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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100316
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[近代史3] 田中英道のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
1. 中川隆[-9249] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:01:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3256]

右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/213.html#c1

[近代史3] 西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
34. 中川隆[-9248] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:01:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3257]


右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html#c34

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
26. 中川隆[-9247] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:02:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3258]


右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


▲△▽▼


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


___

黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

___


あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

___


イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

_____


黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

_____


黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c26

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
17. 中川隆[-9246] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:03:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3259]


右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

========================

<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


___

黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

___


あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

___


イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

____


英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c17

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない 中川隆
6. 中川隆[-9245] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:05:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3260]

右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html#c6

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
10. 中川隆[-9244] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:06:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3261]

右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

========================

<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


___

黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

___


あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

___


イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

_____


黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c10

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
26. 中川隆[-9243] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:08:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3262]

右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

========================

<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

========================

<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

========================

<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


▲△▽▼


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


___

黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

___


あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

___


イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

_____


黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

▲△▽▼


次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c26

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
38. 中川隆[-9242] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:09:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3263]

右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c38

[近代史3] ナスタチウムのブログ _ 難民受入数を増やして過疎地に送る!国有林の伐採を外資を含む民間に開放!これが安倍政権の地方創生! 中川隆
4. 中川隆[-9241] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:19:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3264]

「移民政策はとらない」と言明する安倍首相が進める「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」2019年06月27日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12486460075.html

今回はひっそりと進める安倍政権の怒涛の移民政策を紹介します。

今までの6年間も相当酷いですが、安倍首相は日本人を外国人に置換しようとしています。

日本を多民族国家にしようとしていて、公共機関や交通、銀行などの生活インフラに多言語化という馬鹿で無駄な投資をしていくことにしました。

高齢者の運転免許を取り上げろと言う声が高まる中、75歳以上の認知症検査に多言語化を図るというものまでありました。パンチ!

外国人は異国へ行くという自分の意思で日本へ来るので、努力したり我慢したりすることは想定していますし、出身国によっては日本の方が暮らしやすいという場合も多々あります。

ところが、日本人にとっては、どうして勝手に来た外国人(それも貧困層)のために我慢して、払った税金を外国人に使われて、仲間でもない外国人との共生を(特に一般庶民が)強いられるのか、理不尽さを感じます。

この誰がみても「移民」そのものについて移民反対と言えば、安倍首相は「移民ではない」というので議論がかみ合いません。実に姑息で不誠実なペテン師です。

移民のせいで自国民が搾取され虐げられ、国民国家が分断されている外国の惨状を知りながら真似をする安倍首相は、移民対策をとらないと言いながら、移民政策を決定しました。

まさに息をするように嘘をつくです。ムキー 反日リベラルの“保守”が甘やかすからです。

法務省が主導する“外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策検討会”というのもがあります。ここのサイトからその移民対策の経過、内容がわかるようになっています。

この閣議決定された移民政策「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」に基づいて、国の予算と人員が配置されるのです。

国だけではなく、地方公共団体もそれに従って予算を組みますから、最後に書いてある金額以上に移民政策のための税金投入があるということです。(例えば、地方創生推進交付金は国と地方が折半ですから実際の国の予算の2倍の税金が投入されるということです。)

1「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」 2018/12/25

2「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策の充実について」 2019/06/18

(こちらはだいたい1の確認で同じ内容です。最後のところに「上記の充実の方向性に沿って、本年末に向け「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」の改訂を行う。」となっていました。)

今回は1の内容(31頁分)を簡単に紹介します。読んでいて具合が悪くなりました。ゲロー

※本文そのままと、私が短くまとめた分が入り交ざっています。うーんは私の感想です。

本文全体の内容はぜひリンク先でどうぞ!

ダイヤグリーン

1「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」 2018/12/25

(概要はこちら)

◆この総合対策を作った基本的な考えは次の通り。

この対策は、日本人と外国人が安心安全に暮らせる共生社会の実現という目的を達成するための目指すべき方向性を示すもので、日本人と外国人双方が共生の理念を理解し努力しなくてはいけない。

うーん移民がいないのに何で共生社会の実現が目的になってるの?なんで私が努力を?

◆政府としては、条約難民や第三国定住難民を含め、在留資格を有する全ての外国人を孤立させることなく、社会を構成する一員として受け入れていくという視点に立ち、外国人が日本人と同様に公共サービスを享受し安心して生活することができる環境を全力で整備していく。

うーん日本人と同様の公共サービス?ならば多言語サービスはいらないでしょ。

◆法務省に設置した「『国民の声』を聴く会議」には、外国人からも意見を聞く。

うーん国民でもないのに国民扱いすると勘違いすると思う。けじめをつけて別にすべき。

◆言語、宗教、慣習等の違いに起因する様々な問題の発生が懸念されるが、地方自治体、企業、コミュニティーが意識を向上させ、法務省の人権擁護機関による「心のバリアフリー」の取り組みを地方公共団体等と連携し、啓発活動等を更に推進する。

また、8カ国語を目途に多言語対応を進め、人権問題が生じた場合に外国人が幅広く安心して利用できるよう更なる周知を図る。

うーん外国人ではなくて私たちが啓発される対象のようです。プンプン8か国語は多過ぎ。

◆外務省は国際移住機関等との共催による「外国人受入れと社会統合に関する国際ワークショップ」を開催し、地方自治体は日本人の意識啓発を行う。

うーん日本政府の移民大国化を後押しする政策です。欧州人を何十年も騙してきた「移民は移民と受け入れ国双方を豊かにする」という大嘘を、これから日本で触れ回ります。

〜ここまで1〜2頁

◆外国人が、在留手続、雇用、医療、福祉、出産・子育て・子供の教育等の生活に関わる様々な事柄について疑問や悩みを抱いた場合に、適切な情報や相談場所に迅速に到達することができるよう、都道府県、指定都市及び外国人が集住する市町村約 100 か所において、地方公共団体が情報提供及び相談を行う一元的な窓口である「多文化共生総合相談ワンストップセンター(仮)」を設置することを支援 

うーんこれも多言語なんですよ。11か国でしたね。やり過ぎです。誰かの利権でしょうか。

〜ここまで3頁

◆外国語で提供する行政情報・生活情報の更なる内容の充実、分かりやすさの向上を図るとともに、我が国を訪れる外国人の国籍・出身地域や使用言語の多様化を踏まえ、より多くの言語による情報提供・発信を進める。 

うーん誰が儲かるの?誰の就職先?130か国語くらいにするんですか?媚びすぎ。

〜ここまで4頁

◆ 「地域における多文化共生推進プラン」や「多文化共生事例集」の普及を行う。

うーん西欧で失敗が確定した多文化共生にこれから突き進むわが日本。ショック!

多文化主義が完全に失敗なのに移民を止められず、自国民に我慢させることでしか統治できなくなり国柄が悪い方に変わってしまった西欧諸国の真似をすることは自殺行為です。

◆外国人が安心して医療サービス等を受けることができる環境の整備を図ることが必要である。あわせて、外国人が生活に困窮した際の相談等の福祉サービスに係る環境の整備を進めることも必要である。

うーん外国人の通訳は自費で!外国人が生活に困窮したら母国へ帰ること。私たちの問題ではない。相談を受けるのは帰国相談だけ。

◆ 医療において、電話通訳及び多言語翻訳システムの利用促進、外国人患者受入れに関するマニュアルの整備などを通じて、全ての居住圏において外国人患者が安心して受診できる体制の整備を進める。

うーん全ての居住圏ですよ。これを移民政策と言わず何と言いますか?これに関わった日本人は全員移民に依存です。移民が無くては商売あがったりで、移民は麻薬になります。

◆訪日外国人旅行者自身の適切な費用負担を前提とした旅行保険への加入を促進する。

うーん加入促進ではなくて義務化すべき。

◆外国人子育て家庭や妊産婦が、保育施設、保健・医療・福祉等の関係機関を円滑に利用できるよう、市町村が実施する「利用者支援事業」における多言語対応を促進し、保育施設における外国人乳幼児の円滑な受入れ支援に引き続き取り組む。

うーん何度でも言いますが、外国人で日本語ができない人は自費で通訳を雇ってください。保育施設で日本語ができないような保護者の世話までできません。いい加減にしろ!

〜ここまで6〜7頁

◆外国人が必要とする防災・気象情報に容易にアクセスできるよう、防災・気象情報に関する「多言語辞書」を充実し(11 か国語)、地方公共団体が出す避難指示・避難勧告等を多言語化する。

うーん他の項目でもそうですが、ここまで多言語と煩くなると、外国人を採用しようということになりますよね。公的部門に外国人を採用させるための政府の圧力だと思います。

◆災害時に避難所等にいる外国人被災者のニーズとのマッチングを行う「災害時外国人支援情報コーディネーター」について、平成 32 年を目途に都道府県及び指定都市での配置が可能となるよう、養成研修を平成 30 年度から実施する。

うーん日本人と同じ公共サービスじゃなくて、日本人以上のサービスでしょう?この分日本人への行政サービスが低下するのです。受け入れ先にその役目を負わせるべき。

◆外国人からの199通報に備える体制つくりと、救急現場における外国人傷病者とのコミュニケーションを支援する多言語音声翻訳アプリの消防本部への導入の促進を図る。

うーんイメージわきませんが、このアプリは救急で役に立ちますか?

〜ここまで8頁

◆外国人の間にも日本の交通ルールに関する知識を普及させることにより、交通事故の防止を図る。

うーん日本と同レベルの国から入れれば問題ないのに、未開人みたいな移民まで入れるからこんなことにまで気を遣うことになります。

◆運転免許学科試験や 75 歳以上の運転者を対象とした認知機能検査において多言語化の取組を進める。

うーん日本語も英語もできないような状態で標識や表示が読めますか?免許与えないで!

それと、75歳以上の外国人で認知症の検査が多言語だぁ〜? いい加減にしろ!ムキーッ

◆外国人からの 110 番通報に迅速・的確に対応できるよう、多言語翻訳機能を有する装備資機材の導入を図る。また、外国人が刑事手続の当事者となった場合において、引き続き、適切な通訳の確保を図る。

うーん主要言語ならまだしも、マイナーな多言語対応を諸外国はやってますか?通報する側が工夫すべき。

◆民間通訳人を同行した巡回連絡の実施、外国人に対する 110 番通報講習や防犯教室の開催、自主防犯団体との合同パトロールの実施など防犯対策の充実を図り、外国人が犯罪被害者となることや外国人コミュニティー等に対する犯罪組織の浸透の防止等を図る。

うーん逆だろう!日本人が外国人犯罪の被害にならないように仕事してください。それから外国人だけで完結する犯罪がよくありますが、日本を汚すな!追放してください。

◆消費者トラブルについて、外国人が安全・安心な利用・契約等をすることができるよう、消費生活センター等における多言語対応の充実を図る。

うーん本当にこんなことまで多言語なんて、公的部門で外国人を雇用したいのでしょう。

◆法律トラブルについては、日本司法支援センター(法テラス)が行う「多言語情報提供サービス」(8か国語)について、より一層外国人利用者への適切な対応に努める。

うーんこんなことまで国が関与する必要はない。外国人自身が考えて動けるはず。

◆失業等による経済的困窮や言語・習慣等の違いによる地域社会からの孤立等に対する支援ニーズに対応するため、地域の実情に応じて、生活困窮者に対する相談窓口への通訳の配置や、外国人をサポートする団体等との連携を図るなど、外国人の状態に応じたきめ細かな支援を行う。

うーん失業なら母国へ返してください。安倍首相は移民ではなく働きに来るんだと言ってましたよね。地域社会に溶け込めないのに無理に日本に置いておく必要はないし、そういう支援なら日本人を優先すべきで、外国人は暮らしやすい母国へ帰るべき。

◆住宅確保要配慮者への支援を行っている全国の居住支援協議会に対して、外国人が支障なく住宅を探し住むことのできるよう要請を行い、在留外国人への支援活動を促す。

(外国人に家を貸すように長々とくどくどと説明がありますが省略します)

うーん受入れた企業や学校がやること。なんで外国人というだけで要配慮者になるの?勝手に来た外国人より日本人の方が優先されて当然のはず。

◆ 公営住宅に関し、在留資格を持つ外国人について、日本人と同様に入居を認めるよう、政府が地方公共団体に要請を行っている。

うーん余計なお世話。住宅の確保もできないような外国人が日本の国益に利するとは到底思えません。金持ちなら確保できるのですから。日本人だって公営住宅に入れない人がいます。本末転倒。

〜ここまで9〜11頁

◆ 全ての金融機関において、新たな在留資格を有する者及び技能実習生が円滑に口座を開設できるよう、また、多言語対応の充実を要請する。

うーん大金を預けてくれるなら対応するでしょう。日本語も英語もできないのに一人で銀行に来ること自体非常識。日本人だって海外の銀行で日本語の対応をされているわけではない。

◆在留外国人による携帯電話の契約及び利用の円滑化等の観点から、多言語対応に向けた取組を一層推進するよう業界団体を通じて要請する。

うーん多言語はいらない!英語でいいでしょう。多民族国家にするつもり?

