年と年月をかけて熟成させることにより、
塩角がとれ、旨味とコクを含んだ芳醇でまろやかな味わいに変わります。
今回はそんな三年梅干しについて詳しくご紹介いたします。

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●管理栄養士からのコメント

「一日一つで医者いらず」と言われるほど健康効果の高い梅干し。
疲労回復や食欲増進、お弁当に入れて食中毒予防など夏に良いのイメージもありますが、免疫力を高める効果や体を温める効果もあるので冬にも嬉しい食材です。

梅干しをそのまま食べるのももちろん良いですが、やはり気になるのは塩分。

いつもの料理にプラスすると塩分も増えてしまうので、細かく刻んで和え物に入れたり、魚の梅煮にするなど梅干しの塩分を塩や醤油代わりに使うと良いですね。

安藤ゆりえ 安藤ゆりえ
管理栄養士プロフィール
◎安藤ゆりえ
老人保健施設の管理栄養士を経て、健康を維持するためには若いうちからの食生活の大切さを実感。
2016年フリーランスとして活動を開始。レシピ開発や栄養指導、料理教室、食に関するコラムの執筆などを行っている。
また「食を見直すならまずは毎日使う調味料から」をコンセプトに地元愛知県三河のみりんや味噌などの伝統的な調味料の素晴らしさを伝えるセミナーなども開催。

食や栄養に関すること全般ですが特に
・調味料について(みりん、味噌や醤油などの製法やどんなものを選ぶと良いかなど)
・体に優しいスイーツの選び方、作り方
・ダイエットレシピの考案
・時短レシピの考案を得意としています。

▼公式サイト
https://ameblo.jp/yurieand/entry-12461592747.html

梅干しについてのQ&A
梅干しは酸性食品ですか、アルカリ性食品ですか?


梅干しは酸を含みますが「アルカリ性食品」です。


酸っぱい梅干しは「身体を酸性にする」と思われがちですが、身体の中に入ると酸性化した血液や細胞液を中和し、弱アルカリ性に保つ働きをします。


梅干しの種の中身(仁)を食べても大丈夫?


梅干しの種の中身(仁)にはアミグダリンという成分が含まれ、人の体内に入ると有毒成分の青酸に変わり、中毒の原因となります。


ただし、梅干しはアミグダリンの量が少ない熟した梅を使うことが多く、また加工によりアミグダリンの分解が促進されるため、昔ながらの方法で製造された梅であれば少量食べる分には問題ないようです。


国立健康・栄養研究所のWebサイトでは、「食品として常識的な量の摂取」にとどめるよう記載されています。

https://kawashima-ya.jp/contents/?p=10672#SEC_10
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1042.html#c1

[番外地8] 最新の核DNA解析で ・アイヌは縄文人の直系の子孫 中川隆
18. 中川隆[-11198] koaQ7Jey 2020年9月23日 20:38:33 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[67]
最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無文土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。
縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無文土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語

というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族 jyouka

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/387.html#c18

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
30. 中川隆[-11197] koaQ7Jey 2020年9月24日 06:29:35 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[1]
当時の文章や当事者の話はすべて一次資料だよ
別に一次資料だから正しいという事にはならない
林千勝さんの話はどうでもいい一次資料に基づいて、過去の研究をすべて無視して、文献学の知識ゼロの思い付きの話なんだ。
せめてディビット・バーガミニの名著の間違いを指摘する所から初めて欲しかった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c30
[番外地8] 三橋さんは歴史の話でもすべて身近にいる自称専門家の話の受け売りだけなんだ。
僕は今迄7年間 三橋ブログをすべて読んできて,最近その間違いがわかったから書いているんだ。
三橋さんは歴史の話でもすべて身近にいる自称専門家の話の受け売りだけなんだ。
自分の頭では何も考えられない、文献を自分で調べようとすらしない人なんだな。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/397.html
[近代史4] 貨幣論の基礎は貸借対照表
貨幣論の基礎は貸借対照表


最強のツール「バランスシート(貸借対照表)」
2020-09-23 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12626860641.html


 突然ではございますが、わたくしの「人生」を大きく変えてしまった「ツール」についてご紹介いたしましょう。
 その名は、バランスシート(貸借対照表)といいます。


 いや、冗談でも何でもなく、診断士の試験に財務分析があり、そこで「バランスシート」の概念(というか、単なる事実)を知ったことで、わたくしの人生は大きく変わってしまったのです。バランスシートというツール一つで、ここまで人生が変わってしまった。


 バランスシートとは、一経済主体の「資産」「負債」「純資産」「純負債」について、二つの箱の左右に明記するというだけのツールですが、これが決定的だったのです。


 わたくしは、「国民経済の五原則」として、

1.国民経済において、最も重要なのは「需要を満たす供給能力」である。
2.国民経済において、お金は使っても消えない。誰かの支出は、誰かの所得である。
3.国民経済において、誰かの金融資産は必ず誰かの金融負債である。
4.国民経済において、誰かの黒字は必ず誰かの赤字である。
5.現代世界において、国家が発行する貨幣の裏づけは「供給能力」である。

 と、繰り返していますが、うち2、3、4が、バランスシートの理解から「解明」された「事実」です。


 誰かの資産は、誰かの負債。つまりは、誰かの負債は、誰かの資産。
「国の借金で破綻する〜っ!」
 ということは、政府の負債が大きいということですが、それって「誰」の資産なの?


 あるいは、黒字とは「誰かの純資産が増える」ということですが、そのとき、必ず「誰かの純負債」が増えている。つまりは、誰かの黒字は、誰かの赤字では?


 さらに、誰かの黒字になっているということは、誰かが支出している。そのとき、誰かの「所得」が生まれてない?

 しかも、おカネは誰かの借方から、別の誰かの借方に移っているだけで、別に消滅はしていないよね?

 あれ? おカネって、どうやったら消せるんだ。逆に、どうやったら、生まれるんだ?


 と、思考を進めることで、2〜3が「誰にも否定できない事実である」ことを理解したのです。1と5は、マクロ的な話ですが、2〜3は個人でも成立します。


 わたくしがデビューした際、「ケインズのパクリ」「リチャード・クーのパクリ」などと色々言われましたが、実は初期のわたくしはケインズもリチャード・クーの書籍等を読んだことがありませんでした(あとで、同じことを言っているということを指摘され、改めて読んだ)。以前も書きましたが、わたくしの「経済」分野の師はいません。


 なぜ、今更この話を書いているかと言えば、三橋TVの第291回で高家さんが言っているように、
「国の借金で破綻すると言われると、あたかも自分の借金が増えているような錯覚を覚えた」
 人が少なくないでしょうし、先日、ある講演会で個別に、
「日本政府が米国債を買ったということは、借金を日本政府が背負わされたということですか?」
 という質問を受けたためです。


 いや、日本政府が米国債を買ったところで、「債権者(貸し手)が誰かから日本政府に変わるだけで、別に政府の借金は増えんだろ」という話なのですが、バランスシートを理解していないと、騙される。あるいは、混乱する。


 この手の「貸し手」「借り手」を整理する考え方(というか、現実を見ろ、という話ですが)に対する無理解が、まさに財政破綻論が蔓延した主因の一つだと思うのです。

 特に、一個人、一家計にとって「借金が増える」ということは、嫌なことです。その、人々にとって「借金が嫌」という事実を理解し、財政破綻論は組み立てられています。


 後に(2019年に)MMT(現代貨幣理論)という、貨幣の真実について経済学的に解明した考え方が来日し、
「実は、貨幣とは誰かの負債であり、現金紙幣は日銀の負債、銀行預金は銀行の負債である」
 という、貨幣論へと繋がります。(元々、我々は同じことを言っていましたが、経済学的な解説が登場した影響は大きかった)


 無論、三橋TV第291回で解説している通り、我々日本国民が「国家とは何か?」を理解しなくなった影響も大きいです。国家が何か分からないため、「自分」と「国家」を経済主体的に切り分けができない。


 だからこそ、月刊三橋から「真・国家論」ををリリースする必要に迫られたわけですが、我々「人間」と「国家」は別の主体です。というか、国家は我々が豊かに、安全に暮らすための政策を推進するためのNPO(非営利団体)なのです。そこの、切り分けをする必要がある。


 切り分けができれば、国家の負債増は、我々の資産増であることが分かるはずですが、「国家観」がないと混乱する。常日頃、「国家とは何か?」について考えていないため、マスコミからの嘘情報の垂れ流しを受け、「国家の負債=自分の負債」という錯覚に陥り、バランスシートや経済主体を無視した考え方に煽られ、
「国の借金で破綻する〜っ!」
 などとパニックに陥る。


 もう、やめましょう。


 バランスシートが教えてくれるというか、我々に突き付ける現実は、以下の通り。


・誰かの資産は、誰かの負債。誰かの負債は、誰かの資産
・誰かの資産が増えれば、誰かの負債が増える。誰かの負債が増えれば、誰かの資産が増える
・誰かの純資産が増えれば、誰かの純負債が増える。誰かの純負債が増えれば、誰かの純資産が増える

 政府の国債発行は、まさに「政府の純負債を増やす」行為です。そのとき、誰かの「純資産」が増えていませんか?


 第一次補正予算で、政府が国債を発行し、国民一人当たり10万円を給付した結果、みなさんの純資産(=預金残高)は増えませんでしたか?


 恐らく、ここが突破口です。何の話かと言えば、皆さんが「貨幣」「財政」「経済」の真実を、周りの人々の語る際の。


 多くの「周りの人々」は、資産と負債は必ずイコールになるというバランスシート(というか、単なる真実)を理解していません。結果、プロパガンダにやられてしまう。


 というわけで、正しい貨幣観、正しい財政観を周囲に広めたいならば、まずは、
「誰かの負債は、誰かの資産だよね」
 という、ごく当たり前のことを問い、相手に「あれ?」と思わせて下さい。繰り返しますが、そこが突破口です。


 最初の壁を突破できれば、その後は意外に楽です。もちろん、相手は、
「いや、そうかもしれないけど、俺ってそんなに根本から間違っていたの・・・・」
 と、認知的不協和に陥ること確実ですが、「自分の頭」で考え始めさえすれば、最後には誰でも真実にたどり着けます。


 というわけで、別に専門的になる必要はないですが、最低でも「バランスシート」の考え方だけは「武器」として身に着けて下さいませ。それほど難しくはないのですよ。

 日本の財政破綻論払拭には、まずはバランスシートが示している「極々当たり前のこと」を「考えてもらう」必要があるのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12626860641.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1043.html

[番外地8] いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube 中川隆
1. 中川隆[-11196] koaQ7Jey 2020年9月24日 06:46:09 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[2]
GDPは所得の合計ですが、その所得の大半は大企業と資本家の所得です。
GDPがいくら増えても労働者の所得が増える事はないので、デフレのままです。
GDPや経済成長率ではデフレになるか、ならないかは判断できません。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。

政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。

大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。

三橋貴明 「プライマリーバランス黒字化目標は、国民赤字化目標です。」
三橋貴明 「プライマリーバランスの黒字化は、政府の貨幣回収、皆さんの純資産収奪になります」

というのは正確には

「プライマリーバランス黒字化目標は、大企業や資本家の利益赤字化目標です。」
「プライマリーバランスの黒字化は、政府の貨幣回収、大企業や資本家の皆さんの純資産収奪になります」

なんですね。 金融はゼロサムなので、資本家が得すれば労働者が損します。

三橋さんの言う「損する国民」には労働者は含まれていないのですね。
デフレの原因は労働者の購買力の低下ですから、三橋さんが考えている様な財政出動ではデフレから脱却できません。
いくら財政出動しても大企業と資本家が儲かるだけで、労働者の賃金は上がりません。

政府がいくら金融緩和や財政出動しても大資本家を富ませるだけで、デフレからは脱却できません。
そもそもルーズベルト大統領のニューディール政策も大失敗で、政府が財政出動に使った膨大な金は労働者には回らず、すべて大資本家に行ってしまったのです。 戦争以外の公共事業ではデフレから脱却できなかったのです。 

一方、大西さんが考えているデフレ対策は
・輸出額を輸入額と同じになるまで減らし、内需主導経済に変える
・資本家から労働者への富の再分配は税金(累進課税)で行うのではなく、利子ゼロの政府紙幣を大量発行して意図的にインフレを起こす事によって行う(インフレ税)
・土地の公有化を進める
・農民を準公務員にして食料自給率を80%以上にする。
・移民と留学生の受け入れを止める
・郵政、JR、電力、大病院等のインフラの国有化
・利子付きの国債の発行を止めて、無利子の政府紙幣を大量発行する
・年金の積み立ては廃止、年金はすべて政府紙幣で十分な金額を給付
・医療費と大学までの教育費はすべて無料にする
・消費税は廃止
・高速道路は無料化

政府紙幣を大量発行すると円の貨幣価値が暴落し(為替にはあまり影響しない)、資産家の金融財産が目減りするので、資産家の財産を国民全員に再分配するのと同じ事になります。労働者がインフレで食べて行けなくなったら、生活費はまた政府紙幣を大量発行してベーシックインカム的に配布すればいいのです。
現代は技術の進歩で全国民が必要とする食料も工業製品も労働者が1日に 2,3時間も働けば十分生産できるので、その程度の労働者への福祉は可能なのです。

円の価値が暴落しても日本の労働者の給料は変わらないので、人件費も上がらず、日本の商品価格は上がらないんですね。
つまり、円の価値が暴落しても国内の消費者物価は上がりません。
しかし、労働者の実質賃金が減って購買力がなくなるからデフレになるのです。


それから昔のイギリス植民地インドがそうだった様に、輸出すればする程国民が貧しくなってデフレが酷くなります。
輸出で儲けたドルは日本には戻らないでアメリカで再投資されるだけなんですね:

当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

インドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。


 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/377.html#c1

[番外地8] 祓いの神道はchousen の宗教だよ、日本古来の宗教じゃない
祓いの神道はchousen の宗教だよ、日本古来の宗教じゃないよ:
東漢氏の遺産「祓いの神道」
梅原猛は、その著
「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)
の中で、「祓いの神道」は初めて天武天皇によって開始されたが、それは東漢氏の遺産によるものだと言っている。詳しくは「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)を読んでほしいが、その要点のみここに紹介しておこう。梅原猛は、次のように述べている。すなわち、

『 平城遷都とともに、まさに、飛鳥の時代は完全に終焉を遂げるのである。後に、東漢氏の中にただ一氏、坂上氏が栄えたが、それは、武人・坂上田村麻呂を出現せしめたことによってである。東漢氏は、文化的指導力を失って、武人として生き残ったのである。(岩井國臣の注:梅原猛は丹波康頼に眼がいっていないのは残念である。阿知王の子孫は、坂上氏と丹波氏がずっと歴史を通じて文化的指導力を発揮したのである。丹波氏のこと、医心方のことを忘れてはならない。)』

『 こうして、飛鳥はと遠くなったが、私は、不比等、というより藤原氏は、東漢氏から実に重要なものを受け継いでいると思う。それは、「祓いの神道」である。われわれはふつう日本の神道というと、祓いのことを考えるが、祓いは、けっして昔から日本の神道の中心的行事ではなかった。』

『「大宝令」の施行とともに、この祓いの行事は、もっとも重要な国家の神事の一つになったのである。この定例の祓いの神事に、東漢氏は西漢氏とともに重要な役割を演じるのである。』

『 まず、東西の漢氏によって祓いが行われ、次に文武百官を集めて、中臣氏によって祓いが行われるのである。この東西漢氏の祓いと、中臣氏の祓いの言葉が、「延喜式」の祝詞(のりと)に残されているが、東西漢氏の祓詞(はらえごと)は漢語であり、中臣氏の祓詞(はらえごと)は和語である。東西漢氏の祓詞(はらえごと)次のようである。「謹請、皇天上帝、三極大君、日月星辰、八方諸神、司令司籍、左東王父、右西王母、五方五帝、四時四気、捧以禄人、請除、禍災捧以金刀、請延帝祚、呪曰、東至扶桑、西至虞淵、南至炎光、北至弱水、千城百闕、精治万歳、万歳万歳」』

『 これは、明らかに道教の神事であろう。東西漢氏は、これを漢語で読み、人形(ひとがた)を捧げて、天皇の身のけがれを除き、金刀を捧げて、天皇の齢(よわい)の長久を祈る訳である。祓いの儀式の一つの目的は、明らかに、天皇の長久を祈るためである。しかし、それに尽きないところに、祓いの神道の政治的性格がある。中臣の祓いは、文武百官を集めて行われるところに、その意味がある。親王以下文武百官を侍らせて、祓いがなされ、神の言葉が告げられる。皇孫が天降りましましてから多くの罪が出たが、この罪を、この六月の晦(つごもり)、あるいは十二月の晦(つごもり)を期して、水に流してやる。それゆえに、購(あがな)いを出せ。これを私は、国家による司法権の確認の神事であると思う。』

