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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100304
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100304.html
[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
99. 中川隆[-10022] koaQ7Jey 2019年5月29日 09:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2330]

2019.05.29
雅子さま「国恥」の大失態! 世界から馬鹿にされる新皇后 追放もやむなし
https://rondan.net/23368

雅子妃殿下問題


「適応障害」で悩む雅子さまは果たして皇后となる「器」であるのか?

かつてHanadaやWiLLといった論壇誌は、雅子さまの問題に鋭く切り込んでいた。西尾幹二氏が既に正しく指摘しているように、雅子さまの父・小和田恆氏は典型的な左翼リベラル、創価学会であり、皇室を破壊するために雅子さまを送り込んだとも言われている。

かつてデヴィ夫人も次のように忠言しておられた。


「巷で取りざたされている小和田家と創価学会とのつながり。このままでいったら、何か空恐ろしいことが 起きるのではないでしょうか」

「雅子さまが 皇太子妃であることを辞退され、身を引かれること。ご決断して下されば、誰も傷つかずに済むのです」
デヴィ夫人ブログ
預言が当たる

まさにこのデヴィ夫人の忠言が的中してしまう事態が起きた。

さきのトランプ大統領が国賓として招かれた時の出来事である。

雅子さまと談話するメラニア夫人の脚を見てほしい。

雅子さまが足を揃えてしっかりしているのに、メラニア夫人はフランクに足を組む。

さらに服装も、メラニア夫人はラフな普段着なのに、雅子さまは正装。小馬鹿にされたも甚だしい。一部報道では欧米では足を組んでも良いと言っているが、ここは日本である。雅子さまに威厳があれば、自然と足を揃えたであろう。

悠久の歴史を育む日本が、アメリカ帝国に見下された瞬間である。雅子さまの罪は重い。

英語も中学生レベル

また、雅子さまの英語力は、実際には中学生レベルであると言われている。

英語が全然通じなくて外国の要人と会話ができない事は有名で、当ブログのコメント欄でもたびたび指摘されている。おそらく、このメラニア夫人の尊大な態度は雅子さまの英語が中学生レベルだったので「相手にする必要なし」と思ったのであろう。まさに国恥である。

ハーバード大学の卒業も、学歴ロンダリングである。ハーバード大学の成績の付け方は甘いことが知られ、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女の卒論の評価は「Magna Cum Laude」であり、最高ランクの「Summa Cum Laude」ではない。日本の五段階評価の成績表ならば2が妥当だろう。

東大の学士入学も、一般入試とは異なり甘いことはよく知られる。慶應も一番入るのが難しいのは幼稚舎(小学校)で、簡単なのは大学院なのと同じである。まして父・ 小和田恆氏は典型的な左翼リベラルの著名人であるから、裏口入学は容易だったろう。

国恥・雅子さまの追放を

天皇皇后両陛下とトランプ大統領ご夫妻との歓談は、日本が未だにアメリカの植民地であることを示してしまったと言える。

これほど情けないことはない。いつまでたっても日本はアメリカの植民地なのである。

一刻も早く雅子さまを皇室よりご追放申し上げ、正しい皇統・秋篠宮家に譲位されることを願わずにはいられない。

それこそが日本の正しい国体なのである!

悠仁さまが皇位につかれるとき、国民皆、歓喜に打ち震えるであろう。

おまけ:当サイトのコンタクトフォームに寄せられた四ツ谷氏記事へのエール

四ツ谷氏の記事は両手を上げて賛同、評価します!

公正さと真実の記事を!

今までの中傷記事やプロパガンダ記事はごめんである。雅子様の実家、小和田家は教祖が他国人の皇室とは他宗教の学会員家なのになぜ雅子様を皇室に入れたのだろうか。意図的なものを感じる。雅子様は教祖の子と言われてもにわかには信じられないが学会ならそこまでやりそうだし、第一似ている。愛子様天皇持ち上げの理由はそこか❓

なぜ雅子様の病気を理由の公務放棄や実家べったりの行動は許されるのか。

また小和田氏がスイス銀行で皇室のお金を引き出そうとして捕まったと言う記事を見た。皇室の金目のもの(刀剣や王冠👑)がかなり紛失してるらしい。

読者としてしてはその当たりを調べて欲しい。いずれも真実なら日本に多大なる損失を与えているし犯罪である。記者は日本人なら日本の利益を守ってください。日本を貶める記事を書く人は日本人ではありません。
https://rondan.net/23368
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c99

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
51. 中川隆[-10021] koaQ7Jey 2019年5月29日 09:44:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2331]

2019.05.29
雅子さま「国恥」の大失態! 世界から馬鹿にされる新皇后 追放もやむなし
https://rondan.net/23368

雅子妃殿下問題


「適応障害」で悩む雅子さまは果たして皇后となる「器」であるのか?

かつてHanadaやWiLLといった論壇誌は、雅子さまの問題に鋭く切り込んでいた。西尾幹二氏が既に正しく指摘しているように、雅子さまの父・小和田恆氏は典型的な左翼リベラル、創価学会であり、皇室を破壊するために雅子さまを送り込んだとも言われている。

かつてデヴィ夫人も次のように忠言しておられた。


「巷で取りざたされている小和田家と創価学会とのつながり。このままでいったら、何か空恐ろしいことが 起きるのではないでしょうか」

「雅子さまが 皇太子妃であることを辞退され、身を引かれること。ご決断して下されば、誰も傷つかずに済むのです」
デヴィ夫人ブログ
預言が当たる

まさにこのデヴィ夫人の忠言が的中してしまう事態が起きた。

さきのトランプ大統領が国賓として招かれた時の出来事である。

雅子さまと談話するメラニア夫人の脚を見てほしい。

雅子さまが足を揃えてしっかりしているのに、メラニア夫人はフランクに足を組む。

さらに服装も、メラニア夫人はラフな普段着なのに、雅子さまは正装。小馬鹿にされたも甚だしい。一部報道では欧米では足を組んでも良いと言っているが、ここは日本である。雅子さまに威厳があれば、自然と足を揃えたであろう。

悠久の歴史を育む日本が、アメリカ帝国に見下された瞬間である。雅子さまの罪は重い。

英語も中学生レベル

また、雅子さまの英語力は、実際には中学生レベルであると言われている。

英語が全然通じなくて外国の要人と会話ができない事は有名で、当ブログのコメント欄でもたびたび指摘されている。おそらく、このメラニア夫人の尊大な態度は雅子さまの英語が中学生レベルだったので「相手にする必要なし」と思ったのであろう。まさに国恥である。

ハーバード大学の卒業も、学歴ロンダリングである。ハーバード大学の成績の付け方は甘いことが知られ、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女の卒論の評価は「Magna Cum Laude」であり、最高ランクの「Summa Cum Laude」ではない。日本の五段階評価の成績表ならば2が妥当だろう。

東大の学士入学も、一般入試とは異なり甘いことはよく知られる。慶應も一番入るのが難しいのは幼稚舎(小学校)で、簡単なのは大学院なのと同じである。まして父・ 小和田恆氏は典型的な左翼リベラルの著名人であるから、裏口入学は容易だったろう。

国恥・雅子さまの追放を

天皇皇后両陛下とトランプ大統領ご夫妻との歓談は、日本が未だにアメリカの植民地であることを示してしまったと言える。

これほど情けないことはない。いつまでたっても日本はアメリカの植民地なのである。

一刻も早く雅子さまを皇室よりご追放申し上げ、正しい皇統・秋篠宮家に譲位されることを願わずにはいられない。

それこそが日本の正しい国体なのである!

悠仁さまが皇位につかれるとき、国民皆、歓喜に打ち震えるであろう。

おまけ:当サイトのコンタクトフォームに寄せられた四ツ谷氏記事へのエール

四ツ谷氏の記事は両手を上げて賛同、評価します!

公正さと真実の記事を!

今までの中傷記事やプロパガンダ記事はごめんである。雅子様の実家、小和田家は教祖が他国人の皇室とは他宗教の学会員家なのになぜ雅子様を皇室に入れたのだろうか。意図的なものを感じる。雅子様は教祖の子と言われてもにわかには信じられないが学会ならそこまでやりそうだし、第一似ている。愛子様天皇持ち上げの理由はそこか❓

なぜ雅子様の病気を理由の公務放棄や実家べったりの行動は許されるのか。

また小和田氏がスイス銀行で皇室のお金を引き出そうとして捕まったと言う記事を見た。皇室の金目のもの(刀剣や王冠👑)がかなり紛失してるらしい。

読者としてしてはその当たりを調べて欲しい。いずれも真実なら日本に多大なる損失を与えているし犯罪である。記者は日本人なら日本の利益を守ってください。日本を貶める記事を書く人は日本人ではありません。
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c51

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
70. 中川隆[-10020] koaQ7Jey 2019年5月29日 09:44:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2332]

2019.05.29
雅子さま「国恥」の大失態! 世界から馬鹿にされる新皇后 追放もやむなし
https://rondan.net/23368

雅子妃殿下問題


「適応障害」で悩む雅子さまは果たして皇后となる「器」であるのか?

かつてHanadaやWiLLといった論壇誌は、雅子さまの問題に鋭く切り込んでいた。西尾幹二氏が既に正しく指摘しているように、雅子さまの父・小和田恆氏は典型的な左翼リベラル、創価学会であり、皇室を破壊するために雅子さまを送り込んだとも言われている。

かつてデヴィ夫人も次のように忠言しておられた。


「巷で取りざたされている小和田家と創価学会とのつながり。このままでいったら、何か空恐ろしいことが 起きるのではないでしょうか」

「雅子さまが 皇太子妃であることを辞退され、身を引かれること。ご決断して下されば、誰も傷つかずに済むのです」
デヴィ夫人ブログ
預言が当たる

まさにこのデヴィ夫人の忠言が的中してしまう事態が起きた。

さきのトランプ大統領が国賓として招かれた時の出来事である。

雅子さまと談話するメラニア夫人の脚を見てほしい。

雅子さまが足を揃えてしっかりしているのに、メラニア夫人はフランクに足を組む。

さらに服装も、メラニア夫人はラフな普段着なのに、雅子さまは正装。小馬鹿にされたも甚だしい。一部報道では欧米では足を組んでも良いと言っているが、ここは日本である。雅子さまに威厳があれば、自然と足を揃えたであろう。

悠久の歴史を育む日本が、アメリカ帝国に見下された瞬間である。雅子さまの罪は重い。

英語も中学生レベル

また、雅子さまの英語力は、実際には中学生レベルであると言われている。

英語が全然通じなくて外国の要人と会話ができない事は有名で、当ブログのコメント欄でもたびたび指摘されている。おそらく、このメラニア夫人の尊大な態度は雅子さまの英語が中学生レベルだったので「相手にする必要なし」と思ったのであろう。まさに国恥である。

ハーバード大学の卒業も、学歴ロンダリングである。ハーバード大学の成績の付け方は甘いことが知られ、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女の卒論の評価は「Magna Cum Laude」であり、最高ランクの「Summa Cum Laude」ではない。日本の五段階評価の成績表ならば2が妥当だろう。

東大の学士入学も、一般入試とは異なり甘いことはよく知られる。慶應も一番入るのが難しいのは幼稚舎(小学校)で、簡単なのは大学院なのと同じである。まして父・ 小和田恆氏は典型的な左翼リベラルの著名人であるから、裏口入学は容易だったろう。

国恥・雅子さまの追放を

天皇皇后両陛下とトランプ大統領ご夫妻との歓談は、日本が未だにアメリカの植民地であることを示してしまったと言える。

これほど情けないことはない。いつまでたっても日本はアメリカの植民地なのである。

一刻も早く雅子さまを皇室よりご追放申し上げ、正しい皇統・秋篠宮家に譲位されることを願わずにはいられない。

それこそが日本の正しい国体なのである!

悠仁さまが皇位につかれるとき、国民皆、歓喜に打ち震えるであろう。

おまけ:当サイトのコンタクトフォームに寄せられた四ツ谷氏記事へのエール

四ツ谷氏の記事は両手を上げて賛同、評価します!

公正さと真実の記事を!

今までの中傷記事やプロパガンダ記事はごめんである。雅子様の実家、小和田家は教祖が他国人の皇室とは他宗教の学会員家なのになぜ雅子様を皇室に入れたのだろうか。意図的なものを感じる。雅子様は教祖の子と言われてもにわかには信じられないが学会ならそこまでやりそうだし、第一似ている。愛子様天皇持ち上げの理由はそこか❓

なぜ雅子様の病気を理由の公務放棄や実家べったりの行動は許されるのか。

また小和田氏がスイス銀行で皇室のお金を引き出そうとして捕まったと言う記事を見た。皇室の金目のもの(刀剣や王冠👑)がかなり紛失してるらしい。

読者としてしてはその当たりを調べて欲しい。いずれも真実なら日本に多大なる損失を与えているし犯罪である。記者は日本人なら日本の利益を守ってください。日本を貶める記事を書く人は日本人ではありません。
https://rondan.net/23368
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c70

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
17. 中川隆[-10019] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:03:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2333]

ASHIDAVOXのSPシステム
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646


名前:Moca 日付:7月3日(金) 13時28分

Original Size: 513 x 450, 62KB
https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/speaker/ads-61.html

6P-HF1(4Ω)が2個入ったシステムなんだそうな・・・。

こんなの出してたんですねェ。
初めて知ったぞ、こんな物体!

1960年代の初め頃は、モノからステレオに移行しようとしてた時代、
横に長い形は、まだモノ時代の名残りとも思えるし・・(JBLのハークネスなんぞも同類?)

しかし、当時で¥13600とは!!!
ユニットの価格に比して高すぎなんじゃァないの?
結局は売れなかったんだろな(-人-)

ココのサイトに詳しいこと載ってる

https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/index.html


4648.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:通りすがり 日付:7月3日(金) 22時57分


アシダ音響(株)

現在は、ヘッドフォン、イヤホン、宣伝などで使うトランペットスピーカを作っていますね。
こちらの本命サイトも面白いと思います。

http://www.ashida.co.jp/


ちょっとだけ古い物が整理棚に有ったので載せておきます。

カセットウォークマン13年ほど前の物(ソニーWM-EX3)
ブック型ラジオ(20年ほど前?)
どちらも動きます。


4652.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:ハニカミオヤジ 日付:7月5日(日) 1時9分

アシダの 6P-HF1 は昭和32年(1957)11月に発売されて
モデルチェンジされずに昭和55年(1980)迄は発売されていましたから
かなりのロングセラーだったのですね。

大昔のオデオフエアで全く人気の無かったアシダのブースに立ち寄って
アンケート用紙に答えたらデモンストレーション用のカセットを貰ったことを
思い出しました。

4653.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時27分

Moca殿、

米マグナヴォックスの流れを汲むアシダヴォックスは、コーン質量が従来の半分というMRコーンを開発し6PH-F1と8PH−F1を作りよりましたが、

フルレンジとしては驚異的な30〜15KHzという周波特性を誇り
当時の価格¥680円!!というコレマタ驚異的な価格で、多くのゲルピンオーディオファンを作りましたがなぁ〜。

ノースさんが最近まで箱に入れて売ってたそうで、家庭で聞くには十分な性能でした。


4654.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時29分


そのノースサウンド社が作った箱入りスピーカー

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246750143_1.jpg

4656.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時4分

>通りすがり殿

この会社は本来、俗に言うトランペットスピーカーやヘッドホーン等がメインの会社だそうで、Hi-Fiユニットはどちらかというと、副業的にやってたみたいです。

>ハニカミオヤジ殿

6P-HF1は、特に故長岡鉄男氏の推薦などもあって
結構ヒット作と相成ったらしいですねェ。

ただ、年々コスト高になって長岡氏曰く「ローコストの名器」といった
長所(?)が次第に薄れていったのは残念な結果か・・・。


>杉ちゃん殿

ソコのサイトでは、欧米の、名だたる名ユニットと並び、
堂々たる風格でUpされとりますな。

それにしても、UpしたこのSPシステム、
大きさが本体だけで

860(W)/440(H)/390(D)mm
更に脚部の高さが305mm

となんとも当時出てきかけたステレオ電蓄(俗にアンサンブルステレオ)
に匹敵するデカさ!!

コリャ当時(も今も?)の日本の住宅事情では一台置くのも大変だわ
ましてやステレオで・・・なんて無理ポイわな。


4657.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時10分

しかしこの形
ユニットを左右に独立させて、バスレフポート部分は共通の、
いわば「メカニカル2.1Ch」なんちゅうモンをデッチ上げる悪巧みを
喚起させるスタイルじゃわな。


4660.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月6日(月) 12時38分

Moca殿
6PHF-1を使ってテッチャン設計の屏風SPを作ってらしゃったですね、
小生もサブロクのベニアに取り付けて、使ってましたが、

このSPはコーン紙がちり紙みたいにヤワなので、バスレフとか密閉は無理みたいです。

しかし、前記のようなバッフルに取り付けると、コンデンサーSPみたいな軽やかな音が楽しめます。

残念なのは四半世紀も経つとエッジがボロボロ・・
というより無くなっちゃってます。(笑)


4661.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月7日(火) 0時7分

屏風型バッフルは意外と場所取るんよね。

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246892842_1.jpg

なるほど、折りたたんだら家具の隙間に押し込めるかもしらんが、
いちいち聴くたびに展開はチト面倒な・・・。

何回かの引越しなんかで、ユニットは一個破損、
今は生き残った1ユニットを、浅い後面開放箱につけて
モノ専用となって今だに現役で鳴っとります。


4664.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月8日(水) 0時30分

ユニット自体、長年使い続けてかなりヘコが来ておりますのでねェ(笑)

しかし、ココまで来れば愛着も湧くというもの・・・(^ω^)

http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c17

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
52. 中川隆[-10018] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:07:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2334]

ASHIDAVOXのSPシステム
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

名前:Moca 日付:7月3日(金) 13時28分

Original Size: 513 x 450, 62KB
https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/speaker/ads-61.html

6P-HF1(4Ω)が2個入ったシステムなんだそうな・・・。

こんなの出してたんですねェ。
初めて知ったぞ、こんな物体!

1960年代の初め頃は、モノからステレオに移行しようとしてた時代、
横に長い形は、まだモノ時代の名残りとも思えるし・・(JBLのハークネスなんぞも同類?)

しかし、当時で¥13600とは!!!
ユニットの価格に比して高すぎなんじゃァないの?
結局は売れなかったんだろな(-人-)

ココのサイトに詳しいこと載ってる

https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/index.html


4648.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:通りすがり 日付:7月3日(金) 22時57分


アシダ音響(株)

現在は、ヘッドフォン、イヤホン、宣伝などで使うトランペットスピーカを作っていますね。
こちらの本命サイトも面白いと思います。

http://www.ashida.co.jp/


ちょっとだけ古い物が整理棚に有ったので載せておきます。

カセットウォークマン13年ほど前の物(ソニーWM-EX3)
ブック型ラジオ(20年ほど前?)
どちらも動きます。

4652.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:ハニカミオヤジ 日付:7月5日(日) 1時9分

アシダの 6P-HF1 は昭和32年(1957)11月に発売されて
モデルチェンジされずに昭和55年(1980)迄は発売されていましたから
かなりのロングセラーだったのですね。

大昔のオデオフエアで全く人気の無かったアシダのブースに立ち寄って
アンケート用紙に答えたらデモンストレーション用のカセットを貰ったことを
思い出しました。


4653.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時27分

Moca殿、

米マグナヴォックスの流れを汲むアシダヴォックスは、コーン質量が従来の半分というMRコーンを開発し6PH-F1と8PH−F1を作りよりましたが、

フルレンジとしては驚異的な30〜15KHzという周波特性を誇り
当時の価格¥680円!!というコレマタ驚異的な価格で、多くのゲルピンオーディオファンを作りましたがなぁ〜。

ノースさんが最近まで箱に入れて売ってたそうで、家庭で聞くには十分な性能でした。


4654.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時29分


そのノースサウンド社が作った箱入りスピーカー

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246750143_1.jpg


4656.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時4分

>通りすがり殿

この会社は本来、俗に言うトランペットスピーカーやヘッドホーン等がメインの会社だそうで、Hi-Fiユニットはどちらかというと、副業的にやってたみたいです。

>ハニカミオヤジ殿

6P-HF1は、特に故長岡鉄男氏の推薦などもあって
結構ヒット作と相成ったらしいですねェ。

ただ、年々コスト高になって長岡氏曰く「ローコストの名器」といった
長所(?)が次第に薄れていったのは残念な結果か・・・。


>杉ちゃん殿

ソコのサイトでは、欧米の、名だたる名ユニットと並び、
堂々たる風格でUpされとりますな。

それにしても、UpしたこのSPシステム、
大きさが本体だけで

860(W)/440(H)/390(D)mm
更に脚部の高さが305mm

となんとも当時出てきかけたステレオ電蓄(俗にアンサンブルステレオ)
に匹敵するデカさ!!

コリャ当時(も今も?)の日本の住宅事情では一台置くのも大変だわ
ましてやステレオで・・・なんて無理ポイわな。

4657.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時10分

しかしこの形
ユニットを左右に独立させて、バスレフポート部分は共通の、
いわば「メカニカル2.1Ch」なんちゅうモンをデッチ上げる悪巧みを
喚起させるスタイルじゃわな。

4660.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月6日(月) 12時38分

Moca殿
6PHF-1を使ってテッチャン設計の屏風SPを作ってらしゃったですね、
小生もサブロクのベニアに取り付けて、使ってましたが、

このSPはコーン紙がちり紙みたいにヤワなので、バスレフとか密閉は無理みたいです。

しかし、前記のようなバッフルに取り付けると、コンデンサーSPみたいな軽やかな音が楽しめます。

残念なのは四半世紀も経つとエッジがボロボロ・・
というより無くなっちゃってます。(笑)


4661.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月7日(火) 0時7分

屏風型バッフルは意外と場所取るんよね。

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246892842_1.jpg

なるほど、折りたたんだら家具の隙間に押し込めるかもしらんが、
いちいち聴くたびに展開はチト面倒な・・・。

何回かの引越しなんかで、ユニットは一個破損、
今は生き残った1ユニットを、浅い後面開放箱につけて
モノ専用となって今だに現役で鳴っとります。

4664.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月8日(水) 0時30分

ユニット自体、長年使い続けてかなりヘコが来ておりますのでねェ(笑)

しかし、ココまで来れば愛着も湧くというもの・・・(^ω^)

http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c52

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
110. 中川隆[-10017] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:22:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2335]

ASHIDAVOXのSPシステム
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

名前:Moca 日付:7月3日(金) 13時28分

Original Size: 513 x 450, 62KB
https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/speaker/ads-61.html

6P-HF1(4Ω)が2個入ったシステムなんだそうな・・・。

こんなの出してたんですねェ。
初めて知ったぞ、こんな物体!

1960年代の初め頃は、モノからステレオに移行しようとしてた時代、
横に長い形は、まだモノ時代の名残りとも思えるし・・(JBLのハークネスなんぞも同類?)

しかし、当時で¥13600とは!!!
ユニットの価格に比して高すぎなんじゃァないの?
結局は売れなかったんだろな(-人-)

ココのサイトに詳しいこと載ってる

https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/index.html


4648.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:通りすがり 日付:7月3日(金) 22時57分


アシダ音響(株)

現在は、ヘッドフォン、イヤホン、宣伝などで使うトランペットスピーカを作っていますね。
こちらの本命サイトも面白いと思います。

http://www.ashida.co.jp/


ちょっとだけ古い物が整理棚に有ったので載せておきます。

カセットウォークマン13年ほど前の物(ソニーWM-EX3)
ブック型ラジオ(20年ほど前?)
どちらも動きます。

4652.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:ハニカミオヤジ 日付:7月5日(日) 1時9分

アシダの 6P-HF1 は昭和32年(1957)11月に発売されて
モデルチェンジされずに昭和55年(1980)迄は発売されていましたから
かなりのロングセラーだったのですね。

大昔のオデオフエアで全く人気の無かったアシダのブースに立ち寄って
アンケート用紙に答えたらデモンストレーション用のカセットを貰ったことを
思い出しました。


4653.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時27分

Moca殿、

米マグナヴォックスの流れを汲むアシダヴォックスは、コーン質量が従来の半分というMRコーンを開発し6PH-F1と8PH−F1を作りよりましたが、

フルレンジとしては驚異的な30〜15KHzという周波特性を誇り
当時の価格¥680円!!というコレマタ驚異的な価格で、多くのゲルピンオーディオファンを作りましたがなぁ〜。

ノースさんが最近まで箱に入れて売ってたそうで、家庭で聞くには十分な性能でした。


4654.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時29分


そのノースサウンド社が作った箱入りスピーカー

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246750143_1.jpg


4656.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時4分

>通りすがり殿

この会社は本来、俗に言うトランペットスピーカーやヘッドホーン等がメインの会社だそうで、Hi-Fiユニットはどちらかというと、副業的にやってたみたいです。

>ハニカミオヤジ殿

6P-HF1は、特に故長岡鉄男氏の推薦などもあって
結構ヒット作と相成ったらしいですねェ。

ただ、年々コスト高になって長岡氏曰く「ローコストの名器」といった
長所(?)が次第に薄れていったのは残念な結果か・・・。


>杉ちゃん殿

ソコのサイトでは、欧米の、名だたる名ユニットと並び、
堂々たる風格でUpされとりますな。

それにしても、UpしたこのSPシステム、
大きさが本体だけで

860(W)/440(H)/390(D)mm
更に脚部の高さが305mm

となんとも当時出てきかけたステレオ電蓄(俗にアンサンブルステレオ)
に匹敵するデカさ!!

コリャ当時(も今も?)の日本の住宅事情では一台置くのも大変だわ
ましてやステレオで・・・なんて無理ポイわな。

4657.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時10分

しかしこの形
ユニットを左右に独立させて、バスレフポート部分は共通の、
いわば「メカニカル2.1Ch」なんちゅうモンをデッチ上げる悪巧みを
喚起させるスタイルじゃわな。

4660.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月6日(月) 12時38分

Moca殿
6PHF-1を使ってテッチャン設計の屏風SPを作ってらしゃったですね、
小生もサブロクのベニアに取り付けて、使ってましたが、

このSPはコーン紙がちり紙みたいにヤワなので、バスレフとか密閉は無理みたいです。

しかし、前記のようなバッフルに取り付けると、コンデンサーSPみたいな軽やかな音が楽しめます。

残念なのは四半世紀も経つとエッジがボロボロ・・
というより無くなっちゃってます。(笑)


4661.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月7日(火) 0時7分

屏風型バッフルは意外と場所取るんよね。

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246892842_1.jpg

なるほど、折りたたんだら家具の隙間に押し込めるかもしらんが、
いちいち聴くたびに展開はチト面倒な・・・。

何回かの引越しなんかで、ユニットは一個破損、
今は生き残った1ユニットを、浅い後面開放箱につけて
モノ専用となって今だに現役で鳴っとります。

4664.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月8日(水) 0時30分

ユニット自体、長年使い続けてかなりヘコが来ておりますのでねェ(笑)

しかし、ココまで来れば愛着も湧くというもの・・・(^ω^)

http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c110

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
100. 中川隆[-10016] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:23:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2336]

ASHIDAVOXのSPシステム
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

名前:Moca 日付:7月3日(金) 13時28分

Original Size: 513 x 450, 62KB
https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/speaker/ads-61.html

6P-HF1(4Ω)が2個入ったシステムなんだそうな・・・。

こんなの出してたんですねェ。
初めて知ったぞ、こんな物体!

1960年代の初め頃は、モノからステレオに移行しようとしてた時代、
横に長い形は、まだモノ時代の名残りとも思えるし・・(JBLのハークネスなんぞも同類?)

しかし、当時で¥13600とは!!!
ユニットの価格に比して高すぎなんじゃァないの?
結局は売れなかったんだろな(-人-)

ココのサイトに詳しいこと載ってる

https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/index.html


4648.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:通りすがり 日付:7月3日(金) 22時57分


アシダ音響(株)

現在は、ヘッドフォン、イヤホン、宣伝などで使うトランペットスピーカを作っていますね。
こちらの本命サイトも面白いと思います。

http://www.ashida.co.jp/


ちょっとだけ古い物が整理棚に有ったので載せておきます。

カセットウォークマン13年ほど前の物(ソニーWM-EX3)
ブック型ラジオ(20年ほど前?)
どちらも動きます。

4652.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:ハニカミオヤジ 日付:7月5日(日) 1時9分

アシダの 6P-HF1 は昭和32年(1957)11月に発売されて
モデルチェンジされずに昭和55年(1980)迄は発売されていましたから
かなりのロングセラーだったのですね。

大昔のオデオフエアで全く人気の無かったアシダのブースに立ち寄って
アンケート用紙に答えたらデモンストレーション用のカセットを貰ったことを
思い出しました。


4653.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時27分

Moca殿、

米マグナヴォックスの流れを汲むアシダヴォックスは、コーン質量が従来の半分というMRコーンを開発し6PH-F1と8PH−F1を作りよりましたが、

フルレンジとしては驚異的な30〜15KHzという周波特性を誇り
当時の価格¥680円!!というコレマタ驚異的な価格で、多くのゲルピンオーディオファンを作りましたがなぁ〜。

ノースさんが最近まで箱に入れて売ってたそうで、家庭で聞くには十分な性能でした。


4654.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時29分


そのノースサウンド社が作った箱入りスピーカー

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246750143_1.jpg


4656.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時4分

>通りすがり殿

この会社は本来、俗に言うトランペットスピーカーやヘッドホーン等がメインの会社だそうで、Hi-Fiユニットはどちらかというと、副業的にやってたみたいです。

>ハニカミオヤジ殿

6P-HF1は、特に故長岡鉄男氏の推薦などもあって
結構ヒット作と相成ったらしいですねェ。

ただ、年々コスト高になって長岡氏曰く「ローコストの名器」といった
長所(?)が次第に薄れていったのは残念な結果か・・・。


>杉ちゃん殿

ソコのサイトでは、欧米の、名だたる名ユニットと並び、
堂々たる風格でUpされとりますな。

それにしても、UpしたこのSPシステム、
大きさが本体だけで

860(W)/440(H)/390(D)mm
更に脚部の高さが305mm

となんとも当時出てきかけたステレオ電蓄(俗にアンサンブルステレオ)
に匹敵するデカさ!!

コリャ当時(も今も?)の日本の住宅事情では一台置くのも大変だわ
ましてやステレオで・・・なんて無理ポイわな。

4657.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時10分

しかしこの形
ユニットを左右に独立させて、バスレフポート部分は共通の、
いわば「メカニカル2.1Ch」なんちゅうモンをデッチ上げる悪巧みを
喚起させるスタイルじゃわな。

4660.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月6日(月) 12時38分

Moca殿
6PHF-1を使ってテッチャン設計の屏風SPを作ってらしゃったですね、
小生もサブロクのベニアに取り付けて、使ってましたが、

このSPはコーン紙がちり紙みたいにヤワなので、バスレフとか密閉は無理みたいです。

しかし、前記のようなバッフルに取り付けると、コンデンサーSPみたいな軽やかな音が楽しめます。

残念なのは四半世紀も経つとエッジがボロボロ・・
というより無くなっちゃってます。(笑)


4661.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月7日(火) 0時7分

屏風型バッフルは意外と場所取るんよね。

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246892842_1.jpg

なるほど、折りたたんだら家具の隙間に押し込めるかもしらんが、
いちいち聴くたびに展開はチト面倒な・・・。

何回かの引越しなんかで、ユニットは一個破損、
今は生き残った1ユニットを、浅い後面開放箱につけて
モノ専用となって今だに現役で鳴っとります。

4664.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月8日(水) 0時30分

ユニット自体、長年使い続けてかなりヘコが来ておりますのでねェ(笑)

しかし、ココまで来れば愛着も湧くというもの・・・(^ω^)

http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c100

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
101. 中川隆[-10015] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:25:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2337]

ASHIDAVOX 6P-HF1 機器組込型 2016年02月04日
https://ameblo.jp/gomiya-blog/entry-12124989964.html


アシダボックスの6P-HF1、久しぶりに出会いました。

百種類以上のあらゆるフルレンジを所有していた時期があったのですが
その中でも友人・来客から郡を抜いて音楽性評価が高かったのがこのユニットです。

海外の銘フルレンジ・ユニットも色々使ってきましたが

これほどストレスなく軽やかに鳴ってくれるユニットはそうそうないと思います。


10年ぶりだろうか、、、未練のあったユニットだけに再開がとても嬉しい。


今でこそヤフオクなどで6〜15万などという海外の銘機たちと渡り歩く価格をしておりますが、

60年代の記事を見ると定価はなんと、870円!!!!


あまり知られていないのですが、

実はこのユニット、今でも市場よりも遥かに安く手に入る方法があるんです。


ASHIDAVOXはもともとは拡声器などを作るメーカーで家庭用品よりも業務用が本業です。

その為とある映写機やオープンデッキ、館内放送用スピーカーなど

私が実際バラして抜いた品だけで10種類のアイテムにOEMとして組み込まれておりました。


興味ある方は、是非探してみてくださいね。

そして、このユニットの音質の秘訣はやはりコーン紙が大きいと思います。


ASHIDAVOX


フィクスドのエッジ部のこの薄さ、そしてコーン紙の深めなカーブ

三極管の真空管と鳴らすと本当に素晴らしいです。


さて、実家にボロの箱があったとおもうので近々とってこよう。
https://ameblo.jp/gomiya-blog/entry-12124989964.html



▲△▽▼



ASHIDAVOX 6P-HF1 銘器 ペア 美品 フルレンジ アルニコ


ASHIDAVOX 6P-HF1 銘器 ペア 美品 フルレンジ アルニコ
名機 6P-HF1
アシダボックス・アシダ音響社製 16cm フルレンジ ペア 美品です。

超軽量な美濃和紙のコーン紙は、センターが比較的厚めで外周にかけて
徐々に薄く仕上がられ、エッジは向こうが透けて見えるほどの極薄です。

この美濃和紙コーンから(決して大袈裟でなく)素晴らしい音を奏でます。

かつて、日本の職人さんの技術は芸術の域に達していたことが、本品や
20cmフルレンジ 8P-HF1 を聴くことで伺い知れます。

生産終了から半世紀が経ち、残念ながら次世代への技術継承が途絶えたため
今となっては日本中で大切に保管されている僅か100-200本ほど、実はもっと少なくて

数十本かもしれません。
この希少価値と高音質を、是非ご堪能ください。

http://hoshikatta.ciao.jp/otoku/vol2/2015/12/19/ashidavox-6p-hf1-%E9%8A%98%E5%99%A8-%E3%83%9A%E3%82%A2-%E7%BE%8E%E5%93%81-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%B3/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c101

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
111. 中川隆[-10014] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:26:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2338]

ASHIDAVOX 6P-HF1 機器組込型 2016年02月04日
https://ameblo.jp/gomiya-blog/entry-12124989964.html


アシダボックスの6P-HF1、久しぶりに出会いました。

百種類以上のあらゆるフルレンジを所有していた時期があったのですが
その中でも友人・来客から郡を抜いて音楽性評価が高かったのがこのユニットです。

海外の銘フルレンジ・ユニットも色々使ってきましたが

これほどストレスなく軽やかに鳴ってくれるユニットはそうそうないと思います。


10年ぶりだろうか、、、未練のあったユニットだけに再開がとても嬉しい。


今でこそヤフオクなどで6〜15万などという海外の銘機たちと渡り歩く価格をしておりますが、

60年代の記事を見ると定価はなんと、870円!!!!


あまり知られていないのですが、

実はこのユニット、今でも市場よりも遥かに安く手に入る方法があるんです。


ASHIDAVOXはもともとは拡声器などを作るメーカーで家庭用品よりも業務用が本業です。

その為とある映写機やオープンデッキ、館内放送用スピーカーなど

私が実際バラして抜いた品だけで10種類のアイテムにOEMとして組み込まれておりました。


興味ある方は、是非探してみてくださいね。

そして、このユニットの音質の秘訣はやはりコーン紙が大きいと思います。


ASHIDAVOX


フィクスドのエッジ部のこの薄さ、そしてコーン紙の深めなカーブ

三極管の真空管と鳴らすと本当に素晴らしいです。


さて、実家にボロの箱があったとおもうので近々とってこよう。
https://ameblo.jp/gomiya-blog/entry-12124989964.html



▲△▽▼



ASHIDAVOX 6P-HF1 銘器 ペア 美品 フルレンジ アルニコ


ASHIDAVOX 6P-HF1 銘器 ペア 美品 フルレンジ アルニコ
名機 6P-HF1
アシダボックス・アシダ音響社製 16cm フルレンジ ペア 美品です。

超軽量な美濃和紙のコーン紙は、センターが比較的厚めで外周にかけて
徐々に薄く仕上がられ、エッジは向こうが透けて見えるほどの極薄です。

この美濃和紙コーンから(決して大袈裟でなく)素晴らしい音を奏でます。

かつて、日本の職人さんの技術は芸術の域に達していたことが、本品や
20cmフルレンジ 8P-HF1 を聴くことで伺い知れます。

生産終了から半世紀が経ち、残念ながら次世代への技術継承が途絶えたため
今となっては日本中で大切に保管されている僅か100-200本ほど、実はもっと少なくて

数十本かもしれません。
この希少価値と高音質を、是非ご堪能ください。

http://hoshikatta.ciao.jp/otoku/vol2/2015/12/19/ashidavox-6p-hf1-%E9%8A%98%E5%99%A8-%E3%83%9A%E3%82%A2-%E7%BE%8E%E5%93%81-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%B3/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c111

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
112. 中川隆[-10013] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2339]

という事で、世界のスピーカー史上最高の音質の装置は


20cmコーン型フルレンジユニット ASHIDAVOX(アシダボックス)8P-HF1

を巨大なバッフル板に取り付けたもの



STAX ELS-8X
¥500,000(1台、1985年頃)
¥684,000(1台、1990年頃)
ttps://audio-heritage.jp/STAX/speaker/els-8x.html


でしょう。

適合アンプは

ASHIDAVOX は 出力 数ワットの三極管シングルアンプ

STAX は純正アンプ

STAX セパレートアンプ一覧
https://audio-heritage.jp/STAX/amp/index.html


マジコ とか YGアコーステックス程度では絶対に敵わないです。

▲△▽▼

甦れSTAX ELS-8Xコンデンサースピーカー
ttps://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-04-05

(5)i氏山荘(5)圧巻ASHIDAVOX、755E GOLDEN8 CD408 403A 他を圧倒
**「美濃和紙」の超軽量コーンASHIDAVOX 20cmが往年の内外著名SPを圧倒**
ttp://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26


▲△▽▼


ヤフオク! -「ASHIDAVOX 」- 中古品の落札相場、落札価格
ttps://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=ASHIDAVOX+HF1&x=0&y=0
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c112

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
113. 中川隆[-10012] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:40:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2340]
訂正


という事で、世界のスピーカー史上最高の音質の装置は


20cmコーン型フルレンジユニット ASHIDAVOX(アシダボックス)8P-HF1

を巨大なバッフル板に取り付けたもの



STAX ELS-8X
¥500,000(1台、1985年頃)
¥684,000(1台、1990年頃)
https://audio-heritage.jp/STAX/speaker/els-8x.html


でしょう。

適合アンプは

ASHIDAVOX は 出力 数ワットの三極管シングルアンプ

STAX は純正アンプ

STAX セパレートアンプ一覧
https://audio-heritage.jp/STAX/amp/index.html


マジコ とか YGアコーステックス程度では絶対に敵わないです。

▲△▽▼

甦れSTAX ELS-8Xコンデンサースピーカー
https://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-04-05

(5)i氏山荘(5)圧巻ASHIDAVOX、755E GOLDEN8 CD408 403A 他を圧倒
**「美濃和紙」の超軽量コーンASHIDAVOX 20cmが往年の内外著名SPを圧倒**
http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26


▲△▽▼


ヤフオク! -「ASHIDAVOX 」- 中古品の落札相場、落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=ASHIDAVOX+HF1&x=0&y=0
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c113

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
102. 中川隆[-10011] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:41:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2341]

という事で、世界のスピーカー史上最高の音質の装置は


20cmコーン型フルレンジユニット ASHIDAVOX(アシダボックス)8P-HF1

を巨大なバッフル板に取り付けたもの



STAX ELS-8X
¥500,000(1台、1985年頃)
¥684,000(1台、1990年頃)
https://audio-heritage.jp/STAX/speaker/els-8x.html


でしょう。

適合アンプは

ASHIDAVOX は 出力 数ワットの三極管シングルアンプ

STAX は純正アンプ

STAX セパレートアンプ一覧
https://audio-heritage.jp/STAX/amp/index.html


マジコ とか YGアコーステックス程度では絶対に敵わないです。

▲△▽▼

甦れSTAX ELS-8Xコンデンサースピーカー
https://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-04-05

(5)i氏山荘(5)圧巻ASHIDAVOX、755E GOLDEN8 CD408 403A 他を圧倒
**「美濃和紙」の超軽量コーンASHIDAVOX 20cmが往年の内外著名SPを圧倒**
http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26


▲△▽▼


ヤフオク! -「ASHIDAVOX 」- 中古品の落札相場、落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=ASHIDAVOX+HF1&x=0&y=0
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c102

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
53. 中川隆[-10010] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:42:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2342]


という事で、世界のスピーカー史上最高の音質の装置は


20cmコーン型フルレンジユニット ASHIDAVOX(アシダボックス)8P-HF1

を巨大なバッフル板に取り付けたもの



STAX ELS-8X
¥500,000(1台、1985年頃)
¥684,000(1台、1990年頃)
https://audio-heritage.jp/STAX/speaker/els-8x.html


でしょう。

適合アンプは

ASHIDAVOX は 出力 数ワットの三極管シングルアンプ

STAX は純正アンプ

STAX セパレートアンプ一覧
https://audio-heritage.jp/STAX/amp/index.html


マジコ とか YGアコーステックス程度では絶対に敵わないです。

▲△▽▼

甦れSTAX ELS-8Xコンデンサースピーカー
https://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-04-05

(5)i氏山荘(5)圧巻ASHIDAVOX、755E GOLDEN8 CD408 403A 他を圧倒
**「美濃和紙」の超軽量コーンASHIDAVOX 20cmが往年の内外著名SPを圧倒**
http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26


▲△▽▼


ヤフオク! -「ASHIDAVOX 」- 中古品の落札相場、落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=ASHIDAVOX+HF1&x=0&y=0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c53

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
18. 中川隆[-10009] koaQ7Jey 2019年5月29日 13:52:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2343]

という事で、世界のスピーカー史上最高音質の装置は


20cmコーン型フルレンジユニット ASHIDAVOX(アシダボックス)8P-HF1

を巨大なバッフル板に取り付けたもの



STAX ELS-8X
¥500,000(1台、1985年頃)
¥684,000(1台、1990年頃)
https://audio-heritage.jp/STAX/speaker/els-8x.html


でしょう。

適合アンプは

ASHIDAVOX は 出力 数ワットの三極管シングルアンプ

STAX は純正アンプ

STAX セパレートアンプ一覧
https://audio-heritage.jp/STAX/amp/index.html


マジコ とか YGアコーステックス程度では絶対に敵わないです。


▲△▽▼


甦れSTAX ELS-8Xコンデンサースピーカー
https://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-04-05

(5)i氏山荘(5)圧巻ASHIDAVOX、755E GOLDEN8 CD408 403A 他を圧倒
**「美濃和紙」の超軽量コーンASHIDAVOX 20cmが往年の内外著名SPを圧倒**
http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26


▲△▽▼


ヤフオク! -「ASHIDAVOX 」- 中古品の落札相場、落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=ASHIDAVOX+HF1&x=0&y=0

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c18

[近代史3] 内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる 中川隆
5. 中川隆[-10008] koaQ7Jey 2019年5月29日 14:47:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2344]

サル化する世界 - 内田樹の研究室 2019-05-27


「ポピュリズムと民主主義について」という標題である媒体から寄稿を依頼された。字数が限られていたので、言いたいことを書ききれなかった。ロングヴァージョンをここに掲げる。

「ポピュリズム」というのは定義のむずかしい言葉である。政治用語として頻用されているが、それは必ずしもその語の定義についての集団的合意が成立していることを意味しない。

 術語の定義は、ふつう同一カテゴリーに属する他の語との差異に基づいて理解される。だから、「民主主義」の定義ははっきりしている。democracyは誰が主権者であるかによる分類法であるから、これの対義語は「王政(monarchy)」や「貴族政(aristocracy)」や「寡頭政(oligarchy)」や「無政府状態(anarchy)」などである。だから、誰かが「民主主義を廃絶せよ」と主張したとすれば、その人は代替するどれかの政体の支持者であることを明らかにしなければならない。

 だが、「ポピュリズム」はそうはゆかない。というのは、ポピュリズムについては、その対義語が何であるかについての合意がまだ存在しないからである。

 欧米の政治学の論文を読むと、ポピュリズムはほぼ例外なく「これまでの秩序を揺るがす不安定なファクター」という意味で使われている。だが、その時の「これまでの秩序」が何を指示するかはその語が利用される文脈によって、ひとつひとつ違っている。だから、トランプの統治についても、ドイツの移民政策についても、イギリスの貿易政策についても、ヴァチカンの宗教政策についても、「これまでの秩序」を揺るがす動きには「ポピュリズム」というタグが付けられる。それらのすべてに一貫している定義を取り出すことは難しい。

 こういう時、一意的に定義されていない語でものごと論ずる愚を冷笑する人がいるけれど、私はそれには与さない。「一意的に定義されていない語」が頻用される場合には、間違いなくそこには「これまでの言葉ではうまく説明できない新しい事態」が発生しているからである。そういう場合は、用語の厳密性よりも、「新しい事態」の前景化を優先してよいと私は考えている。

 では、ポピュリズムという一意的な定義が定まらない語によって指称されている「新しい事態」とは何なのか?

 私見によれば、ポピュリズムとは「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のことである。

 個人的な定義だから「それは違う」と口を尖らす人がいるかも知れないけれど、別にみなさんにこの意味で使ってくれと言っているわけではない。

「今さえよければいい」というのは時間意識の縮減のことである。平たく言えば「サル化」のことである。「朝三暮四」のあのサルである。

 春秋時代の宋に狙公という人がいて、サルを飼っていた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌していたが、手元不如意になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。

 このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。その点ではわが「当期利益至上主義」者に酷似している。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」と分かっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが「こんなこと」をだらだら続けることができる。その意味では、データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている。

 「朝三暮四」は自己同一性を未来に延長することに困難を感じる時間意識の未成熟(「今さえよければ、それでいい」)のことであるが、「自分さえよければ、他人のことはどうでもいい」というのは自己同一性の空間的な縮減のことである。
 集団の成員のうちで、自分と宗教が違う、生活習慣が違う、政治的意見が違う人々を「外国人」と称して排除することに特段の心理的抵抗を感じない人がいる。「同国人」であっても、幼児や老人や病人や障害者を「生産性がない連中」と言って切り捨てることができる人がいる。彼らは、自分がかつて幼児であったことを忘れ、いずれ老人になることに気づかず、高い確率で病を得、障害を負う可能性を想定していないし、自分が何かのはずみで故郷を喪い、異邦をさすらう身になることなど想像したこともない。見知らぬ土地を、飢え、渇いて、さすらい、やむにやまれず人の家の扉を叩いたときに、顔をしかめて「外国人にやる飯はないよ」と言われたときにどんな気分になるものかを想像したことがない。

 自分と立場や生活のしかたや信教が違っていても、同じ集団を形成している以上、「なかま」として遇してくれて、飢えていればご飯を与えてくれ、渇いていれば水を飲ませてくれ、寝るところがなければ宿を提供することを「当然」だと思っている人たち「ばかり」で形成されている社会で暮らしている方が、そうでない社会に暮らすよりも、「私」が生き延びられる確率は高い。

 噛み砕いて言えば、それだけの話である。

「倫理」というのは別段それほどややこしいものではない。「倫」の原義は「なかま、ともがら」である。だから「倫理」とは「他者とともに生きるための理法」のことである。他者とともにあるときに、どういうルールに従えばいいのか。別に難しい話ではない。「この世の人間たちがみんな自分のような人間であると自己利益が増大するかどうか」を自らに問えばよいのである。

 例えば、渋滞している高速道路で走行禁止の路肩を走るドライバ―は他のドライバーたちが遵法的にじっと渋滞に耐えているときにのみ利益を得ることができる。全員がわれ先に路肩を走り出したら、彼の利益は失われる。だから、彼は「自分以外のすべての人間が遵法的であり、自分だけがそうでないこと」を、つまり、「自分のようにふるまう人間が他にいない世界」を願うようになる。これが「非倫理的」ということである。これはある種の「呪い」として機能する。だって「私のような人間がこの世に存在しませんように」と熱心に祈っているわけなんだから。この「呪い」は弱い酸のようにゆっくり、でも確実に彼の生命力を殺いでゆくことになる。

 もう一度言うが、倫理というのは別に難しいことではない。いまここにはいない未来の自分に、あるいは過去の自分に、あるいは「そうであったかもしれない自分」に、「そうなるかも知れない自分」を「自分の変容態」として、受け容れることである。そのようなすべての「自分たち」に向かって、「あなたがたは存在する。存在する権利がある。存在し続けることを私は願う」という祝福をおのれの固有名において贈ることである。
 
 倫理的な人というのが「サル」の対義語である。

 だから、ポピュリズムの対義語があるとすれば、それは「倫理」である。私はそう思う。たぶん、同意してくれる人はほとんどいないと思うけれど、私はそう思う。

 自己同一性が病的に萎縮して、「今さえよければ、自分さえよれけば、それでいい」と思い込む人たちが多数派を占め、政治経済や学術メディアでそういう連中が大きな顔をしている歴史的趨勢のことを私は「サル化」と呼ぶ。

 「サル化」がこの先どこまで進むのは、私にはよくわからない。けれども、サル化がさらに亢進すると、「朝三暮四」を通り越して、ついには「朝七暮ゼロ」まで進んでしまう。論理的にはそうなる。そのときにはサルたちはみんな夕方になると飢え死にしてしまうので、そのときにポピュリズムも終わるのである。
 哀しい話だ。

 「サルはいやだ、人間になりたい」という人々がまた戻ってくる日が来るのだろうか。来るとよいのだが。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/27_1639.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/398.html#c5

[近代史3] ファーウェイ排除で世界に激震! 日本はどうなる? 中川隆
4. 中川隆[-10007] koaQ7Jey 2019年5月29日 14:52:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2345]
ファーウェイ制裁は、現代のスプートニク・ショック。アメリカがサイバー空間を制する=藤井まり子 2019年5月28日
https://www.mag2.com/p/money/688673


トランプ大統領によるファーウェイをターゲットとした輸出禁止措置は、米中冷戦開幕の狼煙でした。60年以上前に起きたスプートニク・ショックを彷彿とさせます。


中国を抑えて5GとAIでサイバー空間を制したいアメリカ

ファーウェイへの輸出禁止措置は、米中新冷戦開幕の狼煙(のろし)

「米中の新冷戦」の「開幕の狼煙(のろし)」が高々と打ち上げられました!

その「狼煙(のろし)」とは、5月15日のトランプ政権による「ファーウェイなどの中国企業をターゲットとした輸出禁止措置」の発動です。

ファーウェイは、言わずと知れた「次世代通信技術:5G」分野では、アメリカを追い越して世界の最先端を走る大企業です。まずは手始めに、このファーウェイにトランプ政権は照準を当てました。

遅かれ早かれトランプ政権は、AI関連の中国企業をバッシングし始めることでしょう。


「米中貿易戦争」は、「のどかな貿易戦争」の枠組みを大きく飛び越えて、ヒステリックな「ハイテク分野での米中の覇権争い」に発展しています。

これは、知的財産権の問題に留まらず、国家安全保障の問題に発展しているのです。すなわち、「サイバー空間・宇宙空間での米中の軍事的な覇権争い」に発展しているのです。

この「輸出禁止措置」を受け、ファーウェイとの取引を自主的に停止する動きがアメリカ企業を中心に広がっています。グーグル、クアラコム、そしてイギリス・アーム社などがそれです。多くの西側の企業がグーグルの後に続くことでしょう。

ファーウェイは「グーグルのOS:アンドロイド」を使えなくなりました。これは、ファーウェイにとっては死活問題です。

グーグルの「OS:アンドロイド」を使えなくなれば、携帯はただの「なんの役にも立たない、半導体チップのゴミ箱」です。グーグル検索、グーグルマップ、グーグルプレーなどなどの、様々な西側のアプリケーションが使えなくなるからです。

目下のところ、ファーウェイは「独自のOSを開発中だ」と強がっています。が、グーグルのアンドロイ・レベルのOSをすぐに開発することは不可能でしょう。ファーウェイは今後全力で独自のOSを開発してゆくことでしょうが、ファーウェイ製の携帯で使えるアプリは「中国製のアプリ」だけに限られることになります。

さらにさらに、OSだけではありません。

イギリス・アーム社(ソフトバンクの子会社)は、携帯向け半導体チップの設計図(設計情報)を担う会社です。このアーム社の設計情報がなければ、携帯向けの半導体チップは製造できません。そのアーム社も、今後はファーウェイとの取引を中止しました。

アーム社の設計図を使用できなくなれば、ファーウェイの子会社であるハイシリコンは、半導体チップそのものを製造出来なくなります。

アンドロイドを掲載しない携帯は、ただの「半導体チップのゴミ箱」なのに、そのゴミ箱に入れる半導体チップさえも、ファーウェイは製造できなくなるのです。

今後、ファーウェイはソフトの面でもハードの面でも携帯や通信事業で、甚大な被害を被ることになります。

ファーウェイはもはや当面は携帯を製造できなくなるかもしれないのです。

アメリカという国は、本当に、「絶対に敵に回したくない」恐ろしい国です…。

「次世代通信技術:5G」でアメリカを大きくリードしていたファーウェイ。そのファーウェイは、アメリカをリードしていたからこそ、照準を当てられてしまったのです。


ファーウェイは、破綻の危機に追い込まれるかもしれません。北京政府が乗り出して、ファーウェイを一時的に保護してなんとか生き延びられたとしても、ファーウェイの技術開発は大きく足踏みをしてしまうことでしょう。

「ファーウェイ・ショック」は、「現代版スプートニック・ショック」

振り返ると、トランプ政権の動きは極めて迅速でした。

5月10日には、トランプ政権は、劉鶴副首相が訪米中であったにもかかわらず、有無を言わさず、「中国製品:2,000億ドルに対して関税:10%を25%へと引き上げ」ました(関税引き上げ第3弾の発動)。多くの人々が見ている中で、劉鶴副首相の顔にドルを塗ったわけです。


今現在は、トランプ政権は、6月下旬の大阪G20での米中首脳会談に照準を当てて、「残る中国製品:3,000億ドルにも25%の関税をかける」準備を着々と進めて、中国を脅しています(関税第4弾の予告)。

さらに前述のように、5月15日には、トランプ政権は「ファーウェイへの輸出禁止措置」という極めて厳しい措置へと打って来ました。

米中関係は、ほとんどのエコノミストの「のんきな想定の範囲」を大きく乗り越えて、「悪い方向」へ向かっています。

アメリカ国内でも中国国内でも「国粋主義者的な対外強硬派」たちが急速に台頭して発言力を強めています。


アメリカ国内政治では、「アメリカは、いくばくかの成長の犠牲は甘受してでも、中国との覇権争いに負けたくないし、決して負けてはならない!」といった「国粋主義的な対中強硬派の人々」が急速に勢力を伸ばしています。

このヒステリックな動きこそは、今から60年以上前の「スプートニック・ショック」を彷彿とさせます。

米ソ冷戦時代の1957年、ソ連はアメリカに先んじて「人工衛星:スプートニック」の打ち上げに成功しました。ソ連の成功に、当時のアメリカはとても衝撃を受けます。時はあたかも核兵器時代が本格的に幕開けしていました。「宇宙を制するものは、地球を制する」とまで指摘されていたのです。

「スプートニック・ショック」以来、アメリカは狂ったように宇宙開発競争へと本腰を入れてゆきます。この時代以降、アポロの成功をはじめ、核を搭載した大型弾道ロケットなどのミサイル技術が続々を開発されてゆきます。

時代は巡り巡って、21世紀の今。時は、「次世代通信技術:5G」と「人工知能:AIの時代」が始まっています。

「陸海空をはじめとする従来型の軍事力」が地球を制する時代はもはや終わりつつあるのです。次世代は、「5GとAIでサイバー空間を一瞬で制するものが、一瞬にして地球の覇権を握る」と指摘されています。

核戦争などの野暮なものが起きる前に、「敵国のサイバー空間を一瞬で制圧できるものが、一瞬にして地球の覇者となる時代」がすぐそこまで来ているのです。

そんな時代が始まっているのに、アメリカの5G技術開発は、中国のファーウェイのそれに遅れを取っていました。さらには、アメリカのAIの技術は、数年後には中国に追いつき追い越されると予測されていました。

「サイバー空間や宇宙空間を利用すれば、遅かれ早かれ中国がアメリカの軍事力を完全制圧できる恐れ」が急速に現実味を帯びてきていたのです。アメリカ軍部の苦悩は計り知れないものだったでしょう。

60年以上前の「スプートニック・ショック」の時と同類の衝撃が、アメリカ国内で走っていたことは、容易に想像できます。

今回の「ファーウェイへの輸出禁止措置」は、まさしく「現代版のスプートニック・ショック」だったわけです。

いままさに、「次世代技術の開発では、今すぐ中国の息の根を止めたい」とするアメリカと、「息の根だけは止められてたまるか!」とする中国とが、お互い一歩も引かず、にらみ合っています。

「新冷戦」が本格的に始まってしまったのです。

次は、中国のどの企業が、トランプ政権によって「やり玉」に挙げられるのでしょうか?やられっぱなしの中国、本当に「レアメタルの輸出禁止措置」へと打って出るのでしょうか?
https://www.mag2.com/p/money/688673

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/452.html#c4

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
19. 中川隆[-10006] koaQ7Jey 2019年5月29日 15:43:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2346]
>>1
>アシダボックス 8P-HF1 の背面の写真のコーンをよく見ると、紙の表面の状態が少し観察できる。
>エッジ部(フィックスド・エッジ)は繊維が粗になっており、向こうの光が透けて見えている

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった


最大の特徴はエッジがコーン紙の延長でできているフィックスド・エッジである
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった


スイス デュアル 西ドイツ工場製 完全オリジナル 楕円フルレンジ・スピーカー・システム

音質:

極めて質の高い本格的な音を聴くことができる
この音質こそが本物の真の音楽を聴くことができる音である
ずば抜けた音楽表現力がある
これは薄っぺらい安物の音ではない

例えると、特上の にぎりやサーロイン・ステーキである
並みとは旨さや旨味の密度がまるで違うのである
旨いものを食べたとき 旨味が口いぱいに広がるような
そういう音である

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜならフィックスド・エッジだからである

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生でき、実に楽しく音楽が聴ける
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン はあまりにも生々しい真実音である
シンバルはツイーターがついているかのような鳴り方である
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
低音の量感は申し分なく、質も極上である

目の前で自分のために唱ってくれているような、そして、演奏をしてくれているかのようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力が抜群に優れている
ときには あたかも美しい女性の瞳が潤んでいるかのような表現力にウットリする
愛を燃やし、心を溶かし、綿みたいな雲の乗って深い感動の世界で時を忘れて朝まで聴いてしまう
心に染み入り夢心地の幸せに満たされる
とくにジャズはノリノリとなり、跳ね、踊り スイングし、エネルギーが爆発する
声は張りがあってよく通り生のような真実音
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。言葉で正しく伝えるのは難しく
これは体験してみないと分からない音かもしれない

WE(Western Electric) や Siemens の劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない

プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである

当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった

瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ

Accuphase の M100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか

それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する

優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである

出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう

それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う


例えばこの盤では:

ジャズ・ヴォーカルの名盤「ヘレン・メリル ウイズ クリフォード・ブラウン」(米Emarcy)
ヘレン・メリルのハスキーで洗練されたセンスとしっとりした情感やデリケートな表現が心に伝わって
自分のために唱ってくれているようで、手を伸ばすと届きそうな感じさえする
昔小さなライブ・ハウスでまじかで聴いたことがあるが、そのときを彷彿とさせるリアルさである

フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

ヤフオク 独 SIEMENS COAXIAL

過去3ヶ月の「 COAXIAL 」の統計データ情報
「COAXIAL」 に関する落札商品は全部で 98 件あります。

平均落札価格 9,532 円
最高落札価格 146,000 円
最低落札価格 100 円

独 SIEMENS COAXIAL/シーメンス コアキシャル 25cm 同軸2ウエイ・スピーカー・システム 平面バッフルの完動中古品のペアです。

コアキシャルは上級者の間で あまりにも有名である。
この音を聴くと他のスピーカーは雑魚(ざこ)同然に思うであろう。
コアキシャルは終生の伴侶≠ニなりうるスピーカーである。
コアキシャルはオイロダインと同じフィックスド・エッジである。
このエッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
これが本物のプロ用である

昔使用していた 38cm・4way の JBL 4343 はわずか10数年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う。

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである。
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンで46歳という若さでアッという間に旅立ってしまった
あゝ無常 哀れなり

SIEMENS COAXIAL の音質:

まるで次元の違う別世界の音である
この劇場用の音はいくら言葉で説明しても実際に聴かないと分からないかもしれない
この音を聴くと他はあまりにも柔(やわ)で聴くに耐えないであろう
生々しい真実音、圧倒的リアリティー、高解像力、高音楽表現力、超ハイ・スピードである
抜群の高音楽表現力により、実に楽しく音楽が聴ける
聴き手の心を揺さぶり感動の世界で幸福感に満たされる
これらは他のいかなるスピーカーとも大きく異なっている

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜなら、音の立ち上がりや立ち下がり のことを過渡特性というが これが抜群によいからです
過渡特性のよくないスピーカーからいい音を引き出すことは不可能と言ってもよい

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生できる
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン は生々しくあまりのリアルさにゾクッとする
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
ヴォーカルは目の前で自分のために唱ってくれているようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
声は張りがあってよく通り生のような真実音
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い美しい音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力に極めて優れている
音楽の感情表現力が凄いのである 他のスピーカーではこうはとても行くまい
ヴァイオリンもピアノも響きがキリッとしていて、しなやかでリアリティがある
ジャズは「水を得た魚」のようであり、エネルギーが爆発する すさまじさがある
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フォルティッシモでは部屋の空気を揺るがす強烈なパワーに本当に鳥肌が立つ

最も大事なことは、

本当にいいスピーカーは必ずかすかな音や演奏者の息使い、会場の空気感まで明瞭に再生できる
音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴るのが本当に優れたいいスピーカーである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」

こうゆう音は聴いていて気持がよい。

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。
言葉で正しく伝えるのは難しく、これは体験してみないと分からない音かもしれない。

ウエスタンやシーメンスの劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない。
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない。

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが、これがまったく音が飛ばない。
プロ用と称しながら玩具同然である。

Accuphase の M100 500W×2(この超弩級ハイパワー・アンプは100万円した)で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった。
玩具同然のアンプであったと言わざるを得ない。 100万円の玩具である。

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった。
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった。
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである。

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか。
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない。
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった。
こんな低音ならないほうがましだ。

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない。
ボリュウームの問題ではないからだ。
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する。
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない。
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである。

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る。
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである。
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり、大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない。

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる。』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう。
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う。
https://aucfree.com/items/u190943639

詳細は


どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c19

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
114. 中川隆[-10005] koaQ7Jey 2019年5月29日 15:44:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2347]

>アシダボックス 8P-HF1 の背面の写真のコーンをよく見ると、紙の表面の状態が少し観察できる。
>エッジ部(フィックスド・エッジ)は繊維が粗になっており、向こうの光が透けて見えている

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった


最大の特徴はエッジがコーン紙の延長でできているフィックスド・エッジである
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった


スイス デュアル 西ドイツ工場製 完全オリジナル 楕円フルレンジ・スピーカー・システム

音質:

極めて質の高い本格的な音を聴くことができる
この音質こそが本物の真の音楽を聴くことができる音である
ずば抜けた音楽表現力がある
これは薄っぺらい安物の音ではない

例えると、特上の にぎりやサーロイン・ステーキである
並みとは旨さや旨味の密度がまるで違うのである
旨いものを食べたとき 旨味が口いぱいに広がるような
そういう音である

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜならフィックスド・エッジだからである

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生でき、実に楽しく音楽が聴ける
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン はあまりにも生々しい真実音である
シンバルはツイーターがついているかのような鳴り方である
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
低音の量感は申し分なく、質も極上である

目の前で自分のために唱ってくれているような、そして、演奏をしてくれているかのようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力が抜群に優れている
ときには あたかも美しい女性の瞳が潤んでいるかのような表現力にウットリする
愛を燃やし、心を溶かし、綿みたいな雲の乗って深い感動の世界で時を忘れて朝まで聴いてしまう
心に染み入り夢心地の幸せに満たされる
とくにジャズはノリノリとなり、跳ね、踊り スイングし、エネルギーが爆発する
声は張りがあってよく通り生のような真実音
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。言葉で正しく伝えるのは難しく
これは体験してみないと分からない音かもしれない

WE(Western Electric) や Siemens の劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない

プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである

当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった

瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ

Accuphase の M100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか

それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する

優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである

出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう

それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う


例えばこの盤では:

ジャズ・ヴォーカルの名盤「ヘレン・メリル ウイズ クリフォード・ブラウン」(米Emarcy)
ヘレン・メリルのハスキーで洗練されたセンスとしっとりした情感やデリケートな表現が心に伝わって
自分のために唱ってくれているようで、手を伸ばすと届きそうな感じさえする
昔小さなライブ・ハウスでまじかで聴いたことがあるが、そのときを彷彿とさせるリアルさである

フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

ヤフオク 独 SIEMENS COAXIAL

過去3ヶ月の「 COAXIAL 」の統計データ情報
「COAXIAL」 に関する落札商品は全部で 98 件あります。

平均落札価格 9,532 円
最高落札価格 146,000 円
最低落札価格 100 円

独 SIEMENS COAXIAL/シーメンス コアキシャル 25cm 同軸2ウエイ・スピーカー・システム 平面バッフルの完動中古品のペアです。

コアキシャルは上級者の間で あまりにも有名である。
この音を聴くと他のスピーカーは雑魚(ざこ)同然に思うであろう。
コアキシャルは終生の伴侶≠ニなりうるスピーカーである。
コアキシャルはオイロダインと同じフィックスド・エッジである。
このエッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
これが本物のプロ用である

昔使用していた 38cm・4way の JBL 4343 はわずか10数年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う。

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである。
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンで46歳という若さでアッという間に旅立ってしまった
あゝ無常 哀れなり

SIEMENS COAXIAL の音質:

まるで次元の違う別世界の音である
この劇場用の音はいくら言葉で説明しても実際に聴かないと分からないかもしれない
この音を聴くと他はあまりにも柔(やわ)で聴くに耐えないであろう
生々しい真実音、圧倒的リアリティー、高解像力、高音楽表現力、超ハイ・スピードである
抜群の高音楽表現力により、実に楽しく音楽が聴ける
聴き手の心を揺さぶり感動の世界で幸福感に満たされる
これらは他のいかなるスピーカーとも大きく異なっている

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜなら、音の立ち上がりや立ち下がり のことを過渡特性というが これが抜群によいからです
過渡特性のよくないスピーカーからいい音を引き出すことは不可能と言ってもよい

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生できる
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン は生々しくあまりのリアルさにゾクッとする
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
ヴォーカルは目の前で自分のために唱ってくれているようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
声は張りがあってよく通り生のような真実音
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い美しい音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力に極めて優れている
音楽の感情表現力が凄いのである 他のスピーカーではこうはとても行くまい
ヴァイオリンもピアノも響きがキリッとしていて、しなやかでリアリティがある
ジャズは「水を得た魚」のようであり、エネルギーが爆発する すさまじさがある
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フォルティッシモでは部屋の空気を揺るがす強烈なパワーに本当に鳥肌が立つ

最も大事なことは、

本当にいいスピーカーは必ずかすかな音や演奏者の息使い、会場の空気感まで明瞭に再生できる
音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴るのが本当に優れたいいスピーカーである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」

こうゆう音は聴いていて気持がよい。

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。
言葉で正しく伝えるのは難しく、これは体験してみないと分からない音かもしれない。

ウエスタンやシーメンスの劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない。
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない。

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが、これがまったく音が飛ばない。
プロ用と称しながら玩具同然である。

Accuphase の M100 500W×2(この超弩級ハイパワー・アンプは100万円した)で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった。
玩具同然のアンプであったと言わざるを得ない。 100万円の玩具である。

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった。
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった。
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである。

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか。
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない。
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった。
こんな低音ならないほうがましだ。

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない。
ボリュウームの問題ではないからだ。
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する。
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない。
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである。

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る。
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである。
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり、大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない。

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる。』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう。
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う。
https://aucfree.com/items/u190943639

詳細は

どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c114

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
103. 中川隆[-10004] koaQ7Jey 2019年5月29日 15:45:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2348]


>アシダボックス 8P-HF1 の背面の写真のコーンをよく見ると、紙の表面の状態が少し観察できる。
>エッジ部(フィックスド・エッジ)は繊維が粗になっており、向こうの光が透けて見えている

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった


最大の特徴はエッジがコーン紙の延長でできているフィックスド・エッジである
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった


スイス デュアル 西ドイツ工場製 完全オリジナル 楕円フルレンジ・スピーカー・システム

音質:

極めて質の高い本格的な音を聴くことができる
この音質こそが本物の真の音楽を聴くことができる音である
ずば抜けた音楽表現力がある
これは薄っぺらい安物の音ではない

例えると、特上の にぎりやサーロイン・ステーキである
並みとは旨さや旨味の密度がまるで違うのである
旨いものを食べたとき 旨味が口いぱいに広がるような
そういう音である

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜならフィックスド・エッジだからである

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生でき、実に楽しく音楽が聴ける
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン はあまりにも生々しい真実音である
シンバルはツイーターがついているかのような鳴り方である
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
低音の量感は申し分なく、質も極上である

目の前で自分のために唱ってくれているような、そして、演奏をしてくれているかのようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力が抜群に優れている
ときには あたかも美しい女性の瞳が潤んでいるかのような表現力にウットリする
愛を燃やし、心を溶かし、綿みたいな雲の乗って深い感動の世界で時を忘れて朝まで聴いてしまう
心に染み入り夢心地の幸せに満たされる
とくにジャズはノリノリとなり、跳ね、踊り スイングし、エネルギーが爆発する
声は張りがあってよく通り生のような真実音
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。言葉で正しく伝えるのは難しく
これは体験してみないと分からない音かもしれない

WE(Western Electric) や Siemens の劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない

プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである

当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった

瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ

Accuphase の M100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか

それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する

優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである

出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう

それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う


例えばこの盤では:

ジャズ・ヴォーカルの名盤「ヘレン・メリル ウイズ クリフォード・ブラウン」(米Emarcy)
ヘレン・メリルのハスキーで洗練されたセンスとしっとりした情感やデリケートな表現が心に伝わって
自分のために唱ってくれているようで、手を伸ばすと届きそうな感じさえする
昔小さなライブ・ハウスでまじかで聴いたことがあるが、そのときを彷彿とさせるリアルさである

フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
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▲△▽▼

ヤフオク 独 SIEMENS COAXIAL

過去3ヶ月の「 COAXIAL 」の統計データ情報
「COAXIAL」 に関する落札商品は全部で 98 件あります。

平均落札価格 9,532 円
最高落札価格 146,000 円
最低落札価格 100 円

独 SIEMENS COAXIAL/シーメンス コアキシャル 25cm 同軸2ウエイ・スピーカー・システム 平面バッフルの完動中古品のペアです。

コアキシャルは上級者の間で あまりにも有名である。
この音を聴くと他のスピーカーは雑魚(ざこ)同然に思うであろう。
コアキシャルは終生の伴侶≠ニなりうるスピーカーである。
コアキシャルはオイロダインと同じフィックスド・エッジである。
このエッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
これが本物のプロ用である

昔使用していた 38cm・4way の JBL 4343 はわずか10数年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う。

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである。
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンで46歳という若さでアッという間に旅立ってしまった
あゝ無常 哀れなり

SIEMENS COAXIAL の音質:

まるで次元の違う別世界の音である
この劇場用の音はいくら言葉で説明しても実際に聴かないと分からないかもしれない
この音を聴くと他はあまりにも柔(やわ)で聴くに耐えないであろう
生々しい真実音、圧倒的リアリティー、高解像力、高音楽表現力、超ハイ・スピードである
抜群の高音楽表現力により、実に楽しく音楽が聴ける
聴き手の心を揺さぶり感動の世界で幸福感に満たされる
これらは他のいかなるスピーカーとも大きく異なっている

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜなら、音の立ち上がりや立ち下がり のことを過渡特性というが これが抜群によいからです
過渡特性のよくないスピーカーからいい音を引き出すことは不可能と言ってもよい

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生できる
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン は生々しくあまりのリアルさにゾクッとする
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
ヴォーカルは目の前で自分のために唱ってくれているようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
声は張りがあってよく通り生のような真実音
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い美しい音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力に極めて優れている
音楽の感情表現力が凄いのである 他のスピーカーではこうはとても行くまい
ヴァイオリンもピアノも響きがキリッとしていて、しなやかでリアリティがある
ジャズは「水を得た魚」のようであり、エネルギーが爆発する すさまじさがある
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フォルティッシモでは部屋の空気を揺るがす強烈なパワーに本当に鳥肌が立つ

最も大事なことは、

本当にいいスピーカーは必ずかすかな音や演奏者の息使い、会場の空気感まで明瞭に再生できる
音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴るのが本当に優れたいいスピーカーである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」

こうゆう音は聴いていて気持がよい。

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。
言葉で正しく伝えるのは難しく、これは体験してみないと分からない音かもしれない。

ウエスタンやシーメンスの劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない。
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない。

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが、これがまったく音が飛ばない。
プロ用と称しながら玩具同然である。

Accuphase の M100 500W×2(この超弩級ハイパワー・アンプは100万円した)で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった。
玩具同然のアンプであったと言わざるを得ない。 100万円の玩具である。

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった。
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった。
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである。

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか。
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない。
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった。
こんな低音ならないほうがましだ。

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ボリュウームの問題ではないからだ。
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する。
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない。
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである。

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る。
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである。
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり、大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない。

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一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう。
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う。
https://aucfree.com/items/u190943639

詳細は

どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c103

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
54. 中川隆[-10003] koaQ7Jey 2019年5月29日 15:46:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2349]


>アシダボックス 8P-HF1 の背面の写真のコーンをよく見ると、紙の表面の状態が少し観察できる。
>エッジ部(フィックスド・エッジ)は繊維が粗になっており、向こうの光が透けて見えている

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった


最大の特徴はエッジがコーン紙の延長でできているフィックスド・エッジである
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった


スイス デュアル 西ドイツ工場製 完全オリジナル 楕円フルレンジ・スピーカー・システム

音質:

極めて質の高い本格的な音を聴くことができる
この音質こそが本物の真の音楽を聴くことができる音である
ずば抜けた音楽表現力がある
これは薄っぺらい安物の音ではない

例えると、特上の にぎりやサーロイン・ステーキである
並みとは旨さや旨味の密度がまるで違うのである
旨いものを食べたとき 旨味が口いぱいに広がるような
そういう音である

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜならフィックスド・エッジだからである

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生でき、実に楽しく音楽が聴ける
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン はあまりにも生々しい真実音である
シンバルはツイーターがついているかのような鳴り方である
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
低音の量感は申し分なく、質も極上である

目の前で自分のために唱ってくれているような、そして、演奏をしてくれているかのようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力が抜群に優れている
ときには あたかも美しい女性の瞳が潤んでいるかのような表現力にウットリする
愛を燃やし、心を溶かし、綿みたいな雲の乗って深い感動の世界で時を忘れて朝まで聴いてしまう
心に染み入り夢心地の幸せに満たされる
とくにジャズはノリノリとなり、跳ね、踊り スイングし、エネルギーが爆発する
声は張りがあってよく通り生のような真実音
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。言葉で正しく伝えるのは難しく
これは体験してみないと分からない音かもしれない

WE(Western Electric) や Siemens の劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない

プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである

当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった

瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ

Accuphase の M100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか

それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する

優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである

出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう

それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う


例えばこの盤では:

ジャズ・ヴォーカルの名盤「ヘレン・メリル ウイズ クリフォード・ブラウン」(米Emarcy)
ヘレン・メリルのハスキーで洗練されたセンスとしっとりした情感やデリケートな表現が心に伝わって
自分のために唱ってくれているようで、手を伸ばすと届きそうな感じさえする
昔小さなライブ・ハウスでまじかで聴いたことがあるが、そのときを彷彿とさせるリアルさである

フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

ヤフオク 独 SIEMENS COAXIAL

過去3ヶ月の「 COAXIAL 」の統計データ情報
「COAXIAL」 に関する落札商品は全部で 98 件あります。

平均落札価格 9,532 円
最高落札価格 146,000 円
最低落札価格 100 円

独 SIEMENS COAXIAL/シーメンス コアキシャル 25cm 同軸2ウエイ・スピーカー・システム 平面バッフルの完動中古品のペアです。

コアキシャルは上級者の間で あまりにも有名である。
この音を聴くと他のスピーカーは雑魚(ざこ)同然に思うであろう。
コアキシャルは終生の伴侶≠ニなりうるスピーカーである。
コアキシャルはオイロダインと同じフィックスド・エッジである。
このエッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
これが本物のプロ用である

昔使用していた 38cm・4way の JBL 4343 はわずか10数年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う。

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである。
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンで46歳という若さでアッという間に旅立ってしまった
あゝ無常 哀れなり

SIEMENS COAXIAL の音質:

まるで次元の違う別世界の音である
この劇場用の音はいくら言葉で説明しても実際に聴かないと分からないかもしれない
この音を聴くと他はあまりにも柔(やわ)で聴くに耐えないであろう
生々しい真実音、圧倒的リアリティー、高解像力、高音楽表現力、超ハイ・スピードである
抜群の高音楽表現力により、実に楽しく音楽が聴ける
聴き手の心を揺さぶり感動の世界で幸福感に満たされる
これらは他のいかなるスピーカーとも大きく異なっている

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜなら、音の立ち上がりや立ち下がり のことを過渡特性というが これが抜群によいからです
過渡特性のよくないスピーカーからいい音を引き出すことは不可能と言ってもよい

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生できる
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン は生々しくあまりのリアルさにゾクッとする
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
ヴォーカルは目の前で自分のために唱ってくれているようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
声は張りがあってよく通り生のような真実音
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い美しい音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力に極めて優れている
音楽の感情表現力が凄いのである 他のスピーカーではこうはとても行くまい
ヴァイオリンもピアノも響きがキリッとしていて、しなやかでリアリティがある
ジャズは「水を得た魚」のようであり、エネルギーが爆発する すさまじさがある
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フォルティッシモでは部屋の空気を揺るがす強烈なパワーに本当に鳥肌が立つ

最も大事なことは、

本当にいいスピーカーは必ずかすかな音や演奏者の息使い、会場の空気感まで明瞭に再生できる
音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴るのが本当に優れたいいスピーカーである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」

こうゆう音は聴いていて気持がよい。

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。
言葉で正しく伝えるのは難しく、これは体験してみないと分からない音かもしれない。

ウエスタンやシーメンスの劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない。
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない。

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが、これがまったく音が飛ばない。
プロ用と称しながら玩具同然である。

Accuphase の M100 500W×2(この超弩級ハイパワー・アンプは100万円した)で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった。
玩具同然のアンプであったと言わざるを得ない。 100万円の玩具である。

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった。
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった。
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである。

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか。
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない。
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった。
こんな低音ならないほうがましだ。

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない。
ボリュウームの問題ではないからだ。
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する。
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない。
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである。

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る。
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである。
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり、大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない。

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる。』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう。
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う。
https://aucfree.com/items/u190943639

詳細は

どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c54

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
20. 中川隆[-10002] koaQ7Jey 2019年5月29日 15:59:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2350]

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった _ 2

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____



[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____



[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。


____


[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。

____


[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。


____


[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____

[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。


____



[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。

____


[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。

____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c20

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
55. 中川隆[-10001] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:00:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2351]

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった _ 2

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
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リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____



[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____



[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。


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[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。

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[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。


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[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

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[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。


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[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。

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[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。

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色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
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[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
115. 中川隆[-10000] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:01:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2352]

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった _ 2

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
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http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____



[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____



[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。


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[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。

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[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。


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[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

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[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。


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[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。

____


[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。

____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c115

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
104. 中川隆[-9999] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:01:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2353]

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった _ 2

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____



[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____



[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。


____


[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。

____


[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。


____


[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____

[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。


____



[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。

____


[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。

____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c104

[リバイバル3] どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
9. 中川隆[-9998] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:02:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2354]

音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____



[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____



[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。


____


[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。

____


[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。


____


[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____

[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。


____



[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。

____


[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。

____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html#c9

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
10. 中川隆[-9997] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:03:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2355]

音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____



[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____



[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。


____


[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。

____


[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。


____


[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____

[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。


____



[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。

____


[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。

____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c10

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
8. 中川隆[-9996] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:10:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2356]

>アシダボックス 8P-HF1 の背面の写真のコーンをよく見ると、紙の表面の状態が少し観察できる。
>エッジ部(フィックスド・エッジ)は繊維が粗になっており、向こうの光が透けて見えている


アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった

最大の特徴はエッジがコーン紙の延長でできているフィックスド・エッジである
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった


スイス デュアル 西ドイツ工場製 完全オリジナル 楕円フルレンジ・スピーカー・システム

音質:

極めて質の高い本格的な音を聴くことができる
この音質こそが本物の真の音楽を聴くことができる音である
ずば抜けた音楽表現力がある
これは薄っぺらい安物の音ではない

例えると、特上の にぎりやサーロイン・ステーキである
並みとは旨さや旨味の密度がまるで違うのである
旨いものを食べたとき 旨味が口いぱいに広がるような
そういう音である

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜならフィックスド・エッジだからである

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生でき、実に楽しく音楽が聴ける
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン はあまりにも生々しい真実音である
シンバルはツイーターがついているかのような鳴り方である
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
低音の量感は申し分なく、質も極上である

目の前で自分のために唱ってくれているような、そして、演奏をしてくれているかのようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力が抜群に優れている
ときには あたかも美しい女性の瞳が潤んでいるかのような表現力にウットリする
愛を燃やし、心を溶かし、綿みたいな雲の乗って深い感動の世界で時を忘れて朝まで聴いてしまう
心に染み入り夢心地の幸せに満たされる
とくにジャズはノリノリとなり、跳ね、踊り スイングし、エネルギーが爆発する
声は張りがあってよく通り生のような真実音
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。言葉で正しく伝えるのは難しく
これは体験してみないと分からない音かもしれない

WE(Western Electric) や Siemens の劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない

プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである

当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった

瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ

Accuphase の M100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか

それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する

優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである

出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう

それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う


例えばこの盤では:

ジャズ・ヴォーカルの名盤「ヘレン・メリル ウイズ クリフォード・ブラウン」(米Emarcy)
ヘレン・メリルのハスキーで洗練されたセンスとしっとりした情感やデリケートな表現が心に伝わって
自分のために唱ってくれているようで、手を伸ばすと届きそうな感じさえする
昔小さなライブ・ハウスでまじかで聴いたことがあるが、そのときを彷彿とさせるリアルさである

フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼

ヤフオク 独 SIEMENS COAXIAL

過去3ヶ月の「 COAXIAL 」の統計データ情報
「COAXIAL」 に関する落札商品は全部で 98 件あります。

平均落札価格 9,532 円
最高落札価格 146,000 円
最低落札価格 100 円

独 SIEMENS COAXIAL/シーメンス コアキシャル 25cm 同軸2ウエイ・スピーカー・システム 平面バッフルの完動中古品のペアです。

コアキシャルは上級者の間で あまりにも有名である。
この音を聴くと他のスピーカーは雑魚(ざこ)同然に思うであろう。
コアキシャルは終生の伴侶≠ニなりうるスピーカーである。
コアキシャルはオイロダインと同じフィックスド・エッジである。
このエッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
これが本物のプロ用である

昔使用していた 38cm・4way の JBL 4343 はわずか10数年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う。

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである。
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンで46歳という若さでアッという間に旅立ってしまった
あゝ無常 哀れなり


SIEMENS COAXIAL の音質:

まるで次元の違う別世界の音である
この劇場用の音はいくら言葉で説明しても実際に聴かないと分からないかもしれない
この音を聴くと他はあまりにも柔(やわ)で聴くに耐えないであろう
生々しい真実音、圧倒的リアリティー、高解像力、高音楽表現力、超ハイ・スピードである
抜群の高音楽表現力により、実に楽しく音楽が聴ける
聴き手の心を揺さぶり感動の世界で幸福感に満たされる
これらは他のいかなるスピーカーとも大きく異なっている

クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜなら、音の立ち上がりや立ち下がり のことを過渡特性というが これが抜群によいからです
過渡特性のよくないスピーカーからいい音を引き出すことは不可能と言ってもよい

ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生できる
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン は生々しくあまりのリアルさにゾクッとする
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
ヴォーカルは目の前で自分のために唱ってくれているようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
声は張りがあってよく通り生のような真実音
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い美しい音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力に極めて優れている
音楽の感情表現力が凄いのである 他のスピーカーではこうはとても行くまい
ヴァイオリンもピアノも響きがキリッとしていて、しなやかでリアリティがある
ジャズは「水を得た魚」のようであり、エネルギーが爆発する すさまじさがある
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フォルティッシモでは部屋の空気を揺るがす強烈なパワーに本当に鳥肌が立つ

最も大事なことは、

本当にいいスピーカーは必ずかすかな音や演奏者の息使い、会場の空気感まで明瞭に再生できる
音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴るのが本当に優れたいいスピーカーである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」

こうゆう音は聴いていて気持がよい。

では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。
言葉で正しく伝えるのは難しく、これは体験してみないと分からない音かもしれない。

ウエスタンやシーメンスの劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない。
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない。

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが、これがまったく音が飛ばない。
プロ用と称しながら玩具同然である。

Accuphase の M100 500W×2(この超弩級ハイパワー・アンプは100万円した)で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった。
玩具同然のアンプであったと言わざるを得ない。 100万円の玩具である。

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった。
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった。
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである。

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか。
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない。
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった。
こんな低音ならないほうがましだ。

いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない。
ボリュウームの問題ではないからだ。
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する。
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない。
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである。

単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る。
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである。
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり、大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない。

『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる。』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう。
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う。
https://aucfree.com/items/u190943639


詳細は


どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c8

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
9. 中川隆[-9995] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:11:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2357]

アシダボックス 8P-HF1 の様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった _ 2


エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼


リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____

[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____

[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。

____

[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。


____

[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。

____

[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____


[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。

____

[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。


____

[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。


____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c9

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
10. 中川隆[-9994] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:12:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2358]

ASHIDAVOXのSPシステム
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646


名前:Moca 日付:7月3日(金) 13時28分

Original Size: 513 x 450, 62KB
https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/speaker/ads-61.html

6P-HF1(4Ω)が2個入ったシステムなんだそうな・・・。

こんなの出してたんですねェ。
初めて知ったぞ、こんな物体!

1960年代の初め頃は、モノからステレオに移行しようとしてた時代、
横に長い形は、まだモノ時代の名残りとも思えるし・・(JBLのハークネスなんぞも同類?)

しかし、当時で¥13600とは!!!
ユニットの価格に比して高すぎなんじゃァないの?
結局は売れなかったんだろな(-人-)

ココのサイトに詳しいこと載ってる

https://audio-heritage.jp/ASHIDAVOX/index.html


4648.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:通りすがり 日付:7月3日(金) 22時57分


アシダ音響(株)

現在は、ヘッドフォン、イヤホン、宣伝などで使うトランペットスピーカを作っていますね。
こちらの本命サイトも面白いと思います。

http://www.ashida.co.jp/


ちょっとだけ古い物が整理棚に有ったので載せておきます。

カセットウォークマン13年ほど前の物(ソニーWM-EX3)
ブック型ラジオ(20年ほど前?)
どちらも動きます。

4652.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:ハニカミオヤジ 日付:7月5日(日) 1時9分

アシダの 6P-HF1 は昭和32年(1957)11月に発売されて
モデルチェンジされずに昭和55年(1980)迄は発売されていましたから
かなりのロングセラーだったのですね。

大昔のオデオフエアで全く人気の無かったアシダのブースに立ち寄って
アンケート用紙に答えたらデモンストレーション用のカセットを貰ったことを
思い出しました。


4653.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時27分

Moca殿、

米マグナヴォックスの流れを汲むアシダヴォックスは、コーン質量が従来の半分というMRコーンを開発し6PH-F1と8PH−F1を作りよりましたが、

フルレンジとしては驚異的な30〜15KHzという周波特性を誇り
当時の価格¥680円!!というコレマタ驚異的な価格で、多くのゲルピンオーディオファンを作りましたがなぁ〜。

ノースさんが最近まで箱に入れて売ってたそうで、家庭で聞くには十分な性能でした。


4654.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月5日(日) 8時29分


そのノースサウンド社が作った箱入りスピーカー

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246750143_1.jpg


4656.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時4分

>通りすがり殿

この会社は本来、俗に言うトランペットスピーカーやヘッドホーン等がメインの会社だそうで、Hi-Fiユニットはどちらかというと、副業的にやってたみたいです。

>ハニカミオヤジ殿

6P-HF1は、特に故長岡鉄男氏の推薦などもあって
結構ヒット作と相成ったらしいですねェ。

ただ、年々コスト高になって長岡氏曰く「ローコストの名器」といった
長所(?)が次第に薄れていったのは残念な結果か・・・。


>杉ちゃん殿

ソコのサイトでは、欧米の、名だたる名ユニットと並び、
堂々たる風格でUpされとりますな。

それにしても、UpしたこのSPシステム、
大きさが本体だけで

860(W)/440(H)/390(D)mm
更に脚部の高さが305mm

となんとも当時出てきかけたステレオ電蓄(俗にアンサンブルステレオ)
に匹敵するデカさ!!

コリャ当時(も今も?)の日本の住宅事情では一台置くのも大変だわ
ましてやステレオで・・・なんて無理ポイわな。

4657.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月5日(日) 16時10分

しかしこの形
ユニットを左右に独立させて、バスレフポート部分は共通の、
いわば「メカニカル2.1Ch」なんちゅうモンをデッチ上げる悪巧みを
喚起させるスタイルじゃわな。

4660.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:杉ちゃん 日付:7月6日(月) 12時38分

Moca殿
6PHF-1を使ってテッチャン設計の屏風SPを作ってらしゃったですね、
小生もサブロクのベニアに取り付けて、使ってましたが、

このSPはコーン紙がちり紙みたいにヤワなので、バスレフとか密閉は無理みたいです。

しかし、前記のようなバッフルに取り付けると、コンデンサーSPみたいな軽やかな音が楽しめます。

残念なのは四半世紀も経つとエッジがボロボロ・・
というより無くなっちゃってます。(笑)


4661.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月7日(火) 0時7分

屏風型バッフルは意外と場所取るんよね。

http://www3.ezbbs.net/38/1000zxl_ko/img/1246892842_1.jpg

なるほど、折りたたんだら家具の隙間に押し込めるかもしらんが、
いちいち聴くたびに展開はチト面倒な・・・。

何回かの引越しなんかで、ユニットは一個破損、
今は生き残った1ユニットを、浅い後面開放箱につけて
モノ専用となって今だに現役で鳴っとります。

4664.Re: ASHIDAVOXのSPシステム
名前:Moca 日付:7月8日(水) 0時30分

ユニット自体、長年使い続けてかなりヘコが来ておりますのでねェ(笑)

しかし、ココまで来れば愛着も湧くというもの・・・(^ω^)

http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=1000zxl_ko&dd=38&re=4646

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c10

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
11. 中川隆[-9993] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:14:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2359]

ASHIDAVOX 6P-HF1 機器組込型 2016年02月04日
https://ameblo.jp/gomiya-blog/entry-12124989964.html


アシダボックスの6P-HF1、久しぶりに出会いました。


百種類以上のあらゆるフルレンジを所有していた時期があったのですが

その中でも友人・来客から郡を抜いて音楽性評価が高かったのがこのユニットです。


海外の銘フルレンジ・ユニットも色々使ってきましたが

これほどストレスなく軽やかに鳴ってくれるユニットはそうそうないと思います。

10年ぶりだろうか、、、未練のあったユニットだけに再開がとても嬉しい。


今でこそヤフオクなどで6〜15万などという海外の銘機たちと渡り歩く価格をしておりますが、

60年代の記事を見ると定価はなんと、870円!!!!

あまり知られていないのですが、

実はこのユニット、今でも市場よりも遥かに安く手に入る方法があるんです。


ASHIDAVOXはもともとは拡声器などを作るメーカーで家庭用品よりも業務用が本業です。

その為とある映写機やオープンデッキ、館内放送用スピーカーなど

私が実際バラして抜いた品だけで10種類のアイテムにOEMとして組み込まれておりました。


興味ある方は、是非探してみてくださいね。

そして、このユニットの音質の秘訣はやはりコーン紙が大きいと思います。


フィクスドのエッジ部のこの薄さ、そしてコーン紙の深めなカーブ

三極管の真空管と鳴らすと本当に素晴らしいです。


さて、実家にボロの箱があったとおもうので近々とってこよう。
https://ameblo.jp/gomiya-blog/entry-12124989964.html



▲△▽▼



ASHIDAVOX 6P-HF1 銘器 ペア 美品 フルレンジ アルニコ
名機 6P-HF1


アシダボックス・アシダ音響社製 16cm フルレンジ ペア 美品です。

超軽量な美濃和紙のコーン紙は、センターが比較的厚めで外周にかけて
徐々に薄く仕上がられ、エッジは向こうが透けて見えるほどの極薄です。

この美濃和紙コーンから(決して大袈裟でなく)素晴らしい音を奏でます。

かつて、日本の職人さんの技術は芸術の域に達していたことが、本品や
20cmフルレンジ 8P-HF1 を聴くことで伺い知れます。

生産終了から半世紀が経ち、残念ながら次世代への技術継承が途絶えたため
今となっては日本中で大切に保管されている僅か100-200本ほど、実はもっと少なくて

数十本かもしれません。
この希少価値と高音質を、是非ご堪能ください。

http://hoshikatta.ciao.jp/otoku/vol2/2015/12/19/ashidavox-6p-hf1-%E9%8A%98%E5%99%A8-%E3%83%9A%E3%82%A2-%E7%BE%8E%E5%93%81-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%B3/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c11

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
12. 中川隆[-9992] koaQ7Jey 2019年5月29日 16:43:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2360]

【Front Japan 桜】監獄都市・カシュガル探訪 - [桜R1-5-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO6RTWR7CPo


キャスター:福島香織・宮崎正弘
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c12

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
34. 中川隆[-9991] koaQ7Jey 2019年5月29日 18:27:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2361]

中国のウイグル人矯正プログラムは上手くいってる様ですね。
一刻も早くウイグルの人達がイスラム教の呪いから解放される事を祈ります:


【Front Japan 桜】監獄都市・カシュガル探訪 [桜R1-5-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO6RTWR7CPo


キャスター:福島香織・宮崎正弘

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c34

[昼休み54] 中国 _ 悪夢の監視社会 中川隆
29. 中川隆[-9990] koaQ7Jey 2019年5月29日 19:04:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2362]
【Front Japan 桜】監獄都市・カシュガル探訪 - [桜R1-5-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO6RTWR7CPo

キャスター:福島香織・宮崎正弘

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c29

[近代史3] 欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは 中川隆
19. 中川隆[-9989] koaQ7Jey 2019年5月29日 19:39:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2363]
2019.05.29
欧州議会の選挙結果は何を意味するのか?


 欧州議会の選挙が5月23日から24日にかけて実施された。議員の任期は5年で、その総数は751名。欧州委員会が作成した法案を修正したり否決する役割を負っている。EUの中核機関とは言えない。欧州委員会は28名の委員で構成されているが、運営するために約2万5000名の職員を抱えている。

 EUは1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生した。その前身はEC(欧州共同体)。このECについて堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。この構造はEUになってからも基本的に変化していない。

 王族や貴族と呼ばれている集団は長年、政略結婚を繰り返してきた。そうした支配層の内部対立は自分たちを弱体化させ、庶民に権力を奪われることを彼らは熟知している。万国の支配者は団結の大切さを理解している。

 そこで、支配者は被支配者である庶民の団結を妨害しようとしてきた。支配者と被支配者との戦いという構図をにならないように宗教、民族、人種、性別などで対立するように仕向けていく。支配者に矛先が向かないように庶民を操るわけだ。

 そうした対立を作り上げる仕組みに教育やメディアも組み込まれている。そうした支配層の洗脳もあり、庶民は国境を越えた団結という意思は希薄だ。

 ところで、EU内での役割が限られている欧州議会だが、議員が選挙で決められる。そのため、EUに住む人びとの意見を知ることはできる。今回はEU加盟国が奪われた主権を取り戻そうと主張する政党が支持率を上げたことが特徴だと言えるだろう。

 各国が奪われた主権のひとつが通貨の発行権。これを奪われたことで独自の経済政策を打ち出すことが困難になった。通貨は支配システムを支える柱のひとつだ。

 通貨の発行権を放棄することで国を破綻させたのがギリシャである。それまでも経済は厳しかったが、破綻するような状態ではなかった。破綻へ向かって転げ落ちる切っ掛けはドラクマからユーロへの通貨切り替え。2001年のことだ。

 EUのルールに従うとこの通貨切り替えはできなかったはずだが、財政状況の悪さを隠し、実行された。その不正行為を主導したのは巨大金融機関のゴールドマン・サックス。財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませたのだ。

 その手法とは、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを使って国民に事態を隠しながら借金を急増させ、投機集団からカネを受け取る代償として公共部門の収入を差し出すということが行われていたという。借金漬けにした後、「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱は始まった。

 ギリシャを破綻させる作業が続いていたであろう2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは06年にイタリア銀行総裁、そして11年にはECB(欧州中央銀行)総裁に就任する。

 その間、2004年に開催されたアテネ・オリンピックも財政悪化の一因になっている。ギリシャ国内で開発がブームになるのだが、中には建設が許可されていない場所で違法な融資によって開発しようとする業者も現れる。開発の中止が命令されていたケースもあった。このブームで業者と手を組んだ役人の中には賄賂を手にしたものが少なくなかったと言われている。

 経済破綻したギリシャに対する政策はECB、IMF、そして欧州委員会、つまり欧米支配層で編成される「トロイカ」が決定することになった。トロイカの基本スタンスは危機の尻拭いを庶民に押しつけ、債権者、つまり欧米の巨大金融資本を助けるというもの。それが緊縮財政だ。

 そうした理不尽な要求をギリシャ人は拒否する姿勢を示す。2015年1月に行われた総選挙でシリザ(急進左翼進歩連合)を勝たせた。シリザはアレクシス・チプラス政権を成立させる。7月の国民投票では61%以上がトロイカの要求を拒否した。

 トロイカの要求に従うと年金や賃金がさらに減額され、社会保障の水準も低下し続け、失業者を増やして問題を深刻化させると考えたからだ。つまりギリシャを食い物にしようという欧米支配層の政策を止めることを人びとはチプラス政権に望んだのだが、そういう展開にはならなかった。

 チプラス政権で当初、財務大臣を務めたヤニス・バルファキスによると、チプラス首相は国民投票で勝つと思っていなかった。そこでその結果を無視することにしたという。そしてバルファキスは辞任する。

 バラク・オバマ政権は2015年3月にビクトリア・ヌランド国務次官補をギリシャへ派遣する。ヌランドはチプラス首相に対し、NATOの結束を乱したり、ドイツやトロイカに対して債務不履行を宣言するなと警告、さらにクーデターや暗殺を示唆したとも言われている。イギリスのサンデー・タイムズ紙は7月5日、軍も加わったネメシス(復讐の女神)という暗号名の秘密作戦が用意されていると伝えていた。チプラス政権は支持者の願いを無視、EUからの離脱とドラクマへの復帰を拒否した。

 そのチプラス首相に対しては、ロシアのウラジミル・プーチン大統領がサンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで天然ガス輸送用のパイプライン、トルコ・ストリームの建設に絡んで50億ドルを前払いすると提案されているが、これを拒否した。

 アメリカに従い、ロードス島とクレタ島の中間にあるカルパトス島にギリシャ軍はアメリカ軍と共同で基地を建設、アメリカ軍のF22戦闘機の拠点にしようと計画していると言われている。

 その後、ギリシャは危機を脱したと報道されたが、予定通り進んでも債務の返済にはあと半世紀は必要だとされている。しかも支援の過程で経済は4分の1に縮小、若者や専門技術を持つ人びとを中心に約40万人のギリシャ人が国外へ移住、メンテナンスを放棄したことからインフラを含む700億ユーロ相当の資産が失われた。ギリシャ危機が終わったのではなく、ギリシャという国が終わったのだと言う人は少なくない。そしてチプラスはロシアへ接触する。

 これはギリシャだけではなく、EU全体が抱えている問題である。ギリシャの経済破綻はアメリカをはじめとする西側の支配層に従うと何が待っているかを示すことにもなった。その記憶は消えない。その記憶のひとつの結果が今回の選挙に現れている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905290000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html#c19

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
25. 中川隆[-9988] koaQ7Jey 2019年5月29日 19:39:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2364]
2019.05.29
欧州議会の選挙結果は何を意味するのか?