◆今国会で成立した日本語教育推進法では外国人の日本語教育を充実させる施策の実施を国と地方自治体の責務と位置づけており、そのための施策が延々と書かれています。

うーんこれこそ移民法です。どうして誰も騒がないのか不思議です。

〜ここまで12〜16頁

◆既に平成28年6月の「日本再興戦略」において留学生の日本国内での就職率を現状の3割から5割に向上させることを目指すこととされたが現状が36%なので、留学生が卒業後に就労できる業務の拡大、ビザの延長、ビザ変更の書類簡略化、日本での就職が多い大学等への留学生奨学金の優先配分、採用時の日本語レベル要求を下げるよう国が推奨、外国人雇用サービスセンター等の増設を含めた支援体制の強化等、様々な外国人留学生への日本就労を支援する。

うーん以前ブログに書きましたが、日本人の若者が日本政府の支援する外国人相手に国内で競争を強いられます。そのお金の元は日本人の若者の両親が払った税金です。プンプン

〜ここまで17〜19頁

◆安全衛生観念が低く日本語ができない外国人労働者向けの外国語による安全衛生教材や外国人労働者を雇用する事業主向けの教材の開発を進める。

うーん受益者負担であるべきなのに予算がついているようです。企業がやればいいじゃない。

◆外国人から相談を受ける都道府県労働局及び労働基準監督署に設置している「外国人労働者相談コーナー」を、外国人の多いところを中心に増設する。また、対応する言語についても、現行の6か国語から8か国語に増やす。「外国人労働者向け相談ダイヤル」についても、同様の充実を図る。

うーんマイナー言語話者の就職支援ですか?

〜ここまで20頁

◆外国人に地域で安定した就労が確保されるように、身近な場所での転職を希望する場合には地域のハローワークにおいて、多言語対応(11 か国語)により、できる限り本人の希望に沿った転職が可能となるよう支援を行う。

うーんまず日本人にやれよ!なんで外国人に地域で安定した就労を確保しなくてはいけないの?

◆定住外国人を対象に、法令や雇用慣行等の基本的知識等を習得する研修等の実施を拡大するとともに、日本語能力に配慮した職業訓練を実施するほか、都道府県等の実情に応じ、定住外国人職業訓練コーディネーターの配置を進める。

うーん定住は生活保護をもらえるから仕事しないのでしょう。でもこんなことより生活保護の対象から外す方が自助努力、もしくは母国へ帰国してくれるでしょう。

※「永住者」、「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」、「特別永住者」、「難民認定された者」は生活保護支給の対象です。

〜ここまで21頁

◆他人の健康保険証で医療機関を受診する「なりすまし」に対して、医療機関が本人確認書類の提示を求めることが出来るよう対応するが、本人確認書類の提出が無いことだけで保険給付を拒否する取り扱いはしない。

うーん騙したもの勝ち?

◆特定技能外国人が一定程度、所得税や住民税を滞納している場合には、在留資格変更許可申請等を不許可とする。

うーん一定程度とはどれくらいか不明で、滞在ビザ取り消しでもない。

〜ここまで23頁

◆国外居住親族に係る扶養控除等の適用については、所得要件の判定において国内源泉所得が用いられており、国外で一定以上の所得を稼得している親族でも控除の対象とされているとの課題があるが、そのまま運用する。

うーんそもそも扶養親族かどうか、いくら稼いでいるのかを判定する公的書類に信憑性が無く、簡単に住民税非課税世帯になることが可能。そこからの恩恵も合わせると、日本人に著しく不公平であり、そのまま運用するのは外国人への優遇。

〜ここまで24頁

◆日本への入国・在留者が増加している東南アジア諸国に加え、他の国々においても、将来にわたって、我が国における生活・就労を希望する外国人材が輩出されるよう、国際交流基金の日本語教育事業を通じて、より多くの国で日本語教育基盤の強化を図る。

うーん東南アジアだけでなく様々な第三世界から移民が未来永劫続々と来るように、第三世界で日本語を普及するそうです。叫び 英国やフランスみたいになりたいのでしょうか?

〜ここまで27頁

◆退去強制令書が発付されているものの、送還を忌避し、あるいは諸般の事情により仮放免されている外国人については、その動静を適切に把握するほか、帰国用臨時旅券の職権発給を拒み、送還対象者の身柄の引取りを行わない国については、外務省を通じるなどして、帰国用臨時旅券又はこれに代わる身分証を発給するとともに身柄の引取りに協力するよう交渉を進めていくなど、送還の支障となっている事由の解決・解消に努め、可能な限り早期に退去強制令書を執行する。

うーん強制送還を断る国からは入国させないようにすべきです。

この件は2(17頁)でさらに厳しく言及されました。次の通りです。


被退去強制者を引き取らない国の国民の入国審査の厳格化等外国人材の受入れに関して、在留資格「特定技能」については、法務省令において、「退去強制令書の円滑な執行に協力する外国政府又は地域の権限ある機関の発行した旅券を所持していること」と規定されていることから、被退去強制者を引き取らない国の国民に対して、在留資格認定証明書を交付しない。また、その他の在留資格についても、被退去強制者を引き取らない国の国民に対しては、在留資格認定証明書交付申請に対する審査及び入国審査に際して、厳格な審査を実施する。〔法務省〕《関連施策番号 121》

うーん少しマシになりましたが、特定技能だけでなくすべての資格において強制送還を受け付けない国からの外国人は入国させるべきではありません。これが理由で欧州は大量の退去強制処分者を送還できずに大変なことになっているのです。

◆矯正施設等(刑務所のこと)において、更に通訳・翻訳体制の充実を進めるなど、外国人被収容者処遇等の充実を図る。

うーん強制的に出身国で懲役させる制度を広げるべきです。このような外国人の迷惑者に4億円も予算がついています。盗人に追い銭です。刑務所が懲罰施設の外国人にとっては矯正施設の日本の刑務所は天国で罰にならないから凝りません。

〜ここまで30頁

以上のような不快な対策には予算がつきます。(詳細は1の最後にあります)

下矢印


合計 211億円
(うち平成 30年度補正(2号)予算 61億円)
(うち平成 31年度予算 150億円)
(内数を除く。)


※ 以上のほか、関連予算として以下のものなどがある。
・地方創生推進交付金 1,000億円の内数


・独立行政法人日本学生支援機構運営費交付金 131億円の内数
(留学生の就職等支援関連)


・人材開発支援助成金 571億円の内数
(地域での安定した就労の支援関連)


・不法滞在者対策等 157億円(これなどは全く後ろ向きの後始末です)

うーん「等」ですから、ほかにもあります。これらには移民への社会保障が含まれていません。外国人の生活保護は増え続けています。

※「永住者」、「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」、「特別永住者」、「難民認定された者」は生活保護の対象です。

ちなみにH30年末の在留外国人は273万人、そのうち就労外国人が146万人(10月末)です。

146万人の内訳を5つに分けると・・・

@就労目的で在留が認められる者 約27.7万人

A身分に基づき在留する者 約49.6万人←生活保護の対象

B技能実習 約30.8万人

C特定活動 約3.6万人

D資格外活動(留学生のアルバイト等) 約34.4万人

公的機関が移民のために多くのリソースを割かなくてはいけないことも数字化されておらず不明ですし、ゴミ出し違反や騒音という社会を乱す行為・公害も数字化できない負の部分です。

ダイヤグリーン

聞いてもどうしようもないトランプ大統領への揶揄や、くだらない芸能ネタ、こういったことで日本の公共電波は埋め尽くされています。新聞も記者クラブ制度で政府の伝書鳩です。

日本政府が「日刊新聞紙法」で新聞社を守り、「放送法」でTV局を守っているのは、マスコミを自由に操りたいからで、やっていることは途上国の独裁者と同じです。

日本が多民族国家を目指していることを日本人は知っているのでしょうか?

多言語8〜11か国語というのは費用対効果としてどうなのでしょうか?

その根拠となる数字が全く示されておらず、ひたすら多言語化を進めています。

民主主義は多数決で決まる制度です。

そこに移民を増やせば、欧州みたいに移民がのさばり自国民が委縮する日常となり、終着点は多数派となった移民が政権を採る、これが民主主義なのです。ホームを失うのです。

日本が素晴らしいから移民も私たちの国をうらやんで同じように振る舞うだろうというのは思い上がりです。彼らも自分のやり方を続けたいのです。

多文化主義は自分の文化を誇れないことに繋がります。決してその事実を認めませんが。

特に経済力がない、第三世界の中でも生活レベルが低い外国人を入れることは、私たちの社会にとって利益になりません。経済力があれば自分で通訳も付けられますし、だいたいマイナー言語しか知らないということはないのです。教育も医療もお金があれば自費で完結しますから日本の税金を持ち出すこともありません。

マナーも話も通じやすいからこちらも楽です。

世界中で貧乏な外国人が歓迎される国は一つもありません。みんな嫌いです。途上国でも貧乏外国人は嫌われます。日本人がいつから貧乏外国人好きになったのか思い出せませんが、衰退する一方の日本が世界中から貧困者を集めまくってどうするつもりなのでしょうか?

戦乱で荒れた欧州をチャーチルが一つにして繁栄しようと演説しました。


欧州を一つにし、3億とも4億とも言われる人々が共通の遺産を分かち合ったらどうなるか。無限の幸福、繁栄、そして栄光を享受できるはずだ

これが欧州の夢で、ソ連の圧政から解放されたハンガリーもそこに夢を見ました。

一方、地中海を挟んだ中東やアフリカ人たちもより豊かな欧州へ移住する夢を持ちました。

難民流入を、軍隊を配置して阻止しているハンガリー国境地帯の町長がこう話しています。


かれらの夢が、我々の夢を破壊するのだ

日本に来る外国人の利益と日本人の利益が一致するという幻想は捨てるべきです。


https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12486460075.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/451.html#c4

[昼休み53] 阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
28. 中川隆[-9240] koaQ7Jey 2019年6月28日 12:32:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3265]
「大人のひきこもり」の多くは既婚者で正社員経験者という現実/msnニュース
マネーポストWEB
2019/06/26 16:00
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%ba%83%e6%9c%ab%e6%b6%bc%e5%ad%90%e3%80%81%ef%bc%95%ef%bc%90%e6%ad%b3%e3%83%bb%e6%a3%ae%e9%ab%98%e5%8d%83%e9%87%8c%e3%81%ae%e7%be%8e%e8%b2%8c%e3%81%ab%e6%84%9f%e5%98%86%e3%80%8c%e3%81%84%e3%82%84%ef%bd%9e%e3%80%81%e7%b4%a0%e6%95%b5%e3%81%a7%e3%81%99%ef%bd%9e%e3%80%8d/ar-AADsaqN?ocid=iehp

 社会問題としてクローズアップされている「大人のひきこもり」の問題。内閣府は今年3月、初めて中高年(40〜64才)を対象にひきこもりの実態調査「生活状況に関する調査(平成30年度)」を実施した。調査では、中高年のひきこもりが全国に61.3万人いることがわかった。

「家族構成」に目を向けると、内閣府調査では、ひきこもりの半数以上が「母」と同居する一方で、3人に1人以上(36.2%)が「配偶者」と同居する既婚者であるという驚きの事実も浮かび上がった。同居対象としては、3位に「父(25.5%」、同率3位に「子(25.5%)」と続く。

 ひきこもりの夫を持つ主婦・岸田さん(57才・仮名)が話す。

「夫は自動車部品を作る技術者でした。夫が50才の時、社内でも評判の悪い、年下の上司の下に就くことになったのです。もともと真面目で気の優しい人だから、乱暴な物言いやパワハラにも耐えていたのですが、毎日罵倒されるうち、不眠になり、些細なことにこだわり始め、気が立つようになりました。どんどん悪化して、気づいた時には、一歩も外に出られなくなっていた。退職後、転職活動もしていましたが、それも最初の半年だけ。なし崩し的に5年が経ちました」

 岸田さんは、住宅ローンがまだ10年残っていたが、幸い夫の親が援助してくれ、路頭に迷わずに済んだという。

「夫は、もう昔の優しい夫ではありません。ちょっとでも想定外のことが起こると、パニック状態になり、ひたすら謝ったかと思えば、次は何かに強く怒り始めます」(同前)

