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[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ショパン 『エチュード Op.10-3 別れの曲』 中川隆
1. 中川隆[-17481] koaQ7Jey 2021年8月04日 06:43:38 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[1]
フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html

フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/862.html

フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/863.html

フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/864.html

フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/865.html

フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/866.html

フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/867.html

フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/868.html


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/189.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ドビュッシー『ベルガマスク組曲 月の光』 中川隆
1. 中川隆[-17479] koaQ7Jey 2021年8月04日 07:03:23 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[3]
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

ドビュッシー自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c2
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/191.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』 中川隆
1. 中川隆[-17478] koaQ7Jey 2021年8月04日 07:07:29 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[4]
モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/897.html

ラヴェル 自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html

ラヴェル 組曲「鏡」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/976.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/192.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ジークフリート牧歌』 中川隆
1. 中川隆[-17477] koaQ7Jey 2021年8月04日 07:31:06 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[5]
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html

ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html

ワーグナー 楽劇「パルジファル」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html

ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html

アドルフ・ヒトラーが愛したワーグナーのゲルマン神話の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c1
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/194.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ロシア・ジプシー民謡『二つのギター』 中川隆
1. 中川隆[-17476] koaQ7Jey 2021年8月04日 07:52:30 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[6]
ロシア民謡「黒い瞳」(Ochi Chernye)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/389.html

ロシア民謡 「Дорогой длинною 長い道を」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/390.html

メリー・ホプキン 悲しき天使 Those Were the Days
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/391.html

ロシア民謡 「カチューシャ」 (Катюша)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/393.html

ロシア民謡 「カリンカ」 (Калинка)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/394.html

ロシア民謡 「ともしび」 ( Огонёк )
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/395.html  


ジプシー歌謡『黒い瞳』
Fedor Schaljapin - Ochi chernye (1927)



http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/195.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ アメリカ民謡 「シェナンドー」 中川隆
1. 中川隆[-17475] koaQ7Jey 2021年8月04日 08:01:53 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[7]
My Darling Clementine - いとしのクレメインタイン (ジョン・フォード 荒野の決闘 1946)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/929.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/196.html#c1
[近代史3] モーツァルト クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581 中川隆
1. 中川隆[-17474] koaQ7Jey 2021年8月04日 08:14:24 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[8]
モーツァルト クラリネット五重奏曲 ウラッハ








Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Vienna Konzerthaus Quartet (Wiener Konzerthaus streicherquartett)
 Anton Kamper, 1st Violin
 Karl Maria Titze, 2nd Violin
 Erich Weiss, Viola
 Franz Kwarda, Cello

Rec. 25 April 1951, at Mozart Hall (Mozart-Saal), Konzerthaus, in Vienna [Westminster]


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/975.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ 第30番 ホ長調 作品109 』 中川隆
1. 中川隆[-17473] koaQ7Jey 2021年8月04日 08:43:26 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[9]
ベートーヴェンの真実 _ ベートーヴェンは何故お金に困る様になったのか?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/569.html

ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html

ベートーヴェン 『交響曲第9番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html

ベートーヴェン 『交響曲第8番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/844.html

ベートーヴェン 『交響曲第7番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html

ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html

ベートーヴェン 『交響曲第5番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/841.html

ベートーヴェン 『交響曲第4番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html

ベートーヴェン 『交響曲第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/843.html

ベートーヴェン 『交響曲第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html

ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/837.html

ベートーヴェン オペラ 『フィデリオ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/836.html

ベートーヴェン 『フィデリオ序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/855.html

ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/853.html

ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/854.html

ベートーヴェン 『エグモント序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html

ベートーヴェン 『コリオラン序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/852.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/197.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ シューベルト『即興曲 変イ長調,D.935-2(op.142-2) 』 中川隆
1. 中川隆[-17472] koaQ7Jey 2021年8月04日 10:12:17 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[10]
シューベルト 『未完成交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html

シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html

シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html

シューベルト 『軍隊行進曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html

シューベルト 『弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/860.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/200.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ シューベルト『即興曲 変イ長調,D.935-2(op.142-2) 』 中川隆
2. 中川隆[-17471] koaQ7Jey 2021年8月04日 10:38:59 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[11]


内田光子 シューベルト 即興曲集




MITSUKO UCHIDA Schubert Impromptus - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=MITSUKO+UCHIDA+Schubert++Impromptus

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/200.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
1. 中川隆[-17470] koaQ7Jey 2021年8月04日 10:57:40 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[12]
フジコ・ヘミング (1932年12月5日 - )名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/300.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/201.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
2. 中川隆[-17469] koaQ7Jey 2021年8月04日 11:00:12 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[13]
フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/201.html#c2
[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
2. 中川隆[-17468] koaQ7Jey 2021年8月04日 11:54:16 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[14]
エレニ・カラインドルー


"The Weeping Meadow" Accordion Audition





The Weeping Meadow-To Livadi Pou Dakryzei Director: Theodoros Angelopoulos Music:Eleni Karaindrou





The Weeping Meadow (2004) - Tha Dance scene


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/181.html#c2
[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
3. 中川隆[-17467] koaQ7Jey 2021年8月04日 12:06:16 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[15]
エレニ・カラインドルー


The Suspended Step of the Stork




Eleni Karaindrou - Waltz of the Bride



http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/181.html#c3
[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
4. 2021年8月04日 12:21:12 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[16]
エレニ・カラインドルー

ulysses gaze






http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/181.html#c4
[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
5. 2021年8月04日 12:30:45 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[17]
エレニ・カラインドルー

Landscape in the Mist











http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/181.html#c5
[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
6. 中川隆[-17466] koaQ7Jey 2021年8月04日 12:47:21 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[18]
エレニ・カラインドルー

Elenh Karaindrou - Rosa's song (Maria Farantourh)





I Aria Tis Rosas (L'aria de Rosa)





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[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
7. 2021年8月04日 12:49:14 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[19]
エレニ・カラインドルー

Eleni Karaindrou - By The Sea (Eternity and a Day) Long Version



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[近代史6] エレニ・カラインドルー『永遠と一日』 中川隆
8. 中川隆[-17465] koaQ7Jey 2021年8月04日 12:51:18 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[20]
エレニ・カラインドルー (Ελένη Καραΐνδρου、1941年11月25日 - )
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/188.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/181.html#c8
[番外地9] 日銀金融緩和した金はすべてアメリカと中国に流れているよ 中川隆
1. 2021年8月04日 13:25:09 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[21]
アベノミクスというのは市中銀行が日銀に日本国債を売らされて、国内では運用できないので、米国債を買う様に仕向けたんだよ。日本国債を売った500兆円すべてがアメリカに投資された。それでアメリカと中国は空前の好景気になったんだ。

>インフレは貨幣現象

日銀が発行している日銀当座預金と日銀券の総額を10倍にすれば、貨幣価値が1/10 になる。 これは円の単位を変更したのと同じだからね。 10000円札の額面を100000円と書き換えたのと同じだ。
但し、増えた日本円はすべて海外に持ち出されて、国内では使われないから、国内の消費者物価が上がるまでに 10年、20年はかかる。
10年、20年かけて輸入物価が10倍、20倍になれば国内の消費者物価もコストプッシュ インフレになる。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/673.html#c1

[番外地9] 日銀金融緩和した金はすべてアメリカと中国に流れているよ 中川隆
2. 中川隆[-17464] koaQ7Jey 2021年8月04日 13:33:52 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[22]
アベノミクスというのは市中銀行が日銀に日本国債を売らされて、国内では運用できないので、米国債を買う様に仕向けたんだよ。日本国債を売った500兆円すべてがアメリカに投資された。それでアメリカと中国は空前の好景気になったんだ。
因みに、日銀当座預金の増えた分の500兆円は日本の民間銀行の円をドルと交換した外資が所有している。日本株が暴落したら外資はその500兆円で日本株をすべて買い占めて日本企業を乗っ取る。

>インフレは貨幣現象

日銀が発行している日銀当座預金と日銀券の総額を10倍にすれば、貨幣価値が1/10 になる。 これは円の単位を変更したのと同じだからね。 10000円札の額面を100000円と書き換えたのと同じだ。
但し、増えた日本円はすべて海外に持ち出されて、国内では使われないから、国内の消費者物価が上がるまでに 10年、20年はかかる。
10年、20年かけて輸入物価が10倍、20倍になれば国内の消費者物価もコストプッシュ インフレになる。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/673.html#c2

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ フランク『ヴァイオリン・ソナタ イ長調 』 中川隆
1. 中川隆[-17463] koaQ7Jey 2021年8月04日 13:42:57 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[23]
セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html


ジャック・ティボー (1880年9月27日 - 1953年9月1日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/675.html

アルフレッド・コルトー(1877年9月26日 - 1962年6月15日)名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/183.html

カザルス・トリオ (コルトー・カザルス・チボー)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/665.html


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/203.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ パブロ・カザルス 『カタルーニャ民謡 鳥の歌』 中川隆
1. 中川隆[-17462] koaQ7Jey 2021年8月04日 13:57:14 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[24]
カザルス (1876年12月29日 - 1973年10月22日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/676.html

カザルス・トリオ (コルトー・カザルス・チボー)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/665.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/204.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ 谷村新司 いい日旅立ち 中川隆
1. 中川隆[-17461] koaQ7Jey 2021年8月04日 14:24:28 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[25]
1970年代, 1980年代の日本歌謡曲名曲集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/255.html

かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html

中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html

森田童子名曲集
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/481.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/205.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ 谷村新司 いい日旅立ち 中川隆
2. 中川隆[-17460] koaQ7Jey 2021年8月04日 14:29:04 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[26]
懐かしの 70年代アイドル あべ静江 「コーヒーショップで」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/285.html

岩崎宏美 聖母たちのララバイ(1982年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/378.html

八神純子 みずいろの雨(1978年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/379.html

ハイ・ファイ・セット フィーリング (1976年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/380.html

高橋真梨子 桃色吐息 (1984年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/381.html

ロス・インディオス&シルヴィア 別れても好きな人 (1979年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/509.html

藤圭子 圭子の夢は夜ひらく(1970年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/587.html

