★阿修羅♪ > アーカイブ > 2015年12月 > 23日07時57分 〜
 
2015年12月23日07時57分 〜
記事 [原発・フッ素44] 「福島甲状腺ガンは多発見だろ!」の自称?反原発な「裸の俺様2号」と 福島甲状腺ガンを語ろう。
「福島甲状腺ガンは多発見だろ!」の自称?反原発な「裸の俺様2号」と
福島甲状腺ガンを語ろう。


http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/486.html#c33
から福島の甲状腺ガンは多発見である!と自称?反原発な「裸の俺様2号」さんが
語っています。

折角なのでこちらで新規にあげてこの件を

多発見(過剰診断)・多発生(異常事態)・過剰手術(医療判断ミス)・適正手術
を軸に語ってみたいと思います。

https://www.facebook.com/notes/植野-映/一家言-甲状腺癌と超音波-日本甲状腺学会雑誌-october-2015/903052903106871

しきりに韓国の例で多発見であると言ってる側は基本この流れだよね。
でな、それを避ける為にわざわざ日本に於いては1巡目でスクリーニングを実施
したと、この先生が申している。
そのやり方のど真ん中に福島医大の鈴木教授が立っていると公言されているね。

この方のこの2015/11/11の記事を覚えていないと駄目だよ。


ーーーーーーー
その二つの経験から福島の原発事故が発生したときに、今後、甲状腺がんのスクリ
ーニング問題がおこるだろうと予測した。チェルノブイリの二の舞はさすがに防が
なければならない。このままでは5年後に超音波がスクリーニングに導入され、多
くの甲状腺癌が検出される。原発事故による被曝の影響と解釈され、国策を誤ると
考えた。

乳腺甲状腺超音波診断会議が2011年7月に自治医大で開催され、その理事会で放射
線による影響が出る前にスクリーニングを行う必要があることを提案した。福島県立
医大の鈴木教授にはすぐに快諾をいただきJABTSの総意を挙げて全面的に協力するこ
とが決まった。

その後は、各学会の応援をも得て今の体制が鈴木教授を中心として構築されていった。  小児甲状腺癌の超音波によるスクリーニングの成績はそれまでにはなかったために現行
のスクリーニングの施行は致し方のないところではあったが、第1順目の結果は、わたく
しからすれば想定内でもあった。ところが、甲状腺専門家であっても想像以上とコメン
トしてしまう医師もいたことがはなはだ残念であった。おそらくは甲状腺癌に対する超
音波の検出率の高さを理解していなかったのであろう。ましてや一般の医師の反応は致
し方ないでしょうか。それにしても評論家が甲状腺癌の特殊性、超音波の検出能力につ
いて理解もせずに間違ったコメントをしたり、TVが事前調査もせずに報道したのには
閉口した。  

この誤謬はまだまだ続くであろうが、第2順目では甲状腺癌の検出率は低下すると
わたくしは睨んでいる。それは第1順目で潜在的な甲状腺癌が検出されているからで
ある。その結果が出て、初めて原発事故の影響がなかったといえるであろう。

少しでも高値を示したのであれば原発事故の影響は否定できないことになる。
ーーーーーーーーーーー

この先生はほとんどすべてスクリーニング(潜在ガンを掘り起こしてしまった)のせいだとの考えなので一巡目ですべてその目は摘み取ったとの考えだね。

では現実はどうか?
よくネットやTV報道では
2順目の進捗状況を完全に無視した甲状腺ガンの数39名が強調されるが、、、、
コレって実は1巡目の途中経過の数値と同質のものでしか無いんだよね。

例えば1巡目の例であげると、こんな感じ。
11回目は全体の27%で28名でた 11回目の27%は 5.9万人でしかない
14回目は全体の56%で75名でた 14回目の56%は18.6万人でしかない
20回目は全体の72%で113名でた 20回目の72%は26.5万人でしかない

じゃー11回目と14回目の20回目の確定値とされる26.5万あたりでの
発症数を予測してみようか?

(20回目を基準とし26.5万で何人でるか)で
換算し治すと
11回目(28×26.5)/5.9=126名(予想値)
14回目(75×26.5)/18.6=107名(予想値)
20回目(113×26.5)/26.5=113名(確定値)

同じ考えを2順目の(32015/9/末)の数値を当てはめると
全体37.9万人
受信者20.0万人(52.6%)
確定者18.3万人(91.4%)
内2次対象者
1483人
受信者1023人(69.0%)
確定者879人(85.9%)

0.526×0.914×0.69×0.859=0.2849535≒0.285

全体の28.5%で39名

37.9×0.285=10.8万人で39名

(39×26.5)/10.8≒96名(予想値)

おそらく2巡目の最終報告書にはこのぐらいの数値が立つことが予想される。
そして要手術が80名以上になる。 平成29年頃に確定版とかで出るだろうね。


さて、、、、、

>第2順目では甲状腺癌の検出率は低下するとわたくしは睨んでいる

1巡目でこの上野 映先生が危惧するスクリーニングによる。多発見は全部を刈り取った
出るはずの無い甲状腺ガンが、、、、何故か2巡目も100人近く出て、
ありえない筈の手術で摘出しなければならない程成長する。

>それは第1順目で潜在的な甲状腺癌が検出されているからである。その結果が出
>て、初めて原発事故の影響がなかったといえるであろう。少しでも高値を示した
>のであれば原発事故の影響は否定できないことになる。

もう自分で考える事を放棄しない人々には「原発事故の影響は否定できないことになる」
のサインが確実に見えている。

よって「知る大切さ」は「多発生」の「適正手術」の結果であると判断している。
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/556.html

記事 [原発・フッ素44] 浪江町内の保管自動車撤去へ 環境省 (福島民報)
「浪江町内の保管自動車撤去へ 環境省」  (福島民報 2015/12/17)
http://www.minpo.jp/news/detail/2015121627423

環境省は平成28年4月以降に東京電力福島第一原発事故で全域が避難区域になっている浪江町内の民家などに残されている自動車(保管自動車)の撤去に着手する。15日、所有者に意向確認書の送付を開始した。
  町民が業者に車の処分を依頼しても断られるケースが相次いだことから、町が同省に処分を求めた。町ふるさと再生課によると、町内には約5千台の保管自動車 があるという。避難指示解除準備、居住制限両区域の車両が対象で、処分車両は町内の仮置き場に集積した後、リサイクルなどに回す方針。町内の津波で被災し た車両の撤去作業は26年12月に始まっており、28年3月中に終了する見込み。
 同省は保管自動車の撤去を富岡、楢葉両町でも実施している。南相馬市では市が独自に撤去している。

( 2015/12/16 09:50 カテゴリー:主要 )

------(引用ここまで)--------

浪江町の超汚染自動車をリサイクルするそうです。
あきれて口がふさがりません。何を考えているのでしょう。

チェルノブイリから1400キロも離れた東ドイツ(当時)で、ウクライナから来たトラックの除染をしていた
作業員の大半が10年以内に死亡しています。

「1400km離れた場所での除染作業員8人中、約10年内に7人が死亡 
*東独/チェルノ (原発問題) 」 (阿修羅・赤かぶ 2014/1/8)
http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/670.html

このリサイクルに携わる作業員は、間違いなく全員亡くなるでしょう。


3年ほど前に、ブリジストン製自転車の前カゴからコバルト60が検出され、回収騒ぎになりました。

「ブリヂストン:中国製自転車かご コバルト60を検出 (毎日新聞)」 (阿修羅・赤かぶ 2012/4/19)
http://www.asyura2.com/12/genpatu22/msg/925.html

回収交換に莫大な費用がかかったはずです。
汚染されたものをリサイクルをすれば、必ずこういう問題が起きます。

日本の輸出品に関してはそうでなくても放射能汚染の懸念が強いのに、このような問題が起きれば
致命的です。


チェルノブイリ事故で汚染された車は、とても再利用できないので、広大な墓場を用意して
そこに放置してあります。これが正しい処理の仕方でしょう。

「チェルノブイリ近郊にある放射能汚染車両の墓場 日本はこっそり輸出」 (拙稿 2013/6/24)
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/278.html


放射能汚染されたもののリサイクルは一切禁止するよう、政府に強く要求しましょう。


(関連情報)

「放射能汚染された中古車が日本中に出回っている件について」 (阿修羅・山口紳助 2011/12/2)
http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/823.html

「放射性物質汚染車輌拡大! (名古屋港で中古車500台以上基準超え!)  (乖離のぶろぐ)」
(阿修羅・赤かぶ 2012/3/6)
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/601.html

「日本車約300台、放射能汚染でロシアの国境越えられず (日々雑感)」 (阿修羅・赤かぶ 2012/7/20)
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/722.html

「行き場をなくした「汚染車スクラップ」 解体業者の作業場に山積み (J-CAST)」
(阿修羅・赤かぶ 2012/8/20)
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/596.html

「被ばく車両に乗り、まともに歩けなくなった例>医師「放射線による影響」認めた
”杖をつきながら”学校へ」 (阿修羅・てんさい 2014/5/25)
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/381.html


http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/557.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 「安倍政権のあり方が怖いし、ものすごく危険で気持ち悪いもの」あさのあつこさん 赤かぶ
17. ボケ老人[254] g3uDUJhWkGw 2015年12月23日 08:10:44 : WK4X1NKyxI : 5woU3wJ8FTM[49]
>16.fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[77]
>日本人が国を守るために戦争をしたのは150年前の戊辰戦争が最後だ

戊辰戦争とは薩長クーデター勢力と守旧派勢力の戦いでは?
奥羽列藩同盟が覇権争いに参入したわけでなく、クーデター勢力が一方的に攻め込んだだけです。
勝てば官軍で薩長の非道、暴力性が隠ぺいされただけです。

明確に防衛戦争と位置付けてもよいのは元寇(鎌倉時代)だけでしょう。

>その日本が安全保障を考えるのは時期尚早

これにも違和感があります。
安倍政権は国防を疎かにして戦争したがっている
これが問題なのであって、国防は重要です。
国防=武力と考えるネトウヨ、安倍一派と同列に立ってはいけません。

>1。2。 には同意できますが
>3。 には思い込みがあるようです。
昭仁天皇が言う、日本の天皇制は日本国憲法に規定する象徴天皇こそが長い伝統に適うもので、昭和前期が異常であったと。
わたしは昭和前期でなく幕末〜1945年までが異常だったと思います。
百済天皇云々は万世一系の天皇論と同様議論する価値が無いものです。


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/427.html#c17

記事 [経世済民103] 「残高を毎日手帳に記入すれば貯まる流れを作れる」と専門家(女性セブン)
「残高を毎日手帳に記入すれば貯まる流れを作れる」と専門家
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151223-00000008-pseven-bus_all
女性セブン2016年1月1日号


 これまで20年以上、いろいろな人の家計簿を見てきたという消費経済ジャーナリスト・松崎のり子さんは、お金が貯まる人と貯まらない人の家計簿には決定的な違いがあるという。

「お金が貯まらない人は月末の収支が計算されていないケースが多いんです。逆に、お金の管理ができている人は、使ったお金と残額がきちんと書かれています。家計簿は、いくら使ったのかを記録するのではなく、あといくら使えるかを知るためのものだと思った方が続けやすい。

 だから、手帳に毎日の残金を記入するだけでも充分です。残高を書くことで、次の給料日までまだどれくらい余裕があるのか、もっと節約するべきなのかが見えてきます」(松崎さん)

 さらに1か月分の食費は日数で割って1日に使える金額の目安を出すと、お金が貯まる流れを作り出せるという。

「買い物に行くペースに合わせて日割りの金額を入れて、買いすぎを防止しましょう。食費の予算は1000円札に両替して管理しておくと便利です」(松崎さん)


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/742.html

記事 [中国7] 中国重慶市郊外に総面積1万3000平方米の巨大シェルター存在(NEWS ポストセブン)
中国重慶市郊外に総面積1万3000平方米の巨大シェルター存在
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151223-00000004-pseven-cn
NEWS ポストセブン 12月23日(水)7時0分配信


 中国四川省重慶市郊外の山岳地帯に、世界一広い巨大シェルターが存在していることが明らかになった。中国共産党機関紙「人民日報」が報じた。この核シェルターは1960年代初めから建設が開始されたが、当時は中国と敵対関係にあったソ連や米国との戦争が懸念されており、攻撃されにくい内陸部のシェルターに軍関係機関や軍需工場が建設、核兵器も貯蔵されたという。

 この巨大シェルターは重慶市郊外の白濤鎮(村)の山岳地帯に位置し、総面積は1万3000平方メートルで、容積は151万立方メートル。もっと高いところは74メートルある。ここに、大きな貯蔵庫が9個、他の小さなもので10個の貯蔵施設が存在するという。

 このシェルターの建設計画は「816工程」と呼ばれた。これは1966年8月16日に毛沢東主席や周恩来首相ら当時の中国最高指導者によって、建設が決定されたからだ。建設計画は極秘とされ、当時では最高の技術力を持つ中国人民解放軍の工兵部隊である「8342部隊」や工程兵第54師団が主力になり、兵士6万人が作業に当たったという。

 1967年2月に建設は開始され、完成したのは1985年で、18年間の歳月が費やされた。また、建設予算は7億4000万元だが、1966年当時の中国の国家予算は総額でも1873億元。

 当時の軍幹部の月給が30元だった時代だけに、現在の予算規模から換算すれば、1000億元(約2兆円)となり、世界最大規模のダムである三峡ダムと同じくらいの建設規模に匹敵する。「当時としては空前絶後の巨大国家プロジェクト」と人民日報は伝えている。

 シェルター内の気温や湿度などは中央制御室のコンピュータによって24時間管理されている。シェルターの存在は2002年4月明らかにされたが、一般への公開は2010年4月まで待たなければならなかった。公開されているのは全体の10分の1程度。一般公開された理由について、中国国防省は「国防教育の一環」としている。


http://www.asyura2.com/15/china7/msg/617.html

記事 [医療崩壊4] 肺がんは5年頑張れば死なずに済む病気に 新薬が注目集める(週刊ポスト)
肺がんは5年頑張れば死なずに済む病気に 新薬が注目集める
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151223-00000003-pseven-life
週刊ポスト2016年1月1・8日号


 医療の世界は日進月歩だ。医療経済ジャーナリストの室井一辰氏がいう。

「臨床研究から実用化、広く普及するまでのスピードは上がっている。今はまだ治療法が実用段階になくても、5年もあれば治るようになる病気は多いはずです」

 エイズの治療は近年、飛躍的に進歩した。投薬治療の副作用は以前よりも減り、HIV感染者でも適切に薬を服用すればエイズを発症せずに一般人と変わらぬ生活を送れるようになった。「死の病」から「長く付き合う病」に変わりつつある。

 11月に米国でHIVに感染していることを告白したハリウッドスターのチャーリー・シーンもその1人だ。

 かつてのエイズのように「5年頑張れば、死なずに済む病気」は少なくない。例えば、国内で年間約7万2000人が命を落とす肺がん治療で注目を集める新薬が「免疫チェックポイント阻害薬」だ。

 人体に備わっている免疫細胞は異物や細菌などを攻撃し、身体を病原体から守る。これまでの抗がん剤はその攻撃力を高めるものが主流だったが、一方でがん細胞側には、免疫細胞からの攻撃を弱める「PD-L1」というタンパク質が備わっていることが最近の研究で明らかになった。

 要は抗がん剤で免疫の“アクセル”を踏んでもがん細胞側が同時に“ブレーキ”を踏む状態になっていた。慶応大学医学部先端医科学研究所所長の河上裕教授が解説する。

「このブレーキを破壊すれば、免疫細胞はがん細胞を効果的に攻撃できます。『免疫チェックポイント阻害薬』はブレーキ役の『PD-L1』を無効にするよう働きかけます」

 米製薬会社「ブリストル・マイヤーズ スクイブ」の研究では、この新薬は肺がん患者の死亡リスクを既存の抗がん剤より4割も減らしたという。点滴投与のため、手術の難しい肺がんで特に効果が期待される。最も死亡者数の多いがんでもあるため、肺がんへの研究が優先的に行なわれている。

 日本ではすでに世界に先駆けて「免疫チェックポイント阻害薬」の実用化が進んでいる。小野薬品工業が開発した「ニボルマブ(商品名・オプジーボ)」が「悪性黒色腫(メラノーマ、皮膚がんの一種)」の新規治療薬として承認された。

 今後は「近い将来、肺がんでも適用される予定」(前出・河上教授)だという。


http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/758.html

コメント [社会問題9] 「マルコポーロは特攻隊だったんだ」−−野坂昭如氏逝く。    西岡昌紀
1. 2015年12月23日 08:17:21 : Sjz1nvXnYM : MOZ7Tl6Mres[52]
野坂さんはアインザッツグルッペンの事知らなかったのかな?
ドイツ国民もその国民性利用された被害者だって事も
野坂さんもヒットラーが終戦間際国民に徹底抗戦命令して逃げたなんて知ったら
憤慨してもっと長生きしただろうに,もうちょっと生きていて欲しかったな。



http://www.asyura2.com/12/social9/msg/629.html#c1

コメント [経世済民103] 東芝の粉飾を見逃した「新日本監査法人」が存亡の危機 金融庁の厳しい処分がまもなく下る?(現代ビジネス) 赤かぶ
9. 2015年12月23日 08:19:50 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[252]
usiness | 2015年 12月 23日 01:17 JST 関連トピックス: トップニュース, ビジネス
新日本監査法人に課徴金21億円・新規契約停止3カ月、金融庁命令

http://s3.reutersmedia.net/resources/r/?m=02&d=20151222&t=2&i=1104200777&w=644&fh=&fw=&ll=&pl=&sq=&r=LYNXMPEBBL0GL
 12月22日、金融庁は、東芝の監査を担当してきた新日本監査法人に対し、公認会計士法に基づいて21億円の課徴金納付命令を出した。写真は金融庁の看板、都内で2012年6月撮影(2015年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)
【東京 22日 ロイター】 - 金融庁は22日、東芝(6502.T)の監査を担当してきた新日本監査法人に対し、公認会計士法に基づいて21億円の課徴金納付命令を出した。併せて、新規契約に関する業務について3カ月間停止するよう命じたほか、業務改善命令も出した。

金融庁は、新日本監査法人の7人の会計士が「東芝の2010年3月期・12年3月期・13年3月期の監査において相当の注意を怠った」と指摘。重大な虚偽のある財務諸表であるにもかかわらず、重大な虚偽のないものとして証明したと認定した。

15日の公認会計士・監査審査会の行政処分勧告で、同監査法人の業務運営が著しく不当であると指摘されたことも踏まえ、同法人に対して一部業務停止命令と業務改善命令を出した。

東芝の監査を担当してきた7人の会計士は、それぞれ6カ月から1カ月の業務停止処分となった。金融庁は、当該会計士が東芝のガバナンス体制を過信していたことに加え、東芝を長く担当するなかで会計士として求められる「職業的懐疑心」がなくなっていた、と指摘した。

金融庁の具体的な事実認定では、2010年3月期・12年3月期・13年3月期のパソコン事業において、毎四半期末月の製造利益がほかの月に比べて大きくなったり、四半期末月の製造原価がマイナスとなる「異常値」を監査の担当者が認識したにもかかわらず、東芝サイドに確認して得た回答を監査調書に記載するだけで、チーム内で情報共有することがなかったとされた。

また、12年3月期・13年3月期の半導体事業では、監査チームが前工程と後工程の原価差額の調整が当然に行われていると勝手に思い込み、確認を怠ったなどと認定した。

事実認定の結果、金融庁は、特に東芝の2012年3月期と2013年3月期の財務書類について、新日本監査法人の監査に「より重い態様の顕著な注意義務違反が認められた」と判断。2期分の監査報酬に相当する約21億円を課徴金額とした。

東芝は22日、新日本監査法人から2017年3月期の監査契約を締結しない旨の申し出があったと発表した。同社は後任の会計監査人について、複数の候補を選定して検討を進めているという。

*内容、カテゴリーを追加して再送します。

(和田崇彦)

http://jp.reuters.com/article/financial-service-agency-toshiba-idJPKBN0U50W720151222?sp=true
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/603.html#c9

コメント [戦争b16] シリア:殺害された被拘禁者の写真にまつわる真相 『恐るべき大量虐殺』 少なくとも約7千人が諜報機関に拷問の末 殺害される ダイナモ
16. 2015年12月23日 08:22:54 : RdSiDLVAbc : KOfFc31MmGE[11]
写真に出れば小さな事件でもより衝撃的に感じる。
この種の報道は写真を外して客観的に考える必要があるだろう。

数多くの難民が海の藻屑となっても人々はそれほどの衝撃は感じない。

もともとはアメリカの介入により発生した数々の悲劇。
介入のきっかけになった9.11の仕掛け人がアメリカ自身なのだから、ジェノサイドの仕掛け人はだれかは明白だと思う。
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/676.html#c16

記事 [経世済民103] COP21に便乗し原発増設を推進する官僚たち…滅茶苦茶な試算と真実隠蔽で国民を犠牲に(Business Journal)
国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21),京都議定書第11回締約国会合(CMP11)等(「外務省 HP」より)


COP21に便乗し原発増設を推進する官僚たち…滅茶苦茶な試算と真実隠蔽で国民を犠牲に
http://biz-journal.jp/2015/12/post_13006.html
2015.12.23 文=町田徹/経済ジャーナリスト Business Journal


 日本時間の先々週末(12月13日未明)、COP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)は、新たな地球温暖化対策の枠組みとなる「パリ協定」を採択した。実効性の問題が残るとはいえ、パリ協定は全員参加型だ。キャメロン英首相が「史上最も前向きな世界的歩みの一つ」とフェイスブックに投稿したように高く評価されている。

 確かに、温暖化ガスの2大排出大国である中国、米国が加盟せず、日欧など一部の先進国だけがペナルティ付きの排出削減義務を負わされていた“不平等条約”の京都議定書と比べれば、隔世の感がある。

 この合意を受けて、菅義偉官房長官は14日の記者会見で、温暖化ガス削減は「安倍内閣の最重要課題のひとつ」と強調。2030年までに13年比で26%減らす日本政府目標に関し「経済成長を犠牲にせずに達成していきたい」と発言した。

 ここで気がかりなのが、その達成のために安易な“便乗政策”が横行することだ。例えば、CO2の排出削減に有効との名目で続々と原発の運転期限が延長されて、福島第一原発事故以来のもうひとつの政府公約である「原発依存度の最大限の引き下げ」がないがしろにされつつある問題はその一例だ。

 パリ協定は20年以降の地球温暖化対策の枠組みである。ポイントは、産業革命前との比較で気温の上昇を1.5℃以内とすることを目指し、途上国を含む196の条約加盟国・地域に温暖化ガスの削減目標の作成、国内対策の実施、履行状況の報告などを義務付けた点にある。実現を担保するため、各国に目標の5年ごとのレビュー義務を課す措置も講じた。先進国と途上国の最大の対立点の一つだった途上国に対する資金援助の問題では、先進国に拠出義務を課したほか、新興国にも自主的な対応を促し、妥協にこぎ着けた。

 しかし、各国が義務を負うのは、削減そのものではなく、目標作りや履行状況の報告にすぎない。しかも、試算ではこれまでに各国が公約している削減目標がすべて実行されても、今世紀末までに2.7℃以上気温が上昇するという。先行きが危ぶまれる要因が残っていることは否定できない。

 とはいえ、18年前の1997年に採択された京都議定書は、役立たずの不平等条約だった。温暖化ガスの排出で1位の中国(13年の排出比率28.0%)、4位のインド(同5.8%)、5位のロシア(同4.8%)といった新興国が最初から対象外。また、第2位の米国(同15.9%)も01年に離脱し、削減義務を免れており、温暖化対策としての効果が期待できなかったのだ。

 それにもかかわらず、3位のEU(加盟28カ国で同10.4%)、6位の日本(同3.8%)はペナルティ付きの排出の削減義務を負うという偏った内容だったのである。しかも、基準となる年の関係で、日本はEUより過酷な削減を強いられ、排出権取引で外貨を吐き出さざるを得ない仕組みになっていた。この問題だらけの京都議定書に比べれば、パリ協定ははるかに実効性を期待できそうである。

●無責任な政策議論

 国内問題に目を向けてみよう。

 日本は今回の合意に先駆けて、30年までに温暖化ガスの排出を13年比で26%減らす目標を明らかにした。パリ協定交渉で合意ができた以上、菅長官が言うように、その達成に向けて真摯に取り組むのは当然だろう。

 マクロ経済面での成長持続には障害とはいえ、省エネ技術で比較優位にある分野で輸出を増やせば、外貨を稼げるだけでなく、世界の温暖化ガスの排出削減に貢献できる可能性もある。すでに存在する技術に加えてイノベーションを推進し、この分野の国際競争力を高めていくことも重要だ。

 ただ、気がかりなのは、かねて温暖化ガスの排出削減に便乗する無責任な政策議論が氾濫していることだ。いつの時代も、官僚たちはそうした政策作りの達人である。

 安倍政権下でも、すでに今回の合意に備えて布石を打っていたものがある。その代表例が、経済産業省が今年7月に決定した「長期エネルギー需給見通し」だ。それによると、30年度は年間で9808億kWh程度の電力が必要で、そのうち20〜22%を原子力発電で賄う必要があるとしている。この試算に従うと、100万kWhの大型原発が53基から59基程度も必要になる。

 だが、建設中の大間原発を含めて再稼働を目指している原発は国内に44基しかなく、このなかには活断層問題や40年という運転期限の壁が立ちはだかる原発が含まれている。そんななか、温暖化ガスの排出削減には残っている原発をすべて再稼働しても足りないという長期エネルギー需給見通しを盾に、政府は原発の再稼働を進めようとしているのだ。

●歴史的な合意を悪用

 そもそも年間9808億kWhの電力が必要になるという根拠は、あまりにもあやふやなのだ。経済産業省は、GDPが今後15年間にわたって年率1.7%の高成長を遂げることを前提に、節電などさまざまな対策で必要な電力を17%減らすことができるとして長期エネルギー需給見通しを算出したという。しかし、この成長率は、91年度から13年度のGDPの伸びが年率0.9%と、1%にすら満たなかった日本経済の実力を無視した高すぎる前提だ。

 しかも、今後、人口減少が加速するとみられることを勘案した形跡がない。エコノミストのなかには「30年度にかけて電力消費量は労せずして減少する。省エネ努力を加えれば、激減してもおかしくない」との見方があることを、経産省は黙殺して、必要な原発の数を水膨れさせた。

 加えて、以前にも本コラム(8月19日付「政府と電力会社が隠したい、電力供給の『余裕』」)で紹介したが、予想以上のハイペースで再生可能エネルギーの普及が進んでいることを官僚が目立たせまいとしている問題もある。

 東日本大震災後、昨年まで夏の電力使用のピークのたびに供給不足から大規模停電が起きることが懸念されてきたが、今夏は状況が一変。原発が1基も稼働していなかった、つまり原発比率がゼロだったにもかかわらず、前年までと違い、電力会社の供給力に大きな余裕が生まれていたのである。温暖化ガスの排出削減は期せずして達成されており、無茶な再稼働や運転期間の延長は無用の長物になっている。

 にもかかわらず、無用な再稼働や運転期間延長を続けることで、「可能な限り原発依存度を引き下げる」という安倍政権の公約は、完全に形骸化するだろう。

 安易な原発政策のほかにも、官僚が目論むCOP21便乗政策として、再来年4月の消費増税に伴い、二重課税を引き起こさないために廃止すべき自動車税の代わりに、新たに温暖化ガスの排出量に着目した「環境性能課税」という新税を課す動きが表面化している。今後、機を見るに敏な官僚たちが似たような試みに出るケースは増えていくだろう。

 だが、ここはCOP21が実現した歴史的な合意を、いい加減な便乗政策に悪用することは控えて、本当に意味のある施策に集中してほしいものである。

(文=町田徹/経済ジャーナリスト)


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/743.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 除染で出た土を建設資材にと言いだした環境省、狂っている(まるこ姫の独り言) あきらめない
1. 2015年12月23日 08:23:53 : vc4iyC54xo : S012dGwTTdI[16]
ぜひ新国立に大量に使ってください!
「被災地に力を!東京オリンピックを成功させよう!」
嘘じゃないよね?ね?
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/509.html#c1
コメント [経世済民103] 東芝の粉飾を見逃した「新日本監査法人」が存亡の危機 金融庁の厳しい処分がまもなく下る?(現代ビジネス) 赤かぶ
10. 2015年12月23日 08:24:17 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[253]
Business | 2015年 12月 23日 01:13 JST 関連トピックス: トップニュース, ビジネス

新日本監査法人への処分、早く結論出したい=会計士協会会長

http://s3.reutersmedia.net/resources/r/?m=02&d=20151222&t=2&i=1104199958&w=644&fh=&fw=&ll=&pl=&sq=&r=LYNXMPEBBL11J
 12月22日、会計士協会は、金融庁が新日本監査法人に課徴金納付命令などの処分を出したことを受けて、声明を発表した。写真は都内の金融庁前で2012年10月撮影(2015年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)
⁅東京 22日 ロイター⁆ - 日本公認会計士協会(森公高会長)は22日、金融庁が新日本監査法人に対して課徴金納付命令などの処分を出したことを受けて、会長名で声明を発表した。その中で、協会としても新日本監査法人に厳正に対処する方針を示した。

公認会計士協会は現在、協会内の監査業務審査会で新日本監査法人の調査を行っている。審査会は年明けの早い段階に結論をまとめ、問題点を洗い出したうえで会員への周知徹底を図る方針。

処分の場合は、規律調査会、綱紀審査会を経て正式に決定する。森会長は会見で「3段階で深度ある調査をすることになっているので、時間はかかる。しかし、本件はとにかく早く結論を出すように急いで作業を進めたい」と述べた。

協会の処分には戒告、会員資格の停止、退会勧告などがある。

(和田崇彦)

http://jp.reuters.com/article/audit-accountant-organization-idJPKBN0U51V320151222
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/603.html#c10

コメント [原発・フッ素44] 某有名メーカーの菓子パンから毎時0.5マイクロシーベルト検出 魑魅魍魎男
67. 2015年12月23日 08:24:32 : lv7vbj53vM : R5TUbJyqZ1g[127]
「日本帰国後の日々雑感−放射性食材を食べる」 ((新) 日本の黒い霧 2012/6/22)
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2088b9e8883b250385ce07f5517a740f

これまで口にして、最もひどかったのがコンビニなどで売られているヤ○○キの菓子パンです。
差し入れで出されたので、仕方なく口にしましたが、その時発症 した頭痛は半端なものではありません。
通常は数時間で治まるものなのですが、その日の晩は寝ている間も痛みが取れず、
翌日になってやっと何とか落ち着きま した。これにはもう懲り懲りです。
こんな恐ろしいものを食べ盛りの子供たちがオヤツにしているのかと思うと、心底胸が痛みます。」

http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/237.html#c67
コメント [IT12] 中国製iOSアプリ、マルウエアに多数感染 異例のアップル標的  WSJ ダイナモ
7. かっぺたんパッチ[481] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月23日 08:25:16 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[740]
なんか、意味不明と言えば、違法滞在では
無い人に対してふざけた態度で、違法だから
追い出した等と、ふざけた態度でいい気に
なってるビザワーカーが、
ベイエリアのITの中にいて、図に乗ってます。
嘘がすぎます。
もう呆れますからね。
例えば私の周りのアメリカ人や
グリーンカードホルダーの写真を
日本のタイテロの写真に混ぜてるか真似てます。
最近の変な日本人の感覚は、異常で手に負えません。
バカなんでしょうが、
http://www.asyura2.com/14/it12/msg/159.html#c7
コメント [経世済民103] 何かの暗示?(東芝の一万人削減と日本マクドナルド売却) (NEVADAブログ) 赤かぶ
9. 2015年12月23日 08:26:29 : 1WVgsROX0A : N11@7fsScMM[67]
ヨハネ黙示録そのままですね。略奪資本主義は崩壊です。
悪事を重ねてきたこれまでの支配体制が一日も早く
滅びるのを心待ちにしています。
ヤクザさんと繋がっているのは実は日本の支配層です。
シーグレーヴの「ヤマト王朝」にも書かれています・・・


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/718.html#c9

記事 [経世済民103] 師走相場“最後の主役” 「スター・ウォーズ」銘柄を狙え(日刊ゲンダイ)
            「スター・ウォーズ」が大納会までの主役に?(C)日刊ゲンダイ


師走相場“最後の主役” 「スター・ウォーズ」銘柄を狙え
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172189
2015年12月23日 日刊ゲンダイ


 兜町に“スター・ウォーズ旋風”が巻き起こっている。映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は、18日の18時30分に日本で公開された。週末3日間(18〜20日)で、観客動員100万人を突破し、興行収入は16億円を超えた。

 スター・ウォーズ新作の経済効果は、全世界で3兆円といわれるが、株式市場にもプラス効果をもたらしている。

「先週は日銀が金融緩和の補完策を公表しましたが、市場の反応はイマイチだった。スター・ウォーズ公開のほうが、よっぽど市場心理を好転させたと思う」(証券アナリスト)

 スター・ウォーズ仕様の特急ラピートを、関西空港駅〜難波駅で走らせる南海電鉄の株価は21日、前営業日比7円高の687円で引けた。スター・ウォーズの世界を体感できるアトラクション「スター・ツアーズ」が人気の東京ディズニーランド(会社名オリエンタルランド)も、前営業日比78円高の7178円と好調だ。

 そのほか、機体デザインをスター・ウォーズ仕様にしたANAや、ティッシュの箱にダースベイダーを描いた「スコッティ」(発売は日本製紙のグループ会社)など、関連株は値上がりしている。21日の日経平均は前週末比70円安と精彩を欠いただけに、スター・ウォーズ関連の株高は目を引いた(別表参照)。

■「アルゴリズム取引」で思わぬ銘柄の急騰が

「ちょっと意外な銘柄も急騰しました。北九州に本社を置く航空会社のスターフライヤーです。前営業日比で13%以上も値上がりし、年初来高値を更新しています。“スターつながり”で上昇した可能性があります」(株式アナリストの櫻井英明氏)

 9月下旬に東証は売買システムを約5年ぶりに高速化した。その影響で、ネット上で急上昇した単語などを株売買に利用する「アルゴリズム取引」が活発になり、思わぬ銘柄の急騰が目立つようになっている。タレントの福山雅治の結婚報道では「福山通運」、大村智北里大学名誉教授のノーベル賞受賞では「大村紙業」が動意づいた。

「三菱重工など宇宙関連株も物色されるでしょう」(株式評論家の倉多慎之助氏)

 大納会(30日)までの残り1週間は、スター・ウォーズが市場の主役だ。



http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/744.html

コメント [カルト15] 安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果です。 小沢内閣待望論
34. 2015年12月23日 08:30:03 : vibO1DRXCE : 98@y8aqZiiA[3]
どなたか志ある方が、ムサシに入社するのも良いかも知れない。

http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/477.html#c34
コメント [政治・選挙・NHK198] 放置されたままの東電の信じがたい原発事故発表の衝撃  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
16. 2015年12月23日 08:30:39 : S6t7T2upqw : 5_IOc17z9tQ[1]
MOX燃料=即発臨界の危険性を議論すべき事案なのにマスコミは何処も騒がない
騒ぐほどの知識が無いのかもしれないが日本終わりすぎている
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/481.html#c16
記事 [経世済民103] キリンHDも初の赤字転落 海外M&A“高値づかみ”が命取りに(日刊ゲンダイ)


キリンHDも初の赤字転落 海外M&A“高値づかみ”が命取りに
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172193
2015年12月23日 日刊ゲンダイ



日経が買収した英FTも高値づかみ!?(C )AP


 キリンHDが今期(15年12月期)、半世紀以上に及ぶ上場来初の赤字に転落する見通しとなった。2013年に買収したブラジルのビール子会社の巨額損失が原因だ。日本企業による海外M&Aは今年、金額ベースで初めて10兆円を上回り、過去最高を記録するほど活発になっているが、相変わらずの高値づかみが不安材料だ。


「買収時の見込みが楽観的だった」


 21日記者会見したキリンHDの溝内良輔常務執行役員は、通期連結決算の純損益が560億円の赤字に転落する見通しになったことについて、こう釈明した。


 サッカーW杯前年の13年に、3000億円でブラジルのビール大手「スキンカリオール」を買収。「ブラジルキリン」として事業を展開しているが、経営不振により今期、約1140億円の特別損失を計上する見込みだ。


「ス社は同族経営で、親族の一部が売却に反対。法廷闘争にまで発展した結果、当初2000億円だったキリンの買収額は3000億円に膨らんだ。ライバル会社に猛追される中で、焦って判断を誤ったのだと思います」(「海外大型M&A大失敗の内幕」の著者で経済ジャーナリストの有森隆氏)


■大手生損保、日本郵政、日経も


 21日、リストラ策を発表した東芝も、買収した米原発子会社「ウェスティングハウス」の赤字が不正会計の一端だったとされる。


 国内の人口減少による市場縮小などを背景に、ここ最近、海外M&Aが活発化。特に今年は、金額ベースで10兆円超と過去最高を更新した(レコフ調べ)。しかし、「日本企業の大型海外M&Aの成功率は1割に満たない」(金融関係者)というのが実情。今年の大型案件でも、先行きが懸念されるケースは少なくない。


「今年の海外M&Aで目立つのが生損保です。東京海上HD、三井住友海上、明治安田生命、住友生命が米国や英国の生損保をそれぞれ数千億円で買収、金額ベースのトップ10に入っています。第一生命が昨年、米国の中堅生保を買い、各社を刺激したのでしょうが、今年に入るとみな横並びで海外進出しています」(前出の金融関係者)


 日本郵政が今年2月に6200億円で豪州の物流会社を買収した一件も不安が尽きない。もともと、傘下の赤字の日本郵便が上場のネックとならないよう、海外展開で“お化粧”したとみられているからだ。


 日経新聞の英FT(フィナンシャル・タイムズ)買収も市場に高値づかみとみられている案件だ。買収金額は1600億円だったが、「FTグループの年間の営業利益の35倍」(前出の金融関係者)だという。


「買収にあたって、事業内容や価値をしっかり調査する欧米企業と違い、日本企業は経営トップの判断で決めてしまうことが多い。仲介する外資系投資銀行もそこをよく分かっていて、欧米企業が蹴った案件に厚化粧を施して日本に持ってくるので、だまされ、高値づかみしてしまうのです。そのうえ、高値で買っているから、業績が悪化しても、なかなか撤退できない。撤退すれば買収を決めたトップの経営責任になってしまうからです。そのため、損失がずるずる拡大する悪循環に陥ってしまいます」(有森隆氏=前出)


 外資系投資銀行の関係者は、「来年後半はM&Aに失敗した日本企業を東南アジアや中国に売り込むビジネスができそうだ」なんて囁いているという。日本企業はいつまでたっても外資のカモなのか。



http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/745.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 放置されたままの東電の信じがたい原発事故発表の衝撃  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
17. ボケ老人[255] g3uDUJhWkGw 2015年12月23日 08:31:54 : WK4X1NKyxI : 5woU3wJ8FTM[50]
『深刻なことは、急増する地下汚染水の浄化が間に合わず、海に流さなければ対応できない恐れがあることだ。』

天木氏が本当にこんなことを考えているのなら大甘。
今までずっと垂れ流していた。
ほんの僅か海側遮水壁を作っただけで、汚染水を垂れ流していたことが証明されただけです。

深刻なのはメルトスルーした放射性デブリが大量の地下水によって冷やされて、かろうじて臨界爆発を免れているのではないかと言うことです。
だから東電は地下水の流入抑制をしない。

綱渡り状態が継続しているということです。
阿武隈山系が異常な大干ばつに襲われて地下水位が下がったら大爆発
こんなことにならないことを祈るしかなさそうです。





http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/481.html#c17

コメント [IT12] 中国製iOSアプリ、マルウエアに多数感染 異例のアップル標的  WSJ ダイナモ
8. かっぺたんパッチ[482] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月23日 08:31:57 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[741]
それで、連邦政府に嘘がつけてると
思い上がったりしていて、
ここに事実を書いて、ファイル文書と
同じなのに、割って入り
また、嘘を書いて
みたいに、思うらしいですよ。
私の名前ですが、こうやって
日本人達の犯行について、気持ちの悪い態度で
私が嘘を言ってるで済ませようとしていて、
でもアメリカ人は騙せないですよ。
私もアメリカ人ですからね。

鹿屋の意味がまだ分かってないらしい。

避難民を助けたのも、米軍で、被曝訴訟が
起きてるのは、被曝したからですよ。

どこのバカ日本人が、いつまでもふざけた事を、

泥棒ハッカーが。


http://www.asyura2.com/14/it12/msg/159.html#c8

コメント [原発・フッ素44] ベルギーの原発が内部火災で一時停止 政府が再稼働方針を打ち出したばかり。隣国ドイツの住民から強い抗議(RIEF) 赤かぶ
2. 2015年12月23日 08:33:20 : EmpzeTBIfY : _4LsdWziMeE[2]
レニングラードの方はどうなってんだ!。
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/554.html#c2
コメント [IT12] 中国製iOSアプリ、マルウエアに多数感染 異例のアップル標的  WSJ ダイナモ
9. かっぺたんパッチ[483] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月23日 08:33:36 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[742]
実際、日本人には反米が多く、ハッカーの
動機としては、十分でしょう。


http://www.asyura2.com/14/it12/msg/159.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪人生を変える18分(保証付き)≫緊急事態条項?何それ美味しいの?と言う僕みたいな人に。そもそも総研「そもそも“緊急事態 赤かぶ
2. 2015年12月23日 08:35:22 : IbJqVeiKeQ : v3JblPtBaQM[1]
とってもイイ投稿だ。画像もたくさんだし。

===

番組はマエ振りとは言え

>日本は法治国家だから・・・

とか当たり前用のように言っちゃってw。唇奉仕しすぎわなw。


原発事故と安倍のせいで日本人たくさん死んでとっくに非常事態だよ!



http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/495.html#c2

コメント [戦争b16] シリア北西部で空爆、50人死亡 ロシア軍機か 市場や政府庁舎、住宅街などもにも空爆  日経新聞 ダイナモ
6. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ[792] jJmDbINng0WDiIFBg2yDZ4NUg4g 2015年12月23日 08:36:10 : QAYDYMCpbU : AYFWX2oZaNQ[1]
>2. 仁王像[737] kG2JpJGc 2015年12月21日 20:07:43 : SPPEIx4BZY : pvGBMvc_IuQ[1]
> ロシアの空爆も、米仏のそれと何ら変わるところがない、と見るのが大人の考えだ。

違うね。笑
たしかに空爆だけをみれば同じだが、その根拠、目指すものをみれば違う。
そこをみないで空爆だけを見れば、たしかに同じだが、そうだとすれば、そのような見方は、ただたんに米国金融資本の世界破壊を容認することと同じだ。
なにが正義かではなく、だれが不正を働いているかという視点がないからバカなことばっかりいっていることになるんだよ。
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/674.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK198] 選挙までは大盤振る舞い。おおよそ「一億活躍?」とは関係のないところに3000億円をばらまく…  小沢一郎(事務所) 赤かぶ
4. おじゃま一郎[5022] gqiCtoLhgtyI6phZ 2015年12月23日 08:36:14 : ipqX7XZWIU : g88wH7hmrRs[1]
日本の人口は1億2700万人いるので、1億総活躍なら2700万人は
いらないということである。

この2700万人の中には小沢も含まれる。


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/460.html#c4

コメント [お知らせ・管理21] 2015年12月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
56. 2015年12月23日 08:39:04 : 4OAG5Jdpn6 : lmN1oQvkOoY[15]
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/728.html#c1
のように、投稿文より長いどっかからの文章を全貼りするのは、
なんとかならんもんでしょうか?

こんなのほとんどの人が読み飛ばして、次のコメントを探すのに
邪魔なだけだと思うのですが。
 
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/423.html#c56

コメント [政治・選挙・NHK198] 安倍政治に危機感、天皇は誕生日に何を語るのか? 官邸が強める宮内庁への圧力、安倍ブレーンを使い天皇批判も(リテラ) 赤かぶ
5. 2015年12月23日 08:40:32 : EmpzeTBIfY : _4LsdWziMeE[3]
まあ無事で居てください。
孝明帝をブッ殺してのさばった連中の成れの果てな奴らですから。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/503.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK198] 安倍政治に危機感、天皇は誕生日に何を語るのか? 官邸が強める宮内庁への圧力、安倍ブレーンを使い天皇批判も(リテラ) 赤かぶ
6. 2015年12月23日 08:41:28 : Q1AShcAlNU : YisAsbtyiYk[22]
安部ファシスト首相は、天皇がどんな発言をするかに危機感をいだいていた?
つまり、彼は、罪悪感を覚えながら売国奴政策を推し進めている確信犯だってことだ。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/503.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪衝撃≫東京地区の世論調査で共産党が野党第1党に躍り出る!支持率共産党「4.2%」民主党「3.7%」(東京新聞) 赤かぶ
19. 2015年12月23日 08:41:31 : vibO1DRXCE : 98@y8aqZiiA[4]
無所属で立候補するのが良い、ちゅうことだね。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/459.html#c19
コメント [カルト15] 祝・市民連合発足、衆参は勿論、首長・県議・市議選の全定数に学者を擁立可能な組織、敵は自公ではなくムサシマンサックスです。 小沢内閣待望論
11. 2015年12月23日 08:49:39 : vibO1DRXCE : 98@y8aqZiiA[5]
山本太郎が国会でムサシを追及したら大拍手を送るが、そんな事はなかろうと思う。

http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/480.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK198] 安保法案で志願者激減! 貧困を人質に若者を自衛官にさせる「経済的徴兵制」が現実に…(週プレNEWS) 赤かぶ
2. 戦争とはこういう物[968] kO2RiILGgs2CsYKkgqKCpJWo 2015年12月23日 08:51:35 : 0lfblgLuXc : joWj7kZ@L@I[16]
 徴兵制がありえない、と繰り返した「安倍茶魔君」。ならば学生に研究者無返済の奨学金を復活させればいい。

■すでに奨学金の返還延滞者のデータを収集中? 命が「金」で買われるのか!? 事実上の赤紙「経済徴兵制」を山本太郎議員が追及
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/918.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 04 日 00:30:05: igsppGRN/E9PQ

■<イカンでしょ>奨学金を借りた大学生が「卒業即借金827万5301円」という日本のリアル。
http://www.asyura2.com/15/senkyo195/msg/472.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 10 月 26 日 00:00:05: igsppGRN/E9PQ

メンデルも無返済奨学金が無ければ遺伝の法則発見は無かった。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/499.html#c2

記事 [原発・フッ素44] ≪再稼働≫福井県の西川一誠知事が高浜原発再稼働に同意!運転差し止めを命じた仮処分以外は全て準備完了に!
【再稼働】福井県の西川一誠知事が高浜原発再稼働に同意!運転差し止めを命じた仮処分以外は全て準備完了に!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-9251.html
2015.12.23 05:52 真実を探すブログ







☆高浜原発再稼働、福井知事が同意「すべて条件満たした」
URL http://www.asahi.com/articles/ASHDQ34DYHDQPTIL00J.html
引用: 
 福井県の西川一誠知事は22日、県庁で記者会見し、関西電力高浜原発3、4号機(同県高浜町)の再稼働への同意を表明した。これで地元同意手続きは終わった。新規制基準の審査に合格した原発の再稼働への知事同意は九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)、四国電力伊方原発3号機(愛媛県)に続き3例目。西川知事はこの日夕方に上京し、林幹雄経済産業相に伝える。
:引用終了


以下、ネットの反応


















これで運転の差し止めを求めた地裁の仮処分命令以外は、全てで原発再稼動の同意を得たことになります。仮処分の方は関西電力が異議申し立てを提出していることから、24日にも再稼働の行方が判明する見通しです。


ただ、先の仮処分では福井地裁が「新規制基準は合理性を欠くものである」と断定しており、裁判所側が拒否する可能性もゼロではありません。今のところはどっちに転がっても不思議ではなく、今後も継続して高浜原発再稼働の行く末に注目したいところです。


高浜原発の再稼働同意へ 福井県知事が受け入れ表明(15/12/22)


経産大臣が高浜原発へ 運転巡る司法判断前に懸念も(15/12/20)



http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/558.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 経済・生活苦理由での自殺者が、車事故での死者より多い日本−(孫崎享氏) 赤かぶ
5. 2015年12月23日 08:53:41 : kebDWDUE0w : ujjPUQSxgcY[74]
>04
金融危機は小泉竹中が起こしたのですよ。時価会計、株持ち合い廃止、自己資本比率アップ、これで銀行は倒産状態、株価下落、貸し渋り貸しはがし、外資に銀行を売り渡す、外資は銀行傘下の企業も取り込むそれも日本のお金でエンキャリートレイド、いや見事な売国行為です。ハゲタカファンドの進出、それ以来日本は外資にチュウチュウチュウチュウ生き血を吸われている。何も知らない国民に小泉は外資は悪くないとうそぶいている。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/466.html#c5
コメント [経世済民103] 米刑務所に日本のメーカー幹部が次々に投獄されている 水面下で広がる新たなジャパンバッシング(現代ビジネス) 赤かぶ
4. 唐行きさん[623] k4KNc4KrgrOC8Q 2015年12月23日 08:54:22 : HHzifh7XKM : QXo8lD4ChGg[19]

もともと「植民地支配」の「隷属国家」で、「イカサマ天皇(元首)」と「売国奴(政治家)」と「ウソ糞マスゴミ」の「国」だから、「何」をしても「文句」はない、というか「絶対服従」である!

さっすが・・、「インディアン皆殺し」「アポロ月面宙返りウソ八百」「911」「311」・・の「偉大」なる「宗主国様」!?


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/741.html#c4

コメント [お知らせ・管理21] 2015年12月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
57. 2015年12月23日 08:54:59 : 4OAG5Jdpn6 : lmN1oQvkOoY[16]
56の続きです。
例えば、どうしても自分の意見がないクソ長い文章をコメントしたい人は
フォローに限るとか。
そしたら興味がある人だけそちらを見れば良いわけですし。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/423.html#c57
コメント [国際12] ウクライナ ロシアへの債務支払わず 12月31日デフォルトへ:「ウクライナ対露債務とクリミア半島ロシア再編入の交換」 あっしら
1. 仁王像[741] kG2JpJGc 2015年12月23日 08:59:05 : 55o1eeZvaw : @BhwXwmfdA0[2]
 (読者へ)

 大将がまた面白い茶々を入れてきた。
 大将は、元々ウクライナ危機は「合作内戦」説という陰謀論を唱えてきた。その目的は「クリミア半島と欧州銀行危機回避の交換プログラム」だとしてきた。
 それでは都合がわるくなったのか、今度は「ウクライナ対露債務とクリミア半島ロシア再編入の交換」だと変節してきた。過去説には頬被りしたまま。

 =頬被り主義者  認定

(「ウクライナ危機」を「クリミア半島と欧州銀行危機回避の交換プログラム」だと)
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/216.html#c4


 陰謀論大将に贈る称号群。(大サービス)

 陰謀論者=敗北主義者=民衆不信者=墓穴主義者=超俗物(難物)主義者=頬被り主義者
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/173.html#c1

コメント [経世済民103] 東芝の粉飾を見逃した「新日本監査法人」が存亡の危機 金融庁の厳しい処分がまもなく下る?(現代ビジネス) 赤かぶ
11. 2015年12月23日 09:07:17 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[254]
{7 リンク追加}http://jp.reuters.com/article/angle-audit-company-idJPKBN0U516D20151222?sp=true
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/603.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
1. 2015年12月23日 09:13:57 : ul6csL02Ok : fgwJ9WF8E4o[1]
ネトウヨに餌を与えないでください

ネトウヨの賃金は歩合制、コメントや閲覧数に応じて増える仕組みです

ですからあなたがコメントすればそれはネトウヨの収入になります

そもそも青山なんとかという単語が見えただけで「ああ またいつものか」と
コメントに値しないことがわかるはずです

最近では下流層などを相手にした日本礼賛と嫌韓中のネトウヨ商売も
すっかり市場を吸い尽くしたせいで厳しくなってまいりました。

ゆえにネトウヨのコピペ業務にもこのような宣伝を義務付けるようになったのが最近の傾向のようです

カモにならないようにご注意ください♪
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c1

コメント [音楽17] おばあちゃん ピアノ路上ライブ Lawliet
1. 2015年12月23日 09:16:28 : v11X7OH0q2 : 59pB9Vdulx8[2]
よいね。オレなんぞは、この人の人生について知りたくなりますな。
これ、即興で弾いてるのかな?それとも有名な曲なんすかね。

カメラもステディカムかなんかつけてマジで撮ってますな。
そのわりには、あんまり、うまくないけど・・・(笑)

「とにかくこの人のことを知ってもらいたい!」という
制作者の熱情が伝わってくる、よいビデオクリップ。

労作認定。

では
http://www.asyura2.com/15/music17/msg/131.html#c1

コメント [自然災害21] Re: Hi-net自動処理震源マップのN= の値の変動について taked4700
3. taked4700[4682] dGFrZWQ0NzAw 2015年12月23日 09:22:08 : sTCLzMFDG6 : HUBbxnrIZzg[1]
12月23日(水)

N=9285(9218) です。

Hi-net自動処理震源マップの「日本全国広域」、「最新30日間」、午前09時00分の値です。

「最新7日間」では2120(2105)です。
「最新24時間」ではN=388(313)です。
「最新7日間」で、「神奈川県」はN=92(87) です。「静岡県」は108(113)です。
「最新30日間」では、「神奈川県」N=473(477)、「静岡県」537(543)です。

 東日本で地震が急増しています。茨城県あたりのようすです。「最新24時間」、「東日本」の値が昨日09:30が198、それが本日09:00で288です。かなり危ないと思います。
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/175.html#c3

コメント [戦争b16] シリアをロシアに任せる米国(田中宇の国際ニュース解説) HIMAZIN
1. 2015年12月23日 09:22:46 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[255]
International | 2015年 12月 23日 04:51 JST

米国が対ロシア追加制裁、ウクライナ問題めぐり

〖ワシントン 22日 ロイター〗 - 米政府は22日、ウクライナ東部への介入を続けるロシアに圧力をかける措置の一環として、22人の個人と12の企業に対する制裁措置を導入した。

財務省によると、制裁対象とした個人のうち14人はこれまでに制裁措置の対象となっている人物や企業をほう助、6人はウクライナの親ロシア派、2人はウクライナの前ヤヌコビッチ政権の高官。12の企業にはクリミアに進出したロシアの銀行3行などが含まれる。

財務省は声明で「米国はウクライナ危機の外交的な解決を目指している」とし、ロシアがミンスク停戦合意を完全に順守しない限り制裁措置の緩和には動かないとした。

財務省はまた、 ロシア国営のズベルバンク(SBER.MM)とVTB銀行(VTBR.MM)、および国営ハイテク会社ロシアン・テクノロジーズ(ロステック)が過半数株式を保有する複数の子会社の存在を認識しているとし、すでに制裁対象となっている親会社と同様、こうした子会社も対象とする可能性があるとした。

これについてVTBは、同行はすでに米市場から資金調達はできなくなっているため、子会社に制裁が科されたとしても影響はないとの見解を示した。

ズベルバンクはコメントを控えた。

http://jp.reuters.com/article/us-ru-additional-sanction-ukraine-idJPKBN0U529720151222
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/686.html#c1

コメント [自然災害21] 台風27号が発生。これで1月から12月まで通年で毎月台風が発生。観測史上初。 taked4700
2. 2015年12月23日 09:26:43 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[105]
世界のどこでどんな自然災害が起きるのか 地域別に解説、グローバル企業が備えるべき自然災害リスク
2015.12.23(水) 茂木 寿
海外進出の際は現地の自然災害リスクへの備えが欠かせない(写真はイメージ)
海外進出におけるカントリーリスクとして、地震や台風、噴火、洪水などの自然災害は最大のリスクの1つである。 
図1は、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)が運営する世界的な自然災害のデータベースであるEM-DATから抜粋した「1900年以降の自然災害の発生件数」である。このグラフからは、1970年代以降、急激に自然災害が増加していることが分かる。 
1900年以降の自然災害の発生件数(出所:EM-DAT)
拡大画像表示
この要因には世界的な気候変動の要因も挙げられるが、最大の要因は人口の増加であるとされる。例えば、1970年代初頭、世界の年平均の人口増加率は2%を超え、1900年以降、最高の増加率を記録(1975年当時の世界の人口は約40億人であったが現在では約73.5億人とされている)している。このような急激な人口増加が自然災害増加の要因となっているのだ。 
人口の増加が、なぜ自然災害の増加を助長するのか。その理由は、一般的に自然災害とは「人間に影響を与える自然現象」であるためである。例えば、南極で大規模な地震が発生しても、人に影響を与えない場合には、自然災害とはされていない。そのため、人口増加は直接的に自然災害の増加を助長することとなる。 
世界的に洪水が増加している
災害別にみると、世界的に洪水が大幅に増加している。図表1の細い線が洪水の発生件数(全体の件数の内数)であるが、自然災害の増加傾向とほぼ一致していることが分かる。 
洪水が増加している背景としては、世界的な人口増加の他、下記のような要因が背景として挙げられる。 
・工業化の発達に伴う内陸から沿岸部への人口移動
・沿岸部の都市部の拡大
・沿岸部での土地開発(住宅地・工業団地等)の進展
・沿岸部での道路・港湾等の整備
上記のような要因により、沿岸部の都市部(ほとんどは河川の河口地域)での水はけが悪くなり、洪水が発生しやすくなっていることが最大の要因とされる。一般的に洪水には河川の水かさが増加し、堤防等が決壊する外水型の洪水と水が長時間滞留する内水型の洪水の2種類がある。例えば、東京都市部で毎年のように発生するゲリラ豪雨による道路・住宅地の冠水、2011年秋にタイで発生した洪水等は、この内水型の洪水に分類される。 
近年、新興国における経済発展は目ざましいが、その発展の大部分を沿岸部が支えている。それに伴い、内陸部から沿岸部の大都市への人口移動も拡大している。また、工業団地、住宅地、道路、港湾等の整備も進んでいることは、新興国における内水型洪水の増加を助長しているとされる。 
新興国においては人口増加率が高いことから、当然ながら洪水以外の自然災害も増加傾向となる可能性が高いと見られる。一方、新興国では、防災対策は他のインフラ整備よりも優先順位が低いことが多い。そのため新興国における自然災害リスクは今後も高い傾向が続くことに留意が必要である。 
以下では世界の地域別にどのような自然災害リスクがあるのかを見ていこう。 
アジア地域〜世界で最も自然災害のリスクが高い
アジア地域は地質学的に、太平洋プレート、フィリピンプレート、ユーラシアプレート、オーストラリアプレート、インドプレート、アラビアプレートなどの多くのプレートおよび境界線が存在する。そのため、地震・噴火・津波のリスクが非常に高い地域となっている。 
また、気候帯が多岐にわたることから、台風・サイクロン等の風害のリスクも高く、地域別では世界で最も自然災害のリスクの高い地域とされている(図2参照)。 
図2:自然災害の発生件数(1976〜2005年)、(出所:EM-DAT)
拡大画像表示
国別ではフィリピンでの地震、台風、洪水等の被害、バングラデシュでのサイクロン、洪水などの被害、ベトナムでの台風、洪水などの被害が特筆される。 
大洋州地域〜オーストラリアではサイクロン、トルネードが多発
大洋州地域は、北はパプアニューギニア、西はオーストラリア西海岸、南はオーストラリアのタスマニア島、東は太平洋のクック諸島にわたる地域である。 
地質学的にはオーストラリアプレートがほとんどを占めており、太平洋プレート、ユーラシアプレートとの境界線では地震が発生しているが、それ以外ではほとんど地震は発生していない。一方、大洋州の島嶼国では海水面の上昇に伴い、陸地の浸食・浸水が深刻であり、バヌアツ、トンガ、ソロモン諸島では深刻な事態となっている。 
オーストラリアでは、発生件数ではサイクロン、トルネードなどの風害が最多となっており、次いで洪水、山火事の順位となっている。被災者数および経済的損失においては、干ばつが最大となっている。近年における大規模な災害としては、2009年2月に南部ビクトリア州で発生した山火事(死者181人:オーストラリア史上最悪の森林火災)がある。 
北米地域〜米国南部から東部にかけてハリケーン、竜巻が発生
北米地域では、北のアリューシャン列島からメキシコ沿岸まで北米プレートと太平洋プレートの境界線が延びており、これまでも大規模な地震が発生している。 
米国ではアラスカ州から西海岸にかけて地震、津波、火山噴火などの自然災害が数多く発生している。また、ほぼ全土で洪水、土砂災害も発生している。 
ハリケーン、竜巻は主に米国南部から東海岸にかけて発生し、中西部を中心に干ばつ、熱波、森林火災等が発生している。なお、2005年8月から9月にかけて発生したハリケーンカトリーナでは死者行方不明者が2500人以上、被害総額は1000億ドルを超え、米国の災害史上最悪の災害となった。 
中南米〜歴史上最大級の地震が発生
メキシコ周辺では北米プレート、ココスプレート、カリブプレートの境界線があり、地震の多発地帯となっている。また、南米大陸は南米プレート、ナスカプレート、南極プレートの境界線となっており、世界で最も地震活動の活発な地域となっている。1960年5月22日に発生したチリ地震はM9.5で、歴史上最大級の地震とされている。 
中米ではカリブ海で発生するハリケーンの影響を受けることが多く、メキシコから南米大陸の西部では地震のリスクが非常に高くなっている。 
欧州、ロシア〜シベリア地域で洪水が頻発
欧州では、南部の地中海地方およびシベリア地域の東側以外は地質的に安定しており、地震が発生することは少ない。だが、洪水等が多く発生している。また、欧州全域で暴風等の風害が発生することも多く、発生件数では洪水に次ぐ発生頻度となっている。 
ロシアでは永久凍土が大部分を占めるシベリア地域で春に洪水が起こる他、夏と秋には森林火災が起こることがある。また、東部のサハリン州、カムチャッカ州では火山活動と地震が活発である。 
その他、発生件数は少ないが干ばつ、異常気温、地滑り、風害による被害が発生している。洪水は東部シベリア地域で頻発しているが、南部の穀倉地帯でも初夏に洪水が発生することが多く、自然災害全体では経済的損失額は最大である。ただし、モスクワ、サンクトペテルブルグなどの大都市周辺での自然災害は少ない。 
中東〜トルコの自然災害リスクは地震が突出
アフガニスタンからイラン、トルコにかけては山地となっており、インドプレート、アラビアプレート、アフリカプレート、ユーラシアプレートの境界線があり、地震が発生しやすい地域となっている。特にトルコおよびイランではこれまでも大きな地震が数多く発生している。 
それ以外の地域は、砂漠などの乾燥地帯とそれを取り巻くように高温多湿の地域が広がっている。そのため、自然災害としては地震以外には洪水、砂嵐などが発生している。 
ちなみに、トルコは3つのプレートがぶつかり合う地域に位置しており、国内に多くの断層を持つ地震国である。そのため、トルコにおける自然災害リスクでは地震が突出している。 
近年における大きな地震としては、1999年8月のトルコ大地震(死者1万7000人以上)、1999年11月に北西部のデュズジェで発生した地震(死者800人以上)、2011年10月に東部で発生したトルコ東部地震(死者約600人)がある。 
アフリカ〜干ばつで多くの死者が
アフリカは地質的には大陸全体がアフリカプレート上にある。北部のアラビアプレートおよびユーラシアプレートとの境界線で小規模の地震が発生する場合もあるが、それ以外のほとんどの地域では地震の発生頻度は低い。 
しかしながら、アフリカ東部には大地溝帯(グレートリフトバレー)があり、毎年数センチ広がっている。地溝帯の周辺には活発に活動する火山もあり、これらの地域ではM6クラスの地震が発生する場合もある。 
北部のサハラ砂漠の東側にはナイル川流域、南側にはニジェール川などの大河がある。南部にはコンゴ川もあり、洪水が頻繁に発生している。被災者数では干ばつが最大となっており、死者数も最大となっている。 
(本文中の意見に関する事項については筆者の私見であり、筆者の属する法人等の公式な見解ではありません)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/45585 


http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/161.html#c2

記事 [国際12] ロシア、借金滞納ならウクライナを提訴する恐れ(Forbes JAPAN)

ロシア、借金滞納ならウクライナを提訴する恐れ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151223-00010602-forbes-bus_all
Forbes JAPAN 12月23日(水)9時0分配信


ロシア政府は引き続き、ウクライナ政府の経済再生への取り組みをより難しいものにしている。国営メディアは先週末、ロシアは、ウクライナに対する30億ドル(3,629億円)の融資について返済できないなら提訴する構えだと報じた。

ロシアは調停中のウクライナ政府に対し、12月20までの猶予を与えている。ロシア財務省は5日、米国政府が最近、ウクライナの債務の援助を拒否したことを受け、ロシア政府はウクライナが返済できないとの確信を得たと語った。

財務省は声明で「われわれは今週、米政府から正式にウクライナの債務についての保証を拒否する通知を受けた。この点について、われわれは12月20日までにウクライナが債務を全額返済しなければ、つまり同国の国家債務不履行なら、同国を提訴するほかに選択肢がない」と述べた。

ロシアは旧ソビエト連邦構成国のウクライナが国際通貨基金(IMF)から400億ドルの資金援助パッケージの残りを得られない危険にさらされていることを憂慮する。なぜならウクライナ政府はIMFの要件である2016年の予算を未だに採択していないからだ。

ウクライナ政府はロシアの融資は商業貸し付けで政府債務ではないと反論する。いずれにせよ、ウクライナ政府はロシアの来年から始まる年間10億ドルのリストラ計画を拒否した。これはまたしても両国のこう着状態をもたらす。

両国は2013年から対立している。当時ウクライナ領だった黒海のクリミア半島をロシアが併合したことを受け、西側諸国は14年、ロシアに制裁を課した。米国と欧州は同年7月、より厳しいセクター毎の制裁を課し、ロシアの証券を08年の金融危機以来最低の水準に落ち込ませた。

Kenneth Rapoza


http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/174.html

コメント [原発・フッ素44] 4号機プールから燃料が大気中へ出たと主張されていますが、そうなれ関東地方はひどい被曝となる taked4700
3. 2015年12月23日 09:27:38 : Rcni4TfTpc : SrDSuzp23jo[3]
Takedさんも自分と同じいい年なんだから、こんな所で常識を投稿しても逆切れされるだけ無駄なことは止めようよ。

ここの住民は金属である核燃料棒が空気に触れるだけで気化すると思ってるし、核爆弾と核燃料棒の核分裂連鎖反応が同じだと思ってる。

奇跡的にプールのウランが核爆弾と同じ1億分の1秒で核分裂反応を終結させて核燃料棒を気化するほどの高熱を発したのなら、現場にいた吉田所長以下の作業員が全員即死してるっていうことも判らないんだよ。

こんな議論は2011年の板で終わってるよ。
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/551.html#c3

コメント [議論31] 何と偉大な世界史大変動の時代…「イスラーム資本主義」でなく、「イスラーム風(式)市場経済の政治・経済」ではないか〜 仁王像
2. 仁王像[742] kG2JpJGc 2015年12月23日 09:32:45 : 55o1eeZvaw : @BhwXwmfdA0[3]
 中田氏の言葉を借りれば、
「イスラーム国の誕生は、世界史的事件であることを理解するのは容易なことではない」ということになる。
 実際、阿修羅の陰謀脳たちもついていけないのは諾(むべ)なるかなである。仕方なく陰謀論で理解するしかなくなっている。
 田中宇も、当初はISの誕生を積極的に受け止めていたが、ほどなく陰謀論に転向した。
 (阿修羅でISを積極的に受け止めていると見られるのは、筆者の知る限りダイナモ氏のみ)


(田中宇の陰謀論への転向)
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/462.html#c18

・隠然と現れた新ペルシャ帝国/田中 宇(2014年6月16日 )
 http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/822.html
 投稿者 仁王像 日時 2014 年 6 月 17 日 19:44:22: jdZgmZ21Prm8E

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/329.html#c2

コメント [経世済民103] キリン初の最終赤字、人ごとではない 思わぬ落とし穴に足をすくわれる可能性も(SankeiBiz) 赤かぶ
2. 2015年12月23日 09:34:38 : 1ngw2OuUP6 : xLuLSldPCQk[11]
キリンの失敗は新興国初の世界的流動性危機の前兆だと認識すべきだ。すでに世界規模のバブル崩壊は始まっている。
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/716.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK198] 大田元沖縄県知事「官房機密費50億円を受け取った」爆弾証言(NEWS ポストセブン) 赤かぶ
17. 2015年12月23日 09:34:52 : SZwWhctQGg : K@0yOw5GVOQ[17]
投票箱が透明になればな
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/435.html#c17
コメント [経世済民103] 日本マクドナルド株の売却検討 米本社、商社などに打診(朝日新聞) 赤かぶ
4. 2015年12月23日 09:35:14 : 5cVJ8U32VQ : tlFeu_IWpT0[23]
>>03さん

 追加デス。
 昔、三菱地所がニューヨークのビルを買収して、その後痛い目に遭い撤退しましたね。随分と大金を貢がせられたものと、感心したことを覚えています。(ただ、売却後にはまたニューヨークは不動産ブームとなりその物件は高騰したという記憶です。)
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/733.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK198] 放置されたままの東電の信じがたい原発事故発表の衝撃  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
18. おじゃま一郎[5023] gqiCtoLhgtyI6phZ 2015年12月23日 09:36:52 : ipqX7XZWIU : g88wH7hmrRs[2]
元設計者の田中三彦氏によると格納容器の設計安全率は、
通常の圧力の4倍を取っていが、事故時8倍の圧力がかかった。
しかし報道は圧力容器の破壊はなく、さすが日本製だと絶賛した。

したがって圧力容器の破壊は事故時のものでなく、その後の
経年変化によるものと考えられる。


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/481.html#c18

コメント [カルト15] 安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果です。 小沢内閣待望論
35. 2015年12月23日 09:37:13 : 7Gy9hGsJBY : QiCAYD6zJiU[28]
(9)世界の半数以上が日本からの食品輸入を規制している!