 ひきこもりの相談に携わってきたSCSカウンセリング研究所の臨床心理士である桝田智彦さんが解説する。

「40才以上の人がひきこもるきっかけでいちばん多いのが『退職』です。ただし、直接的な引き金が『退職』だったとしても、その多くは、子供の頃から自己肯定感が低かったり、自己主張を控えるなど、人間関係に疲弊する傾向がある人も多い印象があります。彼らは、学生時代から不登校や退学を経験するなどして、その延長線上で、大人になってからひきこもりになると感じています。

 実は、ひきこもりのほとんどが正社員経験者であり、復帰を望むのかと思いきや、6割以上が復帰を望んでいません。もう社会は“こりごり”なのでしょう。ひきこもって必死に“自分を守っている”のです」

 典型的な中高年のひきこもりのイメージは、年老いた両親(80代前後)がひきこもりの子供(50代前後)の生活の面倒をみる「8050問題」のように、「老親と同居する独身の子供」というものかもしれない。

 だが現実には、正社員として就職した後に家庭を築いてから、仕事や職場でのつまずきがきっかけで退職し、配偶者や子供と同居しながらひきこもりを続ける人も多いのだ。統計上、ひきこもりには男性が多いので、「妻や子供と暮らす夫がひきこもる家庭」がかなり存在すると考えられる。レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク理事長の田中敦さんが話す。

「実は、各種統計の中には、『早期リタイア』や『定年退職』をした後、地域や近所との人間関係がうまく作れなかったり、外出のきっかけになる趣味がなかったりして、家から一切出なくなった人もひきこもりにカウントされています」

 ひきこもりが続くと、同居する配偶者や子供は、経済的に困窮するだけではなく、別の問題にも直面する。ひきこもりの自立支援を行うワンステップスクール代表の廣岡政幸さんが話す。

「ひきこもりが長引くと、本人の精神に悪影響を及ぼします。孤独状態が続くことで五感の刺激が乏しくなり、精神異常や家庭内暴力に発展するケースも少なくない」

 心理学者の富田隆さんが話す。

「そうした行動は、妄想にとらわれてしまう『パラノイア(偏執病)』という病気に特徴的な傾向です。特に40代後半から50代の男性に多い。また、男性ホルモンの影響で、年を重ねると過剰に男らしさを取り戻そうとして、攻撃的な行動につながることもあるようです」

※女性セブン2019年7月4日号

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html#c28

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
10. 中川隆[-9239] koaQ7Jey 2019年6月28日 12:34:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3266]

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阿修羅の常連にはこういうひきこもりが多いですね:

「大人のひきこもり」の多くは既婚者で正社員経験者という現実/msnニュース
マネーポストWEB
2019/06/26 16:00
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%ba%83%e6%9c%ab%e6%b6%bc%e5%ad%90%e3%80%81%ef%bc%95%ef%bc%90%e6%ad%b3%e3%83%bb%e6%a3%ae%e9%ab%98%e5%8d%83%e9%87%8c%e3%81%ae%e7%be%8e%e8%b2%8c%e3%81%ab%e6%84%9f%e5%98%86%e3%80%8c%e3%81%84%e3%82%84%ef%bd%9e%e3%80%81%e7%b4%a0%e6%95%b5%e3%81%a7%e3%81%99%ef%bd%9e%e3%80%8d/ar-AADsaqN?ocid=iehp

 社会問題としてクローズアップされている「大人のひきこもり」の問題。内閣府は今年3月、初めて中高年(40〜64才)を対象にひきこもりの実態調査「生活状況に関する調査(平成30年度)」を実施した。調査では、中高年のひきこもりが全国に61.3万人いることがわかった。

「家族構成」に目を向けると、内閣府調査では、ひきこもりの半数以上が「母」と同居する一方で、3人に1人以上(36.2%)が「配偶者」と同居する既婚者であるという驚きの事実も浮かび上がった。同居対象としては、3位に「父(25.5%」、同率3位に「子(25.5%)」と続く。

 ひきこもりの夫を持つ主婦・岸田さん(57才・仮名)が話す。

「夫は自動車部品を作る技術者でした。夫が50才の時、社内でも評判の悪い、年下の上司の下に就くことになったのです。もともと真面目で気の優しい人だから、乱暴な物言いやパワハラにも耐えていたのですが、毎日罵倒されるうち、不眠になり、些細なことにこだわり始め、気が立つようになりました。どんどん悪化して、気づいた時には、一歩も外に出られなくなっていた。退職後、転職活動もしていましたが、それも最初の半年だけ。なし崩し的に5年が経ちました」

 岸田さんは、住宅ローンがまだ10年残っていたが、幸い夫の親が援助してくれ、路頭に迷わずに済んだという。

「夫は、もう昔の優しい夫ではありません。ちょっとでも想定外のことが起こると、パニック状態になり、ひたすら謝ったかと思えば、次は何かに強く怒り始めます」(同前)

 ひきこもりの相談に携わってきたSCSカウンセリング研究所の臨床心理士である桝田智彦さんが解説する。

「40才以上の人がひきこもるきっかけでいちばん多いのが『退職』です。ただし、直接的な引き金が『退職』だったとしても、その多くは、子供の頃から自己肯定感が低かったり、自己主張を控えるなど、人間関係に疲弊する傾向がある人も多い印象があります。彼らは、学生時代から不登校や退学を経験するなどして、その延長線上で、大人になってからひきこもりになると感じています。

 実は、ひきこもりのほとんどが正社員経験者であり、復帰を望むのかと思いきや、6割以上が復帰を望んでいません。もう社会は“こりごり”なのでしょう。ひきこもって必死に“自分を守っている”のです」

 典型的な中高年のひきこもりのイメージは、年老いた両親(80代前後)がひきこもりの子供(50代前後)の生活の面倒をみる「8050問題」のように、「老親と同居する独身の子供」というものかもしれない。

 だが現実には、正社員として就職した後に家庭を築いてから、仕事や職場でのつまずきがきっかけで退職し、配偶者や子供と同居しながらひきこもりを続ける人も多いのだ。統計上、ひきこもりには男性が多いので、「妻や子供と暮らす夫がひきこもる家庭」がかなり存在すると考えられる。レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク理事長の田中敦さんが話す。

「実は、各種統計の中には、『早期リタイア』や『定年退職』をした後、地域や近所との人間関係がうまく作れなかったり、外出のきっかけになる趣味がなかったりして、家から一切出なくなった人もひきこもりにカウントされています」

 ひきこもりが続くと、同居する配偶者や子供は、経済的に困窮するだけではなく、別の問題にも直面する。ひきこもりの自立支援を行うワンステップスクール代表の廣岡政幸さんが話す。

「ひきこもりが長引くと、本人の精神に悪影響を及ぼします。孤独状態が続くことで五感の刺激が乏しくなり、精神異常や家庭内暴力に発展するケースも少なくない」

 心理学者の富田隆さんが話す。

「そうした行動は、妄想にとらわれてしまう『パラノイア(偏執病)』という病気に特徴的な傾向です。特に40代後半から50代の男性に多い。また、男性ホルモンの影響で、年を重ねると過剰に男らしさを取り戻そうとして、攻撃的な行動につながることもあるようです」

※女性セブン2019年7月4日号



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c10

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
11. 中川隆[-9238] koaQ7Jey 2019年6月28日 12:35:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3267]

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c11
[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
319. 中川隆[-9237] koaQ7Jey 2019年6月28日 13:06:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3269]


2019年06月27日
朝鮮化する日本 / アジア人になってしまう日本人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68771291.html

日鮮融合の恐ろしさ

Koreans 14Koreans 82
(左 : 日本人が統治する前の典型的な朝鮮人 / 右 : 日本統治から解放された戦後の朝鮮人)

  文在寅が君臨する南鮮を眺めとると、「あぁ〜ぁ、もう韓国は終わりだなぁ〜」と日本人は隣国を哀れむ。しかし、経済的苦境に立たされた南鮮人には、まだ僅かだが大きな希望がある。それは日本への移住だ。南鮮で生活できなければ、日本で職に就き、ついでに現地で結婚相手を見つければ万々歳。朝鮮人は口で愛国心を唱えるが、その根底には祖国に尽くそうとする熱意が微塵も無い。沈み行く船からは、さっさとトンズラするのが一番。なるほど、引っ越し先として、アメリカやオーストラリアは魅力的だが、何しろ外見が違いすぎるので、白人どもから“白眼視”されやすい。だから、容姿が似ていて素性がバレない日本へ行くのが利口だ。それに現在、歐米諸国では移民を規制する保守政党が台頭しているので、朝鮮人のようなアジア人がノコノコやってくると、入国審査で肘鉄を喰らうことになる。

  ところが、日本だと「外人さん、いらっしゃぁぁ〜い !」とウェルカム。日本の入国審査はチョコレートよりも甘いから、福祉目当ての鮮人はおろか、破壊工作を命じられたスパイまで、堂々とゲートをくぐることができる。南鮮で「植民地支配を赦すなぁぁ!!」と息巻く鮮人でも、入管を通る時には善意の観光客を装う。さらに図々しくなると、日本への帰化申請を行い、「日本人大好き!」と平気で嘘をつく。朝鮮人というのは矛盾だらけの塊だけど、その矛盾に悩まないという特徴を持つ。彼らは朝鮮娘を攫って「性奴隷」にしたと日本人を糾弾するが、愛すべき同胞よりも憎い外人を愛する。たとえ、日本人から「鮮人は朝鮮へ帰れ !」と罵られても、「日本人は朝鮮を植民地にしたニダぁぁぁ〜」と訳の分からぬ反論を叫び、仏像みたいに梃子でも動かない。そりゃそうだろう。いくら日本での生活が酷くても、南鮮よりはマシなんだから、どんな苦労だって辛抱できる。

  それに、ちょっと苦しくなれば役所から福祉金をくすねて家計を維持すればいい。日本には公明党や社民、立憲民主、共産党に加え、韓国民団とか朝鮮総連といった援助組織がたくさんあるから、タカリ鮮人は左団扇(うちわ)で極楽気分。こんな野郎はテレビのリモコンで思いっきりひっぱたけばいいのに、左翼教育を受けた日本人は多民族共生だと言い出す。大学で気楽に暮らす学者は「寛容」を口にするが、嫌なことを我慢するのが「寛容」の意味だから、スカンクの屁でも怒るな、というのが彼らの主張だ。ニンニクとキムチを食った朝鮮人のオナラって、鼻が曲がるほど臭いけど、これも多民族文化への理解になるんだろう。

  一般の日本人は「侵略」と聞けば、軍事侵攻ばかりを思い浮かべるが、侵略には直接的なものと間接的なものもある。遠征軍が勝者となり現地の女を強姦して子孫を増やせば直接的侵略となるが、移民として押し寄せ、結婚を通して混血児を増やせば間接侵略だ。朝鮮半島は日本海で遮断されているから、地理的な併合は難しいけど、朝鮮人が来日して日鮮混血児を増やせば、朝鮮半島と日本列島は血糊で結合したようなものである。「子は鎹(かすがい)」と言うけど、日鮮混血児は両国を繋ぐ鎖だ。ただし、日本は朝鮮へと引きずられる。なぜなら、たとえ日本人の血が半分でも、朝鮮人の肉体を持てば心は朝鮮人になるからだ。自分の血統を知らないうちは、朝鮮人を小馬鹿にして「韓国人なんか嫌いだ !」と言えるが、高校生や大学生になって親から出自を告げられると、自分を「日本人」と思っていた子供は相当なショックを受けるらしい。鼻から牛乳どころか、目玉に黒酢を差したような驚きで、目の前に天空が墜ちてくるんじゃないか、といった衝撃である。

  まぁ、いきなり「朝鮮人」と言われたって、朝鮮文化を何も知らず、朝鮮語すら話せない子供からすれば青天の霹靂どころの騒ぎじゃない。「えぇぇっ、どうしよう〜。恋人ができたら告白しなきゃいけないのかなぁ〜」と不安になる。在日鮮人の青年だと、友人と海外旅行に行くとき、所持する旅券の種類でバレてしまう。もちろん、帰化すれば書類上は「日本人」になれる。だが、こうした青年や子供は自信を持って「私は日本人 !」と言い切れるのか? もし、母親が朝鮮人なら、母の両親(祖父母)も朝鮮人で、従兄弟や伯父叔母などの親戚も朝鮮人となり、何十何百の朝鮮人が遠い祖先となってしまうだろう。もし、血縁者の写真を5、60枚も目にすれば、「俺は朝鮮人なんだなぁ〜」と絶望し、「私の体は半分朝鮮人なんだぁ」と思うのが普通である。