 欧州議会の選挙が5月23日から24日にかけて実施された。議員の任期は5年で、その総数は751名。欧州委員会が作成した法案を修正したり否決する役割を負っている。EUの中核機関とは言えない。欧州委員会は28名の委員で構成されているが、運営するために約2万5000名の職員を抱えている。

 EUは1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生した。その前身はEC(欧州共同体)。このECについて堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。この構造はEUになってからも基本的に変化していない。

 王族や貴族と呼ばれている集団は長年、政略結婚を繰り返してきた。そうした支配層の内部対立は自分たちを弱体化させ、庶民に権力を奪われることを彼らは熟知している。万国の支配者は団結の大切さを理解している。

 そこで、支配者は被支配者である庶民の団結を妨害しようとしてきた。支配者と被支配者との戦いという構図をにならないように宗教、民族、人種、性別などで対立するように仕向けていく。支配者に矛先が向かないように庶民を操るわけだ。

 そうした対立を作り上げる仕組みに教育やメディアも組み込まれている。そうした支配層の洗脳もあり、庶民は国境を越えた団結という意思は希薄だ。

 ところで、EU内での役割が限られている欧州議会だが、議員が選挙で決められる。そのため、EUに住む人びとの意見を知ることはできる。今回はEU加盟国が奪われた主権を取り戻そうと主張する政党が支持率を上げたことが特徴だと言えるだろう。

 各国が奪われた主権のひとつが通貨の発行権。これを奪われたことで独自の経済政策を打ち出すことが困難になった。通貨は支配システムを支える柱のひとつだ。

 通貨の発行権を放棄することで国を破綻させたのがギリシャである。それまでも経済は厳しかったが、破綻するような状態ではなかった。破綻へ向かって転げ落ちる切っ掛けはドラクマからユーロへの通貨切り替え。2001年のことだ。

 EUのルールに従うとこの通貨切り替えはできなかったはずだが、財政状況の悪さを隠し、実行された。その不正行為を主導したのは巨大金融機関のゴールドマン・サックス。財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませたのだ。

 その手法とは、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを使って国民に事態を隠しながら借金を急増させ、投機集団からカネを受け取る代償として公共部門の収入を差し出すということが行われていたという。借金漬けにした後、「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱は始まった。

 ギリシャを破綻させる作業が続いていたであろう2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは06年にイタリア銀行総裁、そして11年にはECB(欧州中央銀行)総裁に就任する。

 その間、2004年に開催されたアテネ・オリンピックも財政悪化の一因になっている。ギリシャ国内で開発がブームになるのだが、中には建設が許可されていない場所で違法な融資によって開発しようとする業者も現れる。開発の中止が命令されていたケースもあった。このブームで業者と手を組んだ役人の中には賄賂を手にしたものが少なくなかったと言われている。

 経済破綻したギリシャに対する政策はECB、IMF、そして欧州委員会、つまり欧米支配層で編成される「トロイカ」が決定することになった。トロイカの基本スタンスは危機の尻拭いを庶民に押しつけ、債権者、つまり欧米の巨大金融資本を助けるというもの。それが緊縮財政だ。

 そうした理不尽な要求をギリシャ人は拒否する姿勢を示す。2015年1月に行われた総選挙でシリザ(急進左翼進歩連合)を勝たせた。シリザはアレクシス・チプラス政権を成立させる。7月の国民投票では61%以上がトロイカの要求を拒否した。

 トロイカの要求に従うと年金や賃金がさらに減額され、社会保障の水準も低下し続け、失業者を増やして問題を深刻化させると考えたからだ。つまりギリシャを食い物にしようという欧米支配層の政策を止めることを人びとはチプラス政権に望んだのだが、そういう展開にはならなかった。

 チプラス政権で当初、財務大臣を務めたヤニス・バルファキスによると、チプラス首相は国民投票で勝つと思っていなかった。そこでその結果を無視することにしたという。そしてバルファキスは辞任する。

 バラク・オバマ政権は2015年3月にビクトリア・ヌランド国務次官補をギリシャへ派遣する。ヌランドはチプラス首相に対し、NATOの結束を乱したり、ドイツやトロイカに対して債務不履行を宣言するなと警告、さらにクーデターや暗殺を示唆したとも言われている。イギリスのサンデー・タイムズ紙は7月5日、軍も加わったネメシス(復讐の女神)という暗号名の秘密作戦が用意されていると伝えていた。チプラス政権は支持者の願いを無視、EUからの離脱とドラクマへの復帰を拒否した。

 そのチプラス首相に対しては、ロシアのウラジミル・プーチン大統領がサンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで天然ガス輸送用のパイプライン、トルコ・ストリームの建設に絡んで50億ドルを前払いすると提案されているが、これを拒否した。

 アメリカに従い、ロードス島とクレタ島の中間にあるカルパトス島にギリシャ軍はアメリカ軍と共同で基地を建設、アメリカ軍のF22戦闘機の拠点にしようと計画していると言われている。

 その後、ギリシャは危機を脱したと報道されたが、予定通り進んでも債務の返済にはあと半世紀は必要だとされている。しかも支援の過程で経済は4分の1に縮小、若者や専門技術を持つ人びとを中心に約40万人のギリシャ人が国外へ移住、メンテナンスを放棄したことからインフラを含む700億ユーロ相当の資産が失われた。ギリシャ危機が終わったのではなく、ギリシャという国が終わったのだと言う人は少なくない。そしてチプラスはロシアへ接触する。

 これはギリシャだけではなく、EU全体が抱えている問題である。ギリシャの経済破綻はアメリカをはじめとする西側の支配層に従うと何が待っているかを示すことにもなった。その記憶は消えない。その記憶のひとつの結果が今回の選挙に現れている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905290000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c25

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
30. 中川隆[-9987] koaQ7Jey 2019年5月29日 19:41:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2365]
2019.05.29
欧州議会の選挙結果は何を意味するのか?


 欧州議会の選挙が5月23日から24日にかけて実施された。議員の任期は5年で、その総数は751名。欧州委員会が作成した法案を修正したり否決する役割を負っている。EUの中核機関とは言えない。欧州委員会は28名の委員で構成されているが、運営するために約2万5000名の職員を抱えている。

 EUは1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生した。その前身はEC(欧州共同体)。このECについて堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。この構造はEUになってからも基本的に変化していない。

 王族や貴族と呼ばれている集団は長年、政略結婚を繰り返してきた。そうした支配層の内部対立は自分たちを弱体化させ、庶民に権力を奪われることを彼らは熟知している。万国の支配者は団結の大切さを理解している。

 そこで、支配者は被支配者である庶民の団結を妨害しようとしてきた。支配者と被支配者との戦いという構図をにならないように宗教、民族、人種、性別などで対立するように仕向けていく。支配者に矛先が向かないように庶民を操るわけだ。

 そうした対立を作り上げる仕組みに教育やメディアも組み込まれている。そうした支配層の洗脳もあり、庶民は国境を越えた団結という意思は希薄だ。

 ところで、EU内での役割が限られている欧州議会だが、議員が選挙で決められる。そのため、EUに住む人びとの意見を知ることはできる。今回はEU加盟国が奪われた主権を取り戻そうと主張する政党が支持率を上げたことが特徴だと言えるだろう。

 各国が奪われた主権のひとつが通貨の発行権。これを奪われたことで独自の経済政策を打ち出すことが困難になった。通貨は支配システムを支える柱のひとつだ。

 通貨の発行権を放棄することで国を破綻させたのがギリシャである。それまでも経済は厳しかったが、破綻するような状態ではなかった。破綻へ向かって転げ落ちる切っ掛けはドラクマからユーロへの通貨切り替え。2001年のことだ。

 EUのルールに従うとこの通貨切り替えはできなかったはずだが、財政状況の悪さを隠し、実行された。その不正行為を主導したのは巨大金融機関のゴールドマン・サックス。財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませたのだ。

 その手法とは、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを使って国民に事態を隠しながら借金を急増させ、投機集団からカネを受け取る代償として公共部門の収入を差し出すということが行われていたという。借金漬けにした後、「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱は始まった。

 ギリシャを破綻させる作業が続いていたであろう2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは06年にイタリア銀行総裁、そして11年にはECB(欧州中央銀行)総裁に就任する。

 その間、2004年に開催されたアテネ・オリンピックも財政悪化の一因になっている。ギリシャ国内で開発がブームになるのだが、中には建設が許可されていない場所で違法な融資によって開発しようとする業者も現れる。開発の中止が命令されていたケースもあった。このブームで業者と手を組んだ役人の中には賄賂を手にしたものが少なくなかったと言われている。

 経済破綻したギリシャに対する政策はECB、IMF、そして欧州委員会、つまり欧米支配層で編成される「トロイカ」が決定することになった。トロイカの基本スタンスは危機の尻拭いを庶民に押しつけ、債権者、つまり欧米の巨大金融資本を助けるというもの。それが緊縮財政だ。

 そうした理不尽な要求をギリシャ人は拒否する姿勢を示す。2015年1月に行われた総選挙でシリザ(急進左翼進歩連合)を勝たせた。シリザはアレクシス・チプラス政権を成立させる。7月の国民投票では61%以上がトロイカの要求を拒否した。

 トロイカの要求に従うと年金や賃金がさらに減額され、社会保障の水準も低下し続け、失業者を増やして問題を深刻化させると考えたからだ。つまりギリシャを食い物にしようという欧米支配層の政策を止めることを人びとはチプラス政権に望んだのだが、そういう展開にはならなかった。

 チプラス政権で当初、財務大臣を務めたヤニス・バルファキスによると、チプラス首相は国民投票で勝つと思っていなかった。そこでその結果を無視することにしたという。そしてバルファキスは辞任する。

 バラク・オバマ政権は2015年3月にビクトリア・ヌランド国務次官補をギリシャへ派遣する。ヌランドはチプラス首相に対し、NATOの結束を乱したり、ドイツやトロイカに対して債務不履行を宣言するなと警告、さらにクーデターや暗殺を示唆したとも言われている。イギリスのサンデー・タイムズ紙は7月5日、軍も加わったネメシス(復讐の女神)という暗号名の秘密作戦が用意されていると伝えていた。チプラス政権は支持者の願いを無視、EUからの離脱とドラクマへの復帰を拒否した。

 そのチプラス首相に対しては、ロシアのウラジミル・プーチン大統領がサンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで天然ガス輸送用のパイプライン、トルコ・ストリームの建設に絡んで50億ドルを前払いすると提案されているが、これを拒否した。

 アメリカに従い、ロードス島とクレタ島の中間にあるカルパトス島にギリシャ軍はアメリカ軍と共同で基地を建設、アメリカ軍のF22戦闘機の拠点にしようと計画していると言われている。

 その後、ギリシャは危機を脱したと報道されたが、予定通り進んでも債務の返済にはあと半世紀は必要だとされている。しかも支援の過程で経済は4分の1に縮小、若者や専門技術を持つ人びとを中心に約40万人のギリシャ人が国外へ移住、メンテナンスを放棄したことからインフラを含む700億ユーロ相当の資産が失われた。ギリシャ危機が終わったのではなく、ギリシャという国が終わったのだと言う人は少なくない。そしてチプラスはロシアへ接触する。

 これはギリシャだけではなく、EU全体が抱えている問題である。ギリシャの経済破綻はアメリカをはじめとする西側の支配層に従うと何が待っているかを示すことにもなった。その記憶は消えない。その記憶のひとつの結果が今回の選挙に現れている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905290000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c30

[お知らせ・管理21] 2019年05月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
167. 中川隆[-9986] koaQ7Jey 2019年5月29日 19:45:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2366]
『魑魅魍魎男』がストレス溜めると無差別大量殺人やるから、ここの管理人も『魑魅魍魎男』を刺激しない様に言う通りにしてるんだよね。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c167
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
174. 中川隆[-9985] koaQ7Jey 2019年5月29日 20:04:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2367]

2019年5月29日
近い将来、リーマンショック級の危機が「絶対」起こる
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13731

政府が、消費増税を取りやめる唯一の条件、
としてあげている「リーマンショック級の危機」。

これが起これば消費増税はとりやめます、
と安倍総理も菅官房長官も
繰り返し口にしておられます。

多くの人は、まぁ、そんなことは起こらないだろう――
と漠然と思っておられると思いますが、実を言うと、
(それが10月1日までなのかどうかは分かりませんが)
近い将来、リーマンショック級の危機は、「絶対に」起こります。


そもそも「リーマンショック」とはいわゆる「バブル崩壊」。

そして、その「バブル」の実態は「民間負債」です。

皆がカネを借りまくって投機しまくって、
地価や株価が急騰していく現象です。

で、そんな「民間負債」が超絶に拡大していった時、
何かのきっかけで「借金の焦げ付き」が
(つまり、「貸した金が返ってこなくなる」と言う現象が)
急速に連鎖し、皆が一気に“破産”していく現象が
「バブル崩壊」です。

こういった「バブル崩壊」は、
(MMTの主唱者の一人であるレイの師匠である)
経済学者のハイマン・ミンスキーがそのプロセスを理論化しており、
しばしば「ミンスキーモーメント」とも呼ばれています。

バブル崩壊=ミンスキーモーメントの
過去の代表例として挙げられるのが、

・1990年 日本のバブル崩壊
・1997年 タイや韓国等のアジア通貨危機
・2007〜9年 アメリカのリーマンショック(サブプライム住宅ローン危機)

です。

「この時、一体、何が起こったのか」
を見てみたのが、こちらのグラフ。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826739577426977&set=a.236228089811475&type=3&theater

これらのグラフは、
「民間債務」の対GDP比の推移を示しています。

まず、日本は、80年代のバブル景気の時、
民間債務が年率でGDPの9.2%ずつ拡大していき、
(つまり、年間40兆円〜50兆円程度ずつ!)
GDPの210%にまで膨らみきった1990年、
(金融引き締めや、土地取引の総量規制をきっかけとして)
その「バブル」が崩壊しました。

タイや韓国も、
民間債務がGDP比で
年率8〜10%ずつ拡大していき、
GDPの140〜160%程度にまで膨らんだ時に
(ヘッジファンドの通貨の空売り攻勢がきっかけで)
そのバブルが崩壊しました。

アメリカも、民間債務が、
GDPに対して年率4.3%ずつ拡大していき、
170%に達した時に、バブルが崩壊しました。

こう見てみますと、
バブル崩壊には次のような共通のパターンがある
ことが見えてきます。

すなわち、民間の借金が、
GDPに対して年率で5〜10%ずつ拡大していき、
GDPの150〜200%程度に至った時に、
何かのきっかけで、バブル崩壊が起こるわけです。

(※ なお、新興国は、概して、債務の拡大率が大きく、
破裂水準は低いようですね。)

こう考えると、
「民間債務の膨らみ」
は、地震の岩盤の破壊エネルギーの様なもので、
ある程度溜まると岩盤が破壊して地震が起こるように、
その内「バブル崩壊」してしまうのです。

・・・では、今の世界を見回したところ、
一番ヤバそうなのが、中国!


こちらのグラフに、今、バブル崩壊が、
ヤバそうな国を並べてみました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826741800760088&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に中国は、かつての日本と同様、
対GDP比で年率10.2%もの割合で、
民間債務が拡大していき、
もはやGDPの207%にまで達しています。

もうこうなれば、何かのきっかけがあれば、
スグにでも、この中国バブルは崩壊することになるでしょう。

実際、こんな報道もなされるようになってきています。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1410636/

そんな中国の中でも特にヤバイのは、香港。

債務が年率12.1%という未曾有のスピードで拡大し、
何とGDP比で300%を超えてしまっているのです!

こんな債務拡大が、いつまでも続く筈がありません。

実際、UBS証券は香港の不動産バブルが「世界最悪」だ、
という分析結果を公表しています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-01/PFWA786K50XX01

中国・香港のバブル崩壊は、
もはや秒読み段階にあると見ていいでしょう。

これから始まる米中経済戦争が、
その引き金を引くことになるかもしれません。

あるいは、「日本の消費増税」に伴う日本の大不況が、
中国のバブルをはじけさせるきっかけになるかもしれません。

何と言っても、日本経済はまだまだ巨大な存在であり、
それが不況になってしまうのは、
世界に大迷惑をかけるのです。

なお、民間債務対GDP比が200%を超えたカナダや、
新興国の危険水域である140〜150%に
近づきつつあるベトナムも要注意です。

人類は、リーマンショックで
過剰なグローバル化や過剰投機が
どれだけヤバいモノなのかを学んだ筈なのですが―――
何度も何度も、過ちを繰り返すようです。

いずれにしても、
この恐ろしい世界の現実を知れば、
「消費増税はもう、待ったなしだ!」
なんてノー天気な事を言えるような状況じゃないことくらい、
誰でも分かりそうなものですが・・・
本当に現代ニホンジンは、
どうしようも無く阿呆なのではないかと、
思えてしまいますよね。

現代日本人がそんな愚か者でないことを、
心から祈念したいと思います。
https://38news.jp/economy/13731
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c174

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
10. 中川隆[-9984] koaQ7Jey 2019年5月29日 20:04:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2368]


2019年5月29日
近い将来、リーマンショック級の危機が「絶対」起こる
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13731

政府が、消費増税を取りやめる唯一の条件、
としてあげている「リーマンショック級の危機」。

これが起これば消費増税はとりやめます、
と安倍総理も菅官房長官も
繰り返し口にしておられます。

多くの人は、まぁ、そんなことは起こらないだろう――
と漠然と思っておられると思いますが、実を言うと、
(それが10月1日までなのかどうかは分かりませんが)
近い将来、リーマンショック級の危機は、「絶対に」起こります。


そもそも「リーマンショック」とはいわゆる「バブル崩壊」。

そして、その「バブル」の実態は「民間負債」です。

皆がカネを借りまくって投機しまくって、
地価や株価が急騰していく現象です。

で、そんな「民間負債」が超絶に拡大していった時、
何かのきっかけで「借金の焦げ付き」が
(つまり、「貸した金が返ってこなくなる」と言う現象が)
急速に連鎖し、皆が一気に“破産”していく現象が
「バブル崩壊」です。

こういった「バブル崩壊」は、
(MMTの主唱者の一人であるレイの師匠である)
経済学者のハイマン・ミンスキーがそのプロセスを理論化しており、
しばしば「ミンスキーモーメント」とも呼ばれています。

バブル崩壊=ミンスキーモーメントの
過去の代表例として挙げられるのが、

・1990年 日本のバブル崩壊
・1997年 タイや韓国等のアジア通貨危機
・2007〜9年 アメリカのリーマンショック(サブプライム住宅ローン危機)

です。

「この時、一体、何が起こったのか」
を見てみたのが、こちらのグラフ。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826739577426977&set=a.236228089811475&type=3&theater

これらのグラフは、
「民間債務」の対GDP比の推移を示しています。

まず、日本は、80年代のバブル景気の時、
民間債務が年率でGDPの9.2%ずつ拡大していき、
(つまり、年間40兆円〜50兆円程度ずつ!)
GDPの210%にまで膨らみきった1990年、
(金融引き締めや、土地取引の総量規制をきっかけとして)
その「バブル」が崩壊しました。

タイや韓国も、
民間債務がGDP比で
年率8〜10%ずつ拡大していき、
GDPの140〜160%程度にまで膨らんだ時に
(ヘッジファンドの通貨の空売り攻勢がきっかけで)
そのバブルが崩壊しました。

アメリカも、民間債務が、
GDPに対して年率4.3%ずつ拡大していき、
170%に達した時に、バブルが崩壊しました。

こう見てみますと、
バブル崩壊には次のような共通のパターンがある
ことが見えてきます。

すなわち、民間の借金が、
GDPに対して年率で5〜10%ずつ拡大していき、
GDPの150〜200%程度に至った時に、
何かのきっかけで、バブル崩壊が起こるわけです。

(※ なお、新興国は、概して、債務の拡大率が大きく、
破裂水準は低いようですね。)

こう考えると、
「民間債務の膨らみ」
は、地震の岩盤の破壊エネルギーの様なもので、
ある程度溜まると岩盤が破壊して地震が起こるように、
その内「バブル崩壊」してしまうのです。

・・・では、今の世界を見回したところ、
一番ヤバそうなのが、中国!


こちらのグラフに、今、バブル崩壊が、
ヤバそうな国を並べてみました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826741800760088&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に中国は、かつての日本と同様、
対GDP比で年率10.2%もの割合で、
民間債務が拡大していき、
もはやGDPの207%にまで達しています。

もうこうなれば、何かのきっかけがあれば、
スグにでも、この中国バブルは崩壊することになるでしょう。

実際、こんな報道もなされるようになってきています。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1410636/

そんな中国の中でも特にヤバイのは、香港。

債務が年率12.1%という未曾有のスピードで拡大し、
何とGDP比で300%を超えてしまっているのです!

こんな債務拡大が、いつまでも続く筈がありません。

実際、UBS証券は香港の不動産バブルが「世界最悪」だ、
という分析結果を公表しています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-01/PFWA786K50XX01

中国・香港のバブル崩壊は、
もはや秒読み段階にあると見ていいでしょう。

これから始まる米中経済戦争が、
その引き金を引くことになるかもしれません。

あるいは、「日本の消費増税」に伴う日本の大不況が、
中国のバブルをはじけさせるきっかけになるかもしれません。

何と言っても、日本経済はまだまだ巨大な存在であり、
それが不況になってしまうのは、
世界に大迷惑をかけるのです。

なお、民間債務対GDP比が200%を超えたカナダや、
新興国の危険水域である140〜150%に
近づきつつあるベトナムも要注意です。

人類は、リーマンショックで
過剰なグローバル化や過剰投機が
どれだけヤバいモノなのかを学んだ筈なのですが―――
何度も何度も、過ちを繰り返すようです。

いずれにしても、
この恐ろしい世界の現実を知れば、
「消費増税はもう、待ったなしだ!」
なんてノー天気な事を言えるような状況じゃないことくらい、
誰でも分かりそうなものですが・・・
本当に現代ニホンジンは、
どうしようも無く阿呆なのではないかと、
思えてしまいますよね。

現代日本人がそんな愚か者でないことを、
心から祈念したいと思います。
https://38news.jp/economy/13731
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c10

[近代史3] 中国は何時崩壊するのか? 中川隆
14. 中川隆[-9983] koaQ7Jey 2019年5月29日 20:05:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2369]

2019年5月29日
近い将来、リーマンショック級の危機が「絶対」起こる
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13731

政府が、消費増税を取りやめる唯一の条件、
としてあげている「リーマンショック級の危機」。

これが起これば消費増税はとりやめます、
と安倍総理も菅官房長官も
繰り返し口にしておられます。

多くの人は、まぁ、そんなことは起こらないだろう――
と漠然と思っておられると思いますが、実を言うと、
(それが10月1日までなのかどうかは分かりませんが)
近い将来、リーマンショック級の危機は、「絶対に」起こります。


そもそも「リーマンショック」とはいわゆる「バブル崩壊」。

そして、その「バブル」の実態は「民間負債」です。

皆がカネを借りまくって投機しまくって、
地価や株価が急騰していく現象です。

で、そんな「民間負債」が超絶に拡大していった時、
何かのきっかけで「借金の焦げ付き」が
(つまり、「貸した金が返ってこなくなる」と言う現象が)
急速に連鎖し、皆が一気に“破産”していく現象が
「バブル崩壊」です。

こういった「バブル崩壊」は、
(MMTの主唱者の一人であるレイの師匠である)
経済学者のハイマン・ミンスキーがそのプロセスを理論化しており、
しばしば「ミンスキーモーメント」とも呼ばれています。

バブル崩壊=ミンスキーモーメントの
過去の代表例として挙げられるのが、

・1990年 日本のバブル崩壊
・1997年 タイや韓国等のアジア通貨危機
・2007〜9年 アメリカのリーマンショック(サブプライム住宅ローン危機)

です。

「この時、一体、何が起こったのか」
を見てみたのが、こちらのグラフ。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826739577426977&set=a.236228089811475&type=3&theater

これらのグラフは、
「民間債務」の対GDP比の推移を示しています。

まず、日本は、80年代のバブル景気の時、
民間債務が年率でGDPの9.2%ずつ拡大していき、
(つまり、年間40兆円〜50兆円程度ずつ!)
GDPの210%にまで膨らみきった1990年、
(金融引き締めや、土地取引の総量規制をきっかけとして)
その「バブル」が崩壊しました。

タイや韓国も、
民間債務がGDP比で
年率8〜10%ずつ拡大していき、
GDPの140〜160%程度にまで膨らんだ時に
(ヘッジファンドの通貨の空売り攻勢がきっかけで)
そのバブルが崩壊しました。

アメリカも、民間債務が、
GDPに対して年率4.3%ずつ拡大していき、
170%に達した時に、バブルが崩壊しました。

こう見てみますと、
バブル崩壊には次のような共通のパターンがある
ことが見えてきます。

すなわち、民間の借金が、
GDPに対して年率で5〜10%ずつ拡大していき、
GDPの150〜200%程度に至った時に、
何かのきっかけで、バブル崩壊が起こるわけです。

(※ なお、新興国は、概して、債務の拡大率が大きく、
破裂水準は低いようですね。)

こう考えると、
「民間債務の膨らみ」
は、地震の岩盤の破壊エネルギーの様なもので、
ある程度溜まると岩盤が破壊して地震が起こるように、
その内「バブル崩壊」してしまうのです。

・・・では、今の世界を見回したところ、
一番ヤバそうなのが、中国!


こちらのグラフに、今、バブル崩壊が、
ヤバそうな国を並べてみました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826741800760088&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に中国は、かつての日本と同様、
対GDP比で年率10.2%もの割合で、
民間債務が拡大していき、
もはやGDPの207%にまで達しています。

もうこうなれば、何かのきっかけがあれば、
スグにでも、この中国バブルは崩壊することになるでしょう。

実際、こんな報道もなされるようになってきています。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1410636/

そんな中国の中でも特にヤバイのは、香港。

債務が年率12.1%という未曾有のスピードで拡大し、
何とGDP比で300%を超えてしまっているのです!

こんな債務拡大が、いつまでも続く筈がありません。

実際、UBS証券は香港の不動産バブルが「世界最悪」だ、
という分析結果を公表しています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-01/PFWA786K50XX01

中国・香港のバブル崩壊は、
もはや秒読み段階にあると見ていいでしょう。

これから始まる米中経済戦争が、
その引き金を引くことになるかもしれません。

あるいは、「日本の消費増税」に伴う日本の大不況が、
中国のバブルをはじけさせるきっかけになるかもしれません。

何と言っても、日本経済はまだまだ巨大な存在であり、
それが不況になってしまうのは、
世界に大迷惑をかけるのです。

なお、民間債務対GDP比が200%を超えたカナダや、
新興国の危険水域である140〜150%に
近づきつつあるベトナムも要注意です。

人類は、リーマンショックで
過剰なグローバル化や過剰投機が
どれだけヤバいモノなのかを学んだ筈なのですが―――
何度も何度も、過ちを繰り返すようです。

いずれにしても、
この恐ろしい世界の現実を知れば、
「消費増税はもう、待ったなしだ!」
なんてノー天気な事を言えるような状況じゃないことくらい、
誰でも分かりそうなものですが・・・
本当に現代ニホンジンは、
どうしようも無く阿呆なのではないかと、
思えてしまいますよね。

現代日本人がそんな愚か者でないことを、
心から祈念したいと思います。
https://38news.jp/economy/13731
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/112.html#c14

[近代史02] 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3 スットン教
31. 中川隆[-9981] koaQ7Jey 2019年5月29日 20:07:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2371]
49. 中川隆[-9982] koaQ7Jey 2019年5月29日 20:07:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2370]

2019年5月29日
近い将来、リーマンショック級の危機が「絶対」起こる
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13731

政府が、消費増税を取りやめる唯一の条件、
としてあげている「リーマンショック級の危機」。

これが起これば消費増税はとりやめます、
と安倍総理も菅官房長官も
繰り返し口にしておられます。

多くの人は、まぁ、そんなことは起こらないだろう――
と漠然と思っておられると思いますが、実を言うと、
(それが10月1日までなのかどうかは分かりませんが)
近い将来、リーマンショック級の危機は、「絶対に」起こります。


そもそも「リーマンショック」とはいわゆる「バブル崩壊」。

そして、その「バブル」の実態は「民間負債」です。

皆がカネを借りまくって投機しまくって、
地価や株価が急騰していく現象です。

で、そんな「民間負債」が超絶に拡大していった時、
何かのきっかけで「借金の焦げ付き」が
(つまり、「貸した金が返ってこなくなる」と言う現象が)
急速に連鎖し、皆が一気に“破産”していく現象が
「バブル崩壊」です。

こういった「バブル崩壊」は、
(MMTの主唱者の一人であるレイの師匠である)
経済学者のハイマン・ミンスキーがそのプロセスを理論化しており、
しばしば「ミンスキーモーメント」とも呼ばれています。

バブル崩壊=ミンスキーモーメントの
過去の代表例として挙げられるのが、

・1990年 日本のバブル崩壊
・1997年 タイや韓国等のアジア通貨危機
・2007〜9年 アメリカのリーマンショック(サブプライム住宅ローン危機)

です。

「この時、一体、何が起こったのか」
を見てみたのが、こちらのグラフ。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826739577426977&set=a.236228089811475&type=3&theater

これらのグラフは、
「民間債務」の対GDP比の推移を示しています。

まず、日本は、80年代のバブル景気の時、
民間債務が年率でGDPの9.2%ずつ拡大していき、
(つまり、年間40兆円〜50兆円程度ずつ!)
GDPの210%にまで膨らみきった1990年、
(金融引き締めや、土地取引の総量規制をきっかけとして)
その「バブル」が崩壊しました。

タイや韓国も、
民間債務がGDP比で
年率8〜10%ずつ拡大していき、
GDPの140〜160%程度にまで膨らんだ時に
(ヘッジファンドの通貨の空売り攻勢がきっかけで)
そのバブルが崩壊しました。

アメリカも、民間債務が、
GDPに対して年率4.3%ずつ拡大していき、
170%に達した時に、バブルが崩壊しました。

こう見てみますと、
バブル崩壊には次のような共通のパターンがある
ことが見えてきます。

すなわち、民間の借金が、
GDPに対して年率で5〜10%ずつ拡大していき、
GDPの150〜200%程度に至った時に、
何かのきっかけで、バブル崩壊が起こるわけです。

(※ なお、新興国は、概して、債務の拡大率が大きく、
破裂水準は低いようですね。)

こう考えると、
「民間債務の膨らみ」
は、地震の岩盤の破壊エネルギーの様なもので、
ある程度溜まると岩盤が破壊して地震が起こるように、
その内「バブル崩壊」してしまうのです。

・・・では、今の世界を見回したところ、
一番ヤバそうなのが、中国!


こちらのグラフに、今、バブル崩壊が、
ヤバそうな国を並べてみました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826741800760088&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に中国は、かつての日本と同様、
対GDP比で年率10.2%もの割合で、
民間債務が拡大していき、
もはやGDPの207%にまで達しています。

もうこうなれば、何かのきっかけがあれば、
スグにでも、この中国バブルは崩壊することになるでしょう。

実際、こんな報道もなされるようになってきています。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1410636/

そんな中国の中でも特にヤバイのは、香港。

債務が年率12.1%という未曾有のスピードで拡大し、
何とGDP比で300%を超えてしまっているのです!

こんな債務拡大が、いつまでも続く筈がありません。

実際、UBS証券は香港の不動産バブルが「世界最悪」だ、
という分析結果を公表しています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-01/PFWA786K50XX01

中国・香港のバブル崩壊は、
もはや秒読み段階にあると見ていいでしょう。

これから始まる米中経済戦争が、
その引き金を引くことになるかもしれません。

あるいは、「日本の消費増税」に伴う日本の大不況が、
中国のバブルをはじけさせるきっかけになるかもしれません。

何と言っても、日本経済はまだまだ巨大な存在であり、
それが不況になってしまうのは、
世界に大迷惑をかけるのです。

なお、民間債務対GDP比が200%を超えたカナダや、
新興国の危険水域である140〜150%に
近づきつつあるベトナムも要注意です。

人類は、リーマンショックで
過剰なグローバル化や過剰投機が
どれだけヤバいモノなのかを学んだ筈なのですが―――
何度も何度も、過ちを繰り返すようです。

いずれにしても、
この恐ろしい世界の現実を知れば、
「消費増税はもう、待ったなしだ!」
なんてノー天気な事を言えるような状況じゃないことくらい、
誰でも分かりそうなものですが・・・
本当に現代ニホンジンは、
どうしようも無く阿呆なのではないかと、
思えてしまいますよね。

現代日本人がそんな愚か者でないことを、
心から祈念したいと思います。
https://38news.jp/economy/13731
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c31

[近代史3] 超高性能で激安なシーメンス・コアキシャルスピーカーが音楽ファンに全然人気が無い理由 中川隆
18. 中川隆[-9980] koaQ7Jey 2019年5月30日 05:41:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2372]

シーメンス・コアキシャル・スピーカーの様な音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


▲△▽▼


リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____

[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____

[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。

____

[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。


____

[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。

____

[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____


[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。

____

[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。


____

[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。


____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/310.html#c18

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
32. 中川隆[-9979] koaQ7Jey 2019年5月30日 05:42:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2373]

音が良いスピーカー・ユニットはすべてフィックスド・エッジだった

エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である

極めて大事なことなので再度言います

「エッジが音を決める!」

このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い

それだけではない

ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい

これが最強無敵で抜群の音質の根拠である

製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る

これが最も大事なことである


そして、「音が矢のように飛ぶ!」

フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである

こうゆう音は聴いていて気持がよい

それだけではない

微弱信号が楽々再生できることである

これが最も重要であり大事なことである


フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088


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リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html


真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。

しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。

低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。

また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。


____

[ウレタンエッジ]

JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。


____

[布エッジ]

国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。

もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。

____

[ゴムエッジ]

今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。


____

[フェルトエッジ]

純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。

____

[革エッジ]

セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。

____


[エッジレス]

分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。

____

[コルゲーテッドエッジ]

エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。


____

[フィックスドエッジ]

コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。


____

色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。

ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。

なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。

株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c32

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
21. 中川隆[-9978] koaQ7Jey 2019年5月30日 05:55:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2374]

アシダ音響(株)−ご挨拶
http://www.ashida.co.jp/goaisatsu.html

アシダ音響(株)−会社沿革
http://www.ashida.co.jp/enkaku.html

アシダ音響 紹介
http://www.ohsaki-area.or.jp/townguide/konjyaku/img/konjyaku24.pdf


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c21

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
22. 中川隆[-9977] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:11:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2375]
「長岡鉄男氏」との出会い


長岡鉄男氏と言うと、奇をてらったスピーカー作りと言うイメージが強いのですが、実は50年ほど前に「最新ステレオ製作」と言う、真空管アンプやスピーカーシステム?の製作方法を説明した著書を出版しています。


長岡鉄男 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E9%89%84%E7%94%B7

amazon.co.jp 長岡鉄男 著書一覧
https://www.amazon.co.jp/l/B001I7PXII?_encoding=UTF8&redirectedFromKindleDbs=true&ref_=dp_byline_cont_book_1&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true

当時、最もポピュラーな真空管の一つであった「 6BM8 」 を使用したパワーアンプの回路・部品の働きを念入りに解説したものが中心で、雑誌の記事を読んだだけでは理解できないアンプの仕組みを理解できるように なったのも、この本のお
陰です。

初心者向けの解説書としては、今まで出会った中で最も優れた著書だったと思います。この本のお蔭で、躊躇していたアンプ作りに着手する事が出来ました。尤も、元来へそ曲がりだった為か、真空管は同著の中で使用されている 「 6BM8 」の代わりに 「 6GW8 」 を使ったと記憶しています。


同著では、アンプ以外にアシダボックス の 「 6P HF1 」 と言う16cmの スピーカーを平面バッフルに取り付けた スピーカーシステム?の製法が書かれていましたが、スピーカー ボックスの役割が 判り易く 説明されており、大変役立ちました。


と言う事で、スピーカーは同書にならって「 6P HF1 」 を購入し、平面バッフルに取り付け。アンプとスピーカーだけでは 音が出るはずもなく、作った真空管アンプにイコライザ回路を無理やり押し込み、家にあった小型の蓄音器のカートリッジ 多
分 クリスタル型 につないで音出しに成功。手作りの装置から初めて音が出た時の喜びは、他に比べるも のもありません。

但し 「 6P HF1 」 の音は、磁石が弱い為か音が鈍く 、好みには合いませんでしたが。

後に、三菱の 「 P 610 」 を購入し、やっと満足できる音に近付きました。

その後、大学に入学しバイト で稼いだお金で、何度か当時評判の良かったスピーカーユニットを購入しシステムを組みましたが好みに合わず、結局 「 P 610 」 に逆戻り。

ところで、氏の「いかに安く、良い音を楽しむか」という精神には共感するところが多く(金が無いので共感せざるを得なかったというのが実情ですが)


@ なるべく金をかけないで、オーディオを楽しむ 。

A オーディオ装置で、生活空間の邪魔をしない。


と言うわたくしのオーディオに対する信条は、この時に形成されました。
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c22

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
23. 中川隆[-9976] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:24:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2376]

ASHIDAVOX 8P-HF1 2010/12/1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html

愛用のスピーカー 8P-HF1 の片方の音が歪んだり、時々途切れたりするようになった。
アンプを変えても症状が同じなので、ボックスから取外して確認してみた。


イメージ 2

 
やはりスピーカーのターミナルのネジが緩んで、コードとの接触が悪くなっていたようだ。
コードの方も銅色がくすんで、あまり導通が良くなさそうになっていた。


フレーム後部の銘板にも少し薄汚れが出てきている。

イメージ 3


真っ白だったセンタードームも茶色い「シミ」のようなものができている。


イメージ 4


「MR cone」と印刷されたシールもフチの部分からサビが出始めたようだ。
このシールはブリキのような薄い鉄板でできているらしい。


イメージ 5


音を聴いていても気付かなかったのだが、エッジの一番外側の部分に、2ミリほどの穴があいているのが見つかった。


イメージ 6


詳しく観察すると、何となく「虫食い」のようにも見える。

裏から何か薄い紙のようなものを貼り付けて、穴を塞ぎたいのだが、ちょうどフレームに当たる場所になっている。

表面から補修するより方法はないかもしれない。


いろんなサイトでエッジの交換(張替え)などの記事も拝見するのだが
このスピーカーには最初からそもそも「エッジ」というものがない。

「コーン紙ごと張替え」ということになるのだろうか。
(会社が存在していればの話だが・・・・・)


コメント(5)


ぐはー、これはまたものすごい物をおもちで ^^;)
こういう穴の修復に、塗るつけまつげのような素材って応用できないでしょうかねえ...と、いま思いつきました.はい.
2010/12/17(金) 午後 11:08 おやじーに

.
☆おやじーに さん☆
これはまたものすごい(古い)物です。

発売当時は安っちい物だったので、みんなぽんぽん捨ててしまって
そのために今では皮肉にも「レア物」になってしまったようですね。

耐入力がわずか5Wですから、2A3や6V6などの真空管アンプ専用に使っています。
不織布にボンドを染み込ませて、何とか裏側から貼り付けられないかと考え中です。
2010/12/18(土) 午後 8:08[ あんぷりん ]


https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c23

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
24. 中川隆[-9975] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:30:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2377]

8P-HF1の コーン紙 2010/12/19
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html

イメージ 1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=0


コーン紙の端に虫食いのような小さな穴があいているので、元箱の中にあった
「取扱説明書」を見ると、スミの方に小さく「コーン紙取替え金額」が記載されている。

配送料は別としても、実費+交換技術料としてはけっこう安かったようだ。


イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=1


 
あらためて説明書を見直してみると、価格は2950円、6P-HF1の方は何と1000円になっている。

当時の他の機種の価格は分からないが、「高級品」と呼べるものではなかったらしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c24

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
56. 中川隆[-9974] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:32:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2378]

ASHIDAVOX 8P-HF1 2010/12/1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


愛用のスピーカー 8P-HF1 の片方の音が歪んだり、時々途切れたりするようになった。
アンプを変えても症状が同じなので、ボックスから取外して確認してみた。

イメージ 2

 
やはりスピーカーのターミナルのネジが緩んで、コードとの接触が悪くなっていたようだ。
コードの方も銅色がくすんで、あまり導通が良くなさそうになっていた。


フレーム後部の銘板にも少し薄汚れが出てきている。

イメージ 3


真っ白だったセンタードームも茶色い「シミ」のようなものができている。

イメージ 4


「MR cone」と印刷されたシールもフチの部分からサビが出始めたようだ。
このシールはブリキのような薄い鉄板でできているらしい。

イメージ 5


音を聴いていても気付かなかったのだが、エッジの一番外側の部分に、2ミリほどの穴があいているのが見つかった。

イメージ 6


詳しく観察すると、何となく「虫食い」のようにも見える。

裏から何か薄い紙のようなものを貼り付けて、穴を塞ぎたいのだが、ちょうどフレームに当たる場所になっている。

表面から補修するより方法はないかもしれない。


いろんなサイトでエッジの交換(張替え)などの記事も拝見するのだが
このスピーカーには最初からそもそも「エッジ」というものがない。

「コーン紙ごと張替え」ということになるのだろうか。
(会社が存在していればの話だが・・・・・)


コメント(5)


ぐはー、これはまたものすごい物をおもちで ^^;)
こういう穴の修復に、塗るつけまつげのような素材って応用できないでしょうかねえ...と、いま思いつきました.はい.
2010/12/17(金) 午後 11:08 おやじーに

.
☆おやじーに さん☆
これはまたものすごい(古い)物です。

発売当時は安っちい物だったので、みんなぽんぽん捨ててしまって
そのために今では皮肉にも「レア物」になってしまったようですね。

耐入力がわずか5Wですから、2A3や6V6などの真空管アンプ専用に使っています。
不織布にボンドを染み込ませて、何とか裏側から貼り付けられないかと考え中です。
2010/12/18(土) 午後 8:08[ あんぷりん ]


https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


▲△▽▼

8P-HF1の コーン紙 2010/12/19
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


イメージ 1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=0


コーン紙の端に虫食いのような小さな穴があいているので、元箱の中にあった
「取扱説明書」を見ると、スミの方に小さく「コーン紙取替え金額」が記載されている。

配送料は別としても、実費+交換技術料としてはけっこう安かったようだ。

イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=1


 
あらためて説明書を見直してみると、価格は2950円、6P-HF1の方は何と1000円になっている。

当時の他の機種の価格は分からないが、「高級品」と呼べるものではなかったらしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c56

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
12. 中川隆[-9973] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:33:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2379]

ASHIDAVOX 8P-HF1 2010/12/1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


愛用のスピーカー 8P-HF1 の片方の音が歪んだり、時々途切れたりするようになった。
アンプを変えても症状が同じなので、ボックスから取外して確認してみた。

イメージ 2

 
やはりスピーカーのターミナルのネジが緩んで、コードとの接触が悪くなっていたようだ。
コードの方も銅色がくすんで、あまり導通が良くなさそうになっていた。


フレーム後部の銘板にも少し薄汚れが出てきている。

イメージ 3


真っ白だったセンタードームも茶色い「シミ」のようなものができている。

イメージ 4


「MR cone」と印刷されたシールもフチの部分からサビが出始めたようだ。
このシールはブリキのような薄い鉄板でできているらしい。

イメージ 5


音を聴いていても気付かなかったのだが、エッジの一番外側の部分に、2ミリほどの穴があいているのが見つかった。

イメージ 6


詳しく観察すると、何となく「虫食い」のようにも見える。

裏から何か薄い紙のようなものを貼り付けて、穴を塞ぎたいのだが、ちょうどフレームに当たる場所になっている。

表面から補修するより方法はないかもしれない。


いろんなサイトでエッジの交換(張替え)などの記事も拝見するのだが
このスピーカーには最初からそもそも「エッジ」というものがない。

「コーン紙ごと張替え」ということになるのだろうか。
(会社が存在していればの話だが・・・・・)


コメント(5)


ぐはー、これはまたものすごい物をおもちで ^^;)
こういう穴の修復に、塗るつけまつげのような素材って応用できないでしょうかねえ...と、いま思いつきました.はい.
2010/12/17(金) 午後 11:08 おやじーに

.
☆おやじーに さん☆
これはまたものすごい(古い)物です。

発売当時は安っちい物だったので、みんなぽんぽん捨ててしまって
そのために今では皮肉にも「レア物」になってしまったようですね。

耐入力がわずか5Wですから、2A3や6V6などの真空管アンプ専用に使っています。
不織布にボンドを染み込ませて、何とか裏側から貼り付けられないかと考え中です。
2010/12/18(土) 午後 8:08[ あんぷりん ]


https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


▲△▽▼

8P-HF1の コーン紙 2010/12/19
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


イメージ 1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=0


コーン紙の端に虫食いのような小さな穴があいているので、元箱の中にあった
「取扱説明書」を見ると、スミの方に小さく「コーン紙取替え金額」が記載されている。

配送料は別としても、実費+交換技術料としてはけっこう安かったようだ。

イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=1


 
あらためて説明書を見直してみると、価格は2950円、6P-HF1の方は何と1000円になっている。

当時の他の機種の価格は分からないが、「高級品」と呼べるものではなかったらしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c12

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
116. 中川隆[-9972] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:34:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2380]

ASHIDAVOX 8P-HF1 2010/12/1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


愛用のスピーカー 8P-HF1 の片方の音が歪んだり、時々途切れたりするようになった。
アンプを変えても症状が同じなので、ボックスから取外して確認してみた。

イメージ 2

 
やはりスピーカーのターミナルのネジが緩んで、コードとの接触が悪くなっていたようだ。
コードの方も銅色がくすんで、あまり導通が良くなさそうになっていた。


フレーム後部の銘板にも少し薄汚れが出てきている。

イメージ 3


真っ白だったセンタードームも茶色い「シミ」のようなものができている。

イメージ 4


「MR cone」と印刷されたシールもフチの部分からサビが出始めたようだ。
このシールはブリキのような薄い鉄板でできているらしい。

イメージ 5


音を聴いていても気付かなかったのだが、エッジの一番外側の部分に、2ミリほどの穴があいているのが見つかった。

イメージ 6


詳しく観察すると、何となく「虫食い」のようにも見える。

裏から何か薄い紙のようなものを貼り付けて、穴を塞ぎたいのだが、ちょうどフレームに当たる場所になっている。

表面から補修するより方法はないかもしれない。


いろんなサイトでエッジの交換(張替え)などの記事も拝見するのだが
このスピーカーには最初からそもそも「エッジ」というものがない。

「コーン紙ごと張替え」ということになるのだろうか。
(会社が存在していればの話だが・・・・・)


コメント(5)


ぐはー、これはまたものすごい物をおもちで ^^;)
こういう穴の修復に、塗るつけまつげのような素材って応用できないでしょうかねえ...と、いま思いつきました.はい.
2010/12/17(金) 午後 11:08 おやじーに

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☆おやじーに さん☆
これはまたものすごい(古い)物です。

発売当時は安っちい物だったので、みんなぽんぽん捨ててしまって
そのために今では皮肉にも「レア物」になってしまったようですね。

耐入力がわずか5Wですから、2A3や6V6などの真空管アンプ専用に使っています。
不織布にボンドを染み込ませて、何とか裏側から貼り付けられないかと考え中です。
2010/12/18(土) 午後 8:08[ あんぷりん ]


https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


▲△▽▼

8P-HF1の コーン紙 2010/12/19
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


イメージ 1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=0


コーン紙の端に虫食いのような小さな穴があいているので、元箱の中にあった
「取扱説明書」を見ると、スミの方に小さく「コーン紙取替え金額」が記載されている。

配送料は別としても、実費+交換技術料としてはけっこう安かったようだ。

イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=1


 
あらためて説明書を見直してみると、価格は 2950円、6P-HF1の方は何と1000円になっている。

当時の他の機種の価格は分からないが、「高級品」と呼べるものではなかったらしい。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c116

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
105. 中川隆[-9971] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:34:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2381]

ASHIDAVOX 8P-HF1 2010/12/1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


愛用のスピーカー 8P-HF1 の片方の音が歪んだり、時々途切れたりするようになった。
アンプを変えても症状が同じなので、ボックスから取外して確認してみた。

イメージ 2

 
やはりスピーカーのターミナルのネジが緩んで、コードとの接触が悪くなっていたようだ。
コードの方も銅色がくすんで、あまり導通が良くなさそうになっていた。


フレーム後部の銘板にも少し薄汚れが出てきている。

イメージ 3


真っ白だったセンタードームも茶色い「シミ」のようなものができている。

イメージ 4


「MR cone」と印刷されたシールもフチの部分からサビが出始めたようだ。
このシールはブリキのような薄い鉄板でできているらしい。

イメージ 5


音を聴いていても気付かなかったのだが、エッジの一番外側の部分に、2ミリほどの穴があいているのが見つかった。

イメージ 6


詳しく観察すると、何となく「虫食い」のようにも見える。

裏から何か薄い紙のようなものを貼り付けて、穴を塞ぎたいのだが、ちょうどフレームに当たる場所になっている。

表面から補修するより方法はないかもしれない。


いろんなサイトでエッジの交換(張替え)などの記事も拝見するのだが
このスピーカーには最初からそもそも「エッジ」というものがない。

「コーン紙ごと張替え」ということになるのだろうか。
(会社が存在していればの話だが・・・・・)


コメント(5)


ぐはー、これはまたものすごい物をおもちで ^^;)
こういう穴の修復に、塗るつけまつげのような素材って応用できないでしょうかねえ...と、いま思いつきました.はい.
2010/12/17(金) 午後 11:08 おやじーに

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☆おやじーに さん☆
これはまたものすごい(古い)物です。

発売当時は安っちい物だったので、みんなぽんぽん捨ててしまって
そのために今では皮肉にも「レア物」になってしまったようですね。

耐入力がわずか5Wですから、2A3や6V6などの真空管アンプ専用に使っています。
不織布にボンドを染み込ませて、何とか裏側から貼り付けられないかと考え中です。
2010/12/18(土) 午後 8:08[ あんぷりん ]


https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18264788.html


▲△▽▼

8P-HF1の コーン紙 2010/12/19
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


イメージ 1
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=0


コーン紙の端に虫食いのような小さな穴があいているので、元箱の中にあった
「取扱説明書」を見ると、スミの方に小さく「コーン紙取替え金額」が記載されている。

配送料は別としても、実費+交換技術料としてはけっこう安かったようだ。

イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/GALLERY/show_image.html?id=18291723&no=1


 
あらためて説明書を見直してみると、価格は2950円、6P-HF1の方は何と1000円になっている。

当時の他の機種の価格は分からないが、「高級品」と呼べるものではなかったらしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/dotata/18291723.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c105

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
57. 中川隆[-9970] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:39:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2382]

アシダ音響(株)−ご挨拶
http://www.ashida.co.jp/goaisatsu.html

アシダ音響(株)−会社沿革
http://www.ashida.co.jp/enkaku.html

アシダ音響 紹介
http://www.ohsaki-area.or.jp/townguide/konjyaku/img/konjyaku24.pdf

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c57

[リバイバル3] 昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった 中川隆
13. 中川隆[-9969] koaQ7Jey 2019年5月30日 06:40:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2383]

アシダ音響(株)−ご挨拶
http://www.ashida.co.jp/goaisatsu.html

アシダ音響(株)−会社沿革
http://www.ashida.co.jp/enkaku.html

アシダ音響 紹介
http://www.ohsaki-area.or.jp/townguide/konjyaku/img/konjyaku24.pdf

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html#c13

[リバイバル3] 一番音が良いパワーアンプは VT-52 シングルアンプ? 中川隆
13. 中川隆[-9968] koaQ7Jey 2019年5月30日 07:00:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2384]

「VT−52」との出会い

真空管アンプは、学生時代に前述の「6GW8 」に 次いで、 「6GA4」 のプ
ッシ ュプルや、球の名前は忘れましたがハイイン ピー ダン ススピ ーカー 用OTLアンプ(ハイイ ンピ ーダンスのスピーカーも無いのにも関わらず)など作 り楽しんでいました。


神戸に行ってから、トランジスタアンプを作って2度がっかりで、傷心を癒やすべく、当時話題になっていた古典球なるものを購入すべく、古典球のメッカともいうべき神戸にある「サンセイエンタープライズ」を訪れた次第です。

雑誌の誌上を賑わしていましたので、なんとなく気後れして店に入るのに躊躇しましたが、出てきたのは気さくなおっちゃん で (多分 ジャン・平賀氏だと思いますが)

・ プレートが曲面の「300B」や「2A3」より、プレートが平面な 「VT−52」の方が値段も安いしお薦めだよ

※3極管の場合、特性だけでは音の評価は語れず、偶数次の歪が多いほうがかえって音を美しく感じる場合もあり、特性と音の評価が合致するとは言えない様ですが

・「VT−52」はシングルで、「12AX7」のロフチンホワイトで使用すると良い

・スピーカーは、三菱の 「P−610」で充分で、これに リアロン社?のコンデンサー型のツィイーターをつければ更に良い

・武末数馬さんは 補聴器を使用しているので、音が良く判らないから 「12BH7」 の様な歪の多い真空管を多用している


等々、真空管にまつわる話を色々と教えて貰いました。

VT−52は流石に音が柔らかく、わたくしのお気に入りの音を出してくれました。

※ロフチンホワイトは高い電圧が必要な為、感電が怖くカソードフォロアで使用しましたがスピーカーに関しては、WEの15A+555 を愛用する池田圭さん監修のアイデン社の30cmウーファーとホーン型ツィーター(アルテックのコピー品?)を購入済みで、流石に 「P−610」へ後戻りすることは有りませんでしたが。


同時期に武末数馬氏設計の「6080」パラでOTLアンプも組みましたが、音がクリアー過ぎて聞き疲れ するので好みには合わず、メインに使用する事はありませんでした。

「VT−52」のシングルアンプとアイデンのスピーカーとの組み合わせで、充分満足できる音が出ており、 工場のオーディオ仲間も、 「これ以上の音は要らないんじゃない」という意見が大半でした

当時、「VT−52」の出力トランス とトランジスタアンプの組み合わせ実験 を行い 、トランスの 効果は確認できましたが、最終的にそちら に移行しなかった事を考えると、「VT−52」シングルの方が、評価は高かったのかなと思います。(この辺は記憶が曖昧です)


「生の音楽」との出会い

戦後の爪跡が残る仙台駅の駅裏で育ったわたくしにとって、クラシックなぞ論外で、生の演奏と言えば、音楽の時間のピアノの伴奏と運動会のブラバンの演奏が精々で、生のクラシック演奏を始めて聞いたのは、高2の時に 、 お亡く なりに なられた「中村紘子さん」を高校でお招きして、演奏会を開いた時が初めてでし た。

その時 の印象と言えば、聞いた事もない退屈な曲を長時間聞かされ辟易した事だけで、演奏が終わっての皆の評価も、「中村紘子は美人だ」とか、「気が強そうで嫌だ」とか、全く「青葉繁れる」の世界。 それから20年間、生演奏なるものに接した事は皆無で、このような人間が、このスピ ーカ ーは弦の音が良いとか、このカートリッ ジは クリアーで良いとか御託を並べるのだから、今考えても 噴飯物です。


沼南町に越してきて、「サークルあんだんて(クラシックコンサートを開催するのが目的のサークル)」主催で、当時、沼南町在住の新日本フィルのメンバーが中心となって公民館で室内楽の演奏会を開いてくれましたが、それを聞いたのがクラ
シックの生演奏に接した初体験だと言っても良いと思います。

オーディオ雑誌のカートリッジやスピーカーの評価で、 「実際の ヴァイオリン の 音より美しい」等と言う表現が使われる事が有り、そんな訳 ないだろうと思っていましたが、「サークルあんだんて」が招いた 天満敦子さんの ヴァイオリン の音は、自分が思い描いていたよりも滑らかさに欠け、ざらついているのには驚き、オーディオの面白さを改めて認識した次第です。

そんな折、どうし たはずみか、物置に仕舞い込んでいた「6080のOTLアン
プ」を引っ張り出して、「VT−52シングルアンプ」と聞き比べると、 演奏を一緒に聴きに行った家族全員が、「OTLアンプ」の方が生の音に近いという意見

以降、我が家では「6080のOTLアンプ」が主役に踊り出た次第です。

元々、音楽をリラックス目的で聴いていたせいか、あまり刺激の無い音が好み
で「VT−52アンプ 」をメインに使用していましたが、一旦生の音を聞いてしま
うと、頭の中で作り上げた楽器の音色のイメージがもろくも崩れ去り、カオスの真っただ中に突入と言うところでしょうか。

http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/440.html#c13

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
13. 中川隆[-9967] koaQ7Jey 2019年5月30日 07:34:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2385]

【渡邉哲也】 ドイツ銀行を締め付けるアメリカ ドイツはアメリカに付くか中国に付くか - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=V8msffAOKp8


2019/05/29 に公開

ドイツ銀行を締め付けるアメリカ 
ドイツ銀行の筆頭株主は中国の海航集団 バックにはNO2の王岐山

ドイツ銀行が傾けば中国が危機!
中国が傾けばドイツ危機!

それはリーマンショックどころでは無い。中国の最先端技術は7割以上がドイツから入っており近代化の軍拡は非情に難しくなっていくだろう。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c13

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
66. 中川隆[-9966] koaQ7Jey 2019年5月30日 08:08:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2386]

「デジタル」との出会い
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf

前の独身時代、会社の同僚が ポータ ブルのCDプレ ーヤーを持ち込んできたの がCDとの初遭遇です。

当時 、ラジオ技術誌の紙上で、デジタルマスターと各種カートリッジ の試聴試験が行われ、ダイナベクター社のカラットシリーズの評価が最も高かった為、早速、価格の安い方のカラットルビーを購入し愛用しておりまして、ターンテーブル・トーンアームもそれなりのものを使用しておりましたが、CDからの音が、わたくしが満足していたレコードの音 とさほど遜色がなく、大変な衝撃を受けました。

その後ソニーのCDプレーヤーを購入し、CDプレーヤーから出る音に、それなり に満足したのですが、どういう訳か1カ月もするとCDの音がつまらなくなり、レコードに逆戻り。

その時は、原因も考えすらしなかったのですが、その後、ラジオ技術誌でフィデリックスの中川さんが開発した、「ハーモネーター」の紹介記事が載り、失われた 20KHz 以上の重要性を認識した次第。 詳細は後述


「ハーモネーター」の価格は当時9万円と高額であった為、購入するまでには至りませんでしたが。

その後、CD とは暫くお さらばしていましたが、オーディオユニオンに行った時、パイオニアにレガートリンクと言う失われた高音域を電気的に付加する回路のついたCDプレーヤーが有ると聞いて、「 PD HL5 」を思い切って購入。

ところが、 橋真梨子 のハスキー ボイスが、ハスキーを通り越して、歪だらけのザラツキボイス。弦の音もうるさ過 ぎて聴けやしない。

どうしたものかと、思い悩んでいたときに、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、サトームセンのオーディオフロアーの名物販売員だった茂木さん(現オーディオもてぎの社長)が、 エレプトン新潟精密社の高音域拡張機能を備えたDAコン
バータ「 FDA1241 」を一押ししており、更に、たまたま人間ドッグの待ち時間に立ち寄った千葉市のオーディオショップ「オンケン」でも「F DA1241 」とCECのCDトランスポート「 TL5100 」の 組み合わせ がベストとの話を受け、女房を拝み倒して購入。

結婚して以来、小遣い以外でオーディオ機器を購入したのは、この時が最初で最後
ところが、これが我がオーディオ人生の中で最大のがっかり。
橋真梨子も弦の音も、 「 PD HL5 」となんら変わらず。この日から、10数年に渡る、デジタル信号との長い長い闘いの日々が始まった訳です。


手始めに、PCM の理論も全く判らない人間が、秋葉原を彷徨い出会った海神無線で勧められるままに抵抗・ コンデンサー を購入し、無謀にも DAC やトランスポートの基板で使用の部品と交換。

効果は認められるが、目的には程遠く。その後、ネットの情報を頼りに DAC 基板の組み立てから始まり、 CMOS ・ DAC 等の IC チップをいじくりまわすようになり、ネット上で見つかった音質改良効果が有ると言う方法はオカルトめいた内容でも悉く試験。少しずつは良くなったかな。

劇的に改良効果をもたらしたのが、「ハーモネーター」を開発したフィデリ ックスのホームページの中で書かれた技術情報で見つけた2つの技術。


@一つは、「低ジッター水晶発振器」の情報中に書かれた、 FET を基準電圧とする 低雑 音 3 端子レギュレータで、雑音が通常の 3 端子レギュレータの数10分の 1 まで減 るとのこと。どうも、デジタルIC作動用の基準電圧を作る3端子レ
ギュレータ( 殆どのデジタル機器で使用)は雑音が多い為、どんなに供給電源をクリーン化しても、機器中で 3 端子レギュレータを使用する限り、電源由来の雑音は減らない為、ジッターも減らす事は出来ないようです。

これは効果が有りました。


Aもう一つは、 FET を使用したディスクリート水晶発振器

「低ジッター水晶発振器」の技術情報中には回路の詳細が書かれていなかった為、適 当に FET 使用の発振回路を見つけて、組んで見たところ甚だしい効果が有りました。

右図
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf

その後、中川さんの特許中の回路を見つけて組んでみると、更に改良効果あり
中川さんが測定したところでは、この手の水晶発振器の中では最もジッターが低い物の一つとの事
中川さんの技術力の高さが窺われる次第です。

2つとも部品代は数100 円で済む事から、大手メーカーの技術陣が中川さんレベルの開発を行ってくれていれば 、安価な CDプレーヤーでも、飛躍的な音質改良を行う事が出来たと思います。そうすれば、現在のオーディオ産業の衰退が少しでも防ぐ事が出来たのではないかと思うと、メーカーの技術者の怠慢に甚だしい憤りを感じる次第です。

※上記、2つの回路は MJ2016 年の 6月号に載っていますので、ご興味のある方はどうぞお試しを 。

尚、水晶発振器の回路は、特許申請されていますのでご注意を(特許技術の個人使用に違法性はありませんが)

先にも書きましたが、CD はジッターの問題以上の 20KHz 以上の超音波域をカットしたと言う致命的な欠陥が有ります。

テレビの番組で 2 回ほど
一つは「所さんの目がテン」、もう一つは番組名を忘れました

レコードと CD と聴き比べた際の脳波の違いを扱っていましたが、両番組とも、殆どの被験者はレコードを聴いた際にα波が発生するのに対し、同じ曲をCDで聴いた場合はβ波ばかりでα波は発生しないという結果でした。


20KHz 以上の超音波域が、 20KHz 以下の可聴帯域と連動して耳に入るとα波が発生するすると言う事 が、近年「ハイパーソニック・エフェクト 」と言う名で証明されています。

「ハイパーソニッ ク・エフェクト 」が得られる要因は

@ 20KHz 以上の超音波域が、 20KHz 以下の可聴領域と連動して出ている。

A 20KHz 以上の超音波域は、楽器の倍音である必要はなく、ランダムノイズで構わない。(レコードのスクラッチノイズ、テープのヒスノイズも効果が有るかもしれません)

※楽器で 20KHz 以上の倍音が出るのは、「チェンバロ」と「チター」のみで、他の楽器は、擦れた音とか、息漏れとか、楽器の倍音とは凡そかけ離れたランダムノイズが中心とのこと。

※「ハーモネーター」は超音波域として、熱雑音を使用しており、それを理由に「ハーモネーター」を否定される方がいますが、全くの的外れと言う事になります。


B 人間の耳は、構造的には 100kHz 以上の超音波域も感じる構造になっており、それが脳幹まで伝わり20KHz 以上の超音波域を感じてα波が発生するとのこと。

耳だけではなく、体全体で超音波域を感じているという説もあります。

※音として聞こえないのは、単に聴覚ネットワークが衰えた為で、脳はちゃんと感じているとの事。


C 最近の研究では、超音波域を聞くと、脳の老化も防げる とのこと。

※超音波域の倍音を含むチェンバロ
勿論生演奏のは、ピアノに比べ脳の活性化に効果が有るとの事

端的に言うと、

何らかの高音域拡張(補間)装置が無い場合は、
CD を聞いてもα波は出ない
CDを聴いても、レコードを聴いたときの様な感動は得られない

と言う事になります。

最近、ハイレゾが流行りだしたのは、これが原因です。


尚、経験上この手の装置を使う場合、充分なジッター対策を怠ると、単なる歪感増強装置になってしまいかねませんので注意が必要です。


※高音域拡張(補間)装置の例

フィデリックス ハーモネーター SH 20K (オークションで 2 万円以下で入手可)

ビクター K2 プロセッシング

パイオニア レガートリンクコンバージョン

テクニクス デジタルマスタープロセシング

新潟精密
フルエンシ DAC チップ( FN1241 FN1242A
ESOTERIC の X 30 や LUXMAN の D 80 で使用
PC オーディオ用再生ソ フト Frieve Audio


わたくし が在籍した会社の開発部門の人間に(食品の開発担当でオーディオの知識を持つ者はいません)に Frieve Audio を使用して、超音波域を付加した場合と、しない場合で聴き比べを行いましたが、 1 0人 が 10 人とも、超音波域を付加した方が、実際に音楽を聞いているような感じで良いとの答えでした。

※因みに、スピーカーはパソコンのUSB端子に直接接続するタイプのおもちゃの様なUSBスピーカーを使用しています
酒の席で、これもオーディオに縁のない連中に聴かせたところ、殆ど皆が超音波域を付加した方が生っぽくて良いとの答えでした。

*オーディオファンは、左脳で音楽を聴くきら いがあるとの事ですので、意外と違いが判らないという方が多かったりする恐れはあります。

アナログで聴いていたころは、アイデンのユニットとフォステックスのツィーターで充分満足していましたが、デジタルを音源にすると、音の濁りが気になり、何とかならないかと血迷い本来関係が無い筈のスピーカーの低音・中音・高音用の全
てのユニ ット を交換する事になり大変な出費となってしまいました。

アンプの部品も、金属皮膜かカーボン抵抗で間に合っていたものを高価な巻線抵抗に交換するなど、デジタルは全くの銭食い虫です。

今考えると、音の入口(DAC 周り) を改良すれば済んだ事ですが、当時は DAC の改良がどこまで出来るのか未知数で、ついついアンプ・スピーカーの方まで手を染めてしまった次第です。

アナログの時代は、安い装置でもそれなりの音が出てくれましたが。デジタルはジッター対策や高音域の補間対策を怠るとまともな音が出ないという、全くマニア泣かせの問題児で、メーカーもデジタルを世に送り込んだ以上、責任を持ってまともな音の出る機器を開発しろと叫びたい気持ちでいっぱいです。


「PC オーディオ」との出会い


秋葉原の「アポロ電子」と言う真空管販売店を訪れた際、店主が年配のお客さんと談笑しながら、こちらを向いて、

「デジタルは CDプレーヤーで聴くより、 iPad で聴いた方が音が良いよ」

と話し掛けてきました。


iPad や iPhone に全く縁のない わたくしには、何の事か意味も判らずポカンとして相槌を打つだけでしたが。

その後、PC オーディオなるものがボチボチと世の中に姿を見せるようになり 試
してみるかと USB の信号の一本を DAC のデジタル入力に繋いだのですが、当
然音は出ず見事に撃沈 。

調べてみると、 USB DAC なるもの が必要とのことで、キットを購入し、自作の DAC に組み込んで試聴。 CDプレーヤー独特の賑やかさが抑えられ、落ち着いた音が出て、ひょっとしたらと期待を抱かせました。

試聴に使用したパソコンは、物置に仕舞い込んだ 2000 年に購入した低スペック品。高スペックのPCを使用すれば、更に音が良くなるかと Core 2 Duo モデルをオークシ ョンで入手 。ところが、音がこもって 前に出てこない。またまた、オカルトめいた話になりますが、ネットで見るとどうもスペックの低い PC の方が音が良いという書き込みがボチボチと。


低スペックのノートパソコンは、オークションで 2,000 円程度で入手できるため、試験用に何台入手した事か。 やはり低スペックのパソコンの方が、音に躍動感が有るようです。

ネットを見ると、再生ソ フトでも音が変わると何種もの再生ソフト が紹介されており、何せ無料で再生ソフトが入手できる ので、色々 と試 しました。

OS は Windows より Mac の方が音が良い とか 、Linux は更に音が良いとか。

出張中に Linux の案内書を購入 もちろん自費で
恐る恐るネットのブログを参考にしながらインストール。それがなんと、インストールに成功しただけでなく、意外にも音出しにも成功。ほんと、良いおもちゃです。

Linux は Windows に比べ OS 自体が軽いせいか、音も快調。
何せ Linux の OS は無料で入手できますから、色々な OSを試す事が出来てそれはそれは楽しい事。

Linux には、マニアの間では一番音が良いとされる Voyage Mpd なる音楽再生に特化した超軽量の O S(他のパソコンでリモートコントロールして音を出すタイプ)などもあり、まるでカートリッジ を交換するような楽しみが有ります。

わたくしが試験した中では、 Puppy linux と言う超軽量タイプの OS (メモリに OS 自体をコピーして使用するので動作がきわめて速い)の音が一番良いかなという印象です。

Puppy linux を音楽用に特化した MpdPup なる OS の様に、 Voyage Mpd を遥かに超えたOS もあり、暇つぶしにはもってこいです。

USB DAC 本体も大分改良が進んで音の方も改善されて、 CDプレーヤーと比較しても甲乙つけがたく、音が落ち着いている分 PC オーディオの方が聴きやすいかなと言った印象です。

勿論、気分や ソース によって、 CD の方が好ましいと感じる時もあります。
この辺は、 カート リッジの交換と同じような感覚です。

PC で音楽再生をと言うと眉をひそめる向きもありますが、考えてみると、 CD プレーヤーは CD のデーターをその場で必死にエラーを補正しながら読み取りますが、PC は既に取り込んだ音楽ファイルのデジタルデーターを DAC に流し込むだけですから、無駄な労力を使わない分、余裕で再生が出来るのかもしれません。何せ CD 作成時はパソコンで音源を 編集するとの 事ですので、 PC オーディオは元来 CD プレーヤーと兄弟のような関係にあるのかもしれません。
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c66

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
36. 中川隆[-9965] koaQ7Jey 2019年5月30日 08:09:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2387]

「デジタル」との出会い
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf

前の独身時代、会社の同僚が ポータ ブルのCDプレ ーヤーを持ち込んできたの がCDとの初遭遇です。

当時 、ラジオ技術誌の紙上で、デジタルマスターと各種カートリッジ の試聴試験が行われ、ダイナベクター社のカラットシリーズの評価が最も高かった為、早速、価格の安い方のカラットルビーを購入し愛用しておりまして、ターンテーブル・トーンアームもそれなりのものを使用しておりましたが、CDからの音が、わたくしが満足していたレコードの音 とさほど遜色がなく、大変な衝撃を受けました。

その後ソニーのCDプレーヤーを購入し、CDプレーヤーから出る音に、それなり に満足したのですが、どういう訳か1カ月もするとCDの音がつまらなくなり、レコードに逆戻り。

その時は、原因も考えすらしなかったのですが、その後、ラジオ技術誌でフィデリックスの中川さんが開発した、「ハーモネーター」の紹介記事が載り、失われた 20KHz 以上の重要性を認識した次第。 詳細は後述


「ハーモネーター」の価格は当時9万円と高額であった為、購入するまでには至りませんでしたが。

その後、CD とは暫くお さらばしていましたが、オーディオユニオンに行った時、パイオニアにレガートリンクと言う失われた高音域を電気的に付加する回路のついたCDプレーヤーが有ると聞いて、「 PD HL5 」を思い切って購入。

ところが、 橋真梨子 のハスキー ボイスが、ハスキーを通り越して、歪だらけのザラツキボイス。弦の音もうるさ過 ぎて聴けやしない。

どうしたものかと、思い悩んでいたときに、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、サトームセンのオーディオフロアーの名物販売員だった茂木さん(現オーディオもてぎの社長)が、 エレプトン新潟精密社の高音域拡張機能を備えたDAコン
バータ「 FDA1241 」を一押ししており、更に、たまたま人間ドッグの待ち時間に立ち寄った千葉市のオーディオショップ「オンケン」でも「F DA1241 」とCECのCDトランスポート「 TL5100 」の 組み合わせ がベストとの話を受け、女房を拝み倒して購入。

結婚して以来、小遣い以外でオーディオ機器を購入したのは、この時が最初で最後
ところが、これが我がオーディオ人生の中で最大のがっかり。
橋真梨子も弦の音も、 「 PD HL5 」となんら変わらず。この日から、10数年に渡る、デジタル信号との長い長い闘いの日々が始まった訳です。


手始めに、PCM の理論も全く判らない人間が、秋葉原を彷徨い出会った海神無線で勧められるままに抵抗・ コンデンサー を購入し、無謀にも DAC やトランスポートの基板で使用の部品と交換。

効果は認められるが、目的には程遠く。その後、ネットの情報を頼りに DAC 基板の組み立てから始まり、 CMOS ・ DAC 等の IC チップをいじくりまわすようになり、ネット上で見つかった音質改良効果が有ると言う方法はオカルトめいた内容でも悉く試験。少しずつは良くなったかな。

劇的に改良効果をもたらしたのが、「ハーモネーター」を開発したフィデリ ックスのホームページの中で書かれた技術情報で見つけた2つの技術。


@一つは、「低ジッター水晶発振器」の情報中に書かれた、 FET を基準電圧とする 低雑 音 3 端子レギュレータで、雑音が通常の 3 端子レギュレータの数10分の 1 まで減 るとのこと。どうも、デジタルIC作動用の基準電圧を作る3端子レ
ギュレータ( 殆どのデジタル機器で使用)は雑音が多い為、どんなに供給電源をクリーン化しても、機器中で 3 端子レギュレータを使用する限り、電源由来の雑音は減らない為、ジッターも減らす事は出来ないようです。

これは効果が有りました。


Aもう一つは、 FET を使用したディスクリート水晶発振器

「低ジッター水晶発振器」の技術情報中には回路の詳細が書かれていなかった為、適 当に FET 使用の発振回路を見つけて、組んで見たところ甚だしい効果が有りました。

右図
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf

その後、中川さんの特許中の回路を見つけて組んでみると、更に改良効果あり
中川さんが測定したところでは、この手の水晶発振器の中では最もジッターが低い物の一つとの事
中川さんの技術力の高さが窺われる次第です。

2つとも部品代は数100 円で済む事から、大手メーカーの技術陣が中川さんレベルの開発を行ってくれていれば 、安価な CDプレーヤーでも、飛躍的な音質改良を行う事が出来たと思います。そうすれば、現在のオーディオ産業の衰退が少しでも防ぐ事が出来たのではないかと思うと、メーカーの技術者の怠慢に甚だしい憤りを感じる次第です。

※上記、2つの回路は MJ2016 年の 6月号に載っていますので、ご興味のある方はどうぞお試しを 。

尚、水晶発振器の回路は、特許申請されていますのでご注意を(特許技術の個人使用に違法性はありませんが)

先にも書きましたが、CD はジッターの問題以上の 20KHz 以上の超音波域をカットしたと言う致命的な欠陥が有ります。

テレビの番組で 2 回ほど
一つは「所さんの目がテン」、もう一つは番組名を忘れました

レコードと CD と聴き比べた際の脳波の違いを扱っていましたが、両番組とも、殆どの被験者はレコードを聴いた際にα波が発生するのに対し、同じ曲をCDで聴いた場合はβ波ばかりでα波は発生しないという結果でした。


20KHz 以上の超音波域が、 20KHz 以下の可聴帯域と連動して耳に入るとα波が発生するすると言う事 が、近年「ハイパーソニック・エフェクト 」と言う名で証明されています。

「ハイパーソニッ ク・エフェクト 」が得られる要因は

@ 20KHz 以上の超音波域が、 20KHz 以下の可聴領域と連動して出ている。

A 20KHz 以上の超音波域は、楽器の倍音である必要はなく、ランダムノイズで構わない。(レコードのスクラッチノイズ、テープのヒスノイズも効果が有るかもしれません)

※楽器で 20KHz 以上の倍音が出るのは、「チェンバロ」と「チター」のみで、他の楽器は、擦れた音とか、息漏れとか、楽器の倍音とは凡そかけ離れたランダムノイズが中心とのこと。

※「ハーモネーター」は超音波域として、熱雑音を使用しており、それを理由に「ハーモネーター」を否定される方がいますが、全くの的外れと言う事になります。


B 人間の耳は、構造的には 100kHz 以上の超音波域も感じる構造になっており、それが脳幹まで伝わり20KHz 以上の超音波域を感じてα波が発生するとのこと。

耳だけではなく、体全体で超音波域を感じているという説もあります。

※音として聞こえないのは、単に聴覚ネットワークが衰えた為で、脳はちゃんと感じているとの事。


C 最近の研究では、超音波域を聞くと、脳の老化も防げる とのこと。

※超音波域の倍音を含むチェンバロ
勿論生演奏のは、ピアノに比べ脳の活性化に効果が有るとの事

端的に言うと、

何らかの高音域拡張(補間)装置が無い場合は、
CD を聞いてもα波は出ない
CDを聴いても、レコードを聴いたときの様な感動は得られない

と言う事になります。

最近、ハイレゾが流行りだしたのは、これが原因です。


尚、経験上この手の装置を使う場合、充分なジッター対策を怠ると、単なる歪感増強装置になってしまいかねませんので注意が必要です。


※高音域拡張(補間)装置の例

フィデリックス ハーモネーター SH 20K (オークションで 2 万円以下で入手可)

ビクター K2 プロセッシング

パイオニア レガートリンクコンバージョン

テクニクス デジタルマスタープロセシング

新潟精密
フルエンシ DAC チップ( FN1241 FN1242A
ESOTERIC の X 30 や LUXMAN の D 80 で使用
PC オーディオ用再生ソ フト Frieve Audio


わたくし が在籍した会社の開発部門の人間に(食品の開発担当でオーディオの知識を持つ者はいません)に Frieve Audio を使用して、超音波域を付加した場合と、しない場合で聴き比べを行いましたが、 1 0人 が 10 人とも、超音波域を付加した方が、実際に音楽を聞いているような感じで良いとの答えでした。

※因みに、スピーカーはパソコンのUSB端子に直接接続するタイプのおもちゃの様なUSBスピーカーを使用しています
酒の席で、これもオーディオに縁のない連中に聴かせたところ、殆ど皆が超音波域を付加した方が生っぽくて良いとの答えでした。

*オーディオファンは、左脳で音楽を聴くきら いがあるとの事ですので、意外と違いが判らないという方が多かったりする恐れはあります。

アナログで聴いていたころは、アイデンのユニットとフォステックスのツィーターで充分満足していましたが、デジタルを音源にすると、音の濁りが気になり、何とかならないかと血迷い本来関係が無い筈のスピーカーの低音・中音・高音用の全
てのユニ ット を交換する事になり大変な出費となってしまいました。

アンプの部品も、金属皮膜かカーボン抵抗で間に合っていたものを高価な巻線抵抗に交換するなど、デジタルは全くの銭食い虫です。

今考えると、音の入口(DAC 周り) を改良すれば済んだ事ですが、当時は DAC の改良がどこまで出来るのか未知数で、ついついアンプ・スピーカーの方まで手を染めてしまった次第です。

アナログの時代は、安い装置でもそれなりの音が出てくれましたが。デジタルはジッター対策や高音域の補間対策を怠るとまともな音が出ないという、全くマニア泣かせの問題児で、メーカーもデジタルを世に送り込んだ以上、責任を持ってまともな音の出る機器を開発しろと叫びたい気持ちでいっぱいです。


「PC オーディオ」との出会い


秋葉原の「アポロ電子」と言う真空管販売店を訪れた際、店主が年配のお客さんと談笑しながら、こちらを向いて、

「デジタルは CDプレーヤーで聴くより、 iPad で聴いた方が音が良いよ」

と話し掛けてきました。


iPad や iPhone に全く縁のない わたくしには、何の事か意味も判らずポカンとして相槌を打つだけでしたが。

その後、PC オーディオなるものがボチボチと世の中に姿を見せるようになり 試
してみるかと USB の信号の一本を DAC のデジタル入力に繋いだのですが、当
然音は出ず見事に撃沈 。

調べてみると、 USB DAC なるもの が必要とのことで、キットを購入し、自作の DAC に組み込んで試聴。 CDプレーヤー独特の賑やかさが抑えられ、落ち着いた音が出て、ひょっとしたらと期待を抱かせました。

試聴に使用したパソコンは、物置に仕舞い込んだ 2000 年に購入した低スペック品。高スペックのPCを使用すれば、更に音が良くなるかと Core 2 Duo モデルをオークシ ョンで入手 。ところが、音がこもって 前に出てこない。またまた、オカルトめいた話になりますが、ネットで見るとどうもスペックの低い PC の方が音が良いという書き込みがボチボチと。


低スペックのノートパソコンは、オークションで 2,000 円程度で入手できるため、試験用に何台入手した事か。 やはり低スペックのパソコンの方が、音に躍動感が有るようです。

ネットを見ると、再生ソ フトでも音が変わると何種もの再生ソフト が紹介されており、何せ無料で再生ソフトが入手できる ので、色々 と試 しました。

OS は Windows より Mac の方が音が良い とか 、Linux は更に音が良いとか。

出張中に Linux の案内書を購入 もちろん自費で
恐る恐るネットのブログを参考にしながらインストール。それがなんと、インストールに成功しただけでなく、意外にも音出しにも成功。ほんと、良いおもちゃです。

Linux は Windows に比べ OS 自体が軽いせいか、音も快調。
何せ Linux の OS は無料で入手できますから、色々な OSを試す事が出来てそれはそれは楽しい事。

Linux には、マニアの間では一番音が良いとされる Voyage Mpd なる音楽再生に特化した超軽量の O S(他のパソコンでリモートコントロールして音を出すタイプ)などもあり、まるでカートリッジ を交換するような楽しみが有ります。

わたくしが試験した中では、 Puppy linux と言う超軽量タイプの OS (メモリに OS 自体をコピーして使用するので動作がきわめて速い)の音が一番良いかなという印象です。

Puppy linux を音楽用に特化した MpdPup なる OS の様に、 Voyage Mpd を遥かに超えたOS もあり、暇つぶしにはもってこいです。

USB DAC 本体も大分改良が進んで音の方も改善されて、 CDプレーヤーと比較しても甲乙つけがたく、音が落ち着いている分 PC オーディオの方が聴きやすいかなと言った印象です。

勿論、気分や ソース によって、 CD の方が好ましいと感じる時もあります。
この辺は、 カート リッジの交換と同じような感覚です。

PC で音楽再生をと言うと眉をひそめる向きもありますが、考えてみると、 CD プレーヤーは CD のデーターをその場で必死にエラーを補正しながら読み取りますが、PC は既に取り込んだ音楽ファイルのデジタルデーターを DAC に流し込むだけですから、無駄な労力を使わない分、余裕で再生が出来るのかもしれません。何せ CD 作成時はパソコンで音源を 編集するとの 事ですので、 PC オーディオは元来 CD プレーヤーと兄弟のような関係にあるのかもしれません。
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c36

[リバイバル3] 今 大人気の WE101D _ 出力0.6Wのシングル・アンプで鳴らせるスピーカーは? 中川隆
10. 中川隆[-9964] koaQ7Jey 2019年5月30日 08:27:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2388]

出力 1W以下の三極管シングル・アンプに合うスピーカー


超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/445.html#c10

[リバイバル3] 一番音が良いパワーアンプは VT-52 シングルアンプ? 中川隆
14. 中川隆[-9963] koaQ7Jey 2019年5月30日 08:27:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2389]

出力 3W以下の三極管シングル・アンプに合うスピーカー


超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/440.html#c14

[リバイバル3] 英国の気品 PX4 シングルアンプ  中川隆
9. 中川隆[-9962] koaQ7Jey 2019年5月30日 08:28:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2390]

出力 3W以下の三極管シングル・アンプに合うスピーカー


超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/443.html#c9

[リバイバル3] 超お買い得パワーアンプ : チューブ オーディオ ラボ 6FD7 シングルアンプ 1.8W×2 中川隆
11. 中川隆[-9961] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:00:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2391]

出力 3W以下の三極管シングル・アンプに合うスピーカー


超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/688.html#c11

[リバイバル4] 真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ 中川隆
5. 中川隆[-9960] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:01:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2392]

出力 3W以下の三極管シングル・アンプに合うスピーカー

超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html#c5

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
58. 中川隆[-9959] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:08:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2393]

「理想のスピーカー」との出会い
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf


中学時代、日活には「吉永小百合」「松原智恵子」「和泉雅子」の3 人の看板女優が人気を分け合っていましたが、美人美男 の好みも十人十色。

スピーカーも、やや控えめなヨーロッパトーンが好みの方、音が前に張り出す米西海岸のサウンドが好きな方、日本のスピーカーの様にあまり癖の無い音が好みの方と十人十色。人の好みを他人がとやかく言うのは、野暮というものです。

アルテックの604やタンノイの様な 38cm 口径の 2way 同軸は、技術的には 38cm 口径のウーファーに 1500Hz まで受け持たせるとか、1500Hz を再生させるためにはホーン口径が小さすぎるとか、かなり無理をした設計では ありますが、欠点を補って余りある魅力で熱心なファンを引き付ける訳でして。

話は変わりますが、秋葉原にあったヒノオーディオで、タンノイのユニットのコーン紙を改良タイプ?に交換した音を聞いたことが有りますが、低音のもたつきが消えモダンな音に様変わり。社長のドヤ顔が忘れられません。わたくしは、こちらの音の方が好みですが、タンノイファンがどう感じるはまた別問題です。

スピーカーに関しては、アマチュアにとっては難しすぎるファクターが多く、例えば

・アルニ コとフェライトとで、本当に音が違うのか

・ホーン型とダイレクトラジエーターで、どちらの音が良いか

・ダイレクトラジエーターの場合、ソフトドームとハードドームとコーン型とで、本当はどれが良いのか

・コーン紙が重い低能率タイプと、コーン紙が軽い高能率タイプで音が良いのはどちらか

・コーン紙の材質は、何が良いのか

・etc.

等々、本当に強いプロレスラーは誰かという問いに似た、開発の現場にいる人間でないと判らない様な疑問が数多くあります。

スピーカーユニットの販売店で聴いた話では、世界中のオーディオ用スピーカーに使われているユニットの多く(7割?)はフォステックスで作っているとの事で、このような話を聞くと、スピーカーに関しては、カー トリッジと同様、とてもア
マチュアの手に負えるものではないかもしれません。

販売店の試聴コーナーやマニアのリスニングルームでの試聴、あるいはメーカーのうたい文句や雑誌の試聴記を参考にスピーカーを購入する以外、アマチュアがスピーカーをチョイスする手段がないのが現実です。

ところで、メーカーのスピーカー設計の技術 者に、好きな様にスピーカーを作って良いと言うと、大概、ホーン型 3Way を作り始めると言う話を聞いたことが有りますが、ホーン型には独自の魅力が有るようです。

トランジェント特性を考えると、ダイレクトラジエーターに比べホーン型が断然有利で、色々な情報を整理すると、生の音を志向した場合にはホーン型の選択という意見が多いようです。正しい設計のホーン型スピーカーは、高音域が だら下 がり になり、且つドライバーと言えども分割振動が発生する事から、受け持てる周波数の範囲は狭く、正統派のホーンでシステムを組む場合は、高城重躬氏のように GOTO ユニッ トの 4way か 5way を選択せざるを得ないという事になります。

※高城 重躬氏は、日本のオーディオ黎明期をリードしたアマチュア研究家。

GOTOユニットの後藤氏の協力のもと、最高峰のユニットを真空管 OTLアンプのマルチウェイで駆動し、高忠実な再生を行った。糸ドライブ方式の先駆者としても有名。タンノイを愛した、作家の五味康祐 氏との論戦は有名。


※ GOTO ユニットは、 WE555 を代表とする WE のユニットを基に、吉村氏・後藤氏の技術で改良を加え、世界に並ぶ物のない最高レベルのドライバーユニットを世に出している。

その場合、低音用としてはコンクリートホーンか、軽量のコーン紙と強力な磁石を伴ったウーファー(アルテックか GOTO のウーファーを選択)の使用が必須。

ドライバーとアンプの間に抵抗が入るとトランジェント特性が損なわれることから、マルチアンプでドライブせざるを得ないと言う化け物の様な装置になると言う事で、いくら財力が有って購入出来たとしても、一生かかっても、まともな音を出すのは難しいかもしれません。

上記の 様な装置は、小生のオーディオ信条には 全く反しますが 、シッカリと 調整された GOTO の装置の音を一度は聴いてみたいとの思いはあります。生の音を志向すると、とんでもない深みにはまりそうです。

中学の頃は、少年マガジンに連載された「ハリスの旋風 」の主人公・石田国松の傍に 寄り添う委員長の様な女性が理想でしたが、考えてみればそんな人は居るはずもなく、「理想のスピーカー 」を 求め ると 言う事は、理想の異性を求める様なもの で夢のまた夢。だからこ そ、オーディオが面白いのかもしれません。

http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c58

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
59. 中川隆[-9958] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:27:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2394]


オーディオ専門店エレックスはゴトウユニット取扱店です。
http://www.elex.ne.jp/index6.html

電話でのご予約・お問い合わせは
TEL.:0284-64-7346  FAX: 0284-64-7347

〒326-0837足利市西新井町3495-2
営業時間AM10:30〜PM8:30


オンリーワンの音 世界を魅了するゴトウユニットの世界

ゴトウユニット本社視聴室 ゴトウユニットハイエンドユーザー


GOTO UNIT ゴトウユニット

GOTO UNIT ゴトウユニットと聞いてピンと来る方は、おそらくオーディオを趣味としている方の中でも相当なベテランの方、あるいは相当な上級者の方なのではないでしょうか。

ゴトウユニットSG188BLトゥイーターこのGOTOUNIT ゴトウユニットは、元々はYL音響時代からの流れをもち、1965年に後藤氏によって設立されたブランドになり、今では国内に留まらず海外のハイエンドオーディオマニアの間でも話題となる、伝説的なホーンシステムを主体とした超高級スピーカーブランドとなります。

設立当初より常に良いスピーカーとは何かを追求し続け、ひたすら前向きに研究し続けた音が多くのファンを生み出し、そこに秘められる膨大な理論がゴトウユニットの音に現れているのです。

ゴトウユニットの考える良いスピーカーの条件とは、

●過渡特性が優れていること
●能率が高い事
●平坦な特性である事
●指向性が良い事

以上この4点になります。

そのラッパのように見える独特の形状のホーンシステムは、普段巷に溢れているスピーカーに慣れ親しんだ目には、かなり奇妙にさえ映ります。

しかしそれは振動版の音を余さず空間に放出するためであり、そしてそこから流れてくる音楽は、音の違いを敏感に感じる感性をお持ちの方なら、静寂と躍動感溢れる音に魅了され、その生々しい音の虜になることでしょう。

そのような音が国内に留まらず、ゴトウユニットが海外のオーディオマニアにも高く評価される要因なのかもしれません。

ゴトウユニットは基本的にフロントプレッシャー型のユニットであるため、JBLやアルテック、TADなどのようなバックプレッシャー型のユニットのように広帯域再生には向かないため、どうしても3ウェイ〜5ウェイのマルチシステムで構成するようになります。

しかしそれはある意味ユニット本来の得意とする帯域を十分に鳴らしきれる事でもあります。

そのためゴトウユニットでオールホーンシステムを組む場合、しかもローエンドまでオールホーンシステムで考えた場合、その規模からリスニングルーム全体を根本的に見直すこともあります。

しかしご使用中のシステムのハイレンジだけゴトウユニットに変換するというのであれば、既存のシステムに簡単に付加させて使用することももちろん可能です。

ハイレンジだけゴトウユニットへの変更であっても、その流れ出る音のローエンドの表情まで一変する効果は十分に実感できるはずです。


ゴトウユニットは、残念ながら一般的なオーディオマニアの方なら誰にでもお勧めできる製品ではありません。

ある程度知識と経験も必要とし、音に敏感な耳の肥えたかなりの上級者向けの製品となります。

ゴトウユニットの高音質を十分引き出そうとする場合、どうしても知識や経験又は技術やノウハウなども必要になりますが、もしあなたが音と音楽をこよなく愛し、その追求に余念がない方にはとてもお勧めできる超高級スピーカーブランドといえるでしょう。

既存のシステムでは満足できないハイエンドユーザー向けの製品群ですが、世界中探してもこれしかないというシステムを構築できるその音楽再生の世界は、一度でもその音を聞いたらもう後戻りは出来なくなる、そんな魅力を兼ね備えたブランドなのです。

しかし一般的に非常に敷居の高く感じるGOTOUNITゴトウユニットですが、そのコンセプトを引き継ぎながらも一般的な使い方が出来るフルレンジもラインナップされており、もちろんGOTOUNITゴトウユニットの名に恥じないパフォーマンスを見せます。

コンパクトなリファレンスシステムとして、またメインシステムとは趣向を変えたサブシステムとして、アイディア次第でその可能性も無限大です。

小型ユニットであっても、世界に唯一のシステムを生み出すことが出来る事がGOTOUNITゴトウユニットの魅力かもしれません。

オールホーンシステムではちょっとと躊躇してしまうマニアの方にこそ、そのアイディアを生かしたシステム構築にお勧めできるユニットといえるでしょう。


※GOTOUNIT製品に関しましては、輸出入禁止項目に該当する項目が含まれますので、海外からのご注文及び持ち出しご希望の場合はお取引を控えさせていただきますので、日本国内でのご使用をお願いいたします。

information お知らせ

ゴトウユニットを使用したシステムアップを、ご予算に合わせてご提案いたしております。
ご質問お見積りなどお気軽にご相談ください。
またゴトウユニットの下取り、買い取り、委託販売も常時受け付けております。
詳しくはメール又はお電話でお問合せくださいませ。お知らせ

http://www.elex.ne.jp/index6.html

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ゴトウユニット GOTO UNIT TWEETER
http://www.elex.ne.jp/index10.html

音楽のスケール感や空気感を伸びやかに表現するのが、ゴトウユニットの高音域トゥイーターです。

ゴトウユニットのシステムの高音域を受け持つだけではなく、お使いのスピーカーシステムのトゥイーターとしてご利用いただいても、システムのグレードを引き上げてしまうほどの実力があります。

音楽のスケール感や空気感を決定付けるともいわれる重要な帯域を受け持つトゥイーターには、振動板に軽量高剛性に優れたチタニウムをゴトウユニット独自の技術で形成した物を使用し、また硬くて音速がさらに早いといわれるベリリウム振動板を使用した仕様も用意しております。

お使いになる様々な環境にあわせ、スペックの異なる様々な仕様のトゥイーターをラインナップしております

小型で使いやすいSG-06もラインナップに加わりました。


高音用(High)

SG-16TT SG-160 SG-160BL

SG-188BL SG-06 SG-06F

エレックス オリジナル アルミ削り出しドライバー トゥイーター台

ゴトウユニットTWEETERの概要

ゴトウユニットのSG-I6TTは、最高音域を受け持つドライヴァーユニットで、 振動版はチタニウムを成形し、 またFRPエッジを採用、 125パイアル二コリングマグネットの磁気ギャップにパーメンジュールを使用した強力な磁気回路により、 ダンピングのよさと低歪みを実現しております。

更に磁気回路の磁石を130パイに大型化、 強力にしたものがSG-160です。

高い分解能と浸透性により、 自然にそして豊かに音楽を楽しむことができます。

ゴトウユニットのSG-160BLには、 現在最も音速が速いとされているべリリウムを振動版に採用し、ゴトウユニット独自の方法で成形したダイヤフラムを採用、そのため更なる音質の向上に成功致しました。

これはオーディオ界の布石となる製品であると自負致しております。

表示されているすべての機種ともに、カットオフ3000HZのアルミ丸棒くり貫きS-3000ALホーンを標準装備しています。

ゴトウユニットの音質を気軽に楽しむために、使いやすいSG-06もラインナップしました。

小型で使いやすいユニットですので、ゴトウユニットのニュアンス試してみたいという方でも、お使いのシステムのプラストゥイーターとしてもご利用いただけます。

もちろんその実力はゴトウウニットの名に恥じません。

ゴトウユニットでは、製品の高品質を維持するため受注生産となります。
特注製品依頼、バージョンアップ、納期に関しましてはエレックスまでお問い合わせください。
http://www.elex.ne.jp/index10.html

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ゴトウユニットドライバー専用ホーン
http://www.elex.ne.jp/index11.html


ゴトウユニットドライバー専用ホーンです。

ストレートに伸びたその特徴的な外見を持つホーンは、ドライバーからの音を余すことなくストレートに放出しやすくするため生まれました。

そのためダイレクトでかつ繊細な音楽信号が、途中で損なわれなく大気中へと伝わるのです。

ゴトウユニットではお使いになるドライバーや環境にあわせ、様々なサイズのホーンをご用意しております。

S-150朝顔型 S-150B S-200B S-300B
S-600 S-800

http://www.elex.ne.jp/index11.html



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ゴトウユニット AMPLIFIER/チャンネルデバイダー
http://www.elex.ne.jp/index12.html


ゴトウユニットといえば、その特徴的な形状と魅力的な音質を持つホーンシステムやドライバーなどで有名ですが、そんな究極のホーンシステムというスピーカーばかりがゴトウユニットのラインナップというわけではありません。

ゴトウユニットブランドのアンプやチャンネルデバイダーもその一つで、もちろんゴトウユニットを思う存分鳴らすために開発された製品群ですが、既存の一般的なスピーカーを繋いで鳴らすことも十分可能です。

いきなりゴトウユニットのホーンシステムでは敷居が高すぎるとお考えの方も多いはずですが、でもゴトウユニットの世界とはどのような世界なのかと興味を持つ方も多いでしょう。

そのような時、ゴトウユニットというブランドを体感する一つの選択肢として、ゴトウユニットのアンプ、あるいはチャンネルデバイダーなどを試してみる価値があります。

パワーアンプはもちろん純A級動作のアンプですので、スペック的な表示出力は小さめですが、繊細さに欠けたガサツなパワー至上主義のアンプとは違い、純A級アンプ特有のその繊細な音を実感できるはずです。

ただ再生スピーカとしては低能率の穏やかな反応のスピーカシステムよりも、ある程度高能率タイプで高反応のスピーカーの方が望ましいのですが、繊細な音でシンプルなフルレンジシステムをバランスよく鳴らしたい方にも是非試していただきたいアンプです。


EPH-2002/ステレオラインプロセッサー

EPH-3001A/A級ステレオパワーアンプ
EPH-3002A/A級ステレオパワーアンプ

EPH-4002/2-4ウエイチャンネルディバイダー

http://www.elex.ne.jp/index12.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c59

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
60. 中川隆[-9957] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:31:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2395]

新品 ゴトーユニット GOTO(受注生産品)
オーディオ専門店エレックス USED 中古オーディオショッピングサイト
http://www.elex.ne.jp/ecshop/index.php?dispatch=categories.view&category_id=55

メーカーお取り寄せの新品です。

ゴトウユニットは全品受注生産ですので、ご注文確定後におおよそ納期お知らせいたします。

このメーカーの品物は、申し訳ございませんが日本国内のみ販売可能です。

国内でご注文後に海外への持ち出しも御遠慮ねがいます。

販売完了品に関しましては、販売済み製品一覧へ転載いたしますが、

生産完了や定価売価の変更にすぐ表記対応できない場合ございます事了承ください。

ゴトウユニット ホーン
ゴトウユニット トゥイーターユニット
ゴトウユニット 中高音ドライバーユニット

ゴトウユニット 中低音ドライバーユニット
ゴトウユニット 低音ウーファーユニット+フルレンジユニット
ゴトウユニット アンプ+チャンデバ+他
http://www.elex.ne.jp/ecshop/index.php?dispatch=categories.view&category_id=55
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c60

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
61. 中川隆[-9956] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:32:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2396]

ヤフオク! -「ゴトウユニット」(スピーカー) - 新品・中古品の落札相場、落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch/%E3%82%B4%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%88/23812/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c61
[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
62. 中川隆[-9955] koaQ7Jey 2019年5月30日 09:46:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2397]

後藤精弥記念館 音楽夢工房
http://www.ne.jp/asahi/otoyume/home/index.html


GOTO UNIT ブログ
http://gotounit.blog.fc2.com/


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ゴトウユニットは、1965年に創業し、ハイエンドホーンスピーカーのメーカーとして国内外のお客様からご支持を頂いております。原音再生を実現するためのスピーカーに要求される条件に、ゴトウユニットは応えて参りました。お客様に最高の品質でお届けするため、受注生産方式とし、初期不良を防ぐため入念なエイジングを行って出荷しています。

極限に迫る低歪み率

 剛性が高く軽量な振動板を開発し、振動板周囲に歪みを軽減するFRPエッジを世界に先駆けて導入しました。

瞬時なドライブを実現する強力磁気回路

 磁気回路には、高磁率のアルニコ5DGマグネットならびに高透磁率の鉄材を使用し、磁気ギャップ部分には磁気飽和点の高いパーメンジュールを採用しています。(一部製品を除く)

厳選されたホーン形状

 ダイヤフラムの振動を能率よく、あまさず空間に放射するホーン形状にハイパーボリックホーンを採用しています。カットオフ周波数に近い所からホーンロードがかかり高域の抜けも良いのが特徴です。

ゴトウユニットが培った技術により、過渡特性に優れ、能率が高く、平坦な周波数特性で指向特性の良いホーンスピーカーをラインナップしています。また、ゴトウユニットの性能、特長を最大限発揮すべく、パワーアンプ、ラインアンプ、チャンネルデバイダー、LCネットワーク等もご提供しています。
http://goto-unit.jp/%e3%82%b4%e3%83%88%e3%82%a6%e3%83%a6%e3%83%8b%e3%83%83%e3%83%88/


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ゴトウユニット販売 オーディオアート
http://goto-unit.jp/


オーディオアートは、ゴトウユニットを国内外に販売し、音楽を愛するハイエンドユーザーの原音再生実現に向けて活動しています。

厳選された素材で実現された強力な磁気回路は、独自のFRPエッジによるハイレスポンスなトランジェント動作をダイヤフラムに実現させました。バイオリンの弦が奏でるビブラートの美しさや、金管楽器の突き刺さるような音は、ゴトウユニットならではの臨場感に浸れます。音楽と芸術を愛する創業者の故後藤精弥が成し遂げたホーンスピーカーを、これからもゴトウユニットが皆様のご愛顧に応えて参ります。

 ゴトウユニットは、故高城重躬氏を始めオーディオ評論家諸先生やオーディオおよび音楽愛好家の方々に支えられて参りました。(写真は、高城重躬氏の低音コンクリートホーン)

ホーン形状はいろいろありますが、ゴトウユニットは、丸形ストレートホーンが原音再生に最適なものとして推奨します。中低音タイプにおいては、ダブルスロートタイプがあり全長の短縮と、より音のスピード感に向上が認められます。

ダイヤフラムは、ジュラルミンとチタンを使用していますが、軽量化のため、極限まで薄く加工しています。

ウーファーは、ホーンタイプに対応したコーン紙をオプションで用意しています。

ヨーロッパのハイエンドユーザーには、ホーンスピーカーのレジェンドとして信頼されています。巨大なホーンによるパイプオルガンの再生は圧巻です。

オーディオアートは、ヨーロッパ、北米、アジアの現地の代理店と提携してゴトウユニットの販売サービスを行う海外総代理店です。海外からの日本オーディオ製品(ホーンスピーカー)のメンテナンスのご相談にも対応しています。

オーディオアート第一試聴室(オールベリリウム)12畳

東大阪市高井田元町2-28-19 Tel 06-6743-7743 Fax 06-6743-7720 email : kawakta@amitechs.co.jp

ご試聴いただけます。ご連絡ください。ご予約は、できましたらメールでお願いいたします。

オーディオアート第二試聴室(オールチタン)8畳

4ウェイマルチアンプシステム(オールA級パワーアンプ)のフロントスピーカーによる6.0.4配置の110インチスクリーン、ドルビーATMOSホームシアターをご堪能いただけます。サブウーファーの帯域を38cmダブルのウーファーが受け持ち、その低域の自然な臨場感は映画館以上に映画に埋没します。

東京試聴室もございます。是非ご連絡ください。
http://goto-unit.jp/

製品 – GOTO UNIT
http://goto-unit.jp/%e8%a3%bd%e5%93%81/

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後藤精弥氏について
http://www.ne.jp/asahi/otoyume/home/gotouseita.html

(有)ゴトウユニットの工房にて(右が後藤精弥氏)

〜 後藤精弥讃 〜

加藤敏久

後藤精弥・・・それは日本を代表するスピーカー技術者の名だ。
そして、間違いなく日本のオーディオの歴史を牽引した一人である。

生涯、純粋に、軽くて堅い振動板と強力な磁気回路というスピーカーの理想を追求し続け、 ついにこれ以上はないというドライバーを造り上げた本物の技術者だ。

この地球上で、膜状に成形可能な最も軽い元素、原子番号4番のベリリウム。
 このベリリウムをダイヤフラム(振動板)に使う。
 そして、磁気飽和の限界まで磁化させたアルニコ磁石を、ダイヤフラムが破壊される限界まで積み上げる。
 ボイスコイルを埋める隙間は狭いほどよく、そのわずかな隙間に驚異的な指先の器用さでボイスコイルを埋め込むのだ。

こうして、世界最高能率120db/wのドライバーを実現したのだ。

出る音は、トランジェント(過渡特性)の高さで他のスピーカーを圧倒する。
 一聴すれば誰にでもわかる違いである。
 音源に記録された電気信号をストレートに、羽毛のように軽々と音波に変える。
 真にスピーカーの存在を忘れさせる再生能力だ。

今や、ヨーロッパ、ロシア、アメリカ大陸、東南アジア、台湾、中国など、世界中のオーディオファンが、ゴトウユニットの音の卓越性を認識し、自己のシステムに取り入れ始めている。

スピーカーのドライバーユニット部門で世界を席巻できるのは、ゴトウユニットをおいて他にはないと断言できる。
 なぜなら、上述のとおり、原理的にこの地球における物理的な限界を極めたスピーカーだからだ。

<後藤精弥氏プロフィール>

(文責 加藤敏久)

新潟県出身

昭和17年東京の電気会社に就職。

  終戦後は、電球作りからスタート。集魚灯、クリスマス電球など手作り多数。

  指先の器用さは天性のもので、他社が投げ出した作業や修理を難なくやってのけた。

  この時代のさまざまなものづくりの経験が、後のドライバー作りに生かされた。

  映画セリフ用のダイナミックマイクロフォン、選挙用の拡声器と肩掛け用ハンドマイク、
 電車の車内アナウンス用拡声器の製作と、映画館のスピーカーの修理が、
 スピーカー技術の原点となった。

昭和32年頃、高城重躬(たかじょうしげみ)氏と出会う。

 日本電気のドライバーユニット555M(ウェスタン型振動板)の修理を頼まれたのが
 きっかけだった。

 高城氏は日本初のレコード評をしたオーディオ研究家で、
 既に大型装置を自作のアンプで鳴らしていた。
 高城氏の友人でお茶の水女子大学の物理学教授だった亀谷俊司氏とも知り合う。

  この二人は当時トゥイーターに楕円の紙製スピーカーを使っていた。
 このトゥイーターから何とかならないか手を付け始めた。
 亀谷氏が米国グッドイヤー社の商品名マイラーという素材を手に入れ、
 それを使ってみた。結果は上々。後藤氏はもっぱらこれをFRPと称した。
 日本で最初にコンプレッションユニットにFRPを使用したのが後藤氏である。
 このときから、高音はホーン型に変わった。

  当時は映画館全盛時代。
 ほとんどの映画館でWE555ドライバーが使用され、修理の仕事に追われた。
 このWEを模して中音ドライバーが作られた。
 この後、磁束密度を上げるパーメンジュール材との出会い、低音ホーンへの工夫と、
 高城氏との二人三脚の歩みが続く。そして、世の中はステレオ時代に入っていく。

昭和32年吉村氏とともにYL音響(現在エール音響)を創立。

昭和40年独立し、FRPエッジをうたい文句に、ドライバー製作に入った。

  高城氏録音の虫の音の再生をきっかけに、ダイヤフラムをチタンに変えた
 トゥイータ16TT誕生。それから中高音もチタン化。

昭和45年頃からスピーカーの修理を頼まれたのがきっかけで画家の岡鹿之助氏に出合い、弟子入り。
 後藤氏は小さい頃から絵を描くのが趣味だった。

昭和51年、ダイヤフラムのベリリウム化に着手。

  中音用のダイヤフラムまでベリリウム化に成功した時、
 音楽の友社「ステレオ」誌「今月の2000文字」に掲載された高城氏の文章を紹介する。

音楽の友社「ステレオ」誌「今月の2000文字」より

「・・・中音用のダイヤフラムがベリリウム化された。昨年から後藤精弥さんが取り組んでこられたものが完成、最初の品が私のところに運ばれた。中音用なのに高域まで実に素直にのび、分解能も非常によい。まず左方のシステムだけを取り換え、右方と聴き比べることにした。ベリリウムの方がずっとおとなしくてしかも切れ味が鋭く、左方から右方に切り換えると音が賑やかでどぎつく感じられる。これだったら文句なしにベリリウムに軍配があげられる。それですぐに右方も取り換えた。それにしてもこれだけ大きく変わるとは考えもしなかった。私のスピーカーシステムでこれまでの一番の大きな変革は19年前に3ウェイから4ウェイにした時であるが、今回の変わりようはこれに次ぐものといえる。10年程前に中高音用や高音用がチタンからベリリウムになった時も、目覚しい改善ではあった。しかも今回の中音用はそれを遥かに上回る程の前進であり、改めて中音の重要性を思い知らされた。

ベリリウムがなぜこれだけ音質に大きな影響をもたらすのか、これまでのチタンと材質の特性の違いを調べてみた。特性表からも分かるように、チタンの比重(密度)4.54に対し、ベリリウムは1.84、従ってダイヤフラムの厚さが同一なら重量はチタンの0.4倍しかない。しかし重量だけからすればマグネシウムの方が有利だ。ところがダイヤフラムの音響材料としての評価は、弾性係数(ヤング率)を比重で割った値で決められている。計算してみるとベリリウムは28000÷1.84=15217、チタンは11000÷4.54=2423となり、何とベリリウムはチタンの6.28倍、マグネシウムの5.88倍になる。それと音の一秒間の伝播速度もチタンやマグネシウムの2倍以上だ。これらの要素だけで音響材料としての音質の優劣が断定できるとは思わないにしても、今回の変わりようからすると成程とうなずける。

もっともベリリウムがいくら優れた特性を持っていても、これを使ってダイヤフラムを作るのは至難なこと。まず薄いシートの入手が容易でない。高音用ともなると非常に軽いダイヤフラムが必要で、薄いシートが不可欠だ。しかしメーカー成型の限度が20ミクロンまで、シートなら15ミクロンまで可能とのこと。そこで後藤さんはシートで貰い、無事成型、高音用に使用しているそうだ。私が以前に使っていたチタンの高音用は6ミクロンだったのに、2倍半もの厚いベリリウムの方がなぜよいのか、その理由は前述の通りである。中高音用は厚さ25ミクロン、今回の中音用は35ミクロンだが、このシートからドーム状に成型することがこれまた大変な仕事らしい。さらにこれにアルミリボンをエッジワイズしたボイスコイルを取り付けなければならない。この巻く技術も非常に難しい。こういった困難を克服して中音から上がすべてベリリウムになったのは、彼のこれまでのノウハウの積重ねと名人芸の賜物といってよいと思う。もっとも、ベリリウムも真空蒸着法を採用すれば大量生産も可能だし、既に市販品も出ている。しかしこれと薄板を加工したものとでは全く別物であることはいうまでもない。・・・」


(左 後藤精弥氏  右 高城重躬氏)

平成4年、NHKを通して北海道苫小牧市新冠町にレコード館設立の話。
 スピーカーシステムは後藤氏が設計しゴトウユニットで構成。
 平成9年竣工。低音ドライバーはSG146LD。
http://www.ne.jp/asahi/otoyume/home/gotouseita.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c62

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
63. 中川隆[-9954] koaQ7Jey 2019年5月30日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2398]

ホーンスピーカー

 「スピーカーはホーン型がよい」とは、金田氏の主張だけれど、私の場合、高城重躬氏の「音の遍歴」を読んだことでインプリンティングされてしまった部分がけっこうある。それゆえホーンといえばまずはオンケンと返って来そうな金田ファンの中にあって、私の頭に浮かぶのはゴトウユニットなのであった。

 長らく「かりそめの姿」と思いつつあまり値の張らない既製のスピーカーで過ごしてきたが、ここへきてようやくそのゴトウユニットに手を出してしまった。

といっても、しみったれ系のオーディオをやっておりますゆえ、そんなお金持ちが使うようなものをおいそれと買い込めるものではない。中古のしかもローコストモデルでとりあえず、ということで、一式まとめても現行の標準的ユニット1個分の値段にもならない投資だ。

はたして、このプアマンズ・ゴトウシステムの成否は?
http://web3.incl.ne.jp/tetsu/c7spSys/loudspeakers.html

ゴトウホーンシステム(ただし、ビンボー仕様…)
http://web3.incl.ne.jp/tetsu/c7spSys/gotoSys.html

ゴトウユニットがやって来た(^^)

 SG-37FRPとホーンS-400を手に入れた。30年前の製品である。

 SG-37FRPはゴトウユニットの中ではエントリーモデルだった。マグネットも小さく、同社のドライバーの中では能率も少し低め(といっても110dB/W/mもあるけれど)。比較的安価ではあったが、ゴトウユニットの名を冠して世に出しておくには性能に不足があったのか、それともゴトウを使おうというような人はみんなお金持ちなので、こうした性格のユニットには人気が集まらなかった、ということなのか、生産されていた期間はそう長くなかったと思う。

 ホーンのS-400も中止品だ。開口径30cm、カットオフが400Hz。現在では、ゴトウユニットの標準的なシステム構成は事実上4ウェイのみになってしまったが、そうなるとこのサイズのホーンは中途半端だということになるのだろう(当時の製品ラインアップではまだ3ウェイも想定されており、MJに出されていた広告には3ウェイのシステム構成例が載っていた)。

 現在このクラスの製品がラインアップにないということは、後藤精弥さんご自身がこれらを否定しているようにも受け取れて、あんまり嬉しくない。しかも、前オーナーはこれを1ヶ月ほど鳴らしてみただけで、後は死蔵していたのだという。よほど期待はずれの音だったのか?

