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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100498
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[近代史5] 静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION 中川隆
1. 中川隆[-16107] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:15:49 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[8]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。


▲△▽▼

QUAD 正規代理店 ロッキーインターナショナル ROCKY INTERNATIONAL
http://rocky-international.co.jp/quad_index.html

お客様各位 2020/3/10 QUAD ESL修理に関してのお知らせ
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf

日頃よりQUAD製品をご愛顧いただきありがとうございます。
QUAD ESLの修理に関してお知らせです。2017年より一部製品の修理受付を終了
のご連絡をしておりますが修理に関しまして完全事前予約制にさせて頂きます。


《修理受付終了製品》
・ESL57/ESL63/ESL63pro/ESL988・ESL989(ヴィンテージ含)
※上記製品は部品の廃品により修理・点検を終了しております。


《修理受付予約保留製品》
・ESL2805/ESL2905
※上記製品はオリジナルの部品は廃品になっておりますが、今日まで現行品の部品を
  代用して修理・点検を受け付けておりましたが現状メーカーからの部材供給が不安
定なため受付を保留しております。また予約に関しても受付をしておりません。予約
再開の目処が立ち次第、HP上でご連絡申し上げます。
※また部品供給の状況によっては修理受付終了にさせて頂くことがございますので何 
卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


《修理受付製品》
・ESL2812/ESL2912
※上記製品はオリジナルの部品の入荷が不安定でございます。修理・点検に関しては
    完全予約制にて受付しております。なお現状修理完了までおおよそ3ヶ月のお時間
    を頂戴しております。

以上

株式会社ロッキーインターナショナル
TEL03-5850-6962/FAX03-5850-6970
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf


>>65, >>66 に書きましたが、ロッキーインターナショナルも以前は QUAD ESL63 のエレメント交換修理を引き受けていましたが、エレメントをオリジナルとは全く違う分厚い丈夫な材質に変えた為に酷い音になってしまい、評判を落としていたのです:


2016 年 10 月 18 日 潟鴻bキーインターナショナル

QUAD ESL スピーカー、エレメントユニット交換修理の修理代
エレメントユニットの交換は基本的に 1台分全ての交換を行います。

・ESL 63 および 63pro 1台あたりおよそ 30 万円

※ESL57 は修理対象外製品となります。

ESL 63 および 63pro の交換エレメントは、新発売のESL2912、及び2812に搭載されている最新のエレメントを使用します
https://www.good-stuff.net/rocky_html/pdf/QUAD_ESL_campaign130510.pdf



▲△▽▼

ヤフオクでは QUAD ESL63 は激安価格なのですが、すべてエレメントの接着剤が剥落して本来の音は出ていません:

ヤフオク! -「QUAD ESL63」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?p=QUAD+ESL63&va=QUAD+ESL63&b=1&n=50
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?va=QUAD+ESL63&b=1&n=50&auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=QUAD+ESL&x=0&y=0


現在 QUAD ESL の修理ができるのは次の二か所だけです:

サウンドボックス (ドイツ QUAD Musikwiedergabe GmbH 代理店)
http://www.soundbox.co.jp/
https://www.facebook.com/soundboxaudio/

QUAD ESL57, ESL63 ESL63Pro 修理受付中
http://www.soundbox.co.jp/quad63repair.html 

オーディオ機器の修理
http://www.soundbox.co.jp/ortofon.html

復刻品 QUAD-II 真空管モノラル・アンプ (ドイツ QUAD MusikWiedergabe GmbH) 製 ¥600.000/ペア 
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD-II_3.htm

オランダ QUAD REVISIE社製 復刻品 QUAD 33/2プリアンプ +  QUAD 303QR パワーアンプ + QUAD FM3 特価セット価格 ¥400,000/セット 
*QUAD FM3QR
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD_33_303_FM3_set.htm

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL57 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL57QA ¥1,300,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL57QA_Cata_a.pdf

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL63 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL63QA_Cata_a.pdf

サウンドボックスの修理は自社修理ではなく外注なので割高になります。
その外注先も問題の有る所が多いみたいですね。


▲△▽▼


STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/index.html

メールアドレス
stax_buy@yahoo.co.jp

埼玉県 さいたま市 見沼区
 岩  田

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html#c1

[リバイバル3] まるで細密画を思わせる奇跡の描写力 _ スタックスの静電型スピーカー ELS-8X 中川隆
5. 中川隆[-16106] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:18:59 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[10]
静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/954.html#c5
[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
125. 中川隆[-16105] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:19:30 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[11]
静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c125
[近代史5] アンティーク オーディオの販売店・修理を頼める店 中川隆
13. 中川隆[-16104] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:19:56 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[12]
静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/430.html#c13
[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
107. 中川隆[-16103] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:21:04 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[13]
静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c107
[近代史4] QUAD の静電型スピーカーが全然売れなくなった理由 中川隆
12. 中川隆[-16102] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:21:58 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[14]
静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/506.html#c12
[近代史4] アンティーク・オーディオ取扱い店 中川隆
12. 中川隆[-16101] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:22:46 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[15]
静電型スピーカーの修理 _ STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/836.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/122.html#c12
[番外地9] 廣瀬爽彩さんは早朝4時に呼び出され売春客を取らされていた 中川隆
2. 中川隆[-16100] koaQ7Jey 2021年7月23日 14:28:50 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[16]
旭川では中学の上級生が顧客に下級生を紹介して児童売春させている
2007年12月02日 女子中学生を買春 容疑の自衛官逮捕 旭川(11/28 10:10)
【旭川】旭川東署は二十七日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで、旭川市大町二の九、陸上自衛隊旭川駐屯地所属の三等陸曹 菱沼泰巳 容疑者(27)を逮捕した。
 調べでは、菱沼容疑者は八月二十六日、携帯電話の出会い系サイトで知り合った同市内の女子中学生(14)から、別の女子中学生二人(いずれも十三歳)を紹介され、十八歳未満と知りながら、二人に二万−六万円を渡す約束をし同市内のホテルでいかがわしい行為をした疑い。
 菱沼容疑者は金を渡さなかったため仲介した女子中学生が学校に相談し発覚した。最終的に金を払わなくても約束をしていれば児童買春は成立するという。

▲△▽▼

廣瀬爽彩さんは早朝4時に呼び出され売春客を取らされていた:

2019年ゴールデンウィークには、深夜4時くらいにB男らにLINEで呼び出された爽彩さんが、いきなり家を出て行こうとしたところを母親が止めるという出来事もありました。母親がいくら止めても、爽彩は『呼ばれているから行かなきゃ』と、すごいパニックを起こしていた。ようやく引き止めたものの、その後もひどく怯えていたそうです」
864 :可愛い奥様:2021/04/23(金) 15:57:13.35 ID:RLrws/Sl0.net
>廣瀬爽彩さんからきたメッセージを一部見せていただきました。
「ねぇ、どうして息を吸ったりはいたりただするだけのことがこんなに苦しいんだろう
明け方起きるといつも絶望した気持ちで、いっそのこともう目が覚めないでほしいのに、必ず4時ごろには現実に呼び戻される
今すぐ楽になりたい、みんな時間が解決するっていうけれど、私は1時間後も1分後さえも苦しい。1年後とか3年後とかそんなの堪えられない。1秒後に楽なりたい
私の世界には色も音もなくなってる」

#43 2021/06/19 00:37
午前4時と言うのが、空港からお客がやってきていた時間ではなかったか?とは言われているね
(午前8時の飛行機で帰る売春客の相手をするには早朝4時に自宅を出なければ間に合わない)

#2 2021/06/18 21:31
お前ら今時気づいたんか?地元じゃ暗黙の了解だぞ?
死をほのめかすメール送るのにAndroidとiPhoneの2種類あったよね?
Androidは売春の連絡用に持たされてた管理人から持たされてたスマホだよ。

#16 2021/06/18 22:34
そして主犯のC男は「便所ATMが逝ったから次の獲物探すべ・・」と言った。
便所ATMだ?
ということは売春させてた可能性あるのでは?
言ったら母親◯すぞ!とか言われてて誰にも話せなかった可能性。

#20 2021/06/18 22:52
4月の時点で加害者は爽彩さんに売り強要させてたリークあるね。2ヶ月経って信憑性が高くなってきた。アイス(シャブ?)奢ってもらった方、リークありがとう。

0385 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:43:13
加害者の某は爽彩に売りを強要させてた
その金で遊び回ってたよ
叩かれるのはわかってるけど自分も加害者にアイス【註:覚せい剤の隠語)おごってもらった

0495 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:48:47
んでね、まだいじめられて売りやらされてる女の子いんよ
072させられて動画とられたかは知らない
中学生じゃないから格安で売らないといけないからノルマゆって1日5人とやらないと髪の毛ひっぱったり見た目にわからない頭おもいっきり殴ってるんだって客を取らなかった

#22 2021/06/18 23:05
被害者は汚れたと言っていたのでその可能性は高い

#13 2021/05/09 21:58
くぱぁや のアダ名からもわかるように
すぐやらせてくれる女だった
この被害者の子はヤクザに管理売xさせられていて
売xを拒むとそのヤクザの子飼いのチンピラが制裁を加える。
イジメじゃなくて制裁な。


犯人に呼び出された

廣瀬爽彩さんは、母親が外出していた1時間の間に行方不明になりました。2月の夕方6時といえば外は真っ暗。氷点下17度のところを、コートも着ずに出かけたのは急ぎの用事ができたからでしょう。

廣瀬爽彩さんは、深夜4時に加害者であるB男らに呼びだされることがありました。いきなり家を出ていこうとするところを母親が制止。「呼ばれているから行かなきゃ」とパニックを起こし、その後は異常なほどに怯えていました。

そして廣瀬爽彩さんの発見場所近くで、3人の女子中学生が亡くなっていることがわかりました。

わずか2年の間に同じ場所で、女子中学生が亡くなっています。もしかしたら同一犯の可能性があり、旭川市民は「すべて同じ加害者の犯行では」と疑っています。一度目に廣瀬爽彩さんが川へ飛び込んだときの通報者も亡くなっていて、死因は謎。

事件の全体図は、こんな感じ?

1.旭川という田舎町で、長い間、ナマコ密漁と児童売春で稼ぐ旭道会支配のもと、市、教育委員会、学校、警察が持ちつ持たれつの隠ぺい体質で保たれていた。
3.旭導会は児童買春の嬢として、組所属のA、C、D、土兄弟に生贄となるターゲットを探させていた。
4.Cは、カラオケ店で複数の被害者を相手に、強姦配信をおこなっていた。
5.Cの指示で、Aが卒業アルバムから被害者を探しだした。
11.組からCに連絡があると、Cは被害者を呼び出し、売春をさせていた。
12.Cは早朝4時に被害者を呼び出していた。

▲△▽▼

#502021/04/29 12:01
元組関係者です(旭川ではないです)
ヤクザは金にならない事は一切しません。
業界内で当時聞いた噂話では、旭川はガキ達を使ってえげつない売春をさせていて、二次的なコンテンツで動画の盗撮をしてから、それをネタにしての示談金回収をシノギの一部にしていたみたいです。回収に回ってた若い衆はかなり遠方まで行かされてたみたいです。札幌の例の金貸しが仲介役を始めた当時は全国から客が旭川に殺到していた様子だから、かなり美味しいシノギだったみたい。有名なのは東北地方の某医療法人の理事長さんで、示談金支払った後もあしげく通って動画をコレクションしていたとの事

#772021/04/29 12:53
50です
この手のシノギの特徴は短期間っていう事
昔から人身売買、金貸し、戦後の昭和になってからは薬が各組での主な収入源だった事は間違いないですが、当然ながらそれだけでは生き残れません。組存続の為には表の商売もしないと都会のヤクザは大変です。旭川方面が下手を打ってしまったと思われるのは、綺麗に始末つけて稼いだシノギだったのに今になって杯すら交わしてないチンピラがイジメに絡んだ事です。チンピラを飼っとった奴は今ケジメとしての金策で大変だと予想されます。

もちろん生ゴミの出る無駄な始末はしませんし、全ては金でカタをつけると予想されますが、それにより当時のコンテンツで二次被害に遭っている客達は大勢いると思う。ヤクザは一度握ったネタは絶対に手放したりしません。イジメにあってた子がこのシノギに関わってたかは知りませんが、世界中に幼女愛好者が存在するのは真実で、違法行為の仲介で飯を喰うのがヤクザです。

この手の違法なシノギは開けては閉めての繰り返しで、稼いで休んでを繰り返してやっていかないと地方の組はキツいと思います。表の商売に近いデリなんかより稼ぎの額が大きいのです。

#132 2021/05/19 15:04
中学生とセックスしたいオッサン多いからな
それにしてもセックス代がたったの1万円っつのはあり得ないな

#140 2021/05/19 17:30
>>132
当日は1万、1.5万円だからと油断してると翌日には旭導が家に来て昨日小学生とやりましたね
この写真を100万円で買ってくれますかって来られて、払えないと言うと見せしめに新聞社に流すらしいよ  
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/560.html#c2

[近代史5] アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史 中川隆
10. 中川隆[-16099] koaQ7Jey 2021年7月23日 15:50:22 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[18]
2021.07.22XML
 アメリカやイギリスの金融資本を中心とした資本主義体制が限界に達したことは彼ら自身も認識、例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは昨年6月、「COVID-19(新型コロナウイルス)」のパンデミック騒動を利用し「​資本主義の大々的なリセット​」を実行すると宣言しました。

 「リセット」しないと現在の支配システムを維持できないということですが、その支配システムは2度の世界大戦を経て確立されています。そして現在、金融資本は新たな世界大戦を必要としているようです。その戦いに勝利するため、ヨーロッパでの支配力を強め、中東支配を確かなものにし、ユーラシア大陸の東岸部で主導権を握ろうとしてきました。TPP、TTIP、TiSAはそうした目的で打ち出されましたが、思惑通りには進んでいません。中東での戦いはロシアに負けつつあります。

 第1次世界大戦ではドイツを弱体化させることに成功しましたが、ロシアを金融資本の配下に置くことは失敗しました。金融資本は戦争に反対していたグリゴリ・ラスプーチンを暗殺しましたが、ドイツはロシアとの戦争継続を嫌い、即時停戦を主張していた亡命中のボルシェビキの幹部を帰国させ、それがソ連の誕生につながります。

 そうした背景があるため、ドイツとソ連の関係はその後、良好でしたが、ナチスの登場で状況が一変、ドイツ軍は第2次世界大戦でソ連を攻撃します。ナチスを資金面から支えていたのはイギリスやアメリカの金融資本でした。ドイツにソ連は勝ったものの、2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む国土の3分の1が破壊されたと言われています。アメリカは事実上、戦場にならず、軍需産業と金融資本がビジネスで大儲けし、ドイツや日本が略奪した財宝を横取りすることに成功しました。

 ところで、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏したのは1943年1月。それを見てイギリスとアメリカはあわててシチリア島への上陸作戦を実行しますが、住民に人気のあったコミュニストを押さえ込むためにマフィアと手を組みました。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)はシチリア島上陸の翌年、1944年6月のことです。その間、アレン・ダレスなど反コミュニスト派はドイツ側と善後策を協議、ナチスの幹部や協力者を逃亡させ、保護し、雇うという工作を行います。

 ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で動いていたのですが、そのルーズベルトは1945年4月に急死、5月にドイツが降伏します。その直後にウィンストン・チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を攻撃するための作戦を立てるように命令しました。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」です。1945年7月1日にアメリカ軍、イギリス連邦軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍でソ連を奇襲攻撃し、「第3次世界大戦」を始めることになっていましたが、実行されませんでした。参謀本部が拒否したからだと言われています。

 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功しています。この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可、7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下されました。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったということです。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行います。1947年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求め​、1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだった​ジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話したといいます。

 そのソ連は1991年12月に消滅、ネオコンなどはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手に何でもできる時代になったと考えます。ボリス・エリツィン時代のロシアはイギリスやアメリカの金融資本の属国になり、国内は犯罪者たちに支配されました。ロシアは破綻国家になったということで、アメリカの支配者は中国など潜在的ライバルを潰しにかかります。

 こうしたネオコンたちの計画は21世紀に入ってウラジミル・プーチンたちがロシアを曲がりなりにも再独立させたことで破綻します。そこでロシアを再び屈服させ、中国を揺さぶろうとしますが、裏目に出てロシアと中国は戦略的な同盟関係を結ぶことになりました。アメリカを中心とする勢力はロシアと中国、両方を相手にせざるをえず、アメリカが優勢だとは言えない状況です。おそらく現状では世界大戦を始められないでしょうが、米英の私的権力に残された時間はあまりありません。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107220000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/539.html#c10

[近代史5] ネオコンの世界 中川隆
34. 中川隆[-16098] koaQ7Jey 2021年7月23日 15:50:53 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[19]
2021.07.22XML
 アメリカやイギリスの金融資本を中心とした資本主義体制が限界に達したことは彼ら自身も認識、例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは昨年6月、「COVID-19(新型コロナウイルス)」のパンデミック騒動を利用し「​資本主義の大々的なリセット​」を実行すると宣言しました。

 「リセット」しないと現在の支配システムを維持できないということですが、その支配システムは2度の世界大戦を経て確立されています。そして現在、金融資本は新たな世界大戦を必要としているようです。その戦いに勝利するため、ヨーロッパでの支配力を強め、中東支配を確かなものにし、ユーラシア大陸の東岸部で主導権を握ろうとしてきました。TPP、TTIP、TiSAはそうした目的で打ち出されましたが、思惑通りには進んでいません。中東での戦いはロシアに負けつつあります。

 第1次世界大戦ではドイツを弱体化させることに成功しましたが、ロシアを金融資本の配下に置くことは失敗しました。金融資本は戦争に反対していたグリゴリ・ラスプーチンを暗殺しましたが、ドイツはロシアとの戦争継続を嫌い、即時停戦を主張していた亡命中のボルシェビキの幹部を帰国させ、それがソ連の誕生につながります。

 そうした背景があるため、ドイツとソ連の関係はその後、良好でしたが、ナチスの登場で状況が一変、ドイツ軍は第2次世界大戦でソ連を攻撃します。ナチスを資金面から支えていたのはイギリスやアメリカの金融資本でした。ドイツにソ連は勝ったものの、2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む国土の3分の1が破壊されたと言われています。アメリカは事実上、戦場にならず、軍需産業と金融資本がビジネスで大儲けし、ドイツや日本が略奪した財宝を横取りすることに成功しました。

 ところで、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏したのは1943年1月。それを見てイギリスとアメリカはあわててシチリア島への上陸作戦を実行しますが、住民に人気のあったコミュニストを押さえ込むためにマフィアと手を組みました。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)はシチリア島上陸の翌年、1944年6月のことです。その間、アレン・ダレスなど反コミュニスト派はドイツ側と善後策を協議、ナチスの幹部や協力者を逃亡させ、保護し、雇うという工作を行います。

 ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で動いていたのですが、そのルーズベルトは1945年4月に急死、5月にドイツが降伏します。その直後にウィンストン・チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を攻撃するための作戦を立てるように命令しました。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」です。1945年7月1日にアメリカ軍、イギリス連邦軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍でソ連を奇襲攻撃し、「第3次世界大戦」を始めることになっていましたが、実行されませんでした。参謀本部が拒否したからだと言われています。

 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功しています。この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可、7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下されました。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったということです。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行います。1947年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求め​、1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだった​ジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話したといいます。

 そのソ連は1991年12月に消滅、ネオコンなどはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手に何でもできる時代になったと考えます。ボリス・エリツィン時代のロシアはイギリスやアメリカの金融資本の属国になり、国内は犯罪者たちに支配されました。ロシアは破綻国家になったということで、アメリカの支配者は中国など潜在的ライバルを潰しにかかります。

 こうしたネオコンたちの計画は21世紀に入ってウラジミル・プーチンたちがロシアを曲がりなりにも再独立させたことで破綻します。そこでロシアを再び屈服させ、中国を揺さぶろうとしますが、裏目に出てロシアと中国は戦略的な同盟関係を結ぶことになりました。アメリカを中心とする勢力はロシアと中国、両方を相手にせざるをえず、アメリカが優勢だとは言えない状況です。おそらく現状では世界大戦を始められないでしょうが、米英の私的権力に残された時間はあまりありません。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107220000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/494.html#c34

[近代史5] 医者も認める健康食ベスト5
【ゆっくり解説】医者も認める健康食ベスト5を解説します【1位はあの赤いヤツ】
2021/07/22




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/837.html

[番外地9] トマトは危険、食べてはいけない
トマトは危険、食べてはいけない
アメリカの心臓専門医、スティーブン・ハンドリー氏は、トマトはビタミンが豊富ではあるが、健康に害を与える可能性があると語った。
ハンドリー氏は、トマトのガン予防特性については異議を唱えていない。
しかし悪性腫瘍発生リスクを低減するリコペンのほか、トマトにはレクチンが含まれていると主張する。レクチンはタンパク質の一種で、植物が害虫から身を守るために生成されるが、そのレクチンが人体に重大な脅威をもたらすという。

レクチンが体内に入ると、炎症や様々な疾患を引き起こすメカニズムが作動する。

ハンドリー氏は、レクチンは有害な細菌だけでなく、健康な細胞も破壊すると指摘する。そのため、トマトは慢性疲労症候群や皮膚の発疹を引き起こし、脳の活動に悪影響を与え、脱毛症を誘引する可能性があるという。

スティーブン・ハンドリー氏は、トマトは危険な植物であり、完全に摂取をやめたほうがいいとアドバイスしている。


――「グルテンフリー」から「レクチンフリー」の時代へ
脅威のタンパク質「レクチン」を排除する食事療法

【健康食といわれる、体を蝕む食べ物】
●豆類全部………大豆・枝豆・モヤシ×
●茶色の食べ物…全粒粉パン・蕎麦×
●野菜……………トマト・キュウリ・ナス×
●ナッツや種……カシューナッツ・チアシード×

【病気を抱える患者の方には】

一般向けの食事プログラムのほかに、
《がん》《糖尿病》《認知症》《自己免疫疾患》など
患者向けに考案された特別食事プログラムがあります。
実際に、著者の病院で治療した32症例も詳しく紹介。

【レクチンとは?】

4億年前、植物は昆虫や動物から身を守り、子孫を残すために
「レクチン」という、捕食者の毒となるタンパク質をあみ出しました。
一般的に健康に良いとされる食品、例えば大豆やトマトには、
この「レクチン」がたくさん含まれていて
私たちの腸を傷つけ、さまざまな病気や肥満を引き起こします。


【グルテンフリーで効果が出ない方へ】

よく知られる「グルテン」は、
数千種類もある「レクチン」の一種にしか過ぎず、
グルテンだけを排除しても、
レクチンを排除しなければ効果が上がりません。
病気・肥満の根源は「レクチン」なんです。

レクチンの大部分は、植物の種子部分に含まれている。今まで「健康に良い」とされてきた食品に含まれていることが多く、全粒粉や玄米などは、実は多くのレクチンを含んでいるという。それを【毒】と【味方】に分けた食品リストが以下のものだ。

○【毒】 「食べてはいけない食品」:
玄米、パン、パスタ、蕎麦、シリアル、ジャガイモ、豆類全般(もやしのようなスプラウトもダメ)、豆腐、枝豆、ピーナツ、カシューナッツ、チアシード、トマト、ナス、キュウリ、カボチャ、メロン...など

○【味方】 体がよろこぶ「食べて良い食品」:
アボカド、ナッツ全般、栗、ココナッツ、オリーブ、ダークチョコレート、海藻、キノコ、ブロッコリー、白菜、キャベツ、オクラ、玉ねぎ、葉菜、サツマイモ、イチゴ、キウイ、味噌、キムチ...など
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/637.html

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記
ツッチーさんの車中泊 旅行記
https://4travel.jp/traveler/tsuchi/album

車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html

[リバイバル3] 春は奥只見に行こう _ 奥只見丸山スキー場・栃尾又温泉・駒の湯温泉 中川隆
9. 中川隆[-16097] koaQ7Jey 2021年7月23日 18:49:05 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[24]

駒の湯山荘 (駒の湯温泉) ★5.3
2020.06.22
https://jake.cc/2020/06/21/%e9%a7%92%e3%81%ae%e6%b9%af%e5%b1%b1%e8%8d%98-%ef%bc%88%e9%a7%92%e3%81%ae%e6%b9%af%e6%b8%a9%e6%b3%89%ef%bc%89-%e2%98%855-0/

アルカリ性単純温泉
(駒の湯温泉2号源泉)
32.1度 / ph8.6 / 1840L / 掘削自噴 / H6.12.20
Na+ = 16.5 / K+ = 0.5 / Ca++ = 36.3 / Cl- = 8.2
F- = 0.8 / SO4– = 91.2 / HS- = 0.1 / HCO3- = 23.2
CO3– = 1.2 / H2SiO3 = 22.7 / HBO2 = 0.5
成分総計 = 201.5mg

新潟県魚沼市大湯温泉719-1
025-795-2126
090-2560-0305 (衛星電話)
男女別内湯 ・ 混浴露天 ・ 貸切露天
500円
8:00 – 17:00 (受付は16時まで)

前々からずっと気になっていた、新潟県の駒の湯温泉。本当はもっと早くに訪れたかったのですが、良いところだとは知りつつ、来ることが出来なかったのには、訳があります。
まず、温い事。源泉温度が33度と温く、夏向きなのです。必然的に夏しか訪れる事が出来なくなります。
また、温いので、ゆっくり浸かっていたくなってしまい、はしご湯で立ち寄るには向かない事も挙げられます。
さらに、立ち寄り入浴だと離れの内湯しか利用出来ず、露天が使えないのです。
そうなると、夏の時期に宿泊すると言う選択肢しか残らず、今まで来ることが出来ませんでした。
今回やっと機会を得て宿泊する事が出来た次第です。

まずは、お宿について。場所は関越道の小出ICから出て、車で20分程度です。国道からそれて、山の中にある一軒宿ですが、道路はちゃんと舗装されていて、アクセスに便利な所です。
東京からだと、3時間で行けてしまいます。こんなに近かったとは・・・
お宿の外観は山小屋風で、アットホームで落ち着ける物です。車を停めたら、中から従業員さんが出てきました。
泊まりと告げると、荷物を持ってくれたりと、感じの良い対応です。
お部屋は本館で、1部屋2名の宿泊で、1泊たったの9000円。土曜日でこの金額なのはちょっと嬉しいです。しかも、日本秘湯を守る会の会員宿で、ちゃんとスタンプを貰えます。

ちなみに、私ですが、この秘湯会はあまり好きではありません。
伊豆や鳴子なんかの秘湯でも何でも無い所の宿が加盟していたり、仮に秘湯にあったとしても、周囲の旅館より明らかに豪勢な造りで、一人勝ちしているようなイメージがあったり・・・
でも、中には良いお宿も加盟していますので、ちゃっかりとスタンプを集めていたりします。
我ながら、ポリシーの無さに、脱帽です。(笑)

閑話休題

で、通されたお部屋は、ごろりと寝るだけの、とてもシンプルな物です。
部屋の照明はランプだけ。2個あり、ひとつは電気、もうひとつは灯油を使った本物のランプです。
自家発電をしているらしく、完全にランプだけで無いのはちょっと寂しい気がしないでもありませんが、こういう非日常は嬉しいですね。
どんなに手狭で、シンプルな部屋でも、ランプの光に照らされるだけで、どんなに飾り立てた豪華な部屋より寛ぐ事が出来ます。

食事は、部屋だしではなく、食堂に集まって頂きます。
食堂に来てみてビックリ。満室なのでしょうか、結構多くの人が席に着いていました。
お料理は地の物を中心に一品一品とても手が込んでいる物です。食事中に女将さんがいろいろと説明をして下さいます。
何より、ご飯がとても美味しい!流石は米どころの新潟です。
1泊9000円と言う金額を考えたら、この食事内容はオーバースペックと言える程に充実しています。

さてさて、肝心のお湯。
まずは、日帰りでも利用出来る、離れの内湯に行ってみました。
こちらには、女性専用の小さな浴室と、混浴の大きな浴室があります。
当然私は、混浴の大きな浴室を利用する事になります。
服を脱いで、浴室に入ったのですが・・・

余りの湯量に、一緒に訪れた友人と大爆笑してしまいました。


何と言う事でしょうか。これは、配水管の故障か、はたまた、噴水のつもりなんですかねぇ。
湯船の中央に湯口があり、お湯が垂直に、どばどばと噴出しています。
その湯量たるや凄まじくて、オーバーフローしたお湯は、まるで沢のように、排水溝から流れ去っています。
こんなにアホな量の掛け流しは・・・例えば、霧島ホテルなど、大きな浴槽だったらともかく、この規模の内湯でこの湯量は他に例を見ません。

試しに、ケロリン桶をさっとお湯に通してみたところ、一瞬で桶がお湯で満たされました。秒間2〜3ケロリン程の湯量があると推測されます。

そのお湯の感触。まず、一番の特徴は、温い事です。33〜34度程しかありません。
しかし、体温が奪われる程の冷たさでは無いので、いつまでもずっと入っている事が出来ます。
私は食事の後にこのお湯に1時間ぶっ通しで浸かっていましたが、それでも全然疲れませんでしたし、寒くもありませんでした。夏の時期には最適の温度です。
肌触りは、わずかにペタペタする感じがあります。湯船に浸かって暫くじっとしていると、無数の気泡が体に付着しました。


お湯からはほんのりと硫黄臭が香り、特徴もしっかりと感じることが出来ます。
一応書いておきますが、当然掛け流しです。加温も加水も循環も塩素消毒も一切していません。
と言うか、この湯量で加温したり、一定濃度を保つだけの塩素を投入していたとしたら、恐ろしい金額になりそうです。
お湯を口に含んでみたところ、わずかに甘い硫黄味と、少しだけ渋味を感じました。
ごく微量の金気成分も含まれている様子です。

それにしても、凄まじい湯量に圧倒。顔より遥かに高い位置まで噴水が達しているのです。
ざばざばと注がれるせいで、浴槽内のお湯は常に揺れており、お湯もばしゃばしゃと跳ねます。
ちなみに、この源泉の湧出量は、1分間に1800リットルだそうです。つまり、1秒間に30リットルな訳で・・・1.5リットルのペットボトルが毎秒20本な訳ですね。
すでに想像すら出来ない湯量ですが、凄まじい事だけは確かです。
まぁ、その源泉は、女性専用風呂だったり、貸し切り風呂なんかにも供給されている訳ですけれどもね。

あぁ、書き忘れるところでした。一応、加温浴槽もあります。
源泉を暖めた物で、体を温める為の物で、必要に応じて蛇口からお湯を注ぎ足す、汲み置きのような湯船です。
ずっと温いお湯だけに浸かり、たまに暖かいお湯に入ると、とても気持ちよく感じますが、お湯そのものは必要に応じて加温されたお湯を注ぎ足す仕組みで、常時掛け流されている訳ではなく、鮮度はあまり宜しくありません。
まぁ、ここのお湯は、あえて評価する必要無いかな?
ただ、温度が高い分、硫黄臭などは強く感じます。蛇口をひねると出てくる熱湯の匂いを嗅いでみたところ、硫黄臭のほかに、金気臭が熱せられた為に出たと思われる、少し生臭い匂いがしました。

ちなみに、他に利用者がいなかったので、女性専用の内湯も見学させて頂きました。


女湯

混浴に比べるとかなり手狭ですが、源泉浴槽と加温浴槽の両方がちゃんとあります。
源泉浴槽に注がれるお湯は、湯船の大きさから考えると、かなりの量です。
これはこれで気持ち良さそうですね。ただ、見た目のインパクトからすると、混浴浴槽に軍配があがりますね。

続いて、宿泊者以外は入ることが出来ない、内湯。
混浴と女性専用があります。

岩風呂になっており、離れと同じく、源泉浴槽と加温浴槽があります。
なかなか良い雰囲気ですね。源泉風呂の湯口からは、どばどばとお湯が注がれていますが、噴水湯口のインパクトからすると、味気なく感じてしまうほどです。
これでも一般的には凄まじい湯量だと思うんですけどね。噴水湯口がどうかしているだけなのです・・・
ちなみに私は、こちらには見学だけで、入りませんでした。

お次は、貸し切りの露天風呂。内湯の先にあります。
2箇所あり、開いていればいつでも好きなように利用して良いそうです。

上段と下段があり、まずは上段から。


入ってビックリ。なんと、テラスのように広々とした空間が広がっています。
当然駄目なのですが、思わずバーベキューとかしたくなってしまうような、素敵な造りです。
お風呂はその一角にありました。岩で組まれており、加温浴槽と源泉浴槽の二つがあります。
源泉は噴水湯口がある離れと同じなので、浴感などについての説明は割愛。
ちなみに私は、夜中に入ったので、気がつきませんでしたが、天幕が赤いので、日中に利用すると妙に怪しい雰囲気になります。
でも、この開放感と、この空間をプライベートに利用出来る贅沢は素晴らしいの一言に尽きます。
子供連れなんかにはピッタリでしょうね!

続いて、下段の貸し切り風呂。こちらは、上段のテラス部分が屋根になっており、テラスはありません。


上段に比べると手狭ですが、それでも十分過ぎるほどに快適な空間になっています。
上段のお風呂が、家族でテラスを利用する為の物だとしたら、下段は純粋にお風呂メインで利用したい人向けかも知れません。
湯船の位置が手前側なので、外の景色を眺めながらゆったりと入ることが出来ます。

温い源泉風呂と、加温浴槽で、行ったり来たりしていると、時間が過ぎるのを忘れてしまいます。
私は、朝食を食べてから、チェックアウトぎりぎりまでの間、この下段の貸し切り風呂を利用させて頂きました。
緑に囲まれてとても気持ちが良かったです!

最後に、混浴の露天風呂。
ある意味において、ココがこの旅館の目玉かも知れません。
サンダルに履き替えて崖下に降りたところにあります。


脱衣所は男女別ですが、お風呂は混浴。女性には少々入りづらいですが、タオル巻きがOKなので、敷居は低いです。
女性用のタオルは、サンダルが置かれている所の脇に沢山置かれています。


それにしても、ここの風情は、素晴らしいと言うより他ありません。
言葉にしても伝わらないので、とりあえず、私が撮ってきた写真を見てくださいとしか言いようがありません!
目の前に川が流れる開放的な露天風呂。なんとなく、木賊や、壁湯あたりを彷彿とさせられます。

そして、特筆すべきは、お湯。なんとココは別源泉なのだそうです。湯量は毎分300Lだそうで、それがすべて、この露天に注がれています。
特徴的なのは、そのお湯が注がれる湯口です。まず1本、パイプでざぶざぶと注がれています。
もう一本お湯の中に突き刺さっており、ココからも物凄い勢いで注がれています。
そして何より不思議なのが、まるで融雪用に玄関先とかに置かれているような、パイプに穴が明けられてそこからピューっと櫛状に源泉が注がれている湯口です。
これらの湯口から容赦なく注がれるお湯で、湯船からはお湯が盛大にオーバーフロー、と言うか、まるで沢のように、湯船から溢れ出しています。


お湯の印象ですが、噴水湯口などがある他所とあまり変わりありません。
微硫黄臭+わずかな金気臭。ただ、こちらの方が、少しだけ臭いが強いような気がします。
また、お湯が浴槽内からも共有されているせいでしょうか、泡つきが非常に良いです。
入ってすぐに、全身気泡だらけになります。

湯船は狭く、がんばって詰めて、せいぜい4人分と言った程度です。それとは別に加温浴槽もあり、こちらは2人分でしょうか。
狭い湯船にこの湯量。湯船に対する源泉投入量は、今まで私が入った事のある温泉の中ではピカイチです!

しかし、難点がひとつ。余りの湯量で、落ち着きません。(笑)
しかも、櫛状に注がれるお湯が、顔に跳ねるので、うまい具合に居場所を探さなければなりません。
まぁ、嬉しい悲鳴なんですけどね。
居心地が悪くなってしまう程の湯量なんて、今までにありませんでした。凄いの一言です!


いやぁ・・・
それにしても、本当に凄いです!
お湯最高。ランプの雰囲気も素晴らしく、ご飯美味しい!しかも、安い!
これ以上望む事なんてありません。
こんなに素晴らしいお湯なのに、今まで理由をつけて後回しにしていたとは・・・
もっと早く来るべきだったと思いました。

毎年1度ではなく、夏場は毎月1度来たいくらいの、素晴らしいお湯です!
来年いつ来ようかな・・・?ではなく、「今年もう一度来れないかな?」と、真剣に考えながら、お宿を後にしました。

是非とも泊まりで利用して欲しい一湯です!

.

動画
配管故障にしか見えない内湯
ドバドバ過ぎて顔中お湯まみれになる露天
2017年 7月23日 − 何度目かの再訪・日帰り

駒の湯は夏になると必ず思い出す温泉です。
毎年と言う訳にはいきませんが、HPの更新が滞っていた間もたまに行っていました。

いつからだったかは忘れましたが、立ち寄りで利用出来た内湯は浴槽をそのままに露天風呂になっています。
お湯は相変わらず、ザブザブと猛烈な勢いで掛け流し。
露天にした事による難点は、夏場だとアブがとにかく凄いです。
まぁ、お湯の中に浸かってしまえば何とかなるんですけどね。

ちなみに秘湯会ではなくたったみたいです。
事の真相は知りませんが、駒の湯みたいな本当の秘湯が抜けてしまうって、会としてどうなんだろう・・・?

https://jake.cc/2020/06/21/%e9%a7%92%e3%81%ae%e6%b9%af%e5%b1%b1%e8%8d%98-%ef%bc%88%e9%a7%92%e3%81%ae%e6%b9%af%e6%b8%a9%e6%b3%89%ef%bc%89-%e2%98%855-0/
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[近代史5] 東海アマブログ
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東海アマ 名古屋の記憶
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東海アマ 夏場の毒虫が極端に増えた
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東海アマ 大量殺人
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東海アマ ロボトミー手術にも与えられたノーベル賞……ケネディの妹は廃人にされた
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東海アマ 驚くべき情報! 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」
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東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか?
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安倍晋三を操ってきた極右警察官僚の杉田和博・北村滋
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東海アマ 陰謀論
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東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
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東海アマ 韓国の売春
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/796.html

東海アマ イスラム国を作ったのは、イスラエルであること
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/896.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/839.html

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記 中川隆
3. 中川隆[-16096] koaQ7Jey 2021年7月23日 19:27:45 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[27]
『車中泊の予行演習で三重へ』松阪(三重県)の旅行記・ブログ by ツッチーさん
旅行時期: 2016/04/16 - 2016/04/17
https://4travel.jp/travelogue/11125748

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【車中泊第2弾】 高野山見物と温泉巡り by ツッチーさん

【車中泊第2弾】 高野山見物と温泉巡り (4)十津川温泉〜洞川温泉〜帰宅
旅行時期:2016/09/14 - 2016/09/15|15
https://4travel.jp/travelogue/11175295


【車中泊第2弾】 高野山見物と温泉巡り (3)川湯温泉〜渡瀬温泉〜十津川温泉へ
https://4travel.jp/travelogue/11175039


【車中泊第2弾】 高野山見物と温泉巡り (2)高野山奥之院2日目〜龍神温泉へ
https://4travel.jp/travelogue/11175019


【車中泊第2弾】 高野山見物と温泉巡り (1)高野山を観てみよう
旅行時期:2016/09/11 - 2016/09/11
https://4travel.jp/travelogue/11175014

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車中泊:南紀州 by ツッチーさん

車中泊:南紀州(3)勝浦・ホテル浦島〜上北山村・小処温泉〜帰宅
旅行時期:2018/07/15 - 2018/07/16
https://4travel.jp/travelogue/11379844


車中泊:南紀州(2)那智の火祭り〜勝浦温泉公衆浴場
https://4travel.jp/travelogue/11379843


車中泊:南紀州(1)十津川温泉〜湯の峰温泉〜川湯温泉
旅行時期:2018/07/12 - 2018/07/13
https://4travel.jp/travelogue/11382561
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html#c3

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記 中川隆
4. 中川隆[-16095] koaQ7Jey 2021年7月23日 19:28:49 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[28]
車中泊:山陰地方の温泉巡り by ツッチーさん

車中泊:山陰地方の温泉巡り(4)萩〜湯免温泉〜長門湯本温泉〜俵山温泉〜角島大橋〜 川棚温泉〜下関
旅行時期:2018/04/22 - 2018/04/23|6
https://4travel.jp/travelogue/11365284


車中泊:山陰地方の温泉巡り(3)小屋原温泉〜三瓶温泉×2〜池田ラジウム鉱泉〜 温泉津温泉×2〜浜田漁港〜津和野〜柚木慈生温泉
https://4travel.jp/travelogue/11365282


車中泊:山陰地方の温泉巡り(2)大山環状道路〜安来節演芸館〜皆生温泉〜ベタ踏み坂〜 玉造温泉〜出雲大社〜出雲湯村温泉×2〜千原温泉
https://4travel.jp/travelogue/11365278


車中泊:山陰地方の温泉巡り(1)城崎温泉〜七釜温泉〜湯村温泉〜三朝温泉×2〜 倉吉旧市街〜関金温泉
旅行時期:2018/04/13 - 2018/04/15
https://4travel.jp/travelogue/11365273


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山陽地方の温泉巡り by ツッチーさん


車中泊:山陽地方の温泉巡り(3)尾道〜備中高梁〜真賀温泉〜湯原温泉〜奥津温泉〜 湯郷温泉〜帰宅
旅行時期:2018/05/21 - 2018/05/23|11
https://4travel.jp/travelogue/11367579


車中泊:山陽地方の温泉巡り(2)井仁の棚田〜呉港海自史料館〜音戸うずしお温泉〜 竹原旧市街〜H大広苑
https://4travel.jp/travelogue/11367577


車中泊:山陽地方の温泉巡り(1)関門トンネル〜功山寺〜瑠璃光寺五重塔〜湯田温泉〜 岩国基地〜錦帯橋〜厳島神社〜湯の山温泉
旅行時期:2018/05/16 - 2018/05/18
https://4travel.jp/travelogue/11367572
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html#c4

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記 中川隆
5. 中川隆[-16094] koaQ7Jey 2021年7月23日 19:29:30 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[29]
車中泊:山陰地方の温泉巡り by ツッチーさん

車中泊:山陰地方の温泉巡り(4)萩〜湯免温泉〜長門湯本温泉〜俵山温泉〜角島大橋〜 川棚温泉〜下関
旅行時期:2018/04/22 - 2018/04/23|6
https://4travel.jp/travelogue/11365284


車中泊:山陰地方の温泉巡り(3)小屋原温泉〜三瓶温泉×2〜池田ラジウム鉱泉〜 温泉津温泉×2〜浜田漁港〜津和野〜柚木慈生温泉
https://4travel.jp/travelogue/11365282


車中泊:山陰地方の温泉巡り(2)大山環状道路〜安来節演芸館〜皆生温泉〜ベタ踏み坂〜 玉造温泉〜出雲大社〜出雲湯村温泉×2〜千原温泉
https://4travel.jp/travelogue/11365278


車中泊:山陰地方の温泉巡り(1)城崎温泉〜七釜温泉〜湯村温泉〜三朝温泉×2〜 倉吉旧市街〜関金温泉
旅行時期:2018/04/13 - 2018/04/15
https://4travel.jp/travelogue/11365273
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html#c5

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記 中川隆
6. 中川隆[-16093] koaQ7Jey 2021年7月23日 19:30:18 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[30]
『車中泊デビュー,九州周遊 by ツッチーさん

車中泊デビュー,九州周遊 (1)別府到着〜竹田・岡城址と竹田湧水群へ
2016/05/15 - 2016/05/16
https://4travel.jp/travelogue/11139418

車中泊デビュー,九州周遊 (2)高千穂峡から日向〜綾の照葉大吊橋〜霧島温泉〜関之尾滝
https://4travel.jp/travelogue/11139428

車中泊デビュー,九州周遊 (3)鹿屋航空基地から桜島〜知覧特攻平和会館〜指宿〜枕崎
https://4travel.jp/travelogue/11139436

車中泊デビュー,九州周遊 (4)湯川内温泉から人吉・青井阿蘇神社〜球磨川〜熊本城
https://4travel.jp/travelogue/11139557

車中泊デビュー,九州周遊 (5)阿蘇周遊から内牧温泉〜杖立温泉〜黒川温泉〜わいた温泉
https://4travel.jp/travelogue/11139572

車中泊デビュー,九州周遊 (6)筋湯温泉〜九重夢大吊橋〜筌の口温泉〜湯布院温泉〜塚原温泉〜別府鉄輪温泉
https://4travel.jp/travelogue/11139589

車中泊デビュー,九州周遊 (7)別府三秘湯(鶴の湯-蛇の湯-鍋山の湯)〜帰宅
https://4travel.jp/travelogue/11139601


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南九州の温泉巡り by ツッチーさん

車中泊第6弾:南九州の温泉巡り(2)指宿温泉と吹上温泉
旅行時期:2017/10/20 - 2017/10/25|28
https://4travel.jp/travelogue/11296910


車中泊第6弾:南九州の温泉巡り(1)霧島温泉郷と周辺の温泉
旅行時期:2017/10/15 - 2017/10/19
https://4travel.jp/travelogue/11296906


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車中泊:九州の温泉巡り by ツッチーさん

車中泊:九州の温泉巡り(7)佐世保港〜波佐見温泉〜嬉野温泉〜祐徳稲荷神社〜武雄温泉〜 熊の川温泉〜二日市温泉〜ほうじょう温泉〜関門海峡〜(山口県へ)
https://4travel.jp/travelogue/11366853


車中泊:九州の温泉巡り(6)雲仙温泉×2〜島原温泉〜長崎・鍋冠山展望台〜ゆりの温泉
https://4travel.jp/travelogue/11366850


車中泊:九州の温泉巡り(5)天草・崎津天主堂〜弓ヶ浜温泉〜龍ヶ崎展望台〜下田温泉足湯〜天草⇒島原〜 小浜温泉×2〜小浜温泉〜雲仙温泉×2〜雲仙地獄めぐり〜仁田峠
https://4travel.jp/travelogue/11366845


車中泊:九州の温泉巡り(4)壁湯温泉〜天ヶ瀬温泉×2〜天ヶ瀬温泉〜日田豆田町〜三隅川温泉〜甘木温泉〜大川温泉~平山温泉~山鹿温泉〜宝田温泉〜亀の甲温泉〜天草
https://4travel.jp/travelogue/11366843


車中泊:九州の温泉巡り(3)明礬鶴寿泉〜鉄輪温泉〜柴石温泉〜浜脇温泉〜堀田温泉〜観海寺温泉〜亀川温泉〜明礬鶴の湯〜明礬湯の里〜別府高等温泉〜鉄輪熱の湯〜明礬鶴の湯〜七里田温泉〜赤川温泉〜黒川温泉×2〜満願寺温泉〜寺尾野温泉〜奴留湯温泉〜山川温泉〜はげの湯温泉
https://4travel.jp/travelogue/11366834


車中泊:九州の温泉巡り(2)山香温泉〜赤松温泉〜鉄輪温泉×2〜狭霧台展望台〜湯布院温泉×3〜 鉄輪温泉〜湯平温泉×2〜明礬温泉(鶴の湯~蛇の湯)
https://4travel.jp/travelogue/11366831


車中泊:九州の温泉巡り(1)関門トンネル〜中津・汐湯〜夷谷温泉〜海門温泉〜国宝富貴寺〜 青の洞門~耶馬渓・西谷温泉~耶馬渓
旅行時期:2018/04/23 - 2018/04/25
https://4travel.jp/travelogue/11366829
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html#c6

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記 中川隆
7. 中川隆[-16092] koaQ7Jey 2021年7月23日 19:32:59 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[31]
車中泊:東北6県温泉めぐり by ツッチーさん

車中泊:東北6県温泉めぐり(9)猪苗代湖〜西山温泉〜大内宿〜湯の花温泉x2〜木賊温泉〜日光温泉〜奥日光湯元温泉〜尾瀬ヶ原〜天竜峡温泉〜帰宅
旅行時期:2017/08/24 - 2017/08/29
https://4travel.jp/travelogue/11307206


車中泊:東北6県温泉めぐり(8)遠刈田温泉x2〜赤湯温泉〜新高湯温泉〜姥湯温泉〜滑川温泉〜高湯温泉〜土湯温泉〜幕川温泉〜野地温泉〜岳温泉〜鶴ヶ城〜御薬園
https://4travel.jp/travelogue/11307204


車中泊:東北6県温泉めぐり(7)西馬音内盆踊り〜鳴子温泉郷×4〜瀬見温泉〜肘折温泉〜銀山温泉〜かみのやま温泉〜蔵王温泉×3
https://4travel.jp/travelogue/11307203


車中泊:東北6県温泉めぐり(6)六郷湧水群〜鉛温泉〜大沢温泉〜夏油温泉〜須川高原温泉〜須川温泉〜大湯温泉〜泥湯温泉〜川原毛地獄温泉×2〜秋の宮温泉
https://4travel.jp/travelogue/11307201


車中泊:東北6県温泉めぐり(5)藤七温泉〜後生掛温泉〜松川温泉〜縄張温泉〜国見温泉〜乳頭温泉×3〜田沢湖〜角館武家屋敷
https://4travel.jp/travelogue/11307199


車中泊:東北6県温泉めぐり(4)秋田竿灯祭り〜大館秋田犬会館〜康楽館〜大湯温泉〜別所温泉〜玉川温泉〜新玉川温泉〜ふけの湯
https://4travel.jp/travelogue/11307198


車中泊:東北6県温泉めぐり(3)津軽三味線会館〜斜陽館〜五所川原 立ちねぷた祭り〜千畳敷海岸〜黄金崎不老不死温泉
https://4travel.jp/travelogue/11307196


車中泊:東北6県温泉めぐり(2)弘前ねぷた祭り〜白神山地〜岩木温泉〜黒石ねぷた祭り〜新屋温泉〜青森ねぶた祭り
https://4travel.jp/travelogue/11307194


車中泊:東北6県温泉めぐり(1)青森・新屋温泉〜青荷温泉〜古遠部温泉〜奥奥八九郎温泉〜十和田湖〜蔦温泉旅館〜谷地温泉〜猿倉温泉〜酸ヶ湯温泉〜大鰐温泉
旅行時期:2017/07/29 - 2017/08/01
https://4travel.jp/travelogue/11307192
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html#c7

[近代史5] ツッチーさんの車中泊 旅行記 中川隆
8. 中川隆[-16091] koaQ7Jey 2021年7月23日 19:34:08 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[32]
車中泊:北海道温泉めぐり by ツッチーさん

車中泊:北海道温泉めぐり (8)登別温泉〜ニセコ温泉郷〜二股らじうむ温泉〜見市温泉〜八雲温泉〜銀婚湯〜谷地頭温泉
旅行時期:2017/07/24 - 2017/07/28
https://4travel.jp/travelogue/11281085


車中泊:北海道温泉めぐり (7)稚内〜留萌〜千歳基地航空祭
https://4travel.jp/travelogue/11281083


車中泊:北海道温泉めぐり (6)カムイワッカ湯の滝〜ウトロ〜湧別日の出岬温泉〜枝幸〜稚内
https://4travel.jp/travelogue/11281075


車中泊:北海道温泉めぐり (5)川湯温泉〜和琴温泉〜養老牛温泉〜標茶温泉〜別海町〜羅臼温泉〜相泊温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281078


車中泊:北海道温泉めぐり (4)糠平温泉〜然別峡温泉〜オソウシ温泉〜十勝川温泉〜雌阿寒温泉〜阿寒湖温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281073


車中泊:北海道温泉めぐり (3)層雲峡温泉〜大雪高原温泉〜幌加温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281070


車中泊:北海道温泉めぐり (2)十勝岳温泉郷〜旭岳温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281067


車中泊:北海道温泉めぐり (1)長野・野沢温泉経由新潟港へ
旅行時期:2017/07/02 - 2017/07/06|14
https://4travel.jp/travelogue/11281064
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/838.html#c8

[近代史5] 銚子の散歩道 - livedoor Blog(ブログ)
銚子の散歩道 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/thorens/

銚子の散歩道:レコード - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/cat_50007783.html

銚子の散歩道:オーディオ - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/cat_50031428.html

銚子の散歩道:トーレンス - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/cat_50034119.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/840.html

[近代史5] 旅・ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
旅・ツーリング - We Will Rise カオスからの統合


九州バイク旅
2014/09/21


初iMovie。九州ツーリング。



福島バイク旅2014
2014/12/23


iMovieプラクティス。バイクで福島県「微温湯温泉」へ。



八幡平焼山火口の湯/Point of No Return
2015/10/16


ツーリング+登山+野湯+



旅・ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-category-2.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/841.html

[近代史5] 旅・ツーリング - We Will Rise カオスからの統合 中川隆
1. 中川隆[-16090] koaQ7Jey 2021年7月23日 20:58:46 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[33]
2020旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-category-49.html

2019旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-category-56.html

2017旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-category-32.html

2016年旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-category-30.html

2012旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-category-55.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/841.html#c1

[近代史02] ゴールドマン・サックス一人勝ちの秘密教えます_1_ 勝ち組になりたかったらこれ位の努力はしようね 中川隆
18. 中川隆[-16089] koaQ7Jey 2021年7月24日 01:29:19 : 01wQCrCTcU : Si82akdHQlQyaFU=[2]
ゴールドマンサックスが銀行免許取得! 短期主義の経営から脱却しよう [三橋TV第420回] 三橋貴明・室伏謙一・高家望愛
2021/07/23



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/364.html#c18
[近代史5] 一般人には理解不能な整形依存22選
【ゆっくり解説】一般人には理解不能な整形依存22選
2021/07/23




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/842.html

[番外地6] 血族結婚部落の優生学的調査概報 中川隆
21. 中川隆[-16088] koaQ7Jey 2021年7月24日 01:42:45 : 01wQCrCTcU : Si82akdHQlQyaFU=[4]
【ゆっくり解説】人間が近親交配をしてしまったら起こること6選
2021/07/23



http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/418.html#c21
[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
186. 中川隆[-16087] koaQ7Jey 2021年7月24日 01:44:08 : 01wQCrCTcU : Si82akdHQlQyaFU=[5]
【ゆっくり解説】人間が近親交配をしてしまったら起こること6選
2021/07/23



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c186
[番外地9] これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?
これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?
資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。
理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。
今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです:
デジタルIDを推進することを目指すNGO、「ID2020」が存在する。ビル・ゲーツのマイクロソフト、Gavi、あるいはロックフェラーやロスチャイルドといった富豪が参加したプログラムで、2019年9月にニューヨークで開かれたID2020の総会で2020年から新しいプログラムを始めることを決めている。デジタルIDをテストする場所として決まったのはバングラデシュだった。
 デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートが必要なくなるだけでなく、日常の生活も一括管理されることになる。1980年代からアメリカの軍、治安機関、情報機関などは個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどの個人データを収集、分析するシステムを開発、実用化してきたのだが、そうした個人データを一括管理する仕組みの中にデジタルIDも組み込まれることになるだろう。
ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 そのWEFはロックダウンが世界の都市を改善しているとツイット。彼らによると、地球に悪い影響を与えてきた人間の活動をロックダウンは緩和したと評価しているのだが、人間にかぎらず、生命活動は生態系へ何らかの影響を及ぼす。どこかで折り合いをつけなければならない。そうでなければ、人類は死滅しなければならないということになる。ビル・ゲーツやテッド・ターナーたちが人口削減を口にするのは必然かもしれない。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

 そのリセットを実行する主体になりそうな団体が創設された。リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」で、ローマ教皇庁との連携を謳っている。その中心グループにはロックフェラー財団のラジブ・シャー、フォード財団のダレン・ウォーカー、あるいはイングランド銀行元総裁のマーク・カーニーも含まれている。

 この団体の背後には強大な私的権力のネットワークが存在しているのだが、目指している方向は、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)と同じだろう。こうした協定にはISDS(投資家対国家紛争解決)条項が含まれ、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。強大な私的権力が各国の政府を上回る力を持つ体制だ。

 ウォール街と敵対関係にあったフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて語っている。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる」としたうえで、「個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ」としている。
_____________

 アメリカの場合、シオニスト(親イスラエル派)系の富豪は政治家に資金を提供する際、国際面の政策、つまり外交や軍事を彼らに任せることを条件にしてきたと言われている。ジョン・F・ケネディもその条件を呑んでいた。

 しかし、ケネディの場合、大統領に就任してからイスラエルの核兵器開発に対して厳しい姿勢で臨んで対立が生じ、ジミー・カーターはイスラエル一辺倒の政策をとらず、パレスチナにも配慮する政策を打ち出して有力メディアから激しく攻撃され、1期で終えた。

 こうした背景があるため、外交や軍事に関する政策は大統領が交代しても基本的に変化しない。ドナルド・トランプやバイデンでも同じことが言えるのだが、それでもトランプは選挙期間中にソ連との関係修復を訴え、CIAやFBIとタッグを組んだ有力メディアから激しく攻撃されていた。

 トランプはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を巡っても危機感を煽り、ワクチン接種を推進する有力メディアやその背後にいる私的権力と対立していた。最前線で旗を振ってきたのはビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団だが、この財団と歩調を合わせ、COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言している。

 このリセットを実行する司令部になりそうな存在が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物で、昨年8月で90歳になった。リン・フォレスターは66歳。

 ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。ちなみにシュワブはハーバード大学でキッシンジャーの下で学んでいたという。

 2015年の段階で次期アメリカ大統領に内定していたと言われているヒラリー・クリントンは2016年に失速する。民主党の内部では彼女の好戦的な姿勢を好まない人びとがバーニー・サンダースを支援、共和党のトランプも浮上した。そこで民主党の幹部やヒラリー陣営はサンダースを潰した後、トランプを攻撃することになる。トランプが浮上する際に動いていたのがキッシンジャーだ。

 キッシンジャー人脈の動きを見ると、トランプは1期目の途中、私的権力から切られたように見える。軍事面でトランプの腰が引けていると判断された可能性もあるが、私的権力は2001年頃、つまりニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された頃からパンデミックを想定したシナリオを考えていた。COVID-19に対するトランプの態度を私的権力が怒ったのかもしれない。

 トランプに替わって大統領になったバイデンは1972年の上院議員選挙で当選している。その当時、彼に助言していた人物は富豪のW・アベレル・ハリマン。ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたるプレスコット・ブッシュとエール大学の同窓で、ふたりとも学生の結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーだった。ハリマン家とブッシュ家はスカル・アンド・ボーンズだらけだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/638.html

[番外地9] 資本主義は既に破綻していて、これから共産革命かグレートリセットのどちらかが起きる
資本主義は既に破綻していて、これから共産革命かグレートリセットのどちらかが起きる
もしグレートリセットの方を選択すると共産主義者や反体制派、有色人種を絶滅させて地球人口は3億人まで減らされる
消えたアメリカンドリーム、努力しても路上で車中泊
日米で親より貧しい世代

アメリカンドリームという言葉があり、貧しい家庭に生まれても金持ちになれるという意味だった。

初期のアメリカは欧州で食いっぱぐれた移民が押し寄せ、多くの人は極貧からスタートした。

アメリカは毛皮、鉱物、石炭や石油、自動車など欧州が欲しがるものを何でも産出できた。


無一文だった移民たちはあっという間に欧州の貴族より豊かになり、大富豪になった人も多い。

潮目が変わったのは1960年代からで、終戦後の50年代は超好景気だったが一巡して不況になった。

ベトナム戦争が始まりアメリカは10年戦った末に何も得ず敗戦し、70年代から80年代にかけて「失われた時間」を過ごした。


ヒッピーなど退廃的な文化が流行し無政府主義者が増え、貧困者やホームレスが増えた。

90年代は日本と攻守入れ替わるようにアメリカは好景気になったが、以前とは根本的に違っていた。

アメリカの大学などの研究によると1980年代から最近まで、中間層が減少しつづけている。


中間層以下の収入も物価を考えると相対的に減少し、多くのアメリカ人は80年代より貧しくなった。

中間層以下でもスマホやパソコンを持っているが、豊かさや貧しさは相対的に変化する。

毎日ファーストフードを食べている『貧困層』は昔の貴族より良いものを食べているが、社会全体での地位が低下した。

親の成功経験はまったく通用しない

アメリカの奇妙な現実が年収700万円以上のホームレスで、地価が高騰し給料も多いシリコンバレー周辺などで多い。

NYやLAのような大都市では都市部のワンルームで30万円、家族向けだと50万円以上もする。

これは高いほうではなく「平均的な家賃」なので、年収700万円の家族が年600万円の部屋を借りたら年100万円で生活しなくてはならない。


そこで彼らは中古のモーターホームを買って公園や空き地(多い)に設置して生活している。

独身者が年収500万円から700万円だったとしてもワンルーム家賃が30万円台なので家賃だけで年400万円以上になる。

そこで単身者はルームシェアで一部屋を何人かで分割し、それをドラマではカッコいい若者として描いている。


彼らにとって家を買うなど夢の夢で、親の世代が買ったような家は1億円もする。

先日たまたまアメリカの過疎の村の物件情報を見たが、商店も無い人口100人程度の村の空家が平均5000万円以上していた。

土地は広大だが結局空家であり、日本だったらその10分の1の価値でしょう。


こうしてアメリカではIT製品に囲まれながら狭い部屋を間借りしたり、公園で車中泊する人が数百万人は存在する。

日本でも今の若者の親の世代がピークで、昔は言っちゃ悪いが「努力さえすればいい暮らしができる」時代だった。

今は努力しても生活は悪くなり、他人より努力しなければ貧困に落とされる時代になっている。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/639.html

[近代史4] 教祖以外は全員女性?昭和のハーレム宗教"イエスの方舟"の闇
【ゆっくり解説】教祖以外は全員女性?昭和のハーレム宗教"イエスの方舟"の闇をゆっくり解説!




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1689.html

[近代史5] カルトの世界 中川隆
6. 中川隆[-16086] koaQ7Jey 2021年7月24日 02:05:23 : 01wQCrCTcU : Si82akdHQlQyaFU=[7]
教祖以外は全員女性?昭和のハーレム宗教"イエスの方舟"の闇
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1689.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/437.html#c6
[近代史5] 人力でGO _ 自転車で山に行こう

人力でGO
https://green.ap.teacup.com/pekepon/


子供の頃から、坂があればとりあえず登る。
自転車があれば、行ける所まで行ってみる。
そんな生活をしていたら、
富士山に走って登ったり、マラソン走ったり、
自転車で行くとこまで行く大人になってしまいました。


人力でGO - 自転車/マラソンの記事一覧
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate2/archive

人力でGO - トレッキング/旅行の記事一覧
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate5/archive

LB LB - YouTube 動画
https://www.youtube.com/channel/UC7U-y6E73xXI6O_rR7qOr5A/videos


自転車で山に行こう
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1048.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/843.html

[近代史5] 真空管アンプ製作 チューブオーディオラボ

チューブ・オーディオ・ラボ
http://shinkuukan2.web.fc2.com/index.html

チューブオーディオラボ 真空管アンプ 修理工房
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Repair/repair.html

チューブオーディオラボの真空管アンプ販売代理店 理想のオーディオ研究所
http://www.arisan58.com/index.html


チューブオーディオラボ  
〒949-6680   新潟県 南魚沼市 六日町1857-3    

TEL/FAX 025-775-7383

E-Mail:tubeaudiolabo@rouge.plala.or.jp


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92949-6680+%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E5%8D%97%E9%AD%9A%E6%B2%BC%E5%B8%82%E5%85%AD%E6%97%A5%E7%94%BA%EF%BC%91%EF%BC%98%EF%BC%95%EF%BC%97%E2%88%92%EF%BC%93/@37.0625722,138.8769425,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5ff5f6ad3b70ae8d:0x613dad9b24959cca!8m2!3d37.0625722!4d138.8791312?hl=ja

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チューブ・オーディオ・ラボ 商品一覧

テレフンケンRS289プッシュプルステレオアンプ

50シングルステレオアンプ

45パラシングルステレオアンプ

テレフンケンRES664Dシングルモノブロックアンプ

13FD7プッシュプルステレオアンプ

RCS38 同軸2way38cmカスタムスピーカー

RCS30 同軸2way30cmカスタムスピーカー

RCS25 同軸2way25cmカスタムスピーカー

RCS20 同軸2way20cmカスタムスピーカー


TMCSTF MCステップアップトランスフォーマー

http://www.arisan58.com/pro_01.html


チューブオーディオラボでは、真空管アンプ作成はもとより、各種オーディオ機器の修理 メンテナンスも行っております。お気軽にご相談ください。


•お待ちの真空管、トランス、パーツ等を活用した特注アンプの製作を承ります。

•指定の真空管及び、当方ストックの真空管を使ってのオリジナルアンプの製作を承ります。

•シャーシの穴加工、メラミン焼付塗装、レタリング入れ等の製作を承ります。

•制作途中で作れなく成ってしまったアンプ、自作及びキット製品等も制作承ります。

•自分で真空管アンプを製作したいのだが、シャーシ加工、ハンダ付け作業等の場所が無いと
お悩みの方、休日を利用してアンプを製作したいが場所がと言う方
ワークショップが利用出来る様に進めています。

•部品の購入手配、シャーシ加工、配線、完成後の試聴等アドバイス致します。


事前にご予約頂ければ、各アンプでの試聴が出来ます、普段お聴きになっているCDを持ってお越しください。
http://shinkuukan2.web.fc2.com/koubou/koubou.html


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新潟県 南魚沼市 チューブ・オーディオ・ラボ _ マイナー出力管を使った廉価な真空管アンプ製作
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/459.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/844.html

[近代史5] ペンション すももの木 _ 真空管アンプ「カトレア」
ペンション すももの木 _ 真空管アンプ「カトレア」

ペンション すももの木
http://www.sumomo.net/

真空管アンプ「カトレア」
http://www.cattlea.jp/

「カトレア」製品情報
http://www.cattlea.jp/product/


〒401-0501 山梨県南都留郡山中湖村山中990-6
電話 0555-62-3411


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真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/845.html

[近代史5] Wilhelm Furtwängler site by shin-p フルトヴェングラー年代順資料室
Wilhelm Furtwängler site by shin-p
フルトヴェングラー年代順資料室(日本語版)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/846.html
[近代史5] Kenichi Yamagishi's Web Site フルトヴェングラーの録音
Kenichi Yamagishi's Web Site
http://classic.music.coocan.jp/index.htm

フルトヴェングラーの録音 Kenichi Yamagishi's Web Site
http://classic.music.coocan.jp/wf/record/index.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/847.html

[近代史5] BRUNO WALTER HOME PAGE
BRUNO WALTER HOME PAGE
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/walter2.htm

BRUNO WALTER ディスコグラフィ
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/discography.htm

BRUNO WALTER BBS
https://6233.teacup.com/walter/bbs
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/848.html

[近代史5] カール・シューリヒト雑記帳

カール・シューリヒト雑記帳
http://schuricht.g2.xrea.com/

カール・シューリヒト掲示板
https://8621.teacup.com/toshiharu/bbs/

シューリヒト音源再生プロジェクト
https://8621.teacup.com/toshiharu/bbs/t2/l50

Carl Schuricht HomePage
http://www.carlschuricht.com/Schuricht.htm



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/849.html

[近代史5] knaclub | Hans Knappertsbusch Fun's Page ハンス・クナッパーツブッシュ研究
knaclub | Hans Knappertsbusch Fun's Page ハンス・クナッパーツブッシュ研究
https://knaclub.com/

ハンス・クナッパーツブッシュの生涯
https://knaclub.com/93-2/

Knappertsbusch’s records
https://knaclub.com/knappertsbuschs-records/

[old]Hans Knappertsbusch Fun’s Page
https://knaclub.com/archives/kna/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/850.html

[近代史4] ハンス・クナッパーツブッシュ研究 中川隆
5. 中川隆[-16085] koaQ7Jey 2021年7月24日 10:58:13 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[1]
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[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
10. 中川隆[-16084] koaQ7Jey 2021年7月24日 11:00:07 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[2]
Wilhelm Furtwängler site by shin-p フルトヴェングラー年代順資料室
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/846.html

Kenichi Yamagishi's Web Site フルトヴェングラーの録音
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c10

[近代史4] シューリヒト(1880年7月3日 - 1967年1月7日) 中川隆
1. 中川隆[-16083] koaQ7Jey 2021年7月24日 11:03:21 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[4]
カール・シューリヒト雑記帳
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カール・シューリヒト掲示板
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シューリヒト音源再生プロジェクト
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カール・シューリヒト雑記帳
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[近代史5] ハルくんの音楽日記
ハルくんの音楽日記
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[近代史5] 政府や新聞・テレビの統計はすべて嘘です _ 本当の日本人の平均年収は 150万円
政府や新聞・テレビの統計はすべて嘘です _ 本当の日本人の平均年収は 150万円


2021年07月24日
政府や新聞・テレビの統計はすべて嘘です
http://www.thutmosev.com/archives/86354080.html

日本人の平均収入は「上場大企業の正社員、新入社員と高齢社員を除き、途中入社を除く、単身者を除く世帯収入」で出しています
そんな日本人はどこにも存在しません


日本の労働者の”平均”年収は250万円以下です

日本政府の”説”によると日本人の平均年収は450万円で、500万円超と言っている機関もあります。

だが本当かなと疑問に思ってざっくり計算してみると、”本当の日本人の平均年収”は150万円くらいでした。

まず日本人の中で働いているのは6割以下、その6割の4割ほどはパートなどの非正規です。

非正規労働者の年収はほとんど200万以下で、年収200万の壁という言葉があるほどです。

残った中から自営業を引いた総人口の3割ほどが正社員だが、そのほとんどは中小企業に雇用されています。

中小企業の収入は大企業よりかなり低く、零細企業は小企業よりさらに圧倒的に低収入です。


1,433万人、中小企業は3,361万人、合計しても約4800万だけが日本政府が考える労働者だが、非正規はここからも除外されます。

日本政府が統計を取る時はまず「上場企業以外の労働者は人間ではない」として排除し、上場企業の正社員だけを調査します。

大企業正社員でも入社して数年間や退職近い人は「例外」として除外し、高収入な人だけを調査します。


さらに外国では年収と言えば個人の年収ですが、日本では世帯年収を調査し単身者は除外します。

一般的には家族を養う立場にある人の方が、気楽な独身より高収入な傾向があります。

こうして国民の数パーセントにしか当てはまらない高所得者だけを調査すると日本人の平均年収は500万円前後になります。


だが国民の誰にも当てはまらない平均年収を調査し発表する事に、一体何の意味があるんでしょうか?

官僚は自分に有利な統計を創作できる

日本人の全労働者の平均年収は、一部の超高所得者を除き、非正規すべてを含めると250万円以下です。

年収数百億円とかの人たちが「平均」を上げてしまうので、年収1千万円台以下などに限定したらガクっと下がります。

日本人の4割は労働していないので、日本人全員の1人当たり年収は日本人が思っているょり遥かに少ない


ある時新聞が一斉にネットニュースで「少年犯罪が激増している」と騒いだので調べたら。実際の少年犯罪は「激減」していました。

少年刑務所に入る少年がいないので、高齢犯罪者の介護施設になっているという例まで見つけました。

別な時には新聞のネットニュースが「交通事故が激増している」と騒いだので、調べたら交通事故は激減していた。


軽自動車の事故が多く危険だと騒いだので調べたら、軽自動車のほうが事故時の死亡率が低く、最も高いのは大排気量の高級外車でした。

これは軽の事故は時速40キロ未満で女性が起こす割合が多いので、死亡率としては低くなります。

これらは結局警察の方で「啓発のために事故が増えたことにしよう」「少年犯罪の啓発をするので少年犯罪が増えたことにしよう」として統計をそう見せかけて新聞に流しています。


高齢者の事故防止キャンペーンをするのに「高齢者の事故は毎年減っています」では格好がつかないので、激増しているような統計を作るのです。

財務省自慢の「日本の借金」については書く価値もないほどデタラメで、借金が多いと見せかける事で財務官僚の地位を高めようとするものです。

もし財務省が「日本の借金は健全です」と言ったら田中角栄みたいに官僚を見下すので、危機を作り出して自分の地位を高めるのです。


これは旧日本軍と同じ手法で、軍人は「欧米が日本を滅ぼそうとしている」「大陸は日本の生命線だ」と言って危機を煽りました。

もし「欧米とは戦わなくて良いし、誰も日本を狙っていない」と本当の事を言ったら誰も軍人に従わなくなるからです。

官僚が作る統計とはすべからくこうした物です。

http://www.thutmosev.com/archives/86354080.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/852.html

[近代史5] 大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり
【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/853.html

[近代史5] 麻薬取引の黒幕はCIA 中川隆
4. 中川隆[-16082] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:12:06 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[5]
【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/345.html#c4

[近代史4] マリファナ愛好者が体験する世界 中川隆
8. 中川隆[-16081] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:13:53 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[6]
【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/425.html#c8

[近代史5] カルト・麻薬関係投稿集 中川隆
8. 中川隆[-16080] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:15:12 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[7]
【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/396.html#c8

[昼休み52] 何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口 中川隆
97. 中川隆[-16079] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:15:59 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[8]
【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html#c97

[番外地6] 麻薬は怖い 中川隆
6. 中川隆[-16078] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:16:47 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[9]
【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/256.html#c6

[近代史5] カルト・麻薬関係投稿集 中川隆
9. 中川隆[-16077] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:18:01 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[10]
何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html

大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/853.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/396.html#c9

[近代史5] グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの 中川隆
29. 中川隆[-16076] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:51:17 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[12]
グローバリストが大麻を合法化した目的は愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、極端に生産性を下げます。
この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。
そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。

【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html#c29

[近代史5] グレートリセットで地球温暖化を防ぐ _ 世界人口を 3億人に減らすだけでなく、気候操作にも手を出すビル・ゲーツ 中川隆
3. 中川隆[-16075] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:51:47 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[13]
グローバリストが大麻を合法化した目的は愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、極端に生産性を下げます。
この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。
そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。

【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/566.html#c3

[近代史5] アングロ・サクソン人は最も高貴な人種、資本主義を大々的に「リセット」して劣等民族のアジア系やアフリカ系の人口を減らすの… 中川隆
4. 中川隆[-16074] koaQ7Jey 2021年7月24日 12:52:57 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[14]
グローバリストが大麻を合法化した目的は愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、極端に生産性を下げます。
この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。
そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。

【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/509.html#c4

[近代史5] 利根川温泉掲示板
利根川温泉掲示板
https://9118.teacup.com/onken21/bbs
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/854.html
[近代史5] 見たら危険すぎる警告夢10選
【ゆっくり解説】見たら危険すぎる警告夢10選
2021/07/22




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/855.html

[リバイバル3] 苗場の近くの名湯 1 _ 苗場温泉 雪ささの湯 中川隆
9. 中川隆[-16073] koaQ7Jey 2021年7月24日 15:47:54 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[15]
雪ささの湯 宿泊のご案内

雪ささの湯では宿泊も可能です。

春〜秋/ 三国峠越えのツーリング、ドライブ、登山、トレッキング、サークル合宿
冬 / スキー・スノーボード、グループ旅行などで苗場を訪れる際にご利用頂いております。


■部屋タイプ
・和室
・洋室
・個室
・大部屋
お一人様〜グループ、サークル合宿まで可能


■お得な素泊まりプラン / 1泊1名様 ¥4,000(税別)

・お食事は1階の食堂又は近隣の食事処をご利用下さい
・100M先にミニマートあり(夏期、冬期のみ営業)
・1階の温泉はご営業時間内なら何回でも利用可
・館内エレベーターあり


個室休憩
日帰りで温泉をご利用の際、個室でゆっくりとお休み頂けます。

一部屋(8畳) 1時間 / 2000円 2時間 / 3500円

詳細はお問い合わせ下さい
下記の期間は宿泊及び個室休憩をご利用頂けません。詳しくは受付スタッフ 又は電話でお問い合わせください。

・フジロック期間
・7月10日〜9月末
・宿泊階が団体様で貸し切りの場合

苗場日帰り温泉「雪ささの湯」
025-780-9500
4〜12月/木曜定休・冬季無休

https://yukisasa.net/stay/

雪ささの湯 入浴料金(税込)
大  人 900円(施設利用料を含む)
小  人 400円
カップル券 1,600円 (男女カップル1組 / 施設利用料を含む)
回 数 券 6,000 円 (10回分)

雪ささの湯WEBクーポン 200円割引
※中学生以上の大人のみ利用可/1〜5名様まで利用可能
下記をクリックして画像を受付スタッフにお見せ下さい。

WEBクーポン
苗場日帰り温泉「雪ささの湯」
025-780-9500
4〜12月/木曜定休・冬季無休

https://yukisasa.net/business-hours-anb-fee/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/566.html#c9

[近代史5] なぜ繰り返す!?哀れな末路をたどる歴代韓国大統領
【ゆっくり解説】なぜ繰り返す!?哀れな末路をたどる歴代韓国大統領 Repeated tragedy of the South Korean president
2021/07/24




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/856.html

[番外地9] 天皇一族は全員創価学会員で中国の手先
天皇一族は全員創価学会員で中国の手先だよ。
外務省や小和田恒・雅子妃、今上天皇は中国のエージェント
【転載記事】やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。2016-03-17
外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのようなお方が入内を?
現在の両陛下、皇太子と皇太子妃殿下のありようは、皇室解体、日本国の国体の弱体化には、いたって都合のいいお方たちです。s ouk a 学会が東宮夫妻に肩入れし、秋篠宮ご夫妻に関わるデマを流していることからしても皇太子夫妻は反日勢力にとって都合よいのです。また利用しやすい存在であることは、反日kan国の要人潘基文(パン・ギムン)、韓 昇洙(ハン・スンス)らの皇太子への接触と交流で解ります。
皇太子も進んで彼らや小和田恒氏の喜ぶことをやります。
人民解放軍少将であり、習近平の妻である彭 麗媛(ほう れいえん、ポン・リーユアン)への接触。
s ouk a イベントへの出席。池田大作の息子との食事会など。
皇太子と反日潘基文を結びつけたのは小和田恒氏です。
今や雅子妃入内以来20年間の居座りで、小和田王朝完成。
天皇陛下にタイで「謝罪させた」のが小和田恒氏。
河野談話の影の人物、また「kan日」ワールド・カップの影の推進者でもあります。
そして河野談話発表に寄与した、時の外務事務次官は誰あろう小和田恒氏であることを、腹に叩き込んでください。天皇陛下訪中に寄与したことも。

池田大作の外遊に便宜をはかったことも。
その「反日左翼男」の娘がなぜ入内出来たのですか?