『 このように不比等は、東漢氏の伝える道教の儀式を、律令の精神によって改造して、「中臣の大祓の祝詞」なるものを作成し、そして、それに基づいた記紀神話を創造したと思われるが、この祓いに刑罰を含ませる事は、おそらく天武帝から学んだのであろう。』・・・と。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/398.html

[番外地8] (緊縮財政+消費税)の方が(赤字国債大量発行+財政出動)より望ましい政策である理由 中川隆
2. 中川隆[-11195] koaQ7Jey 2020年9月24日 07:35:47 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[3]
(緊縮財政+消費税)は(赤字国債大量発行+財政出動)よりも格差拡大を防ぐ優れた政策だった
利子付き国債は資本家へ所得を再分配する為に考えたシステムです:
国債を持っている銀行や資本家は政府に借金させてこれだけボロ儲けしているんですね:
利子付き国債の発行はこれだけ貧富の差を拡大する
バブル崩壊で勝ったのは国債だけだったという事実
最も「勝ち組」の投資は日本国債だった
1990年台バブル崩壊で「1円も損をせず」「元金が7倍以上になった」のは日本国債を買った人だけだった。

バブルの頃は色々な投資がブームで、金銀、土地、ゴルフ会員権、株やピカソの絵、ハワイや湯沢の別荘が人気でした。

これらの投資はその後のバブル崩壊で全て損をした筈で、保険や年金商品ですら政府の方針でカットされていました。

そんな中で唯一バブル崩壊の影響をまったく受けなかった投資商品が「日本国債」で、日本国債が危ないという定説とは真逆の結果です。


バナナ売りみたいな投資アナリスト達は毎日毎日「あぶないよあぶないよ、さあ国債が破綻するよ」と道端で「国債が危ない」と言い続けています。

彼らがそう言っている理由は国債以外の投資商品を売って稼いでいるからで、国債が売れたら困るのです。

日経先物とかFXとか株とか土地とかピカソの絵を売って初めて「カモ」から金を取れるので、日本国債が売れたら儲からなくなるのです。


1980年に日本国債を購入した人は、30年後の2010年に7倍に増えていて、もし最初に1000万円なら7000万円、100万円でも700万円に増えていたのです。

バブル崩壊も阪神大震災も福島原発もリーマンショックもすべて無関係で、1980年台に買っていさえすれば誰でも7倍になったのです。

では日本国債を買う以外でこの30年間に投資で資産を7倍にした人がどれだけ居たか、聞くまでもなくほとんど居ないはずです。

日本国債より危険な投資に手を出す人々

「そんなのウソだ。日本国債はゼロ金利じゃないか」というもっともな意見がありますが、それでも30年間毎年金利が付くことで、5倍とか7倍に増えるのです。

考え方を変えれば本当に「金利ゼロ」だったとしても、デフレで物価が下がると実質的にお金が増えるのです。

「経済専門家は皆日本が破産すると言っている」というもっともな意見もあるが、逆に日本政府が破産した後に残る安全な物って何なんでしょう?


例えば土地は消えませんが、戦前日本最大の資産家だった本間家(ローソク足を発明した本間宗久の子孫)は敗戦でアメリカ軍に土地を没収され、ただの釣具屋になり今は中国に買収されて消滅しました。

有名企業の株を保有しても日本政府が倒産するほどの事態なら、三菱や三井やトヨタだって倒産するでしょう。

金などの貴金属は物質として目減りしませんが、あの手のものは長期的には必ず物価上昇率より価値が目減りしていきます。


日本国債がデフォルトするほどの危機なら、どんな資産も無価値になる可能性が高く、それらより危険ではありません。

例えば沖縄県知事のアホは「中国に統一してもらって日本から独立しよう」と言っていますが、中国は共産国家で個人の土地所有が認められていません。

米軍基地が中国軍基地にかわり、土地は政府の所有になり、住民は政府から借りた借地に住む事になります。(中国人民はそうしている)

日本国債より安全な投資って何?

日本国債が無効になるほどの衝撃というのはこれほどの事が起きると推測でき、こんな事を考えるよりは自衛隊に税金を払ったほうが幾らかマシです。

「日本国債がアブナイから他に投資しよう」という考えは一見合理的にみえて、相当におかしいのが分かると思います。

例えていえば「巨大隕石が地球に落下するから地球の裏側に逃げよう」みたいな話で、恐竜より頭の働きが鈍いです。


日本国債ではなく米国債など外国政府に投資しようという人も居て、こちらの方は理にかなっています。

円高が進んでも日本よりアメリカの金利が高いので、最終的に日本国債を買うよりも、数十年後に元本が増える可能性は高いです。

だがしかし日本の証券会社から米国債を買って、日本政府が倒産したときにその証券会社は存在し、銀行は投資した元本を保証してくれるのか甚だ疑問です。


日本が破産したとき自分が買った証券会社が倒産していて、資産保全しているメガバンクも倒産したら、買っておいた米国債も消滅するでしょう。

アメリカの証券会社から米国債を買うという方法もあるが、おそらく日本からだと余計なコストを取られたり不利になるかも知れません。

このように考えると「日本国債があぶない」から色々な投資を試みるのは、結局どれも日本国債そのものより危険な投資に手を出すハメになります。
_______

デフレの原因は労働者の購買力の低下ですから、財政出動ではデフレから脱却できません。
いくら財政出動しても大企業と資本家が儲かるだけで、労働者の賃金は上がりません。
従って、政府がいくら金融緩和や財政出動しても大資本家を富ませるだけで、デフレからは脱却できません。
そもそもルーズベルト大統領のニューディール政策も大失敗で、政府が財政出動に使った膨大な金は労働者には回らず、すべて大資本家に行ってしまったのです。 戦争以外の公共事業ではデフレから脱却できなかったのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/366.html#c2

[近代史4] 沢庵・漬物の塩抜きの方法
沢庵・漬物の塩抜きの方法

質問者:hurekusu質問日時:2005/11/24

漬物の下漬けで塩の加減を間違いたらしく凄くショッパイんです
うまく塩抜き出来る方法教えてくださいお願いします


回答

No.3ベストアンサー

回答者: chatea 回答日時:2005/11/25 11:30
「呼び塩」という方法で塩を抜きましょう。

水200ccに対して小さじ1/2の塩を入れたものに10〜15分ほどつけて置けば、余計な塩気はほとんど抜けます。

なお、「呼び塩」は、野菜に限らず魚の干物やカズノコなどの塩を抜く場合にも有効です。
その場合はお茶の葉(ダシガラでかまわない)を一つまみ入れると、水っぽくなるのを防げます。

なお、塩は食卓塩などよりも、岩塩などミネラル分を含んだものにしたほうが美味しくなります。

No.2
回答者: Daddy007 回答日時:2005/11/24 23:17

私の母親に聞いたところ、薄い塩水に5〜10分ほど浸すと塩気が少し抜けるとの事です。
大阪漬け(大根の塩漬け)がしょっぱすぎた時に試したら、大丈夫だったと言っていました。
一度試してみて下さい。

注意:真水ではうまくいかないので、薄い塩水にして下さい。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1799582.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1044.html

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
30. 中川隆[-11194] koaQ7Jey 2020年9月24日 08:28:47 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[6]

2020年09月24日
安倍政権経済が失敗した理由は、麻生財務大臣

麻生財務大臣は日本の悪夢

画像引用:菅内閣発足、安倍政権の政策継承 規制改革・デジタル化に独自色 | ワールド | ニュース速報 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトhttps://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2020/09/292622.php


日本経済に必要なのは改革ではなくバラマキ

麻生元総理はリーマンショックの2008年に外国に10兆円以上も援助したが国内では改革と称して支出を削減していた。

経済政策でやってはいけないのが不況下で予算削減し、経済を絞り上げる事で、当然のごとく日本は大不況に突入した。

日本経済を破綻させた麻生総理は衆院選で大敗し自民党は下野したが、その麻生氏はなぜか財務大臣をやっている。

安倍政権下で7年も財務大臣を務めたが経済成長率は平均1%で目標の半分にも達しなかった。

2度の増税を積極的に推進し、今は「もっと消費増税するべきだ」と主張している。

安倍首相が辞任してやっと「悪夢の安倍時代」が終わると思ったら、麻生財務大臣留任でまだ悪夢が続く。


菅政権でも麻生氏主導で改革つまり予算カットが行われ、消費税を増税し不況を作り出すでしょう。

象徴的な数字があり外国からの直接投資はGDP比で日本3%、イギリス約45%、アメリカ約14%などとなっている、

逆に日本からの対外直接投資は1600憶ドルで2位の中国を突き放して世界最大となっています。

日本企業ですら日本政府より中国政府が好き

日本から年間17兆円海外に投資し、ほぼ同じ規模の15兆から20兆円の経常黒字を得ています。

外国に投資して工場や現地法人をつくり、外国で稼いだ利益がそっくり経常黒字になっている計算です。

なら良いではないかと思えるが、外国は工場などを無償で建設してもらうのに対し、日本が得るのは純粋なマネーだけです。


経常黒字がいくら増えても儲かるのはソニーやトヨタだけで、労働者や日本国民には1円も渡りません。

日本政府の税収が増えることもなく、まるでボランティアで外国を豊かにしているようなものです。

日本の問題点は日本国内に政府ですら投資していない点で、外国に援助するより国内で使えという事です。


日本企業が国内に投資しない理由は日本政府が国内に投資しないからで、確実な売り上げが見込めません。

当てにならない日本政府より10兆、100兆とお金を使う中国政府のほうがよほど信用できるというものです。

民間投資は政府が使うお金に比例して増えるもので、政府が10兆円の公共投資をすれば民間も10兆円使います。


分かりやすい例では予算100億円でダム建設すると、民間企業もダンプカーやブルドーザーや生コン施設に100億円ほど投資します。

官民で使った合計がGDPになるから、お金を多く使った中国は日本の何倍も経済成長しているのです。

アメリカではコロナの現金給付によって消費が5%上押しされGDPも増えたと報告されています。


それならもう一度やれば消費が10%増える計算で、やった方が良い事になります。

一方日本では麻生財務大臣が「財政悪化を招く」として給付金自体に絶対反対の立場をとっている。

このままでは日本はコロナからの経済回復が、世界で最も遅くなってしまうでしょう
http://www.thutmosev.com/archives/83965950.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c30

[番外地8] 三橋さんは歴史の話でもすべて身近にいる自称専門家の話の受け売りだけなんだ。 中川隆
1. 中川隆[-11193] koaQ7Jey 2020年9月24日 08:39:26 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[7]
僕は今迄7年間 三橋ブログをすべて読んできて,最近その間違いがわかったから書いているんだ。
三橋さんは歴史の話でもすべて身近にいる自称専門家の話の受け売りだけなんだ。
自分の頭では何も考えられない、文献を自分で調べようとすらしない人なんだな。
三橋さんは 5ちゃんで専門家ぶってスレ投稿している程度がお似合いの人だよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/397.html#c1
[近代史5] アナトリア半島人の起源 中川隆
4. 中川隆[-11192] koaQ7Jey 2020年9月24日 08:57:39 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[9]
雑記帳 2020年09月24日
新石器時代から青銅器時代の近東人類集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_30.html


 取り上げるのが遅れてしまいましたが、新石器時代から青銅器時代の近東人類集団の遺伝的構成に関する研究(Skourtanioti et al., 2020)が報道されました。農耕開始以降、近東は複雑で初期国家水準の社会の形成において影響力のある地域で、19世紀以来大きな考古学的関心を集めてきました。過去10年の古代DNA研究の発展により、近東における新石器時代開始の過程に関する問題も明らかになってきました。アナトリア半島南部・中央部やレヴァント南部やイラン北西部の近東農耕民は在来の狩猟採集民の子孫で、この地域における狩猟採集から農耕への移行は、地域間のわずかな遺伝子流動を伴う生物学的に継続的な過程だった、と示されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。

 約2000年後、この状況は変わりました。これら前期完新世集団とは対照的に、アナトリア半島西部・中央部とレヴァント南部とイラン(ザグロス地域)とコーカサスの銅器時代および青銅器時代の集団は、相互に遺伝的差異がより少なくなっており、この期間は、より大きな地域にまたがる遺伝子流動の広範な過程により特徴づけられる、と示唆されます(関連記事)。しかし、この過程の時空間的範囲は、この広範な地域の中継地となり得るアナトリア半島中央部・東部の古代人ゲノムが不足しており、より高密度の標本抽出が必要となるため、よく理解されていません。現在まで、アナトリア半島全域にまたがる「新石器時代一式」の特徴の空間的分布からは、より広範な地域と相関する異質な複数回の事象の過程だった、と示唆されます。しかし、集団移動がアナトリア半島内のこれらの地域の形成に重要な役割を果たしたのかどうか、未解明です。

 アジア西部全域で、人々および物質および/あるいはアイデアの移動の考古学的証拠がよく記録されています。コーカサス南部では、考古学的研究から、後期新石器時代のメソポタミア北部との関係が示唆されており、アナトリア半島東部では、メソポタミア世界とほぼ関連している、いくつかの広範な事象により特徴づけられる文化的つながりのネットワークが証明されています。これらは、紀元前五千年紀における、メソポタミア南部のウバイド文化のトロス山脈まで達する、メソポタミア上流部への浸透を含みます。

 コーカサス南部では、紀元前五千年紀後半〜紀元前四千年紀半ばに、メソポタミア上流部からの強い影響により、この浸透が続きました。紀元前四千年紀半ば〜末にかけて、「中期および後期ウルク拡大」と呼ばれる別のメソポタミア南部の影響が、メソポタミア上流部とアナトリア半島東部のユーフラテス川とティグリス川の上流部に到達しました。同時に、一般的にはコーカサス南部起源と考えられているクラ・アラクセス(Kura-Araxes)文化が、紀元前3000〜紀元前2900年頃にアナトリア半島東部およびレヴァント北部・南部へと拡大しました。これらの事象の証拠は多くの発掘から得られており、とくに、アナトリア半島東部のマラティヤ平野のアルスラーンテペ(Arslantepe)遺跡の長期にわたる広範な発掘により明らかです。レヴァント北部では、メソポタミア北部との物質的つながりが紀元前四千年に出現し始め、広範な文化的接触もしくは集団移動の結果と考えられてきました。

 したがって、主要な問題は、人類集団・物質文化・アイデア・それらの組み合わせのうち、何が移動していたのか、ということです。これらの初期の発展は、中期青銅器時代(MBA)からの地中海東部における「グローバル化」の増加につながり、それは海陸の経路を通じての資源利用と管理の強化により特徴づけられます。しかし、中期および後期青銅器時代(LBA)の人類遺骸が不足しているため、人類の移動性の役割は不明確で、困難な問題になっています。この点で、トルコのアムク川流域のアララハ遺跡は、この時期の300人以上の被葬者が発見されているため、古代DNA研究の適用にとって例外的な格好の事例となります。

 この移動の性質の理解が、本論文の主題となります。本論文では、先史時代のアナトリア半島とレヴァント北部とコーカサス南部低地の主要な遺跡の人類遺骸のゲノム規模データの、大規模な分析が提示されます。本論文の目標は、近東のこの地域のゲノム史を、新石器時代から中期および後期青銅器時代の相互につながった社会への移行にまたがって、体系的な標本抽出により復元することです。新たな古代のゲノム規模データセットは110人から構成され、アナトリア半島中央部・北部とアナトリア半島東部とコーカサス南部低地とレヴァント北部の4地域を含み、それぞれ期間は先史時代の2000〜4000年にまたがっています。

 紀元前六千年紀半ばのアナトリア半島北部・中央部およびコーカサス南部低地集団は密接につながっている、と明らかになりました。これらの集団は、アナトリア半島北部から現代のイラン北部となるコーカサス南部およびザグロス地域にかけて、遺伝的勾配を形成します。この勾配は、紀元前6500年頃の両地域を生物学的に接続する混合事象の後に形成されました。アナトリア半島全域の銅器時代および青銅器時代集団も、ほぼこの遺伝的勾配の子孫です。対照的にレヴァント北部では、銅器時代と青銅器時代の間の大きな遺伝的変化が特定されました。この移行期にレヴァント北部集団では、ザグロス・コーカサス地域およびレヴァント南部の両方と関連する系統を有する、新たな集団からの遺伝子流動がありました。これは、社会的志向、おそらくはメソポタミアの都市中心部の台頭に対応における変化を示唆していますが、まだ遺伝的に標本抽出されていません。