 といった不安もなきにしもあらず、なのだけれど、なにしろ現行製品はみな高価だし、まあ入門用にはこれでもよかろう、とおっかなびっくり手を出した、という訳。


 フェイズプラグを囲んで丸穴が並んでいるのが判る。いかにも手作業でドリル加工されたふう。


 SG-37FRPだけではもちろん中〜中高域しか出ないので、これにウーファーとトゥイーターを足して3ウェイとする。

 トゥイーターはやはりゴトウの、SG-37とほぼ同時期の製品であるSG-17SAがほどなく手に入った。

 いささかくたびれていて少しメッキが浮いていたが、まあしょうがない。それより、ちょっと解せないことがある。マグネットに貼られたラベルにはSAとあるのだが、Sの後にAが付くやつはカットオフが少し高くなる小ぶりのホーンが付いているはずだ。しかしこのホーン、大きい。このラベルは正しいのか?また、再着磁歴ありということだったが、相当昔のことらしいのであまり意味はなさそう。ラベルの脇に「再着磁 BGM」なんていうシールが斜めに貼られていたのだが、シールのセンスがなんだかゴトウの仕事っぽくない。もしかして、BGMは会社名かな?

 それやこれやで、あまりきちんとした素性のユニットではなさそうなのだった。おまけに後で片方の音圧が少し小さいことが判明する。片側の減磁かと思ったが、ゴトウに修理を依頼したら振動板が交換されて戻ってきた。修理費用は意外とリーズナブル。

 疑念は持ちつつも、これで音圧も揃い、音色も使い込まれた側と差異は感じられず、一応ゴトウで看てもらったという安心感も得て、まずはメデタシメデタシ。

 これら中・高音のユニットおよびホーン、修理費をまとめても、現行の標準的なゴトウユニットの1本の値段よりまだ安い。かくも安価にゴトウユニットを味わおうという野望は、はたして実を結ぶのか?


ウーファーは?

 さて、ウーファーをどうするか。昔冷やかしで取り寄せたゴトウのカタログが手元にあるが、その最後の頁に載っている組み合わせ例のいちばんローコストなやつを見ると、SG-17SAとSG-37FRP+S-400ホーン、それに「良質の」30cmウーファー、という組み合わせが紹介されている。クロスは500Hzと5kHzとある。

 私の部屋ではスペースが苦しいので、もとよりあまり大きな箱は置けない。30cmのユニットとなると、比較的小さめの箱で使えるものでなければ難しい。JBL4311Aのウーファーだけ使う、という手も思いついたが、それ以外だと置ける箱とのバランスから20〜25cmが現実的だろう。

 高能率のホーンの中・高域と組み合わせるには、やはりできるだけ高能率であることが望ましいので、ナンタラスピークなどを筆頭とする能率が80dB台の最近の製品は端から候補になり得ない。マグネットもできればアルニコがいい。ゴトウの現行製品にSG-20WRというのがあるが、これなどはまさしく希望にぴったりの製品だ、値段以外は。さて、う〜、むぅ〜…

 と唸っていたところ、こんなの見っけ。

 今はなきDIATONEの20cmウーファー、PW-201である。なんと、デッドストックだ。アルニコマグネットで、インピーダンスは購入済みのゴトウユニット群と同じ16Ω。能率94dB/W/mは、この口径でこれ以上欲張るとウーファーじゃなくなる、といったところだろう。

 昔のスピーカー工作のムック本などにはよく載っていたユニットだが、写真から受ける印象はあまりパッとしなかった。上級機のPW-125と比べると、幅の狭いエッジとのっぺりしたコーン紙がなんだかあんまりやる気のない印象だったし、他社の現代的デザインのユニット群からすれば、このいかにも国営放送局用といった風情の姿形も垢抜けなく見えた。かつてのオーディオ少年たちが憧れた、というユニットではなかっただろう。

 しかし今こうして実物を手にしてみると、これは“いいもの感”が横溢している。当時現代的なデザインと見えた他社のユニットのほうが、今ではよほど古くさくて安っぽく見える。私の購入価格は2本で¥32,000だったが、後で本棚の隅の芸文ムック「D.I.Y.オーディオ」('82年発行)を見たら1本¥21,000となっていた。すごく得した気分♪(^^)。



 写真では判らなかったが、今回入手して初めてコーンがボウル状に湾曲していることを知った。パラボラカーブなのかどうかは不明だが、こうした形のコーンは特定の制限された帯域を再生する用途に使われることがある、とは古いスピーカー工作の本に書いてあったこと。



 カバーを外してみたところ。さすがは「局仕様」、マグネット周りはP-610よりずっと贅沢に作られている。

 moはなんとたったの12gだ。フォステクスの20cmフルレンジのmoを見てみたら、そっちのほうがまだ重いのだった。今ではなかなかこんなスペックのユニットはないだろう。う〜ん、キレのよい音が期待できそうではないか♪…というか、出るのか、低音?

 そんなわけで、当然ながらローエンドはあまり欲張れない。スペック上は50Hzからとなっているが、特性曲線を見ると50Hzのあたりは200Hzのレベルから10dB近く落ちている。

 ちょいと裸でアンプに繋いでみた。ら、はて、全然低音なんか出ないぞ…なんだか8cmくらいのラジオのスピーカーのような鳴り方でないかい。いくら箱に入れていないといっても、これでウーファーになるのだろうか?

 と思ったが、コーンに耳を近づけてみると、これまで聞いたことがないような歯切れよい低音が聞こえるではないか。深々と包み込まれるような低域は想像で補うことにして、ここは量より質を期待しよう。

 エンクロージャーは、県内在住の木工趣味人の方にW450mm,H600mm,D300mmのオンケン型バスレフ箱を発注。合板製の安価なものだが、音に大きく影響しそうなバッフル板のみパインの集成材にしてもらった。

 PW-201の指定箱はけっこう大柄で、およそ90Lほどもある。私のこれは50Lくらいだが、このユニットを生き生き鳴らすための容量としては最小限度といったところだろう。が、私の今のオーディオ用スペースに置ける大きさとしてはこのあたりが限界に近い。いろいろと妥協せねばならないことはある。何が何でも低音ホーンを我がリスニングルームに、といった願望は今のところ持っていない。

 表面はワトコオイルで簡単に仕上げた。さっぱり醤油味、のつもり。木質に染み込んで硬化するので、表面をコーティングする重たい塗料を使うより、木の響きを生かせるのではないかと思う。あまり匂わなくなるまでけっこうかかったが、有機溶剤を使った塗料とは異なり、そんなに嫌な匂いではない。これを置いた部屋に戻ってくると、木工製品の香りがするのがちょっと心地よいくらい。


インスタントな置き台(^^;

 ウーファーの箱の上にゴトウユニットをただ置いたのでは転がって落ちてしまうので、それなりの台が必要だ。金田氏推奨はインライン配置。横から見て、各ユニットの振動板位置がそろっているのが望ましいが、低音ユニットと中音ユニットの位置を揃えるのはホーンが長くて無理だ。中高音ユニットをクロス周波数の1波長ぶん奥にずらして配置するのが次善の策だが、エンクロージャーの一番後ろに合わせても1波長分にならない。そういうときは「あまり気にせず」とも金田氏は書いているので助かる。

 凝った台の工作を考えてスケッチをあれこれ描いてみていたのだったが、エンクロージャーが仕上がっていよいよ音を出せるようになってくると、「早い!安い!旨い(?)」のアイディアが閃いた。さっそくホームセンターへ。

 買ってきました。テーマは「ノコギリは極力使うことなく、ドリルとねじ回しだけで作れる構造」ということで、MDFのボード、ウッドポール、三角柱。
 で、こうなった。



 なんだか○印良品か○販生活みたいな風情ではありますが、まあ私らしくはある、か…(^^;。


 MDFというのは初めて使ったが、なんだか紙みたいなもんですね。とりあえず硬いけれど、濡らすとほぐれてきそうだ。叩いてみても響きは良くないし、あまりお勧めできない感じ。

DC流クロスオーバーネットワーク

 マルチアンプシステムにするだけの用意はないので、まずはネットワーク式で。もちろんDC流に6dB/octだ。SG-37+S-400は、使おうと思えば500Hzからでも使えるようなのだが、どうやらそのあたりはPW-201のおいしい帯域らしい。それに、ウーファーのハイカットを低く取るとコイルが大きくなる。16Ωだとなおさらだ。ということで、クロスオーバー周波数は800〜900Hzと5kHzでいいだろう。

 設計した定数は下図のとおり。手持ちの双信V2Aの2.2uF、10uFと0.5mHのコイルを有効活用することを優先したため、中・高域はアッテネーターから先が14Ωほどになっている。

 ウーファーのローパスフィルターの3.3mHは、計算値だと2.7mHのほうが近い。しかし、今回のクロス周波数のあたりでは、PW-201のインピーダンスはもう20Ωを超えてしまっている。しかもカーブが右肩上がりになっており、若干大きめのLを入れておくのが吉と観た。

 このくらいのインダクタンスになると、空芯だと物量が必要になるのでけっこう高価だ。市販のコイルを探したが、見た中で最も安かったのが意外にも銅フォイル巻きのものだった。ちなみに、金田氏は帯状の導体に音楽信号を流すことに否定的だが、ここは金に糸目を付けることにして、ま〜いいや、と(^^;。

 いざ聞いてみたら、中高域は張り出し過ぎ、高域は思ったほど出ていない。しばらくの試行錯誤の結果がこれ。

 結果的にSG-37をずいぶんと抑えて使うことになってしまった。PW-201の高い方の帯域がやはり十分に減衰されないようで、SG-37の受け持ち帯域とかぶってしまうようだ。よりフラットさを求めるなら、むしろPW-201のインピーダンス補正を考えるべきかもしれないが、音にはよくなさそう。

 SG-17のほうは逆にもっと出すことに。かなり使い込まれていると思われるSG-17だが、やはり減磁もあるのかもしれない。


 それにしても、このSG-37の使い方はどうだろう。この帯域のパワーの99%以上をアッテネーターが喰っているという有様だ。う〜ん、勿体ないにもほどがある。
 とはいうものの、このおかげでS/N比が十分取れている訳でもある。我が300Bアンプ、そのままゴトウユニットに繋ぐと、たぶん回路の動作を支えているツェナーダイオード由来のものであろう「サー」というノイズが盛大に出てしまう。このネットワークを通した場合に比べ、音量が同じならS/Nは100倍も違うことになるわけだよな。なんてことだ…


ホーンの音

 実のところ、過大な期待はしていなかった。何しろ「あの」ゴトウユニットではあるものの、30年も前の旧製品だ。物量においてはCDM-1などよりはるかに贅沢だが、むしろ歪率など物理特性では現代のスピーカーに及ばないのではないかという不安があった。

 はたして、鳴らし始めの音は実に癖っぽかった。なにやら中高域が蓄音機のよう。音に鮮度が感じられない。独特の響きがつきまとい、細かなニュアンスが聞こえてこない。前オーナーがSG-37を1ヶ月でお蔵入りにした理由がこれだったか、と暗〜い気分に。

 しかし、幸い数日経つと癖が薄れてきた。30年もの間眠っていたユニットが本調子を取り戻すには、だいぶリハビリが必要だったようだ。

 さて、まともに鳴るようになってみれば、音の出方が全然違う!いや、これまで使っていたB&WのCDM-1と比べての話だけれど。

 私の聞き方というのは比較的小音量のほうだと思うが、高城重躬氏は雷鳴を再生して悦に入っていたようだし、金田氏にしてもかなりの大音量派らしい。それでなくてもホーンというとPAのイメージが強いから、ある程度大きな音を出さないと良さを発揮できないのではないか、という不安もないではなかった。が、そんなことは全くの杞憂だった。あまり音量を上げなくても、実にコントラスト鮮やかな、質量感のある音が出る。楽器の、振動している材質がよく感じられる音。小音量でも振動系が正確に動いている感じで、微細な音のニュアンスが損なわれない。意外にもコンデンサー型ヘッドフォンの音の出方に通じるものを感じる。そしてこの鳴り方の品のよさ。やはりPAのホーンとは訳が違うのだ。ゴトウユニットの最大入力はたったの5Wだし。それにしても、とうの昔にライン落ちしたローコストユニットでもこんななら、もっと上級のゴトウユニットはどれほどよいか…

 というわけで、むしろCDM-1の鈍さを思い知った次第。あれだって、近年の低能率なスピーカーの中ではけっこう鳴りのよいほうだと思っていたのだが、なるほど、こういう音を知ってしまえば今どきの低能率のスピーカーは、いくら歪みが少なく特性がコントロールされていたとしても、鈍くて聞いていられない、という主張があるのもうなずける。

 それぞれのユニットの位置がけっこう離れているにもかかわらず、音のまとまりが良好なのも意外だった。スピーカーの前1mの位置でも聴ける。クロスオーバーのカーブが緩やかなので、中域などは全部のユニットの音が重なっていることもあるだろう。が、HIGH・MIDを横に並べて試しで鳴らしたときにはかなり音源位置が離れていることによる不自然さを感じたことからすれば、やはりインライン配置の賜物だろうか。LOW-MID間は振動板位置を合わせられていないし、クロス周波数1波長ぶんのシフトというわけでもないが、特に違和感はない。きちんと合わせられればもっといいのかもしれないが。

 ウーファーはやはり安普請だけあってバランスが今一歩か。低域にピークが感じられたので、片側6個あるバスレフポートのうち3個をフィルター用のウレタンで塞いだら、まあまあ自然な感じになった。が、曲によってはまだまだ箱の音がする。このあたり、もう少し対策をしてみたい。しかし、このままでも曲がハマると実にイイ感じで鳴ってくれる。クラシックギターの胴鳴りなど、まことにリアルだ。ギターの胴は木の箱だから、構造・材質が似ているせいだろう。エレキベースは全然ダメ。

 ところでPW-201の反応の良さは、Lを通したのではだいぶスポイルされるような印象がある。思い切ってクロスを2kHzにして、2S-208よろしくPW-201はスルーで鳴らしてしまう、というのも面白いかも。けれどそれだとSG-37の受け持ち帯域は1オクターブ半くらいになってしまうのがなんだかなあ…。このあたり、マルチアンプにすれば解決してしまうんだが、と更なる欲が…

(そしてどんどんシステムが大掛かりになって、いつしか電源を入れるのも億劫になってしまっていることに気がつく、そして結局フルレンジ1発に戻る、とかいうオチだったり…いや、私の性格からすると十分あり得ることです(^^;。)


位置合わせ

 金田式推奨セッティングということで、振動板位置を揃えて設置した中音ユニットと高音ユニットだが、微調整して最適位置を見つけられたのかどうか判然としないまま時が経っていた。先人たちの言によれば、数ミリ移動しただけでも聴感には大きな変化がある、らしいのだが、私のところではユニットを前後に動かしてみても、そんなに変わって聞こえる感じはなかった。もちろん微妙に変わりはするのだが、「絶対にここでなければ」と断言できるほどの音楽表現力極大ポイント的な位置があるようには感じられなかったのだ。原因として考えられることといえば、

(1)もともと話が針小棒大である

(2)部屋の音響条件が悪くて違いが判り難い

(3)駄耳である


あたりが有力かと思われる。が、どれに該当するのか悩むよりも音楽を楽しんだほうがずっと有益な気がするので、とりあえず深く考えないことにしてせっせとレコードを聴く日々であった。

 ところが、あるとき気がついた。音を出しながら2組のスピーカーの間のちょっと手前で、かがんでスピーカーを少し見下ろすくらいの位置に私の頭が来たときに、何やら音が豊かになったように聞こえる。「あ?、ひょっとして…」

 これはつまり振動板位置から考えたら、トゥイーターは耳に近く、スコーカーは少し遠く、というふうになっている状態である。それなら、と、さっそく通常の聴取位置から見てそうなるように、トゥイーターを少し前に出し、スコーカーは奥に引っ込めてみた。突如高まる音の密度と立体感。「おおっ♪、コレだ!」

 なーんだ、なんのことはない、実はこれまで中高ユニットの位置について勝手な思い込みをしていたのだ。ダイアフラムが小さく軽量な高音ユニットは当然中音より音の立ち上がりが早いはず、よって高音ユニットの振動板位置が中音のそれよりは奥になった状態で音の位相が揃うに違いない、と。ちなみに、SG-17SAとSG-37FRPのマグネットのサイズは同一である。となれば、より振動系が軽いSG-17SAのほうが当然発音タイミングが早いだろう。そんな先入観があるものだから、位置の微調整と言っても、これまで高音ユニットを奥へやることしか試していなかったのだ。これじゃ見つかる訳がない(爆。

 写真の状態で最も音が朗々と聞こえるようになったわけだが、マグネットの位置で言えば、SG-37のほうが2cmほど奥になっている。マグネットのサイズは同一だから、それぞれのユニットの振動板があると考えられる位置を思えば、ずいぶんとスコーカーが引っ込んでいるような印象を受ける。

 これを納得するために、「振動板のすぐ近くでは空気がある程度“塊”になって動いていて、実際の“発音点”は振動板そのものよりは前のほう、だいたいフェイズプラグの先か、スロート入り口のあたりに出現する」という理屈を考えてみた。実際位置が揃っていると言えそうなのはそのあたりのように見える訳だが…ま、伝次郎先生の空気砲をイメージしながらそんなことを思ったが、たぶんウソでしょうね(^^;。コンプレッションドライバーの理論に詳しい方の教えを請いたいところです。

 さて、最適位置が見つかってみると、確かにそこから5mm(あえて3mmというのは控えて(^^;)ばかり前後しても音が貧相になるのが聞こえてしまう。カメラのピントを手動で合わせているような感覚。ピントの“山”は誰が聴いても判るくらい明瞭だ。ぴたり合ったときの気分の良さ。これも位相の整合性を保つ6dB/octクロスの賜物なのでしょうね、きっと。

 というわけで、上述の原因(1)〜(3)はすべて否定され(?)るとともに、音楽を聴くのが一層楽しくなったのでありました、メデタシ、メデタシ(^^)。


低音を整える

 既述のとおり、わが3ウェイシステムの低音には気になるピーク感がある。アコースティックギターでいうところのウルフトーンか。Q0の高いユニットを指定よりは小さいエンクロージャーに入れたことが一因であろう、との指摘を知人より頂いているが、うちのスペースではこれ以上大きい箱を置くのは無理。なんとかこのサイズで低音を手なづけたい。ユニットの方を交換するという手もあるが、PW-201はけっこう気に入っているので、できれば基本はこのままで。さて、そんなうまい方法があるものだろうか。

 当初考えていたのは、エンクロージャー内に平行面をなくすべく、適当に仕切り板のようなものを入れることである。となると、材料としてはある程度質量もあって、内部損失の大きいものがよさそうだ。コルクの板なんかいいのではないだろうか。

 というわけで、あれやこれやと凝った形状の仕切り板を考えること半年あまり。ところが、そろそろ実行に移そうか、という段になって突然大幅な方針変更をしてしまう、というのはドライバーの置き台のときのパターンだが、今回も期せずしてまたそうなってしまった(^^;。 安上がりで手っ取り早い、というまったく安直な理由から、実際に使うことになったのはこれである。


 「なつかしのおもちゃ」という表示のあるこれは、昔よく富山の薬売りが家々を回って置いていったあれ(という話に「うんうん」とうなずく人の年齢といえば…(^^;)、そう、紙風船。こんなものがまだ作られてるんだ、と思ったらやっぱり中国製だった。大・中・小の3個入りが10セットで800円(通販だからプラス送料のぶんもある)。これをエンクロージャー内に放り込んで、耳につく定在波の発生を抑えよう、という魂胆である。

 この方法は確か江川三郎氏(ご本人だったか周辺の誰かだったか忘れたが)あたりから広まった(というほどポピュラーでもない?)ものだったと思う。なにしろローコストで簡単。行動するより考えている時間のほうが大概遙かに長い私のような人間には、最も向いていると言えよう(爆。

 紙風船の材料の紙はパリパリ、カシャカシャと音がするので、材質的にはあまり好感触ではない。この音が楽音に絡んできたら嫌だが…もっとざっくりしっとりした質の紙を見つけて自分で紙風船を作れば理想的に思えるのではあるが、それは相当に気の長い話になるので、ここはまあうるさいことは言わないでともかく実験してみよう。

 エンクロージャー片側に、この紙風船を3セット、ということは都合9個を入れて底面からユニットの背あたりまで空間が埋まった(ちょっと写真が暗いですね…14本のネジによるバッフルの付け外しはたいへんメンドウなので、撮り直しは断念(^^;)。だいたいこんなもんでよかろう。

 しかし、なんといいますか、すごく違和感ある眺めではあるなあ…

 

 さあ、試聴。オー、いい感じではないですか!確かに効果あり。目論見どおり、エンクロージャー内の定在波はみごとに影を潜め、低音の動きがすっきり明快になったばかりか、中高音の透明度まで増した気がする。それでいて、低音そのものの量が減った感じはない。節度を保って弾む音、PW-201の美味しさがちゃんと出ている感じだ。心配していた紙風船の材質の音が聞こえてくるようなことは特にないようだ。

 というわけで、まずは成功。それも、対コスト比からすれば「大」を付けてもよいレベルだが、またも安直に済ませてしまったという引け目があるせいか、今ひとつ達成感があるようなないような…(^^;


ネットワーク小変更

 やっぱりいずれはマルチアンプ、と決め込んで、ネットワークにはあまり予算を配分しないという方針でやってきたが、いつまで経ってもマルチ化が実行される様子がないのはいかにも私らしいところではある(^^;。

 マルチ化はまだ当分先のことになりそうなので、ここいらで少しネットワークの能力向上を図ってみるかと、ウーファーのLPF3.3mHを銅フォイルの空芯コイルからコア入りのものに変更した。

 コア入りのコイルは音にコアのキャラクターが付く恐れがある、ということで空芯のものを選んでいたわけだが、このくらいのインダクタンスになると、空芯では巻かれている導体の長さもかなりのもので、DCRがけっこう大きくなる。当然音にも影響しないはずはない。これはコアがもたらすであろうキャラクターとはトレードオフであろうから、ひょっとしたら良質のコアを用いたコア入りコイルのほうが好結果を得ることができるかも、という可能性も否定できない。が、品質の良さそうなコアを使ったコイルというのは概して高価で、試してみるにも二の足を踏んでしまう。

 そこへ、こんなのが現れた。

 Jantzen Audio(「ヤンツェン」か「イェンツェン」と読むのだろうが、よく判りません)のトロイダルコア・コイルだ。デンマークの会社のようだが、このコイルについては販売店のサイトではポーランド製と表示されていた。

 どこにも角のないトロイダル。コアの断面もきれいな円形だ。何より魅力なのは、しみったれの私をして、音に確信を持てていない段階で手を出してみようかと思わせる程度に値段が手頃であることだ。見つけてから3日ほど熟考した末、「ポチっ」。

 これまで使っていた同じく3.3mHの銅フォイル空芯コイルと並べてみるとこのとおり。サイズはこのトロイダルコイルのほうがひとまわり小さく、持ってみても少し軽い。働きが同じなら、より重いもののほうが音がよさそうな気もするが、巻かれている導線の長さは銅フォイル空芯より明らかに短そうだ。公称のDCRは、フォイル空芯の0.66Ωに対し、トロイダルのほうは0.07Ωと、ほとんど1/10に過ぎない。若干軽くとも、このぶんのアドヴァンテージはないはずがないだろう。


 とはいえ何しろそもそも磁性体の周りに導線が延々這い回っているという代物ゆえ、期待は半分だけに控えておくことにして、さっそく入れ替えて聴いてみた。ら、いやいや、悪くないじゃないですか♪。低音の出方がよりスムーズになった、というより、むしろ中高域の明瞭さが増して音離れがよくなった感じだ。気になるコアの癖といったようなものは、私の駄耳には聞こえない。換えた直後こそ「これがコアの音か」と思えるような特徴が感じられるような気がしたから、空芯との音の違いというのは確かにあるのだが、それは違和感というのではなくて、しばらく聴いていたらもうこれが私にとって当たり前の音になってしまった。

 しかし、ネットワーク全体をちゃんとしっかりしたボード上に組んだほうがもっといいだろうな…と、ときどきは思っているんだけど、これもマルチ化同様思っているだけ(^^;。

http://web3.incl.ne.jp/tetsu/c7spSys/gotoSys.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c63

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
64. 中川隆[-9953] koaQ7Jey 2019年5月30日 10:32:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2399]

ゴトウユニットが聴ける名曲喫茶


山梨 喫茶店 サウンドライフ ハーモニー
http://www.dourakuhouse.com/


〒405-0076 山梨県笛吹市一宮町竹原田1823 
Tel : 080-6733-5134


営業時間:15:00〜20:00までに入館ください。

定休日は毎週月曜日


アクセス
中央道一宮御坂インターを甲府方面へ約300m 白バイ訓練所前 交差点を左折し居酒屋だるまの目の前


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92405-0076+%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E7%AC%9B%E5%90%B9%E5%B8%82%E4%B8%80%E5%AE%AE%E7%94%BA%E7%AB%B9%E5%8E%9F%E7%94%B0%EF%BC%91%EF%BC%98%EF%BC%92%EF%BC%93/@35.6403382,138.6676332,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601bfc57e4745a9f:0x3901162e0d1d1c6a!8m2!3d35.6403382!4d138.6698219?hl=ja

◎真空管と4チャンネルオールホーンシステム

サウンドライフ・ハーモニーのオーディオシステムは、ゴトウユニットのスピーカーをメインとした、4ウェイオールホーンスピーカー群を、真空管による4チャンネルアンプ群で駆動しています。

ホーンスピーカーの繊細でスピード感あふれる、また、真空管による柔らかく透きとおった音色は、きっとお客さまに満足していただけることでしょう。 また、音楽にかかせないのがコーヒーです。ハーモニーでは、日本創芸学園でのコーヒーコーディネーターの資格を取得し、特にトレサビリティーを重視したスペシャルティーコーヒーを、堀口コーヒー狛江店より 直接仕入れております。 そのコーヒーが持つ、本来の香りと味を余すところなく引き出した一杯は、心和むものがあります。名曲を聴きながら、また、オーディオ論議にと、満ち足りた時間をお過ごしください。


音響とオーディオ機器へのこだわり

クラシックやジャズを最高の音響でお楽しみください。

より繊細な音楽を奏でるため、スピーカー群はいかに高能率なユニットであるべきか。また、アンプ群はいかにノイズを抑えるかが、まず第一の課題であると考えます。 スピーカーに至っては、振動系を極力軽くする事と磁気回路を強力にする事で、如何なる情報にも遅延する事なく追従しなければなりません。また、増幅系に至っては余計な残留ノイズやジョンソンノイズ等の電気信号を付加する事なく、演奏者が奏でる音楽そしてホールの響き、即ち、レコードやCDに刻まれた情報だけを忠実に再生しなければなりません。この2つは非常に難しい問題ですが、必要不可欠な条件であり、音楽を聴く側の最低限のマナーであると考えるからです。

ゴトウユニットのホーンスピーカー群の能率は110dBを超える超高能率であり、音楽に欠かせない繊細さ・スピード 感、空気感を余すところなく表現してくれます。

また、このスピーカー群を駆動するアンプは当店オリジナルで、極めて残留ノイズの少ない高忠実度・ワイドレンジの真空管アンプ群です。

特にパワーアンプは直熱三極管をAクラスで稼働させ、回路構成・配線の引き回し等試行錯誤を繰り返した結果、直熱管特有の残留ノイズはホーン内部においても皆無の状態であり、正に増幅系を感じさせない静かなアンプ群です。音楽を邪魔しません。

ゴトウユニットのホーンスピーカー群との共演により、消え入るようなピアニッシモからホールを揺さぶるフォルテまで、驚くべきダイナミックレンジの広さと音楽に欠かせないディテールを忠実に再生してくれます。


◎オーディオ機器紹介

メインシステム


・スピーカー群

ゴトウユニット 

・中低音 SG-505TT + S150アサガオストレートホーン、
・中高音 SG-370 + S800ストレートホーン、
・高音  SG-16TT  
・低音  アルテック  515E*2 当店オリジナル 50Hz 2/3λ エクスポネンシャルホーン

・アンプ群

・6922SRPPイコライザー搭載ゼロゲインプリアンプVRは12接点ラダー式アッテネーター/ー6dBパッシブ式4チャンネルフィルター

・低音 デュアルカップリングMos FET A級17W×2/残留ノイズ0.06mV/16Ω抵抗負荷時

・中低音‐中音‐高音 セトロン300B シングルA級7.3W×2/残留ノイズ0.32mV/16Ω抵抗負荷時

・プレーヤー

・プラッター部7.8kgインナーグリップ式/オリエンタルモーター製ACサーボモーター/糸ドライブブレーヤー
・トーンアーム SME3012+デンオンDL‐103

サブシステム


・スピーカー
ダイヤトーン    P-610A  フルレンジ

・プリアンプ
6DJ8 EQ内蔵プリアンプ  出力3系列

・メインアンプ
6A3 または 300B A級シングルアンプ
・レコードプレーヤー及びCDプレーヤー

    
コーヒーへのこだわり

おいしいコーヒーとは、香り・味 ともにコーヒーの種類でそれがしっかり表現できるものと考えます。現在のコーヒー市場は、コーヒー豆の流通経路が曖昧なものが多く、輸出の過程で混ぜこぜになってしまうケースが 多分にあると判断します。 また、コーヒーの挽き方・立て方もその豆に適した方法が必要です。当店では特にコーヒー豆の流通経路(トレサビリティー)に 着目して ・どこの農園の豆・ までをしっかりと把握し、品質の安定したコーヒー豆を使用しています。 まずは飲んでみてください。暖かいとき・すこし冷めた時・もう少し冷めた時、一杯のコーヒーでも味・香りがこれほどに違うのかをきっと気づいていただけるでしょう。また、コーヒー豆によってこれほどまでにと思われるほどの違いがわかっていただけるで事しょう。

○飲み物紹介


・コーヒー 
タンザニア・コロンビア・ブラジル他  450円 二杯目250円

・その他
・コーラ
 ジンジャーエル他  300円
・コーヒー豆  200g/1050円
・保存用ビン150円



手作りの真空管アンプ、レコードプレーヤーなど、オーディオ機器の製造・販売・修理もいたします。

手作りの真空管やアンプも取り扱っております

当店では、自作派の方々によるアンプ群の視聴(切り替えボックスにより当店6A3あるいは300Bとの聴き比べ)も行っています。 腕に自慢のアンプを是非持ち込んでいただき、オーディオ論議に花を咲かせませんか? (試聴用切り替え対応スピーカーは ダイヤトーンP-610A)  また、自作を希望するお客さまへのシャーシ等の販売や製作にわたってのアドバイス(日曜日毎に当店内にて製作も可能)もいたします。 これから自分の手で世界に一台しかない貴重なアンプを作ってみたいとご希望の方は大歓迎いたします。 一緒にシビれてみませんか。なお、完成品をご希望のお客さまには、ご好評を頂いている事から、受注により真空管アンプあるいはFETアンプを製作致します。使用目的や将来へのグレードアップを含め、ご相談ください。

いづれもノイズの非常に少ない高忠実・ナチュラルアンプです。 その他、スピーカーボックスの製作や設計、スピーカーエッジの修理等も行います。


☆アンプの作製にあたっては、スピーカーの能率、聞かれる音量等、お客さま一人一人環境が異なります。この為一般的なアンプは、低い能率のスピーカーに合わせた設計を行う事が多く、能率の良いスピーカーを使う場合はプリアンプ、パワーアンプ共にボリュームを下げるだけ下げた状態となり、澄みきった延びのある音楽を楽しむことが難しいのが現状です。原因は過剰な増幅による、残留ノイズやジョンソンノイズの付加、そしてボリューム絞りによる音質劣化に他ありません。

当店では、このような状況を回避するため、お客さまの状況を十分お聞きし、無理のない設計により作製をさせていただく事としております。そのため、幾度となく確認を取らせていただくこともありますが、ご理解くださるようお願いいたします。
http://www.dourakuhouse.com/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c64

[近代史3] ファーウェイ排除で世界に激震! 日本はどうなる? 中川隆
5. 中川隆[-9952] koaQ7Jey 2019年5月30日 11:04:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2400]

2019年05月29日
ファーウェイ消滅を織り込み始めた世界

量販店や部品メーカーは「ファーウェイがなくなっても困らない」とつれない

画像引用:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/goodspress/cms/wp-content/uploads/2019/05/023-720x480.jpg


ファーウェイが無くても困らない

トランプ米大統領が「リスクのある外国企業」と米国企業の取引を禁じた大統領令に署名したのは5月15日でした。

5月20までにグーグルがOSのアンドロイドなどサービスを停止したのが分かり、世界にファーウェイショックが走った。

ファーウェイはフリーソフトとしてのアンドロイドOSを利用できるが、最新バージョンへの更新はできなくなる。



これでは次にアンドロイドが新バージョンに更新されてもファーウェイスマホは古いままになってしまう。

旧バージョンでも機械としては使えるが商品としては売り物にならないので、先進国からは姿を消す事になる。

ファーウェイに部品を収めていた日本企業や、ファーウェイを販売していた量販店が大打撃を受けるかと思えばそうではないという。


ビックカメラやヨドバシカメラではファーウェイの新機種P30を販売するが、ヤマダ電機やケーズデンキは既に取り扱いを辞めた。

ファーウェイは量販店に販売奨励金を支払っており、販売を続ける店はリベートを受け取っているようです。

だが量販店としてはもともとSIMフリースマホへの依存度が低い上に、ファーウェイという一つのブランドが消えてもダメージはない。


サムスンやASUSやシャープなど安いスマホは他にもあるので、それを売れば良いと考えている。

アマゾンはファーウェイの出品を禁止し、今後ネットでも購入できなくなり日本から消える。

ファーウェイに部品を納入していた日本企業は、当初顧客を失って大打撃を受けるとみられていた。

ファーウェイ消滅を織り込み始めた世界

だがTDK、太陽誘電、村田製作所、ヒロセ電機はファーウェイに納入しているが取引額としては8%以下に過ぎないという。

電子部品メーカー各社は他メーカーへの部品供給が増えるので、市場全体への影響はないとしている。

ファーウェイに売らなくてもサムスンやアップルやシャープに売れるので、長期的には差し引きゼロになる。


ソフトバンク子会社のアームがファーウェイとの取引中止を発表し、今後アームのCPUを使用できなくなる。

これもアームとしてはファーウェイとの取引額は小さいが、ファーウェイ側にダメージが大きい。

アームとしても「ファーウェイに売らなくてもアップルに売れば良い」訳で長期的に売り上げは減少しない。


このように考えるとファーウェイが消えて困るのは、ファーウェイに依存する中国企業で、グローバル企業は困らない。

散々言われてきたファーウェイの5G技術も、無ければ無いで誰かが参入するでしょう。

どんなに重要な大企業が消えても、すぐに他の企業がその地位に座るのが資本主義だからです。


ファーウェイに代わる5G技術をサムスンや日米欧のIT企業が開発していて、すぐに不要になるでしょう。

こうして世界はファーウェイ消滅後の世界を織り込みつつある。

ファーウェイが消えて困るのは、中国政府と中国人だけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/79953834.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/452.html#c5

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
35. 中川隆[-9951] koaQ7Jey 2019年5月30日 11:15:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2401]

英国:白人少女誘拐を警察が放置→パキスタン系ムスリムの性奴隷として12年間暮らし8回の中絶。2019年05月29日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html


同化する気もなく、増えすぎたか食い詰めた挙句に新天地を求めただけの移民は、地球市民脳でイカれた国を選び、場所と権利を確保した後は本性を現し受入国民を迫害し始めます。

責任は外国人移民ではなく、安易に受け入れて好き勝手させた受入れ国にあると思います。

少し長いですが、寄生虫に蝕まれた国がどうなるか、1つの実例を紹介します。


監禁されパキスタン系ムスリムの性奴隷12年間、中絶8回

イギリスの白人少女Sarah(セーラ)、結婚して数分も経たないうちに30分前に初めて見た夫からレイプされました。殴られた痣を隠すためにヒジャブを被ることを余儀なくされました。

(ロンドン近郊のテラスハウス・モスクのイマーム立ち合いで行われた2度目の結婚式の写真)

セーラはある秋の午後、郊外のTESCO(テスコ)駐車場で拉致され、性奴隷にされるためにギャングメンバーの一員と結婚させられたのです。彼女の監禁は12年間に及びました。

拉致された当時、彼女は内気な15歳、ボーイフレンドがいたことはなく、助産師を目指すカレッジの学生でした。

セーラの話を取り上げたのは貴族院の中立議員、Caroline Cox男爵夫人で、彼女は「私はセーラと彼女の家族を知っています。すべてのセックスグルーミング事件は酷いです。しかし、彼女の誘拐の長さと残酷さは、私の知る中で最悪のケースです。」と述べています。

セーラへの虐待は、警察が彼女の家族からの必死の捜索嘆願を無視する中進行しました。警察はセーラを行方不明者リストに載せることすら拒否したのです。

家族は自分たちだけで彼女の行方を探さざるを得ませんでした。

2010年にDailyMailがグルーミングギャングを暴露する5年前にセーラは拉致されたのです。

拉致された当時はすべてがポリティカル・コレクトネス文化で充満しており、たいていがパキスタン系のそれらギャングを捜査したり追い詰めたりすれば、警察がレイシストと呼ばれるので、それを恐れた警察が彼ら(移民)ギャングを見ても知らないふりをしたのです。

このような呆れた背景の中、彼女の両親は必死になって娘を探す戦いをしたのです。

誘拐犯たちは冷酷で、彼女が彼らに依存するように仕向けました。彼らはセーラを様々な家に隠し、携帯電話やパソコンに触らせることも禁じて外部の世界から遮断しました。

セーラは言いなりになるよう、毎日レイプされ、殴られ、強い鎮静剤を強引に飲まされました。

この苦難の間に彼女は8回中絶しました。

5回はNHS(英国国民健康保険制度)病院の同じ医師で、3回は違法クリニックでした。

彼女はアラビア語のコーランを学ばされ、パキスタンの言語であるウルドゥー語かパンジャブ語でのみ話すことを許可されました。

彼女はイスラムのヒジャブ着用を強要され、料理、掃除、アイロンがけを毎日何時間もさせられました。

昨年(2017年のこと)、26歳になったセーラはギャングから逃げ出しました。

同年、警察などが用意した秘密の家で彼女が最初のインタビューに応じ、「ティーンエイジャーから今日まで、私はギャングに支配された生活しか知りませんでした。」と述べています。

長年の拘禁中、彼女は生き抜くためにギャングたちに協力しなければいけないと感じるストックホルムシンドロームの被害者になったと話しました。ギャングリーダー(ここでは Jerry【ジェリー】と呼びます)と親密な関係になりました。

セーラはこう説明します。「ジェリーがいつも私を愛しているというので、私は彼が私を愛しているのだと考えるようになりました。彼は私の両親は私のことなど気にしていないと言いました。なぜならイギリスの家庭は娘の面倒をパキスタンのムスリムのように見ないからだそうです。」

「私はすぐに彼がいないと呼吸もできないと感じました。私の心はねじれていきました。食事、衣服、住むところ、すべて彼に依存していました。ジェリーは、私が家族に自分がどこにいて何が起きたのかを伝えようとしたら私の家族は殺されるだろうと言いました。」

セーラのおぞましい物語は2005年の秋に始まりました。

彼女は4人兄弟の一番下で、父親は建築業者、母親は主婦です。

法律上の縛りと彼女の安全を守るために、彼女の本名や身元、どこで誘拐されたか、どこに監禁されていたか、今どこに住んでいるかはお伝え出来ません。

ある午後カレッジの授業が終わり、彼女は家から数分のテスコ食料店へ歩いていきました。彼女の携帯電話が鳴ったので応答したところ、北部訛りの男の声で、彼女を今見ていて渡したいものがあるから、テスコ駐車場に停まっている黒い車まで来るように言いました。

彼女は世間知らずにも助手席のドアに行きました。セーラにとって永遠の後悔です。

30代半ばの、先ほどと同じ北部訛りの男がドアを開け彼女に乗るように言いました。

セーラは男が何を自分に渡したがっているのかを聞くために前部座席に座りました。

男は直ちに車を発進させました。

これより数日前に彼女は兄と一緒にテイクアウトのハンバーガーを持ち帰るため小型タクシーを使いましたが、乗り込むときに黒い車の中にいた黒髪の男が彼女をじっと見ていたことに気付きました。

その小型タクシー会社にはジェリーの友人が働いており、セーラが予約時に自分の携帯電話番号をタクシー会社に知らせていました。

彼女は今では、ジェリーが小型タクシーに乗り込む彼女を見かけ、タクシー会社の友人から彼女の携帯電話番号を聞き出したと考えています。

スピード違反で走る中、ジェリーは彼女に手を置き彼女の面倒を見るつもりだと言いました。彼女は恐れおののき自分の家族が半狂乱になると言いましたが、無駄でした。

30分ほど走って工業団地に隣接する家に到着しました。彼は彼女に携帯電話を渡すように言い、彼女が渡したところSIMカードを取り出して真っ二つに割ってしまいました。

「彼は私を家に入れ、たくさんのパキスタン人の男たちがいる広間を抜け、ベッドがありカーテンが貼り付けられた2階の小さな物置部屋に閉じ込めました。」

最初の24時間は数回のジェリーの訪問以外1人でした。彼はペットボトルの水とカレーを持ってきて、彼女はそれを手で食べました。

「階下からは男たちの声が聞こえました。今では彼らが全員ジェリーの友人と親族で薬物取引ギャングの構成員だと知っています。」

2日目の夜ジェリーに初めてレイプされました。

「彼から離れようとし恐ろしくてびくびくしていました。終わった時、私は怒りと汚れと嫌悪感を覚えました。」

ジェリーはセーラへの暴行時に、彼女のような低いモラルを持つ白人少女が属するどん底から助けてやったんだと言いました。

英国内裁判所の至る所で明らかにされたように、これはセックスギャングが狙った少女に言うお決まりの呪文です。

物置部屋で過ごして7日過ぎた時、玄関での小競り合いが聞こえました。

彼女はその声が、彼女を探している兄のものだとわかりました。

彼は小型タクシー会社でジェリーの居所を突き止め、セーラを追ってきたことが後でわかりました。

兄はドアを強くたたき、ドアが開くと中に「僕の妹がいるだろう?」と叫びました。

大混乱になりました、ジェリーは兄を追い出し、2階はプライベートだと言って階段を上らせませんでした。

ギャングが怖くて近隣住民は兄を助けようとしませんでした。

また、セーラも、以前ギャングから家族に居場所を伝えたら家族に危害を加えると言われていたため、怖くて声をあげられませんでした。

彼女は、兄に危害を加えさせないためあえて叫ばなかったと認めています。

Sky TVの最近の調査で、Telfordのセックスグルーミング事件でも少女たちが同様の手口(家族に危害を加えられたくなかったら黙っていろ)で沈黙を強いられていたことがわかっています。(Telford事件:40年にも渡って続いてきたセックスグルーミングギャング事件で、被害者は1000人とも)

番組内で頭に銃を突きつけられてレイプされた被害少女のインタビューがありますが、100人の違う男からレイプされたと述べ、ギャングたちは彼女に、誰かに喋ったら家を爆破する、パパを殺す、ママを殺す、ママもレイプする、と言ったそうです。

兄の訪問後、両親が警察に通報し、あの家にセアラが拉致されているようだと言ったにもかかわらず、何も起きませんでした。

いずれにせよ、セーラの誘拐犯たちは一歩先を進んでいました。「兄が来た翌日、ジェリーは引っ越すと言いました。警察は私を探しに来てくれませんでした。そして私は別の場所に連れていかれてしまいました。」

そこで、彼女はイスラム風の長い衣装とヒジャブを与えられ、テスコに着て行っていた西洋風の服、ジーンズとTシャツは取り上げられました。そしてまた2階の家具の無い部屋に入れられました。

毎朝3時間、彼女はギャングのためにカレーを料理し、掃除をし、アイロンをかけなくてはいけませんでした。もししないと殴られました。

彼女は時々ジェリーの2人の息子とともに近所のスーパーマーケットに行くことを許されました。私はヒジャブの着用を強いられました。ギャングの命令だったことと、顔と頭を殴られていたのでその痣を隠すためです。

その間セーラの母親ジャネットは狂ったように娘を探していました。

「彼女の父親と私はこれまで2ヶ月間彼女を探し続けてきました。ポスター張りを止めませんでした。ついに一人の友達が彼女をパキスタン人エリアで見たようだというので、私たちは毎日通い、店や街角で人々に写真を見せて尋ねました。」

この非情な追跡劇の中、切ないニアミスがありました。

ジェリーの息子2人とともにスーパーマーケットにいた時、母親のジャネットが彼女を探しているところを見つけました。セーラは思わず走っていって母親を抱きしめました。

ジャネットがセーラにこの2人の少年は誰かと尋ねたので、彼女は、数か月前に自分を連れ去った男の息子たちだと答えました。

驚いた息子たちは、「トラブルに巻き込まれたの?」と叫ぶ母親からセーラを強引に引き離して連れ去りました。

ジャネットは続けます。

「彼女をスーパーマーケットで見た時には信じられませんでした。イスラムの服を着ていました。彼女の目から彼女が怖がっていることがわかりました。彼女は私に何も言わないでくれと懇願しました。彼女はパニックになって怯えていました。今ならギャングに怯えていたということがわかります。彼女は少年たちのそばを小走りに去っていきましたが、私と夫は注意深く後をつけどの方向へ行ったかを見ました。」

まもなく、通りに立っていたジャネットたちの目の前を、セーラを乗せたアジア人の男が運転する黒い車が車輪をきしませながら通り過ぎていきました。

「私たちはスカーフから除くブロンドの髪をちらっと見ました。それがすべてです。私たちは彼女を失ったのです。心が張り裂けそうでした。」

警察にこのことを話しましたが、またも無視されました。

ジェリーの息子がセーラを連れ帰り、ジェリーに彼女の母親が近くにいることを伝ました。

セーラは思い出してこう言いました。

「彼は激怒しました。彼の車に乗るように言われました。彼は私の頭をダッシュボードとガラスに叩きつけました。私の血が飛び散りました。それから彼は私を別の町に連れていきました。」

今度の家では外出を禁じられました。

「ある日突然ジェリーは私と結婚したと告げました。何の式もあげていませんが、彼は私に地元モスクのイマームが発行したイスラムの結婚証明書を見せました。

今考えれば、警察が私を発見したときに、私が自分の意思でジェリーの妻になったと警察に信じこませるための結婚だったと思います。」そうセーラは話しました。

セーラを朦朧とした状態にするため、彼女は毎朝20rもの精神安定剤を飲まされました。

セーラは日常的な虐待とレイプという地獄の生活を続けていました。

当然妊娠します。「一度の中絶後、私は避妊リングを装着されましたが、ジェリーがレイプ時にそれを感じるという理由で病院に連れ戻され、医者に避妊リングを外させました。」

「診察時に医者と話すことは禁じられていました。ジェリーの5フィート後ろを歩きヒジャブを被って頭を下げ続けていました。彼は私をガールフレンドだと言っていました。」

恐ろしいことはこれだけではありません。最初の人工妊娠中絶が上手くいきませんでした。薬を与えられましたが5ヶ月の胎児は死なず生きていました。それは日曜日の午後でした。

「もう24時間近い陣痛で助けを求めましたが、看護師はどうにもならないと言いました。」

月曜日の朝スキャンをしたところまだ胎児は生きていました。

「私は急いで手術室に連れて行かれ、すぐに中絶外科手術を受けました。男の子だったのか女の子だったのかいつかNHS病院が教えてくれるといいと思います。あの子供のことは忘れられないので。」彼女は涙ながらに話しました。

現代のNHS病院(英国国民健康保険制度病院)で、未成年の少女にこれら全部のことが起こることが可能なのでしょうか?たぶんジェリーがとても威圧的だったか、ギャングネットワークの触手があらゆるところに伸びているのか、そんなところでしょう。

いずれにせよ、レイプと中絶は続きました。

ある日ジェリーが結婚は終わりだと言いました。イスラム法ではセーラに3回言えば離婚が成立(※)します。

(※ムスリムの即時離婚の説明はこちらの過去記事をどうぞ)

セーラは他の男と結婚させられました。それは2012年、誘拐されて7年近く経っていました。

彼女が部屋で横になっていると2人の女性が透明プラスチックバッグを持ってきました。

中から赤いドレスを出し、これを着るようにと言いました。彼女の髪を後ろに結い化粧をしてこれから結婚するのだと言いました。

階下に押されていくと、拍手で迎えるゲストのいる結婚式でした。式は数分で終わり、新しい夫とともに2階に戻されました。先ほどの女性たちがイスラムの伝統にのっとって、既にベッドに花びらを置いていました。

「知らない男が私の全身を触り始めました。私は弱くて戦うことは出来ませんでした。まだ階下で結婚パーティーが行われている最中に私はレイプされました。」

このショッキングな話は終わりの始まりでした。

彼女は何度も逃げ出そうとしました。そのたびにジェリーに捕まり殴られました。

しかし、今彼女は何とか逃げ出したのです。

「ある朝ジェリーが2階で寝ているときに彼の携帯電話を見つけタクシーを呼びました。彼のジーンズからタクシー代として20ポンドを取りました。タクシーが来た時私はイスラムの衣装を着ていました。私は裏口から走り出ました。タクシー運転手は白人の男性で、私の顔色が悪かったので大丈夫かと聞いてくれました。彼に兄が住んでいた場所へ連れて行ってくれるよう頼みました。」

彼女はジェリーとの結婚証明書と赤いドレスを持って出ました。それしか彼女の持ち物はありませんでした。

彼女は自由になったと思いました。しかしジェリーたちギャングは諦めませんでした。

1ヶ月後、セーラは兄の家を出て、家族が彼女を守るために脅されることの無い離れた場所のフラットに移りました。

しかし、ギャングリーダーは大きなネットワークを持っていて、彼女を見つけました。

威圧、殴打、レイプが続きました。

しかしある日特別に残虐な暴行があった時、隣人が家庭内暴力として警察に通報しました。

彼女は病院に連れて行かれ、そこで監禁中であることを話し警察が聴取を始めました。

ギャング側はその対応としてセーラに3万ポンドの口止め料を提示しました。彼女が断るとフラットに押し入り彼女を殴りました。

「私はこの時これを終わりにしなくてはいけないと知り、警察にすべて話し、私を守るようにお願いしました。」とセーラは言いました。

ギャングはそれでもセーラを黙らせようとしました。

不快なことに、1人のムスリム警官が彼女への聴取中に録音を止め、“証拠不十分を理由に”彼女への攻撃者のうち1人に対する容疑申し立てを取り下げるよう迫りました。

彼女はとても怯えて、そうしました。

その警官はギャングと同じコニュニティー出身で、彼自身がその後、児童性虐待犯罪で刑務所に入れられているとセーラは話しました。

現在、彼女のケースは宙ぶらりん状態です。警察がギャングを起訴するために、検察庁に提出する十分な証拠集めをしようとしています。

貴族院議員のCox男爵夫人がセーラにChristian Legal Centre(クリスチャンのための法律支援センター)の弁護士を紹介してくれました。また、セーラはMothers Against Radical Islam and Sharia(過激イスラムとシャリアに反対する母親たち)からアドバイスをもらっています。

しかし、信じられないことに、セーラはまだギャングから逃れられていないと言います。

先週彼女はジェリーから電話が来たと言いました。

彼は彼女の電話番号を突き止めましたが、秘密の住所は知られていません。

彼は「Hello white trash(こんにちは、白いゴミ)」そう威圧的に言って電話を切りました。

Is this the worst sex grooming case of all? Abducted as a teen and held prisoner for 12 YEARS, Sarah was repeatedly raped, twice forced into marriage and had EIGHT abortions

(15 September 2018 MailOnline)

2011年以降、起訴された組織的なセックスグルーミング事件は、ロッチデール、ロザラム、オックスフォード、テルフォード、リーズ、バーミンガム、ノリッジ、バーンリー、ハイウィカム、レスター、デューズベリー、ミドルズブラ、ピーターバラ、ブリストル、ハリファックス、ニューカッスル(Rochdale, Rotherham, Oxford, Telford, Leeds, Birmingham, Norwich, Burnley, High Wycombe, Leicester, Dewsbury, Middlesbrough, Peterborough, Bristol, Halifax, Newcastle)で起きています。

これらの中のたった2件だけ、南アジア(パキスタンやバングラデシュなど)系の関与がありませんでした。すべての被害者の中でたった3人だけが白人少女ではありませんでした。

(THE SUN)

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イギリスの移民による白人少女性奴隷事件(いくつか過去記事があるのですが4つ載せておきます)


•英国:イスラムを庇い、犯罪を放置して隠し、真実を述べる人を拘束して弾圧する恐怖国家に変貌!

•ムスリムパトロールへやがて繋がる第一歩。 「穏健派」イスラム教徒が「過激派」を利用して抗議。

•パキスタン人:国内では非ムスリムを襲撃、移民途上でも現地人を襲撃、移住先ではグルーミングで性奴隷

•パキスタン系による未成年者1400人性奴隷事件で、被害者面するムスリムと彼らを守る英警察!


オランダにもあります

•オランダ:1,400人の少女が、「政治犯」復活の英国同様、移民グルーミングギャングの餌食に!

https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c35

[近代史3] ナスタチウムのブログ _ 難民受入数を増やして過疎地に送る!国有林の伐採を外資を含む民間に開放!これが安倍政権の地方創生! 中川隆
1. 中川隆[-9950] koaQ7Jey 2019年5月30日 11:15:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2402]

英国:白人少女誘拐を警察が放置→パキスタン系ムスリムの性奴隷として12年間暮らし8回の中絶。2019年05月29日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html


同化する気もなく、増えすぎたか食い詰めた挙句に新天地を求めただけの移民は、地球市民脳でイカれた国を選び、場所と権利を確保した後は本性を現し受入国民を迫害し始めます。

責任は外国人移民ではなく、安易に受け入れて好き勝手させた受入れ国にあると思います。

少し長いですが、寄生虫に蝕まれた国がどうなるか、1つの実例を紹介します。


監禁されパキスタン系ムスリムの性奴隷12年間、中絶8回

イギリスの白人少女Sarah(セーラ)、結婚して数分も経たないうちに30分前に初めて見た夫からレイプされました。殴られた痣を隠すためにヒジャブを被ることを余儀なくされました。

(ロンドン近郊のテラスハウス・モスクのイマーム立ち合いで行われた2度目の結婚式の写真)

セーラはある秋の午後、郊外のTESCO(テスコ)駐車場で拉致され、性奴隷にされるためにギャングメンバーの一員と結婚させられたのです。彼女の監禁は12年間に及びました。

拉致された当時、彼女は内気な15歳、ボーイフレンドがいたことはなく、助産師を目指すカレッジの学生でした。

セーラの話を取り上げたのは貴族院の中立議員、Caroline Cox男爵夫人で、彼女は「私はセーラと彼女の家族を知っています。すべてのセックスグルーミング事件は酷いです。しかし、彼女の誘拐の長さと残酷さは、私の知る中で最悪のケースです。」と述べています。

セーラへの虐待は、警察が彼女の家族からの必死の捜索嘆願を無視する中進行しました。警察はセーラを行方不明者リストに載せることすら拒否したのです。

家族は自分たちだけで彼女の行方を探さざるを得ませんでした。

2010年にDailyMailがグルーミングギャングを暴露する5年前にセーラは拉致されたのです。

拉致された当時はすべてがポリティカル・コレクトネス文化で充満しており、たいていがパキスタン系のそれらギャングを捜査したり追い詰めたりすれば、警察がレイシストと呼ばれるので、それを恐れた警察が彼ら(移民)ギャングを見ても知らないふりをしたのです。

このような呆れた背景の中、彼女の両親は必死になって娘を探す戦いをしたのです。

誘拐犯たちは冷酷で、彼女が彼らに依存するように仕向けました。彼らはセーラを様々な家に隠し、携帯電話やパソコンに触らせることも禁じて外部の世界から遮断しました。

セーラは言いなりになるよう、毎日レイプされ、殴られ、強い鎮静剤を強引に飲まされました。

この苦難の間に彼女は8回中絶しました。

5回はNHS(英国国民健康保険制度)病院の同じ医師で、3回は違法クリニックでした。

彼女はアラビア語のコーランを学ばされ、パキスタンの言語であるウルドゥー語かパンジャブ語でのみ話すことを許可されました。

彼女はイスラムのヒジャブ着用を強要され、料理、掃除、アイロンがけを毎日何時間もさせられました。

昨年(2017年のこと)、26歳になったセーラはギャングから逃げ出しました。

同年、警察などが用意した秘密の家で彼女が最初のインタビューに応じ、「ティーンエイジャーから今日まで、私はギャングに支配された生活しか知りませんでした。」と述べています。

長年の拘禁中、彼女は生き抜くためにギャングたちに協力しなければいけないと感じるストックホルムシンドロームの被害者になったと話しました。ギャングリーダー(ここでは Jerry【ジェリー】と呼びます)と親密な関係になりました。

セーラはこう説明します。「ジェリーがいつも私を愛しているというので、私は彼が私を愛しているのだと考えるようになりました。彼は私の両親は私のことなど気にしていないと言いました。なぜならイギリスの家庭は娘の面倒をパキスタンのムスリムのように見ないからだそうです。」

「私はすぐに彼がいないと呼吸もできないと感じました。私の心はねじれていきました。食事、衣服、住むところ、すべて彼に依存していました。ジェリーは、私が家族に自分がどこにいて何が起きたのかを伝えようとしたら私の家族は殺されるだろうと言いました。」

セーラのおぞましい物語は2005年の秋に始まりました。

彼女は4人兄弟の一番下で、父親は建築業者、母親は主婦です。

法律上の縛りと彼女の安全を守るために、彼女の本名や身元、どこで誘拐されたか、どこに監禁されていたか、今どこに住んでいるかはお伝え出来ません。

ある午後カレッジの授業が終わり、彼女は家から数分のテスコ食料店へ歩いていきました。彼女の携帯電話が鳴ったので応答したところ、北部訛りの男の声で、彼女を今見ていて渡したいものがあるから、テスコ駐車場に停まっている黒い車まで来るように言いました。

彼女は世間知らずにも助手席のドアに行きました。セーラにとって永遠の後悔です。

30代半ばの、先ほどと同じ北部訛りの男がドアを開け彼女に乗るように言いました。

セーラは男が何を自分に渡したがっているのかを聞くために前部座席に座りました。

男は直ちに車を発進させました。

これより数日前に彼女は兄と一緒にテイクアウトのハンバーガーを持ち帰るため小型タクシーを使いましたが、乗り込むときに黒い車の中にいた黒髪の男が彼女をじっと見ていたことに気付きました。

その小型タクシー会社にはジェリーの友人が働いており、セーラが予約時に自分の携帯電話番号をタクシー会社に知らせていました。

彼女は今では、ジェリーが小型タクシーに乗り込む彼女を見かけ、タクシー会社の友人から彼女の携帯電話番号を聞き出したと考えています。

スピード違反で走る中、ジェリーは彼女に手を置き彼女の面倒を見るつもりだと言いました。彼女は恐れおののき自分の家族が半狂乱になると言いましたが、無駄でした。

30分ほど走って工業団地に隣接する家に到着しました。彼は彼女に携帯電話を渡すように言い、彼女が渡したところSIMカードを取り出して真っ二つに割ってしまいました。

「彼は私を家に入れ、たくさんのパキスタン人の男たちがいる広間を抜け、ベッドがありカーテンが貼り付けられた2階の小さな物置部屋に閉じ込めました。」

最初の24時間は数回のジェリーの訪問以外1人でした。彼はペットボトルの水とカレーを持ってきて、彼女はそれを手で食べました。

「階下からは男たちの声が聞こえました。今では彼らが全員ジェリーの友人と親族で薬物取引ギャングの構成員だと知っています。」

2日目の夜ジェリーに初めてレイプされました。

「彼から離れようとし恐ろしくてびくびくしていました。終わった時、私は怒りと汚れと嫌悪感を覚えました。」

ジェリーはセーラへの暴行時に、彼女のような低いモラルを持つ白人少女が属するどん底から助けてやったんだと言いました。

英国内裁判所の至る所で明らかにされたように、これはセックスギャングが狙った少女に言うお決まりの呪文です。

物置部屋で過ごして7日過ぎた時、玄関での小競り合いが聞こえました。

彼女はその声が、彼女を探している兄のものだとわかりました。

彼は小型タクシー会社でジェリーの居所を突き止め、セーラを追ってきたことが後でわかりました。

兄はドアを強くたたき、ドアが開くと中に「僕の妹がいるだろう?」と叫びました。

大混乱になりました、ジェリーは兄を追い出し、2階はプライベートだと言って階段を上らせませんでした。

ギャングが怖くて近隣住民は兄を助けようとしませんでした。

また、セーラも、以前ギャングから家族に居場所を伝えたら家族に危害を加えると言われていたため、怖くて声をあげられませんでした。

彼女は、兄に危害を加えさせないためあえて叫ばなかったと認めています。

Sky TVの最近の調査で、Telfordのセックスグルーミング事件でも少女たちが同様の手口(家族に危害を加えられたくなかったら黙っていろ)で沈黙を強いられていたことがわかっています。(Telford事件:40年にも渡って続いてきたセックスグルーミングギャング事件で、被害者は1000人とも)

番組内で頭に銃を突きつけられてレイプされた被害少女のインタビューがありますが、100人の違う男からレイプされたと述べ、ギャングたちは彼女に、誰かに喋ったら家を爆破する、パパを殺す、ママを殺す、ママもレイプする、と言ったそうです。

兄の訪問後、両親が警察に通報し、あの家にセアラが拉致されているようだと言ったにもかかわらず、何も起きませんでした。

いずれにせよ、セーラの誘拐犯たちは一歩先を進んでいました。「兄が来た翌日、ジェリーは引っ越すと言いました。警察は私を探しに来てくれませんでした。そして私は別の場所に連れていかれてしまいました。」

そこで、彼女はイスラム風の長い衣装とヒジャブを与えられ、テスコに着て行っていた西洋風の服、ジーンズとTシャツは取り上げられました。そしてまた2階の家具の無い部屋に入れられました。

毎朝3時間、彼女はギャングのためにカレーを料理し、掃除をし、アイロンをかけなくてはいけませんでした。もししないと殴られました。

彼女は時々ジェリーの2人の息子とともに近所のスーパーマーケットに行くことを許されました。私はヒジャブの着用を強いられました。ギャングの命令だったことと、顔と頭を殴られていたのでその痣を隠すためです。

その間セーラの母親ジャネットは狂ったように娘を探していました。

「彼女の父親と私はこれまで2ヶ月間彼女を探し続けてきました。ポスター張りを止めませんでした。ついに一人の友達が彼女をパキスタン人エリアで見たようだというので、私たちは毎日通い、店や街角で人々に写真を見せて尋ねました。」

この非情な追跡劇の中、切ないニアミスがありました。

ジェリーの息子2人とともにスーパーマーケットにいた時、母親のジャネットが彼女を探しているところを見つけました。セーラは思わず走っていって母親を抱きしめました。

ジャネットがセーラにこの2人の少年は誰かと尋ねたので、彼女は、数か月前に自分を連れ去った男の息子たちだと答えました。

驚いた息子たちは、「トラブルに巻き込まれたの?」と叫ぶ母親からセーラを強引に引き離して連れ去りました。

ジャネットは続けます。

「彼女をスーパーマーケットで見た時には信じられませんでした。イスラムの服を着ていました。彼女の目から彼女が怖がっていることがわかりました。彼女は私に何も言わないでくれと懇願しました。彼女はパニックになって怯えていました。今ならギャングに怯えていたということがわかります。彼女は少年たちのそばを小走りに去っていきましたが、私と夫は注意深く後をつけどの方向へ行ったかを見ました。」

まもなく、通りに立っていたジャネットたちの目の前を、セーラを乗せたアジア人の男が運転する黒い車が車輪をきしませながら通り過ぎていきました。

「私たちはスカーフから除くブロンドの髪をちらっと見ました。それがすべてです。私たちは彼女を失ったのです。心が張り裂けそうでした。」

警察にこのことを話しましたが、またも無視されました。

ジェリーの息子がセーラを連れ帰り、ジェリーに彼女の母親が近くにいることを伝ました。

セーラは思い出してこう言いました。

「彼は激怒しました。彼の車に乗るように言われました。彼は私の頭をダッシュボードとガラスに叩きつけました。私の血が飛び散りました。それから彼は私を別の町に連れていきました。」

今度の家では外出を禁じられました。

「ある日突然ジェリーは私と結婚したと告げました。何の式もあげていませんが、彼は私に地元モスクのイマームが発行したイスラムの結婚証明書を見せました。

今考えれば、警察が私を発見したときに、私が自分の意思でジェリーの妻になったと警察に信じこませるための結婚だったと思います。」そうセーラは話しました。

セーラを朦朧とした状態にするため、彼女は毎朝20rもの精神安定剤を飲まされました。

セーラは日常的な虐待とレイプという地獄の生活を続けていました。

当然妊娠します。「一度の中絶後、私は避妊リングを装着されましたが、ジェリーがレイプ時にそれを感じるという理由で病院に連れ戻され、医者に避妊リングを外させました。」

「診察時に医者と話すことは禁じられていました。ジェリーの5フィート後ろを歩きヒジャブを被って頭を下げ続けていました。彼は私をガールフレンドだと言っていました。」

恐ろしいことはこれだけではありません。最初の人工妊娠中絶が上手くいきませんでした。薬を与えられましたが5ヶ月の胎児は死なず生きていました。それは日曜日の午後でした。

「もう24時間近い陣痛で助けを求めましたが、看護師はどうにもならないと言いました。」

月曜日の朝スキャンをしたところまだ胎児は生きていました。

「私は急いで手術室に連れて行かれ、すぐに中絶外科手術を受けました。男の子だったのか女の子だったのかいつかNHS病院が教えてくれるといいと思います。あの子供のことは忘れられないので。」彼女は涙ながらに話しました。

現代のNHS病院(英国国民健康保険制度病院)で、未成年の少女にこれら全部のことが起こることが可能なのでしょうか?たぶんジェリーがとても威圧的だったか、ギャングネットワークの触手があらゆるところに伸びているのか、そんなところでしょう。

いずれにせよ、レイプと中絶は続きました。

ある日ジェリーが結婚は終わりだと言いました。イスラム法ではセーラに3回言えば離婚が成立(※)します。

(※ムスリムの即時離婚の説明はこちらの過去記事をどうぞ)

セーラは他の男と結婚させられました。それは2012年、誘拐されて7年近く経っていました。

彼女が部屋で横になっていると2人の女性が透明プラスチックバッグを持ってきました。

中から赤いドレスを出し、これを着るようにと言いました。彼女の髪を後ろに結い化粧をしてこれから結婚するのだと言いました。

階下に押されていくと、拍手で迎えるゲストのいる結婚式でした。式は数分で終わり、新しい夫とともに2階に戻されました。先ほどの女性たちがイスラムの伝統にのっとって、既にベッドに花びらを置いていました。

「知らない男が私の全身を触り始めました。私は弱くて戦うことは出来ませんでした。まだ階下で結婚パーティーが行われている最中に私はレイプされました。」

このショッキングな話は終わりの始まりでした。

彼女は何度も逃げ出そうとしました。そのたびにジェリーに捕まり殴られました。

しかし、今彼女は何とか逃げ出したのです。

「ある朝ジェリーが2階で寝ているときに彼の携帯電話を見つけタクシーを呼びました。彼のジーンズからタクシー代として20ポンドを取りました。タクシーが来た時私はイスラムの衣装を着ていました。私は裏口から走り出ました。タクシー運転手は白人の男性で、私の顔色が悪かったので大丈夫かと聞いてくれました。彼に兄が住んでいた場所へ連れて行ってくれるよう頼みました。」

彼女はジェリーとの結婚証明書と赤いドレスを持って出ました。それしか彼女の持ち物はありませんでした。

彼女は自由になったと思いました。しかしジェリーたちギャングは諦めませんでした。

1ヶ月後、セーラは兄の家を出て、家族が彼女を守るために脅されることの無い離れた場所のフラットに移りました。

しかし、ギャングリーダーは大きなネットワークを持っていて、彼女を見つけました。

威圧、殴打、レイプが続きました。

しかしある日特別に残虐な暴行があった時、隣人が家庭内暴力として警察に通報しました。

彼女は病院に連れて行かれ、そこで監禁中であることを話し警察が聴取を始めました。

ギャング側はその対応としてセーラに3万ポンドの口止め料を提示しました。彼女が断るとフラットに押し入り彼女を殴りました。

「私はこの時これを終わりにしなくてはいけないと知り、警察にすべて話し、私を守るようにお願いしました。」とセーラは言いました。

ギャングはそれでもセーラを黙らせようとしました。

不快なことに、1人のムスリム警官が彼女への聴取中に録音を止め、“証拠不十分を理由に”彼女への攻撃者のうち1人に対する容疑申し立てを取り下げるよう迫りました。

彼女はとても怯えて、そうしました。

その警官はギャングと同じコニュニティー出身で、彼自身がその後、児童性虐待犯罪で刑務所に入れられているとセーラは話しました。

現在、彼女のケースは宙ぶらりん状態です。警察がギャングを起訴するために、検察庁に提出する十分な証拠集めをしようとしています。

貴族院議員のCox男爵夫人がセーラにChristian Legal Centre(クリスチャンのための法律支援センター)の弁護士を紹介してくれました。また、セーラはMothers Against Radical Islam and Sharia(過激イスラムとシャリアに反対する母親たち)からアドバイスをもらっています。

しかし、信じられないことに、セーラはまだギャングから逃れられていないと言います。

先週彼女はジェリーから電話が来たと言いました。

彼は彼女の電話番号を突き止めましたが、秘密の住所は知られていません。

彼は「Hello white trash(こんにちは、白いゴミ)」そう威圧的に言って電話を切りました。

Is this the worst sex grooming case of all? Abducted as a teen and held prisoner for 12 YEARS, Sarah was repeatedly raped, twice forced into marriage and had EIGHT abortions

(15 September 2018 MailOnline)

2011年以降、起訴された組織的なセックスグルーミング事件は、ロッチデール、ロザラム、オックスフォード、テルフォード、リーズ、バーミンガム、ノリッジ、バーンリー、ハイウィカム、レスター、デューズベリー、ミドルズブラ、ピーターバラ、ブリストル、ハリファックス、ニューカッスル(Rochdale, Rotherham, Oxford, Telford, Leeds, Birmingham, Norwich, Burnley, High Wycombe, Leicester, Dewsbury, Middlesbrough, Peterborough, Bristol, Halifax, Newcastle)で起きています。

これらの中のたった2件だけ、南アジア(パキスタンやバングラデシュなど)系の関与がありませんでした。すべての被害者の中でたった3人だけが白人少女ではありませんでした。

(THE SUN)

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イギリスの移民による白人少女性奴隷事件(いくつか過去記事があるのですが4つ載せておきます)


•英国:イスラムを庇い、犯罪を放置して隠し、真実を述べる人を拘束して弾圧する恐怖国家に変貌!

•ムスリムパトロールへやがて繋がる第一歩。 「穏健派」イスラム教徒が「過激派」を利用して抗議。

•パキスタン人:国内では非ムスリムを襲撃、移民途上でも現地人を襲撃、移住先ではグルーミングで性奴隷

•パキスタン系による未成年者1400人性奴隷事件で、被害者面するムスリムと彼らを守る英警察!


オランダにもあります

•オランダ:1,400人の少女が、「政治犯」復活の英国同様、移民グルーミングギャングの餌食に!

https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/451.html#c1

[議論31] 狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない 中川隆
170. 中川隆[-9949] koaQ7Jey 2019年5月30日 11:17:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2403]

英国:白人少女誘拐を警察が放置→パキスタン系ムスリムの性奴隷として12年間暮らし8回の中絶。2019年05月29日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html


同化する気もなく、増えすぎたか食い詰めた挙句に新天地を求めただけの移民は、地球市民脳でイカれた国を選び、場所と権利を確保した後は本性を現し受入国民を迫害し始めます。

責任は外国人移民ではなく、安易に受け入れて好き勝手させた受入れ国にあると思います。

少し長いですが、寄生虫に蝕まれた国がどうなるか、1つの実例を紹介します。


監禁されパキスタン系ムスリムの性奴隷12年間、中絶8回

イギリスの白人少女Sarah(セーラ)、結婚して数分も経たないうちに30分前に初めて見た夫からレイプされました。殴られた痣を隠すためにヒジャブを被ることを余儀なくされました。

(ロンドン近郊のテラスハウス・モスクのイマーム立ち合いで行われた2度目の結婚式の写真)

セーラはある秋の午後、郊外のTESCO(テスコ)駐車場で拉致され、性奴隷にされるためにギャングメンバーの一員と結婚させられたのです。彼女の監禁は12年間に及びました。

拉致された当時、彼女は内気な15歳、ボーイフレンドがいたことはなく、助産師を目指すカレッジの学生でした。

セーラの話を取り上げたのは貴族院の中立議員、Caroline Cox男爵夫人で、彼女は「私はセーラと彼女の家族を知っています。すべてのセックスグルーミング事件は酷いです。しかし、彼女の誘拐の長さと残酷さは、私の知る中で最悪のケースです。」と述べています。

セーラへの虐待は、警察が彼女の家族からの必死の捜索嘆願を無視する中進行しました。警察はセーラを行方不明者リストに載せることすら拒否したのです。

家族は自分たちだけで彼女の行方を探さざるを得ませんでした。

2010年にDailyMailがグルーミングギャングを暴露する5年前にセーラは拉致されたのです。

拉致された当時はすべてがポリティカル・コレクトネス文化で充満しており、たいていがパキスタン系のそれらギャングを捜査したり追い詰めたりすれば、警察がレイシストと呼ばれるので、それを恐れた警察が彼ら(移民)ギャングを見ても知らないふりをしたのです。

このような呆れた背景の中、彼女の両親は必死になって娘を探す戦いをしたのです。

誘拐犯たちは冷酷で、彼女が彼らに依存するように仕向けました。彼らはセーラを様々な家に隠し、携帯電話やパソコンに触らせることも禁じて外部の世界から遮断しました。

セーラは言いなりになるよう、毎日レイプされ、殴られ、強い鎮静剤を強引に飲まされました。

この苦難の間に彼女は8回中絶しました。

5回はNHS(英国国民健康保険制度)病院の同じ医師で、3回は違法クリニックでした。

彼女はアラビア語のコーランを学ばされ、パキスタンの言語であるウルドゥー語かパンジャブ語でのみ話すことを許可されました。

彼女はイスラムのヒジャブ着用を強要され、料理、掃除、アイロンがけを毎日何時間もさせられました。

昨年(2017年のこと)、26歳になったセーラはギャングから逃げ出しました。

同年、警察などが用意した秘密の家で彼女が最初のインタビューに応じ、「ティーンエイジャーから今日まで、私はギャングに支配された生活しか知りませんでした。」と述べています。

長年の拘禁中、彼女は生き抜くためにギャングたちに協力しなければいけないと感じるストックホルムシンドロームの被害者になったと話しました。ギャングリーダー(ここでは Jerry【ジェリー】と呼びます)と親密な関係になりました。

セーラはこう説明します。「ジェリーがいつも私を愛しているというので、私は彼が私を愛しているのだと考えるようになりました。彼は私の両親は私のことなど気にしていないと言いました。なぜならイギリスの家庭は娘の面倒をパキスタンのムスリムのように見ないからだそうです。」

「私はすぐに彼がいないと呼吸もできないと感じました。私の心はねじれていきました。食事、衣服、住むところ、すべて彼に依存していました。ジェリーは、私が家族に自分がどこにいて何が起きたのかを伝えようとしたら私の家族は殺されるだろうと言いました。」

セーラのおぞましい物語は2005年の秋に始まりました。

彼女は4人兄弟の一番下で、父親は建築業者、母親は主婦です。

法律上の縛りと彼女の安全を守るために、彼女の本名や身元、どこで誘拐されたか、どこに監禁されていたか、今どこに住んでいるかはお伝え出来ません。

ある午後カレッジの授業が終わり、彼女は家から数分のテスコ食料店へ歩いていきました。彼女の携帯電話が鳴ったので応答したところ、北部訛りの男の声で、彼女を今見ていて渡したいものがあるから、テスコ駐車場に停まっている黒い車まで来るように言いました。

彼女は世間知らずにも助手席のドアに行きました。セーラにとって永遠の後悔です。

30代半ばの、先ほどと同じ北部訛りの男がドアを開け彼女に乗るように言いました。

セーラは男が何を自分に渡したがっているのかを聞くために前部座席に座りました。

男は直ちに車を発進させました。

これより数日前に彼女は兄と一緒にテイクアウトのハンバーガーを持ち帰るため小型タクシーを使いましたが、乗り込むときに黒い車の中にいた黒髪の男が彼女をじっと見ていたことに気付きました。

その小型タクシー会社にはジェリーの友人が働いており、セーラが予約時に自分の携帯電話番号をタクシー会社に知らせていました。

彼女は今では、ジェリーが小型タクシーに乗り込む彼女を見かけ、タクシー会社の友人から彼女の携帯電話番号を聞き出したと考えています。

スピード違反で走る中、ジェリーは彼女に手を置き彼女の面倒を見るつもりだと言いました。彼女は恐れおののき自分の家族が半狂乱になると言いましたが、無駄でした。

30分ほど走って工業団地に隣接する家に到着しました。彼は彼女に携帯電話を渡すように言い、彼女が渡したところSIMカードを取り出して真っ二つに割ってしまいました。

「彼は私を家に入れ、たくさんのパキスタン人の男たちがいる広間を抜け、ベッドがありカーテンが貼り付けられた2階の小さな物置部屋に閉じ込めました。」

最初の24時間は数回のジェリーの訪問以外1人でした。彼はペットボトルの水とカレーを持ってきて、彼女はそれを手で食べました。

「階下からは男たちの声が聞こえました。今では彼らが全員ジェリーの友人と親族で薬物取引ギャングの構成員だと知っています。」

2日目の夜ジェリーに初めてレイプされました。

「彼から離れようとし恐ろしくてびくびくしていました。終わった時、私は怒りと汚れと嫌悪感を覚えました。」

ジェリーはセーラへの暴行時に、彼女のような低いモラルを持つ白人少女が属するどん底から助けてやったんだと言いました。

英国内裁判所の至る所で明らかにされたように、これはセックスギャングが狙った少女に言うお決まりの呪文です。

物置部屋で過ごして7日過ぎた時、玄関での小競り合いが聞こえました。

彼女はその声が、彼女を探している兄のものだとわかりました。

彼は小型タクシー会社でジェリーの居所を突き止め、セーラを追ってきたことが後でわかりました。

兄はドアを強くたたき、ドアが開くと中に「僕の妹がいるだろう?」と叫びました。

大混乱になりました、ジェリーは兄を追い出し、2階はプライベートだと言って階段を上らせませんでした。

ギャングが怖くて近隣住民は兄を助けようとしませんでした。

また、セーラも、以前ギャングから家族に居場所を伝えたら家族に危害を加えると言われていたため、怖くて声をあげられませんでした。

彼女は、兄に危害を加えさせないためあえて叫ばなかったと認めています。

Sky TVの最近の調査で、Telfordのセックスグルーミング事件でも少女たちが同様の手口(家族に危害を加えられたくなかったら黙っていろ)で沈黙を強いられていたことがわかっています。(Telford事件:40年にも渡って続いてきたセックスグルーミングギャング事件で、被害者は1000人とも)

番組内で頭に銃を突きつけられてレイプされた被害少女のインタビューがありますが、100人の違う男からレイプされたと述べ、ギャングたちは彼女に、誰かに喋ったら家を爆破する、パパを殺す、ママを殺す、ママもレイプする、と言ったそうです。

兄の訪問後、両親が警察に通報し、あの家にセアラが拉致されているようだと言ったにもかかわらず、何も起きませんでした。

いずれにせよ、セーラの誘拐犯たちは一歩先を進んでいました。「兄が来た翌日、ジェリーは引っ越すと言いました。警察は私を探しに来てくれませんでした。そして私は別の場所に連れていかれてしまいました。」

そこで、彼女はイスラム風の長い衣装とヒジャブを与えられ、テスコに着て行っていた西洋風の服、ジーンズとTシャツは取り上げられました。そしてまた2階の家具の無い部屋に入れられました。

毎朝3時間、彼女はギャングのためにカレーを料理し、掃除をし、アイロンをかけなくてはいけませんでした。もししないと殴られました。

彼女は時々ジェリーの2人の息子とともに近所のスーパーマーケットに行くことを許されました。私はヒジャブの着用を強いられました。ギャングの命令だったことと、顔と頭を殴られていたのでその痣を隠すためです。

その間セーラの母親ジャネットは狂ったように娘を探していました。

「彼女の父親と私はこれまで2ヶ月間彼女を探し続けてきました。ポスター張りを止めませんでした。ついに一人の友達が彼女をパキスタン人エリアで見たようだというので、私たちは毎日通い、店や街角で人々に写真を見せて尋ねました。」

この非情な追跡劇の中、切ないニアミスがありました。

ジェリーの息子2人とともにスーパーマーケットにいた時、母親のジャネットが彼女を探しているところを見つけました。セーラは思わず走っていって母親を抱きしめました。

ジャネットがセーラにこの2人の少年は誰かと尋ねたので、彼女は、数か月前に自分を連れ去った男の息子たちだと答えました。

驚いた息子たちは、「トラブルに巻き込まれたの?」と叫ぶ母親からセーラを強引に引き離して連れ去りました。

ジャネットは続けます。

「彼女をスーパーマーケットで見た時には信じられませんでした。イスラムの服を着ていました。彼女の目から彼女が怖がっていることがわかりました。彼女は私に何も言わないでくれと懇願しました。彼女はパニックになって怯えていました。今ならギャングに怯えていたということがわかります。彼女は少年たちのそばを小走りに去っていきましたが、私と夫は注意深く後をつけどの方向へ行ったかを見ました。」

まもなく、通りに立っていたジャネットたちの目の前を、セーラを乗せたアジア人の男が運転する黒い車が車輪をきしませながら通り過ぎていきました。

「私たちはスカーフから除くブロンドの髪をちらっと見ました。それがすべてです。私たちは彼女を失ったのです。心が張り裂けそうでした。」

警察にこのことを話しましたが、またも無視されました。

ジェリーの息子がセーラを連れ帰り、ジェリーに彼女の母親が近くにいることを伝ました。

セーラは思い出してこう言いました。

「彼は激怒しました。彼の車に乗るように言われました。彼は私の頭をダッシュボードとガラスに叩きつけました。私の血が飛び散りました。それから彼は私を別の町に連れていきました。」

今度の家では外出を禁じられました。

「ある日突然ジェリーは私と結婚したと告げました。何の式もあげていませんが、彼は私に地元モスクのイマームが発行したイスラムの結婚証明書を見せました。

今考えれば、警察が私を発見したときに、私が自分の意思でジェリーの妻になったと警察に信じこませるための結婚だったと思います。」そうセーラは話しました。

セーラを朦朧とした状態にするため、彼女は毎朝20rもの精神安定剤を飲まされました。

セーラは日常的な虐待とレイプという地獄の生活を続けていました。

当然妊娠します。「一度の中絶後、私は避妊リングを装着されましたが、ジェリーがレイプ時にそれを感じるという理由で病院に連れ戻され、医者に避妊リングを外させました。」

「診察時に医者と話すことは禁じられていました。ジェリーの5フィート後ろを歩きヒジャブを被って頭を下げ続けていました。彼は私をガールフレンドだと言っていました。」

恐ろしいことはこれだけではありません。最初の人工妊娠中絶が上手くいきませんでした。薬を与えられましたが5ヶ月の胎児は死なず生きていました。それは日曜日の午後でした。

「もう24時間近い陣痛で助けを求めましたが、看護師はどうにもならないと言いました。」

月曜日の朝スキャンをしたところまだ胎児は生きていました。

「私は急いで手術室に連れて行かれ、すぐに中絶外科手術を受けました。男の子だったのか女の子だったのかいつかNHS病院が教えてくれるといいと思います。あの子供のことは忘れられないので。」彼女は涙ながらに話しました。

現代のNHS病院(英国国民健康保険制度病院)で、未成年の少女にこれら全部のことが起こることが可能なのでしょうか?たぶんジェリーがとても威圧的だったか、ギャングネットワークの触手があらゆるところに伸びているのか、そんなところでしょう。

いずれにせよ、レイプと中絶は続きました。

ある日ジェリーが結婚は終わりだと言いました。イスラム法ではセーラに3回言えば離婚が成立(※)します。

(※ムスリムの即時離婚の説明はこちらの過去記事をどうぞ)

セーラは他の男と結婚させられました。それは2012年、誘拐されて7年近く経っていました。

彼女が部屋で横になっていると2人の女性が透明プラスチックバッグを持ってきました。

中から赤いドレスを出し、これを着るようにと言いました。彼女の髪を後ろに結い化粧をしてこれから結婚するのだと言いました。

階下に押されていくと、拍手で迎えるゲストのいる結婚式でした。式は数分で終わり、新しい夫とともに2階に戻されました。先ほどの女性たちがイスラムの伝統にのっとって、既にベッドに花びらを置いていました。

「知らない男が私の全身を触り始めました。私は弱くて戦うことは出来ませんでした。まだ階下で結婚パーティーが行われている最中に私はレイプされました。」

このショッキングな話は終わりの始まりでした。

彼女は何度も逃げ出そうとしました。そのたびにジェリーに捕まり殴られました。

しかし、今彼女は何とか逃げ出したのです。

「ある朝ジェリーが2階で寝ているときに彼の携帯電話を見つけタクシーを呼びました。彼のジーンズからタクシー代として20ポンドを取りました。タクシーが来た時私はイスラムの衣装を着ていました。私は裏口から走り出ました。タクシー運転手は白人の男性で、私の顔色が悪かったので大丈夫かと聞いてくれました。彼に兄が住んでいた場所へ連れて行ってくれるよう頼みました。」

彼女はジェリーとの結婚証明書と赤いドレスを持って出ました。それしか彼女の持ち物はありませんでした。

彼女は自由になったと思いました。しかしジェリーたちギャングは諦めませんでした。

1ヶ月後、セーラは兄の家を出て、家族が彼女を守るために脅されることの無い離れた場所のフラットに移りました。

しかし、ギャングリーダーは大きなネットワークを持っていて、彼女を見つけました。

威圧、殴打、レイプが続きました。

しかしある日特別に残虐な暴行があった時、隣人が家庭内暴力として警察に通報しました。

彼女は病院に連れて行かれ、そこで監禁中であることを話し警察が聴取を始めました。

ギャング側はその対応としてセーラに3万ポンドの口止め料を提示しました。彼女が断るとフラットに押し入り彼女を殴りました。

「私はこの時これを終わりにしなくてはいけないと知り、警察にすべて話し、私を守るようにお願いしました。」とセーラは言いました。

ギャングはそれでもセーラを黙らせようとしました。

不快なことに、1人のムスリム警官が彼女への聴取中に録音を止め、“証拠不十分を理由に”彼女への攻撃者のうち1人に対する容疑申し立てを取り下げるよう迫りました。

彼女はとても怯えて、そうしました。

その警官はギャングと同じコニュニティー出身で、彼自身がその後、児童性虐待犯罪で刑務所に入れられているとセーラは話しました。

現在、彼女のケースは宙ぶらりん状態です。警察がギャングを起訴するために、検察庁に提出する十分な証拠集めをしようとしています。

貴族院議員のCox男爵夫人がセーラにChristian Legal Centre(クリスチャンのための法律支援センター)の弁護士を紹介してくれました。また、セーラはMothers Against Radical Islam and Sharia(過激イスラムとシャリアに反対する母親たち)からアドバイスをもらっています。

しかし、信じられないことに、セーラはまだギャングから逃れられていないと言います。

先週彼女はジェリーから電話が来たと言いました。

彼は彼女の電話番号を突き止めましたが、秘密の住所は知られていません。

彼は「Hello white trash(こんにちは、白いゴミ)」そう威圧的に言って電話を切りました。

Is this the worst sex grooming case of all? Abducted as a teen and held prisoner for 12 YEARS, Sarah was repeatedly raped, twice forced into marriage and had EIGHT abortions

(15 September 2018 MailOnline)

2011年以降、起訴された組織的なセックスグルーミング事件は、ロッチデール、ロザラム、オックスフォード、テルフォード、リーズ、バーミンガム、ノリッジ、バーンリー、ハイウィカム、レスター、デューズベリー、ミドルズブラ、ピーターバラ、ブリストル、ハリファックス、ニューカッスル(Rochdale, Rotherham, Oxford, Telford, Leeds, Birmingham, Norwich, Burnley, High Wycombe, Leicester, Dewsbury, Middlesbrough, Peterborough, Bristol, Halifax, Newcastle)で起きています。

これらの中のたった2件だけ、南アジア(パキスタンやバングラデシュなど)系の関与がありませんでした。すべての被害者の中でたった3人だけが白人少女ではありませんでした。

(THE SUN)

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イギリスの移民による白人少女性奴隷事件(いくつか過去記事があるのですが4つ載せておきます)


•英国:イスラムを庇い、犯罪を放置して隠し、真実を述べる人を拘束して弾圧する恐怖国家に変貌!