あの気色悪い売国怪物、小沢一郎がなぜ国連を愛していたのか。
大反日組織だからですよ。そことパイプのある小和田恒とは何者なのか。
国連には雅子妃の妹も噛んでいたはず。

*池田 礼子は、 国際機関職員であり、
皇太子徳仁親王妃雅子の実妹として知られる。

国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。
反日組織国連と国連大学に入り浸る皇太子とその妃。
次期大統領候補、超反日・潘基文がなぜ、皇太子と親密なのか。
皇太子妃の母親、小和田優美子氏と
日本ユニセフとの関わりも看過できません。
なにゆえ、池田大作と密着のアグネス・チャンを看板とする組織に皇太子妃の実母と妹がからむのか。


こちらにはまた半島利権の宮家高円宮家の承子さんが、就職して
ここでもまた、いかがわしいひとかたまりをなしています。

日本ユニセフは鳩山由紀夫の母方祖母が創設者です。
小和田家の関わるところ、c house n 中国の気配が色濃いのはなぜ。

大体 k an国と china に褒められるって、鳩山や村山富市と同列売国奴。
・・・・・あ、天皇陛下皇后陛下もk an国から絶賛なんでしたっけ。

雅子妃の父親 小和田恒氏の反日思想

「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」

外交に関しては「ひざまずき外交」と評されるように、中韓には膝を屈して接しなければならないとする、要は「日本は悪い国だ」を前提に、中国にも k an国にも対せよ、と。

このような思想を家長が持つ家の娘が、よくまあ宮中に招じ入れられたものだと、宮内庁の、と言っていいのかどうか、関わった人々の迂闊さに驚くばかりです。
通常ならあり得ないのです。はっきり言えば反日思想家の娘を皇室に入れるなどと。

おまけに母方は、極悪な企業犯罪会社、チッソに連なっているのですから、あり得ない環境のダブルです。いや、小和田氏の家系が当主金吉に至る、わずか3代前にしか遡れない不明朗な家系であるということを加えれば、トリプルに、お后候補には絶対に成り得ない条件が揃っています。

外務省の中 k an への、弱腰体質の基幹を作った小和田恒氏。
雅子妃の父・小和田恒氏が外務省時代に唱えていた主張。「ハンディキャップ国家論」ともいう。その定義については、論者によって微妙に評価が分かれるが、平和維持活動などに、軍事力を用いた、いわゆる「一人前の活動」をしてはいけない、という面では共通している。特定アジアへの「土下座外交」の基礎をなすものだとして、保守派の論者からは厳しく批判されている。

 中国の側に理があるという非常識を日本国民に植えつけてきたのは、田中内閣以後の親中派議員と外務官僚だ。中国に対する贖罪意識に加えて、日中条約締結後にはじめたODA援助がらみの利権が親中派議員を激増させた。

 一方で外務省主流も親中派に傾き、チャイナスクールが跳梁跋扈した。小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である。

 次官、駐米大使、外務省顧問を歴任した栗山尚一宮内庁参与は『日本は永遠に謝罪し続けなければならない』という主旨の大論文を月刊誌『外交フォーラム』に連載(2006年1・2月)した。
 栗山氏によれば、首相が靖国参拝をやめても、ガス田、尖閣諸島、国連安保理常任理事国などすべての懸案問題で中国の譲歩は期待できないが、それでも謝れという。そもそも何も得ることが期待できない方針を『政策』と呼べるのだろうか。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/640.html

[近代史5] 名盤いろいろ
名盤いろいろ
https://musikvereinarchiv.blog.fc2.com/

名盤いろいろ別館
http://blog.livedoor.jp/musikvereinarchiv/


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・クラシック音楽の音源や、映像作品について書いているサイトです。
・別館では、演奏会や放送、書籍について書いています。

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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/857.html

[近代史5] クラシック音楽 一口感想メモ
クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/

クラシック音楽の感想メモを書いています。
主要作曲家の主要な器楽曲全ての感想を書くことを目標にしています!
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/858.html

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
25. 中川隆[-16072] koaQ7Jey 2021年7月24日 18:14:47 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[18]
米連銀は火に油を注ぎ続けるか?低所得者にインフレ直撃、フルタイム労働でもホームレスに=矢口新
2021年7月20日
https://www.mag2.com/p/money/1081219

米国では物価上昇に賃金アップが追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。(『相場はあなたの夢をかなえる ー有料版ー』矢口新)


中古車や住宅など身近な品目が値上がりする米国経済

米6月の消費者物価指数は前月比+0.9%、前年比+5.4%だった。コア指数は前月比+0.9%、前年比+4.5%だった。パンデミックからの需要の急回復に供給不足が重なり、前年比では、それぞれ約13年ぶり、約30年ぶりの伸び率だった。

半導体不足で自動車生産が滞り、中古車価格が19年比で+41%となるなど、国民に身近な品目も値上がりが続いている。

また、米4月のS&Pケース・シラー20都市住宅価格指数は、前月比+1.6%、前年比+14.9%だった。前年比では、1987年の統計開始以来の最高の伸び率を記録した。米5月の中古住宅販売価格中央値は、前年比23.6%の35万300ドルで、全米不動産協会が記録を取り始めた1999年以降で最大の上昇率となった。

そのため、レントも上がり、米国のどの州でも、どの郡でも、どの都市でも、フルタイムで週に40時間働く最低賃金労働者では、2ベッドルームの賃貸住宅の家賃が払えないことが、全米低所得者住宅連合の報告書でわかった。1ベッドルームの賃貸住宅でも、フルタイムの最低賃金労働者が家賃を払える郡は、全米で3,000以上ある郡の7%(218郡)だけとなった。
※参考:Minimum wage workers can’t afford rent anywhere in America – CNN(2021年7月15日配信)

回復遅れる労働市場。パウエル議長の「燃料」投下は続く
一方、米連銀のパウエル議長は「米経済は資産購入の縮小を開始できるだけの進展をまだ見せていない」と強調。「インフレは一時的なもの」で、警戒感を持ちながらも緩和的な金融政策を続けるとした。

パウエル議長が言及する経済回復の進展とは、労働市場の回復だ。ピーク時には2,500万人を超えていた失業保険の継続受給者が、先週発表の数値では324万1,000人にまで減少したが、まだ多いと言えば多い。

一方で、米5月のJOLTS求人件数は920万9,000件で、6月の雇用統計による5月の失業者数931万6,000人とほぼ一致していた。求職しながら求人に応じない理由としては、対人職の求人が多くコロナ感染が恐いため、失業手当を受け取っているため、子育て対策が不十分なためなどが挙げられている。

このことは、金融緩和により労働市場の回復がこれ以上進展するとしても、パウエル議長が望む水準にまで達成するには、相当期間を要することが見込まれることだ。

つまり、それまでは失業保険の継続受給者が2,500万人を超えていた時期と、同規模の金融緩和を継続する「懸念」があることを暗示している。

インフレの炎が、パウエル議長が見なしているように仮に「くすぶっている」だけだとしても、コロナ禍の最悪期に始めた、ほぼゼロ金利と大量の資金供給いう前代未聞の規模の「燃料」を注ぎ続けると言うのだ。

家賃高騰、週40時間労働でもホームレスに
ところが、米国にはインフレの鎮静化を相当期間も待てない人々がいる。

6月の住宅保護期限切れで、何百万人もの米国人が立ち退きに直面か、1,100万人以上の米国人たちが家賃を滞納している。そして、全国的な立ち退き強制禁止期間が期限切れとなる6月に、多くが自宅から追い出されるかも知れない。

CDCの立ち退き猶予9月から実施されていたが、6月30日に失効する。

立ち退き率は州によってバラツキが出る見込みだ。

例えば、予算と政策優先センターによれば、フロリダ州やサウスカロライナ州では賃貸者の4人に1人が家賃を滞納しているのに対し、メーン州やケンタッキー州では6%にとどまっている。

出典:Millions of Americans could face eviction as housing protection expires in June(2021年5月31日配信)

フルタイムで週に40時間働いてもホームレスになるとすれば、条件の合わない求人に応じることはできない。

米連銀の金融緩和でますます住宅価格が上がるとすれば、これ以上の労働市場の改善はむしろ望み薄になってくる可能性がある。

物価上昇に苦しむ低所得者、報酬が上がり続けるCEO
資産運用会社のブラックロックは、インフレ率の上昇を受け、9月からすべての従業員のベースサラリーを8%引き上げると報道された。状況次第では2022年初めにも追加で賃上げを行うという。

一方で、一般の米大企業の従業員たちはそこまで恵まれてはいない。

S&P500企業のCEOの平均報酬は昨年、平均的な労働者の給与の299倍だったと、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議が年次「役員報酬監視」報告書で発表した。

CEOたちは平均報酬総額1550万ドルを受け取った。過去10年間で毎年26万ドル以上の報酬増だった。その一方で、2020年の生産部門と非管理職の労働者の平均所得は4万3,512ドルで、過去10年間で毎年ほんの957ドルの上昇だった。

出典:Millions of Americans could face eviction as housing protection expires in June(2021年7月15日配信)

バイデン政権は大規模な財政出動の財源を賄うため、大企業や富裕層に増税を課すことはあっても、低中所得層に負担を強いることはないと公言してきた。しかし、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。

このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を「事実上」負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c25

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
32. 中川隆[-16071] koaQ7Jey 2021年7月24日 18:15:21 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[19]
米連銀は火に油を注ぎ続けるか?低所得者にインフレ直撃、フルタイム労働でもホームレスに=矢口新
2021年7月20日
https://www.mag2.com/p/money/1081219

米国では物価上昇に賃金アップが追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。(『相場はあなたの夢をかなえる ー有料版ー』矢口新)


中古車や住宅など身近な品目が値上がりする米国経済

米6月の消費者物価指数は前月比+0.9%、前年比+5.4%だった。コア指数は前月比+0.9%、前年比+4.5%だった。パンデミックからの需要の急回復に供給不足が重なり、前年比では、それぞれ約13年ぶり、約30年ぶりの伸び率だった。

半導体不足で自動車生産が滞り、中古車価格が19年比で+41%となるなど、国民に身近な品目も値上がりが続いている。

また、米4月のS&Pケース・シラー20都市住宅価格指数は、前月比+1.6%、前年比+14.9%だった。前年比では、1987年の統計開始以来の最高の伸び率を記録した。米5月の中古住宅販売価格中央値は、前年比23.6%の35万300ドルで、全米不動産協会が記録を取り始めた1999年以降で最大の上昇率となった。

そのため、レントも上がり、米国のどの州でも、どの郡でも、どの都市でも、フルタイムで週に40時間働く最低賃金労働者では、2ベッドルームの賃貸住宅の家賃が払えないことが、全米低所得者住宅連合の報告書でわかった。1ベッドルームの賃貸住宅でも、フルタイムの最低賃金労働者が家賃を払える郡は、全米で3,000以上ある郡の7%(218郡)だけとなった。
※参考:Minimum wage workers can’t afford rent anywhere in America – CNN(2021年7月15日配信)

回復遅れる労働市場。パウエル議長の「燃料」投下は続く
一方、米連銀のパウエル議長は「米経済は資産購入の縮小を開始できるだけの進展をまだ見せていない」と強調。「インフレは一時的なもの」で、警戒感を持ちながらも緩和的な金融政策を続けるとした。

パウエル議長が言及する経済回復の進展とは、労働市場の回復だ。ピーク時には2,500万人を超えていた失業保険の継続受給者が、先週発表の数値では324万1,000人にまで減少したが、まだ多いと言えば多い。

一方で、米5月のJOLTS求人件数は920万9,000件で、6月の雇用統計による5月の失業者数931万6,000人とほぼ一致していた。求職しながら求人に応じない理由としては、対人職の求人が多くコロナ感染が恐いため、失業手当を受け取っているため、子育て対策が不十分なためなどが挙げられている。

このことは、金融緩和により労働市場の回復がこれ以上進展するとしても、パウエル議長が望む水準にまで達成するには、相当期間を要することが見込まれることだ。

つまり、それまでは失業保険の継続受給者が2,500万人を超えていた時期と、同規模の金融緩和を継続する「懸念」があることを暗示している。

インフレの炎が、パウエル議長が見なしているように仮に「くすぶっている」だけだとしても、コロナ禍の最悪期に始めた、ほぼゼロ金利と大量の資金供給いう前代未聞の規模の「燃料」を注ぎ続けると言うのだ。

家賃高騰、週40時間労働でもホームレスに
ところが、米国にはインフレの鎮静化を相当期間も待てない人々がいる。

6月の住宅保護期限切れで、何百万人もの米国人が立ち退きに直面か、1,100万人以上の米国人たちが家賃を滞納している。そして、全国的な立ち退き強制禁止期間が期限切れとなる6月に、多くが自宅から追い出されるかも知れない。

CDCの立ち退き猶予9月から実施されていたが、6月30日に失効する。

立ち退き率は州によってバラツキが出る見込みだ。

例えば、予算と政策優先センターによれば、フロリダ州やサウスカロライナ州では賃貸者の4人に1人が家賃を滞納しているのに対し、メーン州やケンタッキー州では6%にとどまっている。

出典:Millions of Americans could face eviction as housing protection expires in June(2021年5月31日配信)

フルタイムで週に40時間働いてもホームレスになるとすれば、条件の合わない求人に応じることはできない。

米連銀の金融緩和でますます住宅価格が上がるとすれば、これ以上の労働市場の改善はむしろ望み薄になってくる可能性がある。

物価上昇に苦しむ低所得者、報酬が上がり続けるCEO
資産運用会社のブラックロックは、インフレ率の上昇を受け、9月からすべての従業員のベースサラリーを8%引き上げると報道された。状況次第では2022年初めにも追加で賃上げを行うという。

一方で、一般の米大企業の従業員たちはそこまで恵まれてはいない。

S&P500企業のCEOの平均報酬は昨年、平均的な労働者の給与の299倍だったと、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議が年次「役員報酬監視」報告書で発表した。

CEOたちは平均報酬総額1550万ドルを受け取った。過去10年間で毎年26万ドル以上の報酬増だった。その一方で、2020年の生産部門と非管理職の労働者の平均所得は4万3,512ドルで、過去10年間で毎年ほんの957ドルの上昇だった。

出典:Millions of Americans could face eviction as housing protection expires in June(2021年7月15日配信)

バイデン政権は大規模な財政出動の財源を賄うため、大企業や富裕層に増税を課すことはあっても、低中所得層に負担を強いることはないと公言してきた。しかし、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。

このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を「事実上」負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c32

[番外地9] 財政出動をやると家賃や生活必需品が暴騰し高所得者層以外はホームレスになる
財政出動をやると家賃や生活必需品が暴騰し高所得者層以外はホームレスになる
米連銀は火に油を注ぎ続けるか?低所得者にインフレ直撃、フルタイム労働でもホームレスに2021年7月20日
米国では物価上昇に賃金アップが追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

米6月の消費者物価指数は前月比+0.9%、前年比+5.4%だった。コア指数は前月比+0.9%、前年比+4.5%だった。パンデミックからの需要の急回復に供給不足が重なり、前年比では、それぞれ約13年ぶり、約30年ぶりの伸び率だった。

半導体不足で自動車生産が滞り、中古車価格が19年比で+41%となるなど、国民に身近な品目も値上がりが続いている。

また、米4月のS&Pケース・シラー20都市住宅価格指数は、前月比+1.6%、前年比+14.9%だった。前年比では、1987年の統計開始以来の最高の伸び率を記録した。米5月の中古住宅販売価格中央値は、前年比23.6%の35万300ドルで、全米不動産協会が記録を取り始めた1999年以降で最大の上昇率となった。

そのため、レントも上がり、米国のどの州でも、どの郡でも、どの都市でも、フルタイムで週に40時間働く最低賃金労働者では、2ベッドルームの賃貸住宅の家賃が払えないことが、全米低所得者住宅連合の報告書でわかった。1ベッドルームの賃貸住宅でも、フルタイムの最低賃金労働者が家賃を払える郡は、全米で3,000以上ある郡の7%(218郡)だけとなった。

回復遅れる労働市場。パウエル議長の「燃料」投下は続く
一方、米連銀のパウエル議長は「米経済は資産購入の縮小を開始できるだけの進展をまだ見せていない」と強調。「インフレは一時的なもの」で、警戒感を持ちながらも緩和的な金融政策を続けるとした。

家賃高騰、週40時間労働でもホームレスに
ところが、米国にはインフレの鎮静化を相当期間も待てない人々がいる。

6月の住宅保護期限切れで、何百万人もの米国人が立ち退きに直面か、1,100万人以上の米国人たちが家賃を滞納している。そして、全国的な立ち退き強制禁止期間が期限切れとなる6月に、多くが自宅から追い出されるかも知れない。
フルタイムで週に40時間働いてもホームレスになるとすれば、条件の合わない求人に応じることはできない。

米連銀の金融緩和でますます住宅価格が上がるとすれば、これ以上の労働市場の改善はむしろ望み薄になってくる可能性がある。

物価上昇に苦しむ低所得者、報酬が上がり続けるCEO
S&P500企業のCEOの平均報酬は昨年、平均的な労働者の給与の299倍だったと、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議が年次「役員報酬監視」報告書で発表した。

CEOたちは平均報酬総額1550万ドルを受け取った。過去10年間で毎年26万ドル以上の報酬増だった。その一方で、2020年の生産部門と非管理職の労働者の平均所得は4万3,512ドルで、過去10年間で毎年ほんの957ドルの上昇だった。

バイデン政権は大規模な財政出動の財源を賄うため、大企業や富裕層に増税を課すことはあっても、低中所得層に負担を強いることはないと公言してきた。しかし、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。

このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を「事実上」負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

▲△▽▼

利子付き国債発行、公共事業や企業への援助では需要は増えない
家や車を買った金はすべて資本家の所に行くから、最終的には給料の安い介護士には何も残らないで、国債発行で増えた金はすべて資本家が独占する。 今欧米でリアルタイムで起きている事です:

コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日

 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。

米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。

 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増
マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増
マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増
イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増
セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増
ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増
スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増
フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増
ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増
ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増
マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。

 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。
________

財政出動で労働者が貰った金はすぐに使われて後には何も残らない。
最終的に資本家の所に集まった金は株と不動産を買うのに使われるから、今のアメリカみたいなバブル経済になる。労働者の賃金は上がらないで物価と株価と不動産価格だけが上がるから、労働者は更に貧困化する。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/641.html

[番外地9] 旭川では児童売春と中高生や先生の変死が相次いでます。 それから掲示板やマスコミでは何億円もかけて隠蔽工作がなされています
旭川では児童売春と中高生や先生の変死が相次いでます。 それから掲示板やマスコミでは何億円もかけて隠蔽工作がなされています。被害者の母親も明らかな嘘を言って隠蔽工作に参加しています。
従って単なるイジメ事件ではないです。
プチエンジェル事件と同じ組織犯罪としか考えられないですね。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/642.html
[番外地9] 林千勝先生の yudaya 陰謀論は 1945年から全然進歩してないよ
林千勝先生の yudaya 陰謀論は 1945年から全然進歩してないよ
現在は資本主義が既に破綻したグレートリセットの時代だからね。
中国もソ連も共産主義でなく単なるファシズム・全体主義・国家社会主義だよ
マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事。
ソ連や中国みたいな階級社会はマルクス主義じゃない。単に建前だけ、我が国は民主主義だ、共産主義だ、と言って支配を正当化しているだけだ:

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。
その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

保守派やMMT論者の経済政策は貧富の差を拡大し階級社会を完成させ資本主義経済を破綻させる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

アメリカはドルの貨幣価値が毎年毎年下がっているから GDP や株価が上がっているだけだよ、実質価格は上がっていない。
そもそもGDPの大部分は資本家の所得だから、GDPがいくら増えても労働者が豊かになる訳じゃない。
アメリカみたいに労働者の賃金が上がらないでGDPだけ増えるというのは、労働者が毎年、毎年貧しくなっているという事だ。
日本みたいに労働者の賃金が上がらなくてもGDPが増えない場合は格差の拡大が少ないという事だ。

アメリカみたいにワンルームマンションの賃料が月30万円、虫歯治療が10万円になったら年収が1000万円でも生活が苦しいんだよ。
日本も高度成長時代は chousen戦争やベトナム戦争の戦争特需で輸出が増えていたからGDPも上がっていただけだ。
プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったから GDPが上がらなくなっただけだよ。
人口も増えない、輸出も増えない、貨幣価値も変わらない、ではGDPが増える方がおかしいんだ。
GDPが増える必要なんかない。
公共事業をやってもその金は最終的にはすべて資本家の所に行ってしまうから、労働者はますます貧しくなる。
大事なのは経済成長する事ではなく、労働者への所得分配率を上げる事だ。

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奥の院が現在必死に推し進めている反共対策が資本主義のグレートリセット

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。
理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。
今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです:
デジタルIDを推進することを目指すNGO、「ID2020」が存在する。ビル・ゲーツのマイクロソフト、Gavi、あるいはロックフェラーやロスチャイルドといった富豪が参加したプログラムで、2019年9月にニューヨークで開かれたID2020の総会で2020年から新しいプログラムを始めることを決めている。デジタルIDをテストする場所として決まったのはバングラデシュだった。

 デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートが必要なくなるだけでなく、日常の生活も一括管理されることになる。1980年代からアメリカの軍、治安機関、情報機関などは個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどの個人データを収集、分析するシステムを開発、実用化してきたのだが、そうした個人データを一括管理する仕組みの中にデジタルIDも組み込まれることになるだろう。
ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 そのWEFはロックダウンが世界の都市を改善しているとツイット。彼らによると、地球に悪い影響を与えてきた人間の活動をロックダウンは緩和したと評価しているのだが、人間にかぎらず、生命活動は生態系へ何らかの影響を及ぼす。どこかで折り合いをつけなければならない。そうでなければ、人類は死滅しなければならないということになる。ビル・ゲーツやテッド・ターナーたちが人口削減を口にするのは必然かもしれない。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

 そのリセットを実行する主体になりそうな団体が創設された。リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」で、ローマ教皇庁との連携を謳っている。その中心グループにはロックフェラー財団のラジブ・シャー、フォード財団のダレン・ウォーカー、あるいはイングランド銀行元総裁のマーク・カーニーも含まれている。

 この団体の背後には強大な私的権力のネットワークが存在しているのだが、目指している方向は、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)と同じだろう。こうした協定にはISDS(投資家対国家紛争解決)条項が含まれ、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。強大な私的権力が各国の政府を上回る力を持つ体制だ。

 ウォール街と敵対関係にあったフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて語っている。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる」としたうえで、「個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ」としている。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/643.html

[番外地9] 警察が捜査すればすぐにわかる事ばかりなので、通報する意味も無いですね。 中川隆
2. 中川隆[-16070] koaQ7Jey 2021年7月24日 19:52:42 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[20]
​ @Bob Poor
具体的な証拠は警察が調査すればすぐにわかります。
問題は、プチエンジェル事件がそうでしたが、警察自体が隠蔽する側に回って、調査をさせない事です。

旭川の女子中高生の自殺数もマスコミで報道されていないものが殆どなので実数はわかりません。 特別な場合以外は自殺であっても普通の事故死としてしまうのです。
変死した女性教師も報道禁止になっていて、掲示板で名前を出すとすぐに削除されるそうです:

▲△▽▼

爆サイ 誰も触れない旭川女性教員自殺事件!
#1 2021/06/30 18:36
ABCDEの暴走族が関与してる噂があるな

#7 2021/06/30 18:43
もう死者だらけなんじゃない?
自殺と言ってしまえば良いみたいな
公園に遺体は放り投げて処理みたいな

#13 2021/06/30 18:55
自殺じゃないよ。金子と戦った先生だった

#15 2021/06/30 19:16
金子が在籍していた学校と生徒・教師の自殺・不審死の関係を掘っていけば何か出るだろ

#21 2021/07/03 17:12
>>0
これ…
いつの自殺ですか⁉️
最近、Twitterで助けを求めてる旭川の女性教師が居たんだけど。。

他の教師の前で自殺未遂をしても自殺とかを上の方に全く報告すらされずに揉み消されて辛いって伝えて来てました…

心配で、やりとりはしてたけど「もう駄目かも」って伝えて来たっきり何も連絡が取れてません❗️
心配しています。。

#25 2021/07/03 17:21
2015年6月の女子中学生トイレ自殺、同年7月の女子中学生の公園絞殺事件は出てくるけど女性教員の事件は何故か出てこない

#27 2021/07/03 17:51
ここでたまに見るけど、証拠付きは出てこないね!
消されて、隠蔽されたのかな?
さあやさんの証拠らしきTwitterのログ?やここでの書き込み消されてるの
見ているから、当時不味い物はみんな消されてるのかな?とも思う!

#32 2021/07/03 18:06
たしかこの先生は学校のいじめをやめさせようと注意してたひとだったはず
鬼女に書き込みあったとおもう
明らかにこれも自殺を偽装されてるよね

#33 2021/07/03 18:09
旭川は自殺が多いと言うより
自殺に見せた他殺が多いんだろうね

今までは旭川では北朝鮮状態だったからバレなかった
文春がナイスだった
#29 2021/07/03 17:58
金子さんが絡んでるんですね
戦った人は〇されるよ

川の目撃者と同じ
旭川はまさに地獄
皆分かってる

#28 2021/07/03 17:54
川の目撃者、飛び込み通報の方って40歳だったのか!
まだ若いじゃん

#47 2021/07/04 10:58
>>28
主婦で病死。。
そりゃ無いやろ!!
まさか殺害してんじゃねーのか!?
何も情報が入って来ないぞ。。
まさか警察官、関与してねーよな?

#34 2021/07/03 18:14
>>0
永山で起きたやつ?
女教師は絞殺だったとか他スレで見た記憶があるけど?

#35 2021/07/03 18:16
遺書がないから変死か

#39 2021/07/03 19:20
この事件も元校長が関与している疑いがあるという。そりゃ「あー亡くなった子ね」という返答になるわな。

#52 2021/07/04 11:56
H30年に永山中学で女子生徒2名が
女子トイレで1名自殺、永山中学敷地内にある公園で1名絞め殺ろされてる
この2名の女子生徒に関係するいじめを止めようとしていたとされるのが
この女性教師であると当時言われていたとおもう
ワイもそのような書き込みをみたことあるけど、もうすべて消されてるとおもう
この女性教師の死亡に関しては報道すらされていないはず

まじで触れてはいけないタイプの闇やぞ

#53 2021/07/04 12:01
>>52
自分もその書き込み見たわ。その2つの事件についても4月18日までは普通にネットで情報見れたのに4月19日からは何故かネットで情報ヒットしなくなって一部の書き込みが残っているだけだからな。

#54 2021/07/04 13:14
関連性あるべ

#55 2021/07/04 13:35
>>54
あるな。
絶対にある。
さもなきゃ、書き込みが削除されるなんて、不自然過ぎるだろ?

#57 2021/07/04 13:57
その女性教師が集団ストーカーにあって自殺に追い込まれたといった内容の書き込みを見た気がします

#60 2021/07/04 14:05
ここ旭川に住む人間達って女性を蔑視しているんだろうな💢
多分、道具や性殖器みたいな?

だから壊れたら、また探して調達すればいいんだって感じで。。
確か晒されたガキのスマホにも書いてあったよな❗️

誰だったけなぁ。。
誰かが庇ってたような気がするんだが。。

#61 2021/07/04 14:13
村上菜々枝殺したの青笹仁と、小野教諭ダロ、死亡診断書には脳血管肥大と書いてあったが、 他殺、自殺かわからん。

#62 2021/07/04 14:17
神楽オカ小學校殺人事件は小野のチンコが主犯です。

#64 2021/07/04 14:22
旭川市神楽オカ小學校の女性教諭死亡は小野教諭のチンコが主犯、時効になっておりますけど、

#67 2021/07/04 14:31
被害者は村上菜々枝小學校教諭、加害者は小野○一小學校教諭、当時、指導教諭旭川市青x仁、副犯

#80 2021/07/04 16:34
>>65
永〇という場所の闇のこと知っていれば
だれも地元では弁護引き受けないでしょうね道外の弁護士に頼まないとだめ
ほかスレにもありましたが永山で見つかった死体は事件性なしの自殺として処理るようですね
永山中学の敷地内公園で見つかった子だけは絞殺だったけど捜査されたかどうかは不明

#137 2021/07/05 22:30
教師が自殺したのはいつなのかな
生徒の2人は大島てるに出ているね
不明なことが多すぎる

#138 2021/07/05 22:32
絞殺じゃなかったか?

#155 2021/07/06 16:42
どこの学校の先生?名前は?

#156 2021/07/06 16:51
>>155
2018年にお亡くなりになったのは永山中学の女性教師です
報道などが一切なされておらず地元の方に聞くしかないようです

#157 2021/07/06 16:56
>>156
なんでまたねぇ・・
大島てるで、その学校って確かトイレで自殺とか、絞殺とかあったところかしらね?

#159 2021/07/06 17:03
>>157
それであってますよ

#182 2021/07/07 03:32
自殺ってことにされた方
1年の学年主任で家庭科の先生であってる??

#183 2021/07/07 09:09最新レス
2018年のこの事件に関することは完全に後から消されるから
重要な情報は魚拓とっておけよ

#163 2021/07/06 18:51
いくらなんでも殺しすぎ
隠蔽もここまでくると麻痺してるな

#167 2021/07/06 18:55
旭川市民は脅かされて口をつぐむしかないのか、それとも全く知らないのか、どっちなんだ?

#168 2021/07/06 18:57
因みに10年間で何人が…とかあるの?若い女性

#170 2021/07/06 19:08
旭川を良くしようとかより逃げ出した方が早いし楽
評判とか当分変わらないだろうし

#171 2021/07/06 19:14
>>170
当分どころか。。
永遠に変わらないような気がしてる!

だって、あの家系は引き継いでいるんだよ。。。
怖いよね!

#180 2021/07/06 23:32
噂だと旭川市では、半年に1人のペースで女子学生が亡くなっているという。。
ホントなのかも知れません…
怖いですね。。

#181 2021/07/06 23:36
もういろいろ経験積んで来てるから、適当にやって、
誰かがなんか言おうモノなら、
『はぁ〜っ💢』
と威嚇すりゃ黙るだろうと、タカを括ってんだろうよ。

事実、旭川市民は、
昨今の、子供達の不審死や、この女教師の死についても、警察が発表したコトだけを、鵜呑みにして、流して来た経んだろ?
立て続けに、何人死ぬなんて、それこそ異常事態たろうにさ。

#60 2021/07/04 14:05
ここ旭川に住む人間達って女性を蔑視しているんだろうな💢
多分、道具や性殖器みたいな?

だから壊れたら、また探して調達すればいいんだって感じで。。
確か晒されたガキのスマホにも書いてあったよな

#102 2021/07/05 08:09
>>60
そういう奴って女性だけでなく他人は全部道具だと思ってるよ。利用することしか考えてない。
音楽や映画で泣いて見せるのが武器だったりする。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/611.html#c2

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
50. 中川隆[-16069] koaQ7Jey 2021年7月24日 20:51:46 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[23]
【ゆっくり解説】ゾっとする本当に怖い事故物件



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c50
[近代史5] パラレルワールドに迷い込んだ10人のヤバい体験談
【ゆっくり解説】パラレルワールドに迷い込んだ10人のヤバい体験談まとめ
2021/06/26




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/859.html

[近代史5] 古事記

古事記(現代語訳・口語訳の全文)
https://nihonsinwa.com/column/novel/22.html

古事記(原文)
http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/860.html

[近代史5] 訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―
訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyo_k.html#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/861.html
[近代史5] 伊勢物語
伊勢物語 全章徹底解読 音声つき
https://ise.kaisetsuvoice.com/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/862.html
[番外地9] 警察が捜査すればすぐにわかる事ばかりなので、通報する意味も無いですね。 中川隆
4. 中川隆[-16068] koaQ7Jey 2021年7月25日 08:18:40 : z3NCQwUcQA : UlBPM09ZOFNJUlE=[1]
僕のコメントを読む人間は一人も居ないんだろ。
だったらどんなデタラメを書いても影響力ゼロだ。
そもそもチャンネル桜とか正論は連日悪質なデマを垂れ流しているんだから、批判するなら僕ではなくチャンネル桜や正論にしろよ。

アイヌが先住民ではないとか、
天皇は万世一系だとか、
徴用工の待遇が良かったとか、
南京大虐殺は無かったとか、
近衛文麿が太平洋戦争開戦の責任者だとか、
共産主義はグローバリズムと同じだとか、

すべて許せない嘘だろ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/611.html#c4

[近代史5] 世阿弥の能
世阿弥の能

立命館大学能楽部 - 文章倉庫
http://2style.jp/ritsnoh/readings.html

世阿弥の代表作

世阿弥は数多くの謡曲を残している。謡曲とは、能における節と詞(ことば)、または能の脚本(謡本)そのものを指す。

弓八幡
高砂
老松
実盛
頼政(平家物語)
忠度(平家物語)
清経(平家物語)
敦盛(平家物語)
八島(平家物語)
井筒(伊勢物語)
恋重荷
錦木


当麻
野守(万葉集の歌が典拠)
鍾馗
鵺(ぬえ:平家物語)
桜川
花筐(はながたみ)
葦刈(あしかり)
春栄
西行桜(さいぎょうざくら)
檜垣(ひがき)
木賊(とくさ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/866.html

[近代史5] 宮沢賢治童話集
宮沢賢治童話集

【全文】『宮沢 賢治』名作童話作品集 一覧【全99話】
https://origamijapan.net/origami/2019/11/29/miyazawa-000/#toc7
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/868.html

[近代史5] 石川啄木 一握の砂・悲しき玩具

石川啄木 一握の砂
https://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html

石川啄木 悲しき玩具―一握の砂以後―
https://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/815_20544.html



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/869.html

[近代史5] 中原中也 在りし日の歌・山羊の歌
中原中也 在りし日の歌 亡き児文也の霊に捧ぐ
https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/219_33152.html

中原中也 山羊の歌
https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/894_28272.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/870.html

[近代史5] 泉鏡花 小説集
泉鏡花 小説集

高野聖
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/521_20583.html

照葉狂言
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1131

外科室
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/360_19397.html

歌行燈
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/3587_19541.html

夜行巡査
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/897_20742.html

春昼
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/2296_23810.html

春昼後刻
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/46532_23812.html

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泉鏡花おすすめ代表作6選!覗いたことはあるか、この世界
更新:2017.1.10
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1131

泉鏡花といえば、幻想文学の先駆けとして有名です。泉鏡花は独特な世界観のもと、彼なりの「ロマン」を描き、そしてその世界観を、高い表現力で余すことなく表現していました。そんな彼の、独特な世界観を持つ作品を6つ、ご紹介していきます。

泉鏡花おすすめ代表作6選!幻想文学の先駆者!

泉鏡花、という名前はそもそもペンネームで、その名前から受ける印象とは裏腹に、本人は男性です。本名は鏡太郎。彼は潔癖症としても有名で、生ものは一切口をつけなかったそうです。

彼の作品中には奇怪なことが数多く登場しますが、それは彼の怪奇趣味から来るものです。しかしながら、その繊細かつ写実的な描写は、泉鏡花の作品を現代に至るまでしっかりと印象付けており、今でこそ数多く存在している幻想文学の先駆者として評価されています。

『高野聖』 作家「泉鏡花」を形作った短編
『高野聖』は、泉鏡花が作家として成功するきっかけとなった短編になります。語りの軽妙さ、物語の面白さもさることながら、何より評価されているのはその表現の豊かさです。物語には、泉鏡花最大の魅力である多くの形容詞を用いる語彙力の高さが存分に生かされており、読み終えるころには、彼が形作る世界のとりことなっていることでしょう。

「私」は、旅の道連れとなった高野山の僧侶の話に耳を傾けていました。彼は、ひどく奇怪な体験をしたのだというのです。天生峠で恐ろしい蛇にあった僧侶は、なんとか逃げ切り、妖艶な美女にいる家屋で一夜を過ごしました。一夜明け、帰路を進む僧侶でしたが、女のことが忘れられず、戻ろうとします。しかしそのとき、馬引きの親方と鉢合わせし、彼から衝撃の事実を聞かされることになるのです。

『高野聖』は短いストーリーながらも、小説のよさがしっかりと詰まっており、泉鏡花という作家を知るうえで最適な一作だといえるでしょう。



『照葉狂言』 母を失った悲しみを鮮明に描く
『照葉狂言』は、母を失った傷を引きずり続ける男の半生を描いた作品です。元は新聞で連載されていた作品で、泉鏡花特有の幻想的な表現はそれほどないもの、彼特有のテンポのよい文章は健在です。

母を失った男は、叔母に育てられながらも毎日芝居を見るのが日課となっていました。「雪」という女性は男にとって好感のもてる琴奏者だったのですが、母の死後からその音色を聴くことはできていませんでした。節約家で知られる叔母は雪のことをあまり快く思っておらず、育てられている手前、叔母の顔もあって、雪に想いを告げることができないでいました。

『照葉狂言』においては、叔母と雪が対立する女性として、その間にいる主人公の生き様をありありと描いています。文章を読むと、そのすみずみに男が幼いころ失った母の痕跡を読み取れることでしょう。これは泉鏡花自身、母を失った悲しみを映しとっているために、写実的で、雄弁に男の心情を語りきっているのです。男の結末はぜひ本を開いて確かめてみてください。

『外科室』 人の感情の美しさ、そのロマン
『外科室』は、泉鏡花が最初に評価された作品といってもよいでしょう。『高野山』よりも前の作品であるため、怪奇趣味の活かされた幻想文学ではありませんが、泉鏡花独特のセンスによるロマンシティズムには、思わず息をのんでしまうこと間違いなしです。

画家である「私」は、医者の友人を持っていました。彼の手術を見学することになった私ですが、その日の患者である夫人が困った患者だったのです。手術をするのですから身体を裂かねばならないのですが、なんと彼女は麻酔を受け付けようとしないのでした。彼女が言うには、心に秘密があるので、麻酔を受けてしまうとそれを喋ってしまうので、麻酔などいらない、とのことでした。そこまでして、麻酔を拒む「秘密」とは何なのでしょうか。

読後には、泉鏡花が考える、人の感情の美しさに胸を打たれることでしょう。一度かなわぬ片思いをしたことがある人には、特におすすめの作品となっています。

『歌行燈』 能と謡を背景に、「芸」に賭ける人間の心を描く
『歌行燈』は、泉鏡花が愛した「能」が深く物語に関わっている物語です。泉鏡花自身が「芸」を仕事にしている人物であるがゆえ、それに命を懸け、全身全霊を込めることの美しさとロマンを彼自身の現身としての主人公の内面でしっかりと語っています。

主人公喜多八は、謡の師匠と腕比べの末、自殺に追い込んだため、能を二度としないという罰則を受けて勘当されていました。そんなある日、師匠の娘であるお三重と出会う主人公。能を禁じられていた主人公でしたが、芸者となったお三重の前にして感情を抑えきれなくなり……

今でも続く伝統芸である、能。芸の世界の奥深さを泉鏡花の幻想的な文体に乗せて読んでみてください。特に、誰にも譲れない一芸がある、というものがある、もしくはあった、という人は是非手に取ってみてはどうでしょうか。



『夜行巡査』 融通の利かない男の悲劇を描く
『夜行巡査』は、『外科室』と同時期に発表された作品で、泉鏡花が高い評価を受けるための基盤となりました。物語の主人公である八田巡査はひどく生真面目で、どんな職務も警察官として全うしています。彼の性格設定である「融通の利かなさ」「真面目さ」というものがこの短編の大きなテーマとなっていまして、これは当時から日本人特有の民族病のようなものだったのではないか、という考察すらも出来ます。初期の方の作品であるため『高野山』のような怪奇な雰囲気はありませんが、やはり軽妙な、能や謡のような語り口は健在でありました。

主人公、八田巡査はいつも通り、丁度深夜零時に署を出ました。見回りが彼の職務なのですが、そんなある日、酔っ払いに突っかかられることになります。酔っ払いは八田巡査の想い人の叔父で、逆恨みから決して巡査との仲を認めようとしない頑固者でした。彼は叔父と口論するうちに、叔父が池に落ちてしまい……

融通の利かない、ともすれば生真面目すぎる八田巡査が、どんな考え方をして、どんな結末に至るのか、身近な真面目な人を思い浮かべながら読んでみると、その人の人生や、その人との付き合い方を考えるいい機会になると思います。

『春昼』 狂うほどに焦がれる思いの行方は……
ほかほかと、でも少し汗ばむような春の日のさす山間を散策する散策人。目指す山寺についた彼は寺の中に貼ってある一枚の札に興味をそそられます。

「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき  玉脇みを」

そこに寺の僧がやってきて、ふたりは腰を落ち着け世間話に興じます。そしてその世間話は札の女人に心を奪われ命を落とした一人の男「客人」の話へと変わっていくのです。

『春昼』はこの二人の世間話で終始するのですが、二人の対話がテンポよく、親しみやすいタッチで描かれているので、僧の話に強く興味を示す散策人におかしみを感じながら、身近な感覚で読み進められます。

『春昼後刻』は摩訶不思議な物語を聞き終え寺を後にした散策人が、先ほど僧が語っていたうわさの女人「みを」と出会うところから始まります。「みを」は夫のいる身ですが、胸に恋い焦がれる想い人の存在があります。『春昼』で「みを」を想い、焦がれ死んだ「客人」はその想い人とどこか似通っていたのです。そして散策子も……。

狂うほどに焦がれる相手にはどうしても会えない……。せめて身近にいる似た男性を探し、我が心を慰めている、そんな日々を送っていると、散策子に語るのです。

「みを」の現実と夢が交差し語りは終焉に向かいます。

はたして、焦がれる相手とその相手に似た男の狭間で「みを」の心は本当に慰められたのでしょうか……。ふわふわと漂う感のある「みを」の精神愛のなかに、現実身を帯びた愛への問いかけがあるように感じるのです。

泉鏡花の作品はどれも表現が巧みで、かつ、語り口がはっきりとしています。これは、泉鏡花自身が能に造詣が深かったため、言葉のリズムのようなものをしっかりと意識しているからでしょう。彼の作品は現代で見ると古語として扱われるものが多いのですが、彼が意識したであろうリズムを想像しながら読んでみてください。見た目よりも読みやすく、すいすいと読み進めることが出来るでしょう。面白い物語を読みながら、こんなに言葉のリズムを考えられることに、感心してしまうこと間違いなしです。
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1131

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[近代史5] インターネットの電子図書館、青空文庫
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 青空文庫は、誰にでもアクセスできる自由な電子本を、図書館のようにインターネット上に集めようとする活動です。
 著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストとXHTML(一部はHTML)形式に電子化した上で揃えています。
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[近代史5] 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)怪談集
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[近代史5] 説経節
説経節

小栗判官 現代語訳
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伊藤比呂美【説経節】
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[近代史5] 柿本人麻呂が詠んだ歌
柿本人麻呂が詠んだ歌
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[近代史5] 旧約聖書・新約聖書
旧約聖書・新約聖書
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[近代史5] 訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による― 中川隆
1. 中川隆[-16067] koaQ7Jey 2021年7月25日 13:03:23 : z3NCQwUcQA : UlBPM09ZOFNJUlE=[2]
たのしい万葉集: 巻ごと(巻1〜20)
https://art-tags.net/manyo/volume.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/861.html#c1
[近代史5] トマス福音書
トマス福音書
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html


これらは生けるかたであるイエスが語り、デドモ.ユダ.トマスが書き記した秘密の言葉である。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/880.html

[近代史5] マグダラのマリアによる福音書

神話17 『マリヤによる福音書』
『ベルリン写本』より
http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth017.html


マグダラのマリアによる福音書
ベルリン写本
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/urchristentum/Gospel_of_Mary_Magdala.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/882.html

[近代史5] 人の子の最も秀れたる 聖イッサ伝
人の子の最も秀れたる 聖イッサ伝
http://yusan.sakura.ne.jp/library/issa/


1898年、ロシアのジャーナリスト、ニコラス・ノートヴィッチ著『知られざるイエス・キリスト伝』(La Vie inconnue de Jesus Christ)より。
チベットで発見されたという、イエスのインド修行時代の伝記。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/883.html

[近代史5] ソポクレス『オイディプス王』
ソポクレス『オイディプス王』
https://ameblo.jp/kosmosskene-biosparodos/theme-10104549485.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/884.html
[近代史5] エウリピデス『バッコスの信女たち』
エウリピデス『バッコスの信女たち』
https://ameblo.jp/kosmosskene-biosparodos/theme-10101826672.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/885.html
[近代史5] ホーマー イーリアス

ホーマー Homer
イーリアス ILIAS
土井晩翠訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001099/files/46996_40612.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/886.html
[番外地9] 警察が捜査すればすぐにわかる事ばかりなので、通報する意味も無いですね。 中川隆
5. 中川隆[-16066] koaQ7Jey 2021年7月25日 14:21:48 : z3NCQwUcQA : UlBPM09ZOFNJUlE=[3]
警察が再捜査しない限りは確定的な事は何も言えないと言ったろ。
現在旭川事件について扱っている人の話で信頼できるものは一つも無い。
というより何が事実か全くわからないからみんな独自の考察をしているんだ。
明確な証拠が無ければ何も言ってはいけないというなら、警察はもう二度と再捜査しないからこの事件は事件性無しという警察の最初の結論で終わってしまう。

お前みたいな工作員はそういう方向に持って行きたいんだろ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/611.html#c5

[近代史5] ダンテ 神曲
アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante
山川丙三郎訳
神曲 LA DIVINA COMMEDIA


01 地獄
https://www.aozora.gr.jp/cards/000961/files/4618_13199.html

02 浄火
https://www.aozora.gr.jp/cards/000961/files/42184_16641.html

03 天堂
https://www.aozora.gr.jp/cards/000961/files/4820_20588.html



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/887.html

[近代史5] レオナルド・ダ・ヴインチの手記
レオナルド・ダ・ヴインチの手記
―― Leonardo da Vinci ――
芥川龍之介訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/002016/files/59231_67732.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/888.html
[近代史5] シェークスピヤ ロミオとヂュリエット
シェークスピヤ William Shakespeare
ロミオとヂュリエット ROMEO AND JULIET
坪内逍遙訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000264/files/42773_39853.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/889.html
[近代史5] ゲーテ ファウスト
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe
ファウスト FAUST. EINE TRAGODIE
森鴎外訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001025/files/50909_49238.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/890.html
[近代史5] ヘルダーリン詩集
フリードリヒ・ヘルダーリン Friedrich Hölderln 詩集


Hoelderlin  "Am Quell der Donau"
ドナウの水源で
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/helden/poet/hoelderlin1.htm

Hoelderlin  "Germanien"(1801)
ゲルマニア
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/helden/poet/hoelderlin2.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/891.html

[近代史5] 林 芙美子 放浪記
林 芙美子 放浪記(初出)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000291/files/45649_26591.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/892.html
[近代史5] 生田春月訳 ハイネ詩集
生田春月訳 ハイネ詩集

生田春月(1892-1930年)?譯の「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)。
底本:ハイネ詩集(新潮文庫,第三十五編),新潮社出版,昭和八年五月十八日印刷,昭和八年五月廿八日發行,昭和十年三月二十日廿四版。

ハイネ詩集
ハイネ 原著
生田春月 譯
https://web.archive.org/web/20040816223045/http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/heine/heine-toc.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/893.html

[近代史5] エドガー・アラン・ポー作品集
エドガー・アラン・ポー作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person94.html#sakuhin_list_1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/894.html
[近代史5] プーシキン スペードの女王

プーシキン Alexander S Pushkin
スペードの女王
岡本綺堂訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001088/files/42305_16644.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/895.html
[近代史5] ドストエフスキー作品集
ドストエフスキー作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person363.html#sakuhin_list_1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/897.html
[近代史5] ニイチェ ツァラトゥストラ
ニイチェ ツァラトゥストラ


生田長江 (1882-1936年) 譯
フリイドリッヒ・ニイチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900年) 著
「ツァラトゥストラ(Also sprach Zarathustra, 1883-1891年)」。

底本:「ツァラトゥストラ」,新潮社,明治四十三年十二月三十日印刷,明治四十四年(1911年)一月三日發行


フリイドリッヒ・ニイチェ 作
ツァラトゥストラ
生田長江 譯
http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-toc.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/899.html

[近代史5] イブセン 人形の家
ヘンリック・イブセン Henrik Ibsen
人形の家 ET DUKKEHJEM
島村抱月譯
https://www.aozora.gr.jp/cards/001028/files/4797_31829.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/900.html
[近代史5] ストリンドベリ作品集
ストリンドベリ作品集
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/901.html
[近代史5] トーマス・マン小説集
トーマス・マン小説集
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/906.html
[近代史5] ロラン ロマン ジャン・クリストフ
ロラン ロマン ジャン・クリストフ
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/908.html
[近代史5] オー・ヘンリー小説集

オー・ヘンリー小説集
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/909.html
[近代史5] ルイス・キャロル 不思議の国のアリス
ルイス・キャロル 不思議の国のアリス
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/913.html
[近代史5] 高村光太郎 智恵子抄

高村光太郎 智恵子抄
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[近代史5] マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー フランダースの犬
マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー フランダースの犬


フランダースの犬 A DOG OF FLANDERS
菊池寛訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001044/files/4880_13769.html


フランダースの犬 A Dog of Flanders
荒木光二郎訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001044/files/57302_56650.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/918.html

[近代史5] オスカー・ワイルド作品集
オスカー・ワイルド作品集
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/919.html
[近代史5] サン=テグジュペリ 星の王子さま
サン=テグジュペリ 星の王子さま

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
あのときの王子くんLE PETIT PRINCE
大久保ゆう訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001265/files/46817_24670.html


サン=テグジュペリが1943年に発表した "Le Petit Prince"、邦題「星の王子さま」でよく知られる作品の新訳。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/920.html

[近代史5] 折口信夫 死者の書・民俗学論集

釋迢空(折口信夫) 死者の書
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/24379_14244.html


釈迢空(折口信夫) 山越しの彌陀
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/45497_26148.html


折口信夫 民俗学論集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person933.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/922.html

[近代史5] アミーチス 母を尋ねて三千里
アミーチス 母を尋ねて三千里
日本童話研究会訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001048/files/45381_18751.html



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/925.html

[近代史5] アーネスト・トムソン・シートン 狼王ロボ

アーネスト・トムソン・シートン
動物物語 狼の王ロボ
薄田斬雲訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001925/files/56331_62076.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/928.html
[近代史5] ジャック・ロンドン 荒野の呼び声

ジャック・ロンドン Jack London
荒野の呼び声 THE CALL OF THE WILD
山本政喜訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001770/files/57996_72129.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/929.html
[近代史5] アミーチス 母を尋ねて三千里 中川隆
1. 中川隆[-16065] koaQ7Jey 2021年7月25日 20:26:59 : z3NCQwUcQA : UlBPM09ZOFNJUlE=[8]
エドモンド・デ・アミーチス 『クオーレ 母を尋ねて三千里』
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/865.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/925.html#c1
[番外地9] 2009.01.05 写真メール問題「暴力事件に近い」 旭川市教委
旭川では同じ様な事件が過去にも何回もあった
2009.01.05 写真メール問題「暴力事件に近い」 旭川市教委
【旭川】旭川市内の中学の女子生徒三人が同学年の女子生徒の上半身裸の写真をカメラ付き携帯電話で撮影し、別の生徒にメールで送っていた問題で、旭川市教委の小池語朗学校教育部長は二十六日の定例市長会見で「(撮影時、抵抗を抑えるため)ガムテープが使われており、手足は何らかの形で押さえ付けられていた」と述べ、「一種の暴力事件に近い」との認識を示した。

 関係者から事情を聴いている旭川東署によると、撮影時、被害生徒の手足はタオルや衣服で縛られていたという。市教委などによると、被害生徒は十月中旬、三人のうち一人の自宅に宿泊した際、写真を撮られた。

仲直りと称してお泊り会を開き被害者にガムテープを巻き付け上半身の裸の写メを撮る事件があった。
警察が介入して加害者三人はそれぞれが違う学校に転校させられた。
うろ覚えだが北星中学か北門中学だと思う

#45 2021/06/09 08:23最新レス
身体を動かないようの縛り付けて
異物を入れて 動画撮影して拡散したらしいね
爽彩さんの事件はこれと1996年の事件を合わせた感じらしいね
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/644.html

[近代史5] ヘミングウェイ 老人と海

アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway
老人と海 THE OLD MAN AND THE SEA
石波杏訳 Kyo Ishinami
https://www.aozora.gr.jp/cards/001847/files/57347_57224.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/933.html
[近代史5] ホーフマンスタール作品集
ホーフマンスタール作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1192.html#sakuhin_list_1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/935.html
[近代史5] ホフマン 世界怪談名作集
エルンスト・テオドーア・アマーデウス・ホフマン Ernst Theodor Amadeus Hoffmann世界怪談名作集 廃宅
岡本綺堂訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001058/files/4998_13935.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/936.html
[近代史5] 南方熊楠 民俗学論集
南方熊楠 民俗学論集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person93.html#sakuhin_list_1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/940.html
[近代史5] 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集
知里幸惠編訳 アイヌ神謡集
https://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/941.html
[近代史5] ジョージ・オーウェル作品集
ジョージ・オーウェル作品集
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/947.html
[近代史5] フランセス・ホッヂソン・バァネット 小公女

フランセス・ホッヂソン・バァネット Frances Hodgeson Burnett
小公女 A LITTLE PRINCESS
菊池寛訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001045/files/4881_18578.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/949.html
[近代史5] オルコット 若草物語

ルイザ・メイ・オルコット L. M. Alcott
若草物語 LITTLE WOMEN
水谷まさる訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001090/files/42307_24580.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/950.html
[近代史5] マリー・ウォルストンクラフト・シェリー  フランケンシュタイン

マリー・ウォルストンクラフト・シェリー Mary Wallstoncraft Shelley
フランケンシュタイン FRANKENSTEIN, OR THE MODERN PROMETHEUS
宍戸儀一訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001176/files/44904_35865.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/951.html
[近代史5] スイフト ガリバー旅行記

ジョナサン・スイフト Jonathan Swift
ガリバー旅行記 GULLIVER'S TRAVELS
原民喜訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000912/files/4673_9768.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/952.html
[近代史5] アルフレッド・テニソン アーサー王物語・シャロットの妖姫

アルフレッド・テニソン アーサー王物語 KING ARTHUR'S ROUND TABLE
菅野徳助、奈倉次郎訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000140/files/50131_42408.html

アルフレッド・テニソン シャロットの妖姫
坪内逍遙訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000140/files/740_20917.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/953.html

[近代史5] カール・マルクス フリードリヒ・エンゲルス 共産黨宣言

カール・マルクス
フリードリヒ・エンゲルス
共産黨宣言
堺利彦訳
幸徳秋水訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001138/files/47057_57486.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/954.html
[近代史5] 河口慧海 チベット旅行記
河口慧海 チベット旅行記
https://www.aozora.gr.jp/cards/001404/files/49966_44769.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/955.html
[近代史5] 古事記 中川隆
1. 中川隆[-16061] koaQ7Jey 2021年7月26日 05:56:52 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[2]
校註 古事記
稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51731_50813.html


現代語譯 古事記
稗田の阿禮、太の安萬侶
武田祐吉訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51732_44768.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/860.html#c1

[近代史5] スティーヴンスン ジーキル博士とハイド氏の怪事件
スティーヴンスン Stevenson Robert Louis
ジーキル博士とハイド氏の怪事件 THE STRANGE CASE OF DR. JEKYLL AND MR. HYDE
佐々木直次郎訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000888/files/33205_26197.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/958.html
[近代史5] スティーヴンスン ジーキル博士とハイド氏の怪事件 中川隆
1. 中川隆[-16060] koaQ7Jey 2021年7月26日 06:07:17 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[3]
ロバート・ルイス・スティーブンソン 作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person888.html#sakuhin_list_1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/958.html#c1
[近代史5] シャーロット・ブロンテ ジエィン・エア
シャーロット・ブロンテ
ジエィン・エア
十一谷義三郎訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001111/files/42789_64147.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/961.html
[近代史5] ヴィクトル・ユーゴー _ レ・ミゼラブル 
ヴィクトル・ユーゴー _ レ・ミゼラブル
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1094.html#sakuhin_list_1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/962.html
[近代史5] モーパッサン 作品集
モーパッサン 作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person903.html#sakuhin_list_1

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/963.html
[近代史5] バルザック ゴリオ爺さん
バルザック Honore de Balzac
ゴリオ爺さん Le Pere Goriot
中島英之訳
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/964.html
[近代史5] audio sharing _ 日本のオーディオ評論家の評論集
audio sharing _ 日本のオーディオ評論家の評論集
http://audiosharing.com/people/people.htm











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[近代史5] audio sharing _ 五味康祐の評論集
audio sharing _ 五味康祐の評論集
http://audiosharing.com/people/gomi/gomi.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/966.html
[近代史5] audio sharing _ 岩崎千明の評論集
audio sharing _ 岩崎千明の評論集
http://audiosharing.com/people/iwasaki/iwasaki.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/967.html
[近代史5] audio sharing _ 瀬川冬樹の評論集
audio sharing _ 瀬川冬樹の評論集
http://audiosharing.com/people/segawa/segawa.htm

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/968.html
[近代史5] audio sharing _ 菅野沖彦の評論集
audio sharing _ 菅野沖彦の評論集
http://audiosharing.com/people/sugano/sugano.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/969.html
[近代史5] audio sharing _ 川崎和男の評論集
audio sharing _ 川崎和男の評論集
http://audiosharing.com/people/kawasaki/kawasaki.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/970.html
[近代史5] audio sharing _ 春日二郎の評論集
audio sharing _ 春日二郎の評論集
http://audiosharing.com/people/kasuga/kasuga.htm
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[近代史5] audio sharing _ 中原柊成の評論集
audio sharing _ 中原柊成の評論集
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/972.html
[近代史5] audio sharing _ 瀬川冬樹の評論集 中川隆
1. 中川隆[-16059] koaQ7Jey 2021年7月26日 07:41:15 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[8]
高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 1 _ 瀬川冬樹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/312.html

どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html

ステレオサウンド誌の高名なオーディオ評論家が日本の優れたオーディオ製品を潰した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/454.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/968.html#c1

[近代史5] audio sharing _ 菅野沖彦の評論集 中川隆
1. 中川隆[-16058] koaQ7Jey 2021年7月26日 07:41:52 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[9]
音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html

菅野沖彦先生の様なレコーディング・エンジニアがオーディオ評論家になると見当外れの判断しかできない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/685.html

ステレオサウンド誌の高名なオーディオ評論家が日本の優れたオーディオ製品を潰した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/454.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/969.html#c1

[近代史4] イシノラボ 平野紘一 連載 日本オーディオ史 中川隆
3. 中川隆[-16057] koaQ7Jey 2021年7月26日 07:53:47 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[11]
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[近代史5] オーディオのイシノラボ・ドットネット - 日本オーディオ史

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[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
12. 中川隆[-16056] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:03:44 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[12]
audio sharing _ 菅野沖彦の評論集
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[近代史3] 菅野沖彦先生の様なレコーディング・エンジニアがオーディオ評論家になると見当外れの判断しかできない理由 中川隆
3. 中川隆[-16055] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:04:07 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[13]
audio sharing _ 菅野沖彦の評論集
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[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 1 _ 瀬川冬樹 中川隆
4. 中川隆[-16054] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:04:59 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[14]
audio sharing _ 瀬川冬樹の評論集
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[リバイバル3] どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
26. 中川隆[-16053] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:05:26 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[15]
audio sharing _ 瀬川冬樹の評論集
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[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
13. 中川隆[-16052] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:07:12 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[16]
audio sharing _ 菅野沖彦の評論集
http://audiosharing.com/people/sugano/sugano.htm  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c13
[近代史3] 菅野沖彦先生の様なレコーディング・エンジニアがオーディオ評論家になると見当外れの判断しかできない理由 中川隆
4. 中川隆[-16051] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:07:35 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[17]
audio sharing _ 菅野沖彦の評論集
http://audiosharing.com/people/sugano/sugano.htm  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/685.html#c4
[近代史4] イシノラボのトランス式パッシブ・プリアンプ 中川隆
2. 中川隆[-16050] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:10:18 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[18]
オーディオのイシノラボ・ドットネット - アンプや真空管などの機器・パーツの販売・通販・修理!
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オーディオのイシノラボ・ドットネット - 第1弾 日本オーディオ史
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[近代史5] 和泉式部日記
『和泉式部日記』現代語訳
http://www.misawa-ac.jp/drama/daihon/genji/bunken/izumi.html

『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
http://www.misawa-ac.jp/drama/daihon/genji/bunken/i_uta.html

『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
http://www.misawa-ac.jp/drama/daihon/genji/bunken/zoku.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/974.html

[近代史5] 和泉式部日記 中川隆
1. 中川隆[-16049] koaQ7Jey 2021年7月26日 09:54:42 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[19]
讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ
和泉式部日記現代語訳
https://sanukiya.exblog.jp/i9/

和泉式部日記現代語訳1〜4夢よりも
https://sanukiya.exblog.jp/25681923/

和泉式部日記現代語訳5〜8疑惑
https://sanukiya.exblog.jp/25685689/

和泉式部日記現代語訳9〜12手習
https://sanukiya.exblog.jp/25685927/

和泉式部日記現代語訳13〜16手枕の袖
https://sanukiya.exblog.jp/25719080/

和泉式部日記現代語訳17〜19愛の日々@
https://sanukiya.exblog.jp/25728911/

和泉式部日記現代語訳20〜23愛の日々A
https://sanukiya.exblog.jp/25728995/

和泉式部日記現代語訳24〜26宮仕え
https://sanukiya.exblog.jp/25729254/


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/974.html#c1

[近代史5] 伊勢物語 中川隆
1. 中川隆[-16048] koaQ7Jey 2021年7月26日 10:05:19 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[20]
讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ
伊勢物語
https://sanukiya.exblog.jp/i13/

伊勢物語 現代語訳1 初冠〜芥川
https://sanukiya.exblog.jp/25735597/

伊勢物語 現代語訳2 東下り
https://sanukiya.exblog.jp/25735976/

伊勢物語 現代語訳3 紀の有常
https://sanukiya.exblog.jp/25791790/

伊勢物語 現代語訳4 筒井筒・梓弓
https://sanukiya.exblog.jp/25799605/

伊勢物語 現代語訳5 あはで寝る夜
https://sanukiya.exblog.jp/25818318/

伊勢物語 現代語訳6 よしや草葉よ
https://sanukiya.exblog.jp/25821144/

伊勢物語 現代語訳7 下紐
https://sanukiya.exblog.jp/25824648/

伊勢物語 現代語訳8 源の至・すける物思ひ 
https://sanukiya.exblog.jp/25828470/

伊勢物語 現代語訳9 紫
https://sanukiya.exblog.jp/25833249/

伊勢物語 現代語訳10 馬のはなむけ
https://sanukiya.exblog.jp/25845116/

伊勢物語 現代語訳11 行く蛍
https://sanukiya.exblog.jp/25855860/

伊勢物語 現代語訳12 うるはしき友
https://sanukiya.exblog.jp/25867078/

伊勢物語 現代語訳13 若草
https://sanukiya.exblog.jp/25874395/

伊勢物語 現代語訳14 鳥の子
https://sanukiya.exblog.jp/25889983/

伊勢物語 現代語訳15 飾り粽(ちまき)
https://sanukiya.exblog.jp/25898967/


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/862.html#c1

[近代史5] とはずがたり
讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

とはずがたり巻一
https://sanukiya.exblog.jp/i15/

とはずがたり巻二
https://sanukiya.exblog.jp/i16/

とはずがたり巻三
https://sanukiya.exblog.jp/i17/

とはずがたり巻四
https://sanukiya.exblog.jp/i18/

とはずがたり巻五
https://sanukiya.exblog.jp/i19/


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/975.html

[近代史5] 近松門左衛門 浄瑠璃集
近松門左衛門 浄瑠璃集


曾根崎心中
https://sanukiya.exblog.jp/i5/


冥途の飛脚
https://sanukiya.exblog.jp/i11/


心中天の網島
https://sanukiya.exblog.jp/i4/


女殺油地獄
https://sanukiya.exblog.jp/i12/


▲△▽▼


近松門左衛門 浄瑠璃

『出世景清』 - 貞享2年(1685年
『曽根崎心中』 - 元禄16年(1703年)
『兼好法師物見車』 - 宝永3年(1706年)
『堀川波鼓』 - 宝永4年(1707年)
『碁盤太平記』 - 宝永7年(1710年)
『冥途の飛脚』 - 正徳元年(1711年)7月以前
『嫗山姥』 - 正徳2年(1712年)
『大経師昔暦』 - 正徳5年(1715年)
『国性爺合戦』 - 正徳5年(1715年)
『平家女護島』 - 享保4年(1719年)
『心中天網島』 - 享保5年(1720年)
『女殺油地獄』 - 享保6年(1721年)


近松門左衛門 歌舞伎
『仏母摩耶山開帳』 - 元禄6年(1693年)
『けいせい仏の原』 - 元禄12年(1699年)
『けいせい壬生大念仏』 - 元禄15年(1702年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E9%96%80%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/976.html

[近代史5] 近松門左衛門 浄瑠璃集 中川隆
1. 中川隆[-16047] koaQ7Jey 2021年7月26日 10:27:47 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[21]
近松門左衛門の作品を上演するために必要なこと
https://sanukiya.exblog.jp/25723902/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/976.html#c1
[近代史5] 白楽天 長恨歌(ちょうごんか)とわのかなしみのうた

白楽天 長恨歌(ちょうごんか)とわのかなしみのうた
http://www.misawa-ac.jp/drama/daihon/genji/bunken/chougon.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/978.html
[近代史5] 松尾芭蕉 おくのほそ道 中川隆
1. 中川隆[-16045] koaQ7Jey 2021年7月26日 11:35:17 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[23]
日本古典文学摘集 おくのほそ道
原文 現代語訳
https://www.koten.net/oku/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/867.html#c1
[近代史5] アンドレイ・タルコフスキー映画作品
アンドレイ・タルコフスキー映画作品
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/film.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/984.html
[近代史4] アンドレイ・タルコフスキー (Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932年4月4日 - 1986年12月29日) 中川隆
1. 中川隆[-16041] koaQ7Jey 2021年7月26日 12:12:39 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[27]
アンドレイ・タルコフスキー映画作品
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/film.html  


▲△▽▼


タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年) 動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%BE+%D0%B4%D0%B5%D1%82%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE&sp=mAEB

タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年) 動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=Andrey+Rublyov

タルコフスキー 惑星ソラリス (1972年) 動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%201972%E5%B9%B4?hft=0&st=1550368679845&itc=9&ct=2&cip=1

タルコフスキー 鏡 動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E9%8F%A1(1975)%20?ref=watch_html5

タルコフスキー ストーカー 動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC?ref=watch_html5

タルコフスキー ノスタルジア 動画
https://www.nicovideo.jp/search/Nostalghia?ref=watch_html5

タルコフスキー サクリファイス 動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9?ref=watch_html5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/215.html#c1

[近代史5] カルトの世界 中川隆
7. 中川隆[-16040] koaQ7Jey 2021年7月26日 13:07:57 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[29]
【ゆっくり解説】叡智なSH○KYO事件
2021/07/23




00:00 導入
00:22 1つ目
06:31 2つ目

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/437.html#c7
[近代史5] 世阿弥の能 中川隆
3. 中川隆[-16037] koaQ7Jey 2021年7月26日 14:56:59 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[33]
能楽・演目事典
現代語訳の pdf ファイル付き
https://www.the-noh.com/sub/jp/index.php


演目の選択・検索
調べたい演目をクリックすると、その演目の「あらすじ」「みどころ」「演目STORY PAPER」「フォトストーリー」 、現代語訳の pdf ファイル が表示されます。


あ | 葵上 | 阿漕 | 芦刈 | 安宅 | 安達原 | 敦盛 | 海人/海士 | 綾鼓 | 嵐山 | 井筒 | 岩船 | 鵜飼 | 歌占 | 善知鳥/烏頭 | 采女 | 江口 | 箙 | 絵馬 | 翁 | 大原御幸/小原御幸 | 姨捨/伯母捨 | 女郎花 |

か | 杜若 | 景清 | 花月 | 春日龍神 | 葛城 | 鉄輪 | 加茂/賀茂 | 通小町 | 邯鄲 | 鬼界島 | 菊慈童 | 砧 | 清経 | 国栖 | 熊坂 | 鞍馬天狗 | 黒塚 | 月宮殿 | 恋重荷 | 小鍛冶 | 小督 | 小袖曾我 | 胡蝶 |

さ | 西行桜 | 鷺 | 桜川 | 実盛 | 石橋 | 俊寛 | 猩々 | 猩々乱 | 正尊 | 自然居士 | 隅田川 | 西王母 | 殺生石 | 蝉丸 | 千手/千寿 | 是界/善界/是我意 | 草紙洗 | 草紙洗小町/草子洗小町 | 卒都婆小町 |

た | 高砂 | 忠度 | 龍田 | 田村 | 竹生島 | 張良 | 土蜘蛛 | 経政/経正 | 鶴亀 | 定家 | 天鼓 | 唐船 | 東北 | 融 | 巴 | 朝長 | 道成寺 |

な | 難波 | 鵺 | 野宮 | 野守 |

は | 羽衣 | 半蔀 | 橋弁慶 | 鉢木 | 花筐 | 班女 | 百万 | 藤 | 富士太鼓 | 藤戸 | 船弁慶 | 放下僧 |

ま | 巻絹 | 枕慈童 | 松風 | 三井寺 | 乱 | 三輪 | 望月 | 紅葉狩 |

や | 八島/屋島 | 山姥 | 熊野/湯谷 | 楊貴妃 | 夜討曽我 | 養老 | 弱法師 |
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/866.html#c3

[近代史6] 中国に取り残された残留日本兵を救った中国人
中国に取り残された残留日本兵を救った中国人

貧しい農民に過ぎない孫邦俊さんが、なぜよりによって元日本兵などを保護したのかは分からない。孫さんは石田さんを家に連れ帰り、衣服と食事を与え、医者にも診せてやり、家族同様に世話するようになった。孫さん一家が、石田さんを保護したことで得をしたことは何一つなかった。


2021-07-25
中国に取り残された残留日本兵、石田東四郎さんのこと
https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/25/213549

小野田寛郎(1974年フィリピンから帰国)や横井庄一(1972年グアムから帰国)などと違って知名度はゼロに近いが、1993年、敗戦から48年も経ってようやく中国から帰国した石田東四郎という元日本兵がいる。

この石田さんにまつわる物語は、実に驚くべきものだ。

1912年、秋田県増田町に生まれた石田さんは、1937年、再招集されて中国河南省に渡ったが、終戦直前に行方不明となり、戦死したものと考えられていた。

しかし彼は、銃撃により頭を負傷し、聴覚と記憶を失ったまま生きていた。

1946年秋、石田さんは河南省黒石寨で、ボロボロの衣服をまとい物乞いをしているところを隣村の農民孫邦俊さんに保護された。

貧しい農民に過ぎない孫邦俊さんが、なぜよりによって元日本兵などを保護したのかは分からない。孫さん自身が元孤児だったからという説もあるが、確認できていない。

ともかく孫さんは石田さんを家に連れ帰り、衣服と食事を与え、医者にも診せてやり、家族同様に世話するようになった。しかし当時はまだ日本による侵略の爪痕が生々しく残っている時期で、孫さんの村にも多くの被害者がいた。孫さんは門前にまでやってきて抗議する彼らを必死に説得しなければならなかった。

孫さん一家が、石田さんを保護したことで得をしたことは何一つなかった。

石田さんは負傷のせいで脳に障害を負っているらしく、夜中に大声で叫んだり、自分の顔を殴ったり、与えた靴や布団を切り刻んでしまったりした。また、働く能力がなく、いくら農作業を教えようとしても、草取りひとつ満足にはできなかった。

石田さんが突然半身不随になったときは、孫さんは借金までして彼を治療した。

孫さんがそんなふうに石田さんを親身に世話する姿を見て、周囲の村人たちも、やがて彼を仲間として受け入れるようになっていった。

しかし、文化大革命の時期には、石田さんのせいで再び孫家に苦難が訪れた。日本人を保護していることから「外国と内通している」と批判され、息子の孫保傑さんは学業を中断せざるを得なかったのだ。

孫邦俊さんは石田さんを引き取ってからずっと、彼の家族を探したいと考えていたが、名前も経歴も話せない石田さんの身元はわからず、1962年、彼を帰国させることができないまま亡くなった。亡くなる際、孫さんは息子の孫保傑さんに「これからも日本のおじさんの面倒をよく見なさい。機会があれば日本の家族を捜してあげなさい」と言い残した。

孫保傑さんは父の遺言を守り、1972年に日中の国交が回復すると石田さんの身元探しに奔走した。

1992年、津田康道さんという人が、新聞に載っていた負傷兵は数十年前自分と一緒の部隊にいた石田東四郎さんだと確信し、訪中して面会した後、石田さんの弟である石田小十郎さんに連絡をとった。

翌1993年、血液鑑定により石田小十郎さんとの血縁関係が確認され、石田東四郎さんは日本に帰国した。

しかし、帰国の日になっても石田さんは孫家を離れようとしなかったので、孫保傑さんは自分で石田さんを日本に送り届け、さらに20日間も付き添った。孫さんが帰国すると、石田さんはあちこち探し回り、落ち着くまで10日もかかったという。

2002年、孫保傑さんの妻の王成香さんが養老院にいる石田さんを訪ねると、石田さんは涙を流し、王成香さんが帰ろうとすると自分も立ち上がって着いていこうとした。

ここまでくると、果たして石田さんは日本に帰国できて幸せだったのだろうか、とも考えてしまう。

石田東四郎さんは2009年、肺炎のため97歳で死去した。記憶が回復することはついになかった。

それにしても、敵国の敗残兵だった石田さんを迎え入れ、47年間も親身に世話した孫さんたちの行為は何と表現すればいいのか。親切などという言葉では表しきれないものがある。

この孫さんだけでなく、敗戦時の混乱で置き去りにされた日本人孤児を保護し、我が子同様に育ててくれた多くの中国人養父母たちがいた。

一方の日本はといえば、こうした「中国残留孤児」たちが帰国すると、日本語が不自由なため自立できず生活保護で暮らす彼らを厄介者扱いし、彼らが中国に残してきた高齢の養父母たちを呼び寄せたりすれば、中国人が日本の税金にたかっている、などと言って叩いてきた。

この違いはいったい何なのだろうか。

参考:王浩 『半世紀にわたり日本の負傷兵を世話した ある農民の話』
      人民中国 2005年4月
   孫東民 『時空を超えた人道精神』 人民中国 2006年5月

https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/25/213549
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/102.html

[近代史6] 中国に取り残された残留日本兵を救った中国人 中川隆
1. 中川隆[-16036] koaQ7Jey 2021年7月26日 18:59:01 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[35]
中国社会の本質について、その歴史を研究し見抜いてきた者なら、中国人の論理価値基準が誠意のやりとりであることを知っているはずだ。 すなわち、

「中国では善意、誠意に対しては善意で応える。悪意に対しては悪意で返す」


という原理こそ膨大な人口と長い歴史に貫かれてきた社会の価値観なのだ。 この意味で、中国人の心を掴み、理不尽な要求をさせず正義と良心をもって望むようにさせたいなら、それ以上の良心と誠意、善意を与えなければならない。


かつて日中戦争に敗北した日本に対して、周恩来は


「日本帝国主義が中国を侵略したのであって日本人民に罪はない」


とし、日本人のもの凄い負荷になる戦後賠償を求めなかった。

このときの恩義があるから日本は田中国交以降、対中5兆円の賠償ODAを続けているのだ。 我々は周恩来の恩義に誠実に応えなければならない。

http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm


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撫順戦犯管理所


1950(昭和25)年7月、スターリンと毛沢東の間で交わされた取り決めによって、私は中国に対する戦犯として、969名の仲間と共にソ連から中華人民共和国へ身柄を移されました。拘留された撫順監獄の正門には、「日本人戦犯管理所」と大書されていました。それでも未だ自分が「戦犯」であるなどとは思ってもみませんでした。「戦犯とは、戦争を発動した天皇をはじめとする一連の指導者たちだ」とばかり思い込んでいたからでした。

 この監獄は、昔日本人が「反満」「抗日」分子をぶち込み、拷問や虐殺を行っていた所と聞きましたが、今や巨額の資金をつぎ込んで改修された、清潔で、明るく、スチームなどを整えた近代的な監獄でありました。そして不思議にも、ここでは「強制労働」はなかった。

 米の飯をたらふく食わせて、勝手に遊ばせておくのです。日本人戦犯が傲慢な、侮蔑するような言葉を投げかけても、看守たちは軽く受け流す。中国の工作員たちは、彼らにとっては正にその「敵」であるこの我々を罵りもしなければ、殴りもしないぱかりか、食事、運動、入浴、理髪、看護など生活のすみずみまで、皆一様に世話をしてくれるではありませんか。皆、その真意を疑いながらも、頭を下げざるを得ませんでした。

「撫順戦犯管理所」の生活の中で、最初に私の心を強く打ったものは、私たちに接する中国の工作員たちの「人間的な偉さ」だった。彼らは唯の一度も我々を罵ったり、手を振り上げたりなどはしなかった。そして親身になって世話をしてくれた。衣食住は、至れり尽くせりだった。労働はなかった。

 伝え聞くところでは、工作員の殆どが日本軍によって肉親を奪われたり、家を焼かれなどしている被害者だったという。孫所長は叔父を、呉指導員は父と叔父を、また看守の一人は自分以外の家族全員を、日本軍によって殺害されたという。その彼らにとって、我々は当然「憎むべき敵」である筈だ。にもかかわらず、彼らは私たちにこのように献身的な奉仕をしているではありませんか。私は、日本軍が捕虜など人間と思わず、拷問したり、虐殺したりした仕打ちを思い浮かべて、大和民族と自己とを深く恥じ、彼らの偉大さに心から敬服した。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/01/ebato_taiken_hansei.htm

戦犯管理所の思い出


▼資料解説 

座談会が開かれたのは1956年6月22日、戦犯たちに不起訴の決定が通知され、第一次の釈放のあった日の翌日に開かれた座談会ということになる。

日本への引き揚げ船に乗る前、天津市の恵中ホテルで開かれた。

出典は『人民中国』56年8月号である。


編集部 

みなさんは、まもなく中国を離れて日本にかえられます。中国にいられたあいだのいろんな状況やこんどの釈放をめぐる御感想をきかせていただけるなら、『人民中国』の読者の方がたも―もちろん読者のなかにはみなさんの御家族、親類の方やお友だちもいらっしゃると思いますが―ひじょうによろこんで下さると思います。そこで今日はとくにみなさんに集まっていただいて座談会をもよおした次第であります。


大澤剛(司会) 