柴田淳 名曲集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/269.html

倍賞千恵子 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/271.html

ゴダイゴ 名曲集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/252.html

冨田勲 名曲集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/276.html

喜多郎 名曲集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/270.html

フォレスタ 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/274.html

鮫島有美子 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/273.html

島田祐子名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/330.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/205.html#c2

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ 谷村新司 いい日旅立ち 中川隆
3. 中川隆[-17459] koaQ7Jey 2021年8月04日 14:34:40 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[27]
ハイ・ファイ・セット 「メモランダム」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/897.html

中森明菜“自殺未遂事件”から30年、封印されていた真相に迫る
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1169.html

なかにし礼の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html

安井かずみの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1235.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/205.html#c3

[近代史5] それ…ヤバイです!海外の AVサイト! 中川隆
8. 2021年8月04日 14:53:32 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[28]
【ゆっくり解説】大丈夫!?海外の叡智なサイト・第二弾!
2021/08/03



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/616.html#c8
[リバイバル3] アナログ レコードの世界 中川隆
49. 2021年8月04日 15:59:38 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[29]
2021年 08月 03日
タイムマシーン付きどこでもドア 2
https://tannoy.exblog.jp/32383641/

和室のUnicornも驚愕のリアリティサウンドではありましたが、それでも普通の和室での出来事ですから非現実的な出来事ととらえず、あわよくば、自分のシステムにも何かフィードバック出来ることはないかと考える余地もあるんですが、「GRFのある部屋」のGerman Physiks のTroubadourを使ったシステムでは、そういった余裕は全くなく、採算度外視の音世界を堪能させていただくのみと割り切ってお邪魔させていただきました。

Troubadour+PSDの三次元の音は、今年の2月にも一度お聞かせ頂いているのですが、おさらいということで、後方のTW5、T40の有無の違いを先の和室のUnicornで聴かせていただいたマータのサンサーンスのオルガン、シノーポリのシューベルト、クレンペラーのマーラー、八代亜紀のライブで再度確認させていただきました。その違いについては2月の感想記をご参照いただければと思います。

このように、三次元空間の再生に進化したシステムですが、私自身はこの部屋の音は、デジタルの音源で、主にクラシック音楽のために誂えられたシステムなのではないかと思っていたので、光カートリッジの導入でレコードとこのシステムがどのように融合するのか、興味津々でした。

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待望の光カートリッジによるレコード演奏は、越路吹雪さんの68年のライブから始まりました。歌と演奏の巧みさに思わずため息が出てしまいます。どっしりとした安定感、びしっと決まる音像、そしてなによりものすごい鮮度感、そして三次元に展開する音場、たしかに今までのレコードのなり方とは別物です。いや、レコードとは別物と言いましたが、といってCDとも違いますし、テープとも異なり、レコード固有の音色は健在です。この光カートリッジは「003」というグレードだそうですが、光カートリッジ固有の構造や方式については、トップモデルのグランドマスターと変わりはないそうです。

光カートリッジの固有の構造や方式と、MCやMMとの違いは磁気回路を用いていないので、従来からのRIAAのイコライザーカーブからの脱却して、周波数、ダイナミックレンジの改善、レコード固有の低域のノイズが無く、ここにある「Grand Master」と「003」から始まった第3世代の構造変化によるクロストークの大幅な改善がもたらす、三次元のレコード再生であるということは、一聴して納得できました。

加えて、この光カートリッジは、非常にレコードの溝へのトレース能力が高いのではないのかと思います。いくら構造的な配慮をしてクロストークを改善しても、レコードの溝を確実にトレースできなければ、このような安定感のある音にはならないと思うからです。

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最近の高性能な車のように、シャーシ、足周り、タイヤの性能が良くなっても、やはりドライバーの腕が必要なように、ターンテーブル、アーム、カートリッジそしてそれを調整する技量が試されるカートリッジなのではないかと思いました。
 
そんなことを頭で考えているうちに、越路吹雪さんの日生劇場での79年盤、日劇でのクールファイブ、大阪フェスティバルホールの森進一、NHKホールでの都はるみの実況録音盤と、名演が次から次へと演奏されました。特に印象が残ったのは、森進一さんですね。演奏は後方に広がるステージから流れ、声はステージ中央にしっかりと定位し、観客の拍手やファンの女の子の叫び声はリスニングポイント寄りの手前に展開し、まるで観客席に入ったような見事な三次元再生でした。

このレコードは、今までも何度となく聴かせていただいているのですが、今までも、ものすごく立体的に聴こえていた音が、立体的と言った雰囲気ではなく、「三次元の立体」そのものに変わっています。これが、光カートリッジと三次元に展開したTroubadourのシステムが成し得た、新時代のレコード再生なんですね。過日、GRFさんがこの再生音について熱く話をされていたことになるほど納得した瞬間でした。

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で、ここまで来ると、「Grand Master」と「003」の違いを知りたくなるのが、当然の流れでして、結線を繋ぎ変えていただき「Grand Master」での演奏が始まりました。比較対象として、先の森進一さんをもう一度演奏していただきました。一聴して、違いはすぐにわかりました。003に比し、上質という一言に尽きるのですが、オーディオ的に言えば解像度の向上、高SN、分解能のレベルが全く違います。しかし、恐れずに言えば、この歌謡曲の演奏で言えば、「003」のほうが伝わってくるものが多いというか、熱気を感じると言えばいいのか、相性を考えると「003」に軍配を上げたくなりました。

となると、「Grand Master」の真骨頂は、この種のレコードではなく、別の所にあるのではとなるわけで、次の演奏を待ちました。GRFさんは、レコードを変えるたびに、入念に針の掃除をされていらっしゃるのですが、あれっ、その針を掃除している時の音が「003」と違うのです。うまく言えないのですが、針音が繊細で滑らかに聴こえました。始まった演奏は、カラヤンのBPOのシベリウス第4番でした。

ガーン、瞬時にオーディオ的な思考が吹き飛びました。黄金期のカラヤン/BPOのパワフルだけど、繊細で、神々しい美しい響きはまさにクラシック音楽の最高峰となる交響曲の凄みがひしひしと伝わって来ます。

指揮者とオーケストラが混然一体となり、それを余すことなく録音媒体に収め、30cmの円盤に刻み込むという一連の芸術作品が時空を超えて今、目の前で蘇っているのです。ここまでの音楽レベルを再現するためには、「Grand Master」が必須なのだということがわかる演奏でした。つまり、光カートリッジとTroubadourのシステムと同時に、盤そのものの素性があってこその、この世界なのですね。

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参考にと、この演奏のセカンドプレスも聴かせて頂きましたが、残念なくらいレベルが違いますね。光カートリッジであっても、入っていない情報は拾い上げることは出来ないわけで、高度なシステムであればあるほど、この差は大きいのですね。がっかりしている私に、それではこちらはとGRFさんが取り出したのは、初版のモノラル盤でした。

モノラル盤は、50年代から60年代初期のモノラルからステレオの移行期だけにでていた時代背景から、初版盤しか存在していないので、価格は安いのですが、かなりの貴重品なのだそうです。え、そんなことも知らないのとお叱りを受けそうですが、この盤が録音された年と私が生まれた年は一緒なので、どうかご容赦ください(笑)
 
さて、モノラル盤の演奏が始まった時は、一瞬こじんまりと聴こえて来たのですが、数分経つ頃には全くそのようなことが気にならなくなり、むしろステレオ盤よりよりホールにおける自然な鳴り方に聴こえて来ました。モノラルですが、一切窮屈なことはなく、自然な広がりを持って聴こえて来るのが不思議ですね。
 
途中、GRFさんがMolaMolaのプリアンプの操作をした途端、すっと音が消えましたが、これは片方だけ逆相にした時に起きる現象ということは知ってましたが、これは完璧に左右のSPが同期していることの証なんですが、このモノラル盤の録音が、正相や逆相が入り混じっていないことの証だと思うのですが、これって合ってますか?そうだとしても、これ、ステレオのカートリッジですから、やはりプレーヤーそのものも、ものすごい高度な調整がされていることゆえなんですね?

UnicornもTroubadourのシステムも、自由自在に時空を超えて、好きな時に好きな音楽会場にワープできる素晴らしいシステムになられていました。また、それをお聴かせいただくチャンスを頂きましたこと、改めて御礼申し上げます。でも、きっとここで満足して立ち止まることはないのがGRFさんですから、次もまた沢山驚かせてくださいませ!!!


Commented by TANNOY-GRF at 2021-08-03 11:14
チューバホーンさん 長文のご感想をありがとうございました。私自身の驚きをチューバホーンさんも感じられたのだとご感想から解ります。

今更のように、三次元の音場を追求してきて良かったと思います。順番が反対でしたら、今回のような光カートリッジの驚きは無かったと思います。クロストークが改善され、微小な信号を拾うことが出来、奥行きのある音場が出現した第三世代のカートリッジに初めて出会うという幸運もありました。数年前に前のヴァージョンと出会っていたら、今回のような感動は受けなかったとおもいます。

出会いのタイミングに恵まれました。何よりも、長年のレコードコレクションが生き返ったのが、何よりも嬉しいです。
https://tannoy.exblog.jp/32383641/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1145.html#c49

[近代史5] ゆっくり解説の闇を暴露します 中川隆
8. 2021年8月04日 16:06:29 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[30]
【ゆっくり解説の闇】ゆっくりの企業化・動画作成外注に関して思うこと【ゆっくり解説】
2021/08/03





アンダーグラウンド・ニッポン【ゆっくり解説】

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1000.html#c8
[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
9. 2021年8月04日 16:13:51 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[31]
雑記帳2021年08月04日
イタロ・ケルト語派の起源
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html


 イタロ・ケルト語派の起源に関する研究(Fehér et al., 2021)が公表されました。コッホ(John T. Koch)氏とカンリッフ(Barry Cunliffe)氏が率いる過去20年のケルト研究は、長きにわたる理論「ハルシュタット(Hallstatt)鉄器時代=原ケルト文化」の妥当性に疑問を提起し、一連の「西方からのケルト」において初期ケルト大西洋青銅器時代を主張しました。ギュンドリンゲン(Gündlingen)様式の剣術は青銅器時代後期のブリテン島と低地諸国に起源があり、後に西方から東方へと拡大し、ハルシュタット・アルプス鉄器時代からさらに広がった、との議論があります。鉄器時代前のイベリア半島南西部からのタルテッソスのケルト的性質も、原ケルト人の初期大西洋起源の証拠となります。父系継承のY染色体DNAと両親から継承される常染色体の古代DNAの結果は、「西方からのケルト」をますます裏づけており、本論文はさらに進んで、北西部から到来した「イタリア・ケルト人」を論じます。