●標本分析

 124万ヶ所の系統特定に有益な一塩基多型を対象として、アナトリア半島とレヴァント北部とコーカサス南部の4000年にわたる先史時代の110人のゲノム規模データが得られました。このうち9人の年代は紀元前六千年紀となる後期新石器時代から前期銅器時代(LN/EC)で、アナトリア半島中央部・北部のボアズキョイ・ビュユッカヤ(Boğazköy-Büyükkaya)と、アナトリア半島南部・レヴァント北部のテルクルドゥ(Tell Kurdu)と、コーカサス南部低地のアムク川流域のメンテシュテペ(Mentesh Tepe)およびポルテペ(Polutepe)で発見されました。残りの101人の年代は、紀元前四千年紀〜紀元前二千年紀となる後期銅器時代から後期青銅器時代(LC-LBA)で、アナトリア半島南部・レヴァント北部では現代のテルアッチャナ(Tell Atchana)となるアララハ(Alalakh)と現代のテル・マルディフ(Tell Mardikh)となるエブラ(Ebla)、アナトリア半島中央部・北部ではキャムリベルタルラシ(Çamlıbel Tarlası)とイクジテペ(Ikiztepe)、アナトリア半島東部ではアルスランテペ(Arslantepe)とティトリスヘユク(Titriş Höyük)、コーカサス南部低地ではアルハンテペ(Alkhantepe)です。

 詳細な集団遺伝分析では、網羅率や汚染など品質要件を満たしていない16人が除外され、合計94人のゲノム規模データが分析されました。このうち77人は加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代が得られました。これらは遺跡もしくは地域と年代により集団化されました。それは、ビュユッカヤEC(銅器時代)が1個体、キャムリベルタルラシLC(後期銅器時代)が12個体(近親者を除くと9個体、以下同様です)、アルスランテペEBA(前期青銅器時代)が4個体、アルスランテペLCが18個体(17個体)、ティトリスヘユクEBAが1個体、イクジテペLCが11個体、アララハ中期〜後期青銅器時代(MLBA)が26個体(25個体)、アララハ中期〜後期青銅器時代(MLBA)外れ値が1個体、エブラ前期〜中後期青銅器時代(EMBA)が11個体、テルクルドゥ前期銅器時代(EC)が5個体、テルクルドゥ中期銅器時代(MC)が1個体、コーカサス低地LCが1個体、コーカサス低地後期新石器時代(LN)が2個体です。

 これらのデータは、約800人の既知の古代人の遺伝的データと組み合わされました。その中で、アナトリア半島の17個体が本論文のアナトリア半島集団とともに分析されました。それは、テペシク・シフトリク(Tepecik-Çiftlik)遺跡のテペシクN(新石器時代)、バルシン(Barcın)遺跡のバルシンC(銅器時代)、ゴンドリュレ・ヘユク(Gondürle-Höyük)遺跡のゴンドリュレヘユクEBA、トパヘユク(Topakhöyük)遺跡のトパヘユクEBA、カマン・カレヒユク(Kaman-KaleHöyük)遺跡のK.カレヒユクMLBAです。


●アナトリア半島とレヴァント北部とコーカサス低地におけるLN/ECの遺伝的構造

 これまで、新石器時代アナトリア半島の遺伝子プールに関する知識は、西部のバルシンおよびメンテシェ(Menteşe)遺跡(本論文ではバルシンNとされます)と、中央部コンヤ平原のボンクル(Boncuklu)遺跡と、南部のテペシク・シフトリク遺跡からしか得得られていませんでした。これらの個体群の年代は紀元前九千年紀〜紀元前七千年紀で、本論文のLN/EC個体群へと継承されます。新石器時代から青銅器時代の近東の遺伝的構造を概観するため、まず現代人と古代人を対象に主成分分析が行なわれました。全体的に、バルシンN とイラン・コーカサス古代個体群との間で、LN/EC個体群はPC2軸に沿って散在しています。テルクルドゥECはPC1軸に沿って新石器時代および銅器時代レヴァント個体群へと僅かに移動します。ビュユッカヤECは、現在までに報告されているあらゆるアナトリア半島新石器時代個体からさらに離れて位置し、新石器時代および銅器時代イラン個体群へと移動します。コーカサス低地LN(ポルテペおよびメンテシュテペ遺跡)の2個体はPC2軸に沿って、ビュユッカヤECと銅器時代イラン個体群との間で上方に位置します。

 主成分分析で観察された質的差異を検証するため、f4統計によりユーラシア西部のより早期の集団と、LN/EC集団の遺伝的類似性が比較されました。ビュユッカヤECおよびコーカサス低地LNはバルシンNと、コーカサス狩猟採集民(CHG)およびイランNとのアレル(対立遺伝子)をより多く共有している点で異なりますが、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)やヨーロッパ東部狩猟採集民(EEF)やアナトリア半島の続旧石器時代個体やレヴァントの続旧石器時代・新石器時代個体群とは共有アレルが少なくなっています。qpAdm を用いてf4統計を要約することにより、ビュユッカヤECとコーカサス低地LNの両方を、バルシンN とイランN(24〜31%)の2者混合としてモデル化できます。主成分分析でバルシンN とビュユッカヤECの間の中間に位置するテペシクNも、同じモデルに適合します(イランNが22%)。イランNをCHGと置換することにより、ビュユッカヤECは適切なモデル(CHGが24%)が得られますが、コーカサス低地LNではこのモデルは適合しません。

 主成分分析と一致して、テルクルドゥECはバルシンN とイランNの混合の勾配には収まりませんが、古代レヴァント集団とのさらなる類似性を示します。f4統計では、テルクルドゥECは、同じ地域のほぼ1000年後の個体(テルクルドゥMC)を含む他のあらゆる新石器時代〜前期銅器時代のアナトリア半島集団よりも、先土器新石器時代レヴァント個体群(レヴァントN)とより多くの類似性を有します。バルシンNと比較すると、テルクルドゥECはヨーロッパ西部・東部・南東部の中石器時代狩猟採集民との類似性が有意に低くなっています。上述のバルシンN とイランN/CHGの混合モデルは、テルクルドゥECでは支持されません。代わりに、テルクルドゥECは、バルシンN とイランN(15.5±3.7%)もしくはCHGとレヴァントN(36.6±7.1%)の3者混合としてよくモデル化できます。


●新石器時代の混合と銅器時代および青銅器時代集団の共通の遺伝的構成

 LN/EC個体群とは対照的に、LC-LBA個体群はユーラシア西部人の主成分分析では密集し、イランとコーカサスとレヴァントとアナトリア半島西部の古代人集団により区分されるLN-EC勾配にほぼ収まります。本論文の仮説は、アナトリア半島中央部・北部および東部のLC-LBA集団がこのより古い遺伝的構造の子孫で、同じ系統構成を共有しているかもしれない、というものです。

 主成分分析と一致して、外群f3およびf4統計では、LN-EC勾配と類似しているLC-LBA集団の共通の遺伝的構成が示唆されます。まず、外群f3統計(ムブティ、LC-LBA、検証集団)では、共通の外群であるムブティからのLC-LBAと検証集団との間の平均的な共有された遺伝的浮動が測定され、検証集団がバルシンNやテルクルドゥECやビュユッカヤECのようなヨーロッパとアナトリア半島とレヴァント北部の新石器時代および銅器時代集団の時に、最高値に達しました。次に、バルシンNとテルクルドゥECを追加すると、f4統計(ムブティ、検証集団、バルシンN/テルクルドゥEC 、X)では、ユーラシア西部の一連の古代検証集団に関して、バルシンNもしくはテルクルドゥECとLC-LBA集団(X)との間の違いが特徴づけられます。イランNおよび/もしくはCHGは一貫して、テルクルドゥEC およびバルシンNと比較すると、LC-LBAとの過剰な類似性を示します。イランおよびコーカサスの銅器時代および青銅器時代集団は、年代的にLC-LBAにより近く、主成分分析ではイランN/CHGとLC-LBAの間に位置しますが、バルシンと比較すると、一部のLC-LBA集団とのみより多くのアレルを共有します。

 LC-LBA集団の共有された混合構成の時間的側面をさらに調べるため、最近開発された手法であるDATESを用いて混合年代が推定されました。上述のように、LN-EC勾配はバルシンNとイランN/CHGの割合の変化であり、両方が起源集団として選択されました。しかし、イランNおよびCHG両方の標本規模は小さく、イランNでは多くの一塩基多型が欠けているため、第二起源集団の代理としてコーカサス現代人(アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン、アブハズ、イングーシ)が用いられました。

 標本規模がじゅうぶんに大きく、LC-LBA集団で年代の古いLC(後期銅器時代)3集団(キャムリベルタルラシLCが9個体、イクジテペLCが11個体、アルスランテペLCが17個体)に焦点が当てられました。これら全個体の推定をまとめると、バルシンNとコーカサス現代人を遺伝子プールの代理として用いたさいに、105±19世代前という堅牢な混合年代が得られました。1世代28年と仮定すると、この推定はLC-LBA個体群の年代の3000年前頃の混合事象と等しく、紀元前6500年頃に相当します。ブレはあるものの類似の推定年代は、キャムリベルタルラシLCとイクジテペLCとアルスランテペLCという個々の銅器時代集団で観察されます。混合年代は別の2手法(ALDERおよびrolloffp)でも推定されましたが、全体的にはDATESと一致しました。

 さらに、コーカサス低地LN とビュユッカヤEC、コーカサスの既知のEBA個体群、イランC(銅器時代) を含む、EC(前期銅器時代)勾配上の他の古代集団にも分析が拡大されました。紀元前3100年頃のコーカサスEBA個体群はアナトリア半島LC個体群と類似しており、121±35世代前という類似の混合年代が得られました。重要なことに、より古いコーカサス低地LN2個体とビュユッカヤEC1個体(紀元前5600年頃)は、34±15世代前というもっと最近の混合年代が推定されました。これは暦年代で紀元前6500年頃となり、LC個体群から推定される混合事象の年代と一致します。


●銅器時代と青銅器時代集団の混合モデル化

 LC-LBA集団の系統構成を説明するには、バルシンNおよびイランNの両関連系統が必要だと示されましたが、時空間的にLC-LBA集団により近い古代集団の代替的組み合わせも、同様に適合モデルを提供できるかもしれません。真の人口史をより反映している可能性が高い妥当な混合モデルを得るには、密接に関連した候補起源集団間を正確に区別することが重要です。qpAdmを用いて、全LC-LBA集団が、一方は新石器時代アナトリア半島系統、もう一方はイランおよびコーカサス集団関連系統という2起源集団の混合として、モデル化されました。新石器時代アナトリア半島系統では、新石器時代もしくは前期青銅器時代の3集団(バルシンN、テルクルドゥEC、ビュユッカヤEC)が用いられました。イランおよびコーカサス集団関連系統では、イランNおよびCHGと、同じ地域のより新しい銅器時代および青銅器時代集団が用いられました。LC-LBA集団の混合兆候は、イランおよびコーカサス集団よりも古いものの、代理として用いられました。それはLC-LBA集団が、LC-LBA個体群に寄与したまだ標本抽出されていない遺伝子プールを表しているかもしれないからです。

 バルシンNとイランNの混合は多くのLC-LBA集団を適切に説明しますが、アララハMLBAとエブラEMBAとアルスランテペLCとバルシンCとコーカサス低地LCでは失敗しました。イランN関連系統の寄与は、21±9%〜38±6%です。バルシンNとCHGの代替モデルでは、CHG関連系統の推定寄与がわずかに高く、27±13%〜41±7%ですが、12集団のうち8集団はCHGとモデル化できません。銅器時代および青銅器時代集団では、イランCがイランNと類似の結果を示しますが、推定寄与の割合はより高くなります(34〜53%)。イランC自体は、イランNとバルシンN(37±3%)の混合としてモデル化でき、LC-LBAのモデル化の結果とよく一致します。対照的に、コーカサス集団、とくに銅器時代から青銅器時代(En/BA)集団は、ほとんどLC-LBに適合しません。

 バルシンNをテルクルドゥECと置換して、混合モデル化が繰り返されました。一般的にテルクルドゥECとのモデルは、LC-LBA集団とよく適合しますが、それはバルシンN(22個体)と比較してテルクルドゥEC(5個体)の標本規模がずっと小さいことに起因する、モデルと実際の対象集団との間の不一致を検出する統計的能力の低下の不自然な結果かもしれないので、注意が必要です。古代イラン集団とのモデルが複数のLC-LBA集団で適合しない一方で、テルクルドゥECとCHGの混合は、CHGの割合が13±19%から40±9%まで多様ではあるものの、バルシンCを除く全LC-LBA集団でモデル化できます。

 CHGを後のコーカサス集団と置換すると、同じくバルシンCを除いて、より高いコーカサス関連系統の寄与(40〜67%)を有する同じパターンが示されます。バルシンNを外群セットに追加後に分析を繰り返しても、ほとんどの結果は同じままでした。しかし、テルクルドゥECを有する同じ地域のLC-LBA2集団、つまりエブラEMBAとアララハMLBAはこのモデルから逸脱し、テルクルドゥECは単純な2者混合モデルでは適切な代理ではないかもしれない、と示唆されます。したがって、古代イラン集団は全体的に、コーカサス集団よりも代理として敵辣に機能するようですが、さらに比較するにはより高解像度のデータが必要です。

 ビュユッカヤECは、本論文のデータセットにおいては、アナトリア半島内でLC-LBA集団と類似の遺伝的構成を有する最初の個体です。したがって、後のLC-LBA集団がさらなる外部からの寄与なしに同じ遺伝子プールから派生した、という想定も検証されました。F4(ムブティ、X、ビュユッカヤEC、LC-LBA)統計からは、ビュユッカヤECがLC-LBA集団よりも、バルシンNのようなヨーロッパ・アナトリア半島農耕民とより多くのアレルを共有している、と示唆されます。同様に、バルシンNが外群に含まれる場合、ほとんどのLC-LBA集団はqpAdmでビュユッカヤECと姉妹集団としてモデル化できません。ほとんどのLC-LBA集団は、古代イラン/コーカサス集団の第二系統への追加により適切にモデル化されますが、アララハMLBAとエブラEMBAは、古代レヴァント南部集団からのかなりの寄与を必要とします。

 全体的に、qpAdm分析と組み合わせた、後期新石器時代および後期銅器時代集団の両方から得られた同じ混合年代の推定に基づくと、LC-LBA集団も新石器時代の遺伝的勾配から派生したものの、先行集団よりもかなり均質化していた、と示唆されます。イランの古代集団はコーカサス集団よりも東方の起源のより適切な代理となりますが、メソポタミア内からのまだ標本抽出されていない代理が、このイラン/コーカサス関連系統の真の歴史的起源集団を表しているかもしれないので、本論文の結果の字面通りの解釈は要注意です。


●青銅器時代レヴァント北部の遺伝的置換

 テルクルドゥとエブラとアララハの各遺跡により代表されるレヴァント北部は、4区分で最も顕著な遺伝的置換を示します。最後となる中期銅器時代テルクルドゥ1個体(テルクルドゥMC)の後の2000年以内に、アムク川流域内および周辺の集団(アララハMLBAとエブラEMBA)の遺伝的構成は、同時代のアナトリア半島人とほぼ同じに変化しました。しかし、ビュユッカヤEC とのqpAdmモデル化では、アララハMLBAとエブラEMBAは依然として、古代レヴァント南部集団とのつながりに関して、他のアナトリア半島集団と異なっている、と示唆されます。それらの違いはまた、エブラEMBA とアララハMLBA が、バルシンNやコーカサス集団のようなより古い集団との関係について他のLC-LBA集団とは異なっている、と示されるf4統計でも確認されます。

 さらに、バルシンN/テルクルドゥECおよび/もしくは古代コーカサス集団は、qpAdmではエブラEMBAおよびアララハMLBAを充分にモデル化できず、その仮定起源集団は真の祖先の適切な代理を表していない、と示唆されます。基底系統としてより古いテルクルドゥECと、地理的に近いアルスランテペLCとで、潜在的な代理起源集団として代替的なモデルを用いると、どちらも適合は改善されませんでした。しかし、混合モデルは、第三の起源集団としてレヴァント南部集団の追加により適切になり、この場合の各系統の割合は、テルクルドゥECが27〜34%、後のコーカサス集団が36〜38%、レヴァントEBAが28〜38%となります。

 テルクルドゥECの後の追加の遺伝子流動と一致して、アナトリア半島集団もしくはコーカサス集団の遺伝子プールを起源集団として用いると、アララハMLBAで他のLC-LBA集団よりも新しい推定混合年代が得られ、アナトリア半島LCとは78±27世代前(紀元前3880±746年前)、コーカサスEBAとは44±8世代前(紀元前3060±224年前)です。アナトリア半島LCもしくはコーカサスEBAのどちらかを一方、レヴァントCをもう一方の起源集団として用いると、指数関数的減衰は適合できませんでした。