原発と戦争を推進する日本の暴走(9)
2015-12-23
http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-12109264254.html

 2015年4月に台湾が日本の食品の輸入を全面的に禁止すると発表して日本国内を騒がせた。台湾では福島、茨城、栃木、群馬、千葉、5県の食品の輸入をすべて禁止しており、それ以外のものについては自国で検査をしている。これに加えて、日本が出荷する全食品に都道府県別の産地証明を、そして水産品、お茶類、乳幼児向けの食品など特定の品目については放射線検査証明を、それぞれ付けることを申し入れてきたのである。農林水産省のホームページに掲載された「諸外国・地域の規制措置」を見ると、日本からの食品輸入について、台湾のように申し入れをしているのは韓国、中国、シンガポール、香港、マカオ、フィリピン、ブルネイ、ニューカレドニア、レバノン、米国、ボリビア、ブラジル、EU諸国、ロシアなどである。中でも米国は、福島からの放射性物質で汚染されても文句を言わない代わりに、青森、岩手、宮城、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、新潟、山梨、長野、静岡の14県でおよそ100種類の品目について輸入を禁止し、福島、栃木、岩手、宮城群馬の5県の牛乳や乳製品については米国の食品安全基準に違反していないことの証明を添付していれば輸入を許可されることもある、それ以外の都道府県の輸入禁止でない全食品については、自国にてサンプル検査を行う徹底ぶりである。そして、輸入を禁止している食品はないものの、すべての食品に証明書をつけることを求めている国は、インドネシア、アルゼンチン、ポリネシア、アラブ首長国連邦、イラク、オマーン、カタール、クウエート、サウジアラビア、バーレーン、エジプト、コンゴ民主共和国、モロッコである。自国でも検査を強化しているのがインド、パキスタン、ウクライナ、イスラエル、イラン、トルコ、モーリシャスである。

 日本の食品輸入に対して規制が行われているのである。現に、「受け入れられるか」と問えば、「受け入れられない」という答えを多くの国が出しているのである。現在も原子力発電所を稼働している国や核を持っている国、過去に原発事故を起こしている国は、表だって言わないものの、原子力緊急事態宣言を出して4年半たっても解除できない日本に対して疑念を抱き、厳しい目を向けているのである。このような状況下にあって、日本政府は放射線管理区域ほどに汚染された土地に人々を住まわせ、原子力緊急事態宣言を解除しない方針を取り続けるのであれば、被災地の畜産業や農業は破滅してしまう。

 福島原発事故の責任は東京電力にある。(私は、地震兵器で大震災を引き起こした張本人のアメリカにあると考える。) そして、東電に対して福島原発の「安全性を確認した」として設置許可を与えた自民党政権にも大きな責任がある。さらに、原子力マフィア全体にも重い責任がある。日本で生きてきた大人には、原子力の暴走を許し、福島原発事故を防がなかった責任がある。そうであれば、日本人の大人はすべて汚染された食品についても責任があるはずである。ただし、子供たちには罪がないので、子供たちや若い人たちにはできるだけ汚染されていない食品を回すようにすべきである。

 人間が原子炉を動かしたのは1942年の暮れである。マンハッタン計画という米国の原爆製造計画において、プルトニウムという物質を作る必要があったからである。その時から原子炉を動かせば、たくさんの放射性物質が生み出せることが分かってきた。しかし、それは猛毒で無毒化しなければならないこともわかってきたのである。放射能を消して無毒化するという意味であるが、放射能を消滅することではない。長い寿命の放射性物質を短い寿命の放射性物質に換えるだけである。そして73年たったけれど、残念ながら今の科学技術ではできないのである。いつかできるといってここまで来てしまったのである。それゆえ、放射性物質を新たに生み出すことはやめねばならない。つまり、原発をやめることである。そのうえで、膨大な放射性物質を短い半減期のものに換えるための研究を続けていくことが正しい順番である。

http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/477.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK198] 除染で出た土を建設資材にと言いだした環境省、狂っている(まるこ姫の独り言) あきらめない
2. 2015年12月23日 09:37:42 : SZwWhctQGg : K@0yOw5GVOQ[18]
いや環境省の建物にそれ使ってもらわな
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/509.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
1. 2015年12月23日 09:42:20 : VpI9hmhTFQ : d3NhNj5wO8U[3]
天皇陛下82歳 先の戦争を考えて過ごした1年でした
2015年12月23日 東京新聞

 天皇陛下は二十三日、八十二歳の誕生日を迎えられた。これを前に皇居・宮殿で記者会見し、戦後七十年に当たって太平洋戦争の激戦地パラオなどに「慰霊の旅」を続けたこの一年を振り返り、「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした一年だったように思います」と述べた。

 特に強調したのが、軍人以外の多くの人々が戦争で犠牲になったことだった。「平和であったならば有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけで、非常に心が痛みます」と心境を明かし、民間の船舶が軍人や軍用物資の輸送中に攻撃を受け、多数の船員が死亡した史実に言及。

 「制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを、本当に痛ましく思います」と声を震わせるように話した。

 陛下は今年六月、皇后さまと神奈川県横須賀市の県立観音崎公園で開かれた戦没・殉職船員追悼式に出席。公園内の戦没船員の碑に白菊の花束を供えている。

 四月には長年の念願だったパラオ訪問が実現した。会見では日米双方の慰霊碑に供花したことに触れた一方、パラオ近海に沈む無数の不発弾の処理が元海上自衛官により続いていることを指摘。「この海が安全になるまでにはまだ大変な時間がかかる。島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならない」と述べた。

 パラオや中国東北部(旧満州)に入植した人たちが、敗戦後に命からがら引き揚げてきた後も、国内の荒れ地などの開拓に取り組み、生活の基盤を築いてきた苦難の歴史もしのんだ。

 陛下の年齢を考慮して負担軽減を図るため、記者会見の質問数は昨年の二問から今年は一問に減った。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015122302000125.html
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c1

コメント [経世済民103] 米、利上げ 新興国市場への影響をアナリストらが予測(Forbes JAPAN) 赤かぶ
2. 2015年12月23日 09:44:38 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[106]

米国株式市場は続伸、原油上昇とGDP確報値を好感
Business | 2015年 12月 23日 08:23 JST

[ニューヨーク 22日 ロイター] - 米国株式市場は続伸して取引を終えた。原油価格の上昇が買い材料となった。朝方は第3・四半期の実質国内総生産(GDP)確報値が米経済の底堅さを示したことも相場を押し上げた。

ダウ工業株30種平均.DJIは165.65ドル(0.96%)高の1万7417.27ドルで取引を終えた。S&P総合500種指数.SPXは17.82ポイント(0.88%)高の2038.97。ナスダック総合指数.IXICは32.19ポイント(0.65%)高の5001.11だった。北海ブレント原油は約11年ぶりの安値から反発した。ただ過剰供給に対する懸念が根強いほか、ことしは今までで最も暖かい冬となる可能性があり、暖房用油の需要が低迷している。

この日の原油値上がりを受け、S&Pエネルギー株指数.SPNYは1.22%上昇した。エネルギー部門は年明けから約24%下落しており、部門別で最も大幅に落ち込んでいる。

石油大手のシェブロン(CVX.N)は1.2%高だった。

第3・四半期GDPは年率換算で前期比2.0%増だった。改定値の2.1%増からやや下方修正されたが、引き続き米経済が底堅いことを示した。

半導体大手マイクロン・テクノロジー(MU.O)は1.1%安で取引を終えた。取引終了後に発表した第1・四半期(12月3日まで)の決算が軟調だったことが嫌気され、時間外取引では一時2.9%安となる場面もあった。

メキシコ料理チェーンのチポトレ・メキシカン・グリル(CMG.N)は5.2%下落した。米疾病対策センター(CDC)がチポトレにおける新たな大腸菌感染を調査していることを明らかにした。

騰落銘柄数は、ニューヨーク証券取引所では上げ2349で下げ730だった 。ナスダックは上げ1841で下げ1021だった。

米取引所の合算出来高は約64億株で、直近20営業日の平均である75億株を下回った。

終値 前日比 % 始値 高値 安値 コード

ダウ工業株30種 17417.27 +165.65 +0.96 17253.55 17451.11 17242.86 .DJI

前営業日終値 17251.62

ナスダック総合 5001.11 +32.19 +0.65 4988.68 5007.77 4964.08 .IXIC

前営業日終値 4968.92

S&P総合500種 2038.97 +17.82 +0.88 2023.15 2042.74 2020.49 .SPX

前営業日終値 2021.15
http://jp.reuters.com/article/ny-stx-us-close-idJPKBN0U52G220151222


米国株(22日):続伸、商品株に買い−GDPは消費の堅調さ示す (1)
2015/12/23 07:38 JST

    (ブルームバーグ):22日の米株式相場は続伸。商品株の上昇をきっかけに、業種を越えて買いが広がった。海外で成長が減速する中、朝方発表された米実質国内総生産(GDP)では個人消費の拡大が成長に寄与したことが示された。
この日は、今年最も下げた業種であるエネルギーと素材が上げの中心となった。キャタピラーは4.9%高。指標で個人消費の堅調さが示されたことを手掛かりにウォルマート・ストアーズは1.7%上昇。一方でメキシコ料理チェーンのチポトレ・メキシカン・グリルは下落。新たに3州で病原性大腸菌の感染が確認され、当局の調査を受けていることが嫌気された。
S&P500種株価指数は前日比0.9%高の2038.97。ダウ工業株30種平均は165.65ドル(1%)上げて17417.27ドル。
ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズの米インターミディアリー・ビジネスで最高投資ストラテジストを務めるマイケル・アローン氏は、「これで今年の主要なデータの大半は発表された。売買高は減少が続くだろう」と指摘。GDPのデータについては、「これまでと同様の状況を引き続き示している。つまり消費はまずまず堅調で、輸出は厳しい状況が続いているということだ」と述べた。
米商務省の発表によると、7−9月(第3四半期)の実質GDP確定値は前期比年率2%増加。個人消費の拡大が寄与した。一方で海外の成長減速やドル高で純輸出は悪影響を被り、企業には厳しい状況となった。米国が成長を維持している一方で、中国などの海外市場が減速していることから米国の輸出入の格差がこの先一段と大きくなる可能性がある。
サンタクロース・ラリー
歴史的に見て、S&P500種は12月に上昇する。最後の2週間は平均1.7%高だ。ただ今年は、いわゆるこのサンタクロース・ラリーが厳しい状況となっている。S&P500種は今月に入りこれまで2%安。このままいけば12月としては2002年以降で最悪のパフォーマンスとなる。S&P500種は今夏の安値から11月初めにかけて最大13%戻した後は3.4%下げており、このままいけば年間では2008年の金融危機以降で最大の下げとなる。
経済指標では今週このほか、新築住宅販売件数や製造業耐久財受注、個人消費支出などが発表され、経済情勢についてさらなる手掛かりが得られる見通しだ。
この日発表された11月の米中古住宅販売は前月から大きく減少し、昨年4月以来の低水準となった。住宅業界の規制変更に伴い、住宅購入の契約書を交わしてから所有権の移転が完了するまでの時間が長くなったことが影響した。
シカゴ・オプション取引所(CBOE)のボラティリティ指数(VIX)は11%低下し16.60と、2週間ぶり低水準。
幅広く上昇
S&P500種の業種別10指数は全て上昇。特にエネルギー、生活必需品、資本財・サービス、素材が大きく上げた。アナダルコ・ペトロリアムやダイアモンド・オフショア・ドリリングが高い。
キャタピラーは10月5日以来で最大の上げ。同社株は年初以降では25%安と、ダウ平均では最もパフォーマンスの悪い銘柄の一つとなっている。
生活必需品ではホールフーズ・マーケットが5.5%上昇。年初来では31%安と、このままいけば08年以降で最悪の下げ。
チポトレは5.3%安。過去8営業日で7回目の下落となった。月初来では約15%下げている。
このほかストレージ・メーカーのネットアップは5%安。同社はフラッシュストレージ・システムを手掛ける米ソリッドファイアーを現金8億7000万ドル(約1050億円)で買収することで合意した。
原題:U.S. Stocks Rise as Commodity Shares Gain With Oil Amid GDP Data(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ニューヨーク Lu Wang lwang8@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先: Cecile Vannucci cvannucci1@bloomberg.net Roxana Zega
更新日時: 2015/12/23 07:38 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NZS34C6VDKHW01.html


NY外為(22日):ドル下落、月間ベースで4カ月ぶりの下げ (1)
2015/12/23 07:46 JST

    (ブルームバーグ):22日のニューヨーク外国為替市場はドル指数が低下。月間ベースでは4月以来の大幅安となっている。11月までの3カ月は上昇だった。投資家は米金融政策当局による利上げが緩やかなペースになると見込んでいることが背景だ。
ドルは月初から約2%下落。2014年半ばからは約23%上げている。先物取引動向を基にブルームバーグがまとめたデータによると、トレーダーは4月までに利上げする確率を54%織り込んでいる。イエレン米連邦準備制度理事会(FRB)議長は追加利上げについては漸進的なアプローチを取る姿勢を示している。
アマースト・ピアポント・セキュリティーズ(コネティカット州スタンフォード)のストラテジスト、ロバート・シンチ氏は年末が近づくにつれてトレーダーがポジションを手じまっており、それもドル安の要因となっていると指摘する。米金融当局が利上げを実施した一方で、他国の中央銀行は追加刺激策を講じており、投資家は円やユーロ、ポンド、カナダ・ドルに対するドル上昇を見込んでいた。
シンチ氏は「年末が迫り、トレーダーはある程度ポジションを手じまっている。これから新たにポジションを取る市場参加者はあまりいない。それが対ユーロでのドル安を招いている」と述べ、「米国と各国の金融政策の乖離(かいり)は今後も拡大するだろう。しかしその影響は米当局が次の行動を起こすまでは表れない」ことから、ドルはそれまで支援材料不足となるだろうと続けた。
ニューヨーク時間午後5時現在、インターコンチネ ンタル取引所(ICE)のドル指数は0.2%低下。ドルは対ユーロで0.4%下げて1ユーロ=1.0957ドル。対円では0.1%安の1ドル=121円07銭。
過去3カ月間のドルは米国と他国の金利政策の違いが支援材料となっていた。米金融政策当局が利上げ軌道にあるのに対し、欧州中央銀行(ECB)はより緩和的な金融政策を継続する可能性が高い。
ただ投資家の間では米当局が予想する来年4度の利上げを実施できるのかどうかを疑問視されている。商品価格が下落し、世界経済の先行き見通しが不透明になっていることが背景だ。
コメルツバンクの通貨ストラテジスト、トゥ・ラン・ニュエン氏 (フランクフルト在勤)は「米連邦公開市場委員会(FOMC)の会合まではドルに強い勢いがあったが、それが今は失速している」と述べた。
原題:Dollar Poised to Snap Three-Month Rally as Gradual Fed Pace Seen(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ニューヨーク Andrea Wong awong268@bloomberg.net;ロンドン Anooja Debnath adebnath@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先: Boris Korby bkorby1@bloomberg.net Yvonne Man, Candice Zachariahs
更新日時: 2015/12/23 07:46 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NZS1EJ6VDKHY01.html
ドルに利食い、資源国通貨は原油価格安定で上昇=NY市場

[ニューヨーク 22日 ロイター] - ニューヨーク外為市場ではドルが主要通貨に対して下落した。朝方発表された11月の米中古住宅販売戸数が大きく減少したことに加え、前週の米利上げを受け上昇していたドルに対し利食い売りが出たことが背景。

終盤の取引でドル/円JPY=は0.1%安の121.00円、ユーロ/ドルEUR=は0.5%高の1.0963ドル、ユーロ/円EURJPY=は0.3%高の132.68円で推移している。

ドルの主要6通貨に対するドル指数.DXYは0.21%下落の98.163。3日続落し、一時は98.02近辺にある50日移動平均を下回った。

みずほコーポレート銀行(ニューヨーク)のシレーン・ハラーリ氏は、「FRBの利上げが過去の出来事となった途端にドルのロングポジション解消の動きが出始めた」と述べた。

ただ、RBS証券(コネチカット州スタンフォード)の外為ストラテジスト、ブライアン・デインジャーフィールド氏は「米経済が良好に推移する限り、ドル高トレンドは続く」との見方を示した。

商務省が朝方発表した第3・四半期の国内総生産(GDP)確報値は、年率換算で前期比2.0%増と、改定値の2.1%増からやや下方修正されたものの、市場予想の1.9%増は上回った。

一方、全米リアルター協会(NAR)発表の11月の米中古住宅販売は年率換算で前月比10.5%減の476万戸と、2010年7月以来の大幅な減少となるなど、米経済成長が軌道に乗るまで課題もあることが示唆された。

原油価格が下げ止まったことで豪ドルやニュージーランドドルなどの資源国通貨は上昇。終盤の取引で豪ドル/米ドルAUD=D4は0.7299ドル、ニュージーランド(NZ)/米ドルNZD=D4は0.6806ドルと、それぞれ約0.5%上昇している。

人民元CNH=は対ドルでやや上昇。ドル/オフショア人民元は0.3%高の6.5281元となり、8月の人民元切り下げ以来の安値からやや戻した。

ドル/円 NY時間終値 121.06/121.08

前営業日終値 121.15

ユーロ/ドル NY時間終値 1.0952/1.0953

前営業日終値 1.0916
http://jp.reuters.com/article/ny-forex-close-idJPKBN0U52E020151222



米国債(22日):反落、物価圧力の強まりや原油相場の上昇で (1)
2015/12/23 07:55 JST
    (ブルームバーグ):22日の米国債相場は反落。16日に米連邦公開市場委員会(FOMC)が政策金利を引き上げて以来初めて下げた。消費者物価やエネルギー価格の上昇期待が国債売りの背景にある。
今年7−9月(第3四半期)の米実質国内総生産(GDP)確定値の個人消費支出(PCE)価格指数は、食料と燃料を除くコアベースで改定値から上方修正された。アトランタ連銀のロックハート総裁は21日のラジオインタビューで追加利上げについて話し、今後1年に4回のペースを示唆した。これは金利先物市場が示唆するペースの2倍に相当する。この日はニューヨーク原油相場が上昇し、デフレ懸念が弱まったことも売り材料。
TDセキュリティーズの米金利ストラテジスト、ジェナディ・ゴールドバーグ氏は「経済指標で動きがあった。低インフレをめぐる懸念が広がっていることを思えば、統計はやや前向きな材料だ」と指摘した。
ブルームバーグ・ボンド・トレーダーによれば、ニューヨーク時間午後5時現在、10年債利回りは前日比4ベーシスポイント(bp、 1bp=0.01%)上昇の2.24%。同年債(表面利率2.25%、2025年11月償還)価格は12/32下げて100 1/8。
23日には11月の個人消費支出や12月のミシガン大学消費者マインド指数のインフレ期待が発表される。インフレ加速の兆候が出てくれば、金融当局が利上げに一段と積極的になり、米国債価格の下げがきつくなる可能性がある。クリスマスの祝日を控え、商いは薄かった。米証券業金融市場協会(SIFMA)の勧告に基づき、24日の米債券市場は短縮取引、25日は休場となる。
ゴールドバーグ氏は「年末ではない通常の時なら、相場はこれほど動かなかっただろう」と述べ、薄商いが「ボラティリティを高めた」と話した。
通常国債とインフレ連動国債(TIPS)の利回り差から判断すると、制御不能な物価上昇を予想するトレーダーはほとんどいない。同利回り差が示す今後5年のインフレ期待は年1.19%。過去数カ月、同利回り差は原油価格につれて縮小している。
ブルームバーグがまとめたデータによると、金利先物市場は来年に利上げが2回実施されることを織り込んでいる。4月までの追加利上げの確率は54%、6月までの確率は70%となっている。この算出は次の利上げ後に実効フェデラルファンド(FF)金利が新たな誘導目標レンジの中央になるとの仮定に基づく。市場の織り込んでいる利上げペースは、ロックハート総裁の見解やFOMCの予測中央値が示したペースの半分。
ゴールドバーグ氏は「市場はなおも利上げの具体的な影響や来年の利上げ回数を推し量ろうとしている」と述べた。
原題:Treasuries Drop on Quicker Price Growth, Rebound in Oil Prices(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ニューヨーク Alexandra Scaggs ascaggs@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先: Boris Korby bkorby1@bloomberg.net
更新日時: 2015/12/23 07:55 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NZS1P26VDKHS01.html

NY原油(22日):上昇、1月以降で初めてブレントを上回る
2015/12/23 06:19 JST
    (ブルームバーグ):22日のニューヨーク原油市場でウェスト・テキサス・インターミディエート(WTI)先物は上昇し、1月以降で初めてロンドンの北海ブレント原油先物を上回った。米国産原油の輸出解禁で国内の供給超過が緩和されるとの見方が背景にある。
ストラテジック・エナジー・アンド・エコノミック・リサーチ(マサチューセッツ州ウィンチェスター)のマイケル・リンチ社長は「スプレッドが変化したのは輸出解禁が少なくとも一因となっているはずだ」と指摘。「この先スプレッドはいずれの方向にも細かく変動するだろう」と述べた。
ニューヨーク商業取引所(NYMEX)のWTI先物2月限は前日比33セント(0.92%)高い1バレル=36.14ドルで終了。
ロンドンICEのブレント2月限は24セント(0.7%)下げて36.11ドルで終了。WTIはブレントに対して3セントのプレミアムとなった。
原題:Oil in New York at Premium to Brent for First Time Since January(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ニューヨーク Mark Shenk mshenk1@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先: David Marino dmarino4@bloomberg.net Rakteem Katakey
更新日時: 2015/12/23 06:19 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NZS2UK6JIJUO01.html



11月米中古住宅販売、2010年7月以来の下落率

[ワシントン 22日 ロイター] - 全米リアルター協会(NAR)が22日に発表した11月の米中古住宅販売は年率換算で前月比10.5%減の476万戸で、2010年7月以来の大きな下落率となった。市場予想の535万戸を下回った。住宅購入に伴う新たな規制が影響した可能性がある。

10月の数字は当初発表の536万戸から532万戸に下方修正された。

住宅市場の堅調さはことしの米経済を大きく押し上げてきた。雇用市場が引き締まり、低金利が続く中、若年層が独立して家を購入する傾向が強まっていた。

BMOキャピタル・マーケッツ(トロント)のシニアエコノミスト、サル・グアティエリ氏は「需要動向に変化があったわけではない」とし、減少の理由として販売手続きの変更を指摘。失業率の低下や住宅ローン金利が低水準にとどまっていることなどを挙げ、「住宅市場の基礎的条件が引き続き良好であることを踏まえると、12月に販売が急反発する可能性もある」と述べた。

NARのチーフエコノミスト、ローレンス・ユン氏は、住宅購入時の書類手続きを簡素化することを目的に10月から導入された規則が、11月の落ち込みの主な要因だろうと述べ、銀行や不動産会社が新たに義務付けられた書類を使って取引をすることに慎重だったようだとした。

ユン氏は住宅の急激な値上がりと在庫不足が販売を抑制した可能性があるとも述べた。住宅の中間価格は22万300ドルと前年同月比で6.3%上昇した。地域別ではいずれも落ち込み、西部が13.9%、南部が6.2%、中西部が15.4%、北東部が9.2%とそれぞれマイナスになった。
http://jp.reuters.com/article/nov-us-existing-home-sale-idJPKBN0U528T20151222


中国、サプライサイドの経済改革を重視

中国共産党はレーガン米元大統領と英サッチャー政権が実施したサプライサイド重視の経済改革を取り入れ始めたもようだ PHOTO: WALT ZEBOSKI/ASSOCIATED PRESS
By JON HILSENRATH
2015 年 12 月 23 日 03:08 JST

 中国の政府当局者は欧米諸国がここ数年ほとんど役立ててこなかった政策を試そうとしている。国内のサプライサイド(供給側)を重視する経済改革だ。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のリンリン・ウェイ記者(北京在勤)は、中国政府が公表した2016年の同国経済の青写真には減税計画が含まれ、財政支出の拡大を押し進めた従来政策からの方針転換をうかがわせていると指摘する。青写真は企業のコスト負担引き下げも視野に入れている。

 レーガン元米大統領と英サッチャー政権下で実施された改革に欧米諸国があまり注目していない現在、中国共産党が少しばかりそうした処方を試そうとするのはいったいなぜか。

 実際のところ、サプライサイドの経済改革はまさに今、欧米諸国が必要としているものかもしれない。だがそれは減税と規制緩和を掲げる米共和党の典型的モデルを必ずしも意味するわけではない。その意味するところは、先進国の潜在成長力が生産性と労働人口の伸び率鈍化や設備投資の低迷により抑制されているということで、すなわち経済における生産性の高い労働力と資本の供給が課題になるということだ。

 支出と投資の底上げを狙う低金利政策を通じた需要喚起は、供給側の改善には大した効果を出してこなかった。欧米諸国に必要なのは投資の拡大や労働参加率と生産性の伸びを加速させる取り組みだ。

 これは税制改革あるいは優れた規制緩和といった共和党が好む施策で実現する可能性がある。民主・共和両党に関心の高い教育改革、あるいは民主党が推す賢明なインフラ支出も手段となり得る。大統領選の年を迎えようとする中、両党がこうした策をあまり議論していないのは残念な限りだ。
http://si.wsj.net/public/resources/images/BN-LR684_CAPJOU_M_20151214102546.jpg

中国がエリート教育見直し 西側の価値観浸透警戒し留学コース抑制
ENLARGE
上海のエリート校で海外留学のために準備することを目指すコースを受ける生徒たち PHOTO: PETER PARKS/AGENCE FRANCE-PRESSE/GETTY IMAGES
By
TE-PING CHEN
2015 年 12 月 22 日 16:26 JST
 【北京】中国政府は公立学校で提供している留学準備コースの締め付けに動いている。教育を通じて西側の価値観が広まることに対する政府の懸念が改めて示された。

 北京中心部にある北京市第4中学(日本の中学・高校に相当)でもこの傾向は明らかだ。北京4中は国内の多数の学校と同じく、卒業後に海外での学位取得を希望する生徒のための国際コースを設置している。

 しかし、国際コースの責任者、石国鵬氏は、最近当局から北京4中に対し、国際コースを郊外に移転させて、公立学校である4中から分離するよう要請があったことを明らかにした。学校側はこれに同意。石氏によると、国際コースは来年、郊外に移される予定で、授業料も値上げされる可能性がある。生徒が集まりにくくなるかもしれない。


 石氏は「官僚の中には多くの生徒が海外に留学することを望まないものもいる」と話す。
 市内の学校を監督する北京市教育委員会にコメントを要請したが、回答はなかった。

左:海外留学する中国人学生は急増している、右:特に米国に留学する学生が多い


 中国の研究者で教育コンサルタントの江学勤氏によると、中国ではこの10年の間に、国際競争力のある生徒を育てる意向を持つ教育省の支持を受けて、国際コースが成功を収めた。しかし、西洋式の教育を推進することで中国の教育システムが損なわれつつあるという習近平国家主席の懸念を反映して、考え方に変化が起きた。公立学校の学生と高い授業料を払う余裕のあるコースの生徒間で不平等が広がっていると懸念する人も多い。

 国営メディアの報道によると、北京では国際コースの承認が停止された。上海では一部の国際コースが授業料を普通の学校と同水準まで削減するよう命じられた。

 上海にある国際コースの責任者は「国際教育は推奨されなくなっている」と語った。「政府はコースの閉鎖を求めることはないかもしれないが、遠回しに『やめなさい』と言っている」。

 上海市教育委員会は国際コースについて、中国の教育システムの向上に役立つかもしれないが、中国史や道徳教育などの必須科目も教えなければならないとの見解を示した。

 政府が方針を転換した背景には、海外に留学する生徒が増えていることがある。中国の公式統計によると、昨年、海外で学んだ中国人学生は45万9800人で、10年前の11万4682人から大幅に増加し、海外に向かった生徒の数は11%増えた。

 教育コンサルタントの江氏によると、中国政府は生徒の海外流出を「国内の学校では不十分」という警告と受け止めている。しかも、海外に留学する生徒が増えるということは、共産党が重視する価値観と矛盾する価値観や生活様式に触れる人が増えるということだ。

 「政治的にはソフトパワーが問題になっている」と江氏は言う。「習近平国家主席が唱える『中国の夢』のそもそもの目的は海外で存在感を発揮する強い中国を実現することにあった。中国は自国を米国に匹敵する存在と考えていて、自国のエリートが主流から外れた道を開拓するのを許しておくわけにはいかない」。

 タイムズ・ハイヤー・エデュケーションの最新の世界大学ランキングによると、中国の21の大学がアジアの上位100位に入り、日本の19大学を抜いてアジアでトップに立った。しかし、多くの中国人はエリート校に入れるわけではない。

 北京4中の石氏など一部の人々は政府が心配するのも無理はないと受け止めている。国際コースは公立学校の構内に設置されており、公立学校の教員が国際コースで教えることもある。そのため、国際コースの恩恵を受けない生徒の親の中には反感を持つ人もいる。

 多くの場合、学校は海外のパートナー校や外部の企業の支援を受けて国際コースを設置する。国際コースは既存の施設に設置されるが、独立した組織として運営される。授業料は普通の学校より高く、そのおかげで外国人を含む多くの教員を確保できる。北京4中の国際コースの授業料は年間10万元(約187万円)、通常のコースは1学期で800元だ。

 北京市第35中学の国際コースを今年卒業したサラ・リーさん(18)は、出稼ぎ労働者の子ども向けの地元の学校でボランティアをするなど普通の学校では持てない機会が得られたとし、「どうすれば率先して行動できるかを学ぶことができた」と話す。
 教育専門家によると、当局は中国の一流大学の1つである北京大学とつながりのある北京大学付属中学などの学校に特に注意しているという。

 北京大学付属中学の国際コースの人文分野のコーディネーター、ジェシー・フィールド氏によると、教員がコースの責任者によって集められ、民族政策や人権など慎重な扱いが必要な問題には触れないようとの指示を受けた。

 コースの責任者にコメントを要請したが、回答は得られなかった。
 3年前からこの学校に勤務しているフィールド氏は「今までは大胆に、自由にやるようにと言われていた」と話す。「これからはもっと閉鎖的で冷たい雰囲気になるだろう。教員はもっと気を付けなければならなくなる」。

 中国政府は将来的には多くの生徒が国内にとどまって、海外からも生徒を集めることができるように、大学に多額の予算を投入するなど教育システムの改善に取り組んでいる。
 しかし、アナリストによると、政府は国際コースに通う生徒が国内のカリキュラムを学ばないことに不安を感じている。

 21世紀教育研究院(北京)の王雄副院長 は「(政府は)間違いなくこうした現象を懸念している」と話す。王氏によると、中国では中国史を学び、愛国者になるように学ぶことは国民の義務なのに、それが失われつつあることに政府は不安を感じているという。

関連記事
? 中国人生徒、米の学校で急増 5年前の4倍
? 中国の清華大学、米MIT抑え世界ランク1位
? 儒教の教えは幼児から−伝統文化重視する中国

http://si.wsj.net/public/resources/images/OJ-AD859B_CDRAI_16U_20151216063610.jpg 


何が変わった、米7-9月期GDP確報値を読み解く

By KATE DAVIDSON
2015 年 12 月 23 日 08:41 JST

 米商務省が22日発表した7-9月期の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)確報値は前期比年率2.0%増と、改定値の2.1%増から小幅に下方修正された。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)がまとめたエコノミスト予想は1.9%増だった。これは足元の景気回復を象徴する精彩に欠けた緩やかな成長ペースと一致する。10-12月期のGDP速報値は来年1月29日に公表される。

 在庫が一段と足かせに

 最新のGDP統計でもやはり、変化が見られたのは不安定な企業在庫の項目だ。22日発表された企業在庫は改定値から一段と縮小し、7-9月期の成長率を0.71ポイント押し下げた。ただし、これは在庫縮小を受けここ2?3カ月に企業の新規受注が増えた公算が大きいことを意味するため、10-12月期のGDPを押し上げる可能性もある。

 ドル高と原油安が輸出入を圧迫

 ドル高と世界的な需要減退、国際商品(コモディティー)相場の急落は7-9月期の輸出入を従来の推計以上に圧迫した。確報値の輸出は0.7%増で、改定値の0.9%増から減速した一方、輸入は2.3%増(改定値は2.1%増)に拡大した。GDP全体への純輸出の寄与度はマイナス0.26ポイントとなり、改定値に対するマイナス0.22ポイントより下振れ幅が広がった。

 国内民間需要は安定的

 米連邦準備制度理事会(FRB)のイエレン議長が今月その重要性を指摘し、今回のGDPで更新された民間最終消費支出からは、広義のGDP成長率そのものが示すより米経済が好調である様子が読み取れる。政府支出や在庫変動、輸出を除いた国内の企業及び家計の支出と投資を測る民間最終消費は7-9月期に3.2%増となり、改定値の3.1%増から改善した。

 企業投資は上向く

 7-9月期の企業の設備投資は前回推計を上回る増加となった。構造物や機器、知的財産など企業の設備投資の指標となる非住宅設備投資は2.6%増と改定値の2.4%増から上方修正されたが、4-6月期の4.1%増を依然として大きく下回る。上方修正の主因となった機器投資は9.9%増加し、14年7-9月期以来の大幅増を記録した。
http://jp.wsj.com/articles/SB10042852630784164445404581432683394008942

米GDP確定値:7−9月期は2%増、個人消費がけん引
2015/12/23 00:30 JST
  (ブルームバーグ):今年7−9月(第3四半期)の米実質国内総生産(GDP)確定値は前期比年率2%増加した。個人消費の拡大が寄与した。その一方で輸出は伸び悩んだ。
米商務省の22日発表によると、第2四半期のGDPは3.9%増。ブルームバーグがまとめたエコノミスト76人の予想中央値は1.9%増だった。GDP改定値は2.1%増加だった。
項目別では在庫投資が改定値から下方修正され、マイナス寄与が拡大した。個人消費は改定値からほぼ変わらず。
海外の成長鈍化とドル上昇に伴い、純輸出のマイナス寄与度は0.3ポイントと、改定値の0.2ポイントから拡大した。米国が成長を維持している一方で、中国などの海外市場が減速していることから米国の輸出入の格差がこの先一段と大きくなる可能性がある。
在庫の寄与度はマイナス0.7ポイント、改定値のマイナス0.6ポイントから下方修正された。
企業の機器投資は前期比年率9.9%増と、GDPに0.6ポイントのプラス寄与となった。個人消費は3%増で、GDPへの寄与度は2ポイントだった。  
統計内容の詳細は表をご覧下さい
原題:Economy Grew 2% in Third Quarter, Led by U.S. Consumer Spending(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ワシントン Michelle Jamrisko mjamrisko@bloomberg.net
更新日時: 2015/12/23 00:30 JST

第3四半期米GDP確報値やや下方修正、堅調さ維持

[ワシントン 22日 ロイター] - 米商務省が22日発表した第3・四半期の国内総生産(GDP)確報値は、年率換算で前期比2.0%増と、改定値の2.1%増からやや下方修正された。市場予想は1.9%増だった。

第2・四半期の3.9%増からは減速したものの、潜在成長率に近い水準は確保した。在庫の解消で企業活動が鈍ってはいるが、個人消費や企業投資は好調で米経済の底堅さを示した。

米連邦準備理事会(FRB)は16日、翌日物金利の指標であるフェデラルファンド(FF)レートの誘導目標を25ベーシスポイント(bp)引き上げ、年0.25−0.50%とした。利上げは9年半ぶりで、世界的な需要鈍化やドル高、エネルギー業界の投資削減などの逆風の中でも米経済への自信を示した。

MUFGユニオンバンク(ニューヨーク)の首席エコノミスト、クリス・ラプキー氏は「今回の結果はFRBの利上げ開始を正当化するもので、2016年初頭の追加利上げに道を開くものとなった」と述べた。

所得面から経済活動を把握する国内総所得(GDI)は、改定値の3.1%増から2.7%増に修正された。企業利益の下方修正が響いた。

在庫投資は855億ドルと、改定値の902億ドルから下方修正された。GDPを0.71%ポイント押し下げたことになり、改定値の0.59%ポイントと比べ、マイナス方向に寄与度が拡大した。

ことしの上半期は在庫増加が過去最高となった。売れ残った商品が積み上がり、企業は在庫を増やすことを控えた。その後も在庫は高い水準にあり、第4・四半期も経済活動の重しとなる見込みだ。市場は第4・四半期のGDPを約2%増と予想している。

JPモルガン(ニューヨーク)のエコノミスト、マイケル・フェローリ氏は「在庫積み上げペースは依然として高水準にあり、今後も経済活動の重しとなると予想される」とし、来年第1・四半期に入っても経済活動の抑制要因になる可能性があるとの見方を示した。

GDPの3分の2以上を占める個人消費支出は3.0%増で、改定値から変わらなかった。サービス消費が下方修正される一方、モノの消費が上方修正された。

雇用市場が引き締まり、住宅価格も上昇していることが個人消費の追い風となっている。貯蓄は3年ぶりの高水準にある。低インフレも消費を促進している。

機器の設備投資は9.9%増と、改定値の9.5%増から上方修正された。

ドル高や世界的な需要低迷が重しとなっている輸出は0.7%増に下方修正された。輸入の上方修正された結果、貿易のGDPへの寄与度はマイナス0.26ポイントに押し下げ幅が拡大した。

貿易と在庫、政府支出を除いた国内民間需要は3.2%増で、0.1%ポイント上方修正された。

住宅以外のインフラ投資はやや下方修正された。原油安に伴うエネルギー関連企業の投資削減が続いていることを示した。

企業の税引き後利益は1.7%減。改定値の1.6%減から修正された。前年同期比は8.2%減と、改定値の8.1%減と比べてマイナス幅が拡大した。2008年の第4・四半期以来の大幅な落ち込みで、ドル高や原油安が重しとなっている。
http://jp.reuters.com/article/q3-final-us-gdp-idJPKBN0U51XA20151222?sp=true



http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/730.html#c2

コメント [戦争b16] <必見>NHKスペシャル「新・映像の世紀〜時代は独裁者を求めた」が凄い!ヒトラーを誕生させた歴史的背景を描写! 赤かぶ
20. 2015年12月23日 09:46:30 : Sjz1nvXnYM : MOZ7Tl6Mres[53]
ヒットラーは生きていた、国民に徹底抗戦を呼びかけ飛行機でベルリンを脱出
潜水艦で逃避行、しかし行き当たりの脱出ではなく計画されたものだった。
長い間それを隠し自殺に見せかけ通せたのはヒットラーを糾弾してる者達と
ヒットラーを援助してる者達の根が同じだからでしかない。


http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/675.html#c20

コメント [原発・フッ素44] 浪江町内の保管自動車撤去へ 環境省 (福島民報) 魑魅魍魎男
1. 2015年12月23日 09:48:15 : lv7vbj53vM : R5TUbJyqZ1g[128]
車の中古部品は十分に気をつけないと危険です。

https://twitter.com/tee21c/status/677659137229135874
「@etosha0824 @Tanisennzo 氏素性の明らかな中古部品はこういうとこへ↓。
得体の知れない部品はヤフオク等に流れると考えます。
NGP、自動車用リユース部品のダイレクト販売をAmazonで開始 2015年7月6日response.jp/article/2015/0…」

http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/557.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
2. 2015年12月23日 09:52:22 : yBQkrRTumA : UvxNb8gKnf4[52]

 世界最古の王朝である事は確かだろうね〜〜〜  天皇家という名前については

 ===

 天皇家は 失われたユダヤの10氏族が ユダヤからインド・中国揚子江・大阪なんば に上陸した

 ユダヤは「弱いから逃げた民族」で 本来 戦争に強くない民族である!!

 日本民族は 弱い民族だから「好戦的ではない」という事で 知恵で生きてきた

 弱い = 従順 = 勤勉 = 優秀  という事になる

 強い = 好戦的 = 勝利者 = 優秀 と考えると 優秀という意味は

 どのようにでも 解釈できる

 弱いから 優秀であるのと 強いから 優秀であるのと 混ざってしまうのだ

 勤勉 = 優秀 = 勝利者 = 強い となると 戦争を選ぶ国民になってしまう

 ===

 日本人が「優秀である」と勘違いする事が「間違いの元」なのだ

 ===

 アメリカが「強い国家」である事を 世界中で実行して 世界の平和は壊された

 勝つことがよいのではなく 「弱い事を認識」する事が重要なのだ
 
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c2

コメント [原発・フッ素44] 4号機全燃料放出というUSNRC報告は、事故直後の混乱で生じた誤情報である 魑魅魍魎男
3. 茶色のうさぎ[3169] koOQRoLMgqSCs4Ks 2015年12月23日 09:53:24 : sWKSk3K4WU : i2czKKsCcKA[1]

4号機だけについて、途中ですけど。!

1)4号機プール内の映像は、綺麗すぎると思います。!(5)の動画。!

屋根が平均して壊れて、落下したんでしょ。!コンクリート片が、もっと平均して散らばっているはず。!

2)4号建屋の南側外壁に特徴の、四角い穴と右上に丸い穴。!<は不自然と思います。! 爆薬では。?

3)4号建屋にいた、自衛隊や米軍の根拠や情報、写真はあるのですか。?<ただの推測でしょ。!

感想: 東電は、水素爆発にしたいから、CG、でも、なんでもやると思います。! うさぎ♂ またねー

動画は別のプールのだと思います。!(プールは新燃料用?の北側と、使用済みの南側の2ヶ所ありますね。!)


http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/555.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK198] 三重県議会が安保法「廃止」の意見書可決。全国で岩手県議会に続き2例目 赤かぶ
4. 2015年12月23日 09:53:55 : WzFlUn53lM : tk2HQXR4fvk[144]
国民無視の安倍自民党政権は地方から変えていくのがベストでしょう、どんどん岩手、三重県に続いてほしい。もう時間は限られています。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/479.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK198] 「七士之碑」を知らない稲田朋美に東京裁判見直しの資格はない  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 09:54:36 : VpI9hmhTFQ : d3NhNj5wO8U[4]
自民「歴史勉強会」初会合 国内外の反発考慮し「提言」行わず
12/22 23:36
動画ニュース
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00311930.html

自民党は、明治以降の日本の歴史を研究する勉強会「歴史を学び未来を考える本部」の初会合を開いた。
谷垣幹事長は「まずはわれわれが、謙虚に歴史学の成果を学ぶということが、極めて大事なのではないか」と述べた。
稲田政調会長は「歴史で一番大切なのは、客観的な事実だと思います。客観的事実があって、初めて一体何を反省するのか」と述べた。
この本部は、南京事件や、いわゆる「従軍慰安婦問題」などをめぐる歴史認識を正しくすべきという稲田政調会長の意向で設置され、谷垣幹事長が本部長に就任した。
有識者らも参加し、第2次世界大戦への突入や、GHQ(連合国軍総司令部)による占領政策などの近代史を研究する予定だが、国内外の反発を考慮し、歴史観や提言の取りまとめは行わない予定。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/519.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] 今までの政府とマスコミの説明は全て嘘だった!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
17. 2015年12月23日 09:55:34 : 5cVJ8U32VQ : tlFeu_IWpT0[24]
>>16さん

 貴方の仰ることが真実を突いているように思えます。
 
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/422.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK198] 二度と顔出すなよ!橋下徹 参議院選、惨敗確実「民・維・無の会」(世相を斬る あいば達也) 笑坊
13. 2015年12月23日 09:57:06 : gha4wQHsWY : GtXYfrVLY6Y[50]

テレビで見たくない顔。

    橋下徹

   ペラペラとバイアスのかかった嘘ことば吐き続けて〜


    、 
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/432.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK198] 「七士之碑」を知らない稲田朋美に東京裁判見直しの資格はない  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
2. 2015年12月23日 09:57:19 : VpI9hmhTFQ : d3NhNj5wO8U[5]
GHQの占領政策も研究へ 歴史学ぶ本部自民が初会合
産経新聞 12月23日(水)7時55分配信

 自民党は22日、明治以降の歴史を研究する新組織「歴史を学び未来を考える本部」(本部長・谷垣禎一幹事長)の初会合を党本部で開いた。谷垣氏は「近現代史教育を充実させるには、まずは政治家が歴史を勉強しなければならない」とあいさつ、成果を歴史教育に反映させたいとの意向をにじませた。

 会合では次回以降、学術性の高さや中立性などを基準に選んだ有識者を講師に招く方針を確認した。設置を発案した稲田朋美政調会長は「一番大切なのは客観的事実であり、政治家それぞれが何を反省し、どういう歴史観を持つかが重要だ」と述べた。

 本部は安倍晋三首相(党総裁)の直轄機関で、有識者を招いて連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策や現行憲法の制定過程などを研究する。期限は設けず、報告書や提言のとりまとめは行わない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151223-00000085-san-pol
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/519.html#c2

コメント [経世済民103] 来年度予算と、経済成長見通し(在野のアナリスト) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 09:57:52 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[187]

>この程度は自律回復のレベル

バカだね

大恐慌を思い出すといい

アベノミクス(異次元緩和+財政拡張)がなければ自律回復どころか

円高デフレによる空洞化加速で、さらに悪化し

その後の産業崩壊による円安とインフレ加速で壊滅的に悪化していたのは確実


その後の消費税増税や欧州・中国危機がなければ、確実にCPI2%も達成できたいただろう


ただし、構造改革が全く進まず、生産性(実質賃金)が上昇しないなら

インフレ率上昇を逆恨みした愚民により、選挙には負けただろうなw


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/738.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
3. 2015年12月23日 09:57:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[416]

真珠湾奇襲攻撃はルーズベルトが昭和天皇に指示してやらせたんだよ

そもそも当時の日本で真珠湾の事を良く知っていたのが昭和天皇だけだったというのは有名な話

アメリカは不景気対策として日本と戦争したがっていた
それで昭和天皇に命令して真珠湾を攻撃させた

宣戦布告を遅れさせたのもルーズベルトの指示だろうね

天皇が護憲派なのは、天皇一族は日本国憲法で保障された日本最大の既得権益者だから簡単に改憲される様になったら困るんだよ

そもそも米軍が東京の近くにいるのも革命から天皇一族を守る為

日本に軍隊が有るとクーデターや革命を起こして天皇一族を処刑する可能性があるので、昭和天皇は

日本が永遠に軍隊を持てなくなる様にしてくれ

とマッカーサーに頼んだのさ

それが第九条の背景


昭和天皇も今上天皇も軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているから、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいという事さ:

革命に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』

(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c3

コメント [戦争b16] シリアをロシアに任せる米国(田中宇の国際ニュース解説) HIMAZIN
2. 仁王像[743] kG2JpJGc 2015年12月23日 09:59:51 : 55o1eeZvaw : @BhwXwmfdA0[4]
 田中宇は途中からIS陰謀論に転向したが、この説明は矛盾していないか?

 長々とした舌を噛みそうな文章は、弁解じみている。なぜ簡潔に主張できないのか?


(田中宇の陰謀論への転向)
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/329.htmlc2
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/686.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK198] 安倍さんは薄ら笑いで私に…元家族会・蓮池透氏が著書でも徹底批判! 安倍首相の拉致問題政治利用と冷血ぶり(リテラ) 赤かぶ
40. 新参[1] kFaOUQ 2015年12月23日 10:00:23 : Fda3Uv20qM : DNSVUATQKzo[2]

安倍 官房副長官 ごときには発言権は無い、鞄持ちやんけ

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/416.html#c40
コメント [政治・選挙・NHK198] 特集ワイド  これって見返り? 自民党と大企業 法人税減税/政治献金再開(毎日新聞) gataro
1. 2015年12月23日 10:01:12 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[52]
<<特集ワイド  これって見返り? 自民党と大企業 法人税減税/政治献金再開(毎日新聞)
企業が何かしらの見返りを期待して献金しているならば贈賄罪になりかねない

自民党など 詐欺集団だから  恐喝もいとわないだろうな


 民主党も 似た様な政党だから あまり意味無い

 小沢の主導した 小選挙区制度の ていたらくと言うものでしょう
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/517.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
2. 2015年12月23日 10:01:27 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[37]
「現在日本に多数居住する外国籍の人達はみな侵略者で、」

彼らは武力を使って入国したのですか?
あなたバカですか?

ご入院ください。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c2

記事 [経世済民103] 訪日外国人1900万人を突破、45年ぶり日本人出国者数と逆転へ(SankeiBiz)
訪日外国人1900万人を突破、45年ぶり日本人出国者数と逆転へ
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20151222-00000004-biz_fsi-nb
SankeiBiz 2015/12/23 08:15


 石井啓一国土交通相は22日、閣議後会見で2015年の訪日外国人旅行者数が19日時点の推計で1900万人を超えたと明らかにした。出国した日本人数は11月までで1500万人を割り込んでおり、1970年以来、45年ぶりに訪日外国人数が上回ることが確実視される。

 訪日客数は昨年1年間と比べ4割以上増え、12年(836万人)からの3年間で1000万人以上増加した。背景には、円安に加えて近隣アジア諸国の経済成長による中間所得層の急増がある。観光立国を成長戦略の柱の一つに掲げ、「ビザ(発給要件の)緩和や消費税免税制度の拡充など、政府一丸となった取り組みが功を奏した」(石井氏)面も大きい。

 訪日客の旺盛な消費を当て込み、流通や旅行業界を中心に、インバウンド需要を取り込む動きが活発化している。

 家電量販店大手のビックカメラは格安航空会社(LCC)の春秋航空を傘下に持つ中国の春秋グループと業務提携するほか、日本空港ビルデングと共同で、羽田空港国際線ターミナルに家電製品の免税店を出店する。東急不動産が来年3月に開業する東京・銀座の大型商業施設「東急プラザ銀座」には、空港型免税店「ロッテ免税店銀座」が入居予定だ。

 今後の課題は受け入れ態勢の充実だ。地方では観光スポットの多言語対応のほか、旅館施設や公衆無線LANなどの整備が遅れている。

 一方、訪日客数と出国日本人数の逆転は、出国日本人数の大幅減によるところも大きい。出国日本人数は過去最高だった12年の1849万人から、昨年は1690万人に減り、今年は1〜11月で1487万人だった。所得の伸び悩みなどが響いており、石井国交相は「双方向での交流拡大が必要だ」と述べた。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/746.html

コメント [原発・フッ素44] 国が、福島の住民の生活圏からたった20m離れただけの森林の除染は全部あきらめた。 赤かぶ
10. 2015年12月23日 10:04:44 : 5cVJ8U32VQ : tlFeu_IWpT0[25]
>>09さん

 本人は本気でそのように考えている可能性が高いと思います。

 (それどころか「日本全体を自らコントロールしている」と信じているかもしれない。唯1点、沖縄の辺野古問題では俺様の支配が及んでいないので憎むべき・叩き潰すべき対象であると日夜、中身の無い頭を使っているのではないか?ついでに言えば世界をコントロールするのも遠くない将来のことと妄想して信じているかもしれない)


http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/539.html#c10

記事 [経世済民103] 社内外で高まるカサノバ氏の責任論 マック早期再建「小手先の改革では無理」(SankeiBiz)
                マクドナルド店舗の外観(宮崎瑞穂撮影)


社内外で高まるカサノバ氏の責任論 マック早期再建「小手先の改革では無理」
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20151222-00000003-biz_fsi-nb
SankeiBiz 2015/12/23 08:15


 米マクドナルドが、筆頭株主として約50%を握る日本マクドナルドホールディングス(HD)の株式の一部売却を検討していることが22日、分かった。国内外の投資ファンドや大手商社に打診したもようで、外部の資本とノウハウを活用し、低迷が続く日本事業の早期再建を急ぐとともに、ブランドイメージの一新を図る考えだ。売却株数や金額などの詳細は今後、詰める。最大33%を売却する可能性もあり、45年間続いた米本社主導の経営を抜本的に見直す。

 日本マクドナルドは、期限切れ鶏肉使用や異物混入といった食の安全安心に関わる不祥事が続発し、消費者からの信頼を失った。信頼回復に向け、品質情報の開示やメニューの見直しなどに取り組んでいるが、既存店客数は11月までに31カ月連続で前年実績を下回り、客離れに歯止めがかからない。同社は、不採算店舗の閉鎖など店舗改革を急ピッチで進め、今年の閉鎖店舗は100店に上る見通し。財務関係者は「一時的に費用負担が増えるが、来期以降のコスト削減につながる」と期待する。

 しかし、閉店の加速が縮小均衡やブランド力の低下につながれば、イメージ回復は遠のく。店舗跡には競合のハンバーガーチェーンなどの出店が相次いでおり、今後のシェア争いに影響を及ぼす恐れもある。外食業界に詳しい日本経済大の西村尚純教授は「小手先の改革では復活できない。これまでのビジネスモデルを180度転換させるような抜本的な改革が必要だ」と話す。

 株式売却の検討が報じられた22日、同社の株価は前日比231円安の2712円と依然、高値水準にある。業績が悪化しているものの、株主優待目当ての個人投資家からの人気が高いからだ。市場関係者からは「収益力から見ると割高感が強い」(中堅証券)との声も根強い。さらに、「経営再建に必要なリストラ費用の追加負担を迫られる可能性もある」(アナリスト)との見方があり、交渉が難航することも予想される。

 出資関係が見直されれば、サラ・カサノバ社長の進退問題が浮上しそうだ。カサノバ氏は米本社の意向で、13年8月末の就任以来、新メニューの投入などで顧客ニーズの多様化を進めているが、結果が出ていない。大手外食チェーン幹部が「マックの低迷を招いた張本人」と述べるなど、社内外で責任論が高まっている。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/747.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
3. 2015年12月23日 10:05:54 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[38]
法務省人権擁護局は12月22日、東京都小平市の朝鮮大学校前でヘイトスピーチを行ったとして、右派団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠(本名:高田誠)前代表に対し、今後同様の行為を行わないよう文書で勧告した。違法なものと認識して反省するよう求めている。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/12/22/no-hate-zaitokukai_n_8860116.html

ヘイトスピーチは違法。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK198] 「先の戦争を考えて過ごした1年でした」と心痛める方がいれば、「明日の戦争を考えて過ごす」阿呆もいる。(くろねこの短語) かさっこ地蔵
1. 2015年12月23日 10:06:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[417]
南京大虐殺も慰安婦強制連行も731部隊人体実験もすべて昭和天皇直々の命令でやった事なんだけどね


そして日本軍は中国共産ゲリラに対抗できなかったから、日本で共産革命が起きない様にアメリカに占領して守ってもらうしかなくなったんだ

太平洋戦争は昭和天皇がルーズベルトとグルでやった八百長戦争

神風特攻とか沖縄戦は日本が本気で戦争をやっていたと思わせる為に降伏前に昭和天皇が命令してやらせたんだな


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/518.html#c1

記事 [経世済民103] 金融庁、新日本監査法人に3カ月の一部業務停止命令(SankeiBiz)
金融庁、新日本監査法人に3カ月の一部業務停止命令
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20151222-00000009-biz_fsi-nb
SankeiBiz 2015/12/23 08:15


 金融庁は22日、利益水増し問題を起こした東芝の監査を担当した新日本監査法人に対して、来年1月1日から3カ月にわたり新規契約を禁じる一部業務停止命令を出したと発表した。併せて業務改善命令と約21億円の課徴金納付命令に関連する審判手続き開始も決めた

 注意を怠り東芝の不正を見抜けなかった責任は大きいと判断した。

 監査に当たった公認会計士7人に対しても、今年12月24日から1〜6カ月の業務停止処分を出した。監査法人に対する課徴金が適用されれば、2008年の改正公認会計士法の導入以降では初めてとなる。

 金融庁は東芝の監査の調査を進めた結果、過去3期分の監査に関し、注意を怠った責任を問えると判断した。

 新日本監査法人は、オリンパスの損失隠し事件をめぐり12年にあずさ監査法人とともに業務改善命令を受けており、業務の改善が徹底されなかったことも問題視して、今回の処分に踏み切った。

 大手監査法人に対する処分としては旧カネボウの粉飾事件に絡み、06年に旧中央青山監査法人が一部業務停止を命じられ、既存顧客への監査資格を失った例に次ぐ重さとなった。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/748.html

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪衝撃≫東京地区の世論調査で共産党が野党第1党に躍り出る!支持率共産党「4.2%」民主党「3.7%」(東京新聞) 赤かぶ
20. 2015年12月23日 10:07:45 : WzFlUn53lM : tk2HQXR4fvk[145]
マスコミの取り上げ方一つで支持政党は誘導される。しっかりと自分の目で見て関心を持たなければ結局自分に跳ね返ってくる。不正選挙をさせない為にもしっかり今の政治を見つめ棄権せず白票もせず投票する事が大事、今の日本を変える為には今度の選挙でまずは野党大勝利をしなければ益々一党独裁政権の独走になる。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/459.html#c20
コメント [経世済民103] ≪格差≫非正規雇用の生活費、生活保護受給者並の数字に!独身男性シミュレーションで判明!「結婚なんて考えようがない」 赤かぶ
5. 2015年12月23日 10:07:55 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[188]

やるべき構造(規制)改革は決まっている

同一労働同一賃金の徹底


既得権者を守る規制を撤廃し、投資(雇用)を増やし

財サービスの供給も効率化・高度化して、

実質可処分所得を増やし、一方で、国民負担を減らす


必要な都市基幹インフラ等の高度化のために、重点的に公共投資を行う

そのために日銀は緩和を継続する

つまり、当たり前の金融経済政策を行えば良いだけだ

http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/737.html#c5

記事 [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ)
暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝)
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4985615.html
2015年12月23日 NEVADAブログ


S&Pは、東芝の格付けをBBBマイナスからBB+に格下げしており(ムーディーズはBa2へ)、ジャンク債格付けとなっています。

これで昨日株価が暴落した理由が、格付け変更を事前に知らされた機関投資家が売ったためだとわかります。
年金資金等はジャンク債格付けになった株は保有出来ないと内規で決めているところも多いからです。

今後、原発部門等での更なる赤字が出てきた場合、今のBBプラスではなく、シングルB以下に格下げされることもあり得、そうなれば財務制限条項に抵触し、一気に経営危機モードに突入することもあり得ます。

シャープもそうですが、日本を代表する家電企業が経営危機に直面するこの事態を平気で見ている人はさすがにいないと思いますが、2社の子会社併せて数十万人が働く大企業が果たして再生できるかどうか。
そしてシャープは年を越せるかどうか。
新年のトップニュースが倒産という事態にならなければ良いですが、年末までの支払いが無事に済むかどうかという段階に来ているとすれば、事態はかなり切迫しているとも言えます。
シャープは社内の照明を消したり消耗品代をケチったり、あらゆる面でお金の外部流出を抑えているとも言われており、それだけ資金が枯渇しているとも言えます。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html

コメント [経世済民103] 訪日外国人1900万人を突破、45年ぶり日本人出国者数と逆転へ(SankeiBiz) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 10:09:21 : ul6csL02Ok : fgwJ9WF8E4o[2]
単に海外旅行にいける余裕のある日本人が減っただけじゃネーか
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/746.html#c1
コメント [カルト15] タップ・イルミのトップはゲール人。通貨発行権独占者は、メディア格付け評議員やゲール人を風避けに使いたいようです。 小沢内閣待望論
8. 2015年12月23日 10:10:42 : 0xVl8B3J8B : yqp6yUwzlO4[14]
>7.ジュネーブ湖の下にあるCIA本部に米露中心に集まって<露は違うってプさんが言ってました。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/481.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪衝撃≫東京地区の世論調査で共産党が野党第1党に躍り出る!支持率共産党「4.2%」民主党「3.7%」(東京新聞) 赤かぶ
21. 2015年12月23日 10:11:56 : KjuCTXCyEo : Py0@tMCw8mY[23]
米軍産複合体をアタマとする日本の利権集団にしてみれば何はともあれ小沢一郎の政治力を剥ぐことが至上命題だからね

共産党がいくら伸びても単独では政権交代までは出来ないと
彼らは(利権屋)理解している

小沢一郎は本気で彼らの聖域特別会計400兆これにメスを入れようとした・・・
これで彼ら利権層は震え上がった訳です

これだけは何が有っても彼らにしてみれば許せなかったんでしょう
この400兆は官僚と腐敗勢力の悪の温床なんです
おまけに彼らの談合で好き勝手し放題こんなおいしい事は無いですからね
戦争法にしろ原発再稼働にしろTPPにしろ根っこは一緒すべて利権(お金)

この一般会計100兆の4倍特別会計400兆を日本病として
国会で追及しようとした石井紘基議員は早朝暗殺されました

何しろ利権層にはメディア司法検察財界労組連合等すべてついてます
日本には民主主義などないし幻想にすぎません

現に選挙を実質仕切ってるのは彼ら腐敗利権層ですこんな連中が真面な開票など
すると思うのは所詮無理があるのではないでしょうか

自分達の権益を死守するためには何でもするのは彼らの常識と思考すべきです
何故多数99%の政治ではなくごく少数1%の政治が永遠に続くのですか?
賢明な国民はいい加減に覚醒すべきです

ネットの普及によりこれらの諸問題が白日の下に曝されたと云う事だと思います
新聞テレビをはじめとするメディアは彼ら腐敗層のプロパカンダ装置だと云う事に気ずくべきです



http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/459.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK198] 特集ワイド  これって見返り? 自民党と大企業 法人税減税/政治献金再開(毎日新聞) gataro
2. 2015年12月23日 10:12:19 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[25]
はいー! 来たー!

企業、団体、宗教法人の政治献金全面禁止!

財源不足のため政党交付金廃止!


これだな。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/517.html#c2

コメント [経世済民103] 中国経済が崩壊すると予言した日本人は、中国を甘く見過ぎた―英紙 赤かぶ
46. 2015年12月23日 10:13:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[418]
>>44
>人口は7千万、それでも食えなかった。

本当に阿修羅のアホ右翼は頭悪いな

別に輸入するなと言ってる訳じゃないよ

輸入額と同額だけ輸出すれば為替がいくらになろうが関係ないと言ってるだけだ


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/678.html#c46

コメント [政治・選挙・NHK198] 「拉致被害者はアベ晋三に利用された」 実兄が明るみに(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
10. 2015年12月23日 10:13:51 : kebDWDUE0w : ujjPUQSxgcY[75]
安倍はこれだけ批判されバカにされても今なお総理大臣で我が物顔にふるまい大口をたたいている。新聞テレビは安倍を持ち上げる事はするが批判など一切ない。総理が言われた総理が指示されたと絶大の信頼をしている風だ。どうしてこんなにも違うのだろう。少しおかしくないでしょうか。そういえば阿修羅でも安倍をご信頼申し上げている方が真相の道さんを筆頭に2,3人はいらっさやいます。安倍支持は2,3%ということでしょうか。安保法案でも違憲でないという先生が2,3人はおられたようだ。もちろん説得力は何一つない。異常が正々堂々まかり通る異常を正さねばならない。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/467.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK198] 「安倍政権のあり方が怖いし、ものすごく危険で気持ち悪いもの」あさのあつこさん 赤かぶ
18. 2015年12月23日 10:17:06 : 1Tz0DHxfg2 : e3zee0VE74o[24]
>>15 wo1FNLaOyk : uVNViAAi@xU[64]さん
>「戦争法案」を強行成立させたタカ派は戦争に超自信があるのです。
尖閣諸島でもし日中戦争が起きても陸海空とも自衛隊の「百戦百勝」だと保証しています「本当なのか?」。読後感。
>「現在の日本軍「自衛隊」に互角に勝負できるのはもう米ロ位しかないのか?。という印象を受けました」。

今の日本が戦争に強いか弱いかなんて事が問題なのじゃなくて、「戦争をして積極的に平和を手に入れたい」という安倍の思考が狂っているとしか思えません。
もし日本がそれほど強いと仮定したとしても、戦争であまたの人を殺してその上に平和を築くのだという思考そのものが狂っている。
それなら泥棒をしてでも詐欺をしてでも強盗をしてでも、人を泣かして殺しても自分さえ金を手に入れられれば幸せだと言う悪党の考えと少しも違わない。
あまつさえ今の日本が強いなどという幻想は夢でしかない。
安倍は日本が強いと思ってなんかいないと思うよ。
ただアメリカの尻尾でさえいれば勝利の方でいられると思っているだけさ。
日本はアメリカの奴隷国。
安倍は先の戦争でアメリカは強いという思いで凝り固まっている。
今の日本は54期の原発に囲まれ、爆弾がたとえまぐれでもその一つに命中すれば、日本は終わる。
だからアメリカが守ってくれると思う意外に思考が働かないのが安倍。
でもアメリカが日本を守る為にあったことなど一度も無い。
アメリカは日本周辺がアジアを制するのに便が良いという理由だけで駐留しているだけなのに。
金を払ってアメリカ様に「そばにいてくれるだけで良い」それだけで世界は日本に手を出さないだろうと、安倍はトラの衣を借って嘘ばかりこいていきがっているだけ。





http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/427.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK198] 「拉致被害者はアベ晋三に利用された」 実兄が明るみに(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
11. 2015年12月23日 10:19:21 : WzFlUn53lM : tk2HQXR4fvk[146]
安倍政権、安倍総理の卑劣さはどこまでも続く、本当に総理として人間として許しがたい人間です。その安倍総理の広報機関のマスコミも国民を欺き続けている犯罪者です。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/467.html#c11
コメント [経世済民103] 米刑務所に日本のメーカー幹部が次々に投獄されている 水面下で広がる新たなジャパンバッシング(現代ビジネス) 赤かぶ
5. 2015年12月23日 10:21:20 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[189]

韓国や中国に限らず、目障りな相手を、あの手この手で潰そうとするのは

どこでも同じ

グローバル企業が生き残るのも大変だということだ


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/741.html#c5

コメント [戦争b16] シリアをロシアに任せる米国(田中宇の国際ニュース解説) HIMAZIN
3. 仁王像[744] kG2JpJGc 2015年12月23日 10:23:46 : 55o1eeZvaw : @BhwXwmfdA0[5]
 訂正↓
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/329.html#c2
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/686.html#c3
コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
38. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 10:24:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[419]

ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか?