 最近の考古遺伝学的研究(関連記事1および関連記事2)では、現在ヨーロッパ中央部および西部で優勢なY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)が、現在のウクライナとロシア南部のポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)起源だったことを証明しました。YHg-R1b1a1b(M269)以前ではあるものの、YHg-R1b1a1a(M73)ではない系統、つまりYHg-R1b1a1(P297)からYHg-R1b1a1b(M269)へと至る祖先は、ヴォルガ川流域に位置するロシア西部のサマラ(Samara)文化の紀元前5500年頃の男性個体で見つかっています。また、クルガン(墳丘墓)を建造するヤムナヤ(Yamnaya)文化の草原地帯牧畜民と、その東方の分派でおそらくはトカラ語(Tocharian)祖語を話したアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の男性は、おもにYHg-R1b1a1b1b(Z2103)でした。

 その後の研究では、「真のアーリア人」が話していた後期インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900〜紀元前2350年頃の縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)で話されていた可能性が最も高い、と明らかになりました。CWC集団はヤムナヤ関連の西方草原地帯牧畜民(WSH)の常染色体の祖先系統(祖先系譜、ancestry)を顕著に示し、特定の下位系統の拡大と一致する地理的下位集団を有しています。インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900〜紀元前2200年頃となるCWCのファチャノヴォ・バラノヴォ(Fatyanovo-Balanovo)文化の東側から到来した、紀元前2200〜紀元前1800年頃となるシンタシュタ(Sintashta)文化に由来し、父系はほぼYHg-R1a1a1b2(Z93)です。

 原バルト・スラブ語派集団は、YHg-R1a1a1b1a2(Z280)で、北方に移動して中石器時代のナルヴァ(Narva)文化を置換した、紀元前3200〜紀元前2300年頃となるCWC中期のドニエプル(Dniepr)文化集団の子孫候補です。紀元前2800〜紀元前2300年頃となる戦斧(Battle Axe、略してBA)文化は、スカンジナビア半島におけるCWCの分枝であり、YHg-R1a1a1b1a3a(Z284)とYHg-I1(M253)が優勢で、中石器時代の円洞尖底陶(Pitted Ware、略してPW)文化を置換しました。単葬墳(Single Grave、略してSG)文化は北ドイツ平原とデンマークの漏斗状ビーカー(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker、略してTRB)文化を置換し、後の紀元前2500年頃以降となる鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してしてBB)文化の祖先となり、そのYHgはR1b1a1b1a1(L11/P311)です。


●原ケルト人の故地

 以前の研究(関連記事)では、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)およびR1b1a1b1a1a2(P312)につながるようなYHg-R1b1a1b1a1(L52)がCWC期に現在のウクライナとの国境近くのポーランド南東部に存在した一方で、ドイツからポーランド北部を経てエストニアに至るほとんどの他のCWC標本は、YHg-R1a1a1(M417)だった、と示されました。ポーランド南東部のCWC個体群も、他地域のCWC個体群よりも後の鐘状ビーカー文化個体群の方との高い遺伝的類似性を示します。この集団と関連する唯一のCWC集団は、ライン川下流およびエルベ川下流地域の単葬墳文化です。

 したがって、YHg-R1b1a1b1a1(P311)の祖先は、インド・ヨーロッパ語族祖語の故地からカルパティア山脈北方のポーランド南東部を経て、紀元前2900〜紀元前2500年頃に北海沿岸に向かって移動した、と確実に結論づけられます。この経路は、常染色体の研究で裏づけられており、イベリア半島(YHg-R1b1a1b1a1a2のみ)外の鐘状ビーカー文化個体群は、ヨーロッパ北部新石器時代集団とヤムナヤ関連祖先系統の混合ではあるものの、イベリア半島新石器時代集団の祖先系統との混合ではない、と結論づけられています。

 CWC集団は常染色体では混合されていないインド・ヨーロッパ語族祖語の人々の起源で、イタロ・ケルト語派祖語(単葬墳文化の人々)とゲルマン祖語(戦斧文化の人々)と原バルト・スラブ語派(ドニエプル川中流)とインド・イラン語派祖語(ファチャノヴォ・バラノヴォの人々)の起源になった、と結論づけられます。常染色体の証拠から明らかなのは、Y染色体DNAでも示されているように、鐘状ビーカー文化期と戦斧文化期以降の、ブリテン諸島とオランダ北部とデンマークを含むスカンジナビア半島の完全な常染色体の連続性です。

 YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の鐘状ビーカー文化個体群が、ラインラントで紀元前2566年頃にのみ出現することにも要注意です。紀元前2800年頃となるアルザス地域のヘーゲンハイム(Hégenheim)標本には草原地帯祖先系統が欠けており、紀元前2574〜紀元前2452年頃となるフランス北東部のサルソーニュ(Salsogne、CBV95)標本はほぼ100%ヤムナヤ関連祖先系統で遺伝的に構成され、ヤムナヤ文化集団で優勢なYHg-R1b1a1b1b(Z2103)に分類されます。以上の点を考慮すると、常染色体遺伝子の結果は、YHg-R1b1a1b1a1(L11/P311)がライン川下流およびエルベ川下流地域で最も多様であり、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)とR1b1a1b1a1a2(P312)が稀なYHg-R1b1a1b1a1a3(S1194)とR1b1a1b1a1a4(A8053)とともに、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の分枝が鐘状ビーカー文化の拡大を始める前の紀元前2800〜紀元前2500年頃に、相互に隣り合って存在していたかもしれません。

 父系で最も「ケルト的な」YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)は、ブリテン諸島とイベリア半島のケルト地域(50%以上)で最も頻度が高く、フランス(40〜50%)で顕著に見られ、ヨーロッパ中央部および東部に向かってその頻度は減少します。ブリテン諸島で典型的なYHg-R1b1a1b1a1a2c1(L21)は、最初の鐘状ビーカー文化住民で見つかりました。ケルト語祖語のカルパティア盆地とアルプス北部もしくはカルパティア盆地とイタリアという移住経路を予測するのは、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の頻度に基づくと合理的ではありません。これは、初期鐘状ビーカー文化標本で示されているように、常染色体DNAの証拠でも強調されており、現代人集団からの遺伝的距離が計測されました。ブリテン諸島の鐘状ビーカー文化標本は、ゲルマン語話者であれケルト語話者であれ、現代のヨーロッパ北部人口集団とクラスタ化します。ほとんどの遺伝的距離(10.00 未満)から、これら現代の人口集団が鐘状ビーカー文化集団の直接的な常染色体子孫で、混合がなく、青銅器時代および鉄器時代の遺伝子流動の北から南および西から東への方向を証明していることも注目されます。


●ライン川下流の故地からのイタロ・ケルト語派の拡大

 もう一つのYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の下位区分はYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)で、イタリア北部およびフランスでとくに高頻度です。既知の最初のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本は、ドイツのオスターホーフェン・アルテンマルクト(Osterhofen-Altenmarkt)の紀元前2571〜紀元前2341年の個体です。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の系統は、鐘状ビーカー文化のアルプス北部のボヘミアへの拡大とポーランドへの「逆流」に相当し、ドナウ川沿いに紀元前2500〜紀元前2000年頃にブダペストへと南下しました。ボヘミアとバイエルンは鐘状ビーカー文化の起源ではなく目的地だったという間接的な主張も、この地域のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2b1のみ)により強調され、初期鐘状ビーカー文化のブリテン諸島人の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2c1のみ)を反映しています。

 ボヘミアとライン川下流へのポーランド南東部からの経路沿いの停車場だったならば、YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)以外のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性がもっと多くいるでしょう。ブダペストのチェペル(Csepel)地区の紀元前24世紀の鐘状ビーカー文化標本も、ハンガリーが鐘状ビーカー文化拡散の起源地ではなく終点だったことを証明しています。ここでは、「純粋なCWC由来(ケルト語派とゲルマン語派)」系統と直接的な草原地帯関連(CWCのないヤムナヤ文化)系統とラエティア・エトルリア語派系統の混合した、原イリュリア語派集団の常染色体の混合が見つかります。YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)標本は、ブリテン諸島や、スカンジナビア半島とブリテン諸島の常染色体のつながりを特徴とする元のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本と比較して、「南部」集団から常染色体上の遺伝的影響を幾分受けた、と分かります。

 一部のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性とほとんどのYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性は、ライン川沿いにアルプスの西側を移動して、近縁のYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とともにフランス南部に到達し、地中海沿いに紀元前2000年頃以前にイベリア半島とイタリアのリグーリア州(Liguria)に拡散しました。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)が最初に、アルプス経由の代わりにリグーリア州からイタリアに拡散したことを裏づける証拠が二つあります。古代のリグーリア州の標本と初期(ローマ共和政以前)ラテン人標本は、常染色体では相互に密接で、ともにヴァスコン人エトルリア人の混合を示しますが、YHgはR1b1a1b1a1a2(P312)です。

 一方、東部イタリック語派集団の子孫である可能性が最も高い帝政期ローマの標本は、顕著なスラブ化以前のバルカン人の混合(イリュリア人とギリシア人とミノア人)と、追加のラエティア・エトルリア語派集団の特徴を有しており、北東部からのイタリック語派のオスク・ウンブリア語群(ヴィッラノーヴァ人)が、後に異なる人口統計学的波で到来し、元々の西部イタリック語派集団(ラテン人や西シチリア人やおそらくはリグーリア人)よりもイタロ・ケルト語派集団との遺伝的類似性が低かったことを示唆します。

 これが意味するのは、イタリック語派祖語集団がすでに、後期新石器時代のアルプスの北側の「ラエティア・エトルリア語派的」人口集団と混合し、次にアルプスの西側経路でリグーリアとラティウムとシチリアに拡散したイタリック語派集団がアクィタニア(Aquitani)・ヴァスコン人(Vascon)と混合し、カルパティア盆地に拡散したイタリック語派東部集団がエトルリア人に加えてイッリョ・トラキア人(Illyro-Thracian)と混合した、ということです。以前の研究(関連記事)では、シチリア島とサルデーニャ島の人々は草原地帯牧畜民関連の遺伝子流入を紀元前2200〜紀元前2000年頃に部分的にバレアレス諸島人から受けており、それは独特な石造物で知られるヌラーゲ文化およびギリシア関連の中東からの遺伝子流入が紀元前1900年頃に到達する前のことでした。