座談会にはいる前に中国人民に感謝します。きのう私たちは中国人民政府から、自分たちの過去おかした罪からみて、考えもしなかった寛大な処理をうけ、間もなくなつかしい親兄弟のいる日本に帰ろうとしています。中国をはなれるにあたり、六年間のさまざまなことが思い出されます。昨日寛大な処理を聞いたときのことからまず感想をのべあって見たいとおもいます。

中島宗一 

そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由でオロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。

伊東恒 

私はあの日撫順で釈放を言い渡されたときのあの廣間にはいった時、私が待っていた裁判が始まったと考えていたのです。だが私はあの検察員の方から中国政府の私たちにたいする起訴免除の決定発表をいわれた時自分の事のような感じはしませんでした。何か私にはピンとこなかったのです。そのうちに名前がよばれたんですが、私の名前があった、その時の気持は何と表現してよいか分かりませんでした。私が過去やったことが走馬燈のようにぐるぐると頭をかけめぐり、複雑な感じでいつの間にか涙がぽろぽろ出るのを禁じられませんでした。

過去陸軍士官学校を出て日本軍の指揮官、教育者としての日本の農村漁村の、本当に純朴な年を東洋平和の為だとか聖戦だとかでだまし、中国へ侵略にかりたてて来たのです。皆さんもごぞんじのように杭州湾上陸につづいて侵入し、杭州一帯の地域で砲兵を指揮し、何のつみとがもない住民まで砲弾で射ち殺し、平和な部落や寺院を破壊したり放火したりしました。そのご憲兵に変りましてからも一生懸命あの兇悪な憲兵の下士官兵を3000名近く教育しました。そしてこれらの者は中国全土アジア全地域にわたり世界歴史上例のない、野蛮残酷な罪行を行って来ました。こうした私に対する決定をきいた時、ただ本当に申しわけなさでもう私は何とおわびしてよいか分かりません。あの時の感激は一生を通じて忘れることは出来ません。

久保田源次郎 

わしも年より役として一言いわしていただきます。私は過去25年の長い間日本軍隊の將校として多くの部下を教育し、また部隊長として戦争に出て行きました。こういうことは国家の為だ人民の為だとか日本はますます国力が大きくなるのだとか、あるいは結局のところ自分の名誉であるとさまざまなことを考えてましてあまたのいくさを行いました。その上、東北では十年の間偽満州国、ことに偽蒙古軍官学校に勤めまして、蒙古の純朴な年を日本軍の軍隊の手先として中国人をもって中国人と戦わすというように、皆さまとちがったあくらつな考えのもとに多くのことをやって参りました。また師団司令部管区の参謀長として偽蒙古軍の司令官を傀儡と致しまして、その人たちの名前のよって私が自分勝手な命令を出して多くの部下や部隊に多くの人民を惨殺する行為をおこなわせました。

いま申しましたように自分の罪行のことを考えると、私は当然死刑もしくは重い刑に処せられ、撫順の管理所において死を待ち、日本に帰れないと考えていましたが、撫順であまたの中国人民の方々の傍聴されている前で起訴を免除されて釈放されるということを聞いた時、まったく夢ではないかと考えました。被害者の方々にまことに済まなかったと、胸がいっぱいです。(同感の声)

岡本鉄四郎 

私は過去大隊本部情報係下士官として抗日軍を120名も逮捕し、椅子にしばりつけ竹刀で殴ったり革で殴ったりして取調べたあと、小さい薄暗いしかも最も不衛生な廟の中に押し込んで、たったアンペラ一枚を与えるだけで、布団もなにもやらず、一日1人たった200グラム、高粱の饅頭を支給しただけで虐待して来ました。長い間、こうして虐待したために多くの人が栄養失調になり、本当に骨と皮ばかりになった人が多くありました。

そのうちの2名の人を医療手当もせず、ついに殺してしまいました。しかも捕虜の家族の方が監禁している廟の近くに来られたことがありましたが、そのときの私は自分の部下に命じてその婦人を縛らせ、さんざん罵倒し、ぶんなぐったあげく、差入れをしようと持って来た饅頭と南京豆をかっぱらって追返してしまいました。また捕虜の方々を後手にしばり、早く歩かないといって、けっとばし、軍刀のサヤで殴り、暴虐の限りをつくし、この方々を鄭州の捕虜収容所に送りました。そうした人々は、東北の昔の偽満に送られ、軍事工場の建築に使
われ、次から次へと殺されてゆきました。

 私は捕虜を虐待殺害したこの罪行を見ただけでも、国際法規と人道主義に違反したことがあまりにも明らかです。それなのに、今日このような寛大なお許しを得たのですが、なんとおわびしてよいか分かりません。

司会 同感です。私自身も東北の憲兵として、中国人民の土地の上に陸軍官舎とか軍事基地を設け、演習場を作り、中国の平和な農民が自分の土地を歩いていただけで、とっつかまえて拷問し、そのあげく、私自身二階の窓から突き落とすようなことまでしてきました。これが自分の過去の姿であり、このような自分の罪行をふりかえってみる時に涙なくしてはおられません。

 私たち戦争犯罪者は、誰を問わず皆このように罪深い罪行を犯したものなのです。こんな事を国のお父さんお母さんが聞いたら、どんなに嘆くか知れません。

一同 まったくそうですね。

司会 

供を育てて人殺しに仕立てようとは親逹は考えていなかったのです。戦争を起して儲けた者は、ほんの一部の者で、私達にはなんの利益もありませんでした。中国の人びとは戦争で、どれだけ多くの人びとが、そのお父さんを殺され夫を殺されていったことでしょう。それを思うとこうして、お許ししていただいたことをまことに申し訳なく思います。

久保田 

傍聴席の人のなかには、肉親を殺され、現在この世に居られない方の遺族がおられたことと思います。平頂山事件で三千名の中国人民が殺害されたときたった一人生き残った方素栄さんのような人もいたでしょう。私はそのことを考え、泣かされて来ました。

石田傳朗 

私はあの釈放を言い渡された廣間にはいった時、それとなく二階の傍聴席を見たら政府機関の人、市民の方がおられました。その方々の前であの起訴免除の言渡しを聞いた時、背中にあたたかいものを感じて来ました。現にあの撫順の土地では、日本軍は平頂山事件の大殺戮をやったし、それには私も加わったのであります。その被害者よりあの寛大な処理を受ける時、私はほんとうに中国人民の寛大なあたたかい心を感じました。私は東北でどのような事をやったのか、ただ申し訳ない泣きたい気持でいっぱいでした。

司会 

まったくです。このことは一生涯を通じて忘れることは出来ません。このことは自分達ばかりでなく家族の者も中国人民に感謝していると思います。

白井藤代 

私は過去を考えれば許せない人間なのに寛大な言渡しをうけて心から泣いたのです。そればかりか私は貧しい漁師の息子で、生まれて三十七年間、軍靴以外クツをはいたこともなかったのに、こんど立派な革靴をもらいました。そのとき私は過去の自分を考えざるをえなかったのです。私は中国にお客様として来たのでしょうか、そうではありませんでした。私は中国におしわたり、本当に罪のない平和な労働者や農民の方々を殺害したり拷問したりした許すことのできぬ罪人ですのに、その私を許して下さいまして私は感激せずにはおれませんでした。

岡本 

そうです。自分はあの寛大赦免の言渡しを聞いたのちいよいよ帰国するというので、所長さんはじめ管理所の皆さんから見送りをうけるばかりか、考えてもいなかった送別の宴会までしていただいた時、胸がいっぱいになってどんなに感謝してよいやらわかりませんでした。私は所長さんの手を握りました。そしてこれからあやまった道には進みません、必ず人間としての道を進みますと誓って来ました。

司会 

そうです。私も昨日管理所を出る時、工作員の方々や班長さんや看護婦さんの顔を見ているうちに、まったく家を離れるような気持がしました。

久保田 

わしも別れるとき、ついとりこんで御厄介になった看護婦さんやお医者さんに会ってお別れ出来なかったのが残念でした。一目でも会ってお別れしたかった。病気をしてお薬や注射をうってもらったり、どれだけお世話になったかわかりませんから・・・・(同感の声)

中島 

本当にやさしい人達ばっかりでしたねぇ。わしやみんなが『おじいちゃん』となつこく呼んでいたあの年輩の工作員の方が見当らなかったけど、ぜひ一目会いたかった。何とか一目会ってお礼をいいたかったんだが見つからなかった。いよいよ管理所を出る時は、むしように管理所がなつかしくなって来て・・・・皆もうしろをふりかえりふりかえり名残り惜しそうに見ていたけれど、これは私達の本当の気持でしょうねぇ。(全員同感の声)

石田 

そうです。夜なんか、寝冷えさせないようにフトンかけて下さったり、日本から手紙や写真が来ると、お父さんや兄さんは丈夫かと写真や手紙をいっしょに見て自分のことのように喜んで下さった。その工作員さんにとうとうお礼のことばもいわずに残念でした。私はあたたかい身内と別れるようなつらさでした。

伊東 

そうですねぇ、私もお世話になった李班長さんを血まなこになって捜したのですがどうしても見えなくてお別れ出来なくて残念だったのですが、崔先生や趙先生に元気で発ちましたとくれぐれもよろしく伝えてくださいとおたのみしたら『必ずお伝えします』といわれたので安心しましたが、まったく名残りおしいことでした。

司会 

本当にこの六年の間に肉親のようなつながりが出来ていたのですねぇ。ふりかえってみると六年前に新中国に来たとき、私達の間にはどんな考えがあったのでしょう。思い出してみましょう。

若月金治 

それですがねぇ、管理所に来た当時は殺されるのではないかとオドオドしていました。自分でもおかしいくらいですが、最初散髪にいった時ヒゲをそってもらいながら、もしかしたら首を切られるのじゃないか(笑声)と思いましたが、無事に終ってホッとしましたよ・・・・。またあの大きな煙突ができたとき、私達が過去やったことを思い出して、俺達もあの下でこっそり殺されて、焼かれてしまうのではないかと思いましたが、あの煙突が出来上って見ると、入浴場にはマンマンとお湯を送ってもらうし、冬は暖かいスチームを通してもらうし、みんなわれわれのためにやってもらったのです。

久保田 

そうですよ、入浴場一つ見ても分かりますねぇ、過去われわれは、真冬に中国人民に水浴させたのに・・・・

中島 

わしは昔、中国人民を散々侮辱してきたので、中国に渡されたとき、今度は俺がやられる番だと考えていたが、部屋はキレイで廣いし、ご飯の時などは『たりたか、たりないか』とかならずきいてくれたものです。私はまたこの事から、俺達は日本人だから恐れられているのだ・・・・(笑声)こんなところにおっても日本人は恐れられているのだと思っていましたが、こんな考え方が変ったのは、朝鮮戦争が停戦になった時からです。はじめのうちは、米軍が東北にはいって来て俺達を出してくれると思っていました。

司会 

アメリカ軍が『解放』してくれると考えていたわけですね・・・・(笑声)

中島 

そうですよ。所長さんは最初から、かならず中国と朝鮮の人民が勝つといっておられたが信じられなかったのですよ。それが現実のなかから段々わかって来ました。それからもうひとつ。私は過去中国の人を欺瞞して使用するということをやって来ましたので、管理所で工作員の方々が色々してくれるのを見て、ハハアこの裏には何かあるわい、政策だ、手だと考えて、やってくれることすべてを有難いとは感じられなかったです。

ところが末梢神経炎にかかって動けなくなりましてねぇ、夜も眠れませんでした。そのとき毎晩お医者さんが廻ってきて診て下さったり、また工作員さんがしょっちゅう部屋に来て要求があったら、どんなことでも言ってくれ、すぐ解決するからといわれ、わしらの考えていることをいうと何でもすぐ解決してくれました。注射を四、五十本も打ってくれました。

司会 

このような現実からだんだん中国を信頼するようになったのですね。

白井 

私はですね、一昨年の四月頃でした、歯がいたくて運動室で休んでいた時、管理所のパン工場で働いている人がいつものように室の前までパンを運んで来ました。ところがその人が休んでいた私に『あんたは白井さんではないですか、私を忘れましたか』というんです。私は不思議に思った。私に中国の知人はいないはずだ、それで私もその人の顔をよくみてみたが、どうしてもはっきり思い出せない。しかしふッと思いあたるふしがあって身体中の血がいっぺんに下ったように感じました。きいてみるとやっぱり私が兵隊として駐屯していた山東省のある村の少年でした。

そのころは十四、五歳の少年でした。私は何度もこの少年を丸太やその他でなぐり、また小さい身体にいっぱいまきを背負わせ、歩くのがおそいといっては蹴とばしたもんです。それからまたあの人たちが汗水たらしてつくった穀物を全部取り上げてしまったこともあります。そのごあの人の両親は亡くなり、たった一人生き残ったあの人は東北に来たんです。これはそのとききいてわかったのです。私はそのとき、これはただごとではすむまいと覚悟しました。しかし私の考えとは反対に、その人は私に『早くよくなりなさい』といって出て行きました。その後もずっとパンをもって来てくれる度に私に会うと『元気ですか』とたずねてくれます。私はこれをきくたびに私の過去と、またあの人たちの家族のことを思わずにはいられませんでした。

石田 

中国の人をどう見るかということですが、私もはじめのうちは復讐されるとおもっていました。ある日あたりちらしてやるつもりで工作員の人に面談を求め、づけづけといろんなことを言ったことがあります。私は怒られるにちがいないと考えていたのですが、先方は、『食事はまずくないか。夜はよくねむれるか。まあ身体を大切にして下さい。君の問題は私も考えてみましょう』とやさしくさとしてくれました。このようなことは一度や二度のことではないのです。むちゃくちゃなこともよく聞いてもらえることから、私の考えが間違いだ、どうもおかしいと考えはじめ、度を重ねるうちに罪を考えはじめました。

若月 

私も色々ありますが、私は寝ぞうが悪いんです。(笑声)背中をおっぽり出してうとうとしていると班長さんがはいって来て布団をなおしてくれました。だまっていると、次の人の布団をなおしてそっと出て行かれました。また国慶節の時でした。御馳走を腹いっぱい食って、トランプをやり、大ダブラをやっていると、そこへ皆さんの知っている班長の『おじいちゃん』がはいって来て、にこにこしながら落花生を机の上においてゆくのです。あの人は頭がすこしはげているんですが、思わず私は背中に水をぶっかけられたような気がしました。

それにはわけがあるんです。大体あの人は三東の人なんです。私はその三東にいたとき、ある日行商人をつかまえ後に廻って、側にあった石をその行商人の頭にたたきつけ、頭を割ったことがあります。そしてその人がかついでいた籠のなかから落花生をとったんです。ところがその行商人が頭のはげた班長さんによく似ているんです。そのときはっとして、それから自分のやった事を真剣に考えるようになりました。自分のやった事が人間のやる事じゃなく、戦争とはどんなものかを考えるようになりました。

中島 

あるとき私は飯をたくさん貰って、のこったのを便所へすてたことがあります。叱られると思っていたら、工作員さんは『お百姓さんの苦労を知っているでしょう、このようにめしを捨てることは、人間のやることではない。』といわれ、私もやっぱり百姓の子ですから、悪い事がすこしわかりました。

司会 

いろいろ工作員さんが実際的に示すことのなかから、過去やった事は悪いと自分でさとるようになって来ましたが、これは戦争についての考え方のうえでも同じで、はじめは戦争の悪いことがなかなかわからなかった。それがやはりだんだんわかってきたといったようなことがあると思います。

若月 

戦争の問題が出て来ましたが、中国の各地を参観させてもらい、中国の発展している姿をこの目で見たときは、戦争がなければこんなに発展するものかと、戦争の悪いことをはっきると知ることが出来ました。ハルピンの亜麻工場で工場長さんがいわれたとおり、戦争がなければ、人間の生活は豊かになります。ハルピンに参観に行ったときに、赤いネッカチーフをつけた女の子が小さい弟をつれていて、その弟が『この人たちは誰?』と姉さんにたずねました。私はなんと言われるかと、好奇心を持って聞いておりますと、『この人達は働いている人民を学習に来られているんです』とやさしく弟におしえていました。私は働いている人を殺すなんて、どんなに悪いかがわかりました。私はこの幼い少女におしえられました。

司会 

中国人民の、やさしい態度の中から、人間はどうあらねばならないかが分かって来たのですね。その裏には、いろいろな、6年来の生活全体があった訳ですね。どうですか、生活のことを話しましょう。

中島 

私はいま16貫あまりあります。敗戦時は14貫少々でしたからね、家族が見たら見違えると思いますね。

若月 十年間に二貫目ふえた・・・・


岡本 そのうえ若返って帰るとは変だねぇ。


中島 

家族がいちばん喜ぶのは、私が健康でかえることだと思います。よく薬を飲んだ私が、いまこんなに元気になっているのは管理所の人たちのおかげです。例えていうと、ヘントウ腺がはれて、うがい薬でももらいたいと医務室に行くと、すぐ注射室へつれていってペニシリンをうってくれるんです。病気をさせないように、消毒や身体の検査など、みんな大きな努力を拂って下さいました。だから、私がこんなに元気なのも決して奇蹟ではありません。

司会 白井さん、どうですか療養所は?


白井 

私の療養所行きは、変っているんですよ。まったく自覚症状がなかったのに、ある日工作員さんから療養所に行くようにといわれて、びっくりしたのです。自分で自分の病気に気がつかないうちに管理所では、定期のレントゲン透視でチャンと私の身体が悪いことを知って、療養所にやって下さったのです。療養所は林を背にした小高い山の中腹にあって、ひじょうに見晴らしのよい公園のようなところです。療養所の部屋には真白な敷布をしいたベットがあり、手箱、魔法瓶、看護婦さんを呼び出す呼びリンまでついています。療法には、空気療法、滴入療法、体育療法があり、科学的に検査され、一人一人療法がちがうのです。私は体育療法だったわけです。療養所では付添いの人が一切をわが事のように面倒を見て下さるのです。そのために、私はこんなに元気な身体になったのです。

司会 

そうですね、療養所に行った人もひじょうに元気になってかえって来ましたね。

岡本 

いま医療の話が出ていますが、私なんか六年間これという病気もせず、本当に元気で過して来たんですが、私の隣に寝ていた岡田豊君なんか、三年半近くも胃が悪くて、ハルピン以来入院していたんですが、この人の話を聞くと、入院中婦長さんが岡田君に、これからはなんでも貴方の好きなものを作って上げますからと言われたそうです。すると岡田君は、私はカステラとサツマ薯のキントンが食べたいと言ったそうです(笑声)。ところがカステラはわかるが、サツマ薯のキントンは一体どうして作るのか中国の人にはわからないのです。

司会 そうですね、中国にはないんですから。


岡本 

それでも本人が食べたいというものだから婦長さんは作り方を教えて下さいといわれたそうです。それで岡田君はキントンを作るには、こうやって、ああやってと作り方を書いて、婦長さんに渡すと、婦長さんは夕食の時に『言われた通りには出来なかったけれど、ひとつ食べて下さい』といって持って来られた。そのとき岡田君は夢中で食ってしまったそうです。昔、お母さんが作ってくれたキントンとおなじようにうまいので、ひじょうに喜んでパクパク食ったそうですよ。

婦長さんは、いままで何を食っても嘔吐をもよおしたり、食べなかったのにたくさん食べるのを見てひじょうに喜んで、これからは毎日でも作るから、いちどに沢山食べ過ぎて、体をこわさないようにといわれたそうです。このようにして岡田君の病気は、だんだんよくなってゆき、今ではすっかり元通りに元気になって、われわれと一緒に帰れるようになりました。

司会 

岡田君も日本に帰ってお母さんからキントンを作ってもらう度に思い出すでしょうねぇ。

岡本 

その時に、婦長さんが『私は中国人民にあなた方の病気を治すように依託されているだけでなく、あなた方の家族の方々にも、あなた方の病気を治す責任を負っているのです』とこのように言われたので、岡田君はひじょうに感激し、自分が過去中国人民にたいしておこなった行為を、ふり返らざるを得なかったといっていました。


司会 

そうでうねぇ、いまの岡本さんのような話はどれだけ多くの人々が経験したかわかりませんねぇ。

白井 

本当にお世話になりました。今もうすっかりよくなりましてねぇ。バレーやバスケットのことをいうと、昔はボールなんかいじったことはありませんでした。中国に来てはじめてバスケットやバレーボールが出来るようになりました。そればかりか今ではみんなのなかから選ばれてバレーの選手にもなっています。

中島 

いやぁ、わしもねぇ、あのスケート場が出来た時なんか五十ツラさげていまさらスケートなんか、ころんで腰の骨を折るのが関の山と思っていたところが、多くの、はじめてだという同僚がたった二、三日位ですべれるようになるのを見ると俺もやってみたくなり、やってみると面白くてやめれぬようになり、すべったりころんだりしたけれど、人並に滑れるようになりましたよハハ・・・・。実をいうとねぇ、私は長野県の諏訪湖というスケートの盛んなところに生まれたんですがねぇ・・・・そのわしは中国ではじめてスケートをおぼえるなんて、まったく・・・・

岡本 

僕はねぇ、チョット運動のほうは苦手なんだけどネ、しかしそれでもねぇ、パン食い競争とか魚釣とか、宝捜しとか、クス玉割りとか、玉入れとかあまり走らないのは得意でねぇ・・・・(全員爆笑)。俺はあまり競技に出なかったが、たったひとつ競技に出て賞品をもらったことがあるよ。それはピンポンの試合に出たんだ。マサカここでピンポンなんて出来ると思っていなかったんだが。

久保田 

私もこんな年寄りだけどネ、半日運動をやらせてもらって、けっこう若い者とおなじように丈夫ですよ。

中島 

わしやね、昔、中国の人を捕えて留置場に一年近くもホウリ込んでいたことがあります。その間運動どころか、散歩すらさせず、いれッ切りでした。そのためその人達は青白くやせこけ、外へ出た時なんかちょっと歩くとフラフラしてぶッ倒れるという有様でした。このことと中国政府が自由に運動させてくれたことと思い合わせて、何と感謝してよいかわかりません。

司会 

全く私達は自由な運動が充分出来、飯の腹一杯食わせてもらいました。こんどは自分達の食生活をふり返ってみましょう。

久保田 

まったくわしみたいな年寄りは、腰が曲ったり、あちこち体が惡いもんだから班長さんはひじょうに心配されて『飯が食べられるか』とか『かめないのではないのか』とか『お菜はたべられるか』とか、いろいろ心配されて年寄りには年寄りに似合った食事を作って下さったり、患者食には三品も四品もいろいろ変ったものを手数をいとわず作って下さった。いつも昔のことを引合いに出すようですが、いぜん私が東北にいた当時、中国の人たちに対したのとはまったくちがっています。

司会 それから、私たちは日本人好みのもを沢山たべて来ましたねぇ。

若月 

そうですよ、私も年が若いものですからね、正月や旧正月になると、きっと炊事に餅つきのピンチに行きましたよ。向う鉢巻きで皆が威勢よく気合いをかけて餅をついてね。ほんとうに日本に住んでいると同じように紅白の餅が食べられるとは考えてもみなかったことですよ。そして、工作員の方も汗をかいて餅つきを手伝ってくれましたね。

中島 

日本人好みの食事というと、すしも食べましたね。わしはここで巻ずしが食べれる、ちょっと考えていなかったですよ。

岡本 

そうですよ、わしも、もともとすしが好きだったもんですからね、六本も七本も巻ずしを食べて皆に笑われましたよ(一同笑声)

白井 すしもそうですが、大福餅、おはぎ、ぜんざいなんかもね。

司会 

私らは山の中で育って、まったく味噌と漬物しか食べて来なかったんですがねぇ、それが中国では毎日白米飯に美味しい副食を食べて来ました。その他こうした民族の習慣や好みをよく尊重して配慮してくれましたね。

中島 

真冬にキウリ、ホウレン草、これをみただけでもどんなに私たちのビタミンの吸収、栄養の攝取を考えておられたかよくわかりますよ。

司会 食事の面でもそうでしたが、衣類の面でもやはりそうでしたね。

伊東 

そうですね、衣服など毎年新しい物をもらって、とても着つくせるものではなかったし、すべてこんな調子だからせっかく日本から小包で送ってくれたものに少しも手を通す必要がなく、今度それを背負って歩いているというわけですよ。


中島 イヤー、私もそうですよ。


石田 そうでしたね、破れた物などひとつも着ることがなかったですね。


司会 

私たちは食う物、着る物いずれも恵まれた生活をして来ましたが、もっとまだ樂しいことがありましたね。

若月 

そうそう、踊りとか劇とか、わしはどうも人から手をたたいてもらうのが好きでしてねぇ(笑声)。踊りなど何百とやったですね、日本民謡、朝鮮舞踊、中国のヤンコー、腰鼓、それにあの茶摘の踊りや蓮の花の踊りなどね、それからソ同盟の踊りもね、大がかりな芸能祭は、みんなで三十回以上もやったですよ。


中島 久保田さんも芸能祭に出られたんですね。


久保田 

ハイ、私も過去は号令かけることしか知らなかったのですが、年寄りも若い人に見せてばかりもらっていてはだめだと思って、一度舞台に立ったんですが、とたんに拍手されて、あがってしまってね、観客の誰が誰だか見分けもつかなくなってしまってね、それでも合唱が終ると、またもアンコールでしたよ。この禿頭が舞台に上ったのに同情してくれたせいもありましたでしょうがね、アハハハ・・・・(笑声)

中島 

そうそう、久保田さんはあれからずうっと舞台に立っていましたね。今度はお孫さんと一緒に大いに踊りや歌もやるんですなァ。


久保田 ええ、やりますとも。


司会 踊りの時は『ムスメ』さんもおおぜい出て来ましたね。


若月 

そうそう、あの『ムスメ』さんの衣裳造り、かつら造り、化粧、あれはなかなかたいへんでしたよ。

司会 

いつか日本から来た代表団が私たちの芸能祭を見て、『この管理所には日本人の女もいるんですか』と聞いたことがあったそうですよ。

中島 

劇がちょっとでも遠のくと、もうありそうなものだがなァと、ちょっと淋しくなることもありましたからね。いざ劇だ芸能祭だとなるととたんに張りきり方がちがってね。それに私たちが踊りや劇をやるとなると所長先生から工作員の方、それに家族の方、看護婦さんなどみんな見物に来られたですね。日本人民の状態を描いた劇には涙を流して、もうとても観ていられないと言われ、こんなに真剣に中国の人びとは私達の芸能祭を観てくれたんですよ。 

若月 

管理所の工作員の方々はよく子供を連れて来られるんで、子供の声が聞えるとやっている者はとても張り切ったんですよ。


司会 映画も沢山みましたね。


若月 

私が記憶している範囲でも、三百本以上でしたよ。日本の映画も沢山みましたね。『太陽のない街』『二十四の瞳』など、ああした映画は感銘が深かったですねぇ。それからわれわれの間では、インド映画が好評をよんだですね。

岡本 イタリアの映画『自轉車泥棒』もそうでしたね。


中島 

管理所では、あの楽団も、ずいぶん私達を楽しませてくれましたね。こんど帰るときはその楽器までもらったりして・・・・。

石田 

樂団が最初出来たときは、スカスカラッパであったんですが、とても上達しましたね。最近では、あの『ウィリアム・テル』や『黄河合唱の歌』なども立派にやりこなしていましたからね。私は納涼会で音楽を聞き、踊りを見るのが、なによりの楽しみでした。

白井 

いや、まったくそうでしたね。あの音楽会では『さくら』『越後獅子』、踊りでは『八木節』『安来節』など、ほんとうにこんな美しい文化遺産が私達の祖国にもあったのだと思うと、とても祖国が懐しくなることがありましたよ。

若月 

たしかに、私達の文化活動は、大きな力をもつようになりましたね。そればかりでなく、昔は譜を読むのに大変だった人が、いまでは作曲できるようになったんですからねぇ。

岡本 

作曲ができるようになったばかりでなく、絵を描く人も、六年のうちに沢山出てきましたよ。私自身も昔からぼつぼつ絵を描いていましたが、中国に来たときは、もう自由に絵を描けまいと思い、悲観していました。ところが、絵をかきなさいと油絵具や其他の道具など全部そろえてくれました。この六年間のうちに、大型の油絵など私一人だけで百点も描きました。そのほか水彩画、ポスター、スケッチなど全部合わせれば、私だけで、八百点ぐらい描きましたよ。(ホーと一同びっくり)

若月 岡本さんの『チベットの豊収』、あの絵は大したもんですね。

岡本 

いやー、そのほか全然絵の描けなかった人で、絵が描けるようになった人がたくさんいますよ。さきほど若月さんがいわれたように、作曲のできない者が出来るようになり、絵の描けない者が描けるようになったり、私達は、個人の才能と趣味を生かすことができました。

中島 

本当ですね。岡本さんがいわれたように、趣味を生かすということは、大きな事ですよ。碁も今では誰でもうてるようになっていますよ。

司会 私も管理所に来てから、碁をうちだしましたよ。


岡本 私達はそのようなことを通じて、人間らしくなって来たのですね。


司会 いま人間らしいといわれたが、人格が尊重されておりましたね。


中島 

私は警察にいて、人をたたくなどは何とも思はず、当り前だと考え、街頭でも中国の人をずいぶんなぐり、また警察にひっ張りこんでなぐりました。中国に来てからは、わたしたち一同一度もなぐられたことはないですが・・・・。

伊東・久保田 まったくそうです。

司会 

それでは最後に参観について話しましょう。岡本さんは、中国の11の省を見てまわって、どう考えられましたか。

岡本 

参観のことですが、6400キロの旅行をさしていただき、私はこの中から何処へ行っても感じることは、ひじょうに、まあ中国の景色が美しいということを今度程感じたことはありませんよ。私は昔は戦争の絵などかいていたのです。中国の町や村が爆撃で廃墟になったその景色をかいていました。しかしそのような景色がこんど参観したあの美しい景色とくらべてどんなに醜悪なみにくいものであったか、このようなものを美しいと感じていた自分を反省することが出来ました。

揚子江の両岸の菜種の花の咲いたところ、また漢口から杭州にかけてどこにも咲いているアンズや梨の花など、本当にきれいな景色だと感じました。鉄道沿線の町や村や住宅やまたハゲ山が植林されているのを見て、皆さんも美しいと感じられたと思います。これは誰がつくったのでしょうか。もとから美しくはなかったのです。中国の人が戦争の廃墟の中から建設して出来たものであることを私はしみじみ感じました。この中から私は、平和な環境のなかで美しい心をもった人があってはじめて美しい景色が出来ることを学んだのです。このような美しい町や村をふたたび廃虚にしてはならない、これこそ最大の罪惡であると本当に強く感じました。この村や町に中国の人の尊い血が流され骨がうずめられたことを考えるとき、過去の行為を反省せずにはおられませんでした。

伊東 

杭州は私は前にいたことがあるのでとても印象が深いものがありました。日本兵がバリケードをきずき、銃剣をつきつけて通行人を検査した所も、いまは平和建設の工事がすすんでいました。西湖や霊隠寺などの名勝地もあの頃は日本の軍隊ががんばっているので、中国の人で遊びにゆくものは誰一人いなかったところですが、今では農民らしいおじいさんやおばあさんがお寺まいりしているのを見ました。私はすべてのものが中国人の手にもどったことを強く感じました。そして名所古跡もいまさかんに修築されていました。

司会 

参観といえば瀋陽市郊外の大村に行ってあのおばあさんからあたたかい気持で会ってもらった。しかし実際には、いまさらこちらから顔を出せた義理じゃないんです。こういう中国の人たちの寛大な気持についてどうですか。

若月 

私は養老院で老人の方がきれいな部屋に住み、植木いじりや玉突きを愉快そうにしているのを見て、ふとおふくろはどうしているだろうかということを考えました。老人の方は、日本の人にも自分たちとおなじように老後のたのしい生活をさせたいと言っていました。私は老人の方が、私たちの親のことをも考えて言ってくれたのだと、そんな気持がしました。

司会 

私たちは長い間中国の人びとの配慮をうけて来ました。このなかから、わたしたちは中国の人たちが世界の平和をつよく願っていることを知りました。私たちに対する態度、日本人民への友情もここから出ているとおもいます。私たちは過去の罪悪を知り、ふたたび中国の人に銃をむけることは出来ないと強く感じています。

第二次世界大戦に苦痛がアジアの人びと、世界の人びと、わたしたち日本人自身のなかに強く残っているのです。自分たちの行く道は平和の道だし、この道こそ自分たちのすすむべき道だと思います。今日天津に集まって間もなく日本に帰ろうとしていますが、今後私たちは二度と前のような道は歩まず、平和のために努力しなければならないと思います。(全員同感の声)


 中国の皆様から受けたあたたかい配慮に心から感謝し、中国の皆様への最後の言葉としましょう。それから『人民中国』編集部の方がわざわざこの座談会をひらいて下さったことにも感謝したいと思います。

編集部 

たいへん長いこと、どうも御苦労さまでした。かさねてお礼申し上げます。みなさんは、いよいよ中国をあとにして、みなさんの祖国日本にかえられ、家族の方がたと一家だんらんの楽しい日をお迎えになります。どうか日本にかえられてから、平和で幸福な生活をお送りになりますよう心からお祈りしております。では、みなさん御元気で。どうも有難うございました。 

【出席者】

大澤剛 1922年岐阜県生まれ。公主嶺憲兵分隊特高係憲兵軍曹。故人。
中島宗一 1909年長野県生まれ。竜江省警務庁特務課地下工作班長。故人。
伊藤恒 1911年佐賀県出身。関東軍憲兵司令部教育隊教務課長憲兵少佐。故人。

久保田源次郎 1888年東京生まれ。「満州国」軍第九軍管区副指令少将。故人。
岡本鉄四郎 1915年愛媛県生まれ。117師団389大隊伍長。故人。
石田傳郎 1907年三重県生まれ。間島憲兵分隊長憲兵少尉。故人。

白井藤代 1920年千葉県生まれ。59師団45大隊第2中隊分隊長兵長。故人。
若月金治 1924年山梨県生まれ。59師団41大隊5中隊一等兵。故人。

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★  漢語迷の武漢日記  ★


中国の武漢に留学している「漢語迷」と言います。「漢語」は「中国語」という意味です。 「迷」は日本語でいえば「おたく」に近い意味です。例えば、「球迷」といえば、 「サッカーおたく」といった意味です。私は今、中国語の勉強に情熱を燃やしているので、こういうペンネームにしたわけです。

「漢語迷の武漢日記」と題して、中国の留学生の生活・中国の学生の生活といった身近なことから中国の政治 ・経済・社会・マスコミの状況など少し大きなことまで、いろいろなことを皆さんにお伝えできればと思っています。 あまり大したことは書けないとは思いますが、中国に関心のある方はよろしかったら読んでみて下さい。

漢語迷は、2002年6月23日をもって、武漢での留学期間を終え、7月から中国の経済特区・深センで仕事をすることになりました。 今後はビジネスという角度からの情報も含め、これまでの『漢語迷の武漢日記』の名称のままで、引き続き中国レポートをお送りします。 読者の皆さん、今後ともよろしくお願いします。

http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/kangomei/

第1回 日本人留学生の生活 


 皆さん、こんにちは。私はこの九月から中国の武漢というところに留学している者です。年は30歳。仕事を辞めてやってきました。ペンネームは「漢語迷」と言います。「漢語」は「中国語」という意味です。「迷」は日本語でいえば「おたく」に近い意味です。例えば、「球迷」といえば、「サッカーおたく」といった意味です。私は今、中国語の勉強に情熱を燃やしているので、こういうペンネームにしたわけです。
 今日から「漢語迷の武漢日記」と題して、中国の留学生の生活・中国の学生の生活といった身近なことから中国の政治・経済・社会・マスコミの状況など少し大きなことまで、いろいろなことを皆さんにお伝えできればと思っています。あまり大したことは書けないとは思いますが、中国に関心のある方はよろしかったら読んでみて下さい。

 今日は第一回ということで、とりあえず一番身近な留学生の生活を報告したいと思います。

 私は今、二人の日本人と生活しています。彼らと生活していて驚いたことは、彼らがほとんど勉強をしないということです。今は授業にすら出ていないという状況です。それでは一体何をしているのかと言うと、毎日のようにプレステをやったり、日本のビデオや漫画を見たり、スポーツをしたり、音楽を聴いたりして生活しています。もちろん、これらのことをやってはいけないとは言いませんが、これらのことで留学生活のほとんどが占められているというのはやはり問題だと思います。彼らが「親が金を送ってこない」などと怒っているのを見ると、彼らの親は本当にかわいそうだと思います。「何のために留学しているんだ」と言いたくなります。一番困るのは、彼らが音楽をすごい音量で聴くので、勉強に集中でできないということです。今や耳せんが不可欠になっています。中国には耳せんが売っていないので、日本から持っていった耳せんがぼろぼろになっています。

 留学生寮というのは中国の学生から隔離された世界なので、自分から中国の学生に積極的にアプローチしていかなければ、全く彼らと接せずにすんでしまいます。私はかなり中国人の友達が増えましたが、中国人との接点がほとんどないという人も多いようです。

 私は日本いるとき、「留学をした」という話を聞くと、「じゃあ、もうペラペラでしょう?」などと紋切り型に言っていたものですが、実際に来てみると、語学の習得というのはやはり一人一人の努力に依存しているというのを実感します。 私の方は彼らにかまわず、1日1日を大切にして勉強していこうと思っています。今また、すごいボリュームで音楽が鳴り始めました。困ったものです。それでは、今日はこれで失礼します。

1999.12.4

第2回 留学生と中国人学生の格差 


 皆さん、こんにちは。今日は中国の留学生と中国人学生の置かれている生活環境の格差についてお伝えしたいと思います。

 まず最初に私たち留学生の生活環境について簡単に紹介しましょう。武漢大学の留学生寮の場合、四人部屋になっています。ただ、四人部屋といっても、中には一人一人の個室があります。冷暖房は完備、当然お湯も出ます。ただ、この夏は新しい留学生寮ができたばかりということもあり、結局は冷房がつかず、40度近い暑さの中を扇風機だけで過ごさなくてはなりませんでした。暖房も使い始めの頃は漏水があったり、すぐに壊れたりして大変でした。お湯が出なくなったり、停電になったりということもたびたびです。そういうわけで、留学生の間では不満が絶えません。

 しかし私が初めて中国人学生の宿舎に行ったとき、こうした不満は一気に吹き飛んでしまいました。彼らの部屋は八人部屋でした。中に入ると左右に二段ベッドか二つずつ。日本のユースホステルを思い浮かべていただければいいと思います。真ん中に共用の小さな机が二つ。もちろん個室などというものはありません。冷暖房は当然なく、冬をしのぐ手段は 「窓を閉めること」 だそうです。シャワーも水しか出ないので、耐えられない人はバケツにお湯を汲んできて使います。
 私が中国人学生の宿舎に遊びに行くと、誰もが決まって「私たちの宿舎は環境が悪くて恥ずかしい」と言います。そのたびに私は返答に困ってしまいます。 中国人からしてみれば留学生は本当に贅沢な暮らしをしているのです。

 こうした現象が起こる背景には円と元の価値の格差があります。中国人の一ヶ月の給料の平均は都市部でも一万円ちょっとです。つまり、日本人と20倍ほどの格差があるわけです。留学生の学費や部屋代は中国人学生に比べて格段に高いので、やはりいい環境の所に住めてしまうわけです。 逆に、中国の学生が自費で日本に留学することはほとんど不可能というのが現状です。中国人学生の友達の友達が日本に留学しているそうなのですが、彼は死体運びなどをして生計を立てているそうです。毎日遊んで暮らしている日本の留学生とは何という違いでしょうか。

 このような経済力の差を背景に一部では何か自分が偉くなったものと勘違いし、傲慢になってくる日本人も出てきます。恐らく日本でも報じられたと思いますが、武漢でこのような事件がありました。ある日本企業の駐在員が、ホテルで注文と違ったものが来たのに激怒して、ウェイトレスに土下座して謝らせたというのです。結局、この社員は強制帰国という処分になったようですが、日本の「週刊新潮」ではこの処分を「国辱」などと言って批判していたようですね。(私は直接この記事を読んだわけではありませんが。) しかし、私に言わせれば、これぐらいしてやらないと日本人の王様気分はなくならないのではないかと思います。(もちろん、日本企業の駐在員がこのようなひどい人ばかりではないことは申し添えて置きます。)

 すっかり話が広がってしまいましたが、このような「格差」を指摘したところで、それをすぐにどうにかできるというものではありません。ただ、私は一部の留学生のように経済的に、また環境において恵まれているのをいいことに、無駄に時間を過ごすようなことは決してしてはならないと思うのです。そのことを肝に銘じて留学生活を続けていきたいと思っています。

1999.12.25


第3回 中国農村訪問記


 日本で最も大きな祝日といえば、おそらく元旦でしょう。ところが、中国では元旦というのはあまり重視されていません。なぜなら、中国人にとって重要なのは旧暦だからです。したがって中国で最も大きな祝日は旧正月(春節)です。今年の場合、新暦の二月五日が旧暦の一月一日にあたります。この時期、中国が一年の中で最もにぎやかになります。

 私はこの春節をやはり中国人とともに過ごしたいと思ったのと、中国人の普通の生活を知りたいと思い、冬休みを使って中国の友達の実家に行くことにしました。今回はその訪問記を皆さんにお伝えしたいと思います。

 武漢から電車に乗ること7時間。そこからさらにバスに乗ります。途中、漢江という長江の支流にあたる大きな川を渡るのですが、橋がないため、バスごと船に乗って川を渡ります。船といっても日本のフェリーのような大きな物ではなく、車が10台程度しか乗らないような小さな船です。 2時間ほどするとようやく湖北省(中国中西部)の村にある私の友達の実家に着きました。お父さんが小学校の先生をしているため、小学校の中に家があります。観光地ではないので、外国人はよほどのことがない限りまず来ることはない所と言っていいでしょう。

 何といってもきつかったのは寒さです。いま中国は一番寒い時期なので、中西部といっても零下10度近くまで気温が下がります。ところが友達の家には暖房器具というものが全くないのです。窓の周りも隙間だらけで、外とあまり変わらない寒さだったので、本当に大変でした。友達のお父さんの月給は約500元(約6500円)。中国の中でも、あまり高い方ではありません。お母さんの方が農民出身ということもあり、仕事をしていないので、生活はなおさら苦しいようです。そういう中で暖房器具を買うというのはかなり大変なようです。

 もう一つ大変だったのは風呂がないことです。彼らは週に一度程度お湯で体を拭くくらいです。僕もその習慣に従いましたが、2週間以上も風呂に入れないというのはやはりつらいものです。

 テレビは12年前に買ったという映りの悪い白黒テレビ。洗濯機などはもちろんありません。ガスはあることはありますが、節約のためか主には薪を使っていました。トイレは公共のものしかなく、夜は真っ暗闇の中を2・3分歩いていかなければなりません。トイレといってもドアなどはなく、穴が並んでいるだけのものです。つまり、昼間ならお互い丸見え状態です。トイレットペーパーはなく、みんな新聞紙を使っていました。

 食事は質素そのものです。日によってはおかずが白菜だけ、もやしだけ、春雨だけという日もありました。肉や卵はめったに食べられないようです。しかし、春節になると肉や卵、餃子がたっぷりと出てきます。中国人にとって春節というのは本当に特別な日なのです。

 言葉はかなりきつい方言で、普通語(日本で言う標準語)しか勉強していない私にはほとんど聞き取れません。また、普通語が話せない、聞き取れないという人もたくさんいます。


木がほとんど残っていない山 (筆者撮影)


 この村にはゴミを収集するというシステムがまだないため、ゴミがいたるところに散らばっていました。また、印象的だったのは周りを山に囲まれているのに、その山の上に木がほとんど残っていなかったことです。禿山といってもいい状態で、無残でした。恐らく薪を取るに任せて、環境を保護する対策を採っていないのでしょう。ただ、こうしたことを責めるわけにはいきません。この村にはそのような対策を採る資金など恐らくないのです。

 ただ、友達が言うには、この村の生活水準は中国の平均レベルで、もっと経済的に遅れた地域はたくさんあるといいます。実際、中国のもっと内陸部に行けば貧しい地域はいくらでもあるでしょう。 中国が改革解放以降、急速に経済発展しているとはいえ、やはりまだまだ貧しいというのが現実です。

 中国の学生がどんなに苦労して大学に来ているかということを知ると同時に、留学生というのは普通の中国人とは全くかけ離れた生活をしているということを改めて実感した2週間でした。1日何百元もするホテルに住んでいる日本の大企業の社員は普通の中国人から見たらほとんど貴族のような生活をしていると言ってもいいでしょう。そして、そうした日本人の多くは中国の普通の人たちの生活を知る機会もないし、知ろうともしないというのが現実です。  日本での豊かな生活に慣れてしまった僕にとって、中国人と同じ生活を続けていくことは不可能でしょう。ただ、これから中国と深く関わっていくものとして、「普通の中国人」の存在を忘れてはならないし、彼らとの接点を持ち続けていきたいと思っています。そして、それが真の意味での日中友好への近道だと思います。

2000.2.11

第4回 過去の戦争に対する大きな認識の差


 大阪市のピースおおさかで1月23日に行われた集会 「二十世紀最大の嘘 『南京大虐殺』 の徹底検証」 について、こちらの方の 「集会」 反応をご報告しておきましょう。

 まず、中国政府の反応ですが、テレビや新聞では毎日のようにこの問題が大々的に取り上げられ、 「集会」 に対する批判と同時に、日本の政治家がこの問題についてどう発言したとか、新たに南京大虐殺を証明する資料が見つかったといった報道が連続的にされていました。

 次に、学生の反応ですが、南京大学では抗議行動なども行なわれたようですが、武漢大学について言うと、表立った抗議行動というものは全くありませんでした。関心は比較的薄かったようです。友達に聞いてみると、 「集会」 についての情報自体を知らない人もいました。中国人学生の宿舎にはたいていテレビがないので、新聞を見ない限り情報が入らないということもありますし、期末テストの時期だったということもあったようです。ただ、留学生寮の前に 「集会」 を批判した新聞記事のコピーが貼ってありました。誰が貼ったのかはわかりませんが、やはり中には強い関心を持っている人があることも確かです。

 ふだん中国人学生と話している時のことについて言うと、戦争のことを話題に持ち出してくる学生はほとんどいません。やはり、彼らとしても触れにくいようです。ただ、中にはやはりストレートに戦争について聞いてくる学生もいます。彼らの本音を知るには、もう少し関係を深めていくことと、語学力を高めていくことが必要なようです。

 学生以外の人たちの反応ですが、僕が農村に行っている間、食事をしている時に何度か南京大虐殺に関するニュースが流れました。なんとも気まずい状況でしたが、僕が 「こういう人たちがまだ日本にいて本当に恥ずかしい」というと、友達のお父さんは、「これは歴史上のことだから、気にすることはないよ」と言ってくれました。また、別の人は「あなたのような後の世代の人たちの問題ではない」と言っていました。しかし、内心はどう思っていたか分かりません。

 日本人の友達や先生の中には、タクシーに乗った時に 「集会」 の件でけんかを吹っかけられたと言う人もいました。やはり、反応は一様ではないようです。 仲のいい中国の友達は 「中国人の多くは日本人を恨んでいる」 と言います。それが、実態に近いかもしれません。

 いずれにしても、戦争について日本人と中国人の間で大きな認識の差があることだけは確かです。

 先日読んだ中国のある雑誌の中に韓国人のエッセイが載っていました。そこには「韓国人が一番尊敬するのはどこの国の人か?大多数の人はドイツ人と答える。なぜか?彼らは自分たちの過去の誤りを認める勇気があったからである。それに比べて、日本人はどうか?言葉の遊びにふけり、何とか過去を忘れさせようとしてきた」 と言ってことが書いてありました。これは韓国人が書いたものですが、中国人も同じように思っていることでしょう。

 「いつまで謝ればすむのか」 などといっている人は、なぜ日本とドイツに対する評価がこれほど違ったものになってしまったのかを考えるべきだと思います。

2000.2.13

第5回 中国のマスコミ 


 今日は皆さんに中国のマスコミの現状についてご報告したいと思います。
 マスコミは本来、権力を批判・監視する機能を持つ必要があること、にもかかわらず日本のマスコミの場合、記者クラブ制度などによってこの機能が全く骨抜きにされていること、こうしたことは多くの人によって再三指摘されてきていることです。

 しかし、中国のマスコミについて言えば、現状は日本とは比較にならないほど深刻だと言わざるを得ません。中国のマスコミの役割―それは、政府の政策の宣伝に他なりません。最近になって「世論による監督」ということが中国でも言われるようになってきましたが、実質的には中国のマスコミはこうした役割をほとんど果たしていないといっていいでしょう。

 中国のマスコミの現状は中国の代表的なニュース番組「新聞連播」を見れば端的にわかります。この番組は毎晩七時から中央電視台で三十分間放送されているもので、日本で言えばNHKの七時のニュースに当たるものと言っていいでしょう。

 このニュースの内容のほとんどは中国の指導者が誰々と会談した、こういう講話をした、どこどこへ行った、共産党がこういう会議を開いたといったもので占められます。そして、特徴的なのはいいことは報道しても悪いことはほとんど報道しないということです。例えば、鉄鋼の生産がこんなに増えた、といったことはしょちゅう報道されますが、「政府の政策の失敗でこんな問題が起きた」といったことは決して報じられることはありません。

 政府の政策を正当化するために極めて恣意的に情報が選択されているということも中国のニュースの特徴の一つでしょう。例えば、日本については最近よく「日本政府がオウム真理教に対する取り締まりを強化した」というニュースが取り上げられます。他に日本についてのもっと大きなニュースはたくさんあるのに、なぜこのようなニュースが取り上げられるのでしょうか?ここには明らかに中国政府の法輪功に対する取り締まりを正当化しようという意図が伺えます。つまり、「先進国」日本でも「邪教」に対する取り締まりを強化している。ならば、我々が法輪功を取り締まることが人権弾圧などとどうして言えようか、というわけです。実際、こうした情報操作は功を奏しているようで、中国の学生の中では法輪功=オウム真理教と同様な極めて危険な宗教、というイメージがすっかり出来上がっています。

 ロシアのチェチェン紛争に関する報道が日本に比べてはるかに多いのも同じ意図によるものといえます。中国はロシアがチェチェンの独立運動を鎮圧することを支持しているのですが、ニュースも「ロシアがチェチェンの独立派を見事に押え込んだ」というような論調です。なぜ、こうなるのかというと、中国は新彊やチベットで独立運動が激化することを極度に恐れています。したがって、こうした独立運動を押え込むことを正当化する必要があるわけですね。だから、「ロシアだってやっているんだぞ」ということを言いたいがためにチェチェンのことを頻繁に報じているのだと言えると思います。

 台湾の総統選挙について言うと、ほとんど無視に近い状態でしたね。ニュースではなんと各候補者の得票率だけを言って、十秒ほどで終わりました。そして、その後にどこどこの国が再度「一つの中国の原則」を支持したというニュースを滝のように続けざまに流しました。こうした報道の影響もあり、中国では「台湾が独立してもいい」などという人はほとんどいません。というより、まだ出会ったことがありません。かなり柔軟な考えを持った先生でも、この問題では絶対に譲る人はいませんね。それだけ教育と報道の影響は強いということでしょう。

 中国のマスコミがこのようになってしまう根元にはやはり共産党の一党支配があります。この部分が変わらない限り、いくら「世論による監督」などと言っても問題は根本的には解決しないでしょう。

 さて、随分と中国のマスコミの悪口を言ってしまったようですが、振り返って日本のマスコミはどうでしょうか?中国のマスコミに比べたら比較にならないほど自由な環境にありながら、自分たちの権益を守るために自ら政府に統制される道を選んでいるわけですから、ある意味では状況はさらに深刻と言えるかも知れません。中国のマスコミを批判するのは簡単なことですが、自分たちも似たことをやっていないのか、省みる必要があるのではないでしょうか。

2000.4.1

第6回 日中のナショナリズムをめぐって 


 この一年間、南京大虐殺や台湾問題をめぐって日本でもさまざまな議論が繰り広げられてきたかと思います。それについて、中国にいる僕の眼から簡単に意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、南京大虐殺をめぐる議論についてですが、一つ指摘しておかなければならないことは、日本で南京大虐殺をを「否定」する人たちが出てきたり政治家が失言を重ねたりすることについて、中国政府の一部の人たちは純粋に怒りを感じるというというよりもむしろ喜んでさえいるのではないかということです。なぜか?それは、こうした問題が起こればそれをナショナリズムの高揚に利用することが出来、同時に国民の政府に対する不満をそらすことができるからです。もちろん、中国の多くの侵略戦争の被害に遭った一般の民衆(中国では民衆を「老百姓」という)は純粋に怒りを感じていることは言うまでもありません。つまり、「中国」と一口に言っても決して一枚岩ではなく、官僚と「老百姓」では立場に違いがあることを見ておく必要があると思います。

 ただ、こうした中国のナショナリズムを批判する人たちは往々にして自分の国のナショナリズム、また、自分の中にあるナショナリズムには全く無批判です。これでは中国政府のナショナリズムを批判することは出来ないでしょう。

 次に台湾問題についてですが、誤解を恐れずに言うと、僕は石原慎太郎の台湾問題に関する中国批判については大体において支持することが出来ます。僕の基本的な立場はこうです。「台湾のことは台湾の人たちが決める」。彼らが独立を支持するなら独立すればいいし、統一を支持するなら統一すればいい。そう考えます。ですから、石原氏が中国の「最悪の場合武力で統一する」という考えを批判するのはもっともだと思うのです。これは民主主義の原則からして当然でしょう。問題は石原氏のこうした発言が民主主義を擁護しようという動機から出ているというよりも彼の国家主義的・拝外主義的な思想から出ているということです。

 僕がこの二つの例を挙げて言いたかったことはこういうことです。僕は中国に来てマスコミの統制や強い国家主義的体質など悪い面をたくさん見てきています。これは南京大虐殺や台湾問題をめぐる報道にも言えることです。そして、これらは当然批判に値することです。ところが、中国のこうした面に対する率直な批判は、どうも石原氏を始めとしたいわゆる「保守派」(こうした安易な分類はあまり好きではないのですが)と言われる人たちからばかり出ているような気がするのです。

 今必要なのは、中国の問題点も批判できると同時に自国の血塗られた歴史も率直に批判できると言う人ではないでしょうか。そうしないと、議論にどうもかみ合わない部分が出てくるような気がするのですが、いかがでしょうか?

 僕が得ている情報というのは極めて限られたもので、ここで述べたことも極めて感覚的に述べたことに過ぎないので、批判などがあれば率直に出して下さい。

 さて、最後にチベットについて中国ではどう報道されているか知りたいという要望があったので、ちょっと触れておきます。

 実を言うと、僕の見ている範囲ではチベットに関する報道は最近ほとんどありません。当然と言えば当然でしょう。「チベットで暴動が起こった」などというまずい情報は中国では絶対に流されることはないからです。

 チベットの政治機構の重要なポストは漢民族が押さえているという事実はあるようです。石原氏らが中国のチベット政策についてどう批判しているのか具体的には知りませんが、問題があるのは事実でしょう。

 チベット「解放」が果たして「侵略」と言えるのかどうかは僕はチベットの歴史に関する知識がほとんどないのでわかりません。ただ言えるのはイデオロギーを抜きにしたところで歴史学的に厳密に検証していく必要があるということです。中国を擁護したい、あるいは批判したいという動機が最初にあって問題を見るならば、正しい評価は下せないでしょう。

少し長くなりましたが、今日はこの辺で。

2000.6.15


第7回 報道とナショナリズム 


 前回の『漢語迷の武漢日記』に対して次のような質問をいただきました。

 「本文中にこのようにあります。

『それは、こうした問題が 起こればそれをナショナリズムの高揚に利用することが出来、同時に国民の政府に対する不満をそらすことができるからです。』

これは、何か具体的な新聞記事や事実によるものでしょうか?現地にいて、具体的な情報に接しておられると思いますので、そのあたりのことを、もう少し詳しくお教えいただけたら、幸いです。」


 これはなかなか難しい質問ですね。というのは、中国指導部は「南京大虐殺について報道するのはナショナリズムを高揚させるためだ」などということは絶対に言うわけはないからです。ただ、私は以下の二つの理由からそのように言えると判断しました。


1.以前にも述べたように、中国のニュースというのは完全に共産党によって統制されたものであり、台湾問題・法輪功問題・チェチェン問題など、全ての報道の内容から抽出できる特徴として@中国政府の政策が正しいものであることを宣伝するA中国のナショナリズムを高揚させる、があること。したがって、南京大虐殺報道もその例外ではありえないこと。


2.中国の報道が日本の政治家の失言や「否定集会」など以外にも、強引とも言えるやり方で南京大虐殺についての記事を定期的に作り出していること。例えば、下の人民日報の記事を見て下さい。

「南京大虐殺」の新たな証拠、長春市で発見

中国侵略日本軍の「南京大虐殺」の新しい証拠が発見された。吉林省歴史資料館はこのほど、当時の「大阪毎日新聞」を一枚発見した。この新聞には南京で日本記者が目撃したことが掲載されている。

「昭和12年(1937年)12月23日」付けの「大阪毎日新聞」には「南京総攻撃観戦記(その3)」と題した記事が載せられている。作者の署名は「光本本社特派員」である。記事には、「特派員」は、中国侵略日本軍に伴って廃墟となった南京に入り、南京市内で中国の一般人や軍人が逃げまどい、死傷する現場、日本軍が略奪した軍備の数々などの「輝かしい戦果」、日本軍が威張って南京入りした情景など、見き聞したことが記載されている。

記事はこう書かれている。

「助川部隊と海軍に一掃された後の敗軍の死体は(下関埠頭付近の)この大通りから揚子江下流まで2、3里続いており、ある報告によると、死体数は全部で約3万体である。城内の掃除は14日午後5時に一段落した。」

「南京総攻撃以降の敵の死体についての最初の統計結果ではおよそ、城外攻撃を行なった3日で合計7万人を殺し、城内では合計1万5千人の敵を殺した。この他、生きて捕えられ、処置が不可能な敵は、各部隊合計で約1万2 千人……。」


 紹介されたところによると、この新聞は、このほど傀儡満州国歴史資料で発見されたものである。「大阪毎日新聞」は「保存廃止」の本の間に挟まれており、どの資料にも「関東軍司令部満州航空株式会社」の「複製不可」および「秘」という字のある公印が押されている。日本で発行されたこの新聞は、当時の「満州航空株式会社」が日本から傀儡「満州国」の「首都」長春に持ち込んだものかもしれない。


「人民日報海外版」 2000年1月25日4面

 私は今この『大阪毎日新聞』の記事の内容自体が正確なものなのかどうかを証明することは出来ません。しかし、今、問題にしたいのはそのことではありません。私が問題にしたいのは『大阪毎日新聞』の記事を人民日報が「新発見」としていることです。皆さん、考えてみて下さい。『大阪毎日新聞』の記事などというのは日本の図書館のどこにいってもごろごろしているわけです。日本の南京大虐殺について研究している学者もとっくにこうした記事は見ていることでしょう。中国では他にも「どこそこの農村のある家の軒下から古い新聞記事が発見された」といった類の報道が常に流されています。それを「新発見」などといって騒ぎ立てる意図は一体何なのでしょうか?これはもう純粋な意味で日本を批判しようという意図からではないことは明らかでしょう。真の意図はこうした情報が次々と流れることが中国政府にとって有利だからと言うほかはないのではないでしょうか。


 こうした歴史学的に見て粗雑極まりない記事は国内的には効果を発揮しても、結果的には中国が自分で自分の首を絞めることにつながるでしょう。こんな記事を「自由主義史観」の人たちが見たら、「それ見たことか」とよだれを流して飛びつくことでしょう。そして、「中国はこんなデタラメなプロパガンダをしている」などといって小林よしのりが漫画でも画けば、みんな「なるほど、全くそのとおりだ。自由主義史観は正しい」ということになってしまうでしょう。

 しかし、こうした中国の粗雑な記事をいくらたくさんあげつらっても、だからといって「南京大虐殺は幻だ」という証明にはならないことは改めて強調しておきます。他にもしっかりしてた歴史学上の研究があるわけですから、これは全く別の問題です。

 話はそれますが、中国の報道がこんなに水準の低いものになってしまう原因としては@社会主義体制の中で作られてきたイデオロギー的な思考様式が科学的な思考を妨げていること。イデオロギーに支配された環境の中では、イデオロギー的に正しいことを言っていれば、科学的に厳密な証明がなくても許されるという傾向があるように思います。A一党支配の下では、粗雑な記事を書いても厳しい批判に晒されることがないこと。もし、こうした記事を批判したら、まるで「南京大虐殺を否定している」かのように言われるかもしれません。

 中国がこうした状況を抜け出すにはまだ時間がかかると思います。

 ちなみに、私が中国の学生と接する時にこの問題について取り上げる時、どのようにしているかということについて述べると、中国政府の南京大虐殺報道についての問題点を取り上げることはかなり慎重に行なっています。というより、あまり取り上げることはありません。なぜかと言えば、そんなことよりも日本の過去の歴史についての反省の態度を誠実に伝えることの方が先だと思うからです。多くの中国人学生はまだまだ日本人に対して根深い不信感を持っています。僕の友達は彼の友達から「なぜ日本人と付き合うんだ」と批判するそうです。そう批判する理由の中で歴史上の問題が大きな位置を占めていることは確かです。したがって、まずこの壁を破らなければ、中国政府云々を言っても、信用してもらえないのです。中国政府を批判するにしても、まず自国の歴史に対して誠実な態度を取ることが必要であることは再度強調しておきます。

 さて、随分と話がそれてしまいましたが、「南京大虐殺について報道するのはナショナリズムを高揚させるためだ」という証明としては不十分かもしれません。あとは、中国で滝のように繰り返し流される同じような報道とそれに対する中国人のリアクションからその報道が発揮する効果を体得したとしか言いようがないものです。

2000.6.25


第8回 新彊の旅 


敦煌の砂丘 (筆者撮影)

 この夏休みを利用して新彊を旅しました。新彊というのは、シルクロードで有名な、中国北西部の地域です。ウィグル族などの少数民族が多い地域であり、独立の動きなどもあることは日本にいる皆さんもご存知でしょう。今回は旅行の中で、ウィグル族の方から漢族との関係などについていろいろと話が聞けたので、それについてご報告したいと思います。(なお、中国という国は言論の自由がない国なので、少数民族であるウィグル族が漢族を表立って批判することはかなり難しいことであることを前提にして読んで下さい。)

 新彊の町トルファンはウィグル族の多いところです。最西端のカシュガルのような、ウィグル族がほとんどを占めているという町に比べるとずっと少ないですが、それでも半分ぐらいはウィグル族という感じです。街並みも漢族がほとんどを占めている武漢のような町とはだいぶ違っています。耳慣れないウィグル語も至る所で飛び交っています。


トルファンの古代都市遺跡 (筆者撮影)

 トルファンは古代の都市遺跡など、数多くの観光地があります。私はトルファンに着いた初日に主な観光地を車でまわる一日ツアーというのに参加しました。その時に私の隣に座っていたのがウィグル族のAさんです。Aさんは見たところ、40歳前後の女性で、現在、深センで英語教師の仕事をしており、その同僚であるアメリカ人を案内するということで一緒に来たということでした。私はこれまでウィグル族の人と話す機会など全くなかったので、いい機会だと思い、ウィグル族と漢族の関係など、いろいろなことを聞いてみました。(もし、車の中に漢族が一人でもいたら、当然突っ込んだ質問は出来なかったでしょうが、観光ツアーということもあり、乗っていたのはウィグル族以外は全て外国人だったので、無理を承知でいろいろと聞いてみたわけです。)

 ウィグル族と漢族の関係について、彼女は「ますます悪化している」と答えました。この答えにはちょっとドキッとしました。なぜなら、それまでも行きの電車で会った何人かの漢族やウィグル族の運転手に同じ質問をしていたのですが、当然かもしれませんが、みんな「まあまあだよ」と言ってお茶を濁していたからです。(もちろん、本当にそう思っていた人もいたかも知れませんが)だから、「あまり良くない」と言うぐらいならまだしも、「ますます悪化している」という率直な言い方はちょっと驚きだったのです。悪化している理由として、彼女は新彊政府のウィグル人に対する差別的な政策、漢族優位の政策を挙げていました。具体例として、Aさんは自らの体験を話してくれました。

 Aさんは大学受験の時、新彊のアクスという市でトップという、非常に優秀な成績だったそうなのですが、そのような優秀なウィグル族の学生には自分の専攻を選ぶ権利はなく、強制的に中国語学科に入れられてしまったというのです。これはどうやら新彊政府が優秀なウィグル族を漢族の側に取り込むための政策のようです。その時、 Aさんは悔しくて泣いたといいます。実は、Aさんはその時までは中国語はほとんど出来なかったそうです。(新彊には漢族の学校とウィグル族の学校があり、ウィグル族で六割ぐらいの人がウィグル族の学校に通っているようです。そして、ウィグル族の学校に通った人は、ほとんど中国語が出来ないという人が多いようです。Aさんもウィグル族の学校に通っていたので、大学に入るまでは中国語はほとんど出来なかったようです)その時、私の中国語がところどころ通じなかった理由がようやくわかりました。中国語は彼女の母語ではなかったのです。(ウィグル族は中国に住んでいるといっても、母語はあくまでウィグル語であり、日本人が英語を学ぶのと同じで、彼らにとって中国語は外国語に過ぎないといっていいでしょう)

 彼女は「ウィグル族はウィグル族自身の歴史を知らない。教科書にあるウィグル族の歴史はすべて漢族の書いたものだ」と言っていました。「教育内容に対して、意見を出すことは出来ないのか」と聞くと、「新彊では全てのことは漢族が密室で決める。ウィグル族は全く口出しできない。もし口出ししたら、すぐに投獄される」と答えました。

 他にも、パスポートの手続きが漢族に比べるとはるかに遅い、モスクに行かせないなどの状況があると言っていました。また、「ウィグル族は商売で人を騙すようなことはしないが、漢族はすぐに人を騙して儲けようとする」とも言っていました。車が油田の近くを通った時には「ここはもともとウィグル族の土地だった。なのに、石油が出たとたんに漢族がやってきて奪ってしまった」と怒っていました。彼女は本当に漢族を憎んでいるようでした。

 彼女とはウィグル料理の店で昼食をともにしたのですが、この時もちょっとした民族間のあつれきを見ることになりました。私たちはパン麺という、ウィグル料理の麺を注文しました。この麺の中には本来、羊肉が入っているそうなのですが、どうも中に入っていたのが牛肉だったようなのです。彼女はそれに気づくとすぐにウェイターを呼び、「これは何肉だ」と尋ねました。ウェイターはちょっと困った様子で「羊肉です」と答えると、彼女は「絶対に違うわ。これは牛肉よ。これはウィグル料理じゃない!ここの店長は何民族?」とかなり強い口調で再度聞きました。ウェイターが「漢民族です」と答えると彼女は「やっぱり」と非常に不愉快な様子でした。この時、彼女の民族の文化に対する強いこだわりというものを感じました。

 彼女から私へも質問がありました。「日本人と漢族の関係はどうなのか?」私は「多くの日本人は中国人との交流にあまり積極的ではない」と答えました。私はこれはあまり良くない意味で言ったつもりだったのですが、彼女の方はさも「それはそうだろう。漢族などとはうまく行かないのは当然だ」とでも言いたげな反応でした。これにもちょっとびっくりすると同時に、そこまで漢族を嫌っているのだと改めて感じました。

 新彊の独立の問題についても、無理を承知で聞いてみました。彼女は「それは答えたくない。でも、それは極めて重要な問題だ」と答えました。かなり率直にいろいろと話してくれた彼女もこの問題になるとやはり慎重に答えざる得なかったようです。実は、この時から一週間ぐらい後に電車でであったウィグル族の学生たちにも、ノートに書くという形で「革命はウィグル人にとっても『解放』と言えるのか」といったことを聞いてみたのですが、「そういうことを聞いてはいけない」と言われ、答えてもらえませんでした。やはり、こうした独立に関わる問題は中国ではやはりタブーなようです。外国から来た私のような人間がぶしつけにこうした質問をすると、下手をすると彼らを身の危険にさらすことにもなり兼ねないので、その後はこうした質問をすることにはかなり慎重になりました。

 ちょっと話がそれましたが、Aさんの話に戻すと、はっきりした言い方ではありませんが、彼女の志向は明らかだと思います。つまり、「重要な問題」というのは彼女は独立を志向しているということです。

 もう一つ、日本の過去の中国侵略についてウィグル族としてどのように考えているか、ということも聞いてみました。それに対する答えは「日本人とウィグル族の間には何の問題も発生していない。だから、戦争に関しては何の感情もない」というものでした。つまり、彼らには日本に侵略された中国という国に属していたという感覚は全くないのです。これは、他のウィグル族の人に聞いてもみな同じ意見でした。考えてみれば、新彊は革命後に「解放」されたわけですから、当然かもしれません。ですが、今現在、南京大虐殺などをめぐって日本と中国の間でやりとりされていることも、彼らの多くにとってよそ事として映っていることは確かだと思います。

 以上がAさんと話したおおよその内容です。この意見はある部分はウィグル族の多数の意見を代表しているでしょうし、ある部分はそうではないかも知れません。ですから、一人のウィグル族の意見として参考にしていただければいいと思います。

ウルムチ・天池 (筆者撮影)

  ツアーで最後の観光地を見た後、私が最初に車に戻ってきて、運転手と二人だけになったので、ちょっと話をしました。最初に「ウィグル族と漢族の関係はまあまあだ」と言っていた運転手です。ですが、この時はまる一日ツアーをともにしたことでちょっと打ち解けたせいか、少しだけ本音を話してくれました。「俺の仲間で政府に反対したわけでもないのに監獄に入れられているやつはたくさんいる。腹の中に言いたいことはたくさんある。でも、言いたくても言えないよ」

  さて、今までウィグル族の反漢族意識と言えるものばかり紹介してきましたが、他の意見があることも紹介しておきましょう。ただし、これは電車の中で出会った在日韓国人の学生から聞いた間接的な話です。彼女がある上海で働いているウィグル人の女性から聞いた話は以下のようなものだったそうです。「小さい頃は漢族のことをずっと憎んでいた。でも、上海に行って仕事をするようになってから、漢族の方がウィグル族に比べてずっと勤勉に働いていることを知った。今は彼らを尊敬している。小さい頃の自分が恥ずかしい」

 「ウィグル族は商売で嘘はつかない」というAさんの見方も一面的であることは指摘せざるを得ません。これは私自らの体験です。私がトルファンに来て二日目にウィグル人の車に乗って砂漠に行くツアーに参加することになりました。元々の約束では人数の多少に拘わらず150元でいいということでした。ところが、車に乗ってから、一人のキャンセルが決まると急に態度が変わり、「一人200元だ。いやだったら下りたっていいんだぞ。自分じゃもう車は見つけられないぞ」と脅すような言い方で言ってきました。これには腹が立ちましたが、ここで言い争って、ギスギスした関係のまま長時間を共にするのはたまらないと思い、ついつい妥協してしまいました。でも、後で考えると、こうした場合は絶対妥協してはいけませんね。それはさておき、これ一つの例を見ても、「ウィグル人は商売では嘘をつかない」というのは一面的であることがわかると思います。どうやら、どの民族も、自民族をいいように見てしまう傾向は避けられないようです。もちろん日本人も含めて。
 漢族のウィグル族に対する見方も一つ紹介しておきましょう。電車で出会ったある漢族の学生は「ウィグル族は羊肉ばかり食べているので臭いからいやだ」と言っていました。こうした見方をどれだけの漢族がしているのかわかりませんが、こういう見方をしている人もいるのも事実です。

 電車の中で出会ったばかりの漢族とウィグル族の人が昼間から仲良くビールを飲み交わしているのも見ました。全般的に見ると、やはり漢族は漢族、ウィグル族はウィグル族で固まっていることがほとんどですが、こんな場面が見られたのも事実です。

カシュガル・エイティガール寺院 (筆者撮影)

 今回の旅では、新彊の中ではトルファン以外にもウルムチ・カシュガルを訪れましたが、特にカシュガルはとても中国の一部とは思えませんでした。ほとんど外国ですね。なぜなら、先ほども述べたように、ウィグル族がほとんどですし、中国語もホテルは別として、街中ではほとんど通じないからです。中国語を話すことが後ろめたく感じさえします。歌謡曲のテープなども漢族の歌っているものはほとんど売っておらず、みんな今までは聞いたことも見たこともないウィグル族の歌手のものばかりです。これは漢族が大多数を占めている街しか行ったことのなかった私にとってはちょっとしたカルチャーショックですね。

 大陸と台湾の間では、歌・映画・ドラマなどの文化的交流はかなり進んでおり、政治的な国境はあっても文化的な国境はかなり低くなっていると言えます。例えば超人気歌手・張恵妹は台湾人ですし、超人気ドラマ『還珠格格』もやはり台湾制作のドラマです。そうしたものがどんどん大陸に入ってくるわけです。ところが、新彊は台湾とは逆に政治的国境はなくても文化的な国境は非常に高いという気がしました。やはり、民族の壁は厚いですね。世界中で民族紛争が起こる理由も理解できます。

 さて、ここまで新彊についていろいろと報告させていただきました。出来るだけいろんな面から報告したつもりですが、それでも、これは私が旅行というわずかな期間に接したほんの一面に過ぎません。したがって、これをもって新彊の情勢がどうなのか、ウィグル族が何を望んでいるかということを簡単に論じることは出来ないと思います。ただ、少なくともこのような考えを持っている人たちがいるということで一つの参考にしていただけると幸いです。

2000.8.1


第9回 英語のカリスマと民族主義

 先日、武漢大学で李陽(リーヤン)の講演会がありました。彼は英語をネイティブ並みに話せるということで、大学生の間ではカリスマ的存在になっています。彼は「クレイジーイングリッシュ」という雑誌を出していて、この宣伝も兼ねてあちらこちらで講演会を行なっています。この日の講演会にも恐らく数千人の学生が集まったと思います。

 講演の主な内容はどうしたら英語がうまくなるかということなのですが、さすがに講演慣れしているだけあって、ユーモアも交えたなかなか面白いものでした。ただ、彼が「単語は単独で覚えるのではなく、必ず文の中で覚えること!」とスローガンを唱えると、みんなもそれを復唱するといった感じで、何か宗教団体の集会のような雰囲気もありましてた。

 そして、僕が最も不愉快に感じたのは、李陽が学生の民族意識を高揚させることを通じて彼らを引き付けようとしていたこと、その手段が他民族を侮辱することであったことです。彼はこう言いました。「日本人は欧米人を大変崇拝している。それはかつて原爆を落とされたため、彼らを恐れているからだ」 僕はこの言葉を聞いた時、非常に複雑な気持ちになりました。多くの中国人が日本に対して怒りや恨みを今でも抱きつづけていることは理解できるし、当然のことでしょう。しかし、この李陽の言葉はそうした中国人の立場をもってしても許されるものではないと思います。もし、広島・長崎の被爆者がこの言葉を聞いたらどう思うでしょうか。被爆者の多くも侵略戦争を止められなかったという意味では責任がなかったとは言えませんが、多くの人は侵略には直接関わっていない無辜の市民だったわけです。その被爆者に対して「原爆を落とされたゆえに欧米人を崇拝している」などというのは彼らに対する侮辱としか言いようがないでしょう。

 さて、僕がここでこんな例を挙げたのは、別に反中感情を煽るためではもちろんありません。こうした、他の国・民族をこき下ろし、自分の国・民族だけは何か特別で素晴らしいかのように言う偏狭な民族主義者がどこにでもおり、それがまた相手方の偏狭な民族感情を刺激するという悪循環の中で、友好を台無しにしているといいたいのです。日本では南京大虐殺を否定したりしている人たちがまさにこれに当たるでしょう。

 僕はこうした民族主義の土俵に乗ってしまってはいけないと考えます。そして、こうした李陽のような中国人の発言に対しては、日本人としての民族感情から批判するのではなく、偏狭な民族主義に反対するという立場から批判する必要があると思います。

 講演の終わった後、一緒に講演を聞いた歴史学科の友達(中国人)と話をしました。彼は言いました。「中国・日本、どちらにも『自分の国こそ一番』という民族主義の力が強い。そして、自分たちのようにその中間に立つ勢力は最も力が弱い。これは大きな問題だ。しかし、この『自分の国こそ一番』という考え方は多くの人にとって容易には放棄しがたい」

 僕は、今後の日中の友好のためには、日本が過去の侵略戦争の歴史をはっきり認めるという前提の下、お互いを尊重しあい、民族主義の渦に巻き込まれない様にすることが大切だと思います。

2000.11.12

第10回 中国の大学の腐敗 


 今日は中国の大学の腐敗についてご報告します。

 中国の幹部の汚職・腐敗がかなりひどいものであることは皆さんも新聞などを通じてご存知だと思います。最近も元全人代の副委員長が汚職の結果、死刑になったという事件も記憶に新しいでしょう。

 しかし、こうした腐敗はなにも政治・行政分野に限ったことではありません。中国はでは改革開放政策が開始されて以降、ようやく「法治」が強調されるようになりましたが、それが社会の末端まで浸透するには程遠い状態にあり、コネ・人脈がものをいう著しく不公正な社会になっています。 大学もこうした問題が典型的に現れる場所の一つです。なぜなら、いかなる大学に入ったか、いかなる学位を獲得したかということは、中国においてはその人の将来を決定的に左右してしまうほど重要だからです。

 昨年、ある修士の学生の死体が近くの湖で発見されました。学校側の説明によると、彼は博士の試験が不合格で、落胆して泥酔した末、湖に転落して死亡したということだった様です。しかし、多くの人の話では実態は違うようです。

 ある人の話によると、博士の試験というのは著しく腐敗しており、例えば先生と人脈があれば、事前に試験の問題を手に入れることさえ非常に簡単なことだそうです。また、元政府の幹部だった人などは、車を先生に贈ったりして、点数に関わらず合格しているそうです。

 先ほどの修士の学生はそうした大学の腐敗した実態を知り、怒りのあまり自殺したというのが本当のところのようです。

 この事件の実態については、実際にいろいろと調査しなければ断定することは出来ませんが、先ほど述べたような腐敗があることは確かです。

 留学生の先生の身の回りでもこうした事例は事欠かないようです。例えば、留学生の先生に対しては、アメリカへの公費留学の割り当てやアフリカなど海外での中国語教師の割り当て(中国で教師をやるよりもはるかに待遇がいい)などが時々あるのですが、こうしたことも、本来なら試験などを通して公正に決めるべきことです。ところが、実際にはこうした割り当てがあることすら公開されず、事務室と関係のいい先生との間で秘密裏に決められることが多いようです。そして、この先生の運命を握る、比較的権力の大きい事務室の人も、ほとんど人脈で入ってきた人ばかりのようです。

 多くの優秀な学生は、こうした不公正に嫌気が差して、海外に行くことを志しています。中国政府は人材の流出を防ぐために、海外に留学する人には約8万元(日本円100万円に相当)を保証金として収めさせ、帰国した者にのみ返金するとしています。平均月収が500元の中国において、この額がいかに巨額かわかるでしょう。それでも多くの学生は海外に残ることを選択します。

 このように、中国社会の腐敗・不公正は中国の発展の大きな障害になっていると思います。しかし、この問題の根は非常に深いものがあります。なぜなら、法を公正に執行するには司法機関の独立が必要ですし、腐敗を監視するにはマスメディアの言論の自由が必要ですが、これらは全て一党独裁に関わる問題だからです。

 しかし、今の体制の下でも、許容される部分は増えてきていると思います。また、中国の発展を考えれば、そうなることは必然だと思います。

2000.12.11

第11回 週間新聞『南方周末』は面白い


 一党独裁の体制下にある中国ではマスコミに対する統制が厳しいことは以前にも述べた通りです。昨年もインターネット上のニュースや議論に対する規制が強められました。

 しかし、だからといって中国の全てのマスコミが政府に都合のいい情報だけを垂れ流しているだけだと考えるならば、それもまた誤りです。

 確かに共産党の機関紙『人民日報』などは政府に都合のいい情報のみを流している典型的新聞といえるでしょう。その内容は「江沢民がこんな講話をした」「李鵬がどこどこの首相と会談して『一つの中国』の原則を確認した」「政府がこんな成果を挙げた」「中国はこんなに発展している」といった内容ばかりです。僕が中国に来たばかりの頃、「中国の新聞といえば『人民日報』」と思い、早速とり始めたのですが、あまりのつまらなさに一ヶ月でとるのをやめました(ちなみに意外かもしれませんが、中国の一般の人の中で『人民日報』を読んでいる人はほとんどおらず、街なかの新聞スタンドにも置いていません)。

 しかしその一方で、政府の統制という枠の中にあっても、少なくとも地方レベルの政府に対してはかなり鋭い批判を繰り広げている新聞もあります。その代表的新聞が『南方周末』です。武漢以外に北京・上海・広州など全国の主要都市で販売されており、発行部数は150万部に達しています。収入が少ないため回し読みが多い中国において、実際の読者数は700万人以上に上るようです(当紙アンケート調査による)。それだけ支持を集めているわけです。週間新聞なので、情報のスピードには欠けますが、その分問題に対する考察が深められているように思います。実際にどんなことが書いてあるか、ここで例を挙げて紹介します。

 昨年末、中国の古都・洛陽のデパートで大規模な火災があり、最上階のディスコでちょうどクリスマスパーティーが開かれていたことあり、309人もの犠牲者を出したことは日本の新聞でも報じられていたので、ご存知の方も多いと思います。

 この火災の直接の原因としては、ビル内装会社が免許のない作業員にハンダ付けの作業をさせ、その際に出た火花がソファーに引火し、大火災に至ったとされています。彼らは火の手を止められないのを見ると、何の通知もせずに直ちに逃走したことが犠牲者を増やしました。

 しかし『南方周末』は「確かに火災の直接の原因は彼らにあるといっても間違いではないだろう。だが、これだけでは309人もの犠牲者を生み出した惨劇の原因というには不十分だろう」と追及を深めていきます。そしてまず「もし東都デパート・東都ディスコ(火災の起きたデパート・ディスコの名前)の消防安全施設が法律の定める条件を満たしていたならば……このような重大な結果には至らなかっただろう」
と、デパートのずさんな消防設備がすでに火災の芽を孕んでいたことを指摘します。

では、こうしたずさんな消防設備がなぜ放置され続けてきたか?実は洛陽の消防当局はこのデパートの危険性には四年も前から気づいており、何度も警告を発してきたこと、そして昨年12月1日には市政府に対してデパートを営業停止処分にするよう要求していたこと、それに対する政府の判断がもたついている間に火災が発生してしまったことを『南方周末』は指摘しています。では、市政府はなぜデパートに処分を下すことに消極的だったのか?この点を『南方周末』はさらに追及していきます。そして、その原因を次のように述べています。「実は火災で死亡したデパートの店長は表向きの店長で、裏の店長は市政府幹部の嫁だったのである。昨年、河南省テレビの番組で東都ディスコの消防施設が不合格だったという報道がされた後、洛陽市のある幹部が消防当局に対しディスコを営業停止にしないよう要求していたのである」 つまり、市政府幹部とデパート・ディスコとの癒着が今回の大惨事を生み出した根本的な原因だというのです。さらに『南方周末』はこのデパート以外にも、公安部門・検察部門・法律部門関係者の親戚や友人が経営するディスコ・娯楽施設に対しては非常に甘い管理しか行なわれていないことを指摘しています。

 そして、最後に現地に詳しい記者の言葉を引いて、次のように締めくくっています。「ある政府部門は人民から与えられた権力を私的権力とみなし、管理機能を行使する際に最も重視していることはいかに多くの金を徴収するか、どうしたらより多くの利益を獲得できるかということであり、いかに有効に管理するかということではない」「彼らにとっては指導者の鶴の一声が法律制度よりも重要なのである」

 このように、『南方周末』は市政府に対して容赦ない批判を繰り広げています。

 もちろん、中国においてはこうした批判を中央政府に向けることはそう簡単なことではないでしょう。また、台湾問題や法輪功の問題について中央政府の見解に反することを言うことは『南方周末』であっても絶対に不可能です。これが中国における言論の自由の限界です。

 また、先ほどの政府批判にしても、多分に現地の人の「噂」に基づいているものもあり、必ずしも厳密な資料的裏付けに基づいていないという問題点も指摘できると思います。

 しかし、「言論の自由が完全に保障されている」日本の新聞の堕落ぶり、権力との癒着ぶりと比較した時、「一党独裁」下にある中国の『南方周末』の方がはるかに面白いといえるのではないでしょうか?

