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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100395
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100395.html
[番外地7] 沖縄に移住してはいけない

沖縄に移住してはいけない


沖縄病から覚めても…

「54才、独身男性、
大阪のミナミでスナックとラウンジを経営、1日の売上げは60〜100万円、
バブル崩壊後は経営が悪化し資金繰りに苦しむ、
胃潰瘍や十二指腸潰瘍になる、マンションを売却してローン完済、

住み込み派遣工となり 1年で100万円貯めて那覇に移住、

炭火焼き店オープン時の残金は2万円、
客単価1人1500円、1日6人で売上げが1万円、25日間店を開けて25万円、
利益が6割とすれば月収15万円」

売上げは大阪でのピークに比べて100分の1と想定しています。

「那覇に移住したときは天国だと思った土地は、ありきたりの地方都市。
価値観の違いは、本土から移り住んだ人には醜くも映る」

沖縄病から覚めてみると、パラダイスは幻想です。

が、体調は回復し薬の服用もなくなっています。
ストレスから解放されて寿命が延びたようです。

※沖縄はまだ中国沖縄省ではありませんが、筆者の感覚ではアジアに括られます。


現実離れしている…
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/672.html


恩納村 希望ヶ丘前のビーチ
https://www.youtube.com/watch?v=aCI7YOhBg6g
https://www.youtube.com/watch?v=nqIs5u2ID0s
https://www.youtube.com/watch?v=D5QJ9kLESnQ

沖縄 恩納村 売一戸建て 物件一覧 沖縄の不動産情報雑誌 うちなーらいふ
http://goohome.jp/search_area/search/inspection/proplist?md=22&rtby=2&rttyp=&prptp=3&use=000&pref=47&city=007&area=&rtprmax=&rtprmin=&rtspc=&exvmax=&exvmin=&lndmax=&lndmin=&lytgp=&lyt=&lytmax=&lytmin=&bltyr=&stwk=&img=&updt=&sprht=&sploc=&spctr=&spstrct=&bldgstr=&spcnd=&spprk=&spgs=&spbth=&spair=&spclst=&spntwk=&spsec=&spoth2=&spuse=&spstat=&spoth=&odr=20&ct=20&pg=1&hd=

恩納村(沖縄県)の中古マンション
http://myhome.nifty.com/chuko/mansion/kyushu-okinawa/okinawa/kunigamigunonnason/

廃墟の街に変貌した「沖縄の高級リゾート地」2016.07.18


沖縄・恩納村
坪単価30万円のリゾート地が一転、廃墟の街に変貌

【希望ヶ丘】

 サーファーや観光客でにぎわうリゾート地として名高い沖縄本島中央部の恩納村であるが、その中の「希望ヶ丘」に、廃墟が立ち並ぶ一帯がある。

 かつては、高級住宅地と呼ばれ別荘が並び、バブル経済の全盛期には坪単価30万円にまで跳ね上がっていたというが……。

「お金持ちが住んでいるということで、地元のやんちゃなヤツらが強盗しにきて、住人に大けがをさせる事件もありましたよ。もちろんその頃は管理会社もあったから、警備員がすぐに来て取り押さえてくれたけどね」(地元住民)

 この場所が高級別荘地になった経緯は、住民のA氏が希望ヶ丘のある一角を遺産相続したことに始まる。A氏は、目の前にビーチが広がるこの場所を有効活用しようと別荘を建て、友人や知人に貸し出すビジネスを始めた。A氏の別荘から見える海や水平線に沈む夕日はとても美しく、口コミから噂が噂を呼び、マネする者が増え、あっという間に豪華な別荘が立ち並ぶようになったという。

 しかし寂れていくのも早かった。まず、目の前の某ビーチが数年前、大手ホテル建設のために閉鎖。海で遊べるという強みをなくしたためデベロッパーは早々に手を引き、管理会社も後を追うように撤退すると辺りは荒れ放題になり、現在のような姿になってしまったのだ。周辺に人の姿は少ない。

「住居として貸し出しているところもあるみたいだけど、そこは犬を20匹ほど放し飼いにしていて迷惑だよ」(地元住民)

 大手観光業者に振り回される地元の哀愁が漂う場所である。

― 没落する[セレブタウン]の今 ―
http://nikkan-spa.jp/1129478


「夢の沖縄移住生活」のまやかし…8割は本土へ戻る、生活コスト高く地元住民とトラブルも
http://biz-journal.jp/2016/11/post_17224.html
2016.11.20 文=鉾木雄哉/清談社 Business Journal


 近年、東京など都市部での暮らしに見切りをつけ、地方に移り住む「地方移住」が人気を集めている。低成長時代を迎え、お金を稼ぐことより自然と触れ合う人間らしい生活を重視する人が増えたことや、人口減少に頭を悩ませる地方自治体による手厚い地方移住支援などが背景にある。

 毎日新聞とNHK、明治大学地域ガバナンス論研究室の共同調査によれば、2014年度の地方移住者は09年度にくらべて4倍以上に増えたという。

 また、地方移住や田舎暮らしの各人気調査で上位となっているのは、長野、山梨、静岡などだが、Jタウン研究所が15年に「あなたが住みたい『都道府県』はどこ?」というテーマで行ったアンケートでは、沖縄が2位にランクインしている。「亜熱帯地方特有の美しい海と自然に囲まれながら、スローライフを送りたい」というのが、人気の理由のようだ。

 しかし、地方に移住すれば誰もが平穏な日常を約束されるわけではない。特に、沖縄の場合は地域社会になじめず、逆にストレスが増して本土に戻る人も少なくないという。


■沖縄の最低賃金、県民所得は全国最下位

 1万人以上の沖縄移住者を支援し、本土に戻るサポートも行っている沖縄移住支援センター代表の阿部由明氏は「移住者の8割は、3年以内に本土に戻ります」と定住の難しさを語る。

 総務省の「住民基本台帳人口移動報告」によれば、15年の沖縄への転入者数は2万5441人で、転出者数は2万5425人。この全員が移住者ではないとしても、転入者とほぼ同数の人たちが県外に流出しているわけだ。

 なぜ、こんな現象が起きているのか。そこには、まず沖縄の経済的な問題がある。沖縄の最低賃金は714円で、内閣府経済社会総合研究所の「平成 25 年度県民経済計算について」によれば、1人当たり県民所得は約210万円。これはともに全国最下位であり、1人当たり県民所得は全国トップの東京都の約451万円の半分以下だ。完全失業率も全国トップクラスである。

 もちろん、移住者もこの状況を知らなかったわけではないだろうが、もうひとつの問題は、住んでみて初めてわかる物価にある。沖縄には物価が安いイメージがあるかもしれないが、総務省の「平成25年平均消費者物価地域差指数」によると、全国主要都市の平均を100とすると沖縄県那覇市は101.2と、全国平均と比べて高い。

 また、本土の都市部のように交通インフラが整備されていないため、沖縄では車が必需品となる。車を所有すれば駐車場代やガソリン代など固定の維持費がかかり、車そのものも輸送コストを考えると本土より割高になるケースが多い。

 さらに、海沿いの地域では塩害の問題もある。エアコンの室外機や給湯器など、屋外に設置する設備機器は割高な塩害対策製品を購入しなければならないのだ。「低賃金でも、ぜいたくしなければ暮らしていけるだろう」と甘く考える人が多いが、実際の生活は想像以上に苦しくなることが予想される。


■移住者と地元住民の間でトラブルも

 それに加えて、一筋縄ではいかないのが地元住民との人間関係だ。

「戦後の復興とともに本土の人たちが沖縄でビジネスを始めたのですが、地元住民をだまして土地を奪うなどのトラブルが多く発生しました。また、昔は東京の店などで『沖縄の人はお断り』といった差別的な扱いもあったため、地元住民のなかには本土の人を嫌っている人もいます」(阿部氏)

 このため、地元住民のなかには、本土の人に部屋を貸さないアパートのオーナーや就職の面接を断る経営者など、露骨に嫌悪感を表す人も少なからず存在するという。もちろん、そんな人ばかりではないが、歴史的な経緯や文化の違いから、移住者と地元住民の間でトラブルになることもあるようだ。

 自然に囲まれてスローライフを満喫するどころか、生活苦に陥った上に人間関係のストレスに悩まされることにもなりかねない。

「移住者の9割は、近くに美しい海がある生活に憧れて沖縄に移住しますが、だいたい半年ほどで海に近づかなくなります。どれだけ魅力を感じていたとしても、3年もたてば見慣れてしまい、飽きてしまう人がほとんどです」(同)

 もちろん、地方移住の対象は沖縄だけではないが、人気が高い一方で負の側面も存在することは覚えておいたほうがよさそうだ。

▲△▽▼

2016年11月21日
夢の沖縄移住 成功パターンと多くが失敗する原因


沖縄には高収入な良い仕事はないので、低収入に適応できるか、ネットなどに収入源を持つ人が成功しやすい
引用:http://blog.peakpine.com/data/original/0/17/4154934ce4fcd4ff7783c7e5f789b4c47419c137.jpg?1427453180


沖縄移住が人気だが

地方や田舎へ移住するのが人気で、沖縄には本土から年間2万人以上が移住しているという統計があります。

平成27年に沖縄に住民票移転した人は2万5千人で、沖縄から他県に移転したのも2万5千人と全くの同数でした。

一説には移住者の8割が出て行くと言われているので、本当に沖縄に定住するのは5千人以下だと考えられます。


逆に沖縄から他県に移住して沖縄に戻る人も居るはずなので、移住者の中の定住者は3千人以下なのかも知れません。

最近芸能人で沖縄に移住する人が多いですが、彼らは東京に拠点があって仕事をしている筈で、本当の意味の移住とは違います。

月に10日とか20日とか、行きたいときだけ沖縄に行き、行きたくなれば東京の家に居るわけで、別荘とか別宅に近いです。


同じように会社経営とか高収入のクリエイターの移住も、本土を仕事の拠点に、沖縄には遊びに行くわけで例外といえます。

そうではなく自宅も仕事も含めて丸ごと沖縄に移住する人の中には、うまく行かずに出て行く人が多い。

失敗する理由の多くは経済的なことで、沖縄に行けば仕事はあると考えて、先に移住だけしてしまう人が居る。


沖縄は本土と繋がっていないので観光と基地しか産業はなく、工場の派遣とかビル掃除とか駐車場整理などはありません。

農業もないし米軍基地の仕事は(出て行けと言っているくせに)沖縄県人の既得権益になっていてよそ者は入れません。

ハローワークや求人サイトには仕事があるが本土より低収入なので、本土で食いっぱぐれる人は収入がさらに下がります。


現実に適応できるかどうかが分かれ目

失業率は最大で賃金水準は最低なので、住んでから仕事を見つけようとしても月収10万円程度の仕事しか見つかりません。

それでは生活費が赤字なので楽しい沖縄生活どころか、働いて最低限の暮らしをするだけで、預貯金が尽きて借金が増えたところで本土に撤退します。

沖縄への移住で成功しているのは、芸能人のように沖縄に収入を依存せず、本土で金を稼いでいる人です。


今はネット上で完結する仕事があったり、定期的に東京に出向けば良い仕事も多いので、そうした人たちが多い。

収入を沖縄に依存すると、仕事上の対人関係で問題が起きやすくなり、本土より選択の余地が無いので逃げ場もない。

田舎や地方全般に言えるが、自分にあった仕事など田舎には無いし、あったとしたら良い仕事は地元の人が独占する。


仮に良い仕事があったらその仕事は地元の人が争奪戦を展開するはずで、役場の職員とか郵便局員とかは、生まれたときから誰がなるかで競争しています。

よそから移住してきた人に「良い仕事」を譲ったりしないし、かりに移住者に良い仕事を取られたら深刻な対立を招くでしょう。

よそに仕事を持っていてお金を稼いでいる人は、受け入れないまでも対立関係になり難いので、移住が成功しやすいとみられます。


沖縄で仕事をして収入を得ている人はだいたい沖縄の悪い印象を話すが、仕事自体が良い仕事ではないので、どうしても悪い印象しか受けないでしょう。

長続きする人は、最初は沖縄に特別な思いなどは無いが、なんとなく住み着いて適応している人が多い。

逆に沖縄への思い入れが強すぎて理想に燃えているような人は、うまく行かないと挫折する事が多いという。


沖縄に限らず地方や田舎への移住には、しっかりした収入を持っている人か、逆に仕事がなくても低収入でやっていける人が長続きしているようです。
http://thutmose.blog.jp/archives/67430477.html

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沖縄移住応援WEBマガジン おきなわマグネット
http://okinawa-mag.net/

「おきなわマグネット HP」より


「定時」の概念なき残業地獄で退職→地方ののんびり企業転職で「人間の生活」取り戻す人多数
http://biz-journal.jp/2016/12/post_17381.html
2016.12.06 文=鈴木領一/ビジネス・コーチ、ビジネス・プロデューサー Business Journal


「日本は長時間労働のブラック企業だらけですよ」

 ある人事労務コンサルタントはそう語る。規模の大小にかかわらず、どこの会社にも「社員が残業するのは当たり前」といった企業風土があるという。

 東京に本社がある某企業の元社員で、残業のストレスで体調を崩し、退職せざるを得なくなったA氏は、当時のことをこう振り返る。

「社員には、もはや『定時』の概念はありませんでした。終電前まで仕事をするのが当たり前の雰囲気が充満しており、上司が帰らないと帰ることができず、社員は無駄に残業し続けるのです。私は一体何をやっているのだろう、という感覚すらなくなっていきます。

 今思うと、あの上司も一体なんの仕事をしていたのか不思議です。パソコンと何時間もにらめっこして、夜11時を過ぎてようやく帰る準備をするというパターンを繰り返すだけ。それに部下が付き合わされているのです。プライベートなんてない、仕事漬けの毎日です。

 会社を辞めて実家のある田舎に戻り、比較的のんびりした会社に再就職して、ようやく当時の異常さに気付きました。仕事の時間は減ったのに、今のほうが気力は充実し、仕事の効率もはるかに上がっています」

 11月、大手広告会社の電通に厚生労働省が強制捜査を行った。昨年末に24歳の女性新入社員が過労によって自殺した問題は、連日マスコミが報道するほど社会問題となった。一流企業で行われていた違法な長時間労働の実態に、多くの人が驚いたに違いない。しかし、これも氷山の一角である。

 10月に公表された「過労死等防止対策白書」によると、過労死ラインとされる「月80時間超の残業」があった企業は23%に上るという。電通のように正確な数字を出していない企業があることを考えると、現実にはさらに多くの企業が過労死ラインを越える残業をさせている可能性がある。

 先のA氏は、残業ストレスに晒されていた大企業を辞め、地元に帰ることで自分本来の「働き方」を取り戻した。強制的に環境を変えない限り、残業が当たり前という洗脳を解くことはできない。


■沖縄移住で自分本来の生き方を取り戻す

 そこで今回は、環境を積極的に変え、自分本来の生き方を取り戻すというプロジェクトを紹介しよう。「おきなわマグネット」(http://okinawa-mag.net/)という沖縄移住を応援する情報サイトだ。

 このサイトには、沖縄で希望の仕事を見つけるための秘訣や、最適な住居の探し方、さらには安い自動車の借り方など、沖縄に住まなければわからない情報が満載だ。ウェブマガジン風に編集されているため、読み物としても面白く編集されている。記事の中には「沖縄のゴキブリとの対決」「台風の時の沖縄流過ごし方」など、沖縄ならではのユニークな内容もある。

 夫婦で都会から沖縄に移住し、レストランを開業した人の体験など、移住することで成功した成功者たちのインタビュー記事など情報が満載だ。

 この「おきなわマグネット」を運営するのは、沖縄の人材派遣会社ヒューマンサポート(http://humansupport-okinawa.co.jp/)と、静岡のエンジニア派遣会社リツアンSTC(http://ritsuan.com/)だ。

 ヒューマンサポート社の粟國英雅社長は、「おきなわマグネット」を立ち上げた理由をこう語る。

「沖縄はここ最近、経済的に盛り上がってきています。観光客が増えたことによって県全体の経済が上向いていて、さまざまな業界が活況となっています。都会から移住してくる方も増えていて、沖縄で成功する人も続出しています。

 移住されて成功された方は、もともと都会でストレスを抱えてリフレッシュするつもりで沖縄に来られた方も多いですね。『沖縄に来て、自分の可能性を見つけた』との声をよく耳にします。

 しかし、沖縄からの情報発信力が弱すぎて、沖縄の良さを伝えきれないことがずっと残念に思っていました。逆に沖縄に関するネガティブな情報ばかりが伝わっています。

 それなら自分たちでやるしかないと思い、リツアンさんと一緒に今年の8月にサイトを立ち上げたのです。立ち上げ直後から大きな反響があり、逆に私たちも驚いています。沖縄に関心を持つ人が潜在的に多いことがわかりました。サイトの沖縄情報は今後どんどん増やしていきます。沖縄で自分の働き方を見つけたい人のお役に立ちたい、それが私たちの思いです」

 粟國氏が言うように、実際、沖縄からの情報というと「基地問題」ばかりだ。翁長雄志沖縄県知事の苦々しい表情や、基地反対派との衝突がニュースで流れることはあっても、沖縄の魅力を伝える情報は極めて少ない。

 沖縄県の2015年の観光客数は、過去最高の776万3000人を記録した。今年8月の完全失業率は1993年以来、23年ぶりに3%台を記録し、沖縄経済は好調である。

 公益社団法人日本経済研究センターによると、20年までの経済予測では沖縄の実質経済成長率は東京を抑え全国1位となっている。日本で最も経済成長が期待できるのが沖縄県である。

 粟國氏に「沖縄の魅力を一言で表現すれば何か」と質問すると、「それは、おもてなしです」と即答された。筆者も取材で沖縄を訪れた時に、想像を超えるおもてなしを受けて驚いたことがある。おいしい食事だけでなく、こちらが欲しているだろうとの情報を想定して積極的に提供していただくなど、温かいコミュニケーションがそこにはあった。

■沖縄で働くことがトレンドになる?

「おきなわマグネット」を共同運用するリツアンの野中久彰社長は、このプロジェクトの意義をこう語る。

「弊社はエンジニアの派遣業を営んでいますが、エンジニアはストレスに晒されることの多い仕事といえます。弊社は派遣業としては日本一高いレベルの給料を実現していますが、それでもやはりストレスの課題は残ります。

 ヒューマンサポートの粟國社長と出会い、沖縄の可能性を知った瞬間、『これだ!』と思いました。私も何度も沖縄に行っていますが、行くたびに仕事のインスピレーションを得ていたことを思い出したので、沖縄がこれからトレンドになると直感したのです。

 今後、都会から沖縄に移住することを希望する弊社社員(派遣社員)には、積極的に沖縄に移住するよう支援していきます。沖縄にそのまま移住してもいいですし、また戻りたいという社員にも受け皿として働く場所を確保しておく体制を整えていきます。このプロジェクトによって働き方の選択肢が増えると思います。独立や転職のきっかけになるでしょう。地方と都市部の雇用流動化が促進され、地域活性につながっていくとうれしいです。弊社は、働く人のための『踏み台』企業で良いと思っています」

 このプロジェクトを推進する2人の社長は、共に30代の若き経営者だ。これまでの概念にとらわれず、働く人を中心とした考え方ができる新しい世代といえる。

 残業が当たり前、社員は酷使するのが当たり前という旧来の労働観は、新しい世代の経営者によって変革していくだろう。

▲△▽▼

沖縄移住生活:沖縄への移住を希望されている方へ
http://www.okinawaiju.net/
沖縄県移住応援サイト|おきなわ移住の輪 - 結 -
https://okinawa-iju.jp/

沖縄移住支援センター
http://www.ryuukyuu.com/

【なるほど】沖縄県に移住したいなら是非とも知っておきたいこと! - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2137588789043072401

沖縄へ移住する費用はいくら?移住した体験者が語る現状!
http://okanenokyuukyuusha.com/okinawa-ijyuuhiyou/

【憧れの沖縄移住生活@】11歳の頃からの夢を実現した移住者に“移住生活の実情”を聞いた!
http://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00195/

【憧れの沖縄移住生活A】移住に向いている人、向いていない人の違いは?! 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【HOME'S PRESS】
http://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00197/

沖縄移住ライフハック
http://okinawa-iju.info/

IT Career 沖縄 U・Iターン総合情報サイト
http://www.uiokinawa.jp/

30歳で沖縄移住した話し - 30歳で沖縄移住した話し
http://okinawaiju.jimdo.com/

沖縄に移住して1年が経過した感想。仕事について。 Last Day. jp
http://www.lastday.jp/2014/05/23/been-in-okinawa-one-year


_______


日本国内の賃金格差は、東京と沖縄を比較すると2倍の格差がありますが、2020年頃には中国の賃金水準が沖縄と同水準になる勢いです。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13164] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:39:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[365]

高樹沙耶

リトリートセンター浮世離れを石垣島にオープン。
元 女優。2002フリーダイビングワールドカップにて2位取得53メートル素潜り達成。医療大麻合法の活動中。


益戸 育江 高樹 沙耶(@ikuemiroku)さん Twitter
https://twitter.com/ikuemiroku?lang=ja

虹の豆 浮世離れ Facebook
https://www.facebook.com/nijinimame/

高樹沙耶 石垣島 虹の豆 浮世離れはヤバい!場所や現在予約は?
http://ネタパラ.net/932.html


虹の豆浮世離れの場所はどこ?施設の画像や口コミと評判が気になる!


逮捕された高樹沙耶ですが、逮捕時の様子について

違法な例のモノは、自宅以外には出てこなかったようです。


その高樹沙耶こと益戸育江ですが、逮捕時まで石垣島で宿泊施設「虹の豆浮世離れ」を経営していたようですね。

場所はココになります。

↓↓


『虹の豆 浮世離れ』地図
https://www.google.com/maps?ll=24.451936,124.212181&z=11&t=m&hl=ja-JP&gl=JP&mapclient=embed&q=%E3%80%92907-0451+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B8%82%E6%A1%B4%E6%B5%B7%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%92
https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A5%E6%9C%AC,+%E3%80%92907-0451+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B8%82%E6%A1%B4%E6%B5%B7%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%92/@24.451936,124.212181,181m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x345fe6f106744475:0xccf6b72eb4150951!8m2!3d24.4519363!4d124.2121814?hl=ja-JP


住所:沖縄県石垣市桴海232

宿泊料金は、1泊32,400円です。


ここでは、カフェメニューなんかもあるようで

自給自足な感じで、例えば8月頃のフェイスブックには

入手困難な石垣島でしか取れないレモンを使ったジュースの紹介があったりします。


なんでも石垣島でも数本しか栽培されていなく、年間30kg〜40kgしか取れない香り豊かで酸味が抜群な果実を使っているらしいです。

この宿泊施設「浮世離れ」に併設しているカフェが「世間亭」っていうのですが、ネーミングがちょっと苦笑い的な感じでおもしろいです笑。


なにしろ、違法なモノを所持して逮捕されてて「世間亭」って・・・

こうなる事を分かっててネーミングしたのでしょうか?

話しがちょっと逸れましたが〜

このカフェで出されてるメニューが凝ってるらしく、


【ドリンク各種】 500円

・有機栽培コーヒー

※コーヒーは有機栽培されたコーヒー豆を使用

・レモン酵素ジュース

※レモンは石垣島のジャングルで有機栽培されたパキスタンレモンを使用

なんですかね?パキスタンレモンって?

・ パイナップル酵素ジュース

※パイナップルは石垣島の川原地区のハワイ種を使用

【石垣島美崎牛スジ肉のカレー】 1,000円

※石垣島の美崎牛のスジ肉を煮込んでスパイスを利かせ自家製チャツネと一緒に提供


【ホットピッグ】 600円

※豚の三枚肉を特製タレで柔らかくなるまで煮込んだ一品

キャベツと島人参を特製ドレッシングで漬け込んだザワークラウトと一緒にフランスパンに挟みんだオリジナル商品らしいですよ。


■ 虹の豆浮世離れの口コミや評判は?

色んな媒体をチェックしましたが、ここの口コミらしきものは特にないようでご本人のフェイスブックにコメントがある程度ですね。

なので、実際に流行っていたのかは?

今となっては謎のようです。
http://kaz02.com/415.html

高樹沙耶 “大麻女優”と呼ばれて石垣島へ…男性4人と共同生活の現在

 元女優の高樹沙耶(53)が7日放送のTBS「爆報!THEフライデー」(金曜7・00)に出演、現在暮らす沖縄・石垣島での生活ぶりが伝えられた。

 1983年、19歳で映画「沙耶のいる透視図」で主演デビュー。その後もドラマなどで活躍、若手女優としてバブルの真っただ中にいた高樹は、シャネルやグッチといったブランド物を身につけ、六本木のディスコに繰り出し、高級マンションで派手な暮らしをしていた。

98年には、シンガーソングライターの中西圭三と結婚し、2年で離婚。
その後は芸能界を引退してハワイや千葉の自然の中で暮らすように。

「ベンツに乗るとか、エルメスのバッグを持つとか。そういうことが幸せで豊か、という価値観から、きれいな空気を吸って、自由な時間がたくさんあって…そういう世界へ、価値観がシフトした」。

39歳でフリーダイビングのワールドカップに出場、素潜りで銀メダルを獲ったことも話題になった。

 その後芸能界へ復帰してドラマ「相棒」などに出演していたが、2012年7月「大麻草検証委員会」の幹事として活動に参加すると表明、それが大バッシングを呼ぶこととなる。某週刊誌には「大麻研究家との“新婚生活”!」「大麻吸引も」などと報道されると、各テレビ局でも「高樹が逮捕されたら、出演した分が放送できなくなる」とささやかれ、親しくしていたスタッフからも敬遠。「大麻女優」と陰口を叩かれるように。

「私、何かあなたに危害加えた?おかしな発言した?いじめた?…してないでしょ」と、涙がかれるまで泣き、人との交わりを断って芸能界を引退。

その年の10月には、逃げるように石垣島へ移住したという。しかし、地元の人たちにも敬遠されている空気はあったと振り返る。


 現在は「虹の豆 浮世離れ」という名のコテージを経営管理している。

4年前、1500坪の土地を全財産をはたいて購入し、1人で鉈(なた)をふるいながらジャングルを切り開き始めた。

賛同者が徐々に集まり、3年かけて自分たちの手で作り上げた、高樹の理想がつまった宿泊施設が完成。5人まで泊まれる施設貸切で、1泊3万円ほどだという。

月に10組ほどが訪れるこの場所で、汗を流し働いており、今では地元の人たちからも“仲間”と認められ受け入れられるようになった。グアバ、パパイヤ、ノニなどの熱帯植物も育てており、まさか大麻を…?と聞かれると、「法律がありますから、それは無いです」と苦笑。

 ともに働く仲間として、男性4人と共同生活もしている。

「わたくしの愛人たちです!…って嘘です。同居人でございます。ハハハ」と豪快に笑った。

当時「事実婚の相手M氏」と報道された森山繁成さんや、元参議院議員の平山誠さんも一緒。森山さんは、高樹と昔からの知り合い。狭心症の治療のため訪れた石垣島に、東京に住む家族の了承も得て移住したという。

「事実婚って何ですか、って感じですよね」と淡々と話す高樹。平山さんも帯状疱疹(ほうしん)の治癒を目的に訪れたこの島で暮らし始めたという。男女がともに暮らしていて恋愛関係などはないのかと聞かれると、森山さんも「皆そう言うんだけど、そういうのは全然ない!」と断言し、一同笑い合った。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/07/kiji/K20161007013493860.html


高樹沙耶の今現在が劣化してる?同棲相手の男性4人って誰?
http://sutakorasacchan.com/post-8010/

今日の話題は、 10月7日放送の『爆報!THE フライデー』に出演される高樹沙耶(たかぎ さや)さんです。
高樹沙耶さんって益戸育江(ますど いくえ)さんに改名したんではなかったですっけ???

色々と面白そうな人なので、ちょっと調べてみることにします!


まずはプロフィールからです!

高樹沙耶さんのプロフィール

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本名    : 益戸育江(ますど いくえ)
出身地   : 静岡県浜松市中区
生年月日  : 1963年8月21日(53歳)
血液型   : A型
学歴    : 浜松市立北部中学校 → 私立誠心高等学校(浜松開誠館高等学校)中退 → 東京都立青山高等学校に編入・卒業

こんな感じです・・・

私の中の高樹沙耶さんといえば
大好きな『相棒』の「たまきさん」です!
右京さんの元奥さんで、「花の里」のおかみさんだったですよね〜

とっても、品があって綺麗だったのに・・・

最近は、ナチュラリスト?になったり、参議院選挙(2016年)に出馬したり・・・

その姿は劣化したのではないかと話題になっているようです・・・

経歴

高校生の17歳の時に上京し、オスカープロモーションに所属し
モデルとして活動を始めたそうです。
なので、高校は転校してるんですね・・・

芸能界に興味を持ったのは原田真二さんのコンサートで「自分もたくさんの人を幸せにする仕事をしたい」と思ったからだそうです・・・
原田真二さん・・・懐かしい・・・
「♪キャンディ〜アイ・ラヴ〜♪」ですよね・・・
当時、むっちゃ流行っていました!


そして、
1983年(20歳)、映画『沙耶のいる透視図』で女優デビュー
いきなりの主演だったそうです。
事務所の力の入れようがわかりますね・・・

その役名の「沙耶」をそのまま芸名にしたそうです・・・
苗字の「高樹」は後から付けたそうです。

高樹沙耶さんの元彼や元旦那たち


高樹さんは
1998年に、シンガーソングライターの中西圭三さんと結婚
2000年に離婚しています。


結婚生活は2年と1ヶ月ですが、
結婚すぐから不仲だったということです。
離婚理由は「すれ違い」ということですが、
高樹さんはかなりの自由人のようですから・・・それが原因だったようです。
二人の間に子供はいないですね・・・
一部のウワサでは、中西さんの友人の久保田利伸さんと、NYで密会していたのがバレた・・・という話も・・・
あくまで、ウワサですが・・・


中西さんは、2007年末に作詞家の田角有里さんと再婚され、今もお幸せそうです!


で、離婚後の高樹さんは、ダイビングにはまり、
ハワイに移住するんですね・・・
ヨガとかもしていたようです。

その当時の彼氏は 水中カメラマンでフリーダイバーのコーチをやっていた菅原真樹さん!
ハワイ島で同棲していたんだそうです。

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この男性の影響でフリーダイビングをはじめ
2002年11月のハワイで行われたフリーダイビングワールドカップで日本新記録(水深53mの記録)を達成し、
個人では4位、総合で2位となり銀メダルを獲得してます!

ワールドカップのメダリストなんですね〜
スゴイ!!
スクーバダイビングインストラクターという資格も持っているんだそうです。

でも、この頃の高樹さんは女優さんなのに日焼けをしていて、
それはそれで可愛かったんですが・・・
将来・・・シミとかシワとか大丈夫なのかな〜って個人的に心配してました!


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で、話は戻りますが、
この菅原さんとは、婚約もしていたという話もありましたが、結局は破局し、

高樹さんは日本に戻ってきます。
で、芸能活動を再開するんですが、

2007年、エコロジカル(自然エネルギーを生かした)な生活を希望して千葉県南房総市に移住
エコハウスやカフェを経営していたんだそうです。

この頃には 自然農法家の一般男性と同棲の噂がありました。


高樹さんの根本には自然と共に暮らしたいという信念がありそうですね!
「ロハス」って言うのでしょうか・・・
一時、かなり流行りましたよね・・・


2008年9月26日 芸名である「高樹沙耶」を返上、本名の「益戸育江」名義で活動すると宣言し、
10月15日放送のバラエティ番組『シルシルミシル』で、クラシックパンツ(ふんどし)愛好家として出演したんですね〜
なので、高樹沙耶さんを検索すると・・・「ふんどし」っていうワードが出てくるんです・・・


が・・・がですよ・・・
2011年3月11日に東日本大震災がおこり・・・
福島の原発が怖い・・・という理由で沖縄の石垣島にまたまた移住するんです。
『相棒』も突然辞めてしまって・・・

そして、2012年の10月末には
大手芸能事務所のオスカープロモーションも退社しています・・・


ここまでくると、行動が激しすぎて・・・ちょっと大丈夫なのか心配ですよね???

また、2012年の7月には自身ブログで大麻の合法化を目指す団体「大麻草検証委員会」の幹事に就任
と同時に妻帯者である大麻研究家のM氏と同棲していることが発覚!

このM氏とは・・・
全国勝手連合会・大麻取締法第四条廃止勝手連代表・ 一級土木施工管理技士の森山繁成(もりやま しげなり)さんという方だそうです・・・

ですが、大麻の合法化を唱えたため・・・石垣島にいづらくなり
千葉の南房総市に戻ろうとしましたが、
勝手に出て行った上に、
南房総市に大麻草でも植えられたら大変と追い返されるんだそうです・・・


結局、石垣島に戻り
2013年2月に「 虹の豆 浮世離れ」というリゾート施設をオープンさせますが、
大麻の合法化の活動の方が主のようですね・・・


【虹の豆 浮世離れ】
HP → ココ
ココを覗くと、利用規約にサインさせられたり、
入浴も、石鹸やシャンプーが使えなかったり・・・
ちょっと面倒くさそうなところです・・・

宿泊料も1棟コテージ3人利用 食事なしで 3万円(税抜き)

と・・・1人1万円と以外と高いお値段です・・・

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虹の豆


【追記】
番組によると5人まで宿泊できるので、
一人当たり6千円になり・・・そうすると、そんなに高くはないですね!

この施設、最初は、高樹さんが全財産をなげうってジャングルを購入し
ナタで切り開いていったそうです。
それをお手伝いしたのが、土木技術者の森山繁成さん・・・
それから、高樹さんに山東下仲間たちが手伝ってくれて、虹の豆ができたようです。

サワから水を引いた露天風呂も石を手で組み上げて作ったそうです・・・

完成までに3年の年月がかかり、

現在は、月に10組程度の宿泊があり、30万円の収入だそうです・・・
その額はすべて生活費になるそうですが・・・

5人の大人が生活するのですから・・・30万円でよくやってるなぁって感じですよねー

最初は変人扱いしていた石垣島の人たちからも、
仲間として認めてもらっているようです・・・


大麻に関しては、
個人的に、全く理解できませんが・・・
色々な考え方の人がいるんだなぁ・・・って思いましたね・・・
でも、やはり、日本では違法ですからね・・・


そして、 2016年5月10日の第24回参議院議員選挙に新党改革より東京都選挙区で出馬し話題になりましたよね〜
結果は落選しましたが。。。


今回、テレビに出演するということは・・・ひょっとして、また芸能活動を始めるのでしょうか・・・


なんだか仕事にも、男性にも自由すぎて・・・ついていけないですね・・・

今現在は?


ということで、現在も石垣島で暮らしているんですが・・・

どうやら劣化したとウワサになっています。

まぁ、年齢的にも50歳を過ぎてますし・・・劣化しても仕方ないですが・・・

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ハワイでのダイビングでの日焼けや
エコロジカルな生活が・・・お肌の乾燥を招いているような気がしてならないです・・・
ちょっとシミ・シワが多いですね・・・

でも、もともとの顔立ちは綺麗なので、
その辺のアラフィフより・・・もちろん私より、よっぽど綺麗ですけどね〜ww

芸能人って・・・いつまでも若くて綺麗ですからね・・・
その人たちと比べると・・・って感じですかねー


今も、ふんどしなんでしょうかね???

一緒に住んでいる4人の男性って誰?


で、今回の『爆報!THE フライデー』では、



石垣島のジャングルで暮らしていた! 転落した人気女優の驚きの生活をテレビ初公開!
男4人と共同生活する奇妙な暮らし… さらにジャングルを切り開き驚きのものを作りあげていた!
大麻女優と呼ばれた高樹の身に一体何があったのか


となっていて・・・男性4人と暮らしているそうですが・・・

ん???一妻多夫制???

そんなわけないか〜笑

4人のうちの一人はきっと、同棲中とウワサの大麻研究家のM氏こと森山繁成さんだと思われますが・・・
残りの3人は誰なんでしょうか???

調べてみましたが、わからなかったです・・・
7日の放送を見ればわかると思うので・・・わかり次第追記しますね。


【追記】
番組を見て、4人の同居人がわかりました!

小見祐貴さん26歳・・・世界を放浪し、石垣島にたどり着いたそうです。

和田英幹さん41歳

平山誠さん64歳・・・3年前まで参議院議員をしていて、その時の選挙で帯状疱疹ができ、その治療のために石垣島にきてそのまま居ついたんだそうです。

そして、森山繁成さん・・・


でも、二人は事実婚的な男女の関係はないと言っていましたね・・・

高樹さんの生き方に共感し、ともに生活をしているんだそうです。

で、一緒に「虹の豆 浮世離れ」を運営しているようです。
食事を作るのは、高樹さんの役割のようですね・・・


ということで、高樹沙耶さんについて調べてみました・・・

波乱万丈な人生のような気がしますが・・・
高樹さん自身は自分の信じる道を真っ直ぐに進んで行っているだけなのかもしれないですね・・・

人生・・・いろいろ〜(おばさんです笑)
http://sutakorasacchan.com/post-8010/


高樹沙耶(益戸育江)の現在!「相棒」たまき役降板後の劣化がヒドイ!?
出典:http://www.asahi.com


高樹沙耶(益戸育江)参院選にすっぴんで登場!!現在は女優引退して”ナチュラリスト”に

高樹沙耶(益戸育江)というと、テレビ朝日の人気ドラマ「相棒」杉下右京の元妻で、小料理屋の女将・たまき役のしっとりした美女。そんな印象がありましたが、2016年7月に投開票が行われた参議院選の比例区で、新党改革の候補者として登場した時、高樹沙耶の変わり果てた姿には驚かされたものです。

高樹沙耶が11年間務めた「相棒」たまき役を、撮影直前にドタキャン降板して、現場を混乱させたのは2011年のことでした。その翌年には、オスカープロモーションを退社し、活動内容を「ナチュラリスト」に変更。事実上は、女優を引退している高樹沙耶ですが、全国民の視線が注がれる参院選に、ノーメイクで登場するとは驚き千万です。

あの浅黒く焼けた肌と、シミだらけの素顔をあえて晒されると、「相棒」降板からわずか4年半とは思えないほどの劣化を感じさせられるというもの。52歳という現在の年齢も考慮するべきなのかもしれませんが、全ては、高樹沙耶が、ここ数年心酔しているエコ生活の結果のようです。

高樹沙耶(益戸育江)「相棒」ドタキャン降板後のエコ生活がワイルド過ぎ!劣化の理由は?

高樹沙耶(益戸育江)は、2007年から、千葉県南房総市に自作したログハウスに居を移し、自然エネルギーと、自給自足による生活を始めています。その年の10月から放送が始まった番組「ハピふる!」では、司会として、エコへの思いを伝えてきた高樹沙耶でしたが、芸能界との二重生活が、”偽の田舎暮らし”と批判されることに。2008年9月の公式ブログで、芸名の高樹沙耶を返上し、本名の益戸育江に改名すると宣言したのは、エコ活動により専心するためだったそうです。

「相棒」を電撃降板した2011年、高樹沙耶は、福島原発を恐れて、千葉県から沖縄県石垣島に移住しています。水道もない土地で、質素な小屋暮らしをしており、目撃者によると、ノーメイクでTシャツにジーンズ姿で、真っ黒に日焼けした高樹沙耶には、もはや女優オーラなど全くなかったそうです。

また、高樹沙耶は、沖縄移住以降から現在にわたって、大麻草研究家で、大麻取締法改正を目指す活動家の男性と事実婚状態にあるとの話も。そのため、高樹沙耶の劣化は、単なるエコ志向の成れの果てではないのでは?とする意見も多く聞かれます。

高樹沙耶(益戸育江)映画「沙耶のいる透視図」でブレイク!元夫は中西圭三!

高樹沙耶(益戸育江)映画「沙耶のいる透視図」19歳の過激すぎる女優デビュー!

高樹沙耶(益戸育江)は、17歳で、地元静岡県浜松市から上京し、オスカープロモーション所属のモデルとして活動を始めます。女優デビューとなったのは、1983年、19歳の時に主演した映画「沙耶のいる透明図」でした。「沙耶のいる透明図」は、伊達一行のすばる文学賞受賞小説を原作に、脚本・石井隆、監督・和泉聖知で映画化された作品。ポルノ雑誌のカメラマンと編集者、そして、世にも妖しい魅力を持つ美女・沙耶の謎めいた関係を描く、かなり過激な性愛を扱った物語です。

沙耶を演じた高樹沙耶は、本作でいきなりヌードを披露しただけではなく、不道徳と言われかねない性的シーンを体当たりで演じて、その名が一気に知れ渡りました。また、「沙耶のいる透視図」でヒロイン・沙耶を演じたことをきっかけに、”高樹沙耶”という芸名が誕生。以後、ドラマを中心に活躍する女優となっていきます。

高樹沙耶(益戸育江)元夫・中西圭三との離婚理由!奔放過ぎる男性遍歴が原因か?

高樹沙耶(益戸育江)は、1998年に、シンガーソングライターの中西圭三と結婚していますが、すぐに不仲になり、「生活の擦れ違い」を理由に、わずか2年で離婚。確かに、高樹沙耶は、興味の赴くままに行動するタイプのようですが、本当の離婚原因は、彼女の男性関係にあったのではないかとも言われています。

高樹沙耶は、元夫・中西圭三との離婚後、趣味のフリーダイビングにのめり込んでハワイに渡り、ダイバーコーチとの同棲を開始。破局後、日本に帰国して、女優活動を再開させるも、2007年の千葉エコ移住と同時に、自然農法家の男性との同棲が伝えられています。

そして、2011年の沖縄石垣島移住後に伝えられた大麻草研究家との同棲は、どうやら”不倫”だったようです。恋愛すらナチュラル思考なのか、実際の高樹沙耶は、恋愛にオープン過ぎることで有名なのだとか。しかも、男性たちの間を次々と流れ、なぎ倒していくかのような恋愛事情から、親しい人との間では、高樹沙耶は”流木”と呼ばれているそうです。

高樹沙耶(益戸育江)参院選のマニフェスト、女優復帰を示唆する狂人ぶり

高樹沙耶(益戸育江)が、所属事務所オスカープロモーションを退社するきっかけとなったのは、沖縄石垣島移住後に、「大麻草検証委員会」の幹事就任を発表した2012年7月のブログでした。

「私個人の感覚から、お酒、たばこ、チョコレートよりも安心安全。アンチエイジングには最高」という自論も展開しています。高樹沙耶が、恋人と共に、大麻取締法改正を目指す活動を行っていると聞いただけでも、すでに法を犯す行為をしているのではないかと疑われてしまいかねず、これでは、事務所も擁護しようがありません。

「相棒」のたまき役や、フリーダイビングで、日本記録を更新し、W杯で銀メダルを獲得するなど、良い注目を浴びた時期もありましたが、身勝手な言動を繰り返した結果、高樹沙耶は、芸能界を追われることとなってしまったのです。

こういった過去を背に、「医療用大麻の国内合法化」という、トンデモマニフェストを掲げて、先の参院選挙に出馬した高樹沙耶。”医療用”という意義をすべて否定するわけにはいきませんが、よりアブノーマルな人物として再注目を浴びる結果を招きました。わずか30分後に開いた落選会見では、「お話があれば、女優活動を再開したい」と述べた高樹沙耶ですが、薬物問題にデリケートになっている芸能界に、戻る場所があるとは到底思えません。
http://anincline.com/takagi-saya/

▲△▽▼

心の楽園に住む (集英社be文庫) – 2004/5 高樹 沙耶 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%AE%E6%A5%BD%E5%9C%92%E3%81%AB%E4%BD%8F%E3%82%80-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BEbe%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E6%A8%B9-%E6%B2%99%E8%80%B6/dp/4086500671


海とイルカに導かれて見つけた本当の生き方。
人気女優でありフリーダイバー、ダイビングインストラクターの高樹沙耶の、自己実現法を綴ったエッセー。夢を叶えるために何をしたらいいか、今生き方を模索する若い女性たちへの応援メッセージ。

フリーダイビングに挑戦し、自然を愛する人々と出会い、ハワイで癒された日々。探し求めた楽園は心の中にあった!生き方に迷った人、夢を失ったあなたを応援!高樹沙耶が綴る書き下ろしエッセー。


カスタマーレビュー

本当の幸せとは?の問いに答えてくれる本です投稿者 organic 投稿日 2006/5/30


本当に、心からオススメの本です。たくさんの人に、特に人生に迷っている30代の女性に読んでもらいたい本です。

沙耶さんがいろいろな出来事や経験の中で感じたりしたことが、ナチュラルな読みやすい文体でかかれています。

「本当の幸せは?本当の豊かさは?何のために人生を生きているの?」

という答えは、本を読んだ後、沙耶さんの押し売りではなく自分の心の底から、自然と溢れてくると思います。

また、本の中の写真も本当に美しく、癒されます。

「どんなときでも、どんなところにいても、今という瞬間を喜びで満たし、感謝の心に溢れている。そんな心でいられること、それがまさに楽園住むということなのだ、と思っています。」という、本の最後のくだりは、感動的です‥


____


高樹沙耶も名乗る“ナチュラリスト”って結局、ナニモノ? 2016.07.09
http://citrus-net.jp/article/2966


編集部から「参院選出馬の高樹沙耶さんが名乗る“ナチュラリスト”って何ですかネ?」とのメールが飛んできた。「自然主義者、ということらしいですけど、マクロビとかビーガン食を入り口として傾倒していく人、最近多いですよね。SNSで饒舌なのも特徴ですよね。別に悪くないけど、なんか正体がよく分からないですよね?」。

ナチュラリスト……それは自然主義者と訳されるらしいが、つまりは積極的に自然と関わり交わり、人間界と自然界の融合を図っていく人たち。人間による “ 不自然な”自然支配、地球環境の汚染を唾棄し、文明にまみれ汚れた現代人たちが失ってしまった野生の感覚や、自然を愛おしむ心、ひいては自己の自然治癒力を取り戻す。そういったライフスタイルの良さと美しさを賛美し、自然の力や「人間は自然の中で生かされているに過ぎないのだ」という原理にまだ気づいていない、無知で哀れな都会人たちへ啓蒙活動を行うのが自分の生かされている使命と信じてやまず、それゆえに “ SNSで饒舌”な人たちでもある。……って、SNSめっちゃ文明ですやん。

■つまりそれって、ファッションだよね

自然賛美、環境破壊ダメ農薬反対、だから “ ナチュラル”とか “ オーガニック”の言葉が大好き、みんなが好きな先進国よりもできればみんなの知らない発展途上国、ナチュラルだからヘンプ(大麻)もアリ、リアル世間は権力で汚れてるけど、SNSには権力はなくて平等で民主主義で世界中の人々と繋がれてピースフル。

で、コアじゃないマイルドなナチュラリストって、ハワイとかニュージーランドとかに移住しますよね。ハワイって超アメリカだし、ニュージーも先進国ですよ。「ナチュラル至上! 自然のあるべき姿を!」って言う割に、なんか社会的にも政治的にも整合性が取れてないんだよなぁ……。たぶん、ナチュラリストへの疑問ってそこにある気がする。「言ってることとやってること、都合良すぎない? つまるところ、それ、ファッションでしょ?」。

■「誰かに迷惑をかけたでしょうか?」

編集部からのメールは続く。「こだわりが強い分、食や行動など自らの生き方にかける制約も多くて、生きづらくないのでしょうか? でもやたら生き生きとしてはいる気がします」。

ナチュラリストの身上である、 “ 自然”へのこだわり。そのあり方は本当に健康なのだろうか、と私は常々思っている。高樹沙耶さんがかつて大麻使用をブログで告白した際の、「でも、誰かに迷惑をかけたでしょうか?」という一言に現れた違和感。その、自分と生き方や意見を異にする人々への「無知はあんたよ、これは私の生き方なんだから、ほっといてよ」な感じは、必ずしも健康な精神状態ではないからだ。

自由、自由と叫ぶ人間が最も不自由であるという警句がある。人は自分にもっとも足りないものを、足りないからこそ渇望し、だから無意識に口にするのだという。だから自然、自然と口にするひとは、かえって自らの自然への渇望を露呈し、とても不自然な状態にあるのではなかろうか。(ちなみに私は”知性”とか”ちゃんと”が口癖だ。わかってる、つまりそういうことだ。)

■都会人の消費行動の延長にある、高価格帯の消費領域

ストレス社会では体が弱って自己免疫力が下がる傾向にあるので、体の不調を機に健康志向が高まるのは先進国のどこにも見られる潮流だ。それゆえに自然ビジネスというのがあって、 “ 自然” “ 有機”を謳って従来の安価な普及品とは品質で差別化を図り、大衆相手の”規模の経済”を取らないのでコスト高となる。だが健康意識の高い人々は(すでに高いストレスにさらされるほど働いていることもあり)価格の高さをいとわないので、どこか値段の高い商品やブランドほどその効果や信用の高さ、さらには稀少性を担保するものと感じさせ、売れるのだ。

ナチュラリストという発想は、本当に自然豊かな社会環境で、それを当たり前として育ち暮らしてきた人々の中からは生まれない。都市生活やストレス社会での消費行動の延長に、化粧を施した “ ナチュラル” “ オーガニック”という高価格帯の消費領域があり、そこで自然の良さを”再発見”した人々がハマる考え方だ。掛け値なしの田舎暮らしで育った人々がよく言うような「へぇ、都会の人はそんなのがありがたいのかねぇ。ウチの周りにはどこでにもあるよ、良かったらちょっとくらい持っていったら。田舎なんて不便だし、アタシなら都会で暮らしたいわ」との言葉は、しかしファッションナチュラリストには皮肉ではなく褒め言葉に聞こえるのかもしれない。

■持続可能とアンチエイジング、はたぶん本質的なキーワード

高樹沙耶さんのブログには、大麻に対する思いがこう綴られる。「大麻は持続可能な暮らしをサポートする大切な天然資源の一つと以前から思っていました。私個人の感覚からしましては、お酒、たばこ、チョコレートよりも安心で安全で多幸感を得られる、そしてアンチエイジングには最高の植物」。「痲薬でなく、地球上に自然に生えている植物という事、そして人間の使い方によりとても生活に役立つ物なのです!これは揺るがぬ真実検証委員会は法が変わるまでしつこくやり続けます!」。

いみじくも、ナチュラリストを名乗る高樹さんのこれらの言葉が「ナチュラリストとは何か」を何よりも的確に言い表しているような気がする。よりによって大麻まで行かずとも、ナチュラルなライフスタイルを消費対象として嗜好する都会の人々、特に女性にとって、入り口の多くはまず健康であり、その本質は “ 持続可能”にあるのだと思う。持続可能とは、環境の持続でもあり、核となる欲求は”自分の(フィジカルな)持続=アンチエイジング”だ。

だからナチュラリストの皆さんは、もういろいろなものを持ち出して正当化するのをやめて、ぺろっと素直に言っちゃった方が楽になると思う。これはファッション(あるいは音楽、文学、哲学でも、好きな言葉なら何でもいい)である。この生き方はファッション(あるいは音楽、文学……以下略)の一つの流派である。そして他は知らないけど、私はこれからも未来永劫美しくあるのだドヤ、と。ファッションって、(政治の方が上位概念だと思っている)ナチュラリスト本人たちが卑下するようなものではなくて、十分に人を動かす社会伝播性を持ったものなんだよ〜?
http://citrus-net.jp/article/2966


大麻礼賛女優・益戸育江が、不倫同棲生活中の石垣島に宿泊施設オープンで住民に高まる不安 2013.05.08


沖縄・石垣島で大麻研究家のM氏と“不倫同棲生活”を送り、日本では違法な大麻の擁護活動を行っている女優でナチュラリストの益戸育江(旧芸名:高樹沙耶)が、宿泊施設「虹の豆」を今秋にオープンするという。

 益戸は、“脱原発”を理由に2011年、『相棒season10』(テレビ朝日系)を突然降板し、石垣島へ転居。昨年7月には、大麻の合法化を目指す団体「大麻草検証委員会」の幹事に就任したことをブログで公表し、長年所属していたオスカープロモーションを退社した。

 現在は、「虹の豆」のオープンに向けて、ホームページ(http://www.nijinomame.com/)を開設し、5月1日より有料メールマガジン「dear sisters」をスタート。それによると、「虹の豆」は石垣島の森の中に建てられ、電気・ガス・水道などのライフラインのないコテージで、「自然という神様に抱かれ、癒やされ、瞑想にふける」時間が過ごせる施設だという。

 芸能界から解放され、本格的に夢を具現化しようと突き進む彼女だが、石垣島の住民からは、心配の声が上がっているという。

「石垣島の住民の間には、都会から来た芸能人が作る、この得体の知れない施設に対して、『石垣島に大麻礼賛を広められるのではないか』との不安が募っているそうです。宿泊客も、彼女やM氏に賛同する人たちである可能性が高いですし、島の子どもたちへの影響も危惧されているみたいですね」(芸能誌記者)

 まさか、施設内で大麻草の栽培が行われることはないと思うが、おそらく警察の目も厳しくなることだろう。

 事務所の後ろ盾のない彼女が、プロフィール上でナチュラリストとだけでなく「女優」を名乗り続けていることで、「虹の豆」を拠点として表舞台で活動していこうとしていることが予想されるだけに、今後、石垣島住民に迷惑をかけないことを願いたい。
http://www.cyzo.com/2013/05/post_13269_entry.html

「大麻カフェ」が夢だった高樹沙耶容疑者に、石垣島から「最悪の移住者」「出て行ってほしい」
2016年10月30日 12時00分 日刊サイゾー

「大麻カフェ」が夢だった高樹沙耶容疑者に、石垣島から「最悪の移住者」「出て行ってほしい」

「誰がどう言おうと大麻草を持っていたら逮捕とかおかしいと思わないのかな?」

 数年前、北海道・札幌市内の駐車場に止めた車内で大麻を所持していたとして、小樽市立小学校の男性教諭が逮捕されたニュースを受け、元女優の高樹沙耶(本名・益戸育江)容疑者は、Twitter でそれに異を唱えていた。

 事件当時、高樹容疑者は大麻嗜好吸引の非犯罪化を唱えるミュージシャンによる「大麻愛好家の先生だからこそ、子供達に真の教育をすることが出来る場合もあると確信している」というツイートを引用し、「小学生でもネットは見れます!海外との差をどう説明するつもりだろう」とツイートしていたのだ。

 事件は、男性教諭と一緒に車内にいた交際女性が錯乱気味に叫び声を上げていたのを通行人が聞いて、110番通報。警察官が駆けつけて大麻を発見したもので、2人は「吸うために持っていた」と供述。男性教諭は当時、体調不良を理由に学校を早退しており、仕事をさぼって違法行為にふけることが「真の教育」につながるなどとは到底思えないのだが、高樹容疑者の理屈は真逆で、さらに嗜好での大麻使用も肯定していた。

 その後も「我が国の大麻取締法には使用罪が有りません当然、吸っても食べても法には触れません!」とツイートしており、先の選挙出馬時に医療用としての使用を訴えた主張は、嗜好品としての許可を得たいがための方便だったとしか思えないのだが、結局は25日、自身も大麻を数十グラム所持していたとして逮捕されてしまった。

 そんな高樹容疑者が長く大麻解禁を求める運動中で、「日本初の大麻カフェをやりたい」と話していたことがあったという。同じ活動に参加したあるミュージシャン男性が証言する。

「3年ほど前、別の男性がオランダで大麻を吸った話をしたとき、高樹さんが『日本でも大麻カフェをやるべきだ』って。『解禁されたら、初の店をオープンしたい』というようなことを言っていたんです」

 この男性はその後、活動の方向性に疑問を感じ、脱退。高樹容疑者については

「どこか、だまされやすいような人に見えた。彼女のそばには、大麻についてウソを吹き込んでいる男性がいた」

という。そのひとつが、オランダの大麻カフェについて、だ。

 オランダでは一般の喫茶店を「カフェ」、大麻が吸える店を「コーヒーショップ」と区分し、後者では大麻の販売が認められているが、公衆に迷惑をかけないことやアルコール併用などが禁じられ、年齢や分量にも厳格な制限があり、栽培も違法。常々、世論の反発もあるため、議論の対象ともなっている。しかし、高樹容疑者のそばにいた男性は「オランダでは、どこでも自由に大麻が吸える。子どもでも吸っている」という間違った話をしていたのだという。

「同じように、ジャマイカでも自由だと言っていたけど、実際には当時は違法でした。昨年、医療用の少量所持が認められましたが……」(前出ミュージシャン)

 いずれにせよ、高樹容疑者はその大麻カフェへの夢の第一歩か、千葉でカフェを運営し、石垣島ではリゾート施設をオープンさせていた。

 ただ、島での高樹に対する印象は、決していいものばかりではない。地元の観光事業者に聞くと「以前、高樹容疑者が『大麻に関する正しい知識をガイドする、石垣島の観光ツアーをやりたい』という企画を持ち込んできたことがあるそうなんですが、石垣島と大麻にまったく関係性がないので、意味がわかりませんでした」というのだ。

「こういうのを聞くと、無関係な島の住民がみんな大麻を楽しんでいるように見られそうで、迷惑ですよ。高樹容疑者をめぐっては、前に島内で大麻草を植えた疑いが発覚して、地権者らから転居を求められた話も聞きましたし、今回の事件でも、石垣島のイメージを悪くさせた最悪の移住者だと思います。観光客には『台湾経由で、大麻を手に入れやすいのか?』なんて聞いてくる人もいるぐらいで、これから商売に悪影響があったら怖いし、正直、出て行ってほしい」(同)

 石垣市の観光文化課に話を聞いてみても「ニュースで見て、残念だと思いました」と、かなり暗いトーンで職員が応答。

 また、裏社会に詳しいフリーライターも「いま大麻合法化を訴えるのは、非常に危険なこと」と高樹容疑者に不快感を示している。

「危険ドラッグに対する取り締まりが強化され、ドラッグ利用者にとって比較的手に入りやすい、大麻へのニーズが高まっているんです。一部合法にしている海外でさえもハードドラッグへの入り口という点では問題視されているのに、麻薬に免疫の低い日本で大麻ブームになりかけているのは危険。それなのに、選挙に出て『大麻解禁』だと叫ぶなんて、薬物問題について何も考えていない話で、出馬させた新党改革にすら怒りを覚えます」(同)

 狂信的に大麻賛美をしてきた高樹容疑者だが、今回の逮捕には「私のものではありません」と容疑を否認。しかし、言動に矛盾が見られ、各所に迷惑をかけてもいる中では、その主張も信用されにくいだろう。大麻カフェの夢も、半永久的にかないそうにない。
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12122-89099/


“大麻合法化”訴える元女優・益戸育江、友人夫婦に「あなたも吸ってみたら」と…… 2015.05.12


沖縄県石垣島に住みながら大麻合法化を訴えている元女優の益戸育江(旧芸名、高樹沙耶)が、千葉県の有力者から「二度と千葉の土地に足を踏み入れるな」と、“追放宣言”されていたことが、その昔、筆者に益戸を紹介してくれた友人への取材で明らかになった。


 高樹は1988年にシンガーソングライターの中西圭三と結婚したが、その後、夫婦関係が悪化。筆者は前述の友人から中西を紹介されて、離婚のタイミングについて相談に乗った。その際、中西の親族から益戸の乱脈な男性関係を打ち明けられたのが、いまだに記憶に残っている。

 結局、マスコミの動きが止まるゴールデンウィーク中に離婚した益戸はその後、ハワイ島で知り合ったフリーダイバーの男と同棲して、日本とハワイを行ったり来たりの生活を送っていたが、再婚がウワサされながらも破局。その後、日本で女優として本格的に活動を再開し、テレビ朝日の人気ドラマシリーズ『相棒』のレギュラーになって活躍した。

 その一方で、07年から“エコロジーな暮らしをしたい”と、前述の友人から千葉県で建設業を営む、地元有力者のH氏を紹介されて、H氏やボランティアの支援で千葉県の南房総市にエコハウスやカフェをオープン。同時に自然農法家の男性と同棲を始めたが、東日本大震災と福島第一原発事故が起こった年に「放射能が怖い」と言って、H氏やボランティア仲間になんの連絡もなく、石垣島へ引っ越してしまった。

 そのため、『相棒』も途中降板。当時所属していたオスカープロモーションも退社して、関係者に多大な迷惑をかけた。さらに、翌年の12年7月に大麻の合法化を目指す団体「大麻草検証委員会」の幹事に就任。同時に、妻帯者である検証委員会の代表、M氏と同棲を開始。世間をアッと驚かせた。その裏で、石垣島の住民からも反発を食らった益戸とM氏は、千葉に再び戻ろうとして有力者のH氏を訪ねていたという事実が明らかになった。

 初対面のH氏に、M氏はいきなり「兄弟分のような関係になろう」とチンピラまがいの発言をして、H氏を呆れさせたという。H氏は「千葉県に大麻草を植えられたら大変なことになる、千葉の土地に二度と足を踏み入れるな」と2人を追い返したという。千葉県から追放されて、再び石垣島に戻った益戸は今年2月、「虹の豆」という宿泊施設のオープンに関わった。その前に沖縄に益戸を訪ねた友人夫妻に「あなたたちも吸ってみたら」と勧めて、自ら大麻とおぼしき草を吸ったという。その場面を見た友人夫婦の夫は、「日本は法治国家だ」と激怒したそうだ。

 もし本当に益戸が口にしたものが大麻だとしたら、落ちるところまで落ちてしまったようだ。大麻取締法違反容疑で逮捕、なんて日が来ないことを祈るだけだ。
http://www.cyzo.com/2015/05/post_21870_entry.html

▲△▽▼

高樹沙耶容疑者のタトゥーを激写 同居していた大麻研究家の影響か 2016年12月5日


ざっくり言うと

タトゥーがわずかに見えた、高樹沙耶容疑者の写真を週刊FLASHが取り上げた
高樹容疑者と同居の男性にタトゥーがあり、皆で距離を置いていたと地元住民
高樹容疑者らには大麻の噂がつきまとっていたとも語っている

「18歳で大麻初体験」高樹沙耶のタトゥーを発見撮!

『農作業する高樹沙耶(写真:女性自身)』
http://news.livedoor.com/article/detail/12372319/


 日に焼けて、肌は真っ黒。泥にまみれて土をいじる姿に、バブル時代を彩った女優の面影はなかった。ズボンとTシャツの隙間からは、タトゥーがわずかに顔を覗かせている。

 10月25日、大麻取締法違反の疑いで元女優、高樹沙耶容疑者(53、本名・益戸育江)が逮捕された。写真は、彼女が沖縄県石垣島に移住してから1年後の2012年11月に撮影されたもの。宿泊施設の建設作業をしているところだ。

「(18歳のとき)サーファーのボーイフレンドとおつき合いしており、(フィリピンの)セブ島で大麻を初体験しました」

 高樹容疑者は自著でそう明かしている。彼女の半生には、常に男と大麻の影がつきまとう。

「20代後半には、年上の有名テレビプロデューサーと不倫関係にあった。このプロデューサーがハワイで大麻を吸引している姿が目撃されている。高樹も一緒にハワイへ旅行していた。彼女は一度人を信じると、相手に依存しきるタイプだ」(芸能事務所関係者)

 それでも順調に芸能界でキャリアを積んできた。だが、ハワイ在住の水中カメラマンとつき合ったことで、エコロジカル活動に傾倒するようになる。

 結局、カメラマンとは破局するが、2007年に高樹容疑者は千葉県南房総市に居を移し、自然の中での生活を始める。ここで一緒に逮捕された大麻研究家の森山繁成容疑者(58)と知り合った。

「森山は土木建築会社を経営していたが、すでに大麻解禁運動にハマり込んでいた。高樹はすぐに森山に感化された」(高樹容疑者の知人)

 2011年の震災を機に沖縄県石垣島に移り住む。芸能活動は放り出した形だ。現地での評判は芳しくなかった。


「同居している男性にタトゥーがあったので、『なんだか怖いね』と、皆で距離を置いていました」(地元住民)

「高樹さんたちには大麻の噂がつきまとっていました。『やっぱりか』というのが、地元の反応です」(別の住民)

 高樹沙耶がいつタトゥーを入れたのかは不明だが、これも同居人に感化されたせいなのか――。

週刊FLASH 2016年11月15日号
http://news.livedoor.com/article/detail/12372319/

この続きは

石垣島 『キャンピングロッジ 虹の豆』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/323.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c1

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
2. 中川隆[-13163] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:40:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[366]

日本最貧県 沖縄にまともな人間はいない


秘祭 (新潮文庫) 石原慎太郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E7%A5%AD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%8E%9F-%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101119082


人口わずか十七人の南西諸島の孤島をリゾート化しようと、観光会社の青年、敏夫が島に赴任する。前任者が事故死した為だ。

島の和やかな雰囲気や、島唯一のいい女、タカ子に魅了され島に惚れ込む。タカ子も敏夫が気にいったようで、二人は即、獣のように愛を交わすようになる。社命で赴任したとはいえ、仕事らしい仕事はせず、タカ子とセックスばかりしている敏夫だが、島で生活していく内に、段々と島のタブーが見えてきた。

まずおかしいのは、檻に入れられている男、ミノルの存在。
言葉は発っせず、原始人のような風貌で獣のようにウーウー吠えているだけ。島の人は

「ミノルは頭が弱くて乱暴することがあるのでね」

とあっさり言うが、明らかに異常な光景だ。

さらにある晩、漁に出た敏夫が見たのはタカ子が他の男と交わっている姿。
タカ子に問い質すと、「嫌なら私を島から出して」と懇願する。
どうやらタカ子は島の男全員と寝ているらしい。このことから、段々とこの島の異常性が露わになっていく。

乱婚、近親相姦、暴力、拷問、殺人…。

近親による性交の歴史により、この島は狂人パラダイスと化していたのだった!
前述した、檻の中の男は島の秘密を漏らさないよう、舌を切られていたのだ。

敏夫の前任者もこの秘密を知って殺されたらしい。そして、知りすぎてしまった敏夫は、タカ子を連れて島を出るため島の老人たちに、「訴えることもできるんだぜ」と脅す。老人たちは

「わしらが島を出ます。だからあんたもこのことは黙っておいてくれんかね」

と、屈伏したように見せかけるが、結局、敏夫は別れの酒と称した杯に毒を盛られて眠らされ、ボコボコに拷問された揚句殺されてしまう。

時は流れ、何も知らない敏夫の後任の青年がまた島に赴任して来た。木の下に不自然に土が盛り上がった土饅頭が二つある。「あれは何ですか」と、島の人に聞いてみると、

「ああ、あれは昔から人魚の墓と言われておってな…」

…それが敏夫とその前の前任者の墓であり、

いずれ自分もそこに葬られることになるとは思いもしないであろう…。
http://hojomatsugoro.blog41.fc2.com/blog-entry-982.html

奇祭アカマタ・クロマタ 美女が洞の中で男衆と妖しい儀式


 アカマタ・クロマタは、八重山列島の新城島、西表島の古見集落、小浜島、石垣島の宮良集落で行われている。場所ごとに開催日はずれているが、それぞれの期間は3日間。開催日時は島民と関係者以外には知らされない。

 アカマタ・クロマタに関する文献や写真は極端に少ない。中でも新城島に関しては、さらに厳しいかん口令が敷かれて、外部にはまず漏れない。

 漏れ伝わる話によると、新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われるという。

「ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという」

 あくまで噂の域を出ないが、島の人たちが観光客などの行動を異常に警戒しているのは秘議にまつわるタブーを暴かれることを恐れているのかもしれない。

2011.8.5 東京スポーツより
http://sky.ap.teacup.com/f45362/1674.html


不思議ナックルズにアカマタ、クロマタの秘密が載っていたよ!

その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でSEXさせられてアカマタ、クロマタが生まれるらしい

アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで それで生まれた子供を人魚の肉として食ってるだって。


麻薬をやりながら、女を監禁して輪姦って・・・

メスのおサルさんみたいに発情してあそこがまっかっかな若い女がアカマタを、

男性と交わりすぎてあそこが真っ黒な10代から40代くらいの淫乱な女がクロマタを演じる、というのが慣わしです!


何でここまで秘密にするかというと

女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食ってるのでばれるとまずいからです
http://unkar.org/r/tropical/1163308866


263 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/09(火) 17:50:18.81 ID:uZN5nJC2.net

新城島(パナリ)の豊年祭「アカマタ・クロマタを生む儀式」


美しい女がナビン洞(洞窟)連れられて来る。

そこでザーシンカと呼ばれる男たちとアカマタ・クロマタを生むための儀式をする。

女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。

そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。

さらに儀式では人魚の肉と称して、子供の肉を食べる。

島では近親相姦や近親婚で血が濃いため女児が多く産まれ、畸形の子やトラブルを起こした女が神への捧げ物にされた。

食べられた子供の頭蓋骨は人魚神社に奉納され、幾つもの頭蓋骨があるが立ち入り禁止になっている。

儀式の後、輪姦された女は全裸で縛られ神殿の鳥居に吊るされ、その下で島民が平然と飲み食いする。

洞窟で何が行われてるか調べた研究者は、島民に石で眼球を潰された。

これは新聞報道され、八重山警察署も事実と答えた。

豊年祭の儀式は、強制集団レイプ・近親相姦・人肉食・薬物乱用・暴行等、隠された秘祭である。


265 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/15(月) 17:45:22.23 ID:krstyRX5.net

だいたい合ってる
そんなもんだよ


270 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/10/01(木) 12:07:25.93 ID:Df8LvUm0.net
>>263
それでだいたい当たってる。
御嶽の先に行けないのは、多くの人骨が捨ててあるからだよ。
警察に通報すれば一発でアウトなんだけれど誰もやらないというwww
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/tropical/1292412995/

737 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、
処女が選ばれる。

だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。

アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。

そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきで よそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。

と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、

隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。

驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。

その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。


728 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、

島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、 高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。


多分そんな神秘の祭りなんだろう。

65 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく

これ以上この島に関わるな
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1284771591/

詳細は


沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/331.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c2

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
3. 中川隆[-13162] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:41:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[367]

日本最貧県 沖縄にまともな人間はいない 2

ケビン・メア日本部長の発言要旨 

 
 海兵隊8千人をグアムに移すが、軍事的プレゼンス(存在)は維持し、地域の安全を保障、抑止力を提供する。

 (米軍再編の)ロードマップのもとで日本は移転費を払う。日本の民主党政権は実施を遅らせているが、私は現行案が実施されると確信している。日本政府は沖縄の知事に対して「もしお金が欲しいならサインしろ」と言う必要がある。ほかに海兵隊を持っていく場所はない。

 日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。

 しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。

 沖縄の主産業は観光だ。農業もあり、ゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。

 日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ、沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。

 沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。 

 日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。 (共同)

http://comrade.at.webry.info/201103/article_1.html


和の文化「ゆすりの手段に使う」 メア米日本部長が発言


 ケビン・メア米国務省日本部長(前駐沖縄米総領事)

米国務省のメア日本部長が昨年末、米大学生らに国務省内で行った講義で、日本人は合意重視の和の文化を「ゆすりの手段に使う」 「沖縄はごまかしの名人で怠惰」などと発言していたことが6日までに分かった。

メア氏は米軍普天間飛行場の移設問題など日米交渉に実務者として深く関与、移設先を同県名護市の辺野古崎地区とした現行案決着を米側で強く主張してきた人物の一人。

発言は差別的で、日本と沖縄への基本認識が問われる内容だ。 講義を聞いた複数の学生がメモを基に作成した「発言録」によると、メア氏は


「日本の和の文化とは常に合意を追い求める」


と説明したうえで


「日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。
合意を追い求めるふりをしながら、できるだけ多くの金を得ようとする」

と述べた。 

沖縄については、日本政府に対する「ごまかしとゆすりの名人」


などと発言。


普天間飛行場は「(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港と同じ」で特別に危険でない

とし、

日本政府は仲井真弘多・沖縄県知事に「お金が欲しいならサインしろ」と言うべきだ


と述べている。 メア氏は共同通信の取材に、「オフレコで行った」とし、発言録は「正確でも完全でもない」としている。

 講義は米首都ワシントンのアメリカン大の学生ら14人に対し、彼らが東京と沖縄へ約2週間の研修旅行に出発する直前の昨年12月3日、大学側の要請で行われた。

2011/03/06 16:56 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030601000386.html


詳細は

日本人を馬鹿にしきったアメリカ人 _ 基地に入れば、日本とアメリカの関係がよくわかる
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/566.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c3

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
4. 中川隆[-13161] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:42:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[368]
(マリファナ観光)
マリファナの購入(入手)は容易である。

今までは、ハワイ=ワイキキ=マリファナで、ハワイに行く事は、マリファナを吸いに行く事である。

最近の注目は、沖縄=国際通り=マリファナで、沖縄に行くことは、マリファナを吸いに行く事である。

でも、最強のガンジャスポットは、東洋一の軍事空港嘉手納飛行場のある沖縄市である。

まずは、パークアベニュー、つづいては、空港通り、さらには、一番街!
この三か所をまわれば、確実に手に入る。

 通りを歩いていると5分おきに「マリファナ買いませんか?」と声をかけられる。
米兵は、軍用郵便で米国より自由に持ち込めるからだ。
これを民間米国人が、売りさばいている。

基地の中は、マリファナ天国なのだ。
http://marihuana.blog.fc2.com/

大麻摘発20代で3倍増 10代への広がりも懸念 沖縄 2016年1月15日
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/22765


大麻で摘発される20代が沖縄で急増し2015年は前年比3倍の32人に

危険ドラッグ取り締まり強化で大麻回帰か。10代への広がりも懸念

スマホ普及でネット購入が容易になり県警は「氷山の一角」と警戒

 大麻を所持したとして摘発される若者が沖縄県内で増えている。沖縄県警によると、20代の摘発数は2014年の11人から15年には32人と約3倍に増加。今月5日には北谷町で男子高生(18)が大麻所持容疑で逮捕され、10代への広がりも懸念されている。


 県警暴力団対策課によると、昨年の大麻絡みの摘発は57人で、そのうち10代の5人を含む20代以下が37人と約65%を占める。11〜14年の20代以下の摘発は10〜14人で推移し、全体の3〜5割だった。

 昨年は大麻事犯の検挙者数も前年と比べ4割増えた。若者を中心にまん延した“脱法ハーブ”(現・危険ドラッグ)の取り締まりが年々厳しくなり、“脱法”以前に多かった大麻へ回帰しているとの見方もある。

 大麻検挙者数が20代で急増している現状に、専門家や県警関係者は、ファッション感覚で安易に手を出す傾向と、スマートフォンの普及でネット購入がより容易になった点に警戒を強めている。

 捜査関係者は、今回の数字について「これはあくまで摘発数。氷山の一角にすぎない」と言い切る。スマホでの大麻購入が実際可能といい、「顔を合わせる密売人が介在した流通より潜在化し、把握は難しい」と話す。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/22765

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c4

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
5. 中川隆[-13160] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:43:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[369]
沖縄の少女売買春、搾取する男性側の問題点とは? 2016年1月13日

「特に沖縄では児童の性的搾取が見られる」。

2015年10月、日本の児童ポルノや児童売春の状況調査のため来日し、沖縄にも足を運んだ国連特別報告者のマオド・ド・ブーア・ブキッキオ氏は日本記者クラブでの会見でこう述べた。

沖縄で一体、何が起きているのか。売買春に関わる少女や大人への取材から浮き彫りになった問題点をまとめた。(デジタル部・與那覇里子)

■ソーシャルメディアと売買春の関係

 2013年8月、沖縄県警は18歳未満の少女13人を含む19人に客と淫行させた男3人を児童福祉法違反で立件した。男らは見知らぬ人との出会いが目的の「出会い系サイト」などで客を集め、沖縄や東北など約10県のホテルなどで少女たちに淫行させていた。管理型売買春である。

 売買春で欠かせないツールがSNSや出会い系などのソーシャルメディアだ。スマートフォンの普及によってチャットで交流することができるアプリやそのIDを交換するサイトが登場。警察庁によると、2015年上半期にSNSなどのコミュニティサイトで796人の少女が被害に遭っている。

 業者の男は少女のふりをして出会い系やSNSで客を募り、買春したい客はソーシャルメディア上で少女を探し、少女は業者から仕事の連絡を受ける。業者から何度も仕事を受けてきた少女の中には業者のまねをして、直接ネット上に書き込み、客を探すケースもあった。

■ネットは問題か

 県教育庁と県警は、管理型売買春事件を受け、2013年9月、「青少年をネット犯罪から守る県民集会」を開いた。親や中高生ら約700人が参加。「青少年を性犯罪から守るため、情報モラル教育に積極的に取り組む」などを宣言した。

 しかし、根本的な問題はネットではない。売買春は通信機器の発展と連動してきた歴史がある。1990年前後はテレホンクラブやツーショットダイヤル、2000年ごろからは携帯電話が普及し始め、出会い系の掲示板に書き込む形で広がっていった。警察は新たなツールが登場するたびに規制をしているが、いたちごっこが続いている。

 変わらないのは、少女に売春をあっせんする男と少女を買う男の存在だ。売買春の根本的な問題の一つは、ここにある。

■男性側の意識

 業者はなぜ、少女に売春をあっせんするのか。事件後、30代の県内業者の男にインタビューをしたところ(1)未成年は性や社会経験が少ないため、扱いやすい(2)中学生は男側のコンドーム使用の有無が判断しにくい(3)沖縄の子は目鼻立ちがはっきりしていて県外の客に人気(4)売春は少女たちの“花嫁修業”と考えている―などの背景が浮かび上がった。

 買う男にも聞いた。30歳の男は、未成年の少女を扱う業者から届いた「女の子買わない?」とのメールをきっかけに買春を始めた。ソープランドより値段が手頃な上、少女が好みのタイプでない場合にはキャンセルもできる。「未成年の買春は犯罪なの?」と聞いてくるほど罪の意識は薄かった。

 少女が大人に“商品”のように扱われている実態があるにもかかわらず、買春に関わる男たちの姿は、なかなか浮かび上がらない。世論から批判や非難の声もほとんど聞こえてこない。

 刑も軽い。児童買春・児童ポルノ禁止法は5年以下の懲役か300万円以下の罰金、沖縄県青少年保護育成条例は2年以下の懲役か100万円以下の罰金で済む。

 そんな男たちに、少女たちは街頭でスカウトされ、SNSで紹介され、魔の手に絡め取られる。家族や友人関係の悩みに親身に耳を傾け、彼氏のように装い、“疑似恋愛”に持ち込む。出勤が続かない少女には「親や友達にバラす」と脅し、囲い込む。

■社会が問われている

 ブキッキオ氏は先の会見で、「(子どもの性被害の撲滅には)根源的な原因究明が必須であり、それは日本政府と沖縄県の共同の責任であると思っている」と指摘した。法、モラル、理性…これまでも問題視はされてはきたが、いかに俎上(そじょう)に載せられるのか、突き付けられている。

 さて、問題をはき違えて実施された「県民集会」。その責任者であり、教育庁ナンバー2を務めたこともある幹部が2014年、児童買春容疑で逮捕された。18歳未満と知らなければ、児童買春・児童ポルノ禁止法は適用されない。結局、県青少年保護育成条例で起訴され、処分はわずか罰金50万円だった。

 2016年3月には最終調査報告、勧告が国連人権理事会に提出される。売買春に関わる大人は身近にいる。彼らに対し、社会の監視の目が生まれる契機となれるのか、社会のあり方が今、問われている。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/22715

児童ポルノ・性的被害 沖縄は貧困が原因 2015年10月26日

日本の児童ポルノや買春の状況を調査するため来日した国連特別報告者で人権専門家のマオド・ド・ブーア・ブキッキオ氏は26日、都内の日本記者クラブで会見し、児童の性的搾取に対して包括的な対策が必要との認識を示した。

東京、大阪に加え那覇も視察した同氏は、県内での被害の原因として貧困と性差に基づく不平等を挙げた。国や県に原因究明、児童生徒への教育、失業対策の必要性を強調した。

 崩壊家庭で育った児童が家出し、被害にあった例を紹介。「明らかに貧困が原因でセックス産業に行き着いている」とし、高い失業率や貧困率が背景にあると指摘した。

 男性に比べ女性の就業が不利な点を挙げ「不平等と貧困などの要因が重なり、特に沖縄では児童の性的搾取が見られる」と述べた。 児童の性的搾取の撲滅には、児童ポルノの閲覧の禁止や厳罰化、被害者ケアの質的向上、個別ケースに対応した社会復帰プランの策定などを求めた。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/20205


沖縄3世帯に1世帯が貧困状態 子の貧困も全国最悪 沖縄タイムス
2016年1月5日 10:01

沖縄県内で必要最低限の生活を保つための収入がない人の割合を示す「絶対的貧困率」は、 2012年に34・8%、

また18歳未満の子どもがいる世帯の「子どもの貧困率」は同年で37・5%

といずれも都道府県別で最悪、さらに伸びも全国平均を大きく上回ることが、山形大の戸室健作准教授の研究で4日、分かった。

県内で3世帯に1世帯は貧困状態にあり、その層が急速に拡大していることが明らかになった。

県内の貧困率34・8%は2位鹿児島県の24・3%と10・5ポイント、
全国平均18・3%と16・5ポイント差で、伸びは07年から5・5ポイント
(全国平均3・9ポイント)と急激に上がった。

「子どもの貧困率」37・5%も、2位大阪府の21・8%と15・7ポイント、
全国平均の13・8%より23・7ポイント高く、伸びも07年から6・8ポイント(全国平均3・8ポイント)増えた。戸室さんは「この20年間、沖縄は常に貧困率が最も高い地域。

背景に、産業のぜい弱さや低賃金があるのではないか」と指摘した。

また就業世帯のうち最低生活費以下の収入しか得ていない世帯(貧困就業世帯)の割合を示す「ワーキングプア率」も県内は25・9%と最悪で、2位の大阪府14・2%と11・7ポイント差と大きな開きがあった。

研究は、12年の総務省「就業構造基本調査」を用い、世帯収入が生活保護費以下のデータを調べた。

戸室さんによると、都道府県別の子どもの貧困率が明らかになるのは初めて。
論文は、2月刊行の「山形大学人文学部研究年報」に掲載予定。(中部報道部・安里真己)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1452185602/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c5

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
6. 中川隆[-13159] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:44:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[370]
「沖縄の貧困」は学歴社会と暴力が生み出した 平均年収は全国最下位、雇用は崩壊状態
中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2016年06月09日
http://toyokeizai.net/articles/-/121834

沖縄県那覇市松山のキャバクラに勤める里見千穂さん(23歳、仮名)

今回、平均年収全国最下位、離職率全国1位に苦しむ沖縄の貧困問題を考えるルポをお届けする。このルポは「総論」を語るものではなく、あえて「個人」をクローズアップしている。そこから浮かび上がってくる真実があると信じているからだ。われわれは、現実に起きていることから目をそむけてはならない。

「子供は4歳の娘、虐待をやめられない。普通に殴ったり、蹴ったりしちゃう。まずいと思うけど、どうにもならない。やめられないです。放置して遊びに行くのは日常だし、ヒドイときは髪の毛引っ張って、引きずり回してひっぱたくとか。子供は、ギャーって泣くよね。でもね、どうしてもかわいそうに見えないの。虐待しちゃうときは、“こいつがいるから、どうしてこいつのために、私が……”って思考回路になっているからさ」

出勤前に取材に応じてくれたキャバクラに勤める里見千穂さん(23歳、仮名)は、顔色ひとつ変えずに娘に対する虐待を語る。彼女は4歳の娘と暮らすシングルマザー。学歴は高校中退、18歳で出来ちゃった結婚し、3年前に無職で収入のない旦那と離婚している。

沖縄県那覇市松山は、沖縄県最大の歓楽街だ。300メートル四方の一角にキャバクラや風俗店が密集する。ゆいモノレール・美栄橋駅を降り、国道58号を越えるとネオンの明かりが見える。路上から男性キャッチが続々と現れ、ひっきりなしに声をかけられる。沖縄の夜は長い、連日朝方までネオンが消えることはない。


平均年収は全国最下位、雇用は崩壊状態

沖縄県の経済は、本当に厳しい。県民の平均年収は333万円(平成25年賃金構造基本統計調査)、平均月収は23.75万円(勤続9年、平均40.5歳)で、全国最下位であり、第1位の東京都580万円と比べると57%強の収入しかない。戦後復興や高度経済成長から切り離され、基地や公共事業への依存から抜けだせないことが理由と言われる。

全国最下位なのは、年収だけではない。県内の非正規雇用者は44.5%(沖縄県庁ホームページ)、離職率は極めて高く、大卒3年内離職49%、高卒3年以内になると57.4%と、雇用は崩壊状態だ。さらに最低賃金は693円と全国最低の一方で、公務員の平均月収は40万7000円と高く、公民の深刻な格差も抱えている。

沖縄の子供たちは公務員にあこがれ、公務員になることを夢見る。シングルマザーも多い。離婚率は人口1000人に対して2.59組が離婚(2013年)と断トツの全国1位で、児童の半数以上がシングル家庭という小学校も存在する。沖縄には、本土都市部住民の想像を超える貧困が蔓延しているのだ。


里見さんは、まず沖縄最大の繁華街である松山について語る。どこの町でも貧困と繁華街は、密接なつながりがある。


沖縄県最大の歓楽街、那覇市松山

「松山には離島も含めた沖縄県全体から、学歴が低かったり、シングルマザーだったり、経済的に困る女性が集まっている。いろんな風俗がある東京とは、事情は全然違う。朝まで普通に営業しているし、客引きの規制はないし、店は未成年とか平気で雇用する。違法だらけ。松山のキャバクラや性風俗で働くのは、女も男も中卒とか高校中退が多い。高校中退率が高いから、沖縄は中卒だらけですよ。とにかく高校中退がすさまじく多い。高校を辞める理由は妊娠とか、バイトとか、遊んでいるほうが楽しいとかいろいろ。低学歴の人間は、夜以外だったら最低賃金のコンビニか居酒屋、ステーキ店、コールセンターくらいしか仕事ないから」

キャバクラ嬢である里見さんの収入を見てみよう。4歳の子供を自宅近くにある実家に預けて21時に出勤して、朝方3時、4時まで働く。時給は2300円だ。3000〜4000円の東京と比べると、格段に安い。1日の賃金は2300円×5時間=1万1500円となる。日払いで支払われるこの金額が丸々収入になるわけではない。出勤ごとに必要なヘアメーク代2000円、タクシー代往復2000円を引くと、7500円しか残らない。週5回働いても、実質的な賃金は16万〜17万円程度となる。

「私、いわゆるヤンキーだったけど、今になって本当にキツイ。キャバクラと性風俗は、男も女も高校中退の中卒ばかり。それで、ほとんどシングルマザー。週5日とか働いても16万〜17万円くらいしか残らない、シングルだったらギリギリの生活だよ。最低賃金のコンビニだったら、フルで働いても10万〜11万円くらいだから生きていけないわけ。私は母親とか祖母に子供を預けられるからマシだけど、家族がいないシングルは本当にキツイ。よく生きていると思う」

琉球大学出身の公務員が頂点の学歴社会

沖縄は琉球大学出身の公務員を頂点とする厳然とした学歴社会がある。学歴がない者たちの月収は、10万〜11万円ほど、覚悟を決めて夜の仕事に飛び込んでも10万円台後半が平均となる。有効求人倍率は非正規やパートを含めて1倍を割る0.9と雇用が極端に少なく、那覇市周辺の物価や家賃は内地とさほど変わらない。公務員、大企業のサラリーマン、公共事業に絡んだビジネスで起業に成功した一部の者以外、普通に働いても普通の生活ができないという状態だ。

「そもそも19歳で結婚とか、10代で出産したのが間違いだった。みんなが出産しているから、それが普通なことになっちゃっている」

そう嘆くように、沖縄は“結婚前に妊娠し、第1子を産んだ女性割合”が25.3%(厚生労働省)と「出来ちゃった婚」の比率は高い。さらにその8割以上が10代だ。女性と子供の貧困の原因となる若年出産と高い離婚率は、そもそも県全体に深く根付くヤンキー文化が原因という。彼女も非行少女だった。3年前の成人式で中学校時代の地元の仲間たちは、派手な改造車で会場に駆けつけて大騒ぎし、テレビカメラに囲まれて報道されている。


「沖縄はヤンキーだらけ。最初からバカは少なくて、中学生になって徐々に狂う。家庭と中学校、それと周囲の環境だよね。ヤンキーグループに入ると、だんだんと環境が悪くなって昼夜逆転して普通の中学生じゃなくなる。それと、ヤンキーの子たちは貧困家庭が多い。親がキャバ嬢とか風俗嬢で、夜に家にいなくて監視がないみたいな。友達にシングルの風俗嬢は何人もいるし、友達の親が覚醒剤で逮捕されるとか、家賃滞納で一家がホームレスになるとか、中学生からキャバとか風俗で働く子はたくさんいたよ。沖縄では普通のこと」

長年、県全体に雇用がない中で、格差と貧困が蔓延、貧困家庭の生活環境は荒れている。観光以外の大きな産業がないと、負の連鎖が起こる。大人の社会は権力に偏った学歴社会、階級社会で、子供の世界は親が貧困層の子供たちによる暴力に支配されている。中学生になると、ヤンキー→スポーツマン→親が公務員の優等生→普通の子→内向的な子と、スクールカーストが形成されて、派手な髪型・スタイルで暴力を背景に持つヤンキーが、子供の世界の権力を握る。

「成人式とか毎年報道されているでしょ。沖縄の子たちは、中学生からあんな感じ。ヤンキーはモテるし、私もそういう人しか相手にしなかった。なぜかというと、学校のヒエラルキーのトップなの。学校とか地元で偉そうにしているし、子供の中では圧倒的な権力がある。中学校で先生を殴るとか、普通。先生に注意されたから蹴ったり、殴ったりとか」

彼女は地元の高校に進学したが、中学時代の友達はほとんど進学しなかった。地元の仲間は未成年を雇用するキャバクラや水商売、男は建築業、とび職などの仕事に就く。そして、高校に進学しない者たちは夜通し遊ぶのが日常だった。

暴力の連鎖が「離婚」と「離職」を生む


松山の風俗紹介所。300メートル四方の一角にキャバクラや風俗店が密集する

「私は、彼氏のDVで高校辞めた。彼氏は無職のヤンキーで、学校に行っていることを責められて、日常的に暴力を振るわれた。ちょっと機嫌損ねると、パンチが飛んでくる。沖縄のヤンキー男は暴力を使って偉そうにするから、いつまでも俺様みたいな性格。恋人とか配偶者に対して虐待は普通なの。たぶん、普通の人のほうが少ない。特に貧困でネグレクト家庭に育った男は、DV体質になりやすくて、それが女性にも影響する。だから、離婚が多いでしょ。会社も同じ、公共事業頼りのもともとヤンキーの中小企業の社長が部下とか後輩を虐待するから仕事が続かない。それが離職率高い理由。本当の負の連鎖、どうしようもない」

高校は1年で中退、17歳で松山のキャバクラに勤めた。未成年を雇用する店はすぐに中卒、高校中退のヤンキーグループに情報が伝わる。友達の紹介で面接して、その日から髪の毛を飾って出勤した。

「虐待をやめられない今も苦しいけど、本当に貧困で苦しんだのは18歳で結婚した後。妊娠中が特に悲惨だったよ」

17歳でキャバクラ嬢になった里見さんは、18歳で妊娠。相手の暴力団員と出来ちゃった婚をする。

「結婚は本当に失敗。ヤンキーばかりの環境だから、暴力に対するハードルが低いの。だからヤクザも身近なの。そうじゃないと、貧乏ヤクザと結婚しないよ。学歴がない人間は、狭い地元のコミュニティがすべてになるし、ヤクザはヒエラルキーのトップ。だから、当時は相手がヤクザでラッキーくらいに思っていた。18歳だと女の先輩に呼びだされるとかあって、暴力振るわれる。でもね、ヤクザと結婚した瞬間、面倒くさいことがいっさいなくなる。平和になる。狭い世界で自由を手に入れられる代償として、社会的な信用を失ったわけ。18歳じゃ社会のことなんてなにもわからないからさ」

出来ちゃった婚をして、夫婦の住まいとして実家近くにある祖母の持ち家を無償で借りた。家賃がかからない恵まれた環境だったが、結婚すぐに暗雲が立った。

「普通の家庭を築きたかったから、妊娠してキャバは辞めた。そのときはちゃんとした家庭を築きたいみたいなことは思っていたけど、暴力は得意だけど、旦那はまったく稼げなかった。暴力的なのは、今は本当に需要がないみたい。今のヤクザは頭を使えないとカネ稼げないから、上納金も払えないみたいな。なんとかしてほしいって旦那を支えたけど、全然ダメだった」

ライフラインがすべて止まった

夫婦2人は無職になった。祖父と祖母からもらう1000円、2000円のお小遣いしか収入がない。光熱費は払えない、最終的には自宅のライフラインがすべて止まった。

「無収入が半年くらい続いて、水も止まった。貧乏はキツイ、頭おかしくなるよ。ライフラインが全部止まると、生きている感覚がなくなる。意気消沈する。水が止まるとお風呂とかトイレとか、本当に根本から生活に困るの。最初は近くの公園から水をくんでくるわけ。最初は水を運べても、だんだん気力がなくなる。電気が2カ月、水道は4カ月で止まった。マジで、払えなかった。そういう状態だと2000円があったら、光熱費払うより、食べ物買う。極限だよね。そうなると、旦那のダメさに腹立つのではなくて、ツライ思いをしているからもっと一緒にいようみたいな感覚になる。正常な判断ができなくなった」

近隣に家族がいたので飢餓状態は免れたが、水が出ない家で無収入の生活を続けながら出産した。長女が生まれた。本当に「かわいいな」と思った。

「子供を産んだ瞬間に現実が見えた。産んだ後、夫が事件を起こして裁判があったの。私は反社会勢力の人と婚姻関係にあるから、自分も同じに見られるってことに気づいた。最悪と思った。狭いコミュニティのヒエラルキーより、社会的な排除のほうが大きい。19歳のとき、そんな当たり前のことに気づいた。心からまずいと思った。そこで初めて夫と離婚しなきゃって思った」

離婚した。無収入の夫は離婚を納得して自分の実家に戻り、出産1カ月後にキャバクラに戻ってライフラインを復活させた。長女と2人暮らしが始まる。

「自分のツライことが、全部子供に向くわけ。だから虐待しちゃう。今もヒドイけど、2年くらい前は本当にヒドかった。子供はアザだらけだよ。どうして虐待かって? 瞬間的にそうなる。表情が夫に似ている瞬間とか。こいつにカネがかかる、離婚してもたかってくる夫にもカネがかかる、夜の仕事と子育てで自分のことは何もできない。なんだ、お前も夫と一緒かよって、思考回路。本当は夫に暴力を振るいたいけど、やり返されるから子供にいく。本当に最悪」

虐待に悩むようになった。子供と一緒にいると、どうしても拳を振り上げる瞬間がある。そして、地元の仲間や男に誘われて外泊をするようになった。子供は置いていく。子供ひとり、部屋に押し込めて鍵をかけて、遊びに行く。2010年7月、風俗嬢の21歳の母親がネグレクトで2人の子供を餓死させた大阪2児虐待事件と同じ状況だ。

「子供なんていなければいいって、あの人の気持ちはメッチャわかるよ。殺意はないと思う。子供に生きていてほしかったけど、途中でどんどん現実逃避して、最悪の結果になったんだろうね。あのね、現実逃避すると、徐々に子供を放置する時間が長くなるの。最初は2時間だけと思っても、2時間大丈夫だった、じゃあ次は3時間ってなる。結局、それが一晩になるわけ。ネグレクトって段階がある。私がラッキーだったのは、自分が一晩空けるようになってからあの事件を知ったこと。彼女のほうが先に事件になってくれたから、自分はこのままだとまずいって思えた」

キッズ携帯に児童相談所の番号を登録

23歳、母娘の2人暮らしは4年目に突入した。母親や祖母に協力してもらって週5回は働き、16万〜17万円は稼がないと最低限の生活はできない。子供を実家に預けて、出勤する。母親と祖母は文句を言いながらも、子供を預かってくれる。周りに助けてくれる家族がいる、シングルマザーの中では恵まれている環境だが、それでも仕事と育児に追われる生活はツライという。

「キッズ携帯に実家と娘のことを知る友達、それと児童相談所の番号を登録して、お母さんが1日とか2日帰ってこなかったら電話してって言ってある。いつ頭がおかしくなるか、わからないから。まずいなと思っても外泊はやめられないし、歯止めが利かない。自分の時間がないと、本当に壊れる。子供とずっと一緒にいたら、結局、殴っちゃうもん。それは治らない。殴りたくないから、今でも遊びに出掛ける。殴るより、遊びに行ったほうがいいって現実逃避だよ」

4歳の娘の写真を見せてもらった。満面の笑顔でカメラを見つめている。本当にかわいい女の子だった。里見さんはこれからヘアメークをしてキャバクラに出勤をする。

「キャバで一緒の大学生がいるけど、彼女たちには卒業がある。でも、自分には卒業がない…って思うと、本当に落ち込むよね」

最後に大きなため息をついて、里見さんの話は終わった。貧困が蔓延する沖縄でシングルマザーになった彼女は、ずっと松山に出勤するしか選択肢がない。
http://toyokeizai.net/articles/-/121834

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c6

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
7. 中川隆[-13158] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:44:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[371]

中学生が売春に走る沖縄の貧困の残酷な現実 娘を風俗店に売る母親も珍しくない
中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2016年06月16日
http://toyokeizai.net/articles/-/122821


5歳の子供がいるシングルマザー、照屋由美子さん(33歳、仮名)

女性、特に単身女性と母子家庭の貧困が社会問題となっている。前回に引き続き、平均年収全国最下位、離職率全国1位の沖縄で貧困に苦しむ女性のルポをお届けする。このルポは「総論」を語るものではなく、あえて「個人」にクローズアップしている。そこから浮かび上がってくる真実があると信じているからだ。われわれは、現実に起きていることから目をそむけてはならない。

沖縄最大の歓楽街・松山には、性風俗が密集する。路上にはスーツ姿の若い男性キャッチがあふれ、一晩中立ち、ひっきりなしに声をかける。歓楽街の真ん中にある雑居ビル前で、男性ピンサロ経営者・上地氏(仮名)を待つ。沖縄の住人たちの夜の始まりは、遅い。21時を過ぎてから、出勤する女性が続々と前を通り過ぎる。雑居ビルでは、数店の風俗店が派手にネオンを灯す。しかし、上地氏が経営するピンサロは、いくら探してもそのビルにはなかった。

「うちは違法店だから、看板はないのですよ。空テナントに見えるここが、うちの店です。白看板の営業です」

現れた上地氏は、恰幅のいい男性だった。3階の真っ白のプレートが掲げられた店を指して、そう言う。22時に開店、朝5時まで営業する。風営法でキャバクラや店舗型風俗店の営業時間は深夜0時か1時までと定められているが、松山では基本的に誰もコンプライアンスを守っていない。

「本番」の価格は40分1万円

エレベーターを降りると殺風景な扉があった。インターホンを押すと中から若い店員が鍵を開ける。1メートル先の人が見えないほど暗い。大音量の音楽が流れている。店内には、べニア板で仕切られたプレールームがあった。学園祭のような手作りだ。

「店舗型ピンサロは風営法の許可を得ようがないので、無許可。完全な違法営業です。だから、沖縄のピンサロは看板出さない。税金も払ってないですね。お客さんはキャッチが集める。価格は時期によるけど、40分1万円が基本。本番で1万円です。観光客が多い時期や週末は、1万3000円とか値段を高くする。暇なときは40分9000円とか8000円まで下げることもある。それと地元の人間と観光客で値段を変える。沖縄の人間はカネがないから、値切りの交渉に応じることもある」

価格は観光客か地元住民か、そして季節、天候、人出によって変動する。40分1万円は、安価な価格帯だ。路上で声をかけるキャッチが観光客か地元住民かを見分け、価格交渉して客を看板のない店に誘導する。女性はシャワーのない狭い部屋で、40分以内で客と本番する。女性の取り分は売り上げの半分、キャッチは売り上げの1割、残った4割が店の収入となる。

貧困が蔓延する沖縄出身の風俗嬢たちは、ほぼ全員が経済的な理由でその仕事に就く。夜の仕事は大都市圏と異なり、職種によって階層がある。上からキャバクラ→デリヘル→店舗型ヘルス→ソープ→ピンサロ(抜き屋)→ちょんの間、という順位で、キャバクラで働けるスペックの沖縄出身の女性が、違法店で本番を売ることはない。


「その職種で働けるかは、年齢と容姿の問題。容姿がよければ、飲み屋(キャバクラ)ができる。容姿と体型が悪かったり、中年女性だったりすると、うちのような抜き屋(ピンサロ)しかない。抜き屋には飲み屋は当然、ソープもできない子が流れてくるわけ。うちは本番店だから、松山では最下層ですよ。うちにいる女の子たちは学歴ないし、容姿もよくない。みんなほかに行き場所のない子たちです。だから、店をやってしまった以上、女の子への責任はあると思っている。ほかに行き場所のない貧困の子たちがうちで働いているから、摘発されるまで続けるしかないですね」

上地氏は高校中退によってレールから外れた。10代後半から雇用がなくて苦労している。さまざまな職種を転々として20代半ばに松山の夜の仕事に足を踏み入れ、31歳から風俗店経営をしている。

「沖縄は、僕が子供の頃からずっと貧しい。観光産業が潤っても、基本的に内地の会社が儲かっているだけ。沖縄の人間はそういう会社に安くコキ使われているだけ。自分で商売しようという知恵も勇気もないし、本土の人間に利用されやすいわけ。自分もずっと貧しかったから、行き場所のない女の子たちには情が入る。貧しい女の子たちを助けているといっても、売春斡旋だから売春防止法違反。それと無許可営業だから風営法違反がつく。警察に捕まれば、よくて執行猶予、悪くて実刑1年くらい。それは仕方のないことですね」

上地氏は那覇市内で飲食店と風俗店を3店舗経営する。容姿に恵まれない貧困女性たちが集まるこのピンサロは、ほとんど儲かっていないという。

夜10時から子供を保育園に預ける

22時半、照屋由美子さん(33歳、仮名)が出勤する。早足に待合室へ入ってワンピースの下着に着替える。照屋さんは5歳の子供がいるシングルマザーだ。週に何度かの出勤日は、21時過ぎに子供と一緒にアパートを出る。バスで松山へ向かい、繁華街の近くにある夜間営業する保育園に子供を預ける。子供が保育園で眠る間、22時半から閉店の朝5時までピンサロで本番を売る。

沖縄の離婚率は全国1位だ。2013年は人口1000人に対して2.59組が離婚している。2位は北海道2.09組、全国平均1.84組で圧倒的な都道府県1位だ。繁華街近くにある保育園は、続々と風俗嬢やキャバ嬢のシングルマザーたちが子供を預けに来る。20〜21時半が保育園のピークとなる。照屋さんは「お客が来るまで」という条件で、取材に応じてくれた。


「正直、疲れています。睡眠時間は毎日3時間くらい。お店は朝5時に終わる。私だけ送迎で帰って、朝起きるのは9時くらい。10時〜16時までグループホームで介護職して、保育園で子供を引き取るのは夕方17時以降です。翌日に介護の仕事がないときは朝5時半くらいに迎えに行けて、一緒に過ごせるけど、ダブルワークしているから子供は保育園で過ごす時間が長い。かわいそうだけど、仕方ないです」

グループホームは時給720円。週3〜4日出勤しても、月収は6万5000円ほど。週3日平均で本番を売ることで、なんとか月収17万〜18万円を確保する。アパート家賃4万円、保育園代4万円の支出が痛い。児童手当1万5000円、母子扶養手当4万円が支給されることで、なんとかギリギリの生活を送る。彼女は童顔でかわいらしい顔だったが、体型はぽっちゃりだった。キャバクラやデリヘルで働けるスペックはなく、5年前からピンサロ勤めである。

「出身は北関東です。16歳のときに家出して沖縄に来ました。親とは縁を切っています。お互い興味がないので、もう8年くらい連絡は取っていません。それに地元には友達はいない、ゼロです。地元に戻ることは一生ないと思う、これからもずっと沖縄で暮らします」

16歳で家出して沖縄移住、親と絶縁、地元に友達はゼロ――とは尋常ではない。いったいなにがあったのか。

「ずっと、イジメられていました。小学校低学年から汚いとか死ねとか、全員から言われ続けた。田舎の小学校で1クラスしかなくて、イジメは沖縄に逃げる16歳まで、ずっと。小学生の頃から自分が生まれてこなければよかったって意識があって、どうして私を産んだのって親を憎んだ。だから、人と付き合うのがうまくない。人が怖い。中学校に入ってから誰か友達が欲しいと思っても、同じ小学校だった人たちに邪魔された。悪いウワサを広められた。中学でも友達は全然できなかったし、なにもできなかった。本当に誰とも話さないで16年間を過ごしました」

地元を捨てて沖縄に逃げた

高校進学はしなかった。コンビニで働きながら、30万円を貯めて家を出ようって決めた。コンビニの同僚に「沖縄って楽しそう」と冗談半分で言われ、地元を捨てて沖縄に逃げることを決めた。

「那覇の飲み屋で働くことにして、18歳って年齢をごまかしてキャバクラで働いた。時給2500円くらいだった。求人広告で面接に行って、そのまま事情を話した。年齢がバレないようにバイトをさせてもらって、寮みたいなところに住めた。沖縄は親切な人が多くて、助けてくれる人がいた。1年後にはアパートも借りることができました。18歳になって飲み屋の仕事を減らして、居酒屋とかコンビニとか、エイサーとかいろんなアルバイトを転々として、20歳で最初の結婚しました」

19歳のとき、出会い系サイトで沖縄出身のサラリーマンと知り合った。恋愛関係になって20歳で結婚。安定した生活だったが、26歳のときに旦那が地元に近い北関東に転勤となった。「内地には絶対に戻りたくない」と、離婚している。

「おカネに困るようになったのは、離婚後。ずっといろいろな昼の仕事と、水商売の仕事でダブルワークした。どんなに頑張っても稼げるのは17万〜18万円くらい。今と同じくらい。離婚して生活どうしようって不安になって、その頃にヘルパー2級も取りました。学歴がないと仕事がない、介護がいいかなって思って。6年前、スナックに客で来た沖縄の人と付き合った。寂しかったし、一人じゃキツイってことですぐに再婚した。最初はいい人と思ったけど、ふたを開けたらDVとか生活費くれないとか、ギャンブル好きとか借金まみれとか、メチャクチャでした。とんでもない男だった。息子は、その男との子供です」

妊娠したことを男に告げれば、ギャンブルやお酒を控えて普通の生活をしてくれるかと期待したが、なにも変わらなかった。子供が生まれて半年後、離婚した。バツ2となる。

「今のグループホームで介護職しながら、風俗を始めた。最初からピンサロです。太っているのでデリヘルは断られた。子供のためにも売春みたいなことはしたくないけど、仕方ないです。飲み屋ができる年齢じゃないし、それしか生活する手段がありません。介護で社員になるには介護福祉士を持ってないとダメだし、家賃と保育園と生活費でどうしても17万円くらいは稼がないとやっていけない。だからすごく無理してダブルワーク続けています。子供は5歳でまだまだ先は長いけど、ずっと風俗はやるしかないかな」

照屋さんは何度もため息をつきながら、暗い待合室でそう語る。50分間くらい話しただろうか。キャッチが酔客を連れてきた。照屋さんは店員に呼びだされ、酔客の手を引きながら本番する部屋へと消えていく。後ろ姿は疲れ切っていた。

中学生も働く、未成年専門の「抜き屋」

「近くに18歳以下の子供ばかりの抜き屋がありますよ。場所教えましょうか?」

上地氏は、そんなことを言う。白看板のピンサロから歩いて2分ほど、セクシー系の店舗が営業する同じようなビルがあった。空テナントのような白い看板の店が、その未成年専門店のようだった。はやっているのか、キャッチと男性客の出入りは多い。

「あそこは未成年専門の抜き屋、当然、本番もさせている。未成年の中には、中学生もたくさんいますよ。沖縄では18歳以下の子供を雇用するのは、本当に簡単なの。口コミですぐに広がって、沖縄中から働きたいって女の子が集まる。違法店はそもそも地下に潜っているから、子供を雇用するかしないかは経営者の判断。未成年だからって値段が高いわけじゃない、うちと同じ40分1万円だよ。逆に女の子を安くたたいている。リスクある営業ってことで店側の立場が強いわけ」

未成年ばかりの本番ピンサロは、沖縄以外には基本的に存在しない。2000年代半ば以降、全国的に摘発されているからだ。事実上の治外法権となっている松山でも未成年だけは即摘発のリスクがあり、極めて危険な営業だ。ここ数年はヒエラルキー下位の職種である違法ピンサロに未成年が集まっているという。


「シングルやネグレクト家庭が多いから、一部の子供たちはどうしても中学生で自立を迫られる。中学生は普通のアルバイトはできないので、どうしても夜に流れる。10年くらい前まではキャバクラがそういう未成年の働く場所になっていたけど、条例(青少年保護育成条例)が厳しくなって、ちゃんと看板を掲げるキャバクラは未成年を雇用しなくなった。だから違法ピンサロに、どんどん流れるわけ。結局、中学生を雇うところは少ないから集中する。賃金を安くしてもほかに移る店がないし、辞めないから買いたたく」

早くに自立を迫られる貧困世帯の未成年たちは、ピンサロや援デリ(売春組織)、個人売春などをして、なんとか収入を得る。16歳を超えれば飲食店やコンビニなどの仕事がある。未成年の中でも、特に貧困家庭の中学生が経済的に困っているという。

「キャバクラが昔みたいに未成年を囲えば、売春する未成年は減りますよ。子供はカラダ売るより、キャバクラのほうがまだいい。いろいろな人との会話、接客することが勉強になるわけだし。一度、中学生を雇用しちゃうと、県全体から集まる。一人が働くとその友達に口コミで広がるから読谷の子が多い年もあれば、コザや宜野湾が多かったり、バラバラ。未成年は松山だけじゃなくて、仕事ができる場所と店に集まる」

中学生の娘を売る母親も珍しくない

貧困と格差が蔓延する沖縄の現実は、とんでもないことになっていた。本土で生活するわれわれには信じられない話だったが、上地氏は当たり前のように語っていた。

「10日くらい前、うちで働く母親が娘を連れてきましたよ。中学2年だったかな。“娘がおカネを返さない、働いて返してもらう”って言っていた。もうメチャクチャですよ。未成年を雇うのは簡単だけど、うちはできるだけ長く営業したいから手を出しません」

沖縄は産業と雇用の多くを米軍基地やその周辺のサービス業、観光業などに頼ってきた。民間投資が多くはないため、圧倒的におカネが足りない。いびつな状況は、すぐに繁華街の現実に表れる。違法店舗を摘発しても、経済的に困る女の子たちは別の場所に流れるだけだ。大人の女性はもちろんだが、特に子供たちには、売春してほしくない。それを止める手段は、今の沖縄のどこにあるのだろうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/122821?page=5

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c7

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
8. 中川隆[-13157] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:45:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[372]
高樹沙耶が逮捕覚悟で出馬!医療用大麻の必要性を訴える論拠とは 2016-05-19

芸能界からしばらく姿を消していたドラマ『相棒』でお馴染みの高樹沙耶さん(本名・益戸育江 52)。今夏の参院選で「新党改革」から出馬を表明し、再び表舞台へ帰ってくることになったようです。気になる公約ですが、どうやら逮捕覚悟で医療用大麻の解禁を訴えるとのこと。一体どういうことなのか、詳細をみてみましょう。


高樹沙耶が逮捕?日本で大麻は違法です

まず、誤解のないように書かせて頂きますが、高樹沙耶さんに逮捕歴はありません!しかし、大麻の使用はもちろん、所持したり栽培しても違法ですので逮捕されます。さらに、日本国外においても同様です。さすがに国外まで日本の警察が来て現行犯逮捕されることはないと思いますが、違法ではあります。まずは、この点をご理解下さい。

今回、私がなぜ高樹沙耶さんが逮捕覚悟だと思ったかというと、冒頭でも書きました通り、公約に「医療用大麻の解禁」を掲げているからです。そして、高樹沙耶さんが昔書いていた公式ブログで、過去に大麻の使用を匂わせるような記載があったので大丈夫なのかなと思ったのです(現在は削除されていますが、ネットで調べると出てきます)。

大麻という日本では違法の薬物を選挙公約に使うのはかなりリスキーだと思いますし、そこまでして大麻を勧めるのなら自分もやってたんじゃないの?と疑われるのも仕方がないですよね。万が一高樹沙耶さんが大麻をやっていた過去があった場合、法律的に逮捕できるのかどうかは私は分かりませんが、そこまで危険をおかしてまで出馬することに対して私は非常に興味を持ってしまいました。


「医療用大麻は現在、認知症をはじめ二百五十以上の症例に効果があることが分かっています。大麻は麻薬と誤認されていますし、敢えてそれを主張するには勇気がいりますが、誰かが言わなければ世の中は変わっていかないと思い、出馬を決意しました」
【引用元 週刊文春 5月26日号】


>スノボー大麻使用は誰?角野友基 稲村奎汰 平野歩夢かも!?