『楽園への道』

  「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。

「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。二人は、祖母と孫の間柄でした。

41歳で亡くなったフローラの短い人生を象徴するのは、彼女を絶えず襲う膀胱と子宮の痛み、そして心臓の近くに食い込んだ銃弾でした。原因は、夫であった版画家のアンドレ・シャザル。ペルー人の父親の死後、貧困な生活の中で母親から無理強いされた結婚。「夫と暮らしたあのぞっとする4年間に、一度として愛の営みをしたことがなかった。毎晩、交尾した。いや、交尾させられたのだ」。この下腹部の痛みは、結婚以来続いています。胸の銃弾は、フローラが裕福な叔父のいるペルー(夫からの逃亡先)からフランスに戻り、自らの半生を書いた自伝で成功を収めたときシャザルに撃たれ、手術後心臓近くに残ったものです。

 アリーヌは、シャザルとの間のフローラの3番目の子供。アリーヌは、シャザルに3度誘拐され、強姦されます。フローラはシャザルを告訴し、その争いの中で、シャザルに撃たれたのです。不幸な娘アリーヌは、ジャーナリストのクロヴィス・ゴーギャンと結婚し、ポールを生みます。1848年の革命後、クロヴィスは家族を伴って、新天地を求めてペルーに向かいます。しかし旅の途中で病死し、アリーヌは二人の子供とともにペルーへ。ペルーでは、裕福な祖父の弟に歓迎され、アリーヌも子供たちも、生まれて初めて幸福な日々を送ります。ポール・ゴーギャンが、南の地に「楽園」をイメージするのは、このときの体験によるものです。

 ポール・ゴーギャンは1891年6月、タヒチに到着します。43歳のときです。93年に一度フランスへ帰りますが、95年再びタヒチへと戻ります。1901年9月にタヒチから更に「未開」の地マルキーズ諸島に移り、03年に55歳で亡くなるまでその地に住み続けました。

 タヒチでの最初の妻テハッアマナをモデルに描いたのが『マナオ・トゥパパウ(死霊がみている)』。裸でうつ伏せになったハッアマナがトゥパパウ(死霊)に怯えている。ヨーロッパがなくしてしまった幻想的な経験に、ゴーギャンは興奮に震えます。

 『パペ・モエ(神秘の水)』。樵の少年と彫刻の素材を探しに、山に入っていきます。冷たい水の中に入り、少年が身体を寄せてきます。「青碧色の空間、鳥のさえずりもなく、聞こえるのは岩に当たるせせらぎの音だけで、静寂と安らかさ、解放感が、ここはまさしく地上の楽園にちがいないとポールに思わせた。またもやペニスが硬くなって、かつてないほどの欲望に気が遠くなりそうだった」。ゴーギャンは、マフー(両性具有者)に、偉大な異教文明ならではの自然さを感じます。著者バルガス・リョサのホモ・セクシャルなシーンは、ここでも美しい。

ゴーギャンは主張します。「美術は、肌の白い均整の取れた男女というギリシャ人によって作り出された西洋の美の原型から、不均衡で非対称、原始民族の大胆な美意識の価値観に取って代わられるべきで、ヨーロッパに比べると原始民族たちの美の原型は、より独創的で多様性に富んでいて猥雑である。・・・

原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾ること、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している」と。


 盲目の老婆のエピソードは、ゴーギャンの立ち居場所を示唆して、興味深い。ゴーギャン自身も、極度に視力を衰えさせています。ボロを身にまとった老婆が、どこからともなく現われます。杖で左右をせわしく叩きながら、ゴーギャンのもとにきました。

「ポールが口を開く前に老婆は彼の気配を感じて手を上げ、ポールの裸の胸にさわった。老婆はゆっくりと両腕、両肩、臍へと手でさぐっていった。それからポールのパレオを開いて、腹をなで、睾丸とペニスをつかんだ。検査をしているかのように、彼女はつかんだまま考えていた。

それから表情を曇らせると、彼女は胸糞が悪そうに叫んだ。「ポパアか」・・・
マオリの人々はヨーロッパ人の男をそう呼ぶのだった。」

ポリネシアに「楽園」を夢見てきたゴーギャンの、挫折の場面です。セックスによって原始にアプローチし、そしてセックスによって原始から挫折するゴーギャン。1903年、ひどい悪臭を漂わせながら、死んでいきました。

そして、最も忌み嫌い反抗し続けたカトリック司教の決めた場所に埋葬されました。 墓碑銘としての司教の手紙には、次のように書かれていました。

「この島において最近、記すに足ることはひとつ、ポール・ゴーギャンという男の突然の死だが、彼は評判高い芸術家であったが神の敵であり、そしてこの地における品位あるものことごとくの敵であった」
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/01/post_937b.html


ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

.

1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html


 ▼ゴーギャンは何故タヒチへ向かったのか?/金丸好良(自由文筆家)▼

「僕は、ゴーギャンで初めてタヒチを知ったんです。そこで、ゴーギャンが、いかにイカレた芸術家だったのかを話したいと思います。はっきり言ってこの人ヤバイ!フランスからタヒチまでなんて、むちゃくちゃ遠いんです。当時で10週間。70日ですよ。こんなに遠いのに何故行ったのか? じつは、出生に関係があるんです。

ゴーギャンは、1才から7才までペルーに住むことになり、黒人の召使いがいるボンボン生活。友達は、中国人の女の子。これもカギを説く1つです。子供の頃の経験は、のちの人間形成に影響すると言いますから。彼のタヒチ体験の基礎は南米のペルーにあるのです。ここがポイント!

フランスに戻ると協調性のない放浪癖のあるちょっと変わった子供で、馴染めなかった。義務教育が終わると、ゴーギャンは見習い水夫に。海への憧れが強かったんですね。彼は何を求めていたのか?『楽園(パラダイス)』です。彼にとって、幼少時代のペルーの生活がまさに楽園だったんです。ゴーギャンは、一生この『楽園』を探し続けるのです…」
http://www.peaceboat.org/cruise/report/32nd/apr/0420/index.shtml

わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。

ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。

〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891)

〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01521.html

『ゴーギャン オヴィリ』
一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。

ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。

もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。

ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)

これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。

中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)

ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。
http://www.msz.co.jp/news/topics/01521.html


ピトケアン島の出来事

 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。

 副航海長フレッチャー・クリスチャンに指揮された反乱水夫たちは艦長のブライを拘束、ブライは艦長派と目された乗組員とともに小型のボートに乗せられて茫洋たる太平洋に放り出された。反乱者たちは、ブライたちは死んだだろうと思っただろうが、艦長たちは奇跡的に小型ボートではるか3700マイル離れたオランダ領のインドネシアまで航海することに成功した。遠く離れた南太平洋上のこととはいえ、イギリス海軍が反乱者たちをそのままにしておくわけがない。追手が差し向けられ、クリスチャン一味の捜索が行われた。追跡部隊はバウンティ号の航海の目的地であったタヒチ島に残っていた乗組員たちを拘束することには成功したが(うち、3名が絞首刑となった)、バウンティ号とともに太平洋に消えた残りの者たちの行方は杳として知れなかった。

 バウンティ号と反乱者の一党の行方がわかったのは、それから約20年後の事である。アメリカの捕鯨船が、名前は付いているが上陸されたことのない島、ピトケアン島に立ち寄ったところ、バウンティ号の乗組員とその子孫たちを発見したのである。クリスチャンたちは、タヒチの女性と男性を連れて発見されにくいピトケアン島に逃げ込んでいた。

 しかし、反乱者たちは、女性と酒が原因で同士討ちを演じ、アメリカの捕鯨船に発見された時に反乱のメンバーで生き残っていたのは水兵のジョン・アダムス一人だけであった。ジョン・アダムスは敬虔なキリスト教徒となっており、ピトケアン島は白人とタヒチ女性の混血からなる一種のキリスト教の桃源郷となっていた。

 この軍艦バウンティ号の反乱は日本ではそれほど知られていないが、西洋ではかなりメジャーな事件で、海洋の事件としてはタイタニック号の遭難に匹敵するほどの知名度を誇るといい、欧米では多数の研究や小説があり、戦前から何度か映画化もされている。また、バウンティ号の復元船も作られているという。

 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。これは牧歌的で、敬虔なキリスト教徒たちの住む島である、というピトケアン島のイメージを著しく損なうものであり、刑事事件にも発展した。その経緯は、インターネットのフリー百科事典の「ウィキペディア」にも詳しく記述されている。

「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(英語)
「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(日本語)

 ピトケアン島の男性たちの擁護として、ピトケアン島に移り住んだ反乱者たちはタヒチの女性を妻としており、反乱当時のタヒチの習慣はかなり性的に自由なものであったから、それを現代の基準で裁くのは酷ではないか、というものがある。
 たしかに、タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。

男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」
 
 また、有名なイギリス人のキャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。

 と、ここまでは割合に知られたタヒチの性習慣である。では、もう一方の当事者、18世紀末のイギリスはどうだったのだろう。

 18世紀のイギリスは、当時としては珍しく、晩婚の世界であったことが知られている。男子の場合は二十代後半、女子の場合でも二十五歳以上で結婚、というのが普通であったらしい。ほとんど現代と変わらないくらいの結婚年齢である。ただ、晩婚である事情は現代とはずいぶん違う。長期の奉公人制度や、結婚生活を維持するための経済力をつけることが難しいために、やむを得ず結婚が遅れていたというのが実情らしい。貴族やジェントルマンに生まれても、長男でないと同じような境遇であった。

 結果、血気盛んな若者たちが思春期から10年以上独身生活を余儀なくさせられることになる。近代のイギリスの勢力の拡大は、これらリビドーを持て余した青年たちのエネルギーによってもたらされたとする見解があるほどだ。

 平均的な結婚年齢はともかくとして、実際にはどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」

 つまり、タヒチだけでなくイギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。

 当時の水兵というのは社会的な身分が低く、監獄に行くよりは船に乗る、という手合いまでいたという。彼らは、たとえイギリスに戻ったとしても結婚をすることは容易ではなく、仮にできたとしても極貧のなかで生活しなくてはならないことは目に見えていた。

 それが、タヒチに来て見ると、本来は結婚相手にしたい十代の女性がいて、生活も安楽である。このままここに残りたい、と思っても不思議はない。実際、タヒチへの航海では、水兵の脱走というのはよくあった。これで水兵たちに同情的な幹部がいたら、反乱になるのはある意味では必然であった。

 艦長のブライは反乱の原因について、

「わたしはただ、反乱者どもがタヒチ人のところでイギリスよりもいい暮らしができるだろうと確信し、それが女性たちとの関係にむすびついて、全体の行動の基本的な動機となったにちがいないと推測するのみである。

(I can only conjecture that the mutineers had assured themselves of a more happy life among the Otaheiteans , than they could possibly have in England; which, joined to some female connections, have most probably been the principle cause of the whole transaction.)(William Bligh & Edward Christian The Bounty Mutiny(2001)11.)」と書いている。

 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。
(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」


 
 キャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


究極のSEX ポリネシアン セックス

ポリネシアン セックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスの奥義を指す。

ポリネシア/ギリシャ語「多くの島々」と言う意味のポリネシアはハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ1辺が約8000キロの三角の内側の島々、イースター島をさす。ミクロネシアは太平洋中西部の諸島群で、カロリン諸島、マーシャル諸島などがある


「エロスと精気」

これは男性上位の力を誇示するようなアクロバットな性技ではなく、ゆっくりとした時間の中でお互いの命の声を聞きながら行う静かな愛の形です。

実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。性交するときは、前戯と愛撫を少なくとも1時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。挿入したのちは、男女は最低30分は身動きせず抱き合って、それから前後運動を始める。

オルガスムがあったのちも、長時間性器を結合させたまま抱き合っている。35分ほどこの抱擁を続けていると、全身においてオルガスムの快感の波が次々と押し寄てくるのを感じ初めることだろう。あなたが男性であれば、射精をしないまま相手と一体になって全身が突然さざ波のように震えるだろう。そうなれば、体を離さずに震え没入し、震えそのものになるべきだ。その時、2人の体のエネルギーが完全に融合している実感をもつであろう。

男性に勃起力がなくなるような感じになった時、女性に性感がなくなるとき、そのときだけ動きが必要になる。その場合でも、興奮の波は非常に高い所にだけ置いておき、ただし、頂点まで昇らせてオルガスムとして爆発させるのではなく、心をおだやかにしてエネルギーのなかに身をまかせるのである。つまり、挿入後に萎えてしまいそうになった時、それを防ぐ為のみ、うごかしてもいいということだ。しかし、そのまま動きに没頭するのではなく、射精に達する前に再び動きを止めて、抱擁を続る。

男女はベットにそれぞれ楽な感じに寝る。2人の上半身は離しておき、骨盤の部分はくっつけ合う。女性は仰向けになり、男性は体の右側をベットにつけて身を起こす。足はお互の体にからませる。男性は左足は女性の足の間に割って入り、女性の左足は男性の腰の左に乗せる。互いに相手の負担をかけることなく、くつろげる姿勢であるとこが重要だと言う。そうして、身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。
http://rena-i.jp/porisex.htm

「ゴーギャン」
南太平洋、フランス領ポリネシア。 タヒチ。

とあるホテルの5つの簡単な決まり事。

1つ、ゆっくり動きなさい。
2つ、気持ちをリラックスさせなさい。
3つ、家に置いてきたペットのことは忘れなさい。
4つ、お堅い話も忘れなさい。
5つ、バターの値段を考えるなんてもってのほか。

この島では、日が昇ったら起き、
お腹がすいたら食べ、
眠くなったら眠るのです。

何もしないで、ただボーッと海を眺めて過ごす。
それが、一番の贅沢。

今日の一枚は、そんなタヒチで描かれました。
といっても、今あるのはアメリカですが・・・。

場所は雪のニューヨーク州、
オルブライド・ノックス・アートギャラリー。

二人の慈善家によって集められた名画の数々・・・。
でも、お目当てはこの先。急いではいけません、ゆっくりと。
そう、この絵が「今日の一枚」です。

「マナオ・トゥパパウ」

ポール・ゴーギャンの作品。

そのポール・ゴーギャンは、
タヒチといえば名前があがる後期印象派の巨匠。

セザンヌを学び、ジャポニズムに走った元日曜画家。

ゴッホとの共同生活でも、自我の強さから喧嘩別れ。
傲慢とわがままを芸術の糧としたポール・ゴーギャン。
パリに失望し、やってきたのがタヒチ。
求めたものは汚れのない原始。

そして、タヒチの女性をモチーフとする
数多くの絵を生んだのです。
強烈な色彩と大胆な構図。
ゴーギャンのタヒチ。

そんな作品のなかで、異彩を放っているのが、
この「マナオ・トゥパパウ」です。

大きく見開かれた少女の目。
凍り付いた視線。
背後にうずくまる不気味な影は?

ゴーギャンが南海の楽園で見つけた原始とは、いったい何だったのか。

南緯17度、西経149度。
1年間の平均気温は25度前後。
タヒチは今でもよく、南海の楽園と呼ばれています。

パペーテはタヒチを訪れた人が必ず立ち寄るフランス領ポリネシア唯一の都会。

ゴーギャンが植民地のタヒチを訪れたのは1891年、43才のとき。
フランスの港を出てから実に2ヶ月の船旅でした。
当時、パペーテの人口はおよそ3000人。
その一割にも満たないフランス人が、タヒチの政治、経済を仕切っていました。
その頂点に君臨するのが、フランス本国から任命された総督です。
当時はカリブ海出身のラカスカードという男。

総督

「タヒチについたゴーギャンが私に会いに来た。
私は快く彼を迎えた。

ようこそゴーギャン君、総督のラカスカードだ。座りたまえ。
このパペーテには教会から病院、カフェーまで揃っておる。
私の自慢の町だ。
パリから来た君でも困ることはないよ。
そうそう、芸術特使の君にぜひ、肖像画を描いてもらいたいというものがおるそうだ。
まずはいい絵を描いてくれたまえ。

おや、何か不満でもあるのかね?」

ゴーギャンは、話の途中で席を立ってしまった。 いったい、何が気にくわないというのだ。

パペーテの街角で、ゴーギャンが見たもの。
それはパリと同じ喧騒、そして香水の匂い。
自分が求めた原始の楽園は、そこにはなかったのです。
失望、そしてこみ上げる怒りに似た感情。

そもそもの発端は2年前。
パリではエッフェル塔が完成。
万国博覧会が開かれました。 鉄が支配する新しい文明の幕開け。
しかし、ゴーギャンが惹かれたのは、同時に開設されていた植民地パビリオンでした。
東洋の神秘、ポリネシアの原始的な荒々しい文化。
パリの文明社会で暮らすゴーギャン。
彼の目に、それは地上の楽園に見えました。

そこでゴーギャンは考えました。
「なんとしてもタヒチへ行こう」と。
あらゆるコネを利用し、海をわたろうとします。
金がかからず、絵が自由に描ける地位・・・
それが芸術特使というフランス本国からもらった肩書き。


ゴーギャンがパリで思い描いた地上の楽園、タヒチ。

そこでは昔からの人々は原始の神々を崇め、ともに暮らしていました。
すべての物、すべての現象に神が宿る、そう考えられていたのです。
神話と伝説の国、ポリネシア・・・。
しかし、ゴーギャンが訪れた時はもはや過去の話。
文明によって古い信仰は捨てられ、神を祀る祭壇もすでに廃墟と化していたのです。

ポリネシア・ダンス。
体で表現する原始の言葉。
かろうじて人々の心に受け継がれてきたタヒチの神秘。

これは、豊かな実りを願い、神に祈るダンス。
戦いの前に踊り、神への誓いをたてるダンス。
分明に支配されたタヒチ、そこに残された原始の息吹。

総督
「きのう、ゴーギャンが挨拶にきたよ。 ひどく打ちのめされているようだったが、パペーテを出るというんだ。 ヨーロッパから遠ざかりたいとか、原始的で汚れのない原住民と一緒に暮らすんだとかいってた。 ほんとうに、パペーテを出て芸術活動ができると考えているのか? まあいい。じきに帰ってくるさ。」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao1.htm

<原始のイヴ>

パペーテを逃れ、ゴーギャンが落ち着いた先はマタイエア。
島の反対側、南へ40キロほど行った海辺の村。

そこで彼が見たものは・・・

素朴で原始的な暮らし。
骨太で力強い人々。
奔放に生きる女たち。

ヨーロッパ的美の基準には当てはまらないものたち。
しかし、ゴーギャンはそこに原始の美を発見したのです。
パペーテでは決して見られなかった、手つかずの美しさ。

イア・オラナ・マリア。

タヒチの聖母子像。

着ているものは民族衣装のパレオ。
がっしりしたタヒチの聖母マリア。
そして褐色のイエス・キリスト。

聖母子像の横に描かれたのは仏教徒のポーズをしたタヒチの女と、 青と黄色の翼を持った天使。

イア・オラナ・・・それはタヒチの出会いの挨拶。

副館長
「ゴーギャンの色使いはとても鮮やかで、ほとんど原色をつかった美しい色彩 で描かれています。
そして、タヒチの光をふんだんに取り入れました。
その光はポリネシアの人々に対する愛情と、尊敬の気持ちから描かれたんです。」

原始の楽園、マタイエア。

人々は神を畏れ、自然とともに生きる。
何もしなくていい、何も考えなくていい、ゴーギャン、至福のひと時。

マタイエアの人々にふれ、ゴーギャンが感じたのは、自分が求めつづけてきた原始のタヒチ。

創作意欲をかき立てられるゴーギャン、目指したのはシンプルな芸術。

細かい技法を捨て、自分が感じたことだけをおおらかに描く。

そのためには、原住民とだけ付き合い、原始の心で見ること。
それが真の芸術へたどり着く道、そう考えてきました。

しかし、その絵はほとんど売れません。


総督
「赤い水やら黄色い砂。ひどい色使いだ あれじゃ売れなくて当然だ。 しかし、この絵はどこか違うな・・・。」

原始の村マタイエアでも、文明から逃れることはできませんでした。
好みの食料品や絵の具があるのはパペーテだけ。
金・・・文明人のゴーギャンに必要なのは経済的な裏づけだったのです。
絵を買ってくれる人もいないタヒチ・・・
待っていたのは貧困。

そこで、ゴーギャンは総督のもとへ。
もっと小さな島の役人にしてもらおう。
そうすれば、金と新しい絵のモチーフ、両方が手に入ると考えたのです。

総督
「そんなわがままを話、通用するわけがない。

フン、金が欲しい? 島の役人に採用しろだと?
冗談じゃない、矛盾だらけじゃないか
ゴーギャンの求めているのは、原始の生活ではなかったのか!
なんて傲慢で、身勝手なやつだ!」

総督に冷たくされたゴーギャンは、自分の身勝手を棚に上げ、子供じみた反抗にでます。

やったことは、風刺画。
総督を猿に見立て、痛烈にからかったのです。

それは原始に翻弄される文明人の哀れでもありました。

貧困のため、絵を描く意欲も失せたゴーギャンは、気分転換をかねて、探検旅行に出かけます。

行く先は島の東側、文明から最も遠い土地。
やがてゴーギャンの行く先に現れたのは、山あいの小さな村でした。
その一軒で声をかけられます。

白人は神の使い、そう信じる村人は自分の娘を妻にと勧めるのです。
そして、運命の出会い。

「マナオ・トゥパパウ」に描かれた少女。

少女の名はテハアマナ。愛称テフラ、13歳。
タヒチでであった原始のイヴ。

テフラに一目で惚れたゴーギャン。


彼はその場でテフラと結婚し、一緒に暮らし始めます。
日の光を浴びて、黄金色に輝くテフラの肌。
ついに出会った原始のイヴ、テフラとの生活がゴーギャンの見方を変えました。

文明に毒されたタヒチは今、探し求めた原始の楽園に生まれ変わったのです。

ゴーギャンによって残された原始のイヴの肖像・・・

ゴーギャンの夢、

画家が愛してやまなかった少女・・・。


総督
「原始のイヴだって?なにを大げさな。
ただの島の娘じゃないか。
それにしても、あの絵の娘は何かに怯えているのかね?
しかも、後ろにうずくまっているあの不気味なものは何だ。
アッ、これは!」

青い海と珊瑚礁。
そして険しくそびえる山々。
さまざまな顔をもつタヒチ。

一歩奥へ入ると、そこはすでに伝説と神話の世界です。

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao2.htm

<タブー>
タヒチにはタブーがある。
死者を葬った場所は避けるように。
うつろな木の陰に横たわらないように。
もしタブーを破ることがあれば、やつが現れるだろう。

やつは寝ているものに飛びついて、首を絞め、時には髪を引き抜き、死に至らしめることがある。その名を決して口にしてはならない。

いまもタヒチに伝わるという、タブーの正体とは何か。


女1
「そうだねえ、この土地のタブーといったら幽霊のことだよ。」

女2
「子供のころに見たことがあるわ。
しろ〜くて、お化けみたいな姿をしているのよ。
本当に恐かったわ。」


「トゥパパウって幽霊さ、こんな感じのやつ・・・
ひとに取り付くと目が大きくなって、下がこんなに長くなるんだ。」

マナオとは「思う」「考える」という意味のタヒチ語。
マナオ・トゥパパウというタイトルには、トゥパパウ、つまり死霊が見ている、という意味がこめられていたのです。


総督
「トゥパパウについては、私も調査員を派遣した。
報告によると、トゥパパウの都は森の闇に包まれた山奥の奥にあるそうなんだ。
そこでトゥパパウは数を増やし、死んだ人間の魂を食らうという。

フン、もうすぐ20世紀だというのに、タヒチにはまだ下らん迷信が残っているのか。」


学芸員
「確かにトゥパパウの伝説は残っているようです。
トゥパパウとは死んだ人の霊のことで、夜の闇をさまよい歩くと考えられていました。
そのため、タヒチの人たちは闇を怖がって、寝ているときも明かりを絶やしません。
もし部屋の明かりを消してしまうと、トゥパパウが家の中に入ってきて、
寝ている間に悪さをすると信じられていたからです。」


ある日、ゴーギャンは帰り道を急いでいました。
切れかかった灯油を町へ買出しに行った帰りです。
夜中の1時、あたりは完全な闇。

夜空の月も雲に隠れていきます。

テフラの待つ小屋は闇に包まれていました。
いやな予感がしたゴーギャンは急いで部屋の中へ。
すると・・・そこは原始の闇。

思わずマッチをすったゴーギャン。
そして彼の目に映ったものは・・・
ベッドに横たわり凍り付いたようなテフラ。
うつろに見開かれたテフラの目。

タヒチの人にとって、闇はトゥパパウのすみか。
テフラには夜の闇は恐怖そのものでした。
そして、恐怖に射抜かれたように身を固くするテフラの背後に、ゴーギャンははっきり見たのです。

『私が見るものは、ただ恐怖だけでした。
それは絶え間ない恐怖である。
私のトゥパパウを発見して、私は完全に心ひかれ、 それを絵のモチーフにした』

ゴーギャンはテフラを通して、はじめて本当の原始を理解したのです。

テフラ、原始に住むイヴ。

タヒチにきて三度目の夏・・・。


総督
「ああ。おめでとう、ゴーギャン君。
君にも私にもいい知らせだ。
本国から君を送り返すように言ってきたんだ。

ここを見たまえ、資産状態が配慮に値する困窮の画家を送還すること。フランスの船で。
ただし、一番安い船に、乗せるようにと書いてある。
ともあれ、これで我らが芸術特使さまの任務も完了というわけだ。
ごきげんよう、ゴーギャン君。」

1893年7月。
ゴーギャンは本国フランスへの帰路につきます。
テフラと出会った後も、ゴーギャンの生活は決して理想のものではありませんでした。
極度の貧困、そして重なる疲労。
逃れられない文明の影。
結局、彼は逃げ出すようにタヒチを後にするしかなかったのです。

パリに帰ったゴーギャンは、このマナオ・トゥパパウに他の絵の倍以上の値段をつけたといいます。

タヒチにきたらゆっくりと動くこと。
日々の暮らしは忘れ、リラックスしましょう。

でも、夜は明かりを絶やさないように。
もし暗くしたら、闇の中からあなたをみつめる死霊と出会うことになるかもしれませんから・・・

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao4.htm


            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
          ,. ‐             ヽ
         ,.‐´               \
        /      ,l       \     ヽ
       /       l|, 、  、 |iヽ, ヽ \.   ヽ
       /     l  i ! | i  | |l'、ト ヽ iヽ ヽ  ',
       !     |  / | |. i  |.|| i.|ヽ |、 | ',   i  i
      !      ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l  .i|  i
      ! i   ,.|!,.+‐'"| | | |i}  ' ュノェ|i,`i  l.| i
      l i l   l |/;:=ニ|i  l |   /rj:ヽ\ i  l i l
      | | |   ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!.   ' {::::::;、! 〉iー | | |
      | |i. |  !; 〈 !:::::::c!     'ー''(つ }i | i.| |
      | ! | |  ;: (つ`''"    、  //// /;:i | | !. |
       | i,  i. 、////      '     /,ノi,   i. |
       ! .|  | i 、,ゝ、     、─,    /   i |  |. i
       .! |  i |. | lヽ、      ̄   /  l  | i  | !
       ! |  i |i |l l| |`''‐ 、   , イ  |i | |i | i  |. !
       | |  i |i |i .| ノ    ` ''"  ヽ/l| l__,.、-|l l  ! i、
     ,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l '           ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
      /       ! l l ̄ `     、_        | /ノi i.!  |
     ,'          ! |              ,|/ |/i'   |
    i         ` l             .ノ  ノ ' ヽ、 |
    |        ノ     ,...      ヽ、;          ヽ-,
    .!         |::     :..゚..::       i:        ゙゙''i
     |       l::        ゙゙"       |:          |
   @゙!         |::              !::        ノ


Teha'amana (マナを与える者の意)


ゴーギャンがタヒチで見出したものは何であったのか?

『ノアノア』連作版画


タヒチからフランスへ帰郷したゴーギャンは、母国のタヒチへの理解の乏しさに、絶望します。そんな母国フランスへ、タヒチの生活のすばらしさを伝えるために制作したファンタジー小説、『ノアノア』の挿し絵に使用されていた作品のいくつかを、紹介したいと思います。

ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)

教科書などでも有名な作品、『かぐわしき大地』を左右反転させた作品です。版画になり、白黒はっきりさせたものになったことで、主人公であるエヴァの表情の濃淡が、よりくっきりとしていることが印象的です。。

また、エヴァをそそのかすトカゲが、顔よりも大きく、この版画の中心に描かれていることも、気になりますね。


テ・アトゥア(神々)
マオリ族(ニュージーランドのポリネシア系先住民)の古代神話より。


中央に鎮座するのは、主神タアアロア。右側には再生の力を持つ月の女神ヒナ。左側には、大地の男神であり死の象徴であるテファトゥとヒナの対話の場面が描かれています。

これらの神々は、ゴーギャンの作品の中ではたくさん登場する、重要な役割を果たしているものです。

再生の神と、死の神が、ふたり同時に何を話しているのか、(しかも、僕が見る限りふたりは、とても官能的に話をしているように感じます。。)気になるところですね。。

マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

テ・ポ(夜)


このふたつの作品のは、「死霊に怯える女性」という同一の主題を描き出しています。


『マナオ・トゥパパウ』の女性の姿勢は、ペルーのミイラの体勢を源泉に持っています。つまり、人間の死んだ後の存在であるミイラと、同じ体勢を取っている、ということです。

しかし、死の象徴とも思えるこの作品は、見ようによっては胎児のようにも見えます。

相反するふたつのもの、つまり、生と死を一体化したふたつの境界線が揺らぐ、タヒチの夜の神秘を描き出しているようです。ふたつの相反するものを、ひとつのものの中に融合させる、ということは、人類の大きなテーマであると感じました。

また、『テ・ポ』の方は、ゴーギャンがタヒチでできた愛人、テハアマナが、夜、明かりの消えた部屋で、死霊に怯えている姿を描いた作品です。

タヒチの人々にとって夜は、霊魂が活動する、死と隣り合わせの世界にほかなりませんでした。真ん中に横たわる女性の後ろには、様々な死霊たちがこちらに目を向けています。。

このことから考えると、ゴーギャンの描く夕方の世界は、現代の我々が考えるような、単なる美しい夕焼けではなく、これから迎える夜=死霊の世界を思わせるような、ある種、最も境界線の薄れた世界を題材にしている作品であることが分かります。。

http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=83


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』後、自殺未遂を経てゴーギャンが描いた作品のうち、気になった作品をいくつか。。

テ・ハペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)
1898年 油彩・キャンパス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin128.html


『我々は〜』の関連作品です。
 

時刻は夕方、死霊が闊歩する夜が、すぐそばまで迫ってきています。

手前の4人の女性の表情は、逆光ではっきりとわかりません。微笑を浮かべているようにも感じるし、背後から迫りくる夜に、怯えているようにも感じます。。

川を挟んだ奥には、子供と手をつないだ(? 暗いので、はっきりそうとは言い切れませんが・・・)頭巾を被り、服を着た女性と、再生の女神ヒナが描かれています。その足もとには、ゴーギャンノ化身である黒い犬らしき影が、闇に紛れるようにひっそりといます。

川を境に、生と死が対照的に描かれているようです。一度死を決意し、なお生き長らえた画家の心境は、どういったものだったのでしょうか・・・?

ゴーギャンの作品にはめずらしく、奥行きがあり、見ているとからだが、絵画の中に引きずり込まれそうになる作品です。
http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=89


我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

複製画
http://www.meiga-koubou.com/item/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%80%8E%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85/


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」との哲学的思惟を迫る、しかも139×375cmという壁画のような大作を目の前にしますと、しばらくめまいのような感覚に襲われます。全裸と腰布だけの女たちが、地面の上に坐って、こちらを見ています。
画面右側には、岩の上に赤ん坊が寝ており、逆の左端には、煤のように黒ずんだ老婆が、やはりこちらを凝視しています。画面中央では男が果物をもいでおり、その足下で、少女が果物を食べています。人びとの近くには、犬と猫と山羊と鳥とが、人間たちと同様に、無表情に地面に伏せています。画面後方には、まず両手を広げた女神像があり、そして体全体を覆うような長衣を着た女たちが、右側に向かって歩いています。背景では、幻想的な樹木が、奇怪な枝を広げています。

 この絵から、アダムとイヴの禁断の実と楽園追放の旧約聖書の物語を連想することは、さほど難しいことではありません。しかし、あの禁断の果実を採ったのは、イヴではなかったか。ゴーギャンのイヴは、どうみても女ではない。マリオ・バルガス・リョサは、『楽園の道』で、果物を採る人物の腰布のふくらみを「立派な睾丸と固くなったペニス」のようだとすら表現しています。楽園追放を暗示する赤い長衣を着たふたりは、アダムとイヴのように男・女ではなく女・女であり、またキリスト教絵画にある悲嘆にくれるふたりではなく、何やら真剣に語り合っています。キリスト教の世界から題材を借りながらも、内容は別の世界を表現しています。

 左端の老婆は、観者を凝視しながら、何を訴えているのでしょうか。ゴーギャンは、フランスの博物館で見たペルーのミイラから、この人物像を創作したということです。ペルーは、ゴーギャンが幼少期を過ごしたところ。死にいく老婆は最早、生きることをあきらめ、大地に返っていくことを、我々に告げているのかもしれません。

 美術館滞在中の大半を、この大作の前にたたずんで過ごしたのですが、時間が経つにつれてこの死にいく老婆の視線が、気になって仕方がありませんでした。「我々はどこへ行くのか?」。老婆の沈黙は、この答えのない問い掛けなのかもしれません。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2009/07/post.html


“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか” はイエスが語った言葉


ヨハネ傳福音書 第8章


8:1イエス、オリブ山にゆき給ふ。

8:2夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

8:3ここに學者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、眞中に立ててイエスに言ふ、

8:4『師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。

8:5モーセは律法に、斯かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言ふか』

8:6かく云へるは、イエスを試みて、訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書き給ふ。

8:7かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』と言ひ、

8:8また身を屈めて地に物書きたまふ。

8:9彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。

8:10イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言ひ給ふ『をんなよ、汝を訴へたる者どもは何處にをるぞ、汝を罪する者なきか』

8:11女いふ『主よ、誰もなし』イエス言ひ給ふ『われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』]

8:12かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』

8:13パリサイ人ら言ふ『なんぢは己につきて證す、なんぢの證は眞ならず』

8:14イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、


我は何處より來り何處に往くを知る故なり。

汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、


8:15なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/john.xml

ゴーギャンが取り上げた “我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず”というのは罪の女の話の総括としてイエスが語った言葉なのです。即ち、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の砂漠の遊牧・牧畜民の文化では女性や恋愛・性行動を敵視し、

女児がオナニーした → オナニーできない様に女児の陰核を切除する

少女が強姦された → 男を無意識に誘惑しない様に少女を石打の刑にする

妻が夫に売春を強制された → 夫に同じ過ちを繰り返させない様に妻を石打の刑にする

女性が恋愛・不倫した → 男を惑わせない様に女性を石打の刑や火炙りにする


によって対処する伝統だったのです。 イエスが否定しようとしたのはこういうユダヤ教の伝統だったのですが、キリスト教ではイエスの教えを完全に無視し、ユダヤ教の悪しき伝統をそっくりそのまま教義として残したのですね。

まあ、パレスチナの様な砂漠地帯では人口が増えると みんな食べていけなくなるので仕方無いのですが。

_____________

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は


「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。


ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するようになるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm

ダニエル・ド・モンフレエ宛て(1898年2月,タヒチ)

「…あなたに言っておかなければならないが,私は12月に死ぬつもりだった。それで,死ぬ前に,常に頭にあった大作を描こうと思った。1か月の間ずっと昼夜通して途方もない情熱で描き続けた。…これは,高さ1.7メートル,横4.5メートルの絵だ。…

右下に,眠っている赤ん坊と,うずくまる3人の女性。紫色の服を着た2人の人間がお互いの考えを打ち明けている。

わざと大きくして遠近法を無視して描いた人物は,うずくまり,腕を上にあげ,自分たちの運命を考えている2人を眺めて驚いている。

中央の人物は,果物を摘んでいる。一人の子どもの傍には,2匹の猫がいる。そして白い牡ヤギ。

偶像は,神秘的に律動的に両腕をあげ,彼岸を指し示すかのようだ。うずくまった人物は,偶像に耳を傾けているように見える。
最後に,死に近い老婆は,自らの運命を甘受しあきらめているかのようだ。…その足元に,足でとかげをつかむ1羽の白い未知の鳥がいるが,空疎な言葉の無用さを物語っている。…」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf

ゴーギャン自身が友人モンフレエ宛ての手紙43)の中で記しているように,面右端と左端には人間の生と死を表すかのように赤ん坊と老婆が描かれている。画面中央には,果実をもぎ取ろうとする青年の姿があり,傍らには地面に座り込んで果実を食べる子供がいる。その他タヒチ女性が配置され,ヤギや犬,鳥といった動物,そして古代の神とされる偶像が描かれている。ゴーギャン当人は,大作であり日頃から温めてきた題材としながらも,作品の意図や描かれた個々の対象の意味について十分な説明をしていない。

先行研究では,まず作品タイトル《我々は…》の出典元の確認が試みられている。

ルークメーカーは,ゴーギャンのブルターニュ時代の肖像画に見出されるトマス・カーライル著の『衣装哲学』に,
O Whence─ OhHeaven, Whither?(仏語訳ではMaisd’oùvenouns nous? O Dieu,oùallonsnous?)という題名と対応する一文が見られると指摘している。また,フィールドもカトリックの秘儀を研究した書物に,作品タイトルと一致する文面があるとしている。作品内におけるモティーフと典拠元の関係においては,タヒチ時代の自身の作品からの転用だけでなく,ブルターニュ時代の作品にその始まりを見出せるものがある。

左の右手をついて横座りする女性のポーズは,1889年の《海藻を集める者たち》の女性のポーズを反転させたものである。また,左端の顔を手で押さえてうずくまる老婆の姿も,ブルターニュ時代からゴーギャンが作品に使用していたポーズであり,ペルーのミイラ像にその根拠を見出せる。タヒチ時代の作品から引用された女性像においても,ジャワ島のボロブドゥール寺院のレリーフやエジプトの壁画にその原型がある。

以上から考えられることは,タイトルから想起されるキリスト教的視点と,実際のモティーフから現れる西洋,非西洋を越えた広い視点との間に距離が生じるということである。ここで作品を改めて考察すると,《我々は…》には,我々が希求し模索しながらも到達し得ない人間存在が描かれていると言えないだろうか。ブルターニュ,タヒチ,あるいはジャワ島やエジプトといった特定の場所や人々ではなく,人間そのものへの強い憧憬がここには存在する。それぞれのモティーフは,断片的表象にも関わらず作品全体において調和をなしている。そして,そうしたモティーフの背景に存在するキリスト教やタヒチにおける信仰などの民俗信仰は,人間の祈りというレベルにおいて等価のものとみなされる。

作品タイトル《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》は,人間にとっての至上命題である。つ
まりこの絵画には,ゴーギャンがブルターニュにおいて感じたnostalgia故の人間存在そのものへの希求が見られるのである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf


後期印象派の代表する巨匠にして総合主義の創始者ポール・ゴーギャンの画業における集大成的な傑作『我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか』。

1895年9月から1903年5月まで滞在した、所謂、第2次タヒチ滞在期に制作された作品の中で最高傑作のひとつとして広く認められる本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。完成後、1898年7月にパリへと送られ、金銭的な成功(高値で売却)には至らなかったものの、当時の象徴主義者や批評家らから高い評価を受けた本作の解釈については諸説唱えられているが、

画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物(旧約聖書に記される最初の女性エヴァが禁断の果実を取る姿を模したとも考えられている)が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には(人間の生から死)の経過を表現したとする説が採用されている。

また老婆の先に描かれる白い鳥の解釈についても、言葉では理解されない(又は言葉を超えた、言葉の虚しさ)を意味する(神秘の象徴)とする説など批評家や研究者たちから様々な説が唱えられている。

画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。

さらに本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。本作に示される、強烈な原色的色彩と単純化・平面化した人体表現、光と闇が交錯する独特の世界観はゴーギャンの絵画世界そのものであり、その哲学的な様相と共に、画家の抱く思想や心理的精神性を観る者へ強く訴え、問いかけるようである。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html


「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。

死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2009/07/post-8a2a.html


この絵でゴーギャンは人の一生を一画面に表現しようとしています。「生まれて、生きて、死ぬ」生き物なら当たり前なことを描いているのです。 そしてこの絵には海が上の方に少し描かれています。

右上には朝の海が描かれ、地球の誕生を意味し、左の海には夜の海が描かれ、地球の終わりを意味しているのでしょうか。

この絵に描かれている人物はほとんどが女性です。犬や猫、鳥なども描かれています。それぞれに意味づけをしていますがどうなんでしょうか?

右の子どもは誕生でしょうし、中央のリンゴを取ろうとしている女性はイブ(エバ)を意味し快楽と苦痛を表現し、左の頭を抱えている女性は死を意味しています。

画面全体は暗いのですが、右側の女性には光が当たっていて、左側は暗い。

背景は右も左も暗く描かれ、ゴーギャンにとっては「この世は真っ暗闇だ」まではいかず、「暗闇」だくらいなのでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/60035012.html

19世紀以降、ポリネシア人はキリスト教に改宗していますが、ブルターニュ地方のキリスト教の場合と全く同じで、外観はキリスト教の衣装を纏っていても、その中身は古来のアニミズムそのものだったのですね。

ゴーギャンが描くアダムとイブやマリアも聖書から題材を選んでいますが、その意味する事はキリスト教の教えとは全く異なる物なのです。

“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか”で知恵の木の実を採るのは男ですし、

エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つのです。:


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。
あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。
おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、

「排尿をガマンできない人間」、

「性器を持たない人間」、

「よろよろして立ち上がることができない人間」


など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c38

コメント [経世済民103] 中国経済が崩壊すると予言した日本人は、中国を甘く見過ぎた―英紙 赤かぶ
47. 2015年12月23日 10:25:11 : jVJJ3rgg7I : qih9TZhWltg[7]
中国は強いと思うね。

ここ10年、アマゾンで購入した商品でいったい何を買ったんだっけとみていたが、ここ数年の商品のほとんどが中国製だよ。

僕は中国のメーカーさんから「この商品試供してくれ」と毎日10件以上の話があって、丁寧な応対の会社の商品には応じているんですけども、商品のレベルがすごくあがっていますよ。返品したくなるようなものが今はもうなくて、逆になんでこれを日本のメーカーがつくらなかったのだろうと思うものばかりでアイデアも出てきてますよ。

やっぱり10億人がレベルがあがってきたので天才的な人が日本の10倍いるなあという感じがするよ。

中国とは喧嘩せずに一緒に成長を考えたほうがいい。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/678.html#c47

コメント [政治・選挙・NHK198] 安保法案で志願者激減! 貧困を人質に若者を自衛官にさせる「経済的徴兵制」が現実に…(週プレNEWS) 赤かぶ
3. 2015年12月23日 10:32:17 : ETcHEdXLzI : iN4eWnU71FM[14]
安保法案に賛成した者やその子孫が率先して自衛隊に入隊すれば、隊員不足は解決するはずだ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/499.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK198] 安倍政治、その強さと弱さ 奢れる者、久しからずの伝(サンデー毎日) 赤かぶ
3. 2015年12月23日 10:32:52 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[256]
2015年12月23日(水)
釧路市議会 安倍批判ファイル問題の共産党議員質問

広報不掲載の言論規制

 北海道釧路市議会の全会派代表者会議で21日、日本共産党の梅津則行市議が4日に行った安倍政権批判のクリアファイル問題の質問と、同日の松永俊雄市議が行った蝦名大也市長の資産公開の記載漏れを指摘する二つの質問を「不適切だ」として、広報への不掲載を決めました。極めて異例な言論規制ともいえる事態です。

 共産党と自民クラブは掲載すべきだとしましたが、公明、市政進クラブ、新創クラブの3会派が不掲載、民主系の市民連合は「大勢に従う」と事実上、不掲載とする態度をとりました。

 梅津市議の質問は、道高教組が組合員に「アベ政治を許さない」と印刷されたクリアファイルを配布したことについて道教委が教職員に調査したことを適切かどうか市教委にただしたもの。道高教組の組合員へのファイル配布を問題視するのは、憲法に保障された表現の自由に反し、組合活動への介入でもあります。それを取り上げた質問を「不適切」とするのは論外です。

 また、松永市議の「後援会から計1350万円を借り入れたのに借人金ゼロとなっている」と指摘した質問に蝦名市長は「資産公開について私が記載を忘れていた。おわびして訂正する」と答弁していました。

市民からも抗議

 日本共産党釧路市議団の松永市議団長の話 議会制民主主義のもと、断じて許されるものではない。市民からも議会事務局に、はがきやメールなどで抗議や激励が届いている。さらに市民にこの問題を知らせ、市議会本来の役割を取り戻すようたたかいます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-12-23/2015122301_04_1.html
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/483.html#c3

記事 [雑談・Story41] にほんじんの ことだま あんぐろ さくそんの ことだま
http://hirakehibike.wordpress.com/

(にほんじんの ことだま あんぐろ さくそんの ことだま)

ありがとう ございます
という ことばを くちに だしている ときは
かなしみ いかり うらみ とかの まいなすの
かんじょうが ひっこんで おもてに でてこない
なんて いわれるけど
たしかに そんな きは する

だけど
この ことばの ぶつりてきな おとの ひびきに
そんな ちからが あると いわれると
それは ちょっと ちがうんじゃ ないかと おもう

たとえば にほんごを しらない がいこくじんが
この ことばを くちに しても
おなじような こうかが あるとは おもえないんだ

やっぱり にほんじんの こころを もった ひとが
この ことばを つかうときに
こうかが あるんだだろうなあ

ことだま とは そういう もの なんだろう
こころの はたらきと ことばの はたらきが
ひびきあって ことだまと なって はたらくんだ

―――――
えいご や ちゅうごくご にも ことだまは
あるはずだ
ちゅうごくじんが ちゅうごくごを つかうとき
それらしい ことだまが はたらく
あんぐろ さくそんが えいごを つかうとき
それらしい ことだまが はたらく

えいごや ちゅうごくごを がいこくご として
まなんだ ひとでも あるていど なれてくると
あんぐろ さくそんや ちゅうごくじんの こころが
のりうつって きて
ことだまが はたらくように なるんじゃ ないかな

ことだま というのは
にほんじん らしさ あめりかじん らしさ
などを ことばの はたらき として
ささえ あんてい させ つよめている
ものなんだろうな

ことばと こころとは ひびきあって
ことだまを うみだし
その ことだまが その しゃかいの とくちょうを
あんてい させて いるんだ

―――――
いま こわれつつある せかいは
えいごが しはいてきな ちからを
もっていた わけだけど
いままでの えいご せかい えいご ぶんめいが
こわれる という ことは
あんぐろ さくそんの こころと
えいご という ことばが つくってきた
ことだまが せかいを しはいする
ちからを うしなう という こと なんだよな

これからの あたらしい せかい
あたらしい ぶんめいは どうなるんだろう
どんな こころと ことばが
ことだまと なって はたらき
せかいを つつむことに なるんだろう

にほんごの ことだま こそが
その やくわりを はたす はずだ と
おれは おもうんだよな

だけど いまの にほんじんの こころと
いまの にほんごが ひとつに なった
ことだまじゃ ちゃんとした やくわりを
はたせないんじゃ ないかなあ

にほんごの あたらしい ことだまを
うみだしたいよな
あたらしい せかいを ひらくような ことだまを

にほんじんが しっかりした こころを もって
しっかりした にほんごを つかいつづける ことが
あたらしい ことだまを うみだし
あたらしい せかい あたらしい ぶんめいを
つくる という わけだよな

―――――
おれは いま
ひらがなで かく にほんごに こだわりを
もってるんだけど
おなじ にほんご でも
ひらがなで かく にほんごと
かんじ ことばを つかう にほんご とでは
ずいぶん ちがうんだ

いままでの にほんの わくぐみを
ささえてきたのは もちろん
かんじ ことばを つかう にほんご だけど
それが にほんじんの こころと にほんごを
ある わくの なかに とじこめて
いるんじゃ ないかな
そんな きがして しょうがないんだ

という ことで
ひらがな だけで にほんごを
かきはじめて みてる わけなんだけど
けっこう はまっちゃってるんだよな

もんだいが もんだい だから
なにか けっかを だす なんて ことは
かんがえても しょうが ないんだけど
ひらがな にほんごへの こだわりが
どうにも とまらない

なにも きたいせず なにも かんがえず
とにかく ひらがな にほんごを
つかい つづけて いたい
という かんじなんだな

―――――
そんな ことを やってて いま かんじるのは
ふるい ものの みかた かんがえかた から
はなれて じゆうに なれそうだな
という ことかな

えどじだい たくさんの ひとが
かんじを つかった ことばを つかうことを
てらこやで まなんで いたんだろうけど
でも その ひとたち には
かんじを つかわない にほんごが
いわば ひらがな にほんごが
じぶんたちの せいかつの ねっこに
ふかく ねづいて いたんだよな

しゃかいの ねっこを つくって いたのが
ひらがな にほんご
そして
しゃかいの わくぐみを つくって いたのが
かんじ ことば なんだろうけど

いま ふるい せかいが こわれ あたらしい
せかいを つくろうと するときに
どっちが じゅうようかと いえば
もちろん ねっこと なる ことば だよな

わくぐみを つくる ことばに なれちゃうと
ねっこと なる ことばが はたらき にくくなって
あたらしい せかいを つくろうと するときには
まいなすだ

―――――
とか なんとか りくつを かんがえて みることも
あるけど
でも そんな りくつ ぬきで
ひらがな にほんごで なにかを かいていると
あおぞらが おおきく ひろがっている ような
のびのび した きもちに なれるのは
たしか なんだ

まあ とにかく ひらがなで かきたいなら
かいていれば いいじゃないか
ということで これからも やって いきたいと
おもってるわけなんだ

―――――
……ひらがな にほんごで ものを かんがえ かくのは おもしろいなあ。ひとあじ ちがった かんがえかたが できそうで やめられないよな……

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/284.html

コメント [カルト15] 安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果です。 小沢内閣待望論
36. かっぺたんパッチ[484] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月23日 10:33:13 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[743]

ガーシュイン 1927
https://m.youtube.com/watch?v=aXPocQwKjNw

安倍君、仕事は首相だけじゃ無い。
少し、満州について、何があったのか
時間をかけて学んでからでも、あの世に行くのは
遅く無い。

歴史編纂室で、いろいろ見ても、都合の悪い事を
消さないように。


http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/477.html#c36

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
4. 2015年12月23日 10:33:31 : 4OAG5Jdpn6 : lmN1oQvkOoY[17]
また適当なことを書いてるよ。中川隆は。
昭和天皇は、アメリカとの開戦は反対されていたんだよ。
勝てない相手に喧嘩を売るほどバカじゃなかったんだよ。

それがいつのまにか、軍閥のボケナスどもの思惑で引くに引けない展開になり、太平洋戦争に突入した。
軍閥・官閥・財閥連中はグルで、中には中川隆が書いたように、ルーズベルトのスパイがいてもおかしくはない。

勿論、戦争責任は国家元首の昭和天皇にもあるが、そのうち真実が暴露されたら、軍閥・官閥・財閥連中の中に本物の犯人がいたことが判明するだろう。
全てを昭和天皇のせいにして、逃げたヤツラが。

官僚、財閥。 コイツ等は責任をとらないナンバー1,ナンバー2だ。
 
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c4

コメント [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 10:34:35 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[190]

多くの投資家は、引き下げを予想してただろうな


>2社の子会社併せて数十万人が働く大企業が果たして再生できるかどうか

ま、アベノミクスがなければ、これらも含め、多くの大企業が、とっくに潰れていたよ

その分、中韓などに皺寄せが行っているわけだw


http://jp.reuters.com/article/toshiba-sandp-idJPKCN0R91B820150909
S&P、東芝の格付けを「BBB─」に1ノッチ引き下げ  
今後1─2年は、業績と財務の改善見通しが下振れするリスクがあるため、アウトルックは「ネガティブ」とした。


http://news.yahoo.co.jp/pickup/6185052
焦点:サムスン電子、復活のカギは「ハード至上主義」からの脱却

http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] 評価の細目は公表せず 新国立「A案決定」に談合の臭い(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 10:35:27 : VpI9hmhTFQ : d3NhNj5wO8U[6]
森会長の発言なければ…落選のB案「伊東さんは気の毒な気がする」
2015年12月23日 7時53分 スポニチアネックス

 2020年東京五輪・パラリンピックのメーン会場となる新たな国立競技場の建設計画を担う設計・施工業者の選定で、政府は22日、応募2案から大成建設などと建築家の隈研吾氏(61)が手掛けたA案の採用を決めた。「外見だけならB案」などと“B推し”を表明していた大会組織委の森喜朗会長は「今回選定された新国立競技場の事業者提案には、コーツ委員長をはじめIOCおよび東京2020組織委員会がこれまで強く要望してきた竣工(しゅんこう)時期の前倒しが反映されており、政府をはじめ、関係者のご尽力に感謝申し上げます」とコメントを発表した。

 社会評論家の小沢遼子氏は「B案に決まったら“森会長が言っていたから、やっぱりB案になった”と言われてしまうと、選考に当たった人も考えたはず」と指摘。発言がなかったらB案になっていた可能性もあったとし、「伊東(豊雄)さんは気の毒な気がする」と話した。「多大な影響力があると噂されている人が、2つの案が出た直後にどっちがいいというのは、あまりに不見識」とした。

http://news.livedoor.com/article/detail/10987838/
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/508.html#c1

記事 [経世済民103] 日本人の“持ち家信仰”はまもなく終焉を迎える 将来は買うより借りた方がいい 本当は教えたくないマンション業界の秘密
               新築マンションを買う−。近い将来、そのステイタスは崩れる可能性がある


日本人の“持ち家信仰”はまもなく終焉を迎える 将来は買うより借りた方がいい
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20151213/ecn1512130830002-n1.htm
2015.12.13 本当は教えたくないマンション業界の秘密 榊淳司 夕刊フジ


 「ウダツが上がらない」という言葉がある。

 「仕事ができない」「稼ぎが悪い」といった意味で使われている。

 しかし、「うだつ」とはもともと隣家との間に設ける1、2階間の屋根付きの壁のことである(諸説あり)。つまり、うだつを上げられるというのは「立派な家を建てた」という意味になる。

 日本人は家を買うのが好きである。まとまったお金が入ってきたり、収入が増えたりすると必ず家を買う。あるいは新築する。都会に住んでいれば新築マンションを買うということになる。

 40歳を過ぎて子供が学校に通っているのに、持ち家ではなくて賃貸に住んでいると「まだ買っていないの?」という目で見られる。一人前の大人は持ち家に住んでいなければいけないというのが日本社会の「空気」なのだ。

 だから「うだつが上がらない」という価値観は、今も濃厚に生きている。しかし、果たしてこの価値観はこれからの日本人を幸せにするだろうか。

 私のところには、マンションの購入や売却について多くの方が相談にみえる。特に購入を考えている方の発想は「家賃を払っているよりも買った方が得だろう」というベクトルが多い。

 これは、その通りである場合もあれば、そうでない結果になることもある。エリアや物件、その時の市場の状況などによる。今の東京の都心エリアのように、購入価格が家賃の30年分以上にもなるバブル状態の場合は、賃貸にしておいた方が無難だ。

 日本は今、全国的に家が余っている状態だ。空家率は2013年の調査で13・5%。賃貸住宅の空室率も、現在は約20%だとみなされている。東京や大阪、名古屋といった大都市でも、今後人口は減っていき、世帯数の増加も止まる。住宅に対する需要は細る一方だ。

 ところが、「うだつを上げたい」日本人が多いので、毎年80万戸から100万戸の住宅が新築されている。この需給ギャップは住宅価格や家賃の下落となって表面化する。現に地方の住宅には値段が付かないほど下落したものが多い。東京の郊外でも老朽化した戸建てやマンションは数百万円で売買されている。

 こういった下落の波はいずれ、今はバブル化している東京の都心や、価格上昇の圧力がかかっている大阪市の中心エリアにも及んでくるはず。

 この先、若者たちは住宅価格や家賃が上がるのではなく下がるのを目の当たりにしていくことになる。そういった時代になっても、日本人は依然として「うだつを上げよう」とするだろうか。

 特に、都会人の住形態の主役である分譲マンションについては、今後老朽化やスラム化、廃虚化が社会問題となる。賃貸ならば、引っ越せば問題は100%解決するが、所有者はそういうわけにいかない。管理組合の一員として、この厄介な問題に向き合うしかない。

 若者が車を買わなくなったと言われて久しい。次は「家を買わなくなる」時代が、もうそこまでやってきている。

 ■榊淳司(さかき・あつし) 住宅ジャーナリスト。同志社大法学部および慶応大文学部卒。不動産の広告・販売戦略立案の現場に20年以上携わる(www.sakakiatsushi.com)。著書に「年収200万円からのマイホーム戦略」(WAVE出版)など。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/750.html

コメント [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ) 赤かぶ
2. 2015年12月23日 10:42:59 : OkXopCDtCI : A8c@zeLIHq8[4]
不正会計と言う名の粉飾決算を行う企業の株価が暴落するのは当然の事でしょう。
何もびっくりポンする事ではない。
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪衝撃≫東京地区の世論調査で共産党が野党第1党に躍り出る!支持率共産党「4.2%」民主党「3.7%」(東京新聞) 赤かぶ
22. 2015年12月23日 10:45:24 : 1Tz0DHxfg2 : e3zee0VE74o[25]
弁護士でも学者でも、物書きでも、坊さんでもsealsメンバーでも、別段有名でなくても良い、兎に角sealsと弁護士会が推薦して仲間である事が証明されればその人達が新党を立ち上げて、自民党に対抗してもらわないと、自民党18パーセント共産党4パーセントじゃ、自民党に勝てないんじゃないのか?
民主党は岡田だの枝野がトップにいる限りどうせ国民の支持は下がるばっても、あがりる事はないし。
民主党に入れるのは、自民党は潰したいけど、まだ共産党にアレルギーがあるから民主党に入れるだけで、岡田・枝野の民主党に入れたくて入れているわけじゃない。
なんとか自民党を踏み潰して快進撃する国民が真に支持できる党が出来ないものか。
選挙前にそのパンドラの箱が開くことだけを期待している。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/459.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK198] 「食品を8%から8%に軽減します!」と言う議論を さも「大減税」のように伝える日本。政府のいかなる失政も、音なしで… 赤かぶ
1. 2015年12月23日 10:46:53 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[53]
投票で  自民党と 創価学会をつぶすしか 手は無い

 後は 犬の遠吠えにしか過ぎない
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/520.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] 産経新聞支局長に『お疲れさま』という日本の総理。その産経新聞はどのように海外で写っているのか、冷静に考えた方がよい。 赤かぶ
4. 2015年12月23日 10:47:48 : rwgORSmgTI : ySbarMWNCPU[6]
今の日本には政府にべったり癒着した司法しかないが、韓国にはまともな司法制度が生きていると言うことがよくわかる裁判の結果である。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/487.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK198] 政界地獄耳 投票行ってほしいけど興味持つなとは(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 10:48:55 : ul6csL02Ok : fgwJ9WF8E4o[3]
これほど的確に、政府の思惑の愚かしさをしめしたタイトルはないま
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/521.html#c1
コメント [カルト15] 安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果です。 小沢内閣待望論
37. かっぺたんパッチ[485] gqmCwYLYgr2C8YNwg2KDYA 2015年12月23日 10:50:38 : ea87LB8lXE : QLXs07ycaI8[744]
フランク シナトラ

https://m.youtube.com/watch?v=h9ZGKALMMuc

The way look tonight

さあ、変なおじさんタイム

じゃあ無くて、

働くおじさんこんにちわ


じゃあ無くて

歴史編纂室へ

ダーの

笑うセールスマン

タイム


それが、どうもカリフォルニアですっかし
毛皮が苦手になり、ベンジークリスマスが
映像的にきつかったんで。

具合悪いです。


http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/477.html#c37

コメント [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ) 赤かぶ
3. 2015年12月23日 10:50:41 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[54]
<<アベノミクスがなければ、これらも含め、多くの大企業が、とっくに潰れていたよ

 アベノミクスの 失政で  企業活力が 失われ 倒産する

 自民党の政治は 経済懲罰政治(消費税) 此で 人口減少と来るのだから

 完璧に政策が 間違えている
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK198] 前ソウル支局長に無罪判決 でも産経新聞と日本のメディアは、我が身を振り返るべき 江川紹子の「事件ウオッチ」 赤かぶ
1. 2015年12月23日 10:55:19 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[257]
産経元支局長が記事の内容を虚偽だと認めたことは他の日本メディアが書いた朴大統領の「告げ口外交」なる記事も虚偽だと認めたことと変わらないのでこれによって福島原発事故によって日本産の農林水産物の輸入をストップし放射能の害を喧伝しようとした韓国政府・メディアに対する反撃(原発事故の責任とセウォル号の事故責任の軽重を公に比較させ韓国政府・メディアを貶めようとする策謀)を封じることができた。だから裁判の判決は無罪で構わない。というのがおそらく韓国側の考え。日本は立憲君主制で韓国は共和制の国。制度が根本的に違うから日韓のメディアを比較してもあまり意味はない。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/502.html#c1
コメント [] セックスボランティア 「貴女の全て舐めます。」「叩かれ役などします。お気軽に」 いいことですよね。“ip関連情報を削除” 遠山納のりこ
2. よっち[1] guaCwYK_ 2015年12月23日 10:58:02 : FoMnoAkEoU : vMwIsn7iITg[1]
管理人様
お世話になります。私は小林常雄先生と一緒にクリニックで働くものです。この文章は一部のマスコミよる誹謗中傷であり、本当の事実を調べてから掲載して欲しいと思います。営業妨害であり即、削除して欲しいと思います。管理人さん宜しくお願い致します。
http://www.asyura2.com/sora/bd9/msg/677.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK198] 山本太郎議員スピーチ(3分)「選挙でのご恩返しのために皆さんの税金を大企業にどう横流しするかが現在の政治のメインテーマ 赤かぶ
10. 2015年12月23日 10:58:16 : FoozYI3PZF : 0W@FLm@Cvms[8]
今年の第二四半期で約8兆円のマイナスを叩きましたね。
管製相場による株上げで就任時比較ではプラスだとしても、ポートフォリオで国内株式25%はやはりリスキーだと思いますね。

安倍内閣発足時から軍事費も年々うなぎ登りであり、今や5.5兆円という莫大な金額。
消費税を上げ続けて軍事費膨張、更には社会保障カットで株にぶち込んでおりますね。

これ仕組みを変えなければどうにもなりませんね。
企業はルールに沿って利益を追求して内部留保を確保する。その為に企業献金を行い便宜を図ってもらう。この悪循環は全て利益追求こそが大企業にとっての命題だから。

これを変えるには制度、仕組みを改革するしか手はありませんが、自民党には絶対的に無理でしょうね。何しろそれらの悪しき慣習で成り立ってきた政党ですから。

自民党政治の終わりが日本の始まりだと思います。問題点は明らかであり、そのルールを変えさえすれば自動的に流れも変わるだけの事なのですけどね。

今時、資本を頂点に集めれらトリクルダウンが起こるだろうなどという願望に期待するようでは余りに知恵がない。仮に安倍政権がそうしたのであれば、願望ではなく、現実的にトリクルダウンせざるを得ないような強制力のある制度に仕組みを変更しなければいう迄経ってもその願望は成就されず、願望のまま終わり国民の不信感を増大させるだけ。

米国にしろ国内大企業にしろ、幾ら金を貰おうが、幾ら強権的な要求を突き付けられようが、当たり前のように駄目なものは駄目と言えなければどうしようもないですね。

全てが言いなりにも関わらず、さも自身の言葉のように原稿にルビを振りながら語るのですから諸外国から見たら情けない事この上ない。

最低限でも山本氏のように自身の言葉で語れる政治家に交代して頂かないと我々国民としては本当に困ります。トップに立つべき人間はそれなりの人物でないと、それが町内会の長であれ会社社長であれ、国のトップであれ同じ事。必然的にその組織はトップのレベルに合わせるように全体のレベルも下がります。

その為に必要なのは政治の場合、政権交代。それしかありませんね。

都民
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/445.html#c10

コメント [経世済民103] 何かの暗示?(東芝の一万人削減と日本マクドナルド売却) (NEVADAブログ) 赤かぶ
10. 2015年12月23日 10:59:07 : kebDWDUE0w : ujjPUQSxgcY[76]
アメリカで不用になったものは日本に高く売りつける、日本の大切な物はアメリカがタダ同然で買う。こんなこと続くはずがない。植民地の悲劇。独立しない限り永久に日本に何も無くなるまで続くだろう。そしてその間は売国奴達が自分の運命も知らず売国をし続けるのだ。こんな奴らを殺すしかないのではないか。それにしても日本には売国奴が多過ぎる。
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/718.html#c10
コメント [カルト15] タップ・イルミのトップはゲール人。通貨発行権独占者は、メディア格付け評議員やゲール人を風避けに使いたいようです。 小沢内閣待望論
9. 2015年12月23日 10:59:17 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[100]
 ガチンコで来るプー閣下も一味デスタ悪モン自分じゃないデス自分らだけじゃないデスみたいなケンカ敗走中の半泣き小学生というか墨吐きばがら逃げる巨大イカの衣装ハゲ落ちたタコみたいなセコイ根性が偲ばれる逸話というか童話みたいな記事でヤッパ笑いますね★
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/481.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK198] 塩野七生氏インタビュー「安倍首相にやりたいだけ、10年はやらせろ」に欠ける近代立憲主義。 赤かぶ
17. 2015年12月23日 10:59:51 : rwgORSmgTI : ySbarMWNCPU[7]
昔「三婆」と言う映画(演劇)があったが、現代のろくでもない三婆(桜井よしこ・曽野綾子・塩野七生)が跋扈するこの世の中は戦前以上に醜い世の中の到来が予測される。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/486.html#c17
コメント [中国7] 深セン土砂崩れ、1人が遺体で発見、一家全員が行方不明になった家族も―中国紙 赤かぶ
1. 2015年12月23日 11:01:32 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[258]
Domestic | 2015年 12月 23日 09:54 JST

中国土砂崩れ、男性1人救出
http://s1.reutersmedia.net/resources/r/?m=02&d=20151223&t=2&i=1104283677&w=644&fh=&fw=&ll=&pl=&sq=&r=PN2015122301000904.-.-.CI0003
中国土砂崩れ、男性1人救出
 {深セン共同}23日の新華社電によると、中国広東省深セン市の大規模土砂崩れ現場で救助当局は2人の生存者を確認し、同日早朝、男性1人を救出した。意識ははっきりしており、救助される際、もう1人は近くにいると話した。現場では23日も未明から捜索が続いており、被災者の生存率が著しく下がるとされる発生後72時間を23日正午ごろに控え、捜索は急ピッチだ。

 ただ多くの建物が土砂に完全に埋まり、呼吸できる空間の確保は困難とみられている。香港メディアは救出される人がかなり少ないだろうとの見方を示した。住民の間でも「多くの生存者は望めない」と悲観的なムードが広がっている。


《共同通信》

http://jp.reuters.com/article/idJP2015122301000890
http://www.asyura2.com/15/china7/msg/616.html#c1

コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
40. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:03:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[421]

(パリ)ゴッホと浮世絵
http://www.youtube.com/watch?v=3TFv_rqFNIU


ゴッホは何故ゴッホになれたのか?

1. ファン・ゴッホは何故 突如として変貌したのか?