  大半の日本人は朝鮮人と関係なく日常生活を送っているが、その裏では恐ろしい“朝鮮化”が着々と進んでいる。考えてもみよ。敗戦後、内地へ移ってきた朝鮮人は祖国に帰らず日本に居坐った。さらに朝鮮戦争が勃発すると、大量の不法入国者が日本各地に潜り込んだ。したがって、今、我々が目にする「在日朝鮮人」の多くは、戦前からの居候か密入国者の子孫で、まともな在日外国人ではない。彼らは素性を隠したまま、本名を日本風に変え、何食わぬ顔で「日本人」のように振る舞っている。中には、生活に便利だからと言う理由で日本に帰化した鮮人も少なくない。このような隠れ鮮人(crypto Korean)は日本人と結婚し、着実に朝鮮系国民を増やしている。国会議員は少子化ばかりを問題にしているが、本当に深刻なのは日系日本人の減少とアジア系日本人の増殖であろう。

  以前、「PHP Interface」のサイトに、井上香織による「恋愛相談室」というコーナーがあった。井上氏はシンガーソングライターや高校教師を経て作家になった女性だ。彼女は恋愛問題で悩む人々から質問を受けて、独自の助言を行っていたが、朝鮮人からの相談にも答えていた。例えば、「No.86」の質問者は在日韓国人3世の女性(23歳)で、2年半付き合っている日本人男性がいるという。彼女は交際中の男性と結婚したいが、「彼の両親が反対するのでは」、と不安に思っていた。というのも、彼女の父親には犯罪歴があり、3年の執行猶予が附いたお陰で、まだ刑務所には収監されていないという。もちろん、彼はこうした事実を知っており、「それでも構わない」と答えているが、彼の両親がどう思うのか不安である。婚約破棄を心配するこの在日鮮人は、思い切って井上氏に尋ねてみた。

  すると、井上氏は「日本人の排他性は中々消えない」と述べながらも、「あなたは、あなたでしょ?!」と問いかける。父親の警察沙汰には何とも言えないが、結婚に関しては「彼にまかせなさい」と助言した。そして、「あなたはあらゆる憎しみを超え、自分を磨く努力を続けるへき」と励まし、「彼の愛があればきっと大丈夫だよっ !」と締めくくった。まぁ、見ず知らずの鮮人が持ちかける相談なので、適当に答えているんだろうが、「愛があれば何とかなる !」って、ちょっと無責任なんじゃないか。世の中はそう甘くないぞ。とはいえ、インターネットを通して相談するくらいだから、この鮮人女性は日本人男性と結婚するつもりなんだろう。たぶん、彼の両親が反対しても、結婚の意思を貫いて夫婦になるはずだ。相方の男性だって、両親と生セックスを秤にかければ、親孝行より性欲の方を取るだろう。また、子供を産めば義理の両親だって諦めざるを得ない。女性には「できちゃった!」という切り札がある。

  別の帰化鮮人女性(29歳の会社員)の悩みはもっと深刻だった。(No. 136 「国籍問題で結婚を反対され・・・」) 質問者の女性は元在日で、2歳年下の日本人に惚れたという。交際中の日本人男性は、なかなか両親への説得をせず、彼女も敢えて結婚の話をしなかったらしい。だが、彼女は「このままでは何も変わらないし、前に進まない」ということで、両親への説得を彼に頼んだそうだ。しばらくすると、彼女は彼の両親と話す機会を得、両者の対立は薄まり、彼女への好印象すら芽生えたという。そして、彼の両親は二人の結婚を認めたそうだ。

  ところが、数ヶ月後、日本人男性は両親の本音を吐露した。「まだ結婚するな。この結婚は難しすぎる」というのが両親の主張であった。以前、彼の両親は不安を口にし、「絶対に他の親戚や近所の人に国籍のことは知られてはならない。そのためにはどうすればいいのか考えねば」と述べていたそうだ。また、結婚の披露宴に彼の親戚を招待すれば、彼女の親戚を目にした招待客は、新婦が「韓国人」ということに気づいてしまうからマズい。ということで、結婚を認めてもらい、喜びで溢れる彼女は、「絶対に国籍を隠さねばならない、ということであれば、そうします」と約束したそうだ。一方、彼の両親は一旦結婚を認めたものの、時間が経つと、どうしても気が進まない。だから、二人の結婚に「待った」をかけることにした。彼の方は「絶対に結婚を認めてもらうから」と太鼓判を押すが、彼女の方は30歳までに結婚できるかどうか心配になってくる。なにせ、「正しい基準は親」というのが彼の意見であるから心許ない。彼女は30歳までに結婚して子供を産むのが希望であるという。

  詳しい事情が書かれていないので、井上氏は明確なアドバイスを避けた。ただ、「結婚したい」と望む彼の気持ちを信用せよ、と言うだけ。そして、井上氏は不吉な予感を述べた。「あなたの生い立ちや、親戚の方まで否定するような家に嫁いで、果たして幸せになれるのか・・・話し辛いかもしれませんが、彼とよく話し合ってみる必要があると思います」、と。回答の末尾は、「自分に自信を持って、最善の選択をしてください。影ながら応援しています」という形式的な言葉であった。まぁ、無料相談だから仕方ないけど、これじゃあ回答になっていないだろう。そもそも、この鮮人女性が「最善の選択」を知っているなら、わざわざ他人に相談する必要は無い。たぶん、友人に相談しても埒(らち)があかないので、専門家に尋ねたんじゃないか。こういう質問をしてくる女性は大抵、力強い言葉で背中を押してくれる回答を期待するものだ。決して曖昧模糊とした助言ではない。おそらく、「彼の親が反対するなら、駆け落ちしてでも結婚しろ。世間や親戚から何と言われようが構わないじゃないか。婚約者には両親がゴチャゴチャ言ってくるなら、親と絶縁するよう頼め ! 二人だけで暮らし、早く子供を産んで幸せを掴みなさい !」というのが、彼女が求めた答えなんじゃないか。もし違うなら、井上氏は「そっさと別れなさい !」と言ってやるべきだ。

朝鮮人に生まれたことへの悲しみ

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(写真 / 朝鮮人の子供たち)

  それにしても、日鮮の「国際結婚」には色々と障碍が多い。普通の日本人は「惚れた者同士の結婚なんだからいいんじゃな〜い」と気軽に答えるが、もし自分が朝鮮人と結婚するとなれば、その先に来る不幸に呆然とするはずだ。例えば、「鈴木」という日本人女性が「金」という鮮人男性と結婚した場合、9割くらいが「鈴木」という姓を選ぶ。通常なら、亭主の「金」を家族名にするはずだが、「子供が学校で差別されるから」と言って日本名にしようとする。ここで不思議なのは、なぜ日本人配偶者は朝鮮名を嫌うのか、という点だ。イギリス人やフランス人と結婚した日本人女性は、夫の姓に変えたり、夫の祖国に移住したりする。だが、まともな日本人なら「金」とか「朴」といった姓にはしないし、南鮮に移住することもない。だいいち、朝鮮人でさえ南鮮を捨ててアメリカに逃亡するのに、わざわざ日本から朝鮮へ引っ越す馬鹿はいないだろう。それに、朝鮮文化なんて価値が無い。日本人の母親は現実的だから、我が子に朝鮮語を学ばせるより英語を習わせたりする。いくら亭主が朝鮮文化を誇りにしても、「幼児教育は大切なんだから」と叱りつけ、人に自慢できるような科目を選んでしまう。例えば、ピアノとかヴァイオリンのレッスン、あるいはクラシカル・バレー、英会話などである。朝鮮人と結婚した女房だって朝鮮語を学ばないのに、遊び盛りの子供に「お父さんの言葉を勉強しなさい」と言えるのか?

  朝鮮人と結婚した日本人は、朝鮮人を嫌う日本人を“民族差別主義者”とか“極右分子”と呼ぶが、なぜ日本人配偶者は「南鮮」という言葉を嫌い、「韓国」という用語を好むのか? 彼らは理由を尋ねられても答えられまい。なぜなら、彼ら自身でさえ、なぜ「朝鮮」という言葉が忌まわしいのか、が分からないからだ。もし答えられるとしても、「何となくチョーセンという響きが嫌い」と反論するのがせいぜいだろう。しかし、朝鮮人を好きになった日本人でも、「朝鮮」という言葉の裏にある“おぞましい”正体のことには気づいている。つまり、日韓併合時代に日本人が目の当たりにした“みすぼらしい”風景、乞食よりも汚い“浮浪者の群れ”、日本人の不幸が“マシ”に思える程の貧困、進歩という概念が全く見られない悲惨な生活水準を想い出してしまうのだ。朝鮮半島はアジア大陸の突起物というより、暗黒大陸のカスが流れ落ちるゴミ捨て場で、汚穢と腐敗が渦巻く肥溜めと評した方がよい。李朝時代の朝鮮はアジア的停滞の見本市で、日本人が描く地獄絵の方が活気に満ちている。道端でキセルをくわえながら、一日中ボケ〜と過ごしている老人を見ると、朝鮮人が地球上に存在する意味は何なのか、という疑問が湧いてくる。

  大人はともかく、朝鮮人の家系に生まれた日鮮混血児は不憫だ。両親の反対を押し切って朝鮮人と結婚した日本人女性が、不条理な差別に遭ったり、不必要な苦労を背負い込んだとしても、それは自業自得である。しかし、生まれてきた子供は違う。こうした日鮮混血児は、自ら望んで生まれてきたのではない。日本で生まれ育つなら、日本人になりたかったと思うのが自然だ。ある朝鮮人団体が集めた子供たちの作文を読むと胸が痛くなる。とりわけ小学生が綴った作文には、朝鮮人であることへの苦悩と共に、育ててくれる親への愛情が滲み出ている。例えば、日本人の母を持つと思われる村上英俊くん(小学二年生)は、友達から「朝鮮人」と呼ばれたそうだ。

  ぼくはかんこくじんでもないし、にっぽんじんでもないし、こまる。でもじぶんでは、にっぽんじんだとおもう。どうしてかというと、ぼくをうんだひとがおかあさんだからだ。(在日韓国人と共に教育を考える会編『ことばの叫び』 1984年、p. 10.)

  ある小学三年生は、友達に韓国人であることを知られるが嫌だという。なぜなら、友達が遊んでくれないからだ。そして、この子は続けて言う。「わたしは、かんこくじんになりたいとは思わない」、と。(上掲書 p.13.) 別の小学三年生は父親が韓国人なので恥ずかしいと感じたそうだ。(p. 15) ある小学四年生の子供は、周囲から「あんたかんこく人でしょう」と言われ、恥ずかしく思ったそうだ。しかし、「私は、日本人よりかんこく人の方がいい」と述べていた。(p.22.) たぶん、この子は内心で朝鮮人であることを恥じているが、両親が朝鮮人なので「韓国人の方がいい」と書いたのだろう。こうした気持ちはよく分かる。米国にいた頃、筆者が親しくしていたP教授は、香港で英文学を教えたことのあるアイリス系アメリカ人の大学教授であった。彼の夫人は英語を話す支那人で、二人は米国に移って結婚し、後に子供をもうけている。ある日のことだ。P教授の息子は学校で人種を尋ねられ、アンケート用紙に記載された「アジア人」の蘭に印を付けたという。この話を聞いたP教授は、家で息子に「どうしてアジア人にしたんだ?」と尋ねたそうだ。すると、彼の息子は笑顔を見せながら、「分からない。何となく・・・」と誤魔化したらしい。たぶん、母親のことを気に懸けていたのだろう。さすがに、「アメリカ白人」とは言えないから、「支那系アメリカ人」としたんじゃないか。

  朝鮮系の子供は幼いときから悔しい思いをするようだ。小学四年生の高田君子(きみこ)さんは、朝鮮人であることを「しょうがない」と思っていた。だが、引っ越し先で「朝鮮人」と呼ばれた時には涙が出たらしい。(p. 21) 小学四年生の木下竜男くんは「韓国人」であることが嫌だという。面白いことに、竜男くんは韓国に不良やチンピラがいるか調べてみたい、と書いていた。(p.24) たぶん、彼の周りに不良の高校生やヤクザの朝鮮人がいたからだろう。また、竜男くんは韓国にどんな美しい町や村があるのか調べてみたいそうだ。でも、実際の南鮮に行けば、薄汚い街並みに卒倒するんじゃないか。絵葉書に印刷される朝鮮の風景は、朝鮮人の宣伝だから。小学五年生の渡辺星七(せいしち)くんは、韓国人の父親と韓国が嫌いで、韓国の字を覚えるのも嫌いだ、と書いていた。(p.37) また、星七くんは「どうせなら日本人になりたい。かん国人にはなりたくない」と述べていたから、よほど辛い過去があったのだろう。