 したがって、初期カルパティア盆地のヤムナヤ文化集団のイタロ・ケルト語派の識別に関するアンソニー(David W. Anthony)の見解を改良にする必要があり、むしろイッリョ・トラキア人がバルカン半島北側に到来した可能性があり、後にブチェドル(Vucedol)文化を通じてバルカン半島北側に拡大しました。同時に、ウサトヴォ(Usatovo)およびエゼロ(Ezero)文化は、原ゲルマン人ではなく原アナトリア半島人の拡大を示しているかもしれません。イタロ・ケルト語派の故地は、Y染色体DNAと常染色体DNAの証拠に基づくと、北ドイツ平原とライン川下流地域に確実に想定できます。


●まとめ

 イタロ・ケルト語派祖語話者は、父系ではYHg-R1b1a1b1a1(P311)に代表され、現在のウクライナからポーランド南東部を経てライン川下流地域に紀元前2900〜紀元前2500年頃に移動し、CWCの遺構に分類される単葬墳文化により識別されます。鐘状ビーカー文化は紀元前2500年頃に現在のオランダとドイツ北西部で形成され、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性とともに紀元前2500〜紀元前2000年頃にブリテン諸島へと拡散し、後にケルト語祖語集団となり、YHgではR1b1a1b1a1a2c1(L21)に代表されます。鐘状ビーカー文化はイベリア半島とフランス南部にはYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とR1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性とともに、デンマークとスウェーデンのスコーネ地方にはYHg-R1b1a1b1a1a1(U106)の男性とともに(後の西ゲルマン語群集団の祖先)、アルプス北部とボヘミアとポーランドにはYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性(後のオスク・ウンブリア語群集団)とともに拡大しました。

 常染色体DNAは、混合されていてないイタロ・ケルト語派およびゲルマン語派人口集団がCWCだった一方で、アルプス北部とカルパティア盆地では、非インド・ヨーロッパ語族の常染色体構成要素(ラエティア・エトルリア語派集団やバスク人につながるヴァスコン人)が、後期青銅器時代と前期鉄器時代にまで顕著な存在感を示していた、と証明します。「気高きスキタイ人」と言われるジェロニア人(Gelonian)は、常染色体ではカルパティア盆地とウクライナの紀元前6〜紀元前3世紀のゴール人(Gaul)で、ハルシュタットC後のケルト人の広がりの最東端を示します。以前のキンメリア人とその後のサルマティア人は草原地帯牧畜民祖先系統を有しており、おもにイラン人関連祖先系統ですが、一部はコーカサスおよびテュルク人の祖先系統です。

 イタリック語派はこのように一貫性がありません。西方からイタリア半島への最初の波は、リグーリア語とラテン語とおそらくはシケル語をもたらし、同時にルシタニア語(直接的にはブリテン島から)とタルテッソス語(カタルーニャ地方経由で)がイベリア半島に到来しました。その後、骨壺墓地(Urnfield)文化・ヴィラノヴァ文化(Villanovan)期にカルパティア盆地とアルプスからの第二の移住がありました。エトルリア語系話者はリグーリア人とラテン人を分断し、イリュリア語の影響を受けたオスク・ウンブリア語群集団がアドリア海沿いに拡大しました。


参考文献:
Fehér T. (2021). Celtic and Italic from the West – the Genetic Evidence. Academia Letters, Article1782.
https://doi.org/10.20935/AL1782

https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c9

[近代史5] ヨーロッパ人の起源 中川隆
12. 中川隆[-17458] koaQ7Jey 2021年8月04日 16:27:12 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[32]
雑記帳 2018年05月11日
インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

 おもに5500〜3500年前頃となる、内陸アジアとアナトリア半島の74人の古代ゲノムの解析結果と比較を報告した研究(Damgaard et al., 2018A)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。インド・ヨーロッパ語族の拡散については複数の仮説が提示されていますが、有力なのは、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族祖語も広範な地域で定着していった、というものです。

 この「草原仮説」においては、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡散が、ヨーロッパから西・中央・南アジアにまで及ぶ、インド・ヨーロッパ語族の広範な定着に重要な役割を果たしたのではないか、との想定もあります(関連記事)。ヤムナヤ文化集団は5000年前頃からヨーロッパへの大規模な拡散を始め、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を各地に定着させ、やがて言語が多様化していったのではないか、というわけです。ヤムナヤ文化集団が初めてウマを家畜化したとの見解も提示されており、ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、ヤムナヤ文化集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。

 しかし、ウマの家畜化については議論が続いており、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化集団が、初めてウマを家畜化した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、この研究では、現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期〜後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています。これは、ボタイ文化の初期家畜馬は現生家畜馬に2.7%程度しか遺伝的影響を及ぼしていない、という知見(関連記事)と整合的です。ボタイ文化集団は、3人のゲノム解析結果から、ヤムナヤ文化集団とは遺伝的に近縁関係にはなく、それぞれ独自にウマを家畜化したのではないか、と推測されます。ボタイ文化集団は、近隣の集団が農耕・牧畜を採用した後も長く狩猟採集生活を維持し続けたので、孤立していたとも考えられていましたが、ウマの埋葬儀式に関しては他のアジアの文化との共通点があり、他集団との交流は一定上あったと考えられます。

 ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に拡散させた、との仮説の検証で重要なのは、インド・ヨーロッパ語族の使用が最初に確認されている、アナトリア半島を中心に繁栄した古代オリエントの強国ヒッタイトの住民と、ヤムナヤ文化集団との関係です。この研究では、アナトリア半島の住民の古代ゲノム解析の結果、古代アナトリア半島ではヤムナヤ文化集団の遺伝的影響は確認されませんでした。また、シリアの古代都市エブラ(Ebla)の記録から、インド・ヨーロッパ語族はすでにアナトリア半島で紀元前2500〜2400年前頃には用いられていたのではないか、と推測されています。この研究は、インド・ヨーロッパ語族集団はヤムナヤ文化の拡大前にアナトリア半島に到達していただろう、と指摘しています。

 中央・南アジアに関しても、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんど確認されませんでした。これまで、アジアにおけるユーラシア西部集団の遺伝的影響は、ヤムナヤ文化集団の拡散の結果と考えられ来ました。しかし、この研究は、その可能性が低いと指摘し、5300年前頃にユーラシア草原地帯の南方にいたナマズガ(Namazga)文化集団が、ヤムナヤ文化集団の大移住の前に、ユーラシア西部系住民の遺伝子をアジア人集団にもたらしたのではないか、と推測しています。

 ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はヨーロッパにおいて大きかったものの、アジアではたいへん小さかったようです。もちろん、文化的影響は遺伝的影響を伴うとは限りませんが、この研究で報告されたゲノム解析結果と比較は、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に定着させ、インド・ヨーロッパ語族は各地で多様化していった、という仮説と整合的とは言えないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の拡散に関しては、この研究のように、学際的な研究の進展が欠かせない、と言えるでしょう。その意味で、この研究の意義は大きいと思います。


参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aar7711


https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

9. 2021年8月04日 16:13:51 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[31] 報告
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雑記帳2021年08月04日
イタロ・ケルト語派の起源
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html

 イタロ・ケルト語派の起源に関する研究(Fehér et al., 2021)が公表されました。コッホ(John T. Koch)氏とカンリッフ(Barry Cunliffe)氏が率いる過去20年のケルト研究は、長きにわたる理論「ハルシュタット(Hallstatt)鉄器時代=原ケルト文化」の妥当性に疑問を提起し、一連の「西方からのケルト」において初期ケルト大西洋青銅器時代を主張しました。ギュンドリンゲン(Gündlingen)様式の剣術は青銅器時代後期のブリテン島と低地諸国に起源があり、後に西方から東方へと拡大し、ハルシュタット・アルプス鉄器時代からさらに広がった、との議論があります。鉄器時代前のイベリア半島南西部からのタルテッソスのケルト的性質も、原ケルト人の初期大西洋起源の証拠となります。父系継承のY染色体DNAと両親から継承される常染色体の古代DNAの結果は、「西方からのケルト」をますます裏づけており、本論文はさらに進んで、北西部から到来した「イタリア・ケルト人」を論じます。

 最近の考古遺伝学的研究(関連記事1および関連記事2)では、現在ヨーロッパ中央部および西部で優勢なY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)が、現在のウクライナとロシア南部のポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)起源だったことを証明しました。YHg-R1b1a1b(M269)以前ではあるものの、YHg-R1b1a1a(M73)ではない系統、つまりYHg-R1b1a1(P297)からYHg-R1b1a1b(M269)へと至る祖先は、ヴォルガ川流域に位置するロシア西部のサマラ(Samara)文化の紀元前5500年頃の男性個体で見つかっています。また、クルガン(墳丘墓)を建造するヤムナヤ(Yamnaya)文化の草原地帯牧畜民と、その東方の分派でおそらくはトカラ語(Tocharian)祖語を話したアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の男性は、おもにYHg-R1b1a1b1b(Z2103)でした。

 その後の研究では、「真のアーリア人」が話していた後期インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900〜紀元前2350年頃の縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)で話されていた可能性が最も高い、と明らかになりました。CWC集団はヤムナヤ関連の西方草原地帯牧畜民(WSH)の常染色体の祖先系統(祖先系譜、ancestry)を顕著に示し、特定の下位系統の拡大と一致する地理的下位集団を有しています。インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900〜紀元前2200年頃となるCWCのファチャノヴォ・バラノヴォ(Fatyanovo-Balanovo)文化の東側から到来した、紀元前2200〜紀元前1800年頃となるシンタシュタ(Sintashta)文化に由来し、父系はほぼYHg-R1a1a1b2(Z93)です。