高樹沙耶が掲げる医療用大麻とは何?

では、高樹沙耶さんが参院選に出馬してまで解禁したい医療用大麻とは一体何なのか、実際に使って・・・いや、調べてみました(笑)。

先程も書いたように、大麻には認知症予防やリウマチなど約250の疾患に効果があるというエビデンスがあるそうです。すでにイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどでは医療用大麻が実際に販売され、アメリカでは4つの州で嗜好品としても合法です。2020年の東京オリンピックでは、疲労回復のために医療用大麻を活用する外国人選手が現れても不思議ではない状況まで来ているそうで、日本でも早急に議論を始める必要があるとのことです。

しかし、”大麻は麻薬”と思い込んでいる真面目な日本人に対して、すぐに理解してもらうことは難しいということから、情報も何も与えず頭ごなしに『ダメ』となっている現状をまずは変えていく環境づくりが大事と考えているそうです。確かに麻薬である「モルヒネ」は医療用として使えるのに、「大麻」だとなぜだめなのか。今後は、さらに具体的な話をどんどん展開して頂きたいと思います。


高樹沙耶が出馬に至った経緯まとめ

高樹沙耶さんの医療用大麻についての想いはだいたい分かったのですが、なぜいきなり高樹沙耶さんが出馬となったのか。その経緯を調べてみました。

最初のきっかけとなったのは、「新党日本」で新井代表と同僚だった平山誠・前参院議員との出会いです。一昨年の9月、平山氏がダイビングで石垣島に来たことから交流が始まり、新井代表に引き合わせてもらったのだとか。

医療用大麻の話をするうちに「医者が研究機関を作らなければいけない」と去年の4月「薬用作物(薬草)栽培推進議員連盟」を立ち上げてもらったそうです。そして、平山氏が理事となる「日本薬用植物研究推進協会」が作られ、昭和大学では「日本臨床カンナビノイド学会」が発足。これらの研究を促進する体制が整った中、新井代表も国会で質問を重ねて来たそうです。


この話題の裏側を考える

大麻のことなどネットでいろいろと調べていると、今回の高樹沙耶さんの主張については賛否両論分かれています。私自身、現段階ではまだ怪しい目で見ているのですが、何かの既成概念をぶち壊すのって相当なエネルギーが必要です。地動説と天動説ではないですが、本当に大麻が医療用に有用なのであれば、本当に実現して欲しいと思います。

と言いますのも、私は母親をガンで失くしたのですが、その治療に「モルヒネ」が使われたのです。治療というと聞こえがいいのですが、要は痛み止めです。ガンって末期になると激痛を伴うって知ってますか?私は母親を看病するようになって初めて知りました。私の母親はガンが見つかったのが遅く、リンパなどに転移しており手術をしても助からない事が分かっていました。抗癌剤を使用すれば延命は出来るのですが、副作用が激しいということで、お医者さんと相談した結果、延命治療はしないことにしました。なので、当時はモルヒネがあったお陰で、大変助かりました。これがなかったら母はずっと痛みに耐え続けなければならなかったと思います。

このように、麻薬であるモルヒネで助かったがん患者は数知れないと思います。もし、大麻も何らかの医療に有用なのであれば、是非解明して頂き、医療用として解禁出来るのであれば、こんなに素晴らしいことはないと思います。ダメならダメで、何がどうダメなのか、是非とも解明して頂きたいと思います。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:AsDa9ikMlHwJ:light-shade.net/post-501+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


高樹沙耶が逮捕!薬(大麻)は海外で経験!石垣島での男性四人との生活の実態とは 2016-10-26


 10月25日、大麻取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕された元女優の高樹沙耶容疑者(本名・益戸育江(53))。今夏の参院選では医療用大麻(薬)の必要性を訴えて出馬したものの、選挙結果は落選となっていました。当時の出馬の様子を当ブログでもご紹介したのですが(高樹沙耶が逮捕覚悟で出馬!医療用大麻の必要性を訴える論拠とは)、個人的には薬(大麻)の合法化を訴えるのはかなりリスキーだなという印象があったので、今回の逮捕はさほど驚きはしませんでした。

高樹沙耶のブログを調べてみると、高樹沙耶は若い頃に海外で大麻を経験していたという驚くべき事実が書かれてありました。そして、逮捕された石垣島では四人の男性と同居していたという事実もあります。先日放送された『爆報!THEフライデー』(TBS系)の内容と共に詳細をご覧下さい。


高樹沙耶が逮捕!石垣島で生活していた男性二人も逮捕

 当ブログの執筆時点(10月26日)では、高樹沙耶容疑者は「私の家から発見された大麻は私のものではありません」と容疑を否認しています。しかし、同居していた男性の一人・森山繁成容疑者(58)は「私のものです」と容疑を認めつつも、共謀については否認しているとのことです。一方、もう一人逮捕された小見裕貴容疑者(26)も大麻の所持を否認しているようで、麻薬取締部はこの三人が常習的に大麻を使用していたと見て、今後は入手ルートの特定などを進める方針のようです。


高樹沙耶は薬(大麻)を海外で経験か

 今夏の参院選の時は、自らの大麻の使用を否定していた高樹沙耶でしたが、本人のブログを遡って調べてみると、2012年頃に以下のような記事が掲載されていたのです。


『正直申し上げます、私の海外の経験で知りました。18才ぐらいに初めて知り、時おり食べたり吸引しました』

『私個人の感覚からしましては、お酒、たばこ、チョコレートよりも安心で安全で多幸感を得られる、そしてアンチエージングには最高の植物だと信じております』
(引用元:大麻草検証委員会 幹事表明!! | 益戸 育江 のブログです)


 私のリサーチ不足だったのですが、参院選当時でもとあるインタビューで大麻の使用経験の有無を聞かれた際「海外で使用したことがありますが、それを言うとそればかりを取り上げられてしまうので、コメントは控えさせて頂きます」と答えていました。おそらく麻薬取締部はその当時か、もっと前から高樹沙耶をずっとマークしていたのでしょう。そして「大麻を正しく考える国民会議http://www.taimasou.jp/」というサイトでは、以下の動画で高樹沙耶自らが医療大麻について語っています。


医療大麻って何?What is medical cannabis? たかぎさや
https://www.youtube.com/watch?v=p9Tzeet4kJk

 高樹沙耶がどういう理由で大麻(薬)を使用したかまでは分かりませんが、これほどまでに医療用大麻の必要性を訴えるということは、何かきっとものすごく強い思いがあるのでしょう…。


高樹沙耶が大麻にハマるまでの経緯を振り返る

 高樹沙耶が石垣島に住んで大麻にハマるまでの経緯をご紹介したいと思います。

高樹沙耶(本名・益戸育江)は1983年(19歳)映画『沙耶のいる透視図』で主役デビューを果たします。その後『毎度おさわがせします』『お金がない』『相棒』など、数々の大ヒットドラマに出演し、女優としての地位を確立します。

若手女優の頃は、バブル真っ盛りの時代で、高級マンションに住み、六本木のディスコなどで夜遊びを繰り返していたといいます。セレブリティ的なものを目指すようになって、シャネルやグッチなどのブランド品に相当なお金をつぎ込んだようです。

そして、1998年(34歳)に歌手・中西圭三氏と結婚するもわずか2年で離婚。心に傷を追った高樹沙耶は芸能界を引退し、都会を離れ、ハワイや千葉など自然の中で生活していました。

39歳の頃、フリーダイビングのワールドカップに出場。素潜りで当時の日本新記録53mを記録し、見事銀メダルに輝きます。このダイビングとの出会いが高樹沙耶の心境に進化をもたらしたのです。

「ベンツに乗ったり、エルメスのバックを持ったりするのが幸せだったり、豊かっていう価値観から、きれいな空気を吸って、自由な時間がたくさんあってという世界へ価値観がシフトした」

と語っていました。そして、自然の中で暮らすうちに傷ついた心も癒され、再び芸能界に復帰します。しかし…。


 2012年の7月。突如行った、自身のブログでの以下の宣言によって世間を騒がせることになるのです。


『私このたび、大麻草検証委員会の幹事となり、自然回帰活動とともに、この事を多くの方に知っていただきたく活動に参加する事を表明いたします。』
(引用元:大麻草検証委員会 幹事表明!! | 益戸 育江 のブログです)

 つまり、大麻の合法化を訴える活動を宣言したのです!

このことで、芸能界に復帰していた高樹沙耶に付いたあだ名は『大麻女優』。

仲の良かったスタッフなどもいつ大麻で逮捕されるか分からない高樹沙耶に対して距離を置くようになります。そのことについて、爆報!THEフライデーで以下のように語っています。

「一番ショックで辛かったですね。その頃に涙は出尽くしましたね。私あなたに何か危害加えた?おかしな発言した?いじめた?気が狂った? してないでしょ!?」

 2012年10月。仕事を失ってしまった高樹沙耶は再び芸能界引退を余儀なくされます。そして、逃げるように石垣島に移住したのです。

しかし、石垣島の生活で待っていたのは、住民たちの白い目。

麻薬の推進論者であるかのように怪しい目で見られ、大麻で全てを失ってお金もなくなって、ある意味落ちぶれた女優っていう目で見られていたようです。それは石垣島だけではなく日本人全体からそのような視線を感じたと言います。


石垣島での男性四人との生活の実態とは。爆報!THEフライデーを元に検証

 非常にタイムリーなことに、逮捕から2週間ちょっと前の10月7日(金)に放送された『爆報!THEフライデー』(TBS系)に高樹沙耶の石垣島での生活にが特集されていました。今回は石垣島での生活ぶりをご紹介したいと思います。

 高樹沙耶が四人の男性と同居している場所は、石垣空港から車を約30分走らせ、まるでジャングルのように木が生い茂っている狭い道を進んだ先にありました。

土地はおよそ200坪で、4年前に約1,000万円で購入したそうです。

生活している母屋と寝る用の建物が分かれています。

母屋は築20年以上の簡素な建物で、20畳ほどのリビングも質素な感じでテレビもありません。そして驚いたことに、その家で四人の男性と暮らしているというのです。


森山繁成氏(58):【逮捕】事実婚と報道された人物。狭心症の治療のために暖かい石垣島に来て、東京にいる家族の了解も得て住んでいる。

小見裕貴氏(26):【逮捕】世界を放浪して石垣島にたどり着いた。

和田英幹氏(41):元建築関係の技術者。

平山 誠氏(64):3年前まで参議院議員。帯状疱疹の治療のため、暖かい石垣島に来てそのまま居ついている。


爆報!THEフライデーでは「私の愛人たちです(笑)。ウソです。同居人でございます」と冗談めかしてこの四人の男性たちを紹介していました。

スタッフに「恋愛感情とかそういう関係では無いのか?」と聞かれた際

「みんな言うようそうやって。この歳にあったら生産性ゼロだから。めんどくさいはっきり言って」と答えたのは森山繁成氏(今回逮捕された人物)。

高樹沙耶は苦笑いしていました…。

 最後に紹介した平山元議員ですが、スポニチアネックスの報道では、今回の高樹沙耶の逮捕について、以下のように答えています。


「私は同居しておらず、東京から行って1カ月に1週間だったり、2カ月に10日ぐらい滞在している。帯状疱疹(ほうしん)後の神経痛があって暖かい所が体が楽なので。1カ月前に石垣島へ行ったが、変わった様子はなかった。(逮捕は)驚いています。(高樹容疑者らの大麻使用については)吸ったり、栽培するということもなかった。」
(引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-00000085-spnannex-ent

 ちなみに平山氏も今夏の参院選では落選しています。


高樹沙耶は『虹の豆 浮世離れ』というペンションを経営していた

 高樹沙耶の石垣島での生活ぶりですが、

起床は7:30。
朝食は食べずコーヒーだけで済まし、自宅近くの公民館の朝市へ向かいます。

料理担当の高樹沙耶は朝市で買った食材で昼食作り。いつも全員で一緒に食べているそうです。

昼食が終わると、次は10年乗っている愛車の軽トラで職場へ向かいます。

10分ほど行った先にあったのは『虹の豆 浮世離れ』という高樹沙耶が作った宿泊施設でした。

 もともとジャングルだった1500坪の土地を全財産を出して購入し、最初はたった一人で開墾していったそうです。すると土木技術者の森山氏や他の同居人など、高樹沙耶に賛同した仲間が増えていき、自分達の力で3年かけて施設を完成させたそうです。

手作りの露天風呂や300トンの岩を手で積み上げた水路などもあるそうで、お値段は施設全体を貸し切って1泊3万円(5人まで宿泊可能)。

月に10組ほど宿泊し、売り上げは約30万円だとか。

それらは全員の生活費として使っているそうです。そして、今ではようやく地元の住人達にも仲間として認めてくれているそうです。


この話題の裏側を考える

 『爆報!THEフライデー』のTBSもまさか放送の数週間後に高樹沙耶が逮捕されるとは夢にも思っていなかったでしょうから、番組はハッピーエンドというか、大麻の合法化を訴えつつも、今では石垣島で地域住民の方々と仲良く生活していますという感じで放送は終わりました。

私の母は末期がんでモルヒネを使って痛みを緩和してもらった経験があります。なので私も大麻が本当に医療に役立つのであれば合法化して欲しいと思っているので、今夏の参院選では高樹沙耶を応援していました。でも、使っちゃダメですよね…。なので今回の逮捕は本当に残念でなりません。

ただ、日本の風潮としては「大麻の合法化?何言ってんの?」というのが根強い印象がありますので、今回の事件がきっかけとなって大麻について真剣に議論されるとよいのではないかと思いました。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:9kLvtLC8eYIJ:light-shade.net/post-1386+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

高樹沙耶(逮捕)は大麻を吸っていたと週刊文春!大麻パーティの実態に迫る!
2016-11-02


 元女優の高樹沙耶(53)が大麻取締法違反で逮捕されましたが、注目されているのは石垣島での複数の男性との奇妙な同居生活です。

当ブログでも『高樹沙耶が逮捕!薬(大麻)は海外で経験!石垣島での男性四人との生活の実態とは』でご紹介しましたが、実はまだメディアでは報じられていないブラジル人の同居人がいたと週刊文春が報じています。

しかも週刊文春が取材を続けていると石垣島の高樹沙耶の自宅に頻繁に出入りしていたとされるA氏という人物に行き当たり、A氏は、高樹沙耶の自宅で夜な夜な開催されていた”大麻パーティー”で、高樹沙耶が毎晩のように大麻を吸っていた事実を週刊文春に証言しています。今回はA氏が語る”大麻パーティー”の実態に迫ってみたいと思います。


新たな同居人のブラジル人男性とは

 当ブログ記事を書いている11月2日時点では、依然として高樹沙耶容疑者は大麻所持の容疑を否認しています。しかし、本日発売された週刊文春(11月10日号)では、今まで石垣島での同居人は4人の男性とされていたのですが、新たな5人目の同居人のブラジル人の存在を報じていました。高樹沙耶容疑者の石垣島での生活は『爆報!THEフライデー』(TBS系)でも放送されており、四人の男性は顔出ししています。しかし、週刊文春が取材した情報によるともう一人40代のブラジル人がいたのです。

 週刊文春によりますと、彼は元々群馬県に住んでいたのですが、3、4年前に高樹沙耶容疑者とフェイスブックを通じて知り合い、今年の4月に石垣島に移住してきたそうです。主に高樹沙耶氏が経営する『浮世離れ』というペンションの施設管理を行っていたそうですが、8月に施設を去って行ったといいます。おそらくテレビ番組の取材時には既にいなかったのでしょう。週刊文春がそのブラジル人の同居人に大麻について尋ねると、高樹沙耶氏が大麻を所持しているところも使用しているところも見たことはないと言います。しかし、このブラジル人の同居人はちょっと怪しいことをしていたのです…。


「彼はCBDといわれる大麻の種や茎から抽出したオイルの輸入販売に携わっていました。高樹さんや森山さんにCBDを販売したこともあるそうです。合法的なもので、疲れた時に吸うと自律神経を整え疲労回復の効果があるそうです。高樹さんも電子タバコでCBDを吸っていました」
(引用元:週刊文春 2016年11月10日号)

 合法のようなので問題はないのですが、大麻と関係する人物であることは間違いないようです。そして、週刊文春が取材を重ねていく中、高樹沙耶氏が大麻を吸っていた事実を証言するA氏という人物に行き当たったのです。そのA氏は同居人ではないそうなのですが、高樹沙耶氏の自宅で行われていた”大麻パーティー”の参加者だというのです。


知人A氏が週刊文春に語る”大麻パーティ”の実態とは

 では、A氏も参加していた”大麻パーティー”の実態をご紹介しましょう。

 夜20時位からみんながリビングに集まって夕食が始まります。逮捕された森山繁成氏(58)がこちらも逮捕された一番若い小見裕貴氏(26)に『ちょっと(大麻)を揉んどけ』と命令します。大麻は機械で吸引する前に揉むのだそうです。


「大麻は部屋の中にあるお菓子の缶にパッケージされているんです。食事が終わると、小見君が揉んだ大麻を大きなテーブルの上に、まるで茶菓子みたいに各自の前に並べていくんです。リビングの席は上座から森山さん、高樹さんら”幹部”が順に並び、そのほかの参加者はまちまちでした。盛り塩みたいに灰皿のような物に入れて並べられ、みんなそれぞれパイプが配られる。そして、吸うんです」
(引用元:週刊文春 2016年11月10日号)

 週刊文春によりますと、その”大麻パーティー”は午前2時頃まで続くのだとか。そこでは”教祖”森山繁成氏(58)の独演会になるそうで、政治家や警察庁との人脈や高樹沙耶氏との生活を自慢し、反論は許されないといいます。そして、さらに驚いたことに、使用していたのは乾燥大麻だけではなかったのです…。


「純度の高い液体大麻もありました。目薬ぐらいの量でつまようじの先っぽに少しつけるだけでブッ飛びます。次の日も余韻が抜けず、あれをヤッちゃうと普通のマリファナなんかでは満足できなくなるんです。」
(引用元:週刊文春 2016年11月10日号)

 液体大麻は大麻に慣れている人でも会話がままならなくなる程なのだそうですが、A氏が言うには、森山氏と高樹氏は大麻に強い体質なのか、液体大麻をやってもその二人は大丈夫だったそうです…。


逮捕の森山氏は大麻を栽培していた

 さらにA氏の証言は続きます。逮捕された森山繁成氏(58)は2、3年前に大麻草の種を敷地内に蒔いたことがあったそうで、しかも想像以上に育ってしまいヤバいということで全部処分したそうです。

 そんな森山繁成氏(58)はいつも大麻による逮捕に怯えていたそうです。今年の5月頃のこと。午前2時くらいの深夜に知らない車が自宅前に止まったそうです。捜査関係者だと思った森山氏は『大麻を全部捨てろ!』と処分したことがあったそうです。このようにして何度も捜査を切り抜けて来たようですが、そう何度も逃げ切れるほど甘くはなかったようですね…

この話題の裏側を考える

 週刊文春は取材力が半端ないのでにわかにはA氏の証言が信じられないのですが、もし本当だとすると逮捕されていない他の二人の同居人も限りなく黒に近いと思ってしまいます。特に元参議院議員だった平山誠氏(64)は週刊文春の取材に対して、家の中に大麻があるのを見たことがないと言うのですが本当なのでしょうか。だって『爆報!THEフライデー』では森山氏と一緒にパイプでタバコを吸っていましたから。昼はタバコ、夜は大麻だったんじゃないの!?と勘ぐってしまいます。

ただ、平山氏は同居というよりも一ヶ月に1週間から10日間ほどしか滞在してなかったようですので、もしかしたらその間は”大麻パーティー”は開催されなかったのかもしれません。だから逮捕されなかったのかもしれませんが…。そして、以下のような面白い発言もしています。

『僕は高樹さんのパンツを洗ったこともあります』

しかも自分の奥さんのパンツは洗わないそうです(笑)。まさに『浮世離れ』、南の国の大自然で生活すると都会の常識が通用しないのかもしれません。

 とにかく、高樹沙耶氏は本当のことを話して欲しいと思います。医療用大麻の必要性を訴えるのは自由ですが、ここは日本国ですからきちんと法律は守りましょう。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ktZfXbB5xmcJ:light-shade.net/post-1429+&cd=14&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c8

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
9. 中川隆[-13156] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:46:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[373]

沖縄の温泉1 執筆者:郡司 勇


沖縄の温泉4箇所 白濁の山田温泉ほか 2004年9月
https://allabout.co.jp/gm/gc/80470/

ルネッサンスリゾートという立派なホテルになった「山田温泉」と温泉センター宜野湾JA天然温泉「アロマ」と那覇市内のゆんたくあしび温泉「りっかりっかの湯」ロアジールホテル温泉の4箇所をレポート


沖縄の温泉は10箇所以内であろうと思っていますが、そのうち7箇所を紹介します。

まずルネッサンスリゾートという立派なホテルになった「山田温泉」と沖縄では立派な温泉センター宜野湾JA天然温泉「アロマ」と那覇市内のゆんたくあしび温泉「りっかりっかの湯」ロアジールホテル温泉の4箇所をレポートします。


 
 1 ヤマダ温泉 ルネッサンスリゾート 3泊  沖縄で唯一硫黄臭がわかる温泉。弱く白濁している。循環が残念


山田1
大きな吹抜のホテル内部


恩納村にある大きなホテル。プライベートビーチや各種のマリンリゾートがあり沖縄有数のリゾートホテルであろう。温泉を所有しており、宿泊者も別料金で入浴する。


山田2
硫黄泉の白濁の湯


ヤマダ温泉と言い、2階の一角が温泉施設となっている。分析表の掲示はなかったが23度の含硫黄重曹食塩泉(S―Na−Cl、HCO3)でH2S型であることがわかった。

硫黄臭は脱衣場から浴室に入る時にいちばん感じることができる。
タイル貼りの内湯1つのみの簡素な施設で弱いオーバーフロー循環で、湯口にへばりついていると弱い硫黄臭を感じられる。しかし脱衣室と浴室の差がいちばん感じられる


山田3
大きな内湯1つ


循環でも硫黄泉の個性を弱く発揮しており、驚いた。源泉に触れられるとさらに良いであろう。微白濁、ほぼ無味、微硫黄臭と記録した。


 
2 宜野湾JA天然温泉 アロマ         
  総計 5936mgの食塩泉 透明、少塩味、少カルキ臭 立派な温泉センター


アロマ1
和風入母屋の外観


宜野湾市の海際にある温泉施設。和風に造られた外観の温泉センターである。湯は総計5936mgの食塩泉で、41.2度のものが毎分740リットル湧出している。


アロマ2
内湯温泉浴槽

数多くの浴槽があるが温泉は内湯の一つと岩組みの露天風呂に使われている。オーバーフローを採った循環であった。綺麗な湯で透明、少塩味、少カルキ臭であった。


アロマ3
庭園露天風呂は湯を入れ中


毎分740リットルであれば掛け流しができるのに循環しているのは残念である。重曹分や炭酸イオンも含有されているので、弱いすべすべを感じる触感があった。
https://allabout.co.jp/gm/gc/80470/


3 ゆんたくあしび温泉  りっかりっかの湯 
 https://allabout.co.jp/gm/gc/80470/2/

  蒸発 1800mgの食塩泉 循環が残念 源泉口にずっといるとたまに非加熱源泉が足されると観察した。 26.6度


りっか1
現代建築の外観

那覇の市内にあるクアハウスのような温泉施設。いくつかの浴槽があるが外気に面した半露天風呂のみが温泉を使っている。


りっか2
温泉の使われている露天風呂


浴槽の縁や周囲が濃い茶色に染まり風格があるが温泉の個性はそれほど多くない。透明、少エグ味、少カルキ臭であった。


りっか3
オーバーフロー循環の浴槽


少量オーバーフローしているが循環が残念である。成分は蒸発残留物1800mgの食塩泉で26.6度、毎分70リットルの湧出である。

4 ロアジールホテル温泉          
  総計20030mg 強食塩泉 40.5度 濾過だと思われるきれいな湯 オーバーフロー多目の循環  


ロアジール1
大ホテルの外観


空港に近い入り江に面した大きなホテルである。立派なエントランスをすぎて2階に温泉浴室がある。含沃素強食塩泉で総計20030mgである。


ロアジール2
きれいな湯の内湯


40.5度の湯が毎分442リットルも湧出している。塩味が濃いが綺麗な湯で透明、強い塩味、少臭素臭と観察した。内湯、露天風呂ともに温泉を使用していてオーバーフロー多目に採っていて半循環または半掛け流しと言えるであろう。


ロアジール3
石積の露天風呂


推測であるがやや処理しているのか?NH4 17.2 Br 51.2 I 25.8などの個性が少なく残念であった。
https://allabout.co.jp/gm/gc/80470/2/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c9

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
10. 中川隆[-13155] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:47:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[374]

沖縄の温泉2  執筆者:郡司 勇 2004年9月

沖縄の温泉のうちつるつるの浴感と掛け流しの素晴らしい「美浜の湯」街中にある鄙びた銭湯「中乃湯」天然記念物指定の塩の川の野湯「塩川源泉」の3箇所をレポートします。


沖縄の温泉2 掛け流し、銭湯、野湯
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/


沖縄の温泉のうちつるつるの浴感と掛け流しの素晴らしい「美浜の湯」街中にある鄙びた銭湯「中乃湯」天然記念物指定の塩の川の野湯「塩川源泉」の3箇所をレポートします。

 
 1 北谷恵み温泉  美浜の湯(ちゅらゆ)     
 掛け流しの新鮮な湯 つるつるやや強し 新鮮な鉱物臭のある源泉直であるというのがすぐわかる良い湯


北谷1
南欧風の外観


北谷恵み温泉は台風のために午前中は休みであったが、帰りに再度寄るとオープンの準備をしていた。北谷町の再開発地域の中にあり、周囲はショピングセンターや映画館、ホテルなどが集中してアメリカンビレッジと名づけられている。その一角に南欧風の外観の小さめな温泉施設が美浜の湯である。


北谷2
掛け流しの露天風呂


入口には「ちゅらゆ」と書かれどちらが本当の名前なのか分からない。温泉は露天風呂と水着を着て入るプールに使われている。しかしこの温泉の良い浴槽は、源泉掛け流しの露天風呂である。


北谷3
プールも温泉利用


総計1801mgの温泉で純重曹泉の42.1度のものがふんだんに使われており、掛け流し量もこの温度のために大量である。新鮮なために源泉特有の香ばしい鉱物臭があり良い。そしてつるつるの感触が強く存在感もある。成分的にはNa486 HCO3 1116 CO3 33.6というつるつるな湯の成分のためである。


北谷4
掛け流しが分かる排水口


大きめな露天風呂が1つだけ温泉で掛け流しという潔さである。沖縄一の温泉であると確信した。
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/

2 中乃湯   銭湯
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/2/
     
 鄙びた銭湯  純重曹泉とのことであるが、最初だけバスクリンを投入。


中乃湯1
黒ずんだコンクリートの外観


沖縄市のコザの近くにある温泉銭湯。住宅地の中にあり、古びたコンクリート造である。手前に商店のような番台があるが、奥に浴室棟がありこちらがさらに古く黒ずんだ外壁になっていて鄙びている。


中乃湯2
水色に塗られた窓枠

そして水色のペンキ塗りの窓枠がレトロである。浴室の中に入ると脱衣室と浴槽が一つになった別府の鄙びた共同湯のような空間である。やはり水色に塗られた脱衣棚とベンチがあり、浴槽は小判形のものが1つである。


中乃湯3
大福餅のような白セメントの浴槽


これが変わり種で白セメントで盛り上がるように周囲より盛り上がっている。タイルの床の上に大福餅が載っていてその中央が浴槽の縁になっているような形である。


中乃湯4
脱衣場と一体になった浴室


分析表によると Na 482 Cl 612 HCO3 2565という含食塩重曹泉である。湯の色が緑色になっており、ここは最初の1回だけ入浴剤を入れているそうである。その後加熱源泉を足している。緑色透明、少苦味、無臭と観察した。入浴料が230円と東京の400円に比べ沖縄は安くなっている。入浴剤を入れなければよいのになあと思った。
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/2/

3 塩川源泉 
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/3/

     
 台風後で水量が増えていた。塩分は感じられない大量の川の水。しかし雨後の茶色い褐色で存在感はあった。翌年再度訪れると透明な塩水になっていた。


塩川1
まさに茶色の川


名護のとなりにある本部町にある天然湧出泉。海岸より150m内陸から湧出し、海に注いでいる。大雨のあとで塩味は薄く茶褐色に濁っていた。この川は湧出量と塩分濃度が逆比例すると案内板に書かれているので、伏流水と海水が混在しているのであろうと推測した。


塩川2
湧出口近くですでにこの湯量


2箇所の岩より大量に湧出しそこから川となって海に注いでいた。茶色濁り、微塩味、無臭と観察した。ちょうど腰くらいの深さの川で数箇所入浴した。


塩川3
翌年行くと透明になっていた


国指定天然記念物の温泉または湧出泉はここぐらいであろう。富山県の小川温泉の洞窟露天風呂が町指定天然記念物であるくらいで、ほかには思いつかない。
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/3/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c10

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
11. 中川隆[-13154] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:47:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[375]

沖縄に100%源泉掛け流しがあった! 2010年08月20日
http://ameblo.jp/naruru8854/entry-10625274413.html


沖縄の温泉さん、バカにしてごめんなさいm(_ _)m


こんなカラフルで軽薄チックなロゴだけど

なかなかお洒落な施設!

なんと!100%源泉掛け流しの露天風呂があったよ(≧∇≦)

お値段は、ちと高め…(ToT)
でも許す♪


ナトリウム炭酸水素塩泉のツルツルのお湯〜(≧∇≦)

幸せにゃんこ(⌒〜⌒)
http://ameblo.jp/naruru8854/entry-10625274413.html


沖縄県の温泉、日帰り温泉、スーパー銭湯情報|@nifty温泉
https://onsen.nifty.com/okinawa/
https://onsen.nifty.com/ft-gensen/okinawa/

【完全版】沖縄のおすすめ温泉28選!
http://yutty.jp/archives/okinawa-onsen/

らくだジャーナル - 沖縄県の温泉
http://www.rakuda-j.net/onsen/okinawa/index.htm

沖縄で温泉に入ろう!源泉かけ流しの温泉とは ひらきら
http://hirakira.com/post-1697-1697

沖縄でも入りたい!温泉を楽しむならここがオススメ5箇所♪
https://okinawa-labo.com/okinawa-onsen-8518

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c11

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
12. 中川隆[-13153] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:48:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[376]

沖縄県 / 本島中部 Terme VILLA ちゅらーゆ
http://www.hotespa.net/spa/chula-u/
https://onsen.nifty.com/hontouchuubu-onsen/onsen006116/

〒904-0115 沖縄県中頭郡北谷町字美浜2番地

TEL 098-926-2611

営業時間
(お風呂)7:00〜23:00(最終入館22:00)
(屋外施設)10:00〜22:00

駐車場 あり


源泉名 ちゃたん恵み温泉 美浜の湯

泉質 ナトリウム-炭酸水素塩温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)


入場料

平日 ¥1.200
土・日曜日 祝日¥1,500

入場料に含まれるもの(大浴場に用意してあるもの)
ホディソープ、シャンプー、コンディショナー、綿棒、化粧水、乳液、 ヘアリキッド、ブラシ


アクセス

車の場合
那覇空港から国道58号線を名護方面に北上(約40分)、那覇市内からは約30分です。 沖縄自動車道をご利用の場合は、沖縄南ICで降り国体道路(県道23号)、国道58号を経てお越しください。


バスの場合
那覇空港から空港リムジンバス「花」号で、ザ・ビーチタワー沖縄ホテル前へ(約47分) 那覇市内からは、名護西線20番or読谷線28番/29番を利用し、『軍病院前』で下車、徒歩約7分です。
http://www.hotespa.net/spa/chula-u/access/


地図
https://www.google.com/maps?q=26.313314,127.755757


地下1,400mから汲み上げられている天然温泉で、沖縄では珍しいかけ流しの温泉として評判です。

なんといっても特筆すべきは、沖縄初の温泉屋外ヒーリングプールです。
熱帯植物に囲まれ、光と音と香りに五感をゆったり伸ばすことができるプール。
温泉なので、1年中入ることができます。

その他にも、露天風呂、耳をすませるとイルカやクジラの鳴き声が流れてくる多目的プール、照明が美しい浅瀬のプールやジャグジーなどもあります。
http://www.jtrip.co.jp/magazine/okinawa/article/sight/9576/


北谷恵み温泉  美浜の湯(ちゅらゆ)
     
 掛け流しの新鮮な湯 つるつるやや強し 新鮮な鉱物臭のある源泉直であるというのがすぐわかる良い湯

この温泉の良い浴槽は、源泉掛け流しの露天風呂である。

総計1801mgの温泉で純重曹泉の42.1度のものがふんだんに使われており、掛け流し量もこの温度のために大量である。新鮮なために源泉特有の香ばしい鉱物臭があり良い。そしてつるつるの感触が強く存在感もある。

成分的にはNa486 HCO3 1116 CO3 33.6というつるつるな湯の成分のためである。

大きめな露天風呂が1つだけ温泉で掛け流しという潔さである。
沖縄一の温泉であると確信した。
https://allabout.co.jp/gm/gc/80471/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c12

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
13. 中川隆[-13152] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:48:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[377]

浦添の湯 ウラソエノユ
http://www.musu-b.com/shop2033/
http://www.xystus.co.jp/u-yu/
https://onsen.nifty.com/naha-onsen/onsen011698/

〒901-2112 沖縄県浦添市沢岻2-23-1  ジスタス3F

TEL 098-878-1126


営業時間
【月〜土】 9:00〜23:30
【日・祝】 9:00〜21:00


定休日 毎月第二火曜日

駐車場有り ジスタス浦添駐車場 300台あります


利用料金

■9:00〜17:00(デイタイムサービス)
[中学生以上] 600円  [幼児・小学生] 350円

■12:00〜1時間以内
[中学生以上] 670円  [幼児・小学生] 350円

■12:00〜時間制限無し
[中学生以上] 990円  [幼児・小学生] 350円

※上記料金には、入湯税、消費税、タオル、館内ウェア代金を含みます。
ジスタス会員は100円割引されます。回数券も好評発売中。


【源泉名】太古海水天然温泉・若水の湯 

【泉質】ナトリウム−塩化物強塩温泉  

【pH】7.50  

【泉温】54.0度(気温20度)  

【湧出量】毎分1170リットル(掘削自噴)  

【浴槽】内湯、サウナ、露天(1つのみで男女が隔月交代で利用しているらしい)

【温泉利用状況】加水なし、加温なし、かけ流し、消毒なし)


アクセス

電車・バス
ゆいレール古島駅から徒歩10分弱


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%B5%A6%E6%B7%BB%E3%81%AE%E6%B9%AF/@26.234569,127.707531,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x631e683129f790f9?hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjpqc7rhuPQAhVMTrwKHYfDAmYQ_BIIajAK


沖縄の記念すべき一湯目で沖縄の温泉侮るべからずと思い知らされた良湯。

フィットネスクラブ「スポーツパレスジスタス浦添」の3階にある温泉浴場で、行く前は全然期待していなかった。現地についても、フィットネスクラブはあるものの部外者が入れる温泉なんて本当にあるのかな、と半信半疑の状態だった。

 ふらふらとスポーツクラブに迷いこむと、温泉の入り口はまったく別でしかも3階にあるという。3階まで行ってようやく、『あぁ本当に温泉があった』と安心した。一見客など来そうもないところだし、平日の昼間だというのに予想以上の混雑ぶりだ。

 浴場はちょっと薄暗く、それなりにくたびれている。浴場が薄暗いのは窓際に洗い場を作ったため、窓際に壁があるためだ。こんな造りの浴場は初めてみた。八角形の浴槽からは黄緑に茶系が混じったような濁り湯があふれている。浴槽に入ると足元が見えない。かなりコックリした浴感があるスベキシの湯で、南国とはいえ2月の肌寒い日によく温まる。湯口で計ると47.4度もある。

 壁には熱交換器を導入したので加水をやめたという張り紙。非加熱・非加水のかけ流しだ。おまけに掘削自噴の湧出量は毎分1170リットルもある。

う〜ん、参りました、とひれ伏したくなった。パンフレットによると露天風呂もあるそうだが、男女隔月で利用しているとのことで1つしかないらしい。少なくとも私の行った時は女湯には露天風呂はなかった。サウナはドライとスチームの2種類。もちろん、水風呂もある。

 こんな湯に600円(ピーク時除く)で入れてしかもタオル・館内着付きとはお得感がある。ゆいレールの駅からも近くて行き易い。おすすめの一湯だ。(2011年2月)
http://www.rakuda-j.net/onsen/okinawa/urazoe.htm

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c13

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
14. 中川隆[-13151] koaQ7Jey 2020年3月03日 15:49:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[378]
琉球温泉 龍神の湯(琉球温泉 瀬長島ホテル)
http://www.senagaspa.jp/jp/hotbath/index.html

瀬長島ホテル 琉球温泉 動画
https://www.youtube.com/watch?v=88XQxz9eU-Y
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%90%89%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E9%BE%8D%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%B9%AF


瀬長島の琉球温泉「龍神の湯」レポート! 沖縄離島ブログ
http://blog.ritou.com/article/61058738.html


沖縄県 豊見城市 字瀬長174-5

TEL:098-851-7077


【営業時間】 6:00〜24:00(23:00最終受付)

【入泉料金】 大人 平日1,330円 土日祝1,540円 (入湯税・消費税込)

【料金セット内容】 バスタオル・フェイスタオル レンタル付き


【 期間限定☆朝風呂復活! 】
時間:朝 6:00〜10:00までにご入館
期間:6/3(水)〜7/15(金)
料金:平日1000円 土日祝1200円
http://www.senagaspa.jp/jp/gallery-blog/2016/06/post-79.html


泉質

琉球温泉はきちんと地下1000mから温泉を掘り出したもので、


泉温50度の塩化物強塩泉の高張性・弱アルカリ・高温泉

pH7.5

湧出量 毎分510L。

無臭で無色透明。強い塩味

とのことでしたが、実際はそんな塩っぽい感じはありませんでした。
いわゆる弱アルカリのちょとだけぬめっとする感じでしょうか?
http://blog.ritou.com/article/61058738.html


アクセス
那覇空港から車で約20分。(陸路でつながっております)
那覇・国際通りから車で約25分。
アウトレットモールあしびなーから車で約10分。
国道331号線瀬長交差点から車で約5分
http://www.senagaspa.jp/jp/access/index.html


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%90%89%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E7%80%AC%E9%95%B7%E5%B3%B6%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB/@26.176184,127.641406,14z/data=!4m5!3m4!1s0x34e5681ee85506ff:0x8c686fc36d94a9e0!8m2!3d26.176284!4d127.641466?hl=ja

琉球温泉 龍神の湯 ☆ 瀬長島ホテル 2013年08月16日
http://ameblo.jp/naruru8854/entry-11591569800.html

ホテルは国際通りの入り口で、玄関出れば10歩で「沖縄屋」(お土産屋)と好立地。

おじゃる☆たちは、レンタカーで20分ほどのこちらへ向かう。

旅行初日にナウ的に沖縄旅行をつぶやいたら
ここに行ってみろ!と、御親切にも教えてくださった方がいたのよ♪


ね!兄さん♪( ̄ー ̄)ニヤリ


場所は那覇空港のすぐそばの小島。
島と言っても橋でつながっているの。


ここは数年前に、空港から離陸する飛行機を見に行ったことがあった。

こんな感じで、次々飛び立つ飛行機を

真下から眺めることができるベストスポット!(^_-)-☆


轟音と共に、頭上を飛ぶ飛行機は大迫力なのである。

その時は、山の上にこんな素敵なホテルがあることはまったく知らなんだ。


ホテル外観は、帰りに撮ったのでもう真っ暗(笑)。

着いたときは、まだこんな感じぃー。

http://ameblo.jp/naruru8854/image-11591569800-12645372456.html

空が夕焼けでうっすらピンクに染まってなんとも綺麗だったの〜(´0ノ`*)。
温泉に浸かりながらも、ほぼ同様の眺望が楽しめま〜す♪


あ、今回浴室内常に入浴客ありで、画像が無いの。
だからこの景色を良〜〜〜く目に焼き付けておいてねぇ(笑)。

とーーっても広い駐車場(眺望も良し)に車を停めたら
こんな子どもの造った紙粘土みたいなシーサーが出迎えるエントランスを館内へ。ww


http://ameblo.jp/naruru8854/image-11591569800-12645372540.html


ホテルフロントとは別に、直接「龍神の湯」受付カウンターへの案内板あり。


それにしたがってこんな細い廊下を進みます・・。
細いけど、この廊下右側はガラス張り。
美しい中庭が眺められて優雅な気分である。


廊下突き当たりに、龍神の湯専用の受付カウンター。
街中の日帰り温泉とは異なり、さすがホテルマンの丁寧な対応。


女湯、赤暖簾。
綺麗なロッカールームの脱衣所でした。


文章だけですべてを表現するにはおじゃる☆の能力では無理があるので・・(爆)。


公式サイトより、館内図拝借!

http://ameblo.jp/naruru8854/image-11591569800-12649479634.html


今回は、エアポートオーシャンビュー、金龍の湯が女湯
オーシャンビュー、銀龍の湯が男湯。
内風呂エリア、しっとりとした和の趣で雰囲気が素敵です!!


カランの数は15くらいかな。
行ったときは夕飯時だったので空いていたけれど夜など混雑するとこれでは足らないかも。


地下1,000mから湧き出る天然温泉は

毎分500ℓの豊富な湯量と50℃の高温泉。
泉質はナトリウム一塩化物強塩泉。


湯使いは、詳細がわかりませんが

内風呂は熱めで若干の塩素臭がありました。


こちらが露天エリアです。


これまた公式サイトより♪

http://ameblo.jp/naruru8854/image-11591569800-12645372556.html


手前に壺湯、右側が岩風呂。


真ん中の奥に屋根だけ見えるのが、立湯です。
これが本当に素晴らしい!!ヽ(^。^)ノ

大人の胸元まである深いお風呂ですが
足元は大き目の丸石敷きで足裏に心地よい刺激を受けつつ
目の前は全面海!!オーシャンビュー!

東シナ海、慶良間方面に沈みゆく夕陽を眺めることができます。


(最初のピンクの夕陽空を参照ww)


湯温が 37〜8℃と夏の沖縄で浸かっても無理のないぬる湯!


ここは塩素臭も気にならず、体への負担も無いので、何時間でも入っていられそう。


海を眺めながら立湯に浸かり、たまたま隣に立っていた方と温泉談義。


お隣、栃木県からの同年代の奥様で、やはり温泉好きの沖縄好きの陸マイラー(笑)。


毎夏沖縄に来るための、マイル及びチケット獲得苦労話で盛り上がりました(爆)。


その後岩風呂に移りましたら、こちらは空港が良く見えて
夜空の頭上を飛行機が飛ぶさまに酔いしれました。


温泉は立湯に比べると少々熱めですが、半身浴で乗り切る(笑)。


温泉としてはこの湯船が一番香りも強く感じ、ヌルスベもあり・・。


色は薄暗くて良くわからなかったけどww。


温泉の少ない沖縄に、こんな素敵なスポットがあったのねぇ♪


掛け流しではないと思うので、泉質至上主義の方にはちょっと・・だけど


ぬる湯立湯、遮るもののないオーシャンビュー!


そして頭上を飛ぶ飛行機♪ と、総合的にみて、大満足ヽ(^。^)ノ


サウナもアロマにロウリューとあるみたいだし、もっと長居がしたかったぁ♪


でも、娘たちと国際通りで夕飯食べる約束だし(笑)。
後ろ髪をひかれつつ、後にしました。

那覇から20分と近いのもいいね(^_-)-☆
駐車場からは街の夜景も綺麗に見えたよ♪
http://ameblo.jp/naruru8854/entry-11591569800.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c14

[近代史4] 沖縄に移住してはいけない

沖縄に移住してはいけない
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/445.html

[番外地7] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
15. 中川隆[-13150] koaQ7Jey 2020年3月03日 16:08:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[379]
琉球人を馬鹿にしきったアメリカ人 _ 基地に入れば、日本とアメリカの関係がよくわかる
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/566.html

沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html

沖縄が中国に「復帰」するとこうなる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/784.html

沖縄県民が知らない米軍の撤退後に待ち受けている恐ろしい現実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/349.html

風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html

ドキュメント沖縄戦
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/763.html

琉球人は沖縄の先住民なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/704.html

ヤマトンチュには絶対に話してはいけない パナリ(新城)島の秘密
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/706.html

一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html




http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/530.html#c15

[近代史4] 沖縄に移住してはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13149] koaQ7Jey 2020年3月03日 16:08:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[380]

琉球人を馬鹿にしきったアメリカ人 _ 基地に入れば、日本とアメリカの関係がよくわかる
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/566.html

沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html

沖縄が中国に「復帰」するとこうなる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/784.html

沖縄県民が知らない米軍の撤退後に待ち受けている恐ろしい現実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/349.html

風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html

ドキュメント沖縄戦
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/763.html

琉球人は沖縄の先住民なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/704.html

ヤマトンチュには絶対に話してはいけない パナリ(新城)島の秘密
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/706.html

一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/445.html#c1

[近代史3] 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった 中川隆
5. 中川隆[-13148] koaQ7Jey 2020年3月03日 16:20:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[381]
2020年03月03日
弱り目の韓国を襲ったコロナ騒動など同時多発経済危機


訪韓観光客が半減し中国からは8割減を表しているようだ

画像引用:【韓国】政府も数字を見て驚いた ... コロナ経済ショック : エンコリ〜韓国ネチズンの反応〜http://enjoy-japan-korea.com/archives/5551166.html

自分で自分を制裁した韓国

韓国は様々な危機に同時に襲われていて、どれも解決が難しい項目ばかりとなっている。

李大統領や朴大統領が仕掛けた反日闘争では、以前ほど日本が謝罪してくれず韓国側の見返りは少なかった。

韓国が80年に経済成長したのは日本が無償で何もかも援助したからで、実質的に韓国への謝罪と賠償であった。


韓国は1997年に国家破産しIMF管理下に入ったが、また反日闘争で日本から支援を受け簡単に立ち直った。

2008年のリーマンショックでも韓国は国家破産しかけたが、麻生総理が通貨スワップなどで助けてしまい打撃を受けなかった。

ところが李・朴大統領が日本に「新たな真の心からの謝罪」を求めたのに、民主党政権を含めて反応は鈍かった。


むしろやればやるほど日本は謝罪して金を払うどころか冷淡になり、日韓関係が悪化して韓国がダメージを負った。

2019年に韓国が日本企業の資産差し押さえを決めると、日本政府は対抗措置として半導体素材や重要品目の優遇措置を撤廃した。

韓国は日本への対抗措置として不買運動などの経済制裁を行ったが、これは愚策中の愚策でした。


制裁は経済規模が大きい国が小さい国にするもので、小さい国は大きい国に制裁できません。

アメリカは中国やロシアや日本に制裁できるが、されたほうは我慢するしかない。

もし日本がアメリカを制裁したら日米の貿易額が縮小してしまい、打撃を受けるのは日本だけでアメリカは平気です。


日韓でも同じ事で日本は韓国に経済制裁できるが、韓国が日本を制裁したら日韓貿易が縮小して韓国だけが打撃を受けます。

19年は韓国からの訪日旅行者が減少したが、一時期減ってせいせいしたのに、後半はまた増えていました。

韓国の対日制裁は実に愚かで、ペットが飼い主を制裁したらご飯をもらえなくなるでしょう。

韓国の同時多発経済危機

2001年にアメリカを同時多発テロが襲ったが、韓国は現在「同時多発経済危機」に襲われています。

韓国は新型コロナウイルス感染者が3月3日に約5000人に達し中国に次ぐ2番目の多さとなっている。

文在演政権は中国との関係を重視し中国からの入国規制をしなかったが、反対に中国から入国規制される羽目になった。


中国皇帝と朝鮮王朝の関係は千年以上常にこうで、朝鮮王は貢ぐだけ、中国皇帝は常に奪うだけだった。

おかげで文在演は韓国人から「名誉中国市民」と呼ばれているが、感染拡大を防止できなかったと批判されている。

韓国は表向き健全財政だが日本が政府債務に含めている年金や保険など社会保障を除外しています。


社会保障などを含めた韓国の公的債務はGDP比率の150%を超えているとみられ、日本とあまり変わらない。

韓国は2000年代にクレジットカードブームがあり学生や低所得者にも配ったが、家計債務が急増した。

家計債務は住宅や自動車のローン、クレジットカードなどの合計で、韓国のGDP比約100%と主要国で最も高い。


ヘルコリア問題

韓国は輸出依存度が高い国だったが、上からは日本、下からは中国、もっと下から東南アジア諸国の追い上げを受けている。

サムスンなど韓国企業は中国や東南アジアでの生産を増やしているが、これは日本企業がやったのと同じ国外流出を招く。

中国やアジア諸国は韓国製造業の技術を自分のものとし、やがてサムスンを超える製品を低価格で販売するでしょう。


韓国人の間で流行している言葉がヘルコリアで、生活環境の悪化を地獄のようだと嘆いています。

表向きの失業率は4%ほどだがこれは失業者の基準を厳しくしたからで、ソウルの若者の半数は正規職に就けていません。

働いてるとしても非正規で報酬は残業をカットした最低賃金以下しか受け取っていません。


若者の8割が「韓国から脱出したい」と答えていて、実際韓国は流入より国外流出する人が多い。

日本は逆に流入する人が多い国で、不平不満を言っても国外に移住する人はほとんど居ません。

韓国の出生率は2019年に0.93を記録し、このペースだと2020年から人口減少が始まると政府統計庁が予測している。

http://www.thutmosev.com/archives/82353524.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/639.html#c5

[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 3 _ 鴨ネギにされる日本人 中川隆
70. 中川隆[-13147] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:22:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[382]
「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。
まともに暮らせる生活費を見積もってみた
ハーバー・ビジネス・オンライン 2020/03/03
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。まともに暮らせる生活費を見積もってみた/ar-BB10FbvS?ocid=ientp


© HARBOR BUSINESS Online 提供 1世帯が大人数ならタイ料理の自炊で安く上げられるかもしれない


「物価が安いタイ」は過去のもの

 2019年12月上旬に、タイ国内のニュースを中心に発信するニュースクリップなどがタイ・バンコクの生活費ランキングを報道した。

”英人材調査会社ECAインターナショナルが世界の480以上の都市で外国人駐在員の生活費を調べた2019年のランキングで、バンコクは47位と前年の90位から大きくランクを上げ、過去2年で75ランクアップした。

 バーツ高の影響が大きく、タイ北部チェンマイも過去2年で56ランクアップした。”

 記事内にもあるが、バーツ高の影響で国外と比較してランキングが急上昇しているのが一因ではあるが、実際、タイの物価上昇は著しく、バーツ建てで見ても生活費はかなり上がった。タイ人の中には「かつては100バーツで3日過ごせたが、今は300バーツで1日も過ごせない」といったことが書かれた画像をSNSなどで拡散している。

 東南アジアは物価が安いというのは最早昔のことで、今はそうではないというのが現実だ。

 もちろん、旅行でバンコクを訪れた場合はバーツ高とはいえ物価を安く感じることはある。たとえばタクシーは初乗りが35バーツなので約125円程度だ。タイ料理も日本では高額設定が多いが、タイでは日常の食事なので安い。

 しかし、旅行と居住では物価感覚はまったく違ってくる。日本のテレビやネット記事などではよく「○万円で暮らせるバンコク」といった特集などが組まれる。ネットの発達でこれらの情報はタイ国内でもオンタイムで見られるが、多くのタイ在住者が首をかしげていることだろう。

 30万円で暮らせるバンコクならともかく、3万円5万円で暮らせるバンコクなどと特集されると違和感しかないのだ。バンコクでまともに暮らしたことがない人が書いていることは一目瞭然で、その金額は現実的ではない。

 では、実際にバンコクで暮らすにはどれくらい生活費がかかるのか、在住者目線で見てみよう。


「○万円で暮らせるバンコク」の嘘

 まず、3万円というのは非常に非現実的な金額である。3万円は概ね8200バーツくらい。タイ人の中にはこれくらいの所得もいることは事実だ。ただ、バンコクにおいては所得がかなり低い方だと思うべきだ。

 この金額でタイ人も暮らしているというのは大雑把には間違いではない。しかし、大きな前提が抜けていることを「○万円で暮らせるバンコク」を書く人は一切紹介していないケースが多い。

 その前提とは、そういった低所得層のタイ人はひとりで暮らしていない、ということだ。タイだけでなく東南アジアでは基本的に低所得者層になればなるほどひとり部屋とは無縁である。こういった国の人を日本に企業研修で呼び寄せる際、日本側が気を遣ってひとり部屋を与えると、その国の人たちは逆に虐待と受け取るケースがあるのだとか。独房に放り込まれた気分になるそうで、大部屋で雑魚寝させた方が安心するという。

 バンコクで外国人が暮らせる最低限のアパートは家賃が4000〜6000バーツ前後(1万3000〜2万円前後)になる。これ以上安いところもあるが、治安が悪かったり、都心から離れているので、タイ語ができないとかなり厳しい地域になる。仮に4000バーツとしても、ひとりで住むならすでに3万円の半分は消えていくことになる。誰かとシェアするとしても、20数平米の四角い部屋にはプライバシーはなく、普通の日本人の感覚なら耐えられないかもしれない。

 また、こういったアパートには台所がない。バンコクは特に外食文化で屋台があるから問題はないが、これも値上がりしている。2000年前半は一食が25〜30バーツ程度だった。これも1990年代からしたら値上がりしているのだが、今はその倍の50バーツくらいが当たり前になっている。50バーツ×3食×30日で4500バーツになる。家賃4000バーツと合わせれば、これですでに3万円をオーバーしている。しかも、屋台料理はタイ人の食習慣に合わせて量が少ないので、若い人だとこれでは足りない。

 見方によってはこれで暮らせないわけではない。屋台を中心にしていれば、光熱費などを合わせても4万円5万円なら暮らせるのではないか。そう思うのは浅はかだ。実はここにタイで暮らしたことがない人が知らない大きな落とし穴がある。
タイを知らない人の「落とし穴」

 それは、どんなにタイ料理が好きな人でも毎日食べることはできない、ということだ。タイ料理は日本人の体質には合わないのだ。

 タイ料理は世界中の人に好まれる料理だが、逆に言うと誰にでもわかりやすい料理でもある。中国医学の医食同源という考え方はないようだが、タイ料理にもサムンプライと呼ばれるタイ・ハーブが使われ、繊細な味わいがある。一方で、ナンプラー(魚醤)のほか多数の調味料をふんだんに使用する。つまり、タイ料理は味が濃いのだ。

 脂っこいものも多いので、毎日屋台で食べると日本人はいつしか体調を崩すことになるだろう。栄養のバランスもしっかりと考えないといけない。タイ人はこういった土地に生まれ、こういった食習慣で生きているから問題はないが、途中から入ってきた外国人には合わないことがほとんどである。

 そのため、日本人がタイで生活する場合、適度に和食を混ぜる必要がある。幸い、今のタイは空前の和食ブームで、田舎の奥地でも和食にありつける。ところが、こうなるとなおさら5万円で生活することは難しくなる。

 そもそもタイには在住日本人が7万5647人(外務省発表の2019年10月1日時点の在留邦人者数参照)いて、日本人がタイで暮らすと大なり小なり、日本人社会と接点を持つことになる。そうなると、会合などで和食店に行くことになる。仮に日本人社会と一切関わらないとしても、たまに和食店に行くことになり、平均的に日本の1.5〜2倍以上、食費がかかってくる。安い店でビールなどを合わせて1000バーツ(約3500円)としても、月に3回も行けば1万円を軽く超えていく。

 自炊という手もあるが、台所のついた部屋は家賃が1万バーツ(約3.5万円)以上になる。屋台が値上がっているのはそもそも食材も高騰しているので、食費も高くなりがちだ。それ故、ひとり暮らしの場合は屋台の方が安く上がるケースが多い。気温が高いので、冷蔵庫の開け閉めだけで冷気が逃げ、食材も傷みやすいからだ。
日本人がタイで暮らす生活費をリアルに見積もると……

 これらを総合して考えると、完全にタイ人のように暮らす場合であれば5万円でも行けないことはない。生活費を簡単にまとめると下記のようになるのではないだろうか。光熱費や通信費、交通費は暮らし方や住む場所・形態によって大きく違うので、大雑把に見積もっている。


【タイ式の暮らし方場合】
家賃:5000バーツ(アパート)
光熱費:2500バーツ
食費:5850バーツ(屋台のみ+水1本)
交通費:600バーツ(バス往復×25日間)
通信費:400バーツ(スマホの基本料(安い)のみ)
合計=14350バーツ(約50225円)


【節約した日本人の暮らし方】
家賃:12000バーツ(中級マンション)
光熱費:2500バーツ
食費:11590バーツ(屋台+月4回和食店(1回1500バーツ))
交通費:2000バーツ(BTSスカイトレイン40バーツ往復×25日間)
通信費:700バーツ(スマホの基本料(普通)のみ)
合計=28790バーツ(約100765円)


【そこそこの日本人の暮らし方】
家賃:24000バーツ(高級マンション)
光熱費:2500バーツ
食費:45000バーツ(和食店(1回1500バーツ)のみ)
交通費:2000バーツ(BTSスカイトレイン40バーツ往復×25日間)
通信費:700バーツ(スマホの基本料(普通)のみ)
合計=74200バーツ(約259700円)


 ざっと計算しているのだが、これくらいはバンコクの生活にはかかる。日本と同じ水準で暮らそうと思ったら、25万円近くはかかってくる。この場合は日本の食材は日本の倍とはいえ、自炊するとある程度抑えられるだろう。
さらに「遊興費」なども入れれば……

 また、前掲の見積もりには雑費は含んでいない。これに趣味や友人との飲み会などを合わせていくと、もっとかかる計算になる。終電後、あるいは店によってはタクシーも使うことになる。それから、暑いのでときには甘いもの・冷たいものもほしくなるし、服や諸々にもカネはかかる。

 近年はSNSの発達で、一緒にいなくても友人の動向が見えるようになったし、次々に興味深い飲食店やスポットがオープンしている。2000年代前半は日本人が今の3分の1以下でSNSもなく、そもそも和食店がこんなになかった。そんな中ではタイ式の暮らし方もできた。今は情報がたくさん入ってきてしまうので、どこにも遊びに行かずに暮らすというのは修行僧並みの苦痛を感じるかもしれない。友人らが華やかに遊んでいるのを見れば、心が揺らぐものだ。

 いわゆるノマドワーカーのように、タイの日本人社会と接することなく、しかも短期間の滞在なら月に5万円でもいられる可能性はある。ただ、どの国も同じだが、カネを落とさない外国人は歓迎されない。また、少なくともタイは労働許可証なしで働くことは許されていないので、ある程度ちゃんとした身分を確保すると、どうしても上記の一覧くらいの金額はかかってしまう。東南アジアは安いというのは今や幻想に近い。

 とはいえ、ここまでの話は収入を考慮していない。タイで現地採用者として働く場合、5万バーツ前後からが相場となる。スキルがあれば8万バーツ、あるいは10万バーツを稼ぐこともできるので、現地採用の給料でも日本より豪勢な暮らしができるのは事実である。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。まともに暮らせる生活費を見積もってみた/ar-BB10FbvS?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html#c70

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
30. 中川隆[-13146] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:22:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[383]

「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。
まともに暮らせる生活費を見積もってみた
ハーバー・ビジネス・オンライン 2020/03/03
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。まともに暮らせる生活費を見積もってみた/ar-BB10FbvS?ocid=ientp


© HARBOR BUSINESS Online 提供 1世帯が大人数ならタイ料理の自炊で安く上げられるかもしれない


「物価が安いタイ」は過去のもの

 2019年12月上旬に、タイ国内のニュースを中心に発信するニュースクリップなどがタイ・バンコクの生活費ランキングを報道した。

”英人材調査会社ECAインターナショナルが世界の480以上の都市で外国人駐在員の生活費を調べた2019年のランキングで、バンコクは47位と前年の90位から大きくランクを上げ、過去2年で75ランクアップした。

 バーツ高の影響が大きく、タイ北部チェンマイも過去2年で56ランクアップした。”

 記事内にもあるが、バーツ高の影響で国外と比較してランキングが急上昇しているのが一因ではあるが、実際、タイの物価上昇は著しく、バーツ建てで見ても生活費はかなり上がった。タイ人の中には「かつては100バーツで3日過ごせたが、今は300バーツで1日も過ごせない」といったことが書かれた画像をSNSなどで拡散している。

 東南アジアは物価が安いというのは最早昔のことで、今はそうではないというのが現実だ。

 もちろん、旅行でバンコクを訪れた場合はバーツ高とはいえ物価を安く感じることはある。たとえばタクシーは初乗りが35バーツなので約125円程度だ。タイ料理も日本では高額設定が多いが、タイでは日常の食事なので安い。

 しかし、旅行と居住では物価感覚はまったく違ってくる。日本のテレビやネット記事などではよく「○万円で暮らせるバンコク」といった特集などが組まれる。ネットの発達でこれらの情報はタイ国内でもオンタイムで見られるが、多くのタイ在住者が首をかしげていることだろう。

 30万円で暮らせるバンコクならともかく、3万円5万円で暮らせるバンコクなどと特集されると違和感しかないのだ。バンコクでまともに暮らしたことがない人が書いていることは一目瞭然で、その金額は現実的ではない。

 では、実際にバンコクで暮らすにはどれくらい生活費がかかるのか、在住者目線で見てみよう。


「○万円で暮らせるバンコク」の嘘

 まず、3万円というのは非常に非現実的な金額である。3万円は概ね8200バーツくらい。タイ人の中にはこれくらいの所得もいることは事実だ。ただ、バンコクにおいては所得がかなり低い方だと思うべきだ。

 この金額でタイ人も暮らしているというのは大雑把には間違いではない。しかし、大きな前提が抜けていることを「○万円で暮らせるバンコク」を書く人は一切紹介していないケースが多い。

 その前提とは、そういった低所得層のタイ人はひとりで暮らしていない、ということだ。タイだけでなく東南アジアでは基本的に低所得者層になればなるほどひとり部屋とは無縁である。こういった国の人を日本に企業研修で呼び寄せる際、日本側が気を遣ってひとり部屋を与えると、その国の人たちは逆に虐待と受け取るケースがあるのだとか。独房に放り込まれた気分になるそうで、大部屋で雑魚寝させた方が安心するという。

 バンコクで外国人が暮らせる最低限のアパートは家賃が4000〜6000バーツ前後(1万3000〜2万円前後)になる。これ以上安いところもあるが、治安が悪かったり、都心から離れているので、タイ語ができないとかなり厳しい地域になる。仮に4000バーツとしても、ひとりで住むならすでに3万円の半分は消えていくことになる。誰かとシェアするとしても、20数平米の四角い部屋にはプライバシーはなく、普通の日本人の感覚なら耐えられないかもしれない。

 また、こういったアパートには台所がない。バンコクは特に外食文化で屋台があるから問題はないが、これも値上がりしている。2000年前半は一食が25〜30バーツ程度だった。これも1990年代からしたら値上がりしているのだが、今はその倍の50バーツくらいが当たり前になっている。50バーツ×3食×30日で4500バーツになる。家賃4000バーツと合わせれば、これですでに3万円をオーバーしている。しかも、屋台料理はタイ人の食習慣に合わせて量が少ないので、若い人だとこれでは足りない。

 見方によってはこれで暮らせないわけではない。屋台を中心にしていれば、光熱費などを合わせても4万円5万円なら暮らせるのではないか。そう思うのは浅はかだ。実はここにタイで暮らしたことがない人が知らない大きな落とし穴がある。
タイを知らない人の「落とし穴」

 それは、どんなにタイ料理が好きな人でも毎日食べることはできない、ということだ。タイ料理は日本人の体質には合わないのだ。

 タイ料理は世界中の人に好まれる料理だが、逆に言うと誰にでもわかりやすい料理でもある。中国医学の医食同源という考え方はないようだが、タイ料理にもサムンプライと呼ばれるタイ・ハーブが使われ、繊細な味わいがある。一方で、ナンプラー(魚醤)のほか多数の調味料をふんだんに使用する。つまり、タイ料理は味が濃いのだ。

 脂っこいものも多いので、毎日屋台で食べると日本人はいつしか体調を崩すことになるだろう。栄養のバランスもしっかりと考えないといけない。タイ人はこういった土地に生まれ、こういった食習慣で生きているから問題はないが、途中から入ってきた外国人には合わないことがほとんどである。

 そのため、日本人がタイで生活する場合、適度に和食を混ぜる必要がある。幸い、今のタイは空前の和食ブームで、田舎の奥地でも和食にありつける。ところが、こうなるとなおさら5万円で生活することは難しくなる。

 そもそもタイには在住日本人が7万5647人(外務省発表の2019年10月1日時点の在留邦人者数参照)いて、日本人がタイで暮らすと大なり小なり、日本人社会と接点を持つことになる。そうなると、会合などで和食店に行くことになる。仮に日本人社会と一切関わらないとしても、たまに和食店に行くことになり、平均的に日本の1.5〜2倍以上、食費がかかってくる。安い店でビールなどを合わせて1000バーツ(約3500円)としても、月に3回も行けば1万円を軽く超えていく。

 自炊という手もあるが、台所のついた部屋は家賃が1万バーツ(約3.5万円)以上になる。屋台が値上がっているのはそもそも食材も高騰しているので、食費も高くなりがちだ。それ故、ひとり暮らしの場合は屋台の方が安く上がるケースが多い。気温が高いので、冷蔵庫の開け閉めだけで冷気が逃げ、食材も傷みやすいからだ。
日本人がタイで暮らす生活費をリアルに見積もると……

 これらを総合して考えると、完全にタイ人のように暮らす場合であれば5万円でも行けないことはない。生活費を簡単にまとめると下記のようになるのではないだろうか。光熱費や通信費、交通費は暮らし方や住む場所・形態によって大きく違うので、大雑把に見積もっている。


【タイ式の暮らし方場合】
家賃:5000バーツ(アパート)
光熱費:2500バーツ
食費:5850バーツ(屋台のみ+水1本)
交通費:600バーツ(バス往復×25日間)
通信費:400バーツ(スマホの基本料(安い)のみ)
合計=14350バーツ(約50225円)


【節約した日本人の暮らし方】
家賃:12000バーツ(中級マンション)
光熱費:2500バーツ
食費:11590バーツ(屋台+月4回和食店(1回1500バーツ))
交通費:2000バーツ(BTSスカイトレイン40バーツ往復×25日間)
通信費:700バーツ(スマホの基本料(普通)のみ)
合計=28790バーツ(約100765円)


【そこそこの日本人の暮らし方】
家賃:24000バーツ(高級マンション)
光熱費:2500バーツ
食費:45000バーツ(和食店(1回1500バーツ)のみ)
交通費:2000バーツ(BTSスカイトレイン40バーツ往復×25日間)
通信費:700バーツ(スマホの基本料(普通)のみ)
合計=74200バーツ(約259700円)


 ざっと計算しているのだが、これくらいはバンコクの生活にはかかる。日本と同じ水準で暮らそうと思ったら、25万円近くはかかってくる。この場合は日本の食材は日本の倍とはいえ、自炊するとある程度抑えられるだろう。
さらに「遊興費」なども入れれば……

 また、前掲の見積もりには雑費は含んでいない。これに趣味や友人との飲み会などを合わせていくと、もっとかかる計算になる。終電後、あるいは店によってはタクシーも使うことになる。それから、暑いのでときには甘いもの・冷たいものもほしくなるし、服や諸々にもカネはかかる。

 近年はSNSの発達で、一緒にいなくても友人の動向が見えるようになったし、次々に興味深い飲食店やスポットがオープンしている。2000年代前半は日本人が今の3分の1以下でSNSもなく、そもそも和食店がこんなになかった。そんな中ではタイ式の暮らし方もできた。今は情報がたくさん入ってきてしまうので、どこにも遊びに行かずに暮らすというのは修行僧並みの苦痛を感じるかもしれない。友人らが華やかに遊んでいるのを見れば、心が揺らぐものだ。

 いわゆるノマドワーカーのように、タイの日本人社会と接することなく、しかも短期間の滞在なら月に5万円でもいられる可能性はある。ただ、どの国も同じだが、カネを落とさない外国人は歓迎されない。また、少なくともタイは労働許可証なしで働くことは許されていないので、ある程度ちゃんとした身分を確保すると、どうしても上記の一覧くらいの金額はかかってしまう。東南アジアは安いというのは今や幻想に近い。

 とはいえ、ここまでの話は収入を考慮していない。タイで現地採用者として働く場合、5万バーツ前後からが相場となる。スキルがあれば8万バーツ、あるいは10万バーツを稼ぐこともできるので、現地採用の給料でも日本より豪勢な暮らしができるのは事実である。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。まともに暮らせる生活費を見積もってみた/ar-BB10FbvS?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c30

[番外地7] タイに移住してはいけない

タイに移住してはいけない


「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。
まともに暮らせる生活費を見積もってみた
ハーバー・ビジネス・オンライン 2020/03/03


https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。まともに暮らせる生活費を見積もってみた/ar-BB10FbvS?ocid=ientp


© HARBOR BUSINESS Online 提供 1世帯が大人数ならタイ料理の自炊で安く上げられるかもしれない


「物価が安いタイ」は過去のもの

 2019年12月上旬に、タイ国内のニュースを中心に発信するニュースクリップなどがタイ・バンコクの生活費ランキングを報道した。

”英人材調査会社ECAインターナショナルが世界の480以上の都市で外国人駐在員の生活費を調べた2019年のランキングで、バンコクは47位と前年の90位から大きくランクを上げ、過去2年で75ランクアップした。

 バーツ高の影響が大きく、タイ北部チェンマイも過去2年で56ランクアップした。”

 記事内にもあるが、バーツ高の影響で国外と比較してランキングが急上昇しているのが一因ではあるが、実際、タイの物価上昇は著しく、バーツ建てで見ても生活費はかなり上がった。タイ人の中には「かつては100バーツで3日過ごせたが、今は300バーツで1日も過ごせない」といったことが書かれた画像をSNSなどで拡散している。

 東南アジアは物価が安いというのは最早昔のことで、今はそうではないというのが現実だ。

 もちろん、旅行でバンコクを訪れた場合はバーツ高とはいえ物価を安く感じることはある。たとえばタクシーは初乗りが35バーツなので約125円程度だ。タイ料理も日本では高額設定が多いが、タイでは日常の食事なので安い。

 しかし、旅行と居住では物価感覚はまったく違ってくる。日本のテレビやネット記事などではよく「○万円で暮らせるバンコク」といった特集などが組まれる。ネットの発達でこれらの情報はタイ国内でもオンタイムで見られるが、多くのタイ在住者が首をかしげていることだろう。

 30万円で暮らせるバンコクならともかく、3万円5万円で暮らせるバンコクなどと特集されると違和感しかないのだ。バンコクでまともに暮らしたことがない人が書いていることは一目瞭然で、その金額は現実的ではない。

 では、実際にバンコクで暮らすにはどれくらい生活費がかかるのか、在住者目線で見てみよう。


「○万円で暮らせるバンコク」の嘘

 まず、3万円というのは非常に非現実的な金額である。3万円は概ね8200バーツくらい。タイ人の中にはこれくらいの所得もいることは事実だ。ただ、バンコクにおいては所得がかなり低い方だと思うべきだ。

 この金額でタイ人も暮らしているというのは大雑把には間違いではない。しかし、大きな前提が抜けていることを「○万円で暮らせるバンコク」を書く人は一切紹介していないケースが多い。

 その前提とは、そういった低所得層のタイ人はひとりで暮らしていない、ということだ。タイだけでなく東南アジアでは基本的に低所得者層になればなるほどひとり部屋とは無縁である。こういった国の人を日本に企業研修で呼び寄せる際、日本側が気を遣ってひとり部屋を与えると、その国の人たちは逆に虐待と受け取るケースがあるのだとか。独房に放り込まれた気分になるそうで、大部屋で雑魚寝させた方が安心するという。

 バンコクで外国人が暮らせる最低限のアパートは家賃が4000〜6000バーツ前後(1万3000〜2万円前後)になる。これ以上安いところもあるが、治安が悪かったり、都心から離れているので、タイ語ができないとかなり厳しい地域になる。仮に4000バーツとしても、ひとりで住むならすでに3万円の半分は消えていくことになる。誰かとシェアするとしても、20数平米の四角い部屋にはプライバシーはなく、普通の日本人の感覚なら耐えられないかもしれない。

 また、こういったアパートには台所がない。バンコクは特に外食文化で屋台があるから問題はないが、これも値上がりしている。2000年前半は一食が25〜30バーツ程度だった。これも1990年代からしたら値上がりしているのだが、今はその倍の50バーツくらいが当たり前になっている。50バーツ×3食×30日で4500バーツになる。家賃4000バーツと合わせれば、これですでに3万円をオーバーしている。しかも、屋台料理はタイ人の食習慣に合わせて量が少ないので、若い人だとこれでは足りない。

 見方によってはこれで暮らせないわけではない。屋台を中心にしていれば、光熱費などを合わせても4万円5万円なら暮らせるのではないか。そう思うのは浅はかだ。実はここにタイで暮らしたことがない人が知らない大きな落とし穴がある。
タイを知らない人の「落とし穴」

 それは、どんなにタイ料理が好きな人でも毎日食べることはできない、ということだ。タイ料理は日本人の体質には合わないのだ。

 タイ料理は世界中の人に好まれる料理だが、逆に言うと誰にでもわかりやすい料理でもある。中国医学の医食同源という考え方はないようだが、タイ料理にもサムンプライと呼ばれるタイ・ハーブが使われ、繊細な味わいがある。一方で、ナンプラー(魚醤)のほか多数の調味料をふんだんに使用する。つまり、タイ料理は味が濃いのだ。

 脂っこいものも多いので、毎日屋台で食べると日本人はいつしか体調を崩すことになるだろう。栄養のバランスもしっかりと考えないといけない。タイ人はこういった土地に生まれ、こういった食習慣で生きているから問題はないが、途中から入ってきた外国人には合わないことがほとんどである。

 そのため、日本人がタイで生活する場合、適度に和食を混ぜる必要がある。幸い、今のタイは空前の和食ブームで、田舎の奥地でも和食にありつける。ところが、こうなるとなおさら5万円で生活することは難しくなる。

 そもそもタイには在住日本人が7万5647人(外務省発表の2019年10月1日時点の在留邦人者数参照)いて、日本人がタイで暮らすと大なり小なり、日本人社会と接点を持つことになる。そうなると、会合などで和食店に行くことになる。仮に日本人社会と一切関わらないとしても、たまに和食店に行くことになり、平均的に日本の1.5〜2倍以上、食費がかかってくる。安い店でビールなどを合わせて1000バーツ(約3500円)としても、月に3回も行けば1万円を軽く超えていく。

 自炊という手もあるが、台所のついた部屋は家賃が1万バーツ(約3.5万円)以上になる。屋台が値上がっているのはそもそも食材も高騰しているので、食費も高くなりがちだ。それ故、ひとり暮らしの場合は屋台の方が安く上がるケースが多い。気温が高いので、冷蔵庫の開け閉めだけで冷気が逃げ、食材も傷みやすいからだ。
日本人がタイで暮らす生活費をリアルに見積もると……

 これらを総合して考えると、完全にタイ人のように暮らす場合であれば5万円でも行けないことはない。生活費を簡単にまとめると下記のようになるのではないだろうか。光熱費や通信費、交通費は暮らし方や住む場所・形態によって大きく違うので、大雑把に見積もっている。


【タイ式の暮らし方場合】
家賃:5000バーツ(アパート)
光熱費:2500バーツ
食費:5850バーツ(屋台のみ+水1本)
交通費:600バーツ(バス往復×25日間)
通信費:400バーツ(スマホの基本料(安い)のみ)
合計=14350バーツ(約50225円)


【節約した日本人の暮らし方】
家賃:12000バーツ(中級マンション)
光熱費:2500バーツ
食費:11590バーツ(屋台+月4回和食店(1回1500バーツ))
交通費:2000バーツ(BTSスカイトレイン40バーツ往復×25日間)
通信費:700バーツ(スマホの基本料(普通)のみ)
合計=28790バーツ(約100765円)


【そこそこの日本人の暮らし方】
家賃:24000バーツ(高級マンション)
光熱費:2500バーツ
食費:45000バーツ(和食店(1回1500バーツ)のみ)
交通費:2000バーツ(BTSスカイトレイン40バーツ往復×25日間)
通信費:700バーツ(スマホの基本料(普通)のみ)
合計=74200バーツ(約259700円)


 ざっと計算しているのだが、これくらいはバンコクの生活にはかかる。日本と同じ水準で暮らそうと思ったら、25万円近くはかかってくる。この場合は日本の食材は日本の倍とはいえ、自炊するとある程度抑えられるだろう。
さらに「遊興費」なども入れれば……

 また、前掲の見積もりには雑費は含んでいない。これに趣味や友人との飲み会などを合わせていくと、もっとかかる計算になる。終電後、あるいは店によってはタクシーも使うことになる。それから、暑いのでときには甘いもの・冷たいものもほしくなるし、服や諸々にもカネはかかる。

 近年はSNSの発達で、一緒にいなくても友人の動向が見えるようになったし、次々に興味深い飲食店やスポットがオープンしている。2000年代前半は日本人が今の3分の1以下でSNSもなく、そもそも和食店がこんなになかった。そんな中ではタイ式の暮らし方もできた。今は情報がたくさん入ってきてしまうので、どこにも遊びに行かずに暮らすというのは修行僧並みの苦痛を感じるかもしれない。友人らが華やかに遊んでいるのを見れば、心が揺らぐものだ。

 いわゆるノマドワーカーのように、タイの日本人社会と接することなく、しかも短期間の滞在なら月に5万円でもいられる可能性はある。ただ、どの国も同じだが、カネを落とさない外国人は歓迎されない。また、少なくともタイは労働許可証なしで働くことは許されていないので、ある程度ちゃんとした身分を確保すると、どうしても上記の一覧くらいの金額はかかってしまう。東南アジアは安いというのは今や幻想に近い。

 とはいえ、ここまでの話は収入を考慮していない。タイで現地採用者として働く場合、5万バーツ前後からが相場となる。スキルがあれば8万バーツ、あるいは10万バーツを稼ぐこともできるので、現地採用の給料でも日本より豪勢な暮らしができるのは事実である。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/「○万円で暮らせるバンコク」の嘘。まともに暮らせる生活費を見積もってみた/ar-BB10FbvS?ocid=ientp

日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html

タイは天国に二番目に近い国 1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html

タイは天国に二番目に近い国 2 _ 誰が私をこんな女にした
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/378.html

タイは天国に二番目に近い国 3 _ 鴨ネギにされる日本人
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html

サルはなぜサルか 1 _ 白人崇拝がタイ人を猿にした
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/396.html

サルはなぜサルか 2 _ タイ人が微笑む理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/398.html

仏教信仰は人間を堕落させる _ タイが売春国家になった理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/708.html


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html

[近代史4] タイに移住してはいけない

タイに移住してはいけない
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/446.html
[番外地7] タイに移住してはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13145] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:43:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[384]

昔のタイ移住の勧め


30万円あれば1年間生活できる「外こもり」とは(All About)

不況感が増して暗いニュースが多いいま、「外こもり」が増加中であるという。

「外こもり」とは、引きこもりが主に実家の自室にこもり切りになるのに対して、外こもりは海外の安宿にこもる。宿から出ることはめったになく、旅行もしなければ働きもしない。しかし、ドミトリー(多人数部屋)の同居人や従業員とは交流を持ち、数ケ月〜数年に一度は自力で資金を作り出す点が大きな違いだろう。

働かない人がなぜ海外で長期滞在できるのか? 物価が安い途上国のドミトリーなら、1泊500円以下の部屋は結構ある。食事は自炊や外食だが、そういう国では1食100円以内に抑えるのは難しくないので、生活費は1日千円以下に抑えられる。だから、30数万円もあれば1年間生活できてしまうのだ。こうした宿には長期旅行者や外こもりたちが集まってくるので、仲間も多く日本の本や雑誌なども持ち込まれたりして不自由は少ない。資金が尽きたら日本やヨーロッパなどに出稼ぎに出て、次の外こもりのための資金を集めるわけだ。


■バラエティに富む外こもりの種類

外こもりの人々と話をすると、様々なタイプがいることがわかる。まずは日本社会に閉塞感を感じた「社会忌避型」。日本で多忙に働いており、その中で「こんな人生になんの意味があるんだろう」と疑問を持って出てきたタイプだ。元エリートといえる人も多く、多額の貯金を持つ人も結構いる。

続いて「引きこもり型」。人とコミュニケーションをとるのが苦手で、言葉が通じない海外でこそ居心地のよさを感じるタイプ。海外でも個室を選んで引きこもり気味。

マスコミによく出てくるのが「快楽型」。ドラッグや女性を買い、ひたすら快楽に生きる。このタイプはそう多くないし明確な目的があるので、もしかしたら外こもりではないのかも。

帰国せず資金を現地で稼ごうとするのが「現地滞在型」。ツアーガイドや日本食レストランでのバイト、ダイビングの指導からボランティアまで仕事は様々で、社会復帰の一種といえる。

帰国せず現地社会にも溶け込まないのが「ヒッピー型」で、仲間内でコミュニティーを作っていたりする。


■世界に点在する外こもりスポット

外こもりに適している街は、物価が安く治安がまずまずで、アクセスが比較的良好な場所。長期旅行者のたまり場と同じというから、ラオスのルアン・パバンやタイのバンコク、インドのベナレスやゴア州、トルコのイスタンブール、エジプトのカイロ、グアテマラのアンティグア、エクアドルのキトなどがあげられるだろう。歴史ある街も多く、バンコクとベナレス以外には世界遺産があり、世界遺産隣接の安宿街も少なくない。貧民街を含めて考えさせられることは多く、おかげでますます日本での社会復帰が難しくなるケースも多いようだ。ただし、これだけはいえるかもしれない。いますぐ命を絶とうとしている人、世界を見てからでも遅くはない。

文・長谷川 大(All About 世界遺産 ガイド )
http://www.asyura2.com/08/bun1/msg/309.html


日本を100として換算した相対的購買力平価
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%BC%E8%B2%B7%E5%8A%9B%E5%B9%B3%E4%BE%A1%E8%AA%AC

2016年のビッグマック価格ランキング
http://ecodb.net/ranking/bigmac_index.html

タイと日本の物価比較
http://blog.compathy.net/2015/12/28/prices-in-thailand-latest-version/
http://freelifer.jp/?p=7171#i

タイの物価を公開!(2015年)
http://waction.org/?p=2687


まあ結論としてはタイで暮らすより和歌山県田辺市で暮らした方が遥かに安く上がります。

但し、僻地でも北海道の様な寒冷地は東京より更に高く付きます。





▲△▽▼

「仕事を辞めてカンボジア移住だ!」日本人は何万円で生活できる?
格差で選ぶ家計簿3パターン

今回はカンボジア・プノンペンで日本人が暮らす場合の生活費をシミュレーションしてみました。あなたは何万円コース?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html#c26




▲△▽▼

いくら生活費が安くてもタイやフィリピンだけは止めておいた方がいいです:

海外脱出!タイ・バンコク移住生活外こもり実践編
http://thailand.nenpi1.info/


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html#c1

[番外地7] タイに移住してはいけない 中川隆
2. 中川隆[-13144] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:46:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[385]

昔のタイ・フィリピン移住の勧め

外こもりもさまざま 2013/09

日本を降りる若者たち (講談社現代新書) – 2007/11/16 下川 裕治 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E9%99%8D%E3%82%8A%E3%82%8B%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%8B%E5%B7%9D-%E8%A3%95%E6%B2%BB/dp/4062879174


を図書館で借りてきました。


外こもり

外こもりとは「アルバイトなど日本で短期間集中的に稼いだ金を持って物価の安い国に行き、そこで長期滞在して生活すること」

バンコクのカオサン通り近辺に 1泊 100〜300バーツ(約300〜900円)のゲストハウスがあり、バックパッカー(低予算で国外を個人旅行する旅行者)が利用していたそうで、この辺りが外こもり発祥の地らしい。

最近は土地代の値上がりに伴い、冷房やお湯のシャワー付き個室(1泊1,200〜1,500円)などに置き換わっているようです。

タイはビザなしで30日間の滞在が許されるので、一度国外へ出て再入国を繰り返せば長期滞在が可能でした。

しかし、タイに金を落とさない外国人は徐々に締め出される方向で、ノン・イミグラントビザや労働許可の取得が求められるようになるのかもしれません。


1日の出費は300円

「30代男性、東京で10年ほどサラリーマン、バンコクで旅行代理店を手伝う外こもり、

午前中にネットカフェでブログ発信、
宿代以外の1日の出費は100バーツ(約300円)未満。

名古屋で手取り14〜15万円の住み込み派遣で70万円ほど貯めてバンコクへ戻る」


日本でメンタルクリニックに行けば、アスペルガー症候群と診断されるのかもしれません。

ちなみに、バンコク市内には1ヶ月3,200バーツ(1日換算で約100バーツ)の安アパートもあり、そちらへシフトする外こもりもいるそうです。


オンとオフが両極端

「40代半ばの男性、

バブル期に大卒で就職後、大学図書館の臨時職員に転職、派遣社員に仕事を奪われて退職。

日本にアパートを確保し年に2回帰国、1〜2ヶ月集中的に働いて滞在費を稼ぐ。

バンコクでは冷房付きテラスゲストハウス(1泊450円)でダラダラ過ごす」

オンとオフがくっきりと色分けされた吹っ切れた生き方。
30才近くのフリーターに向けられる世間の視線に生きづらさを感じたそうです。

こちらも、日本の精神科医を訪れれば、発達障害と診断名が付くのかもしれません。

ワーキングホリデー組

タイの長期滞在者には、確信犯的な外こもりの他にワーキングホリデー(30才までなら1年間ニュージーランドやオーストラリアで働きながら英語を習得できる)組もいます。

高卒フリーターが20代前半になると将来の不安を感じる
→ 英語力をつけてステップアップを目指す
→ 物価は安くないし不景気だと仕事もない
→ 資金はたまらずたいした英語力もつかない
→ 9ヶ月で切り上げ3ヶ月はアジア旅行に当てる
(1年間追加料金なしで途中の乗り換え都市に降りられる航空券だから)
→英語ができる人が少ないタイで大きな顔ができ居心地がよい。


「30代男性、高卒フリーターの後ワーキングホリデー、帰国後再びフリーターで実家にいづらくなる。

バンコクでバイヤーの手伝いをするようになり月収 20万円だったが、3年後には月収 5万円。
ネットで株取引をしながらひきこもる」

物価の安いタイで月収 5万円のワーキングプア生活、日本にいたときよりもストレスが少ないのならそれもありかもしれません。


サラリーマンに向かない人もいる

ワーキングホリデー組には、20代前半の大学を休学した学生、20代後半の大卒で就職後に退職し再就職前に海外を体験したい社会人などもいます。

「29才男性、大卒時に就職活動をせずにワーキングホリデー、
バンコクで就職するが会社勤めが合わずに退社、
タイ人女性と結婚してタイ料理店を開く」

サラリーマンに向かない人は、どこで勤めてもうまくいかないようです。
自営業で食っていくのはどの国でも大変でしょうが、若い二人には将来の生活設計があります。

70代の日本人男性が金の力で 20代のタイ人女性を束縛するのは不自然で、寝たきりになったら若い妻が下の世話もずっとしてくれる、そんなのは甘すぎる妄想。

けれども、20代同士が一緒になって商売を盛り上げていくなら、いずれタイに根を張れるんじゃないかな。


留学リベンジ組

英・米に1年間海外留学した経験のある留学リベンジ組もいます。

「本当に優秀な学生は現地で就職し、日本の入社試験では留学体験はあまり評価されない。

留学斡旋業者が送り込む留学生の多くは、初級レベルの語学学校に半年、受け入れ先の学校に半年が現実」

留学体験を生かせない会社・仕事に不満を感じ、欧米と日本の仕事のスタイルの違い(自己主張型社会と根回し社会)を批判しますが…。

1年程度の留学で欧米の発想が身につくはずもなく、相手にされない。
そんな時に、バンコクの外資系会社や現地企業が日本人を 5万バーツ(約15万円)で雇ったというニュースを耳にすると、クラッとくるようです。

タイでは月給3万バーツが分岐点とされているそうなので、5万バーツは勝ち組です。


留学経験は重視されない

しかし、日本で仕事がうまく行かなかった人は海外でも躓く傾向にあり、ここでも留学経験は重視されなくなってきています。

「32才男性、大卒後米国留学を経て中堅証券会社に就職、
パニック症候群になり退職、
地元の塾講師となり月給12万円、
知人の紹介で米系広告代理店の営業マンになるが仕事をこなしきれず退職。

労働ビザが切れ観光ビザになる、
仕事がなく株で食いつなぐ、
2年近くアパートから出ない外こもり」


生きづらい
→ 環境を変えて海外で心機
一 転がんばろう
→ いつの間にか同じ躓きを繰り返す。


仕事に対する適性はなかなか変えられないようです。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/09/blog-post_17.html


チェンマイホームレス日記 2013/08


外こもりはどうなった?

派遣工として日本で短期間働き、金が貯まるとバンコクに渡って何もせずに暮らすライフスタイル(外こもり)が流行った時期もありました。

今では派遣で稼ぐことは難しいと思いますが、生活レベルを落として細々と外こもりを続ける若者もいるそうです。

「人生を描くことを忘れてしまった若者でも、そこそこ暮らすことができる。

「で、これからどうするんだ」と難しい顔で説教する人もいない」

そんなアジアでの外こもりは、ひきこもりにとってひとつの選択肢になり得るのでしょうか。

「生きづらい日本人」を捨てる (光文社新書) 2012/12/14 下川裕治著
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A5%E3%82%89%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%8B-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%8B%E5%B7%9D-%E8%A3%95%E6%B2%BB/dp/4334037224

を図書館で借りてきました。


ギアを切り替える

「豊かな日本人が給与と物価が安いアジアに求めるものは、仕事の場であり退職後にのんびり暮らす場所だった」

「日本の衰退とアジア諸国の経済成長が同時に進み、両者の格差は埋まりつつある」

外こもりが注目された頃とは、前提条件が変化しています。

「豊かだった日本の残影にすがり、日本の中で生きづらい日本人を演じている人もいる」

「最近のアジアに暮らす日本人には、ほどほどの暮らしにギアを切り替えた人が増えつつある」

日本では格差の拡大で相対的貧困が問題となり、ワーキングプアは結婚して子育てができないと言われます。生活保護受給者も人並みの暮らしを求めます。

アジアに脱出すれば、経済的不満から開放されるのでしょうか。


沖縄病から覚めても…

「54才、独身男性、
大阪のミナミでスナックとラウンジを経営、1日の売上げは60〜100万円、
バブル崩壊後は経営が悪化し資金繰りに苦しむ、
胃潰瘍や十二指腸潰瘍になる、マンションを売却してローン完済、

住み込み派遣工となり 1年で100万円貯めて那覇に移住、

炭火焼き店オープン時の残金は2万円、
客単価1人1500円、1日6人で売上げが1万円、25日間店を開けて25万円、
利益が6割とすれば月収15万円」

売上げは大阪でのピークに比べて100分の1と想定しています。

「那覇に移住したときは天国だと思った土地は、ありきたりの地方都市。
価値観の違いは、本土から移り住んだ人には醜くも映る」

沖縄病から覚めてみると、パラダイスは幻想です。

が、体調は回復し薬の服用もなくなっています。
ストレスから解放されて寿命が延びたようです。

※沖縄はまだ中国沖縄省ではありませんが、筆者の感覚ではアジアに括られます。


現実離れしている…

本書の登場人物たちは、独身が多く収入よりも生きがいやポリシーを優先しています。

家族持ちや高齢者には難しいであろう冒険的な選択です。

その典型例が「40才、独身男性、

35才で統合失調症と診断され薬物療法を受けながらひきこもる、

ベトナムでロングステイ中の 70代の親元へ気分転換のために転居、

親は体力の衰えで帰国、
本人はお手伝いさんに来ていた30代女性と結婚してベトナム暮らしを選択、
結婚資金として女性に3千ドルを渡したことから親族と金銭トラブル発生」

豊かな日本人への羨望、日本人と結婚した女性へのやっかみから、地元住民による嫌がらせがあります。

精神障害に対する理解は低く、仕事もせずにぶらぶらしている成人男性が理解されないということもあります。

金も仕事もなく、タイ語も話せない。
自分の面倒も見切れない精神障害を抱えたひきこもりが、言葉も通じない異国で結婚する…。ハッピーエンドの可能性があるのでしょうか。


バンコクの労働市場の変化

「10年ほど前のタイ人の大卒初任給は約1万バーツ(1バーツ=2,5〜3円)、30才で3万バーツなら勝ち組。

日本人駐在員は月給20万バーツ以上、現地採用職員でも5万バーツ以上。

タイでBOIの認可を受けたコールセンターは安い給料で日本人を雇うことができ、コールセンター職員なら2万5千バーツと最低ランク」

「コールセンターの職務には苦情処理のストレスがあり、昇進もないので、1〜2年での退職が多い。だが、かつては日系企業の現地採用という道もあった」

月給からアパート代の6千バーツを引くと、食費が安くても厳しい生活になります。

日本経済の凋落で、20代半ば〜30代半ばの若者がさらに安い賃金で働くようになっているそうです。

「月額1万バーツ、観光ビザで働く者も増えてきた」

タイ人の大卒初任給は2万バーツに上がっていますから、その半額です。
月額約3万円では、物価が安くてもギリギリの生活ではないでしょうか。


バンコクでもワーキングプア

「日本人なら誰でもいいという時代もあった。
月給5万バーツで募集しても応募はほとんどなかった。

今、バンコクで現地雇いの募集を出すと日本人がどっと応募する。
月額3万バーツ未満でも現地雇いは狭き門。
コールセンター組も簡単に現地雇いに転職できない」

グローバル化でタイの労働市場も激変したようです。
スキルがなければ海外でも低賃金ですから、物価が安くてもワーキングプアのまま。

海外でワーキングプアを続けられるのは若い内です。
中高年になって帰国しても正社員での再就職はほぼ不可能。

年金未納者が大半でしょうから、アルバイトで食いつないでいずれは無年金者になります。そして、生活保護のパターンかな…。


海外でのホームレスは悲惨

帰国のタイミングを逃してズルズルとタイで暮らすと、異国で飢えに苦しむホームレスとなりかねません。

本書の番外編「チェンマイホームレス日記」を読むと、言葉も通じない海外でのホームレスは悲惨です。


「56才、転職を繰り返し自営業にも失敗、東京に妻と子供を残して蒸発、
タイのチェンマイで万引きなどの不法行為をしながらホームレスを続ける」

体重が20kg以上減って高血圧が改善されたのは不幸中の幸いですが…。
栄養状態や衛生環境がよくないので、このままでは長生きできないでしょう。

ホームレスで野垂れ死にするという確信犯なのですが、しんどい生き方です。
日本に戻って、生活保護を受けるしかないんじゃないかな。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html


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海外脱出!「外こもり」フィリピン編


【水島総・ドラマ選】フィリッピーナを愛した男たち(1992年)[桜H27/5/12]
https://www.youtube.com/watch?v=AMBQgLotsso

ふとん屋の営業マン敏夫(玉置浩二)は、借金が嵩んで妻に逃げられてしまう。
その寂し­さを紛らわすために立ち寄ったフィリピンパブで、マニラ出身のルビー(ルビー・モレノ­)と出会う。福島に母(中村玉緒)を残して上京した敏夫と、フィリピンに家族を残して­出稼ぎに出てきたルビーは、寂しさを共有しながら 互いに惹かれ合っていくが...


妻はフィリピーナ 動画
フィリピン人との結婚生活!
https://www.youtube.com/watch?v=1KLkN9keNWU

フィリピーナ関係 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A


妻はスラム街出身!フィリピン人との結婚生活
http://blog.livedoor.jp/popopina/

フィリピンチャットでフィリピーナの彼女を見つけよう
http://jouhousyouzaikiri.seesaa.net/

【超絶美女】フィリピンで最もセクシーな女性ランキングトップ100(高画質画像集)
http://matome.naver.jp/odai/2140796456729888301

こんな美女と結婚したい!フィリピーナ美人をまとめてみた
http://thaisbaby.com/?p=6337

美しい…セブ島周辺で発見した惚れてまうフィリピン美人10選
http://plus-life.jp/ladies-in-cebu/

男性必見!フィリピン美女ランキング!実は日本で活躍のあの子も!
http://joy-trip.jp/22032

フィリピン美人女性画像をチェック!壮絶な歴史が美人を産んだ?
http://jsaiji.com/731.html

フィリピン 超美人女性画像@ピノを口説く方法は?ピノの代表的美人画像付き
http://jsaiji.com/2289.html

フィリピン 超美人女性画像Aフィリピンの有名な女優や歌手など
http://jsaiji.com/2312.html

フィリピン 超美人女性画像B画像と動画のギャップは少ない女性たち
http://jsaiji.com/2339.html


フィリピーナの追っかけ 2013/09


フィリピンに海外移住するひとつのパターンは、フィリピーナの追っかけ。


フィリピンパブにはまり、帰国したホステスを追ってフィリピンへ
→ 仕事もせず、所持金がなくなると女性の家を追い出される
→ 帰国する旅費もない困窮邦人となる。


店内の仮想恋愛と現実の区別がつかない中高年男性がいるようです。

「70代半ばの離婚歴ある男性、
家賃が月に1万3,000ペソ(約3万2,000円)の 1LDK マンションは電気・水道・ガスが止められ、家賃滞納で立ち退きを迫られている。

生活費は5,000ペソ(約1万2,000円)は知り合いに無心。
一時帰国して生活保護を申請するが認められず、フィリピンに舞い戻る」

在比邦人ホームレス寸前なのに、フィリピン女性にたかられて300ペソ(740円)を渡しています。

海外で孤独死するかもしれませんが、自分で選んだ境遇です。もって瞑すべし、なのかな。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/09/blog-post_13.html


Wikipediaのフィリピンパブ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%96

フィリピンパブ 新宿 歌舞伎町 Club Sail
http://filipinaspub.web.fc2.com/Member.html

タイ娘&フィリピーナ専門デリヘル
http://www.hipness.jp/index.html
http://fz-5.com/wp/category/asia/

私が愛した世界の女たち _ フィリピン
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex_top/sextop.htm

フィリピン病患者 2014/06

フィリピン病に罹るのは中高年男性が多いのですが、フィリピン移住の際の心得は

「家は買わない、女にはまらない、商売に手を出さない」

若くてピチピチのフィリピーナに誘われて渡比するパターンが多いので、フィリピン病患者はすでに女にはまっているわけですが…。


海外生活の適性はあるか

フィリピンに渡るきっかけはフィリピンクラブが多いのでしょうが、雑誌やネットで海外年金暮らしに興味を持つ場合もあります。

物価の安さが強調されますが、豊かな日本の生活に慣れた中高年が現地の人と同じ生活を送れるかは疑問です。


マニラ行きのジジババたち – 2002/6 浜 なつ子 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%82%B8%E3%83%90%E3%83%90%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%B5%9C-%E3%81%AA%E3%81%A4%E5%AD%90/dp/4872336763


によりますと、

「PRAビザ取得を業者に依頼すると15〜25万円かかる。
これを自力でできるかがフィリピン移住の試金石」

このハードルを乗り越えられないのなら、短期や長期の滞在にとどめたほうが無難らしい。


リスクはいろいろある


「フィリピンでは外国人は不動産を取得できず、土地や建物を買うにはフィリピン人の名義を借りる」

これも危険。

コンドミニアムは外国人でも購入できるそうです。

「メイドやドライバーは安く雇えるが、使用者と雇い人間でのトラブルも多い」

フィリピン人の気質を理解できていないと、人を雇ってストレスを増やす結果になるかもしれません。


日本人詐欺師も多い

「退職金や預金を事業に投資しても、99%失敗する。

フィリピンでは人が余って仕事がなく稼ぐのは難しいので、年金がある退職者を狙った詐欺が多い」

フィリピン人と日本人の金銭感覚はズレており、金にまつわるトラブルは不可避かもしれません。

本書には「40代の日本人女性が 60代の日本人男性に PRAビザ取得に必要な銀行預金 7万5千ドルを立て替えさせて騙し取ろうとした事例」も載っています。


年の差婚?

フィリピーナと結婚してうまくいくケースもあり得るのかもしれませんが、女性が絡むトラブルは多い。

「老いてから若い女性と性交する喜びを知り、自分の中に別人格を見出す」中高年男性の例はたくさんあります。

「近年、日本人とフィリピーナとの結婚件数は、毎年6千組を下回ったことがないのだが、80才の日本人と30数才のフィリピーナが結婚した例もあった。70代の男性はザラである(P240)」

妻と離別、子供との接触もない単身者が多いようです。


ひんしゅくを買うけれど…

「63才の男性。

50代後半にフィリピンクラブで16才のチェリーに出会い、妻を捨てフィリピンに渡る。

16才の処女マルゥを40万円で買う。
その後 6年間に5人の女性と付き合って8人の子供を認知、養育費を送金している」

堕胎費用を請求されたり、重婚罪で訴えられたり、家を取られたりとカモにされています。

倫理的には周囲のひんしゅくを買いますが、それまで抑えてきた欲望を満たして充実した老後なのかもしれない。

18才の女の腹の上で死ねたら、ひとつのハッピーエンドなのかもしれませんが…。


経済的動機

日本での当たり前の生活を捨てて、海外で老後を送る動機は経済的な不安があります。
年金・退職金・持ち家などの資産はあるけれど、長い老後を考えると十分ではないかもしれない。
物価の安い東南アジアに住めば、同じ金で生活レベルが高い老後を送れるのではないか。

こうした中間層が海外年金生活ブームを作ったのだと思う。


何に突き動かされるのかな?