  小学五年生の金原文子(ふみこ)さんも学校で「韓国人」と言われ、恥ずかしく思ったそうだ。しかし、家では韓国人がいるからそうでもない。彼女によると、学校で韓国人と呼ばれるのは嫌だけど、「私はかんこくじんでもいい」と書いている。(p. 40) こういう矛盾した作文を目にすると、子供の複雑な感情が伝わってきて哀しくなる。小学六年生の石山昌枝(まさえ)さんは、韓国が大変よい所と耳にするが、彼女自身は「あまりよい所とおもっていません」とのことだ。(p. 43) 彼女は両親が朝鮮語で喧嘩をするとこが一番嫌だという。また、韓国の服装は好きだけど、母親が喋る朝鮮語の発音を聞くと、「なにかはずかしい気持ち」になるそうだ。確かに、英語やフランス語を喋る親ならいいけど、朝鮮語や支那語、ベトナム語、タガログ語じゃ恥ずかしい。もし、友達を家に招いて、母親が朝鮮語を口にすれば、日本人の子供は「えっ、君のお母さん、いま何喋ったの?」と訊いてくるから、恥ずかしくて隠れたくなる。もし、チマチョゴリ姿なんか見られたら、もう学校に行きたくない。普通の日本人には分からないけど、朝鮮の土俗宗教では、母親が「トランス状態」になって狂ったように踊ることがある。こんな光景を友達に見られたら、もう不登校どころかロープを握って自殺したくなる。

  『ことばの叫び』には小学生から高校生まで、様々な作文が収録されているので、この本を手に取った在日鮮人、あるいは帰化鮮人および二世・三世の子孫は、悔しさと悲しみを共有するに違いない。彼らは「何で朝鮮人というだけで、こんな辛い思いをするのか ! 差別をする日本人が赦せない !」と憤るはずだ。しかし、我々の方にも反論がある。もし、目を吊り上げた朝鮮人がギャーギャー言えば、温厚な日本人だって「そんなに差別が嫌なら、なぜ朝鮮に帰らないんだ?」と激怒するだろう。そもそも、日本人が日本国内で、どの外国人を好み、どの民族を嫌い、どんな文化を排斥しようが、日本人の自由じゃないか。南や北を問わず朝鮮人だって、朝鮮国内で日本人を激しく罵倒し、嘘まで拵えて我々を糾弾しているじゃないか。在日朝鮮人は普段、ヘイトスピーを問題にしているが、彼らは同胞のヘイトスピーチを公的に非難せず、「朝鮮人を苦しめた日本人なんだから当然だ」と考えている。だいたい、在日南鮮人は天皇陛下を侮辱し、総理大臣の写真を燃やす同胞に対して、抗議デモを起こしたことがあるのか? また、帰化鮮人は日本に永住することばかり考えているけど、彼らは帰化のとき、皇室と国旗に忠誠を誓ったのか? もし、彼らが日本に忠誠を誓うなら、日本防衛のために朝鮮人を殺します、と誓えるはずだ。帰化鮮人は北鮮からの難民を迎えることに熱心でも、竹島を奪還することに関しては冷淡だ。また、こうした質問を朝鮮人に訊かないマスコミだっておかしい。

どの外人を好きになろうが日本人の勝手

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(写真 / 昔の伝統的村に住む朝鮮人)

  日本人は日教組や左翼マスコミの考え方に洗脳されたままである。というのも、大半の日本人は「なぜ、いつも日本人側だけが非難され、反省しているのか?」という点に気づかないからだ。本来なら、密入国した在日一世やその不法状態を続けた子孫の方が土下座して謝るべきなのに、朝鮮人を追い払おうとする日本人の方が非難されているんだからアベコベである。例えば、ある日本人の家に朝鮮人が忍び込んだとする。当然、家の主人はこの侵入者を補足し、警察に引き渡すか、ボコボコにして敷地から叩き出すだろう。たとえ、この不逞鮮人が「人権無視 !」とか「日帝支配を謝れ !」と叫んでも、「何言ってんだ、このヨボ野郎 !」と怒鳴りつけ、決して相手にしないはずだ。腕っ節の強い日本人だと、何も言わず黙って、ランディー・クゥートァ流のクリンチ・アッパーを顎に喰らわすか、ヴァンダレイ・シウバ仕込みの膝蹴りを腹に一発決めてしまうだろう。

  日本という国家は日本人のホームで、どの外人を歓迎し、どの外人を門前払いにするか、日本人の勝手で、朝鮮人がどうこう言う問題じゃない。朝鮮人は朝鮮で暮らせばいいじゃないか。なぜ、嫌いな日本にやって来るのか。「移住の権利」なんて冗談じゃないぞ。大日本帝国憲法に「朝鮮人には移住の権利がある」なんて条文は無いし、たとえ国連職員が「人権」を持ち出してきても、そんな戯れ言は干からびた馬糞と同じだ。 左翼知識人は日本人を「外人嫌い(xenophobia)」と非難するが、日本人ほど外人を厚遇する民族はいないだろう。明治の頃は、高額の給料を払って西歐人教師を雇ったし、軍人は歐洲に留学して法律や軍事を学んでいた。カビ臭い漢籍から解放された日本人は、こぞって洋書を翻訳し、多くの庶民が貪るように読んだ。大東亜戦争中に「鬼畜米英」と叫んでも、庶民はアメリカ文化に憧れ、占領軍にさえ敬意を払っていた。バブル期になると、外国文化と外国人の輸入はもっと激しくなる。日本企業は歐米の俳優に大金を払って、宣伝広告のモデルになってもらっていたじゃないか。例えば、カネボウは化粧品を売るためにブルック・シールズを雇ったが、その契約料は100万円じゃ済まないはずだ。また、銀座ジュエリー・マキはファラー・フォセットをモデルとして起用したけど、まさかギャラがダイヤモンド一個ということはない。サントリーは「VSOP」というブランデーの売り子として、シェリル・ラッドを選んでいた。東京ドームでビールを売る小娘なら、時給1,000でOKだが、アメリカの女優は時給2,000でも働かないぞ。一方、ソニア・ソーン(Sonja Sohn)みたいな朝鮮系アメリカ人は、化粧品や宝石のモデルには採用されないだろう。たぶん、黒い朝鮮人は南鮮でも排除されるんじゃないか。

Brooke Shields 1Farrah Fawcett 1Cheryl Ladd 3Sonja Sohn 1


( 左 : ブルック・シールズ / ファラー・フォセット / シェリル・ラッド / 右 : ソニア・ソーン )

  とにかく、日本人は国家とか民族に関して鈍感すぎる。日本人は野生動物と違い、過去と未来、祖先と子孫、素晴らしい文化と古い伝統を大切にする国民だ。野良犬ならどの雌と交尾してもいいし、目先の餌だけ考えていればいい。だが、我々は祖先からの文化と権利、そして国土や遺産を受け継ぎ、それを子孫に伝える義務を有する。日本人は日本人の血統を守った方が賢明だし、生まれてくる子孫もその方が幸せだ。もし、このまま日鮮混血児や日支混血児が増えれば、日本人は日本人の精神を失ってしまうだろう。肉体の25%ないし50%がアジア人なった子供が、命懸けで日本を守るとは思えない。学者が帰化鮮人に対して愛国心調査を行わないのは、やる前から結果が判っているからだ。また、アジア系国民が心から天皇陛下に忠誠を誓うことは滅多になく、無関心というのが大半だろう。

  朝鮮人の血統を「恥ずかしい」と感じた混血児は、自己防衛のため、その劣等感を日本への憎しみで中和しようとする。朝鮮系国民は相反する感情に支配されやすい。「日本人になりたい」という願望の裏で、「伝統的な日本を撲滅したい」という衝動が蠢(うごめ)いてしまうのだ。朝鮮人と結婚する日本人は、愛があれば困難を克服できると考えてしまうが、生まれてくる混血児には親が持つ「日本人らしさ」は伝わらず、むしろ朝鮮人に生まれついた屈辱感が肥大化してしまう虞(おそれ)がある。「血は水よりも濃い」と言うが、とりわけ朝鮮人の血は厄介だぞ。ドロドロした親戚や人脈を持つ朝鮮人だと、後で後悔することになるから、深入りする前に足抜けした方がいい。関係ないけど、子供の命名だって気をつけなきゃ。もし、「黒木」という「通名」持つ鮮人の子供が、「金」という本名で、「歩(あゆむ)」という名前を持っていたら大変だ。中学や高校の悪ガキどもは、「お前が成人したら成金だぞ」と茶化すかも知れない。将棋だと「歩」は「と金」に変わるからねぇ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68771291.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c319

[] 在日朝鮮人タレント
76. 中川隆[-9236] koaQ7Jey 2019年6月28日 13:08:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3270]


2019年06月27日
朝鮮化する日本 / アジア人になってしまう日本人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68771291.html

日鮮融合の恐ろしさ

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(左 : 日本人が統治する前の典型的な朝鮮人 / 右 : 日本統治から解放された戦後の朝鮮人)

  文在寅が君臨する南鮮を眺めとると、「あぁ〜ぁ、もう韓国は終わりだなぁ〜」と日本人は隣国を哀れむ。しかし、経済的苦境に立たされた南鮮人には、まだ僅かだが大きな希望がある。それは日本への移住だ。南鮮で生活できなければ、日本で職に就き、ついでに現地で結婚相手を見つければ万々歳。朝鮮人は口で愛国心を唱えるが、その根底には祖国に尽くそうとする熱意が微塵も無い。沈み行く船からは、さっさとトンズラするのが一番。なるほど、引っ越し先として、アメリカやオーストラリアは魅力的だが、何しろ外見が違いすぎるので、白人どもから“白眼視”されやすい。だから、容姿が似ていて素性がバレない日本へ行くのが利口だ。それに現在、歐米諸国では移民を規制する保守政党が台頭しているので、朝鮮人のようなアジア人がノコノコやってくると、入国審査で肘鉄を喰らうことになる。

  ところが、日本だと「外人さん、いらっしゃぁぁ〜い !」とウェルカム。日本の入国審査はチョコレートよりも甘いから、福祉目当ての鮮人はおろか、破壊工作を命じられたスパイまで、堂々とゲートをくぐることができる。南鮮で「植民地支配を赦すなぁぁ!!」と息巻く鮮人でも、入管を通る時には善意の観光客を装う。さらに図々しくなると、日本への帰化申請を行い、「日本人大好き!」と平気で嘘をつく。朝鮮人というのは矛盾だらけの塊だけど、その矛盾に悩まないという特徴を持つ。彼らは朝鮮娘を攫って「性奴隷」にしたと日本人を糾弾するが、愛すべき同胞よりも憎い外人を愛する。たとえ、日本人から「鮮人は朝鮮へ帰れ !」と罵られても、「日本人は朝鮮を植民地にしたニダぁぁぁ〜」と訳の分からぬ反論を叫び、仏像みたいに梃子でも動かない。そりゃそうだろう。いくら日本での生活が酷くても、南鮮よりはマシなんだから、どんな苦労だって辛抱できる。

  それに、ちょっと苦しくなれば役所から福祉金をくすねて家計を維持すればいい。日本には公明党や社民、立憲民主、共産党に加え、韓国民団とか朝鮮総連といった援助組織がたくさんあるから、タカリ鮮人は左団扇(うちわ)で極楽気分。こんな野郎はテレビのリモコンで思いっきりひっぱたけばいいのに、左翼教育を受けた日本人は多民族共生だと言い出す。大学で気楽に暮らす学者は「寛容」を口にするが、嫌なことを我慢するのが「寛容」の意味だから、スカンクの屁でも怒るな、というのが彼らの主張だ。ニンニクとキムチを食った朝鮮人のオナラって、鼻が曲がるほど臭いけど、これも多民族文化への理解になるんだろう。

  一般の日本人は「侵略」と聞けば、軍事侵攻ばかりを思い浮かべるが、侵略には直接的なものと間接的なものもある。遠征軍が勝者となり現地の女を強姦して子孫を増やせば直接的侵略となるが、移民として押し寄せ、結婚を通して混血児を増やせば間接侵略だ。朝鮮半島は日本海で遮断されているから、地理的な併合は難しいけど、朝鮮人が来日して日鮮混血児を増やせば、朝鮮半島と日本列島は血糊で結合したようなものである。「子は鎹(かすがい)」と言うけど、日鮮混血児は両国を繋ぐ鎖だ。ただし、日本は朝鮮へと引きずられる。なぜなら、たとえ日本人の血が半分でも、朝鮮人の肉体を持てば心は朝鮮人になるからだ。自分の血統を知らないうちは、朝鮮人を小馬鹿にして「韓国人なんか嫌いだ !」と言えるが、高校生や大学生になって親から出自を告げられると、自分を「日本人」と思っていた子供は相当なショックを受けるらしい。鼻から牛乳どころか、目玉に黒酢を差したような驚きで、目の前に天空が墜ちてくるんじゃないか、といった衝撃である。