●アララハにおける個体の移動性の証拠

 レヴァント北部のアララハMLBA全員の遺伝的分析は、主成分分析における外れ値のため、女性1個体(ALA019)を除いて行なわれました。ALA019は井戸の底で発見され、考古学的および人類学では、放射性炭素年代が紀元前1568〜紀元前1511年で、いくつかの治癒した外傷の証拠がある異常な埋葬を表している、と指摘されています。ユーラシア人の主成分分析では、ALA019は遺伝的に、古代イランおよびトゥーラン(現在のイランとトルクメニスタンとウズベキスタンとアフガニスタン)の銅器時代および青銅器時代個体群とより密接でした。これらの集団は西から東の遺伝的勾配を表しており、バルシンNおよびイランNおよびシベリア西部狩猟採集民(WSHG)と関連する系統のさまざまな割合を有しています。

 主成分分析で観察されたALA019の遺伝的類似性は、外群f3統計で確認されました。コーカサスおよび西方草原地帯の他の古代集団も高い類似性を示しますが、f4統計(ムブティ、X、トゥーラン、ALA019)からは、ALA019が他のトゥーラン個体群とは、多かれ少なかれイランNもしくはWSHGと時としてアレルを共有することにより区別されると示唆され、この地域における遺伝的勾配の存在と一致します。メソポタミア南部のような近隣地域からの古代ゲノムの欠如を前提にすると、ALA019の起源として最も他可能性が高いのは、イラン東部もしくはアジア中央部のどこかです。


●青銅器時代前のアナトリア半島とコーカサス南部全域の遺伝的均質化

 本論文は、年代では紀元前六千年紀以降を対象とし、シリア(レヴァント北部)とアナトリア半島は4000年、コーカサス南部は2000年に及びます。さらに、混合年代の推定により、新石器時代へと1000年さかのぼることが可能となりました。アナトリア半島西部(マルマラ海周辺地域)とコーカサス南部低地への後期新石器時代/前期銅器時代(紀元前六千年紀)の遺伝的勾配が明らかになり、この遺伝的勾配は後期新石器時代の開始(紀元前6500年頃)以降の混合過程により形成されました。この勾配の東端はアナトリア半島(西部の)系統をわずかに伴うザグロス山脈を超えて、銅器時代と青銅器時代のアジア中央部にまで達しました(関連記事)。南方では、アナトリア半島系統はレヴァント南部の新石器時代集団に存在し、北方でコーカサス(のおもに山岳地帯)の銅器時代および青銅器時代集団に存在し、これは後期新石器時代の混合の結果である可能性が最も高そうです。

 広範な地域の遺伝的均質化の証拠は、父系でのみ継承されるY染色体系統からも得られます。この地域の全ての時空間的集団では、Y染色体ハプログループ(YHg)はほぼ共通してJ1a・J2a・J2b・G2aです。低頻度のYHg-H2・T1aも加えて、これらは新石器時代までさかのぼるか、すでに上部旧石器時代に存在していた(関連記事)遺伝的遺産の一部を形成します。いくつかの注目すべき例外は裏づけに乏しいものの、それにも関わらず、長距離移動と拡張されたYHg多様性の重要な証拠を提供します。たとえば、YHg-R1b1a2(V1636)・R1b1a1b1b(Z2103)は17000年以上前に分岐したと推定されているので、アルスランテペ遺跡の主要な期間にポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの早期の侵入の直接的証拠はありません。アララハ遺跡のALA084個体で見つかったYHg-L2(L595)は、以前には銅器時代イラン北部の1個体と、コーカサス北部のマイコープ(Maykop)文化後期の3人で報告されていました。このYHg-L2の3人は、本論文で示された共通のアナトリア半島/イラン関連系統の勾配に由来する系統を有しており、コーカサス山脈北側の草原地帯の南端にも達する、広範な分布を示唆します。

 紀元前七千年紀の西から東への遺伝的勾配の形成の年代推定により、常染色体と父系・母系の単系統という両方の指標で観察されたこれらの遺伝的標識の文脈化が、人類の移動性と社会経済的慣行の変化という考古学的証拠を伴って可能となりました。紀元前6500〜紀元前6400年頃は、アナトリア半島新石器時代の重要な分岐点でした。なぜならば、以前には食糧生産共同体が皆無かほとんどなかった地域に、定住共同体の突然で大量の拡大が見られたからです。その後、コーカサス南部では、新石器時代生活様式が突如出現し、紀元前6000年頃となる外来の家畜動物と栽培種の導入は、近隣地域の新石器時代集団とのある種の相互作用と、最終的には侵入を示唆しており、その中でザグロス地域とカスピ海地域に沿ったアナトリア半島南西部は、新石器時代文化導入の最も適した候補地の一つでした。

 これらの事象に関連して、近東内の家畜化されたヤギ集団の遺伝的構造が崩壊し始め、銅器時代までには近東全域のヤギの群が、新石器時代東西両集団からの系統を有する、と明らかになりました。この混合の正確な年代は不明ですが、人類と家畜との間の類似から、家畜は交易ネットワークを通じてのみ移動したのではなく、人々と共にも移動し、それは物質文化やアイデアや慣行も同様だった、と示唆されます。これは、たとえばコーカサス南部の円形新石器時代建造物により示唆されており、メソポタミア北部でとティグリス川およびユーフラテス川流域のアナトリア半島側で紀元前六千年紀に発展しつつあった、ハラフ伝統を想起させます。

 後期青銅器時代までの続く数千年に、遺伝的連続性はアナトリア半島北部・中央部と東部で持続し、これは後の集団との遺伝的類似性と、新石器時代後の新たな系統の欠如により支持されます。これは、この時期の激しい文化的相互作用の考古学的証拠に基づく集団変化に関する、以前の仮説とは矛盾します。たとえば、トルコの黒海沿岸のイクジテペ遺跡には、強いバルカンとの類似性を有する物質文化が含まれており、これは黒海全域の集団との直接的接触を示す、と議論されてきましたが、これらの接触は遺伝子流動を伴わないようです。

 アルスランテペ遺跡は別の代表的事例を提供します。前期銅器時代の始まりにおいて、アルスランテペ遺跡の考古学的証拠は、コーカサスとのつながりを有する牧畜民集団によるアルスランテペの占拠につながった、破壊的な社会政治的紛争の存在を強く示唆します。主成分分析とf4統計では、この期間の2個体は、コーカサスとポントス・カスピ海草原からの集団との過剰な類似性を示しますが、後のアルスランテペEBA個体群は、このコーカサスとの類似性を共有していません。これは、仮定された人口の相互作用が一時的で小規模だったに違いないものの、アルスランテペEBAの小さな標本規模(4個体)が検出に充分ではなかったかもしれない、と示唆します。微妙な遺伝子流動はアルスランテペ遺跡の最近の知見と一致しており、アルスランテペ遺跡を占拠したEBA牧畜民は、コーカサスからの侵入集団というよりはむしろ、ザグロス山脈周辺を移動するよく確立された在来集団だった可能性の方が高い、と示唆されます。

 アルスランテペ遺跡の遺伝的景観は、メソポタミア世界との相互作用に関して重要な示唆も有します。考古学的証拠では、紀元前四千年紀にメソポタミア集団はアナトリア半島南東部とシリア北部に植民地を確立し、これはウルク拡大と呼ばれる期間です。しかし、ウルクの拡大は、在来エリート層の経済・政治・文化的関心をメソポタミア南部へと新たに向ける、社会文化的変化の複雑で深い過程でもありました。アルスランテペ遺跡の人工物はこの複雑さを反映しており、本論文で示された遺伝的継続性は、遺伝子伝達なしに、在来集団がこれらより広範なウルクの特徴とアイデアを採用した、という考えを支持します。


●レヴァント北部における集団と領域国家の動態

 アナトリア半島の他地域とは対照的に、レヴァント北部は遺伝的構造で新石器時代後の変化を追跡できる近東の地域として際立っています。エブラ遺跡とアララハ遺跡の人類の遺伝子プールは、コーカサスとレヴァント南部の両方からの追加の遺伝的寄与を必要とするより複雑なモデルによってのみ説明できる、と明らかになりました。本論文で提案されたモデルにおいてコーカサスと関連する起源集団の包含は、この置換がレヴァントへのコーカサス南部のクラ・アラクセス文化の拡大と関連しているのかどうか、という問題を提起します。この拡大はレヴァントで紀元前2800年頃に記録されており、アナトリア半島東部およびコーカサス南部高地からの移動/移住と関連しているかもしれません。しかし、本論文の結果はいくつかの理由でこの想定を支持しません。まず、アナトリア半島東部のようなクラ・アラクセス文化のおもな拡大地域において、コーカサス関連系統の実質的な増加は見つかりません。次に、コーカサス南部高地からの集団は、クラ・アラクセス文化関連個体群も含めて、第二起源集団としても適合しませんでした。最後に、コーカサス南部からレヴァント北部への提案されている拡大経路の中間に位置する集団である、アナトリア半島東部のアルスランテペ遺跡個体群とのモデルも同様です。

 その結果、これらの解釈上の警告は、テルクルドゥ集団と青銅器時代エブラおよびアララハ集団との間の2000年に起きたかもしれない、複数の遺伝子流動事象を含む、代替的な歴史的想定の検討を必要とします。しかし、文字記録や考古学的および古気候学的証拠からは、より短い期間、つまり前期銅器時代の終わりが、政治的緊張と集団移動に関してひじょうに重要だった、と示唆されます。たとえば、この期間には、中期青銅器時代の始まりにエブラ遺跡は2回破壊され、再建されました。前期銅器時代の終わりから後期青銅器時代まで、アムク川流域へと侵入する人類集団に言及する文字記録は広範に存在します。これらの集団はアモリ人やフルリ人などと呼ばれましたが、その(文化的)自己認識の形成背景や地理的起源に関しては、まだ議論が続いています。最近の仮説では、これらの集団の到来が4200年前頃の大旱魃における気候変動による集団移動と関連づけられており、この大旱魃はメソポタミア北部のハブール川前流域の放棄と、近隣の居住可能地域の探索へとつながった、と指摘されています。

 これを考慮すると、アララハとエブラで推定された系統は、まだ標本抽出されていないメソポタミア北部のEBA集団遺伝的構成を最もよく表しているかもしれない、と示唆されます。次の中期〜後期青銅器時代には、王国/帝国間の領土支配の動態の変化がエブラおよびアララハの社会文化的発展に影響を及ぼしたとしても、遺伝的混乱の証拠は見つかりません。それにも関わらず、アジア中央部起源の可能性があるアララハ遺跡の1個体の事例は、中期および後期青銅器時代の地中海東部社会の「国際主義」の文脈内で解釈できるかもしれない知見です(関連記事)。この現象のさまざまな社会的特徴と、これらが個人の生活史にどのように反映されているのか、ということに関して、今後の研究が必要です。


●まとめ

 全体的に、本論文の大規模なゲノム分析は、2つの主要な遺伝的事象を明らかにします。まず、後期新石器時代に、アナトリア半島とコーカサス南部にまたがる遺伝子プールが混ざり、混合勾配が生じました。次に、前期銅器時代に、レヴァント北部集団が、メソポタミアからのまだ標本抽出されていない近隣集団を含む可能性が高い過程で、遺伝子流動を受けました。アルスランテペ遺跡において微妙で一時的な遺伝子流動を検出できるとしても、均質な銅器時代および青銅器時代のアナトリア半島集団の遺伝子プール内の地域規模の集団動態と関連する問題の解明は、現在の分析手法では解決できないかもしれない、と本論文は認識しています。

 さらに、本論文の標本抽出は数と地理的範囲において以前の研究との比較で拡大していますが、メソポタミアの人類遺骸の重要な地域ではまだ標本抽出されていません。したがって、本論文で提示された近東の遺伝的景観は示唆的ですが、まだ不完全です。それにも関わらず、前期〜後期青銅器時代間のアナトリア半島とコーカサス南部とレヴァント北部の累積的な遺伝的データセットからは、後期新石器時代と前期青銅器時代の遺伝的事象に続いて、この地域では遺伝的に異なる集団の侵入はなかった、と示唆されます。この結論は、複雑な青銅器時代の社会政治的実体の形成についての我々の理解に関して、ひじょうに重要です。


参考文献:
Skourtanioti E. et al.(2020): Genomic History of Neolithic to Bronze Age Anatolia, Northern Levant, and Southern Caucasus. Cell, 181, 5, 1158–1175.E28.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.044


https://sicambre.at.webry.info/202009/article_30.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/294.html#c4

[近代史5] コーカサス人の起源 中川隆
7. 中川隆[-11191] koaQ7Jey 2020年9月24日 08:58:10 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[10]
雑記帳 2020年09月24日
新石器時代から青銅器時代の近東人類集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_30.html


 取り上げるのが遅れてしまいましたが、新石器時代から青銅器時代の近東人類集団の遺伝的構成に関する研究(Skourtanioti et al., 2020)が報道されました。農耕開始以降、近東は複雑で初期国家水準の社会の形成において影響力のある地域で、19世紀以来大きな考古学的関心を集めてきました。過去10年の古代DNA研究の発展により、近東における新石器時代開始の過程に関する問題も明らかになってきました。アナトリア半島南部・中央部やレヴァント南部やイラン北西部の近東農耕民は在来の狩猟採集民の子孫で、この地域における狩猟採集から農耕への移行は、地域間のわずかな遺伝子流動を伴う生物学的に継続的な過程だった、と示されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。

 約2000年後、この状況は変わりました。これら前期完新世集団とは対照的に、アナトリア半島西部・中央部とレヴァント南部とイラン(ザグロス地域)とコーカサスの銅器時代および青銅器時代の集団は、相互に遺伝的差異がより少なくなっており、この期間は、より大きな地域にまたがる遺伝子流動の広範な過程により特徴づけられる、と示唆されます(関連記事)。しかし、この過程の時空間的範囲は、この広範な地域の中継地となり得るアナトリア半島中央部・東部の古代人ゲノムが不足しており、より高密度の標本抽出が必要となるため、よく理解されていません。現在まで、アナトリア半島全域にまたがる「新石器時代一式」の特徴の空間的分布からは、より広範な地域と相関する異質な複数回の事象の過程だった、と示唆されます。しかし、集団移動がアナトリア半島内のこれらの地域の形成に重要な役割を果たしたのかどうか、未解明です。

 アジア西部全域で、人々および物質および/あるいはアイデアの移動の考古学的証拠がよく記録されています。コーカサス南部では、考古学的研究から、後期新石器時代のメソポタミア北部との関係が示唆されており、アナトリア半島東部では、メソポタミア世界とほぼ関連している、いくつかの広範な事象により特徴づけられる文化的つながりのネットワークが証明されています。これらは、紀元前五千年紀における、メソポタミア南部のウバイド文化のトロス山脈まで達する、メソポタミア上流部への浸透を含みます。

 コーカサス南部では、紀元前五千年紀後半〜紀元前四千年紀半ばに、メソポタミア上流部からの強い影響により、この浸透が続きました。紀元前四千年紀半ば〜末にかけて、「中期および後期ウルク拡大」と呼ばれる別のメソポタミア南部の影響が、メソポタミア上流部とアナトリア半島東部のユーフラテス川とティグリス川の上流部に到達しました。同時に、一般的にはコーカサス南部起源と考えられているクラ・アラクセス(Kura-Araxes)文化が、紀元前3000〜紀元前2900年頃にアナトリア半島東部およびレヴァント北部・南部へと拡大しました。これらの事象の証拠は多くの発掘から得られており、とくに、アナトリア半島東部のマラティヤ平野のアルスラーンテペ(Arslantepe)遺跡の長期にわたる広範な発掘により明らかです。レヴァント北部では、メソポタミア北部との物質的つながりが紀元前四千年に出現し始め、広範な文化的接触もしくは集団移動の結果と考えられてきました。

 したがって、主要な問題は、人類集団・物質文化・アイデア・それらの組み合わせのうち、何が移動していたのか、ということです。これらの初期の発展は、中期青銅器時代(MBA)からの地中海東部における「グローバル化」の増加につながり、それは海陸の経路を通じての資源利用と管理の強化により特徴づけられます。しかし、中期および後期青銅器時代(LBA)の人類遺骸が不足しているため、人類の移動性の役割は不明確で、困難な問題になっています。この点で、トルコのアムク川流域のアララハ遺跡は、この時期の300人以上の被葬者が発見されているため、古代DNA研究の適用にとって例外的な格好の事例となります。

 この移動の性質の理解が、本論文の主題となります。本論文では、先史時代のアナトリア半島とレヴァント北部とコーカサス南部低地の主要な遺跡の人類遺骸のゲノム規模データの、大規模な分析が提示されます。本論文の目標は、近東のこの地域のゲノム史を、新石器時代から中期および後期青銅器時代の相互につながった社会への移行にまたがって、体系的な標本抽出により復元することです。新たな古代のゲノム規模データセットは110人から構成され、アナトリア半島中央部・北部とアナトリア半島東部とコーカサス南部低地とレヴァント北部の4地域を含み、それぞれ期間は先史時代の2000〜4000年にまたがっています。