•ムスリムパトロールへやがて繋がる第一歩。 「穏健派」イスラム教徒が「過激派」を利用して抗議。

•パキスタン人:国内では非ムスリムを襲撃、移民途上でも現地人を襲撃、移住先ではグルーミングで性奴隷

•パキスタン系による未成年者1400人性奴隷事件で、被害者面するムスリムと彼らを守る英警察!


オランダにもあります

•オランダ:1,400人の少女が、「政治犯」復活の英国同様、移民グルーミングギャングの餌食に!

https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html#c170

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
24. 中川隆[-9948] koaQ7Jey 2019年5月30日 11:32:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2404]

MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由
「自民党の一部」が支持の動き、国会でも論議
中野 剛志 : 評論家 2019/05/29
https://toyokeizai.net/articles/-/283186



MMT批判には「誤解」が含まれている(写真:malerapaso/iStock)

「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すようなMMT(現代貨幣理論)。関連する新聞報道が増え続ける中、さらには国会でも議論されることが増えている。そのなかで必ずと言っていいほど出てくるのが「MMTで必ず起こるインフレはコントロールできないのではないか」という批判である。こうした批判をどう受け止め、考えるべきなのか。
『富国と強兵 地政経済学序説』で、いち早くMMT(現代貨幣理論)を日本に紹介した中野剛志氏が解説する。

自民党の一部にもMMTを支持する動きが

去る4月2日に寄稿した論考「異端の経済理論『MMT』を恐れてはいけない理由」で、筆者はMMT(現代貨幣理論)が、日本で一大ムーブメントを起こすかについて、「残念ながら、筆者は悲観的である。権威に弱く、議論を好まず、同調圧力に屈しやすい者が多い日本で、異端の現代貨幣理論の支持者が増えるなどということは、想像もつかないからだ。そうでなければ、20年以上も経済停滞が続くなどという醜態をさらしているはずがない」と予測した。


『富国と強兵 地政経済学序説』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

実際のところは、国会でMMTが頻繁に論議されるようになり、また、自民党などの一部にMMTを支持あるいは研究しようという動きが予想以上に出てきた。

その一方で、政策当局(財務大臣・日銀総裁など)はMMTを一蹴しており、マスメディアに登場する学者・評論家・アナリストの大半もまた、MMT批判を展開している。やはりMMTは、「異端」の烙印を押されたままである。

典型的なMMT批判というのは、次のようなものである。

「(財政赤字を拡大させれば)必ずインフレが起きる。(MMTの提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」

MMT批判のほとんどは、このような「インフレを制御できない」というものに収斂している。

しかし、この程度の批判しかできない知的貧困にこそ、日本経済の長期停滞の根本原因がある。

順を追って説明しよう。

第1に、日本は20年にも及ぶ長期のデフレである。このような長期のデフレは、少なくとも戦後、他国に例を見ない。今の日本は、インフレを懸念するような状況にはない。長期デフレの日本で「財政赤字の拡大は、インフレを起こす」などと心配するのは、長期の栄養失調の患者が「栄養の摂取は、肥満を招く」と心配するようなものである。

もしかしたら、インフレを懸念するMMT批判者たちは、デフレの異常さや恐ろしさを理解していないのではないか。

デフレとは、需要不足(供給過剰)の状態が続くことである。

需要が不足しているから、消費や投資の抑制が続く。当然にして、経済は成長しなくなり、国民は貧困化する。長期的に見ても、設備投資・人材投資・R&D投資が不足することで、日本経済の成長力そのものが弱体化する。

逆に、インフレとは、需要過剰(供給不足)の状態であり、貨幣価値が継続的に下落する現象である。企業は、旺盛な需要を目指して供給力を強化すべく、積極的な投資を行う。また、貨幣価値が下落していくので、個人も企業も、貯蓄よりも支出を拡大しようとする。その結果、経済は成長する。

要するに、持続的な経済成長はインフレを伴うものなのであり、デフレでは不可能である。

もちろん、過剰なインフレは有害であるが、マイルドなインフレは正常な経済には必要である(『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』)。

だから、正常な経済運営であれば、インフレの過剰を警戒しつつも、デフレだけは絶対に回避しようとする。インフレが心配だからデフレのままでいいなどという判断は、ありえない。

インフレを心配するMMT批判者たちは、デフレの異常さ・深刻さをわかっていないのだろうか。

通常のマクロ経済運営の範囲内で十分に可能

第2に、平時の先進国で、インフレがコントロールできなくなるなどという事態は、想定しがたい。

MMT批判者は「増税や歳出削減は、政治的に容易ではないから、インフレを抑えられない」と言うが、これは甚だしい誤解だ。

例えば、安倍政権同様、2%という控えめのインフレ目標を設定する場合を考えてみよう。

そして財政赤字を拡大して、インフレ率が2%になったら、政府はどうすべきか。


増税も歳出削減も必要ない。単に、2%程度のインフレ率を維持するために、予算規模を前年と同程度にすればよいだけである。それは増税や歳出削減と違って既得権を奪うものではないから、政治的にはるかに容易だ。

しかも、この目標値は、あくまで目安にすぎない。実際のインフレ率は、目標値をやや超過して4%程度になるかもしれないが、そうであっても何の問題もない。インフレ率が許容範囲内に収まるよう、財政支出の規模を安定的に推移させていればよいのだ。

また、所得税(とくに累進課税)は、好景気になると税負担が増えて、民間の消費や投資を抑制するという性格をもつ(いわゆる「自動安定化装置」)。このため、インフレになると、増税や歳出削減をしなくとも、自動的に財政赤字が削減され、インフレの過剰を抑止するのだ。

ほかにも、中央銀行による金利の引き上げによってインフレを退治するという手段もある。

要するに、高インフレを起こさないようにするのは、増税や歳出削減を強行せずとも、通常のマクロ経済運営の範囲内で十分に可能なのだ。

ハイパーインフレは、戦争など極めて異常なケースのみ

仮に増税や歳出削減が必要なほど高インフレになったとしても、日本政府が増税や歳出削減に踏み切れないなどという証拠はない。

実際、日本政府には、過去20年間、高インフレどころかデフレにもかかわらず、消費税率を2度も引き上げ、公共投資を大幅に削減したという実績がある。愚かで不名誉な実績ではあるが、日本政府がインフレを抑止できることを見事に証明しているではないか。

財政赤字の拡大によってインフレがコントロールできなくなるなどという懸念は杞憂なのだ。

その証拠に、歴史上、インフレがコントロール不能(ハイパーインフレ)になるという事例は、極めてまれである。

しかも、そのわずかな事例は、戦争で供給力が破壊された場合、戦時中で軍事需要が過剰になった場合、独裁政権が外資系企業に対する強制収用を行ったために供給不足となった場合、経済制裁により国内が物資不足となった場合など、極めて異常なケースに限られる。

戦後の先進国で、財政赤字の拡大を容認したためにハイパーインフレに陥ったなどという事例は皆無だ。

ちなみに、MMTは、インフレの問題を無視した理論ではない。

むしろ、その逆である。

例えば、MMTに大きな影響を与えたハイマン・ミンスキーは、インフレが問題となっていた1960年代後半から70年代にかけて、その理論を形成・発展させていた。

ミンスキーは、ただ単に財政赤字を量的に拡大して需要を刺激するだけでは、民間投資が過剰になってインフレになる一方で、完全雇用や格差是正が達成できないという可能性があると論じた。そのような悪性のインフレを回避するため、ミンスキーは、公的部門が失業者を直接雇用するなど、有効な政策目的に特定した財政支出を提案した。


このミンスキーのインフレ抑止策の提案は、検討に値する。ただし、現在の日本は、インフレ抑止策の検討以前に、デフレ脱却を優先しなければならない状況にあるということは、再度強調しておかなければならない。

賃金上昇やインフレを望むなら、グローバル化に制約を

この状況判断は、次の論点とも関わってくる。

第3に、過去30年間、日本経済に限らず、先進国経済は、新自由主義的な経済運営に傾斜したために、インフレが起きにくい経済構造へと変化している。インフレで悩んでいた1970年代以前とは、資本主義の姿がまるで違うのだ。

1980年代以降、日本を含む先進諸国では、労働組合の交渉力が弱体化する一方、規制緩和や自由化による競争の激化、さらにはグローバル化による安価な製品や低賃金労働者の流入により、賃金が上昇しにくくなり、インフレも抑制されるようになった。最近では、ITやAI・ロボットなどの発達・普及が、この変化に拍車をかけている。

また、金融市場の規制緩和や投資家の発言力を強めるコーポレートガバナンス改革により、金融部門が肥大化し、投資家の力が強くなり、労働分配率は低下していった。

つまり、政策的にマネーを増やしても、実体経済、とりわけ労働者には回らず、金融部門に流れていってしまう経済構造になったのである。

その結果、1980年代後半の日本、2000年代前半のアメリカなどでは、好景気にもかかわらず、インフレ率は穏当な水準で推移するという現象が起きた。好景気を牽引していたのは、肥大化した金融市場が生み出した資産バブルであり、賃金上昇や実体経済の需要拡大ではなかったのである。

このため、現在の日本の経済構造では、財政赤字を拡大しただけではインフレは起きない可能性がある。

例えば、日本政府は、本年4月から本格的な移民政策へと舵を切った。このため、財政支出を拡大して需要を喚起しても、海外から低賃金労働者が流入するために、賃金は上昇しないかもしれない。しかも、世界経済の景気後退により、海外から安価な製品や労働者の流入によるデフレ圧力は、さらに増している。

賃金上昇やインフレを望むなら、グローバル化に制約を加えなければならない。バスタブに水を貯めたければ、底の栓を閉めなければならないのだ。

MMT批判者は「財政支出を拡大したら、インフレが止まらなくなる」などと懸念するが、これは、過去20年間の経済構造の変化をまったく考慮していない時代遅れの認識にすぎない。

今日、われわれが本当に懸念すべきなのは、「財政支出を拡大したにもかかわらず、インフレにならないこと」なのだ。

したがって、財政赤字の拡大だけでは、十分ではない。新自由主義的政策によって賃金抑圧的に改造された経済構造を改革し、賃金上昇が経済成長を牽引するようにしなければならない。それは、新自由主義とは正反対の方向の構造改革である。

実は、晩年のミンスキー(1996年没)も、この新自由主義によって歪められた経済構造を修正しなければならないと考えていた。MMTの支持者の多くも、同様であろう。

新自由主義とは正反対の経済構造改革を

以上の議論をまとめよう。

日本は20年にも及ぶデフレであるために、長期の経済停滞が続いている。

したがって、財政赤字を拡大して、デフレを脱却する必要がある。

ただし、新自由主義に基づく改革のせいで、財政赤字を拡大してもインフレが起きない経済構造になってしまっている。

このため、財政赤字の拡大と同時に、新自由主義とは正反対の経済構造改革をしなければならない。

要するに、平成時代に行われた一連の改革とは逆の方向に転換しなければならないということだ。

ところが、日本の政策当局や経済学者らの大半は、インフレのリスクを誇張してMMTを批判し、財政赤字の削減を主張し続けている。日本の長期停滞を招いた従来のパラダイムから抜け出せないのだ。

この日本の現状は、ドイツ生まれのイギリスの経済学者、エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーの次の言葉を思い起こさせる。

「頭のいいバカは物事を必要以上に大きくし、複雑にし、凶暴にする。
逆の方向に転換するにはわずかの才とたくさんの勇気がありさえすればいい」
https://toyokeizai.net/articles/-/283186
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c24

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
66. 中川隆[-9946] koaQ7Jey 2019年5月30日 12:10:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2406]

2010-10-11
オーディオ評論家(技術者?)について 高城重躬氏他
https://ameblo.jp/k-kichi/entry-10674041071.html


過去のオーディオ評論をやっていた人の中で、もっとも私が高く評価している人は故人ですが高城重躬になります。高校の数学教師としての理論的な考え方と、幼少頃からクラッシックの専門教育を受けた経験を元に、黎明期のオーディオ界を牽引した偉人です。この時代、先駆者は居ない訳で、他人の真似事でなく、多くの先駆的な取組みを一介のアマチュアが実践したことは、驚愕的なことですらあります。数学者としての論理的背景と芸術家としての専門知識を高度に併せ持ち、原理原則に忠実で、それを自ら実践した姿が、多くの人々に共感を得たからだと考えます。天井据付の低音ホーンやストレートホーン、巨大な磁石とパーメンジュールという高磁束を得られる金属、チタンやベリリュームという振動板素材の採用、77極シンクロナスモーターによる糸ドライブターンテーブル、CD出現時も、その可能性の大きさにいち早く注目し、「諸君、脱帽したまえ。天才が現れた」とショパンを紹介したシューマンの言葉を引用し最大の賛辞を贈った先見の明、この人の功績を挙げれば本当にキリがありません。また高城氏が大金持ちでもなく、都立高校の教師という普通のサラリーマンと殆ど同じ収入条件という部分にも、大いに一般アマチュアを鼓舞した要素があったのではないかと思います。

この人が居なければ、オーディオ界はさぞツマラナイものになっていたのではないかと思います。高城氏の最も大きな成果は私はゴトウユニットの完成にあると思います。高城重躬氏とゴトウユニットの後藤精弥氏の合作と言っても良いこのスピーカーは何度も書きますが、世界に冠たる日本の誇るべき製品であるとさえ思います。ある意味、職人技による工芸品のようなものですが、その音質の素晴らしさは筆舌に尽くし難いものがあります。

高城重躬の対極に居たのが五味康祐で、この二人のバトルはオーディオ界を二分して一大論争を巻き起こしましたが、高城氏の考え方はオーディオ界の発展に貢献しましたが、五味氏の考え方はオーディオ界を破滅に導いたと私は評価しています。もっとも、現代のオーディオ零細メーカーの志向は五味氏のそれに近いものですが、結局は逃げでしかなく怪しげなオカルト商品が氾濫する下らないオーディオ界の一助となって、荒らしに荒らした挙句、自らは業を溜めに溜めて死んでいったのだから何と罪深いものかと思います。高城氏の考え方が、純粋にオーディオを技術として捉えたときに、現代でも立派に通用するのに対し、五味氏の考え方は古くて嘘臭く、正直、何の役にも立たないとさえ言えると思います。未だに五味氏に傾倒している人など居るのだろうか?仮にタンノイのオートグラフの愛好家はそうかも知れないけど、ノスタルジックや個人の好みならいざ知らず、これを最上の音のするスピーカーというなら私とは全く違った感性の持ち主だと思います。井の中の蛙というか、もう少し広い視野を持つべきでしょう。

高城氏が亡くなった後、使っていたゴトウユニットがオークションに出たのを見て驚きました。手書きでオーバーホールした日付やエッジを修正した日付の記述があり、高城氏が長期に渡り愛情を持って使い続けたのが分かりました。オークションで手に入れた人のブログで今でも確認出来ます。これはちょっと意外でした。高城氏の立場からすれば故障してもゴトウユニットの高価な製品もタダでもらっていたから、平気で無謀は実験をやれたり、あんな家ごと改造するような大掛かりなシステムが実現出来ていたと勝手に想像していたのですが、我々一般のユーザーと同じで故障すれば、修理して使っていたのだと改めて知ることになりました。まあ、知り合い価格ではあったかも知れませんが、何か高城氏の人間性を垣間見た気がしますね。これは「音の遍歴」等の著書から感じられる高城氏の人物像とも一致しており、こういう人間的に信頼できる部分においても高城重躬という評論家を評価している所存でもあります。

また、高城氏はレコード評論やCD評論は行っていたものの、殆どの場合においてメーカー製品の評価は自分の使用していた機器しか行っておらず、そういう意味で一般で言うメーカー製品の評論を生業にする普通のオーディオ評論家とは一線を画していたのも事実です。高城氏は都立高校の数学教諭という生業があり、オーディオ評論で生計を立てる必要がなかったことと、本当に自分が好きでオーディオをやっているだけで、メーカーの製品は自分が必要であれば購入はするが、また次に良い製品が出れば直ぐに買い換えるという方針であり、しかも比較的安価な国産メーカーの製品を使ったのは高城氏の良心であったと思います。まあ、実際にゴトウユニットで聴いた場合は、機器による音質差は僅かであり、本質的な部分さえシッカリしていれさえすれば、あとは音質の好みや使い勝手の範疇だったのではないかとも思います。

高城氏をオーディオ評論家と呼ぶのに抵抗がある人もいるのは事実ですが、自分の使用している機器を明確にし、自分の音質の好みや方針にブレが無く、万事平等に機器を評価して、さらに当時のマニアにおいて恐らく最高性能の機器を揃え、考え得る最高の条件での評価をしていた姿勢は、他のオーディオ評論家より余程立派であり、信頼のおけるものであったと思います。ただ、高城氏はゴトウユニットという究極のシステムまで行き着いてしまっていたため、それ以下の装置の評価を下すことを良しとしなかったのは、少し残念な気がします。まあ、ゴトウユニットは高価であったが、高城氏にとっては自分の求める中で最高のモノであり、その音質が得られるのであればお金には代えられないという絶対の評価をしているのだと考えます。高城氏にとっては、最もコストパフォーマンスの優れたスピーカーがゴトウユニットだったとも言えるかも知れませんが、これは仙人の領域で凡人はどうしても先立つものが頭を過ぎります。

今の時代に、高城氏と同じくらい強力な個性を出している人と言えば、DCアンプの金田明彦氏ですが、嫌いじゃないけど、その独裁者的な文章があまり好きではないというのは言えると思います。多くの人が同じ思いを描いているんじゃないかなあ。金田氏はアンプの回路発表ということを通じて、自らのオーディオ観を啓蒙していくというスタイルだが、時に、あまりにも暴論に近いような事を平然と記事にしている部分はどうかと思うこともあります。

ただ、マイクからテープレコーダーなどの録音機器の自作からレコードプレーヤーの回転系の制御、オンケンのスピーカーを終生使い続けている点など、一貫した思想があるのも事実で、多くのメーカー機器だけで固めたオーディオ評論家よりは、余程真面目で信頼が置けると思います。まあ、実際に金田氏に会った人の話では、製作記事にあるような偏屈者ではなく、もっと穏和で、完全にあれは読者を増やすための演出だという人もいます。

金田氏のシステムもオールホーン型のシステムですが、高城氏のゴトウユニットとは異なり、オンケンのドライバーとホーンを使い、低音はアルテック社のウーハーを片チャンネル4本使ったもので、システムのオリジナルは金田氏ではなく、田丸雅敏氏という人物だったと言われています。高城氏はアンプによる音質改善の限界を早くから認識し、究極のスピーカーを後藤精弥氏と一緒に開発して行きますが、金田明彦氏はスピーカーはオンケン製品に固定して、アンプによって音質の向上を目指して行きます。金田氏は以前より記事で強靭な音を出すためにはスピーカーユニットの強度が必要であり、強度が無いユニットからは力強い音は出ないと、暗にゴトウユニットを批判したような記述をしています。オンケンのユニットは小音量ならツイーターでも全帯域の信号を入れても異常音などしないとして評価しています。

オンケンのシステムは落ち着いた環境でジックリ聴いた事がないのですが、私個人的には、ゴトウユニットと比較してあまり良い音質のイメージは持っていません。無論、調整や周辺環境や機材そのものも違うので同一で比較するのはあまりに乱暴ですが・・・。昔、金田式アンプの製作に熱中した時に、生涯のスピーカーとしてオンケンのシステムを購入しようと思ったこともあったのですが、当時、もう一つの候補だった手作りに近いマイナーメーカーであるF社の平面スピーカーの方が、魅力的に聴こえてしまっていたこともあり、導入に踏み切れませんでした。いざ、社会人でボーナスが入ったときにはF社が秋葉原から見えなくなり、そして何度か試聴したオンケンのシステムの音質がどうしても馴染めず、また仕事が激務になってきたこともあり、小型で設置性も容易で、比較的音の好みに近かく、金属振動板という斬新さもあり、ボストンアコースティックのリンフィールド300Lを定価の6割引き近い価格で購入し、それから15年以上使い続けることになります。

この時の経験が、振動板位置や位相による音場の再現性といった部分への感心へとつながり、ラジオ技術誌上で話題になっていたユニウェーブの思想の影響も受け、その後、ホーンスピーカーから長い間、遠ざかる形となります。この時、聴いたオンケンの音が果たして本当のオンケンの音だったかと言えば少し自信はないのですが、その後、何度か聴いてきたオンケンのシステムの音質でも印象はあまり変わらないので、私には性が合わないということもあるのでしょう。この後の遍歴は今までのブログで書いた通りですが、あるところで聴いたゴトウユニットの音質に完全にノックアウトされ、自分の方向性が固まったように思います。オンケンの名誉のために申し添えておきますが、ツイーターのみを別のスピーカーに追加して聴いた時には、そのスピーカーの音質が劇的に改善されたため、素質は悪くないと思います。言葉で表現するのは難しいのですが、音が魅力的でないという在り来たりの表現しか出来ないのですが、逆にオンケンの音質が好きな人はこの無味無臭のサラリとした感触が、ホワイトキャンバスに聴こえ、音楽の持つ音質の全てを表現するのに余計な色付けがなく、最も好ましく聴こえるのではないのかとも思います。金田明彦氏は自分で録音した音源を再生することにも執念を燃やしていますのでそういう意味で行けば完全なるホワイトキャンバス系の音質が好みというのも分からないでもないです。

ただ、ちょっと最近疑問に思っていることもあり、金田氏が最近真空管をDCアンプに積極的に取り入れたりし、アンプについては音質的には完全なホワイトキャンバスを狙っているというよりは、多少なりとも音質の演出があるような部品選択になっているような気もします。穿った見方かも知れませんが、オンケンの無味無臭の蒸留水のような音色が、実際の楽器の美しさを表現し切らず、それを補う意味でアンプでの音質で個性を付けて演出しているようなことは有りはしないだろうかと・・・。ゴトウユニットについては、ある一定の基準以上なら好みの差はあるにせよ、アンプは逆に選ばないんですよね。こういってはなんだけど、ゴトウユニットは音色がともかく美しいんです。まあ、私など比較になるような次元での話ではないので、あくまで個人の感想程度の意見です。金田氏のオールホーンシステムを一度聴いてみたいなあ。そしたら、改宗ってこともあったりして。けれど、オンケンはホームページはあるものの、今はフルシステムは入手できないというか、希望者が何名か集まった時点でまとめて製作するようなシステムになっているようです。その点、ゴトウユニットは受注生産であっても、まだキチンと購入ができますからね。

ゴトウユニットとオンケンが出た以上、YL音響とエール音響についても触れない訳には行かないでしょう。実は、ゴトウユニットもオンケンもエール音響も元はYL音響から派生した会社で、元は同じです。YL音響の技術者たちが独立し起したのがゴトウユニットであり、オンケンであり、エール音響で、技術的な背景はどこも同じだと言えます。ただ、この中で、オンケンはフロントプレッシャー方式のドライバーではなく、バックプレッシャー型のドライバーを採用し一番近代的なユニットを作っておりました。ラジオ技術誌上での内外ドライバーユニットの測定において抜群の性能を示したことで知名度があがり、DCアンプの金田明彦氏のつかっているスピーカーとして評価を確立しました。ゴトウユニットは高城重躬氏との共同作業でともかく音質を第一義優先として実音との比較という過酷な試験と改良を繰り返し、チタン振動板、ベリリューム振動板、パーメンジュール磁極などマニアの度肝を抜くような発展を遂げました。その代償としてサウンド入力での耐入力が5Wしかなかったりと使い方を少しでも誤れば簡単に破損に至るデリケートさと、あまりに高額な価格も相俟って究極の装置としての名声を勝ち取りました。エール音響は地味ながら、ひたすらチタン振動板にコダワリ、ゴトウユニットのような極端な音質第一義主義に隔たることなく、実用での強度や仕上げとステンレスホーンなど拘り抜いた材質、ゴトウユニット等よりもマニアックな巨大な磁石やオールパーメンジュール磁極など、オーディオマニアのコダワリを金額無視で実現した化け物のようなユニットが特徴です。残念ながら、エール音響のシステムは試聴した経験がなく、音質評価は分かりません。YL音響はこれらの始祖にあたり、遠くはウエスタンエレクトリックの流れを引いており、社長の吉村貞男氏は元々NECの技術者だったと言われています。超マニア向けにユニットの製造と販売を行っており、本格的コンプレッションドライバーを使ったオールホーンシステムの全て(ユニット+ホーン)を市販していたのは後にも先にも先にもこのYL音響だけだと思います。ゴトウユニットの後藤精弥氏は父親がYL音響の下請けをしていた関係で、YL音響の振動板を作るなどの作業をしていました。吉村貞男氏は後藤精弥氏の感性と技術を高く買っており、勉強のために自費でヨーロッパのホールの音を聴かせに連れて行ったこともあったと言われています。エール音響の遠藤正男氏はYL音響の元工場長でYLのある意味正当な後継者と言えるかも知れません。ちなみにオーディオノートがYL音響の商標を引き継いでいますが、オーディオノートはその後、熱心なスピーカー製品の開発は行わず、今では銀を素材にしたオリジナルパーツを中心に作られた恐ろしいほど高価な真空管アンプの販売に力を入れており完全にこれらの路線からは外れてしまっております。オンケンの小泉永次郎氏は一説によるとゴトウユニットの後藤精弥氏の助手だったという話がありますが詳細は不明です。オンケンとエール音響は正式なホームページがあります。ちなみにエール音響のHPには1983年に吉村社長が亡くなった後に分裂したような記述がありますが、ゴトウユニットは1960年代からありますし、この記述は少しおかしな所があります。あくまで想像ですが、ゴトウユニットやオンケンなど各自のブランドが付いていましたが、実際の製作はYL音響が行っていたのではないかとも思われ、今でもエール音響は本家のオンケンが修理を受け付けないのに対し、代わりに修理などを行っているという話もあります。ちなみに、現在エール音響のユニットを作っているのはこの製作所でエール音響は設計のみとなるのだろうか?

オンケンは金田明彦氏、ゴトウユニットは高城重躬氏、エール音響は特定の人が居ないのでマイナーな部分もあるかも知れませんが、評論家で言えば金子英男氏がエール音響のユニットを使ったオールホーンシステムでした。ある人は、バイオリンの歴史的名器の一大産地だったイタリアのクレモナにちなみ、これらのユニットのことをクレモナユニットと命名していましたが、家内製手工業に近いこれらのユニットの特徴を良く現しているように思いますね。ホーンという理論に忠実だが音質を良くするようなアイディアや職人技に頼らなければならない部分はある意味一子相伝のような感じもして、何時までもこれらのユニットが入手できる環境であることを望まずには居られません。

オンケンやエールがあくまで製品として完成してから金田氏や金子氏が使い始めたのに対し、ゴトウユニットの高城氏は自らもユニットの改良に積極的に参画し、その音質評価やホーン形状の設計までを引き受けていたという部分においては、執念のようなのを感じずには居られません。それを形にすることに執念を燃やした後藤精弥氏の情熱にも頭が下がりますし、それはオンケンの小泉氏やエールの遠藤氏においても同じです。限られたユニットからマーラーの交響曲の全てを再現しようとアンプや演奏機器の開発を続ける金田氏も手法はともかく、凄いことには変わりありません。この人達は、自分の作品が有る訳で、それは言い訳のできないものであり、その確固たる自信には本当に敬服します。

まあ、このレベルに順位をつけることが野暮そのものなのですが、エール音響は聴いた事が無いので除外として、それ以外を得られた結果から判断して、そのアプローチの方向性の正しさや評価するとなると、私には高城重躬が一番なのではないかとやはり思いますね。金田氏のアンプも確かに魅力的な音がしますが、アンプにかける労力によっての音質改良とスピーカーを代えて得られる音質改良では遥かに後者の方が大きく、音質への支配力が圧倒的に高いことが分かります。また、最近発売になった金田氏自身によるDC録音のCDを買いましたが、お世辞を言えば非常に魅力的な音質だと思いますが、正直に印象を言えば独り善がりなCDだと正直思いましたね。私の聴覚が破壊されているのでそう聴こえるのかな?金田氏宅で聞かせてもらえばまた評価も違うかも知れませんが、客観的にヘッドホンで聴いてもみましたが、印象は変わりませんでした。あくまで結果ですので、いくら嘘の評価を自分にしても仕方ありませんので、私自身の感覚で評価するしか方法はありません。金田氏の音質が激変するという表記よりは、高城氏の音の遍歴の中の記述の方が余程、信憑性があるというのが正直な感想です。実際に金田式アンプを作り、金田式のDC録音を聴いて、そしてあるところで金田式アンプ駆動によるオンケンシステムで聴いての結果ですので、仮に私と違う結果となった人があるとすれば、その人はご自身の結論を信じるべきでしょう。ゴトウユニットを初めて使ったとき、私は高城氏が言っていた音質の向上というのをマザマザと実感してしまいましたので・・・。

音質が気に入らないスピーカーは散々アンプにこだわっても多少は改善されても、最終的にその傾向が消えることがなく、この音質に対する支配力は、やはりスピーカーを良くしない限り改良されるものではないという残酷な結果を迎えることになります。そのアンプに投入した費用をそのままスピーカーに投資すべきであり、スピーカーの良し悪しは最終的に耳で判断するべきでしょう。金田氏のオンケンのように高度に完成されたシステムとユニットを使っている場合においては、アンプによる音質改良もスピーカーのポテンシャルを引き出すという意味で重要な課題ですが、結局、マトモな性能を持つアンプで鳴らしてもちゃんと鳴らず、DCアンプのみでしか良い音が出ないとすれば、根本的に問題があるのはスピーカー側だと考えるべきではないかと言うのが私の考えです。無論、金田氏のシステムの音が悪いといっている訳ではなく、記事での内容を鵜呑みにすれば、毎回、劇的に音質が改良されるDCアンプにおいて、金田氏のオンケンシステムはDCアンプ以外ではマトモな音がしないという解釈になる訳で、このような記述に対するアンチテーゼのようなものとご理解頂ければと思います。

金田氏の悪口を言っているようにも見れますが、私は金田式アンプを使っていますし、ファンであり、その一貫した思考は物凄く評価しています。ただ、唯我独尊のような文章がちょっと嫌いなだけです。

改めて、高城重躬氏の「音の遍歴」を読むと今更ながら本当に勉強になります。究極のシステムの遍歴ですが、オーディオ初心者でも面白く読めると思います。健全なオーディオ生活を送る上での指針にもなると思いますので、「ステ○オサウ○ド」なんていうメーカーの提灯持ちの記事と広告だけで埋め尽くされている下らない雑誌を買うくらいなら、アマゾンなどで中古を探して是非読んでみて頂きたく思います。
https://ameblo.jp/k-kichi/entry-10674041071.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c66

[リバイバル3] 高齢者の「身元保証サービス」が急増、保証人もお金で買う時代

2019年05月30日
高齢者の「身元保証サービス」が急増、保証人もお金で買う時代

イオンも身元保証サービスに参入している

画像引用:身元保証の料金 | 葬儀・家族葬ならイオンのお葬式https://www.aeonlife.jp/totalsupport/surety/price/

身元保証人がいない高齢者が多数

最近日本では「身元保証サービス」が急成長し、数十万円や数百万かかるサービスを申し込む人が多い。

イオンのような大企業も参入していて、如何わしい、怪しいイメージを払拭しようとしている。

内閣府によると一人暮らしの高齢者は592万人で全高齢者の17%を占めています。




賃貸住宅の入居審査では60代でかなり厳しくなり、70代ではほとんど断られると言われている。

断る理由は孤独死すると事故物件になり、処理費用を大家が負担したうえ、物件の価値が下がり損失を受けるためです。

そこで多くの独居高齢者は公団住宅などの公的物件やURのような旧公団に入居しています。


どんな場合でも身元引受人や身元を保証する人が必要だが、身寄りのない高齢者はそれが用意できません。

高齢なので兄弟など近い親族はなくなっているし、若い世代の人とは交流が絶えています。

介護施設や病院のような公的施設でも、半数近くが身元保証人がいないという理由で断ったことがあるとしている。


(みずほ情報総研調査、半数近くの施設が「断ったことがある」と回答したので、身元保証人がいない人の半数を断ったのではない。)

自治体などが身元保証人や身元引受人を紹介することもあるが、金銭保証などは引き受けられない。

損失を与えた場合に保証するような保証人は、役場やボランティアで引き受けられないのが現状です。

イオンの身元保証サービスとは

そこで「身元保証サービス」の登場となり、無償や少額で引き受けているNGOも存在します。

そうしたボランティアのような団体とは別に、イオンのようにビジネスとして参入する企業が増えているのです。

単に名前を書いて身元を保証するだけでなく、親族や家族がするような保証も引き受けてくれる。


「イオンのお葬式」の身元保証サービスで、お葬式まで一生涯の保証を引き受けると書かれている。

病院への保証人・緊急連絡先、福祉施設の保証人、賃貸住宅の保証人と簡単な生活サポートが基本料金に含まれている。

その基本料金は入会金1万円と年会費1万円の他に、事務管理費53万円、身元保証料(預託金)35万円を前納する必要があり、入会時税込90万円になる。


オプションとして葬儀・納骨・死後事務支援費として50万円で自分が死んだ後の事をしてくれる。

有料サービスとして1時間4千円ほどで、自宅訪問や施設への付き添いなどをしてくれる。

この中で重要なのは「賃貸、入院、施設入居時の身元保証」オプションの「死後手続きと葬儀」でしょう。


今時格安葬儀で最低20万円かかるので、事務手続きと葬儀と納骨までやってくれるなら、50万円は妥当な金額と言える。

身元保証に90万円と年会費1万円の100万円以上かかるが、身元保証料35万円は実際に身元保証しなければ返金される。

もっとも返金されるのは自分の死後か解約した時なので、返金されても自分が受け取れる可能性は低い。


事務管理費53万円は契約後6か月以内に解約または死亡すると、50%が返金される。

この身元保証はある程度資産がある人向けのようなので、料金は妥当なところかなと思います。

もっと低料金の身元保証サービスもあり、契約金を支払ったが十分な身元保証を受けれないなどのトラブルも出ている。


こうした身元保証サービスを必要とする人たちが増えているのは間違いない。
http://www.thutmosev.com/archives/79967494.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/957.html

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
533. 中川隆[-9945] koaQ7Jey 2019年5月30日 14:07:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2408]

高齢者の「身元保証サービス」が急増、保証人もお金で買う時代
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/957.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c533
[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
250. 中川隆[-9944] koaQ7Jey 2019年5月30日 14:07:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2409]

高齢者の「身元保証サービス」が急増、保証人もお金で買う時代
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/957.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c250
[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
67. 中川隆[-9943] koaQ7Jey 2019年5月30日 14:29:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2410]

楽器としてのスピーカー 五味康祐
http://syokota888.ec-net.jp/to-u-kei-1-/number-12-item-musics-10-00-2018-09-20-/number-12-item-musics-10-b-table-of-contents-audio-culture-critic-2018-09-20-/number-12-item-musics-10-b-table-of-contents-speaker-as-instrument-gomi-kousuke-.html


カットオフ周波数などというもっともらしい理屈をきかされ、

低域を十全に再生するには口径のひろいコンクリートホーンが必要だ、

と有名な高城重躬先生のご高説を拝聴すると、これも試みねばなるまいと思い、

高城重躬先生ご設計になるコンクリートホーンをつくって先生製作のマルチアンプシステムで鳴らしたこともある。

(右の後藤ユニットはこの先生の推奨によるものだった。

ちなみに、のちにテレフンケンS8型を入手して両者を聴きくらべ、立腹のあまりコンクリートホーンを私はハンマーで叩き毀したノダ)

原則としては、スピーカーが優秀なら音はよく鳴るはずである。機種の異なるA、Bふたつのスピーカー・エンクロージャーがあって、Aは世評も高く優秀なら――当然、値段も高いが――Bに比して、すぐれたトーン・クォリティをもつと思うのが常識だ。解像能力で、あるいは高域(もしくは低域)の伸びのよさで、またプレゼンスでAはBにまさるはずなのである。

 でも実際は、そうは参らない。かけるレコードやテープによっては、優秀なはずのAよりむしろBが、音のまとまりよく、耳に快く響くことが現実にはある。レコードではなくアンプや、カートリッジを替えた場合も同様で、原則どおりにゆかぬ。そんな奇っ怪さ、物理特性を裏切る再生音というものの不思議さに呆然自失するところから、じつはオーディオの醍醐味――泥沼――がはじまると、私は思っている。人が音キチになるこれが発端だろうとおもう。

 私がスピーカーに血道をあげはじめたのは思えばずいぶん古いことだ。戦前、まだSP時代に、いわゆる電気蓄音器で音キチのスタートをきり、当時は最優秀といわれたウエスターン・エレクトリックや、ローラー、マグナボックスといった欧米のスピーカーを入手して、手製のキャビネットに納め、あるいは座敷いっぱいになる巨大なバッフル・ボードを自作して取り付けては、鳴らした。

 肝腎のソースが現在とは比較にならぬF特のわるい(ダイナミックレンジも狭い)レコードなのだから、よくなったところでタカは知れているようなものの、いささかでも改良して音がよくなるともう有頂天で、天下を取ったような気がしたものだ。

 2A3という当時はもっとも特性のいいと言われた真空管四本をつかった(ダブルプッシュ)のアンプで、ピックアップヘッド(カートリッジ)の磁石やゴムダンパーを替え、コイルを巻き替え、インピーダンスをあげるためのトランスなども特注した自家特製の装置で鳴らしていた。

 戦後、復員して日本へ帰ってみると、わが家は戦災で焼け野原になっており装置は跡形もない。以来、レコードを聴く心のゆとりがあるわけもなく、ひたすら食うものを求めて街をさまよった。ルンペンにもなった。

 ――それが、ふとしたことで或る人の知遇を得、その人の書斎でLPを聴かされた時は、こんなにもレコードの音はよくなっているのかと、息をのんで聴き入ったのを忘れない。昭和二十六年だった。なにひとつ私の身辺に心をなごませるものはなかった・戦後・――荒廃しきった私の内面にあった・焼跡・はこの時で終わった。私は人なみな生活を持ちたいと思い、自分もレコードを日常に聴ける人間になりたいと熱望した。

 定職にまずありつきたいとねがった。そういう意味で、私を立ち直らせてくれたのは思想でも、文学精神でもない。音である。いい音でレコードを聴きたいという願望だった。

 その人の紹介で、私は職に就くことができた。生まれてはじめて定収入というものを入手した。月収約九千円だった。当時の貨幣価値でも、これで妻と二人の間借り生活は苦しい。それでも自分で得た収入で生活できることにわれわれ夫婦は充実感をおぼえていた。

 ただし、当時LPはまだ輸入盤しかなく、それも一枚三千円で収入の三分の一である。とても買えない。もっぱらラジオの音楽番組をたのしんでいたが、安物のラジオだから音キチの私には不満である。せめてダイナミックスピーカーだけでも別に組んでキャビネットに納めれば見ちがえるほど音がよくなるのを私はむかしの経験で知っていた。

 たまたま、そのころパーマックスという六吋のスピーカーがラジオ店に出ているのを見つけた。二千八百円だった。われわれ夫婦の生活に二千八百円は無理な支出である。ひそかに質屋に通って生計を補ってくれる妻に、無理は言えない。

 といって、スピーカーはほしい。――そんな時、文学雑誌から短篇を書いてみないかと言われた。原稿料がもらえるのかとたずねたら出るという。ただし、掲載に価するできばえでなければならんぞ、と。

 それまで、自分好みなストーリーも何もない、散文詩のような小説ばかりを私は書いていた。言うまでもなく、まったく無名の文学青年だった。売文したくはなかったのだ。でも原稿料ではなくスピーカーが、この時の私はほしかった。

 私は書くことにした。掲載に価するもの――つまり「おもしろい小説」を生まれて初めて意図して、私は書きあげた。作品のプロットは、ドビュッシーの前奏曲第一集中の・西風の見たもの・からヒントを得たので、サブタイトルに・西風の見たものより・と書き添えたあたりに文学青年の私の名残がある。

 だがこれを見た編集長は、私が書く気になった理由を知っていたので、「・パーマックスがほしくて・と入れるのが本当じゃないか」と笑ったが、この短篇が、なんと芥川賞を受賞するという望外なことになり、おかげで私は文壇に出ることができた。かさねて言うが、この意味でも私を世に出してくれたのは、いい音で音楽を聴きたいという希いである。

 芥川賞を受けてからは、ようやく収入が多くなり、オーディオ部品にお金を注ぎこむことができるようになって、今日に至っているが、私の体験では、再生装置で最後にものを言うのはそのスピーカーシステムである。エンクロージャーである。

 身分不相応なまでに、私はさまざまなスピーカーを購入してきた。原稿の売れはじめた最初はグッドマンの十二吋だった。それから、久しくあこがれていたタンノイ・モニター15を買った。買った当座はすばらしいと思うが、いろいろレコードをかけるうちに、不満が生じる。そこで他のものを購入し、聴きくらべる。あとのがいいと思ったり、或るレコードの或る楽器の音色は前のがいいと思ったり……。

 泥沼に足を踏み入れたのだから心の安らぐことはないのが、この道の常なのはもう知りすぎているつもりでも、やっぱりうまく鳴れば狂喜するし、ちょっとでもわるいと飯も喉に通らぬほど憂鬱になる。

 どれくらい多くのスピーカーを私は買ったことだろう。思いつくままに名をあげても、

ワーフデール、
ステントゥリアン、
J・B・ランシング、
アルテック・ランシング、
テレフンケン、
フィリップス、
サバ、
後藤ユニット、
YL音響、
テクニクス、
コロムビア、
ヤマハ、
パイオニア、
ダイヤトーン、
エレクトロボイス、
ジョーダンワッツ、
EMI、
KEF、
ブラウン、etc.……

これらの機種を単体もしくはエンクロージャー(オリジナル)で購入したのはむろんだが、同じ機種にも製品のばらつきというのがあることを知って、よりよい音をもとめ

グッドマン Axiom 80 はつごう三個
タンノイ・モニター15を二個、
テレフンケン・オッパスを二個余分にもとめた。

わらってほしい、これでも私は満足できなかった男なのである。


 また、カットオフ周波数などというもっともらしい理屈をきかされ、

低域を十全に再生するには口径のひろいコンクリートホーンが必要だ、

と有名な高城重躬先生のご高説を拝聴すると、これも試みねばなるまいと思い、

高城重躬先生ご設計になるコンクリートホーンをつくって先生製作のマルチアンプシステムで鳴らしたこともある。

(右の後藤ユニットはこの先生の推奨によるものだった。

ちなみに、のちにテレフンケンS8型を入手して両者を聴きくらべ、立腹のあまりコンクリートホーンを私はハンマーで叩き毀したノダ)


 音というものは、いま私は断言できるのだが、たとえば一つのスピーカー・エンクロージャーの良否を識別するには、最低三年の歳月が必要である。ちょっと試聴したくらいで答は出るものではない。

 比較試聴してわかるのは、せいぜい二つのスピーカーの音色の差にすぎない。日ごろよく聴きこんだレコードを、それもまず十枚くらい(ピアノ曲、ヴァイオリン曲、それらの協奏曲およびコーラス、アリア、大編成のオーケストラ、チェンバー・オーケストラ、それに邦楽の三味線曲など)を、晴天、雨の日、深夜、朝、さまざまな湿度や寒暑の季節にわたって聴きくらべて、はじめて綜合的な良否は判別できるものだ。それぐらい、音色はさまざまな条件に左右される……物理特性だけで音楽美はつくり出されるものでないことを、三十余年、この道に血道をあげて私はさとった。

 つまり一機種の再生装置(とくにスピーカー・エンクロージャー)で、すべての曲の美しさやそのプレゼンス、生らしさを再現するのは無理であることを。マルチアンプのほうが単体で鳴らすよりアンプに無理がかからず、歪みの少ないのは自明の理である。2ウェイよりは4ウェイのほうが理論的にはいいにきまっているし、大口径のコンクリートホーンが出すのびやかな重低音は箱に納めたスピーカーからは絶対でてこない。そんなことはわかっている。


 だが、である。

 マルチアンプで4ウェイシステムをとったとき、トゥイーターとスコーカー、またウーファーの音色に微妙な差があって、どうかするとピアノ曲の低域はヤマハ、高域はスタインウェイのピアノを弾いているような違和感を、耳の敏感なリスナーなら感じるだろう。

 いかにピアノが生らしく響いても、ピアニストが右手、左手のピアノを弾いているがごときこの不自然さに平気でいられるためには、よほど鈍感な音楽への感受性が必要だ。そしてマルチアンプ・システムの場合――とくに自家製(トゥイーターはA社製、ウーファーはB社製といった)の場合、この違和感は不可避の現象となる。

 歪みなく鳴れば鳴るほど、現実に、すぐれたピアニストの生の演奏ではなくなっている。交響曲も同様で、NHK交響楽団とベルリン・フィルがごっちゃになって演奏するのだ。こんなバカなことがあろうか。どだい指揮者がいない。

 同じことはコンクリートホーンによる再生音にもいえる。

拙宅の場合にかぎらず、高名な高城重躬先生宅の音もそうだったが、虫のすだく声や消防車のサイレンは、まことに迫真的生々しさで聞こえるし、大オーケストラの強烈なffも歪みがない。この点は見事である。

しかし、声の発源体がイメージとしてあらわれてこない。音響だけあって楽器がないのだ。


 虫の声なら、リーン、リーンとどこからともなく聞こえるのが本当だろうし、風情もあろう。しかし、音楽はちがう。シューベルトの歌曲を聴くとき、アルトやバリトンの声は歌っている歌手はどこにもいないのだ。――ふつう、ステレオでぼくらが音楽を聴くとき、前方壁面――左右二基のスピーカーをすえた空間に、音源を彷彿する。ステージに立つ歌手の口もと、その表情や姿が美声とともにイメージとして浮き上がってくる。

 プレゼンスのいい再生音ほどそうなので、でもコンクリートホーンにはこのイメージがない。

声はすれど姿は見えず……幽霊である。オペラを好んで私は聴くが、幽霊の歌うフィガロなど真っ平だ。

コンクリートホーンを叩き毀した理由であった。


 素人考えで言うことだが、このイメージの欠如は「指向性」に関係があるように思われる。無指向性をなにかオーディオで重要なことのように宣伝するスピーカー・メーカーがいるが、私は信用しない。指向性がつよいと、たしかに音のサービスエリアは限られ、極言すれば、立体感を十分にともなう音を聴ける位置はリスニングルームのただ一点にとどまるだろう。

 その一点から少しでも左右にずれると、右(もしくは左)の音が強くなり歌手は左右どちらかのステージへ寄ってしまう。コンクリートホーン(マルチウェイ)で再生すればそういうことはないし、部屋のどこで聴いても音のかたちは変わらない。

 しかし、である。他人様にいっしょに聴いてもらうために私はレコードを鳴らすのではない。つねに音楽を鑑賞するのは私ひとりであり、一点しかないサービスエリアの、最適の位置に坐れば十分なのである。わが家はコンサートホールではないのだ。(他人様にほめてもらいたくて音のグレードアップをするつもりは毛頭、私にはありません。)

 かくて指向性の強さなどまったく私は意にしないで、スピーカーを選択することにしてきた。結果、いまわが家に残っているのはタンノイ・オートグラフと、テレフンケンS8型エンクロージャーである。他はことごとく知人に進呈したり、物置へほうりこんでしまっている。

 タンノイ(Guy R. Fountain Autograph )については、ステレオ雑誌などに紹介記事がでているので説明は略すが、家庭でぼくらがレコード音楽、FM放送を聴くにまず過不足ない――むしろ十分すぎる音域の広さ、プレゼンスの見事さ、音色の気品ある美しさを聴かせてくれるエンクロージャーである。

 とくにクラシック音楽に向いているし、その弦のユニゾンの厚みと繊細さを響かせる点では右に出るものがない。不満は、折返しホーン型なので、どうかすると音に「ホーン鳴き」の伴うことだろうか。

 したがって、ピアノの音がふくらみすぎて聞こえる。タッチが模糊とした感じになる。これだけは憾みだが、ほかは申し分がないし、とくに人声のリアルなフィーリングは特筆に価するだろう。たとえば「マタイ受難曲」や「メサイア」で合唱メンバーを背景にバス、テノール、アルト、ソプラノ、と独唱者が4人並んで歌うとき、拙宅ではオートグラフを約五メートル幅の壁の両側にすえてあるが、その壁面にハッキリ一人一人が並び立って、別々の位置で歌ってくれる。

 そんな独唱者の立像はあたかも眼前に居並んでくれるようで、どれほどボリュームを上げてもその身長は決して巨大にならないし、ステージにしっかり両足をふまえている感じが見える。この臨場感は実に快い。

 S8型は、トゥイーターだけ(左右二個ずつ)別のキャビネットに納められて部屋の両端に立てるようになっており、スコーカー(これも左右二個ずつ)は棺桶ほどの大きさの単体キャビネットの両側に、やや外向けに納められ、ウーファーはただ一個、同じキャビネットの内側で床へ下向けに取り付けてある。

 おもしろいことにそれも右寄りで、左は、黒田家の九曜の紋さながらな穴を開けてあるだけだ。これで十分すぎるステレオ感をもつ低音が鳴るのである。言うまでもないだろうが、この棺桶キャビネットの重さは、大の男ふたりが辛うじて持ち上げられるもので、音響学的にどんな根拠で設計されたのか知らないが、小林秀雄先生が拙宅でこのS8型を聴かれ、コンサートホールの一番よい席で「これは聴ける音だ」と感心された。

コンクリートホーンくそくらえの低音がこの棺桶から聞こえてくるのだから不思議である。

 要するに、さまざまなスピーカーをいじって私の痛感したことは、音楽を響かせるのは単体スピーカーのコーン紙ではなく、トゥイーターやウーファーでもなく、エンクロージャー全体であり、さらに言えばリスニングルームそのものということだった。部屋の音響条件が変われば同じスピーカーが別ものに聞こえることだってある。

 どこにスピーカーをすえるか、その位置をいろいろ移動させ、主に低音の鳴り方を考慮するのだが、ピタッとそれがツボにハマって、うまく低音の響いてくれた瞬間の快感は、これぞオーディオ狂の陶酔の最たるものだろうと思う。コンクリートホーンが低域に効果があることはわかりきっている。

 だが家屋をぶち抜き、あるいは新築してそんなものを誰もが建てるわけにはゆかんのだ。家庭の事情――経済事情?――のゆるす範囲内で、ぼくらは音楽を聴かねばならぬ。グレードアップをはからねばならぬ。その切なさ・無念さを誰だって胸に秘め、少しでも音をよくしようと苦心惨憺しているのが日本のオーディオ愛好家の姿ではないのか?

 私は、経済的に多少めぐまれた条件下にあり、めぐまれた条件をフルに活用してオーディオ装置をいじり、グレードアップを心掛けてきた。その私が、いま言えることは、いかに莫大な費用を投じ物理的条件を満たしても、測定器がどんな数値を出していてもどこかに生にはかなわぬ不満な音は生じるということだ。

 いつも私は思うのだが、大編成のオーケストラが響かせるff音のエネルギー――ベートーヴェンの交響曲にあっては、「現代のオーケストラの途方もない爆発力をもってしても色褪るほど、強大でなければならぬ」とフルトヴェングラーに言わせた「運命」のあのフォルティッシモのエネルギーが、スピーカーのコーンやジュラルミン振動でだせるわけはないのである。開口部二メートル余のコンクリートホーンだってしょせんは五十歩百歩なのだ。

 それなら、少々低音はこもりがちで、一万ヘルツあたりに粒子の荒さが感じられても、仕方のないことである。肝腎なのは唯物的な音ではなくて、音楽をぼくらは鑑賞することを忘れてはなるまい。現在のレコードに刻まれたトーン・クォリティは、また市販されるオーディオ部品の高級なものは、ほぼ、こうしたぼくらの要求を満たす程度には音質を保証してくれている。

 A機種が特別よくて、Bがわるいというようなことはまずない。したがって、あとは各人好みの音色で聴くこと、聴くための部品を選択することだ。

 カートリッジ、テープデッキ、アンプにもこれは言えるが、とりわけスピーカー・エンクロージャーが音色を決定づける大きな働きをなすと思えるので、本稿はスピーカーを主にまとめてみたまでである。

 四十年余の、わが音キチの人生をかえりみて、私は言う。再生装置で最も重要なのはスピーカーを選ぶことである。それをどんなシステムで鳴らすかである。それによって自ずとカートリッジやアンプ、チューナーは選択される。だが、どれほど装置に大金を投じようと、唯一絶対な装置というものはない。

 聴きこめばかならず不満はでてくるのである。

 ならば、グレードアップに無理をすることはあるまい。

コンクリートホーンなど、だまされても造ってはならぬ。

そんな閑があればいい音楽を、演奏を一度でも多く聴くことだ。自らを省みて、ラジオアンプに六吋のスピーカーをつなぎ、息をひそめて名曲を聴いた貧乏時代の私と、贅を尽したオーディオ装置をもついまと、どちらが真に純粋な音楽の聴き方をしているだろうかと思うのだ。

 装置を改良し、いい音で鳴ったときの喜びはたとえようもない。まさにオーディオ狂の醍醐味である。しかし、すぐれた音楽を聴くときの感動や悦びはそれにまさるものだ。音楽には神がいるが音には神はいない。

 決定的なこの違いをまず知らぬようで音質を改良して何になろう。そして神を見いだすことは、いまのきみの装置――FM受信からだって可能なのである。

 名曲を諸君、聴こうよ。
http://syokota888.ec-net.jp/to-u-kei-1-/number-12-item-musics-10-00-2018-09-20-/number-12-item-musics-10-b-table-of-contents-audio-culture-critic-2018-09-20-/number-12-item-musics-10-b-table-of-contents-speaker-as-instrument-gomi-kousuke-.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c67

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
68. 中川隆[-9942] koaQ7Jey 2019年5月30日 14:47:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2411]

オーディオ巡礼(一)の一 五味康祐 1970年
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56212377.html


 岡画伯の装置は高城重躬氏の構成になるものだから,いっそ高城邸を訪ねればという意見が編集部であった。私は言った。高城氏のは,車でいえばプロトタイプのレース用マシンである。なるほどスピードは出るかも知れないが市販はされていない。

 トゥイーター一つにしても後藤ユニットやらの特別製,ウーファーも特製で(高城氏はこの”特別製”というのがお好きである)つまり一般ユーザーには手に入らない。

 本誌で”オーディオ巡礼”をはじめることになった。すでに多くの読者から小生の訪問を希望する申込を受けている。わりあい私は講演旅行や,取材で旅には出るほうなので,そんなおり,ふとその地方の愛好家の音を聴いてみたいと思うことが,これまでにもあった。しかし何日の何時に訪ねるとスケジュールを立てることが,どうにも私には出来ない。およそスケジュールにハマった行動というのが私は苦手で,けっきょく,むなしく其処を離れてしまう。せめて愛好家諸氏の電話連絡先でも編集部へしらせておいてもらえたらと思う。

 もう一つ,はじめにこれは言っておきたいが,けっして高級機種の音を聴こうとは思ってはいない(そういうことでなら日本に輸入された最高級のものは各パーツにわたって私は一応知っている)。私が聴きたいのはメーカーが公称する音ではない。その人の部屋で,創り出される音楽だ。同一メーカーの,同じアンプ,同じスピーカーを使っても各人の鳴らしている音はどこか皆ちがう。生活の場が違うように。ボリューム一つにしても,当人にとってはかけがえのない調整の一点というものがある。余人には多少ずれてもどうってことはないように聴こえるのに,当人には,その一点でなければ音楽は色あせてしまう。そういう一点を決定させるのはその人の教養だろう,生き方だろう。そんな,文学的表現がゆるされるならその人の人生の音を,私は聴きたい。

 よく,金にあかせてオーディオ誌上などで最高と推称されるパーツを揃え,カッコいい応接間に飾りつけて,ステレオはもうわかったような顔をしている成金趣味がいる。そんなのを見ると,私は横っ面をハリ倒したくなる。貴様に音の何が分るのかとおもう。こんなのは本でいえば,豪奢な全集ものを揃え,いわゆるツン読で,読みもしないたぐいだ。

 全集は欠けたっていいのである。中の一冊を読んで何を感じるか,それが君の生き方にどう関わりを持ったか,それを私は聴いてみたい。その人の血のかよった音を,聴きたい。

 重ねていうが,部品の良否は問うところではない。どんな装置だってかまわない。君の収入と,君のおかれた環境でえらばれた君の愛好するソリストの音楽を,君の部屋で聴きたいのだ。私はキカイの専門家ではないし,音楽家でもない。私自身,迷える羊だ。その体験で,ある程度,音の改良にサゼッションはできるだろう。しかしアンプの特性がどうの,混変調歪がどうのと専門的な診断は私に出来るわけがない。そういう専門家のもっともらしい見解に従って改良をやり,実は音のよくなったためしは私の場合,あまりなかった。大体,それでよくなるくらいなら,はじめっからメーカーはそのように作っているだろう(およそオーディオにくわしい専門家の頭脳を結集してメーカーは製品を造っている。それらを組合わせても,意のままに鳴らないのが音というやつである)。

 ディスクやテープを再生して音楽を聴く限り,そもそもナマそのままに鳴るわけがない。したがって再生音に,真の意味で良否があるわけがない。あるのは好きな音か,嫌いな音かだけだ。私はそう思っているから,好ましい音色を告げることは出来るが,改良に役立つ専門的知識を期待されて,訪問を望まれるなら,お互いに無駄なことも知っておいてほしいと思う。その上で,あなたの好きな演奏家のレコードを(いい音で鳴るレコードでもいいのだ)一緒に聴きたい。


 さて今回は,野口晴哉氏と岡鹿之助さんの装置を巡礼した。これには二つの理由があった。

 編集部では,第一回目だから,なるべくオーディオマニアの垂涎のまとであるような最高パーツの組合わせでどんなふうに鳴っているかを,聴いてみてくれという。できればグラビアに豪奢なそのリスニングルームの写真をでんと飾りたいと言う。阿呆な話だ。写真が音を出すわけではないぞ,と私は言ったが,「最高のパーツ」というこれには,弱い。

 野口氏は,私の知る限り日本で最もぜいたくな聴き方をしてこられた人である。昭和28年の初夏だったとおもうが,英国製の”アコースティカル・コーナーリボン・スピーカー”というのが,当時米オーディオ・フェアーに出品され,アルテック・ランシング820A(”A7”の前身)とともに最もすぐれた音質と評価されていた。私はそれにあこがれていたが,米ドルで七百ドル。当時は今とちがってオーディオ部品の輸入価格はドル千円の割合いになっていたから,つまり七十万円 ―無名作家には気のとおくなる値段だ。それが野口氏のところに購入されたと聞いて矢も楯もたまらず,訪問したことがある。

 野口さんとは無論それが初対面だったが,以前から,クレデンザでずいぶんSPを聴かれたという噂はきいていたし,昨日や今日のレコード愛好家でないことはわかっていたが,さて訪ねてみて驚いたことには,ステファン社のトルーソニック,アルテック・ランシング,タンノイ,ゼンセン,ワーフデール,当時めずらしかったジーメンスのスピーカーなどごろごろしている。たいがいの欧米製アンプもある。これはだいぶ私よりお熱いぞと思ったが,さてそんな数多のスピーカーとは別に,ひときは燦然たるコーナー・リボンが二階大広間の隅に ―金屏風のかどに据えられたあった。たしかリークのアンプ(ポイント・ワン)でバイナム指揮によるハイドンの交響曲97番を聴かせてもらった。オーケストラを聴くには繊細すぎる音色の感じがしたが,デッドな和室のためだろうとおもい,適度に残響のある天井の高い応接間で,しみじみ聴けたらなあと思ったのを忘れない。

 それはまぎれもなく正統派の,英国の伝統をひびかせる音だった。”正統派”という言い方はあいまいだが,リボン・トゥイーターの金粉をまき散らすような,それでいて粒子の一つ一つが輝きをもつその高音域の繊細な美しさは,ちょっと類がない。大体カートリッジやアンプは,ずいぶん改良され,機能に著しい進歩をみているが,スピーカーだけはコーンを(あるいはジュラルミン板を)振動させて音を出す方式は昔のままで,かわっていない。かけ出しのメーカーには,だからどうしても出せぬ音色というものがあるわけだ。かんたんにそれを私は伝統をもつひびきと呼ぶのだが,何にせよ”コーナーリボン”のかがやきは今も耳にのこっている。

 岡画伯の場合は,装置は高城重躬氏の構成になるものだから,いっそ高城邸を訪ねればという意見が編集部であった。私は言った。高城氏のは,車でいえばプロトタイプのレース用マシンである。なるほどスピードは出るかも知れないが市販はされていない。

 トゥイーター一つにしても後藤ユニットやらの特別製,ウーファーも特製で(高城氏はこの”特別製”というのがお好きである)つまり一般ユーザーには手に入らない。そんなものでどれほどいい音が鳴ろうと,高城氏のエリート意識は満足させられるだろうが余人に聴けないものなら,”巡礼”の対象にはなるまい,と。私の知りたいのは,ツーリング・カーの乗心地 ―もしくはそれを運転している人の,技術である。だれでも入手できてこそ,その音は論評の対象になる。

 その点,岡さんのは,ふつうに手に入るパーツで構成されており,私の印象に間違いなければ,それは高城氏の傑作のひとつだった。モノーラル時代だが,すでにマルチアンプシステムが採用され,高,中,低音ともスピーカーはワーフデール,ウーファーは底辺から天井へ向けてホーン型にまとめられたエンクロージァで,高城氏の創作である。その出す音のふくらみと,調和のとれたこころよい響きは,高城氏がどれほど音響学に造詣の深い人かを教えてくれた。私はこの岡邸の音をきいて,高城さんに心服し,以来ハイ・ファイを志向する若い編集者が相談にくると,「高城先生に作ってもらいなさいよ」とすすめた。何人かはそうして多忙な高城先生の厄介になった。むろん私もその一人だが,そういう意味で高城邸は当時,オーディオのメッカだったとおもう。

 ―以来十余年,いまでは欧米メーカーのパーツは容易に手にはいり,ことにスピーカー・エンクロージァはオリジナルで聴くことができる。そんな時代になっても岡画伯は,むかしのままで聴いていらっしゃるとつたえられていた。岡画伯のもとへ行けば,つまり音のふるさとがあるわけだ。さまざまな機種を購入し聴いてきた私のオーディオ遍歴で,もう一度,ふるさとの音へ帰れるのである。そう思うと,この”巡礼”をはじめる前に岡さん宅を訪ねておきたかった。何年ぶりかでお電話したら,「どうぞどうぞ」昔と変らぬ,人柄そのままな優しい声でうべなって下さった。日を約して私は訪ねていったわけだ。ちょうど,野口さんを訪問した翌日である―

 野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた。門をはいると,玄関わきのギャレージに愛車のロールス・ロイス。野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから,十七年ぶりになる。しばらく当時の想い出ばなしをした。

 リスニング・ルームは四十畳に余る広さ。じつに天井が高い。これだけの広さに音を響かせるには当然,ふつうの家屋では考えられぬ高い天井を必要とする。そのため別棟で防音と遮音と室内残響を考慮した大屋根の御殿みたいなホールが建てられ,まだそれが工築中で写真に撮れないのが残念である。

 装置は,ジョボのプレーヤーをマランツ#7に接続し,ビクターのCF200のチャンネルフィルターを経てマッキントッシュMC275二台で,ホーンにおさめられたウェスターン・エレクトリックのスピーカー群を駆動するようになっている。EMT(930st)のプレーヤーをイコライザーからマランツ8Bに直結してウェストレックスを鳴らすものもある。ほかに,もう一つ,ウェスターン・エレクトリック594Aでモノーラルを聴けるようにもなっていた。このウェスターン594Aは今では古い映画館でトーキー用に使用していたのを,見つけ出す以外に入手の方法はない。この入手にどれほど腐心したかを野口さんは語られた。またEMTのプレーヤーはこの三月渡欧のおりに,私も一台購ってみたが,すでに各オーディオ誌で紹介済みのそのカートリッジの優秀性は,プレーヤーに内蔵されたイコライザーとの併用によりNAB,RIAAカーブへの偏差,ともにゼロという驚嘆すべきものである。

 でも,そんなことはどうでもいいのだ。私ははじめにペーター・リバーのヴァイオリンでヴィオッティの協奏曲を,ついでルビンシュタインのショパンを,ブリッテンのカリュー・リバー(?)を聴いた。

 ちっとも変らなかった。十七年前,ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。高域がどうの,低音がどうのと言うのは些細なことだ。鳴っているのは野口晴哉というひとりの人の,強烈な個性が選択し抽き出している音である。つまり野口さんの個性が音楽として鳴っている。この十七年,われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と,尨大な出費をついやしてけっきょく,ただ一つの音色しか鳴らされないということは,考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。画家は,どんな絵具を使っても自分の色でしか絵は描くまい。同じピアノを弾きながらピアニストがかわれば別の音がひびく。演奏とはそういうものである。わかりきったことを,一番うとんじているのがオーディオ界ではなかろうか。アンプをかえて音が変ると騒ぎすぎはしないか。
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56212377.html


オーディオ巡礼(一)の二 五味康祐
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56212385.html

安っぽいヴァイオリンが,グワルネリやストラディバリの音を出しっこはないが,下手なヴァイオリニストはグワルネリを弾いたって安っぽい音しかきかせてくれやしない。逆にどんなヴァイオリンでも,それなりに妙音をひびかせたクライスラーの例もある。ツーリング・カーの運転技術と私が言うのはここなのだが,要するにその人がどんな機種を聴いているかではなく,どんな響かせ方を好むかで,極言すれば音楽的教養にとどまらずその人の性格,人生がわかるように思う。演奏でそれがわかるように。

 音とはそれほどコワイものだということを,野口さんの装置を聴きながら私はあらためて痛感し,感動した。すばらしい音楽だった。年下でこんなことを言うのは僭越だが,その老体を抱きしめてあげたいほど,一すじ,かなしいものが音のうしろで鳴っていたようにおもう。いい音楽をきくために,野口氏がこめられてきた第三者にうかがいようのない,ふかい情熱の放つ倍音とでも言ったらいいか。うつくしい音だった。四十畳にひびいているのはつまり野口晴哉という人の,全人生だ。そんなふうに私は聴いた。 ―あとで,別室で,何年ぶりにかクレデンザでエネスコの弾くショーソンの”ポエーム”を聴かせてもらったが,野口氏が多分これを聴かれた過去に重複して私は私の過去を,その中で聴いていたとおもう。音楽を聴くとはそういうものだろうと思う。

 岡画伯の場合は,高城さんと岡さんが響きの中で重複して私にはきこえた。岡画伯の部屋はアトリエだから,これ又うらやましいほど天井が高く,遮音も完全で,窓外を疾る車の騒音は入ってこない。

 十数年前の,そのアトリエのたたずまいをうろおぼえに私は憶えていた。高城氏の創られた音に初めて耳をかたむけたソファの位置も,おぼえていた。それにあの忘れようのないスピーカーエンクロージァ。

 しかし,鳴り出した音は,ちがった。ふるさとの音はなかった。当時はモノで今はステレオだからという違いではない。むかしはワーフデールで統一されていたが,今はスコーカーに三菱のダイヤトーン,トゥイーターは後藤ユニットに変っている。おそろしい変化である。後藤ユニットは,高域の性能でワーフデールを凌駕すると高城さんは判断されたに違いない。聴いた耳には,ティアックA6010のテープ・ヒスを強調するための性能としかきこえない。三菱のダイヤトーンは中音域のクォリティに定評がある。しかしワーフデールと後藤ユニットのあいだで鳴るその音は,周波数特性に於いてではなくハーモニィで,歪んでいた。ラヴェルのピアノ協奏曲が,三人の指揮者の棒による演奏にきこえた。ピアノもばらばらにきこえた。どうしてこんなことになったんだろう。あの高城さんがことさら親しい岡画伯の愛器を,どうしてこうも調和のない音に変えられたのだろう。むかしとそれは変らぬすばらしい美音をきかせてくれる部分はある,しかし全体のハーモニィが,乱れている。少なくとも優雅で気品のある岡画伯のアトリエにふさわしくない,残滓が,終尾のあとにのこる,そんな感じだ。

 むかしはそうではなかった。もっと透明で,馥郁たる香気と音に張りがあり,しかもあざやかだった。あの時聴いたバルトークのヴィオラ協奏曲のティンパニィの凄まじい迫真力,ミクロコスモスのピアノの美しさを,私は忘れない。どこへいったんだろう? こちらの耳が,悪いのか。

 ―おそらく私の耳のせいだろうとおもう。テープ・ヒスさえ消せば,以前とは又ことなった美しさを響かせるに違いないとおもう。高城さんほどの人が,さもなくてわざわざワーフデールを三菱や後藤ユニットに変えられるわけがない。かならず別な美点があるからに違いない。こちらはそういう方面にはシロウトだ。音はどうですかと岡さんにたずねられたら,私は,ヒスのことを言ったろう。しかし岡さんは,さほどヒスは気にせず聴いていらっしゃる,ご本人が満足されている限り,第三者が音の良否など断じてあげつらうべきでない,これは私の主義だ。相手がメーカーや専門家ならズケズケ私は文句を言う。だがそれが家庭に購入された限り,もう,人それぞれの聴き方がある,生き方に他人が口をはさめぬと同様,それを悪いとは断じて誰にも言えぬはずだ。第三者が口にできるのは,前にも言ったがその音を好きか嫌いかだけだろう。

 岡さんは満足していらっしゃる。音をはなれれば,それはもう頬笑ましい姿とさえ私には見えた。何のことはないのだ,私だってヒスは気にするが,少々のハムは気にならないそういう聴き方をしている。ハムが妨げる低音よりは音楽そのものに心を奪われる幸わせな聴き方が,私には出来る。同じことだろう。野口さんのところでエネスコを聴いていて,あの七十八回転の針音がちっとも気にならない,ヒスは気になってもクレデンザの針音は気にならない。人間とは勝手なものだ。だからあの,ふるさとの音をもとめる下心がなければ,岡画伯のアトリエでひびいている音を,私は別な聴き方で聴いたかも知れないとおもう。それを証拠に,同行した編集者は「いい音でした」と感心しているのだ。もっとも公平な,第三者のこれは評価だろう。私の耳がやっぱり,悪かったのだろう。

                       (1970年)


▲△▽▼


【ジャズ・ヒロシの感想】

 五味康祐氏が書いた「オーディオ巡礼(一)」という記事は,ステレオサウンド第15号に掲載されたものである。

 ステレオサウンド社の企画により,五味氏が音楽愛好家宅を訪ねて,そのレポート記事を書いたものだが,内容からすると,2名の愛好家は何れも五味氏が以前お会いになり,その音を聴いたことがあるので,人選は五味氏によるものと思われるが,「編集部では,第一回目だから,なるべくオーディオマニアの垂涎のまとであるような最高パーツの組合わせでどんなふうに鳴っているかを,聴いてみてくれという。」ことからすると,編集部の人選だったが,偶然にも五味氏にとって旧知の間だったのかもしれない。

 このため,五味氏にとって,野口氏と岡氏の,それぞれ以前に聴いたことのある音との関連(比較)で記事が書かれている。

 野口氏については,以前の2階大広間と今回の四十畳とは同じ部屋なのかどうかわからないが,何れにせよ,人も羨むような条件のリスニング・ルームだし,増してウエスタンだけは手を出すなともいわれているパーツをはじめとする機器とあっては,確かに編集部のいう「オーディオマニアの垂涎のまと」であったことは,疑いようのないところだ。

 しかも,機器の構成が違っていた17年前と音色やクオリティそのものは,かわっていなかったと五味氏は感動しているが,五味氏の17年前の音の記憶にも凄いなぁと思う。

 「この十七年,われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と,尨大な出費をついやしてけっきょく,ただ一つの音色しか鳴らされないということは,考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。」と絶賛されているが,自分のような単なるオーディオ好きからすると,雲の上の出来事(「垂涎のまと」までにもならない)のように思える。

 その野口氏の音を聴いて,「要するにその人がどんな機種を聴いているかではなく,どんな響かせ方を好むかで,極言すれば音楽的教養にとどまらずその人の性格,人生がわかるように思う。演奏でそれがわかるように。

 音とはそれほどコワイものだということを,野口さんの装置を聴きながら私はあらためて痛感し,感動した。」とあるが,理屈上はそうなのだろうと納得できるが,実際,自分は様々な人の音を聴いてきたわけではないので,そのことを実感できないし,また,実感するのも難しいと思う。そこは五味康祐という男が,真剣に人生と向き合って生きてきたからこそ,得られた見識ではないかと思われる。

 また,「別室で,何年ぶりにかクレデンザでエネスコの弾くショーソンの”ポエーム”を聴かせてもらったが,野口氏が多分これを聴かれた過去に重複して私は私の過去を,その中で聴いていたとおもう。音楽を聴くとはそういうものだろうと思う。」と書かれているが,こういうところが五味氏独特の音楽観だと思う。

 岡氏のほうも,遮音も完全で,人も羨むような高天井のアトリエのリスニング・ルームであったが,これは十数年前と同じ部屋だったようだ。

 しかし,その数十年前の岡氏の音を「ふるさとの音」に例え,今回の巡礼では,「ふるさとの音」はなかったといっている。

 「ふるさとの音」で思い出したのは,クラシックの友人宅で,初めてスペンドールBCUを聴いたとき,実にいい音で鳴っていた記憶がある。そのスペンドールBCUの音は,自分の家の音よりもいいと思っていた。

 だがしかし,十数年後だったか?,再度,BCUを友人宅で聴いた時は,鮮度のない,モヤッとした音になっていたのには,驚いた。

 何が原因か分からないが,本人は,そのことを口にしなかったし,勿論,自分もいえなかった。

 多分,毎日のように聴いていると,その変化に気がつきにくいことなのだろうと思うが,ある意味,これもコワイことだ。

 自分のオーディオだって,手塩にかけて有頂天になっているかもしれないが,もしかすると,その変化に気がついていないのかもしれない。

 因みに,最近,彼の家でBCUを聴いたが,鳴らす部屋とプレーヤーやアンプが違っていたこともあってか,当時の音よりヴァイオリンがしなやかであった。やはりBCUは,一時代を画した名器だと思った。

 そんなこともあって,彼には,以前聴いたBCUの音について,こうだったと話すことができた。

 最後に,「あの,ふるさとの音をもとめる下心がなければ,岡画伯のアトリエでひびいている音を,私は別な聴き方で聴いたかも知れないとおもう。それを証拠に,同行した編集者は「いい音でした」と感心しているのだ。もっとも公平な,第三者のこれは評価だろう。私の耳がやっぱり,悪かったのだろう。」といっているが,五味氏の謙虚な気持ちと,岡氏への配慮だろうか。
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56212385.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c68

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
184. 中川隆[-9941] koaQ7Jey 2019年5月30日 15:36:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2412]
袋小路の日産、FCAルノー統合の「寝技」で独立は風前の灯(ダイヤモンド・オンライン)
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/498.html
2019.5.30 ダイヤモンド編集部  浅島亮子:副編集長 


FCAとルノーの統合話は日産にとって「寝耳に水」だった Photo:REUTERS/AFLO


欧米フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)と仏ルノーが統合に向けて動きだした。ルノーと日産との対立激化に付け入って、FCAが寝技を仕掛けてきたのだ。もはや、日産に打つ手はないのかもしれない。(ダイヤモンド編集部副編集長 浅島亮子)

寝耳に水の日産、FCAとルノーの利害が一致

 日産自動車にとっては、寝耳に水の話だった。ようやく6月末の株主総会に提案する取締役候補リストが整い、米国事業の止血や生産設備のリストラなど、本業再建に集中しようとした矢先のことだった。

 欧米フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA。伊フィアットと米クライスラーの統合会社)による仏ルノーへの統合提案の現地報道が流れたのは5月25日(現地時間)のこと。日産上層部でその情報が共有されたのは、「第一報が入る2日ほど前」(日産幹部)のことだった。

 虚を突かれた日産とは対照的に、ルノーや仏政府は事前にFCAと示し合わせていた公算が大きい。

 27日、FCAがルノーに正式に経営統合を申し入れるや否や、フランスのル・メール経済・財務相が統合に前向きなメッセージを発信したり、ジャンドミニク・スナール・ルノー会長が来日したりと、どこまでも手際がいい。国を越えた大型再編を、絶妙なタイミングで仕掛ける欧米メーカーのしたたかさをまざまざと見せつけられた。

 平時ならば、FCAの統合提案は難航するはずだった。2018年12月の通期決算では過去最高の営業利益を記録していたが、状況は暗転。19年1〜3月期は、当期純利益が前年同期比46.6%減の5億0800万ユーロ(約623億円)となり急ブレーキがかかった。お膝元の欧州事業が赤字に転落し、実態は、「ジープ」など米国向け大型車偏重の一本足打法だ。

 これまでも、手詰まりを再編で乗り切ってきたFCA。「身売り話は随分前からあり、その相手は市場が重複しない中国メーカーくらいしかないと踏んでいた」と日産幹部が言うくらい、パートナー探しは暗礁に乗り上げていた。

 そんな折、FCAに自分を高く売ることができる千載一遇のチャンスが訪れた。昨年11月のカルロス・ゴーン氏の逮捕以降、くすぶっていた日産とルノーの対立が決定的になったことだ。ルノーが望む(日産との)経営統合交渉は遅々として進まなかった。

 FCAは一計を案じた。仮に、ルノーと統合交渉を進めることができれば、身売りに成功するばかりではなく、「資本構造ではルノーの傘下にいる日産・三菱自動車とのアライアンス交渉でも主導権を握ることができる」(自動車メーカー関係者)。

 統合提案を受けた側のルノーにとってみればどうか。

「日産の業績改善を優先すべきだ。経営統合を検討する時期にない」(西川廣人・日産社長)として、統合の検討すら拒否してきた日産のかたくなな姿勢にルノーは業を煮やしていた。

 ルノーにとってFCAによる提案は、日産を自動車再編という土俵に引き込むための“魔法のつえ”に見えたことだろう。

 20年来のパートナーに対しては、のらりくらりと統合議論を先送りできた日産だが、FCAによるルノーへの正式提案となると話は別だ。日産が連合するかどうかの判断はともかく、FCA・ルノー連合がルノー・日産アライアンスに与える影響を精査せざるを得ない。日産の退路は断たれたのだ。


拡大https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/e/e/-/img_ee7170c8e5eb32dcd0d38c18fc7b3f7d330376.jpg

不平等条約見直しは日産にとってのチャンス

 翻って日産がこの巨大連合に参加するメリットはあるのだろうか。FCAによる提案書をベースに考えてみたい。

 ルノーとFCAの既存株主は、それぞれ50%ずつ統合新会社に出資する。その場合、日産はルノー株式の15%しか保有していないので、新会社の持ち分はわずか7.5%。役員も1人しか送れず、新会社への影響力は弱い。

 その一方で、1999年に、ルノーに救済されたときに結ばれた“不平等条約”を見直すチャンスとなるかもしれない。資本構成の変更はその最たる例だ。

 新会社誕生により、仏政府がルノーを通じて日産の経営に介入できる「仏フロランジュ法」や、ルノーが日産に上級幹部を送り込める「RAMA(日産とルノーのアライアンス基本合意書)」をほごにできるよう交渉する手はある。

 もっとも、本質的なビジネスの統合効果については、“眉唾もの”と言わざるを得ない。

 FCAはルノーとの統合で世界3位の販売台数870万台(日産や三菱自を含まず)となり、日産・三菱自の参加を強制しないとしている。だが、提案の中身を見れば、FCAが狙っているのは、ルノーの背後にいる日産の技術や商圏であることは明白だ。

 FCAは年間50億ユーロ(約6130億円)のシナジーのうち、購買で4割、R&D(研究開発)の効率化で3割、生産効率等で2割を創出する見積もりだ。この試算には、日産の台数規模をカウントしている上、世界で最も厳しい欧州の環境規制をクリアするには、日産の電動化技術はFCAにとって必要不可欠なのである。

FCAの合理化は日産参画の大前提

 それでも日産にとって、1500万台という規模が魅力であるのは確かである。

 だが、「規模のメリットを享受するには、FCAやルノーの合理化が大前提」(日産幹部)だ。

 19年3月期決算で前年比44.6%減の大減益決算となった日産。その要因の一つには、ルノーとの協業というお題目のために戦線を広げ過ぎたことがある。

 08年のインド、09年のロシア、10年のタイ、14年のブラジル、メキシコ──。この10年で日産は10以上の大型生産ラインを立ち上げた。リーマンショック以降に設備投資を一時凍結し、メキシコ・米国工場等への投資にとどまるトヨタ自動車とは対照的だ。

 14年と18年の販売台数を比較して、26.6%も増えたルノー・日産・三菱自連合に比べて、トヨタの増加率はわずか3.3%、それでも、トヨタは19年3月期に売上高30兆円超え、営業利益率8%超えの数字をつくってきた。

 目下のところ、日産は過剰な生産設備やルノーとの中途半端な機能統合にメスを入れ始めている。

 FCAの提案では、統合による工場閉鎖はしないとしている。だが、FCAやルノーのリストラなき日産の合流は、「拡大路線をまい進したルノーとのアライアンスの轍を踏む」(アナリスト)ことになる。膨張に膨張を重ねるアライアンスは、強者連合にはなり得ない。

 “蚊帳の外”に置かれた日産が、新連合で強い交渉力を発揮できるのかどうかは疑問だ。

 日産・ルノー間の隙間風に付け込んで大型再編を仕掛けるFCA。直接交渉が無理ならば、再編という荒波を利用して主導権を握ろうとするルノー。欧米メーカーは、生き残るために本気の大技を繰り出してきている。

トヨタとの提携はストッパーになり得る

「お互いに経済合理性がないとアライアンスはうまくいかない」と正論ばかりを振りかざす日産は、百戦錬磨の再編巧者に、太刀打ちできないのかもしれない。

 万事休す──。日産が再編の大きなうねりに巻き込まれる背景には、日本の自動車産業を監督する経済産業省のふがいなさもあろう。政府と企業が一体となったフランスとは大違いだ。

 もはや、欧米勢による日産争奪をストップできる存在は、産業競争力と政治力を兼ね備えたトヨタくらいしか残されていないのかもしれない。

 電気自動車など日産の強い分野でトヨタと提携関係を結ぶことができれば、日産を狙う欧米勢に大きなプレッシャーをかけられる。

 だがそんな構想に、日産幹部は「ルノーに対する日産の交渉力は強い。トヨタを含めて競合に助けを求めることはあり得ない」と反発する。日産の孤独な戦いは続きそうだ。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c184

[近代史02] LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡 中川隆
130. 中川隆[-9940] koaQ7Jey 2019年5月30日 16:05:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2413]

「オーディオ巡礼」(五味康祐)2015年09月03日
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20150903/

以前にあるSNSにアップした読後感想です。最近、ふとしたことでこれを引用しようと思ったところ、このコミュではアップしていなかったことに気づきました。ちょうど、あの大地震の直後でこちらでの活動を休止していた頃だったのです。

アップしたSNSのほうでは、ずいぶんと沢山のコメントをいただきました。こちらでもあらためてあの時の読後感想を再掲し、若干の補足をさせていただきます。

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「オーディオ巡礼」(五味康祐)
                        (2011年07月08日)


80年初版の本書が、最近になって復刻された。もともとは67年に創刊された「季刊ステレオサウンド」誌に連載されたもの。70年代のまさにオーディオ黄金期そのものの時期に執筆されていた。

五味康祐のオーディオ狂ぶりは有名。昔からハイエンドオーディオ誌は読まなかったし、ましてや高価な「ステレオサウンド」誌など読んだこともないが、何となく当時が懐かしくなって手にとってみた。

読んでみると面白い。

ひとつには、デッカ社「デコラ」、「グッドマン」、「タンノイ・オートグラフ」、「マッキンMC275」…などなどのブランドが懐かしい。私なんぞは夢のまた夢だったが、いまだにそういうブランドを有りがたがるヴィンテージファンの原点はこのあたりにあったのかとも合点がいった。特に、「タンノイオートグラフ」を崇め奉る風潮は五味康祐だったのかと、今さらながら再認識した。

とはいえ、五味のオーディオ談義には今に通ずるものも多い。

高価な機器を渉猟しつくし、愛好家の音をくまなく聴き歩いたた五味だが、満足に鳴らすことは容易ではなく「高級機ほど鳴らすのが難しい」という。常に「自分は本当に正しい音を聴いているのだろうか」と疑ってしまう。そういう不満、自問自答の格闘が貴いのであって、「金にあかせて高価な部品をそろえ、碌な曲を鳴らしていない」成金趣味のオーディオ・マニアには手厳しい。

「同じ装置でも部屋が違えば別物の音がする。部屋がオーディオを鳴らす。」とも言う。「タンノイ」についても、満足に鳴らせるようになるまで10年以上を要した。そのうえでステレオ時代になってから「オートグラフ」を導入した。そういう格闘の末の「オートグラフ」だという。

その舌鋒はレコードコレクターに向けられ「碌でもないレコードを何百枚も持つ手合いは、余程の暇人かアホウ」と一刀両断。「選択は、かくて教養そのものを語ってゆく」とまで言い切っている。「私は最近、音楽ではなく音質を聴いているような気がする」という一文にもはっとして我が身を振り返ってしまった。

「倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ」というのもずしりとくる。迫力とか「分解能や、音の細部の鮮明度」でまさっても「倍音の美しさや余韻というもの」がなければだめだという。

その他、現代に通ずる見識がいくつもある。

読んでみてよかった。

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上掲の拙文は当時そのままですが、実は、この読後感想文、ずいぶんと書くのに苦労しました。いまでもすっきりしているわけではありません。

というのも、五味のオーディオ狂ぶりや文士気取りの音楽評は、若い頃はずいぶんと反発していたのです。だから、ずっと長いこと読もうという気すら持ったことはありませんでした。この本をあらためて買い求めたのは長年の時を隔てた心境の変化としか言いようがありません。

そもそも五味康祐のオーディオ評論というのは、まさに『文学』であって毒気に満ちています。当時のあこがれのハイエンド機器の所有者をこてんぱんにやっつけるようなところがあって、高城重躬氏などさんざんにこきおろしています。コンクリートホーンやゴトウユニットについてはボロクソに言っています。そういう文をハイエンド誌に載せてオーディオファンの心理をさらにくすぐる。人気作家の売文にオーディオの楽しみが翻弄され、時として見下される…。

それでいて、読んでみると共感する部分も随分とあって面白い。こんなことを言っていたのか、という発見もありました。

そういう五味の矛盾や嫌味に、自分自身の矛盾と反抗心がごちゃまぜになってしまうのです。

五味は、「オーディオ愛好家の5条件」という一章で、その5条件のひとつに「真空管を愛すること」を挙げています。

「真空管を差し替えればかならず音は変わるものだ。」「倍音の音のふくらみ方が(真空管1本1本で)違う。」「オーディオの醍醐味とはついにこうした倍音の微妙な差異を聴きわける瞬間にあるのではなかろうか」とあり、最後は「真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わない。」でこの一節が結ばれています。

五味の趣旨は、「倍音の美しさや余韻」を聴きわけられるかどうかという点にあるように思います。ところが、このあと、トランジスターは倍音が人工的で、「倍音の美しさや余韻というものが」ないので「石のアンプは結局は、使いものにならない。」のだと切り捨てています。こういうところが五味の挑発的なレトリック(『文学』)なのではないでしょうか。

五味は芥川賞作家でしたが純文学を書く力量はなく、剣術小説などの流行作家として荒稼ぎした売文家で、手相学でも大家などと称して大人気でした。毛相学というのまでありましたか。あの当時は、野末ちんぺいとかいろいろ出て来て、東大教授までが負けじと「おんなへん」の教授とか、体位学者とかが登場しました。生半可な教養主義者や権威に弱い俗物が標的となって「学」が仇花に堕するのは今も同じです。

実は、私のこの感想文に、《五味は難聴を患っていてKT88の差し換え比較試聴する際には(石=ゲルマニウムの)補聴器をかけていた。その五味が「石」を一刀両断するとは片腹痛い》という趣旨のコメントが寄せられました。その方は、アマチュアですがジャズLP収集家で著書があるほどの方です。五味の難聴はよく知られた話しでこの人物のオーディオ論の毀誉褒貶のひとつでした(*)。

(*)参考までにこんなブログがあったのでご紹介しておきます。↓
     http://audiosharing.com/blog/?p=427

私も「倍音」というのは健常な聴覚でなければとらえられないと思います。また、生音(生のコンサートや自然音)を聴いていないと鍛えられない、それを聞きわける感性が鈍化してしまうのです。高域が耳につく(ハイ上がりに聞こえる)から高域をカットしてしまえ…というのはオーディオ論議としてあまりにも安易ですし、耳に心地よい人工音ばかりを聴いていては感性が鈍化するどころか、破壊されてしまう。そう思うのです。

この時にも、同じような趣旨のコメントをいただきました。

《タンノイ・オートグラフを手に入れ、もう生演奏は不要なんて思ったのは若気の至りだった。》《現代の最新鋭のシステムでも、一流のオケの音には敵わない。音質で較べるのは無粋なこと。》といったコメントです。《(一流の生演奏に触れられなかった)当時の日本は貧しかったのだ》とも。

また、《ウィーンまで行けとは言わずとも、地方のオケやアマチュアでも良い、ジャズコンボでも良い、生演奏を聴くべき》とのコメントもありました。《生演奏は素晴らしい》のだから。 そしてこの方は、長野県・松本で小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラでバルトーク「弦・打楽器・チェレスタの為の音楽」を初めて生で聴いたときの衝撃を語っていました。弦パートが6つ位に別れて演奏されている事をこの時初めて知った》《耳のせいなのか、オーディオ装置がだめなのか分からないが、CDを聴いていては分からない事だった》と。

私も、実はこの同じコンサートの現場にいて、同じような体験をしていました。弦を2グループに分けているのは知っていましたが、実に細かく他の各楽器とともにその配置がスコアに指定されていたのです。この曲の、最後の最後でチェレスタ奏者がピアノに移動して2台のピアノが演奏されるのです。スコアを確認してみると、その通りなので、あっと驚いたのです。

こういうディテールがCDなどには入っていないと言っているのではありません。体験や知識不足で、それらが入っていても聴き取れない、システムがそれを再現できるようにチューニングされていないということなのです。ディテールばかりではありません。音色の変化や陰影、フレージング、音程、和声、テンポの揺らぎなど音楽の様々な要素、作曲家や演奏家の霊感にまで波及することです。それを感じ取り情感豊かに受け止める感受性の問題。そういうことが《音楽性》ということなのではないでしょうか。



レス一覧

高度成長の時代に文学とオーディオと麻雀(そういえば〜放浪記のルーツは阿佐田哲也でした)と、まさに享楽の極地を生き抜いた先人・奇人の代表の一人でありますね。
いつの時代も遊び人は本質を知ってますから、麻薬的エンターテナー的フレーズを上手に切り取って今でも面白がるスタンスはとても楽しいですが、盲信してしまうのは危険ですね。肝心のアーチスト本人ですら変人が多いですし。

byにら at2015-09-03 22:13


にらさん

やっぱりこういうのは、例え半ば真実を言い当てているとはいえカリスマのご託宣みたいなところがありますね。マインドコントロールに引っかかってしまってはいけません。

オートグラフが本来の音が鳴るようにするには10年かかるというような話しはまるで精神修養みたいな話しです。3日ぐらいでちゃんと鳴らすことができるようにコツを教えるのが「評論家」じゃないですかねぇ(笑)。

まあ「時代」のようなものを楽しみつつ、趣味の楽しみ方のヒントを得る。読んで大いに楽しむところもあります。まさに「文学」ではないでしょうか(笑)。

byベルウッド at2015-09-03 22:35


ベルウッド さん、こんばんわ。

30数年前オーディオに目覚めた?頃この本を購入。

オーディオは難しい物だなと思った記憶があります。
始めた頃だったので、知らないメーカーの名前が並び又音楽を聴く
に当たり精神的と言うか、ただただボンヤリ音楽を聴いている事が
悪く感じたりしました。

でもその当時知らないメーカーでも雑誌とかで調べ到底手に入れる
ことの出来ない(経済的)機種に憧れタンノイとは、オートグラフ
とはどんな音がするんだろうと想像してましたね。
 
 

bytomochin at2015-09-05 00:14


学生の頃か社会人になりたての頃?にこの本を読んだ記憶がありますが、当時は学生オケの中で演奏を楽しんでいる時期でしたので、正直なところ文士の自慢話を書き綴ったエッセイの類に思えて余り感銘を受ける事もなく、古本屋で売り払ってしまいました。

当時の小生のオーディオ再生レベルが、演奏者としてステージ上で聴こえる音と、聴衆として2階席で聴こえる音とは全くかけ離れたものだったのもあるでしょう。

でも、日本にはタンノイファンが数多く居るのは、この本が憧れを掻き立てたこともあるでしょう。

by椀方 at2015-09-05 08:50


tomochinさん

懐かしいですよね。こういう雑誌や本が、ある種日本独特のオーディオ・ジャーナリズムとでもいう文化を創り上げたのでしょうね。クラシックの一種鼻持ちならない「教養主義」をオーディオにまで持ち込んだ五味の功罪ですね。中味は『教養』としてはかなり空疎ですが…(笑)。

これで分厚いカタログみたいな雑誌を眺め、こんな精神学的オーディオ本を読んでため息ばかりという珍妙な「オーディオ趣味」がいまだにはびこっています。おいおい、本ばかり読んで聴いてんのかよ!?…みたいな(爆)

byベルウッド at2015-09-05 09:37


椀方さん

タンノイのブランドイメージを造ったのは間違いなくこの五味でしょうね。

英国人の義弟に「タンノイはどうよ?」と聞いたことがあるのですが、タンノイにはハイエンドオーディオというイメージはないそうです。英国人にとってタンノイとは、駅構内とか学校放送用のスピーカーなんです。だから高級感が持てないし、人気もない。

それだけに人声をよく伝える中低音の魅力はあります。スタジオモニター用といっても放送局のアナウンサーモニターなんでしょう。けっして録音スタジオのモニターではないようです。基音域に焦点をあてて帯域をうまく作っていますね。そこが魅力の歴史的名器がモニターレッドなどなんだと感じます。現代にも通用するJBLやアルテックとは明らかに違います。

byベルウッド at2015-09-05 09:48


ベルウッドさん、ご無沙汰です。
 私もこの本と出会いました。
そもそも、私はオートグラフとの出会いが最初で、当時、1982年ごろだったか、大阪阪急百貨店でイングスで、 オートグラフから奏でる、そこにいるかのような不思議な表現に戸惑った。それから、オートグラフの音が頭から離れず何回出向いた事か? これが自分の本当に好きなものとの最初の出会いだったように思う。
  
 この時、悪夢のオーディオ人生が始まりました。 その後、直ぐにタンノイスピーカーBarmoralを経てEdinburghを購入する。そして、五味康祐の記事に出会い、この本とも出会った。

 五味氏のあの表現する音が自分の頭の中で具現化する。次に、M&A TVA-1導入、続いてLINNSONDEK LP-12 ,UESUGI U-BROSS-1ととにかく揃えたが、音が無茶苦茶だ。悪戦苦闘の連日だった。体調も大幅に崩したのは、丁度その頃だった。
それ以来、自分だけを信じて理想の五味康祐の云うあの表現を目指した。タンノイにしか表現できないあの音を。あの時のオートグラフとの出逢いがなければ今の自分は無い。また違った生き方をしているだろうと思います。

 五味康祐  音を知る ← 長い文章ですが、 
http://www.audiosharing.com/people/gomi/kyositu/kyou_01_1.htm

byavidoso at2016-02-21 13:03


avidosoさん

レスありがとうございます。

五味康佑氏のこういう評論は70年代〜80年代前半にかけてのものですね。そういう時代を懐かしく思い出されますね。

byベルウッド at2016-02-21 23:33
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20150903/

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c130

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
69. 中川隆[-9939] koaQ7Jey 2019年5月30日 16:22:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2414]

オーディオ・マエストロ 2009年9月記
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html


マルチチャンネルシステムの進歩発達が1970年あたりで止まった。

世のオーディオシステムの主流からゴトーユニットやYLが外れ、マルチシステムに適したJBLユニット群もやがて廃れていきました。


高城氏のオールホーンシステムはデジタルチャンネルフィルタで、やっとその本来の性能が発揮できるでしょう。

五味康祐に例を取るとまだモノラルだった1950年代末頃の芸術新潮にこんな話がでています。

高城さんの指導でコンクリートホーンを作ったが低音が全然でない、部屋の片隅のホーンの近くに行くと盛大な低音が聞こえるが普段聴く位置では出ない、こんな阿呆な話があるか、と。

___

高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなどほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。


部品定価表は壮観です。ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。


728B--12インチ---30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル


756A--10インチ---20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル


755A--8インチ---8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル


713C--トゥイータドライバー--25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル


KS-12027--ホーン--67.62ドル


702A-ネットワーク--97.46ドル


757A スピーカシステム  275.09ドル


JBLでは


D130--15インチ---25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル


途中機種は省略


175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜  --114ドル


N1200--ネットワーク--16Ω-33ドル


になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。


さて戦後マルチアンプという方式が登場してきました。LやCを使ってパワーアンプの出力信号を分離するのではなくパワーアンプに入る前に分けてしまう方法です。むろん戦前から知られていたやり方なのですが広く一般化されるのは第二次世界大戦の終結を待たねばならなかったのです。これは主としてアメリカで発達してきました。米マランツは1950年代にマルチチャンネルデバイダ-モデル3を発売していますし日本でも1960年代始めには「NF回路設計ブロック」社が製品化しました。これはGTソケットを利用したプラグイン型で周波数の変更はユニットの差し換え交換で行うものです。高名なオーディオ研究家、加藤秀夫氏などは1950年台半ばには自作オールホーンスピーカシステムをマルチアンプで駆動されていて来日したマッキントッシュ社のマッキントッシュ氏が驚嘆したことは有名な話であります。


ホーンスピーカをマルチアンプで駆動することはまことに理にかなったことです。ホーンスピーカはホーンで適切な負荷が掛かった帯域以外はできるだけ急峻に遮断することが大事ですから正確な遮断特性が得られにくいLCネットワークは問題を生じやすいのです。


1960年代半ばにはこの方式は絶頂期を迎えました。各社からチャンネルデバイダーアンプが発売され普通のステレオ電蓄にも搭載されたことがあります。それに伴い理論的にもいろいろ研究が進みました。なかでも山根/山中(当時、東京工大機械工学科の学生だった山中文吉氏のこと)論争は有名です。伝達関数1という命題を巡っての論争でした。デバイダで分けられた信号をスピーカで再生し、もとの波形に戻るかどうかという論争です。むろんLCネットワークでもこの問題は発生するのですが、もともといい加減で杜撰なカーブのLC型では論争の対象にすらならない論題でした。伝達関数は一素子の6dB型では1になりますがそれ以外ではなかなか難しいことで、特にホーン型スピーカでは諸問題を円満に満たすことが困難で、結局そのことは決着をみなかったのです。


さてマルチチャンネルアンプの究極の形はトリオサプリーム1アンプに見ることができます。プリアンプとデバイダアンプ、それに3組のパワーアンプを組み込んだ3チャンネルマルチアンプでした。音はともかくとしても形は秀逸で瀬川冬樹デザインの最高傑作だと考えます。私はトリオの営業所でボザークスピーカと組み合わせた音しかしりません。厚手のビロードカーテンで吸音された環境で能率が低いボザークですから幾らマルチアンプとはいえ出力不足でした。低中高それぞれ30W20W10Wですから仕方がありません。これと相性が良いと思われるJBLはサンスイが輸入していました。これは1967年発売ですが理念としてはこの時点でほとんどいきなり終着点が示されていたわけです。思想的にこれがなぜ到達点なのかは別項の一体型マルチチャンネルアンプの試作の稿でお話したいと思います。


当時はトリオに限らずソニーにはプリメンアンプTA-1120を中心として大規模なマルチシステムがありましたし、山水電気にも管球機CA303、BA303、BA202を組み合わせた大掛かりなシステムがあったほどです。でも問題は各社ともチャネルフィルタにありました。


チャンネルデバイダは大きく二つに分類されます。パッシブ型とアクティブ型です。


増幅部を持たないパッシブ型にはCR型とLC型があります。CR型は抵抗とコンデンサーだけで構成するもので遮断カーブはふつう6dBで、12dBが限度です。インダクタを用いたLC型では12dBになります。それを使うためにはプリアンプはできる限り低インピーダンスで低負荷に耐える強力なものが必要です。またパワーアンプはできれば500KΩ以上の入力インピーダンスが必要でしょう。つまり半導体プリアンプと真空管パワーアンプの組み合わせが適するのです。


遮断カーブを急峻にするとスピーカのためには良い場合が多く、また不要な音がかぶりにくいので好まれるのですが遮断点付近で鋭いピークが出やすいので一筋縄ではいきません。ピーク発生は負帰還型などのアクティブ形式だけの現象と思われがちですがそうではありません。LC型でも発生するのです。