Fields of St. Etienne - Mary Hopkin
http://www.youtube.com/watch?v=s2UX7_kpNHg


Vincent van Gogh 画像

http://commons.wikimedia.org/wiki/Gogh
http://artchive.com/ftp_site.htm
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh-2.html
http://www.vggallery.com/
http://www.vangoghmuseum.com
http://www.vangoghgallery.com


フィンセントは最初の大作「馬鈴薯を食べる人々」を完成させた後、もう一度正式な絵の勉強をしてみる気になっていました。 1885年11月、フィンセントはアントワープに向かいます。 有名なアントワープの美術アカデミーに入学するためでした。 美術アカデミーは1月開始予定でしたので、それまでの間、フィンセントはモデルを雇い、人物画を描きました。その一方で、アントワープにあるルーベンスの絵画に熱中します。ルーベンスが描くピンク色に輝く裸体にすぐにフィンセントは影響されます。「馬鈴薯を食べる人々」にみられた灰色がかった陰鬱な色彩がかき消え、女性の肖像画には、唇や肌に混じりけのない強烈な赤が使われています。


 1月にようやくアカデミーに入学しました。しかし、アカデミーの教師たちは超保守的な時代遅れの連中で、フィンセントはすぐに衝突してしまいます。毛皮の帽子に家畜商人の青いスモックという異様な風体でアカデミーに現れたフィンセントは、恐るべき勢いで男性モデルの描き始め、たちまちのうちに、カンヴァスも床も絵の具だらけにしてしまいます。アカデミーの校長は怒り狂い、すぐに、フィンセントをデッサンクラスに格下げしました。

デッサンクラスでも、フィンセントは持参したデッサンを床いっぱいに広げて教師にみてもらおうとして、騒動を巻き起こします。フィンセントが床に広げたのは古典的な端正なデッサンとは似ても似つかぬ荒々しいデッサンでした。たちまち、学生たちが一斉に集まってきて、収拾がとれなくなります。学生の多くはその珍妙なデッサンを嘲笑いました。しかし、その強烈な線に魅了され、まねようとするものも現れ、教師を激怒させます。

油絵コースから外され、陳腐なデッサンを強要するアカデミーに飽きたらなくなり、フィンセントはアカデミーの学生たちが夜間行っているデッサン・クラブにも顔をだしてみました。しかし、モデルを描くことができる以外、アントワープでの絵画修行は得ることがほとんどありませんでした。


 アントワープでフィンセントはルーベンス以外にもう一つ強烈な絵画体験をしていました。日本の浮世絵です。浮世絵の大胆な構図と明快で単純な色調に魅了されたフィンセントは下宿の壁を浮世絵で埋め尽くします。

ルーベンスと浮世絵に開眼したフィンセントはさらに新しい絵画経験を熱望するようになります。そのためには方法は一つしかありません。さまざまな傾向の絵画芸術が渦巻いているパリにでることです。そして、実際、パリで、フィンセントは新たな絵画を切り開こうとしている天才たちとその傑作絵画群に出会うことになります。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

アムステルダムのファン・ゴッホ国立美術館について教えてください ケンさん
07/03/31 17:01


ご質問の内容とは異なりますが…。 nonann
07/04/01 01:05


「浮世絵」がある、と表示のある階にはお子様をお連れにならない方がよろしいかと。

今は違うかもしれませんが、13年前の「浮世絵」はほとんど春画でした。
ゴッホの本当の趣味はこっちだったの?と目がパチクリな経験があります。

その階の展示は大人だけでお楽しみください…。日本でもあれだけのコレクションはめったにみられないと思います。逆に今はあれが見られないとなると大変残念。貴重です。

http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/thread2.php/id/221950/-/parent_contribution_id/221950/


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
/:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_                 _、-、_
;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、  ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ.   /"´ ̄~''ヽ. ,.. ‐"`'ー-''`''-、
;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::
  ヽ


ゴッホ

あの炎の人と呼ばれた画家ゴッホ。

彼は世界的にも有名な春画のコレクターでした。

浮世絵全般に大変な興味を持ち、その影響を多大に受けたと言われています。歌川広重の「名所江戸百景亀戸梅屋舗」という作品をはじめ、400点以上もの名画を集めたそうです。 江戸時代の日本は鎖国状態にあったため、海外との流通は長崎が起点になっていました。オランダにいたゴッホにとっては好都合だったのかも知れませんね。

特に葛飾北斎のファンで、彼の春画や画集はいつも手元に置いていたそうです。又、歌川派の浮世絵も多数所有していたと言われています。

そんなゴッホの名作、「雨中の大橋」と「花咲く梅の木」には日本の文字がデザインとして一体で模写されています。

まさに春画は日本が世界に誇る芸術。その良さは海の向こうでもしっかりと評価され、多数のアーティストたちを虜にしていました。ゴッホばかりではなく、セザンヌは北斎の「快晴の富士」を、モネは鈴木春信の「蓮池舟遊び美人」といった、浮世絵や春画・枕絵をそれぞれ好んで手本とし、模写したそうです。

http://makurae.lovely-lovely.biz/archives/post_2.html

57. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:21:42.49 ID:U12kjNMv

ゴッホ

・生涯に一点しか絵が売れなかった貧乏画家だったが、400点以上に及ぶ浮世絵をコレクションしていた。弟テオのコレクションも含めた数は477点。


・当時、作品は所有者の死後、オークションで処分されるのが一般的だったため、他の印象派画家のコレクションの日本の浮世絵はほとんど残っていないが、例外的にゴッホだけは、近親者の子孫たちの努力もあり現在まで全てが完全な形で残されている。

・複数の絵師が共同で一枚の浮世絵を描いたりすることを知ったゴッホは、アルルのアトリエにゴーギャンたちを招いて共同生活を始めた。 しかし結局この試みは失敗に終わり、ゴッホは激昂して発作的に自分の耳を切り落とした。 その「耳切り事件」の直後に耳に包帯を巻いた一枚のポートレートを描いたが、その絵の元となったのも浮世絵。

56. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:20:21.30 ID:U12kjNMv

ゴッホ

「日本人が、稲妻のように素早くデッサンするのは、その神経がわれわれよりも繊細で、感情が素朴であるからだ」

「僕は日本人が何をやっても極めて正確に行うのを凄まじく思う。

それは決して退屈な感じを与えず、決して大急ぎでやったようにも見えない。

彼らは息をするのと同じくらい簡単で、狂いのない二、三本の線で同じように楽々と人物を描いてしまう。まるでチョッキのボタンをはずすかのようだ。」


「僕達印象派の画家達(モネ、マネ、ロートレック等)は日本の浮世絵を愛しその影響を受けている。」

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


ファン・ゴッホが弟テオに宛てた手紙で、北斎のことを次のように言っている。


「日本美術を研究すると、間違いなく聡明で博学な哲学者を発見することになる。 その男は何をして時間を過ごしていると思う? 地球と月の距離を測っている? ビスマルクを勉強している? 違う。 一枚の葉を探求しているのだ。

しかし、この葉の探求のおかげで全ての植物が描けるようになり、次に季節が、広大な風景画が、動物が、そしてついには人間が描けるようになるのだ。 こうやってこの男は人生を送っているが、すべてを完成させるにはこの人生は短すぎるのだ。

いいか、日本人が教えてくれているのは真の宗教だ。

 彼らはとても純粋で、まるで自分自身が花の如く自然の中を生きている。」

(ゴッホは「富嶽百景」の北斎の自跋(2-1参照)を読んだのであろうか!!!)

http://www.muian.com/muian08/muian08.htm

 アントワープでフィンセントは乏しい資金を画材やモデル代に回してしまったために満足に食事も摂れず、肉体的にぼろぼろになってきました。 歯も10本以上が抜けかかっていました。栄養失調が原因でしょうが、他にも歯が抜ける理由があったようです。

歓楽の街アントワープでどうやら梅毒に罹患してしまったようなのです。

但し、アントワープ時代にフィンセントが梅毒の診断を受けた時、既に彼は33歳でした。それから、アルルでのクリスマス直前の最初のクリーゼ(発作性精神変調)まで2年ちょっと経過しているにすぎません。第2期梅毒から麻痺性痴呆発症までには最低15年の潜伏期間があるはずですから、フィンセントの精神病が麻痺性痴呆の可能性は低いといえます。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。

 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。
 
 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。

http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

フィンセントの弟テオの病気とは


死の4年前、1886年頃からテオは激しい咳を伴う体調不良に悩まされ、心臓が弱っていました(「テオというもう1人のゴッホ」マリー=アジェリーク・オザンヌ フレデリック・ド・ジョード著 伊勢英子 伊勢京子訳 平凡社)。しかも、原因不明の発作におそわれ、脳溢血の後のような麻痺が一時的に出現したこともありました。

その後、フィンセントがアルルに移った直後の春にも体調を崩したようで、テオがかかりつけ医の「グリュビのところへ行った(No 489. 1888年5月20日頃)」ことを知ってフィンセントは心配しています。 治療の一つとしてヨードカリが使われていたようで、さらに、女性に接することを控えるようグリュビが言うだろうとフィンセントは予測しています。

「唇を固く結んで「女はいかん」と言うときのグリュビの顔をみたかね。あんな風な顔は見事な一枚のドガになるよ」

などと書いていますから、フィンセントも同じことをこの医者から言い渡されたことがあったようです。


1990年6月10日にはテオがヨハンナと甥のフィンセントをつれてオーヴェールにやってきました。フィンセントはおもちゃ代わりに小鳥の巣をとってきて甥を歓待しました。 その後もフィンセントは旺盛な創作活動を続け、麦畑の連作などを計画します。アルル時代の強烈な色彩は影を潜めたままですが、相変わらず、円熟した技法で自在に絵を描いていました。しかし、やがて、その絵のなかに影がさすようになります。

 オーヴェールからパリに戻った後、甥のフィンセントが牛乳のせいで体調を崩しました。ヨハンナの必死の看病でようやく一命をとりとめますが、7月6日、心配したフィンセントはパリに駆けつけます。しかし、そこでかれがみたものは、看病に疲れ果てたテオとヨハンナでした。しかも、この頃、テオは画商として独立しようと画策していて、そのことでテオとヨハンナの意見が対立していました。さらに、テオはその後悪化することになる精神的身体的不調もみせていたようです。

 このように、もともと思わしくなかったテオの健康状態はヴィンセントの死によって一挙に悪化します。 テオはパリの病院に収容されます。入院後、ある程度落ち着きを取り戻したため、オランダでの治療を要望するヨハンナの意向もあり、テオはユトレヒトの精神病院に移されます。 しかし、転院時、痴呆症状は急速に進行、わずかに「フィンセント」という言葉にだけ反応するようになります。舌がふるえ、食事がとれなくなり、嘔吐を繰り返し、げっそりやせ細って、衰弱がすすみ、1891年1月25日、兄の自殺の6か月後、テオは死にます。34歳でした。

 尿がでなくなり、幻覚症状を伴う意識レベルの低下がみられたことから、ピサロの息子は父親にテオの死因を尿毒症と報告しています。この腎臓病死因説は長い間信じられ、1989年にゴッホの伝記を上梓したスウィートマンも「厄介な腎臓病にかかり」と書いています。ですから、1989年の時点までは一般的にはそのような認識だったわけです。

 ところが、1992年、例のオランダのヴォスクイルが、テオが最後に入院したユトレヒトの精神病院から公開されたデータをもとに、その死因について従来とまったく異なる事実を明らかにしました(Voskuil pha(1992) het medisch dossier van Theo Gogh. Ned Tijdschr Geneeskd 136, 1770−1780)。

ヴォスクイルによれば、ユトレヒトの精神病院の診療録には、転院時の症状として歩行障害、言語障害、失認、異常興奮、誇大妄想、瞳孔不同が記載されていたとのことです。また、パリの病院からの紹介状には麻痺性痴呆と同義語である全般性進行性麻痺 paralysie progressive generalの診断名が記載されており、ユトレヒトでの最終診断も「急速に進行する麻痺性痴呆」だったというのです。

1886年にみられた一時的な片麻痺が麻痺性痴呆の初発症状だったようで、1890年7月にフィンセントがテオ夫婦と甥に会いにパリにでてきたときには、麻痺性痴呆の症状はもっとはっきり認められたはずだとヴォスクイルは指摘しています。そのことがフィンセントの自殺に影響を及ぼした可能性すらあるというのです。

 麻痺性痴呆は梅毒の晩期症状です。 テオの末期症状はたしかに神経梅毒症状と考えると矛盾なく説明できるのです。とくに、瞳孔不同の所見は決定的で、眼底出血でも起こさないかぎり腎不全で瞳孔の左右差をきたすことはありません。
また、「死の4年前から心臓が弱っていた」というのは、梅毒のいまひとつの晩期症状である梅毒性大動脈炎のせいだった可能性があります。梅毒性大動脈炎では、主として、上行大動脈が脆弱となり、大動脈弁閉鎖不全、冠状動脈狭窄をきたし、これらは最終的に死に直結します。

 テオの時代、梅毒は不治の病でした。水銀治療などというものが一応ありましたが、これは、治療効果より副作用のほうが圧倒的に勝るという悪夢のような治療法でした。さらに、グリュビがテオにも処方しているヨードカリも抗菌剤として当時用いられていましたが、梅毒を根絶するにはほど遠い薬です。

 テオやフィンセントの頃は梅毒の「全盛時代」で成人の梅毒罹患率が8〜14%でした。 20世紀への変わり目、パリなど西欧諸国の大都会でいかに梅毒がありふれた病気であったかがわかります。 実際、ゴーギャン、ニーチェなどテオやフィンセントの同時代人で梅毒に罹患していた有名人は少なくありません。 19世紀から20世紀に移り変わる頃、中年の中枢神経疾患、循環器疾患の主要病因は梅毒だったといわれています。

 神経梅毒にてんかん発作がみられることは先ほど述べましたが、中には、神経梅毒によるてんかん発作出現後に痴呆症状があきらかになる患者もいました。 現在、てんかん発症によって痴呆に到ることは、特殊な、まれな病気に罹患した人をのぞき、まず、ありません。その理由の一つが、てんかんと痴呆を合併する代表的疾患、神経梅毒の激減ではないかと思われます。

 進行性麻痺は梅毒の初感染から15年〜20年で発症しますから、テオが梅毒に感染したのは13歳から18歳にかけてということになります。 17歳頃からテオは「灼けるような性欲に苦しめられ」ハーグの娼館「快楽列島」に足繁く通っていたました。時間的経過を考えると、テオが梅毒に罹患したのはこのときだと思われます。

 ヨハンナや息子のフィンセントの手記をみる限り、ヨハンナはテオの死因が梅毒だとは知らなかったようです。

 麻痺性痴呆が発症するのは初感染から15年から20年してからで、その間、第二期梅毒から10年以上まったく無症状です。 主治医はテオの末期症状の原因として梅毒を疑っていた可能性はありますが、確証がないのですから、そのことをヨハンナに告げなかったとしても不思議はありません。

梅毒は第二期梅毒あたりで一番感染力が強く、性行為を通じて人から人に感染したり、胎内感染を起こしたりする可能性がありますが、発病から4年を過ぎる頃から感染性が急速に低下します。麻痺性痴呆症状が出る時期には、梅毒スピロヘータは性器や血液中には存在せず、他人にうつることはありません。ですから、ヨハンナやその子のフィンセントが梅毒に罹患する可能性はまったくなかったわけです。実際、二人とも、長寿を保ち、梅毒症状も出現していません。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | 梅毒にかかったら4年間は
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | 女を抱いちゃダメよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

2.何故、西欧の芸術家は日本文化に憧れたのか?

春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html

日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html

現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html

春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html

江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html

江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html

江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html


門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html


江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html


キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html


上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html

Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html


江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html


春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。

http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


浮世絵

http://www.youtube.com/watch?v=qqKarRHRtaM
http://www.youtube.com/watch?v=3fAY9gBqjLs

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro

http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Ukiyo-e, UTAMARO, 'Michiyuki koi no futusao, shunga, erotic
http://www.degener.com/1793.htm


Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka


http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/super.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/toku.html

http://www3.tokai.or.jp/youko45/0602edayo/edayo00mokuzi.htm


浮世絵の展示室
http://homepage3.nifty.com/itoti/index.html


___________

___________

3. 西欧の画家に衝撃を与えた浮世絵


 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。

http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html

ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」

http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html


33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。

http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html


__________________
__________________

4.ファン・ゴッホは何故キリスト教を捨てたのか?


伝道師を目指した若き日のゴッホ


「よきサマリア人」は、中世から近代までの数多くの美術作品に描かれている。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh56.html


サマリア人をイエス、宿屋を教会に見立てて、ユダヤ教の祭司が見捨てた人間をキリスト教が救済したと言う寓意として、教会のステンドグラスを飾ったりもしている。 遠景に急ぎ足で去っていく人物を描く絵も多く、ゴッホの作品でも、画面の左側に小さく2人の人物が描かれている。遠くに見えるのが最初に通りかかった祭司、手前に見えるのが次に通りかかったレビ人である。いずれも、見て見ぬふりをして遠ざかる足早な後ろ姿で描かれている。

無心に旅人を抱き抱えるサマリア人に対して、遠ざかる人影の背中には、いかにも小心翼々として事なかれ主義がにじんでいる。一度は伝道師を志し、狂信的なまでに献身を尽くしたゴッホとしては、この後ろ姿には容赦ない批判があったに違いない。

ゴッホはオランダの厳格な牧師の家庭に生まれている。 そして、ヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名前は、なんとゴッホの誕生日に1年前に同じ日に死産した兄の名を継いでいる。 家が教会だった為に、ゴッホは幼い頃から教会墓地のヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名を刻んだ兄の墓石を見て育っているのである。

恐らく、その反動だろう。若い頃からゴッホは、病的なまでに自分自身のこの世における存在意義と言うものを探求している。 死んだ兄の代理として自分自身が生存している事への、恐ろしいまでの自責の念を抱き続けていたに違いない。 そうした心情と家庭の事情からすれば、ゴッホが伝道師を志した事へ当然の結果と言える。ところが、この伝道師への道は、破門と言う手ひどい形で閉ざされている。

原因は、ゴッホの余りに献身的な生活にあった。 極貧の炭鉱街に派遣された見習い牧師のゴッホは、人々の貧しさに衝撃を受け、衣服から寝具まで全てを与えてしまい、自分自身は藁の中に寝起きしていたという。最低限の衣類しか身に付けず、家畜小屋のような住居に暮らすゴッホの姿に伝道師協会へ怒り、協会の威厳を損なうものとして破門にしてしまった。 困窮する人々と苦難を分かち合おうとしたゴッホの情熱は、理解されないどころか、むしろ狂気の沙汰と見られこれが原因で伝道の世界から追放されてしまうのである。

この時の痛手は、終生ゴッホの心から消えず、以降、彼は形骸化した教会を批判し続けている。彼が手紙に書いた「宗教はうつろい、神は残る」と言う言葉には、痛切なでもにこうした思いが語られている。


イエスの弟子としてのゴッホ


「よきサマリア人」は、そんなゴッホが激しい発作の合間に精神病院で描いた作品。南フランスのアルルで試みたゴーギャンとの共同生活が破綻、口論の挙句、自分で自分の耳を切り落としてしまったと直後に描かれている。この共同生活は、ゴッホがアルルに構想した画家の共同体の第一歩として始められたのだが、こうした構想にしても多分に修道僧的である。

絵柄はオリジナルではなく、ドラクロアの原画の複製版画を模写している。この他にもレンブラントやミレーの宗教画を版画で見て、自分なりに色を着けて模写しているが、ゴッホのオリジナルの宗教画は1点も残されていない。

手紙によれば、ゲッセマネの園で祈るイエスの苦悩(第7章)を描こうとした際に、どうしても描く事が出来ず画面を引き裂いてしまったらしい。 友人に宛てた手紙には、聖書の場面を借りなくとも、人間の苦悩を描き、心に癒しをもたらす作品は描けるはずだと書いている。

その実、必死に祈るイエスを描こうとして描けず、断念したと言う事実を思えば、この主張自体も痛々しい。そんな彼が、宗教に代わるものとして選んだのが自然であった。

「ラザロの蘇生」は、その事を物語るような作品。

http://stundenbirne.jugem.jp/?eid=92


レンブラントの「ラザロの蘇生」を模写したものだが、奇跡を起こしたイエスは画面から省かれ、代わりに白熱する太陽が描かれている。あたかも太陽の熱線が死者を蘇らせたかのようである。作品は「よきサマリア人」と同じ精神病院で描かれており、この少し後にはゴッホは、絵の具を飲み干すほどのすさまじい発作に襲われている。

どうやら太陽の描写は発作の誘因になるようで、代表作「ひまわり」にも見られる黄熱の色彩は、ゴッホに極限までのエネルギーを費やさせると言う事は、本人も手紙に書いている。これ以降は、好んで夜空の星を描いている。 うねるような夜空にまたたく有名な作品「星月夜」も、この時期に描かれた作品である。 この星について、ゴッホは手紙にこう書いている。

「それまでもなお、僕はやはり、何というか、宗教がどうしても必要だと感じる。そんな時、僕は、夜、外に星を描きに出る」

絶とうとして絶てない信仰への思いが滲む文章である。

「それでも人間は、何か偉大なものなしにはやって行けないと思う」

この言葉は、ゴッホの脳の奥に潜む考え方の本質であると同時に、人が信仰というものを求める際の最も基本的な心情を語った言葉と言える。 ゴッホは、膨大な数の独創的な索引を描きながら、宗教画に限っては、どうしても自分なりのイエスの顔を描く事が出来なかったのである。 が、その実、ゴッホは「宗教はうつろい、神は残る」と言う精神において、律法学者達の偽善を突いたイエスに、最も忠実な画家の一人であったのだろう。

http://www.geocities.jp/tomoching2/goch.html


ベルギー時代のヴァン・ゴッホ 


<ボリナージュでの伝道>

ベルギー・プロテスタント教会ユニオンの1789-1880年の年報にワムという項目があり、伝道師ゴッホのついての言及があります。そこにはゴッホが誠心誠意で怪我人や病人を看病して面倒を見たこと、自分の衣服を裂いて包帯代わりにしたこと等が書かれています。しかし、最後に「伝道師としての資質に欠ける」と断定したうえ、任期更新は行わずに、すでに現地入りしていたユトン氏を後任者として任命したと結んでいます。

 中略

それではワム村の村民達はゴッホのことを実際にどのように見ていたのでしょうか。私の手元に、隣のフラムリ村出身でベルギー普通選挙の父と呼ばれるルイ・ピエラール代議士の書いた「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの悲劇的人生」という本があります。氏は30数年間モンス選出の代議士として活躍し、戦後は王立学士院の会員にもなりました。1920年頃に書かれたこの著書は、半世紀に渡りゴッホ研究者が頻繁に引用しましたが、現在では入手不可能な幻の名著です。現在出回っているゴッホの伝記の多くはこの本の焼き直しといっても言い過ぎではありません。

その中に、1910年代にワム村で元鉱夫達に伝道師ゴッホに関して取材をした箇所があります。ゴッホがワムを去って30年も経っていたにもかかわらず、“ゴッホが坑内から出てきたばかりの鉱夫たちの姿を縦坑出口のすぐ横で素描していたこと”を老鉱夫が覚えていたり、下宿していたドウニ家の息子の“ゴッホが作った子供向け聖書教室”の鮮明な記憶などに代議士は驚嘆しています。

ゴッホの記憶はワムの村人から消えてはいなかったのです。その証拠に、早くも1925年9月13日にゴッホの妹エリザベツの立会いの下で、ドウニ家の外壁に記念大理石プレートが住民によって付けられました。この記念碑は今も荒れ果てた家とともに残っています。それには「オランダ人ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853−1890)がこの家に1878−1879年に住んだ。伝道師で後にその時代で最も偉大な画家の一人となった」と刻まれています。この記念プレートが付けられた際、妹エリザベツは当時プチ・ワム村で牧師をしていたピエール・スクレタン・ロリエールに、ゴッホがボリナージュ時代に愛用したという聖書の詩篇集を贈りました。この詩篇集は後にアムステルダムのゴッホ美術館に寄贈されました。

また1924年、ピエラール代議士の求めに応じて、前述のボントウ牧師は伝道師ゴッホの思い出について3ページ半にわたる書簡を送りました。その中で牧師は

「ゴッホは最も不幸な者、怪我人、病人を好んで訪ね、彼らの傍に長い間とどまりました。苦しむ者のためにすべてを捧げようとしていました」

「彼の奥深い感受性には人間愛を超えたものがあって、動物たちやさらに虫けらの類にいたるまで大事にしていました」

ワム村を追われて半世紀近くたってからゴッホに贈られた元上司の賛辞といえます。

聖職者というのは医者と同様に、苦しむ者から一歩距離を隔てて活動すべき職業かもしれません。ミイラ取りがミイラになってはいけないのです。その意味ではゴッホは確かに伝道師失格だったかもしれません。しかし、自分の持ち物をすべて分け与えて、貧しい者や苦しむ者のみならず動物や昆虫まで愛したクリスチャン、ゴッホの生き方はそれゆえに村の人々の心に末永く生き続けたのでしょう。

すべてを神への奉仕の為に捧げたにもかかわらず、伝道師失格の烙印を押されてストライキ扇動者と罵られたゴッホは、失意の中、信頼していたピーターセン牧師を頼ってメヘレンに、着の身着のまま徒歩で北上しました。その一年前の夏、手っ取り早く宣教師になる道を探していたゴッホは、父と英国滞在中に世話になったジョーンズ牧師に付き添われてベルギー北部とブラッセルの牧師たちを訪ねて歩きました。その時に世話になったのがピーターセン牧師でした。


<牧師を志す>

ゴッホ自身の手紙によるとオランダでは聖職者になるには最低5年間大学で神学を学ぶ必要があり、しかも神学部入学にはラテン語とギリシャ語の知識が予め必要でした。ゴッホはその語学の勉強につまづき、アムステルダム大学入学を断念した苦しい経緯がありました。「息子はオランダでは牧師になれないが、ベルギーでなら何とかとなる」と判断した父のアイデアだったのでしょう。そのゴッホにブラッセルの北、ラーケンにあるベルギー・プロテスタント教会ユニオンによって創設されて間もない小さな宣教師養成学校から3ヶ月の試用期間付で入学許可がおりたのです。ここではたった3年間で宣教師を養成していました。しかも試用期間中はフレミッシュの学生と同様に、学費無料で宿泊代と食費のみを払えばよいという好条件でした。この学校の詳細は残念ながら詳しくわかっていません。またゴッホの書簡に出てくるボクマという教師についても記録がみつかりませんが、名前から判断する限りオランダのフリスラントウの出身者のようです。そうであればこの入学に関しては当然ゴッホの父のコネが効いたことでしょう。

残念ながらここでも彼は挫折してしまいました。彼の非社交的な性格と宣教師として不可欠な仏語の雄弁術に欠けていたのが最大の理由でした。当時の同級生はゴッホについて「従順さに全く欠けた」と回顧しています。

そして同年11月15日にテオに送った長文の手紙でボリナージュで伝道したい旨を説明して、最後に追伸で学校の試用期間に失敗したと告白したのです。その手紙にゴッホは有名な「炭鉱」というデッサンを添付しました。

彼はなぜこのデッサンを手紙と一緒に送ったのでしょうか。

当時、ボリナージュで採掘された石炭の多くはフランスに輸出されていましたが、一部はモンス・シャールロワ間のソントウル運河とブラッセル・シャールロワ運河を使って船でブラッセルに運ばれていました。船といっても現在のようにエンジン付の船ではありません。運河の両側に設けられた小道で、人や馬が石炭や貨物を満載した船にロープを付けて引っ張って行ったのです。そしてブラッセルの運河には、この作業道に沿って様々な工場や会社が並び、多くの労働者が肉体労働に従事していました。

ゴッホの描いた「炭鉱」はこういう肉体労働者の為に設けられた休憩所です。そこは労働者がお弁当を食べたり、水代わりのビールを飲んだりするところでした。また夜は綺麗所の来るキャバレーにもなりました。いわば「キャバレー炭鉱」だったのです。ゴッホはこの絵を描きながら、まだ行ったことのない炭鉱地区ボリナージュを思い浮かべたことでしょう。彼自身はこのデッサンを「くだらないデッサン」と書簡に書いていますが、私は非常に個性的で誠意に満ちていると評価しています。しかも画面の上の三日月や、意図的に直線を避けた建物のラインと、瓦と石畳の曲線は後にアルルで制作した「夜のカフェ」、サン・レミの「星と糸杉のある道」を彷彿させます。

神学校を3ヶ月で落第したゴッホはそれにもめげず、1879年の12月に自費でボリナージュに伝道に出かけ、モンスの南にあるパチュラージュ村の行商人ヴァン・デル・ハーフンの家に月30フランで下宿しました。子供に読み書きを教えたり、病人を見舞って看護したり、文盲の鉱夫や農民達に聖書を朗読したりといった活動をしながら、伝道委員会に伝道師任命を懇願しました。幸い前年に、それまでワム村の一集落にすぎなかったプチ・ワムは独立した村に昇格しました。当時の習慣で、村民が望めば村専属の牧師を国費で呼び寄せることができました。村から要請をうけたベルギー・プロテスタント教会ユニオンは、適任の牧師が直ぐに見つからなかった為に、とりあえず、ボリナージュにいたゴッホを6ヶ月の期限付きで伝道師として任命し、プチ・ワムに送ったのでした。


<ボリナージュでの再出発>

さて失意と疲労にもかかわらず、メヘレンまで訪ねてきたゴッホをピーターセン牧師は温かく迎えてくれました。恐らく久しぶりにオランダ語で話し合えたのでしょう。そして牧師の趣味だった水彩画を見せられたゴッホは、息を吹き返したかのように元気になってまたボリナージュに戻っていきました。でも今度は画家として修業を始めたのです。そして、クエム村のフランクという伝道師が借りていた鉱夫の家の離れに1879年の8月から翌年の10月まで居候しました。彼が住んだ離れ家は今はなくなっていますが、荒れ放題になっていた母屋は近年「ゴッホの家」として修復されています。

ここで画家になる決意を固めた彼は デッサンの習得の必要性を感じて農民や鉱夫のデッサンに没頭します。その修業期間中に、彼がお手本として重宝したのがミレーの「種まく人」や「鋤を使う人」の版画でした。弟のテオが勤める「グーピル画廊」が名作の版画コピーを主たる商売としていたので、ゴッホは1880年の夏にテオに宛てた手紙でミレーの「畑仕事」という数枚の版画を郵送してくれるよう頼んでいます。

現在の「ゴッホの家」には彼がこの家で制作したミレーのコピー「鋤を使う人」が展示されています。ミレーの原作はパステル画ですが、当時のコピーが白黒の版画で売られていたのでゴッホはその版画を手本としました。ゴッホはずっと後、1889年にも油絵の具でまた「鋤を使う人」を制作しています。構図は原作と同じですが、油絵コピー上の土と空の部分を注意して見ると、まるで波打っているかのように描かれています。また原作では単純に暗く描かれた胸の部分がブルーで置き換えられています。対象となる農民への限りない愛情と信仰心という点では、ミレーとの共通点を持ち続けたゴッホですが、ミレーを乗り越え独自の芸術を築いていった過程がうかがえます。

クエム時代のゴッホに関しては 残念ながらクエムの教会には記録が残っていません。しかし、クエム時代のゴッホを知る地元のデルソーというプロテスタント信者がピエラール代議士に宛てた手紙に次のように回想しています。

「彼は大変質素な生活をおくり、朝起きると二切れの乾パンを食べて、大きなコップで冷えたコーヒーをブラックで飲み、食事以外には水を飲んでいました。いつもたった一人で食事を取って、他の人と一緒に食事をしないようにしていました。食べながら膝の上で素描するか本を読むといった具合に、一日中素描に充てていました」

「ゴッホが私の義姉の家に滞在していたとき、彼が描いた一枚のデッサンが義姉の記憶に鮮明に残っています。それはジャガイモを収穫する農民の姿を描いた絵です。何人かが鋤でジャガイモを掘り起こし、他の者がそれを拾い上げる姿でした」

このデッサンは残っていませんが、この回想によって、ゴッホが5年後にオランダのヌエネンで制作した代表作「ジャガイモを食べる人」のコンセプトがクエム期にすでにできつつあったことを思わせます。

ゴッホのボリナージュ期は1880年10月にブラッセルの美術学校入学で終了します。彼が下宿したブールヴァール・ドゥ・ミディ72番地は現在の国鉄ミディ駅の真横で、今では大きな交差点と国鉄の高架になっていて当時の面影は偲べません。

http://blogs.yahoo.co.jp/prof_japonais/3946797.html


再びフィンセントは「女性問題」を引き起こします。 こんどの相手は、あばた面の年上の娼婦でした。

ハーグに舞い戻った年の冬、フィンセントは「一人の身ごもった女」にでくわします(No 192. 1882年5月)。このシーンと呼ばれる女は「男に捨てられ、その男の子どもを宿して」いました。

「みもごったおんなが冬の街頭に立たねばならなかった、パンを得なければならなかった」のを見過ごすことができず、フィンセントはシーンをモデルとして雇います。

「十分なモデル代は払ってやれ」ませんでしたが「家賃は払ってやれ」ました。「自分のパンを彼女と分けることによって、女とその子どもとを飢えと寒さから守ってやれた」のです。かれは、シーンを産科病院連れて行き、シーンの住まいをたびたびたずねるようになります。

旧約聖書の「ホセア書」の冒頭に述べられた「汝ゆきて淫行の婦人(をんな)を娶り淫行の子等を取れ」というエホバの命令をそのまま実行に移したかのようでした。


組んだ腕の中に頭を埋めた妊娠した裸婦の側面像を描いた素描「悲しみ」はこの頃のシーを描いたものです。フィンセントとしては珍しくロマンチックなイラスト風の絵で、「僕の一番よくできた素描(No 219. 1882年7月23日)」とフィンセントは誇らしげに書いています。この妊婦は聖書にあるように男の子を産むことになります。

しかし、まもなくシーンが出産という時になって、フィンセントはシーンにうつされた淋病のために入院を余儀なくされます。3週間してなんとか退院し、シーンが入院している病院に着くと、前日、シーンは難産の末、男の子を産んでいました。生まれた赤ん坊をみて感動したフィンセントはシーンと二人の子どもを引き取るために大きな屋根裏部屋を借りて移り住みます。夢にまで見た家庭生活でした。

この頃、フィンセントはベビーベッドに寝ている赤ん坊とそれを見守るシーンの娘の素描も描いています。そこには「家庭生活」の一コマが何気なく描出されていて、「悲しみ」以上に印象的なスケッチです。この子どもたちのスケッチを忘れがたいものにさせているのは、画家の憧れかもしれません。

司馬遼太郎がいうように「分際に応じて適当に愛され適当に嫌われ適当にずるっこけて甘えて暮らして」いれば、たいていは子どもの一人や二人はできてしまうものです。しかし、ケーに失恋して愛情が「枯死するのを」感じて以降、フィンセントにとって、たったそれだけのことが、この世で金輪際実現しえない夢物語と思えるようになっていました。それだけに憧れも強烈でした。フィンセントは誇らしげに次のように書き記します。

「陰気な気持ちになったとき、荒涼とした浜辺へ歩いていて、長く白い波が糸を引いている灰緑色の海を眺めるのはなんといいことだろう。しかし、何かしら壮大なもの、何かしら無限のもの、何かしら神のことを呼び覚まさせるように感じさせるものがほしいと感じたら、それを見出すために遠くまで行くには及ばない。大洋よりももっと深く、もっと無限でもっと永劫の何かが、朝眼ざめてゆりかごに輝いている日光に喉を鳴らしたり、笑ったりしている小さな赤ん坊の眼の表情の中に見えるように僕は思う(No 242. 1882年11月5日)」。

たとえ、その赤ん坊が見知らぬ男の子どもであっても、フィンセントはかまわなかったのです。 フィンセントはシーンが出産から戻ってきたら結婚するつもりでした(No 198. 1882年5月14日)。そして、そのことによって世間の信用をなくすことは覚悟の上でした。

 しかし、世間の風当たりは予想以上に厳しく、フィンセントは四面楚歌の状態に追い込まれます。生活費を弟に頼る身でありながら、えたいの知れない売春婦、父親もしれぬ子どもたちを養い、結婚しようとしているフィンセントにテルステーフもマウフェもコル叔父も驚き呆れ、許容することができなかったのです。テルステーフもコル叔父もフィンセントの絵を全く購入してくれなくなります。

マウフェは手足の石膏像をデッサンするか否かでフィンセントと言い争いになった後、全く会ってくれなくなりました。たまたま砂丘で出会って、フィンセントがもう一度教えを乞うたときも「俺はけっして君には会いには行かない。万事おしまいだ」「お前は卑劣な性格を持っている」と非難するだけでした(No 192. 1882年5月3日)。フィンセントは親戚一同とかつての仕事仲間の顔に泥を塗る恥知らずな人間と軽蔑されるようになっていたのです。両親も同意見でした。

 最後の頼みの綱はテオでした。テオからの送金が途絶えれば、シーンたちを養えなくなり、結婚するどころではありません。

 送金をやめるという強硬手段にはでませんでしたが、テオはハーグまでやってきて、散らかし放題のフィンセントの「家庭」のあまりのひどさに驚きあきれ、必死になって結婚を止めようとしました。「ヘール事件」のときのように両親がフィンセントを禁治産者にしてしまうかもしれないとまで脅しました。


 実際、シーンは投げやりで無気力でだらしない、とてもまともな「家庭」生活など営むことのできない女性でした。売春婦になったのも、生活に追いつめられてというよりも、それが手っ取り早かったからにすぎません。叔父たちのいう「自堕落な女」という表現がぴったりの女性だったのです。

絵画のための費用を差し引くと、テオからの送金だけでは生活費の捻出も間々ならず、やがて、フィンセントは借金をせざるを得なくなります。フィンセントはこのような状況にあっても絵画を精力的に描き続けており、マウフェの教えを受けられなくなったにもかかわらず、絵画において長足の進歩を遂げていました。絵を描き続けているということでテオは金を送ってくれているのですし、それ以上に、フィンセントにとって絵画は人生において残された唯一の生きる糧であり、これをやめるわけにはいきませんでした。しかし、このような経済状況にあっても絵画のために金と時間を「浪費」する男は、シーンにとっては不可解な存在でしかありません。彼女はだみ声を張りあげ、フィンセントを罵ります。

 やがて、母親の煽動もあって、シーンは再び体を売って金を得る生活に戻ろうとします。テルステーフやマウフェや叔父たちにいわれなくともシーンの「性格が損なわれている」ことはフィンセントもはじめからわかっていました。シーンとの家庭生活を夢見るにあたっては「彼女が立ち直ること」に望みをかけていたのです。

その前提条件が崩れてしまうのではどうしようもありません。シーンを更生させるためにがんばってきたフィンセントは精根尽き果てます。そして、結局、彼女と別れる決心をします。自分がいなくなれば彼女がもとの生活に戻るだろうという思いが彼の心を苛みました。しかし、どうしようもありません。

 つらい別れでした。とくに、シーンが出産した男の子をフィンセントは我が子同然にかわいがっていました。

「あの小さな男の子は僕にとてもなついていた。すでに僕が列車の席についたときも、僕はあの子をひざの上にのせていた。こうして僕らはお互い別れたが、お互い口では言えぬ悲しい気持ちだった(No 326. 1883年9月22日)」

とフィンセントはのちに書いています。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

フィセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1853-1890)のハーグ時代(1882年から1883年9月までのおよそ20ヵ月)に「悲しみ」(1882年、ロンドン・ウォルソン美術館蔵)という黒チョークで描かれた作品がある。ゴッホは自ら「最上の作品」と呼び、石版画にもしている。上掲の図版「シーンの娘」のモデルはシーンの長女で、暗い表情、やせこけた頬に不幸と貧しさが哀しくも表現されている。

1882年1月、ゴッホは街頭で酔っ払いの妊娠した娼婦に出会った。クリスティーヌ(ゴッホはシーンとよんだ)を拾い、20ヵ月間同棲生活が始まる。やがて赤ちゃんも生まれた。テオへの手紙には次のように書いている。

「ちょうど今ここに、女が子供たちといっしょにいる。去年のことを思い出すと大きなちがいだ。女は元気になり、気むずかしさがなくなってきた。赤ん坊は、およそ想像がつく限りで最も可愛らしく、最も健康で、陽気なちびになっている。

そしてあの可愛そうな女の子はデッサンを見れば分かるけれど、彼女が受けた恐ろしい不幸が未だ拭い去られてはいない。このことがしばしばぼくの気がかりになるのだ。しかし去年とはすっかり変わった。当時は全くひどかったが、今では彼女の顔はあどけない子供のような表情になっている」

この手紙を読む限りでは、貧しいながらも4人で暮らすありふれた幸せな家庭が築けそうな期待がする。しかしゴッホとシーンに破局がやってくる。1883年12月、ゴッホは両親のいるヌエネンに戻る。シーンの2人の子供たちがその後どうなったのか、それは誰も知らない。

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html


__________________
__________________


5.そしてゴッホはゴッホになった

歴史の中のゴッホ ― 有川 治男


ゴッホの社会的、個人的環境


 ゴッホの個人的な生活を成り立たせていたいくつかの要素がありますが、たとえば、印象派の画家たちとゴッホの個人的な環境の違いといえば、彼はオランダ人でした。つまり、マネ以降、今回のシリーズで取り上げた画家たちはみんなフランス人であり、フランスで活躍します。これらの画家たちは、19世紀後半から世界の美術の1つの中心になったフランス文化に初めから接していたのに対して、ゴッホはオランダ人だったことが、彼個人の特別な事情であるわけです。

 さらに言えば、幼少時代に暮らしていたのはオランダの中でも都市部ではなく、南部の農村地帯ですが、農村地帯の出身だったことは彼の個人的な環境が持っている特殊性であるわけです。

いま左側には、ゴッホがオランダ時代に描いた農家の様子とか、農夫の頭部とかが映っていますが、ゴッホにとってこれはとてもなじみの深いものでした。たとえば、農村出身ではない印象派のモネもルノワールも農村地帯を描いています。ピサロも描いていますけれども、彼らは都会で育った後、自分たちとは違うものとして農村に接したわけです。ゴッホは、農民の子どもではなかったわけですが、生まれたときから農村地帯に暮らしていました。そういう意味では、ゴッホが描く農村とか農民の姿は、大人になってから自分と違う世界として初めて知ったものではなくて、子どもの頃からその中で知っていたわけですから、ずいぶん大きな違いがあるわけです。

 ゴッホはオランダ時代にも、アルルへ行っても、こういう農民の姿を描いています。アルルへ行って初めて知ったわけではないのです。ゴッホの生涯にわたって、こういう農民に対するまなざしはあったわけですし、ゴッホは自らの姿を都会に暮らす都会人というよりも、農民と同じような粗末な麦わら帽をかぶって自分の足で道をテクテク歩いて行くといった姿でも描いています。

たとえば、左側はパリ時代に描かれた自画像ですけれども、都会の住民とは思えない田舎っぽい服装をして、服は青い上っ張りのようなものを着ています。当時の証言がありますが、これは農民の服装ではないんですね。工事人夫などが着ていた青い上っ張り、つまり労働着を着て絵を描いていたという証言があります。

右側もそのような服を着ている。これはアルルで描いています。写生のスケッチに行くために麦わら帽をかぶって、労働着を着て、道を歩いているといった農民、あるいは労働者として自分の姿を描くところにも、都会の知的な環境の中で育ったわけではない、むしろ自分の手で働く農民たちの中で育ったゴッホの個人的な環境が大きく働いているように思われるわけです。

 初期のオランダ時代から、アルル時代、サン=レミ時代に至るまで、ゴッホは繰り返し繰り返し「大地の上で働く農民の姿」を描いています。そういう点で言えば、農民画家と言われているミレーも農村地帯で育ったということで、フランスの19世紀後半の絵画を担ってきた画家たちの流れでみると、ゴッホは生い立ちの点でもミレーに共感する部分があったと思われます。

 ゴッホが生まれたのは南オランダのフロート・ズンデルトというところなんですが、このあたりで一番近い町はブレダという町です。ブレダの町から、ずっとこういう農村地帯、畑が続いています。そういう環境の中で育っているわけです。 オランダの平坦な地面がどこまでも続いていく大地の上で育ったということは、たとえばパリという都会で育ったのとはずいぶん違うものをゴッホの絵画に及ぼしていると思われます。

 ゴッホは、アルルでも、わりと何ということのない、取り立ててどうということのない、ただ耕した、堀り返された畑といったようなものを描いています。印象派の画家たち、モネなんかでも、こういうものは題材にしないですね。つまり、色彩的にもそう面白いわけでもない。そういう何の変哲もない、ただの土塊だけの大地を描いているところには、ゴッホの個人的な生活環境、成長してきた環境が影響しているように思われます。これはサン=レミ時代の麦畑です。 ゴッホの場合は、とりわけ生涯にわたって農地、畑、麦畑を描き続けたことには、そういう個人的な要素が大きく関わっていたと思われます。これも何の変哲もない、一面に広がる麦畑。これは晩年のオーヴェール時代の作品です。


宗教の影響


ゴッホのお父さんはプロテスタントの牧師であり、主に南オランダの各地、フロート・ズンデルトとか、エッテンとかヌエネンとかというところの小さな町、村の牧師をやっていた人です。お父さんが牧師だった。農村地帯に暮らし、農民の労働、土というものを知っていると同時に、牧師と言えば知的階級ですから、知的な教育も受けた。これがある意味ではゴッホの持っている2つのルーツであるわけで、ゴッホにとって宗教は生涯にわたってとても重要な役割を果たしています。
 たとえば、右側の(機を織る男)でも、男は家の中で機を織っている。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weber_vor_offenem_Fenster_mit_Blick_auf_den_Turm_von_Nuenen.jpeg

女の人は外で仕事をしている。その向こうに教会の墓地にあった塔が描かれています。ゴッホは単独でもこの塔をしばしば描いていますけれども、こういうように労働と宗教が結び付いている。その点でもミレーとも共通するところがあるわけで、大地で手に汗して働くということと、それが人間としての務めであるといったことが宗教的に解釈されている。それが南オランダに育って、しかも牧師の息子として生まれたゴッホの2つのルーツが融合したところであるわけです。

 ゴッホの宗教観が非常にハッキリしているのは左側の作品で、ここに描かれているのはゴッホのお父さんが使っていた聖書です。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Stillleben_mit_Bibel.jpeg

お父さんが亡くなった後、ある意味では記念のようなものとして描いているわけです。ゴッホは子どもの頃からよく聖書に親しんでおり、ゴッホの手紙等には非常にたくさん宗教的な発言があり、聖書からの引用もあります。こういうようにお父さんの思い出として聖書を描いているわけで、牧師であったお父さんからとても大きな影響を受けつつ、同時にお父さんに対する反発のようなものもあって、ゴッホにとっては宗教は、単にとても大事なものであるだけでなく、とても複雑な要素を持っているわけです。

 教会の姿ということで言えば、これは一番有名な晩年のオーヴェール時代に描いている、オーヴェール時代の締めくくりのような作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise


そこにも教会の姿が出てきています。こんな具合に、彼はオランダ時代に宗教的なものを身に付けたわけですけれども、それは生涯ずうっと流れています。たとえばゴッホがしばしば描いた農民の姿に、(種まく人)とか(刈り取る人)がありますけれども、彼が手紙の中で書いていることを見ると、ゴッホは「種まく人」とか「刈り取る人」に宗教的なイメージを重ねています。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


たとえば「種まく人」は「神の言葉をまく人」といったような意味でしばしば出てきます。
 
 ミレーの(種まく人)についても、しばしば宗教的な意味合いが考えられていますけれども、ゴッホの場合はもっとハッキリと、

「種まく人は神の言葉をまく人なんだ」

という意味が重ねられています。特にこの作品の場合は、種まく人の後ろに沈み行く太陽を描いていますが、ちょうどキリスト教の聖者の頭の後ろに付いている「ニンブス」、「円光」、「光輪」のようなものが付いていて、ここではハッキリと種まく人に「聖なる意味」をかぶせているわけです。こんなふうに、実は宗教画でないものにしても、ゴッホの作品は、見ていくとずいぶん宗教的な意味合いがたくさん重ねられていることが分かるわけです。

 たとえば(ルーラン夫人)は身近にいる人、近くにいる人の肖像画ですが、ひまわりを両方にはさんで、宗教的な三幅対、祭壇画のように仕立てているわけです。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm

風景画であるけれども、宗教的な意味合いがあるし、肖像画であるけれども、宗教的な意味合いがあるわけです。


宗教画は不得手


 第1回目でお話しましたが、ゴッホはどうも人物画より風景画のほうが得意である。とりわけアルル時代以降、人物画から風景画に重点を移していくと申し上げましたが、宗教的な主題に関しても基本的にはそうで、ハッキリと聖書の中に出てくる物語を描いたゴッホの作品は基本的にはゼロです。聖書の中の物語を描いたものが何点かありますけれども、それはいずれもゴッホが自分で独創して描いたものではなくて、先人のものをコピーしたものです。左側はドラクロワが描いた(良きサマリア人)という作品をもとにしたもの。右側は、レンブラントの(ラザロの復活)がもとになっています。実はゴッホがお手本にしたレンブラントの作品は版画ですし、左側のドラクロワのものも、直接お手本にしたのはドラクロワの油絵を版画にしたものです。したがって、ゴッホは白黒である作品の構図を借りながら色を付けているという点ではかなり創作の部分もあるんですけれども、しかし、人物の組み合わせとか物語の情景のとらえ方を自分でつくり出すのではなくて、模写という形でこういう宗教画を描いているわけです。

 ゴーギャンは「頭で描け」と言った。たとえば宗教的な物語にしても、実際に見たことがないから描けないゴッホに対して、ゴーギャンは「頭で想像して描け」というわけです。ゴッホは何かお手本があって描くことはできるけれども、自分で宗教的な場面を想像して描くことは得意ではなかったし、実際に目にすることができないものを描くことに関してはかなり抵抗があったようです。それに対して、実際に目の前にあるものよりも、むしろ目の前にあるものをもとにしながら想像力でいろんな概念を込めた絵を描くというのがゴーギャンの主張で、たとえば左側の(黄色いキリスト)であるとか、右側の(オリーブ園のキリスト)あるいは(ゲッセマネの園のキリスト)などでは、宗教的な場面を自分の頭の中でこしらえています。ゴーギャンは人物画がメインですし、宗教的な意味合いを込めた作品もたくさん描いています。たとえば右側の作品では、ゲッセマネの園で一人苦悩し、思いをこらすキリストを描くときに、ゴーギャンは自画像を使っています。つまりまったく想像で描くのではないのだけれども、自分の顔をキリストになぞらえて描くというかなり大胆なことをやっているわけです。ゴッホはそういう大胆なことはできない。

 ゴーギャンが右側の絵を描いたのは、アルルでゴッホと一緒に暮らした後、つまりゴッホとゴーギャンのいさかいがあった後ですけれども、それでもゴッホとゴーギャンは文通等はしているわけで、あるとき、ゴーギャンはこういう絵を描いて「自分はこういう絵を描いた」と説明して、簡単なスケッチを添えてゴッホに知らせています。しかし、ゴッホは、こういうような、まったく空想で描くような絵はどうも受け付けなかったようです。

 それに対するゴッホのひとつの答えがこの作品です。ゴーギャンは苦悩するキリストの姿に自分の姿を重ねている。つまり「苦悩するキリスト」に「苦悩する芸術家」を重ね合わせて作品を描いているわけです。それに対して左側はオーヴェール時代にゴッホが描いた有名な(ガッシェ博士の肖像)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_gachetb00&picture=%83%7C%81%5B%83%8B%81E%83K%83V%83F%88%E3%8Et%82%CC%8F%D1%91%9C%81i%83K%83b%83V%83F%94%8E%8Em%82%CC%8F%D1%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_gachetb


ゴーギャンの(オリーブ園のキリスト)が首をうなだれて何か物思いにふけっているのに対して、この作品ではガッシェ博士にほおづえをつかせて、物思いにふけっている姿を描いていますが、ゴッホはそういう人間の苦悩とか悩みをあらわすにしても、ゴーギャンのように宗教画の形を借りるのではなく、(ガッシェ博士の肖像)という肖像画の形を借りています。

 ですから、ゴッホが持っていた宗教観は、ストレートに宗教画を描かせるようなものではなかった。彼は肖像画なり風景画なりに仮託して描くという、従来の宗教画とはかなり違う描き方をしている。ゴッホの宗教観は必ずしも彼の作品にストレートに出てくるわけではない。そこがゴッホの作品を複雑にしている要素であるわけです。

さらに、ゴッホはゴーギャンに対して、「見たこともないようなゲッセマネの園、オリーブ園を描くぐらいだったら、目の前にあるオリーブの畑を描くほうがずっとましだ」というようなことも言っています。「想像力で変な宗教画を描くよりも、目の前にある風景を描くほうがいいじゃないか」とゴッホは言っています。

そんな発言から考えると、まったく人物のいないこういうオリーブの園といった風景画でも、そこには何かしら「宗教的なこだま」のようなものも感じられるわけです。 「ゴッホは人物画よりもむしろ風景画だ」と言いましたけれども、その風景画は、これまでこの講座で見てきた、たとえばモネの風景画とはちょっと性格が違う。同じ風景画であっても、そこにかなり人間の世界、あるいは宗教的な意味合いとか象徴的な意味合いとかいうものも重ねられていると思われるわけです。

 これはサン=レミ時代の(星月夜)ですけれども、夜空の月とか星が渦巻くようになっている。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night


この夜空を見ていると、「これはただの風景画ではなくて、もっと意味が込められているのではないか」という気がしてくるわけです。実際、この作品の場合は、ここに地上のサン=レミの村、そこにハッキリと天に突きささるような教会の塔も見えていますし、これは単なる星月夜、目の前に見える綺麗な星月夜を描いただけのものではなさそうです。

ということで、これまでいろんな研究家がこれを宗教的に解釈しようとして、新約聖書の最後のところ、世の終わりを記述している「黙示録を背景にしているのではないか」とか、いろんなことを言っている人がいます。ゴッホの作品の場合、何か1つの解釈にうまく収まるかどうかは分かりません。いろんな見方ができると思いますけれども、確かに何か天と地の間で大きなコスミックなドラマが展開されているような気のする風景画であるわけです。

 ゴッホにとっての宗教はとても複雑なものであろうということは、いろいろあって、先程言ったように、お父さんは牧師であったけれども、お父さんとゴッホは常にいさかいをしているわけですね。いさかいをして家を飛び出るんだけれども、結局なかなかうまくいかなくて、また家に戻って来るようなことを繰り返す。そのこともあって、おそらくゴッホにとって、お父さんは、ゴッホからみるとプロテスタントの牧師なんですけれども、伝統的な宗教観にとらわれていて、ある意味では現代の人間の生き方に対してうまく対応していないとゴッホは反発するわけですから、ゴッホにとっての宗教は非常に複雑なものがあったという気がします。


ゴッホの個人的な背景 家族との関わり

 
お父さんはちょうどこの絵が描かれた頃、ヌエネンの教会で牧師をしていました。お父さんとの関係はそれほど簡単なものではなかったわけで、お父さんが亡くなるときに、ちょうどゴッホもヌエネンにいましたが、うまくいかなかった。しょっちゅう喧嘩を繰り返している。その中でお父さんが死んでしまうということがあった。お父さんが死んで、一方では精神的に楽になったという部分と、ずっと反発してきて、とうとううまく和解しないままお父さんが死んでしまったという後悔のようなものと、ゴッホにはとても複雑な感情が残ったと思われます。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_bible00&picture=%90%B9%8F%91%82%CC%82%A0%82%E9%90%C3%95%A8&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh

この作品は、ある意味ではお父さんとの関係を象徴しているわけで、この作品に描かれているバイブルと火の消えた蝋燭、これはお父さんか死んだことのひとつの象徴ですね。

 それともうひとつ重要なのは、ここに黄色い表紙の本が置かれていることです。これはゴッホが愛読していたフランスのゾラの現代小説です。 ゾラの小説は当時非常に流行っていた。絵画で言えば、印象派ではなくて、もっと社会の底辺に暮らす人々を描く写実主義から自然主義の絵画があるということをお話しましたが、印象派ではなくて写実主義とか自然主義というところに関わっているのがゾラですね。ゾラは当時次から次へと大都会の底辺でいろいろ苦しむ人々の姿を描きだしていたわけです。誰が見ても明らかに分かるこの黄色い表紙の小説本、ここには題名までちゃんと書いてあります。

 これはどういうことかというと、いろんな解釈があります。しかし、間違いなく、こちらはお父さんの世界ですね。2000年近く続いてきている伝統的な世界です。それに対して、こちらは自分の世界ですね。つまり現代の、しかもオランダではなくて、近代文明の先を行っている新しいフランスの最先端の文化であるわけです。しかも、色も白から灰色と黄色で対比になっていますし、何よりも印象的なのは、過去はとても巨大であって、それに対して近代の文明はまだとても小さい。たとえばお父さんとゴッホとの関係を重ねてみれば、お父さんはある意味では大きな存在で、自分は小さい。新旧の世代とか親子の関係とか、オランダとフランスとか、いろんな関係がここに重ねられているわけで、そういう意味では、ゴッホはいろんな思いを込めてこの作品を描いたのでしょう。

 家族関係のことで言うならば、まさに偉大な父親、常に正しいと思われることを人々に対して説いているお父さんと、この作品を描いた時点で言えば、いろんな職業を転々として、どれもうまくいかないで、しかも親のところに居候していて、この先もどうなるか分からない画家といった仕事に手を染めている、お父さんからはどうしようもない出来損ないだと思われている自分。そういう立派なお父さんと、そうではない自分という対比が込められているわけで、まさにこの作品は、家族の中でゴッホがどのような立場にあったか、自分をどのようなものとしてとらえていたかを大変分かりやすく示している作品です。

 宗教的なものも、個人的な家族関係といったものも、この作品からは読み取ることができると思われます。ゴッホは生涯にたくさん肖像画を描いています。これはゴッホの肖像画のひとつの特徴なんですけれども、ほんとうに親しい、描きたいと思う人を描いたものは少ない。つまり、家族の肖像画は基本的にはない。あれほど親しかった弟のテオに関しても、パリ時代、テオを描いたらしいと言われている素描が1点残っているだけです。お父さんの肖像画はありません。お母さんに関しては1点ありますが、実際お母さんを目の前にして描いたのではなくて、写真を送ってもらってそれを元にしたものです。当時ですからモノクロの写真です。これもある意味では直接描いたのではなくて、模写のようなものです。
それから左側はゴーギャンに影響を受けて、ゴーギャンからすすめられて想像で描いた(エッテンの庭)です。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

自分の子どもの頃のエッテンの庭の思い出ですが、しかし子供の頃ではなくて、お母さんと妹ですから、現在なんですね。そういうとても不思議な作品であって、これはやはり想像で描いたものです。そういう意味では、家族を実際に目の前にして描いた肖像画というのは、まったくないわけです。これもまた家族とゴッホとの関係、あるいは家族に限らず、身近な者との関係を示しているもので、こういう肖像画のあり方を見ても、ゴッホと家族との関係はなかなか難しいものだったんだろうと考えられるわけです。

 弟のテオとの関係はどういうものだったかというと、とても親しかった。テオは、兄フィンセントが画家になることを志して以来、経済的援助を一手に引き受けていたわけで、経済的な面からいえば一方的に「借り」なんですけれども、ゴッホは負い目を感じながらも、いろんなことにおいて常に「自分はお兄さんだ」ということで、テオには常にお兄さん顔をして助言を与えたりしていくわけで、精神的にはテオのほうでもお兄さんを尊敬している。けれども、現実の生活の上では、テオはちゃんと仕事を持って、お金を稼いで、しかもそれを一文も稼いでいないお兄さんに仕送りしている。その兄弟の関係、これも「ねじれ」ですね。つまり、年長と年下、精神的な指導者とそれに従う者の強弱の関係が現実生活では逆転しているという、とても複雑なものがあると思われるわけです。先程、宗教関係の「ねじれ」を説明しましたが、そういう意味では、ゴッホは、家族関係の中でも、かなり「ねじれた環境」を持っていたと考えられるわけです。

 ゴッホの身近にいた人といえば、ある時期、オランダのハーグでゴッホと生活をともにしていたシーンという女性がいました。何人かの子持ちで、ときには他に生活の方法がなくて、身を売るようなことをしていた女性ですけれども、その女性とかなり長いこと一緒に暮らしています。ハーグ時代には、既に油絵を描き始めており、シーンに関しても素描はたくさんありますけれども、油彩での肖像は描いていません。


http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


 アルル時代には、アルルで一番親しくしていた郵便配達夫ルーラン一家の一連の肖像を描いたことについてもお話しました。ゴッホが描いた肖像画の中で、一番親親しかった人といえば、せいぜいこのルーラン一家ぐらいかと思います。ルーラン一家に関しては、お父さん、お母さんの他に、2人の息子、長男、次男がいる。それからゴッホが滞在しているときに、もう一人赤ん坊が産まれるわけですけれども、その赤ん坊まで含めて描いています。ルーラン一家のこれだけたくさんの人物をそれぞれ赤ん坊までも取り上げて1点の肖像画として描いています。ルーランの肖像画を描いたとき、ゴッホは手紙の中で「家族の肖像を描きたいんだ」と言っています。ゴッホは自分の家族とは必ずしもうまくいっていなかったのですが、ある意味では理想的な家族に対する憧れは常にあったわけです。

 ハーグでは子どもを抱えたシーンと同棲生活をしています。ほんとうは結婚するつもりだったんですが、周りからいろいろ反対があって、どうもうまくいかなくて、最終的には自分から手を引くことになります。家族を持ちたいと思ったけれども、うまくいかなかった。そういう意味では、自分が持てなかった家族の姿をアルルでルーラン一家に見ていたのではないかと思われます。

 シーンを描いた絵の中にも子どもを抱いたものがありますが、ゴッホは肖像画とか人物画の中でも「母と子」をオランダ時代から繰り返し描いています。ここでもルーラン夫人が赤ん坊を抱いている姿を描いています。これはサン=レミ時代です。両方とも模写です。右側はミレーが描いた版画をもとにしているもので、農家にお父さんとお母さんがいて、赤ん坊がいる。英語で言うと(ファースト・ステップ)という題名になっていますけれども、赤ん坊がヨチヨチ歩きを始めたという微笑ましい家族の姿を示しています。左側は、デュモン=ブルトンという女性の画家が描いた母子像の版画をもとにして描いたものです。ゴッホの作品の中には、生涯、「母親」、「子ども」、「家庭」といったイメージが、常に自分が得たかったものとしてあったと思われます。けれども、自分は最後まで家庭、子どもを持つことはできなかった。


対人関係が苦手


 家族にかかわらず、ゴッホは対人関係をつくるのがうまくなかったようです。たとえばこのパリで描いた(タンギーおやじ)とか、右側のアルルで描いた(ウジェーヌ・ボック)というような、それほど重要でない、毎日顔を突き合わせるような関係ではない人の場合には、わりと気軽に肖像画が描けたわけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh20.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html

両方とも、パリ時代の肖像画として、あるいはアルル時代の肖像画として代表的な、とてもよくできた肖像画です。

先程、ゴッホは家族の肖像画を描いたことがないと言いましたけれども、大事な人を描きたいと思うと、なかなかうまくいかないということがあります。その典型的な例が、まさにゴッホが対人関係の中で最も苦労したゴーギャンですね。ゴッホにとってゴーギャンはとても大事な人でしたし、シーンとか家族を除いては、数カ月でしたけれども、同じ部屋で生活をした、とても重要な画家だったわけです。ゴーギャンがアルルにやって来たときに、お互いに肖像画を描き合うことにしたようです。画家仲間で、肖像画、自画像、あるいは相手を描いたものを交換するのは、19世紀のヨーロッパでは、たとえばドイツ・ロマン派あたりからずっとありました。ゴーギャンとかゴッホの仲間うちでも肖像画を交換し合うことがありました。


 ゴッホの自画像の中にも、仲間の画家に贈るために描いたものが何点かあります。ゴッホとゴーギャンは、アルルでお互いの姿を描き合うということをやりました。ゴーギャンがゴッホを描いたのは、先々週お見せした有名な(ひまわりを描くゴッホ)という作品です。それに対してゴッホが描いたゴーギャンはどうだったかというと、この左のものです。

これはどう考えても失敗ですね。ともかく正面からうまく見ることができなくて、斜め後ろから見ている。実際のゴーギャンが目の前にいるんだけれども、どう描いたらいいか、ゴッホは戸惑ってしまうわけです。 左の絵は、顔だちからしてゴーギャンだろうということは昔から言われていて、しかも現在アムステルダムのゴッホ美術館にあります。つまりゴッホが残した作品の中に含まれていたわけで、ゴーギャンを描いたことは明らかだ。けれども長いこと、「いくら何でもこんなに下手なものはゴッホの作品ではないだろう」と言われていたものです。

 長いことゴッホの作品カタログの中から省かれていたのですけれども、近年になって、絵が描かれているキャンバスとか絵具を科学的に調べた結果、この絵が描かれているキャンバスは、間違いなくアルルにおいてゴッホとゴーギャンがこの時期に使っていたキャンバスと同じものであって、その巻のどこからとったかや絵の具までほぼ分かっています。そのことから、これを描いたのは「ゴッホかゴーギャンに違いない」ということで、ゴーギャンでないとすると、ゴッホしかない。ということで、何年か前から、これはゴッホが描いたゴーギャンの姿であると認められているわけです。一時期、「いくら何でもゴッホではあるまい」と思われていたぐらい、どうもうまくいっていない。鼻なんか、どうなっちゃっているのかというようなものです。

つまりゴッホという人は、何か大事な意味を持ったものを描こうと思うと、かえってうまくいかないということがあって、これはゴッホの人間関係の特徴で、まさにゴーギャンとの共同生活がそうですけれども、「頑張ろう」「ほんとうに大事にしたい」と思うと余計悪いほうへ悪いほうへと行ってしまう傾向があるように思われます。

 したがって、ゴーギャンとゴッホという関係をあらわす場合も、人物や想像で描くより、こういうやり方のほうがうまくいったようです。これも有名なもので、(ゴーギャンの椅子)と(ゴッホの椅子)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_fauteuil00&picture=%83S%81%5B%83M%83%83%83%93%82%CC%88%D6%8Eq%81i%96%7B%82%C6%98X%90C%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_fauteuil

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_chaise00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%83S%83b%83z%82%CC%88%D6%8Eq%81i%89%A9%90F%82%A2%88%D6%8Eq%81A%83p%83C%83v%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_chaise


つまり、ゴーギャンが座る椅子と自分の座る椅子。ゴーギャンの椅子には、ゴッホが精神の糧と考えていたフランスの小説であるとか、明かりのついた蝋燭が置かれています。先程のお父さんの絵には、明かりの消えた蝋燭がありました。明かりが点いているということは、まだ生きている光という意味です。さらにそれを強調するように、光を放っているランプがあります。ゴーギャンの椅子が立派で、ひじ掛けもついているのに対して、ゴッホの椅子は粗末な藁で出来ていて、ゴッホが好んでいたパイプタバコが置いてある。これは対になる作品ですが、こんなふうに自分とゴーギャンを表す場合も、肖像画で対にするのではなくて、物であらわす。こういうやり方のほうがゴッホにとってはうまくいくようで、人間と直接対して、人間の姿として表すことは苦手だった。そう思われるわけです。


男女関係も苦手


 もう1つゴッホにとって苦手な対人関係で、作っていくのが難しかったのが男女関係です。シーンとは一生に生活しているし、その他、生涯に大きな失恋を3回か4回経験しています。そういうものとか、お母さんとの関係、妹との関係も含めて、ゴッホの女性関係はどうだったかという本が最近出たばかりです。ゴッホの女性関係も彼の個人的なキャラクターからいうと、とても重要です。

 ゴッホはパリ時代に2〜3点ヌードを描いています。けれども、ゴッホがヌードを描いたのはパリ時代の2〜3点のみです。生涯にわたって油彩画はこれだけです。パリ時代に若干、その前のアントワープ時代にはデッサンのための女性ヌードがありますが、油彩画で描いたヌードはこれだけです。


http://kaigastory.seesaa.net/article/143700634.html
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weiblicher_Akt_auf_einem_Bett.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Liggend_naakt_anagoria.JPG
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Liegender_weiblicher_Akt.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_van_Gogh_-_Liggend_naakt_1887.jpg

この女性ヌードにしても、一体女性のヌードに何を求めていたかがどうもよく分からない。伝統的な西洋絵画で女性のヌード画に求められていたものは、ここではほとんど感じられない。つまり、女性の裸の体の美しさ、あるいは曲線の美しさであるとか、肌の白さ、滑らかさなどが見られない。


(中川隆 注 : アントワープ時代は毎日朝から晩まで日本の春画ばかり見ていていて、娼館にも入り浸って梅毒に罹ったから、戒めに女性を態と醜く描いただけでしょうね)


 今日の我々の見方からすると、19世紀の画家たち、ルネッサンス以降の西洋の画家たちが女性の裸の姿を美しいものとして、とりわけ男性が鑑賞するものとして絵画の中で描き続けてきたことに関してはフェミニズムの問題とか、ジェンダーの問題があります。つまり、男性が社会を支配している中で、女性は単に見られるものとして描かれてきたという女性ヌードについての問題が、美術を見るときの重要な問題として最近浮かび上がっています。しかし、ゴッホが描いた女性のヌードは、ルネッサンス以来伝統的な、男性が目で見て楽しむようなヌードにはなっていないわけです。ゴッホがこういうヌード画をどういう視点をもって描いていたのかは、伝統的な女性美を描くといった、西洋の伝統的な絵画の描き方の中では必ずしもうまく説明できない部分があります。