 紀元前六千年紀半ばのアナトリア半島北部・中央部およびコーカサス南部低地集団は密接につながっている、と明らかになりました。これらの集団は、アナトリア半島北部から現代のイラン北部となるコーカサス南部およびザグロス地域にかけて、遺伝的勾配を形成します。この勾配は、紀元前6500年頃の両地域を生物学的に接続する混合事象の後に形成されました。アナトリア半島全域の銅器時代および青銅器時代集団も、ほぼこの遺伝的勾配の子孫です。対照的にレヴァント北部では、銅器時代と青銅器時代の間の大きな遺伝的変化が特定されました。この移行期にレヴァント北部集団では、ザグロス・コーカサス地域およびレヴァント南部の両方と関連する系統を有する、新たな集団からの遺伝子流動がありました。これは、社会的志向、おそらくはメソポタミアの都市中心部の台頭に対応における変化を示唆していますが、まだ遺伝的に標本抽出されていません。


●標本分析

 124万ヶ所の系統特定に有益な一塩基多型を対象として、アナトリア半島とレヴァント北部とコーカサス南部の4000年にわたる先史時代の110人のゲノム規模データが得られました。このうち9人の年代は紀元前六千年紀となる後期新石器時代から前期銅器時代(LN/EC)で、アナトリア半島中央部・北部のボアズキョイ・ビュユッカヤ(Boğazköy-Büyükkaya)と、アナトリア半島南部・レヴァント北部のテルクルドゥ(Tell Kurdu)と、コーカサス南部低地のアムク川流域のメンテシュテペ(Mentesh Tepe)およびポルテペ(Polutepe)で発見されました。残りの101人の年代は、紀元前四千年紀〜紀元前二千年紀となる後期銅器時代から後期青銅器時代(LC-LBA)で、アナトリア半島南部・レヴァント北部では現代のテルアッチャナ(Tell Atchana)となるアララハ(Alalakh)と現代のテル・マルディフ(Tell Mardikh)となるエブラ(Ebla)、アナトリア半島中央部・北部ではキャムリベルタルラシ(Çamlıbel Tarlası)とイクジテペ(Ikiztepe)、アナトリア半島東部ではアルスランテペ(Arslantepe)とティトリスヘユク(Titriş Höyük)、コーカサス南部低地ではアルハンテペ(Alkhantepe)です。

 詳細な集団遺伝分析では、網羅率や汚染など品質要件を満たしていない16人が除外され、合計94人のゲノム規模データが分析されました。このうち77人は加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代が得られました。これらは遺跡もしくは地域と年代により集団化されました。それは、ビュユッカヤEC(銅器時代)が1個体、キャムリベルタルラシLC(後期銅器時代)が12個体(近親者を除くと9個体、以下同様です)、アルスランテペEBA(前期青銅器時代)が4個体、アルスランテペLCが18個体(17個体)、ティトリスヘユクEBAが1個体、イクジテペLCが11個体、アララハ中期〜後期青銅器時代(MLBA)が26個体(25個体)、アララハ中期〜後期青銅器時代(MLBA)外れ値が1個体、エブラ前期〜中後期青銅器時代(EMBA)が11個体、テルクルドゥ前期銅器時代(EC)が5個体、テルクルドゥ中期銅器時代(MC)が1個体、コーカサス低地LCが1個体、コーカサス低地後期新石器時代(LN)が2個体です。

 これらのデータは、約800人の既知の古代人の遺伝的データと組み合わされました。その中で、アナトリア半島の17個体が本論文のアナトリア半島集団とともに分析されました。それは、テペシク・シフトリク(Tepecik-Çiftlik)遺跡のテペシクN(新石器時代)、バルシン(Barcın)遺跡のバルシンC(銅器時代)、ゴンドリュレ・ヘユク(Gondürle-Höyük)遺跡のゴンドリュレヘユクEBA、トパヘユク(Topakhöyük)遺跡のトパヘユクEBA、カマン・カレヒユク(Kaman-KaleHöyük)遺跡のK.カレヒユクMLBAです。


●アナトリア半島とレヴァント北部とコーカサス低地におけるLN/ECの遺伝的構造

 これまで、新石器時代アナトリア半島の遺伝子プールに関する知識は、西部のバルシンおよびメンテシェ(Menteşe)遺跡(本論文ではバルシンNとされます)と、中央部コンヤ平原のボンクル(Boncuklu)遺跡と、南部のテペシク・シフトリク遺跡からしか得得られていませんでした。これらの個体群の年代は紀元前九千年紀〜紀元前七千年紀で、本論文のLN/EC個体群へと継承されます。新石器時代から青銅器時代の近東の遺伝的構造を概観するため、まず現代人と古代人を対象に主成分分析が行なわれました。全体的に、バルシンN とイラン・コーカサス古代個体群との間で、LN/EC個体群はPC2軸に沿って散在しています。テルクルドゥECはPC1軸に沿って新石器時代および銅器時代レヴァント個体群へと僅かに移動します。ビュユッカヤECは、現在までに報告されているあらゆるアナトリア半島新石器時代個体からさらに離れて位置し、新石器時代および銅器時代イラン個体群へと移動します。コーカサス低地LN(ポルテペおよびメンテシュテペ遺跡)の2個体はPC2軸に沿って、ビュユッカヤECと銅器時代イラン個体群との間で上方に位置します。

 主成分分析で観察された質的差異を検証するため、f4統計によりユーラシア西部のより早期の集団と、LN/EC集団の遺伝的類似性が比較されました。ビュユッカヤECおよびコーカサス低地LNはバルシンNと、コーカサス狩猟採集民(CHG)およびイランNとのアレル(対立遺伝子)をより多く共有している点で異なりますが、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)やヨーロッパ東部狩猟採集民(EEF)やアナトリア半島の続旧石器時代個体やレヴァントの続旧石器時代・新石器時代個体群とは共有アレルが少なくなっています。qpAdm を用いてf4統計を要約することにより、ビュユッカヤECとコーカサス低地LNの両方を、バルシンN とイランN(24〜31%)の2者混合としてモデル化できます。主成分分析でバルシンN とビュユッカヤECの間の中間に位置するテペシクNも、同じモデルに適合します(イランNが22%)。イランNをCHGと置換することにより、ビュユッカヤECは適切なモデル(CHGが24%)が得られますが、コーカサス低地LNではこのモデルは適合しません。

 主成分分析と一致して、テルクルドゥECはバルシンN とイランNの混合の勾配には収まりませんが、古代レヴァント集団とのさらなる類似性を示します。f4統計では、テルクルドゥECは、同じ地域のほぼ1000年後の個体(テルクルドゥMC)を含む他のあらゆる新石器時代〜前期銅器時代のアナトリア半島集団よりも、先土器新石器時代レヴァント個体群(レヴァントN)とより多くの類似性を有します。バルシンNと比較すると、テルクルドゥECはヨーロッパ西部・東部・南東部の中石器時代狩猟採集民との類似性が有意に低くなっています。上述のバルシンN とイランN/CHGの混合モデルは、テルクルドゥECでは支持されません。代わりに、テルクルドゥECは、バルシンN とイランN(15.5±3.7%)もしくはCHGとレヴァントN(36.6±7.1%)の3者混合としてよくモデル化できます。


●新石器時代の混合と銅器時代および青銅器時代集団の共通の遺伝的構成

 LN/EC個体群とは対照的に、LC-LBA個体群はユーラシア西部人の主成分分析では密集し、イランとコーカサスとレヴァントとアナトリア半島西部の古代人集団により区分されるLN-EC勾配にほぼ収まります。本論文の仮説は、アナトリア半島中央部・北部および東部のLC-LBA集団がこのより古い遺伝的構造の子孫で、同じ系統構成を共有しているかもしれない、というものです。

 主成分分析と一致して、外群f3およびf4統計では、LN-EC勾配と類似しているLC-LBA集団の共通の遺伝的構成が示唆されます。まず、外群f3統計(ムブティ、LC-LBA、検証集団)では、共通の外群であるムブティからのLC-LBAと検証集団との間の平均的な共有された遺伝的浮動が測定され、検証集団がバルシンNやテルクルドゥECやビュユッカヤECのようなヨーロッパとアナトリア半島とレヴァント北部の新石器時代および銅器時代集団の時に、最高値に達しました。次に、バルシンNとテルクルドゥECを追加すると、f4統計(ムブティ、検証集団、バルシンN/テルクルドゥEC 、X)では、ユーラシア西部の一連の古代検証集団に関して、バルシンNもしくはテルクルドゥECとLC-LBA集団(X)との間の違いが特徴づけられます。イランNおよび/もしくはCHGは一貫して、テルクルドゥEC およびバルシンNと比較すると、LC-LBAとの過剰な類似性を示します。イランおよびコーカサスの銅器時代および青銅器時代集団は、年代的にLC-LBAにより近く、主成分分析ではイランN/CHGとLC-LBAの間に位置しますが、バルシンと比較すると、一部のLC-LBA集団とのみより多くのアレルを共有します。

 LC-LBA集団の共有された混合構成の時間的側面をさらに調べるため、最近開発された手法であるDATESを用いて混合年代が推定されました。上述のように、LN-EC勾配はバルシンNとイランN/CHGの割合の変化であり、両方が起源集団として選択されました。しかし、イランNおよびCHG両方の標本規模は小さく、イランNでは多くの一塩基多型が欠けているため、第二起源集団の代理としてコーカサス現代人(アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン、アブハズ、イングーシ)が用いられました。

 標本規模がじゅうぶんに大きく、LC-LBA集団で年代の古いLC(後期銅器時代)3集団(キャムリベルタルラシLCが9個体、イクジテペLCが11個体、アルスランテペLCが17個体)に焦点が当てられました。これら全個体の推定をまとめると、バルシンNとコーカサス現代人を遺伝子プールの代理として用いたさいに、105±19世代前という堅牢な混合年代が得られました。1世代28年と仮定すると、この推定はLC-LBA個体群の年代の3000年前頃の混合事象と等しく、紀元前6500年頃に相当します。ブレはあるものの類似の推定年代は、キャムリベルタルラシLCとイクジテペLCとアルスランテペLCという個々の銅器時代集団で観察されます。混合年代は別の2手法(ALDERおよびrolloffp)でも推定されましたが、全体的にはDATESと一致しました。

 さらに、コーカサス低地LN とビュユッカヤEC、コーカサスの既知のEBA個体群、イランC(銅器時代) を含む、EC(前期銅器時代)勾配上の他の古代集団にも分析が拡大されました。紀元前3100年頃のコーカサスEBA個体群はアナトリア半島LC個体群と類似しており、121±35世代前という類似の混合年代が得られました。重要なことに、より古いコーカサス低地LN2個体とビュユッカヤEC1個体(紀元前5600年頃)は、34±15世代前というもっと最近の混合年代が推定されました。これは暦年代で紀元前6500年頃となり、LC個体群から推定される混合事象の年代と一致します。


●銅器時代と青銅器時代集団の混合モデル化

 LC-LBA集団の系統構成を説明するには、バルシンNおよびイランNの両関連系統が必要だと示されましたが、時空間的にLC-LBA集団により近い古代集団の代替的組み合わせも、同様に適合モデルを提供できるかもしれません。真の人口史をより反映している可能性が高い妥当な混合モデルを得るには、密接に関連した候補起源集団間を正確に区別することが重要です。qpAdmを用いて、全LC-LBA集団が、一方は新石器時代アナトリア半島系統、もう一方はイランおよびコーカサス集団関連系統という2起源集団の混合として、モデル化されました。新石器時代アナトリア半島系統では、新石器時代もしくは前期青銅器時代の3集団(バルシンN、テルクルドゥEC、ビュユッカヤEC)が用いられました。イランおよびコーカサス集団関連系統では、イランNおよびCHGと、同じ地域のより新しい銅器時代および青銅器時代集団が用いられました。LC-LBA集団の混合兆候は、イランおよびコーカサス集団よりも古いものの、代理として用いられました。それはLC-LBA集団が、LC-LBA個体群に寄与したまだ標本抽出されていない遺伝子プールを表しているかもしれないからです。

 バルシンNとイランNの混合は多くのLC-LBA集団を適切に説明しますが、アララハMLBAとエブラEMBAとアルスランテペLCとバルシンCとコーカサス低地LCでは失敗しました。イランN関連系統の寄与は、21±9%〜38±6%です。バルシンNとCHGの代替モデルでは、CHG関連系統の推定寄与がわずかに高く、27±13%〜41±7%ですが、12集団のうち8集団はCHGとモデル化できません。銅器時代および青銅器時代集団では、イランCがイランNと類似の結果を示しますが、推定寄与の割合はより高くなります(34〜53%)。イランC自体は、イランNとバルシンN(37±3%)の混合としてモデル化でき、LC-LBAのモデル化の結果とよく一致します。対照的に、コーカサス集団、とくに銅器時代から青銅器時代(En/BA)集団は、ほとんどLC-LBに適合しません。

 バルシンNをテルクルドゥECと置換して、混合モデル化が繰り返されました。一般的にテルクルドゥECとのモデルは、LC-LBA集団とよく適合しますが、それはバルシンN(22個体)と比較してテルクルドゥEC(5個体)の標本規模がずっと小さいことに起因する、モデルと実際の対象集団との間の不一致を検出する統計的能力の低下の不自然な結果かもしれないので、注意が必要です。古代イラン集団とのモデルが複数のLC-LBA集団で適合しない一方で、テルクルドゥECとCHGの混合は、CHGの割合が13±19%から40±9%まで多様ではあるものの、バルシンCを除く全LC-LBA集団でモデル化できます。

 CHGを後のコーカサス集団と置換すると、同じくバルシンCを除いて、より高いコーカサス関連系統の寄与(40〜67%)を有する同じパターンが示されます。バルシンNを外群セットに追加後に分析を繰り返しても、ほとんどの結果は同じままでした。しかし、テルクルドゥECを有する同じ地域のLC-LBA2集団、つまりエブラEMBAとアララハMLBAはこのモデルから逸脱し、テルクルドゥECは単純な2者混合モデルでは適切な代理ではないかもしれない、と示唆されます。したがって、古代イラン集団は全体的に、コーカサス集団よりも代理として敵辣に機能するようですが、さらに比較するにはより高解像度のデータが必要です。

 ビュユッカヤECは、本論文のデータセットにおいては、アナトリア半島内でLC-LBA集団と類似の遺伝的構成を有する最初の個体です。したがって、後のLC-LBA集団がさらなる外部からの寄与なしに同じ遺伝子プールから派生した、という想定も検証されました。F4(ムブティ、X、ビュユッカヤEC、LC-LBA)統計からは、ビュユッカヤECがLC-LBA集団よりも、バルシンNのようなヨーロッパ・アナトリア半島農耕民とより多くのアレルを共有している、と示唆されます。同様に、バルシンNが外群に含まれる場合、ほとんどのLC-LBA集団はqpAdmでビュユッカヤECと姉妹集団としてモデル化できません。ほとんどのLC-LBA集団は、古代イラン/コーカサス集団の第二系統への追加により適切にモデル化されますが、アララハMLBAとエブラEMBAは、古代レヴァント南部集団からのかなりの寄与を必要とします。

 全体的に、qpAdm分析と組み合わせた、後期新石器時代および後期銅器時代集団の両方から得られた同じ混合年代の推定に基づくと、LC-LBA集団も新石器時代の遺伝的勾配から派生したものの、先行集団よりもかなり均質化していた、と示唆されます。イランの古代集団はコーカサス集団よりも東方の起源のより適切な代理となりますが、メソポタミア内からのまだ標本抽出されていない代理が、このイラン/コーカサス関連系統の真の歴史的起源集団を表しているかもしれないので、本論文の結果の字面通りの解釈は要注意です。


●青銅器時代レヴァント北部の遺伝的置換

 テルクルドゥとエブラとアララハの各遺跡により代表されるレヴァント北部は、4区分で最も顕著な遺伝的置換を示します。最後となる中期銅器時代テルクルドゥ1個体(テルクルドゥMC)の後の2000年以内に、アムク川流域内および周辺の集団(アララハMLBAとエブラEMBA)の遺伝的構成は、同時代のアナトリア半島人とほぼ同じに変化しました。しかし、ビュユッカヤEC とのqpAdmモデル化では、アララハMLBAとエブラEMBAは依然として、古代レヴァント南部集団とのつながりに関して、他のアナトリア半島集団と異なっている、と示唆されます。それらの違いはまた、エブラEMBA とアララハMLBA が、バルシンNやコーカサス集団のようなより古い集団との関係について他のLC-LBA集団とは異なっている、と示されるf4統計でも確認されます。

 さらに、バルシンN/テルクルドゥECおよび/もしくは古代コーカサス集団は、qpAdmではエブラEMBAおよびアララハMLBAを充分にモデル化できず、その仮定起源集団は真の祖先の適切な代理を表していない、と示唆されます。基底系統としてより古いテルクルドゥECと、地理的に近いアルスランテペLCとで、潜在的な代理起源集団として代替的なモデルを用いると、どちらも適合は改善されませんでした。しかし、混合モデルは、第三の起源集団としてレヴァント南部集団の追加により適切になり、この場合の各系統の割合は、テルクルドゥECが27〜34%、後のコーカサス集団が36〜38%、レヴァントEBAが28〜38%となります。