増幅素子を使ったアクティブ形はCR型と負帰還を利用したNF型にわかれますがそれぞれに増幅素子に真空管と半導体を使ったものがあります。


1 CR型


真空管回路CR型は出力インピーダンスが低く入力インピーダンスが高いカソードフォロア回路などでCR回路を駆動するのですがこれを2つ重ねれば12dBカーブが得られます。どうようにこれを半導体に置き換えれば半導体形CR型デバイダになります。


2 NF型


真空管カソードホロア回路の信号ループ内に2素子で構成されたCRを入れると12dBカーブで急峻な遮断特性が得られます。またこれにパッシブ回路でCR素子を追加すると18dBカーブが実現できるので真空管を使用したチャンネルフィルターは主にこの形式を持つものが多く、古くはラックスやオーディオリサーチなどから発売されていました。


またトランジスタ回路ではエミッタフォロア回路内にCRを挿入し同様に12dBカーブや18dBカーブを持たせていました。


こういう構成をNF型というのですが遮断点近辺でピークが出やすくまた12dBカーブでの最大減衰量は素子自体の利得で決まるので真空管回路では問題が出やすいものでした。


さてアキュフェーズ社は連綿とマルチアンプ思想を受け継いでいてPA機器メーカ以外ではほとんど唯一といってよいものです。近年に至ってすべてデジタル処理したフィルターアンプを発売しています。デジタルフィルタこそマルチチャンネルアンプの理想でしょう。いかなるデジタル嫌いの人間でもデバイダーアンプに限っていえばデジタルを拒絶することは出来ません。


そのことはデバイダアンプを作ってその実体を見れば理解できることなのです。アナログ回路にとってフィルター回路は困難を極めた鬼門であり遮断特性は無論のこと低雑音低歪み高音質というオーディオアンプに求められる性能を満足させることが大変難しいのです。特にシンプルイズベストという命題は絶対に実現不可能でありマルチチャンネルシステムの進歩発達が1970年あたりで止まったことが納得できます。世のオーディオシステムの主流からゴトーユニットやYLが外れ、マルチシステムに適したJBLユニット群もやがて廃れていきました。今のオーディオ文化は自力でシステムを作り上げる、あるいはどこかに依頼して自分の理想のシステムを作り上げることをすっかり忘れているようで、かろうじてWE趣味にその残照があるのみです。


高城氏のオールホーンシステムはデジタルチャンネルフィルタで、やっとその本来の性能が発揮できるでしょう。またYLの、超大型ドライバを用いた8m、10mホーンは時間遅延が自由に設定できるデジタルフィルタでないとその片鱗すら垣間見ることは不可能です。それらの性能が十分に発揮できる今日それに適したユニットがないとはまことに皮肉なことで先人達の不幸に思いを馳せずに居られません。たとえば五味康祐に例を取るとまだモノラルだった1950年代末頃の芸術新潮にこんな話がでています。高城さんの指導でコンクリートホーンを作ったが低音が全然でない、部屋の片隅のホーンの近くに行くと盛大な低音が聞こえるが普段聴く位置では出ない、こんな阿呆な話があるか、と。また私が30年以上前にはじめて小倉の菅野邸で音を聞かせていただいた時、10mホーンから低音がまったく出ていないのです。菅野さんのお話では低音ホーンだけ鳴らすと凄い音がするが555や597を鳴らすと消えてしまうとのことでした。次にお伺いした時4181ウーハにされていましたが、イスの近くに置かれた4181は素晴らしく朗々とした音を響かせていたものです。低音は近くで鳴らした方が良いとも仰っていました。普通どの装置でも低音は少し早めに鳴らした方が良く、とりわけ長い低音ホーンを使った装置では中高音を低音ホーンの長さ分遅らせることが大事なのです。10mホーンでは1/34秒ほど遅らせないといけません。これは伝達関数以前の問題であります。このことを実現するにはデジタルチャンネルデバイダの出現を待つ以外に方法はありませんでした。


デジタル方式の利点は時間遅延の自由度のほかにカミソリで切るがごとき急峻な遮断特性が得られることに尽きます。伝達関数のことは実際の音響空間ではほとんど意味をなさないことかもしれません。


50年のあいだにオーデイオ文化が変化変質していくことは仕方がないでしょう。小林秀雄の指摘通り極限まで便利になり意識せずとも良い音が手に入る時代になると失うものが多いのでしょう。大事な視点を見落としていてもそれなりの音はでるものです。そういう思いに至ったのは最近ハートレーユニットをマルチアンプで鳴らすようになったためです。これは今までなにをやっていたのかと思う素晴らしさで1970年代中頃にマークレビンソンがHQDシステム(ハートレー、クワード、デッカ)を完成させ、これを自社のフラグシップシステムとしていたことが痛切に理解できました。それと併用するLNC-2チャンネルデバイダもたいそう魅力がありました。いかにも理想主義者マークレビンソンです。でも特性はそれなりのものでしょう。


さて今どきのオーディオマニアの楽しみ方の一つにケーブル交換があります。確かに本質的な改善も期待できますが単に音のバランスを変えるために大枚を注ぎ込んでされる方も多くて、なんと無駄なことかと思うことが多いものです。アンプ交換もそうでしょう。低音不足や高域の過剰感を修正するためだけにアンプを変えるかたも多いのです。本質的な改善ではなく単に音のバランスを変えるためにアンプを交換することくらい馬鹿げたことはありません。マルチアンプシステムはセンスがよいオーディオフアンが取り組むもので、アンプ交換100万円、ケーブル交換10万円くらいの変化はボリウム一つで簡単に出来るのです。反面で音楽や理論が良く分からない初心者が不用意に取り組むと無残なことになるでしょう。ここ30年ほどはマルチアンプシステムは下火でありますが、それはネコも杓子もマルチアンプに走った過去の反動でしょうか。グラフィックイコライザの活用も最近一部で見直されていますが本当に良いものは皆無だと言うことを肝に銘ずるべきです。グラフィックイコライザの使用はパワーアンプにとって大きな負担になることもあるので乱用はいけません。でも個人的には、音質にダメージを与えることは明らかですがチェロ社のパレットには別の意味で魅力があります。


デジタルデバイダを使うことが前提ですが、オーディオ趣味に法外な出費が掛かるいまこそオーディオ趣味の本質を取り戻すために再びマルチチャンネルアンプシステムに取り組むことをお勧めするのです。小林秀雄いうところの「歴史を取り戻す」取り組みの一つであることは間違いありません。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c69

[近代史02] 驚異の音質を誇ったエジソン式蓄音器が滅びた理由 中川隆
31. 中川隆[-9938] koaQ7Jey 2019年5月30日 16:25:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2415]
NHKの「美の壺」というテレビ番組で紹介されていましたからHMVロイヤルという機械式蓄音機を御存知の方も居られるでしょう。

クレデンザなどは下々のものでいわば大衆機、
HMV202や203こそがSP再生の極致である

とは某エンスージャストの言ですがロイヤルは203や202とは全く比較にならない名器だそうです。

英王室に一台、EMIに一台の世界にたった二つの品です。
そのどちらかが20年以上前に銀座某社経由で日本にもたらされ、五十嵐所蔵品になりました。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/495.html#c31

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
70. 中川隆[-9937] koaQ7Jey 2019年5月30日 16:34:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2416]
エソテリックの大間知社長のご意見に頷く。 2010年3月14日
http://ikki-ikki.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-680d.html


本日のミュージックバード「PCMジャズ喫茶」のゲストはエソテリックの代表取締役社長の大間知基彰さんでした。ご本人もかなりのオーディオ・マニアだそうです。

大間知さん、スピーカーはホーン一筋で、ゴトーユニットを使っていたそうです。この辺りはアキュフェーズの元社長の故春日二郎さんと同じですよね。その昔、ゴトーユニットは絶大な権威がありました。オーディオ評論家の故高城重躬さんが愛用していたことで有名ですよね。巨大な低音ホーンを天上に付けるのが流行ったりしました(笑)。で、アバンギャルドのスピーカーを輸入しているのはエソテリックです。ホーンスピーカー好きな大間知さんだからみたいです。寺島さんとはこのアバンギャルドのスピーカーを通して知り合いになったとのこと。

大間知さんはクラシックがお好きだそうで、ジャズはあまり聴かないとのことでした。まあ今回はクラシックも良しとすることになったみたいです。

大間知さんは最初オーディオから生のような音を出したいと思って奮闘したとか。生録を自分でやったりしたそうです。生録会に大型のテープデッキを持っていったこともあるそうで、これは tommy さんと同じですね(笑)。先日tommyさんが生録会のことをブログにUPしていましたよね。CDになってからは、CDは生とは別の独自のジャンルという時期があったそうですが、最近はやっぱい生に近い音を目指すようになったそうです。

オーディオ機器の音決めの大事なポイント(着眼点)3つ。

1.各楽器が明確な音色と質感でハーモニーを奏でる。
2.ステージ上の演奏者を実像としてとらえられる。
3.演奏家のパッションをどう感じられるか。
とのことでした。いや〜っ、なかなかこれは難しい要求ですよ。さすがは、高級オーディオ、エソテリックの社長さんです。

ジャズのリファレンス音源としても使っているというのが、ヘルゲ・リエン・トリオの『スパイラル・サークル』だそうで、《タイム・ファイブ》をかけました。この録音の良さは空気感がとらえられているところ。楽器のテクスチャーが大切だと言っていました。このCDはクラシック・ファンもよく聴いているらしいです。このCDは確かに良い音だと思います。

ここでアナログ(レコード)の音について興味深い発言がありました。

カートリッジ(針)を通して聴くとある種のハーモニクス成分がのってくるとのことで、これが音楽を美化するのに有効なのだとのことでした。でもこのレコードの音はマスターテープの音とは違うそうで、CDがマスターテープの音に近いんだそうです。CDをナチュラルな方向で良くするのがDSD(ダイレクト・ストリーム・デジタル)だとも言っていました。これには私も賛同できます。いや〜っ、さすがです。オカルト・オーディオとは一線を画するまともなことを言っていると思いましたよ。

オリジナル盤(レコード)の価値は、マスター・テープが劣化しないうちにレコード化した鮮度感と流通数が少ない希少感だと言っていました。これもごもっとも。マスター・テープさえ良ければ、LPモノ時代の録音は素晴らしいという話も。

ここでまたレコードの音について。

大間知さんは昔NHKへプレーヤーをたくさん納入したことがあるそうです。納入時には色々な試験をしたそうですが、周波数特性を測る時、16KHzなどの高音を録音したテストレコードを何度もかけてテストするんだそうで、10数回もかけると高音信号がどんどんなくなってしまうんだとか。なので、テストレコードを何枚も持っていったそうです。つまり何を意味するかと言えば、レコードに刻まれた高音は10回もかければ溝がつぶれてしまうということのようです。それでも音楽のレコードをかける場合は高音がなくなった感じがしないとのことで、上記のようにカートリッジでトレースするとある種のハーモニクス成分がのって、レコードから無くなった高音を補っているんだろうとのことでした。確かに良い音がすると言われる(特にMCカートリッジ)は高音に共振があったりします。私はこの話を聞いて、なるほどそれは理にかなっているんじゃないかと思いました。

1956年LPモノ時代に録音された『エラ&ルイ』のSACDモノ版は音が良いということで、「スタジオ録音でストレスのない解放感を出すのは難しいのだけれど、この録音は音のストレスがない。スッピンを聴いてみよう。ひっかかりが心にうったえかけるのを喜ぶ人もいるが、そうではないもの。」と言いつつ、《アラバマに星おちて》をかけました。かけた後で大間知さんは「エラとルイのパッションを変にいじっていない。二人の存在感が圧倒的。」と言っていました。確かにそういう音でした。私、この音には正直参りました。

次もテストに使うCDでミシェル・ペトルチアーニ・トリオ(俗に言う赤ペト盤)の《酒とバラの日々》をかけました。大間知さんは「素晴らしい録音と演奏。ストレートな音と響き。音に品位がある。フランス人のエスプリ。」と言っていました。確かにその通りだと思いました。

ここで岩浪さんがNYのヴィレッジ・ヴァンガードでペトルチアーニのライブを見た時の話をしました。抱かれてきて椅子に座ったペトルチアーニは、一旦ピアノに向かうと集中して我を忘れて弾き、感情が伝わってくるという話でした。それを聴いた寺島さんは「ペトルチアーニの奇異な感じがダメ。」と言っていました。高野 雲さんが「PCMジャズ喫茶」にゲスト出演した時にペトルチアーニをかけたら、「神格化されているからダメ。」とか言っていたんですが、根本は「ハンデを克服しての奇跡の演奏。」みたいなのがダメということのようです。結局音楽以外のことで好き/嫌い(笑)。

次はクラシックの話になります。

エソテリック(ティアック)でアバンギャルドのスピーカーを輸入しているというのは前述しましたが、タンノイもティアックで輸入しています。そうか、タンノイもホーン型スピーカーでした。タンノイ愛好者の私としてはここでまた大間知さんに親近感が湧いてしまいました(笑)。

大間知さんはオーディオ評論家の故五味康祐さんのところでタンノイ(オートグラフ)を聴いて感動し、この良さを世間に知らしめたいということで、タンノイを輸入するようになったとのことでした。五味さんからは音楽が大事でそれ(いい演奏)を聴かないとダメだと教えられたそうです。何枚も持っていてもしょうがなく、いい演奏が100枚あれば十分だと言っていたそうです。この話を聴いてちょっと耳が痛い私でした。なにしろ物欲に任せてたくさんCDやレコードを持っていますからね(笑)。

大間知さんは最近ソフト作りに熱心で、過去の遺産を掘り起こして音の良いCDを作っているそうです。マスター・テープが良くて素晴らしい演奏が残っている1960年代の英デッカ(DECCA)の高音質CD化をしているんだとか。で、英デッカのリマスタリングで 『二ーベリングの指輪』 を作ったそうです。CD14枚+DVD1枚。ブックレットを入れて¥58,000。1000部限定販売で1か月で完売。オーディオ店だけに置いて、ソフトの人にもオーディオ店に来てもらうようにしたんだとか。

このCDは音を良くするためにオーソドックスなことをやったそうです。マスター・テープの良いやつを使いたいからと、まずはデッカに要請。JVCのエンジニア根本さんを説得してスタジオにD/Aコンバータ、ルビジウムクロック、エソテリックのケーブルなどを持ち込んで、電源状態の良い日曜日にリマスタリングしたんだとか。寺島さんは「ジャズでもやってみたいのでお願いします。今度出す『ベスト・オブ・ジャズバー』でやりたい。」なんて言っていました(笑)。大間知さんは「考え方が合えば。」というような返事でした。

「CDは素材を良くするのもあるが、(マスタリング時の)伝送系をよくするのもある。」とのことでした。上記のリマスターCDは海外のエンジニアが驚いているんだそうですよ。

現在エソテリックは海外で売れているなんて話も。海外での日本製品の評価はデジタル機器に対して抜群に高いんだとか。

ここでそのCDをかけることに。
ショルティ指揮ウイーン・フィルハーモニー・オーケストラで《第3幕、神々の黄昏、ジークフリートの葬送行進曲》のオケの部分だけ。「エネルギッシュ、パッション、濃密感を聴いてほしい。」とのことでした。聴いた後で寺島さんも「素晴らしいですね。聴きやすい部分もある。」と言っていましたよ。この部分は確かに躍動的で迫力があり楽しく聴けました。

世界には「ワグネリアン」というワーグナーの熱狂的なファンがいて協会もあるんだそうですね。ワーグナーは麻薬的とも言われるんだそうです。岩浪さんからこの話が出ました。さすがは岩浪さんです。

最後はボーカルものオーディオ・チェックCD。シャーリー・ホーンの黒人特有の声の粘りをチェックするとのことでした。ここでいつもの寺島さんの黒人女性ボーカル嫌い話が出てきましたよ(笑)。このCDはハモニカとギターとか色々な楽器が出てくるので、そこもチェック・ポイントだそうです。寺島さんが好きな曲《ビューテイフル・ラブ》(アルバム・タイトルは不明)をかけました。大間知さんによるとストレスを感じないほぐれた音。確かにそういう音でした。

今回は大間知さんのまっとうなオーディオ話に頷きながら番組を聴いていました。
さすがはエソテリックの社長さん。
今68歳なんだそうですが、この方もやっぱり凄くお元気なのでありました。

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c70

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
71. 中川隆[-9936] koaQ7Jey 2019年5月30日 16:48:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2417]

オーディオマニアの喜び(一)五味康祐 1968年
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56197314.html


これまで私の体験したことが,オーディオに関心をもつ,若い人たちの参考になればとおもう ―

 私がはじめてステレオを聴いたのは十年前で,銀座の日本楽器店でテレフンケンS8型を購入した時である。百二十万円だった。プレーヤーはノイマン,カートリッジは同じくノイマンDST。SW・AM・FMの聴けるコンソール型で,べつに2トラックのテープレコーダーが附いていた。

 当時のことだから,無論,ステレオテープやディスクは海外品に俟たねばならない。さて聴いてみると,これが意外に音が悪い。というより,聴くに耐えない。そのくせレコードで放送されるのを聴けば ―むろん当時のFMでモノーラルだが ―わが家自慢の,高城重躬先生設計になるコンクリートホーンの音よりいいのである。私だけがそう思うのではなくて,誰に聴かせても問題にならないという。ホーンの開口部は約二メートル平方,ジムラン15インチのウーファー二個を,当時としては珍しいマルチアンプで鳴らしていた。スコーカーは同じく開口部約一メートルのホーン型で,トゥイーターにはワーフデールと,タンノイ・モニター15の高音部を併用した。アンプは高城先生に作ってもらった。

 そんな大仕掛けで聴くのと同じレコードを,FMで受信したら,テレフンケンの音質が数段すぐれた繊細さと,つやと,ふうわりした低音をひびかせる。あっ気にとられた。

 私は高城さんに,どうしてFMは音がいいのですかと尋ねた。NHKで,どんな悪いカートリッジでレコードを放送しているかを,当時私は知っていたからだ。しかし高城さんは確答されず,S8型でステレオを聴いてもらった時も黙ってられた。

 しかるにその後,”週刊朝日”の座談会で高城氏は「外国製ならいいとまだ思っている人がいる。或る小説家は百万円も出してテレフンケンを買いましたが,あの半分はキャビネット代ですね,飾り家具みたいなもの・・・・だいたいコンソール型で,いい音は鳴りませんよ」そんな意味のことを言われていた。

 たしかに,ステレオの音は悪いのだからお説の通りかも知れないが,しかし,FMで聴く限り,理想的なコンクリートホーンよりテレフンケンは音がいいのはどういうわけか。S8型は,トゥイーターが四個,スコーカー同じく四個,ウーファーは一個で,今でいう3D方式の変形だろうかとも思う。私はシロウトだから,もしかすればノイマンのカートリッジが悪いかとおもい,当時高城氏ご推薦のオルトフォンを接続してみた。やっぱり駄目であった。スピーカーが悪いのかとおもい,タンノイ二個を別のキャビネットに組んで鳴らしたが,駄目。ではアンプかと,リークのステレオ用に接続したが,やはり駄目。ステレオできこえるというだけで,到底,FMを受信した ―それをテープに録音した ―モノーラルの張りのある美しさ,輝きにも及ばない。私はあきらめ,以来S8型ではFMを聴くことだけに満足した。

 ところがその後,本誌でも述べたようにハンブルクでサバ(SABA)を買い,ロンドンへ渡ってデコラを聴いて驚倒し,タンノイのオートグラフと,テレフンケン・オッパス(OPUS)を買った。オートグラフをクワードで鳴らした時はじめて,ステレオ感なるものを味わったが,これは大事なことだ。今もってだがテレフンケンで満喫したあの,FMの輝くばかりな音の美しさを私は自分のものにしていない。

 FMで,ステレオが受信できるようになって,ずいぶん多くのチューナーを聴いている。はじめはサバで聴き,それからオッパスを聴き,クワードのチューナーをきき,ハーマンカードン1000,グルンディッヒRT50,トリオFX6A,ダイナコ,ラックスWZ30,ソニーST5000,マランツ10B・・・・ほぼ,各メーカーの製品で最高といわれるものを聴いている。OPUS以外はアンプに適不適もあろうかと考え,クワード,アコースティックUおよびTA,ナショナル・テクニクス10A,40A,デッカ・デコラセパレート,マランツ7Tおよび8B,ジムランSG520ならびにSE400S,マッキントッシュC22にMC275・・・・ほぼこれも各社の最高のアンプにそれぞれつないで聴いた。マランツのチューナーは三十八万円という,べらぼうな値段だが,さすがに,精巧で音質は群を抜いているようだ。ただし東京で聴くためには,受信周波数を変更せねばならず,私のはナショナルのオーディオ技術部がいじってくれたもので,「自信をもって直しました」というが,完璧かどうか分らない。10Bにはオシロスコープがついていて,そのセンターにチューニングのポイントを合わすようになっているが,アンプ温度の上昇につれて比奴,移動するからである。多少の移動は,不可避としても少々ひどい。それでも,ソニーの5000と比較すると低音域ののびといい,高音のつやといい問題にならないので,目下はマランツで聴いている。エンクロージァの問題もあろうが,アンプはマッキントッシュが合うように思う。

 ただ,プリの方は,どうかするとJBLのグラフィック・コントローラーにつないだほうが音にひろがりがあり,臨場感にまさるようだ。又おもしろいことにJBLのプリとメインできくより,プリをC22にしてメインだけをSE400Sにきりかえると,琴の合奏など一層ナマの音にちかくなる。

 これは読者諸君に知ってもらいたいのだが,だいたい,タンノイには石より真空管アンプが相性がよいと,一般に言われてきた。瀬川氏なども本誌上でこの点を力説している。瀬川君はタンノイを,どんなエンクロージァにおさめて聴いたんだろう。奈良に,マランツの球アンプを愛用しているNさんという,音にうるさい御仁がいる。N氏はアルテックで聴いている。が瀬川氏によればアルテックにもジムランは合わないそうだ。ところが拙宅のSE400Sを持参して,N氏のマランツ7型プリにつないだら低域ののびや,音の解像力は信じられぬくらいよくなった。拙宅で,7Tにつないだ時もそうだった。マランツのプリにはマランツのメインが一番いいはずと思っていたのが,必ずしもそうではなかったのである。

 むろんこれは,むしろスピーカー・エンクロージァに原因が(もしくは欠陥が)ある為かともおもう。私はけっしてジムランのSE400Sをマランツよりすぐれているとは言わない。石らしくない音のやわらかさと,低域の重厚なのびでは私の知る限り,アコースティックTAが最高だった。しかしTAにも不満があり,ダイナミックレンジに不足する。岡俊雄さん宅で,AR3で聴いたときは気にならなかったが,うちのオートグラフで他のアンプと聴き較べるとダイナミックスの迫力に欠けるのである。それに音の像が,ぼやける。この点ジムランは,分解能とダイナミズムで一頭地を抜いていた。瀬川君のお説の通りだった。だから一度瀬川家のスピーカーシステムで聴いてみないと,本当のジムランのよさは分からない。ただ,瀬川家の試聴室は六畳ぐらいだそうなので,そういう狭い部屋で音のかたちやプレゼンスを,真に識別できようとは ―大がかりなシステムであればあるほど ―私は疑問に思うのである。ジムランのパラゴンを六畳の部屋で聴いたことがあるが(マッキントッシュC22とMC275で)いやな音だった。

 私は,市販された限りにおいて,国産と輸入を問わず,いちおう名のある製品は聴いてきた。本誌あたりがとりあげるもので,聴いてないのはCMラボぐらいだろうか。マッテスはテレビ音響の試聴室で何度か聴かせてもらった。あの試聴室にはうちのと同じオートグラフが据えてあるが,耳を疑いたくなるほど悪い音で,部屋の条件が音質を左右するあんな悲惨な例は,パラゴン以来である。

 これは部屋のせいだろうと思う。われわれが知っている以上に,音は部屋がつくる。スピーカーやアンプではない。そして一つの部屋で,たとえばジムランのアンプにかえて音がわるくなれば,ジムランが悪いのだ。逆にジムランに代えてよくなったら,部屋の(又は音質の)諸条件にマッチしたそのジムランはいいとしかぼくらは言いようがないだろう。誤解をまねくかも知れないが,身銭を切って買い,自分の住んでいる部屋で聴いて,よくないパーツを客観的に(あるいは特性の上で)いいはずだなどと言ってみてもはじまるまい。イニシァティブは,聴くわれわれ自身にある。またタンノイやローサ―がそのエンクロージァにどれほど音質を左右されるかをぼくらは知っているが,今や部屋全体もあきらかに一個のエンクロージァと看做すべきだろう。おもしろいことに,あれほど音の悪かったテレフンケンS8型を,一個のスピーカーエンクロージャとみなして最近,マッキントッシュで鳴らしてみたが,その音のいいのに一驚した。どうかすればオートグラフより音にリアリティがある。高城氏は値段の半分は箱代だと言われたが,たしかにオートグラフだって箱代だけで六十万円はするのだ。いかに高城氏がスピーカーエンクロージャには(つまり音づくりについて)アマチュアだったかを知り,私は笑ってしまったが,音というのはそれぐらいコワイものだ。

 諸君が,スピーカーを,アンプやカートリッジを変えれば音がよくなると期待する気持は痛いほどわかる。私自身が,そうして一応かえられるだけのものは世評のよいものに変えてきた。その私が老婆心で言う。客観的に,およそ,最高のパーツなどはあり得ない。

 高城さんのお宅で自慢のホーンの音を幾度か私は聴いている。たしかに歪のない,スケールの大きな重低音をきくことが出来る。だが進呈するといわれたら私はことわるだろう。これは私一個の好みではなくて,奈良のN氏も同様の意見だった。「評判倒れで失望しました」N氏は試聴のあと,悲しそうにつぶやいた。高城先生を私は譏るつもりは毛頭ない。何処かにこれこそと唸るような素晴らしいステレオが鳴ってくれていることをわれわれは期待し,夢想してきた,その期待が高城家で裏切られたということだけの話である。

 では高城先生の音の,どこが気にくわなかったか?

 一言でいえば,音は鳴っているが楽器がない。その位置が明らかでない。人声をきくと一層これは明瞭で,たしかにソプラノを聴いても,バスをきいても倍音の余分な音をともなわずナチュラルな感じで鳴る。藤原義江氏の言葉ではないが,「トゥイーターとかいうやつは,シャ,シィ,シュ,シェ,ショとしか唄わん」ような悪声ではない。併し歌手がいない。高城家のあのリスニングルームで,どこからともなく空間いっぱいに,バリトンや,ソプラノのアリアがきこえているだけだ。声を出す人間 ―歌手の貌がない。姿がない。化け物である。これを私はと称する。
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56197314.html


オーディオマニアの喜び(二)五味康祐
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56197334.html


オーケストラも同様だった。各楽器群が,とりわけティンパニィが,凄まじい迫力をきかせるが,ティンパニィがうまく鳴れば交響曲を理解できうると思える人は仕合せである。それにティンパニィや大太鼓はオーケストラの当然後方上段に置かれている。うしろで轟かねばならないのに高城先生宅ではその位置不明で,突如として,いかにも皮を敲く音だけがとび出してくる。

 或る意味で,これは高城氏の責任ではなく,2トラックで立体感を出そうというステレオの致命的欠陥かもわからない。或いはマルチアンプシステムの,又はトランジスターアンプの欠陥かも。或る人の説では,スピーカーの指向性を排除しようとすればどうしてもそうなると言うことだった。つまり無指向性を企図すると楽器の定位はくずれるらしい。が,果してそれだけの理由で,正体不明の音になるのかどうか,シロウトの私には分からない。

 私自身は,今は音質そのものより音像に心ひかれる。本誌で今度特集しているマルチアンプシステムへの諸段階を,私も試聴してみた。たしかに,全域のスピーカーで鳴らすよりは,トゥイーター,スコーカーを加える方が音の歯切れはよくなった。交響曲でたとえると,部分的に,トゥイーターをつけた方が第一ヴァイオリンの音抜けはいい。ウーファーを加えた方が低弦の延びはいい。だがその代り,各楽器群はそれぞれ音の自己主張をやりだし,指揮者はいなくなってしまう。何のために指揮者はタクトを振るのか。ひっきょうは音の統一と,調和を欲するからだろう。音楽のハーモニィとはそういうものだろう。音楽を鑑賞するのに(ことにクラシックの場合)音の統一を失っては演奏とはいえまい。ピアノソナタでも同様で,3ウェイにしたら音質そのものは良くなろうが,極言すれば右手はスタインウェイを,左手はヤマハをたたいている。単体のスピーカーなら,音質は多少劣っても同じピアノを弾いている。

 くり返すが,そんな,或る部分の音の良さで再生装置が改良されたと思い込むのは,早計だと私は言いたいのである。ティンパニィがうまく鳴れば,ティンパニィのよくきこえるレコードばかりを集めたくなるのは人情だ。音楽鑑賞の本質から,それが,どれほど君自身を毒して行くかを言っておきたい。一応市販されるものの最高のチューナーや,アンプや,エンクロージァを買い揃え,いろいろ日数をかけて聴きくらべた私のこれは実感だ。マッキントッシュは確かにいい。その良さはジムランにもマランツにもクワードにも求められない。しかし同時に,それだけの良さに比肩する別な美点をジムランはもっている。マランツはもっている。クワードが更にはサンスイのAU777さえがもっている。あなたがサンスイをマッキントッシュにかえたところで,あなた自身が享受する音質向上は,音楽そのもの,曲そのものの感銘に較べればわずかなものだ。ステレオ雑誌の宣伝文や広告にまぎらわされてはならない。一応の水準で鳴っているなら,装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ,名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して,これを言う。コンクリートホーンでオルガンの重低音やペダルの音がなまなましく聴こえれば嬉しくなって,オルガンばかり鳴らしたくなる。人に聴かせたくなる。あげくの果ては,台風で物干し台のこわれる音など録音して随喜する。高城先生への皮肉ではない。私自身が同じコンクリートホーンで,そういう音に狂喜したアホウさを体験したから言うのである。

 オーディオの世界は,アンプやスピーカーシステムをアテにして語られるべきものではない。生活するあなた自身が,日常生きているその場で論じるべきものだ。音色を支配するのはパーツではなく,あなたの生活だ。部屋だ。経済的余裕ができれば,広いリスニングルームを建てればよい。そこで初めて,その部屋にふさわしいパーツが見出されるであろう。

 オーディオマニアの喜びは,遂に,生活している場所にふさわしい音楽美をつくり出す所にある。コンクリートホーンでなければ低音が出ないなどとウソぶくやからは,度し難い偏執狂だ。私は断言するが,高城家のオールホーンの音より,私の家のタンノイオートグラフより,あなたの部屋の音楽がつまらないなどということは,絶対にあるわけがない。アンプは国産だろうと単体スピーカーであろうと,あなたがその装置で音楽を聴き込んでいる限り,他人のどんな装置よりもあなたには,大切なはずだ。その大切さがあなたの内面に音楽を生む。

                     
▲△▽▼


【ジャズ・ヒロシの感想】

 五味康祐氏が書いた「オーディオマニアの喜び」という記事は,ステレオサウンド第六号に掲載されたものである。

 五味氏がテレフンケンS8型を購入したのは,10年前というから,1958年のことになる。

 テレフンケンS8型を120万円を出して購入したと書かれているが,昭和33年のことだから,当時の金額としてはかなりのもの,高級品だったのだろう。

 五味氏の芥川賞受賞が,昭和28年のようだから,もうその頃は,人気作家として多額の印税が入っていたものと思われる。そうでないと,買えない代物だ。

 だから,最高級のアンプやSPなどゲットするという,オーディオ三昧の生活でもあったのだろう。

 しかし,オーディオは最高級のものを揃えたからといって,いい音を求めれば,これでいい,これで終わりということのない,きりのない世界で,それなりの悩みというか苦悩というか,音に対する不満が伴うという,正にオーディオ地獄だともいわれている。

 ここに書かれている五味氏のオーディオに関する内容は,そんな経験なくして言えないことを覗わせる。

 五味氏によれば,テレフンケンS8型の音は悪く,聴くに耐えないが,FM放送だけは,高城氏設計のコンクリートホーンより音がいいという。

 五味氏とはレベルが違うけれども,私が最初に国産としては高級の部類に属するコンポを揃えたときに,FM放送の方が音がいいと思った。

 しかも,チューナーはソニーのST5150という普及品で,アンテナはチューナーに付属するオマケ(とりあえず受信できる)のようなものだった。

 当時は,オーディオにズブのシロウトだったし,オーディオの友人からは,FMの帯域は,50Hz〜15,000Hzしかないから・・・・みたいにいわれたこともあって,FMの音についてどうこうといいにくかった気がしていた。

 これは私の推測だが,ⅬP再生の最大の要は,ハウリングにある。ハウリング・マージンという言葉があるが,盤を回さないで針をレコードの上に乗せ,アンプのボリュームを上げていき,ハウリングが起きないところまでが,そのマージンだというわけである。

 しかし,現実はリアルタイムに音を出しているわけだから,そのマージン内においてもその影響は少しはあるのではないかと思っている。

 したがって,ⅬP再生する限り,その影響から逃れるのは難しいが,その心配のないFM放送は,それだけクリアとなるので,音がいいと思われるのではないか。

 まして,テレフンケンS8型のようなコンソール型は,その点,全く不利となると思われる。

 しかしあの岩崎千明氏はパラゴンの上にマイクロのターンテーブルを載せていたようだが,このような例外もあるから,オーディオは難しい。

 FM放送のレンジが狭いといっても,長岡鉄男氏によれば,ⅬPで20K以上伸びているものは少なく,大抵は15Kあたりで下降しているといっているし,下だって50までとはいうけれど,20とか30あたりがフラットになる市販のSPだって殆どないんじゃなかろうか。だいいちそんな低音が出ていたら,家のどこかが振動してしょうがなくなるのではなかろうか。

 というわけで,5素子くらいの本格的FMアンテナと高級チューナーがあれば,ナマ放送は勿論のこと,レコード(今はデジタルか?)の放送でもいい音で聴けると思う。

 さて,「われわれが知っている以上に,音は部屋がつくる。スピーカーやアンプではない。」といっているが,これは私の経験上もそうだと思う。アバウトでいうと,半々(機器50%,部屋50%)じゃないかと思う。

 よくステレオサウンドで,菅野氏がオーディオ好きの家を訪問し何種類かのSPを聴いて,どのSPも家人の好みの音になっているというようなことを言っているが,部屋が同じならば,音は似てくるんじゃないかと邪推しているのだが・・・・

 ところで,記事にある高城重躬氏のコンクリートホーンのことだけど,もう30年くらい前のことだが,都立大附近を歩いていたら,偶然屋根の部分にそのホーンの外形のある家を見つけたことがあった。一般の人が見たら,なんじゃコリャ?となるでしょうね(笑)。

 ところで,音楽は好きだけど,オーディオには興味ないという向きもあろうかと思う。私もオーディオに目覚める前は,全く興味がなかった。

 その頃は,中高生の時で,近所のおじさんのステレオでクラシックに目覚め,我が家にもとねだりステレオを買ってもらった。バイトで稼いだ金でショルティ,ウイーン・フィルによるワグナーの楽劇「ジークフリート」を買った。しかし後年本格オーディオを聴いて分かったことだが,冒頭のティンパニィが奏する弱音のトレモロがおじさんのステレオでも我が家のステレオでも聴こえなかった。そういうプアなステレオでクラシックを聴いて,それなりに分かったと思ってるんだから,何ともいいようがありません。

 これは音がいい悪い以前の問題かもしれませんが,その頃はそれなりに音楽を楽しみ,音がどうのということは全く考えていなかった,意識していなかった。このままオーディオに興味を示さずに,音楽を聴いてきたとなれば,音楽を一人よがりの間違った理解で済ませてしまったかもしれない。

 まあ,あの頃はステレオといったって,ターゲットは多数派の昭和歌謡層で,クラシックを聴く層なんぞ意識していなかったのだろうし,まして造る方もクラシックの素養があったかどうか疑わしい(笑)。

 しかし,現代はそういうプアな音を聴かせる機器はないんだろうね。よくわかりませんが(笑)。

 まあ,人間の耳だって,出ている音なのに気がつかないということだってあるわけですから,どちらでもいいのかも知れません(笑)。

 さて,「音は鳴っているが楽器がない。」という話があるが,これはかなり高度なことなのかもしれない。

 昔はよく音像型と音場型というSPの分類をしていた。この分類によれば,それは前者なのかも知れないが,そういう問題ではないのかも知れない。

 声楽(声も楽器)でいうと,口から出る音だけが声ではなく,体全体で響いてくる音が声としての楽器であり,それとともに,そこで歌われているステージ感というようなものが感じられる(臨場感)のが理想だと思うのだが,オーディオ再生でそれが実現できているのかどうか,よくわからない。

 また,私がナマのオケで聴いた印象は,楽器の定位は分からなかった。定位というのは,オーディオに固有のことなのかも知れない。虫の音だって定位は分からない。それが分かれば,虫を捕まえることができるだろう。

 五味氏は「あなたがサンスイをマッキントッシュにかえたところで,あなた自身が享受する音質向上は,音楽そのもの,曲そのものの感銘に較べればわずかなものだ。」という件以下最後まで,自身のアホウさとその戒めを込め,読者に訴えている。

 その中で「オーディオマニアの喜びは,遂に,生活している場所にふさわしい音楽美をつくり出す所にある。」というのが,このエッセイのテーマへの回答だが,それには音響機器の使いこなしや音楽的素養が求められるのだろう。

 その努力の結果,音楽美が少しづつつくり出され,それは「他人のどんな装置よりも」自分自身にとって大切なものとなり,「その大切さがあなたの内面に」あらたな音楽の発見を生む,ということなのだろう。
https://blogs.yahoo.co.jp/jazz_hiroshi_classic/56197334.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c71

[近代史3] 多文化共生は大量殺人を引き起こす 中川隆
3. 中川隆[-9935] koaQ7Jey 2019年5月30日 18:25:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2418]
英国:白人少女誘拐を警察が放置→パキスタン系ムスリムの性奴隷として12年間暮らし8回の中絶。2019年05月29日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html

同化する気もなく、増えすぎたか食い詰めた挙句に新天地を求めただけの移民は、地球市民脳でイカれた国を選び、場所と権利を確保した後は本性を現し受入国民を迫害し始めます。

責任は外国人移民ではなく、安易に受け入れて好き勝手させた受入れ国にあると思います。

少し長いですが、寄生虫に蝕まれた国がどうなるか、1つの実例を紹介します。


監禁されパキスタン系ムスリムの性奴隷12年間、中絶8回

イギリスの白人少女Sarah(セーラ)、結婚して数分も経たないうちに30分前に初めて見た夫からレイプされました。殴られた痣を隠すためにヒジャブを被ることを余儀なくされました。


(ロンドン近郊のテラスハウス・モスクのイマーム立ち合いで行われた2度目の結婚式の写真)

セーラはある秋の午後、郊外のTESCO(テスコ)駐車場で拉致され、性奴隷にされるためにギャングメンバーの一員と結婚させられたのです。彼女の監禁は12年間に及びました。

拉致された当時、彼女は内気な15歳、ボーイフレンドがいたことはなく、助産師を目指すカレッジの学生でした。

セーラの話を取り上げたのは貴族院の中立議員、Caroline Cox男爵夫人で、彼女は「私はセーラと彼女の家族を知っています。すべてのセックスグルーミング事件は酷いです。しかし、彼女の誘拐の長さと残酷さは、私の知る中で最悪のケースです。」と述べています。

セーラへの虐待は、警察が彼女の家族からの必死の捜索嘆願を無視する中進行しました。警察はセーラを行方不明者リストに載せることすら拒否したのです。

家族は自分たちだけで彼女の行方を探さざるを得ませんでした。

2010年にDailyMailがグルーミングギャングを暴露する5年前にセーラは拉致されたのです。

拉致された当時はすべてがポリティカル・コレクトネス文化で充満しており、たいていがパキスタン系のそれらギャングを捜査したり追い詰めたりすれば、警察がレイシストと呼ばれるので、それを恐れた警察が彼ら(移民)ギャングを見ても知らないふりをしたのです。

このような呆れた背景の中、彼女の両親は必死になって娘を探す戦いをしたのです。

誘拐犯たちは冷酷で、彼女が彼らに依存するように仕向けました。彼らはセーラを様々な家に隠し、携帯電話やパソコンに触らせることも禁じて外部の世界から遮断しました。

セーラは言いなりになるよう、毎日レイプされ、殴られ、強い鎮静剤を強引に飲まされました。

この苦難の間に彼女は8回中絶しました。

5回はNHS(英国国民健康保険制度)病院の同じ医師で、3回は違法クリニックでした。

彼女はアラビア語のコーランを学ばされ、パキスタンの言語であるウルドゥー語かパンジャブ語でのみ話すことを許可されました。

彼女はイスラムのヒジャブ着用を強要され、料理、掃除、アイロンがけを毎日何時間もさせられました。

昨年(2017年のこと)、26歳になったセーラはギャングから逃げ出しました。

同年、警察などが用意した秘密の家で彼女が最初のインタビューに応じ、「ティーンエイジャーから今日まで、私はギャングに支配された生活しか知りませんでした。」と述べています。

長年の拘禁中、彼女は生き抜くためにギャングたちに協力しなければいけないと感じるストックホルムシンドロームの被害者になったと話しました。ギャングリーダー(ここでは Jerry【ジェリー】と呼びます)と親密な関係になりました。

セーラはこう説明します。「ジェリーがいつも私を愛しているというので、私は彼が私を愛しているのだと考えるようになりました。彼は私の両親は私のことなど気にしていないと言いました。なぜならイギリスの家庭は娘の面倒をパキスタンのムスリムのように見ないからだそうです。」

「私はすぐに彼がいないと呼吸もできないと感じました。私の心はねじれていきました。食事、衣服、住むところ、すべて彼に依存していました。ジェリーは、私が家族に自分がどこにいて何が起きたのかを伝えようとしたら私の家族は殺されるだろうと言いました。」

セーラのおぞましい物語は2005年の秋に始まりました。

彼女は4人兄弟の一番下で、父親は建築業者、母親は主婦です。

法律上の縛りと彼女の安全を守るために、彼女の本名や身元、どこで誘拐されたか、どこに監禁されていたか、今どこに住んでいるかはお伝え出来ません。

ある午後カレッジの授業が終わり、彼女は家から数分のテスコ食料店へ歩いていきました。彼女の携帯電話が鳴ったので応答したところ、北部訛りの男の声で、彼女を今見ていて渡したいものがあるから、テスコ駐車場に停まっている黒い車まで来るように言いました。

彼女は世間知らずにも助手席のドアに行きました。セーラにとって永遠の後悔です。

30代半ばの、先ほどと同じ北部訛りの男がドアを開け彼女に乗るように言いました。

セーラは男が何を自分に渡したがっているのかを聞くために前部座席に座りました。

男は直ちに車を発進させました。

これより数日前に彼女は兄と一緒にテイクアウトのハンバーガーを持ち帰るため小型タクシーを使いましたが、乗り込むときに黒い車の中にいた黒髪の男が彼女をじっと見ていたことに気付きました。

その小型タクシー会社にはジェリーの友人が働いており、セーラが予約時に自分の携帯電話番号をタクシー会社に知らせていました。

彼女は今では、ジェリーが小型タクシーに乗り込む彼女を見かけ、タクシー会社の友人から彼女の携帯電話番号を聞き出したと考えています。

スピード違反で走る中、ジェリーは彼女に手を置き彼女の面倒を見るつもりだと言いました。彼女は恐れおののき自分の家族が半狂乱になると言いましたが、無駄でした。

30分ほど走って工業団地に隣接する家に到着しました。彼は彼女に携帯電話を渡すように言い、彼女が渡したところSIMカードを取り出して真っ二つに割ってしまいました。

「彼は私を家に入れ、たくさんのパキスタン人の男たちがいる広間を抜け、ベッドがありカーテンが貼り付けられた2階の小さな物置部屋に閉じ込めました。」

最初の24時間は数回のジェリーの訪問以外1人でした。彼はペットボトルの水とカレーを持ってきて、彼女はそれを手で食べました。

「階下からは男たちの声が聞こえました。今では彼らが全員ジェリーの友人と親族で薬物取引ギャングの構成員だと知っています。」

2日目の夜ジェリーに初めてレイプされました。

「彼から離れようとし恐ろしくてびくびくしていました。終わった時、私は怒りと汚れと嫌悪感を覚えました。」

ジェリーはセーラへの暴行時に、彼女のような低いモラルを持つ白人少女が属するどん底から助けてやったんだと言いました。

英国内裁判所の至る所で明らかにされたように、これはセックスギャングが狙った少女に言うお決まりの呪文です。

物置部屋で過ごして7日過ぎた時、玄関での小競り合いが聞こえました。

彼女はその声が、彼女を探している兄のものだとわかりました。

彼は小型タクシー会社でジェリーの居所を突き止め、セーラを追ってきたことが後でわかりました。

兄はドアを強くたたき、ドアが開くと中に「僕の妹がいるだろう?」と叫びました。

大混乱になりました、ジェリーは兄を追い出し、2階はプライベートだと言って階段を上らせませんでした。

ギャングが怖くて近隣住民は兄を助けようとしませんでした。

また、セーラも、以前ギャングから家族に居場所を伝えたら家族に危害を加えると言われていたため、怖くて声をあげられませんでした。

彼女は、兄に危害を加えさせないためあえて叫ばなかったと認めています。

Sky TVの最近の調査で、Telfordのセックスグルーミング事件でも少女たちが同様の手口(家族に危害を加えられたくなかったら黙っていろ)で沈黙を強いられていたことがわかっています。(Telford事件:40年にも渡って続いてきたセックスグルーミングギャング事件で、被害者は1000人とも)

番組内で頭に銃を突きつけられてレイプされた被害少女のインタビューがありますが、100人の違う男からレイプされたと述べ、ギャングたちは彼女に、誰かに喋ったら家を爆破する、パパを殺す、ママを殺す、ママもレイプする、と言ったそうです。

兄の訪問後、両親が警察に通報し、あの家にセアラが拉致されているようだと言ったにもかかわらず、何も起きませんでした。

いずれにせよ、セーラの誘拐犯たちは一歩先を進んでいました。「兄が来た翌日、ジェリーは引っ越すと言いました。警察は私を探しに来てくれませんでした。そして私は別の場所に連れていかれてしまいました。」

そこで、彼女はイスラム風の長い衣装とヒジャブを与えられ、テスコに着て行っていた西洋風の服、ジーンズとTシャツは取り上げられました。そしてまた2階の家具の無い部屋に入れられました。

毎朝3時間、彼女はギャングのためにカレーを料理し、掃除をし、アイロンをかけなくてはいけませんでした。もししないと殴られました。

彼女は時々ジェリーの2人の息子とともに近所のスーパーマーケットに行くことを許されました。私はヒジャブの着用を強いられました。ギャングの命令だったことと、顔と頭を殴られていたのでその痣を隠すためです。

その間セーラの母親ジャネットは狂ったように娘を探していました。

「彼女の父親と私はこれまで2ヶ月間彼女を探し続けてきました。ポスター張りを止めませんでした。ついに一人の友達が彼女をパキスタン人エリアで見たようだというので、私たちは毎日通い、店や街角で人々に写真を見せて尋ねました。」

この非情な追跡劇の中、切ないニアミスがありました。

ジェリーの息子2人とともにスーパーマーケットにいた時、母親のジャネットが彼女を探しているところを見つけました。セーラは思わず走っていって母親を抱きしめました。

ジャネットがセーラにこの2人の少年は誰かと尋ねたので、彼女は、数か月前に自分を連れ去った男の息子たちだと答えました。

驚いた息子たちは、「トラブルに巻き込まれたの?」と叫ぶ母親からセーラを強引に引き離して連れ去りました。

ジャネットは続けます。

「彼女をスーパーマーケットで見た時には信じられませんでした。イスラムの服を着ていました。彼女の目から彼女が怖がっていることがわかりました。彼女は私に何も言わないでくれと懇願しました。彼女はパニックになって怯えていました。今ならギャングに怯えていたということがわかります。彼女は少年たちのそばを小走りに去っていきましたが、私と夫は注意深く後をつけどの方向へ行ったかを見ました。」

まもなく、通りに立っていたジャネットたちの目の前を、セーラを乗せたアジア人の男が運転する黒い車が車輪をきしませながら通り過ぎていきました。

「私たちはスカーフから除くブロンドの髪をちらっと見ました。それがすべてです。私たちは彼女を失ったのです。心が張り裂けそうでした。」

警察にこのことを話しましたが、またも無視されました。

ジェリーの息子がセーラを連れ帰り、ジェリーに彼女の母親が近くにいることを伝ました。

セーラは思い出してこう言いました。

「彼は激怒しました。彼の車に乗るように言われました。彼は私の頭をダッシュボードとガラスに叩きつけました。私の血が飛び散りました。それから彼は私を別の町に連れていきました。」

今度の家では外出を禁じられました。

「ある日突然ジェリーは私と結婚したと告げました。何の式もあげていませんが、彼は私に地元モスクのイマームが発行したイスラムの結婚証明書を見せました。

今考えれば、警察が私を発見したときに、私が自分の意思でジェリーの妻になったと警察に信じこませるための結婚だったと思います。」そうセーラは話しました。

セーラを朦朧とした状態にするため、彼女は毎朝20rもの精神安定剤を飲まされました。

セーラは日常的な虐待とレイプという地獄の生活を続けていました。

当然妊娠します。「一度の中絶後、私は避妊リングを装着されましたが、ジェリーがレイプ時にそれを感じるという理由で病院に連れ戻され、医者に避妊リングを外させました。」

「診察時に医者と話すことは禁じられていました。ジェリーの5フィート後ろを歩きヒジャブを被って頭を下げ続けていました。彼は私をガールフレンドだと言っていました。」

恐ろしいことはこれだけではありません。最初の人工妊娠中絶が上手くいきませんでした。薬を与えられましたが5ヶ月の胎児は死なず生きていました。それは日曜日の午後でした。

「もう24時間近い陣痛で助けを求めましたが、看護師はどうにもならないと言いました。」

月曜日の朝スキャンをしたところまだ胎児は生きていました。

「私は急いで手術室に連れて行かれ、すぐに中絶外科手術を受けました。男の子だったのか女の子だったのかいつかNHS病院が教えてくれるといいと思います。あの子供のことは忘れられないので。」彼女は涙ながらに話しました。

現代のNHS病院(英国国民健康保険制度病院)で、未成年の少女にこれら全部のことが起こることが可能なのでしょうか?たぶんジェリーがとても威圧的だったか、ギャングネットワークの触手があらゆるところに伸びているのか、そんなところでしょう。

いずれにせよ、レイプと中絶は続きました。

ある日ジェリーが結婚は終わりだと言いました。イスラム法ではセーラに3回言えば離婚が成立(※)します。

(※ムスリムの即時離婚の説明はこちらの過去記事をどうぞ)

セーラは他の男と結婚させられました。それは2012年、誘拐されて7年近く経っていました。

彼女が部屋で横になっていると2人の女性が透明プラスチックバッグを持ってきました。

中から赤いドレスを出し、これを着るようにと言いました。彼女の髪を後ろに結い化粧をしてこれから結婚するのだと言いました。

階下に押されていくと、拍手で迎えるゲストのいる結婚式でした。式は数分で終わり、新しい夫とともに2階に戻されました。先ほどの女性たちがイスラムの伝統にのっとって、既にベッドに花びらを置いていました。

「知らない男が私の全身を触り始めました。私は弱くて戦うことは出来ませんでした。まだ階下で結婚パーティーが行われている最中に私はレイプされました。」

このショッキングな話は終わりの始まりでした。

彼女は何度も逃げ出そうとしました。そのたびにジェリーに捕まり殴られました。

しかし、今彼女は何とか逃げ出したのです。

「ある朝ジェリーが2階で寝ているときに彼の携帯電話を見つけタクシーを呼びました。彼のジーンズからタクシー代として20ポンドを取りました。タクシーが来た時私はイスラムの衣装を着ていました。私は裏口から走り出ました。タクシー運転手は白人の男性で、私の顔色が悪かったので大丈夫かと聞いてくれました。彼に兄が住んでいた場所へ連れて行ってくれるよう頼みました。」

彼女はジェリーとの結婚証明書と赤いドレスを持って出ました。それしか彼女の持ち物はありませんでした。

彼女は自由になったと思いました。しかしジェリーたちギャングは諦めませんでした。

1ヶ月後、セーラは兄の家を出て、家族が彼女を守るために脅されることの無い離れた場所のフラットに移りました。

しかし、ギャングリーダーは大きなネットワークを持っていて、彼女を見つけました。

威圧、殴打、レイプが続きました。

しかしある日特別に残虐な暴行があった時、隣人が家庭内暴力として警察に通報しました。

彼女は病院に連れて行かれ、そこで監禁中であることを話し警察が聴取を始めました。

ギャング側はその対応としてセーラに3万ポンドの口止め料を提示しました。彼女が断るとフラットに押し入り彼女を殴りました。

「私はこの時これを終わりにしなくてはいけないと知り、警察にすべて話し、私を守るようにお願いしました。」とセーラは言いました。

ギャングはそれでもセーラを黙らせようとしました。

不快なことに、1人のムスリム警官が彼女への聴取中に録音を止め、“証拠不十分を理由に”彼女への攻撃者のうち1人に対する容疑申し立てを取り下げるよう迫りました。

彼女はとても怯えて、そうしました。

その警官はギャングと同じコニュニティー出身で、彼自身がその後、児童性虐待犯罪で刑務所に入れられているとセーラは話しました。

現在、彼女のケースは宙ぶらりん状態です。警察がギャングを起訴するために、検察庁に提出する十分な証拠集めをしようとしています。

貴族院議員のCox男爵夫人がセーラにChristian Legal Centre(クリスチャンのための法律支援センター)の弁護士を紹介してくれました。また、セーラはMothers Against Radical Islam and Sharia(過激イスラムとシャリアに反対する母親たち)からアドバイスをもらっています。

しかし、信じられないことに、セーラはまだギャングから逃れられていないと言います。

先週彼女はジェリーから電話が来たと言いました。

彼は彼女の電話番号を突き止めましたが、秘密の住所は知られていません。

彼は「Hello white trash(こんにちは、白いゴミ)」そう威圧的に言って電話を切りました。

Is this the worst sex grooming case of all? Abducted as a teen and held prisoner for 12 YEARS, Sarah was repeatedly raped, twice forced into marriage and had EIGHT abortions

(15 September 2018 MailOnline)

2011年以降、起訴された組織的なセックスグルーミング事件は、ロッチデール、ロザラム、オックスフォード、テルフォード、リーズ、バーミンガム、ノリッジ、バーンリー、ハイウィカム、レスター、デューズベリー、ミドルズブラ、ピーターバラ、ブリストル、ハリファックス、ニューカッスル(Rochdale, Rotherham, Oxford, Telford, Leeds, Birmingham, Norwich, Burnley, High Wycombe, Leicester, Dewsbury, Middlesbrough, Peterborough, Bristol, Halifax, Newcastle)で起きています。

これらの中のたった2件だけ、南アジア(パキスタンやバングラデシュなど)系の関与がありませんでした。すべての被害者の中でたった3人だけが白人少女ではありませんでした。

(THE SUN)

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イギリスの移民による白人少女性奴隷事件(いくつか過去記事があるのですが4つ載せておきます)


•英国:イスラムを庇い、犯罪を放置して隠し、真実を述べる人を拘束して弾圧する恐怖国家に変貌!

•ムスリムパトロールへやがて繋がる第一歩。 「穏健派」イスラム教徒が「過激派」を利用して抗議。

•パキスタン人:国内では非ムスリムを襲撃、移民途上でも現地人を襲撃、移住先ではグルーミングで性奴隷

•パキスタン系による未成年者1400人性奴隷事件で、被害者面するムスリムと彼らを守る英警察!


オランダにもあります

•オランダ:1,400人の少女が、「政治犯」復活の英国同様、移民グルーミングギャングの餌食に!

https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12461269911.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/373.html#c3

[近代史3] マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている 中川隆
16. 中川隆[-9934] koaQ7Jey 2019年5月30日 19:15:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2419]
2019.05.30
イギリスの刑務所に収監されているアッサンジの健康状態が悪化との報道

 エクアドル大使館の内部でイギリスの警察当局に逮捕されたジュリアン・アッサンジに対する司法手続がスウェーデンで再開された。6月3日にはスウェーデンの裁判所がアッサンジを審問する予定になっている。ところが​アッサンジは健康状態が悪化してまともに会話できない状態​で、病院で手当を受けていると報道されている。

 未確認情報だが、すでにアッサンジは精神病の治療を施されていると伝えられていた。​アメリカ空軍の退役中佐でNSAの仕事をしていたこともあるカレン・クワイトコウスキー​が得た情報によると、そうした症状が出たのはイギリスとアメリカの当局者から尋問を受けた後だという。

 アッサンジを尋問しているアメリカ人は国防総省、FBI、CIAに所属、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されているようだ。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすとされている。

 言うまでもなく、この薬物を利用して情報を手に入れることはできない。そうした目的の薬物ではない。現在、CIAの長官を務めているジーナ・ハスペルは拷問を指揮してきた人物で、「血まみれジーナ」とも「薬物ジーナ」とも呼ばれている。BZはそのハスペルが拷問に使っていた薬物のひとつだともいう。

 これが事実ならアッサンジは何らかの形で証言できない状態にさせられようとしているのかもしれない。アッサンジの起訴理由が認められるなら権力犯罪の追及は重罪だということになる。つまりジャーナリズムの否定であり、言論の自由の否定でもある。

 そうした批判を回避するためなのか、アメリカではウィキリークスへ情報を提供したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)を脅している。

 マニングは2010年5月に逮捕されて懲役35年を言い渡されたが、2017年5月に釈放された。ところが今年(2019年)3月、アッサンジに対する弾圧を正当化する証言をマニングが拒否したことから裁判所は再収監を命令した。外へ出られたのは5月9日。

 ところが、裁判所は再びマニングに証言を要求、それを拒否したことから刑務所へまた入れられた。服役中、60日までは毎日500ドル、それ以降は1000ドルの罰金も課せられる。アメリカの裁判システムはマニングに偽証を強要している。

 安倍晋三政権に限らず、歴代の日本政府は日本とアメリカは共通の価値観を持っていると公言してきた。すでに大手の新聞、雑誌、放送局などは事実の追求を放棄、支配層の発表を垂れ流すだけになっているが、細々と事実を追い求め、発表することも難しくなるかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905300000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/330.html#c16

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
19. 中川隆[-9933] koaQ7Jey 2019年5月30日 19:16:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2420]
2019.05.30
イギリスの刑務所に収監されているアッサンジの健康状態が悪化との報道

 エクアドル大使館の内部でイギリスの警察当局に逮捕されたジュリアン・アッサンジに対する司法手続がスウェーデンで再開された。6月3日にはスウェーデンの裁判所がアッサンジを審問する予定になっている。ところが​アッサンジは健康状態が悪化してまともに会話できない状態​で、病院で手当を受けていると報道されている。

 未確認情報だが、すでにアッサンジは精神病の治療を施されていると伝えられていた。​アメリカ空軍の退役中佐でNSAの仕事をしていたこともあるカレン・クワイトコウスキー​が得た情報によると、そうした症状が出たのはイギリスとアメリカの当局者から尋問を受けた後だという。

 アッサンジを尋問しているアメリカ人は国防総省、FBI、CIAに所属、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されているようだ。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすとされている。

 言うまでもなく、この薬物を利用して情報を手に入れることはできない。そうした目的の薬物ではない。現在、CIAの長官を務めているジーナ・ハスペルは拷問を指揮してきた人物で、「血まみれジーナ」とも「薬物ジーナ」とも呼ばれている。BZはそのハスペルが拷問に使っていた薬物のひとつだともいう。

 これが事実ならアッサンジは何らかの形で証言できない状態にさせられようとしているのかもしれない。アッサンジの起訴理由が認められるなら権力犯罪の追及は重罪だということになる。つまりジャーナリズムの否定であり、言論の自由の否定でもある。

 そうした批判を回避するためなのか、アメリカではウィキリークスへ情報を提供したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)を脅している。

 マニングは2010年5月に逮捕されて懲役35年を言い渡されたが、2017年5月に釈放された。ところが今年(2019年)3月、アッサンジに対する弾圧を正当化する証言をマニングが拒否したことから裁判所は再収監を命令した。外へ出られたのは5月9日。

 ところが、裁判所は再びマニングに証言を要求、それを拒否したことから刑務所へまた入れられた。服役中、60日までは毎日500ドル、それ以降は1000ドルの罰金も課せられる。アメリカの裁判システムはマニングに偽証を強要している。

 安倍晋三政権に限らず、歴代の日本政府は日本とアメリカは共通の価値観を持っていると公言してきた。すでに大手の新聞、雑誌、放送局などは事実の追求を放棄、支配層の発表を垂れ流すだけになっているが、細々と事実を追い求め、発表することも難しくなるかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905300000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c19

[リバイバル3] アメリカ人には食べ物の味がわからない 中川隆
33. 中川隆[-9932] koaQ7Jey 2019年5月30日 19:23:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2421]
コカ・コーラ、世界的な砂糖離れに大苦戦。「健康志向」に乗れない企業は潰れていく=鈴木傾城 2019年5月30日
https://www.mag2.com/p/money/691536


コカ・コーラ社は莫大な広告費をかけて主力のコーラを宣伝しているが、炭酸飲料は世界的に売れなくなってきている。人々の嗜好は変わったのか?状況をつぶさに見ると「変わった」というしかない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城)


マクドナルドが嫌われ者に?健康志向はマリファナも後押しする

「肉フェス」に猛抗議する人々

2019年のゴールデンウィークに、東京と大阪で「肉フェス」という肉料理に特化したグルメイベントが行われていた。2014年から開催されているこのイベントは累計来場者数は630万人を超えるものになっている。

ところが、このイベントに対して「筋金入りの反対者」が抗議デモをしていた。

ヴィーガン主義の人々である。ヴィーガンとは日本語で「絶対菜食主義」とも言われているのだが、「絶対」とあるように動物の肉も魚も卵もいっさい食べない徹底した菜食主義者を指す。牛乳も飲まない。


彼らが「肉フェス」のイベント会場の前で、残虐に殺された動物の写真を並べて「動物を殺してほしいですか」「ヴィーガンになろう」「搾取から脱却しよう」と訴えていたのだった。

欧米でも、肉屋の前で「動物を殺すな」と過激な抗議活動をして、賛同よりはむしろ顰蹙(ひんしゅく)を買っている。しかし、世界中で彼らの主義主張はじわじわと広がっており、実際にヴィーガンの食生活を試す人も多い。

絶対に肉を食べないという極端な食生活をライフスタイルとして取ると、普通の食生活ができなくなり、生活に不便をきたす。しかし、ヴィーガンは増えている。

彼らのためのレストランや食材の提供も静かに増え続けている。これは、ひとつの潮流だ。

コカ・コーラ、炭酸飲料が売れずに苦慮

ところで、別の潮流も起きている。炭酸飲料離れ、砂糖離れだ。

コカ・コーラ社は世界有数の国際炭酸飲料企業だが、2018年9月にあるイギリスの企業を51億ドル(約5,700億円)で買収することで合意した。その企業とは「コスタ・コーヒー」である。

コスタ・コーヒーは日本には上陸していないので、あまりよく知られていないのだが、スターバックスに次ぐ規模を持ったイギリス最大のカフェチェーンである。欧米から中東までを網羅している。

それにしても、炭酸飲料が主力のコカ・コーラ社がなぜコーヒーだったのか。

その理由は、主力である炭酸飲料の不振が長引いていることにある。アメリカだけでなく、世界中で同じ傾向がある。コカ・コーラが、かつてよりも「飲まれなくなってきている」のである。

砂糖まみれの炭酸飲料であるコカ・コーラは「身体に悪い」というイメージができつつあり、人々は無意識にそれを避けるようになっている。

人々があまりにも「砂糖まみれ」の飲み物を避けるので、コカ・コーラも人工甘味料に切り替えて砂糖を使わない製品を揃えるのだが、そうすると今度は人工甘味料が健康に悪いと槍玉に挙げられる始末だった。

コカ・コーラ社は莫大な宣伝費をかけて主力であるコカ・コーラを宣伝しているのだが、その宣伝力にも関わらず、炭酸飲料を売り込むことに苦慮している。

人々の嗜好は変わったのか? 状況をつぶさに見ると「変わった」というしかない。

人々は明らかに「炭酸飲料離れ、砂糖離れ」を起こしているのだ。それがゆえに、コカ・コーラ社は対策を急いでいる。その対策のひとつとして「コスタ・コーヒー」の買収がある。


コーヒーは「身体に良い」というイメージがある。「身体に良い」というイメージに向けて、人々は嗜好を変えている。

マクドナルドも「脱ジャンクフード」への舵切りを迫られている

コカ・コーラはアメリカの象徴ともなる企業だが、アメリカの象徴と言えばもう一つ誰もが思い出す企業がある。それはマクドナルドである。このマクドナルドを巡っても、大きな潮流が生まれてきている。

マクドナルドは、今もなお成長を続けている企業だが、今このマクドナルドが新しい挑戦に見舞われている。


「シェイク・シャック」や「ベアバーガー」のような、独自のポリシーを持つバーガーショップがマクドナルドの領分を侵食しているのだ。独自のポリシーというのは、素材へのこだわりや、健康志向の人たちに対するオーガニックなメニューの拡充である。

マクドナルドのハンバーガーは今も「ジャンクフード」の代表なのだが、こうした新しいハンバーガー店はもはや「ジャンク」ではなくなっている。

さらに、2019年5月2日。ひとつのバーガー企業がIPO(新規株式公開)したのだが、取引初日で価格を吹き飛ばして192%の上昇となるほどの盛況ぶりだった。ビル・ゲイツやレオナルド・ディカプリオが出資するこの企業は何か。

「ビヨンド・ミート」という企業だ。


この企業の作る「ビヨンド・バーガー」には大きな特徴がある。それは、まったく牛肉を使っていないにも関わらず、牛肉を使ったハンバーガーと同じ味と食感を再現した「代替肉」だったのである。

今、誰もマクドナルドに興奮していない。ビヨンド・バーガーの方に興奮している。これは、「健康志向」が生み出している大きな潮流であることが分かる。

マリファナもまた「健康志向」

今、欧米ではマリファナが大きな市場を作り上げようとしている。

日本では今もマリファナは「危険ドラッグ」「犯罪物質」扱いなのだが、欧米ではもうすっかり時代が変わっていて、タバコやビールに変わる新たな嗜好品のひとつとして捉えられているのである。このマリファナにまつわる欧米の熱狂は、以前にも書いた。

マリファナは日本で喧伝されているほど害のあるものではない。欧米では医療ハーブとして捉えられており、実際に医療にも取り入れられている。日本が意識を切り替えられない間に、欧米はどんどん先に突き進んでいる。日本人の「出遅れ」は致命的ですらもある。

ところで、このマリファナもまた「健康志向」という潮流から支持されていると聞くと、ドラッグ事情を知らない多くの日本人は驚くかもしれない。

欧米では今までコカインやメス(覚醒剤)のようなケミカルなハードドラッグが蔓延していた。さらに中国から材料が何か分からないような合成麻薬まで入り込んで、ドラッグの世界は凄まじく危険なものになっていった。

そして、アメリカではドラッグと同じくらい極度の依存を生み出す鎮痛薬「オピオイド」が蔓延して大きな社会問題となっている。

だからこそ、マリファナはアンダーグラウンドの危機的な状況を救う救世主のように扱われているのだ。


マリファナは科学で生み出されたものではなく、自生する草(グラス)であり、ハーブでもある。マリファナもまた「健康志向」が生み出している大きな潮流に乗ったものだった。


「健康志向」という人類共通のテーマ

・ヴィーガンの台頭
・炭酸飲料離れ、砂糖離れ
・ビヨンド・バーガーと代用肉
・マリファナへの支持

これらの出来事は同時代に起きているものだが、ひとつひとつは「互いに関係のないもの」に見えるかもしれない。


違う。すべて、その根底にひとつの共通した大きな潮流がある。

それが「健康志向」というものである。健康志向と聞くと、実に個人的で些細で大したことのないテーマのように見える。しかし、それは正しい認識ではない。

「健康志向」は、今までの「ハイテク」「エネルギー」「金融」と同じくらいの重要度で注目される人類共通のテーマになる。

医療の発達、文明の発達、インフラの進化、環境への関心。これらは人間の寿命を可能な限り伸ばす方向に向かっている。すでに「人生100年時代」は目前まで来ており、実際に100歳まで生きる高齢者も爆発的に増えている。


100歳まで生きることが意識されるようになると、人々はアンチエイジングや病気にならないための食生活やライフスタイルに関心を持つようになる。

そして、高度情報化社会で人々は「身体に良いもの、悪いもの」を選択できるようになっている。

その選択が、マリファナや、代用肉や、炭酸飲料離れや砂糖離れを引き起こすようになっており、その先鋭化した存在としてヴィーガンを生み出しているのだ。

それが、大きな潮流となって未来(ビヨンド)に向かっている。

そのため、今後は「健康志向」に沿って、商品や企業形態を変えられる企業が生き残ることになる。そして、この「健康志向」という巨大テーマにうまく乗った事業家や投資家が、次の時代の金持ちになっていく。
https://www.mag2.com/p/money/691536

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/765.html#c33

[昼休み52] 靖国神道は神道とは別物のインチキカルト 中川隆
15. 中川隆[-9931] koaQ7Jey 2019年5月30日 19:39:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2422]

廃仏毀釈について - 内田樹の研究室 2019-05-29
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html

 昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。

 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。

 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。

 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。

 驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。

 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。

 それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。

 この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。

 ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。

 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。

 だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。これについては南方熊楠がはげしい反対運動を展開したので、記憶されている人もいると思うけれど、全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。

 神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。

 だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
 
 もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。

 京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。

 だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。日本の天皇制の全歴史のうちの77年だけである。それを126代の歴代天皇がすべて神道の祭主であったと信じている人あるいは信じているふりをしている人が天皇制の支持者・反対者のいずれにも多い。これは天皇制という制度の複雑さを捨象して、問題をシンプルで、ハンドルしやすいものにしようとする態度の現れだと私は思う。

 つねづね申し上げている通り、複雑なものは複雑なまま扱うのが知的に誠実な態度だと私は思っている。複雑な仕組みをわかりやすい図式に縮減して、敵味方に分かれて罵り合うのは知的には不毛なことである。それよりは、素直に「なんだか一筋縄ではゆかぬものだ」と認めて、いったん理非正邪の判定を「かっこに入れて」、ほんとうのところは歴史的事件として何が起きたのか、ほんとうのところその歴史的事件の意味は何であるのかについて冷静に問うということが必要ではないのか。

 廃仏毀釈について腑に落ちないもう一つのことは、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息し、やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということである。廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年にはほぼ収まった。なんで、そんなにあっさり終わってしまったのか。

 1300年続いた神仏習合という宗教的伝統をほとんど一夜にして弊履の如くに捨て去った熱狂が10年も続かなかった。この非対称性がよくわからない。それほどまでに仏教の檀家制度が憎く、僧侶の腐敗が許し難いものであったら、あるいは明治政府の宗教統制が厳格なものだったら、10年で廃仏運動が「収まる」わけがない。でも、あっさり終わってしまって、誰もその話をしなくなった。

 だから、今の日本人は「神仏習合」についても「神仏分離」についても、よく知らない。

 習合という宗教現象は他の宗教でもあることだから、理解はできる。けれども、それを一度暴力的に分離してみたら、さしたる抵抗もなく実現され、にもかかわらず数年でなんとなくそれも尻すぼみになり、それから100年経ってまたじりじりと神仏習合に戻っているという現象はうまく説明ができない。

 私が毎年参拝している羽黒山はもともと神仏習合で、本尊は聖観音菩薩だったが、神仏分離で山上の仏像仏具は捨てられ、ご本尊はご神体に入れ替えられた。そのときに酒田の篤志家が棄てられたり、焼かれたりした仏像を拾い集めて、自宅の蔵に保存していた。それを最近になって「もともと羽黒山のものだから」というのでその子孫が返却を申し出てきた。羽黒山はそれを嘉納して、二年ほど前に「千仏堂」という建物を本堂の横に立てて、数百体の仏像を安置している。神社の中に寺院があるという神仏習合の「ふつうのかたち」に戻ってきたのである。

 この神仏習合の「復古」趨勢に対してはいずれファナティックな神道系の政治組織から「やめろ」という攻撃が始まる可能性があると私は予想している。そのときにわれわれは明治初年に神仏分離をドライブしたイデオロギーと心性の現代における「アヴァター」を見ることができるかも知れない。

 「廃仏毀釈」に付随したさまざまな事件のうち、記憶しておいてよいトリビアがあるので、それを最後に列挙して話を終えたいい。

(1)廃仏毀釈にもっともはげしく抵抗したのは浄土真宗であった。県内のほぼすべての寺院が廃寺となった鹿児島でも、浄土真宗だけは廃仏の運動が下火になるやたちまち全県に布教を行い、廃寺の再建に取り組んだ。江戸時代に真宗門徒が弾圧されたときに「隠れ念仏」活動をしていた「抵抗の伝統」が生き残っていたのであろう。

(2)最も苛烈な廃仏運動を指揮した一人は、松本の知藩事であった戸田光則。戸田は将軍家の血筋を引き、松平姓と葵の家紋を許された親藩だったが、戊辰戦争が始まってから、勤王か佐幕か最後まで迷った末、新政府軍が中山道を通過する時点でようやく腹をくくって新政府についた。この日和見主義に対する新政府からの不信を解消するために戸田は廃仏毀釈に異常な熱意を示したのである。彼はまず戸田家の菩提寺を破壊するところから始めたのである。

(3)もう一人は京都府知事だった槇村正直。長州藩士で木戸孝允に重用された人物である。京都の文化的伝統にまったく関心がなかった槇村はきわめて熱心に廃仏運動に取り組んだ。まず神仏習合の祇園社感神院を八坂神社に改組し、本地仏の薬師如来を撤去。北野天満宮は北野神社に改名され、境内の寺院はすべて撤去解体された。彼は五山の送り火も地蔵盆も盆踊りも禁止したのである。それがどういう経緯で、どういう言い訳で復活したのか、誰か知っていたら教えて欲しい。

(4)興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺である。興福寺は春日大社と一体化していたが、分離され仏像仏具教典が棄てられた。五重塔も民間に売却され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしたが、延焼をおそれた近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残った。いまは国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていた。その惨状については、前に釈先生と興福寺に聖地巡礼に参ったときに詳しく伺った。

(5)伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。

 という話を読んで、羽黒山伏のことを思い出した。羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

 慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。

*神仏分離についての上の記述は

『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(鵜飼秀徳、文春新書)、『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)、
『廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 』佐伯恵達、みやざき文庫)

に多くのご教示を得たものであることを謝意とともに記しておく。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/402.html#c15

[リバイバル3] 残雪の出羽三山に「生まれかわりの旅」に出よう _ 月山スキー場 中川隆
14. 中川隆[-9930] koaQ7Jey 2019年5月30日 19:41:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2423]

廃仏毀釈について - 内田樹の研究室 2019-05-29
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html

 昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。

 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。

 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。

 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。

 驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。

 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。

 それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。

 この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。

 ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。

 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。

 だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。これについては南方熊楠がはげしい反対運動を展開したので、記憶されている人もいると思うけれど、全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。

 神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。

 だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
 
 もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。

 京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。

 だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。日本の天皇制の全歴史のうちの77年だけである。それを126代の歴代天皇がすべて神道の祭主であったと信じている人あるいは信じているふりをしている人が天皇制の支持者・反対者のいずれにも多い。これは天皇制という制度の複雑さを捨象して、問題をシンプルで、ハンドルしやすいものにしようとする態度の現れだと私は思う。

 つねづね申し上げている通り、複雑なものは複雑なまま扱うのが知的に誠実な態度だと私は思っている。複雑な仕組みをわかりやすい図式に縮減して、敵味方に分かれて罵り合うのは知的には不毛なことである。それよりは、素直に「なんだか一筋縄ではゆかぬものだ」と認めて、いったん理非正邪の判定を「かっこに入れて」、ほんとうのところは歴史的事件として何が起きたのか、ほんとうのところその歴史的事件の意味は何であるのかについて冷静に問うということが必要ではないのか。

 廃仏毀釈について腑に落ちないもう一つのことは、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息し、やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということである。廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年にはほぼ収まった。なんで、そんなにあっさり終わってしまったのか。

 1300年続いた神仏習合という宗教的伝統をほとんど一夜にして弊履の如くに捨て去った熱狂が10年も続かなかった。この非対称性がよくわからない。それほどまでに仏教の檀家制度が憎く、僧侶の腐敗が許し難いものであったら、あるいは明治政府の宗教統制が厳格なものだったら、10年で廃仏運動が「収まる」わけがない。でも、あっさり終わってしまって、誰もその話をしなくなった。

 だから、今の日本人は「神仏習合」についても「神仏分離」についても、よく知らない。

 習合という宗教現象は他の宗教でもあることだから、理解はできる。けれども、それを一度暴力的に分離してみたら、さしたる抵抗もなく実現され、にもかかわらず数年でなんとなくそれも尻すぼみになり、それから100年経ってまたじりじりと神仏習合に戻っているという現象はうまく説明ができない。

 私が毎年参拝している羽黒山はもともと神仏習合で、本尊は聖観音菩薩だったが、神仏分離で山上の仏像仏具は捨てられ、ご本尊はご神体に入れ替えられた。そのときに酒田の篤志家が棄てられたり、焼かれたりした仏像を拾い集めて、自宅の蔵に保存していた。それを最近になって「もともと羽黒山のものだから」というのでその子孫が返却を申し出てきた。羽黒山はそれを嘉納して、二年ほど前に「千仏堂」という建物を本堂の横に立てて、数百体の仏像を安置している。神社の中に寺院があるという神仏習合の「ふつうのかたち」に戻ってきたのである。

 この神仏習合の「復古」趨勢に対してはいずれファナティックな神道系の政治組織から「やめろ」という攻撃が始まる可能性があると私は予想している。そのときにわれわれは明治初年に神仏分離をドライブしたイデオロギーと心性の現代における「アヴァター」を見ることができるかも知れない。

 「廃仏毀釈」に付随したさまざまな事件のうち、記憶しておいてよいトリビアがあるので、それを最後に列挙して話を終えたいい。

(1)廃仏毀釈にもっともはげしく抵抗したのは浄土真宗であった。県内のほぼすべての寺院が廃寺となった鹿児島でも、浄土真宗だけは廃仏の運動が下火になるやたちまち全県に布教を行い、廃寺の再建に取り組んだ。江戸時代に真宗門徒が弾圧されたときに「隠れ念仏」活動をしていた「抵抗の伝統」が生き残っていたのであろう。

(2)最も苛烈な廃仏運動を指揮した一人は、松本の知藩事であった戸田光則。戸田は将軍家の血筋を引き、松平姓と葵の家紋を許された親藩だったが、戊辰戦争が始まってから、勤王か佐幕か最後まで迷った末、新政府軍が中山道を通過する時点でようやく腹をくくって新政府についた。この日和見主義に対する新政府からの不信を解消するために戸田は廃仏毀釈に異常な熱意を示したのである。彼はまず戸田家の菩提寺を破壊するところから始めたのである。

(3)もう一人は京都府知事だった槇村正直。長州藩士で木戸孝允に重用された人物である。京都の文化的伝統にまったく関心がなかった槇村はきわめて熱心に廃仏運動に取り組んだ。まず神仏習合の祇園社感神院を八坂神社に改組し、本地仏の薬師如来を撤去。北野天満宮は北野神社に改名され、境内の寺院はすべて撤去解体された。彼は五山の送り火も地蔵盆も盆踊りも禁止したのである。それがどういう経緯で、どういう言い訳で復活したのか、誰か知っていたら教えて欲しい。

(4)興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺である。興福寺は春日大社と一体化していたが、分離され仏像仏具教典が棄てられた。五重塔も民間に売却され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしたが、延焼をおそれた近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残った。いまは国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていた。その惨状については、前に釈先生と興福寺に聖地巡礼に参ったときに詳しく伺った。

(5)伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。

 という話を読んで、羽黒山伏のことを思い出した。羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

 慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。

*神仏分離についての上の記述は

『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(鵜飼秀徳、文春新書)、『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)、
『廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 』佐伯恵達、みやざき文庫)

に多くのご教示を得たものであることを謝意とともに記しておく。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/866.html#c14

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
5. 中川隆[-9929] koaQ7Jey 2019年5月30日 19:42:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2424]


廃仏毀釈について - 内田樹の研究室 2019-05-29
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html

 昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。

 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。

 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。

 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。

 驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。

 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。

 それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。

 この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。

 ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。

 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。

 だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。これについては南方熊楠がはげしい反対運動を展開したので、記憶されている人もいると思うけれど、全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。

 神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。

 だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
 
 もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。

 京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。

 だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。日本の天皇制の全歴史のうちの77年だけである。それを126代の歴代天皇がすべて神道の祭主であったと信じている人あるいは信じているふりをしている人が天皇制の支持者・反対者のいずれにも多い。これは天皇制という制度の複雑さを捨象して、問題をシンプルで、ハンドルしやすいものにしようとする態度の現れだと私は思う。

 つねづね申し上げている通り、複雑なものは複雑なまま扱うのが知的に誠実な態度だと私は思っている。複雑な仕組みをわかりやすい図式に縮減して、敵味方に分かれて罵り合うのは知的には不毛なことである。それよりは、素直に「なんだか一筋縄ではゆかぬものだ」と認めて、いったん理非正邪の判定を「かっこに入れて」、ほんとうのところは歴史的事件として何が起きたのか、ほんとうのところその歴史的事件の意味は何であるのかについて冷静に問うということが必要ではないのか。

 廃仏毀釈について腑に落ちないもう一つのことは、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息し、やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということである。廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年にはほぼ収まった。なんで、そんなにあっさり終わってしまったのか。

 1300年続いた神仏習合という宗教的伝統をほとんど一夜にして弊履の如くに捨て去った熱狂が10年も続かなかった。この非対称性がよくわからない。それほどまでに仏教の檀家制度が憎く、僧侶の腐敗が許し難いものであったら、あるいは明治政府の宗教統制が厳格なものだったら、10年で廃仏運動が「収まる」わけがない。でも、あっさり終わってしまって、誰もその話をしなくなった。

 だから、今の日本人は「神仏習合」についても「神仏分離」についても、よく知らない。

 習合という宗教現象は他の宗教でもあることだから、理解はできる。けれども、それを一度暴力的に分離してみたら、さしたる抵抗もなく実現され、にもかかわらず数年でなんとなくそれも尻すぼみになり、それから100年経ってまたじりじりと神仏習合に戻っているという現象はうまく説明ができない。

 私が毎年参拝している羽黒山はもともと神仏習合で、本尊は聖観音菩薩だったが、神仏分離で山上の仏像仏具は捨てられ、ご本尊はご神体に入れ替えられた。そのときに酒田の篤志家が棄てられたり、焼かれたりした仏像を拾い集めて、自宅の蔵に保存していた。それを最近になって「もともと羽黒山のものだから」というのでその子孫が返却を申し出てきた。羽黒山はそれを嘉納して、二年ほど前に「千仏堂」という建物を本堂の横に立てて、数百体の仏像を安置している。神社の中に寺院があるという神仏習合の「ふつうのかたち」に戻ってきたのである。

 この神仏習合の「復古」趨勢に対してはいずれファナティックな神道系の政治組織から「やめろ」という攻撃が始まる可能性があると私は予想している。そのときにわれわれは明治初年に神仏分離をドライブしたイデオロギーと心性の現代における「アヴァター」を見ることができるかも知れない。

 「廃仏毀釈」に付随したさまざまな事件のうち、記憶しておいてよいトリビアがあるので、それを最後に列挙して話を終えたいい。

(1)廃仏毀釈にもっともはげしく抵抗したのは浄土真宗であった。県内のほぼすべての寺院が廃寺となった鹿児島でも、浄土真宗だけは廃仏の運動が下火になるやたちまち全県に布教を行い、廃寺の再建に取り組んだ。江戸時代に真宗門徒が弾圧されたときに「隠れ念仏」活動をしていた「抵抗の伝統」が生き残っていたのであろう。

(2)最も苛烈な廃仏運動を指揮した一人は、松本の知藩事であった戸田光則。戸田は将軍家の血筋を引き、松平姓と葵の家紋を許された親藩だったが、戊辰戦争が始まってから、勤王か佐幕か最後まで迷った末、新政府軍が中山道を通過する時点でようやく腹をくくって新政府についた。この日和見主義に対する新政府からの不信を解消するために戸田は廃仏毀釈に異常な熱意を示したのである。彼はまず戸田家の菩提寺を破壊するところから始めたのである。

(3)もう一人は京都府知事だった槇村正直。長州藩士で木戸孝允に重用された人物である。京都の文化的伝統にまったく関心がなかった槇村はきわめて熱心に廃仏運動に取り組んだ。まず神仏習合の祇園社感神院を八坂神社に改組し、本地仏の薬師如来を撤去。北野天満宮は北野神社に改名され、境内の寺院はすべて撤去解体された。彼は五山の送り火も地蔵盆も盆踊りも禁止したのである。それがどういう経緯で、どういう言い訳で復活したのか、誰か知っていたら教えて欲しい。

(4)興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺である。興福寺は春日大社と一体化していたが、分離され仏像仏具教典が棄てられた。五重塔も民間に売却され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしたが、延焼をおそれた近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残った。いまは国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていた。その惨状については、前に釈先生と興福寺に聖地巡礼に参ったときに詳しく伺った。

(5)伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。

 という話を読んで、羽黒山伏のことを思い出した。羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

 慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。

*神仏分離についての上の記述は

『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(鵜飼秀徳、文春新書)、『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)、
『廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 』佐伯恵達、みやざき文庫)

に多くのご教示を得たものであることを謝意とともに記しておく。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c5

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
49. 中川隆[-9928] koaQ7Jey 2019年5月30日 21:00:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2425]

GOODMANS (グッドマンズ)『AXIOM 80 』について調べて見ました。PartU 2018年01月25日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/41838faa3ee261355198074309836402


先日某運送会社から『AXIOM 80 ARU付き』の箱が届くが、何と輸送途中に破損してしまった。正面中央右側部分に酷い破損箇所がある、此れは修復は難しそうなので、クレームを訴える。早速運送会社に連絡すると、商品を引取検討しますと、2本の内の損傷したエンクロージャー1本を持っていった、某運送会社にて補修するとのことでした。現在日本は寒波の影響で特に運送会社は配達作業がスムースに行かなく返事も遅れているようです。『AXIOM 80 ARU付き』の箱高さは約90センチあり幅も約50センチ弱あり堂々とした佇まいである。

此のグットマンと云うメーカーは以前ヨーロッパのメーカーとしては良く聴いた名前ですが最近は耳にしなくなった、もっとも、筆者の聴くTANNOY も新しい音響メーカーの台頭で昔よりオーナーは少なくなっているようです。特にビンテージと言われる初代のIIILZとかRectangular Yorkを使用している方もまだ少なくないようだ。最近ヴィンテージ品にも注目されているようです。

Rectangular Yorkは筆者の先輩が使用していたもので、当時私も此のスピーカーRectangularYork を注文した後にTANNOYが火災になり諦めたことを記憶する。又此のRectangular Yorkスピーカーはかなりアンプを選び一般には火屋のアンプが良いとされている。

今回の『AXIOM 80』の箱はRectangular York(幅597×高さ1066×奥行368mm)なのでサイズはRectangular Yorkより一回り小さいようです。

Rectangular Yorkは15吋なのですが、IIILZは10吋なのでRectangularYorkよりは容量は大きい。此の箱に移植すれば計算的にも低音は充実する気はした

右側に痛々しく残る破損箇所、コーナーエッジがあるので補修は相当難しいと思う!

この10吋のIIILZを『AXIOM 80』に組み込み聴いている方も多いようですが、調べて見ますとAXIOM80は勿論容量も大きく、ARU付きなので相当低域も期待出来るようです。

此のARUとは?「Acoustic Resistance Unit」の頭文字をとったもので、音響的に負荷をかけて低い音を平坦に伸ばす役目を持っている」補足すると、要はユニットの背圧の逃がし方を微妙に調整する道具のことで、このおかげで豊かなふくらみのある音が得られるが、こればかりは実際にSP周りの作業をやった事のある人でないと分からないかもしれない。

筆者もその少なくなった部類に属するが、まだまだIIILZを追求したいので、今回『AXIOM 80 ARU付き』にIIILZの合わせ1本で・・・・あの燻し銀のような中高音と豊かな低域が聴きたいことおもいますが、果たして上手く行くのかが心配です。『AXIOM 80 ARU付き』を提供頂いたY氏にはとても感謝しています。

最新のスピーカーエンクロージャーはどのメーカーも益々アキュレットなサウンドを鳴らす傾向が有るように思える、この様なエンクロージャーで音楽を聴くと、最初は透明度もあり、魅力的な音はするが、長く聴くと余りのアキュレットな音が耳に付き、疲れる傾向にあるようです。好きな音楽はリラックスムードで聴きたい、後日AXIOM 80の箱をペーパーで全面仕上げ塗り直し実に良い佇まいになった。

下記の塗料で(オイルフニッシュ)で塗り程よく乾いたらペーパー磨きその後拭き取る作業をした。

此の塗料で塗って少し乾いたら、水ペーパーが良く磨き余分な塗料を拭き取り乾かす作業を続けて2度程行った。以前より若干明るめの色を選別し、落ち着き良い感じになった。

仕上がりはこの様に実にシックな感じになり、満足しています、以前破損した場所も全く目立なくわからない程に仕上がりスピーカー取り付け部分も黒のマットで丁寧に塗装して完了した。

思えば筆者などはRCAケーブル、スピーカーケーブルの交換で音の違いを楽しんでいるが、このエンクロージャーに合うものを見つけなければならないであろう、Western Electric、BELDEN、ノイマン等戦前から有るメーカーのものが多い、別に古い物が良いなんてことは全く思わないのだが、色々聴くと常時使用するものはこれらの物が多いのは何故であろう? 

特に今回は以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレンで絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。(注)これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。

これが安価で安定した音質が堪能できるケーブルです。

以前M氏より以前弦楽器を聴くなら銀メッキ線PRM-4S / 2.5S / 1.5Sが良いと教えて頂き意外と安価でしたので早速注文した。確かに高域全体が良くなった。しかしTEAC MA-7のアンプに繋ぐとTEAC MA-7のアンプのマイルド感が減退するようだ。結果からいえば、銀メッキ線は高域が何かスッキリして聴きやすいなるがTANNOYよりむしろKEFには相性が良い。

又メインアンプもAUREXSC-M15/SC-M15K☓2に繋いで聴くのが自然な音が聴こえるようだ。良く聴くとそれはやはり現代調の音質のように聴こえる、バッハ等を愛聴する筆者にはWEのスピーカケーブルが良いと思う。尚銀メッキケーブルは型番PRM-4S / 2.5S / 1.5S形式銀メッキ線スピーカーケルブルバナナプラグに取付繋ぎ試聴する、具合が良さそうである、特にKEQ300に繋ぎAUREXSC-M15/SC-M15K☓2、BTLモノラルでノイマンRCAケーブルにPRM-1.5S (片方4M) スピーカーケーブルに交換して聴く、KEFQ300にはTEAC MA-7のアンプには癖が悪影響する傾向があり、素直な音を奏でるAUREXが良く鳴る。

Yehudi Menuhin.Wanda LandowskaのBWV1014を聴くと、以前感じた少し古い音質が少し現代調に聴こえる。特に弦楽器には相性が良い、Western Electric16GA撚り線のケーブルより良く感じるかもしれない、Y氏もKEFには良いかも知らないとおっしゃて頂いた言葉は当に事実でした。この辺りの細かなセッティングは実に微妙なことだが、重要な事のようです。しかし、此れで聴き続けると、不満が出る、特に古楽器の音色がどうも現代楽器のような鳴り方をする、例えば、ランドフスカのチェンバロの音が少し違って聴こえる、確かにJAZZ系統は切れも良くドラムのアタックなどは良くなったが更に現代音楽は確かに良く鳴るが、SP時代のような音質とは違う気がしてならない。音楽愛好家としてはWestern Electric16GAに軍配をあげる。むしろ一番はこの安価な単線のインターホーンのケーブルがIIILZには一番良く鳴った、(笑)

確かにエンクロジャーをB&Wのようなアキュレットな物にすれば評価も違って来るのでが筆者の好きなHelmut Winschermannのオーボエを聴いてみる、実に良く聴ける、一般的にはKEFには銀メッキ線が正解のようです。好きなHelmut Winschermannも実に良く聴こえる、弦楽器も良くなったが、木管楽器もスッキリして音のまとまりが良いAUREXSC-M15/SC-M15K☓2とKEF Q300を銀メッキのコードで聴くのとは此方の音が何故か現代調である。最初は物珍しく良く聴こえるが、何度も聴く内にこんな音じゃないと思うようになる。実に音とは怖いもののようだ!

Albinoni / Helmut Winschermann, 1965: Oboe Concerto in C major, Op. 9, No. 4

最近益々懐古主義ではないが、昔の演奏を聴くことが多い、オーディオの世界は年々新しい技術で音質等は良くなっているようだが、最新の技術で昔のSPレコードの音源を処理してCDにで販売しているのは大変喜ばしいことです。

でも筆者の様な昔の機材を使っているファン少なからずいるようです。確かに最近のハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)、フルトヴェングラー指揮のワグナーが手軽に聴けるようになったのは誠にありがたいことです。と同時に音質も誠に具合が良い。

五味先生もGOODMANSの12吋(AXIOM 301)のスピーカーは可成り苦労していたスピーカーで有名です。筆者も昔からGOODMANSの名前は知っていますが実際聴いたことは無かったGOODMANSの音は昔聴いていたフェログラフF-1も中域はGOODMANS製の記憶がある。

GOODMANSの『AXIOM 80』というスピーカーユニットは1960年代にイギリスのスピーカーメーカー、

1960(昭和35年)頃発売した24吋のフルレンジスピーカーシステムGOODMANS社で作られ、その個性的な音色は当時一世を風靡した。詳しくは『瀬川冬樹書』虚構世界の狩人―私的オーディオ論の中に掲載してます。

http://www.audiosharing.com/people/segawa/kyokou/kyokou.htm

音色も個性的であるが、その造りも特性も他に類を見ない独特なものである。後にタンノイの伝道者となる五味康祐氏も、1953年、時代小説「喪神」で芥川賞を受賞した折りに、その賞金の一部を充て、S氏(当時の新潮社社長といわれる)所有のグッドマン30cmフルレンジのモノラル装置を譲り受けている。当時、わが国のユニットも徐々に良くなってきたとはいえ、未だ及ばぬ所もあり、酒好きの通人がスコッチにこだわるのと同様に、英国製品への願望は、今日の比ではなかった。

其れで1ポンド1,000円以上の換金率なので現在と比べると考えられない価格なんでしょう。勿論1ドル360円時代でした。

現在の貨幣価値の3.5倍の金額ですので思えば凄い高額なんですネ!

此の『AXIOM 80』の箱にエンクロージャーにTANNOYにVLXを入れて使うと素晴らしく優れものになるとのことで最近仕事が暇になり休日が多くあるので『AXIOM 80』 SYSTEMについて調べました。

1960(昭和35年)『AXIOM 80』 SYSTEM 24cmフルレンジスピーカーシステムARU付で販売していたようです。国産化した『AXIOM 80』のコーナー型システム。60年以上前の音です・・・・・?

このユニットを真っ先に目をつけ、自家用としたのは、弱冠22歳の(オームさん)瀬川冬樹氏である。

1953年当時のことだから、正確な情報などある訳がなく、頼れるのは粗悪な印刷の写真だけ。それも、母と妹を扶養しなければならぬ身で、彼は原稿料の一部を2年間積み立てて手に入れた。そこまで彼を駆り立てたのは、その姿に、波長のようなものを感じたからであろう。これでは、鳴らすアンプやカートリッジの弱点を浮き彫りにするようなものである(特異な形のラウザーのフルレンジも同様の特性)。

そうとは知らぬ瀬川氏は、ユニットをコーナー型の箱に収め、当時もて囃されていた不帰還の自作アンプで鳴らした。それが良くない、というより酷い音である。それでも試しにと、たまたま試作したシングルアンプに繋いで音が一変。我が意の音が鳴りだした。かくして、『AXIOM 80』は、瀬川氏の求める理想の音の源流になったのである。まだ、モノラルが主流の時代のことであった。

此のエンクロージャを手がけた方曰く『オートグラフよりも面倒くさい』と音を上げながらも、熱中してとうとうこしらえてしまった。英DECCA社が本格的に製品化できなかったのも、複雑な作業工程のせいか。何しろ日本の職人でさえ、難儀したのだから。『厚い板で頑丈にするなら、誰でも出来るけれど、それではAXIOMが死ぬ。響きの良い薄い板でこさえるから難しい。』

TANNOYの製品もそうだが、昔のイギリスのスピーカーは箱を共振して音を出す物が多く、その辺りがキモであろう。多分その辺りが自作するのは相当難しい、やはり箱はオリジナルが一番と言われてきた、勿論筆者もそう思い自作は避けてきた。と言うより木工製作に自信が無く、技術的にも相当難しいと思っていたが、最近はDIY
で加工してくれるので可能なのかも知れない。

又此のGOODMANS(グッドマンズ が正しい読み)の『AXIOM 80 ARU付き』で販売しているスピーカーなんです。スピーカー史上に名高い伝説的な技術者、E.J.ジョーダンが設計したと言われている。だが、真実は、このスピーカーの特質を最大限に発揮するために特異な形のエンクロージャーやARUユニットを開発したこと。当時は勿論 ARU付きのセットで販売していたようです、輸入元が国産箱に納めて発売した模様である。

筆者のIIILZがこのユニットのお陰で自然に聴こえる中低域が出るのかもしれない?

Goodmansのスピーカーユニットと組合わせて使用するARU(ACOUSTIC RESISTANCEUNIT)

アコースティック・レジスタンス・ユニットの略。音響的に負荷をかけて、低い音を平坦に伸ばす役目を持つ。

A.R.U.172:\4,200(1台、1967年頃) A.R.U.180:\5,000(1台、1967年頃)

A.R.U.280:\6,200(1台、1967年頃) A.R.U.480:\7,800(1台、1967年頃)

上記の四種類が発表されているが、使用されているのは多分A.R.U.180であろう?

又写真の様にGOODMANSからはオリジナルが販売されていたようである。

筆者の所に届いたARUユニットA.R.U.180と同型であろう

此のアコースティック・レジスタンス・ユニットにより豊かな中低域が聴けるようですが、此れに対抗するはバックロードホーンがあり、最新のエンクロージャーを此の方式で豊かな音を提供しているようですが、自作することは至難の技が必要です。又『AXIOM 80』のユニット自体はすでにGOODMANS社で軍用に開発されていたというのが真相だ。軍用にハイファイ・スピーカーを開発する訳はないから、当初はおそらく、主に前線基地の指令室や、航空母艦や戦艦等での指令の伝達用として開発されたものと考えられる。 ダブルコーンで中高域が10dB以上も盛り上がった特性は、戦闘や射撃の大騒音下でも確実に指令が伝わることを目的に設計されたのではないか。しかしこの優れたスピーカーを、戦後のハイファイの黎明期に何とかハイファイ用に転用すべく、E..J. ジョーダンが起用され、伝説とまで呼ばれるに至ったスピーカー・システムが出現した。

スピーカーの音はユニット単体ではなく、それを収める箱の設計次第で大きく変貌する。とりわけ『AXIOM 80』のような特異なスピーカー・ユニットでは箱の造りと構造とが再生音を決定すると言っても過言ではないから、このユニットの特性を最大限に発揮させるシステムを完成させたE.J.ジョーダンの功績が伝説とまでなったのも無理からぬことだ。ネットで『AXIOM 80』の写真を調べると当に色々な作り方があり基本は同じようですが、一品物で作った物と理解出来る。

現在拙宅にはIIILZ in Cabinet(この機種から密閉型からバスレフ型に変更した)を所有するが、所詮ブックシェルフ型のもので、ワグナー等、オペラ、ベートーベン等の交響曲を聴くには限界を感じているのは明らかだが、TANNOYIIILZ in Cabinetの弦楽器のユニゾン、木管楽器の音色は格別である。心揺さぶられる音も聴かしてもらえる。

もっとも貧困老人の筆者に高価な火屋のアンプを使いたいが、手元不如意の為か、入手不可能でもある。又現在はレコードプレイヤーも中途半端な物を使用しているため此の事は随分気になる。バージョンアップするのか?検討中である。此れでもし、『AXIOM 80』の箱にエンクロージャーに

IIILZ inCabinetを装備して上手く鳴ればと・・・・実に夢が膨らむ。

調べると中にこの様な文章も見つかりました。

『さて、我が管球式アンプ、ラックスSQ−38FD、で鳴らしてみると、驚くべきほど繊細でおもったより柔らかな音が鳴り響いた。次にバックロードエンクロージャーのホーンの喉元にグラスウールを多めに詰めると充実した中音で中域が埋められた。次々バッハのバロック音楽レコードを鳴らすと、 バッハはこんなに華麗な音で聴いていいのだろうか?とおもうほど、麻薬的魅力ある音で鳴り響いた。そういえば誰か、「このスピーカーは正しくない。生の音楽はこんなに美しくは聴こえない。」といっていたのをおもいだす。』

上記の様な記事内容を読み、筆者も今後この先短い人生、長く飽きないで聴ける音を求めたい。高さも900mmと胸の位置の高さまであり、スタンドも必要ない高さです。『AXIOM 80』の箱に代わりにIIILZ in Cabinetを装着して上手く鳴ればと期待してしまう、昔ステレオサウンド誌もIIILZをコーネッタの箱に入れ素晴らしい音の紹介記事も読み、又『AXIOM 80』ARU付のエンクロージャーにIIILZに入れて聴いている方もいるようで興味は湧きます。

使用するには当然エンクロジャーの下には当然インシュレーターを取付使用します。現在某運送会社が持ち帰った『AXIOM 80』が戻り次第ペーパーで磨き上げ水性のウレタン塗装をして仕上げるつもりです。

その前にサランネットの塗装も補修したくなり、暇に任せサランネットの補修し仕上げます。

サランネットの塗装は黒のつや消しを塗り、サイドはニスを塗り仕上げます。

『AXIOM 80』ARU付の紹介記事にこのARU付を付けた事に賞賛の記事があり、中低域の充実が伺えます。今更ながらTANNOYのオートグラフもバックロードホーン形式で鳴らしている、最近はトール型のバックロードホーンも多く自然な中低域が聴きたければトール型のバックロードホーン方式のスピーカーが良いのかも知れません?