 人物のプロポーションといった点でも、これがもし当時の美術学校で学生が習作に出したら、「こんなプロポーションはないだろう」と先生からすぐに突っ返されるような大変おかしなプロポーションになっています。左のものは美術学校にしばらく通っていた頃のモデルを描いたものですけれども、これなんかも、伝統的な女性のデッサンに見られる女性らしい体つきとか、理想的なプロポーションとはずいぶん大きくかけ離れています。右側は油彩画に描かれたもので、ここにある女性のヌードは、見てもお分かりのように石膏のモデルです。


http://blogs.yahoo.co.jp/pagannudes/17171225.html

けれども、ここでも女性の体が持っている、たとえば胸とか肩の線とか、お尻の線というものがあまりうまく表現されていないように思われます。

 この右側の作品における女性の体、ヌードは、作品を構成している意味からしても、けっこう重要なものなのです。と言いますのは、やはりここにもゴッホが愛読していた精神の糧としてのフランスの小説本があるのです。それからその外に、誰が見ても疑いない愛の象徴としてのバラがあるわけです。精神の糧としての現代小説、愛の象徴としてのバラがあるわけですから、当然そこにあるのは「たまたま自分の近くに画家が訓練するための石膏像があった」というだけではなくて、女性のヌードであることが深く関係しているに違いない。「愛」「精神の愛」あるいは「美」、そういったものが関係しているに違いないのですけれども、しかし、それを表すにしては、ヌードの石膏像は、必ずしも我々が一般に考えるような女性美をあらわすものにはなっていない。ゴッホが愛とか女性とか女性との関係といったものをどのように捉えていたかは、そう単純には読み解けないという要素がこの作品の場合にも示されているわけです。

 ゴッホが女性美をどう考えていたかに関しては、いくつか考える手だてがあります。たとえば、こういうものも、ゴッホが考える女性美が我々が一般に考えるものとは違うと思わせる例です。

ゴッホは独学で勉強した人ですから、美術学校へ行ったわけではない。独学で素描の勉強から始めるわけですけれど、そのときに、当時フランスで出ていた素描のお手本集という画集があった。それを全部うまく模写する。しっかり模写すると、だんだん素描の腕が付いてくる。基本的には素人画家のためのお手本集なんですが、そういうものがあって、それをゴッホは模写しています。生涯に3度ほどやっていますけれども、これは最も最初のものです。

左側はオリジナルです。もともとはルネッサンス期のスイスの画家であるホルバイン、肖像画で有名だったホルバインの素描です。そのお手本集にこれが複製で載っているわけです。右側は、ゴッホが一生懸命それに似せて描いたものですが、左のホルバインが描いた若い女性の美しさが、右側ではほとんど飛んでしまっている。顔だけ見ると、武田鉄矢じゃないかと思えるような顔になっているわけで(笑)、女性美に対する感覚は、ちょっと特異なものだったのではないかなと思われます。


ゴッホの特異な女性像


 そういうふうに見てくると、ゴッホが生涯で描いた女性の姿には、あまり美しいものがないですね。右側は先週「失敗作だろう」と言ったもので、左側は晩年のオーヴェールで描いたものです。


http://ameblo.jp/hansehi/entry-10215346033.html

下宿をしていた宿屋の若い娘さんの姿です。写真が今日残っていますが、とても可愛らしい、美人の部類に属する人です。しかし、目と眉のところをしかめたような顔をしていて、顔の色もちょっと青ざめたような色になっています。

 これは、やはり晩年、オーヴェールで描いたガッシェ博士の娘さんです。 晩年のゴッホが肖像画を描いているわけですから、何らかの形で親近感を感じていた、身近にいた数少ない若い女性だったと思われますが、両方とも、若い女性の持っている魅力が引き出されているかというと、必ずしもそうではないように思われます。ゴッホが生涯、実生活において女性とうまくいかなかったことが、ゴッホの描いた女性像にも反映されているように思われます。

 そういう意味で、ゴッホは、これまで見てきた印象派の画家たち、あるいは19世紀後半の画家たちの中でもちょっと変わったところがあるという気がするわけです。と言いますのは、これまでシリーズの中で見てきた画家たちの中でも、たとえばマネの場合は、大変なスキャンダルになった最初の作品からして、そもそも女性の裸婦がメインになっていたわけですし、ルノワールも風景画というより若い女性ですね。印象派の画家の中でもルノワールは、19世紀末から20世紀にかけて、ピアノを弾いていたり、水浴をしていたりといった美しい健康的な女性美を描くことを中心にしていたわけです。後期印象派の中でもスーラには(ポーズする女たち)という大作があるし、80年代にモネと一緒に風景画をメインとしていたセザンヌにしても、生涯最も大きな大作は、こういう(大水浴図)と言われているようなヌード像であるわけです。それから、言うまでもなく、ゴーギャンがこの後タヒチで描くのは基本的に裸婦の世界ですし、ゴーギャンの仲間であり、ゴッホと親しかったベルナールにしても、やはりこういう人物像を描いています。さらにもう1つ、次の世代のマティスにしても、ピカソにしても、初期を飾る最も重要な大作と言われるものは、たとえばマティスの(豪奢)と言われている作品とか、ピカソの(アヴィニョンの女たち)のようにヌードを主題にしています。マネ、印象派、後期印象派からフォーヴィスム、キュービズムに至るまで、画家たちがここ一番という大作を制作するときにに出てくる主題は「ヌード」なのです。

 そういうことからすると、生涯にわたってヌードをほとんど描かなかったゴッホは、この時代においてもかなり例外的な存在だったわけです。生涯にわたってほとんどヌードを描かなかったもう一人の例外はモネです。ゴッホが例外になった理由の1つには、ゴッホの女性関係という個人的な条件もある程度関わっていたと思われます。

 もちろん、それだけではないわけで、一方ではモネがなぜヌードを描かなかったのかといった問題とも関連します。先程申し上げたように、ルネッサンス以来、脈々と続いている女性ヌードという流れ、美術史の流れ、社会史の流れの中にジェンダーの問題があります。社会史の流れ、近代社会の中で、男性と女性の役割がどうなっていたかという観点も考えなければならないわけですが、そのようなものも含めて、ゴッホの女性像の特異さは一つの重要な要素としてあると思います。


________________________________________


画家としてのゴッホの特殊な環境

 
ゴッホは基本的には画家としてきちっとした教育を受けていない。つまり素人画家から始まったということがあります。そういう意味では、ゴーギャンと似ているところがあります。ゴーギャンも最初から画家になろうと思ったわけではなく、株式仲買人として金融業に勤めるところから始まったわけで、ある程度の年齢に達してから画家を始めたということで、ゴッホはゴーギャンに親近感を持っていたのだと思われます。しかし、大きく違うのは、ゴッホは自分が正規の教育を受けていないことをかなり気にしている。と同時に、正規の教育を受けていないことがある意味ではゴッホの強みになった部分もあります。

 ゴッホが油絵を描きだしたのは1880年というずいぶん遅い時期であるわけです。画家になることを志してからも、ずいぶん長い間、彼は素描しかやっていなかった。つまりペンで描いたり、鉛筆で描いたり、木炭で描いたり、チョークで描いたりという作品だったわけです。

ハーグ時代から油絵を始めるわけですが、たとえばヌエネンで描いた左側の油彩画と右側の素描を比べてみると、左側の油彩画はそれほど出来のいいものではない。まぁ平凡な出来です。たとえば木の葉の部分など、全体としてとても平坦だし、これは柳の一種ですけれども、太い幹から枝がシュッシュッと出ている様子は、右側の素描のほうがとても力強く、木の生命力を感じさせます。油彩画の柳はヒョロッと立っていて、しかも素っ気なく葉が出ている。あるいは枝が出ていて途中で消え入りそうなところなどを見ると、この時代のゴッホは筆の使い方、油絵の具の使い方に慣れていないようです。

 自分でやってみると分かりますが、絵具をどれくらい固くするか、柔らかくするか、油で溶くか、どれくらいの太さ、どのくらいの固さの筆を使うかの選択は難しい。毛の種類によって筆の反発力が違うし、それを使いこなしていくのは結構大変なことです。ゴッホはオランダ時代には、まだ筆と絵の具の使い方に慣れていなくて、それよりも右側の作品のように、自分が慣れ親しんでいるペンの素描のほうがずっとうまくいっています。このオランダ時代のものには、主に固いペンを使って、縦方向と横方向の細かい線を重ね合わせていくハッチングというテクニックによって、奥行きや濃淡、ボリュームなどを大変見事に描き出しています。19世紀の素描作品として見ても、これは第一級の作品と言っていいと思います。


素描の腕前は一流


 それに対して、左側のオランダ時代の油彩は、もしゴッホが描いたものでなければ、今日とうてい美術館に入るような代物ではありません。彼は長い間、素描を描いていたわけですが、素人であって、油絵に慣れていないから描いていたという域を超えて、初期から素描に関しては大変な腕前を示していたと言えます。素描に親しんでいただけではなくて、素描がうまかったと言っていいと思います。

 これは、同じヌエネン時代の同じような並木道を描いた油彩画と素描です。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm


道がずうっと奥まで続いていく遠近法を使った様子も、右のほうがずっとうまく、明暗の感じ、光がどういうふうに射しているかという感じも素描のほうがうまく出来ていると思います。オランダ時代には、若干水彩を加えた作品も残していますけれども、これなんか、とても見事な水彩ですね。鉛筆の下書きの上にペンと水彩を非常に巧みに使っています。空間の描き方、対象の描き方、ボリューム、雨が降った後でぬかるんでいて、そこに吊り橋の影が映っている様子、空気とか天候とか、そういうところまで大変見事に描き出している。専門的な訓練を受けた当時の画家の作品と比べてもまったく遜色のない、あるいはそれ以上のたいへん見事な作品です。

 当時の画家は、素描の訓練をある程度受けて、すぐ油絵に移っていきます。当時の絵画の概念から言えば、素描や水彩より油絵のほうが本格的な絵ですから、ある程度の技量がつけば、すぐに油絵の訓練を受けるのが普通のやり方で、美術学校へ行けばそうなるわけです。しかし、ゴッホの場合はそういう教育を受けなかったために、非常に長いこと素描だけに専念できた。ある意味では、そのことで、伝統的な美術教育の中では発揮されなかったゴッホの素描の展開がもたらされたのではないかと思われます。

 これも初期の素描の一部ですが、細かい鉛筆、太いチョーク、白いハイライト、いろんな素描の材料を使用し、描く対象にふさわしいいろんなタッチを使って描いています。そういう意味では、ゴッホの素描は細部まで見ても見応えがあるもので、とりわけオランダ時代には、素描のほうが油彩画より実際見ていて面白い、見応えのあるものがたくさんあります。


アルル時代に素描と油彩画が対応


 先程は「主に直線」と言いましたが、直線だけではなくて、木の幹のこういう膨らみは回るようなタッチで描いている。また、縦の草の部分なども、まったく一様ではなくて、アクセントをつけながら、重なり具合によって濃いところ薄いところと、たいへん見事に線を使い分けて画面を構成しているわけです。左側のオランダ時代の柳を描いた作品における素描の線の扱い方は、ゴッホがアルルで獲得した油彩画における自由な筆のタッチとある意味では対応していると思われます。まったく同じような主題を描いているわけですが、ヌエネン時代、オランダ時代には、まだこれに対応するような、油絵の具でのうまい筆の使い方ができなかったわけです。

 アルルまでくると、素描でやっていたようなシュッシュッと長いタッチとか、放射状に広がるようなタッチとか、細かい部分の短いタッチとか、油絵の具にしても、いろんなタッチを使い分けて対象を描けるようになっている気がします。そういう意味では、ゴッホは、オランダ時代に素描でずいぶん長い時間を費やしたわけですが、それは決して遠回り、あるいは時間の無駄ではなかった。オランダ時代に素描という分野でいろんなやり方、いろんなタッチの使い方、いろんな線の引き方を訓練しました。パリでは新しい絵具のタッチの使い方、点描とか、平面的な塗り方を学びました。それがオランダ時代に獲得した素描の技法と合わさって、アルルでは、油彩画においても自由なタッチを獲得できたのではないかと思います。

 このように、ゴッホが最初からきちっとした画家の勉強を受けたのではなく、ずいぶん長いこと素描に取り組んだことは、ゴッホの油彩画の展開にとっても、きっと重要なものだったのでしょう。

 正直言って、パリ時代でも、まだ素描、水彩のほうがうまいですね。パリ郊外の工業地帯を描いた左側の作品は、構図からいっても、空間の奥行きからいっても、あまり出来のいい作品とは思えません。右側の素描の上に水彩を乗せたもののほうが、ずっと自由に画面構成も出来ていると思われます。ですから、パリ時代までは、ゴッホにとっては素描のほうがやり慣れた使いやすい技法だったと思います。それがアルルに行くと、素描と油彩画がほぼ対応するようになってきます。

 これは今回も来ている(種まく人)ですけれども、アルル時代あるいはアルルからサン=レミ時代に描いた重要な作品に関しては、それに対応する素描があります。その素描には2通りあって、1つは油絵を描く前の習作として描いたもの。もう1つは、油絵を描いた後、それをもとにしてパリにいる弟や画家仲間のベルナールに「こういう作品を描いたんだ。でもこの作品はアルルにあるから見せることができない。だからこういう素描を描いた」ということで、素描を描いておく。その2つがあります。

 この素描と油彩画を見比べると、性格がよく似ています。どういう性格が似ているかというと、それぞれの部分に使われているタッチの扱いがほんとうによく似ています。たとえば、地上の部分はこういうブツブツとしたタッチ、この部分は点描、麦の部分ではこういう縦長のタッチ、空の部分は放射状に少し点々が混じったようなタッチになっている。ゴッホは、基本的に、油絵と、それを基に描いた素描あるいはその基になった素描で、同じようなタッチの使い分けをしているわけです。したがって、ゴッホは、アルル時代に素描と油彩画をほぼ同一のものとして並行して描いていくことができる。自分が油彩画でやったことに関しても、色は抜けるけれども、ある程度素描で伝えられる。それを弟やら画家仲間のベルナールに伝えられるとゴッホは思っていたわけです。

 そういう意味では、ゴッホにとっては、色も重要だけれども、それ以前に何よりも重要なのはタッチである。ゴッホが油彩画のタッチを素描に移し得る、あるいは素描のタッチを油彩画に移し得るということが、こういう作例を見るとよく分かると思います。

 有名なアルルの(ラクローの野の収穫)といった作品でも実にさまざまなタッチが使われていますね。長いもの、曲線のもの、点々のもの。そのタッチが、油彩画の上でも、油絵具を使った筆のタッチとして、ほとんどパラレルに実現されています。さらに言えば、油彩画の基には水彩画があります。ゴッホというと、とかく色を使ったネットリとしたツヤのある油絵と思われていますが、実はゴッホにとっては、素描もとても重要だったわけで、ゴッホが素描でやっていることと油絵でやっていることにかなり密接な関連があるということは、たとえばこういう作品をご覧いただければお分かりかと思います。これなんかも、ほとんど色は1色で、「タッチで見せている油彩画だ」とお話したと思いますけれども、まさにエッセンスとしてのタッチは右側の素描にあります。ほとんどの重要な作品には、それと対になる素描が残っています。

 ゴッホにとって素描は、アルル時代以降、ずっと絵画の裏側にしっかりとくっついており、表裏一体を成しているものです。左側の麦の刈った束、そのタッチそのままが素描の上にあります。そういうことから考えると、ゴッホの油彩画におけるタッチは、ある意味でとても素描的です。とりわけアルル時代のゴッホはペン、葦のペンを使っています。葦の茎を切ったペンを使うと、グイグイッとした太い線が引けるのですが、ゴッホが素描において実現した線がそのまま生きている。そういうことからすると、印象派やゴーギャンと比べても、ゴッホの油彩画における絵具のタッチは素描的だ、デッサン的だと言えると思います。

 積み藁を描いたこの作品の面白いところは、実際の油彩画ではない、積み藁の渦巻くようなペンのタッチが見えていることです。この素描でも、いろんなペンのタッチの絡み合いが見どころになっています。こういうふうに見ていると、「なるほど、ここのタッチの動きは素描のこういうところに対応しているのだな」という感じがします。これは植物が絡み合うアルルの公園の様子です。この作品をお見せしたときは、「ほとんど風景画なんだけれども、抽象的なタッチの渦になっている」と申し上げましたが、それを素描にしてみると、一層抽象的な画面構成という感じが強くなっています。


水墨画に近づく素描


 これはアルルの近郊の風景で、ほぼ同じような場所を描いています。これなんかを見ると、ここでは岩や木のタッチの処理がどうもうまく出来ていない感じがするんですが、右側では、岩のゴツゴツとした感じとか、木が威勢よく葉を伸ばしている様子が非常に見事に描かれています。

 右側の素描に関しては「ペンの使い方の巧みさは西洋絵画を超えて、日本の水墨画のような感じがある」とよく言われます。場合によっては、ジャポニスムという部分もあると思います。日本の水墨画の画家たちは1本の筆を使いながら、それを様々に使い分け、濃淡を使い分けて、岩や葉っぱや流れを描き分ける。タッチの使い方、濃淡の使い方によって、1色なんだけれども、風景の全体をつくり上げるといった水墨画のやり方を感じさせるような素描の巧みさをゴッホは見せているわけです。

 アルル時代のこういう作品を見ると、ゴッホにとっては素描が油彩画を考えるうえでも重要な要素だったことが分かると思います。油彩画と素描を比べると、明らかに素描のほうが面白いというものもあります。これはゴッホがアルルから地中海にあるサントマリーというところへ出掛けたときに描いたものですが、右側を現地で描いて、アルルに帰って来てから左の油彩画を描いています。この草の生い茂る様子などは、油絵になると、タッチの変化がなく、おとなしいものになってしまったような気がします。これも現地で描いたものですが、こちらのほうがずっと力があるような感じがします。そういう意味では、アルル時代においても、画面のタッチの力という点では、素描が油彩画をある程度リードしていた面もあるかもしれません。

 これはやはりサントマリー、地中海を描いたものです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh26.html

現場で油彩画を描いて、アルルへ戻って来てから、それを基にして素描を描いています。たとえばこれなんかもハッキリしています。現地で描いた油彩画の場合は、波のような不定型で動いているものをどう扱ったらいいのかよく分からない。ところがペンで描いたもだと、実に見事に波の砕ける様子が描けている。こういうものに関しては、油絵ではどう処理していいか分からないけれども、素描ではきちっと処理できていると言えると思います。


サン=レミで完成したタッチ


 これも同じものを基にした作品で、もう1点、これは現地で描いた油彩画です。このへんがうまくいっていませんね。波がどうなっているかはっきりしません。しかし、それを素描にすると、こういうふうに出来るわけですね。波が押し寄せて砕けていく。ですから、サントマリーへ行った時点でも、まだゴッホは海のような難しい対象に関しては素描のほうがうまく扱えたようです。これもそうですね。まさに渦巻く波の様子が見事に描かれています。最初にお話したように、ゴッホはまだアルルにおいては完璧には自分のタッチを完成させていなかったわけで、それが完成されるのはサン=レミです。

 右側の素描に見えているような渦巻く様子、あるいは空の部分の雲でもそうですね。油彩画では頼りなくフワフワ浮いていますけれども、素描の場合は、渦を巻いて、しっかりとした雲という存在感を持っている。こういう存在感を持った対象を油絵で描くには、アルルはもう一歩であって、ゴッホがこういうことを達成したのはサン=レミだった。それをタッチのところでお話したわけですけれど、こうして素描で比べてみると、そのことが一層よく分かるかと思います。海を描くときには、アルルでもうまくいっていなかったように思われるわけです。

 これは右のものと対応している油彩画ですけれども、この油彩画の場合、波の部分は素描に見えているようにうまく処理されています。雲の部分もさっきのような頼りない様子ではなくて、しっかりと実在感を持った、まさにゴッホがサン=レミ時代に達成したようなしっかりとしたタッチをもっています。

 ただし、左側の作品はゴッホの真作ではなく、贋作です。かなり前まで真作だと思われていたのですけれども、贋作です。科学的な調査の結果、それが明らかになったのですが、これは様式的にも明らかに贋作です。どうしてかというと、先程見たように、アルル時代においては、ゴッホはまだこんなタッチは達成できていなかったわけです。素描においては既に達成できていたけれども、油彩画においてこのようなタッチが達成できるのはサン=レミへ行ってからです。ですから、アルル時代にこのテーマでこのような作品が描かれることはない。その意味でも間違いなくこれは贋作であるわけです。

 贋作者は当然サン=レミ時代のこういう作品を知っているわけですから、これとこれをうまく対応させているわけです。こういう渦巻くような空を描くんだったらこういうものを描くだろうと。贋作者が失敗したのは、アルル時代の主題なのにサン=レミ時代の様式で描いてしまったことです。

 そういうことから考えても、サン=レミに達成されたものはアルル時代にはまだ達成されていなかった。しかし、素描においては達成されていたものが、サン=レミに達成されたということが場合によっては言えるわけで、1時間目にお話した、ゴッホがいかにして自分の様式を達成したかという話の裏には、そもそもゴッホが個人的に素人画家として素描から出発したことが大変な強みとして働いていると言えるわけです。


サン=レミ時代


 サン=レミ時代になると、素描と油彩画が完全に1対1で対応するようになります。これが(星月夜)に対応する素描です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_Starry_Night_Drawing.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:VanGogh-starry_night.jpg


サン=レミの病院の庭を描いた油彩画と素描です。試しに左側の油彩をモノクロで撮って素描と並べてみると、こうなります。絵の性格としてはほとんど同じであることが分かるとかと思います。タッチの部分、空の部分なんかも、よくよく注意しないと、どっちが素描でどっちが油彩画だか分からなくなってしまう感じさえあるわけです。

 これも病院の窓から見た麦畑の油彩画と素描です。これも油彩画のほうをモノクロにしてみると、こんな具合です。つまりゴッホの素描は、色を抜いた油彩画とほとんど変わらないような性格のものであるわけです。これはサン=レミ時代の(糸杉)。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen1.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen.jpeg


糸杉の渦巻くようなタッチ、空の渦巻くようなタッチは、素描で実現されているものと同じです。これは、大変抽象的な絵になっていると申し上げた(オリーブの果樹園)と、それに対応する素描です。素描を見てみると、油彩画に見られる「うねっている線」が、油彩画の線というより、もともと自由に動くペンで達成された「素描の線」であることが見てとれるかと思います。

 オーヴェール時代にも、その自由な線をもった素描、あるいはそれに水彩をさした作品は、こんなふうに見られます。オーヴェールの農家の藁葺き小屋を描いた作品。こういうものにしても、特に右側のようにちょっと淡い色がついているものは、素描と油彩画がほんとうに近い性格のものであることが分かると思います。そういう意味では、ゴッホの作品は、油彩画であっても、とても素描に近いものである。素描は素描であっても、ゴッホの油彩画にとても近いものである。右側は水彩画、左側は油彩画ですけれども、こういうところのタッチなんかも、この油彩画から色さえ抜けば、素描じゃないかと思われるような作品になっているわけで、ゴッホの画家としての特殊性、素描家としての特殊性、素人画家という特殊性が、美術史の中でゴッホの油彩画を考えるときにも、とても重要なものであることがお分かりいただけたと思います。


静物画の意味するもの


普段はあまり重要視されないんですが、ゴッホにとってとても重要なものに静物画があります。最初の時間にご覧いただいた表の中で、パリ時代にとても静物画が多いことをお話しました。パリ時代に風景画よりも人物画よりも多いのが実は静物画なのです。

 たくさんの静物を描いています。最後に「パリ時代の静物画にはどういう意味があったか」に触れておきたいと思います。パリという大都会にあって、ずいぶん人もたくさんいて、仲間もたくさんいるにも関わらず、たとえば大都会の風景とか、周りにたくさんいる人物とかではなくて、なぜ、どんな場所でも描けるような静物画を描いたのか。静物画には場所とかまったく関係ないわけで、どこにいようと花とか果物とかさえあれば描けるわけです。どうして場所に関わりのない静物画を描いたのだろうか。これも一つの謎です。ゴッホはパリにいて、一番人々との交わりもある中で、どうして自分だけの一番小さな静物の世界に閉じこもったのか。そして、なぜそれだけ作品が多いのかは謎ですけれども、その理由は別としても、ゴッホがやったことは、とても重要です。

 これはゴッホが描いた静物画です。最初の時間にお話したように、こういう静物画において、ゴッホはタッチの盛り上げをたいへん強調して使っています。そのようなタッチに関して、ゴッホは、とても尊敬していたモンティセリという画家から、何ということのない花瓶をゴツゴツと盛り上げた絵具で粗いタッチで描いていくことを勉強したに違いないわけです。

 これはモンティセリの(花)の部分図です。間違いなくこういう作品において、ゴッホはモンティセリから大変大きな影響を受けたと思われます。これはゴッホの作品の部分図です。花びらをグイグイと盛り上げた絵具で構成していくのは、ゴッホのパリ時代の初期の静物画の特徴です。それに対して、こういうモンティセリに習ったようなゴツゴツとした、しかしタッチとしては全体としてまとまりのあるものがなくて、雑なタッチが画面全体に満ちているといったようなものに比べて、パリ時代の後半になると、ゴッホは静物画において、ある意味では違う実験を行います。


(ひまわり)の実験


 それはどういものかと言えば、アルル時代の(ひまわり)に見られるような実験を既にゴッホはやっています。アルル時代の(ひまわり)は、黄色の中に黄色を描く。どうやって背景といろんなものを区別していくかというと、たとえば背景の部分はザラザラとしたタッチで見せる。そして花弁の部分はグイグイと放射線状のタッチで見せる。それからこういう部分はまた別のタッチを使うといったような、タッチの描き分けをやる。同じ色なんだけれど、タッチの使い分けで示していくということをやっているわけです。実は静物画においてタッチを見せていくことは、アルルで初めて起こったことではなくて、パリにおいて既に行われていることでした。

 これはパリ時代の中で最も注目すべき静物画です。まさにこれはアルル時代の(ひまわり)の先駆であって、画面全体真っ黄色です。しかも、ゴッホがつけたオリジナルの額まで真っ黄色です。その真っ黄色の中に、梨とかブドウといった果物を描きながら、それをタッチの描き分けで見せています。これが部分図です。こういう長いタッチであるとか、回っていくようなタッチ、それからハイライトの部分では点々。この静物画に見られるこういうタッチの使い方は、今日お話したような、ゴッホが素描でやってきた使い方、あるいはアルルの風景画でやっていたこと、それらにある意味では対応しているわけです。それから、たとえばこういうところでは濃淡を線でつけていく。暗い部分には暗い部分で線をつけていく。こういうハッチングもそうですね。油彩画の場合、明暗をつけるときには、暗い部分から明るい部分までをなだらかに塗っていくわけですが、このように線を重ねることによって、暗い部分、明るい部分を描き分けていく。これはどちらかというと素描のやり方なんですね。

 ですから、ある意味ではこの作品も油彩画ではあるけれども、ゴッホが素描で試みていた様々なタッチで構成されている。しかもこの場合はモノクロームです。モノクロームは普通白黒ですけれども、黄色一色でもモノクロームなんで、黄色という一つの色の中で、白から一番濃い黄色にちょっと緑がかかったところまでの範囲の中で、明暗とタッチの違いで画面を構成していくといったこのやり方は、実はパリの静物画の中で一番ハッキリしてきます。そういう意味では、おそらくパリのたくさんある静物画は、ゴッホが一番慣れた、一番身近で自由に扱いやすい静物画を素材にして勉強していた証拠でしょう。静物画は自分でテーマを決められるし、どういうものをどう構成していくか、自分で組み立てることができるわけです。机の上に置けばいい。いつでも果物さえ買ってくればできるわけですから一番簡単である。

 そういう一番簡単な素材を使って、自分がそれまで勉強してきた素描の使い方、タッチを組み入れながら一つの勉強をしていく。そういう場であったように思われるわけです。これなんかでもそうですね。「梨」といった対象だけを扱いながら、そこにどういうタッチを見せていくか。これなんかも机の上に置いてあり、これにしてもこれにしても、ここに何があるかよく分からない。机の上にこんな渦巻いているわけはないんですけれども、ここで対象の周りにタッチをつくり上げている。こういう放射状のタッチは、この後、アルルでもサン=レミでも空なんかに見られますね。人物の背景とか空とかに見られます。具体的に何を描いているわけではないけれども、画面全体を統一して、画面に描いている対象に視点を集中させるといった意味で、何を描いているかということからすると、ほとんど意味のないようなものを描いていく。この素描なんか一番ハッキリしていると思います。

 パリ時代の油彩画は、こういうふうに見ていくと、ある意味では実にシュールレアリスム的ですね。空間の中に果物が自分の生命をもって浮かび上がっているようです。そのような感じを生み出しているのは「タッチ」であるわけで、ゴッホの風景画における生命の源であったタッチがパリ時代にはそれを先取りする形で静物画に生かされていると言えると思います。

 最後にパリ時代の静物画のひとつの頂点をお見せして終わりたいと思います。(ひまわり)といえば何といっても有名なのはアルル時代の(ひまわり)です。しかし、個人的には、見方によってはパリ時代の切り花を描いた(ひまわり)の方がすごいものだという気がします。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Vier_verbl%C3%BChte_Sonnenblumen.jpeg

つまり、もう「枯れてしまったひまわり」という、ただそれだけの対象を机の上に置いて、それをどう見せるかというときに、色彩としてはそれほど大きなバリエーションがあるわけではない。右側はほとんど黄色から緑まで、左側は基本的に黄色と青との2色です。色彩的にはそれほど変化がない。しかも、さほど花弁がたくさん伸びているわけではない「枯れたひまわり」という、それほどの対象ではないものを2つボンと置いて、それをどう見せるか。この作品を見せている力は、タッチ以外にはないです。それもこういうザクザクとした、絵の具でしかあらわせないタッチから、画面の上にペンで描いたかと思われるようなこういうタッチまで使っている。つまり、油彩画のタッチと、素描におけるペンのタッチの両方を知り尽くした画家が、その両方を動員して、ここに「ひまわり」を描きだしている。アルルのひまわりは生命の象徴であり、光であり、躍動であり、生命力であるわけですけれども、このひまわりの場合には、枯れてはいても、なおかつ「生命を持っているような力強さ」があるわけで、それはまさにゴッホが素人の画家として駆け出しの頃から熟達してきた素描の力のに基づいているのだと思われます。

 もう1点、これは私が個人的にゴッホの(ひまわり)の最高傑作と思っているものですけれども、背景は何だかほとんど分からないですね。

赤の点々は何だろう。この明るい部分は何だろう。縦に通っている筋は何だろう。ほとんど抽象絵画としか思えないような背景。そこに4輪のひまわり。しかも切られたひまわり。特にこのひまわりは、手前のところで切った切り口が見えていますけれども、それがグイッとわれわれのほうに突き出しているようです。ゴッホの作品の持っているゴッホらしい、ある意味では最良の部分が、既にパリ時代の「ひまわり」にあらわれていると思うわけで、そういう意味では、ゴッホの作品における静物画も、決して無視できないものだと思われるわけです。


烏のいる麦畑


 最晩年の代表作である(烏のいる麦畑)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


これはもちろんゴッホがメインにした風景画の主題で、ゴッホが好んできた麦畑の主題です。青と黄色という色彩をぶつけ合わせて、なおかつその間に地面の赤という色、草の緑といったようなアクセントを配しながら、地面の部分でも地上の部分でも様々なタッチのうねりを絡み合わせており、この前に立つと、我々はこの道をたどって奥にも行くようだし、また向こうから烏が我々のほうに向かって飛んで来るようでもある。とても単純な構成ではあるけれども、横長の画面に幅広い空間がつくられていて、その空間の前に我々が立っている。その空間の前に我々はただ止まったものとして風景を見るのではなくて、我々が歩いて行くし、またその中で雲が渦巻いているし、麦畑は風に揺れているし、烏は声を上げて向こうから飛んで来る。その空間の中で、植物も動物もあるいは天も地も動いて、その揺れ動きが1つのタッチの絡み合いの中で1つの画面を構成している。タッチ自体の性格はずいぶん違っていますけれども、基本的なことから言えば、右側のパリ時代の横長の(ひまわり)にも共通するものではないかと思われるわけです。

 そういうことから考えてみると、風景画と静物画は必ずしも切り離されるものではなくて、ゴッホの全体像を考えるときには、メインのものだけではなくて、サブのもの、他の画家ならあまりやらないもの、あるいはゴッホの特殊な状況の中から生まれてきたものにも目を注いでみると、またメインの部分に対しても、いろいろな新しい光が投げかけられるのではないかと思います。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari3/ar3.htm

オランダ時代の主題


 右側はゴッホがまだ画家になろうと決める以前、ごく初期に描いた作品です。ゴッホは画家になる前にさまざまな仕事を転々としました。一時は貧しい人びとや労働者たちに教えを伝える伝道師になろうと心掛けましたが、うまくいかなかったのです。その一環で、ベルギーのボリナージュ炭鉱地帯で教会へ行くこともできない労働者たち、鉱夫たちのあいだを巡回しながらキリスト教を説くという仕事をしています。(袋を担ぐ女たち)(1879年)は、そのときの体験を基に描いた絵ですが、炭鉱地帯で重い袋を背にかついで歩いていく女性労働者たちの姿が描かれています。
 左側はセシル・ドゥアールという、先ほど見た、くたくたになって休憩している炭鉱夫を描いている画家の絵です。やはり炭鉱地帯、しかも女性の、とても過酷な労働を描き出しています。それと同じような様相をゴッホは描いているのです。ゴッホは、ただそれを絵にしたのではなく、むしろ画家以前に、その炭鉱地帯へ入り込んで彼らと一緒に寝起きしており、まさに最下層の人びと、ほんとうに生きているだけの最低限の生活を共にしています。かつキリスト教を伝道するという活動に挑んだわけですから、当然のこと、後に画家となったゴッホのスタート地点においては、社会の明るい面ではなくて、むしろ社会を底辺で支えている人たちの姿、人物を描こうということが一つの目標であったわけです。とりわけオランダ時代のゴッホの関心は、田舎の人びとの生活という「主題」に向けられることになります。

 ハーグ時代、ゴッホは画家になることを志していましたが、とにかくたいへんな貧乏生活でした。彼が描きだすのは、彼と同じように苦しい生活をしている人たちであり、ハーグの町中の風景を描くにしても、歩いているのは裕福そうな人たちよりも、むしろ労働者ふうな人びとですね。右側は国営宝くじ売場に群がる貧しい人びとの姿を描いたもので、こういうような都会の姿をゴッホは絵にしています。

 ゴッホは、農民の姿を描いた画家としてミレーを非常に尊敬していました。有名なミレー(種播く人)を基にしたゴッホの素描があります。ゴッホは生まれがオランダ南部の農村地帯で、子供の頃から農業に大変に親しみがありました。それもあって、偉大なる先輩ミレーをお手本にしたわけですが、まさにこれはミレー(種播く人)を手本にして模写した作品ですね。が、そういう模写をするだけではなく、オランダ時代、ヌエネンに暮らしていた頃には、実際の農夫にポーズをとってもらって、やはりミレーの絵で見たポーズが手本になっているのですが、農民の労働の絵を描いています。


人物画の割合が多い


 その時期の人物画のうち、圧倒的多数は農民の姿を描いたものでした。ゴッホが、たとえば種播く人という農民たちの姿を描いたのは、アルル時代からサン=レミ時代まで続いていきます。これは先週も見たアルル時代のゴッホ(種まく人)(1888年)です。ここでのポーズはやはりミレーを借りていることが分かるかと思います。

 ミレーやクールベと同じように、ゴッホの場合も田畑で働く男や女をいろんな形で描きだしています。腰を曲げて草を刈ったり、土を掘り返している女性の姿を描いた右側の絵はヌエネンで1884年に制作したものです。

 左側の絵で描かれているのはもっと過酷な労働かもしれません。本来は馬に引かせて地面を掘り返す鉄製の「馬鍬」というものですが、馬を雇えないので、その重い道具を農夫が自分で引っ張っている姿ですね。これは手紙の中の素描ですが、オランダ時代のゴッホは、たいへん苦しいけど大地に密着した農民の仕事振り、労働の様子を繰り返し描き、制作しています。それがオランダ時代ゴッホのメインの「主題」であったと言えます。

 左側のオランダ時代の絵には農民の顔、パイプも見える。ただ働いている姿のほかにも、農民のさまざまな様相、ヌエネンに過ごしていた男や女の顔を丹念に描いています。本来、画家は農民たちの肖像画を描こうなんて考えません。普通、肖像画というのは、誰かが自分の姿を描かせたり、誰か有名人を描くということです。だから、農民から肖像画の依頼など基本的にあり得ない。農民が注文することはないし、特定の農民の顔を見たいから絵を買うという人もいません。だけど、ゴッホはヌエネンで、何人でもはっきり区別できる個性あるものとして農民の顔を何十点となく描いています。そのゴッホの農民を描く興味は、アルル時代にも続いていくわけです。

 オランダ、ヌエネン時代の農民の姿を描きたい、あるいは農民の現実生活の場を描きたいという狙いの頂点にあるのがゴッホ(馬鈴薯を食べる人々)(1885年)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


彼は、できるだけ多くの人たちに見てもらいたいと考えて、自ら版画も作っているわけです。このように見てくると、ゴッホがオランダ時代に主たる関心をもって描いた作品は、印象派時代の絵画の中で考えれば、大都会の人間が見た近代化と明るい未来へ向かって展開していく近代社会や工業化の明るい側面というよりも、むしろ近代化を大地に立って支えているという側面でした。少なくともオランダにいた時期までは、それを自身の関心の中心に置いていたと言えます。要するに、印象派の画家たちの興味よりも、むしろそれとは違う、同時代に流れていたクールベからの写実主義ないし自然派リアリズムの流れにゴッホの主題、様式があったということです。

 これはまさに農民の素朴な食事の様子です。しかし、家族というものが目的を共にして働いて、共に糧を得て、生きているという一つのあり方をゴッホは描きだしているわけです。その意味でも、オランダ時代のゴッホの社会的関心は、いわゆる印象派の画家たちとはかなり異なったものであったと言えます。

 (馬鈴薯を食べる人々)を見ると、とても苦しいのだけど、みんなで一つの働きをして、ジャガイモのような寒冷地にしか育たない、地味悪い土地でも育つような最低限の食物を得ている。とにかく家族一緒に同じ場所で生きていく。ある意味ではミレーから流れてくるような、大地にしっかり根を下ろした農業共同体社会といったものが描かれています。

 しかし、ゴッホが描いていたヌエネンという南オランダの農村地帯では、何百年も続いていた農業共同体あるいは家族の生活が実は変わりつつあったのです。それを示す機(はた)織りのテーマは、今回の展覧会にもちょっとしたコーナーがありました。左側は農村地帯の農家ですが、大きな機織機を使ってはた織りをしている人々の姿を描いています。なんとなく女性の仕事と思われますが、実はここで織機に従事しているのは男性なのです。左側はゴッホの絵で、右側は同じ時代のドイツ人、リーバーマンという画家が描いたものです。ドイツの農村地帯でも同じようなことが見られました。狭くて暗い農家の部屋の中に、入りきれないくらい大きな機織り機械が置かれて、はたを織っているのは男性です。こういうテーマがドイツでもオランダでも共通してこの時代に見られます。

 農村地帯に工業が入ってくる、いわゆる工業化展開の中では、家内制手工業はかなり古くからあったのですが、その次の段階に問屋制家内工業と言うか、大きな問屋という資本が機織り機という設備も原材料もすべて提供して、それぞれの家で加工させて、できた製品を問屋が引き取り、各戸に手間賃を払う形態があります。さらにその次の段階が工場制労働形態となりますが、これはその前段階で、農村の労働力を、まずそれぞれの家にいるままで、資本は全部問屋が出して製品をつくるという、この時代にオランダやドイツの農村地帯で共通して起こっている現象ですね。大きな織機で能率を良くする。そして、しっかり織るためには、女性ではなく、力強い男性労働力が必要である。

 女性はどうなるか。このゴッホの作品が典型的ですが、ヌエネン墓地の塔も見えますけど、外に見える畑で働いているのは女性たちです。ゴッホが描いたこういう姿が意味するのは、農村の中で男女が一緒に畑を耕すという昔ながらの情景がこの時代の工業化によって崩れつつあったということですね。

 つまり、より多く現金を稼げるものとして、男は農地へ出るよりも機を織る方が魅力になってくる。そうなると、畑の方は女性が主に耕すわけです。右側もゴッホが描いた素描ですが、男が機を織っており、その狭い部屋の中に赤ん坊もいる。男は赤ん坊の面倒を見ながら機を織る。お母さんは外で畑仕事をしている。そのように近代化が農村地帯ヘ進展していくことによって農村が解体されていく状況をゴッホは描きだしていたのです。なにげなく窓の外に見える情景ですけど、やはりこの当時、1870年代のオランダの農村地帯における近代社会化の流れ、真実を的確に映し出していますね。

 そう考えれば、ミレー(晩鐘)に表されていたような姿は1870〜80年代にかけては、ある意味で、もう過ぎ去った昔の理想のような世界になっていたと思うわけです。

 オランダ時代のゴッホは農村の実際の姿を描きだしていましたが、それに対して印象派の画家たちはどうだったでしょうか。先ほどモネやルノワールが大都会を描くときに影の部分より、もっぱら光の部分を描いたというお話をしました。農村を描くときにも、やはり、印象派の画家たちは、どちらかというと農村の明るい面を正面に押し出していますね。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm

印象派の中でのゴッホの位置


今日お配りした資料の裏側の年表をご覧いただくと分かりやすいかと思いますけれども、ここに「印象派・後期印象派の主要な画家たち」が並べてあります。

 ピサロから始まってシニャックまで、生まれが早い順に並んでいますが、「マネからゴッホまで」ということになります。そして、それらの画家が、印象派の1回目から8回目までの展覧会に参加しているか、していないかを示す○を付けてあります。ここでハッキリすることは、一番初めのマネと、最後のゴッホというのは、実は印象派の展覧会自体には出品していない画家であることです。


兄貴格のマネと弟分のゴッホ


 マネは印象派の画家たちからとても尊敬され、親しいグループの仲間であったのですが、印象派の展覧会には参加していません。言ってみれば、印象派の兄貴格といったようなところにあたります。またゴッホは、自ら画家になることを志したのが遅かったこともあり、印象派の画家たちとは直接接触はありませんでした。けれども、印象派からとても強い影響を受け、そのすぐ後に活躍した、言わば印象派の弟分と言ってもいい人です。

 年齢からいっても、ピサロという年長の印象派の画家を除いては、マネの1832年生まれからゴッホの53年生まれまでの間に大体入ってしまう。ちょうど印象派の世代の前後をマネとゴッホが囲んでいることになります。


画家としてのスタートが遅かったゴッホ


 ゴッホは印象派の展覧会にはまったく参加していません。それどころか、ゴッホがパリへ出て来たのは、まさに印象派の最後の展覧会があった1886年のことです。もちろんゴッホは画家になる前に画廊の店員としてロンドンの支店、あるいはパリ支店に勤めていたことがあるので、パリをまったく知らないわけではないのですが、彼が画家を志したのは、いろんな職業を転々とした後の1880年になってからです。そして、80年から85年まで、地元のオランダで、ほとんど独学で絵の勉強をしています。そして、アントワープを経て86年にパリに来て、そこでいろいろな印象派の作品にもある意味で初めて接して、そこから彼の画業というのが一気に進んでいくのです。つまり、ゴッホの実質的な意味でのスタートは「1886年」で、それはまさに印象派最後の展覧会の年であったわけです。


短期間に一気に学び、制作した


 それからゴッホは、パリに2年ほどいた後、アルルに1年、サン=レミに2年、そしてオーヴェールに数カ月という、南仏からパリ近郊にたどり着くまでの本当に短い間に、今日我々が見てパッと「ゴッホだ」と分かるような作品の多くを制作していきます。

 今日からの3回の話の大きな枠組みとして申し上げておきたいことは、ゴッホが活躍し始めた1886年は印象派最後の展覧会となった年ですが、そこから数年の間に、印象派が1870年代から80年代の半ばまで15年ほどかけていろいろと開拓してきたことを一気に学んで、自分の作風を展開させていったことです。


オランダ時代のゴッホ


 ここに出しているのは、ゴッホがまだオランダにいた頃に描いていた絵です。ゴッホが油絵を始めたのは1881年で、左側の絵はごく初期の油絵の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv061.htm

木立の中の少女を描いたものですが、右側のものはゴッホのオランダ時代の作品で、ずいぶん後の1885年に農家の様子を描いたものです。オランダ時代の5年間は、ゴッホの様式、たとえば色彩の使い方であるとか、絵具のタッチの使い方は大きく変化はしていません。


オランダ時代の作品


 ゴッホのオランダ時代の作品は、これまでみなさんがご覧になってきたような印象派の作品とはずいぶん違います。風景画もずいぶん違っていて、まだ印象派以前の、あるいは印象派たちが60年代に見せていたような茶色とか黒とか、灰色とか、そういう色を使っています。ひとつ前の時代の、たとえばクールベ、ミレーなど、バルビゾン派の画家たちの作風に似ています。もちろん、それに並行するようなフランスの19世紀半ばの影響というのがオランダでもあって、ゴッホの先輩たちはこういう絵を描いていた。それをまずゴッホは学んだわけです。またゴッホは、オランダ時代には、風景画だけではなくて、こういう広い意味で言う人物画もたくさん描いています。

 左側のものは、ゴッホ美術館にある大変有名な(馬鈴薯を食べる人々)という作品で、ゴッホが接していた農民の生活を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


右側は、ゴッホが生活していたヌエネンというゴッホのお父さんが牧師をしていた町です。正確に言うと、オランダの発音では「ニューネン」といいます。今回の展覧会では「ヌエネン」ではなく、「ニューネン」という表記になっていますけれども、我々は「ヌエネン」という言葉に慣れているので、今日のお話でも「ヌエネン」と呼ばせていただきます。これはヌエネンの、ある農家での機織りの様子を描いたものです。タッチがずいぶん荒くて、ゴツゴツしている。そういう意味では、ずいぶん新しい要素も含んでいるのですが、しかし、基本的なタッチの使い方とか、色彩全体があまり派手でない暗い色彩であるといった使い方は、まさにゴッホのオランダ時代の典型であって、古い様式を示しています。

 これはオランダ時代、ヌエネンで描かれた静物画です。右側のものは(聖書と本のある静物画)と呼ばれるヌエネン時代の代表作で、今回の展覧会でも最初の部屋に出ている、とても立派な堂々とした作品です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv054.htm

ここに描かれているのは、フランスで当時はやっていた「黄表紙本」という黄色い表紙のゾラの小説です。この絵からは、ゴッホがオランダにいたときもフランスの文化にたいへん憧れを持っていたことが偲ばれます。しかし、この作風は、当時の印象派の向かっていた方向からはほど遠い作風を示しています。左側はリンゴの入ったバスケットですが、これもやはり同じような暗い色調を示しています。左側の作品は、1885年の(ヌエネンのポプラ並木)という題名の作品で、ゴッホがオランダを去って、アントワープを経てパリへ行く直前のオランダでの最後の作品の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm


右側は逆に、アントワープを経てパリへ出た1886年の一番初期の作品です。


________________________________________


1886年パリへ

ゴッホを待ち受けていた印象派の画家たち


 オランダからパリへ着いた直後のゴッホはどういう様式を持っていたかを示す作品が右側の作品で、このようにオランダの最後の作品とパリの最初の作品を比べてみると、パリへ到着した時点では、ゴッホは、まだそれほど新しいものを学んでいるわけではありません。オランダの様式をそのまま引き継いでいる。ただ、オランダのヌエネンの教会の見える田園風景から、パリのちょっと気のきいたレストランへと主題は移っていますが、まだこの最初の段階では、色彩の扱いはオランダ時代とまったく変わっていないことがお分かりいただけると思います。

 さて、70年代からヨーロッパ各国、あるいは日本の画家たちの間で、美術の都としてのパリの名声が高まっていきます。そこにいろんな様式が流れ込んでくる。そして、パリ自身が次から次へと新しい美術の動向を生み出す。そのパリにあって、ゴッホはすぐにいろんなものを吸収していくことになります。

 たとえば同じレストランを描いた絵ですが、右側もレストラン。左側はもちろん違うレストランですが、左側になると、もうみなさんがこのシリーズの中でご覧になってきたのに近い、鮮やかな色彩で、タッチなんかも細かい点々を使っています。暗い茶色でも、いろんな色を混ぜ合わせてつくるという筆触分割で表現し、絵具の鮮やかな色をできるだけ失わないように、画面の上でそれを併置していく印象派の典型的な色の使い方、タッチの使い方があらわれています。右の作品と左の作品の間は1年ほどしかないのですが、ゴッホがもうすっかりパリの最新流行の印象派の作風を吸収したことを示しています。

 これが部分です。こういう部分なんかでも、ほんとうに明るいタッチを並べていくという描き方で描いています。こちらは1887年にパリで描かれた、なんということのない主題なのですが、パリ郊外の傾斜地にある木と草とかを描いたものです。全体がとても明るい。そして点々であるとか、やや短めの、あるいはやや長くてスッとしたいろんなタッチを重ねることによって、郊外の明るい自然光の下の印象をサッと素早く描き止めるといった方法をゴッホはここで学んでいます。


モネ


 たとえば、主題は違うのですが、右側は1887年のゴッホの作品で、左側のモネの作品は1886年の、ちょうどゴッホがパリへやって来たぐらいの年に描かれたものです。たとえば空のタッチであるとか、地面の草をあらわすタッチ、全体の色調といい、まばゆい程の夏の明るい印象を生み出している絵具の色遣いと言い、筆の使い方といい、ゴッホが左のモネのような作品に学んだことが良く分かると思います。あるいは、右側はゴッホの作品、左側はモネが1878年に描いた作品ですが、たとえば、町中に三色旗が溢れている。その三色旗がチラチラと揺れている印象を、ザクザクッとしたタッチで描いている意味で有名な作品ですが、モネのものに比べると、ゴッホの場合には、もう少しタッチが大きなまとまりを持っています。ゴッホが右のような作品を描くにあたっては、左のモネの作品などをお手本としたことは、まず間違いないと考えています。

 もちろん、印象派の中にも、あるいはモネの中にも、いろんなタッチの使い方があるわけで、もう一つ違う作例をお見せしますと、左側はモネの作品の中でも全体がとても細かいタッチになっている。セーヌ河沿いのポプラ並木で、木の葉がチラチラと光を照り返す様子を大変細かいタッチに分割して表現しています。右側はゴッホのセーヌ河を描いた1887年の作品ですが、木の葉あるいは川岸の草が夏の明るい光をチラチラと反射する様子をあらわすために、こういう細かいタッチを散りばめています。この手法を見ると、やはりゴッホは印象派から、とりわけモネから学んだと言えると思います。


後期印象派の影響


 しかし、ゴッホは、印象派の展覧会に出品していたような、つまり自分より1世代ちょっと上のモネとかルノワールとかいう画家だけではなく、当時パリにいて新たに活躍を始めた、ちょうどゴッホと同世代で、後に我々美術史家が「後期印象派」と名付けることになった画家たちからも多くのものを学びます。その1例をここにお見せします。両方ともゴッホの作品ですが、ゴッホは印象派のようなタッチをモネ等から学ぶと同時に、それをもっとシステマティックにした「点描」を身に付けている。画面全体を点々点々で描いていく。点で描くことによって、より一層明るい状況を描きだすといった手法も身に付けることになります。


スーラ


 右側はパリ郊外の道の様子を描いたもの。左側はゴッホが転がり込んだ弟のテオの住居から眺めたパリの町の様子で、こういうところにまだ少し長めのタッチがありますけれども、全体を細かい点々で表現していくポワンティリスム、「点描派」の様式をゴッホはここで学んでいます。そして、その点描の様式の代表者がスーラです。ゴッホと並んで後期印象派の中に数えられます。スーラはゴッホより6つも年下ですが、ずっとパリで暮らしていて、最後の印象派展である1886年の第8回印象派展に出品しています。ゴッホからみれば、6歳も年下なのだけれども、これから本格的に絵の勉強を始めようかという状態で、出て来たばかりのまったく無名の自分に比べて、印象派の次の世代として頭角をあらわしてきた、それも印象派の手法を展開させて、印象派とは違う新たな点描の様式を紹介するような大胆な試みをやっている、言ってみれば当時の前衛画家の最先端を走っていた画家なわけで、そのスーラから、ゴッホは点描のやり方を学んで、自分でも試みます。


シニャック


 左側はスーラの典型的な点描の作品です。右側はそれを学んだゴッホの作品です。これはスーラの仲間であったシニャックの作品です。ゴッホはスーラにひかれてこういう典型的な点描の作品を描いていくわけです。ゴッホとの関係から言えば、何回か会ったことはあるのですが、それほど親しいというわけではない。それに対してゴッホとシニャックとは、個人的にもわりと親しいところがあったようです。それで、アルルでゴッホがゴーギャンとの問題を起こして入院した後、ちょうど南仏に行きがけだったシニャックが、ゴッホのことを心配してアルルに立ち寄っています。

 シニャックのこういう作品は、もしかすると、右側のゴッホの作品の直接のお手本になったのではないかと思われる節もあります。主題の点でも、ゴッホがずいぶんシニャックから学んだと思われるのは、左側はシニャックが描いたパリの郊外のアニエールにあったガスタンクが見える工場街ですが、そのアニエールの工場街をゴッホも描いています。様式の上からいうと、シニャックほどの点描ではなくて、もう少し印象派風の長いタッチなんかも見えますけれども、テーマから言うと、パリの郊外の工場地帯なんていうのは、シニャックから学んだものかも知れません。あるいは、テーマが似たもので言えば、左側は、ここにサインがあるように、シニャックが84年に描いたモンマルトルの風車です。右側はゴッホが86年に描いたモンマルトルの、風車がここにあるところで、風車の前の手すりと街路樹なのですが、同じような一連のものですね。同じような手すりと街路樹とガス灯があります。

 こんなふうに、ゴッホはパリへ出て来て、それまで自分があまり扱ったことがない都会的な風景、そういう主題、パリという町、そしてパリで活躍していた画家たちから学んでいくわけです。ゴッホはパリで風景画も描きますし、静物画もたくさん描いています。静物画といえば、先程オランダ時代のところで右側に(聖書のある静物画)と左側に(リンゴの入ったバスケット)をお見せしました。右側の作品は、バックが暗くなっていますけれども、手前の花瓶から花のところ、手前の机のところなんかは、ずいぶん鮮やかな色彩で描かれています。たとえば左側はモネが描いた静物画。モネは風景画を主体とした画家ですが、けっこう静物画にもいいものがあります。これはモネが描いた(ひまわり)の静物ですが、ゴッホはパリへやって来て、印象派の静物画のタッチもずいぶん学んだように思われます。

 これなんかは右のものに比べれば、さらに一層パリで学んだものがハッキリしているわけで、こういうところは大変鮮やかな色彩、ザクザクとしたタッチ、背景のところには、スーラとかシニャックから学んだような点々の点描のタッチが見えています。左側の作品なんかは、どう見てもオランダの画家の作品ではなくて、まさにパリの画家の作品になっています。


 
ジャポニスムの洗礼


 みなさんご存じだと思いますけれども、ゴッホがパリで学んだもう1つ重要なものがあります。それは日本の浮世絵です。「ジャポニスム」です。調べてみると、ゴッホは既にオランダにいた頃から、ある程度日本の浮世絵、日本の美術には興味を持っていたのですが、それを本格的に勉強して自分でじっくり研究したのはパリに行ってからです。

左側は安藤広重がつくった(名所江戸百景)の中の(大橋あたけの夕立)という作品ですが、それをゴッホは自分で持っていて、コピーしています。彼なりに翻案して、周りに日本風の文字などを書き込んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_bridge.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_sluie00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%89J%82%CC%91%E5%8B%B4%81i%91%E5%82%CD%82%B5%82%A0%82%BD%82%AF%82%CC%97%5B%97%A7%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_sluie


ここでゴッホが学んだものは、いくつかありますが、たとえばよく言われる「大胆な視点」ですね。橋を上から見下ろす鳥瞰図の試みや「色使い」です。あるところをハッキリと青、ハッキリと緑と塗り分けるような大胆な色使いとか、いろんなものを学んでいます、

 もう1点お見せします。やはり広重の(名所江戸百景)の中から(亀戸の梅屋敷)ですが、特にここでは広重の作品が持っている「地面は緑色」(緑色の地面なんてどういう地面だろうと思いますが)「空は赤い」というこの大胆な「緑と赤」という、いわゆる補色、ぶつかり合う色を平面的に処理していくやり方。あるいは、テーマである「梅の木」を、全体像を見せるのではなく、一番手前に持ってきて、上下左右どちらもトリミングしてしまう大胆な構図の取り方などをゴッホは学んだのです。ゴッホは印象派から学んだものとは別のものを学んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_kameido.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_prunier00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%94~%82%CC%89%D4&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_prunier


印象派の作品からゴッホが学んだものは、言ってみれば、全体はとても明るく、そして同時に全体を細かいタッチに分割していくことによって全体の明るさ、光の様子をあらわすという手法です。

 ところが、ゴッホが日本の浮世絵版画から学んだものは、それとは逆で、全体を細かいタッチに分割するどころか、むしろどちらかと言うと、タッチを見せないで、大きな平面的な塗りに還元してしまうことです。

それはまさに日本の浮世絵が持っていたものですね。あんまりハッキリとした陰影付けもなく、たとえば木の幹の部分は若干濃淡のあるベタ塗りである。版画なのですから当然そうですね。1つの版の上に絵具を塗っていくときに若干濃淡をつけることによってしか差がつけられないわけで、本来、日本の木版画はとても平面的な表現を持っている。ゴッホがパリで日本の浮世絵版画から学んだものは、印象派から学んだものとはずいぶん違う。

 1つ共通しているのは「非常に鮮やかな色彩」です。けれども、それをどう表すかという表し方からすると、

日本の浮世絵版画からゴッホが学んだものは、むしろ平面的なベタ塗り、強烈な色彩のぶつかり合い。

それに対して、印象派から学んだものは、どこかで強烈な色彩がぶつかり合うのではなくて、さまざまな青も緑も黄色も使われているけれども、それがどこかで直接ぶつかり合うのではなくて、細かい点に分割されて画面全体に散りばめられている。


絵具を塗っていくやり方からすると、ずいぶん相反するような、その2つのものをゴッホは同時にパリで学んでいます。 もしこれがゴッホのような画家でなければ、いきなりそれが出てくるのではなくて、たとえば2〜3年は一方の方向に進んでみて、それで行き詰まったと思ったら別の方向を試みるような行き方があったかも知れないのですが、ゴッホの場合は年齢も考えて、そんな悠長なことはやっていられない。しかも、パリにいつまでいられるか分からないという事情でしたから、とにかくものすごく旺盛にさまざまなものを吸収していくことになります。


ゴーギャンとの邂逅


 ちょうど、当時ゴッホの近くにいて、ゴッホに影響を与えつつ、一方で自分自身も日本の浮世絵の表現から強い影響を受けた画家にゴーギャンがいます。左側はゴーギャンが1888年にブルターニュで描いた(説教のあとの幻想)と呼ばれる作品ですが、たとえばこの左側のゴーギャンの作品には、ゴッホが手本にしたような日本の浮世絵の影響が歴然としています。たとえばゴーギャンは、重要なモチーフである木の幹を画面の一番手前のところでぐっと部分だけ見せるという表現、地面の色としてあり得ないような赤い色を完全にベタ塗りするようなやり方を日本の浮世絵から学び、また別の部分は、ヨーロッパ中世の伝統的なステンドグラスから学びながら、大胆な色彩を輪郭線のハッキリとした平面的な色面によってぶつけていくという表現を開拓していたわけですが、ゴッホは日本の浮世絵と同時に、こういったゴーギャンのやっていたことも近くにいて十分学んでいたと思います。
 
 ゴッホがパリで学んだものは、まず先輩格であった印象派、とりわけモネなんかのタッチ、それから、そこを引き継いで、彼と同じような世代の前衛の先頭に立っていたスーラの点描のやり方、それから、後にゴッホやスーラと一緒に後期印象派にくくられることになるゴーギャンが示していた強烈な色彩による平面的な画面構成です。そういうさまざまな異なるものをゴッホはパリで吸収し、そしてそれをまとめていく次の段階に入っていくのです。


印象派の発展的解消と後期印象派の台頭


 1886年から88年にかけてがゴッホのパリ時代ですが、実は86年にパリへやって来て、88年頃までパリに暮らしたというのは、たまたま偶然だったのですが、西洋の印象派以降の絵画史の中でとても重要な偶然だったと思います。というのは、先程も申し上げたように、1886年というのは最後の印象派の展覧会の年でした。最後の印象派の展覧会をゴッホは見ることができたわけです。さらに重要なのは、たまたま最後の印象派の展覧会のあった1880年代の半ばというのは、印象派の画家たち、60年代後半から活動を始めて74年に第1回の印象派展というデモンストレーションから世にだんだん知られるようになっていった印象派の画家たちが、ある程度世の中から評価を得る一方で、同時にひとつの曲がり角に差しかかった時期でもありました。

 1886年の印象派展というのは、参加している人を見ても、それまでの印象派展とはずいぶん違います。当初からのメンバーで参加しているのはドガとピサロだけです。シスレーもセザンヌもモネもルノワールも参加していません。それに代わって、第4回から参加していたゴーギャンが最後にも出品しています。それから先程お話をした前衛のトップを走っていたスーラ、そしてシニャックが参加しています。つまり第8回の印象派展というのは、もう印象派展というよりも、今日の我々からすると、後期印象派展のような様相を呈していたわけです。

 さらに言うと、1886年の第8回の印象派展には、今日の我々からすると想像もつかないような画家の名前が見られます。その代表格は誰かというと、ルドンです。ルドンというと象徴主義の画家であって、印象派とはまったく反対のように思われる画家ですが、そのルドンが参加しています。そういうことから考えると、もう第8回の印象派展というのは、ほとんど印象派展とは言えないものです。

印象派の中でも、その周辺でも、次の世代が80年代から登場し始める。そういう状況があって、印象派の画家たちもちょっと売れるようになってきている。けれども、もう次の世代が新しい様式をもって追いかけて来るときに、自分たちはどうやってそれに対抗して世の中に訴えかけていくかということを印象派の画家たちが本気で考えなければならない。それが1880年代に起こったのです。 そのような印象派と後期印象派、新旧の世代がちょうど交差する、その一番いいときにゴッホはパリにやって来たわけです。

印象派の画家たちの中でも、ほんとうに「風景画がメインだ。風景画が勝負なのだ」というのは、実はモネ一人ぐらいなわけで、考えてみると、印象派の画家たちは風景画をずいぶん大事にしたわけですが、彼らが美術界の中で、あるいはパリの画壇の中で、ここ一番勝負というと、やっぱり伝統的な人物画を描く。これは西洋絵画の長い伝統ですから、それに逆らえない部分があります。

 ゴッホが86年にパリへやって来て出会った印象派の画家の多くは、その心中にまだ根強く人物画の重要度を認識している人たちで、印象派の画家たちが曲がり角に差しかかって、人物画が再びクローズアップされつつあった。まさにそういう時期でした。この86年から88年という時点において、風景画をメインに描いていたのは二人。一人はセザンヌ、もう一人はモネだったわけですね。左側はセザンヌが82年から85年にかけて描いた南仏のエスタックの風景です。右側は86年から90年頃だろうと言われているエスタックの風景です。

 印象派の中で風景画を描くセザンヌとモネの二人のうち、ゴッホがパリにやって来たとき、セザンヌは既に南仏へ帰っていて、こういう南仏風景をパリへ送って発表していたわけです。もう一人、モネという人は、最初から風景画家になるつもりはおそらくなくて、できれば人物画で成功したかったはずです。モネが初期にサロンに送ろうとしていた、あるいは送った作品は、こういうものだったわけですね。等身大の大画面の人物画ですが、それがうまくいかなかったのでモネは風景画に転向していったという部分もあると思います。この左側の1886年の(日傘をさす女性)、これは2点あって、対になっています。それから右側、これは西洋美術館にある(舟遊び)という作品ですが、この2点がモネが大画面で描いた人物画のほとんど最後のものです。86年、87年にもう一度こういう人物画を描いたのを最後として、モネは決然として大画面での人物を捨てて、風景画へ戻っていくことになります。

 このように、ゴッホがパリにいた86年、87年というのは、まさにモネにとってもルノワールにとっても大きな曲がり角でしたし、印象派の中で風景画がどういう位置を占めるかということにとっても、とても大きな曲がり角であったわけです。そして、もう1つ、非常に興味深いことは、そのような印象派の中でも、風景画を自分の当面のメインのフィールドと考えたセザンヌとモネという二人の画家が、ちょうどこの頃、二人とも南仏風景を描いていたことです。先程も言ったように、セザンヌは1882年にエクスへ戻って、それからしばらくは、もちろんパリと行ったり来たりしますけれども、彼の主題は南仏風景なります。他方、これは、両方ともモネが描いた、モナコの近くのボルディゲラの風景ですが、モネは1884年に初めて南仏へ行って、こういう南仏の植物が生い茂るような、そして青い海がある地中海の風景を発見します。そして84年に地中海を発見したモネは、もう一度88年に南仏へ行って、このような作品を描きます。

 これは偶然なのですが、84年代の半ばから後半にかけて、印象派を代表する二人の画家たちが、自分たちの風景画の新たなテーマとして南仏を発見した。これはとても重要なことで、なぜこのことを強調して申し上げるかというと、ゴッホがパリでいろんなものを吸収した後、パリを離れて、何か独自のものを描きたいと思ったときに選んだのが南仏だったからです。


パリを去るゴッホ

南仏の開拓者になりたい

 パリを去ったとき、ゴッホはいくつかの選択をしました。その1つの重要な選択は、パリでいろんなものを見てきた末、自分は人物画ではなくて、風景画を当面メインにしようという選択です。それをゴッホは決意したと思います。そして、自分が風景画で生きていくために、風景画で新しい分野を開拓していくために、どこへ行けばいいのかと考えたときに、ゴッホの重要なお手本になったのは、セザンヌとモネであったと思います。南仏の明るい光、まだパリの人達があまりよく知らなかった新鮮な南の明るい光の中での風景画を自分が開拓したい。ゴッホは手紙に書いています。アルルから弟のテオに宛てて、「自分はいまようやく始まった南仏の開拓者の一人になりたいのだ」と言っています。


何のために?