 テルクルドゥECの後の追加の遺伝子流動と一致して、アナトリア半島集団もしくはコーカサス集団の遺伝子プールを起源集団として用いると、アララハMLBAで他のLC-LBA集団よりも新しい推定混合年代が得られ、アナトリア半島LCとは78±27世代前(紀元前3880±746年前)、コーカサスEBAとは44±8世代前(紀元前3060±224年前)です。アナトリア半島LCもしくはコーカサスEBAのどちらかを一方、レヴァントCをもう一方の起源集団として用いると、指数関数的減衰は適合できませんでした。


●アララハにおける個体の移動性の証拠

 レヴァント北部のアララハMLBA全員の遺伝的分析は、主成分分析における外れ値のため、女性1個体(ALA019)を除いて行なわれました。ALA019は井戸の底で発見され、考古学的および人類学では、放射性炭素年代が紀元前1568〜紀元前1511年で、いくつかの治癒した外傷の証拠がある異常な埋葬を表している、と指摘されています。ユーラシア人の主成分分析では、ALA019は遺伝的に、古代イランおよびトゥーラン(現在のイランとトルクメニスタンとウズベキスタンとアフガニスタン)の銅器時代および青銅器時代個体群とより密接でした。これらの集団は西から東の遺伝的勾配を表しており、バルシンNおよびイランNおよびシベリア西部狩猟採集民(WSHG)と関連する系統のさまざまな割合を有しています。

 主成分分析で観察されたALA019の遺伝的類似性は、外群f3統計で確認されました。コーカサスおよび西方草原地帯の他の古代集団も高い類似性を示しますが、f4統計(ムブティ、X、トゥーラン、ALA019)からは、ALA019が他のトゥーラン個体群とは、多かれ少なかれイランNもしくはWSHGと時としてアレルを共有することにより区別されると示唆され、この地域における遺伝的勾配の存在と一致します。メソポタミア南部のような近隣地域からの古代ゲノムの欠如を前提にすると、ALA019の起源として最も他可能性が高いのは、イラン東部もしくはアジア中央部のどこかです。


●青銅器時代前のアナトリア半島とコーカサス南部全域の遺伝的均質化

 本論文は、年代では紀元前六千年紀以降を対象とし、シリア(レヴァント北部)とアナトリア半島は4000年、コーカサス南部は2000年に及びます。さらに、混合年代の推定により、新石器時代へと1000年さかのぼることが可能となりました。アナトリア半島西部(マルマラ海周辺地域)とコーカサス南部低地への後期新石器時代/前期銅器時代(紀元前六千年紀)の遺伝的勾配が明らかになり、この遺伝的勾配は後期新石器時代の開始(紀元前6500年頃)以降の混合過程により形成されました。この勾配の東端はアナトリア半島(西部の)系統をわずかに伴うザグロス山脈を超えて、銅器時代と青銅器時代のアジア中央部にまで達しました(関連記事)。南方では、アナトリア半島系統はレヴァント南部の新石器時代集団に存在し、北方でコーカサス(のおもに山岳地帯)の銅器時代および青銅器時代集団に存在し、これは後期新石器時代の混合の結果である可能性が最も高そうです。

 広範な地域の遺伝的均質化の証拠は、父系でのみ継承されるY染色体系統からも得られます。この地域の全ての時空間的集団では、Y染色体ハプログループ(YHg)はほぼ共通してJ1a・J2a・J2b・G2aです。低頻度のYHg-H2・T1aも加えて、これらは新石器時代までさかのぼるか、すでに上部旧石器時代に存在していた(関連記事)遺伝的遺産の一部を形成します。いくつかの注目すべき例外は裏づけに乏しいものの、それにも関わらず、長距離移動と拡張されたYHg多様性の重要な証拠を提供します。たとえば、YHg-R1b1a2(V1636)・R1b1a1b1b(Z2103)は17000年以上前に分岐したと推定されているので、アルスランテペ遺跡の主要な期間にポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの早期の侵入の直接的証拠はありません。アララハ遺跡のALA084個体で見つかったYHg-L2(L595)は、以前には銅器時代イラン北部の1個体と、コーカサス北部のマイコープ(Maykop)文化後期の3人で報告されていました。このYHg-L2の3人は、本論文で示された共通のアナトリア半島/イラン関連系統の勾配に由来する系統を有しており、コーカサス山脈北側の草原地帯の南端にも達する、広範な分布を示唆します。

 紀元前七千年紀の西から東への遺伝的勾配の形成の年代推定により、常染色体と父系・母系の単系統という両方の指標で観察されたこれらの遺伝的標識の文脈化が、人類の移動性と社会経済的慣行の変化という考古学的証拠を伴って可能となりました。紀元前6500〜紀元前6400年頃は、アナトリア半島新石器時代の重要な分岐点でした。なぜならば、以前には食糧生産共同体が皆無かほとんどなかった地域に、定住共同体の突然で大量の拡大が見られたからです。その後、コーカサス南部では、新石器時代生活様式が突如出現し、紀元前6000年頃となる外来の家畜動物と栽培種の導入は、近隣地域の新石器時代集団とのある種の相互作用と、最終的には侵入を示唆しており、その中でザグロス地域とカスピ海地域に沿ったアナトリア半島南西部は、新石器時代文化導入の最も適した候補地の一つでした。

 これらの事象に関連して、近東内の家畜化されたヤギ集団の遺伝的構造が崩壊し始め、銅器時代までには近東全域のヤギの群が、新石器時代東西両集団からの系統を有する、と明らかになりました。この混合の正確な年代は不明ですが、人類と家畜との間の類似から、家畜は交易ネットワークを通じてのみ移動したのではなく、人々と共にも移動し、それは物質文化やアイデアや慣行も同様だった、と示唆されます。これは、たとえばコーカサス南部の円形新石器時代建造物により示唆されており、メソポタミア北部でとティグリス川およびユーフラテス川流域のアナトリア半島側で紀元前六千年紀に発展しつつあった、ハラフ伝統を想起させます。

 後期青銅器時代までの続く数千年に、遺伝的連続性はアナトリア半島北部・中央部と東部で持続し、これは後の集団との遺伝的類似性と、新石器時代後の新たな系統の欠如により支持されます。これは、この時期の激しい文化的相互作用の考古学的証拠に基づく集団変化に関する、以前の仮説とは矛盾します。たとえば、トルコの黒海沿岸のイクジテペ遺跡には、強いバルカンとの類似性を有する物質文化が含まれており、これは黒海全域の集団との直接的接触を示す、と議論されてきましたが、これらの接触は遺伝子流動を伴わないようです。

 アルスランテペ遺跡は別の代表的事例を提供します。前期銅器時代の始まりにおいて、アルスランテペ遺跡の考古学的証拠は、コーカサスとのつながりを有する牧畜民集団によるアルスランテペの占拠につながった、破壊的な社会政治的紛争の存在を強く示唆します。主成分分析とf4統計では、この期間の2個体は、コーカサスとポントス・カスピ海草原からの集団との過剰な類似性を示しますが、後のアルスランテペEBA個体群は、このコーカサスとの類似性を共有していません。これは、仮定された人口の相互作用が一時的で小規模だったに違いないものの、アルスランテペEBAの小さな標本規模(4個体)が検出に充分ではなかったかもしれない、と示唆します。微妙な遺伝子流動はアルスランテペ遺跡の最近の知見と一致しており、アルスランテペ遺跡を占拠したEBA牧畜民は、コーカサスからの侵入集団というよりはむしろ、ザグロス山脈周辺を移動するよく確立された在来集団だった可能性の方が高い、と示唆されます。

 アルスランテペ遺跡の遺伝的景観は、メソポタミア世界との相互作用に関して重要な示唆も有します。考古学的証拠では、紀元前四千年紀にメソポタミア集団はアナトリア半島南東部とシリア北部に植民地を確立し、これはウルク拡大と呼ばれる期間です。しかし、ウルクの拡大は、在来エリート層の経済・政治・文化的関心をメソポタミア南部へと新たに向ける、社会文化的変化の複雑で深い過程でもありました。アルスランテペ遺跡の人工物はこの複雑さを反映しており、本論文で示された遺伝的継続性は、遺伝子伝達なしに、在来集団がこれらより広範なウルクの特徴とアイデアを採用した、という考えを支持します。


●レヴァント北部における集団と領域国家の動態

 アナトリア半島の他地域とは対照的に、レヴァント北部は遺伝的構造で新石器時代後の変化を追跡できる近東の地域として際立っています。エブラ遺跡とアララハ遺跡の人類の遺伝子プールは、コーカサスとレヴァント南部の両方からの追加の遺伝的寄与を必要とするより複雑なモデルによってのみ説明できる、と明らかになりました。本論文で提案されたモデルにおいてコーカサスと関連する起源集団の包含は、この置換がレヴァントへのコーカサス南部のクラ・アラクセス文化の拡大と関連しているのかどうか、という問題を提起します。この拡大はレヴァントで紀元前2800年頃に記録されており、アナトリア半島東部およびコーカサス南部高地からの移動/移住と関連しているかもしれません。しかし、本論文の結果はいくつかの理由でこの想定を支持しません。まず、アナトリア半島東部のようなクラ・アラクセス文化のおもな拡大地域において、コーカサス関連系統の実質的な増加は見つかりません。次に、コーカサス南部高地からの集団は、クラ・アラクセス文化関連個体群も含めて、第二起源集団としても適合しませんでした。最後に、コーカサス南部からレヴァント北部への提案されている拡大経路の中間に位置する集団である、アナトリア半島東部のアルスランテペ遺跡個体群とのモデルも同様です。

 その結果、これらの解釈上の警告は、テルクルドゥ集団と青銅器時代エブラおよびアララハ集団との間の2000年に起きたかもしれない、複数の遺伝子流動事象を含む、代替的な歴史的想定の検討を必要とします。しかし、文字記録や考古学的および古気候学的証拠からは、より短い期間、つまり前期銅器時代の終わりが、政治的緊張と集団移動に関してひじょうに重要だった、と示唆されます。たとえば、この期間には、中期青銅器時代の始まりにエブラ遺跡は2回破壊され、再建されました。前期銅器時代の終わりから後期青銅器時代まで、アムク川流域へと侵入する人類集団に言及する文字記録は広範に存在します。これらの集団はアモリ人やフルリ人などと呼ばれましたが、その(文化的)自己認識の形成背景や地理的起源に関しては、まだ議論が続いています。最近の仮説では、これらの集団の到来が4200年前頃の大旱魃における気候変動による集団移動と関連づけられており、この大旱魃はメソポタミア北部のハブール川前流域の放棄と、近隣の居住可能地域の探索へとつながった、と指摘されています。

 これを考慮すると、アララハとエブラで推定された系統は、まだ標本抽出されていないメソポタミア北部のEBA集団遺伝的構成を最もよく表しているかもしれない、と示唆されます。次の中期〜後期青銅器時代には、王国/帝国間の領土支配の動態の変化がエブラおよびアララハの社会文化的発展に影響を及ぼしたとしても、遺伝的混乱の証拠は見つかりません。それにも関わらず、アジア中央部起源の可能性があるアララハ遺跡の1個体の事例は、中期および後期青銅器時代の地中海東部社会の「国際主義」の文脈内で解釈できるかもしれない知見です(関連記事)。この現象のさまざまな社会的特徴と、これらが個人の生活史にどのように反映されているのか、ということに関して、今後の研究が必要です。


●まとめ

 全体的に、本論文の大規模なゲノム分析は、2つの主要な遺伝的事象を明らかにします。まず、後期新石器時代に、アナトリア半島とコーカサス南部にまたがる遺伝子プールが混ざり、混合勾配が生じました。次に、前期銅器時代に、レヴァント北部集団が、メソポタミアからのまだ標本抽出されていない近隣集団を含む可能性が高い過程で、遺伝子流動を受けました。アルスランテペ遺跡において微妙で一時的な遺伝子流動を検出できるとしても、均質な銅器時代および青銅器時代のアナトリア半島集団の遺伝子プール内の地域規模の集団動態と関連する問題の解明は、現在の分析手法では解決できないかもしれない、と本論文は認識しています。

 さらに、本論文の標本抽出は数と地理的範囲において以前の研究との比較で拡大していますが、メソポタミアの人類遺骸の重要な地域ではまだ標本抽出されていません。したがって、本論文で提示された近東の遺伝的景観は示唆的ですが、まだ不完全です。それにも関わらず、前期〜後期青銅器時代間のアナトリア半島とコーカサス南部とレヴァント北部の累積的な遺伝的データセットからは、後期新石器時代と前期青銅器時代の遺伝的事象に続いて、この地域では遺伝的に異なる集団の侵入はなかった、と示唆されます。この結論は、複雑な青銅器時代の社会政治的実体の形成についての我々の理解に関して、ひじょうに重要です。


参考文献:
Skourtanioti E. et al.(2020): Genomic History of Neolithic to Bronze Age Anatolia, Northern Levant, and Southern Caucasus. Cell, 181, 5, 1158–1175.E28.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.044


https://sicambre.at.webry.info/202009/article_30.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/303.html#c7

[近代史4] アメリカ産のジャガイモは食べてはいけない
アメリカ産のジャガイモは食べてはいけない

トランプ大統領の圧力に屈し、安全が脅かされる日本の食卓
2020年07月23日 07時05分 NEWSポストセブン

トランプ大統領の圧力に屈し、安全が脅かされる日本の食卓
危険な農薬が付着した食品が知らぬ間に日本に輸入されている(写真はイメージ)

 新型コロナウイルスの影響で、食の安全が脅かされている。中国・北京市の新発地卸売市場では、輸入サーモンの加工に使われていたまな板から、新型コロナウイルスが検出されたと報じられた。その一方で、中国は、アメリカの大手食肉工場からの鶏肉の輸入をストップさせている。理由は工場での新型コロナウイルスの集団感染だ。

「鶏肉だけではありません。中国では、従業員600人以上の感染が確認されたドイツの食肉工場からも豚肉の輸入を停止しています。実はまな板の汚染について、中国は輸入したサーモンに原因があるという見方をしてもおり、中国に輸入される食材についてかなり疑心暗鬼になっているのです。中国はアメリカ、ブラジル、そしてカナダに対して、輸入する大豆が新型コロナに汚染されていないことを証明するようにも求めています」(全国紙外信部記者)

 そもそもなぜ、衛生面に配慮しているはずの食材を扱う場で集団感染が広がるのか。

「食品工場の労働環境は、お世辞にも整っているとはいえません。出稼ぎに来た外国人労働者や移民が中心の従業員は宿舎に詰め込まれ、仕事中も行き帰りも、そして休憩時も、常に同じ狭い空間で過ごしています。つまり、1人が感染すればそれが爆発的に拡大する素地が整ってしまっているのです」(前出・外信部記者)

 こうした劣悪な労働環境の改善が問題収束のカギになるだろう。実際に、工場を閉鎖して立て直しを図っている会社もアメリカにはある。しかし、かの国の大統領が一筋縄でいくはずがない。アメリカのトランプ大統領は食料を安定供給するため「国防生産法」に基づき、食肉工場が操業を停止できないようにする大統領令に署名したのだ。

「アメリカ政府の圧力は日本の食卓にも影響が出ていて対岸の火事ではないですよ」(流通ジャーナリスト)

 日本国内の移動の全面解禁を目前に控えた6月18日、厚労省は「ジフェノコナゾール」という耳慣れない農薬を、ひっそりと食品添加物に指定した。

 食品表示一元化検討会委員を務めたことのある薬学博士の中村幹雄さんは、こう説明する。

「これは“ポストハーベスト農薬”と呼ばれる類いのもので、じゃがいもの収穫後に防かび剤として散布されます。ジフェノコナゾールは浸透性が高いため、じゃがいもを洗ったり皮をむいたりしても、その内側に残留する可能性があります。今後、アメリカ産などのじゃがいもには添加物として、この“ポストハーベスト農薬”が散布されるリスクがあるのです」

 こうした規制緩和は今後も続く見通しだ。

「オレンジやレモンなどの柑橘類に使われている『アゾキシストロビン』という農薬も、近々、じゃがいもの防かび剤として使えるようになります。(厚労省の)薬事・食品衛生審議会で審議中ですが、食品安全委員会は許可を出しているので、時間の問題です。なぜこうした変更が続いているかというと、輸出を増やしたいアメリカ側の圧力に日本政府が屈したからです」(前出・中村さん)

 これまでは比較的安全だった食品も、安全なままではなくなってしまう。

※女性セブン2020年7月30日・8月6日号
http://54.92.86.248/article/domestic/society/12180-737391/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1045.html