 原バルト・スラブ語派集団は、YHg-R1a1a1b1a2(Z280)で、北方に移動して中石器時代のナルヴァ(Narva)文化を置換した、紀元前3200〜紀元前2300年頃となるCWC中期のドニエプル(Dniepr)文化集団の子孫候補です。紀元前2800〜紀元前2300年頃となる戦斧(Battle Axe、略してBA)文化は、スカンジナビア半島におけるCWCの分枝であり、YHg-R1a1a1b1a3a(Z284)とYHg-I1(M253)が優勢で、中石器時代の円洞尖底陶(Pitted Ware、略してPW)文化を置換しました。単葬墳(Single Grave、略してSG)文化は北ドイツ平原とデンマークの漏斗状ビーカー(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker、略してTRB)文化を置換し、後の紀元前2500年頃以降となる鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してしてBB)文化の祖先となり、そのYHgはR1b1a1b1a1(L11/P311)です。


●原ケルト人の故地

 以前の研究(関連記事)では、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)およびR1b1a1b1a1a2(P312)につながるようなYHg-R1b1a1b1a1(L52)がCWC期に現在のウクライナとの国境近くのポーランド南東部に存在した一方で、ドイツからポーランド北部を経てエストニアに至るほとんどの他のCWC標本は、YHg-R1a1a1(M417)だった、と示されました。ポーランド南東部のCWC個体群も、他地域のCWC個体群よりも後の鐘状ビーカー文化個体群の方との高い遺伝的類似性を示します。この集団と関連する唯一のCWC集団は、ライン川下流およびエルベ川下流地域の単葬墳文化です。

 したがって、YHg-R1b1a1b1a1(P311)の祖先は、インド・ヨーロッパ語族祖語の故地からカルパティア山脈北方のポーランド南東部を経て、紀元前2900〜紀元前2500年頃に北海沿岸に向かって移動した、と確実に結論づけられます。この経路は、常染色体の研究で裏づけられており、イベリア半島(YHg-R1b1a1b1a1a2のみ)外の鐘状ビーカー文化個体群は、ヨーロッパ北部新石器時代集団とヤムナヤ関連祖先系統の混合ではあるものの、イベリア半島新石器時代集団の祖先系統との混合ではない、と結論づけられています。

 CWC集団は常染色体では混合されていないインド・ヨーロッパ語族祖語の人々の起源で、イタロ・ケルト語派祖語(単葬墳文化の人々)とゲルマン祖語(戦斧文化の人々)と原バルト・スラブ語派(ドニエプル川中流)とインド・イラン語派祖語(ファチャノヴォ・バラノヴォの人々)の起源になった、と結論づけられます。常染色体の証拠から明らかなのは、Y染色体DNAでも示されているように、鐘状ビーカー文化期と戦斧文化期以降の、ブリテン諸島とオランダ北部とデンマークを含むスカンジナビア半島の完全な常染色体の連続性です。

 YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の鐘状ビーカー文化個体群が、ラインラントで紀元前2566年頃にのみ出現することにも要注意です。紀元前2800年頃となるアルザス地域のヘーゲンハイム(Hégenheim)標本には草原地帯祖先系統が欠けており、紀元前2574〜紀元前2452年頃となるフランス北東部のサルソーニュ(Salsogne、CBV95)標本はほぼ100%ヤムナヤ関連祖先系統で遺伝的に構成され、ヤムナヤ文化集団で優勢なYHg-R1b1a1b1b(Z2103)に分類されます。以上の点を考慮すると、常染色体遺伝子の結果は、YHg-R1b1a1b1a1(L11/P311)がライン川下流およびエルベ川下流地域で最も多様であり、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)とR1b1a1b1a1a2(P312)が稀なYHg-R1b1a1b1a1a3(S1194)とR1b1a1b1a1a4(A8053)とともに、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の分枝が鐘状ビーカー文化の拡大を始める前の紀元前2800〜紀元前2500年頃に、相互に隣り合って存在していたかもしれません。

 父系で最も「ケルト的な」YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)は、ブリテン諸島とイベリア半島のケルト地域(50%以上)で最も頻度が高く、フランス(40〜50%)で顕著に見られ、ヨーロッパ中央部および東部に向かってその頻度は減少します。ブリテン諸島で典型的なYHg-R1b1a1b1a1a2c1(L21)は、最初の鐘状ビーカー文化住民で見つかりました。ケルト語祖語のカルパティア盆地とアルプス北部もしくはカルパティア盆地とイタリアという移住経路を予測するのは、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の頻度に基づくと合理的ではありません。これは、初期鐘状ビーカー文化標本で示されているように、常染色体DNAの証拠でも強調されており、現代人集団からの遺伝的距離が計測されました。ブリテン諸島の鐘状ビーカー文化標本は、ゲルマン語話者であれケルト語話者であれ、現代のヨーロッパ北部人口集団とクラスタ化します。ほとんどの遺伝的距離(10.00 未満)から、これら現代の人口集団が鐘状ビーカー文化集団の直接的な常染色体子孫で、混合がなく、青銅器時代および鉄器時代の遺伝子流動の北から南および西から東への方向を証明していることも注目されます。


●ライン川下流の故地からのイタロ・ケルト語派の拡大

 もう一つのYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の下位区分はYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)で、イタリア北部およびフランスでとくに高頻度です。既知の最初のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本は、ドイツのオスターホーフェン・アルテンマルクト(Osterhofen-Altenmarkt)の紀元前2571〜紀元前2341年の個体です。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の系統は、鐘状ビーカー文化のアルプス北部のボヘミアへの拡大とポーランドへの「逆流」に相当し、ドナウ川沿いに紀元前2500〜紀元前2000年頃にブダペストへと南下しました。ボヘミアとバイエルンは鐘状ビーカー文化の起源ではなく目的地だったという間接的な主張も、この地域のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2b1のみ)により強調され、初期鐘状ビーカー文化のブリテン諸島人の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2c1のみ)を反映しています。

 ボヘミアとライン川下流へのポーランド南東部からの経路沿いの停車場だったならば、YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)以外のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性がもっと多くいるでしょう。ブダペストのチェペル(Csepel)地区の紀元前24世紀の鐘状ビーカー文化標本も、ハンガリーが鐘状ビーカー文化拡散の起源地ではなく終点だったことを証明しています。ここでは、「純粋なCWC由来(ケルト語派とゲルマン語派)」系統と直接的な草原地帯関連(CWCのないヤムナヤ文化)系統とラエティア・エトルリア語派系統の混合した、原イリュリア語派集団の常染色体の混合が見つかります。YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)標本は、ブリテン諸島や、スカンジナビア半島とブリテン諸島の常染色体のつながりを特徴とする元のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本と比較して、「南部」集団から常染色体上の遺伝的影響を幾分受けた、と分かります。

 一部のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性とほとんどのYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性は、ライン川沿いにアルプスの西側を移動して、近縁のYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とともにフランス南部に到達し、地中海沿いに紀元前2000年頃以前にイベリア半島とイタリアのリグーリア州(Liguria)に拡散しました。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)が最初に、アルプス経由の代わりにリグーリア州からイタリアに拡散したことを裏づける証拠が二つあります。古代のリグーリア州の標本と初期(ローマ共和政以前)ラテン人標本は、常染色体では相互に密接で、ともにヴァスコン人エトルリア人の混合を示しますが、YHgはR1b1a1b1a1a2(P312)です。

 一方、東部イタリック語派集団の子孫である可能性が最も高い帝政期ローマの標本は、顕著なスラブ化以前のバルカン人の混合(イリュリア人とギリシア人とミノア人)と、追加のラエティア・エトルリア語派集団の特徴を有しており、北東部からのイタリック語派のオスク・ウンブリア語群(ヴィッラノーヴァ人)が、後に異なる人口統計学的波で到来し、元々の西部イタリック語派集団(ラテン人や西シチリア人やおそらくはリグーリア人)よりもイタロ・ケルト語派集団との遺伝的類似性が低かったことを示唆します。

 これが意味するのは、イタリック語派祖語集団がすでに、後期新石器時代のアルプスの北側の「ラエティア・エトルリア語派的」人口集団と混合し、次にアルプスの西側経路でリグーリアとラティウムとシチリアに拡散したイタリック語派集団がアクィタニア(Aquitani)・ヴァスコン人(Vascon)と混合し、カルパティア盆地に拡散したイタリック語派東部集団がエトルリア人に加えてイッリョ・トラキア人(Illyro-Thracian)と混合した、ということです。以前の研究(関連記事)では、シチリア島とサルデーニャ島の人々は草原地帯牧畜民関連の遺伝子流入を紀元前2200〜紀元前2000年頃に部分的にバレアレス諸島人から受けており、それは独特な石造物で知られるヌラーゲ文化およびギリシア関連の中東からの遺伝子流入が紀元前1900年頃に到達する前のことでした。

 したがって、初期カルパティア盆地のヤムナヤ文化集団のイタロ・ケルト語派の識別に関するアンソニー(David W. Anthony)の見解を改良にする必要があり、むしろイッリョ・トラキア人がバルカン半島北側に到来した可能性があり、後にブチェドル(Vucedol)文化を通じてバルカン半島北側に拡大しました。同時に、ウサトヴォ(Usatovo)およびエゼロ(Ezero)文化は、原ゲルマン人ではなく原アナトリア半島人の拡大を示しているかもしれません。イタロ・ケルト語派の故地は、Y染色体DNAと常染色体DNAの証拠に基づくと、北ドイツ平原とライン川下流地域に確実に想定できます。


●まとめ

 イタロ・ケルト語派祖語話者は、父系ではYHg-R1b1a1b1a1(P311)に代表され、現在のウクライナからポーランド南東部を経てライン川下流地域に紀元前2900〜紀元前2500年頃に移動し、CWCの遺構に分類される単葬墳文化により識別されます。鐘状ビーカー文化は紀元前2500年頃に現在のオランダとドイツ北西部で形成され、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性とともに紀元前2500〜紀元前2000年頃にブリテン諸島へと拡散し、後にケルト語祖語集団となり、YHgではR1b1a1b1a1a2c1(L21)に代表されます。鐘状ビーカー文化はイベリア半島とフランス南部にはYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とR1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性とともに、デンマークとスウェーデンのスコーネ地方にはYHg-R1b1a1b1a1a1(U106)の男性とともに(後の西ゲルマン語群集団の祖先)、アルプス北部とボヘミアとポーランドにはYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性(後のオスク・ウンブリア語群集団)とともに拡大しました。