本書に登場するフィリピン病患者は、ある程度の財産はある。
しかし、海外生活の経験や適性はたぶんない。

家族関係や仕事でつまづいて、若い女に溺れて前後の見境なくフィリピンにやって来ます。
あまりに刹那的なので、初期の認知症かと疑ってしまう。

運よく気立てのいいフィリピーナと結婚して永住するのでしょうか。
ピンピンコロリの腹上死を迎えられるのでしょうか。

要介護になり家を追い出されて異国の地でホームレスになるのかもしれない。
最後にひと花咲かせられたら、どうなっても後悔しないのかな…。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2014/06/1640.html


脱出老人は年の差婚をめざす 2015/10

花嫁は40歳年下

年齢の離れた結婚は歓迎されない傾向にありました。

男が金で若い女を自由にする。金目当ての女が色ボケ男を手玉に取る。

そんなイメージがあったのでしょう。でも、今では年の差婚は流行りです。
ただ、花嫁が40歳年下のフィリピン女性だと微妙かも。


フィリピンでゆったりセカンドライフ?


脱出老人: フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち 2015/9/15 水谷竹秀 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B1%E5%87%BA%E8%80%81%E4%BA%BA-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E3%81%AB%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%82%92%E8%B3%AD%E3%81%91%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%B0%B4%E8%B0%B7-%E7%AB%B9%E7%A7%80/dp/4093884366


は、日刊マニラ新聞の記者によるノンフィクションです。

物価が安く、気候が温暖なフィリピンでゆったりセカンドライフを楽しみたいという高齢者は少なくない。

けれども、言葉・文化・自然災害・インフラ整備の遅れで不便な日常生活などに関する認識は低いようです。


500万円をどぶに捨てるorz

「日本人男性65歳(元タクシー運転手、年金は月額12万円)、フィリピン人女性25歳、1歳の息子あり。

フィリピンクラブで知り合った18歳の娘と結婚、約500万円送金するが浮気されて別れる。その後、23歳だった今の妻と結婚」


打算的だけど…

「フィリピンのアンケートで年の差婚を肯定するのは貧困層で38%、中間層以上で19%」

女性の側には、社会階層の底辺から浮かび上がりたいという経済的理由があります。

一方で、50歳以上の日本人男性が結婚したい理由は「寂しさからの解放、老後の安心」など。若い女性を求める本能に加えて、介護の心配もあるらしい。打算的との見方もできますが…。


行政主導の花嫁招致活動

「1980年代には、斡旋業者に手数料を払って過疎の村が行政主導で花嫁招致活動を行った。
1990年代に「アジア女性を商品化する人身売買」という批判を受け、民間業者の仲介による国際結婚へと移行した」


動機は金

「相手のことを好きじゃなくても結婚します。

東北は相手の男性がほとんど年寄りなので、とにかく50代でも70代でもビザが欲しいから結婚する。それが本当の理由(P37)」

自分と親戚の生活向上が目的という結婚は以前からあるようです。


「若いフィリピン人女性が日本人のおっさんなんかに愛情がないのは承知の上です。
けちだったら女性は寄りつかないし、気前がよかったら有り金全部使われる(P17)」


結婚の条件は経済力

「年収 400万円以下の日本人男性は女性に相手にされないとすら言われる時代である。
つまり、フィリピン人女性も日本人女性も男性に求める結婚の条件が「経済力」という点では一致している(P43)」

それならば、日本で家族難民になるより、フィリピン人と年の差婚をしたほうがよさそうに思えますが…。


離婚率が高いorz

「夫が日本人で妻がフィリピン人の婚姻件数は年間3118件、離婚件数は3547件(2013年)」

どうも金が目的の結婚は長続きしないみたい。
要介護状態になっても年金収入がある限り面倒を見てくれるのかな?

ホスピタリティが高いといわれるフィリピン人の国民性に期待するのは…楽観的すぎるのではないでしょうか。


粗食で糖尿病が治ったw

「日本人男性50歳、フィリピン人女性19歳。

マニラに隣接するルソンのスラムで、電気も水道もないサバイバル生活。
男は縫製工場の作業員で日当は200ペソ(約540円)」

極貧生活の粗食で糖尿病が治ったそうです(笑)。


困窮邦人もいる

これは「中高年の日本人男性と若いフィリピン人女性≒金が絡む」に当てはまらないケースのようです。

フィリピンの在留邦人は1万8870人(2014年)だそうですから、いろいろな人が混じっています。


金のない不法滞在者だけど

「フィリピンクラブの女性と結婚、
サラ金や闇金から500万円超の借金して彼女の親戚に送金、
浮気されて別れる」


ここまではよくあるパターンですが、金のない不法滞在者(当時の仕事は日当100ペソ)なのに30歳以上年下の女性と結婚しています。

彼はまだ若く、タガログ語ができてフィリピン社会に溶け込んでいるらしい。


貧困ラインは月額2万3700円!

「フィリピンの貧困ラインは一世帯の収入が月額8778ペソ(約2万3700円)、
国民の25,8%がこの貧困ラインを下回る(2014年)」

日当200ペソだと貧困ラインをさらに大きく下回るのですが、「人間関係を築きやすいフィリピンでの暮らしは幸せ」と言います。


綱渡りの不安定な生活

農場に転職し、月給が8000ペソになりアパートへ引っ越しますが…。

妻が病気になって看病のために退職、入院先は貧困層を含む庶民向けの公立病院だが医療費が払えないorz

「綱渡りの不安定な生活は不幸」と本音を吐きつつ、「金を貸してくれ」と筆者に迫ります。

物価が安いといっても、日本人が現地で稼ぐのは容易ではないでしょう。
とすると、年金収入や金融資産がないと、安定した海外生活は無理なようです。


無責任男orz

ただ、子供を安易に作るのはどうなのだろう。

最初の日本人妻との間にできた2人の子供は、妻の母に預けっぱなし。
1人は覚せい剤の過剰摂取で自殺している。

次のフィリピン人妻との間にできた2人の子供とは音信不通。

今の妻との間の息子は、病気になると医療費が払えない状態。


貧困の連鎖の再生産

スラムに住む貧民が養育費を払えるはずもない。

「親はなくとも子は育つ」といいますが、無責任な貧困の連鎖の再生産に思えます。

大人の男女が sexしようと、別れようとそれぞれの選択ですが…。
子育てできそうもない状況なのに出産するのはどうしてなのだろう。
流れに任せて何も考えていないのかな。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2015/10/blog-post_29.html


2015/11
水谷竹秀著「脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち(小学館)」の続きです。

1人目は脱出老人のひとつの典型例。

「62歳男性、フィリピンクラブで知り合った 20歳年下の女性を追って退職後に移住。
自宅を売却した2000万円を貢ぎ、年金2万5000円で女性の家に居候。
日本の預金を妹に送金してもらう」


本人の幸福度は?

若い女に手玉に取られた愚か者なのかもしれない。
預金が底をつくか、健康を損なえば困窮老人になるのかな。

日本に帰る場所はなく後悔しているのか、老後を好きにして諦めがついているのか…。本人にもよくわからないのかも。


マンゴー園を購入

2人目はもう少し地に足がついています。

「56歳男性、フィリピンクラブで出会った 13歳年下の女性と結婚。
原発事故後に退職しフィリピン移住、同行した父は1か月後に没。

退職金と自宅売却代金で1,5ヘクタールのマンゴー園を購入(土地が200万ペソ(約40万円)、建物が500万ペソ(1350万円))」


男性は50代半ば、妻との年齢差も常識的な範囲内。

元気な内は広大な農園で第二の人生を楽しめそうです。

出会いで「女は男の金、男は若い女の体と老後の世話」という打算があったとしても、それは日本人同士でも大差ないはず。体が不自由になってからフィリピン人妻との関係がどうなるかはわかりませんが、先のことを考え過ぎると何もできないし…。


病気でも日本に帰る場所なし

3人目は、「自宅を売却してフィリピンに移住した59歳男性、

脳梗塞で手術を受け左半身の一部が不随。
国民健康保険にも旅行者傷害保険にも加入しておらず、約100万円の自己負担。

20代の彼女とは別れるが、数百ペソで介護してくれる若い女性あり」


困窮邦人予備軍

「金の切れ目が命の切れ目。医療保険は要らない」そんな生き方もあるのでしょう。

しかし、杖をついて歩ける内は、少額のお礼で用を足してもらえば暮らせますが…。日常生活にも不自由するようになれば、医療費も嵩んで困窮老人になるんじゃないのかな。


逃げ道もあるけれど

小心者の私なら、「要介護度が進んだら、帰国して人権団体に泣きつき、生活保護を受給して介護施設に入る」などの逃げ道を準備すると思う。
けれども、若いフィリピン人を追いかけて日本を飛び出す人に、そんな発想はないのだろうな。良し悪しではなく、人生観の違いなのかも。


雪のない生活に憧れる

4組目は、「秋田県在住の日本人夫婦、年金生活。

雪のない生活に憧れて自宅を処分、冬はセブ島のアパート、夏は日本(自営業で使っていた事務所あり)」

温暖な気候なら沖縄でもよさそうですが、物価が安くしがらみのない海外で解放感を味わいたいのでしょう。


現実的な選択

当初は退職者ビザを取得しコンドミニアムを購入する予定でしたが、現地の台風被害に接して方針転換。冬季のみ短期滞在の海外生活を楽しむことにしました。

富裕層ではない中間層も、こうした老後を選択肢にできるようです。

「元気な内に海外生活をエンジョイ、健康が不安になったら日本に戻る」
日本に生活拠点が残っているのでリスクは小さい。


いいとこ取りでウィンウィンの関係

途上国に住むには、その国の医療環境も含めた現実を受け入れなければなりません。

が、そこまでの重い決断はなかなかできない。また、受け入れ側も「ある程度の年金があって保険に加入している日本人なら移住者として望ましい」と言います。

「自分で自分の面倒を見ることができ、金を落としてくれるなら歓迎」ということです。互いにいいとこ取りでウィンウィンの関係かな。


独り者の海外移住者が孤独死

最期は、あまり金もなく、人的ネットワークも切れている独り者の海外移住者の例です。

「結婚歴なしの 63歳日本人女性、高校の英語教師だったが遺産相続をめぐるトラブルでフィリピンに移住。

ネグロス島に 6年住んだ後、セブ島のコンドミニアムに 4か月暮らす。

大腸がん闘病中で心筋梗塞による孤立死、本人の希望でセブ島の日本人墓地の埋葬される」


性差なのか?

フィリピンバンドを追いかけて移住する日本人女性もいたそうです。

が、夢が覚めた後も現地に残る人は少ないらしい。
女性は正気に戻れば現実的に判断してやり直せるのでしょう。

地縁・血縁のネットワークを持っている場合が多く、年金生活の日本人女性が海外で一人暮らしをするのは稀だと言われます。


幸福になる者も、不幸になる者もいる

ただ、女性にもいろいろなタイプがあるはずです。女性の経済力がアップするにつれ状況は変化するかもしれません。

「干渉されずに一人でひっそり暮らしたい」という上記の女性は、フィリピン社会に溶け込めず浮いていた。

「死亡する直前の数日間は、部屋で苦しみ悶えたのか、ボールペンで幾十にも丸い円が描かれていた。そして日付欄が空白になる。
遺体が発見されたのは、その二日後だった(P275)」

フィリピンでどんながん治療を受けていたかは不明。
日本の病院やホスピスでの死が、フィリピンでの孤独死よりマシかどうかは判断できません。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html


アジアにハマった男たち 2014/10


ひと頃、アジアにハマった男たちが話題になっていましたが、最近は下火なのでしょうか。フィリピンパブも2004年をピークに、ビザの発給条件が厳しくなって衰退している様子。

堅苦しい日本社会では生きにくいであろう、欲望に忠実でいい加減なおじさんたちはどうなったのかな?
右往左往しながらアジアの混沌に飲み込まれて、それでもそれなりに幸せだったのでしょうか。


きっかけはフィリピンパブw


「アジア行きの男たち – 2001/5 浜なつ子著
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2014/10/131001200sex.html


には、例によって怪しげな男たちが登場します。

まず一人目。

「大学は2年で除籍
→ 健康食品のセールス(催眠商法)
→ 21〜30才は消防署に勤務
→ パチンコで月に45万円ほど稼げるようになってパチプロに転向
→ フィリピンパブのフィリピーナに誘われてマニラに通うようになり、800万円で現地にマンション購入
→ 機械のコンピュータ化でパチプロ引退
→ パチンコと株式投資で稼いだ資金を持ってフィリピンに移住
→ 17才のアミュリットと結婚して商売開始」


40才で早期リタイヤ

パチプロというところが変わっていますが、フィリピンパブでフィリピーナと知り合ってのマニラ行きはよくあるパターン。

40才で早期リタイヤできる資金があったようですが、アミュリットと結婚してから商売を始めます。

「タクシー会社を起こすが1年で廃業、800万円投資して半分の損失
→ カラオケ店を開くがこちらも閉店
→ 中古携帯電話の販売で直営店6店舗展開、フランチャイズ化を目指す」


例外的に商売で成功

東南アジアで商売に手を出すと、現地の商慣習とのギャップにギブアップ。

投資した分だけ損をして、増やすつもりが資産を失ってしまう。
そういう話を聞きますが、Nさん(43才)は例外的に現在はうまくいっています。


資金に余裕があって、事業に失敗しても仕切り直しができる。
催眠商法の会社での営業経験があるから、ダーティーな交渉もできる。
その辺りが強みかもしれません。

小規模な自営業ですから、明日のことはわからない。でも、異国の地で商売を軌道に乗せ、10代の妻を娶る。正規のルートを外れたアジア行きの男の中では、数少ない成功者なんじゃないかな。50代になった今の状況はどんななのだろう?


異色の経歴

次に二人目。

「労働組合の専従活動家
→ NGOから声がかかり、フィリピンへ渡って仲間のカンパで活動
→ 交流の場となるペンションをオープン
→ 経営不振で結婚手続きアシスト業に手を出す」


マニラの日本大使館前で客引き、月に15人前後の結婚手続きを請け負うのだそうです。

「日本のフィリピンクラブで知り合った日本人男性とフィリピン人女性の組み合わせが多い。偽装結婚も少なくない」

男が女を騙している。女は男の金目当て。そんな組み合わせが目につくそうです。


女衒の如きビザ屋

Sさん(49才)はかつて

「日本の農村へのフィリピン花嫁問題は、人身売買的集団見合」

と批判しており、仲間からの風当たりは強い。

「日本人男性とフィリピン人女性が年間 6千組以上結婚するが、離婚も年間2千組以上」

という現実もあって、仕事に誇りが持てない。「女衒の如きビザ屋の仕事」と卑下しています。加えて、利益があまり出ていないのだとか。


煩わしい人間関係をパスしたい

心情的に抵抗がある仕事内容、しかもたいして儲からない。

「暑くて料理がまずいフィリピンは嫌い。フィリピーナに興味はない」

フィリピンに関わって18年になるのに、フィリピーナとの性的関係がゼロという珍しい人です。

「一人が好き。煩わしい人間関係に縛られたくない」

成人男性が仕事をしないでブラブラしていても干渉されない緩さがあるにしても、フィリピーナと深い仲になれば彼女の親族との関係に煩わされるかもしれない。


フィリピーナとの結婚は半減

マニラに行く日本人男性がみんな若いフィリピーナ目当てではないのでしょう。が、Sさんがフィリピンに住み続ける理由はよくわからない。
なりゆきでマニラに流れ着いて、帰国のきっかけがないだけなのかもしれません。好きではなくても、食っていける仕事があるのだからうまくいっている事例です。


ただ、

「夫が日本人で妻がフィリピン人の国際結婚は

2005年が 10,242件 → 2010年が 5,212件」

ブームが過ぎて半減しています。今でも商売として成り立っているのかな?


弱り目に祟り目…

3人目は典型的なハマり組。

「35才で中古機械販売の貿易会社設立
→ 商売は順調、カンボジアで22才のタムを身請け
→ 詐欺で2千万円の損失
→ さらに詐欺で7百万円の借金
→ また騙され銀行借入1500万円が返済不能、抵当に入れた静岡の自宅が競売にかけられる。この間にタムは脳血栓で死亡
→ 知り合いに経理で使ってもらう。19才のベトナム娘ティを愛人にする」


再起の可能性は低そう

Fさん(51才)には日本に妻子がいますが、帰国するとED(勃起障害)になるのだとか。
日本では同世代の男性に引け目を感じるのか、ひきこもり気味になるらしい。
気力と財力が回復したら、カンボジア以外の東南アジアで商売をしたいそうです。

カンボジアで3年間に4千万円の金と自宅を失っています。
落ち目の人間は食い物にされる。
死に体になって霊媒にすがるようでは、再起は難しいんじゃないかな…。

本人は満足なのかも

「一生の内に男性が性交する回数は2500回」だそうです。

Fさんはティとラブラブで「1日3回、月に100回、年に1200回のペースでセックスする」で、日本の妻が相手だと勃起不全。都合のよい ED患者ですw

女にだらしなく、商売が下手。明るい老後は想定しにくい。

本人も、若い女に溺れて現実逃避しているだけだということは、百も承知でしょう。
アジアにハマった男たちは、こうした刹那的なタイプが多かったように思います。

冴えない中高年男性がバラ色のひとときを過ごせるのだから、本人は腎虚で早死しても本望なのかな。


マレーシアロングステイ用ビザ

中高年の東南アジア暮らしには、「夫婦で定年後にロングステイ」という堅実なパターンもありました。が、「2014 TV番組 行ってみたらこんな所だった「マレーシア」編の反響とロングステイの真相」を見ますと、

「マレーシアロングステイ用ビザの50才以上の取得条件は

「1100万円の資産証明(不動産を含めず)、
手取りで月額約32万円の収入証明、
約500万円をマレーシア国内の銀行に定期預金する」」


かなりハードルが高いです。


資産家層がターゲット

「セミナーのターゲットはこれまでの「安い・暖かいアジアで暮らしたいと思う私のような年金弱者の人々」から「資金力のある資産家層」へ確実に推移 しています。
セミナーにブースを出しているのは、シニアの資産が目当ての、天下り官僚組織・不動産会社・旅行会社・語学学校斡旋業者・手続き代行会社・証券会社ばかりです」


海外生活は若者向き

一般的な年金生活者が「家賃や物価の安い東南アジアでワンランク上の暮らしを楽しみたい」という時代ではなくなっているようです。

かつては本格的な移住を目指した中高年もいましたが、医療や介護がネックになることがわかって下火になりました。

言葉も不自由、食事も違う、治安は悪い、医療・介護制度は未整備。
そんな環境は高齢者向きではありません。
そして、数ヶ月単位の滞在では家賃の安さを享受できない。

とすると、中高年の海外ロングステイは「南の国でリフレッシュしたい金持ち」が対象なのかもしれません。

一般の年金生活者が節約しながら海外滞在を続けたとして、しばらくはしがらみからの開放や物珍しさで楽しいかもしれない。でも、金に余裕がなければできることは限られている。

暮らしている内に外国ならではのストレスも増えてくる。
体力・気力がある内に帰国して、老後の生活環境を再構築するのがベターなのでしょう。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2014/10/131001200sex.html


ロリコン男の桃源郷 2014/10

何人もの少女を妻にしてハーレムを作る。ロリコン男の桃源郷かもしれません。
夢想はしても、実現しようと行動するのはごく少数。
東南アジアでなら妄想を実現できるのでしょうか…。


じゃぱゆきさんにハマる

浜なつ子著「アジア行きの男たち」(太田出版)の続きです。

4人目は優柔不断。

「大学は数ヶ月で退学、アパートにひきこもる
→ 広告代理店勤務
→ 編集プラダクション経営、秘密クラブのタイ人じゃぱゆきさんにハマる
→ 経営に行き詰まって300万円の盗難手形に手を出し、タイへ逃亡
→ バンコクのフリーペーパーの会社に雇われる
→ フリーの広告代理店下請けとなる、クラブで知り合ったタイ人女性の面倒を見る→ サブカルチャーの新聞が3号で廃刊、未払い金が500万円でシラチャに逃亡
→ ほとぼりが冷めてからバンコクに戻りなんでも屋で食いつなぐ」


金と引き換えに優しさを売っている

ひきこもりでも大学中退でも正社員になれる時代だったようです。
商売が下手なのにいろいろ手を出しては、借金を踏み倒している。

「頼りがいのある存在でありたいという下心」で若いタイ人女性の面倒を見ますが、金が続かずにあっさり関係は切れてしまう。

「感謝してもらっていないことに一抹の寂しさを感じる」そうですが…。
金と引き換えに優しさを売っているプロの女にそれを求めるのはムチャです。


優柔不断

「タイにいる限り、堅苦しい生活や家庭のしがらみは一切ない。
だらしなくても許される。どんな状況でいても誰も批判しない。
一度失敗した男、家族に迷惑をかけた男として、ケリを着けて帰りたい、という気持もやはり捨てられない(P169)」

Iさん(53才)には、妻も娘も高齢の父親もいます。
帰国してやり直せればベターです。


崖っぷちの自覚がない

しかし、金にも女にもだらしなくて、あちこちに不義理を重ねている。
バイアグラなどを扱っている現状に先の展望などなさそうですが、日本で働くことも難しい。

タイ社会にも日本とは異なるしがらみがあるはず。

体力がある内は「通りすがりの外国人」として気楽に暮らせますが、何かあった時に現地のネットワークには頼れないんじゃないのかな。

年齢的に切迫した状況なのに、本人には自覚なし。
海外困窮邦人になるパターンかもorz


打たれ弱いひきこもり予備軍

5人目はゲイにハマっている。

「医学部受験に失敗、2浪で早稲田の文学部
→ 出版社勤務
→ ホテル勤務、退職後は看護婦の妻から離婚を迫られる
→ 別居してスナックのママと同棲するが捨てられる
→ アル中と梅毒で入院
→ 離婚後は実家に戻りガードマン
→ ベトナムを6回訪れ9ヶ月滞在
→ 45才でバンコクのフリーペーパーの編集者(月給3万バーツ≒8万4千円)、オカマに惚れるが金をせびられるようになる
→ フリーペーパーの会社設立を目指す」


よくある勘違い

「みんなの視線が優しかった。誰も僕を非難しない。
日本では働かないと「失格」の烙印を押された。
しかも「ちゃんとした」仕事をしていなければならなかった。

そのことが僕には苦しかった。いつもいつも疎外感と一緒だった」

Sさん(47才)には、「日本は偽善、東南アジアはオープン」と感じられるそうです。
そういう面もあるのかもしれませんが、浮いた存在の外国人だから、現地での暗黙の掟がよくわからないだけの可能性もある。


ゲイに貢ぐのは勝手だけど…

日本社会からはみだす → 疎外感・劣等感 → 東南アジアで現実逃避。

そんなパターンのようです。

外こもりほど働くことに抵抗はなく、親の経済力に頼ってはいますが、食べる分は稼いでいます。

ゲイに恋して貢ぐのも個人の自由。ただ、独立して会社経営というのは無謀なのでは。
現地のむき出しの感情や暴力の中を泳ぎ切るような打たれ強さはないみたい。
本書の出版は2001年ですから、Sさんも今では60才。どうなったのかなあ?


少女妻gs13人!

最期は「玉本ハーレム事件」で有名な玉本さんになるはずでしたが…。

「大卒で和歌山相互銀行入社、株で儲ける
→ 砂利採取会社の社長就任、頻繁に海外旅行
→ 30代なかばにタイのチェンマイで結婚、事業に投資し永住ビザ申請
→ 1973年に婦女暴行・幼年者の人身売買容疑でタイ警察に逮捕される」


この時の少女妻は13人、年齢は8〜17才とか13〜15才とかいろいろ伝えられています。玉本さんは39才。


前代未聞の破廉恥漢なのか

それまでの海外定住日本人の多くは、儲かる仕事を探す駐在員やその家族。
この頃から、日常の中のワクワクドキドキを求めるうさんくさそうな男たちも増えてきます。

彼らの目当ては「男であることの優位性を感じさせてくれる女性」
玉本さんはロリコンの欲望を露骨に実現して、「前代未聞の破廉恥漢」とマスコミに叩かれたそうです。


一夫多妻制を認める風潮

「タイやカンボジアでは、金持ちが貧しい人の面倒を見るのは当たり前。
結納金を納めれば何人かの女性を妻にすることは問題視されない。
60年代まではカンボジアの戸籍の妻の欄が4人分あり、一夫多妻制を認める社会だった」

今から40年前の日本と東南アジア諸国の経済格差は大きく、現地での玉本さんの評判は悪くなかったらしい。噂を聞きつけた日本のマスコミが現地のフリージャーナリストに取材させ、騒ぎが大きくなったのだとか。


覚せい剤の密輸が資金源?

「逮捕容疑は無罪だが、公序良俗を害する外国人として国外追放処分
→ 帰国後、覚せい剤取締法違反で逮捕
→ 保釈中に偽名パスポートでチェンマイを訪問し再逮捕
→ 懲役5年の刑が確定
→ 出所後、和歌山で木材ブローカー
→ 50代初めにタイ人現地妻を入籍」


その後の消息が不明だったのですが、「俺は玉本じゃないギョクモトだ」を見ると、2001年に入国が禁止されているタイで身柄を拘束されています。


ロリコン一筋、勝ち逃げの人生

出所後にマニラにもハーレムを作り、最終的にはカンボジアのシェムリアップのハーレムに落ち着いたのかな。

カンボジアの銀行預金が4億円とか大阪のマンションの家賃収入とか、いろんな噂がありますが資産の全貌は不明。1933年生まれだから今年で71才、ロリコン一筋、勝ち逃げの人生なのかもしれません。


意外と金は使っていない

変わったことをする人は自己顕示欲が強く、マスコミに露出したがる傾向があります。
が、玉本さんはマスコミ嫌い。やりたいことを実現できているので、ひっそりと自分の王国に君臨したいのかもしれません。

シェムリアップで少女妻15人と暮らしていましたが、あまり金は使っていない。

結納が20万円、月々の手当が1万円。

20万円×15人=300万円、1万円×12ヶ月×15人=180万円。

初年度が480万円、2年目以降が180万円。


目の付け所は悪くない

刑務所を出たのが1980年ですから、2001年まで21年間と仮定すると(現実には日本やマニラなどにいた時期もある)、480万円+180万円×20年=4,080万円。

東京の上流階級の奥様方は「年収 2千万円程度じゃあ暮らせない」とおしゃっておられます。

タイやカンボジアでは安上がりにハーレムを築けるようです。
しかも、周囲から道徳的な批判もでない。


金の使い方は上手かも

玉本さんは自分の服装にも無頓着だったそうですから、好きなことに金をつぎ込んだのでしょう。金の使い方を知っているようです。

ただ、治安が良くない途上国で大金をキープし続けるのは素人には難しいと思う。重度のロリコンであることは確かだとして、ダークな世界にもつながりがあるのかもしれない。ちょっと、一般人の参考にはならない感じです。


ハレンチな日本女性orz

ちなみに、筆者は取材に失敗して玉本さんに会えずじまい。その時に通訳兼コーディネーターの女性に軽蔑の視線を向けられます。

「アンコールワットもバリ島状態。非日常のときめきを求める日本人女性が、バイクタクシー運転手と簡単に寝てしまう」

アンコールワットの遺跡の中でセックスするハレンチな日本女性の一人、そう思われたのでした。
男も女も暇と金を持て余すと、することは似たり寄ったりなのかなorz


職業は結婚詐欺

「バリ島のジゴロたち」から引用しますと、

「日本人の女の子と結婚するのが、俺たちの唯一のサクセス手段さ。
手っ取り早いし、遊びながら楽しめるし一石二鳥。

結婚して家を買ってもらうのが一番の目的。
買ってもらった後はもちろんバイバイ。

ここでは日本人の名前で土地を買えないから、離婚して家を売れば大金が入るんだ。
裁判するって騒ぐ女性もいるけど無駄なだけ。
法律はインドネシア人のためにあるし、結婚するなら同じ肌の色をした女性がいいに決まっている。

良いも悪いもないさ、俺たちにとってこれは仕事なんだから…」


現実逃避の夢から醒めたら

「異文化の中に飛び込んだ女性がそこに根を下ろし、アジアと日本の新しい一面を開く可能性もある」という筆者の期待は楽観的すぎるのでは。

現地のライフスタイルが性に合って永住できるのはごく少数の例外でしょう。

女性は、バカな男より現実的で計算ができるはず。
疑似恋愛が終了すれば、現実逃避の夢から醒める。
帰国して日本での生活レベルを享受したくなるんじゃないかな。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2014/10/81713.html

桃色の海外移住? 2013/09


年金夫婦の海外移住 – 2008/6/13 出井 康博 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B4%E9%87%91%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%A4%96%E7%A7%BB%E4%BD%8F-%E5%87%BA%E4%BA%95-%E5%BA%B7%E5%8D%9A/dp/4093797862

を図書館で借りてきました。


チェンマイ美人

「離婚歴のある日本人男性68才とタイ人女性35才の夫婦、
借家は月に1万5,000バーツ(約4万9,000円)」

タイのチェンマイを訪れる60才以上の年金生活者は少なくないらしい。
熟年単身男性がチェンマイ美人に惹きつけられるのだそうです。

タイの大卒初任給が 3万円くらいなので、日本人年金生活者はタイでは富裕層なのかもしれません。

庭付きの一軒家が300万円で買えますが、若い妻をつなぎとめるために賃貸にしているようです。


「死別と離婚歴のある72才日本人男性と43才タイ人女性の夫婦、
年金が月に16万円で10万円を生活費として渡す、一軒家を450万円で購入」

20代のタイ人女性に入れあげて騙された経験があります。

家の購入は頭金50万円の20年ローンと工夫していますが、入籍し遺言書も書いているそうです。

「家を建て、入籍し、保険をかけて殺される」なんてことにならないとよいのですが…。


老後の面倒もみてほしい


「別居状態が長い72才の日本人男性、
日本から月に5万円の仕送りをしていた25才のタイ人女性と結婚、

150坪の一軒家と7,000坪の農園を800万円で購入、
妻が若いタイ人男性と浮気して子供ができて家を追い出される。

次に、自営の店舗で雇った 20代女性と同棲するが逃げられ、車を無断で処分される。

さらに、現地日本人の女性斡旋業者の紹介で20代のタイ人女性と結婚、
結納金30万バーツ(98万円)を収めるが、3ヶ月で逃げられる」


おそらく、彼は日本人カモの上位にリストアップされているでしょう。

人生の一発逆転を狙って、20代の女性にこだわっているのかな…。

若い女性の肉体を楽しみたい。老後の面倒もみてほしい。

そんな虫の好い願いを持った日本人男性は、ターゲットにされているという自覚が必要です。

ちなみに、女性を斡旋するのも、小遣い稼ぎ目的の日本人年金生活者だったりします。


みんなの生活がかかるおねだり攻勢

タイ人女性のおねだり攻勢という たかり体質が批判されます。

しかし、東南アジア諸国は家族意識が強く、タイ人女性は多くの親族の期待を背負って必死なのかもしれません。
体を張った真剣勝負だとすれば、平和ボケした日本人が太刀打ちできるか疑問です。

妻名義の不動産から追い出されて詐欺だと訴えても、現地人の人脈ネットワークの中では相手にされないでしょう。

60代70代で年若いタイ人妻をゲットできたら、元気で金の続く限りでその幸運を享受する。

金が不足したら、放り出されて困窮邦人になる。

寝たきりになったら、年金は好きに使われて、妻は若い男と暮らし始める。

その覚悟でED(勃起不全)治療薬を飲みながらがんばるのも、それなりの人生だと思います。人生いろいろ、人それぞれです。


イメージダウン

「家具や家電付きのサービスアパートメントは、月契約なら5,000バーツ(約1万6,000円)。
食費を3,000バーツ(約1万円)に切り詰めて、生活費を月に3万円以下に抑える者もいる」

無年金や低年金で日本では人並みの生活ができず、タイに流れてくる人もいます。

女性がメインの目的の人にも、物価の安いタイで余裕のある生活を楽しみたいという思いがあるはずです。

長期滞在の年金生活者は、タイの退職者ビザを取ります。
が、「80万バーツ(約264万円)の銀行預金と無犯罪証明書」といった要件を満たさない者もいます。

女性問題に加え、自殺やエイズ罹患などでの孤独死もあって、日本人がらみのトラブルは増えているそうです。
「裕福で金払いがよいという日本人のイメージ」は、タイでは過去ものかもしれません。


若すぎる妻はリスキー

中高年専門の結婚相談所に行っても、金持ち以外は相手にされません。
20代の女性が 70代の男性の相手をしてくれるのは、商売以外ではあり得ないでしょう。

チェンマイ美人が天使に見えるのは仕方のないことかも(笑)。
人生も残り少ないことですし、思い残すことがないように振舞うのもひとつの選択です。

死別・離婚・長期別居などで、家庭崩壊のリスクもありません。
自分で稼いだ金ですから、欲しいものに使えばいいのじゃないかな。

ただ、年金生活者は 10年もすれば介護が必要になるでしょう。
年金を受け取り続けられるように、介護はしてくれると思う。
しかし、若いタイ人の妻は、若いタイ人男性と付き合うようになるのが自然の流れ。

もしかしたら、家を追い出されて困窮邦人になるかもしれない。

おねだり攻勢に鼻の下を伸ばしている内はパラダイスですが、40才以上年下のタイ人妻との結婚生活がハッピーエンドになるのだろうか?
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/09/blog-post_14.html


日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 2011/11/25 水谷竹秀(著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%81%9F%E7%94%B7%E3%81%9F%E3%81%A1-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%80%8C%E5%9B%B0%E7%AA%AE%E9%82%A6%E4%BA%BA%E3%80%8D-%E6%B0%B4%E8%B0%B7-%E7%AB%B9%E7%A7%80/dp/4087814858


を図書館で借りてきました。


困窮邦人は自己責任

「航空運賃+不法滞在分の罰金が払えず日本に帰国できない困窮邦人は768人、フィリピンは332人と最多」

フィリピンクラブの女性を追いかけて渡航し、所持金を使い果たして見捨てられるのがよくあるパターン。

女は金を、男は年齢差40〜50才以上の若い女を求めます。

駆け込み先の日本大使館は「自己責任の結果に国民の税金を貸し付けるのは納税者の納得が得られない」として厳しく対応。

海外で無一文になった日本人の帰国支援に関する国援法(飛行機代、宿泊費、食費、交通費、雑費などの貸付)が適用されるのは、年に20〜30人に止まります。

人手も予算も限られており、親族・知人に電話して送金を依頼しますが…。
不義理を犯していたり疎遠になっていたりで、断られるケースが多いようです。フィリピン日本人会も困窮邦人支援には消極的。


共通のパターン

筆者は日刊まにら新聞(東南アジア初の日刊邦字紙)の記者で、裏付け取材も丁寧に行っていますが、登場する困窮邦人が語る内容の真偽ははっきりしません。

困窮邦人は37〜59才の中高年男性。
元の仕事は派遣、新聞配達、トラック運送、ソフトウェア、自動車部品製造など様々。
自営業者もあれば、大手企業勤務もある。

渡比のきっかけはフィリピンクラブのフィリピーナである点は共通。


学歴は高卒以下。所持金なしのホームレスで、フィリピン人に食事を恵んでもらうなどして生き延びている。

親の貯金を使い込み、高利の借金を踏み倒し、罰金も未納で帰国すれば収監される者。

連帯保証で借金を背負い、偽装結婚の道具に利用された者。


海外移住に至った経緯はそれぞれですが、離婚や別居で円満な家庭生活だったとは言えないようです。


スポイルされていく

「マニラの最低賃金は1日400ペソ(約800円)、庶民の月収は1万ペソ(約2万円)ほど、物価は安い」

「彼らは日本に住めないんですよ。フィリピンが住みやすい。
日本では、ああいった人は受け入れてもらえないんですよ。
日本じゃ苦しくて生きていけない。
一生懸命に働いてお金を稼ぐことができない人たちなんだなあと思って。

女、薬にはまっている人が多い。
ああいう味を覚えちゃうと駄目なんですよ。
人間は堕落していくもんなんだと思いますね。

だいたい、60,70のおじさんを本気で愛してくれる若い女の子なんていませんよ。
結局はお金ですよ、お金(P64)」


経歴詐称の常習犯

ソフトウェア会社勤務で年収1,000万円を超えていたという51才の男性は、アパートで寝たきりの垂れ流し状態。下半身不随で右目は失明しています。

家賃滞納で追い出された後、障害者施設に入れましたが、そこも半年で追い出される。
面倒を看てくれるフィリピン人の善意にすがっていますが、いずれ限界がきます。

フィリピンクラブ絡みの浮気で離婚、フィリピーナと結婚して渡比。

転職を繰り返す内に発病、フィリピーナとも離婚して現在の境遇になりました。

フィリピンクラブでの飲食代200万円、自宅売却時のローン残金500万円などを親に肩代わりさせており、70代後半の両親は受け入れを拒否しています。

見栄を張って経歴を詐称するこの男のプロフィールが、どこまで信用できるかは不明です。しかし、仮に帰国費用の目途がついても、日本に居場所はありません。


離婚するなら退職金は財産分与の対象

高卒後33年間大手企業に勤務した59才の男は、単身赴任先でフィリピンクラブにはまり 2年で 1,000万円つぎ込む。

25才年下のフィリピーナと結婚、早期退職金4,900万円を持って渡比。

土地購入に1,000万円、妻の兄弟に買ったジープ3台で300万円、養鶏場ビジネスに1,000万円(4年で失敗)、退職ビザ取得条件の定期預金に650万円などの支出があって、残金は6万円。

妻名義の家を追い出されてアパート暮らし、ひと月5,000ペソ(約1万円)の節約生活をしながら60才からの年金受給を待つ。

フィリピーナのおねだり攻勢は、土地、家、自動車、事業の順で行われるそうです。
ぴったり当てはまります…。

ただ、フィリピーナが騙したというのは一方的でしょう。
体を張って勝負している彼女のところへ、4,900万円のネギをしょったカモが飛び込んできたというべきなんじゃないかな。

被害者はこの男ではなく、一方的に離婚され退職金も持ち逃げされた元妻です。


女もはまる…

身勝手すぎる男の話が続きますが、フィリピンバンドのメンバーと恋に落ちて渡比、現地に妻子がいることを知って失意の帰国をした日本人女性もいたそうです。フィリピン人男性が日本人女性を利用して家族を養うパターンもあったわけで、日本人は平和ボケしているのかもしれません。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/09/4900_16.html

騙される二つのパターン

「日本人が日本人に騙される寸借詐欺」もありますが、話題になるのは

「フィリピンパブで知り合ったフィリピーナを追いかけて来て、女性名義で土地や建物を取得して結婚、金がなくなると離婚されて一文無し」

日本人男性が困窮邦人になるよくあるパターンです。


成功する確率は3%

「年金生活者が楽しく暮らすコツは何もしないこと。商売に手を出したら火傷する」

「言葉もしゃべれない、商売の経験もない、人脈もない、法律や商慣習も知らない、そんな日本人がフィリピンで商売して成功する確率は3%程度、妻がフィリピン人なら5%ぐらい」
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2015/11/1275w.html

ピンクのちブラック、フィリピン病患者の明暗 2014/05


フィリピン病患者の末路

フィリピンパブが全盛だった頃、フィリピン病患者になる 30〜40代日本人男性が多かったそうです。

2000年代前半には年齢層は拡大し、フィリピン病は退職者にまで広がりました。

2004年に米国が日本のこうした状況を「外国人女性に対する人身売買による性的搾取」と非難し、2006年には興行ビザの発給が従来比1割程度に激減。フィリピンパブは大打撃を受けたそうです。

フィリピン病患者の末路はいろいろらしい。


フィリピーナへの偏見

「フィリピンパブファンの中で、若く素朴なフィリピン女性を騙し性的関係を持とうとする日本人客が年々増加した。

その一方、日本人の優越感、外国人コンプレックス等を裏手に取り、日本人客を騙し金銭的摂取をするフィリピン女性も増え、フィリピンを嫌う日本人も徐々に多くなる。

そういった悪循環が日本社会の中でフィリピンという国に対する偏見を多く生んでいった。

また、既婚者でありながら妻と家族を捨てて、フィリピン女性と恋に落ちる日本人男性もいたのが偏見を助長した〜


日本人=金持ち・スケベ・シャイ

日本に出稼ぎに来たフィリピーナにとっては、日本人=金持ち・スケベ・シャイ。

フィリピーナの家族にとっては、日本人=金を運んでくるカモ。

諸々の体験談からそうした情報は広く知られています。

フィリピンの消費者物価指数は 3〜5%の上昇、GDPの伸び率は 7,2%(2013年)、東南アジア諸国の中では経済成長が遅れています。

が、日本人が経済力を背景に現地で大きな顔をできるのはいつまでか…。
退職金や年金でまとまった金を自由にできる中高年も少なくなっていくでしょう。フィリピン病は時代の仇花に終わるのかもしれません。


3人目でやっと結婚


マニラ行きのジジババたち – 2002/6 浜 なつ子 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%82%B8%E3%83%90%E3%83%90%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%B5%9C-%E3%81%AA%E3%81%A4%E5%AD%90/dp/4872336763


の第2章は一応ハッピーエンド。

「55才の時にフィリピンクラブで 16才のチェリーに誘われて渡比、1ヵ月で 120万円使う。

800万円の銀行預金を持って再び渡比、20才のジェシカに1ヶ月で 100万円使う。

銀行に 5万ドル預けて PRAビザを取得するか、結婚ビザを取得するか迷い、日本人が経営するコンサルティング会社の紹介で 36才のシェリーと結婚」


ネギを背負ったカモ

言葉ができない、お人よし、女好き、そして金を持っている退職者。

離婚し、子供たちとも絶縁状態で心が弱っている。

700万円の預金を抱えて周囲に頼りきりのこの男性は、典型的なネギを背負ったカモ。
若いピチピチのフィリピーナとの結婚を夢見て、金を毟り取られます。

仮に結婚できたとしても、金・男・家族とのゴタゴタで離婚され追い出される可能性が大きい。


見た目より気立て♪

ラッキーだったのは、3人目の女性と不承不承ながらも結婚したこと。

子供が2人いる不美人の中年女性ですが、気立てがいいらしい。

家の残金や屋台の権利金を支払ってくれる男性を、「日本人は金があって貧乏の苦しみを癒してくれる精神安定剤」と立ててくれます。

月に11万円の年金でも、女性にとっては貴重な収入源なのでしょう。


老後は不透明

50代半ばで労働意欲がわかなくなったという気持ちは、中高年のひきこもりにもわかります。

ここまではほんのりピンクのフィリピン病患者で、とりあえずハッピーエンドです。

が、20〜30年後に11万円の年金にどれくらいの価値があるのだろう。
体力・気力が落ちる老後の生活がどうなるかはわからない。

異国の地でシェリーとの生活に閉じこもり、言葉が通じない周囲とのコミュニケーションをめんどうくさがると…。


金を持っているだけの存在

「金を持っているだけの存在となり、彼から無理やり金を引き出そうとするでしょう。
家から放り出され、路上生活者となる可能性だってあります。

それでも、本人の意識次第では、結構、気楽に生きていけるものです。
また、そういう覚悟がなければ、フィリピンのような地獄と極楽が同居する国で老後を過ごそうなどと考えてはいけない。

「物価が安いから」
「メイドが月1万円以下で雇えるから」

そんな理由だけでフィリピンに住めば、後で痛いしっぺ返しを食うでしょう(P69)」


強盗殺人なのか?

本書の第5章は在比邦人が殺され、財産もどこかに消えたバッドエンド。

「養子、結婚後すぐに離婚、神経症で定職に付かずひきこもり。

土地とアパートの売却代金 5千万円を持って 51才で渡比。

PRAビザ取得、フィリピン人と結婚するが1年後に別居。

自宅を含め 5戸の住宅を購入、不動産はフィリピン人名義で取得しなければならないので、いずれも妻や知人名義」

57才で殺されてジ・エンド。

PRAビザ取得時に銀行に預けた 5万ドルもいつの間にか引き出され、5千万円の財産は雲散霧消。


詐欺師の標的

フィリピンで殺された場合、犯人は検挙されない可能性が高い。

5戸の住宅は賃貸に出して生活の足しにするためと説明されていますが…。

言葉が話せず事情に疎い在比邦人の中高年男性が食い物にされたようです。

PRAビザ取得者は 5万ドル(当時の為替レートで約600万円)の銀行預金があるとわかるので、詐欺師のターゲットになるそうです。


愛想はいいが醒めるのも早い

「焼き鳥屋で隣りに座った若い女の子にその場で結婚を持ちかける」

フィリピンへ行けばバラ色の老後が楽しめるとハイになっていたらしい。

見知らぬ土地で生まれ変わって、結婚して家族を養うという一人前の男性を演じたかったのかもしれません。

「愛想のいいフィリピン人は、客をもてなす大天才である。
大いに歓迎してくれるけれども、醒めるのも早い。

最初はちやほやしてくれるが、言葉もできない、冗談も言えない、フィリピン人と仲良くなろうともしない日本人は、やがて、金を持っているというだけの存在に変わっていく(P205)」


リスクは分かっているはずなのに

親の遺産で一瞬の夢を楽しめたのだから本望…ではたぶんないでしょう。
妻子に迷惑をかけるわけではなく、「税金で助けてくれ」とも言っていない。
相続した財産をどう使おうが自由です。

ただ、この頃は既に、「フィリピーナに誘われてノコノコ渡比するリスク」は語られていたはず。

結婚といっても、金で婚姻届を買うような例がほとんど。
フィリピーナを非難するのはお門違いな気がします。
50代ならば、認知症で判断力が衰えたわけでもないでしょう。


好きにすればいいのだけれど

他人に迷惑をかけず、自己責任で行うのなら、好きにすればいいとは思います。

ただ、「人生も先行きが見え、家族ともうまくいっていない。
そんな状況で若いキュートな娘に誘われたら、男ならクラッとくるのはわかる。
破滅しない程度の火遊びなら楽しみたい」

といった肯定論もありますが、理解しにくい。

海外生活の適性が低い中高年が、場当たり的に外国へ行ってうまくいく確率は低いでしょう。「金を毟られに行くようなもの」と考えないのはなぜだろう?


フィリピンの土になる割合は?

脳細胞が桃色に変化して判断能力が低下するのか。
すべてを承知で「最後にひと花咲かせたい」と達観しているのか。
何も考えずに刹那的に生きているのか。

殺されるのは例外として、フィリピンの地でフィリピーナに看取られて亡くなる邦人はどのくらいの割合なのだろう?

生きていれば年金が受け取れるので、最後まで下の世話もしてくれるのかな。
放り出されて困窮邦人になるのかな。
夢破れて帰国するのかな。

どうも、最終的なハッピーエンドは想像しにくいです…。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2014/05/blog-post_28.html

バカにされ騙され続けた日本人の物語(4例掲載しました。)

(事例1.19年も会わずに送金し続けたコックさんのお話し)

 数年前です。東京在住の年配の調理師さんが相談に来られました。数ヶ月前にフィリピン人女性と現地で結婚したので、妻を呼び寄せるために入国管理局に「在留資格認定証明書」を申請したが、認められず不許可(不交付)の通知が届いた。妻が入国できない。何とかして欲しい。これが相談の主旨でした。

 私はいつも通り、お相手のフィリピン人女性との「出会いから結婚に至る経緯」をお聞きしたのですが、だんだんと我が耳を疑うようなストーリが展開したのです。

  その調理師さんとフィリピン人妻の出会いは20年以上前で、出会いの場所は国内のフィリピンパブ。当然、彼女はビザの在留期限が到来したので帰国。その後、お決まりのコースの通り調理師さんがフィリピンに数回ほど渡航しました。その都度、マニラで数日間滞在してデートを重ねました。最後に会ったのが19年前とのことでした。

  私が驚愕したのは、最後のデートから現在に至る19年間ずっと毎月10万円その女性に海外送金していたという事実でした。更に、直近の数年間で毎月の送金とは別に500万円以上も渡してしたのです。 話を聞けば、もう貯金も底をつき、自分自身は59歳となった。年齢的な問題と不景気の煽りをうけ、これまでのような給料では雇ってもらえない。今は6畳1間のアパートで暮らしている。それで、もうお金がなくなりフィリピンに仕送りできないので、結婚して呼び寄せて一緒に暮らしたいと思い、20年振りにフィリピンに渡航して、現地で結婚したとのお話でした。奥様の年齢を尋ねると「45歳位」という返事でした。

 私が「何故、この数年間で500万円という大金を送金したのですか?」と尋ねると、「彼女は数年前に白血病に罹かり、アメリカで手術して入院するというので送金しました。フィリピンの病院はダメだと言ってました。」そして、「妻の母親が脳梗塞で倒れて、その手術と入院費用も必要でした。」「それから退院した妻の母親がジョギング中に交通事故に遭い(車に跳ねられ)、死亡したその葬式代も送りました。」

 この調理師さんは、19年間この女性の暮らし振りを見ていないのに、いわれるが儘に送金し続けたのです。19年間毎月10万円。それプラス500万円です。そして、自分がオケラになったから、送金できないから「結婚し一緒に日本で暮らそう。」と20年振りにフィリピンに渡航したのです。

 私はこの調理師さんに言いました。「どうも疑問が残ります。奥様の母親です。もうご高齢の筈ですよね。多分70歳前後ですよね。そのような高齢の方が脳梗塞に襲われて手術した後で、退院してジョギングなんかしますか?」そして、私は続けました。「私はフィリピンを訪れてもう35年近くなります。高齢者がジョギングする姿を見たことがありません。」「お相手の女性は、既にフィリピン人の男性と結婚して、子も数人設けているのではありませんか?」と、言うと。調理師さんは「そんな女じゃない!」と強い口調で言い返しました。

 私はこれ迄、このような日本人男性を大勢見てきました。フィリピン人女性に何年も何年も仕送りし続けている男です。私はこれを「送金依存症」と呼んでいます。自分の生きがいが「送金」になっているのです。「送金」すること自体に喜びを感じて生きている人達です。思いますに、自分の仕事や自分も家族に生きがいを見出せず、周囲との人間関係が円滑でなく、或る意味で疎外されている人達なのかも知れません。フィリピン人女性に送金すること以外に自分の存在意義を見出せない人達なのです。

 このような人達は貯金がなくなるまで「送金」を続けます。それどころか借金してまでも「送金」を続けます。止まらないのです。もう二進も三進も行かなくなり、金銭的に進退極って首が回らなくなって初めて気付くのです。「オレは騙されていた。バカだった。」と。それはフィリピン人女性に「もうお金がなくて送金できない。」と告げたときに初めて気付くのです。女は平然とこう言うでしょう。

「そう。お金がないの?可哀相ね。頑張ってね。」と。何年間も毎月のように送金しているのに、

(1) フィリピン人女性が結婚したがらない。
(2) 結婚したのに何だかんだと言訳して日本に来ない。

このような事例は数多くあります。何年間にもわたり送金を続けているのは、例外なく日本人の男です。男は単純ですから、フィリピン人女性の言葉を鵜呑みにします。一途に思い込むのです。一方、女性は、現実的ですから何年もずっと騙されて送金し続けるということはありません。

 是非、身元調査と生活実態調査をお勧めします。フィリピン人が「アメリカで手術をする。」と言い出したら要注意です。日本人から大金をせしめる常套手段です。これまでに何度も聞きました。「アメリカで心臓手術をする。」と言われて数千万円騙しとられた上場企業の男性もいます。第一、アメリカ政府はそんなに簡単にフィリピン人女性にビザは発給しません。

 私がこの調理師さんに「奥様の実態調査をしましょう! 婚姻歴、子の有無、同棲相手がいないかを調べましょう! どんな暮らしぶりなのか実態調査をしましょう! 絶対におかしいですよ!」と説得しました。すると、その調理師さんは私に「あんた。もし、彼女の言っていることが本当だったらどうするんだ!」と、大声で逆ギレされてしまいました。

 誰が聞いてもバカバカしいと思う事例ですが、当の本人は大真面目なのです。私が「絶対におかしいですよ!」と言ったのには理由があります。その調理師さんが20年振りにフィリピンに渡航して現地で婚姻届出したのですが、その滞在中この女性は自宅に招かず調理師さんはホテルに宿泊させられて、挙句フィリピン人女性からこう言われたそうです。「私は白血病だからセックスはできないから。」と。

 この59歳の調理師さんは私の事務所に、フィリピン人妻の「身元調査・生活実態調査」を依頼するお金もなく、相談料すら払うのがきつい様子でした。フィリピン人女性にさえ嵌(は)まらなければ、老後資金として3000万円ほどの貯金も残せて、贅沢しなければ不安のない老後生活を迎えられたことでしょう。


_______


(事例2.家族に内緒で入籍して死亡した或る高齢者のお話し)

 東海地方に住む40代前半の女性からの電話でした。「父が癌で死亡しました。死亡届を出そうと役所に行って父の戸籍謄本を見たら、5年以上も前にフィリピン人と結婚していました。家族の誰も知りませんでした。驚いています。このままでは父の遺産(預貯金や土地建物)を処分できません。相続登記もできません。」

「私たち遺族は、父の妻であるフィリピン人女性に会ったこともなく、果たして日本に住んでいるのか、フィリピンに居るのか所在もわかりません。どうすればよいでしょうか?」そんな電話でした。父親名義の銀行口座には2700万円、父が経営する会社の口座には約1300万円。不動産物件として抵当権設定のない戸建が2軒あるとのことでした。

 要するに「遺産分割協議」係る準備の相談でした。私は「身元調査をして相手にフィリピン人夫がいれば、重婚ということで裁判を申し立てて、遺産分割協議を非常に有利にすることはできます。それから所在地も突き止めます。」と回答しました。更に、お客様から「父親は、死の直前に意識朦朧(もうろう)とする中で、メトロバンク!メトロバンク!と、うわ言を申しておりました。どんな意味なのでしょう?」とも質問されました。

 この事例の如く、フィリピン人と結婚した事実を家族に隠している日本人(特に高齢者の男)が多いのです。死亡後に、遺族が戸籍謄本を見て初めて父親が「フィリピン人と結婚していた事実」を知ったという例が実に多いのです。別の悲惨な例では、所有していた筈の土地がいつの間にか売却されていた。自宅には抵当権が設定されていた。銀行通帳も空で、生命保険も解約されていた。資産のすべてが消えていたケースがあります。


(調査結果)

 お客様から提供された情報は、亡くなられた父親の戸籍謄本に記載されたフィリピン人の「カタカナ」の名前だけでした。それでも、いろいろなルートを駆使してフィリピン人女性の所在を突き止めて、当該フィリピン人女性の身分事項そして生活実態調査をしました。

 その女性は、フィリピンの首都マニラ(ルソン島)から遠く離れた群島の町に住んでいました。マニラ空港から国内線の飛行機でも1時間以上かかる場所でした。確かに独身でしたが、数年前からフィリピン人男性と同棲していました。そのフィリピン人の男は元警察官(警察を解雇されていました)でした。二人の間に子も一人設けておりました。

 女性は、過去にエンターティナー(タレント)として日本への入国歴がありました。多分、その滞在中にフィリピンパブでホステスとお客という関係で知り合ったのです。案の定、女性がビザの在留期限到来で帰国した後、亡くなられたお客様の父親が何度もフィリピンに渡航していたのです。そして、現地で婚姻届出して日本の役所の戸籍課にも婚姻届出をしていたのです。入籍していたのです。更に、このフィリピン人妻が結婚後5年以上も経過していたのに一度も日本に入国していない事実もわかりました。

 調査の結果、その女性の家族は誰も仕事に就いておらず、家賃3000ペソ(約6000円)の中古住宅に住んでおり、家族全員が日本人夫の送金で暮らしていました。このフィリピン人妻は、入籍だけして、毎月のようにずっとお金だけもらい続けていたのです。

 私は、依頼者(ご遺族)の意向で、フィリピン人妻に私の事務所が提携する現地スタッフを通じて日本人の夫が死亡した事実を伝えました。その頃、たまたま私もフィリピンを訪れる用事がありました。それで、現地のスタッフを通じて「マニラまで出て来れるなら、○○○ホテルのロビーで会って、亡くなられた遺族の方から託された言葉をお話します。」とも伝えました。○○○ホテルは、最近もAPECの会場になった有名ホテルで誰もが知っています。


(編集後記)

 約束した当日の時間にその女性はロビーに現れませんでした。私の現地スタッフがその女性の携帯に電話すると「マニラには昨日(きのう)着いたけど、交通渋滞なので1時間ほど遅れる。」との返事でした。私は忙しく、「明後日の同じ時間にもう一度来るように。」と、そう指示して、別の約束の場所に向かいました。

 二日後、そのフィリピン人女性は○○○ホテルのロビーに現れましたが、今度は親戚と称する女性が現れて、自分も同席させろと言い出しました。私は「個人情報に係わる大事な要件なので同席は認めない。」と、繰り返し申しましたが、その親戚と称する女性は執拗に同席することを求めました。私が語気を荒げて「私は帰る!」と言うと、その女は漸くロビーの隅の方に消えました。

 驚いたことに、そのフィリピン人女性は、私に対して夫の死亡を知らせてくれた「お礼の言葉」も言いませんでした。ろくに挨拶(あいさつ)もせず、いきなりソファーにドカッと腰をおろしました。そして、筆記用具のメモ帳とかボールペンも持たずに現れたのです。一昨日に指定の時間に来れなかったお詫びの言葉もありませんでした。  要するに女の興味は、『財産がいくらあり、自分がいくら貰えて、いつ貰えるのか』それだけだったのです。

 考えてもみて下さい。私はそのフィリピン人に日本人夫の死亡を教えてやり、フィリピンまで来て財産分与に関して遺族の意思を伝えに来てあげたのです。勿論(もちろん)、日本人の遺族からも渡航費用などもらっておらず、無論(むろん)フィリピン人女性に遺産分割協議に関する情報提供の謝礼を請求した訳でもありません。  

このフィリピン人女性との会話から諸々のことが明らかになりました。この女性は過去6年以上も毎月7万円以上送金してもらっていたのです。そして、その送金が「メトロバンク(METRO BANK)東京支店」経由で、彼女のフィリピン国内のメトロバンク口座に振り込まれていたのです。加えて、女性は「産婆」の資格を取得するための専門学校の入学金や授業料も受け取っていたのです。

 事前の調査で、この女性が「産婆」の資格を取得するために学校に通っていたことは掴んでいました。しかし、この女性は私に「看護婦」の資格を取得したと嘘をつきました。フィリピン人らしく見栄を張ったのです。メトロバンクに関する送金の事実は後日、遺族からも確認が取れました。押し入れの中から夥(おびただ)しい送金控えが出てきたのです。

 フィリピン人女性は、日本人夫が死亡する前月あたりから送金がないので、毎日数十回も日本人夫の携帯に電話をしていたとも吐露しました。女性が質問する内容は夫が残した財産のことばかりでした。フィリピン人妻は、呆れたことに自分の夫が入院していた病院名や病名も知りませんでした。「癌」で亡くなられたのに、女は心臓病で入院していたとか出鱈目(でたらめ)なことを言い出しました。夫が小規模な会社を経営していたことも知らず、それがどんな職種の仕事であるかも知りませんでした。事実、夫がどんな仕事に就いているかなど興味などなく、どうでもよかったのです。お金を貰えればそれでよかったのです。

 このフィリピン人妻は亡くなられた日本人夫の最後の様子などを尋ねることもなく、亡き夫の話をしている間も涙を浮かべることすらありませんでした。更に、私が遺族から頼まれて日本からとりあえず相当まとまったお金を持って来たと勘違いして、母親や家族を連れて、航空機でマニラまで来ていたのです。

 私が、依頼人(遺族)の言葉を伝え終わり、ホテルのエントランスから出た直後、私の現地スタッフが私の耳元で囁きました。「あの女の愛人の元警察官がロビーにいました。携帯で宇波さんを盗撮していましたよ。」と、教えてくれました。

このフィリピン人女性の身元調査を実施したときに、私たちは同棲相手のフィリピン人男の顔写真を入手して調査の依頼主に渡していました。それで女の愛人であると確認できたのです。私の現地スタッフ二人がロビーにおり、私と離れた場所のソファーに座っていたのです。愛人の男はそれとは知らず、私を盗撮していたのです。この女の愛人も、恐らく、私が日本の遺族から頼まれて、当座の相当額の大金を持って来たのだと思い込んで女に付いて来たのだと思います。

 余談ですが、フィリピンの「産婆」の資格で日本国内で「産婆」の仕事はできません。現地では「看護婦」の国家試験とは違い、「産婆」には国家試験がありません。誰でも学科を履修すれば資格が取得できます。なにより、フィリピンで数年かけて日本で使えない「産婆」資格を取得しようとしたことは、最初から、結婚しても日本入国して夫と一緒に暮らす意思がなかったことを物語るものだと思います。

 私は既に(事例その1.19年間も会わずに送金し続けたコックさんのお話し)の中で「送金依存症」という言葉を使いましたが、「癌」で亡くなられたこの日本人の方も或る意味で、「送金依存症」に陥ったと思います。婚期を逃したり高齢で死別したり、家族とは疎遠。そんな時期に自分より若いフィリピン人女性に出会うと、そこに生きがいを求め、それに縋(すが)るようになるようです。

 加えて、男は単純細胞ですからフィリピン人女性の言葉を鵜呑みにして言われるまま何の疑いもなく、将来は介護してもらおうなどと期待して送金を続ける日本人の男も大勢いるようです。将来、介護してもらおうと目論んで年の離れたフィリピン人女性との結婚を望む高齢者も多いのですが、その殆どが悲惨な結果をたどっているようです。日々の口論や喧嘩で「鬱」状態に追い込まれた中年男性・高齢者も大勢います。

 既にお話ししましたが、遺族によれば、父親は意識朦朧として死ぬ直前まで「メトロバンク、メトロバンク」と、うわ言を繰り返していたそうです。自分の妻が現地でフィリピン人の男と何年も同棲していることも知らず、その病床で律義にも「メトロバンクから送金してやらなければ、送金してやらなければ」と、思い続けていたのです。悲しいというか、残念で哀れな物語です。

 このフィリピン人女性ですが、ご遺族の話に拠れば、それから間もなく日本人の男を仲介人に仕立てて日本人弁護士を雇い、夫の預貯金と土地建物(戸建を2軒所有)の50パーセントを渡せと請求してきたそうです。この事例のように、結婚後一度も日本に来ることもなく日本人夫との同居実態がなくても、法律的に妻であれば遺産の50パーセントは渡さなければならないのです。


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(事例3.騙されてフィリピン人のダメ男と二度結婚した日本人女性のお話し)

 北陸地方にお住まいのご夫婦でした。「娘がフィリピンに行き、向こうでフィリピン人の男と結婚しました。困り果てています。インターネットで出会ったのです。相手の男性ががどんな人物なのか調査して下さい。」そう依頼されました。ご両親は娘さんから、フィリピン人男性の「名前」と「誕生日」しか知らされていませんでした。

 この娘さんは、既にフィリピンに数回渡航し、『現地で婚姻届出する前に相手の家族にも面会していました。娘さんの日本人のご両親はこの男とインターネットのスカイプの画面上で顔は見たと話しておられました。

 依頼人であるご両親が不審に思ったのは、スカイプの画面で「結婚許可証」の申請用紙を見せて、「もう1回、申請をキャンセルしたり延期したら、自分はこちらの市役所のブラックリストに載せられる。」そう言い出して結婚を急がせたそうです。何よりパソコンのが画面上だけですが、その男は見るからにだらしない服装をしていたそうです。


(調査結果)


 このフィリピン人男性は現地で35歳のとき出生届出をしていました。インターネットの出会い系サイトに登録する少し前に(別名)で出生届出していました。現地での聞き込み調査で、勿論、本名も分かりました。案の定、この男は本名でフィリピン人女性と結婚しており二人の子とともに一家4人で生活しておりました。

 このフィリピン人の男は、日本人女性(依頼人の娘さん)に対して、自分の妻を「兄の嫁さん。」であると紹介して、「兄は数年前に失踪して、自分が一緒に住んで兄の嫁さんと二人の子供を世話している。」と、とんでもない嘘をついていたのです。私は、それらの証拠書類の公文書も添付して翻訳文も添付して依頼人にお渡ししました。  勿論(もちろん)、依頼者の娘さんはフィリピン人夫宅の近所に住んでいた親や兄弟姉妹にも紹介されて挨拶(あいさつ)していたのですが、相手の家族の誰一人「彼は結婚していて、奥さんがいて子供も二人いる。今も一緒に暮らしている」と、教えなかったのです。

 家族ぐるみで騙したのです。

 依頼者の娘さんはある程度英語が理解できたのですが、フィリピン人同士は都合が悪いことはタガログ語で話しますから、その家族が何を話しているのか分からなかったようです。調査の結果、このフィリピン人の男は定職に就いておらず、一日中近所を徘徊してブラブラしているような男でした。その男の住まいも写真に撮り、依頼者に提供しました。住まいはうらぶれて錆びたトタン屋根の家でした。その錆びたトタンが捲(めく)れて軒から垂れ下がり修繕もしないでほったらかしてありました。

 依頼者の娘さんとフィリピン人の男は、現地で二人で婚姻届出した訳ですが、調査の結果、婚姻届出した役所は男が生まれ育った住まいがある市役所ではなく、遥か遠く離れた別の市役所で「結婚許可証」を取得し、その市役所で「婚姻届出」しておりました。

このフィリピン人の男は、「自分の住居登録地がここの市内。」と嘘をついて、自宅から遠く離れた市役所で婚姻手続きをしたのです。理由は簡単です。地元の市役所で婚姻手続きをすると市役所内には顔見知りも当然いるでしょうから。近所の人がたまたま用事で市役所に来ていることもあるでしょう。見られるとまずいのです。要するに重婚がバレる可能性があったのです。

 依頼者の娘さん(以下、「Aさん」と言う。)は、フィリピンにも住民票があると思い込んでいたようです。フィリピンには「住民基本台帳法」のような法律はなく、住民票らしきものさえありません。


(編集後記)

 私は、フィリピンから調査報告書が届き、依頼者であるご両親に送付しました。その後、ご両親の要望で、改めて場所を設けてAさんを交えて今後の善後策を話し合いました。しかし、私はAさんと話をして違和感を感じたのです。普通であれば、騙されたと知れば怒り心頭に達し、相手の男性は許せないとなるのですが、逆に私への質問が、どうも調査報告書の内容を相手のフィリピン人の男に漏らし、かつ、相手のフィリピン人と打合せを済ませたような質問をしてきたのです。

 Aさんの立場としては、騙されていたのですから「直ぐに現地で裁判して結婚を解消したい。お願いします。」と、切り出すのに、Aさんは違いました。調査報告書を疑うような質問を続けました。

例えば、「彼の母親の前に彼を連れていって、この人は誰ですか。名前は何と言うのですかと確認したんですか?」そんな質問ばかり繰り返しました。身元調査は当然ながら相手に悟られないように密かに行動します。相手を母親の前に連れて行って、これば誰で何という名前ですか? などと質問できる訳がないのです。  話は変わります。後日、依頼者であるご両親からもう一度お会いしたいとの連絡がありました。お会いしたのですが、そこでAさんのご両親から打ち明けられた話を聞いて、私は仰天しました。

 実はAさんは以前にもフィリピン人と結婚していたのです。聞けば、日本国内でオーバースティ(不法残留)していたフィリピン人と結婚して子どもまで設けていたのです。在留資格のない外国人が日本人と結婚して、結婚後に入国管理局に出頭して残留資格を願い出る制度を「残留特別許可」と言います。

その前夫のフィリピン人は「残留特別許可」されて残留資格を取得する前後から、Aさんにさんざんお金を無心し、Aさん名義で新車を購入してローンを申し込ませたりして、Aさんは自己破産寸前まで追い詰められ、遂に協議離婚したそうです。それだけでなく、後日判明したのですが、そのフィリピン人夫にはフィリピン現地に妻がいたことも発覚したそうです。

 依頼者であるご両親にしてみれば、過去に一度、フィリピン人の男に痛い目にあわされているのに、またフィリピン人と結婚した。しかも今度の相手は身元調査の結果、妻子がいて、名前も変えて独身になりすまして娘と結婚している。以前と同じ結果になるのが目に見えている。是非とも何とかして欲しい。そう私に懇願したのです。

 私はご両親に「現地での婚姻解消の裁判費用を用立てて下さるなら、現地の弁護士を紹介します。私もお手伝いします。でも、お嬢さまが裁判を申し立てる意思があるかどうかが問題です。」と、申しあげました。それから暫くして、Aさんは婚姻解消を申し立てることを決意し、私と一緒にマニラに渡航したしました。現地に渡航する前に、私はAさんとフィリピン人夫の「出会いから結婚に至る経緯」そして「身元調査結果」をすべて英文に翻訳して現地の弁護士に送付しておきました。

 現地では、Aさんは通訳を交えて弁護士と打合せをして、「委任状」と「申立書」に署名して帰国しました。

 裁判は順調に進行する筈でした。ところが、それから1ヶ月も経過しない頃にAさんから私に電話がありました。「裁判を取り下げます。」との連絡でした。申立人本人が裁判を取り下げると言えば、これは取り下げるしかありません。実はAさんは、ご両親や私に内緒でずっとフィリピン人夫と連絡をとり続けていたのです。電話に出たりすると相手のペースに巻き込まれるから絶対に電話が来ても無視するようにと厳重に注意していたのですが。「夫はそんな裁判のやり方は変だ。インチキだと申しています。ですから取り下げます。お支払いした裁判費用はどうなりますか?」そんな連絡でした。

 私は直ちに依頼人であり裁判費用を拠出してくださったAさんのご両親に電話をしました。事態をご存じかとお尋ねしたところ「まったく、寝耳に水です。」と、震えるような声でお話になりました。その後、ご両親はAさんを説得したらしいのですが、Aさんは頑として親の言葉に耳を貸しませんでした。「彼を日本に呼んで一緒に暮らす。」と言い切ったそうです。

 そう言えば、前兆と言うか思い当たる節(ふし)がありました。現地でフィリピン人の弁護士と打合せをしていたとき、弁護士はAさんにもう相手と連絡は取らないようにと釘をさしました。そのときAさんは「彼からメールが来たら見ることはいいですか?」と、質問したのです。

私はそのとき裁判を申し立てるというのに何故そんな質問をするのか?若しかして未練があるのではないか? そう感じたのです。そのAさんの言葉を聞いたとき、私は「絶対にメールなど開かず、無視して下さい!」と厳重に注意していたのです。  しかし、Aさんはフィリピン人の夫と連絡を続け、Aさんは婚姻解消の裁判を申し立てたことを自らバラしていたのです。重婚はフィリピンでは刑事罰の実刑(禁錮刑)ですから、相手は必死にAさんに裁判の取り下げを懇願したに違いありません。

 前述の如く、Aさんは過去に不法残留していたフィリピン人男と結婚し、痛い目にあわされて自己破産寸前まで追い込まれて、子を引き取って離婚していました。しかし、それから数年後、またフィリピン人と交際を始めたのです。繰り返しますが、当事務所の「身元調査・生活実態調査」の結果、その男には妻子があり、別名を名乗っている事実を突き止めました。

 そして、ご両親を交えて婚姻解消の裁判を申し立てることを決めました。本人もフィリピンに渡航して弁護士が作成した委任状や申立書に署名までしたのに、裁判を取り下げて、更にそのフィリピン人の男性(夫)を日本に呼んで一緒に住むことを決めたのです。

 実は、このような日本人女性は多いのです。過去にフィリピン人の男に騙されて随分とお金を使わされ取られて酷い目にあわされたにも拘わらず、数年経過すると再度フィリピン人の男と付き合い始める女性が意外と多いのです。「今度の彼は大丈夫!」これを喉元過ぎれば熱さをなんとか・・・と、申します。

 私の経験から申しあげます。フィリピン人との結婚を家族に猛反対されると、日本人の男性も家族や周囲の言葉に耳を貸そうとはしません。ですが、男性の場合は思い留まる事例が屡々(しばしば)あります。しかし、女性が思い留まることは滅多にないのです。

 フィリピン人の男は不愛想な日本の男と違い(最初だけですが)優しいのです。日本人女性が舞い上がるような言葉を語ります。不謹慎な表現ですがお許し下さい。優しくされてベッドの中で英語で甘い言葉で囁(ささや)かれた日本人女性は一溜りもないようです。日本人女性は、そんな楽しい嬉しいことが頭から離れず、幸せを夢想し続けて、結婚に突き走るようです。これは私見ではありません。或る日本人女性から告白された実話です。

 フィリピン人の男に騙される日本人女性の特徴として、少し英語(英会話)が理解できるという共通点があります。人前で、外国人と二人並んで街中を英語で話しながら歩いて、周囲から「かっこいい」と見られたいような見栄もあるようです。
 それから「彼を現在の貧困生活から救ってあげたい」「私と結婚して日本で働けば高収入になる」「救ってあげられるのは私だけ」「彼はきっと感謝する」そんな自惚れた上から目線の勘違い使命感を抱いて結婚する日本人女性も多いと感じています。

 フィリピン人の男が日本に入国しても、殆どの場合、単純労働(飲食店従業員、清掃員、日雇い工場作業員)のような仕事にしか就けません。日本語も満足に話せず、漢字も読めない、電話の対応もできない外国人を誰が雇用してくれるでしょう。この不景気風の吹く中、日本人ですら就職が難しい現実を認識していれば、フィリピン人との結婚を夢見るというのはいかがなものでしょう。

 別の事案ですが、2012年晩秋。或るご両親から頼まれて、ご両親とフィリピン人男性と結婚したいと希望する「お娘さん」の四人で或る駅前のホテルの喫茶室でお会いして話を伺いました。私はフィリピン人男性の言動に疑問点や不審点を感じたので、結婚したいというフィリピン人男性の身元調査をすすめたのですが、そのお嬢さんから「彼の心の中までは調査できないでしょう!」と、反論されました。私もバカバカしいので、それ以上話しても時間の無駄だと思い、さっさと退散」した次第です。このような女性が実に多いのです。


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(事例4.結婚後、夫の知らない間に3人の子を産んでいたフィリピン人妻のお話し)

 九州からの電話相談でした。お声から察して60歳くらいの女性でした。息子さんが現地でフィリピン人女性と結婚してもう7年経過するのに、フィリピンの嫁が、なんだかんだと理由を付けて、いっこうに日本に来る様子がない。以下は電話いただいたお母さまの話です。

 息子はずっと結婚する以前から毎月送金し続けています。最近は、毎月6万円送金しています。息子の嫁は、以前は日本のフィリピンパブで働いておりました。フィリピンに帰ってから暫くして、息子に「妊娠していた。」と電話をかけてきました。息子は慌ててパスポートを取得してフィリピンに渡航して向こうで結婚しました。そして、帰国後に市役所の戸籍課にも婚姻届出をして戸籍謄本にも結婚が記載されました。

 不可解なことに、生まれた子を実子として日本の戸籍に入籍するから、その子の「出生証明書」を送れと言っているのに、もう何年間も送ってこないんです。はじめは、その理由が「男」と「女」の性別を間違えて届出した。訂正しようとしたが、手続きが面倒で一端、届出を取り下げた。今度は簡単に二度目の出生届出が受理されない。最近では、裁判所の命令がないと出生届出できないと言い始めました。こんな言訳めいたことを何年も言い続けています。息子は嫁の言うことを信じて今も毎月送金しています。嫁や子どもに会うために、2年に1度くらいはフィリピンを訪れています。

 ときどきフィリピンからは子どもの写真が送られてきます。子供の誕生日が近づくと必ず電話がかかって来て、息子は誕生日プレゼントを送っています。  「調査を依頼したいのですが、資料としては息子の戸籍謄本しかありません。戸籍謄本にフィリピン人妻の氏名が書かれています。息子の嫁があちらでどんな暮らしをしているのか、生まれた子はもう小学生のはずですが、どうなっているか調査していただけないでしょうか?」このような依頼でした。

 私が依頼者である息子さんのお母さまに「フィリピン人のお嫁さんの住所とかわかりますか? お嫁さんの写真はお持ちですか?」そう尋ねると、息子さんは別に家を借りて暮らしており、息子の戸籍謄本の他に資料はありません。フィリピン人の嫁のことについて、いろいろ尋ねても何も教えてくれないとのことでした。

実は、結婚話が出たときに家族が大反対したために、それ以来、相手のフィリピン人の女性については何も語らなくなったとのことでした。実際、このような男性は多いのです。家族が結婚に反対した途端に、相手のフィリピン人女性について黙して語らなくなり口を噤(つぐ)む日本人男性が多いのです。


(調査結果)

 1ヶ月間の調査の結果、唖然(あぜん)とするような事実が判明しました。まず、帰国後に産んだとされる子ですが、子の出生届出は生まれた直後に地元の市役所に提出されていたのです。そして、その出生証明書には子の出生から4年後にフィリピン人の男が認知したことが記載されていました。当該のフィリピン人女性が日本から出国してから出産日までを計算すると、女性はフィリピンに帰国してから265日目に子を産んでいました。女性は生まれた子がフィリピン人男の子であることを初めから知っていた筈なのです。

 「興行(タレント)」の在留資格で就労していたフィリピン人女性は、このように帰国後に、関係した日本人男性に「あなたの子を妊娠していた。」と電話をかけて、通院費や出産費用そして毎月の養育費・生活費を要求し、それだけでなく結婚を迫ることがあります。身に覚えのある日本人男性は、慌ててフィリピンに渡航して結婚したり、毎月送金を始める例が数多くあります。酷いケースでは、子が生まれて数年経過してから「あなたの子を産んで育てている。」と、電話してくる女もいます。

 調査の結果、このフィリピン人妻は、想像した通り子を認知したフィリピン人男と同棲していました。しかも、その女性がタレントとして日本で働く以前から、ずっと一緒に暮らしていたのです。近所の人達の証言から分かりました。更に、驚くべき事実が明るみに出ました。なんと、このフィリピン人妻は、日本人と結婚した後に、同棲しているフィリピン人男の子どもを3人も産んでいたのです。フィリピン人の男は無職でした。つまり、フィリピン人親子6人は日本からの送金で暮らしていたのです。

 皆様は不思議に思われるでしょう。『依頼者の息子さん(日本人夫)は、ときどきフィリピンを訪れていたはずだ。3人も子を産んでいたのが分からなかったとは?』と。そこがフィリピン人の狡猾で上手なところです。恐らく、妊娠してお腹が大きく目立つときは、病気だとか怪我をしたとか、なんだかんだと言い訳してフィリピンに来させないようにしたのでしょう。

事実、後日この日本人夫に尋ねたところ、フィリピンを訪れたとき宿泊先のホテルにメッセージが届いており、そこには「親戚に不幸があり、葬儀でレイテ島に行かねばならないから会えない。」と書かれており、夜中になって「レイテにいる。」との電話をかけてきたそうです。

 この日本人夫の依頼者の息子さんですが、初めは私の事務所の調査報告書を信用しませんでしたが、調査で撮影した数十枚の写真を提示するとガックリした様子で、調査報告書が正しい事実であると認めたとのことです。その写真の中には、自分の妻とフィリピン人男が並んで子供たちを抱いている写真なども数枚ありました。また、自分の子だと思っていた子の横に並んで双子かと思うような瓜(うり)二つの子がもう一人写っていたからです。

 この親子6人の所在地ですが、日本人の夫に教えていたとは別の市内の実父の家に住んでいました。昔のように家の固定電話であれば、相手の所在も分かり転居したことも確認できるのですが、携帯電話では実際に調査しなければ本当の居住地は分かりません。調査報告書が届いてから1ヵ月後に、私はこの依頼者の息子さんと一緒にフィリピンに渡航しました。渡航目的は、現地の裁判所に婚姻無効・婚姻解消の申し立てるためです。現地で通訳を交えて、フィリピン人弁護士と打合せををして、「委任状」と裁判所に提出する「申立書」に署名して帰国しました。


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(番外編 1. 裁判費用を騙し取られてもなお送金し続ける男のお話し)

 2005年頃からブームになりましたが、インターネットの婚活(出会い系)サイトで知り合い、日本人男性がフィリピンに渡航して結婚するケースが増えています。以前は、比較的若い20代30代の日本人男性が大勢でしたが、最近は、40代50代60代の男性が激増しているようです。

 婚活サイトに登録しているフィリピン人女性も、以前は20代が多数でしたが、このところ30代40代の女性が急増しています。しかも、特徴的なのは過去に日本で「興行」在留資格(ダンサーなど)で就労していて日本語が話せるフィリピン人女性が増えているのです。その多くが自称「シングルマザー」であり、自称「離婚経験者」です。次の事例は、こんな婚活動サイトで知り合い、マニラで結婚届出し、更に日本の役所にも婚姻届出した男性のケースです。

 近畿地方に居住する50歳前後の男性でした。それまでずっと独身を通していましたが、婚活サイトで自称「シングルマザー」のフィリピン人女性を見つけて、何度かメールを交換した後、写真を交換し、国際電話で話をするようになり、2度目のフィリピン国訪問で「結婚許可証」を申請して、3度目の訪問で現地で結婚したのです。

結婚後、広島入国管理局から「在留資格認定証明書」が交付されたのですが、在マニラ日本大使館がビザ(査証)発給を拒否したのです。拒否理由はフィリピン人妻の「重婚」でした。在マニラ日本大使館は、原則、ビザの申請人に拒否理由を説明しません。日本人夫の問い合わせには、漠然と「重婚」を仄めかすことがあります。

 この日本人男性(以下、「Aさん」と言う。)は、フィリピン人女性と知り合い、最初の渡航で男女の関係になり、その後に女性から「実は、フィリピン人の夫がいる。」「別居しているが、裁判で離婚(婚姻解消「通称、アナルメント」)の手続きをしないとあなたと結婚できない。」と打ち明けられ、Aさんはどうしても結婚したいので、裁判費用と弁護士費用とで併せて40万円を送金したそうです。すると、女性からは4ヵ月ほどして裁判が結審したとの連絡があり、それでAさんはマニラに渡航して現地で結婚したのです。参考までに申しあげますと、通常、現地の裁判離婚(婚姻解消)は3ヶ月や4ヵ月では終わりません。

 ところが、在マニラ日本大使館で査証発給拒否されると、女性は一転して「裁判は終わったけど、弁護士が判決を役所に提出するのを忘れていたので、フィリピン人夫との結婚が未だ解消されていない。」そうAさんに説明して、Aさんが「直ぐに役所に提出するように。」と指示すると、女性は今度は「弁護士が判決後に直ぐに死んだ。」と言い出したのです。

 私に言わせれば、女の言うことは全部「嘘」です。最初からアナルメント裁判などやっていないのです。このフィリピン人女は40万円を騙し取ったのです。それから、毎月送金してもらうのが目的なのです。第一、裁判が結審して直ぐにフィリピン弁護士が死んで役所に届出できなかったなんて考えられません。フィリピン人は嘘とわかる嘘を平然と言います。

 私が想像した通り、案の定、Aさんは弁護士にも会わずに、フィリピン人女性にお金を渡しただけでした。Aさんはアナルメント(婚姻解消)の「判決文」は勿論のこと裁判を提起したさいの「申立書」のコピーすら見ておりませんでした。それどころか弁護士の名刺も貰っておらず、40万円の領収書も見ておりませんでした。

 在マニラ日本大使館で査証発給拒否されてから、Aさんは、広島入国管理局に2度目の「在留資格認定証明書交付申請」をしたそうですが、今度は入国管理局から不交付通知(不許可通知書)が届いたのです。Aさんの説明では、重婚状態にあるので、2度目の申請ではフィリピン人夫の「死亡証明書」を偽造して入国管理局にで提出したとのことです。が、それでも在留資格認定証明書不交付通知が届いたのです。当然です。入国管理局を甘く見てはいけません。入国管理局にしてみれば、重婚がバレたので、今度はフィリピン人夫を死んだことにしてきた。悪質だ。そう審査したに違いありません。

 私は、Aさんにフィリピン人女性の嘘を幾つも指摘して、身元調査と生活実態調査をアドバイスしたのですが、Aさんは全く聞く耳を持ちませんでした。それどころか、女性が「もう一度、現地で、ちゃんとした弁護士に頼んでフィリピン人夫との婚姻解消裁判をしたい。」と言い出したと言うのです。つまり、もう一度、裁判費用を送金して欲しいと言っているのと同じです。Aさんも私に「是非、そうしたいのでまともな弁護士を紹介して欲しい。」と懇願しました。

 私は、「変ですね。もう婚姻無効の裁判は判決を貰っているのですから、この判決を現地の役所に届け出るだけでよいのでは? どうしてまた裁判する必要があるのですか?」そう問い質すと、Aさんは次のように答えました。

「妻が判決文を持って役所の窓口(NSO、国勢調査統計局)に提出に行ったら、役所でこの判決文はにせ物だと言われたそうです。」 

Aさんは、ここでも、またまた嘘をつかれてそれを鵜呑みにしたのです。実は、NSOに直に婚姻解消の判決文を持ち込んで結婚解消の登記をすることはできないのです。Aさんが何も知らないことをいいことに嘘をついて騙したのです。私は、そのこともAさんに説明したのですが・・・。

 普通であれば、「そうかオレはまた騙された。お金も取られた。こんなに嘘ばかりつく女とは離婚しないと、将来えらいことになる。」と考えるのですが、Aさんは違うのです。騙される日本人男性の典型的な性格の人でした。

フィリピン人夫の「死亡証明書」を偽造して入国管理局に提出しようと女が言い始めたとき、「この女は危険だ。」と、察知すべきだったのです。ところが、Aさんはそのような不法行為(公文書偽造)に加担して、法務省入国管理局に偽造文書を提出したのです。

 フィリピン人女性と接した、婚期を逸した男性や死別した高齢者に特に顕著に見られる傾向です。私は、何度も何度も見てきました。

 もう過去の話です。空港での上陸時の指紋検査が実施される前です。退去強制処分(強制送還)されたフィリピン人女性が名前を変えて、不法滞在中に知り合った日本人と現地で結婚し、別人に成りすまして日本人の妻として日本に入国して来る事例は、数え切れないほどありました。

日本人夫も、結婚相手が偽名を使っていると知りながら、その事実を隠して「フィリピンを観光していたとき初めて出会いました。」「知人の紹介で現地で初めて会いました。」などと、入国管理局に虚偽申請して入国させて一緒に暮らすという事例は数え切れないほどありました。

 一度、不法行為に加担すると、何度も不法行為に巻き込まれます。例えば、妻として入国した後、「フィリピンから妹や弟を親族訪問で呼びたいけど、身元保証人になって欲しい。」と言われ、いざ兄弟姉妹が入国すると、スナックや工場で不法就労を始めます。日本人夫はそれを止めることもしません。そしてビザの在留期限が到来しても帰国せず、不法残留(オーバーステイ)して捕まるまで不法就労します。あるいは、不法残留しながら、結婚相手となる日本人を物色して、結婚してビザを取得しようと目論見ます。このようなことを黙認している日本人夫が実に多いのです。

 このAさんを含めて、日本人は現地の法律や婚姻手続きの法律に疎いのです。当然ですが、そのためフィリピン人の言い分を鵜呑みにするしかないのです。聞けば、Aさんは結婚を決意したときから、もう2年近く毎月のように送金していました。

 Aさんは、私の忠告も聞かず、どこかの業者に現地のフィリピン弁護士を紹介してもらい、きっとまたフィリピン人妻とフィリピン人夫との婚姻解消(アナルメント)裁判を始めるでしょう。そして、裁判費用・弁護士費用を支払い、更に裁判中もずっと毎月のように送金し続けると思います。まったく相手の思う壺なのです。Aさんは、それを認識できないのです。


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(番外編 2. マリキナ市の現地邦人事件簿 だまされ怒り爆発 )

だまされ怒り爆発

 日本人男性(56)=本籍・福岡県=が別れたフィリピン人妻(35)の親類らを銃撃し、1人が死亡、5人が重傷を負った事件で、容疑者の日本人男性は7月24日、犯行の動機について、過去5年間で約300万ペソを元妻やその親類、友人らに使い込まれ「だまされたという怒りが爆発した」と語った。

 日本人男性によると、フィリピン・パブで比人妻と出会い、2007年に日本国内で結婚した。比で長男(7)と長女(6)が生まれ、自身の両親や別れた日本人妻らとの関係も良くなかったため、比への移住を決意した。日本の家や資産はすべて売り払い、全財産を比移住のために準備した。日本へ戻る意思はなかったという。

 移住する1年前から、比での収入源として、タクシー用の乗用車を買うための資金や、故障したという乗用車のエンジンの新規購入資金などを妻に送金し、妻の弟に仕事を手伝わせていた。ルソン地方リサール州アンティポロ市にある家の購入資金も送金した。

 しかし、2008年に移住してみると、弟が買ったという新しいエンジンはなく、乗用車は売られていた。アンティポロ市の家も妻が売り払っていた。車も家も妻名義。男性が送金した現金は「妻や親類が勝手に使い込んでいた」という。

 現金の使い道などをめぐり、移住直後から妻との口論が絶えなくなり、08年に離婚。男性はマリキナ市内の賃貸アパートで比人の友人らと一緒に暮らすようになった。

 比での定収がなかったため、日本から持参した現金を元手に比人の友人らとタクシー業、駐車場経営などを試みた。銃撃で負傷した5人のうち、マリキナ市で撃たれた比人男性(42)とリサール州サンマテオ町で撃たれた比人男性(43)とは、3人で魚の仲卸業を始める計画だった。魚の運搬用の乗用車の購入費、事業立ち上げ資金を比人男性2人に渡した。しかし、いつまでたっても事業は始まらない。その後、サンマテオ町の男性の妻(42)が渡した資金を使ってしまったことが分かった。

 比人男性2人とその妻の計3人は、22日夜、日本人男性に銃撃され、重傷を負った。

 マリキナ市で銃撃された比人女性(56)については、女性の娘婿と乗用車の売買をめぐりトラブルがあったという。

 比人妻の親類や友人らには、これらのほかに日々の生活費として頻繁に現金を貸していたが、返済されなかった。家賃を支払う余裕もなくなったため、借金返済を迫ると「金はない」と言われた。

 犯行に使った9ミリ拳銃は、1年半前、子供が病気で入院し、治療費を工面するため銃を買ってくれと友人に頼まれ、2万ペソで買った。

「だまされた。いつも、大丈夫だから、大丈夫だからと言われながら(それを信じて)ばかにされた。5年間ずっとたまっていた怒りが突然、爆発した」という。

 22日夜、犯行現場のマリキナ市コンセプシオン・ウノのメリット通りで、義弟に「偶然会った」。比人妻との間にできた子供2人はどこかと聞くと、「生意気な態度で『知らない』と繰り返された。怒りがこみ上げてきた」(日本人男性)。

 犯行中は頭が混乱し、自制できない状態だった、とも話した。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~v-o-t/philippin1-jiturei4.htm

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年金夫婦の海外移住 2013

定年退職後の年金生活で時間ができると、故郷へのUターン、田舎暮らし、海外移住などに関心が向くのだそうです。
年金夫婦のロングステイ(余暇目的の海外長期滞在)は増加しています。

金持ちの特権ではなく大衆化したと説明されますが、余暇目的ではない年金難民や介護難民も加わったということです。

貧しくて日本では人並みの生活ができないとか、限られた年金でより豊かに暮らしたいとか、介護が必要になった時の老後に不安があるとか、そうした人たちが物価の安い海外へと出かけているようです。


東南アジア諸国が人気

物価、風習、リタイアメントビザの取得しやすさなどから、東南アジア諸国(マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシア、台湾など)が人気です。

「月に10万円でプールとメイド付きの家に住める」とメディアが煽りますが、治安、医療、生活費の点で問題もあります。

東南アジア諸国の経済成長に伴う物価上昇と円安を考えると、「海外移住すれば年金生活でもゆとりがある」とは言えなくなっているのかもしれません。本書は2008年の出版で、その後の5年間でさらに状況は変化しています。


生活費11万6,000円

「60代前半の夫婦、マレーシアで 3DKのコンドミニアム(賃貸型のリゾートマンション)を月900リンギ(約3万円)で借り、家賃込みの生活費は月3,500リンギ(約11万6,000円)」

マレーシアに滞在する日本人の生活費は月に 6,000〜7,000リンギが平均的なので、半分程度に抑えています。

HPの「月に6万円で楽園の生活」を信じて入国した当初は、月に23万2,000円の生活費がかかり赤字だったそうです。

日系スーパーの利用や日本人との付き合いを減らし、家賃の安いコンドミニアムに引っ越して家計はスリムアップできました。しかし、汚職が蔓延して警察が当てにならない、保険カード(民間保険会社との契約)がないと治療に保証金が必要、などと惑うことも多いようです。


生活費16万5,000円

「70代後半の夫婦、マレーシアで家賃は月に1,500リンギ(約4万9,600円)で、家賃込みの生活費は月に5,000リンギ(約16万5,000円)」

英語もインターネットもできず、付き合いは近所の日本人のみ。

700リンギ家賃の安いところに引っ越したが、物価の上昇で生活費は変わらず。

妻が転倒して通院するようになり医療費が負担、手術は日本でないと不安などが理由で帰国する予定。

高齢では民間保険会社との契約は難しい、海外旅行傷害保険も年間掛け金が 1人年に15万円かかる。そうしたことを考えると、日本の医療に頼りたくなるのでしょう。


不動産購入はリスキー

「60代の夫婦、マレーシアに永住するつもりで35万リンギ(約1,160万円)でコンドミニアムを購入」

年をとれば「最期は日本で」という気持ちが強まるわけで、不動産購入はリスキーです…。

「金に困った長期滞在者が小遣い稼ぎに作ったHPのネット情報は信頼性なし」

「NPO やボランティアを騙る不動産関連の悪徳業者も多い」

なにより、退職ビザの取得基準が政府の思惑で変更されます。

「15万リンギ(約500万円)の現地銀行定期預金
→50万リンギ(約1,650万円以上の資産証明」

裕福な日本人のジャパンマネーに期待してロングステイを認めています。


「マレーシア滞在の日本人の生活費は月に7,000リンギ(約23万2,000円)が平均的」だとすると、それほど節約にはなっていません。

「標準的な老齢厚生年金受給額が月に23万円、高齢者夫婦2人世帯の支出が月に25万円」と言われています。

それなりに生活をエンジョイすると、国内でも海外でも支出は大差ないのかな。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/09/blog-post_12.html

介護付き長期滞在施設

日本は国民皆保険ですから、介護保険料の徴収を拒めません。

それで、一人暮らしの高齢者が要介護認定されると、介護保険を利用して在宅介護ができるのかと言うと…たぶん無理でしょう。
介護保険は同居の家族を前提とした制度だからです。

では、貧乏な一人暮らしの高齢者が特別養護老人ホームに入所できるかと言うと…かなり難しいでしょう。

比較的安いので待機者が多く、順番待ち状態だからです。
待機者数は 42万人とか、真に入所が必要なのは 4万人とか、真に入所が必要な人だけでも16万人とか、実態ははっきりしませんが、申し込んでもすぐには入れません。

そこで、海外の日本人向け介護付き長期滞在施設が登場しました。

ローズ・プリンセス・ホーム

フィリピンへの海外移住には、日本人向け介護付き長期滞在施設を目指すパターンもあります。

十分な介護の人手を確保できる、有料老人ホームに入居する資産がある。そうした人達を除けば、日本での老後に不安を感じます。

介護士の人件費が安いフィリピンなら、日本では平均的な年金生活者も十分な介護を受けられるはずです。

「日本人向け介護付き長期滞在施設ローズ・プリンセス・ホーム、

35平米の部屋の生涯使用権が300万円、
健常者は1日3食の日本食込みで7万円、
24時間マンツーマン介護付きの寝たきりは13万円(医療費は別)、
月に1万円弱の管理費を払えば常時滞在の必要なし」


60 部屋の大半は埋まっているとあります。
ニッチ分野で成功したベンチャー企業なのでしょうか。

日本の介護付き有料老人ホームは、入居一時金も月々の費用も高額です。
取り崩せるかなりの資産がなければ、年金生活者(国民年金でも厚生年金でも)には高嶺の花。需要はあるでしょう。


トロピカル・パラダイス・ヴィレッジ

「治安のよいスービックにある介護付き長期滞在施設トロピカル・パラダイス・ヴィレッジ、
1泊 1万円、1週間 5万円、1ヶ月11〜16万円、1年132万円、10年900万円(いずれも介護費用を含む)」

離婚経験のある74才男性(年金15万円、生活費20万円)の例が挙げられています。

厚生年金+貯金の取り崩しで、日本より安くて手厚い介護が受けられるのですが…。

ニーズがあるはずなのに、永住者は少なく保養目的の利用が多いらしい。

金の問題をクリアできれば、最期は日本で迎えたいのは当然です。
言葉も通じない異国の施設を終の棲家とするには覚悟が要ります。
また、海外のうまい話は眉唾物という警戒心もあるのでしょう。
介護付き施設の契約金持ち逃げなどの詐欺事件が報道されているそうです。


医療費の全額負担

橘玲の「フィリピン・マニラ 日本人高齢者を受け入れる介護サービスの現場」
http://diamond.jp/articles/-/36470?page=4


によりますと、

「一時期は新聞やテレビでもたびたび紹介されたローズ・プリンセス・ホームは、経営の混乱で日本人職員が全員退職してしまい、いまは日本語を話せない介護士しかいない
(昨年12月にはNHK「追跡!真相ファイル」でその実情が取材された)」

ネットで断片的な情報を拾ってみると、

「ローズ・プリンセス・ホームは 3000坪の敷地に 50の部屋がある大規模な施設。
16年前にフィリピン初の日本人向けの老人ホームとして開設、入所を希望する人が殺到した。

しかし、施設を出る人が増え、部屋の多くが空いたままになっている。

日本の住民登録を抹消してフィリピンに住所を移すと、日本の国民健康保険は適用されず医療費は全額自己負担となる。

1日12万円の治療費の工面に苦労した末にすい臓癌で亡くなった人もいる」

高齢者の介護は医療とセットになることが多いのですから、介護が安上がりでも医療が高額ならメリットは感じられません。


杜撰な事業計画

「フィリピンの問題点というのは
コストが高くなった。人材の確保が難しくなってきている。
私自身、さじを投げちゃっている部分がある」

経営者の姿勢にも問題あり。倒産せずに譲渡先が見つかったようですが、「有料老人ホームの居住者の権利は利用権。

入居一時金を支払い、終身利用権を取得していても、事業者が変わればその権利は引き継がれない。

サービスのカット、入居一時金の追加徴収、月額費用等の改定が行われることになっても抗弁できない。

そのサービスでは生活が維持できない人や追加費用を支払えない場合は退居せざるを得ない」

日本人スタッフのいなくなったローズプリンセスホームは、もはや日本人向け介護付き長期滞在施設ではなさそうです。
日本に戻ると言っても、体力・気力・資力に加えて受け入れ先探しも必要です。ハードルは高いでしょう。


介護付き有料老人ホームが倒産したら

有料老人ホームは民間企業ですから、倒産や M&Aもあります。

終の棲家として介護付き有料老人ホームを選ぶのでしょうから、サービスが継続して提供されることが最重要です。

が、介護期間が長くなることもあるわけで、10年以上先のことは誰にもわかりません。わからない時は「みんなで渡れば怖くない」海外の介護付き長期滞在施設利用者はごく一部の少数者ですから、このサービスの利用は非常にリスキー。

倒産や M&Aという事態になっても、「うまい話に騙されたかわいそうな人」として一時話題になるだけ。自己責任が強調されます。

日本の介護付き有料老人ホームが倒産した事例では、特例として特別養護老人ホームが入居者を引き受けました。

老後は国内で暮らすのが無難です。施設に入る金がなければ、自宅でいけるところまでがんばるしかないでしょう。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2013/09/blog-post_13.html


介護の人件費は安いけれど 2015/11

「フィリピンの平均年齢は23歳、日本は46歳」

経済成長中ですが、日本に比べて物価も給料や人件費も低い。

ですから、若い介護の人手は安く手に入ります。しかし、医療費はそうではない。

日本人は自己負担 3割でフリーアクセスできる国民皆保険に慣れています。
さらに高額療養費や高額介護合算療養費などの制度もあって、医療費を軽視しがちですが…。


海外転出届と健康保険

負担が大きいけれど社会保障が完備した北欧諸国もあれば、医療を行う環境も整っていない発展途上国もあるでしょう。

「海外転出届け」
http://www.tkago.net/tmanual/notification.html

を見ると、「海外転出届を出して住民票を抜くと、健康保険料の支払い義務はなくなるが健康保険に加入し続けることもできない」


提出に関する細かな規定がない?

海外移住をする場合に海外転出届は義務です。

また、海外転出届を出した後で社会保険事務所で年金に関する海外転居の手続きが必要なはず。
ただ、提出に関する細かな規定がないらしく、海外滞在が1年以内ならば提出を求められないようです。


日本での治療費に換算した 7割が給付

「海外転出届けを出さずに、渡航中も健康保険に加入した場合。つまり、国外の滞在が1年以内の状態で、海外で医療機関に治療費を支払い、帰国後自分で手続きした場合、日本での治療費に換算した7割が給付される」


海外旅行傷害保険が必要

「盲腸の手術が日本で40万円、アメリカで400万円なら、

健康保険からの給付は40万円×0,7=28万円、
自己負担額は日本で手術を受ければ40万円−28万円=12万円、
アメリカで手術を受ければ400万円−28万円=372万円」


こうした事態を避けるために、海外旅行傷害保険を利用します。


民間の医療保険が必要

そして、滞在が1年以上に渡る本格的な移住であれば、日本の健康保険に加入できません。
その場合は民間の医療保険を利用することになります。

「フィリピンの保険事情」を見ると、「フィリピンは物価が安くても医療費は日本並み。

最大保障額25万ドルのベーシックな民間医療保険の年間保険料が、51歳〜65歳は1000ドル、71〜75歳で5000ドル、81〜85歳で約1万ドル、96〜100歳では3万ドル」


高齢者の保険料は高額orz

25万ドル(約3000万円)は大金ですが、高額な医療費がかかる病気なら足りないかもしれない。

81歳になれば保険料は年に約120万円です。
96歳になれば年に約360万円、3年で1000万円を超えますorz

フィリピンの庶民は金のかかる私立病院へは行かず、低料金の公立病院で最低限の治療だけを受けるのでしょう。


医療のビジネス化

民間の医療保険はピンキリです。

私立病院では医療のビジネス化が徹底していて、保険対応限度分の治療しか受けられません。

提携病院はどこか、どんな検査や治療がいくらで受けられるのか、そうした複雑な契約内容を素人が比較検討するのは難しそう。判断力の衰えた高齢者には不可能に近いのでは。


1000万円を現金で払えるか

「これまでに聞いた自己負担の最高額は1000万円。

フィリピンでボランティア活動中の日本人女性(60代)がくも膜下出血で倒れたが、何の保険にも入っていなかったため、日本からフィリピンに駆け付けた夫が現金で支払ったという。

国民健康保険に加入していない人が大病した場合、日本に帰国して再加入すればいいと考えるかもしれないが、各航空会社から搭乗を拒否される恐れがある(P280)」

医師や看護師の付き添いで帰国するにも、かなりの費用が必要でしょう。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html


為替も物価も変動する 2015/11

「1997年4月 1ペソ≒5円」とありますが、「2015年11月 1ペソ≒2,6円」ですから、為替レートの変動は大きい。

「物価は安いが日本食品は高い」

こちらも「インフレ率が 1998年9,36%、2008年8,18%、2014年4,17%」なので、物価はけっこう上昇しているはず。


今なら移住生活費はいくら?

P132に夫婦にメイド1人、運転手1人のフィリピン標準家庭の支出(月額約11万円)の内訳が載っています。

ちなみに筆者の支出は約15万円。

「1ヶ月の移住生活費シュミレーション(日本人感覚のA夫妻編)フィリピン」
http://www.naru-web.com/philippines/cost-of-living.html


を見ると、

フィリピン都市部で日本人感覚の暮らしをすればメイドや運転手なしで 18万円超。

あまりお得感を感じられないのでは?


ペソ建て定期預金の金利は12,75%!

「フィリピンの銀行のペソ建て定期預金の金利は 10〜12,75%、税金が20%かかる」

ええと、仮に 5000万円の定期預金を組めば、税引きで年に400万円の利息を受け取れるってことです。一瞬、フィリピン移住を考えました(笑)。


で、2013年の情報だと…

が、

「意外と知られていない フィリピンのインフレと預金利息」
http://vagabond0321.seesaa.net/article/308634921.html


を見ると、預金が保証される銀行は5行で上限は各100万円ずつ。

そして、金利は2%ちょっと。

5行に 500万円預けても税引き後の利息は年に8万円…。

500万を超える預金には銀行の破綻リスクが発生する。

為替リスクも取ってこの金利だと…日本で投信をやった方がよいような気がするのだけれども。


国民健康保険に加入し続けられる?