[番外地8] 日本語は百済語と近接しているという説は多い
古事記は百済人が書いたんだよ:
日本語は百済語と近接しているという説は多い。
ブログ「日本語と韓国語は同系語」
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-3a69-1.html

飛鳥〜平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。

『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった。

大和朝廷で働いていた人たちの生活の本拠地は「飛鳥」で、『続日本紀』『姓氏録』によれば、飛鳥地方の住民の80〜90%はxx人であったという

飛鳥地方を中心に活躍していた聖徳太子は蘇我氏(xx人―当時の実質天皇)の一族で、妻も蘇我氏の人である。

日本で最初に建てられた寺院「飛鳥寺」は蘇我氏の氏寺で創立者は蘇我馬子である。

明日香村にある日本最大級の横穴式古墳「石舞台古墳」の埋葬者は蘇我馬子ではないかとされている。有名な「高松塚古墳」は明日香村にあり、中に描かれた彩色壁画の婦人像の着衣は古代xx人の服装そのままである。

なぜ「飛鳥地方で使われていた言葉はxx語(主に百済語)であった」と言われているか、下記に列挙した研究者の言葉を見れば一層その信憑性に気づくのではないだろうか。

※「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(xx人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)

※「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)

※ 日本書紀は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。 (上田正昭らの対談集)

※ 飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)

※ 平安時代までの日本文化は外国のもの。日本の王朝文化は百済と同じ。
(司馬遼太郎・丸谷才一 他)

※ 半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を開花させた。
(国弘三恵)

※ 唐への留学僧は百済人であった。当時の僧侶の言葉は百済語であった。
(金達寿 司馬遼太郎 上田正昭らとの対談集)

司馬遼太郎は「平安時代までの日本の文化は外国のもの、日本らしくなったのは鎌倉時代になってから」と述べている。


http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/399.html

[近代史5] アメリカが1898年の米西戦争以降に行った領土拡張
アメリカが1898年の米西戦争以降に行った領土拡張

2020年9月24日
米中「歴史論争」に日本はどう行動するか
石澤靖治 (学習院女子大学教授)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/20823

 最近の中国の行動に関して、世界から批判の目が向けられている。直近では香港特別行政府における香港国家安全維持法の施行により、香港紙「蘋果日報」を創業した黎智英氏や活動家の周庭氏を違反容疑で逮捕。また以前から指摘されている新疆ウイグル自治区での中国政府の行為は「人権侵害」という言葉を超えた形の、ある種の民族殲滅のような行為がなされている。外交誌フォーリンポリシーによれば、100万人超のウイグル人を強制収容所や刑務所へ収監し思想改造や自己批判を強要。虐待、拷問、レイプに加え、ウイグル人女性への組織的な不妊手術の実施などの蛮行もまかり通っているという(“The World’s Most Technologically Sophisticated Genocide” July 15, 2020)。これに加えて南シナ海の領有権や海洋権益の一方的な主張、日本の領土である尖閣諸島への継続的な接続水域や領海への侵入行為はいうまでもない。

 これらに対して、日本側の感覚からすると、アメリカ側はようやく中国に明確な形で対抗意識を示すようになったという感がある。2018年10月4日、中国に「断固として立ち向かう」としたペンス副大統領の歴史的演説に続いて、今年7月23日には、ポンペオ国務長官が極めて厳しい姿勢で中国と対峙する演説を行ったことがそれだ。11月の米大統領選で、トランプ政権の継続になろうとバイデン政権の誕生になろうと、手法や表現は異なっても、アメリカの中国に対する強い対決姿勢は変わらないだろう。

 しかしながら、そうした攻勢に対して中国側にひるむ姿勢は見えない。中国国内には実際には様々な意見があると思われるが、中国政府の姿勢を支持する人たちは、1840年のアヘン戦争以降、欧米(場合によっては日本)によって、自らの国土と民が「不法」に犯されてきたという政府の主張を受け入れている。そして中国は「あなたがたのような(悪い)ことはしていない」と主張しつつも、強気の姿勢はその報復であることを暗示している。それは中国のナショナリズムを高め、現在の中国世論の基盤となっている。

 そして中国は、現時点では声高には述べていないが、アメリカが中国の拡張主義に対して非難するのであれば、それに対する十分すぎるのほどの反論を用意しているはずだ。なぜなら、アメリカがイギリスから覇権国の地位をとって代わろうとしていた19世紀後半から20世紀初頭の行為は、現在のアメリカ主導の世界秩序に立ち向かおうとしている中国と、たぶんに重なるところがあるからだ。

 アメリカが非難する中国の南シナ海領における領有権主張に対しては、中国はアメリカが1898年の米西戦争以降に行った一連の行為を取り上げるだろう。アメリカはこの戦争までの間の国内での領土拡張を、自らを正当化する「明白なる天命」とした。そしてアメリカ先住民を時に仲たがいさせ、時に虐殺して西へ西へと領土を拡張してきたことは広く知られるところである。

 そして1890年に国内のフロンティアがなくなると、今度はスペイン領である南隣のキューバの独立を助けるという名目で、スペインと戦争の火ぶたを切る。戦争自体はアメリカの楽勝で、キューバはどうにか独立にこぎつけたものの、アメリカはキューバへの内政干渉の権利を保持するプラット修正条項を入れ込んで、その後長く同国を実質的な支配下においた。またその戦争では同じくスペイン領だったフィリピンを獲得し、長い間独立を認めず、多くの人を拷問し虐殺した。中国は新疆ウイグル自治区への対応をアメリカから非難されることに対して「どれほどのことが言えるのか」と笑うだろう。

 米西戦争の際には、ハワイ共和国を併合して太平洋の戦略拠点であるこの島を手にした。中国が南シナ海の島々を手にしたように。まずはアメリカ人を大量に住まわせて次第に主権を奪い、女王リリウオカラーニを廃位に追い込んでの領土獲得であった。

 こうした一連の行動をとってきたアメリカが、中国からそれらを指摘されたときには、どのように説明するのだろうか。一方中国は、それでもまだ言い足りないと思ったときには、アメリカがパナマ運河を手にするべく、いかにして中米のコロンビアから実質的にパナマを手にしたか。テキサスをどのようにしてメキシコから奪いとったかにも言及するだろう。アメリカはその後「自由」「民主主義」「人権」を掲げて世界に君臨するが、中国側からすれば笑止千万ということになるのだろう。

日本はどう過去を受け止めるべきか
 こうしたことが「歴史論争」になった際に、日本はたぶん「それは過去のことである」として、この問題に深入りすることはしないだろう。ようやく中国の現実を認識するようになった欧州連合(EU)の主要国も、特にイギリスやフランスなどは過去において過酷な植民地政策をとってきただけに、基本的には日本と同じような立場をとるだろう。ただし中国がアメリカのこのような過去を持ち出してくれば、日本でもEU諸国でも、そうした事実を詳しくは知らなかった国民は、「どっちもどっち」だとして、ある程度中国側への非難は薄まるようになるかもしれない。

 その点で11月の米大統領選が重要になってくる。先ほど対中政策でそれほど大きな違いはないだろうと書いた。だがこの選挙で自国第一主義を掲げるトランプ氏が勝てば、それはかつてのアメリカの過去の悪行を想起させる形になってくる。一方トランプ氏を強く否定するバイデン氏が勝てば「過去は過去」として、中国側はアメリカに対して歴史カードを切る効果はあまり期待できなくなるだろう。国際世論も中国に対して警戒的になる。

 中国は何をやってくるか見当がつかないトランプ氏でなく、オーソドックスなアプローチを取るだろうとして、バイデン氏の当選を望んでいると言われている。しかしながら、アメリカに対して歴史論争でアメリカの非難を無力化しようとするならば、トランプ氏が当選したほうが、中国は事を有利に運ぶことができる。

 このような米中対立の中で、世界の国々は日本の行動を最も注目しているはずである。現在、アメリカと中国という世界の2つの大国と、どのような距離感をもって関係を構築していくかは、世界の国々にとって最も大きな関心事である。その中で日本は、経済に加えて、アメリカとは政治的・外交的に、中国とは地理的・歴史的にともに関係が深く、両国の対立の中でどのようなポジションを取るか、最も難しい立場にある。大局観をもちつつ、ケースバイケースでいかに巧みに日本の国益を守っていくか――。その成果をみた時、日本は世界からの尊敬を集めることができるだろう。

 そしてその際に重要なのは、メディアの役割である。日本において、新聞メディアは時として冷徹な事実よりも、自らの主義・主張で報道を展開する傾向があり、テレビメディアは大衆への過度な迎合がある。ネットメディアは一時的な感情に大きく振れやすい。また日本は海外メディアの無責任な論調に過敏である。

 しかし日本が今後とるべき外交は、メディアが陥りがちな一面的なものではなく、より複雑で多面的・重層的な戦略から形成されるべきものである。一時的かつ感情的な世論に押されるのではなく、国益を第一にした戦略がじっくり語られるような成熟したメディア環境があればこそ、指導者の責任ある行動も生まれてこよう。それこそが日本にとって最も重要なことである。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/319.html

[近代史5] アメリカが1898年の米西戦争以降に行った領土拡張 中川隆
1. 中川隆[-11190] koaQ7Jey 2020年9月24日 13:27:23 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[13]
今こそ合州国の正体直視を  本多勝一 週間金曜日 2003年 3月14日号「風速計」

この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。

 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。

 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。

 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。

米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。


合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。

戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。

これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451


ウンデッドニー以来…… (本多勝一)

 アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。

 合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである(注1)。合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。

 ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する(注2)。

 息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。

 その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。

 朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。

 ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。

 ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」


<注1>たとえばラス=カサスの『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(石原保徳訳・現代企画室)などに詳しい。

<注2>詳細は拙著『アメリカ合州国』(著作集12巻=朝日新聞社)収録の「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」参照。

<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/319.html#c1

[近代史5] コロナウイルスは人民解放軍第三医大学と南京軍区軍事医学部が拵えた人工ウイルス
コロナウイルスは人民解放軍第三医大学と南京軍区軍事医学部が拵えた人工ウイルス


米国に亡命した科学者の閻麗夢(えん・れいむ)が述べたように、武漢ウイルスは人民解放軍第三医大学と南京軍区軍事医学部が拵えた人工ウイルスである。

彼女によると、コウモリ・コロナウイルスZC45とZXC21をベースにて人為的に培養された生物兵器であるらしい。(たぶん、開発・実験の段階で外部に漏れてしまったのだろう。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827458.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/320.html

[番外地8] 日本語は百済語と近接しているという説は多い 中川隆
1. 中川隆[-11189] koaQ7Jey 2020年9月24日 14:34:27 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[15]
皇室では平安時代まで百済語を話していたんだよ:
日本語は百済語と近接しているという説は多い。
ブログ「日本語と韓国語は同系語」
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-3a69-1.html

飛鳥〜平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。

『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった。

大和朝廷で働いていた人たちの生活の本拠地は「飛鳥」で、『続日本紀』『姓氏録』によれば、飛鳥地方の住民の80〜90%はxx人であったという

飛鳥地方を中心に活躍していた聖徳太子は蘇我氏(xx人―当時の実質天皇)の一族で、妻も蘇我氏の人である。

日本で最初に建てられた寺院「飛鳥寺」は蘇我氏の氏寺で創立者は蘇我馬子である。

明日香村にある日本最大級の横穴式古墳「石舞台古墳」の埋葬者は蘇我馬子ではないかとされている。有名な「高松塚古墳」は明日香村にあり、中に描かれた彩色壁画の婦人像の着衣は古代xx人の服装そのままである。

なぜ「飛鳥地方で使われていた言葉はxx語(主に百済語)であった」と言われているか、下記に列挙した研究者の言葉を見れば一層その信憑性に気づくのではないだろうか。

※「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(xx人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)

※「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)

※ 日本書紀は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。 (上田正昭らの対談集)

※ 飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)

※ 平安時代までの日本文化は外国のもの。日本の王朝文化は百済と同じ。
(司馬遼太郎・丸谷才一 他)

※ 半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を開花させた。
(国弘三恵)

※ 唐への留学僧は百済人であった。当時の僧侶の言葉は百済語であった。
(金達寿 司馬遼太郎 上田正昭らとの対談集)

司馬遼太郎は「平安時代までの日本の文化は外国のもの、日本らしくなったのは鎌倉時代になってから」と述べている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/399.html#c1

[番外地8] 武漢ウイルスは人民解放軍第三医大学と南京軍区軍事医学部が拵えた人工ウイルスである
米国に亡命した科学者の閻麗夢(えん・れいむ)が述べたように、武漢ウイルスは人民解放軍第三医大学と南京軍区軍事医学部が拵えた人工ウイルスである。

彼女によると、コウモリ・コロナウイルスZC45とZXC21をベースにて人為的に培養された生物兵器であるらしい。(たぶん、開発・実験の段階で外部に漏れてしまったのだろう。)

アメリカとフランスが全面協力して作った生物兵器がインフルエンザ程度の訳ないよ
若い軽症者も5年で死ぬ事になる
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/400.html

[番外地8] 半島に最初に住んだのは縄文人 その後、長江人が入って来て、縄文人と混血して6000年前に日本人が生まれた
半島に最初に住んだのは縄文人
その後、長江人が半島に入って来て、先住の縄文人と混血して6000年前に日本人が生まれた
弥生時代に日本人がツングース系の民族に追われて日本列島に逃げて来た
百済や高句麗の王族はツングース人で、勿論儒教は入っていない。
kan民族が半島を支配したのはその後ですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/401.html
[番外地8] 半島に最初に住んだのは縄文人 その後、長江人が入って来て、縄文人と混血して6000年前に日本人が生まれた 中川隆
1. 中川隆[-11188] koaQ7Jey 2020年9月24日 17:46:03 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[17]
hantou に最初に住んだのは縄文人
その後に華南人がhantou に入って来て、先住の縄文人と混血して6000年前に日本人が生まれた
弥生時代に日本人がツングース系の民族に追われて日本列島に逃げて来た
百済やkoukuri の王族はツングース人で、その頃はまだ儒教は入っていない。
華北人が hantou を支配したのはその後ですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/401.html#c1
[番外地8] もともと神道の儀式は古老がやっていたのを、僧侶が引き継いだから、神道が日本仏教に変わったんだよ。
アイヌの宗教は古神道だよ
教祖はいません。経典もありません。しかし間違いなく宗教ですね。
日本の神道は仏教が入ってから変わっただけです。
もともと神道の儀式は古老がやっていたのを、僧侶が引き継いだから、神道が日本仏教に変わったんだよ。
本来の仏教では葬式なんかやらないからね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/402.html
[近代史4] 山梨市 金峰泉
山梨市 金峰泉 


2020/9/24
トザツー(登山 + ツーリング)で大弛峠 と金峰山を制覇せよ!!
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2645.html#comment33215


大弛峠は、通り抜け出来る車道の日本一の標高2360mを誇ります。そこへ至る道の延々30km以上も登り坂が続く、日本屈指の超級山岳コース。自転車乗りの聖地の一つです。

金峰山は奥秩父の盟主とも言われる日本百名山の一つ。標高2599mながら、山頂付近は大きな岩がゴロゴロしており、「五丈岩」という巨岩が鎮座する人気の山。

今回はこの二つを同時に楽しむという「欲張り企画」です。


最寄り駅の塩山までは輪行します。実は浦安を始発で出ても塩山到着は8:14分になってしまいます。これは山登りを考えると遅すぎます。1500m付近の「廻り目平キャンプ場」にテント泊する事も考えましたが、荷物が重くなるのと、ヒルクライムが二別されてしまうので却下。

そこで、前日終電で大月まで行き、夜明けまでノンビリと甲州街道を塩山まで自転車で走る計画を立てます。急に思いついたので2時間の仮眠で22時過ぎに家を出ます。電車の中で充分眠る時間は有ります。

しかし、ルートをチェックしていた重大な問題点に気付きました。大月から塩山の間には、自転車乗りに悪名高い「笹子トンネル」が有ます。路肩が無い3kmのトンネルは相当に怖い。昼間の混雑時ならまだしも、夜間は大型トラックが高速で走行します。これはマジヤバイ。

トンネル回避としては旧道の「笹子峠」が有りますが、夜中に1000mの標高の峠越えもマジヤバイ。猪とか熊とか、この世ならざるモノとか、マジ怖い。

そこで急遽、立川で下車して始発を待つ事に。大月まで行っても良かったのですが、夜を過ごす場所が無い様です。さらに、立川からでも大月からでも塩山到着は変わらないので、東京に近い場所の方が始発の時間が早くなり、夜明かしの時間が短くなります。立川駅前のマックは24時間営業。開いてて良かった・・・。

店内は寒くて、登山用ウエアが活躍します。硬いスツールでは仮眠も出来ず、ブログの記事を書きながら時間を潰します。4時過ぎに店を出て、4:35分の始発の高尾行に乗ります。高尾、大月と乗り継いで6:22に塩山に到着。車内でオニギリ2個の朝食を済ませます。塩山駅では私の外にもう一人、輪行の方がいらっしゃいました。当然、行先は大弛峠でしょう。

大弛峠の登り口の途中、セブンイレブンで補給を済ませます。さて、いよいよヒルクライムパートの始まりです。時刻は7:26。


7:26 琴川ダムまで登って来ました。日本で一番高い場所にある多目的ダム。


笛川小学校・柳沢分校、日本で一番高い場所に有る小学校でしたが、今は廃校となっています。


「金峰山荘」。自転車乗りの間では有名な「ラスト自販機」の有る場所。通年、普通に人が暮らしている場所としては日本最高点とも言われています。


冬季ゲートを越え、後半戦です。正面に奥秩父の稜線が見え始めました。


時折、雲が晴れると、目的地の金峰山の五丈岩が見えます。


11:02 ヒルクライム終了です。トータルで3時間36分掛かりました。走行時間は3時間12分。

標高2360mの大弛峠まで約30km、獲得標高2000m、登山の脚を残す為、余裕を持って登って来ました。大弛小屋の自転車ラックに自転車を駐輪して、登山の装備に着替えます。登山靴に履き替えて、サイクルウェアーの上からズボンとミッドレイヤーを身に着けます。今回は水を忘れずに持ちます。


■ 登山パート ■


いよいよ登山パートの始まりです。金峰山までは片道4.2km、標高差250m程度ですが、朝日岳を越えるので、登りは500m程度でしょう。往復の標準時間は4時間半。既に11時を過ぎているので、五丈岩で遊ぶ時間と、帰りの時間を考えると、歩く時間は3時間で片づけたい所。軽装なのでちょっと急げば大丈夫でしょう。

ファミリーコースと思っておましたが、大きな石がゴロゴロ有る急な登攀もあり、なかなかハードなコース。前日の雨で泥濘も多い。写真を撮る時だけ立ち止まって、後はノンストップで金峰山まで歩きます。途中から、大弛峠に戻る人とのすれ違いが多くなり、朝日岳を過ぎた頃より金峰山に向かう人を追い抜き始めます。

軽装登山ですので、結局トレラン風になってしまいます・・・。ゆっくり歩くのって昔から性に合わないんですよね。学生時代は「標準時間x0.5」が行程タイムでしたから。基本、走れる所は走る!!