筆者の友人もこの安価なトールボックスのシステムで音楽愛好するならこの辺りで十分と言ってますが実に頷ける言葉とも感じる、システムよりソフトだと、実に納得してしまう・・・今回の物は『AXIOM 80 』

ARU付の物ですが、さてどの様な音が出るのかとても楽しみです。現在某運送会社が破損した片方を持ち帰ってたが、その後なんの連絡も無いのが心配である。此の改造でふっくらした低域が響く後はあの燻銀の音が出れば確かに飽きのこない美しい音が響くのかも知れない?現在最新の市販しているスピーカーには出せない音が筆者の部屋でなればいいのですが・・?

この際、IIILZ in Cabinetの骨の髄までしゃぶって見ようと思います。ブラボー!
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/41838faa3ee261355198074309836402
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c49

[経世済民132] 日本の観光地、なぜこれほど「残念」なのか 優先すべきは情報発信より中身の「整備」(ニューズウィーク) 赤かぶ
1. 中川隆[-9927] koaQ7Jey 2019年5月30日 22:39:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2426]
外人が来たら円高になるから日本に利益は無いんだよ

観光客を拒絶するのが一番いい
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/502.html#c1

[お知らせ・管理21] 2019年05月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
174. 中川隆[-9929] koaQ7Jey 2019年5月31日 08:06:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2424]
>そもそもコメント数を増やして順位を上げようなどという不正を働く者は
阿修羅の投稿者にはいませんし

僕がやってるだろ
1コメントすると500円貰えるんだ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c174

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
25. 中川隆[-9928] koaQ7Jey 2019年5月31日 09:48:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2426]

【唯我】みんなのフルレンジ17ペア目【独尊】 [転載禁止]©2ch.net
https://mint.5ch.net/test/read.cgi/pav/1441833585/


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/06(金) 21:37:14.64 ID:dYySkH7g

フルレンジの魅力にハマりました 半年前から。
ダイトーボイスの安価な12cm フィクスドエッジで、マグネットが小さいユニット。
音はかなりのナローレンジだけど音の出方がサラッとして心地いい。
1m程度の距離で、小音量で聴くのが合う。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/06(金) 21:47:40.04 ID:xIOiPROG
>>55
フィックスドエッジといえば、昔は当たり前だった
40年前のアシダボックスの16cm がオクで一本3万で取引される現代
この手のユニットは、音は最高にいいよ


629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 20:12:48.67 ID:M9FhUdud

オクでアシダの16センチがペアで7万だと!

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 23:13:19.06 ID:RTR4f2Wy

アシダボックスは昔から物がなかったから仕方ないんだよ


632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 20:24:06.19 ID:gCQ7OveU

アシダは二度と作れないロストテクノロジーだからねー。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 20:53:44.98 ID:IaAnyY9I

日本の6半が再評価されるのはいいことだが
JBLの LE8Tより高いかもw

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:25:56.91 ID:15q//tCB
>>633
再評価じゃなくて単なるノスタルジーじゃないのかな?
かまぼこ特性の古レンジだったと思ったよ、能率は高いけどね

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:36:06.39 ID:IaAnyY9I

音は悪くないよ
今の製品にはない良さもある
つうか80年代くらいまで作ってたんじゃね?
気軽に買えるときに100ペアほど買っておけば大もうけできたなw

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:54:04.21 ID:IaAnyY9I

ググったらこんなのみつけた

ASHIDAVOX ( アシダボックス ) / ST-12
http://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/137313/


昔のヘッドフォンのようなデザイン、たんに進化しなかっただけのような…
今となってはレトロでかわいいかな、アシダボックスファンにおすすめw

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 23:18:51.43 ID:G1AE1s8k

自作に目覚めた小学生の頃、アシダヴォックスの見た目のダサさに、なんでこんなのが高いんだろうと思ってた
当時カッコイイと思ってたのはコーラルやパイオニアのアルミフレームだった

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 20:56:14.08 ID:RRPfIMIt

古レンジはツイーターが必要だな、俺の場合
アルニコ時代の国産16cmユニットでも、13〜15kHzくらいまでフラットに出るのも少なくない
ドイツ製フルレンジより実用的で値段も手頃なので、オクで千円くらいの国産古レンジがおすすめ

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 22:43:17.56 ID:3mpN7OQC

p-610なりpe-16なり、それこそASHIDAのロクハンやパナのそれも使ったけど、ドイツやアメリカのフィックスエッジにはとても敵わない。コスパは別にして。

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 23:13:44.78 ID:RRPfIMIt

国産ユニットでもフィックスドEはたくさんあるよ
音はジェンセンと比べても、大差ないユニットもある
周波数特性は国産のほうがいいと思う、ツイーターをつなげるにしても隠し味程度ですむ

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 07:14:02.35 ID:tdAcmD2R

ドイツの太古ユニットって、コーンやダンパーが相当劣化してるだろw
もっとも聴いてる人の耳も劣化してるから問題ないかwww

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 08:16:01.83 ID:DryrudvC
>>752
禿同、劣化した耳で古い球アンプとよれよれのプレーヤーを使って聴くとちょうど良い
今のシステムでは使いもんにならんのじゃないかな

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 09:44:07.76 ID:V2wNB+Pi
>>752
劣化とみるか熟成とみるか

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 11:25:21.46 ID:fS8tnbh2

劣化してるのもあればしていないものもある。
何でも良い訳では無いのは当たり前。
もちろんアナログだけで無くCDのような欠損音源にも対応してまっせー。

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 11:57:25.01 ID:XgY4gUJ/

腐敗と発酵が同じ現象なのと同様、
劣化と熟成も人の見方によって呼び方が異なるだけで
同じ現象だ。


758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 20:15:48.65 ID:a5AvPEW+

国産のユニットでも40年以上経過したものは
たとえフィックスドでも切れ目が入ったり腐ってるのが多いよ
日本は湿度が高いからか、もうしょうがないんだけどね

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 21:25:38.51 ID:Dbg7VK6Y

国産古レンジはコーン紙がコストかけずに作られてて、そもそもの耐久性無いんで基本的にダメ。


761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 23:00:50.89 ID:a5AvPEW+

国産の六半フィックスドエッジのユニットは、エッジの部分だけ薄く漉くなど
高度な職人技のたまものだよ、だからこそ価値がある

アメリカやドイツやイギリスのスピーカーが悪いとは言わないけど
日本のが劣ってた訳でもないと思う

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 23:44:45.30 ID:eW6SG7EI

歩留まり(コスト)気にして作った国産メーカーのコーン紙は耐久性無いの

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 00:23:33.86 ID:77o8psCX

国産メーカーの年代物ユニットは現存数がほとんどゼロだから
アシダボックスなんか、オクなんかでも数万円で売買されてる

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 01:07:03.00 ID:WcUHyyfS

アシダボックスは例外、
販売数は少ないようだし、早くから市場からなくなっていたし
で、変なプレミア感が付いてしまった

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:08:24.88 ID:MhIbrACe
>>751
ジェンセンと比べて大差ない国産のやつ
おせーて下さい。先生。


766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:33:11.65 ID:YHtzwDG4
>>765 アシダボックスとかかな
逆にジェンセンでいい音するユニットって知らないわ、
20センチ以下で楽器用とかは細かい音がしないのは確認済み

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:36:36.89 ID:woI6GL2L

JENSENの個性に敵う国産古レンジこそ知らんげど。
アシダなんて希少性だけで駄物やん。
つまらん音出してる。

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:13:44.08 ID:/UMo2IkX

押入に仕舞ってあるドイツの8インチフィールドタイプ
気になって調べてみたらエッジはまだ痛んでないものの
よくみたらエッジの部分だけ薄く漉いてあった

時々無償に聴きたくなって引っ張り出してセットするんだけど
やっぱりツイーターが無いと落ち着かない

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:51:38.15 ID:H7du4gu9
>>766
ASHIDAVOXってビンテージですか。

現行品でほどほどで良いので
(っても作る価値のあるレベルのもの)
入門に丁度良いの教えて下さい。
あ、別に国産でなくても良いです。



775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 22:07:11.87 ID:slcWcmI5
>>772
初心者でフィックスドEのユニットに興味あるなら、現行品なら ダイトーボイスDS-16


773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:53:29.64 ID:H7du4gu9
>>766
ASHIDAVOX 8P-HF1でしょうか?
確かに凄そうですね。
でも高いです。

http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 17:35:00.64 ID:T9uPNHX
>>773
話半分か三分の一、良いとこだけを聴く聴き方だと凄いってことになるね
そんなにいいものだったら他社がまねしているし、大量に売れたはずだよ

>>772
入門って古レンジ入門なの? それともフルレンジ使ってSPシステム自作?
後者だったらとりあえずフォスのカンスピで遊んでみたら


787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 18:14:32.28 ID:dbzLXqXf
>>774
入門じゃないです。
古レンジのような味のあるのを
作りたいだけなので、
現行品の方が入手も容易なので
ありがたいてやすね。

前にも書きましたが、
マークオーディオはもう飽きましたから。

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 18:31:33.83 ID:dbzLXqXf
>>787
ASHIDAVOX 6P-HF1 8P-HF1
エルシー電機 LC-12S
レベルの現行品て無いのでしょうか?


791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 13:56:23.63 ID:942tVcD1
>>787
>古レンジのような味のあるのを作りたい
>マークオーディオはもう飽きましたから


これって、何か誤解してないかい?
スピーカーで変換器だから忠実に変換してくれればいいんだけど
そこで変なものを付け足したり、引いたりしたらダメジャマイカ
技術的にムズイからなかなか忠実な変換までは到達してないけど
わざわざそういう世界にこちらから飛び込むのはどうかと思うぞ

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 15:29:37.03 ID:ReQESSQr
>>791
なに無粋なこと言ってるんだ
録音時に失われた物を想像であれこれ足すのがたのしいんだ

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 16:02:55.18 ID:7gvg+IeO

マークオーディオってめちゃいい音出せるけど飽きる音ってのはなんかわかる
妙に聴き疲れすると言うか

限定のは聞いたことないから全部が全部ではないんだろうけど

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 17:21:56.18 ID:lZbZ5Olw

何かを得れば何かを失う
そして何年かすると古〜〜いスピーカーにも
スポットライトがまた当たる日が来る
むしろ新鮮に聴こえる
意外と昔から完成度は高かったし、何十年の蓄積があるから
そうやって楽しむだけでもいくらでも楽しめるわけだ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 18:29:17.72 ID:6m4ZqZcN
>>793
聴き疲れは無いですし、
新型の高級2wayのようなのが音が
フルレンジから出てきて毎度びっくりですけど、
濃い音は出ないんですね。

飽きたというより
全く違う系統の音が聞きたくなった
感じでしょうか。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 23:11:42.72 ID:e5QLrlzS

ゴムエッジやウレタンエッジは、コーンの動きは確かにいいけど
ゴムやウレタンでコーン紙の振動をダンプする働きもあるんかな
おとなしい音の傾向だし

フィックスドエッジは反応もいいし、ハッキリした音の傾向
ダメなユニットは歪みっぽさがあるけど

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/24(月) 09:51:57.04 ID:bHQNP1Xi
>>796
フィックストは、その部分からも音が出るものが多いからね
特に高音に色付けがあるんじゃないだろうか
それがハッキリした音とか歪みっぽさになるじゃないだろうか

エッジから音を出さないようにするウレタンエッジのほうが忠実度は高いんだろう。


799 :796:2017/04/24(月) 22:04:06.99 ID:5sdjD14Y
>>797
ほとんどのフィックスドのユニットはそこまで酷くないけど
むしろフィックスドのほうが忠実度再生かと思うが

>>783 にうpされた音を聴いてもわかるが、なかなか出せない音してるわ

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 09:51:20.70 ID:meXf7WEe
>>799
>フィックスドのほうが忠実度再生

なぜに?kwsk

>>783にうp
聞いてきた。
丸尾再音の削がれた音とか、オールホーン3wayの全開風の音とか聴くと
はぁ、となったよ。

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 22:17:15.84 ID:mTAFvQls

フィックスドはギターの弦を弾く音とか、ジャリーンと激しく生々しい
ダンプされてないから出せる音なんだろう 
フリーエッジは弦を軽く押さえて響きをセーブした感じか


http://dp00000116.shop-pro.jp/?pid=85211075

あとはオークションでナショナルやビクター等のユニットを2千円くらいで落とすとか

高価でレアなユニットが音がいいとは限らないし、最初はこのあたりで遊んでたほうがいろいろ勉強になるよ
アンプは6BQ5あたりの安いアンプがおすすめ あくまで俺の好みだけど 👀

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 22:13:59.63 ID:CZfr+y

ダイトーはアシダ未満だけど安く遊ぶにはちょうど良いかもね。


778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 11:38:54.87 ID:p5w0cfwH

アシダはね、生産されているときはそんなに評価は高くなかったんだよね。

たしかにmoは小さかったけど同時にマグネットも小さくショボかったし、当時はフィックスエッジはフリーエッジより旧式で劣るものというイメージだったし。

岩崎千明氏のD130や高城重躬氏のP610、長岡鉄男氏のFE103のような推薦する評論家もいなかった。

なんか、ステレオ誌の後ろの方に自画自賛の文字ばっかりの広告が載っていたなぐらいのイメージだった。


780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 13:51:05.20 ID:w+SEwaZA

長岡鉄男氏は、マイ・ステレオ作戦で 6P-HF1 を推奨してたよ。


779 :778:2017/04/21(金) 11:47:45.26 ID:p5w0cfwH

高校の時、先輩が

「アシダいいよ〜。コーンが薄くて軽くて。」

と激賞していたのを

「えー、アシダですか? なんかショボくないですか。」

と応えていた自分を叱りつけたい。

あのとき聞いていて、10ペアぐらい買い占めていれば大儲けできたかもしれないのに。 (チョット、マテ!!)


781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 15:37:22.19 ID:LjQ+GOwU

今更国産古レンジなんて買っても、
コーン紙がヘタってて使い物にならん。


782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 19:39:56.99 ID:n+lsMvEx

アシダボックス、復刻してくれないかな 
他のメーカーのでもいいけど現行品でアルニコ フィックスドってなかなかいいのが無いんだよね
できれば中国じゃなくて国産で ペアで4万くらいならいいな

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 15:29:23.10 ID:zVMMYcsQ
>>782
手漉きの職人さんが亡くなられていて無理らしいです。

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 19:49:42.33 ID:

フルレンジスピーカー・アシダボックス16pを真空管EL34単段シングルアンプで鳴らす。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=l2cFOIufUYk&feature=youtu.be


良さそうではある
フィクスドエッジ、アルニコの小さなマグネット、っていうユニットは
ラジオ用なんかで良くあったもので、確かに独特の良さはある

今となっては珍しいから余計良く聴こえるという面もあるんじゃないか?w

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 13:25:03.52 ID:TkMA+Wra
>>783
他人の庭、ってやつかな
文明国から非文明国に旅行に行って我々が失ったものがある、とか感激するのと同じだね

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 01:19:56.01 ID:66zgTVW/

昔はフルレンジのスタンダードは16cmだった、今は8cm?
技術革新で小型でも低音が出るようになった、って言われてるけど
単に慣れただけのような気がするwww
昔の人は基準が生だった、今は生まれた時からスピーカーに慣れ親しんでるから
そういうのも影響あるのかも


815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 07:27:02.36 ID:JVwCbk2T
>>814
tangband w3-2141 きた、4.5Lくらいの密閉箱に入れた
はじめは、高音が出ないなあ、と思ったが、鳴らしていくと気にならなくなった。
本当によくできてると思う、最近の8cmフルレンジ
古レンジもそれなりに使ったけど、元に戻る気はしない。

昔16cm、今8cmというのは合っているんじゃないかな
素材の開発が進んだのと設計技術、とくにシミュレーションが進んだのが大きいと思うよ

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 09:15:44.07 ID:gE2CHoKp
>>814
基準が生と言っても小さい時から楽器習ってて、ごく近距離で聞いて育ったのと
少し離れた客席から聞いて育ったのとでは結構違うと思う

昔の16cmでも少しきついし、今の8cmじゃやっぱ無理

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 10:47:52.33 ID:ExUgA7eQ
>>816,>>814
音楽を意識しながら設計するのと、ほとんどを数値で設計するのとは違ってくるね

今の8cm、10cm、昔の16cmでバスレフにしても50Hzから下は急に落ち込むから
30Hzなんて出ないよね、30Hzが出ないと臨場感というのかなぁ、無いね
床を歩く音とか、何かを叩く音とかはダメダメだね

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:48:08.65 ID:9X+WrIRZ13cm-

16cmのフルレンジを片方に2つ使う場合、普通の2ウェイと同じようにネットワークが必要になるのかな?
ネットワークが要らなければ箱をどうするかだけになって、楽になるんだけど

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:56:51.97 ID:vK4k44xY

ネットワークがナゼ必要なのか考えたらわかるでしょ

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:57:15.32 ID:m0pEP3ol
>>877
フルレンジなのにどんな目的のネットワーク付けるのか逆に聞きたい

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 16:26:09.76 ID:/xVc6T90

きっと高音と低音分けるんだよ

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 17:21:49.72 ID:9X+WrIRZ
>>878
自己解決した
素直に20cmフルレンジを1つずつ、でやってみるかな

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 18:04:28.48 ID:0eotrLEe

低音が欲しいのかな
素直に2wayにする手もあるよ
アッテネーターなしで6db/octクロスならコイル1個とコンデンサ1個だけ 2ch分なら2つずつ
フルレンジなら8cm(3インチ)がバランス取れてるよ
低価格でおすすめはTangBand やすくていろいろ種類がある ポリコーンのやつは定評がある
あとは定番のFostexとかロングストロークのMarkAudioとか耳に優しいParcとか2インチに強いPeerlessとか

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 18:32:44.25 ID:/8xcRmnG

まあ、8インチフルレンジも捨てがたい魅力有るよね
+ツイーター必須だけど
フルレンジは3、5、8インチの3種それぞれを使い分けるのが好き

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 20:04:09.10 ID:71aTryYh

ワシは6.5インチ2発をパラレルで使ってる。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 21:25:38.15 ID:syGLn8wL
>>877
別に否定するわけじゃないよ。
二発ずつ使うというのがわからない。

音のハリだとか、混変調の改善とかが狙いだと思う。
だけど二発というのが中途半端。

経験上、二発が一番デメリット大きい。高域が暴れて音程ごとで違う響きに聞こえる。
うまく距離を合わせるの無理だよ。

しかし、これが三発四発になると不思議に落ち着いてきて、メリットである浸透力が出てくる。
最高六発使ったことあるが、これはやり過ぎか。

まあ、二発使うなら、一方に高域減衰フィルタ入れるか、背面に付けるかした方がいいよ。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 21:46:11.45 ID:1KBVdiTo
>>886
こういう製品があるのだら、自作でもフルレンジ使って出来るよね

https://www.revox.com/en/loudspeaker/aluminium-design-s/prestige.html

WO4発、MID1発、TW1発だ。 フルレンジ4発にTW1発でどうだろう?
そこまでやるんだったらWOも入れてf特平坦化する方が良いかもね

https://mint.5ch.net/test/read.cgi/pav/1441833585/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c25

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
117. 中川隆[-9927] koaQ7Jey 2019年5月31日 09:49:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2427]

【唯我】みんなのフルレンジ17ペア目【独尊】 [転載禁止]©2ch.net
https://mint.5ch.net/test/read.cgi/pav/1441833585/


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/06(金) 21:37:14.64 ID:dYySkH7g

フルレンジの魅力にハマりました 半年前から。
ダイトーボイスの安価な12cm フィクスドエッジで、マグネットが小さいユニット。
音はかなりのナローレンジだけど音の出方がサラッとして心地いい。
1m程度の距離で、小音量で聴くのが合う。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/06(金) 21:47:40.04 ID:xIOiPROG
>>55
フィックスドエッジといえば、昔は当たり前だった
40年前のアシダボックスの16cm がオクで一本3万で取引される現代
この手のユニットは、音は最高にいいよ


629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 20:12:48.67 ID:M9FhUdud

オクでアシダの16センチがペアで7万だと!

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 23:13:19.06 ID:RTR4f2Wy

アシダボックスは昔から物がなかったから仕方ないんだよ


632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 20:24:06.19 ID:gCQ7OveU

アシダは二度と作れないロストテクノロジーだからねー。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 20:53:44.98 ID:IaAnyY9I

日本の6半が再評価されるのはいいことだが
JBLの LE8Tより高いかもw

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:25:56.91 ID:15q//tCB
>>633
再評価じゃなくて単なるノスタルジーじゃないのかな?
かまぼこ特性の古レンジだったと思ったよ、能率は高いけどね

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:36:06.39 ID:IaAnyY9I

音は悪くないよ
今の製品にはない良さもある
つうか80年代くらいまで作ってたんじゃね?
気軽に買えるときに100ペアほど買っておけば大もうけできたなw

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:54:04.21 ID:IaAnyY9I

ググったらこんなのみつけた

ASHIDAVOX ( アシダボックス ) / ST-12
http://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/137313/


昔のヘッドフォンのようなデザイン、たんに進化しなかっただけのような…
今となってはレトロでかわいいかな、アシダボックスファンにおすすめw

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 23:18:51.43 ID:G1AE1s8k

自作に目覚めた小学生の頃、アシダヴォックスの見た目のダサさに、なんでこんなのが高いんだろうと思ってた
当時カッコイイと思ってたのはコーラルやパイオニアのアルミフレームだった

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 20:56:14.08 ID:RRPfIMIt

古レンジはツイーターが必要だな、俺の場合
アルニコ時代の国産16cmユニットでも、13〜15kHzくらいまでフラットに出るのも少なくない
ドイツ製フルレンジより実用的で値段も手頃なので、オクで千円くらいの国産古レンジがおすすめ

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 22:43:17.56 ID:3mpN7OQC

p-610なりpe-16なり、それこそASHIDAのロクハンやパナのそれも使ったけど、ドイツやアメリカのフィックスエッジにはとても敵わない。コスパは別にして。

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 23:13:44.78 ID:RRPfIMIt

国産ユニットでもフィックスドEはたくさんあるよ
音はジェンセンと比べても、大差ないユニットもある
周波数特性は国産のほうがいいと思う、ツイーターをつなげるにしても隠し味程度ですむ

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 07:14:02.35 ID:tdAcmD2R

ドイツの太古ユニットって、コーンやダンパーが相当劣化してるだろw
もっとも聴いてる人の耳も劣化してるから問題ないかwww

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 08:16:01.83 ID:DryrudvC
>>752
禿同、劣化した耳で古い球アンプとよれよれのプレーヤーを使って聴くとちょうど良い
今のシステムでは使いもんにならんのじゃないかな

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 09:44:07.76 ID:V2wNB+Pi
>>752
劣化とみるか熟成とみるか

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 11:25:21.46 ID:fS8tnbh2

劣化してるのもあればしていないものもある。
何でも良い訳では無いのは当たり前。
もちろんアナログだけで無くCDのような欠損音源にも対応してまっせー。

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 11:57:25.01 ID:XgY4gUJ/

腐敗と発酵が同じ現象なのと同様、
劣化と熟成も人の見方によって呼び方が異なるだけで
同じ現象だ。


758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 20:15:48.65 ID:a5AvPEW+

国産のユニットでも40年以上経過したものは
たとえフィックスドでも切れ目が入ったり腐ってるのが多いよ
日本は湿度が高いからか、もうしょうがないんだけどね

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 21:25:38.51 ID:Dbg7VK6Y

国産古レンジはコーン紙がコストかけずに作られてて、そもそもの耐久性無いんで基本的にダメ。


761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 23:00:50.89 ID:a5AvPEW+

国産の六半フィックスドエッジのユニットは、エッジの部分だけ薄く漉くなど
高度な職人技のたまものだよ、だからこそ価値がある

アメリカやドイツやイギリスのスピーカーが悪いとは言わないけど
日本のが劣ってた訳でもないと思う

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 23:44:45.30 ID:eW6SG7EI

歩留まり(コスト)気にして作った国産メーカーのコーン紙は耐久性無いの

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 00:23:33.86 ID:77o8psCX

国産メーカーの年代物ユニットは現存数がほとんどゼロだから
アシダボックスなんか、オクなんかでも数万円で売買されてる

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 01:07:03.00 ID:WcUHyyfS

アシダボックスは例外、
販売数は少ないようだし、早くから市場からなくなっていたし
で、変なプレミア感が付いてしまった

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:08:24.88 ID:MhIbrACe
>>751
ジェンセンと比べて大差ない国産のやつ
おせーて下さい。先生。


766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:33:11.65 ID:YHtzwDG4
>>765 アシダボックスとかかな
逆にジェンセンでいい音するユニットって知らないわ、
20センチ以下で楽器用とかは細かい音がしないのは確認済み

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:36:36.89 ID:woI6GL2L

JENSENの個性に敵う国産古レンジこそ知らんげど。
アシダなんて希少性だけで駄物やん。
つまらん音出してる。

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:13:44.08 ID:/UMo2IkX

押入に仕舞ってあるドイツの8インチフィールドタイプ
気になって調べてみたらエッジはまだ痛んでないものの
よくみたらエッジの部分だけ薄く漉いてあった

時々無償に聴きたくなって引っ張り出してセットするんだけど
やっぱりツイーターが無いと落ち着かない

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:51:38.15 ID:H7du4gu9
>>766
ASHIDAVOXってビンテージですか。

現行品でほどほどで良いので
(っても作る価値のあるレベルのもの)
入門に丁度良いの教えて下さい。
あ、別に国産でなくても良いです。



775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 22:07:11.87 ID:slcWcmI5
>>772
初心者でフィックスドEのユニットに興味あるなら、現行品なら ダイトーボイスDS-16


773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:53:29.64 ID:H7du4gu9
>>766
ASHIDAVOX 8P-HF1でしょうか?
確かに凄そうですね。
でも高いです。

http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 17:35:00.64 ID:T9uPNHX
>>773
話半分か三分の一、良いとこだけを聴く聴き方だと凄いってことになるね
そんなにいいものだったら他社がまねしているし、大量に売れたはずだよ

>>772
入門って古レンジ入門なの? それともフルレンジ使ってSPシステム自作?
後者だったらとりあえずフォスのカンスピで遊んでみたら


787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 18:14:32.28 ID:dbzLXqXf
>>774
入門じゃないです。
古レンジのような味のあるのを
作りたいだけなので、
現行品の方が入手も容易なので
ありがたいてやすね。

前にも書きましたが、
マークオーディオはもう飽きましたから。

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 18:31:33.83 ID:dbzLXqXf
>>787
ASHIDAVOX 6P-HF1 8P-HF1
エルシー電機 LC-12S
レベルの現行品て無いのでしょうか?


791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 13:56:23.63 ID:942tVcD1
>>787
>古レンジのような味のあるのを作りたい
>マークオーディオはもう飽きましたから


これって、何か誤解してないかい?
スピーカーで変換器だから忠実に変換してくれればいいんだけど
そこで変なものを付け足したり、引いたりしたらダメジャマイカ
技術的にムズイからなかなか忠実な変換までは到達してないけど
わざわざそういう世界にこちらから飛び込むのはどうかと思うぞ

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 15:29:37.03 ID:ReQESSQr
>>791
なに無粋なこと言ってるんだ
録音時に失われた物を想像であれこれ足すのがたのしいんだ

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 16:02:55.18 ID:7gvg+IeO

マークオーディオってめちゃいい音出せるけど飽きる音ってのはなんかわかる
妙に聴き疲れすると言うか

限定のは聞いたことないから全部が全部ではないんだろうけど

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 17:21:56.18 ID:lZbZ5Olw

何かを得れば何かを失う
そして何年かすると古〜〜いスピーカーにも
スポットライトがまた当たる日が来る
むしろ新鮮に聴こえる
意外と昔から完成度は高かったし、何十年の蓄積があるから
そうやって楽しむだけでもいくらでも楽しめるわけだ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 18:29:17.72 ID:6m4ZqZcN
>>793
聴き疲れは無いですし、
新型の高級2wayのようなのが音が
フルレンジから出てきて毎度びっくりですけど、
濃い音は出ないんですね。

飽きたというより
全く違う系統の音が聞きたくなった
感じでしょうか。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 23:11:42.72 ID:e5QLrlzS

ゴムエッジやウレタンエッジは、コーンの動きは確かにいいけど
ゴムやウレタンでコーン紙の振動をダンプする働きもあるんかな
おとなしい音の傾向だし

フィックスドエッジは反応もいいし、ハッキリした音の傾向
ダメなユニットは歪みっぽさがあるけど

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/24(月) 09:51:57.04 ID:bHQNP1Xi
>>796
フィックストは、その部分からも音が出るものが多いからね
特に高音に色付けがあるんじゃないだろうか
それがハッキリした音とか歪みっぽさになるじゃないだろうか

エッジから音を出さないようにするウレタンエッジのほうが忠実度は高いんだろう。


799 :796:2017/04/24(月) 22:04:06.99 ID:5sdjD14Y
>>797
ほとんどのフィックスドのユニットはそこまで酷くないけど
むしろフィックスドのほうが忠実度再生かと思うが

>>783 にうpされた音を聴いてもわかるが、なかなか出せない音してるわ

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 09:51:20.70 ID:meXf7WEe
>>799
>フィックスドのほうが忠実度再生

なぜに?kwsk

>>783にうp
聞いてきた。
丸尾再音の削がれた音とか、オールホーン3wayの全開風の音とか聴くと
はぁ、となったよ。

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 22:17:15.84 ID:mTAFvQls

フィックスドはギターの弦を弾く音とか、ジャリーンと激しく生々しい
ダンプされてないから出せる音なんだろう 
フリーエッジは弦を軽く押さえて響きをセーブした感じか


http://dp00000116.shop-pro.jp/?pid=85211075

あとはオークションでナショナルやビクター等のユニットを2千円くらいで落とすとか

高価でレアなユニットが音がいいとは限らないし、最初はこのあたりで遊んでたほうがいろいろ勉強になるよ
アンプは6BQ5あたりの安いアンプがおすすめ あくまで俺の好みだけど 👀

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 22:13:59.63 ID:CZfr+y

ダイトーはアシダ未満だけど安く遊ぶにはちょうど良いかもね。


778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 11:38:54.87 ID:p5w0cfwH

アシダはね、生産されているときはそんなに評価は高くなかったんだよね。

たしかにmoは小さかったけど同時にマグネットも小さくショボかったし、当時はフィックスエッジはフリーエッジより旧式で劣るものというイメージだったし。

岩崎千明氏のD130や高城重躬氏のP610、長岡鉄男氏のFE103のような推薦する評論家もいなかった。

なんか、ステレオ誌の後ろの方に自画自賛の文字ばっかりの広告が載っていたなぐらいのイメージだった。


780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 13:51:05.20 ID:w+SEwaZA

長岡鉄男氏は、マイ・ステレオ作戦で 6P-HF1 を推奨してたよ。


779 :778:2017/04/21(金) 11:47:45.26 ID:p5w0cfwH

高校の時、先輩が

「アシダいいよ〜。コーンが薄くて軽くて。」

と激賞していたのを

「えー、アシダですか? なんかショボくないですか。」

と応えていた自分を叱りつけたい。

あのとき聞いていて、10ペアぐらい買い占めていれば大儲けできたかもしれないのに。 (チョット、マテ!!)


781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 15:37:22.19 ID:LjQ+GOwU

今更国産古レンジなんて買っても、
コーン紙がヘタってて使い物にならん。


782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 19:39:56.99 ID:n+lsMvEx

アシダボックス、復刻してくれないかな 
他のメーカーのでもいいけど現行品でアルニコ フィックスドってなかなかいいのが無いんだよね
できれば中国じゃなくて国産で ペアで4万くらいならいいな

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 15:29:23.10 ID:zVMMYcsQ
>>782
手漉きの職人さんが亡くなられていて無理らしいです。

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 19:49:42.33 ID:

フルレンジスピーカー・アシダボックス16pを真空管EL34単段シングルアンプで鳴らす。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=l2cFOIufUYk&feature=youtu.be


良さそうではある
フィクスドエッジ、アルニコの小さなマグネット、っていうユニットは
ラジオ用なんかで良くあったもので、確かに独特の良さはある

今となっては珍しいから余計良く聴こえるという面もあるんじゃないか?w

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 13:25:03.52 ID:TkMA+Wra
>>783
他人の庭、ってやつかな
文明国から非文明国に旅行に行って我々が失ったものがある、とか感激するのと同じだね

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 01:19:56.01 ID:66zgTVW/

昔はフルレンジのスタンダードは16cmだった、今は8cm?
技術革新で小型でも低音が出るようになった、って言われてるけど
単に慣れただけのような気がするwww
昔の人は基準が生だった、今は生まれた時からスピーカーに慣れ親しんでるから
そういうのも影響あるのかも


815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 07:27:02.36 ID:JVwCbk2T
>>814
tangband w3-2141 きた、4.5Lくらいの密閉箱に入れた
はじめは、高音が出ないなあ、と思ったが、鳴らしていくと気にならなくなった。
本当によくできてると思う、最近の8cmフルレンジ
古レンジもそれなりに使ったけど、元に戻る気はしない。

昔16cm、今8cmというのは合っているんじゃないかな
素材の開発が進んだのと設計技術、とくにシミュレーションが進んだのが大きいと思うよ

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 09:15:44.07 ID:gE2CHoKp
>>814
基準が生と言っても小さい時から楽器習ってて、ごく近距離で聞いて育ったのと
少し離れた客席から聞いて育ったのとでは結構違うと思う

昔の16cmでも少しきついし、今の8cmじゃやっぱ無理

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 10:47:52.33 ID:ExUgA7eQ
>>816,>>814
音楽を意識しながら設計するのと、ほとんどを数値で設計するのとは違ってくるね

今の8cm、10cm、昔の16cmでバスレフにしても50Hzから下は急に落ち込むから
30Hzなんて出ないよね、30Hzが出ないと臨場感というのかなぁ、無いね
床を歩く音とか、何かを叩く音とかはダメダメだね

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:48:08.65 ID:9X+WrIRZ13cm-

16cmのフルレンジを片方に2つ使う場合、普通の2ウェイと同じようにネットワークが必要になるのかな?
ネットワークが要らなければ箱をどうするかだけになって、楽になるんだけど

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:56:51.97 ID:vK4k44xY

ネットワークがナゼ必要なのか考えたらわかるでしょ

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:57:15.32 ID:m0pEP3ol
>>877
フルレンジなのにどんな目的のネットワーク付けるのか逆に聞きたい

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 16:26:09.76 ID:/xVc6T90

きっと高音と低音分けるんだよ

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 17:21:49.72 ID:9X+WrIRZ
>>878
自己解決した
素直に20cmフルレンジを1つずつ、でやってみるかな

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 18:04:28.48 ID:0eotrLEe

低音が欲しいのかな
素直に2wayにする手もあるよ
アッテネーターなしで6db/octクロスならコイル1個とコンデンサ1個だけ 2ch分なら2つずつ
フルレンジなら8cm(3インチ)がバランス取れてるよ
低価格でおすすめはTangBand やすくていろいろ種類がある ポリコーンのやつは定評がある
あとは定番のFostexとかロングストロークのMarkAudioとか耳に優しいParcとか2インチに強いPeerlessとか

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 18:32:44.25 ID:/8xcRmnG

まあ、8インチフルレンジも捨てがたい魅力有るよね
+ツイーター必須だけど
フルレンジは3、5、8インチの3種それぞれを使い分けるのが好き

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 20:04:09.10 ID:71aTryYh

ワシは6.5インチ2発をパラレルで使ってる。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 21:25:38.15 ID:syGLn8wL
>>877
別に否定するわけじゃないよ。
二発ずつ使うというのがわからない。

音のハリだとか、混変調の改善とかが狙いだと思う。
だけど二発というのが中途半端。

経験上、二発が一番デメリット大きい。高域が暴れて音程ごとで違う響きに聞こえる。
うまく距離を合わせるの無理だよ。

しかし、これが三発四発になると不思議に落ち着いてきて、メリットである浸透力が出てくる。
最高六発使ったことあるが、これはやり過ぎか。

まあ、二発使うなら、一方に高域減衰フィルタ入れるか、背面に付けるかした方がいいよ。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 21:46:11.45 ID:1KBVdiTo
>>886
こういう製品があるのだら、自作でもフルレンジ使って出来るよね

https://www.revox.com/en/loudspeaker/aluminium-design-s/prestige.html

WO4発、MID1発、TW1発だ。 フルレンジ4発にTW1発でどうだろう?
そこまでやるんだったらWOも入れてf特平坦化する方が良いかもね

https://mint.5ch.net/test/read.cgi/pav/1441833585/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c117

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
106. 中川隆[-9926] koaQ7Jey 2019年5月31日 09:49:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2428]

【唯我】みんなのフルレンジ17ペア目【独尊】 [転載禁止]©2ch.net
https://mint.5ch.net/test/read.cgi/pav/1441833585/


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/06(金) 21:37:14.64 ID:dYySkH7g

フルレンジの魅力にハマりました 半年前から。
ダイトーボイスの安価な12cm フィクスドエッジで、マグネットが小さいユニット。
音はかなりのナローレンジだけど音の出方がサラッとして心地いい。
1m程度の距離で、小音量で聴くのが合う。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/06(金) 21:47:40.04 ID:xIOiPROG
>>55
フィックスドエッジといえば、昔は当たり前だった
40年前のアシダボックスの16cm がオクで一本3万で取引される現代
この手のユニットは、音は最高にいいよ


629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 20:12:48.67 ID:M9FhUdud

オクでアシダの16センチがペアで7万だと!

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 23:13:19.06 ID:RTR4f2Wy

アシダボックスは昔から物がなかったから仕方ないんだよ


632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 20:24:06.19 ID:gCQ7OveU

アシダは二度と作れないロストテクノロジーだからねー。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 20:53:44.98 ID:IaAnyY9I

日本の6半が再評価されるのはいいことだが
JBLの LE8Tより高いかもw

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:25:56.91 ID:15q//tCB
>>633
再評価じゃなくて単なるノスタルジーじゃないのかな?
かまぼこ特性の古レンジだったと思ったよ、能率は高いけどね

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:36:06.39 ID:IaAnyY9I

音は悪くないよ
今の製品にはない良さもある
つうか80年代くらいまで作ってたんじゃね?
気軽に買えるときに100ペアほど買っておけば大もうけできたなw

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 21:54:04.21 ID:IaAnyY9I

ググったらこんなのみつけた

ASHIDAVOX ( アシダボックス ) / ST-12
http://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/137313/


昔のヘッドフォンのようなデザイン、たんに進化しなかっただけのような…
今となってはレトロでかわいいかな、アシダボックスファンにおすすめw

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 23:18:51.43 ID:G1AE1s8k

自作に目覚めた小学生の頃、アシダヴォックスの見た目のダサさに、なんでこんなのが高いんだろうと思ってた
当時カッコイイと思ってたのはコーラルやパイオニアのアルミフレームだった

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 20:56:14.08 ID:RRPfIMIt

古レンジはツイーターが必要だな、俺の場合
アルニコ時代の国産16cmユニットでも、13〜15kHzくらいまでフラットに出るのも少なくない
ドイツ製フルレンジより実用的で値段も手頃なので、オクで千円くらいの国産古レンジがおすすめ

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 22:43:17.56 ID:3mpN7OQC

p-610なりpe-16なり、それこそASHIDAのロクハンやパナのそれも使ったけど、ドイツやアメリカのフィックスエッジにはとても敵わない。コスパは別にして。

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 23:13:44.78 ID:RRPfIMIt

国産ユニットでもフィックスドEはたくさんあるよ
音はジェンセンと比べても、大差ないユニットもある
周波数特性は国産のほうがいいと思う、ツイーターをつなげるにしても隠し味程度ですむ

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 07:14:02.35 ID:tdAcmD2R

ドイツの太古ユニットって、コーンやダンパーが相当劣化してるだろw
もっとも聴いてる人の耳も劣化してるから問題ないかwww

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 08:16:01.83 ID:DryrudvC
>>752
禿同、劣化した耳で古い球アンプとよれよれのプレーヤーを使って聴くとちょうど良い
今のシステムでは使いもんにならんのじゃないかな

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 09:44:07.76 ID:V2wNB+Pi
>>752
劣化とみるか熟成とみるか

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 11:25:21.46 ID:fS8tnbh2

劣化してるのもあればしていないものもある。
何でも良い訳では無いのは当たり前。
もちろんアナログだけで無くCDのような欠損音源にも対応してまっせー。

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 11:57:25.01 ID:XgY4gUJ/

腐敗と発酵が同じ現象なのと同様、
劣化と熟成も人の見方によって呼び方が異なるだけで
同じ現象だ。


758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 20:15:48.65 ID:a5AvPEW+

国産のユニットでも40年以上経過したものは
たとえフィックスドでも切れ目が入ったり腐ってるのが多いよ
日本は湿度が高いからか、もうしょうがないんだけどね

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 21:25:38.51 ID:Dbg7VK6Y

国産古レンジはコーン紙がコストかけずに作られてて、そもそもの耐久性無いんで基本的にダメ。


761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 23:00:50.89 ID:a5AvPEW+

国産の六半フィックスドエッジのユニットは、エッジの部分だけ薄く漉くなど
高度な職人技のたまものだよ、だからこそ価値がある

アメリカやドイツやイギリスのスピーカーが悪いとは言わないけど
日本のが劣ってた訳でもないと思う

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 23:44:45.30 ID:eW6SG7EI

歩留まり(コスト)気にして作った国産メーカーのコーン紙は耐久性無いの

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 00:23:33.86 ID:77o8psCX

国産メーカーの年代物ユニットは現存数がほとんどゼロだから
アシダボックスなんか、オクなんかでも数万円で売買されてる

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 01:07:03.00 ID:WcUHyyfS

アシダボックスは例外、
販売数は少ないようだし、早くから市場からなくなっていたし
で、変なプレミア感が付いてしまった

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:08:24.88 ID:MhIbrACe
>>751
ジェンセンと比べて大差ない国産のやつ
おせーて下さい。先生。


766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:33:11.65 ID:YHtzwDG4
>>765 アシダボックスとかかな
逆にジェンセンでいい音するユニットって知らないわ、
20センチ以下で楽器用とかは細かい音がしないのは確認済み

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 21:36:36.89 ID:woI6GL2L

JENSENの個性に敵う国産古レンジこそ知らんげど。
アシダなんて希少性だけで駄物やん。
つまらん音出してる。

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:13:44.08 ID:/UMo2IkX

押入に仕舞ってあるドイツの8インチフィールドタイプ
気になって調べてみたらエッジはまだ痛んでないものの
よくみたらエッジの部分だけ薄く漉いてあった

時々無償に聴きたくなって引っ張り出してセットするんだけど
やっぱりツイーターが無いと落ち着かない

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:51:38.15 ID:H7du4gu9
>>766
ASHIDAVOXってビンテージですか。

現行品でほどほどで良いので
(っても作る価値のあるレベルのもの)
入門に丁度良いの教えて下さい。
あ、別に国産でなくても良いです。



775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 22:07:11.87 ID:slcWcmI5
>>772
初心者でフィックスドEのユニットに興味あるなら、現行品なら ダイトーボイスDS-16


773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 12:53:29.64 ID:H7du4gu9
>>766
ASHIDAVOX 8P-HF1でしょうか?
確かに凄そうですね。
でも高いです。

http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 17:35:00.64 ID:T9uPNHX
>>773
話半分か三分の一、良いとこだけを聴く聴き方だと凄いってことになるね
そんなにいいものだったら他社がまねしているし、大量に売れたはずだよ

>>772
入門って古レンジ入門なの? それともフルレンジ使ってSPシステム自作?
後者だったらとりあえずフォスのカンスピで遊んでみたら


787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 18:14:32.28 ID:dbzLXqXf
>>774
入門じゃないです。
古レンジのような味のあるのを
作りたいだけなので、
現行品の方が入手も容易なので
ありがたいてやすね。

前にも書きましたが、
マークオーディオはもう飽きましたから。

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 18:31:33.83 ID:dbzLXqXf
>>787
ASHIDAVOX 6P-HF1 8P-HF1
エルシー電機 LC-12S
レベルの現行品て無いのでしょうか?


791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 13:56:23.63 ID:942tVcD1
>>787
>古レンジのような味のあるのを作りたい
>マークオーディオはもう飽きましたから


これって、何か誤解してないかい?
スピーカーで変換器だから忠実に変換してくれればいいんだけど
そこで変なものを付け足したり、引いたりしたらダメジャマイカ
技術的にムズイからなかなか忠実な変換までは到達してないけど
わざわざそういう世界にこちらから飛び込むのはどうかと思うぞ

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 15:29:37.03 ID:ReQESSQr
>>791
なに無粋なこと言ってるんだ
録音時に失われた物を想像であれこれ足すのがたのしいんだ

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 16:02:55.18 ID:7gvg+IeO

マークオーディオってめちゃいい音出せるけど飽きる音ってのはなんかわかる
妙に聴き疲れすると言うか

限定のは聞いたことないから全部が全部ではないんだろうけど

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 17:21:56.18 ID:lZbZ5Olw

何かを得れば何かを失う
そして何年かすると古〜〜いスピーカーにも
スポットライトがまた当たる日が来る
むしろ新鮮に聴こえる
意外と昔から完成度は高かったし、何十年の蓄積があるから
そうやって楽しむだけでもいくらでも楽しめるわけだ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 18:29:17.72 ID:6m4ZqZcN
>>793
聴き疲れは無いですし、
新型の高級2wayのようなのが音が
フルレンジから出てきて毎度びっくりですけど、
濃い音は出ないんですね。

飽きたというより
全く違う系統の音が聞きたくなった
感じでしょうか。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/23(日) 23:11:42.72 ID:e5QLrlzS

ゴムエッジやウレタンエッジは、コーンの動きは確かにいいけど
ゴムやウレタンでコーン紙の振動をダンプする働きもあるんかな
おとなしい音の傾向だし

フィックスドエッジは反応もいいし、ハッキリした音の傾向
ダメなユニットは歪みっぽさがあるけど

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/24(月) 09:51:57.04 ID:bHQNP1Xi
>>796
フィックストは、その部分からも音が出るものが多いからね
特に高音に色付けがあるんじゃないだろうか
それがハッキリした音とか歪みっぽさになるじゃないだろうか

エッジから音を出さないようにするウレタンエッジのほうが忠実度は高いんだろう。


799 :796:2017/04/24(月) 22:04:06.99 ID:5sdjD14Y
>>797
ほとんどのフィックスドのユニットはそこまで酷くないけど
むしろフィックスドのほうが忠実度再生かと思うが

>>783 にうpされた音を聴いてもわかるが、なかなか出せない音してるわ

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 09:51:20.70 ID:meXf7WEe
>>799
>フィックスドのほうが忠実度再生

なぜに?kwsk

>>783にうp
聞いてきた。
丸尾再音の削がれた音とか、オールホーン3wayの全開風の音とか聴くと
はぁ、となったよ。

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 22:17:15.84 ID:mTAFvQls

フィックスドはギターの弦を弾く音とか、ジャリーンと激しく生々しい
ダンプされてないから出せる音なんだろう 
フリーエッジは弦を軽く押さえて響きをセーブした感じか


http://dp00000116.shop-pro.jp/?pid=85211075

あとはオークションでナショナルやビクター等のユニットを2千円くらいで落とすとか

高価でレアなユニットが音がいいとは限らないし、最初はこのあたりで遊んでたほうがいろいろ勉強になるよ
アンプは6BQ5あたりの安いアンプがおすすめ あくまで俺の好みだけど 👀

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 22:13:59.63 ID:CZfr+y

ダイトーはアシダ未満だけど安く遊ぶにはちょうど良いかもね。


778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 11:38:54.87 ID:p5w0cfwH

アシダはね、生産されているときはそんなに評価は高くなかったんだよね。

たしかにmoは小さかったけど同時にマグネットも小さくショボかったし、当時はフィックスエッジはフリーエッジより旧式で劣るものというイメージだったし。

岩崎千明氏のD130や高城重躬氏のP610、長岡鉄男氏のFE103のような推薦する評論家もいなかった。

なんか、ステレオ誌の後ろの方に自画自賛の文字ばっかりの広告が載っていたなぐらいのイメージだった。


780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 13:51:05.20 ID:w+SEwaZA

長岡鉄男氏は、マイ・ステレオ作戦で 6P-HF1 を推奨してたよ。


779 :778:2017/04/21(金) 11:47:45.26 ID:p5w0cfwH

高校の時、先輩が

「アシダいいよ〜。コーンが薄くて軽くて。」

と激賞していたのを

「えー、アシダですか? なんかショボくないですか。」

と応えていた自分を叱りつけたい。

あのとき聞いていて、10ペアぐらい買い占めていれば大儲けできたかもしれないのに。 (チョット、マテ!!)


781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 15:37:22.19 ID:LjQ+GOwU

今更国産古レンジなんて買っても、
コーン紙がヘタってて使い物にならん。


782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 19:39:56.99 ID:n+lsMvEx

アシダボックス、復刻してくれないかな 
他のメーカーのでもいいけど現行品でアルニコ フィックスドってなかなかいいのが無いんだよね
できれば中国じゃなくて国産で ペアで4万くらいならいいな

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 15:29:23.10 ID:zVMMYcsQ
>>782
手漉きの職人さんが亡くなられていて無理らしいです。

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 19:49:42.33 ID:

フルレンジスピーカー・アシダボックス16pを真空管EL34単段シングルアンプで鳴らす。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=l2cFOIufUYk&feature=youtu.be


良さそうではある
フィクスドエッジ、アルニコの小さなマグネット、っていうユニットは
ラジオ用なんかで良くあったもので、確かに独特の良さはある

今となっては珍しいから余計良く聴こえるという面もあるんじゃないか?w

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 13:25:03.52 ID:TkMA+Wra
>>783
他人の庭、ってやつかな
文明国から非文明国に旅行に行って我々が失ったものがある、とか感激するのと同じだね

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 01:19:56.01 ID:66zgTVW/

昔はフルレンジのスタンダードは16cmだった、今は8cm?
技術革新で小型でも低音が出るようになった、って言われてるけど
単に慣れただけのような気がするwww
昔の人は基準が生だった、今は生まれた時からスピーカーに慣れ親しんでるから
そういうのも影響あるのかも


815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 07:27:02.36 ID:JVwCbk2T
>>814
tangband w3-2141 きた、4.5Lくらいの密閉箱に入れた
はじめは、高音が出ないなあ、と思ったが、鳴らしていくと気にならなくなった。
本当によくできてると思う、最近の8cmフルレンジ
古レンジもそれなりに使ったけど、元に戻る気はしない。

昔16cm、今8cmというのは合っているんじゃないかな
素材の開発が進んだのと設計技術、とくにシミュレーションが進んだのが大きいと思うよ

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 09:15:44.07 ID:gE2CHoKp
>>814
基準が生と言っても小さい時から楽器習ってて、ごく近距離で聞いて育ったのと
少し離れた客席から聞いて育ったのとでは結構違うと思う

昔の16cmでも少しきついし、今の8cmじゃやっぱ無理

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 10:47:52.33 ID:ExUgA7eQ
>>816,>>814
音楽を意識しながら設計するのと、ほとんどを数値で設計するのとは違ってくるね

今の8cm、10cm、昔の16cmでバスレフにしても50Hzから下は急に落ち込むから
30Hzなんて出ないよね、30Hzが出ないと臨場感というのかなぁ、無いね
床を歩く音とか、何かを叩く音とかはダメダメだね

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:48:08.65 ID:9X+WrIRZ13cm-

16cmのフルレンジを片方に2つ使う場合、普通の2ウェイと同じようにネットワークが必要になるのかな?
ネットワークが要らなければ箱をどうするかだけになって、楽になるんだけど

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:56:51.97 ID:vK4k44xY

ネットワークがナゼ必要なのか考えたらわかるでしょ

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:57:15.32 ID:m0pEP3ol
>>877
フルレンジなのにどんな目的のネットワーク付けるのか逆に聞きたい

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 16:26:09.76 ID:/xVc6T90

きっと高音と低音分けるんだよ

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 17:21:49.72 ID:9X+WrIRZ
>>878
自己解決した
素直に20cmフルレンジを1つずつ、でやってみるかな

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 18:04:28.48 ID:0eotrLEe

低音が欲しいのかな
素直に2wayにする手もあるよ
アッテネーターなしで6db/octクロスならコイル1個とコンデンサ1個だけ 2ch分なら2つずつ
フルレンジなら8cm(3インチ)がバランス取れてるよ
低価格でおすすめはTangBand やすくていろいろ種類がある ポリコーンのやつは定評がある
あとは定番のFostexとかロングストロークのMarkAudioとか耳に優しいParcとか2インチに強いPeerlessとか

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 18:32:44.25 ID:/8xcRmnG

まあ、8インチフルレンジも捨てがたい魅力有るよね
+ツイーター必須だけど
フルレンジは3、5、8インチの3種それぞれを使い分けるのが好き

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 20:04:09.10 ID:71aTryYh

ワシは6.5インチ2発をパラレルで使ってる。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 21:25:38.15 ID:syGLn8wL
>>877
別に否定するわけじゃないよ。
二発ずつ使うというのがわからない。

音のハリだとか、混変調の改善とかが狙いだと思う。
だけど二発というのが中途半端。

経験上、二発が一番デメリット大きい。高域が暴れて音程ごとで違う響きに聞こえる。
うまく距離を合わせるの無理だよ。

しかし、これが三発四発になると不思議に落ち着いてきて、メリットである浸透力が出てくる。
最高六発使ったことあるが、これはやり過ぎか。

まあ、二発使うなら、一方に高域減衰フィルタ入れるか、背面に付けるかした方がいいよ。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 21:46:11.45 ID:1KBVdiTo
>>886
こういう製品があるのだら、自作でもフルレンジ使って出来るよね

https://www.revox.com/en/loudspeaker/aluminium-design-s/prestige.html

WO4発、MID1発、TW1発だ。 フルレンジ4発にTW1発でどうだろう?
そこまでやるんだったらWOも入れてf特平坦化する方が良いかもね

https://mint.5ch.net/test/read.cgi/pav/1441833585/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c106

[リバイバル3] 自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか 中川隆
103. 中川隆[-9925] koaQ7Jey 2019年5月31日 10:47:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2429]

自分の持っている「得意分野」は、それを一番過小評価しているのは自分

隣の芝生は青く見えるし、他人はみんな自分よりも幸せに見えるし、上を見ればいくらでも自分の上がいる。

今は他人のプライベートがSNSで可視化される時代になっているので、余計に幸せそうな他人の姿が目に飛び込んでくる。

彼らはSNSでそうした自分の充実ぶりを誇示する。そのため、目に入ってくる他人は、誰もが自分にはない才能を持ち、自分にはないモノを持ち、自分にはない賞賛や幸せを得ているように見える。

この世は確実に「運の良し悪し」があるのだが、それを見せつけられるのだ。その結果、多くの人たちが他人と比べて今の自分に劣等感や不運を感じていく。感受性の強い人ほど、無意識に他人と自分を比較して落ち込む。

「自分は運が悪いのではないか」と悩む。

先天的に聡明な頭脳を持って生まれる人もいるが、自分にはない。容姿端麗に生まれる人もいるが、自分にはない。超人的な運動能力で生まれる人もいるが、それも自分にはない。

まわりを見回すと自分よりも優れた人、自分よりも豊かな人、自分よりも条件が良すぎる人が確かに存在する。まわりは、自分が持っていない何かを持っているのだ。(鈴木傾城)


個人の能力では克服できない「運」

もっとも、運が悪いと思っているのは自分だけで、本当は自分もまたまわりから見ると、自分もまた「運が良い人間」だと思われているのかもしれない。

たとえば、戦乱の世に生きているコンゴやイラクの人たちから見ると、私たちが「日本で生まれ、日本で生きている」というだけで運が良いと思うはずだ。

少なくとも日本に住んでいるのであれば、戦乱で住んでいる家を追われることはないし、自分や家族が爆撃で手足が吹き飛ぶようなことを心配する必要もない。コンゴやイラクではそれが日常茶飯事だ。

同じ理由で、極貧に沈んでいるアフガニスタン人々も、インドの低カーストの人々も、やはり日本人を「先進国に住んでいる」というだけで「運の良い人」だと思っている可能性はとても高い。

私はインドネシアのスラムにいた時、「あなたは日本人で良かったわね。私も日本人として生まれたかったわ」と現地の女性に言われた。

さらに私は東南アジアでは何度も現地の女性に結婚してくれと言われたが、それは私自身に魅力があって愛されたからではなく、ただ単に私が日本人で一緒に日本に行けば貧困から脱することができるという彼女たちの打算があったからだ。

会ったその日に「結婚して欲しい」と言われたこともある。彼女は私の名前を聞くこともなく結婚を口にした。私がそれを断ると、彼女は雨に打たれてずぶ濡れになったまま私から去って行った。(ブラックアジア:名前も国籍も知らないのに、あなたと結婚したいという女)

貧困国の貧困層の中で生まれてしまうと、這い上がるのはとても難しい。生まれた環境が悪すぎることで、辛苦の人生を歩まなければならなくなってしまう。

先進国に連れて行ってもらえて貧しい境遇から抜けられるかもしれないと思えば、知らない男と結婚することすらも彼女たちには幸せに思うほど荒んだ人生がそこにあったということだ。

運の悪さを克服するには?

私たちがアフガニスタンに生まれていたら、まったく今とは別の人生を歩んでいたはずだ。ソマリアに生まれていたら、もっと違ってたかもしれない。どんなに向上心があって頭が良くても、アフガニスタンでは男は戦士や農民、女は無教育であることが一般的な人生である。

ソマリアで生まれていたら、男は海賊か失業者、女は男の財産として人生を全うする確率が高い。そう考えると、個人の能力では克服できない「運」というものは確かにあるのだ。

運が悪ければどうしたらいいのか。運の悪さを克服するにはどうしたらいいのか。

多くの国で、どん底に堕ちて這い回っている人たちを見ていると、彼らがそこから這い上がるにはどうしたらいいのか、よく考えるようになる。あるいは自分がそこに堕ちた時、自分に何ができるのかをよく考えることがある。

途上国の貧困に暮らす人たちであっても、彼らをよくよく観察すると面白いことが分かる。彼らは気付いていないけれども、個人的な資質から言うと、彼らは彼らなりにずっと恵まれた物を持っていると思うことがあるのだ。

彼らの中には、すさまじく壮健で無尽蔵な体力を持っている人もいる。話をしてみると、日本人には到底及ばないような頭の回転と度胸を持っている人もいる。女性にしても、思わず息を飲んでしまうような美しさを持った女性もいる。

彼らは確かに運が悪くて貧困地帯で暮らしているものの、個人的な資質から言うと、先進国の誰よりも優れているものをたくさん持っている。先進国で生まれていたら成り上がれた「潜在能力」を持った人がごろごろしていたのだ。

多角的に見ると、彼らも「運が良い」と思える何らかの長所をそれぞれ持ち合わせている。決してその存在の100%が不運なわけではない。

ここに突破口があるのではないかと私は思ったものだった。

誰でも、他人よりも優れた「何か」がある。誰にも負けないという得意分野を持っていたり、才能を持っていたり、能力を持っている。

ただ、本人がそれに気付いていなかったり、その国では誰も評価しなかったり、才能に気付いていても貧困で稼ぐのが精一杯で才能を磨く環境になかったりする。

先天的に優れているもの

自分の持っている「得意分野」は、実はそれを一番過小評価しているのは自分だったりする。他人よりも早く走れるとか、他人よりも何倍も視力があるとか、他人よりも音感が優れているとか、そんなものは何ら意味がないように自分は思う。

しかし、自分には先天的に優れているものや得意なものが1つでもあって、それが自覚できるのであれば、それを軸にして運をつかむことができるかもしれない。

何もないと思っていた自分を振り返り、自分の中の「得意分野」を見つけられると、それにフォーカスし、それを活かせる生き方を考えるべきなのである。得意を活かせる環境に動く。あるいは、得意を活かせる環境を作る。

そして、得意分野から離れない。

他のものを切り捨てて、ただ得意分野に絞ってその方向に焦点を合わせて真っ直ぐに突き進んでいくようにする。そうすることによって、自分が持っていた潜在能力を活かすことができるようになる。

自分の得意分野や才能があるのに、それを活かせない環境や仕事に就いていると、永遠に浮上することができないし、うまく生きることもできない。

得意でないことや本位でない環境にいるというのは、それだけでうまくいかないのは当然のことだ。

自分の中の潜在才能を自覚して、それを活かすのか活かさないのかで、運の良し悪しは変わってくる。そんなことは当たり前であり、シンプルな原理だと思えるが、多くの人たちを見ていると、かなりの人が「自分の得意を活かさないで生きている」のが分かる。

隣の芝生は青く見えるし、他人はみんな自分よりも幸せに見えるし、上を見ればいくらでも自分の上がいる。しかし、見るべきはそこではない。見るべきものは、常に自分なのである。

自分が何を持っていて、それでどう戦えるか。自分が持ち合わせている大切なものを見れば、そこから突破口も見えてくるはずだ。(written by 鈴木傾城)

途上国の貧困に暮らす人たちであっても、彼らをよくよく観察すると面白いことが分かる。彼らは気付いていないけれども、個人的な資質から言うと、彼らは彼らなりにずっと恵まれた物を持っていると思うことがあるのだ。
https://blackasia.net/?p=13053
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/564.html#c103

[近代史3] 御用学者 吉川洋が流した悪質な嘘とデマ 中川隆
4. 中川隆[-9924] koaQ7Jey 2019年5月31日 11:04:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2430]

財政破綻詐欺師 吉川洋 2019-05-31
三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12465146776.html

 多くの国民を殺し、貧困化に叩き込んだ主犯の一人、財務省の飼い犬にして財政破綻詐欺師である吉川洋(立正大学教授)が、今度は「大地震に備えて消費税増税」などと、意味不明なことを言いだしました。(訴えていいよ、吉川センセ)

『大地震にも備え消費増税を、「実感なき景気後退」なら延期不要ー吉川氏
 吉川洋立正大学長は、膨張を続ける社会保障費だけでなく、高い確率で発生が予測されている首都直下、南海トラフなどの大地震も財政破綻の引き金になり得るとみている。これに備えるためにも地道な財政再建が必要で、日本が景気後退に陥ってもリーマンショック級に至らない「実感なき景気後退」であれば、予定通り10月に消費増税を実施すべきだと主張する。
 吉川氏は28日のインタビューで、「今の財政赤字は持続可能ではない。一番の原因は社会保障費の膨張だが、同時に私たちが頭に置かなければならないのは地震ではないか」と指摘した。「大地震が30年以内に起こる確率は驚くべき高さであり、いつか必ず来ると言ってもよい。被害金額は半端ではないが、それに耐えなければならない。地道に財政再建に向けた努力を続けていかなければならない」と語った。(後略)』

 記事の解説に入る前に、ブルームバーグが(意識してか否かは知りませんが)極めて重要な景気動向指数(ヒストリカルDI)のグラフを載せていました。

【景気動向指数の推移】

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-05-30/PS9RQK6TTDS301

 「スクープ!景気拡大「いざなぎ超え」の真実」を覚えていらっしゃいますでしょうか。


 どう見ても、日本は2014年3月を「景気の山」として、その後は景気後退に陥っているでしょうが! 


 消費税増税を強行した14年4月から16年中頃まで、日本は間違いなく「景気後退」に陥っていたのです。


 それを、吉川が座長を務める景気動向指数研究会が「なかったこと」にしてしまい、結果的に「いざなぎ超えの景気拡大」などという嘘情報が報じられることになったのです。


 まさに、詐欺師です。何しろ、吉川は嘘情報を撒き散らすことで、利益を得ているのです。この手の財政破綻詐欺師が跋扈し、駆逐されないからこそ、我が国は貧困国化しつつあるのでございます。


 日本の将来を「中華人民共和国 倭族自治区」に追いやっている主犯は、財務官僚、そして吉川ら財政破綻詐欺師なのです。


 ところで記事の中で吉川は消費税増税の理由として将来の大震災を上げていますが、詐欺師であるだけではなく、バカ、のようですね。


 実際に大震災が来たとき、我々国民を助けるのはカネではありません。カネなんぞ、キーボード一つでいくらでも生み出すことができます。


 どれだけ莫大なカネがあったところで、モノやサービスを生産する力、供給能力、経済力がなければ、国民は助かりません。さらに、復旧・復興もできないのです。


 そして、吉川ら財政破綻詐欺師の影響で緊縮財政が続き、デフレ脱却が果たせない場合、供給能力はひたすら毀損していきます。結果、将来の国民が助からない。


 吉川は過去、現在の日本国民はもちろん、、将来の日本国民をも殺しているのです。


【歴史音声コンテンツ 経世史論 始動!】

http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/


※6月15日(土)まで、特別コンテンツ【MMTポリティクス〜現代貨幣理論〜第一回】をご視聴頂けます。是非、ご入会下さい。

 ちなみに、吉川は記事の最後でMMTについて論評していますが、MMTと「いわゆるリフレ派」をごっちゃにしており、
「あ、こいつはMMTと主流派経済学との価値観、主張の違いすら理解していない、似非経済学者だ」
 と、分かりました。


 日銀当座預金を拡大すれば(異次元の金融緩和)需要が拡大するという、非現実的ないわゆるリフレ派と、需要、MS(主に銀行預金)を拡大するには、政府支出しかない(実際、そうだから)と現実を説明するMMTは全く考え方が違います。


 吉川は、MMTもいわゆるリフレ派も、表層的なことしか理解していないようです。


 この手の低レベルな似非学者により、祖国が亡ぼされようとしている。耐え難い、受け入れがたい話です。


 吉川洋に代表される財政破綻詐欺師を駆逐しない限り、我が国の存続はありません。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12465146776.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/144.html#c4

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
6. 中川隆[-9923] koaQ7Jey 2019年5月31日 11:18:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2431]
 僕はある禊の会に入っておりまして、ときどき禊の行に行くのですけれど、四月に行った時は、ロシア人が団体で来ておりました。

聞くと驚く方が多いと思いますけれど、ロシア人も神道の禊をやる人たちがいるんですよ。

モスクワにも道場があるんですが、やっぱり本場の日本で本格的に修行したいという人たちが来ているのです。この時はロシアの人とベネズエラの人が来ておりました。

道場は祝詞を唱えたり、座禅を組んだりという行をしているところですから、もともと外国人の参加なんか予測していないし、もちろん外国語が堪能な人が揃っているわけではない。

 来たロシア人たちは英語もあまりわからないということで、どうやって意思疎通するんだろうと心配しておりましたら、道場長が、「これがあるから大丈夫」と言って、小さな機械を見せてくれました。Pocketalk という手のひらサイズの自動翻訳機械でした。まさに『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」でした。そこには60ヵ国語が入っていて、ボタンを押して、日本語を言うと、外国語になって音声が出てくる。外国語音声を入力してもらうと、日本語の音声に訳される。さっそくロシア人たちとその機械で会話をしてみました。

 僕はそういうガジェットに目がないので、家に帰ってすぐにAmazonで検索して、購入しました。SIMカードを入れると世界中どこでも使える。それが3万円台。仰天しました。いつの間にこんなものが・・・と思いました。われわれの知らないうちに、テクノロジーはどんどんと進化しているわけです。AIの「シンギュラリティー」が来ると産業構造が変わり、雇用環境が激変するとさかんに報道されていますけれど、そんな先の話ではなくて、自動化・機械化はあちこちでもう起きているわけです。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c6

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
191. 中川隆[-9922] koaQ7Jey 2019年5月31日 12:09:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2432]
内田樹 「英語教育について」2019-05-31
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html


昨年の6月12日に東京の私学の文系教科研究会(外国語)」で行った講演録が出版された。「東京私学教育研究所所報」84号に掲載されているが、ふつうのひとはあまり手に取る機会がない媒体なので、ここに採録する。

○司会者  今回は、ここ最近の外国語の文系教科研究会では例をみないほど多くの先生方にお集まりいただきました。6月の今ごろは、夏休みがそろそろ見えてきて、でもまだまだ遠くて、体力的にも精神的にもだいぶ苦しいころ合いだと思います。にも関わらず、これだけ多くの先生方が今回は集まってくださり、おかげさまで満員札どめとなりました。理由はたった1つです。今回、当研究会では、内田樹先生をお招きして講演会を開催できる運びとなりました。忙しくても体力的にきつくても、この方の話ならば何としても聞きたい、それが内田樹先生ではないでしょうか。

 内田先生は、現在は神戸女学院大学名誉教授であるとともに、神戸市で武道と哲学研究のための学塾「凱風館」を主宰していらっしゃいます。もともとのご専門はフランス現代思想ですが、武道論、教育論、映画論、文学論、漫画論などなど、実に多くの専門領域をおもちで、あらゆる領域について、あらゆる人に、万人に届く言葉を発信していらっしゃいます。

 内田先生の言葉の特徴は「届く」ということだと思っております。一見複雑で込み入った情況であっても、それについて内田先生が書かれた文章を読むと、目の前の混沌にさっとマップがかかり、そこにおいて自分がどのように歩みを進めていけばいいのかがすっと理解される。内田先生のご著書を読んで、そのような経験された先生方も多いのではないでしょうか。

 内田先生の文章を読むと、そこに書かれた内田先生の言葉が、もともと自分のいいたかったことを言ってくれた、と思える経験がよくあります。実際はそんなことは考えたこともなかったことなのに。そんな風に、言葉が、読んでいる自分の内側にまで届いて、響くのです。また、言葉というもの、読書というものは、本来そのようなメカニズムやダイナミズムをもっているのだ、ということも、実は、内田先生から私は学ばせていただきました。

 フランス現代思想がご専門ということもあり、言語というものに実に造詣の深い内田先生に、本日は「英語教育の危機」という演題のもと、激動期、大変革期といってもいい現在の英語教育界について、それから、英語に限らず、言葉を学ぶ、教えるとはどういうことかについて、存分に語っていただこうと思います。

 それでは、内田先生、よろしくお願いいたします。


○内田  過分のご紹介にあずかりました。内田でございます。

 一日の仕事が終わった後の、お疲れのところお集まり頂きまして、まことにありがとうございます。今、私が登壇する前に(公益財団法人東京都私学財団より外部検定試験料に関する)助成金の話がありましたけれども、実は今日もこちらに来る新幹線の車内で、「検証 迷走する英語入試」という、これは岩波のブックレットですが、これを読んでおりました。帯には、「緊急出版、混乱は必至」と書いてありますけれども、多分今の日本の教員の中で本当に最も困惑しているのは中高の英語の先生だろうと思います。本当にお気の毒だと思います。

 本当にどうしてこんなことになってしまったのか、僕にはよくわからないのです。みなさんにもよくわからないのではないかと思います。これから民間試験が入試に導入され、センター試験の英語がいずれなくなるという流れになっていますけれども、どうしてこんなことが現場の英語教員たちの意向を無視して行われていくのか。誰に訊いても、よくわからないと言う。いったい、誰にとって、どんな利益があって、こんな制度改革を行うのか。

 教育の目標は、子どもたちの市民的成熟を支援することに尽くされるわけですけれど、こんな制度改革で、子どもたちがどういう利益を得ることになるのか。子どもたちの知性的な成熟にこの改革がどう資するという見通しがあって、こんな改革を進めているのか、全くわからない。

 今回のことに限らず、日本の外国語教育は迷走し続けています。そもそも何のために外国語を学ぶのかという根本のところについての熟慮が不足しているからです。もちろんここにいる先生たちこそ、まずそれについて考えなければいけない立場ですけれども、日々の業務から、このような猫の眼のようにくるくる変わる制度改革にキャッチアップすることに手いっぱいで、「子どもたちはどうして外国語を学ばなければいけないのか」という最も根源的な問いを深めていく余裕がない、そんな状況ではないかと思います。

 英語の先生たちは、余りそういう話は聞きたくないかも知れませんけれど、自動機械翻訳が今すごい勢いで進化しています。文科省は、オーラル・コミュニケーションが必要だ、とにかく英語で話せなければダメだとさかんに言い立てていますけれど、そんな教育政策とは無関係に翻訳テクノロジーの方はどんどん進化している。

 去年の「中央公論」で自動機械翻訳の専門家と英語の専門家の対談がありました。今の機械翻訳はこれまでとシステムが違って、ただ用例を溜め込むだけでなく、「ディープ・ラーニング」ができるようになって、これまでとはまったく別物になったらしい。

 英語だと、今の自動機械翻訳が大体TOEIC600点ぐらいまでだけれども、数年のうちに800点になるそうです。対談の中で、自動機械翻訳の専門家が、だから、もう学校で英語を教える必要はなくなると言っていました。外交官とか通訳、翻訳とか、英語のニュアンスを精密に吟味する必要のある仕事では英語についての深い理解が必要だけれど、日常的なコミュニケーションについてはそんなものはもう要らない。だって、人間より機械の方が速く、正確になるから。英語の専門家は1%くらいいれば済む。後は機械に任せておけばいい、と。エンジニアらしい、いささか乱暴な議論でしたけれど、英語の先生たちはこの挑発的な発言に異論を立てる義務があると思います。小学生から英語を教える必要なんかないし、中学でも高校でも、特殊な職業をめざすもの以外には英語を教える必要がないと言い切ってるんですから。

 僕は毎年野沢温泉にスキーに行くのですけれど、今年も3月に野沢に行ったら、もう外国人ばかりなのですね。僕らが泊まった旅館は七、八割が外国の方でした。食堂に案内された時に、座席表が外国名ばかりだったので、仲居さんに「大変ですね、英語で接客するんですか?」と訊いたら、「いいえ。私ら英語できませんから、全部Google翻訳です」とこともなげに答えられました。

 僕はある禊の会に入っておりまして、ときどき禊の行に行くのですけれど、四月に行った時は、ロシア人が団体で来ておりました。聞くと驚く方が多いと思いますけれど、ロシア人も神道の禊をやる人たちがいるんですよ。モスクワにも道場があるんですが、やっぱり本場の日本で本格的に修行したいという人たちが来ているのです。この時はロシアの人とベネズエラの人が来ておりました。道場は祝詞を唱えたり、座禅を組んだりという行をしているところですから、もともと外国人の参加なんか予測していないし、もちろん外国語が堪能な人が揃っているわけではない。
 来たロシア人たちは英語もあまりわからないということで、どうやって意思疎通するんだろうと心配しておりましたら、道場長が、「これがあるから大丈夫」と言って、小さな機械を見せてくれました。Pocketalk という手のひらサイズの自動翻訳機械でした。まさに『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」でした。そこには60ヵ国語が入っていて、ボタンを押して、日本語を言うと、外国語になって音声が出てくる。外国語音声を入力してもらうと、日本語の音声に訳される。さっそくロシア人たちとその機械で会話をしてみました。

 僕はそういうガジェットに目がないので、家に帰ってすぐにAmazonで検索して、購入しました。SIMカードを入れると世界中どこでも使える。それが3万円台。仰天しました。いつの間にこんなものが・・・と思いました。われわれの知らないうちに、テクノロジーはどんどんと進化しているわけです。AIの「シンギュラリティー」が来ると産業構造が変わり、雇用環境が激変するとさかんに報道されていますけれど、そんな先の話ではなくて、自動化・機械化はあちこちでもう起きているわけです。

 これまで英語をいやいや勉強してきた「のび太」君のような子どもたちにとって「ほんやくコンニャク」はまさに夢の機械だったわけですけれど、それが今やSIMカード付きで、3万円台で手に入る。いずれ価格競争が起きて、「ほんやくコンニャク」がコンビニで電卓程度の価格で売られる時代も来るかも知れない。電卓が普及したせいで筆算や珠算の能力に対するニーズが失われたように、機械翻訳が日常的なものになってきたら、オーラル・コミュニケーション能力を身に付ける必要もなくなります。よく「町で外国人にいきなり道を尋ねられたときに英語ができないと困る」というようなことを英語学習の動機づけとして語る人がいますけれど、これからはポケットから出せば済むわけですね。

 今の「ほんやくコンニャク」は、まだ一度に聴き取れるセンテンスが短いですけれども、技術的な改良はこれからもどんどん進み、いずれどこでどんな外国語で話しかけられても、日本語でスムーズに対話できるようになる。『スターウォーズ』にすべての宇宙の言語が話せる通訳ロボットC−3POというのが出てきますけれど、個人用のC−3POをみんなが連れて歩けるようになるようなものです。

 こういうところで僕がしゃべっている音声を、すぐに文字起こしして後ろのスクリーンに投影するというテクノロジーはすでに開発されています。もともとは聴覚障害者用に開発されたものです。手話通訳者がいなくても話を理解できるようにということで開発された。話し始めのうちは、技術者が文章に手を入れます。日本語は同音異義語が多いですし、人によってかなり特殊な言葉づかいをしますから、技術者がいったん文字起こしされたものを、意味が通るように修正する。でも、時間が経つと、機械が話し手の語彙や「話し癖」に慣れて、技術者が介入しなくても、機械が講演をタイムラグなしにスクリーンに映し出すようになる。僕がそのシステムを使って講演したのはもう1年半ぐらい前です。恐らく今はもっと技術が進化していると思います。

 外国語教育はどうすれば効率的であるのかという話をわれわれは教育者という立場で必死にしているわけですけれど、そういうわれわれの側の努力とはまったく無関係に、科学技術は進化して、場合によっては英語教育についての根幹部分についてのこれまでの工夫や議論を無効化してしまうような変化が起きている。そのことをまずみなさんにはご理解頂きたいと思います。

自動機械翻訳がオーラル・コミュニケーションにおける障害の多くを除去してくれるということになったら、一体何のために外国語を学ぶのか? 日本の小・中・高の英語の先生方は、「何のために英語を学ぶのか?」ということについて、今や根源的な省察を要求されています。これまではそんなことを考える必要がなかった。英語を学ぶことの必然性・有用性は自明のものだと思われていた。でも、それが揺らいできた。

 僕自身は長くフランス語を勉強してきて、大学では語学の教師をしていたわけですから、「なぜ外国語を学ぶ必要があるのか」に関してはずっと考え続けてきました。特に、フランス語やドイツ語のような第二外国語については、「そんなものを学生に履修させる必要がない、そんな時間があったらもっと英語をやらせろ」というタイプの議論に何度も巻き込まれましたから、「なぜとりあえず不要不急のものであるフランス語を学ぶ必要があるのか?」という問いについてはかなり真剣に考えて来ました。

 僕の結論は「どんなものであれ、外国語を学ぶことは子どもたちの知的成熟にとって必要である」ということでした。これが僕の基本的な立場です。こればかりは譲れません。「ほんやくコンニャク」ができようと、ポケットマネーで通訳が雇えようと、そんなことは全く別のレベルで、人は外国語を学ぶ必要がある。でもそれは、文科省が言っているような「英語ができる日本人をつくる」といった功利的な目的とは無関係な話です。

 今日、この中に文科省の方はいらしていますか。いらしたら、自動機械翻訳がどのように日本の外国語教育を変えていくのかについて、これまで省内ではどういう話し合いをされてきたのかお訊ねしたいです。調査はされていますか? 実際に機械をお使いになってみたことがありますか? 今、自動機械翻訳がどうなっているかを知っていれば、「英語ができる日本人」養成プログラムのような、ビジネスの場面でオーラル・コミュニケーションがうまくないと、侮られる、損をする、というようなことを英語習得の主目的を掲げているプログラムは存在そのものが無意味になるかも知れないということにもっとショックを受けていいはずなんです。でも、その気配もない。ということは、文科省の方々は自動機械翻訳については何もご存じないということだと思います。教育プログラムの根幹を揺るがすようなテクノロジーの進化について「何もご存じない」のだとしたら、それは教育行政を司る省庁として「あまりに不勉強」とのそしりを免れないのではないかと思います。
 
 外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。「目標言語」というのは、今の場合なら、例えば英語です。なぜ英語を学ぶのか。それは「目標文化」にアクセスするためです。英語の場合であれば、ふつうは英語圏の文化が「目標文化」と呼ばれます。

 僕らの世代において英語の目標文化ははっきりしていました。それは端的にアメリカ文化でした。アメリカ文化にアクセスすること、それが英語学習の最も強い動機でした。われわれの世代は、子どものときからアメリカ文化の洪水の中で育っているわけですから、当然です。FENでロックンロールを聴き、ハリウッド映画を観て、アメリカのテレビドラマを観て育ったわけですから、僕らの世代においては「英語を学ぶ」というのは端的にアメリカのことをもっと知りたいということに尽くされました。

僕も中学や高校で「英語好き」の人にたくさん会いましたけれど、多くはロックの歌詞や映画の台詞を聴き取りたい、アメリカの小説を原語で読みたい、そういう動機で英語を勉強していました。

 僕もそうでした。英語の成績は中学生からずっとよかったのですが、僕の場合、一番役に立ったのはビートルズの歌詞の暗記でした。ビートルズのヒット曲の歌詞に含まれる単語とイディオムを片っ端から覚えたのですから、英語の点はいいはずです。

 つまり、英語そのものというよりも、「英語の向こう側」にあるもの、英米の文化に対する素朴な憧れがあって、それに触れるために英語を勉強した。英米のポップ・カルチャーという「目標文化」があって、それにアクセスするための回路として英語という「目標言語」を学んだわけです。

 その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

 僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

 フランス語ができないとこの知的領域にはアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。 

 のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。

 ロシア語もそうです。今、大学でロシア語を第二外国語で履修する学生はほとんどいません。でも、若い方はもうご存じないと思いますけれど、1970年に僕が大学入学したとき、理系の学生の第二外国語で一番履修者が多かったのはロシア語でした。「スプートニク・ショック」と言われたように、60年代まではソ連が科学技術のいくつかの分野でアメリカより先を進んでいたからです。科学の最先端の情報にアクセスするためには英語よりもロシア語が必要だった。でも、ソ連が没落して、科学技術におけるアドバンテージが失われると、ロシア語を履修する理系の学生はぱたりといなくなりました。もちろんドストエフスキーを読みたい、チェーホフを読みたいというような動機でロシア語を履修する学生の数はいつの時代もいます。目標文化が「ロシア文学」である履修者の数はいつの時代もそれほど変化しない。けれども、目標文化が「ソ連の科学の先進性」である履修者は、その目標文化が求心力を失うと、たちまち潮が引くようにいなくなる。

 僕の学生時代はフランス語履修者がたくさんおりました。でも、その後、フランス語履修者は急減しました。ある時点で中国語に抜かれて、今はもう見る影もありません。理由の一つは、日本のフランス語教員たちが学生たちの知的好奇心を掻き立てることができなかったせいなのですけれど、それ以上に本国のフランスの文化的な発信力が低下したことがあります。フランス文化そのものに日本の若者たちを「目標」として惹きつける魅力がなくなってしまった。

フランス語やロシア語の例から知れる通り、われわれが外国語を学ぶのは目標文化に近づくためなのです。目標文化にアクセスするための手段として目標言語を学ぶ。

 しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には目標文化が存在しません。英語という目標言語だけはあるけれども、その言語を経由して、いったいどこに向かおうとしているのか。向かう先はアメリカでもイギリスでもない。カナダでもオーストラリアでもない。どこでもないのです。

 何年か前に、推薦入試の入試本部で学長と並んで出願書類をチェックしていたことがありました。学長は英文科の方だったのですけれど、出願書類の束を読み終えた後に嘆息をついて、「内田さん、今日の受験者150人の中に『英文科志望理由』に『英米文学を学びたいから』と書いた人が何人いると思う?」と訊いてきました。「何人でした?」と僕が問い返すと「2人だけ」というお答えでした「後は、『英語を生かした職業に就きたいから』」だそうでした。

 僕の知る限りでも、英語を学んで、カタールの航空会社に入った、香港のスーパーマーケットに就職した、シンガポールの銀行に入ったという話はよく聞きます。別にカタール文化や香港文化やシンガポール文化をぜひ知りたい、その本質に触れたいと思ってそういう仕事を選んだわけではないでしょう。彼らにとって、英語はたしかに目標言語なのですけれど、めざす目標文化はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。高い年収と地位が得られるなら、どの外国でも暮らすし、どの外国でも働く、だから英語を勉強するという人の場合、これまでの外国語教育における目標文化に当たるものが存在しない。

 これについては平田オリザさんが辛辣なことを言っています。彼に言わせると、日本の今の英語教育の目標は「ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育」だそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」はもちろん有用な仕事であり、しかるべき能力を要するし、それにふさわしい待遇を要求できるポストですけれど、それは一人いれば足りる。何百万単位で「シンガポール支店長」を「人形焼き」を叩き出すように作り出す必要はない。でも、現在の日本の英語教育がめざしているのはそういう定型です。

 僕は大学の現場を離れて7年になりますので、今の大学生の学力を知るには情報が足りないのですけれども、それでも、文科省が「英語ができる日本人」ということを言い出してから、大学に入学してくる学生たちの英語力がどんどん低下してきたことは知っています。それも当然だと思います。英語を勉強することの目標が、同学齢集団内部での格付けのためなんですから。低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語学習に子どもたちを向けようとしている。そんなことが成功するはずがない。恐怖や不安を動機にして、知性が活性化するなんてことはありえないからです。

 僕は中学校に入って初めて英語に触れました。それまではまったく英語を習ったことがなかった。1960年頃の小学生だと、学習塾に通っているのがクラスに二三人、あとは算盤塾くらいで、小学生から英語の勉強している子どもなんか全然いません。ですから、FENでロックンロールは聴いていましたけれど、DJのしゃべりも、曲の歌詞も、ぜんぶ「サウンド」に過ぎず、意味としては分節されていなかった。それが中学生になるといよいよ分かるようになる。入学式の前に教科書が配られます。英語の教科書を手にした時は、これからいよいよ英語を習うのだと思って本当にわくわくしました。これまで自分にとってまったく理解不能だった言語がこれから理解可能になってゆくんですから。自分が生まれてから一度も発したことのない音韻を発声し、日本語に存在しない単語を学んで、それが使えるようになる。その期待に胸が膨らんだ。

 今はどうでしょう。中学校一年生が四月に、最初の英語の授業を受ける時に、胸がわくわくどきどきして、期待で胸をはじけそうになる・・・というようなことはまずないんじゃないでしょうか。ほかの教科とも同じでしょうけれど、英語を通じて獲得するものが「文化」ではないことは中学生にもわかるからです。わかっているのは、英語の出来不出来で、自分たちは格付けされて、英語ができないと受験にも、就職にも不利である、就職しても出世できないということだけです。そういう世俗的で功利的な理由で英語学習を動機づけようとしている。でも、そんなもので子どもたちの学習意欲が高まるはずがない。

 格付けを上げるために英語を勉強しろというのは、たしかにリアルではあります。リアルだけれども、全然わくわくしない。外国語の習得というのは、本来はおのれの母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものを習得ゆくプロセスのはずです。だからこそ、知性の高いパフォーマンスを要求する。自分の知的な枠組みを超え出てゆくわけですから、本当なら「清水の舞台から飛び降りる」ような覚悟が要る。そのためには、外国語を学ぶことへ期待とか向上心とか、明るくて、風通しのよい、胸がわくわくするような感じが絶対に必要なんですよ。恐怖や不安で、人間はおのれの知的な限界を超えて踏み出すことなんかできません。

 でも、文科省の『「英語ができる日本人」の育成のための行動計画の策定について』にはこう書いてある。

「今日においては、経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し、人の流れ、物の流れのみならず、情報、資本などの国境を超えた移動が活発となり、国際的な相互依存関係が深まっています。それとともに、国際的な経済競争は激化し、メガコンペティションと呼ばれる状態が到来する中、これに対する果敢な挑戦が求められています。」

冒頭がこれです。まず「経済」の話から始まる。「経済競争」「メガコンペティション」というラットレース的な状況が設定されて、そこでの「果敢な挑戦」が求められている。英語教育についての基本政策が「金の話」と「競争の話」から始まる。始まるどころか全篇それしか書かれていない。

「このような状況の中、英語は、母語の異なる人々をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際的共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠です」という書いた後にこう続きます。

「現状では、日本人の多くが、英語力が十分でないために、外国人との交流において制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態も起きています。」
「金」と「競争」の話の次は「格付け」の話です。ここには異文化に対する好奇心も、自分たちの価値観とは異なる価値観を具えた文化に対する敬意も、何もありません。人間たちは金を求めて競争しており、その競争では英語ができることが死活的に重要で、英語学力が不足していると「制限を受けたり」「適切な評価が得られない」という脅しがなされているだけです。そんなのは日本人なら誰でもすでに知っていることです。でも、「英語ができる日本人」に求められているのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」なのです。

 外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在すると知ることです。

 でも、この文科省の作文には、外国語を学ぶのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」の檻から逃れ出るためだという発想がみじんもない。自分たちの狭隘な、ローカルな価値観の「外側」について学ぶことは「国際的な相互依存関係」のうちで適切なふるまいをするために必須であるという見識さえ見られない。僕は外国語学習の動機づけとして、かつてこれほど貧しく、知性を欠いた文章を読んだことがありません。

 たしかに、子どもたちを追い込んで、不安にさせて、処罰への恐怖を動機にして何か子どもたちが「やりたくないこと」を無理強いすることは可能でしょう。軍隊における新兵の訓練というのはそういうものでしたから。処罰されることへの恐怖をばねにすれば、自分の心身の限界を超えて、爆発的な力を発動させることは可能です。スパルタ的な部活の指導者は今でもそういうやり方を好んでいます。でも、それは「やりたくないこと」を無理強いさせるために開発された政治技術です。
 ということは、この文科省の作文は子どもたちは英語を学習したがっていないという前提を採用しているということです。その上で、「いやなこと」を強制するために、「経済競争」だの「メガコンペティション」だの「適切な評価」だのという言葉で脅しをかけている。

 ここには学校教育とは、一人一人の子どもたちがもっている個性的で豊かな資質が開花するのを支援するプロセスであるという発想が決定的に欠落しています。子どもたちの知性的・感性的な成熟を支援するのが学校教育でしょう。自然に個性や才能が開花してゆくことを支援する作業に、どうして恐怖や不安や脅迫が必要なんです。勉強しないと「ひどい目に遭うぞ」というようなことを教師は決して口にしてはならないと僕は思います。学ぶことは子どもたちにとって「喜び」でなければならない。学校というのは、自分の知的な限界を踏み出してゆくことは「気分のいいこと」だということを発見するための場でなければならない。

 この文章を読んでわかるのは、今の日本の英語教育において、目標言語は英語だけれど、目標文化は日本だということです。今よりもっと日本的になり、日本的価値観にがんじがらめになるために英語を勉強しなさい、と。ここにはそう書いてある。

 目標文化が日本文化であるような学習を「外国語学習」と呼ぶことに僕は賛成できません。

 僕自身はこれまでさまざまな外国語を学んできました。最初に漢文と英語を学び、それからフランス語、ヘブライ語、韓国語といろいろな外国語に手を出しました。新しい外国語を学ぶ前の高揚感が好きだからです。日本語にはない音韻を発音すること、日本語にはない単語を知ること、日本語とは違う統辞法や論理があることを知ること、それが外国語を学ぶ「甲斐」だと僕は思っています。習った外国語を使って、「メガコンペティションに果敢に挑戦」する気なんか、さらさらありません。

 外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観、美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのは、その世界に接近してゆくことです。 

 フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。
 外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。

 でも、今の日本の英語教育は「母語の檻」からの離脱など眼中にない。それが「目標言語は英語だが、目標文化は日本だ」ということの意味です。外国語なんか別に学ぶ必要はないのだが、英語ができないとビジネスができないから、バカにされるから、だから英語をやるんだ、と。言っている本人はそれなりにリアリズムを語っているつもりでいるんでしょう。でも、現実にその結果として、日本の子どもたちの英語力は劇的に低下してきている。そりゃそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」が「上がり」であるような英語教育を受けていたら、そもそもそんな仕事に何の興味もない子どもたちは英語をやる理由がない。

 達成目標があらかじめ開示された場合に、子どもたちの学習努力は大きく殺がれます。教育のプロセスをまじめに観察したことがある人間なら、誰でもわかることです。「勉強するとこんないいことがある」とか「勉強しないとこんなひどい目に遭う」というようなことをあらかじめ子どもに開示すると、子どもたちの学習意欲はあきらかに減退する。というのは、努力した先に得られるものが決まっていたら、子どもたちは最少の学習努力でそれを獲得しようとするに決まっているからです。

 学習の場では決して利益誘導してはならないということを理解していない人があまりに多い。でも、長く教員をやってきてこれは経験的にはっきりと申し上げられます。賞品で子どもを釣ったり、恐怖で子どもを脅したりしても子どもたちの知的な能力は絶対に向上しません。彼らはどうやったら最少の学習努力で目的のものを手に入れるか、そこに全力を集中するようになるだけです。

 大学で最初の授業のときにオリエンテーションをやると、必ず「先生、単位をもらえる最低点は何点ですか」と「この授業は何回まで休めますか」という質問が出ます。単位をとるための最低点と最少出席回数をまず確認する。「ミニマム」を知ろうとするわけです。これは消費者マインドを持って教室に登場した学生にとっては当然の質問です。「これいくらですか?」と訊いているわけですから。

 彼らにとって単位や学位や免状や資格は「商品」なんです。そして、学習努力は「貨幣」です。だから、買い物客が「この商品の価格はいくらですか?」と訊くように、「この授業で求められる最少学習努力はどの程度ですか?」を訊いてくる。
 求める商品にそれなりの価値があることは彼らだってわかっているのです。でも、どんな価値のある商品であっても、一番安い価格で買うというのは消費者の権利であり義務であるわけです。特売コーナーで同じ商品が安く売っていたら、カートに入れた商品を元の棚に戻して、特売コーナーの同一商品をカートに入れる。それは買い物をする人間としては当たり前のことです。「元の棚」がかなり遠いところであっても、ごろごろカートを押して、そこまで戻しにゆく。その手間を別に惜しいとは思わない。それが消費者です。

 ですから、消費者としてふるまう学生たちの目には、出席をとらない科目、毎年同じ試験問題を出す科目、丸写しレポートでも単位をくれる科目は「特売コーナー」に置かれている商品のようなものとして映る。「特売商品」で同じ単位がもらえるなら、そういう「楽勝科目」だけを集めて卒業単位を稼ぐのが最もクレバーな学生生活であることになる。消費者マインドが骨までしみついた学生たちは、大学に来てまで「どうすれば最も少なく学べるか」をめざして努力するようになる。
 もし書店に「3ヵ月でTOEICスコアが100点上がる」という参考書があったとします。それを買おうと思って、横を見たら「1ヵ月で100点上がる」という本があった。当然、そちらを買う。でも、その隣に、「1週間で100点上がる」という本があった。これはもうこちらを買うしかない。でも、そのさらに横には「何もしなくても100点上がる」という本があった。もう迷わずこれを買う。

 そういうものですね。学習の達成目標が決まっていれば、あとはいかに少ない学習努力でそれを達成するかというところに知恵を使う。それが最も合理的であるということは子どもにだってわかります。ですから、学校で「勉強すると、こんないいことがある」という仕方で功利的に誘導するのは自分で足元を掘り崩しているようなものなのです。

 車を買うときだって、ふつうの人は何軒もディーラーを回って、だいたい車格が同じくらいの車を値踏みして、「おたくはいくら引くの?」と訊いて回りますよね。そして、一番値引き率の高いディーラーで買う。子どもたちだって、そういう親たちのふるまいを見て育っています。だから、一番安いところで買うためには、一日かけて何軒もディーラーを回るくらいの苦労はしても当然だということを学ぶ。だから、学校でも「最少の学習努力で教育商品を手に入れるために最大限の努力を惜しまない」という非合理な行動をするようになる。

 僕が教務部長をしている時に、単位をよこせとどなり込んできた学生がいました。事情を聴くと、レポートの期限に遅れたので、担当の教師が受理してくれなかった、それで単位を落としたというのです。期限に遅れたのは、提出期限が一日前倒しになったのを知らなかったからです。先生はうっかりして、入試があって学生入構禁止の日をレポートの提出期限として指定したしまったのです。大学の事務からそれを指摘されて、締め切り日を一日繰り上げて、学生たちには教室でそのことを告知したのですが、その学生はその日授業に出ていなかったのでそれを知らなかった。そして、大学構内に入れない日にレポートを持ってきて、ガードマンに追い返されてしまった。その学生と親たちが教務課の窓口に来て抗議しているわけです。「レポート提出期限の変更は授業を休んだ学生全員に周知徹底するのは大学の義務だ」と言う。「ちゃんと掲示板に告知してありました」と言ったのですが「中には掲示板を見ない学生だっている。教師は欠席した学生全員にひとりひとり電話をかけて知らせるべきだった」とごねる。ついに「弁護士を立てて大学を訴える」と言い出した。

 この一家のご努力にはほんとうに感動しました。どうして教務課で騒ぎ立てることについてはこれほど努力を惜しまないのに、授業に出ることや掲示板を見ることにはこれほど努力を惜しむか。担任の先生に出席簿を出してもらって調べたら、その学生は15週のうち6回しか出席しておりませんでした。それを知らせたら、さすがに親も引き下がりました。その学生は親には「ほとんど全部出席していた」と嘘をついていたのでした。

 この親子は消費者マインドで学校に来る人間の典型だと思います。「最低価格で商品を手に入れる」ためにはいかなる努力も惜しまない。それが倒錯的なふるまいだということが本人にはわからないのです。教務課相手に何日もかけてタフな交渉をするより、ふつうに授業に出ていた方がずいぶん楽だし、知識も身に着くので「一挙両得」ではないかと思うのですけれど、そういう計算が立たない。
 
 親や学生だけではありません。学校にもいます。市場原理で教育を語る人間が。「学校は店舗だ。われわれが売っているのは教育サービスだ。保護者と子どもたちはクライアントだ。消費者に選好される教育商品を売るのが教育活動なのだ。だから、市場のニーズを見きわめ、ターゲットを絞って、マネジメントをしなければいけない」というようなことを言う人間が。本人はビジネスマインドで教育を語って、わかった気になっているようですけれど、本当に頭が悪い。そんなことをしたら、学力はどんどん下がるに決まっているではないですか。

 だって、彼の言う「クライアント」が求めるのは「最低の学習努力で手に入る、価値のある教育商品」なわけですから、最終的には「勉強しなくても、学校に来なくても、試験を受けなくても、レポートを書かなくても、学習努力ゼロでも学位を差し上げます」というところを選ぶようになるに決まっている。

 最近よく「在学中に1年留学」ということを謳っている大学がありますね。大学は学生から授業料を徴収して、留学先の大学に研修費を払って、差額を手に入れる。教育活動ゼロでそれなりの授業料が入るわけですから笑いが止まらない。学生の25%が大学に来ないんですから教育コストは大幅に軽減できる。人件費も光熱費も25%節約できるし、トイレットペーパーも減らないし、校舎の床も階段も損耗しない。そのうち「だったら留学期間2年にしたらどうか」と言い出すやつがきっと出てきます。それなら教員を50%減らすことができる。「それならいっそ留学3年必須にしたらどうか」と誰かが言い出し、ついには「いやそれより4年間留学必須にしたどうか」と言い出すやつが出て来る。そうすれば大学は何も授業せず、集めた授業料を留学先の研修費に払った差額はまるごとポケットに入る。もう教職員を雇う必要もないし、キャンパスさえ要らない。教育活動を一切しないでも金が入ってくる。

 そうなんです。市場原理に従うなら、大学はできるだけ教育活動にコストをかけない方が儲かる。ですから、論理的には「大学がない」ときに利益率は最大化する。

 実際に21世紀はじめに林立した株式会社大学の中には、貸しビルに部屋を借りただけでキャンパスを持たず、専任教員を雇わずに職員に講義させ、ビデオを見せて授業に代えたりして、最少の教育コストで「大儲け」を狙ったところがありました。もちろん、すぐに潰れました。でも、経営者は「どうして市場原理に従って経営したのに失敗したのか」最後まで理解できなかったのではないかと思います。

 教育に市場原理を持ち込んだら、学生たちは「最少の学習努力」をめざし、学校経営者たちは「最少の教育コスト」をめざすようになる。それが当然なのです。でも、そんなものは教育ではない。そんな簡単なことさえわからない人間たちが、教育がどうあるべきかについて論じ、政策を決定して、現場にあれこれとお門違いな命令を下して、ひどい場合は大学を経営している。それが今の日本です。学校教育が劣化するのも当たり前です。