  まぁ、いきなり「朝鮮人」と言われたって、朝鮮文化を何も知らず、朝鮮語すら話せない子供からすれば青天の霹靂どころの騒ぎじゃない。「えぇぇっ、どうしよう〜。恋人ができたら告白しなきゃいけないのかなぁ〜」と不安になる。在日鮮人の青年だと、友人と海外旅行に行くとき、所持する旅券の種類でバレてしまう。もちろん、帰化すれば書類上は「日本人」になれる。だが、こうした青年や子供は自信を持って「私は日本人 !」と言い切れるのか? もし、母親が朝鮮人なら、母の両親(祖父母)も朝鮮人で、従兄弟や伯父叔母などの親戚も朝鮮人となり、何十何百の朝鮮人が遠い祖先となってしまうだろう。もし、血縁者の写真を5、60枚も目にすれば、「俺は朝鮮人なんだなぁ〜」と絶望し、「私の体は半分朝鮮人なんだぁ」と思うのが普通である。

  大半の日本人は朝鮮人と関係なく日常生活を送っているが、その裏では恐ろしい“朝鮮化”が着々と進んでいる。考えてもみよ。敗戦後、内地へ移ってきた朝鮮人は祖国に帰らず日本に居坐った。さらに朝鮮戦争が勃発すると、大量の不法入国者が日本各地に潜り込んだ。したがって、今、我々が目にする「在日朝鮮人」の多くは、戦前からの居候か密入国者の子孫で、まともな在日外国人ではない。彼らは素性を隠したまま、本名を日本風に変え、何食わぬ顔で「日本人」のように振る舞っている。中には、生活に便利だからと言う理由で日本に帰化した鮮人も少なくない。このような隠れ鮮人(crypto Korean)は日本人と結婚し、着実に朝鮮系国民を増やしている。国会議員は少子化ばかりを問題にしているが、本当に深刻なのは日系日本人の減少とアジア系日本人の増殖であろう。

  以前、「PHP Interface」のサイトに、井上香織による「恋愛相談室」というコーナーがあった。井上氏はシンガーソングライターや高校教師を経て作家になった女性だ。彼女は恋愛問題で悩む人々から質問を受けて、独自の助言を行っていたが、朝鮮人からの相談にも答えていた。例えば、「No.86」の質問者は在日韓国人3世の女性(23歳)で、2年半付き合っている日本人男性がいるという。彼女は交際中の男性と結婚したいが、「彼の両親が反対するのでは」、と不安に思っていた。というのも、彼女の父親には犯罪歴があり、3年の執行猶予が附いたお陰で、まだ刑務所には収監されていないという。もちろん、彼はこうした事実を知っており、「それでも構わない」と答えているが、彼の両親がどう思うのか不安である。婚約破棄を心配するこの在日鮮人は、思い切って井上氏に尋ねてみた。

  すると、井上氏は「日本人の排他性は中々消えない」と述べながらも、「あなたは、あなたでしょ?!」と問いかける。父親の警察沙汰には何とも言えないが、結婚に関しては「彼にまかせなさい」と助言した。そして、「あなたはあらゆる憎しみを超え、自分を磨く努力を続けるへき」と励まし、「彼の愛があればきっと大丈夫だよっ !」と締めくくった。まぁ、見ず知らずの鮮人が持ちかける相談なので、適当に答えているんだろうが、「愛があれば何とかなる !」って、ちょっと無責任なんじゃないか。世の中はそう甘くないぞ。とはいえ、インターネットを通して相談するくらいだから、この鮮人女性は日本人男性と結婚するつもりなんだろう。たぶん、彼の両親が反対しても、結婚の意思を貫いて夫婦になるはずだ。相方の男性だって、両親と生セックスを秤にかければ、親孝行より性欲の方を取るだろう。また、子供を産めば義理の両親だって諦めざるを得ない。女性には「できちゃった!」という切り札がある。

  別の帰化鮮人女性(29歳の会社員)の悩みはもっと深刻だった。(No. 136 「国籍問題で結婚を反対され・・・」) 質問者の女性は元在日で、2歳年下の日本人に惚れたという。交際中の日本人男性は、なかなか両親への説得をせず、彼女も敢えて結婚の話をしなかったらしい。だが、彼女は「このままでは何も変わらないし、前に進まない」ということで、両親への説得を彼に頼んだそうだ。しばらくすると、彼女は彼の両親と話す機会を得、両者の対立は薄まり、彼女への好印象すら芽生えたという。そして、彼の両親は二人の結婚を認めたそうだ。

  ところが、数ヶ月後、日本人男性は両親の本音を吐露した。「まだ結婚するな。この結婚は難しすぎる」というのが両親の主張であった。以前、彼の両親は不安を口にし、「絶対に他の親戚や近所の人に国籍のことは知られてはならない。そのためにはどうすればいいのか考えねば」と述べていたそうだ。また、結婚の披露宴に彼の親戚を招待すれば、彼女の親戚を目にした招待客は、新婦が「韓国人」ということに気づいてしまうからマズい。ということで、結婚を認めてもらい、喜びで溢れる彼女は、「絶対に国籍を隠さねばならない、ということであれば、そうします」と約束したそうだ。一方、彼の両親は一旦結婚を認めたものの、時間が経つと、どうしても気が進まない。だから、二人の結婚に「待った」をかけることにした。彼の方は「絶対に結婚を認めてもらうから」と太鼓判を押すが、彼女の方は30歳までに結婚できるかどうか心配になってくる。なにせ、「正しい基準は親」というのが彼の意見であるから心許ない。彼女は30歳までに結婚して子供を産むのが希望であるという。

  詳しい事情が書かれていないので、井上氏は明確なアドバイスを避けた。ただ、「結婚したい」と望む彼の気持ちを信用せよ、と言うだけ。そして、井上氏は不吉な予感を述べた。「あなたの生い立ちや、親戚の方まで否定するような家に嫁いで、果たして幸せになれるのか・・・話し辛いかもしれませんが、彼とよく話し合ってみる必要があると思います」、と。回答の末尾は、「自分に自信を持って、最善の選択をしてください。影ながら応援しています」という形式的な言葉であった。まぁ、無料相談だから仕方ないけど、これじゃあ回答になっていないだろう。そもそも、この鮮人女性が「最善の選択」を知っているなら、わざわざ他人に相談する必要は無い。たぶん、友人に相談しても埒(らち)があかないので、専門家に尋ねたんじゃないか。こういう質問をしてくる女性は大抵、力強い言葉で背中を押してくれる回答を期待するものだ。決して曖昧模糊とした助言ではない。おそらく、「彼の親が反対するなら、駆け落ちしてでも結婚しろ。世間や親戚から何と言われようが構わないじゃないか。婚約者には両親がゴチャゴチャ言ってくるなら、親と絶縁するよう頼め ! 二人だけで暮らし、早く子供を産んで幸せを掴みなさい !」というのが、彼女が求めた答えなんじゃないか。もし違うなら、井上氏は「そっさと別れなさい !」と言ってやるべきだ。

朝鮮人に生まれたことへの悲しみ

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(写真 / 朝鮮人の子供たち)

  それにしても、日鮮の「国際結婚」には色々と障碍が多い。普通の日本人は「惚れた者同士の結婚なんだからいいんじゃな〜い」と気軽に答えるが、もし自分が朝鮮人と結婚するとなれば、その先に来る不幸に呆然とするはずだ。例えば、「鈴木」という日本人女性が「金」という鮮人男性と結婚した場合、9割くらいが「鈴木」という姓を選ぶ。通常なら、亭主の「金」を家族名にするはずだが、「子供が学校で差別されるから」と言って日本名にしようとする。ここで不思議なのは、なぜ日本人配偶者は朝鮮名を嫌うのか、という点だ。イギリス人やフランス人と結婚した日本人女性は、夫の姓に変えたり、夫の祖国に移住したりする。だが、まともな日本人なら「金」とか「朴」といった姓にはしないし、南鮮に移住することもない。だいいち、朝鮮人でさえ南鮮を捨ててアメリカに逃亡するのに、わざわざ日本から朝鮮へ引っ越す馬鹿はいないだろう。それに、朝鮮文化なんて価値が無い。日本人の母親は現実的だから、我が子に朝鮮語を学ばせるより英語を習わせたりする。いくら亭主が朝鮮文化を誇りにしても、「幼児教育は大切なんだから」と叱りつけ、人に自慢できるような科目を選んでしまう。例えば、ピアノとかヴァイオリンのレッスン、あるいはクラシカル・バレー、英会話などである。朝鮮人と結婚した女房だって朝鮮語を学ばないのに、遊び盛りの子供に「お父さんの言葉を勉強しなさい」と言えるのか?

  朝鮮人と結婚した日本人は、朝鮮人を嫌う日本人を“民族差別主義者”とか“極右分子”と呼ぶが、なぜ日本人配偶者は「南鮮」という言葉を嫌い、「韓国」という用語を好むのか? 彼らは理由を尋ねられても答えられまい。なぜなら、彼ら自身でさえ、なぜ「朝鮮」という言葉が忌まわしいのか、が分からないからだ。もし答えられるとしても、「何となくチョーセンという響きが嫌い」と反論するのがせいぜいだろう。しかし、朝鮮人を好きになった日本人でも、「朝鮮」という言葉の裏にある“おぞましい”正体のことには気づいている。つまり、日韓併合時代に日本人が目の当たりにした“みすぼらしい”風景、乞食よりも汚い“浮浪者の群れ”、日本人の不幸が“マシ”に思える程の貧困、進歩という概念が全く見られない悲惨な生活水準を想い出してしまうのだ。朝鮮半島はアジア大陸の突起物というより、暗黒大陸のカスが流れ落ちるゴミ捨て場で、汚穢と腐敗が渦巻く肥溜めと評した方がよい。李朝時代の朝鮮はアジア的停滞の見本市で、日本人が描く地獄絵の方が活気に満ちている。道端でキセルをくわえながら、一日中ボケ〜と過ごしている老人を見ると、朝鮮人が地球上に存在する意味は何なのか、という疑問が湧いてくる。

  大人はともかく、朝鮮人の家系に生まれた日鮮混血児は不憫だ。両親の反対を押し切って朝鮮人と結婚した日本人女性が、不条理な差別に遭ったり、不必要な苦労を背負い込んだとしても、それは自業自得である。しかし、生まれてきた子供は違う。こうした日鮮混血児は、自ら望んで生まれてきたのではない。日本で生まれ育つなら、日本人になりたかったと思うのが自然だ。ある朝鮮人団体が集めた子供たちの作文を読むと胸が痛くなる。とりわけ小学生が綴った作文には、朝鮮人であることへの苦悩と共に、育ててくれる親への愛情が滲み出ている。例えば、日本人の母を持つと思われる村上英俊くん(小学二年生)は、友達から「朝鮮人」と呼ばれたそうだ。

  ぼくはかんこくじんでもないし、にっぽんじんでもないし、こまる。でもじぶんでは、にっぽんじんだとおもう。どうしてかというと、ぼくをうんだひとがおかあさんだからだ。(在日韓国人と共に教育を考える会編『ことばの叫び』 1984年、p. 10.)