 常染色体DNAは、混合されていてないイタロ・ケルト語派およびゲルマン語派人口集団がCWCだった一方で、アルプス北部とカルパティア盆地では、非インド・ヨーロッパ語族の常染色体構成要素(ラエティア・エトルリア語派集団やバスク人につながるヴァスコン人)が、後期青銅器時代と前期鉄器時代にまで顕著な存在感を示していた、と証明します。「気高きスキタイ人」と言われるジェロニア人(Gelonian)は、常染色体ではカルパティア盆地とウクライナの紀元前6〜紀元前3世紀のゴール人(Gaul)で、ハルシュタットC後のケルト人の広がりの最東端を示します。以前のキンメリア人とその後のサルマティア人は草原地帯牧畜民祖先系統を有しており、おもにイラン人関連祖先系統ですが、一部はコーカサスおよびテュルク人の祖先系統です。

 イタリック語派はこのように一貫性がありません。西方からイタリア半島への最初の波は、リグーリア語とラテン語とおそらくはシケル語をもたらし、同時にルシタニア語(直接的にはブリテン島から)とタルテッソス語(カタルーニャ地方経由で)がイベリア半島に到来しました。その後、骨壺墓地(Urnfield)文化・ヴィラノヴァ文化(Villanovan)期にカルパティア盆地とアルプスからの第二の移住がありました。エトルリア語系話者はリグーリア人とラテン人を分断し、イリュリア語の影響を受けたオスク・ウンブリア語群集団がアドリア海沿いに拡大しました。


参考文献:
Fehér T. (2021). Celtic and Italic from the West – the Genetic Evidence. Academia Letters, Article1782.
https://doi.org/10.20935/AL1782

https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html#c12

[近代史5] ハプログループ R1b (Y染色体) 中川隆
2. 中川隆[-17457] koaQ7Jey 2021年8月04日 16:28:09 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[33]
雑記帳 2018年05月11日
インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

 おもに5500〜3500年前頃となる、内陸アジアとアナトリア半島の74人の古代ゲノムの解析結果と比較を報告した研究(Damgaard et al., 2018A)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。インド・ヨーロッパ語族の拡散については複数の仮説が提示されていますが、有力なのは、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族祖語も広範な地域で定着していった、というものです。

 この「草原仮説」においては、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡散が、ヨーロッパから西・中央・南アジアにまで及ぶ、インド・ヨーロッパ語族の広範な定着に重要な役割を果たしたのではないか、との想定もあります(関連記事)。ヤムナヤ文化集団は5000年前頃からヨーロッパへの大規模な拡散を始め、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を各地に定着させ、やがて言語が多様化していったのではないか、というわけです。ヤムナヤ文化集団が初めてウマを家畜化したとの見解も提示されており、ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、ヤムナヤ文化集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。

 しかし、ウマの家畜化については議論が続いており、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化集団が、初めてウマを家畜化した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、この研究では、現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期〜後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています。これは、ボタイ文化の初期家畜馬は現生家畜馬に2.7%程度しか遺伝的影響を及ぼしていない、という知見(関連記事)と整合的です。ボタイ文化集団は、3人のゲノム解析結果から、ヤムナヤ文化集団とは遺伝的に近縁関係にはなく、それぞれ独自にウマを家畜化したのではないか、と推測されます。ボタイ文化集団は、近隣の集団が農耕・牧畜を採用した後も長く狩猟採集生活を維持し続けたので、孤立していたとも考えられていましたが、ウマの埋葬儀式に関しては他のアジアの文化との共通点があり、他集団との交流は一定上あったと考えられます。

 ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に拡散させた、との仮説の検証で重要なのは、インド・ヨーロッパ語族の使用が最初に確認されている、アナトリア半島を中心に繁栄した古代オリエントの強国ヒッタイトの住民と、ヤムナヤ文化集団との関係です。この研究では、アナトリア半島の住民の古代ゲノム解析の結果、古代アナトリア半島ではヤムナヤ文化集団の遺伝的影響は確認されませんでした。また、シリアの古代都市エブラ(Ebla)の記録から、インド・ヨーロッパ語族はすでにアナトリア半島で紀元前2500〜2400年前頃には用いられていたのではないか、と推測されています。この研究は、インド・ヨーロッパ語族集団はヤムナヤ文化の拡大前にアナトリア半島に到達していただろう、と指摘しています。

 中央・南アジアに関しても、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんど確認されませんでした。これまで、アジアにおけるユーラシア西部集団の遺伝的影響は、ヤムナヤ文化集団の拡散の結果と考えられ来ました。しかし、この研究は、その可能性が低いと指摘し、5300年前頃にユーラシア草原地帯の南方にいたナマズガ(Namazga)文化集団が、ヤムナヤ文化集団の大移住の前に、ユーラシア西部系住民の遺伝子をアジア人集団にもたらしたのではないか、と推測しています。

 ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はヨーロッパにおいて大きかったものの、アジアではたいへん小さかったようです。もちろん、文化的影響は遺伝的影響を伴うとは限りませんが、この研究で報告されたゲノム解析結果と比較は、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に定着させ、インド・ヨーロッパ語族は各地で多様化していった、という仮説と整合的とは言えないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の拡散に関しては、この研究のように、学際的な研究の進展が欠かせない、と言えるでしょう。その意味で、この研究の意義は大きいと思います。


参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aar7711


https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

9. 2021年8月04日 16:13:51 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[31] 報告
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雑記帳2021年08月04日
イタロ・ケルト語派の起源
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html

 イタロ・ケルト語派の起源に関する研究(Fehér et al., 2021)が公表されました。コッホ(John T. Koch)氏とカンリッフ(Barry Cunliffe)氏が率いる過去20年のケルト研究は、長きにわたる理論「ハルシュタット(Hallstatt)鉄器時代=原ケルト文化」の妥当性に疑問を提起し、一連の「西方からのケルト」において初期ケルト大西洋青銅器時代を主張しました。ギュンドリンゲン(Gündlingen)様式の剣術は青銅器時代後期のブリテン島と低地諸国に起源があり、後に西方から東方へと拡大し、ハルシュタット・アルプス鉄器時代からさらに広がった、との議論があります。鉄器時代前のイベリア半島南西部からのタルテッソスのケルト的性質も、原ケルト人の初期大西洋起源の証拠となります。父系継承のY染色体DNAと両親から継承される常染色体の古代DNAの結果は、「西方からのケルト」をますます裏づけており、本論文はさらに進んで、北西部から到来した「イタリア・ケルト人」を論じます。

 最近の考古遺伝学的研究(関連記事1および関連記事2)では、現在ヨーロッパ中央部および西部で優勢なY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)が、現在のウクライナとロシア南部のポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)起源だったことを証明しました。YHg-R1b1a1b(M269)以前ではあるものの、YHg-R1b1a1a(M73)ではない系統、つまりYHg-R1b1a1(P297)からYHg-R1b1a1b(M269)へと至る祖先は、ヴォルガ川流域に位置するロシア西部のサマラ(Samara)文化の紀元前5500年頃の男性個体で見つかっています。また、クルガン(墳丘墓)を建造するヤムナヤ(Yamnaya)文化の草原地帯牧畜民と、その東方の分派でおそらくはトカラ語(Tocharian)祖語を話したアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の男性は、おもにYHg-R1b1a1b1b(Z2103)でした。

 その後の研究では、「真のアーリア人」が話していた後期インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900〜紀元前2350年頃の縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)で話されていた可能性が最も高い、と明らかになりました。CWC集団はヤムナヤ関連の西方草原地帯牧畜民(WSH)の常染色体の祖先系統(祖先系譜、ancestry)を顕著に示し、特定の下位系統の拡大と一致する地理的下位集団を有しています。インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900〜紀元前2200年頃となるCWCのファチャノヴォ・バラノヴォ(Fatyanovo-Balanovo)文化の東側から到来した、紀元前2200〜紀元前1800年頃となるシンタシュタ(Sintashta)文化に由来し、父系はほぼYHg-R1a1a1b2(Z93)です。

 原バルト・スラブ語派集団は、YHg-R1a1a1b1a2(Z280)で、北方に移動して中石器時代のナルヴァ(Narva)文化を置換した、紀元前3200〜紀元前2300年頃となるCWC中期のドニエプル(Dniepr)文化集団の子孫候補です。紀元前2800〜紀元前2300年頃となる戦斧(Battle Axe、略してBA)文化は、スカンジナビア半島におけるCWCの分枝であり、YHg-R1a1a1b1a3a(Z284)とYHg-I1(M253)が優勢で、中石器時代の円洞尖底陶(Pitted Ware、略してPW)文化を置換しました。単葬墳(Single Grave、略してSG)文化は北ドイツ平原とデンマークの漏斗状ビーカー(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker、略してTRB)文化を置換し、後の紀元前2500年頃以降となる鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してしてBB)文化の祖先となり、そのYHgはR1b1a1b1a1(L11/P311)です。


●原ケルト人の故地

 以前の研究(関連記事)では、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)およびR1b1a1b1a1a2(P312)につながるようなYHg-R1b1a1b1a1(L52)がCWC期に現在のウクライナとの国境近くのポーランド南東部に存在した一方で、ドイツからポーランド北部を経てエストニアに至るほとんどの他のCWC標本は、YHg-R1a1a1(M417)だった、と示されました。ポーランド南東部のCWC個体群も、他地域のCWC個体群よりも後の鐘状ビーカー文化個体群の方との高い遺伝的類似性を示します。この集団と関連する唯一のCWC集団は、ライン川下流およびエルベ川下流地域の単葬墳文化です。

 したがって、YHg-R1b1a1b1a1(P311)の祖先は、インド・ヨーロッパ語族祖語の故地からカルパティア山脈北方のポーランド南東部を経て、紀元前2900〜紀元前2500年頃に北海沿岸に向かって移動した、と確実に結論づけられます。この経路は、常染色体の研究で裏づけられており、イベリア半島(YHg-R1b1a1b1a1a2のみ)外の鐘状ビーカー文化個体群は、ヨーロッパ北部新石器時代集団とヤムナヤ関連祖先系統の混合ではあるものの、イベリア半島新石器時代集団の祖先系統との混合ではない、と結論づけられています。