2001.1.12


第12回 中国人とは一体? 


 最近、読者の方から「もう少し身近な話題があった方がいい」というご意見をいただきました。もっともなご意見で、これまでは「日記」と言いながら、政治やマスコミの問題など、固めの問題、日常生活からかけ離れた問題に話題が集中していたと思います。ただ、これまで何となく日常的な問題を書くのを避けてきた理由は、こうした問題を書くと、率直に言ってどうしても中国や中国人に対するぐちが多くなってしまうということ、それが中国によく通じていない人にとっては何か中国人を差別しているのではないかと誤解されることを恐れていたということがあります。ただ、僕の考えとしては、相互の問題点を率直に批判し合うことが真の友好であり、お互いを過度に持ち上げることが友好ではないと思っていますし、せっかくこういったご意見もいただいたので、今回は中国人に対する率直な苦情を書きたいと思います。

 中国に来てまず驚くことは、何といってもデパートなどの店員の態度の悪さです。仕事中に食事をしたりお茶を飲んだりということはごく当たり前に見られる光景です。少し暇になると店員同士で大声でおしゃべりを始めたり、居眠りを始めます。そんな時、こんな多くの人は必要ないのではないかといつも思います。おつりは大体投げて渡します。一言で言えば、中国には「お客様」という概念がないのです。売ってやっているという感じですね。

 レストランの店員の態度もひどいものです。以前、湯包(タンパオ)という、ショーロンポーに似た武漢名物の有名な店にいきました。三品を注文し、先払いだったのですが、30分たっても二品しか来ません。何度も催促したのですが、「もうすぐ出来るから」の一点張り。そうこうしているうちに、とうとう一時間が過ぎました。業を煮やし、再度催促したところ、何と店員は傲慢そのものの態度で、「あなたたちは二品分の金しか払っていないから、二品しか出せない」と言ってきたのです。何のことはない、店員が計算を間違えて、二品分の金しか取っていなかったのですが、それをまるで僕らのせいであるかのように言ってきたのです。それも、何度も催促した末、一時間もたってからです。その時はさすがに「だったら何度も催促しているんだから、早く言え」と怒鳴りつけました。しかし、彼女は何の申し訳なさそうなそぶりも見せませんでした。これには本当に腹が立ちました。

 これに類したことは何も特別なことではなく、中国では日常茶飯事です。こんな話をしていると、僕は中国に来たばかりの頃に書いた、中国人のウェイトレスを土下座させて日本人ビジネスマンが強制退去になった事件を思い出します。あの時僕は、これは日本人の傲慢だ、と書きました。実際、日本人のビジネスマンの一部に中国を見下す態度があることは事実です。ただ、中国に来て一年半もたった今からあの事件を考えてみると、細かい事実関係を見なければ、一方的に日本人側が悪いとは断定できないというふうに思います。なぜなら、もしウェイトレスの態度が先ほどの湯包レストランの店員の態度と同じようなものだったら、土下座までさせるかは別としても、怒鳴りつけたい気分になるのは当然だと思うからです。それは、相手が中国人であろうが、日本人であろうが、何人であろうが同じです。

 さて、次に僕が中国人の悪しき習慣として挙げたいのは、彼らが列を作らないことです。例えば、郵便局などに行くと、いつも窓口の前はダンゴ状になっています。後から来た人が平気で横入りしてきますし、もう僕が窓口で荷物を受け取る書類を出しているのに、それでも横から手を突っ込んできて、自分の順番を先にしようとします。僕はこういう時、「列に並んで下さい」というのですが、ほとんどの中国人はこうは言いません。横入りには横入りで対抗するだけです。これには本当に閉口させられます。

 もう一つ僕が耐え難いのは、中国人がゴミをごみ箱に捨てないことです。こういうと、「それは日本も同じだ」と言う方もいるかもしれません。しかし、中国の状況はとても日本の比ではないと言えます。例えば、電車に乗ると、彼らは果物の皮やひまわりの種(中国人はひまわりの種を食べるのが大好きです)の殻などをすべて床に捨てます。清掃員が頻繁に、大量のゴミを片づけますが、瞬く間に床が汚れていきます。新彊に行った時などは、スイカの皮や弁当の箱を車窓からポイポイ投げていました。洪水で電車が12時間止まった時の惨状はすごいものでした。窓の下は弁当箱・缶・ペットボトル・果物の皮などでゴミの山と化していました。本当にこの時は絶望的な気分になりました。

 他にも挙げればきりがないので、これ位にしておきます。

 もちろん、こうした中国人の公衆道徳の無さには義務教育ですら受けることの出来ない多くの貧困人口が存在することなど、やむ得ない事情も影響しているかも知れません。しかし、他の発展途上国の状況を聞いてみると、ここまでひどくないようなので、やはり原因をここに帰すことはできないようです。

 また、「中国人は……」とは言っても、そうでない中国人、またこういう中国の現象に対して批判的に思っている中国人もたくさんいることも確かです。しかし、圧倒的多数は先ほど言ったような状況にあるのも事実です。

 僕は中国のこうした現状を見て、ちょっと不思議に思うことがあります。なぜなら、中国では社会主義革命以降、「人民に奉仕する」ことが重要なスローガンとなり、「公」の「私」に対する優位性が常に強調されてきたからです。それなのに、現在の中国においてはなぜこんなにも「私」が突出した形で現われ、「公」がこんなにも軽んじられているのでしょうか?

 この点について、僕は先日、「中国近現代政治思想史」の先生に聞いてみました。先生によると、中国では例えば「雷峰(自分の生命を犠牲にして他人の命を救った英雄)に学べ」運動のように、社会主義の理想のために死を恐れないといった大きな意味での「公」は強調されても、公共道徳のような身近な意味での「公」はほとんど教育されてこなかったと言うのです。また、中国人の中には「公」と「私」という概念が極めて希薄で、明代になってようやくこうした考えが出たきたが、それもあまり普及しなかったとも言っていました。つまり、現代の中国人の公共道徳の欠如はこうした中国の伝統的な思想に由来していると言うのです。

 これは一つの見解ですが、まるで自分の家にいるような感じでご飯を食べたりお茶を飲んだりおしゃべりを楽しんでいる店員たちを見ていると、「公」と「私」の区分がないというのはうなづけるところです。

 さて、こんなふうに書くと、中国というのは何とひどい国だと思うかも知れません。実際、中国に様々な意味での期待や幻想を抱いてやって来た旅行者や留学生の中には失望して帰って行く人も少なくありません。

 では、僕は?こうした中国人のいやなところも含めて受け止めて、悪いところは悪いとはっきり言わせてもらって、彼らともっと深く付き合っていきたいと思います。実際、そうする中で彼らの様々ないい面も見えてきます(その点はまた別の回に触れます)。逆に日本に対する歴史問題や最近度重なる中国人に対する差別問題(これも、別の回に触れる予定です)などに対する批判があれば正面から向き合っていきたいと思います。こうして、何やら「日中友好」という曖昧な美辞麗句の下にお互いをたたえ合うというような関係ではなく、率直な批判をし合える関係を作っていきたいと思っています。

 どうも、日常的な気軽な話題と思って書き始めたところ、結局何だか大袈裟な締めになってしまいましたが、今日はこの辺で終わりにします。

2001.3.1

第13回 広州の春節 


 随分前のことになってしまいましたが、今年の春節のことをまだご報告していなかったので、ご報告します。

 今年の春節(旧正月)は昨年の農村とはうって変わって、中国でもっとも経済の発展している地域の一つ、広州の友達の家で過ごしました。

 この友達は、昨年の夏休みに洛陽を旅行した際に知り合った中国人学生の一人です。

 僕は今年もぜひとも中国人の家で春節を過ごしたいと思っていたのですが、躊躇もありました。やはり、春節は家族水入らずで過ごしたいだろうし、そこへよそ者がいきなり入っていくのは失礼だと思ったからです。ましてや、昨年の友達とは違って、広州の友達は旅行で一度会っただけでした。しかし、大都市の春節がどんなものか見てみたかった僕は無理を承知で春節をともに過ごすことを頼んでみたのです。

 すると、彼女は快く受け入れてくれ、わざわざ僕のためにベッドを一つ空けてくれ、そこに数日間泊めてくれました。こうして昨年に続き、今年も中国人とともに春節を過ごせることになったのです。

 それにしても、広州人の春節の過ごし方は農村とは全く違っていました。一言で言えば非常に淡白なのです。昨年も書きましたように、農村では普段の食事が質素そのものなので、春節の時の料理の豊富さは際立っていました。ところが、広州では除夕(大晦日)の料理も正月の料理も普段と大した違いはないようでした。この時だけで比べれば、むしろ農村の料理の方がはるかに豪華だったと言えるでしょう。

 日本人が大晦日に紅白を見るのと同じように、中国人もほとんどの人が大晦日に「連歓晩会」という、歌・漫才・コントなどの有名人が次々出てくる番組を見ます。その視聴率はなんと97〜8%という驚異的なものです。ところが、広州人はあっさりしたものです。彼らは広東語がわかり、香港のテレビ局も受信できるため、「晩会」始まってしばらくすると、さっさとチャンネルを変えてしまい、香港のテレビを見始めました。そして、それも見飽きたらしく、今度はVCDを見始めました。そして、しまいには、驚いたことに、21世紀最初の正月を待つことなく、つまり、12時が過ぎるのを待つことなく、みんなさっさと寝てしまいました。取り残された僕も仕方なく、年を越すことなく床につきました。

 昨年農村で春節を過ごした時は爆竹が至るところで鳴り響いていました。 中にはまるで大砲を発射したかのような馬鹿でかい音のするものがあったり、また、平気で爆竹を人の方に向けて投げて来る人もいるので、耳を塞いでびくびくしながら歩いたものです。しかし、毎年のように死傷者が出るので、現在大都市においては爆竹は禁止されています。ですから、広州の春節は非常に静かでした。

 僕の過ごしたのは広州の一家庭に過ぎないので、みんながみんなこんなに淡白なのかはわかりませんが、友達に聞いてみたところ、広州人の春節は総じてこんな感じなようです。

 それにしても、この友達は僕のために本当に心を尽くしてくれました。「広州には面白いところはない」といいながらも、自ら計画をたててくれ、博物館・花市(広州では年末に花の市をやるのが恒例になっていて、その際には膨大な数の露天が出る)・花車巡遊(広州各地域の山車や龍などが出て、道路を練り歩く)・春節晩会(歌・楽器・漫才・雑技・花火などの出し物がある)などに連れていってくれました。どうやら僕のために事前にどこで何があるかということを全部調べておいてくれたようです。

 部屋にいても、「洗濯物はないか」と聞いてくれ、遠慮がちに出すと、次の日には全てきれいに畳んで返ってきました。食欲がなかった日は「うちのものが口に合わないんでしょう」といってパンをわざわざ買ってきてくれたり、胃薬をくれたりしました。

 彼女のお兄さんは「日本食が恋しいだろう」といってわざわざ僕を遠くの日本食の店まで連れていってくれ、うな丼をご馳走してくれました。
 日本であれば、一度しかあったことのない人を正月に何日も泊めるということだけでもちょっと考えられないことのような気がします。それなのにここまでしてくれるとは……。本当に感激でした。同時に「どうしてここまでしてくれるのか」と考えました。

 人によっては多くの中国人に共通しているこうした親切さには「必ず何か打算がある」と言います。しかし、僕はこの考えには同意しません。ビジネスにおける関係ならいざ知らず、学生同士の関係で、しかも遠く離れたところに住んでいる以上、リターンが得られる保証など何もないからです。

 僕はこれは中国の一つの文化なのだと思います。そして、これは前回描いた中国人の負の面とは違ったもう一つの一面なのです。

 そうした中国人の一面を改めて見た今回の春節でした。

2001.4.4


第14回 ある大学の先生


 中国は事実上の一党独裁の国家であり、マスコミなどの報道がかなり統制されていることはこれまでの日記の中で述べてきた通りです。

 しかし、その中国の中で、大学という場はかなり自由な領域と言えるでしょう。中国人学生との間で共産党の一党独裁を問題にするなどということはごく普通のことですし、僕が先生に「台湾が独立するか統一するかは台湾の人たちが決めることではないか」などといっても、当然、反論はありますが、それが問題になるということありません。学生共産党員が共産党を批判するということも珍しくありません(日本なら、共産党員になるというのは何か特別のことのような気がしますが、中国では学級委員や班長になる程度のことと考えていいでしょう)。

 大学の講義も、人によってはかなりズバズバと現在の中国・中国政府を批判しますし、中国人学生たちが高校までに叩き込まれてきた公式見解とは全く違った考え方を展開していきます。

 そんな中で、今回はそうした先生の一人、A先生を紹介したいと思います。(念のため、講義名は控えます。)

 A先生は日本にも留学経験があり、最初の授業の時も僕が日本人だと知ると、親しげに話し掛けてくれました。「日本の留学生とぜひ交流したい」と向こうから積極的に提案してくれ、交流会を開いたこともあります。

 日本の大学にいた時は、大学の教授というと、敷居が高く、何だか近づきにくいという人がほとんどでしたが、この先生には少しもそういう所がありません。本当に気さくな人です。毎週授業が終わると、いっしょに話をしながら帰ります。

 講義の内容は歯に衣を着せないものです。「中国政府は李洪志(法輪功の指導者)を批判するが、個人崇拝を推進しているという意味ではかつての毛沢東と何の違いもないじゃないか」とか「中国共産党の力で日本を追い出したというが、本当なのか。アメリカやソ連の力があってやっと勝ったというのが実情ではないのか」などと平気で言います。こんなことは以前紹介した『南方週末』も含め、マスコミは絶対に言えないことです。生徒の中にもさすがに「先生、ちょっと注意した方がいいですよ」と心配して言う人もいるそうてす。しかし、先生は全くお構いなしの様子です。

 そんな先生の講義の中で、非常に印象に残った話があります。先生は、ハナ・アーレント(有名のドイツのユダヤ人女性思想家)が「あんな少数のナチスにあれだけ大量のユダヤ人が殺戮されたのは、ユダヤ人の側にも問題があるはずだ。ただナチスの残虐性を問題にするのではなく、ユダヤ人自身の弱さ、問題点も追究しなければならない」という趣旨のことを述べて、轟々たるユダヤ人からの非難を浴びたことを例に挙げながら、次のように言いました。「今の中国人もこの時アーレントを批判したユダヤ人に似ている。日本の過去の侵略は頻繁に問題にするが、大躍進や文革など、自民族の汚点についてはすぐ忘れてしまう。文革の被害を展示する記念館の計画も進んでいない」と中国人の「歴史健忘症」を痛烈に批判しました。

 ここで早合点して「その通りだ。中国はいつまで日本の侵略について謝罪を求めるつもりだ!もっと自分の国の問題を見ろ」などと決して言わないでいただきたいと思います。もしそのように言うならば、この先生の言うことを全く理解していないことになります。

 誤解しないでいただきたいのは、A先生が決して日本の侵略を決して軽く見ているわけではないということです。彼が日本への留学経験した際、ある公園で老人がバーベキューをやりながら中国での戦争体験を自慢げに語るのを見て、日中間にある戦争認識の絶望的な溝を感じたと言います。しかし、彼はそうであるにもかかわらず、なおかつ中国人自らを痛烈に批判しているのです。僕はこの懐の深さに敬服せざる得ません。僕は多くの日本人は彼のような懐の深さに学ぶ必要があると思います。

 彼は「歴史健忘症」はアジア人に共通した特徴だ、と言います。僕もそう思います。「日本は過去そんなに悪いことはやっていない。中国はこんなにひどいことをやっている」と他国・他民族の罪悪だけを批判し、自国・自民族の罪悪を顧みない人が日本にもどれだけたくさんいることでしょうか。先生が批判したのは、まさにどの民族・どの国家の中にもあるこうした態度なのです。

 僕は日中双方の偏狭な民族主義と「歴史健忘症」が果てしない悪循環を形成しているのが現状なのではないかと思います。

 日中両国が自己の誤りに謙虚に目を向けることが出来るようになった時、真の日中友好が可能になるのではないかと思います。

2001.4.18


第15回 ある大学の先生 2


 以前の日記の中で、「中国のマスコミが頻繁に南京大虐殺を始めとした日本の侵略の事実について報じるのは、国民の民族感情を煽る意図があるのではないか。中国政府と、純粋に日本の侵略に対して怒りを感じている一般の国民との間には差があるのではないか」といった内容のことを書いたことがあります。

 この点について、前回ふれたA先生にどのように思うか先日聞いてみました。A先生なら比較的客観的かつ冷静な見解が聞けると考えたからです。しかし、それに対する先生の見解は正直に言って意外なものでした。「そのような意図はほぼないといっていいだろう。政府・マスコミは中国の国民の怒りをそのまま代弁しているに過ぎない。いや、それどころかむしろ抑制して表現しているとすら言える」先生によると、日中両国の経済を始めとした関係がこれだけ密接になった今、中国政府は日本との関係をこじらすことなど望んでいないというのです。しかし、中国政府が何よりも恐れているのは、過去の日本の侵略、あるいはそれを否定・隠蔽するような発言・行為に対して弱腰の態度を取ることで国民から「売国」という目で見られることだといいます。つまり、五四運動の時のように、最初は外国に向いていた矛先が最後には自らに向けられることを最も恐れているというのです。

 僕はこれを聞いて、目からうろこが落ちたような気持ちになりました。なぜなら、これまで中国が事実上の一党独裁であることから、政府が国民の思想・意識・感情・行動などをコントロールしているという面、つまり上から下へという面ばかりに目が行き、逆に国民の意識が政府に与えている影響という面、つまり下から上へという面にあまり目が行っていなかったからです。考えてみれば、いくら一党独裁と言っても、国民を統制するばかりで、民意を反映することがなければ、しだいに支持を失い、その存在基盤を自ら掘り崩すことになります。

 NATOがユーゴの中国大使館を空爆(誤爆?)した時も、政府が学生らの運動を煽っているという見方が日本でもかなりありました。しかし、これについても先生は「反米の運動は学生の中から自然に起こったものだ。政府は運動を煽るどころか、むしろ学生の運動が急進化するのを恐れ、それをある程度秩序だった、抑制したものにするために介入したのいうのが現実だ」

 同じことは、最近起こった米中機の衝突事件についても言えるといいます。ニュースなどで「アメリカがついに謝罪した。これはわが民族の偉大な勝利だ」などとアナウンサーが言っているのを見ると、中国政府が国民の民族感情を煽っているように見えますが、国民の感情を代表して言っているだけで、実際には政府としてはあまりアメリカとの関係をこじらせたくないし、穏当に問題を解決したいというのが本音だと先生は言います。

 つまり、これらの流れを大きく規定しているのは決して中国政府ではなく、中国の国民だということです。

 話を日中関係に戻すと、先生は「最近の歴史教科書問題を始めとした一連の問題の中で、中国人の日本に対する怒りはどんどん高まっている。そして、これは決して中国政府に煽られたものなのではなく、ごく自然の怒りだ。多くの人が、かつて周恩来が日本にからの賠償を放棄したことに疑問を持ち始めている。日本は「以怨報徳」(恩を仇で返す)だと多くの人が感じている」

 前回にも述べたように、A先生は自国・自民族に偏った見方を決していない人です。その先生が怒りを隠し切れない様子でこう言った時、僕はその言葉を重く受け取らざる得ませんでした。

 最近、「日本はODAで中国をこんなに援助しているのに、中国は少しも感謝しないどころか、さらに謝罪を求めてくる。けしからん」といった類の議論がよく聞かれます。やはり中国は「恩を仇で返」していると言いたいのでしょう。ODAは日本政府も明言している通り、国益追求の手段で、日本もそこから多くの恩恵を受けているのであり、決してボランティアでやっていたわけではないことはここではおくとしても、このように主張する人たちは中国があれだけ多大な被害を日本によって受けながらも、全ての賠償を放棄したという「恩」などすっかり忘れてしまっているかのようです。

 日中両国がいう「恩を仇で返す」、この中身の違いは両国の間にある深い深い溝を象徴しているかのようです。

 A先生は、中国政府が中国国民の感情を代弁している以上、日本側が過去の歴史に対してしっかりとした認識を示していけば、この点では中国政府は引いていくはずだと言います。

 僕はA先生の分析がすべて正しいかどうかは分かりませんが、少なくとも、過去の歴史事実に対する中国政府の言い分を、単なる日本から金を引き出すための外交カードに過ぎないなどと見て、それに対して軽率な「反撃」を加えたりすることは、中国の国民の更なる怒りを招き、日本人と中国人の関係(政府間の関係に限らず)をどんどん悪化させていくだけで、何の良い結果ももたらさないことだけは確かだと思います。

 中国に来て約一年半になる僕ですが、まだまだ中国のほんの一面しか見えていないことを改めて実感させられたA先生との対話でした。

2001.4.24


第16回 中国人の日本観 


今回は中国人(僕が接しているのは主に学生ですが)が日本、または日本人をどのように見ているのかということについて書きたいと思います。

ひとことで言えば、やはり中国人の日本に対する見方というのはステレオタイプで一面的であることは否定できません。例えば、どの人も知り合ったばかりの頃必ず聞いてくるのは「富士山はきれいか」「日本には桜がたくさんあるのか」「日本の茶道はどのようなものなのか」といったことです。きっと地理の教科書などにこういったことが書いてあるのでしょう。もちろん、この点は日本人の中国に対する理解もさして変わらないといえるかもしれません。多くの日本人が中国といって思い浮かべるのは天安門や万里の長城・パンダ・中華料理・チャイナドレス・一党独裁の政治体制といった程度のものではないでしょうか。

歴史問題が中国人の日本に対する印象の大きなマイナス要因になっている中で、逆に日本に対する親しみをもたらす役割を果たしているのは日本のドラマ・俳優・歌手・漫画・スポーツ選手などです。

ドラマでいうと、中国の若者で「東京愛情故事(東京ラブストーリー)を知らない人はまずいないと言っていいでしょう。同時に鈴木保奈美の名前も知らない人はいません。中国で放映された時、爆発的な人気を呼んだようです。なぜこんなにも中国人に受けるのか、聞いてみたことがあります。それによると、80年代まで愛情のない結婚がまだまだ多くあった中国において、登場人物たちの愛に執着する姿が非常に新鮮に映ったのではないかとのことでした。(ただし、東京ラブストーリーが放映されたのは中国ではつい3・4年前のことだそうです)

俳優で言うと、かつての大スターは山口百恵でしたが、今は酒井法子がもっとも有名な日本人女優と言っていいでしょう。多くの中国人はなぜか日本の女性は優しい(「優しい」という言葉の中には「夫の言うことをよく聞く」という意味が含まれているようです)という印象を持っているらしく、ほとんどの男子学生は僕に「日本の女性は優しいんでしょ」と羨ましそうに聞いてきます。これも先ほど述べたステレオタイプな日本認識の一つです。そして、酒井法子はそうした「優しい日本女性」のシンボル的存在と見なされているようです。

ただ、最近は日本のドラマが多く放映されていることもあり、学生たちの知っている日本の俳優も多様化してきています。柏原崇・キムタク・松島菜々子・深田恭子などは広く知られており、中国人学生の宿舎に行くとポスターもよく貼ってあります。

歌手で言うと、宇多田ヒカル・浜崎あゆみが広く受け入れられており、日本で彼女らのアルバムが出ると瞬く間に海賊版が出回ります。しかし、俳優に比べると知名度はずっと低いといえます。(ただし、これは武漢での話で、広州など沿岸地域に行くと、日本の情報に触れる機会が多いらしく、知っている日本の俳優や歌手の数はずっと増えます。)

日本の漫画が中国人に与えている影響も大きいものがあります。今の学生なら誰もが「ドラえもん」「スラム・ダンク」などを読んで育っています。最近でもテレビで「ちびまるこちゃん」「探偵少年コナン」「セーラームーン」などが放映されています。この背景には、中国国産の漫画やアニメで面白いものがまだまだ少ないということがあると思います。(実際、僕の見たところでも見るに耐えないレベルのものが多いです)

スポーツ選手で言うと中田英寿の名を知らない男子学生はまずいないと言っていいでしょう。中国人はサッカーというスポーツに対する思い入れが強く、テレビでもセリエAやプレミアリーグの試合をよく放送しています。学生食堂のテレビにセリエAの結果が出た時、男子学生がゾロゾロとテレビの周りに集まったのを見て驚いたものです。ただ、民族感情の強い中国人にしては不思議なほど自国のサッカーのレベルに対しては悲観的で、僕が「次のワールドカップは中国にもチャンスがあるんじゃないか」と水を向けると、誰もが決まって「中国は見込みがないよ。やはりアジアナンバーワンは日本だよ」と言います。その分、アジアの星としての中田への期待は大きいようです。

中国人の日本観というと、また堅苦しい話になってしまいますが、どうしても歴史問題に触れざるを得ません。最近、顔見知りの女子学生にある授業で偶然会いました。彼女は前に別の友人に連れられて僕の部屋に来たことがあったのですが、その時はなぜかほとんど話をしませんでした。ところが、今回は別人のように多くのことを話したのでびっくりしました。そして、その後こう言いました。「あなたって、性格がいいのね。日本人てみんなそうなの?」「えっ?」僕は普通に話していただけなので、こんなことを言われて驚きました。そして、なぜそんなことをいうのか彼女に聞きました。彼女によると、日本人というのは歴史の教科書に出ているようにみんな残酷で恐ろしい人たちばかりだと思っていたというのです。だから初めて僕という日本人に接して、そうでもなさそうなので意外に思ったそうです。前に僕の部屋に来た時に積極的に話さなかったのも日本人に対するそうしたイメージがあったからだということでした。

こうした中国人の日本人観というのは決して彼女だけに特殊なものではないと思います。実際、僕のある友人は彼の友人から「漢奸(戦争中、日本側についた裏切り者の中国人をこう呼んだ) 」と呼ばれたと言います。この背景には彼らの祖父母や親類がかつての戦争の中で直接に日本によって受けた被害があるでしょうし、歴史教育の影響もあると思います。

今、歴史教科書問題がさかんに論じられていますが、僕個人の考えとしてはあのような歴史事実に明らかに反した内容で子供を教育することには反対です(詳しいことについてはここでは論じません)。それでは、中国の歴史教育はどうでしょうか。かつての日本の侵略がいかに残酷なものであったのかを中国が詳細に教科書に描くことは被害に遭った側として当然だと思いますし、それが「反日的」になるのはやむをえないことだと思います。ただ、一つ僕が思うのは、もし中国の歴史教育が現在の日本人も恐ろしい人間であるかのような印象を与え、結果的に中国人と日本人の間に壁を作るようなことになっているとしたら、そうした教育方法については再考する必要があるのではないかということです。もちろん、壁の原因は歴史教育だけではないでしょうし、日本人の側が過去の侵略戦争に対する認識を明確にするというということを前提としての話です。もし、日本人側の歴史認識が明確でないために、中国人の怒りを買うようなことがあるとすれば、「壁」の原因は日本人側にあるといえるでしょう。

最後に中国人の日本認識の中で二つほど気になる点を挙げておきます。一つは、日本の侵略戦争に対しては当然のことながら批判が行われていくわけですが、戦後の日本のことになると急速な経済発展という認識だけがあって急に称賛の声一色になってしまうということです。もちろん、僕の考えとしても戦後の経済発展がもたらした恩恵は計り知れないし、そのプラス面が大きいことは否定できないと思います。しかし、その一方で、公害や環境破壊の問題など、マイナス面も多々あったわけです。しかし、そうした面については中国人はほとんど知らないというのが実態です。「水俣病」という言葉を知っている中国人はほとんどいないのではないでしょうか。

日本の侵略に対する徹底した批判と戦後の日本に対する無批判と言えるまでの賛美―このコントラストが中国人の日本認識の一つの特徴をなしているように思えます。

もう一つ気になるのは平和憲法に対する認識です。ここでは平和憲法の是非については論じませんが、不思議に思うのは中国人学生が日本の平和憲法の存在についてほとんど無知なことです。少なくとも平和憲法の存在がかつてのように日本が中国を侵略しない担保になってきたと思うのですが、そのような認識は学生の中には薄いようです。ニュースでは「一部の政治家が平和憲法を改正して、軍事大国化を進めようとしている」といったふうに取り上げられることはありますが、これは単に日本という特定の国を抑制するものとして平和憲法を見ているだけで、平和憲法そのものに普遍的・積極的な意味を見出そうとする姿勢は全くといっていいほどありません。ただ、中国自身が軍備の増強を進めている以上、平和憲法の内容を肯定することはできないわけで、ある意味では当然かもしれません。日本には平和憲法はあって欲しいが、中国にはあっては困るというのが本音でしょう。

こうして見ていくと、中国人の日本認識はまだまだ一面的で、多くの誤解があると言えると思います。同じことは日本人の中国認識にも言えるでしょう。最近、マスコミではとみに教科書問題やODAの問題などが日中間の問題として取り上げられています。こうした歴史や政治の問題について両国間のコミュニケーションを増やし、共通の認識を徐々に作り上げていくことはもちろん重要なことです。しかし、そうしたマスコミでクローズアップされること以外にも、例えば先ほど述べた日本女性に対する認識といったことも含めて、もっと理解を深めていく必要があると思います。その手段は政府レベルを含め多々あると思いますが、その中でも、僕らのような留学生と中国人学生の顔と顔を突き合わせたコミュニケーションというのは非常に大切だと思います。中国に来てからというもの、そのことを痛切に感じる毎日です。僕一人の力は微々たるものですが、両国間の理解を深めていくことに少しでも力になれればと思っています。

2001.6.1

第17回 中国大学入試の闇


以前、「中国の大学の腐敗」と題して、中国の大学の問題を取り上げましたが、今回さらに突っ込んで中国の大学入試の問題を取り上げてみたいと思います。

この春、僕の大学4年生の友人が今の大学よりさらにレベルの高いA大学の大学院の試験を受けました。結果は、総合点では合格ラインを超えたもの、数学の点数が合格ラインにわずか一点足りなかったために、不合格に終わりました(中国の入試では日本と違い、総合点以外に各科目ごとの標準点があり、それを越えないと合格できないのです)。

彼は以前、日本語検定試験の一級を受けた時もやはり一点足りなかったために合格できませんでした。本当に不運としか言いようがありません。しかし、これ自体は公正な試験の結果ですから、仕方がないと言えます。

問題は次のような現象が起こっていることです。彼の言うところによると、彼の友人がやはりA大学の大学院の同じ学科の試験を受けました。結果は各科目の標準点は全て越えたものの、総合点で合格ラインに達しませんでした。本来ならば、この結果なら当然合格出来ないわけです。ところが、彼は僕の友人と違ってA大学の出身であるために、何と合格してしまったというのです!

僕はそれを聞いて、友人に「腹が立たないのか」と聞きました。彼は怒った様子も見せず、「仕方ない。こういうことは中国ではごく普通に起こることだから」と言います。もう、あきらめている、といった感じです。彼はすでに浪人して来年再度受験することを決意し、今も勉強に励んでいます。

こうしたコネのある者、人間関係がある者が得をするという現象は以前も述べたように中国では普遍的な現象です。これらは法的に見れば明らかに違法と言えるでしょう。 ところが、こうした違法な行為以外に、中国の入試には「制度化された不公平」とでも言えるものが存在します。

その代表が、各省・各直轄市ごとの合格者数の割り当て制度です。例えば北京大学の湖北省出身者の枠は何人とあらかじめ決まっていて、湖北省の受験者で成績の多い人がどんなに多くても、枠以上の数の人は合格できないしくみになっています。この結果、どういう問題が起こってくるかというと、受験生の平均点が高い省においては合格ラインが極度に高くなり、省ごとの合格ラインに大幅な差ができるという現象が起こってきます。

具体的に言うと、99年度の重点大学(国家の指定したトップクラスの大学)の合格ラインは武漢市で566点、北京では460点となっています(満点は750点)。両者の間にはなんと100点以上の差があるのです。

ちなみに、各省ごとの合格者枠にどれ位の差があるのかというと、北京大学と並ぶ名門の清華大学では約三千の合格枠中、北京には四百から五百が割り当てられる一方、甘粛省にはわずか40前後しか割り当てられていません。上海にあるやはり名門の復旦大学では99年の二千四百の合格者枠中、なんと千二百余りが上海に割り当てられています(「中華網」参照)。

こうした割り当て制度が、教育する機会や施設に恵まれない内陸部の生徒たちに大学進学の機会を与える役割を果たしていることは否定できません。もし、こうした制度がなかったら、チベットやウィグル地区など比較的貧しい地域からはほとんど北京大学に合格できる人は出ないということも考えられることです。

しかし、北京や上海など、最も豊かな地域の生徒が優遇されているとなれば、これは明らかに不公平としか言いようがありません。

このような不公平な制度が維持されている理由としては諸説あります。政府の教育部には北京出身者が多いため、自分の子弟に有利なようにこうした制度を維持していると意見もあります。また、各大学は現地の政府からさまざまな便宜を図ってもらっているため、現地の枠を増やさざる得ないのだ、という見方もあります。
いずれにせよ、この制度が何か合理的な理由に基づいているとは言えないことは確かなようです。

合格者数の割り当て制度に意外に、僕から見て不合理と思える制度に「拡招」と呼ばれる制度があります。「招」とは中国語で「募集する」と言う意味で、「拡招」は正規の枠以外に合格者を拡大するという意味です。具体的に言うと、各大学の合格ラインから不足している点数が20点以内であれば、お金を多く払えば合格できるという制度です。いくら払えばいいかというと、二万元(約三十万円)です。現在、中国人の平均収入は大都市でも約千元ぐらいですから、この額がいかに大きいかわかるでしょう。しかし、大学に入れるかどうかはその子の将来に関わりますから、貧しい家庭でもお金を借りたりして必死に子供を大学に入れようとするはずです。一方、大学にとってはこれは大きな収入になるでしょう。これは、決して非合法な裏口入学ではありません。中国ではこれがれっきとした制度として存在するのです。先ほど「正規の枠以外で」と言いましたが、「拡招」で入った生徒は、一度入ってしまえば他の本科生と何の区別もありませんし、卒業証書も同じです。僕から見れば、これは単に大学が金もうけのために考えた制度としか思えません。

以上、僕が聞いた範囲、知っている範囲で中国大学入試の問題点を書いてみました。しかし、まだまだ僕が知らない多くの不公平なこと、不条理なことがあることと思います。「中国の社会は暗黒だ」。多くの18、9歳の大学生たちが僕にそう言います。

中国人にとってよりレベルの高い大学に受かることは将来のより豊かな生活を意味します。大学院に行くことも、日本なら学問的興味からという人が多いかもしれませんが、中国ではほとんどの場合、将来の高収入のためです。特に農村出身の子弟たちは、貧しさから抜け出すために必死になって勉強します。以前報告した農村の状況を見れば、これは皆さんも理解できることと思います。大学受験の結果は本当にその子供の人生を左右してしまうのです。

ですから、一部の大都市の人間や大学の利益のためにこうした貧しい子供たちの努力をないがしろにするような制度は一刻も早く改善して欲しいものです。

2001.6.27

http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/kangomei/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/102.html#c1

[近代史6] 中国に取り残された残留日本兵を救った中国人 中川隆
2. 中川隆[-16035] koaQ7Jey 2021年7月26日 19:05:42 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[36]
2011年3月22日 【地震】支援の輪。読売新聞より。

小さな小さな記事だった。


『残留孤児養父母が支援』

日本人残留孤児を育てた中国黒竜江省ハルビンの中国人養父母ら少なくとも15人が、東日本巨大地震の被災地に義援金を送ることを決めた。

19日、中国側の赤十字社に義援金を託す予定だ。

関係者は『孤児たちは私達の家族。1980年代に帰国したが、縁は切れない』と話している。

義援金を送るのは、養父母らでつくる民間団体
『ハルビン市日本留華孤児養父母親睦会』の会員や家族。

石金階事務局長(53)によると、地震発生後東京、千葉などに住む残留孤児28人の無事を電話で確認した。


中国デマで混乱しという大見出しの下の小さな小さな記事だった。

http://blog.livedoor.jp/kaname_miduki/

115 :名無しさん@お腹いっぱい。(北海道):2011/03/19(土) 21:42:01.92 ID:vYis8Yjg0

昔の中国一般人は優しいよ。

日本人に統治されて酷い事されまくったのに日本が戦争に負けて日本へ帰りまくり
だが、取り残された弱者や子供を中国政権から隠して守り中国人として育てた。

そして、日本人孤児達は大きくなって数年前日本に帰って来たんだが今回の地震で自分の子は大丈夫かと心配して中国の親達は義捐金を日本に送った。

日本人孤児も老人だから中国の親は凄い老人なのに。


____


中国に残留孤児が多いのは、中国人の性質によると思っています、

私は現在、地震のあった、近くの町、重慶に滞在していますが、地震の募金活動や、献血など、凄いボランテアの数です、

漢民族は、人間や生き物に対して、優しいですよ、あんな性質で、戦争できるのかな、、と思うほどです、

戦後、自分の肉親を殺した日本人の子供であても、放置は出来なかったと、推定します、
現在でも詐欺や泥棒は日常的ですが、殺人や障害は滅多にない様です

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216564117

Q. よく「中国残留孤児」というのがありますよね。満州にいた日本人の孤児が戦後に支那人に引き取られて育てられたというのがあります。しかし何故「韓国残留日本孤児」といのが存在しないのでしょうか?

終戦当時、かなりの日本人が朝鮮半島にいたと思います。朝鮮半島にいた日本人が戦後、引き揚げで全員帰ってきたかは定かではありません。しかし戦後のドサクサで朝鮮半島に残った日本人はいなかったのでしょうか?

支那では戦後、日本の子供達を引き取りわが子のように育てた「中国残留孤児」というのがあります。

しかし「韓国残留日本人孤児」「北朝鮮残留日本人孤児」というのがいませんよね。これは何故でしょうか。

A. アメリカ中学校教材で使われている 'Kawasima洋子ワッキンスシの著者の洋子話(so far from the bamboo grove)というノンフィクションが当時の実態を表していますから、英語の勉強を兼ねてお読みになると良いでしょう。

実態は、朝鮮人による強姦、惨殺などによって多数の人が犠牲になったり、人身売買によって売り飛ばされています。

また、売り飛ばされて、農奴にされて、韓国で半生を送り、日本人として異例の第一回光復節賞が授与された望月カズと言う人の半生にもその時の状況が語られています。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436135609
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/102.html#c2

[近代史6] 中国に取り残された残留日本兵を救った中国人 中川隆
3. 中川隆[-16034] koaQ7Jey 2021年7月26日 19:08:22 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[37]
赤塚不二夫120%―死んでる場合じゃないのだ – 1999/1 赤塚 不二夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E5%A1%9A%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E5%A4%AB120-%E2%80%95%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%8B%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A0-%E8%B5%A4%E5%A1%9A-%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E5%A4%AB/dp/4901006096

赤塚不二夫が語っていた戦争と差別…終戦時の満州で助けてくれた中国人、日本に帰って受けたイジメと差別


『おそ松くん』をアレンジしたアニメ『おそ松さん』(テレビ東京系)のブームは、番組の放送が終了した今でもまったく衰える様子を見せず、また、タモリがエンディング曲を歌っていることでも注目されたドキュメンタリー映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』も現在公開中。亡くなってから8年近くの時が経っても、赤塚不二夫は話題を振りまき続けている。

 人々が赤塚作品を愛し続けているのには、色々な理由があるだろうが、そのなかの一つとして大きいのが、彼のつくる物語の根底に流れる「優しさ」だろう。赤塚不二夫の担当編集をしていた武居俊樹氏は、赤塚不二夫『赤塚不二夫120%』(小学館)の解説でこのように綴っている。

〈小説家の井上ひさしが後に言っている。

「文部省が赤塚漫画を『道徳』の副読本にしないのは理解できない」と。

 ある意味で、赤塚の作品は道徳的だ。

 例えば、暴力シーンはいっぱい出てくるが、弱虫でチビのハタ坊がいじめられるシーンは決して出てこない。喧嘩も、対等か、強い者に逆らう時に起きている。チビ太が一人で六つ子に挑んでいくような時だ〉

 弱い者いじめはしない──赤塚作品で貫かれているこの姿勢は、彼の子どもの時の体験によってできあがったものであった。

 赤塚不二夫は、1935年9月14日、満州にある古北口という、旧満州国と中国の国境沿いの町で生まれた。父親は、特務警察を務めた後、奉天で消防分署の署長を務めていた。現地の中国人たちを監督する立場の人間である。尊大な態度を取り、徹底的に彼らを痛めつけたとしても誰からも文句は出ないし、実際にそうしている日本人はたくさんいた。しかし、赤塚不二夫の父の行動は、それとは真逆のものだった。

終戦直前におやじが奉天(現在の瀋陽市)の鉄西区の消防分署の署長になった。部下はみんな中国人。彼らがミスしたとき、朝の六時ごろ、籠に卵をいっぱい入れて持ってきたり、砂糖とかいろんなもの持ってくるの、謝りに。でも、おやじはぜったいに受け取らなかった。

「いらない、そんなもの。おまえたちが食べろ」って。

 ボクはまだ子どもながらも、なんか騒がしいなと思って起きて見にいったら、そうやってるわけだ、おやじと部下が。

 そしたらうちのおふくろが、「もらっとけばいいのに」。子どもたちに食べさせたいと思うわけだよ。そうしたら、おやじ怒った。「ふざけるな」って。

 そういうことがずっと続いていたから、終戦のとき中国人が、「おくさんお米あるかあ、砂糖あるかあ」って持ってきてくれて助けてくれた。

 学校では先生から、中国人を蔑視した教育を受けていたけど、ボクは学校から帰ってくると、おやじの部下の中国人の子どもたちと、官舎のまわりで犬コロみたいに遊んでいた。中国語で、みんないっしょになって生活してたわけだから、「おまえは日本人なんだからエリートなんだぞ」なんてことはおやじは言わなかった。だから、ボクは中国人に対して差別とかそういう気持ちをもったことはなかった(中国引揚げ漫画家の会編『ボクの満州 漫画家たちの敗戦体験』亜紀書房)

 物資の少ない状況下、赤塚不二夫の父だって、付け届けは喉から手が出るほど欲しかったはずだ。しかし、それを受け取ってしまえば、渡しにきた中国人たちが飢えに苦しむことになる。それを分かっていたから、頑として受け取らなかったのだ。また、赤塚不二夫の父にはこんなエピソードもあると言う。


砦には時々、さまざまな物資を積んだトラックが到着した。おやじはその物資をよく村人に分けていた。

「敵も味方も同じ人間じゃないか」

 何か見返りを期待したわけじゃない、こちらに真心さえあればそれは必ず相手に通じるはずだ──これがおやじの人間観だった
(赤塚不二夫『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』文藝春秋)


 こういった行動は、実際に相手に伝わっていた。赤塚の父の首には当時の金額で2千円の賞金がかかっていたが、誰も父のことを密告したりはしなかった。どころか、敗戰の混乱時には赤塚家を周囲の中国人が守ってくれたのだ。

 そして、終戦後は、なにかと面倒を見てくれたり、日本人の集まっている安全な場所まで部下だった中国人たちが送り届けてくれたという。

 戦時中にいばっていた日本人のなかには、終戦の混乱のドサクサに紛れ中国人に惨殺された例もある。実際、近所の中田さん一家は戦中に恨みを買っていたため、殺されてしまったという。その話を聞いた当時の心境を赤塚不二夫は〈いつも部下の中国人を可愛がっていたおやじが、ぼくたち一家を救ったと思わないわけにはいかなかった〉(前掲『赤塚不二夫自叙伝』)と振り返っている。

 弱い者いじめをするのではなく、助け合って生きていけば、今度は自分が困ったときに助けてくれる。小学生の赤塚不二夫は父の行動からそのことを学んだのだという。

 しかし、小学校6年生のとき、引き揚げて母の郷里である奈良県の大和郡山で新しい生活を始めると、今度は「差別される」立場に置かれることになる。ほとんど戦災を受けることもなく、古くから住んでいる地元の住人ばかりの土地にとって、満州から引き揚げてきた家族は「よそ者」以外のなにものでもなく、冷たい扱いを受けたのだった。


ある時、配給があるから鍋持って集まれという回覧が回った。ぼくが鍋を持って行って並んだ。ところがぼくの番になったとき、

「あ、満州か、お前はダメだ」
 と断られた。あの時は悲しかった(前掲『赤塚不二夫自叙伝』)

 当然、学校でもイジメの対象となってしまうのだが、そんなとき、かつて父が現地の中国人に対して親切に接したように、イジメられている赤塚不二夫に親切に接してくれる人物が現れた。学校で番長を張っていた奥村という同級生の男である。彼との出会いはこのようなものだった。

僕は子供の頃から、絵が得意だった。「よーし、あいつが俺のこと、そんなにイジメるんだったら、漫画を描こう」って、藁半紙16枚くらいを糸で縫って、そこに鉛筆でマンガを描いたのだ。確か「寿司屋のケンちゃん」ってマンガ。その頃、お寿司屋さんなんか行ったことなかったのに、どうしてそんなマンガを描いたんだろう。それがわからない。でもとにかく、描いたわけだ。それを番長に、「僕の描いたマンガです」って差し上げた。番長はしばらく、パラパラめくって見てたよ。

「これ、ほんとにおまえが描いたのか?」

「ほんとです」

 それからみんなを集めて、

「いいか、今度なぁ、赤塚イジメたら、俺が承知しないぞ」

 って。それから見事に、イジメにあわなくなった(前掲『赤塚不二夫120%』)


 この後、奥村と仲良くなった赤塚不二夫は柿畑から柿を盗んで売り警察の厄介になるなど、数々の悪行に手を染めることになるのだが、そんな悪ガキの奥村は一方で、まわりから差別される立場の人間に対して優しい態度をとる一面もあった。イジメを受けている赤塚不二夫を助けた他に、こんなエピソードもあると言う。


クラスに一人、重度の小児マヒの子がいた。性格のとてもいい子だった。運動会の日がきたが彼は参加できない。窓から外を見ているだけだ。その日、ボス奥村はぼくに命じた。

「お前残って、あいつと一緒にいてやれ」

 しかたなくぼくも運動会に出ないで、二人で教室に残った。グランドではワーワーみんな楽しそうにやっている。窓からそれを見ている彼に、「面白いか?」と聞くと、嬉しそうに「うん」と答えた。

(中略)

 それにしても奥村という男も大したものだと思う。ただ体がでかくて腕っぷしが強いだけではなかった。ハンデを背負った友達の気持がわかり、ぼくに運動会を休んで付き添わせるという、教師ではできない対応をやってのけたのである(前掲『赤塚不二夫自叙伝』)

 このように奥村が面倒を見ていた子たちは赤塚不二夫の心に深く刻まれており、彼らが一緒に遊んであげていた当時3歳の男の子は『おそ松くん』に登場するチビ太のモデルにもなっている。

 父、そして、ガキ大将の奥村。彼らが見せてくれた、弱い者を守り、決して差別しない態度は、漫画家となった赤塚不二夫にも受け継がれ、それが赤塚作品の根底に流れる「優しさ」にもつながっている。

 周知の通り、先日、ヘイトスピーチ対策法が成立したわけだが、そんな法律をつくらねばならないほど、現在の日本社会は急速に寛容さを失い、多様性を認めることができない社会になりつつある。それは、赤塚不二夫が作品のなかで描いていた世界とは真逆のものであり、そのような社会になってしまったことは嘆かわしいことである。どんな人間も差別を受けなければいけない必然性などないし、社会はどんな人の個性も受け入れることができる多様性を持つべきだ。赤塚不二夫は生前、こんな言葉を残している。我々がいま、赤塚不二夫のマンガから学ぶべきことはたくさんある。

僕は、この世の中に「いい人」だけの人なんて、いないと思っている。

同じように、「悪い人」だけの人もいない。

世の中って、正しいことも悪いことも、美しいことも汚いことも、恵まれている人もハンディを背負っている人も、金持ちも貧乏人も、おバカも利口も、賛成も反対も、糞も味噌も、ぜーんぶごちゃ混ぜになってるのだ。それが世の中ってぇものだからね。それでいいのだ!!(前掲『赤塚不二夫120%』)
http://lite-ra.com/2016/06/post-2314.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/102.html#c3

[近代史6] 中国に取り残された残留日本兵を救った中国人 中川隆
4. 中川隆[-16033] koaQ7Jey 2021年7月26日 19:11:51 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[38]
2016年08月12日
中国大使館が留学生に接触しスパイに養成 その手口

世界ウイグル会議にスパイ

台湾系のメディアによると、中国国家安全部がスウェーデン留学生Asiya Abuliekemuにスパイ活動をするよう脅迫していた。

世界ウイグル会議のデリシャット氏が来日し、中国への留学生や、中国からの留学生が同じ目に遭っていると訴えた。

Asiya Abuliekemuは世界ウイグル会議を破壊するよう指示を受けたという。


  
世界ウイグル会議はウイグル人の独立や自治を目指す会議で、中国から逃げ出したウイグル人で構成されている。

ウイグルは中華人民共和国が成立する以前は国家で、中国の一部ではないし所属したことも無い。

13世紀にモンゴルのジンギスカンに服従しモンゴル帝国で重要な地位を占めるが、その後は周辺国との戦争が絶えず、17世紀には清に占領された。


清国を構成する女真族はいわゆる漢民族ではない非中国人で、ウイグルは独自の文化を持った支配地域という位置づけだった。

19世紀始めに清国が崩壊の道を辿り始めると、ウイグル族の反乱が起こり、数十年に及ぶ戦いの末に結局は清国に敗れた。

1949年に中華人民共和国が成立した前後、再びウイグル人が蜂起し独立国家を建国したが、鎮圧され中国に併合されている。


中華人民共和国の地図を見ると、外側を大きな面積の「自治区」等が取り囲み、内側に小さな省が多く存在している。

外側の大きい方は漢民族と無関係な国を併合した場所で、内側の小さい省だけが、いわゆる中国人本来の土地です。

北京より右側は旧満州国つまり清国の領土だし、内蒙古はモンゴル、ウイグル、チベットは完全に別の国でした。

中国人留学生と産業スパイ

要するに中国というのは北京周辺の僅かな地域だけが「漢民族」固有の土地で、その他は全部少数民族や外国の土地を奪ったものです。

独立運動や暴動が絶えないので、治安部隊を全土に配置しているが、年間数千件の暴動が発生している。

中国の治安部隊は外国とは桁が違い、予算は人民解放軍と同額の10兆円以上で、第二人民解放軍とも呼ばれています。


話を中国のスパイ強要に戻すと、2014年に『月刊中国』という反大陸的な中国人情報誌が、産業スパイについて解説している。

日本に来る中国人留学生に中国公安が目をつけて、本人が望まなくてもスパイに仕立て上げていく。

中国で訓練を受けたプロ工作員を「基本同志」、協力者を「運用同志」と呼んでいるが、留学生は「運用同志」にさせられる。


よく集団詐欺やマルチで被害者が別な人を勧誘して加害者になっているが、留学生も被害者であると同時にスパイを行っている。

優秀な中国人留学生は日本企業の研究員になったり、招待されて企業情報を知りえる立場になる。

中国大使館にそうした留学生を集めて、報告させたり情報収集の指示を出したりする。


もし留学生が協力しなければ、留学許可を取り消されて本国に送還されるか、国費の支給を打ち切られます。

大学の先端分野や、防衛関係、スーパーコンピュータなど、日本の大学には中国が欲しがる技術が転がっている。

中国は他国の技術をすぐにパクルのが得意だが、手際の良さはスパイの存在なしには考えられない。

中国が人心を掴む手口

以前の中国では映画007のように情報部が養成したプロのスパイを外国に送り込んでいました。

だが一人の有能なスパイを養成するには長い時間と手間がかかり、しかも養成したスパイが寝返ることは良くあるとされている。

そこでスパイを要請して送り込むのではなく、日本で暮らしている留学生を利用して情報を得ている。


養成したスパイを東京大学に送り込むより、既に東大に入って成功している留学生をスパイに使った方が効率的だからです。

その為に中国大使館は留学生に接触して相談事に乗ったり、留学費用を払ってやったり、公私ともに面倒をみます。

留学生と大使館は信頼関係や人間関係が生まれ、自然な形で協力するようになります。


ここがポイントで、中国が人を垂らしこむ手口は「感動させて」心の底から心服するように仕向けます。

日本の左翼がヨボヨボの爺さんになっても中国に忠誠を尽くす理由がこれで、命令されるのではなく、心の底から中国が好きなのです。

これを洗脳やマインドコントロールとも言い、スパイにしろ左翼にしろ、自分の意思で協力するように心を操ります。


一度相手の心を掴んでしまえば、その人はもう一生涯、中国による心の支配から逃れる事ができなくなります。

よくカルト教団の元信者が「こうしてマインドコントロールから抜け出した」と言っていますが、その姿はどう見ても支配された影響が残っています。

本人がどんなに努力して抜け出そうとしても、中々抜け出せないのが心の支配で、この分野は旧ソ連と中国が非常に進んでいました。
http://thutmose.blog.jp/archives/64925019.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/102.html#c4

[近代史02] 中国人が日本人を大好きになった理由 中川隆
11. 中川隆[-16032] koaQ7Jey 2021年7月26日 19:12:37 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[39]
2021-07-25
中国に取り残された残留日本兵、石田東四郎さんのこと
https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/25/213549

小野田寛郎(1974年フィリピンから帰国)や横井庄一(1972年グアムから帰国)などと違って知名度はゼロに近いが、1993年、敗戦から48年も経ってようやく中国から帰国した石田東四郎という元日本兵がいる。

この石田さんにまつわる物語は、実に驚くべきものだ。

1912年、秋田県増田町に生まれた石田さんは、1937年、再招集されて中国河南省に渡ったが、終戦直前に行方不明となり、戦死したものと考えられていた。

しかし彼は、銃撃により頭を負傷し、聴覚と記憶を失ったまま生きていた。

1946年秋、石田さんは河南省黒石寨で、ボロボロの衣服をまとい物乞いをしているところを隣村の農民孫邦俊さんに保護された。

貧しい農民に過ぎない孫邦俊さんが、なぜよりによって元日本兵などを保護したのかは分からない。孫さん自身が元孤児だったからという説もあるが、確認できていない。

ともかく孫さんは石田さんを家に連れ帰り、衣服と食事を与え、医者にも診せてやり、家族同様に世話するようになった。しかし当時はまだ日本による侵略の爪痕が生々しく残っている時期で、孫さんの村にも多くの被害者がいた。孫さんは門前にまでやってきて抗議する彼らを必死に説得しなければならなかった。

孫さん一家が、石田さんを保護したことで得をしたことは何一つなかった。

石田さんは負傷のせいで脳に障害を負っているらしく、夜中に大声で叫んだり、自分の顔を殴ったり、与えた靴や布団を切り刻んでしまったりした。また、働く能力がなく、いくら農作業を教えようとしても、草取りひとつ満足にはできなかった。

石田さんが突然半身不随になったときは、孫さんは借金までして彼を治療した。

孫さんがそんなふうに石田さんを親身に世話する姿を見て、周囲の村人たちも、やがて彼を仲間として受け入れるようになっていった。

しかし、文化大革命の時期には、石田さんのせいで再び孫家に苦難が訪れた。日本人を保護していることから「外国と内通している」と批判され、息子の孫保傑さんは学業を中断せざるを得なかったのだ。

孫邦俊さんは石田さんを引き取ってからずっと、彼の家族を探したいと考えていたが、名前も経歴も話せない石田さんの身元はわからず、1962年、彼を帰国させることができないまま亡くなった。亡くなる際、孫さんは息子の孫保傑さんに「これからも日本のおじさんの面倒をよく見なさい。機会があれば日本の家族を捜してあげなさい」と言い残した。

孫保傑さんは父の遺言を守り、1972年に日中の国交が回復すると石田さんの身元探しに奔走した。

1992年、津田康道さんという人が、新聞に載っていた負傷兵は数十年前自分と一緒の部隊にいた石田東四郎さんだと確信し、訪中して面会した後、石田さんの弟である石田小十郎さんに連絡をとった。

翌1993年、血液鑑定により石田小十郎さんとの血縁関係が確認され、石田東四郎さんは日本に帰国した。

しかし、帰国の日になっても石田さんは孫家を離れようとしなかったので、孫保傑さんは自分で石田さんを日本に送り届け、さらに20日間も付き添った。孫さんが帰国すると、石田さんはあちこち探し回り、落ち着くまで10日もかかったという。

2002年、孫保傑さんの妻の王成香さんが養老院にいる石田さんを訪ねると、石田さんは涙を流し、王成香さんが帰ろうとすると自分も立ち上がって着いていこうとした。

ここまでくると、果たして石田さんは日本に帰国できて幸せだったのだろうか、とも考えてしまう。

石田東四郎さんは2009年、肺炎のため97歳で死去した。記憶が回復することはついになかった。

それにしても、敵国の敗残兵だった石田さんを迎え入れ、47年間も親身に世話した孫さんたちの行為は何と表現すればいいのか。親切などという言葉では表しきれないものがある。

この孫さんだけでなく、敗戦時の混乱で置き去りにされた日本人孤児を保護し、我が子同様に育ててくれた多くの中国人養父母たちがいた。

一方の日本はといえば、こうした「中国残留孤児」たちが帰国すると、日本語が不自由なため自立できず生活保護で暮らす彼らを厄介者扱いし、彼らが中国に残してきた高齢の養父母たちを呼び寄せたりすれば、中国人が日本の税金にたかっている、などと言って叩いてきた。

この違いはいったい何なのだろうか。

参考:王浩 『半世紀にわたり日本の負傷兵を世話した ある農民の話』
      人民中国 2005年4月
   孫東民 『時空を超えた人道精神』 人民中国 2006年5月

https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/25/213549  
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/319.html#c11

[近代史6] 日中戦争証言
日中戦争証言1 車河堡
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html#

於 車河堡 1997.8.21, 1998.8.20

張さん(64歳)柳河口の証言


 今日、日本の皆さんがいらっしゃったので、私は日本軍の、当時のこの地区でのことについて述べさせていただきます。

昔この地区は日本軍国主義の侵略を受けました。私たちに非常に大きな損害を与えてくれました。今話したのは当時の軍国主義のボスがここで悪いことをしたんです。私たちこの地区の者たちは昔の日本人に恨みを持っていました。ということは、当時この地区で非常に残酷に中国の人を殺したからです。

昔この車河堡に1ヶ所、柳河口、車河口にそれぞれ1ヶ所、あと大杖子の4ヶ所は村があったんですけれども、ここから南の方は全部無人区だったのです。柳河口のところに日本軍は憲兵隊を作りました。憲兵隊の中に又もう一つ事務所を設けました。この事務所はどういう仕事をするかといいますと、中国人を雇ってスパイにさせたのです。この事務所は日本軍の憲兵隊の指導のもとにありました。討伐隊がありました。警備隊がありました。憲兵隊がありました。事務所がありました。警備隊は憲兵隊の言うことを聞きます。当時残酷な悪事を働きました。三光政策を実施しました。すべて憲兵隊の事務所の決定によって、下の人が実施しに行ったのです。

モクイと大杖子と柳河口の日本軍のすべての行動は討伐にせよ、すべて憲兵隊と事務所の指導のもとに行ったことです。憲兵隊と事務所で決定して、下が実行しました。憲兵隊の松沢が私たちの村に1つの穴を掘りました。無人区から連れてきた人を全部その穴の中に落として、松沢一人だけで中国の7人を殺しました。これは1つの例です。私は解放村の人間ではないけれども日本軍のことにつてわかるのです。ここから出発して解放村に日本軍が討伐に行くのです。沢山の人を1ヶ所に囲むのです。紐で縛って3列にさせました。私のお祖母さんの家のおじさんは、5人家族で、張さんと言って、南溝子の人です。3本の紐で3列の人を縛って、1回で3列の人を全部殺しました。


 当時の日本軍国主義の中国での残虐な行為については、一口で言えないほどありました。昔のことを思い出すと本当に怒りを抑えられないほどです。今回皆さんが私たちの中国を訪問され、私たちの所まで足を伸ばして訪れて下さいました。このことは、私が先程話した昔日本軍国主義が中国を侵略したことと全く反対です。あの頃は私たちは恨みを深く持っていました。今友人が来ましたので、恨みは無いどころか心から歓迎します。これからは中日両国が友好往来の面 でますます頻繁になるよう期待します。


 

勾さん(72歳)柳河口の証言


昔日本軍はこのところで3つの人圏を作りました。その時、人圏に入ったら自由に出入りすることが出来ませんでした。人圏を作るだけで沢山の中国の人が死にました。人が死んだ原因は、ひとつは食料が作れないから餓死したのです。もう一つは仕事を強制的にやらされて仕事しなければ殴られたりして死んだ人もいます。もう一つ小さい人圏も作りました。それは直接日本軍の管轄下にありました。井戸も掘りました。その井戸は鉄条網で囲んで中国の人に使わせない。水を飲ませない。小屋は非常に小さくて、食べるものも無くて、着るものも無くて、病気になったりしました。リュウという家では1回で6人が死にました。それは人圏を作った結果 です。
 

張さん(62歳)柳河口の証言


 この中で私は一番若いです。当時10歳位です。当時はまだ小さいですけど、日本軍の印象は非常に深いです。日本軍はこの柳河口で沢山の機構を作りました。例えば憲兵隊、警備隊、傀儡軍隊、それから日本憲兵隊の中の事務所もありました。当時看板は日本憲兵投降事務所というのを使いました。中国人のスパイを募集しました。どの家にも殺された歴史があります。無人区で人を捕まえて、柳河口で殺しました。1回見たことがあったんですけれども、1回で40人くらいの人を無人区から連れていって、柳河口で殺しました。

もう一つの例ですが、ここ車河堡でも悲惨な事件がありました。西峪溝のところで私の叔父さんも捕まえられました。日本人に騙されて会議があると言われて、ここまで来ました。そして村に入ったらすぐ停められたのです。全部で40人くらい1ヶ所に集められ、機関銃で殺されました。骨を燃やしました。この40人くらいの中に私の叔父(母の弟)が入っていました。叔父が死んだ後、お祖父さん(お母さんのお父さん)は、おかしくなって高いところから飛び降りて死んでしまいました。お母さんも弟が殺されたということを知って、様子を見に行って帰ってから、病気になって死にました。この事件は日本の軍国主義が中国に対して行った惨案です。


 人圏は外側に大きな人圏があり、中に又人圏を作って、一番真ん中に日本人が周辺を管理するためにいました。もともと人圏の中のスペースはきつかったのですけれども、又更に無人区の方から沢山の人を連れてきて、もっときつくなりました。食べ物もないし、飲む水もない、水も使わせてくれない。毎日毎日沢山の死んだ人を外に送りだしました。リュウという一軒では6人がその中で死にました。人が死ぬ ことはもう普通のこととなったのです。しばらくしたら又一人が死んで外に運んで行きました。


 私がこっちに来る前は、まだ日本軍をリーベンクイズ(日本鬼子)と呼んでいました。お祖父さんは今度リーベンクイズに会いに行きますねと又今の孫も話しているといくことは、当時の日本軍がここで行った残酷なことが皆の心に残っているからです。昔の日本軍国主義と、今の日本の友人とは違います。皆さんの到来を熱烈に歓迎します。今の話は昔軍国主義が行ったことです。皆さんとは違います。

張さん(71歳)車河堡の証言 トウさんが説明し直す

 西の住民です。傀儡軍の自衛団の退院に、入れられました。討伐隊で無人区に討伐に行った時、トウという人を頭とする討伐隊で黒河へ討伐に行きました。物を背負って連れられて行って、黒河に着いてみたら皆殺された人ばかり、つまり死体ばかりでした。沢山の人を、捕まえたらその場で殺していたのです。彼が行ったことは全部真実です。

 

宋さん(67歳)大杖子の証言


当時私は15歳でした。華北地区で日本軍は13年占領しました。この13年の間に、中国人民は残酷無残な被害を受けました。大杖子では数百軒の人がひとつの人圏に入れられました。門が1つしかなく、出入りも自由にできません。鉄砲を持って、山間地帯に住んでいる中国人を1ヶ所に、人圏というところに強制的に連行されました。何軒かの家族がブタ小屋とか小さな部屋とか、その中に泊らせられました。実験があったので伝染病にもかかりました。1つの村で1年で数百人が死にました。

私の記憶では、ある時日本軍が区画して、無人区と人が住んでいる地区(人圏)を作りました。日本軍は当時の中国共産党員の9人を黒河の無人区で捕まえて殺しました。9人の内、1人の19歳の娘がいました。その娘は日本軍に強姦されて、銃剣で殺されました。それから人が住んでいるところの人が野良仕事に出たことを見つかって、捕まえられて殴られて死んだこともありました。1人はリさんと言いました。もう1人はチャンさんと言いました。壁の外に出ることは八路軍に通 じることで、八路軍に情報を届けに行ったと言われたのです。

 1回こういうことがありました。人圏の壁が低いから、八路軍を防ぐことが出来ないから、それを高く伸ばそうと思って村全体の人に出てもらって作らせました。時間が短く、本当にわずかな時間でその工事が完成出来なかったので、村全体の人は全部木の下に縛られました。私は当時15歳だったんですけれども、私まで縛られて、子どもしか残らなかったのです。全部捕まえられて、皆が物を集めてそれをお金に換えて、そのお金をある人を通 して軍に渡して、ようやくその工事時期を伸ばしてもらいました。


 私は昔の日本軍国主義の反動勢力に対して非常に恨みを持っています。私たち中国人民は、江沢民主席の教えに従って、子々孫々あの時期の歴史を銘記します。当時日本人民も大変な災害を受けたこと、沢山の一般 庶民も強制されて送り出されたことも銘記します。これからは中日友好でやっていきます。今回N先生の率いる代表団の皆さんと、世々代々、次の世代まで付き合っていきます。私たちも日本に行って、日本の政治、経済、文化いろいろ進んでいるところを学び取って、日本の方はどんどんこちらにいろんな形でおいでになることを歓迎します。これから中日両国は子々孫々、世々代々、友好的に付き合っていきましょう。

 

馬さん(74歳)車河堡の証言


 日本軍の飛行機が落とした毒ガスの爆弾のことを話します。私はあの日、山で放牧していました。急に匂いがして、目眩した感じがしました。飛行機から落とされてそれが爆発したら、ものすごく匂いがして、それを嗅いだ人は、伝染病になりました。


トウさんが説明し直す。

 飛行機から籠が落とされて、地面に着いてから爆発しました。彼は匂いをかいで1ヶ月くらい病気になりました。

Nさん補足説明

 籠というのは風船爆弾のこと

 

劉さん(83歳)車河堡の証言

 当時通行証が無いと外に出られなかったのです。当時は作物があったら焼き払われたし、家があったら焼き払われ、物があったら奪い取られました。人も殺されました。三光政策を実行したのです。妻は27歳で日本軍に銃剣で殺されました。その時私は29歳でした。何故殺されたかというと山に登ったからです。人圏に入らないで山に住んでいたのです。山に登ったときに日本軍に見つかって銃剣で殺されました。自分の家を焼き払われました。布団とか生活用具を全部焼き払われたのです。その時私は83歳まで生きることが出来るとは思わなかったです。妻が殺された後、再婚しました。再婚した妻も病気で死にました。31歳の時に日本軍が投降しました。今日まで生きるとは思わなかったです。大杖子から来ました。


 

張さん(75歳)大杖子の証言


本当は今日会議に参加したくなかったんです。私は気持ちが小さくて、日本人を恐れていました。今度来た日本人は前に来た日本人と違うと言われて、私は今日会議に来ました。日本人と会うことになりました。時間の関係で、私の見たことを申します。

三光政策、これは事実です。人に会ったら殺す、物を見たら奪う、家を見たら焼き払らいました。人圏の中の人を沢山殺しました。日本の植民地にしようと企んで、中国人に残酷な悪事を働きました。私は見たんですけど1回に29人を殺しました。1943年です。もう1回は黄危川の無人区で30人ほど捕まえて承徳に送り込んだのです。

トウさんが言い直してくれる。
 当時の銃剣で刺された傷跡が、顔と足に残っています。1回は日本人のために物を背負ったときです。日本人が無人区に略奪に彼を連れて行って、チャンチャンイーという谷のところで、日本軍は彼を銃剣で刺したのです。それは、他のところから銃声が鳴り響いたときのことです。彼はちょっと歩きが速かったので、日本軍はあなたはこの背負ったお米を八路軍のところに届けに行くと判断されて、銃剣で刺されたんです。

 人圏の中には日本軍も住んでいました。日本軍の世話をしました。ある日日本軍が水が欲しいと言ったんですが、この人はお湯が欲しいだろうとお湯を持っていきました。日本軍はお湯を飲むのじゃなくて足を洗いたかったのです。熱いと感じてそのお湯を彼の足にかけたんです。それで足を火傷しました。人圏の中の人を自衛団に組織しました。黒田という日本人がいまして部落の方の自衛団の閲兵しました。検閲しました。自衛団の団長が居ないからかわりに右へ習えと言わなければならないときに、日本語が判らずに言えないでいると、銃剣を足に刺し込まれて倒れました。

 
王さん(69歳)柳河口の証言


憲兵隊は中国人を殺すのによく悪事を働きました。当時皆も言ったんですが、二重の人圏があり、真ん中のは人圏ではなく、日本人が住んでいたんです。


トウさんが説明。

 この10人のおじいさんたちは自ら日本軍から何回も何回もの被害を受けました。この方々は話したいことが沢山あるのですけれども皆さんと会ってから涙が出るばかりで話し続けることが出来ません。この4人は当時の憲兵隊のことを話しました。南山の毒爆弾の話もしました。当時の柳河口は興隆県の所属ではありませんでした。承徳市の所属だったのです。当時の柳河口は柳河と車河を制御する唯一の門戸だったのです。

当時の管理体制は、一般 の傀儡軍は日本軍の指示に従い、日本軍は憲兵隊の指示にしたがっている。当時、さっき話しの出ました日本の憲兵隊は1つの隊でしたけれど、この河周辺の傀儡軍全部を指揮することが出来たんです。憲兵隊の一番悪いところは、中国人を捕まえて投降させて、中国人に中国人を殺させたことです。1人の憲兵隊の隊長に長島という人がいました。熱河省の憲兵総署は承徳にありました。この地域はその当時第二大隊長長島の統括下にありました。東満で中国人を100人くらい捕まえて、自分のスパイにしたんです。何回もの戦いで中国の将軍を攻め落としたのは、全部このスパイを利用したからです。

ここの憲兵班は長島の下にありました。インズーニ事件で30人くらい殺されました。西峪溝事件で40人くらい殺されました。南溝子ではさっき3列と言いましたが、236人殺されました。全憲兵隊が刺し殺したんです。日本軍が討伐隊としてスパイを連れて憲兵隊の指示にしたがったのです。さっき飛行機で大杖子に落とした爆弾のことも、又毒ガスの爆弾のことも全部日本憲兵と関係があったのです。毒ガスと毒爆弾は全部憲兵班と直接関係があったんです。

もう一つは五指山に根拠地がありました。五指山は南にあったんです。この毒と細菌を落としたのは、風が全部南向きの風だったら、全部五指山の方に風によって飛ばされることになります。それをもって八路軍を殲滅しようとする計画だったのです。当時承徳市に離宮があって、その中に陸軍病院があったのです。それが731部隊の支部でした。おじいさんたちの話をまとめて言えば2つのことです。日本憲兵隊のこと、もう1つは南山の毒ガス爆弾のことです。細菌の付いていた風船のことを話しました。

 

馬さん(74歳)車河堡の証言

 通訳無し トウさんが標準語に直す

 無人区に行って、稲刈り、穫り入れをしました。八路軍が食べるものが無いように穫り入れをしたのです。部落の周りに高い柵も作らせなかったし、木も植えさせませんでした。八路軍がそこに上がって人圏に入れるからそれを許さないためです。

 
宋さん、王さん、張さんの証言

Nさん

 宋さんに、ちょっと話しにくいことかもしれないけれど、今日は女性が沢山来ているから、大杖子で起こった、部隊長が女の人を強姦して殺した話をして下さい。

 

王さん(69歳)柳河口


 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。


 

張さん(64歳)柳河口


 だれだれという話はしません。確かに当時、多くの女性を。当時満州軍がおりました。日本軍がおりました。姉妹3人がいました。満州軍の3人の兵(中国人)がその女性たち3人を強姦しました。その時日本軍が来て、3人の中国の男を追いだして、また日本軍が続けてその女性たちを強姦しました。ほんとに目をつぶりたいような事件でした。ただ1つの側面 だけでなく、いろんな面で悪いことをしました。姓名は言わない。言いたくない。こういう事実があったことは間違いないのです。

 
Nさん


この方たちはそういうことを人前で言ったことが無いから、なかなか口を開いてくれなかったんです。やっとこの前聞き出したんですけどね。そして話しだせばきりがなくなるのね。宋さんの村なんか、余り大きな人圏ではないんだけど、そこでもやっぱり女の人は100人くらいやられている。そしてその場で殺された人も自殺した人もいるけれど、あとの人たちはみんな男性がね、彼女らの傷を包み込んで、一緒に耐えてきているのね。今までね。人前で言ったことないからって言うんです。だから後は想像して下さい。