 もう一つ、申し上げておきたいことがあります。それは学校に競争原理を持ち込んではならないということです。このエピソードも何度も本に書いたことですけれど、印象的な事例なので繰り返します。

 僕のゼミの学生で、学習塾でバイトをしていたものがいました。そこは学習習慣のない子どもたちのための塾で、マンツーマンで勉強を教えていた。一生懸命教えた甲斐があって、その学生が担当していた子どもがようやく学習習慣が身についてきて、教室でも長い時間机に座っていられるようになった。そして、ある日ついに塾の学習進度が学校を超えた。学校でまだ習っていない単元に進んだのです。そうしたら、その子は、学校で自分が知っていることを先生が教え始めたら、立ち上がって歌を歌い出したというのです。

 学校の先生から親に相談が行って、親から塾で担当していた学生に相談が行って、学生から僕が相談を受けて、「先生、一体この子は何のためにそんなことをしたのでしょう?」と訊かれたので、彼は彼なりに合理的な行動をとったのだと思うと答えました。

 この子はずっと学校の勉強に遅れていた。それがようやくわずかながらも級友よりも先に進んだ。このアドバンテージを維持するためには、周りの級友たちの学習を妨害するのが最も効果的である。そう考えたわけです。

 実際に、子どもたちは実に小まめに級友たちの学習妨害をしています。「学級崩壊」ということがある時点から言われ始めましたけれど、それは子どもたちが急激に反社会的になったからではなく、むしろ過度に社会化されたからではないかと僕は思っています。子どもたちは実際に合理的に行動しているのです。自分の学力を上げるための努力は自分ひとりにしかかかわらないけれど、学級崩壊はクラスメート全員の学習を妨害できる。同学齢集団内部での相対的な優劣を競うという観点から言うと、自分の学力を上げる努力よりも、周囲の学力を引き下げる努力の方が費用対効果が高い。

 昔からそういうのはありましたね。進学校だと、試験前でも「全然勉強やってないよ」と言って級友を油断させたり、試験の前日に麻雀に誘って勉強の邪魔をしたりとか、そういう「せこい」ことをやっていた。でも、今はもっとそれを組織的かつ無意識的にやっている。競争原理的には合理的なふるまいなので誰も止めることができない。

 偏差値というのがまさに競争原理がもたらした倒錯の典型です。偏差値は学力とは無関係です。あれは、同学齢集団のどの辺にいるのかという「格付け指標」です。今、偏差値70の子は、僕が中学生だった頃に連れ来たら、とてもそんな偏差値はとれないでしょう。競争相手の同学齢集団の規模が二倍以上だし、学力そのものも年ごとに低下していますから。でも、偏差値というのは集団そのものの学力が低下しても、格付け機能だけは変わらない。そういう競争に子どもたちを追い込んだら、当然子どもたちは「最少の学習努力で高い偏差値をとる方法」を工夫するようになります。そして、そのためには「集団全体の学力を下げる」のが最も効率的であるということは誰にでもわかる。

 僕は神戸の住吉というところに住んでいます。近くには灘高とか六甲学院といった中高一貫の進学校があります。電車に乗ると、よくそういう学校の生徒たちに会います。ついにじり寄っていって、どんな話をしているのか立ち聞きしてしまう。みごとなほど知的な会話をしていない。直接教科の内容にかかわることでなくてもいいのです。今だったら、「米朝会談どうなると思う」というような話をしてもいいじゃないですか「金正恩はこれからどう出るか」とか「南北は裏で話がついていたのか」とか「CIAが絡んでいるのかね」とか、高校生だって、そういう話をしてもいいじゃないですか。「これから日本の政治はどうなるのか」とか「東京オリンピックはほんとうに開催できるのか」とか。自分たちのこれからにかかわることなんですから。でも、そういう話をまったくしていない。

 例えば、生徒たちがそれぞれ手分けして海外のネットニュースを読んだり、本を読んだりして情報を集めて、それを共有すればいいと思うんですよね。頭のいい子たちなんだから。でも、そうやってお互いの知的リソースを富裕化するという作業はみごとなほどまったくしていない。おしゃべりの内容は、「そんなことを知っていても、試験の点数が一点も上がることのない話題、話し相手の知性が少しも活性化しない話題」に限定されています。もう、みごとなほど。無意識にやっているんですよ、そういうことを。同学齢集団の競争相手たちの知性が活性化することを本能的に回避しようとしている。そういうことを社会全体でやっている。学力が低下し、大学の学術的発信力が先進国最低にまで下落するのも当然なんです。

 いったいどうすればいいのか。僕からの提案はシンプルなんです。でも、これは無理だと皆さんは言うと思います。それは「成績をつけない」ということです。成績をつけない。生徒たちを格付けをしない。教えたいことがあるので教える。聞きたい人は聞いてくれ。そういう授業をする。そんなことをしたら管理職からも、親からも、生徒たち自身からも「止めてくれ」と言われると思いますけれど、日本の学校教育を蘇生させる道はそれしかないです。点数をつけない。成績をつけるのを止めれば、格付けによって資源を傾斜配分するというルールを止めれば、日本の子どもたちの学力は一気にV字回復します。それは断言してもいい。

 成績をつけ、格付をして、得点の高いものに報奨を与え、得点の低いものは処罰するというのは「微量の毒」のようなものなんです。毒もうまく使えば薬になるけれど、所詮は毒です。短期的に、一気に限界を超えさせるためには、格付けによる差別は有効です。でも、そういう無理は長続きするものじゃない。どこかで子どもたちの心身が壊れ始める。ほんとうに自己の知的限界を超えるためには、時間がかかるんです。教師は生徒たちの学びへの意欲が起動するまで、長い時間待たなければいけない。学びに促成栽培はあり得ないんです。

 同学齢集団の中で相対的な優劣を競わせるのは「促成栽培」です。農作物を育てる時に、農薬や肥料を大量に投与したり、人工的な環境で育てるのと同じです。すぐに効果は出るけれど、それはほんとうに力がついたわけじゃない。

 学校で子どもたちが身に付けるべき能力は、学校を出てから役立つものでなければ意味がありません。学校を出た後はすぐに年齢も違う、性別も違う、専門も違う人たちと共同的にかかわることになります。自分とものの考え方が違う人たちとのコラボレーションができなければ仕事になりません。同学齢集団内で相対的な優劣を競ってきた能力なんか、そういう場面では何の役にも立ちません。コラボレーションで必要なのは、汎用性の高い知的能力です。交渉力、調停力、胆力、共感力、想像力...そういうものです。だから、学校教育の本旨はそういう汎用性の高い知的能力を育ててゆくことでなければならない。それが子どもたちに本当に必要な、生きる知恵と力なんです。そういう力を高めてゆくことが、子どもたちの市民的な成熟を支援するということです。同学齢集団内の相対的な優劣を競わせて、お互いの知性が活発化するのを邪魔し合ってゆけば、子どもたちの生きる知恵と力はどんどん減退してゆく。それは今の日本の現実を見ればわかるはずです。

 僕は、神戸の道場で合気道という武道を教えています。門人は今300人ぐらいです。僕のところでも段位や級は出しています。そういうものがある方が励みになるらしいから。ですから、門人たちは昇段級審査の前になると集中的に稽古をします。なんとか時間をやりくりして道場に来て、自主的に稽古をしている。そういうふうに集中的に稽古することで、ある「壁」を超えるということも現にあります。ですから、僕は段位や級を出すことの効用は認めてます。でも、それは「そういうもの」がある方が一人一人の力が伸びる確率が高いという経験知に基づいてのことです。段位の上下を比べたり、誰が早く昇段したのか、誰が遅いかというようなことは一切口にしない。別に抑制しているわけではなく、僕はそんなこと考えたこともないから。門人同士を比べて、この人の方がこの人より巧い、この人の方が強い、というようなことは考えたことがない。門人同士の相対的な優劣を比較することなんか、修業上何の意味もありません。優劣を比較する対象があるとしたら、それは「昨日の自分」だけです。「昨日の自分」と比べて「今日の自分」がどう変化したのか、それは精密に観察しなければなりません。昨日まで気づかなかったどういう感覚が芽生えたか。昨日までできなかったどういう動きができるようになったか。そこには注意を向けなければいけない。でも、同門の他人と自分を比べて、その強弱や巧拙などを論じても何の意味もない。ほんとうに何の意味もないのです。修業の妨げにしかならない。

 僕の師匠は多田宏先生という方です。以前先生から「他人の技を批判してはいけない」と教えられました。僕はその時はまだ若くて、先生の意図よくわからなかった。口には出しませんでしたけれど、「他人の技の欠点に注目するのは有用なのではないか」と内心では思いました。先輩の技を注視して、あの人はここがよくない、あの人はここが優れている、この道場では誰それさんがやっぱり一番うまい、あの人は段位は高いが技術は劣るとか、そういうことを同門同士で論じ合ってもいいんじゃないかと思っていたからです。それが修業の役に立つと思っていた。

 たぶん僕が得心のゆかない顔をしていたからでしょう、先生は僕の方を見て、「他人の技を批判してうまくなるのなら、俺も朝から晩まで他人の技を批判しているよ」と言って笑って去っていかれた。その時の先生の言葉が今でも心に残っています。他人と自分の間の技術の相対的な優劣など論じても、そんなことは自分の修業に何の役にも立たない。それを骨身にしみるような言葉で教えられました。

 それはまさに武道修業者の基本として、澤庵禅師の『太阿記』の冒頭に掲げられている言葉です。

「蓋(けだ)し兵法者は、勝負を争わず、強弱に拘(こだわ)らず、一歩を出でず、一歩を退かず、敵、我を見ず、我、敵を見ず、天地(てんち)未分(みぶん)陰陽(いんよう)不到(ふとう)の処に徹して直ちに功を得べし」。

 兵法者の心得として、まず勝負を争わないこと、強弱にこだわらないことと書いてあります。修業の第一原則がこれなんです。相対的な優劣にこだわってはならない。それは自分の力を高めていく上で必ず邪魔になる。勝てば慢心するし、負けたら落ち込む。そんなことは修業にとって何の意味もありません。修業というのは、毎日淡々と、呼吸をするように、食事をしたり、眠ったりするのと同じように、自然に、エンドレスに行うことが肝要なのです。だから、修業には目標というものがありません。

 スポーツの場合だと、試合というものがあります。ある場所、ある時点に能力のピークが来るように設定して、それが終わったら、しばらく使い物にならないというようなことが許される。それは試合がいつどこでどういう形態で行われるか事前に開示されているからです。でも、武道が涵養している能力はそういうものではない。どんな危機的局面に際会しても、適切にふるまって、生き延びる力です。その語義からして、「危機」とは、それが何であって、いつどこで遭遇するかわからないものです。天変地異でも、テロでも、パンデミックでも、ゴジラ来襲でも、どんな状況でも適切に対応できる力を「兵法者」は修業する。それは試合に合わせて「ピーク」を設定するとか、ライバルとの相対的な優劣について査定したり、成績をつけたり、それに基づいて資源分配するということとはまったく別の活動です。
 われわれは子どもたちを格付けして資源分配をするために教育をしているのか、それとも子どもたち一人一人のうちの生きる知恵と力を育てるために教育しているのか、そんなことは考えるまでもないことです。そして、一人一人の生きる知恵と力を高めるためには他人と比べて優劣を論じることには何の意味もありません。まったく、何の意味もないのです。有害なだけです。でも、現在の学校教育ではそれができない。全級一斉で授業をするという縛りがありますから、一人一人をそれほど丹念に観察できないというのはわかります。でも、授業を子どもたちの査定や格付けのために行うことについてはもっと痛みを感じて欲しいと思います。それはほんとうは学校でやってはいけないことなんです。

「日本の学校教育をよくする方法がありますか」とよく聞かれます。ですから、僕の答えはいつも同じです。「成績をつけないこと」です。でも、それを言うと、教員たちはみんな困った顔をするか、あるいは失笑します。「それができたら苦労はないですよ」とおっしゃる。でも、ほんとうにそれほど「それができたら苦労はない」ことなんでしょうか。

 僕は現に武道の道場という教育機関を主宰していて、そこでは「成績をつけない。門人たちの相対的な優劣に決して言及しない」ということをルールにしていますが、実に効率的に門人たちは力をつけて、ぐいぐいと伸びています。道場では査定ということをしない。寺子屋ゼミという教育活動も並行して行っていますけれど、ここでも研究の個別的な出来不出来についてはかなりきびしいコメントをすることもありますけれど、ゼミ生同士の優劣について論じることは絶対にしません。
 どうして教育の場で、教わる者たちは、指導者によって査定され、格付けされ、それに基づいて処遇の良否が決まるということが教育にとって「当然」だと信じられるのか、僕にはそれがわかりません。明らかにそれは教育にとって有害無益なことです。それは40年近く教育という事業に携わってきた者として確信を以て断言できます。

 僕は、一昨日に千葉の保険医たちの集会に呼ばれてお話をしてきました。懇親会で隣にいた保険医の方から「医療と市場原理はどうしてもなじまないのですけれども、どうしたらいいでしょう」と訊かれました。その質問には「苦しんでください」と答えました。にべもない答えだったとは思いますけれど、仕方がないのです。医療と市場原理は並立しないからです。並立しないものを並立させてようとしているのだから、苦しむ以外にない。

 医療というのは、医療を求める全ての人に、分け隔てなく、最高の質の医療を、ごくリーズナブルな代価で、できれば無償で提供することを理想としてます。そういう仕組みを作ることが医療の理想なわけですけれども、市場原理の中では、そうはゆかない。市場原理に即して考えると、医療は医師の技術・医療機器・医薬品・看護介護のサービスという「商品」として仮象する。だから、需給関係に従って、その「商品」に一番高い値を付ける人が所有することができる。アメリカはもうそうなっています。医療は市場で貨幣で買うものだと思われている。だから、お金をもっている人は最高の医療技術を享受できるけれど、貧困層は最低レベルの医療しか受けられない。富裕層は金に糸目をつけずに最高の医療スタッフを「侍医」として雇用することができるけれど、保険医療しか受けられない患者は、最低の医師、最低の看護師、最低の医療設備の病院にしか行けない。そのような最低の治療さえ受けられない人もいる。

 でも、本来、医療というのはそういうものであっていいはずがない。「ヒポクラテスの誓い」というのは古代ギリシャの医療人の誓いで、いまでもアメリカの医学部卒業式ではこの誓言をするはずですけれども、そこには「患者が自由人であろうと奴隷であろうと医療内容を変えてはならない」と謳ってあります。最古の医療倫理が「医療は患者の個人的属性に従って変えてはならない」ということなのですが、そのヒポクラテスの倫理がもう守られていない。これはヒポクラテスの誓いの方が正しくて、市場原理の方が間違っているのです。だから、「どうしたらいいでしょうか」と訊かれても「苦しんでください」としか言いようがない。医療の理想は実現することが難しい。かといって市場原理に従ってゆけば、超富裕層が医療資源を独占して、貧しい者は医療の恩恵を受けられないという古代ギリシャ時代以前の未開社会にまで退化してしまう。市場原理に委ねるとある種の領域では制度は限りなく劣化するという平明な事実を直視すべきなんです。それを直視したくないというのなら、苦しむしかない。

 それは、教育も同じです。われわれの共同体を担っていく次世代の若者たちの知性的な、感性的な、そして、霊性的な成熟を支援することが教育本来の目的です。ヒポクラテスの誓いと同じく、本来であれば全ての集団の、すべての子どもたちに同じ質の教育機会が与えられるべきなんです。だから「義務教育」なんです。集団には次世代を教育する義務が課されている。

 何万年も前の小さな集団で暮らしている太古の時代から、子どもたちがある年齢に達したら、年長者たちが子どもたちを集めて、「生きる技術」を教えました。狩猟の仕方とか、農耕の仕方とか、魚の獲り方とかを教えた。そういう技術を学ばないと子どもたちは生き延びることができず、集団が消滅してしまうからです。集団を存続させるためには、子どもたちに、ある年齢に達したら「生き延びるための知識と技術」を教え込む。それが教育です。

 教育する主体は集団なのです。そして、教育の受益者も集団なのです。集団が存続していくというしかたで集団が受益する。でも、今の教育では、子どもたちは消費者として「教育商品」を購入している気でいます。高い学歴を持ち、ハイエンドな資格とか免状を持っていたら、社会的地位が上がり、年収も上がり、威信も享受できる。だから、教育は商品だ、と。よい教育を受けたいというのは、よい洋服が欲しい、よい時計が欲しい、よい車が欲しいというのと同じだ、と。そういうものは自分の身を飾るものなのだから、自分の財布から金を出して買え、と。どうして税金を投じて、すべての子どもたち公教育を施さなければいけないのか、意味がわからないという人が現にいくらでもいます。

 でも、何度でも申し上げます。教育は買い物とは違います。教育は集団の義務なんです。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものです。共同体がこれから継続し、そこで人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。

 でも、市場原理を持ち込んでくると、この筋目がまったく見えなくなってしまう。市場原理では、教育する主体は先生たち個人だとみなされる。集団ではないのです。教員個人の「教育力」なるものが数値的に表示されて、それに対して報奨や処罰が用意される。高い教育力を持つ教員個人が高い格付けを受けて、高い給与や地位を約束される。教育力の低い教員は低い格付けを受けて、冷遇される。それと同じように、教育を受けたことの利益は個人にのみ帰属する。知識も技術も、自分がその後他の同胞たちよりも高い地位に就き、高い年収を得るために、排他的に利用される。それがフェアネスだと信じている人が現代日本ではマジョリティを占めている。

 教育するものからも、教育を受けるものからも、「共同的」という本来の契機がまったく脱落したのが、現在の教育です。教育活動は個人のではなく、集団の営みであるということを理解していない教員さえたくさんいます。

 大事なことなので、何度でも申し上げますけれど、教育の主体は集団です。教育は集団で行うものであり、教育を受けるのは個人ですけれど、その個人の活動から受益するのは集団です。「ファカルティー(faculty)」というのは「教師団」という意味です。教育活動を行うのは「ファカルティ―」であって、教員個人ではありません。「ファカルティ―」というのは、同じ学校で、同じ学期に、職員室で机を並べて仕事している同僚たちだけのことではありません。今教えている子どもたちがこれまで就いて学んできたすべての教師たち、子どもたちの周りにいたすべての年長者たちと共に、われわれは「ファカルティー」を形成している。僕たちは、僕たちに先行する教師たち・年長者たちからいわば送り出され、手渡された子どもたちを受け取り、自分たちに教えられることを教え、それを次の教師たちに「パス」してゆく。そのすべての大人たちが「ファカルティ―」を形成している。

 僕が神戸女学院大学に在職していた頃の話です。あの学校は同窓会の結束が固くて、卒業生がしばしば遺産を学校に贈与してくれます。部長会の席で、亡くなった卒業生から遺言で学校宛てに何千万円のご寄贈がありましたということを経理部長がしばしば報告してくれました。それを聞く度に、「ありがたいことだ」と思いながら、微妙に気持ちが片づかなかった。

 85歳ぐらいで亡くなった卒業生からの遺産贈与だとすると、その人が神戸女学院に通っていたのは、今からもう70年ぐらい前なわけです。70年前ぐらいに受けた教育に対する感謝の気持ちを遺産として遺してくださったわけですけれど、僕たちはもうその人を教えた先生たちの顔も名前も知らない。みなさん、とっくにお亡くなりになっている。その人たちが行ったすばらしい教育への感謝の気持として遺産贈与があるのだけれど、今この学校で働いている教員たちに、果たしてそれを受け取る資格はあるのか、そう考えてしまったのです。だから、片付かない気持ちがした。

 でも、しばらく考えて、これはやっぱり受け取っていいのだと思うようになりました。というのは、僕が今ここで必死に教育を行って、そのおかげでそれから後の人生が豊かなものになったと思ってくれた卒業生が、仮に今から70年後に神戸女学院に対して遺産を寄贈してくれたとします。その場合、遺産を受け取ることになった教員たちは、僕たちのことなんかもう覚えていないわけです。名前も知らないし、何を教えたのかも知らない。でも、もしそういうことがあったら、70年後の教師たちにはその遺産を喜んで受け取って欲しいと思います。というのは、教育活動というのは、「ファカルティー」が行うものだからです。70年前にここで教えた人たち、70年後にここで教える人たち、もう死んでしまった教師たち、まだ生まれてもいない教師たち、彼らを僕たちは一つの「ファカルティ―」を形成している。150年にわたってこの学校で教えた、これから教えることになるすべての教師たちと共に僕は「ファカルティ―」を形成している。卒業生の感謝の気持はたまたまその事案が発生した時に在職していた教職員が受け取るのではなくて、「ファカルティー」が受け取るのです。

 教育の主体は集団である、教育は集団的な事業であるというのはそのことです。「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人びとだけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」をめざすものだからです。

 だから、教育政策の適否を計る基準は一つしかないと僕は思っています。それはその政策を実行することが子どもたちの市民的成熟に資するかどうか、それだけです。市民的成熟に資することであればよい。市民的成熟に関係のないこと、それを阻むものは教育の場に入り込ませてはいけない。それだけです。そういう基準で教育政策の適否を判定したら、今の文科省が主導している教育政策のほとんどは、子どもたちの市民的成熟にまったく何の関係もない、むしろそれを阻害するものだということがわかると思います。でも、そういうまっとうな基準で教育政策の適否を判定する習慣をわれわれは失って久しい。それが現在の日本の教育の混乱と退廃をもたらしている。

 では、どうしたらいいのかと。まだもう少し話す時間が残っているようですから、ちょっとだけ話します。大した知恵がなくて、できないことばかり言って本当に申しわけないのですが、一つは、保険医の方に言ったのと同じで、「とにかく苦しんでください」ということです。そして、先ほども言ったように、できることなら成績をつけないでもらいたい。成績をつけてもそれほど教育活動が阻害されない教科もあるかも知れませんが、できればどの教科でも何とか成績をつけないで進めて頂きたい。カリキュラムのどこかに、子どもたちが誰とも競争しないで済む時間帯を設けて欲しい。昨日の自分と今日の自分の変化を自分ひとりで観察する。そのような学びの場を何とか立ち上げて頂きたいと思います。

 もう一つ、今は英語教育にとりわけ中等教育では教育資源が偏ってきています。他の教科はいいから、とにかく英語をやれという圧力が強まっています。別にそれは英語の教員たちが望んだことではないのだけれど、教育資源が英語に偏っている。特に、オーラル・コミュニケーション能力の開発に偏っている。何でこんなに急激にオーラルに偏ってきたかというと、やはりこれは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。

「グローバル・コミュニケーション」と言っても、オーラルだけが重視されて、読む力、特に複雑なテクストを読む能力はないがしろにされている。これは植民地の言語教育の基本です。

 植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。理由は簡単です。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有するからです。100%ネイティヴが勝つ。「勝つ」というのは変な言い方ですけれども、オーラル・コミュニケーションの場では、ネイティヴにはノン・ネイティヴの話を遮断し、その発言をリジェクトする権利が与えられています。ノン・ネイティヴがどれほど真剣に、情理を尽くして話していても、ネイティヴはその話の腰を折って「その単語はそんなふうには発音しない」「われわれはそういう言い方をしない」と言って、話し相手の知的劣位性を思い知らせることができる。

 逆に、植民地原住民にはテクストを読む力はできるだけ付けさせないようにする。うっかり読む力が身に着くと、植民地の賢い子どもたちは、宗主国の植民地官僚が読まないような古典を読み、彼らが理解できないような知識や教養を身に付ける「リスク」があるからです。植民地の子どもが無教養な宗主国の大人に向かってすらすらとシェークスピアを引用したりして、宗主国民の知的優越性を脅かすということは何があっても避けなければならない。だから、読む力はつねに話す力よりも劣位に置かれる。「難しい英語の本なんか読めても仕方がない。それより日常会話だ」というようなことを平然と言い放つ人がいますけれど、これは骨の髄まで「植民地人根性」がしみこんだ人間の言い草です。「本を読む」というのはその国の文化的な本質を理解する上では最も効率的で確実な方法です。でも、植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。

 今の日本の英語教育がオーラルに偏って、英語の古典、哲学や文学や歴史の書物を読む力を全く求めなくなった理由の一つは「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。だから、アメリカ人は日本人が英語がぺらぺら話せるようになることは強く求めていますけれど、日本の子どもたちがアメリカの歴史を学んだり、アメリカの政治構造を理解したり、アメリカの文学に精通したりすること、それによってアメリカ人が何を考えているのか、何を欲望し、何を恐れているのかを知ることはまったく望んでいません。

 言語は政治的なものです。オーラル・コミュニケーションはとりわけ政治的な力の差が際立つところです。一方が母語で話し、一方が後天的に学習した外国語で話して、そこで議論する、対話する、合意形成するということがどれほどアンフェアで、不合理なことか。英語が国際的共通語であるのは、英米が二世紀にわたって世界の覇権国家であったからです。それだけの理由です。だから、英語圏の人々は母語を話せば国際会議で議論でき、国際学会で発表できる。われわれ非英語圏の人間は、英語学習のために膨大な時間と手間をかけなければならない。それは計り知れないハンディキャップを課されているということです。超大国の覇権が恒久化されるように、言語状況そのものが設計されている。それは冷厳な歴史的事実なわけですから仕方がないことです。でも、「アンフェアだ」ということは言い続ける必要がある。

 もう一つオーラル・コミュニケーションが重要視されるのは、オーラルだと、その出自が一瞬で判定できるからです。ネイティヴ・スピーカーなのか、長くその英語圏の国で暮らして身に付けた英語なのか、日本の学校で日本人に習った英語なのか、一瞬でわかる。これをverbal distinctionと言います。「言語による差別化」です。映画『マイ・フェア・レディ』の原作はバーナード・ショーの『ピグマリオン』という戯曲ですが、映画でも戯曲でも、テーマはこの「言語による差別化」でした。

 映画の冒頭に、ヘンリー・ヒギンズ教授が、オペラハウスの前で、見知らぬ人に向かって、「あなたはどこの出身だ、職業は何だ」と次々と言い当てて気味悪がられるという場面がありますね。ヒギンズ教授は音声学の専門家ですから、一言聞いただけで、その人の出身地も階層も職業も学歴もことごとく言い当てることができる。でも、ヒギンズ教授はその能力を誇ってそうしているわけではないのです。イギリスでは、誰もが口を開いた瞬間に所属階級がわかってしまう。そういうかたちで「差別」が自動的に行われている。教授はそれはよくないことだと考えているのです。そして、自分はこのような「言語による差別化」を廃絶して、すべての人間が「美しい英語」を話す社会を実現するために研究をしているのだ、と語るのです。そこに花売り娘のイライザがあらわれて、すさまじいコックニーで話し始める。そこからご存じの物語が始まる。

 でも、今日本で行われているオーラル中心の英語教育は、この時のヒギンズ教授の悲願とは、まったく逆方向を目指しています。一言しゃべった瞬間に、オーラル・コミュニケーション能力が格付できるシステムを構築しようとしている。これはまさに植民地の言語政策以外の何物でもない。

 植民地英語を教えようとしている人たちの言うことはよく似ています。文法を教えるな、古典を読ませるな、そんなのは時間の無駄だ。それよりビジネスにすぐ使えるオーラルを教えろ、法律文書と契約書が読める読解力以上のものは要らない。そう言い立てる。それが植民地の言語政策そのままだということ、自分たちの知的劣位性を固定化することだということに気が付いていない。

 植民地的な言語教育の帰結は、母語によっては自分の言いたいことを十分に表現できなくなるということです。フィリピンは現地語のタガログ語がありますけれども、旧植民地ですから、宗主国の言語である英語ができないと、官僚にもビジネスマンにも教師にもなれない。それは、生活言語であるタガログ語では、ビジネストークもできないし、政治・経済についても、学術についても語れないからです。母語にはそのための語彙がない。ある程度知的な情報を含む会話をするためには、英語を使うしかない。「フィリピンの人は英語がうまくて羨ましい」というようなことを無反省に言う人がいますけれど、フィリピン人が英語に堪能なのは、アメリカの植民地であり、母語を豊かなものにする機会を制度的に奪われていたからです。その歴史も知らないで、「なぜフィリピンの人はあんなに英語がうまいのに、日本人はダメなんだ」というようなことを言っている。そして、「そうだ。日本をアメリカの植民地にしてしまえば、日本人は英語が堪能になるに違いない」と本気で思っている。

 母語を豊かなものにするというのは、あらゆる言語集団にとっての悲願です。というのは、すべての知的イノベーションは母語で行われるからです。先ほどは「母語の檻」からどうやって離脱するかというようなことを言っていたのに、話が違うではないかと思われる方もおられるでしょうけれど、そういうものなのです。全てのものには裏表がある。いいところもあれば、悪いところもある。外国語を習得するというのは「母語の檻」から出て知的なブレークスルーを遂げる貴重な機会なのですけれど、私たちは他の誰にもできないような種類の知的なイノベーションを果たすためには、それと同時に母語のうちに深く深く分け入ってゆくことが必要なのです。ほんとうに前代未聞のアイディアというのは母語によってしか着想されないからです。

 僕はおととし池澤夏樹さん個人編集の「日本文学全集」で、『徒然草』の現代語訳をやりました。高橋源一郎さんが『方丈記』、酒井順子さんが『枕草子』を訳して、僕が『徒然草』というラインナップの巻です。池澤さんから依頼があった時に、『徒然草』なんて大学入試の時から読んでないので、できるかなと思ったのですが、とにかく引き受けて、古語辞典を片手に一年かけて訳しました。

 やってみたら、結構訳せました。『徒然草』は800年前の古典なんですけれど、なんとか訳せた。そして、こういう言語的状況というのは、他の東アジアの諸国にはちょっと見られないんじゃないかなと思いました。古典を専門にしているわけでもない現代人が辞書一冊片手に古典を読んで、訳せるというようなことは中国でも、韓国でも、ベトナムでも、インドネシアでも、まず見ることのできない景色だと思います。

 どうしてそんなことが可能なのか。それは日本語が大きな変化をこうむっていないからです。明治維新後に、欧米から最新の学術的な概念とか政治や経済の概念が輸入されましうたけれど、テクニカルタームを加藤弘之、西周、中江兆民、福沢諭吉といった人たちが片っ端から全部漢字二語に訳してしまった。natureを「自然」と訳し、societyを「社会」と訳し、individualを「個人」と訳し、philosophy を「哲学」と訳し...というふうにすべて漢字二字熟語に置き換えた。これはたいした力業だったと思います。

 こういうことができたのも、日本列島の土着語に中国から漢字が入って来た時も、現地語を廃して、外来語を採用するということをせず、土着語の上に外来語を「トッピング」して、ハイブリッド言語を作ることで解決した経験があったからです。昔は「やまとことば」の上に中国語をトッピングして日本語を作った。ひらかなもカタカナも漢字から作った。明治になったら、今度は英米由来の概念を漢訳して、それを在来の母語の上にトッピングして新しい日本語を作った。日本語はこういうことができる言語なんです。そのおかげで、日本は短期間に近代化を遂げることができた。

 中国の近代化が遅れた理由の一つは、欧米の言語を音訳したからです。中国語そのものを変えることを望まなかった。欧米の単語を漢訳して、新しい語を作るということは、中国語には存在しない概念が中国の外には存在することを認めるということです。これは世界の中心は中国であり、すべての文化的価値は中国を源泉として、四囲に流出しているのだという「中華思想」になじまない。だから翻訳しないで、そのまま音訳して中国語の言語体系に「トランジット」での滞在を認めただけで、言語そのものの改定を忌避した。

 孫文はルソーの『民約論』を参考にして辛亥革命の革命綱領を起案したそうですけれど、孫文が用いたのは中江兆民の漢訳でした。兆民はルソーをフランス語から和訳と漢訳を同時に行ったのです。そういうことができた。土着語に漢語を載せるのも、土着語に欧米語を載せるのも、プロセスとしては同じことだったからです。

 漱石も鷗外も荷風も、明治の知識人は漢籍に造詣が深かった。漱石は二松学舎で漢学を学んだあと英語に転じます。漱石がイギリス文学と出会っても、それに呑み込まれることがなかったのは、英文学のカウンターパートに相当する深みのある文学的なアーカイブが自分の中にすでに存在していたからです。すでに豊かな言語的資源を自分の中に持っていたからこそ、自在に新しい外国語に接することができた。だから、外国語を学ぶことと並行して、母語を深く学ぶ必要がある。そうしないと外国語に呑み込まれてしまう。知的なイノベーションで大きなハンディを背負うことになります。

 というのは、ネオロジスム(新語)を作ることができるのは母語においてだけだからです。後天的に習得した外国語では新語や新しい概念を作ることはできません。僕が英語やフランス語で、勝手に新しい言葉を作っても、相手には全然通じない。I went というのは不規則変化で面倒だから、これからはI goed にしようと提案しても、英語話者は誰も相手にしてくれない。言っても鼻先で笑われるだけです。

 でも、母語の場合だったら、「そんな言葉はない」「そんな意味はない」というかたちで新語が否定されることはない。だって、通じてしまうから。誰かが言い出した新語の意味がわかると、次は自分がそれを使い始める。ある人が、ふっとネオロジスムを思いついた時点で、それは潜在的には日本語のボキャブラリーにすでに登録されているのです。

 前に温泉に行ったときに、露天風呂に入っていたら、あとから若い学生が二人入って来て、湯に浸かると同時に「やべ〜」と呟いたことがありました。もう10年近く前でしょうか。その時に「ああ、そうか。『やばい』というのは、『大変気持ちがいい』という新しい語義を加えたのだな」とわかりました。実際に今出ている国語辞典には「最高である、すごくいい」という新しい語義がすでに加筆されております。

「やばい」はもとからある語に新しい語義が加わった事例ですけれど、「真逆」というのは新語です。最初に聴いたのは高橋源一郎さんとしゃべっている時でした。「まぎゃく」という音を聞いただけで「真逆」という文字が自動的に脳裏に浮かびましたし、「正反対」の強い表現だということもわかりました。説明されなくても、わかる。

よく考えたら、これはすごいことですよね。新語や、新概念は発語された瞬間に、母語話者にはそれが何を意味するかがわかるのです。それは新語、新概念というのが、個人の思い付きではなくて、母語の深いアーカイブの底から泡のように浮かび上がってきたものだからです。最初にそれを口にした人はその「泡」をすくい上げて言葉にしたのです。創造したわけじゃない。だから、母語話者にはその意味がすぐわかる。

 イノベーションというのは新語、新概念を創造することです。新しい言葉が、誰も聴いたことのない新しい言葉であるにもかかわらず、発語された時点ですでに母語において「受肉」している。だから、「あ、そういうことね」だと理解される。「それって、これまで誰も言ったことがないことだね」と理解される。変な話ですよね。新しい言葉が「これまで誰も言ったことのない言葉」として、その意味も用法もセットで受け容れられるんですから。母語ならそれができる。そして、外国語では、できない。

 だから、本当に新しいものを発明しようと思ったら、われわれが作り出したものが世界標準になるとしたら、それは母語における新語というかたちで潜在的にはすでに語彙に登録されたかたちで登場してくるのです。

 母語のアーカイブはそれだけ豊かだということです。日本の古語はある種の外国語なわけですけれど、少し読み慣れると、すぐにニュアンスがわかるようになる。古典を読んでゆくと、1000年前、500年前の日本人に世界がどう見えていたのか、彼らがどのようなコスモロジーのうちで生きていたのかが追体験される。これもやはり「母語的現実」からの離脱の経験であるわけです。

 ただ、古典を学ぶというのと、英語を学ぶというのはぜんぜん異質の経験です。古典といっても日本語です。僕たちが今使っている現代日本語は、この古語から生まれて来た無数の「新語」の蓄積で出来ている。もとはと言えば、すべての日本語はこの古語のアーカイブのうちに起源を持っている。そこから浮かんできた「泡」の集大成が現代日本語なんです。吉田兼好を800年前からタイムマシンに乗せて現代に連れてきても、たぶん一月くらいで現代日本語をだいたい理解できるようになると思います。同じ生地で出来ているんですからわからないはずがない。

 古典はある種の外国語であるにもかかわらず、その習得が異常に簡単です。なぜなら、知らないはずの単語や言い回しの意味が「なぜかわかる」から。『徒然草』で面白かったのは、『徒然草』の専門家の方からメールを頂いて、「訳文が正確だ」とほめて頂いたことです。特に係り結びの訳し分けがよかったと書いてありました。僕は係り結びにいくつもの意味の違いがあって、それは厳密には訳し分けないといけないということを知らなかったので、びっくりしました。文法規則を知らなかったのに、正しく訳せてしまった。そういうことが起きるのは、それが日本語で書かれていたからですね。

 自国語の古典をまず学ぶこと。アクセスしやすい外国語をまず学んで、異なる言語形式で世界を分節する人たちの思念や感情を想像的に追体験すること。これはそれから後に外国語を学ぶ基礎としてとても有用な経験になるだろうと思います。

 1960年代はじめに、江藤淳がプリンストン大学に留学したことがあります。江藤はプリンストンで日本文学を講じていました。英語で授業をやり、英語で論文を書いて、途中から夢も英語でみるようになったそうです。けれども、帰ってきた後に、新しいものを作ろうと思ったら、日本語で考えるしかないと思うようになった。思考がかたちをなす前の星雲状態にまで遡ることができるのは母語においてだけだからというのです。

「思考が形をなす前の淵に澱むものは、私の場合あくまでも日本語でしかない。語学力は習慣と努力によってより完全なものに近づけられるかも知れない。(...)しかし、言葉は、いったんこの『沈黙』から切りはなされてしまえば、厳密には文学の用をなさない。なぜなら、この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界−日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路だからである。」(『近代以前』)

 われわれが使っている日本語のアーカイブのうちには、これまで日本列島に住み、言語を語ってきたすべての人々の記憶と経験が蓄積されていて、「淵」のようなものをかたちづくっている。この「淵」からしか、新しい言語的な創造を汲み出すことはできない。

 江藤はこの母語のアーカイブのことを「沈黙の言語」と呼びます。かつて同じ言語を語ったすべての死者たちから遺贈された言語経験の総体、その「淵」に立つことによって初めて文学的な創造ができるのだ、と。

 これとほとんど同じことを村上春樹も書いています。村上春樹はアメリカやイギリスやイタリアやギリシャや、世界中で暮らしていて、最後にボストンで河合隼雄さんと出会い、それが一つのきっかけになって日本に帰ってくるのですけれども、江藤淳と非常に似たことを言っています。

「どうしてだかわからないけれど、『そろそろ日本に帰らなくちゃなあ』と思ったんです。最後はほんとうに帰りたくなりました。とくに何が懐かしいというのでもないし、文化的な日本回帰というのでもないのですが、やっぱり小説家としての自分のあるべき場所は日本なんだな、と思った。というのは、日本語でものを書くというのは、結局思考システムとしては日本語なんです日本語自体は日本で生み出されたものだから、日本というものと分離不可能なんですね。そして、どう転んでも、やはり僕は英語では小説は、物語は書けない。それが実感としてひしひしとわかってきた、ということですね。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)

 村上さんはデビュー作『風の歌を聴け』を最初は英語で書いて、それを自分で日本語に訳すというかたちで書き出したそうです。それがあの独特の文体の原型になった。でも、村上春樹さんも最終的には世界文学になるためには日本語の「淵」に立ち戻ってきた。その消息は河合隼雄さんとの次のやりとりから伺えます。


「村上 あの源氏物語の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね。

河合 どういう超自然性ですか

村上 つまり怨霊とか...

河合 あんなのはまったく現実だとはいます。

村上 物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった?

河合 ええ、もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)


 河合隼雄さんはこの時に『源氏物語』に出て来る六条御息所の生霊は文学的虚構ではなくて、平安時代の人たちにとってはありありとした現実だったと断定するわけです。そのような物語的現実の中で人間は生き死にしているのだ、と。それを聞いて村上さんはそれ以外の外国語では文学的虚構でしかないものが、日本語のうちでは現実としてありありと顕現することがあり得るということに深く納得する。現実を創り出すのは、それを語る言語である。だから、本当に「世界のここにしかないもの」を創造しようと望むなら、自分の母語のうちに立ち返るしかない、村上春樹はそう考えた。江藤淳が日本語の「淵」に立ち返ろうと思って日本語に帰ったのと、これは同型的なふるまいだろうと僕は思います。

 本当に創造的なもの、本当に「ここにしかないもの」は、母語のアーカイブから汲み出すしかない。ですから、どれだけ深く母語のうちに沈み込んでゆくかということと、母語をどうやってより豊かなものにするかということが、同時に文学者の課題になるわけです。それこそがそれぞれの国や地域の文化の質を高めるためにまずなすべきことなのです。

 でも、今の日本では、母語に深く沈潜することも、母語を豊饒化することも、教育的課題としてはまず語られることがありません。日本人が日本語によってしか表現できないような新しい概念なり理説なりをどのように提示して、それを世界標準たらしめるのか。それを人類全体の知的資源に登録して、人間の文明をより多様なもの、より豊かなものにしてゆくことにどうやって貢献できるのか。そういう議論を教育論の中で聴くことはまったくありません。

 母語の過去に遡ること、母語の深みに沈み込んでゆくこと、これが創造において決定的に重要なことなのです。これもまた僕たちが日常的に囚われている「現代日本語の檻」から離脱するための重要な手立てであるのです。

 村上春樹の話ばかりになりますけれど、村上さんはエッセイの中で、はっきりと自分は上田秋成の後継者をめざすと書いています。「雨月物語」と村上文学は直接に繋がっている、と。明治時代の自然主義文学があるけれど、自分は近代文学の文学史的系譜とは無関係であって、上田秋成からダイレクトに繋がっている、と。

 まことに奇妙な符合なのですが、上田秋成と現代文学を繋がなければならないということを江藤淳も書いているのです。半世紀以上の隔たりがありながら、江藤淳と村上春樹がともにアメリカから帰ってきたあとに、ほとんど同じことを書いている。それは日本語という回路を通じて、作家はかつて日本語を語ったすべての死者たちと共生しているということです。日本語は「日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路」だということです。二人ともに自国文化の「近代以前」の深い闇の中に降りてゆくことが新しいものを創造するためには必要なのだと書いている。そういう言語的な覚醒の経験をこの二人は共有している。

 外国語を学ぶことも、母語の「淵」深く沈潜してゆくことも、ともに「母語の檻」から抜け出ることをめざすという点では少しも矛盾していません。言葉を学ぶということは、この二つのいずれをも欠かしてはならない、僕はそう思います。

 学校教育の場で子どもたちに教えるべきことは、「君たちは君たちの言語の虜囚である」ということです。君たちは自由に思考し、自由に感じ、自由に言葉を操っているつもりでいるかも知れないけれど、君たちは実は君たちが閉じ込められている集団的な「言葉の檻」から出ることができないでいるのだ。君たちの語彙も、音韻も、ストックフレーズも、君たちが使うメタファーもレトリックも、すべて「既製品」なのだ。君たちは与えられた言語の中で感じ、考え、語ることを強いられている。でも、君たちの中には自分が「檻」の中にいることを薄々感づいていて、もっと清涼な空気を吸いたい、もっと自由に語りたい、もっと自由に考えたいという願いを抱いている人がいると思う。その人たちに教えたい。「母語の檻」から出るには二つの方法があるよ。一つは外国語を学ぶこと、一つは母語を共にする死者たちへの回路をみつけること。これはとても大切な教えだと思います。

 僕は武道を教えていますけれども、それは今の子どもたちに「君たちが自然だと思っている身体運用以外の仕方がある」ということを教えるためです。身体の使いかは言語と同じように構造化されています。子どもたちが現代的な言語運用のルールに繋縛されているように、現代的な身体運用のルールに繋縛されて、それが自然だと思って暮らしている。すべての人間は自分と同じように身体を使って外界を感じ、身体を動かしている、そう素朴に信じ切っているわけです。人間の身体は太古から現代まで、世界中どこでも「同じようなもの」だと信じ切っている。でも、彼らの身体運用はまさに2018年の現代の都市で暮らしている子どもたちに選択的に強制された「奇妙な」身体の使い方なのです。一つの民族誌的奇習なのです。歩き方も、座り方も、表情の作り方も、声の出し方も、すべて集団的に規制されている。
 それとは違う身体の使い方があることを、例えば中世や戦国時代の日本人の身体の使い方があることを僕は武道を通じて教えているわけです。子どもたちをその文化的閉域から解放するために武道を教えているわけです。君たちは学べば、ふだんの身体の使い方とは違う身体の使い方ができるようになる。その「別の身体」から見える世界の風景は彼らがふだん見慣れたものとは全く違ったものになる。それは外国語を学んで、外国語で世界を分節し、外国語で自分の感情や思念を語る経験と深く通じています。自分にはさまざまな世界をさまざまな仕方で経験する自由があること、それを子どもたちは知るべきなのです。

結局、教育に携わる人たちは、どんな教科を教える場合でも、恐らく無意識的にはそういう作業をしていると思うのです。子どもたちが閉じ込められている狭苦しい「檻」、彼らが「これが全世界だ」と思い込んでいる閉所から、彼らを外に連れ出し、「世界はもっと広く、多様だ」ということを教えること、これが教育において最も大切なことだと僕は思います。


 最初のトピックに戻りますけれども、今行われている英語教育改革なるものは、子どもたちをさらに狭い母語的現実の中に封じ込めようとしています。彼らに現代日本固有の民族誌的奇習を刷り込んで、「これが全世界だ」と錯覚させようとしている点で、ほとんど犯罪的なことだと思います。

 いささか過激な言葉を使いましたけれども、おそらく多くの先生方は、実感としては僕に同意してくださると思います。すべての教育実践は子どもの知性的な、感性的な成熟を支援するためにある、それに資するかどうかだけを基準にして教育実践の適否は判断されるべきである。これは教育者として絶対に譲れない、どんなことがあっても譲れない一線です。僕と同じように感じてくださる先生方が一人でも増えて下さることを願っています。それを今の日本の学校の中で、やり遂げるのはたいへんなことだと思います。さぞやご苦労されることと思います。

 でも、一昨日の保険医さんに言ったように、教育というのは苦しむ仕事なのです。人類が始まった時から存在する太古的な仕事ですから、市場経済や国民国家ができるよりはるか前から存在した職能ですから、市場経済や国民国家となじみがよくないのは当たり前なのです。でも、われわれはすでに市場経済の世界に暮らしており、国民国家の枠内で学校教育をする以外に手立てを持たない。だから、葛藤するのは当たり前なんです。学校教育がらくらくとできて笑いが止まらないというようなことは、現代社会では絶対にあり得ないのです。それは学校教育のやり方が間違っているからではなくて、学校教育は市場経済とも国民国家とも食い合わせが悪いからです。それについては諦めるしかない。むしろ自分たちのほうがずっと前から、数万年前からこの商売をやっているのだからと言って、無茶な要請は押し返す。Noと言うべきことについてはNoと言う。とにかく子どもたちを守り、彼らの成熟を支援する。彼らが生き延びることができるように生きる知恵と力を高める。それがみなさんのお仕事だと思います。

何だか、応援しているのか呪っているのかわからないような講演でしたけれども、とにかくつらい現実をまずみつめて、それから希望を語るということでよろしいのではないかと思います。ご清聴ありがとうございました。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c191

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
172. 中川隆[-9921] koaQ7Jey 2019年5月31日 12:09:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2433]

内田樹 「英語教育について」2019-05-31
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html


昨年の6月12日に東京の私学の文系教科研究会(外国語)」で行った講演録が出版された。「東京私学教育研究所所報」84号に掲載されているが、ふつうのひとはあまり手に取る機会がない媒体なので、ここに採録する。

○司会者  今回は、ここ最近の外国語の文系教科研究会では例をみないほど多くの先生方にお集まりいただきました。6月の今ごろは、夏休みがそろそろ見えてきて、でもまだまだ遠くて、体力的にも精神的にもだいぶ苦しいころ合いだと思います。にも関わらず、これだけ多くの先生方が今回は集まってくださり、おかげさまで満員札どめとなりました。理由はたった1つです。今回、当研究会では、内田樹先生をお招きして講演会を開催できる運びとなりました。忙しくても体力的にきつくても、この方の話ならば何としても聞きたい、それが内田樹先生ではないでしょうか。

 内田先生は、現在は神戸女学院大学名誉教授であるとともに、神戸市で武道と哲学研究のための学塾「凱風館」を主宰していらっしゃいます。もともとのご専門はフランス現代思想ですが、武道論、教育論、映画論、文学論、漫画論などなど、実に多くの専門領域をおもちで、あらゆる領域について、あらゆる人に、万人に届く言葉を発信していらっしゃいます。

 内田先生の言葉の特徴は「届く」ということだと思っております。一見複雑で込み入った情況であっても、それについて内田先生が書かれた文章を読むと、目の前の混沌にさっとマップがかかり、そこにおいて自分がどのように歩みを進めていけばいいのかがすっと理解される。内田先生のご著書を読んで、そのような経験された先生方も多いのではないでしょうか。

 内田先生の文章を読むと、そこに書かれた内田先生の言葉が、もともと自分のいいたかったことを言ってくれた、と思える経験がよくあります。実際はそんなことは考えたこともなかったことなのに。そんな風に、言葉が、読んでいる自分の内側にまで届いて、響くのです。また、言葉というもの、読書というものは、本来そのようなメカニズムやダイナミズムをもっているのだ、ということも、実は、内田先生から私は学ばせていただきました。

 フランス現代思想がご専門ということもあり、言語というものに実に造詣の深い内田先生に、本日は「英語教育の危機」という演題のもと、激動期、大変革期といってもいい現在の英語教育界について、それから、英語に限らず、言葉を学ぶ、教えるとはどういうことかについて、存分に語っていただこうと思います。

 それでは、内田先生、よろしくお願いいたします。


○内田  過分のご紹介にあずかりました。内田でございます。

 一日の仕事が終わった後の、お疲れのところお集まり頂きまして、まことにありがとうございます。今、私が登壇する前に(公益財団法人東京都私学財団より外部検定試験料に関する)助成金の話がありましたけれども、実は今日もこちらに来る新幹線の車内で、「検証 迷走する英語入試」という、これは岩波のブックレットですが、これを読んでおりました。帯には、「緊急出版、混乱は必至」と書いてありますけれども、多分今の日本の教員の中で本当に最も困惑しているのは中高の英語の先生だろうと思います。本当にお気の毒だと思います。

 本当にどうしてこんなことになってしまったのか、僕にはよくわからないのです。みなさんにもよくわからないのではないかと思います。これから民間試験が入試に導入され、センター試験の英語がいずれなくなるという流れになっていますけれども、どうしてこんなことが現場の英語教員たちの意向を無視して行われていくのか。誰に訊いても、よくわからないと言う。いったい、誰にとって、どんな利益があって、こんな制度改革を行うのか。

 教育の目標は、子どもたちの市民的成熟を支援することに尽くされるわけですけれど、こんな制度改革で、子どもたちがどういう利益を得ることになるのか。子どもたちの知性的な成熟にこの改革がどう資するという見通しがあって、こんな改革を進めているのか、全くわからない。

 今回のことに限らず、日本の外国語教育は迷走し続けています。そもそも何のために外国語を学ぶのかという根本のところについての熟慮が不足しているからです。もちろんここにいる先生たちこそ、まずそれについて考えなければいけない立場ですけれども、日々の業務から、このような猫の眼のようにくるくる変わる制度改革にキャッチアップすることに手いっぱいで、「子どもたちはどうして外国語を学ばなければいけないのか」という最も根源的な問いを深めていく余裕がない、そんな状況ではないかと思います。

 英語の先生たちは、余りそういう話は聞きたくないかも知れませんけれど、自動機械翻訳が今すごい勢いで進化しています。文科省は、オーラル・コミュニケーションが必要だ、とにかく英語で話せなければダメだとさかんに言い立てていますけれど、そんな教育政策とは無関係に翻訳テクノロジーの方はどんどん進化している。

 去年の「中央公論」で自動機械翻訳の専門家と英語の専門家の対談がありました。今の機械翻訳はこれまでとシステムが違って、ただ用例を溜め込むだけでなく、「ディープ・ラーニング」ができるようになって、これまでとはまったく別物になったらしい。

 英語だと、今の自動機械翻訳が大体TOEIC600点ぐらいまでだけれども、数年のうちに800点になるそうです。対談の中で、自動機械翻訳の専門家が、だから、もう学校で英語を教える必要はなくなると言っていました。外交官とか通訳、翻訳とか、英語のニュアンスを精密に吟味する必要のある仕事では英語についての深い理解が必要だけれど、日常的なコミュニケーションについてはそんなものはもう要らない。だって、人間より機械の方が速く、正確になるから。英語の専門家は1%くらいいれば済む。後は機械に任せておけばいい、と。エンジニアらしい、いささか乱暴な議論でしたけれど、英語の先生たちはこの挑発的な発言に異論を立てる義務があると思います。小学生から英語を教える必要なんかないし、中学でも高校でも、特殊な職業をめざすもの以外には英語を教える必要がないと言い切ってるんですから。

 僕は毎年野沢温泉にスキーに行くのですけれど、今年も3月に野沢に行ったら、もう外国人ばかりなのですね。僕らが泊まった旅館は七、八割が外国の方でした。食堂に案内された時に、座席表が外国名ばかりだったので、仲居さんに「大変ですね、英語で接客するんですか?」と訊いたら、「いいえ。私ら英語できませんから、全部Google翻訳です」とこともなげに答えられました。

 僕はある禊の会に入っておりまして、ときどき禊の行に行くのですけれど、四月に行った時は、ロシア人が団体で来ておりました。聞くと驚く方が多いと思いますけれど、ロシア人も神道の禊をやる人たちがいるんですよ。モスクワにも道場があるんですが、やっぱり本場の日本で本格的に修行したいという人たちが来ているのです。この時はロシアの人とベネズエラの人が来ておりました。道場は祝詞を唱えたり、座禅を組んだりという行をしているところですから、もともと外国人の参加なんか予測していないし、もちろん外国語が堪能な人が揃っているわけではない。
 来たロシア人たちは英語もあまりわからないということで、どうやって意思疎通するんだろうと心配しておりましたら、道場長が、「これがあるから大丈夫」と言って、小さな機械を見せてくれました。Pocketalk という手のひらサイズの自動翻訳機械でした。まさに『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」でした。そこには60ヵ国語が入っていて、ボタンを押して、日本語を言うと、外国語になって音声が出てくる。外国語音声を入力してもらうと、日本語の音声に訳される。さっそくロシア人たちとその機械で会話をしてみました。

 僕はそういうガジェットに目がないので、家に帰ってすぐにAmazonで検索して、購入しました。SIMカードを入れると世界中どこでも使える。それが3万円台。仰天しました。いつの間にこんなものが・・・と思いました。われわれの知らないうちに、テクノロジーはどんどんと進化しているわけです。AIの「シンギュラリティー」が来ると産業構造が変わり、雇用環境が激変するとさかんに報道されていますけれど、そんな先の話ではなくて、自動化・機械化はあちこちでもう起きているわけです。

 これまで英語をいやいや勉強してきた「のび太」君のような子どもたちにとって「ほんやくコンニャク」はまさに夢の機械だったわけですけれど、それが今やSIMカード付きで、3万円台で手に入る。いずれ価格競争が起きて、「ほんやくコンニャク」がコンビニで電卓程度の価格で売られる時代も来るかも知れない。電卓が普及したせいで筆算や珠算の能力に対するニーズが失われたように、機械翻訳が日常的なものになってきたら、オーラル・コミュニケーション能力を身に付ける必要もなくなります。よく「町で外国人にいきなり道を尋ねられたときに英語ができないと困る」というようなことを英語学習の動機づけとして語る人がいますけれど、これからはポケットから出せば済むわけですね。

 今の「ほんやくコンニャク」は、まだ一度に聴き取れるセンテンスが短いですけれども、技術的な改良はこれからもどんどん進み、いずれどこでどんな外国語で話しかけられても、日本語でスムーズに対話できるようになる。『スターウォーズ』にすべての宇宙の言語が話せる通訳ロボットC−3POというのが出てきますけれど、個人用のC−3POをみんなが連れて歩けるようになるようなものです。

 こういうところで僕がしゃべっている音声を、すぐに文字起こしして後ろのスクリーンに投影するというテクノロジーはすでに開発されています。もともとは聴覚障害者用に開発されたものです。手話通訳者がいなくても話を理解できるようにということで開発された。話し始めのうちは、技術者が文章に手を入れます。日本語は同音異義語が多いですし、人によってかなり特殊な言葉づかいをしますから、技術者がいったん文字起こしされたものを、意味が通るように修正する。でも、時間が経つと、機械が話し手の語彙や「話し癖」に慣れて、技術者が介入しなくても、機械が講演をタイムラグなしにスクリーンに映し出すようになる。僕がそのシステムを使って講演したのはもう1年半ぐらい前です。恐らく今はもっと技術が進化していると思います。

 外国語教育はどうすれば効率的であるのかという話をわれわれは教育者という立場で必死にしているわけですけれど、そういうわれわれの側の努力とはまったく無関係に、科学技術は進化して、場合によっては英語教育についての根幹部分についてのこれまでの工夫や議論を無効化してしまうような変化が起きている。そのことをまずみなさんにはご理解頂きたいと思います。

自動機械翻訳がオーラル・コミュニケーションにおける障害の多くを除去してくれるということになったら、一体何のために外国語を学ぶのか? 日本の小・中・高の英語の先生方は、「何のために英語を学ぶのか?」ということについて、今や根源的な省察を要求されています。これまではそんなことを考える必要がなかった。英語を学ぶことの必然性・有用性は自明のものだと思われていた。でも、それが揺らいできた。

 僕自身は長くフランス語を勉強してきて、大学では語学の教師をしていたわけですから、「なぜ外国語を学ぶ必要があるのか」に関してはずっと考え続けてきました。特に、フランス語やドイツ語のような第二外国語については、「そんなものを学生に履修させる必要がない、そんな時間があったらもっと英語をやらせろ」というタイプの議論に何度も巻き込まれましたから、「なぜとりあえず不要不急のものであるフランス語を学ぶ必要があるのか?」という問いについてはかなり真剣に考えて来ました。

 僕の結論は「どんなものであれ、外国語を学ぶことは子どもたちの知的成熟にとって必要である」ということでした。これが僕の基本的な立場です。こればかりは譲れません。「ほんやくコンニャク」ができようと、ポケットマネーで通訳が雇えようと、そんなことは全く別のレベルで、人は外国語を学ぶ必要がある。でもそれは、文科省が言っているような「英語ができる日本人をつくる」といった功利的な目的とは無関係な話です。

 今日、この中に文科省の方はいらしていますか。いらしたら、自動機械翻訳がどのように日本の外国語教育を変えていくのかについて、これまで省内ではどういう話し合いをされてきたのかお訊ねしたいです。調査はされていますか? 実際に機械をお使いになってみたことがありますか? 今、自動機械翻訳がどうなっているかを知っていれば、「英語ができる日本人」養成プログラムのような、ビジネスの場面でオーラル・コミュニケーションがうまくないと、侮られる、損をする、というようなことを英語習得の主目的を掲げているプログラムは存在そのものが無意味になるかも知れないということにもっとショックを受けていいはずなんです。でも、その気配もない。ということは、文科省の方々は自動機械翻訳については何もご存じないということだと思います。教育プログラムの根幹を揺るがすようなテクノロジーの進化について「何もご存じない」のだとしたら、それは教育行政を司る省庁として「あまりに不勉強」とのそしりを免れないのではないかと思います。
 
 外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。「目標言語」というのは、今の場合なら、例えば英語です。なぜ英語を学ぶのか。それは「目標文化」にアクセスするためです。英語の場合であれば、ふつうは英語圏の文化が「目標文化」と呼ばれます。

 僕らの世代において英語の目標文化ははっきりしていました。それは端的にアメリカ文化でした。アメリカ文化にアクセスすること、それが英語学習の最も強い動機でした。われわれの世代は、子どものときからアメリカ文化の洪水の中で育っているわけですから、当然です。FENでロックンロールを聴き、ハリウッド映画を観て、アメリカのテレビドラマを観て育ったわけですから、僕らの世代においては「英語を学ぶ」というのは端的にアメリカのことをもっと知りたいということに尽くされました。

僕も中学や高校で「英語好き」の人にたくさん会いましたけれど、多くはロックの歌詞や映画の台詞を聴き取りたい、アメリカの小説を原語で読みたい、そういう動機で英語を勉強していました。

 僕もそうでした。英語の成績は中学生からずっとよかったのですが、僕の場合、一番役に立ったのはビートルズの歌詞の暗記でした。ビートルズのヒット曲の歌詞に含まれる単語とイディオムを片っ端から覚えたのですから、英語の点はいいはずです。

 つまり、英語そのものというよりも、「英語の向こう側」にあるもの、英米の文化に対する素朴な憧れがあって、それに触れるために英語を勉強した。英米のポップ・カルチャーという「目標文化」があって、それにアクセスするための回路として英語という「目標言語」を学んだわけです。

 その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

 僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

 フランス語ができないとこの知的領域にはアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。 

 のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。

 ロシア語もそうです。今、大学でロシア語を第二外国語で履修する学生はほとんどいません。でも、若い方はもうご存じないと思いますけれど、1970年に僕が大学入学したとき、理系の学生の第二外国語で一番履修者が多かったのはロシア語でした。「スプートニク・ショック」と言われたように、60年代まではソ連が科学技術のいくつかの分野でアメリカより先を進んでいたからです。科学の最先端の情報にアクセスするためには英語よりもロシア語が必要だった。でも、ソ連が没落して、科学技術におけるアドバンテージが失われると、ロシア語を履修する理系の学生はぱたりといなくなりました。もちろんドストエフスキーを読みたい、チェーホフを読みたいというような動機でロシア語を履修する学生の数はいつの時代もいます。目標文化が「ロシア文学」である履修者の数はいつの時代もそれほど変化しない。けれども、目標文化が「ソ連の科学の先進性」である履修者は、その目標文化が求心力を失うと、たちまち潮が引くようにいなくなる。

 僕の学生時代はフランス語履修者がたくさんおりました。でも、その後、フランス語履修者は急減しました。ある時点で中国語に抜かれて、今はもう見る影もありません。理由の一つは、日本のフランス語教員たちが学生たちの知的好奇心を掻き立てることができなかったせいなのですけれど、それ以上に本国のフランスの文化的な発信力が低下したことがあります。フランス文化そのものに日本の若者たちを「目標」として惹きつける魅力がなくなってしまった。

フランス語やロシア語の例から知れる通り、われわれが外国語を学ぶのは目標文化に近づくためなのです。目標文化にアクセスするための手段として目標言語を学ぶ。

 しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には目標文化が存在しません。英語という目標言語だけはあるけれども、その言語を経由して、いったいどこに向かおうとしているのか。向かう先はアメリカでもイギリスでもない。カナダでもオーストラリアでもない。どこでもないのです。

 何年か前に、推薦入試の入試本部で学長と並んで出願書類をチェックしていたことがありました。学長は英文科の方だったのですけれど、出願書類の束を読み終えた後に嘆息をついて、「内田さん、今日の受験者150人の中に『英文科志望理由』に『英米文学を学びたいから』と書いた人が何人いると思う?」と訊いてきました。「何人でした?」と僕が問い返すと「2人だけ」というお答えでした「後は、『英語を生かした職業に就きたいから』」だそうでした。

 僕の知る限りでも、英語を学んで、カタールの航空会社に入った、香港のスーパーマーケットに就職した、シンガポールの銀行に入ったという話はよく聞きます。別にカタール文化や香港文化やシンガポール文化をぜひ知りたい、その本質に触れたいと思ってそういう仕事を選んだわけではないでしょう。彼らにとって、英語はたしかに目標言語なのですけれど、めざす目標文化はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。高い年収と地位が得られるなら、どの外国でも暮らすし、どの外国でも働く、だから英語を勉強するという人の場合、これまでの外国語教育における目標文化に当たるものが存在しない。

 これについては平田オリザさんが辛辣なことを言っています。彼に言わせると、日本の今の英語教育の目標は「ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育」だそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」はもちろん有用な仕事であり、しかるべき能力を要するし、それにふさわしい待遇を要求できるポストですけれど、それは一人いれば足りる。何百万単位で「シンガポール支店長」を「人形焼き」を叩き出すように作り出す必要はない。でも、現在の日本の英語教育がめざしているのはそういう定型です。

 僕は大学の現場を離れて7年になりますので、今の大学生の学力を知るには情報が足りないのですけれども、それでも、文科省が「英語ができる日本人」ということを言い出してから、大学に入学してくる学生たちの英語力がどんどん低下してきたことは知っています。それも当然だと思います。英語を勉強することの目標が、同学齢集団内部での格付けのためなんですから。低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語学習に子どもたちを向けようとしている。そんなことが成功するはずがない。恐怖や不安を動機にして、知性が活性化するなんてことはありえないからです。

 僕は中学校に入って初めて英語に触れました。それまではまったく英語を習ったことがなかった。1960年頃の小学生だと、学習塾に通っているのがクラスに二三人、あとは算盤塾くらいで、小学生から英語の勉強している子どもなんか全然いません。ですから、FENでロックンロールは聴いていましたけれど、DJのしゃべりも、曲の歌詞も、ぜんぶ「サウンド」に過ぎず、意味としては分節されていなかった。それが中学生になるといよいよ分かるようになる。入学式の前に教科書が配られます。英語の教科書を手にした時は、これからいよいよ英語を習うのだと思って本当にわくわくしました。これまで自分にとってまったく理解不能だった言語がこれから理解可能になってゆくんですから。自分が生まれてから一度も発したことのない音韻を発声し、日本語に存在しない単語を学んで、それが使えるようになる。その期待に胸が膨らんだ。

 今はどうでしょう。中学校一年生が四月に、最初の英語の授業を受ける時に、胸がわくわくどきどきして、期待で胸をはじけそうになる・・・というようなことはまずないんじゃないでしょうか。ほかの教科とも同じでしょうけれど、英語を通じて獲得するものが「文化」ではないことは中学生にもわかるからです。わかっているのは、英語の出来不出来で、自分たちは格付けされて、英語ができないと受験にも、就職にも不利である、就職しても出世できないということだけです。そういう世俗的で功利的な理由で英語学習を動機づけようとしている。でも、そんなもので子どもたちの学習意欲が高まるはずがない。

 格付けを上げるために英語を勉強しろというのは、たしかにリアルではあります。リアルだけれども、全然わくわくしない。外国語の習得というのは、本来はおのれの母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものを習得ゆくプロセスのはずです。だからこそ、知性の高いパフォーマンスを要求する。自分の知的な枠組みを超え出てゆくわけですから、本当なら「清水の舞台から飛び降りる」ような覚悟が要る。そのためには、外国語を学ぶことへ期待とか向上心とか、明るくて、風通しのよい、胸がわくわくするような感じが絶対に必要なんですよ。恐怖や不安で、人間はおのれの知的な限界を超えて踏み出すことなんかできません。

 でも、文科省の『「英語ができる日本人」の育成のための行動計画の策定について』にはこう書いてある。

「今日においては、経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し、人の流れ、物の流れのみならず、情報、資本などの国境を超えた移動が活発となり、国際的な相互依存関係が深まっています。それとともに、国際的な経済競争は激化し、メガコンペティションと呼ばれる状態が到来する中、これに対する果敢な挑戦が求められています。」

冒頭がこれです。まず「経済」の話から始まる。「経済競争」「メガコンペティション」というラットレース的な状況が設定されて、そこでの「果敢な挑戦」が求められている。英語教育についての基本政策が「金の話」と「競争の話」から始まる。始まるどころか全篇それしか書かれていない。

「このような状況の中、英語は、母語の異なる人々をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際的共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠です」という書いた後にこう続きます。

「現状では、日本人の多くが、英語力が十分でないために、外国人との交流において制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態も起きています。」
「金」と「競争」の話の次は「格付け」の話です。ここには異文化に対する好奇心も、自分たちの価値観とは異なる価値観を具えた文化に対する敬意も、何もありません。人間たちは金を求めて競争しており、その競争では英語ができることが死活的に重要で、英語学力が不足していると「制限を受けたり」「適切な評価が得られない」という脅しがなされているだけです。そんなのは日本人なら誰でもすでに知っていることです。でも、「英語ができる日本人」に求められているのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」なのです。

 外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在すると知ることです。

 でも、この文科省の作文には、外国語を学ぶのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」の檻から逃れ出るためだという発想がみじんもない。自分たちの狭隘な、ローカルな価値観の「外側」について学ぶことは「国際的な相互依存関係」のうちで適切なふるまいをするために必須であるという見識さえ見られない。僕は外国語学習の動機づけとして、かつてこれほど貧しく、知性を欠いた文章を読んだことがありません。

 たしかに、子どもたちを追い込んで、不安にさせて、処罰への恐怖を動機にして何か子どもたちが「やりたくないこと」を無理強いすることは可能でしょう。軍隊における新兵の訓練というのはそういうものでしたから。処罰されることへの恐怖をばねにすれば、自分の心身の限界を超えて、爆発的な力を発動させることは可能です。スパルタ的な部活の指導者は今でもそういうやり方を好んでいます。でも、それは「やりたくないこと」を無理強いさせるために開発された政治技術です。
 ということは、この文科省の作文は子どもたちは英語を学習したがっていないという前提を採用しているということです。その上で、「いやなこと」を強制するために、「経済競争」だの「メガコンペティション」だの「適切な評価」だのという言葉で脅しをかけている。

 ここには学校教育とは、一人一人の子どもたちがもっている個性的で豊かな資質が開花するのを支援するプロセスであるという発想が決定的に欠落しています。子どもたちの知性的・感性的な成熟を支援するのが学校教育でしょう。自然に個性や才能が開花してゆくことを支援する作業に、どうして恐怖や不安や脅迫が必要なんです。勉強しないと「ひどい目に遭うぞ」というようなことを教師は決して口にしてはならないと僕は思います。学ぶことは子どもたちにとって「喜び」でなければならない。学校というのは、自分の知的な限界を踏み出してゆくことは「気分のいいこと」だということを発見するための場でなければならない。

 この文章を読んでわかるのは、今の日本の英語教育において、目標言語は英語だけれど、目標文化は日本だということです。今よりもっと日本的になり、日本的価値観にがんじがらめになるために英語を勉強しなさい、と。ここにはそう書いてある。

 目標文化が日本文化であるような学習を「外国語学習」と呼ぶことに僕は賛成できません。

 僕自身はこれまでさまざまな外国語を学んできました。最初に漢文と英語を学び、それからフランス語、ヘブライ語、韓国語といろいろな外国語に手を出しました。新しい外国語を学ぶ前の高揚感が好きだからです。日本語にはない音韻を発音すること、日本語にはない単語を知ること、日本語とは違う統辞法や論理があることを知ること、それが外国語を学ぶ「甲斐」だと僕は思っています。習った外国語を使って、「メガコンペティションに果敢に挑戦」する気なんか、さらさらありません。

 外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観、美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのは、その世界に接近してゆくことです。 

 フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。
 外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。

 でも、今の日本の英語教育は「母語の檻」からの離脱など眼中にない。それが「目標言語は英語だが、目標文化は日本だ」ということの意味です。外国語なんか別に学ぶ必要はないのだが、英語ができないとビジネスができないから、バカにされるから、だから英語をやるんだ、と。言っている本人はそれなりにリアリズムを語っているつもりでいるんでしょう。でも、現実にその結果として、日本の子どもたちの英語力は劇的に低下してきている。そりゃそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」が「上がり」であるような英語教育を受けていたら、そもそもそんな仕事に何の興味もない子どもたちは英語をやる理由がない。

 達成目標があらかじめ開示された場合に、子どもたちの学習努力は大きく殺がれます。教育のプロセスをまじめに観察したことがある人間なら、誰でもわかることです。「勉強するとこんないいことがある」とか「勉強しないとこんなひどい目に遭う」というようなことをあらかじめ子どもに開示すると、子どもたちの学習意欲はあきらかに減退する。というのは、努力した先に得られるものが決まっていたら、子どもたちは最少の学習努力でそれを獲得しようとするに決まっているからです。

 学習の場では決して利益誘導してはならないということを理解していない人があまりに多い。でも、長く教員をやってきてこれは経験的にはっきりと申し上げられます。賞品で子どもを釣ったり、恐怖で子どもを脅したりしても子どもたちの知的な能力は絶対に向上しません。彼らはどうやったら最少の学習努力で目的のものを手に入れるか、そこに全力を集中するようになるだけです。

 大学で最初の授業のときにオリエンテーションをやると、必ず「先生、単位をもらえる最低点は何点ですか」と「この授業は何回まで休めますか」という質問が出ます。単位をとるための最低点と最少出席回数をまず確認する。「ミニマム」を知ろうとするわけです。これは消費者マインドを持って教室に登場した学生にとっては当然の質問です。「これいくらですか?」と訊いているわけですから。

 彼らにとって単位や学位や免状や資格は「商品」なんです。そして、学習努力は「貨幣」です。だから、買い物客が「この商品の価格はいくらですか?」と訊くように、「この授業で求められる最少学習努力はどの程度ですか?」を訊いてくる。
 求める商品にそれなりの価値があることは彼らだってわかっているのです。でも、どんな価値のある商品であっても、一番安い価格で買うというのは消費者の権利であり義務であるわけです。特売コーナーで同じ商品が安く売っていたら、カートに入れた商品を元の棚に戻して、特売コーナーの同一商品をカートに入れる。それは買い物をする人間としては当たり前のことです。「元の棚」がかなり遠いところであっても、ごろごろカートを押して、そこまで戻しにゆく。その手間を別に惜しいとは思わない。それが消費者です。

 ですから、消費者としてふるまう学生たちの目には、出席をとらない科目、毎年同じ試験問題を出す科目、丸写しレポートでも単位をくれる科目は「特売コーナー」に置かれている商品のようなものとして映る。「特売商品」で同じ単位がもらえるなら、そういう「楽勝科目」だけを集めて卒業単位を稼ぐのが最もクレバーな学生生活であることになる。消費者マインドが骨までしみついた学生たちは、大学に来てまで「どうすれば最も少なく学べるか」をめざして努力するようになる。
 もし書店に「3ヵ月でTOEICスコアが100点上がる」という参考書があったとします。それを買おうと思って、横を見たら「1ヵ月で100点上がる」という本があった。当然、そちらを買う。でも、その隣に、「1週間で100点上がる」という本があった。これはもうこちらを買うしかない。でも、そのさらに横には「何もしなくても100点上がる」という本があった。もう迷わずこれを買う。

 そういうものですね。学習の達成目標が決まっていれば、あとはいかに少ない学習努力でそれを達成するかというところに知恵を使う。それが最も合理的であるということは子どもにだってわかります。ですから、学校で「勉強すると、こんないいことがある」という仕方で功利的に誘導するのは自分で足元を掘り崩しているようなものなのです。

 車を買うときだって、ふつうの人は何軒もディーラーを回って、だいたい車格が同じくらいの車を値踏みして、「おたくはいくら引くの?」と訊いて回りますよね。そして、一番値引き率の高いディーラーで買う。子どもたちだって、そういう親たちのふるまいを見て育っています。だから、一番安いところで買うためには、一日かけて何軒もディーラーを回るくらいの苦労はしても当然だということを学ぶ。だから、学校でも「最少の学習努力で教育商品を手に入れるために最大限の努力を惜しまない」という非合理な行動をするようになる。

 僕が教務部長をしている時に、単位をよこせとどなり込んできた学生がいました。事情を聴くと、レポートの期限に遅れたので、担当の教師が受理してくれなかった、それで単位を落としたというのです。期限に遅れたのは、提出期限が一日前倒しになったのを知らなかったからです。先生はうっかりして、入試があって学生入構禁止の日をレポートの提出期限として指定したしまったのです。大学の事務からそれを指摘されて、締め切り日を一日繰り上げて、学生たちには教室でそのことを告知したのですが、その学生はその日授業に出ていなかったのでそれを知らなかった。そして、大学構内に入れない日にレポートを持ってきて、ガードマンに追い返されてしまった。その学生と親たちが教務課の窓口に来て抗議しているわけです。「レポート提出期限の変更は授業を休んだ学生全員に周知徹底するのは大学の義務だ」と言う。「ちゃんと掲示板に告知してありました」と言ったのですが「中には掲示板を見ない学生だっている。教師は欠席した学生全員にひとりひとり電話をかけて知らせるべきだった」とごねる。ついに「弁護士を立てて大学を訴える」と言い出した。

 この一家のご努力にはほんとうに感動しました。どうして教務課で騒ぎ立てることについてはこれほど努力を惜しまないのに、授業に出ることや掲示板を見ることにはこれほど努力を惜しむか。担任の先生に出席簿を出してもらって調べたら、その学生は15週のうち6回しか出席しておりませんでした。それを知らせたら、さすがに親も引き下がりました。その学生は親には「ほとんど全部出席していた」と嘘をついていたのでした。

 この親子は消費者マインドで学校に来る人間の典型だと思います。「最低価格で商品を手に入れる」ためにはいかなる努力も惜しまない。それが倒錯的なふるまいだということが本人にはわからないのです。教務課相手に何日もかけてタフな交渉をするより、ふつうに授業に出ていた方がずいぶん楽だし、知識も身に着くので「一挙両得」ではないかと思うのですけれど、そういう計算が立たない。
 
 親や学生だけではありません。学校にもいます。市場原理で教育を語る人間が。「学校は店舗だ。われわれが売っているのは教育サービスだ。保護者と子どもたちはクライアントだ。消費者に選好される教育商品を売るのが教育活動なのだ。だから、市場のニーズを見きわめ、ターゲットを絞って、マネジメントをしなければいけない」というようなことを言う人間が。本人はビジネスマインドで教育を語って、わかった気になっているようですけれど、本当に頭が悪い。そんなことをしたら、学力はどんどん下がるに決まっているではないですか。

 だって、彼の言う「クライアント」が求めるのは「最低の学習努力で手に入る、価値のある教育商品」なわけですから、最終的には「勉強しなくても、学校に来なくても、試験を受けなくても、レポートを書かなくても、学習努力ゼロでも学位を差し上げます」というところを選ぶようになるに決まっている。

 最近よく「在学中に1年留学」ということを謳っている大学がありますね。大学は学生から授業料を徴収して、留学先の大学に研修費を払って、差額を手に入れる。教育活動ゼロでそれなりの授業料が入るわけですから笑いが止まらない。学生の25%が大学に来ないんですから教育コストは大幅に軽減できる。人件費も光熱費も25%節約できるし、トイレットペーパーも減らないし、校舎の床も階段も損耗しない。そのうち「だったら留学期間2年にしたらどうか」と言い出すやつがきっと出てきます。それなら教員を50%減らすことができる。「それならいっそ留学3年必須にしたらどうか」と誰かが言い出し、ついには「いやそれより4年間留学必須にしたどうか」と言い出すやつが出て来る。そうすれば大学は何も授業せず、集めた授業料を留学先の研修費に払った差額はまるごとポケットに入る。もう教職員を雇う必要もないし、キャンパスさえ要らない。教育活動を一切しないでも金が入ってくる。

 そうなんです。市場原理に従うなら、大学はできるだけ教育活動にコストをかけない方が儲かる。ですから、論理的には「大学がない」ときに利益率は最大化する。

 実際に21世紀はじめに林立した株式会社大学の中には、貸しビルに部屋を借りただけでキャンパスを持たず、専任教員を雇わずに職員に講義させ、ビデオを見せて授業に代えたりして、最少の教育コストで「大儲け」を狙ったところがありました。もちろん、すぐに潰れました。でも、経営者は「どうして市場原理に従って経営したのに失敗したのか」最後まで理解できなかったのではないかと思います。

 教育に市場原理を持ち込んだら、学生たちは「最少の学習努力」をめざし、学校経営者たちは「最少の教育コスト」をめざすようになる。それが当然なのです。でも、そんなものは教育ではない。そんな簡単なことさえわからない人間たちが、教育がどうあるべきかについて論じ、政策を決定して、現場にあれこれとお門違いな命令を下して、ひどい場合は大学を経営している。それが今の日本です。学校教育が劣化するのも当たり前です。

 もう一つ、申し上げておきたいことがあります。それは学校に競争原理を持ち込んではならないということです。このエピソードも何度も本に書いたことですけれど、印象的な事例なので繰り返します。

 僕のゼミの学生で、学習塾でバイトをしていたものがいました。そこは学習習慣のない子どもたちのための塾で、マンツーマンで勉強を教えていた。一生懸命教えた甲斐があって、その学生が担当していた子どもがようやく学習習慣が身についてきて、教室でも長い時間机に座っていられるようになった。そして、ある日ついに塾の学習進度が学校を超えた。学校でまだ習っていない単元に進んだのです。そうしたら、その子は、学校で自分が知っていることを先生が教え始めたら、立ち上がって歌を歌い出したというのです。

 学校の先生から親に相談が行って、親から塾で担当していた学生に相談が行って、学生から僕が相談を受けて、「先生、一体この子は何のためにそんなことをしたのでしょう?」と訊かれたので、彼は彼なりに合理的な行動をとったのだと思うと答えました。

 この子はずっと学校の勉強に遅れていた。それがようやくわずかながらも級友よりも先に進んだ。このアドバンテージを維持するためには、周りの級友たちの学習を妨害するのが最も効果的である。そう考えたわけです。

 実際に、子どもたちは実に小まめに級友たちの学習妨害をしています。「学級崩壊」ということがある時点から言われ始めましたけれど、それは子どもたちが急激に反社会的になったからではなく、むしろ過度に社会化されたからではないかと僕は思っています。子どもたちは実際に合理的に行動しているのです。自分の学力を上げるための努力は自分ひとりにしかかかわらないけれど、学級崩壊はクラスメート全員の学習を妨害できる。同学齢集団内部での相対的な優劣を競うという観点から言うと、自分の学力を上げる努力よりも、周囲の学力を引き下げる努力の方が費用対効果が高い。

 昔からそういうのはありましたね。進学校だと、試験前でも「全然勉強やってないよ」と言って級友を油断させたり、試験の前日に麻雀に誘って勉強の邪魔をしたりとか、そういう「せこい」ことをやっていた。でも、今はもっとそれを組織的かつ無意識的にやっている。競争原理的には合理的なふるまいなので誰も止めることができない。

 偏差値というのがまさに競争原理がもたらした倒錯の典型です。偏差値は学力とは無関係です。あれは、同学齢集団のどの辺にいるのかという「格付け指標」です。今、偏差値70の子は、僕が中学生だった頃に連れ来たら、とてもそんな偏差値はとれないでしょう。競争相手の同学齢集団の規模が二倍以上だし、学力そのものも年ごとに低下していますから。でも、偏差値というのは集団そのものの学力が低下しても、格付け機能だけは変わらない。そういう競争に子どもたちを追い込んだら、当然子どもたちは「最少の学習努力で高い偏差値をとる方法」を工夫するようになります。そして、そのためには「集団全体の学力を下げる」のが最も効率的であるということは誰にでもわかる。

 僕は神戸の住吉というところに住んでいます。近くには灘高とか六甲学院といった中高一貫の進学校があります。電車に乗ると、よくそういう学校の生徒たちに会います。ついにじり寄っていって、どんな話をしているのか立ち聞きしてしまう。みごとなほど知的な会話をしていない。直接教科の内容にかかわることでなくてもいいのです。今だったら、「米朝会談どうなると思う」というような話をしてもいいじゃないですか「金正恩はこれからどう出るか」とか「南北は裏で話がついていたのか」とか「CIAが絡んでいるのかね」とか、高校生だって、そういう話をしてもいいじゃないですか。「これから日本の政治はどうなるのか」とか「東京オリンピックはほんとうに開催できるのか」とか。自分たちのこれからにかかわることなんですから。でも、そういう話をまったくしていない。

 例えば、生徒たちがそれぞれ手分けして海外のネットニュースを読んだり、本を読んだりして情報を集めて、それを共有すればいいと思うんですよね。頭のいい子たちなんだから。でも、そうやってお互いの知的リソースを富裕化するという作業はみごとなほどまったくしていない。おしゃべりの内容は、「そんなことを知っていても、試験の点数が一点も上がることのない話題、話し相手の知性が少しも活性化しない話題」に限定されています。もう、みごとなほど。無意識にやっているんですよ、そういうことを。同学齢集団の競争相手たちの知性が活性化することを本能的に回避しようとしている。そういうことを社会全体でやっている。学力が低下し、大学の学術的発信力が先進国最低にまで下落するのも当然なんです。

 いったいどうすればいいのか。僕からの提案はシンプルなんです。でも、これは無理だと皆さんは言うと思います。それは「成績をつけない」ということです。成績をつけない。生徒たちを格付けをしない。教えたいことがあるので教える。聞きたい人は聞いてくれ。そういう授業をする。そんなことをしたら管理職からも、親からも、生徒たち自身からも「止めてくれ」と言われると思いますけれど、日本の学校教育を蘇生させる道はそれしかないです。点数をつけない。成績をつけるのを止めれば、格付けによって資源を傾斜配分するというルールを止めれば、日本の子どもたちの学力は一気にV字回復します。それは断言してもいい。

 成績をつけ、格付をして、得点の高いものに報奨を与え、得点の低いものは処罰するというのは「微量の毒」のようなものなんです。毒もうまく使えば薬になるけれど、所詮は毒です。短期的に、一気に限界を超えさせるためには、格付けによる差別は有効です。でも、そういう無理は長続きするものじゃない。どこかで子どもたちの心身が壊れ始める。ほんとうに自己の知的限界を超えるためには、時間がかかるんです。教師は生徒たちの学びへの意欲が起動するまで、長い時間待たなければいけない。学びに促成栽培はあり得ないんです。

 同学齢集団の中で相対的な優劣を競わせるのは「促成栽培」です。農作物を育てる時に、農薬や肥料を大量に投与したり、人工的な環境で育てるのと同じです。すぐに効果は出るけれど、それはほんとうに力がついたわけじゃない。

 学校で子どもたちが身に付けるべき能力は、学校を出てから役立つものでなければ意味がありません。学校を出た後はすぐに年齢も違う、性別も違う、専門も違う人たちと共同的にかかわることになります。自分とものの考え方が違う人たちとのコラボレーションができなければ仕事になりません。同学齢集団内で相対的な優劣を競ってきた能力なんか、そういう場面では何の役にも立ちません。コラボレーションで必要なのは、汎用性の高い知的能力です。交渉力、調停力、胆力、共感力、想像力...そういうものです。だから、学校教育の本旨はそういう汎用性の高い知的能力を育ててゆくことでなければならない。それが子どもたちに本当に必要な、生きる知恵と力なんです。そういう力を高めてゆくことが、子どもたちの市民的な成熟を支援するということです。同学齢集団内の相対的な優劣を競わせて、お互いの知性が活発化するのを邪魔し合ってゆけば、子どもたちの生きる知恵と力はどんどん減退してゆく。それは今の日本の現実を見ればわかるはずです。

 僕は、神戸の道場で合気道という武道を教えています。門人は今300人ぐらいです。僕のところでも段位や級は出しています。そういうものがある方が励みになるらしいから。ですから、門人たちは昇段級審査の前になると集中的に稽古をします。なんとか時間をやりくりして道場に来て、自主的に稽古をしている。そういうふうに集中的に稽古することで、ある「壁」を超えるということも現にあります。ですから、僕は段位や級を出すことの効用は認めてます。でも、それは「そういうもの」がある方が一人一人の力が伸びる確率が高いという経験知に基づいてのことです。段位の上下を比べたり、誰が早く昇段したのか、誰が遅いかというようなことは一切口にしない。別に抑制しているわけではなく、僕はそんなこと考えたこともないから。門人同士を比べて、この人の方がこの人より巧い、この人の方が強い、というようなことは考えたことがない。門人同士の相対的な優劣を比較することなんか、修業上何の意味もありません。優劣を比較する対象があるとしたら、それは「昨日の自分」だけです。「昨日の自分」と比べて「今日の自分」がどう変化したのか、それは精密に観察しなければなりません。昨日まで気づかなかったどういう感覚が芽生えたか。昨日までできなかったどういう動きができるようになったか。そこには注意を向けなければいけない。でも、同門の他人と自分を比べて、その強弱や巧拙などを論じても何の意味もない。ほんとうに何の意味もないのです。修業の妨げにしかならない。

 僕の師匠は多田宏先生という方です。以前先生から「他人の技を批判してはいけない」と教えられました。僕はその時はまだ若くて、先生の意図よくわからなかった。口には出しませんでしたけれど、「他人の技の欠点に注目するのは有用なのではないか」と内心では思いました。先輩の技を注視して、あの人はここがよくない、あの人はここが優れている、この道場では誰それさんがやっぱり一番うまい、あの人は段位は高いが技術は劣るとか、そういうことを同門同士で論じ合ってもいいんじゃないかと思っていたからです。それが修業の役に立つと思っていた。

 たぶん僕が得心のゆかない顔をしていたからでしょう、先生は僕の方を見て、「他人の技を批判してうまくなるのなら、俺も朝から晩まで他人の技を批判しているよ」と言って笑って去っていかれた。その時の先生の言葉が今でも心に残っています。他人と自分の間の技術の相対的な優劣など論じても、そんなことは自分の修業に何の役にも立たない。それを骨身にしみるような言葉で教えられました。

 それはまさに武道修業者の基本として、澤庵禅師の『太阿記』の冒頭に掲げられている言葉です。

「蓋(けだ)し兵法者は、勝負を争わず、強弱に拘(こだわ)らず、一歩を出でず、一歩を退かず、敵、我を見ず、我、敵を見ず、天地(てんち)未分(みぶん)陰陽(いんよう)不到(ふとう)の処に徹して直ちに功を得べし」。

 兵法者の心得として、まず勝負を争わないこと、強弱にこだわらないことと書いてあります。修業の第一原則がこれなんです。相対的な優劣にこだわってはならない。それは自分の力を高めていく上で必ず邪魔になる。勝てば慢心するし、負けたら落ち込む。そんなことは修業にとって何の意味もありません。修業というのは、毎日淡々と、呼吸をするように、食事をしたり、眠ったりするのと同じように、自然に、エンドレスに行うことが肝要なのです。だから、修業には目標というものがありません。

 スポーツの場合だと、試合というものがあります。ある場所、ある時点に能力のピークが来るように設定して、それが終わったら、しばらく使い物にならないというようなことが許される。それは試合がいつどこでどういう形態で行われるか事前に開示されているからです。でも、武道が涵養している能力はそういうものではない。どんな危機的局面に際会しても、適切にふるまって、生き延びる力です。その語義からして、「危機」とは、それが何であって、いつどこで遭遇するかわからないものです。天変地異でも、テロでも、パンデミックでも、ゴジラ来襲でも、どんな状況でも適切に対応できる力を「兵法者」は修業する。それは試合に合わせて「ピーク」を設定するとか、ライバルとの相対的な優劣について査定したり、成績をつけたり、それに基づいて資源分配するということとはまったく別の活動です。
 われわれは子どもたちを格付けして資源分配をするために教育をしているのか、それとも子どもたち一人一人のうちの生きる知恵と力を育てるために教育しているのか、そんなことは考えるまでもないことです。そして、一人一人の生きる知恵と力を高めるためには他人と比べて優劣を論じることには何の意味もありません。まったく、何の意味もないのです。有害なだけです。でも、現在の学校教育ではそれができない。全級一斉で授業をするという縛りがありますから、一人一人をそれほど丹念に観察できないというのはわかります。でも、授業を子どもたちの査定や格付けのために行うことについてはもっと痛みを感じて欲しいと思います。それはほんとうは学校でやってはいけないことなんです。

「日本の学校教育をよくする方法がありますか」とよく聞かれます。ですから、僕の答えはいつも同じです。「成績をつけないこと」です。でも、それを言うと、教員たちはみんな困った顔をするか、あるいは失笑します。「それができたら苦労はないですよ」とおっしゃる。でも、ほんとうにそれほど「それができたら苦労はない」ことなんでしょうか。

 僕は現に武道の道場という教育機関を主宰していて、そこでは「成績をつけない。門人たちの相対的な優劣に決して言及しない」ということをルールにしていますが、実に効率的に門人たちは力をつけて、ぐいぐいと伸びています。道場では査定ということをしない。寺子屋ゼミという教育活動も並行して行っていますけれど、ここでも研究の個別的な出来不出来についてはかなりきびしいコメントをすることもありますけれど、ゼミ生同士の優劣について論じることは絶対にしません。
 どうして教育の場で、教わる者たちは、指導者によって査定され、格付けされ、それに基づいて処遇の良否が決まるということが教育にとって「当然」だと信じられるのか、僕にはそれがわかりません。明らかにそれは教育にとって有害無益なことです。それは40年近く教育という事業に携わってきた者として確信を以て断言できます。

 僕は、一昨日に千葉の保険医たちの集会に呼ばれてお話をしてきました。懇親会で隣にいた保険医の方から「医療と市場原理はどうしてもなじまないのですけれども、どうしたらいいでしょう」と訊かれました。その質問には「苦しんでください」と答えました。にべもない答えだったとは思いますけれど、仕方がないのです。医療と市場原理は並立しないからです。並立しないものを並立させてようとしているのだから、苦しむ以外にない。

 医療というのは、医療を求める全ての人に、分け隔てなく、最高の質の医療を、ごくリーズナブルな代価で、できれば無償で提供することを理想としてます。そういう仕組みを作ることが医療の理想なわけですけれども、市場原理の中では、そうはゆかない。市場原理に即して考えると、医療は医師の技術・医療機器・医薬品・看護介護のサービスという「商品」として仮象する。だから、需給関係に従って、その「商品」に一番高い値を付ける人が所有することができる。アメリカはもうそうなっています。医療は市場で貨幣で買うものだと思われている。だから、お金をもっている人は最高の医療技術を享受できるけれど、貧困層は最低レベルの医療しか受けられない。富裕層は金に糸目をつけずに最高の医療スタッフを「侍医」として雇用することができるけれど、保険医療しか受けられない患者は、最低の医師、最低の看護師、最低の医療設備の病院にしか行けない。そのような最低の治療さえ受けられない人もいる。

 でも、本来、医療というのはそういうものであっていいはずがない。「ヒポクラテスの誓い」というのは古代ギリシャの医療人の誓いで、いまでもアメリカの医学部卒業式ではこの誓言をするはずですけれども、そこには「患者が自由人であろうと奴隷であろうと医療内容を変えてはならない」と謳ってあります。最古の医療倫理が「医療は患者の個人的属性に従って変えてはならない」ということなのですが、そのヒポクラテスの倫理がもう守られていない。これはヒポクラテスの誓いの方が正しくて、市場原理の方が間違っているのです。だから、「どうしたらいいでしょうか」と訊かれても「苦しんでください」としか言いようがない。医療の理想は実現することが難しい。かといって市場原理に従ってゆけば、超富裕層が医療資源を独占して、貧しい者は医療の恩恵を受けられないという古代ギリシャ時代以前の未開社会にまで退化してしまう。市場原理に委ねるとある種の領域では制度は限りなく劣化するという平明な事実を直視すべきなんです。それを直視したくないというのなら、苦しむしかない。

 それは、教育も同じです。われわれの共同体を担っていく次世代の若者たちの知性的な、感性的な、そして、霊性的な成熟を支援することが教育本来の目的です。ヒポクラテスの誓いと同じく、本来であれば全ての集団の、すべての子どもたちに同じ質の教育機会が与えられるべきなんです。だから「義務教育」なんです。集団には次世代を教育する義務が課されている。

 何万年も前の小さな集団で暮らしている太古の時代から、子どもたちがある年齢に達したら、年長者たちが子どもたちを集めて、「生きる技術」を教えました。狩猟の仕方とか、農耕の仕方とか、魚の獲り方とかを教えた。そういう技術を学ばないと子どもたちは生き延びることができず、集団が消滅してしまうからです。集団を存続させるためには、子どもたちに、ある年齢に達したら「生き延びるための知識と技術」を教え込む。それが教育です。

 教育する主体は集団なのです。そして、教育の受益者も集団なのです。集団が存続していくというしかたで集団が受益する。でも、今の教育では、子どもたちは消費者として「教育商品」を購入している気でいます。高い学歴を持ち、ハイエンドな資格とか免状を持っていたら、社会的地位が上がり、年収も上がり、威信も享受できる。だから、教育は商品だ、と。よい教育を受けたいというのは、よい洋服が欲しい、よい時計が欲しい、よい車が欲しいというのと同じだ、と。そういうものは自分の身を飾るものなのだから、自分の財布から金を出して買え、と。どうして税金を投じて、すべての子どもたち公教育を施さなければいけないのか、意味がわからないという人が現にいくらでもいます。

 でも、何度でも申し上げます。教育は買い物とは違います。教育は集団の義務なんです。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものです。共同体がこれから継続し、そこで人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。

 でも、市場原理を持ち込んでくると、この筋目がまったく見えなくなってしまう。市場原理では、教育する主体は先生たち個人だとみなされる。集団ではないのです。教員個人の「教育力」なるものが数値的に表示されて、それに対して報奨や処罰が用意される。高い教育力を持つ教員個人が高い格付けを受けて、高い給与や地位を約束される。教育力の低い教員は低い格付けを受けて、冷遇される。それと同じように、教育を受けたことの利益は個人にのみ帰属する。知識も技術も、自分がその後他の同胞たちよりも高い地位に就き、高い年収を得るために、排他的に利用される。それがフェアネスだと信じている人が現代日本ではマジョリティを占めている。

 教育するものからも、教育を受けるものからも、「共同的」という本来の契機がまったく脱落したのが、現在の教育です。教育活動は個人のではなく、集団の営みであるということを理解していない教員さえたくさんいます。

 大事なことなので、何度でも申し上げますけれど、教育の主体は集団です。教育は集団で行うものであり、教育を受けるのは個人ですけれど、その個人の活動から受益するのは集団です。「ファカルティー(faculty)」というのは「教師団」という意味です。教育活動を行うのは「ファカルティ―」であって、教員個人ではありません。「ファカルティ―」というのは、同じ学校で、同じ学期に、職員室で机を並べて仕事している同僚たちだけのことではありません。今教えている子どもたちがこれまで就いて学んできたすべての教師たち、子どもたちの周りにいたすべての年長者たちと共に、われわれは「ファカルティー」を形成している。僕たちは、僕たちに先行する教師たち・年長者たちからいわば送り出され、手渡された子どもたちを受け取り、自分たちに教えられることを教え、それを次の教師たちに「パス」してゆく。そのすべての大人たちが「ファカルティ―」を形成している。

 僕が神戸女学院大学に在職していた頃の話です。あの学校は同窓会の結束が固くて、卒業生がしばしば遺産を学校に贈与してくれます。部長会の席で、亡くなった卒業生から遺言で学校宛てに何千万円のご寄贈がありましたということを経理部長がしばしば報告してくれました。それを聞く度に、「ありがたいことだ」と思いながら、微妙に気持ちが片づかなかった。

 85歳ぐらいで亡くなった卒業生からの遺産贈与だとすると、その人が神戸女学院に通っていたのは、今からもう70年ぐらい前なわけです。70年前ぐらいに受けた教育に対する感謝の気持ちを遺産として遺してくださったわけですけれど、僕たちはもうその人を教えた先生たちの顔も名前も知らない。みなさん、とっくにお亡くなりになっている。その人たちが行ったすばらしい教育への感謝の気持として遺産贈与があるのだけれど、今この学校で働いている教員たちに、果たしてそれを受け取る資格はあるのか、そう考えてしまったのです。だから、片付かない気持ちがした。

 でも、しばらく考えて、これはやっぱり受け取っていいのだと思うようになりました。というのは、僕が今ここで必死に教育を行って、そのおかげでそれから後の人生が豊かなものになったと思ってくれた卒業生が、仮に今から70年後に神戸女学院に対して遺産を寄贈してくれたとします。その場合、遺産を受け取ることになった教員たちは、僕たちのことなんかもう覚えていないわけです。名前も知らないし、何を教えたのかも知らない。でも、もしそういうことがあったら、70年後の教師たちにはその遺産を喜んで受け取って欲しいと思います。というのは、教育活動というのは、「ファカルティー」が行うものだからです。70年前にここで教えた人たち、70年後にここで教える人たち、もう死んでしまった教師たち、まだ生まれてもいない教師たち、彼らを僕たちは一つの「ファカルティ―」を形成している。150年にわたってこの学校で教えた、これから教えることになるすべての教師たちと共に僕は「ファカルティ―」を形成している。卒業生の感謝の気持はたまたまその事案が発生した時に在職していた教職員が受け取るのではなくて、「ファカルティー」が受け取るのです。

 教育の主体は集団である、教育は集団的な事業であるというのはそのことです。「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人びとだけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」をめざすものだからです。

 だから、教育政策の適否を計る基準は一つしかないと僕は思っています。それはその政策を実行することが子どもたちの市民的成熟に資するかどうか、それだけです。市民的成熟に資することであればよい。市民的成熟に関係のないこと、それを阻むものは教育の場に入り込ませてはいけない。それだけです。そういう基準で教育政策の適否を判定したら、今の文科省が主導している教育政策のほとんどは、子どもたちの市民的成熟にまったく何の関係もない、むしろそれを阻害するものだということがわかると思います。でも、そういうまっとうな基準で教育政策の適否を判定する習慣をわれわれは失って久しい。それが現在の日本の教育の混乱と退廃をもたらしている。

 では、どうしたらいいのかと。まだもう少し話す時間が残っているようですから、ちょっとだけ話します。大した知恵がなくて、できないことばかり言って本当に申しわけないのですが、一つは、保険医の方に言ったのと同じで、「とにかく苦しんでください」ということです。そして、先ほども言ったように、できることなら成績をつけないでもらいたい。成績をつけてもそれほど教育活動が阻害されない教科もあるかも知れませんが、できればどの教科でも何とか成績をつけないで進めて頂きたい。カリキュラムのどこかに、子どもたちが誰とも競争しないで済む時間帯を設けて欲しい。昨日の自分と今日の自分の変化を自分ひとりで観察する。そのような学びの場を何とか立ち上げて頂きたいと思います。