 CWC集団は常染色体では混合されていないインド・ヨーロッパ語族祖語の人々の起源で、イタロ・ケルト語派祖語(単葬墳文化の人々)とゲルマン祖語(戦斧文化の人々)と原バルト・スラブ語派(ドニエプル川中流)とインド・イラン語派祖語(ファチャノヴォ・バラノヴォの人々)の起源になった、と結論づけられます。常染色体の証拠から明らかなのは、Y染色体DNAでも示されているように、鐘状ビーカー文化期と戦斧文化期以降の、ブリテン諸島とオランダ北部とデンマークを含むスカンジナビア半島の完全な常染色体の連続性です。

 YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の鐘状ビーカー文化個体群が、ラインラントで紀元前2566年頃にのみ出現することにも要注意です。紀元前2800年頃となるアルザス地域のヘーゲンハイム(Hégenheim)標本には草原地帯祖先系統が欠けており、紀元前2574〜紀元前2452年頃となるフランス北東部のサルソーニュ(Salsogne、CBV95)標本はほぼ100%ヤムナヤ関連祖先系統で遺伝的に構成され、ヤムナヤ文化集団で優勢なYHg-R1b1a1b1b(Z2103)に分類されます。以上の点を考慮すると、常染色体遺伝子の結果は、YHg-R1b1a1b1a1(L11/P311)がライン川下流およびエルベ川下流地域で最も多様であり、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)とR1b1a1b1a1a2(P312)が稀なYHg-R1b1a1b1a1a3(S1194)とR1b1a1b1a1a4(A8053)とともに、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の分枝が鐘状ビーカー文化の拡大を始める前の紀元前2800〜紀元前2500年頃に、相互に隣り合って存在していたかもしれません。

 父系で最も「ケルト的な」YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)は、ブリテン諸島とイベリア半島のケルト地域(50%以上)で最も頻度が高く、フランス(40〜50%)で顕著に見られ、ヨーロッパ中央部および東部に向かってその頻度は減少します。ブリテン諸島で典型的なYHg-R1b1a1b1a1a2c1(L21)は、最初の鐘状ビーカー文化住民で見つかりました。ケルト語祖語のカルパティア盆地とアルプス北部もしくはカルパティア盆地とイタリアという移住経路を予測するのは、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の頻度に基づくと合理的ではありません。これは、初期鐘状ビーカー文化標本で示されているように、常染色体DNAの証拠でも強調されており、現代人集団からの遺伝的距離が計測されました。ブリテン諸島の鐘状ビーカー文化標本は、ゲルマン語話者であれケルト語話者であれ、現代のヨーロッパ北部人口集団とクラスタ化します。ほとんどの遺伝的距離(10.00 未満)から、これら現代の人口集団が鐘状ビーカー文化集団の直接的な常染色体子孫で、混合がなく、青銅器時代および鉄器時代の遺伝子流動の北から南および西から東への方向を証明していることも注目されます。


●ライン川下流の故地からのイタロ・ケルト語派の拡大

 もう一つのYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の下位区分はYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)で、イタリア北部およびフランスでとくに高頻度です。既知の最初のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本は、ドイツのオスターホーフェン・アルテンマルクト(Osterhofen-Altenmarkt)の紀元前2571〜紀元前2341年の個体です。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の系統は、鐘状ビーカー文化のアルプス北部のボヘミアへの拡大とポーランドへの「逆流」に相当し、ドナウ川沿いに紀元前2500〜紀元前2000年頃にブダペストへと南下しました。ボヘミアとバイエルンは鐘状ビーカー文化の起源ではなく目的地だったという間接的な主張も、この地域のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2b1のみ)により強調され、初期鐘状ビーカー文化のブリテン諸島人の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2c1のみ)を反映しています。

 ボヘミアとライン川下流へのポーランド南東部からの経路沿いの停車場だったならば、YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)以外のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性がもっと多くいるでしょう。ブダペストのチェペル(Csepel)地区の紀元前24世紀の鐘状ビーカー文化標本も、ハンガリーが鐘状ビーカー文化拡散の起源地ではなく終点だったことを証明しています。ここでは、「純粋なCWC由来(ケルト語派とゲルマン語派)」系統と直接的な草原地帯関連(CWCのないヤムナヤ文化)系統とラエティア・エトルリア語派系統の混合した、原イリュリア語派集団の常染色体の混合が見つかります。YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)標本は、ブリテン諸島や、スカンジナビア半島とブリテン諸島の常染色体のつながりを特徴とする元のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本と比較して、「南部」集団から常染色体上の遺伝的影響を幾分受けた、と分かります。

 一部のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性とほとんどのYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性は、ライン川沿いにアルプスの西側を移動して、近縁のYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とともにフランス南部に到達し、地中海沿いに紀元前2000年頃以前にイベリア半島とイタリアのリグーリア州(Liguria)に拡散しました。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)が最初に、アルプス経由の代わりにリグーリア州からイタリアに拡散したことを裏づける証拠が二つあります。古代のリグーリア州の標本と初期(ローマ共和政以前)ラテン人標本は、常染色体では相互に密接で、ともにヴァスコン人エトルリア人の混合を示しますが、YHgはR1b1a1b1a1a2(P312)です。

 一方、東部イタリック語派集団の子孫である可能性が最も高い帝政期ローマの標本は、顕著なスラブ化以前のバルカン人の混合(イリュリア人とギリシア人とミノア人)と、追加のラエティア・エトルリア語派集団の特徴を有しており、北東部からのイタリック語派のオスク・ウンブリア語群(ヴィッラノーヴァ人)が、後に異なる人口統計学的波で到来し、元々の西部イタリック語派集団(ラテン人や西シチリア人やおそらくはリグーリア人)よりもイタロ・ケルト語派集団との遺伝的類似性が低かったことを示唆します。

 これが意味するのは、イタリック語派祖語集団がすでに、後期新石器時代のアルプスの北側の「ラエティア・エトルリア語派的」人口集団と混合し、次にアルプスの西側経路でリグーリアとラティウムとシチリアに拡散したイタリック語派集団がアクィタニア(Aquitani)・ヴァスコン人(Vascon)と混合し、カルパティア盆地に拡散したイタリック語派東部集団がエトルリア人に加えてイッリョ・トラキア人(Illyro-Thracian)と混合した、ということです。以前の研究(関連記事)では、シチリア島とサルデーニャ島の人々は草原地帯牧畜民関連の遺伝子流入を紀元前2200〜紀元前2000年頃に部分的にバレアレス諸島人から受けており、それは独特な石造物で知られるヌラーゲ文化およびギリシア関連の中東からの遺伝子流入が紀元前1900年頃に到達する前のことでした。

 したがって、初期カルパティア盆地のヤムナヤ文化集団のイタロ・ケルト語派の識別に関するアンソニー(David W. Anthony)の見解を改良にする必要があり、むしろイッリョ・トラキア人がバルカン半島北側に到来した可能性があり、後にブチェドル(Vucedol)文化を通じてバルカン半島北側に拡大しました。同時に、ウサトヴォ(Usatovo)およびエゼロ(Ezero)文化は、原ゲルマン人ではなく原アナトリア半島人の拡大を示しているかもしれません。イタロ・ケルト語派の故地は、Y染色体DNAと常染色体DNAの証拠に基づくと、北ドイツ平原とライン川下流地域に確実に想定できます。


●まとめ

 イタロ・ケルト語派祖語話者は、父系ではYHg-R1b1a1b1a1(P311)に代表され、現在のウクライナからポーランド南東部を経てライン川下流地域に紀元前2900〜紀元前2500年頃に移動し、CWCの遺構に分類される単葬墳文化により識別されます。鐘状ビーカー文化は紀元前2500年頃に現在のオランダとドイツ北西部で形成され、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性とともに紀元前2500〜紀元前2000年頃にブリテン諸島へと拡散し、後にケルト語祖語集団となり、YHgではR1b1a1b1a1a2c1(L21)に代表されます。鐘状ビーカー文化はイベリア半島とフランス南部にはYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とR1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性とともに、デンマークとスウェーデンのスコーネ地方にはYHg-R1b1a1b1a1a1(U106)の男性とともに(後の西ゲルマン語群集団の祖先)、アルプス北部とボヘミアとポーランドにはYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性(後のオスク・ウンブリア語群集団)とともに拡大しました。

 常染色体DNAは、混合されていてないイタロ・ケルト語派およびゲルマン語派人口集団がCWCだった一方で、アルプス北部とカルパティア盆地では、非インド・ヨーロッパ語族の常染色体構成要素(ラエティア・エトルリア語派集団やバスク人につながるヴァスコン人)が、後期青銅器時代と前期鉄器時代にまで顕著な存在感を示していた、と証明します。「気高きスキタイ人」と言われるジェロニア人(Gelonian)は、常染色体ではカルパティア盆地とウクライナの紀元前6〜紀元前3世紀のゴール人(Gaul)で、ハルシュタットC後のケルト人の広がりの最東端を示します。以前のキンメリア人とその後のサルマティア人は草原地帯牧畜民祖先系統を有しており、おもにイラン人関連祖先系統ですが、一部はコーカサスおよびテュルク人の祖先系統です。

 イタリック語派はこのように一貫性がありません。西方からイタリア半島への最初の波は、リグーリア語とラテン語とおそらくはシケル語をもたらし、同時にルシタニア語(直接的にはブリテン島から)とタルテッソス語(カタルーニャ地方経由で)がイベリア半島に到来しました。その後、骨壺墓地(Urnfield)文化・ヴィラノヴァ文化(Villanovan)期にカルパティア盆地とアルプスからの第二の移住がありました。エトルリア語系話者はリグーリア人とラテン人を分断し、イリュリア語の影響を受けたオスク・ウンブリア語群集団がアドリア海沿いに拡大しました。


参考文献:
Fehér T. (2021). Celtic and Italic from the West – the Genetic Evidence. Academia Letters, Article1782.
https://doi.org/10.20935/AL1782

https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/187.html#c2

[番外地9] 5,420円の真空管プリアンプ FX-AUDIO- TUBE-01J 中川隆
9. 中川隆[-17456] koaQ7Jey 2021年8月04日 17:15:58 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[34]
FX-AUDIO- TUBE-01J 真空管プリアンプ(ラインアンプ) 用のACアダプターは出力電流 3A が良い