  ある小学三年生は、友達に韓国人であることを知られるが嫌だという。なぜなら、友達が遊んでくれないからだ。そして、この子は続けて言う。「わたしは、かんこくじんになりたいとは思わない」、と。(上掲書 p.13.) 別の小学三年生は父親が韓国人なので恥ずかしいと感じたそうだ。(p. 15) ある小学四年生の子供は、周囲から「あんたかんこく人でしょう」と言われ、恥ずかしく思ったそうだ。しかし、「私は、日本人よりかんこく人の方がいい」と述べていた。(p.22.) たぶん、この子は内心で朝鮮人であることを恥じているが、両親が朝鮮人なので「韓国人の方がいい」と書いたのだろう。こうした気持ちはよく分かる。米国にいた頃、筆者が親しくしていたP教授は、香港で英文学を教えたことのあるアイリス系アメリカ人の大学教授であった。彼の夫人は英語を話す支那人で、二人は米国に移って結婚し、後に子供をもうけている。ある日のことだ。P教授の息子は学校で人種を尋ねられ、アンケート用紙に記載された「アジア人」の蘭に印を付けたという。この話を聞いたP教授は、家で息子に「どうしてアジア人にしたんだ?」と尋ねたそうだ。すると、彼の息子は笑顔を見せながら、「分からない。何となく・・・」と誤魔化したらしい。たぶん、母親のことを気に懸けていたのだろう。さすがに、「アメリカ白人」とは言えないから、「支那系アメリカ人」としたんじゃないか。

  朝鮮系の子供は幼いときから悔しい思いをするようだ。小学四年生の高田君子(きみこ)さんは、朝鮮人であることを「しょうがない」と思っていた。だが、引っ越し先で「朝鮮人」と呼ばれた時には涙が出たらしい。(p. 21) 小学四年生の木下竜男くんは「韓国人」であることが嫌だという。面白いことに、竜男くんは韓国に不良やチンピラがいるか調べてみたい、と書いていた。(p.24) たぶん、彼の周りに不良の高校生やヤクザの朝鮮人がいたからだろう。また、竜男くんは韓国にどんな美しい町や村があるのか調べてみたいそうだ。でも、実際の南鮮に行けば、薄汚い街並みに卒倒するんじゃないか。絵葉書に印刷される朝鮮の風景は、朝鮮人の宣伝だから。小学五年生の渡辺星七(せいしち)くんは、韓国人の父親と韓国が嫌いで、韓国の字を覚えるのも嫌いだ、と書いていた。(p.37) また、星七くんは「どうせなら日本人になりたい。かん国人にはなりたくない」と述べていたから、よほど辛い過去があったのだろう。

  小学五年生の金原文子(ふみこ)さんも学校で「韓国人」と言われ、恥ずかしく思ったそうだ。しかし、家では韓国人がいるからそうでもない。彼女によると、学校で韓国人と呼ばれるのは嫌だけど、「私はかんこくじんでもいい」と書いている。(p. 40) こういう矛盾した作文を目にすると、子供の複雑な感情が伝わってきて哀しくなる。小学六年生の石山昌枝(まさえ)さんは、韓国が大変よい所と耳にするが、彼女自身は「あまりよい所とおもっていません」とのことだ。(p. 43) 彼女は両親が朝鮮語で喧嘩をするとこが一番嫌だという。また、韓国の服装は好きだけど、母親が喋る朝鮮語の発音を聞くと、「なにかはずかしい気持ち」になるそうだ。確かに、英語やフランス語を喋る親ならいいけど、朝鮮語や支那語、ベトナム語、タガログ語じゃ恥ずかしい。もし、友達を家に招いて、母親が朝鮮語を口にすれば、日本人の子供は「えっ、君のお母さん、いま何喋ったの?」と訊いてくるから、恥ずかしくて隠れたくなる。もし、チマチョゴリ姿なんか見られたら、もう学校に行きたくない。普通の日本人には分からないけど、朝鮮の土俗宗教では、母親が「トランス状態」になって狂ったように踊ることがある。こんな光景を友達に見られたら、もう不登校どころかロープを握って自殺したくなる。

  『ことばの叫び』には小学生から高校生まで、様々な作文が収録されているので、この本を手に取った在日鮮人、あるいは帰化鮮人および二世・三世の子孫は、悔しさと悲しみを共有するに違いない。彼らは「何で朝鮮人というだけで、こんな辛い思いをするのか ! 差別をする日本人が赦せない !」と憤るはずだ。しかし、我々の方にも反論がある。もし、目を吊り上げた朝鮮人がギャーギャー言えば、温厚な日本人だって「そんなに差別が嫌なら、なぜ朝鮮に帰らないんだ?」と激怒するだろう。そもそも、日本人が日本国内で、どの外国人を好み、どの民族を嫌い、どんな文化を排斥しようが、日本人の自由じゃないか。南や北を問わず朝鮮人だって、朝鮮国内で日本人を激しく罵倒し、嘘まで拵えて我々を糾弾しているじゃないか。在日朝鮮人は普段、ヘイトスピーを問題にしているが、彼らは同胞のヘイトスピーチを公的に非難せず、「朝鮮人を苦しめた日本人なんだから当然だ」と考えている。だいたい、在日南鮮人は天皇陛下を侮辱し、総理大臣の写真を燃やす同胞に対して、抗議デモを起こしたことがあるのか? また、帰化鮮人は日本に永住することばかり考えているけど、彼らは帰化のとき、皇室と国旗に忠誠を誓ったのか? もし、彼らが日本に忠誠を誓うなら、日本防衛のために朝鮮人を殺します、と誓えるはずだ。帰化鮮人は北鮮からの難民を迎えることに熱心でも、竹島を奪還することに関しては冷淡だ。また、こうした質問を朝鮮人に訊かないマスコミだっておかしい。

どの外人を好きになろうが日本人の勝手

Korean 321Korea 921

(写真 / 昔の伝統的村に住む朝鮮人)

  日本人は日教組や左翼マスコミの考え方に洗脳されたままである。というのも、大半の日本人は「なぜ、いつも日本人側だけが非難され、反省しているのか?」という点に気づかないからだ。本来なら、密入国した在日一世やその不法状態を続けた子孫の方が土下座して謝るべきなのに、朝鮮人を追い払おうとする日本人の方が非難されているんだからアベコベである。例えば、ある日本人の家に朝鮮人が忍び込んだとする。当然、家の主人はこの侵入者を補足し、警察に引き渡すか、ボコボコにして敷地から叩き出すだろう。たとえ、この不逞鮮人が「人権無視 !」とか「日帝支配を謝れ !」と叫んでも、「何言ってんだ、このヨボ野郎 !」と怒鳴りつけ、決して相手にしないはずだ。腕っ節の強い日本人だと、何も言わず黙って、ランディー・クゥートァ流のクリンチ・アッパーを顎に喰らわすか、ヴァンダレイ・シウバ仕込みの膝蹴りを腹に一発決めてしまうだろう。

  日本という国家は日本人のホームで、どの外人を歓迎し、どの外人を門前払いにするか、日本人の勝手で、朝鮮人がどうこう言う問題じゃない。朝鮮人は朝鮮で暮らせばいいじゃないか。なぜ、嫌いな日本にやって来るのか。「移住の権利」なんて冗談じゃないぞ。大日本帝国憲法に「朝鮮人には移住の権利がある」なんて条文は無いし、たとえ国連職員が「人権」を持ち出してきても、そんな戯れ言は干からびた馬糞と同じだ。 左翼知識人は日本人を「外人嫌い(xenophobia)」と非難するが、日本人ほど外人を厚遇する民族はいないだろう。明治の頃は、高額の給料を払って西歐人教師を雇ったし、軍人は歐洲に留学して法律や軍事を学んでいた。カビ臭い漢籍から解放された日本人は、こぞって洋書を翻訳し、多くの庶民が貪るように読んだ。大東亜戦争中に「鬼畜米英」と叫んでも、庶民はアメリカ文化に憧れ、占領軍にさえ敬意を払っていた。バブル期になると、外国文化と外国人の輸入はもっと激しくなる。日本企業は歐米の俳優に大金を払って、宣伝広告のモデルになってもらっていたじゃないか。例えば、カネボウは化粧品を売るためにブルック・シールズを雇ったが、その契約料は100万円じゃ済まないはずだ。また、銀座ジュエリー・マキはファラー・フォセットをモデルとして起用したけど、まさかギャラがダイヤモンド一個ということはない。サントリーは「VSOP」というブランデーの売り子として、シェリル・ラッドを選んでいた。東京ドームでビールを売る小娘なら、時給1,000でOKだが、アメリカの女優は時給2,000でも働かないぞ。一方、ソニア・ソーン(Sonja Sohn)みたいな朝鮮系アメリカ人は、化粧品や宝石のモデルには採用されないだろう。たぶん、黒い朝鮮人は南鮮でも排除されるんじゃないか。

Brooke Shields 1Farrah Fawcett 1Cheryl Ladd 3Sonja Sohn 1


( 左 : ブルック・シールズ / ファラー・フォセット / シェリル・ラッド / 右 : ソニア・ソーン )

  とにかく、日本人は国家とか民族に関して鈍感すぎる。日本人は野生動物と違い、過去と未来、祖先と子孫、素晴らしい文化と古い伝統を大切にする国民だ。野良犬ならどの雌と交尾してもいいし、目先の餌だけ考えていればいい。だが、我々は祖先からの文化と権利、そして国土や遺産を受け継ぎ、それを子孫に伝える義務を有する。日本人は日本人の血統を守った方が賢明だし、生まれてくる子孫もその方が幸せだ。もし、このまま日鮮混血児や日支混血児が増えれば、日本人は日本人の精神を失ってしまうだろう。肉体の25%ないし50%がアジア人なった子供が、命懸けで日本を守るとは思えない。学者が帰化鮮人に対して愛国心調査を行わないのは、やる前から結果が判っているからだ。また、アジア系国民が心から天皇陛下に忠誠を誓うことは滅多になく、無関心というのが大半だろう。

  朝鮮人の血統を「恥ずかしい」と感じた混血児は、自己防衛のため、その劣等感を日本への憎しみで中和しようとする。朝鮮系国民は相反する感情に支配されやすい。「日本人になりたい」という願望の裏で、「伝統的な日本を撲滅したい」という衝動が蠢(うごめ)いてしまうのだ。朝鮮人と結婚する日本人は、愛があれば困難を克服できると考えてしまうが、生まれてくる混血児には親が持つ「日本人らしさ」は伝わらず、むしろ朝鮮人に生まれついた屈辱感が肥大化してしまう虞(おそれ)がある。「血は水よりも濃い」と言うが、とりわけ朝鮮人の血は厄介だぞ。ドロドロした親戚や人脈を持つ朝鮮人だと、後で後悔することになるから、深入りする前に足抜けした方がいい。関係ないけど、子供の命名だって気をつけなきゃ。もし、「黒木」という「通名」持つ鮮人の子供が、「金」という本名で、「歩(あゆむ)」という名前を持っていたら大変だ。中学や高校の悪ガキどもは、「お前が成人したら成金だぞ」と茶化すかも知れない。将棋だと「歩」は「と金」に変わるからねぇ。
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[近代史3] 朝鮮人の血統は恥ずかしい _ 在日朝鮮人に生まれた事の悲しみ

朝鮮人の血統は恥ずかしい _ 在日朝鮮人に生まれた事の悲しみ


2019年06月27日
朝鮮化する日本 / アジア人になってしまう日本人
黒木 頼景
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日鮮融合の恐ろしさ

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(左 : 日本人が統治する前の典型的な朝鮮人 / 右 : 日本統治から解放された戦後の朝鮮人)

  文在寅が君臨する南鮮を眺めとると、「あぁ〜ぁ、もう韓国は終わりだなぁ〜」と日本人は隣国を哀れむ。しかし、経済的苦境に立たされた南鮮人には、まだ僅かだが大きな希望がある。それは日本への移住だ。南鮮で生活できなければ、日本で職に就き、ついでに現地で結婚相手を見つければ万々歳。朝鮮人は口で愛国心を唱えるが、その根底には祖国に尽くそうとする熱意が微塵も無い。沈み行く船からは、さっさとトンズラするのが一番。なるほど、引っ越し先として、アメリカやオーストラリアは魅力的だが、何しろ外見が違いすぎるので、白人どもから“白眼視”されやすい。だから、容姿が似ていて素性がバレない日本へ行くのが利口だ。それに現在、歐米諸国では移民を規制する保守政党が台頭しているので、朝鮮人のようなアジア人がノコノコやってくると、入国審査で肘鉄を喰らうことになる。

  ところが、日本だと「外人さん、いらっしゃぁぁ〜い !」とウェルカム。日本の入国審査はチョコレートよりも甘いから、福祉目当ての鮮人はおろか、破壊工作を命じられたスパイまで、堂々とゲートをくぐることができる。南鮮で「植民地支配を赦すなぁぁ!!」と息巻く鮮人でも、入管を通る時には善意の観光客を装う。さらに図々しくなると、日本への帰化申請を行い、「日本人大好き!」と平気で嘘をつく。朝鮮人というのは矛盾だらけの塊だけど、その矛盾に悩まないという特徴を持つ。彼らは朝鮮娘を攫って「性奴隷」にしたと日本人を糾弾するが、愛すべき同胞よりも憎い外人を愛する。たとえ、日本人から「鮮人は朝鮮へ帰れ !」と罵られても、「日本人は朝鮮を植民地にしたニダぁぁぁ〜」と訳の分からぬ反論を叫び、仏像みたいに梃子でも動かない。そりゃそうだろう。いくら日本での生活が酷くても、南鮮よりはマシなんだから、どんな苦労だって辛抱できる。

  それに、ちょっと苦しくなれば役所から福祉金をくすねて家計を維持すればいい。日本には公明党や社民、立憲民主、共産党に加え、韓国民団とか朝鮮総連といった援助組織がたくさんあるから、タカリ鮮人は左団扇(うちわ)で極楽気分。こんな野郎はテレビのリモコンで思いっきりひっぱたけばいいのに、左翼教育を受けた日本人は多民族共生だと言い出す。大学で気楽に暮らす学者は「寛容」を口にするが、嫌なことを我慢するのが「寛容」の意味だから、スカンクの屁でも怒るな、というのが彼らの主張だ。ニンニクとキムチを食った朝鮮人のオナラって、鼻が曲がるほど臭いけど、これも多民族文化への理解になるんだろう。