「長期滞在者は国民健康保険+海外旅行傷害保険が多い。

フィリピンに本拠を移し、医療保険未加入の者もいる。

風邪なら診療代1000円+薬代1000円、虫歯2本の治療代6000円」

筆者は「厄介な病気になったら日本で治療するつもりなので、国民健康保険に加入し続けている」とあります。


海外転出届は任意らしいけれど…

海外転出届を出さず住民票を残して、住民税や国民年金保険料を払い続けていたのでしょう。

海外転出届は1年移住が目安で、強制ではないらしい。

本書執筆時点で、茨城の家を売ってマニラに移住してから5年は経っています。
日本に生活の本拠がないのに住民票が残っているのは、本来はおかしい。


法の不備はいずれ解消されるはず

法の不備のグレーゾーンはいずれ解消されるんじゃないのかな。
とすれば、高齢の年金生活者が医療保険に未加入なのはハイリスク。

民間の医療保険に加入する必要があり、高度な医療を私立病院で受けたいのなら保険料が嵩むはずです。

「フィリピンには日本のような健康保険制度はない。

貧乏人は安い公立病院で最低限度の治療を受ける。
金持ちは高額な私立病院で最高水準の治療を受ける」

「ボトックス 始末記」
http://blogs.yahoo.co.jp/aspentower14042001/11260843.html


によりますと、ボトックス注射1本1万9000円!
上記の生活費シュミレーションの医療費は見積もりが甘すぎます。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2015/11/1275w.html

2016.4.11
急激な経済成長によってタイの物価は急ピッチで上昇。
もう「物価の安い国」とは言えない。
写真はタイのタクシー「トゥクトゥク」(出所:Wikipedia)


タイなど東南アジアの国々は、かつては物価が安いというイメージがあった。

実際、年金生活者の中には、物価の安さに惹かれてタイなどへの移住を決断した人もいる。

 だが東南アジア各国は、急激な経済成長によって物価も急ピッチで上昇した。

例えばタイの消費者物価指数はここ10年で1.5倍近くに上昇している。

タイの都市部において、ちょっとした昼食代が1000円を超えることは珍しくなく、もはや日本と変わらない水準だ。

物価が安いことを前提に移住した年金生活者の中には生活が破たんする人も出てきているという。
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/397.html


物価高騰で貧困に陥るタイ移住高齢者 1月30日 横山了一 (ジャーナリスト)


屋台飯も数年前に比べ、10バーツは上がった印象


 タイの物価高騰がじわりじわりと市民生活を脅かしている。昨年、タイの経済成長は2.9%と見込みよりも低迷し、消費も潤わなかった。政府は、今もあの手この手と景気刺激策を打ち出しているものの、いまだ明るい兆しは見えず、暗雲立ちこめるなかで2016年が幕開けした。


物価高騰で貧困に陥る移住高齢者


ブームのラーメンも日本円で1000円以上は普通


“タイはもはや物価が安い国ではない”

 市民生活に直接打撃を与える物価の高騰は、この国の最も大きな課題。特にバンコクに住んでいれば、その傾向は強い。

 「タイは物価が安いから生活しやすい」

 数年前はその通りだったかもしれないが、現在では、正直そこまで感じることはない。

 ことの始まりは、インラック政権が実施した2012年の最低賃金引き上げ。当時、“バラマキ政策”と揶揄された「1日最低300バーツ」(約1000円)という施策は、市民の生活向上に一役買ったものの、人件費の高騰は、徐々に物価高騰に影を落としていくことになる。

 特に日本人においては、アベノミクスにともなう円安も逆風となった。こと日本円で給料をもらっている駐在員は実質の所得減少であり、ビジネスマンの間では「タイはもはや物価が安い国ではない」という認識が広まっている。

 “駐在員目線”で物価の高騰を考察すると、まずは接待や家族連れで頻繁に訪れる日系レストランの価格高騰が顕著。昔はラーメン一杯を注文すれば、200バーツ以内(700円)が当たり前だったが、気がつけば300バーツ(1000円)も普通となった。タイはサービス料(平均10%)と消費税(7%)がかかる店舗も多く、実質約2割増しも物価高の印象を強めている。今なら日本でラーメンを食べた方が、お得ではないだろうか。

物価高騰で貧困に陥る移住高齢者


日系レストランの価格高騰も日々感じるところ


 また、居酒屋の一品メニューの価格も日本とそう変わらない。長年、タイに住む日本人にしてみれば、「原価が安いのになぜ?」となるわけだが、これもまた素材の価格が上昇し、さらに前述した人件費の高騰もあれば、もはや価格高騰は避けられない。

 店にもよるが、日系レストランでちょっと飲み食いすれば、1人あたり2000バーツ(7000円)は普通であり、もはや日本と変わらないだろう。一方、日本では飲食店の激安傾向もあり、頻繁に日本に出張するビジネスマンとすれば、「今や日本よりも高い」という感覚になってしまうわけだ。

 駐在員の価値観が、日本との比較がベースになっているのは否めない。日本での激安傾向と相反するタイの現状を考えると、なおさら物価高騰を感じてしまうのは事実。また、駐在員はタイの近隣諸国の出張が多く、カンボジア、ラオス、ミャンマーといった国とも比較してしまうため、よりタイの物価高騰を目の当たりにするわけである。多くのビジネスマンから「人件費が上がっている。タイでワーカーを雇うにも、価格競争のメリットが少なくなってきている」という声は枚挙にいとまがない。


物価高騰の背景は日常生活のグローバル化

 バンコクにおいては物価の高騰もありつつ、世界中のものや文化が集まり、グローバル化の流入という背景もある。例えば、スターバックスでラテを頼むと日本とほぼ同価格の120バーツ(約400円)はかかり、サードウェーブ系コーヒーも平気で100バーツ(330円)はする。税の問題もあり、ユニクロは日本に比べて2割ほど高く、ゴルフ道具、パソコン関連商品、Apple製品などいずれも日本より高い。

 すでにおわかりだと思うが、スターバックスや日系レストランには行かず、タイローカルに根ざした生活をすれば、ここまでコストはかからない。ただ、それらに慣れている日本人はなかなか生活水準を変えようとはしない。物価高騰の背景には、日常生活のグローバル化という側面があるというのも、また事実である。

物価高騰で貧困に陥る移住高齢者


PC周辺機器などは日本の方がはるかに安い


“リタイアプア”化する日本人

 とはいえ、物価の高騰がもたらした影響はそれだけにはとどまらない。駐在員のみならず、タイで余生を過ごし、悠々自適な生活を送っていたリタイア組にも大きな影響を与えている。

 80歳で奥様と2人暮らし、大手企業の第一線で働いた後にバンコクに移住。現在は企業年金と国民年金を受給しながら、年に2回は日本に帰るという、リタイア組の“勝ち組”であるMさんから聞いた話だ。

 円安の影響、物価の高騰は、年金暮らしの人々に大打撃を与え、海外における“リタイアプア”を生み出している。Mさんによれば、懐が厳しくなったリタイアプアは、もはやバンコクでの暮らしを諦め、チェンマイへの移住にシフトしているという。インフラ、住居環境、飲食も充実するチェンマイは、日本人のみならずタイ人にも人気の観光スポット。バンコクと比べると、比較的物価が安く、それでいて時間がゆったりと流れている非常に心地のよい場所であり、穏やかに暮らすには理想的。そんなチェンマイだが、Mさんから正直、耳を疑わずにはいられなかった話を聞いた。

物価高騰で貧困に陥る移住高齢者


のんびりとしたチェンマイに移住者が増えつつある


 Mさんがチェンマイに行った際、ターペー門近くの大通りを歩いていると、突然、同年齢くらいの日本人男性から声をかけられ、「まもなく自分の口座に入金があるのだが、当座の金に困っている。すぐに返すから、少し貸してくれないか? 日本人ならわかってくれるだろう」とお願いされたという。当然、Mさんは断ったが、これまで聞いたこともない手口に驚き、同時に貧窮の惨状を感じずにはいられなかった。そんな路上生活者のような物言いで、日本人が日本人に金を無心されるなど、まったく想像していなかったからだ。

 また、バンコクでもMさんがよく利用する、大手日系カード会社のサービスカウンターでも以下のようなことがあった。

 同店では、カード会員対象にコーヒーを無料で提供しており、昼時には駐在員妻たちの憩いの場にもなる場所。そこにカードの有効期限が切れているにもかかわらず、さも会員のように入店し、平然とコーヒーを飲んでいる年配の方が増加しているという。会員になるには、年間約2000バーツ(約7000円)ほどの入会金が必要だが、それも支払えず、無銭飲食している人が増えているという、なんとも切ない現実。今の状況を振り返りMさんは「もはやタイはロングステイには向いていないかもしれない。今後もリタイア組は減っていくでしょう」と嘆いた。

 タイ政府は現在も国民の所得増加を目指しており、再び最低賃金の引き上げを行う可能性は高い。言うまでもなく、その先に待ち受けるのは、さらなる物価の高騰。自動車を中心とする製造業が集積するタイは、労働力の安さが何よりも魅力であったが、実は日系企業が多く進出する決め手となったのは、安価な価格に支えられている“住みやすさ”という点が大きかった。あらゆる意味で生活のしやすかったタイでの暮らしに、大きな変化が訪れようとしている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160130-00010000-wedge-life


物価高騰のタイで急増する日本人“リタイヤ・プア” 2016年02月29日


 タイで、日本人の年金生活者のいわゆるリタイア組、あるいはロングステイ組が、タイの物価高の影響を受け生活困難に直面。“微笑みの国どころではない”事態に陥るケースが急増している。

 日本で定年退職し、生活費が日本に比べて安い海外で年金生活を送る日本人は年々増加。特に、日本に近く気候も温暖、なにより物価が安いという理由で、東南アジアの国々にはリタイア組のコミュニティーがあり、専門の仲介業者もあるほどだ。
 「しかしフィリピンは治安が比較的悪く、マレーシアはイスラム教国というネックがある。その中で、観光地としても有名なタイは根強い人気。特に男性の単身者には現地の若い女性を“現地妻”や家政婦として身近に置けるという“極上”の楽しみもある。しかし、'12年にインラック政権が最低賃金の値上げに踏み切ったことで人件費が高騰して物価も上がり、生活難となる年配の日本人が増えているのです」(現地記者)

 たとえば首都バンコクで日本のラーメンを食べようとすると、1杯が200バーツ(約700円)だったのが300バーツ(約1000円)に跳ね上がっている。また、バンコク市内の大手クレジット会社の事務所にある「会員向け無料コーヒーコーナー」には年会費2000バーツが払えなくなった元会員の年配日本人男性が、毎日無料コーヒーを目当てに詰めかける事態に。

 「物価の安いチェンマイやチェンライなど地方都市への日本人流出も急増。そんな地方都市でも『間もなく年金が振り込まれるが、至急お金が必要なので少し貸してほしい』と、同じ日本人に金を無心する人も増えています」(前出・記者)

 現地タイ人と同じように、屋台で食事すれば1食50バーツ(約160円)で済むのだが、辛い食事に適応できるほど柔軟性もなく、いつの間にか生活困窮に陥り“リタイア・プア”に転落。

 もはやタイは“苦笑の国”と化しているのだ。
http://wjn.jp/article/detail/3797170/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html#c2

[番外地7] タイに移住してはいけない 中川隆
3. 中川隆[-13143] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:48:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[386]
2012年の外務省の海外邦人援護統計を見ると、海外でカネがなくなり、にっちもさっちもいかなくなって、大使館に駆け込んで助けを求める「困窮邦人」は395人いたという。
そして、そのうちの約6割がアジア地域だった。

海外で困窮する人間の84%が男性で、20代と40代が突出している。


「日本を捨てた男たち」の著書である水谷竹秀氏は2010年のデータを元に困窮邦人の4割がフィリピンにいると記している。

その多くがフィリピン・パブで人生が狂って女性を追ってフィリピンに来た男たちだった。

フィリピン以外に困窮邦人が多いのはタイだが、この国も困窮者の圧倒的多数が男であることを考えると、やはりフィリピンと同じく女性で人生が狂った男たちの巣窟になっていることが窺える。

海外で困窮する人間のほとんどがアジア地区で、その中でタイ・フィリピンが突出しており、さらにほとんどが男であるのであれば、まさに彼らは売春女性に入れあげた挙げ句、破滅したということが分かってくる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130911T2257500900.html?a=l0ll


タイ女性と結婚すると縁者から身ぐるみ剥がされる理由

世界中のスラムを見て、貧困者の群れの中で暮らし、貧困がもたらす害悪を見つめていると、いくつか浮き彫りになって分かってくることがある。

貧困者が一番「金を貯めなければならない」のに、肝心な貧困者が一番「金が貯まらない」のである。

自分が、家族が、そして子供たちが生きていくだけでも必死だ。低賃金や失業を余儀なくされて、金を貯める余裕などまったくない。

金を持っていたら、いっせいにまわりが金を貸してくれ、助けてくれ、何とかしてくれとタカってくる。なくなるまで、タカり続けてくる。

貧困者のスラムは互いに助け合って生きており、それによって福祉の乏しい世界で病気になって働けない人たちや障害を持った人たちも必要最小限でも生きていける。

しかし、逆に言えばその相互扶助の中で生きるということは、自分の持っている金が一定額を超えると、必然的にコミュニティに吐き出させられるということでもある。
http://www.bllackz.com/2014/05/blog-post_11.html?utm_source=BP_recent

NEVADAブログ報道(比で転落:困窮邦人) 2011年07月08日

今、多くの日本人がフィリピンに亘り、お金をフィリピン人に取られ、捨てられる事例が増えてきており、これら日本人を「困窮邦人」と呼ばれていると朝日新聞は報じていますが、これは何も日本人だけではなく、韓国人も同じような目にあっていると報じており、フィリピンの暗部ということかも知れません。

韓国人はフィリピンに7万人以上おり、若い世代がカジノや女性に財産をつぎ込み困窮するケースが多いとしています。

日本人は年配層が困窮する事例が多いようですが、この記事では以下のような事例が掲載されています。

都内のフィリピンパブで日本人警察官(49歳)と39歳のフィリピン人が知り合い、2001年に結婚し、警視庁を退職して80歳を超える母親も、日本のマンションを売却してフィリピンに移住した。

そしてフィリピンに雑居ビルと高級住宅を買った途端に、このフィリピン人妻は男性と母親の現金と貴金属を持って愛人と消えた。住宅はフィリピン人妻らの借金の担保として人手に渡り、自分と母の全財産、1億5000万円相当を失った。

この元警官は妻と愛人を盗み等で訴え逮捕状が出ているものの、この愛人から「あなたの妻が訴えをやめさせようとして殺し屋を雇った」と電話があり、身を隠したとしています。

この事例は東南アジアではよくあるパターンであり、日本人=金持ち=カネを盗む対象、という対象に見られているのです。

しかも、フィリピンでは5万円もあればヒットマン(殺人請負人)を雇えるとも言われており、今までに何人の日本人が行方不明になっているか、想像もつかないとさえ以前言われていました。

死体が出てくるのは保険金殺人の際に必要の場合であり、それ以外では秘密裏に殺され、ワニやサメの餌にされて死体すら出てこないと言われている程なのです。

このような騙された困窮日本人は月間で60〜80人いるとされており、日本人は「金のなる木」と思われている以上、今後もこの手の被害者は出てくるでしょうが、世界中、どこでもこのような事件は起こっており、特に日本人はお金にルーズであり、いとも簡単に騙されているのです。

全てのフィリピン人・東南アジア人が悪いわけではありませんが、このような事例が余りにも多くあり、だからこそ朝日新聞が取り上げているのです。

世界的に経済が悪化する中、今後、この手の事件がどこでも多く出てきますので、くれぐれも気を付けられますように。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/

2015-12-12
タイで84歳になる日本人男性が36歳年下の妻に殺された事件
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151212T0213350900.html

2015年10月13日に、タイ中部アントン県で84歳になる日本人男性が自宅寝室の2階でハサミで首などを刺されて死んでいるのを内縁の妻ポラニー・ナパドルが発見した。

殺されたのは兵庫県出身の吉岡和雄氏である。1996年にリタイアし、退職金をもらってタイに移住、日本とタイを行き来しながら内縁の妻ポラニー・ナパドルと暮らしていたという。

彼女は今年48歳になるので、年の差は36歳。仮に1996年から一緒に暮らしていたとすると、65歳のときに29歳の女性と結婚したということになる。

リタイアし、36歳も年下の女性と一緒になり、悠久のタイでささやかに暮らす。幸せだっただろう。

アントン県はアユタヤ近郊で、バンコクからもそう遠くない。吉岡和雄氏はここで家を持っていたが、小豆色の外装のとても目立つ一軒家だった。

ここから300メートルほど離れた場所に内縁の妻ポラニーの母親が住んでいた。

事件が起きる1日前、妻ポラニーはその母親の家に泊まりがけで行っており、家には吉岡和雄氏ひとりだった。そこに、何者かが自宅侵入し、ハサミでこの84歳の日本人を殺した。


隣に住むタイ人の男が吉岡和雄氏を殺害して逃げた

吉岡和雄氏は首や胸などを10数ヶ所切られていたという。84歳の高齢者を10数ヶ所切り刻むのだから、単なる強盗というよりも、明らかに殺意のある行為だった。

翌日、寝室で大量の血を流して死んでいる吉岡和雄を見つけて、内縁の妻ポラニー・ナパドルはすぐに警察を呼んだ。金庫は残されていたが、現金が入ったカバンはなくなっていた。

妻ポラニーには、心当たりはあったようだ。

彼女は、「隣に住む46歳の弟と夫の間で金銭トラブルがあった」と警察に話した。警察がこの46歳の男の家に行くと、そこには血の付いたハサミが残されていた。そして、この容疑者の姿はどこにもなかった。

単純な事件のように見えた。「リタイアした日本人男性が妻の故郷に家を建てて一緒に暮らしていたが、親族トラブルで殺された」というものだ。

警察はすぐに逮捕状を取って、この内縁の妻の弟の行方を追った。この男の名前はサムパン・ジャムジェンと言ったが、事件発見から2日後、80キロ離れた場所で逮捕された。

身をくらませて2日後に逮捕されるのだから、タイの警察は意外に優秀なのか、それとも犯人があまりに愚鈍なのか分からないが、恐らく犯人が愚鈍だった可能性の方が高い。

なぜなら、犯行の証拠品となる血の付いたハサミや、血のついたシャツを自分の自宅にわざわざ「犯人は私です」と言わんばかりに置いて身をくらませているのである。どう考えても知恵のない男に見える。

これで、この事件は一件落着のはずだった。ところが、この事件は意外な方向に飛び火していくことになる。サムパン・ジャムジェンは「吉岡和雄氏を殺したのは確かに自分です」と自白したのだが、動機は物盗りではなかったのである。


サムパン・ジャムジェン。犯行の証拠品となる血の付いたハサミや、血のついたシャツを自分の自宅にわざわざ「犯人は私です」と言わんばかりに置いて身をくらませた。


4万バーツで殺人を依頼されていたサムパン容疑者

サムパン・ジャムジェンは、警察に動機を問われて、このように話し出した。

「日本人夫と一緒に暮らしている姉のポラニー・ナパドルから、殺してくれと依頼された」

警察はすぐにポラニー・ナパドルを尋問していたが、彼女は容疑を否認している。しかし、弟サムパン・ジャムジェンは、この姉に4万バーツで殺人を依頼され、前金で2万バーツを渡されていたという。

4万バーツと言えば、約13万3800円ほどだが、これが吉岡和雄氏の命だった。サムパンは最初に2万バーツ(約6万6900円)を渡されて、「死ななかったら、残りの2万バーツは渡さない」と言われたことも自白した。

さらに、この男は殺人の助手として他のひとりも同行させたことも自白し、その男も一緒に逮捕された。この男は容疑を否認している。

サムパン・ジャムジェンは吉岡和雄氏を殺して、ひとまず逃亡したのだがまだ残りの2万バーツをもらっておらず、それが不満で警察にすべてをぶちまけたようだ。

タイでは容疑者をマスコミの前に晒し者にする習慣があるのだが、この時もふたりはテレビの前に出されていた。

そこでふたりは激しく言い合いをしており、「この女が日本人の夫を殺すために俺を雇ったんだ」「そんなの嘘に決まっているでしょう!」と仲間割れを起こしていた。

この後に明らかになってきたのは、ポラニー・ナパドルは最近になってパタヤのあるチョンブリ県の方で愛人ができて、いつまで経っても死なない吉岡和雄氏が邪魔になっていたようだ。

吉岡和雄氏は84歳であり、決して先は長くなかったはずだが、それでも待ちきれず、隣に住む弟に殺人を依頼させて、さっさと自宅も愛人も自分のものにしたかったようだ。

彼女にとって、19年の年月はその程度のものだったのかもしれない。


ポラニー・ナパドル。最近になってパタヤのあるチョンブリ県の方で愛人ができて、いつまで経っても死なない吉岡和雄氏が邪魔になっていた。


たかが13万円や14万円程度で殺人依頼ができる

タイでは「殺し屋」というビジネスが未だにある。その相場はそれこそピンからキリまであるが、サムパン・ジャムジェンは4万バーツで殺人を請け負っているのを見ても分かる通り、命の値段はそれほど高くない。

たかが13万円や14万円程度で殺人依頼ができるのである。

日本人の高齢者が現地で殺される事件があると、だいたいは内縁の妻が関わっているというのは、国外では常識になっており、特にその傾向が高いのはフィリピンだ。

2013年12月29日はフィリピンのカビテ州ダスマリニャス市で61歳の日本人男性、新倉英雄氏が殺害されるという事件があった。路上で射殺されて殺されていた。

この事件はフィリピンパブで知り合った妻メルリンダが殺し屋を雇って殺させたことが後に発覚しているのだが、その値段が約22万円だった。


(新倉英雄のフィリピン妻は22万円で殺し屋に殺害依頼した)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140126T0450590900.html


日本人の高齢者は自分が信じていた最も親しい女性に、安い値段で殺されていくのである。若い女性は別に依頼殺人のような面倒なことはしない。金を持ち逃げして、あっさりと行方をくらませていなくなるだけだ。

しかし、30代や40代になると、日本人の高齢男性が持っている資産を根こそぎ奪うことを考えるので、最初から殺すことを考えて、じわじわと計画を進めていく。

タイでは2014年9月21日に、79歳の日本人男性である島戸義則氏が行方不明になって、後にバラバラ死体で発見されるという事件があった。


(タイで殺された日本人の、バラバラ遺体が発見された現場)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20141126T0243190900.html


この女性、ポンチャヌック・チャイヤッパなどは、まさにそのようなタイプだろう。

日本人の高齢者が東南アジアで一回りも二回りも歳の若い現地の女性と知り合って一緒に暮らすというのは、いろいろなワナがあるということをこれらの事件は示している。


アントン県の事件現場。アントン県はアユタヤ近郊で、バンコクからもそう遠くない。


殺された兵庫県出身の吉岡和雄氏。1996年にリタイアし、退職金をもらってタイに移住、日本とタイを行き来しながら内縁の妻ポラニー・ナパドルと暮らしていた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151212T0213350900.html

発展途上国は命が安い。

 殺人事件はめちゃくちゃ多い それは1人殺害しても3年ほどで出所 さらに警察もグルで悪さしてる始末

 あと一番怖いのは 一撃死が多いからこれがこわい

もし事故して下半身不随やら 死亡しても保証はない
 そういった保証があるのは先進国くらい
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html#c16


マニラで山梨の男性を殺害した疑い 4人逮捕
https://www.youtube.com/watch?v=Ol5lanK_boA


なぜフィリピンで保険金殺人が多いか考えたことがあるか? 2016-05-13


2014年10月18日深夜、フィリピンのマニラ首都圏ラスピニャス市の路上で、32歳の日本人が射殺された事件があった。

殺されたのは山梨県韮崎市で整骨院を経営する鳥羽信介氏で、タクシーの後部座席に乗っているとき、背後からやってきたバイクの男に銃撃されて死亡した。

実はこのとき一緒に乗っていた男がいた。この男の名前は菊池正幸と言った。殺された鳥羽信介氏は、このタクシーに乗る前に何人かの日本人と会食をして、その後に菊池正幸と一緒にタクシーに乗っていた。

その途上、菊池正幸は「トイレに行きたい」と言い出して車を途中で止めたのだが、菊池正幸が車から出た後に銃撃があって鳥羽信介だけが死ぬことになった。菊池正幸は銃撃があった後に現場から立ち去っていなくなっていた。

奇妙な事件だったが、鳥羽信介は強盗に殺されたのではなく、フィリピンに巣食う怪しい日本人に取り込まれていたというのは薄々と感じ取られた。

何があったのかは2015年3月に、その一端が明らかになった。日本に戻っていた菊池正幸が山梨県警に出頭し、「保険金目当ての殺害計画が存在した」と洗いざらい語ったのである。

殺された鳥羽信介は、本人が知らない間に複数の企業から保険金がかけられていた。


知り合いの得体の知れない話にのった鳥羽信介

かけられた保険は海外旅行保険である。その保険金の受取人になったのは、中村達也という男が経営する会社だった。鳥羽信介が「仕事」でフィリピンに来ていたときに、行動を共にしたのがこの中村達也という男だった。

鳥羽信介は山梨県韮崎市で接骨院を経営していたが、この接骨院に患者としてやってきた男がいた。それが岩間俊彦だ。

鳥羽信介はこの岩間俊彦と次第に親しく付き合うようになって、やがて儲け話を持ちかけられたという。

持ちかけられたのは「水を販売する事業の販路拡大」という得体の知れないものだった。この「仕事」の話には複数の日本人が関わったのだが、この日本人とは、久保田正一、菊池正幸、そして中村達也だった。

つまり、岩間俊彦という男が考えた儲け話に鳥羽信介含めた4人の男が乗ったということになる。そして、鳥羽信介は数百万を出資したのだが、それからこの話は進まなくなり、うやむやになっていったようだ。

鳥羽信介はここでおかしいと気付くべきだったが、すでに金を賭けている関係上、さらに深入りして怪しい男たちとフィリピンに向かった。

そして、2014年10月18日深夜に銃撃されてしまったのである。

しかし、鳥羽信介は即死ではなかった。病院では死ぬ前にしきりとひとりの男の名前を言っていた。それが「岩間俊彦」だった。黒幕は岩間俊彦だと死ぬ前に言っていたのである。

ところが、この事件の全容はなかなか解明しなかった。鳥羽信介を殺したのがプロの殺し屋で足が辿れない上に、殺されたのが日本人でフィリピン警察にはその背後関係を洗うのに苦心していたようだ。

そんなところに、2015年3月になって菊池正幸が山梨県警に出頭し、「保険金目当ての殺害計画が存在した」とぶちまけたので事件のおおよその全貌が見えてきた。


殺された鳥羽信介氏。胡散臭いビジネスを持ちかけられ、それに乗ってしまって最悪の結果を招いてしまった。


なぜフィリピンで保険金殺人が多いのかを知れ

岩間俊彦という男が、儲け話を鳥羽信介に持ちかけて出資金を詐取した。鳥羽信介がうやむやになっていく話に業を煮やして岩間俊彦に詰め寄るようになった。

そこで、岩間俊彦は今度は鳥羽信介をフィリピンにおびき寄せて殺すことにしたのだが、ただで殺しても金にならないので旅行保険をかけて殺すことにした。

それが事件のあらましだったのだろう。

しかし、旅行保険の受取人を自分にしたら自分が逮捕されるに決まっているので、受け取りを中村達也という男にした。岩間俊彦はこの男も儲け話で釣っていたようだ。

1億円に及ぶ海外旅行保険の受取人になった中村達也だが、当然のことながら中村達也が容疑者として警察に疑われる。

自分が犯人にされると思って焦った中村達也は話し合いを持ちにフィリピンに向かったようだ。ところが今度は、その中村達也が2015年9月1日の早朝にラスピニャス市の路上で撃ち殺されているのが発見された。

鳥羽信介が殺されたのもラスピニャス市、中村達也が殺されたのもラスピニャス市。中村達也が殺される前に会っていたのは久保田正一というフィリピン在住12年になる男である。

この男は岩間俊彦の高校の同級生で、元妻がスパン・ピンゴル・サリーというフィリピン女性だった。

そのため、鳥羽信介と中村達也を殺したプロの殺人者を現地で手配して、実際に殺害を実行させたのが久保田正一とスパン・ピンゴル・サリーであると見られている。

こうした事件の中で、山梨県警は証拠と裏付けを取るために動いていたが、2016年5月11日、やっと岩間俊彦、菊池正幸、久保田正一、スパン・ピンゴル・サリーを逮捕する方針を固めたようだ。


胡散臭い儲け話、保険金殺人、殺し屋……。

いかにもフィリピンを舞台にした殺人事件に相応しいお膳立てになっているのが分かるはずだ。ところで、なぜフィリピンで保険金殺人が多いか考えたことがあるだろうか。

それは言うまでもない。殺し屋が安く簡単に雇えて「殺しやすい」からである。


事件に関わった男たち。胡散臭い儲け話、保険金殺人、殺し屋……。いかにもフィリピンを舞台にした殺人事件に相応しいお膳立てになっているのが分かるはずだ。


胡散臭い人間が持ちかけるビジネスの結末はひとつ

胡散臭い儲け話は、たまたま知り合って意気投合した人間から、降って湧いたように持ちかけられる。

鳥羽信介氏が持ちかけられた「水を販売する事業」は、実は東南アジアや台湾を含めた儲け話としてしばしば話題にのぼるものである。他にもタイやマレーシアでは「うなぎの稚魚の輸出」だとか「エビの養殖」が絡むことも多い。

「絶対儲かるから出資しないか?」というのが殺し文句だ。

東南アジアに沈没していたら、このような話以外にも「パスポートを転売しないか?」という話を持ちかけられたりすることもある。私も歓楽街パッポンの女性にそういった話を持ちかけられたことがあった。

あと、パタヤでは「ルビーを日本人に売りつけたいのだが、一緒に組まないか」とバーのレディーボーイに言われたこともあった。ルビーはもちろん偽物だったはずだ。

フィリピンでは「M資金」や「マル福金貨」にまつわる詐欺もある。

(あなたが「マル福金貨」を見つけたなら、10億円が手に入る)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120409T2320190900.html


インドでは売春宿のオーナーに「旅行している日本女性を連れて来てくれないか。謝礼は出す」と言われて人身売買を持ちかけられたこともある。

(「日本の女を売ってくれ」人身売買することを薦められた日)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120525T1737450900.html


ドラッグの転売や密輸もよくある話で、こういったのに手を出して自殺したのがインドネシアで自殺した森田裕貴だった。

(森田裕貴。ドラッグで禁固19年の刑、獄中で首を吊って自殺)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151029T0433360900.html


密輸と言えば、変わったところでは希少種の小動物を密輸するというものもある。

(トカゲや猿を10匹売れば、1年は遊んで暮らせる金額になる)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121110T2106570900.html


「外こもりしていてもFXで儲けたら遊んで暮らせる」と言ってタイで資金運用を任され、失敗して殺されたのは棚橋貴秀という男だった。


(タイ邦人殺人の顛末。殺された棚橋貴秀氏、そして森宏年と浦上剛志)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20110612T1837000900.html


アンダーグラウンドに巣食っていたら、いろんな人間がいろんなパターンであれこれ儲け話を持ってくる。

こうした儲け話はその多くがリスクを伴うものであり、しかも「まず最初に自分が出資しなければならない」ところにワナがある。

胡散臭い人間が持ちかけるビジネスに乗って、誠実な結果が返ってくるはずがない。関わったら結果はひとつ、それは自分の破滅である。下手すれば自分の命が飛ぶ。

あなたは、大丈夫だろうか?
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160513T0237450900.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html#c3

[番外地7] タイに移住してはいけない 中川隆
4. 中川隆[-13142] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:49:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[387]

フィリピン移住に関する考察・・・・B 2013/1/7(月) 午後 5:15


思いっきり穿った考えで移住や結婚の事について書いてみます(汗)。


まず、どうして結婚しないといけないのでしょうか?


貴方の世間体

フィリピン人配偶者やその家族の世間体

愛し合っているから、結婚するのは当然

その他の理由・・・・・・・


結婚する事を決めた経緯を振り返った時どこかに大きな勘違いが有ったような気がしませんか?

フィリピンで暮らすに当たって、フィリピン人と結婚している事に対する
日本人のメリットはなんでしょうか?

身の安全ですか?

これは、今までに起きた色々な事件で


結婚している= 身の安全の確保


には必ずしもなっていないですね?。

本当に気持ちが有れば、結婚していようがいまいが余り関係ない気がします。

色々な手続き関係の手伝いをしてもらえる事も結婚とは関係無いし通訳、その他(夜の生活も含む)でも結婚している事とは関係が無い。


フィリピン人家族の体裁・・・・

フィリピン人同士でも結婚していないで同棲しお互いの家族とも良好な関係を持って子供を儲けている人も沢山居ます。

子供の日本国籍も、別に結婚していなくても認知する事で問題無い。

愛し合っている場合でも、結婚と言う儀式を通過しなくてもその関係は継続できるし結婚しても結局その関係を継続できないケースも多々有ります。

対家族に関しても、結婚しているしていないは実質的に大きな違いは無い気がします。

となれば・・・・・極端な話し

日本人がフィリピン人と結婚して得られるメリットは相手がどんな人であれフィリピンの永住資格 13A が取れると言う事だけではないでしょうか?

まぁ、SSSやフィルヘルス等はフィリピン人配偶者のベネフィシャリーとして入る事は出来ますが大したメリットとは言えません。


それに対して、フィリピン人配偶者が得られるメリットは


日本人の配偶者として、日本へも行き易くなる

日本人の配偶者である限りその日本人名義の預貯金、固定資産(コンド等)等ありとあらえる財産の相続権(日本の財産も含む)が有る。


→フィリピン人配偶者が死亡した場合、配偶者名義の土地や建物は日本人に相続はされません。

これと言った財産が無くても、ある程度の年金が有るなら安定した生活が望める

年金額が多ければ、毎月結構良い暮らしが出来る(家族も含め)日本人配偶者が死亡した後でも、条件により遺族年金の受け取り資格も有る。

日本人の経済力で、家族親戚等に対し大きな顔ができる(家族内で権力を持つ)等々フィリピン人配偶者には沢山のメリットが有ります。

多くの場合、日本人のメリットは1つだけ


にもかかわらず・・・・・

アウェイの地と言う遠慮も有るし、言語も侭なら無い、フィリピンの法律も分らないフィリピン人の配偶者と言う滞在資格の問題等で配偶者に見放されると、基本的な生活も侭なら無い・・・・と言う事で表向きは(対外的)どうであれ実際の主権は、フィリピン人配偶者に殆ど握られている・・・・

と言うのが実状ではないでしょうか?

まぁ、それ故に

「上手く行っている、安全に暮らせる」

と言う方々もいらっしゃいますが

「本当に心からその事に不満はないですか?」

と改めて聞いてみたいです。

本当に無い!!と言う心の広い方はそれで良いと思いますし、末永くそれなりに幸せな生活も出来るでしょう。

でも、そうでは無い場合

どこかで我慢の限界、またはちょっとした事で不満が表に出た時ほんの些細なトラブルから、悲しい結果になる・・・

と言う事も考えておかなければなりません。

アウェイの地では有りますけど、二人の関係は実質的にフィフティ・フィフティに近い事が最善であると思います。

その為には、日本人もフィリピン人配偶者に頼りっきり・・・

と言う状況をなくす努力をする事です。

基本的な日常生活に関する事(移動方法等も含む)、

言葉、最低限自分に必要な手続き

最低限知っておかなければならないフィリピンの法律等に関し

放り出されても、自分で何とかできる様に常に勉強する事。

卑怯なやり方かもしれないけど放り出したければ放り出しなさい、

私は自分一人でも何とかやって行けます。

殺したければ殺しなさい、

でも、自分がそこから居なくなったら、

困るのは、貴方達だよ!・・・と言う状況も準備しておく事。

例えばお金・・・・

家や車は上げてしまっても良い、

でも日本人がいなくなれば、収入が無くなる

家や車が有っても、それを維持するのが難しい、

場合によっては食うにも困る・・・・

と言う状況を作って置く事も大事ではないでしょうか?

その為に、日本の財産を処分して大金を持ち込む・・・なんて事はしない

日本に帰る場所と当面の生活費を日本側にキープしておく

年金生活まで間が有るけど

退職金等が有る場合は、日本に預金を置き

日本の国際キャッシュカードで、ATMから必要な分ずつ小出しに出す。(当分ATMの暗証番号等は教えない)

残高も決して教えない。

年金生活の方は、年金が振り込まれる口座の管理は自分だけができるようにしておく(ATMの暗証番号等は教えない)

と同時に、こちらに余計な預金等を置かず年金だけで暮らすようにする、

遺族年金の話などはしない、

でも、どこからか聞き付けて来るだろうからその為に「結婚しない」と言う選択肢も有る・・・・・

滞在資格に於いては、最近はSRRVも条件が緩和されています。

永住する為の滞在資格は 13A だけではありません。
http://blogs.yahoo.co.jp/berning_sun/53884160.html


フィリピン移住に関する考察・・・・C 2013/1/8(火) 午後 4:33


昨日は、色々なリスクやお互いの立場から結婚しないと言う選択肢も有る・・・と書きました。でもそれは、決して結婚しない方が良いと言う事では有りません。

あくまで、そう言う選択肢も有る・・・・と言う事です。

有る方のように日本に於いて10年も20年も夫婦としての良い関係を構築し、尚且つ充分な準備をされてフィリピンに移住されている方々はほぼ問題は無いはずです。

結婚して移住するでも、移住して結婚するでもまず先にやっておかないといけないのはフィリピンの事を良く勉強しておく事です。その為には、結婚(付き合い出して)して数年と言う状況や長く付き合っていても(結婚していても)日本とフィリピンで別々に暮らしていて年に1〜2回、数日〜1週間程度の滞在をした位では不十分のはずです。

ではなぜ、そんなに簡単に移住や結婚に踏み切るのでしょうか?

勿論、本人にとっては充分考えた上での事だったと思います。

問題なのは考える為、決断する為のデータをどこから引っ張ってきたか・・・・と言う事です。


日本人の大きな勘違い
 

フィリピン人配偶者(彼女)は、本当に日本人を愛しているのか?

殆どの方は「当り前」と思っておられますよね?

でもそれは、多くの場合大きな勘違いです。

中流層の上、富裕層のフィリピン人と付き合うとか結婚する以外では、僕の答えは「NO」です。寂しい事は言いたくありませんが

最初は「お金=経済力」だけと思う事です。

本当に愛されている・・・なんて妄想は抱かない事です。

家族の生活安定の為に、お金を稼ぐ方法として一番楽で、ほぼ確実な方法は日本人と結婚する事です。謂わば、お金の為に日本人の配偶者と言う仕事を契約したのです。でも、決してお金の為に結婚する・・なんて事は口にはしません。

「愛しているから結婚する」とみんなが言います。


貴方を愛しています=☓or△

貴方のお金を愛しています、家族の為に・・・=○


が真実だと思った方が良いでしょうね・・・汗

ですから、その様な場合金の切れ目が縁の切れ目であってもなんらおかしく無い事です。

フィリピン人配偶者名義で家を買っても車を買っても、金を使い果たして、生活費に困る状況が近付けば離れて行くのは当然ですし、自分名義の家を処分するのも当然です。

日本人だって、自分の会社が倒産するのが確実なら誰だってその会社辞めて、次の仕事を探しますよね?

無給で、たまには自腹切ってその会社に尽くす事なんて余程の事が無いとしませんよね?

それと同じ事です。

ですから、そのような事になってしまった場合にフィリピン人だけを悪者にして騙されたの何のと言う事がおかしい・・・と言う事になります。

本当の愛情が有るからこそ、辛くても、厳しくても配偶者は一緒に居てくれます。

でも本当の愛情は、長く一緒に住んだり子供が生まれたり・・・と言う状況下でお互いの信頼関係の元、少しずつ構築されていく物です。

ただ、これも一緒に居るだけ、子供がいるだけでは足りません

日本人と、フィリピン人がほぼ対等な立場に居れる事・・・これが大事だと思います。

お金だけによって保たれているバランスは簡単に崩れます。じゅうぶんな信頼関係が構築されていない状況でも家族や親戚等が日本人に優しかったり、親切なのはその日本人が好きなのでは無くその日本人が持っているお金が目的であると考えておいた方が良いと思います。

或る方がこのような事を言っておられました


人懐っこい笑顔のフィリピン人の背中にはピストルやナイフが隠されている・・・・


私は、この言葉は名言だと感じています。

最初から自分が嫁(彼女)、フィリピンの家族にほぼ完全に受け入れられていると思って安心しない事も大事な事だと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/berning_sun/53886639.html


647 :オー様と名無し:2010/06/14(月) 18:35:48 ID:nb2ZhsXI0

結婚して親戚の集団タカリに会い人生後悔。


648 :オー様と名無し:2010/06/14(月) 18:39:29 ID:0RnjtDlI0

タカリはタイの文化です。

受け入れない限り、タイで悟りは開けません。

私は、永遠に悟れませんけど。


872 :オー様と名無し:2010/06/18(金) 02:18:58 ID:y2XAuo8o0

悪気がなくてもタイ人は集ってくる人種。

調子に乗ってホレホレと金を与えてると全財産吹っ飛ぶよ。
 
トータルするとえらい金額使ってたことを知る。

不経済な恋愛だな。

タイ人と恋愛は例えで言うなら、燃費が悪くて壊れやすいアメリカ車乗ってるような気分だよ。


875 :オー様と名無し:2010/06/18(金) 09:03:44 ID:3nInmiEQ0

結局、タイでは風俗が一番安全で、安上がりっていうことなんですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/3341/1274393501/


397 :名無しピーポ君:2008/08/16(土) 21:25:29 ID:FkBn4Wa3

50でも60でも女が向こうから寄ってきますよ。
タイ女は付き合うなら若いタイ男かお父さんくらいの日本人が最高って言ってます。


401 :、:2008/08/19(火) 11:04:37 ID:llJmUSOG
>>タイ女は付き合うなら若いタイ男かお父さんくらいの日本人が最高って言ってます


これは確かにタイ女の本音ですね。

近所には日本人と一緒になったタイ女が10人以上住んでいますが、亭主が日本に働きに行くと、7〜8人は若いタイ男と楽しんでいます。


勿論、日本人は気づいてませんし、タイ男が本命で日本人は、タダの金づるにすぎません。

反対に日本に帰らない年金老人のタイ妻は、浮気をしたくても濡れ落ち葉のように、まとわりついて浮気もできず非常にお気の毒です。

日本人夫を持つ40過ぎの豚みたいなタイ女が、20代のタイ男と同棲しても回りは無関心です。

たまに日本人がタイに帰ってきて仲良くしてるのを見ると、おかしさを通り越し、哀れさを感じてしまいます。


タイ人に貞操と言う言葉はありません。


343 :エロジイ:2007/08/11(土) 21:56:43 ID:o3Nekyzs

タイでは年金ジジィは早く死ぬからモテルそうだけど、ワシのとこにも結納金の30万Bは紹介料として支払うから、ジジィを紹介してくれと村の若い娘が押しかけてくる。
中にには高校3年生もいるぞ、全て25歳以下、どうだ紹介して欲しいか。


402 :、:2008/08/19(火) 11:18:38 ID:llJmUSOG

タイ女が年金老人が大好きな理由は、ただひとつだそうです。
「ジジィは、早く死ぬから」だそうです。

でも最近のジジィは体が丈夫で、長生きしてしまいます。

そんな方は、嫁や親戚の行動に十分目を光らせ、食べ物や事故には十分注意してください。

油断してるとやられますよ、この国では。

578 :オー様と名無し:2010/06/13(日) 16:26:57 ID:JfNT2VK60

タイ人の中で暮らせば、近所のうわさ話として、タイの子供たちが未成年でもいかにいい加減にエッチして子供ができて、別かれていくのをごく普通に知るようになる。

子供は親とか祖母とか親戚に育ててもらい、女は独身を装って生きていく。

結婚していても男が妾を作ったり、奥さんが男を作って出て行ったり、それはそれは小説よりも奇なる話が転がっております。

日本もかなり乱れてしまったようですが、タイの男女関係はアメージングタイランドです。


521 :オー様と名無し:2010/06/12(土) 19:17:07 ID:esU6N.yM0

日本人年金受給者はタイ女とってはものすごくおいしい存在。

しかし彼らはそのことを認識していない。
本当に愛されていると思っているのだから・・・


703 :10年選手:2010/03/27(土) 12:03:59 ID:Q5qih9SA0

タイの女は殆ど売春婦と言ってよい。

また彼女らが望む外人は白人だよ。日本人は金目当て。

いい加減に目を覚ませよ。ここは遊ぶだけの国
http://jbbs.livedoor.jp/travel/3341/storage/1266494140.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html#c4

[番外地7] タイに移住してはいけない 中川隆
5. 中川隆[-13141] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:53:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[388]

フィリピン女性が男を狂わせる理由
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/143.html

フィリピン女性が男をメロメロにする理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/170.html

ドゥテルテ大統領はフィリピンの救世主である
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/226.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html#c5

[近代史4] 東南アジアにだけは住んではいけない 中川隆
1. 中川隆[-13140] koaQ7Jey 2020年3月03日 17:55:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[389]

タイに移住してはいけない
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/531.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/400.html#c1
[番外地7] 北海道に移住してはいけない

北海道に移住してはいけない


北海道移住を勧めないこれだけの理由 〜 これから移住を考える方へ 〜

2015年11月 5日公開
2016年 1月 1日更新


「北海道移住プロジェクト」のページでは北海道に移住した私の体験談や理想的な移住を考える情報を提供しています。


北海道移住に憧れる方、結論から言うとお勧めしません。
北海道移住をおすすめできないこれだけの理由があります。


 これから北海道に移住しようかと思う方、ちょっと待ってください。
 北海道への移住をすすめないこれだけの理由を列挙します。

データが語る真実

 〜 データは北海道は憧れの地ではなく人口流出・衰退の地だとはっきり言っています 〜


北海道の人口はどんどん流出しています

 北海道は国内の移住希望地としては上位に位置しているらしいです。

 でも実際は北海道からはどんどん人口が流出しています。

 高齢化で亡くなっていく方も増えています。でもそれだけでなく、勤労世代も流出しています。
 地方からは札幌へ流出する流れがあり、さらに札幌からは道外に流出する流れがあります。

 これが北海道の包み隠さぬ事実です。

 流出するのは、それだけの理由があるのです。

 地元で生まれ育ってこれですから、移住者の末路がどうなるか、想像に難くありません。

 北海道は全体で人口が減っていますし、市町村もほとんどがそうです。
 人口が減る地域にはそれなりの問題があるなと住んでいて感じるのが現実です。

子どもを産めない環境

 北海道の合計特殊出生率は、東京、京都に次いで、全国3位の低さだそうです。(2015.9北海道人口ビジョン素案出典)

 都市部並みなのか、それとは違った原因なのか、子どもを産み育てられない環境があると、少なくともデータははっきり語っています。

 原因はいろいろあります。
 所得が低く家族が持てない、地域の支援機能など特によそ者にはゼロに等しく親戚が近くにいない限り育てられない、職場がブラックで子育て環境ではない、などなど。

 さらに、2015年の労働経済白書によると、北海道は長時間労働が原因で、育児をしながら働く女性の割合が低いことも明らかになったとのこと(2015.9.15北海道新聞夕刊)。ブラックさだけが首都圏など大都市部と同様ということだと言えます。

 子育て環境の問題は、後述します。

自然一流、食事二流、三四がなくてサービス五流の真実
 〜 北海道の課題を象徴する言葉 〜

 北海道は「自然一流、食事二流、サービス三流」と昔から言われていますが、自然一流、食事二流、三四がなくてサービス五流、これが真実です。

 この状況は変わったとは私はまったく思いませんし、北海道にポテンシャルがあると思われるものでも、大丈夫か疑問に感じる部分が多々あります。

自然一流

北海道の自然など珍しくもない

 北海道の魅力は自然です。
 ただ、世界をみるとこの程度の自然は別に珍しくもないのが現実です。

 今でこそ自然環境の異なるアジア方面の観光客は物珍しさできますが、欧米やアフリカ方面でこの価値が受け入れられるかと言えば、難しいでしょう。

北海道的な風景は欧米やアフリカには見られますからこの距離を来る価値はないです。東京や京都のように首都ブランドや歴史で売れるものはなく、観光面での力量の差は歴然としています。

 自然を売り物にするだけのビジネスモデルでは、たちゆかなくなるのは時間の問題です。


自然が生活にもたらす猛威

 この自然、異常気象時に確実に猛威を振るいます。

 道路を寸断し、地元民・観光客問わず行き場に困った人々を避難所送りにし、多大な肉体的・精神的負荷をもたらし、時には生命をも奪い、すべての産業から家庭生活までを破壊します。

 それが生活者としてどれだけ支障をもたらすことか、興味本位の時期がすぎればわかります。


避暑地の価値も低下

 北海道と言えばかつては避暑地としての価値があったようですが、今の北海道の夏は暑いです。

 にもかかわらずクーラーがないようなところも少なからずあり、夏は地獄と化します。そんな場所と比べると本州でクーラーにあたっていた方がマシです。(ちなみに北海道の学校にはクーラーなど皆無に等しいです)

 避暑を目的にするなら、北欧などヨーロッパでも行ったほうがよほどいいです。(現実に良かったです)

食事二流

素材がいいだけ

 食物の質はいいと思います。それは一般市民向けについても言えます。

 ただその内実はあくまで「素材の質がいい」ということ。大都市部やその影響下の一部の個別事例を除き調理技術に特筆するほど秀でたものはありません。素材の質に依存しているものが多いのが現実です。

 最近は食で町おこしなどと食べ物を開発するような動きもありますが、気をてらった一発芸の域を出ていないというか、値段がバカ高いこともあり、これを継続して買ってもらえると正気で思っているのか疑わしいような事例が多々見受けられます。

 食で売っていくのは北海道は厳しいのが現実かもしれません。

三四がなくてサービス五流

 サービス業のひどさ、これは呆れるしかないです。

 店員が対応しない、客がいても私語しまくり、サービス業どうこう以前の領域の話がごろごろあります。

 地方、札幌から離れた非利便地に行くほどひどくなります。学力にも比例します。

 大手のチェーン店などマニュアルが同じはずでもこの法則に沿って地方に行くほどひどくなります。違いは地元採用の質の違い、この1点に尽きます。

 こんなところに住んでいたら大人も子どももこの国の常識から外れていくんじゃないか、マイナス要素しか感じません。

 北海道のサービス業の質の低さは昔からです。

 観光業も一見さんの団体客を大量にさばくために山の中でもどこでも見境なくカニを出し画一的なサービスで大量需要期をさばいた結果、国内客からそっぽを向かれ、今はアジアの一見さん相手にたいして進歩のないような対応でさばいているだけです。

 観光といえば、町おこしを目的としたイベントも各地が行われますが、それについて一言。

 官製イベントを中心に多くは町おこしどころか一発屋稼業の域を出ずその必要性すら疑わしいですが、一部の魅力あるイベントも、他所から来てもらうのに広報力が弱く自分で日程等を調べないと行けなかったり、その日程も突然変えて気づいたら終わっていて行けなかったり、本当に継続的に客を呼んで町おこしをする気があるのか疑われるような事例も目につきます。

 基本的に、ソフト面の力が弱いのが北海道の姿です。

 その結果がどうなるかを考えると、北海道の産業の未来は暗いと思います。


子育て環境への疑問
 〜 子育て環境にも不安がいっぱいです 〜

産婦人科がない

 産婦人科がありません。医療過疎でどんどん減っています。

 地方では特に顕著で、最寄りの産婦人科まで100km以上というケースも多々見られます。
 そこで産気づいたらどうしますか?

 二次医療圏と言われる中核病院がある場所でも産婦人科医がいなくて分娩できないという地域も出ています。
 その結果、都市部の病院に集中してまた大変なことになっているみたいです。

小児科も病院もない

小児科も少ないです
 地方では最寄りの小児科まで60km以上というケースも多々見られ、我が家の通院距離もそれ以上あります。


大人の病院も少ないです

 診療所程度のものなら地方にもありますが、一町村にひとつとかで、少し大きな病気になると100km以上離れた都市部の病院に救急車で送られることとも日常茶飯事です。病人の容態も心配なら、連日そんなことをしている救急隊員の方も心配です。

 近年は道内ではドクターヘリの配備がすすみカバーする地域が増えてきましたが、ドクターヘリは夜は飛べません。吹雪など悪天候の日も飛べません。各圏域に1機ずつしかないので、利用がかぶると来ません。半分ぐらいの確率で断られるみたいです。

 救急車も30分以上来ないような場所もいっぱいあります。

 親戚が救急搬送されたことがありますが、救急車もずいぶんのんびりしています。事故で救急車が道端に落ちてることもあり大丈夫か?と思うこともあるのが、北海道の現実です。

 こんな状況であなたが倒れたら、子どもはどうしますか?


医師不足をダシにした紹介状ビジネス

 北海道の一部の地方都市では、医師不足を口実に大病院から患者を締め出し、開業医と紹介状で患者のやりとりをするところが出てきています。

 これが移住者には医療からの排除につながっています。

 開業医の良し悪しはその地域の地縁に根差した評判を耳にできないとわかりません。そのネットワークに移住者が入れるかと言えば厳しいでしょう。

 先に取り上げたサービス五流は病院にも例外なく出ますが、経営的理由なのかやたらに無用な検査、再診、大病院に紹介されず誤診で症状を悪化させる人の話も現実に数多く聞きます。

 実際、我が家でもどこの病院にかかるかは大きな問題で、かかりつけ病院なんてものとは無縁です。

 このことは、地方の田舎の話だけではなく、中途半端な地方都市の方が深刻です。

学力は低い

 全国学力調査のデータを待つまでもなく、昔から学力水準はとてつもなく低いです。

 学校が小細工を弄してテストの成績が少し上下しようが、そんなことは本質的な問題とはかけ離れています。


地域に学力ニーズがないのがすべての原因

 地域に学力に対するニーズがありません。それが原因のすべてです。
 学力があるからそれだけで進学できるわけでもなし、学力を活かせる仕事があるわけでもなし。

 進学は都市部に出ざるを得ないため、通えず二重生活、三重生活が必要になり、経済的に都市部以上の余裕がない限り無理です。

 なので家庭の所得が低いと諦めざるを得ない現実があります。

 就職でも高い学歴や学力を必要とする仕事が地域にはありません。
 給料水準も低いので、都市部に出た子どもが帰ることもできない状況があります。

 医師など高度な資格を持っていても、それを維持するために学ぶ場が地方にはなく、そうした学びに都市部以上の無用な労力を要する問題もあります。


移住者の子どもも必ず影響を受ける

 そうした環境は、大人から子どもへ確実に影響を及ぼします。

 さらにそうした環境に位置して地域の影響も多かれ少なかれ受ける学校や学級を通じて、移住者の子どもにも確実に影響を及ぼします。

 我が家でも影響を避けるために地域との無用な接触を避ける努力はしましたが・・・やはり良くも悪くも確実に影響は及びます。


進学も困難

 大学進学を考えても、学力的に大学と呼べるような学校へ進学できる高校がほとんどありません。
 地方都市でかつて進学校とされていた学校も、昨今ではボロボロです。

 北海道は学力に関しては、札幌市、旭川市、その他ゴミの3段階と思ったほうがいいです。

部活動や文化活動にも問題

長時間の遠距離移動を強いられる部活動

 学校の部活動や少年団、習い事等で頑張りたい子どもたちもいると思います。
 北海道ではその広域性の故に、大会などが広域で行われ、そのために長時間・遠距離移動を強いられます。

 それにより勉強や他の活動に充てる時間が必然的に削られていきます。

 またこうした移動での交通事故も少なからずみられるほか、かかる費用もバカになりません。


文化教養施設も少ない

 また、博物館、美術館などの教養を高める施設は北海道、それも地方にはほとんどといっていいほどありません。東京などとは大きな違いです。その質にも大きな落差があります。
 そうした文化教養に触れて育てられる環境と、そうでない環境。その差が与える影響は自明です。

辺地差別の現実

戦争時には率先して犠牲?

 太平洋戦争中、地上戦となった沖縄では、犠牲者の多くを占めた地元沖縄県の方々に次いで、二番目に犠牲が多かったのは北海道の方々でした。平和の礎には北海道の方々の名前が数多く刻まれています。

 北海道は日本で二位の犠牲を払わなければならないほど当時人口が多かったでしょうか。沖縄に近かったでしょうか。そんなことはないはずです。現在の日本の北の果てと南の果ての人々が過酷な激戦地に追い込まれ多く犠牲になった事実、それが何を語るか。


 現代でもそれは変わりません。

 自衛隊の海外派兵では、北海道の部隊が数多く派遣されています。ハイチとか、南スーダンとか、そうした地域への派遣が、北海道の気候条件でも生かせるような地域でしょうか。違うでしょう。それが何を意味するか。

 この国では、今も昔も辺地に差別意識があるのです。

 地方の人間を騙すようなビジネスモデルは昔からありますが、北海道などはまさにいいカモというのが現状です。

 結局、北海道という地域がそういう目でみられているのが、この国の悲しい現実です。


北海道の中でも差別意識

 北海道の中でさえそうした意識があります。

 札幌 → それ以外の地方都市 → それ以外の市町村

の順に見下していくような意識が少なからずあるのが、残念な現実です。

 北海道の職員の中ですら、そうした意識が少なからずあり、人事などでもそうした雰囲気はぷんぷんと出ますし、現実に下位の地域の出先になるほど役所の対応もイマイチです。

 それがあなたや、子どもの履歴書に残ることが、プラスになるのか。マイナスになるのか。

 あなたは移住者でも、子どもはそうは見えません。
 でも地域で地元民としてみてもらえるわけでもありません。


劣悪な労働環境
 〜 労働環境にも不安がいっぱいです 〜

賃金が低い
 これに尽きます。


労働時間が長い
 週休2日など浸透しておらず、休日が十分ではない職場もまま聞かれます。


移動距離・時間が長い
 仕事にもよるでしょうが、北海道が広域な故に移動距離や時間が長いという問題があります。
 現実に北海道の中を広域に駆けずり回っている仕事の方は、数多くいます。

 このことは、拘束時間が長いことにつながります。
 その分だけ給料を払ってくれるかといえば、そんなわけはありません。
 移動時間は何も生み出しませんから。

 東京では通勤に片道2時間3時間などという例はザラにあります。
 ただ電車であればこの移動時間を何かに使うことはできます。
 睡眠時間の足しにするもよし、読書など何かを学ぶ時間に使うもよし。
 でも公共交通機関が無きに等しい北海道では車が基本形になります。

 運転者は寝るなどできませんし、同乗者も読書なども不適な環境で、できることは限られます。

 こうした時間がムダに使われる、そういう現実もあります。
 この差が文化水準や学力水準の違いにも確実に結びついていると思います。

 さらには交通事故などの懸念にもつながります。

 広域な北海道では、道内企業でも遠距離の出張のほか、人事異動などで多くの単身赴任者や遠距離通勤者を生み出しています。

 この移動も交通事故の危険にさらされ、現実に亡くなる人も多くいます。

 その移動のうちのどれだけが本当に必要なのでしょうか。見直すことはできないのでしょうか。


 北海道は交通事故王国です。

 交通事故を撲滅したいならこうした現状を変えなければならないのに、無用な長距離移動をのさばらして何の反省もない職場に根性論だけで中身のある改善を伴わない交通安全の声をあげる資格などなく、北海道は人の命を極めて軽視しているのではないかと思います。


北海道の主力産業はブラック産業

 農林水産業、観光業、食品加工業、世間ではブラック産業の象徴です。

 労働環境の悪さの故に人材確保ができず、人材育成もできなくなった産業にどれだけの未来があるでしょうか。

 他の産業の待遇が悪くなった結果、相対的に自衛隊の待遇が良く見えるようになり、そこに職をもとめざるを得なくなる現代の徴兵制がすでに北海道では現実に起きています。現に北海道の多くの町では住民登録があるだけでもれなく適齢期の若者に自衛隊から勧誘が届きます。その結果がどうなるかは先に示唆した通りです。


劣悪な住宅
 〜 新築しない限りまともな生活は期待できない 〜

快適な生活は新築の持ち家のみ

 北海道の厳しい気候の中でも快適な生活ができるのは、新築の持ち家に限られます。

 その中でも「適切な能力を有する業者が適切な技術で建てた場合」に限られます。


 公営住宅なんかは最悪です。

 断熱材が入っているのかも疑わしく隣の音も丸聞こえの薄い壁、雪の落ちない屋根、すがもり、カビ、ハエやカメムシなど害虫、水を落としても水道凍結等々トラブルの巣です。

 夏は涼しい北海道どころか熱気こもる温室。冬はビールが飲めるどころか冷凍庫になります。

 税金を使った不良資産そのものです。
 官舎とか民間でも社宅とかはだいたい同様です。


 民間住宅もピンキリですが基本的には同じです。

 公営住宅ほどひどくはないですが、基本的にこの国の賃貸物件ではそんなに質のいい建材は使用されていません。

 北海道固有の問題としては、水落としの問題、結露対策、暖房器具の問題(本州で使われるような室内型のストーブは使用禁止されることが多い)などが挙げられます。

 冬に風呂なんか入ろうものならヒートショックで死にます。中高年はそうしたリスクも考える必要があります。それは公営物件はもちろんのこと、民間物件で比較的良質な類に入るものでさえ、そうなっても不思議でない物件は多々あります。

 不動産会社を介さずに個人で貸しているような地方物件の中には、公営住宅以下、物置のような物件もままあります。


「生命は大事」なのか?
 〜 生命尊重という現代価値が実践されているかも疑わしいです 〜

行き倒れは昔も今も

 かつて徒歩が主要な交通機関だった頃は猛吹雪の時に家を目の前にして行き倒れた住人や郵便配達人がいたと語り継がれています。

 そうした伝承があるからこそ、それを教訓にして北海道は自然環境を前にしたおおらかさ、すなわち天気が悪いから無理しなくていいよ的なおおらかさがあるはずでした。

 でも、行き倒れは残念ながら今もあります。

 天候の急変で吹雪が急に発生し、道路が寸断されて車に閉じ込められ、亡くなる方が出ているのが北海道の残念な真実です。


道路を止められても困る

 そうした教訓を受け、最近では道路を早期に通行止めにするようになってきました。
 でもそれで解決かと言えばそうはなりません。

 昔と違い、現在では仕事や買い物などで多くの人が数十キロ単位の行き来を日常的にしています。

 それを突然通行止めにされても困る人がいっぱい出てきます。
 その結果、危険でも通行止めになっていない道路を探して移動を図る人が多く出てきます。

 地方では地元に仕事がなかなかありません。

 近隣の都市部に通勤している人が数多くあり、地方でも朝の道路はけっこう車が多く走っています。

 地元に子どもを残して親が都市部に働きに行っているようなケースもあります。
 それで帰り道が通行止めになったとしたら、残っている子どもはどうしますか?子どもだけで吹雪の夜を越せますか?

 地元に親戚等のいる地元民であればそういう親戚に頼む方法もあります。でもすべての人ができるわけではありません。転勤族や移住者などでは難しいです。そうした状況を救ってくれるシステムは地域にはありません。だから親は道路が止まろうが何しようが帰らざるを得ないのです。

北海道の厳しい自然に見合った対策が必要

 新聞や郵便、宅配便が来ないとかその程度の不便であれば、数日ぐらい別に無理して来なくてもいいと個人的には思います。

 でも無理してそういう仕事をやってしまう風潮が近年では強くあります。そういう無理をしなくてもいいおおらかさを失っているのが北海道の今の姿です。

 吹雪のあとのスーパーの棚がからっぽだというニュースが出ます。

 ニュースとしては面白いんでしょうが、スーパーには品物を切らしてはいけないという強迫観念を与え、運搬車が吹雪の中を無理して走るようになります。

 私は吹雪の中をスーパーが無理して営業しなくてもいいと思いますし、しばらく食うに困らない程度の食糧を蓄えるのは北海道民の義務だと思いますが、コンビニがないと生きていけない人達からは営業圧力は強いですし、経営的にもそんな簡単に閉められないという現状もあるのでしょう。働く側にも給料が減る問題もあります。

 外を出歩くのも危険な程度という注意喚起を気象台やニュースが出すようになってきましたが、そういう時にはあらゆる業種の人が出歩かない程度のおおらかさが必要だと思いますが、そうはなっていない、そうはできないのが現実です。

 学校では、子どもの登下校の安全を考慮して早々に臨時休校を決める場合があります。

 しかし、臨時休校になっても、親が仕事がある限り、子どもを預けるところもなく、子どもだけで家に放置されているケースが少なからずあります。

 学校によっては、授業時数や行事がどうのと子どもの安全と天秤にかけたり、子どもと教職員は対応が別なため服務がどうのと、安全二の次の保身の発想の結果、教職員の子どもが家で放置されたり悪天候の中を遠距離通勤を強いられたりというケースもあります。

 こうした北海道の厳しい自然に見合わない無理が強いられている状況がある中で、北海道では「生命が大事」なんて本当に思っているのか、疑問に感じざるを得ません。


「交通事故撲滅」なんて本心で思ってる?

 昨今はワースト1こそ免れているものの北海道は交通事故王国です。

 北海道の面積や道路延長が他県と格段に違うことや、人口差や事故統計に出ない被害など、都道府県ランキングには疑問を感じる部分もあるものの、交通事故王国であることは謙虚に受け止めないといけない真実です。

 一応北海道も「交通事故撲滅」なんて謳っているみたいですが、本心でそんなことを思ってるのか疑問に感じることも少なくありません。

 交通事故をなくしたければ、無用な交通をなくすことです。

 しかし現実にはこれまでも書いたように、遠距離通勤や出張、人事異動などによる多くの単身赴任者などを生み出しています。子どもの部活動などでの遠征の問題もそうです。これらのほとんどが道路利用なのが現実です。

 交通安全と言えば何とかのひとつ覚えのように取り締まりとかそういう方向に行きますが、制限速度で走ろうが何しようが事故に遭う時は遭いますし、交通指導員ですら交通事故で亡くなります。

 そんな交通安全運動が、本当に北海道民の生命を守る目的でされているのか疑わしく、空々しく思うことが多々あります。

 レジャーなど自分の意思で出てくる分には勝手ですが、そうでない部分には対策の余地が充分にあるはずですが、現実の北海道はそうはなってはいません。

 家の目の前での行き倒れを生んでいた、徒歩が主要な交通機関だった時代とは違いますが、現代に見合った地域の体質の変革ができていないのが北海道の現実です。


結論
 〜 今から移住するならやめたほうがいいです 〜

移住は割と簡単でも、戻るのは難しい現実

 北海道は移住者を受け入れやすい素地は、本州に比べると表面的には割とあるとは思います。

 ただ、これらの問題に気付いたとき、逆に本州に戻れるかといえば、それは難しいです。

 私なんかも若気の至りで北海道に幾度となく通うんなら住んだほうがいいんじゃね?程度で移住して、確かに何年かは北海道の魅力満喫で楽しいかもしれません。

 それがなければ今の家族にも出会えなかったという意味では移住そのものを否定する気はありませんが、こういう問題に気付いたとき、使い捨てに遭ったとき、本州に戻れるかといえば容易ではありません。

 子どもへの意義や興味を考えたときに、最近の旅の行先は北海道より本州などが多いです。

 息子が京都に興味を持ちだし、意義も認められるのでそれに応えた結果、気がついたら年に4回も京都に行ってます。私が関西に住んでいたころはそんなものにたいした興味もなかったですが、北海道に来ないと出会えなかった息子のおかげで今では北海道にもとめた四季と趣の異なる四季に関心を持つようにもなりました。

本州に住んでいれば飛行機に乗ることもなく日帰りで行けたようなところに行くのに、航空会社やホテルにせっせと貢いでいる状態です。今はまさにそれなら本州に住んだ方がいいんじゃね?状態です。

 じゃあ戻れますか?と言われれば、それは難しいのが現実です。

 気が付いたら年齢も重ね、仕事・生活・家族等々ついてくるものもいろいろあります。

 こうなってしまったら、本州からみてもよそ者です。いいところ使い捨ての対象。それを受け入れる素地は少なくしがらみに満ちた本州に戻るのは、非常に困難なことだと言えます。

 今、本州にいて、まともな生活基盤がある人なら、それを捨ててまで来る必要はないですし、捨てたら回復はまず不可能になります。それを捨てて北海道に来たから故郷になるかといえば、残念ながらそんなことはない大地です。


移住はやめなさい

 今から北海道への移住を考えるなら、やめたほうがいいです。絶対に勧めません。
 本州にいた方がいいかもしれません。

 北海道は地域にもよりますが本州のような巨大地震リスクも少ないと思って来ました。

 地震については甚大被害のリスクは確かに小さいですが、昨今の異常気象の中で、暴風雪など地震以外の災害リスクがあるのが現実です。地震の心配より先に吹雪に命を奪われかねません。

 この国は残念ながらいずれまた戦争をするだろうと昔から思っていました。戦争法案と言われる安保法案も成立してしまい、この国はますます平和主義を放棄し戦争に近づいたと思います。

 北海道なら食料も確保できて田舎なら空襲されず被害を免れるだろうと思いましたが、現実は先兵の養成地に過ぎず、子どもたちにはかえって危険な地域だと思うようになってきました。

 移住者を使い捨てか何かのようにしか思っていない北海道にもがっかりするところはあります。

 このような中では、北海道移住はやはりお勧めできません。
http://www.yanapy.com/ijyuu/ijyuuno.html


▲△▽▼

5月の北海道 GRFのある部屋 2016/05/15
http://tannoy.exblog.jp/25229057/

千歳から高速を運転して、旭川方面に向きを変えると、山の頂は、先日の新雪で真っ白ですが、麓の山々は、新緑に覆われていました。

本州より一ヶ月遅れで、桜もその他の花も一斉に開くので、5〜6月の北海道は、ヨーロッパに行く必要がないほどきれいな景色で目を楽しましてくれます。


北海道の地方都市は、一段と過疎化が進んでいます。

札幌への一極集中が進んでいて、札幌市内のマンションや住宅の増加は、進んでいる反面、地方の街には、誰も歩いていない風景が、どこでも溢れています。

http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=25229057&i=201605%2F14%2F99%2Ff0108399_22265112.jpg

冬の間の積雪を考慮して、道の広さは、内地の倍以上ありますから、閑散とした感じは否めないのですが、肝心の道路をほとんど車が走っていません。


▲△▽▼

北海道の少子高齢化、過疎化は日本レベルとは違う 2015-02-09


さて、北海道経済のこれから、です。

日本全体の少子高齢化について、この本が警鐘を鳴らしています。


地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E6%B6%88%E6%BB%85-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%B8%80%E6%A5%B5%E9%9B%86%E4%B8%AD%E3%81%8C%E6%8B%9B%E3%81%8F%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E6%80%A5%E6%B8%9B-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%A2%97%E7%94%B0-%E5%AF%9B%E4%B9%9F/dp/4121022823%3FSubscriptionId%3D0AVSM5SVKRWTFMG7ZR82%26tag%3Dbastante5555-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4121022823


この本の内容だけでも十分衝撃的です。


1.北海道は2010年対比、2040年の人口が全国では83.8%まで減少するのに対し、北海道全体では76.1%、札幌圏を除く地域では67.7%まで減る。これは最も減少率の高い秋田県に次ぐ数値で、北海道は今後急ピッチで人口を減らす。

2.北海道の人口に占める札幌圏の人口は2010年に34.8%だったが2040年には40.9%まで上昇する。全国における東京のような立場になる。この意味でも日本の縮図、といえる。

3.1990年代まで北海道の人口は自然増を続けていたが、東京圏に人口が吸引される形で高度成長期に3回ほど、人口の純減を経験している。もともと人口の社会減が背景にあるところに、自然減が重なり、急速な人口減に見舞われる。

4.釧路市は水産、炭鉱など主力産業が衰退したことから周囲からの人口流入がない一方、石狩管内や関東圏への人口流出が続く。

5.旭川市は進学、就職などで若年層が流出するが戻ってこない。一方、周囲から高齢者が流入しており、人口構成にゆがみが出ている。

6.北見市は市内に学校が多く、進学時には若年層が流入してくるが、卒業時に流出してしまう。

7.帯広市は、管内全体の人口移動がすくなく、エリア全体で人口を保っている形。

8.札幌圏は、道内各エリアから人が流入する一方、流出はほとんど関東圏に向けたもの。就職時に関東圏に流出するパターン多く、特に女性の流出が多い。

男性数/女性数の比率をみると、25−29歳ではかつて1.0を超え、女性のほうが多かったが、今では0.9まで減り、女性の減少が顕著である。札幌市中央区の出生率は0.9まで落ち込んでおり、同内各地から女性が集まり、その女性が子供をつくらない、という構造がある。

若年層の流入が細る一方、高齢者の流入が増えること、もともと居住している人が加齢していくことから東京や大阪を上回るピッチで急速に老齢化が進む。


9.道内にも、酪農業が盛んで仕事がある中標津町は老齢化率が低く、周囲から人口を吸引する力がある。観光業が盛んなニセコ町も同様である。マチとしての魅力をどれくらい伸ばせるかが今後の各市町村の運命を決める。

10.国全体として出生率の回復が急務、とされているが北海道の置かれている状況はさらに切迫している

少子高齢化、総人口減少、といいますが北海道は他の地域と全く違うレベルの状況に突っ込んでいくのです。

「日本の地域別将来推計人口」(平成25年3月推計)から。

「平成52(2040)年には、北海道の半数以上の自治体で総人口が5千人未満になる。

日本の人口5千人未満の自治体のうち29.5%が北海道に集中することになります。

北海道の半数以上の市町村で人口5千人を割ります。
日本のどこにもない、人口が減った市町村が広い土地に多数点在するという、唯一の都道府県になるのです。

人口5千人を商圏と考えれば、スーパーやドラッグストア、金融機関の立地は厳しいのではないでしょうか。ATMや薬、本を求めてどこまで行けばいいのでしょう。

義務教育や医療など、北海道以外の日本では当たり前に提供される公的サービスはそのとき北海道では維持できるのでしょうか。

また、高度成長期に作られた、橋や道路などのインフラの耐用年数が切れ始めます。そのとき、それらインフラは維持できるのでしょうか。市町村合併して合計の人口は持ち上げたとしても「点在する人口」はまとめきれません。

札幌から先にの交通インフラは維持できるでしょうか。
今でも天候や土砂崩れなどで陸の孤島と化す地域が珍しくありません。
交通・流通の問題で人が死ぬような事態になるのではないでしょうか。

そのとき、2040年に自治体として、経済の単位として、居住の場所として、北海「道」は維持できるのでしょうか。


人口減を考えるとこのあと農業漁業が基幹産業に返り咲くのは難しい。
それに加えて TPPが実行されれば北海道の農業漁業は壊滅するでしょう。

以前から弱い、と指摘され振興に力を入れてきたはずの製造業もこのあと急に花開くとは思えません。介護、医療、飲食などのサービス業も結局域内の他者の財布から売り上げをもらう形なので大きく付加価値をつけられるものではありません。

外からおカネを集める、という意味で、そのときまでに北海道が世界に冠たる観光基地に変身できていなければ北海道は日本の一部でいるのも難しくなるのではないでしょうか。

労働力人口減、総人口減、地元NO1銀行の破たん、自治体破産。
それに加えて小人口の消滅危機に直面する多数の市町村。

国全体の好況も不況も関係なく一貫して減少する道内GDPでも解るとおり、北海道は一人旅で衰退の道を歩んでいます。

北海道はすでに日本の一部と考えることに無理が出始めているのではないかとさえ思います。
http://ameblo.jp/star-tp/entry-11987608716.html

後10年もすれば北海道の不動産は苗場のリゾートマンション同様、捨て値になるという事ですね。

それまでは北海道の不動産の購入は控えた方がいいです。

まあ、今でも道東の別荘地は大分安くなっていますけど:


北海道移住 _ 中古一戸建て住宅を買うとこういう目に遭う


北海道に移住! 温泉付き田舎暮し物件 広大な山林などいろいろ!
温泉掘削と温泉付分譲地のディベロッパー 有限会社 大道開発
http://www.daidou.net/

空き家バンク|北海道弟子屈町
https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/20akiya/

北海道 空き家バンク|清里町
http://www.kiyosato-e10.com/akiya_bank.html

標津町 北のふるさと移住計画:空き家バンク
http://www.shibetsutown.jp/ijyuu/akiya.html

北海道の空き家バンク
http://www.mjna50.net/akiya-hokaido.html

空き家バンクの一覧 北海道で暮らそう!
http://www.kuraso-hokkaido.jp/towns-tag/bank

【SUUMO】道東の中古住宅・中古一戸建て購入情報
http://suumo.jp/chukoikkodate/hokkaido_/sa_other_03/

【SUUMO】 道東のマンション購入情報
http://suumo.jp/ms/hokkaido_/sa_other_03/

北海道の地域から中古一戸建てを探す【HOME'S】
http://www.homes.co.jp/kodate/chuko/hokkaido/city/

北海道|中古一戸建て・住宅購入@nifty不動産
http://myhome.nifty.com/chuko/ikkodate/hokkaido-tohoku/hokkaido/#!city

【北海道不動産連合隊】賃貸マンション、アパート、中古住宅、土地
http://www1.odn.ne.jp/~ccb00610/

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【SUUMO】北海道のリフォーム会社一覧
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http://www.hostel.co.jp/j-hokkaido

北海道のとほ宿
http://www.toho.net/map/

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ネットスーパーの便利な使い方
http://wiim.jp/60/
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/11/25/160110
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/entry/2015/12/05/105740

@ イオン ネットショップ
https://www2.aeon-hokkaido.jp/rakutaku/
http://www.aeonretail.jp/netshop/index.html
https://www.aeonshop.com/shop/c/c01050000059020/

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              /##二二__ヽ、      
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               ヽヽ o゚ ´   /ソ}'ノ ノノ
               Y ° - ' `゚イイ´     今週中に必ずお金を作りますから・・・
               /⌒ ( Y)` ;‐‐ ' ゚( i )
            |:::::::::::〉i/^^ゝ-、 (y )       もう少しだけ
             l++::::(/\ ,ミ}::ハ:ヽ〉i(
            l+┘ /::::::::::ソ:::::}:( y)       もう少しだけ待ってください・・・
                l::::::/:::::::::::/::::::/::::)i〈
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             ハ(___ ノ:::::;++:|l::::::::ハ
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           ノ_へ∧/    `、__    \     
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   ノ   , ‐- ...... _          ノ
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No.572 by 匿名さん 2013-06-08 22:23:47
安い物件は、安い理由があります。
買い得だという物件など無いと承知で買われるでしょうから、後悔されないよう願います。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/147778/all/


別に殺人事件の現場やヤクザが不法占拠しているなど、特殊な背景を持つ物件ではありません。

では、なぜ安いのでしょうか。

念のため申し上げておくと、決して「お得」なわけではありません。
市場経済においては、安いのには必ず理由があります。
http://www.fudousann-fujix.com/mansionvskodate.html

59 アメリカンショートヘア(北海道) 2012/10/25(木) 16:08:13.68 ID:wWQVHIP/0

例えば北海道の田舎で昭和後期の戸建住宅が300〜500万円で売ってるとするでしょ?

地下車庫付で6〜7LDKくらいで庭と裏庭もある

安いと思って買うと死にたくなるくらい苦労する

その年代の大きめの家って灯油温水式のセントラルヒーティング

当時でも暖房費が7万くらいかかったから今なら10万以上は確実にかかる

除雪なんて雪かきスコップやスノーダンプだけでやるとしたら、成人男子が一日かかるような大雪が連日降る

業者に頼むと1回5000円から1万円は取られる

嫌になって小型重機をレンタルすると月7万から10万かかる

水温低いから給湯にも金がかかる

レグノみたいないサマータイヤの高級シリーズよりずっと高いスタットレスを3年に一度買わなければならない

買い物は遠くの大型店までいかなないとろくなものが売ってない

本州からの移住者は大抵地元民も手を出さないような条件の悪い物件を安く買い夢破れて去っていく

地元民は同情してそれなりに良くしてやったつもりなんだけど、最後には捨て台詞履いて出て行ってしまう

田舎に移住するなら住居や仕事の条件を現地でよく調べるなど十分準備するか、一生困らない金を稼いでからにするかにした方がいい


夕焼け | 2012年10月26日 10:35
ちなみに、田舎に限らず不動産全般に、広告に出てて数日考えてから連絡してまだあるような物件、ましてや雑誌に出てるような物件は安くても総合的に見てお買い得ではない物件でしょ。

条件の良いモノはすぐに売れちゃって表になんか出て来ないし、ネットの不動産サイトでさえ良い物なんてない。せいぜい会員制業者向けのところにくらいでしょ。

業者だって一見の客じゃ足元見てろくでも無い物つかまされるのが落ちだよ。
http://blog.shadowcity.jp/my/2012/10/post-1400.html


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|,ノ  ヽ, ヽ:::::::::::::::::::::::::
|●   ● i'゙ ゙゙゙̄`''、::::::::::::::::
| (_●_)  ミノ  ヽ ヾつ::::::::::
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{ヽ,__   )´(_●_) `,ミ:::::::: なんでウンコ食べちゃったの?
| ヽ   /  ヽノ  ,ノ:::::::::

北海道川上郡弟子屈町の、温泉掘削と温泉付分譲地を専門とされている、有限会社大道開発さんより、インターネット担当の、加藤憲二さんにお話しを伺います。
http://report.buyers-agent.or.jp/2008/08/post-9f6f.html

私の北海道移住体験談
1999年4月より私は北海道に移住、新しい生活を始めることとなりました。
http://www.yanapy.com/ijyuu/index.html

北海道への移住 オホーツクからの情報発信 いいたび@オホーツク
北海道オホーツクへの移住をサポートします!
http://blogs.yahoo.co.jp/natsumi_s_58

独身男が大阪から北海道に移住した話
http://hokkaido-concierge.hatenablog.com/

北海道開拓日誌。自給自足の生活を追及し里山を造り上げ、次世代へと贈り継ぐコミュニティー地空(じそら)。自給自足の生活・田舎暮らしの体験・知恵集。
http://h-kaitaku.sakura.ne.jp/index.html

ここが変だよ北海道!
北海道へ引越してきて感じたことや違和感などを辛口で批評。北海道での常識・非常識や方言なども紹介しています。
http://blog.goo.ne.jp/toorun

〜住まないと分からない生の北海道〜北海道移住に成功した先輩移住者の体験レポート
http://www.kaitaku.gr.jp/series.html


▲△▽▼

北海道のライブカメラ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/599.html

北海道の温泉に行こう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/561.html

屈斜路湖・阿寒
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/306.html

ニセコは既に外人に乗っ取られ日本語も通じなくなった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/184.html

日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた
24. 2013年8月05日 オーストラリア人に乗っ取られたニセコ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c24

“爆買い”から“爆滑り”へ 中国人観光客がスキー場に殺到
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/234.html

ニセコ薬師温泉 _ 温泉マニアに超絶人気の伝説の名湯がどうしてこうなった?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/560.html

北海道の最低市町村ランキング
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html

釧路にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/451.html

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html

札幌市民が白樺並木を嫌う理由 _ 北海道で猛威を振るうシラカバ花粉症
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/949.html

北海道民が教える「雪道の歩き方」5カ条
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/679.html



http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/532.html

[近代史4] 北海道に移住してはいけない

北海道に移住してはいけない
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/532.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/447.html

[番外地7] 北海道に移住してはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13139] koaQ7Jey 2020年3月03日 19:01:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[390]

日本政府は行政コスト削減のために、北海道を無人の地にしようとしている

映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク - 内田樹の研究室 2020-03-02
http://blog.tatsuru.com/2020/03/02_0912.html

21世紀の日本はこれから急激な人口減と高齢化局面を迎えます。予測では、21世紀末の日本の人口は上位推計で6450万人、中位推計で4950万人、最少では3800万人となります。今1億2700万人ですから、中位推計でも7000万人減る。

 人口減は世界中で進行しています。日本が高齢化では世界一ですが、欧米もアジアもすぐ後に続いています。韓国も少子高齢化局面に入りましたし、中国は「一人っ子政策」のせいで、このあと劇的な人口減局面に入ります。15億人でピークアウトした後に世紀末には7億人に半減すると予測されています。これほどの人口減を人類は経験したことがありません。だから、何が起こるかわからない。

 今の社会システムはすべて「右肩上がり」の経済成長を前提にしています。人口減局面を生き延びるためには選択肢は2つしかありません。

 一つは都市一極集中。今の日本の政官財が考えているのはこれです。すべての資源と人口を首都圏の狭い範囲に集める。人口が減っただけ集住する地域を狭くする。そうすれば、仮に人口が半減しても、都市の風景は今と変わりません。その代わり首都圏の外には無住の地が広がることになる。無住の地には交通や通信や上下水道のようなインフラを整備する必要がありません。行政コストは限りなく抑制できる。「人を狭いところに集める」、今政府が考えている人口減対策はそれだけです。小泉進次郎環境大臣が先日語った「もう人口減少、嘆くのやめませんか」と言うのは、具体的にはこのことです。

 シンガポールは人口560万人、面積720平方キロ。人口は日本の4%、国土は日本の0.2%しかありませんが、一人当たりGDPは世界8位で、26位の日本の1.6倍です。土地もない、自然資源もない、食糧も飲料水さえ自給できないシンガポールがこれだけ繁栄しているのは「経済成長」が国是だからです。それだけではありません。シンガポールは建国以来一党独裁で、治安維持法があって令状なしに反政府的な人物を逮捕拘禁できて、反政府メディアも労働運動も学生運動も存在しません。この国がおそらく今の政権にとっての「人口減局面でのモデル」だと思います。

 行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にするというのが基本構想ですから、東日本大震災の復興が進まないのも当然です。「ねまれや」の女性に行政が告げたように、「人口が減っていく地域に、そんな施設など作ってどうするのか?」ということです。

 政府は東京オリンピックを「復興五輪」などと言っていますが、隠された目的は東京にすべての資源を集中させて、地方を枯渇させることです。政府は東北の復興に予算を使う気はないし、福島の原発の除染も本格的にやる気はありません。「どうせいずれ誰も住まなくなる土地なんだから、そんなところを『人が住めるようにする』のはまるで無駄だ」と思っているからです。

 地方の無住化・日本のシンガポール化しか政府に策はありません。たしかに人口減局面でなお経済成長しようという無理なことを実現するならシンガポールモデル以外に選択肢はないのです。でも、政府や財界は彼らが「シンガポール化」をめざしていることを決して公言しません。東北復興や福島の除染をだらだら進めているうちに、東北の人口が減ってゆく。やがて「人が減ってゆく地域に予算を投じるのは金をドブに棄てるようなにものだ」という世論が形成されるのを待っているのです。でも、今それを言ったら地方の選挙区では自民党に入れる有権者はいなくなる。あっとうまに政権は倒壊する。だから、その方向に政策を着々と手を打ちながら、自分たちが何を目指しているのかについては口を噤んでいる。

 でも、もうひとつのシナリオがあります。それは「経済成長をもう目指さない」ということです。そらなら東京への資源一極集中の必要はありません。むしろ、地方に離散する。

 今、若い人たちが地方に移住して、第一次産業に就く動きが出てきました。こちらの方が生活の質を考えたら、明らかにアドバンテージがある。東京一極集中ということになると、生業の選択肢は資本を持たない若者には賃労働以外にはありません。定型的な賃労働と定型的な消費生活を強いられる。快適で文化な生活を維持しようと思うならむしろ地方にチャンスがある。そのことを直感しているからこそ若者たちの地方移住が続いているのだと思います。

 今、僕たちは人類の文明史的転換点に来ています。僕の周りでも、若い人たちがどんどん地方移住を始めて、農業林業のような第一次産業に就いたり、本屋やカフェを営んだり、図書館を開いたり、出版社を立ち上げたり・・・いろいろな仕事を始めています。

 日本には温帯モンスーンの豊かな風土があり、植物相も動物相も多様だし、温泉やスキー場などの観光資源も豊かだし、食文化も芸能も世界的レベルですし、教育も医療も高水準です。経済成長にこだわらずに、この豊かな資源を活用する仕方に知恵を使うべきだと僕は思います。

 この映画は、林業を営む限界集落の再生という話も取り扱っています。鱒淵という中山間地に、年間2世帯ずつ人が戻ってくれば、人口は定常化するという話が出てきます。この「定常化」ということがこれから先の地方再生の基本になると思います。もう右肩上がりで人口が増えたり、右肩上がりで経済成長することはあり得ないのです。それでも定常的な経済活動を維持することはできます。

 定常経済というのは新規の需要が発生せず、買い替え需要しかない経済のことです。だから、投機的に株を買っても儲からない。それじゃ意味がないと思う人がいるかも知れませんけれども、それでも出資する人はいるはずです。その商品やサービスが安定的に供給されることそれ自体を「配当」として受け取る人たちが株を買う。自分が出資することで「必要なものが、必要な場所で、必要なときに手に入る」のならそれ以上は求めないという人たちが経済活動を動かしている限り、経済成長の必要はありません。

 今日本の政官財は東京一極集中プランにはっきり舵を切りました。日本の農業や林業も切捨てるつもりです。しかし、多くの国民は、故郷が無住の地になり、地方が切り捨てられるというシナリオの現実性にまだ気が付いていません。この流れに抗して、もう一度地方を住みやすい場所、住み甲斐のある場所にしてゆくことが、これからのわれわれの仕事だと思います。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/02_0912.html

▲△▽▼


2020年3月2日
【三橋貴明】店じまい国家の断末魔
https://38news.jp/economy/15441

店じまい国家の成れの果て
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html

安倍政権の朝令暮改と臨終
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578536890.html

グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、規制緩和、自由貿易)を究極まで推し進め、政府を限りなく「小さく」することを「国家の店じまい」と呼んでいます。

元々、「国家の店じまい」とは、佐藤健志先生が紹介された、達増拓也岩手県知事のツイートが元ネタです。

達増拓也 TASSO 幸福を守り育てる希望郷いわて
@tassotakuya 2016年3月24日

経済は市場にまかせ、民生は地方にまかせ、国家が店じまいするように、人口減少で地方が末端から消滅するのが必然とばかり、大震災を奇貨として地方消滅の加速を図ろうというのは良くない。
https://twitter.com/tassotakuya/status/712980527293140992

達増知事は地方交付税交付金などを減らし、地方の衰退を加速している安倍政権について「国家が店じまいするように」と表現されていますが、国家の店じまいは地方行政に限りません。

そもそも、グローバリズムという「小さな政府」を目指す政策は、国家の店じまいなのです。

国家の店じまいは、様々な分野に及んでいますが、今回のCOVID−19感染症の襲来で明らかになったのは、日本国民の公衆衛生、健康促進が役割の厚生労働省、医療サービスまでもが、国家の店じまいを進めていたという衝撃的な事実になります。

【日本国内の保健所数(合計)】
http://mtdata.jp/data_68.html#hokenjo

【日本の病院病床数の推移】
http://mtdata.jp/data_68.html#bed

日本政府は(第二次安倍政権発足前から)全国の保健所を次々に閉鎖していきました。
さらに、病院の病床数も削減。

安倍総理大臣は2019年10月28日、経済財政諮問会議において、
「持続可能な地域医療体制を構築するため」
とのお題目で、病院の統廃合(=削減)や「過剰な」ベッド数の削減などを進めるよう関係閣僚に指示しています。

ただでさえ減っている病床数を、さらに減らせ、と。

もっとも、何しろ日本政府の政策のコンセプトは「国家の店じまい」でございますので、非常事態に国民を救う可能性がある医療サービスなど「ムダ」という話でございますよ。

閉店作業中の店舗が、客からの要望を受けますか?
新たな仕入れや什器のために支出しますか。

するわけないでしょ。

というわけで、特に「非常事態への備え」を中心にカットし、国家の店じまいを続けてきた日本政府が、実際に非常事態が到来した途端に大混乱に陥っています。

安倍政権は、間もなく終幕です。
問題は、むしろ「安倍政権の後」になります。

何しろ、グローバリズムのトリニティ、国家の店じまいが続く限り、誰が政権を
担おうとも、我々国民の「豊かで安全な生活」は実現しないのです。

というわけで、日本国民は現在の非常事態が「なぜ、ここまで深刻化したのか?」について理由を正しく知らなければなりません。

そもそも、国家の店じまい、小さな政府化という日本政府のグローバリズム推進は、初めから非常事態に対応不可能なのです。

その上で、次の政権において、グローバリズム路線を「ピボット(転換)」させる。小手先の変更ではダメです。

政権の基本コンセプトからのピボットが必要なのです。
すなわち、令和の政策ピボットです。

令和の政策ピボットを実現するためには、現在の日本の絶望、店じまい国家の断末魔をしっかりと見届ける必要があります。
少なくとも日本において、希望は絶望の先にしかないのです。

https://38news.jp/economy/15441


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/532.html#c1

[近代史4] 北海道に移住してはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13138] koaQ7Jey 2020年3月03日 19:10:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[391]

北海道の水道料金「月額2万円」時代へ 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html

北海道のプロパンガスの高すぎる料金の謎
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/681.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/447.html#c1

[番外地7] 北海道に移住してはいけない 中川隆
2. 中川隆[-13137] koaQ7Jey 2020年3月03日 19:11:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[392]

北海道の水道料金「月額2万円」時代へ 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html

北海道のプロパンガスの高すぎる料金の謎
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/681.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/532.html#c2

[近代史3] ジュリアン・アサンジはレイプをでっちあげられた 中川隆
4. 中川隆[-13136] koaQ7Jey 2020年3月03日 19:38:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[393]

ジュリアン・アサンジに対するアメリカ政府の卑劣な陰謀 2020年03月03日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1049.html

 アサンジに関係する話題は、残念ながら私は独自の情報を持っておらず、「マスコミに載らない海外記事」から引用するしかない。

 ジリアン・アサンジが、いったい何をやったのかというと、米軍が隠していた、たくさんの公開されてはまずい、資料をさまざまな手段で入手し、世界に公開した。
 世界中が知って驚かされた情報は無数にあるが、代表的なものとして、以下の米軍のイラク侵攻における、民間人、およびロイター通信記者二名の殺害動画がある。
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/iraq/2010/04/2007-eb94.html

 https://www.youtube.com/watch?v=QHTqPmB4_R4

 これを世界に公開したウィキリークスのアサンジに対して、アメリカ政府は、自分たちの軽率で愚かな民間人殺害ミスを棚に上げて、「アサンジの行動は、米軍兵士を危険に晒す国家反逆行為」と決めつけ、現在も、アサンジの身柄引き渡しを求め、もしもアサンジを米政府が確保したなら、終身刑に処するとしている。
 
 アサンジが、身に覚えのない強姦容疑をでっちあげられて逃亡生活に入ったのが2010年であり、すでに10年を経過したが、未だに、アサンジは国家権力から自由ではない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8

 アサンジは、現在、「不出頭容疑」で英国政府に拘束され、禁固1年近い服役の中にいるが、その後、英国政府はアメリカに送還するとしており、アサンジが米国送還になれば、米政府は禁固175年の刑を言い渡すとしている。
 したがって、今年後半はアサンジの命と情報公開の正義を守るために、もっとも大切な時間である。
 ぜひ、アサンジに対する政治的意図を持った冤罪捏造や、人権侵害への大きな抗議運動に加わっていただきたい。

 今、アサンジは、米国・英国政府による「獄中死」の陰謀にかけられている可能性がある。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3256469
 ウィキリークスを闇に葬るため、米英政府は、情報封鎖と静かなる殺人の手段を用いるつもりらしい。

 アサンジの運命に連帯する「マスコミに載らない海外記事ブログ」は、良質の記事が多いのだが、執筆者には、国家主義的、右翼的な思想を持つ人も少なくないので、ここまでアサンジに関係する真実を暴き、肩入れすることは予想もしていなかった。
 非常に重大な内容なので、一人でも多くの読者の目に触れるよう、引用しておきたい。
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アサンジ問題で、人類は極めて重要な判断をしつつある  2020年3月1日
 ケイトリン・ジョンストン
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-c4be54.html

 彼らは、もはや根拠がなくなったので、ウィキリークス創設者をこれまで容赦ない邪悪さで中傷していた宣伝屋全員まったく沈黙した。
 事実は全て揃っており、その戦争犯罪をあばいたことに対して、アメリカ政府がジャーナリストを投獄するため、法の抜け穴を利用しようと否定し難い努力をしていることが分かっている。それは起きていて、それを正当化することはできない。

 だから言説の管理者連中が、全般的に静かになったのだ。

 それは良いことだ。我々にとって言説を支配する機会になるのだから。

 攻勢に出る頃合いだ。アサンジ支持者は大いに守勢に慣れているので、全面攻撃に出ることなど全く思い浮かばなかった。私もこれに関しては有罪だ。
 私は、そういうことが、もはや少しも重要でないことを悟れず、スウェーデンの事件やら何やら、どれもわかりにくいことに関し、どうでも良い相手と時代遅れの論争にはまり込んでいた。
 アサンジを、こういう状態に至らせるために使われた、あらゆる言説は、今アメリカ政府が、その悪事をあばく、どんなジャーナリストであれ、刑務所に入れるのを可能にする先例を作ろうと努力しているという否定し難い証拠がある事実と比較すれば、無意味で、無関係なエネルギーの無駄で、我々は今、アサンジを中傷する連中に、この現実に直面するよう強いることができるのだ。

 「アメリカの戦争犯罪をあばいたかどでジャーナリストは刑務所に入れられるべきか? イエスかノーか?」

 それが今の議論だ。ロシアではない。スウェーデンではない。彼が適切な保釈手順に従ったか、あるいは大使館で皿を洗ったかどうかではない。それは古い話だ。それは時代遅れだ。それでは守勢に回ってしまう。

 今我々は攻勢に出るのだ。「アメリカの戦争犯罪をあばいたかどでジャーナリストは刑務所に入れられるべきか? イエスかノーか?」

 答えを要求しよう。彼らに注意を喚起し、答えるよう要求しよう。連中の隠れ穴から彼らを引きずり出し、これに答えさせよう。光の中に彼らを引きずり出し、皆の前で彼らに、この質問に答えさせよう。なぜなら、これこそが問題なのだから。

 話題をそらされてはいけない。守勢で議論するようだまされてはいけない。質問を押しつけよう。アメリカ政府は、その悪事をあばくことに対し、ジャーナリストを引き渡させ、投獄する慣習を確立し、常態化しようとしているのだ。それが焦点を当てるべき問題だ。

 あえて主張して、アサンジを中傷する連中を誰であれ、彼らを押さえつけ、この問題に対処するよう強いれば、彼らが大いにのたうち回ることになるのがわかるはずだ。なぜなら彼らは自分が間違っていることを認めずには答えることができないから。彼らが終始この時全体間違っていたことを。それは完全に論破できない主張なのだ。

 我々がジュリアン・アサンジの引き渡し審理の後半に準備するために、二カ月半ある。三月、四月と五月の半分だ。我々はその全ての時を、言説を支配し、我々が連中に対して決断しなければ、強力な連中が、我々に対し、非常に重要な決断をしようとしていることを世界に対し、非常にはっきりさせるのだ。

 これは人類にとって、本当にいちかばちかの時だ。もし我々が、ジャーナリズムの仕事をすることに対して、連中にジュリアン・アサンジを引き渡し、投獄するのを許せば、それでおしまいだ。それで終わりだ。
 オリガルヒが、我々をエコロジー大惨事や、核による全滅や、権威主義のディストピアに追いやるのを、我々全員、何が世界に起こるか気にするのを止め、傍観するのも同然だ。連中が何をしているか見ることさえ許されなければ、権力に責任を負わせるのは不可能だ。

 もし多数派の我々が、少数の連中に対して立ちあがり、「いや、我々は、お前たち、ろくでなしに関する事実を見つけだし、それを我々の世界観を知らせるために使うことができる、お前たちは、それを違法とすることはできない」と言う根性がなければ、我々は、社会病質的な富豪連中の手から、この世界の支配を奪い取り、我々の運命を自身の手中にする根性も確実にないのだ。
 我々は、まさに今、我々が一体何から作られているかを決めているのだ。そして我々がなりたいと望むものを。

 いよいよだ。これは映画で、我々が集団で、赤い錠剤あるいは青い錠剤を選択するあの部分だ。我々は集団で、質問されているのだ。その質問への我々の答えが、我々が種としての進路全体を決定するのだ。

 人類は、どうなるのだろう?

 真実、それともウソ?

 光、それとも暗闇?

 我々が、真実の光で、権力に責任をとらせることができる世界か、それとも権力側が我々に何が本当か決める世界か?

 言論の自由と自由の出版がある世界か、それとも、ジャーナリストがこの惑星の最も強力な集団の悪を暴露すると、常に彼らが投獄される世界?

 我々が全員積極的にアサンジ解放のために戦い、それをなし遂げるか、それとも、我々が知ってる人類の終わりに向かって、巨大な逆転不能な跳躍をしようとする世界か?

 我々はアサンジを解放するか?

 それとも、我々はネットフリックスと、ケンタッキー・フライド・チキンで、のんきに座って、最も良いことをしてくれるよう権力に任せるのか?

 我々は赤い錠剤を飲むのか?

 それとも我々は青色の錠剤を飲むのか?

 人類よ、進路を選択するのだ。

 賢く選ぶのだ。

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 引用以上

 すでに、アサンジの冤罪については、何度か書いた。
 
ジュリアン・アサンジがレイプをでっちあげられて罠にかけられた経過をドイツTVが放送 2020年02月14日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1030.html

 以下、「マスコミに載らない海外報道」によるアサンジ関連の情報をリンクする。

 無編集書類をアサンジが無謀に発表したという中傷のうそを暴く
2020年2月26日
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-6f5192.html

ジュリアン・アサンジに対するイギリスのインチキ裁判手続き 2020年2月29日
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-1ab350.html

世界中にメディアの墜落をさらしたアサンジ迫害 2020年2月22日
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-ae2322.html

アサンジに起きていることは我々全員に起きる 2020年2月10日
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-ce06f8.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1049.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/904.html#c4

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
226. 中川隆[-13135] koaQ7Jey 2020年3月03日 20:35:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[394]

教育についての「いつもと同じ話」 - 内田樹の研究室 2020-03-03
http://blog.tatsuru.com/2020/03/03_1212.html


 ある媒体に教育論を寄稿した。あまり人目に触れることのないマイナーな媒体なので、ブログに採録しておく。

 そちらの編集部から教育について寄稿をお願いされたので、「いつも同じ話をしているので、改めて書き下ろすようなことがありません」とお断りしたら、「ありものの使い回しでもいいです」ということだったので引き受けた。でも、さすがに「ありものの使い回し」で原稿料頂くのは良心が咎めて、結局全部書き下ろしてしまった・・・でも、書いている人間は同一人物なので、中身は「いつもと同じ話」である。 

 教育についての個人的意見を記す。

 もう20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えている。20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えなければならないのは、私の主張が同時代日本人の同意を得ることができないからである。だから、以下に私が書くのは「日本社会のマジョリティによって受け容れられていない主張」である。

 私が言い続けてきたのは

(1)学校教育をビジネスの言葉づかいで論じてはならない
(2)学校教育の受益者は集団全体である

 という二点に尽くされる。

 それが日本社会のマジリティによって拒絶されているのは、「学校教育はビジネスの言葉づかいで論じられるべきである」と「学校教育の受益者は個人である」ということがひろく常識とされているからである。常識を覆さなければならないのであるから以下の話はいきおいくどく、長く、わかりにくいものになる。その点をご容赦願いたい。

 最初に学校教育をビジネスの言葉づかいで論じることの弊害について述べる。
「マーケット」とか「ニーズ」とか「費用対効果」とか「組織マネジメント」とか「工程管理」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう経営工学的な用語が教育についての論に繰り返し登場するようになったのは、90年代の半ばからである。歴史的に言えば、91年の「大学設置基準の大綱化」が起点となった。

 もう30年も前の教育行政の転換のことだから、若い人は何のことだか分からないだろう。まずそこから説明を始める。

「大綱化」というのは要するに「大枠だけ決めておくから、細かいところは、それぞれの大学で勝手にやってください」ということである。それがどうして「一大転換」であるかと言うと、それまで文部省は大学について、校地面積や教員数や教育プログラムについて、「箸の上げ下ろし」まで小うるさく規定していたからである。これは「護送船団方式」と呼ばれた。文部省が「戦艦隊」で、それに守られて、非武装の船舶である大学がしずしずと航海する・・・というイメージである。護送されている船舶には航路を選択したり、速度を変えたりする自由はないが、撃沈されるリスクは減ずる。

 それが変わった。戦艦がもう護送任務を行わないと宣言したのである。「これからは各自で好きな航路で進んでくれ」と告げて、船団を離れたのである。これから大学はそれぞれで教育プログラムを自由に決めてよい。もううるさい口出しはしない。その代わり、その個性的な教育プログラムが評価されず、志願者が激減して、大学が潰れても文部省は与り知らない、と。というこの方針もその後なし崩し的に転換されて、今の文科省(2001年から名前が変わった)が「口は出すが、責任は取らない」という「ないほうがまし」な省庁に劣化したことはご案内の通りであるが、それでも91年に最初の転換点があったという歴史的事実に変わりはない。
 どうして文部省がそのような劇的転換を図ったかというと、18歳人口の減少が始まったからである。大学数と大学定員は18歳人口の増大と進学率の上昇を追い風に増大し続けた。しかし、少子化でその勢いが止まった。市場がシュリンクすれば会社は倒産する。明治以来、教育行政の本務は「国民の就学機会を最大化する」ことであった。学校数を増やしていれば誰からも文句が出なかった。それが「学校を減らす」という前代未聞のタスクを負託された。「増やす理屈」は熟知しているけれど、「減らす理屈」を文部官僚は知らなかった。困り果てた文部省がすがりついたのが「市場に丸投げ=自己責任論」であった。

 護送を失って自由航行を始めた船舶のどれが生き残り、どれが沈没するかは一つ一つの船の自己責任である。大学の教学プログラムの適否はこれからは文科省ではなく「市場」が判断する、と。このとき、学校教育への市場原理の導入が公的に認知されたのである。

 大学は「企業」に擬された。志願者は「顧客」で、教育事業は「商品」である。だから、顧客満足度の高い商品を開発し、提供できた企業は生き延びる。それができない企業は潰れる。シンプルな話だ。

 だが、ここにはそれ以上に重大な教育についての発想の転換が含まれていた。

 それまでは「どういう教育が『善きもの』か」という原理的な議論が存在した(戦時中の軍国主義教育も、戦後の民主主義教育も、「学校はどのような国民を育てるべきか」というところから話が始まった)。それが「どういう学校が選ばれるか」という話に変わったのである。

 これからは「売れる商品」が「よい商品」だとルールが変更されたのである。仮に学校が「ジャンクな商品」を提供しても、志願者たちが「欲しい」と言えば、その選択に余人は容喙すべきではない。現に、市場ではカスな商品が好感されて、質の高い商品が見向きもされないというようなことは日常茶飯事である。だから、これからは子どもたち(と保護者たち)は学校にいったい何を望んでいるか? それが最優先の問いとなる。

 だが、子どもたちが消費者気分で学校教育の場に登場すると、学校教育のあり方は一変する。というのは、もし単位や卒業証書や資格が「商品」であるならば、子どもたちがそのために差し出す「代価」には親が負担する学費だけではなく、彼らの学習努力も含まれるからである。「教育サービス・教育がもたらす利得=商品」ならば「学費・学習努力=代価」となる。これは論理の経済が導く結論である。そして、もしそうだとすると、親たちは同じ教育商品を提供する学校が複数あれば、その中で最も学費の安いところを選択するだろうし、同じ理由で、子どもたちは親が選んだその学校を最少の学習努力で卒業しようとするだろう。というのは最も安い代価で求める商品を手に入れることは消費者の権利であるだけでなく、消費者の義務でもあるからである。ここに教育をビジネスの言葉づかいで論じることの根本的なアポリアが存在する。

 ここで言う「学習努力」には勉強だけでなく、教員に敬意を表したり、校則を守ったり、級友たちと適切なコミュニケーションを行うなどの「学習環境を整える」すべての努力が含まれる。だから、消費者として学校教育の場に登場する子どもたちが学習努力を最少に抑制しようとすると、まじめに授業を聴き、教師に敬意を表し、校則を守り、級友たちと穏やかな友情を結び、親密なコミュニケーションを立ち上げるインセンティブは損なわれる。

 もちろん、子どもたちも学校教育がそれなりに「価値あるもの」であることは分かっている。でも、消費者として喫緊の問題は、それをどうやって最少の学習努力=貨幣で手に入れるかなのである。書店に行ったら、『3カ月でTOEICのスコアが100点上がる』という英語の参考書があったとする。買おうとしたら横に『1カ月で100点上がる』という本があった。当然、こちらに手を伸ばす。すると、そのさらに横に『1週間で100点上がる』という本があった。おお、これを買うしかないぜと思ったら、その横に『何もしないで100点上がる』という本があった・・・この本を「選ばないロジック」を消費者は持っていない。同じ結果であれば、最少の学習努力でそれを達することを子どもたちは文字通り強いられているからである。

 同じことを学校も実はしているのである。最近「1年間留学必須」という大学をよく見かける。これは大学にとっては「おいしい」話である。学納金から留学先の授業料を引いた分が大学に入る。何も教育活動をしないで金が入ってくるのである。人件費も光熱費もトイレットペーパーの消費量も、校舎の損耗も25%カットできる。するとそのうち「2年間留学させたらどうか」ということを言い出す人間が出て来る。それなら経費の50%がカットできる。これはよいアイディアだ。すると、それを聞いた誰かが「どうです、いっそ4年間留学させたら」と言い出す。そうしたら、もうキャンパスも要らない、教職員も要らない、コストゼロで大学が経営できるじゃないですか!