Salcar【PSE取得済み】 AC 電源アダプター DC 12V 3A
https://www.amazon.co.jp/dp/B08DJ2VG17/ref=sspa_dk_detail_0?psc=1&pd_rd_i=B08DJ2VG17&pd_rd_w=aBgkg&pf_rd_p=955494f2-9714-490c-8fb6-590a072703cc&pd_rd_wg=ghQu5&pf_rd_r=7YVBNNB1WA00SCF0F223&pd_rd_r=a9316211-e056-4ca0-84d4-0c36319ed5ef&spLa=ZW5jcnlwdGVkUXVhbGlmaWVyPUExTTVGMlNKRk1URE5JJmVuY3J5cHRlZElkPUEwODgyODAzMjBDRjlSWDFSN09ZMCZlbmNyeXB0ZWRBZElkPUExNVIyTERBOFFYSDNEJndpZGdldE5hbWU9c3BfZGV0YWlsJmFjdGlvbj1jbGlja1JlZGlyZWN0JmRvTm90TG9nQ2xpY2s9dHJ1ZQ==

を使っています。

本製品の仕様にある DCプラグ内径2.5mm は間違いで、実際には内径2.1mmなので、FX-AUDIO- TUBE-01J 真空管プリアンプ(ラインアンプ) 用に使っても問題ありません。

Salcar【PSE取得済み】 AC 電源アダプター DC 12V 3A 大手メーカー 高信頼品 最大出力36W
の正しい仕様は

DCプラグの口径:外径5.5mm×内径2.1mm
極性:センタープラス
定格出力:12V 3A

FX-AUDIO- TUBE-01J 真空管プリアンプ(ラインアンプ) の製品仕様は

電源:定格電圧DC12V 電流1A以上推奨 ※ACアダプター別売
電源コネクター:外径5.5mm 内径2.1mm (センタープラス仕様)
【※ご注意※】ACアダプター別売となります。別途お求めください。

なので、本製品と適合します。

FX-AUDIO- TUBE-01J 真空管プリアンプ(ラインアンプ) 用のACアダプターとしては

SUCCUL ACアダプター 12V 2A
大手メーカーOEM社製品 センタープラス スイッチング式 最大出力24W
出力プラグ外径5.5mm(内径2.1mm) PSE取得品
ブランド サクル株式会社
出力電圧 DC12V
出力電流 最大2A
出力プラグ 外径:5.5mmΦ、内径:2.1mmΦ、長さ10mm(フォーク形)
https://www.amazon.co.jp/AC%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC-%E5%A4%A7%E6%89%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BCOEM%E7%A4%BE%E8%A3%BD%E5%93%81-%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9-%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%BC%8F-%E5%87%BA%E5%8A%9B%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B0%E5%A4%96%E5%BE%845-5mm/dp/B00IGU6AA0/ref=pd_bxgy_1/355-5334969-8495632?pd_rd_w=PGO65&pf_rd_p=d8f6e0ab-48ef-4eca-99d5-60d97e927468&pf_rd_r=X511VP1A1YZAECZBG3EQ&pd_rd_r=2ccd7ab0-219e-4cf1-8677-669c79049bc2&pd_rd_wg=53p4C&pd_rd_i=B00IGU6AA0&psc=1

を使っている人が多いですが、出力電流 2A では音がボコボコになります。出力電流は大きければ大きい程良い音になります:


最初12V 1A のACアダプターを使っていたら、ボリュームを上げるとブーンといったノイズが入り真空管はこういう物かと諦めていましたが、3A の物に替えたところノイズが消えました。同じ症状に困っている方は試してみては。

メーカーの方でもこういった情報を伝えほうが良いと思いますよ。粗悪品を掴んだと思ってしまうので。なので☆ひとつマイナスです。

最後の音質についても触れておきます。
プリアンプというのは本来、好みの音色を出す為のものです。
伝説の名器のマランツ7C を通すと緑色がかった幽玄な音になり、原音には無いオーラが出ます。
安物プリアンプだと原音の中性的な音色は全く変わらないで、分解能と透明さが失われるだけです。

真空管アンプの音は原音忠実とか無色透明とは程遠い方向性です。かなり濃厚でどろっとしている雰囲気があります。

現代ハイエンドの典型的な描写がアクリルとかガラスのような硬質なものを透明に磨き上げて風景を見ているイメージなのですが、優れた真空管アンプはそうじゃなくて粘性がありながらもかなり透明度の高い液体がゆらゆらゆれている水面ごしに風景を見ている感じでしょうか?表現が難しいです。決して忠実ではないとわかっていてもその音は心地よいのです。

悪い真空管やアナログは水面が不純物だらけで濁っているのですが、優れた真空管アンプは真空管でありながらもレベルの低い価格だけのハイエンド機よりおそらく透明度が高いです。

それから、アンプの音色は電源ケーブルで殆ど決まってしまいます。
機器だけが音質アップの決め手では有りません。ケーブル類は「機器と同等」の効果が有ります。
一般にアンプの音と云われているのは「電源ケーブルの音」です。電源ケーブルを変えれば機器の性能は大きく変わります。10万円のアンプでも100万円以上のアンプと同等な音質を出して来ます。

こういう観点から本機 FX-AUDIO- TUBE-01J を評価すると、
残念ながらこれは真空管アンプの音ではありません。単に音が濁って分解能が下がるだけで、通しても いい事は何もありません。
ボリューム付きCDP・ DAC か増幅無しのパッシブ・プリアンプの方が分解能が高く鮮明な良い音になります。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/664.html#c9

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ハイドン『交響曲 第100番ト長調 軍隊』 中川隆
1. 中川隆[-17455] koaQ7Jey 2021年8月04日 17:38:08 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[35]
Haydn - Symphony No.100 “Military” Walter Vienna






ブルーノ・ワルター指揮  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  1938年1月10日




宇野功芳 ブルーノ・ワルター(1876年9月15日 - 1962年2月17日)と我が音楽人生
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/529.html

宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1080.html

ブルーノ・ワルター _ モーツァルトの名盤
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/832.html

ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html

ブルーノ・ワルター オペラ名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/295.html



BRUNO WALTER HOME PAGE
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/walter2.htm

BRUNO WALTER ディスコグラフィ
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/discography.htm

BRUNO WALTER BBS
https://6233.teacup.com/walter/bbs  

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/206.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第6番 アダージョ』 中川隆
1. 中川隆[-17454] koaQ7Jey 2021年8月04日 17:44:31 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[36]
ブルックナーの作品は日本の男のためにある _ 日本でのブルックナー人気は宇野功芳のカリスマ評論が唯一の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/684.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/207.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ウェーバー『魔弾の射手 序曲』 中川隆
1. 中川隆[-17453] koaQ7Jey 2021年8月04日 18:22:08 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[37]
ウェーバー オペラ 『魔弾の射手』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/834.htm

▲△▽▼


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886年1月25日 - 1954年11月30日) 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/118.html

フルトヴェングラー _ ベートーヴェン名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/162.html

作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?_宇野功芳 樂に寄す
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html

ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html

Wilhelm Furtwängler site by shin-p
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/

Kenichi Yamagishi's Web Site
http://classic.music.coocan.jp/index.htm
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/208.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ シューマン 『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 』 中川隆
1. 中川隆[-17452] koaQ7Jey 2021年8月04日 18:44:15 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[38]
ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html


▲△▽▼


アルフレッド・コルトー(1877年9月26日 - 1962年6月15日)名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/183.html

清貧の音楽ファンには音楽はわからない _ フランス人だけがヤマハから美しい音色が出せる理由 _ コルトー名演集
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c34
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/209.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ リヒャルト・シュトラウス『4つの最後の歌』 中川隆
1. 中川隆[-17451] koaQ7Jey 2021年8月04日 19:19:52 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[39]
リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html

指揮者 リヒャルト・シュトラウス (1864年6月11日 - 1949年9月8日)_ 大作曲家が名指揮者だった時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/700.html


▲△▽▼


ヘルベルト・フォン・カラヤン (1908年4月5日 - 1989年7月16日)名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/198.html
 
巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/210.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ バルトーク『ピアノ協奏曲第3番』 中川隆
1. 中川隆[-17450] koaQ7Jey 2021年8月04日 19:36:59 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[40]
バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/211.html#c1
[近代史3] 難病は温泉水を飲んで治そう 中川隆
5. 2021年8月04日 20:14:52 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[41]
【ゆっくり解説】水を毎日2リットル飲み続けた結果が意外すぎた...
2021/08/04



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/417.html#c5
[近代史5] どこか遠くへ旅に出よう 中川隆
28. 2021年8月04日 20:24:24 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[42]
【ゆっくり解説】日本に実在する恐ろしい禁断の島6選!
2021/07/31




日本には厳重に立ち入りが禁止されている禁断の島があります。
そこは近づくことすら危険とされていたり、島によっては部外者は絶対に入れない場所もあります。
何故、そのように禁断の島と呼ばれているのか?
今回は日本に実在する禁断の島6選を紹介して行きます。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/418.html#c28
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ カルロ・ルスティケッリ 映画「鉄道員」 中川隆
1. 中川隆[-17449] koaQ7Jey 2021年8月04日 21:03:03 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[43]
ピエトロ・ジェルミ 鉄道員 - ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/search/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%20%E9%89%84%E9%81%93%E5%93%A1?ref=watch_html5  
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/213.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ カルロ・ルスティケッリ 映画「鉄道員」 中川隆
2. 中川隆[-17448] koaQ7Jey 2021年8月04日 21:08:34 : K38sCEWWu6 : d3ZiOGE4QkZ4eTY=[44]
カルロ・ルスティケッリ ブーベの恋人


「ブーベの恋人 、La ragazza di Bube」サウンドトラック Sound Track





La Ragazza di Bube(ブーベの恋人)−Claudia Cardinale





1963年イタリア映画 「#ブーベの恋人」
from movie "La Ragazza di Bube" 1963 Italy

cast(配役)
Claudia Cardinale クラウディア・カルディナーレ(Mara)
George Chakiris ジョージ・チャキリス(Bube)

Director(監督)
Luigi Comencini  ルイジ・コメンチーニ

Music(音楽)
"Carlo Rustichelli" #カルロルスティケリ



La ragazza di Bube 1969 [FULL MOVIE]



http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/213.html#c2

   

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