 

1998年---古老4人の話 於 車河堡 1998.8.20

張さん(72歳)
 15.6歳の事を思い出しています。村の東の角にある柳のところに、日本軍が来た。最初の1回、何も起こらなかった。八路軍が入ってきてから、だんだん日本軍もこちらにひどいことをするようになった。 特に人圏を作ってからよその人たちをこちらに追い出した。この近くの南の方に、殺人場があった。中国の人全部を、その殺人の場所に連れて行って殺した。今、この村の若い人たちは、知らない人が多いです。そこは溝のようになっていて、死人溝とも言います。

  特に討伐が始まってから、ものすごく凄かったです。特に人圏が作られてから1人の日本軍、黒岩が最初に人を殺す。その後は生きたまま心臓を取り出す。私は1回見たことがある。名前は判りませんけど、日本人は黒岩と言った。もう1人の日本軍が、手に心臓を持って黒岩にあげたところを見たことがある。

  当時ほんとに日本人を心から恨みました。中国の人は当時、近づく勇気がなかった。向こうが鉄砲と刀を持っているから、見るにしても遠くから見た。 当時、日本軍に、「この日にこの家を離れなさい。人圏に入りなさい。」と言われ、日本軍が翌日来て見て、もし家を離れていなかったら、すぐ火をつけられる。

  ここ何年かは、日本の友人が何回も何回も、私たちのところを訪問にいらっしゃって、そういう意味からは、中日両国はいつまでもいつまでも友好的に付き合っていく必要があると思います。す。
馬さん(75歳)


  昔のことを思い出したら、当時、黒河のところ、それから西山のところ、その辺りは中国の人が殺されました。特に八路軍が来てからもっとひどくなった。日本軍は昼も夜も、特によく夜出てきて、八路軍を捜していた。八路軍を捜していたのだけれど、一般 市民を見つけてもその場で殺した。

  私はまだ小さく、17.8歳の頃だった。日本人はみな若い人に荷物を背負わせた。私にはひとつ、空の木の箱を背負わせた。中には何も入っていなかった。

  だんだん人圏を作ってから、日本軍はひどくなった。山で人を見つけたら、すぐ殺した。モクイ前の所にカンデンという所があって、そこまで荷物を運ばされた。同じ村の人4人が一緒にいたが、このまま行くと生きてられない、きっと殺されると思った。このカンデンで荷物をおいてから、4人は放された。そして、この4人は帰ってきた。

  人圏を作ってから、ここの村の人は山の上に逃げた。八路軍は山から下りないようにすすめた。でも、日本軍はどうしても山から下ろして、人圏に入れようと思っていた。

  1回こういう事があった。羊を山で放牧した時、風船が飛んできて、中に毒ガスが入っていた。その匂いがひどかった。その匂いをかいで、昏睡状態になって、半月後にやっと起きられた。羊はその場で50匹くらい死んだ。 43年の暑い時の5月、ホウツァンチョンの北山でのことだった。私は羊の放牧に行っていた。そしたら、飛行機が飛んで来て、風船を落とした。たくさんの風船を落とした。地面 にぶつかると、すぐ割れて臭い匂いが出てきた。だいたい半日ぐらい昏睡状態、倒れたままだった。羊が先に帰ったので、家族が捜しにきて、倒れている私を見て家に連れて帰った。風船は紐で縛ってあった。このくらいの大きさ。直径30センチくらい。放牧は1人で行ったので、ほかに見た人はいなかった。家族は野良仕事をしていた。
劉さん(84歳)


  今日まで生きられるとは思わなかった。日本軍が中国に侵略した時に、日本軍に殺された人は数え切れないほどいました。今、中国に来ている日本のみなさん、私たちに会って、私たちを忘れないでいることに感動しました。 1942年のことはだいたいみんな判っている。

  1942年の時、人圏に入ることになった。人圏に入らなかった人は、山に逃げた賊と言われ、その人たちの生活も苦しかった。ひとつの部落に1日何十人もの死者が出た。1番多いときは、47人の死者が出た部落もあった。1日47人も死んだ。その遺体を外に出そうと思ってもなかなか間に合わなかった。

  当時、妻は27歳、日本軍に銃剣で刺されました。43年の時、日本軍が来ると知って、妻と一緒に逃げた。でも、妻は遅いので、日本軍に捕まった。旧暦の7月28日、その時6人殺された。妻、妻の叔母さん、妻の弟、男の子が3人、4人の男の子のうち3人が殺された。承徳県の烏龍机で、銃剣で殺されました。

  ツァイコウの山の中腹で、1回で27人殺されて埋められた。私は当時29歳。日本軍に妻と子どもが連れられていったので、ついて逃げた。途中で人殺しの声が聞こえて、また逃げ出した。これは、無人区で、人圏に入らなかった人たちの話です。

  1943年の春の話、ワンツェワンホー(王永庄)で21人が連れられ、そのうち20人が殺されました。逃げ出した人は、当時40歳位 で、今はもういない。1944年、多分日本軍は負けることを予測したと思います。山の上に毒ガスを埋めて三角の旗を立てた。行ってから、それを自然に爆破させて、殺そうと思っていたと思う。見たことがある。いままだ残っていると思う。日本軍が撤退した後、毒ガスで中国の人を全滅しようと企んだと思った。

  1945年、日本軍は7月に撤退した。6月に大雨が降りました。40日間、大雨が続いた。その毒ガスは雨が降ったから破れなかったんだあと思う。7月に日本は敗北した。当時、中国の人で、日本軍のために働いていた人もいた。その人たちの話しによると、この毒ガスをいったん嗅いだら、死ぬ ことに決まっている。それを解決する方法もない、と言われた。この北山の上にひとつあった。南の山の上にもうひとつ。五指山のところにもあった。チョウモウリャン(橋木梁南山)と黒河にもあった。中国の人で、日本軍のために働いた人たちの話しによると、この毒ガスはそれを取り消す方法はない。唯ひとつの方法は、頭を水の中に浸して、その匂いを嗅がなければ大丈夫だった。でも、日本軍が撤退した後、40日間の雨で、毒ガスは外にも漏れずにすんだ。

  21歳の時、日本軍が入ってきて、31歳の時に帰った。今日まで生きられるとは思わなかった。
唐さん(73歳)

 車河堡のところに、ツンコウショウ(ツン政府)というのがありまして、そこには村の人の名簿が全部あったのです。当時は村政府と言います。昔はツンコウショウと言った。

  日本軍に捕まえられたら、いつも聞かれるのです。

「八路軍に会ったことがありますか。」あるいは

「八路軍のために仕事をしたことがありますか。」

と聞かれる。「したことない。」と言うと「バカヤロウ、サンピン」(この部分は日本語で大声で証言した)と言われた。

そして、言わなかったら鉄砲を火につけて赤くして、鼻の穴にさしこむ。そうやられて痛くて我慢できないから、メチャクチャなことを言う。要するに認めさせるのです。最後まで認めなければ、穴を掘ったところに連れて行かれて殺される。


  殺した場面を見たことがあった。北溝という所で、10数人が殺されるところを見たことがある。それを見終わらないうちに帰ってきた。 風船を見たこともある。ある年の春、南の山へ薪を取りに行ったら、50センチくらいの風船が落ちてきて、匂いがしたのですぐ逃げた。

張さん(72歳)

 もう少しつけ加えます。

  当時、川の向に住んでいた。当時、日本軍は人圏を中国の村民たちに作らせた。昼に作って、夜は八路軍が山から下りてきて、それを壊した。翌日作らせられて、すごく苦労した。ある日、門のような所を作った。日本軍はトラックに乗って、山の上に検査に行った。山に行ったから、しばらくは帰ってこないと思って少し休憩した。日本軍がすぐ帰ってくるとは思わなかったのです。ところが、日本軍はすぐ帰ってきて、作ってないのを見て、つるはしで、休憩した人を殴った。大人は3回、私はまだ小さかったから、2回殴られて、2回でも目の前が真っ暗になって倒れた。もし、3回殴られたら死ぬ に決まっている。

  16歳の時だった。日本軍が村の人たちを、無人区に作物の採り入れに行かせた。男は16歳以上のものが行かされて、昼食の後、集合所があってそこに行って、1000人くらい鍬を持って作物の採り入れに行かせられた。そして、三道梁子からマンファチャンまでの作物を全部切り取らせられた。だいたい25キロくらいの距離の作物を切った。

  なぜ作物を切ったかというと、当時は無人区には人がいることを許さない。すべての人が生存する条件を取り除くのです。作物を切ったら、人が隠れる所がない。そのため、中国の人たちに切らせたのです。三光作戦は中国の人が生存する条件を崩す。人圏に入らなかった人は、山の上に逃げるでしょう。作物を切ったら食料がないから、みんな逃げられないようにしたのです。1000人くらいで、1週間くらい作物を切らせられたら、作物はなくなった。無人区の話しです。村民たちは自分が植えた作物を切りたくないが、日本軍は切らないのを見て殴ったのです。


劉さん(84歳)


 人圏の中の村民は、ほんとにいろんなことで困った。

  例えば、外に植えた作物は、人圏に入らなかった村民が植えたものです。それを切ったら、外の人たちは食べ物がなくなる。同じ村の人だからそれを切る気はない。切らなければ日本軍に殴られたり、また、八路軍も切るのを許さないから、どうするのか困った。

  人圏に入らなかった人はどこにいたかというと、共産党の党支部があって、そこに民兵の連隊があり、ひとつの場所を占領していて、そこにいた。日本軍が来たら戦って、勝ったらそこにいるが、負けたら山の周辺に逃げる。そして、日本軍が去ったら、また戻ってくる。ぐるぐる回っていた。豚も人について逃げた。羊も牛も逃げた。家財を背負って逃げた。何日も食事をしないこともあった。

http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html#
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/103.html

[近代史6] 日中戦争証言 中川隆
2. 中川隆[-16031] koaQ7Jey 2021年7月26日 19:23:30 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[41]
王さん(69歳)柳河口


1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html

王さん

 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。政府は何回も説得して、


「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」


と教えられた。しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。
http://www.jade.dti.ne.jp/kaworu/syogen/ryujya.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/103.html#c2

[近代史6] 小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか?
2021-07-18
小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか?
https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/18/105707

映画『ONODA』がカンヌでスタンディングオベーションという惨事


1974年3月、フィリピン・ルバング島のジャングルに30年潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が帰国した際の歓迎ぶりはすさまじいものだった。

政府が彼のために日航特別機を用意したことから始まり、機が羽田に着陸する30分前からNHKは特別番組の実況中継を開始、小野田が降りるタラップの下には百人近い政府関係者が並び、またそれ以上の数の報道陣がカメラの放列を敷いていた。

まるで戦勝国の凱旋将軍が帰国したかのような扱いである。

小野田が家族のもとに落ち着くと、今度はその手記の版権をめぐる争奪戦が始まった。最終的に講談社が争奪戦に勝利し、出版されたのが小野田の手記『わがルバン島の30年戦争』(1974年)である。

それから47年後の今年、カンヌ映画祭でこの小野田の「戦い」を描いた映画『ONODA』(アルチュール・アラリ監督)がオープニング上映され、熱烈なスタンディングオベーションで迎えられたという。[1]

 本作は、太平洋戦争の終戦後もフィリピン・ルバング島の森林で、終戦を信じられないまま30年間残り続けた小野田寛郎元陸軍少尉の実話を映画化したもの。フランス人のアラリ監督は、津田寛治、遠藤雄弥、イッセー尾形ら日本人キャストと日・仏など国際的スタッフの混成を指揮しながら、小野田少尉が島に派遣され、そこから驚くべき軌跡を辿る様子を、キャラクターの人間性に焦点を当てながら描く。

 スクリーン・インターナショナル誌が、「小野田の日本軍への献身は戦争の愚かさと残虐さを浮き上がらせるものの、彼の揺るぎない信念はそれ自体が何かしら美しさをそなえている」と評するように、人間ドラマの側面が評価されている。

(略)

 津田は子ども時代にテレビで小野田さんの帰還を見ていたことに触れ、「演じるにあたって資料を読み、あの時代に大和魂を日本に持ち帰ってきた人だと知り、感動しました。だから誇りをなくさないように演じようと思いました」と語った。(略)

この映画の原案はフランスで出版された小野田の自伝“ONODA 30 ans seul en guerre”(Bernard Cendoron著)[2]だそうだが、 小野田の自伝である以上、その内容の骨子は手記と同じだろう。

問題は、この手記の内容が嘘だらけだったことだ。


ゴーストライターが暴露せざるを得なかったほどひどい手記のデタラメ
30年間、文章を書くどころかろくに会話もしていなかった小野田に手記など書けるわけもなく、『わがルバン島の30年戦争』にはゴーストライターがいた。作家の津田信氏である。

津田氏は1974年4月から約3ヶ月間、伊豆にあった講談社社主の別邸で小野田と寝食を共にして聞き取りを行い、小野田の語った体験談を手記にまとめた。小野田の生の発言と、その内容を脚色せざるを得なかった事情を最もよく知る人物である。

津田氏は後に、小野田の嘘を告発する『幻想の英雄 ― 小野田少尉との三ヵ月』を書いている。

ゴーストライターが名乗り出て内幕を暴露するというのはタブーなのだが、津田氏はそうせざるを得なかった理由をこう述べている。[2]

 小野田寛郎の「手記」を代筆して以来、私は後ろめたさにさいなまれつづけてきた。明らかに事実とちがうことを知りながら、代筆者という立場上、事実通りに書くことができなかった箇所がいくつかあり、その結果、「手記」の読者に、間違った小野田寛郎像を抱かせてしまったのではないか、という後ろめたさである。それが私を責めつづけた。

 「人がどのような小野田寛郎像を持とうが、それはその人の自由だ、単なる代筆者にすぎないお前が、そんなことまで気にやむ必要はない」――私は後ろめたさをごまかすために、何度も自分に言いきかせた。(略)しかし、日がたつにつれて私は、私の見た小野田寛郎の姿を、私の知り得た事実を、このまま自分の胸のなかだけに蔵っておくことに、かえって堪えがたくなってきた。

 ゴーストライターが自ら名乗り出ることは出版界のタブーである。私があえてその禁を破ったのは、もしこのまま口をとざしていたら、一生この後ろめたさを持てあますばかりでなく、間違った“小野田伝説”が語りつがれるおそれがある、と思ったからにほかならない。いわば本書は、私の“懺悔の書”でもある。そして、ついでに言えば、もっとも書きにくいことこそ書かねばならないのが物書きの存在理由だ、と私は思っている。

小野田はとっくに戦争が終わったことを知っていた
小野田手記によると、彼は「救出」される直前まで、戦争は終わっておらず、日本は連合軍と戦い続けていると信じていたことになっている。手記で小野田は、兄の呼びかけを聞いても、捜索隊が残していった新聞や雑誌を見ても、すべて謀略による偽情報だと判断して信用せず、最後に単独で探しに来た鈴木紀夫青年と出会い、彼の口から改めて敗戦を聞いたときも、「百パーセントのうち、九十九パーセントは信じなかった」[3]と述べている。

しかし、これは嘘である。津田氏はこう書いている。[4]

 小野田寛郎は本当に敗戦を知らなかったのか、なぜ肉親の呼びかけにも応じなかったのか――「手記」の焦点はそこにあり、私が代筆を引き受けた理由もそれを知りたかったからだ、とは前にも述べた。

 しかし、小野田手記を読んだほとんどの人が、肝腎かなめのこの点について結局は納得がいかなかったのではないか、と思う。なぜなら、代筆者の私自身が納得のいかぬまま、適当にごま化してしまったからである。

 むろん私は、彼の話で腑に落ちないところは何度も問い返した。自分でもしつっこいと思うほど念を押した。だが、敗戦認識についてはいくら訊いても彼の説明は矛盾だらけで、むしろ、聞けば聞くほど疑惑が生じた。

 正直、私は頭をかかえた。彼に代わって手記を書く私がそもそも納得できないのだから、そのまま書けば読者はますますわけがわからなくなってしまう。このときほど私は、代筆を引き受けたことを後悔したことはない。できることなら、おりたかった。が、すでに連載がはじまっており、今更、やめるわけにはいかなかった。当時の私には、彼の矛盾だらけの話を何とかつぎはぎして、適当につじつまをあわせるより他に途はなかった。私は内心、冷汗をかきながら、もっともそうな理屈をこね、舞文曲筆を弄した。この点、まことに慙愧に堪えない。

――なぜあのとき、彼の話をそのまま書かなかったのか。書いておけば小野田寛郎が命令を守り抜いた“最後の武人”でも“英雄”でもないことを世間に知らせることができたはずだ。

津田氏の言う「彼の話」の主な部分を要約すると、次のようになる。[5]

1959年に捜索隊が残していった肉親からの手紙や写真入りのビラ、大量の新聞(約4ヶ月分)を読んでも、戦争が終わったとは思わなかったのか?
→親兄弟の手紙や写真も敵の謀略であり、我々の戦意破砕をねらう戦術だと思った。日本の新聞も我々をおびき出すためにアメリカ軍の謀略機関が作った(アメリカにとって都合が悪い部分を差し替えた)ものと判断した。

新聞には「皇太子ご成婚」の記事がたくさん載っていたはず。戦争中にこんなお祭り騒ぎはおかしいと思わなかったのか?
→日本が富み栄えている証拠だからむしろ喜んだ。広告からもいろいろな品物が豊富に出回っていることが伺えて、日本は戦争を有利に戦っていると考えた。

新聞には皇太子妃(美智子)が民間出身と書いてあったはず。皇族でも華族でもない皇太子妃など大日本帝国では考えられないはずだが?
→新聞を読んで、日本は民主国家になったことが分かったから、おかしいとは思わなかった。

日本が民主国家になったのなら帝国陸海軍も消滅しているのでは?
→昔の軍隊はなくなったが、それに替わる組織ができて、まだアメリカと戦っている。

それは自衛隊のことか?
→自衛隊は国内向けの武装警察で、戦っているのは戦争請負業みたいな別の組織。日本は民主国家になったが、大東亜共栄圏確立のため、その組織に金をやってアメリカと戦ってもらっている。また、その組織は日本だけでなくアジア全域の防衛を担当している。

アジア全域なら中国も含まれるのか?日本は共産主義の中国と手を組んだのか?
→中国財閥の金を融通してもらうため、日本が尻押しして毛沢東を中国の指導者にした。

それならあなたはその戦争請負業者の下請けとして戦ったのか?
→軍隊の組織は変わってもあくまで大東亜共栄圏を確立するための戦いであり、目的は同じ。自分はあくまで日本のために戦った。

これが口からでまかせの嘘でなければ、小野田は妄想にとりつかれていたとしか言いようがない。

もっと直接的な証拠もある。津田氏が伊豆で手記執筆のため小野田と缶詰になっていたころ、当時大学生だった息子が父親に着替えを届けに行き、小野田に会って話を聞いているのだ。[6]

父から頼まれた着替えを入れたバッグを持って東海道線に乗り、伊東に向かった。野間別邸は広い庭を持つ昔ながらの木造洋館で、その一室に小野田さんはいた。私は、庭に面した応接室で初めて小野田さんに会った。痩せていて、思ったより小柄な人だというのが第一印象だった。

このときのことを書くと長くなるので、印象に残ったことだけ書くと、小野田さんは世間が騒いでいるような人ではなかったということだ。戦争がどうのこうの、帝国軍人がどうのこうのという話は抜きにして、私には単なる「気が小さいおじさん」にしか思えなかった。

なぜなら、この夜、私は小野田さんと一緒に風呂に入り、彼の背中を流しながら話をしたからだ。

私はおそるおそる聞いた。「小野田さん、戦争が終わったのを知っていたんですか?」

すると、小野田さんは、なにかに怯えているような目つきになり、「そうだ」とぽつりと言った。私はこのとき、ただ、「やっぱり」と思っただけだった。それから、小野田さんは湯船につかりながら、突然、持っていた銃の話をしてくれた。「坊主、銃というのはこうやって構えて、こうやって撃つんだ」みたいな話だった。

あとから知ったが、小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。銃は肌身離さず持っていた。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。ただ、最後に残った仲間の小塚一等兵がフィリピン警察軍に殺されたので、観念したのだろう。

(つまり、元上官の任務解除命令、フィリピン軍に投降などの一連の儀式は、フィクションの上に成りたっていたと言える)

小野田はジャングルに潜んで何をしていたのか?
小野田は、少なくとも1959年の捜索隊が置いていった手紙やビラ、新聞などを読んだ段階で、日本がとっくに戦争に敗れ、それどころかアメリカとは同盟関係になっていることを理解していたはずだ。それでも投降しようとしなかったのは、この頃までにはもう現地住民を何人も殺しており、報復や処罰が怖くて出ていけなかったのだろう。

小野田たちは島民たちから離れてジャングル内で自活していたわけではない。バナナやヤシの実程度は採集できたが、それ以外の食料や衣服などは住民から盗んだり強奪していた。しかも小野田は島民たちを「ドンコー」と呼んで蔑視し、憎んでいた。[6]

 彼は島民たちを“ドンコー”と呼んだ。落語に出てくる熊公、ハチ公と同じように、それが土民を指すときの日本兵の習慣だったらしい。だが、小野田寛郎がドンコーと口にするとき、そこには熊公やハチ公にこめられた親しみは微塵もなく、敵意と憎しみしか感じられなかった。彼があまりにもしばしばそれを口にするので、

「寛郎、ドンコーはよくないな」

 格郎ただお(注:小野田の次兄)も注意したが、

「ドンコーは、ドンコーです」

 寛郎はゆずらず、あんな奴らを日本人と同格に扱うわけにはいかない、と言う意味のことを口ぎたなくまくしたてた。その口ぶりから察すると、彼は島民を動物並みにしか見ていないようであった。

(略)

「ドンコーの奴ら、われわれの邪魔ばっかりしやがって」

 彼がなおも言い募ったとき、さすがにたまりかねたのか、

「おい、寛郎、お前はそのドンコーに銃をつきつけて、食糧を奪(と)ったんだろ。いわば彼らは、お前の命の恩人なんだぞ」

 と、格郎がたしなめた。しかし、寛郎はそれでもひるまず、すぐ言い返した。

「敵の食糧、弾薬を利用するのが遊撃戦のイロハです」

小野田はこう言うが、現地住民を敵に回してゲリラ戦など成立するはずがない。

実際のところ、小野田たちはどのくらい島民たちを殺したのか。小野田本人がこう語っている。[7]

 別邸の浴室は銭湯のように広く、浴槽もいちどきに十人ぐらいが長々と体を伸ばせるほど大きかった。風呂の中でも彼は相変らず感情表白に乏しかったが、浴槽のへりに並んで腰かけながら、ようやく私は彼の口からいくつかのエピソードを引き出すことに成功した。

 しかし、実を言うと、この“裸の会話”から私が耳にしたものは、手記には織りこめない話のほうがはるかに多かった。たとえば島民殺傷問題である。

 ある晩、私は思いきって彼に訊いた。

「一体、何人ぐらい殺(や)ったんです?」

 彼はわざと私のほうを見ないで、つぶやくように言った。

「百人ぐらいかな」

(略)

「百人、全部殺(や)ったの?」

「いや、殺したのは三十人ぐらいです」

「じゃ、残りは?」

「弾はたしかに当たったが、死にはしなかったでしょう。だいたい、戦傷者は戦死者の三倍というのが軍隊の常識です」

(略)

「ドンコーの奴ら、こっちがおとなしくしているとすぐつけ上がって、銃をぶっ放しながらどんどん山に入りこんできやがるんです。だからわれわれも懲らしめのために撃ち殺してやったんです」

(略)

 もはや明らかに殺人であった。少なくとも戦いではなかった。と言うのは、彼の話を注意深く聞いているうちに、島民たちには殺意がないことがわかったからである。

 彼らが山に登ってくるのは、伐採や果実採取が目的であった。が、山の奥には銃を持った旧日本兵が潜んでいる。山に登りながら彼らが銃を撃つのは、あくまでも威嚇射撃であった。わが身を護る手段であった。その証拠に、彼らのほうから仕かけてきたという話は寛郎の口から聞いたことがなかった。「ドンコーに先にみつかるようなヘマはしなかった」というのが彼の自慢の一つであった。では、なぜ、彼は島民たちを射殺したのか。

「われわれの占領地域に勝手にはいりこんできたからです。われわれはいずれ島全体を占領するつもりでした」

 これが小野田寛郎の言い分であった。そして彼は島民たちの威嚇射撃を、「生意気にわれわれを挑発した」と言うのである。島民たちにとっては、とんでもない、そして、このうえない危険な誤解だったわけである。

「小野田さんがいなくなって、島民たちはほっとしたでしょうね」

 私が言うと、彼はニヤッとして答えた。

「ドンコーの奴ら、自分のことを山賊とか、山の鬼とかと呼んでいましたからね」

手記に織り込めない話といえば、こんな話もあった。[8]

「その犬をドンコーの奴ら、われわれにけしかけやがるんです。あんまり癩にさわったんで仕返ししてやったことがある」と寛郎が口を挿んだ。

「どんな仕返しをしたんです?」

「ある村の副村長が何度もけしかけやがったから、そいつを三日間つけねらって、一人になったところをぶっ殺してやった」

(略)

「まず膝をねらって一発射ち、歩けないようにしておいてボロ(蛮刀)でたたっ斬ってやった。その野郎、腕で顔をかばいながらいざって逃げようとしたが、こっちは日頃の恨みで容赦しねえ……」

 寛郎は左腕を曲げて顔をかばう島民の真似をし、その次にボロを何度も振りおろすジェスチャーをして見せた。事実なら、まさに惨殺である。初夏の陽が明るい応接室に居ながら、背筋が寒くなったのを私は覚えている。

また、津田氏が聞き取りをしていた伊豆の別邸に、小野田の長兄敏郎が「厚生省から頼まれた仕事」を持って訪ねてきたことがある。これはそのときの話。[9]

 夕食後、敏郎は厚生省から頼まれた仕事をはたすため、寛郎を促して応接室へ去った。一足遅れて私が行くと、敏郎はテーブルの上にノートをひろげ、鉛筆を片手に、斜め前に腰かけた寛郎に説明していた。

「島民が訴え出た事件で、どうにも腑に落ちない殺傷事件がいくつかあるんだ。多分、お前がやったのではなく、別の犯人が起こした事件だろうと思うけど、念のため確かめてくれと言われてきたんだよ。これから読み上げるから、違うなら違うと答えてくれ」

 敏郎はまず日時、場所をあげ、次に事件の概略を読み上げてから、囁くように訊いた。

「どうだい、覚えがあるかね?」

 途端に寛郎が横を向いてつぶやいた。

「俺だよ」

「えッ、お前か――」

 敏郎は絶句し、やがて仕方なさそうにノートに何か書き入れた。この晩敏郎が読み上げた事件は十件ほどだったが、そのたびに兄弟の間で、「俺だよ」「え、これもか」が繰り返された。敏郎は何度もため息をついた。眼鏡の奥で軽く両眼を閉じ、頭を小さく左右に振った。寛郎はソファの上で立てた両膝を抱え、終始横を向いて眉一つ動かさなかった。

島民たちの言う通り、小野田たちはまさに山賊であり、鬼だったと言うべきだろう。

投降した小野田は強盗・殺人・窃盗の累犯者で、しかも30人も殺している。当時のフィリピンなら当然死刑だろう。百万歩譲って、自分たちは戦争終結を知らないまま戦いを続けていたのだという小野田の主張を認めたとしても、無抵抗の民間人を殺した行為は戦争犯罪である。戦犯裁判でも死刑だろう。

そうならなかったのは、日本政府がマルコス独裁のフィリピン政府と「握った」からだ。


2016年、このときの日本政府とフィリピン政府との間の外交交渉に関する文書が発見されている。[10]

埋もれていた極秘の外交文書

日本とフィリピンの戦後史を研究している広島市立大学の永井均教授は、小野田さんの帰国に関する日本政府の極秘文書を情報公開請求で初めて入手しました。670枚に及ぶ外交文書です。

NHKは今回、永井教授と共同で、見つかった外交文書の分析を行いました。文書には、小野田さんの帰国を巡り、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが記されていました。

この中には次のような記載もありました。

「小野田氏ら元日本兵により30人が殺され、100人が傷つけられた」
「何らかの手を打たなければ、フィリピン側の世論も納得しない」

戦争の終結を知らない残留日本兵らが、地元の住民に深刻な被害を与えていたことが公文書で初めて確認されたのです。

永井教授は「文書からは小野田元少尉の救出問題が通常の残留日本兵の扱いをはるかに超える、政治的・外交的な重要案件だったことが分かる」と話しています。


“見舞い金”は3億円に

「かかる人的、物的損害に対し、日本政府は補償する動きがあるか」

交渉の中で、フィリピン側は、被害への補償の有無を打診していました。
日本政府は1956年のフィリピンとの協定で、戦後賠償は解決済みとの立場でした。しかし一方で、現地の被害者や遺族たちが声を挙げ、反日世論が高まることを懸念し「見舞金」を支払う検討を始めました。

「被害者らは、損害賠償請求権を行使するおそれがある。見舞金は、請求権行使を思い止まらせる効果をもつであろう」

日本政府は、見舞い金として3億円を拠出する方針を固めていきました。

当時、フィリピンとの交渉に関わり、のちに外務事務次官を務めた竹内行夫さんは両国の将来を見据えたという日本の見舞い金の提案に、フィリピン側も理解を示したといいます。そのうえで「いろんな被害というか損害を島民の方に与えていたという事実が判明しましたので、小野田少尉の救出に多大の協力をしてくれたフィリピンに対しては感謝をしたいという日本側の誠意としてやった」と述べました。

小野田はなぜ津田氏のルバング島行きを嫌がったのか
手記を代筆する過程で、津田氏は小野田らが潜んでいたルバング島のジャングルに実際に行ってみることを希望した。手記の描写にリアリティを加えるためには現地の環境を体験してみなければ、という考えからだったが、なぜか小野田と兄の格郎は津田氏が現地に行くことをひどく嫌がった。

結局津田氏は反対を押し切ってルバング島を訪れるのだが、現地を実際に見ることで、なぜ彼らが反対したのかを明確に理解することになる。

 離陸して十分もしないうちに眼下に田園風景がひろがり、間もなく右下にコレヒドール島が見えた。(略)セスナ機ははじめてなので、ちょっと心細かった。長髪で派手なシャツを着た若い操縦士がゴム草履をはいているのも頼りない気がした。

「あれがルバングです」

 ラモスが指さした。風防ガラスの彼方に細長い島が見え、その島裾で波が白い線を描いていた。(略)ヤシ林がぐんぐんせり上がり、海岸際の道路がはっきり見えたとき、機は大きく旋回して着陸姿勢に入った。前方に草原がひろがっていた。

「これが飛行場か――」

 降りて小雨にうたれながら、私はしばし茫然とした。狐につままれたような気持だった。右も左もただの草原であった。滑走路は幅五メートルほどの砂利道だった。そのところどころに雑草がはえていた。「これが飛行場――」私はもう一度つぶやいた。C君も左右を見回してあきれたような表情であった。

(略)

「マニラを攻撃する場合、ルバンの飛行場は重要な拠点になります。友軍が島に上陸して飛行場を占領するとき、われわれはその道案内をしなければなりません。だから、島内のどんな変化も見逃がせないのです」―― これが小野田寛郎の語った、ルバングで頑張っていた理由である。「二俣では兵要地誌候察を徹底的に教えられた」と彼は自慢した。(略)

 だから私は、どんな飛行機でも発着可能な立派な飛行場があるものとばかり思いこんでいた。ルバング島には飛行場が一つしかない。小野田寛郎が友軍を誘導するつもりだった飛行場は、間違いなくここであった。この草っ原であった。

「恐れ入りましたね」

 C君が歩きながらつぶやいた。C君も寛郎得意の“候察”を思い出したに違いなかった。幸い、雨はやんで、かすかに青空がのぞいた。濡れた草原を横切りながら、格郎が私たちのルバング行きを阻止しようとした謎が一つ解けたような気がした。

(略)

 帰途、テリックの町に寄った。ちょうどマニラからの定期船が着いたところで、五、六十人の乗客が下船中だった。定期船は百トンぐらいの大きさで、船尾が桟橋からはみ出していた。それを見て私はまた、狐につままれたような気持になった。

「島を全部占領したら、テリック港を原子力潜水艦の基地にしようと、小塚と何度も語り合った」という寛郎の話を思い出したからである。

 むろん、夢物語だったのだろうが、そんな夢を描くくらいだから、それなりの港湾施設があるものと私は思っていた。だが、実際のテリック港は、幅五メートル、長さ約三十メートルのコンクリート桟橋があるだけであった。念のため、ラモスを通じてデンに訊いてみると、七、八年前までは粗末な木の桟橋だったという。

(略)

 走り去るジプミーを見送りながら、私は胸でつぶやいた。

 ――小野田寛郎はジャングルに逃げこんで以来、いちども飛行場もこの港も見たことがなかったに違いない。

 もし得意の候察を実行していれば、たとえ空想にせよ、飛行場を占領するだの、港を原子力潜水艦の基地にするだの、という考えは湧かなかったはずである。

セスナの離着陸がやっとの粗末な飛行場と、百トン程度の船が着けるだけの桟橋しかない港。ルバング島に戦略的重要性などかけらもなく、当然アメリカが手間暇かけて小野田たちに謀略戦など仕掛ける理由もない。

小野田の主張する「戦い続けた理由」も嘘だったのだ。

フィリピンで戦った英雄は断じて小野田などではない
日本は、ただの山賊でしかなかった小野田を英雄に祭り上げてきた上、こんどは映画を通じて何も知らない欧米人まで騙そうとしている。その愚かさと傲慢さには呆れるほかない。

日本による侵略から始まったフィリピンの戦いは、確かに英雄と呼ぶべき人々を生んだ。しかしそれは、断じて小野田などではない。こういう人たちだ。[12]

 帰りは雨になっていた。

 雨は降り続いていたが、サルバシヨンの町役場でトライシカー(注:三輪タクシー)を降りた。広場に日本軍と戦ったゲリラたちを顕彰する記念塔が建っていた。塔は、暗闇を照らす燈火をかたどっていた。その背後に、戦死した七十名のゲリラたちの氏名が刻まれていた。最初の氏名は、指揮官のサルバドール・ミリタンテ大尉である。

 ゲリラ戦士たちの氏名の上に、次のような文字が刻み込まれていた。

 「ブエノビスタの英雄

       第二次世界大戦

  夜のうちに倒れた者たちは

  生きて陽の光を見た者たちに

  忘れられることはないだろう」

 夜とは日本軍占領時代を意味している。フィリピンでは、第二次大戦の終戦を「解放」と言っている。日本軍占領下から「解放」されたからである。

(略)

 キャプテン(注:バランガイ・キャプテン=村長のこと)は、道一つへだてた小学校の校庭に、私を連れて行った。どこでも見られる校庭風景だったが、私はふいに先日会った、この島の歴史に詳しいサラダサさんの話を思い出した。

 「サルバドール・ミリタンテ大尉を含むバランガイの住民たちが校庭に集められた。機関銃が住民に向かってすえられていた。『もし、ミリタンテが降伏しないならば皆殺しだ』。日本帝国陸軍将校は一、二、三と号令をかけた。その時『私がミリタンテです』と住民の中から彼が立ち上がって、日本軍指揮官の前に進み出た。指揮官はミリタンテの手を握り、『すべてのゲリラを率いて降伏するんだ』と言った。『いや、私は降伏しません』。『跪ひざまづいて降伏するんだ』。『跪くんだ』。日本軍将校が怒鳴った。彼は跪いたが降伏をしなかった。だから、彼はギマラスの英雄になった。今でも」

 小学校の正面にコンクリートの記念碑があった。

 「サルバドール・ミリタンテ大尉は、一九四三年八月二十四日、自由のための殉教者としてこの校庭で 、日本帝国陸軍に殺された。」

日本が本当に作るべきなのは、こうした真の英雄たちの戦いと人生を描いた映画だろう。


[1] 佐藤久理子 『小野田寛郎さん描いた映画、カンヌで熱烈なスタンディングオベーション』 映画.com 2021/7/11
[2] 津田信 『幻想の英雄 ― 小野田少尉との三ヵ月』 図書出版社 1977年 P.300
[3] 小野田寛郎 『わがルバン島の30年戦争』 日本図書センター 1999年(小野田手記の再版本)P.242
[4] 津田 P.127-128
[5] 津田 P.133-140
[6] 山田順 『40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」』 Yahoo!ニュース 2014/1/24
[7] 津田 P.80-83
[8] 津田 P.171
[9] 津田 P.175
[10] NHK 『特集 小野田さん帰国42年後の真実』 2016/7/26
[11] 津田 P.191-196
[12] 石田甚太郎 『ワラン・ヒヤ 日本軍によるフィリピン住民虐殺の記録』 現代書館 1990年 P.28-31

https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/18/105707
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/104.html

[近代史6] 小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか? 中川隆
1. 中川隆[-16030] koaQ7Jey 2021年7月26日 19:42:42 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[42]
2021-07-22
インタビュー記事を読む限り、『ONODA』のアラリ監督は小野田寛郎の実像をまったく分かっていない。
https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/22/151505


前回記事で取り上げた映画『ONODA』のアルチュール・アラリ監督に、「地球の歩き方」がカンヌでインタビューを行っている。しかし、予告編を見ても、このインタビュー記事[1]を読んでも、アラリ監督が小野田寛郎の実像を理解していたとはとても思えない。

アラリ監督によると、この映画を撮ろうと思ったきっかけは、父親から小野田の話を聞いたことだという。

──同作を撮ろうと思ったきっかけは?

自分の父親と話していたときに思いつきました。もともとは冒険映画を撮りたいと思っていて、ロバート・ルイス・スティーヴンソンやジョゼフ・コンラッドの小説を読みながらテーマを探していました。(略)そのことを父と話していたら、父から「私が24歳のときに、戦後も約30年間戦争を続けていた日本の兵士が帰ってきたことがあった」という話を聞かされ、一気に心が動かされました。

そして、小野田の自伝を読んで魅了され、その内容を事実だと考えて映画を撮っていった。

小野田さんの本を読みながら、これはすごく強いシーンになるだろうなという箇所をリストアップしていったのが2013〜2014年にかけて。撮影を始めたのは2018年です。撮影までには4〜5年かかっています。(略)

(略)

そもそも小野田さんの話は、豊かな出来事に満ちあふれています。(略)小野田さんの話は神話のようですが、同時に本当の話です。本当にはあり得ないけれど、しかし実際の話というところが自分のなかですごく重要でした。

(略)小野田さんの体験は、フィクションではない実際のことです。だから、小野田さんとともにその場にいて、小野田さんに指先で触れるような形でこの映画を撮りたいと思いました。現実に根差すけれど、現実に忠実ではないというバランスが、神話のようだけれど本当にあった話を表現する上での方法論でした。

しかし残念ながら、自伝に書かれているのは「本当の話」ではない。小野田が敗戦を知らないまま戦い続けていたというのも嘘なら、島民に対する加害行為も、重大な事件はすべて欠落している。

──小野田さんの描き方について気をつけたことは?

(略)

小野田さんはフィリピンで、実際に人々に危害を加えたことがありました。小野田さんは頭のいい人でしたから、無自覚に暴力を働いているわけではありません。しかし、小野田さんは自分は戦争のなかにいると思っていますから、敵を殺めることができます。自分の仲間でさえも、裏切るようなことがあれば、殺めることができます。

物語が進んでいくなかで、見ている人たちが単純に小野田さんに感情移入して、彼の視点で物事が進んでいくのではなく、一歩横に退いて小野田さんを見つめられるようにしたかった。そのため脚本の初稿を直す上で、小野田さんの暴力シーンをもう少し強調しました。例えば、島民の人が傷ついている様子を加えることで、表現できるのかもしれない。そういうことを経て、いまの形になっています。

小野田手記にも一応、島民に危害を加える場面は出てくる。しかし、たとえ島民を狙って銃撃する場合でも、手記ではそれはあくまで「敵」との「戦い」ということにされている。[2]

 島民といえば、彼らは米軍が上陸すると同時に敵側につき、討伐隊の道案内をつとめたばかりか、日本兵が私たち四人だけになると、山にどしどし入ってきて、伐採をはじめた。彼らは腰に蛮刀をさし、その中の一人は必ず銃を持っている。私たちにとっては討伐隊以上に油断のならない存在であった。

 彼らの姿を見つけたり、けはいを感じたらすばやく茂みに身をひそめ、銃を腰に構えて、やりすごした。が、いくら用心しても、こちらの姿を確認されてしまうことがある。そのときは躊躇せず射撃することにしていた。そしてただちに移動した。討伐隊に通報されるにちがいないからであった。

実際には、島民が「山にどしどし入って」きたのは、戦争が終わったので以前のように自分たちの山で果実採取や伐採をしていただけだし、銃を持っていたのは危険な残留日本兵から身を守る護身用だった。小野田らはそんな島民たちを「懲らしめのために撃ち殺してやった」り[3]、逆恨みから惨殺したり[4]していたのだ。

「その犬をドンコー(注:島民を指す侮蔑語)の奴ら、われわれにけしかけやがるんです。あんまり癩にさわったんで仕返ししてやったことがある」と寛郎が口を挿んだ。

「どんな仕返しをしたんです?」

「ある村の副村長が何度もけしかけやがったから、そいつを三日間つけねらって、一人になったところをぶっ殺してやった」

(略)

「まず膝をねらって一発射ち、歩けないようにしておいてボロ(蛮刀)でたたっ斬ってやった。その野郎、腕で顔をかばいながらいざって逃げようとしたが、こっちは日頃の恨みで容赦しねえ……」

 寛郎は左腕を曲げて顔をかばう島民の真似をし、その次にボロを何度も振りおろすジェスチャーをして見せた。事実なら、まさに惨殺である。初夏の陽が明るい応接室に居ながら、背筋が寒くなったのを私は覚えている。

小野田たちが潜伏中に30名もの島民を殺したことは英語でもニュースになっていた[5]ので、アラリ監督も知っていたかもしれない。しかし、自伝のような小野田の自己弁護を前提にしていたら、こんな凄惨な「暴力シーン」は想像できなかっただろう。

アラリ監督は、陰謀論やフェイクニュースに流されず、「もっと普遍的な何か、人間性というものに触れたい」という認識でこの映画を作ったという。しかしその映画の中身がほぼフェイクというのでは、皮肉というほかない。

──小野田さんのことを現代で語る意味はどこにありますか?

現在とつながり、反応する部分はもちろんあります。何か自分たちが信じるものに対して全身を捧げたために、それが彼らをひとつの世界に閉じ込めてしまうことがあります。孤独というのも人類が抱えている永遠のテーマです。また陰謀論みたいなもの、フェイクニュースや、誰かが世界を操っているのではないかという見えない何かに対する恐怖が、想像力によって生まれてしまうという状況は、現在ともつながります。しかし今回のモチベーションは、もっと普遍的な何か、人間性というものに触れたいという点でした。

ちなみに、仮にこれが「フィリピンのジャングルで戦い続けた日本兵の話」ではなく、「フランスのどこかの山にこもって戦い続けたドイツ兵の話」だったとしたら、監督はそれを信じただろうか。ナチスドイツの兵士が、敗戦を信じず、第三帝国への熱烈な忠誠心から、30年も山の中で、周囲の村人から物資を「徴発」しながら「戦争」を続けた、などという話を信じただろうか。

ヨーロッパ人のドイツ兵だったらあり得ないが、監督自身が「あまり知っているとは言えません」という東洋の国日本の兵士ならそんな「神話のよう」なこともあり得たと思ったのなら、それは一種のオリエンタリズムだろう。

[1] 守隨亨延 『『ONODA』アルチュール・アラリ監督にカンヌでインタビュー、終戦後30年間戦い続けた旧日本兵の物語』 地球の歩き方 2021/7/19
[2] 小野田寛郎 『わがルバン島の30年戦争』 日本図書センター 1999年(小野田手記の再版本)P.95-96
[3] 津田信 『幻想の英雄 ― 小野田少尉との三ヵ月』 図書出版社 1977年 P.81
[4] 津田 P.171
[5] “Japan WW2 soldier who refused to surrender Hiroo Onoda dies” BBC News, 2014/1/17


https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/22/151505
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/104.html#c1

[番外地9] 爽彩さんの母親は何故先頭に立って殺人事件の揉み消し・隠蔽工作をしているのか? 中川隆
8. 中川隆[-16026] koaQ7Jey 2021年7月26日 20:02:53 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[47]
爽彩さんの母親は何故先頭に立って殺人事件の揉み消し、遺体発見場所や加害者の隠蔽をしているのか?
#178 2021/07/09 15:54
不思議なことに、なぜか皆さん、母親が加害者側の手に落ちていない前提で考えてますよね?
私なら加害者、当然少年法に守られた子供を使っている大人ね、は加害者少年達に被害者の追い込みを始めさせる前に、母親を加害者側の男の女にする。
この点でも、外来者でキレイなシンママとその娘が狙われた。
#184 2021/07/09 16:20
被害者の母親は5年前から集団ストーカー行為を受けていた。
加害者側の大人は、成人女性よりも、児童ポルノや児童売春に使える少女が金を生む。高く売れる少女をどうやって手に入れるか?を考えれば誰が考えても同じ答えになる。
母親に言い寄って、関係を結ぶ。児童売春の隠し撮り用の部屋で、母親と男の成績行為を隠し撮り。
それをネタに母親も、ついでに売春強要。12歳の少女でさえ食い物にする加害者側の大人が、食い物にしやすい成人のシンママを食い物にしないと考える理由は?
市からの賠償金だって、母親を手中にしていれば加害者側のもの。
とことん、市外からの転入の小さい娘を持つ美人のシンママは、母子ともに死ぬまでしゃぶりつくしていると、考えない理由を聞きたい。

▲△▽▼

爽彩さんの母親は爽彩さんの遺体の発見場所を隠して、凍死体をどうやって公園に運んだかをわからない様にしています。
爽彩さんの母親は爽彩さんの失踪当日は氷点下17℃の極寒日だった、被害者が自殺したのは間違い無い、吉田は犯人じゃない、といった明らかに間違ったデマを多数連発して読者の判断を誤らせています。

元々、さあやさんのパニック障害は校長が何度も繰り返し言っている様に、家庭内での性虐待が原因でしょう。爽彩さんは母親の男から逃げたくて夜遅くまで公園に居た、と言われています。デート先生もそういう母親に怒って、今日はデートだからまた今度にして下さい、と皮肉を言ったのです。

被害者の母親は事件を矮小化しようと必死でデマを拡散しています

・被害者の母親は爽彩さんの遺体が発見された場所を公開しないでくれと警察に頼んだ

「ここ」をわかられると、以下のような疑問がわくため
向かいの住宅の通報なので、近所には知れていますし
事件捜査時点で、トイレわきの水場石垣にブルーシートがかけられたので、犯人のみ知るじじつだからというのは「いいわけ」です。
場所の隠蔽、15〜20の天気気温の隠蔽はKが
でもね、ニュースで最初に現場がでてるしね

#22 2021/06/15 00:40
トイレの近くにブルーシートがあったらしいよ
水路からひきあげて置いたかも?

#33 2021/06/29 22:24
そもそも、向かいの住宅から、遺体の一部が見えたから通報したんですよ
ですから、もうそれだけで場所はトイレわきの水路あたりのエリアしかないの。
住宅地がそこだけだから。
車道にも近いし
youtube.com
の天気見ればわかるけど、こんな状態で1ケ月も雪の中でしたなんてありえんのよ
まあ、発見の前日が雪ね(逆に)

で、警察は事件性を否定しないとやばいから、
そこを突かれないおうに土管のなかみたいなリークをしたの。
もう仕組まれてんのよ。

4月22日HTB北海道ニュース
この事件の最初の報道で映されたのは、水路の終点。トイレの建物から10数m離れた個所。花束が水路の石垣の
どこかに置かれてるのも映ってる。

もりりん、ここから360度撮影と、石の場所特定して。
あと、土管との位置関係と、公園の全体との位置関係、道路からの位置関係。行き倒れに不自然ないか、車で運んだっぽいのか。

つまり、遺体の置かれていたのが道路のすぐ近くで人家から良く見える所だとわかると、自殺ではない事がわかってしまうので、遺体発見場所を公開させないのです。

__________

・廣瀬爽彩さんの家族から、ネット上で出ている加害者の名前は誤りだと警告されました。
加害児童の実名を特定している方
間違えています。気をつけてください。
男子児童名のフルネームが出ている子はボランティアで娘を探してくれていた子です。
現在、ネット上で特定されている男の子の名前は加害者ではありません。当サイトではフルネームでは出しておりませんが、誤った情報になりなるため訂正しておきます。大変申し訳ございませんでした。
(実際には吉田君は爽彩さんが覚醒剤を飲まされて撮影された児童AV で相手役をやっていた違法動画撮影の主犯格)

767ニューノーマルの名無しさん2021/05/08(土) 03:59:59.78ID:VZpUKxM00
俺は爽彩ちゃんのロリータAVを4本とも保存してる

827ニューノーマルの名無しさん2021/05/08(土) 04:09:54.71ID:VZpUKxM00
>>711
音がCと断定はできないが、、

1つ目:自撮りアングルでいたってシンプルなハメ撮り?みたいな動画3分ちょい
2つ目:1つ目とほとんど同じ感じで複数の姿勢があるパターン動画4分弱
3つ目:後方から誰かが撮影してる動画で、被害者のノリが違うし縛られているのがチラっと見える動画5分弱
4つ目:たぶん本筋の強制オナ動画で、嫌がっている彼女にネチネチと何度もダメ出しをして強制的にオナさせていて、一部棒のようなものを使用してる動画7分ちょい

#5 2021/05/09 21:48
最初は吉田とのカラミ
二番目は藤○もカラミに参加
三番目が拘束プレイで四番目が凌辱プレイ
四番目は多分、爽彩ちゃんの許可なし
____________________

・爽彩さんが失踪した当時、捜索を行った近親者が、2月13日、爽彩さんが失踪した当時の様子を明かす。
「失踪当日、爽彩を車で探しているときに車内の外気温計や街中の温度計はマイナス17℃を指していました。雪が降っているほうがまだ暖かくなるのですが、あの日は晴れていて、放射冷却でさらに冷え込む夜でした。爽彩が行方不明になった3日後に旭川には大雪が降りました。猛吹雪で膝くらいまで雪が積もり、車で捜索を続けましたが雪で視界が悪く、捜索は難航しました。警察には『あの天候では、3時間くらいしか体力的にもたなかったのではないか』と言われました」
(実際には気温 0℃前後の非常に暖かい晩で、凍死自殺は絶対に不可能だった)

廣瀬爽彩の叔母
名探偵くんが沢山いて困惑しています。憶測や間違いが至る所で発信されています。誤情報が多いので鵜呑みにしないようお願いします。爽彩の靴、カバン、携帯も姉の元に帰ってきております。無いなどと言う噂もどこから出た情報か分かりませんが誤情報ですので、お間違えないようにお願いします。

爽彩さんが失踪した時に、娘を殺さないで返してくれたら 150万円を出す、という事になっていました。つまり、お母さんは最初から自殺だとは思っていなかったのです。150万円というのはヤクザの売春組織からの足抜け代か、ヤクザへの上納金でしょう。

お母さんは最初から爽彩さんがヤクザに誘拐されたと思っていたのです。
___________

#723 2021/06/27 07:44
こども会議旭川A.G.O は吉田が設立した
そのメンバーが捜索の第一主要メンバーだったから公園を探さないようにする事も
探したように振る舞うこともなんら難しいことではない
なんなら、確かに探したけどそこの場所は見てなかったと言えば良いだけだしな

#725 2021/06/27 08:00
確かに。気象データ消しまくってるの異常
母親も何か別の件で脅されている可能性もありますよね

#726 2021/06/27 08:04
怖いなぁ。。。
ナース服や児童服はプレイ用だったのか…
確かに揉み消すような言動も多かったし納得…
気象データ、ことごとく消されてる。。

#773 2021/06/28 21:12
>>726
気象データが消されるってどういう意味?意味わからん。いろんなお天気会社が持ってるだろ?

#774 2021/06/28 21:13
>>773
バクサイに気象庁のデータを書き込むと消されるってこと

#775 2021/06/28 21:16
>>774
ありがとう。てか、なんで消されるんだ?爆砕が消すんか?誹謗中傷でもないのにな。

#777 2021/06/28 21:18
>>775
文春 「失踪した13日は-17℃で吹雪で三時間ともたなかった、遺体は凍っていた
気象庁 「13日は-5℃で晴れ」

このウソを文春にリークした誰かが隠したいらしい
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/547.html#c8

[近代史5] 旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている? 中川隆
229. 中川隆[-16025] koaQ7Jey 2021年7月26日 20:28:48 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[49]
【旭川女子中学生事件】E現地取材 永山中央公園 市教育委員会 北海道警【小川泰平の事件考察室】# 102
2021/07/26




2021年7月19日(月)から21日(水)まで旭川にて取材を行いました。6月に次いで2回目の旭川になります。
現地取材では、旭川市教育委員会、旭川東警察署、北海道警察旭川方面本部、永山中央公園等に取材結果の報告になります。

▼ご遺体発見箇所と当時の状況を考察
▼教育委員会はどこまで事件を知っているのか?
▼北海道警旭川方面本部で聞いたこと

@現場から取材進捗レポ
https://youtu.be/_6azNpebaXc
A2つの現地映像を交えての考察
https://youtu.be/Ufad75rRR4U
B子ども相談室「キラキラ星」代表 インタビューhttps://youtu.be/TCwQvmHy8QU
C 元校長を直撃!学校と市教委員の闇!
https://youtu.be/DngjICshlMo
D 事件そして取材の真意を解説!
https://youtu.be/k7CFXMONwLg



【息子は悪くない】旭川C男 佐藤飛翔の母親の問題発言の数々、そして”きなこもち”とは
2021/07/10




【暴露】C男母親「なぜ裁判しないの?」 「被害者の母親は不倫してる」被害者家族を煽る発言を繰り返す”きなこもち”
2021/07/17





【激怒】「廣瀬家はゴミ屋敷で、不倫相手を連れ込んでる」とTwitterで暴露するC男母親”きなこもち”
2021/07/25



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/598.html#c229
[番外地9] 故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
太平洋戦争は昭和天皇が独断で開戦させたというのが学界の定説だよ:
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通.
御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ
それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけですだから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです
東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中もそういうシステムで戦争が進んでいく訳です

戦争はすべて八百長(00:38:51)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
天皇のための戦争(00:25:02)
戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)
昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)
真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)
海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)
パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)
天皇が内通していた(00:31:38)
スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)
天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)
終戦工作と白州次郎 (00:33:39)
ヨハンセングループ (00:34:17)
日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)
日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)
弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)
火事場泥棒なんです。(00:36:15)
こじつけ無罪論(00:36:19)
明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)
第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)
戦争はすべて八百長(00:38:51)
戦争は継続しなければいけない (00:40:48)
天皇が被爆に加担した(00:42:23)
白洲次郎の秘密(00:44:17)
吉田茂の秘密(00:46:20)


▲△▽▼

東京裁判で東条英機は作戦はすべて昭和天皇一人で決めたと証言しています。

そして昭和天皇の戦争責任を証言しようとした近衛文麿の運命は
牛場友彦と松本重治が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。

占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。

前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。

山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件

終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。

▲△▽▼

天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元訳
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm  

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/645.html

[近代史6] 戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/105.html
[近代史6] 731部隊の人体実験
731部隊の人体実験


731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/106.html

[近代史6] 従軍慰安婦は売春婦なのか?
従軍慰安婦は売春婦なのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/410.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/107.html
[近代史6] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/108.html
[近代史6] 徴用工の待遇は本当に良かったのか?
徴用工の待遇は本当に良かったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/411.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/109.html
[近代史6] 大東亜共栄圏というのは麻薬市場の事
大東亜共栄圏というのは麻薬市場の事


大東亜共栄圏は満州でケシ栽培、朝鮮の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制


・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制


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戦前、日本の代表的輸出品は生糸ではない。アヘンだった。(メディアが絶対に書かない裏話)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/361.html

麻薬王 岸信介
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1170.html

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/110.html

[近代史6] 日本人と天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
日本人と天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
尖閣・沖縄・北海道・千島は日本の領土ではない

・朝鮮で長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる

・朝鮮の無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作り、日本人奴隷(生口)を青銅器・鉄と交換する奴隷貿易で稼いでいた。後漢の光武帝が贈った金印(漢委奴国王印)の「委奴」は「いと」と読む。

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた台湾先住民をジェノサイド

・豊臣秀吉の 朝鮮出兵 → 朝鮮で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の朝鮮人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・朝鮮の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、朝鮮女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、朝鮮の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・1971年 本多勝一のルポ 「中国の旅」が朝日新聞に連載される → 南京大虐殺や戦時中の中国での日本支配の実態をルポ、文春や新潮は昭和天皇の戦争犯罪を隠蔽する為に渡部昇一や鈴木明に本多勝一批判をさせ、それ以降右翼は現在に至る迄、南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定する悪質なデマを流し続けている。

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償請求権を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした。アメリカは10年間で総額430兆円の公共投資の実施を日本政府に約束させ、意図的に平成バブルを起こさせた。

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから売り攻勢をかけ 7607円まで暴落させるのに成功した。 更に日銀に金融引き締めをさせ、外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・韓国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元と韓国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・韓国の工場で行って、中国製品・韓国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・韓国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と sex しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

・尖閣乗っ取り → 尖閣を漁場にしていた台湾人を追い出す。中華民国(台湾)は尖閣は宜蘭県に属す島嶼だ、と昔から主張している。宜蘭は台湾原住民平埔族の中の一群であるクヴァラン族が広く住んでいた地域で、1632年にはクヴァラン族が歴史資料に登場している。

が、大まかな流れです。

▲△▽▼

日本の支配者は今も昔も朝鮮人なので残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです
今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人、同和部落民だけです。

天皇家は漢民族で百済語を話していた、
弥生人(朝鮮の無土器文化人)は日本語を話していた、
縄文人はアイヌ語を話していた。

ヤマトの英雄 ヤマトタケル(=関西チョン) 坂上田村麻呂(=百済出自の在コリ)
ヤマトの王 桓武天皇(=母ちゃんが百済人)
ヤマトの信仰 稲荷神(=渡来系の秦氏が広める) 
ヤマトの国史 日本書紀(=百済人の編纂)
ヤマトの天 高天原(=朝鮮半島)

半島出身のスメラ尊の和風諡号にはかならず「天」がつく。書紀で「天」は 朝鮮半島を指すのだ。
________

明治維新は田布施の 朝鮮人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/111.html

[近代史6] 日本人の性奴隷にされた女性の運命
日本人の性奴隷にされた女性の運命

桜散る、もののあはれ とか 禅・能・和歌・おもてなし・茶道・武士道・剣道・柔道とかすべてカモフラージュ用のツールです:

南京戦では昭和天皇が朝香宮に電報で直々に虐殺命令を出したのがわかっています。それで東京裁判では松井石根を昭和天皇の身代わりに死刑にて虐殺責任の追及を終了させたのです:

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、
「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

▲△▽▼


日本人の性奴隷にされた女性の運命

アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、最大で30万人もの14-20歳の女性たちを強制的に徴集して性行為を強要したとしている。
さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。

▲△▽▼

チョン・オクスン(ChongOkSun)の証言
「私は1920年12月28日、半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。

ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。

○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました

守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
__________

日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。
この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に
「俺もしたから、お前もやれ」
とそそのかし、私に×××させた。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

▲△▽▼

日本人のイジメ体質は今も昔も変わらないんだ:
「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散……氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
https://www.youtube.com/watch?v=XfwJVgSsbUs
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/112.html

[近代史6] 戦後も日本人は中国の童女を性奴隷にしている
戦後も日本人は中国の童女を性奴隷にしている


中国人女性を囲う日本人駐在員の実態

2003年に大阪の会社員100人以上が中国で集団買春し、摘発された事件は、日本でも大きく報じられたので記憶している方も多いと思う。この事件以降、この種の報道は少ないようだが、実は日本人が買春などを理由に国外追放される事件は、今も中国各地で連日のように起こっている。また、若い中国人女性を愛人として囲うことが、日本人駐在員の間で広く行われていることも、日本ではあまり知られていないようだ。

 中国が「世界の工場」と呼ばれるようになって、すでに久しい。進出した日系企業はすでに2万社に達し、10万人以上の日本人企業戦士が中国にいるようだ。この10万人という数字には単身で1カ月〜3カ月滞在する長期出張者も含んでいる。また、中国が日本から近いことから、アメリカやヨーロッパ駐在と比べて単身赴任者の比率がはるかに高い。

 その日本人男性単身者や日本からの出張者たちをターゲットにしているのが、中国の日式KTVというクラブである。こういうクラブは特に上海や広東省に多いが、私の住んでいる北京の例で言うと、数十人から100人以上の小姐(シャオジェ、若い女性のことで大体は20歳〜23歳ぐらい)を抱える日本式クラブが15軒ほどある。


クラブの中には、小姐の「お持ち帰り」、つまり、客が店から女性をホテルや家へ連れて帰ることを主な業務としている所もある。もちろん、このチップは別だてで、一部が店の収入となり、大半は小姐の収入となる。クラブの料金は中国としては高い。

 だから、客は小姐となじみになると、直接、取引を始める。携帯電話番号を教えてもらい、店を通さずに1回いくらという取り決めをするわけだ。さらに進むと月ぎめ契約や、長期の愛人契約ということになる。上海ではこういう店が数百軒もあると言われており、値段も北京よりさらに高いようだ。

 中国では、もちろん売買春は違法だ。北京でも始終、公安がこういうクラブやマッサージ店などの手入れをするが、その場でわいせつな行為をしていなければ店も客も摘発はできない。一方、客の側も自宅やホテルへ「お持ち帰り」をしたほうが、公安の手入れを受ける可能性が減る。また、愛人にして同居でもしてしまえば、清掃作業員として雇っているなど、何とでも言い訳の手だてはあるという。

日本人のなまの声を伝える掲示板

 中国駐在の日本人男性たちがこの類の情報交換に使っているインターネットの掲示板がある。Livedoor社が運営するレンタル掲示板を使用している「チャイナステーションX」というサイトがそれだ。ここに書き込まれた日本人男性の本音を抜き書きしながら、愛人を囲うことが、ごく一般的になっている現在の中国駐在日本企業戦士たちと、異国で彼らを慰める「従軍慰安婦」の状況を垣間(かいま)見てみよう。

これらはいずれも2007年に書き込まれたものである。引用は著作権をクリアするためと、極端な差別用語を避けるために表現に手を入れてあるが、内容は変えないでお伝えする。まず、中国人の小姐について日本人男性はどう見ているのかという点から。

 「小姐は安いし、こんなことは生理現象なのだから、ちょっとトイレに行くのと同じ感覚です。相手もそれが仕事ではないか」

 「クラブにいる小姐が公衆便所かどうかなどと、あたりまえの議論することは意味がない。」

 「ほとんどの小姐は親には秘密でKTVで働いている。彼女らは学力、知識が皆無のくせにお金がほしい。公衆便所のような小姐には貞操、勤労、良心、人生設計などの意識はない。楽をしてカネを稼ぎたいだけだ」

 なぜ、日本の企業戦士はこんな悪口を言いながら小姐にはまってしまうのだろうか。それに答えたものをいくつか抜き出して見る。

 「曰本ではつまらないオジサンでも、中国の現地法人へ来れば数百人の部下を持つ社長となり、気分は王様。ちょっとお金を使えば、日本では鼻にもかけてくれないような美女とやり放題。世にも奇妙な物語だと思う」

 「何が良いかといって、やはり小姐の体でしょう。中国に来た当初は、日本のほうが栄養あるもの食べているから、中国の小姐のほうが乳が大きいとは思わなかった。しかし、実際、全体的に大きいし張りがある。理性があっても吹っ飛ぶね」

 「日本ではありえない若くメチャ美人と疑似恋愛が楽しめ、おもしろいSEXも体験できる。美人と、こちらが主導権のある3人プレイとか普通は絶対にできないからな。小姐大好き」

なぜ、中国人を愛人に囲うのか

 彼らの書き込みを総合すると、愛人手当ては毎月2千元(3万円)から5千元(7万5千円)の間らしい。中国の大卒初任給が大体3千元(4万5千円)、田舎から出てきたばかりの学歴のない子が北京でもらえる給料は800元(1万2千円)程度だ。中国と日本との物価、特に人件費の違いが、普通のサラリーマンでも愛人を囲える理由のようだ。

 「私の場合は小姐を私専用にしました。月に4千元(6万円)彼女にあげて一緒に生活しています。2人の衣食住、すべて込みで6千元(9万円)で済んでいます」

 「日本料理屋の美形19歳。料理店での給与が手取りで月800元(1万2千円)と言うので2千元(3万円)で囲うことで商談成立した」

 「今の同居人は、KTVで電話番号を聞いて、翌日電話。誘ったら来てくれた。最初の3カ月は調教に苦労したけど、今は最高ですよ。美系でスタイル抜群の上に好色だからたまりません」

 「2006年末から、小姐1人と付き合い始め、2007年8月からは1人追加、10月からさらに1人追加し、今は三人三様を楽しんでいます。これ以上増えると体力が持たないので、人数を減らしたらその分を補充する形で来年も頑張るぞ」

 「30〜40歳台単身赴任駐在員の約半分が特定のセックスフレンドがいる。その半分は同居しているか、アパートを借りて通っている。相手はほとんどがカラオケ小姐。出張者は1回きりの遊びだが、駐在者はのめりこむからリスクが高い」

横領まがいの事件も

 しかし、ほとんどが妻帯者であるこれらの日本人男性の周辺が穏やかであるわけがない。これに伴ってお金や離婚などさまざまな問題が出てきているようだ。

 「KTVと共謀して、出張者には偽領収書を渡し、本物は駐在員自身が受け取って精算し、その金を小姐への贈り物に使う。つまり、会社の経費で車や高級品を買い与えている人間が増えた」

 「あとは使い込んだ60万円の会社のカネの穴埋めだが、そう言いつつ、また懲りずに小姐を囲ってしまった。2008年はこの悪癖を直す年にしたい」

 「小姐が原因で離婚するなら、最低限の自分の生活費以外はすべて奥さんと子供に渡すべきだろう。お金で解決できる傷ではないが、すべて家族に渡すべきだし、奥さんはもらう権利がある」

 日本企業は対策を考えているようだし、危機感をつのらせるまじめな社員もいる。ただ、それは自己防衛のためであって、日本人が中国でこのような行状であること自体を問題視する気持ちはないように見受ける。

 引き締め令の要点は以下のとおり。

(1)業務時間外でも社会的に不適切とみなされる遊興場に出入りしないこと
(2)遊興の場所の内外を問わず当該国の法令に反する行為をしないこと
(3)法令違反かどうかにかかわらず、社員として自覚を持ち私生活を自己管理すること
(4)業務外であっても、この通達を守らず、自らの行いで会社に有形無形の損害を与えた場合には内規に従って処罰される

そして、この文書はなぜか社内秘扱いだ。引き締め令に関して、以下のようなコメントもある。

 「満足な社員教育もせずに海外へ送り出すからこんなことになるんだろう。問題が表面化してからカラオケ禁止令では恥ずかしい限りだ。しかし、禁止令も出さず野放し状態の会社よりは若干はマシかもしれないが」

 「カラオケ禁止くらいでは生ぬるい。徹底的に駐在員、出張者の行動を調べ上げるくらいの対応をしなければ会社が滅びるぞ」

小姐を見下す日本人男性たち

 日本に帰任しても一度覚えた味は忘れられないらしい。

 「中国から帰任したオヤジ。『向こうで女を囲ってた』とか、『月何万元消費した』とか、『あの小姐は最高だった』などと事あるごとに話す。仕事中も中国の小姐あてにメール。でも、帰任後半年で辞表を出した。本人はもう一度中国へ行くつもりらしい」

 私が一番心が痛み、腹が立つのは、日本人男性が中国人小姐を見下す姿勢だ。小姐をほとんど動物並みにしか見ていないことが、書き込まれている言葉の端々から伝わってくる。日本に帰ってからの彼らが日本人女性に対し、同様の姿勢でいるとは思えない。

 中国で小姐を囲う行為をしているのが日本人だけではないことは言うまでもない。韓国人も、香港・台湾の人も、そしてお金のある中国人自身もやっている。中国で汚職容疑で取り調べを受けた官僚の95%には愛人がおり、うち幹部クラスの60%以上が生活の面倒を見ていたという調査結果も発表されている。

 一番の問題解決法は、中国経済が発展して、愛人を囲う「人件費」が値上がりすることだと思うが、その時、本当に日本人男性が小姐を見下す姿勢が変わっているだろうか。また日本人男性が見下しているのは小姐たちだけなのだろうか。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071219/18700


中国の南部では少女買春が盛んです。
これは、「処女とセックスすると長生きできる」という迷信ゆえ、宗教思想によってもともとそうしたマーケットがあったようです。
それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々です。

1980年代末、児童売買シンジゲートは香港で暗躍し、一部の山岳民族などが
貧困のため、小学校入学前の子供を売りに出したのである。
その少女を買うために、世界から中国・タイなどに集まっています。
いまだに、少女売春が出来るのも発展途上国の少女達のおかけです。


香港でも、同じようなことをやっているよっ!
年齢からすると、まだ10歳にもならないだろう少女が親に手を引かれ外国人
(主にアメリカ人と日本人)相手に、「私の娘を買ってくれ。私の娘はこの辺では
一番安い。」などとまとわりついてくるよっ!

貧しい国は、風俗もすごい! 未成年はもちろん、まだハイハイしてるような
女の子(赤ちゃんだね)もいる。
香港での幼女の値段は確か5万円くらいのはずだ!

大卒のサラリーマンの月給が5000円程度だから、向こうではかなりの高額だと
いえるのかもしれない。
「金があればなんでも出来る。」と中国人が言っていたのは、嘘では無いようだ。

俺が勤めている会社の社長は、「もうやりたいことは全てやってしまった。
だから今度はもっとすごい事がやってみたい。」って言ってますよ!!
貧しい国ではなんでもあり。 幼女を買ったり売ったりなんて、日常茶飯事です。


僕は中国しか知らないので、両国とも日本円で2万あれば一日中OKですよ。
15位になるとこれよりも安くなりますよ。

僕は5〜10位の娘が目的なもので、5歳の娘に口内発射した時は最高でしたよ。
飲む姿よりゲボゲボする姿が最高に興奮するのです。

5歳の娘のフェラなら20〜30で楽しめますよ!
月に一度は、18時間かけて国境近くまで遊びに行ってます。
場所は、詳しく言えないけど此処はまだ5〜10位の娘と遊べます。


俺が買ったのは恐らく7歳(言葉通じないんだよ)で、
内容は日本円5万で2日間貸切!
その間は傷つけたり、殺さなければ何でもOKでした。

まぁ、俺の場合最初の24時間は舐めさせ続け
二日目は、挿入プレイ(もち、中出し・顔射もあり)
使いこまれてはいないが痛がる気配無し
ほのかに感じた顔が余計に性欲を掻き立てる
日本円で+5万出せば本物の幼女処女も手に入る

しかし、泣き喚いてウザイので俺は2回しか買った事がない
あ、あとオプションのドラッグ入れてのセックスやったけど
あれはダメだ! 日本に帰りたくなくなる


中国の小学生だったら充分できるよ。
さすがに初めは処女だっていうのもあって大変だったけど、濡れヅライ部分はローションでカバーしてる。
やっぱり中国の小5でも体格は、日本の2・3年ぐらい体格です。
中学にもなると体も少し発達してるし、年頃で色気づいてるからそういう所をくすぐれば結構簡単にできるかも。

俺が遊んでいる子は、小5だけど生理もないし、体格も3年生ぐらいです。恥じらいも無いので、人差指と中指でちょっと大きくなってるクリトリスを皮ごと挟んでしごくように愛撫した。

たまに中指を薬指に変えて、クリトリスの皮を剥いて自由になった中指でちょん、ちょん、と触ってやるだけで濡れます。
時々体がビクンってなって、乳首も堅くなります。
それからは中指でクリトリスを回すようにしてみたり、親指と人差指で摘むようにしてみたりして、クリトリスをコリコリしてやると驚く程肥大してくる。

いつもより一段と堅くてデカくなってるペニスをおまんこにあてがって
ゆっくり入れていこうとしてもかなり締まっててなかなか入っていかない。だからほんの少し入れてそこでユックリと出し入れをしてやってる。入ってく時はムリュって感じで押し入る感じが最高です。

そうしてると結構濡れてきて、亀頭くらいは入るようになるけど、それでもかなり窮屈。。。

ちょうど半分くらい入っていった時に、一度目の射精をしてやると体を震わせてしがみ付いてくる。
それからも少し時間をかけてゆっくり奥まで入れてやり、ヌルヌル度が増して入れ易くなってくるから、時間をかけて根元まで挿入してやる。

後は出し入れするのを速めたり遅くしたりして、充分キツキツの小学生のおまんこを味わっています。

「小学生の」「小学生の」って思うとすぐにイきそうになっちゃったから実はできるだけそう思わないようにしてたんだけどね。


小学生とやると理性崩壊して中に出してしまいますよ。
かなり興奮しているから絶え間なくドクドクと出てきて
自分でも驚くくらいの量の精子がでますね。

後は、しゃぶらせているけど、セックスのおぼえがいいみたいで
かなりうまくなってきています。
俺も小学生相手にやりすぎかもしれないけど最高のペットですね!

4歳にもなると、朝おむつを替えてやると恥ずかしそうにして可愛いですよ!
でも、オマンコにチンポを入れても痛がらずに腰を振りますからね。
遊ぶには最高です。 おむつっ子は8枚〜10枚ってとこが相場です!

俺が、いまハマッテるのが失神セックス。。。
首の頚動脈を軽く押さえて失神させるやつ! 絞め技と同じように少女をおとすのよ。

ただでさえ狭い少女の膣が、失神する前に断末魔の締りをするんだよ。
これが、数分続くから最高だね!
この辺の相場は、赤7枚ってとこだね。


アナルベイビーという言葉を知っているかな?

アナルベイビーとは男女問わずアナルを犯されるために取引されている赤ちゃんのことです
もちろん買う人や赤ちゃんの性別によってアナルだけではすまないことも多々ありますが…
男女に共通しておかされるアナルからとってアナルベイビーという名がついたようです
買う人間はたいていが香港大富豪の変態のようです
でも、2〜3万元と言うから買えない金額じゃないと思うけど、買っても育てるのが大変だから…
中国って売ってない物は無いって感じだね!!


ちっちゃいおんなの子のアナルって良いよね!
5歳位までのちっちゃい子のアナルに萌える人集いましょう!


いや〜っ! ラッキーでした。
1週間前に、行きつけの置屋の隣が手入れにあったそうです。
それで、店を閉めて移動したと言う事でした。
お気に入りの4も、健在でたっぷり可愛がってやりましたよ!

この辺は、移動が激しいから小まめに行かないと店が無くなるからね!
でも、google earthは便利だよ!

中山がよく解るし... 南山区の中山は炉の溜まり場だからね!
そのうち、店も教えてあげるよ!


蛇口で買った、少女の後ろから勃起したペニスを肛門に入れてアナルセックスを楽しみました。
アナルセックスは初めてらしく、最初は痛がって逃げようとしてましたよ!
グッボッォとチンポが入ると「ぎぃぃぁぁぁぁぁ…」と叫び声をあげて失神。
腰を少しづつ突き上げてゆっくりとチンポを入れてやった。

後ろから抱きしめながら少女を引き付け腰を沈めこんでやると気が付いたらしく。
チンポを出そうと力んで肛門が閉める。 これが最高に気持ちが良く
少女は泣きながら腰を突き出しくるから、腰を一旦引くと勢いをつけて押し出して
中に出してやった。

最高のアナルセックスが楽しめたよ!
これで、6枚なら安い買い物だと思うよ。


先月、買った女の子とアナルで遊びましたよ!
アナルを使って射精して! 射精して萎えないのでとっても嬉しい!

二発目が終わってチンポを抜くと不気味に膨れ上がったアナル。
次の瞬間、拡張されまくったアナルから、極太の一本糞。。。。。
俺のチンポの数倍の太さがあって凹みました。
あの齢で、あれだけの太さの一本糞をするのだから、フィストも出来そうですよ!
やっぱり、女の子のアナルは最高ですよ。


少女とアナルセックスをしている人って多いんですね!

年令によっては、アナルの方が入れやすいよ!
詳しくは、ヤバくて書けないが経験者ならわかる事です。
パカッと開かす事も可能です。
それに決してキツくは無いので入りますよ

南京で3歳と7歳のアナルに入れたことがあるよ!
結構きつかったけど気持ちよかった。
征服感が凄くて興奮したよ!


ハァハァ・・・た、たまらないよねぇ・・・
幼女の子宮にピュッピュッって射精
征服感と満足感が最高だねぇ・・・
いやがる幼女のアナルに無理矢理入れて犯すのがやめられないねぇ・・・
可愛いマンコがこれ以上無いくらいに汚くなる瞬間が最高だよ!!


深夜の1時から始めて終わったのが明け方6時を回っていたのよ!
これで5時間くらいやりっぱなしで、それで挿入したまま爆睡。。。
気づいた時は、夕方の4時を回っていたよ。
そのときは、2才児だったから挿入されたままオネショしていたね!
私は、起きて直ぐに幼女を連れてお風呂に連れて行きアナルにしてやったよ!
勿論、挿入したままは出来ないから、抜いてポッカリ開いたアナルにめがけてしやった。
結構感じたらしくオシッコを漏らしながら痙攣してイッタみたいだった。


アナルは、初めてでもすんなり入る子が多いからねっ。
今付き合ってる床屋の12才は初めてでもあまり痛がらなかった。
むしろマムコの方が入らない・・・
だから仕方なくアナルに挿入してる。。。

何度もアナルセックスを繰り返しているうちに挿入のコツを掴んだので
小柄だった小6の子を置屋で買った時、あっさりと挿入する事ができました。
本当に「すんなり」っていう感じでした。肛門の伸縮は凄いですよね。
もちろん4歳児だった3人目もあっさりと入れる事が出来ました。

先月の初めに、蛇口で買った8歳のアナルバージンは腰枕の体勢で正常位
(ブス顔を見ながら)と冒険しました。
でも、締まりは最高でしたね!