 そうなのである。教育機関の利益は教育経費を削減するほどに増大する。理論的には、いかなる教育活動もせず授業料だけ取る時に大学の利益は最大化する。だから、ビジネスマンが大学を経営すると「どうやって教育活動に要するコストを最少化するか」を優先的に配慮するようになるのは理の当然なのである。彼らにとってそれが合理的なのである。しかし、「できるだけ教育活動をしたくない」という人間は教育活動には不向きであるということは誰にでも分かるはずだ。

 2003年の小泉政権時代に特区で認可された「株式会社立大学」というのものがあった。市場の仕組みを熟知しているビジネスマンたちに大学開設の機会を与えたものであった。いざ蓋を開けてみたら、学生はぜんぜん集まらず、株式会社立大学はばたばたと倒産した。

 当然だと思う。倒産は「いかに教育活動をしないで学生たちから金を集めるか」に知恵を傾注したことの論理的帰結だったのであるが、その理路がこの実務家たちには理解できなかったのである。
 
 市場原理を学校教育に適用すれば、学校はできるだけ教育をせず、子どもたちはできるだけ勉強しないように努力するようになる。よい悪いではなく、「そういうもの」なのである。

 もちろん、現実の学校は惰性が強い制度なので、そこまで極端な事態は起きない。今がそうであるように、学校は「そこそこ」教育をし、子どもたちは「そこそこ」勉強する。でも、どの程度の「そこそこ」が適正であるかについて理論的な根拠は誰も知らない。何となく惰性でそうしているだけである。何をどこまで教えたらいいのか、何をどこまで学んだらいいのか、誰もそれを確信を込めて言うことができない。それが日本の現状である。

 多くの日本人はこのことのリスクを理解していない。だから、相も変わらず、「即戦力を育てろ」とか「実用的な知識だけを教えろ」とか「実務経験者を教員に登用しろ」というような手荒な要求が財界や政治家たちから出されて来る。だが、この人たちは実務家主導の株式会社立の失敗をどう総括しているのか、まずそれを聞きたい。先方は「四半期以上前のことなんか誰が覚えているか」と言いたいのだろうが、学校教育の成果は20年、30年後になってかたちをとるのである。15年前のことを忘れるような雑な頭の人間には制度設計は任せられない。

 もう一つ言いたいのは、学校教育を「実務」に即してと主張する人たちが脳内に描いている「実務」の具体的なイメージが工場での製品製造プロセスだということである。工場で缶詰や自動車や乾電池を製造することが産業の主要形態であった時代の生産モデルに基づいて彼らは学校教育を構想している。

 仕様書に従って、規格通りの製品を、納期に間に合うように製造すべく全工程を管理するというのは前期産業社会においては支配的なスタイルだったが、今はもうそういう時代ではない。「シラバス通りに授業をしているか」とか「学士号の質保証」とかいうのは20世紀なかばまでの工場でモノを作っていた時代の用語である。GoogleやAmazonの開発会議で「PDCAサイクルを回して」などと口走ったら、その場は凍り付くことだろう。別に世界トップ企業の真似をしろと言っているわけではない。けれども、「実務家」を自称する人々が半世紀も前の産業形態をモデルにして教育を語っていることに無自覚なのは滑稽を通り過ぎて悲劇である。

 私が子どもだった頃も、教育制度もまた「以前に支配的だった産業形態」をモデルに制度設計されていた。農業である。

 私が生まれた1950年に労働者の50%は農業従事者だった。その比率は以後激減したのだが、にもかかわらず、教員たちも親たちもしばらくは農業モデルで教育を語ることを止めなかった。それは「種子を蒔く、水や肥料をやる、日に当てる、風水害や病虫害から守る、収穫期に『自然のめぐみ』を享受する」という農業用語で教育が語られたということである。私たち子どもは「種子」と見なされていた。先行きどのような果実となるのかは正確には予測できない。なにしろ工程のほとんどが自然に委ねられているのである。太陽の光も、雨量も、イナゴの飛来も、人力ではコントロールできない。だから、何が実るかは分からない。それでも、何が実を結ぶにせよそれは「天の恵み」であって、人間による精密な工程管理の所産ではない。

 実際に、教員たちがガリ版で刷っていた学級通信のタイトルには「めばえ」とか「わかば」とか「みのり」とか植物にかかわる語が頻用されていた。こういうメタファーは「教育とは何か」についての、ある時代に固有のイメージを無意識的に表出している。

 ともあれ、当時の子どもたちは自分のことを「どんなものに結実するかわからない何か」だと思いなすように訓練されていた。だから、「自分探し」などという言葉はなかったし、「自分らしさ」を早く確定して、得意分野に資源を集中しろというようなことも誰も言わなかった。本人も周りも「先行き何になるかわからない」が無言の前提だったからである。その頃は中高生になっても、ぼんやりして、将来何になるのか予想もつかない子どもについては、苦笑とともに「大器晩成」という形容がよくなされた。今はもう死語だ。

 今の学校で子どもたちの自己イメージは「種子」ではなくて、「消費者」である。消費者は登場した瞬間にすでに完成している。変化しないことが前提なのである。消費者というのは「自分が何を欲しているのか知っていると想定された主体」のことである。だから、人間的属性は不問に付される。消費者の成熟など誰も問題にしない。6歳の幼児も80歳の老人も、同額の貨幣を持って店に行けば、「いらしゃいませ」と同じ挨拶を受け、同じ商品が買える。子どもたちを「消費者」と規定する限り、彼らに成長を求めることは論理的に不可能なのである。

 一方、教員たちの自己イメージは「工場労働者」である。仕様書通りに、納期に間に合うように、規格通りの製品を仕上げること、壊乱的なファクターやバグが工程に関与しないように目を光らせることがその本務である。だから、「不良品」が出た場合には教員の管理責任が問われる。農作物のように「日照時間が短かったですから」とか「台風が来て」というような言い訳は通らない。製品の質については「工場」が全責任を引き受けなければならない。ずいぶんな話である。

「現実的である」ということはその時代に支配的な世界観に同期するということである。そうしないといろいろ不便だから、「現実的」であることは必要である。けれども、「その時代に支配的な世界観」はやがて変わる。今、教育関係者が口にしている「ビジネスの言葉づかい」なるものはすでにずいぶん時代遅れのものである。それが無効であることは、日本の学校教育の壊滅的な現状を見ればわかるはずである。

 もう紙数がないので、第二の論点は駆け足で述べる。それは「学校教育の受益者は個人ではなく、集団全体である」ということである。

 学校教育の場に消費者として登場する子どもたちにとって、学校教育は「買い物」である。学校で得られる知識であれ情報であれ技能であれ、あるは資格や免状であれ、それらはすべて「個人資産」にカウントされる。それによって彼らが将来的に高い社会的地位に就き、高い年収を受け取り、レベルの高い配偶者を得ることができるのだとしたら「買い物」に際して他人の財布を当てにすることはできない。「この車買いたいんですけど、お金が足りないので、公金で補填してくれませんか」と言い出す消費者はいない。けれども、学校教育ではそれが通る。

 もし、学校で子どもたちが手に入れるのが「個人資産」であるなら、「受益者負担」の原則を適用して、学校教育に要する全てのコストは受益者たる子どもとその親たちが支弁すべきだということになる。学校教育に税金を投じるべきではないということになる。公立学校も奨学金もあってはならないということになる。教育コストを負担できる家の子どもたちだけが私立学校に通う。貧乏人の子どもが学校に行きたければ、まず働いて、学資を貯めてから行けということになる。


 別に想像を書いているわけではない。18世紀のアメリカに公教育が導入されようとしたときに、実際にこう言って学校教育への税金の投入に反対した納税者たちが少なからず存在した。彼らはこう言った。われわれは努力と才能によって今の地位を手に入れた。だから、個人資産を投じて自分の子どもには学校教育を受けさせている。けれども、何が悲しくて、自分たちほど努力もせず、才能もなかった人間の子どもたちを教育し、われわれの子どもの「競争相手」にすることにわれわれの血税を投じなければならないのか、と。

 そのときに「なるほど、受益者負担の原則に基づけば、学校教育に税金を投じるのは間違ってますね」ということで国民的合意が成っていたら、今でもアメリカは文字が読めず、四則の計算もできない貧しい国民を大量に抱え込んだ「後進国」だっただろう。さいわいそうなっていないのは、口うるさい納税者たちを黙らせて、「学校教育の受益者は個人ではなく、集団全体である」と言い切るだけの常識をアメリカ市民が具えていたからである。

 子どもたちに生きるために必要な知識と技能を教えるのは集団全体の義務である。そんな当たり前のことを今さら声を大にして言わなければならないのは、本当に情けないことである。

 原始時代だって、大人は子どもたちがある年齢になったら、狩猟や漁労や農耕を教えた。「生きる知識と技能の受益者は子どもたち自身なのだから、まず入学金と授業料を耳を揃えて持ってこい、話はそれからだ」というような「せこい」ことを言う大人はいなかった。当たり前である。子どもたちが然るべき時期に生きる知識と技能を身につけることができなければ、遠からずその集団の成員たち全員が飢え死にすることになるからである。

 教育というのは共同体の生き死にのかかった営みなのである。それを「自動車を買う」とか「服を買う」ような行為と同列に論じることがいかに的外れであるか、そろそろ気がついてもよいのではないか。

 というようなことを久しく私は言い続けてきたのだが、耳を貸してくれる人は依然としてまことに少ない。
http://blog.tatsuru.com/2020/03/03_1212.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c226

[近代史3] チャイコフスキー バレエ音楽 『白鳥の湖』
チャイコフスキー バレエ音楽『白鳥の湖』


Peter Tchaikovsky, Berlin Philharmonic, Herbert von Karajan ‎– Swan Lake (Suite)




Swan Lake (Лебединое озеро)
Suite, op. 20a (TH 219)
1. Scène [Act II, No. 10]
2. Valse [Act I, No. 2]
3. Danse des cygnes [Act II, No. 13, Variation III]
4. Scène [Act II, No. 13, Variation V]
5. Czardas: Danse hongroise [Act III, No. 20]
6. Scène [Act IV, No. 29]


Berliner Philharmoniker
(Violin [Solo] – Michel Schwalbé)
Herbert Von Karajan, conducting
1971年1月4・22日 2月17日
ベルリン イエス・キリスト教会


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
DG。「白鳥の湖」「眠りの森の美女」抜粋(以上1971年)、組曲「くるみ割り人形」(1966年)。
何も言うことはない名盤。早くOIBP化されないものか。


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Tchaikovsky / Ernest Ansermet, 1958: Swan Lake - L'Orchestre De La Suisse Romande


In this 1958 recording, the late Swiss conductor Ernest Ansermet (1883-1969) leads L'Orchestre De La Suisse Romande in a performance of highlights from Tchaikovsky's Swan Lake. I created this video from the LP that you see above, issued in 1960 on the London label, serial number CS 6127.


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P I Tchaikovsky – Swan Lake – Ernest Ansermet & L’Orchestre de la Suisse Romande, 1959





エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団
DECCA。1958年11月録音。「白鳥の湖」op.20短縮版。
「悲愴」およびモノラルの「ロココ変奏曲」とカップリングの2枚組オーストラリアEloquence盤。


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Tchaikovsky; Leopold Stokowski - Swan Lake Op. 20 – Selections (1965, Vinyl LP)


“SWAN LAKE”: (Le Lac des Cygnes) – Ballet; Op. 20 – selections
Introduction No. 2
Valse Scene IV No. 5
Pas de deux No. 10
Scene Scene II No. 21
Danse Espanole No. 27
Danses des petit cygnes finale


Leopold Stokowski
the New Philharmonia Orchestra
1965


レオポルド・ストコフスキー指揮ニューフィルハーモニア
DECCA。phase4輸入盤448 950-2。1965年録音。「白鳥の湖」「眠りの森の美女」抜粋。
スイス・ロマンド管との幻想序曲「ロメオとジュリエット」とカップリング。


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Tchaikovsky 'Swan Lake' - Stokowski conducts highlights




NBC Symphony Orchestra
Leopold Stokowski


In 1954-55, Stokowski made several excellent recordings with the NBC Symphony, concurrent with Toscanini's retirement from that orchestra. One LP consisted of an hour's music from 'Swan Lake', one of the greatest ballet scores ever composed. Here are three numbers from Act 2, superbly played and recorded in a first-rate transfer on a 'Cala' Records CD (CACD0543). An essential CD for any Tchaikovsky collection!


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『白鳥の湖』(Лебединое озеро)は、ピョートル・チャイコフスキーによって作曲されたバレエ音楽、およびそれを用いたクラシックバレエ作品。
『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』と共に3大バレエと言われる。
日本では当初、『白鳥湖(はくちょうこ)』と呼ばれ、今でも内々の会話では略称で「はくちょうこ」と呼ぶバレエ団も少なくない[注 2][4]。


初演
1877年3月4日 モスクワ・ボリショイ劇場バレエ団が初演
振付:ヴェンツェル・ライジンガー
台本:ウラジミール・ペギチェフ、ワシリー・ゲルツァー


蘇演
1895年1月15日 サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場バレエ団が蘇演
振付:マリウス・プティパ、レフ・イワノフ
台本:モデスト・チャイコフスキー


楽器編成
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、コルネット2、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ(4個)、大太鼓、小太鼓、タンブリン、シンバル、カスタネット、タムタム、トライアングル、グロッケンシュピール、ハープ、弦五部


演奏時間
全曲版は約2時間半(各55分、30分、45分、20分、23分)
組曲版は約23分。


作品の背景
ドイツの作家ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウスによる童話『奪われたヴェール』を元に構想が練られ、1875年、ボリショイ劇場の依頼により作曲。1876年に完成した。バレエが作られたのはロシアだが、物語の舞台は『くるみ割り人形』と同じくドイツである。


チャイコフスキーにとって初めてのバレエ音楽であるが、初演当時は踊り手、振付師、指揮者に恵まれず、評価を得られなかった。それでもしばらくは再演されていたが、衣装・舞台装置の破損などからいつしかお蔵入りとなり、その後作曲者の書斎に埋もれていた。しかし、プティパとその弟子イワノフによって改造がなされ、チャイコフスキーの没後2年目の1895年に蘇演された。


本作品にはワーグナーのオペラ『ローエングリン』(1850年初演)からの影響が指摘されている[7][8][9]。
両作品で白鳥が象徴的な意味を持つこと[7]、『ローエングリン』の第1幕第3場で現れる「禁問の動機」と『白鳥の湖』の「白鳥のテーマ」との類似性[8][9]、そしてチャイコフスキーがワーグナー作品の中で『ローエングリン』を特に高く評価していたこと[7]が根拠として挙げられている。


あらすじ


おおまかには以下に示すとおり。ただし、振付家や使用する版(後記参照)によって異なることが多く、また下記のうち序奏部は省かれることも多く、更にラストもハッピーエンドとなるか悲劇で終わるか等、さまざまである。


序奏
オデットが花畑で花を摘んでいると悪魔ロットバルトが現れ白鳥に変えてしまう。


第1幕
王宮の前庭
今日はジークフリート王子の21歳の誕生日。お城の前庭には王子の友人が集まり祝福の踊りを踊っている。そこへ王子の母が現われ、明日の王宮の舞踏会で花嫁を選ぶように言われる。まだ結婚したくない王子は物思いにふけり友人達と共に白鳥が住む湖へ狩りに向かう。


第2幕
静かな湖のほとり
白鳥たちが泳いでいるところへ月の光が出ると、たちまち娘たちの姿に変わっていった。その中でひときわ美しいオデット姫に王子は惹きつけられる。彼女は夜だけ人間の姿に戻ることができ、この呪いを解くただ一つの方法は、まだ誰も愛したことのない男性に愛を誓ってもらうこと。それを知った王子は明日の舞踏会に来るようオデットに言う。


第3幕
王宮の舞踏会
世界各国の踊りが繰り広げられているところへ、悪魔の娘オディールが現われる。王子は彼女を花嫁として選ぶが、それは悪魔が魔法を使ってオデットのように似せていた者であり、その様子を見ていたオデットは、王子の偽りを白鳥達に伝えるため湖へ走り去る。悪魔に騙されたことに気づいた王子は嘆き、急いでオデットのもとへ向かう。


第4幕
もとの湖のほとり
破られた愛の誓いを嘆くオデットに王子は許しを請う。そこへ現われた悪魔に王子はかなわぬまでもと跳びかかった。激しい戦いの末、王子は悪魔を討ち破るが、白鳥たちの呪いは解けない。絶望した王子とオデットは湖に身を投げて来世で結ばれる。


メッセレル版以降、オデットの呪いが解けてハッピーエンドで終わる演出も出てきたが、原典とは異なる。


主要曲


序奏
ワルツ〔第1幕〕
情景〔第2幕〕
四羽の白鳥の踊り〔第2幕〕
王子とオデットのグラン・アダージョ〔第2幕〕
ハンガリーの踊り(チャールダーシュ)〔第3幕〕
ナポリの踊り〔第3幕〕
スペインの踊り〔第3幕〕
終曲〔第4幕〕
など


ハープの短い序奏のあと、オーボエがソロで主旋律を吹く「情景」(第2幕・第10曲、第14曲)が、本作品を代表する曲として、特によく知られている。
演奏会用組曲としてしばしば演奏される。


曲目についてはチャイコフスキー没後の1900年に、出版社のユルゲンソンが


情景〔第2幕〕
ワルツ〔第1幕〕
四羽の白鳥の踊り〔第2幕〕
王子とオデットのグラン・アダージョ〔第2幕〕
ハンガリーの踊り(チャールダーシュ)〔第3幕〕
終曲〔第4幕〕


を取り出して出版した組曲版のセレクト以外にも、指揮者によってはまた別の曲を加えた形で演奏される。


チャイコフスキー本人も、1882年には「出来が良いものと考えた曲を選んで組曲を作る」という意思をユルゲンソン宛の手紙で表明していたが、その中では具体的な曲を挙げることはしていない。その後実際にチャイコフスキーがその作業に取り組んだか、またユルゲンソンの組曲版の選択に彼の意思が反映されているのかなどの具体的な証拠は残されていない。


なおクロード・ドビュッシーはその少年時代、チャイコフスキーのパトロンだったナジェジダ・フォン・メックのお抱えピアニストを務め、その際にこの『白鳥の湖』組曲のピアノ連弾版を編曲して、フォン・メック夫人の子供たちと共に演奏した。


たくさんの版
1895年の蘇演以降、多くの演出家によって様々な版が作られた。多くはプティパ=イワノフ版をもとに改訂を施したものだが、ストーリー、登場人物、曲順などは版によってはかなり異なる。ただし白鳥たちの登場する第2幕はプティパ=イワノフ版が決定的な影響力を持っており、イワノフの振付がほとんど原形のまま見られる版が多い。


ゴールスキー版(1933年)
ニコライ・セルゲイエフ版(1934年)
メッセレル版(1937年)
バランシン版(1951年)
ブルメイステル版(1953年)
ヌレエフ版(1964年、1984年)
プティパ版(1952年)
グリゴローヴィチ版(1969年、2001年)
清水哲太郎版新・白鳥の湖(1994年)
マッケンジー版(2000年)
マシュー・ボーンの「白鳥の湖」(1995年)
など


一人二役
通常オデット(白鳥)とオディール(黒鳥)は同じバレリーナが演じる。
見た目ではオデットとオディールでは衣装(オデット=白、オディール=黒)が違うが二人の性格は正反対であり、全く性格の違う2つの役を一人で踊り分けるのはバレリーナにとって大変なことである。オデット/オディール役は32回連続のフェッテ(黒鳥のパ・ド・ドゥ)など超技巧も含まれて、優雅さと演技力、表現力、技術、体力、スピードすべてに高いレベルが要求される役である。


プティパ版初演時、マリインスキー・バレエ団(キーロフ・バレエ団)のプリマ、ピエリーナ・レニャーニが両方踊ったのが定着した。


物語の最後
版によって様々だが大きく2つに分けられる。
一つは、王子とオデットがともに死んでしまう悲劇的な最後。
もう一つは、オデットの魔法が解け王子と2人で幸せに暮らすというハッピーエンド。


初版やプティパ版は悲劇で終わっており、2人は永遠の世界へ旅立っていく(昇天する)。もっとも、悪魔や魔法が実在する世界においては、これも一種のハッピーエンドとして捉えることも可能である。現世で解決するハッピーエンドは1937年のメッセレル版で採用され、ソ連を中心に広まった。


「白鳥」のモデルについて


タイトルの通り、ハクチョウが「白鳥」のモデルであると思われがちだが、大阪音楽大学学長の西岡信雄は本作の白鳥のモデルについて、「ハクチョウはダンスを踊ることはできない。白鳥のモデルは求愛のダンスを踊るツルであり、タンチョウが存在する日本と違って白いツルがいなかったヨーロッパだったので、ツルのダンスにハクチョウの白いイメージをあわせたのではないか」という意見を述べ、実際にツルの求愛のダンスと本作のダンスの刻むリズムが同じであるとの研究成果を述べた[10]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/白鳥の湖

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/941.html

[近代史4] チャイコフスキー

チャイコフスキー


チャイコフスキー バレエ音楽 『白鳥の湖』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/941.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/448.html

[近代史3] チャイコフスキー バレエ音楽 『白鳥の湖』 中川隆
1. 中川隆[-13134] koaQ7Jey 2020年3月03日 23:19:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[395]
ロジェストヴェンスキー

Tchaikovsky - The Swan Lake Ballet + Presentation (Century’s recording : Gennady Rozhdestvensky)






Soloists
Violin : Mikhail Chernyakhovsky
Cello : Victor Simon
Harp : Olga Erdeli
Trumpet : Suren Gevorkian
URSS RTV Large Symphony Orchestra
Gennady Rozhdestvensky
Recorded in 1969, at Moscow


ゲンナジ・ ロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響)(1969年録音メロディア盤) 

全盛期のロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響のコンビの演奏だけあって最高です。
耳をつんざくような金管の強奏と躍動感溢れる切れの良いリズムが快感ですが、一方で情緒溢れるメロディはたっぷりと歌わせてくれます。オーケストラの上手さも特筆ものです。

そして、この演奏でどうしても語らなければならないのが、ミヒャエル・チェルニャコフスキーのヴァイオリン独奏です。
それはもうコテコテのロシア節で土臭く弾いてくれていて味わいが最高です。
元々、この曲の独奏パートはコンチェルトかと思うほどに技術的にも難しく、並みのバレエ楽団のコンマスでは手に負えないのですが、この人はオイストラフかと思うくらいに上手く弾いています。長い独奏部分は、すっかりヴァイオリン協奏曲を聴いているような錯覚に陥ります。こういう演奏を聴いてしまうと、この曲はロシアの楽団以外ではちょっと聴こうという気が起きなくなります。
録音は明瞭なのですが、当時のメロディア・レーベル特有の音の固さが有ります。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-8cf5.html

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Tchaikovsky - Swan Lake Ballet Excerpts - Gennady Rozhdestvensky



LP, Мелодия СМ 02985-6, 1978
Grand Symphony Orchestra All-Union Radio / G. Rozhdestvensky

Soloist, Cello - V. Simon
Soloist, Harp - O. Erdeli
Soloist, Trumpet - S. Gevorkyan
Soloist, Violin - M. Chernyakhovsky

00:00 Introduction
03:00 Pas De Deux (Act 1)
13:40 Scene (Act 2)
16:15 Dance Of The Small Cygnets (Act 2)
17:39 Pas D'Action (Act 2, adapted by A. Tsabel)
24:10 Waltz (Act 1)
31:13 Hungarian Dance (Act 3)
33:42 Spanish Dance (Act 3)
36:12 Neapolitan Dance (Act 3)
38:10 Mazurka (Act 3)
42:00 Finale (Act 4)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/941.html#c1
[近代史3] チャイコフスキー バレエ音楽 『白鳥の湖』 中川隆
2. 中川隆[-13133] koaQ7Jey 2020年3月03日 23:40:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[396]

ゲルギエフ

Swan Lake- Ballet


Orchestra of the Mariinsky Theatre
Valery Gergiev


ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー劇場管(2006年録音DECCA盤)

さすがはゲルギエフで素晴らしい演奏です。録音の優秀さもあって、オーケストラの響きが本当に美しいです。「白鳥の湖」で、これほどまでの美しさで詩情豊かな演奏というのは聴いた記憶が有りません。もちろんチャイコフスキーですので、荒々しいロシア的な大迫力を求めるファンも多いことでしょうが、このいじらしいまでのデリカシーに溢れた演奏に接してしまうと、これはこれで絶対に外すことが出来ません。

但し、全体的にテンポ設定が速いので、不満と言うほどでは無いのですが、幾らかせわしなさを感じてしまう部分も有ります。ヴァイオリン独奏も上手いのですが、割に平凡な印象で、ロジェストヴェンスキー盤の素晴らしさにはほど遠いです。


舞台映像版のDVDについてもご紹介しておきます。

マリインスキー劇場(2006年収録/DECCA盤) この伝統ある劇場の監督であるワレリー・ゲルギエフ自身が指揮をしています。なお上記のCDとは別の劇場収録です。オデットは看板のロパートキナです。彼女は顔立ちが美しいので大好きです。

ゲルギエフの振るテンポは、やはりコンサート向きなので、ダンサーにとっては速過ぎたり遅過ぎたりと随分踊りにくそうな部分が見うけられます。そのために、純粋なバレエ・ファンからは必ずしも評判は良くないようです。けれども僕は純粋なバレエ・ファンでもありませんし、この演奏は大好きです。何といっても、オーケストラが優秀です。

日本で公演を行う場合には、お世辞にもキーロフ管本来のレベルではありませんが、この収録では高い演奏レベルを聴かせてくれます。舞台映像用の「白鳥の湖」で、これ以上の管弦楽演奏はまず望めないでしょう。これほど音楽的に素晴らしい「白鳥の湖」のバレエ公演は有りません。もちろん伝統的な舞台演出も最高で、全体の薄明るく淡い色彩が本当に美しいです。そしてマリインスキーのコール・ド・バレエの素晴らしさ。これは生の舞台に接すると本当に言葉にならないのですが、DVDでも充分にその美しさを味わえます。

演出も最後に王子が見事に悪魔を倒してハッピー・エンドとなるオーソドックスな終わり方なので安心。この素晴らしいDVDは、普段バレエを見ないクラシック音楽ファンにこそ是非観て頂きたいお薦めです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-8cf5.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/941.html#c2
[近代史3] チャイコフスキー バレエ音楽 『白鳥の湖』 中川隆
3. 中川隆[-13132] koaQ7Jey 2020年3月03日 23:48:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[397]

クラシック音楽 一口感想メモ
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky、1840 - 1893)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/チャイコフスキー


甘美なメロディーの素晴らしさ、よく鳴るオーケストレーション、演劇的な効果の高いパッセージの使い方は天才的。

曲がドイツ的な動機の労作による構築物ではなく、メロディーの線を主体にした音楽の作りであるため、ドイツ系が好きな人には物足りなかったり、飽きが早いのかもしれない。しかし、計算を感じさせないほど完璧な計算の元に、フレーズやメロディーや和声の組み合わせをピッタリと絶妙にかみ合わせることで、高い演奏効果をあげて聞き手を感動させる能力は驚異的だと思う。

各ジャンルに傑作を残した大作曲家である。


交響曲

交響曲第1番ト短調作品13「冬の日の幻想」(1866,1874)
2.0点
メロディーや発想が陳腐で音の絡みもいまいち。後年の天才が発露しておらず、マイナー作曲家の書いた交響曲のようだという印象が拭えなかった。いい楽章は特にない。

交響曲第2番ハ短調作品17「小ロシア」(1872,1879)
3.5点
1番とは違いチャイコフスキーらしさが現れている音楽。劇的な表現、音の絡め方など、彼らしい手法がはっきり現れていて聞きごたえがあり、三大交響曲に近い充実した内容を持っている。最終楽章が特に好き。

交響曲第3番ニ長調作品29「ポーランド」(1875)
3.0点
それなりに良いが、2番のように充実している感動的な曲ではない。円熟に入りつつある書法であることは感じられる。どの楽章も際立ったものを感じるほど良いものではなかった。

交響曲第4番ヘ短調作品36(1877-78)
4.0点
三大交響曲の一つで人気があるが、3楽章がピチカートの間奏曲だったり、4楽章が珍しいほどの高速フレーズだったりかなり実験的な曲だし、5番と6番より内容は少し劣ると思う。

マンフレッド交響曲作品58 (1885)
2.0点
長すぎて辛い。どこかもっさりしていて、はっきりとしたイメージが湧きにくく、標題音楽としてもイマイチ。オーケストラの使い方はチャイコフスキーらしい素晴らしさではあるが、何だか暑苦しくて疲れる。

交響曲 第5番ホ短調作品64(1888)
4.5点
運命の主題が循環的に使われているのが印象的。6番に近いほどの充実感と印象的なフレーズに満ちている。交響曲としての造形性やまとまりでは上かもしれない。

交響曲 第6番ロ短調作品74「悲愴(Pathétique)」 (1893)
5.5点
人生の最後の頂点に達したといえる最高に素晴らしい交響曲。チャイコフスキーの集大成のような名作であり、オーケストレーション力と劇的な表現力とメロディーメーカーとしての総合力が最高に発揮されている。

1楽章が特に素晴らしく、ダイナミックさと切迫感の第一主題もよいし、人生の回想と憧憬の感が強く心をうつ第二主題は一度聴いたら忘れられない。

2楽章は5拍子が有名曲では珍しくて効果的。メルヘンチックさに深みが加わった素敵さ。

3楽章は勇壮さが痛快な曲であり、バレエ音楽の大家らしい曲でよい。

4楽章は沈鬱な悲しみにくれるような曲なのだが、最終楽章をこのようにするアイデア自体が大変効果的であり天才的発想とセンスであるとともに、音楽自体も魅力的である。それまでのダイナミックさや幻想性と、4楽章で現れる静寂や終焉の現実の強烈な対比は非常に効果的である。

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)

ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23 (1874-75)
5.5点
冒頭のメロディーとピアノの豪華絢爛さは筆舌に尽くしがたいほどであり、圧巻の一言である。主要部分は、オーケストラが盛り上げたパワーを、ピアノが全力で受け継いだり、オーケストラとピアノがかけあいしながら盛り上げたりといったダイナミックさが、他のピアノ協奏曲とは段違いである。どちらがより盛り上げられるか競争しているかのようだ。

2楽章は疲れを癒す田園的なのどかさが心地よく、メロディーも雰囲気も素敵。

3楽章は戦い再びであるが、ロンド形式の醍醐味である主題に戻ってはまた違うタイプの盛り上がりを作るという展開のめまぐるしさが楽しい。ゴージャスに盛り上がる最後は楽しい。チャイコフスキーの独特の和音を重ねるピアノ書法は、ピアノ的でないため弾く人は大変だろうが独特の豪華さを産んでいて効果的である。

ピアノ協奏曲第2番ト長調 作品44 (1879-80)
3.3点
1楽章はまったく魅力のない冒頭(笑)をはじめ、メロディーの魅力はほとんどないが、チャイコフスキーの独特のピアニズムが生み出す豪快な華麗さやカタルシスは1番と同様である。その豪快さの埋め合わせか、2楽章は室内楽的に始まるのだが、甘すぎる程に甘いメロディーで酔わせる。3楽章はメロディーの魅力こそ無いが、独奏ピアノとオーケストラのバランスが素晴らしく、協奏曲としての出来がかなり良い。

ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 作品75 (1893)
2.5点
本人が完成させられたのは1楽章のみ。交響曲を改作したもの。協奏曲らしいピアノと管弦楽の対決が曲の推進の原理となる発想が少ない。ソロも管弦楽曲の一部のようにメロディー主体となる場合が多い。しかし、メロディーはあまりパッとしない。一流の作品とはいえない。

ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲ト長調 作品56 (1884)
3.0点
全2楽章30分。幻想曲と呼ぶに相応しい自由さで、ピアノ協奏曲が自由に展開していく。愛らしい主題と華やかなピアノ技巧の楽しさは悪くない。中間がソロなのは面白い。2楽章は活力があり様々な表情が面白い。両楽章とも素材として一流作品ではないにしても、彼の良いところは出ており、しかも構成とピアノ協奏曲としての素材の自由さや目新しさが楽しいので聴く価値はある。

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35 (1878)
5.0点
1楽章の活発で伸びやかな雰囲気と自由闊達なヴァイオリンの魅力はかなりのもの。

2楽章は柔らかくて甘美な回想的な楽章で、雰囲気が良いとともに伸びやかさがあるのが印象的。

3楽章は第1主題も第2主題も印象的で、民族舞曲のノリの良さと、粘っこいテーマの気分転換が楽しい。

全体にブラームスやメンデルスゾーンほどの神がかった完成度ではないが、同じ位に充実した魅力作と思う。

ロココの主題による変奏曲(チェロと管弦楽のための) イ長調 作品33 (1877)
4点
舞台音楽的な明確な表情がある。変奏曲は変奏の妙を楽しむ感じではなく、移り変わる場面の転換のために効果的に使われている印象である。チェロは甘く、オケと一体化しつつも独創として効果的に使われていて、楽器の魅力を存分に楽しむ事が出来る。

奇想的小品(チェロと管弦楽のための) 作品62 (1887)
3.0点
チェロの小品。チェロが技巧的であり音数が多くて、かつ渋くて格好いい。曲が独特の民族的?な雰囲気があるので楽しい。


バレエ音楽

本質的に舞台音楽の劇的な造形を得意とし、メロディーメーカーのチャイコフスキーにベストマッチしたジャンル。

「白鳥の湖」 作品20(1875年 - 1876年)
4.5点
文句無しに情緒的で素晴らしい。

「眠れる森の美女」 作品66(1888年 - 1889年)
4.5点

「くるみ割り人形」 作品71(1891年 - 1892年)
5点
他の作曲家ならベスト曲集になりそうなくらいの名品揃い。しかも明るくてドリーミーな所がいい。

その他の管弦楽曲

序曲「雷雨」 作品76 (1864)
2.5点
ごく初期の作品であり、まだ色々と未熟な感があるものの、劇的な表現や甘美さなど既にチャイコフスキーらしい才能が現れていて興味深い。

幻想序曲「テンペスト」 作品18 (1873)
4.0点
初期曲だが劇的な表現や美しいメロディーなどすでにチャイコフスキー独自の他の追随を許さないレベルに達している。長めだがかなり良い。

交響的バラード「地方長官」作品78 (1890-91)
3.0点
何かの遠い昔の物語を音にしたような音楽。ファンタジーのように聞こえる箇所もある。チャイコフスキーにしては流麗なスマートさに欠ける、引っかかっては進むような変わった音楽である。面白いといえば面白いが、駄作と思う人も多そう。

組曲 「くるみ割り人形」 作品71a (1892)
4.5点
ポピュラー音楽のベストアルバムのようなキャッチーな名メロディーの曲ばかりですごい。

幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1869,70,80)
4.5点
第2主題がもう涙が出そうなほどの名旋律で素晴らしくて感動してしまう。この甘く切ないメロディーを何度も聞かせてうっとりさせる手腕は本当に天才的である。その後の盛り上げ方も素晴らしく劇的で効果的で、しかも無理が無く自然。最後の名残惜しそうに終わる場面も感動的。ものすぎくいい曲。

幻想序曲「ハムレット」 作品67a (1888)
3.3点
チャイコフスキーが本格的に精魂込めて書いただろうと推測。幻想的でロマンチックな激情や悲劇的な物語を、劇的なオーケストレーションで描くことに成功している。しかしながら、メロディーはやや美しいが、彼の有名作品と比較すると、印象に残らない。

幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 作品32 (1876)
3点
長すぎるし、チャイコフスキーらしいメロディーの冴えも感じられず、彼にしてはそこまでの作品と感じられなかった。

序曲「1812年」 作品49 (1880)
3.3点
大砲をドカンとやることで有名な曲。大規模な序奏に始まり、メロディーの鮮明な対比をさせながら、最後のドンチャン騒ぎに持っていく。外面的な曲だが聞き応えはある。

弦楽セレナーデ ハ長調 作品48(1880)
3.5点
優美なセレナードではなく、交響曲に近いような力強い作品。どの楽章も内容が豊富である。あえていえば弦楽合奏ではもったいない豪華な曲なので管楽器の音も欲しくなるのが欠点か。

イタリア奇想曲 作品45 (1880)
4点
前半も後半も好き。舞台音楽的な冴えと見せ場の作り方がさすが。

スラヴ行進曲 作品31 (1876)
3.0点
前半で繰り返される行進曲の主題はあまり魅力がない。後半のド派手な盛り上げ方はさすがと思う。

組曲第1番 ニ短調 作品43 (1878-79) (全6曲)
3.0点
管弦楽組曲は評価が低いが、それはチャイコフスキーの他の管弦楽曲が素晴らし過ぎるからであり、この曲も十分に楽しめるものだ。バレエ組曲のような軽さとバラエティーの豊さであるが、フーガが使われたり独自性もある。後のくるみ割りに繋がるような行進曲など楽しい発見もある。とはいえ、密度の濃さや天才的霊感において他の作品と比較すれば欠けているのは否めない。

組曲第2番 ハ長調 作品53 (1883) (全5曲)
3.5点
1番よりも音が活き活きとしていて表情豊かであり、美しい情景描写のような場面も多く、優れているような気がする。バレエ組曲の路線で次に聴く作品としていいのでは。娯楽作品として気楽に聴ける。最後の曲がイマイチで尻切れトンボの感最後があるが。

組曲第3番 ト長調 作品55 (1884) (全4曲)
2.5点
交響曲だったら主題の間の「つなぎ」の部分に使われそうな場面ばかりに思える。最後の長大な変奏曲はそれなりに聴かせる作品ではあるが、散漫さは否定できない。交響曲の形式や、序曲やバレエの表題の制約を外しての作曲が、それに見合う成果を挙げられず失敗している印象。

組曲(第4番)ト長調「モーツァルティアーナ (Mozartiana)」作品61 (1887) (全4曲)
3.3点
2曲目がモーツァルトっぽいけれど、微妙に完全コピーではない(笑)3楽章は優美でうっすらとした憂愁と懐かしさが心地よい。後半は明るくてチャーミング。娯楽性が高くて自由な曲なので、チャイコフスキーが気楽な気持ちで書いたのだろうと思わせる。

幻想曲「運命」 作品77 (1868)
2.0点
チャイコフスキーらしい管弦楽による劇的な表現に満ちているが、それだけである。長いのに内容が無いしまとまりがない。割と長い曲だが、それに見合ったものがない。


室内楽曲

弦楽六重奏曲ニ短調 作品70「フィレンツェの想い出(Souvenir de Florence)(1887-92)
3.5点
長い曲。チャイコフスキーにしてはまあまあと思う。駄作ではない。

弦楽四重奏曲第1番ニ長調 作品11(1871)
3.5点
チャイコフスキーの弦楽四重奏曲ではこれが1番有名。室内楽っぽく無いけど、メロディーが良いので忘れ難い。

弦楽四重奏曲第2番ヘ長調 作品22(1874)
3.8点
変則リズムの2楽章はかなり印象的。民族的な香りもして、一度聞いたら忘れられない。3楽章は深みがある響きでかなり良い。4楽章の力感の出し方も良い。魅力的な序奏ではじまる1楽章も悪くない。1番より知名度が落ちるらしいが、この曲は名曲と言ってよいだろう。

弦楽四重奏曲第3番変ホ短調 作品30(1876)
2.5点
あまり弦楽四重奏という感じがせず、どちらかというと管弦楽に近い感覚で書かれている。哀悼の意を表した曲。長大で悲しみが表現された1楽章が全体的に冴えておらず面白くない。2楽章も突き抜けずいまいち。3楽章はかなり暗い長大な葬送音楽。心に訴えかけるものがあり聴きがいのある楽章。4楽章は気持ちの晴れたような明るい曲で、頑張っているが物足りない。

ピアノ三重奏曲イ短調 作品50「ある偉大な芸術家の思い出のために」(1882)
3.0点
長くて構成が特殊で全体的に曲が掴みにくい。。何度か聴いたが、メロディーは1楽章の一部の主題以外はそれほど魅力を感じないし、2楽章の変奏もあまり優秀と思えず、チャイコフスキーの中では名曲に分類される方の作品とは思えなかった。

なつかしい土地の思い出(ヴァイオリンとピアノのための) 作品42 (1878)


ピアノ曲

四季(12の性格的描写)-作品37bis (1875-76)
4.5点
1月-炉端にて 2月-謝肉祭 3月-ひばりの歌 4月-待雪草 5月-五月の夜 6月-舟歌 7月-刈り入れの歌 8月-収穫の歌 9月-狩りの歌 10月-秋の歌 11月-トロイカ 12月-クリスマス

小品集。12曲全曲が霊感が感じられる印象的な曲であり、天才をいかんなく発揮している。バラエティーに富んでおり、曲の並びも良いので通して聞いても楽しめる。このためピアノ曲といってもかなり華がある。おとぎ話のような夢見るような雰囲気の曲が多いのが特徴。

1曲目
愛らしくて夢見るような曲で大変魅力的
2曲目
踊るような活発さがいい感じ
3曲目
憂愁をたたえたエキゾチックな音階
4曲目
憂愁とドリーミーの融合
5曲目
静かで詩情豊かな曲
6曲目
憂愁を湛えて分かりやすいもの。この曲は他より有名だが、出来は同様と思う。
7曲目
花畑のようなふんわりした美しい佳曲
8曲目
激しいテーマと穏やかな中間の対比が強烈で面白い。特に中間は秀逸
9曲目
行進曲のようなノリのよい曲
10曲目
夜想曲のようなメランコリックなメロディーが印象的
11曲目
どこかで耳にしたことがあるような5音階のメロディーが有名な曲。
12曲目
曲集を締めくくるのに最適なチャイコフスキーらしいワルツ。

ピアノソナタ 嬰ハ短調 作品80 (1865)
3.3点
最初の大作。若者の志と気合が伝わってくる。ロマン派の甘美さを多分に持ちつつも、巨大に構築された作品であり、なかなかの手応えがある。まだ天才的ではなく未熟なのかもしれないが、ロマン派のピアノソナタという希少さの中では一定の地位を獲得していてもおかしくないような大作と思う。すでに、25歳であり一定の成熟感がある。

ピアノソナタ ト長調 作品37 「グランドソナタ」 (1878) -
2.5点
4楽章構成。この曲は期待して聴いてがっかりした。ハッとする場面は所々あるがチャイコフスキーの中では駄作だろう。

「ドゥムカ」ハ短調 作品59 (1886)
3.8点
「ロシアの農村風景」という副題を持つ。民族的なカッコ良さと渋さと、家庭的な温かさがあり、かなり雰囲気の良いピアノ曲。約8分の長さも飽きずに楽しめる。途中でリストのハンガリー狂詩曲のフリスカにそっくりの場面が出て来るのが面白い。

6つの小品 作品51 (1882)
3.0点
それなりの曲が並んでいる。音楽の水準としては、メンデルスゾーンの無言歌集より少しだけ落ちるくらいか。決して悪くはない曲集ではあるが、チャイコフスキーらしい光るものや強靭な発想力は少ない。旋律の魅力も彼にしては平凡である。そうなるとピアニスティックでないのが気になってしまう。最後の曲だけは中間部も含めてかなり良い。スラブ的な憂いが素敵だ。

18の小品 作品72 (1893)
3.5点
曲数が多いうえにどの曲もそれなりの規模と世界観を備えている。最晩年の作品であり、音楽的な成熟した豊かさはなかなかである。四季ほどキャッチーな個別の曲の個性の強い主張はないのだが、どの曲も価値ある良い曲だと素直に思える。大作を書く合間に湧き上がってきた楽想を使ったものだと思うが、そのずば抜けた発想力には感服する。もう少しピアノの表現力の限界を攻めて全身全霊をかけて曲に魂を込めた感があればシューマン作品位にメジャーなピアノ曲集になれた可能性もあったと思う。情緒的な曲が特に心に染みる。そういう数曲に限れば4.0点でもいいくらいだ。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/チャイコフスキー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/941.html#c3

[近代史4] 北海道に移住してはいけない 中川隆
2. 中川隆[-13137] koaQ7Jey 2020年3月04日 10:47:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[395]

日本政府は行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にしようとしている
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/522.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/447.html#c2
[リバイバル4] アイドルの起源は軍隊だった? 戦意高揚で女優を偶像化

2020年03月04日
アイドルの起源は軍隊だった? 戦意高揚で女優を偶像化


アイドルは軍にとって理想の女性を象徴するイメージ


引用:http://tema.in.ua/images/galery/merilin_2.jpg


アイドルと軍隊の切れない関係

世界では多くのアイドルが存在していて、とりわけ日本には多くのアイドルが活動している。

世界最初のアイドルは1920年代のバブル期にアメリカで始まったらしく、大戦後に本格的隆盛が始まった。

そしてアイドルが大量に生まれる前夜の第二次大戦で、アイドル達がしていた活動に注目せざるを得ない。




外国の事は良く知らないので日本の資料を漁ると、戦前から日本の映画女優はアイドルっぽい活動をしていた。

原節子・高峰秀子・岸恵子・南田洋子・佐久間良子など、平成の時代まで長く活躍した大女優の多くが、戦前デビューだった。

映画の少女役でデビューして人気女優になると歌を歌ったりして、大人になると本格派女優と呼ばれるようになる。


その過程で起きたのが日中戦争と第二次大戦で、ある理由で日本政府は彼女達を必要としました。

日中戦争で大陸に出兵した人だけで100万人、終戦時に外地に出兵していた人たちは350万人も居ました。

日本本土に居た兵士は45万人、戦闘でなくなった軍人軍属は200万人以上でした。


この600万人以上の軍人軍属が家や出身地を離れて従軍したのだが、戦意高揚は重大なテーマだった。

軍隊と言えば、命令する、怒鳴る、なぐるを連想するが、それだけでは巨大組織をまとめる事はできない。

そこで日本軍が目を付けたのは若い女優達で、兵士達の心の拠り所として利用する事にした。


こういうポーズのアイドルは今も見かけるような気がする
51xz-x1X3bL
引用:http://ecx.images-amazon.com/images/I/51xz-x1X3bL.jpg

軍が求めたアイドルのイメージ

日本軍だけではなく米英や独伊、ソ連などもそれぞれ祖国の音楽をラジオで流したり、女優や俳優を戦意高揚に利用しました。

アメリカ最大のアイドルはマリリンモンローですが、戦場の兵士慰問に熱心でした。

現代のミュージシャンらも、中東の米軍基地を時々慰問活動したりしていました。


話を日本に戻すと日本軍や政府は戦意高揚のために映画製作を奨励したが、必ずしも戦争物だけではなかった。

兵士だって飽きるので青春映画とか恋愛物とか娯楽映画などが多く、映画会社もある意味潤った。

有名なのは芸名「李香蘭」こと山口淑子で、日本占領下の大陸で生まれたので中国語が話せた。


李香蘭として多くの映画に出演し、トップ女優になったが、敗戦後は戦争協力者として非難されたりした。

戦後に大女優になった戦前デビューの女優達は、だいたいこんな風に軍に重用されたりして人気女優に育った。

戦時中や戦前にも映画雑誌や芸能雑誌が存在し、人気女優の写真やインタビューなどが掲載されていました。


それだけでなく、軍部がアイドル雑誌を発行させて兵士に配ったりもしていました。

「慰問雑誌」と呼ばれる軍が作ったアイドル雑誌は、アイドルの写真ポーズやインタビューが驚くほど現代と似ている。

美人よりはかわいい系が多く、ピュアな感じで受け答えは模範回答で、最近のアイドルに似た感じの人もいる。


軍発注のアイドル雑誌を作っていたのは今も存在する文芸春秋や講談社で、アイドル達は映画女優だったので映画会社に所属していた。

戦後は映画からテレビに主役が移り、アイドル達は映画会社から芸能事務所所属になって、大ブームを起こしていく。

その活動の基本形が作られたのは戦前デビューの女優達で、戦時中の軍部が求めた「清楚で健康な若い女性」というイメージだった。


その裏には兵士達が求める理想の女性像を作り、兵士達の心をまとめ、戦意高揚させるという重大な使命があった。

http://www.thutmosev.com/archives/65044467.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/136.html

[近代史4] アイドルの起源は軍隊だった? 戦意高揚で女優を偶像化

アイドルの起源は軍隊だった? 戦意高揚で女優を偶像化
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/136.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/449.html
[近代史4] 超絶人気の名曲喫茶ネルケンのマダム _ クラシック・ファンが本当に求めているのは…

超絶人気の名曲喫茶ネルケンのマダム _ クラシック・ファンが本当に求めているのは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/281.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/450.html
[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
133. 中川隆[-13136] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:37:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[396]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c133

[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
100. 中川隆[-13135] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:37:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[397]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c100

[リバイバル3] 3万円のドイツ製プロ用パワーアンプ thomann S-75mk2 と数百万円のハイエンドアンプとでは電源ケーブルを変えた位の差しか出ない 中川隆
29. 中川隆[-13134] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:38:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[398]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/983.html#c29

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
11. 中川隆[-13133] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:39:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[399]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c11

[リバイバル3] 原音とは何か? 中川隆
13. 中川隆[-13132] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:40:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[400]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html#c13

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
52. 中川隆[-13131] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:42:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[401]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c52

[リバイバル3] CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic _ ティム・デ・パラヴィチーニの世界 中川隆
61. 中川隆[-13130] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:43:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[402]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/853.html#c61

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
117. 中川隆[-13129] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:43:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[403]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c117

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
132. 中川隆[-13128] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:44:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[404]
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c132

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
25. 中川隆[-13127] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:55:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[405]
>>24
一番古い録音はこれでしょうか:





An audio aid to deciphering the famous 1889 Brahms recordings.

On 2 December 1889 Brahms recorded two pieces on an Edison cylinder: a short version of his Hungarian Dance no.1 and an extract from Josef Strauss's Polka-Mazurka 'Die Libelle' ('The Dragonfly') Op.204. The voices of both Brahms and the engineer, Theo Wangemann, can be heard at the beginning of these recordings (as later documented by the son of Dr Fellinger, at whose Viennese house the recording session took place).

This video contains 4 versions of each piece of music, to help decipher the sound on what are now extremely deteriorated, though remarkable, recordings.

________


Johannes Brahms. Talks and Plays. Best Sound. Edison Phonograph





Here is my article about this recording in English: http://www.cylinder.de/deeplink_resou...
Wangemann spricht den ersten Teil der Ansage: "Dezember 1889." Danach wird die Aufnahme unterbrochen und eine andere Stimme fährt fort: "Haus von Herrn Doktor Fellinger, bei Herrn Doktor Brahms, Johannes Brahms." Vielleicht sprach Wangemanns Assistent Devrient diesen zweiten Teil. Dies würde den Unterschied gegenüber der von Richard Fellinger in seinen Memoiren überlieferten Ansage von Brahms erklären, welche durch den Phonographen offenbar nicht aufgezeichnet wurde.

Unmittelbar nach der Ansage beginnt Brahms den Ungarischen Tanz No. 1 in g-Moll und eine Fantasie über die Mazurka "Die Libelle" von Johann Strauss zu spielen.
Als Tonquelle für das Youtube-Video wurde eine Überspielung der Brahms Walze auf Schellackplatte, aufgenommen am 23. Januar 1935 im Tonstudio der Firma Lindström, verwendet. Im Jahr 1935 wurde leider nur der Ungarische Tanz überspielt, die Lindström-Platte ist jedoch das besterhaltene Tondokument von Brahms' Klavierspiel.

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c25
[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
26. 中川隆[-13126] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:57:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[406]
一番古い録音はこれでしょうか 2:

Beethoven - the first recording (1889)




A listening aid to the very first recording of Beethoven's music, the Romance in F major, Op.50, recorded September 13 1889: alongside the original (played by Herr Krahmer and Herr Schmalfuß), are two other performance extracts (played by Louise Chisson, recorded 2010, and Jascha Heifetz, recorded 1951).

For more information on the violinist Louise Chisson visit

http://www.louisechisson.com

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c26
[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
27. 中川隆[-13125] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:01:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[407]

1) 蓄音機・電蓄と劇場用 PAスピーカー

@ 蓄音機
・ Victor Talking Machine Company Victrola Credenza (1925)
・ HMV HMV203 (1930)

▲△▽▼

A 電蓄(All Electric Phonograph)
・ アメリカ ジェネラル・エレクトリック(GE)の Chester W. Rice と Edward W. Kellogg が紙を振動板にしたコーン型スピーカーを考案 (1925)
・ Brunswick Panatrope with Radiola PR-6 (1926-27)
(Rice & Kellogg が世界で最初に考案した6インチ コーン型スピーカーを搭載)
・Decca Decola (1947) : モノラル仕様, スピーカー Goodmans×3, 出力管 PX25(Osram)×2
・Decca Decola (1953) : モノラル仕様, スピーカー Tannoy 同軸型ユニット, 出力管 PX25(Osram)×2
・Decca stereo Decola (1959) : ステレオ仕様, スピーカー EMI, 出力管 EL34(MULLARD)×2

▲△▽▼

⓷ 蓄音機の系統の劇場用 PAスピーカー
・ Western Electric WE551 Driver
http://mikami.a.la9.jp/audio/551/551.htm

・ Western Electric WE555 Driver (1926)
http://mikami.a.la9.jp/audio/starplayer/starplayer.htm
http://mikami.a.la9.jp/audio/we555_r1/we555_r1.htm
http://mikami.a.la9.jp/audio/we555_r2/we555_R2.htm
http://mikami.a.la9.jp/audio/expr2023/expr2023.htm


・ G.I.P.Laboratory GIP-555 - 555W : WE555 ドライバーのレプリカ
http://www.gip-laboratory.com/seihin555.html

G.I.P.Laboratory Western Electric WE555 のレプリカ・ドライバーを使ったスピーカーシステム

@) G.I.P.Laboratory GIP-12A horn system : Western Electric WE555 のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1143 × H:1715 × D:1194, 片チャンネル重量 92kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin12system.html

A) G.I.P.Laboratory GIP-30154 horn system : Western Electric WE555W のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1735 × H:1336 × D:660, 片チャンネル重量 280kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin30154hornsystem.html

▲△▽▼

C 劇場用 PAスピーカー

・ Western Electric 594A Driver (1933)
http://mikami.a.la9.jp/audio/we594a/we594a.htm?.tok=bcwjY6SBu.hmxIxe&.dir=/594A&.src=ph
http://mikami.a.la9.jp/audio/24a594a/24a594a.htm
http://mikami.a.la9.jp/audio/freqadjust/freqadjust.htm

・ G.I.P.Laboratory GIP-594A : WE594A ドライバーのレプリカ
http://www.gip-laboratory.com/seihin594.html


G.I.P.Laboratory Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバーを使ったスピーカーシステム

@) G.I.P.Laboratory GIP 7396 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1735 × H:1336 × D:660 , 片チャンネル重量 280kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin7396system.html


A)G.I.P.Laboratory GIP-7331 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法 : W660 × H1130 ×D950, 片チャンネル重量 100kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin7331system.html


B) G.I.P.Laboratory GIP-7003 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法 : W1410 ×H1150 ×D1097
http://www.gip-laboratory.com/seihin7003system.html


C) G.I.P.Laboratory GIP-5003 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
6〜10畳のリスニングルーム用
http://www.gip-laboratory.com/seihin5003system.html

・ ALTEC LANSING The Voice of the Theater A5system (1945)
・ ALTEC LANSING The Voice of the Theater A7system (1954)
・ ALTEC LANSING 615B (1968)
・ Western Electric LONDON 2080-A、2090-A
・ VITAVOX BASS BIN (1980年)
・ Klangfilm Europa Junior
・ Klangfilm Eurodyn
・ Siemens Wide Angle

適合アンプは Western Electric, Westrex, Klangfilm, Telefunken の真空管アンプ

▲△▽▼

2) 劇場用 PAスピーカーを家庭で使える様に変更したスピーカー

@ Western Electric の系統

・Western Electric 755A (1947) : インピーダンス 4Ω, フィックスドエッジ, 列車の車内放送用として開発, 建物の壁や天井に埋め込んで使用する
http://mikami.a.la9.jp/audio/we755a/we755a.htm

・Western Electric KS-14703 (1950) : インピーダンス 4Ω, フィックスドエッジ, ALTEC でアッセンブルした 755A 同等品
http://www.jupiteraudio.com/2145/2145.html

・ALTEC LANSING 755A (1954) : KS-14703 でインピーダンス を 4Ω から 8Ωに変更

・ALTEC LANSING 755B (1954) :インピーダンス 8Ω, 755A のフィックスドエッジからフリーエッジに変更

・ALTEC LANSING 755C (1963) : インピーダンス 8Ω, 755B のアルニコマグネットをフェライトマグネットに変更

・ALTEC LANSING 755E (1968) : インピーダンス 8Ω, フリーエッジ, フェライトマグネット
通称”パンケーキ”
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/c003aa45613620602ef65da5e4ed65f5

・ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) LM 755A (2012) : Western Electric 755A の粗悪なレプリカ, 12万円・ペア/税抜
中国 Line Magnetic社製
(WE755A が KSランドセル(KS12046)ボックスと組み合わされた事は過去には無い)
https://www.kit-ya.jp/products/detail/723

・JENSEN G-610B Triaxial (1950年代頃)
・Electro-Voice Patrician 800 (1950)
・Electro-Voice Georgian (1950年頃)
・Electro-Voice Baronet (1952)
・JBL D130(1948)
・JBL LE15A (1962)
・JBL LE8T (1962)

・ JBL Hartsfield D30085 初期型 (1954) : 2 wayシステム, ドライバー 375SIG + ウーファー 150-4C
・ JBL Hartsfield D30085 中期型 (1959〜1963) ; 3 wayシステム, ドライバー 375SIG + ウーファー LE15A + トィーター 075
・ JBL Hartsfield D30085 replica 1 (1970年頃) : 外見だけ同じで中身は別物
http://island.geocities.jp/umanose8818/harts/hartsfield.html

・ JBL Hartsfield D30085 replica 2 (2017) ケンリックサウンド復刻版 : 630万円・ペア/税抜
http://jbl43.com/?pid=57641713

・JBL Paragon D44000 (1957)
http://audio-heritage.jp/JBL/speaker/paragon.html
http://fukuroo3.com/paragon1.html
http://fukuroo3.com/paragoninfo.html
http://fukuroo3.com/paragon55.html

・ JBL Paragon D44000 replica (2013) ケンリックサウンド復刻版 : 548万円・税抜
http://jbl43.com/?pid=49469572

・JBL Olympus (1960年)
・BOZAK B-410 Moorish The Concert Grand (1951)
・BOZAK B-4000 Symphony No1 (1966)

適合アンプは Marantz, Machintosh の真空管アンプ

▲△▽▼

A Western Electric LONDON の系統

・Goodmans Axiom80 prototype (1934) : 軍事施設内での PA用スピーカーユニット
・Goodmans Axiom80 origina (1948) : E.J.Jordan が Axiom80 をオーディオ用に転用する為に ARU付エンクロージャーを開発し、再生産
・Goodmans Axiom80 replica 1 (1970年代) : 補修部品で復刻。オリジナルと同等のコーン紙を使用している。
・Goodmans Axiom80 replica 2 (1984) : オーディオ・ニックスで復刻(約1000本)。 カンチレバーの材質(ベークライト)を変更、コーン紙はオリジナルより厚くしている。

・VITAVOX CN-191 Corner Horn (1947)
http://audio-heritage.jp/VITAVOX/speaker/cn-191.html

・VITAVOX CN-191 Corner Horn 復刻版(2012) : 400万円・ペア/税抜
http://www.imaico.co.jp/vitavox/
https://audiodripper.jp/vitavox-cn191-used


・PARMEKO LS/1
・Tannoy Monitor Black (1947〜53)
・Tannoy Monitor Silver (1953〜57)
・Tannoy Monitor Red (1957〜67)
・Tannoy Monitor Gold (1967〜74)
・Tannoy HPD385 (1974〜76)
・Tannoy HPD385A (1976〜79) :タンノイ最後のアルニコ仕様
・Tannoy HPD315 (1974〜79) :タンノイ最後のアルニコ仕様
・Tannoy DC386 (1979〜 : この時期からアルニコからフェライトへ変更になる
・Tannoy K3808 (1979〜 : この時期からアルニコからフェライトへ変更になる
・Tannoy Corner York 15in (1950)
・Tannoy Corner York 12in (1950年代後半)
・Tannoy Autograph (1953) : 15in
・Tannoy Autograph Millennium (2001) : 500万円・ペア/税抜
・Tannoy Landsdown (1954) : 12in
・Tannoy GRF (1955) : 15in
・Tannoy Canterbury (1950年代後半): 12in
・Tannoy Chatsworth U (1950年代後半) : 12in
・Tannoy V-LZ in Cabinet (1961) : 10in
・Tannoy Rectangular York (1967) : 15in
・Tannoy Rectangular GRF (1968) : 15in
・Tannoy Arden (1976) : 15in
・Lowther TP-1 typeA (1954) : 16cmコーン型(PM3)
・Lowther TP-1 typeD (1968) : 16cmコーン型(PM3)
・Lowther Acousta (1957) : 16cmコーン型(PM6)
・Lowther Audiovector (1958) : 16cmコーン型(PM2mk1、PM4)
・Lowther Dual-position Acousta (1966) : 16cmコーン型(PM6)
・Lowther Mini Acousta (1967) : 16cmコーン型(PM6mk1)
・Lowther Auditorium Acousta (1972) : (前面)16cmコーン型(PM6mk1), (背面)16cmコーン型(PM6)

・Lowther Super Acousta (1972) : 16cmコーン型ラ2 (PM6、PM6mk1)

・Wharfedale Super 15, Super 12, Super 8, Super 3 (1950年代)

・Wharfedale Airedale (1950年代中頃)

・Wharfedale W70 (1950年代後期)

・Wharfedale SFB/3 Deluxe (1960年代)

・Hartley Concert Master VI

適合アンプは Lowther, Leak, Tannoy, QUAD の真空管アンプ

▲△▽▼

3) モニター・スピーカー

@ アメリカ

・Western Electric TA7388 (1930年代) :  映写室用モニタースピーカーシステム , フルレンジスピーカーユニット TA4189 + TA7355メタルキャビネット + WE95A アンプ
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/660c449fabb8b587763c63e6ac6199f9
http://www43.tok2.com/home/temasumo/article/2006/r-tec0601_(03)WE398A-single-monitor-power-amp_AtarashiT.pdf

・G.I.P.Laboratory GIP-225 system : フルレンジスピーカーユニット TA-4189A のレプリカを使った2ウェイ 2スピーカー・フロントロードホーンシステム
片チャンネル寸法 : W:480 × H:940 × D:460
http://www.gip-laboratory.com/seihin225system.html


・ALTEC LANSING 601 (1943)

・ALTEC LANSING 604 (1945)

・ALTEC LANSING 604E (1967)

・ALTEC LANSING 605B (1967)

・ALTEC LANSING 601-8D (1970)

・JBL 4320 (1971)

・JBL 4350 (1973)

・JBL 4343/4343WX (1976)

・JBL 4344 (1982)

・JBL 4348 (2002)

・JBL 4311B/4311BWX (1979)

・JBL 4312 (1982)

・UREI 811B (1984)

・UREI 813 (1984)
・Westlake Audio TM-1 (1971)

・Westlake Audio TM-2 (1974)

・Westlake Audio HR-1/HR-2/HRV-2 (1979)

・Westlake Audio TM-3/TMV-3/TM-4 (1981)

・Westlake Audio TM-1/TM-2mkII/TMV-2mkII (1982)

・Westlake Audio TM-6 (1982)

・Westlake Audio HR-7F (1982)

・Westlake Audio BBSM-6 (1982)

・Westlake Audio BBSM-10 (1984)

・Westlake Audio BBSM-15 (1990)

・Westlake Audio Referenceシリーズ Tower SM-1 : 4100万円・ペア/税抜

・Westlake Audio Referenceシリーズ SM-1F

・Westlake Audio Referenceシリーズ TM-3
http://www.avseartron.com/Referencer_series.html

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A イギリス

・QUAD ESL57 (1953) : BBC でモニター・スピーカーとして使用

・QUAD ESL63pro (1986) : Philips でモニター・スピーカーとして使用

・BBC Monitor LSU/10 (1950年代): Parmeko 15in 同軸2ウェイユニット + Lorentz LPH65ツィーター + LEAKアンプ

・BBC Monitor LS3/1 (1958) : Plessey 又は Parmeco の15in ペーパーコーンウーファー, ツィーター Celestion HF1300

・BBC Monitor LS3/1A :ウーファー Goodmans OODMAN C129/15pr, ツィーター Celestion HF1300

・BBC Monitor LS5/1 (1958) : ウーファー Goodmans OODMAN C129/15pr, ツィーター Celestion HF1300

・BBC Monitor LS5/1A (1960) : ユニットを KEF製に変更

・BBC Monitor LS5/1AC (1960) : ユニットを KEF製に変更、アンプ内蔵

・BBC Monitor LS5/5 (1965) : ベクストレーンコーンの (12in ウーファー + 8in ミッドレンジ) + ツイーター Celestion HF1400

・BBC Monitor LS3/M (1967) : Goodmans社製 MAXIMスピーカーシステムをモニターシステムとして使用

・BBC Monitor LS3/6 (1969): Celestion製, スーパー・ツイーターは Celestion HF2000

・Rogers ExportMonitor (1976) : LS3/6 をベースにコンシューマー用として開発されたスピーカーシステム

・Stirling Broadcast LS-3/6 (2011) : 70万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3748
https://www.ippinkan.com/quad_11l_signatuer.htm

・BBC Monitor LS3/5 (1974) : ウーファー KEF B110, ツィーター KEF T27, デバイディングネットワーク BBC製 FL6/16

・BBC Monitor LS3/5A (1975) : 製造は Rogers, デバイディングネットワークを FL6/23 に変更

・Rogers LS3/5A (1980)

・Spendor LS3/5A pro (1980年代後半頃)

・HARBETH LS3/5A (1987)

・Harbeth Mastering Monitor20 (2006):BBC のグレード2音声モニター用(ナレーションなどのチェック用モニター)に開発された LS3/5A のリプレイス・モニタースピーカー

・KEF LS3/5A Signature Model (1994)

・KEF LS50 standard (2012) : LS3/5Aのモダンバージョンとして作られたモデル, 14.5万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000604179/


・Stirling Broadcast LS-3/5A V2 (2011) : 28万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3748
https://www.ippinkan.com/quad_11l_signatuer.htm
https://www.ippinkan.com/LS35_59_58.htm

・AIRPULSE A200 (2017) : アクティブスピーカー, Acoustic Energy AE1 と同じ設計者、9.2万円・ペア/税抜
https://airpulseaudio.jp/


・Rogers LS3/5A BBC モニタースピーカー : ウーファーのサイズ、コーン紙の材質などが新しくなり音質はオリジナルと変わっています。 28.8万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000003426/BC013500/page1/order/
http://www.rogers-japan.com/1_1.html

・Rogers LS3/5A XLR BBCモニタースピーカー: ウーファーのサイズ、コーン紙の材質などが新しくなり音質はオリジナルと変わっています。28.8万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000003426/BC013500/page1/order/
http://www.rogers-japan.com/1_4.html

・Rogers LS3/5A (65th Anniversary Edition) (2011) : 16.2515万円・ペア/税抜
http://www.rogers-japan.com/1_5.html
https://www.ippinkan.com/quad_11l_signatuer.htm

・Rogers LS3/5A (70th Anniversary Edition) (2016): 42.984万円・ペア/税抜
http://www.rogers-japan.com/1_250.html

・BBC Monitor LS3/7 : Audax製ドームトゥイーター HD12

・BBC Monitor LS5/8 (1976) : Chartwell社製 12in ポリプロピレンコーンウーファー + Audax製ドームトゥイーター + QUAD405アンプ

・Rogers LS5/8(AM8/16) (1988)

・Rogers PM510 (1988) :LS5/8 からパワーアンプを除きネットワーク経由で駆動する民生用


・Graham Audio LS5/8 (2015) : 170万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000001826/

・BBC Monitor LS5/9 (1985) 

・Rogers LS5/9 (1985)


・Rogers LS5/9 (65th Anniversary Edition) (2011) : 43.2万円・ペア/税抜
http://www.rogers-japan.com/1_7.html

・Graham Audio LS5/9 (2014) : 65万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000001830/


・Harbeth Mastering Monitor30 (2003) : BBC の LS5/9 のリプレイス・モニターとして開発されたスピーカーシステム。

・BBC Monitor LS5/12A (1995) : BBCモニターの最終モデル, Harbeth社製, ユニットは Dynaudio

・Spendor BC1 (1969) : スーパー・ツイーターは Coles STC 4001

・Harbeth Monitor HL (1980)

・Harbeth HL TypeIV

・Harbeth HL5 (1988)

・Tannoy Windsor (1980)

・Tannoy Buckingham Monitor (1980)

・Tannoy Super Red Monitor (1980)

・B&W 801 (1979)

・B&W 801F (1982)

・B&W 808 (1984)

・B&W Nautilus (1995)

・B&W Nautilus 801 (1998)


・B&W 800 D3 (2016) : 425万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000910821/

・Acoustic Energy AE1 (1990)
・Acoustic Energy AE1 Signature (1996)
・Acoustic Energy AE1 mk3 (2004)
・Acoustic Energy AE1 Classic (2006) : AE1の復刻モデル, 35万円・ペア/税抜
http://www.yoshidaen.com/AE.html
http://www.acoustic-energy.co.uk/

・Acoustic Energy AE2 (1990)
・Acoustic Energy AE2 Signature (1996)


・Acoustic Energy Reference 1 (2013) : 40万円・ペア/税抜
http://www.yoshidaen.com/AE.html
http://www.acoustic-energy.co.uk/

・AIRPULSE A200 (2017) : アクティブスピーカー, Acoustic Energy AE1 と同じ設計者、9.2万円・ペア/税抜
https://airpulseaudio.jp/


・ATC SCM100 (1991)
・ATC SCM100A (1990) : 3チャンネルパワーアンプをビルトインしたアクティブ・スピーカーシステム
・ATC SCM100P
・ATC SCM200 (1991)

・ATC SCM100Tsl (2005): 270万円・ペア/税抜

・ATC SCM100SL PT : 230万円・ペア/税抜
http://www.homeshokai.jp/product/atc.html


・ATC SCM150SL PT: 350万円・ペア/税抜
http://www.homeshokai.jp/product/atc.html


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⓷ ヨーロッパのモニター・スピーカー

・ Schulz O18

・ Siemens Coaxial

・ Isophon Orchester

・ PHILIPS RH545 (1979)

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C 日本
・YAMAHA NS-1000M (1974)

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4) ソースには入っていない低音、倍音成分や残響音で色付けされた民生用スピーカー

@ アメリカ

・AR(Acoustic Research) AR-3a (1966)

・AR(Acoustic Research) AR-4x (1967)

・BOSE 901 (1967)

・BOSE 901 WestBorough (2004)

・BOSE 101 (1982)

・BOZAK B-4000A Moorish Symphony (1977)

・BOZAK B-302A Moorish Concerto V (1977)

・McIntosh XRT20 (1979) : 197.6万円・ペア/税抜

・McIntosh XRT22s (1986) : 180万円・ペア/税抜

・McIntosh XRT26 (1995) : 220万円・ペア/税抜

・McIntosh XRT2K (2012) : 1100万円・ペア/税抜

・INFINITY IRS (1980) : 1000万円・ペア/税抜

・INFINITY IRS-V (1988) : 1200万円・ペア/税抜

・UREI 813Bx (1985)

・JBL L110 (1978)

・JBL EVEREST DD55000 (1986)

・JBL Project K2 S9500 (1989)

・JBL Project K2 S5500 (1993)

・JBL Pjoject K2 S9800 (2001)

・JBL Project K2 S9900 (2009) : 370万円・ペア/税抜

・JBL Project EVEREST DD66000 (2006) : 560万円・ペア/税抜

・JBL Project EVEREST DD67000 (2012) : 600万円・ペア/税抜

・Wilson Audio System5 (1994) : WATT/PUPPY と同じ形態・サイズ

・Wilson Audio Sophia (2001)

・Wilson Audio Sophia 3 (2010): 220万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3297

・Wilson Audio Sasha Series-2 (2014): 440万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3297


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A イギリス

・KEF Cantata (1965)

・KEF Model 104aB(SP1038) (1976)

・Jordan Watts STEREOLA DSP-100 (1967)

・Jordan Watts FLAGON (1974)

・VITAVOX Bitone Major (1970年代前半頃)

・VITAVOX DU-121 (1970年代前半頃)

・Spendor BC-V (1970)
・Spendor BC-II (1973)

・spendor Classic 100 (2017) : 120万円・ペア/税抜
・spendor Classic 1/2 (2017) : 75万円・ペア/税抜
・spendor Classic 2/3 (2017) : 50万円・ペア/税抜
・spendor Classic 3/1 (2017) : 34万円・ペア/税抜
・spendor Classic 3/5 (2017) : 25万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=2685
http://www.triode.co.jp/spe/introduction.html

・Celestion Ditton25 (1975)
・Celestion Ditton66 (1975)

・Harbeth Monitor HL (1980) : 27.6万円・ペア/税抜

・Harbeth HL-Compact (1987) : 23.6万円・ペア/税抜

・Harbeth HL-Compact 7ES-3 (2006) : 最安価格:32万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000221461/

・Tannoy Westminster (1982) : 190万円・ペア/税抜

・Tannoy Westminster Royal-GR (2013) : 600万円・ペア/税抜

・Tannoy Stirling (1983) : 39.6万円・ペア/税抜

・Tannoy Stirling-GR (2013) : 76万円・ペア/税抜

・Tannoy Autograph Millennium (2001) : 500万円・ペア/税抜

・B&W Silver Signature 25 (1993) : 116万円・ペア/税抜

・B&W Signature Diamond (2007) : 260万円・ペア/税抜

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⓷ ヨーロッパ
・Sonus Faber Electa Amator (1988) : 66万円・ペア/税抜

・Sonus faber Minima (1990) : 24万円・ペア/税抜

・Sonus faber Minima Vintage (2008) : 45万円・ペア/税抜

・Sonus Faber Guarneri Homage (1993) : 155万円・ペア/税抜

・Sonus Faber Guarneri Memento (2006) : 175万円・ペア/税抜

・Sonus Faber Stradivari Homage (2003) : 560万円・ペア/税抜

・Studio Franco Serblin Accordo (2011) : 123万円・ペア/税抜

・ELAC 213-4π (1990)

・Acustik-Lab SYSTEM 1.2 (1990) : 9.8万円・ペア/税抜

・Acustik-Lab Stella Elegans (1996) : 268万円・ペア/税抜

・Acustik-Lab Stella Opus (1999) : 86万円・ペア/税抜

・Acustik-Lab Stella Harmony (1999) : 24.8万円・ペア/税抜

・Acustik-Lab Bolero Nuvo (2007) : 12.4万円・ペア/税抜, Acustik-Lab の最終製品


適合アンプは
・Mark Levinson, CELLO, Mcintosh, Krell, Goldmund, Viola, First Watt, Burmester, FM Acoustics のトランジスタ・アンプ
・Counterpoint, Conrad-Johnson, EAR, Unison-Research, OCTAVE の真空管アンプ

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5) プレーナー型スピーカー

@アメリカ
・ACOUSTAT Model 2M (1980)
・ACOUSTAT Model 3M (1980)
・Apogee SCINTILLA (1984): 176万円・ペア/税抜
・Apogee APOGEE (1987) : 335万円・ペア/税抜
・Apogee DIVA (1987) : 198万円・ペア/税抜
・Apogee DUETTA (1987) : 98.5万円・ペア/税抜
・Apogee Caliper Signature (1987) : 53万円・ペア/税抜
・Martin Logan CLSII (1990) : 78万円・ペア/税抜
・Martin Logan CLS IIz (1996)
・Martin Logan Statement Evolution II (2001) : 1480万円・ペア/税抜

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A イギリス
・QUAD ESL57 (1953)
・QUAD ESL63 (1981) : 72万円・ペア/税抜
・QUAD ESL63pro (1986) : 86万円・ペア/税抜
http://www.geocities.jp/soundpoint55/index.html

・QUAD ESL989 (2000) : 150万円・ペア/税抜
・QUAD ESL988 (2000) : 136万円・ペア/税抜
・QUAD ESL2905 (2006) : 180万円・ペア/税抜
・QUAD ESL2805 (2006) : 140万円・ペア/税抜
・QUAD ESL2912 (2013) : 260万円・ペア/税抜
・QUAD ESL2812 (2013) : 210万円・ペア/税抜
http://www.rocky-international.co.jp/quad/esl/esl28122912.html

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⓷ ドイツ
・QUAD Musikviedergab GmbH ESL57QA (2017) : 130万円・ペア/税抜
・QUAD Musikviedergab GmbH ESL63QA (2017) : 160万円・ペア/税抜
・QUAD Musikviedergab GmbH ESL63 QA Desk Top (2017)
・QUAD Musikviedergab GmbH Braun LE1 (2017)
http://www.soundbox.co.jp/
http://www.quad-musik-shop.com/epages/62919310.sf/en_GB/?ObjectPath=/Shops/62919310/Categories/Elektrostaten

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C 日本
・STAX ELS-F83 (1983) : 96万円・ペア/税抜

・STAX ELS-8X (1985) : 100万円・ペア/税抜

・STAX ELS-F83X (1989) : 100万円・ペア/税抜

・STAX ELS-8X・BB (1990) : 170万円・ペア/税抜

・SONY SS-R10 (1996) : 300万円・ペア/税抜

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6) 現行の人気スピーカー

@ アメリカ
・JBL Project K2 S9900 (2009) : 370万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000021389/spec/

・JBL Project EVEREST DD67000 (2012) : 600万円・ペア/税抜
https://www.ippinkan.com/SP/jbl_page1.htm

・McIntosh XRT2K (2012) : 1100万円・ペア/税抜
http://www.ippinkan.com/mcintosh/mcintosh_page1.htm

・Westlake Audio Towerシリーズ TOWER HR-7 : 1800万円・ペア/税抜

・Westlake Audio Towerシリーズ TOWER-12 : 1100万円・ペア/税抜
http://www.avseartron.com/Tower_series.html

・Westlake Audio BBSMシリーズ BBSM-15SWP:1200 万円・ペア/税抜

・Westlake Audio BBSMシリーズ BBSM-15F :1100万円・ペア/税抜

・Westlake Audio BBSMシリーズ BB10VF : 496万円・ペア/税抜

・Westlake Audio BBSMシリーズ BBSM-6F : 216万円・ペア/税抜

・Westlake Audio BBSMシリーズ BBSM-4F : 98万円・ペア/税抜
http://www.avseartron.com/BBSM_series.html


・Westlake Audio Lcシリーズ Lc3W12VF

・Westlake Audio Lcシリーズ Lc3W10VF

・Westlake Audio Lcシリーズ Lc24.75F

・Westlake Audio Lcシリーズ Lc8.1F : 98 万円・ペア/税抜

・Westlake Audio Lcシリーズ Lc6.75F : 84万円・ペア/税抜

・Westlake Audio Lcシリーズ Lc5.75F : 77.8万円・ペア/税抜

・Westlake Audio Lcシリーズ Lc4.75F : 69.8万円・ペア/税抜
http://www.avseartron.com/Lc_series.html

・Wilson Audio WATT3 + PUPPY2 (1991): 255万円・ペア/税抜

・Wilson Audio Sophia 3 (2010): 220万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3297

・Wilson Audio Sasha Series-2 (2014): 440万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3297

・Magico Ultimate III (2014) : 1億円・ペア/税抜
https://www.phileweb.com/review/article/201407/10/1259.html

・Magico M3 : 1048万円・ペア/税抜

・Magico Q1 (2011) : 400万円・ペア/税抜 生産完了
https://www.ippinkan.com/magico_q1.htm
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=7461


・MAGICO Q7 MKII (2015) : 3600万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopbrand/BC009100/
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=7461


・MAGICO S3 (2014) : 320万円・ペア/税抜
・Magico S3 Mk2 (2017) : 400万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=7461
https://www.ippinkan.com/event_news/3goukan/2017-12-3_magico/20171203_magico.htm

・YG Acoustics Sonja XV jr (2017) : 2700万円・ペア/税抜
http://e.ippinkan.com/shopbrand/BC018000/


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A イギリス

・Harbeth HL-Compact 7ES-3 (2006) : 最安価格:32万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000221461/

・Acoustic Energy AE1 Classic (2006) : AE1 の復刻モデル, 35万円・ペア/税抜
http://www.yoshidaen.com/AE.html
http://www.acoustic-energy.co.uk/

・Acoustic Energy Reference 1 (2013) : 40万円・ペア/税抜
http://www.yoshidaen.com/AE.html
http://www.acoustic-energy.co.uk/

・AIRPULSE A200 (2017) : アクティブスピーカー, Acoustic Energy AE1 と同じ設計者、9.2万円・ペア/税抜
https://airpulseaudio.jp/

・Rogers LS3/5A BBC モニタースピーカー : ウーファーのサイズ、コーン紙の材質などが新しくなり音質はオリジナルと変わっています。 28.8万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000003426/BC013500/page1/order/
http://www.rogers-japan.com/1_1.html

・Rogers LS3/5A XLR BBCモニタースピーカー: ウーファーのサイズ、コーン紙の材質などが新しくなり音質はオリジナルと変わっています。28.8万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000003426/BC013500/page1/order/
http://www.rogers-japan.com/1_4.html


・Rogers LS3/5A (65th Anniversary Edition) (2011) : 16.2515万円・ペア/税抜
http://www.rogers-japan.com/1_5.html
https://www.ippinkan.com/quad_11l_signatuer.htm

・Rogers LS3/5A (70th Anniversary Edition) (2016): 42.984万円・ペア/税抜
http://www.rogers-japan.com/1_250.html


・ATC SCM100SL PT : 230万円・ペア/税抜
http://www.homeshokai.jp/product/atc.html


・ATC SCM150SL PT: 350万円・ペア/税抜
http://www.homeshokai.jp/product/atc.html

・Stirling Broadcast LS-3/5A V2 (2011) : 28万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3748
https://www.ippinkan.com/quad_11l_signatuer.htm
https://www.ippinkan.com/LS35_59_58.htm

・Stirling Broadcast LS-3/6 (2011) : 70万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=3748
https://www.ippinkan.com/stirling_broadcast_36.htm


・KEF LS50 standard (2012) : LS3/5Aのモダンバージョンとして作られたモデル, 14.5万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000604179/

・Graham Audio LS5/9 (2014) : 65万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000001830/

・Graham Audio LS5/8 (2015) : 170万円・ペア/税抜
http://ippinkan.jp/shopdetail/000000001826/

・Tannoy Kingdom Royal-GR (2013) : 960万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000608077/

・Tannoy Westminster Royal-GR (2013) : 600万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000584701/

・Tannoy Stirling-GR (2013) : 76万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000584705/

・QUAD ESL2912 (2013) : 260万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000453876/

・QUAD ESL2812 (2013) : 210万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000453875/

・QUAD Musikviedergab GmbH ESL57QA (2017) : 130万円・ペア/税抜

・QUAD Musikviedergab GmbH ESL63QA (2017) : 160万円・ペア/税抜

・QUAD Musikviedergab GmbH ESL63 QA Desk Top (2017)

・QUAD Musikviedergab GmbH Braun LE1 (2017)
http://www.soundbox.co.jp/
http://www.quad-musik-shop.com/epages/62919310.sf/en_GB/?ObjectPath=/Shops/62919310/Categories/Elektrostaten

・B&W 800 D3 (2016) : 425万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000910821/


・B&W 802D3 (2016) : 340万円・ペア/税抜
http://www.bowers-wilkins.jp/Speakers/Home_Audio/800_Series_Diamond/802-D3.html#close


・B&W 805 D3 (2016) : 88万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/search_results/805d3/?category=0002_0019

・VIVID audio GIYA G1 SPIRIT (2016) : 900万円・ペア/税抜
http://www.stella-inc.com/02vividaudio/lineup.html

・Monitor Audio  Platinum Series II PL500II (2016) : 320万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=722&pdf_so=p2

・Monitor Audio  Platinum Series II PL300II (2016) : 160万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=722&pdf_so=p2


▲△▽▼


⓷ ヨーロッパ


・German Physiks Gaudi MKII front(2002) : 60畳以上の部屋でないと上手く鳴らない, 2800万円・ペア/税抜

・German Physiks PQS 402 (2006) : 980万円・ペア/税抜

・German Physiks Troubadour 80 (2006) : 290万円・ペア/税抜

・German Physiks Unicorn MK II (2006) : 250万円・ペア/税抜
https://tannoy.exblog.jp/26699188/
http://www.german-physiks.com/

・Studio Franco Serblin Accordo (2011) : 123万円・ペア/税抜
http://www.arkgioia.com/index.html

・Goldmund Apologue Anniversary (2013) : 9500万円・ペア/税抜
・FM Acoustics XS-1 (2014) : 3000万円・ペア/税抜

・KHARMA Exquisite シリーズ Grand Grand Exquisite : 現地価格33万ユーロ・ペア/税抜
・KHARMA Ceramique シリーズ Grand Ceramiqe Midi 1.0 (2008) : 580万円・ペア/税抜
・KHARMA Ceramique シリーズ Ceramique 2.3 (2008) : 250万円・ペア/税抜
・KHARMA Ceramique シリーズ Kharma3.2 (2002) : 170万円・ペア/税抜
・KHARMA Ceramique シリーズ Kharma3.2.2 (2008) : 375万円・ペア/税抜
http://www.soundimport.co.jp/kharma.html
http://www.u-audio.com/html/page26.html
https://www.phileweb.com/news/audio/200808/07/8234.html

▲△▽▼


C 日本

a) G.I.P.Laboratory Western Electric WE555 のレプリカ・ドライバーを使ったスピーカーシステム

・ G.I.P.Laboratory GIP-555 - 555W : WE555 ドライバーのレプリカ
http://www.gip-laboratory.com/seihin555.html

@) G.I.P.Laboratory GIP-12A horn system : Western Electric WE555 のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1143 × H:1715 × D:1194, 片チャンネル重量 92kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin12system.html

A) G.I.P.Laboratory GIP-30154 horn system : Western Electric WE555W のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1735 × H:1336 × D:660, 片チャンネル重量 280kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin30154hornsystem.html

____

b)G.I.P.Laboratory Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバーを使ったスピーカーシステム

・ G.I.P.Laboratory GIP-594A : WE594A のドライバーのレプリカ
http://www.gip-laboratory.com/seihin594.html

@) G.I.P.Laboratory GIP 7396 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1735 × H:1336 × D:660 , 片チャンネル重量 280kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin7396system.html


A)G.I.P.Laboratory GIP-7331 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法 : W660 × H1130 ×D950, 片チャンネル重量 100kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin7331system.html


B) G.I.P.Laboratory GIP-7003 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法 : W1410 ×H1150 ×D1097
http://www.gip-laboratory.com/seihin7003system.html


C) G.I.P.Laboratory GIP-5003 system : Western Electric WE594A のレプリカ・ドライバー使用
6〜10畳のリスニングルーム用
http://www.gip-laboratory.com/seihin5003system.html

_____


c) G.I.P.Laboratory Western Electric の映写室用モニタースピーカーシステム TA7388 のレプリカ

・G.I.P.Laboratory GIP-225 system : Western Electric のフルレンジスピーカーユニット TA-4189A のレプリカを使った2ウェイ 2スピーカー・フロントロードホーンシステム
片チャンネル寸法 : W:480 × H:940 × D:460
http://www.gip-laboratory.com/seihin225system.html

______

d) G.I.P.Laboratory オリジナル・スピーカーシステム

・G.I.P.Laboratory GIP-9700A system : GIP flagship model, GIP-9101ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1240 × H:1800 × D:1210, 片チャンネル重量 260kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin9700system.html

・G.I.P.Laboratory GIP-5005 system : GIP-5015ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1200 × H:1600 × D:995
http://www.gip-laboratory.com/seihin5005system.html


・G.I.P.Laboratory GIP-5006 system : GIP-5015ドライバー使用
片チャンネル寸法 : W:900 × H:1600 × D:1055
http://www.gip-laboratory.com/seihin5006system.html


・G.I.P.Laboratory GIP-FS300 system : 4インチ振動板 コンプレッション・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:780 × H1455 × D665, 片チャンネル重量 85kg
http://www.gip-laboratory.com/seihinfs300.html

・G.I.P.Laboratory GIP-Monitor1 system : GIP-D5016 ドライバー使用
片チャンネル寸法 : W:570 × H:1350 × D:630, 片チャンネル重量 70kg
http://www.gip-laboratory.com/seihinmonitor1.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c27

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
28. 中川隆[-13124] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:06:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[408]

エジソン・トライアンフD型 ミュージックマスターホーン付き1910年頃。


エジソンの本格的なシリンダー蓄音器。全ての部分が大きく頑丈、かつ高精度に作られおり、強力な3丁ゼンマイの投入された本格的な大型モデル。


美しく青きドナウ(J.シュトラウス) 1913年
アメリカン・スタンダード・オーケストラ Edison Blue Amberol 1750
http://www.youtube.com/watch?v=uIJN4BSHXQc&feature=related

エジソンの蓄音機


エジソンは、1877年(明治10年)に実際に音を録音し、再生することのできる蓄音機を発明しました。

エジソンは、銅製の円筒(シリンダー)に錫箔を巻き付けたものを手で回転させ、振動板に直結した録音針を錫箔に押し当てて、錫箔の変形としてつくられる溝の深さを音の強さに応じて変化させることにより音を記録しました。そして、この溝を針で再びたどらせることにより、音を再生したのです。エジソンは、この世界最初の録音・再生機をフォノグラフPhonographと名づけて発表しました。最初の公開でフォノグラフから再生された音は、エジソン自身の声による「メリーさんの羊」であったと伝えられています。

エジソンのフォノグラフはその後、電話の発明者であるベルらによって改良され、銅管に錫箔を巻き付けたもののかわりに、円筒形の厚紙の上にワックス(蜜ろう)をかぶせたものをレコードとすることで、音量の増大、寿命の向上が図られるようになりました。ここに展示してあるエジソン・フォノグラフの型式は、トライアンフ「Model C and D」です。

http://atom.dendai.ac.jp/kokai/2007/02/post.html


エジソンの錫箔蓄音機


蓄音機のラフスケッチ(図1)
エジソン第一号蓄音機(図2)


一般的には、円筒レコードを使用した蓄音機をロウ管蓄音機と呼んでいる。

エジソンがこのタイプの蓄音機を発明した時は、円筒に錫箔を巻いたいわゆる錫箔蓄音機と呼ばれる物であった。図1が、1877年にエジソンが描いた有名な蓄音機のラフスケッチで、これを弟子にわたして製造したのが、図2のエジソン第一号蓄音機である。動力源は手動で一定の回転数を保つのは容易ではなかっただろう。再生時間は約30秒であった。

その後エジソンは、この蓄音機をサイエンテフィックアメリカン誌社に持ち込み世界最初の音出しデモンストレーション を行った。1887年12月6日のことである。エジソンはこの蓄音機をフォノグラフと命名した。アンプの入力端子にフォノとあるのはその名残である。

この蓄音機を基に、エジソンは米国に特許を出願し認められている。エジソンはこの特許の目的として“人間の声および他の音を永久的な記号で記録して将来再生し、再び聴くことが出来るようにすること“と述べている。この特許のなかでエジソンは円筒のソフトだけでなく、円盤ソフトや、多量の複製の事も述べている、このようにすでに将来を見据えた項目を基本特許に盛り込んでいた点は注目に値する。

その後、エジソンは蓄音機の開発は休止し白熱電球や他の開発に没頭してしまう。

http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk2-2.html


A)グラフォフォン蓄音機


エジソンが、蓄音機の開発を休止している間に、電話機の発明で有名なグラハム・ベルによって設立された「ボルタ研究所」で、ベルのいとこのチチェスター・A・ベルとチャールズ・S・テインターは蓄音機の改良を進めた。この改良型蓄音機はエジソンの蓄音機のレコード部の錫箔に変え、厚紙にロウをぬった円筒をレコードとし、サファイヤ針を用い、振動系のダイアフラムにはマイカ(雲母)を使用して数段のレベルアップを図った。

ベルはこれをグラフォフォンと名づけた。(グラモフォンの誤植ではない、有名な文献でも間違っている本が有るので注意、グラモフォンについては後出)
その後、このグラフォフォン蓄音機はベルとテインターによって設立された、アメリカングラフォフォン社によって発売された。エジソンが錫箔蓄音機を発明してちょうど10年目の1887年であった。レコードの外径は1インチ(25・4MM)で、その後のエジソンのロウ管タイプの半分以下であった。その後、エジソンのロウ管蓄音機に巻き返され主流にはなりえなかった。


B)エジソンのロウ管蓄音機


ベルなどが開発したグラフォフォン蓄音機は、電球やその他の開発に没頭していたエジソンに非常に大きなショックを与えた。すぐに、エジソンは蓄音機の開発を再開させることを1887年に公表した。急ピッチに開発を進め、1888年には、ベル等と同様のロウ管を素材としたレコードの蓄音機を完成させた。

ロウ管レコードの仕様は、直径2・25インチ(5・72cm)長さ4インチ(10・16cm)で、1インチにつき100本の溝を刻み再生時間は約2分間であった。ロウ管の材質は文字通り主成分がワックスでこれに蜜蝋、樹脂等が加えられていた。振動系は、録音用のカッターと再生用のリプロヂュウサーは交換が可能で、1台の蓄音機で録音、再生が可能となりこの蓄音機の大きな特徴になった。

録音および再生用の針は、主にサファイヤが用いられていた

http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk3.html

A)エジソン・ホームA(スーツケース型)


エジソンが他社の製品に刺激され、蓄音機の開発再開を行ってから11年後の1899年の製品です。この製品以前に発売された“トライアンフ”型の機構を簡略化して、家庭用として売り出したモデルです。

初期のロウ管レコード用で、再生時間は2分間専用モデル。価格は当時40ドルで発売されました。

B)エジソン・アンベローラ1A


初期の蓄音機のホーン(メガホンの様に音を拡声する)は、外部に金属むき出し。
写真は、アンベローラ1Aと呼び、ホーン内臓型のエジソン1号機です。スマートになり、女性にも好まれるようになりました。1909年製。

   

アンベロールレコード用(ロウ管タイプの改良型ソフトで、紙や石膏を芯材とし音溝部をセルロイドで作り、再生時間も初期の2倍の4分になり、音質も改良されました。)として開発されました。その後に発売されたアンベローラシリーズも含めて最も大型で豪華な製品でした。

この蓄音機は他のモデルと大きく異なった点があります。通常の蓄音機のロウ管は回転のみの動きですが、このアンベローラ1Aはリプロデューサー(今風に言うと再生カートリッジです。黒いアナログレコードに、指をかけて針を降ろしますよね?あの部分です。)が固定されており、ロウ管が回転しながら右から左に移動して再生するように出来ていました。

面白いことに現在、CDプレーヤーでこのメカニズムを採用した製品があります。エジソンは先取りしていたんですね。エジソンは、いろいろなメカニズムにトライしていましたが、残念ながらこのメカニズムは短命に終わってしまいました。ちょっと複雑だったからでしょうか?

C)エジソン・アンベローラ30


写真は、アンベローラ30型です。4分間再生できるアンベロールレコード用として1915年に発売されました。アンベローラシリーズは10機種ありますが、この30型は最もコンパクトに出来ていました。

また、このシリーズからダイヤモンド針が使用されました。(意外ですが当初は、サファイアやガラスなどが針として使われたそうです。)

駆動はギヤ式で、ベルト駆動に比べ経年変化は少なかったそうです。クリヤーな音質で音量も予想外に大きいです。

http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk4.html


テープレコーダーの原点 ロウ管蓄音機(録音、再生機の原点。口述筆記用機)


写真は口述筆記用機で、テープレコーダーが実用化されるまで簡易録音再生機として使用されました。映画ファンですと、少し古い映画のスクリーンにこのタイプの機械が使用されていたのを、見覚えの有る人も居るでしょう。(ちょっと古い映画ファンですね笑い)


エジソンは、蓄音機の用途として1878年に以下の10項目をあげています。


1) 速記者を必要としないで、手紙が書けたり、口述筆記に使える。
2) 目の不自由な人のための音の本。
3) 話し方の教育に使える。
4) 音楽の録音、再生。
5) 家族の記録として、家庭の人の話肉声や遺言を録音出来る。
6) オルゴールや玩具になる。
7) 帰宅時間や食事時間を教える事が出来る。
8) 発音を正確に録音するので保存出来る。
9) 教師の講義を録音し、ノート代わりとして単語の記憶用として使える。
10)電話と蓄音機を組み合わせ、通話を永久保存できる。


エジソンは、このように第1番目に口述筆記用を持って来ていますが。第4番目に挙げられている音楽鑑賞用が、人々の要求としては歴史的に圧倒的に第1番だったのは、ご存知のとうりです。

写真の製品は1930年頃の物です。左側は録音用でこれで録音したロウ管を中央の再生機に移動してセットした後に再生し、ヘッドホンの原点と言われる(聴診器のような飛行機内で使用されているイヤホンと同様の物)イヤホンで聞きながらタイプライターで文字に変換します。文字になったロウ管の音溝は必要なくなるので写真右側の消去機でロウ管の溝部分だけを平らにカットし、また使用します。

左から、録音、再生、消去機でこれで一セットです。今では、手の平に乗るような機器(たとえばMDなどですね)で録音、再生を手軽に行なっていますが、当時は、このような大掛かりな機器で行なっていたのです。


http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk5.html


円盤蓄音機(横音溝タイプ)


エジソンは蓄音機を発明(1877年)しました。しかし、開発にいきずまってしまったのと電球の開発に没頭し、蓄音機の改良については中断してしまいました。この間、10年あまりが経過し、シリンダータイプの蓄音機はエジソン以外の人達(主に電話の開発で有名なベル研究所)によって改良されました。

エジソンが蓄音機の開発に復帰することを宣言する直前の1887年9月に、ドイツ人でアメリカに帰化したエミール・ベルリナー(本によってはベルリーナ)が円盤タイプの蓄音機を発明し特許申請をしました。(左図)

書類上は円筒が主体になっていますが円盤についても記載されています。

ベルリナーはレオンスコットのフォノートグラフの方式を利用して特許図面に見られる円筒に紙を巻いてススを塗り、この面に横音溝(蛇が蛇行するように音溝を刻む)で音声を記録しました。


左図<ベルリナーの特許出願図>

ベルリナーは音声の録音方式として縦音溝(海の波と同様の動き)は歪みが多いと判断し、横音溝による記録方式を選びました。左の写真は、ベルリナーが製作した世界最初の円盤レコードの写真です。上段がその現物でエボナイト(硬質ゴム)で作製されています。性能的には、まだロウ管レコードに比べ劣っていました。直径は5イン(12.5cm)で奇しくもCDより5mm大きいだけでした。大きさの点と片面録音と言う事でCDは円盤ソフトの原点に戻った事になります。
 

ベルリナーはこれをグラモフォン(Gramophone)と名づけました。エジソンのフォノグラフ(Phonograph)をもじって命名したようです。このレコードは当初音楽鑑賞用としてでなく、玩具として手回し蓄音機につけて販売されました。写真の下段はその後に開発された7インチ(17.8cm)レコードです。すでに、ベルリナーの好きだったエンジェルがレコードに録音しているマークがはいっています。

レコード誕生初期の段階で、レコード材料を柔らかくして、それをプレスによって(せんべいを作るように)ソフトを作製する技術は確立されました。CDも基本的には同じ方法で作製されているのは偶然ではありません。

http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk6.html


円盤レコードの蓄音機(縦音溝タイプ)

代表的な蓄音機(C-250)

エジソンにも円盤レコードを再生する蓄音機の考えは既にあったのですが、円盤はレコード内周になると線速度(一定時間に再生する音溝の距離)が落ち音質が劣化するとの事で、レコードのどの部分でも等速の円筒蓄音機にこだわって改良を続けていました。 しかし、いよいよ円筒レコードの限界を感じたエジソンは、円盤レコードの開発を開始しました。ただし、音溝振動方向はベルリナーの横方向と異なりロウ 管蓄音機と同じ縦方向にこだわりました。

レコードの材質はフェノール樹脂を使い、平面性を確保するため厚さを6mmと厚くしました。音溝は1インチ(2.5cm)幅に150本で、再生針にダイヤモンドを使用したことによりダイヤモンドデイスクと呼んでいます。(左画像)

この蓄音機は、エジソンC-250といい1915年につくられたエジソンの代表的な高級モデルで“ダイヤモンドディスクチッペンデール”(チッペンデールとは、18世紀イギリスの家具デザイナー、トーマス・チッペンデールに由来する。)と呼ばれました。大きさ、デザイン、再生音など、いずれを取り上げても他を寄せ付けない性能を備えていました。

リニアトラッキング的なリプロデユ―サー(アナログプレーヤーのアームとピックアップカートリッジ部分に相当する。)、メカ的リモコンアームリフター、音量調整機構(トランペットのミュートの様な)が採用されています。振動板には紙が使われ、シェラックという接着剤で数枚を張り合わせています。さらに、コルクでその振動板の不要振動を適度に抑えると言った手の込んだ作りになっています。

 C-250のプレーヤ部


C-250型には、「歌手の声とのすりかえ実験(エジソンの音の試聴演奏会)」という後世に残るエピソードがあります。

始め蓄音機の横で本物の歌手(エジソン会社の専属歌手。マギー・テイト)が歌い、途中でC-250型蓄音機にバトンタッチして終了したが観客はすり替えに殆ど気がつかなかったと言われます。それだけ音質に対して自信が有ったわけです。価格は当時$250で、型名のC-250はここから由来されています。

さて、円盤レコードを再生する蓄音機で音溝が横方向と縦方向の2商品が登場する事になりました。再生時に互換性の無い(ビデオカセットデッキのVHSタイプとベータタイプのような)製品が市場に現れ、消費者は非常に迷惑を被ったわけです。歴史的には横音溝タイプが主流になり、LPレコードも含めて1958年ステレオレコードが発売されるまでその横溝円盤方式は続きました。

http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk7.html

エジソンの蓄音機


1)エジソン・スプリングモーター 1895年製


テクニカギャラリー内で一番古いタイプの蓄音機です。
残念ながら写真でわかるようにリプロデューサーとホーンが欠如してます。1895年製でエジソンが蓄音機を発明して18年後の製品です。(以前にも述べましたが、電球及び発電システムの開発で10年程蓄音機開発の空白期間があります。)

すでに3モデル程製品化した後のモデルで、エジソンとしては初めてゼンマイを使用したモデルです。トライトンと呼ばれる3重のゼンマイがつけられ、2分ロウ管レコード用です。価格は、40ドル。このデザインは後の“コンサート”型の初期タイプにも使用されています。

2)エジソン・ホームA(スーツケース型) 1899年製


トライアンフ型の機構を簡略化して家庭用として売り出したモデルです。
動力源はゼンマイがシングルで、2分ロウ管レコード用です。この“ホーム”シリーズの最終モデルは、Fタイプです。特長はオークのシグネットホーンが付けられたことと、4分ロウ管レコード専用になったことであります。ホーンが本体外部に有るタイプでは、最終の部類です。

3)エジソン・ジェムA 1901年製
4)エジソン・ジェムD 1909年製


テクニカギャラリーに展示しているのは、ジェムの内でも新型の分類です。旧型は1899年に発売されました。当モデルは、前面にGEMの文字が入っており、1901〜1905年の間に販売されました。エジソンの蓄音機中最も安価なモデルで、7.5$で売り出されました。形状は名前が示すようにかわいらしく、家庭用、事務用として広く愛用されました。2分ロウ管レコード専用モデルです。 ボディの色が赤になり、朝顔型のホーンが今までの製品より大きめの物が取り付けられました。

2分、4分レコード共用で、レッドジェムの愛称で親しまれました。1912年まで製造されました。


5)エジソン・スタンダードA 1901年製


エジソンでは初めての家庭用蓄音機で価格は20$でした。2分レコード専用機。
ゼンマイはシングルタイプを使用、角型のケースに入っています。
当モデルはシリーズ化されましたが、テクニカギャラリーではBタイプも保有しています。


6) エジソン・コンサート 1901年製


ロウ管蓄音機が発売されると、少しでも良い音で再生できないか考えられました。ロウ管の外径を大きくし(5インチ、127ミリ)、回転速度がスタンダード品と同じであれば、単位時間当たりの針先走行距離が多くなり、音が良くなる原理に基いています。(後のアナログステレオレコードで、33回転から45回転にしてハイグレードレコードを作製したのと考えは同じです。)

このモデルは、1899年から1901年まで製造されましたが、その間にキャビネットが3回も変わっています。エジソン唯一の5インチ円筒レコード用でありますが、標準円筒レコードも使用出来る様になっています。(標準タイプの外側にコンサート専用ドラムを取り付けます。)


7) エジソン・アイデリアD-2 1909年製


シリンダー型後期の高級モデルで1911年まで製造されました。

ケースはマホガニーでユニット部は模様入りの塗装がほどこされています。ホーンは合板のシグネットホーンが取り付けられています。2分、4分レコード両用です。

このモデルの後継モデルで、最後の外部ホーン付となった傑作機は“オペラ”という名称のモデルです。オペラ以後のモデルはすべてホーン内蔵型となりました。


8) エジゾン・トライアンフE 1910年製


エジソンの蓄音機も新型が出るに従い、デラックスなモデルと変化していったが、シリンダータイプの末期に近いこのモデルも合板シグネットホーン、新型大型リプロデューサー、3重のゼンマイ、2分、4分レコード両用と多彩な機能を持っています。

しかし、市場の大勢は円盤レコードに移行しており、1913年にはエジソンもついにロウ管型蓄音機の生産をすべて中止することになりました。(エジソン・トライアンフAも所有しています)


9) エジソン・ファイアサイドB 1912年製


セルロイド製のブルーアンベロールレコード(4分再生)を演奏するための普及型プレーヤーとして発売されました。

このB型は、改良型ゼンマイを使用し、2分、4分レコード両用になっています。2分、4分の切替えはプレーヤー左側のボタンを押したり、引いたりすることにより行ないます。黒ワンス塗装をした朝顔型シグネットホーン付きで1913年まで製造されました。


10) エジソン・アンベローラ1A 1909年製


当蓄音機は、ホーンを本体内キャビネットに内蔵した、エジソン社の1号機であります。(ホーン内蔵型蓄音機については、既にビクター社より1906年にビクトローラの名において発売されています。)アンベロールレコード用(4分ロウ管再生)として開発されました。アンベローラ蓄音機は4台保有していますが、その後に発売されたアンベローラ・シリーズも含めて最も大型で豪華な造りになっています。M型のリプロデューサー再生P.U付で2分ロウ管、4分ロウ管のレコード両用です。

当蓄音機は、他のモデルと大きく異なる点があります。それは、リプロデューサーが固定されており、その代りにシリンダーが右から左へ移動するようになっています。当発想は現代でも生きており、同じメカニズムを持ったCDプレーヤー(CD-PUを固定しておいて、CDdiskを移動させるメカニズム)が大手オーディオメーカーより発売されています。ただ、当メカニズムは主流にはなり得ませんでした。


11) エジソン・アンベローラ6 1913年製


ホーン内蔵型で一つのシリーズを形作ったモデルです。

アンベロールレコード専用として、このモデル以外にも数機種発売されました。
機能的にはロウ管型蓄音機として、エジソン社の技術が十分注ぎ込まれており、完成度の高いレベルに達しておりました。


12) エジソン・アンベローラ30 1915年製


ホーン内蔵型のアンベローラシリーズは10機種程ありますが、テクニカギャラリーには4モデルが展示されています。

この30型は最も小型に出来ています。このシリーズからリプロデューサーにはダイヤ針が使用されました。駆動系はギア式で、ベルトに比べて経年変化は少なくなっています。小型ながらクリアな音質で音量も十分有しています。4分ロウ管アンベロールレコード用です。


13) エジソン・アンベローラ50 1915年製

駆動はギア式が採用されて、安定した性能を有し当時50$で売られていました。

_______

今回は、エジソンの円盤レコード用蓄音機について述べます。

エジソンは円盤レコード(ディスク)用蓄音機も数多く製作しています。他社では既に円盤レコードに切替えていましたが、エジソンはやっと1912年になって円盤レコードと蓄音機を発表しました。レコードの音溝は、ロウ管レコードと同じで縦振動で刻まれており、ディスクの平面性が要求され厚さ6mmにもなっていました。


16) エジソンA-100 1912年製


標準的なモデルです。円盤再生用蓄音機のシリーズ中の機能は同程度でした。
ユニークな構造のトーンアームとリプロデューサーにダイヤ針を使用しています。(ダイヤモンドディスクの命名の由来です)アームと連動しているホーンなど、他には見られない多くの特長を持っています。A-100は初期のモデルです。

17) エジソンC-150 1915〜20年製


機能的には、円盤再生用エジソン蓄音機の他機種と全く同一です。
ちなみに、エジソンは蓄音機とレコードの製造を1929年まで続け、以後完全に業界から撤退しました。


18) エジソンC-250 1915年製


エジソンの代表的な高級モデルで、ダイヤモンドディスクチッペンデールと呼ばれました。

チッペンデールとは、18世紀イギリスの家具デザイナー、トーマスチッペンデールの名前を取り上げて命名されています。デザイン、大きさ、再生音などいずれを取っても他を寄せ付けぬ性能を持っています。機能的にはリニア、トラッキング的なアームとサウンドボックス、リモコン操作によるアームリフター、トランペットのミュートみたいな音量調節機構が付いています。C-250には有名なオペラ歌手との声のすりかえ実験が何度も行なわれています。C-250の名称の由来は、当時250$で販売されたためです。

19)エジソン エジソニック 1928年製


エジソンが最後に商品化した蓄音機です。

ダイヤモンドディスク(縦溝)再生がメインですが、その他にダイヤモンドディスクの長時間盤と横溝ディスクもかけられるようになっています。 リプロデューサーがアームの先端で交換できる兼用機として仕上げられています。

http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk10.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk11.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk12.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk13.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk15.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk39.html


1877年アメリカのトーマス・エジソンが蓄音器を発明したことは知られている。しかし彼が考えた針の縦振動方式はベルリナーの横振動方式に敗れ去ったのである。

もともとエジソンは音楽を録音し、それを広めるという考えは第一義ではなかった。10ケ条のメモを残しているが、その第一には、「速記者を必要とせず手紙がかけるほか、口述筆記に使えること」だった。幼い時に耳を悪くした彼にとって当然だったのかもしれない。「盲人でも本が読める」「雄弁術の教育に使える」そしてようやく4番目に「音楽を録音、再生すること」が出てくる。

横振動を唱えたベルリナーは最初から音楽再生に力点を置いた。横振動の平円盤はプレスすることで同じものが大量に作ることが出来るので1枚当たりの単価がやすく出来た。

それに対して、エジソンは縦振動が音質的に良いのだと主張したが、同じものをプレスすることが難しく、大量生産には向かなかった。

さらに縦振動にこだわったため盤が厚くなり、材料費などコストもかかった。蓄音器は針にダイヤモンドを使ったために横振動のビクター製より高かった。いわばハードもソフトも高かったのである。理論的に縦振動は音はいいが、実際には値段が違いすぎたのである。

ベルリナーのビクター社では、ガイズバーグという若い技術者がレコード制作の面でプロデュサーとしての手腕を発揮した。彼は当時のロシア第一の人気を誇っていたシャリアピン、イタリアの大物オペラ歌手カルーソに破格の大金を払って録音した。さらにはメルバ、タマーニョ、パッティなどをくどいた。世界一流の歌手がお茶の間で手軽に聞ける、このことが横振動の平円盤が勝利した決定的な出来事だったわけである。

ガイズバーグは明治36年に日本でも3ケ月にわたり出張録音を行い273面を製作している。

エジソンは技術者としてプロであったが、一流の芸術を理解するソフトの製作者が周りにいなかった。技術のみが先行するのではなく、それに伴うソフトがいかに大切かを、このエピソードは教えてくれる。

__________

「エジソンの音は立っている!」


神戸から来館された山下さんと名乗るかたは、エジソン・ダイアモンド・デイスクL-35の蓄音器の奏でる音を聴いて、そう語った。エジソン・ダイアモンド・デイスクL-35というのは、エジソンが作った平円盤用(いわゆる丸い円盤型レコード)の蓄音器である。

レコードといえば既にエジソンが発明したろう管型でなく、ベルリナーの開発した横振動の平円盤が主流となっていた。時代に残ろうとエジソンも平円盤を開発し、徹底的に音質にこだわった。

針を縦に振動させること、針先を直線的に動かすこと、針は摩耗のもっとも少ない硬いダイアモンドを使ったこと、ノイズを減らすため3ミル(0,075ミリ)の針で毎分80回転、4分間の演奏を可能にしたこと、レコードは反らないように6ミリの厚さを持たせたことなどである。

このエジソン蓄音器と生の演奏を“共演”させるという実験をカーネギーホール始め全米各地で行った。その結果、聴衆が音の違いがわからぬほど完成度が高かったと言われている。

しかしエジソンの蓄音器、レコードともに横振動のものと比べると随分と高くなってしまい売れなかった。
エジソンのカタログを見ると最高級品でなんと6000ドル、横振動のビクター製品なら500ドルくらいだった。

金沢蓄音器館の聴き比べの時間では、エジソンのろう管型、平円盤型の蓄音器はともにその音を聴くことが出来る。

あなたも<音が立っている>体験にぜひどうぞ。

http://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/hitorigoto.html


あくまでも音質にこだわったエジソン


704 : 黒神 めだかψ ◆ZjqBzMECHA : 2011/03/27(日) 06:00:44.91 ID:DzNxUGGJ BE:3073756469-PLT(12203) [1回発言]

縦振動盤は垂直に音波を刻む構造のため、レコード盤が分厚く、主に片面のみの記録だ。

縦振動盤は、現代のレコードプレイヤーで再生する場合は、縦振動に対応する専用のカートリッジに取り替えないと再生できない。


706 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/28(月) 19:27:10.85 ID:3dYXC1f2 [1回発言]
)レコード盤が分厚く、主に片面のみの記録だ。

これは正しいとは言えない。

たしかにEdisonのDiamond Discは分厚いが、それは縦振動の溝が深いからではなく、音質の歪みを少なくするためのアイデア。

Pathe系や初期Vocalion, Brunswickの縦振動盤は横振動盤と変わらない厚さだし映画用のトーキーディスクも径は大きいが薄さは普通のSP盤と変わらない。
片面のみの記録というのに至っては、いったいどこからそんな情報が出てきたのかむしろそれを知りたいw 


708 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/29(火) 22:13:35.52 ID:SK3jOQpc [1回発言]
EdisonのDiamond Discは持ってないが見たことはある。 あれは確かに厚いな。
あれで何枚もコレクションしたら大変なことになりそうだ。
そこまで厚くしてもこだわったのは何なのかな。
線速度一定のシリンダーにもこだわってるしね。


709 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/29(火) 22:30:33.11 ID:hWQfOPzQ [1回発言]
))708
エジソンがこだわったのはとにかく一にも二にも音質なんだ。

ソフトの内容ではなくて音質。そのためには生産性も犠牲にしたw

シリンダーの素材開発、浮遊するリプロデューサーの開発で、アンベロールシリンダーは同時代の横振動レコードよりはるかに明瞭で分離のいい音質だったんだ。

生産性の悪そうなシリンダーだけど、真空プレスを行なうことで、1910年代半ばまでアメリカのレコード業界のシェアを保つことに成功した。

とはいっても1910年頃にはすでに平円盤が世界的なソフトに成長していたので、エジソンも平円盤に進出した。(1914年)


因みに、はじめに平円盤のアイデアを特許登録したのはエジソン。
1885年にテープ方式と平円盤方式の録音再生装置を特許登録している。


710 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/30(水) 01:13:11.81 ID:UDmCKnAe [1回発言]
Edisonのシリンダーは復刻のいいやつ?だと確かにいい。

外周と内周の差も存在しないのは確かに合理的だと思う。
ただし、シリンダーも集めたら場所を食いそうだね、、、

あとは円盤も含めてEdisonは演奏家が弱い。確かに名演奏もあるが少なくて、多くはHMV-Victorに取られてる。

精緻で優秀な機械の技術があっても、簡単な機械で再生できる横振動にソフトと営業力で負けたのかな。商売とは難しいのだな。

http://unkar.org/r/pav/1140065288

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c28

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
29. 中川隆[-13123] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:07:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[409]

エジソンと蓄音機 2011/2/11(金)


 今朝のGoogleトップページを見たところ、今日(2月11日)はトーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931)の誕生日なんですね。

 エジソンと言えば、電灯(白熱電球)が最も有名ですが、私にとっては蓄音機も重要。そこで今日は、発明者に敬意を表して、エジソンと蓄音機の関係について、過去記事も含めて改めてご紹介します。

音を記録した最初の人物はエジソンではない

 ところで、空気中に伝わる音を初めて記録した人は、実はエジソンではありません。その人はレオン・スコット(Edouard-Leon Scott de Martinville, 1817-1879)、パリの印刷屋兼本屋さんでした。

 レオン・スコットは、1857年3月に音声記録機の特許を取得。その機械(上図)は「フォノトグラフ」(Phonautograph)と名付けられました。その仕組ですが、まず、【A】の円筒にはカーボン紙が巻きつけられています。ラッパの入口【C】から入った音は振動板【a】に取り付けられた針【b】を振動させ、その波形がカーボン紙に刻まれます。

 フォノトグラフは、音を記録することは出来ましたが、再生することができませんでした。しかし、2008年3月27日、残されていたフォノトグラフの記録紙からの再生がファーストサウンズによって実現。世界最古の録音がよみがえりました。この録音は『月の光に』(Au Clair de la Lune)というフランス民謡の一節で、1860年4月9日、レオン・スコット自身によって吹き込まれたものだそうです。(再生にはQuickTimeが必要です)

エジソンは音を記録し再生する機械の発明者

 レオン・スコットの特許から20年後、同じくフランス人のシャルル・クロ(Charles Cros, 1842-1888)が、フォノトグラフで記録された音の波形を写真製版技術を使って復刻し再生する仕組を考案。1877年4月、フランス科学アカデミーに書簡を送りました。しかし、その機械を試作する資金力がなく、彼の考案が陽の目を見ることはありませんでした。

 その数ヵ月後の1877年11月29日、音を記録し再生する初めての機械が、エジソンによって発明されました。彼はその機械に「フォノグラフ」(Phonograph)と名付けて特許を申請。1878年2月19日、特許を取得しました。


蓄音機の実用化と普及に遅れをとったエジソン

 しかし、エジソンは蓄音機の特許をとった後、しばらくの間、その実用化と改良を行いませんでした。その間に、蓄音機は他の人々によって様々な改良が加えられ、実用化されていきました。

 なかでも画期的だったのは、1887年、エミール・ベルリナー(Emil Berliner, 1851-1929)によって開発された平円盤レコードでした。このレコードは「グラモフォン」(Gramophone)と名付けられましたが、横振動(盤面に平行に音溝を刻む)というカッティング方式を採用したことも相まって、大量に複製可能という特徴を持っていました。

 その頃、エジソンも蓄音機の世界に戻っていましたが、それはロウ管(表面にワックスを塗った円筒)、縦振動(円筒の接線に垂直に音溝を刻む)というものでした。しばらくは両者の方式が競争しながら普及していきましたが、やがてロウ管レコードは衰退していきました。

 その後、1912年、エジソンは縦振動ながら平円盤のレコードを開発し、「ダイヤモンドディスク」と名付けて発売しました。このダイヤモンドディスクは、ダイヤチップの針先でトレースするためいちいち針交換する必要がなく、音質的にも当時のグラモフォン方式を上回っていました。しかし、ビクター、コロンビアなどのグラモフォン陣営との競争に負け、1929年、エジソンはレコード市場から撤退したのでした。

 エジソンはなぜ遅れをとったのでしょうか?