 ゴッホは、当時の印象派の風景画の中で、明るい色彩と明るい絵具のタッチで戸外の風景を描きだしていく印象派に最もふさわしい主題として、これからは「南仏があるんだ」ということをセザンヌやモネの作品から学んで、そして南仏へ行く。ゴッホはなぜ南仏へ行ったのだろうか。そして、南仏の中でもなぜアルルだったのかは分かりませんが、南仏という選択は、ゴッホが風景画という選択をしたことと強く関わっていると思います。

 ゴッホが実質的に絵画を制作していた期間は10年にならないんですね。その間に880点の油彩画を描いていますから、1年間に90点近く。これはものすごい制作力です。そのことは別として、いまこの話の中で参照していただきたいのは、油彩画の中で、風景画と人物画とその他がどれくらいの割合であるかということです。ゴッホは最初は人物画でいきたいと思っていました。誰でもそうです。最初から風景画でいこうなんて思う画家は、この時代にはまだいなかったでしょう。

 絵画として一番ランクの高いのは人物画ですから、画家を志そうとした人は、まず人物画を描きたいと思うわけです。たとえば本格的に絵画を始めた最初の頃の作品数を見ると、ハーグ時代は25点、ドレンテは10点ですから、ある程度の有効な統計的な数字があらわれるのは、ヌエネンでの190点ですが、その190点のうち、風景画はたった25%で、大部分、半数以上が人物画です。(馬鈴薯を食べる人々)を含めて、様々な農民の姿とか(機を織る人)とか、風景が背景にあっても、メインに人物が大きく描かれた作品、これがゴッホのメインです。

 そしてゴッホがやりたかったことが一番典型的にあらわされたのは、テーマはもちろん「農民の家族」ですが、複数の人物。実際に彼が描いた(馬鈴薯を食べる人々)はそれほど大きくない作品ですが、あれを大画面に描くことが彼の夢であった。大画面の複数の人物からなる群像構成が彼の夢であったわけで、ヌエネンで描かれた、たくさんの農民の頭部などは、そういう大画面構成の群像構成の習作であったわけです。そういう意味では、ヌエネンでのオランダ時代の彼の興味は人物画にあった。それからアントワープの10点というのは、これはちょっと過渡的なところで、あまり参考にならない数字ですが、人物画が7点です。

 パリに行くと、これはとても不思議なのですが、人物画も風景画もパーセンテージは減って、その他が多くなります。その他の圧倒的多くは静物画です。 その後、アルル、サン=レミ、オーヴェールと行くにしたがって、彼のたくさんの作品の中で風景画の占める割合がだんだん高くなっていきます。それに対して、人物画の占める割合がだんだん少なくなっていきます。ハッキリと統計的な数字から分かることは、ゴッホがかなり意識的に自分のメインをだんだん人物画から風景画へ移していったことです。

 美術史という学問は、ただ何となく感覚的に見ているだけではなくて、このようにある程度数字で出してみる。そうすると、特にゴッホのように作品点数が多い画家の場合は、ある程度有効な統計的な数字が出て来ます。これを見ても、ゴッホがパリを発ったとき、アルルで何をやろうかと考えたときのメインは、おそらく風景画にあった。風景画をやりたいと思ったからこそ都会を離れた。風景画のテーマとして当時セザンヌやモネが開拓しつつあった南仏へ行ったのは、気まぐれの思いつきではなく、自分の道はどこにあるかを考えた上での結論だったと私は思っています。


アルルで明確になった進路


 ゴッホの進む道は、アルルへ行った時点でかなりハッキリしていたと思います。アルルでゴッホがやることは戸外の明るい風景画です。自分が使う様式、手段は、「明るい絵具」と、印象派から学び、部分的にはスーラから学んだ「点描」、モネから学んだ「自由なタッチ」であることをゴッホはハッキリと意識していたと思います。2月にアルルに行くのですが、左は最初の花咲く時期に描いた作品で、右は夏の盛りになってきた時期のものです。こういう明るい戸外の花咲く庭ですが、とりわけ右の絵は花の1つ1つが点々というタッチで描かれていて、アルル時代の作品の典型的な様式を示しています。こういう自由なタッチで明るい風景を描くことをゴッホはアルルで展開していきます。 

 テーマからすると、もうほとんど何ということのない、何かとりわけて見どころがある風景というわけではなくて、身の回りにある明るい光の中の風景を手当たり次第にゴッホは描いていくことになります。アルルという町は地中海に面してはいないのですが、地中海に面したサントマリーというところに3泊程で遠足に出掛けて、地中海の海の様子とか、サントマリーの町、青い空の下でラベンダーの花が咲いている典型的な南仏の風景をゴッホは熱につかれたように描いていくことになります。アルルの周辺は穀倉地帯であり、6月も盛りになってくると、あたり一面、小麦が黄金色に実ります。何が描かれているかというモチーフからいっても構図からいっても、とても単純なものですが、右の作品も左の作品も、そうした様子を明るい色彩と活き活きとしたタッチで描いているところが見どころです。

 ゴッホは弟のテオ宛ての手紙で、南仏の明るい太陽に照らされた運河の水を「エメラルド色のような」と表現していますけれども、そういう水の美しさをゴッホは描きました。海、空、麦畑、花畑、運河、そういったものをゴッホは描き続けていく。今日われわれが典型的なゴッホだと思うような作品が次から次へと生み出されていくことになります。それだけではなくて、夜の風景、とりわけ青い空に星が輝く、澄みきった南仏の深い青い空に星が輝く、そういう夜景も描いています。右側のものは、一昨年日本でやった「ゴッホ展」にきていたもので、左側は今回の「ゴッホ展」にきている、アルルで描かれた夜景の中でも代表的な作品です。


人物画を描きたい


 こういうふうにゴッホは、アルルで次から次へと風景画の素晴らしい作品を生み出していったわけですが、もちろんある程度、人物画も描いています。またアルルでも、ゴッホは最終的には人物画を描きたいという希望を捨ててはいません。何しろ自分と同じ世代で、自分より先を走って行くスーラやゴーギャンが人物画でとても素晴らしい作品を描いていることを知っています。だから「自分はできれば人物画を描きたいのだ。でもまだ自分は人物画を描くほどの力がない。力がないから、とにかく、いまは風景画を描いているのだ」と弟のテオには言っていますけれども、それでもモデルが得られて人物画を描くチャンスがあれば、肖像画のようなものを描いています。

 たとえばアルルで描いた代表的な肖像画でいえば、アルルにたまたま滞在していたベルギー人の画家であるウジェーヌ・ボックという人を描いた左側の作品、それから右側はアルルで知り合った年老いた農夫を描いた作品ですが、こういうような、とても力強い肖像画も何点か残しています。ただ、アルルで描いた肖像画に共通することなのですが、風景画と比べると違う。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh103.html


アルルでの風景画で、ゴッホは、パリで学んだものの中で言えば、モネとかスーラから学んだものを生かしていたのですが、たとえばこの2点の肖像画はどうでしょうか。ゴッホがパリで学んだものからすると、お手本は何でしょうか。モネやスーラではないですよね。たとえばゴーギャンとか、日本の浮世絵とかいうものですよね。

つまり、輪郭線がハッキリしていて、その中であんまり細かい筆のタッチを見せない。大胆な色彩、たとえば「オレンジと青」とか、「青と黄色」とか、強烈にぶつかり合う補色関係に近いような強烈な色面を、いきなり輪郭線を通してぶつけ合う。つまり日本の浮世絵とか、ゴーギャンやその仲間のベルナールがやっていたような「クロワゾニズム」、黒い輪郭線の中に鮮やかな色彩を埋めていくやり方に近いものを示しているのです。

 メインは印象派、スーラの流れを引く鮮やかな細かいタッチで色彩を散りばめていく風景画だったのですが、一方では、このような違う様式を持った人物画、肖像画もアルルでは並行して描かれていました。そのようなゴッホの持っているアルルでの二面性が、ゴーギャンが来ることによって大きくバランスを崩すことになります。言うまでもなくゴーギャンはこちらの様式を持った人ですね。そして人物画をメインとする画家であるわけです。


人物画への傾斜


 1888年の秋にゴーギャンがアルルにやって来ると、これはハッキリとパーセンテージ的にも言えますけれども、ゴッホの中では人物画が増えます。これは、私が学生時代にクレラー・ミュラー美術館で手持ちで撮影したものなので、ちょっとぼけているかもしれませんけれども、今回の展覧会にきている(ラ・ベルスーズ)と呼ばれている、ゴッホがアルルで親しくしていた郵便配達夫、左側のジョゼフ・ルーランという人の奥さんの肖像ですが、こういう人物画が多くあります。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh29.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_roulina00&picture=%97X%95%D6%94z%92B%95v%83W%83%87%83%5B%83t%81E%83%8B%81%5B%83%89%83%93%82%CC%8F%D1%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_roulina


この2点とも、ゴーギャンが来てからゴッホが描いたものです。秋から冬に向かうにしたがって、南仏でも寒くなりますから、戸外での風景画より室内での人物画ということはあると思いますけれども、何よりもゴーギャンが来てから人物画が増えたのは、ゴーギャンの圧倒的な影響によるものに間違いありません。

 これは先程右側に出ていた、オーギュスティーヌ・ルーランという同じモデルをゴッホとゴーギャンがイーゼルを並べて描いたものです。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_-_Madame_Roulin.jpg

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm


中央にモデルがいて、右側と左側から描いています。たとえば、このゴッホの作品の場合は、左側のゴーギャンの作風ですね。画面全体を輪郭線をもった大きな色面で構成していくことが非常によくあらわれていて、とにかくキャンパスを並べて描いていますから、影響がないわけはない。とりわけゴッホはゴーギャンのことをとても尊敬していますから、ゴーギャンの影響がとても強く出てきます。
これもゴーギャンを手本にしたもの。ゴーギャンがアルルで描いたアルルの公園の様子。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin20.html

ゴッホはそれを見た上で描いた。これはアルルの情景ではなくて、ゴッホが(エッテンの庭の思い出)、つまり昔両親と一緒に暮らしたオランダの様子を思い出して描いているものです。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

 タッチからすると、まだここにはスーラ張りの点描が見えます。けれども、スーラ張りの点描はありながら、画面の構図とか、それぞれの部分を大きく輪郭線でくくって色と色をぶつけ合うといったところは、完全にゴーギャンの影響下にあります。そして何よりもゴーギャンの影響が最も強くあらわれているのは、そもそも(エッテンの庭の思い出)という主題自体です。

 それはどういうことかというと、ゴーギャンという人は、とにかく人物画を描く。そして

「人物画でも最高のものは、宗教画とか歴史画とか物語画とかいうもので、そういうものを画家は想像力で描くんだ。あくまでも一人一人の人物はモデルがいて、描くのだけれども、たとえばイエス・キリストを描くときに、イエス・キリストそのものがいるわけではなくて、誰か男のモデルを写した上で、しかし描かれる世界は空想の世界なのだ。絵画は頭で描くのだ。テキストを読んで、そのテキストをどうやったら視覚化できるかを考えて頭で描くものなのだ。抽象のものなのだ」

という考え方をゴーギャンは持っていました。 ですから、ゴーギャンはゴッホにいつもこう言います。

「君はとにかく目の前にあるものしか描かないけれども、それでは画家としてほんとうの歴史画とか宗教画は描けない。ほんとうに歴史画とか宗教画とかを描きたければ、目の前にある人物をモデルにしてもいいけど、作品の主題自体は頭でこしらえて描かなければいけない」。

そのゴーギャンの言うことを受けた上で、ゴッホはゴーギャンがいるときに何点か頭で描く作品を描いています。そのうちの1点がこれです。つまり、いま目の前にはない、自分の記憶の中にしかないエッテンの庭の光景、実際いま目の前に見えていない人物、具体的に言えば自分のお母さんと妹なわけですが、それを自分の想像力で描くことをゴッホはここでやっている。

 ただ人物画であるというだけでなく、あるいは構図とか色彩の扱い方にゴーギャンの影響が強くあらわれているだけではなくて、作品の描き方、描く態度、主題自体が実はゴーギャンの影響をとても強く受けているのです。ゴッホがそれまであまりやってこなかったことを、ゴーギャンとの共同生活の中でゴッホは行っています。

 先程お見せした絵で描かれているモデルは、オーギュスティーヌ・ルーランという、当時アルルに暮らしていた郵便配達の奥さんですが、しかし、この作品は単にオーギュスティーヌ・ルーランの肖像であるだけではなくて、ここに(ラ・ベルスーズ)とわざわざ題名が書いてあります。「ラ・ベルスーズ」とはどういうことかというと、「子守女」あるいは「子守歌」ということです。ゴッホは自分の弟のテオに宛てた手紙の中で「この作品はこういうふうに飾ってほしい」と書いています。真ん中に「ラ・ベルスーズ」を置いて、両脇にひまわりを置くという構成は、昨年、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でやった「ゴッホと花の展覧会」でこういう飾られ方をしたので、覚えていらっしゃる方もあるかと思います。

 結論だけ言うと、ゴッホはこういうふうに飾ることによって、宗教的な三幅対、真ん中に聖母子像があって、両脇に複数の聖者たちがいる三幅対を考えているので、ゴッホはこれを宗教画として考えている。

つまり実際に描かれているのは、目の前にいるオーギュスティーヌ・ルーランという個人なのですが、そこに描きたかったものは、個人であるよりも、むしろ母親、たとえば聖母マリアといったものだった。

そういう意識があるわけで、そういうことからすると、やはりこれもゴーギャンがいたからこそ描かれた、とても概念性の強い作品だと言っていいと思います。
 これもやはりゴーギャンの影響下で描かれたもので、左側はゴーギャンがアルルの酒場を描いたものであり、この手前に描かれているのは、その酒場の女主人であったジヌー夫人という人です。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin18.html


この作品を見て、ゴッホはこういう作品を描いています。人物画です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_ginoux00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%8F%97%81i%93%C7%8F%91%82%B7%82%E9%83W%83k%81%5B%95v%90l%81A%96%7B%82%F0%8E%9D%82%C2%83W%83k%81%5B%95v%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_ginoux


そして、ここでもゴッホは、単にジヌー夫人の肖像画ではなくて、ここに本を置いており、(読書する人)というような、単なる肖像画ではない意味を与えています。これも、主題の上でも描き方の上でもゴーギャンの影響がとても強いものです。くっきりした赤、緑、黄色、青というような色をぶつけ合っています。


本領を封じられたゴッホ


 けれども、ゴーギャンの影響下で描かれたこういう作品、とりわけ概念性の強い人物画の大多数は、結論から言ってしまうと、失敗作だったと言っていいと思います。つまり、ゴッホは本来目の前にあるものを目の前にあるように描く。それから何よりも、きっちりとした枠取りの中にものの形をおさめるよりも、自由なタッチを使って描く。自由な色彩を画面全体に散りばめて描くのがゴッホの本領だったと思うわけで、ゴーギャンに強くひかれたアルル時代の88年の秋から89年の初めまでは、ゴーギャンが来なければ、本来ゴッホがパリで印象派から学んだことからアルルの風景画で一気に進められたものが、ちょっと逆戻りした時代だと私は思っています。

 本来ゴッホが持っていたものに本来のゴッホとは異質なゴーギャン的なものが入ってきたことが、単に美術史の上だけではなく、、ゴッホとゴーギャンが個人的にぶつかったことの1つの原因でもあったと思います。 様式の上で、ゴッホとゴーギャンがアルルで暮らしていた時代は、ゴッホにとってはちょっと不本意ながら、ゴーギャンに強くひかれ過ぎた時代だと私は考えています。


アルル時代に描かれたゴッホの駄作


 ゴッホがアルルで描いた、ゴッホの全生涯を含めて最も駄作と思われる作品をここでお見せします(笑)。これは日本の個人蔵となっています。もしかすると、この中にお持ちになっている方がいらっしゃるかもしれません(笑)。そうでしたら大変申し訳ないと思うのですが、これはゴッホが想像で描いたものです。まさに右にあるのと同じような(読書する)という絵。ここに電球か太陽かよく分からないものがある。つまり「読書」によって「精神の光」をあらわそうとした、とても概念的なものです。しかし、電球だか太陽だか分かりませんし、図書館の中で本を読んでいる女性なのですが、手といい顔といい、デッサンも何もなっていなければ、構図もないというような作品です。これもゴーギャンの影響で、「読書は精神の糧なのだ。光なのだ」ということを無理やり表現しようとした結果、どうしようもない作品になっている(笑)。

 やはり本領はこういうところにないという1例と思っていただきたいと思うわけです。ゴッホの本領はこういうところですね。これは残念ながら今回の展覧会にはきていませんけれども、クレラー・ミュラーが持っているとても素晴らしい作品ですが、何の変哲もない平べったい平地を縦にくるタッチ、横にくるタッチ、細かいタッチ、様々なタッチのバリエーションをつけながら見せていく作品です。
 これは先程右側に出ていた作品の部分です。全体として、どこが緑色、どこが青というように大きな塊はないけれども、画面全体にいろんな色彩があり、花とか草とか木とか、それぞれ描く対象に応じて、それを描くのにふさわしいタッチを見せていく。これがやはりゴッホの本領だと言っていいと思います。これもアルルの作品です。これはアルルの郊外のモンマジュールというところに修道院の廃墟があるのですが、そこの風景です。これは部分図です。

 部分図だとよく分かると思いますけれども、ゴッホにとって絵具は単にものを描写する手段、たとえば木の幹だとか葉っぱを描写する単なる描写の手段ではなかった。まさに画面の中に絵具というツヤのあるものを置く。しかも同時にそれが葉っぱであったり、雲であったり、木の幹であったりする。絵具であると同時に葉っぱであり、葉っぱであると同時に絵具である。そのようなものとして、筆を使って絵具を画面に置いていく。場合によっては、指を使ってこねていくといったように。

 ゴッホにとって絵は、概念的なものであるというより、絵具、絵具のタッチ、筆が画面の上に残していく痕跡といったようなものです。目の前にある葉っぱとか岩とか雲がダイレクトに黄色い絵具とか緑の絵具に結び付くのが彼の制作のあり方です。もちろん、そういう制作のあり方を最初に開拓したのは印象派の画家たちです。中でもとりわけモネだったと思いますが、そのようなモネが開拓した、絵具と目に見える世界との関係をさらに先へ進めたのはゴッホであった。その道を如実に示しているのがアルルでの風景画だといわれています。 

 左側はアルルでの風景画の1つの極です。細かいタッチよりも長いタッチで、枯れていくような、あるいは夏の光でまっ黄色になった草と柳の枝が描かれている。太陽から発する光を絵具の筋、タッチだけで示している。

 右側の絵は、アルルの運河に輝く光、水の輝きを、単なる色だけではなく、タッチであらわしていくというゴッホの目指していたもの、印象派からゴッホが引き継いで完成させていったものを示していると思います。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Starry_Night_Over_the_Rhone.jpg

こういう作品を見ると、ゴッホにとっての印象派は、必ずしも鮮やかな色彩が充ち満ちているものとは限らなかったのですね。

 たとえば印象派の中でも、ほとんど色彩がない「雪景色」などがけっこう重要な役割を果たしていますから、「印象派の作品=鮮やかな色彩」とは必ずしも言えないのですが、ゴッホの作品の中でもそうです。たとえば、左側の(星月夜)にしても、色からすると単なる青と部分的な黄色だけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh49.html

だけど、その青と黄色という非常に単純な2色が、さまざまな絵具のタッチの組み合わせによってこれだけ複雑な画面を生み出し得ることをゴッホは示しています。左側の作品には鮮やかな青があります。


色彩、タッチ、絵具のツヤ


 右側の作品なんかには、ほんとうに色らしい色はない。みんな中間色、もやっとした灰色に近い色です。これは耕された畑をあらわしています。印象派の作品と比べると、とても地味な作品ですが、この作品が何でもっているかと言えば、まさに掘り返された畑のうねの盛り上がった土の様子、ここの部分図です。鋤(すき)を押して畑を耕している人物が描かれている部分ですが、こういう畑の土の盛り上がり、あるいは人物、馬、空の雲、そういうものが、まさにハッキリとした手応えをもった絵具のタッチでこしらえられている。ゴッホにとってほんとうに風景画で大事だったのは「色彩、タッチ、絵具」なんですが、こういう作品を見ると、その中でもほんとに「タッチ」がとても重要だったことが分かると思います。


絵具のツヤ


 スライドで見るとよく分かりませんが、ゴッホにとって絵具が大事だったことは、展覧会の会場で見ていただくとよく分かります。今回の展覧会の会場には30点のゴッホの作品の他に、ゴッホに影響を与えたシニャックとか、ゴーギャンの仲間だったラバールであるとか、セザンヌの作品も出ています。それをご覧になっていただくとよく分かるのですが、そもそもセザンヌにしてもゴーギャンにしても、こういう「盛り上げ」というのは使っていません。わりと全体に層の薄い絵具です。それをゴッホと比べてみると、とにかくゴッホは絵具の盛り上がりがものすごいことが分かります。 

 もう1つ違うところは、ゴッホがセザンヌやゴーギャンやシニャックとハッキリ違うところは「絵具のツヤ」です。ゴーギャンやセザンヌやシニャックの画面の表面はカサッとしています。セザンヌやゴーギャンやシニャックは、絵具をわりと多くの揮発性の油で溶いて、表面をカサッと仕上げます。とりわけゴーギャンという画家は、ちょっと粉をふいたような、白っぽくなったくらいの表面のテクスチュアを好むのですが、ゴッホは絞り出したまま、ほとんど揮発油で溶かないツヤツヤとした絵具を好みます。会場でご覧になると、そのことがとてもよくお分かりになると思います。

 ゴッホはそれほど絵具のツヤを大事にした。セザンヌやゴーギャンやシニャックにとって、絵具は、自分が描きたい対象なり主題なりを描くための手段という部分があります。けれども、ゴッホの場合は、絵具が単なる手段ではなくて、絵具がそのもの自体としてツヤを持ち、盛り上がりを持ち、存在感を持っている。絵具は「畑の土であると同時に絵具である」といったこと、それはゴッホがパリで印象派に学び、スーラやゴーギャンからもいろいろ刺激を受けながら自らの道としてアルルで確信し、展開していったと思われています。

 これなんかも、色彩からいってもテーマからいっても何の変哲もないもので、まさに「絵具のタッチを見せる」「絵具のタッチを感じてほしい」それだけで成り立っているような作品ですね。あるいは、今回来ているアムステルダムのゴッホ美術館の(種蒔く人)。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh35.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh36.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


この左側の(種蒔く人)は6月に描かれたもので、まだゴーギャンが来る前のものです。ですから、画面全体はわりと単純であるし、(種蒔く人)という主題は、ゴッホにとっては概念的なものなのですが、種蒔く人の姿もそれほど大きくはなっていません。

 先程の話にもう一度戻ると、同じ(種蒔く人)でも、これはゴーギャンが来る直前に描いたものです。種蒔く人が風景画全体の中で一番小さくなっている。色彩の点でも地味なものになっていて、むしろ畑のごつごつとした土がメインになっている。ゴーギャンが来る直前には、ゴッホはここまで風景画の試みを進めているのですが、ゴーギャンが来ると、この同じ(種蒔く人)という主題でも、ずいぶん違ったものになります。

 これがゴーギャンが来たときに描かれたもので、ゴーギャンが来る前はこうだったものが、ゴーギャンが来ると、いきなりゴーギャン張りのものになって、「種蒔く人」も画面の後ろのほうにいるのではなくて、中央に出て来ることになります。そして、これが一番ゴーギャンの影響の強い(種蒔く人)です。先程、ゴーギャンが来たことによって人物画がメインになってきたと言いましたけれども、風景画の中でも、たとえば(種蒔く人)を描いた風景画の中では、これだけハッキリとゴーギャン張りの作風が強くなってきます。

 これなんかは、ゴーギャン張りであると同時に、パリで学んだ広重、日本の浮世絵から学んだようなものが強く反映されています。あるいはゴーギャンが直前に描いたこういうものの影響は明らかです。それから、ゴーギャンの影響という点で忘れることができないのは、左側のゴーギャンが描いた(青い木のある風景)。これも当時のゴーギャンの典型的な風景画で、ゴーギャンはこういう様式を持っていたのですが、おそらく「風景画もこういうふうに描け」とゴッホに言ったのでしょう。
 それがよく分かるのは、ゴーギャンがゴッホと机を並べて描いた(ルーラン夫人)です。背景にあるこれ、何だと思いますか? 実はゴーギャン自身の絵なんですね。おそらくゴーギャンは、この絵をアルルへ持って行き、ゴッホに見せることによって、ゴッホの目の前で「風景画はこう描くものだ」と示したのでしょう。
 これだけではありません。これはゴーギャンがアルルで描いた有名な(ゴッホの肖像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_104.jpg

ゴッホが(ひまわり)を描いているところ。アルルで、ゴッホの前でゴッホの肖像を描いた、その背景にも、やっぱり同じ作品の部分があります。ちょっと構図は違いますけれども、黄色い道があって、緑の道があって、青い木が生えている。だからゴーギャンはゴッホの前で、風景画においても「とにかくこう描くのだ」ということを、とてもハッキリと強要したと言ってもいいと思います。そういうことをやっている。ですから、人物画ではなくて、風景画においても、ゴッホの中には大変ハッキリとゴーギャン張りがあらわれてきます。 

 これはアルルの有名な名所である古代の石のお墓が並んだ並木道です。実際のアルルの景色を前にゴッホが描いたものですが、これは明らかにゴーギャンのこの作品を手本にしていますね。


http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin98.html

ゴーギャンの作品を手本にして、それを非常に単純にしたようなもの。
ですから、ゴーギャンが来たことによって、人物画がメインになっただけではなく、風景画においても、ゴッホがそれまで持っていたアルルで獲得した持ち味がなくなって、言ってみれば、紋切り型というか、型にはまったような風景画になってしまったのです。


サン=レミからオーヴェールへの旅立ち


 もう1点、これなんかも典型的ですね。左の絵なしにはあり得ないもので、これなんかも、ゴッホの作品の中では、ほんとうに型にはまった身動きのとれないものになっています。もちろん、手前に木の幹を並べて、画面の上とか下で切ってしまうというのは、広重の作品なんかでも見たような、日本の浮世絵の影響がありますが、そういう日本の浮世絵から受けた影響なども、とても図式的なものになっていると言わざるを得ないと思います。

 こういうふうに、88年の10月からゴーギャンの影響があって、12月にゴーギャンとの決定的な衝突があって、耳切り事件があって、ゴッホは入院する。その間にゴーギャンは怪我をして入院したゴッホを置き去りにして、パリに逃げ帰ってしまうわけです。しかし、ゴーギャンがパリに逃げ帰ったことは、個人史としてはともかく、美術史の立場からすると、ゴッホにとってはとてもよかったと思います。つまりゴーギャンがいなくなったことによって、制作の上ではゴッホはすぐに自らを取り戻します。

 自らを取り戻したところ。これは、ゴッホが入院していたアルルの病院の中庭を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_jardin00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%95a%89@%82%CC%92%EB%81i%83A%83%8B%83%8B%82%CC%97%C3%97%7B%89@%82%CC%92%EB%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_jardin

もうここでは、ちょっと前の、とてもゴーギャンの影響の強かった、画面全体を非常にハッキリとした輪郭線で描き、タッチが見えないほど激しい色彩をぶつけ合っていくといった様式は、すでに跡形なくなっています。たとえば、直前に見た作品と比べてみれば、ゴッホがここで再び、画面全体に散りばめられた鮮やかな細かいタッチを取り戻していることがわかります。

 左側も1889年の初めに描かれたもので、主題から言えば、手前に木を置いて、日本の浮世絵の構図の影響があるものですが、画面全体は青、白から水色、青緑という1つの色調に整えられており、その中で、手前の部分はこういう方向へ、この部分はこう、幹はこういうふうにうねるような色彩で、花咲く果樹はこういう色彩と花をあらわすプツプツとしたタッチで、空の部分は横の方向へ進む短いタッチで、というふうに、ゴーギャン滞在中に抑えられていた様々なタッチのニュアンス、バリエーションといったものが再び登場しています。

 ゴーギャンが去った後、すぐにまた本来の自分の様式を取り戻したゴッホは、この後、誰にも邪魔されず、アルルから離れたサン=レミの病院に閉じ籠もります。個人史からすると、「病院に閉じ籠もる」というのは大変なマイナスですが、誰の影響も受けず、誰からも何も言われずに、自らの思うまま、周辺にある自然を相手にして描く、そういう環境が生まれたという点においては、アルルからサン=レミに移ったことも、美術史からすると、ゴッホの様式の展開のためには幸運だったという気もします。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari1/main.html


重工業化、近代工業化とともに、前の時代までの支配階層(王候貴族等)と市民と農民階層(平民たち)という身分制社会構造が、いわゆる資本主義の構造へと変化していく過程として急速に出現してくる。それが19世紀半ばから第1次世界大戦までの時期です。

 その間に大変な転換が見られるわけで、いわゆるバブル期もあれば、その反動としての恐慌もあるといったバブル・恐慌を繰り返しながら雪ダルマ式に近代資本主義世界が展開していく時代が、まさに美術史の上で言う印象派の登場からゴッホが死ぬあたりまでの大きな転換期であったわけです。 印象派やゴッホの絵画には、そのような社会的な大きな流れがいろいろな意味で深い関係を持っていたということがきょうのお話になります。


ゴッホの自画像

 
このスライドは、左右両方ともゴッホが描いた(自画像)です。左側のパリで描いたものは、印象派あるいはスーラなどの影響を感じさせます。明るく鮮やかな色彩、細かいタッチで描いていくという作風だったわけですね。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:WLANL_-_MicheleLovesArt_-_Van_Gogh_Museum_-_Self-portrait_1887_-_1888.jpg


 それに対して、右側はアルルで描いた(自画像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_Willem_van_Gogh_111.jpg


先週見たように、アルルでは、風景画でずいぶん大胆な展開がいろいろあったわけですが、人物画の場合にはどちらかというと、奔放なタッチを見せるというよりは、わりと輪郭線がはっきりとして、大きく色の面が並べられるといった作風になっています。もう一つアルルでの人物画の特徴は、わりと抽象的な概念が付いているということでした。これも有名な、日本のお坊さんとしての(自画像)というものですが、かなり概念性の強いものですね。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memec00&picture=%91m%97%B5%82%C6%82%B5%82%C4%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


 アルルでの人物画の特徴をいちばん典型的に示している(自画像)といえば、この作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memeb00&picture=%83p%83C%83v%82%F0%82%AD%82%ED%82%A6%82%E9%95%EF%91%D1%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81i%93%AA%82%C9%95%EF%91%D1%82%F0%8A%AA%82%AB%96%D1%94%E7%82%CC%96X%8Eq%82%F0%94%ED%82%C1%82%BD%83p%83C%83v%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


ゴーギャンとの事件があり、入院して、まだ退院できるかできないかという頃に描いた、パイプをくわえて、耳を切ったあとの包帯がある(自画像)ですが、まさにゴーギャンの影響が典型的に表れていますね。

 ちょうど同じころゴーギャンが描いたゴーギャンの(自画像)もずいぶん概念性の強いものです。頭の上にはまるでキリスト教の聖者であるかのように光輪が付いています。このゴッホの(自画像)は、ゴーギャンの作品に典型的に見られる、輪郭線がはっきりして、背景なんかもキッチリ色で分けて塗っていくようなやり方を示しているわけです。

 しかし、遂にゴッホはゴーギャンの影響から脱して、サン=レミからさらにオーヴェールへ移り住みます。そして最晩年の作品になると、完全にゴーギャンを越えてゴッホ自身の様式を確立しています。

 たとえば、これも有名なサン=レミでの代表的な(自画像)ですが、画面は鮮やかな色彩がぶつかり合うというよりも、ほとんどもう1色で、顔のオレンジっぽい色と背景の薄青というほとんど2色になっています。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:SelbstPortrait_VG2.jpg

画面がどう構成されているかというと、特に重要なのは背景の部分で、べっとりと二つの鮮やかな色に塗られていたアルル時代の(自画像)に比べれば、後ろの部分は1色で、しかし、その1色の部分に炎のように渦巻くような筆のタッチが見られます。こういうふうに、色彩、絵具の力、それ以上にタッチのうねり、タッチの組み合わせで画面を見せていく作風が、このサン=レミの(自画像)にも非常にはっきりと表れています。


サン=レミからオーヴェール


 このようなことが典型的にサン=レミ時代の油彩画に見られます。これなども、パッと見ると風景画というより抽象絵画ではないかと思われるぐらいです。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv032.htm


サン=レミの近くにあった岩山や洞窟地帯の風景画ですけど、画面に何が描かれているかというよりも、われわれの眼前には「絵具のうねりがある」「タッチの絡み合いがある」といった作品です。ほんとうにパッと見ると抽象画じゃないかと思えるような絵具の力を見せている。そのタッチのうねり、組み合わせで見せていくことが、もうサン=レミ時代にはごく当たり前のことになっています。

 タッチの使い方にもいろいろあります。これはもう少し分かりやすい、サン=レミの病院の入口を描いたものですが、空の部分、木の部分、幹の部分、地面の部分と、さまざまなタッチを組み合わせている。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hospital_in_Saint-Remy.jpg

もしこれが平面的にペタッと塗られていると、ずいぶん違った感じになるだろうと思わせる作品です。

 ゴッホのサン=レミの病院の窓から見た風景があります。病院の近くの麦畑とか(オリーブの果樹園)です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv034.htm


先ほどの岩山の様相などと並んで、このオリーブ園などは、「オリーブが描きたい」「山が描きたい」というよりも、山やオリーブの樹という形を借りて「タッチの躍動感を見せたい」というか、「絵具がうねるような世界」といった感じの作品になっています。そういう意味では、ゴッホのサン=レミ時代の作品の中では最も抽象性の強い作品だと思います。


 この麦畑もそうですね。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh110.html


(刈取る人のいる麦畑)ですが、画面全体がほとんど真っ黄色になっている。そして、地面の刈り取られた麦の部分と空の部分とは、タッチの違いだけで対象の違いを描き出しています。

 次はサン=レミ時代、ゴッホの見事なタッチの頂点にくる2点です。左側は(星月夜)(何年か前MOA展覧会で日本にも来ている)、右側は(糸杉と星の見える道)(1890年)(今回のゴッホ展に来ている)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_cypres00&picture=%8E%85%90%99%82%C6%90%AF%82%CC%8C%A9%82%A6%82%E9%93%B9%81i%96%E9%82%CC%90%AF%8B%F3%81A%89%D7%8E%D4%81A%92%CA%8Ds%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_cypres


この(星月夜)は、ほんとうの空には渦巻きなんてないのですが、夜空の星の輝き、星と月の光が満ちている夜空をこういう大胆なタッチの渦で描いていくことをゴッホは行っています。

 つづいて、最後の半年ほどのオーヴェール時代の作品をお見せします。サン=レミで培われた彼の手法はオーヴェールでも一層展開されています。右側は広島美術館所蔵の(ドービニーの庭)という作品ですが、色彩の変化はそれほど大きくありません。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv079.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv080.htm


ゴッホは色彩の画家と思われがちですが、サン=レミとかオーヴェール時代の作品だと色の幅はそれほど大きくない。どちらかといえば、わりと一つの系統の色ですね。(ドービニーの庭)にしても、白から青と緑の幅を越えていないのです。でも、それほど大きくない色彩の揺れの中で、濃淡と明暗、タッチの違いで画面をこしらえているわけです。

 有名な(オーヴェールの教会)と(カラスのいる麦畑)といった作品は、どちらかといえば色の塗り方が平面的で、鮮やかな色彩がぶつかり合っています。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


しかし、同じ麦畑でも、ほとんど同じ時期に描かれた、黄色と青の色彩のぶつかり合う(麦畑)もあるかと思えば、先ほどの(ドービニーの庭)と同じように、白から青、水色、薄緑、青、緑といった辺りまでのおとなしい控えめな色彩でタッチの変化を見せていく麦畑も描かれています。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh109.html

 ゴッホにとって、手段は単に強烈な色彩だけではなくて、タッチがとても重要な役割を果たしていたのです。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
________    /,/\ヾ\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|__|__|__|_   __((´∀`\ )( というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
||__|        | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\  /   ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 =

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c40

記事 [中国7] 虚勢を張る習近平が倒れる日 〜引き金になるのは「腐敗問題」だ エズラ・ヴォーゲル教授が読み解く「中国の明日」
            最近、経済不振から日本に擦り寄っている習近平主席〔PHOTO〕gettyimages


虚勢を張る習近平が倒れる日 〜引き金になるのは「腐敗問題」だ エズラ・ヴォーゲル教授が読み解く「中国の明日」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46969
2015年12月23日(水) 週刊現代 :現代ビジネス


聞き手:橋爪大三郎


橋爪大三郎氏が聞き手になり、アメリカのアジア研究の権威・ヴォーゲル教授が、中国とケ小平について語り明かす——そんな新書が話題を呼んでいる。習近平と中国の近未来を教授が予言する。


■なぜ中国は崩壊しないか


——20世紀、ソ連、東欧、中国、いくつかの国で社会主義が試みられて、冷戦が終わったあと、ほとんどすべてなくなってしまいました。中国はなぜ、ポスト冷戦の時代に、解体しなかったんでしょうか。


ヴォーゲル それは、ひとつには、経済成長がものすごく速かったからですね。'80年代に、みんな生活がよくなった。


もうひとつは、阿片戦争以来、この国を統一するのがむずかしいとわかっていること。政治が乱れ国が分裂している状態では、ダメだと、誰もが骨身にしみてわかっている。多くの人びとがこのふたつを認めているから、中国共産党が支持されているのだと思うんです。


——中国の改革開放はいまのところ、政治権力の統一によって、経済の発展を推し進めるというパターンです。韓国や台湾はある段階で民主化しましたが、中国の場合、民主化しそうにない。



現代中国を理解するための必読書


ヴォーゲル この点をめぐっては、いろんな考え方があります。


われわれ西洋人が前に考えたことは、まず、産業の発展をはかり、経済成長を進める。すると、民主主義の国になり、独裁的なやり方をやめる。


中国はいままでのところ、そうなっていませんね。どうしてかと言うと、ひとつは国が大きい。統治するのは大変なので、権力が民主化して統制がとれなくなることを、人々が恐れている。


もうひとつは、指導者がなかなかの手腕を持っているので、人びとの信頼をえている。


けれども将来は、もっと民主主義の国になる可能性が大きいと、私は思います。


日本は、高度成長から低成長時代に入って、全社会が平等化した。教育水準が高いし、医療制度も充実している。


中国は、そういう条件をまだ、持っていない。今後、高度成長から低成長の時代に入ると、むずかしい問題がいっぱい出ると思うんですね。


私の目から見ると、いまの習近平はかなり、必死になっている。必死になっているので、自分は強いぞと、虚勢を張っている。心のなかは、いろいろ心配も多い。


——中国のチャレンジについて、うかがいましょう。まず、経済発展が、まだ一部に偏っているので、国全体にそれを押し広げなければならない、というのがあります。二番目に、社会保障や社会インフラの整備に、相当の投資が必要です。


ヴォーゲル その二つよりももっとむずかしい問題は、腐敗だと思います。


国民は、腐敗をやめろ、腐敗をすぐ何とかしてほしい、と思っている。ところが、腐敗を根絶しようにも、腐敗の根はあまりに深い。


指導者はいま、みんな心配しているんですね。自分もひっかかるんじゃないかと。海外へ行こうか、どこに財産を隠そうかと、気が気でない。


そういう心配があまり強くなると、習近平に対して、反感を持つ可能性がある。習近平政権も、それを恐れなければならない。しかし国民の手前、腐敗問題に手をつけて成果をあげないわけにいかない。


このバランスが崩れると、深刻な政治闘争を引き起こし、政治が乱れてしまうという心配があるのです。


それが、いま直面している一番危険なことだと、私はみています。


■10年で台湾の統一は無理


——ヴォーゲル先生が危ないっておっしゃるなら、それは相当危ない。これは、構造的な問題であって、取り除く方法が、私には思いつかないんですけれど。


ヴォーゲル 腐敗の問題は、抑えようとしているけれども、非常にむずかしい。どうにかして、腐敗をどんどん少なくさせようとすると、幹部たちは反発する……。



ケ小平〔PHOTO〕gettyimages


——習近平が、もし非常に聡明で大胆なひとだったら、中国共産党の(民主)改革を、10年以内に達成する、って宣言するでしょう。それはもう、ケ小平もできなかった、改革開放を乗り越えた、つぎの段階だと。


ヴォーゲル どうして(民主化された)香港は、あんなに乱れてしまうのか。


中国政府が心配しているのは、香港に例外を認めると、中国の別な場所も、同じことをやりたい、早くやりたい、と言い出すことではないか。それをどう抑えるか。


——わかります。香港は完全に中国がコントロールしているのに、自由な選挙なんかやらせれば、広東省がやりたいとか、遼寧省もやりたいとか。そういうことでしょう?


でもそれを逆手に取れば、香港がうまくいけば、香港で自由選挙をどうぞやってください、でも中国の一部ですよ、っていう実例ができれば、台湾に対してものすごいプレッシャーになるはずなんですよ。


ヴォーゲル ボクは、台湾の統一は、10年以内はほとんど無理だと思います。台湾では、やっぱり独立した、いまのままで、ずっといいと思っているひとが多いでしょう。


どうしたらいいか。私は、(中国国内で)まず選挙みたいなことを、実験としてやればいいと思うのです。場所をどこか決めて。


——下の村のレヴェルから順番に選挙をやる、っていうのを、一時、試行していたようでしたね。10年くらい前。でも、進んでいませんね。


ヴォーゲル あまり、進まなかった。でも、もう少しそれをやる。


もうひとつ大事なのは、腐敗問題を、きちんと法律をつくって解決する。みんなが腐敗している。でも、過去のことは過去として、罰することはしない。


けれども将来は、1年か2年以内に法律をつくって、こういうことをしたら腐敗、とはっきりさせる。そして、取り締まりを開始する。


■腐敗政治はなくならない


——ポストケ小平の指導者たちについて、順番に、コメントいただきたいと思います。


ヴォーゲル 江沢民は、'60年代、ソ連に行って、国際的な経験があった。それから、'80年代に貿易の関係の仕事もして、科学についてもよくわかっている。天安門事件のあと、外国とうまくやるために、忍耐力をもって取り組んだ。


残念ながら日本との関係では、ぎくしゃくした。


'92年に日本を訪ねたときはあまり問題がなかったけれども、'90年代後半にかけては関係がちょっと悪くなった。江沢民が、判断を間違った。


残念ですね。日本と中国は、やっぱりぶつかってしまった。


胡錦濤は、日本でたとえるなら、松下政経塾。政治家の親戚もいないし、友達もいない。そこで、共産主義青年団に入り、その道をずっと歩いてきた。


それで、胡錦濤は、ちょっと官僚タイプですね。優秀。


ただ、政治の力はあまりなかった。腐敗問題がどんどんひどくなって、国民もなんとかしてほしいと思ったのに、それほど大胆なことができなかったんですね。


彼は、よくも悪くも、いい官僚的な人間だった、という感じがしますね。


胡錦濤のあと、もう少し指導力のある人が必要だ、とみんな思った。自信のあるひとです。


習近平は、父親(習仲勲元副首相)も改革派。彼は多少、農村のこともわかっている。


地方の経験もあったし、非常に自信満々で、頭がいい。そういうひとなので、胡錦濤よりも、強いことをやれるわけですね。


——いま集団指導制と言っていいですか。それとも習近平の力が、飛び抜けて強くなっていますか。


ヴォーゲル 習近平は、わりあいに強くなった。だけどまだ、集団が決めるんですね。


習近平が、今後、権力を自分の手に集めて、もう少し強い指導者として動く可能性はあるけれども、ほかのひとが反対すれば、やりにくい。権力は、限られているんですね。


——途中で、薄煕来とか周永康とかいろんなひとを抑えていったので、対抗するひとがあまりいないようにも思うんですけれども。


ヴォーゲル それは、まだわからないですね。


——習近平が失敗して、なにか問題を起こすとすれば、いちばん大事な問題はなんでしょうね。


ヴォーゲル 腐敗ですね。みんな、自分の将来を心配しているわけですね。みんなも腐敗をやっているのだから、という言い訳は、これからは通用しないでしょう。


「週刊現代」2015年12月26日より



http://www.asyura2.com/15/china7/msg/618.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 放置されたままの東電の信じがたい原発事故発表の衝撃  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
19. 2015年12月23日 11:04:00 : 5T81EwuK9Q : 4SpTkWmIJYQ[4]
3号機の爆発が格納容器の水蒸気爆発であることが明白になった。これで、原発再稼働が不可能になった。

ガンダーセン氏 「この粒は80%どころの話ではないよ。ほぼ核燃料100%の粒だ」 (Meg氏ブログ)
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/492.html

火を吹いた3号機格納容器( 魑魅魍魎男 )
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/744.html

3号機は水蒸気爆発(ゴダード論文の和訳:山田隆)
http://blog.livedoor.jp/pph2tm-ikenobu/archives/54547091.html

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/481.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
4. 真相の道[492] kF6RioLMk7k 2015年12月23日 11:11:41 : viUfaRj73o : nXHVdTKWrMY[12]
>近現代史を学ぶことの必要性を訴え、本部の設置を発案した稲田朋美政調会長は会合で「一番大切なのは客観的事実であり、政治家それぞれが何を反省し、どういった歴史観を持つかが重要だ」と述べた。


これは良い取り組みですね。

客観的事実に基づいて、何が歴史事実で、どれがデマなのかを明確化する。

これに反対するのは、イカれたイデオロギーに感染されたいっちゃっている人たちぐらいでしょう。

真っ当な取り組みです。
  
  
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c4

コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
41. 2015年12月23日 11:12:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[422]

母を尋ねて三千里 アミーチス

日本童話研究会訳
http://www.aozora.gr.jp/cards/001048/files/45381_18751.html


      一

 もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。

 母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。

 このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。

 船は無事で海の上を走りました。

 母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。

 母親は月に八十リラずつ[#「ずつ」は底本では「ブフ」]もうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。

 父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家うちはまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。

 月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。

 父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。

 そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。

 それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。

 父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助てだすけをしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。

 親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、

「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」

 と元気のよい声でいいました。

 父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、

「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」

と思ったからでした。

 けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。

「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすれば[#「すれば」は底本では「すれぼ」]おじさんの家をさがします。もしも見つからなかったら領事館をたずねてゆきます。」

 こういって父親にせがみました。父親はマルコの勇気にすっかり動かされてしまいました。

 父親はこのことを自分の知っているある汽船の船長に話しすると船長はすっかり感心してアルゼンチンの国へ行く三等切符を一枚ただくれました。

 そこでいよいよマルコは父親も承知してくれたので旅立つことになりました。父と兄とはふくろにマルコの着物を入れ、マルコのポケットにいくらかのお金を入れ、おじさんの所書ところがきをもわたしました。マルコは四月の晴れた晩、船にのりました。

 父親は涙を流してマルコにいいました。

「マルコ、孝行の旅だから神様はきっと守って下さるでしょう。勇気を出して行きな、どんな辛いことがあっても。」

 マルコは船の甲板に立って帽子をふりながら叫びました。

「お父さん、行ってきますよ。きっと、きっと、……」

 青い美しい月の光りが海の上にひろがっていました。

 船は美しい故郷の町をはなれました、大きな船の上にはたくさんな人たちが乗りあっていましたがだれ一人として知る人もなく、自分一人小さなふくろの前にうずくまっていました。

 マルコの心の中にはいろいろな悲しい考えが浮んできました。そして一番悲しく浮んできたのは――おかあさんが死んでしまったという考えでした。マルコは夜もねむることが出来ませんでした。

 でも、ジブラルタルの海峡がすぎた後で、はじめて大西洋を見た時には元気も出てきました。望のぞみも出てきました。けれどもそれはしばらくの間でした、自分が一人ぼっちで見知らぬ国へゆくと思うと急に心が苦しくなってきました。

 船は白い波がしらをけって進んでゆきました。時々甲板の上へ美しい飛魚がはね上ることもありました。日が波のあちらへおちてゆくと海の面は火のように真赤になりました。

 マルコはもはや力も抜けてしまって板の間に身体をのばして死んでいるもののように見えました。大ぜいの人たちも、たいくつそうにぼんやりとしていました。

 海と空、空と海、昨日も今日も船は進んでゆきました。

 こうして二十七日間つづきました。しかししまいには凉すずしいいい日がつづきました。マルコは一人のおじいさんと仲よしになりました。それはロムバルディの人で、ロサーリオの町の近くに農夫をしている息子をたずねてアメリカへゆく人でした。

 マルコはこのおじいさんにすっかり自分の身の上を話しますと、おじいさんは大変同情して、

「大丈夫だよ。もうじきにおかあさんにあわれますよ。」

 といいました。

 マルコはこれをきいてたいそう心を丈夫にしました。
 そしてマルコは首にかけていた十字のメダルにキスしながら

「どうかおかあさんにあわせて下さい。」

と祈りました。

 出発してから二十七日目、それは美しい五月の朝、汽船はアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスの都の岸にひろがっている大きなプラータ河に錨を下ろしました。マルコは気ちがいのようによろこびました。

「かあさんはもうわずかな所にいる。もうしばらくのうちにあえるのだ。ああ自分はアメリカへ来たのだ。」

 マルコは小さいふくろを手に持ってボートから波止場に上陸して勇ましく都の方に向って歩きだしました。

 一番はじめの街の入口にはいると、マルコは一人の男に、ロスアルテス街へ行くにはどう行けばよいか教えて下さいとたずねました、ちょうどその人はイタリイ人でありましたから、今自分が出てきた街を指ゆびさしながらていねいに教えてくれました。

 マルコはお礼をいって教えてもらった道を急ぎました。

 それはせまい真すぐな街でした。道の両側にはひくい白い家がたちならんでいて、街にはたくさんな人や、馬車や、荷車がひっきりなしに通っていました。そしてそこにもここにも色々な色をした大きな旗がひるがえっていて、それには大きな字で汽船の出る広告が書いてありました。

 マルコは新しい街にくるたび[#「たび」は底本では「旅」]に、それが自分のさがしている街ではないのかと思いました、また女の人にあうたびにもしや自分の母親でないかしらと思いました。

 マルコは一生懸命に歩きました。と、ある十文字になっている街へ出ました。マルコはそのかどをまがってみると、それが自分のたずねているロスアルテス街でありました。おじさんの店は一七五番でした。マルコは夢中になってかけ出しました。そして小さな組糸店にはいりました。これが一七五でした。見ると店には髪の毛の白い眼鏡をかけた女の人がいました。

「何か用でもあるの?」

 女はスペイン語でたずねました。

「あの、これはフランセスコメレリの店ではありませんか。」

「メレリさんはずっと前に死にましたよ。」

 と女の人は答えました。

 マルコは胸をうたれたような気がしました、そして彼は早口にこういいました。

「メレリが僕のおかあさんを知っていたんです。おかあさんはメキネズさんの所へ奉公していたんです。わたしはおかあさんをたずねてアメリカへ来たのです。わたしはおかあさんを見つけねばなりません。」

「可愛そうにねえ!」

 と女の人はいいました。そして

「わたしは知らないが裏の子供にきいて上げよう。あの子がメレリさんの使つかいをしたことがあるかもしれないから――、」

 女の人は店を出ていってその少年を呼びました。少年はすぐにきました。そして

「メレリさんはメキネズさんの所へゆかれた。時々わたしも行きましたよ。ロスアルテス街のはしの方です。」

 と答えてくれました。

「ああ、ありがとう、奥さん」

 マルコは叫びました。

「番地を教えて下さいませんか。君、僕と一しょに来てくれない?」

 マルコは熱心にいいましたので少年は、

「では行こう」

 といってすぐに出かけました。

 二人はだまったまま長い街を走るように歩きました。

 街のはしまでゆくと小さい白い家の入口につきました。そこには美しい門がたっていました。門の中には草花の鉢がたくさん見えました。

 マルコはいそいでベルをおしました。すると若い女の人が出てきました。

「メキネズさんはここにいますねえ?」

 少年は心配そうにききました。

「メキネズさんはコルドバへ行きましたよ。」

 マルコは胸がドキドキしました。

「コルドバ? コルドバってどこです、そして奉公していた女はどうなりましたか。わたしのおかあさんです。おかあさんをつれて行きましたか。」

 マルコはふるえるような声でききました。
 若い女の人はマルコを見ながらいいました。

「わたしは知りませんわ、もしかするとわたしの父が知っているかもしれません、しばらく待っていらっしゃい。」

 しばらくするとその父はかえってきました。背の高いひげの白い紳士でした。
 紳士はマルコに

「お前のおかあさんはジェノア人[#「ジェノア人」は底本では「ジェノマ人」]でしょう。」

 と問いました。
 マルコはそうですと答えました。

「それならそのメキネズさんのところにいた女の人はコルドバという都へゆきましたよ。」

 マルコは深いため息をつきました。そして

「それでは私はコルドバへゆきます。」

「かわいそうに。コルドバはここから何百哩まいるもある。」

 紳士はこういいました。
 マルコは死んだように、門によりかかりました。

 紳士はマルコの様子を見て、かわいそうに思いしきりに何か考えていました。が、やがて机に向って、一通の手紙を書いてマルコにわたしながらいいました。

「それではこの手紙をポカへ持っておいで、ここからポカへは二時間ぐらいでゆかれる。そこへいってこの手紙の宛名になっている紳士をたずねなさい。たれでも知っている紳士ですから、その人が明日お前をロサーリオの町へ送ってくれるでしょう、そこからまたたれかにたのんでコルドバへゆけるようしてくれるだろうから。コルドバへゆけばメキネズの家もお前のおかあさんも見つかるだろうから、それからこれをおもち。」

 こういって紳士はいくらかのお金をマルコにあたえました。
 マルコはただ

「ありがとう、ありがとう」

といって小さいふくろを持って外へ出ました。そして案内してくれた少年とも別れてポカの方へ向って出かけました。

      二


 マルコはすっかりつかれてしまいました。息が苦しくなってきました。そしてその次の日の暮れ方、果物をつんだ大きな船にのり込みました。

 船は三日四晩走りつづけました。ある時は長い島をぬうてゆくこともありました。その島にはオレンヂの木がしげっていました。

 マルコは船の中で一日に二度ずつ少しのパンと塩かけの肉を食べました。船頭たちはマルコのかなしそうな様子を見て言葉もかけませんでした。

 夜になるとマルコは甲板で眠りました。青白い月の光りが広々とした水の上や遠い岸を銀色に照しました、マルコの心はしんとおちついてきました。そして「コルドバ」の名を呼んでいるとまるで昔ばなしにきいた不思議な都のような気がしてなりませんでした。

 船頭は甲板に立ってうたをうたいました、そのうたはちょうどマルコが小さい時おかあさんからきいた子守唄のようでした。

 マルコは急になつかしくなってとうとう泣き出してしまいました。
 船頭は歌をやめるとマルコの方へかけよってきて、

「おいどうしたので、しっかりしなよ。ジェノアの子が国から遠く来たからって泣くことがあるものか。ジェノアの児は世界にほこる子だぞ。」

 といいました。マルコはジェノアたましいの声をきくと急に元気づきました。

「ああそうだ、わたしはジェノアの児だ。」

 マルコは心の中で叫びました。

 船は夜のあけ方に、パラアナ河にのぞんでいるロサーリオの都の前にきました。

 マルコは船をすててふくろを手にもってポカの紳士が書いてくれた手紙をもってアルゼンチンの紳士をたずねに町の方をゆきました。

 町にはたくさんな人や、馬や、車がたくさん通っていました。
 マルコは一時間あまりもたずね歩くと、やっとその家を見つけました。
 マルコはベルをならすと家から髪の毛の赤い意地の悪そうな男が出てきて

「何の用か、」

 とぶっきらぼうにいいました。

 マルコは書いてもらった手紙を出しました。その男はその手紙を読んで

「主人は昨日の午後ブエーノスアイレスへ御家の人たちをつれて出かけられた。」

 といいました。
 マルコはどういってよいかわかりませんでした。ただそこに棒のように立っていました。そして

「わたしはここでだれも知りません。」

 とあわれそうな声でいいました。するとその男は、

「物もらいをするならイタリイでやれ、」

 といってぴしゃりと戸をしめてしまいました。

 マルコはふくろをとりあげてしょんぼりと出かけました。マルコは胸をかきむしられたような気がしました。そして

「わたしはどこへ行ったらよいのだろう。もうお金もなくなった。」

 マルコはもう歩く元気もなくなって、ふくろを道におろしてそこにうつむいていました、道を通りがかりの子供たちは立ち止ってマルコを見ていました。マルコはじっとしておりました。するとやがて

「おいどうしたんだい。」

とロムバルディの言葉でいった人がありました。マルコはひょっと顔を上げてみると、それは船の中で一しょになった年よったロムバルディのお百姓でありました。

 マルコはおどろいて、

「まあ、おじいさん!」

 と叫びました。

 お百姓もおどろいてマルコのそばへかけて来ました。マルコは自分の今までの有様を残らず話しました。

 お百姓は大変可愛そうに思って、何かしきりに考えていましたが、やがて、

「マルコ、わたしと一緒にお出でどうにかなるでしょう。」

 といって歩き出しました。マルコは後について歩きました。二人は長い道を歩きました、やがてお百姓は一軒の宿屋の戸口に立ち止りました。看板には「イタリイの星」と書いてありました。

 二人は大きな部屋へはいりました。そこには大勢の人がお酒をのみながら高い声で笑いながら話しあっていました。

 お百姓はマルコを自分の前に立たせ皆にむかいながらこう叫びました。

「皆さん、しばらくわたしの話を聞いて下さい、ここにかわいそうな子供がいます。この子はイタリイの子供です。ジェノアからブエーノスアイレスまで母親をたずねて一人で来た子です。ところがこんどはコルドバへ行くのですがお金を一銭も持っていないのです。何とかいい考えが皆さんにありませんか。」

 これをきいた五六人のものは立ち上って、

「とんでもないことだ。そんなことが出来るものか」

 といいました。するとその中の一人は、テエブルをたたいて、

「おい、我々の兄弟だ。われわれの兄弟のために助けてやらねばならぬぞ。全く孝行者だ。一人できたのか。ほんとに偉いぞ。愛国者だ、さあこちらへ来な、葡萄酒ぶどうしゅでものんだがよい。わしたちが母親のところへとどけてあげるから心配しないがよい。」

 こういってその男はマルコの肩をたたきふくろを下してやりました。

 マルコのうわさが宿屋中にひろがると大勢の人たちが急いで出てきました、ロムバルディのおじいさんはマルコのために帽子を持ってまわるとたちまち四十二リラのお金があつまりました[#「あつまりました」は底本では「あつりまりました」]。

 みんなの者はコップに葡萄酒をついで、

「お前のおかあさんの無事を祈る。」

といってのみました。
 マルコはうれしくてどうしてよいかわからずただ

「ありがとう。」

といって、おじいさんのくびに飛びつきました。

 つぎの朝マルコはよろこび勇んでコルドバへ向って出かけました。マルコの顔はよろこびにかがやきました。

 マルコは汽車にのりました。汽車は広々とした野原を走ってゆきました。つめたい風が汽車の窓からひゅっとはいってきました。マルコがジェノアを出た時は四月の末でしたがもう冬になっているのでした。けれどもマルコは夏の服を着ていました。マルコは寒くてなりませんでした。そればかりでなく身体も心もつかれてしまって夜もなかなか眠ることも出来ませんでした。マルコはもしかすると病気にでもなって倒れるのではないかと思いました。おかあさんにあうことも出来ないで死んだとしたら……マルコは急にかなしい心になりました。

 コルドバへゆけばきっとお母さんにあえるかしら、ほんとうにおかあさんにあうことがたしかに出来るかしら。もしもロスアルテス街の紳士が間違ったことをいったのだとしたらどうしよう。マルコはこう思っているうちに眠ってゆきました。そしてコルドバへ行っている夢を見ました、それは一人のあやしい男が出てきて、

「お前のおかあさんはここにいない。」

といっている夢でした。マルコははっとしてとびおきると自分の向うのはしに三人の男が恐しい眼つきで何か話していました。マルコは思わずそこへかけよって、

「わたしは何も持っていません。イタリイから来たのです。おかあさんをたずねに一人できたのです。貧乏な子供です。どうぞ、何もしないで下さい。」

といいました。

 三人の男は彼をかわいそうに思ってマルコの頭をなでながらいろいろ言葉をかけ一枚のシオルをマルコの体にまいて、眠られるようにしてくれました。その時はもう広い野には夕日がおちていました。

 汽車がコルドバにつくと三人の男はマルコをおこしました。

 マルコは飛びたつように汽車から飛び出しました。彼は停車場の人にメキネズの家はどこにあるかききました。その人はある教会の名をいいました。家はそのそばにあるのでした。マルコは急いで出かけました。

 町はもう夜でした。

 マルコはやっと教会を見つけ出して、ふるえる手でベルをならしました。すると年取った女の人が手にあかりを持って出てきました。

「何か用がありますか」

「メキネズさんはいますか。」

 マルコは早口にいいました。
 女の人は両手をくんで頭をふりながら答えました。

「メキネズさんはツークーマンへゆかれた。」

 マルコはがっかりしてしまいました、そしてふるえるような声で、

「そこはどこです。どのくらいはなれているのです。おかあさんにあわないで、死んでしまいそうだ。」

「まあ可愛そうに、ここから四五百哩まいるはなれていますよ。」

 女の人は気の毒そうにいいました。
 マルコは顔に手をおしあてて、

「わたしはどうしたらいいのだろう、」

 といって泣き出しました。

 女の人はしばらくだまって考えていましたが、やがて思い出したように、

「ああ、そうそう、よいことがある、この町を右の方へゆくと、たくさんの荷車を牛にひかせて明日ツークーマンへ出かけてゆく商人がいますよ。その人に頼んでつれていってもらいなさい。何か手つだいでもすることにして、それが一番よい今すぐに行ってごらんなさい。」

 といいました。

 マルコはお礼をいいながら[#「いいながら」は底本では「いいならが」]ふくろをかつぎ急いで出かけました。しばらくゆくとそこには大ぜいの男が荷車に穀物のふくろをつんでいました。丈せいの高い口ひげのある男が長靴をはいて仕事の指図をしていました。その人がこの親方でした。

 マルコはおそるおそるその人のそばへ行って

「自分もどうかつれていって下さい。おかあさんをさがしにゆくのだから。」

 とたのみました。

 親方はマルコの様子をじろじろと見ながら

「お前をのせてゆく場所がない。」

 とつめたく答えました。
 マルコは一生懸命になって、たのみました。

「ここに十五リラあります。これをさしあげます。そして途中で働きます。牛や馬の飲水もはこびます。どんな御用でもいたします。どうぞつれて行って下さい。」

 親方はまたじろじろとマルコを見てから、今度はいくらかやさしい声でいいました。

「おれたちはツークーマンへゆくのではない、サンチヤゴという別の町へゆくのだよ。だからお前をのせていっても途中で下りねばならないし、それに下りてからお前はずいぶん歩かなければならぬぞ。」[#「」」は底本では欠落]

「ええ、どんな長い旅でもいたします。どんなことをしましてもツークーマンへまいりますからどうかのせていって下さい。」

 マルコはこういってたのみました。
 親方はまた、

「おい二十日もかかるぞ。つらい旅だぞ。それに一人で歩かねばならないのだぞ。」

 といいました。
 マルコは元気そうな声でいいました。

「はいどんな事でもこらえます、おかあさんにさえあえるなら。どうぞのせていって下さい」

 親方はとうとうマルコの熱心に動かされてしまいました。そして「よし」といってマルコの手を握りしめました。

「お前は今夜荷車の中でねるのだよ。そして明日の朝、四時におこすぞ。」

 親方はこういって家の中へはいってゆきました。

 朝の四時になりました。星はつめたそうに光っていました。荷車の長い列はがたがたと動き出しました。荷車はみな六頭の牛にひかれてゆきました。そのあとからはたくさんな馬もついてゆきました。

 マルコは車に積んだ袋の上にのりました。がすぐに眠ってしまいました。マルコが目をさますと、荷車の列はとまってしまって、人足にんそくたちは火をたきながらパンをやいて食べているのでした。みんなは食事がすむとしばらくひるねをしてそれからまた出かけました。みんなは毎朝五時に出て九時にとまり、夕方の五時に出て十時にとまりました。ちょうど兵隊が行軍するのと同じように規則正しくやりました。

 マルコはパンをやく火をこしらえたり牛や馬にのませる水をくんできたり角灯の掃除をしたりしました。

 みんなの進む所は、どちらを見ても広い平野がつづいていて人家もなければ人影も見えませんでした。たまたま二三人の旅人が馬にのってくるのにあうこともありましたが、風のように一散にかけてゆきました。くる日もくる日もただ広い野原しか見えないのでみんなは、たいくつでたいくつでたまりませんでした。人足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使むりづかいしたりしました。大きな秣まぐさをはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大きな声で叱りつけました。

 マルコはへとへとにつかれて、夜になっても眠ることが出来ませんでした、荷車はぎいぎいとゆれ、体はころがるようになり、おまけに風が吹いてくると赤い土ほこりがたってきて息をすることさえ出来ませんでした。

 マルコは全くつかれはててしまいました。それに朝から晩まで叱られたりいじめられたりするので日に日に元気もなくなってゆきました。ただマルコをかわいがってくれるものは親方だけでした。マルコは車のすみに小さくうずくまってふくろに顔をあてて泣いていました。

 ある朝、マルコが水を汲んでくるのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。

 マルコは悲しくなってただすすりあげて泣いていました。マルコはとうとう病気になりました。三日のあいだ荷車の中で何もたべずに苦しんでいました。ただ水をくれたりして親切にしてくれるものは親方だけでした。親方はいつも彼のところへきては、

「しっかりせよ。母親にあえるのだから」

 といってなぐさめてくれました。

 マルコは、もう自分は死ぬのだと思いました。そしてしきりに「おかあさん。もうあえないのですか。おかあさん。」といって胸の上に手をくんで祈っていました。

 親方は親切に看護をしたので、マルコはだんだんよくなってゆきました。すると今度は一番安心することの出来ない日がきました。それはもう九日も旅をつづけたのでツークーマン[#「ツークーマン」は底本では「シークーマン」]へゆく道とサンチヤゴへ行く道との分れる所へ来たからです。親方はマルコに別れなければならないことをいいました。

 親方は何かと心配して道のことを教えてくれたり歩く時にじゃまにならないようにふくろをかつがせたりしました。マルコは親方の体にだきついて別れのあいさつをしました。


      三
 マルコは青い草の道に立って手をあげながら荷車の一隊を見送っていました。荷車の親方も人足たちも手をあげてマルコを見ていました。やがて一隊は平野の赤い土ほこりの中にかくれてしまいました。

 マルコは草の道を歩いてゆきました。夜になると草のしげみへはいってふくろを枕にして眠りました。やがていく日かたつと彼の目の前に青々とした山脈を見ることが出来ました。マルコは飛びたつようによろこびました。山のてっぺんには白い雪が光っていました。マルコは自分の国のアルプス山を思い出しました。そして自分の国へ来たような気持になりました。

 その山はアンデズ山でありました。アメリカの大陸の脊骨をつくっている山でした。空気もだんだんあたたかになってきました。そして所々に小さい人家が見えてきました。小さい店もありました。マルコはその店でパンを買ってたべました。また黒い顔をした女や子供たちにもであいました。その人たちはマルコをじっと見ていました。

 マルコは歩けるだけ歩くと木の下に眠りました。その次の日もそうしました。そうするうちに彼の元気はすっかりなくなってしまいました。靴は破れ足から血がにじんでいました、彼はしくしく泣きながら歩き出しました。けれども「おかあさんにあえるのだ。」と思うと足のいたさも忘れてしまいました。

 彼は元気を出して歩きました。ひろいきび畑を通ったり、はてしない野の間をぬけたり、あの高い青い山を見ながら四日、五日、一週間もたちました。彼の足からはたえず血がにじみ出ました、また急に元気がなくなって来ました、でもとうとうある日の夕方一人の女の人にあいましたから、

「ツークーマンへはここからいくらありますか。」

とたずねました。

 女の人は、

「ツークーマンはここから二哩まいるほどだよ。」

 と答えました。

 マルコはよろこびました。そしてなくした元気をとりもどしたように歩き出しました。しかしそれはほんのしばらくでした。彼の力はすぐに抜けました。けれども心の中はうれしくてなりませんでした。

 星はきらきらとかがやいていました、マルコは草の上に体をのばして美しい星空を眺めました。この時はマルコの心は幸福でありました。マルコは光っている星に話でもするようにいいました。

「ああおかあさん、あなたの子のマルコは今ここにいます。こんなに近くにいます。どうぞ無事でいて下さい、おかあさん、あなたは今何を思っていられますか。マルコのことを思って下さるのですか。」

 マルコの母親は病気にかかってメキネズの立派なやしきにねていました。ところがメキネズは思いがけずブエーノスアイレスから遠くへ出かけねばならなくなりコルドバへきたのでした、その時母親は腫物が体の内に出来たので外科のお医者さんにかかるためツークーマンに見てもらっていたのでした。けれども大変な重い病気だったのでどれだけたってもなおりませんでした。それで手術をしてもらうということになりました。けれども母親は

「わたしはもうこらえる力がありません。手術のうちに死んでしまいます。どうかこのまま死なせて下さい。わたしはもう苦しまずに死にとうございます。」

 といいました。

 主人と奥さんは

「手術をうけると早くなおるから、もっと元気を出しなさい、子供たちのためにも早くなおらなければなりません。」

としずかにいってきかせました。
 母親はたださめざめと泣きだしました。

「おお子供たち、みんなはもう生きていないだろう。わたしも死んでゆきたい。旦那様、奥さま、ありがとうございます。何かとお世話になりましてありがとうございます。わたしはもうお医者さまにかかりたくありません。わたしはここで死にとうございます。」

 主人は

「そんなことをいうものではない」

といって女の手をとって慰めました。

 けれども彼女はまるで死んだように眼をとじていました。主人と奥さんとはろうそくのかすかな光でこのあわれな女を見守っていました。

「家を助けるために三千里もはなれた国へきて、あんなに働いたあとで死んでゆく。ほん当に可哀そうだ。」

主人はこういってそこにぼんやりと立っていました。

 マルコはいたい足をひきずりながら、ふくろをせおって次ぎの日の朝早くアルゼンチンの国でもっともにぎやかな町であるツークーマンの町へはいりました。ここもまた同じような街で、まっすぐな長い道と、ひくい白い家とがありました。ただマルコの目をよろこばしたものは大きな美しい植物と、イタリイでかつて見たこともないようにすみ切った青空でありました。彼は街をずんずん歩いてゆきました。そしてもしか母親にあいはしないかと女の人にあうたびにじっと見ました。女の人みんなに自分の母親でないかたずねてみたい心持になりました。街の子供たちは四五人あつまってきて、みすぼらしいほこりだらけの少年をじっと見ていました。

 しばらく行くと道の左かわにイタリイの名の書いてある宿屋の看板が目につきました。中には眼鏡をかけた男の人がいました。

 マルコはかけていってたずねました。

「ちょっとおたずねしますがメキネズさんの家はどちらでしょうか。」

 男の人はちょっと考えていましたが、

「メキネズさんはここにはいないよ。ここから六哩まいるほどはなれているサラヂーロというところだ。」

 と答えました。

 マルコは剣で胸をつかれたようにそこに打ち倒れてしまいました。すると宿屋の主人や女たちが出てきて、

「どうしたのだ、どうしたというのだ、」

といいながらマルコを部屋の中へ入れました。

 主人は彼をなだめるようにいいました。

「さあ、何も心配することはない。ここからしばらくの時間でゆける。川のそばの大きな砂糖工場がたっているところにメキネズさんの家がある。誰でも知っているよ、安心なさい、」

 しばらくするとマルコは生きかえったようにおき上りながら、

「どちらへ行くんです、どうぞ早く道を教えて下さい。私はすぐにゆきます。」

といいました。

 主人は、

「お前はつかれている、休まないと行かれない。今日はここで休んで明日ゆきなさい、一日かかるのだから。」

 とすすめました。

「いけません。いけません。私は早くおかあさんにあわなければなりません。すぐにゆきます。」

 マルコの強い心に動かされて、宿屋の主人は一人の男をわざわざ町はずれの森まで送ってよこしました。マルコは大変よろこんで教えてもらった道を急ぎました。道の両がわにはこんもりとした並木が立ちならんでいました。マルコは足のいたいことも忘れて歩きました。

 その夜母親は大そう苦しんでもう息も切れ切れに、

「お医者さまを呼んで下さい。助けて下さい。わたしはもう死にます。」

 といいました。

 主人や奥さんや女中たちは女の手をとってなぐさめました。

 もう夜中でありました。マルコはもう歩む力もなくなっていく度となくころびました、けれどもマルコは

「おかあさんにあえるのだ。」

という心が胸にわいてきて足のいたいことも忘れてしまいました。

 やがて東の空がしらじらとあけてきて、銀のような星も次第に消えてゆきました。

 朝の八時になりました。ツークーマンのお医者さんは若い一人の助手をつれて病人の家へ来ました。そしてしきりに手術をうけるようにすすめました。メキネズ夫婦もそれをすすめました。けれどもそれは無駄でした。女はどうしても手術をうける気はありませんでした。手術をうけないうちに死んでゆくのだとあきらめているからでした。医者はそれでもあきらめずにもう一度いってみました。

 けれども女は、

「わたしはこのまま安らかに死んでゆきとうございます。」

 といいました、そしてまた消えてゆくような声で、

「奥さま、わたし[#「わたし」は底本では「わたく」]の荷物と、この少しばかりのお金を家の者に送ってやってください、私はこれで死んでゆきます。どうぞ私の家へ手紙も出して下さい。わたしは子供を忘れることが出来ません。小さい子のマルコはどうしているでしょう、ああマルコが……」

 といいました。

 その時、主人もいませんでした。奥さんはあわただしくかけてゆきました。しばらくすると医者はよろこばしい顔をしてはいってきました。主人も奥さんもはいってきました。[#「。」は底本では欠落]そして病人に、いいました。

「ジョセハ、うれしいことをきかせてあげるよ。」

「おどろいてはいけません。」

 女はじっとその声をきいていました。

 奥さんは

「お前がよろこぶことですよ、お前の大そう可愛がっている子にあうのですよ。」

 女はきらきらする目で奥さんを見ました。[#「。」は底本では欠落]そしてありったけの力を出して頭をあげました。

 その時でした、ぼろぼろの服をきてほこりだらけになったマルコが入口に立ったのでした。

 女はびっくりして「あっ」と叫び声をあげました。

 マルコはかけよりました。母親はやせた細い手をのばしてマルコをだきしめました。そして気ちがいのように

「どうしてここへ来たのほんとうにお前なのか。本当にマルコだねえ、ああほんとうに」

と叫びました。

 女はすぐに医者の方をむいていい出しました。

「お医者様、どうぞなおして下さい。早く手術をして下さい。わたしは早くよくなりたいです。どうぞお医者さま、マルコに見せないで。」

 マルコは主人につれられて部屋を出ました。[#「。」は底本では欠落]奥さんも女たちもいそいで出てゆきました。

 マルコは不思議でなりませんでしたから、

「おかあさんをどうするのですか。」

 と主人にたずねました。

 主人はおかあさんが病気だから手術を受けるのだといいました。
 と不意に女の叫び声が家中にひびきました。
 マルコはびっくりして

「おかあさんが死んだ。」

と叫びました。

 医者は入口に出て来て

「おかあさんは助かった、」

といいました。

 マルコはしばらくぼんやりと立っていましたが、やがて医者の足許へかけていって泣きながら、

「お医者さま、ありがとうございます[#「ございます」は底本では「ざざいます」]。」

 といいました。
 しかし医者はマルコの手をとってこういいました。

「マルコさん。おかあさんを助けたのは私ではありません。それはお前です。英雄のように立派なお前だ!」
 

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c41

記事 [経世済民103] サンマ、サバ、イワシの小型化が止まらない 〜日本の水産業が迎えた「危機」(現代ビジネス)

サンマ、サバ、イワシの小型化が止まらない 〜日本の水産業が迎えた「危機」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47018
2015年12月22日(火) 岩崎大輔 現代ビジネス


■「今までこんなことはなかった」

「秋には400グラムに成長するサバが、今年は270〜280グラム、サンマも140グラム未満の小型のものが大半。今までこんなことはなかった。夏のマイワシ漁も不振だったから、青魚3種が全滅だ!」(都内寿司店主)

漁業関係者の間でいま、衝撃が走っている。今年の漁で獲れた魚が、あまりにも小さく痩せすぎるというのだ。

全国水産加工工業協同組合連合会・中山嘉昭会長がこう嘆く。

「東京だけじゃない。魚が減った、小さくなった、との声は全国に広がっている。平成27年のサンマの水揚げは12万トン前後にとどまり、昭和55年以降の漁獲量で最低だった平成11年の13万4944トンを下回ることは確実だ。大衆魚と呼ばれたサンマが口にできなくなる恐れもある。いま手を打たないと持続可能な漁はできなくなるかもしれない」

温暖化、分布域の変化、餌の減少・・・様々な原因が考えられるが、中山氏は「我が国を含め、各国の漁獲量が『持続可能な資源量』を超えたことが大きな要因だろう」と指摘する。

現在は、漁獲可能量(Total Allowable Catch)を定めるTAC制度により、一定の産卵親魚を残し、再生産可能な資源状況を保つことを目指している。

ところが、その秩序が脅かされている。中国や台湾が、公海上のサンマを狙い始めたのである。近年、中国・台湾のサンマ漁獲量が大きく増加。1千トン級の大型漁船が北海道の東沖の公海をまわり、サンマを水揚げしているのだ。

クロマグロやメバチマグロは激減しているために公海でも獲り過ぎをふせぐための規制がある。だが、サンマは資源にゆとりがある種とみなされ、公海のサンマ漁獲に関する国際的なルールは未整備なまま。台湾、中国の大型漁船の水揚げを規制できない現状がある。

■日本とは食べ方が違う

実は「水産業の危機」はいま、与党自民党の中でも大きな問題となっている。自民党水産部会資源管理WT座長の浜田靖一衆議院議員は、法の未整備をこう嘆息する。

「我が国はロシア、韓国、中国などと漁業協定を結び相互入漁(互いに魚種、数量を決めて漁をすること)を行っているが、資源管理については十分なルールがつくられていない。今後、国と国との間で資源管理の強化を図る必要がある」

日本人は「鮮度、大きさ、脂の乗り具合」と魚の味にうるさい。そのため日本漁船は200トン未満の小型漁船で漁を行い、新鮮なうちに漁港に持ち込むのが主流だ。

一方、中国人や台湾人は魚を油で揚げて食べるために、日本人のような味への拘りがない。捕った魚を船上で冷凍すればいいので、次第に漁船は大型化していった。また、かつては日本のサンマを輸入して食べていた台湾人が、積極的に日本周辺に進出してきたことも大きいといわれる。

特に三陸沖の漁場への進出が顕著で、その被害は深刻だという。親潮と黒潮がぶつかる三陸沖の漁場は、世界4大漁場の一つと呼ばれるほど豊富で多様な水産資源を誇っているが、それも「過去のもの」となるかもしれない。

「三陸沖の漁場は日本の宝。三陸沖を中心とした日本の沿岸は世界の天然漁獲量の4分の1を占める豊かな漁場でもある。豊かなうちに資源管理をしっかり行い、継続して捕れるようにしっかりと対策を打ち出すべき」(前出の中山会長)

資源管理とは、簡単に言えば、漁に制限を加えることだ。魚を捕らなければ、自然と漁場は回復する。たとえば福島県の沿岸漁業は、福島第一原発事故による操業自粛で、水産資源は増え、魚が大型化している。

皮肉な話だが、原発事故で漁業ができなかったことで、沿岸漁業での水産資源が回復したのだ(汚染問題については別の議論となるのでここでは割愛する)。

■TPPが日本の漁業を呑み込む?