中国では一人っ子政策で女の子が生まれると捨てられます。
男の子と女の子なら当然男のこの方がたよりになるからです。
そして、そういう子はマフィアや拾い主によって売春になります、
だいたい8歳ごろからはじまります。
15歳ごろまでは女の子は顔が日本人とあまり変わらないので
多分それぐらいまでやらされることでしょう。
ぶっちゃけすごくかわいいですよ。まあ、ロリですけど・・


ヤミで売買される幼女1人の価格は『健康』な6歳以下の幼女ならば5万リンギ(約160万円)以上が相場。美少女中学生にはその半額から7倍程度が支払われていたと見られている。


7  (><)ゞ   2003/11/05(Wed) 18:10
これ知ってる、と言うか買わないかと言われた、この人たちからじゃないけど農村に行ったときに、断ったんだけどね


31  名無しさん   2006/04/02(Sun) 23:25

中国の赤ちゃん事情は、幼姦のための売買ですね!
1歳〜3歳の処女で、3000元〜5000元ですよっ!
中国の平均月収の2ヶ月分ですから、凄い高価な遊びです。

4歳〜6歳の処女で、2000元〜3000元で、
7歳〜の処女が1500元ぐらいです。


俺が、買った幼稚は3歳の処女! 2700元の掘り出し物でした。
1晩で、次の昼過ぎには自分でチンポにオマンコを擦り付けて来るほどの淫乱になっていました。 最高でしたよ!!

いろんなタイプの女と いろんな体位で とことんやりこんできた。
そして あらゆる経験をすることで ようやくわかってきた。
この世の究極の快楽はロリだということが。
全身 身震いするほどの絶頂感!
もう普通の女は臭くて抱けん。
ロリと一度も経験しないで死んでいくなんて
そんなつまらない人生を送っていいのだろうか。


中国人の幼女が最高の絶品名器でございまする。

中国幼女>カンボジア、ベトナム幼女>タイ、日本女児

ただし中国で幼女貫通がチクラレルと、麻薬系犯罪と同じように
死刑にもなりかねませんので、こころしてヤッテくださいネ。


6歳ならすんなり入るが、3歳女児はやっぱりすっごく大変。
てかうまくいってないんだけど。


32  戯言を嘆く翁に代わりて   2006/04/03(Mon) 19:37

女の扱いってものは超の付くほど難しい。ましてや少女のご機嫌を取るのって大変だよ。幼女が相手なら育児と同じ。幼女を風呂に入れたり小便させたり、遊んでやったり、そりゃもう大変だ。

この子達の相手は優しい子供好きのお兄さんでも難しい。まして、この板に集う鬼畜どもが異国の少女や幼女を万が一、買ったとしてもとても面倒なんか見れない。妄想や戯言を言う前に中国語でも勉強した方がいいよ。

でも9つの方言があって共に意思疎通は困難だそうだから北京語勉強しても、戸籍もないような地方の少女と会話することは常人には無理だろうね。


上記のコピペ元は

深セン夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shinsen/index.html

上海夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shang/index.html

 
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/113.html

[番外地9] 昔はパニック障害はヒステリーと呼ばれていて、父親や義父に性的虐待されたトラウマだというのが定説

昔はパニック障害はヒステリーと呼ばれていて、父親や義父に性的虐待されたトラウマだというのが定説だったんだよ。義父から親子丼されたり、売春させられると後遺症としてパニック障害を起こすんだよ:

トラウマ・PTSDとは
トラウマとは、いわゆる「心の傷」と言われるものです。身体が傷つくことと同じように同じように心も傷ついてしまいます。そして、フラッシュバックや過覚醒、回避などのいくつかの症状が重なるとPTSD(心的外傷後ストレス障害)という診断になります。

トラウマ・PTSDの原因
性的虐待
rape
ドメスティック バイオレンス
いじめ
戦争体験
捕虜・拷問体験

性的虐待
性行為はもちろん、キスしたり、陰部を触ったりすることです。また、性的な言葉かけや卑猥な表現をすることもあります。その他に親の性行為を見せたり、アダルトビデオなどを見せたりも含まれます。実際に性的接触を持たなくても、そうしたそぶりをしたり、脅したりすることも性的虐待に含まれます。子どもの場合、性的な知識が無かったり、恐怖のために凍り付いてしまったりして、一見すると抵抗がないように見えますが、抵抗がないことと同意していることとは全く違います。

特に性的虐待を受けた人には顕著ですが、性行動が過度に抑制的になったり、過度に活発になったりします。抑制的になるとは、異性を極端に避けたり、性交渉に嫌悪感・恐怖を持ったり、結婚に忌避的であったりします。

また、全く反対に性行動が非常に活発になるケースもあります。不特定多数の異性と性交渉をもったり、過度に露出的な服装をしたり、風俗に勤めたりなどがあります。この行動様式は一見すると理解しがたいかもしれません。性的な外傷体験があるなら、それに恐怖をもってしまうだろうと想像しますから。

おそらくこうした性的虐待にあった人が性行動に活発になるのは、外傷の反復という観点から理解することができるかもしれません。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/646.html

[番外地9] 昔はパニック障害はヒステリーと呼ばれていて、父親や義父に性的虐待されたトラウマだというのが定説 中川隆
1. 中川隆[-16024] koaQ7Jey 2021年7月27日 08:19:52 : 26wsaJ5YYA : T3JFZGJoR3FwODY=[1]

昔はパニック障害はヒステリーと呼ばれていて、父親や義父に性的虐待されたトラウマだというのが定説だったんだよ。義父から親子丼されたり、売春させられると後遺症としてパニック障害を起こすんだよ:

トラウマ・PTSDとは
トラウマとは、いわゆる「心の傷」と言われるものです。身体が傷つくことと同じように同じように心も傷ついてしまいます。そして、フラッシュバックや過覚醒、回避などのいくつかの症状が重なるとPTSD(心的外傷後ストレス障害)という診断になります。

トラウマ・PTSDの原因
性的虐待
rape
ドメスティック バイオレンス
いじめ
戦争体験
捕虜・拷問体験

性的虐待
性行為はもちろん、キスしたり、陰部を触ったりすることです。また、性的な言葉かけや卑猥な表現をすることもあります。その他に親の性行為を見せたり、アダルトビデオなどを見せたりも含まれます。実際に性的接触を持たなくても、そうしたそぶりをしたり、脅したりすることも性的虐待に含まれます。子どもの場合、性的な知識が無かったり、恐怖のために凍り付いてしまったりして、一見すると抵抗がないように見えますが、抵抗がないことと同意していることとは全く違います。

特に性的虐待を受けた人には顕著ですが、性行動が過度に抑制的になったり、過度に活発になったりします。抑制的になるとは、異性を極端に避けたり、性交渉に嫌悪感・恐怖を持ったり、結婚に忌避的であったりします。

また、全く反対に性行動が非常に活発になるケースもあります。不特定多数の異性と性交渉をもったり、過度に露出的な服装をしたり、風俗に勤めたりなどがあります。この行動様式は一見すると理解しがたいかもしれません。性的な外傷体験があるなら、それに恐怖をもってしまうだろうと想像しますから。

おそらくこうした性的虐待にあった人が性行動に活発になるのは、外傷の反復という観点から理解することができるかもしれません。

こういう家庭で育ったらパニック障害になるでしょうね:

【息子は悪くない】旭川C男 佐藤飛翔の母親の問題発言の数々、そして”きなこもち”とは
https://www.youtube.com/watch?v=MZraAllJEjs

【暴露】C男母親「なぜ裁判しないの?」 「被害者の母親は不倫してる」被害者家族を煽る発言を繰り返す”きなこもち”
https://www.youtube.com/watch?v=NMIuDrVMmco

【激怒】「廣瀬家はゴミ屋敷で、不倫相手を連れ込んでる」とTwitterで暴露するC男母親”きなこもち”
https://www.youtube.com/watch?v=szOE9i9iqbM
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/646.html#c1

[近代史5] トラウマ確定...身の毛もよだつ最恐の絵本7選
【ゆっくり解説】トラウマ確定...身の毛もよだつ最恐の絵本7選【閲覧注意】
2021/07/26




闇世界のツーリスト【ゆっくり解説】
今回は、身の毛もよだつ最恐の絵本7選をお届けします。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/992.html

[近代史3] 一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
13. 中川隆[-16023] koaQ7Jey 2021年7月27日 09:32:59 : 26wsaJ5YYA : T3JFZGJoR3FwODY=[4]
大麻の中毒作用

大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。

ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

【重要】大麻合法化とエネルギー利権、愚民化計画の知られざる繋がり ジェームズ斉藤がグローバリストの思惑を解説
2021.07.23
https://tocana.jp/2021/07/post_216024_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


ジェームズ いまアメリカで大麻が全面的に合法化される動きがありますが、裏側について日本人のほとんどはなにもわかっていないようなのでお知らせしたいです。

──大麻解禁の裏側ですか?

ジェームズ はい。今回の大麻合法化が急速に進んでいる理由にはアメリカ民主党の思惑が絡んでいるんですよ。一番大きな枠組みというのは地球規模の経済行動の転換があるんです。それが脱炭素エネルギーです。

──脱炭素? 

ジェームズ そうです。つまり、石油、ガスから脱却しようとしているんです、特にアメリカ、ヨーロッパは。この間もEUが2035年までにガソリン車を全面禁止にすると言いましたが、いまのエネルギーの最先端って原子力とか太陽光とか水素発電とか、世界レベルで脱炭素の方向です。

──そうなんですね。ただ、それがどう大麻と…。

ジェームズ 絡んでくるのか?ですよね(笑)。実は大麻ってエタノールに還元でき、燃料になるんですよ。それも石油やガスに匹敵するぐらい効率がいいんです。人類っていまの時点でも大麻油さえあれば、普通に暮らせるはずなんです。公害を生む石油やガスなんて本来必要なかったんです。それがなぜ、こんなに悪者になってしまったのかといえば、石油利権側のプロパガンダです。

──もしかしても大麻解禁ってエネルギー問題だったんですか? 

ジェームズ そうです。信じられないかもしれませんが、大麻が地球のエネルギー問題を解決するんです。ですから、これからは大麻は吸うだけでなく、社会の至るところで使われるようになるかもしれませんね(笑)。

──それ、本当ですか? にわかには信じられないのですが。

ジェームズ そう思うのもムリはないですが、実際、いまの大麻解禁を仕掛けているのはエクソンモービルなどのエネルギー企業ですからね。彼らがいま民主党にお金をバラまいています。彼らの献金のおかげで2020年の大統領選でバイデン勝利を演出することができたんです。トランプは「反脱炭素派」なので目の敵にされたんです。石油利権を握る人々はこれまで100年以上も石油・ガスでボロ儲けしてきましたが、次の100年では大麻で儲けるつもりかもしれません。

──そんな大きな話だとは思いもしませんでした。

ジェームズ 大麻は意外に大きな資源なんですよ。要は麻ですから衣料用にも使われますよね? ところが、これも石油利権を脅かしたんです。石油利権側は化学繊維を売りたいので、やっぱり麻が邪魔だったんですよ。エネルギーだけでなく、化学繊維利権とも競合したので大麻はずっと悪者にされてきたんです。


──確かに戦後、大麻は必要以上に悪者扱いされてる感じではありましたよね。

ジェームズ そうです。人類は古代からずっと大麻をさまざまな形で愛用してきましたし、アジアでは神聖な植物として大事にされてきました。インドや中国でもそうですし、日本では神道で使う紙の束を「大麻」と書いて「おおぬさ」と読むのですが、これは文字通り、もともとは大麻を束ねたものでした。

──大麻禁止の裏にはそういう背景があったんですね。では、大麻の中毒作用ってそれほど深刻ではないということですね?

ジェームズ いえ、そこは注意が必要です。大麻の覚醒作用をもたらすTHCという成分は、場合によっては危険です。例えば、子供が長期にわたり、THCを摂取すると脳が萎縮します。また、THCの覚醒作用は生産能力を格段に落とします。実は、私はある諜報訓練で微量のTHCを合法的に摂取したことがあったのですが、直後から猛烈に眠くなり、翌日は二日酔いのような状態が一日中続きました。
きつかったのは三日目です。その日は対テロ訓練だったのですが、銃を撃っても全く標的に当たらず、上官による任務の説明を理解するのも困難でした。同日のヒューミントの訓練でも全く成果が出ず、「THCをやると廃人まっしぐらだな」と確信したのはこの時でした(笑)。ただし、大麻そのものは一般的にはストレス緩和、医療用にはてんかん等に効果があり、依存性もカフェイン程度であることは証明されていますので、大麻を即、悪だと判断するのは言い過ぎです。大麻は利用目的次第で効果が両極端になる、諸刃の剣です。だからこそ、欧米ではしょっちゅう大麻解禁が議論されてきましたし、すでにカリフォルニアでは一部合法、コロラド州では全面合法、ニューヨーク州もこの前、合法化されました。

──オランダでも基本的には大麻は解禁していますし。

ジェームズ オランダはグローバリストの拠点ですからね。結局、彼らはプロパガンダを仕掛けた側ですから大麻に大した害がないことなんか最初から知っているです。なので、今回も脱炭素に舵を振るとなったらすぐに解禁しようと動くわけです。なにしろ、いま合法化で動いているのはアメリカ連邦政府ですからね。現在は各州の州法で合法にしているだけですけど、連邦法で合法になれば全面的
に解禁になるでしょう。

──そうなれば日本も同調するんでしょうけど、可哀想なのはこれまで大麻で捕まった人や人生を狂わされた人たちですよね、

ジェームズ 確かに日本における現行の国内法では彼らは違法行為を犯したので、逮捕されて当然です。私も現役の某国諜報機関関係者なので、違法行為を正当化するつもりは毛頭ありません。しかし、彼らの行為を元に「大麻=悪」の論理を展開するのは稚拙です。欧米はもともとプロパガンダだとわかっているからそれなりに対応しているんですけど、日本の官僚は極端に「保身ファースト」でクソ真面目に対応してしまうんです。大麻取締法にしても昭和23年にGHQの指示によって作られたものです。GHQ職員にはユダヤ系極左勢力が大量に紛れ込んでいましたから、大麻禁止は日本を弱体化させる思惑があったんでしょう。 ですから、サンフランシスコ平和条約調印で主権回復後、日本はGHQが作った法律なんか無視すればよかったんです。それを吉田茂から安倍晋三に至るまで所謂「対米従属派」と呼ばれる政治家が忠犬ハチ公のようにずっと後生大事に守ってきたからこんな世の中になっているわけです。実際、厚生労働省の麻薬Gメンなんてムダに精鋭揃いですからね。六本木にたむろする外国人の麻薬売人に浸透工作やハニートラップを仕掛けた上で逮捕するとか普通にやってます。しかし、そういう優れた人材ははるかに国家安全保障上深刻な問題である、中国人スパイ対
策等に回すべきです。リソース配分が完全にデタラメで、大麻摘発に躍起になっているので、呆れますね。

──日本政府、日本の官僚が石油利権、ひいてはグローバリストの言説を無批判に信じているからこんなことになるんですね。

ジェームズ 究極の皮肉は、米国で大麻規制をかけた勢力と、現在大麻合法化を進めている勢力は同じユダヤ系極左だってことです。戦後日本における大麻規制問題だって同じくユダヤ系極左勢力の仕業です。であるのに、ルールを守れば、それでいいと思っている無能というよりも無責任な人たちがいまの官僚、いまの政治家ですね。これはGHQが作った日本国憲法を巡る問題と全く同じです。コロ
ナもそうですが、政府がグローバリストの下僕になっているからこんなことになるんです。

──とはいえ、いまのアメリカの大麻合法化はトランプを倒したグローバリストた
ちが進めているんですよね?

ジェームズ そうです。だから、日本はポチとしても二流なんです。ご主人さまたちの思惑が見えないので、動きが一周遅れなんです。ご主人さまたちはもう大麻解禁、脱炭素に進んでいるんです。ところが、日本政府はまだGHQが作ったルールに縛られていて動きが鈍いんで、グローバリストたちからもバカにされています。

──下僕としても使えないという。

ジェームズ そのぐらいいまの日本の政治家、官僚たちは硬直しているし、自分の頭で考えないんです。そして、ここにもうひとつグローバリストが大麻を合法化した目的があります。それは愚民化です。大麻は、健康被害はほとんどないんですが、前述の通りTHCは極端に生産性を下げます。その一方でCBDという成分だけを摂ると生産性を落とさずにリラックス効果だけを望めます。しかも、CBD
はアメリカだけでなく、日本でも2020年に合法になりました。

──えっ、もう合法化されているんですか?

ジェームズ そうです。アメリカでも日本でもCBDという有用な成分はすでに合法です。なのに、なぜ、大麻全面合法化が進んでいるのか? その答えはTHC合法化です。THCを社会に浸透させ、生産性を落とすことにより、愚民化を図ろうとしているんです。

──でも、生産性を落としたら奴隷としても使いにくいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、奴隷はデク人形でいいんです。いわれたことを不眠不休そして無給でやってくれればいいんです。さすがに完全な廃人ではダメですが、政権批判はするが実際に行動を起こさない、完全なヘタレになってくれればいいんです。これは支配者側にとっては好都合です。なぜなら「形だけの民主主義」を演出するには、反対勢力が必要です。THC解禁で反社会的なヘタレ人間を大量生産
すると、私が以前から言っている「コントロールされた反対勢力」が最も簡単に作れるということです。事実、米国では左派のリベラル、右派のリバタリアンのほとんどは大麻をやっています。特に右派のリバタリアンは大麻解禁論をリードし、キリスト系伝統保守が多い右派の分断要素にもなっています。結局彼らの正体は日頃から不平不満を垂れる反社会勢力です。大麻はまだ「ソフトな麻薬」で
すが、大麻常習者になるとコカインやLSD等のさらに強力な「ハードな麻薬」に手を出しやすくなるとはいわれています。コカインやLSD常習者となると完全に廃人となり、今度は実力行使も躊躇しなくなります。実際、ANTIFAやBLMのメンバーで破壊行為を担当している者は、ほぼ全員ハードな麻薬の常習者です。実は、民主党主導の大麻全面合法化の動きは「コントロールされた反対勢力」を大量生産し、さらに米国社会を分断し弱体化させることが究極の狙いです。しかもこれは民主党の2022年中間選挙及び2024年大統領選に関連しており、やはりANTIFAやBLMを大量動員して破壊活動でもって強引に選挙で勝とうとする思惑があります。そもそも大麻全面合法化は2020年大統領選の時点でバイデン陣営の公約でもあり、周到に民主党側で仕組まれた案件です。また、大麻全面合法化は米軍にも影響があります。緊張が続く彼らはどうしても薬物に頼りがちで、もしかしたら米軍も「戦えない軍隊」になり世界戦略どころではなくなります。

 しかも、THC合法化はビジネスになります。最近日本でも流行っているCBDオイル等のサプリが最大の効果を発揮するには、現在のようにCBD100%ではなく、CBD80%対THC20%等のTHCが含まれるような比率が必要になってきます。つまり、THC解禁で、CBDオイル業界が潤うことになるのです。「健康になれます」の謳い文句に釣られてCBDオイルにハマって愚民化することを狙っているんです。実際、CBD100%でもかなりリラックス効果はありますが、THCを含むCBDオイルは効果が全く違います。しかし、少しでもTHCが入ると同じCBDオイルでも摂取後、生産性が落ちることには変わりがありません。

──少しでもTHCが入るとちょうどいい愚民が出来上がるんですね。

ジェームズ その通りです。こういう愚民ができると奴隷化するのは簡単ですから、大麻合法化を仕掛ける側は究極にはこれを狙っています。この奴隷化、愚民化によって資本主義は完成するのです。

──大麻によって資本主義が完成ですか!?

ジェームズ そうです。そもそも日本人は資本主義を誤解しています。資本主義は資本を握っている側が資本を握っていない人間を徹底的に働かせるのがその本質です。この本質を維持するには貧困が必要です。貧困層という奴隷層を作って徹底的に搾取しないと資本主義は成立しません。これを日本人はもっと理解しないといけません。
 だからこそ、資本家の利益を代弁しているアメリカの民主党がいま、大麻合法化をすすめているんです。民主党の正体は、政治とビジネスが癒着したファシズムです。現在大麻合法化が進んでいる州を見てください。カリフォルニア州やニューヨーク州等、全て民主党の拠点です。大麻合法化はグローバリストのくびきから解放されるために必要な政策ですが、同時にグローバリストがそれを主導し
ているので、気をつけないと「全世界総白痴化」という「ユダヤの罠」にハマります。実際、カリフォルニア州等の大麻合法化を実施した米国の州では、一般人の知的レベルが極端に落ちています。ですので、一般人は絶対にTHCは手を出してはならず、CBDに留めてほしいと思います。

 また日本国内での大麻合法化議論も、米国で起こっているような社会的影響を考慮すると、THCは違法にしたまま、CBDの規制緩和を実施すべきでしょう。日本では前述の通りCBDは合法化されましたが、現行の法制度下では「大麻の茎と種子由来CBDのみ合法」となっており、それらの部分からではほとんどCBDが採れず、米国麻薬取締局も「商品化は現実的でない」という表明をしています。し
たがって、現在日本で売られているCBDは違法かフェイクな物ばかりで、皮肉にもTHC含有CBDの密輸等を助成することになっています。CBDの健康面での有効性は明らかでTHCの害を防ぐためにも、CBD全面規制緩和をするべきです。また、現在海外での大麻使用自体は違法ではなく、カリフォルニア州等で大麻使用は日本人であっても問題ないので、現地で大麻を入口に他の危険な麻薬に手を出す
ケースが多いのが現状です。やはりTHCは全面使用禁止にすべきでしょう。

 大麻全面合法化の波は日本にも押し寄せて来ています。日本ではGHQの愚民化政策の結果、未だ「アメリカ文化はカッコいい」という洗脳から抜けていません。しかし、現在のアメリカ文化は低俗の極みで、カリフォルニア州などでは一日中大麻を吸ってヒップホップを聴きセックスばかりしている者ばかりです。このどこが「カッコいい」のでしょうか? ただのユダヤの奴隷で、国民が堕落し、亡国となったローマや清王朝の落日を彷彿とさせます。今回の米国発の大麻全面合法化の波は歴史の必然ですが、日本にとっては国家の命運をかけた問題であることを読者の皆さんは認識しておいてください。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html#c13

[番外地9] 資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる
資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる。
資本主義は自国だけでは階級ができた段階で内需が壊滅し恐慌になって行き詰る。
それで需要を求めて植民地を作り、植民地人から搾取して生き延びるしかなくなる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/647.html

[近代史6] 従軍慰安婦は売春婦なのか? 中川隆
1. 中川隆[-16022] koaQ7Jey 2021年7月27日 16:03:56 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[1]
朝鮮人「慰安婦」の証言

12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした

 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。
(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)

http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101200.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

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    ○       ',!  |ヘ ト \i     \         //           \
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拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101202.html


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12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。

 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
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使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。
(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101201.html

             /        /  イf它メミー-       ヽ
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      !       /  川  l| |||」|   l|`T 7 ハT | l | | |       |
      {        〈  川  |l kヘ 八   | |/,,斗=ミk j | ! |       |
     \::      ヽノ川  |l_|孑テミ\ | l〃 弋ヅ゙} ' 从 |:      |\
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チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。

○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました

守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

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ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。

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      lノ     ´ ̄ 川  l| |||」|   l|`T 7 ハT | l | | | ::.::.::.::.::.::| |
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ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。

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          | i'、   /       !   /  ! ヽ ヽヽヽ ! \
             !ヘ'     !   ...  !   /  !  ! ヽ ヽ ヽ     ヽ
            〉`ー、__入  ''''  /  /   |  l  !  ! ! ヽ    ',
            `ヽ_,_  `ー-‐´   ∧   l  /  |  !   !     l
        ゞ´ ̄`ー彡  ̄`iー、_   /   `ヽ! / /   !  ハ !    !
        (ミ_   ~, `~^-i-i  `ー´       `ヽ、 , ' / l |    l
         `~~>´   / |  i             ヽi/  l ハ  /
          /   / ,ノ         _ -   `i'   | ハ /
        /    /-' ^  ヽ     /´        i  .レ  ′
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               i           _,-ー ´         ` ー 、三^)
               ヽ        _ - ´                 ̄ ゙
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キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。

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朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2


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李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。

十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。

 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです

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郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。

 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。

 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。

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金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。

 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/107.html#c1

[近代史6] 従軍慰安婦は売春婦なのか? 中川隆
2. 中川隆[-16021] koaQ7Jey 2021年7月27日 16:09:14 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[2]
強制性示す新資料
研究者ら公表 東京裁判で証拠採用

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 旧日本軍が占領地の女性たちを強制的に「従軍慰安婦」にした事実を裏付ける東京裁判(一九四六―四八年)の関連資料が明らかになりました。

関東学院大学の林博史教授、中央大学の吉見義明教授、バウネット・ジャパンの西野瑠美子共同代表が十七日、都内の外国特派員協会での会見で公表しました。

 資料は、オランダ、フランス、中国の検察団が東京裁判に提出した尋問調書や陳述書など七点。いずれも同裁判で証拠書類として採用されました。

 林教授が昨年、東京大学社会科学研究所の図書館に所蔵されていた資料から見つけました。

 オランダ提出の尋問調書では、ボルネオ島の日本海軍情報機関の軍属が、拘束した現地女性を平手で殴り服を脱がせ、三人の少女を裸で一時間、立たせたと証言。

拘束の理由について

「彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるため、命令でなされた」

と述べ、命令した守備隊司令の名をあげました。

 公表された資料は、インドネシア・ジャワ島やベトナム・ランソン、中国・桂林などで日本軍が現地女性らを強制的に慰安婦にしようとしたことを裏付けています。資料の一部は一九九七年に報道されています。

 林教授は、これらの資料は「日本政府がサンフランシスコ平和条約で受け入れた東京裁判の証拠であり、日本政府も認めざるを得ないものだ」と指摘しました。

 吉見教授は、被害者への「おわびと反省」を述べた河野談話を否定する安倍晋三首相の態度について、「首相の人権感覚が問われる問題。河野談話からの後退は許されない」と批判しました。 
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-18/2007041802_05_0.html

「従軍慰安婦」問題 日本軍の強制示す公文書
3点の大要(邦訳)

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 林博史関東学院大学教授は十七日、外国特派員協会での記者会見で「従軍慰安婦」問題についての新資料七点を発表しました。一九四六?四八年の東京裁判でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書などです。これらは、同裁判で検察陣を構成した各国の政府機関が作成し、裁判の証拠書類として採用された公文書です。「慰安婦」が日本軍によって強制的に連行され、性行為を強要されたことを示しています。


 これらの資料のうち、

(1)インドネシア駐留オランダ陸軍大尉の報告
(2)日本陸軍中尉の宣誓証言
(3)「慰安婦」を強制された女性(オランダ人)の尋問調書―

の三点の大要を紹介します。


 証拠書類は英文と邦訳文があり、ここで紹介するのは邦訳文です。カタカナはひらがなに、旧字体は新字体に直してあります。また適宜、改行してあります。


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特警隊が婦人 捕まえた

 資料(1)/オランダ印軍情報部J・N・ヘイヂブロエク陸軍大尉の報告「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」(一九四六年七月五日付、インドネシア・ボルネオ島<カリマンタン>ポンティアナック)
 (PD<検察側書類番号>5330/EX<法廷証拠番号>1702)

 一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイは日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。

 彼は同時に公式の慰安所を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。

 海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。

 日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。

 海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主として各兵曹長によって行はれました。

 一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の尽力によって集められました。

 上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。

 私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。

抵抗運動家の娘に強要

 資料(2)/オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書(一九四六年一月一三日付、インドネシア・モア島)
 (PD5591/EX1794)

 問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。

 答 私は兵隊達の為に娼家を一軒設け私自身も之を利用しました。

 問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。

 答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。

 問 幾人女がそこに居りましたか。

 答 六人です。

 問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。

 答 五人です。

 問 どうしてそれ等の婦女たちは娼家に入る様強ひられたのですか。

 答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。

 問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。

 答 左様です。

 問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。

 答 八ヶ月間です。

 問 何人位この娼家を利用しましたか。

 答 二十五人です。

常に拒絶をしたが無力
 資料(3)/イエ・ベールマンの尋問調書(一九四六年五月一六日付、インドネシア・ジャワ島マゲラン)
 (PD5770/EX1725)

 私は一般被抑留者としてムテラン収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇(ジャワ)人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。

 私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私達を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私達は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲランへ輸送され午後四時に到着しました。

 我々はテウグランと称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。

 一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。

 其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後九時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠もりましたが他は其通りにしました。

 私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。

 其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。

 其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。

 此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041906_02_0.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/107.html#c2

[近代史6] 従軍慰安婦は売春婦なのか? 中川隆
3. 中川隆[-16020] koaQ7Jey 2021年7月27日 16:11:58 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[3]
林博史関東学院大教授も、最近日本のマスコミを通して公開された、日本の東京裁判の資料の中に、慰安婦の強制動員を認めた検察調書があったことに言及して、

「オランダ政府の場合、少なくとも65名が慰安婦として強制動員されたと確認した。各国が作成した公文書や判決でも、強制連行の事実が認定されている」

と指摘した。 続いて彼は、

「こういう資料を安倍総理や日本政府がなぜ無視しているのか、本当におかしい」

と声を高めた。林教授は特に、

「先月公開された国会図書館の靖国神社の資料で、慰安所を経営していた人物が,靖国神社に合祀されていることが明らかになった。

また、戦犯裁判所で有罪判決を受けて処刑された軍幹部もまた靖国神社に合祀された」

とし、

「女性たちを誘拐した人や戦犯で処刑された人物が靖国に祀られているのは深刻な問題だ。日本政府は反省すべきだ」と要求した。
http://www.labornetjp.org/news/2007/1176865497721staff01/view

林博史『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』


既報のように、日本軍による「従軍慰安婦」の強制動員を示す資料が確認された。

関東学院大学の林博史教授が4月17日、日本外国人記者協会で会見を行い 公表した資料は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、現在、東京大学社会科研究所図書館に所蔵 されている。

以下、資料の内容を紹介する


【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日

 一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ(同人は一九四三年八月頃日本に帰国したり抑留を要求し置けり)は日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。彼は同時に公式の慰安所(official brot-hel)を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所(brothel)は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。

海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主としてミヤジマ・ジュンキチ、コジマ・ゴイチ、クセ・カズヲ、イトウ・ヤスタロウ各兵曹長によって行はれました。

 一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。民政部は此の経営を報国会(日本人実業家の協会)に依嘱してナワタが報国会の厚生部の主任であったので是等一般人用の性慰安所の主任に任ぜられました。彼は帳簿をつけたりするやうな事務的仕事には彼の会社の使用人を使用しました。毎朝、夜間の収入は南洋興発会社の出納係キタダ・カゲタカに引渡されました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の盡力によって集められました。

 其等の性慰安所に充てられた家屋は敵産管理人から手に入れ家具は海軍用性慰安所にあっては海軍が支給し一般人用にあっては報国会が支給しました。遊客は原住民である傭人に(海軍の場合には其の階級に従って)金を支払はねばなりませんでした。又その傭人は其の金を毎日当直兵曹長又は南洋興発の出納係に引渡しました。両者の場合共三分の一は諸経費、家具、食物等を支弁する為保留され、三分の二が当該婦人の受取勘定に繰り入れられました。此の中から婦人達は随時彼等各自の用に充てる為其の一部を引出すことが出来ました。毎月の計算書は民政部の第一課に提出せねばなりませんでした。

 特警隊は婦女を捜すに当り民政部及日本人商社の全婦人職員に特警隊に出頭するやうに命じその婦人達の何人かを真裸にし日本人と関係していたとなじりました。次いで医師が検診をしましたが数人は処女であったことが判りました。是等の不幸な婦人達の中何人が性慰安所に強制的に送られたか確実には判りません。婦人達は性慰安所から敢て逃げ出さうとは致しませんでした。と言ふのは彼女等の家族が特警隊に依って直ちに逮捕されて非道く虐められるからでした。一例として此の様な事の為当の少女の母親が死んだ事があります。

 幸にも占領期間中引続き診療に従事することを許された、在ケタパンのインドネシヤ人軍医ルフリマ博士は特警職員の命令で彼の行った是等婦人の検診に関し宣誓供述をする事が出来ました。

 彼の証言に依ると婦人達は強制的に売淫させられたのであります。上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。

 私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。

 バタビヤ 一九四六年七月五日
 ジェー・エヌ・ヘイヂブロエク
 J.N.Heijbroek陸軍大尉
 蘭印軍情報部

(訳注)「蘭印軍情報部の公式記録より採られたもの」と記された、蘭印軍情報部戦争犯罪課長チャールズ・ヨンゲテル陸軍大尉の署名付「証明書」も付けられている。「慰安婦」と訳されている箇所は英文では(women)のみ。
 


【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書

調書

 本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。

 問 君の氏名、年齢、住所及職業を私に言ひなさい。

 答 林秀一、二十四歳、日本石川県生れ、海軍軍属。
 一九四三年七月十三日私はポンチヤナックに到着して警備隊長上杉ケイメイ大尉のところに出頭しました。ポンチヤナックでは私は私が設置したハナ機関の地方部長となりました。このハナ機関は海軍の情報機関でありました。(略)

 [証人ラフィアの訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]

 答 この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。

 問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。

 答 それは私は知りません。

 問 君は部下の巡査ではない。併しポンチヤナックで独自に仕事をして居るスパイである。故に上杉のかくの如き命令に従ふ必要はない。

 答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。

脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。

 問 幾日間その婦人たちは特警隊の建物の中にいたか。

 答 私の思ふのには五日乃至六日間でした。彼等は建物の後の監房の一つにいました。
 (以下、略。現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。)

 (訳注)上杉大尉やハナ機関などには漢字が当てられているが、「音訳」と但し書きがついているものはカタカナ表記に直した。

 

【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日

 問 貴方の氏名、年齢は?
 答 シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七才。

 問 貴方の所属部隊は?
 答 タナカ部隊ハヤシ隊
 (略)

 問 一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。
 答 私でありました。

 問 一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?
 答 セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。

 問 何故殺されたのですか。
 答 土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。

 問 誰がその殺すことを命令したのですか。
 答 タナカ将軍は土民達を司令部へ送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで彼等を殺し土民の指導者三、四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。

 問 貴方は自分でその土民達を殺しましたか。
 答 いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。

 問 誰が貴方の手助をしたのですか。
 答 ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。
(略)

 問 どんな風にして土民達は殺されたのですか。
 答 彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。

 問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
 答 私は兵隊達の為に娼家(brothel)を一軒設け私自身も之を利用しました。

 問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
 答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。

 問 幾人女がそこに居りましたか。
 答 六人です。

 問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
 答 五人です。

 問 どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。
 答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。

 問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
 答 左様です。

 問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
 答 八ヶ月間です。

 問 何人位この娼家を利用しましたか。
 答 二十五人です。
 (以下略)

(訳注)オハラの階級について、陸軍中尉が、海軍大尉と後から直されているが、経歴を見ると陸軍なので、陸軍中尉のままにした。
 

【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日

 私は一般被抑留者としてムテラン(Moentilan)収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。連行された人々の名前は(略)。

 私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲラン(Magelang)へ輸送され午後四時に到着しました。我々はテウグラン(Teogoeran)と称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。

(略)

 一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼(brothel)に向けられるものであると聞かされました。其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後9時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠りましたが他は其通りにしました。

私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。

 此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。

 一九四四年二月の終り頃か三月の始頃に私は事務所へ出頭する様に命じされました。其処にはタキグチと言ふ日本の一将校が居ました。彼は私が受けた待遇に関して私の訴を根拠として事件を調査すると約束しました。彼は亦私達を抑留者収容所へ送還するために極力努力することを約束しました。彼は兵卒や下士官や一般日本人に対して娼家を閉館して私達のために直に情況を改善して呉れました。

 (訳注)証言者は、証言時、27歳。

 

【資料5】(PD5806/EX1792A)
ポルトガル領チモール(東チモール)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
一九四六年六月二六日

 一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。

 日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。

 (訳注)この宣誓陳述書の中で、日本軍が族長に命じて、労働力を提供させたことなども述べられており、族長に強制して提供させる手法がとらえていたことがわかる。なおこの宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力していることがわかる。
 


【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋
 四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。(中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。

(略)

 ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。

 (訳注)証言者は一九一五年生まれ、住所はハノイ。
 

【資料7】(PD2220/EX353)
中国桂林
軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」
一九四六年五月二七日

 敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、略奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。

長縄の秘書即ち鈴木華□(日本女性)は彼の行為を幇助し、更に甚しきは此の敵が楽群路に在った李子園に憲兵隊を設立し、(以下略)

http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/107.html#c3

[近代史6] 徴用工の待遇は本当に良かったのか? 中川隆
1. 中川隆[-16019] koaQ7Jey 2021年7月27日 16:36:30 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[4]
朝鮮や中国からの徴用工が日本の職場でバタバタと死んでいった理由

旭川の人間が戦前・戦中に徴用工にやっていた事

旭川 中国人墓地(上川郡)











旭川 中国人墓地(上川郡)
とても有名な心霊スポット。

日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。

墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。


「中国人墓地」は東川町の山の中にある小規模な共同墓地である。入口付近に7つのお地蔵様がいあり、これは大正10年に東川町で起こった一家殺害事件の被害者のために建てられたものらしい。

 墓地には「中国人強制連行殉難烈士慰霊碑」が建てられており、2016年に立て直され、毎年「中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭」も行われている。

 1944年、東川の江卸事業所に338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をし強いられたとされている。このときに連行されたのは「共産党軍の捕虜」「帰順兵」「武装盗賊団の一員」「囚人」と言われている。当時、出稼ぎでの北海道の仕事は厳しい自然や劣悪な労働環境に耐える必要があったものの、稼げることから朝鮮人の出稼ぎ労働者らに人気があったとも言われている。

バラ線の張った高い塀、明かりのない窓、見張所完備、のバラックの収容所があり、初冬から真冬に近い季節でも夏の国防服一枚に、藁で作った靴をはき、藁の手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運んだらしい。ワラの手袋をつけているのに「素手」とはどういう状況なのか?戦時中の食糧不足のため小麦粉のだんごや、野菜がわずかな量しか配給されなかったらしい。労働時間は夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに強制労働をさせられていたとのことで、その殉難者は88名にも及んだらしい。大なり小なり脚色がありそうな気もするが、厳しい労働環境で亡くなった人がいるのは本当の事だろう。

 しかし、心霊度が高いのは墓地の入り口にある7つのお地蔵さまだと言われている。これは大正10年に柳沢一家全7人が何者かによって惨殺され火をつけられ、犯人は捕まらず迷宮入りした事件があり、昭和5年7月、宮崎県人松井真動が「佛のお告げ」により、柳沢事件での一家7人を慰霊するため設置したとされている。

ここで噂されている心霊現象には

・墓石の裏の文字を読むと死ぬ墓がある
・帰りに事故にあう
・車で行く場合、乗車定員で行かないと空席に霊が乗る
・車に手の跡がたくさんついていた
・お墓に泣きついている少女の霊
・ヨツンヴァインの男性の霊が出る
・幽霊に追いかけられる

実は2001年に夜にここに来たことがあり、「車に手の跡がたくさんついていた」の正体が周囲の木の枝から車に落ちてくる夜露であることが判明した。ただ、かなり指の跡っぽく、夜露が落ちる瞬間を見なければ恐怖に震えていたと思う。


旭川 中国人墓地 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%AD%E5%B7%9D++%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/109.html#c1
[近代史6] 徴用工の待遇は本当に良かったのか? 中川隆
2. 中川隆[-16018] koaQ7Jey 2021年7月27日 16:38:49 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[5]
北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川


2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。

資料: 中国人強制労働による殉死の墓

戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。

1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。

うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。

戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。

しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。

残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。

こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。

戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。

そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494


▲△▽▼


旭川中国人墓地


昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。


地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja


この地図のおおむね中心付近にあります。

 
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。

私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・

8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・

コンビニの店員曰く、

この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」

我々は早速、現地へ向かった。

しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!

『ごるぅぁぁああああ!!!!』

天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」


驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・

出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。

我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。

そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。


【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。

一つ目、二つ目ははずれだった・・・

そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。

給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、


店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」

とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。

そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、

店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」

と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。

細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。

店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」

そして、店長は去っていった。

我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!

 沢山の手形が着いているではない
か!!!!!

私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると

「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」

なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・

ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。

でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。

ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。

「なるほど、これが幽霊か・・・・」

幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html


▲△▽▼


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷なタコ部屋は 11カ所あった - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf


太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 

北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


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【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm

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野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/109.html#c2

[近代史6] 徴用工の待遇は本当に良かったのか? 中川隆
3. 中川隆[-16017] koaQ7Jey 2021年7月27日 16:41:50 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[6]
花岡事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
花岡事件(はなおかじけん)は、1945年6月30日に秋田県北秋田郡花岡町(現・大館市)の花岡鉱山で中国人労務者が蜂起し、日本人を殺害し、その後鎮圧された事件[1]。戦後、過酷な労働環境について損害賠償請求裁判が提訴された。


日中戦争の長期化と太平洋戦争の開始にともない、日本国内の労働力不足は深刻化し、政府は産業界の要請を受け、1942年(昭和17年)11月27日に「国民動員計画」の「重筋労働部門」の労働力として中国人を内地移入させることを定めた「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した[2]。試験移入を行なった後、「一九四四年国家動員計画需要数」に捕虜を含む中国人労務者3万人の動員計画が盛り込まれた。

鉱山労働力が不足した戦争末期には、花岡川の改修工事などを請負った鹿島組により1944年7月以降に現地移入した中国人は986人に上り、1945年6月までにうち137人が死亡した。中国人労働者は過酷な労働条件に耐えきれず、1945年6月30日夜、国民党将校耿諄の指揮のもと800人が蜂起し、日本人補導員4人などを殺害し逃亡を図った。しかし7月1日、憲兵、警察、警防団の出動により、釈迦内村(現・大館市)の獅子ヶ森に籠っていた多数の労働者も捕らえられ拷問などを受け、総計419人が死亡した。死体は10日間放置された後、花岡鉱業所の朝鮮人たちの手で3つの大きな穴が掘られ、埋められた。この後も状況に変化は無く、7月に100人、8月に49人、9月に68人、10月に51人が死亡した[3]。終戦後の10月7日、アメリカ軍が欧米人捕虜の解放のため花岡を訪れた際、棺桶から手足がはみ出ている中国人の死体を発見した。外務省管理局は『華人労務者就労事情調査報告』において、死因については彼等の虚弱体質などによるものとして、過酷な労働条件が死因ではないと主張しているが、終戦後に彼等を手当てした高橋実医師によれば、彼等が帰国するまでの約2か月の間、一人の死者も出なかったという[4]。

1946年9月11日の秋田裁判判決では蜂起を指導した事件の首謀者に有罪判決が下されたが、アメリカ軍による横浜軍事裁判では、第七分所(秋田県花岡 藤田組花岡鉱業所)から11名が裁判にかけられ、1948年3月1日に鹿島組関係者の4名と大館警察署の2名の計6名に有罪判決が下され、そのうち鹿島組の3名が絞首刑の判決を受けた後、終身刑等へ減刑されている。

損害賠償訴訟とその後

1985年8月、当時、蜂起を指導した事件の首謀者である耿諄は、外信を紹介する『参考消息』で、花岡事件40周年の慰霊祭が行われたことを知った。その後耿は来日したが、当時の鹿島組(現鹿島建設)が「一切の責任はない、中国労工は募集によって来た契約労働者である、賃金は毎月支給した、遺族に救済金も出している、国際BC級裁判は間違った裁判である」と主張していることを知り、鹿島と再び闘う意志を持った。1989年、耿は公開書簡として、鹿島に以下の要求を行った。

・鹿島が心から謝罪すること

・鹿島が大館と北京に「花岡殉難烈士記念館」を設立し、後世の教育施設とすること

・受難者に対するしかるべき賠償をすること


1990年1月より、新美隆、田中宏、華僑の林伯耀を代理人として、鹿島との交渉が始まった。7月5日の共同発表[5]では、鹿島が花岡事件は強制連行・労働に起因する歴史的事実として認め、「企業としても責任が有ると認識し、当該中国人生存者及びその遺族に対して深甚な謝罪の意を表明する」と明記された。

しかし、鹿島はその後、

・「謝罪」は「遺憾」の意味である(残念に思うが、謝る気はないという意味)。

・記念館の設立は絶対に認めない。

・賠償は認められない、供養料として1億円以下を出すことはあり得る。日中共同声明で中国側の賠償請求権は放棄されている。


と主張し、実質的には責任はないという見解を示した。1995年耿諄ら11名は、中国政府が個人による賠償請求を「阻止も干渉もしない」と容認姿勢を見せたことから、鹿島に損害賠償を求めて提訴した(弁護団長:新美隆)。要求内容は、耿が最初に要求した三条件であった。

耿諄らは中国におり、また高齢であることから頻繁な来日出廷は困難だったので、実際は新美、田中、林が原告の主導権を握った。1997年、東京地方裁判所は訴追期間の20年を経過しており、時効であるとして訴えを棄却した。原告は東京高等裁判所に控訴したが、原告となった元作業員らの証人尋問は行われず、新村正人裁判長は和解を勧告した。

和解

2000年11月29日に東京高裁で和解が成立。被告の鹿島側が5億円を「花岡平和友好基金」として積み立て救済することで決着が図られた。和解の内容は、以下の通りである。

1.当事者双方は、1990年7月5日の「共同発表」を再確認する。ただし、被控訴人(被告。鹿島のこと)は、右「共同発表」は被控訴人の法的責任を認める趣旨のものではない旨主張し、控訴人らはこれを了承した。

2.鹿島は問題解決のため、利害関係人中国紅十字会に5億円を信託し、中国紅十字会は利害関係人として和解に参加する。

3.信託金は、日中友好の観点に立ち、花岡鉱山現場受難者の慰霊及び追悼、受難者及び遺族らの生活支援、日中の歴史研究その他の活動経費に充てる。

4.和解は、花岡事件について全ての未解決問題の解決を図るものである。受難者や遺族らは、今後国内外において一切の請求権を放棄する。原告以外の第三者より、鹿島へ花岡事件に関して賠償請求が行われた場合、中国紅十字会と原告は、責任を持って解決し、鹿島に何らの負担をさせないことを約束する。


この和解は、成立直後から日本の戦後補償を実現していく上で「画期的」なものとする報道が多かったが、野田正彰の取材によれば、この和解は弁護団側の独断によるもので、原告の本意ではなかったという。耿は、鹿島の謝罪を絶対条件とし、記念館の建設も希望、賠償額は譲歩してもよいと、田中らに意見した。耿は、和解の受け入れを迫る新美らに、負けても損害はないことを確認した上で「和解を受け入れなければ負けるというなら負けよう、負けても妥協せず、踏みとどまるならば道義的には勝利したことになり、百年後(暗に死後を意味する)も彼等の罪業を暴く権利がある」と意見し、和解には同意しないが黙認するという態度を取った。

しかし、新美らは和解を急ぎ、鹿島の出す金は賠償金ではないことも法的責任を認めないことも伏せ、和解の正文は伝えられなかった。耿は和解の内容を知ると「騙された」と怒り、耿など原告・遺族の一部は「献金」の受け取りを断ったという。また、2001年8月には「屈辱的和解」に反対する声明を出した。耿にとってこの結果は全面敗訴に他ならず、その上謝罪のない金を受け取ることは侮辱でしかなかったのである。

野田がこのことを毎日新聞[6]に寄稿すると、田中と林は野田に会いたいと人を介して伝え、会談した。田中は「直前に北京に出向いて骨子を示し、耿諄さんらの了承を得た」と主張し、林も「耿諄はすっかり英雄になったつもりでいる」と耿を批判した。さらに「耿諄は中山寮で人を殺しており、苦しんでいるはずだ」「耿諄はすっかり痴呆化しているそうだ」とも述べたという。野田は「田中らは負けて何も得られないよりも、どこかで妥協しカネを貰っていくのが幸せなのだ」と確信して疑わず、その結果原告の思いを軽視したと批判している。これらの野田の主張に対して、田中は同じく『世界』に「花岡和解の事実と経過を贈る」とする文章を寄稿し「野田は和解の基本的な事実経過について誤解しており、和解条項について原告団の了解を得ている」と反論した。

中国紅十字会に信託された補償金

その後「花岡平和友好基金」として中国紅十字会に信託された5億円は被害者本人やその遺族に支払われたが、千龍網が報じたところによると、補償金を受け取ったのは全被害者のうち半数の500人程度で、受け取った額も当初支払いが予定されていた額の半額程度だったという。中国紅十字会は基金の残高や用途について発表しておらず、中国国内では「基金の半分は中国紅十字会が自らの手数料として差し引いた」との見方もある[7]。中国紅十字会はこれを否定しているが、花岡事件を描いた著書『尊厳』の著者である李旻は「中間で巨額の資金が消え、金はどこに行ったか誰も知らない」と指摘している。


日本政府に対する訴訟

その後、花岡事件などに関連して、当時花岡鉱山などで強制労働に従事していた中国人の元労働者とその遺族らが、日本政府に対し計約7,150万円の支払いを求める訴訟を、2015年6月26日に大阪地方裁判所に起こした。同事件に絡んで日本政府を訴えるのは初のケースとなる。原告らは「中国人を拉致・連行し、強制労働に従事させた上、戦後も事実の隠蔽を続けた」と主張。また、劣悪な労働条件などが事件の背景として存在するにもかかわらず、憲兵などが拷問・弾圧を加えたとも主張している[8]。

2019年1月29日、大阪地方裁判所(酒井良介裁判長)で判決があり、請求を棄却した[9]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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花岡事件の証言
http://kisarazu.org/?page_id=62
戦時後期におきた花岡事件、日本人が知らなくてはならない昭和史の貴重な証言だと考え、抜粋して掲載しました。

著書には花岡事件に関わった人たちの戦後が書かれていますが、「本当の昭和史」編纂にあたって、なにより事件の被害者の証言に重点を置きました。

日本は本当に戦後が終わったのでしょうか?

歴史を正しく検証して、後世に伝える努力を全ての日本人に期待します。


前文省略〜

1971年9月5日、9月にはいった北海道は、すでに秋の気配が濃くなっていた。札幌市にある小さな中華料理店「北京飯店」の二階の一室に差し込んでくる暮れ時の陽にも、秋のおとずれがひそんでいた。

 この日の朝から、李振平・林樹森・劉智渠さんの三人から、わたしは話を聞いていた。三人とも太平洋戦争中の1944年に中国で日本軍に捕えられ、日本に強制連行されて秋田県の花岡鉱山で働かされたが、敗戦後は花岡事件の裁判の証人として日本に残され、そのまま日本に永住している人たちであった。花岡事件の起きた秋田県に生まれ、十年ほど前から強制連行されてきた中国人や花岡事件を調べてきたわたしは、その生き残りである三人をようやくの思いで探しあてて、林さんのお店の一室で話を聞いていた。

 振平さんも樹森さんも智渠さんも、温和な、礼義の正しい人たちであった。たどたどしい日本語で、二十数年前の記憶をさぐりながら話してくれた。しかし、次第に話が進んで花岡鉱山での強制労働に移り、日本人の補導員にささいなことから殴られ、蹴られて、仲間たちが次々と死んでいく場面になると、三人の目に涙がひかり、こぶしでテーブルを叩きながら語りつづけた。口調が激しくなってくると、中国の言葉になったが、語りつづける三人には聞き取りをしているわたしのことは眼中になくなり、二十数年前のいまわしい記憶をえぐり出してくるように語りつづけた。

 三人の話の一つ一つが、日本や日本人に突きつけている戦争責任の刃であった。わたしは三人の話の重さをからだで感じながら、ふと、二十数年前の一つの記憶を思い出していた。

 三人が強制連行されてきた花岡鉱山と同じ秋田県北の小さな村に、わたしは1935年に生まれた。太平洋戦争がはじまった1941年に国民学校へ入学し、敗戦の年は五年生であった。田植が終わってまもないある日、中国人の俘虜たちが花岡鉱山で暴動を起こして、わたしの村の山奥にも逃げてきたという話が、村中に伝えられた。花岡鉱山とわたしの村との間には、幾重にも重なった山と深い谷とがあるのに、それを越えて逃げてきたのだった。逃亡してきた俘虜たちは、山菜取りに行った娘を焼いて食ったとか、山奥の農家から牛や馬などを盗んで食っているという話も伝わり、村の人びとは恐怖にふるえあがった。

 日中は村中の男たちが動員されて、カマや竹ヤリなどを持って山狩りに歩き、夜になると山から集落に通じている道々にたき火をして夜警がついた。家々では竹ヤリを何本もつくり、食事の時は障子に立て、野良仕事に出る時は持って歩いた。寝る時は枕元に竹ヤリやナタなどを置き、いざという時にはいつでも手に持てるようにした。暗くなると外出する人もなく、空襲に備えて薄暗くした電灯の下に集まり、息を殺したようにひっそりとしながら夜を過ごした。

 こうして恐怖の日が三日ほどすぎて、山奥の炭焼き小屋にひそんでいた二人の俘虜が捕えられた。その晩は竹ヤリもナタも土間に置かれ、村中は喜びに湧いた。

 その翌日、捕えた俘虜を見に来いという知らせが役場からきたので、わたしの分校でも五年生以上の児童が、六キロも離れた本村まで見に行った。役場前の焼けつくような土の上に坐らされている中国人は、大勢の人が囲んでいるのでよく見えなかった。じりじりと照りつける太陽の下で、両手をうしろにして縛られている裸の上半身が、人垣が揺れるたびに見えた。かつかつガツガツに痩せたからだをおおっている肌の色は、人の肌には見えないほど汚れていた。

 「チャンコロのバカヤロー」
 「ぶっ殺してしまエー」

 周囲の人垣から、さかんに罵声がとんでいた。中国人は日本の敵であり、日本人を殺して食った鬼のような人間だということを頭から信じていたわたしたちは、先生の号令に合わせて、「チャンコロの人殺し」と叫びながら、中国人を囲んでいる人垣の外を、何度も何度も廻った……。

激した口調で語っている三人の前で、二十数年前の記憶を思い出しながら、「わたしも加害者だったのだ」と、胸が痛んだ。三人のそばにいることが耐えられなくなり、部屋からとび出していきたい衝動にかられた。「お前は聞き取りという第三者みたいなことをやっているが、それでいいと思っているのか」と、自身を責め立てられてならなかった。 

この日の一日にわたる聞き取りのあとも、聞き洩らした部分や不足な点を聞くために、何ども札幌に三人を訪ねた。この間に日中国交回復も行われたが、その時の三人の喜びようはたいへんなものであった。

しかし、それと同時に、中国での日本軍の戦争処理はもちろんのこと、日本国内での戦争処理にも頬っかむりをつづけている政府に対する三人の怒りは、非常に強かった。国と国との国交は回復したが、それを支える一人ひとりの両国民のつながりが回復する根になるのは、自分たちが過去に犯してきた行為に、ちゃんと後始末をつけるのが第一だという意味のことを、三人からきびしい口調で言われた。まったくそのとおりである。私は言葉もなくうなだれるよりなかった。

花岡事件が起きた大館市の人々のなかにも、「あれは戦争が生み落とした事件であり、いまさらそんなことを掘り出してなんになる」という空気が非常に強い。私はここ十年ほどの間に、何十回となく現地に足を運んできたが、この事件に取り組んだ当初も現在も、その空気はほとんど変わっていない。むしろ、この傾向が強くさえなってきている。というのは、なんらかの形で中国人の強制労働や花岡事件に関係のあった人たちが、地元の政界や実業界などのトップに立っている人が多くなっているために、「臭いものには蓋」式になっているのである。また、あの忌わしい事件には触れたくないと思っている人や、秋田県の恥だと考えている人も多く、わたしも直接に、あるいは間接に、「花岡事件をいじくりまわしていると、君の将来にとってプラスにならない」と、何度も注意された。

この著の中心をなしている三人の話は、三人の生き方の強さ、戦争のむごたらしさと同時に、わたしたち日本人に、戦争責任とは何か、人間が生きるとは何かということを、日常の生活感覚のなかで「問い」かけている。その「問われ方」は、人によってさまざまであろうが、問われたからといって、すぐに答えなくともいい。なによりもまず、三人の話の事実に「問われてほしい」という願いを込めてまとめている。

著者 野添憲治   1975年

中国人強制連行の証言記録

前文中略

東条英機内閣決定事項
昭和17年11月27日 華人労働者内地移入に関する閣議決定
昭和18年4月〜11月 華北労務者内地移入実施要項にて試験移入
昭和19年2月28日 華人労務者内地移入の促進に関する件、時間会議決定

「労工狩り」の実態

 次官会議で「華人労務者内地移入ノ促進二関スル件」が決定したことによって、中国人労務者の移入が本格化していくのだが、現地で労務者を集めるのを「労工狩り」といった。しかし、実際には、中国内で労働者を集める労工狩りは、軍部の手によって日中戦争のころから大々的におこなわれていた。とくに、北支方面軍司令官の多田駿が、1940年8月から10月にかけて八路軍との大戦で大損害を受けて首になり、1941年に岡村寧次が司令官となって、三光政策〈殺光(殺しっくす)、焼光(焼きつくす)、略光(うばいっくす)〉を実施するようになってから、いっそう苛酷をきわめるようになった。

 1941年8月下旬から9月初旬にかけて、中国華北の山東省博山西方地区で北支那方面軍一二軍の手で実行された博西作戦の労工狩りは、次のようなものであった。

真夜中の一二時、たたき起こされた私たちは、『こんどの作戦は、土百姓どもを一人残さず全部つかまえるんだ』という中隊長池田中尉の怒号のもとに、重い足を引きずりながら歩きつづけ、ようやく夜が明けたころ、風一つなく朝餉の煙が真っ直ぐに立つ、平和で静かな二百余戸の部落の近くに中隊は停止した。しばらくして分隊長松下伍長が、小隊長のところから帰ってくるなりいった。

 『オイツ、出発だ。部落にはいったら、片っぱしから老百姓(中国での農民の俗称)をとっ捕まえるんだ。いいか・・・。』というが早いか、道に半分あまり倒れている高梁の幹を、ブキブキ踏み倒し、部落に向かって歩き出した。

 分隊が部落にはいると、静かであった村が、カタカタ、ドンドン、バタクバタリ、ガチャンガチャンと、急に暴風でも来たように、一瞬にして嵐に化した」
※大木伸治「労工狩り」『三光−日本人の中国における戦争犯の告白』(光文社刊所収)

 こうして日本軍は、中国人の男を見つけるとかたっぱしから捕え、中国の東北地方や華北の鉱山、港湾荷役、軍事基地に連行して働かせていた。また、労工狩りで捕えられた中国人のなかには、初年兵の度胸試しの材料にされて、殺されていった人も多かった。

 中国での人狩り作戦は、二つの目的を持っていた。一つは、人狩りによって捕えた中国人を労務者として使う一方、奪った食糧は日本軍が現地補供として食べていた。もう一つは、日本軍の勢力の薄い地区を無人無物に近い状態にして、中国の抗戦の主体である八路軍を弱体化させる、という目的を持っていた。それだけに、1942年の閣議で中国労務者の内地移入が決められると、それを錦の御旗として労工狩りは激化していった。

 しかし、なんの罪もない中国の民衆が、暴風のような一瞬の労工狩り作戦に襲われ、夫や息子を奪われ、妻子を強姦や足蹴で痛めつけられ、食糧を持ち去られるうえに家まで焼き払われるのは、悲惨そのものであった。さきに引用した博西作戦の労工狩りは、次のようにつづいている。

 私たちは、隣の家の中を、つぎつぎと手当たりしだいにひっくりかえして見たが、ここでも、四十すぎと思われる女と、七、八歳の男の子が、隅のほうにちぢこまっていた。あせった私たちは、庭の隅まで、置いてあるものは全部放り投げた。奇麗に丸め、積み重ねた高梁を、半分あまり銃剣で突き倒していた時、私は手に異様なものを感じた。

 『おいツ、阿部、何かいるぞー』半ば後足で、おそるおそる、そっと高梁の束をかきわけた。一ツニツ三ツ目のとき、『アッ』私と阿部は後に一歩飛びさがった。そこには、日焼けした真っ黒な顔に、何か強い決心でもしているかのように、唇を噛みしめた四十歳(ぐらい)の男がうずまっていた。手に何も持っていない老百姓風と見た私は、おどろいて後にさがった姿勢をとり直すと、『コノ野良ッ。ビックリさせやがる。オイッ、阿部ッ、こいつは民兵かも知れんぞツ』と、いきなりグルグル巻きに縛りつけた。

手当たりしだいに引っ掻き回す暴行を、不安気にジッと見ていた先刻の女は、『快走々々』(早く歩け)と蹴り飛ばされ、罵倒されながら引きずられて行くこの姿を見ると、地面に頭を押しつけ、『老百姓老百姓大人々々』と声をあげて泣きながら、何か哀願している。子供は、銃剣の恐しさも忘れて、男の足にしがみついて、言葉のわからない私でも、この母子が何を訴えているのかわかった。『コンチクショウッ。こいつがこの野良を隠したんだッ。助けてくれなんてもってのほかだッ』

 私は、泥靴で女の肩から首筋を力まかせに踏みつけた。しかし、女は、『大人々々』と、何度も何度も頭をさげて泣いて哀願していたが、最後にもうどうにもならない。と見たのか、這うように家の中にはいって行くと、ボロ布に包んだ煎餅を両手で抱え、だいじそうに持ってくると、男の腰紐にくくりつけようとしがみついた。

 私たちはこれを見ると、『このあまツ、嘗めやがって。チェッ、人間並みに人の前でいちゃつきやがってツ』女の手より布包みをもぎとると、私は、『こんな本の葉っぱみたいなものを食っていやがるのかツ』と地べたに叩きつけ、軍靴で蹴り飛ばした。楊柳の葉がまじった煎餅がほうぼうに散った。子供を抱えるように、踏みつぶされた煎餅を、両手で地に伏し抱いている女の目から落ちる大きな涙は、ポタリポタリと煎餅の上に落ちている。

 『大人々々』土にまみれた煎餅を寄せ集め、哀願する女は、ジッと奥歯を噛みしめ、足にすがる子供をじっと見つめ、何か言っている男の顔を見ては、声をあげて涙を流していた。白酎の小ガメを片手に、先刻の婦人をいままで強姦していた小川が、のっそりはいって来た。

 『何をしているんだツ』キョロリとあたりを見回した。

 『ハア、こいつを連れて行こうとしたら、しがみついて離れないんです』私は、子供を殴りつけながら小川に言った。

 『馬鹿野良ッ。大の男が二人もかかって何をしているんだッ。手前ら嘗められているんだッ。そのガキも連れて行けッ。背のうぐらいはかつげるだろう』

 男にしがみついている子供の襟首を、わし掴みに表に引きずり出した。

 『大人々々、小孫(子供)、老百姓』と、気が狂ったように女は絶叫して、子供の足にしがみつこうとした。

 『ええい。うるさいアマだッ』私は阿部といっしょに女の横腹を銃床でドーンと突きあげた。

 こうして部落の隅々から、畑の中から荒らしまわった私たちは、十二時すぎ、部落の一角に中隊が集合した。腰の曲がった老人から子供まで150余名の老百姓が、取り囲んだ銃剣の中に坐らせられている」(大木伸治「労工狩り」『三光』)

 このような労工狩りは、日本の軍隊の手で中国のあらゆる所でくり返されていた。そのなかでもとくに労工狩りがひどかったのは、1942年9月から12月にかけて山東省でおこなわれた二一軍作戦であった。この時は大包囲作戦(うさぎ狩り作戦とも言った)という戦法をとり、包囲の網をだんだんと縮めていき、そのなかにいるものは敵兵であろうと住民であろうと、全部を捕虜にするというものだった。このうさぎ狩り作戦は、次のようにして実施された。

 「その作戦には、中国には真鐘の洗面器が多いのですが、その洗面器を持って、兵隊の銃を肩にかついで洗面器を叩いて歩き、それで海岸線や鉄道沿線に向って押したわけです。洗面器を叩いて一里歩くところもあるし、二里のところもあるし、それで部隊のぽうぽうで火が燃えるわけですよ。部落から部落をずっと押して行って、一八歳から四五歳までの男を全部集める。それと山羊、牛、豚、真鐘類を全部集めるわけです。部落民にそれを全部持たして一定の地域に集合させるわけです。

 そこに軍のトラックがきて、山羊は山羊、真鐘は真鐘、人員は人員でまと砂て連れていくのです。つまり戦闘が目的ではなく、物資掠奪と人員の徴発が目的なんです。これを10月から12月の末まで二ヵ月やったわけです。その集めた人はどうなったかというと、青島に相当大きい体育場があるわけですが、集めた男を収容したんです。しかし、そこに入りきれないで、第一公園の競馬場に入れたわけです。その数は何千だか何万だかわからんのです。それが青島から船でどっちに行ったのかわからないのですよ。花岡鉱山で中国人の捕虜が死んだということをきいたんですが、その人達は実際は捕虜じやないわけですよ。実際は捕虜でもなければ八路軍でもない農民ですよ」(大野貞美「真相」1958年6月号)

その後も日本軍は、「一九秋山東作戦」(昭和一九年秋山東省での作戦の意味)、「二〇春山東作戦」を次々とおこなって、大々的な労工狩りをしていった。逃げる者や反抗する者は射殺するように命令されていたので、収容所に引致される前に殺害された人も多かった。次の証言もそのことをよく示している。

 うさぎ狩りで捕えられた中国人はうしろ手に縛られ、「われわれの自動車隊のトラックによって運ばれた。まがり角やなにかの所で、トラックの速度がにぶると、彼らのうちのあるものは脱走を企てた。だが、彼らがトラックからとびおりてかけだせば、すぐトラックの上から日本車の機関銃や小銃にねらいうちされ、死んでいった」(元独立自動車第六四大隊の一下士官の証言)

 こうして狩り集められた中国人は、青島捕虜収容所をはじめ、済南・石門・大同・北京・郁鄙・徐州・塘浩の収容所に集められた。このうち青島と塘活は日本への乗船地なので、他の収容所にいれられた人たちも、日本に連行される時はこの二つのどれかに集結された。どれも北支那方面軍が直接に管理する収容所で、所長には軍人がなり、門には日本軍の衛兵所があり、着剣した兵隊が守っていた。収容所の周囲は電流を通じた鉄条網で囲んであるほか、さらにトーチカで囲み、二人の兵隊が絶えず巡回していた。運よく生きたまま収容所にいれられても、日本車に捕えられた瞬間から、中国人の生命はないも同様であった。しかも、その捕虜収容所の生活がまた、たいへんなものであった。

当時、第五九師団の陸軍伍長だった五十嵐基久は、済南捕虜収容所の模様を次のように証言している。

 「収容所の中には土間にアンペラがしいてあり、捕虜にされた中国人たちはそこに寝おきしていた。寝具はなく、暖房も全くなかった。中国人の医者と称する者がいたが、病気になっても、殆どほうっておいた。

伝染病らしくなれば病舎という物置小屋のようなところに隔離した。死ねば穴に投ぜられた。中国人たちを収容所の外に出すようなことはほとんどなかった」また、日鉄鉱業釜石鉱業所の出張員が中国人を連行してくるために青島収容所に行った時の模様を、「バラック建てで40〜50坪のところに700〜800名をおしこみ、暖、冷の処置なく疲労と寒気のため病人続出、その中より死亡者多数が出ていた」と語っている。50坪の小屋に800人が収容されていると、どんなにすくなく見ても一坪に16である。すし詰めにしないと、収容できるものではない。

 捕虜収容所に集められた中国人は、日本へ連行される直前に、財団法人華北労工協会・日華労務協会・国民政府機関・華北運輸公司・福日華工会社などの、強制連行を代行している統制機関に渡された。そのあと日本政府は、厚生省が指定した全国135事業所とのあいだに、「供出」と「使用」の契約書をとりかわしている。中国から乗船した数は3万8935人だが、「外務省報告書」によると、死亡者は次のようになっている。

 日本に上陸するまでの船内で564人が死亡し、さらに上陸後に、135事業所へ到着するまでのあいだに、248入が死亡している。各事業所に到着したのは3万8213人であった。連行される途中でもいかにひどい取扱いをしたかは、死亡したこの数字からだけでも知ることができる。

 しかも、どうにか各地の事業所に到着することができた中国人たちも、日本の企業や日本人の残虐非道な扱いのなかで、次々と犠牲となっていった。敗戦後の1945年12月7日に集団送還がされるまでに、事業場内死亡5,999人、集団送還後死亡19人の合計6,830人もの中国人が殺されている。乗船した総数3万8,935人にたいし6,830人が死亡しており、死亡者の比率は17・5%にあたる。しかも、そのうちの4,000柱近い遺骨がまだ日本全土に散らばっているほか、約500入を越すと推定されている日本に
残った中国人は、いま、各地でひっそりとこの世に生きていると見られている。

 これが中国人強制連行のあらましだが、中国人労務者を導入した135事業所のなかでも、秋田県北にある同和鉱業花岡鉱業所の工事を請負っていた、鹿島組(現在の鹿島建設)花岡出張所に連行されてきた中国人の死亡者がとびぬけて多いのである。三回にわたって花岡鉱山に連行されてきた986人のうち、死亡者が418入と、他の事業所に比べると、比較にならないほどの高率なのである。もう一つは、3万8,935人の中国人を連行して、6,830人も死亡させながら、不充分な形でも敗戦後に裁きがおこなわれたのは、花岡鉱山の鹿島組関係者だけだったことである。花岡鉱山でだけなぜ裁判が実施されたのかであるが、日本が敗戦となる約一ヵ月半ほど前の1945年6月30日の夜に、あまりにも少ない食糧や補導員たちの虐待に中国人が蜂起したからであった。蜂起の後処理が残虐をきわめ、数日間のうちに100人近い死亡者を出
したほか、蜂起の指導者たち13人は秋田市の監獄に押送され、国防保安法第十六条による戦時騒擾殺人罪で、無期懲役などの判決を受けたのだった。

 だが、敗戦後に日本へ駐留した米軍によって、今度は花岡鉱山の鹿島組関係者が逮捕され、米第八軍軍事法廷は、三人の補導員に絞首刑、鹿島組花岡出張所長に終身刑、大館警察署長と巡査部長には重労働二十年の判決を下した。だが、1953年頃にどの人も仮出所して責任はあいまいになったほか、連合軍裁判では、もっとも責任が重いはずの鹿島組社長をはじめとする日本建設工業会に所属する各社の最高責任者、華北労工協会などの労務統制機関の責任者、鹿島組の労務員、蜂起して山の中に逃げこんだ中国人を竹ヤリなどで殺した在郷軍人・青年団員・警防団員などは、裁判からはずされてその責任を問われることがなかったのである。

 花岡鉱山に連行された中国人の中から、裁判の証人として23人が送還されずに日本へ残された。しかし、裁判が終っても中国に帰らずに、そのまま日本にとどまった方が4人いる。北海道の札幌市にいる李振平(旧李光栄)・林樹森(旧劉当路)・劉智渠(旧劉沢)の三氏と、大阪にいる宮耀光氏の四氏であったが、1973年9月に林樹森氏が亡くなっているので、現存者は三氏である。 

    この記録は、宮氏を除いた三氏からの聞き書きが主体となってつくられている。

中国から花岡鉱山へ

「戦争と花岡鉱山」

 花岡鉱山は秋田と青森の県境にひろがる鉱山地帯にある、中規模のヤマでみる・この鉱山がその姿をあらわしたのは、他の鉱山にくらべると遅く、1885年に地元の人によって発見されてからだった。その後、鉱主も何度かかわったり、採掘が中止になったり、また再開されるという歴史を繰り返して、1915年に合名会社藤田組に経営が移った。その翌年から新しい鉱床が続々と発見されて大鉱山に成長し、1944年には花岡鉱業所として独立している。

 花岡鉱山は鉄道から距離的に近いうえに、良質の銅・鉛・亜鉛などを産出するので、採算のとれる鉱山として知られていたが、日中戦争がはじまったころから、軍需産業として生産が拡大されていった。太平洋戦争に突入すると、いっそう大幅な生産が要求されるようになり、1942年には花岡鉱山そのものが軍需工場に指定されて、月産3万トンから5万トンの生産が義務づけられ、増産につぐ増産がつづけられていった。

 だが、設備の不備、機械の不足、施設の老朽化などによって、産出量はなかなか伸びなかった。しかし、生産目標の達成は軍部からの至上命令であり、それがまた企業の利益とも結びついていたため、目標達成のために大量の人力を投入しなければならなかった。花岡鉱業所に残されている資料によると、鉱山の稼働員数は戦争が激化してくるにつれて、表1(下の「花岡鉱業所稼働工程表図」にも見られるように増大していった。とくに、最大の労働力を擁した1944年前後には、1万3,000人もの稼働人員を数えることができた。


◆その当時の稼働人員の内訳をみると、次のようになっている。

直轄人4,500人
朝鮮人4,500人(延べ人員)
徴用工
 挺身隊300〜400人
 勤奉隊300〜400人
 学徒隊300人
俘虜米人(英豪人含む)300人(最大の時は480人)
華人徴用工(東亜寮)298
諸負業者人夫 1,500人

となっている。鉱山労働者以外の人たちが、いかに多く鉱山労働に狩り出されていたかがわかる。

 さらに戦争が激化してくるにつれて、鉱山労働者も兵役につくようになったほか、怪我や病気などで入坑できなくなった坑夫の補充ができないために、労働力不足はいっそう深刻になっていった。そのため、徴用工の名目で国内から
狩りだされた寡婦・娘・少年たちまでが鉱山に動員され、15歳前後の少年たちや、20歳前後の娘たちまでが、坑内での地下労働を強制されるようになった。花岡鉱山ではこのように労需に追われて生産をあげるという形で、厖大な利益を確保している鉱山経営からすると、日本人も朝鮮人も働く道具の一つにすぎないことを、この事実は語っている。

 七ツ館事件後も、花岡鉱山では乱掘をつづけたが、いくつかの坑道の上を流れている花岡川の流れを変更しないと、七ツ館坑以外でもいつまた陥落が発生し、落盤や浸水などによって、発掘が中止されかねない事態になっていた。この危険を取りのぞくには、花岡川の流れを大幅に変更する必要があり、鉱山では水路変更計画を立案した。しかし、この水路変更の工事が火急を要することはわかっていても、増産に追われるだけで精一杯の花岡鉱山の手では、工事をおこなうのはムリな状態であった。そこで、鉱山採掘の一部を請負っている鹿島組に、この水路変更の工事を請負わせることになったが、鹿島組にしても新規の工事に労務者を集めてくることは不可能であった。この時に鹿島組で目をつけたのが、日本への連行が本決まりになった中国人労務者を使用することだった。

 鹿島組花岡出張所が、敗戦後に外務省へ提出した「華人労務者就労顛末報告」のなかで、その経過を次のように説明している。

 「工事を緊急きわまる短期間内に完成しようとしたため、大量の労務者を必要とし、その獲得に努力したが、時あたかも国運をかける大東亜戦争中期から後期におよび、日本人、朝鮮人労務者の充員はまったく至難の状態にあり、この唯一の解決策として昭和17年11月27日、日本政府決定による『華人労務者内地移入二関スル件』にもとづいて、華人労務者の急きょ移入就労をはかり、可及的速やかに工事竣工を期そうとした。そしてこの導入方針として、本社ならびに受け入れ事業場においてしばしば移入方針ならびに対策にかんする打合会を開き、内務、外務、厚生、軍需など関係各省の指示、指導事項にもとづいて慎重かつ万全を期し、統制団体である日本土木統制組合の援助と斡旋をうけ、現地供出機関である華北労工協会との契約諸項を遵守履行しようとつとめた」

 この報告書は全体にわたってあまりにもそらぞらしく、しかも責任のがれに終始した書き方をしているが、ともかく強制連行されてきた中国人は、こうして花岡鉱山の鹿島組花岡出張所に収容されて働くことが決まったのだった。

〜証言


李振平 
1921年に河北省河間県に生まれる。小学校卒業後に三年間ほど農業を手伝ったあと、人民解放義勇軍に入ったが、日本車に捕えられ、花岡鉱山に強制連行される。花岡鉱山では第一中隊第二小隊長として強制労働に従事。蜂起の時は主謀者のI人となり、秋田刑務所に入れられるが、敗戦後は裁判の証人として日本に残る。中国代表部で衛兵の仕事をしたあと、東京や横浜などを転々と仕事をかえて移り住み、1956年に札幌に移る。札幌でも職をいくつかかえたあと、中国貿易輸出入の会社をつくり、現在はその社長をしている。

妻のほかに一男一女の子どもがある。

林樹森 
1917年に河北省寧普県に生まれる。小学校卒業後、会社勤めをしながら医者になる勉強をつづけ、やがて人民解放義勇軍に身を投じて医療の仕事に従事中に日本軍に捕えられ、花岡鉱山に強制連行され、看護班の仕事をした。敗戦後は病人の看護のために日本へ残り、そのまま裁判の証人となり、のちに中国代表部の衛兵の仕事をする。代表部を1953年にでてすぐに札幌に渡り、数々の仕事を転々とかえたあと、食堂を営む。1973年9月のある日、病苦と食堂の経営不振から服毒して自殺を図ったが、発見が早く助かるが、
9月26日に肝臓疾患に急性肺炎を併発して死亡。なお、知人たちがカネを出しあって、1973年の暮れにははじめて中国に行くことが決まっており、ふるさとの中国では二歳の時に生き別れた長男が、三十年ぶりの再会を待っていた矢先の死であった。死後には妻と中学二年生を頭に三人の子どもが残された。

 劉智渠 
1920年に河北省薪県郡均鎮に生まれる。小学校卒業後は。家業の農業に従事。十七歳で人民解放義勇軍に入る。一時、家に帰って農業をやり、二十歳の時に再び解放義勇軍に入り、日本軍に捕えられて、花岡鉱山に連行される。花岡鉱山では看護班に所属し、敗戦後は裁判の証人として日本に残る。1964年10月に札幌に渡り、小さな屋台店から商売の仕事に入り、現在は新山観光株式会社の社長をしている。1951年に中国人俘虜犠牲者善後委員会が発行した「花岡事件」は氏のロ述によるもので、もっとも早く花岡事件の全貌を伝えた貴重な記録である。妻と一男一女がある。

李 
わたしね、1921年7月15日に河北省河間県に生まれたが、小さい時のこと、あまり覚えていないからね。小学校に入って終わったのが16歳の時で、中学校に行くつもりだったけど、もう日本の兵隊が毎日来るから、とても学校に歩いてられないでしょ。わたしだけでなく、ほとんどの子どもたち、そのために学校にいくのやめた。わたしの家、普通の農家だったので、農業の仕事手伝っていたが、一ヵ月のうちの半分は逃げていた。日本兵が襲ってきて、逃げなくてはダメだから、仕事にならないの。それでも三年くらいは農業の手
伝いしていたが、日本兵の来るの、だんだん多くなって、まったく仕事にならなくなってしまったさ。