 それは、一言で言えば、ハードウエアの問題ではなく、コンテンツの問題だったと言うことができます。

 というのは、当時、ビクターやコロンビアなどのグラモフォン陣営は、蓄音機の用途を音楽再生に的を絞り、はじめの頃は多くの歌手や演奏家が蓄音機に対して懐疑的だったなかで少数の理解者を発掘し、有名な歌手や演奏家との録音契約を熱心に推進しました。そして、音楽といえば劇場やクラブに行って生演奏を聴くしかなかった当時において、いつでも聴きたいときに家庭でお気に入りの演奏を聴くという、全く新しい音楽の楽しみ方を普及させていきました。

 一方、エジソンは、蓄音機の用途を速記機械(今で言えばICレコーダーのようなもの)と考え、音楽再生という用途に対しては冷淡でした。このため、有名で人気のある歌手や演奏家の獲得に大幅に出遅れてしまったのでした。

 こうして、エジソンのレコードは今日ではほとんど忘れられた存在となってしまいましたが、その中の数少ない名歌手の一人、エミー・デスティン(Emmy Destinn, 1878-1930)のレコードを聴いて、エジソンの功績を偲びたいと思います。

 このレコードは、エジソン社が起死回生を期して発売したダイヤモンドディスクのなかの1枚。曲目はプッチーニ作曲『ある晴れた日に』、歌劇『蝶々夫人』の有名なアリアです。

"Un bel di" "One beautiful day" from Madame Butterfly
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=HbmPEZsq3uk

Composer: Giacomo Puccini
Soprano: Emmy Destinn
82527 Edison Diamond-disk (80rpm)

http://blogs.yahoo.co.jp/anonymat_21/folder/271055.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c29

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
30. 中川隆[-13122] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:08:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[410]
蝋管(シリンダー)の再生音はどんな音? 

最近、エジソン社のシリンダー式蓄音機を聴いたのだが、かなり驚嘆したので、ご報告したい。

よく録音の歴史的演奏をまとめたCDでは、1925年前後のSPレコードの音は、かなり聴ける演奏だが、シリンダー(蝋管とも)では、演奏がノイズに埋もれているような録音がほとんどであるようだ。しかし、実際に聴いてみると、生き生きとした音がするのである。確かにノイズは少し多いが、蝋管の状態さえよければ、それほど気にならない。

どうも、よほどいい加減な再生装置の音を録音してCDを作っていたとしか思えないが、そのような悪い印象を一般に植え付けたのは問題だと思う。

再生周波数の特性を測ってみれば、1925年前後に、電気吹込(マイクとアンプを使用した録音)以降、周波数特性が広がったのは確かであるが、人間の声やバイオリンなどは、それほどの帯域は必要ないのであるから、1910年前後でも、特製をきちんと分かって録音すれば、今聴いても感心する音が出るのである。このことは事実として忘れないでいただきたいのである。(7/06/10)
http://www.geocities.jp/soundboxes/topics.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c30

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
31. 中川隆[-13121] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:08:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[411]
1930年代までの家庭用のWEサウンドの代表格は、HMV(米ビクターの犬マーク)の音である。

電気録音方式を特許出願する時期に合わせ、ベル研究所が1925年に開発したクレデンザ蓄音機はその代表格で、蓄音機の女王とさえ云われる。

電気式録音をリリースする以前から開発されていたカーボン方式の1Bマイクは見かけによらず高性能で、10kHzまで伸びる特性を既に備えていた。

トーキー用に開発された555Wドライバーは、クレデンザ蓄音機と同じ取付口が使われており、同じ時期に開発された双子みたいなものである。

実際にはVitaphoneで使用された555Wはトーキーの業務用以外には門外不出であったし、Orthophonicのクレデンザの響きは女性的な柔らか音調で、両者が一緒に使われることはついぞなかった。ただWE社が1920年代まで民生用の音楽再生として好ましいとしたのはクレデンザの音調であり、アメリカはまだヨーロッパと同じようなサウンド嗜好を持っていたと考えられる。
http://quwa.fc2web.com/Audio-102.html

蓄音機の女王とも讃えられるクレデンザ。

その優雅な音ゆえに、誰もが英HMVの印象と結びつけるが、実はこれが大きな勘違いである。これこそがアメリカン・サウンドに君臨するWE社が、1925年に電気録音方式と共に世界に送り出した刺客であり、デザイン、ネーミング共にヴィクトリア趣味に彩られているが、立派なアメリカ製の蓄音機である。

それ以前の蓄音機の周波数特性が中高域のしゃくれ上がったカン高い音なのに対し、クレデンザのそれは低域から中高域までフラットに再生できる音響特性を持っていた。

これは一般的に考えられているヨーロピアン・サウンドと同じ志向であって、むしろ古い英グラモフォンの音がカン高い音で調整されていたことにも気付かされるのである。

ではHMV純正の蓄音機はというと、少しカン高さを残しながら低音の増強を図ったバランスを取っており、両者の仲立ちをする折衷的なスタイルであったことが判る。


Orthophonic Victrolaの取扱説明書(1926)
この時代のアメリカがヴィクトリア趣味の最期だったことが判る


従来型(破線)と新しいOrthophonicシステムの再生特性の比較(1926年)
100〜4000Hzをフラットネスに拡張している


Western Electric 1B ダブルボタンマイクと特性
基本的にフラットな特性をもっている

よくブリティッシュ・サウンドの特徴としてフラットネスが挙げられるが、素直な特性であれば相性が良いというわけではない。

日本製に多いフラットな特性のスピーカー(例えばBTS規格のロクハン)ではあまり良い効果が得られない。かつての東芝盤に多く寄せられる意見と似ていて、プレス時にイコライジングしない素直な特性がアダになって、中高域の凹んだインパクトのない音に仕上がっていまうのだ。ただNHKの録音は今の基準でみると音に癖のない良質なもので、オーディオ的には面白くないものの、むしろ実演の状況を巧く捉えているかもしれない。同じことはBBCにも言えるのだが、EMIのサウンドとは若干違うように思う。

 イコライジングをほとんどせずに放送するBBCモニターの特性をみると、ウーハーの800〜2,000Hzの中高域に5dB程度のアクセントを与えていることが判る。

フラットネスを旨としながらも、料理としてはやや辛めに仕上げてあるのだ。
代わりに高域が大人しく暴れが少ないのである。

これは古くは英グラモフォンの蓄音機から続く伝統的な周波数バランスを拡張した結果であり、中域に独特の質感をもたせる秘訣なのではないだろうか。

BBCモニターの特性の歴史を紐解くと、1930年代を起点としたアメリカのオーディオ技術に結びついていくのである。

LS5/9のユニットの裸特性(1983年)
Parmeko単体の特性(1947年)
GEC製フルレンジスピーカーの特性( 1930〜40年代)
1920年代の蓄音機の特性(破線)


 以下はBBCがParmekoを採用する際に比較試聴したTANNOYとEMIの特性だが、上記のBBCモニターの系譜とは異なり、中高域が大人しい特性である。

違いはTANNOY(Decca)が高域方向を持ち上げるのに対し、EMIの高級電蓄は高域がなだらかに下降する特性(BBCの感想では暗い音)となっている。

このときEMIはKelly製リボンツイーターを採用していたらしく、パワーレンジの必要ない家庭用システムに最適化していたことが判る。

EMIは1931年のアビーロード・スタジオ建設時から第二次世界大戦を通じて、技術の保守性が顕著になり、それを突き抜けようとしたDeccaとのサウンド面の乖離が激しいのではないだろうか。イギリス人の合理的な物の言い方からすると、より忠実度が高いということになるが、実のところ最初の基準となった技術からの積み上げに際し、感性的なものがより大きく働いているとも言える。


TANNOY Black 12"(1947年)
EMI Electrogram 高級電蓄(1947年)

 ちなみに1948年のBBCレポートM008に出てくるEMI製のスピーカーとは、楕円ユニット2本とホーン付リボンツイーター(おそらくKelly製)を使用していると記載され、1946年にHMVが開発した3000型電蓄Electrogram De Luxeと呼ばれた機種で、最初のAbbey Roadでのお披露目式についてはGramophone誌1946年9月号に記事が載っている。

QUADが最初に開発したコーナーリボンというスピーカーと構成が似ており、30Hz〜15kHzまでの再生レンジを誇った。1948年当時の価格で£395とあり、レッグ氏が最高の再生機器の開発を指示したといわれるのは、おそらくこの機種であったと思われる。

この3000型はEMIの技術力を誇示するために、コスト度外視で設計されたせいか、非常に台数が少なかったと思われ、お披露目式の後は1948年にErnest Fisk卿により買い取られ、オーストラリアでレコードコンサートなどに使われた。最初のキャンベラでのコンサートは、シュナーベルとフィルハーモニア管によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が再生されたと云われ、この時期の録音、リパッティやヌヴーなど1940年代に夭折した音楽家を好む人たちには、ひとつの方向性を示すことになるだろう。この3000型Electrogram De Luxeは1952年のSydney Morning Herald誌で中古販売の広告(£60)が出されたのを最後に、歴史上から姿を消しており幻の高級電蓄といえる。

 実際のところ、EMIでのLorenz製ツイーターの使用は、Kelly製リボンツイーターのコストや保守の関係から妥協したのではないかと思われ、1949年のHMV Radiogram 1609(価格:£103)から搭載された。この時期になるとEMIはドイツ・エレクトローラからテープ録音技術を吸収し、自社にテープ録音機(英BTH社製)を置くようになっていた。カラヤンは戦中からマグネトフォンとノイマン製マイク、Eckmillerモニタースピーカーという組み合わせで、バイノーラル録音の実験に参加していたため、こうした技術に習熟していたし、レッグ氏も優れた録音技術に早くから注目していたと思われる。

 EMIの92390型楕円フルレンジスピーカーは、1960年代のステレオ用スピーカーとして有名だが、1940年代のスタジオ写真からみてもっと早い時期に開発されており、1937年の高級電蓄Autoradiogram 801でほぼ同様のユニット(この時点では励磁型)が搭載されていた。

こうした高級電蓄はギニー金貨での価格表示であることから、貴族かそれに準ずる富裕層の持ち物という考えの強いことが判る。EMIがブルムライン博士を先頭に技術革新に邁進していた時期の所産であり興味深いが、それ以前にも1934年にMarconi社が高級電蓄Marconiphone 292で同様のユニットが搭載されていたため、本来はMarconi社が高級電蓄での使用を目的に開発されたユニットを、EMIがモニターに使用したというのが実際だろう。


その後のHMVブランドの電蓄にはこのスピーカーがよく使われており、プロフェッショナルな現場でありながらホームユースのための技術開発という側面が強いことが判る。1944年にBBCがM004レポートでこの楕円スピーカーを単体で測定した結果では、4.5kHzにピークを持たせたワイドレンジ・スピーカーであったことが判る。そのときのBBCの評価は、EMIのユニットは高音にピークがあると一蹴しており、GEC製ユニットの2.5kHzにピークをもつ特性と峻別している。一方で、楕円スピーカーにリボンツイーターを付けた高級電蓄Electrogramには「暗い音」という評価なので、あるいはBBCの技術者がEMIを毛嫌いしていたことは想像に難くない。

 同じ時期のDeccaの高級電蓄Decolaは、最初はGoodmann社のフルレンジ+ダブルウーハー、1949年にはTANNOY社の12"同軸2way+ダブルウーハーになっている。

おそらくこれらは、アメリカでのLP発売に合わせて製作されており、イギリスの家庭にはほとんど届かなかっただろうと思われる。

Abbey Roadスタジオの5chミキサー(1940年代?)
モニターに楕円スピーカー

EMIの楕円スピーカーの特性(単体:1944年、BBCレポートより)
HMV 801高級電蓄(1937年)
3台の楕円スピーカーを配した大型電蓄
http://quwa.fc2web.com/Audio-107.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c31

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
32. 中川隆[-13120] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:09:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[412]
皆様「CREDENZA」という蓄音機をご存知ですか。
1920年代にアメリカのベル研究所が設計し、ビクトローラ社が製作致しました78回転盤レコード専用の蓄音機です。

この蓄音機は世界で最も再生音の美しい蓄音機と言われており、世界ではじめて逆三角関数の数式に基づいた理論によるホーンの設計がなされた蓄音機、と言われております。

その図体は蓋をあけると背丈よりも大きなものでかの有名なウェスタンエレクトリック社のホーンの設計の原型となったモデルとも言われております。JBL社、ALTEC社などのホーンもこの蓄音機のホーンが原型となっているそうです。

またサウンド・ボックス内のアルミ製の振動板についてもすべての高級ドライバーと言われるものはこの形状を踏襲致しております。

気品のある音色はこの振動板から出てくるのです。
http://www1.odn.ne.jp/~cbz49420/credenza.htm

ウェスタンサウンドを考えるとそれ以前のサウンドは蓄音機のサウンドであり、かの有名なビクトローラ・クレデンザがウェスタンの原点ではなかろうか、

実際クレデンザのホーン構造を見ますとウェスタンの12A、15A、のカールホーンに良く似た構造をしています。

(蓄音機の音等は良い音ではない)と思われがちですが、本当に良い音とは電気臭くない音ではないだろうか、

生の音を良く聴きますと電気の音はしません、(エレキギター、シンセサイザーは別物)

生の音こそ自然な音です。音はすべてに生が基準になります。


 クレデンザのサウンドボックスを外してウェスタンの555ドライバーを実装して試聴した経験から不思議とクレデンザの音に非常に近い音になります。

その時の印象ではアコースティクな響で現代の音とはかけ離れた音に脅威を感じました、これこそ電気臭くない自然な音なのかも知れません。


 アルテック、JBLはウェスタンから分かれた会社ですが、ウェスタンサウンドを聴きますと両者ともあきらかに音の違いが認められます。永い間アルテックやJBLでオーディオを楽しんでこられた方は最終的にはウェスタンに(はまる)方が沢山お見えでそれだけの魅力があるのがウェスタンかも、


過去のビンテージスピーカーでアルテック、JBLに限らずタンノイ、グッドマン、ヴァイタボックス、などの初期型のスピーカーはウェスタンの音色と音作りに一脈通じる気がします。

皆さんもタンノイのスピーカーをお持ちの方が沢山お見えですがこのスピーカーも原点はウェスタンになります。タンノイでもモニターシルバー実装のオートグラフを私の友人宅で聴きますとウェスタンの香りが漂ってきます。このように書きますとウェスタンこそがオーディオの源流かも知れません。


写真の左側がウェスタンのスピーカーシステムになります。

右側のホーン付きのドライバーがかの有名な555Wです。

このドライバーは励磁型と呼ばれています。ホーンは12A,15Aとは違うストレートホーンの25Aです。


555Wのドライバーユニットのアップ写真でウェスタンエレクトリックとシールが貼ってあります。右側のスロートは15個の口がありこの部分へアタッチメントを取り付けて555Wドライバーを実装します。


写真の右側がウェスタンの25Aマルチセラーホーンです。材質は鉄かダイキャストで出来ていると思います。ホーンの長さは約1mでこのスピーカーが劇場で使用されていたと思うと凄い


低音はウェスタンのTA−4181ウーファでサイズは46cmの巨大スピーカーです。クロスオーバーは500Hzで使用しています。右側の写真はこのシステムの所有者でM月氏です。これを見ますとウェスタン25Aのホーンの巨大さが理解できると思います。
http://www.kit-ya.jp/product_info.php?cPath=86_87&products_id=667

555コンプレッション・ドライバーを色々と聴いてみると、その完成度と技術水準の高さを超えたところに、造り手の意図を感じ取ることができるような気がする。このドライバーは、あきらかにホーンと一体で使用することを前提に設計されている。

そしてターゲットにしている音は、蓄音機が表現できる生の音楽のプレゼンスである。

蓄音機は、機械振動から直接音波を作りだしているので同じ系のなかで音を処理している。

これに対し、スピーカーを使用すると機械振動、すなわち機械系から電気系に変換し、これを増幅して機械系に再変換を行っている。

一般に、系の変換を行うと、何らかの情報が失われる可能性がある。

私は、プレゼンスではないかと直感している。このプレゼンスこそ、生の音の肌触りであり、そこに演奏家がいるという佇まい感であり、さらには再生装置が消え、そして演奏家さえ意識させず、ただ音楽のなかに包まれる世界への到達がある。
http://homepage3.nifty.com/western/audio/expr2023/expr2023.htm


オーディオシステムの音を過去から現代まで沢山のマニアの音を聴かせて頂きましたが一つの共通点が見えくる、その共通点とはオーディオを長くやっている人ほど音はけして高音質、大音量ではなく音楽を聴かせる音になっている。しかも真空管を採用したデバィスがほとんどで半導体アンプや今流行のデジアンプで鳴らした音は良かったことは一度もない、

「電気臭い音の代表」半導体アンプは音が平板になりスピーカーの回りでしか音が鳴らない、

音に関して熟成したマニアの音は低域も高域も欲張らずバランスの取れたサウンドを聴かせてくれます。家庭の部屋でコンサートホールと同一の音などは再現することは不可能に近いが真空管アンプを使用すると不思議とコンサートホールの雰囲気感が出てくる、

ウェスタンエレクトリックのサウンドは現代から見れば特性は悪いはずですが真空管アンプで鳴らすと音楽を心地よくリラックスして雰囲気感を大切に聴かせてくれる響きを持っている。確かに(生の音)とは違う音ですが独特なサウンドで中域に密度がありコクのあるサウンド、現代の上も下も伸ばした中域の薄い貧弱なスピーカーとは方向性が違う、

名器と名の付くスピーカーは「音楽を美味しく聴かせてくれる」楽器の要素が秘められている、英国のヴィンテージスピーカーもウェスタンに共通した部分が多少感じ取れる。

オーディオを追求して行くと最終的にはクレデンザ、HMVなどの蓄音機などの電気臭くない音を意識するのではないだろうか
http://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-009.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c32

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
33. 中川隆[-13119] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:10:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[413]
Western Electric 551 Driver  

マグネチック方式最後のドライバー トーン・ポリシーは555に引き継がれている

551のトーンは、蓄音器のもつ絶妙のプレゼンスを彷彿させる。

この551以降ウエスタンのドライバーは、有名な555に引き継がれるが、555ドライバーの音はこの551のトーン・ポリシーを受け継いでいる。すなわち血脈の音である。


生、原音のプレゼンスを求めた蓄音器、

それを目指した551、

その血を受け継ぐ555ドライバー

と世代が変わってもその求めるところは変わらない。技術革新という意味では、この551と555の間には飛躍的なものがある。そして近代ハイファイの原点であり到達点となるの594Aドライバーに引き継がれる。

555と594Aの世界は全く異なるが、いずれもが到達点であり双璧である。

蓄音器、551、555、594Aと聴いてみると人類の音楽芸術と音響技術の歴史的変遷と融合を理解できる。

  551は、約500オームのインピーダンスとして扱い、真空管式の500オームの二次インピーダンスのトランスがついたアンプで鳴らさなければいけない。低い周波数をカットするために0.1u程度の品質のよいキャパシターを直列につないで使用する。魂に浸透するような音の世界が現出する。


マヘリア・ジャクソンやバッハのパルティータを深夜に静かに鳴らす。

こうなると蓄音器に近い世界で、555も594Aもタジタジである。

もうHMV203を持ち出すしかない。SPの復刻をこのドライバーで架けるとそこらの蓄音器ではとても追いつかないものがある。
http://homepage3.nifty.com/western/audio/551/551.htm

実は、ウエスタンは、555迄の時代と、594A以降の時代で、世界が異なっている。

555は、蓄音器からマグネチックを経た時代の集大成の作品であるのに対し、

594Aは、新しい挑戦の時代の製品なのだ。

594Aは、いわゆるハイファイの原点、開始点、そして実は到達点でもある。

そう。到達点が555と594Aの二つあるのだ。

どちらもがウエスタンの究極であるが、それぞれが時代の分水嶺になっている。

そのようなわけで、ウエスタンを極めるためには、555だけ、594Aだけでは、すまされず、双方のシステムが必要となる。どちらが優れるということはない。歴史上の双璧がここに極まっているのだ。
http://homepage3.nifty.com/western/audio/we555_r1/we555_r1.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c33

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
34. 中川隆[-13118] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:10:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[414]
SP盤の楽しみ


 エジソンが錫箔に録音する方法を発明してから既に約120年が経過しています。
その間に、録音技術は世界の録音芸術に対する欲求に駆られ、飛躍的な発展を遂げ、現在では録音音楽は実生活に入り込んでいます。

確かに音を聞くことに関しては、昔に較べ便利にはなったと思います。

例えば有名なメンゲルベルク指揮のチャイコフスキーの『悲愴』は、1937年版はもちろん、希少な1940年版までSP盤からCDにまで焼直されています。

実際にこれを聞こうとするときには、SP盤ではぜんまいのハンドルを回し、5枚組の10面を掛け替え、レコード盤を痛めないためには10本もの鉄針を替える努力が必要でした。

それが10インチLPの2枚組4面となり、12インチLPで1枚2面、最近のCDではおまけに小曲が付き1枚片面で掛け替えは不要となり、車や電車の中でいつでも気軽に聞くことができるようになりました。

しかし私は音楽の内容を聞こう思うときは、苦労はあっても蓄音機で聞く旧いTelefunkenのSP盤がメンゲルベルクのこころを一番伝えてくれるような気がしています。


 蓄音機とはシェラック(ラック貝殻虫の分泌物)を主成分とする混合物でてきたSP盤( 1890頃〜1960頃)専用の再生装置で、

盤をぜんまいモーターで78〜82回/分で回し、

音溝を鉄や竹でてきた針でトレースして

サウンドボックスとよばれる振動板を振動させ、

ホーン(らっぱ)を用い大きな音を得る機械で、電気は使っていません。


15年程前、偶然聞いた蓄音機の音は、雑音はありましたが思っていたよりずっと良いもので、生き生きとした実在感に感銘をうけ、それまでは音楽ではなく音を聞いていた自分に気が付きました。ちょうどその頃コンサート演奏でも、演奏者の楽曲に対する解釈の違いにふれ、今は亡き古の名人さらには作曲者の自作自演に興味を持つようになり、それが高じて大きな蓄音機を小さな部屋に押し込んで旧い音楽を聞くようになってしまいました。


 実は蓄音機で音楽を聞くまでにはかなり苦労しました。

新しいものでも50年は経っているので、修理は絶対に必要です。

特にアームやぜんまいモーターなどの可動部は磨り減っており、交換部品がないので自分で作り直しました。

また針も良い物は高価で手がでないので、硬質の竹を探し自作したり、タングステンで作り堅すぎて盤を痛めてしまったりしましたが、いろいろ試みた結果現在は主にソーン針(柱サボテンの棘)を自分で削り使っています。 


主役のSP盤の方は、専門的に扱っている店もあるほどで、私が聞きたいと思う有名な名演奏は数多くプレスされており、骨董品や稀覯品としての価値とは縁がないので意外に入手は楽でした。

SP盤も後期はマイクロフォンを使った電気録音になりましたが、私は旧吹込み(空気吹込み)と呼ばれるラッパの口からガラスやマイカの振動板で直接ワックス盤にカットした初期の録音の方が好きです。

旧吹込みでも歌やヴァイオリンソロでは、再生音域やダイナミックレンジの狭さが気にならないどころか、私は電気吹込み以上に実際の肉声に近い親しさや雰囲気を感じます。


 SP盤を聞いているうちに、作曲者が自作自演している録音に興味が出てきました。作者はどのようにその曲を考えたかの一端が見える感じがして楽しい気がします。

サラサーテが途中で何かを呟いていることで有名な自作の『チゴイネルワイゼン』を含む1904年61歳のときの録音、

ラベルが指揮をしている重厚なハーモニーの中にジャズの即興性を感じさせる『ボレロ』、

ヴェルディが彼のために『オテロ』をテノールパートに書いたタマニョの1903年のオテロの録音、

オネゲルが指揮している自作の『パシフィック231』


などを聞いて新鮮な感動がありました。これからも雑音の中に埋もれてはいてもオリジナリティーの高い音楽を聞くことで、音故知新を続けたいと思っています。
http://www1.seaple.icc.ne.jp/mixseeds/p124.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c34

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
35. 中川隆[-13117] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:12:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[415]
オーディオのはじまり
http://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10143&i=10209


クレデンザー、HMV203、エジソンなどの蓄音機
http://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10209_801.jpg


 「音楽などの音を再生する」という意味でのオーディオは、エジソン(Thomas Alva Edison)が 1877年に蓄音機を発明したときから始まる。

だが、エジソンが発明した蓄音機「フォノグラフ(Phonograph)」は、円筒の側面に音溝を刻む方式のため、録音を数多く複製することが困難であった。

また、再生だけでなく録音もできるので、レコードプレーヤーというよりはテープレコーダーといったほうが適切といえる。

もっとも、そのテープレコーダーすら、すでに蓄音機と同様に過去のものとなってしまい、知らない人が多いのではなかろうか。


なお、オーディオの歴史についての情報の多くが米国中心なので、ここでは、黎明期におけるもう一つのオーディオ大国であるドイツに重きを置くことにする。

 フォノグラフとの比較において、エミール・ベルリナー(Emil Berliner)が1888年に発明した円盤レコード方式の蓄音機「グラモフォン(Gramophone)」は、再生専用で録音ができないものの、プレス装置によってレコード盤を大量に複製できるという点で優れていた。

この発明によって、グーテンベルグの活版印刷で本が飛躍的に普及したように、録音を多数複製して「出版」するという新しい事業が成立し、今日まで続くレコード文化が始まった。オーディオはレコード文化と一体のものであり、ベルリナーのグラモフォンこそが現在のオーディオへと直接連なる祖先である。


エミール・ベルリナー
http://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10209_802.jpg


 ベルリナーは1887年に蓄音機の特許を出願していて、すでに「グラモフォン」という名称を用いていたので、ベルリナーの円盤レコードの発明が1887年とされていることが多い。

しかし、1887年の時点では溝がエジソンの縦振動に対し、現在のアナログ・レコードと同じ横振動になってはいるが、記録はエジソンと同じ円筒の側面に刻まれる方式であった。

ベルリナーが「円盤方式」の「改良型グラモフォン」を発明したのは1888年である。ベルリナーはドイツのハノーファーで1851年に生まれたドイツ人で、アメリカに渡ってから発明家として活躍した。ハノーファーは後にアナログレコードの故郷となる。


ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ
http://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10209_803.jpg


 同じくドイツ人のヘルムホルツは、大科学者であるだけでなく、近代的な音響生理学の開祖としてもオーディオ愛好家が敬意を払うべき人物だ。ヘルムホルツは音波をフーリエ級数を用いて周波数成分に分解し、和音や不協和音を科学的に解明した。また、内耳にある蝸牛と呼ばれる感覚器官で音波が周波数別に分解され、それによって人間などが音色を聴き分けるという仕組みも明らかにした。

 ヘルムホルツを擁したドイツは、当時急速に発展した音響科学のメッカであった。ヘルムホルツの著書「自然力の交互作用」は理系のドイツ語テキストとしてメジャーなので、を読まれた方も少なくないだろう。ベルリナーが故国ドイツで1889年に「グラモフォン」の特許取得と公開実験を行った際、ヘルムホルツがベルリナーのホテルを訪れて「グラモフォン」の実力を見聞したという記録が残されている。


グリーグ作曲・自作自演(ピアノ)「ノルウェーの結婚式の行列」(1903年録音)
http://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10209_804.jpg


 オーディオが形作られてゆく、19世紀末から20世紀初頭にかけての歴史の一端を下表にまとめた。ずらりと並んだ大作曲家らの没年が示すように、この世紀の変わり目はクラシック音楽が偉大であった時代が終わりつつある数十年であった。

この音楽史上で極めて重要な時代にオーディオ装置が辛うじて間に合い、歴史的演奏を録音とレコード盤によって後世に残すことができたということは、なんという幸運だろう。グリーグ、サン=サーンス、ドビュッシー、グラナドスといった大作曲家や、多くの巨匠級の演奏家が歴史的録音を残すことができた。例として1903年にグリーグがパリにあったG&Tのスタジオで録音したレコードを示す。1907年没のグリーグは、録音当時すでに健康状態が悪化していたが、ぎりぎりのタイミングで聴く価値のある録音を残せた。

 オーディオ愛好家はアンプやスピーカーなどの機械に夢中になっている後ろめたさから、音楽愛好家に対して劣等感を抱きがちだが、上記のようにオーディオが音楽に少なからぬ恩恵を与えてきたことも事実だ。

作曲家はオーディオが無くても楽譜などで作品を残せるが、「スウェーデンの夜鴬」と讃えられたジェニー・リンド(Jenny Lind:1887年没)が、文章や写真から歌声を想像するしかないように、もし、オーディオが無ければ、演奏家は自身の芸術を後世に伝えることができなくなってしまう。この「オーディオの歴史」は、そういうオーディオ愛好家の弁明でもある。


【オーディオ】


1877年:エジソンが蓄音機を発明。

1888年:ベルリナーが円盤レコードによる蓄音機「グラモフォン」を発明:
 米国のスミスが磁気録音方式を発明

1891年:オルゴールのポリフォン設立

1898年:デンマークのポールセンが磁気録音装置を発明(針金に録音)

1899〜00年:フーベルマン(Vn)らの巨匠がベルリナーの7インチ盤に録音

1900年:フランスのゴーモンが円盤レコード式トーキー映画を発明

1901年:「G&T」レーベルが登場し大音楽家のレコード録音が格化:ドイ
 ツのルーマーが光学録音装置を発明

1903年:テレフンケン社設立

1906年:ド・フォレストが3極管発明

1908年:パテが縦振動盤を発売

1913年:ベルリンフィルがニキッシュの指揮で「運命」を全曲録音

1914年:ティーゲルシュテットが光学式トーキー映画をベルリンで試験公開

1919年:トライ・エルゴンとド・フォレストがそれぞれトーキーを改良して特許化

1920年:KDKAがラジオ放送開始

1921年ごろ:SPレコードの販売ピーク

1925年:レコードの電気録音本格開始

1927年:世界初の本格的トーキー映画「ジャズ・シンガー」(円盤レコード式)

1928年:クラングフィルム社設立


(2014年3月 小林 正信)
http://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10143&i=10209

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c35

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
36. 中川隆[-13116] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:14:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[416]
いくつの「いい音」を持っていますか? Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽) 2011/06/01
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-269.html#comment

今年のGWは沢山の方にお越しいただいたのですが、5月中は他のテーマについて書いており手を付けていませんでした、しかし色々と勉強になることもあったので遅れましたが記事にしたいと思います。


休みも後半(私自身はずーと休みなんですが)になり、ブウウーーっと低いエンジン音が聞こえてくると我が家ではついぞ見たことのないシルバーの「どら焼きの親玉」のような薄い物体が駐車場へ滑り込んできました。


ポルシェの「なんとかー」という2シーターミッドシップのスポーツカーでした。
400kmの遠来のお客様です。仮にAさんとお呼びしましょう。

Aさんは、私の使っていたEurodynを買って頂いたご縁でそれ以降何度か行き来させていただいています。

確か音楽を聞いている部屋は我が家と同じ位の広さでしたが、職住近接の職のスペースにも何台もスピーカーを持ち込んでいて、現状で10セット以上音が出るようになっているはずです。
最近はWE4181を4台買ったので(594は既にある)ツインでやってみるとか、訳の分からんことを言っていた。


さて、今回は一泊の予定だし、我が家だけでは物足りないと思ったのか、同好の士を紹介してとの要望で、一緒にYさん宅へお邪魔した。
僕とYさんはオーディオだけでも30年来のお付き合いで、機材の変遷も聞いている音楽も熟知しているといっていい。

きっちりと育ちの良いYさんは、遠来の客人のためと色々な組み合わせで音を出してくださった。
Yさんの御宅には、3つのスピーカーがある。

1.WE555を中心としたフィールドコイルの3Way

2.Sentorian の7インチフルレンジ

3.最近導入された JBL D130と175DLHの2Wayモノラル (型名は不詳、グレー塗装のフラットバックのやつだ)

各々、ステレオソフト、SP復刻など古い録音、JBLはLPモノラル時代の再生をそれぞれメインに担当させている。


僕自身も過去は似たような経歴を持っていて

SPレコード    蓄音器

SPレコードの電気再生用とSP復刻LP(〜1946年頃)  WE555+カールホーンなど

LPモノラル (1946年〜1957年)  WE728+WE713+WE31 や Klangfilm KL-L305など

LPステレオ (1957年以降)  Eurodyn   ALTEC A-5  Lowther PW-2 など


詰まるところ、あれもこれもと種類の異なる機械を「不本意ながら←ここ強調」揃える必要に迫られる理由は
レコードの形状の違いや周波数帯域が拡大する歴史を追いかけ、それぞれのレコードをまあノーマルな状態で再生するためには、同じく機械側の歴史を追体験するしか他に道が無いからです。


http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03275.jpg


準備は出来たのに、グズグズしてちっとも実験の出来ていない、クレデンザ再生用のドライバー。


http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03267.jpg


計画通りならこんな感じに付くはずだ!  これを作ってからもう何年たったのやら・・・・


Yさん宅でたっぷりと音楽を聞かせて頂いた私たちは、夕刻には辞して食事に向かいました。

そこで、AさんはYさん宅の状況について、かなり「怪訝」に感じたという旨の感想を述べられました。
始めのうち、私にはその主旨が掴みきれずにおりました。しかし、或ことに気付いて「Aさんの戸惑い」を理解できたのです。

これはちょっと言葉にはしにくく、誤解を恐れずに言ってしまうと

Aさんが追い求める「良い音」には絶対無二の頂点があって、自身の信じるオーディオの目標は一点ではないか?と感じました。
それならば、常に最新の技術を信じても良さそうだが、古い機械を使っているから余計話がややこしくなるのだ。

対して、Yさんの御宅の3つのスピーカーはそれぞれ別のアプローチで音楽を表現していた。
音の要素のプライオリティがひとつではないという意味だ。


Aさん程のキャリアと使用機材をもってしても、求める音は一つだけ。というのはある意味素晴らしいことかもしれません。
オーディオの持つ本来的な使命、「フォノグラフ=音の記憶」からすると本道だと思います。長らく日本のオーディオ界を覆ってきた「原音再生」の精神ですね。

これに対して、私のように異なる複数のスタンダードを持つのは、130年という長い歴史を刻んだレコードをどうやって再生するか?という意識だろうと思います。
よって、私は人生で一度も自分がオーディオマニアであると考えたこともなく、「これが自分の音だ」という嗜好もありません。
多くの機械と遊んできましたが、それぞれを聞いた友人が「お前の音だなあ」と言ってくれるので、そうなのか。と思うだけなのです。


Aさんからはご帰宅後直ぐに、丁寧な書状と極上の「浜茹しらす」を送って頂きました。
その中には、こう記されていました。

「目指す方向は私とは違いますが、再生音の一つの方向を示していただき、大いに勉強になりました」

いえいえ、こちらこそ普段は「当たり前」と思っていた事を改めて考える機会を頂きました。
Aさんも「何か」を気付かれていたのでしょうね。


いつもの通り、SP、モノLP、ステレオLPと各カテゴリーでスーパーなレコードを聴いていただきました。
ステレオで選んだのが以前にご紹介した、「ファリャの三角帽子」です。

聴き終えたあと頬を赤くしたAさんから思いも寄らない言葉が発せられました。

A 「確かにすごい音だってのは分かるけど、でもこのレコードは例の高いやつでしょ?」

私 「まあ、バブル頃は随分高かったと思いますが、今頃は当時の半額になってますよ。」

A 「・・・ レコードにそんな金額は出せっこない!!!!!!」

私 「はあ?? あんた先日 WE300Aを4本買って ○○○万円払ったって言ってたでしょう!」


あなたは幾つの「良い音」を持っていますか?

コメント

おお! 面白い実験ですねえ

Kaorinさん

こんばんは

JBL D130と175DLHの2Wayモノラルは多分D1050ですね、キャビの色で1004と1005の違いが、でもマルチセルラの方がWesternっぽいですね。


面白い実験ですね。D173246をクレデンザWood Hornで鳴らすんですね。
でもルックスはうーーーん

ところでこのD173246のダイヤフラムはフェノリックでしょうかそれともアルミ合金どちらでしょうか?

BeachMaster等にはフェノリックが使われていたようですが、、、、、

2011/06/03(金) 00:40 | URL | mambo #n9Bk/wZI[ 編集]

Re: おお! 面白い実験ですねえ

mamboさん、こんばんは、

JBLは私が詳しくないので、詳細に紹介できませんが高音ドライバーは
小口径蜂の巣のホーンに付いていました。

エナメル系半艶グレーで端子はハンダです。
箱入りではなくユニットとXOのセットでした。


そして、家のドライバーはそのような立派なのではなく、ALTECの730です。
本当はLagevinとかの720ですと蓄音器に付けたときに帯域がピッタリだったのですが
最近は妙に入手難で諦めています。

720の振動板はフェノリックでした、730も恐らく同じではないかと。
旅客機の機内放送に使われていたヤツがフェノールだそうで、同じくらいの帯域なら
いいなあと思いますが、Music用はさすがに広いですかね。


2011/06/04(土) 00:06 | URL | kaorin27 #-[ 編集]

頂点は一つでも

こんにちは

この記事には考えさせられました。
同じソースを複数の装置で聴くている場合は、目指す方向が
一つに収束していく気がしますが、ソースが複数(SPとか)
になってくるとやはり目指す方向は多様化せざるを得ないので
はないかと思います。
モノラルとステレオを一緒にしている私などは、まだまだ中途
半端なのかも知れません。
それぞれの道を極めるというとカッコいいですが、結局はその
ソフト特有の魅力を引き出す手助けをするだけなのかなって思
いました。


2011/06/04(土) 14:06 | URL | メタボパパ #-[ 編集]

クレデンザの電蓄化

クレデンザのドライバー駆動、非常に興味を持って拝見しています。
ぜひレポートをよろしくお願いいたします。

ボクのHMVでの拙い経験では、普通のスピーカー再生に比べてクセはありますが、
それがソースのツボに嵌るとタマりません(笑)。

2011/06/04(土) 17:02 | URL | ibotarow #iaNYWVsc[ 編集]

最強のWood Horn

Kaorinさん
こんばんは

私はフェのリックのダイヤフラムの音が大好きです。

友人にお勧めしたGaussのHF4000に偶然 オリジナルフェノリック付のものが入手できたのでですが、音の柔らかさときたらアルミと
は比べ物になりませんでした。

>ALTECの730
そうでしたか、わたしはてっきりWEだと、、、、

でもこの時期のこのタイプは殆どフェノリックではないでしょうか?

それにしても最強のWoodHornだと思います。
Horn長は1.5mほどあるのではないでしょうか?
喉のところの真鍮といい、とても柔らかく、人肌が感じられそうですね。
グレデンザ、そろそろポチッちゃおうかしら? でもなあそっちの世界は、さらに泥沼っぽいからなあ、


2011/06/04(土) 23:52 | URL | mambo #L19/bMsE[ 編集]


kaorin27さん こんにちは。
 各ソースにたいして愛情を持ち、敬意をはらい、
律義であればあるほどkaorin27さんのようになら
ざるを得ないでしょうね。私はサーフェイスノイ
ズ恐怖症の重症患者なので、もっぱらCD(このネー
ミングは大嫌いなので、ディジタルレコードとでも
呼びたいのですが)だけですが、そのせいで失った
ものも少なくないと思ってしまいます。


2011/06/05(日) 14:21 | URL | 芳賀 瞬 #-[ 編集]

Re: 頂点は一つでも

メタボパパさん、こんにちは。

パパさんが以前、帯域を広く取ると、真ん中のエネルギーが薄くなる気がするという
記事を書かれていましたね、今回の記事はそれに対するオマージュのようなものです。

EMTの針先を見ても6μ、12μ、15μ、25μ、60μ、80μ・・・と沢山あります。
勿論グルーヴの太さに応じてですが、中音のエネルギーの推移ともピッタリとリンク
していますね。
SPや初期LPを聴いて「高音が伸びていない!」と腹の中で思っている人は沢山いると
思います。(高そうな盤なので口には出さないが、顔色で想像できる)

しかし、それぞれの時代のレコードに入っているものを、現代的Hi-Fi嗜好だけではなく、
各々の特徴を活かして十全に発揮させてあげることはとても大切だろうと考えています。

2011/06/05(日) 14:27 | URL | kaorin27 #-[ 編集]

Re: クレデンザの電蓄化

ibotarowさん、コメントありがとうございます。

本当にご無沙汰してしまい恐縮です。
教えて頂きたいことは沢山あるのですが、その手前のチンマイことで
右往左往しています。

さて、電蓄化計画はアンプまで揃えてみたのですが愚図で進みません。
自戒の念を込めて写真を使ってみました。

多少なりともご報告できるよう頑張ります。
今後ともよろしくお願いします。

2011/06/05(日) 14:31 | URL | kaorin27 #-[ 編集]

Re: 最強のWood Horn

mamboさん、こんにちは。

730をつないで針先掃除の音を聞いてみましたが、こりゃフェノリック
ぽいですね。
サウンドボックスのような「カサカサ」感が丸みがあって独特です。
金属では555でしか聴けないような「カサカサ」感でした。

クレデンザのホーンは昔の勇者が「蜂」だったかな、に糸を括りつけて反対側から
明かりを灯し、中を飛ばして計測したらしいです。何mだったかしら。

蓄音器は流石にご高齢で個体差が激しいと思いますが、乗り切る根性さえあれば
(manboさんなら文句なしでしょう)得られる成果は途方も無いと思います。

2011/06/05(日) 14:40 | URL | kaorin27 #-[ 編集]

Re: タイトルなし

芳賀さんこんにちは、コメントありがとうございます。

そうですか、サーフェイスノイズが苦手ですか。
人により、他の人が想像もつかないような嗜好ってありますね。

どのように表現したら正確なのか難しいのですが・・・

僕は逆にCDの曲の始まる直前のザワザワ感が苦手です。
勿論、CDですから無音なんですが、何となく部屋の空気が落ち着かない
というか、さわさわした感じを感じるのです。
まあ、我が家のCDのラインが皆さんのほど熟成されていない古めかしい
ものだから仕方がないのでしょうが。

対して、レコードはたしかに「サー」とか「プチ」とかいいますが
曲の始まる直前にスピーカーの方へ体を引き込まれるような静けさを
感じるんです。

どう言ったら近いかな、
雪が降る夜は、晴れた夜より耳に静けさが沁みるって言うと(北海道でしたね)
お分かりですね。
シンシンと雪が降るって、そんな感じです。

「シンシン」って言葉にしちゃったから無音ではないけど、無音より静かっていうのかしら。


2011/06/05(日) 15:02 | URL | kaorin27 #-[ 編集]


kaorin27さん こんばんは。
 いやー、面白いです!kaorin27さんは、レコードに雪の夜の
静けさを感じ、(そうです。仰るように、あれは確かに静けさが
聴こえてくるのです。)一方私は、CDの出現によって「これで
ドビュッシーのピアノ曲がやっと聴ける」と安どした。普通は
考えが一致して、そうか俺もなんだ、となって面白いとなる。
でも、自分とこんなにも違う、そしてそれが、こんなにも
面白いなんて、不思議で愉しいです。

2011/06/05(日) 20:06 | URL | 芳賀 瞬 #-[ 編集]

Re: タイトルなし

早速のご意見ありがとうございます。

いやーいいこと言われました。
「静けさが聞こえてくる」ホントそんな感じですね。
南国の方には共感されにくかもしれませんが・・・
「白い色の紙」と「白い絵の具を塗った紙」って質感が違いますね。そんな感じです。

ドビッシーのピアノのお話もその通りですよね。
CDって超高級植物図鑑のべらぼうに細密な花の絵のようです。
レコードは窓から差し込む光が空気の分子すら感じる室内を書いたレンブラントの絵のようです。

非常に興味深いテーマですね。


2011/06/05(日) 21:07 | URL | kaorin27 #-[ 編集]


kaorin27さん 納得です。
 レンブラントです。俗に『光と影の画家』などといわれますが、
実はkaorin27さんが言われるように、彼が描いたのは空気感では
ないかと。その空気も均一ではなく、粗の部分と密の部分があって、
しかもその空気は動いている。それがなんともアナログレコード特有の
生々しさに通ずる感覚なのではないかと。質感の件もしかり。そして
さらに人間の五感は細部まで嗅ぎわける力をもち、絵具を塗っても、
その絵の具がチタニウムホワイトとシルバーホワイトじゃまた違うとなる。
ホルベインとルフランじゃ違うとなる。われわれの感覚がもう少し鈍ければ、
オーディオの泥沼も浅くて済むのになあ…。

2011/06/05(日) 23:18 | URL | 芳賀 瞬 #-[ 編集]

Re: タイトルなし

こんばんは、

> オーディオの泥沼も浅くて済むのになあ…。
泥沼ですか!?
おかげさまというか、ありがたいことにというか泥沼感を一度も
感じずにこれました。
いつも、いい音出してくれてありがとーってやつです。

No天気なのか、仰るところの感覚が鈍いかですね。(笑)


2011/06/07(火) 01:24 | URL | kaorin27 #-[ 編集]


kaorin27さん こんばんは。
 何度も返答して下さって、ありがとうございます。身の周り
に同好の士がいないもので、オーディオにかかわる対話が楽し
いのです…。
 感覚が鈍いなんてとんでもないですね(笑)。あなたから発せ
られる鋭い言葉のひとつひとつに私は「おっ!」「ふーむ!」
「あっ!なるほどなあ…」とひざを叩いたり、腕を組んだり。
泥沼感経験なしとは、凄いなあ。オーディオをコントロールする
手腕が、私などとは格が違うのですね。私はつい最近、DG-48で
やっと出口を見つけ、光がさしてきました。

2011/06/07(火) 15:27 | URL | 芳賀 瞬 #-[ 編集]

Re: タイトルなし

こんにちは、

オーディオをコントロールする手腕が無いばかりか、そもそも
そういった感情が無いと言う方が正しい気がします。

誤解を招きやすいので記事にはしにくいのですが、
多くのスピーカーとかアンプはとても優秀じゃないですか。
そのまま、素直に使うといい音になるはずですよね。

私がいい音だと思っているのは、それを信じているからです。
本当は音は悪いかも知れませんが、要は気の持ち様ってやつです。

2011/06/07(火) 16:48 | URL | kaorin27 #-[ 編集]

http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-269.html#comment

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c36

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
37. 中川隆[-13115] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:16:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[417]

KLANG-KUNST オーディオの歴史 オルゴールとロールピアノ
https://www.klang.jp/index.php?ci=10143


ポリフォン社の大型オルゴール
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 ベルリナーが発明した「グラモフォン」やエジソンが発明した「フォノグラフ」が、まだ玩具レベルで音楽鑑賞用には不十分な性能しかなかった19世紀末から20世紀初頭にかけて、「オルゴールの時代」がレコードの本格化よりも一足早く訪れ、主に欧米で大流行した。写真はドイツで1889年に創業したポリフォン社(POLYPHON)の大型オルゴールである。写真の中央に見える大きな金属製のディスクを交換することで好みの曲を再生できるので、音楽の楽しみ方としてはCDやアナログディスクで曲を選ぶオーディオに近いスタイルといえる。

 ディスク式のオルゴールは、櫛歯と呼ばれる金属製の音源を、楽譜を移したディスクの孔で間接的に弾いて音を出す。櫛歯の振動は共鳴箱として巧みに作られた木製ケースで増幅され、黄金色の音の洪水ともいえるほど豊かさになる。機会があったら、ぜひ大型のオルゴールを聴いていただきたい。きっと、最新の高級オーディオ装置でさえ及ばないほどの美音に驚かされるだろう。

 それほどいい音のオルゴールだが、オルゴール以外の音色を出すことは原理的に無理がある。また、オルゴールはジングル・ベルが苦手といわれるように、同じ音の連打があまり早くできないので、編曲もアルペジオを多用した同じようなパターンになりがちだ。このため、たくさんオルゴールを聴く音楽好きは、しばらくすると飽きてしまうという致命的な問題が生じた。20世紀になって蓄音機が改良され、レコードビジネスが本格化してレコードの選択の幅が広がると、オルゴールは急速に衰退してしまった。どんな音色も、人の声さえも出せる蓄音機の魅力には勝てなかったのである。

 ポリフォン社のオルゴール事業も衰退したが、同社は第一次世界大戦中にグラモフォンのドイツ支社を傘下に収めた。グラモフォンの本社がイギリスにあったため、敵国資本としてポリフォン社に売却されたのだ。ドイツのグラモフォン社、すなわち「ドイツグラモフォン」は、その後クラッシック音楽の録音を中心に大いに活躍したのだが、その母体がオルゴール会社であったことはあまり知られていない。


ウェルテ・ミニヨンのロールピアノを録音したCD (TELDEC 8.43931)
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 オルゴールのほかにもうひとつ、素晴らしい音楽再生装置が同時代に開発された。それはロールピアノと呼ばれる自動演奏機能付きピアノである。なかでも、1904年ごろから活躍したドイツの「ウェルテ・ミニヨン社(WELTE-MIGNON)」の装置は、ペダル操作も含め、ピアニストの演奏を驚くほど忠実に再現できるという高度なものだ。その仕組みを簡単に解説しよう。

 まず、ピアニストの打鍵とペダル操作を、各キーやベダルに連結された黒鉛の棒で高速に巻き取られていく長いロール紙に記録する。ロール紙に記録された黒鉛の線は、キーを押す力が強ければ濃く、弱ければ薄い。また、キーやペダルを押している時間が長ければ線も長い。このように記録されたピアニストの微妙なタッチを、職人が再生用のロール紙に移すのだが、そのとき、穴の大きさでタッチの強さを、穴の長さで時間の長さを再現する。このロール紙をハーモニカのように空気吸引孔が並んだ読み取り装置を通過させることで、ピアニストの演奏どおりにキーを押したりペダルを踏んだりする動力を空気の流れとして得る。

 スタインウェイのグランドピアノとの組み合わせによるウェルテ・ミニヨンのロールピアノは、当たり前だが生のグランドピアノに等しい超高音質だ。どんなハイエンドのオーディオ装置よりも上に決まっている。写真のCD(独テルデック 8.43931)は、1969〜70年に旧東ドイツのスタジオで録音されたウェルテ・ミニヨンのロールピアノで、ブゾーニ(Feruttio Busoni)やシュターフェンハーゲン(Bernhard Stavenhagen)といった今世紀初頭に活躍した大ピアニストの歴史的演奏が聴ける。


大ピアニスト「フェルッチオ・ブゾーニ」(1866〜1924年)
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 ブゾーニはイタリアに生まれてベルリンを拠点に活躍した作曲家兼ピアニストで、カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲を再発見したように、バッハの鍵盤音楽に対して多大なる貢献をした。バッハのピアノ楽譜には「ブゾーニ編曲」とあるものが少なくない。ブゾーニは性能の悪い蓄音機のための録音を嫌がり、レコード録音の最中に妻へ送った手紙には、「このいまいましい録音機のご機嫌をとるため、強弱もペダルも制限しなければならず、思い切り弾けない」といった不満を書いている。ブゾーニは1922年ごろに英コロンビアで録音し、4枚のSPレコードが発売された。

 たった4枚を集めれば、この大ピアニストのコレクションは完結してしまう。すべて両面盤なので8面あるのだが、なぜか黒鍵のエチュードが2回録音されている。4枚のうち1枚は両面を使って「ハンガリー狂詩曲第13番」が録音されていて、B面には「狂詩曲」という曲名どおりの気違いじみた超絶技巧が吹き込まれているが、当時流行した「表現主義」の自由闊達さなのか、あるいは片面で4分程度しかない録音時間の不足に急き立てられてのヤケクソなのかは分からない。だが、最も少ないとされる両面ショパンの盤では間の取り方が舌を巻くほど絶妙だし、バッハの「平均律クラビーア」では荘厳さに圧倒される。ハ長調のプレリュードとフーガしかないのだが、ブゾーニが弾くとこの音数の少ない曲が不思議とシンフォニックに聴こえる。


ブゾーニが録音したハンガリー狂詩曲第13番(1922年録音)
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 では、そのブゾーニが渋々録音したオリジナルのコロンビア盤とロールピアノのCDを比較してみよう。古い80回転のコロンビア盤は、4枚とも濃い青のレーベルで、「ニュープロセス盤」とよばれる表面に良質なシェラックを用いたローノイズ盤だ。これをEMGの卓上型蓄音機で再生する。20世紀末にアナログレコードからCDになって音が悪くなったとオーディオ愛好家が嘆いたように、1930年ごろに機械式蓄音機から電気蓄音機に世代交代して音が悪くなったと嘆く熱心な愛好家に向けて、機械式蓄音機をハンドメイドで作り続けたのがイギリスのEMGだ。いっぽう、CDはプレーヤーこそSONY製の普及品だが、自作のAD1シングルアンプで増幅し、オイロダインというドイツの名スピーカーで再生する。

 録音が優れていることもあって、CDの再生音はすばらしい音質と迫力だ。「ラ・カンパネラ」と「リゴレットのパラフレーズ」というリストお得意の華麗な曲なのだが、早いパッセージで音が少し乱れ、全体に味気ない。このあたりはロールピアノの限界だろうか。対する古いコロンビア盤は、音が貧弱で常にスクラッチノイズを伴う。それでも、聴くにつれノイズは気にならなくなり、しだいに録音当時の薫香を豊かに感じるようになる。かなり独断的だが、古いコロンビア盤+蓄音機の勝利となった。


EMGの卓上型蓄音機(ゼンマイから回転計付きモーターに改造してある)
https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10218_805.jpg

https://www.klang.jp/index.php?ci=10143

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Busoni 録音集 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Busoni+plays


Liszt Hungarian Rhapsody No 13 Busoni Rec 1922 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lGEDeH-1UL8

Ferruccio Busoni - Liszt Hungarian Rhapsody No. 13 (1922, 80 rpm) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aK_RIiGaILE

BUSONI PLAYS Liszt - Hungarian Rhapsody - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IYHt3k38hNQ


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c37

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
38. 中川隆[-13114] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:18:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[418]
ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事


HMV203 Plays Jacques Thibaud - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ttzTw2OvhXg


ヤフオク! -「蓄音機 hmv」の検索結果
https://auctions.yahoo.co.jp/search/search/%E8%93%84%E9%9F%B3%E6%A9%9F%20hmv/0/
https://auctions.yahoo.co.jp/search/search?ei=UTF-8&p=hmv+%E8%93%84%E9%9F%B3%E6%A9%9F&tab_ex=commerce&o1=a&nockie=1&rkf=1&mode=0&s1=score2&n=50&f=0x2&auccat=0


NHKの「美の壺」というテレビ番組で紹介されていましたからHMVロイヤルという機械式蓄音機を御存知の方も居られるでしょう。


クレデンザなどは下々のものでいわば大衆機、
HMV202や203こそがSP再生の極致である

とは某エンスージャストの言ですがロイヤルは203や202とは全く比較にならない名器だそうです。

英王室に一台、EMIに一台の世界にたった二つの品です。
そのどちらかが20年以上前に銀座某社経由で日本にもたらされ、五十嵐所蔵品になりました。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html


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HMV203 Plays Jacques Thibaud - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ttzTw2OvhXg

株式会社シェルマン アートワークス HMV203
http://www.shellman-aw.co.jp/Site/HMV203.html

英グラモフォン社

サイズ W×D×H : 71×56×127 cm 


価格:お問い合わせください 1年保証*


名器クレデンザの基本設計をベースにさらなる改良を加えた、名実ともに世界最高の蓄音機。ビクターのオルソフォニック・サウンドボックスを英国流に改良したNo.5Aサウンドボックス、クレデンザより開口面積で20%程も大きいリ・エントラント・ホーン、優雅なマホガニー製キャビネット、上品な艶消し金メッキ仕上げの金属部など、一切の妥協を排した最高級モデルの名に恥じない逸品。


まさに「蓄音機のロールスロイス」です。


シェルマン編の取扱説明書、鉄針200本、ストロボスコープが付属します
http://www.shellman-aw.co.jp/Site/HMV203.html

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HMV蓄音機の魅力

アメリカのビクターとイギリスのHMV(正式にはグラモフォン社だが、HMVといくのが一般的)、 この2つがディスク型蓄音機を代表するブランドだ。

両社とも同じトレードマークを用い、ほとんど同じデザインの製品を発売していたこともあり、 また、共通する部品も多い(実際HMVはビクターからパーツを取り寄せていた時期もある)。 しかし出てくる音にははっきりとした違いがある。 今回は電気吹き込み時代のHMVの製品に焦点を当ててその特徴を述べてみたい。


 音の特徴


音の印象は主観的なものだということを承知でHMVの音にはある共通点があると 思っている。それは音に躍動感と新鮮さがあるということだ。 出てくる音の凛とした感じはHMVならではのものだと思う。

あとは大型になるに従って、音に余裕が生まれ、スケール感が増し、気品すら漂ってくる。
http://umeya.bz/miryoku.html


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☆ 私と蓄音器EMGマークZ との出会い その1 ☆
http://emgmark7.com/dish.html

私は昭和23年生まれで今年2013年で65歳になります。大田区、久が原に中学時代までいました。。そこには祖父の卓上蓄音器(ビクトローラVV1−90)が家にあり私が4〜5歳の頃、姉がゼンマイを巻き聴いていました。小さいながらも、黒い盤が回るのを見たり、中を覗き込んだり、後ろに回って誰かが中にいて唄っているのではないかと、その当時は不思議に思ったものでした。

また父は音キチでステレオに凝りマッキントシュのアンプやタンノイのスピーカなどが沢山転がっていました。私が中学時代にどっちのスピーカの音が良いか、よく聴き比べを父に頼まれ、何回も聴き比べをしていくうちに耳が肥えていったように思います。

そんな環境で育ったため私は大学では音響の専門機関である財団法人―小林理学研究所と関連のある大学へ行き物理の中でも音響学の勉強をしました。専門は室内音響で当時のコンサートホールの残響時間や室内の周波数特性の測定でした。

40年位前になりますが、その当時の新宿厚生年金会館のホール音響はひどいものでした、ニニー・ロッソが毎年日本に来てクリスマスコンサートをしていました、トランペットをニニーが吹くと1秒くらい遅れて後ろの壁から反射して聞こえて来ます。壁や天井・床が並行のため反射して戻ってきます。そんなことで小林理研に依頼があり部屋の残響時間や周波数特性の測定に駆り出されたことを今でも思い出します。

もちろん今ではコンサートホールは並行な壁や天井はなく音の良いホールになりましたが、いまだに音の悪いホールは初台のオペラシテイー位になりました。

その後、私は補聴研究室へ配属になり、補聴器のフィッテイングの研究をし、昭和60年に独立、補聴器フィッテイング研究所を設立、当時、補聴器のフィッテイングの技術が世界的に無かったため、外耳道の鼓膜面までの共鳴を考慮した調整法を確立し、現在では、日本全国から補聴器の調整を求めて来所されます。

また趣味としては、父からステレオ装置を譲り受け、CDの音を聞いていましたが、なかなか良い音に巡り合えず、昔聴いた蓄音器の音が懐かしく思っていました。しかし蓄音器には全く知識が無く、踏み込めないでいました。

そんな時、15年位前から、私は茶道を始め、毎年正月には初釜をして楽しんでいました。9年位前に知人から港南台に茶室を造った家があるので見に行かないかと誘われ訪問しましたら、そこの旦那さんが蓄音器を持たれており久しぶりに聴かせていただきました。昔聴いた懐かしい音に感動し、そこで初めて銀座に蓄音器の老舗シェルマンがあることを教えてもらいました。

2003年11月21日、東銀座のシェルマンに行きました。二階に上がり磯貝社長にお目にかかり、言いました。

『ここに並んでいる蓄音器を順番に聴かせて下さい、私が聞いて一番音の良いと思う蓄音器を一台購入します。』

その当時は蓄音器に関する知識が全く無く、1台目は確かアメリカのものだと言っていました、聴いた瞬間、音の抜けが悪く、ボーカルは遠くで唄っている声でした。

二番目はイギリスのもので、一番大型のサイズだと言う2種類でした、アメリカのとは違い音の抜けは良かったです、大きさは同じでしたが、後の方が音の艶がありました。

4番目は上にラッパが出ていてこれもイギリス製と言っていました。大きな音で鳴っていましたが、低音と高音のバランスが悪く低音ばかりが大きく聞こえます。しかも低音が絞まらずボンボンと聞こえます。

5台目も同じメーカーでフロア型でした。これを聴いた瞬間、鳥肌が立つようでした。高音も良く出ていて、低音もズンズンと絞まっています。高音と低音のバランスがとても良く、ボーカルは音がフォーカスされ、目の前で唄ってくれているようでした。音楽が終わらないうちに、これを下さいと言っていました。

あと2〜3台未だ聴いていない蓄音器はあったのですが、もうこれ以上の蓄音器はないだろうとその時、思いました。蓄音器の知識が全く無い訳ですから、頼りになるのは私の耳だけでした。若い頃から耳は訓練していたため、スピーカからの音楽を聴いて周波数特性がある程度描ける位の耳は持っていました。

この蓄音器マークZの周波数特性はピーク・デップの無い比較的フラットな特性で、しかも今まで聴いた蓄音器の中でも高音から低音まで良く再生している広帯域特性とその時、判断しました。これが、私が初めてEMGマークZに出会った瞬間でした。


☆ 蓄音器 EMGマークZ とは! その2 ☆

それから1週間くらいして、自宅にマークZを設置にシェルマンの磯貝社長が来られました。設置を見ながら社長に聞きました。

『この蓄音器はシェルマンでは何台位扱いましたか?』

かなりの台数が出ているだろうと、予想していたのですが、以外な回答でした。

実はこの蓄音器はシェルマンでは、初めてと言うこと、EMGの蓄音器の中でも大変珍しく幻の蓄音器と言われている事を聞きビックリしました。

では、日本では何台位入って来ていますか?と聞くと、数年前に梅屋さんが初めて入手し、世界の蓄音機の本に掲載されている写真がその実物で、多分これが1台目ではないか、しかしこの蓄音器は回転むらがあったと聴いているとのこと。今日納めたこの蓄音器がおそらく日本で2台目ではないかと思うと言われていました。

そんなに珍しい蓄音器だと言うことを全く知らずに手に入れた事に感銘しました。そして、更にこの蓄音器について知りたいと思い、書物を探しましたがなかなか見当たりませんでした。インターネットでEMG蓄音器で検索すると静岡の林コレクションが見つかり、早速、連絡を取り遊びに静岡の林コレクションへ出向きました。

なんと林静雄さんもEMGの熱烈な愛好者で、EMGの息子さんのジョー・E・ジンと家族ぐるみで交流があり、以前に家族でイギリスの自宅に遊びに行った話をいろいろとお聞きし大変、参考になりました。静岡にお邪魔した時に聴かせて頂いたEMGマーク\もマークZ程ではないが、乗用車に乗るためにコンサートなどの移動用に便利な蓄音器と思い求めました。鎌倉のコンサートで使用していたマーク\はこの時に求めたものです。

林さんにお聞きしましたら、EMGの息子さんの家に殆どんの蓄音器の機種が残っていたが、マークZだけが息子さんの家にはすでに無かったそうです。EMGの蓄音器をあれ程、情熱を持って集められておられる林さんでもマークZには未だ一度も出会ったことが無いと言う話を聞き、益々この蓄音器に興味が出て文献を探すことにしました。

間もなくしてE,M,G,STORYと言う書物が見つかりました。この書物によると、マークZは1928年7月に発売され、1927年に出たHMV202より共鳴管は少し短めだが、マークZの音は繊細で、今まで世に出た蓄音器の中でも、低音から高音まで一番広帯域である。EMGの蓄音器の中でも一番良いモデルである。と書かれており、HMVの蓄音器を意識して造った事が読み取れます。

また、林さんに指摘されて初めて知って調べましたら、マークZは世界の蓄音機ではホーンはパピエ・マーシュ(紙)と書いてありますが、本当はエボナイトだと言うことが本を読んで分かりました。実際にマークZの下から頭を入れて、見えない部分をカッターで削ってみました、紙の上にコーテイングしているのではなく、確かにエボナイトむき出しでした。このことで、低音がズンズンと絞まった音の理由が分かりました。

低音は波長が長いため、材料が軽くて軟らかいと振動で動き音が歪ます。低音を再生するには、重くて硬い材料が良いのですが、HMVのように金属にすると重すぎて移動が困難になります。そこで、金属でなく、紙でない、中間のエボナイトを採用したことが成功した一因と思います。

更に箱に入れてホーンの周りを固定したことで低周波数でもホーンが動かず歪の少ない音になったと思われます。また更に調べていくとEMGは全ての蓄音器がエクスポーネンシャルホーンと言うこと、これは全ての周波数の共鳴がホーンの真ん中に音像が出来、ボーカル等は、点音源になることです。従ってボーカルは声がフォーカスされ、そこで唄っているようにリアルに聞こえます。

また他社の大型蓄音器はリエントラントホーンと言う構造、これは点音源にならず、横に広がった線音源になります。しかも共鳴管の途中で管を二つに分けたため、聴く場所によって、上のスピーカから出た音と、下のスピーカーから出た音で干渉し、ある周波数では位相が反転すると言うとんでもないことが起こっているのです。聴くと音はフォーカスされず、広がってしまいます。カメラで言えばピンボケの状態です。しかし、一長一短があります。エクスポーネンシャルホーンはどの位置で聴いても位相が反転するようなことは起こらず、ボーカルやバイオリンソロなどはとても良いのですが、大編成の交響曲などは、点音源のため、全ての音が真ん中に集中し広がりが無くつまらない音になります。

リエントラントホーンはフォーカスはしないものの、交響曲は広がりがあり聴き易くなります。オールマイテーの蓄音器はリエントラントホーンかもしれません。このように蓄音器の構造を調べて行くと、EMG蓄音器の中でもマークZだけに、エボナイトを使用したこと、またマークZだけが、ホーンを箱に入れて固定したことで、EMGの蓄音器の中でも最高の音を造ることが出来たと思われます。

またEMGがHMVよりも更にハイファイの音を求めたため、エクスポーネンシャルホーンに執着したこともうなずけます。

このように私は、良い音の蓄音器が見つかると、どうして音が良いかを音響的に解明していく事に興味を持っています。また音の良くない蓄音器に出会うと、どうして音が悪いかを音響的に解明しようとします。その点では少し異色の趣味かもしれません。 

   


☆ 蓄音器EMGマークZ その3 ☆

私はこの蓄音器マークZの音がとても気に入り、もう1台、イギリスでマークZが出たら購入することを磯貝社長に伝えましたら、翌年、もう1台出て来ました、残念なことに、すでにモーターは電気に交換されていましたが、音は問題無く繊細な音を聞かせてくれています。

マークZの箱の模様は一台一台、異なっており、箱はデザイン会社 に注文して製作したそうです。2か月前にマック杉崎さんとお会いしましたら、初めのマークZはマックさんが所有されていたそうで、その後手放されて、現在は茨城県石岡の 世界的蓄音器マニアと私が思っている、青柳さんが所有されています。

2004年の雑誌、ステレオサウンドNo153に菅野沖彦さんのレコード演奏家訪問に青柳さんの自宅の写真 が載っておりマークZがあるのにビックリして磯貝さんにすぐ連絡しましたらこの蓄音器が一台目のものと分かりました。この機種はEMG STORYの本の写真に掲載されているものと同一で、模様が放射状になっている蓄音器です。この写真の実物が日本に入って来たことになり、林さんがEMGの息子さんの家に行ったときにはマークZだけは無かった、 つまり、既に日本に来ていた事になりつじつまが合います。

ではEMGの蓄音器はいったい何台位、造られたのでしょうか?
文献によると、マーク]は150台、マーク]aが75台、 マーク]bがオーバーサイズを含めても、たった50台だそうです。マークWが350台、マーク\が350台。

ではマークZはと言うと、これは記録が無く推測でしかないそうですが 数十台のようです。この数を見ると]bが50台と言うことは、もう既に日本にその殆どが入って来てしまったようで、もうイギリスで見つけようとしても難しい状況になっているようです。 しかもマークZは市場に出ることが殆ど無いことからかなり製造した台数は少ないと想像されます。

私は、こんなに良い音の蓄音器を独り占めしてはいけないと思い、8年前から 毎年10月の戸塚のフォーラム祭りの市民持ち込み企画に申し込み、EMG蓄音器クラブとして9時から4時まで約7時間コンサートを開催し、毎年70人くらいの方が聞きにきてくれています。去年は年を召したご婦人の方が一番で来られて最後までおられ、曲をリクエストされていました。毎年2〜3人ですが、EMGのマークZの音を日本ではどこで聴けるのか、検索をかけると私の掲示板に書かれているマークZの記事を読み、連絡が入ります。自宅に来られてマークZを聴いてもらうと、その音にびっくりされて帰られます。今度上京した時には、自分のSPレコード盤を持参するので、また是非聴かせて欲しいと言われます。

そんな方が全国に15人位おられるため、EMG蓄音器クラブなるものを 8年前に立ち上げました。会員は全国に散らばっているため、全員が一同に会する事はありませんが、クラブの年1回の行事として、毎年10月にコンサートを開催している訳です。

蓄音器の老舗シェルマンでは、以前に蓄音器の周波数特性の測定をするため、私が以前、所属していた小林理学研究所に依頼をしたそうですが、見積もりが高額のため実現出来なかったそうです。 そんなことで、私がシェルマンの蓄音器の周波数特性を測定するようになりました。

新しい蓄音器が入荷すると、周波数特性を取り、音を聞き良い音の蓄音器は店に展示する前に 私がゲット出来る特典があります。

平成17年にHMV194の素晴らしい音に巡り合いました。やはり聴いた瞬間にこの蓄音器を下さいと言っていました。

HMVのフロア型蓄音器ですが、もともとリエントラントホーンは音が良くないと言う私の先入観があったのですが、この194を聴いて考えが変わりました。後で周波数特性を測定しましたら、図―1のように200Hzから3000Hzまで周波数がフラットでした。その後も他の194を沢山聞きましたが、これ程の蓄音器に未だ出会っていません。

図―2はマークZの周波数特性です。周波数特性だけで音の良し悪しは勿論分かりませんが、一つの参考データです。

蓄音器の周波数の測定には2種類あり、一つは、周波数特性測定用のSPレコード盤があります。三分の一オクターブバンド毎の純音が録音されており再生しながら、騒音計でレベルを読み取って行きグラフを作成します。

もう一つの方法はクリック音を再生しマイクで受けてその信号をファースト・フーリエ変換(FFT)と言う手法でパソコンで計算し周波数軸に変換します。クリック音はレコード盤に縦に傷を一定間隔で入れ、再生します。

下の図は前者の方法で測定したものです。蓄音器によっては、ある機種の蓄音器は4台位測定しても周波数特性が殆ど不変と言うものもありますし、ある機種では、4台測定すると4台共、周波数が異なると言う機種もあります。蓄音器の周波数特性を図にして発表することも考えましたが、蓄音器の優劣に直結する可能性があり、差し控えております。

以上、私が9年前にEMGに出会い現在までやって来た事です。あまり参考にはならないと思いますが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。なお今年の4月、湘南SPレコード愛好会にEMGマークZを持参しますので、興味のある方は聴きに来て下さい。


☆ 蓄音器による鉄針・ソーン針・竹針の周波数特性の違い ☆
ゲストルーム
一般的に鉄の針は強い音、竹の針は柔らかい音と言うイメージがあるが、一体どのような周波数特性なのか大変興味があるところです。今回は蓄音器シェルマンの2階でHMV203の蓄音器をお借りして、実験を行いました。

図−3の赤線が鉄針ミデイアムを使用したときの周波数特性。青線がソーン針を使用した時、黒線が竹針を使用した時のものです。

まず、黒(竹針)と青(ソーン針)を比較してみると、250Hzでは両者とも同じレベルの90dBSPLであることが分かります。

500Hzでは8dBソーン針の方が音が大きい、1KHz、2KHz、4KHzでは10dBソーン針の方が音が大きいことが読み取れます。

即ち、低音域よりも高音域の方が竹針の減衰が大きいことが分かります。

次に赤(鉄針)と黒(竹針)を比較しますと、250Hz以下の低音部分は4dB位、鉄針の方が音が大きいことが分かります。しかし高音域1KHz,2KHzでは15dB位、4KHzでは約20dB位鉄針の方が音が大きいことが読み取れます。

従って竹針は低音域よりも高音域の減衰が多いため、音が柔らかく感じる訳です。この図を見るとソーン針は鉄針と竹針の略中間の特性と言うことが分かります。何かの参考になれば、幸いです。 


☆ 蓄音器の周波数特性 ☆


初めて銀座のシェルマンに伺い、聴かせていただいた時の蓄音器の特性を後日、測定させていただきました。最初に聴いたのがアメリカ製のビクトローラ・クレデンザでした、その時の蓄音器の特性が図―5の赤線の特性です。

500Hzが80dBSPLと他の蓄音器と比較すると10dBから20dBも弱いことが分かります。500Hzが弱いと音の抜けが悪い事につながります。この蓄音器もシェルマンで中も解体しメンテナンスが済んだ状態でした。

またこの図の黒線はもう1台別のクレデンザの特性です。このようにクレデンザは製造期間が長かったことと、製造台数が多かったため、中の構造に多少の変更などがあり、周波数特性にかなりのバラツキが見られます。

黒線の特性は500Hzが102dBSPLも出ていて、音の抜けはかなり良いです。クレデンザには当たり外れがありますので、音を良く聴いて抜けの良い蓄音器を選ぶことが必要です。

次に聴いたのがイギリスのHMV202とHMV203でした。その時の周波数特性を図―6と図―7に示します。サイズはどちらも同じと言うことですが、

比較すると500Hzで202型は90dBSPL,203型は100dBSPL出ていて、10dBも203型が出ています。従って音の抜けの良いのは203型かもしれません。HMV202と203型は比較的個体によるバラツキは少ないようです。

次に聴いたのが図ー8のEMG ]bオーバーサイズでした。周波数特性を見ても、明らかなように1KHzと500Hzは100dBSPLも出ているのに、3KHzでは80dBと高音域が出ていないことが分かります。エクスポーネンシャル・ホーンの径が大きくなり共鳴管の長さが長くなるほど、高音域の減衰が大きく、低音と高音のバランスが悪い事が分かります。

そして、最後に聴いて、鳥肌が立つようだったのが、EMGマークZアップライト・グランド型でした。その特性が図―2です。フラットに近い特性が読み取れるでしょうか?

このように、私の耳で聞いて感じたことが周波数特性を取って見ると、略特性に出ている事が分かります。私が蓄音器の音を聞いて聴き終わらないうちに、購入を決めたのは、図ー2のマークZと図―1のHMV194の2台だけでした。


☆ 針の太さの違いによる、周波数特性の変化 ☆

鉄針のラウド(太針)とソフト(細針)は、いったい、どのような周波数特性になっているのでしょうか?

一般的にはラウドは大きい音、ソフトは小さい音と言うイメージがあるが本当にそうでしょうか?

私もこのことには、大変興味があり、蓄音器の老舗シェルマンの二階をお借りして実験を行いました。使用の蓄音器はEMG―]bです。図−4の赤線がラウド(太針)の特性であり、黒線がソフト(細針)の特性です。

これを比較すると、1000Hzから低い音は、どちらも同じ大きさの100dBSPL音ですが、2000Hzでは、5dB位太い針の方が音が大きい、また3000Hzでは約8dB.4000Hz以上の高音域では、約10dB位太い針の方が音が大きい事が分かります。

従って、針の太さがラウドとは、全体の音が大きくなるのではなく、高音域が出るのがラウドと言う事になります。針の太さを太くすればするほど、高音域が出てきます。これは、ソーン針でも同じ結果になりますので、高音域を出したい時は太い針を使用した方が良い事になります。

しかし、どちらの針も騒音計で音圧レベルを測定すると略同じレベルになります。何故かと言うと500Hz〜1000Hzの音のレベルが100dBSPLもあり、高音域3000Hz〜4000Hzでは、太い針で90dBSPL、細針で80dBSPL位なので、全体の音のエネルギーはどちらの針も同じ略100dBSPLと言うことになります。
http://emgmark7.com/dish.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c38

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
39. 中川隆[-13113] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:19:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[419]
蓄音機の梅屋 蓄音機 LIVE演奏!!
http://umeya.bz/gramophone.html

HMV蓄音機カタログ
http://umeya.bz/hmvcatalog.html

梅屋 蓄音機(for sale)
http://umeya.bz/php/gramophone/

日本で販売された蓄音器/蓄音機のカタログ
https://chikuonki.jp/

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〜代表的な蓄音器〜
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/gaiyo/index.html

エジソン スタンダードB型

1901年(明治34年)〜U.S.A 蝋管用蓄音器
Model : Edison B Type
Product : Edison Co. of U.S.A


ビクター 木製ラッパ卓上蓄音器

Victor STYLE Vol.II
1902年〜1920年
(明治35年〜大正9年)
$30〜$37.50
Product : U.S.A


E.M.G.EXPRT
イギリス製手巻卓上型蓄音器

1927年(昭和2年)英国
(P.Willson Modern Gramophone)
Product : UK


ビクトローラ クレデンザ

1925年〜1928年
(大正14年〜昭和3年)
$275〜$405 VV8-30型U.S.A
1926年〜1927年
(昭和元年〜昭和2年)
$650
Model : Victrola Credenza


ビクトローラ
手巻式蓄音器 VV-300型

1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)
$250〜$315 金メッキ仕上げ
Model : Victrola VV 300
Product : U.S.A


エジソン ダイヤモンドディスク
テーブルグランド

エジソン社製。縦、横兼用蓄音器
Model : Edison Diamond Disk Table Grand


HMV 蓄音器 モデル194型

イギリス
1927年(昭和2年)〜1930年(昭和5年)
金メッキ仕上
Model : HMV Model 194


ビクトローラ 1-90型

日本ビクター蓄音器株式会社製
1929年(昭和4年)10月 国内製作販売150円
米国製作輸入価格295円
Model : Victrola 1-90
Product : Japan


HMV 手巻蓄音器 ルミエール

Model : Lumiere
Product : HMV Co. of Uk

https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/gaiyo/index.html


金沢蓄音器館
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/index.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c39

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
40. 中川隆[-13112] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:22:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[420]

北関東蓄音機倶楽部 Sogaphon _ SP録音の CD復刻盤 は Sogaphon を取り付けた HMV蓄音機で聴こう


北関東蓄音機倶楽部
https://kitakantogramophoneclub.webnode.jp/


佐藤裕一
〒370-1203 群馬県 高崎市矢中町315-23
090-6560-9246


技術部長: 曽我和弘
Sogaphon の開発者
群馬県桐生市:熱処理会社(つまりゼンマイ製造のプロ)社長、真空管アンプビルダーでもあります。


北関東蓄音機倶楽部 佐藤事務局長のYou-tubeです。
EMG Mark Xb、HMV157、HMV102、Decca Portable、Cheney Model 2Pほか、自作アンプによるSPレコードの電気再生を紹介しています。

https://www.youtube.com/user/yuichis3010/videos?view=0


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Sogaphon を取り付けた蓄音機 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Sogaphon++
https://www.youtube.com/results?search_query=Sogaphon++%E8%93%84%E9%9F%B3%E6%A9%9F&sp=mAEB


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北関東蓄音機倶楽部の人(この人の所有の倉庫で、聞きに行かれた WE、エルタスのスピーカーのデモが、開催されているようです。)が、小布施の BUD に来られて、曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。

音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。

SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。

驚きの音が、しました。感激しました。
http://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/ece199cc3ee61d9a28f075d29d796277


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2016年08月12日
音を聴く〜シンプル イズ ベスト〜
http://bud-jazz.dreamlog.jp/archives/5258832.html


カルーソーが大きな朝顔型の集音器の前に向かってマイクなどなく突っ立って歌っている。
そんないとも殺風景な録音風景の写真を見たことがあります。

このように電気を使わない録音をアコースティック録音とか、ラッパ録音と呼んでいます。

1900年頃から1924年ごろまでですから100年前の録音です。

録音された当時のSPを機械式の蓄音機で聴くと、歌声の生々しさに思わず鳥肌が立つ感動を覚えます。
乾ききった喉に沁みる山の清水のようなものです。

しかし今、このような新鮮極上の生々しい歌声が録音された当時のSPが保存良く残されているのは稀です。

そのため、これらをLPやCDにできるだけ忠実に復刻する努力が続けられています。

そこでです、復刻されたSP原音は、できるだけ忠実に再生したいと思いませんか。
さて、そのための道具ですが・・・


先ず第一に機械式蓄音機。

LPやCDになってもSPの音は蓄音機に回帰しましょう。

これをプレーヤーとしてではなく、ホーンスピーカーとして使います。

LPやCDの音をどうやってそこから出すかですが、蓄音機に付いているサウンドボックスに換え、ソガフォンという小型スピーカーを取り付けます。

あとはプレーヤーとアンプですが、種々試行して音の違いを自分の好みに合わせ完成です。

ちなみに現在は以下の組み合わせを楽しんでいます。


CDプレーヤー:SONY D-2
アンプ:VintageJoin
蓄音機:DECCA 型番不明
http://bud-jazz.dreamlog.jp/archives/5258832.html


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小布施のジャズ喫茶 BUD 音を聴く〜音の芯〜 2016年03月24日
http://bud-jazz.dreamlog.jp/archives/5247260.html


古いものには味がある。
古いものは風格がある。

人も今の人より昔の人の方が中身が濃い。
今の人より昔の人が出す音は一途で集中度が高い。

今に伝わり残る名人の録音は心打たれる演奏が多い。
帯域の狭い音だが心に強く訴える力がある。

音は人なり人は音なりの音は、
しっかりとした芯のある音で聴きたい。

音の栄養分を水で割らない音。
強く引き締まった響き。

1900年代から50年代に録音された音はそう要求する。
そうした音だと演奏家が目の前に現れるからだ。

それにどう再生したらいいか。

SPは盤を蓄音機で聴くのが本来の音だが、
CDに復刻された音をどのように再生したら生々しくなるか。

答えはいくつもあると思うのだが、試した中で一番良かったのは、

蓄音機専用スピーカーのソガフォンをHMV101に取り付けた音です。


それは音の核心と呼ぶにふさわしい再生音です。

あら不思議、アラジンのランプから魔神が立ち現れるごとく、HMVから演奏家の姿が見えてくるではありませんか。


 ソガフォンはドライバー、HMVはホーンスピーカー。
 
 レコードまたはCDプレーヤーからアンプに、そしてソガフォンに接続。
http://bud-jazz.dreamlog.jp/archives/5247260.html

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北関東蓄音機倶楽部 Gramophone Club of North Kanto
http://kitakantogramophoneclub.webnode.jp/


技術部長: 曽我和弘

群馬県桐生市:熱処理会社(つまりゼンマイ製造のプロ)社長、真空管アンプビルダーでもあります。
富士レコード社、梅屋のスプリングは氏の制作によるものです。
またSogaphonの開発者でもあります。
http://kitakantogramophoneclub.webnode.jp/products/%e6%8a%80%e8%a1%93%e9%83%a8%e9%95%b7%ef%bc%9a%e3%80%80%e6%9b%bd%e6%88%91%e5%92%8c%e5%bc%98%e6%b0%8f/

Sogaphonの種明かし - yuihi310のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23571576.html

曽我技術部長発案による新たな電気再生システム、Sogaphonを紹介します。
HMV157にSogaphonを装着したところ、HMV203に変身?しました。腰が抜けそうになりました。
http://kitakantogramophoneclub.webnode.jp/you-tube-face-book/


Sogaphon - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Sogaphon


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Sogaphonの種明かし 2012/7/19
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23571576.html


今日はSogaphonシステムの解説です


まずは完成形
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23571576&no=0


チコンキのスロート部のアダプターは積層スプリングで仕上げています。0.3mm厚の熱処理形状記憶スプリング製です。

友人のチコンキスト曽我氏(熱処理会社の社長さん)の手によるものです。
ですから Sogaphon。

もちろんゼンマイのプロですから、どんなゼンマイも作ってしまいます。富士レコードや梅屋さんにも頼まれて製作しています。趣味として。こういう人が仲間にいるとチコンキストは安心ですね。僕のオルゴールのゼンマイも修理してくれました。


Polyphon plays 'Ballsirenen'
https://www.youtube.com/watch?v=PZVJ6yaTBUE&feature=plcp


ドイツポリフォン11インチ、8ベル付きの機械です。1900年頃の銘器復活。


真ん中の円錐形の物体は HMV5B サウンドボックスに模して作ったイコライザーです。これがあるのとないのとでは音が違う。HMV はよく考えています。


http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23571576&no=1


ユニット側です。Peerless 5cmフルレンジユニットです。試行錯誤の結果HMVにはこのユニットが最適であることが判明。ただし現行品は中国からインドに生産拠点が移転したので、音質については不詳です。Tang-Bandでは低音がやや出すぎるようです。できるだけユニット振動板とスロートが近いほうがいいようです(サウンドボックスの振動板と同じ位置)。


http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23571576&no=2


実験段階の Sogaphon。ジャンクチコンキのサウンドボックスの流用です。


http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23571576&no=3

ユニット側。Tang-Band の 5 cmフルレンジ。

最近You-tubeにアップした画像です


Coleman Hawkins; VARIATIONS Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=SKJqJ724FFU&feature=plcp

Coleman Hawkins のソロ。かなりのレア盤です。


Artie Shaw-Helen Forrest; I REMEMBER
http://www.youtube.com/watch?v=mqDsofKQH_U&feature=plcp

大好きな Edythe Wright です。


Sogaphon を使うと 45回転EPだって蓄音機で再生できちゃいます。我が青春時代のアイドル、ダニエル・ビダル


HMV 102 plays? 'Pinocchio', Japanese version, Daniele Vidal
http://www.youtube.com/watch?v=dwoNUgO7R5g&feature=plcp


とってもいい音です。78rpm 復刻は出来るだけノイズカットをしていないものが最適で、新さんの Goodiesシリーズはおすすめです。


なんといっても針を削る(切る)手間がかからない。しかも音量調節ができる?

チコンキストには邪道かもしれませんが、こんな楽しみ方があってもいいですよね。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23571576.html

蓄音機のお遊び 2012/7/16
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23551439.html


ゆうちゃんです。

本来まっとうな真空管アンプビルダー、蓄音機愛好家兼ジャズマニアでしたが、最近はあらぬ方向の道楽に走っています。


画像は動画にしてYou-tubeにアップしていますのでご覧ください。

yuichis3010 で検索すると出て来ます。


最新情報は銘器HMV157を使った電気再生、HMV102 2台によるステレオ再生の実験です。

http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23551439&no=0
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23551439&no=2


HMV 102 STEREO Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=6iTogiHAZp8&feature=g-upl


HMV 157 Meets Sogaphon Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=WDiUzsfqPZU&feature=channel&list=UL

http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23551439&no=1


HMV15 7は HMV のフロア型蓄音機では最も小型ですが、ホーンに折り曲げのない’ストレートホーン’型なので、音ばなれの良さは抜群です。


ナマ蓄音機のように、針の交換、レコードの交換をする手間がないのでソファに寝転がりながら蓄音機の音を楽しむことが出来ます。


蓄音機のサウンドボックスのかわりに 5cm のフルレンジスピーカーをマウントするシステムです。友人の曽我氏発案制作によるもので、Sogaphon(ソガフォン)と名付けました。

リアルな音がします。


Sogaphonの解説はこちら

The magic of Sogaphon
http://www.youtube.com/watch?v=NNVliaIqy4s&feature=plcp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c40

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
41. 中川隆[-13111] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:23:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[421]

「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c
「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c41

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
34. 中川隆[-13110] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:44:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[422]

2020年03月04日
中国GDPマイナス


中国GDPマイナスは89年天安門事件以来

なおこの戦車男は今も刑務所で収監されている

画像引用:https://courrier.jp/media/2018/05/25025626/s_GettyImages-517198274-e1527152282600.jpg


中国GDPは天安門事件以来のマイナス

新型コロナウイルス感染者数は世界で10万人に近づいており、中国以外で鎮静化する様子はみられない。

その中国は8万人で感染者がぴたりと止まったが、これは情報と人の移動を封鎖しただけです。

湖北省や武漢はネコの子1匹出入りできず、インターネットや国際電話も通じないので、中の様子はまったく分からない。



約6000万人を封鎖して移動を禁じ、その中にいる人が全滅しても構わないという対策です。

湖北省はまだましな方で、ウイグルやチベットの少数民族は輸送や補給を断たれたうえ、「人民」ではないので政府の支援がない。

ウイグルやチベットでは100万人単位の人々が飢えていると言われ、中国政府は支援どころか彼らが「減れば良い」と考えている。


中国政府発表の感染者は都合が良すぎるもので、外国研究者の武漢や湖北省での調査を禁止し、ばれた数字だけを発表している。

武漢や湖北省の火葬場が毎日数千人火葬したのは何故なのか、多くの目撃者が回収袋をトラックに積んでいる場面を目撃している。

中国政府は武漢からユーチューブに投稿していた民間人を何人か拘束し、それっきり行方不明になった。


現実的な数字を挙げるなら武漢周辺でなくなった人は1万人、致死率は1%台なので感染者は50万人から100万人と推測できる。

中国の消費や生産、輸送は完全にストップしてしまい、GDPは大幅マイナスの筈だが政府はプラスだと言い張っている。

2020年3月までのGDP予想を、ノムラ・インターナショナル香港はマイナス2.5%、パシフィック・インベストメント・マネジメントはマイナス6%と予想している。


いずれにしても大幅なGDPマイナスは天安門事件以来であり、もし中国政府がプラス発表などしたら、世界の笑いものになる。
http://www.thutmosev.com/archives/82362399.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c34

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
5. 中川隆[-13109] koaQ7Jey 2020年3月04日 16:37:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[423]
騰落レシオ

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(25日) 騰落レシオ(6日)
2020-03-04 21,100.06 +17.33 61.57 39.77
2020-03-03 21,082.73 -261.35 58.35 28.53
2020-03-02 21,344.08 +201.12 60.09 39.48
2020-02-28 21,142.96 -805.27 53.31 24.08
2020-02-27 21,948.23 -477.96 59.36 41.36
2020-02-26 22,426.19 -179.22 64.18 44.26

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c5

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
42. 中川隆[-13108] koaQ7Jey 2020年3月04日 16:55:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[424]

「ユニーク?な電気吹き込み」
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/kancho/2017_06.html


大正時代末期、アメリカでマイクロフォンを使った電気吹き込みのレコードが発売された。

このレコードは、従来の電気を使わず、ラッパの前で大きく歌ったり演奏したりしたラッパ吹込み方式の録音盤とは比較にならない鮮明な音だった。


電気録音の登場で、従来のものはアコースティック録音方式と呼ばれるようになり「吹込み」から「録音」という言葉に変わっていった。

今までは250〜2500Hzの周波数特性だったが、いっきに50〜6000Hzに拡大された。従来は大きな声でないと綺麗に録音されなかったが、マイクロフォンの登場で小音量の音でもクリアに録音できるようになった。


針音も少ないこの新方式はSPが作られた約60年間のなかで最大の技術革新といっていい。

ビクターが1925(大正14)年4月、コロムビアは翌5月、英国ではグラモフォン社、コロムビア社ともに同年6月から新方式を採用した。ただ、従来の盤の返品や買い控えを恐れた各社は当初熱心にPRしなかったという。


日本では、国内の各レコード会社はこの電気吹き込みを競って取り入れた。
名古屋のツルレコード(アサヒ蓄音器商会)も国産初の電気録音はわが社であるとレコード袋(スリーブ)に大きく宣伝している。


また、「国歌レコード製作所」はスリーブに「ユニック式電気吹き込み機械室」で録音している様子の写真を入れ、さらにマイクに向かって歌っている「演奏室」なる写真まで掲載している。

録音エンジニアと思われるヘッドホンをした紳士が大きなラッパの下にあるダイヤルを廻している。

「ユニック式」とはどんな録音方法なのだろうか。もっとも“ユニーク“(unique)な方法を”ユニック“と呼んでいるのか?

「演奏室」では、グランドピアノが置かれている横でマイクスタンドに向かって録音している様子がわかる。

レコード袋(スリーブ)に写真まで入れ、自社技術が進んでいることを大いにPRしている。

ツル印レコード  マイクの絵があり、
日本初の電気吹込と右下に印刷がある


国歌レコード製作所も電気録音とスリーブに


「ユニック式電気吹込機械室」での録音風景


グランドピアノの横でマイクに向かって録音
「演奏室」の模様

https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/kancho/2017_06.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c42

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
43. 中川隆[-13107] koaQ7Jey 2020年3月04日 16:58:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[425]
アコースティック録音

アコースティック録音とは、音楽・音響の録音において、音声を電気信号に変換することなく、機械的振動を直接レコード原盤に伝達して刻み込む録音方式のこと。

ラッパ型の集音器を使うため、しばしば「ラッパ録音」と呼ばれることもあり、後に登場した電気録音に対するレトロニムであり、古い録音法の意から「旧吹き込み」などとも呼ばれる。

初期のレコード録音においては、マイクロフォンが発明されていなかったため、蓄音機の逆の方法、すなわちラッパに向かって歌いあるいは楽器を演奏し、その音でダイヤフラムを振動させ、その振動を針に伝達して記録用媒体に溝を記録(カッティングという)しており、これがアコースティック録音である。


この方式では、ある程度の音質で記録可能な音源は独唱曲か小編成の器楽曲程度で、オーケストラの記録はかなり貧弱な音質にしかならなかった。

特にヴァイオリンなどの弦楽器の収録は楽器の広い範囲から音が輻射・拡散するため、集音用のラッパで捕らえることが難しかった。

このため、録音専用の特殊なヴァイオリンとしてシュトローヴァイオリン(Stroh Violin)が使用された。これは、ヴァイオリンの発音機構にサキソフォーンのようなラッパを取り付けて音を拡大するとともに、集音ラッパの方向に音を集中させるものである。

指揮者レオポルド・ストコフスキーはアコースティック録音においてオーケストラの音を効果的に録音するため、オーケストラの楽器編成を大幅に改変した。一例として、弦楽器のパートに木管楽器を重ねて重要な音を増強する、逆に打楽器が他の楽器の音を隠さないように弱めたり省略したりする、などである。

これはいわば原音におけるイコライゼーションと言うべき工夫であり、ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団が演奏したレコードは当時としてはかなりオーケストラの音らしく聴こえるため売上増に貢献したという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E9%8C%B2%E9%9F%B3
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c43

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
44. 中川隆[-13106] koaQ7Jey 2020年3月04日 16:59:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[426]

電気録音

電気録音とは、音楽録音において現在普通に行われる、楽器や歌手の演奏をマイクロフォンにより電気信号に変換した上で録音する方式であり、それまでの音響・機械的振動のみを用いた記録方式であるアコースティック録音と区別する。

初期には信号の調整後直接レコードの原盤(ラッカー盤)をカッティングしたが、録音機の発明とともにいったん記録したテープなどを介して間接的にカッティングが行われるようになった。

その結果、テープ上で編集を行うことができるようになったため、演奏家は最初から最後までミスの無い演奏を行うことを必須とされなくなったが、それはメリットであると同時に演奏の緊張感を損なう欠点であるという見方も長らくあった。

しかし、アコースティック録音時代の記録媒体はSPレコードであったため、最大でも5分程度しか演奏を続けることは無かった。かつてはオペラの一幕はおろか、交響曲の1楽章すら通して録音することは無かった。

演奏会を行わないことで有名だったピアニストのグレン・グールドは、変奏曲の各変奏を順序も別々に録音して制作したレコードを作ったこともあったし、オペラなどは出演する歌手のスケジュールに合わせるため、楽譜の順番どおり録音されることはめったに無い。そうした録音セッションを通して演奏の質を確保することに力を注ぎ、結果に責任を持つのは、演奏家だけではなくレコーディング・プロデューサーの重要な仕事である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%8C%B2%E9%9F%B3
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c44

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
45. 中川隆[-13105] koaQ7Jey 2020年3月04日 17:01:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[427]

ダイレクトカッティング

ダイレクトカッティングとは、レコード制作方式の一つで、レコード制作において通常行われる、オリジナルテープへの録音・編集・マスターテープの作成、というプロセスを通さず、収録した音曲等をその場でミックスダウンし、そのままラッカー盤をカッティングマシンでカットする、という制作方式である。


アナログオーディオテープレコーダーがマスタリングに使えるレベルに実用化されたのはLPレコードの時代であるから、それ以前の蝋管や SPレコードはダイレクトカッティングであったわけだが、それらを指してこの語が使われることはあまりない。

LPレコード時代には録音時間が格段に延びたこともあり、テープレコーダーをセッション録音・編集に使用するようになった。しかしアナログテープレコーダーは信号の変化が不可避であるため、これを避けあえてリアルタイムでカッティングマシンに信号を入力して原盤を制作したのがダイレクトカッティングである。

ダイレクトカッティングでは、演奏およびカッティングが一発勝負であるため、許容できない演奏ミスやミキシング、エフェクト、カッティングレベルの調整不足等があるとレコード片面分が全面的にやり直しになってしまうため、ごく一部の高音質を求めるオーディオマニア向け録音として企画されるにとどまった。ダイレクトカッティングにはコンサートに期待される演奏の緊張感が求められるため、あえてこの方法に挑戦するアーティストもあった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c45

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
46. 中川隆[-13104] koaQ7Jey 2020年3月04日 17:12:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[428]
2011年 02月 07日 旧吹き込み盤を愉しむ

いわゆるラッパ吹込み盤或いは機械式吹込み盤の総称で、後年の電気吹込み盤とは区別されている。


楽音をそのまま物理的にラッパ(メガホン)状の集音器で音盤に刻み込んでしまおうという極めて単純ながらも理にかなった=究極のダイレクトカッティングなのだがマイクロフォンを用いた “電気吹込み” と比べるとダイナミックレンジや周波数域でどうしても劣っていた。

だから僕も旧吹込み盤に対しては今まであまり好印象はなかった。


『やっぱり音、良くないしなあ……』


ただ

古典JAZZを愛好する者にとって1924-25年辺りまでと言われるこうした機械式吹込み時代のレコード群は避けては通れないところ・・・。

サッチモを2ndコルネットに擁していた頃のキングオリヴァー楽団やそれを辞して参入~JAZZを根底から変えてしまったF・ヘンダーソンオケの諸作、そして初期の(もしかしたら最高だったかもしれない)ビックス(バイダーベック)を捉えたウォルベリンズ時代の録音etc…。

しかし

このあたりの原盤(オーケーやジェネット)を入手するにはそれはそれでまたそれなりの覚悟が要る。(要するに高価いのです)

青木 研ちゃん(bjo)から貰った竹針。

https://slapper.exblog.jp/iv/detail/?s=15880397&i=201102%2F07%2F01%2Fc0202101_0494766.jpg

これが旧吹込み盤に対する僕の認識を変えた。


確かにダイナミックレンジの大きな電気吹込み盤だと少々しんどいところがあるが、これらの旧吹込み盤に対しては得難い質感をもたらしてくれる事も確かであった。

もちろん
針の削り方や盤をトレースする際のサウンドボックスへの取り付け角度とか諸々の調整ポイントはあるのだが、


それらをきちんとクリアしてやれば極上の再生が出来るのも確か。


試行錯誤の末、ある程度竹針のノウハウが掴めてきたので
いよいよ “本線” とも言える クラシックの旧吹込み盤を試す事にした。

トスカニーニのオケ物やハイフェッツのヴァイオリン、コルトーのピアノ等此の間のレコードバーゲンで何枚か仕入れてきた。

これはそのトスカニーニ、片面盤だ。

得も言われぬ柔らかな音触感・・・・
だがそれだけに前述の “セッティング” もシビアである。

やはり針のトレース角度と方向がキモ、
これ次第で音質がガラリと変わってしまうのだ。

面倒くさいが、これが楽しいんだよなあ。

Commented by 青木 at 2011-02-09 00:55 x

前も同様の事を書きましたが、旧吹き込み、独奏オンマイク(ホーン)気味で状態のいいものの生々しさは凄いものを感じます。竹針も合いますね!