とはいえ、漁師や水産加工会社の人たちは生活がかかっているので、魚が小型化しているからといってまったく獲らないわけにはいかない。代わりに産卵期には漁を控えることや、稚魚を放流すること、また網の目を大きくして小さな魚を捕らないようにするなど水産資源を守る努力が各地で行われている。

漁と安定収入のバランスをどう保つのかが難しいところだが、同じく水産業が盛んな静岡県・焼津市を選挙区とし、カツオ・マグロ漁業推進議員連盟の事務局長を務める井林辰憲衆議院議員は、こんな成功例を示す。

「由比ヶ浜はサクラエビが有名です。そのサクラエビを捕る漁師さんはみんなで漁獲量を決めて全員で折半する仕組みになっている。プールしたお金を折半する仕組みなので、漁が休みになっても抜け駆けして漁に出る必要も無い。シラスは淡路島でも捕れる。淡路島で水揚げが多い、と耳にすれば負けじと漁に出てしまうかもしれない。でもサクラエビは由比でしか捕れないので焦らない」

資源管理については各地で模索が続いている。取り組みがうまくいき、水産資源が回復すれば、操業回数を抑制しても安定した収入が見込めるようになる。漁師たちの休みも増え、効率的な働き方ができるようになるだろう。高齢化が進む漁業においても新たな担い手の確保の一助となるかもしれない。

しかし、そうした「個々の努力」を水泡に帰すような大きな波が漁業に伸し掛かっている。

TPPである。

TPP交渉が大筋で合意に至ったことで、魚価、魚食への影響が懸念されているのだ。関税の撤廃の他にも為替の変動などもあるので一概に言えないが、海外からの安い水産加工物が入ってくることで、国内の水産加工物の価格は下がることが予想されている。どんな仕事もそうだが、一定の売り上げが見込めなければ設備投資は行われない。また将来の展望が開けなければ後継者も育たない。

日本の水産業は、この大波をどう潜り抜けるのか。

11月5日、6日両日、永田町の自民党本部で「水産基本政策小委員会」が開催され、水産庁と水産関連会社との話し合いが行われた。TPP合意後の影響や水産業の基盤強化についての意見が交わされたのだ。

■大荒れの委員会

水産庁はTPP合意後の影響については、アジ、サバ、マイワシなど12品目の魚介類の品目ごとの輸入量などの基礎データ、交渉結果、結果分析を提出し、「品目ごとに見れば、おおよそが限定的な影響を受けるのみ」との見解を出した。

しかし、出席者した議員からは「そんな解説はいらない」「見通しが甘い」「なぜ個別品目ごとの調査しかないのか!」との怒りの声があがった。あまりに大荒れとなったために山本公一委員長が「限定的と言うのは楽観的過ぎる。水産庁もしっかりしてくれ」とたしなめたほどだ。

「食品は相互関係にある。輸入魚対国産魚で争う場合、影響は『限定的』なのかもしれないが、懸念すべきは、輸入肉との争いだ。つまり、食卓で肉と魚が競い合う、ということ。

いまは1日3食のうち魚も肉も両方食べることが当たり前かもしれないが、TPPで輸入牛肉の関税が大幅に下がれば、消費者は魚よりも安くなった輸入肉を買い物かごの中に入れるでしょう」(前出の井林氏)

安価な輸入牛肉が幅をきかせることで、国内牛肉の価格は下落する。相関関係にある国内水産物の価格も引きずられるように価格を下げざるを得なくなる。肉類の低価格化に伴う魚からの肉への消費シフトの影響が国内では徐々に出るだろう。

そんな不安が渦巻く中で、水産庁がすべきことは「守りのデータ」を示すのでなく、「攻めの姿勢」をみせることではないだろうか。

前出の井林議員は、「水産関係者は、これを好機ととらえるべきではないか」として、こう提言する。

「TPPで世界の市場の4割が関税を撤廃したことになった。新たな市場ができる、ととらえることもできる」

「中国のお金持ちが青森産の1個2000円のりんごを買っているんですよ」

かつて小泉純一郎元首相が、演説などでこう説いていたことをご記憶だろうか。規制をかけて「守る農業」から、規制を緩和して「攻める農業」へと大転換せよ、ということだ。

安倍首相も外遊の際には、日本の農産品の紹介を必ず行っているという。農業で定着しつつある「攻めの姿勢」を、水産業も見習うべきではないか。それが漁業や水産加工業を「基幹産業」として復活させるカギとなるはずだ。

世界の魚の消費量は右肩上がりとなっている。しかし一方で、魚の争奪戦が過度に進めば絶滅する魚も出てこよう。サンマ・サバの小型化に今すぐ危機感をもち、日本が先頭に立って資源管理における国際的なルール作りに着手すべきである。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/751.html

コメント [政治・選挙・NHK198] 政界地獄耳 投票行ってほしいけど興味持つなとは(日刊スポーツ) 赤かぶ
2. 2015年12月23日 11:14:56 : QT1VMl6G5c : ZmRiMNdqIfM[1]
要は自公に入れるような子には育って欲しいが、野党に入れるような子にはならないでねってことでしょ?
だったらそう言えよ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/521.html#c2
コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
42. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:16:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[423]

母を訪ねて三千里(ただしメキシコ北部) 2013年1月23日 (水)


Bc251最近のラテンアメリカ文学がオートフィクションだと言い続けているうちに、手に取る小説の大半がそうなってきた。特に若い世代に顕著で、もはや誰も自国の歴史や文化といった大きな物語を語ろうとしないのかと心配になるほど。なんだか魔術的リアリズムが懐かしくなったりする今日このごろです。

 本書はメキシコの1971年生まれの作家による。

 語り手が作家として実名で現われるとすべて自伝とも言えず、どこからどこまでが事実でどこからどこまでが虚構なのかよく分からない。そんなオートフィクションは、書き手にとってはお気軽な文体であり、読み手にとっては自伝を読むときのある種の好奇心を満たせるし、大きな物語はないのだ‥という安心感をもって臨める。読み手として安心しているようじゃケータイ小説を笑うことはできない気もするが、オートフィクションは安心して読めるように思う。

 この小説は語り手の母をめぐる話である。

 冒頭からその母親が白血病で死の床にいることが分かる。入院中の母のベッド脇でパソコンに本書を打ち込んでいるという設定である。その病院における今と、母と過ごしたメキシコ北部を転々とする幼少時代の記憶が同時進行していく。

 ちなみに本日の題だが、これは日本のアニメで知られているもので、原作は『アペニンからアンデス山脈へ』といい、デ・アミーチスというイタリア人作家が1886年に書いた大ベストセラー『クオーレ』に含まれているので読むことができる。イタリア人のマルコ少年が遠いアルゼンチンに渡った母を探して大冒険をする、という話。たぶんメンドサあたりで再会する。

 19世紀は多くのイタリア人がアルゼンチンへ移民した。いろいろな人種がいたと思うが、南部の貧しい人が多かったことは事実だろう。

ブエノスアイレスから流れ流れてメンドサまで来た定職をもたない外国人女性、とくれば、これはどうも、マルコのお母さんは売春婦とは言わずとも酌婦的職業についていた可能性が高い‥。


 てなことを言うと、特に日本では怒られる。

 なのでそれはさておき、本書の語り手の母親の職業は娼婦だ。

ラテンアメリカの娼婦は実はノマドが多い。もっとも有名なノマド娼婦はガルシア=マルケスの描いた『エレンディラ』だろうか。あれは幼い娼婦を連れて各地を回る因業ババアのお話だったが、こちらの娼婦マリセラは息子である語り手を連れてメキシコ各地を回っていた。

 (僕は一九七一年一月二十日にゲレロ州アカプルコ・デ・フアレス港市で生まれた。三歳で初めて死人に出会った。溺死者だ。この歳には初めてゲリラにも出会った。代母ヘスの弟キトだ。彼は銀行強盗で服役中だった。幼少期を僕は街から街、売春宿から売春宿へと移動するという、母の商売によって課せられたノマド生活のなかで過ごした。歳を重ねるたびに焼けるような焦燥に駆られつつ、南部の奥地から北部の輝ける都市群へと旅をして過ごした。(pp.78-79)>

 各地で生まれた子どもたちは成人するに従って家を、というか母のもとを離れてゆき、たとえば語り手の兄などは日本に渡って横浜に定住してしまっている。こうして語り手だけが母の最期を看取ることになるわけだ。

 第一章では病院内での日記と幼少期の記憶が交錯するが、第二章はドイツのベルリンが舞台。作家として招かれたベルリンで妻と街を放浪しながら語り手は時折母のことを回想するが、この章はどちらかといえば語り手自身の内的独白が中心になる。

 第三章はハバナが舞台。裏町を売春宿を求めて作家連中とウロウロしつつ、この章では「自伝」という語り口そのものが記述の対象になっていく。そうこうするうちにメキシコ北部の語り手が幼少期を過ごした地域で麻薬をめぐる殺人事件が急増し始める。そして最終章は前章に関する次のような言葉で始まっていく。

(すべてウソの切り貼りだ。オレは性的に抑圧されている。

アナルセックスなど一度もしたことはない。ボボ・ラファグアなる人物はオレの想像の産物だ。オレは実は中国の数ヶ国語を完璧に操ることができる。ディアブリート・トゥントゥンなる酒場をハバナで探しても徒労に終わるだろう。ハバナへなど行ったこともない。ウソ。約一回だけハバナへ行った。ウソ。一度ハバナへ行ったが、熱を出して病院のベッドでひとり暗い顔で黒いマスクをあてがわれて過ごしていたので、実は夜は何にも見ていない。朝と昼はカルロス・スリムが仕切るグループの子分として(いつもの文学商人、というか文学娼婦としての役割に従い)きりきり働いていた。このグループというのは、フィデルが死んだあとのキューバの将来をどうするか企んでいるラテンアメリカの極右企業家連中の集まりだ。(p.171)>


 こうしてオートフィクション特有の語りに関する自己言及を経つつ、最後はそれまでボンヤリしていた妻や兄弟たちの詳細な情報が断片的に語られ、そして妻とともに母の死の床に淡々と立ち会うまでが描かれる。

 よく考えると hijo de puta が語り手になるのはスペイン語文学の長い伝統なのかもしれない。たとえば『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』というピカレスク小説の原点とされる小説があるが、あれの母親も、はっきりそうとは書いていないけれど、身持ちの悪い女として描かれている。

娼婦の息子、という罵倒語が普及しているのを見ても分かるように、グアダルーペの聖母など数多くのマリア信仰を抱くラテン文化圏にあって母親を媒介とする心的操作は私たち日本人には想像もつかないほど根が深いものがある。特にメキシコはその傾向が強い。madre という語自体が日常語に組み込まれているので、実際の生活ではほとんどその愛称である mamá しか用いない。

 このような社会にあって娼婦の息子を自ら公言するというのは、すなわち心的関係性で最底辺に自ら身を置くことを意味する。これは自己卑下というのとも少し違っていて、おそらく社会のなかで唾棄されている存在、行為、できれば見たくないと思っている生き方、精神性、そういった陰の部分をなんらの感情的昂りなしに逍遥することを可能にするスタンスなのだ。

 小説を読んだ第一印象は漠然としている。

 特に物語があるわけでもない。

 自伝としてはつまらない。

 が、文体に漲る詩情は上のようなスタンスに由来するものに他ならず、それだけを味わって読むと奇妙な魅力があって、なんとなく再読したくなってしまうのである。そういう小説を私はラテンアメリカ文学であまり読んだ記憶はない。
http://bar-trilce.no-blog.jp/tenmablog/2013/01/post_1e9d.html


「母とたずねて三千里」哀愁のブエノスアイレス


ブエノスアイレスといえば、やはりアニメの名作「母をたずねて三千里」だなぁ。イタリアの少年マルコがアルゼンチンにいる母を求めて旅する物語。

大好きだったこのアニメのおかげで子供だったボクの中に少年マルコがめざすブエノスアイレスの名前はしっかりインプットされました。

今回は母といっしょに旅するアルゼンチン。アニメのストーリーとはだいぶかけ離れちゃった受難の旅。思えば「母をたずねて三千里」の第一話のタイトルは「行かないでお母さん」だったなぁ。

でもそんな願いもむなしくウチの母は「アタシは行くからね!」って来ちゃったもんね。(涙)

ブエノスアイレスはタンゴの本場です。
哀愁ただようタンゴはユネスコ世界無形遺産のひとつ。
アコーディオンの音色がふたりの間を流れ、
ギターのつまびきがふたりのステップを軽やかに弾ませる。


夜の街の娼婦たちと、船乗りの男たちの一夜の愛へのかけ引きが、

踊り化されたというタンゴ。
視線がせつない、吐息が甘い.....。
無言のささやきがふたりの間を交差する。
ン〜〜〜。とてもセクシー!!!

このおふたり、カメラを構えたボクのために2曲も踊ってくれました。
そしてこのあとこのイケメン兄ちゃんがボクにタンゴのステップを教えてくれました。(見物人が誰もいなかったからか?)

「1、2、3....。右、左」

「ウノ(1)、ドス(2)、トレス(3)....デレーチャ(右)イスキェルダ(左)」

くりかえし耳にするこの5つのことば。ステップの習得にはならなかったけど、スペイン語の習得にはなりました。ハハハ....どーもあざ〜した!

タンゴ発祥の地であるボカ ( Boca) 地区。
そしてアニメ「母をたずねて三千里」のマルコがたどりついた(?)ボカの波止場のホンモノがこれです。

サンテルモ地区は石畳に小粋なカフェやレストランがならびます。

ブエノスアイレスは南米のパリといわれるだけあって、カフェ文化がいきづく街です。
大理石の床がつくる軽快な靴音。
人々のざわめきとコーヒーの香り。

写真:街のあちこちにレトロなカフェがあります。
洗練された人っていうのは、流行(はやり)だからといって手軽だからといって、紙コップで出されるコーヒーや道を歩きながらのコーヒーなんて遠慮するものです。

写真:中でもカフェの代表格トルトー二 (Cafe Tortoni)


コロン劇場 ( Teatro Colon)
パリのオペラ座、イタリアのスカラ座とともに世界三大劇場のひとつ。
シャンデリアのきらめきに、貴婦人たちの胸元をかざる宝石は輝きを増し、

シャンパングラスの冷たい響き、
衣擦れの音、大理石の柱や壁にこだまする靴音。
人々の笑い、そしてさんざめき....。
そんな1900年初頭、ブエノスアイレスが世界の都市の繁栄の頂点であった証しを今に伝えます。


今なおアルゼンチン人の中に絶大な人気をもつペロン大統領とエビータの肖像画。
エビータは人気あるでしょ。こんなところにも!
人に一生があるように、国や都市にもそれがあるかもしれない。

青春期には都市や国は成長をとげ、壮年期にあって繁栄を謳歌する。
人の老いは止められないけれど、国や都市の繁栄や安定は、質のいいアンチエイジングさえあれば継続可能。繁栄をいかに長く保つか....それがその国や街びとたちの英知。

1900年の初めに世界の繁栄都市のトップにあって、「北半球にニューヨークあり、南半球にはブエノスアイレスあり」とまでいわれたこの町。

それからわずか70年も経たないうちに国家経済の大破綻。そして貧困と混乱の中に墜ちて恐怖政治をまねいてしまう..http://4travel.jp/overseas/area/latin_america/argentine/buenosaires/travelogue/10628240/


Corrientes 348
コリエンテス街348番地


コリエンテス街は ブエノス・アイレス市の主な通りです。 タンゴとブエノス・
アイレス人気質に密接に結びついています。 コリエンテスという名前は この
通りと平行しているサンタ・フェ通、 コルドバ通などと同じように州名からとられ
た。

コリエンテス街はエドアルド・マデロ通から始まり、69ブロック西へ伸びて、それから北西へ向かい 有名な チャカリタ共同墓地のあるチャカリタ地区のフェデリコ・ラクロセ通で終る。

この通の車は 西から東への一方通行であり、下は 地下鉄のB線が走っている。 

コリエンテス街愛好協会というのがあり、 40の街角に著名なタンゴ作詞家、作曲家の記念板がある。 「淡き光」はコリエンテス街348番地にかってはあった
高級売春マンションを歌ったタンゴの名曲である。


A Media Luz
淡き光に

Letra de Carlos Cesar Lenzi
Música de Edgardo Donato
1925


Corrientes tres - cuatro - ocho
segundo piso, ascensor
No hay porteros, ni vecinos,
Adentro cóctel y amor
Pisito que puso Maple,
piano, estera y velador,
un telefón que contesta,
una vitrola ( fonola ) que llora
viejos tangos de mi flor
y un gato de porcelana
pa' que no maúlle al amor

作詞 : カルロス セサル レンシ
作曲 : エドワルド ドナト 

コリエンテス街348番地
三階 エレベーター
門番もいず 訪ねてくる
町内の人もいない 

部屋の中には カクテルと愛
マプレ家具店の高級家具のあるエレガントなマンション
ピアノ、 マット、 小さな丸テーブル、
お返事できる電話

青春の懐かしきタンゴを
泣き奏でる蓄音器

恋の鳴き声をたてないように
瀬戸物で作った猫

Y todo a media luz,
a media luz los dos
A media luz los besos
a media luz los dos Y todo a media luz,
que brujo es el amor
A media luz los besos
a media luz los dosすべては 淡き光に
ふたりは 淡き光の中に
接吻は 淡き光に

恋は 魔法使い
接吻は 淡き光に
ふたりは 淡き光の中に

Y todo a media luz,
que es un brujo el amoro,
a media luz los besos,
a media luz los dos

Y todo a media luz
crepúsculo interior Que suave terciopelo
la media luz de amor!

そして すべては 淡き光の中に
恋は 魔法使い
淡き光に接吻
淡き光の中で ふたりだけ
そして すべては 淡き光に

部屋の中は たそがれ
なんとやわらかい ビロード
恋の淡き光

Juncal 12, 24
Telefonea sin temor De tarde, té con masitas;
de noche, tango y cantar Los domingos, tés danzantes;
los lunes, desolación,
Hay de todo en la casita:
almohadones y divanes;
como en botica, cocó;
alfombras que no hacen ruido
y mesa puesta al amor電話番号は フンカル1224番
いつでも お電話してください。
午後なら お茶とお菓子
夜なら タンゴと歌
日曜日なら お茶を飲んで
踊りあかしましょう
月曜日は またわびしくなるけど
家には 雑貨屋のように
なんでもあります

コカインに クッションに 
長いソファー、音を立てないじゅうたん
恋のための御馳走

歌詞 注 : このタンゴは 1925年に発表されてから 既に 90年近くたっている。 現代のアルゼンチン人もほとんどの人が この歌の意味を誤解している。 

コリエント街348番地に 裕福な人が住んでいて そこで パーティーをすると解釈している人、 また コリエント街348番地には 高級ナイト・クラブがあったと解釈している人。 いずれも 間違いである。 

コリエント街348番地にあったのは 個人営業の高級売春マンションであった。 

el segundo piso というのは三階であるが ”二階”という誤訳が 見受けられる。
三階の方が 二階より 秘密が より守られる。

アルゼンチン、その他 中南米の多くの国では 

planta baja 一階、 el primer piso 二階、 el segundo piso  三階 

日本のマンションに相当する言葉は スペインでは piso であり 中南米では
apartamento, departamento であるが ここでは piso の縮小辞である pisito という言葉が 使われている。 piso というのは ある階のフロアー全体を占めるマンションのことである。 つまり 三階のフロアー全体を占めている。

三階には 他の住民は住んでいない。 秘密は 完璧に守られる。 誰も部屋には来ないから 安心しなさい。 部屋の雰囲気は 最高ですよ、ロマンチックな照明、音響設備も整っています。 昼も営業しています。 交通至便(地下鉄の駅に近い )という宣伝のコマーシャル・ ソングみたいなものであった。 

当時(大正時代) アルゼンチンは 世界有数の経済先進国であった。 地下鉄
の最初の路線はすでに 東京に先んじて 1913年に開通していた。 

フンカル1224番というのは 高級売春マンションの電話番号である。現在の
ように自動でつながらず 交換手が接続していた。アメリカ製の蓄音機もあり、
タンゴのレコードが発売されていたことが歌の歌詞からわかる。ビルには すでに
エレベーターがあった。

第一次大戦後は アルゼンチンは ヨーロッパ人にとって夢のような豊かな国であった。 「 母のたずねて三千里 」は イタリアのジェノバから アルゼンチンに出稼ぎに行った行方不明の母をたずねて アルゼンチンをさまよい歩く少年マルコの物語である。 

国民的タンゴ歌手であった カルロス・ガルデルの母はフランスからの移民で
貧しい未婚の母であった。 20世紀初頭には こういう実話がたくさんあった。

「 母のたずねて三千里 」の作者の エドモンド・ダ・アミチは 実話に基づいてこの作品を書いたのであろう。


cocó コカイン : 1930年頃までは コカインは 比較的容易に入手できた。

コリエンテス街348番地 : この番地は 現在存在しない。 この番地のあったところに 記念の プレートが かけてあるだけである。
http://www.geocities.jp/general_sasaki/cancion-amedialuz-ni.html

「ブエノスアイレスへ行く」には、俗語で「売春婦になる」という意味がある(あった)らしい。
https://twitter.com/genkinanodesu/status/333837973168738304


とうとうブエノスアイレス五日目。
明日は早朝便で帰りますから、実質はブエノス滞在最後の日です。


今日の予定は午前中ボカ地区を見学し、午後は最後のお買い物。


ボカ地区はブエノスアイレスでも屈指の治安の悪い地域。気を引き締めて朝っぱらから出かけて行きます。タクシーの安さが分かったので、マンションの前で流しのタクシーを拾ってまずはカミニートへ突撃。料金は35ペソ(550円)。


カミニートとは、タンゴ発祥の場所と言われるボカ地区に作られた小道(caminito)のことで、周囲の家がカラフルに塗られているのが印象的です。


カミニートと言えばこのアングルですね。


タンゴ発祥の地として知られるボカ地区。

以前はここにブエノスの港があり、船乗りたちが沢山闊歩する地域だったんだそうです。もちろん、彼らを相手にする売春宿もあり、船乗りと売春婦の一夜のロマンスがタンゴへと昇華していったと言われています。そう聞くと、タンゴの官能的なダンスも理解できるわけですが、起源を聞くとドン引きする人も居そうですね。


タンゴと関係あるんですよというアピールがそこかしこに


お昼近くなってくると、レストランでタンゴショーが始まります。

わーお。こうして見るとタンゴって感じですが、実際にはステップがゆっくりでタンゲリーアで見たタンゴからすると随分レベルは落ちますね。タンゲリーアのタンゴが速度10とすると、こちらは4くらいしかないです。これはこれで待ったりしていて良いのですが、周囲のざわめきによって雰囲気が出ないのが残念です。


一旦帰ってマンション近くで食事をしようかとも思ったのですが、K氏がボカ地区を気に入ったようなので、こちらで食事をすることに。いつものごとくGuia Oleoで調べた結果チョイスされたのは・・・この店。


隣の店ではタンゴが始まっています。

なかなかいい感じですよ〜。しかも隣の店のタンゴだから、こちらまでお金を取りには来ないでしょう・・・と思ったら、こっちにも来ました(笑)。チップに値するほどのタンゴでもないように思いましたが、彼らも生活があるでしょうから・・・ということで寄付しておきました。


食事はまずまず。キルメス1Lでいい気分になってマンション方面に歩いていくと、

流しのバンドネオン奏者を発見。このアコーディオンみたいな楽器はバンドネオンといい、アコーディオンとは異なります。哀愁漂ういい音色がするこの楽器、タンゴには欠かすことが出来ません。それにしても、いい雰囲気を出していますねぇ。
http://blogs.yahoo.co.jp/parakisuke/39089786.html

1: 1: 03/05/13 18:53 ID:E6ixbg25
南米のナイトクラブ、売春宿などについて情報交換しましょ!

8: 1: 03/05/13 19:11 ID:E6ixbg25

アルゼンチン・ブエノスアイレス

CONSTICION駅の裏のCalleに立ちんぼがいるけど、レベル低し。化け物も多い。
まともな娘を探すのに一苦労。US$10

Av.CorrientesやLavalleに、マンションの一室でやっている売春宿がある。
夜にその辺を歩いていれば、客引きの親父に声をかけられるでしょう。


26: 名無し: 03/06/17 20:28 ID:rmRlfhas
>>8
>アルゼンチン・ブエノスアイレス
>CONSTICION駅の裏のCalleに立ちんぼがいるけど、レベル低し。化け物も多い。
>まともな娘を探すのに一苦労。US$10

その化け物が好みなんですけど。
ただ、US$10って、こんな安いの?アルゼンチンは。
経済崩壊したからって。タイの置屋並じゃん。
昔はUS$150から200だったでしょ。
http://21overseaxx2ch.blog.fc2.com/blog-entry-12.html

29: 0: 03/06/20 17:50 ID:H3InjpQT

アルゼンチンでは専門の仲買人がいて、中級ホテルに斡旋に来るそうな。
チリにもあると現地の駐在員が言ってた。
ペルー、コロンビアはマフィアが絡んでくるからやばいらしい。

私が愛した世界の女たち
アルゼンチン激安3Pプレー

 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにいる。この国は深刻な経済危機に陥り通貨ペソは下落して価値がない。

 しかし、ドルを持つ旅行者には安くリッチに遊べる天国である。ちなみに1ドルで生ビールが4杯飲める。

 カフェでビールを飲んでいる。

そこに2人連れの女が英語で話しかけてきた。

 2人は美人でもなく、そこいらにいるごく普通の女の子である。

「あなた、本物の日本人?!」

 大柄の女が尋ねた。
南米に多くいる日系人ではなく、日本からやって来た日本人かどうか尋ねたのだ。

「日本からの旅行者だ」

 そう応えると2人は抱きついて喜んだ。数億円を南米女に貢いだ間抜けな日本人のニュースのおかげで日本人は気前がいいと思われているようだ。

「あなたの部屋で遊ぼうよ」

 女たちはホテトル嬢といったところだろうか。とりあえず内容を確かめた。3Pにレズショー。客のニーズに応じて値段も違っていた。1時間で100ドルの最も高いコースを選んでホテルの部屋に2人を連れて戻った。

 大柄の女からシャワーを浴びてベッドに入るように指示された。ベッドで待っていると女たちもシャワーを浴びて全裸で出てきた。

 しっかりした下半身と黒々とした陰毛。2人は何かスポーツをしているのだろう。バストも筋肉質で腹筋もついている。

 ベッドの上で2人はスペイン語で話しながらキスを始めた。

目と鼻の先で繰り広げられているレズショー。女たちの2枚の舌が絡んでいる。本物のレズではないかと思うほど激しい。

 小柄の女がペニスをさわってきた。即勃起。大柄の女が乳首をなめる。その女のバギナを小柄の女がクンニする。大柄の女がフェラを始めると小柄の女が肛門をペロペロとなめた。

 69体勢なので目の前には2人のピンク色したバギナから熱気と共に愛液のニオイが立ちのぼる。

 両手の中指と親指で2人のクリトリスをつまんでやるとフェラがバキュームに変わり、小柄の女が肛門に舌を入れてきた。気持ちいい。

 大柄の女が跨りペニスを挿入する。小柄の女が大柄の女の乳首を吸い始めた。その女のバギナに指を入れた。大きなあえぎ声を上げる女たちは射精しても激しいキスを続けている。

(日刊スポーツ「世界の下半身」より)
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex/057-aru/sex057.htm


 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスには日本庭園がある。ケーブルテレビで放映されている日本のアニメが大人気。おまけにアルゼンチンギャルは日本人男性が好きだ。

 この前まではバーにバイト感覚で売春する女の子たちがたむろしていたが、消えていた。

 バーテンダーによると夜になると街角に女が立つが、怖い系がバックにいて危険なのだそうだ。安全に遊べる相手探しはインターネットになっている。

 バーテンダーに教えてもらった女の子たちのホームページにアクセス。女の子たちの写真をチェック。気に入った女の子がいれば電話する。しかし、英語は通じない。電子辞書で場所や値段など簡単なやりとりをした。だが、写真と本人が合致しないケースがかなりある。そこで予約を数件取る。

 昼下がりである。最初の女の子のアパートはメインロードのアベニューダ・フロリダから路地を入ったところにあった。その女の子は大学生となっていたが、実際に会ってみると写真は10数年前のモノと思われる熟女が出てきた。日本式に丁寧におじぎして退散。

 次の女の子は古いアパートの4階にいた。暗い廊下のドアが開かれると部屋は陽光が差し込んでいる。女の子は若くて愛嬌はあるがセクシーさと皆無ギャル。とりあえず電子辞書で指さし会話。女の子は大きな瞳をくりくりさせて楽しそう。女の子は現役の女子大生だそうだ。

「両親は働きに出ているし。帰宅まで2時間あるから」

 プレーは時間と回数がある。1時間か1回か。そんな話をしたあと、50ドルで1回をお願いした。女の子の部屋に移動。勉強机にパソコン。壁にはアルゼンチン出身のチェ・ゲバラのポスター。女の子はカーテンを閉めないでスカートとシャツを脱いだ。白のブラジャーと白のパンティー。しかし、体脂肪の多そうな腹回り。シングルベッドで抱き合いキスをしたあとブラジャーを外す。大きなマシュマロみたいな乳房が垂れている。パンティーをずり下ろす。膀胱あたりも脂肪で覆われている。ペニスは下を向いた。

「ムーチャ・スエルテ(がんばって)」

 彼女の手コキにペニスは力を失っていく。両親の帰宅も気になり焦る。アカン。ギブアップした。女の子は気の毒に思ったのか30ドルにまけてくれた。

 いい女が相手でも男はたまにセックスできない時がある。そのことをどうにか伝えると女の子は微笑みながら金玉を思いきり握ぎりやがった。ピョンピョン跳びはねて外に出たあとしばらくその場にうずくまった。

(日刊スポーツ「世界の下半身」より。 
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex/131-ar/sex131.htm


アルゼンチン風俗情報


7 : ハアハア : 2006/07/15(土) 10:55:56 ID:s/buvk9x

アルゼンチンは立ちんぼさんいっぱいいるよ〜。
女の子もめちゃくちゃ可愛いし。ムチムチしててうまそうだよ〜ん。ハアハア。

無理やりアルゼンチンの女の子の まんこなめなめして犯したいな〜


11 : _ : 2006/07/16(日) 12:42:54 ID:yYJmgDLp

金髪娘ばかりですね。 思わずアメリカと思いましたよ。
メキシコ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ブラジルなどはいろんなタイプの娘おりますがアルゼンチーナはヨーロッパやアメリカみたく金髪白人ばかりっすね。
俺は金髪好きですからヨリドリ緑っす。グラシアス!

12 : 月9 : 2006/07/16(日) 18:19:10 ID:EfXIjnPj

アルゼンチンの女はホント最高だよ。


15 : hh : 2006/08/24(木) 11:40:46 ID:1w3kSJhe

アルゼンチンの女は美しいよね


19 : ブエノスアイレス : 2006/08/25(金) 10:15:25 ID:9+SZOy1r2005年12月17日(土)

2005年11月、私はアルゼンチンで8週間過ごしました。
ブエノスアイレスのシーンは行くに値するものでした。
Sheraton Retiroの近くのエリアで最初に探し始めました。
バーはカティーサークなどでした。
このエリアの遊び場は比較的低予算で済みましたが、美女は少ないです。
ホテルへの1時間程度のお持ち帰りで、200ARS(約65ドル)でした。

私が推奨するエリアはRecoletaにあります。
私はここで少数の場所を訪れました。
最も高価で有名なものは黒と呼ばれます。
それは入るために20ドルです。

また、性別はそうです、のように、$200-$500 USD。
また多く。

しかし、少女は最も良く見る女性です。
私はかつて見ました...
また、私は広範囲に旅行しました。
私が推奨する場所はシャンプーです。
それは入力するべき10ドルおよび性別用の100ドルの+です。
ここの少女はこの少女たちが接近している南アメリカの至る所でからです。

モデル・レベル。
概して、Recoletaに行ってください。
そうすれば、取る約6-12の場所があります。
http://unkar.org/r/21oversea/1152767287



【ラテン】復活 南米・風俗情報交換【アメリカ】


116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 17:54:31.31 ID:IfbrAn0N

ブエノスアイレスで対戦したカミーラちゃん。スタイル抜群で顔つきもエロい。

尻穴に舌をねじ込まれ、強烈な愛撫に思わず反射的に射精。

二回目は肛門への攻勢をしのいだが、フェラでイカされた。

出ている間も吸い続けられて、腰が抜けそうになった。

私がシャワーに行っていい?と尋ねると、ノーと言って離してくれなかった。
彼女のいろんなところを丹念に舐めてあげたのがよかったようだ。
別れ際、いつまでもベロチューをやめてくれなかった。
また会いたいがちょっと遠いな。


243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/06(木) 08:41:40.12 ID:ipIrFqvK

ブエノスアイレスにて、かつてひいきにしていた嬢と10ヵ月ぶりに対戦。

彼女は性格もスタイルもよいのだが、マグロ気味でエロさが足りないので、このところ別の嬢たちと遊んでいた。
フェラのテクはイクまではふつうなのだが、発射した後が抜群にうまい。ああ、そうだったと思い出した、この感覚。

最後の一滴まで吸い取ってくれて、思わず声が出てしまった。
二回戦は騎乗位で合体、正常位でフィニッシュした。1時間で200ペソ。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 11:49:09.60 ID:wwVPKtyN

お店のおばさんが「カワイイから2時間にしなさいよ」という嬢を指名。予算が足りなくて1時間半にした。500ペソ。

確かにかなりかわいかった。挿入すると同時に柔らかかったチクビがピン!と立っておもしろかった。

一発目は私が早々とイッてしまったが、二発目は二人で同時に昇天した。
しかし調子に乗って股間その他を舐めまくったら、カゼをひいてしまった。冬のブエノスアイレスでのお話です。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:06:20.31 ID:AwYATj8k
>187
また会おうと思って電話したら店のおばさんに「もういないわ」と言われちゃった・・・。
一度抱けただけでも幸せだったのかも。美人でいい匂いがして最高だったんだけどな。
また開拓せねば。

アルゼンチンは性格がよくてサービス精神のある嬢が多いので、おすすめですよ。(もちろんハズレもあります。)
危険な地域に足を踏み入れなければブエノスアイレスはそこそこ安全です。
ただし英語の得意な嬢はかなり少ないので、(少しでもいいので)スペイン語が話せた方が絶対に楽しめます。


280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 05:47:13.04 ID:Vy6mB2ZY

ブエノスアイレスにて、これまでに経験のないほど美人でスタイル抜群のパツキンポルテーニャと対戦したが、Dキス不可、股間も満足に舐めさせてもらえず、濃厚な愛撫がないのが不満だった。
ただ、すごい美人なのに足が酸っぱいニオイがして興奮。嗅がれまいとさりげなく足をずらそうとする彼女だったが、 正常位でガッツリ嗅がせてもらった。それに興奮してイッてしまった。


282 : 【19.4m】 :2011/12/02(金) 21:00:59.20 ID:mn6oWi4T

どっちがイったのか判断しにくい書き方だな。
嗅がれてしまい興奮してイったのか(女)、嗅いだことに興奮してイったのか(男)。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 06:02:48.85 ID:99xjPg/z
>>282
イったのはもちろんこの私です。たしかにどっちかわかりませんでしたね。

彼女のサービスにかなり物足りなさを感じたので、知っている別の店をハシゴ。
古い雑居ビルの一室にあるアパートで、なぜかここにはエアコンがない。

そんなに美人ではないが愛嬌のあるチーカと、お互い汗まみれになりながら昇天。
彼女は私にしがみついたまま、しばらく動けなかった。
しばらくとりとめのない話をしてからもう一度求め合ったが、二回戦は時間切れで私のほうがイけなかった。

ブエノスアイレス出身でお小遣い稼ぎにやっている美人とパラグアイ出身で生活のかかっている子と。
対照的な二人でしたが、やり遂げた感は後者のほうが大いにありました。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:03:08.20 ID:q1OihvEa

116です。
私の経験した狭い範囲内ですが、アルゼンチンの嬢はサービス精神があり、
中には自ら楽しもうというチーカ(女の子)もけっこういました。

エスコート嬢によっては英語可のチーカもいますし、Webサイトによっては表示されていたりもします。でも、スペイン語がある程度わかったほうが断然いいです。
電子辞書かスマートフォン+Google翻訳を活用してみてはいかがでしょう。

121 :天使:2011/04/28(木) 22:05:16.66 ID:uIqRvfMb

肉欲の交わりに言葉いらないのでは。
ブエノスアイレス散歩して思ったのは背の低い女性が多いなと感じた。


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:51:59.74 ID:q1OihvEa
>121
一回出しちゃうと復活するまで時間がかかるので、しゃべって間を持たせています。
一回が長持ちするといいんですが、そうではないもので・・・。
おっしゃるように小柄な女性、けっこう多かったですね。


123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 03:28:12.83 ID:PgiFx8wW
>>120
置屋?エスコート? エスコートは写真詐欺が多いから嫌いなんだよな。


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 03:30:55.08 ID:PgiFx8wW

おれが重視するのはやっぱ腰フリだな。こればかりはやらないとわからない。
いい腰の女は忘れられない。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 02:09:43.30 ID:OTucWs7x
>123
アルゼンチンはまだ写真詐欺が少ないと思いますが(ヤバいのはボカシが入っている嬢)
もちろん信頼の置ける置屋のほうがハズレが少ないでしょう。
写真じゃなくて実人物から選べますから。

(紹介時に若干のコミュニケーションがあるので、ビジュアルだけではなく性格やノリの善し悪しもある程度推測がつきます。)

ただ、来店した日時で嬢の選択肢が乏しかったり、逆に大当たりがあったり。


>124
たしかにわかりませんね。すごいパワフルな人もいますよね。


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:23:30.76 ID:X2B4FUSb

ブエノスアイレスでなじみの店を訪問したら、主人のおばさんは私の予約を忘れていた。
予約していた嬢の代わりに彼女の妹ならいるというので会うことにした。

端正な顔は姉とうり二つだが、妹の方が鼻がもっと高かった。
身長も体型も同じくらいだが姉の方が堅く引き締まっていたのに対し、妹のほうは抱き心地が柔らかかった。
姉は十分エロかったが妹はそれ以上だった。


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:25:18.44 ID:X2B4FUSbD

キスを繰り返しながら体を密着させ、腰をいやらしく動かして私の股間を愛撫する。
これが実にエロくて気持ちいい。

やがてベッドに移動。耳の穴と脇の下、足の裏が弱点らしく、なめてあげると切ない声を上げる。

股間に口をやると、自ら腰を動かし、何度も頂点に達した。

続いて攻守交代。彼女はムスコを優しく丁寧にしごきながら玉を口に含んだり、
口でねじを回すように先端をなめ上げたり、豊満なオッパイに挟んだり。
多彩な攻撃に持ちこたえることができず、彼女の口の中へ。

「いっぱいレチェ(ミルク)が出たわ。おいしかった」


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:28:44.70 ID:X2B4FUSb

二回戦は彼女が上になってひとつになった。
ゴムごしに、彼女の温かみが伝わってくる。
激しい腰使いでベッドがきしむ。やがて頭が真っ白になった。

すべてが終わったあと、頬と体を密着させて添い寝(ドルミール・クチャリータと言うらしい)。
とりとめのない話をしていたら、故郷のフォルモーサに私を連れて帰っちゃおうかしらと言ってくれた。

営業だと思うがそう言われて悪い気はしない。
1時間半のはずが2時間以上過ごした。しかし追加料金もなければ終了を督促する電話もなかった。
次回は姉にしようか妹にしようか、うれしい悩みを抱えてしまった。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 10:52:30.59 ID:L6U73RTO

値段は?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 11:38:49.18 ID:X2B4FUSb
>169
1時間半で350ペソ(約7000円)でした。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 14:13:30.94 ID:L6U73RTO
>>171
サンクス。安いね。どうやっていい店を見つけるの?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:28:31.62 ID:kB/bj1ym1.

まず、google.com.arなどでキーワードservicio escortで検索。

2. いろんなエスコート紹介サイトがヒットするんで適当に選び、よさげな嬢を探す。

3. 複数の異なる嬢が同じ電話番号を持っている場合、それは置屋の番号。
よさそうな嬢が何人か登録されている番号にかけて住所を教えてもらい、訪問。

4. 訪問時にスタンバイしている嬢からお気に入りを探し出す。
このサイクルを何度か繰り返すと、きっといい感じの店や嬢に巡り会えると思う。
ホテルに呼ぶのは楽だが、約束の時間に来なかったり、別の嬢が見られなかったり、
料金が高くなる(タクシー代が込みになる)んで、極力ドミシリオを訪ねるよう心がけている。


174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:29:50.14 ID:kB/bj1ym

事前に特定の嬢の評判を知りたければ、その嬢の名前と電話番号か何かで Foro escortなどのエスコート嬢評価サイトで調べてみる方法もあり。
うまくすれば以前に利用した人のコメントが見つかるかも。
スペイン語がよくわからなければ、Google翻訳を活用すべし。

なお、011はブエノスアイレスの市外局番で15が付いていれば携帯電話。

たとえば011-15-XXXX-YYYYなら、54-9-11-XXXX-YYYYとダイヤル(相手が携帯の場合、国番号のあとに9を入力)。

011-ZZZZ-WWWWなら、54-11-ZZZZ-WWWWとダイヤル。
いい嬢が見つけられるといいですね。
Tenga suerte!


175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:35:35.64 ID:kB/bj1ym

ところでアルゼンチンを訪ねるみなさん、アメ玉(カラメロといいます)を持参するとイイことがあるかも。

今回たまたま持っていたんで、一回戦が終わってまったりしているときに、アメがあるんだけど、なめてみる?と聞いてみたところ喜んで口に含んだ。

そのあとの展開はご想像通り。Dキスを繰り返しながら何度も口移しを楽しんだ。
彼女はほほえみながら、ひとこと。

「ケ・ロマーンティコ!」。


64 :sage:2011/01/27(木) 10:49:51 ID:zuxNb/Yt

今度ブエノスアイレスにいきます。お金はかかってもいいので、綺麗な人とHしたいのですが、エスコートサービスかバー、ナイトクラブからお持ち帰りがよいでしょうか?
おすすめのエスコートサービスや、この店に美人が集まると言った情報があればご教授ください。よろしくお願いします。

66 :a:2011/01/28(金) 01:03:48 ID:RDfW65b+

Google Argentinaに行く。
http://www.google.com.ar

そしたら

"buenos aires escorts modelos"

で検索してみる。


ちなみに、最近出たアンドロイド用の Google Translate のアプリにはSMSを翻訳する機能が付いてるので、エスコートのいろんな条件についてSMSで問い合わせとかに便利だよ。

まあ、ある程度、基本的な、あるいは、よく使いそうな文章についてはスペ語の言い回しを練習しておいたほうがいいけどね。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 06:44:00 ID:4S4Ye1KF
>64, 65
アルゼンチンではいくつかあるエスコートサイトで嬢(チーカと呼ばれる)を探してコンタクトするのが普通かと思います。
エスコートサイトの探し方は66さんのおっしゃるとおりです。
または「servicio escort」で検索かな。

これらサイトに登録されているチーカたちは、一部の(自宅等で営業している)独立系を除き、いずれもどこかの実体のある店に所属しています。 気に入ったチーカに電話でコンタクトすると、本人が出る場合もあれば、店のスタッフ(たいていおばさん)か、別の空いているチーカが応対します。 彼女の所属する店の住所を聞き出して、だいたいの時間を指定してゴーです。 目当てのチーカの予定がわからないか出勤していない場合、とにかく店を訪ねてみて、そのときに出勤しているチーカと対戦することもできます。

この場合は、パネルを見て選ぶのではなく本人が一人ずつ自己紹介してくれるので安心です。
たいていのチーカは当日にならないと出勤予定が決まらないので、当日の夕方、15時過ぎごろからコンタクトしてみるのがよいでしょう。
ただしウェブサイトの写真はパネマジが効いていることもあるので、くれぐれもご注意を。

相場は1時間200〜400ペソ(セルビシオ・コンベンショナルの場合)。
いい女が高いとは限らないのがおもしろいところです。

店の所在地さえ確認できれば、ホテルに呼ぶよりも店で対戦した方がリラックスできるしおもしろいと思います。
バスルームでシャワーを浴びていたら別のチーカが勝手に入ってきて用を足したりとか、ペットの子犬や猫がじゃれてきたりとか、のんびりしていますよ。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:32:23.07 ID:Q6CCx5UA

アルゼンチン人の人柄ってどんな感じ?


209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:22:10.94 ID:AwYATj8k
>209
例外はありますが、一般的に親切でお人好し。
相手が誰であれ、質問すれば長々と丁寧に答えてくれる。
一人一人に対してとことんまできちっと応対する感じ。
世代が違ってもバス停とかどこでも気軽に会話をする。女子高生とおっさんとか。

あと、人と人の間の距離が非常に近い。
ベシートと言うのですが、あいさつするときは、
男女、女女だけではなく男男でも頬をくっつけてチュッとやる。
ひげもじゃが多いのでチクチクする・・・。


211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:53:37.33 ID:Q6CCx5UA
>>209
なるほど。南米の平均って感じですね。アルゼンチン人は欧州人に近いみたいな話を聞いたことがあったんで、もう少し堅苦しいのかな、と思ってた。

アジア人に対する差別みたいのはどうですか? 
特にお姉さんのアジア人男に対する態度は?
特にナンパとかできそうですか?


214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:35:35.15 ID:AwYATj8k
>211 >212
アジア人に対する差別は少なくとも私の周辺ではまったく感じないですね。
ナンパはどうでしょう。話し掛ければ無視されることはなく、用件は聞いてくれるはずです。
その先に進めるかは運次第。道ばたに立って歩行者に話し掛けるよりも、 信号待ちやバス停などでさりげなく話し掛けるのがよいと思います。
アルゼンチン人は男女を問わずおしゃべりが多いので、 黙っているよりはしゃべってあげたほうがポイントが高いです。


213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:20:17.48 ID:gJoaaLNW

ブエノスのなじみの店の住所を教えてください。
ブエノスには何度か滞在したことがあり、今後また行く予定がありますので。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:47:45.57 ID:AwYATj8k
>213
私がよく行くのは2軒です。

一軒目はサンタフェ通り沿い、セリート(9 de Julio)との交差点近くの大きな商業ビル内5F(9 de Julioを向いて道路右側)。

もう一軒はコリエンテス通りのモンテビデオとロドリゲス・ペーニャの間の古い雑居ビル内3F(9 de Julioを向いて道路左側)。

ただし、どちらも看板は出ていません。事前に来意を電話で告げる必要があります。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:57:11.83 ID:gJoaaLNW
>>215
ありがとうございます。電話番号も教えていただけたらありがたいのですが。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 12:17:49.65 ID:AwYATj8k
>216
すみません、下四桁で勘弁してください。一軒は6815(携帯)、もう一軒は2444です。
あとはインターネットで探せばきっとわかるはずです。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 14:56:07.05 ID:cxLSUU7G
>>203
サウナハウスでいいんじゃない。 ボアッチはカフェホトで。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1290836608/


ブエノスアイレスのボアッチとクラブの地図
http://www.argentinaprivate.com/maps/jacksonsmapbook.html

ラブホテルのリスト
http://www.argentinaprivate.com/forum/showthread.php?2640-Jackson-s-Transitorio-List

ボアッチとクラブのリスト
http://www.argentinaprivate.com/forum/showthread.php?1702-Jackson-s-Clubs-and-Boliches-List

Servicios Eróticos Capital Federal - Vivavisos
http://capital-federal.vivavisos.com.ar/escorts-masajistas

servicio escort - Google 検索
http://www.google.com.ar/#output=search&sclient=psy-ab&q=servicio+escort&oq=servicio+escort&gs_l=hp.3...2170.5177.0.5529.2.2.0.0.0.0.135.250.0j2.2.0....0...1c.1.23.psy-ab..2.0.0.yN9xVgJiQwo&pbx=1&bav=on.2,or.r_qf.&bvm=bv.49967636,d.dGI&fp=5d489e91f0b3bd5&biw=1067&bih=919



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK198] 前ソウル支局長に無罪判決 でも産経新聞と日本のメディアは、我が身を振り返るべき 江川紹子の「事件ウオッチ」 赤かぶ
2. 2015年12月23日 11:17:44 : VpI9hmhTFQ : d3NhNj5wO8U[7]
前ソウル支局長の無罪確定 韓国検察が控訴断念
産経新聞 12月23日(水)7時55分配信

 【ソウル=藤本欣也】韓国の検察当局は22日、朴槿恵(パク・クネ)大統領への名誉毀損(きそん)で在宅起訴された、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(49)に対する17日の無罪判決について控訴することを断念、上訴放棄書を裁判所に提出した。加藤前支局長の無罪判決が確定した。

 検察関係者は聯合ニュースに対し、「(韓国)外務省が韓日関係発展という大局的観点から善処を要請した点も考慮し、控訴しないことを決めた」と語った。検察は「主要事件で無罪判決が出た場合、自動的に控訴してきた」(司法関係者)だけに控訴断念は異例。控訴期限は24日だった。

 韓国メディアによると、無罪判決直後、検察内部で「受け入れられない」と反発する声が上がった。しかし、判決翌日の18日付韓国主要紙は「検察の強引な在宅起訴」を批判する報道を展開。大統領府も「(無罪判決が)韓日関係改善の契機になることを期待する」などとする韓国外務省の立場を支持していた。

 ソウル中央地裁の李東根(イ・ドングン)裁判長は17日の判決公判で、加藤前支局長がコラムで取り上げた、朴大統領と元側近の男性が会っていたとの噂は虚偽であると断定。十分な確認作業をせず記事化したことは「不適切だった」と指摘した。その一方で、コラムは「韓国の政治や社会の関心事を日本人に伝えることにあった」とし、「言論の自由を保護する領域内に含まれる」と認定。懲役1年6月の求刑に対し、無罪を言い渡した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151223-00000066-san-kr
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/502.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK198] 放置されたままの東電の信じがたい原発事故発表の衝撃  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
20. 2015年12月23日 11:18:35 : FoozYI3PZF : 0W@FLm@Cvms[9]
これはそこまで驚く事ではなく、ある程度の人達には既に分かっていた事でしょう。
安倍総理が言ったアンダーコントロールなど信じている人など私の知人にはおりませんし、今更この報道で驚くという事は、未だにメディア報道や東電発表を信じていたという事でしょうか。寧ろその事実にこそ驚きます。

このような事は震災以降間も無く想定出来ていた事。

これは人類史上前例の無い未曾有の重大事故であり、未だに進行中。勿論、解決策など未だに無いですよ。ただ、水をかけ続けているだけ。チェルノブイリのように素早い判断で石棺する機会も逃しておりますので、今更、石棺で閉じ込めると発表すれば、何故もっと早くそうしなかったのだという批判に晒されるので、今更現実的な対応に舵を切ることも出来ないという悪循環。

この後もお決まりの事が想定されますので、それに対応する策を考えなければなりません。
それは、当たり前の事ですが、健康被害は確実に増えていくでしょう。

そして、その時に政府は公式な権威ある発表として、放射能と増大した健康被害には因果関係が認められなかったと言います。これは、どの原発事故地域でも同じでしょう。

スリーマイルでもそうですし、原発関連企業と電力会社は金の力で真実を封じ込めてしまうでしょうね。因果関係は無い。これは常套句なのです。

何しろ無主物という訳のわからない論理がまかり通る世の中なのですから、それらを前提としてどうするかを考えなければなりません。

今回の発表に驚くようでは余りにも呑気だと思いますし、未だに政府やメディアに何かを期待しているのかしら、と思えてなりません。期待は必ず失望に変わりますから今時妙な期待などしない方が賢明だと思いますね。安倍政権がやっている事を見れば子供でも分かると思います。

都民
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/481.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK198] 政界地獄耳 投票行ってほしいけど興味持つなとは(日刊スポーツ) 赤かぶ
3. 2015年12月23日 11:20:37 : SBjesYXU36 : MwcDSEr5c3I[4]
これは明らかに憲法違反ではないか、政治、信教の自由に反している。
訴えるべきではないかと思う。

要するに、政治的には大人だと認められるから18才での参政権が認められた。
政令で政治的な表現を規制することは非常に危険なことだ。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/521.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
5. じょんまん[49] graC5YLxgtyC8Q 2015年12月23日 11:22:00 : bkJkmsu1y2 : eOP744FHbL8[99]

>>3.さん

ヘイトスピーチが問題視されている在特会の桜井誠(高田誠)は、高誠(コスン)という在日だよ👍❗


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
6. 反イルミナティー主義[1898] lL2DQ4OLg36DaYNlg0KBW47li2A 2015年12月23日 11:22:37 : 5bDLgt4Bmw : qoKwj761@cQ[50]
薩長財閥による南京大虐殺がなければ日本での米軍による広島・長崎の原爆投下の惨劇。東京、横浜、名古屋、大阪、福岡などの大都市中都市
における空襲もや沖縄の上陸決戦も当然なかったであろう。全ては薩長財閥の
無知蒙昧な田舎侍どもが引き起こした惨劇だ!!真相よ
もう一度考えるが良い!!それができないのならば本当の意味で
貴様も無学な薩長の連中と同じく無知蒙昧な田舎侍で穢多土人と呼ばれても仕方あるまい!!
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK198] 共産党との連帯で安倍政治にピリオドを打つー(植草一秀氏) 赤かぶ
11. 安倍を辞めさせる会[59] iMCUe4LwjquC34KzgrmC6Ynv 2015年12月23日 11:23:24 : FAt0kYWxVo : ylcjRTfmBXc[19]
安倍の強み?それは恥も外聞もかなぐり捨てられること。いやもっと言えば恥という概念というか感覚というものがない。だから安倍に対してどんなにバカにしても暖簾に腕押しでこちらに勝ち目がないのである。そんな総理が率いる内閣支持率48パーセントとは到底信じられない。日本国民はアメリカ大統領共和党候補トランプの支持がトップであることを笑えないのである。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/448.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK198] 「食品を8%から8%に軽減します!」と言う議論を さも「大減税」のように伝える日本。政府のいかなる失政も、音なしで… 赤かぶ
2. 2015年12月23日 11:24:12 : kebDWDUE0w : ujjPUQSxgcY[77]
何を言っても国民全員が覚醒しなければならない。人が集まれば政治の話はしないでおこうと言う人が多過ぎて困る。政治が国民生活に密着している事を国民は認識しなければならぬ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/520.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK198] 辺野古容認の地元住民に血税をばら撒いた安倍政権の禁じ手ー(天木直人氏) 赤かぶ
9. 2015年12月23日 11:25:24 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[259]
Domestic | 2015年 12月 23日 10:34 JST

米著名人らがケネディ大使に抗議

 《ワシントン共同》映画監督オリバー・ストーン氏ら米国の著名人ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設が最善との考えを示したことに抗議する声明を連名で発表した。


{共同通信}

http://jp.reuters.com/article/idJP2015122301000930
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/440.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK198] 政界地獄耳 投票行ってほしいけど興味持つなとは(日刊スポーツ) 赤かぶ
4. 2015年12月23日 11:27:32 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[81]
憲法違反、憲法違反って、馬鹿じゃないキミ?
主権喪失の状況で生まれた憲法に正統性があるはずなぃじゃないか。
正統性のない憲法なんて、しっかり踏みにじることが大切となります。

げんに、自衛隊なる軍隊の存在をもって憲法はしっかり踏みにじられておる。
これを知らんふりして、戦争法案だのなんだの、ガクシャなるものの芸善性が
なにだね、教育に悪い。

 18歳でみなが政治になにしてら日本はどーなる。
政治にかまかけるより学業に精を出す、これが青年の務めじゃ。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/521.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK198] 自民の歴史研究組織が初会合 歴史教育にも反映へ(産経)南京大虐殺捏造?慰安婦は売春婦? 会員番号4153番
7. じょんまん[50] graC5YLxgtyC8Q 2015年12月23日 11:29:14 : bkJkmsu1y2 : eOP744FHbL8[100]

晋三の無知こと「真相の道」は、昔も今も、極悪非道の卑劣極まりないが、その正体は時事通信の売国御用評論家・田崎四朗だよ(怒)


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/514.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
5. 2015年12月23日 11:29:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[425]
>昭和天皇は、アメリカとの開戦は反対されていたんだよ。


昭和天皇が御前会議の内容をすべてルーズベルトに伝えていたのは有名な話

反対というのとはちょっと違うだろ
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK198] 辺野古容認の地元住民に血税をばら撒いた安倍政権の禁じ手ー(天木直人氏) 赤かぶ
10. 安倍を辞めさせる会[60] iMCUe4LwjquC34KzgrmC6Ynv 2015年12月23日 11:29:57 : FAt0kYWxVo : ylcjRTfmBXc[20]
なんで小沢さんが関係あるの?台風がくるのも小沢のせい、雨が降るのも小沢のせいってことか。なにもしないと言っているが、できるような立場に押し上げたらどうですか。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/440.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
6. 暴論有理[128] llyYX5dMl50 2015年12月23日 11:30:19 : 76EGGbISak : @wBkCp3mPVo[16]
明白に安倍への諌言、警告だ。

民間船の船員の死亡率は海軍将兵のそれの2倍だった。

海軍兵学校より、高等商船出のほうが戦死率が高かった。それが海自と海上保安庁のしこりとなって残っている。

勇ましい面だけをみる安倍、ねとうよ、稲田のバカ、ファシストせこー、百田、櫻井、挙げればきりがない馬鹿者どもは今や天皇に一番嫌われていることを良く認識しろ。

日曜討論等の騙すコミで櫻井や稲田の右翼が皇軍史観を屡説するとき、天皇は如何に怒りを感じているかがよくわかる。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c6

コメント [カルト15] 祝・市民連合発足、衆参は勿論、首長・県議・市議選の全定数に学者を擁立可能な組織、敵は自公ではなくムサシマンサックスです。 小沢内閣待望論
12. 2015年12月23日 11:30:58 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[101]
国民的カッサイはNHK改革して大河真田丸のサカイの主役はそれでいいから途中から塚原ボクデンの続きに変えてもらいムサシ退治するという時空超えの宇宙時代痛快娯楽剣劇にすることですがムリならイマダ現役ピンピンのサニー千葉の柳生十兵衛で柳生一族の陰謀の時みたいにムサシをやっつけることデス。 というか緒方拳のムサシはアノ時点で既にボーレイだったかも知れず、まあそれでも密教の呪文かナンかでチバチャンに封じて込んでもらうことでありマズはゲイノーでも先行デス☆
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/480.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK198] <投げやり>携帯電話料金の引き下げ騒動、安倍首相の勘違いだったことが判明!既に首相は興味なし! 赤かぶ
10. 安倍を辞めさせる会[61] iMCUe4LwjquC34KzgrmC6Ynv 2015年12月23日 11:32:21 : FAt0kYWxVo : ylcjRTfmBXc[21]
苦しくなってきたら参議院選挙の直前にまた言い出すだろう。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/458.html#c10
コメント [不安と不健康16] 「健康な食事」世界1位はオランダ、日本は21位=調査(ロイター)  赤かぶ
4. 反イルミナティー主義[1899] lL2DQ4OLg36DaYNlg0KBW47li2A 2015年12月23日 11:32:38 : 5bDLgt4Bmw : qoKwj761@cQ[51]
>>02
>>中国や韓国からゴミ
ユダ米のモンサントの遺伝子組み換え
農作物からできたような食品こそゴミ
だろうが!!貴様のような
巧妙なレトリックでヘイトする
媚米売国奴はエセ国士だ!!
死ね!!マクドナルドやケンタッキー
の汚れた鬼畜米国の汚れた食品を
大量に食って病に伏してくたばって
地獄に落ちろ!!
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/251.html#c4
コメント [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ) 赤かぶ
4. 2015年12月23日 11:36:37 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[191]

↑少しは現実を見ることだ

異次元緩和後の大企業の利益、失業率や労働者数、それに倒産件数はどうなったかな

本来は、大企業への利益供与を批判する方が妥当なんだが

あまりに民主党時代の円高デフレ不況による企業へのダメージ、空洞化と雇用減少が大きかったから

お目こぼしされているだけだ


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html#c4

記事 [原発・フッ素44] 日本にある原発はアメリカ国内仕様のまま。原子力規制庁の仕事はこれを日本仕様になおすことだが。
福島第一原発事故の津波で機能を失った非常用ディーゼル発電機、これはアメリカ仕様のために地階に置かれていたという。

アメリカの原発のほとんどは河川沿い。だから、津波の恐れはほとんどない。しかし、日本の原発は全て海岸。津波の可能性がある。

こういったことを無視して、2011年までやってきたというのが日本の原発行政の現実。これ、独立国???