金峰山の山頂には12:55分に到着。1時間31分掛かりました。登山道、結構混んでました。


11:24 登山開始です

前日の雨で泥濘も多い。稜線は大きめな石がゴロゴロしている場所も有ります。


キノコの季節ですが・・・これは如何にも毒キノコ・・・。


11:45 朝日峠に通貨

12:12 朝日岳

12:44 金峰山 到着。山頂付近は標高2500m越え。ハイマツ帯です。シャクナゲも生えています。

大きな岩がゴロゴロしています。フィールドアスレチックの様で楽しい。石の鳥居みたいな所を潜れば山頂は直ぐ。

12:55 山頂の標識に到着します


■ 五丈岩、楽し過ぎます ■

山頂から少し下った所が広場になっていて、その先に五丈岩がそそり立っています。何人かの人達がナンチャッテ・フリークライミングにチャレンジしています。

当然、私もチャレンジしましたが、中段で引き返します。ガンバレば上まで登れますが、怪我をしたりしたら社会人的にマズイ。Goproの絶好の映像チャンスですが、ストラップを持っていないので、クライミング中の撮影は出来ませんでした。(家に帰って速攻でポチっとなしました)

しかし、金峰山、楽し過ぎます。山体は蔵王権現を祀る山で、五丈岩はご神体でも有りますが、フィールドアスレチックの乗りで、皆さんクライミングのチャレンジしています。頂上まで到達した人には拍手が起きてました。

ちょっと遊んだ後はオニギリを食べて、山頂付近の眺めを写真に収めます。日本百名山の一つ、瑞牆山が雲の晴れ間に見えます。花崗岩が侵食された峻嶮な姿には迫力が有ります。今度は瑞牆山に登ろうと心に決めます。


霧の向こうに五丈岩が現れます

五丈岩の高さは15m。チャレンジしたくなる高さです。実は五丈岩は山岳信仰のご神体。山伏がこの岩の上で修行をする姿も見られるとか。登ると神罰が下りそうでも有りますが・・・

頂上まで到達した人には、やんやの拍手が送られていました!!

風化した花崗岩が中国の水墨画の様な山容を作り出す瑞牆山。日本百名山の一つです。

山頂からの景色は、流石は2500m級の山です。丹沢や奥多摩とは一味も二味も違います。(丹沢表は関東大震災の崩壊で、結構似たような景色も有りますが)


■ ULは速い! ■

山頂で遊んだり、お昼を食べたりして1時間程度を過ごし、13:35分頃に帰路に付きます。

登り返しがキツイだろと思っていた朝日岳の山頂付近は、「あれ、急登はどこだっけ」という感じで難なくクリアして14:51分の大弛峠の駐車場に戻って来ました。

帰りの時間は1時間16分。

トータルの歩行時間は往復で、2時間47分でした。標準行程時間の半分の2時間15分を目標としていたので、ちょっとオーバーしました。

ヒルクライムで脚を使った後なので、後半、脚が攣りそうでヤバかったですが、マグネシウムのジェルが効いたのか、どうにか切り抜けました。

14:51 駐車場に戻って来ました。前を歩く親子連れが速かった。5歳位の男の子のルート取りが的確で、山道に慣れている感じ。ママに伺ったら、よく山に連れて来るとの事、ママも速かったですよ!!

駐車場に着いたら、速攻で自転車乗りにジョブチェンジです。上は自転車ウエアに薄手の自転車用の雨具をウィンドブレーカーとして来ます。下は登山ズボンの裾を捲るだけ。この恰好で、そのまま電車に乗る予定。

実は大弛峠の難関は下り。なんせ30kmも下ハン握りっぱなしですから。今回はフロント38tのシングルなので、緩斜面でスピードが出ません。しかし、ブラインドカーブが多いので、その方が安全です。

1時間程度で塩山の街中に戻って来て、14:30頃に高尾行の普通電車に滑り込みます。お土産を買う時間が有りませんでした。この電車を逃したら、塩山温泉で汗を流そうと思っていましたが、そうすると帰宅が21時頃になります。

電車の中でウツラウツラしながら、浦安到着は20時頃。


始めたばかりの「トザツー」ですが、私的にはUL(ウルトラライト)の装備で、スピード重視の行程が性に合っている様です。

ただ、そうなるとULのレインウェアが欲しくなります。後、これから紅葉シーズンの掛けて、フリースのミッドレイヤーも欲しいところ。トレランザックもボロボロでバックルが割れてしまってりうので新調したい所。


・・・・結局、物欲は満たされる事無く、アドベンチャー系ライドも物欲地獄に繋がっている事を実感しました。

コメント
2020/9/24 16:53
投稿者:777

琴川ダムというと今は伝説になっている金峰泉があった
所ですね(現在休業中):

金峰泉 @ ヤケド、切り傷に卓効
https://ameblo.jp/kazgensensui6/theme-10059226632.
html

山梨市 金峰泉 
http://www.navi-city.com/yu/kinpousen/

元々の旅館は ダムに沈む位置にあったようです。

癌でも糖尿病でもすぐに治る奇跡の水みたいですね。


Aご主人 : そうですね、当時はこの付近
に水晶鉱山がありまして、そこで働く人たちの疲れを癒
すために利用されていました。当時は無料だったそうで
す。

Qナビィスタッフ : 湯治場として利用さ
れていたということですね?

Aご主人 : はい、大正2年に現在のよう
な形となって、湯治客の皆さんに利用していただくよう
になりました。

Qナビィスタッフ : しかし、ここまで山
を越えてくるのは大変だったでしょうね。

Aご主人 : 水晶鉱山のある頃には、トロ
ッコで麓まで水晶を運び、帰りにそのトロッコで湯治場
のお客さんを運んでいました。湯治客のお客さんにはこ
の鉱泉は大変好評で、当時の納涼地十選にも何度も選ば
れました。その評判をお聞きになりこのような山奥です
が、当時の知事さんが表敬訪問に来られるほどだったん
ですよ。

Aご主人 : 近年は、琴川ダム建設の計画
が持ち上がって、以前の金風泉は琴川ダム・・・乙女湖
のことですが・・・それが底に沈んでしまうということ
にになって、ダム建設のためしばらく休業していたんで
す。そして今年の春に湯治旅館として現在のこの場所に
移転して営業を始めました。

https://green.ap.teacup.com/pekepon/2645.html#comment33215
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1046.html

[近代史3] 日本人を憎む被差別同和部落出身者 2 _ 竹中平蔵 中川隆
23. 中川隆[-11187] koaQ7Jey 2020年9月24日 19:29:49 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[22]

 竹中平蔵は、現代に奴隷階級を再現したいのか? 2020年09月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1258.html


 菅義偉首相は、竹中平蔵と一心同体、コピー、ダミーといってもいいほどで、その中身は100%竹中式新自由主義である。菅政権とは、竹中平蔵政権に他ならないのだ。
 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_11242/

 竹中が、小泉純一郎政権で、日本政界の黒幕から表舞台に登場して最初に行ったのは「規制緩和」のスローガンにより、労働者の保護を破壊し、正社員の地位を破壊し、日本人労働者を、すべて「臨時・派遣雇用」に貶めること、すなわち「ルンペンプロレタリアート」に貶めることだった。
 現在では、労働者の半数が、権利を保護された正規労働者としての地位を奪われ、いつでも自由に解雇される不安定な臨時・派遣雇用に墜とされている。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20200812-00191949/

 これによって、非正規で働くしか条件のないシングルマザーは、正規から追放され、地獄のような悲惨な貧困にあえいでいる。
 子供たちの6人に一人が、まともな食事を取れないような信じられない地獄社会がやってきた。
 
 涙。現実を知って‼︎食事は給食のみ。夕食はおにぎり。子供の6人に1人がお腹をすかせてる。救えないの?
 https://matome.naver.jp/odai/2141912335869414801

 母と子3人、所持金200円
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/213139/

 東京のまんなかでもご飯が食べられない 
 https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/children-takushoku2

 こんな現実をもたらした張本人、最大の戦犯こそ「日本を格差社会にする」と宣言した竹中平蔵である。竹中平蔵は、人々を不幸にして、結局何を得たいのか? そのコピーである菅義偉政権は、再び竹中流格差社会を拡大したいのか?

 そもそも、どういう理由で格差社会を作って、人々を苦しめたいのか?
 竹中の思想的基盤は、ハーバード大学のユダヤ流新自由主義である。ユダヤ教徒には、至上の聖典として旧約聖書が知られているが、もう一つ「タルムード」という恐ろしい聖典がある。
 このなかには、神の選民であるユダヤ人は、ユダヤ人以外の人々をゴイム「家畜」として使役する、と書かれている。
 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-218.html

 「そんな記述は存在しない」と主張するブログもあるが、それは単に著者がとてつもない無知蒙昧だからにすぎない。
 https://sites.google.com/site/uranenpyou/tarumudo

 要は、ユダヤ教徒に、凄まじい選民意識が存在し、ユダヤ人以外の人々を「家畜に等しい」と見下している姿勢があることだ。
 ユダヤ教徒が、神(ルシファー)の言うとおりに、ユダヤ人以外の人を、自分たちに奉仕する家畜(ゴイム)として支配するために何をすべきなのか?

 その方法論として「シオンの議定書」が示されている。これは巷間流布された偽書などではない。間違いなくタルムードの本質に沿ったものだ。
 http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2154968.html

 人類史において、一つの権力が民衆を支配するとき、必ず、民衆の間に階級差別と対立を持ち込み、権力は、あたかも調停者のような立場で、対立をコントロールしながら支配にすり替えるという巨大な法則がある。

 例えば、国家主義の見本のような儒教思想では、国民の間に、もの凄い数の序列、身分差別を設けて、身分が一つ違えば、徹底的に相手を見下すことで、民衆を分化対立させ、それを権力が調停するかのように、支配の構造を作り出したのだ。

 徳川家康は、「二分化支配」という政策を実行し、260年にも及ぶ安定政権を成立させた。
(これは私が30年以上前に気づいてブログで公開したが、誰からも顧みられず、最近、やっと陽が当たり始めた)
 これは、民衆のあらゆる組織を二分化し、対立させて、幕府が調停者として君臨することで、組織を権力に刃向かわないようにさせた深い知恵だった。
 https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/5943

 仏教(当時は神仏混淆だったので、修験と僧は一体だった)は、天台宗系と真言宗系の二つに分けて所属させ、互いに対立するように煽った。
 神道の場合は、白川系と吉田系。大工も木地屋も、火消しに至るまで、大きな二つの流派に所属させることで、不満は権力ではなく、対立する相手方に向けられた。
 これで幕府に刃向かう可能性のある、武力集団を完全にコントロールすることに成功した。

 日本式儒教では、江戸時代初期に「士農工商」という身分差別が登場した。この差別に対する不満を転嫁するために、さらに、その下に「穢多・非人」というカーストで言うダリット(不可触民)のような階級まで作った。

 こうして、差別化された民衆は、日常的な不満を、権力にではなく、対立する相手に向けるようになった。これこそ、階級差別支配の本質的な構図である。
 この仕組みは、もちろん現代社会にまで持ち込まれている。
 その代表が「学歴差別」である。

 日本人を、その学歴で序列をつけて分断し、互いに優越感と劣等感を抱かせることで、人々の社会への目標が、社会全体を改善することではなく、自分の序列を上げて、社会のなかで優位に立つ利己主義にすり替えてしまったのだ。

 その逆もあった。戦後しばらくの間、全国民が塗炭の苦しみを嘗めさせられ、身分とか序列なんて妄想を無視して、互いに助け合った時代があった。
 このとき、日本人は「連帯」を知り、仲間といがみ合うのではなく、本当の敵は国家権力あると理解し、労働運動や市民的権利運動も、著しく進化し、まさに人間解放の曙光が見えた時代があった。
 それを壊していったのが、学歴差別社会と日本共産党などの優越意識である。

 労働運動は、全労働者が同じ境遇であると互いに同情し、互いに連帯する関係のなかからしか、権利を獲得する成果は生まれてこない。
 ところが、労働者のなかに差別のある立場や序列があったなら、連帯など生まれない。それは、東京メトロ権利闘争のなかでも書いた。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1250.html

 労働者の組織のなかに、頂点に労働貴族の指導部がいて、底辺にバイト待遇を強いられた最下層がいたなら、どこに労働者の団結が生まれるんだ!
 人間は、権力と戦うよりも、目の前にいる格下の差別対象を小馬鹿にして満足したがるのだ。

 ユダヤ人の思想とは、まさに、人々に格差を作り、階級差別を設けて、人々に問題の本質から目を逸らさせ、目の前にある序列差別でいがみ合わせることで支配を行うものだ。
 竹中平蔵は、この差別支配のテーゼを日本社会に持ち込み、「日本を格差社会にする」とほざき、実現させたのである。

 その最終目的は、世界中に奴隷制度を復活させることに他ならない。
 冒頭に掲げた母子家庭は、奴隷階級養成所である。一日一食しか食べられない貧栄養の児童は、蛋白質の摂取も少なく、どうしても頭脳を物理的に発達させることができなくなる。
 ちょうど福島の被曝児童のように、「少し遅れた」知能・体力を強いられている。すると、学歴選別にも落ちこぼれ、社会の最底辺に棲むことを約束されてしまう。

 いわば、「奴隷人生」が約束されているに等しいのだ。これが竹中平蔵と自民党の求める社会である。
 堀江貴文の、よく失敗するロケット一基で、日本中の飢えた子供たちを救うことができるのに、堀江は、彼らに対する同情が絶無であり、自分の名誉と利権を拡大することにしか興味がない。
 本当に、飢えた子供たちを支援しているのは、宗次徳治ら、ごく少数だけだ。

 竹中は、日本に格差社会がもたらす奴隷制が定着すれば、自分たちの権益に利用できるとほくそ笑んでいるのだろう。
 このまま、竹中や橋下徹らが求める超格差社会、奴隷制社会を復活させていいのか?

 私は、貧しい子供たちを、海辺の豊富な魚介類が食べられる地域に住まわせるべきだと思う。ちょうど、野茂英雄を生んだ五島列島のような場所だ。
 高台で共同農場を作り、牛や山羊を飼育し、その乳や、海の恵み、大量の青魚を食べさせれば、素晴らしい肉体と頭脳の青少年に育つはずだ。

 日本の未来に必要な人材は、東大生ではない。野茂英雄や田中将大のような頭脳と肉体、優しさを持った青年なのだ。それは奴隷階級ではない。
 結局のところ、貧しい者が団結して、過疎の田舎に共同体を作る以外の解決方法はないと私は思う。  

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1258.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/115.html#c23

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