竹針ではないし聴くのは難しいですが、エジソン縦振動円盤のこの時代のものを高級機で聴く、これもすごい音だなあと思います。

あそこのバーゲンは片面赤ビクトローラ等、旧吹込クラシック盤がある程度安く手に入るので僕も買いました。ガリクルチ、ジェラルディン・ファラー、初期ハイフェッツ・・・・


Commented by slapper1107 at 2011-02-09 01:20

そうそう、盤質良の割にはお手頃値段(しかも半額)でした。
いわゆるHi-Fiでは無いのだけど、【そこに奏者が居る=気配感】は確かに凄いです>旧吹き込み盤。

https://slapper.exblog.jp/15880397/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c46

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
47. 中川隆[-13103] koaQ7Jey 2020年3月04日 17:19:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[429]

旧吹込み盤

BACH: Concerto for two Violins / Fritz Kreisler & Efrem Zimbalist / NYC, 1915 restored













BACH:Concerto for two Violins

Fritz Kreisler
Efrem Zimbalist

NYC, recorded 1/4, 1915

England HMV 78s / 2-07920(76028)
on HMV-163 gramophone

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c47
[近代史3] 金メダルは金で買うもの ゴールドマンサックスが指摘する五輪の現実

2020年03月04日
金メダルは金で買うもの ゴールドマンサックスが指摘する五輪の現実

メダルラッシュもGSに言わせると、「お金を掛けたからメダルが増えた」だけだという。

引用:http://www.jiji.com/news/photos/photo_news/images/658/0022148519.jpg


メダルは金で買う物、GSの衝撃リポート

前回のリオ五輪で日本は合計41個、金メダル12個の成果を上げたが、これは本人達にとっても予想外だっただろう。

大量にメダルを取ったのはレスリング、柔道、水泳で3競技で金9個、合計26個もメダルを獲得した。

メダルを取れる競技が片寄っているのが日本の特徴で、特に柔道やレスリングなど格闘系が不調だと、その年は惨敗している。



リオ五輪前のメダル予想だと、投資会社のゴールドマンサックスが詳細な予想をしている。

GSでは「根性」や「競技能力、才能、人種」のような要素を一切用いず、お金と人口だけで計算した。

人口が多いほどメダルを取りやすく、お金持ちほどメダルを取りやすいという考えのようです。


スポーツを侮辱しているようだが、これが意外に当たるので世界(の一部)で重要視されている。

前回のロンドン五輪ではこの方法で上位10カ国の順位を的中させ、今回のリオ五輪でも自信満々だった。

それでがGSの数量的な予想と現実の結果を比較してみましょう。


金メダル数でアメリカ45、結果46、中国36、結果26、ロシア14、結果19、日本7、結果12(総数39、結果41)などだった。

どうも前回ほどは当たっていないようで、その理由はおそらく直前で決まったロシア選手のドーピング処分でしょう。

GS予想ではロシアは大きく減ると見たが、実際は出場した選手が発奮して予想より良かった。

必要な投資せず結果だけ求めるナンセンス

むしろ中国がドーピング検査を恐れたのか、金メダルを大きく減らし、アメリカはほぼ的中した。

ロシアの大量欠場の影響を見誤って誤差が大きくなったが、もともとGS予想はこうした突発的要因が含まれていない。

予想は物価上昇率や国内総生産(GDP)、対外債務、経済開放度、ネット普及率、政治的安定度などの経済データを基礎にしている。


加えて過去のメダル数、人口という要素も加えて、コンピュータプログラムで計算している。

これだと人間的要素や突発的な要素は考慮されないが、その割には当たっている。

つまりオリンピックでメダルをもたらしているのは、考えられているような技術や伝統や精神力ではない。


人口の多少はどうにもならないとして、メダルは金で買うものだとGSは主張しています。

彼らの主張では、優れた環境を整えた国には優れた選手が育ち、例外はほとんど無いそうです。

例えば日本のメダルのほとんどを柔道とレスリングが稼いでいるが、その柔道で問題噴出したのは4年前だった。


柔道の監督やコーチが不適切な指導をして弱体化させたが、代わりのコーチや監督が見つからなかった。

全日本柔道指導者ですら、無償に近い報酬でしかなく、他の仕事をしながらボランティアでやっていたのだった。

問題を起こしたのは女子柔道の園田監督だったが、警視庁職員から出向し、小額の手当てを支給されていただけだった。

柔道は恵まれているほう

男子柔道は女子よりも惨憺たる成績で、監督を井上康生に交替してリオ五輪に望んだ。

前監督篠原信一が結果を出せなかった事から後継者を探したが、給料を払えないので誰もなり手がいなかったようです。

井上康生は現役引退後にJOCのスポーツ指導員としてスコットランドに派遣されていたが、篠原信一辞任で代表監督になった。


現役時代は会社所属でCM収入も多かった筈だが、コーチや監督としての収入は、上場企業のサラリーマン程度ではないでしょうか。

全日本柔道の母体は全日本柔道連盟(全柔連)で、昔は嘉納治五郎の親族が私物化していた。

圧倒的な強さで柔道界に君臨した嘉納治五郎だが、そのために全柔連は今でも会長や理事の私物に過ぎない。


日本のほとんどのスポーツ、例えばサッカーでも野球でも、「闇の支配者」みたいな老人が何十年も居座っているのと同じです。

全柔連の収入源は柔道を習う人たちが払っている授業料と、国からの助成金でなりたっている。

国は全柔連の指導者一人当たり120万円を支給していたが、全柔連がそこから40万円をピンハネした「不正受給問題」も以前起きていた。


全柔連はピンハネした金を飲み食いに流用し、国から返還を求められたが、こうした金の流れを見ると、むしろこんな組織がメダルを取れているのが驚異的です。

スポーツはピュアなもので在るべきだという人も居るが、こうした江戸時代のような制度では、メダルは期待出来ない。

しかも柔道は日本のスポーツ界では恵まれている方で、無給で仕事をしながらオリンピックを目指している人が多い。


日本は東京五輪開催が決まってからスポーツ予算を増やし、それがリオのメダルラッシュとして表れた。


これでは東京五輪効果で一時的にメダルが増えても、終わればまた元通りになるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/65203550.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/942.html

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
48. 中川隆[-13102] koaQ7Jey 2020年3月04日 17:40:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[431]

旧吹込み盤

Backhaus plays Chopin Fantaisie-Impromptu (1908 rec.)







The young Wilhelm Backhaus (1884-1964) plays Chopin's famous Fantaisie-Impromptu in C sharp minor opus 66 (op. posth.).


Acoustic recording, 1908, originally made for the Gramophone Company, transferred by Pearl.

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c48
[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
16. 中川隆[-13101] koaQ7Jey 2020年3月04日 20:12:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[432]

【株ちゃんねる】JTは買い‼下がってる理由と、反発する理由【緋水】


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c16
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
242. 中川隆[-13100] koaQ7Jey 2020年3月04日 20:51:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[433]

経済ひとりがたり田村秀男#12「2020年米中貿易戦争の行方」後半★米国の景気と株価の読み方★


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c242
[リバイバル3] 景気が悪くなるから株価が下がるのではなく、株価が下がるから景気が悪くなる 中川隆
2. 中川隆[-13099] koaQ7Jey 2020年3月04日 20:52:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[434]


経済ひとりがたり田村秀男#12「2020年米中貿易戦争の行方」後半★米国の景気と株価の読み方★


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/996.html#c2
[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
52. 中川隆[-13098] koaQ7Jey 2020年3月04日 20:54:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[435]

経済ひとりがたり田村秀男#12「2020年米中貿易戦争の行方」後半★米国の景気と株価の読み方★


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c52
[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
75. 中川隆[-13097] koaQ7Jey 2020年3月04日 20:55:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[436]

経済ひとりがたり田村秀男#12「2020年米中貿易戦争の行方」後半★米国の景気と株価の読み方★


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c75
[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
15. 中川隆[-13096] koaQ7Jey 2020年3月04日 20:56:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[437]

経済ひとりがたり田村秀男#12「2020年米中貿易戦争の行方」後半★米国の景気と株価の読み方★


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c15
[近代史3] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調op.30


Rachmaninov Plays his Concerto No 3 (1939/40) Ormandy/Philadelphia





Piano Concerto No. 3 in D minor, Op. 30
Performed by: Philadelphia Orchestra
Composed by: Sergei Rachmaninov
Conducted by: Eugene Ormandy
Sergei Rachmaninov, piano
Recording date:
4 December 1939 [2nd and 3rd movements] and 24 February 1940 [1st movement]


セルゲイ・ラフマニノフ独奏、オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1939年録音/NAXOS盤) 


作曲者本人の演奏を聴くことができるというのは大変な参考になります。
後年の演奏家がこの録音を聴かずに演奏することはまず考えれらません。


ラフマニノフの弾くテンポは大変な快速なのですが、少しも性急に聞こえないのはさすがに自分の曲です。第2番の演奏と同じように、ロマンティックな部分での歌い回しもごく自然に心に浸みこんできます。
伴奏指揮はオーマンディに変わったので幾らか甘さが控えめになりました。
NAXOS盤のSP盤からの復刻は、やはり明確な音質です。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/op30-9bce.html


▲△▽▼


ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30 は、ロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフが作曲した3番目のピアノ協奏曲である。1909年の夏に作曲され、同年11月にニューヨークで初演された。


ピアノ協奏曲第2番と同様に、ラフマニノフの代表作のひとつであり、演奏者に課せられる技術的、音楽的要求の高さで有名な作品である。
演奏会で取り上げられる頻度やCDリリース数においても、第2番と同様、高い人気を誇っており、ピアノ協奏曲の分野における名曲の一つとの評価を得ている。


作曲の経緯


1909年の夏にタンボフ州イワノフカの別荘で、同年秋に予定していた第1回アメリカ演奏旅行のために作曲された。全曲の完成は同年9月23日のことだった。時間の制約からラフマニノフはこの作品をロシア内で練習することができず、アメリカ合衆国に向かう船の中に音の出ない鍵盤を持ち込んで練習を仕上げたという[1]。同年11月にアメリカで初演された後、1910年にグートヘイリ社により出版され、作品はヨゼフ・ホフマンに献呈された。


後にラフマニノフはこの曲をカットして演奏するようになった。1939年から翌年にかけて行われた録音でも、カットした版で演奏している。かつては他のピアニストもこれに倣って一部をカットして演奏することが多かった。


演奏史
ニューヨークでの初演
初演は1909年11月28日に作曲者自身のピアノと、ウォルター・ダムロッシュ指揮ニューヨーク交響楽団との共演によりカーネギーホールにて行われた。さらに1910年1月16日にはグスタフ・マーラー指揮ニューヨーク・フィルハーモニーとの共演により二度目の演奏が行われた。リハーサルの際、当時スラヴ系の音楽の演奏・解釈に不慣れだった楽団員がざわついたために、マーラーが「静かにしなさい。この曲は傑作だ。」と言ってオーケストラをなだめ、この演奏の為に時間になっても団員を帰さず、完璧を目指して長時間の練習を続けた。そのマーラーの根気にラフマニノフも感銘を受け、後にオスカー・フォン・リーゼマンに「ニキシュと同列に扱うに値する指揮者はマーラーだけだ。」と語った。


初期の演奏
このアメリカでの演奏への評価は、その長さと技術的な困難さに留保をつけるものだった[1]。この曲は当初は演奏するピアニストは多くなく、当作品を献呈されたヨゼフ・ホフマンも演奏することはなかったという[2][注 1]。


そんな中でこの作品を「私の曲」と呼んで愛奏したのはウラディミール・ホロヴィッツである[4]。


アメリカ・デビューとなった1928年1月のコンサートの4日前にはラフマニノフと初対面を果たし、この作品を2台のピアノのための版で演奏した(ホロヴィッツがソロを弾き、ラフマニノフが伴奏パートを受け持った)[2]。以後この二人のピアニストは親しく交流するようになった。


1930年にはアルバート・コーツ指揮によるロンドン交響楽団との共演でこの曲の世界初録音を行った。
ホロヴィッツはこれ以後もフリッツ・ライナー指揮によるRCAビクター交響楽団との共演(1951年)や、オーマンディ指揮によるニューヨーク・フィルハーモニックとの共演(1977年)など、この曲の録音をいくつか残している。


この曲を早い時期に演奏したもう一人のピアニストがヴァルター・ギーゼキングである。
彼は後述の第1楽章の2種類のカデンツァの難しいほうのオッシアを弾いていた数少ないピアニストの一人である[5]。
ギーゼキングも1940年にウィレム・メンゲルベルク指揮によるアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)との共演でこの曲の録音を残している。


後年ラフマニノフはこの曲の演奏をホロヴィッツやギーゼキングなどより若い世代のピアニストに委ね、自分では演奏しなくなったという[1]。
ただし彼は1939年から翌1940年にかけてこの曲をユージン・オーマンディ指揮によるフィラデルフィア管弦楽団との共演で録音している(カデンツァはオリジナル版)。
これは現代においてもCDとして入手可能で、決して音質的には良くないものの、ピアニストとして、そして作曲家としてのラフマニノフの片鱗に触れることの出来る貴重な録音である。


1943年にラフマニノフが亡くなった後には、ウィリアム・カペルやレフ・オボーリン、モーラ・リンパニー、エミール・ギレリス、ラザール・ベルマン、マルタ・アルゲリッチ、バイロン・ジャニスといったピアニストがこの曲を録音している。

クライバーン以後
この曲がより広く演奏されるようになったのは、1958年に開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールで、ピアノ部門で第1位となったヴァン・クライバーンが本選でこの曲を演奏したことがきっかけだった。


クライバーンは本選で共演したキリル・コンドラシンを伴って凱旋帰国すると、コンドラシン指揮によるシンフォニー・オブ・ジ・エアーとの共演でこの曲をステレオ初録音した。このコンクールでのクライバーンの活躍により、この作品のみならずラフマニノフ作品全般はクラシック音楽のトレンドとなったといえる[6]。


これ以後はウラディーミル・アシュケナージやエフゲニー・モギレフスキー、 アレクシス・ワイセンベルク、ラザール・ベルマン、マルタ・アルゲリッチ、ヴラジーミル・フェルツマン、エフゲニー・キーシン、ミハイル・プレトニョフ、小山実稚恵、ラン・ランなど、多くのピアニストによって演奏・録音されるようになった。特にアシュケナージはピアニストとしてこの作品を4度録音しており[7]、自身ライナーノートを書いたり、2種類のカデンツァを弾き分けていることも特徴的である[8]。


楽器編成
第2番と同様に2管編成が採られているが、スネアドラムが追加されている。
独奏ピアノと共に配置される管弦楽の編成内容を以下にて示す[9][10]。なお、ティンパニ以外の打楽器は第2楽章の終盤と第3楽章に於いてのみ使用される。


作品構成
ピアノ協奏曲第3番は一般的な協奏曲の形式を採用し、全3楽章から構成される。


第1楽章 Allegro ma non tanto
ニ短調、自由なソナタ形式。
静謐でロマン的な雰囲気の中に激情が秘められている。オーケストラによる短い序奏の後にピアノがオクターヴで奏する第1主題(右図参照)が全体を貫く共通主題となっており、全曲を統一する役割も持つ。通常の協奏曲における慣習とは異なり、展開部から再現部への移行部に第1主題の再現を兼ねたカデンツァが置かれている。ラフマニノフはこれを穏やかな短いもの(「オリジナル」もしくは「小カデンツァ」)と、重厚な和音を使った派手なもの(「オッシア」もしくは「大カデンツァ」。右参照)の2種類を用意しているが、難易度の高い後半部は共通であり巷間でいわれている難易度の差は無い。再現部の後、短いコーダが続いて静かに終わる。
尚、版によってはAllegro ma non troppoと速度指示表記されているものも存在する。


第2楽章 Intermezzo. Adagio
ニ短調〜嬰ヘ短調〜変ニ長調〜変ロ短調〜嬰ヘ短調〜ニ短調、三部形式と変奏曲の2つを合わせ持つ形式。「間奏曲」(Intermezzo) とあるが、それ以上の役割を果たす非常に神秘的な楽章である。
オーボエで提示される憂鬱だが美しい旋律を中心に、その他様々な重要な素材を扱って進む。中間部には第1楽章の第1主題が変形して現れるが、一度聴いただけでそれを判別することは難しい。ワルツ風のエピソードを経て冒頭の主題が再帰し、悲痛に高揚した後、激しい独奏とオーケストラによる色づけ (L'istesso Tempo) によって盛り上がり、アタッカによって休みなく第3楽章へ続く。


第3楽章 Finale. Alla breve
ニ短調〜ニ長調、それまでの抑制された雰囲気を振り払う、力強く決然とした楽章。自由なソナタ形式と言えるが、ラフマニノフ独自の形式である。


ピアノで提示される第1主題(ニ短調)は劇的で、ピアノ技巧をふんだんに盛り込んだもの。オーケストラによって確保された後、またもピアノによってト長調の抒情的な第2主題が提示され、更に展開部では第1楽章・第1主題を基にした楽想が現れる。静寂の後に独奏ピアノとオーケストラが融合したような凄まじい再現部(ただし調性変更あり)になる。再びの静寂の後、一気呵成にカデンツァに向かう経過句、ピアノのごく短い下降音型カデンツァを経て、ニ長調で美しく昇華された第2主題 (Vivacissimo) が続く。頂点を形成した後はコーダになり、テンポを上げて一気に盛り上がり (Piu vivo→Presto)、その頂点で派手な軍楽調の終止に全曲を閉じる。この賑やかな軍楽的な終結はラフマニノフの作品の典型的書法(交響曲第2番やピアノ協奏曲第2番)で、「ラフマニノフ終止」と呼ばれるものである[12]。約13〜15分。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノ協奏曲第3番_(ラフマニノフ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html

[近代史3] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 中川隆
1. 中川隆[-13094] koaQ7Jey 2020年3月04日 22:01:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[439]


ギーゼキング

Rachmaninoff: Piano Concerto No. 3, Gieseking & Mengelberg (1940)






Walter Wilhelm Gieseking (1895-1956), Piano
Joseph Willem Mengelberg (1871-1951), Conductor
Concertgebouw Orchestra Amsterdam (Royal Concertgebouw Orchestra)

Rec. 28 March 1940 (Live Recording)

____________

Great Piano Concertos - Walter Gieseking plays Rachmaninov Concerto No. 3 in D minor Op. 30


Philarmonic Symphony Orchestra
cond. John Barbirolli

live recording, 1939

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html#c1
[番外地7] 幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか?


2020年3月 2日
幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか?




1985年の映画「Mishima」を漸く北米版Blu-rayで観ることが出来た。製作総指揮がフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督がポール・シュレイダー。「タクシー・ドライバー」の脚本家である。配給はワーナー・ブラザース。カンヌ国際映画祭で本作は芸術貢献賞を受賞したが、その対象となったのは作曲家フィリップ・グラス、撮影監督ジョン・ベイリー、そして美術を担当した石岡瑛子の3人だった。当初日本でも公開される予定だったが、同性愛描写を不服として瑤子未亡人が反対し、結局中止となった。その後も日本でのテレビ放送、ビデオ/DVD化も一切されず、30年以上幻の作品になっていた。遂に念願が叶った!



三島由紀夫(1925-70)を演じるのは緒形拳。他に沢田研二、佐藤浩市、永島敏行、三上博史、笠智衆、平田満、大谷直子、加藤治子、萬田久子ら豪華出演陣である。


三島が自決する日を朝の起床から追う「1970年11月25日」と、フラッシュバックによる回想のシークエンスを軸に、三島の小説「金閣寺」「鏡子の家」「奔馬(「豊饒の海」第二巻)」のダイジェストが挿入されるという構成。この石岡瑛子が手掛けた舞台装置が抽象的で様式化されており、才気煥発している。またフィリップ・グラスが手掛けたミニマル・ミュージックが滅法美しい。なおシュレイダーは当初、「鏡子の家」の代わりに男色小説「禁色」を希望していたが、遺族側の承諾が得られずに断念した。


これを観てつくづく感じたのは、三島由紀夫とは矛盾に満ちた男であったということだ。そういう意味において宮崎駿に似たところがある。
•【アフォリズムを創造する】その7「矛盾について」〜宮ア駿という男


三島は19歳の時に徴兵され、軍の入隊検査を受けるが軍医から「肺浸潤」と診断され即日帰郷となった。彼が入るはずだった部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、戦闘でほぼ全滅した。これは軍医の誤診だったとも、仮病を使って兵役逃れをしたとも言われている。何れにせよここで三島は死ではなく、生き延びることを選んだわけだ。しかし後に彼は自衛隊に体験入隊したりした挙句の果て、自ら組織した民兵組織「楯の会」隊員4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げる。享年45歳だった。


三島はリルケ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領だったチェコ・プラハに生まれた)の影響を受け、次のようなことをインタビューで語っている。


リルケが書いておりますが、現代人というのは、もうドラマティックな死ができなくなってしまった。病院の一室で一つの細胞の中の蜂が死ぬように死んでいく、という様な事をどっかで書いていたように記憶しますが、いま現代の死は病気にしろ、あるいは交通事故にしろ、なんらのドラマがない。英雄的な死というものの無い時代に我々は生きております。


さらにフランスの詩人で小説家のラディゲと、そのパートナーだったコクトオ(つまり同性愛)に魅せられて「ラディゲの死」という短編を書いている。そしてランボオやバルザック、スタンダールらフランス文学を愛した。また彼の自宅はヴィクトリア調コロニアル様式の洋館で、庭にはアポロン像が立っていた。


その一方で天皇を崇拝し、古今和歌集や能などに傾倒した。三島は「日本文学小史」の中で次のように述べている。


 われわれの文学史は、古今和歌集にいたつて、日本語といふものの完熟を成就した。文化の時計はそのやうにして、 あきらかな亭午(ていご:真昼)を斥す(=指す)のだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も頽廃(たいはい)も知らぬ完全な均衡の勝利である。 日本語といふ悍馬(かんば:あばれうま)は制せられて、だく足も並足も思ひのままの、自在で優美な馬になつた。調教されつくしたものの美しさが、なほ力としての美しさを内包してゐるとき、それをわれわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。 制御された力は芸術においては実に稀にしか見られない。


戦争で死に損ない、そのことを恥じていた三島は〈美しい死〉〈英雄的な死〉に魅せられていた。彼は若い頃から(老化で体が醜くなる直前の)45歳で死ぬと周囲の人に公言しており、割腹自殺は長年に渡る綿密な計画に基づいていた。「豊饒の海」4部作を書き上げた日に自決しているのがその証である。また31歳(1956年)からボディービルディングに勤しんだのも〈完璧な肉体〉を希求していたことを示している。1960年には映画「からっ風野郎」に主演した。


映画監督の大島渚は「政治オンチ克服の軌跡=三島由紀夫」という文章で次のように述べている。


 ……この最も俳優に不向きな体質、ということは精神状態も含んで言うのだが、そういう体質の人のなかにどうしても俳優になりたいという人間がいるのである。そういう俳優志望者に私なども時々襲われるのであるが、この人たちは全く始末が悪い。とにかく思い込んでしまってきかないのである。三島さんもそういう思い込んでしまう人間のように私には見えた。私は、そんな三島さんを主役の俳優として使わなければならなかった『空っ風野郎』の監督増村保造氏のことを思って同情を禁じえなかった。と同時に、私は三島さんという人はなかなかこの世の中に適応しえない人間なのであろう、しかもそれを適応すべくすごい努力をしていらっしゃるというふうに一種同情の目で見たのであった。
 三島さんは何故、いわゆる体位向上を心掛けられたのだろうか。いわゆる肉体についてのコンプレックスならば、私なども同様である。青春時代は骨ばかりだったし、ちょっと肉がついていい感じと思っていたら一足飛びに百キロになんなんとするデブになってしまった。今は少し節制してやややせたが見て格好のいい形態ではない。しかしもう諦めている。三島さんはなぜ体型を根本的にまで変えられたのか。自分の文学が貧弱な肉体或いは異常な肉体の産物だというふうに見られるが厭だったのか。とすれば、健康な肉体或いは正常な肉体の産物である文学でも、対応関係としては等価ではないか。或いは、自分の肉体が貧弱から健康へ、異常から正常へ変わっても、自分の文学は変わらぬということが言いたかったのか。それだったら、もう一回、貧弱な肉体、異常な肉体へ帰ってみたほうがもっと面白かったではないか。私はヨボヨボの三島さん、デブデブの三島さんを見たかった。しかし、三島さんは、それを断乎拒否して死んでゆかれた。だから、そこにはやはり三島さんの美意識の問題があったのだろう。
 私は文学の評論家ではないから、三島さんの文学の美の問題については深入りしたくないが、私の考えでは三島さんの美意識は私などの美意識と決定的にちがっていた、と言える。というより、私などの創作過程における美意識の置きかたと三島さんのそれは決定的にちがっていたと思う。対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。


大島渚は三島由紀夫との対談で「美しい星」や「鏡子の家」を映画化したいと発言している。大島は京都大学法学部で学んでいた当時、京都府学生自治会連合の委員長として学生運動に携わった。これは日本共産党の強い影響下にあった全学連の下部組織であり、つまり彼は筋金入りの左翼だった。また1960年に日米安保闘争をテーマにした映画「日本の夜と霧」を発表。同作は公開から4日後、松竹によって大島に無断で上映を打ち切られた。大島はこれに猛抗議し、翌年退社した。ゴリゴリの左翼・大島が右翼の三島に深い理解(同情・憐れみ)を示しているのは非常に興味深い。本来なら水と油の関係である筈なのに。


大島が阿部定事件を題材に1976年に撮った「愛のコリーダ」を観ながら、映画の製作動機は1970年の三島自決事件の衝撃にあったのではないかという気がして仕方がなかった。藤竜也演じる吉蔵は半ば自殺したようなものであり、《エクスタシーの絶頂で、若い肉体のまま死にたい》という願望が垣間見られるからである。死の直後に第三者の手で肉体の一部が切断されるという点でも両者は共通している(三島は切腹後、介錯人の手で首を切り落とされた)。


三島由紀夫は完全主義者だった。そして究極の美を追い求めた。しかしそれはあくまでも仮面(ペルソナ)であって、その裏には繊細で傷付きやすい脆い魂と肉体(=自己 self)が潜んでいた。


Kamen


2020年3月20日にドキュメンタリー映画「三島由紀夫 vs 東大全共闘50年目の真実」が公開される。ナレーターはあの東出昌大!


公式サイトはこちら。
https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/533.html

[番外地7] 幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか? 中川隆
1. 中川隆[-13093] koaQ7Jey 2020年3月04日 22:49:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[440]

上のリンク

http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/mishima-4fc3.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/533.html#c1

[近代史4] 三島由紀夫の世界

幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/533.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/451.html

[近代史4] 三島由紀夫の世界 中川隆
1. 中川隆[-13092] koaQ7Jey 2020年3月04日 22:52:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[441]


幻の映画「Mishima」







ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ
監督 ポール・シュレイダー
原作 三島由紀夫
出演者 緒形拳、坂東八十助、佐藤浩市、沢田研二、永島敏行
音楽 フィリップ・グラス

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/451.html#c1
[近代史3] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 中川隆
2. 中川隆[-13091] koaQ7Jey 2020年3月04日 23:24:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[442]


ホロヴィッツ

Horowitz-Coates: Rachmaninoff, Concerto No. 3 (1930)


Albert Coates, conductor
London Symphony Orchestra

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Vladimir Horowitz plays Rachmaninov Concerto N°3 op 30 in New York 15.02.1940 live


February 15, 1940: Carnegie Hall, New York City, New York
Vladimir Horowitz
John Barbirolli
New York Philharmonic Orchestra



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Concerto No 3, Horowitz:Rodzinski NYPO, live, 1943


This is one of the rarest treasures in recorded history! It's Vladimir Horowitz playing Rachmaninov's Piano Concerto #3 with Rodzinski in 1943.

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Rachmaninoff: Piano Concerto No. 3, Horowitz & Reiner (1951)





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Horowitz plays Rachmaninoff Concerto No 3 NYP Ormandy 1978


Vladimir Horowitz
New York Philharmonic Orchestra
Eugene Ormandy

ウラディミール・ホロヴィッツ独奏、オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1978年録音/RCA盤) 

これはカーネギーホールで開かれたホロヴィッツのアメリカ・デビュー50周年記念コンサートのライブ演奏です。
奇しくも伴奏を務めるのは40年前にラフマニノフ盤の伴奏をしたオーマンディ/フィラデルフィア管です。それだけでも記念碑的な演奏だと言えます。

ホロヴィッツの演奏は非常に貫禄が有りますし、3楽章の終結部の迫力などは相当に凄まじく圧倒されます。但し残響の少ない会場での録音条件の悪さが全体の印象に少々マイナス影響しているのが残念です。


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Horowitz Rachmaninoff 3rd Concerto Mehta NYPO 1978




Horowwitz plays the Rachmaninov 3rd Piano Concerto in Avery Fisher Hall, New York, 1978 with Zubin Mehta ( His last recording ever of this concerto and maybe the last time he played it. Horowitz was 75 years old in this recording!!!)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html#c2
[近代史3] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 中川隆
3. 中川隆[-13090] koaQ7Jey 2020年3月04日 23:43:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[443]
アルゲリッチ

Argerich - Klee | Rachmaninov: Piano Concerto No.3 (1979 - LIVE)


Rare recording. Argerich performs Rachmaninov's Piano Concerto No.3 with Radio Philharmonie Hannover des NDR, under the battom of Bernhard Klee.


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Rachmaninoff Piano Concerto No. 3, Argerich HQ COMPLETE 1982








Riccardo Chailly
Martha Argerich
Radio Symphonie Orchester Berlin
live recording December 5th, 1982
Martha Argerich


マルタ・アルゲリッチ独奏、シャイー指揮ベルリン放送響(1982年録音/フィリップス盤) 

ベルリンでのライブ演奏です。
1楽章は遅めにゆったりと開始されます。デリカシーに溢れた歌いまわしに非常に魅了されます。感情の大きな波が徐々に高まってゆく表現が素晴らしいです。一方、フォルテ部分ではロシア人ピアニストにも負けないほどの豪快さで、女性でこれだけ力強く弾ける人は他にはまず居ないでしょう。

シャイーの伴奏指揮もロシア的ともアメリカ的とも違いますが、ロマンティックな情緒に富んでいてとても美しいです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/op30-9bce.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html#c3
[近代史3] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 中川隆
4. 中川隆[-13089] koaQ7Jey 2020年3月04日 23:56:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[444]

ガヴリーロフ


Andrei Gavrilov plays Rachmaninoff Piano Concerto 3


____










Orchestra: Philadelphia Orchestra
Piano: Andrei Gavrilov
Conductor: Riccardo Muti


アンドレイ・ガヴリーロフ独奏、ムーティ指揮フィラデルフィア管(1986年録音/EMI盤) 

明るくゴージャスな響きのフィラデルフィア管をムーティが歌わせると、まるでハリウッドの映画音楽みたいです。ここにはロシアの土の香りは全く有りません。

ガヴリーロフは冒頭はゆっくり入ってきますが、徐々に高揚してゆき、中間部の両手で和音を叩きつける部分は驚異的な高速で凄まじい迫力をもって弾き切ります。ここは思わず鳥肌が立ちます。

ですが一転して2楽章のようにデリカシー溢れる部分も実に見事です。そして3楽章のピアノとオケのからみの迫力の凄いこと。ここまで徹底されると脱帽です。

以上の中で一番凄いと思うのは、ガヴリーロフ/ムーティ盤です。ピアノの余りの凄まじさとオーケストラのゴージャスな音と表現力が有無を言わせません。

ピアノのみに関してはデリカシー溢れるニュアンスが抜群のアルゲリッチにも強く惹かれます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/op30-9bce.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html#c4
[近代史3] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 中川隆
5. 中川隆[-13088] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:02:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[445]

クラシック音楽 一口感想メモ
セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Vasil'evich Rachmaninov1873 - 1943)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ラフマニノフ

メランコリックな曲の大家。独特の感情的な力学に基づいた曲の構成が素晴らしい。
大ピアニストでもあり、ピアノ協奏曲が何より素晴らしい。

しかし、協奏曲とピアノの独奏曲のレベルの差が大きい。長い曲で感情のうねりや浮き沈みを表現するのに長けているので、小品では良さが生きないのだろう。

交響曲

第1番 ニ短調 作品13(1895年)
3.3点
全4楽章。この曲はラフマニノフらしいメランコリーも聴き手を喜ばせるサービス精神も無い。聞き手を突き放すような媚びない難解さがあり、攻略が難しい。特に1楽章から3楽章はラフマニノフ作曲と当てるのに苦労するほど異質である。その代わり、通俗性が低く、芸術的な真剣さや響きの質のよさはかなりのものである。分かりやすいメロディーは無いし、客観的にみて名曲の範疇とは思えないが、しかし19世紀の国民楽派の独自の新しい世界を切り開いていること、ラフマニノフの根っこにある詩魂を生々しく発揮している点、何よりあのラフマニノフがこんな曲を書いたのだという点で重要で興味深い作品である。

第2番 ホ短調 作品27(1907年)
3楽章 5.0点
その他3.8点
雄渾なロシア情緒満載の曲であり、他の2曲の交響曲と違い非常に分かりやすい。メランコリックな感情の力学的な起伏など、ピアノ協奏曲と似たような情緒と構成を持っているためラフマニノフ初心者にも聞きやすい。1時間の大作であり、3楽章以外は冗長だが音楽の流れに身を任せるようにして聴けば良い。他の楽章もなかなか良いのだが、この曲は3楽章が非常に素晴らしい。素晴らしかった思い出を回想する気分をそのまま音にしたような音楽である。中間部の盛り上がりの後に、ひとつずつの楽器が順番にテーマを演奏する場面は、まさに様々な思いが湧いては消えていく様をそのまま楽器で表現している。ヒューマンドラマ系の超上質な映画音楽のようであり、その系統の音楽の元祖の一つなのかもしれない。音だけで楽しめるドラマとも言えよう。

第3番 イ短調 作品44(1936年)
3.0点
アメリカに移住してからのラフマニノフらしい作風。ロシア的なねちっこさが減り、響きが近代的になったが、メロディーの魅力は減った。
1楽章は、第2主題こそ分かりやすい映画音楽のようだが、他は決して分かりやすい曲ではなく名作とも思えない。2楽章はスケルツォと緩徐楽章が合わせられたようで一番面白い楽章。3楽章は2番の4楽章を楽天的すぎず奥ゆかしく表情豊かにした感じで、2番より改善されている。
全体に交響曲としての楽章構成や長時間の大きな流れに身を任せられる楽しみはあるが、晩年の作品群の中では交響的舞曲やパガニーニの主題による狂詩曲ほどの名作ではないと思う。

管弦楽曲

交響的幻想曲「岩」作品7(1893年)
2.0点
基本的に渋い。所々チャイコフスキー的な劇的表現が垣間見れる。若書き感あり。

ジプシー狂詩曲 作品12(1894年)
2.5点
後年の管弦曲の萌芽がおおく感じられるので面白いし。いい曲という程ではないがファンなら聴いて損はない。

交響詩「死の島」作品29(1909年)
3.0点
メロディーがほとんど無い。低音が響き続けて重苦しく、厳然とした自然の厳しさのような雰囲気の音楽が延々と続き、情報量が少ない。客観的に見ると冗長な失敗作のようにも思うが、一方でこの厳しさと雰囲気が心地よくて一種の快感になり、また聴きたくなるという面もある。

交響的舞曲 作品45(1940年)
3.5点
晩年の作品だがところどころ魅せる箇所があるのでそれなりに聴き映えする。つまらない箇所も多いが。


ピアノ協奏曲・協奏的作品

第1番 嬰ヘ短調 作品1(初稿:1891年、改訂稿:1917年)
3.5点
マイナーだが、1917年に改訂されているため、なかなか優れた作品。特に一楽章は正統派であり充実している。ただ、盛期ロマン派のまとまり感が強く、2番以降の後期ロマン派らしい自由さと華やかさが不足しているのが物足りないところ。ちなみに、作曲者本人の演奏が凄い。1楽章のカデンツァの豪快さは見事。

第2番 ハ短調 作品18(1901年)
6.0点
自分がクラシックを聴くきっかけになった曲。全編にわたりメロディーが情熱的で濃密で叙情的であり強く心を動かされる。とにかく圧倒的にメロディーが良い。それに加えてピアノの音の透明な美しさと表情の豊かさと沢山の音数による楽しさ、後期ロマン派らしく肥大化して構成が自由になっていること、深く強く心を動かすロマン的感情、オーケストラの重厚さ、ピアノとオケの絡み方など、多くの点で非常に完成度が高く内容が充実しており19世紀の協奏曲を凌駕している。ラフマニノフの他の作品と比較してこの作品はずば抜けて構成が緊密であり無駄がなく、ほぼ完璧であると思う。ピアノ協奏曲を代表する逸品である。

第3番 ニ短調 作品30(1908年)
4.5点
ピアノがオーケストラを従えて前面に出て大活躍する曲。難曲として有名であり、ピアノの機能と楽器としての「器」の大きさの限界が引き出された曲。

スケールの大きさやレンジの大きさ、音の多さや派手な活躍度など、1台のピアノが活躍できる限界に到達したという点でピアノ音楽の頂点の一つと言える。

そのため、完成度が高くメロディーが秀逸だが綺麗にまとまり過ぎている2番とは違い、3番は何度聴いても受け止めきれないパワーがあって飽きない。1楽章と2楽章は良いのだがやや冗長な部分がある。圧倒的な超絶テクニックを存分に堪能できて冗長な場面がほぼない3楽章がこの曲の聞きどころである。

第4番 ト短調 作品40(初稿:1926年、最終決定稿:1941年)
1.5点
残念ながら他の協奏曲と比較してかなりの駄作である。聴いていて良いと思える部分がかなり少ない。メロディーに冴えがほとんどない。

パガニーニの主題による狂詩曲 作品43(1934年)
第18変奏 5.0点
その他 4.0点
第18変奏に関しては有名なだけあって本当に珠玉のように美しくて輝かしいメロディーである。その他の変奏も全般的にかなりの力作でありピアノ派手に活躍しつつ様々なやり方でオケと絡みバリエーションの豊富さがあるため聞き飽きない。前半も正統派な変奏曲も十分に楽しめるが、18変奏以降の自由で華やかな展開が聞きどころと思う。ピアノ協奏曲として歴代でも上位に入る出来の名作だと思うし、鑑賞して楽しい変奏曲という点では、大変秀逸だと思う。

室内楽曲

チェロとピアノのためのロマンス ヘ短調(1890年)
2.5点
ごく短い曲だが、チェロのもつ渋い悲哀やロシア的情緒の表現力の発揮に既に成功している。ピアノ伴奏の貧弱さに、作曲年代の若さが感じられるが、チェロについてはメロディーセンスが良くて、もっと後の作品でもおかしくないくらいだと思う。

チェロとピアノのための2つの小品 作品2(1892年)
1.5点
1曲目は柔らかい曲だがたいした特徴はない。2曲目は民謡のような民族的な旋法が耳につく。

ヴァイオリンとピアノのための2つの小品 作品6(1893年)
2.5点
唯一のヴァイオリン曲だが、どちらもわりとよくて、特に2曲目がなかなか面白くていい曲。ラフマニノフにヴァイオリンソナタを書いてほしかったと思った。

悲しみの三重奏曲第1番 ト短調(1892年)
2.0
「悲しみの」をつけているだけあり、まさに悲痛を感じる曲なのだが、ピアノ三重奏の良さを生かしている感じでないし、メロディーもさえない。生前未出版なのも当然か。

悲しみの三重奏曲第2番 ニ短調作品9(1893年)
1.0点
1楽章は無駄に長くてひどい駄曲。2楽章は少しましだがいい曲ではないし、やはり無駄に長い。3楽章もダメ。ラフマニノフ最大の駄作だと思う。聴く価値なし。

チェロ・ソナタト短調 作品19(1901年)
3.5点
わかりやすいラフマニノフ節と、管弦楽向け以外の曲ではあまり聴けない雄大なスケールが発揮されており、ラフマニノフらしさが十分に発揮されていて、聴く人の期待に応える作品。


ピアノ連弾、2台のピアノのための作品

組曲第1番「幻想的絵画」作品5(1893年)

舟歌 ト短調
3.0点
二台ピアノが舟の波のような効果を倍にひきたてている。

夜−愛 ニ長調
3.0点
親愛さをはらんだ感動を厚い音に乗せて表現している

涙 ト短調
3.5点
同一動機の繰り返しを二台ピアノが増幅して慟哭を表現し、強い印象を心に残す。

復活祭 ト短調
3.0点
同一動機をひたすら繰り返し神秘的な輝きを放っている。

4手のピアノのための6つの小品作品11(1894年)
舟歌
3.5点
穏やかな波の上を漂う小舟の情景を非常に鮮やかに描写している。

スケルツォ
3.5点
ムソルグスキーを彷彿とさせる、おどけた面白さと土臭い粘っこさを併せ持った曲。

ロシアの歌
3.0点
素朴なロシアの民謡風の曲。シンプルな書法で書かれており、間奏曲のような位置付け。

ワルツ
3.5点
エキゾチックな雰囲気満載のワルツ。音の運動や、ロシア臭とフランスのサロン風の融合が面白い。

ロマンス
2.5点
他の曲が良いのでこの曲も良い気分で聞けてあまり悪く感じないが、単体でみるとラフマニノフによくある哀愁の雰囲気だけの曲。

栄光
3.0点
メロディーの良さはあまりないものの、曲集の締めくくりとして、書法の優秀さで楽しんで聴ける曲。それほど野暮さを感じないのが良い。

組曲第2番作品17(1901年)

序奏 ハ長調
2.5点
ノーマルな曲で、音は分厚いが二台が相乗効果は発揮していない印象

ワルツ ト長調
2.5点
音が多くて充実しているが、曲として魅力は不十分。

ロマンス 変イ長調
2.5点
二曲目と同様で、音は多くて響きは充実しているが曲として魅力が足りない。

タランテラ ハ短調
2.5点
タランテラの魅力や二台の共演の楽しさはあるものの、いい曲だと感じるような曲ではない。

その他の作品

2台のピアノのための「ロシアの主題による狂詩曲」(作品番号なし、1891年)
2.5点
若書きなのが聴いていて分かる。多くのものが詰め込まれた意欲的な作品ではあるが、まとまりがない。

ピアノ独奏曲
4つの小品(1887年?)
3.5点
【ロマンス 嬰ヘ短調、前奏曲 変ホ短調、メロディー ホ長調、ガヴォット ニ長調】
ラフマニノフ初期の作品でスクリャービン初期と同様にショパンの影響を感じるも、ラフマニノフらしい情緒や鐘の響きも出現する。何より未成熟だが力作で聞き応えあって驚いた。自身の手で当初は作品1と番号がつけられていただけのことはある。

幻想的小品集 作品3(1892年、第3曲と第5曲は1940年に改稿)

悲歌 変ホ短調 3.5点
前奏曲 嬰ハ短調 4.0点
メロディ ホ長調 2.5点
道化役者 嬰ヘ短調 2.5点
セレナード 変ロ短調 3.0点

前奏曲はラフマニノフの小品の最高傑作。一曲目の悲歌もいい曲だが、曲集の後半は内容が落ちる。

サロン的小品集 作品10(1894年、第5曲のみ1940年に改稿)

夜想曲 イ短調 2.5点 
やりたい事は分かるがもったりすぎ

円舞曲 イ長調 2.5点
いかにもサロン風の曲。中間の技巧は面白い

舟唄 ト短調 2.5点
最後どんどん技巧的になるのが面白い

メロディ ホ短調 2.0点
雰囲気だけのラフマニノフの典型的ダメ小品

ユーモレスク ト長調 1.5点
おもしろくない

ロマンス ヘ短調 1.5点
いいところが特にない。

マズルカ 変ニ長調 2.0点
ラフマニノフ流大作マズルカだが曲のサイズとタイトルから期待するほどでない

楽興の時 作品16(1896年、第2曲のみ1940年に改稿)

1曲目 2.5点
短いフレーズを即興的につないで感情が連綿と息長く続く曲にした感じ。長いが小品のような内容
2曲目 2.0点
技巧的で聴き映えはする。フレーズは息が長い。
3曲目 2.5点
ラフマニノフらしい悲痛感をたたえた情熱が現れた曲
4曲目 3.0点
技巧と情熱的な旋律の組み合わせがスケールの大きさを持って表現されている
5曲目 2.5点
激情の余韻を表したような曲
6曲目 2.5点
ピアノをスケール大きく鳴らす曲


10の前奏曲集 作品23(1901年 - 1903年)

1 嬰ヘ短調 2.5点
夢の中のような曖昧でもやもやした曲。

2 変ロ長調 3.0点
滝のように轟々と水が流れるような曲

3 ニ短調 1.5点
あまり面白くないのにわざわざ三部形式

4 ニ長調 2.5点
ショパンのノクターン8番のような夢見るような曲。雰囲気はいいが平板。

5 ト短調 4.0点
軍隊的な力強いマーチは非常に印象的。叙情的な中間との対比も鮮やか。

6 変ホ長調 3.0点
ふわふわとした浮遊感のある叙情的な曲。

7 ハ短調 2.0点
よくある暗めの雰囲気で右手が早めのパッセージ。

8 変イ長調 2.0点
右手が早めのパッセージのもやもやした曲。

9 変ホ短調 2.5点
ショパンの練習曲のようなパッセージと雰囲気

10 変ト長調 2.0点
もやもやとしてはっきりしないまま霧の中に消えていくような曲

13の前奏曲集 作品32(1910年)

1 ハ長調 2.5点
力強く開始を告げる技巧的な曲

2 変ロ短調 2.0点
短い動機を執拗に繰り返す曲

3 ホ長調 2.5点
音を畳みかけるように積み重ねて盛り上げる中間が少しよい

4 ホ短調 2.5点
音の絵に含まれていそうな技巧的で映像的な要素のある曲。

5ト長調 3.0点
黄色い夕焼けのような美しい情景が描かれている曲。

6 ヘ短調 2.5点
華々しい技巧を見せてすぐにあっさり終わる

7 ヘ長調 2.5点
遠くの方で事象が起きているかのような儚い曲

8 イ短調 2.5点
憂鬱を基調とするテクニカル曲

9 イ長調 2.5点
最初はもやもやとしているが、それが輪郭をつくりながら大きなスケールに至る。

10 ロ短調 3.0点
荒涼とした岩の世界を思い浮かべる映像的な曲。冗長だがラフマニノフが管弦楽で得意な暗闇のような渋い雰囲気がある。

11 ロ長調 3.0点
何か愛おしさを感じる音の動きが前の曲とのつながりも良くて、耳をひく。

12 嬰ト短調 4.0点
ロシア的な憂鬱さと霧の街のような情景が合わさった情緒が見事に表現された素晴らしい曲。

13 変ニ長調 2.0点
曲集の締めの曲らしい情緒は表現されていて感動的ではあるが冗漫すぎる。

練習曲集『音の絵』作品33(1910年)

1 ヘ短調 3.0点
ゴツゴツした岩のような曲。叙情的に締める。

2 ハ長調 3.5点
憂鬱さを帯びた、夕焼けのあと夜の帳が降りるような曲。

3 ハ短調 3.0点
力強い感動を秘めたレティタティーボから静かで叙情的なメロディーに移行。

4(削除、改作して作品39-6に)

5 ニ短調 3.0点
舞曲的要素を持つ力強い曲。

6 変ホ短調 3.0点
かなり難しそうな練習曲

7 変ホ長調(「市場の情景」) 2.5点
ファンファーレが鳴る賑やかな曲

8 ト短調 2.5点
憂鬱なレティタティーボ。

9 嬰ハ短調 3.0点
轟々と響きわたる音が印象的。左手の低音の使い方が印象的。

練習曲集『音の絵』作品39(1916年 - 1917年)

1 ハ短調 3.0点
多くのパッセージががっつり詰め込まれた意欲的な作品。

2 イ短調(「海とかもめ」) 3.5点
冬の海のような冷たさと重たさを詩情として潜ませている。キラキラとした水面のようなフレーズが印象的。

3 嬰ヘ短調 3.5点
前曲に続き冬の大自然のような厳しさを感じさせる。

4 ロ短調 3.5点
同音連打が印象的。おとぎ話的な雰囲気、エキゾチックさ、厳しさを感じさせる面白くていい曲。

5 変ホ短調 3.5点
荘重な悲劇性を持った主題から展開されるスケールの大きな曲。鐘のような効果も活用されている。

6 イ短調(「赤ずきんちゃんと狼」) 3.0点
ユーモアがあるイントロの後の、テクニカルにたたみかけるところはいい感じで面白い。

7 ハ短調(「葬送の行進」) 2.0点
この曲集で唯一いまいちな曲。重いレティタティーボ。長い。

8 ニ短調 3.0点
美しい冬をまたしても感じさせる曲。

9 ニ長調(「東洋風行進曲」) 2.5点
唯一の長調だが、単純な曲ではなく、展開はめまぐるしい。華々しく終わる所はかっこいい。

大曲

ショパンの主題による変奏曲 作品22(1903年)
3.5点
前半部分4.0点
前奏曲20番の主題。この重々しい曲を主題に選ぶのが彼らしい。大作で内容が濃密で素晴らしく独奏曲の中では最高傑作の一つだと思う。特に最初の7分位はパガニーニ狂詩曲の前半部分のように霊感にあふれているかなりいい曲。何気にラフマニノフは変奏曲の才能が凄い。しかし曲全体はとしては長すぎて内容はいいのだが集中力が続かない。

ピアノ・ソナタ第1番 ニ短調 作品28(1907年)
3.5点
2番と比べてマイナー。長くて音数が多いし退屈な部分もあるので聴くのは大変。しかし外面的効果狙いを感じる2番と比較してファウストを題材にした1番は芸術的な真摯さを感じる充実した力作である。とはいえ、1楽章などはモヤモヤした雰囲気が時間とともに変容していくだけで音楽が進んでいく、良くないラフマニノフ作品の典型例かもしれない。3楽章は交響曲のようなスケールと雄大さとメロディーの充実感においてラフマニノフの大作ピアノ曲の中の最高峰だろう。3楽章の途中に現れる手を交叉させて演奏される神秘的で魔術的なメロディーが大変印象的である。

ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36(1913年、改訂1931年)
3.5点
この曲は作曲者による2つの版があるが、私はオリジナル版は冗長であり、改訂版は逆に削り過ぎで良さが失われていると考えている。このため間をとったホロヴィッツ版はちょうど良いと思う。基本的には派手な演奏効果を楽しむ曲であり外面的で深さが足りないのだが、所々に十分に美しい箇所はあるため侮れない。

コレルリの主題による変奏曲 作品42(1931年)
3.0点
ショパンの主題の方と比較すると壮大さや傑作感はやや劣ると思うが、変幻自在で分厚い重みもあり聞き応え十分な変奏曲。


その他

前奏曲 ニ短調(作品番号なし、1917年)

オリエンタル・スケッチ(作品番号なし、1917年)
2.5点
前奏曲的なスケッチ作品。


声楽曲

「ヴォカリーズ」作品34の14(1915年)
5.0点
ヴォカリーズとは、歌詞がなく母音のみで歌われる歌曲。非常に分かりやすい旋律美で多く楽器で演奏して親しまれている。美しくて陰影のある小品であり、どの楽器で演奏しても楽しめる曲としてかなり魅力的である。

合唱交響曲『鐘』作品35(1913年)
3.5点
3人の独唱者・合唱・管弦楽のための作品。充実の力作で聴き応えがある。

聖金口イオアン聖体礼儀作品31(1910年)
3.8点
荘重で、キリスト教の儀式の音楽らしい神秘的な超越的雰囲気に満ちている。無伴奏合唱だが、伴奏があるかのように音は充実している。様々なイメージが現れるので、長い曲だが飽きる事はない。
徹夜禱ほどの感動的な衝撃は無かったが、この曲もラフマニノフとは思えないほどの本格性があり、天才的な霊感に満ちていて大変素晴らしい。

徹夜禱作品37(1914年 - 1915年)
4.3点
ラフマニノフの無伴奏合唱の宗教曲。1時間の大作。大半の人にとっては期待を完全に上回る素晴らしさに驚くだろう。ロシアの民族性や、ロマンティックな感情コントロールや、質量の大きい骨太さなど、ラフマニノフの才能が見事に結晶している。全く飽きないし、次々と魅力的な場面が登場してゾクゾクする。ときどき神秘的な輝きと内容の素晴らしさにヴィクトリアを思い出す。ラフマニノフに頻出の安易さが全くない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ラフマニノフ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html#c5

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
49. 中川隆[-13087] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:13:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[446]

「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c


「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源が PC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c49

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
50. 中川隆[-13086] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:17:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[447]
真空管パワーアンプの選び方

アンプの種類にはトランジスターアンプと真空管アンプに別れ、トランジスターアンプは20年前から大きく変化して、最近は出力段にFETが、ドライバー段やプリアンプにはIC(集積回路)が使用されています。

このことが音質を大きく変えてきた原因と見ています。

出力段のFETはスピードも上がりNFB(負帰還)量も少なくて済み良くなったと思いますが、全段のICは回路が非常に小さく小型化され低電圧低電流でオーディオ向きとは言えなくなったようです。

昔のトランジスターアンプをご存知の方は分かると思いますが、昔の3本足のディスクリート型のトランジスターアンプに比べ音質が細く力が無くなったようです。昔のトランジスターアンプの一部は、真空管アンプを脅かすような清涼感や力感と質感を備えていました。


一方の真空管アンプは、人気が出始めた10年前頃から新しいメーカーが出来たり輸入品が多くなったりして、良心的な良いアンプの比率が下がり、人気を下げるような結果を招いています。

最近、5万円ほどで300Bシングルアンプとして売り出されている物がありますが、このようなアンプは一昔前の50万から100万円したアンプに使用されているトランス1個の価格ぐらいにしかならず、良い物に名を借りた貧相な製品です。同じ価格ならばトランジスタアンプの方をお薦めします。

しかし、良い音のアンプを選ぶなら真空管アンプの方がお薦めです。LPレコードが一般的な生産対象ではなくなっても、アナログのLPレコードの人気は続いているように、真空管が一般的に製造中止になって30年程になりますが、20年前には5%に落ちていた真空管アンプの人気が、現在高級機では50%を越える程の人気ぶりです。このことは、トランジスターアンプの3本足のトランジスターがICに変わり、集積回路に変わることで音質の劣化が原因になったとも考えられます。そこで、良い真空管アンプの選び方を考えてみましょう。


真空管パワーアンプの回路的には種類があり、それぞれの目的があります。

種類はシングルアンプ、プッシュプルアンプ、OTLアンプ、BTLアンプなどです。

普通のシングルアンプは2本の出力管で右と左の音を出すため、1本の出力管が片チャンネルの音の全体を受け持ち素直に増幅するため大きな出力はありませんが音質は非常に素直です。しかし、出力管やトランスで性能に差があり、周波数特性は出力トランスの使用方法や質で大きな差が出てきます。

普通のプッシュプルアンプは出力管を4本使用し、2本で片チャンネルの信号を上下に分けて受け持ち出力トランスで合成する方法を取っています。その為、大出力には向いていますが小出力時や細かい音の変化には弱い部分もあります。

一般的に販売されている物はシングルとプッシュプルが殆んどです。真空管そのものは非常に良い特性をもっていますがこの2種はトランスの性能に大きな影響を受けます。

最近の安い真空管アンプはトランスに費用をかけられていませんので出力特性は負帰還に頼り、真空管らしい音に欠け柔らかい音ですが魅力が乏しくなります。実はこれらの真空管アンプは増幅の半分はトランスが受け持っています。真空管アンプと言うよりは真空管トランスアンプと言った方が正解かもしれません。

そこで考えられたのが出力トランスを使用せず、全てを真空管で増幅する真空管OTLアンプです。またはインピーダンス変換だけをトランスにした真空管BTLアンプです。

この2種は製品化するには非常に難しいところがありますが、これらの良いアンプを手に入れると2度とシングルやプッシュプルには戻れないと言う方が以外に多いものです。アンプのメーカーを選ぶにはこのOTLやBTLを候補に入れるか、又はこのようなアンプを作れるメーカーと考える事も一つの策ではないかと思います。それは真空管や回路の事を熟知している証拠となるからです。

かつて、大手のメーカーが真空管アンプの生産をやめる時に、最高級のアンプを競った時代があります。実力のある数メーカーがそれまでは作っていなかったOTLアンプを最後にして生産を完了したのです。しかし当時は出力を競っていたせいか、その真空管の寿命は短く、安定しているとは言えませんでした。現在では真空管規格表を見直し非常に安定の良い長寿命のOTLアンプが出来ています。


良い真空管アンプを選ぶ事は非常に難しいのですが、いろいろと見てきているうちに分かった事があります。

アンプの中を覗いてみて下さい。

良い真空管アンプはプリント基板を使わず、全体がラグ板の配線で部品の一つ一つが絡げて配線されています。この方法は一見古いように見えますが、一つ一つ確実にハンダを行い長期の耐久性があり、熱を出す真空管から部品を保護しています。

次に良いのは出力管部分がラグ板配線され、全段の入力やドライバー段だけをプリント基板に乗せた物です。

最後が全てプリント基板上にした物で耐久性は考えず、早く作ることを重視した物です。

このようなことでメーカーの姿勢を見るのも一つの方法です。


また真空管アンプには安くて良いものは無いと考えるべきです。

良い真空管アンプを作るには良いトランスが必要で、ある程度高価になります。

製品化されると10万円を切ることは難しく、真空管の種類やメーカーにこだわると15万円を切る事が難しくなります。それ以上に安いものを求められるなら量産向きのトランジスターアンプの方が良い結果になる場合が多くなると思います。


もう一つの方向からお話してみます。アンプとスピーカーは切り離しては考えられません。そこで、同じ技術で2種のスピーカーを作ったとします。

一つは高能率のスピーカーで能率が100dBで耐入力が10Wあります。

一つは並の能率で90dBで耐入力が100Wのスピーカーです。

音質を重視して振動板を軽量化し磁力を強力にした物が能率100dBで10Wのスピーカーで、出力や帯域を重視して振動板を重くしボイスコイルを太くした物が能率90dBで100Wのスピーカーです。

ここが重要なところで100dBのスピーカーに10W入力した時の音の大きさは90dBのスピーカーに100W入力した時と同じ大きさです。

また、アンプの場合は同じ大きさの電源トランスを使って10Wのアンプを作る場合と100Wのアンプを作る場合では、10Wが音質重視のもので100Wが出力重視の物と考えるべきです。

そこで、音質を選ばれる方は100dBのスピーカーに10Wのアンプを組み合わせ、帯域や出力を選ばれる方は90dBのスピーカーに100Wのアンプになると思います。

しかしこの両者の場合、最大の音量は同じです。同じ場所、同じ音量でボーカルでも聞かれたとしたら、その音の魅力でたぶん90%以上の方が10Wのアンプにされるでしょう。また能率100dBのスピーカーがあれば一般家庭では3W以上のアンプがあれば生演奏を越える大きな音量が楽に出せるのです。

始めてオーディオを購入される方が音質の良さを求め、耐入力の大きなスピーカーや出力の大きなアンプを選ぶと大きな失敗につながることもあるのです。

そのほかにも経験の少ない方が測定データを重視していると失敗する事が多くあります。例えば、

NFB無で40〜15000Hzの特性を持った真空管アンプがあったとします。これでは特性が悪く現代のオーディオ用のアンプとは言えませんが、NFBをかけて25〜20000Hzのアンプにすると何とか使用できるアンプになるでしょう。

しかし、もともと良い部品を使いNFB無で25〜20000Hzの特性をもった良質のアンプに、NFBをかけて20〜25000Hzにすると測定では更に良くなりますが、実際の試聴結果は狭くなった感じがして音質も少し劣化した感じがするものです。

要するに特性を満足しているアンプにNFBをかけるとカタログに書ける特性が更に良くなったとしても音質的に悪くなってしまいます。

この場合は真空管から出力トランスまでオールオーバーにNFBをかけた為に位相にかかわる問題が発生したと考えられます。この場合に測定器では良くなった面しか測る事が出来ないのです。NFBをかける理由は他にもあり、ハム等を除去したり、増幅度を調整したりできます。しかし、手作りの高級機パワーアンプはNFBをかけないで完成させるものが多いのです。結果的には、NFBは薬にも毒にもなり、上手に使えば非常に良い結果も生む事がありますので、何でもかんでもNFBが悪いわけではありません。

当店では音質重視で最高のオーディオシステムをご希望の方には、高価でもある程度の広い帯域を持った100dBを越えるスピーカーと、音質を重視した大型で小出力の真空管アンプをお薦めしています。

システムを安く組まれたい方には、高能率のフルレンジスピーカーに真空管(米国製純三極管)シングルアンプをお薦めしています。

アンプを検討する場合はスピーカーを切り離しては考えられず、またオーディオとは自分自身が思った良い音を作る事だと考えます。色んなタイプのスピーカーに色んなタイプのアンプを繋ぎ鳴らしたとき、最高の音が出たと思う組み合わせのアンプとスピーカーが自分にとって一番良いものと思います。

このときスピーカーの種類としては高能率と低能率、アンプの種類としては同価格での低出力と高出力に分かれると思います。

原音再生を目的とされ、音楽は演奏家の意図する音に一番近いものが感動できるという考え方をお持ちの方は、高能率スピーカーに低出力アンプの組み合わせが良いと思われ、

一方で原音再生は出来るわけがないので、何か素晴らしい綺麗な音と広帯域の音を創造したいと思われる方には、低能率スピーカーと高出力アンプの組み合わせが合うように感じています。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/amp.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c50

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
51. 中川隆[-13085] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:26:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[448]
アナログとデジタルについて

 今のオーディオの世界でデジタルが良いとかアナログが良いとか論議が絶えないようですが、論議をされている方に何か勘違いがあるのではないかと思われます。

オーディオシステム全体は全てアナログです。
デジタルが使用されるのは音を保管する方法の事で、その部分だけがデジタルかアナログかどちらが良いかということでしょう。比較する方法に問題があるのです。

自分自身のシステムの中での比較でしたら論議の意味はないと思います。
好きな方を聞けばよいのです。

本当に問題なのは利益追求の為に急にアナログのLPを生産中止してデジタルのCDだけを生産するメーカーの姿勢です。私には比較され公表される事を恐れたものとしか思えませんでした。

デジタルもアナログも良いところと悪いところを持ち合わせています。確かにデジタルは便利です。低価格のオーディオは全てデジタルに取って替わりました。
 
オーディオを歴史的に考えてみましょう。ここでは少しハイレベルでのお話をしてみます。

再生技術が発表されたのは1800年後期ですが、トーマス・エジソンの蓄音機の発明がきっかけとなります。

1900年初期に78回転のSPレコードの生産がはじまり、1940年代にモノーラルLPレコード、そして1960年になってステレオLPレコードが販売されています。そして1985年頃にCDが発売されたと思います。

これに音楽の歴史を重ねて見ましょう。

歴史に残るモダンジャズやクラシックが最高の時期を迎えたのは1900年頃から1970年頃まででしょう。この時期に歴史的な演奏が数多く行われ録音されてきました。それは殆んどSPやLPレコードに収められています。

そしてオーディオの技術が頂点に達したと思われるのは1950年から1960年代でしょう。
その後、業務用のオーディオ機器の大半が劣化の道をたどっています。

うそ〜 と思われる方が多いと思いますが話を続けます。
古いとか新しいとか関係なく御自分の耳で確かめてください。

ある程度の高価なオーディオ機器を持ち、音楽を良い趣味として楽しんでおられる方はお解かりと思いますが、1950年代のもノーラルレコードや1960年代のステレオレコードは驚くほどの音質で録音されています。

その当時に生産されたLPレコードは、近年に作られたLPの重量盤やハーフカッティングや誰かの推薦盤などとは全く違って本物なのです。

LPレコードの音質をどんどん劣化させた現在、デジタルと比較する事は全く意味がありません。

 アナログのLPレコードの魅力は高級機での再生にあります。
正確に録音された歴史的な演奏はそれなりにしっかり作られた良いシステムを使用しないと正しい音での再生は出来ません。

例えば音質的に上手く組み合わせられた約50万円以上の良いシステムでしたら少しはアナログの良さが多いことを確認できるでしょう。

LPレコードからは非常に繊細な多くの音質の聞分けができますがCDプレーヤーの再生では少しの音の違いしか確認できません。これが非常に良質のシステムの場合アナログでは気合の入った全く違う演奏にも感じさせるのです。

デジタルとアナログの比較をした場合、低価格システムの場合ではデジタルが有利で、こだわりの高級システムの場合はアナログが有利になるでしょう。

 別の方向から説明しますと、アナログ録音は無限の連続ですがデジタル録音は有限の断続です。比較して機械的な測定ではアナログ録音再生の良いところは小信号にあり、デジタル録音再生の良いところは大信号にあります。

要するにアナログは微細な音色を表現する音や緩やかに変化する音が有利であり、音楽が一番必要としている感情を表現する音質が得意なのです。大きな爆発的な瞬間の音、要するに劇的な音で音楽性の上では少々荒れてもかまわない音に弱いのです。このことがジャズやクラシック、ポップス、ロックなどの音楽の表現力として有利になります。

一方デジタルは大きな音や大きな変化に強く、微小な変化を表すのが弱点であり、このことがハードロック音楽などの衝撃的な音に有利に思われますが、これは機械的な測定結果によるものであり、現実はハードロックを聴かれるかたの方がアナログファンが多いのです。

それは、大音量の中に色々な多くの感情を表現する音が含まれて音楽として構成されていますので、大音量こそ感情表現に乏しいデジタル音では、音楽の表現を聞き取る事が難しく耐えることすら困難になります。

全ての音楽家は、音楽の中で自らの表現をなるべく多く正確に伝えるが為に、良い楽器を選び、心を込めて演奏しているのです。そこで聞く側として、演奏家の音楽としての表現をいかに上手にとらえるかを努力したいものです。

 「良いものは永遠に残る」、ということわざがありますが、30年前に日本国内で生産中止された真空管が今では高級品として残るがごとく、15年前に生産中止されたLPレコードがいまだに人気があるのです。

新しいものが古いものを超える場合は、古いものは2〜3年も経たないうちに見放されてしまうのが常識でしょう。

デジタルの音に対する難関は音のアナログ信号をデジタルに変換する事、もっと難しいのはデジタルの信号をアナログに変換する事です。非常にややこしい、スピードの遅い作業です。しかし、デジタルコピーなら何回コピーしてもほとんど同じ物が出来ます。デジタル技術が進んできた現時点で便利なデジタルがアナログのどの程度まで追いついているのかという事が論争になる部分であり、デジタルがアナログを超えているというのは非常に早過ぎる話だと思います。また、デジタルが進化するとしてもアナログも同じように進化しますので、超える事は無いにしろどちらでも良い程度の時代が数十年後には来るかもしれません。


 ここで良質なLPレコードを良質な高級システムで再生した場合の音質について書いておきます。

一般にアナログは聞きやすく柔らかい音だと言われていますが、それでは何かボケた音、ふわーとしたバックグランドミュージックの音のように勘違いします。しかし、本物はそういう単純なものではなく極自然な音なのです。全ての感情を現すために、非常にスピードがあり、繊細で強烈でやさしく激しく、澄み切った空間に奥行きのある音で広がり、癖が無く、1つの楽器の音でも気持ちが現れる色々な音色を出します。それはあたかも演奏家が自分の為に目の前で演奏して何かを伝えようとしているかのごとく楽しむ事ができるのです。

そして、1950年代のモノラルや1960年代のステレオのレコード鑑賞は多くの意味で生演奏を超える事があるのです。

http://www.otono-edison.com/edisonkyo/ade.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c51

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
40. 中川隆[-13084] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:28:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[449]
電源について

電源用のタップはしっかりしたものをご使用ください。一般に販売されている電源タップには、非常に安価な(\1,500前後の)ものやノイズフィルター付きの(1〜2万円)もの、または常識をはるかに超える(10数万円もするもの)など色々あります。

しかし、本当のまじめな製品は少ないものです。価格の安いものは使用されているプラグやコード、コンセント等に安いものが使用され、接合部分にも問題があります。

また、フィルター付きの1〜2万円のものは、コードを除き安物と余り変わらないようです。しかし、フィルターをつけたことで値段が少し高くなっていますが、音質的にはフィルターがついている為に安い物を下回ります。

また、非常に高価な製品も問題があります。良い部品や良いコードは使用していますが、落雷防止やノイズフィルターやフローティング、交流安定化電源アンプなどを採用していますので非常に高価になり、それらを採用する事で性能としては良い面と悪い面が出てきます。相対的にマイナス面が大きいと感じられます。

最高に誠実な(理論的に考えて良い物)電源タップを製品化してみました。この電源タップ部品は日本製のしっかりしたコードやプラグやコンセントを使用し、スイッチ代わりに安全ブレーカーを使用したものです。要するに、良い電源にするためには、接合点がしっかりしたもので耐久性が優れたものが一番良いのです。

フィルターやそれ以外の色々な事を施しているものは高価になり、宣伝文句は立派に感じますが、オーディオ用電源としての品質は低下するようです。しかし、電源のパルスやノイズに弱いコンピューター等に使用する場合には適していると思います。

良い電源とは、一番に電力供給です。二番目に綺麗な電源でしょう。もし、一番目の電力供給能力が低くなったとしたら、音質に大きな影響が出てきます。それは、音に力が無くなり、スピード感が落ち、活力が低下します。二番目の綺麗な電源については現在の商用電源で十分なようです。確かに商用電源はオシロで見るとノイズが見えます。(注:このノイズはフィルターでも少し少なくなる程度です。)この程度のノイズはアンプ内のフィルター(整流回路)で十分に対処できます。少し残ったとしても音に現れるものではないと判断されます。もし、二番目のわずかな事を気にしてノイズフィルターやフローティングなどを使用すると、電源インピーダンスが大きくなり、一番大事な電力供給能力を著しく阻害する事になります。

高価なフィルター付き、又、フローティング電源、落雷防止付き等の電源を使用すると、わずかに音がしなやかで綺麗になったように感じて、ノイズが少なくなったと判断されるかも知れません。実は電気が綺麗になった事よりも、電源インピーダンスが非常に高くなった為に電源供給能力が低下して、音の立ち上がりやスピード感が遅くなり、音の力強さが欠け、細かい音の粒立ちが薄れてしまっている事が大きいのです。改めてフィルターも何も使用していない元のコンセントに戻してみると、音に活力が蘇り、音が劣化していた事に気付かれるでしょう。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/dengen.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c40

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
52. 中川隆[-13083] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:30:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[450]
スピーカーについて

スピーカーといえば皆さんはすぐに箱に入った四角いものを想像されると思います。そして、販売されているカタログを見るとすべてのものが素晴らしい考えのもとに設計し製造されているかのように書いてあります。スピーカーの設計は非常に難しく、素晴らしいと言えるようなスピーカーはなかなか存在しないものです。そこで、良いものを探すには知識が必要になってくるのです。

スピーカーシステムには使用されているスピーカーユニットの種類、またはエンクロジャー(箱)の種類などで目的の音質が異なり、本当に良いものが現在生産されているかということまで考えないと見つける事が出来ないかもしれません。

スピーカーユニットの種類には

●フルレンジ
 単体のスピーカーで全ての帯域を受け持つように設計されています。ユニットの中でこれほど簡単なものから高価なものまで数多く作られたものはありません。スピーカーユニットの設計の基本となるもので今でも最高級の低音用として用いられます。また、フルレンジとツィーターを一緒にした同軸2ウェイのユニットもあります。一般的な大きさのものでは同軸方のほうが非常に有利です。このフルレンジユニットがスピーカーの基本になると考えられても良いと思います。


●ウーハ−
 低音を重視して設計されたもので口径が大きくストロークが大きく取れるように設計されています。しかし、低音が伸びているとか大きさだけでは良い音質の判断材料にはなりません。同じ箱の大きさならば設計理由から判断すると口径の小さいウーハーの方が音質的に有利になります。
小さい箱で低音を伸ばすにはコーン紙の質量を重くします。低音の共振周波数が下がり、小さい箱の割には低音がよく出るようになりますが、注意するべき事は音質の低下です。重くなったウーハーはスピードが遅くなります。歯切れの良い低音は出てこなくなりますので音楽的には重ったるい鮮度の低い音質となります。
良質な原音再生を意図したウーハーは大口径でも軽い強いコーン紙で出来ています。そして能率が高く、高価なものは100dB以上もあるのです。


●スコーカ−
 中音用に設計されたユニットですが箱に取り付けた小型のものは今までに良いものはありませんでした。比較的に良いものとしては小型のフルレンジが使用されています。

大型のものではホーン型が使用されていますが、ドライバー単独では良いものかもしれませんが一般的に販売されているものではホーンの設計が設置する都合に合わせてあり、低音や高音との音の位相や定位が上手く取れないのが殆どです。見た感じ凄そうに見えますが家庭用としては不完全でしょう。しかし、低位と位相が合わせられたものは予想を越える素晴らしさがあります。


●ツィーター
 高音を再生するために設計されたもので多くの種類があります。能率の高いホーンタイプは高級品に利用されますが指向性に問題があることがあります。コーンタイプは最もポピュラーなツィーターでウーハートの相性も良く安価です。最近はソフトドーム型が良く使われていますが能率が低いため小型システムに利用されます。指向性は非常に良い。音質重視のシステムにはホーンタイプが多く利用され、バスレフ型にはコーンタイプ、密封型にはドームツィーターが多いようです。

エンクロジャー(箱)の種類は


●平面バッフル型

一番古くから使用されているものでスピーカーの前と後の音を混合させないように広い板で仕切るものです。最近は板の共振を無くすため形が工夫されています。最高の音質が得られますが使用できるユニットは比較的に高価です。バッフルが大きくなるところが欠点ですが、低域の音質は他の方法で勝るものはありません。低音のよさは全体域につながり、原音再生を目的とされる場合は特にお薦め致します。現在のメーカーさんでは作っているところは有りませんが成功すると箱型での音作りは時間の無駄ということが良くわかります。バランスよく広帯域を再生するには非常に経験と技術が必要です。


●バスレフ型

 平面バッフル型をなるべく小さくするために考えられたもので、ユニットの後から出る音を箱で封じ込めながらある程度の背圧を抜き、特性の降下している低音のみを位相反転させ前に開けたポートの共振で持ち上げる設計です。一般的な大きさのシステムでしたらこちらの方が有利でしょう。


●密封型

 スピーカーの後から出る音を箱で封じ込め、その音を箱に詰められた多量の吸音材で消去しようと考えて設計されたものです。当然スピーカーは空気の圧力を受けますので動きにくくなり能率が低下します。この空気の背圧を利用しウーハーの振動系に重りを付け、または重くして共振値を下げて低音を再現する方法です。また、ボイスコイルを大きくしてもかまわない設計であり100W以上の入力に耐えます。しかし全体的に背圧を受けながら振動しているために楽器のように開放感のある音は望めません。箱の内部を調整する事により自然な感じの音ではありませんが綺麗な音の感覚の音作りにしたり、音質重視でなく音圧で圧倒するような音楽として聴かれたい方には向いているかも知れません。

大きく分けて分類しましたがお解かりの方も多いと思います。上記を基本にして説明を書いていきます。

大まかな音質の良いスピーカーの選び方

スピーカーを判別するに特性表が表示されていると思いますが、この表がメーカーや国や用途によりまちまちになっています。プロ用は(−3dB)を基準に、アマチュア用は(−10dB)を基準に測定するなど、全てを信じて評価すると大きな失敗に結びつきます。特性表の中で信用できて音質的な参考に出来るものがスピーカーの能率です。この能率は電気信号をどれほどの効率で音に変換できるかを表しています。車で言えば1000ccのエンジンで何馬力出せるかの表示と同じものです。これを音圧として表示されています。平均的には約90〜93dB(デシベル)位でしょう。これが3dB変化すると半分かまたは倍の効率になります。悪い数値のものは表示されてないものもあり、だいたい85dB前後でしょう。良いものは100dB以上にもなります。この数値はアンプの出力を1W入力した時、スピーカーから1m離れたところの音の大きさを表します。数値が100dBのスピーカーの場合は1Wの入力で録音された原音の音量が出ます。そして変換効率は5%です。90dBの場合は0.5%ということになります。

良いスピーカーを作るには構造や理論が自然でなくてはなりません。音質の良いものは小さな信号までも効率的に音に変換できるようにする為に、振動系は軽くて強いものを選びます。その為に自然と能率が良くなり100dBを越えるか近いものになります。このように音質重視で設計されたスピーカーユニットは背圧のかからないバッフル型またはバスレフ型に取り付け使用します。しかし、最近では平面バッフル型は大きさが敬遠されて小型のバスレフ型や密封型が多くなりました。しかしこのことは背圧が加わるために低音を出そうとして設計すると振動系の部分を重くする必要があります。こうして箱内の空気圧と振動系の重さにより原音再生の考え方から離れていったのです。バスレフの場合は90〜93dB程度のユニットを使用するためまだ良い方ですが、密封型の箱では振動系に重りを付けた物が多く良質な再生音は得られないでしょう。最近では、更に小型で重低音をうたい文句に別のスピーカーユニットを箱の中に取り付け共振を利用して低音を増強しようとしたスピーカーシステムがあるようですが原音再生には全く無縁のものと思います。

ここで上手くいった一例として当店の409システムをご紹介いたします。このシステムは一見バスレフにも見えますが、バスレフポートを縦長にすることで共振を少なくしてボックス内の背圧を抜いています。ユニットは能率が20センチでは世界一の97.8dBもあります。上手に鳴らすことで平面バッフル型に近い良い音質が得られるのです。

ここで誤解の無いように「良い音質とは」の説明をしておきます

 良い音質とは録音される前の音のように感情の入った色々な微細な音を正確に再現するもので、綺麗な音や汚い音、太い音、細い音、激しい音、やさしい音、明るい音、暗い音などを表現する事が出来ます。演奏家が楽器などによって音で表現しようとしている意味が聞き取れるものであり、何でもきれいな音で表現するものではありません。最近は音楽としての音質を忘れてオーディオとしての勝手な音作りが先行している製品の方が多くなっています。少し視野を広げる事で素晴らしいオーディオの世界があることに気付いて頂けると思います。

スピーカーシステムの形から見た性質

 平均的な小型のスピーカーシステムには2ウエイや3ウエイが多く見かけられます。どちらが音質的に有利かといえば2ウエイの方です。帯域的には3ウエイの方が有利でしょう。しかし、予算を同額にすると2ウエイが非常に良い結果になります。その理由は2ウエイのウーハーとツイーターに3ウエイにするため中音のスコーカ−を入れますがスコーカ−の能率は非常に悪く、ウーハーの効率を揃えるためにウーハーの振動系を重くして共振点を下げて低音を伸ばすのが一般的です。こうする事で3ウエイの帯域は広くなります。しかし能率が悪くなり音質が劣化し2ウエイに劣るのです。そのほかにもネットワークという音を分ける部分も3ウエイの方は部品数が多くなり高価になりますので、2ウエイのままで予算をかけたシステムの方が音質は非常に有利になるのは明白です。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/speaker.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c52

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
53. 中川隆[-13082] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[451]
「スピーカーは買い換えを考える必要のない素晴らしい物を」
https://www.otono-edison.com/original/speaker/prominent.htm

当店は営業25年目になります。当初は他のお店と変わりはなく、有名な海外のスピーカーを並べていました。そして良いスピーカーを選ぶ為に、展示している中から色々なスピーカーを自宅に持ち帰り、試聴していました。

当時はさすがにどのスピーカーも良いところがある等と楽しんでいましたが、自分専用のスピーカーが決まりません。そこで、生産が完了している古いスピーカー(昔の名器)といわれるものを次々と取扱い、試聴すると新しいものに勝るものばかりでした。

しかし、決定的なものはありませんでした。そしてスピーカーの歴史を調べ、行き着いたところが60年以上前の最高級フルレンジスピーカーです。

ウエスタンやジェンセン、RCA等、これらのスピーカーは現代のスピーカーとは大違いです。見かけは気にせずに本格的に考え抜かれた部分が多く、素晴らしい部分を沢山持っています。

簡単に言うと励磁型、フィクスド、ベークダンパーで、正当な考え方として最高のものです。現代のスピーカーユニットでは足元にも及びません。

コーン紙の作りでも非常にこだわりが有り、鉄の素材や紙の材料や糊の量や形成方法が全く違ったのです。現代の技術と大きな能力の違いを感じさせられました。

調べるうちにスピーカーは60年も前から衰退している事を実感したものです。

当時、このような高級フルレンジスピーカーは一般的に販売されていなかったようです。(販売されていたとしても購入できる金額ではなかったと思われます。)素晴らしい物を発見してしまいました。後にも先にももう探すところはありません。「これらのユニットを使わないで何を使う」と考えて作り始めたのです。

そして、当時の多くのスピーカーシステムを調べてみて、箱型では頂点を目指すことは出来ないことも分かりました。このように、これらのユニットに大きな可能性を感じたのですが、

現代の無難な考え方のスピーカーとは全く異なり、低音の量感は少なく、じゃじゃ馬で、そのままではスピード感や実在感はあるものの雰囲気や繊細さはありません。音質は良いのですが周波数特性上の暴れや、インピーダンスの暴れ、大きな共振には悩みました。

そして、色々な方法を考えました。最初はツイーターを組み合わせバッフルの形やネットワークで調整する事で何とか目的を果たす事が出来ました。その頃はこれらのユニットに見合うようなツイーターもなかったのです。

その後、発売されたエレクトロボイスの新製品(最も高価なドライバー+ホーン)DH-3を当店の大型システム(ホーン型)に使用しテストして決定しました。しかし、このツイーターをこのシステムに利用してみると前よりは良くなっていますが、完全に納得がいきません。

他の名器といわれるスピーカーと似たように原音に近いものでなく、オーディオの再生音に感じます。

試行錯誤すること5〜6年、やっと原因を突き止めたのです。その原因はアッテネーターであり、音量を絞ることで音質が劣化する事を発見したのです。

そして劣化のない新型のアッテネーターを考案する事が出来て、やっと思い続けていた音を出すスピーカーシステムが出来上がりました。
https://www.otono-edison.com/original/speaker/prominent.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c53

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
54. 中川隆[-13081] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:45:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[452]

なぜ真空管アンプをお薦めするのか
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm

いろいろな増幅素子の中で真空管が最も優れているからです。その事は下記に述べて証明します。では何故メーカーが本気に真空管アンプを製造しないのでしょうか、その理由は儲からないからです。

真空管アンプはある程度の性能を出そうと思うと費用がかかり、大衆に販売できるコストを超えてしまいます。

第二は真空管やトランスを他社に依頼すると利益率が低い。

第三には輸送コスト、高電圧部品の調達が難しい、イメージが良くないなどでしょう。

1,真空管の中を電子が通過する速さはトランジスターの数千倍もあります。ということは、アンプの状態では数百万倍以上にもなるのです。このことは高域の裸特性に現れるのです。(裸特性:何も補正をしない状態)

真空管アンプの特性を決定するものはトランスであり真空管そのものの特性は、ほぼゼロヘルツから数十万ヘルツまであるのです。最近はトランスも非常に優れたものがあり負帰還(補正)なしで素晴らしい特性のものができます。

トランジスターの場合はトランスを必要としません。また、トランジスターは非常に安く、高出力のものでも費用は節約できます。しかし、トランジスターそのもののもつ特性はアンプにすると2000ヘルツの高域までしか再生できず。多量の負帰還(補正)を必要とします。

この負帰還は特性を良くしたりノイズを消したりする事ができ便利ですが、実際の試聴感では音が薄くなり伸びやかさが無くなったり、音に力がなくなったり、細かいニュアンスが感じられなくなったりします。負帰還そのものが理論上に解決しているとも思えません。(生演奏すり替え実験は無帰還アンプが使用されています。)



2,次はインピーダンスに対する出力特性の問題です。

トランジスターアンプのカタログを見て下さい。
例えば8オームのスピーカーの場合は100Wとすると4オームでは160W、16オームでは60Wとスピーカーのインピーダンスが大きくなれば出力は小さくなります。

しかし、真空管アンプの場合は倍のインピーダンス変化くらいではあまり出力の変化はありません。

スピーカーシステムのカタログを用意してください。そこには、周波数特性が表として掲載されています。その他にインピーダンスの特性も表として掲載されています。載せていないものもあるかと思いますが、どのスピーカーも同じようなものです。特性表の両方を重ね合わせると周波数特性が劣化し始めたところあたりからインピーダンス特性は上昇し始めます。よく考えてください。

トランジスターアンプを使用した場合はスピーカーの特性が悪くなるあたりになるとスピーカーのインピーダンスも上がるためアンプの出力も下がり、更に周波数特性が悪くなるということです。ところが、真空管アンプではほとんど影響がないのです。


一般的なスピーカーの周波数特性とインピーダンス特性

真空管アンプとトランジスタアンプのスピーカーに繋いだ時の裸特性

3,トランジスターアンプは真空管アンプと比較して同じ出力表示でも、スピーカーをつないだ場合の本当の出力は約1/3になります。
(スピーカーにインピーダンス補正というものが付けられているものがありますがほとんど意味をなしません。なぜなら、インピーダンスは下がっても分圧された状態になっているから結果は同じです。

8オームと表示されているスピーカーは最低インピーダンスが8オームということです。そして、インピーダンスの特性表にはなだらかな線を使ってわかりやすいように簡略化してありますが本当は気象庁の地震計のようにギザギザの状態になります。

それの影響をまともに受けるということは半分しか音が出ていないことと判断しても良いと思います。)
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c54

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
12. 中川隆[-13080] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:49:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[453]

真空管パワーアンプの選び方

アンプの種類にはトランジスターアンプと真空管アンプに別れ、トランジスターアンプは20年前から大きく変化して、最近は出力段にFETが、ドライバー段やプリアンプにはIC(集積回路)が使用されています。

このことが音質を大きく変えてきた原因と見ています。

出力段のFETはスピードも上がりNFB(負帰還)量も少なくて済み良くなったと思いますが、全段のICは回路が非常に小さく小型化され低電圧低電流でオーディオ向きとは言えなくなったようです。

昔のトランジスターアンプをご存知の方は分かると思いますが、昔の3本足のディスクリート型のトランジスターアンプに比べ音質が細く力が無くなったようです。昔のトランジスターアンプの一部は、真空管アンプを脅かすような清涼感や力感と質感を備えていました。

一方の真空管アンプは、人気が出始めた10年前頃から新しいメーカーが出来たり輸入品が多くなったりして、良心的な良いアンプの比率が下がり、人気を下げるような結果を招いています。

最近、5万円ほどで300Bシングルアンプとして売り出されている物がありますが、このようなアンプは一昔前の50万から100万円したアンプに使用されているトランス1個の価格ぐらいにしかならず、良い物に名を借りた貧相な製品です。同じ価格ならばトランジスタアンプの方をお薦めします。

しかし、良い音のアンプを選ぶなら真空管アンプの方がお薦めです。LPレコードが一般的な生産対象ではなくなっても、アナログのLPレコードの人気は続いているように、真空管が一般的に製造中止になって30年程になりますが、20年前には5%に落ちていた真空管アンプの人気が、現在高級機では50%を越える程の人気ぶりです。このことは、トランジスターアンプの3本足のトランジスターがICに変わり、集積回路に変わることで音質の劣化が原因になったとも考えられます。そこで、良い真空管アンプの選び方を考えてみましょう。

真空管パワーアンプの回路的には種類があり、それぞれの目的があります。

種類はシングルアンプ、プッシュプルアンプ、OTLアンプ、BTLアンプなどです。

普通のシングルアンプは2本の出力管で右と左の音を出すため、1本の出力管が片チャンネルの音の全体を受け持ち素直に増幅するため大きな出力はありませんが音質は非常に素直です。しかし、出力管やトランスで性能に差があり、周波数特性は出力トランスの使用方法や質で大きな差が出てきます。

普通のプッシュプルアンプは出力管を4本使用し、2本で片チャンネルの信号を上下に分けて受け持ち出力トランスで合成する方法を取っています。その為、大出力には向いていますが小出力時や細かい音の変化には弱い部分もあります。

一般的に販売されている物はシングルとプッシュプルが殆んどです。真空管そのものは非常に良い特性をもっていますがこの2種はトランスの性能に大きな影響を受けます。

最近の安い真空管アンプはトランスに費用をかけられていませんので出力特性は負帰還に頼り、真空管らしい音に欠け柔らかい音ですが魅力が乏しくなります。実はこれらの真空管アンプは増幅の半分はトランスが受け持っています。真空管アンプと言うよりは真空管トランスアンプと言った方が正解かもしれません。
そこで考えられたのが出力トランスを使用せず、全てを真空管で増幅する真空管OTLアンプです。またはインピーダンス変換だけをトランスにした真空管BTLアンプです。

この2種は製品化するには非常に難しいところがありますが、これらの良いアンプを手に入れると2度とシングルやプッシュプルには戻れないと言う方が以外に多いものです。アンプのメーカーを選ぶにはこのOTLやBTLを候補に入れるか、又はこのようなアンプを作れるメーカーと考える事も一つの策ではないかと思います。それは真空管や回路の事を熟知している証拠となるからです。

かつて、大手のメーカーが真空管アンプの生産をやめる時に、最高級のアンプを競った時代があります。実力のある数メーカーがそれまでは作っていなかったOTLアンプを最後にして生産を完了したのです。しかし当時は出力を競っていたせいか、その真空管の寿命は短く、安定しているとは言えませんでした。現在では真空管規格表を見直し非常に安定の良い長寿命のOTLアンプが出来ています。

良い真空管アンプを選ぶ事は非常に難しいのですが、いろいろと見てきているうちに分かった事があります。

アンプの中を覗いてみて下さい。

良い真空管アンプはプリント基板を使わず、全体がラグ板の配線で部品の一つ一つが絡げて配線されています。この方法は一見古いように見えますが、一つ一つ確実にハンダを行い長期の耐久性があり、熱を出す真空管から部品を保護しています。
次に良いのは出力管部分がラグ板配線され、全段の入力やドライバー段だけをプリント基板に乗せた物です。

最後が全てプリント基板上にした物で耐久性は考えず、早く作ることを重視した物です。

このようなことでメーカーの姿勢を見るのも一つの方法です。

また真空管アンプには安くて良いものは無いと考えるべきです。

良い真空管アンプを作るには良いトランスが必要で、ある程度高価になります。

製品化されると10万円を切ることは難しく、真空管の種類やメーカーにこだわると15万円を切る事が難しくなります。それ以上に安いものを求められるなら量産向きのトランジスターアンプの方が良い結果になる場合が多くなると思います。

もう一つの方向からお話してみます。アンプとスピーカーは切り離しては考えられません。そこで、同じ技術で2種のスピーカーを作ったとします。

一つは高能率のスピーカーで能率が100dBで耐入力が10Wあります。
一つは並の能率で90dBで耐入力が100Wのスピーカーです。

音質を重視して振動板を軽量化し磁力を強力にした物が能率100dBで10Wのスピーカーで、出力や帯域を重視して振動板を重くしボイスコイルを太くした物が能率90dBで100Wのスピーカーです。

ここが重要なところで100dBのスピーカーに10W入力した時の音の大きさは90dBのスピーカーに100W入力した時と同じ大きさです。

また、アンプの場合は同じ大きさの電源トランスを使って10Wのアンプを作る場合と100Wのアンプを作る場合では、10Wが音質重視のもので100Wが出力重視の物と考えるべきです。
そこで、音質を選ばれる方は100dBのスピーカーに10Wのアンプを組み合わせ、帯域や出力を選ばれる方は90dBのスピーカーに100Wのアンプになると思います。

しかしこの両者の場合、最大の音量は同じです。同じ場所、同じ音量でボーカルでも聞かれたとしたら、その音の魅力でたぶん90%以上の方が10Wのアンプにされるでしょう。また能率100dBのスピーカーがあれば一般家庭では3W以上のアンプがあれば生演奏を越える大きな音量が楽に出せるのです。

始めてオーディオを購入される方が音質の良さを求め、耐入力の大きなスピーカーや出力の大きなアンプを選ぶと大きな失敗につながることもあるのです。
そのほかにも経験の少ない方が測定データを重視していると失敗する事が多くあります。例えば、

NFB無で40〜15000Hzの特性を持った真空管アンプがあったとします。これでは特性が悪く現代のオーディオ用のアンプとは言えませんが、NFBをかけて25〜20000Hzのアンプにすると何とか使用できるアンプになるでしょう。

しかし、もともと良い部品を使いNFB無で25〜20000Hzの特性をもった良質のアンプに、NFBをかけて20〜25000Hzにすると測定では更に良くなりますが、実際の試聴結果は狭くなった感じがして音質も少し劣化した感じがするものです。

要するに特性を満足しているアンプにNFBをかけるとカタログに書ける特性が更に良くなったとしても音質的に悪くなってしまいます。

この場合は真空管から出力トランスまでオールオーバーにNFBをかけた為に位相にかかわる問題が発生したと考えられます。この場合に測定器では良くなった面しか測る事が出来ないのです。NFBをかける理由は他にもあり、ハム等を除去したり、増幅度を調整したりできます。しかし、手作りの高級機パワーアンプはNFBをかけないで完成させるものが多いのです。結果的には、NFBは薬にも毒にもなり、上手に使えば非常に良い結果も生む事がありますので、何でもかんでもNFBが悪いわけではありません。

当店では音質重視で最高のオーディオシステムをご希望の方には、高価でもある程度の広い帯域を持った100dBを越えるスピーカーと、音質を重視した大型で小出力の真空管アンプをお薦めしています。

システムを安く組まれたい方には、高能率のフルレンジスピーカーに真空管(米国製純三極管)シングルアンプをお薦めしています。

アンプを検討する場合はスピーカーを切り離しては考えられず、またオーディオとは自分自身が思った良い音を作る事だと考えます。色んなタイプのスピーカーに色んなタイプのアンプを繋ぎ鳴らしたとき、最高の音が出たと思う組み合わせのアンプとスピーカーが自分にとって一番良いものと思います。

このときスピーカーの種類としては高能率と低能率、アンプの種類としては同価格での低出力と高出力に分かれると思います。

原音再生を目的とされ、音楽は演奏家の意図する音に一番近いものが感動できるという考え方をお持ちの方は、高能率スピーカーに低出力アンプの組み合わせが良いと思われ、

一方で原音再生は出来るわけがないので、何か素晴らしい綺麗な音と広帯域の音を創造したいと思われる方には、低能率スピーカーと高出力アンプの組み合わせが合うように感じています。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/amp.htm


なぜ真空管アンプをお薦めするのか
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm

いろいろな増幅素子の中で真空管が最も優れているからです。その事は下記に述べて証明します。では何故メーカーが本気に真空管アンプを製造しないのでしょうか、その理由は儲からないからです。

真空管アンプはある程度の性能を出そうと思うと費用がかかり、大衆に販売できるコストを超えてしまいます。

第二は真空管やトランスを他社に依頼すると利益率が低い。

第三には輸送コスト、高電圧部品の調達が難しい、イメージが良くないなどでしょう。

1,真空管の中を電子が通過する速さはトランジスターの数千倍もあります。ということは、アンプの状態では数百万倍以上にもなるのです。このことは高域の裸特性に現れるのです。(裸特性:何も補正をしない状態)

真空管アンプの特性を決定するものはトランスであり真空管そのものの特性は、ほぼゼロヘルツから数十万ヘルツまであるのです。最近はトランスも非常に優れたものがあり負帰還(補正)なしで素晴らしい特性のものができます。

トランジスターの場合はトランスを必要としません。また、トランジスターは非常に安く、高出力のものでも費用は節約できます。しかし、トランジスターそのもののもつ特性はアンプにすると2000ヘルツの高域までしか再生できず。多量の負帰還(補正)を必要とします。

この負帰還は特性を良くしたりノイズを消したりする事ができ便利ですが、実際の試聴感では音が薄くなり伸びやかさが無くなったり、音に力がなくなったり、細かいニュアンスが感じられなくなったりします。負帰還そのものが理論上に解決しているとも思えません。(生演奏すり替え実験は無帰還アンプが使用されています。)


2,次はインピーダンスに対する出力特性の問題です。

トランジスターアンプのカタログを見て下さい。

例えば8オームのスピーカーの場合は100Wとすると4オームでは160W、16オームでは60Wとスピーカーのインピーダンスが大きくなれば出力は小さくなります。

しかし、真空管アンプの場合は倍のインピーダンス変化くらいではあまり出力の変化はありません。

スピーカーシステムのカタログを用意してください。そこには、周波数特性が表として掲載されています。その他にインピーダンスの特性も表として掲載されています。載せていないものもあるかと思いますが、どのスピーカーも同じようなものです。特性表の両方を重ね合わせると周波数特性が劣化し始めたところあたりからインピーダンス特性は上昇し始めます。よく考えてください。

トランジスターアンプを使用した場合はスピーカーの特性が悪くなるあたりになるとスピーカーのインピーダンスも上がるためアンプの出力も下がり、更に周波数特性が悪くなるということです。ところが、真空管アンプではほとんど影響がないのです。

一般的なスピーカーの周波数特性とインピーダンス特性

真空管アンプとトランジスタアンプのスピーカーに繋いだ時の裸特性

3,トランジスターアンプは真空管アンプと比較して同じ出力表示でも、スピーカーをつないだ場合の本当の出力は約1/3になります。

(スピーカーにインピーダンス補正というものが付けられているものがありますがほとんど意味をなしません。なぜなら、インピーダンスは下がっても分圧された状態になっているから結果は同じです。

8オームと表示されているスピーカーは最低インピーダンスが8オームということです。そして、インピーダンスの特性表にはなだらかな線を使ってわかりやすいように簡略化してありますが本当は気象庁の地震計のようにギザギザの状態になります。

それの影響をまともに受けるということは半分しか音が出ていないことと判断しても良いと思います。)
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c12

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
134. 中川隆[-13079] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:50:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[454]

真空管パワーアンプの選び方

アンプの種類にはトランジスターアンプと真空管アンプに別れ、トランジスターアンプは20年前から大きく変化して、最近は出力段にFETが、ドライバー段やプリアンプにはIC(集積回路)が使用されています。

このことが音質を大きく変えてきた原因と見ています。

出力段のFETはスピードも上がりNFB(負帰還)量も少なくて済み良くなったと思いますが、全段のICは回路が非常に小さく小型化され低電圧低電流でオーディオ向きとは言えなくなったようです。

昔のトランジスターアンプをご存知の方は分かると思いますが、昔の3本足のディスクリート型のトランジスターアンプに比べ音質が細く力が無くなったようです。昔のトランジスターアンプの一部は、真空管アンプを脅かすような清涼感や力感と質感を備えていました。

一方の真空管アンプは、人気が出始めた10年前頃から新しいメーカーが出来たり輸入品が多くなったりして、良心的な良いアンプの比率が下がり、人気を下げるような結果を招いています。

最近、5万円ほどで300Bシングルアンプとして売り出されている物がありますが、このようなアンプは一昔前の50万から100万円したアンプに使用されているトランス1個の価格ぐらいにしかならず、良い物に名を借りた貧相な製品です。同じ価格ならばトランジスタアンプの方をお薦めします。

しかし、良い音のアンプを選ぶなら真空管アンプの方がお薦めです。LPレコードが一般的な生産対象ではなくなっても、アナログのLPレコードの人気は続いているように、真空管が一般的に製造中止になって30年程になりますが、20年前には5%に落ちていた真空管アンプの人気が、現在高級機では50%を越える程の人気ぶりです。このことは、トランジスターアンプの3本足のトランジスターがICに変わり、集積回路に変わることで音質の劣化が原因になったとも考えられます。そこで、良い真空管アンプの選び方を考えてみましょう。

真空管パワーアンプの回路的には種類があり、それぞれの目的があります。

種類はシングルアンプ、プッシュプルアンプ、OTLアンプ、BTLアンプなどです。

普通のシングルアンプは2本の出力管で右と左の音を出すため、1本の出力管が片チャンネルの音の全体を受け持ち素直に増幅するため大きな出力はありませんが音質は非常に素直です。しかし、出力管やトランスで性能に差があり、周波数特性は出力トランスの使用方法や質で大きな差が出てきます。

普通のプッシュプルアンプは出力管を4本使用し、2本で片チャンネルの信号を上下に分けて受け持ち出力トランスで合成する方法を取っています。その為、大出力には向いていますが小出力時や細かい音の変化には弱い部分もあります。

一般的に販売されている物はシングルとプッシュプルが殆んどです。真空管そのものは非常に良い特性をもっていますがこの2種はトランスの性能に大きな影響を受けます。

最近の安い真空管アンプはトランスに費用をかけられていませんので出力特性は負帰還に頼り、真空管らしい音に欠け柔らかい音ですが魅力が乏しくなります。実はこれらの真空管アンプは増幅の半分はトランスが受け持っています。真空管アンプと言うよりは真空管トランスアンプと言った方が正解かもしれません。
そこで考えられたのが出力トランスを使用せず、全てを真空管で増幅する真空管OTLアンプです。またはインピーダンス変換だけをトランスにした真空管BTLアンプです。

この2種は製品化するには非常に難しいところがありますが、これらの良いアンプを手に入れると2度とシングルやプッシュプルには戻れないと言う方が以外に多いものです。アンプのメーカーを選ぶにはこのOTLやBTLを候補に入れるか、又はこのようなアンプを作れるメーカーと考える事も一つの策ではないかと思います。それは真空管や回路の事を熟知している証拠となるからです。

かつて、大手のメーカーが真空管アンプの生産をやめる時に、最高級のアンプを競った時代があります。実力のある数メーカーがそれまでは作っていなかったOTLアンプを最後にして生産を完了したのです。しかし当時は出力を競っていたせいか、その真空管の寿命は短く、安定しているとは言えませんでした。現在では真空管規格表を見直し非常に安定の良い長寿命のOTLアンプが出来ています。

良い真空管アンプを選ぶ事は非常に難しいのですが、いろいろと見てきているうちに分かった事があります。

アンプの中を覗いてみて下さい。

良い真空管アンプはプリント基板を使わず、全体がラグ板の配線で部品の一つ一つが絡げて配線されています。この方法は一見古いように見えますが、一つ一つ確実にハンダを行い長期の耐久性があり、熱を出す真空管から部品を保護しています。
次に良いのは出力管部分がラグ板配線され、全段の入力やドライバー段だけをプリント基板に乗せた物です。

最後が全てプリント基板上にした物で耐久性は考えず、早く作ることを重視した物です。

このようなことでメーカーの姿勢を見るのも一つの方法です。

また真空管アンプには安くて良いものは無いと考えるべきです。

良い真空管アンプを作るには良いトランスが必要で、ある程度高価になります。

製品化されると10万円を切ることは難しく、真空管の種類やメーカーにこだわると15万円を切る事が難しくなります。それ以上に安いものを求められるなら量産向きのトランジスターアンプの方が良い結果になる場合が多くなると思います。

もう一つの方向からお話してみます。アンプとスピーカーは切り離しては考えられません。そこで、同じ技術で2種のスピーカーを作ったとします。

一つは高能率のスピーカーで能率が100dBで耐入力が10Wあります。
一つは並の能率で90dBで耐入力が100Wのスピーカーです。

音質を重視して振動板を軽量化し磁力を強力にした物が能率100dBで10Wのスピーカーで、出力や帯域を重視して振動板を重くしボイスコイルを太くした物が能率90dBで100Wのスピーカーです。

ここが重要なところで100dBのスピーカーに10W入力した時の音の大きさは90dBのスピーカーに100W入力した時と同じ大きさです。

また、アンプの場合は同じ大きさの電源トランスを使って10Wのアンプを作る場合と100Wのアンプを作る場合では、10Wが音質重視のもので100Wが出力重視の物と考えるべきです。
そこで、音質を選ばれる方は100dBのスピーカーに10Wのアンプを組み合わせ、帯域や出力を選ばれる方は90dBのスピーカーに100Wのアンプになると思います。