そもそも、アメリカの技術者は日本が地震国で津波があることを知っていたはず。

http://www.nishinippon.co.jp/feature/earthquake/article/16709
米国設計通り非常用電源海沿いに 福島第1元技術者が証言
2011年05月20日 18時40分
福島第1原発事故阪神淡路大震災東日本大震災

 東京電力福島第1原発(福島県)の設計では、米国の設計を踏襲し、津波を考慮しないまま非常用ディーゼル発電機を海沿いにあるタービン建屋地下に置いていた疑いがあることが20日、分かった。同原発の設計に携わった元技術者が証言した。
 米ゼネラル・エレクトリック(GE)社製の同1号機と同様に、タービン建屋地下に置く設計は5号機まで受け継がれた。この元技術者は「米国では多くの原発が冷却水を河川から引く。津波を想定しない米国の設計思想をそのまま輸入してしまった」と話している。同原発1〜5号機の運転開始は1971〜78年。
 東電によると、同原発の非常用発電機13台のうち8台が、原子炉建屋の海側に立つタービン建屋地下にあった。東日本大震災では高さ14〜15mの津波が直撃して発電機本体が水に漬かり、海沿いにむき出しで設置されていた発電機の水冷用ポンプも損傷した。
 第1原発では地震の揺れで外部電源が失われ、いったん非常用発電機が起動したが、津波でそれも停止。原子炉の冷却機能を失い、核燃料の損傷や水素爆発を招いた。
 証言によると、同原発1号機など初期の設計では「東電やメーカーは米国から教わっている段階で、GEの設計図通りにインチをミリに換算していた」と話す。図面をGEの技術陣に見せ「コメントなし」のサインをもらわなければ先に進めなかったという。「自分たちの意見を言える状況ではなかったし、津波も数mを考慮しただけだった」
 非常用発電機は国の原発耐震指針で安全上最重要のランクと位置付けられる。耐震性の高い原子炉建屋に設置することが多く、第1原発でも設計が新しい6号機ではそうなっている。重要度の劣るタービン建屋に設置する場合、建屋の耐震性を最重要ランクに高める必要がある。
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/559.html

コメント [経世済民103] 何かの暗示?(東芝の一万人削減と日本マクドナルド売却) (NEVADAブログ) 赤かぶ
11. 2015年12月23日 11:41:39 : PiXnnRNu4A : f4__lJADhUk[1]
>>5
話がちょっとずれますが…、
コンビニおにぎりも、コンビニ弁当も、コンビニおでんも、コンビニサンドイッチも、
コンビニのあらゆる物は添加物だらけで、まともな食べ物ではありません。
九州の養豚家が、廃棄されたコンビニ弁当を豚に餌として与えていたらサァ〜大変!!
って有名な実話も…。
これ、ネットでは随分昔から有名な話ですよね。
今はプラス放射能汚染食品も、無知な皆んなで食べて応援!
無知な日本国民総放射能汚染!内部外部被爆!…という恐ろしい時代です。
放射能汚染は5年間の間に太平洋を(空から海から)移動し続け、アメリカ西海岸に到着し
濃縮し大変な事になっているようですね。
北米大陸の海産物をありがたく食べてはいられない今日この頃です。
一体全体何が安全なのか?何を信じたら良いのか?
世の中何から何まで拝金主義で、ごまかしだらけで頭がおかしくなりそうです。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/718.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK198] ≪注目≫トヨタ社長が東京オリンピック組織委員会の副委員長を辞任!泥船からの脱出か? 赤かぶ
11. 2015年12月23日 11:42:26 : 62QaAmZ1Pg : F9H@HWLLFJE[6]

東京五輪組織委員長 森喜朗も JOC最高顧問の堤義明も 

重篤な癌で病床にあって臨終へ向かってすでに秒読み段階だ

崩壊分裂状態にあるのは山口組だけではない

創価学会公明党の支配者 池田大作も

朝日新聞の村山姉妹も 時間の問題だ

  おおきな大きな巨大な変化が起こりつつある

    2020年までこの国は今の状態をまったく維持できない

  豊田章男がオリンピック妄想から「逃げ出す」のは当然だ

    それにしても後任になるというパナソニック社長津賀は  

      潰れる企業のトップに似合った貧乏くじを引いた

  三菱商事が純粋子会社だったKFCを まるで捨て子のように切り捨て

   米マクドナルド本社が日本マクドナルドホールディングスを売却する時代

     仁義なき戦いが 本格的に始まっている

        諸君 世の大混乱を愉しもう



http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/482.html#c11

コメント [経世済民103] 日本人の“持ち家信仰”はまもなく終焉を迎える 将来は買うより借りた方がいい 本当は教えたくないマンション業界の秘密 赤かぶ
1. 2015年12月23日 11:44:56 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[192]

>一人前の大人は持ち家に住んでいなければいけないというのが日本社会の「空気」

そういう空気に流される低知能が貧困化するのは自業自得だが


>次は「家を買わなくなる」時代

正しくは新築信仰が無くなっていく時代だな

家主に払うコストを節約できるから

地域限定正社員が増えていけば、中古リノベ、さらに少数世帯での中古区分所有が最強になるだろう


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/750.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] 低所得高齢者給付金3万円 小沢一郎氏「何がしたい?」(アメーバニュース) 赤かぶ
11. 2015年12月23日 11:46:16 : EPWNEsv2dk : 5ixDFznx7f8[10]
金子先生は一時期の国民的スター学者から、今は厳しく保守政権
に物申す尖鋭として、微笑みも失せている。
世相そのものが金子先生にも投影されている。
>何がしたいか三万円。お年玉です。
おそらく年寄りはお金はこよなく嬉しい。子供と一緒だ。
じいちゃんばあちゃんにやるのは良いんじゃないか。
尤も安倍自公民のいやらしい下心以外の何物でもないけれど。


http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/414.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK198] 低所得高齢者給付金3万円 小沢一郎氏「何がしたい?」(アメーバニュース) 赤かぶ
12. 2015年12月23日 11:49:34 : EPWNEsv2dk : 5ixDFznx7f8[11]
金子先生と小沢先生を混同しました。失礼しました。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/414.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
7. 2015年12月23日 11:52:19 : 4OAG5Jdpn6 : lmN1oQvkOoY[18]
あのね。中川隆さん。

一国の主が、どこかの国の僕になるほどの屈辱はないんだよ。
今まで好き勝手出来た人間が、誰かに命令される。これほど嫌なことはない。

官僚や財閥なら、ご主人様が天皇からアメリカ暗部に変わっただけ。
bQの座は変わらない。
まさしく今の官僚がアメリカ暗部の言うことを聞いてるのは、主人が誰であろうと構わないからだよ。

天皇の場合は違う。 bPとbQじゃ全く立場が違うんだよ。

 
>御前会議の内容をすべてルーズベルトに伝えていたのは有名な話
スパイがやってたのかなあ。本当に天皇がやってたかどうか証拠ないじゃん。
どっかの博物館に保存されている文章に、押韻でも押してあるのかい。
 
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK198] 政界地獄耳 投票行ってほしいけど興味持つなとは(日刊スポーツ) 赤かぶ
5. 2015年12月23日 11:52:33 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[55]
自民党と言う 詐欺師と 泥棒に 権力など与えては 国民が愚民かするだけ
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/521.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK198] 今までの政府とマスコミの説明は全て嘘だった!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
18. 2015年12月23日 11:52:54 : VAusqyXgOk : qTELUXJ@J2o[3]
下痢ゾウのドタマが経団連に依ってアンダーコントロールでしょ。こいつの面を見ると...唾を...
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/422.html#c18
記事 [経世済民103] ある調査(NEVADAブログ)
ある調査
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4985680.html
2015年12月23日 NEVADAブログ


平均貯蓄額が1182万円と言われる中、あなたはいくら貯蓄がありますか?という調査がありましたが、結果は以下の通りです。

総投票数 16642票


50万円以下 5578票(33.5%)

100万円から500万円 4363票(26.2%)

500万円から1000万円 1774票(13.1%)

1500万円以上  1774票(10.6%)


50万円から100万円 1657票(9.9%)

1000万円から1500万円 1083票(6.5%)


この調査をみますと平均貯蓄以下の人は何と83%余りを占めていることになります。

いかに平均値があてにならないかお分かり頂けたかと思います。

このての発表は殆どの国民にとり、関係ない数字となっており、いわば政府や金融機関にとり都合のよい数字になっていることが多いのです。

この調査を更に裏付ける調査があります。

あなたは給料が一ヶ月先のばしされたらどうなる?

総投票数 12300人

お金を借りないと生活出来ない

総数 4661人(38%)
女性  1070人
男性   663人


影響ない

総数 3423人

わずか一ヶ月収入が止まるだけで生活できない人が40%近くいるのです。
即ち、月収を25万円とした場合、4割近い国民が貯蓄は25万円もないとなるのです。

平均貯蓄額1182万円など誰を調査したのか?となるのもわかりますが、これが平均値なのです。
一人が1億円持っていてもう一人がゼロで平均値は5000万円となるのと同じです。


持つものと持たざるものの差は今や恐ろしい程にまでに開いて来ており、今後益々開きます。
貯蓄額ゼロから50万円以下の層が50%を超えてくるのも時間の問題でしょうが、その時、今の日本社会はどうなっているでしょうか?

OECD加盟国でも有数の貧困国となっているかも知れません。



http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/752.html

コメント [カルト15] 安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果です。 小沢内閣待望論
38. 2015年12月23日 11:56:23 : PiXnnRNu4A : f4__lJADhUk[2]

単刀直入に言うと、公務員が日本を滅ぼしているって事だよ。

税金の無駄遣い。
影で馬鹿な政治家を操って、やりたい放題!税金ネコババし放題!
大企業だって、お役人様には頭が上がらない。
あの手この手で、お役人様のご機嫌取りに必死なのよ〜。
特別会計とか言う国家的詐欺商法まがいで、無知な日本の庶民を騙し続けて、
白ありも、白あり予備軍も、残りカスも、皆んなで美味しい汁を吸い尽くす〜!



http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/477.html#c38

コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
44. 2015年12月23日 11:57:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[426]

奇跡は奇跡では無かった話


独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!

 自称キリストことナザレのイエス(34)の行っていたデタラメな「治療」については,エルサレム市警察の調べによって次第に明らかになりつつあるが,当誌はイエスの逮捕直前に教団を離脱,裏切り者と激しく教団から非難されていた実業家,イスカリオテのユダ氏 (48) の単独インタビューに成功した。教団幹部としてイエスの「治療」にも深く関わり,事件の鍵を握ると考えられていたユダ氏だが,このインタビューの後極度の鬱状態に陥り,自殺も数度にわたって図ったという。同氏はなおも証人としての尋問は不可能な容体であり,このインタビューは事件についての同氏の事実上唯一の証言となっている。

--------------------------------------------------------------------------------

―――ナザレのイエス氏は手のパワーによって病気を直すと公言していますが。

ユダ「それはデタラメです。すべてカラクリがあります。あれは人々を信用させてより多くの布施を集めるための一種のショーです。」

―――布施を集めたのですか?

ユダ「もちろんイエス自身が集めるわけではありません。布施を集めるのはマタイとレビの役目でした。彼らは以前収税人をしていましたからお手のものです。金の無い者からは着物や毛布まで取りたてて,顔の知られていない弟子が金に換えました。そのために寿命を縮めた患者も少なくありません。」

―――らい病を直したというのは本当ですか?

ユダ「仲間の一人でルカという医者がいるのです。その男にまず患者をらい病と診断させます。そこへイエスがやってきて,手で触れたりかざしたりして,治ったと宣言するわけです。その通り患者はぴんぴんしています。元々らいなどではなかったのですから。」

―――歩けなかった病人が歩けるようになったのは?

ユダ「エルサレムの街を歩いてごらんなさい。いざりの乞食は五万といます。しかし奴等は本当に歩けないのではなく,商売のために歩けないふりをしているだけです。ですから銀貨の1枚も渡せば偽の奇跡に協力させるのはたやすいことです。盲を見えるようにしたというのも,中風患者が治ったというのもこのやり方でした。」

―――しかし,本当に治ると信じてやって来た患者もいるのでは?

ユダ「もちろん,噂が広まれば治療を求めて多くの人々がやってきました。もちろんイエスに彼らを直す能力などありません。しかし,人間本気で治ると思えば治ってしまう病気もあるのです。また,単に貧しくて薬や食べ物がないために病気になった患者は,ルカや私が薬や食べ物を与えれば一時的にでも軽減します。そうやって自分の力で治ってしまった患者は,イエスの力で直してもらったと思い込み,また噂を広めます。治らなかった患者は信仰が足りないとか悪魔が憑いているとか言っておけば,民衆は他愛なく信じるものです。」

―――イエスの力ではないとは言え,治ったのなら結局良かったのでは?

ユダ「しかしその後でマタイとレビが法外な布施をふっかけるのですよ。イエスに脚気を直してもらったと思い込んでいる一人の漁師からは(実は単に食物のバランスが偏っていただけなのですが),商売道具の網や舟まで奪ってしまいました。これだけは置いていってくれと泣き叫ぶその漁師の妻と子を足蹴にするマタイと,右の頬を打たれたらほかの頬も差出せというようなことを冷たい笑みさえ浮かべながら話すイエスの姿は今でもこの眼に焼き付いています。漁師は現在もイエスの弟子のはずですが,漁師の妻はガリラヤで売春婦に,子供たちは物乞いになりました。」

―――あなたがイエスのもとを離れたきっかけは?

ユダ「裏切り者にされかけたからです。ある日イエスの悪辣なやり方に嫌気がさした私が,いくらなんでもそれはひどいのではないかと苦言をしたところ,その日の晩餐で私は名指しで裏切り者と呼ばれました。ちょうどマグダラのマリアの事件で教団の結束が緩みかけていたところでしたので,イエスは私をスケープゴートにしてたがを締め直そうとしたのです。私は身の危険を感じ,このままでは自分も熱心党のシモン(彼はイエスの命令ですでに数人の弟子を抹殺していました)に殺されると思ったので,逃げてきたのです。」

―――マグダラのマリアの事件とは?

ユダ「イエスの愛人でマグダラのマリアという女がいます。秘密ということになっていますが,位の高い弟子たちはたいてい知っています。ところがある日,彼女がイエスに香油を振り掛けているとき,たまたま居合わせた,真面目だが鈍い一人の弟子が彼女に,そんな香油を買う金があったら貧しい人に与えてはどうかと言ったのです。この男は彼女がイエスの愛人であることを知らなかったのです。マリアは馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていただけでしたが,イエスは烈火のごとく怒って(イエスは香油を振りかけてもらったあと,弟子たちを部屋の外に出してマグダラのマリアにマッサージをしてもらうのが日課でした。)その弟子を破門にしたのです。おそらく彼は今ごろゲネサレ湖の底に沈んでいるでしょう。」

―――銀貨30枚を受け取って裏切ったというのは本当ですか?

ユダ「祭司長の使いと名乗るものが銀貨30枚を持って来たというのは本当です。しかしそれはイエス一派の陰謀で,私が金のために教団を裏切ったと言う風説を広めるためだったのです。実は金を持ってきた男というのは弟子の一人マルコの遠縁に当たる者で,最近信者になった男でした。彼らは私がその男を知らないと思って使者にしたのですが,私はおかしいと気付いたので突き返しました。教団は私が金を受け取ったと機関紙やパンフレットで宣伝していますが,事実ではありません。」

―――イエスは逮捕されましたが,教団がイエスを奪還する可能性は?

ユダ「おそらくないでしょう。イエスのわがままには教団幹部も困り果てており,内紛の原因にもなっているほどです。おそらくそのまま死刑にして,何か奇跡が起こったという話(例えば殺されたイエスが復活したのを見たとか)を作り,教団の結束を固め,存続を目指す方向に進むでしょう。悪知恵の働くヨハネあたりを中心にもう動いているんではないでしょうか。古株のペテロあたりは反対するでしょうが,彼は気が弱いですから。」

―――教団はイエスが逮捕されたのはあなたのせいだと非難しています。死刑になったらいっそう攻撃は激しくなるのでは?

ユダ「構いません。その血の責任はわたしとわたしの子孫の上にかかってもよいです。」
http://www.geocities.jp/tsume291/christ.html  

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c44

コメント [経世済民103] ある調査(NEVADAブログ) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 11:58:27 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[56]
此でも 消費懲罰(消費税)の 自民党や 創価学会を支持するのだから

 恐喝でも やってるのかな 
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/752.html#c1

コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
45. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:58:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[427]

奇跡は奇跡では無かった話2

ユングに易を伝えた宣教師・ヴィルヘルム


ユングにコイン占いを伝達した、ヴィルヘルムという宣教師がいました。彼は宣教師でありながら、その立場からは反する考えと行いをもって活動した人物です。

  その行いとは、「キリストは絶対なのか」という問いを提起したこと。奇跡と呼ばれる救いを施す者やそれを求める信者をエゴイズムであると批判したこと。そして、自身は人々に一切の洗礼を行わなかったことです。そしてその一方で、現実に起きている問題を解決すべく活動し、実際に成果をあげています。

  組織のやり方から外れた人間としては当然の如く、ヴィルヘルムは教会から反発され、孤立し、最終的には牧師を降ろされることになります。

  しかし、彼ほど真の意味で神の世界を生き抜き、本来の意味での伝道活動を行った人間は他にいないのではないでしょうか。

  そしてヴィルヘルムのこうした真実への探求心が、コイン占い発掘という偉業をも果たす結果にに繋がります。

ヴィルヘルムは宣教師として中国に渡り、コイン占いの素晴らしさに気づき、持ち帰ってユングに渡した人です。

  聖書でも禁じられていると言われている占いに、彼はどういう視点で接していくのでしょうか・・・

  私にとっては大変に面白いです。

 主人公であるヴィルヘルムはヨーロッパに育ち、そこはキリスト教しか無い国でした。

 ですので他の宗教と比較したこともありません。

 彼の仕事は、植民地化しようとした地域に、キリスト教を布教するのが目的です。

 彼は中国に着くまでに、インドとかタイを経由します。そこで他の宗教に出会います。

 そこで彼は大変な問いを持ちます。

 「キリスト教は相対的なのではないか・・」ということです。

 しかし他の宣教師はそういう問いは持ちません。キリスト教は絶対だという答のまま、布教しています。彼らは先生であり、中国人は生徒でした。

 なぜ相対的だという視点に立てたかと言うと、神がこの世を作ったのなら、すべての宗教に神がいるはずだと思ったからです。

 この言葉の裏には、「神は相対的」ということも、感じます。

 「キリスト教は相対的」・・・頭で考えるのは、簡単です。言葉で言うのも、簡単です。

 しかし、これを言ったヴィルヘルムは本当にそう思ったのです。すごいことだと思います。それは何度書いても書き足りないほどです。 ヴィルヘルム は神学校で「宇宙はどうなっているのか?」というような問いを発して、周りの人を困らせたそうです。

 彼は「易経」の中では神という言葉を使わずに、天という言葉に変えています。

 意志のある存在から、意志の無い存在に変わったのではないかと思います。
 そうでなければ「易経」を研究できないような気がするのです。神に意志があれば、それを探ろうとする易は、神への冒涜につながると思うからです。

 おそらくヨーロッパ人でコイン占いの踏み絵を踏めたのは、ヴィルヘルムが最初だったのです。

癒されるためにキリスト教に入るのは、エゴ

 ヴィルヘルムの妻の父も牧師でした。しかしその父の父、すなわち祖父は、超能力者に近かったのです。

  まるでイエスでした。手をかざせば、難病がどんどん治ったのです。

その癒しを求めてヨーロッパ各地から毎週何百人という病人が集まりした。教会 は、病院と化しました。

  相変わらず病気はどんどん治ります。

  村中の家が、病人の泊まる場所として開放されたくらいです。

  そのため、大きな温泉宿を買い取り、そこで礼拝と治療をしました。

  祖父が死ぬと、その役は父(祖父の次男)にきました。でも本には次のように書かれています。

 問題となったのは、祖父によって悲惨から救われた人たちが、祖父の死を悲しみ、もはや魂の慰めと肉体の癒しが得られなくなることを嘆いたという 事実であった。子ブルームハルト(父)は、ここに信仰を持つ人間のエゴイズムを見た。そしてそのようなエゴイズムが、結局はキリストの敵であるこ とに気づいた。

彼は人間が被害者であるばかりでなく、神の国の到来を妨げている加害者であることを知った。自分を被害者であることを理解するこ とにより無責任となり、さらには放漫になることを発見した。

  キリスト教が宗教となり、制度を持ち、教会となったときに、それは神の救いを自分の所有とするエゴイズムの施設となる。

 イエスが癒しを与え、病気を治したのは有名です。それをも批判するような彼の考えは、当然教会から批判されます。そして彼は一時、牧師から降 ろされます。
  でも私は彼の考えは、すごいと思います。

  宗教が始まるとき、教祖の多くは超能力を発揮します。それが「売り」になり、信者を集めます。

  信者は、癒しが欲しいです。それを、エゴだと言ったのです。

  「神の恵み」などという言葉を、口にするなとも言います。

  この考え方の裏には、神は沈黙して当たり前・・という概念があります。
  すごいです。

ヴィルヘルムは結婚するのですが(彼はプロテスタントなので結婚できます)、最初に中国に赴任するときはヴィルヘルムだけが単独で行きます。

そしてヴィルヘルムが手紙でやりとりするのが妻の父、ブルームハルトなのです。 
 ヴィルヘルムの手紙も面白いですが、ブルームハルトの返事も面白いです。
 中国でのコイン占い発掘は、この二人の偉業かも知れません。

洗礼を受けようとする者は何を得たいのか

  ヨーロッパ列強が中国侵略に積極的に乗り出したとき、義和団事件というものが起こります。

  中国人が暴動を起こし、ドイツ駐留軍にも攻撃が始まりました。しかもそれは植民地政策の一端を担う宣教師にまで向けられました。

  それに対抗して、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、反抗する中国人は皆殺しにせよという命令を出し、戦場は残虐な結果になりつつありました。

  ヴィルヘルムはそのとき、中国服に身を固め、一番の激戦地に向かい、ドイツ軍と中国反乱軍の仲介役となり、まず中国反乱軍を説得し、それを持 ってドイツ軍行き、無抵抗な中国人には一切攻撃しないことを約束させたのです。

  こうして中国側からも大変な信頼を勝ち取りますが、そのときドイツの教会側は、この期に乗じて信者を増やせというようなことを言ってきたのです。

  なぜならこの政治的成果を利用して、ヴィルヘルムは中国人たった一人すら、洗礼をしていなかったからです。

  これに対してヴィルヘルムは協会側に次のように反論します。

  「この地の現在の状況にかんがみて、洗礼を施して信者を作り教区を設定することは、もってのほかだと考えます。私たちは水による洗礼という儀 式には何の霊的な力もないことを良く知っています。」

  「私たちが洗礼を施し、信者と非信者の間に差別を設けたならば』という言葉も使っています。

  「これは外面的な形式などの問題ではない。いつかは霊的な洗礼のみが問題となる時が来るであろう」とも言っています。 そして本の著者は次の ように言っています。

  ヴィルヘルムが山東省の内陸で中国民衆とドイツ軍の間に立って、民衆の悲惨を力の及ぶ限り少なくしようと努力したことは、ドイツにも伝えられ て教会本部から賞賛され、新聞にも報道されたが、彼の目指すところは、もとよりそのような次元にとどまるものではなかった。義父ブルームハルト もヴィルヘルム宛の手紙の中で繰り返して「平和のための軍備」の欺瞞を説き、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の世界戦略を批判し、ヨーロッパ文化と キリスト教を東洋に伝えるという口実の虚偽以外の何物でもないことを指摘してした。そしてキリスト教会が地上の利益のために働いていることを非 難して、ヴィルヘルムが中国でなすべきことは、中国人をキリスト教化することではなく、キリストの精神を自分のものとして中国人と共に生きること だ、と言い続けてきたのである。

   こうして本の中には、「洗礼の下心」という言葉まで出ます。戦いの中に飛び込み、和平のために動いたのは、洗礼の頭数が欲しいからではなか ったのです。

  本来の伝道の姿というのは、ヴィルヘルムのようなやり方だと思います。

  私には、キリストよりもすごいのではないかと思えます。

洗礼が差別だというのは、まったくその通りです。神の名の下に生きる者がいたとすれば、その人を洗礼をしようがしまいが、関係ないはずです。

逆に言えば、洗礼を受けようとする者は、何を得たいのでしょうか・・・ヴィルヘルムの話を読んで、そんなことを考えました。

  神と共に生きれば、洗礼も教会も必要ないはずです。

  ヴィルヘルムは、彼に洗礼を頼みに来る人に、そういうことを言うのです。彼が実際に洗礼をする場面は、出てきません。

  しかも、おそらくヴィルヘルムは、難しい言葉でその宗教を語りません。
  自分の生き方を見せるしかないのです。

  彼を頼ってきても「うちの教会ではあなたの面倒は見ないからね」などとも言います。

  これは本当に洗礼が必要になったときは、中国人は中国人の牧師が洗礼をすべきだという考えがあるからです。

  本来の宗教の姿に、初めて接したような気がしました。

  ところでヴィルヘルムという人は、三次元の問題解決に翻弄する人なのです。神の救いを待つ人ではありません。

  それは「神は沈黙していて当たり前」とういう前提があるからだと思いました。


ヴィルヘルムの孤立

  ヴィルヘルムが「福音の伝道」とは中国人と共に正しく生きることであると考え、ヨーロッパ人の考え方や信仰を中国人に押しつけることが真の福 音の精神に反し、イエスの教えに背くものであると確信していたことは既に繰り返し述べたが、このような彼の姿勢が仲間の宣教師たちにとって不 快であったことは言うまでもない。すでに外形的な洗礼が無意味なだけでなく有害であることを指摘し、中国人をキリスト教化し、彼らを教会の一員 にしようという意図を持つ一切の行為を否定したことは、フォスカンプ牧師を代表とするベルリン伝道協会会員を始めとして、各派の伝道師たちの激 しい反発を買ったばかりでなく、ヴィルヘルムの属する中国支部でも大問題であった。

  これを読むと、神に生きることとは、いったい何だろうと思います。

  考え方の変わった人は、組織では反発をくらいます。ヴィルヘルムは学校を作ったり病院を作ったり、暴動を鎮圧したりと、三次元の世界での成果 をどんどんあげます。

  だからヴィルヘルムが何を言っても、面と向かって反論するのが難しいです。
  でもそれが逆に嫉妬を生み、反発を買います。

  伝道師ですら、嫉妬し、反発するのです。
  それはそうです。洗礼を有害だと言うのですから・・・
  他の牧師は、その有害なことを行っているのですから・・。
 
  ヴィルヘルムという人は、超越しているような気がします。彼は彼の神の世界を、しっかりと生きています。

  こういう宣教師がいたというのが、私を勇気づけさせてくれました。
  こういう宣教師が占いに関わったということが、易に対する見方を広げさせてくれました。


伝道者の思いこみからの解放

  
 本の抜粋です。義父であるブルームハルトの考え方について書かれています。
 資本主義国家の帝国主義的侵略と手をつないでキリスト教の勢力を伸張しようとする伝道方針は、ブルームハルト(義父)の目から見てもヨーロッ パの世俗化した教会のパリサイズムの現れであり、キリストの本来の精神に著しく反するものであった。

 ブルームハルトはキリストの精神を弱者・罪人と共に生きる「愛」の精神と捉えており、その精神の生きるところでは、キリスト教徒とか仏教徒とかい う外形的な相違は問題とならず、すべてが平等に「神の国の子供たち」であった。彼にとっては、キリスト教徒であることを特権と心得ている偽善者 よりは清らかな心をもって生きている異教徒の方がはるかにキリストに近い存在であり、そこに「神の国」実現に向けての種をまくことこそ、伝道の 本来のあり方でなければならなかった。そしてそれは、自らの生を通してキリストの愛を実現すること以外の何物でもなく、言い換えれば、彼らと共 に生きることのほかにあり得なかった。
 ごく当たり前のことが書かれているのですが、こと宗教に限っては、なぜこれを言うのに、勇気がいるのでしょうか・・・

 布教という行為も、ものすごくエゴではないかと思えるようになりました。

 義父がこのような考えだったことも、ヴィルヘルムを勇気づけたのでした。 再び本文です。今度はヴィルヘルムについてです。

 現在の中国は、中国人の力によってしか救うことができず、物質面のみならず精神面においても、外からの援助による救済などはあり得ないのだと いう認識が、キリストの精神しか全人類を救済するものはないという伝道者の思いこみから、ヴィルヘルムを開放し始めたと見てよいであろう。福音 の伝道の役割が「中国古来の文化に新しい生命を盛る」ことにあるとするのは、いわば中国におけるキリスト教の伝道のあり方を、一方的な宗教か ら相互的な理解と寄与の営みに、質的に転換することである。

 ヴィルヘルムはこの認識によってこれまでのキリスト者としての自縄自縛から自由になり、自分自身の道を歩みだしたと言えよう。

 遠藤周作の「沈黙」の舞台にヴィルヘルムとかブルームハルトが登場したら、いったいどういう行動を取ったか、実に興味があるところです。


ヴィルヘルムと日本兵

  いよいよ第一次世界大戦が始まりました。

  それはヴィルヘルムにとって初めての「日本体験」とも言えるのです。だって日本はドイツに宣戦布告して、ヴィルヘルムはドイツ人だからです。 いよ いよチンタオ(青島)が戦場になるときがきました。

 チンタオが拠点だったヴィルヘルムですが、家族を北京の行使館区の避難所に預け、彼ひとりで、負傷者出た場合のための収容所探しとか、看護 婦の確保に奔走します。

 そしていよいよ日本軍のチンタオ攻撃が始まります。

 ヴィルヘルムは日本軍の戦争の仕方に疑問を持ったりします。兵士に状況判断をさせる暇なく突撃をさせたり、最後に負けがわかると自害したりするのを特異な目で見ます。

 ヴィルヘルムは日本兵が落とした日記を手にし、日本語が分かる人を捜して全部翻訳するのです。そこが本に紹介されています。

 日記には家族の別離とか、友達とのこととか、戦友たちとのことが書いてあります。しかしヴィルヘルムが疑問に思ったことがありました。それはこんなふうに書いています。

 『注目に値するのは、この日記の中には、なぜ戦争に行こうと思ったのか、何のために戦うのかについて、何の考えも記していないことである。彼は志願した・・それだけで十分なのだ。あとはその場その場の状況にのみすべての関心が注がれる。ここから軍歌調の民謡が作れそうな感じである』・・と。

 ヴィルヘルムはしっかりと日本人を分析しています。ちょっと読むと、日本人である私は恥ずかしくなります(笑)。ヴィルヘルムが信念を持って生きているのに、この日記を落とした日本人には信念が無いと・・

 しかし・・・

 その後、これが武士道としてアメリカに伝わり、武士道ファンを作ってしまうことに、ヴィルヘルムはまだ気が付いていません(笑)。

 状況の中に入ったら、その戦いだけに生きるのが、武士なのです。

(ただ、ヴィルヘルムが日本人を理解できないようなことを書いているのですが、それはおかしいと思いました。なぜならヴィルヘルムは、道教の無為自然を、理解したつもりになっているからです。日本兵は、無為自然だったと思います。ヴィルヘルムは、中国で実際の無為自然を体験しなかったのではないかと思います。)

  いよいよ日本軍の猛攻撃が始まりました。ドイツ軍は絶望的な防衛戦を戦い、一週間持ちこたえて、降伏しました。

日本軍の死者は17000人、ドイツ側の死者は150人・・
(日本軍は100倍も死んだのです。それで勝ったのか・・??)

 その後、日本軍の占領統治が始まりますが、ヴィルヘルムは難民の救助に奔走し、再び学校を始めるまでになります。それが功を表し、ドイツのすべての建物が接収されたにも関わらず、ヴィルヘルムの教会は残ったのです。

 その後のことは、本にこう書かれています。

ヴィルヘルムを囲んで催す色々な会やお祭りに、そのうち日本人の将校やその家族も参加するようになりました。ヴィルヘルムの身体から何か暖かい「気の流れ」とでもいうものが周りに発散していき、それが自然に征服者である日本人までも包み込んだかのようである。この頃の彼の気持ちは、次の文章に良く表れている。

『私たちが心の中で常に平和の来ることを願い、その時のための心の準備として、他者に対するすべての盲目的な憎しみを消し去ることが大切だと思う。これが平和の実現に私たちの側から協力することのできる唯一の道なのだ。

この視点はまた、他者を批判しようとしている時にも、囚われを解いてくれる。敵意や悪意の表出を、すべて変わる余地のない事実として釘付けにしてしまうと、腹立たしい気分からいつまでも抜けだすことができない。だが、相手もまたもう一度考えを変えなければならないだろうという観点から万事を眺めれば、相手の間違った考えと一緒にその人間まで地獄に放り込む必要はなくなるのだ』

日本軍の人々はヴィルヘルムに対して次第に好意と尊敬を抱くようになっていった。その証拠に、彼らは日本本国の政府の方針を無視して、独自の判断でヴィルヘルムの家族にチンタオ滞在を許可したのである。

  ドイツ人はすべて国外退去でした。しかしこの内示をうけてヴィルヘルムは非難していた家族を呼び寄せるのです。
 
  最後のくだりを読んで、「おお、日本人もやるじゃん」と思ったのでした(笑)。 この章の終わりに著者は書いています。

『ヴィルヘルムのおかげで「最後の一瞬において善となりえ」た人も、決して少なくなかったに違いない』・・と。

 神に生きるというのは、こういうことだと思いました。

 ことさらに神を言葉として語り、洗礼などをしていたとすれば、日本軍はどう感じたでしょうか?

 ヴィルヘルムは相手を知るということに興味があったので、相手を洗礼するとそれは「知ること」の逆になるのでしょう。

 しかしそんな気のない宣教師ヴィルヘルムに接した日本兵は、おそらくドイツ人に対しても敵ではなく、同朋のようなものを感じたと思います。


ヴィルヘルム最終章

  ヴィルヘルムの所属していた統合福音派海外伝道協会はヴィルヘルムに対する費用負担をうち切ることになり、結局ヴィルヘルムは牧師をクビになりました。
  しかし彼は、牧師の肩書きなど無いほうが、本当の伝道活動ができると答えました。

  本には次のように書かれています。

  牧師という身分をこれほどまでにあからさまに無意味なものと明言したのは、この時が初めてである。キリスト教者としての精神に徹すればキリスト教という形式を超越するという認識が、ヴィルヘルムの意識と行動にようやく明瞭な姿を見せ始めたわけである。彼の到達した境地をもっと突きつめていうならば、キリスト教という形式を超越することが、真の意味でのキリストの精神の伝道なのだ、ということになろう。

  最後に中国を去るとき、ヴィルヘルムは次のように書いています。

  『新しい生き方の創造は、決して混合宗教を作ることではない。私たち自身の血とも肉ともなっていないものを宗教の名において他民族に強要することは止めなければならない。天然自然の理として私たちみんなが持っているものだけが、生命を持っているのである。無理なものや押し付けられたものには、何の力もない』

  これを受けて著者は次のように書いています。

  『ヴィルヘルムが「北京の宵」をあのような自信に満ちた言葉で締めくくることができたのは、「易経」ドイツ語版の完成という成果をふまえていたからであった』・・と。

  そして本はここから「易経」の説明に移ります。 さて、私はこの本の著者に対して腹の立っていることがあります。

というのも、著者はコインを振っていないと思うのです。

  著者はこの本を作るに当たって資料を入手するのにどんなに大変だったかということを本の中に書いています。ヴィルヘルムに対する著者の思いも、もちろん書いています。

  しかしあとがきまで含めて私が読んだ中にはコインを振ったところはありません。

  ヴィルヘルムが帰国しての報告会にユングが出て、そこで行われたヴィルヘルムの易の実演を見て、ユングは感動したと書いてあります。

  この本は、東大の比較文化という学科の授業に使った冊子をまとめたものです。

  おそらく東大の授業でもコインは振られなかったと思います。

  著者はひょっとするとコインを振ったかも知れません。しかしそれを書けなかったのは、たぶんプライドだと思います。知識人としてのです。ヴィルヘルムは「外」から中国に接することを嫌がりました。中国人と一線を画して布教するのを嫌がりました。まさに「内部」に飛び込んでいきました。その結果が、おそらく「易経」なのです。

キリストを、キリストだということだけで、崇めなかったのも、ヴィルヘルムの持つ性質だと思います。

  ユングやヴィルヘルムの研究者たちが自らコインを振ったのは、私は『不思議の友10』で紹介した秋山さと子さんしか知りません。

  別にそれが原因ではないと思いますが、秋山さんはユング研究所から追い出されます。

  ヴィルヘルムも牧師をクビになります。

  真っただ中に飛び込むというのが、いかに大変なことか、わかります。

  自分の価値観をしっかりと持ち、イエスや釈迦であろうが、ただそれだけでは崇めるのを止め、自らの体験に根ざしたことをよしとするヴィルヘルム・・・

  これが、「時空の最初から決まっていた」と一言でぶった切れない私です。

湯浅泰雄という人の書いた『ユングと東洋(上下)』の中にもコイン振る場面は出てこないばかりか、ユングが易に凝っていたことすら、出ていません。
もちろん私も最初は六爻占術をまったく信じていなかったのですから、人のことは言えません。

  しかし、内部に入り、共通体験をするというのは、本当に大変なことなのです。

  ユングがヴィルヘルムから多くを吸収したということだけで、やはりただ者ではありません。

  あの日本兵の子孫である私に六爻占術が渡り、彼のことを取り上げた『不思議の友』が出ることを、ヴィルヘルムは予想したでしょうか・・・

  しかしヴィルヘルムは、人のために生きたのではないと思います。自分のために生きたから、一人も洗礼をしなかったのだと思います。
http://www.moritaken.com/goroku/goroku01/02.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c45

コメント [政治・選挙・NHK198] 「安倍政権はアベノミクスが破綻して、戦争国家へ向け強権姿勢を強める。:金子勝氏」 赤かぶ
7. 2015年12月23日 11:59:37 : EPWNEsv2dk : 5ixDFznx7f8[12]
大日本帝国、明治憲法と見間違うような憲法改正案を国民投票にかけるのも
安倍さんの信念とすれば、それはそれで堂々投票にかければいいと思うが
国民の判断はどうなんだ。そこまで腐った日本国民なのだろうか。
治安維持法復活、それこそ安倍自公民が狙っている懸案と思える。
法律を適用せず既にそれらしい懸案は続出してるのではないか。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/428.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK198] 安倍さんは薄ら笑いで私に…元家族会・蓮池透氏が著書でも徹底批判! 安倍首相の拉致問題政治利用と冷血ぶり(リテラ) 赤かぶ
41. 2015年12月23日 12:00:01 : gl8SpEZCCY : C8frOhUNyyw[27]
http://dailynk.jp/archives/36737?krkj=ge

http://dailynk.jp/archives/36761?krkj=ge

http://dailynk.jp/archives/36784?sb=1

安倍一族の「在日人脈」と「金脈」

これって自称右翼の常套句だよね。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/416.html#c41

コメント [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ) 赤かぶ
5. 2015年12月23日 12:00:24 : ZeJuP9aySQ : 8Cobx8ve76s[1]
>>1

家電PCに関しては海外生産だから、
円安が仇になっている。

>>4
あれはリーマンショック→欧州債権問題があったからな。
それが一息ついた影響で安倍が得しているだけ。

http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html#c5

コメント [近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
46. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 12:00:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[428]

奇跡は奇跡では無かった話3


イエスやヴィルヘルムの妻の祖父が易々と治した難病とはヒステリーの事


欧米ではキリスト教道徳に由来する『女性のセクシャリティ(身体)の罪悪視』と『男性の性愛のダブルスタンダード』というのが女性を家庭・婚姻に位置づける上で大きな役割を果たしていました。

キリスト教にせよイスラームにせよ、父権宗教(男性的宗教)では『女性の性愛・快楽の抑圧と罪悪視』が必ず教義と宗教共同体の性規範に組み込まれており、男性の女性に対する性的欲求(独占欲)が女性へと投影されることで『女性の誘惑・媚態』が想像的に指弾されていました。

ヨーロッパやイスラーム圏の信仰心が頂点に達した中世は、男性にとってはともかく女性にとっては特別な身分・権力を有する女性を除いては『暗黒の中世』であり、共同体の性愛(男女関係)の秩序やルールに違反する女性(自由恋愛・売春・不倫)は『魔女』として弾圧されたり、性被害を受けた女性が逆に『一族の恥・男性をみだりに誘惑した』として処罰されるというような男性原理の理不尽な裁定が罷り通りました。

現代社会においてでさえも、性犯罪の二次被害として『女性の落ち度・誘惑・気の緩み』などを不条理に批判する声の問題が残っているわけですが、中世〜近世のヨーロッパの共同体では『婚姻関係・生殖目的のセックスのみが正常』という宗教的価値観が非常に根強く(この考え方は現代の一神教の根本主義としても見られますが)、結婚していない女性が性行為をすればそのすべてが『女性の誘惑・不貞・落ち度』として非難される風潮があったのです。


今から考えれば論理も説得力もない無茶苦茶な話なのですが、『女性の身体・快楽の罪悪視(女性は男性を誘惑して神の道を踏み誤らせる存在)』と『結婚の秘蹟によるセックスの認可(性愛の罪の赦免)』という父権宗教の伝統規範によって、女性は結婚しなければ性行為をしてはならないし、結婚したとしても身体的な快楽を感じることは禁じられていたのでした。


異常なまでに性道徳が厳格化した18〜19世紀(特に英国ヴィクトリア朝)では、どのようにして罪深い快楽を体験せずに生殖目的のみに限定したセックスができるのかを真剣に思い悩み、教会では聴罪司祭に自分がどのような性行為をしているのかを打ち明け、その性交の方法が罪に当たらないのかを恐れていたのでした。

性的エネルギーである“リビドー”の過剰抑圧、特に女性(淑女)は一切の性的快楽を感じてはならず、性の欲望も抱いてはいけないという抑圧が、『心因性のヒステリー』の原因となり、S.フロイトの精神分析の病理学・治療法へとつながっていったのでした。


基本的には、17世紀頃までは男性も結婚しなければ一切の性行為ができないとされていたようですが、性欲の抑圧で血気盛んな『青年集団』は、村落共同体の『大人集団』の管理下に置かれていたものの、時に暴行事件や性犯罪事件などを起こしても若気の至りとして重い処罰を科されることはありませんでした。


青年は『結婚』というイニシエーション(通過儀礼)を経験しなければ、『大人集団の正規メンバー』として認められず、合法的・倫理的に『女性との性関係』を持つこともできないという厳しい制限があったので、青年たちの結婚に対する動機づけは非常に高いものとなりました。


また、男性の場合は19世紀に近づくにつれて淑女(良妻賢母)と娼婦を巡る『性愛の二重基準(ダブルスタンダード)』が許されるようになっていくので、家庭内での妻との性的快楽は宗教的に禁圧されていても、家庭の外で娼婦から快楽を得ることが『マッチョリズム(男権主義)』のステイタスになっていたという経緯もあります。

20世紀前半までは、男性だけ『生殖のための性行為』と『快楽のための性行為』を区別できる二重基準が許されており、女性には『婚姻を前提とする生殖のための性行為』か『婚姻規範に違背する自由な娼婦』しか許されないという圧倒的なセクシャリティを巡る男女の格差(差別)が残っていましたが、淑女は性的な関心や快楽への意志を持たないものとされていたので、社会規範上はそれでも問題がないと考えられていたのでした。


17世紀までは暴力と処罰によって女性の性・身体は厳しく管理され、18〜19世紀初頭にはジェンダー教育と宗教的な敬虔さの内面化によって女性の性・身体が抑圧されることになります。17〜19世紀のゲマインシャフトの社会では、女性には『聖母(良妻賢母)』か『娼婦・魔女』かという社会的偏見に基づく自己規定しか無かったというのが、女性の社会的・宗教的抑圧の重石になっていました。
http://charm.at.webry.info/200912/article_7.html

S.フロイトの創設した精神分析は、イギリスのヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)の余りに厳格過ぎる性道徳へのアンチテーゼとしての側面を持っており、19世紀のヒステリー(神経症)は性的な欲望や身体を罪悪視する社会的風潮(世論の圧力)と強い相関を持っていた。

現代からは想像できないことだが、近代ヨーロッパの黎明期には『女性の身体』は美しさや華やかさと結びつけられずに、罪深さ(恥辱)やはしたなさと結びつけられており、とにかく社会の中で女性の身体(肌)を見せることはタブー視されて抑圧されていたのである。

笑い話のようであるが、ヴィクトリア朝の貴婦人たちは『椅子の脚・テーブルの脚』を見ると不埒な性行為をイメージさせるということで、そういった家具の脚にカバーを掛けたり、設計段階でできるだけ脚の見えない家具を作ろうとしたりしていた。

ヴィクトリア朝の英国人はその意味では究極の妄想的な“脚フェチ”であるようにも思えるが、それは現代人が『女性の脚』を性的刺激として余り意識しなくなる程度に、社会(他者の視線)の中で脚を露出するファッションが一般化したからである。

現代でも、極端に丈の短いミニスカートや肌の多く見えるファッションを『道徳的に好ましくない』とする価値観は残っているので、女性の脚と性的刺激のイマジネーションを結びつける感覚が完全に消えたわけでは当然ない。しかし、全体的な傾向として近代以降、社会における『女性の身体性の解放』は留まることなく進んできたと見ることができるし、そのことは女性の身体の所有権が『男性社会・家長』から『女性個人』へと移行してきたことを示している。


各種の社会的格差はあっても『男女同権』は今では当たり前のことのように思われているが、19世紀後半に至るまで、女性は自分の身体に対する所有権すら男性並みに保障されていたわけではなかった。

女性のファッションの自由というのは、自分で自分の身体の見せ方をコントロールできる権利のことであり、

ヴィクトリア朝の上流階級では1850年代まで“クリノリンスカート”という全く機能的ではない重苦しく大きなスカートによって、女性の身体は足首から二の腕に至るまですべて社会から覆い隠されていた。


その意味では、19世紀前半までのヨーロッパ世界(中流階級以上の女性)では、現代のイスラームのブルカの宗教的衣裳と同じように、『女性の身体』を男性社会や家族(家長)が管理するという発想に立っていたと解釈することができる。『女性の身体を隠蔽しようとする文化』は近世まではヨーロッパ世界の主流の文化であったが、そこには男性原理や家父長制を肯定する『一神教』の影響があり、

女性は配偶者(家父長制の家族)の所有物であるかのようにその活動範囲を『家の周囲』に狭く制限されていたのである。


古代ギリシア・ローマの文化芸術では、男性も女性もその自然な身体性の美しさや魅力が賞賛されており、裸体の彫刻や絵画が『美のイデア』を模倣したものとして鑑賞されたが、それは古代ギリシア・ローマ社会が、女権社会(地母神崇拝)の痕跡を留める『多神教の宗教』を信仰する社会だったからと推測することができる。

しかし、キリスト教やイスラム教という『父なる神』を崇拝する男性原理の一神教がヨーロッパ世界を覆うに従って、女性の身体も分厚く面積の広い衣服によって覆われていき、理想的な女性のイデアは父・夫・子に純真無垢に尽くす『家庭の天使』に収斂していくことになった。


ヴィクトリア朝では『家庭の天使』になる女性には能動的な性欲は存在しないものと定義され、『女性の非性的な属性』を医学的な事実だとするウィリアム・アクトンのような保守的な医師も多かった。

19世紀前半のイギリスでは、積極的に自分から性的活動をしようとしたり、他愛ない話題でも不特定多数の男性に話し掛けたりする女性は、所謂、異常性欲の診断や娼婦への偏見を下される恐れもあった。


http://charm.at.webry.info/200910/article_7.html

ヒステリー患者に共通している二項目を挙げると、

一つは彼等が嘘をついていない事、

二つ目はいくら検査をしても医学的に悪い所が発見できない事である。

今まで行われたヒステリー研究ではその規模が小さく、また方法論に問題があって結果の比較が難しく、総合的結論が出せなかった。


フロイト以前にもヒステリーと言う言葉はあった。原語はヒステラでありギリシャ語で子宮を意味する。古代の医者の中には、餓えた子宮、間違った位置にある子宮が女性の病気の原因になっていると言う人もいた。ヒポクラテスは子宮理論の中で、女性の病気を治すには結婚が良いとした。

その後に現れたのが聖者であり、呪術師であり、悪霊に取り付かれた者達であった。

17世紀ではヒステリーは発熱に次ぐ最もありふれた病気であった。

19世紀に入りフランスの神経医学者であるジャン・マルチン・シャルコーやピエール・ジャネットがヒステリーの現代医学的基礎を作った。そして、シャルコーの生徒であり若き神経学者であったジークムント・フロイトが、劇的にヒステリーの見方を変えて大衆化させた。

フロイトの魅力は、何故ヒステリー患者が卒倒したり、痙攣したりするかを説明した所にある。

彼は「転換」と言う言葉を使い始めた。彼によれば、ヒステリーとは解決されない無意識の葛藤がヒステリー症状に転換したと言う。

彼のこの「体は心のドラマを演じている」に取って代わる理論は未だ現れていない。

「ヨーロッパの医者には、ヒステリーが体の病変と関係しているのでは無いかと考える人もいた。例えば、不幸な子宮、余りに細い神経、肝臓から出る黒い胆汁等がひきつけ、叫び、痛みを起しているのでは無いかとした。

フロイトがこの因果関係を逆転させ、心の葛藤がヒステリー症状を起すとした」とイリノイ大学の助教授であるマーク・ミケール氏は言う。


現在の神経学者は脳と心をを別々に考えていない。多くは未だ不確かではあるが、脳スキャンによる検査では、脳の感情の中枢が感覚野や運動野の回路を変調させているのが分かり始めている。


過去10年間にヒステリー患者の脳スキャンが多く取られ次の事が分かった。

患者の神経と筋肉には問題がない事、即ち構造より機能に障害がある事を示している。

患者では動きを指令する高度の部分、即ち意志の部分に問題が起きていると推察される。映画で言えば、俳優が駄目なのでなく、監督に問題がある。


手を動かすには次の一連のプロセスを必要としている。

先ず手を動かしたいと言う動機があり、次にどの筋肉をどのように収縮するかの計画、そして最後に実際に手を動かす実行がある。理論的にはこの3つの段階のどの段階に問題が発生しても麻痺は起きる。(シャルコーは1890年に既にそのように考えていた)

1997年に雑誌Cognitionで、カーディフ大学のハリガン氏の研究チームは、体の左半分が麻痺した女性の脳の機能を詳細に調べ、彼女の体、脳には病変がない事を確認した。

彼女が麻痺した左の足を動かそうとしても、活動すべき脳皮質が活性化していなかった。

その代わり、右眼窩前頭皮質と右前部帯状皮質が活性化していた。

この部分は行動と感情に関係する分野で、ここが運動を抑制して足の麻痺を起しているので無いかと判断した。

「患者は足を動かそうとしている。しかし、その意志が原始的な右眼窩前頭皮質と右前部帯状皮質を活性化し、動かそうの命令を阻止した。彼女は足を動かしたいのですが足は動かないのです」

とハリガン氏は言う。

その後に行われた研究でもこの考えは支持されて、転換性障害の患者では、感情を処理する脳に変調を来たし、動き、感覚、視覚の脳の回路が正常に働かなくなったとしている。

今後、このようにスキャンで診断する方法が主流になるであろう。従来の検査では悪い部分を発見出来なかったから、勢い、仮病ではないかの誤った偏見を医師に持たせる結果となった。


脳スキャン検査は医療関係者のヒステリーに対する偏見を取り去ろうとしている。

「ヒステリー患者は我々の間では大変評判が悪かった。彼等は、どうも奥深くの所で我々を騙しているのでは無いかと、我々が思うからです。

だから、わざとらしい症状を見ると

『ちょっとおかしいのじゃないの。足うごかせますよ』

と言いたくなるのです。

もう1つ好きになれないのは、彼等が良くならないからです。

それも意図的にしているように見える」


とバーモント大学の神経学助教授であるデボラ・ブラック氏は言う。

文化は変わっても症状は余り代わらない。

オーマンではジン(悪霊)がひきつけを起すと言う。

ナイジェリアとインドではヒステリー患者は頭、手、足にピリッとした痛みを感じる。カリブ海諸国では頭痛、震え、心臓の動悸、むかつきが一般的症状である。

イギリスでの帰還兵士の調査では、20世紀を通して心的外傷障害はなくならなかったと報告がある。本能が心に取って代わったのだ。


ヒステリーの広範性、人間の歴史と共に存在した長い歴史から見て、ヒステリーは恐怖に対する本能的反応であろう。

麻痺のような機能の完全喪失は、最早不可能な事態に直面した時に起こる反応とも考えられる。例えば、車のヘッドライトに目の眩んだ鹿を考えたらどうだろう。
http://saito-therapy.org/new_finding/hysteria.htm

医療器具だったバイブレーター

大人のオモチャの代表格“バイブレーター”は、元々は医療器具だった。

“バイブレーター”と言えば、最も有名な大人のオモチャの一つだと思う。Durex社の調査に拠れば、日本人女性の24%はバイブレーターを使用した経験が有るという。4人に1人の割合だ。

そのバイブレーターだが、実は元々は女性の“ヒステリー”を治療する為の医療器具として開発されたのだという。この場合の“ヒステリー”とは日常的に用いられる意味ではなく、医学用語で

「何らかの葛藤やストレス等の心理的異常によって、声が出なくなったり、腕や足が動かなくなったりする状態」

の事を指す。現在では“転換性障害”とか“身体表現性障害”と呼ばれる事も有るらしい。要は神経症の一種である。

ヒステリーは19世紀後半に注目され始めた病だったが、当時は原因が不明で治療法が確立していなかった。そこで20世紀初めまでは、専門医が女性患者の性器を愛撫して症状を軽減させていたらしい。

しかし愛撫には相応の技術が必要な上に手間も掛かり過ぎる為、1930年代にヒステリー専用の医療器具が開発される事になった。それがバイブレーターだったのである。

バイブレーターは特殊な技能を有さなくても誰でも簡単に愛撫が可能な為、医療器具としてだけでなく大人のオモチャとしての需要も多かった。その為、現在のように広く普及していったのだ。

以上より結論。

バイブレーターは元々、女性のヒステリーの症状を軽減する為の医療器具だった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316338103


英語版Wikiには「電動バイブは1880年代に女性のヒステリー治療の1手段として発明された」とはっきり書いてあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vibrator_%28sex_toy%29

特許取得者はロサンジェルスのジョン・キオーは1911年にアメリカ初の電動膣用バイブレーターの特許を申請した。取得したのは翌年の1912年。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316338103

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c46

コメント [政治・選挙・NHK198] 小沢一郎氏「野党がまとまるのを国民も期待してる」(日刊スポーツ) 赤かぶ
16. 2015年12月23日 12:00:43 : vibO1DRXCE : 98@y8aqZiiA[6]
小沢一郎先生は、評論家という感じになってきた気がする。
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/407.html#c16
コメント [経世済民103] 日本人の“持ち家信仰”はまもなく終焉を迎える 将来は買うより借りた方がいい 本当は教えたくないマンション業界の秘密 赤かぶ
2. 2015年12月23日 12:01:47 : ZeJuP9aySQ : 8Cobx8ve76s[2]
どうかな?
高齢者が借りにくいというのは相変わらずだから。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/750.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK198] 打倒蓮舫氏? 澤穂希「自民東京選挙区」から参院選出馬か(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2015年12月23日 12:03:09 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[260]
大ちゃん‼(Daichan) @Mesasoccer1972 14分14分前
INAC神戸、コーナーキックから大野がヘッドで押し込んで先制! 皇后杯準決勝 #なでしこ #皇后杯
https://twitter.com/hashtag/%E7%9A%87%E5%90%8E%E6%9D%AF
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/355.html#c8
コメント [カルト15] 安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果です。 小沢内閣待望論
39. 2015年12月23日 12:03:30 : 8q3qeXT2cg : LR5ucA3lcb8[57]
>>26

ご高説を拝読しました。重要な事実は隠蔽し、詭弁を重ねていることが良くわかりました。

1、「日本は民主主義国家である」という偽装
2、「日本では表現の自由が認められている」とするペテン
3、「権力の配下となった報道機関」による世論調査の引用=捏造情報の流布
4、「私利私欲を捨て、公の利益を目指して行動・・・」とする滅私奉公のススメ
5、「安倍不支持率・埼玉83%・・・不正選挙の結果です」という不都合な事実は黙殺


民主主義国家に必須の要件は、ジャーナリズムの存在と真に公正な選挙です。しかし、GHQによる報道統制(プレスコード)は今なお生きているのであり、ポダム読売・サンケイを始めとした大手紙は米国や利権集団の広報紙であり、公共放送を騙る籾井NHKは安倍チャンネルとなってしまいました。

憲法より上位に「日米合同委員会」が君臨し(鳩山由紀夫元総理)、記者クラブ制度は官公庁が年間100億円を投じて運営する情報カルテルであり、利権集団に不都合な情報を漏出させないために維持されている馴れ合い集団となっています。おまけに悪の電通が電波空間を支配し、三宝会は利権構造を否定するものを攻撃し続けているのが実態です。「繰り返される虚構こそが、受け容れられる真実となる。」とするウラジーミル・レーニンの言葉そのままに、マスコミは捏造された情報を垂れ流し続けている現状です。

米国が設置した東京地検特捜部は、旧日本軍所有の貴金属や軍事物資の接収、対GHQテロ防止を目的に編成された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前身なのであり、戦後70年間にわたり米国諜報機関の下部組織として連綿とその役割を果たしてきました。つまり、検察とは米国とエスタブリッシュメント(日本在住支配者集団)の暴力装置として現在も機能しているのです。

>「東京地検特捜部」〜米国と利権集団のための暴力装置
http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/917.html#c18


特別会計の闇を暴こうとした石井紘基氏(民主党議員)は刺殺され、ヤラセ911の不都合な事実を報道した山川浩氏(NHK報道主幹)は自殺を偽装して抹殺されました。これが偽装民主主義国家の実態です。特定秘密保護法の成立によって報道の自由度は61位になったと伝えられています。国連の「表現の自由」調査を拒否した安倍政権ですが、現在は更に下位に位置することは確実でしょう。民主主義に必須であるジャーナリズムは殆んど死滅状態です。


憲法に謳われている「公正な選挙」は空文化し、有権者の投票結果とは無関係に当選者が決まっています。腐敗マスコミは捏造された政党支持率を垂れ流し、実態とかけ離れた「低い投票率」を喧伝するばかりです。投票箱の閉鎖と同時に安倍チャンネルとなったNHKから当確が乱打され、開票場面を決して公開せず、「不正選挙なんてありませんよ」と選管職員が強弁する現状は、選挙が「投票ごっこ」に過ぎないことを証明しています。そもそも選挙の全てを請け負うのが私企業のムサシであり、その株主が安倍晋太郎から安倍晋三へ引き継がれた時点で民主主義は崩壊しているのであり、公正な選挙など実現できるはずもありません。

>安倍総理とムサシ http://true-health2.com/?p=375


2012衆院選挙を機に「不正選挙」を訴える裁判が多発し、100件をはるかに超えています。1票の格差是正を求める裁判は大きく報道されるものの、選挙の公正を求めるこの裁判は報道されないのです。しかし、法廷での様子が動画として流出していることを読売新聞が記事にしてしまいました。その後は他紙も記事にしたのですが、「不正選挙裁判」そのものは全く報道されません。当然のごとく、報道統制が敷かれたと見るべきです。

>東京高裁102号不正選挙裁判の動画流出と読売新聞の報道
http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20131022/1382428072


自民党総裁選を必死に潰した安倍官邸。自由と民主主義を掲げる政党であれば、安倍総理は総裁選を実施すべきでした。そしてどれだけ自分が支持されているのかを国民の前に示すべきでした。しかし、支持率50%は捏造であり、あらゆる非難と罵倒の嵐を予測して恐怖し、必死に総裁選を潰したのです。売国・利権・棄民・政策を推進している安倍政権が国民の支持を得られるはずもないことは、安倍総理自身が熟知していることでしょう。すべては捏造でありペテンなのです。

ネット上に、「不正選挙は必要悪である。ずっと昔から行われてきた。」との声もあります。孫崎享氏が東京都知事選挙の不正について言及し、山本太郎議員も不正選挙の情報を求めています。もはや不正選挙糾弾の声は止まらないでしょう。国会や官邸前の抗議行動は沈静したのではなく、小休止です。来年の参議院選挙に焦点を当てるべきです。

つまるところ、「安倍不支持率・埼玉83%、MX71%、北海道74%、神奈川94%、小沢に惨敗して退陣した時のままで、不正選挙の結果」なのです。参院選挙での安倍総理の街頭演説に対する聴衆の反応が楽しみです。もしかすると、不正でトップ当選とされた野田元総理のように、官邸もしくは私邸に引き籠るつもりかもしれませんが・・・。


>How To「不正選挙」
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/592.html#c28
>不正選挙やります【株式会社ムサシ】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/company/1371185086/l50


http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/477.html#c39

コメント [国際12] ロシア、借金滞納ならウクライナを提訴する恐れ(Forbes JAPAN) 赤かぶ
1. 2015年12月23日 12:03:38 : geE4h3BARs : HDg@8SLpQxI[11]
この主張はおかしい「ロシア政府は引き続き、ウクライナ政府の経済再生への取り組みをより難しいものにしている。」

この主張は当然「ロシアは、ウクライナに対する30億ドル(3,629億円)の融資について返済できないなら提訴する構えだと報じた。」

何だか、ロシアが絡むとすべてロシアに不があるような報道は、そのほとんどが欧米諸国の機関だね、、、
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/174.html#c1

コメント [原発・フッ素44] 「福島甲状腺ガンは多発見だろ!」の自称?反原発な「裸の俺様2号」と 福島甲状腺ガンを語ろう。 知る大切さ
1. 2015年12月23日 12:06:03 : ZeJuP9aySQ : 8Cobx8ve76s[3]
超音波ってそんなに検出率高いか?
ちょっと疑問。

何を見つけるか正確に調整して熟練の技師が検査しないと
みつからないと聞いているが。
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/556.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK198] 世論調査 戦後の日本「憲法が役立った」86% 毎日新聞 赤かぶ
1. 2015年12月23日 12:09:13 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[82]
大マスゴミのほぼすべてが、GHQの衣鉢を受け継いで糞憲法を良きものとして
宣伝したからね、愚民らがだまされるのも仕方ないわな。
 正統な選挙で成立した国民の政府、国民の権力、つまり現政権でもって、
まづは大マスゴミを矯正するのが先決だな。

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/522.html#c1
コメント [経世済民103] 暴落の理由(投機的水準に格下げされた東芝) (NEVADAブログ) 赤かぶ
6. 2015年12月23日 12:10:11 : aQq0UGoaxY : pNHEWTkf6T8[25]
http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/748.html
新日本監査法人のような分かったような顔をして嘘まみれの監査をする会社を使うと、エンロンと同じことになるだけです。

日本だから、お目溢しがあるので息を引き取ることはありませんが、以後、シロアリにしっぽを握られたままになりますよ。


http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/749.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK198] 放置されたままの東電の信じがたい原発事故発表の衝撃  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
21. 2015年12月23日 12:10:14 : S6t7T2upqw : 5_IOc17z9tQ[2]
>>19
なぜ水蒸気爆発と決めつけるのか?
即発臨界による核反応であった可能性がさらに高まったと考えるほうが妥当
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/481.html#c21
コメント [マスコミ・電通批評14] テレビを観ると認知症になる? テレビの情報を信じて踊らされる人々(Business Journal) 赤かぶ
11. 2015年12月23日 12:11:12 : ZeJuP9aySQ : 8Cobx8ve76s[4]
>>8
南沙諸島も同じ。

http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/852.html#c11
コメント [国際12] イスラム教は改革が必要:アボット前豪首相、「政教分離の概念がない」「近代化の必要がある」と挑発 あっしら
3. 晴れ間[911] kLCC6orU 2015年12月23日 12:11:43 : xni5yVaf3k : Fxfse0RTtHo[33]
>>2

イスラムが改革不可能な宗教である、と述べた点について、追加説明。

言うまでもなく、イスラムには、キリスト教や仏教等における「聖職者層」や「僧侶集団」が存在しない。つまり、宗教教団としての意思統一や教理の変更・改革が不可能なのである。キリスト教においては、「○○公会議」等を開いて「正統教理」を定めたり、派生的に「分裂」や「異端」を生み出すことも可能であったし、いくつもの宗教改革が行われ得た。
ところが、イスラムは、神の言葉であるコーランが絶対であり、それに背くことは許されない。異を唱える集団も生まれ得ない。
イスラムで言うスンニ派とシーア派の対立も、教理上の対立から生まれたものではなく、預言者ムハンマドの家系内、遺族間での、単なる財産争いが原因だと言われている。
イスラムではコーランが絶対である以上、イスラム原理主義を批判できる勢力は、イスラム内部には存在しない。ここにイスラムが、永遠に7世紀から進化できない理由がある。

なお、以上の点について、私はフランスの新聞等のジャーナリストの記述を参照している。(日本語の本は読んでいないので、日本ではどういう説明がされているか、知らない。)


http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/153.html#c3

コメント [原発・フッ素44] 逃げないでいただきたい環境省。このまま根拠のない「大丈夫だ」「様子みる」で放置していいわけじゃないですよね。山本太郎議員 赤かぶ
80. 知る大切さ[4063] km2C6ZHlkNiCsw 2015年12月23日 12:13:28 : rXmQVSTR26 : wmfWUboB@Eg[120]
「裸の俺様2号」さんほら皆が貴殿の意見に注目してくれるように
舞台を作ってやったよ(新規スレッド)で貴殿の考えをお披露目したらどうかだね?
遠慮なく貴殿の主張を展開しなされ。

http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/556.html

まさか出てこないとか?しないよね。 それって単なるイチャモンなだけを証明す
事になるよ?
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/486.html#c80

コメント [戦争b16] <必見>NHKスペシャル「新・映像の世紀〜時代は独裁者を求めた」が凄い!ヒトラーを誕生させた歴史的背景を描写! 赤かぶ
21. 2015年12月23日 12:18:52 : EYQH8541vo : bTo07qQ@NyQ[1]
>>18
ポール・ラッシニエは左翼かつ元祖修正主義者で右に限定されるという思い込みは最初から矛盾している。
証拠出してくださいね。
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/675.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK198] ≪誕生日≫今上天皇陛下が82歳に!早朝から記者会見を開き、戦争の悲劇について語る!「本当に痛ましい」 赤かぶ
8. 2015年12月23日 12:19:10 : yBQkrRTumA : UvxNb8gKnf4[53]

 真珠湾攻撃は ま〜〜戦争するんだから 奇襲だろうがなんだろうが

 やるときはやらないといけないだろうけど

 何で 奇襲だけして ハワイに上陸して 占領しなかったんだろうね〜〜〜

 ===

 愛が 昭和天皇+山本五十六だったら どんな犠牲を払っても ハワイを

 占領していただろう  ハワイのほうが サイパンやグアムよりも大きいので

 占領さへしてしまえば 戦況はだいぶ違っていた!!

 ===

 昭和天皇+山本五十六   中途半端だよね〜〜〜〜
 
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/516.html#c8

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > アーカイブ > 2015年12月

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。