 林 
日本兵、襲ってくるでしょ。逃げおくれて殺されたり、捕えられて連れていかれた同じ年ごろの人、かなりいたさ。
 李 友だち殺されたり、肉親を殺された人など、多かった。どうせ、毎日逃げとるでしょ。若い時だし、戦いしないとどうしようもないので、戦うこと決めた。いちばん最初に入ったのは人民解放義勇軍で、賀竜の部隊であった。それからゲリラになって、あっちこっち転戦して歩いたが、その間に、わたしたちの部隊のなかで、何百人も死んでしまった。ゲリラの戦いは、苦労ばかり多い。村に行くと、日本兵に見つかるから、行けないでしょ。夜中にこそっと行っても、村の人たちみんな逃げていない。家に残ったもの、日本兵来てみんな徴発して、なんにもない。腹減ってくると、ドロ水飲むね。死んだ人の上を、靴で踏みつけて歩く時もあるさ。ベトナム人の苦しみ、自分の体験とおしてよくわかる。戦争ひどいよ。

 林 
中国に来た日本兵、悪いの人多いよ。わたしの村に日本兵襲ってきたとき、妊娠している女の人を、何人もの日本兵が追いかけた。妊娠している人よく走れないよ。すぐつかまって、中国人も見てる前で、何人もの日本兵が強姦する。それ終わると、銃の先についた剣で妊娠した女の腹裂いて、赤子とりだすと、銃の先に刺して振りまわして、みんなで笑ってる。

日本兵、犬畜生より悪いね。あんなことばかりした日本兵、日本に帰ってきて、自分の家庭に入って、どんな顔して生きとるのか思うと、こわい感じするね。
 李
 1941年の春、わたしたちのゲリラ部隊、日本車に包囲された。包囲された距離、だんだん狭くなってくる。そのとき、わたしたちの部隊、鉄砲のタマも満足になく、武器も使えなくて、一週間でみんなつかまってしまった。あのとき、だいぶつかまった。つかまった人どれくらいだったかは、あっちこっち連れていかれて一緒でなかったので、よくわからない。一ヵ所にまとめられて、収容所まで歩くとき、何十人、何百人かがひと組になって連れていかれ、あっちこっちの収容所に入れられた。あのとき捕えられた人のなかで、中国の
東北の炭鉱に連れていかれた人も、だいぶいた。わたしと一緒に、石家荘の収容所に連れてこられたのは、十数人だったが、日本に連れてこられたのはわたしひとりだけね。石家荘の収容所には、1,000人くらいの人、つかまって入っていた。収容所は、日本軍が管理してた。わたしらいる時、収容所から逃げたの二人いたが、一人はすぐに銃で撃たれたね。一人は逃げたが、まもなく捕えられて収容所に連れてくると、みんなの見てる前で殴られたり、蹴られたりして、殺されたね。見せつけね。日本に連れてこられる時、石家荘の収容所の生活あまりひどく、みんなからだ弱っていた。からだ悪い状態のまま、日本に連れてこられた。 自分で立って歩けないような、からだの弱っている人ばかり、日本に来たさ。


 林
 わたしも石家荘の収容所に二ヵ月半ほどいたが、あそこでみんなからだ痛めた。食べもの悪く水も満足にないから、みんな栄養不良になったわけね。

李 収容所の食べもの、コウリャンのご飯と、醤油少し入ったスープだけね。それも一日に二回だけで、野菜や塩など、ぜんぜんないからね。あのとき、わたしたちなぜからだ悪くなったかといえば、河北省の人、コウリャンは少し食べることあるが、ご飯として食べたことないわけね。コウリャンは、アルコールの精がほとんどでしょ。コウリャンのご飯食べると、大便が出ないの。便所に行って、箸のようなものでえぐると、ポロポロ出てくるわけね。

 河北省では、コウリャンは豚の食べるもの。食べるもの少ないし、食べたものもこうだから、だんだんとからだ悪くなってくるの。そのうちにからだ弱ってきて、歩くこともできなくなってきた。一ヵ月以上も、歩けないでいた。石家荘に二ヵ月ばかりいて、わたしは這いながら、京の収容所に行く汽車に乗ったよ。

林 
北京の収容所で、わたしは李さんと一緒になったわけね。


李 
収容所の中じゃ、わからなかったけどね。石家荘から北京に行くとき、貨物の汽車に乗せられた。逃げられんように、有蓋車に乗せられて、戸を閉めてカギをするから、中にいる人、空気とれないの。あのとき、ちょうど六月の暑い時で、みんな縛られて、貨車の中に投げ込まれたでしょ。ひとつの貨車に25人も入ればいっぱいになるのに、100人以上も投げ込まれたでしょ。みんな豚みたいに、からだの上にからだのせていた。空気あまり入ってこないから、汽車が走ると、板目の狭いすき間からもれてくるわずかな空気に、鼻や口を押しつけてのみこんだね。おなかの方すくのはもちろん苦しいが、水いちばんほしいね。みんな縛られて、水ほしい、水ほしいって、声たてて泣くね。誰か小便あったら、それ自分で飲みたい気持になるの。その苦しみといったら、いまでも忘れられない……。北京の収容所に着いたら、ここはアワのご飯ね。アワのご飯は、河北省の人食べ馴れているし、消化もいいし、ここにIヵ月くらいいたら、どうにか立って歩けるようになった。やはり、栄養不良
で、みんなからだ悪くしてしまったわけね。ちょっと食べものよくなると、すぐ元気になるのだから、食べものがどんなに悪いか、わかるわけね。

中国での林さん

林 
わたしは1,917年に、河北省寧普県に生まれた。自分の家の先祖、みな医者だったが、わたしは、小学校でた16歳のとき、会社に入って働いたの。その会社の空気が、どうもわたしの性に合わない。その会社にあんまりいないで、やめて家に帰って、いろいろ考えてみた。うちの先祖はみな医者だから、わたしも医者になること考えて、こんどは北京に行くと、北京大学の医学部に入って、漢方薬の勉強した。ここで三年ばかり勉強してから、またくにに帰ってきたが、親は医者よりも商人になれと言った。二十歳すぎてから、また会社
に入った。その会社は、日本の綿会社の出張所であった。この会社に一年とちょっといたが、人いった頃は仕事なかなか盛んで、忙しかったね。


劉 
蘆溝橋事件の起きる前は、日本兵来ても、それほど悪いことしなかったね。悪いことやったけど、あんまりでなかった。この事件起きて、中国と日本と戦ってから、もうダメね。日本兵、中国人見つけると、殺して歩くという状態になったからね。
林 わたしね、蘆溝橋事件が起きるまで、綿会社に働いていた。この事件あって、中日戦争はじまったでしょ。そしたら、日本の兵隊毎日まわってくるさ。綿は綿花からとって、日本に輸出していた。戦争はじまって、輸出もできなくなった。会社にいても、仕事ぜんぜんないでしょ。いてもいなくても同じなので、会社やめてさ、また自分の家に帰ったの。家にいると仕事ないから、これからどういうふうに生きるか考えた。わたしの先祖、みんな医者でしょ。北京で医者の勉強したので、その方面で進もうと考えた。本買って読んだり、近所
の医者のところに住込みのようにして働きにいったりして、医者の勉強した。二十五歳のころになると、ようやく病人を診れるようになったさ。ところが、日に日に戦争ひどくなって、田舎の村にも日本兵が朝早くからやってくるさ。逃げれば危ないし、逃げなくとも危ないでしょ。もうどうにもならないさ。村の中にいて、落ち着いて暮らせなくなった。そのとき、考えたね。わたしの先祖や家族で、軍隊に入っている人、ひとりもいない。これではダメだと考えて、わたしは軍隊に入ることにしたさ。戦わないと自分たちの国、守れないからね。ほんとの軍隊ではないけど、八路軍の下に民兵みたいなものあるので、わたしはそこに入ったさ。わたしは軍服も着てないし、鉄砲も持ってないし、大きなカバン持って歩いていた。カバンの中にはいろいろな薬や、注射器など入れていた。そのころ、ゲリラの部隊の人が病気したり、怪我したりすると、あっちの村、こっちの村と、分散して農家にあずかるさ。その村の責任ある人のところに行き、病人のいる農家に行くさ。わたしは病人をみて、治療するさ。わたしがゲリラの部隊に入ったのは、こういう仕事するためだったからね。毎日のように、あっちこっちとまわって、病人をみて歩いたさ。



 わたしはゲリラの部隊にいたから、銃持って戦ったがね。食べもの少ないし、病気になったり、怪我する人も多かったさ。そういう人と一緒だと、戦えないし、逃げられないし、村の農家に頼んで置いていくからね。林さん、その人たちのことみていたわけね。


 日本兵は毎日、ひどいことばかりやってたさ。いまでも忘れられないこと、いっぱいあるよ。ある日の早い朝、昼はあぶないから、わたしは隣の村へ、まだ暗いうちに出発した。わたしが村を出てまもなく、日本兵はわたしのいた村を包囲した。日本兵は一軒一軒の農家襲って、食べものやニワトリなど、片っぱしから奪って車に積む。それから、女の人見つけると、片っぱしから一カ所に集めて、着物を全部はぎとって裸にした。四十人以上もの女の人たちに銃剣向けて、裸の踊りさせるね。まわりに集まった日本兵、その踊り見て、やんやとはやしたてる。恥ずかしさに負けた女の人たち、そばを流れてる川に、走ってとび込んでいく。川を流れていく女たちに、日本兵は鉄砲うってみんな殺したさ。わたし、高い木にのぼってかくれ、その様子見ていたが、あまりのひどさに、涙もでなかった。中国人はこんなこと、決してやらないよ。


 日本兵は男の人と同じに、抵抗もできない女や子ども、それに年寄りも手当たり次第に殺したし、蹴ったりしてかたわにしたからね。戦場になった中国の人たち、いくら被害受けたかわからないよ。


 村を襲う日本兵、まだ人が寝ているような、朝早くにやってくること多いさ。二回目に襲われた時は、山奥の農家にいた。その時は日本兵来たのに早く気がつき、自転車に乗って逃げたが、鉄砲どんどんうってくるので、自転車タマだらけになった。着ていた服にも、タマ当たったね。からだにタマ当たらなかったから、なんとか逃げることできた。だが、三回目の時はもうダメね。日本兵が来たのに気づいた時は、もう村が囲まれていたから、逃げるにも逃げられない。そのまま捕えられたのが、ゲリラに入って五ヵ月目のことさ。わたしは兵士だから仕方ないが、村の家には、兵士でない普通の人たくさんいるよ。日本兵来たとき、「わたし兵士じゃない、民間人だ」と叫んだ人も、みんな捕えられた。日本兵から見ると農民か、普通の民間人か、兵士なのか、よくわからないよ。それに、日本兵は働く人つかまえにくるのだから、男の人とみれば、八歳ごろの子どもでも、六十歳を越した年寄りでも、片っぱしから引っぱっていくのだからね。



 あとでわかったのだが、彼ら日本兵の目的は、人狩りだったからね。


 日本兵につかまった人、みんな広場に集められたさ。どの人も、着のみ着のままで、なんにも持ってないね。みんな広場の土の上に、坐らされたさ。日本兵の偉い人が、何かさかんに言ってるけど、何を言ってるのかぜんぜんわからないの。わたしそれを見ながら、あの人は何を言ってるかわからないけど、いいことではないと考えたよ。実際にそうなったが、わたしにはその時、妻と二歳になる子どもがいたの。もうどうなっても仕方ないさ、と覚悟はしてるけど、やはり心残るね。偉い人の話が終わって、しばらくたってから、向こうの農家の庭先に、土の固まりがあるでしょ。日本兵がその土くれ拾って、坐っている人の上になげるでしょ。その土くれ頭に当たった人をナワで縛り、トラックのそばに連れていって乗せるの。最初はなにやっているのかわからず、おかしかったけど、この土くれが頭に当たったらたいへんね。抵抗なんかできないまま、トラックに乗せられて、連れていかれるのさ。わたしの頭に土くれ当たった時は、目の前が真っ暗になった。トラックに人がいっぱい乗ると、
土くれなげるのやめて、トラックは走ったさ。それから石家荘の収容所に連れていかれて、トラックからぞろぞろ落とされたさ。


 石家荘の収容所に入ったら、みんな同じね。普通の民間人も、八路軍も、蒋介石の兵士もいる。年は八歳ごろの子どもから、上は七〇歳近い老人もいたさ。

林 
わたしの入った石家荘の収容所は、テント張りになっていた。建物の収容所には、つかまった人がいっぱいいて、人りきれないのでテント張ったらしいが、テントは雨露防ぐだけで、まわりには何にもないの。わたしらはここに連れていかれると、着ているもの全部ぬがされてしまったさ。逃走するの防ぐために、裸にしたわけね。夜になっても、土間にアンペラも敷かないし、空いた場所には小便や痰、吐いたものや下痢したものが散らばっているので、横になることもできないさ。食べるものも、一日に二回だけね。コウリャンの飯が小さな碗にもられて、一つだけ配られるの。腹へるし、寒いし、疲れはでてくるし、このまま死ぬんじゃないかと、何回も思ったね。

李 
わたしは建物の中で寝たよ。蒲団はないが、板の上にちゃんと寝たからね。同じ収容所でも、違ってたわけね。

林 
テントの中でも、飢えと疲れと寒さで、死ぬ人多かったよ。夜が明けると、日本兵が巡視にまわってくるさ。地面に横になってる人あれば、軍靴で蹴ったり、棒で殴ったりするね。生きてる人は、それでビックリして立ち上がるけど、死んだ人は動かないからね。死んだ人があると、そばの人に死体かつがせて、収容所のうしろの方に運んでいくわけね。わたしも二回、死んだ人運んでいったが、そこに大きな穴が掘ってあって、穴が死体でいっぱいになると、上に土かぶせるの。野良犬が夜中にその死体を掘りにきて、人間の骨をバリバリと音させて食ってる音、よく聞こえた。石家荘の収容所は、まるで地獄だったさ。

李 
テントの収容所のご飯、どうだったか。

林 
コウリャンの飯と、醤油が少し入って、ニラの刻んだのちょっと浮かんでいるスープだけ。李さんたちと同じね。コウリャン飯食べると、大便でないから、みんな苦しんだ。これでからだ悪くした人、多いね。あとで北京の収容所に行ったら、アワのご飯ね。これは自分たちもよく食べるから、おいしく食べた。これで、わたしもからだよくなったさ。


中国での劉さん

劉 
わたしの生まれたの、河北省蘇県郡均鎮で、1920年のことね。河北省には工業ないから、どの家も農家ね。わずかより土地ないから、中国でももっとも貧乏な地方さ。つくったものは、半年くらいあるかどうか。あと食べるものないから、働かなければならないけど、働く仕事もあまりないよ。小麦の刈る時と、秋の収穫の時に、土地を多く持ってる農家に、日給で働きに行くの。一年に三ヵ月くらいより、働くことできないよ。働いても、食事代くらいのものさ。1937年、数えで一七歳のとき、ゲリラ戦はじまり、わたしも参加した。その当時の中国では、百姓の金持たち、みんなライフルあるからね。10万人とか20万人に警察ひとりよりいないから、治安の維持できないでしょ。畠いくら持っていれば、ライフルー丁持っている義務あったの。そのライフルぜんぶ出して、カネのある人はカネ出して、人あれば人出して、協力して抗日するのやったの。指導者は遠くから来て、わたしたち組織された。武器あまりないから、わたしたちのような少年、なんにも持ってないさ。腕章だけしか持ってないからね。もう少しよくなれば、手榴弾持っているだけさ。はじめのころ、まだ日本の軍隊いなかったが、そのうちに北京方面からやってきた。わたしたち、あまり戦争の訓練受けてないから、日本兵来たら、山の中に逃げた。こんど、日本兵ビラまいたの。手榴弾とピストルを持っていなければ、許されて自分の家に帰れる、過去は問わないということ、ビラに書いてあるの。わたしなんにも持ってないから、こんど家に戻って、また農業やったの。こんな人、多かったよ。だけど、まだゲリラとつながりあるでしょ。わたし少年だから、目立たないけど、大人では恨みのある人、日本兵に密告されるでしょ。日本兵すぐ来て、調べもしないで首を斬る。多くの人、こうして殺された。二十歳のとき、百姓の仕事やめて、またゲリラに入った。八路軍もかなり組織されていたから、わたしも三ヵ月の訓練受けた。それから選ばれた人、また三ヵ月の訓練受けた。わたし生まれてはじめて、学校に入ったよ。この時はじめて、抗日の思想教えられたね。わたし、物心ついてから、安心して寝たことないよ。

李 
わたしたちの少年時代、いつも何かに襲われてる感じで、ピクピクしていた。

劉 
訓練終わってから、ゲリラになって、日本兵と戦ったさ。1944年の4月のことね。まだ朝の暗いうちに、わたしたち4人、隊長の命令受けて、河北定県の停車場に行ったの。今晩おこなわれることになっている、敵の鉄道破壊に備えて、土地の情勢をさぐりに行ったわけね。鉄道のまわり調べていると、突然、銃声がしたの。わたしたち、すぐに逃げようとしたけど、15、6人が射撃しながら進んできた。わたしたちも応戦したけど、すぐ弾丸なくなって、捕えられたの。この部隊、偽政府(汪精衛政権)の鉄道護路隊の中国人ね。二人の日本兵いて、指導していた。こんど、両手うしろに縛られて、汽車に乗せられた。わたしの着いたの、石門俘虜収容所ね。日本の将校と通訳に訊問されて、何回もピンクやゲンコツ貰ったけど、わたし、訓練受けた組織の一人だから、殺されると思った。訊問終わると、全部着物ぬがされて、裸にされて、テントの中に入れられたの。わたしの入ったテントの中、真っ裸の人、1,000人ぐらいもしゃがんでいるよ。しゃがみつづけていると、足とか腰痛くなるでしょ。少しでも動くと、監視の日本兵走ってきて、梶棒で叩くの。夜になっても、横になることできないの。着物つけてないし、土でしょ。横になりたくともできないさ。夜になると、テントのなか、夜風が吹き抜けるので、寒いの。ひと晩中、ふるえていた。眠ると、このまま死んでしまう気持ね。眼閉じたり、開いたり、眠つたのか、眠らないのか、自分でもわからないね。



 石門収容所の食べ物、どうだったか。

劉 
林さんたちと同じよ。コウリャン飯で、一人に小さな碗で一つ。二口か三口食べると、もうおしまいね。腹なでても、どこにご飯人ったか、ぜんぜんわからない。これが、一日に二回だけでしょ。こんど、水もないの。1,000人もいるテントに、水はひと桶よりこないでしょ。分けることできないくらい、少ないからね。日本戦争に負けるまで、飲み水で苦しんだね。わたしのいたテントの中でも、たくさんの人死んだ。死んだ人たちの顔、いまでもちゃんと思い出せるね。5月に入ってから、わたしたちに着物渡されたの。その着物きる
と、収容所の庭に集められたでしょ。日本人の将校、「こんど、特別な恩典で、お前たちを北京の西苑更生隊に送ることになった。一日も早く、真人間になれ」と叫んでるの。このことの意味、通訳でわかったのだけど、すぐ汽車に乗せられた。この車、荷物とかカマス運搬する有蓋車だから、窓もなければ、坐席もないの。手をうしろに縛られて100人ほど乗ると、貨車の戸閉められて、外からカギかけられるでしょ。李さんの場合と同じね。空気人ってこないでしょ。その貨車に、一昼夜くらい乗ったけど、食べ物も水も、一回も配られないの。

飢えはなんとか我慢できるけど、喉の渇き、とても我慢できないの、水ほしい、水ほしい、と狂い出しそうになった。わたしの乗ってた車で、一人窒息で死んだ。西苑更生隊に着くと、こんどは建物の中に入れられたの。石門収容所みたいにテントでないから、坐ったり、横になることもできたね。


李 
食べる物どうだった……。

劉 
トウモロコシのお粥、一日に二回配られるの。量少ないけど、コウリャンのご飯よりいいよ。ここで嬉しかったこと、水いくらでも飲めたことね。構内に溝あって、山の上から、水どんどん流れてくるの。毎日、その水飲むことできるの。この水のおかげで、どれくらいの入、助かったかわからないね。ここでも、たくさんの人死んだ。日本兵に殴られて死ぬ人もあったし、食べ物少いから、からだ弱いの人、すぐ病気になるの。病気になると、隔離室に送られるの。隔離室に入ったら、もう終わりね。元気になってもどってきた人、わたし見たことない。隔離室に行くと、底が引き出し式になった、大きな棺桶おいてあるの。この棺桶、一度に十数人の屍体入るね。亡くなると、次々にその棺桶に入れて、一杯になると、わたしたちにそれかつがせるの。遠くに運んでいくと、深い穴掘ってあるの。その上に棺桶おいて、引き出しを引くと、屍体が穴の中に落ちるようになっているの。その上に土かぶせて、次に運んだ時に、その上にまた屍体落としてくるわけね。たくさんの人死んで、部屋の中、広い感じになっていくでしょ。すると、また新しい人たち、どっとやってきた。そうだ、西苑にいた時のことで、いまでも忘れることできないのある。ある日、わたしたち昼食していると、広場に集まれと命令きたでしょ。外に出ると、広場の真ん中に国旗立てる旗竿あって、裸にされた一人の中国人、縛られているの。通訳の説明だと、屍体運んで行った途中に逃げて、捕えられたもので、これから処刑するというの。歩兵銃を持った一小隊来ると、銃の先に、銃剣つけていた。こんど、二人の兵隊、隊長の命令で、銃剣つき出して、縛られた人に突撃していったでしょ。からだに二本の銃剣ささった時の叫び声、いまでも聞こえるよ。それ終わると、死んだ人のからだに、二人の兵隊が組になって、次々と突撃していくの。一小隊みんな突き終わると、縛られた人のからだ、めちゃくちゃになっていたさ。殺された人たちのこと思うと、いまでも胸痛いよ。


地獄のような貨物船

李 
北京の収容所に二ヵ月ばかりいて、それから青島の収容所に運ばれた。この間に、多くの人死んだよ。青島に三日ほどいてから、こんど船に乗せられたけど、船に乗る前は、どこに連れていくとも、ぜんぜん知らされなかった。船に乗せられて、どこに連れていかれるのか考えると、覚悟していても、不安で仕方なかったさ。船に乗るのことはじめてだから、不安も大きいわけね。


林 
わたしはね、北京の収容所から汽車に乗せられて青島に着いたけど、収容所には一泊だけで、船に乗せられた。どこに連れていかれるのか、誰も知らないからね。船に乗るとき、日本の兵隊が銃持って、両側についていたさ。逃げられるといけないからね。このとき、一緒に船に乗った人、確か300人と聞いた。


劉 
わたしたち、西苑にいた人には、日本に連れていくと、はっきり言ったよ。七月の中ごろのことね。わたしたちに着物渡して、広場に集めたでしょ。そこで、「君たち、日本に送って土工の仕事させる」と、日本の将校言ったよ。こんど、日本に行くこと選ばれた人たち汽車に乗せられたでしょ。めずらしく客車だったけど、どの出入口にも日本の兵隊ついて、きらきら光る銃剣持っているさ。きらきらの光る銃剣見るたびに、殺された人のこと思い出して、胸が痛いよ。途中、日本兵の油断見て、一人の中国人、窓からとび出して逃げたの。
それ見た日本兵、めちゃくちゃに銃うったけど、命中したかどうか、汽車そのまま走ったからわからない。青島収容所に一泊して、次の日、船に乗せられた。この船、日本に行く船と、わたしわかっていた。                       


李 
わたし知らないから、どこに連れていくのか、ぜんぜんわからないよ。みんなうしろ手になわで縛られて、日本の兵隊、銃剣持って両側に並んでいるあいだ通って、船に乗ったの、七月中旬ごろのことね。船に乗ったら、また汽車の中と同じ状態よ。わたしたち乗った船、石炭運ぶ貨物船でしょ。石炭いっぱい積んでいて、わたしたちその石炭の上に乗せられた。船に乗るとなわとかれたけど、七月ごろの黄海のなか、もう真夏でしょ。石炭のつまった船倉に入れられて、しかも頭の上に、厚い鉄の蓋してあるから、暑いったらないよ。まる
でセイロの中みたいに暑い。

林 
石炭の上に坐ると、鉄の蓋までのあいだ、いくらもないね。背の高い人、頭つくくらいの高さよ。それに、陸が見える間は、逃げられるといけないから、鉄の蓋しまったままでしょ。甲板の上にも出さないの。それでもね、水入れてよこすとき、ちょっと蓋あけた時に、船倉からとびだして、海にとびこんだ人あったけど、助かったかどうかね。陸から、だいぶ離れた様子だったからね。

李 
船の中、水ないでよ。食糧も、わたしたち食べるもの、ぜんぜんないでしょ。持ってきたトウモロコシの粉あっても、船倉の中、水も火もないから、マントウつくることできないの。結局、わずかに配られる水と、粉をまぜて固め、ボロボロのマントウみたいなものつくって、一つ一つ配給した。生のマントウ、少しずつちぎって食べたけど、これ食べると、いっそう水飲みたくなるの。喉から胸にかけて、渇きで、火ついたみたいに痛むの。

林 
水一日、たった一回より配給ないでしょ。その水でマントウつくるから、一人にひと口かふた口より渡らない状態よ。        

李 
日本の船員きて、船のなか、水たくさんないから、みんな我慢して、少しずつ飲んでくれと言われた。だけど、船倉のなか、セイロの中に入ってるみたいに暑いでしょ。我慢のできない人、大勢いて泣いとるよ。泣いてもしようがないけど、苦しければ泣くね。泣いても声だけで、涙でてこないよ。あのとき、船の中に一週間ばかりいたけど、死ぬような毎日ね。

劉 
港から船でた二日目の晩に、鉄の蓋あけてくれて、甲板に出ることできた時あったの。港から遠くなって、逃げることできないと考えたわけね。海にとび込んでも、死ぬだけのこと、誰の目にもはっきりしているからね。そのとき、誰か小さいバケツ見つけて、みんなのズボンのひもはずしてつなぎ、長くして海の水汲んだね。みんなでその水飲んだけど、黄海の水、にがくて、辛くて飲めないの。口に入れて、ちょっと飲んだけど、みんな吐いたよ。それでも、水ほしい人、うんと飲んだけど、その人たち、後でもっと苦しんだよ。口の中や喉かきむしって、苦しがったね。

李 
わたしたちの乗った船、沖縄にひと晩とまったね。船のどこか壊れたの、修理する音したけど、アメリカの飛行機の空襲あって、船停泊しても、わたしたちのこと、甲板に出さないの。日本軍、勝っていることばかり聞いてたから、アメリカの飛行機の空襲見て、わたしたちびっくりしたね。

林 
確か、琉球にも、ひと晩ぐらい停泊したね。アメリカの飛行機きて、船進めることできないわけね。五日目から、船の中の水なくなったといって、水ぜんぜんくれないさ。石炭むれて、船倉の中の空気、まるでストーブの中に顔入れてるみたいに苦しいさ。船の中の生活、収容所の生活より、もっともっと苦しい。からだ弱ってるの人多いから、船に酔う人多いでしょ。便所あっても、行くことできないから、石炭の上にやるでしょ。その匂いもひどいよ。

劉 
船の中での生活、ほんとに苦しかったね。食べる物いっぱいあっても、船倉の中で、船酔いひどいから、食べたかどうかわからないね。

李 
わたしたちの乗った船、だいたい一週間で、目本の下関に着いたね。船降りるとき、ちゃんと歩けるの人、そんなにいないよ。食べるもの少ないし、水ぜんぜんないでしょ。それに、最後の二目くらい、歩くこともできないから、足立たないの。船降りると、整列して点呼やったけど、300人乗ってきたのが、297人になっていたよ。一人はトラックで青島の収容所から、船に運ばれる間に逃げて、射たれて死んだでしょ。一人は海にとび込んだし、一人は病気で死んだね。病死した人、そのまま海に投げられて、終わりになったさ。
林 
点呼終わると、日本軍の命令で、ボロボロの服着てるの、ぜんぶぬいで棄てたさ。それから風呂に入って、全身消毒された。いい服配給になって、それ着た。わたしたち下関に着いた晩、ここに泊まったけど、ご飯も水もぜんぜんこないの。


李 
日本は魚の国でしょ。日本に着くと、うんと魚食べられると思ってたけど、水も渡してくれないよ。次の日ね、おにぎり二つくれたの。何日も食べてないから、みんなそのおにぎり、呑みこんでしまった人多いよ。下関から花岡まで、四日間も汽車に乗っていたけど、この間にもらったの、駅の弁当一つだけね。木の弁当箱まで、バリバリ食べたいような気持ね。あのときの297人の人たち、五十歳以上の人たち20人くらい、一六歳より少ない少年が6入ぐらいでしよ。あとの人はみんな、二十代から三十代の青壮年たちでしよ。いちばん腹の減る年ごろに、四日の間に駅の弁当一つで、水もなんにもないから、おなかすいて気違いのようになるの。あたりまえのことね。

林 
わたしたち乗せられた汽車、有蓋車でしょ。その貨車の中に押し込められカギかけられるから、中に空気入ってこないの。中国で乗った時の汽車と同
じね。みんな壁の板張りの、板と板の隙間に口や鼻つけて、空気吸ったよ。でも、汽車とまると、空気人ってこないでしょ。その時は汽車の中、もう地獄のような暑さね。とまった汽車、出発するとき、みんな隙の方に倒れてしまうの。立っていること、ぜんぜんできないくらい、みんな弱っているわけね。

劉 
汽車走ったり、とまったりするけど、わたしたちのこと、貨車の外に出さないでしょ。大便、小便、みんな貨車の中ね。夏の暑い時でしょ。空気あまりないから、その匂いだけでも、からだ弱るね。

李 
花岡に着いたの、汽車に乗って、四日目の昼のことね。貨車のドアあけられても、立って線路に降りることのできる人、何人もいないよ。みんな貨車から線路にころがり落ちたさ。わたしね、貨車から落ちた時に腰打って、息止まったような気持して、しばらく立てなかったさ。するとね、日本の憲兵来て、木刀で突くの。やっと立っても、ふらふらして歩くことできないの。


林 
花岡に着いた日、はっきり覚えてないけど、確か八月八日のことね。わたしたち花岡に着くまで、汽車の中で二人死んだから、花岡に来たの295人ね。よく途中で死なないで、花岡まで来ることできたと、いまでも不思議に思うね。

苛酷な労働の中で(中山寮の中国人)

 中国で捕えられてのちの苦しい収容所生活のあと、貨車、貨物船、貨車と乗り継いでの強制連行の旅が、それこそ死の旅そのものであったことは、前章の三人の話から十分に知ることができる。太平洋戦争も末期に入って、海上や国内の交通は安全を保てなくなってきており、食糧不足もかなり深刻になってきていた。それにしても、真夏に、立っていることもできないほど多くの中国人を貨車の中に押し込めたまま、不足している食べ物はともかくとして、ふんだんにある空気や水さえ十分にあたえようとしなかった。貨物船で下関に着いてから花岡鉱山に到着する四日の間に、中国人たちが口にすることができた食べ物は、駅弁一つにすぎなかった。しかも、食べ物もあたえないでカツカツにやせ細った中国人を花岡鉱山に連行して、水路変更工事という大規模な土木工事をやらせようというのだから、たいへんなことであった1944年8月8日に花岡鉱山に連行されてきた第一次の295人の中国人たちは、鉱山の近くにある姥沢につくられた寮に収容された。その寮は鉱山町から三キロほど離れており、かなり急な勾配の山道を登らなければならなかった。寮の名は中山寮といったが、中山寮の建っている場所からは、民家が一軒も見えなかったし、鉱山町からも中山寮は見えなかった。日本人の目から中国人を隔離すると同時に、中国人からも日本人を隔離していた。

 中山寮は三棟の建物から成り立っていた。寮の中は汽車のように真ん中が通路で、両側が板を敷いた座席と寝床の兼用で、上下の二段となっていた。板間の上に坐ると、背の高い人は頭がつかえるほど低かった。中央に石油ランプが一つ下がって、ほの白い光で殺風景な部屋を照らしていた。もう一棟の片側には、食堂、炊事場、事務所、補導員の宿直室、倉庫などが並んでいた。

 二棟の大きな建物から少し離れたところに、重病人を収容する部屋のほかに、遺骨安置室と看護人のいる看護棟が建っていた。この看護棟の近くに死体焼き場があったが、後になってたくさんの人が死ぬようになると、死体を焼く木や、遺骨を入れる木箱の支度ができなくなったので、穴を掘って埋めるようになった。そのため、中山寮の近くにある山の中腹は、人を埋めた穴が並んで鉢巻き状となり、それが鉱山町からもはっきりと見えた。のちにこの山は、地元の人たちから鉢巻き山とよばれるようになり、恐怖の目で見られるようになった。

花岡鉱山に連行された中国人たちの一日は、ようやく朝が明けたばかりの山間で鳴り響く軍用ラッパの音ではじまった。ラッパの音で目が覚めると、板の間に坐った。着たきりなので着替える必要はないし、布団は一枚も配られなかったので、たたむ仕事もなかった。顔を洗う手拭も歯ブラシもないので、坐ったまま大きなあくびを二、三回やり、上げた手をおろした拍子に目を何度かこすり、それから顔を二、三回なでると、朝の準備は終わった。

 ようやく朝の陽がさしてきたころ、食事が配られた。朝食は昨晩の食事と同じに、味もあまりついてない煮たフキ1本と、饅頭が一つだけであった。みんなは呑み込むようにして食べた。

 食事が終わると、中山寮の前に整列した。伊勢寮長代理や現場の補導員たちも集まり、東京の宮城に向って遥拝した。それが終わると、伊勢寮長代理の訓話がはじまった。

「みんなはじめて花岡に来だのだから、特別待遇として最初の一週間だけ休憩をあたえるが、その後は本格的な作業に入ってもらう。だが、この一週間も遊んでいるのはもったいないから、寮の整理をする以外の人は、山を開墾して畑をつくることにする。この仕事も大東亜建設に尽す義務のひとつだから、なまけたりしないで精いっぱいに働け……」

 訓話は通訳から伝えられた。その後で、全員の編成がおこなわれた。全員を1大隊とし、その下に中隊を置き、中隊の下に小隊を置いた。小隊の中では、10人の班編成をした。最初は三中隊、9小隊に分けられたが、1945年に入って第二次と第三次とが連行されてきてからは、4中隊、12小隊に分けられた。最初の編成を図で示すと、下図のようになる。

 大隊長には耿諄がなったほか、副隊長には羅世英、書記には劉玉卿、軍需長には任鳳岐、看護長には劉玉林が任命された。また、中隊長には李克金、張金亭、王成林が任命されたし、小隊にもそれぞれ小隊長が置かれた。林樹森と劉智渠は看護班に所属していたし、李振平は第二小隊長であった。

 また、鹿島組花岡出張所と、中山寮とに勤務して、直接に中国人たちを扱った日本人は、次の人たちであった。(なお、年齢は全部が1944年8月現在である)

鹿島組花岡出張所

所長は河野正敏(40)で、中山寮長も兼ねていたが、中山寮に出向くことはあまりなく、出張所にいることが多かった。河野の下に労務課長の柴田三郎(45)、労務係の高久兼松、佐藤勇蔵、配給係の塚田亀夫などのほかに、女子事務員も合めて約20人前後の人たちが勤務していた。


中山寮
 もと裁判所の書記であった寮長代理の伊勢知得(40)の下に、庶務が2人、補導員が8人、医務担当が1人いた。しかし、医務担当の高橋豊吉は医師の資格もない元衛生兵で、一日に看護棟に一回顔を出すだけで、あとは中山寮の中にいたが、病人に手をかけることはほとんどなかった。また、鉱山病院の大内正医師は、死亡書を言いなりに書くだけで、病人の治療にあたることはあまりなかったという。

 しかも、伊勢と庶務の越後谷義勇、補導員の石川忠助をのぞいた7人は、全員が兵隊経験を持っていた。それも、7人のうちの6人が中国大陸帰りの傷痍軍人であり、中国人に対してもっとも狂暴にふるまったのは、この人たちだったのである。中国の戦場で中国人たちを虫ケラ同様に扱った軍隊生活を、花岡で中国人連行者の上に再現させたのだった。中国帰りの6人は、片言にしても中国語のわかる人たちであった。その6人とは、小畑惣之介(32)、福田金五郎(35)、古谷四郎(25)、長崎辰蔵(30)、猪股清(30)、檜森昌治(35)であった。また、補導員の一人である清水正夫(25)は中国混血で、中国語が非常に上手だった。

この清水もまた、思いっきりに狂暴の牙をふるって、多くの人たちを死に追いやり、中国人からもっとも憎しみの目を向けられた一人であった。三人の会話の中にも出てくるが、軍需長になった任鳳岐はその地位を利用し、それでなくとも少ない食糧の中から、その量をごまかして中国人に食べさせずに、家に帰る補導員に渡したり、自分で売って遊廓に行くなどの行為で憎しみを買い、蜂起の時にはいちばん先に殺された。この二人の例でもわかるように、血のつながる同胞たちを自分の手で痛めつけ、苦しませたということは、今日的問題としても十分に考えたい事実である。

 それに、兵役経験のない越後谷義勇(19)と石川忠助(40)の二人は、あまり中国人をかばいすぎるとして、同僚たちから快く思われていなかった。この二人は、しばしば中国人を助けたり、こっそりとかくれて食べ物などをあたえていた。そのため、蜂起は二人が宿直でない晩を選んで実行されたことでもわかるように、中国人たちから信頼されていた。中国人にたいして狂暴を振わなかったのが、兵役経験のない二人であったことも、さきにあげた事実と同様に、考えたい問題である。

 このほかに、大館警察署長の三浦太一郎、その下にいた特高警察の後藤健三などが、中国人たちを監視するために、毎日のように中山寮や作業現場に来ていた。また、華北労工協会から通訳として派遣されてきていた于傑臣と、同じく華北労工協会から来て本部にいた木村初一などがいた。

こうした状況の中で、第一次連行者の295人は重労働についたのである。特別待遇の一週間がすぎると、本格的な重労働に入った。早朝から数キロも離れた現場に行くと、花岡川の流れを変更する工事に取りかかった。しかし、土木機械は一つもなく、なわで編んだモッコと、スコップやツルハシだけという人の力だけをあてに、岩石の多い平地に幅二丈に深さ三丈の川を掘るのだから、現場で働く中国人にとっては、重労働の連続そのものであった。

 しかも、毎日の食べ物といえば、一回に小さな饅頭一つと、フキかゴボウの煮たのが一本というように、極端に貧しかった。また、衣服も不十分そのもので、雪が降りはじめても、着ているのはシャツ1枚だけであった。また、板間のベッドにはゴザさえも敷いておらず、雪が降りだしてから毛布が一枚だけ配られるという状態だった。

 また、鹿島組補導員たちの残虐な数々の行為は、多くの中国人たちを死に追いやったり、一生不治の怪我をさせたりした。食べ物が悪くてからだが弱っているために、掘った川底から土や石を運び上げることができないといっては梶棒で殴られ、腹が減るので裏山で草を取って食べているのが見つかると、死のリンチを受けるという状態だった。ほとんど毎日のように仲間たちが殴る蹴るの暴行を受けて殺されたり、栄養失調と重労働のために、20歳代の若者たちが次々と看護棟に送り込まれていった。看護棟には医者がくることはなかった  し、薬もひとかけらもあたえられなかったので、林さんの記憶によると、看護棟に入った人で再び丈夫になったのは一人だけで、あとの人たちは死んでいったという。

 1944年夏から1945年の夏にかけてというように、日本の戦局がますます悪化してきた状況下での出来事であり、「戦時中だから仕方なかったのだ」と、中国人たちにたいする行為を弁護する人が、現在でもかなりいる。だが、三回にわたって鹿島組花岡出張所で連行してきた986人のうち、死亡者は418入と多いのにくらべて、同じ場所の同和鉱業花岡鉱業所に連行されてきた298人のうち、死亡者は11人だったことをあわせて考えると、いかに鹿島組の場合がひどかったかがわかる。

食糧を奪う補導員

 敗戦後に民間団体の手で作成された『現地調査報告書』には、次のような話が収録されている。中国人が連行されてきたころに、花岡の役場に勤めていた人は、「すべてのことが軍の秘密だといって役場には知らされず、食糧の配給のことも、県から直接にやられていた。何人きたのか、どうして死んだのか、なんで死んだのかも役所ではわからなかった。食糧はピンハネされていたようで、真っ黒い蕗二本、皮をむかないものと、まん頭一ツわたされていたのを見ました。汪精衛の方からよこされて、鉱山に直接に使われていた人達は、同じ配給であったそうだが、わり合いしっかりしていたから、鹿島組は本当にひどいことをしたものだ」と語っている。

 この話でもわかるように、鹿島組に連行されてきた中国人が、とくに苛酷な扱いを受けたのであった。それは、毎日の重労働と同じように、中国人たちがもっとも苦しめられた食べ物の場合もそうであった。それでなくとも少なく配給される食糧の中から、鹿島組の幹部や中山寮の補導員たちが、自家用として運んでいったり、あるいは大量に売り払って飲み食いのカネにされていたのである。食べ物が少ないために多くの中国人たちが栄養失調となりそれが原因で病気になったり、あるいはからだが弱って仕事ができないといっては、補導員
に殴り殺されていったのである。

 補導員たちの多くは、大館市から中山寮にかよっていたが、戦時中に大館市大町に住んでいた嶋田展代さん(故嶋田普作代議士の長女)は、その当時の記憶を次のように語っている。

 「わたしたちのいた大町の管原さん宅の奥のいちばんいい部屋に、花岡鉱山の鹿島組出張所長をしていた河野正敏さん一家が借りられていました。そこには、立派な防空壕(わたしたちも何度か入りました)があり、それは母から聞いた話によると、朝鮮人(当時は中国人とは言わなかった)がつくったものだそうです。わたしたちはいつも食糧難でしたが、奥の河野さん宅には、見たこともない角砂糖があったり、うどん粉があったり、美しい奥様がいつもきれいにしていらしたのが、まるで別世界のように、わたしには見えました」

 『現地調査報告書』の中でも、蜂起した時に殺された補導員の近所に住んでいる人の話として、「彼らの家では、いつも食糧が豊富であった。われわれのところはますますひどい状況になっていくのに、彼らの食生活はますます豊かになった。彼らが中国人の食べ物をピンハネしているのだと噂されていた。中国人に殺されたと聞いて、近所では、当然だと話しあった」と記録されているのをみても、食糧が補導員の手で勝手に持ち出されており、しかもその量は、近所の噂になるほど多かったのである。

 食べ物だけではなく、毎日の労働についても同じであった。中国人たちがあまりにも少ない食べ物の増加や、労働条件の改善などを要求するたびに、鹿島組ではその報復として、翌日から建設週間というのを計画し、さらに厳しい労働を押しつけてくることがしばしばだった。建設週間に入ると、補導員の指定した普段よりも多い一日の仕事量を達成しない組は、暗くなっても帰寮したり、食事をとったり、休んだりすることが許されず、真夜中までも働かされた。

 目撃者の一人は、「食べものがひどい上に労働の過重は、とても朝鮮人の比ではなかったのです。夏の日の長いころですが、日もすっかり暮れてうすぐらくなってから、ふっと泣き声が耳につく。出てみるとあの人たちです。水路工事に使う長い杉の立木を、二人で、さきっぽとさきっぽをかついでいる。二人とも顔は見えないが、足など火箸みたいにやせている。腹はすいている。木は重い。二人はちょうど四つ五つの子供が泣くように悲しくて泣く時のように、暗がりに木の重みでふらつきながら、こう、声をひいて泣いているのです。すると横についている監督が、これみろとばかりに棍棒でなぐる」と言っている。
(松田解子「花岡鉱山をたずねて」−『新しい世界』より 


 少ない食べ物と、長時間にわたる厳しい労働の中で、多くの人たちが怪我をしたり、あるいは病気になったりして看護棟入りをしたり、仕事ができないといっては、補導員に殴る蹴るの扱いを受けて死んでいった。ある時、看護棟入りをする人や、死亡者が続出することが鹿島組本社の注意をひき、一人の医師が鉱山病院から中山寮に派遣されたことがあった。しかし、この医師は病気の治療にきたのではなく、本当の病気なのか、それとも仮病を使っているのかを検査に来たのだった。答える声にちょっとでも力があったり、歩いたりすることのできる人はみんな仮病と診断され、看護棟から中山寮に移されて補導員に梶棒をくわされてから、強制的に現場へ追い出されていった。

 やがて、花岡鉱山にも冬が訪れ、みぞれの降る季節となり、地面は凍りつくようになった。しかし、秋田の冬がはじめての中国人には、夏シャツの上に一組の作業衣が支給されただけで、目撃者のある坑夫は、「冬でも丸はだかに近いぼろシャツ一枚に、背中に雪よけの菰、足にはぼろわらを巻いて、凍った水に脛から股までひたして働かされていた」と『現地調査報告書』の中で語っている。しかも、寮で寝る時に着る一枚の毛布が渡されたのも、雪が降り出してからのことであり、それまでは板の上に着たきりの姿で横になっていたというから、正気の沙汰ではなかった。厳しい冬が終わりをつげるころになると、約八ヵ月前に295人が花岡鉱山に来たのにその三分の一にあたる90人ほどの人たちが死んでいたほか、再起不能の病人や怪我人が40人近くでていた。働く人が減っていくにつれて、仕事は生き残った人たちの上に重くのしかかるようになった。だが、死んでいく人はますます多くなり、工事を順調にすすめていくことができなくなってきた鹿島組では、再び中国人たちを連行してくる計画をたてた。そして1945年5月に587人、同じく6月4日に98人の中国人たちを、新しく花岡鉱山に連行してきたのだった。
 新しく中国人たちがやってくると、鹿島組の補導員たちはその見せしめとして、何人かの中国人を多くの人たちの面前で殺害していった。しかも、食べ物はいっそう悪くなってきたほか、秋田県労働課の指示によって、これまでよりも朝晩二時間の作業時間の延長を中心とした工事突貫期間が実施された。こうした残虐な仕打ちの中で、多くの中国人たちは、「生きているよりは、死んだ方が楽だ」と考えるようになった。

毎日の死体焼き

 林 
花岡鉱山についた晩、会食するのこと言っていた。なに出るか楽しみにしてたら、夜遅くなってから出たの、イワシー匹と饅頭一つね。寮の中に、わたしたちのご飯つくる人いないでしょ。わたしたちの中から料理つくれる人選んでつくったから、遅くなったの。饅頭ね、うどん粉少しより入ってないの。あとはリンゴのカスとか、ドングリの粉でしょ。あとは知らない草みたいなもの、いっぱい入っている。ふわふわしないから、ぜんぜん饅頭の味しないの。だけど、おなか空いてるから、イワシと饅頭、すぐになくなったさ。イワシの頭も骨も、みんな食べた。大きい骨も、残さないね。
 李 
配給のうどん粉、もともと少ないのに、寮長や補導員たち、その粉家に持っていったり、売って、夜、外へ飲みに歩くか、遊びに行くかするでしょ。もともと少ないもの、こうして取るから、もっと少なくなるわけね。足りない分は、山のドングリの粉とか、リンゴのカスとか、干した草などまぜて、饅頭つくるの。その饅頭も、小さいったらないの。わたしたち、重労働者でしょ。一人で一回に、10個以上も食べられる大きさよ。それがたった一個でしょ。しかも、おなかの空いてる時でも、うどん粉の少ない饅頭固くて、ノドを落ちていかないの。そのままの状態で食べた人もいたけど、わたしはその饅頭ほぐして、おかゆ作るの。昼は現場に出るからそんなことできないが、朝と晩はいつもおかゆにして食べた。おかゆにすると、ノド落ちてゆくね。
 劉 
まったくあの饅頭、人間の食べるものでないの。腹の中に入ったら、30分もすると、下痢になってしまうの。下痢はじまると、足とか手とか腫れてくるさ。その腫れたところ指で押すと、ぽこんとひっこむの。中国でつかまえられた時から、食べものこの状態でしょ。からだ弱ってくるのも、当然のことね。
 李 
花岡に着いた次の日に、班編成やったさ。このこと、鹿島組からの命令ね。耿諄大隊長は、船に乗ったとき、もう決まっていたさ。この人、国民党軍の上尉で、性格弱いところあったけど、なかなかできる人ね。その下に、中隊を全部で四つ作って、中隊長置いたの。

 中隊の下に小隊つくって、それから10人の班にしたの。1中隊の中に3小隊つくったから、全部で12小隊あって、その上に小隊長いるの。1つの班には、班長いるの。このほかに、書記、軍需長、看護長がいて、看護長の下に看護班あって、三人の人いたの。これ、だいたいの班編成ね。わたしは前にも言ったけれど、第一中隊の第二小隊やったの。班編成終わると、鹿島組の人や補導員たち、これからの生活とか仕事のこと、隊長や中隊長とか小隊長を集めて教えたね。わたしたちや小隊長、そのこと班の人たちに伝えるわけね。


 劉 
わたしと林さん、看護班にいたでしょ。花岡に着いて三日間、寮の中やまわり整理したね。寮の前に井戸掘ったり、便所つくるの仕事もした。ほかの人たち、畑つくるの仕事した。こんど、川を掘る仕事に出ると、病人とか怪我人が出てきたね。
 林 
看護班の仕事、病人のひと看護することより、死んだ人を焼くの仕事多かった。人死ぬと、寮のうしろにある山に運んでいくの。それから木集めて焼いて、最初は骨をカメに入れたけど、こんど、だんだん多く死ぬのでカメなくなり、木の箱つくって入れたさ。わたしたちのいる看護班の小屋、寮と少し離れたところにあったでしょ。わたしたちのいる部屋と、働けない重病人のいる部屋があって、その奥に、遺骨の箱置いた安置室あったの。わたし中国で、医者のような仕事したでしょ。それで看護班に入ったけど、薬一つもないし、包帯もないよ。重病の人あっても、怪我した人あっても、水でひやしてやるか、背中とか腹さすってやるだけね。結局、病気になると死ぬだけね。大きな怪我した人も同じさ。高橋という、元衛生兵の医務担当の人いたけど、この人、わたしより病気のこと知らないから、なんにもやらないの。一日に一回だけ、看護室に、「どうした」と、顔を出すだけね。鉱山病院にも、大内正という医者いて、わたしたち中国人のことみることになってたけど、看護室に来て治療に当たったの、一回もないでしょ。死んだ人あると、死亡届を書きにくるだけね。その時も、事務所に来て、補導員から聞いたまま書くだけさ。わたしたちにも聞かない。自分で死体みて、手をふれて調べたこと、一回もないの。一日に何人も死ぬ日つづくと、病院で聞き。ながら、死亡届書いたこともあったさ。病気になる人多いのに、医者もこうでしょ。わたしのほかは、誰も病気のこと知らない。わたし、病気の原因わかっても、薬ないからなんにもしてやれない。死ぬのを待っているだけね。


李 
病気といっても、ほんとの病気の人、少ないよ。食べ物悪いし、少しだけでしょ。普通の日でも、朝6時から晩の6時まで、土方の仕事するでしよ。からだやせてふらふらして、どの人もちょっと強い風吹くと、倒れてしまうよ。足の太さも、腕より細いからね。みんな、栄養失調と寒さからきてる病気ね。だから、倒れて重病室に運ばれると、みんな確実に死ぬわけね。死ぬの日、遅いか、早いだけのことね。重病室に入って、生きのびた人、一人だけね。
 林 
わたしたち中山寮に入った最初のとき、死ぬ人あまりいなかったが、日がたっていくと、死ぬ人多くなってきた。だんだんと、からだ弱まってきたからね。はじめての時は、何日かおきに一人か二人死んでいたが、冬に入ると、一日に二人も三人も死ぬ日あるよ。病気になる人も、だんだんと多くなってくるさ。結局、倒れたらダメよ。これ、李さんの言うとおりね。わたし看護班にいたから、中国人のからだのこと、よくわかるの。少しカゼひいて、現場に出られない状態になって、看護棟に運ばれてくるでしょ。それから三日か四日、長くとも一週間寝ていると、もう終わりさ。ぜったいに死ぬよ。病気になって、仕事に出ないと、それでなくとも量の少ない饅頭の大きさ、また小さくなるの。いくらも食べることできないから、からだもっと弱って、病気に勝てないわけね。


 劉 
それでも夏の間、わたしたち山に登って、よく草食べたさ。昼の休み、いくらかあるでしょ。補導員たちに見つからないように、いろいろな草食べたさ。これで、わたしたちだいぶ助かったね。こんど、雪が降ると、この草食べることできないわけね。雪食べても、腹いっぱいにならないからね。
 李 
食べものこんなに悪くて少ないうえに、中山寮の設備も、ぜんぜんダメだからね。わたしたち花岡鉱山に来たの、8月の半ばのことでしょ。昼は暑いけど、夜はもう寒いからね。わたしたち、日本の気候に馴れてないから、とくに寒いの。寝るところ、上下二段のベッドで、板は敷いとるけど、蒲団も毛布も、一枚もないの。着替えるものも持ってないから、そのままごろっと横になるだけね。腕枕にして寝たの。疲れてるから眠るけど、夜中に寒さに気がついて、何度も何度も目が覚めるの。だから、夜も十分に眠れないからいからだもっと疲れるわけね。
 林 
せめて、アンペラぐらい敷いとるといいけど、それもないからね。中山寮のあるところ、かなり高い山の中腹でしょ。夜になると、冷たい風吹きおろしてくるから、寒いの。羽目板の隙間から、その寒い風入ってくると、からだカタカタふるえてくるの。足縮めて、丸くなって寝ても、寒くて死にそうな思いね。


 劉 
中山寮の中に、風呂もないでしょ。からだ、垢だらけでしょ。カミソリもないから、頭の髪やひげ、のび放題さ。一枚きりの衣服、ぼろぼろでしょ。わたしたちの姿、地獄で難行苦行している亡霊みたいさ。

難儀な川掘り作業

 李 
仕事もきついからね。花岡に来て三日間は、寮の中の片づけや、寮のまわりの整理したでしょ。それから四日間は、特別待遇ということで、土方の仕事に出ないで、山を開墾して、畑づくりの仕事したの。この期間終わると、川を掘る仕事に出ることになったでしょ。朝は五時になると、軍用ラッパ鳴って、起こされるでしょ。寒いし、おなかすいとるから、その前に目覚ましていること多いね。顔洗う水もないし、手拭もないから、朝の仕度は、便所に行くだけさ。朝のご飯は、饅頭一つに、皮のついたままのフキ煮たの一本か、細いゴボ
ウの煮たの一本か出て、もう終わりでしょ。わたしはおかゆに煮て食べたから、時間少しかかったけど、腹いっぱいにならないから、あとは水飲むだけね。その水も、あんまり多く飲んでいるの補導員に見つかると、すぐ棍棒とんでくるから、水もあまり飲めないよ。


 林 
労働するの時間、朝の6時からはじまるでしょ。中山寮から川掘る現場まで、かなり遠いね。わたしたちの看護班も、はじめは病人いないから、土方の仕事に歩いたよ。誰か死ぬ人あると、中山寮に運んできて、焼いたけどね。
 李 
遠いさ。あれ、四キロはあるよ。それに、山の坂道が半分以上あるからね。朝くだっていく時はいいけど、晩に帰る時はたいへんさ。途中で息切れて、何度も休むね。休むの見つかると、補導員の梶棒とんでくるから、息切れそうになっても、なかなか休めないの。仕事は、平たい地面のところ深く掘って、水流してくる川つくることでしょ。仕事のやり方、補導員が大隊長に話して、大隊長から中隊長、それからわたしたち小隊長、それから班長に伝わっていくの。仕事の終わる時間、だいたい午後の6時となってるけど、6時に帰れる人、
何人もいないさ。ひとりが一日働く分として、川を掘る面積、1uずつ割り当てられるの。6時までにその分の仕事終わった人は帰れるけど、その分終わらなかったら、暗くなっても帰れないさ。晩の8時ころまで働く人もいたさ。


 劉 
仕事のできない人、わたしたちの寝るころ、中山寮に帰ってくる人もいた。ふらふらして、寮の中も歩けない状態ね。指でポンと押すと、倒れてしまいそうな歩き方ね。その人、次の朝、また6時に仕事に行くでしょ。何日もしないうちに、看護に運ばれてきて、死んでしまうわけね。ひとり一日に1uの面積掘るの仕事、あまりひどいよ。


 林 
現場で働く人、何班にも分けられたでしょ。一班は10人だから、10u割り当てられるわけね。平たい地面のところ、川に掘るわけだから、石が多いでしょ。その掘った石、川の上に運び上げないといけないけど、力ないから、上に運び上げるの仕事、たいへんさ。何十キロもある大きな石、三人か四人かかっても、上にあげることできないの。途中まで上げて、力なくなって、また川に掘った底に落としてしまうこともあるの。そのこと、補導員に見つかるでしょ。牛の皮の干したムチや、棍棒でもって、上に運べない人たちのこと叩く
の。倒れるとカネのついた軍靴で、倒れてる人のからだ、どんどん踏んで叱るの。こうして殺された人、かなり多いさ。

 李 
もっとひどいのことね、晩の8時か9時までかかっても、10uの割り当てられた分、掘れない班もあるでしょ。遅くなって、坂道ふらふらに登って、中出寮に帰ってきても、こんど夜のご飯減らされるの。その時によって、三分の一に減らされるか、半分に減るかするから、からだぜんぜんダメになるね。働きながら倒れる人、多くなってきたの。倒れて重病室に運ばれると、もう終わりさ。あの時の状態、どの人もガラガラにやせて、歩いてもふらふらだから、大きな石運べないの、当然のことよ。


 林 
わたしね、誰とだったか二人で、遠い山から、長い杉の木かつがされたことあったの。生木の長い木だから、重いでしょ。川掘っているところまで来ないうちに、暗くなってしまったの。足ふらふらして、おなかすいて目まいするでしょ。わたしの相棒倒れたの。すると補導員来て、梶棒で叩くでしょ。泣きながら立ち上かって、また二人でよろよろ運ぶの。夜の8時、現場に着くと、二人ともあと動けないの。補導員の清水が、早く寮に帰れと、また梶棒ふるってくるさ。このとき、もう死んでもいいと思った。わたしの相棒、そのとき清水に腕折られて、一生かたわになったよ。


 李 
補導員のろくでなしは、一つの中隊に二人か三人、一つの小隊長に一人はついているからね。わたしたちを殺すために、補導員がいるようなものさ。


 劉 
わたしたちのからだ、やせ細って、歩くのもふらふらの状態でしょ。ところが補導員、なにを食べてるか知らないが、みんな元気でしょ。その元気な人たち、わたしたちのことカー杯に叩くのだから、たまったものでないよ。補導員たちのからだ、肥ってくるほど、わたしたち死に近づいていくような状態だったさ。


 林 
わたしたち、日本人のことばよくわからないね。補導員に「オーイツ」と呼ばれると、もう叩かれるか、踏みつけられるかでしょ。この叫ぶの聞くと、もうからだ固くなったさ。いまでも補導員たちの叫ぶの声、よくわかるね。
 李 
補導員たち、中国のことばわかるの人多いね。ほとんどの人たち、わたしたちの言うのわかるの。だからわたしたち、あまり文句や悪口、言ったりできないの。そのこと聞こえると、また棍棒とんでくるからね。花岡鉱山の普通の人たちも、補導員と同じ態度の人ほとんどね。わたしたち、寮から現場に行く途中に、鉱山社宅とか、家のそば通って行くでしょ。わたしたちのこと見ると、大きな声出して笑うし、子どもたちは、わたしたちのこと見ると石投げてよこした。助けてくれた人、少しはあったかもわからないが、わたしには一度もなかったね。わたしたち髪ぼうぼうに伸びて、ひょろひょろにやせて、目ぎょろぎょろして、風呂に入ったのこと一度もないから、からだの匂いするからね。きたないお化けか思って近づかないの、あたりまえのことね。
 林 
わたしも民間の人に助けられたこと、一度もないさ。わたしたちと道路で会うと、道路わきまで逃げて、黙って見ていたさ。わたし、いまでも思い出すこと、一つあるの。わたしたち、道路に何か食べられるもの落ちていると、なんでも拾って食べたでしょ。そのこと、補導員見つけると、「こら、犬ども」と叫んで、叩くでしよ。腹減ってるから、食べられそうなものあると、なんでも拾って食べたい気持ね。そのこと毎日見ている人、道路のそばに住んでいる女の人ね。わたしたち通ると、腐ったような食べ物、わざと道路に投げてよこすの。わたしたち、それほしいけど、補導員そのこと見てるから、手出せないでしょ。ひとりの入、我慢できなくて、それ拾って口に入れたら、補導員走ってきて、梶棒で何度も頭とか顔叩いたの。その人、片方の耳から血出して倒れたけど、その入、それから片方の耳聞こえなくなったの。ひどいことする女の人いるね。わたしその時のこと思うと、いまでもその女の人の顔わかるよ。憎いよ。草食べて飢えしのぐ。

 李 
花岡にいた時のわたしたちは、日曜も祭日も、ぜんぜんなかったさ。休んだ日、1944年の大晦日に半日と、1945年の元旦の一日だけね。あとの日、どんなに天気の悪い日でも、仕事に出た。しかも、食べ物悪いうえに、少ないでしょ。どの人も、骨と皮ばかりにやせて、生きた顔してる人、ひとりもいないよ。
 林 
わたしたちほとんどの人、農家の生まれで、小さい時から労働してきたから、働くのこと、なんともないよ。働くのこと、好きな人多いよ。だけど、花岡では、食べる物少しよりくれないで、無理に労働させるでしょ。からだ弱って、歩く力のない人、石運ぶ力のない人あると、棍棒で殴ったり、小突いたりするわけでしょ。これではどうにもならないよ。働くこと好きな人でも、働くことできないよ。


 劉 
中国にいた時も、わたしたち、そんなにいい生活してなかったさ。八路軍に入ってからの生活、苦しかったこと多い。食べ物もいいもの少なかったけど、たくさん食べていたからね。腹いっぱい食べると、力出てくるし、働けるけど、饅頭一つに、ゴボウかフキの煮たの半分か一本では、働く力出てこないのは当然ね。
林 
あんまり腹減ってしようがないから、昼休みの時間になると、補導員のいない時に、そっと山に登って、草を取って食べるの人多いよ。だけど、日本の草のこと、どれ食べられるか、食べられない草か、わたしたちよくわからないでしょ。草食べたあと、腹痛む人もあったし、口から白いアワふいて、山ころげまわって苦しんで死んだ人も、一人か二人あったさ。
そのこと見ても、腹減ってくると、また草食べに行くでしょ。わたしたちの手にはいる食べ物といえば、草とか水よりないからね。

劉 
その草食べるのことも、補導員がいるとダメだからね。草食べているの見つかると、また梶棒で殴られるからね。わたしたち、腹減って苦しんでいること、いちばんよく知っているの、補導員たちでしょ。その補導員たち、わたしたち草食べているの見ると、怒るわけでしょ。どんな気持の人たちか、ぜんぜんわからないよ。


李 
夏の間は、それでも草食べられるからいいが、秋になるとその草も枯れて、食べられないからね。食べる物、どこからも拾うことできなくなるよ。しかも、秋だんだん深くなると、骨と皮ばかりにやせたからだ、寒さいちばんこたえるさ。わたしたちの着てるもの、下関に着いた時にもらった夏用の一重物が、二枚よりないよ。履物も破れてしまって、素足がまる見えさ。雪とか、凍った砂とか、冷たい水とか、いつも入ってくるからね。足は凍傷にかかって、感覚なくなっているよ。手袋なんか、一つもないよ。素手で、凍った土や石、雪つかんで働いたさ。


林 
靴下もぜんぜんないからね。雪降ってから、ワラを少しずつ集めて、貯めておくの。そのワラ貯ってから、履くものつくってはいたさ。このワラの靴はいても、足だけかくせることできるけど、あとはかくせないから、濡れるだけね。秋田の冬、雪が深いでしょ。多い時は、腰までも雪があるさ。その雪の中で、半分も破れた履物の上に、ワラで編んだ靴のようなものはくだけで、仕事に出るのだから、苦しいの当然よ。あの時の凍傷のあと、いまも寒くなると痛むね。この傷のあと痛むと、あのころのこと思うよ。忘れようとしても、わたしのからだ忘れさせてくれないわけね。
 李 
着るものだって、ボロボロの下着の上に、薄くて黒いワイシャツのようなもの、たった一枚でしょ。薄いから、強い風吹くと、肌に風ささってくるね。雪降ってる日だと、からだみんな濡れてるから、とくに寒いさ。冬になってから、セメントの入ってきた紙の袋見つけて、ワイシャツの下にその紙まいて、着た人もいたさ。セメントの袋そんなにないから、あたらない人は、ワラで編んだゴザみたいなもの着てる人もいるさ。わたしも、はじめはセメントの袋見つけて着だけど、紙だから濡れるとすぐ破れるから、俵をゴザのように、自分
で編み直しだの着たさ。強い風の吹く日は、ゴザの上からからだに風をとおしてくるから、寒いよ。ぶるぶるふるえて、働くこともできないさ。わたしたち、まるでドロボウみたいなかっこうしていたさ。吹雪の強い日は、寒くて、唸るような声たてて、泣いとる人多いよ。雪の中で働いていて、倒れると、もうそのまま死んでいること多いね。倒れてから死ぬのじゃなくて、死んでから雪の上に倒れる人多いね。
 林 
死んでいく人、最初からわたしたちの手にかかるさ。わたしと劉さん、看護班にいたからね。花岡に来た最初のころは、一人ひとりていねいに焼いていたし、遺骨入れるカメもあったさ。ところが、だんだん多く死んで、焼く木が不足したり、遺骨入れるカメとか、木箱なくなってきたでしょ。こんど、山に丸い穴掘って、一人ひとり埋めて、だれ死んだかわかるように、本に名前書いて立てたよ。これ、あとで掘ったけど、誰のものかちゃんとわかるさ。こんど、冬になって、病気になる人多くなって、一日かひと晩に、五人も六人も死ぬ日がつづくようになったよ。もっと多くの人、一日かひと晩のうちに死んだこともあったさ。こんな時、わたしたち三人の看護班だけで、死んだ人運んだり、穴掘ったりすること、間に合わないの。土凍ってるから、そんなに穴も掘れないでしょ。わたしたちの中でも、病気の人いたからね。こんど、からだの弱い人、三人か四人、死んだ人運んだり、埋めたりする仕事、専門にやるようになったさ。それでも間に合わないと、わたしたちも手伝うさ。こんど、伊勢寮長代理の命令で、山の中腹に、大きな穴掘ったね。深さもだいぶあるさ。わたしと李さんの二人、戦争終わってから、そこに行ってみたことあるけど、大きな一つの穴に、遺骨掘った人の話聞くと、八十何人が入っていたと言っていた。死んだ人、山の中腹にかついでいくと、その穴に入れて、上の方に土かぶせるのでなく、白い石灰あるでしょ、その石灰まいて終わりさ。次の日に、また死んだ人あると、その上にまた死体入れて、石灰まくわけね。その大きな穴から掘られた人、全部そうして埋めたから、どこの人かわからないよ。三日と
か四日、死んだ人なくて、その穴のところに行かないでいると、犬とか猫とか、いたちが穴の中に入って、人間の屍体、食べていることもあるさ。腕とか足とか、食われてなくなっているところもあるさ。食われて散らばっているもの、誰の腕か足か、もうわからないね。冬になって、雪深くなるでしょ。中腹の穴のところまで、運んでいけないことあるさ。その時は、中山寮のそばに雪の穴掘って、死んだ人その穴に埋めて、あとで雪少なくなってから、穴に運んで埋めたこともあったさ。これ、わたしたち勝手にやったことでなく、鹿島組か補
導員の命令ね。生きとる時も、わたしたち虫ケラのようにされたが、死んでからも同じだったさ。

 李 
冬の寒い時のこと、口で言えない苦しみね。着ているもの少ないし、はいとるもの破れとるでしょ。しかも、仕事は川をつくるのことだから、掘った溝の中に、雪のまざった水、膝まであることもあるさ。着物は、上から下まで、全部濡れとるでしょ。暗くなってから、中山寮に帰るね。手足しびれて、やせた足や手の肌の色、黒いような、死んだ人の色のようになって腫れてるよ。こんな時の手足、どんなに叩かれても、痛くないの。火で、腫れた手足あたためると、こんど痛むの。あまりの痛さに、火にあたって、ヒエヒエ泣いとる人いるよ。濡れた着物つけたまま、火にあたって乾かすでしょ。花岡に来てから、一度も洗ったことないから、乾くと鮫の皮みたいにザラザラしてくるから、ぜんぜんあたたまらないさ。冬がきても、着物つけたまま、あとなんにもないから、ベッドの板の上に横になっているだけでしょ。寒いから、ひと晩中ふるえつづけているさ。次の朝、起きようとしても、足とか手が動かないの。板の上に起きあがって、足や手をだんだんに動かして、歩けるように馴らしていくさ。晩に寝る時、次の朝、生きて目が覚めるのかなと、いつも思ったよ。


 林 
わたしたち看護棟にいること多いから、その苦しみは、李さんたちほどでなかった。食べ物悪い、着るもの少ない、夜も寒くて眠れないのつづけば、病人の多くなるの当然さ。冬になってから、いったん病室に送りこまれてくると、次の朝に死んでること多いさ。からだ弱って弱って、死にそうになってから、病室に来るからね。看護棟には、薬も病入用の食べ物もないから、どうしようもないよ。

劉 
雪がたくさん積ってから、第三中隊の人、二人にかつがれて病室に運ばれてきたことあった。彼のからだ、全身びしよ濡れで、氷のように冷えていたさ。目固く閉じて、人事不省になっているの。補導員に殴られて、ダムの中に落ちた二人が、引き上げられてきたわけね。手足にさわると、氷のように冷たいし、耳にロつけて名前呼んでも、ぜんぜん動かないの。胸のあたりに、小さな温みあって、低い息が聞こえるので、生きてるのこと知らせているわけね。だけど、看護棟に火もないから、お湯もやれないし薬もないでしょ。いろいろ考えたあげく、わたし庭に出て、死んだ人焼くための薪持ってきて、火燃やして、暖めてやろうと思っだの。薪持ってこようとしたら、軍需係の任鳳岐が来て、「薪どこに持っていくのか」言うの。「病人のこと温めるためさ」と言うと、この薪、死人を焼くためのものだから、ダメだというの。任鳳岐の奴、もう中国人の心忘れていたわけね。彼の反対で、薪持ってこれなかったけど、そのとき、怒りが胸いっぱいになって、どうすることもできなかった。その晩のうちに、病人は死んだけど、次の日、彼のからだ温めてやることができなかった薪で、彼の屍体焼いたの。口惜しいので、涙流れて仕方なかったよ。

死人の肉を食べる

李 
正月近くなってから、軍隊用の毛布、一人に一枚配給されたよ。この毛布かぶって寝てから、夜も眠られるようになったね。だけど、外はもっと寒くなってきたでしょ。こんど、配給になった毛布ね、からだから腕、それに足と、研究して上手に巻いて、その上にシャツ着て毛布をかくし、外の仕事に出たよ。これやると、あまり寒くないからね。このこと、補導具に見つかると、大変よ。梶棒とんできたり、蹴られたりするからね。ほとんどの人、毛布巻いたけど、この毛布のおかげで、死なないで助かった人、だいぶあるよ。あの毛布着なかったら、わたしも寒さに負けて、死んでいたかもしれないさ。

林 
わたしたち看護班も、毛布からだに巻いたよ。これで、前に比べると暖かくなったけど、こんど、うんとシラミ出たね。わたしたちに配られた毛布についてきたか、日本軍につかまってから、風呂に入ったこと、ただの一度もないでしょ。着替えるものもないから、からだも着物もアカだらけだからね。自分たちのからだから湧いたのか知らないけど、いっぱいからだについたよ。仕事から帰って、小さい饅頭食べて、お湯腹いっぱいのんで、きょうも生きられたと思っとると、シラミの奴、動き出してくるの。痒くて痒くて、もう黙っていられないの。背中に手入れてかくと、皮膚弱っているから、すぐ傷ついて、血流れるの。腹のあたりに、手入れてかくと、爪の間に、シラミ何匹もはさまってくるよ。一人のからだに、何百匹とついとるから、大変よ。夜中にも痒くて、何度も目が覚めるね。着替えるものないから、シラミのついた着物、洗うこともできないからね。


李 
シラミも、昼間は出ないね。なんにも痒くないの。寒いから、シラミも動かないわけね。


劉 
もう一つある。シラミわたしたちのからだの血吸っても、わたしたちのからだ、昼間は半分死んでるでしよ。感じない、ということもあるね。


林 
シラミたくさん湧いて、間もなく正月になったね。わたしたち、花岡に来たころは、誰も時計持ってる人いないし、中山寮の中に、暦もなかったの。あとでわかったことだけど、わざと暦、寮に置かなかったわけね。最初のうちは、誰もきょうは何日か、知らずにいたね。こんど、病人が出るようになって、死ぬ人たくさん出てくると、死んだ人の死亡報告書かく必要あったから、わたしたちの看護棟にだけ、暦一枚きたね。その暦で、はじめてきょう何日かということ、わかるようになったよ。正月きたことも、その暦でわかったね。


李 
大晦日の晩だったかね。日本に来て、わたしたちはじめて肉食べたの。あの時のうまかったこと、いまでも忘れることできないよ。よく覚えてるよ。


林 
大晦日の日、馬の頭と内臓が、わたしたち中出寮に渡されたわけね。肉のいい部分、鹿島組の人とか、補導員たち家に持っていったさ。わたしたち、その頭と内臓、料理したの。みんなで同じ部屋に集まって、食べたさ。


李 
あとのき、食べ終わってから、部屋の中に集まってる人見たけど、中国から一緒に花岡へ来た295人のうちで、死んだ人が90人ばかり、病気の人が40人ばかりいたね。年寄の人はほとんど死んで、あれは焦補学だったか、ひとりより生きていなかったさ。来年の大晦日の時には、この中から何人の顔見られるか、と誰かが言ったとき、部屋の中の人たち、しんとなったこと、いまでも覚えてるよ。今晩か、あすに死ぬの、殺される人、どの人か誰も知らないからね。自分かもしれないからね。
林 
わたしたち花岡に来てから休んだの、大晦日の午後と、元旦の一日だけね。大晦日は肉食べたけど、元旦になると、もうなんにもごっそうはないさ。いつもの小さな饅頭一つと、ゴボウかフキの煮だの、半分か一本だけだからね。


李 
正月すぎてから、この食べ物では、わたしたちのからだもたない。仕事のするのもムリだから、もっと食べる量、多くしてほしいと、わたしたち何度も、鹿島組の河野所長に要求したさ。鹿島組の事務所、中山寮から少し離れたところにあるの。そこに、大隊長や中隊長などと一緒に行って、河野所長の前に坐って、土に頭つけて、もっと量多くしてくれと頼んだよ。とくに、病人の食べ物、わたしたちと同じ量にしてほしいと頼んだよ。病気になったり、からだ弱くなって働くのことできなくなると、看護棟に入れられるでしょ。働かなくなると、食べ物の量も、半分にされてしまうわけね。半分のものもらってきて、カユにして食べていたでしょ。それでなくても小さい饅頭が、半分になるわけでしょ。病人だから、体力つけなければいけないのに、これでしょ。だから、病人になって看護棟に来る人たち、みんな死んでいくわけね。その病人たちの食べ物、わたしたちの食べるのと、同じ量にしてくれと要求すると、事務所の人たち来て、なに言うかと、わたしたちのこと梶棒で叩いたり、軍靴で踏みつけたりするの。もっと困ったこと、わたしたち、もっと食べる物多くしてほしいと要求に行くと、次の日から何日かのあいだ、饅頭の大きさ、もっと小さくなることね、見せしめに、小さくするわけね。これにはわたしたち、ほんとに困ったよ。


劉 
正月すぎてから、変わったこともう一つあるよ。正月の前の饅頭の中にも、リンゴのカスとかドングリの粉入っていたが、本当のウドン粉も、いくらか入ってたさ。正月すぎると、饅頭の中に、ウドン粉ぜんぜん入っていないさ。リンゴのカスもわずかより入らなくなって、なんだかわからない木の皮の粉など、入っているの。口の中に饅頭入れると、臭くて、砂みたいにザリザリして、固くて、とても食べられたものでないの。こんな食べ物ばかりつづくから、からだの弱い人、年寄の人、栄養ぜんぜんとれないから、どんどん死んでいくよ。冬になって、雪いっぱい積もると、食べ物、どこからも拾えないからね。


李 
からだやせて、腹の減る日つづくと、頭のおかしくなる人出てきたね。からだの弱い人、これに早くかかるよ。真夜中に食べ物のこと叫んで、とび起きる人も出てくるさ。わたしの小隊に、李相子という人いた。この人、からだ非常に弱いから、仕事の現場に、とても連れていかれないの。伊勢寮長代理に何度も頼んで、冬のころから、この人に、死んだ人焼いたり、土に埋めたりする仕事させていた。林さんたち看護班のほかに、そんなことだけする人、三人か四人いたからね。それだけ、死んでいく人多かったわけね。現場か、中山寮で死んだ人あると、裏の山に運んでいくの。木集めて屍体焼いたり、木集められない時、穴掘って埋めたりすること、専門にやっていた。そうした人焼くの仕事する人、わたしたち労働する人たちより、食べ物の量が少ないの。病人よりは、いくらか多いけどね。結局、あの人我慢できなくなったわけね。ある晩、わたし発見したね。寝るところの上に、木でつくった自分の箱持ってるの。わたしはじめは、なんの箱かなと思っていた。いつかの晩、李相子が、その箱の中に手入れて、なにか食べているの見たの。なにを食べているのかな思って、次の日、彼がいない時に、その箱の中、さがしてみたでしょ。箱の中に、焼いた、赤いような肉人っているの。寮の中に、勝手に食べられる肉あるわけないから、なんの肉か、ぜんぜん見当つかないの。最初、これが人間の肉とは、思わなかったさ。彼に、これなんの肉か聞いたの。はじめは、いくら聞いても、言わなかったが、何度も聞いてるうちに、人間の肉であること言ったの。わたしびっくりして、その箱取り上げて、食べないように言ったの。だけど、また何日かすると、また人間の肉持ってきて、食べるの。わたしも、一回は叩いたさ。死んだ人の肉食べるのこと、人間のすることでないと言ってね。それに、死んだの人、もしか伝染病あるかもしれないでしょ。お前は、人間でないと怒ったの。あとで、考えたね。そのころのわたしたち、口の中に入れるものあったら、なんでも入れたい気持ね。そのこと、人間のやることじゃないけど、腹減ってるの状態、もう一年近くつづいとるわけでしょ。その苦しみの気持、わたしにもよくわかるの。腹減ってる時の苦しい状態、いま話しても、わかっ   てもらえないことね。