 もう一つ、今は英語教育にとりわけ中等教育では教育資源が偏ってきています。他の教科はいいから、とにかく英語をやれという圧力が強まっています。別にそれは英語の教員たちが望んだことではないのだけれど、教育資源が英語に偏っている。特に、オーラル・コミュニケーション能力の開発に偏っている。何でこんなに急激にオーラルに偏ってきたかというと、やはりこれは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。

「グローバル・コミュニケーション」と言っても、オーラルだけが重視されて、読む力、特に複雑なテクストを読む能力はないがしろにされている。これは植民地の言語教育の基本です。

 植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。理由は簡単です。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有するからです。100%ネイティヴが勝つ。「勝つ」というのは変な言い方ですけれども、オーラル・コミュニケーションの場では、ネイティヴにはノン・ネイティヴの話を遮断し、その発言をリジェクトする権利が与えられています。ノン・ネイティヴがどれほど真剣に、情理を尽くして話していても、ネイティヴはその話の腰を折って「その単語はそんなふうには発音しない」「われわれはそういう言い方をしない」と言って、話し相手の知的劣位性を思い知らせることができる。

 逆に、植民地原住民にはテクストを読む力はできるだけ付けさせないようにする。うっかり読む力が身に着くと、植民地の賢い子どもたちは、宗主国の植民地官僚が読まないような古典を読み、彼らが理解できないような知識や教養を身に付ける「リスク」があるからです。植民地の子どもが無教養な宗主国の大人に向かってすらすらとシェークスピアを引用したりして、宗主国民の知的優越性を脅かすということは何があっても避けなければならない。だから、読む力はつねに話す力よりも劣位に置かれる。「難しい英語の本なんか読めても仕方がない。それより日常会話だ」というようなことを平然と言い放つ人がいますけれど、これは骨の髄まで「植民地人根性」がしみこんだ人間の言い草です。「本を読む」というのはその国の文化的な本質を理解する上では最も効率的で確実な方法です。でも、植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。

 今の日本の英語教育がオーラルに偏って、英語の古典、哲学や文学や歴史の書物を読む力を全く求めなくなった理由の一つは「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。だから、アメリカ人は日本人が英語がぺらぺら話せるようになることは強く求めていますけれど、日本の子どもたちがアメリカの歴史を学んだり、アメリカの政治構造を理解したり、アメリカの文学に精通したりすること、それによってアメリカ人が何を考えているのか、何を欲望し、何を恐れているのかを知ることはまったく望んでいません。

 言語は政治的なものです。オーラル・コミュニケーションはとりわけ政治的な力の差が際立つところです。一方が母語で話し、一方が後天的に学習した外国語で話して、そこで議論する、対話する、合意形成するということがどれほどアンフェアで、不合理なことか。英語が国際的共通語であるのは、英米が二世紀にわたって世界の覇権国家であったからです。それだけの理由です。だから、英語圏の人々は母語を話せば国際会議で議論でき、国際学会で発表できる。われわれ非英語圏の人間は、英語学習のために膨大な時間と手間をかけなければならない。それは計り知れないハンディキャップを課されているということです。超大国の覇権が恒久化されるように、言語状況そのものが設計されている。それは冷厳な歴史的事実なわけですから仕方がないことです。でも、「アンフェアだ」ということは言い続ける必要がある。

 もう一つオーラル・コミュニケーションが重要視されるのは、オーラルだと、その出自が一瞬で判定できるからです。ネイティヴ・スピーカーなのか、長くその英語圏の国で暮らして身に付けた英語なのか、日本の学校で日本人に習った英語なのか、一瞬でわかる。これをverbal distinctionと言います。「言語による差別化」です。映画『マイ・フェア・レディ』の原作はバーナード・ショーの『ピグマリオン』という戯曲ですが、映画でも戯曲でも、テーマはこの「言語による差別化」でした。

 映画の冒頭に、ヘンリー・ヒギンズ教授が、オペラハウスの前で、見知らぬ人に向かって、「あなたはどこの出身だ、職業は何だ」と次々と言い当てて気味悪がられるという場面がありますね。ヒギンズ教授は音声学の専門家ですから、一言聞いただけで、その人の出身地も階層も職業も学歴もことごとく言い当てることができる。でも、ヒギンズ教授はその能力を誇ってそうしているわけではないのです。イギリスでは、誰もが口を開いた瞬間に所属階級がわかってしまう。そういうかたちで「差別」が自動的に行われている。教授はそれはよくないことだと考えているのです。そして、自分はこのような「言語による差別化」を廃絶して、すべての人間が「美しい英語」を話す社会を実現するために研究をしているのだ、と語るのです。そこに花売り娘のイライザがあらわれて、すさまじいコックニーで話し始める。そこからご存じの物語が始まる。

 でも、今日本で行われているオーラル中心の英語教育は、この時のヒギンズ教授の悲願とは、まったく逆方向を目指しています。一言しゃべった瞬間に、オーラル・コミュニケーション能力が格付できるシステムを構築しようとしている。これはまさに植民地の言語政策以外の何物でもない。

 植民地英語を教えようとしている人たちの言うことはよく似ています。文法を教えるな、古典を読ませるな、そんなのは時間の無駄だ。それよりビジネスにすぐ使えるオーラルを教えろ、法律文書と契約書が読める読解力以上のものは要らない。そう言い立てる。それが植民地の言語政策そのままだということ、自分たちの知的劣位性を固定化することだということに気が付いていない。

 植民地的な言語教育の帰結は、母語によっては自分の言いたいことを十分に表現できなくなるということです。フィリピンは現地語のタガログ語がありますけれども、旧植民地ですから、宗主国の言語である英語ができないと、官僚にもビジネスマンにも教師にもなれない。それは、生活言語であるタガログ語では、ビジネストークもできないし、政治・経済についても、学術についても語れないからです。母語にはそのための語彙がない。ある程度知的な情報を含む会話をするためには、英語を使うしかない。「フィリピンの人は英語がうまくて羨ましい」というようなことを無反省に言う人がいますけれど、フィリピン人が英語に堪能なのは、アメリカの植民地であり、母語を豊かなものにする機会を制度的に奪われていたからです。その歴史も知らないで、「なぜフィリピンの人はあんなに英語がうまいのに、日本人はダメなんだ」というようなことを言っている。そして、「そうだ。日本をアメリカの植民地にしてしまえば、日本人は英語が堪能になるに違いない」と本気で思っている。

 母語を豊かなものにするというのは、あらゆる言語集団にとっての悲願です。というのは、すべての知的イノベーションは母語で行われるからです。先ほどは「母語の檻」からどうやって離脱するかというようなことを言っていたのに、話が違うではないかと思われる方もおられるでしょうけれど、そういうものなのです。全てのものには裏表がある。いいところもあれば、悪いところもある。外国語を習得するというのは「母語の檻」から出て知的なブレークスルーを遂げる貴重な機会なのですけれど、私たちは他の誰にもできないような種類の知的なイノベーションを果たすためには、それと同時に母語のうちに深く深く分け入ってゆくことが必要なのです。ほんとうに前代未聞のアイディアというのは母語によってしか着想されないからです。

 僕はおととし池澤夏樹さん個人編集の「日本文学全集」で、『徒然草』の現代語訳をやりました。高橋源一郎さんが『方丈記』、酒井順子さんが『枕草子』を訳して、僕が『徒然草』というラインナップの巻です。池澤さんから依頼があった時に、『徒然草』なんて大学入試の時から読んでないので、できるかなと思ったのですが、とにかく引き受けて、古語辞典を片手に一年かけて訳しました。

 やってみたら、結構訳せました。『徒然草』は800年前の古典なんですけれど、なんとか訳せた。そして、こういう言語的状況というのは、他の東アジアの諸国にはちょっと見られないんじゃないかなと思いました。古典を専門にしているわけでもない現代人が辞書一冊片手に古典を読んで、訳せるというようなことは中国でも、韓国でも、ベトナムでも、インドネシアでも、まず見ることのできない景色だと思います。

 どうしてそんなことが可能なのか。それは日本語が大きな変化をこうむっていないからです。明治維新後に、欧米から最新の学術的な概念とか政治や経済の概念が輸入されましうたけれど、テクニカルタームを加藤弘之、西周、中江兆民、福沢諭吉といった人たちが片っ端から全部漢字二語に訳してしまった。natureを「自然」と訳し、societyを「社会」と訳し、individualを「個人」と訳し、philosophy を「哲学」と訳し...というふうにすべて漢字二字熟語に置き換えた。これはたいした力業だったと思います。

 こういうことができたのも、日本列島の土着語に中国から漢字が入って来た時も、現地語を廃して、外来語を採用するということをせず、土着語の上に外来語を「トッピング」して、ハイブリッド言語を作ることで解決した経験があったからです。昔は「やまとことば」の上に中国語をトッピングして日本語を作った。ひらかなもカタカナも漢字から作った。明治になったら、今度は英米由来の概念を漢訳して、それを在来の母語の上にトッピングして新しい日本語を作った。日本語はこういうことができる言語なんです。そのおかげで、日本は短期間に近代化を遂げることができた。

 中国の近代化が遅れた理由の一つは、欧米の言語を音訳したからです。中国語そのものを変えることを望まなかった。欧米の単語を漢訳して、新しい語を作るということは、中国語には存在しない概念が中国の外には存在することを認めるということです。これは世界の中心は中国であり、すべての文化的価値は中国を源泉として、四囲に流出しているのだという「中華思想」になじまない。だから翻訳しないで、そのまま音訳して中国語の言語体系に「トランジット」での滞在を認めただけで、言語そのものの改定を忌避した。

 孫文はルソーの『民約論』を参考にして辛亥革命の革命綱領を起案したそうですけれど、孫文が用いたのは中江兆民の漢訳でした。兆民はルソーをフランス語から和訳と漢訳を同時に行ったのです。そういうことができた。土着語に漢語を載せるのも、土着語に欧米語を載せるのも、プロセスとしては同じことだったからです。

 漱石も鷗外も荷風も、明治の知識人は漢籍に造詣が深かった。漱石は二松学舎で漢学を学んだあと英語に転じます。漱石がイギリス文学と出会っても、それに呑み込まれることがなかったのは、英文学のカウンターパートに相当する深みのある文学的なアーカイブが自分の中にすでに存在していたからです。すでに豊かな言語的資源を自分の中に持っていたからこそ、自在に新しい外国語に接することができた。だから、外国語を学ぶことと並行して、母語を深く学ぶ必要がある。そうしないと外国語に呑み込まれてしまう。知的なイノベーションで大きなハンディを背負うことになります。

 というのは、ネオロジスム(新語)を作ることができるのは母語においてだけだからです。後天的に習得した外国語では新語や新しい概念を作ることはできません。僕が英語やフランス語で、勝手に新しい言葉を作っても、相手には全然通じない。I went というのは不規則変化で面倒だから、これからはI goed にしようと提案しても、英語話者は誰も相手にしてくれない。言っても鼻先で笑われるだけです。

 でも、母語の場合だったら、「そんな言葉はない」「そんな意味はない」というかたちで新語が否定されることはない。だって、通じてしまうから。誰かが言い出した新語の意味がわかると、次は自分がそれを使い始める。ある人が、ふっとネオロジスムを思いついた時点で、それは潜在的には日本語のボキャブラリーにすでに登録されているのです。

 前に温泉に行ったときに、露天風呂に入っていたら、あとから若い学生が二人入って来て、湯に浸かると同時に「やべ〜」と呟いたことがありました。もう10年近く前でしょうか。その時に「ああ、そうか。『やばい』というのは、『大変気持ちがいい』という新しい語義を加えたのだな」とわかりました。実際に今出ている国語辞典には「最高である、すごくいい」という新しい語義がすでに加筆されております。

「やばい」はもとからある語に新しい語義が加わった事例ですけれど、「真逆」というのは新語です。最初に聴いたのは高橋源一郎さんとしゃべっている時でした。「まぎゃく」という音を聞いただけで「真逆」という文字が自動的に脳裏に浮かびましたし、「正反対」の強い表現だということもわかりました。説明されなくても、わかる。

よく考えたら、これはすごいことですよね。新語や、新概念は発語された瞬間に、母語話者にはそれが何を意味するかがわかるのです。それは新語、新概念というのが、個人の思い付きではなくて、母語の深いアーカイブの底から泡のように浮かび上がってきたものだからです。最初にそれを口にした人はその「泡」をすくい上げて言葉にしたのです。創造したわけじゃない。だから、母語話者にはその意味がすぐわかる。

 イノベーションというのは新語、新概念を創造することです。新しい言葉が、誰も聴いたことのない新しい言葉であるにもかかわらず、発語された時点ですでに母語において「受肉」している。だから、「あ、そういうことね」だと理解される。「それって、これまで誰も言ったことがないことだね」と理解される。変な話ですよね。新しい言葉が「これまで誰も言ったことのない言葉」として、その意味も用法もセットで受け容れられるんですから。母語ならそれができる。そして、外国語では、できない。

 だから、本当に新しいものを発明しようと思ったら、われわれが作り出したものが世界標準になるとしたら、それは母語における新語というかたちで潜在的にはすでに語彙に登録されたかたちで登場してくるのです。

 母語のアーカイブはそれだけ豊かだということです。日本の古語はある種の外国語なわけですけれど、少し読み慣れると、すぐにニュアンスがわかるようになる。古典を読んでゆくと、1000年前、500年前の日本人に世界がどう見えていたのか、彼らがどのようなコスモロジーのうちで生きていたのかが追体験される。これもやはり「母語的現実」からの離脱の経験であるわけです。

 ただ、古典を学ぶというのと、英語を学ぶというのはぜんぜん異質の経験です。古典といっても日本語です。僕たちが今使っている現代日本語は、この古語から生まれて来た無数の「新語」の蓄積で出来ている。もとはと言えば、すべての日本語はこの古語のアーカイブのうちに起源を持っている。そこから浮かんできた「泡」の集大成が現代日本語なんです。吉田兼好を800年前からタイムマシンに乗せて現代に連れてきても、たぶん一月くらいで現代日本語をだいたい理解できるようになると思います。同じ生地で出来ているんですからわからないはずがない。

 古典はある種の外国語であるにもかかわらず、その習得が異常に簡単です。なぜなら、知らないはずの単語や言い回しの意味が「なぜかわかる」から。『徒然草』で面白かったのは、『徒然草』の専門家の方からメールを頂いて、「訳文が正確だ」とほめて頂いたことです。特に係り結びの訳し分けがよかったと書いてありました。僕は係り結びにいくつもの意味の違いがあって、それは厳密には訳し分けないといけないということを知らなかったので、びっくりしました。文法規則を知らなかったのに、正しく訳せてしまった。そういうことが起きるのは、それが日本語で書かれていたからですね。

 自国語の古典をまず学ぶこと。アクセスしやすい外国語をまず学んで、異なる言語形式で世界を分節する人たちの思念や感情を想像的に追体験すること。これはそれから後に外国語を学ぶ基礎としてとても有用な経験になるだろうと思います。

 1960年代はじめに、江藤淳がプリンストン大学に留学したことがあります。江藤はプリンストンで日本文学を講じていました。英語で授業をやり、英語で論文を書いて、途中から夢も英語でみるようになったそうです。けれども、帰ってきた後に、新しいものを作ろうと思ったら、日本語で考えるしかないと思うようになった。思考がかたちをなす前の星雲状態にまで遡ることができるのは母語においてだけだからというのです。

「思考が形をなす前の淵に澱むものは、私の場合あくまでも日本語でしかない。語学力は習慣と努力によってより完全なものに近づけられるかも知れない。(...)しかし、言葉は、いったんこの『沈黙』から切りはなされてしまえば、厳密には文学の用をなさない。なぜなら、この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界−日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路だからである。」(『近代以前』)

 われわれが使っている日本語のアーカイブのうちには、これまで日本列島に住み、言語を語ってきたすべての人々の記憶と経験が蓄積されていて、「淵」のようなものをかたちづくっている。この「淵」からしか、新しい言語的な創造を汲み出すことはできない。

 江藤はこの母語のアーカイブのことを「沈黙の言語」と呼びます。かつて同じ言語を語ったすべての死者たちから遺贈された言語経験の総体、その「淵」に立つことによって初めて文学的な創造ができるのだ、と。

 これとほとんど同じことを村上春樹も書いています。村上春樹はアメリカやイギリスやイタリアやギリシャや、世界中で暮らしていて、最後にボストンで河合隼雄さんと出会い、それが一つのきっかけになって日本に帰ってくるのですけれども、江藤淳と非常に似たことを言っています。

「どうしてだかわからないけれど、『そろそろ日本に帰らなくちゃなあ』と思ったんです。最後はほんとうに帰りたくなりました。とくに何が懐かしいというのでもないし、文化的な日本回帰というのでもないのですが、やっぱり小説家としての自分のあるべき場所は日本なんだな、と思った。というのは、日本語でものを書くというのは、結局思考システムとしては日本語なんです日本語自体は日本で生み出されたものだから、日本というものと分離不可能なんですね。そして、どう転んでも、やはり僕は英語では小説は、物語は書けない。それが実感としてひしひしとわかってきた、ということですね。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)

 村上さんはデビュー作『風の歌を聴け』を最初は英語で書いて、それを自分で日本語に訳すというかたちで書き出したそうです。それがあの独特の文体の原型になった。でも、村上春樹さんも最終的には世界文学になるためには日本語の「淵」に立ち戻ってきた。その消息は河合隼雄さんとの次のやりとりから伺えます。


「村上 あの源氏物語の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね。

河合 どういう超自然性ですか

村上 つまり怨霊とか...

河合 あんなのはまったく現実だとはいます。

村上 物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった?

河合 ええ、もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)


 河合隼雄さんはこの時に『源氏物語』に出て来る六条御息所の生霊は文学的虚構ではなくて、平安時代の人たちにとってはありありとした現実だったと断定するわけです。そのような物語的現実の中で人間は生き死にしているのだ、と。それを聞いて村上さんはそれ以外の外国語では文学的虚構でしかないものが、日本語のうちでは現実としてありありと顕現することがあり得るということに深く納得する。現実を創り出すのは、それを語る言語である。だから、本当に「世界のここにしかないもの」を創造しようと望むなら、自分の母語のうちに立ち返るしかない、村上春樹はそう考えた。江藤淳が日本語の「淵」に立ち返ろうと思って日本語に帰ったのと、これは同型的なふるまいだろうと僕は思います。

 本当に創造的なもの、本当に「ここにしかないもの」は、母語のアーカイブから汲み出すしかない。ですから、どれだけ深く母語のうちに沈み込んでゆくかということと、母語をどうやってより豊かなものにするかということが、同時に文学者の課題になるわけです。それこそがそれぞれの国や地域の文化の質を高めるためにまずなすべきことなのです。

 でも、今の日本では、母語に深く沈潜することも、母語を豊饒化することも、教育的課題としてはまず語られることがありません。日本人が日本語によってしか表現できないような新しい概念なり理説なりをどのように提示して、それを世界標準たらしめるのか。それを人類全体の知的資源に登録して、人間の文明をより多様なもの、より豊かなものにしてゆくことにどうやって貢献できるのか。そういう議論を教育論の中で聴くことはまったくありません。

 母語の過去に遡ること、母語の深みに沈み込んでゆくこと、これが創造において決定的に重要なことなのです。これもまた僕たちが日常的に囚われている「現代日本語の檻」から離脱するための重要な手立てであるのです。

 村上春樹の話ばかりになりますけれど、村上さんはエッセイの中で、はっきりと自分は上田秋成の後継者をめざすと書いています。「雨月物語」と村上文学は直接に繋がっている、と。明治時代の自然主義文学があるけれど、自分は近代文学の文学史的系譜とは無関係であって、上田秋成からダイレクトに繋がっている、と。

 まことに奇妙な符合なのですが、上田秋成と現代文学を繋がなければならないということを江藤淳も書いているのです。半世紀以上の隔たりがありながら、江藤淳と村上春樹がともにアメリカから帰ってきたあとに、ほとんど同じことを書いている。それは日本語という回路を通じて、作家はかつて日本語を語ったすべての死者たちと共生しているということです。日本語は「日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路」だということです。二人ともに自国文化の「近代以前」の深い闇の中に降りてゆくことが新しいものを創造するためには必要なのだと書いている。そういう言語的な覚醒の経験をこの二人は共有している。

 外国語を学ぶことも、母語の「淵」深く沈潜してゆくことも、ともに「母語の檻」から抜け出ることをめざすという点では少しも矛盾していません。言葉を学ぶということは、この二つのいずれをも欠かしてはならない、僕はそう思います。

 学校教育の場で子どもたちに教えるべきことは、「君たちは君たちの言語の虜囚である」ということです。君たちは自由に思考し、自由に感じ、自由に言葉を操っているつもりでいるかも知れないけれど、君たちは実は君たちが閉じ込められている集団的な「言葉の檻」から出ることができないでいるのだ。君たちの語彙も、音韻も、ストックフレーズも、君たちが使うメタファーもレトリックも、すべて「既製品」なのだ。君たちは与えられた言語の中で感じ、考え、語ることを強いられている。でも、君たちの中には自分が「檻」の中にいることを薄々感づいていて、もっと清涼な空気を吸いたい、もっと自由に語りたい、もっと自由に考えたいという願いを抱いている人がいると思う。その人たちに教えたい。「母語の檻」から出るには二つの方法があるよ。一つは外国語を学ぶこと、一つは母語を共にする死者たちへの回路をみつけること。これはとても大切な教えだと思います。

 僕は武道を教えていますけれども、それは今の子どもたちに「君たちが自然だと思っている身体運用以外の仕方がある」ということを教えるためです。身体の使いかは言語と同じように構造化されています。子どもたちが現代的な言語運用のルールに繋縛されているように、現代的な身体運用のルールに繋縛されて、それが自然だと思って暮らしている。すべての人間は自分と同じように身体を使って外界を感じ、身体を動かしている、そう素朴に信じ切っているわけです。人間の身体は太古から現代まで、世界中どこでも「同じようなもの」だと信じ切っている。でも、彼らの身体運用はまさに2018年の現代の都市で暮らしている子どもたちに選択的に強制された「奇妙な」身体の使い方なのです。一つの民族誌的奇習なのです。歩き方も、座り方も、表情の作り方も、声の出し方も、すべて集団的に規制されている。
 それとは違う身体の使い方があることを、例えば中世や戦国時代の日本人の身体の使い方があることを僕は武道を通じて教えているわけです。子どもたちをその文化的閉域から解放するために武道を教えているわけです。君たちは学べば、ふだんの身体の使い方とは違う身体の使い方ができるようになる。その「別の身体」から見える世界の風景は彼らがふだん見慣れたものとは全く違ったものになる。それは外国語を学んで、外国語で世界を分節し、外国語で自分の感情や思念を語る経験と深く通じています。自分にはさまざまな世界をさまざまな仕方で経験する自由があること、それを子どもたちは知るべきなのです。

結局、教育に携わる人たちは、どんな教科を教える場合でも、恐らく無意識的にはそういう作業をしていると思うのです。子どもたちが閉じ込められている狭苦しい「檻」、彼らが「これが全世界だ」と思い込んでいる閉所から、彼らを外に連れ出し、「世界はもっと広く、多様だ」ということを教えること、これが教育において最も大切なことだと僕は思います。


 最初のトピックに戻りますけれども、今行われている英語教育改革なるものは、子どもたちをさらに狭い母語的現実の中に封じ込めようとしています。彼らに現代日本固有の民族誌的奇習を刷り込んで、「これが全世界だ」と錯覚させようとしている点で、ほとんど犯罪的なことだと思います。

 いささか過激な言葉を使いましたけれども、おそらく多くの先生方は、実感としては僕に同意してくださると思います。すべての教育実践は子どもの知性的な、感性的な成熟を支援するためにある、それに資するかどうかだけを基準にして教育実践の適否は判断されるべきである。これは教育者として絶対に譲れない、どんなことがあっても譲れない一線です。僕と同じように感じてくださる先生方が一人でも増えて下さることを願っています。それを今の日本の学校の中で、やり遂げるのはたいへんなことだと思います。さぞやご苦労されることと思います。

 でも、一昨日の保険医さんに言ったように、教育というのは苦しむ仕事なのです。人類が始まった時から存在する太古的な仕事ですから、市場経済や国民国家ができるよりはるか前から存在した職能ですから、市場経済や国民国家となじみがよくないのは当たり前なのです。でも、われわれはすでに市場経済の世界に暮らしており、国民国家の枠内で学校教育をする以外に手立てを持たない。だから、葛藤するのは当たり前なんです。学校教育がらくらくとできて笑いが止まらないというようなことは、現代社会では絶対にあり得ないのです。それは学校教育のやり方が間違っているからではなくて、学校教育は市場経済とも国民国家とも食い合わせが悪いからです。それについては諦めるしかない。むしろ自分たちのほうがずっと前から、数万年前からこの商売をやっているのだからと言って、無茶な要請は押し返す。Noと言うべきことについてはNoと言う。とにかく子どもたちを守り、彼らの成熟を支援する。彼らが生き延びることができるように生きる知恵と力を高める。それがみなさんのお仕事だと思います。

何だか、応援しているのか呪っているのかわからないような講演でしたけれども、とにかくつらい現実をまずみつめて、それから希望を語るということでよろしいのではないかと思います。ご清聴ありがとうございました。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c172

[リバイバル3] 家を持たない生活、アドレスホッパー 都内の家賃上昇なら大量発生も

2019年05月31日
家を持たない生活、アドレスホッパー 都内の家賃上昇なら大量発生も
http://www.thutmosev.com/archives/79973246.html


彼らは好きでやってるが、東京の家賃が30万になったら大量のネカフェ難民が発生する


画像引用:地方創生でも活躍?定住しない「アドレスホッパー」若者たちの実態 | AbemaTIMEShttps://abematimes.com/posts/5539633

住所不定からアドレスホッパーへ

最近日本では決まった家に定住せず、住所を転々と移動するような人が増えています。

アドレスホッパーと呼ばれているが、英語ではなくアドレス(住所)、ホッパー(転々とする)を組み合わせた日本語のようです。

昔(今も)日本では決まった住所を持たない人は住所不定と呼ばれて、社会から外れた扱いでした。



この始まりは徳川幕府の人別帳制度で、人別帳に書かれていない人は存在しない人になり、犯罪者扱いでした。

人別帳に後から入るのは難しく、一度外れてしまうと浮浪者になり、まともな職業に就くのも困難でした。

元々は秀吉の太閤検地でコメの収穫を計算したり、年貢を正確に取り立てるための制度でした。


さらにその起源をたどると645年大化の改新で庚午年籍(こうごねんじゃく)という物が作られていました。

大化の改新以前も各地の豪族は独自の戸籍を作って住民を管理し、年貢を取り立てたりしていました。

支配者からすると年貢を取り立てるには住民の人数や個人を把握する必要があり、だから厳密な住民管理が行われました。


西洋はこうではなく、麦の収穫は稲作より簡単なので、住民は土地についてくる付属品扱いでした。

日本の戸籍制度や住民管理は2000年の伝統があり、一筋縄で変わらないほど頑強なものです。

「住所や戸籍がなければ人間ではない」という偏見?も、長い歴史の中で定着したものです。

東京の家賃が上昇すると大量の住所難民が生まれる

アメリカではNYやサンフランシスコの家賃が平均30万円以上になり、車の中に住む人が増えています。

アメリカは国土が広いからか駐車には寛容で、大きなスーパーの駐車場に「住んで」も問題ないそうです。

アメリカは自動車の税金が日本の数分の1でガソリンも安いので、年400万円家賃を払うより車で暮らす方が安いのです。


日本ではどんな駐車場も必ず有料で、大都市だと駐車場が月数万、自動車の税金など維持費も高いのでこうはいかない。

それに日本の家賃は東京でも10万円程度なので、NYやSFの3分の1以下に過ぎない。

家賃だけを考えるなら日本で放浪生活するメリットは、アメリカほどではありません。


家以外で暮らす場所としてはネットカフェは月12万くらいで長期利用できる店が存在します。

ネットカフェ難民は現在も都内で4千人、全国では1万人以上存在すると言われています。

平均的なネットフカフェでは月14万円かかり、実はアパートやマンションを借りる方が安い。


保証人が用意できないとか、通勤に便利とか、何かから逃げているなど、何らかの訳アリの人が利用している。

ゲストハウスのような簡易宿所は安いところで月12万円くらいで、安いカプセルホテルもこのくらいです。

都内では家賃だけで10万円以上、他に光熱費や通信費が必要なので合計10数万円が「家」の維持に必要です。


ネカフェやゲストハウスは一日4千円であっても「それだけ」なのでトータルでは数万円安くなる。

友達の家やシェアハウスなど、コネを利用できる人はもっと安く抑えられるでしょう。

今は東京の家賃は10万円程度だが、もし平均20万円とかNYのように30万円以上になったら、実際もう住めない人が発生します。


アメリカでは車に住めばよかったが、日本ではネカフェ難民やゲストハウス難民が大量発生するかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/79973246.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/958.html

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
534. 中川隆[-9923] koaQ7Jey 2019年5月31日 12:41:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2432]

2019年05月31日
家を持たない生活、アドレスホッパー 都内の家賃上昇なら大量発生も
http://www.thutmosev.com/archives/79973246.html


彼らは好きでやってるが、東京の家賃が30万になったら大量のネカフェ難民が発生する


画像引用:地方創生でも活躍?定住しない「アドレスホッパー」若者たちの実態 | AbemaTIMEShttps://abematimes.com/posts/5539633

住所不定からアドレスホッパーへ

最近日本では決まった家に定住せず、住所を転々と移動するような人が増えています。

アドレスホッパーと呼ばれているが、英語ではなくアドレス(住所)、ホッパー(転々とする)を組み合わせた日本語のようです。

昔(今も)日本では決まった住所を持たない人は住所不定と呼ばれて、社会から外れた扱いでした。

この始まりは徳川幕府の人別帳制度で、人別帳に書かれていない人は存在しない人になり、犯罪者扱いでした。

人別帳に後から入るのは難しく、一度外れてしまうと浮浪者になり、まともな職業に就くのも困難でした。

元々は秀吉の太閤検地でコメの収穫を計算したり、年貢を正確に取り立てるための制度でした。


さらにその起源をたどると645年大化の改新で庚午年籍(こうごねんじゃく)という物が作られていました。

大化の改新以前も各地の豪族は独自の戸籍を作って住民を管理し、年貢を取り立てたりしていました。

支配者からすると年貢を取り立てるには住民の人数や個人を把握する必要があり、だから厳密な住民管理が行われました。


西洋はこうではなく、麦の収穫は稲作より簡単なので、住民は土地についてくる付属品扱いでした。

日本の戸籍制度や住民管理は2000年の伝統があり、一筋縄で変わらないほど頑強なものです。

「住所や戸籍がなければ人間ではない」という偏見?も、長い歴史の中で定着したものです。

東京の家賃が上昇すると大量の住所難民が生まれる

アメリカではNYやサンフランシスコの家賃が平均30万円以上になり、車の中に住む人が増えています。

アメリカは国土が広いからか駐車には寛容で、大きなスーパーの駐車場に「住んで」も問題ないそうです。

アメリカは自動車の税金が日本の数分の1でガソリンも安いので、年400万円家賃を払うより車で暮らす方が安いのです。


日本ではどんな駐車場も必ず有料で、大都市だと駐車場が月数万、自動車の税金など維持費も高いのでこうはいかない。

それに日本の家賃は東京でも10万円程度なので、NYやSFの3分の1以下に過ぎない。

家賃だけを考えるなら日本で放浪生活するメリットは、アメリカほどではありません。


家以外で暮らす場所としてはネットカフェは月12万くらいで長期利用できる店が存在します。

ネットカフェ難民は現在も都内で4千人、全国では1万人以上存在すると言われています。

平均的なネットフカフェでは月14万円かかり、実はアパートやマンションを借りる方が安い。


保証人が用意できないとか、通勤に便利とか、何かから逃げているなど、何らかの訳アリの人が利用している。

ゲストハウスのような簡易宿所は安いところで月12万円くらいで、安いカプセルホテルもこのくらいです。

都内では家賃だけで10万円以上、他に光熱費や通信費が必要なので合計10数万円が「家」の維持に必要です。


ネカフェやゲストハウスは一日4千円であっても「それだけ」なのでトータルでは数万円安くなる。

友達の家やシェアハウスなど、コネを利用できる人はもっと安く抑えられるでしょう。

今は東京の家賃は10万円程度だが、もし平均20万円とかNYのように30万円以上になったら、実際もう住めない人が発生します。


アメリカでは車に住めばよかったが、日本ではネカフェ難民やゲストハウス難民が大量発生するかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/79973246.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c534

[リバイバル3] スピーカケーブル ウェスタンエレクトリック WE 18GA (撚線、 0.823mm2) 中川隆
9. 中川隆[-9922] koaQ7Jey 2019年5月31日 14:47:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2433]

有名なWE18GA ブラック 単線シングルスズメッキは ビンテージケーブルか・・・?
2018年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

WesternElectric 18GA単線シングル ビンテージケーブル単線シングルスズメッキの入手である、

ここで再度ウェスタン・エレクトリックWesternElectricについて調べてみた

下記は日本電気株式会社当時のロゴのようです。

このウェスタン・エレクトリックWesternElectric会社を調べるとどうやら1928年、WesternElectric は初めて受話器と送話器が一体化した電話機を開発した(それまでの電話機は本体に送話器がある燭台型だった)。同様此のような電話の音をなるべく良く伝えようとした電話線を製作して製品が今や貴重品になった、WE独特の鏡面は絹巻又は綿巻で被覆しいかにも大切に扱われるケーブルは見た目もビンテージらしい当時の製品が未だ現役で流通しているのですが技術革新とは何であろうと疑問にさえ思うこのモデル「102」は本体底面が丸いのが特徴で、1930に登場した後継の「202」はほとんど同じ形状だが底面が楕円形になっている。

次の大きなアップグレードは1937年の「302」である。工業デザイナーである(ヘンリー・ドレフュスとも、英国: Henry Dreyfuss)の設計によるもので、いわゆる黒電話の原型となった四角い底面が特徴である。なお、「302」より前の電話機は別に回路を収めた箱が必要だったが、「302」ではそれを電話機本体に内蔵している。1949年以降はモデル「500」がリリースされ、適宜更新されていった。

細かい改良として、ダイヤルをより静かによりスムーズにしたり、回路基板をプリント基板にしたりといった更新が行われた。モデル500は1986年に押ボタン式電話機に完全に取って代わられるまで、製造が続いた。世界でも最も多数製造された電話機である。

ウェスタン・エレクトリックは通信関係で発達した会社で通信ケーブルは性能の良いものが多い、

地域ベル電話会社のものであり、AT&Tのものであり、同時にWesternElectric自身のものである。

結果としてWesternElectricの電話機の新機種投入頻度は少なく押さえられた。戦後電話の普及によりWesternElectricは、海外資本として日本で初の合弁事業を立ち上げた会社であった。

1899年、日本電気(NEC)の設立当時、WesternElectricは株式の54%を保有していた。

日本でのWesternElectricの代表としてウォルタ・T・カールトンーが日本電気社内に席を構えた。

当時電電公社の電話のケーブル電話機に関する電電公社との繋がりは深かったであろうと思う

1992年まで使用されていたNECの旧ロゴのデザインは、上記のロゴですがWesternElectricのロ

ゴが由来となっている。書体は実に良く似ている。

最近NECの前身である日本電気株式会社表記のあるプリ管の中からWEの影響の強いロゴのプリ管

のパッケージケースの中に入っていた検査証を見つけた44年と表記があり、昭和44年すなわち19

69年50年前の製品、思わず納得してしまう。当時は真空管の時代でトランジスターはまだ将来の

物だったんですネ!ロゴなどはまだWesternElectricの英文字表記は近く、NEC以前の製品なんで

すね・・・・・50年前の物を今見ると 進駐軍の事が思い出され妙に懐かしくなってしまう。

これは大切に保管しようと思う、このプリ管の音は未だ聴いては無いが思わず期待してしまう。

ロゴはWEの日本版である、此の様に歴史を含め考えると何故か身近に感じるではありませんか?

プリ管の音質はWEの音に近いのか全く不明ですが思わず期待してしまいます。(笑)

筆者の従兄弟が昔、電電公社に勤めていた頃、スピーカーケーブルように電話線を頂いた事がある、

当時入手しづらくスピーカーケーブル用に10メートル程頂き、配線したが、単線の銅線であったよ

うに記憶する音質は良くなった記憶があるのは遠い昔の話で、現在はNTTの前進であり公共機関で

あった

涼しい部屋で、安静にしながら音楽は聴く、勿論淹れたての珈琲を頂きながら、香りはいいのですが

今日は残り少なくなったブルーマウンテンのブレンドを淹れたが筆者は余り美味しく感じない、味は

昨日飲んだハワアン・コナが旨く感じる。自宅近くの焙煎店にもコナ・コーヒーは販売しているがこ

れがクソ不味いので此の店での購入はすべて辞めた(笑)

昔従兄弟が電電公社に勤めていたときに頂いたケーブルは今思えばNECの製品だったのかも知れない、

現在使用のインターホンコードと良く似てた。記憶をたどれば間違いなく単線であり、太さもインタ

ーホーンコードとよく似てた記憶がある、今回は現在では実に珍しい、Yさんより紹介され、WEの単

線スズメッキ単線を入手してみました。早いも勝ちのようでスグに完売してしまったようだ。

正式名は「WesternElectric 18GA ブラック 単線シングルスズメッキ」というらしい、ただWEの名

前だけで高額になっている現状は消費者には非常に痛手である。特に真空管のWE300Bなどはプレミ

アム価格100万の話を聴く。

スピーカーケーブルはまだその様な事は無いが将来は不安である、資料によるとALTECのA5やA7等と

いったアメリカンヴィンテージのシステムと相性が良いそうです。此のケーブルはヴィンテージスピー

カーには頗る相性が良いらしい、撚線も良いが、単線が効果的と言われる可なりの癖はあるので、た

だし全てに適合するとは言えないが、古いヴィンテージエンクロージャーには相性は良さそうである

らしくオールドTANNOY駆動には期待は出来る。

同じWE18GAにも撚線もある、こちらは色が黒と赤になっているようです、勿論復刻版のようで、こ

の撚線にも古い物が価値があるようで、新しく低コストのため技術革新は製品の品質が落としたと聞

くWEは現在は閉鎖されて商品在庫も少なくなり、ヴィンテージコードとして取扱してるようです。

WE18GA撚線について調べると「ウエスタンエレクトリック(以下WE)のケーブルも基本的にヴィン

テージスピーカーを使用している場合は単線がお薦めである。特に今回紹介する18GAはとても汎用

性が広く、見つけたら即買いをお薦めする。」などの紹介記事もあった、此のような書き込みも見つ

けたから早速20メートル程注文する、貧困老人にも手が出せる価格送料込みで20メートル約\12,000

考えて見れば高額なケーブルです。

更に注意事項として復刻版についての注意書きがある非常に気になることが書いてありました。

サイズ14GA:低域が力強い

サイズ16GA:低域から高域までバランスが良い

サイズ18GA:広がりがある、ツイーターや内部配線向き

という説明がされていました。

下の写真がWE(Western Electric)の14・16・18GA、A.I.W.社による、より線の「復刻版」だそう

です確かに復刻版は撚線で単線とは違う、単線シングルスズメッキのオリジナルの品物です。

もし、WEの復刻版スピーカーケーブルを購入しようと思った方がおられたら、WEのスピーカーケーブ

ルの正しい使い方はこうです。単線も同様である。

サイズ14GA:5〜6mほどの長さで使うこと

サイズ16GA:3〜4mほどの長さで使うこと

サイズ18GA:2mほどの長さで使うこと

特に1950年代前後のものは希少である。

WE、それは単に古いだけでなく、現代でも追いつけることの出来ないノウハウを持っていた企業なの

です1987年製と、細かい年式が明らかなこのケーブルは、綿巻きに樹脂巻、錫メッキのケーブルであ

る。WEのケーブルは古いほど音は良くなるそうだ、そこはタンノイも同様である新しくなるほど絶縁

にコストダウンが見られ質は落ちたようである。これほど技術が進んでもWEのケーブルが重視される

のも可笑しい話ではある、でも使う素材は確かに良いようだ銅の質は単純なタフピッチ銅(純度99.9

%程度)と見られる。これで十分である。屋内配線はすべてタフピッチ銅だ。これが一番安定してい

るのである。純度と音は関係ない。一番関係するのは絶縁の仕方だ。ビニール系の高分子化合物は静

電気を誘発するのでイケない。「例えばこんな経験はないだろうか。特に汚れた環境では無いのにケ

ーブルの外皮が汚れる。これは電気が流れることで静電気が発生し、細かい汚れを付着させるからで

ある。」

WEのケーブルは1940年代にはそのことが分かっており、この会社のノウハウは素晴らしい静電気が

極力起きない絶縁材を使用していたのである。此のためエナメル皮膜に絹巻、又は綿巻きである。現

在日本でも70年以前に作られた戦艦大和は擬装の部分は今の技術だけではは出来ないそうです、造船

技術以外の分野で例えば46センチの砲身、三連の主砲等、体験を元に技術も向上する、技術とはその

ようなもののようです。

アンプ変更時の簡素化のため、本来ならFURUTECHのバナナプラグを使用したいが、高額なのでオイ

デヤ電気のBP-208CG 金メッキ波形バナナプラグを代用しています。価格も安価で仕上がりも良いの

で筆者はこのプラブは定番にしています。

今回のWE撚線18GA ブラックは昔のヴィンテージ物なので注文すると早速配達された。現在使用して

いるプラグはネジ止めする為シッカリ接続され重宝しています。今回のWE18GA単線シングルスズメ

ッキケーブルと筆者のシステムとは実に良い組み合わせのようだ、丁寧に2メートルにカットして繋ぐ、

この音が出るまでのドキドキする瞬間は何時も興奮を覚える・・・

しかし冷静に考えれば、40年前の機器を聴く為に、このような些細なとこに真剣に取り組んでいるの

が実に馬鹿げた話ではある、接続コードに可なりつぎ込んでしまったようだ、(笑)

最近もフルテック オーディオグレードUSBケーブルを注文してしまった。以前からオーディオインタ

ーフェースに接続ケーブルを交換すると音質が良くなるというコメントが気になった。

どのような音がでるのか?現在アナログケーブルはWEを使用しているが、BELDENに交換した

が今回のスピーカーケーブルの違いは少なかった、現在在庫でBELDEN8428・BELDEN88706

があるがBELDEN88706がいい感じがした、ゆっくりの試聴が必要か?

庭にはホテイアオイが水槽に一杯で片隅に咲く睡蓮の花に癒やされます。

筆者も以前のブログにWE16GA(撚り線)single(緑)を使用したが音は良く気に入ったが

今回のWE18GA単線はそれより細い、早速スピーカーケーブル・コネクター装着し、試聴する、

この細い単線はTANNOYの端子には此の細さは穴に入りやすい細さで大変ありがたい。

交換し改めて試聴する、次はWanda Landowskaのゴルドベルグ変奏曲を聴く、聴きなれている

はずなのに、驚いたことに音質が全体に良く聴こえる特に豊かなまとまるの良い低域に驚く?

今回此のWEの単線スズメッキWE18GA撚線ブラックを繋ぎ視聴する全体的に音の密度が上がっ

た気がするこのたびオリジナルのWE18GA撚線ブラックを購入して、指定のように2メートルの

コードにカットして繋ぎ試聴してみた。結果その差に驚く。

「部屋中にまろやかな音楽が響く・・・」これぞ望んだ音かもしれない・・・・?

以前BELDENのコード?やFOSTEXも良いとされ、種類も色々変えてはみたが、納得は出来WE

16GAに留まる銀メッキが良いと言われ、銀メッキコードにも交換したが、筆者のシステムには

合わず、変更を繰り返すうちに最終的にははWE16GA(撚り線)single(緑)を使用していまし

たが換える前まではもうこれ以上良い音は望めないと思ってましたが、こんなに簡単に上回る製

品があったのだWE18GAは断トツに情報量が多く、音がしっかり聴こえます。

あえて言うならば、少し音源が近づくのが問題箇所ですかネ♪

特にジャズのヴィブラフォンのアタック音はまさに生っぽいの音、低音もさらに低く伸びた感じ

の音、自然な低域まで充実した音、こんなに細いスピーカーケーブルで・・・Western Electric

恐るべし。全く驚くようなケーブルでアッパレである。これはヴィンテージスピーカー専用かも

知れない。

TANNOYのレベルボタンはARU付きAXIOM80箱に移植してからはフラットな状態で聴いている

又今回の18GA撚線ブラックは単線なのでスピーカーのプラグに繋ぎやすいのもありがたい。

しかし流石WE18GA単線スズメッキのケーブルは万能では無いのかもしれない、

筆者のサブSPのKEF Q300に繋ぐにはWE16GA撚線が相性は良く、単線はなにかスッキリしない。

写真のケーブルAE線はインターホーンのケーブルの写真ですがこれも単線コードであります。

此の安価なコードのこのケーブルが意外と良い音を出すのです。此のコードも単線なんです、

やはり単線は古いヴィンテージスピーカーには相性が良いのかアルテックのスピーカーも相性は良い

と聴く以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは

外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレン

で絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。(注)

これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。これが安価で安

定した音質が堪能できるケーブルです。

このケーブルは長く使用していたケーブルです。今は大切に保管しています(笑)

フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団特に筆者お勧め

は余り馴染みのないベートーヴェン交響曲第七番AXIOM80に移植したIIILZ inCabinetである

程度ボリュームを上げて試聴する。

特にベートーヴェン交響曲はオーケストラの爆発のような響きが出ると素晴らしいが低域オーケ

ストラの厚み深さが増し、今回のCDを視聴し、決してスマートではないが、ごつごつした、骨

太のベートーヴェン。しかし、細部もゆるぎなく構築されている確かにオーケストラの演奏など

は情報量が多くなれば再現される音質も上がるようです、第七番の迫力ある演奏は見事である、こ

の先隠れたケーブルが出てくるか楽しみです。

勿論此の後は交響曲第3番変ホ長調「英雄」交響曲続いて筆者の好きな第四番を聴く、

ベートーベン 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 コンヴィチュニー Beethoven Symphony No.4

ロバート・シンプソン曰、「交響曲第4番はギリシアの乙女ではない。

巨人がとても軽快に滑らかに体操をしている。交響曲第4番には、鋼の筋肉が潜んでいる。」と言い

ました。交響曲第4番はベートーヴェンの他の作品と比べると乙女に感じるかもしれませんが、

作品そのものを聴くと力強さに溢れています。

今回のWEのケーブルは筆者のシステムと良くマッチしたケーブルに思える、

サブスピーカーのKEF Q300に接続したが結果は同良好であったが以前の撚線WE16GAが相性は

良い。ケーブル1本の違いは驚きである。

でも相性は現在メインで聴くAXIOM80に移植したIIILZ inCabinetが最も良く聴こえる

前にも紹介したが年々数が減るWesternElectricのケーブルは

「WE18GAはとても汎用性が広く、見つけたら即買いをお薦めする」のコメントは事実である。

又プリ管の話に変わりますが、国産の古い管50本を仕入れたが、相当違う種類の物が混載して

いる時間を掛けて選別したが、不明な管も多く取り敢えず、代表的な日立、NEC、東芝、松下

等購入し試聴したがその中で使用可能なプリ管は1.5割ほどでしたが、各社のプリ管が揃いまし

たが、余分な管が余ってしまった。

筆者の思惑通りに、日本のメーカーは一般的に聴きやすく余り癖の無いのが特徴のようです・・・・・

全体的に平均的な感じで聴きやすい綺麗な感じの音で疲れはい音が特徴かな?

又各社さすが日本製品で作りも非常に丁寧に作ってアルようです。

考えると国産品もヴィンテージ管に分類されるとおもうが、どのメーカーも遜色なく聴けた、実に

穏やかな音がする国産のプリ管は一度じっくり聴き分けるように試聴していきたいと思いますが、

ただしヴィンテージプリ管TelefunkenECC82、SIEMEN E81CCに比べると明らかに違いが分かる

がキラッとする弦のユニゾン、今まで聴きにくかったコントラバスの低音等は再現は違いがあるよ

うですが・・・

一般的に音楽を聴くのには良い、又最新の支那(中華)製、ロシア製より良く聴こえる、ブラボー!


2 コメント


WE SPケーブル (Kontakun)2018-08-07 10:24:23

私も、以前からWEのSPケーブルに興味は持っていますが、今だ購入には至っていません。そこで参考に聞かせて頂けたらと思います。

Belden8470、9497は試しましたが、どちらも、音域が少しカマボコ型でゴツゴツ、ザラザラした音、高音も少し耳障りな感じで、私の好みの音ではありませんでした。ツイストを解けば少しは柔らかくなるかも。

今は普通の国産銅撚線タイプを使って良い感じになっています。
WEはどんな感じでしょうか?Beldenの感じであれば、少し私の好みからズレてしまいます。

因みに、SPはJBL、アンプは真空管KT88 ppで、よく聴く音楽はロック、フュージョン、ジャズボーカルです。

コメントありがとうございます。 (金ちゃん)2018-08-07 11:18:02

ロック、フュージョン、ジャズボーカルをお聴きになっておられ、昔のいわゆるヴィンテージスピーカーをお使いならWE18GAの単線はオススメです、

私もBELDENも使いましたが、インターホーン用のAE線(1.2mm)のが良かったです、でも最高はWE18GA単線錫メッキの音が全体的に音楽の重心が下がり、しかも低音が明瞭に、より好ましく響きます。

WE18GAの単線は品不足なので見つけ次第早くの購入をお薦めします、使用注意は錫メッキは剥がさないでご使用ください。

特にJAZZ関係を聴くと音源が近くなった様に感じました。引き締まっているのでそんな印象になるようです。

https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/882.html#c9

[リバイバル3] スピーカケーブル ウェスタンエレクトリック WE 24GA (単線, 0.205 mm2, 高能率スピーカー用) 中川隆
6. 中川隆[-9921] koaQ7Jey 2019年5月31日 14:48:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2434]

有名なWE18GA ブラック 単線シングルスズメッキは ビンテージケーブルか・・・?
2018年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

WesternElectric 18GA単線シングル ビンテージケーブル単線シングルスズメッキの入手である、

ここで再度ウェスタン・エレクトリックWesternElectricについて調べてみた

下記は日本電気株式会社当時のロゴのようです。

このウェスタン・エレクトリックWesternElectric会社を調べるとどうやら1928年、WesternElectric は初めて受話器と送話器が一体化した電話機を開発した(それまでの電話機は本体に送話器がある燭台型だった)。同様此のような電話の音をなるべく良く伝えようとした電話線を製作して製品が今や貴重品になった、WE独特の鏡面は絹巻又は綿巻で被覆しいかにも大切に扱われるケーブルは見た目もビンテージらしい当時の製品が未だ現役で流通しているのですが技術革新とは何であろうと疑問にさえ思うこのモデル「102」は本体底面が丸いのが特徴で、1930に登場した後継の「202」はほとんど同じ形状だが底面が楕円形になっている。

次の大きなアップグレードは1937年の「302」である。工業デザイナーである(ヘンリー・ドレフュスとも、英国: Henry Dreyfuss)の設計によるもので、いわゆる黒電話の原型となった四角い底面が特徴である。なお、「302」より前の電話機は別に回路を収めた箱が必要だったが、「302」ではそれを電話機本体に内蔵している。1949年以降はモデル「500」がリリースされ、適宜更新されていった。

細かい改良として、ダイヤルをより静かによりスムーズにしたり、回路基板をプリント基板にしたりといった更新が行われた。モデル500は1986年に押ボタン式電話機に完全に取って代わられるまで、製造が続いた。世界でも最も多数製造された電話機である。

ウェスタン・エレクトリックは通信関係で発達した会社で通信ケーブルは性能の良いものが多い、

地域ベル電話会社のものであり、AT&Tのものであり、同時にWesternElectric自身のものである。

結果としてWesternElectricの電話機の新機種投入頻度は少なく押さえられた。戦後電話の普及によりWesternElectricは、海外資本として日本で初の合弁事業を立ち上げた会社であった。

1899年、日本電気(NEC)の設立当時、WesternElectricは株式の54%を保有していた。

日本でのWesternElectricの代表としてウォルタ・T・カールトンーが日本電気社内に席を構えた。

当時電電公社の電話のケーブル電話機に関する電電公社との繋がりは深かったであろうと思う

1992年まで使用されていたNECの旧ロゴのデザインは、上記のロゴですがWesternElectricのロ

ゴが由来となっている。書体は実に良く似ている。

最近NECの前身である日本電気株式会社表記のあるプリ管の中からWEの影響の強いロゴのプリ管

のパッケージケースの中に入っていた検査証を見つけた44年と表記があり、昭和44年すなわち19

69年50年前の製品、思わず納得してしまう。当時は真空管の時代でトランジスターはまだ将来の

物だったんですネ!ロゴなどはまだWesternElectricの英文字表記は近く、NEC以前の製品なんで

すね・・・・・50年前の物を今見ると 進駐軍の事が思い出され妙に懐かしくなってしまう。

これは大切に保管しようと思う、このプリ管の音は未だ聴いては無いが思わず期待してしまう。

ロゴはWEの日本版である、此の様に歴史を含め考えると何故か身近に感じるではありませんか?

プリ管の音質はWEの音に近いのか全く不明ですが思わず期待してしまいます。(笑)

筆者の従兄弟が昔、電電公社に勤めていた頃、スピーカーケーブルように電話線を頂いた事がある、

当時入手しづらくスピーカーケーブル用に10メートル程頂き、配線したが、単線の銅線であったよ

うに記憶する音質は良くなった記憶があるのは遠い昔の話で、現在はNTTの前進であり公共機関で

あった

涼しい部屋で、安静にしながら音楽は聴く、勿論淹れたての珈琲を頂きながら、香りはいいのですが

今日は残り少なくなったブルーマウンテンのブレンドを淹れたが筆者は余り美味しく感じない、味は

昨日飲んだハワアン・コナが旨く感じる。自宅近くの焙煎店にもコナ・コーヒーは販売しているがこ

れがクソ不味いので此の店での購入はすべて辞めた(笑)

昔従兄弟が電電公社に勤めていたときに頂いたケーブルは今思えばNECの製品だったのかも知れない、

現在使用のインターホンコードと良く似てた。記憶をたどれば間違いなく単線であり、太さもインタ

ーホーンコードとよく似てた記憶がある、今回は現在では実に珍しい、Yさんより紹介され、WEの単

線スズメッキ単線を入手してみました。早いも勝ちのようでスグに完売してしまったようだ。

正式名は「WesternElectric 18GA ブラック 単線シングルスズメッキ」というらしい、ただWEの名

前だけで高額になっている現状は消費者には非常に痛手である。特に真空管のWE300Bなどはプレミ

アム価格100万の話を聴く。

スピーカーケーブルはまだその様な事は無いが将来は不安である、資料によるとALTECのA5やA7等と

いったアメリカンヴィンテージのシステムと相性が良いそうです。此のケーブルはヴィンテージスピー

カーには頗る相性が良いらしい、撚線も良いが、単線が効果的と言われる可なりの癖はあるので、た

だし全てに適合するとは言えないが、古いヴィンテージエンクロージャーには相性は良さそうである

らしくオールドTANNOY駆動には期待は出来る。

同じWE18GAにも撚線もある、こちらは色が黒と赤になっているようです、勿論復刻版のようで、こ

の撚線にも古い物が価値があるようで、新しく低コストのため技術革新は製品の品質が落としたと聞

くWEは現在は閉鎖されて商品在庫も少なくなり、ヴィンテージコードとして取扱してるようです。

WE18GA撚線について調べると「ウエスタンエレクトリック(以下WE)のケーブルも基本的にヴィン

テージスピーカーを使用している場合は単線がお薦めである。特に今回紹介する18GAはとても汎用

性が広く、見つけたら即買いをお薦めする。」などの紹介記事もあった、此のような書き込みも見つ

けたから早速20メートル程注文する、貧困老人にも手が出せる価格送料込みで20メートル約\12,000

考えて見れば高額なケーブルです。

更に注意事項として復刻版についての注意書きがある非常に気になることが書いてありました。

サイズ14GA:低域が力強い

サイズ16GA:低域から高域までバランスが良い

サイズ18GA:広がりがある、ツイーターや内部配線向き

という説明がされていました。

下の写真がWE(Western Electric)の14・16・18GA、A.I.W.社による、より線の「復刻版」だそう

です確かに復刻版は撚線で単線とは違う、単線シングルスズメッキのオリジナルの品物です。

もし、WEの復刻版スピーカーケーブルを購入しようと思った方がおられたら、WEのスピーカーケーブ

ルの正しい使い方はこうです。単線も同様である。

サイズ14GA:5〜6mほどの長さで使うこと

サイズ16GA:3〜4mほどの長さで使うこと

サイズ18GA:2mほどの長さで使うこと

特に1950年代前後のものは希少である。

WE、それは単に古いだけでなく、現代でも追いつけることの出来ないノウハウを持っていた企業なの

です1987年製と、細かい年式が明らかなこのケーブルは、綿巻きに樹脂巻、錫メッキのケーブルであ

る。WEのケーブルは古いほど音は良くなるそうだ、そこはタンノイも同様である新しくなるほど絶縁

にコストダウンが見られ質は落ちたようである。これほど技術が進んでもWEのケーブルが重視される

のも可笑しい話ではある、でも使う素材は確かに良いようだ銅の質は単純なタフピッチ銅(純度99.9

%程度)と見られる。これで十分である。屋内配線はすべてタフピッチ銅だ。これが一番安定してい

るのである。純度と音は関係ない。一番関係するのは絶縁の仕方だ。ビニール系の高分子化合物は静

電気を誘発するのでイケない。「例えばこんな経験はないだろうか。特に汚れた環境では無いのにケ

ーブルの外皮が汚れる。これは電気が流れることで静電気が発生し、細かい汚れを付着させるからで

ある。」

WEのケーブルは1940年代にはそのことが分かっており、この会社のノウハウは素晴らしい静電気が

極力起きない絶縁材を使用していたのである。此のためエナメル皮膜に絹巻、又は綿巻きである。現

在日本でも70年以前に作られた戦艦大和は擬装の部分は今の技術だけではは出来ないそうです、造船

技術以外の分野で例えば46センチの砲身、三連の主砲等、体験を元に技術も向上する、技術とはその

ようなもののようです。

アンプ変更時の簡素化のため、本来ならFURUTECHのバナナプラグを使用したいが、高額なのでオイ

デヤ電気のBP-208CG 金メッキ波形バナナプラグを代用しています。価格も安価で仕上がりも良いの

で筆者はこのプラブは定番にしています。

今回のWE撚線18GA ブラックは昔のヴィンテージ物なので注文すると早速配達された。現在使用して

いるプラグはネジ止めする為シッカリ接続され重宝しています。今回のWE18GA単線シングルスズメ

ッキケーブルと筆者のシステムとは実に良い組み合わせのようだ、丁寧に2メートルにカットして繋ぐ、

この音が出るまでのドキドキする瞬間は何時も興奮を覚える・・・

しかし冷静に考えれば、40年前の機器を聴く為に、このような些細なとこに真剣に取り組んでいるの

が実に馬鹿げた話ではある、接続コードに可なりつぎ込んでしまったようだ、(笑)

最近もフルテック オーディオグレードUSBケーブルを注文してしまった。以前からオーディオインタ

ーフェースに接続ケーブルを交換すると音質が良くなるというコメントが気になった。

どのような音がでるのか?現在アナログケーブルはWEを使用しているが、BELDENに交換した

が今回のスピーカーケーブルの違いは少なかった、現在在庫でBELDEN8428・BELDEN88706

があるがBELDEN88706がいい感じがした、ゆっくりの試聴が必要か?

庭にはホテイアオイが水槽に一杯で片隅に咲く睡蓮の花に癒やされます。

筆者も以前のブログにWE16GA(撚り線)single(緑)を使用したが音は良く気に入ったが

今回のWE18GA単線はそれより細い、早速スピーカーケーブル・コネクター装着し、試聴する、

この細い単線はTANNOYの端子には此の細さは穴に入りやすい細さで大変ありがたい。

交換し改めて試聴する、次はWanda Landowskaのゴルドベルグ変奏曲を聴く、聴きなれている

はずなのに、驚いたことに音質が全体に良く聴こえる特に豊かなまとまるの良い低域に驚く?

今回此のWEの単線スズメッキWE18GA撚線ブラックを繋ぎ視聴する全体的に音の密度が上がっ

た気がするこのたびオリジナルのWE18GA撚線ブラックを購入して、指定のように2メートルの

コードにカットして繋ぎ試聴してみた。結果その差に驚く。

「部屋中にまろやかな音楽が響く・・・」これぞ望んだ音かもしれない・・・・?

以前BELDENのコード?やFOSTEXも良いとされ、種類も色々変えてはみたが、納得は出来WE

16GAに留まる銀メッキが良いと言われ、銀メッキコードにも交換したが、筆者のシステムには

合わず、変更を繰り返すうちに最終的にははWE16GA(撚り線)single(緑)を使用していまし

たが換える前まではもうこれ以上良い音は望めないと思ってましたが、こんなに簡単に上回る製

品があったのだWE18GAは断トツに情報量が多く、音がしっかり聴こえます。

あえて言うならば、少し音源が近づくのが問題箇所ですかネ♪

特にジャズのヴィブラフォンのアタック音はまさに生っぽいの音、低音もさらに低く伸びた感じ

の音、自然な低域まで充実した音、こんなに細いスピーカーケーブルで・・・Western Electric

恐るべし。全く驚くようなケーブルでアッパレである。これはヴィンテージスピーカー専用かも

知れない。

TANNOYのレベルボタンはARU付きAXIOM80箱に移植してからはフラットな状態で聴いている

又今回の18GA撚線ブラックは単線なのでスピーカーのプラグに繋ぎやすいのもありがたい。

しかし流石WE18GA単線スズメッキのケーブルは万能では無いのかもしれない、

筆者のサブSPのKEF Q300に繋ぐにはWE16GA撚線が相性は良く、単線はなにかスッキリしない。

写真のケーブルAE線はインターホーンのケーブルの写真ですがこれも単線コードであります。

此の安価なコードのこのケーブルが意外と良い音を出すのです。此のコードも単線なんです、

やはり単線は古いヴィンテージスピーカーには相性が良いのかアルテックのスピーカーも相性は良い

と聴く以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは

外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレン

で絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。(注)

これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。これが安価で安

定した音質が堪能できるケーブルです。

このケーブルは長く使用していたケーブルです。今は大切に保管しています(笑)

フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団特に筆者お勧め

は余り馴染みのないベートーヴェン交響曲第七番AXIOM80に移植したIIILZ inCabinetである

程度ボリュームを上げて試聴する。

特にベートーヴェン交響曲はオーケストラの爆発のような響きが出ると素晴らしいが低域オーケ

ストラの厚み深さが増し、今回のCDを視聴し、決してスマートではないが、ごつごつした、骨

太のベートーヴェン。しかし、細部もゆるぎなく構築されている確かにオーケストラの演奏など

は情報量が多くなれば再現される音質も上がるようです、第七番の迫力ある演奏は見事である、こ

の先隠れたケーブルが出てくるか楽しみです。

勿論此の後は交響曲第3番変ホ長調「英雄」交響曲続いて筆者の好きな第四番を聴く、

ベートーベン 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 コンヴィチュニー Beethoven Symphony No.4

ロバート・シンプソン曰、「交響曲第4番はギリシアの乙女ではない。

巨人がとても軽快に滑らかに体操をしている。交響曲第4番には、鋼の筋肉が潜んでいる。」と言い

ました。交響曲第4番はベートーヴェンの他の作品と比べると乙女に感じるかもしれませんが、

作品そのものを聴くと力強さに溢れています。

今回のWEのケーブルは筆者のシステムと良くマッチしたケーブルに思える、

サブスピーカーのKEF Q300に接続したが結果は同良好であったが以前の撚線WE16GAが相性は

良い。ケーブル1本の違いは驚きである。

でも相性は現在メインで聴くAXIOM80に移植したIIILZ inCabinetが最も良く聴こえる

前にも紹介したが年々数が減るWesternElectricのケーブルは

「WE18GAはとても汎用性が広く、見つけたら即買いをお薦めする」のコメントは事実である。

又プリ管の話に変わりますが、国産の古い管50本を仕入れたが、相当違う種類の物が混載して

いる時間を掛けて選別したが、不明な管も多く取り敢えず、代表的な日立、NEC、東芝、松下

等購入し試聴したがその中で使用可能なプリ管は1.5割ほどでしたが、各社のプリ管が揃いまし

たが、余分な管が余ってしまった。

筆者の思惑通りに、日本のメーカーは一般的に聴きやすく余り癖の無いのが特徴のようです・・・・・

全体的に平均的な感じで聴きやすい綺麗な感じの音で疲れはい音が特徴かな?

又各社さすが日本製品で作りも非常に丁寧に作ってアルようです。

考えると国産品もヴィンテージ管に分類されるとおもうが、どのメーカーも遜色なく聴けた、実に

穏やかな音がする国産のプリ管は一度じっくり聴き分けるように試聴していきたいと思いますが、

ただしヴィンテージプリ管TelefunkenECC82、SIEMEN E81CCに比べると明らかに違いが分かる

がキラッとする弦のユニゾン、今まで聴きにくかったコントラバスの低音等は再現は違いがあるよ

うですが・・・

一般的に音楽を聴くのには良い、又最新の支那(中華)製、ロシア製より良く聴こえる、ブラボー!


2 コメント


WE SPケーブル (Kontakun)2018-08-07 10:24:23

私も、以前からWEのSPケーブルに興味は持っていますが、今だ購入には至っていません。そこで参考に聞かせて頂けたらと思います。

Belden8470、9497は試しましたが、どちらも、音域が少しカマボコ型でゴツゴツ、ザラザラした音、高音も少し耳障りな感じで、私の好みの音ではありませんでした。ツイストを解けば少しは柔らかくなるかも。

今は普通の国産銅撚線タイプを使って良い感じになっています。
WEはどんな感じでしょうか?Beldenの感じであれば、少し私の好みからズレてしまいます。

因みに、SPはJBL、アンプは真空管KT88 ppで、よく聴く音楽はロック、フュージョン、ジャズボーカルです。

コメントありがとうございます。 (金ちゃん)2018-08-07 11:18:02

ロック、フュージョン、ジャズボーカルをお聴きになっておられ、昔のいわゆるヴィンテージスピーカーをお使いならWE18GAの単線はオススメです、

私もBELDENも使いましたが、インターホーン用のAE線(1.2mm)のが良かったです、でも最高はWE18GA単線錫メッキの音が全体的に音楽の重心が下がり、しかも低音が明瞭に、より好ましく響きます。

WE18GAの単線は品不足なので見つけ次第早くの購入をお薦めします、使用注意は錫メッキは剥がさないでご使用ください。

特にJAZZ関係を聴くと音源が近くなった様に感じました。引き締まっているのでそんな印象になるようです。

https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/892.html#c6

[リバイバル3] スピーカケーブル ウェスタンエレクトリック WE 24GA (メッキ, 単線, 0.205 mm2, 高能率スピーカー用 中川隆
6. 中川隆[-9920] koaQ7Jey 2019年5月31日 14:49:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2435]

有名なWE18GA ブラック 単線シングルスズメッキは ビンテージケーブルか・・・?
2018年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

WesternElectric 18GA単線シングル ビンテージケーブル単線シングルスズメッキの入手である、

ここで再度ウェスタン・エレクトリックWesternElectricについて調べてみた

下記は日本電気株式会社当時のロゴのようです。

このウェスタン・エレクトリックWesternElectric会社を調べるとどうやら1928年、WesternElectric は初めて受話器と送話器が一体化した電話機を開発した(それまでの電話機は本体に送話器がある燭台型だった)。同様此のような電話の音をなるべく良く伝えようとした電話線を製作して製品が今や貴重品になった、WE独特の鏡面は絹巻又は綿巻で被覆しいかにも大切に扱われるケーブルは見た目もビンテージらしい当時の製品が未だ現役で流通しているのですが技術革新とは何であろうと疑問にさえ思うこのモデル「102」は本体底面が丸いのが特徴で、1930に登場した後継の「202」はほとんど同じ形状だが底面が楕円形になっている。

次の大きなアップグレードは1937年の「302」である。工業デザイナーである(ヘンリー・ドレフュスとも、英国: Henry Dreyfuss)の設計によるもので、いわゆる黒電話の原型となった四角い底面が特徴である。なお、「302」より前の電話機は別に回路を収めた箱が必要だったが、「302」ではそれを電話機本体に内蔵している。1949年以降はモデル「500」がリリースされ、適宜更新されていった。

細かい改良として、ダイヤルをより静かによりスムーズにしたり、回路基板をプリント基板にしたりといった更新が行われた。モデル500は1986年に押ボタン式電話機に完全に取って代わられるまで、製造が続いた。世界でも最も多数製造された電話機である。

ウェスタン・エレクトリックは通信関係で発達した会社で通信ケーブルは性能の良いものが多い、

地域ベル電話会社のものであり、AT&Tのものであり、同時にWesternElectric自身のものである。

結果としてWesternElectricの電話機の新機種投入頻度は少なく押さえられた。戦後電話の普及によりWesternElectricは、海外資本として日本で初の合弁事業を立ち上げた会社であった。

1899年、日本電気(NEC)の設立当時、WesternElectricは株式の54%を保有していた。

日本でのWesternElectricの代表としてウォルタ・T・カールトンーが日本電気社内に席を構えた。

当時電電公社の電話のケーブル電話機に関する電電公社との繋がりは深かったであろうと思う

1992年まで使用されていたNECの旧ロゴのデザインは、上記のロゴですがWesternElectricのロ

ゴが由来となっている。書体は実に良く似ている。

最近NECの前身である日本電気株式会社表記のあるプリ管の中からWEの影響の強いロゴのプリ管

のパッケージケースの中に入っていた検査証を見つけた44年と表記があり、昭和44年すなわち19

69年50年前の製品、思わず納得してしまう。当時は真空管の時代でトランジスターはまだ将来の

物だったんですネ!ロゴなどはまだWesternElectricの英文字表記は近く、NEC以前の製品なんで

すね・・・・・50年前の物を今見ると 進駐軍の事が思い出され妙に懐かしくなってしまう。

これは大切に保管しようと思う、このプリ管の音は未だ聴いては無いが思わず期待してしまう。

ロゴはWEの日本版である、此の様に歴史を含め考えると何故か身近に感じるではありませんか?

プリ管の音質はWEの音に近いのか全く不明ですが思わず期待してしまいます。(笑)

筆者の従兄弟が昔、電電公社に勤めていた頃、スピーカーケーブルように電話線を頂いた事がある、

当時入手しづらくスピーカーケーブル用に10メートル程頂き、配線したが、単線の銅線であったよ

うに記憶する音質は良くなった記憶があるのは遠い昔の話で、現在はNTTの前進であり公共機関で

あった

涼しい部屋で、安静にしながら音楽は聴く、勿論淹れたての珈琲を頂きながら、香りはいいのですが

今日は残り少なくなったブルーマウンテンのブレンドを淹れたが筆者は余り美味しく感じない、味は

昨日飲んだハワアン・コナが旨く感じる。自宅近くの焙煎店にもコナ・コーヒーは販売しているがこ

れがクソ不味いので此の店での購入はすべて辞めた(笑)

昔従兄弟が電電公社に勤めていたときに頂いたケーブルは今思えばNECの製品だったのかも知れない、

現在使用のインターホンコードと良く似てた。記憶をたどれば間違いなく単線であり、太さもインタ

ーホーンコードとよく似てた記憶がある、今回は現在では実に珍しい、Yさんより紹介され、WEの単

線スズメッキ単線を入手してみました。早いも勝ちのようでスグに完売してしまったようだ。

正式名は「WesternElectric 18GA ブラック 単線シングルスズメッキ」というらしい、ただWEの名

前だけで高額になっている現状は消費者には非常に痛手である。特に真空管のWE300Bなどはプレミ

アム価格100万の話を聴く。

スピーカーケーブルはまだその様な事は無いが将来は不安である、資料によるとALTECのA5やA7等と

いったアメリカンヴィンテージのシステムと相性が良いそうです。此のケーブルはヴィンテージスピー

カーには頗る相性が良いらしい、撚線も良いが、単線が効果的と言われる可なりの癖はあるので、た

だし全てに適合するとは言えないが、古いヴィンテージエンクロージャーには相性は良さそうである

らしくオールドTANNOY駆動には期待は出来る。

同じWE18GAにも撚線もある、こちらは色が黒と赤になっているようです、勿論復刻版のようで、こ

の撚線にも古い物が価値があるようで、新しく低コストのため技術革新は製品の品質が落としたと聞

くWEは現在は閉鎖されて商品在庫も少なくなり、ヴィンテージコードとして取扱してるようです。

WE18GA撚線について調べると「ウエスタンエレクトリック(以下WE)のケーブルも基本的にヴィン

テージスピーカーを使用している場合は単線がお薦めである。特に今回紹介する18GAはとても汎用

性が広く、見つけたら即買いをお薦めする。」などの紹介記事もあった、此のような書き込みも見つ

けたから早速20メートル程注文する、貧困老人にも手が出せる価格送料込みで20メートル約\12,000

考えて見れば高額なケーブルです。

更に注意事項として復刻版についての注意書きがある非常に気になることが書いてありました。

サイズ14GA:低域が力強い

サイズ16GA:低域から高域までバランスが良い

サイズ18GA:広がりがある、ツイーターや内部配線向き

という説明がされていました。

下の写真がWE(Western Electric)の14・16・18GA、A.I.W.社による、より線の「復刻版」だそう

です確かに復刻版は撚線で単線とは違う、単線シングルスズメッキのオリジナルの品物です。

もし、WEの復刻版スピーカーケーブルを購入しようと思った方がおられたら、WEのスピーカーケーブ

ルの正しい使い方はこうです。単線も同様である。

サイズ14GA:5〜6mほどの長さで使うこと

サイズ16GA:3〜4mほどの長さで使うこと

サイズ18GA:2mほどの長さで使うこと

特に1950年代前後のものは希少である。

WE、それは単に古いだけでなく、現代でも追いつけることの出来ないノウハウを持っていた企業なの

です1987年製と、細かい年式が明らかなこのケーブルは、綿巻きに樹脂巻、錫メッキのケーブルであ

る。WEのケーブルは古いほど音は良くなるそうだ、そこはタンノイも同様である新しくなるほど絶縁

にコストダウンが見られ質は落ちたようである。これほど技術が進んでもWEのケーブルが重視される

のも可笑しい話ではある、でも使う素材は確かに良いようだ銅の質は単純なタフピッチ銅(純度99.9

%程度)と見られる。これで十分である。屋内配線はすべてタフピッチ銅だ。これが一番安定してい

るのである。純度と音は関係ない。一番関係するのは絶縁の仕方だ。ビニール系の高分子化合物は静

電気を誘発するのでイケない。「例えばこんな経験はないだろうか。特に汚れた環境では無いのにケ

ーブルの外皮が汚れる。これは電気が流れることで静電気が発生し、細かい汚れを付着させるからで

ある。」

WEのケーブルは1940年代にはそのことが分かっており、この会社のノウハウは素晴らしい静電気が

極力起きない絶縁材を使用していたのである。此のためエナメル皮膜に絹巻、又は綿巻きである。現

在日本でも70年以前に作られた戦艦大和は擬装の部分は今の技術だけではは出来ないそうです、造船

技術以外の分野で例えば46センチの砲身、三連の主砲等、体験を元に技術も向上する、技術とはその

ようなもののようです。

アンプ変更時の簡素化のため、本来ならFURUTECHのバナナプラグを使用したいが、高額なのでオイ

デヤ電気のBP-208CG 金メッキ波形バナナプラグを代用しています。価格も安価で仕上がりも良いの

で筆者はこのプラブは定番にしています。

今回のWE撚線18GA ブラックは昔のヴィンテージ物なので注文すると早速配達された。現在使用して

いるプラグはネジ止めする為シッカリ接続され重宝しています。今回のWE18GA単線シングルスズメ

ッキケーブルと筆者のシステムとは実に良い組み合わせのようだ、丁寧に2メートルにカットして繋ぐ、

この音が出るまでのドキドキする瞬間は何時も興奮を覚える・・・

しかし冷静に考えれば、40年前の機器を聴く為に、このような些細なとこに真剣に取り組んでいるの

が実に馬鹿げた話ではある、接続コードに可なりつぎ込んでしまったようだ、(笑)

最近もフルテック オーディオグレードUSBケーブルを注文してしまった。以前からオーディオインタ

ーフェースに接続ケーブルを交換すると音質が良くなるというコメントが気になった。

どのような音がでるのか?現在アナログケーブルはWEを使用しているが、BELDENに交換した

が今回のスピーカーケーブルの違いは少なかった、現在在庫でBELDEN8428・BELDEN88706

があるがBELDEN88706がいい感じがした、ゆっくりの試聴が必要か?

庭にはホテイアオイが水槽に一杯で片隅に咲く睡蓮の花に癒やされます。

筆者も以前のブログにWE16GA(撚り線)single(緑)を使用したが音は良く気に入ったが

今回のWE18GA単線はそれより細い、早速スピーカーケーブル・コネクター装着し、試聴する、

この細い単線はTANNOYの端子には此の細さは穴に入りやすい細さで大変ありがたい。

交換し改めて試聴する、次はWanda Landowskaのゴルドベルグ変奏曲を聴く、聴きなれている

はずなのに、驚いたことに音質が全体に良く聴こえる特に豊かなまとまるの良い低域に驚く?

今回此のWEの単線スズメッキWE18GA撚線ブラックを繋ぎ視聴する全体的に音の密度が上がっ

た気がするこのたびオリジナルのWE18GA撚線ブラックを購入して、指定のように2メートルの

コードにカットして繋ぎ試聴してみた。結果その差に驚く。

「部屋中にまろやかな音楽が響く・・・」これぞ望んだ音かもしれない・・・・?

以前BELDENのコード?やFOSTEXも良いとされ、種類も色々変えてはみたが、納得は出来WE

16GAに留まる銀メッキが良いと言われ、銀メッキコードにも交換したが、筆者のシステムには

合わず、変更を繰り返すうちに最終的にははWE16GA(撚り線)single(緑)を使用していまし

たが換える前まではもうこれ以上良い音は望めないと思ってましたが、こんなに簡単に上回る製

品があったのだWE18GAは断トツに情報量が多く、音がしっかり聴こえます。

あえて言うならば、少し音源が近づくのが問題箇所ですかネ♪

特にジャズのヴィブラフォンのアタック音はまさに生っぽいの音、低音もさらに低く伸びた感じ

の音、自然な低域まで充実した音、こんなに細いスピーカーケーブルで・・・Western Electric

恐るべし。全く驚くようなケーブルでアッパレである。これはヴィンテージスピーカー専用かも

知れない。

TANNOYのレベルボタンはARU付きAXIOM80箱に移植してからはフラットな状態で聴いている

又今回の18GA撚線ブラックは単線なのでスピーカーのプラグに繋ぎやすいのもありがたい。

しかし流石WE18GA単線スズメッキのケーブルは万能では無いのかもしれない、

筆者のサブSPのKEF Q300に繋ぐにはWE16GA撚線が相性は良く、単線はなにかスッキリしない。

写真のケーブルAE線はインターホーンのケーブルの写真ですがこれも単線コードであります。

此の安価なコードのこのケーブルが意外と良い音を出すのです。此のコードも単線なんです、

やはり単線は古いヴィンテージスピーカーには相性が良いのかアルテックのスピーカーも相性は良い

と聴く以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは

外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレン

で絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。(注)

これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。これが安価で安

定した音質が堪能できるケーブルです。

このケーブルは長く使用していたケーブルです。今は大切に保管しています(笑)

フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団特に筆者お勧め

は余り馴染みのないベートーヴェン交響曲第七番AXIOM80に移植したIIILZ inCabinetである

程度ボリュームを上げて試聴する。

特にベートーヴェン交響曲はオーケストラの爆発のような響きが出ると素晴らしいが低域オーケ

ストラの厚み深さが増し、今回のCDを視聴し、決してスマートではないが、ごつごつした、骨

太のベートーヴェン。しかし、細部もゆるぎなく構築されている確かにオーケストラの演奏など

は情報量が多くなれば再現される音質も上がるようです、第七番の迫力ある演奏は見事である、こ

の先隠れたケーブルが出てくるか楽しみです。

勿論此の後は交響曲第3番変ホ長調「英雄」交響曲続いて筆者の好きな第四番を聴く、

ベートーベン 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 コンヴィチュニー Beethoven Symphony No.4

ロバート・シンプソン曰、「交響曲第4番はギリシアの乙女ではない。

巨人がとても軽快に滑らかに体操をしている。交響曲第4番には、鋼の筋肉が潜んでいる。」と言い

ました。交響曲第4番はベートーヴェンの他の作品と比べると乙女に感じるかもしれませんが、

作品そのものを聴くと力強さに溢れています。

今回のWEのケーブルは筆者のシステムと良くマッチしたケーブルに思える、

サブスピーカーのKEF Q300に接続したが結果は同良好であったが以前の撚線WE16GAが相性は

良い。ケーブル1本の違いは驚きである。

でも相性は現在メインで聴くAXIOM80に移植したIIILZ inCabinetが最も良く聴こえる

前にも紹介したが年々数が減るWesternElectricのケーブルは

「WE18GAはとても汎用性が広く、見つけたら即買いをお薦めする」のコメントは事実である。

又プリ管の話に変わりますが、国産の古い管50本を仕入れたが、相当違う種類の物が混載して

いる時間を掛けて選別したが、不明な管も多く取り敢えず、代表的な日立、NEC、東芝、松下

等購入し試聴したがその中で使用可能なプリ管は1.5割ほどでしたが、各社のプリ管が揃いまし

たが、余分な管が余ってしまった。

筆者の思惑通りに、日本のメーカーは一般的に聴きやすく余り癖の無いのが特徴のようです・・・・・

全体的に平均的な感じで聴きやすい綺麗な感じの音で疲れはい音が特徴かな?

又各社さすが日本製品で作りも非常に丁寧に作ってアルようです。

考えると国産品もヴィンテージ管に分類されるとおもうが、どのメーカーも遜色なく聴けた、実に

穏やかな音がする国産のプリ管は一度じっくり聴き分けるように試聴していきたいと思いますが、

ただしヴィンテージプリ管TelefunkenECC82、SIEMEN E81CCに比べると明らかに違いが分かる

がキラッとする弦のユニゾン、今まで聴きにくかったコントラバスの低音等は再現は違いがあるよ

うですが・・・

一般的に音楽を聴くのには良い、又最新の支那(中華)製、ロシア製より良く聴こえる、ブラボー!


2 コメント


WE SPケーブル (Kontakun)2018-08-07 10:24:23

私も、以前からWEのSPケーブルに興味は持っていますが、今だ購入には至っていません。そこで参考に聞かせて頂けたらと思います。

Belden8470、9497は試しましたが、どちらも、音域が少しカマボコ型でゴツゴツ、ザラザラした音、高音も少し耳障りな感じで、私の好みの音ではありませんでした。ツイストを解けば少しは柔らかくなるかも。

今は普通の国産銅撚線タイプを使って良い感じになっています。
WEはどんな感じでしょうか?Beldenの感じであれば、少し私の好みからズレてしまいます。

因みに、SPはJBL、アンプは真空管KT88 ppで、よく聴く音楽はロック、フュージョン、ジャズボーカルです。

コメントありがとうございます。 (金ちゃん)2018-08-07 11:18:02

ロック、フュージョン、ジャズボーカルをお聴きになっておられ、昔のいわゆるヴィンテージスピーカーをお使いならWE18GAの単線はオススメです、

私もBELDENも使いましたが、インターホーン用のAE線(1.2mm)のが良かったです、でも最高はWE18GA単線錫メッキの音が全体的に音楽の重心が下がり、しかも低音が明瞭に、より好ましく響きます。

WE18GAの単線は品不足なので見つけ次第早くの購入をお薦めします、使用注意は錫メッキは剥がさないでご使用ください。

特にJAZZ関係を聴くと音源が近くなった様に感じました。引き締まっているのでそんな印象になるようです。

https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/893.html#c6

[リバイバル3] スピーカケーブル ウェスタンエレクトリック WE 16GA (撚線, 1.309 mm2) 中川隆
9. 中川隆[-9919] koaQ7Jey 2019年5月31日 14:49:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2436]

有名なWE18GA ブラック 単線シングルスズメッキは ビンテージケーブルか・・・?
2018年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

WesternElectric 18GA単線シングル ビンテージケーブル単線シングルスズメッキの入手である、

ここで再度ウェスタン・エレクトリックWesternElectricについて調べてみた

下記は日本電気株式会社当時のロゴのようです。

このウェスタン・エレクトリックWesternElectric会社を調べるとどうやら1928年、WesternElectric は初めて受話器と送話器が一体化した電話機を開発した(それまでの電話機は本体に送話器がある燭台型だった)。同様此のような電話の音をなるべく良く伝えようとした電話線を製作して製品が今や貴重品になった、WE独特の鏡面は絹巻又は綿巻で被覆しいかにも大切に扱われるケーブルは見た目もビンテージらしい当時の製品が未だ現役で流通しているのですが技術革新とは何であろうと疑問にさえ思うこのモデル「102」は本体底面が丸いのが特徴で、1930に登場した後継の「202」はほとんど同じ形状だが底面が楕円形になっている。

次の大きなアップグレードは1937年の「302」である。工業デザイナーである(ヘンリー・ドレフュスとも、英国: Henry Dreyfuss)の設計によるもので、いわゆる黒電話の原型となった四角い底面が特徴である。なお、「302」より前の電話機は別に回路を収めた箱が必要だったが、「302」ではそれを電話機本体に内蔵している。1949年以降はモデル「500」がリリースされ、適宜更新されていった。

細かい改良として、ダイヤルをより静かによりスムーズにしたり、回路基板をプリント基板にしたりといった更新が行われた。モデル500は1986年に押ボタン式電話機に完全に取って代わられるまで、製造が続いた。世界でも最も多数製造された電話機である。

ウェスタン・エレクトリックは通信関係で発達した会社で通信ケーブルは性能の良いものが多い、

地域ベル電話会社のものであり、AT&Tのものであり、同時にWesternElectric自身のものである。

結果としてWesternElectricの電話機の新機種投入頻度は少なく押さえられた。戦後電話の普及によりWesternElectricは、海外資本として日本で初の合弁事業を立ち上げた会社であった。

1899年、日本電気(NEC)の設立当時、WesternElectricは株式の54%を保有していた。

日本でのWesternElectricの代表としてウォルタ・T・カールトンーが日本電気社内に席を構えた。

当時電電公社の電話のケーブル電話機に関する電電公社との繋がりは深かったであろうと思う

1992年まで使用されていたNECの旧ロゴのデザインは、上記のロゴですがWesternElectricのロ

ゴが由来となっている。書体は実に良く似ている。

最近NECの前身である日本電気株式会社表記のあるプリ管の中からWEの影響の強いロゴのプリ管

のパッケージケースの中に入っていた検査証を見つけた44年と表記があり、昭和44年すなわち19

69年50年前の製品、思わず納得してしまう。当時は真空管の時代でトランジスターはまだ将来の

物だったんですネ!ロゴなどはまだWesternElectricの英文字表記は近く、NEC以前の製品なんで

すね・・・・・50年前の物を今見ると 進駐軍の事が思い出され妙に懐かしくなってしまう。

これは大切に保管しようと思う、このプリ管の音は未だ聴いては無いが思わず期待してしまう。

ロゴはWEの日本版である、此の様に歴史を含め考えると何故か身近に感じるではありませんか?

プリ管の音質はWEの音に近いのか全く不明ですが思わず期待してしまいます。(笑)

筆者の従兄弟が昔、電電公社に勤めていた頃、スピーカーケーブルように電話線を頂いた事がある、

当時入手しづらくスピーカーケーブル用に10メートル程頂き、配線したが、単線の銅線であったよ

うに記憶する音質は良くなった記憶があるのは遠い昔の話で、現在はNTTの前進であり公共機関で

あった

涼しい部屋で、安静にしながら音楽は聴く、勿論淹れたての珈琲を頂きながら、香りはいいのですが

今日は残り少なくなったブルーマウンテンのブレンドを淹れたが筆者は余り美味しく感じない、味は

昨日飲んだハワアン・コナが旨く感じる。自宅近くの焙煎店にもコナ・コーヒーは販売しているがこ

れがクソ不味いので此の店での購入はすべて辞めた(笑)

昔従兄弟が電電公社に勤めていたときに頂いたケーブルは今思えばNECの製品だったのかも知れない、

現在使用のインターホンコードと良く似てた。記憶をたどれば間違いなく単線であり、太さもインタ

ーホーンコードとよく似てた記憶がある、今回は現在では実に珍しい、Yさんより紹介され、WEの単

線スズメッキ単線を入手してみました。早いも勝ちのようでスグに完売してしまったようだ。

正式名は「WesternElectric 18GA ブラック 単線シングルスズメッキ」というらしい、ただWEの名

前だけで高額になっている現状は消費者には非常に痛手である。特に真空管のWE300Bなどはプレミ

アム価格100万の話を聴く。

スピーカーケーブルはまだその様な事は無いが将来は不安である、資料によるとALTECのA5やA7等と

いったアメリカンヴィンテージのシステムと相性が良いそうです。此のケーブルはヴィンテージスピー

カーには頗る相性が良いらしい、撚線も良いが、単線が効果的と言われる可なりの癖はあるので、た

だし全てに適合するとは言えないが、古いヴィンテージエンクロージャーには相性は良さそうである

らしくオールドTANNOY駆動には期待は出来る。

同じWE18GAにも撚線もある、こちらは色が黒と赤になっているようです、勿論復刻版のようで、こ

の撚線にも古い物が価値があるようで、新しく低コストのため技術革新は製品の品質が落としたと聞

くWEは現在は閉鎖されて商品在庫も少なくなり、ヴィンテージコードとして取扱してるようです。

WE18GA撚線について調べると「ウエスタンエレクトリック(以下WE)のケーブルも基本的にヴィン

テージスピーカーを使用している場合は単線がお薦めである。特に今回紹介する18GAはとても汎用

性が広く、見つけたら即買いをお薦めする。」などの紹介記事もあった、此のような書き込みも見つ

けたから早速20メートル程注文する、貧困老人にも手が出せる価格送料込みで20メートル約\12,000

考えて見れば高額なケーブルです。

更に注意事項として復刻版についての注意書きがある非常に気になることが書いてありました。

サイズ14GA:低域が力強い

サイズ16GA:低域から高域までバランスが良い

サイズ18GA:広がりがある、ツイーターや内部配線向き

という説明がされていました。

下の写真がWE(Western Electric)の14・16・18GA、A.I.W.社による、より線の「復刻版」だそう

です確かに復刻版は撚線で単線とは違う、単線シングルスズメッキのオリジナルの品物です。

もし、WEの復刻版スピーカーケーブルを購入しようと思った方がおられたら、WEのスピーカーケーブ

ルの正しい使い方はこうです。単線も同様である。

サイズ14GA:5〜6mほどの長さで使うこと

サイズ16GA:3〜4mほどの長さで使うこと

サイズ18GA:2mほどの長さで使うこと

特に1950年代前後のものは希少である。

WE、それは単に古いだけでなく、現代でも追いつけることの出来ないノウハウを持っていた企業なの

です1987年製と、細かい年式が明らかなこのケーブルは、綿巻きに樹脂巻、錫メッキのケーブルであ

る。WEのケーブルは古いほど音は良くなるそうだ、そこはタンノイも同様である新しくなるほど絶縁

にコストダウンが見られ質は落ちたようである。これほど技術が進んでもWEのケーブルが重視される

のも可笑しい話ではある、でも使う素材は確かに良いようだ銅の質は単純なタフピッチ銅(純度99.9

%程度)と見られる。これで十分である。屋内配線はすべてタフピッチ銅だ。これが一番安定してい

るのである。純度と音は関係ない。一番関係するのは絶縁の仕方だ。ビニール系の高分子化合物は静

電気を誘発するのでイケない。「例えばこんな経験はないだろうか。特に汚れた環境では無いのにケ

ーブルの外皮が汚れる。これは電気が流れることで静電気が発生し、細かい汚れを付着させるからで

ある。」

WEのケーブルは1940年代にはそのことが分かっており、この会社のノウハウは素晴らしい静電気が

極力起きない絶縁材を使用していたのである。此のためエナメル皮膜に絹巻、又は綿巻きである。現

在日本でも70年以前に作られた戦艦大和は擬装の部分は今の技術だけではは出来ないそうです、造船

技術以外の分野で例えば46センチの砲身、三連の主砲等、体験を元に技術も向上する、技術とはその

ようなもののようです。

アンプ変更時の簡素化のため、本来ならFURUTECHのバナナプラグを使用したいが、高額なのでオイ

デヤ電気のBP-208CG 金メッキ波形バナナプラグを代用しています。価格も安価で仕上がりも良いの

で筆者はこのプラブは定番にしています。

今回のWE撚線18GA ブラックは昔のヴィンテージ物なので注文すると早速配達された。現在使用して

いるプラグはネジ止めする為シッカリ接続され重宝しています。今回のWE18GA単線シングルスズメ

ッキケーブルと筆者のシステムとは実に良い組み合わせのようだ、丁寧に2メートルにカットして繋ぐ、

この音が出るまでのドキドキする瞬間は何時も興奮を覚える・・・

しかし冷静に考えれば、40年前の機器を聴く為に、このような些細なとこに真剣に取り組んでいるの

が実に馬鹿げた話ではある、接続コードに可なりつぎ込んでしまったようだ、(笑)

最近もフルテック オーディオグレードUSBケーブルを注文してしまった。以前からオーディオインタ

ーフェースに接続ケーブルを交換すると音質が良くなるというコメントが気になった。

どのような音がでるのか?現在アナログケーブルはWEを使用しているが、BELDENに交換した

が今回のスピーカーケーブルの違いは少なかった、現在在庫でBELDEN8428・BELDEN88706

があるがBELDEN88706がいい感じがした、ゆっくりの試聴が必要か?

庭にはホテイアオイが水槽に一杯で片隅に咲く睡蓮の花に癒やされます。

筆者も以前のブログにWE16GA(撚り線)single(緑)を使用したが音は良く気に入ったが

今回のWE18GA単線はそれより細い、早速スピーカーケーブル・コネクター装着し、試聴する、

この細い単線はTANNOYの端子には此の細さは穴に入りやすい細さで大変ありがたい。

交換し改めて試聴する、次はWanda Landowskaのゴルドベルグ変奏曲を聴く、聴きなれている

はずなのに、驚いたことに音質が全体に良く聴こえる特に豊かなまとまるの良い低域に驚く?

今回此のWEの単線スズメッキWE18GA撚線ブラックを繋ぎ視聴する全体的に音の密度が上がっ

た気がするこのたびオリジナルのWE18GA撚線ブラックを購入して、指定のように2メートルの

コードにカットして繋ぎ試聴してみた。結果その差に驚く。

「部屋中にまろやかな音楽が響く・・・」これぞ望んだ音かもしれない・・・・?

以前BELDENのコード?やFOSTEXも良いとされ、種類も色々変えてはみたが、納得は出来WE

16GAに留まる銀メッキが良いと言われ、銀メッキコードにも交換したが、筆者のシステムには

合わず、変更を繰り返すうちに最終的にははWE16GA(撚り線)single(緑)を使用していまし

たが換える前まではもうこれ以上良い音は望めないと思ってましたが、こんなに簡単に上回る製

品があったのだWE18GAは断トツに情報量が多く、音がしっかり聴こえます。

あえて言うならば、少し音源が近づくのが問題箇所ですかネ♪

特にジャズのヴィブラフォンのアタック音はまさに生っぽいの音、低音もさらに低く伸びた感じ

の音、自然な低域まで充実した音、こんなに細いスピーカーケーブルで・・・Western Electric

恐るべし。全く驚くようなケーブルでアッパレである。これはヴィンテージスピーカー専用かも

知れない。

TANNOYのレベルボタンはARU付きAXIOM80箱に移植してからはフラットな状態で聴いている

又今回の18GA撚線ブラックは単線なのでスピーカーのプラグに繋ぎやすいのもありがたい。

しかし流石WE18GA単線スズメッキのケーブルは万能では無いのかもしれない、

筆者のサブSPのKEF Q300に繋ぐにはWE16GA撚線が相性は良く、単線はなにかスッキリしない。

写真のケーブルAE線はインターホーンのケーブルの写真ですがこれも単線コードであります。

此の安価なコードのこのケーブルが意外と良い音を出すのです。此のコードも単線なんです、

やはり単線は古いヴィンテージスピーカーには相性が良いのかアルテックのスピーカーも相性は良い

と聴く以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは

外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレン

で絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。(注)

これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。これが安価で安

定した音質が堪能できるケーブルです。

このケーブルは長く使用していたケーブルです。今は大切に保管しています(笑)

フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団特に筆者お勧め

は余り馴染みのないベートーヴェン交響曲第七番AXIOM80に移植したIIILZ inCabinetである

程度ボリュームを上げて試聴する。

特にベートーヴェン交響曲はオーケストラの爆発のような響きが出ると素晴らしいが低域オーケ

ストラの厚み深さが増し、今回のCDを視聴し、決してスマートではないが、ごつごつした、骨

太のベートーヴェン。しかし、細部もゆるぎなく構築されている確かにオーケストラの演奏など

は情報量が多くなれば再現される音質も上がるようです、第七番の迫力ある演奏は見事である、こ

の先隠れたケーブルが出てくるか楽しみです。

勿論此の後は交響曲第3番変ホ長調「英雄」交響曲続いて筆者の好きな第四番を聴く、

ベートーベン 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 コンヴィチュニー Beethoven Symphony No.4

ロバート・シンプソン曰、「交響曲第4番はギリシアの乙女ではない。

巨人がとても軽快に滑らかに体操をしている。交響曲第4番には、鋼の筋肉が潜んでいる。」と言い

ました。交響曲第4番はベートーヴェンの他の作品と比べると乙女に感じるかもしれませんが、

作品そのものを聴くと力強さに溢れています。

今回のWEのケーブルは筆者のシステムと良くマッチしたケーブルに思える、

サブスピーカーのKEF Q300に接続したが結果は同良好であったが以前の撚線WE16GAが相性は

良い。ケーブル1本の違いは驚きである。

でも相性は現在メインで聴くAXIOM80に移植したIIILZ inCabinetが最も良く聴こえる

前にも紹介したが年々数が減るWesternElectricのケーブルは

「WE18GAはとても汎用性が広く、見つけたら即買いをお薦めする」のコメントは事実である。

又プリ管の話に変わりますが、国産の古い管50本を仕入れたが、相当違う種類の物が混載して

いる時間を掛けて選別したが、不明な管も多く取り敢えず、代表的な日立、NEC、東芝、松下

等購入し試聴したがその中で使用可能なプリ管は1.5割ほどでしたが、各社のプリ管が揃いまし

たが、余分な管が余ってしまった。

筆者の思惑通りに、日本のメーカーは一般的に聴きやすく余り癖の無いのが特徴のようです・・・・・

全体的に平均的な感じで聴きやすい綺麗な感じの音で疲れはい音が特徴かな?

又各社さすが日本製品で作りも非常に丁寧に作ってアルようです。

考えると国産品もヴィンテージ管に分類されるとおもうが、どのメーカーも遜色なく聴けた、実に

穏やかな音がする国産のプリ管は一度じっくり聴き分けるように試聴していきたいと思いますが、

ただしヴィンテージプリ管TelefunkenECC82、SIEMEN E81CCに比べると明らかに違いが分かる

がキラッとする弦のユニゾン、今まで聴きにくかったコントラバスの低音等は再現は違いがあるよ

うですが・・・

一般的に音楽を聴くのには良い、又最新の支那(中華)製、ロシア製より良く聴こえる、ブラボー!


2 コメント


WE SPケーブル (Kontakun)2018-08-07 10:24:23

私も、以前からWEのSPケーブルに興味は持っていますが、今だ購入には至っていません。そこで参考に聞かせて頂けたらと思います。

Belden8470、9497は試しましたが、どちらも、音域が少しカマボコ型でゴツゴツ、ザラザラした音、高音も少し耳障りな感じで、私の好みの音ではありませんでした。ツイストを解けば少しは柔らかくなるかも。

今は普通の国産銅撚線タイプを使って良い感じになっています。
WEはどんな感じでしょうか?Beldenの感じであれば、少し私の好みからズレてしまいます。

因みに、SPはJBL、アンプは真空管KT88 ppで、よく聴く音楽はロック、フュージョン、ジャズボーカルです。

コメントありがとうございます。 (金ちゃん)2018-08-07 11:18:02

ロック、フュージョン、ジャズボーカルをお聴きになっておられ、昔のいわゆるヴィンテージスピーカーをお使いならWE18GAの単線はオススメです、

私もBELDENも使いましたが、インターホーン用のAE線(1.2mm)のが良かったです、でも最高はWE18GA単線錫メッキの音が全体的に音楽の重心が下がり、しかも低音が明瞭に、より好ましく響きます。

WE18GAの単線は品不足なので見つけ次第早くの購入をお薦めします、使用注意は錫メッキは剥がさないでご使用ください。

特にJAZZ関係を聴くと音源が近くなった様に感じました。引き締まっているのでそんな印象になるようです。

https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/883.html#c9

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