しかしこの両者の場合、最大の音量は同じです。同じ場所、同じ音量でボーカルでも聞かれたとしたら、その音の魅力でたぶん90%以上の方が10Wのアンプにされるでしょう。また能率100dBのスピーカーがあれば一般家庭では3W以上のアンプがあれば生演奏を越える大きな音量が楽に出せるのです。

始めてオーディオを購入される方が音質の良さを求め、耐入力の大きなスピーカーや出力の大きなアンプを選ぶと大きな失敗につながることもあるのです。
そのほかにも経験の少ない方が測定データを重視していると失敗する事が多くあります。例えば、

NFB無で40〜15000Hzの特性を持った真空管アンプがあったとします。これでは特性が悪く現代のオーディオ用のアンプとは言えませんが、NFBをかけて25〜20000Hzのアンプにすると何とか使用できるアンプになるでしょう。

しかし、もともと良い部品を使いNFB無で25〜20000Hzの特性をもった良質のアンプに、NFBをかけて20〜25000Hzにすると測定では更に良くなりますが、実際の試聴結果は狭くなった感じがして音質も少し劣化した感じがするものです。

要するに特性を満足しているアンプにNFBをかけるとカタログに書ける特性が更に良くなったとしても音質的に悪くなってしまいます。

この場合は真空管から出力トランスまでオールオーバーにNFBをかけた為に位相にかかわる問題が発生したと考えられます。この場合に測定器では良くなった面しか測る事が出来ないのです。NFBをかける理由は他にもあり、ハム等を除去したり、増幅度を調整したりできます。しかし、手作りの高級機パワーアンプはNFBをかけないで完成させるものが多いのです。結果的には、NFBは薬にも毒にもなり、上手に使えば非常に良い結果も生む事がありますので、何でもかんでもNFBが悪いわけではありません。

当店では音質重視で最高のオーディオシステムをご希望の方には、高価でもある程度の広い帯域を持った100dBを越えるスピーカーと、音質を重視した大型で小出力の真空管アンプをお薦めしています。

システムを安く組まれたい方には、高能率のフルレンジスピーカーに真空管(米国製純三極管)シングルアンプをお薦めしています。

アンプを検討する場合はスピーカーを切り離しては考えられず、またオーディオとは自分自身が思った良い音を作る事だと考えます。色んなタイプのスピーカーに色んなタイプのアンプを繋ぎ鳴らしたとき、最高の音が出たと思う組み合わせのアンプとスピーカーが自分にとって一番良いものと思います。

このときスピーカーの種類としては高能率と低能率、アンプの種類としては同価格での低出力と高出力に分かれると思います。

原音再生を目的とされ、音楽は演奏家の意図する音に一番近いものが感動できるという考え方をお持ちの方は、高能率スピーカーに低出力アンプの組み合わせが良いと思われ、

一方で原音再生は出来るわけがないので、何か素晴らしい綺麗な音と広帯域の音を創造したいと思われる方には、低能率スピーカーと高出力アンプの組み合わせが合うように感じています。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/amp.htm


なぜ真空管アンプをお薦めするのか
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm

いろいろな増幅素子の中で真空管が最も優れているからです。その事は下記に述べて証明します。では何故メーカーが本気に真空管アンプを製造しないのでしょうか、その理由は儲からないからです。

真空管アンプはある程度の性能を出そうと思うと費用がかかり、大衆に販売できるコストを超えてしまいます。

第二は真空管やトランスを他社に依頼すると利益率が低い。

第三には輸送コスト、高電圧部品の調達が難しい、イメージが良くないなどでしょう。

1,真空管の中を電子が通過する速さはトランジスターの数千倍もあります。ということは、アンプの状態では数百万倍以上にもなるのです。このことは高域の裸特性に現れるのです。(裸特性:何も補正をしない状態)

真空管アンプの特性を決定するものはトランスであり真空管そのものの特性は、ほぼゼロヘルツから数十万ヘルツまであるのです。最近はトランスも非常に優れたものがあり負帰還(補正)なしで素晴らしい特性のものができます。

トランジスターの場合はトランスを必要としません。また、トランジスターは非常に安く、高出力のものでも費用は節約できます。しかし、トランジスターそのもののもつ特性はアンプにすると2000ヘルツの高域までしか再生できず。多量の負帰還(補正)を必要とします。

この負帰還は特性を良くしたりノイズを消したりする事ができ便利ですが、実際の試聴感では音が薄くなり伸びやかさが無くなったり、音に力がなくなったり、細かいニュアンスが感じられなくなったりします。負帰還そのものが理論上に解決しているとも思えません。(生演奏すり替え実験は無帰還アンプが使用されています。)


2,次はインピーダンスに対する出力特性の問題です。

トランジスターアンプのカタログを見て下さい。

例えば8オームのスピーカーの場合は100Wとすると4オームでは160W、16オームでは60Wとスピーカーのインピーダンスが大きくなれば出力は小さくなります。

しかし、真空管アンプの場合は倍のインピーダンス変化くらいではあまり出力の変化はありません。

スピーカーシステムのカタログを用意してください。そこには、周波数特性が表として掲載されています。その他にインピーダンスの特性も表として掲載されています。載せていないものもあるかと思いますが、どのスピーカーも同じようなものです。特性表の両方を重ね合わせると周波数特性が劣化し始めたところあたりからインピーダンス特性は上昇し始めます。よく考えてください。

トランジスターアンプを使用した場合はスピーカーの特性が悪くなるあたりになるとスピーカーのインピーダンスも上がるためアンプの出力も下がり、更に周波数特性が悪くなるということです。ところが、真空管アンプではほとんど影響がないのです。

一般的なスピーカーの周波数特性とインピーダンス特性

真空管アンプとトランジスタアンプのスピーカーに繋いだ時の裸特性

3,トランジスターアンプは真空管アンプと比較して同じ出力表示でも、スピーカーをつないだ場合の本当の出力は約1/3になります。

(スピーカーにインピーダンス補正というものが付けられているものがありますがほとんど意味をなしません。なぜなら、インピーダンスは下がっても分圧された状態になっているから結果は同じです。

8オームと表示されているスピーカーは最低インピーダンスが8オームということです。そして、インピーダンスの特性表にはなだらかな線を使ってわかりやすいように簡略化してありますが本当は気象庁の地震計のようにギザギザの状態になります。

それの影響をまともに受けるということは半分しか音が出ていないことと判断しても良いと思います。)
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c134

[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
101. 中川隆[-13078] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:51:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[455]

真空管パワーアンプの選び方

アンプの種類にはトランジスターアンプと真空管アンプに別れ、トランジスターアンプは20年前から大きく変化して、最近は出力段にFETが、ドライバー段やプリアンプにはIC(集積回路)が使用されています。

このことが音質を大きく変えてきた原因と見ています。

出力段のFETはスピードも上がりNFB(負帰還)量も少なくて済み良くなったと思いますが、全段のICは回路が非常に小さく小型化され低電圧低電流でオーディオ向きとは言えなくなったようです。

昔のトランジスターアンプをご存知の方は分かると思いますが、昔の3本足のディスクリート型のトランジスターアンプに比べ音質が細く力が無くなったようです。昔のトランジスターアンプの一部は、真空管アンプを脅かすような清涼感や力感と質感を備えていました。

一方の真空管アンプは、人気が出始めた10年前頃から新しいメーカーが出来たり輸入品が多くなったりして、良心的な良いアンプの比率が下がり、人気を下げるような結果を招いています。

最近、5万円ほどで300Bシングルアンプとして売り出されている物がありますが、このようなアンプは一昔前の50万から100万円したアンプに使用されているトランス1個の価格ぐらいにしかならず、良い物に名を借りた貧相な製品です。同じ価格ならばトランジスタアンプの方をお薦めします。

しかし、良い音のアンプを選ぶなら真空管アンプの方がお薦めです。LPレコードが一般的な生産対象ではなくなっても、アナログのLPレコードの人気は続いているように、真空管が一般的に製造中止になって30年程になりますが、20年前には5%に落ちていた真空管アンプの人気が、現在高級機では50%を越える程の人気ぶりです。このことは、トランジスターアンプの3本足のトランジスターがICに変わり、集積回路に変わることで音質の劣化が原因になったとも考えられます。そこで、良い真空管アンプの選び方を考えてみましょう。

真空管パワーアンプの回路的には種類があり、それぞれの目的があります。

種類はシングルアンプ、プッシュプルアンプ、OTLアンプ、BTLアンプなどです。

普通のシングルアンプは2本の出力管で右と左の音を出すため、1本の出力管が片チャンネルの音の全体を受け持ち素直に増幅するため大きな出力はありませんが音質は非常に素直です。しかし、出力管やトランスで性能に差があり、周波数特性は出力トランスの使用方法や質で大きな差が出てきます。

普通のプッシュプルアンプは出力管を4本使用し、2本で片チャンネルの信号を上下に分けて受け持ち出力トランスで合成する方法を取っています。その為、大出力には向いていますが小出力時や細かい音の変化には弱い部分もあります。

一般的に販売されている物はシングルとプッシュプルが殆んどです。真空管そのものは非常に良い特性をもっていますがこの2種はトランスの性能に大きな影響を受けます。

最近の安い真空管アンプはトランスに費用をかけられていませんので出力特性は負帰還に頼り、真空管らしい音に欠け柔らかい音ですが魅力が乏しくなります。実はこれらの真空管アンプは増幅の半分はトランスが受け持っています。真空管アンプと言うよりは真空管トランスアンプと言った方が正解かもしれません。
そこで考えられたのが出力トランスを使用せず、全てを真空管で増幅する真空管OTLアンプです。またはインピーダンス変換だけをトランスにした真空管BTLアンプです。

この2種は製品化するには非常に難しいところがありますが、これらの良いアンプを手に入れると2度とシングルやプッシュプルには戻れないと言う方が以外に多いものです。アンプのメーカーを選ぶにはこのOTLやBTLを候補に入れるか、又はこのようなアンプを作れるメーカーと考える事も一つの策ではないかと思います。それは真空管や回路の事を熟知している証拠となるからです。

かつて、大手のメーカーが真空管アンプの生産をやめる時に、最高級のアンプを競った時代があります。実力のある数メーカーがそれまでは作っていなかったOTLアンプを最後にして生産を完了したのです。しかし当時は出力を競っていたせいか、その真空管の寿命は短く、安定しているとは言えませんでした。現在では真空管規格表を見直し非常に安定の良い長寿命のOTLアンプが出来ています。

良い真空管アンプを選ぶ事は非常に難しいのですが、いろいろと見てきているうちに分かった事があります。

アンプの中を覗いてみて下さい。

良い真空管アンプはプリント基板を使わず、全体がラグ板の配線で部品の一つ一つが絡げて配線されています。この方法は一見古いように見えますが、一つ一つ確実にハンダを行い長期の耐久性があり、熱を出す真空管から部品を保護しています。
次に良いのは出力管部分がラグ板配線され、全段の入力やドライバー段だけをプリント基板に乗せた物です。

最後が全てプリント基板上にした物で耐久性は考えず、早く作ることを重視した物です。

このようなことでメーカーの姿勢を見るのも一つの方法です。

また真空管アンプには安くて良いものは無いと考えるべきです。

良い真空管アンプを作るには良いトランスが必要で、ある程度高価になります。

製品化されると10万円を切ることは難しく、真空管の種類やメーカーにこだわると15万円を切る事が難しくなります。それ以上に安いものを求められるなら量産向きのトランジスターアンプの方が良い結果になる場合が多くなると思います。

もう一つの方向からお話してみます。アンプとスピーカーは切り離しては考えられません。そこで、同じ技術で2種のスピーカーを作ったとします。

一つは高能率のスピーカーで能率が100dBで耐入力が10Wあります。
一つは並の能率で90dBで耐入力が100Wのスピーカーです。

音質を重視して振動板を軽量化し磁力を強力にした物が能率100dBで10Wのスピーカーで、出力や帯域を重視して振動板を重くしボイスコイルを太くした物が能率90dBで100Wのスピーカーです。

ここが重要なところで100dBのスピーカーに10W入力した時の音の大きさは90dBのスピーカーに100W入力した時と同じ大きさです。

また、アンプの場合は同じ大きさの電源トランスを使って10Wのアンプを作る場合と100Wのアンプを作る場合では、10Wが音質重視のもので100Wが出力重視の物と考えるべきです。
そこで、音質を選ばれる方は100dBのスピーカーに10Wのアンプを組み合わせ、帯域や出力を選ばれる方は90dBのスピーカーに100Wのアンプになると思います。

しかしこの両者の場合、最大の音量は同じです。同じ場所、同じ音量でボーカルでも聞かれたとしたら、その音の魅力でたぶん90%以上の方が10Wのアンプにされるでしょう。また能率100dBのスピーカーがあれば一般家庭では3W以上のアンプがあれば生演奏を越える大きな音量が楽に出せるのです。

始めてオーディオを購入される方が音質の良さを求め、耐入力の大きなスピーカーや出力の大きなアンプを選ぶと大きな失敗につながることもあるのです。
そのほかにも経験の少ない方が測定データを重視していると失敗する事が多くあります。例えば、

NFB無で40〜15000Hzの特性を持った真空管アンプがあったとします。これでは特性が悪く現代のオーディオ用のアンプとは言えませんが、NFBをかけて25〜20000Hzのアンプにすると何とか使用できるアンプになるでしょう。

しかし、もともと良い部品を使いNFB無で25〜20000Hzの特性をもった良質のアンプに、NFBをかけて20〜25000Hzにすると測定では更に良くなりますが、実際の試聴結果は狭くなった感じがして音質も少し劣化した感じがするものです。

要するに特性を満足しているアンプにNFBをかけるとカタログに書ける特性が更に良くなったとしても音質的に悪くなってしまいます。

この場合は真空管から出力トランスまでオールオーバーにNFBをかけた為に位相にかかわる問題が発生したと考えられます。この場合に測定器では良くなった面しか測る事が出来ないのです。NFBをかける理由は他にもあり、ハム等を除去したり、増幅度を調整したりできます。しかし、手作りの高級機パワーアンプはNFBをかけないで完成させるものが多いのです。結果的には、NFBは薬にも毒にもなり、上手に使えば非常に良い結果も生む事がありますので、何でもかんでもNFBが悪いわけではありません。

当店では音質重視で最高のオーディオシステムをご希望の方には、高価でもある程度の広い帯域を持った100dBを越えるスピーカーと、音質を重視した大型で小出力の真空管アンプをお薦めしています。

システムを安く組まれたい方には、高能率のフルレンジスピーカーに真空管(米国製純三極管)シングルアンプをお薦めしています。

アンプを検討する場合はスピーカーを切り離しては考えられず、またオーディオとは自分自身が思った良い音を作る事だと考えます。色んなタイプのスピーカーに色んなタイプのアンプを繋ぎ鳴らしたとき、最高の音が出たと思う組み合わせのアンプとスピーカーが自分にとって一番良いものと思います。

このときスピーカーの種類としては高能率と低能率、アンプの種類としては同価格での低出力と高出力に分かれると思います。

原音再生を目的とされ、音楽は演奏家の意図する音に一番近いものが感動できるという考え方をお持ちの方は、高能率スピーカーに低出力アンプの組み合わせが良いと思われ、

一方で原音再生は出来るわけがないので、何か素晴らしい綺麗な音と広帯域の音を創造したいと思われる方には、低能率スピーカーと高出力アンプの組み合わせが合うように感じています。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/amp.htm


なぜ真空管アンプをお薦めするのか
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm

いろいろな増幅素子の中で真空管が最も優れているからです。その事は下記に述べて証明します。では何故メーカーが本気に真空管アンプを製造しないのでしょうか、その理由は儲からないからです。

真空管アンプはある程度の性能を出そうと思うと費用がかかり、大衆に販売できるコストを超えてしまいます。

第二は真空管やトランスを他社に依頼すると利益率が低い。

第三には輸送コスト、高電圧部品の調達が難しい、イメージが良くないなどでしょう。

1,真空管の中を電子が通過する速さはトランジスターの数千倍もあります。ということは、アンプの状態では数百万倍以上にもなるのです。このことは高域の裸特性に現れるのです。(裸特性:何も補正をしない状態)

真空管アンプの特性を決定するものはトランスであり真空管そのものの特性は、ほぼゼロヘルツから数十万ヘルツまであるのです。最近はトランスも非常に優れたものがあり負帰還(補正)なしで素晴らしい特性のものができます。

トランジスターの場合はトランスを必要としません。また、トランジスターは非常に安く、高出力のものでも費用は節約できます。しかし、トランジスターそのもののもつ特性はアンプにすると2000ヘルツの高域までしか再生できず。多量の負帰還(補正)を必要とします。

この負帰還は特性を良くしたりノイズを消したりする事ができ便利ですが、実際の試聴感では音が薄くなり伸びやかさが無くなったり、音に力がなくなったり、細かいニュアンスが感じられなくなったりします。負帰還そのものが理論上に解決しているとも思えません。(生演奏すり替え実験は無帰還アンプが使用されています。)


2,次はインピーダンスに対する出力特性の問題です。

トランジスターアンプのカタログを見て下さい。

例えば8オームのスピーカーの場合は100Wとすると4オームでは160W、16オームでは60Wとスピーカーのインピーダンスが大きくなれば出力は小さくなります。

しかし、真空管アンプの場合は倍のインピーダンス変化くらいではあまり出力の変化はありません。

スピーカーシステムのカタログを用意してください。そこには、周波数特性が表として掲載されています。その他にインピーダンスの特性も表として掲載されています。載せていないものもあるかと思いますが、どのスピーカーも同じようなものです。特性表の両方を重ね合わせると周波数特性が劣化し始めたところあたりからインピーダンス特性は上昇し始めます。よく考えてください。

トランジスターアンプを使用した場合はスピーカーの特性が悪くなるあたりになるとスピーカーのインピーダンスも上がるためアンプの出力も下がり、更に周波数特性が悪くなるということです。ところが、真空管アンプではほとんど影響がないのです。

一般的なスピーカーの周波数特性とインピーダンス特性

真空管アンプとトランジスタアンプのスピーカーに繋いだ時の裸特性

3,トランジスターアンプは真空管アンプと比較して同じ出力表示でも、スピーカーをつないだ場合の本当の出力は約1/3になります。

(スピーカーにインピーダンス補正というものが付けられているものがありますがほとんど意味をなしません。なぜなら、インピーダンスは下がっても分圧された状態になっているから結果は同じです。

8オームと表示されているスピーカーは最低インピーダンスが8オームということです。そして、インピーダンスの特性表にはなだらかな線を使ってわかりやすいように簡略化してありますが本当は気象庁の地震計のようにギザギザの状態になります。

それの影響をまともに受けるということは半分しか音が出ていないことと判断しても良いと思います。)
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c101

[リバイバル3] 3万円のドイツ製プロ用パワーアンプ thomann S-75mk2 と数百万円のハイエンドアンプとでは電源ケーブルを変えた位の差しか出ない 中川隆
30. 中川隆[-13077] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:52:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[456]

真空管パワーアンプの選び方

アンプの種類にはトランジスターアンプと真空管アンプに別れ、トランジスターアンプは20年前から大きく変化して、最近は出力段にFETが、ドライバー段やプリアンプにはIC(集積回路)が使用されています。

このことが音質を大きく変えてきた原因と見ています。

出力段のFETはスピードも上がりNFB(負帰還)量も少なくて済み良くなったと思いますが、全段のICは回路が非常に小さく小型化され低電圧低電流でオーディオ向きとは言えなくなったようです。

昔のトランジスターアンプをご存知の方は分かると思いますが、昔の3本足のディスクリート型のトランジスターアンプに比べ音質が細く力が無くなったようです。昔のトランジスターアンプの一部は、真空管アンプを脅かすような清涼感や力感と質感を備えていました。

一方の真空管アンプは、人気が出始めた10年前頃から新しいメーカーが出来たり輸入品が多くなったりして、良心的な良いアンプの比率が下がり、人気を下げるような結果を招いています。

最近、5万円ほどで300Bシングルアンプとして売り出されている物がありますが、このようなアンプは一昔前の50万から100万円したアンプに使用されているトランス1個の価格ぐらいにしかならず、良い物に名を借りた貧相な製品です。同じ価格ならばトランジスタアンプの方をお薦めします。

しかし、良い音のアンプを選ぶなら真空管アンプの方がお薦めです。LPレコードが一般的な生産対象ではなくなっても、アナログのLPレコードの人気は続いているように、真空管が一般的に製造中止になって30年程になりますが、20年前には5%に落ちていた真空管アンプの人気が、現在高級機では50%を越える程の人気ぶりです。このことは、トランジスターアンプの3本足のトランジスターがICに変わり、集積回路に変わることで音質の劣化が原因になったとも考えられます。そこで、良い真空管アンプの選び方を考えてみましょう。

真空管パワーアンプの回路的には種類があり、それぞれの目的があります。

種類はシングルアンプ、プッシュプルアンプ、OTLアンプ、BTLアンプなどです。

普通のシングルアンプは2本の出力管で右と左の音を出すため、1本の出力管が片チャンネルの音の全体を受け持ち素直に増幅するため大きな出力はありませんが音質は非常に素直です。しかし、出力管やトランスで性能に差があり、周波数特性は出力トランスの使用方法や質で大きな差が出てきます。

普通のプッシュプルアンプは出力管を4本使用し、2本で片チャンネルの信号を上下に分けて受け持ち出力トランスで合成する方法を取っています。その為、大出力には向いていますが小出力時や細かい音の変化には弱い部分もあります。

一般的に販売されている物はシングルとプッシュプルが殆んどです。真空管そのものは非常に良い特性をもっていますがこの2種はトランスの性能に大きな影響を受けます。

最近の安い真空管アンプはトランスに費用をかけられていませんので出力特性は負帰還に頼り、真空管らしい音に欠け柔らかい音ですが魅力が乏しくなります。実はこれらの真空管アンプは増幅の半分はトランスが受け持っています。真空管アンプと言うよりは真空管トランスアンプと言った方が正解かもしれません。
そこで考えられたのが出力トランスを使用せず、全てを真空管で増幅する真空管OTLアンプです。またはインピーダンス変換だけをトランスにした真空管BTLアンプです。

この2種は製品化するには非常に難しいところがありますが、これらの良いアンプを手に入れると2度とシングルやプッシュプルには戻れないと言う方が以外に多いものです。アンプのメーカーを選ぶにはこのOTLやBTLを候補に入れるか、又はこのようなアンプを作れるメーカーと考える事も一つの策ではないかと思います。それは真空管や回路の事を熟知している証拠となるからです。

かつて、大手のメーカーが真空管アンプの生産をやめる時に、最高級のアンプを競った時代があります。実力のある数メーカーがそれまでは作っていなかったOTLアンプを最後にして生産を完了したのです。しかし当時は出力を競っていたせいか、その真空管の寿命は短く、安定しているとは言えませんでした。現在では真空管規格表を見直し非常に安定の良い長寿命のOTLアンプが出来ています。

良い真空管アンプを選ぶ事は非常に難しいのですが、いろいろと見てきているうちに分かった事があります。

アンプの中を覗いてみて下さい。

良い真空管アンプはプリント基板を使わず、全体がラグ板の配線で部品の一つ一つが絡げて配線されています。この方法は一見古いように見えますが、一つ一つ確実にハンダを行い長期の耐久性があり、熱を出す真空管から部品を保護しています。
次に良いのは出力管部分がラグ板配線され、全段の入力やドライバー段だけをプリント基板に乗せた物です。

最後が全てプリント基板上にした物で耐久性は考えず、早く作ることを重視した物です。

このようなことでメーカーの姿勢を見るのも一つの方法です。

また真空管アンプには安くて良いものは無いと考えるべきです。

良い真空管アンプを作るには良いトランスが必要で、ある程度高価になります。

製品化されると10万円を切ることは難しく、真空管の種類やメーカーにこだわると15万円を切る事が難しくなります。それ以上に安いものを求められるなら量産向きのトランジスターアンプの方が良い結果になる場合が多くなると思います。

もう一つの方向からお話してみます。アンプとスピーカーは切り離しては考えられません。そこで、同じ技術で2種のスピーカーを作ったとします。

一つは高能率のスピーカーで能率が100dBで耐入力が10Wあります。
一つは並の能率で90dBで耐入力が100Wのスピーカーです。

音質を重視して振動板を軽量化し磁力を強力にした物が能率100dBで10Wのスピーカーで、出力や帯域を重視して振動板を重くしボイスコイルを太くした物が能率90dBで100Wのスピーカーです。

ここが重要なところで100dBのスピーカーに10W入力した時の音の大きさは90dBのスピーカーに100W入力した時と同じ大きさです。

また、アンプの場合は同じ大きさの電源トランスを使って10Wのアンプを作る場合と100Wのアンプを作る場合では、10Wが音質重視のもので100Wが出力重視の物と考えるべきです。
そこで、音質を選ばれる方は100dBのスピーカーに10Wのアンプを組み合わせ、帯域や出力を選ばれる方は90dBのスピーカーに100Wのアンプになると思います。

しかしこの両者の場合、最大の音量は同じです。同じ場所、同じ音量でボーカルでも聞かれたとしたら、その音の魅力でたぶん90%以上の方が10Wのアンプにされるでしょう。また能率100dBのスピーカーがあれば一般家庭では3W以上のアンプがあれば生演奏を越える大きな音量が楽に出せるのです。

始めてオーディオを購入される方が音質の良さを求め、耐入力の大きなスピーカーや出力の大きなアンプを選ぶと大きな失敗につながることもあるのです。
そのほかにも経験の少ない方が測定データを重視していると失敗する事が多くあります。例えば、

NFB無で40〜15000Hzの特性を持った真空管アンプがあったとします。これでは特性が悪く現代のオーディオ用のアンプとは言えませんが、NFBをかけて25〜20000Hzのアンプにすると何とか使用できるアンプになるでしょう。

しかし、もともと良い部品を使いNFB無で25〜20000Hzの特性をもった良質のアンプに、NFBをかけて20〜25000Hzにすると測定では更に良くなりますが、実際の試聴結果は狭くなった感じがして音質も少し劣化した感じがするものです。

要するに特性を満足しているアンプにNFBをかけるとカタログに書ける特性が更に良くなったとしても音質的に悪くなってしまいます。

この場合は真空管から出力トランスまでオールオーバーにNFBをかけた為に位相にかかわる問題が発生したと考えられます。この場合に測定器では良くなった面しか測る事が出来ないのです。NFBをかける理由は他にもあり、ハム等を除去したり、増幅度を調整したりできます。しかし、手作りの高級機パワーアンプはNFBをかけないで完成させるものが多いのです。結果的には、NFBは薬にも毒にもなり、上手に使えば非常に良い結果も生む事がありますので、何でもかんでもNFBが悪いわけではありません。

当店では音質重視で最高のオーディオシステムをご希望の方には、高価でもある程度の広い帯域を持った100dBを越えるスピーカーと、音質を重視した大型で小出力の真空管アンプをお薦めしています。

システムを安く組まれたい方には、高能率のフルレンジスピーカーに真空管(米国製純三極管)シングルアンプをお薦めしています。

アンプを検討する場合はスピーカーを切り離しては考えられず、またオーディオとは自分自身が思った良い音を作る事だと考えます。色んなタイプのスピーカーに色んなタイプのアンプを繋ぎ鳴らしたとき、最高の音が出たと思う組み合わせのアンプとスピーカーが自分にとって一番良いものと思います。

このときスピーカーの種類としては高能率と低能率、アンプの種類としては同価格での低出力と高出力に分かれると思います。

原音再生を目的とされ、音楽は演奏家の意図する音に一番近いものが感動できるという考え方をお持ちの方は、高能率スピーカーに低出力アンプの組み合わせが良いと思われ、

一方で原音再生は出来るわけがないので、何か素晴らしい綺麗な音と広帯域の音を創造したいと思われる方には、低能率スピーカーと高出力アンプの組み合わせが合うように感じています。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/amp.htm


なぜ真空管アンプをお薦めするのか
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm

いろいろな増幅素子の中で真空管が最も優れているからです。その事は下記に述べて証明します。では何故メーカーが本気に真空管アンプを製造しないのでしょうか、その理由は儲からないからです。

真空管アンプはある程度の性能を出そうと思うと費用がかかり、大衆に販売できるコストを超えてしまいます。

第二は真空管やトランスを他社に依頼すると利益率が低い。

第三には輸送コスト、高電圧部品の調達が難しい、イメージが良くないなどでしょう。

1,真空管の中を電子が通過する速さはトランジスターの数千倍もあります。ということは、アンプの状態では数百万倍以上にもなるのです。このことは高域の裸特性に現れるのです。(裸特性:何も補正をしない状態)

真空管アンプの特性を決定するものはトランスであり真空管そのものの特性は、ほぼゼロヘルツから数十万ヘルツまであるのです。最近はトランスも非常に優れたものがあり負帰還(補正)なしで素晴らしい特性のものができます。

トランジスターの場合はトランスを必要としません。また、トランジスターは非常に安く、高出力のものでも費用は節約できます。しかし、トランジスターそのもののもつ特性はアンプにすると2000ヘルツの高域までしか再生できず。多量の負帰還(補正)を必要とします。

この負帰還は特性を良くしたりノイズを消したりする事ができ便利ですが、実際の試聴感では音が薄くなり伸びやかさが無くなったり、音に力がなくなったり、細かいニュアンスが感じられなくなったりします。負帰還そのものが理論上に解決しているとも思えません。(生演奏すり替え実験は無帰還アンプが使用されています。)


2,次はインピーダンスに対する出力特性の問題です。

トランジスターアンプのカタログを見て下さい。

例えば8オームのスピーカーの場合は100Wとすると4オームでは160W、16オームでは60Wとスピーカーのインピーダンスが大きくなれば出力は小さくなります。

しかし、真空管アンプの場合は倍のインピーダンス変化くらいではあまり出力の変化はありません。

スピーカーシステムのカタログを用意してください。そこには、周波数特性が表として掲載されています。その他にインピーダンスの特性も表として掲載されています。載せていないものもあるかと思いますが、どのスピーカーも同じようなものです。特性表の両方を重ね合わせると周波数特性が劣化し始めたところあたりからインピーダンス特性は上昇し始めます。よく考えてください。

トランジスターアンプを使用した場合はスピーカーの特性が悪くなるあたりになるとスピーカーのインピーダンスも上がるためアンプの出力も下がり、更に周波数特性が悪くなるということです。ところが、真空管アンプではほとんど影響がないのです。

一般的なスピーカーの周波数特性とインピーダンス特性

真空管アンプとトランジスタアンプのスピーカーに繋いだ時の裸特性

3,トランジスターアンプは真空管アンプと比較して同じ出力表示でも、スピーカーをつないだ場合の本当の出力は約1/3になります。

(スピーカーにインピーダンス補正というものが付けられているものがありますがほとんど意味をなしません。なぜなら、インピーダンスは下がっても分圧された状態になっているから結果は同じです。

8オームと表示されているスピーカーは最低インピーダンスが8オームということです。そして、インピーダンスの特性表にはなだらかな線を使ってわかりやすいように簡略化してありますが本当は気象庁の地震計のようにギザギザの状態になります。

それの影響をまともに受けるということは半分しか音が出ていないことと判断しても良いと思います。)
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/983.html#c30

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
139. 中川隆[-13076] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:53:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[457]

真空管パワーアンプの選び方

アンプの種類にはトランジスターアンプと真空管アンプに別れ、トランジスターアンプは20年前から大きく変化して、最近は出力段にFETが、ドライバー段やプリアンプにはIC(集積回路)が使用されています。

このことが音質を大きく変えてきた原因と見ています。

出力段のFETはスピードも上がりNFB(負帰還)量も少なくて済み良くなったと思いますが、全段のICは回路が非常に小さく小型化され低電圧低電流でオーディオ向きとは言えなくなったようです。

昔のトランジスターアンプをご存知の方は分かると思いますが、昔の3本足のディスクリート型のトランジスターアンプに比べ音質が細く力が無くなったようです。昔のトランジスターアンプの一部は、真空管アンプを脅かすような清涼感や力感と質感を備えていました。

一方の真空管アンプは、人気が出始めた10年前頃から新しいメーカーが出来たり輸入品が多くなったりして、良心的な良いアンプの比率が下がり、人気を下げるような結果を招いています。

最近、5万円ほどで300Bシングルアンプとして売り出されている物がありますが、このようなアンプは一昔前の50万から100万円したアンプに使用されているトランス1個の価格ぐらいにしかならず、良い物に名を借りた貧相な製品です。同じ価格ならばトランジスタアンプの方をお薦めします。

しかし、良い音のアンプを選ぶなら真空管アンプの方がお薦めです。LPレコードが一般的な生産対象ではなくなっても、アナログのLPレコードの人気は続いているように、真空管が一般的に製造中止になって30年程になりますが、20年前には5%に落ちていた真空管アンプの人気が、現在高級機では50%を越える程の人気ぶりです。このことは、トランジスターアンプの3本足のトランジスターがICに変わり、集積回路に変わることで音質の劣化が原因になったとも考えられます。そこで、良い真空管アンプの選び方を考えてみましょう。

真空管パワーアンプの回路的には種類があり、それぞれの目的があります。

種類はシングルアンプ、プッシュプルアンプ、OTLアンプ、BTLアンプなどです。

普通のシングルアンプは2本の出力管で右と左の音を出すため、1本の出力管が片チャンネルの音の全体を受け持ち素直に増幅するため大きな出力はありませんが音質は非常に素直です。しかし、出力管やトランスで性能に差があり、周波数特性は出力トランスの使用方法や質で大きな差が出てきます。

普通のプッシュプルアンプは出力管を4本使用し、2本で片チャンネルの信号を上下に分けて受け持ち出力トランスで合成する方法を取っています。その為、大出力には向いていますが小出力時や細かい音の変化には弱い部分もあります。

一般的に販売されている物はシングルとプッシュプルが殆んどです。真空管そのものは非常に良い特性をもっていますがこの2種はトランスの性能に大きな影響を受けます。

最近の安い真空管アンプはトランスに費用をかけられていませんので出力特性は負帰還に頼り、真空管らしい音に欠け柔らかい音ですが魅力が乏しくなります。実はこれらの真空管アンプは増幅の半分はトランスが受け持っています。真空管アンプと言うよりは真空管トランスアンプと言った方が正解かもしれません。
そこで考えられたのが出力トランスを使用せず、全てを真空管で増幅する真空管OTLアンプです。またはインピーダンス変換だけをトランスにした真空管BTLアンプです。

この2種は製品化するには非常に難しいところがありますが、これらの良いアンプを手に入れると2度とシングルやプッシュプルには戻れないと言う方が以外に多いものです。アンプのメーカーを選ぶにはこのOTLやBTLを候補に入れるか、又はこのようなアンプを作れるメーカーと考える事も一つの策ではないかと思います。それは真空管や回路の事を熟知している証拠となるからです。

かつて、大手のメーカーが真空管アンプの生産をやめる時に、最高級のアンプを競った時代があります。実力のある数メーカーがそれまでは作っていなかったOTLアンプを最後にして生産を完了したのです。しかし当時は出力を競っていたせいか、その真空管の寿命は短く、安定しているとは言えませんでした。現在では真空管規格表を見直し非常に安定の良い長寿命のOTLアンプが出来ています。

良い真空管アンプを選ぶ事は非常に難しいのですが、いろいろと見てきているうちに分かった事があります。

アンプの中を覗いてみて下さい。

良い真空管アンプはプリント基板を使わず、全体がラグ板の配線で部品の一つ一つが絡げて配線されています。この方法は一見古いように見えますが、一つ一つ確実にハンダを行い長期の耐久性があり、熱を出す真空管から部品を保護しています。
次に良いのは出力管部分がラグ板配線され、全段の入力やドライバー段だけをプリント基板に乗せた物です。

最後が全てプリント基板上にした物で耐久性は考えず、早く作ることを重視した物です。

このようなことでメーカーの姿勢を見るのも一つの方法です。

また真空管アンプには安くて良いものは無いと考えるべきです。

良い真空管アンプを作るには良いトランスが必要で、ある程度高価になります。

製品化されると10万円を切ることは難しく、真空管の種類やメーカーにこだわると15万円を切る事が難しくなります。それ以上に安いものを求められるなら量産向きのトランジスターアンプの方が良い結果になる場合が多くなると思います。

もう一つの方向からお話してみます。アンプとスピーカーは切り離しては考えられません。そこで、同じ技術で2種のスピーカーを作ったとします。

一つは高能率のスピーカーで能率が100dBで耐入力が10Wあります。
一つは並の能率で90dBで耐入力が100Wのスピーカーです。

音質を重視して振動板を軽量化し磁力を強力にした物が能率100dBで10Wのスピーカーで、出力や帯域を重視して振動板を重くしボイスコイルを太くした物が能率90dBで100Wのスピーカーです。

ここが重要なところで100dBのスピーカーに10W入力した時の音の大きさは90dBのスピーカーに100W入力した時と同じ大きさです。

また、アンプの場合は同じ大きさの電源トランスを使って10Wのアンプを作る場合と100Wのアンプを作る場合では、10Wが音質重視のもので100Wが出力重視の物と考えるべきです。
そこで、音質を選ばれる方は100dBのスピーカーに10Wのアンプを組み合わせ、帯域や出力を選ばれる方は90dBのスピーカーに100Wのアンプになると思います。

しかしこの両者の場合、最大の音量は同じです。同じ場所、同じ音量でボーカルでも聞かれたとしたら、その音の魅力でたぶん90%以上の方が10Wのアンプにされるでしょう。また能率100dBのスピーカーがあれば一般家庭では3W以上のアンプがあれば生演奏を越える大きな音量が楽に出せるのです。

始めてオーディオを購入される方が音質の良さを求め、耐入力の大きなスピーカーや出力の大きなアンプを選ぶと大きな失敗につながることもあるのです。
そのほかにも経験の少ない方が測定データを重視していると失敗する事が多くあります。例えば、

NFB無で40〜15000Hzの特性を持った真空管アンプがあったとします。これでは特性が悪く現代のオーディオ用のアンプとは言えませんが、NFBをかけて25〜20000Hzのアンプにすると何とか使用できるアンプになるでしょう。

しかし、もともと良い部品を使いNFB無で25〜20000Hzの特性をもった良質のアンプに、NFBをかけて20〜25000Hzにすると測定では更に良くなりますが、実際の試聴結果は狭くなった感じがして音質も少し劣化した感じがするものです。

要するに特性を満足しているアンプにNFBをかけるとカタログに書ける特性が更に良くなったとしても音質的に悪くなってしまいます。

この場合は真空管から出力トランスまでオールオーバーにNFBをかけた為に位相にかかわる問題が発生したと考えられます。この場合に測定器では良くなった面しか測る事が出来ないのです。NFBをかける理由は他にもあり、ハム等を除去したり、増幅度を調整したりできます。しかし、手作りの高級機パワーアンプはNFBをかけないで完成させるものが多いのです。結果的には、NFBは薬にも毒にもなり、上手に使えば非常に良い結果も生む事がありますので、何でもかんでもNFBが悪いわけではありません。

当店では音質重視で最高のオーディオシステムをご希望の方には、高価でもある程度の広い帯域を持った100dBを越えるスピーカーと、音質を重視した大型で小出力の真空管アンプをお薦めしています。

システムを安く組まれたい方には、高能率のフルレンジスピーカーに真空管(米国製純三極管)シングルアンプをお薦めしています。

アンプを検討する場合はスピーカーを切り離しては考えられず、またオーディオとは自分自身が思った良い音を作る事だと考えます。色んなタイプのスピーカーに色んなタイプのアンプを繋ぎ鳴らしたとき、最高の音が出たと思う組み合わせのアンプとスピーカーが自分にとって一番良いものと思います。

このときスピーカーの種類としては高能率と低能率、アンプの種類としては同価格での低出力と高出力に分かれると思います。

原音再生を目的とされ、音楽は演奏家の意図する音に一番近いものが感動できるという考え方をお持ちの方は、高能率スピーカーに低出力アンプの組み合わせが良いと思われ、

一方で原音再生は出来るわけがないので、何か素晴らしい綺麗な音と広帯域の音を創造したいと思われる方には、低能率スピーカーと高出力アンプの組み合わせが合うように感じています。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/amp.htm


なぜ真空管アンプをお薦めするのか
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm

いろいろな増幅素子の中で真空管が最も優れているからです。その事は下記に述べて証明します。では何故メーカーが本気に真空管アンプを製造しないのでしょうか、その理由は儲からないからです。

真空管アンプはある程度の性能を出そうと思うと費用がかかり、大衆に販売できるコストを超えてしまいます。

第二は真空管やトランスを他社に依頼すると利益率が低い。

第三には輸送コスト、高電圧部品の調達が難しい、イメージが良くないなどでしょう。

1,真空管の中を電子が通過する速さはトランジスターの数千倍もあります。ということは、アンプの状態では数百万倍以上にもなるのです。このことは高域の裸特性に現れるのです。(裸特性:何も補正をしない状態)

真空管アンプの特性を決定するものはトランスであり真空管そのものの特性は、ほぼゼロヘルツから数十万ヘルツまであるのです。最近はトランスも非常に優れたものがあり負帰還(補正)なしで素晴らしい特性のものができます。

トランジスターの場合はトランスを必要としません。また、トランジスターは非常に安く、高出力のものでも費用は節約できます。しかし、トランジスターそのもののもつ特性はアンプにすると2000ヘルツの高域までしか再生できず。多量の負帰還(補正)を必要とします。

この負帰還は特性を良くしたりノイズを消したりする事ができ便利ですが、実際の試聴感では音が薄くなり伸びやかさが無くなったり、音に力がなくなったり、細かいニュアンスが感じられなくなったりします。負帰還そのものが理論上に解決しているとも思えません。(生演奏すり替え実験は無帰還アンプが使用されています。)


2,次はインピーダンスに対する出力特性の問題です。

トランジスターアンプのカタログを見て下さい。

例えば8オームのスピーカーの場合は100Wとすると4オームでは160W、16オームでは60Wとスピーカーのインピーダンスが大きくなれば出力は小さくなります。

しかし、真空管アンプの場合は倍のインピーダンス変化くらいではあまり出力の変化はありません。

スピーカーシステムのカタログを用意してください。そこには、周波数特性が表として掲載されています。その他にインピーダンスの特性も表として掲載されています。載せていないものもあるかと思いますが、どのスピーカーも同じようなものです。特性表の両方を重ね合わせると周波数特性が劣化し始めたところあたりからインピーダンス特性は上昇し始めます。よく考えてください。

トランジスターアンプを使用した場合はスピーカーの特性が悪くなるあたりになるとスピーカーのインピーダンスも上がるためアンプの出力も下がり、更に周波数特性が悪くなるということです。ところが、真空管アンプではほとんど影響がないのです。

一般的なスピーカーの周波数特性とインピーダンス特性

真空管アンプとトランジスタアンプのスピーカーに繋いだ時の裸特性

3,トランジスターアンプは真空管アンプと比較して同じ出力表示でも、スピーカーをつないだ場合の本当の出力は約1/3になります。

(スピーカーにインピーダンス補正というものが付けられているものがありますがほとんど意味をなしません。なぜなら、インピーダンスは下がっても分圧された状態になっているから結果は同じです。

8オームと表示されているスピーカーは最低インピーダンスが8オームということです。そして、インピーダンスの特性表にはなだらかな線を使ってわかりやすいように簡略化してありますが本当は気象庁の地震計のようにギザギザの状態になります。

それの影響をまともに受けるということは半分しか音が出ていないことと判断しても良いと思います。)
https://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c139

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
140. 中川隆[-13075] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:55:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[458]

「スピーカーは買い換えを考える必要のない素晴らしい物を」
https://www.otono-edison.com/original/speaker/prominent.htm

当店は営業25年目になります。当初は他のお店と変わりはなく、有名な海外のスピーカーを並べていました。そして良いスピーカーを選ぶ為に、展示している中から色々なスピーカーを自宅に持ち帰り、試聴していました。

当時はさすがにどのスピーカーも良いところがある等と楽しんでいましたが、自分専用のスピーカーが決まりません。そこで、生産が完了している古いスピーカー(昔の名器)といわれるものを次々と取扱い、試聴すると新しいものに勝るものばかりでした。

しかし、決定的なものはありませんでした。そしてスピーカーの歴史を調べ、行き着いたところが60年以上前の最高級フルレンジスピーカーです。

ウエスタンやジェンセン、RCA等、これらのスピーカーは現代のスピーカーとは大違いです。見かけは気にせずに本格的に考え抜かれた部分が多く、素晴らしい部分を沢山持っています。

簡単に言うと励磁型、フィクスド、ベークダンパーで、正当な考え方として最高のものです。現代のスピーカーユニットでは足元にも及びません。

コーン紙の作りでも非常にこだわりが有り、鉄の素材や紙の材料や糊の量や形成方法が全く違ったのです。現代の技術と大きな能力の違いを感じさせられました。

調べるうちにスピーカーは60年も前から衰退している事を実感したものです。

当時、このような高級フルレンジスピーカーは一般的に販売されていなかったようです。(販売されていたとしても購入できる金額ではなかったと思われます。)素晴らしい物を発見してしまいました。後にも先にももう探すところはありません。「これらのユニットを使わないで何を使う」と考えて作り始めたのです。

そして、当時の多くのスピーカーシステムを調べてみて、箱型では頂点を目指すことは出来ないことも分かりました。このように、これらのユニットに大きな可能性を感じたのですが、

現代の無難な考え方のスピーカーとは全く異なり、低音の量感は少なく、じゃじゃ馬で、そのままではスピード感や実在感はあるものの雰囲気や繊細さはありません。音質は良いのですが周波数特性上の暴れや、インピーダンスの暴れ、大きな共振には悩みました。

そして、色々な方法を考えました。最初はツイーターを組み合わせバッフルの形やネットワークで調整する事で何とか目的を果たす事が出来ました。その頃はこれらのユニットに見合うようなツイーターもなかったのです。

その後、発売されたエレクトロボイスの新製品(最も高価なドライバー+ホーン)DH-3を当店の大型システム(ホーン型)に使用しテストして決定しました。しかし、このツイーターをこのシステムに利用してみると前よりは良くなっていますが、完全に納得がいきません。

他の名器といわれるスピーカーと似たように原音に近いものでなく、オーディオの再生音に感じます。

試行錯誤すること5〜6年、やっと原因を突き止めたのです。その原因はアッテネーターであり、音量を絞ることで音質が劣化する事を発見したのです。

そして劣化のない新型のアッテネーターを考案する事が出来て、やっと思い続けていた音を出すスピーカーシステムが出来上がりました。
https://www.otono-edison.com/original/speaker/prominent.htm

スピーカーについて
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/speaker.htm

スピーカーといえば皆さんはすぐに箱に入った四角いものを想像されると思います。そして、販売されているカタログを見るとすべてのものが素晴らしい考えのもとに設計し製造されているかのように書いてあります。スピーカーの設計は非常に難しく、素晴らしいと言えるようなスピーカーはなかなか存在しないものです。そこで、良いものを探すには知識が必要になってくるのです。
スピーカーシステムには使用されているスピーカーユニットの種類、またはエンクロジャー(箱)の種類などで目的の音質が異なり、本当に良いものが現在生産されているかということまで考えないと見つける事が出来ないかもしれません。


スピーカーユニットの種類には

●フルレンジ
 単体のスピーカーで全ての帯域を受け持つように設計されています。ユニットの中でこれほど簡単なものから高価なものまで数多く作られたものはありません。スピーカーユニットの設計の基本となるもので今でも最高級の低音用として用いられます。また、フルレンジとツィーターを一緒にした同軸2ウェイのユニットもあります。一般的な大きさのものでは同軸方のほうが非常に有利です。このフルレンジユニットがスピーカーの基本になると考えられても良いと思います。


●ウーハ−
 低音を重視して設計されたもので口径が大きくストロークが大きく取れるように設計されています。しかし、低音が伸びているとか大きさだけでは良い音質の判断材料にはなりません。同じ箱の大きさならば設計理由から判断すると口径の小さいウーハーの方が音質的に有利になります。
小さい箱で低音を伸ばすにはコーン紙の質量を重くします。低音の共振周波数が下がり、小さい箱の割には低音がよく出るようになりますが、注意するべき事は音質の低下です。重くなったウーハーはスピードが遅くなります。歯切れの良い低音は出てこなくなりますので音楽的には重ったるい鮮度の低い音質となります。
良質な原音再生を意図したウーハーは大口径でも軽い強いコーン紙で出来ています。そして能率が高く、高価なものは100dB以上もあるのです。


●スコーカ−
 中音用に設計されたユニットですが箱に取り付けた小型のものは今までに良いものはありませんでした。比較的に良いものとしては小型のフルレンジが使用されています。

大型のものではホーン型が使用されていますが、ドライバー単独では良いものかもしれませんが一般的に販売されているものではホーンの設計が設置する都合に合わせてあり、低音や高音との音の位相や定位が上手く取れないのが殆どです。見た感じ凄そうに見えますが家庭用としては不完全でしょう。しかし、低位と位相が合わせられたものは予想を越える素晴らしさがあります。


●ツィーター
 高音を再生するために設計されたもので多くの種類があります。能率の高いホーンタイプは高級品に利用されますが指向性に問題があることがあります。コーンタイプは最もポピュラーなツィーターでウーハートの相性も良く安価です。最近はソフトドーム型が良く使われていますが能率が低いため小型システムに利用されます。指向性は非常に良い。音質重視のシステムにはホーンタイプが多く利用され、バスレフ型にはコーンタイプ、密封型にはドームツィーターが多いようです。


エンクロジャー(箱)の種類は


●平面バッフル型

一番古くから使用されているものでスピーカーの前と後の音を混合させないように広い板で仕切るものです。最近は板の共振を無くすため形が工夫されています。最高の音質が得られますが使用できるユニットは比較的に高価です。バッフルが大きくなるところが欠点ですが、低域の音質は他の方法で勝るものはありません。低音のよさは全体域につながり、原音再生を目的とされる場合は特にお薦め致します。現在のメーカーさんでは作っているところは有りませんが成功すると箱型での音作りは時間の無駄ということが良くわかります。バランスよく広帯域を再生するには非常に経験と技術が必要です。


●バスレフ型

 平面バッフル型をなるべく小さくするために考えられたもので、ユニットの後から出る音を箱で封じ込めながらある程度の背圧を抜き、特性の降下している低音のみを位相反転させ前に開けたポートの共振で持ち上げる設計です。一般的な大きさのシステムでしたらこちらの方が有利でしょう。


●密封型

 スピーカーの後から出る音を箱で封じ込め、その音を箱に詰められた多量の吸音材で消去しようと考えて設計されたものです。当然スピーカーは空気の圧力を受けますので動きにくくなり能率が低下します。この空気の背圧を利用しウーハーの振動系に重りを付け、または重くして共振値を下げて低音を再現する方法です。また、ボイスコイルを大きくしてもかまわない設計であり100W以上の入力に耐えます。しかし全体的に背圧を受けながら振動しているために楽器のように開放感のある音は望めません。箱の内部を調整する事により自然な感じの音ではありませんが綺麗な音の感覚の音作りにしたり、音質重視でなく音圧で圧倒するような音楽として聴かれたい方には向いているかも知れません。


大きく分けて分類しましたがお解かりの方も多いと思います。上記を基本にして説明を書いていきます。


大まかな音質の良いスピーカーの選び方

スピーカーを判別するに特性表が表示されていると思いますが、この表がメーカーや国や用途によりまちまちになっています。プロ用は(−3dB)を基準に、アマチュア用は(−10dB)を基準に測定するなど、全てを信じて評価すると大きな失敗に結びつきます。特性表の中で信用できて音質的な参考に出来るものがスピーカーの能率です。この能率は電気信号をどれほどの効率で音に変換できるかを表しています。車で言えば1000ccのエンジンで何馬力出せるかの表示と同じものです。これを音圧として表示されています。平均的には約90〜93dB(デシベル)位でしょう。これが3dB変化すると半分かまたは倍の効率になります。悪い数値のものは表示されてないものもあり、だいたい85dB前後でしょう。良いものは100dB以上にもなります。この数値はアンプの出力を1W入力した時、スピーカーから1m離れたところの音の大きさを表します。数値が100dBのスピーカーの場合は1Wの入力で録音された原音の音量が出ます。そして変換効率は5%です。90dBの場合は0.5%ということになります。

良いスピーカーを作るには構造や理論が自然でなくてはなりません。音質の良いものは小さな信号までも効率的に音に変換できるようにする為に、振動系は軽くて強いものを選びます。その為に自然と能率が良くなり100dBを越えるか近いものになります。このように音質重視で設計されたスピーカーユニットは背圧のかからないバッフル型またはバスレフ型に取り付け使用します。しかし、最近では平面バッフル型は大きさが敬遠されて小型のバスレフ型や密封型が多くなりました。しかしこのことは背圧が加わるために低音を出そうとして設計すると振動系の部分を重くする必要があります。こうして箱内の空気圧と振動系の重さにより原音再生の考え方から離れていったのです。バスレフの場合は90〜93dB程度のユニットを使用するためまだ良い方ですが、密封型の箱では振動系に重りを付けた物が多く良質な再生音は得られないでしょう。最近では、更に小型で重低音をうたい文句に別のスピーカーユニットを箱の中に取り付け共振を利用して低音を増強しようとしたスピーカーシステムがあるようですが原音再生には全く無縁のものと思います。

ここで上手くいった一例として当店の409システムをご紹介いたします。このシステムは一見バスレフにも見えますが、バスレフポートを縦長にすることで共振を少なくしてボックス内の背圧を抜いています。ユニットは能率が20センチでは世界一の97.8dBもあります。上手に鳴らすことで平面バッフル型に近い良い音質が得られるのです。


ここで誤解の無いように「良い音質とは」の説明をしておきます

 良い音質とは録音される前の音のように感情の入った色々な微細な音を正確に再現するもので、綺麗な音や汚い音、太い音、細い音、激しい音、やさしい音、明るい音、暗い音などを表現する事が出来ます。演奏家が楽器などによって音で表現しようとしている意味が聞き取れるものであり、何でもきれいな音で表現するものではありません。最近は音楽としての音質を忘れてオーディオとしての勝手な音作りが先行している製品の方が多くなっています。少し視野を広げる事で素晴らしいオーディオの世界があることに気付いて頂けると思います。


スピーカーシステムの形から見た性質

 平均的な小型のスピーカーシステムには2ウエイや3ウエイが多く見かけられます。どちらが音質的に有利かといえば2ウエイの方です。帯域的には3ウエイの方が有利でしょう。しかし、予算を同額にすると2ウエイが非常に良い結果になります。その理由は2ウエイのウーハーとツイーターに3ウエイにするため中音のスコーカ−を入れますがスコーカ−の能率は非常に悪く、ウーハーの効率を揃えるためにウーハーの振動系を重くして共振点を下げて低音を伸ばすのが一般的です。こうする事で3ウエイの帯域は広くなります。しかし能率が悪くなり音質が劣化し2ウエイに劣るのです。そのほかにもネットワークという音を分ける部分も3ウエイの方は部品数が多くなり高価になりますので、2ウエイのままで予算をかけたシステムの方が音質は非常に有利になるのは明白です。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/speaker.htm


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c140

[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
102. 中川隆[-13074] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:56:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[459]

「スピーカーは買い換えを考える必要のない素晴らしい物を」
https://www.otono-edison.com/original/speaker/prominent.htm

当店は営業25年目になります。当初は他のお店と変わりはなく、有名な海外のスピーカーを並べていました。そして良いスピーカーを選ぶ為に、展示している中から色々なスピーカーを自宅に持ち帰り、試聴していました。

当時はさすがにどのスピーカーも良いところがある等と楽しんでいましたが、自分専用のスピーカーが決まりません。そこで、生産が完了している古いスピーカー(昔の名器)といわれるものを次々と取扱い、試聴すると新しいものに勝るものばかりでした。

しかし、決定的なものはありませんでした。そしてスピーカーの歴史を調べ、行き着いたところが60年以上前の最高級フルレンジスピーカーです。

ウエスタンやジェンセン、RCA等、これらのスピーカーは現代のスピーカーとは大違いです。見かけは気にせずに本格的に考え抜かれた部分が多く、素晴らしい部分を沢山持っています。

簡単に言うと励磁型、フィクスド、ベークダンパーで、正当な考え方として最高のものです。現代のスピーカーユニットでは足元にも及びません。

コーン紙の作りでも非常にこだわりが有り、鉄の素材や紙の材料や糊の量や形成方法が全く違ったのです。現代の技術と大きな能力の違いを感じさせられました。

調べるうちにスピーカーは60年も前から衰退している事を実感したものです。

当時、このような高級フルレンジスピーカーは一般的に販売されていなかったようです。(販売されていたとしても購入できる金額ではなかったと思われます。)素晴らしい物を発見してしまいました。後にも先にももう探すところはありません。「これらのユニットを使わないで何を使う」と考えて作り始めたのです。

そして、当時の多くのスピーカーシステムを調べてみて、箱型では頂点を目指すことは出来ないことも分かりました。このように、これらのユニットに大きな可能性を感じたのですが、

現代の無難な考え方のスピーカーとは全く異なり、低音の量感は少なく、じゃじゃ馬で、そのままではスピード感や実在感はあるものの雰囲気や繊細さはありません。音質は良いのですが周波数特性上の暴れや、インピーダンスの暴れ、大きな共振には悩みました。

そして、色々な方法を考えました。最初はツイーターを組み合わせバッフルの形やネットワークで調整する事で何とか目的を果たす事が出来ました。その頃はこれらのユニットに見合うようなツイーターもなかったのです。

その後、発売されたエレクトロボイスの新製品(最も高価なドライバー+ホーン)DH-3を当店の大型システム(ホーン型)に使用しテストして決定しました。しかし、このツイーターをこのシステムに利用してみると前よりは良くなっていますが、完全に納得がいきません。

他の名器といわれるスピーカーと似たように原音に近いものでなく、オーディオの再生音に感じます。

試行錯誤すること5〜6年、やっと原因を突き止めたのです。その原因はアッテネーターであり、音量を絞ることで音質が劣化する事を発見したのです。

そして劣化のない新型のアッテネーターを考案する事が出来て、やっと思い続けていた音を出すスピーカーシステムが出来上がりました。
https://www.otono-edison.com/original/speaker/prominent.htm

スピーカーについて
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/speaker.htm

スピーカーといえば皆さんはすぐに箱に入った四角いものを想像されると思います。そして、販売されているカタログを見るとすべてのものが素晴らしい考えのもとに設計し製造されているかのように書いてあります。スピーカーの設計は非常に難しく、素晴らしいと言えるようなスピーカーはなかなか存在しないものです。そこで、良いものを探すには知識が必要になってくるのです。
スピーカーシステムには使用されているスピーカーユニットの種類、またはエンクロジャー(箱)の種類などで目的の音質が異なり、本当に良いものが現在生産されているかということまで考えないと見つける事が出来ないかもしれません。


スピーカーユニットの種類には

●フルレンジ
 単体のスピーカーで全ての帯域を受け持つように設計されています。ユニットの中でこれほど簡単なものから高価なものまで数多く作られたものはありません。スピーカーユニットの設計の基本となるもので今でも最高級の低音用として用いられます。また、フルレンジとツィーターを一緒にした同軸2ウェイのユニットもあります。一般的な大きさのものでは同軸方のほうが非常に有利です。このフルレンジユニットがスピーカーの基本になると考えられても良いと思います。


●ウーハ−
 低音を重視して設計されたもので口径が大きくストロークが大きく取れるように設計されています。しかし、低音が伸びているとか大きさだけでは良い音質の判断材料にはなりません。同じ箱の大きさならば設計理由から判断すると口径の小さいウーハーの方が音質的に有利になります。
小さい箱で低音を伸ばすにはコーン紙の質量を重くします。低音の共振周波数が下がり、小さい箱の割には低音がよく出るようになりますが、注意するべき事は音質の低下です。重くなったウーハーはスピードが遅くなります。歯切れの良い低音は出てこなくなりますので音楽的には重ったるい鮮度の低い音質となります。
良質な原音再生を意図したウーハーは大口径でも軽い強いコーン紙で出来ています。そして能率が高く、高価なものは100dB以上もあるのです。


●スコーカ−
 中音用に設計されたユニットですが箱に取り付けた小型のものは今までに良いものはありませんでした。比較的に良いものとしては小型のフルレンジが使用されています。

大型のものではホーン型が使用されていますが、ドライバー単独では良いものかもしれませんが一般的に販売されているものではホーンの設計が設置する都合に合わせてあり、低音や高音との音の位相や定位が上手く取れないのが殆どです。見た感じ凄そうに見えますが家庭用としては不完全でしょう。しかし、低位と位相が合わせられたものは予想を越える素晴らしさがあります。


●ツィーター
 高音を再生するために設計されたもので多くの種類があります。能率の高いホーンタイプは高級品に利用されますが指向性に問題があることがあります。コーンタイプは最もポピュラーなツィーターでウーハートの相性も良く安価です。最近はソフトドーム型が良く使われていますが能率が低いため小型システムに利用されます。指向性は非常に良い。音質重視のシステムにはホーンタイプが多く利用され、バスレフ型にはコーンタイプ、密封型にはドームツィーターが多いようです。


エンクロジャー(箱)の種類は


●平面バッフル型

一番古くから使用されているものでスピーカーの前と後の音を混合させないように広い板で仕切るものです。最近は板の共振を無くすため形が工夫されています。最高の音質が得られますが使用できるユニットは比較的に高価です。バッフルが大きくなるところが欠点ですが、低域の音質は他の方法で勝るものはありません。低音のよさは全体域につながり、原音再生を目的とされる場合は特にお薦め致します。現在のメーカーさんでは作っているところは有りませんが成功すると箱型での音作りは時間の無駄ということが良くわかります。バランスよく広帯域を再生するには非常に経験と技術が必要です。


●バスレフ型

 平面バッフル型をなるべく小さくするために考えられたもので、ユニットの後から出る音を箱で封じ込めながらある程度の背圧を抜き、特性の降下している低音のみを位相反転させ前に開けたポートの共振で持ち上げる設計です。一般的な大きさのシステムでしたらこちらの方が有利でしょう。


●密封型

 スピーカーの後から出る音を箱で封じ込め、その音を箱に詰められた多量の吸音材で消去しようと考えて設計されたものです。当然スピーカーは空気の圧力を受けますので動きにくくなり能率が低下します。この空気の背圧を利用しウーハーの振動系に重りを付け、または重くして共振値を下げて低音を再現する方法です。また、ボイスコイルを大きくしてもかまわない設計であり100W以上の入力に耐えます。しかし全体的に背圧を受けながら振動しているために楽器のように開放感のある音は望めません。箱の内部を調整する事により自然な感じの音ではありませんが綺麗な音の感覚の音作りにしたり、音質重視でなく音圧で圧倒するような音楽として聴かれたい方には向いているかも知れません。


大きく分けて分類しましたがお解かりの方も多いと思います。上記を基本にして説明を書いていきます。


大まかな音質の良いスピーカーの選び方

スピーカーを判別するに特性表が表示されていると思いますが、この表がメーカーや国や用途によりまちまちになっています。プロ用は(−3dB)を基準に、アマチュア用は(−10dB)を基準に測定するなど、全てを信じて評価すると大きな失敗に結びつきます。特性表の中で信用できて音質的な参考に出来るものがスピーカーの能率です。この能率は電気信号をどれほどの効率で音に変換できるかを表しています。車で言えば1000ccのエンジンで何馬力出せるかの表示と同じものです。これを音圧として表示されています。平均的には約90〜93dB(デシベル)位でしょう。これが3dB変化すると半分かまたは倍の効率になります。悪い数値のものは表示されてないものもあり、だいたい85dB前後でしょう。良いものは100dB以上にもなります。この数値はアンプの出力を1W入力した時、スピーカーから1m離れたところの音の大きさを表します。数値が100dBのスピーカーの場合は1Wの入力で録音された原音の音量が出ます。そして変換効率は5%です。90dBの場合は0.5%ということになります。

良いスピーカーを作るには構造や理論が自然でなくてはなりません。音質の良いものは小さな信号までも効率的に音に変換できるようにする為に、振動系は軽くて強いものを選びます。その為に自然と能率が良くなり100dBを越えるか近いものになります。このように音質重視で設計されたスピーカーユニットは背圧のかからないバッフル型またはバスレフ型に取り付け使用します。しかし、最近では平面バッフル型は大きさが敬遠されて小型のバスレフ型や密封型が多くなりました。しかしこのことは背圧が加わるために低音を出そうとして設計すると振動系の部分を重くする必要があります。こうして箱内の空気圧と振動系の重さにより原音再生の考え方から離れていったのです。バスレフの場合は90〜93dB程度のユニットを使用するためまだ良い方ですが、密封型の箱では振動系に重りを付けた物が多く良質な再生音は得られないでしょう。最近では、更に小型で重低音をうたい文句に別のスピーカーユニットを箱の中に取り付け共振を利用して低音を増強しようとしたスピーカーシステムがあるようですが原音再生には全く無縁のものと思います。

ここで上手くいった一例として当店の409システムをご紹介いたします。このシステムは一見バスレフにも見えますが、バスレフポートを縦長にすることで共振を少なくしてボックス内の背圧を抜いています。ユニットは能率が20センチでは世界一の97.8dBもあります。上手に鳴らすことで平面バッフル型に近い良い音質が得られるのです。


ここで誤解の無いように「良い音質とは」の説明をしておきます

 良い音質とは録音される前の音のように感情の入った色々な微細な音を正確に再現するもので、綺麗な音や汚い音、太い音、細い音、激しい音、やさしい音、明るい音、暗い音などを表現する事が出来ます。演奏家が楽器などによって音で表現しようとしている意味が聞き取れるものであり、何でもきれいな音で表現するものではありません。最近は音楽としての音質を忘れてオーディオとしての勝手な音作りが先行している製品の方が多くなっています。少し視野を広げる事で素晴らしいオーディオの世界があることに気付いて頂けると思います。


スピーカーシステムの形から見た性質

 平均的な小型のスピーカーシステムには2ウエイや3ウエイが多く見かけられます。どちらが音質的に有利かといえば2ウエイの方です。帯域的には3ウエイの方が有利でしょう。しかし、予算を同額にすると2ウエイが非常に良い結果になります。その理由は2ウエイのウーハーとツイーターに3ウエイにするため中音のスコーカ−を入れますがスコーカ−の能率は非常に悪く、ウーハーの効率を揃えるためにウーハーの振動系を重くして共振点を下げて低音を伸ばすのが一般的です。こうする事で3ウエイの帯域は広くなります。しかし能率が悪くなり音質が劣化し2ウエイに劣るのです。そのほかにもネットワークという音を分ける部分も3ウエイの方は部品数が多くなり高価になりますので、2ウエイのままで予算をかけたシステムの方が音質は非常に有利になるのは明白です。
http://www.otono-edison.com/edisonkyo/speaker.htm


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c102

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
135. 中川隆[-13073] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:57:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[460]

アナログとデジタルについて

 今のオーディオの世界でデジタルが良いとかアナログが良いとか論議が絶えないようですが、論議をされている方に何か勘違いがあるのではないかと思われます。
オーディオシステム全体は全てアナログです。
デジタルが使用されるのは音を保管する方法の事で、その部分だけがデジタルかアナログかどちらが良いかということでしょう。比較する方法に問題があるのです。

自分自身のシステムの中での比較でしたら論議の意味はないと思います。
好きな方を聞けばよいのです。

本当に問題なのは利益追求の為に急にアナログのLPを生産中止してデジタルのCDだけを生産するメーカーの姿勢です。私には比較され公表される事を恐れたものとしか思えませんでした。

デジタルもアナログも良いところと悪いところを持ち合わせています。確かにデジタルは便利です。低価格のオーディオは全てデジタルに取って替わりました。
 
オーディオを歴史的に考えてみましょう。ここでは少しハイレベルでのお話をしてみます。

再生技術が発表されたのは1800年後期ですが、トーマス・エジソンの蓄音機の発明がきっかけとなります。

1900年初期に78回転のSPレコードの生産がはじまり、1940年代にモノーラルLPレコード、そして1960年になってステレオLPレコードが販売されています。そして1985年頃にCDが発売されたと思います。

これに音楽の歴史を重ねて見ましょう。

歴史に残るモダンジャズやクラシックが最高の時期を迎えたのは1900年頃から1970年頃まででしょう。この時期に歴史的な演奏が数多く行われ録音されてきました。それは殆んどSPやLPレコードに収められています。

そしてオーディオの技術が頂点に達したと思われるのは1950年から1960年代でしょう。
その後、業務用のオーディオ機器の大半が劣化の道をたどっています。

うそ〜 と思われる方が多いと思いますが話を続けます。
古いとか新しいとか関係なく御自分の耳で確かめてください。

ある程度の高価なオーディオ機器を持ち、音楽を良い趣味として楽しんでおられる方はお解かりと思いますが、1950年代のもノーラルレコードや1960年代のステレオレコードは驚くほどの音質で録音されています。

その当時に生産されたLPレコードは、近年に作られたLPの重量盤やハーフカッティングや誰かの推薦盤などとは全く違って本物なのです。

LPレコードの音質をどんどん劣化させた現在、デジタルと比較する事は全く意味がありません。

 アナログのLPレコードの魅力は高級機での再生にあります。
正確に録音された歴史的な演奏はそれなりにしっかり作られた良いシステムを使用しないと正しい音での再生は出来ません。

例えば音質的に上手く組み合わせられた約50万円以上の良いシステムでしたら少しはアナログの良さが多いことを確認できるでしょう。

LPレコードからは非常に繊細な多くの音質の聞分けができますがCDプレーヤーの再生では少しの音の違いしか確認できません。これが非常に良質のシステムの場合アナログでは気合の入った全く違う演奏にも感じさせるのです。

デジタルとアナログの比較をした場合、低価格システムの場合ではデジタルが有利で、こだわりの高級システムの場合はアナログが有利になるでしょう。

 別の方向から説明しますと、アナログ録音は無限の連続ですがデジタル録音は有限の断続です。比較して機械的な測定ではアナログ録音再生の良いところは小信号にあり、デジタル録音再生の良いところは大信号にあります。

要するにアナログは微細な音色を表現する音や緩やかに変化する音が有利であり、音楽が一番必要としている感情を表現する音質が得意なのです。大きな爆発的な瞬間の音、要するに劇的な音で音楽性の上では少々荒れてもかまわない音に弱いのです。このことがジャズやクラシック、ポップス、ロックなどの音楽の表現力として有利になります。

一方デジタルは大きな音や大きな変化に強く、微小な変化を表すのが弱点であり、このことがハードロック音楽などの衝撃的な音に有利に思われますが、これは機械的な測定結果によるものであり、現実はハードロックを聴かれるかたの方がアナログファンが多いのです。

それは、大音量の中に色々な多くの感情を表現する音が含まれて音楽として構成されていますので、大音量こそ感情表現に乏しいデジタル音では、音楽の表現を聞き取る事が難しく耐えることすら困難になります。

全ての音楽家は、音楽の中で自らの表現をなるべく多く正確に伝えるが為に、良い楽器を選び、心を込めて演奏しているのです。そこで聞く側として、演奏家の音楽としての表現をいかに上手にとらえるかを努力したいものです。

 「良いものは永遠に残る」、ということわざがありますが、30年前に日本国内で生産中止された真空管が今では高級品として残るがごとく、15年前に生産中止されたLPレコードがいまだに人気があるのです。

新しいものが古いものを超える場合は、古いものは2〜3年も経たないうちに見放されてしまうのが常識でしょう。

デジタルの音に対する難関は音のアナログ信号をデジタルに変換する事、もっと難しいのはデジタルの信号をアナログに変換する事です。非常にややこしい、スピードの遅い作業です。しかし、デジタルコピーなら何回コピーしてもほとんど同じ物が出来ます。デジタル技術が進んできた現時点で便利なデジタルがアナログのどの程度まで追いついているのかという事が論争になる部分であり、デジタルがアナログを超えているというのは非常に早過ぎる話だと思います。また、デジタルが進化するとしてもアナログも同じように進化しますので、超える事は無いにしろどちらでも良い程度の時代が数十年後には来るかもしれません。


 ここで良質なLPレコードを良質な高級システムで再生した場合の音質について書いておきます。

一般にアナログは聞きやすく柔らかい音だと言われていますが、それでは何かボケた音、ふわーとしたバックグランドミュージックの音のように勘違いします。しかし、本物はそういう単純なものではなく極自然な音なのです。全ての感情を現すために、非常にスピードがあり、繊細で強烈でやさしく激しく、澄み切った空間に奥行きのある音で広がり、癖が無く、1つの楽器の音でも気持ちが現れる色々な音色を出します。それはあたかも演奏家が自分の為に目の前で演奏して何かを伝えようとしているかのごとく楽しむ事ができるのです。

そして、1950年代のモノラルや1960年代のステレオのレコード鑑賞は多くの意味で生演奏を超える事があるのです。

http://www.otono-edison.com/edisonkyo/ade.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c135

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
118. 中川隆[-13072] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:58:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[461]

アナログとデジタルについて

 今のオーディオの世界でデジタルが良いとかアナログが良いとか論議が絶えないようですが、論議をされている方に何か勘違いがあるのではないかと思われます。
オーディオシステム全体は全てアナログです。
デジタルが使用されるのは音を保管する方法の事で、その部分だけがデジタルかアナログかどちらが良いかということでしょう。比較する方法に問題があるのです。

自分自身のシステムの中での比較でしたら論議の意味はないと思います。
好きな方を聞けばよいのです。

本当に問題なのは利益追求の為に急にアナログのLPを生産中止してデジタルのCDだけを生産するメーカーの姿勢です。私には比較され公表される事を恐れたものとしか思えませんでした。

デジタルもアナログも良いところと悪いところを持ち合わせています。確かにデジタルは便利です。低価格のオーディオは全てデジタルに取って替わりました。
 
オーディオを歴史的に考えてみましょう。ここでは少しハイレベルでのお話をしてみます。

再生技術が発表されたのは1800年後期ですが、トーマス・エジソンの蓄音機の発明がきっかけとなります。

1900年初期に78回転のSPレコードの生産がはじまり、1940年代にモノーラルLPレコード、そして1960年になってステレオLPレコードが販売されています。そして1985年頃にCDが発売されたと思います。

これに音楽の歴史を重ねて見ましょう。

歴史に残るモダンジャズやクラシックが最高の時期を迎えたのは1900年頃から1970年頃まででしょう。この時期に歴史的な演奏が数多く行われ録音されてきました。それは殆んどSPやLPレコードに収められています。

そしてオーディオの技術が頂点に達したと思われるのは1950年から1960年代でしょう。
その後、業務用のオーディオ機器の大半が劣化の道をたどっています。

うそ〜 と思われる方が多いと思いますが話を続けます。
古いとか新しいとか関係なく御自分の耳で確かめてください。

ある程度の高価なオーディオ機器を持ち、音楽を良い趣味として楽しんでおられる方はお解かりと思いますが、1950年代のもノーラルレコードや1960年代のステレオレコードは驚くほどの音質で録音されています。

その当時に生産されたLPレコードは、近年に作られたLPの重量盤やハーフカッティングや誰かの推薦盤などとは全く違って本物なのです。

LPレコードの音質をどんどん劣化させた現在、デジタルと比較する事は全く意味がありません。

 アナログのLPレコードの魅力は高級機での再生にあります。
正確に録音された歴史的な演奏はそれなりにしっかり作られた良いシステムを使用しないと正しい音での再生は出来ません。

例えば音質的に上手く組み合わせられた約50万円以上の良いシステムでしたら少しはアナログの良さが多いことを確認できるでしょう。

LPレコードからは非常に繊細な多くの音質の聞分けができますがCDプレーヤーの再生では少しの音の違いしか確認できません。これが非常に良質のシステムの場合アナログでは気合の入った全く違う演奏にも感じさせるのです。

デジタルとアナログの比較をした場合、低価格システムの場合ではデジタルが有利で、こだわりの高級システムの場合はアナログが有利になるでしょう。

 別の方向から説明しますと、アナログ録音は無限の連続ですがデジタル録音は有限の断続です。比較して機械的な測定ではアナログ録音再生の良いところは小信号にあり、デジタル録音再生の良いところは大信号にあります。

要するにアナログは微細な音色を表現する音や緩やかに変化する音が有利であり、音楽が一番必要としている感情を表現する音質が得意なのです。大きな爆発的な瞬間の音、要するに劇的な音で音楽性の上では少々荒れてもかまわない音に弱いのです。このことがジャズやクラシック、ポップス、ロックなどの音楽の表現力として有利になります。

一方デジタルは大きな音や大きな変化に強く、微小な変化を表すのが弱点であり、このことがハードロック音楽などの衝撃的な音に有利に思われますが、これは機械的な測定結果によるものであり、現実はハードロックを聴かれるかたの方がアナログファンが多いのです。

それは、大音量の中に色々な多くの感情を表現する音が含まれて音楽として構成されていますので、大音量こそ感情表現に乏しいデジタル音では、音楽の表現を聞き取る事が難しく耐えることすら困難になります。

全ての音楽家は、音楽の中で自らの表現をなるべく多く正確に伝えるが為に、良い楽器を選び、心を込めて演奏しているのです。そこで聞く側として、演奏家の音楽としての表現をいかに上手にとらえるかを努力したいものです。

 「良いものは永遠に残る」、ということわざがありますが、30年前に日本国内で生産中止された真空管が今では高級品として残るがごとく、15年前に生産中止されたLPレコードがいまだに人気があるのです。

新しいものが古いものを超える場合は、古いものは2〜3年も経たないうちに見放されてしまうのが常識でしょう。

デジタルの音に対する難関は音のアナログ信号をデジタルに変換する事、もっと難しいのはデジタルの信号をアナログに変換する事です。非常にややこしい、スピードの遅い作業です。しかし、デジタルコピーなら何回コピーしてもほとんど同じ物が出来ます。デジタル技術が進んできた現時点で便利なデジタルがアナログのどの程度まで追いついているのかという事が論争になる部分であり、デジタルがアナログを超えているというのは非常に早過ぎる話だと思います。また、デジタルが進化するとしてもアナログも同じように進化しますので、超える事は無いにしろどちらでも良い程度の時代が数十年後には来るかもしれません。


 ここで良質なLPレコードを良質な高級システムで再生した場合の音質について書いておきます。

一般にアナログは聞きやすく柔らかい音だと言われていますが、それでは何かボケた音、ふわーとしたバックグランドミュージックの音のように勘違いします。しかし、本物はそういう単純なものではなく極自然な音なのです。全ての感情を現すために、非常にスピードがあり、繊細で強烈でやさしく激しく、澄み切った空間に奥行きのある音で広がり、癖が無く、1つの楽器の音でも気持ちが現れる色々な音色を出します。それはあたかも演奏家が自分の為に目の前で演奏して何かを伝えようとしているかのごとく楽しむ事ができるのです。

そして、1950年代のモノラルや1960年代のステレオのレコード鑑賞は多くの意味で生演奏を超える事があるのです。

http://www.otono-edison.com/edisonkyo/ade.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c118

[リバイバル3] CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic _ ティム・デ・パラヴィチーニの世界 中川隆
62. 中川隆[-13071] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:58:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[462]

アナログとデジタルについて

 今のオーディオの世界でデジタルが良いとかアナログが良いとか論議が絶えないようですが、論議をされている方に何か勘違いがあるのではないかと思われます。
オーディオシステム全体は全てアナログです。
デジタルが使用されるのは音を保管する方法の事で、その部分だけがデジタルかアナログかどちらが良いかということでしょう。比較する方法に問題があるのです。

自分自身のシステムの中での比較でしたら論議の意味はないと思います。
好きな方を聞けばよいのです。

本当に問題なのは利益追求の為に急にアナログのLPを生産中止してデジタルのCDだけを生産するメーカーの姿勢です。私には比較され公表される事を恐れたものとしか思えませんでした。

デジタルもアナログも良いところと悪いところを持ち合わせています。確かにデジタルは便利です。低価格のオーディオは全てデジタルに取って替わりました。
 
オーディオを歴史的に考えてみましょう。ここでは少しハイレベルでのお話をしてみます。

再生技術が発表されたのは1800年後期ですが、トーマス・エジソンの蓄音機の発明がきっかけとなります。

1900年初期に78回転のSPレコードの生産がはじまり、1940年代にモノーラルLPレコード、そして1960年になってステレオLPレコードが販売されています。そして1985年頃にCDが発売されたと思います。

これに音楽の歴史を重ねて見ましょう。

歴史に残るモダンジャズやクラシックが最高の時期を迎えたのは1900年頃から1970年頃まででしょう。この時期に歴史的な演奏が数多く行われ録音されてきました。それは殆んどSPやLPレコードに収められています。

そしてオーディオの技術が頂点に達したと思われるのは1950年から1960年代でしょう。
その後、業務用のオーディオ機器の大半が劣化の道をたどっています。

うそ〜 と思われる方が多いと思いますが話を続けます。
古いとか新しいとか関係なく御自分の耳で確かめてください。

ある程度の高価なオーディオ機器を持ち、音楽を良い趣味として楽しんでおられる方はお解かりと思いますが、1950年代のもノーラルレコードや1960年代のステレオレコードは驚くほどの音質で録音されています。

その当時に生産されたLPレコードは、近年に作られたLPの重量盤やハーフカッティングや誰かの推薦盤などとは全く違って本物なのです。

LPレコードの音質をどんどん劣化させた現在、デジタルと比較する事は全く意味がありません。

 アナログのLPレコードの魅力は高級機での再生にあります。
正確に録音された歴史的な演奏はそれなりにしっかり作られた良いシステムを使用しないと正しい音での再生は出来ません。

例えば音質的に上手く組み合わせられた約50万円以上の良いシステムでしたら少しはアナログの良さが多いことを確認できるでしょう。

LPレコードからは非常に繊細な多くの音質の聞分けができますがCDプレーヤーの再生では少しの音の違いしか確認できません。これが非常に良質のシステムの場合アナログでは気合の入った全く違う演奏にも感じさせるのです。

デジタルとアナログの比較をした場合、低価格システムの場合ではデジタルが有利で、こだわりの高級システムの場合はアナログが有利になるでしょう。

 別の方向から説明しますと、アナログ録音は無限の連続ですがデジタル録音は有限の断続です。比較して機械的な測定ではアナログ録音再生の良いところは小信号にあり、デジタル録音再生の良いところは大信号にあります。

要するにアナログは微細な音色を表現する音や緩やかに変化する音が有利であり、音楽が一番必要としている感情を表現する音質が得意なのです。大きな爆発的な瞬間の音、要するに劇的な音で音楽性の上では少々荒れてもかまわない音に弱いのです。このことがジャズやクラシック、ポップス、ロックなどの音楽の表現力として有利になります。

一方デジタルは大きな音や大きな変化に強く、微小な変化を表すのが弱点であり、このことがハードロック音楽などの衝撃的な音に有利に思われますが、これは機械的な測定結果によるものであり、現実はハードロックを聴かれるかたの方がアナログファンが多いのです。

それは、大音量の中に色々な多くの感情を表現する音が含まれて音楽として構成されていますので、大音量こそ感情表現に乏しいデジタル音では、音楽の表現を聞き取る事が難しく耐えることすら困難になります。

全ての音楽家は、音楽の中で自らの表現をなるべく多く正確に伝えるが為に、良い楽器を選び、心を込めて演奏しているのです。そこで聞く側として、演奏家の音楽としての表現をいかに上手にとらえるかを努力したいものです。

 「良いものは永遠に残る」、ということわざがありますが、30年前に日本国内で生産中止された真空管が今では高級品として残るがごとく、15年前に生産中止されたLPレコードがいまだに人気があるのです。

新しいものが古いものを超える場合は、古いものは2〜3年も経たないうちに見放されてしまうのが常識でしょう。

デジタルの音に対する難関は音のアナログ信号をデジタルに変換する事、もっと難しいのはデジタルの信号をアナログに変換する事です。非常にややこしい、スピードの遅い作業です。しかし、デジタルコピーなら何回コピーしてもほとんど同じ物が出来ます。デジタル技術が進んできた現時点で便利なデジタルがアナログのどの程度まで追いついているのかという事が論争になる部分であり、デジタルがアナログを超えているというのは非常に早過ぎる話だと思います。また、デジタルが進化するとしてもアナログも同じように進化しますので、超える事は無いにしろどちらでも良い程度の時代が数十年後には来るかもしれません。


 ここで良質なLPレコードを良質な高級システムで再生した場合の音質について書いておきます。

一般にアナログは聞きやすく柔らかい音だと言われていますが、それでは何かボケた音、ふわーとしたバックグランドミュージックの音のように勘違いします。しかし、本物はそういう単純なものではなく極自然な音なのです。全ての感情を現すために、非常にスピードがあり、繊細で強烈でやさしく激しく、澄み切った空間に奥行きのある音で広がり、癖が無く、1つの楽器の音でも気持ちが現れる色々な音色を出します。それはあたかも演奏家が自分の為に目の前で演奏して何かを伝えようとしているかのごとく楽しむ事ができるのです。

そして、1950年代のモノラルや1960年代のステレオのレコード鑑賞は多くの意味で生演奏を超える事があるのです。

http://www.otono-edison.com/edisonkyo/ade.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/853.html#c62

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
53. 中川隆[-13070] koaQ7Jey 2020年3月05日 00:59:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[463]
アナログとデジタルについて

 今のオーディオの世界でデジタルが良いとかアナログが良いとか論議が絶えないようですが、論議をされている方に何か勘違いがあるのではないかと思われます。
オーディオシステム全体は全てアナログです。
デジタルが使用されるのは音を保管する方法の事で、その部分だけがデジタルかアナログかどちらが良いかということでしょう。比較する方法に問題があるのです。

自分自身のシステムの中での比較でしたら論議の意味はないと思います。
好きな方を聞けばよいのです。

本当に問題なのは利益追求の為に急にアナログのLPを生産中止してデジタルのCDだけを生産するメーカーの姿勢です。私には比較され公表される事を恐れたものとしか思えませんでした。

デジタルもアナログも良いところと悪いところを持ち合わせています。確かにデジタルは便利です。低価格のオーディオは全てデジタルに取って替わりました。
 
オーディオを歴史的に考えてみましょう。ここでは少しハイレベルでのお話をしてみます。

再生技術が発表されたのは1800年後期ですが、トーマス・エジソンの蓄音機の発明がきっかけとなります。

1900年初期に78回転のSPレコードの生産がはじまり、1940年代にモノーラルLPレコード、そして1960年になってステレオLPレコードが販売されています。そして1985年頃にCDが発売されたと思います。

これに音楽の歴史を重ねて見ましょう。

歴史に残るモダンジャズやクラシックが最高の時期を迎えたのは1900年頃から1970年頃まででしょう。この時期に歴史的な演奏が数多く行われ録音されてきました。それは殆んどSPやLPレコードに収められています。

そしてオーディオの技術が頂点に達したと思われるのは1950年から1960年代でしょう。
その後、業務用のオーディオ機器の大半が劣化の道をたどっています。

うそ〜 と思われる方が多いと思いますが話を続けます。
古いとか新しいとか関係なく御自分の耳で確かめてください。

ある程度の高価なオーディオ機器を持ち、音楽を良い趣味として楽しんでおられる方はお解かりと思いますが、1950年代のもノーラルレコードや1960年代のステレオレコードは驚くほどの音質で録音されています。

その当時に生産されたLPレコードは、近年に作られたLPの重量盤やハーフカッティングや誰かの推薦盤などとは全く違って本物なのです。

LPレコードの音質をどんどん劣化させた現在、デジタルと比較する事は全く意味がありません。

 アナログのLPレコードの魅力は高級機での再生にあります。
正確に録音された歴史的な演奏はそれなりにしっかり作られた良いシステムを使用しないと正しい音での再生は出来ません。

例えば音質的に上手く組み合わせられた約50万円以上の良いシステムでしたら少しはアナログの良さが多いことを確認できるでしょう。

LPレコードからは非常に繊細な多くの音質の聞分けができますがCDプレーヤーの再生では少しの音の違いしか確認できません。これが非常に良質のシステムの場合アナログでは気合の入った全く違う演奏にも感じさせるのです。

デジタルとアナログの比較をした場合、低価格システムの場合ではデジタルが有利で、こだわりの高級システムの場合はアナログが有利になるでしょう。

 別の方向から説明しますと、アナログ録音は無限の連続ですがデジタル録音は有限の断続です。比較して機械的な測定ではアナログ録音再生の良いところは小信号にあり、デジタル録音再生の良いところは大信号にあります。

要するにアナログは微細な音色を表現する音や緩やかに変化する音が有利であり、音楽が一番必要としている感情を表現する音質が得意なのです。大きな爆発的な瞬間の音、要するに劇的な音で音楽性の上では少々荒れてもかまわない音に弱いのです。このことがジャズやクラシック、ポップス、ロックなどの音楽の表現力として有利になります。

一方デジタルは大きな音や大きな変化に強く、微小な変化を表すのが弱点であり、このことがハードロック音楽などの衝撃的な音に有利に思われますが、これは機械的な測定結果によるものであり、現実はハードロックを聴かれるかたの方がアナログファンが多いのです。

それは、大音量の中に色々な多くの感情を表現する音が含まれて音楽として構成されていますので、大音量こそ感情表現に乏しいデジタル音では、音楽の表現を聞き取る事が難しく耐えることすら困難になります。

全ての音楽家は、音楽の中で自らの表現をなるべく多く正確に伝えるが為に、良い楽器を選び、心を込めて演奏しているのです。そこで聞く側として、演奏家の音楽としての表現をいかに上手にとらえるかを努力したいものです。

 「良いものは永遠に残る」、ということわざがありますが、30年前に日本国内で生産中止された真空管が今では高級品として残るがごとく、15年前に生産中止されたLPレコードがいまだに人気があるのです。

新しいものが古いものを超える場合は、古いものは2〜3年も経たないうちに見放されてしまうのが常識でしょう。

デジタルの音に対する難関は音のアナログ信号をデジタルに変換する事、もっと難しいのはデジタルの信号をアナログに変換する事です。非常にややこしい、スピードの遅い作業です。しかし、デジタルコピーなら何回コピーしてもほとんど同じ物が出来ます。デジタル技術が進んできた現時点で便利なデジタルがアナログのどの程度まで追いついているのかという事が論争になる部分であり、デジタルがアナログを超えているというのは非常に早過ぎる話だと思います。また、デジタルが進化するとしてもアナログも同じように進化しますので、超える事は無いにしろどちらでも良い程度の時代が数十年後には来るかもしれません。


 ここで良質なLPレコードを良質な高級システムで再生した場合の音質について書いておきます。

一般にアナログは聞きやすく柔らかい音だと言われていますが、それでは何かボケた音、ふわーとしたバックグランドミュージックの音のように勘違いします。しかし、本物はそういう単純なものではなく極自然な音なのです。全ての感情を現すために、非常にスピードがあり、繊細で強烈でやさしく激しく、澄み切った空間に奥行きのある音で広がり、癖が無く、1つの楽器の音でも気持ちが現れる色々な音色を出します。それはあたかも演奏家が自分の為に目の前で演奏して何かを伝えようとしているかのごとく楽しむ事ができるのです。

そして、1950年代のモノラルや1960年代のステレオのレコード鑑賞は多くの意味で生演奏を超える事があるのです。

http://www.otono-edison.com/edisonkyo/ade.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c53

[リバイバル3] 滅びゆくSACD 中川隆
1. 中川隆[-13069] koaQ7Jey 2020年3月05日 01:00:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[464]
アナログとデジタルについて

 今のオーディオの世界でデジタルが良いとかアナログが良いとか論議が絶えないようですが、論議をされている方に何か勘違いがあるのではないかと思われます。
オーディオシステム全体は全てアナログです。
デジタルが使用されるのは音を保管する方法の事で、その部分だけがデジタルかアナログかどちらが良いかということでしょう。比較する方法に問題があるのです。

自分自身のシステムの中での比較でしたら論議の意味はないと思います。
好きな方を聞けばよいのです。

本当に問題なのは利益追求の為に急にアナログのLPを生産中止してデジタルのCDだけを生産するメーカーの姿勢です。私には比較され公表される事を恐れたものとしか思えませんでした。

デジタルもアナログも良いところと悪いところを持ち合わせています。確かにデジタルは便利です。低価格のオーディオは全てデジタルに取って替わりました。
 
オーディオを歴史的に考えてみましょう。ここでは少しハイレベルでのお話をしてみます。

再生技術が発表されたのは1800年後期ですが、トーマス・エジソンの蓄音機の発明がきっかけとなります。

1900年初期に78回転のSPレコードの生産がはじまり、1940年代にモノーラルLPレコード、そして1960年になってステレオLPレコードが販売されています。そして1985年頃にCDが発売されたと思います。

これに音楽の歴史を重ねて見ましょう。

歴史に残るモダンジャズやクラシックが最高の時期を迎えたのは1900年頃から1970年頃まででしょう。この時期に歴史的な演奏が数多く行われ録音されてきました。それは殆んどSPやLPレコードに収められています。

そしてオーディオの技術が頂点に達したと思われるのは1950年から1960年代でしょう。
その後、業務用のオーディオ機器の大半が劣化の道をたどっています。

うそ〜 と思われる方が多いと思いますが話を続けます。
古いとか新しいとか関係なく御自分の耳で確かめてください。

ある程度の高価なオーディオ機器を持ち、音楽を良い趣味として楽しんでおられる方はお解かりと思いますが、1950年代のもノーラルレコードや1960年代のステレオレコードは驚くほどの音質で録音されています。

その当時に生産されたLPレコードは、近年に作られたLPの重量盤やハーフカッティングや誰かの推薦盤などとは全く違って本物なのです。

LPレコードの音質をどんどん劣化させた現在、デジタルと比較する事は全く意味がありません。

 アナログのLPレコードの魅力は高級機での再生にあります。
正確に録音された歴史的な演奏はそれなりにしっかり作られた良いシステムを使用しないと正しい音での再生は出来ません。

例えば音質的に上手く組み合わせられた約50万円以上の良いシステムでしたら少しはアナログの良さが多いことを確認できるでしょう。

LPレコードからは非常に繊細な多くの音質の聞分けができますがCDプレーヤーの再生では少しの音の違いしか確認できません。これが非常に良質のシステムの場合アナログでは気合の入った全く違う演奏にも感じさせるのです。

デジタルとアナログの比較をした場合、低価格システムの場合ではデジタルが有利で、こだわりの高級システムの場合はアナログが有利になるでしょう。

 別の方向から説明しますと、アナログ録音は無限の連続ですがデジタル録音は有限の断続です。比較して機械的な測定ではアナログ録音再生の良いところは小信号にあり、デジタル録音再生の良いところは大信号にあります。

要するにアナログは微細な音色を表現する音や緩やかに変化する音が有利であり、音楽が一番必要としている感情を表現する音質が得意なのです。大きな爆発的な瞬間の音、要するに劇的な音で音楽性の上では少々荒れてもかまわない音に弱いのです。このことがジャズやクラシック、ポップス、ロックなどの音楽の表現力として有利になります。

一方デジタルは大きな音や大きな変化に強く、微小な変化を表すのが弱点であり、このことがハードロック音楽などの衝撃的な音に有利に思われますが、これは機械的な測定結果によるものであり、現実はハードロックを聴かれるかたの方がアナログファンが多いのです。

それは、大音量の中に色々な多くの感情を表現する音が含まれて音楽として構成されていますので、大音量こそ感情表現に乏しいデジタル音では、音楽の表現を聞き取る事が難しく耐えることすら困難になります。

全ての音楽家は、音楽の中で自らの表現をなるべく多く正確に伝えるが為に、良い楽器を選び、心を込めて演奏しているのです。そこで聞く側として、演奏家の音楽としての表現をいかに上手にとらえるかを努力したいものです。

 「良いものは永遠に残る」、ということわざがありますが、30年前に日本国内で生産中止された真空管が今では高級品として残るがごとく、15年前に生産中止されたLPレコードがいまだに人気があるのです。

新しいものが古いものを超える場合は、古いものは2〜3年も経たないうちに見放されてしまうのが常識でしょう。

デジタルの音に対する難関は音のアナログ信号をデジタルに変換する事、もっと難しいのはデジタルの信号をアナログに変換する事です。非常にややこしい、スピードの遅い作業です。しかし、デジタルコピーなら何回コピーしてもほとんど同じ物が出来ます。デジタル技術が進んできた現時点で便利なデジタルがアナログのどの程度まで追いついているのかという事が論争になる部分であり、デジタルがアナログを超えているというのは非常に早過ぎる話だと思います。また、デジタルが進化するとしてもアナログも同じように進化しますので、超える事は無いにしろどちらでも良い程度の時代が数十年後には来るかもしれません。


 ここで良質なLPレコードを良質な高級システムで再生した場合の音質について書いておきます。

一般にアナログは聞きやすく柔らかい音だと言われていますが、それでは何かボケた音、ふわーとしたバックグランドミュージックの音のように勘違いします。しかし、本物はそういう単純なものではなく極自然な音なのです。全ての感情を現すために、非常にスピードがあり、繊細で強烈でやさしく激しく、澄み切った空間に奥行きのある音で広がり、癖が無く、1つの楽器の音でも気持ちが現れる色々な音色を出します。それはあたかも演奏家が自分の為に目の前で演奏して何かを伝えようとしているかのごとく楽しむ事ができるのです。

そして、1950年代のモノラルや1960年代のステレオのレコード鑑賞は多くの意味で生演奏を超える事があるのです。

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[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
55. 中川隆[-13068] koaQ7Jey 2020年3月05日 01:09:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[465]
「バッフルシステムは何故バッフルにしたの?」

スピーカーを他の形にしたのは人の都合によるもので音の為ではない。歴史を見ると、最初スピーカーが発明された時、取り付けられたものは大きなバッフルであった。

スピーカーは前後に動く空気の気圧の山谷を発生させることにより、音を作る。しかし、小さな面積のユニットだけでは後に作った気圧と前に作った気圧は打ち消され、波長の長い音(低音)は聴こえてこない。そこで、スピーカーユニットの作った前の音が後の音で打ち消される事が無いように広い板に付けられたのがスピーカーの始まりなのだ。

この時この広い板は頑丈に作る必要があった。音によって板が振動し、板の固有の音を発生させる事を防ぐ為です。これを完全にすることで、そのユニットのもつ最大限の音質と帯域を実現出来るのだ。

バッフルは劇場のようなところで使用しない限り持ち運びには非常に不便です。そこで考えられたのは、当初は後の板が無い箱で後面開放型BOXと呼ばれていたものです。

こうすることである程度の低音まで維持できますが、箱の中の共鳴が起こります。これは頑丈に作っても同じ事です。

次の時代はバスレフが作られました。これは箱の中にスピーカーを入れると低音が出難くなるので、前面にダクトをつくり出難くなった低音部分をダクトによって強調するスピーカーBOXです。

そして近年は、密封された箱の中に吸音材を沢山詰めて後ろの音を消そうとしているが、そう上手くいかないのでウーハ−の振動板を重くして共振を下げて低音を強調している。

音質にとっては良くない方法に段々変わってきたのです。

スピーカーユニットはコーン紙を振動させ空気の密度を変えることで音を作ります。その時コーン紙には空気の密度を変化させるための圧力が加わりますが、バッフル以外のBOX型ではその他に、箱の中でユニットから出た後ろの音が跳ね返り連続的にユニットに悪影響を与えます。

又、箱の中では共振が起こり非常に複雑な問題も発生するのです。

音のエジソンの中型のスピーカー(プロミネント)は、大きなバッフルではないが箱状でもない。試聴の結果こういう形になり、板の音も消え低音も出てきた。

原音追求の為、正しく再生するには平面バッフルの形式を取り、人の都合を最大に譲歩して理論的な音の都合に合わせることにした結果なのです。
https://www.otono-edison.com/audionosinjitu/urabanasi.html#12
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c55

[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
103. 中川隆[-13067] koaQ7Jey 2020年3月05日 01:09:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[466]

「バッフルシステムは何故バッフルにしたの?」

スピーカーを他の形にしたのは人の都合によるもので音の為ではない。歴史を見ると、最初スピーカーが発明された時、取り付けられたものは大きなバッフルであった。

スピーカーは前後に動く空気の気圧の山谷を発生させることにより、音を作る。しかし、小さな面積のユニットだけでは後に作った気圧と前に作った気圧は打ち消され、波長の長い音(低音)は聴こえてこない。そこで、スピーカーユニットの作った前の音が後の音で打ち消される事が無いように広い板に付けられたのがスピーカーの始まりなのだ。

この時この広い板は頑丈に作る必要があった。音によって板が振動し、板の固有の音を発生させる事を防ぐ為です。これを完全にすることで、そのユニットのもつ最大限の音質と帯域を実現出来るのだ。

バッフルは劇場のようなところで使用しない限り持ち運びには非常に不便です。そこで考えられたのは、当初は後の板が無い箱で後面開放型BOXと呼ばれていたものです。

こうすることである程度の低音まで維持できますが、箱の中の共鳴が起こります。これは頑丈に作っても同じ事です。

次の時代はバスレフが作られました。これは箱の中にスピーカーを入れると低音が出難くなるので、前面にダクトをつくり出難くなった低音部分をダクトによって強調するスピーカーBOXです。

そして近年は、密封された箱の中に吸音材を沢山詰めて後ろの音を消そうとしているが、そう上手くいかないのでウーハ−の振動板を重くして共振を下げて低音を強調している。

音質にとっては良くない方法に段々変わってきたのです。

スピーカーユニットはコーン紙を振動させ空気の密度を変えることで音を作ります。その時コーン紙には空気の密度を変化させるための圧力が加わりますが、バッフル以外のBOX型ではその他に、箱の中でユニットから出た後ろの音が跳ね返り連続的にユニットに悪影響を与えます。

又、箱の中では共振が起こり非常に複雑な問題も発生するのです。

音のエジソンの中型のスピーカー(プロミネント)は、大きなバッフルではないが箱状でもない。試聴の結果こういう形になり、板の音も消え低音も出てきた。

原音追求の為、正しく再生するには平面バッフルの形式を取り、人の都合を最大に譲歩して理論的な音の都合に合わせることにした結果なのです。
https://www.otono-edison.com/audionosinjitu/urabanasi.html#12
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[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
141. 中川隆[-13066] koaQ7Jey 2020年3月05日 01:10:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[467]

「バッフルシステムは何故バッフルにしたの?」

スピーカーを他の形にしたのは人の都合によるもので音の為ではない。歴史を見ると、最初スピーカーが発明された時、取り付けられたものは大きなバッフルであった。

スピーカーは前後に動く空気の気圧の山谷を発生させることにより、音を作る。しかし、小さな面積のユニットだけでは後に作った気圧と前に作った気圧は打ち消され、波長の長い音(低音)は聴こえてこない。そこで、スピーカーユニットの作った前の音が後の音で打ち消される事が無いように広い板に付けられたのがスピーカーの始まりなのだ。

この時この広い板は頑丈に作る必要があった。音によって板が振動し、板の固有の音を発生させる事を防ぐ為です。これを完全にすることで、そのユニットのもつ最大限の音質と帯域を実現出来るのだ。

バッフルは劇場のようなところで使用しない限り持ち運びには非常に不便です。そこで考えられたのは、当初は後の板が無い箱で後面開放型BOXと呼ばれていたものです。

こうすることである程度の低音まで維持できますが、箱の中の共鳴が起こります。これは頑丈に作っても同じ事です。

次の時代はバスレフが作られました。これは箱の中にスピーカーを入れると低音が出難くなるので、前面にダクトをつくり出難くなった低音部分をダクトによって強調するスピーカーBOXです。

そして近年は、密封された箱の中に吸音材を沢山詰めて後ろの音を消そうとしているが、そう上手くいかないのでウーハ−の振動板を重くして共振を下げて低音を強調している。

音質にとっては良くない方法に段々変わってきたのです。

スピーカーユニットはコーン紙を振動させ空気の密度を変えることで音を作ります。その時コーン紙には空気の密度を変化させるための圧力が加わりますが、バッフル以外のBOX型ではその他に、箱の中でユニットから出た後ろの音が跳ね返り連続的にユニットに悪影響を与えます。

又、箱の中では共振が起こり非常に複雑な問題も発生するのです。

音のエジソンの中型のスピーカー(プロミネント)は、大きなバッフルではないが箱状でもない。試聴の結果こういう形になり、板の音も消え低音も出てきた。

原音追求の為、正しく再生するには平面バッフルの形式を取り、人の都合を最大に譲歩して理論的な音の都合に合わせることにした結果なのです。
https://www.otono-edison.com/audionosinjitu/urabanasi.html#12
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c141

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
136. 中川隆[-13065] koaQ7Jey 2020年3月05日 01:14:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[468]
G「CDしか聴かない人には、プリアンプの代わりにボリューム付セレクターを薦めるのは何故?」


店長「プリアンプのCD入力では、プリアンプの送りだしアンプを通ることになる。この送り出しアンプは音量調整が行い易いように付けられたもので、実質的には不要だ。通す事により音質の劣化が起こる。

そこで、高価なプリアンプを止めて、アンプの無い安価なボリューム付セレクターにすることでパワーアンプに資金が使える。そうしてパワーアンプを真空管シングルパワーアンプにでもすればトランジスタの超高級品にも負けない音質に変身するのだ!殆んどの方がびっくりされる(^^)

前に言ったシンプル イズ ベストにあたる。」

G「アンプの回路に基盤を使用しない理由は?」

店長「基盤を使う事でアンプの量産は可能になるが、耐久性に問題があり、直接お客様に販売する以上なかなか使用できない。

特に真空管アンプの場合は電圧が高いため、基盤は使わずに丁寧なラグ配線にすることで耐久性があがり音質を確保できる。」

M「アンプに使用している真空管が殆んどUSA製の理由は?」

店長「真空管の製造はアメリカが非常に高い技術をもっている。耐久性が良く、品質や特性が揃っている。

真空管を比較する事でも大きな差が出てくる。
その代わり価格は数倍になるが、アンプ全体からするとそんなに大きな割合ではない。アメリカの真空管を使わずに良い真空管アンプと言ってしまうと嘘つきになる。」


営業部長「何故真空管アンプを進めているのですか?」

店長「簡単に言えば音を一番良くすることが出来るし、理論的にも良くなることが分かっているからだ。

一番大事なことは真空管の電子速度がトランジスターの5000倍以上と速い事、

次が電圧を高く使用出来る為信号増幅が素直に行える。

その他、アンプ同士、又はスピーカーに対してもインピーダンス特性上の都合が良い。

都合の悪いところは素子の大きさやヒーター電力が必要である事などで、音質に対する不都合な点は非常に少ない。

ただし、出力インピーダンスが高いことにより、トランスを必要とする事だ
真空管の特性は素晴らしいが、このトランスにより周波数帯域が制限されてしまう。そこで良質な出力トランスを使う必要がある為に、真空管アンプを安く作ろうとしても、ある程度の能力を出すにはある程度高価になってくる。

ここで断っておくが真空管がトランジスターやICよりも良いと言っているだけで、世間にある真空管アンプがトランジスターやICを使って作られたアンプよりも良いと言っている訳ではない。

真空管アンプは最近になり良さを認められ良く売れるようになった為、心無いメーカーが多く出てきている。これは聴き分ける力を持つことで災難を逃れる事が出来る。

安い国産品のものや、新しい高価な海外品には気をつけた方が良い。

真空管アンプも昔の物と違って最近では技術が発展しています。音のエジソンのアンプも昔の物とは違い無帰還でも特性表からはみ出すほどのものです。」
https://www.otono-edison.com/audionosinjitu/urabanasi.html#12
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