林 
わたし、人間の肉食べること見たことないが、耿大隊長の言うの、聞いたことあるの。耿大隊長が看護棟に来て、死んだ人を焼きに行く人の中で、缶詰のフタで、屍体の肉とって食べとる人いる、これはいかんと言っていた。李相子のほかにも、かなりの人、人間の肉食べたらしい。


李 
人間の肉食べられてることわかった時、この姿、こんどはわたしの姿になるかもしれないと思った。わたしも、我慢できなくなったら、人間の肉でも何でも、食べる気持になるだろうと思ったの。このこと、あの当時のわたしたちの本当の気持ね。
 


蛮行重ねる補導員

林 
花岡鉱山には、わたしたち中国人のほかに、朝鮮の人と、アメリカの捕虜も来ていること、知ってはいたの。アメリカの人とは、あまり近づかせないようにしていたけど、朝鮮の人とは、仕事のやり方わからないことあると、現場に来て、働きながら教えてくれることあったの。そんな時、昼一緒に食べるの見ると、朝鮮の人、わたしたちよりいいもの食べとるね。わたしたちのように、ひょろひょろにやせていないの。わたしたち、腹減らしているの見て、自分たちの食べ残したものとか、余分な食べ物とか、こっそり持ってきて、補導員の見てない時に、それをくれるの。そんないい人、朝鮮の人の中にも、何人もいたよ。その時の嬉しかったこと、いまでも忘れないよ。どこの国でも、いい人はいるよ。朝鮮の人たちの着てる服も、わたしたちのものより厚いし、いいもの着てるから、寒くないわけね。


李 
そのこと、アメリカ人の場合も同じね。わたしたちと顔合わせること、ほとんどないし、近づかせないようにしていたわけね。わたしたちの中山寮より上の方の、一キロばかり離れたところに寮あって、そこに入っているの知っていたよ。アメリカ人の寮にいる人、どれくらいかよく知らないが、400人くらいはいたね。アメリカの人の食べる物、わたしたちよりずっといいの。わたし、見たことあるの。アメリカ人の食べる物、トラックか馬車で途中まで運んでくるでしょ。それから上は、道路悪いから、わたしたちの寮のすぐ上におろ
して、それからアメリカの人が、上の寮に運んでいくの。おろして運ぶ時に、袋や俵、破れるのがあるでしょ。その破れた穴から、中に入っているもの、こぼれるの。アメリカの人、そのこぼれたの拾って、一生懸命にポケットに入れたり、口に入れるかしとるの、わたし見たの。あれは米でないけど、麦かなにかね。わたしたちより、ずっといいもの食べているさ。わたし、その場所に一度行って、10粒くらい拾って食べたことあるけど、本物の麦かなにかね。味でわかるよ。わたしたち、現場へ働きに行く途中、ときどき働きに出るアメリカ人と、道路ですれ違うことあるの。わたしたち言葉わからないし、話しかけるところ補導具に見つかると、梶棒とんでくるから、誰も話しかけないよ。お互いに顔見たまま、通りすぎるだけね。アメリカ人の場合も、わたしたち中国人より、からだやせていないでしょ。顔色もいいよ。わたしたち中国人だけね。ひょろひょろにやせているの。


 劉 
いちばん悪いの、補導員や鹿島組の人たちね。わたしたちに配給にきたもの、家に持っていくわけね。それでなくとも少ない食べ物、ますます少なくなるわけね。わたしたちと同じ中国人で、軍需長の任鳳岐も悪いの。この人、宿直して次の夕方に家に帰る補導員に、わたしたちにきた配給の中からとったもの、紙とか袋に包んで、渡しているの何回も見たよ。彼だけね、一緒に来た中国人の中で、太っているのは。それでなくとも少ない食べ物の中から、補導員がいいものだけ家に持っていくから、わたしたちの分、ますます少なくなるわけね。あの任鳳岐のろくでなしのために、何人の人、飢えて死んだかわからないよ。だから、彼だけは殺されたの。同胞を売ったから、補導員と同じに、皆の憎しみかっていたわけさ。蜂起のとき彼いちばん先に殺された。殺されるの理由、十分あったさ。同胞を売って、自分だけまるまると太ってること、許されないよ。


 林 
わたしたち、補導員のこと、鬼とか、豚とか、鬼豚とか呼んでいたけど、その鬼のような補導員の中で、二人だけ、わたしたちの味方する人いたよ。一人は越後谷義勇さんね。戦争終わってから、この越後谷さんを、わたしたち札幌に招待したことあるけど、越後谷さんに助けられた人多いね。


 李 
越後谷さんの家、花岡から離れた早口にあったでしょ。宿直にあたらない晩、早口の家に帰るね。次の朝、鉱山に働きに来る時、自分の家から、米とかアワみたいなもの、少し持ってくるの。補導員に見つからんように、服のポケットにかくして持ってくるから、少ないわけね。こんど、わたしたちの仕事の現場で、お湯わかしてるでしょ。その大きな湯わかしの中に、ポケットの米そっと入れて火にかけると、薄いおカユみたいなものできるでしょ。そのおカユみたいなお湯、わたしたちに飲ませてくれるの。ほかの補導員見ても、お湯飲んでるとしか見えないでしょ。越後谷さんが現場に来ない時は、晩に寮の中で、わざとお湯わかして、そのお湯の中に米とかアワとか入れて、わたしたちの寝てるところに持ってきてくれるの。服のポケットに、いろいろな食べ物入れてきて、ほかの補導員のいない時、そっと渡してくれたりしたの。わたしたち、その食べ物で、どんなに助かったかわからないさ。鬼みたいな寮の中の日本人にも、こんないい人もいたね。
 林 
正月の元旦のことね。あの時も、越後谷さん、早口から中山寮まで来たね。自分の家でつくったもち持ってくると、小さく切って、わたしたちに配ったの。寮の中の人多いし、少しより持ってこないから、食べた人少ないけど、その気持ね、嬉しいの。越後谷さんのような人、もっと花岡にいると、蜂起なんかなかったね。だから、蜂起の時も、越後谷さんのこと、殺さないように気を配った。越後谷さん宿直室に泊まっている晩に蜂起すると、暗いから、彼どこにいるかわからないでしょ。間違って殺すと、たいへんということになるからね。だから、彼の泊まっていない晩選んで、蜂起をやったの。補導員とか、鹿島組の日本人だったら、誰でもいいから殺せばいいということではなかったさ。悪いことしない人は、殺したくないという気持は、誰にでもあったの。


 劉 
越後谷さんね。この人、まだ少年でしょ。仕事も、事務所で帳面つけてるのこと多いの。直接に、中国人の働いてる現場に来ること、少ないからね。わたしたちのいた看護棟には、毎日のように来たけどね。この人、まだ若いから、軍隊教育みたいなもの、あまり身につけていなかったわけね。越後谷さんのほかに、補導員の中に、もう一人、いい人いたでしょ。


林 
いたいた、石川ね、石川忠助さんね。この石川さんも、わたしたちのこと、助けてくこと多いよ。越後谷さんみたいに、食べる物持ってくることもあったし、あまり殴ったりしなかったからね。補導員の中で二人だけね、わたしたちのこと考えてくれた人は。あとの人たち、みんな鬼豚だったさ。


 李 
この石川さんも、わたしたちの目の前で、二人の中国人を、殴って殺しだの知ってるょ。石持てないほどからだ弱っている人、梶棒で叩けばそのまま倒れてすぐに死ぬの、あたりまえのことね。それも、頭とか顔とか、どこでも叩くのだから、どうにもならないよ。それでも石川さん、福田とか清水にくらべたら、はるかにいい人ね。


 林 
梶棒で叩く時、めくらめっぽうに、どこでも好き勝手に叩くでしょ。梶棒歯にあたると、みんなバサッと落ちるね。梶棒で頭とか顔叩かれて、痛いでしょ。痛いから、頭とか顔に、手あげるでしょ。こんど、その手を叩くの。どの人も、一本か二本か、みんな指が折れとるよ。ひどいものさ。補導員の中でも、小畑と福田がいちばんひどかったさ。この清水わたしたちと同じ中国人でしょ。父か、母だったか、中国の人ね。それで、中国人に悪いのことするのだから、どうしようもないよ。背の低い小畑、この人いちばん悪い。何十人の人
殺したかわからないよ。寮長代理の伊勢、この人も根性の悪い人ね。ひどいことばかりしたよ。戦後になって、この伊勢と、一度会ったことあるよ。伊勢は大館の市役所の職員になって、立派な服着ていたけど、わたしのこと見ても、なんにも言えないの。下ばっかり見ているね。
 李 
食べ物悪くて、栄養失調が原因で死んだり、補導員に殺されたりした人、春になると100人越していたよ。わたしたちと一緒に花岡に着いた人、295人でしょ。そのうちの三分の一の人、死んでしまったわけね。からだ弱って、看護棟の中にいる人も、30人くらいだったさ。中山寮の中に、あまり人いなくなったよ。からっぽになってきたさ。わたしの小隊の中でも、十何人か死んでいたからね。ところが、冬終わって、雪消えると、川掘るの仕事がほんとにはじまったでしょ。働けるの人、半分くらいよりいないから、生き残った人たちの仕事、ますます多くなるの。雪の中でひと冬生きて、どの人もからだ弱ってきてるでしょ。それに仕事多くなってきたから、たいへんよ。
 劉 
寒いのから、暖かくなってくると、からだ疲れて、ダメになってくるのね。春になって、看護棟に来るの人、多くなってきたからね。新しい中国の人たち、中山寮に連れてこられたの、この時ね。

蜂起する中国人(繰り返される拷問)

 中国人たちが残忍非道な虐待に抗して蜂起したのは、1945年6月30日の深夜のことであるが、それまでに死亡した中国人は、次のとおりであった。

1944年8月8日の第一次連行者295人のうち121人。
1945年5月5日の第二次連行者587人のうち23人。
6月4日の第三次連行者98人のうち4人。

前後三回にわたって連行されてきた980人のうち、140人が死んでいるが、このほかに病気や殴られた怪我で身動きのできないのが約50人、一生不治の怪我をした人が生存者の四分の一くらいにおよぶといわれる状態であった。
    〈このままでいると、みんなが殺されてしまう〉

 中国人たちはせっぱつまった脅迫感におびやかされ、こう考えるようになっていた。敗戦 直後に、花岡鉱山に派遣されて中国人を診断した高橋実医師は、
「もはやかれらは、死か抵抗かのいずれかを選ぶよりほかに道はなくなった。それは、このひとびとがついに奴隷であることにがまんしきれなくなった日”であった」(「ひとつの事実」−『社会評論』 一九四六年七月号)と書いているが、まさにそのとおりであった。こうした状況の中で、蜂起は計画され、実行されたのであった。

 蜂起の計画は、耿大隊長をはじめ、中隊長や小隊長たちの間で、綿密な計画と周到な準備のもとにすすめられた。第二次や第三次連行者たちが洩らした消息、「日本の戦況は日一日と不利になり、空襲も激しさを加えているから、日本本土への上陸作戦も間近い」という情報が、蜂起の計画をいっそう早めた。

 蜂起の計画は、6月30日の晩飯のあとに、耿大隊長から全員に伝えられた。

 「李克金は20人を連れて、事務所の窓口を守る。劉玉卿は30人を連れて、四方の要地に伏兵をおく。これは、補導員の脱出と逃亡を防ぐのだ。李黒成は電話線の切断を担任する。張金亭は20人を連れて、室内に入って敵を殺す。それから張賛武は比較的強壮な同志80人を連れて、米国人俘虜収容所の日本兵を襲撃する。劉錫方は20人の同志を連れて、花岡警察局を襲撃する。看護班の任務は、外で全員が漱起したのを見すまして、直ちに病人を山の上に移すのである。そして最後に、羅士英の監督の下に放火し、中山寮全部を焼き払う。

手を下すのは、深夜、補導員たちの熟睡したのを見てやる。このために今晩は、全員が本当に寝てしまってはならない。仕事を分担された同志たちはすべて鍬をこっそり身辺に隠し敵を殺す武器にする」(劉智渠述・劉永姦・陳苓芳記『花岡事件−日本に俘虜となった一中国人の手記』中国人俘虜犠牲者善後委員会刊)だが、このように綿密な計画をたてたにもかかわらず、待っているのにしびれをきらした張金亭が、まだそれぞれの人が任務の部署につかないうちに、軍需室に入って任鳳岐を殺した。任の悲鳴があまりにも高かったので、補導員の逃亡を防ぐために配置されることになっていた人たちが、まだ寮の中にいるうちに、補導員の宿直室になだれ込んだ。猪股清と檜森昌治の二人は宿直室で殺され、あとは窓を破って逃亡した。そのうち、小畑惣之介と長崎辰蔵は追いつめられて殺されたが、あとの人たちは逃げていった。そして五分もたたないうちに、事件を知らせるサイレンが、深夜の鉱山町に鳴りわたったのである。

 このため、計画の中にあった米軍人俘虜の解放も、花岡警部派出所の攻撃も、中山寮の放火も中止となり、約800人の中国人たちは、われ先にと暗闇の中に逃亡していった。しかも、リーダーもなく、サイレンが高々と鳴り響く暗い夜中に、ひょろひょろにやせた人たちの逃走なだけに、決して早いものではなかった。朝が明けて気がつくと、かなり遠くまで逃げたつもりのものが、花岡鉱山が目の前に見える高さ250メートルほどの岩場の多い獅子ヶ森という山の中腹に、大部分の中国人たちがいたのである。しかも、病人や落伍者たちは、蜂起してから二時間もたたないうちに、寮からそれほど離れていない場所で捕えられた。獅子ヶ森にたてこもらなかった中国人は、山を越した隣の村とか、国道に添って青森県境に逃げるなど、ほとんどの人がバラバラになった。

 花岡鉱山での中国人の蜂起は、大きな衝動をあたえた。その鎮圧のために多くの警官や民間人が集められたが、『秋田県警察史』(下巻)はその状況を次のように記録している。

 「事件発生の7月1日から、平静になった7月6日まで、大館、花輪、扇田、鷹巣、米内沢、ニツ井、能代、青森県大鰐の各警察署で動員した延人員は、警察官494人、警防団7,544人、一般民間人13,654人、計21,692人で、このほか警察部をはじめ県内各署から延536人が取調べなどで動員された。また、秋田、青森各地区憲兵隊、弘前憲兵司令部から延222人、仙台俘虜収容所第七分所(花岡町所在)から警備隊員延25人、秋田地区警備隊から7人が出動した。花岡町における民間団体としては在郷軍人179人、鉱山青年学校延122人、警防団延128人、鉱山警備隊延52人、鉱山男子義勇隊延127人、同女子義勇延140人、鹿島組延724人、秋田士建121人、清水組延155人が出動した」警察の資料によると、延べ24,106人が鎮圧に動員されたのだが、このように厳重に警戒された中で、空腹と疲労で衰弱しきった中国人は次々と捕縛され、花岡鉱山の共楽館という劇場の広場に集められた。しかも、獅子ケ森などで抵抗した十数人の中国人は、日本刀とか竹ヤリなどで殺されたが、殺した人たちというのが警察とか憲兵ではなく、民間人である消防団員や青年団員などであった。

 また、獅子ケ森からさらに遠くへ逃げた人たちも、各町村の消防団員や青年団員などに捕えられて、花岡鉱山に引っぱられてきた。その当時、花岡鉱山に勤めていたある娘さんは、目撃したことをこう語っている。
                  
「小坂線の汽車の中で、二人ずつつながれてくるのをみた。フラフラしているのに、力いっぱい丸太でなぐられていた。本当にかわいそうなものだった。それでもその時、敵の国の人間だと教えられていたから、にくいと思ってみていた」(『現地調査報告書』)また、山奥に逃げ込んで、山狩りされて捕えられた人たちの場合も、悲惨なものであった。隣の早口村の山奥にある山田集落に逃げた中国人の模様を、消防団長は次のように語っている。

「この山田部落にも、五、六人の中国人が山を越えて逃げてきた。警察から、部落に放火するかもしれないから、消防団でつかまえてつれてきてほしいと連絡があり、二人つかまえて花岡の共楽館につれていったが、二人でしばられ、坐らされていたのを目撃した。その二、三日後、山田部落の保滝沢で三人つかまえたが、ヒローコンパイその極に達し、ロもきけない状態であった。中国戦線から復員した若者二人が中国語で話しかけたが、返事もできない状態で、それが気にくわぬと軍靴で顔をふむ、蹴る、殴るをした。この人たちが殴ったためかどうかは知らぬが、とにかく三人とも死んでしまった」(『現地調査報告書』)

 こうして共楽館前に集められた中国人たちは、二人ずつうしろ向きに縛ら
れ、砂利の上に坐らされた。真夏の太陽がジリジリと照りつける炎天下に、水も食べ物もあたえられず、三日三晩にわたって拷問と虐殺がつづけられた。共楽館前の広場での中国人を見た鉱山労働者は「全くフラフラにつかれはててから逃げだしたのだろうから、つかまえられて共楽館前につれてこられただけで、死んでいたものが多かったろう。全部二人ずつ後手にしばられて、坐らされていた。あの暑い時、三日三晩も坐らされ、たたかれたのだから、ただでさえたまったものではない。便所へゆくのも二人つながれたまま、死んだ相手をひきずりながら、みな用を足していた。出る小使はみな血であった。ところが、水ものまされずのどがかわききった彼等は、それに口をつけてのんでいるものもあった。本当に気の毒だ、かわいそうだと思っても、ピストルや剣をつきつけた将校がゴウ然とかまえて、憲兵や警官を指揮しているのを見ると、誰も口にだせるものではなかった。言ったらすぐにやられる。血気の多いものはぶんなぐったり、つついたりした人も沢山あった。あの当時は、あの様な気持にされてしまっていたのだ」と語っている。(『現地調査報告書』)

三日三晩にわたって、残虐非道な拷問を受けて殺された中国人は、113人であった。


敗戦後も重労働続く

 四日目に、花岡派出所の留置場に入れられている主謀者の13人を除いて、再び全員が中山寮に収容された。こんどは、棍棒を待った補導員にかわって、武装した警官が監視にあたるようになった。数日後からは、主食の饅頭に混っているものがいくらか少なくなったほかは、以前と変わらない重労働がつづけられるようになった。この後も、病気で倒れる人や、警官などに殴られて死ぬ人などが、あとをたたなかった。

 その当時、大館警察署長として鎮圧の先頭に立った三浦太一郎は、二七年後にそのことを回顧して、次のように語っている。

 「(蜂起して)つかまえた人たちは、共楽館へ連れていかれました。ところがね、アメーバ赤痢だとか、いろいろな病気をもった連中でしょ。だから、鉱山の慰安施設である共楽館の中に入れるわけにはいかないと鉱山側がしぶるんですな。考えればムリもないが、そのとき私は腹がたった。そうこうしているうちに、警防団が出てきたりして、警備隊とか応援にきた入らが、結局、共楽館に集められたんです。あとで広場に放置したということになってしまったが、二日目からは、食糧もちゃんと与えましたよ。共楽館で拷問が行われたといいますが、そんなことはない。あえいでいる中国人の顔へ水をふきかけてやり、助けてやったりしたものです。横浜のB級裁判では、そんな証言は取り上げられなかった。『敗戦国民が何をいうのか』のひとことで終わりですよ」
(「日本で中国人は何をされたか」−『潮』一九七二年五月号)


 三浦が言うように、中国人にたいして拷問も虐待もなく、食糧もちゃんとあたえられていたとすれば、共楽館前だけで121人の死亡者が出るはずがない、と考えるのが普通であろう。一方、花岡派出所の留置場に入れられた13人のリーダーたちは、一週間にわたって拷問を受けたのちに、秋田市の秋田刑務所に移されたが、その状況を『秋田県警察史』(下巻)では、こう記している。

 「事件発生以来逃亡者の捜査、逮捕に主力を傾注した結果、7月7日にいたり752人を逮捕、謀議参加または殺人実行行為者としてつぎ13人を国防保安第十六条第二項の戦時騒擾殺人罪で送局した。

(筆者注・カッコ内は年齢)
 首魁=耿淳(30)謀議参与=李克金(28)孫道敦(44)張金亭(32)趙書林(36)劉錫財(32)劉玉郡(30)劉玉林(37)殺人=宮耀光(22)李広衛(27)張賛武(23)楷万斌(27)李秀深(23)」

 だが、8月15日に日本が無条件降伏をした二日後の8月17日に、内務省主管防諜委員会から敗戦にともなう「華人労務者ノ取扱」について、関係者に通達が出された。その内容は、中国人の労務を中止し、賃金を払い、衣食を支給し、留置者は即時釈放し、死亡者の遺骨を整理し、送還の準備をせよ。というものであった。

 しかし、こうした通達がとどいても、鹿島組花岡出張所では中国人たちを解放するどころか、敗戦前とまったく同じ状態のままで、強制労働をつづけさせた。鹿島組傘下の死亡者を見ると、八月は49入、9月は68人、10月は51人が死亡している。

 その後、9月2日に日本は連合軍の降伏文書に署名し、長くて暗い戦争は正式に終わった。

日本軍が捕虜にした連合国軍人や抑留者にたいしても、

 一、捕虜と被抑留者を虐待したものの処罰
 二、捕虜と被抑留者にたいする解放、保護、送還
 三、捕虜と被抑留者にかんする報告

の三点をくり入れた「降伏文書」や「連合国最高司令官総司令部一般命令第一号」などが発令され、中国人の強制連行と労役も終わりをつげたにもかかわらず、鹿島組花岡出張所の中国人たちには、戦争状態がつづいていたのだった。

 花岡の中国入たちが日本の敗戦を知ったのは、日本がポツダム宣言を受諾してから1ヵ月半もすぎた9月中旬のことである。ある日、一台の飛行機が花岡の上空に飛んでくると、花岡にある仙台俘虜収容所第七分所のアメリカとオーストラリア人たちに、物資を投下した。

 はじめて日本の敗戦を知った中国人たちは、すぐに仕事をやめて中山寮に帰り、今後の対処の仕方などを検討した。しかし、そこに入ってきた鹿島組の係員は、「仕事に出ないと飯を食べさせない」と威嚇するし、三浦大館署長も寮に入ってくると、「指示を聞かない人は容赦をしない」とおどした。

 中国人たちが敗戦の内容を知ったのは、その翌日に、花岡派出所に留置されていた通訳の于傑臣が釈放されて中山寮にもどってからだった。日本は無条件降伏をしたことや、耿隊長たち一三人は秋田刑務所で無事であることも知らされた。耿隊長たちはすでに死刑にされたと、中国人には知らされていたからだった。

 このことは、秋田刑務所に収容されている13人の場合も同じであった。ポツダム宣言受諾後も日本の敗戦は知らされず、戦争状態がそのままつづいていた。しかし、1945年9月15日に、秋田に進駐する第八先遣隊として、ページ少佐以下の将校たちが山形県の新庄からジープで秋田入りすることが決まったが、その四日前の9月11日に、秋田地方裁判所では、起訴していた13大の中国人に、大急ぎで判決をいいわたしたのである。

 叛乱罪を主張した憲兵隊が解散され、特高もなくなってしまったにもかかわらず、「『戦時』の騒擾殺人罪を、『戦後』に裁判した」(石飛仁『中国人強制連行の記録』太平出版社)のであった。しかも、占領軍が進駐してくることを知って、その直前にあわてたように裁判をしたのである。形式的にしろ、中国人たちの弁護にあたった秋田市弁護士会長は、この時の「法廷は国法の尊厳に輝いていた。わずかに法灯を守りつづけた人たちが、世評をよそに三ヵ月の苦労をつづけて、今日の判決に導いた誠意に慰められた」と、判決後に語ったという。
(赤津益造『花岡暴動』三省堂新書)


 
虫ケラのように殴殺

 林 
新しい中国の人たち来だの、あれは春になってからのことだったね。はじめに600人ばかり来て、それからひと月ばかり遅れて、また100人ばかり来たさ。その人たちみんな入ったから、こんど、中山寮の中狭くなったね。一人分のベッドに、二人も三人も寝るようになったさ。新しく来た人たち、わたしたちみたいにひょろひょろやせてないし、元気な人多いでしょ。それに、中山寮のいろいろなこと、知らない人多いからね。新しい人たち来た時、何人もの人たち、補導員に殴り殺されたよ。見せしめね。


 李 
わたしの小隊に、薛同道という人いたの。この人のからだ大きいから、とくに腹減るわけね。その日も、腹減ってどうしようもないから、仕事の途中に、裏山に登って、青くのびた草食べていたわけね。仕事終わって、寮に帰る点呼とったら、わたしの小隊でひとり足りないわけね。補導員が小畑だから、とくに悪いよ。小畑は、「逃げたに違いない。みんなで探せ」と、山とか田んぼとか探した。そのとき、裏山で草食べてる薛さん見つかったさ。縛って寮の前に連れてくると、新しく花岡に来た人たち集めて、みんな見ている前で、梶棒で叩いたね。頭でも、首でも、背中でも、どんなとこでも、好き勝手に叩くさ。倒れると、こんど踏むわけね。薛さんのからだ、血流れて、腫れてくるの。気失った薛さん、病室に運び込まれて、ひいひいと苦しそうに呻いて、三日後に死んでいったさ。わたし、薛さん死んだ晩、病室から寮に帰ってくると、耿大隊長に言ったね。「わたしたち、このままでは生きられない。生きる方法ないか」と。耿大隊長、黙って首を振るだけのことね。


 林 
からだ弱って、看護棟に運ばれて来た人に、趙老人という人いた。花岡に来た年寄の中で、いちばん長く生きたの、この趙老人ね。この人に、趙青児という息子いて、わたしと同じ看護班にいたの。親子で一緒に、日本軍につかまったわけね。趙老人が息引きとった時、趙青児そばにいて、大声でおんおん泣きだしたさ。そこに、小畑人ってきて、泣いている趙青児のこと足で蹴って、「死ぬやつは死なしておけ。泣くやつあるか」と叫ぶわけね。自分の親死んで、悲しくない人、どこにいるね。日本人の補導員、畜生よりもひどい人ばかりね。
人間の心、ひとかけらも持っていないよ。
 劉 
誰だったか、中国に帰るのことできた人でね、空腹の日つづくから、頭おかしくなったわけね。いつだったか、お昼の時、自分の分の饅頭食べてから、ほかの現場に、食べる物下さいと行ったわけね。そのこと補導員に見つかって、半殺しになったの。叩かれたり、煙草の火つけられたり、レール真っ赤に焼いて、足の間に挾まれたりして、お尻の肉、焼けとけちやったよ。あの人、いまでもお尻の肉ないと思うよ。看護棟に運ばれてきたけど、薬もないから、たいへんさ。傷ひどくなって、もう死ぬ状態になったさ。その時、日本の敗戦の
ことわかって、アメリカのペニシリン手に入ったの。それに、食べ物もよくなったでしょ。あの人、めずらしく助かったわけね。敗戦わかるの、もう一週間おくれていたら、いのちなかったね。この人の助かった理由、第三回目に来た人で、まだあまりからだ弱っていなかったの。わたしたちと同じに来た人だったら、もう助からなかったね。
 李 
新しい中国の人たち来てまもなく、仕事する時間、朝と晩で二時間ほど長くなったでしょ。それに、食べる物悪いから、腹減ってくるの当然さ。腹減って、草食べてるの見つかると、叩いて殺したり、片輪になるほど叩いて怪我させるのだから、ひどいよ。もっとひどいこと、同じ中国人に梶棒で叩かせることね。道路に捨ててあるもの拾って食べたとか、歩きながら道端の草引っぱって食べたとか、理由にならないようなことで、縛って寮に連れてくると、わたしたちを集めるの。一人ひとりに梶棒持たせて、縛ってある人のこと、叩かせるわけね。はじめのうちはいくら言われても、誰だって殴ったりしないでしょ。すると、補導員たち、命令きかないといって、叩かない人たちのこと、殴るの。どんなことされるかわからないし、殴られると痛いから、叩くようになるの。相手が痛くないように、叩こうとするから、力人らないでしょ。そのこと悪いといって、また叩くの。何人かで一人の人を叩いて、気が遠くなって倒れるでしょ。そのこと見ると、補導員たち喜ぶわけね。こんなひどいことないよ。人間のやることじゃないよ。


 林 
見せしめということもあったけど、中国人にそんなことやらせて、喜んでるわけね。叩かれる人もたいへんだが、叩く人もたいへんなわけね。
 李 
一日に一人か二人か、補導員に叩かれて死ぬ人あるよ。怪我して動けない人も、どんどん増えていくね。補導員たち、悪いことした人を叩き倒すと、こんど、わたしたち中隊長や小隊長集めて、「お前たち、教育するの足りない。だから、草食べに歩く。人の捨てたもの、拾って食べるのは、人間のクズだ」と、わたしたちのこと叩くの。死ぬほどは叩かないけど、毎日だからたいへんさ。自分の生きるの、あとIヵ月あるか、ニカ月あるか、そのたびに考えたよ。叩かれた人、すぐに死んでいくから、そのこと、いつ自分の身の上にふりかかってくるかわからないさ。


 林 
叩かれると、すぐ死ぬ人多いよ。気絶して、看護棟に運ばれてくるでしょ。その晩のうちに、血吐いて死ぬ人ほとんどね。どんなにひどい殴られ方したか、これだけでもわかるね。


 劉 
棍棒で殴ったり、殴り殺したりするのこと、寮の中でもあったさ。栄養のある補導員たち、力いっぱい、思いっきり殴るからね。いまくらいの元気あれば、棒で少し叩かれても、死ぬことないよ。栄養失調になって、ようやく息しているの状態で、歩いても空腹でめまいするからね。叩かれて倒れても、わざと倒れたと思うとるから、倒れた人のこと、また叩くから死ぬわけね。だから、1945年の三月ごろになると、一日に五、六人も倒れることあって、蜂起する時は、みんな倒れてしまうの状態だったからね。蜂起したの原因、これ一つね。


 李 
毎日のように誰か殺される日つづいていたとき、劉沢玉も、夜中に食べる物さがしに出たの、見つかったの。寮の前とかうしろに、ちょろちょろの水流れる小さい川、たくさんあるの。その小さい川の中に、小さなカニとか魚がたくさんいるからね。補導員が寝た夜中に、川に行って、それ取って食べるわけね。たくさんの人、夜中に寮から出て、それ取って食べたけど、運悪く、劉さん見つかったわけね。ひと晩、縛られたまま、寮のそとになげられていた。次の朝、わたしたち小隊以上の人、みんな事務所に集められたさ。伊勢が劉さんの罪のこと説明してから、わたしたちに、劉さんのこと殴らせようとしたの。だけど、わたしたち前に、同胞の人殴って、気絶させたことあったでしょ。その時、どんなことあっても、わたしたち殴り殺されても、同胞を殴ることはしまいと、相談して決めていたの。こんど、わたしたちに叩くように、脅迫したり、殴ったりしたけど、誰も叩く人いないでしょ。そのこと悪いといって、劉さんのこと裸にして、六人も七人もかかって、好き勝手に棍棒で叩いたり、靴はいた足で蹴ったり、踏んだりするの。劉さん痛いから、大声あげて、泣きながら机の下に逃げていくでしょ。机の下から引っぱってきて、またどんどん叩くの。気絶するでしょ。バケツに水汲んできて、倒れとる劉さんにかけるで史よ。気がつくでしょ。また、「このヤロウー」と叫んで叩くの。事務所の中、劉さんの大便でたのとか、晩に食べたカニの吐いたのとか、いっぱいちらばったね。もう弱って、立って逃げられないね。それでもまだ叩くから、こんど、転んで逃げるでしょ。からだに大便とか、吐いたのとかつくの。それ、人間のかっこうじゃないね。こんど、清水がね、鉱山で使うレールあるでしょ。そのレール、炊事場のかまどの火で、赤く焼いたの持ってきたの。あの時のこと、いまでもはっきりと覚えとるよ。息もつけないほどになって、倒れとる劉さんの股に、その赤く焼けたレール差し込んだの。劉さん、悲鳴あげて、その赤く焼けたレール、手でよけようとするでしょ。手が黒い煙だして、焼けていくの。焼ける音もするさ。こんど、補導員が何人も寄って、劉さんの手とか足押さえて、股にそのレールあてたの。部屋の中、人の焼けた煙で、いっぱいになったさ。劉さん、こうして殺されたの。わたしたち、そのこと全部見ていた。手助けすると、自分も殺されるかわからないから、誰も黙っていたけど、そのやり方、あまりにもひどいよ。


 林 
苦しい殺され方した劉さんのこと思うと、いまでも涙出るよ。あの朝早く、事務所に来いと、看護棟にいたわたしたちに連絡あったでしょ。わたしと誰か三人か四人か、事務所に行ったでしょ。劉さんの屍体、早く持って行けと叫ばれて、看護棟に運んだけど、もうその時死んでいたよ。めちゃくちゃに殴られて、顔の形もちゃんとわからないくらいにね、殴られて、顔の形、変わっているの。殴られたところとか、レールで焼かれた股とか、血が出たり、ベトベトしているの。もうこれ、人間の姿じゃないよ。病室に入れたでしょ。あまりのひどい仕打ちに、病気とか怪我の人たち、みんな声出して泣いたさ。そこに清水の鬼豚人ってきて、「泣いているの誰だ。早く埋めてしまえ」と、どなって歩くの。その朝のうちに、穴掘って埋めたけど、劉さんの殺され方、いちばんひどいね。

蜂起を計画

 李 
わたしの寝ている部屋、大隊長のすぐ隣なの。劉さんが殺された夜中に、わたし、大隊長のところに、話にいったの。「このままではわたしたち、いつ殺されるかわからない。早く逃げよう」と言ったの。大隊長、このとき覚悟決めたね。これ、蜂起のはじまりなの。わたしたちの蜂起、戦争敗けるの時までのびていたら、もっと多くの人たち殺されていたね。わたしたち、どうせ死ぬか、殺されるかするの、わかっていたさ。朝くると早く起こされ、仕事に出るでしょ。夜は暗くなってから、寮に帰ってくるでしょ。食べ物ぜんぜん悪いから、
立って歩くのもようやくの状態よ。それに、毎日のように、誰か殺されてるでしょ。生きていく気持、ぜんぜんないよ。早く死にたい、死ねばいまより楽になる、そう考えている人ほとんどね。どうせ、遅いか早いか、わたしたち殺される。このまま殺されるのだったら、わたしたちの同胞殺したり、わたしたちを苦しめた奴らを、この手で殺してやれというのが、当時のわたしたちの気持ね。このままにしていると、わたしたちみんな殺されるという気持、どの人にもあったさ。蜂起して、失敗しても、もともとさ。どうせ、一ヵ月か二ヵ月すれば、自分にも殺されるの当たるの、確実でしょ。生き残れる道、一つもないからね。日本まもなく敗けるのわかっていたら、もっと我慢して待っていたよ。中山寮に新聞もラジオも、なんにもないから、戦争どうなっているか、ぜんぜんわからないでしょ。新しく中国から来た人たちの話聞くと、日本の戦争、かなり苦しくなってることわかったけど、一ヵ月半の後に敗戦になるほど敗けてきていること、わたしたちぜんぜんわからないでしよ。死んでもともと、生きるには蜂起するよりほかになかったさ。


 劉 
わたしは看護班にいたから、その蜂起のこと、相談されたことなかったけど、一度でいいから、早く中国に帰りたい気持、誰にもあったね。病室で死んでいく人たちのほとんど、最後に、中国に帰りたいとか、母とか、妻、子どもの名前よんで、息引きとっていったからね。


 李 
いちばん最初に、蜂起の計画を相談したの、大隊長の耿譚でしよ、それに趙樹林、李克金とわたしの四人だったの。みんな劉沢玉の殺されるの見た、中隊長と小隊長たちね。相談するとしても、たいへんよ。昼は、とてもできる相談じやないでしょ。話してるの見つかるだけで、殴られるからね。劉さんの殺された日の晩、仕事から帰って、饅頭一つの夕食終わって寝たでしょ。夜中に、何回か補導員がまわってくるね。そのまわってくるの終わって、次にまわってくるまで、四人で大隊長のところに集まったの。そこで、蜂起すること決めたの。この計画、補導員たちに洩れるとたいへんでしょ。はじめから、多くの人に、話拡げないようにしたの。補導員まわってくるから、あまり長い時間、相談もできないでしょ。ちょっと集まって、相談するでしょ。こんど、便所に立ったふりして、また自分のところにもどって寝るでしょ。そんなこと、ひと晩に何回もやって、だんだんと相談固めていったの。計画かなり固まってから、口の固い人にだけ、またこの計画の話拡げていったの。蜂起の計画に参加したの、8入だったよ。あとの人たち、このことぜんぜん知らないさ。蜂起する晩になってから、全員に知らせたわけね。


 林 
わたしたちに知らされたの、蜂起の晩の9時ころだったからね。はじめはビックリしたけど、みんな、すぐその気になったからね。
 李 
計画の中で、わたしたちどうするか、詳しく決めて、その担当も決めたの。近くに、朝鮮の人たちの入ってる、東亜寮というのあったの。その寮のこと、知っている人多いよ。アメリカ兵のいるところは、知らない人多いね。アメリカ兵いることわかっていたし、だいたいの方角も見当つくが、場所は知らない。最初の計画から、わたしたちだけでなく、東亜寮の朝鮮人やアメリカ兵も解放して、一緒に立ちあがるのこと決めていたの。わたし、中国でゲリラの経験あるでしょ。からだ強くて、ゲリラの経験あるの70入ばかり連れて、東亜寮とかアメリカ兵のいる寮の日本人襲って、武器とりあげて、解放した人たち一緒に連れていく計画だったの。確か劉錫さんだったか、彼は20人くらいの同志連れて、花岡の警察派出所襲って、武器奪うことにしていたの。武器がいくらかあるの、知っていたからね。わたしたちの手に、武器ぜんぜんないでしょ。蜂起しても、武器ないと、なんにもできないでしょ。わたしたちだけで、800入くらいでしょ。それに、朝鮮人が300人くらい、これにアメリカ兵たち入れると、1,300人くらいになると考えたの。これに武器あれば、たいへん力になるという計画だったの。夜中に蜂起して、山の中に逃げるわけね。食糧も倉庫から持っていくから、当分食べられるでしょ。皆で山の中を逃げて、海に出るの。海の港か浜に、ボートか船あったら、それ盗んで乗り、中国に帰りたいと考えたの。それだけわたしたち、中国に帰りたかったの。わたしたち、かなり詳しく計画したよ。宿直室に寝てる補導員を襲う人たち、窓から逃げる人を待ち伏せする人たち、電話の線を切る人など、みんな決めたの。
 劉 
わたしたち看護人に伝えられた仕事、全員が蜂起したの見て、山に病人を運ぶことだったさ。


李 
病気とか怪我の人たち、たくさんいたからね。計画どおりみんなやってから、中山寮に火つけて、焼くことにしていたの。計画できて、実行することになったでしょ。わたしと張金亭さんの二人、その日、仮病使って休んだの。腹痛くて、仕事に出られないといってね。昼の間に、寮の中とか、事務所の様子など、二人で詳しくさぐったの。そしたら、補導員の中でもいちばん悪いの小畑と福田が、その晩は家に帰ることになっていた。それに、わたしたちによくしてくれる越後谷さん、この晩は泊まりに当たっているのわかったの。いい人は、殺されないでしょ。夜中に襲うと、どの人かわからないから、殺してしまうかもしれないからね。計画に参加した人たち、飯場に帰ってきてから、そのこと相談したの。やはり、そのことダメと決まったの。こんど、蜂起のする日、6月30日の深夜に延期したの。誰の気持も同じね。わたしたちによくしてくれた人、殺されないからね。6月30日の日も、わたし仮病使って休んだけど、その日、誰か補導員の一人来て、「お前、仮病使っている」と、寝ている上から、どんどん叩かれたけど、吐くの真似して、寝ていたの。30日の晩、越後谷さんともう一人の石川さんの二人、寮に泊まらないことわかったの。あとの補導員とか通訳たち、みんな寮に泊まることわかったでしょ。この日よりないと、この晩に蜂起すること決めたの。だけど、早く知らせると、どこから洩れるかわからないでしょ。蜂起する直前まで、秘密にしておいたの、いつものように小さい饅頭食べて、みんなでシラミ取りしたりして、寝る時になってから、中隊長や小隊長が自分の部下に、蜂起のこと伝えたの。その時の時間、
もう9時すぎていたと思うよ。

早すぎた蜂起

李 
蜂起のことみんなに伝えてからまもなく、小畑が見回りに来たの。戸開けて入ってくると、大きな足音たてて、部屋のなか回って、出て行ったね。わたし、身動きもしないで黙っていたけど、からだ汗ビッショリさ。蜂起の計画のこと、バレるのじやないか、誰か小畑の前にとび出して、蜂起のこと知らせるのではないかと思って、ピクピクしたよ。それから11時までの時間の長いこと、たいへんよ。からだ疲れてるけど、眼冴えているでしょ。眠ること、とてもできないさ。あまり部屋の外に出ると、あやしまれるから、ダメでしょ。寝ながら、いろいろのこと考えたさ。もう死ぬかもしれないからね。でも、わたしたち中国人に ひどいことばかりした補導員たちに、まもなく復讐するのことできるから、死んでも残念だという気持、あまりなかったね。ただ、一度中国に帰りたいの気持、これ、強かったさ。


林 
わたしのいる看護棟の病人とか、わたしたち看護班が蜂起のこと知ったの、看護長の劉玉林が知らせてくれてからのことね。病気の人たち、劉さんの話、黙って聞いていたね。補導員の奴らに、もっともひどい仕打ちされたの、病人たちだからね。それなのに、自分の手で仕返しのできないこと、残念なわけね。みんなの気持、蜂起うまくいってくれと、祈るようだったさ。蜂起はじまると、みんなで助けあって、山に逃げていくこと、わたしたちにきた命令ね。


劉 
蜂起の計画知らされてから、怪我の人、たいへんだったさ。傷口とか折れた手足とか、ちゃんとしておかないとダメでしょ。だけど、包帯もぜんぜんないでしょ。こんど、わずかに残っている着物さいて、包帯つくったの。だけど、準備してるのこと、補導員に見つかると、たいへんだからね。かくれて、少しずつやったの。
李 
夜中の11時ころ、わたしたちこっそり起きると、それぞれの部署につく人たち、起こして回ったの。どの人もみんな、目だけギョロギョロさせて、目覚ましたまま寝ていたね。自分の担当するの場所、みんな決まっていたけど、もう一度、確認して歩いたの。わたしは蜂起がはじまる前に、中国にいた時にゲリラの経験のある人70人ばかり連れて、東亜寮の近くまで行って、蜂起の起こるの待っている予定だったの。蜂起はじまると、すぐに日本人の監督襲って、朝鮮の人、解放することになっていたでしょ。ところが、わたしたち70人ばかり集まって、東亜寮に向かおうとしていた時、寮の中で、ギャアという大きな男の悲鳴聞こえてきたの。わたし、ビックリして寮の中に入ったでしょ。もう、任鳳岐が殺されているの。張金亭が早まって、事務所とか宿直室の窓口とか、その他の部署にみんながつかないうちに、任の奴を殺してしまったわけね。いま考えると、張の気持もわかるさ。蜂起の時間がくるの、いまかいまかと、居ても立ってもいられない気持ね。それで、我慢できなくて、手を出してしまったわけね。だけど、計画より早く、任が殺されたでしょ。その悲鳴、あまりにも大きかったわけでしょ。寝ている補導員たちに聞こえて、逃げられるとたいへんでしょ。寮の中暗いのに、計画よりも蜂起早まったものだから、みんなあわてたわけね。手にスコップとかツルハシとか持って、勝手に宿直室にとび込んでいったの。だけど、逃げるのに備えて、宿直室の窓の外を囲むことになっていた人たち、まだ部署についていなかったわけね。しかも、宿直室の中、暗いでしょ。誰がどこに寝ているか、ぜんぜんわからないからね。あとでわかったけど、このとき、宿直室の中で殺しだの、檜森と猪股の二人だけね。あとの人たち、みんな窓から逃げたの。それを追いかけて殺したの、長崎と小畑だけさ。あとの補導員たちに、逃げられてしまったわけね。生き残った福田、これいちばん悪いね。清水も助かったさ。いちばん悪いのことした補導員たち、殺せなかったわけね。計画より早く、やってしまったからさ。こんど、それからがたいへんだったさ。逃げた補導員たち、すぐ会社とか、警察に走っていくでしょ。それから大騒ぎになること、わかっていたからね。計画より早くやったために、アメリカ兵とか朝鮮人の解放もダメ、警察を攻撃することもできな
かったし、寮に火つけることも、やれなかったさ。食べ物も、つくる時間なかったからね。最初の計画ちょっと狂っただけで、みんなダメになってしまったの。


林 
わたしたち、中山寮から離れた看護棟にいたでしょ。蜂起のあるの、いまか、いまかと待っていたさ。待っている時間、長いわけね。我慢して、心を落ち着けて、待っていたさ。

夜中になって、寮の方で人の叫ぶ声したでしょ。それからたくさんの人が叫ぶ声とか、ガラスの割れる音とか、板が破れる音とかするね。劉さん、起きあがると、ランプに火つけたでしょ。みんな、起きあがったね。計画だと、補導員たち殺してから、食べ物たくさんつくり、それ食べてから持っていくことだったから、あまりあわてなかったの。時間があるからね。

だけど計画失敗したのこと、知らせてきたでしょ。食べ物つくる時間ない、すぐ山に逃げろと、知らせがきたでしょ。はじめの計画だと、50人ばかりいた病人たち、みんなで手分けして、一緒に連れて行くことだったけど、このことできなくなったわけでしよ。早く逃げないと、警察やってくるというので、起きあがれる人たち、我慢して起きて、病室から出たの。

起きあがって歩けない人たち、入口まで這い出してきたね。這うこともできない人たち、「待ってくれ」「ぼくも連れていってくれ」と、病室の中で叫んでるの。わたしたち何人かの看護人、歩けない人たち助けたり、背負ったりして病室の外に出たけど、重病の人多いでしょ。とても、みんな連れていけないの。寮の人たち、バラバラになって逃げ出していくの、暗い中で見えるでしょ。わたしたちも、気がせくわけね。早く逃げていきたい気持、誰でも同じさ。

計画だと、看護棟にも火つけて、焼くつもりだったの。だけど、動けない重病人たち、病室の中に残っているから、焼くのことできないでしょ。そのままにして、逃げたの。看護棟のそばに、水の流れる小さな川あるさ。その川が流れてくる山に、逃げ出していったの。外は暗いでしょ。どこに逃げていけばいいのか、ぜんぜんわからないからね。

李 
計画失敗したものだから、逃げた補導員たち、すぐ鉱山町に走ったでしょ。寮の中の人たち、まだ半分も逃げないうちに、下の方で警報のサイレン鳴ったり、半鐘鳴ったりするの、聞こえてくるでしょ。鉱山町の中で、電灯とかたいまつの明り、激しく動くの見えるの。

そんなこと見たり、聞いたりすると、早く逃げたいという気持、強くなってくるね。不安も出てくるでしょ。みんな、どこに逃げていくというあてもなく、走り出してしまうわけね。

それに、武器もぜんぜんないでしょ。何人かの人、スコップとかツルハシ持って逃げたけど、それもわずかな人たちね。重いから、走る途中で捨てた人、ほとんどさ。食べる物持った人も、何人かいたけど、それもわずかね。ほとんどの人たち、手ぶらで逃げていったの。暗いから、どこに逃げていけばいいのか、わからないわけね。中山寮からかなり離れたところに、高い山あるの、前から見て知っていたでしょ。暗い中で、その高い山だけ、ちゃんと見えるわけね。その山のかげに逃げれば、遠くまで逃げられると考えていたから、その山に向かって逃げたの。何人か先になって走ると、その後についてみんな走っていくわけね。田んぼとか鉄道とか越えて逃げたその山、岩とか本とかいっぱいあって、ひどいさ。暗いから先見えないし、あわてて逃げるから、岩にぶつかったり、木にぶつかったりして、手からも足からも、血が出るわけね。それでも、ぜんぜん痛いと思わないの。早く遠くへ逃げていきたい気持で、どの人も夢中だからね。この山の名前、後になって聞いたけど、獅子ヶ森というところね。これ覚えたの、ずっと後のことさ。

林 
わたしたち病人と一緒だから、そんなに走れないでしょ。あっちの谷のぼる、こっちの山のぼるでしょ。坂ころがり落ちたり、本にぶつかって倒れる人多いの。だから、長い時間歩くと、みんなバラバラになってしまったさ。病室からいくらか外に出て、あとはそのままという重病の人も、わりに多かったよ。


李 
いま考えると、もっといい逃げ方あったね。いまになると、そのことよくわかるけど、あの時はべつね。獅子ヶ森という山、わたしたち逃げていく目標でなかったけど、どこに逃げていけばいいのかわからないから、見える高い山を目標にしたわけね。はじめに計画した時、どの方角に逃げていくか、ちゃんと決めていたの。だけど、はじめの計画狂ったでしょ。先になって、みんなを引っぱっていく人、いなくなってしまったさ。みんなバラバラに逃げたから、どうにもならないよ。それでも、かなり遠くまで逃げた考えでいたけど、朝が来て、あたり見えてくると、わたしたちたくさんの人がのぼっている山のすぐ下に、家があるわけね。花岡鉱山も、ちょっと遠くの目の前に見えるさ。ぜんぜん遠くに逃げていないわけね。それに、夜明けると、もう警察とか、消防団の人とか、いっぱいの人たち、わたしたちのいる山を取り囲むようにしているのが見えるの。夜、明けると、わたしたちのからだ、もうふらふらね。骨ばかりにやせて、食べ物少ない毎日だったでしょ。そのからだで、ひと晩寝ないで、歩きつづけたわけでしょ。もう、腹の中になんにも入っていないさ。空腹になっても、山の上だから、飲む水もないの。これだから、戦いになっても、どうにもならないよ。山に来た時、もう膝ガクガクして、動けなかったからね。食べ物あったら、もっと遠くへ逃げられたけど、そんなものないから、とても無理ね。戦ってすぐに負けるの、わかっていたの。

拷問の明け暮れ

林 
夜明けても、わたしたち病人と一緒だから、ぜんぜん遠くへ逃げられないわけね。わたしも、看護棟からどれくらい逃げたかな。いくらも離れていなかったさ。朝が明けたころ、警察の人が来て、わたしたち看護班を捕えたね。疲れてるから、戦うのことぜんぜんできないよ。わたしたち捕えられると、二人がひと組に縛られて、トラックに乗せられたさ。病人は逃げることできないから、そのままね。病人たち、山からまた病室に運ばれたの、いつのことかわからないよ。わたしたち乗せたトラック、花岡派出所の近くに、大きな鉱山の劇場あるでしょ。その劇場の前、砂利敷いた広場ね。その広場に降ろされたの。縛られたまま砂利の上に、正座させられたから、足とか嬬痛いよ。この広場に連れてこられたの、わたしとか劉さん、いちばん最初ね。坐らされると、手拭で目かくしされたでしょ。目かくししたの、わたしたちの首、斬り落とすためかな思ったね。その方が、叩き殺されたり、食べ物なくて餓え死にさせられるより、ずっと楽だと思ったさ。こんな苦しいのことイヤだ、早く死にたいと思っていたから、死ぬのこわくなかったさ。


 李 
岩山に集まったの、何人いたかな。少なく見ても、300人はいただろうかね。何力所かに固まっていたけど、どの人も、動けないほど疲れているね。食べる物ぜんぜんないでしょ。太陽高くなってくると、暑いでしょ。みんな、動くこともできないさ。わたしたちのいる岩の山囲んで、警察とか消防団とかの人たち、いっぱいいるの見えるでしょ。人乗せたトラック、どんどん走ってくるでしょ。どうなるのか、だんだん心配になってくるでしょ。朝だいぶ進んでから、警察とか消防団の人たち、いっせいにわたしたちのいる山に登ってき
たね。みんな、鉄砲とか、日本刀とか、竹ヤリとか持っているでしょ。わたしたちの中で、武器持っている人、誰もいないさ。こっちが負けるのこと、確実にわかるからね。それでもわたしたち、鉄砲とか日本刀持って、山登ってくる人たちに、石投げたり、棒きれふったりして戦ったさ。でも、かなわないわけね。鉄砲でうたれたり、日本刀で斬られたりで、何人もの人たち、山の上で殺されたね。こんど、捕えられるでしょ。二人が一組に縄で縛られて、山から下って、花岡の劇場の前まで歩かされたの。トラックに乗せられた人もいたけど、トラックの数少ないから、歩かされた人多いよ。わたしたちのこと見た農家の人とか、鉱山の人たち、石投げてきたり、ツバ吐いてよこしたりするの。なにか大声で言ってるけど、その意味わからないよ。だけど、蜂起のこと、怒っていることだけは確かね。劇場の前に着いたでしょ。ふらふらで、倒れた人もいたよ。こんど、二人一組に、背中合わせに縛られて、砂利の上に坐らされたの。ちょうど、真夏でしょ。食べ物もくれないし、水もないでしょ。目の前ぼんやりして、なんにも見えないほど、ふらふらになったの。でも、二人が一緒に縛られとるでしょ。一人ふらふらすると、二人とも倒れてしまうの。すると、警官とか憲兵が走ってくると、そのこと悪いといって、棍棒で頭とか背中を、パンパンと叩ぐの。二人一緒だから、坐らされても疲れるわけね。それに、一人のひと弱っていると、二人とも倒れるから、叩かれることも多いわけね。


 劉 
昼ころになると、真夏の太陽、ジリジリと照りつけるからね。前の晩、小さい饅頭一つ食べただけで、ひと晩、田んぼの中走ったり、山登ったりしたわけでしょ。もう、誰の腹の中にも、なんにも入っていないさ。しかも、暑い太陽、まともに受けているからね。砂利の上に坐るから、脚が痛むさ。少し動くと、梶棒とんでくるでしょ。地獄よりもひどいところさ。
 林 
いちばん苦しいの、水飲みたいことね。口の中とか喉、ピリピリ痛むよ。「水ほしい」「水ちょうだい」と、何人もの人たち言ったよ。そのこと言うと、何か大声で叫びながら、棍棒とんでくるの。いま考えても、よく生きていたと思うよ。憲兵の中で、ひどい人もいたよ。水飲みたい言うと、桶に水汲んで、わたしたちのそばに持ってくるでしょ。その水、ヒシャクに汲んで、目の前につき出してよこすの。飲みたいでしょ。うしろに縛られている人を引っぱって、顔を近づけていくわけね。すると、その水の入ったヒシャク、だんだん遠くしていくの。こんど、倒れるでしょ。そのこと悪いと、また棍棒とんでくるわけね。最後にその水、目の前の砂利にあけたり、頭にふっかけたりするの。水、頭から顔に伝わって、流れるでしょ。その水、舌を出してなめるの。そのことおかしいといって、みんなで笑うの。あんなことやる人に、人間の心ないよ。日本の人、ひどいことばかりするの多いね。


 李 
劇場の前、引っぱられてきた人で、だんだんいっぱいになってきたでしょ。そのわたしたちのこと見ようと、女の人とか、子どもとか、たくさん来たね。何か大声で叫んで、わたしたちの顔に、ツバ吐いて、帰っていく女の人もいたよ。子どもの中には、わたしたちのいるところに来て、顔とか腕とか、叩いて歩くのもいたよ。遠くから、石投げてよこす女の子どももいるね。わたしたち縛られてるから、そんなことされても、よけることできないよ。黙って、睨みつけているだけね。こんど、二日目になって、生死のあいださまようようになると、睨みつけることもできないさ。されるがままの状態ね。


 林 
砂利の上に、三日二晩も坐らされていたけど、食べ物とか水、ぜんぜんぐれないの。夜になっても、横になって、寝ることもできないの。四日目になって、スイトンみたいなもの、お椀にたった半分だけ出たね。いま考えても、生きていたこと、まったく不思議ね。みんな、疲れと空腹で、ふらふらしているでしょ。倒れる人、多くなるわけね。どうにもならなくなって倒れると、そのこと悪いといって、棍棒で叩かれるから、死ぬ人多くなるわけね。死んでも、そのままにしておくよ。二人一緒に縛られとるうち、一人死んでもそのままにしておくでしょ。わたしの背中に縛られた人、名前も誰かわからないよ。からだの弱い人だったわけね。劇場の前に引っぱられてきた日の夕方、もう死んだよ。死んだ相手のからだ、だんだん固くなってくるでしょ。すると、重くなっていくの。一人でもたいへんなのに、死んだの人ひとり背負っているのだから、苦しいさ。こんど、次の日になると、死んだ人、だんだん臭いしてくるの。重くて、臭いしてきて、どうにもならないよ。こんど、晩になるでしょ。犬とか、猫とか、何匹も集まってくるの。死んだ人の足とか手とか、食べようとするの。食べるもの奪い合って鳴いたり、骨を噛むの音、夜中になると聞こえてくるの。生きてる人にも、かぶりついてくるの。わたしの膝にも、爪かけてきた猫いたけど、追うにしても、声出ないよ。疲れて、からだぜんぜん動かせないさ。わたしは食べられなかったけど、あとで聞くと、食べられた人もいたわけね。地獄よりもひどいところだったさ。


劉 
わたしたちのからだ、裸のような状態だからね。昼は暑いし、こんど、朝方は寒いでしよ。寒くて、からだがカタカタさ。これじゃ、なにをされなくとも、死んでしまうさ。


 李 
わたし、劉さんとか林さんみたいに、劇場の前に坐らされたの、半日くらいのことね。わたしたち捕えられて、連れてこられると、すぐに言ったの。蜂起のこと、わたしたち計画した、わたしたちの手でやった、ほかの人たち関係ない、早く寮に帰してほしいとね。わたしたちリーダー13人、すぐに花岡派出所に連れていかれたさ。ほんとは、計画に参加したの8人ね。だけど、あとの5人、わたしたちのちょっとした不用意のために、リーダーの中に入れられたの。8人はみんな、もう覚悟決めてるからいいけど、あとの5人、泣いてるよ。わたしたち関係ない、殺されるのイヤだと。その人たちの気持、よくわかるね。自分たちで計画したことでないからね。わたしたち、あとでそのこと何回も言ったけど、警察で認めてくれないよ。わたしたち13人のほかに、中心になった人、まだいるかと、ほかの人たち拷問にかけて、聞いたわけね。からだとか、ズボンとかに、いくらか血のついてる人いるでしょ。すると、その人、日本人殺した犯人でないかと、拷問にかけるの。リーダーになった人たち、
必ず殺される、生きられると、誰も思っていないからね。


 林 
病人でも同じだったさ。自分で転んで、傷つけて、血流してる人いるでしょ。その人、補導員のこと殺した人かもしれないと、劇場の中に連れていくの。劇場の中、拷問にかける場所ね。何時間かたって、劇場の中から運ばれてくるでしょ。もう動けないね。病人のひと拷問にかけるのだから、当然ね。劇場の中から、死んで出てくる人もいたね。劇場の中、どんなことあったか知らないけど。


 李 
わたしたち13人、花岡の派出所に入れられたでしよ。こんど、どんな計画して、誰と誰が補導員たち殺したか、詳しく自白させようとしたの。だけど、誰もそのこと、詳しく言わないの。どの人も、わたしたちみんなでやった、あとの人たち、ぜんぜん関係ないと言うだけでしょ。こんど、調べてる警官たち怒ってね。一人ひとり、劇場の中に連れていくの。天井の高い、がらんとした劇場ね。人った時に、とうとうここで殺されるのかと思ったよ。劇場の中に入るでしょ。何人かで、ビンタンくわせるの。わたしたち、立ってもふらふらの状態でしょ。一つビンタンくうと、もうその場に倒れるさ。倒れると、また立だされるでしょ。するとまた、ビンタンとんでくるの。そんなこと、何回もやらされるでしょ。それでも、誰も自白しないでしょ。こんど、長い木の腰掛けあるでしよ。その腰掛けに、仰むけに縛りつけられるの。それから、桶に水汲んできて、口と鼻から注ぎ込むの。苦しくて、息もつけないでしょ。からだ動かそうとしても、縛られとるから、動けないでしょ。「苦しい!」と叫ぼ
うとしても、口とか鼻に水いっぱい入ってるから、声出ないでしょ。また、そんな元気もないから、気を失ってしまうわけね。ところが、気失ってしまうと、こんど、腰掛けを逆さに立てるの。頭が下になるでしょ。すると、からだの中に入った水、こんど、口や鼻から出るでしょ。水出ると、わたしたち息を吹き返すわけね。その時の苦しいこと、とても言えないよ。ひと思いに殺してくれと、何度も叫んだよ。声にならないけどね。息を吹き返すでしょ。すると、また腰掛け水平にして、口と鼻にまた水を注ぎ込むの。気を失うと、また腰掛け逆立てにするでしょ。こんなこと、三回もつづけてやられると、もうダメよ。自分の力で、派出所まで歩いて帰れないよ。リヤカーに乗せて運ばれて、留置場の中に放っぽり出されるの。わたしだけでなく、13人、みんな同じことやらされるでしょ。でも、8人の誰も自白しないでしょ。5人は関係ないから、わたしじゃないと叫ぶだけね。こんど、次の日になると、また、劇場の中に連れていかれるの。こんどまた、なにをされるかわからないから、恐いさ。

 通訳来て、みんな白状しろ、許してやるからと言うでしょ。だけど、ひと口も言わないでしょ。こんど、太い注射器持ってくるの。桶の中の水、その注射器の中にいっぱい入れるでしょ。ハシゴの上に、わたしのからだ縛りつけて、その注射器腹にさして、水を腹の中に入れるの。何度もやると、やせてへこんでる腹、丸くふくらんでくるの。誰か靴のまま腹の上にあがって、腹の上ではねて、ふくれた腹ふむの。すると、口とか耳とか鼻からとか、腹の中の水、ふき出してくるの。その時の苦しいこと、たいへんよ。このこと、四回も五回もやらされるでしょ。それでも、誰も自白しないでしょ。こんど、天井から垂してある針金に、両方の親指縛りつけて、その針金を、上に巻き上げるでしょ。からだ宙吊りになると、こんど、尻でも脚でも、棍棒でめちゃくちゃに殴るの。痛いから、ぶらん、ぶらんと動くでしょ。親指の皮、べろっと抜けて、からだ下に落ちるの。そのとき、ほとんどの人、気絶してしまっているけど、まるで、犬か猫みたいな扱い方されたね。

生き地獄の毎日

 林 
わたしたち共楽館の前の広場に、三日二晩いたけど、食べ物も水も、ぜんぜんないでしょ。一日に一回は、共楽館の中に引っぱられて、お前、暴動に参加したろ、人殺したろと、拷問受けるでしょ。わたしそのこと知らない、わたし関係ないと言っても、信用しないの。嘘つくなと、殴る、蹴るをつづけるわけね。共楽館の中で死んだ人、建て物のわきに運んできて、積んでおくよ。三日の間に死んだ人、何人いたかな。いっぱい積んであったさ。20人くらいはいたね。広場でも死んだ人多いね。昼も夜も、あっちこっちで死ぬよ。昼は死ぬ人わかるけど、暗い時は、誰死んだかわからないよ。朝になって、明るくなると、死んでる人見えてくるの。あっちでも、こっちでも、死んだ人見えるわけね。死んだ人も、そのまま広場に捨てられてあるでしょ。朝になるでしょ。ハエがいっぱい飛んでくるの。死んだ人の口とか目とか、ハエがついて黒くなっているさ。そのハエこんど、生きてるわたしたちの口とか鼻にも、飛んでくるでしょ。わたしたちのこと、死んでいると思っているわけね。いま思うと、ハエも区別つかないほどになっているわけね、生きとる人か、死んだ人か……。それくらい、生きとる人もひどくなっていたわけね。


 李 
わたしたち13人、ひどい拷問受けたけど、殺そうとしなかったね。憲兵とか、警官たち言うに、お前たち日本人殺した、裁判にかけて死刑にする、それまで、殺さないで生かしておく、というようなこと、わたしたちに言うの。わたしたち、日本語よくわからないから。それでも、同じこと何度も言われるから、言ってることの意味、わかってきたけどね。いま考えても、あんなにされて、生きていたの、不思議なくらいね。わたしたち13人、花岡派出所の留置場に一週間ほどいたけど、一日に少ない時で三回、多い時だと五回から六回
も、共楽館の中に引っぱり出されて、いろいろな方法で拷問受けた。わたしたち8人が責任者、わたしたち計画した、日本人も殺したこと、何回もしゃべってあるでしょ。だから警察の人たち、蜂起のこと全部、ちゃんとわかっていたわけね。それでも、留置場から引っぱり出して、殴ったり、叩いたり、水槽の中に水入れて、その水にわたしたちの首つかまえて、入れたりするの。もう、なにも言うことないでしょ。それでも、拷問するわけね。


 林 
わたしたち、砂利の上に坐らされて三日目になると、もう坐っているのことできないさ。みんな、いまにも倒れそうに、ふらふらしているさ。何日も、水もなければ、食べ物もないでしよ。舌も唇も、カサカサして、火がついたように熱いさ。夜中に、小雨があったの。両手縛られてるから、雨掬うことできないでしょ。顔流れてくる雨、舌出してなめるの。その雨のうまいこと。半分死んでいたのが、この雨で生き返ったわけね。わたしだけでなく、この雨で生きのびた人、かなり多いよ。四日目の昼ころ、スイトンみたいなもの、椀に半分配られて、それ食べたでしょ。こんど、スイトン食べてから、中山寮に帰ることになったの。

共楽館から中山寮まで、距離だいぶあるね。それに、坂道多いでしょ。縛られていた縄とかれて、歩けと言われても、立てる人いないよ。石ころの上に、三日二晩も坐ってたわけでしょ。膝とかすねに、大きな傷ついてるの。その傷の中に、砂利とか土とか、いっぱい入っとるでしょ。なんとか立っても、歩くと、こんど傷痛むの。平たいところだと、なんとか立って歩いたけど、坂道になると、とても歩けないでしょ。みんな這ってのぼったけど、膝とかすねの傷、石とか砂にぶつかるから、痛いでしよ。血が流れてくるの。痛いから、黙ってるでしょ。すると、早く歩けと、棍棒とんでくるの。泣いても、声出ないし、涙も出てこないさ。共楽館から寮まで行く途中に、死んだ人もいるよ。四日目に寮にもどって、次の日、わたしたち看護人に、共楽館の広場の屍体、片づけるように命令されたの。だけど、自分で動くこともできない人、ほとんどでしょ。どうやって死んだ人たち、山の上まで運んでくるのことできるね。
 劉 
あのとき、看護長もいないから、わたしと林さん、交渉したね。わたしたちの力で、運んでくることできないと……。このとき、殴らないで、そのことわかってくれたね。そんなこと、花岡に来てからはじめてのことね。それだけ、わたしたちの弱っているの、わかったわけね。こんど、わたしたちに、大きな穴、二つ掘らせたの。わたしたちその時、この大きな穴に、死んだたくさんの同胞たちの屍体埋めるのかな、それとも、わたしたちが殺されて埋められるのかな、と考えたね。穴できて、何日かあとに、朝鮮の人たち、広場から屍体運んでくると、大きな二つの穴に、たくさんの屍体投げ入れて、土かぶせたの。わたしたち看護班の人たち、同胞たちの屍体の上に、土かぶせたの。大きな二つの穴のほかに、小さな穴、もう一つ掘ったの。その穴の中に、任鳳岐をひとりだけ埋めろというの。わたしたちの同胞を食いものにした入、死んだ後も特別の扱いうけること、不満で仕方なかったけど、一人だけ埋めたよ。命令だからね。日本、戦争に負けてから、わたし三回ばかり、花岡鉱山に行ったよ。遺骨のことで行ったのだけど、二回目に行った時、日本の赤十字とか、東京の華僑総会の人たちとも一緒ね。大きな穴二つあって、その穴の中に、まだたくさんの骨残っているの。その骨拾って、水で洗って、干してから箱に入れたけど、これが広場で殺された人たちの骨ね。何日も、水も食べる物もなくて殺され、何十人も一つの穴に投げ込まれて、骨はバラバラに捨てられて、あまりかわいそうで、涙ばかり出たよ。


林 
わたしたち看護班は、次の日から働いたけど、ほかの人たち、二日目から仕事に出たの。仕事に出る朝、みんなを寮の前に集めて、共楽館の前で、わたしたちを拷問する時、指揮をとった三浦署長と、河野所長の訓話あったの。日本の通訳、そのこと、わたしたちに知らせてくれたけど、そのとき、耿太隊長以下13人の主犯たち、すでに死刑になっている、と話あったの。わたしたちそのこと聞いて、ビックリしたの。なかには、鼻すすりあげて泣く人もいたけど、いま考えると、李さんたちまだ、花岡派出所の中にいたわけね。そんな嘘言って、わたしたちのこと、脅したわけね。

劉 
わたしたちは次の日から働いたし、工場で働く人は、二日目から仕事に出だけど、食べ物の量、前よりいくらか多くなったほかは、なんにも変わったことないね。仕事はきついし、補導員のかわりに剣を下げた警官が監督につくようになっても、わたしたちのこと殴るの、前と同じね。蜂起する前より楽になったことぜんぜんないよ。

敗戦後も戦争状態

 李 
わたしたち、花岡派出所に入れられて何日目かな、こんど、通訳の于傑臣も投げ込まれてきたの。このとき、みんなビックリしたさ。夜中になって、見回りの人あまり来なくなってから、みんなで彼に聞いたの。蜂起の状態のことも、わたしたちぜんぜん知らなかったからね。わたしたち殺したの、檜森と猪股が寮の中で、小畑と長崎が寮の外で、あとの補導員たち生きていること知ったの。そのこと聞いて、みんなガックリしたね。こんど、大館警察署の留置場から、両手を前に縛られて、トラックに乗せられたの。どこに連れていかれるのか、ぜんぜん知らされないでしょ。銃殺される場所に連れていかれるのかなと、何度も考えたりしてね。トラックに長い時間乗せられて、大きな町の中とおって、こんどトラックが停まって蹴り落されたけど、そこが秋田刑務所だったの。于は秋田の刑務所に来なかったから、ぜんぶで13人来たわけね。

 林 
蜂起のあと、通訳は日本人がやっていたよ。于傑臣のこと、ぜんぜん見かけなかったから、蜂起のとき、殺されたのかと思ったよ。あとで、留置場から出てきて、わたしたちに日本の敗戦のこと、知らせてくれたけど、戦争終わってからも、いつ中国に帰ったのか知らないよ。わたしたちと、まったくべつに来た人だからね。


 李 
秋田刑務所の中で、わたしたち、一人ひと部屋ね。毎日、取り調べ受けたし、殴られることもあったけど、ご飯は三回あるし、蒲団あるし、ゆっくり眠れるし、刑務所の中、天国だと思ったさ。だけど、刑務所のご飯の量、ぜんぜん少ないの。ご飯の中味、大豆三分の一、麦三分の一、米三分の一ね。ぜんぶ食べても、ふた口か三口でなくなるよ。お腹の中、ぜんぜん感じないわけね。わたし、いつもご飯くるでしょ。こんど、箸で、椀の中の大豆一つ一つとって、数えながら食べるの。お椀の中に大豆、だいたい30粒ほど入っているの。

 大豆食べ終わると、こんどは麦を箸で拾って、これも数えながら食べるの。麦は、だいたい50粒ほど入っているね。大豆と麦食べると、米はいくらもないから、すぐ食べ終わるさ。なんにもすることないから、一日三回、こんな食べ方して、時間をかけていたさ。こんど、独房の中に、小さな窓あるでしょ。その窓見ながら、太陽どこまでくると、三回のご飯のくる時間、わかるようになったの。太陽の動くの見ながら、ご飯まだかなと、そのことばかり考えていたよ。だけど、お椀に半分くらいのご飯だと、すぐにお腹すくでしょ。便所に立ってもいけないよ。立つただけで、もう頭ふらふらするの。刑務所に来て10日ばかりたったある晩、わたし、夢見たの。中国で別れたままの兄弟とか、亡くなった母のことなど、みんな夢の中に出てきたの。刑務所の朝、早いでしょ。六時になると、みんな起きるの。ひとり部屋だけど、隣の人と、話しすることできるの。わたし、朝起きると、夢見たのこと、隣の人に言ったの。兄弟や母たち、夢の中に出てきた、なにか悪いのこと、なければいいがと…。そのあとですぐ、ご飯運ばれてきたの。いつもの日より、ご飯のくる時間早いの。これ、ちょっとおかしい、何事かある、わたしの夢当たったと思ったよ。ご飯食べると、たくさんの人来て、独房の戸のカギとって、わたしたち13人、みんな外に出されたの。ははあ、、、きょうはこのまま銃殺されて、いのちなくなる日かな思った。13人手錠かけられて、トラックに乗せられたの。わたしたち乗ったあとに、おにぎりも積んだの。わたしそれ見て、いよいよほんとだ、人殺すとき、腹いっぱい食べさせて殺すと、わたし聞いていた。いつか死刑にされると思っていたから、べつにこわくないけど、腹いっぱいに食べて殺されるのこと、いい気持と思った。トラックで遠くに運ばれて、人目のつかないところで殺される、そう思ったの。ところが、わたしたち降ろされたの、裁判所の前ね。裁判所の中で、わたしたち13人並んだでしょ。こんど、警察の人来て、わたしたちを片っぱしから殴っていくの。なんで殴られるのか、ぜんぜんわからないよ。裁判官たち、わたしたち殴られるの見ていても、なんにも言わないの。なかには、笑って見ている人もいるよ。この日、第一回の裁判あったわけね。はじめの時に、わたしたち、自分の国の住所とか家族の名前、どうして日本に連れて来られたか、ぜんぶ言ったの。ほんとのこと言って、通訳されるでしょ。わきに立ってる警察の人、嘘つくなと殴るの。嘘でないよ。わたしの言ってること、ほんとのことね。ほんとのこと言うと、殴られるのだから、どうしようもないよ。わたしたち言ったあとで、検事の人かな、わたしたち13人に言ったの。あんたたち、暴動起こした、何人もの日本人殺した、中国人の誰と誰が、日本人の誰を殺した、とちゃんと言うの。ときどき、中国語で通訳してくれるけど、よくわからないよ。でも、聞いてわかっただけでは、みんな嘘のことね。日本人の補導員殺したのことだって、誰がやったのか、わたしたちでもわからないよ。それを、誰と誰がやったことにしているから、おかしいわけね。第一回の裁判あってから、10日くらいたってからのことかな。夜中に、刑務所の上の空、たくさんの飛行機とぶ音聞こえるの。まもなく、すぐ近くで、爆弾の落ちる音とか、機関銃の音とか、聞こえてくるの。わたし中国にいた時、中国解放義勇軍のゲリラしてたわけでしょ。だから、戦争はじまっていること、わかるの。わたしたちにも厚い帽子くばられて、一人ひとりに、銃砲待った憲兵がついたの。戦争で日本が負けてきていること、ぜんぜん知らされていないでしょ。どこの飛行機来ているのか、どうして爆弾落とされているのか、わからないね。だけど、たいへんなことになっていることだけは、わかったね。看守の顔も、憲兵の顔も、ひどく変わっていたからね。その次の日か、二日後のことかな、刑務所の中に吊しているもの持ち去ったり、貼り紙を剥いだりしているの。いま思うと、このとき、日本は戦争に負けていたわけね。そのことかくして、わたしたちに教えてくれないから、日本の人たちなにをやっているのか、不思議だったよ。なにやっているんだろと、隣の人と話したけど、誰もほんとのこと、わからないよ。


 林 
中山寮にいたわたしたちも、同じだったさ。蜂起の時のムリが出たり、食べ物の量、前と同じに少ないから、病人どんどん多くなってくるの。看護棟の中いっぱいになると、寮の中にも、病人の部屋つくったよ。いま考えると、日本が戦争に負けてからも、同じように重労働させられ、食べ物も少ないから、中国人は毎日のように死んでいったさ。日本が戦争に負けてからでもさ……。8月ころから、鹿島組の人とか、警官たちの様子、かなり変わってきたことわかったけど、まさか、日本が戦争に負けたとは、誰も思わないからね。そんな
こと聞くと、殴り殺されることわかっているから、誰も聞かないからね。わたしたち、日本が戦争に負けたことわかったの、9月に入ってからのことだったさ。いつの日だったか、はっきり覚えてないけど、わたしたちの働いている頭の上、すれすれに飛行機とんできたの。それから、落下傘に大きな荷物つけて、いくつも、いくつも落としていったの。その荷物、同じ花岡鉱山に捕虜になってきている、アメリカ兵のものだってことわかったの。もう戦争終わったのこと、そのことでわかったの。それまでは、誰も知らせてくれなかったからね。


 李 
刑務所にいるわたしたちに、暦渡してくれないでしょ。独房にいると、ほかのこと見ることもできないから、きょう何日か、ぜんぜんわからないわけね。飛行機の爆撃あって、刑務所の中の貼り紙剥がされて、だいぶたってから、第二回の裁判開かれたの。このとき、無期懲役は誰と誰、15年の懲役は誰と誰と判決あったけど、わたしたち日本のことば、ぜんぜんわからないでしよ。ときどき、中国語で通訳してくれるけど、よく聞きとれないよ。こんど、刑務所に帰ってから、隣の人と話し合って、その隣の人また隣の人と話し合って、
死刑になったのは誰なのか、無期になったのは誰なのか、確かめ合ったの。耿太隊長一人が死刑で、わたしは確か、15年の懲役だったようだけど、はっきりしないの。このとき、判決あってから、裁判官言うの。この裁判に不服だったら、上告することできる日本の法律ある。上に上告するのこと、いっこうにかまわないと言うの。だけど、わたしたちその方法わからないよ。わたしたち弁護士いるのかどうか、ぜんぜんわからないからね。どうやればできるのか、相談する人もいないからね。
 林 
それ、ことばだけのことね。わたしたち、上にもっていったとしても、勝てるわけないでしょ。だいいち、もっていく方法知らないのだからね。上にもっていっても、簡単に負けるさ。そして、死刑か、懲役ね。


李 
あとで開いたけど、わたしたちの判決あったの、日本が戦争に負けたあとの9月になってからと聞いて、ビックリしたさ。だけど、正直言って、死刑になると思っていたから、15年の懲役と聞いて、軽いと思ったの。


後文省略〜

以上、日本が行った「労工狩り」中国人強制連行の記録よる被害者の証言を終わりますが、野添憲治・著「花岡事件の人たち」には政府と企業戦後処理、などが書かれています。現在を生きる私たちにとっては想像を絶する事件と、戦後処理のみすぼらしさや責任逃れなど、目を覆いたくなる恥ずかしさを覚えます。
http://kisarazu.org/?page_id=62
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