  一般の日本人は「侵略」と聞けば、軍事侵攻ばかりを思い浮かべるが、侵略には直接的なものと間接的なものもある。遠征軍が勝者となり現地の女を強姦して子孫を増やせば直接的侵略となるが、移民として押し寄せ、結婚を通して混血児を増やせば間接侵略だ。朝鮮半島は日本海で遮断されているから、地理的な併合は難しいけど、朝鮮人が来日して日鮮混血児を増やせば、朝鮮半島と日本列島は血糊で結合したようなものである。「子は鎹(かすがい)」と言うけど、日鮮混血児は両国を繋ぐ鎖だ。ただし、日本は朝鮮へと引きずられる。なぜなら、たとえ日本人の血が半分でも、朝鮮人の肉体を持てば心は朝鮮人になるからだ。自分の血統を知らないうちは、朝鮮人を小馬鹿にして「韓国人なんか嫌いだ !」と言えるが、高校生や大学生になって親から出自を告げられると、自分を「日本人」と思っていた子供は相当なショックを受けるらしい。鼻から牛乳どころか、目玉に黒酢を差したような驚きで、目の前に天空が墜ちてくるんじゃないか、といった衝撃である。

  まぁ、いきなり「朝鮮人」と言われたって、朝鮮文化を何も知らず、朝鮮語すら話せない子供からすれば青天の霹靂どころの騒ぎじゃない。「えぇぇっ、どうしよう〜。恋人ができたら告白しなきゃいけないのかなぁ〜」と不安になる。在日鮮人の青年だと、友人と海外旅行に行くとき、所持する旅券の種類でバレてしまう。もちろん、帰化すれば書類上は「日本人」になれる。だが、こうした青年や子供は自信を持って「私は日本人 !」と言い切れるのか? もし、母親が朝鮮人なら、母の両親(祖父母)も朝鮮人で、従兄弟や伯父叔母などの親戚も朝鮮人となり、何十何百の朝鮮人が遠い祖先となってしまうだろう。もし、血縁者の写真を5、60枚も目にすれば、「俺は朝鮮人なんだなぁ〜」と絶望し、「私の体は半分朝鮮人なんだぁ」と思うのが普通である。

  大半の日本人は朝鮮人と関係なく日常生活を送っているが、その裏では恐ろしい“朝鮮化”が着々と進んでいる。考えてもみよ。敗戦後、内地へ移ってきた朝鮮人は祖国に帰らず日本に居坐った。さらに朝鮮戦争が勃発すると、大量の不法入国者が日本各地に潜り込んだ。したがって、今、我々が目にする「在日朝鮮人」の多くは、戦前からの居候か密入国者の子孫で、まともな在日外国人ではない。彼らは素性を隠したまま、本名を日本風に変え、何食わぬ顔で「日本人」のように振る舞っている。中には、生活に便利だからと言う理由で日本に帰化した鮮人も少なくない。このような隠れ鮮人(crypto Korean)は日本人と結婚し、着実に朝鮮系国民を増やしている。国会議員は少子化ばかりを問題にしているが、本当に深刻なのは日系日本人の減少とアジア系日本人の増殖であろう。

  以前、「PHP Interface」のサイトに、井上香織による「恋愛相談室」というコーナーがあった。井上氏はシンガーソングライターや高校教師を経て作家になった女性だ。彼女は恋愛問題で悩む人々から質問を受けて、独自の助言を行っていたが、朝鮮人からの相談にも答えていた。例えば、「No.86」の質問者は在日韓国人3世の女性(23歳)で、2年半付き合っている日本人男性がいるという。彼女は交際中の男性と結婚したいが、「彼の両親が反対するのでは」、と不安に思っていた。というのも、彼女の父親には犯罪歴があり、3年の執行猶予が附いたお陰で、まだ刑務所には収監されていないという。もちろん、彼はこうした事実を知っており、「それでも構わない」と答えているが、彼の両親がどう思うのか不安である。婚約破棄を心配するこの在日鮮人は、思い切って井上氏に尋ねてみた。

  すると、井上氏は「日本人の排他性は中々消えない」と述べながらも、「あなたは、あなたでしょ?!」と問いかける。父親の警察沙汰には何とも言えないが、結婚に関しては「彼にまかせなさい」と助言した。そして、「あなたはあらゆる憎しみを超え、自分を磨く努力を続けるへき」と励まし、「彼の愛があればきっと大丈夫だよっ !」と締めくくった。まぁ、見ず知らずの鮮人が持ちかける相談なので、適当に答えているんだろうが、「愛があれば何とかなる !」って、ちょっと無責任なんじゃないか。世の中はそう甘くないぞ。とはいえ、インターネットを通して相談するくらいだから、この鮮人女性は日本人男性と結婚するつもりなんだろう。たぶん、彼の両親が反対しても、結婚の意思を貫いて夫婦になるはずだ。相方の男性だって、両親と生セックスを秤にかければ、親孝行より性欲の方を取るだろう。また、子供を産めば義理の両親だって諦めざるを得ない。女性には「できちゃった!」という切り札がある。

  別の帰化鮮人女性(29歳の会社員)の悩みはもっと深刻だった。(No. 136 「国籍問題で結婚を反対され・・・」) 質問者の女性は元在日で、2歳年下の日本人に惚れたという。交際中の日本人男性は、なかなか両親への説得をせず、彼女も敢えて結婚の話をしなかったらしい。だが、彼女は「このままでは何も変わらないし、前に進まない」ということで、両親への説得を彼に頼んだそうだ。しばらくすると、彼女は彼の両親と話す機会を得、両者の対立は薄まり、彼女への好印象すら芽生えたという。そして、彼の両親は二人の結婚を認めたそうだ。

  ところが、数ヶ月後、日本人男性は両親の本音を吐露した。「まだ結婚するな。この結婚は難しすぎる」というのが両親の主張であった。以前、彼の両親は不安を口にし、「絶対に他の親戚や近所の人に国籍のことは知られてはならない。そのためにはどうすればいいのか考えねば」と述べていたそうだ。また、結婚の披露宴に彼の親戚を招待すれば、彼女の親戚を目にした招待客は、新婦が「韓国人」ということに気づいてしまうからマズい。ということで、結婚を認めてもらい、喜びで溢れる彼女は、「絶対に国籍を隠さねばならない、ということであれば、そうします」と約束したそうだ。一方、彼の両親は一旦結婚を認めたものの、時間が経つと、どうしても気が進まない。だから、二人の結婚に「待った」をかけることにした。彼の方は「絶対に結婚を認めてもらうから」と太鼓判を押すが、彼女の方は30歳までに結婚できるかどうか心配になってくる。なにせ、「正しい基準は親」というのが彼の意見であるから心許ない。彼女は30歳までに結婚して子供を産むのが希望であるという。

  詳しい事情が書かれていないので、井上氏は明確なアドバイスを避けた。ただ、「結婚したい」と望む彼の気持ちを信用せよ、と言うだけ。そして、井上氏は不吉な予感を述べた。「あなたの生い立ちや、親戚の方まで否定するような家に嫁いで、果たして幸せになれるのか・・・話し辛いかもしれませんが、彼とよく話し合ってみる必要があると思います」、と。回答の末尾は、「自分に自信を持って、最善の選択をしてください。影ながら応援しています」という形式的な言葉であった。まぁ、無料相談だから仕方ないけど、これじゃあ回答になっていないだろう。そもそも、この鮮人女性が「最善の選択」を知っているなら、わざわざ他人に相談する必要は無い。たぶん、友人に相談しても埒(らち)があかないので、専門家に尋ねたんじゃないか。こういう質問をしてくる女性は大抵、力強い言葉で背中を押してくれる回答を期待するものだ。決して曖昧模糊とした助言ではない。おそらく、「彼の親が反対するなら、駆け落ちしてでも結婚しろ。世間や親戚から何と言われようが構わないじゃないか。婚約者には両親がゴチャゴチャ言ってくるなら、親と絶縁するよう頼め ! 二人だけで暮らし、早く子供を産んで幸せを掴みなさい !」というのが、彼女が求めた答えなんじゃないか。もし違うなら、井上氏は「そっさと別れなさい !」と言ってやるべきだ。

朝鮮人に生まれたことへの悲しみ

Korean kids 3Korean kids 5


(写真 / 朝鮮人の子供たち)

  それにしても、日鮮の「国際結婚」には色々と障碍が多い。普通の日本人は「惚れた者同士の結婚なんだからいいんじゃな〜い」と気軽に答えるが、もし自分が朝鮮人と結婚するとなれば、その先に来る不幸に呆然とするはずだ。例えば、「鈴木」という日本人女性が「金」という鮮人男性と結婚した場合、9割くらいが「鈴木」という姓を選ぶ。通常なら、亭主の「金」を家族名にするはずだが、「子供が学校で差別されるから」と言って日本名にしようとする。ここで不思議なのは、なぜ日本人配偶者は朝鮮名を嫌うのか、という点だ。イギリス人やフランス人と結婚した日本人女性は、夫の姓に変えたり、夫の祖国に移住したりする。だが、まともな日本人なら「金」とか「朴」といった姓にはしないし、南鮮に移住することもない。だいいち、朝鮮人でさえ南鮮を捨ててアメリカに逃亡するのに、わざわざ日本から朝鮮へ引っ越す馬鹿はいないだろう。それに、朝鮮文化なんて価値が無い。日本人の母親は現実的だから、我が子に朝鮮語を学ばせるより英語を習わせたりする。いくら亭主が朝鮮文化を誇りにしても、「幼児教育は大切なんだから」と叱りつけ、人に自慢できるような科目を選んでしまう。例えば、ピアノとかヴァイオリンのレッスン、あるいはクラシカル・バレー、英会話などである。朝鮮人と結婚した女房だって朝鮮語を学ばないのに、遊び盛りの子供に「お父さんの言葉を勉強しなさい」と言えるのか?

  朝鮮人と結婚した日本人は、朝鮮人を嫌う日本人を“民族差別主義者”とか“極右分子”と呼ぶが、なぜ日本人配偶者は「南鮮」という言葉を嫌い、「韓国」という用語を好むのか? 彼らは理由を尋ねられても答えられまい。なぜなら、彼ら自身でさえ、なぜ「朝鮮」という言葉が忌まわしいのか、が分からないからだ。もし答えられるとしても、「何となくチョーセンという響きが嫌い」と反論するのがせいぜいだろう。しかし、朝鮮人を好きになった日本人でも、「朝鮮」という言葉の裏にある“おぞましい”正体のことには気づいている。つまり、日韓併合時代に日本人が目の当たりにした“みすぼらしい”風景、乞食よりも汚い“浮浪者の群れ”、日本人の不幸が“マシ”に思える程の貧困、進歩という概念が全く見られない悲惨な生活水準を想い出してしまうのだ。朝鮮半島はアジア大陸の突起物というより、暗黒大陸のカスが流れ落ちるゴミ捨て場で、汚穢と腐敗が渦巻く肥溜めと評した方がよい。李朝時代の朝鮮はアジア的停滞の見本市で、日本人が描く地獄絵の方が活気に満ちている。道端でキセルをくわえながら、一日中ボケ〜と過ごしている老人を見ると、朝鮮人が地球上に存在する意味は何なのか、という疑問が湧いてくる。

  大人はともかく、朝鮮人の家系に生まれた日鮮混血児は不憫だ。両親の反対を押し切って朝鮮人と結婚した日本人女性が、不条理な差別に遭ったり、不必要な苦労を背負い込んだとしても、それは自業自得である。しかし、生まれてきた子供は違う。こうした日鮮混血児は、自ら望んで生まれてきたのではない。日本で生まれ育つなら、日本人になりたかったと思うのが自然だ。ある朝鮮人団体が集めた子供たちの作文を読むと胸が痛くなる。とりわけ小学生が綴った作文には、朝鮮人であることへの苦悩と共に、育ててくれる親への愛情が滲み出ている。例えば、日本人の母を持つと思われる村上英俊くん(小学二年生)は、友達から「朝鮮人」と呼ばれたそうだ。

  ぼくはかんこくじんでもないし、にっぽんじんでもないし、こまる。でもじぶんでは、にっぽんじんだとおもう。どうしてかというと、ぼくをうんだひとがおかあさんだからだ。(在日韓国人と共に教育を考える会編『ことばの叫び』 1984年、p. 10.)

  ある小学三年生は、友達に韓国人であることを知られるが嫌だという。なぜなら、友達が遊んでくれないからだ。そして、この子は続けて言う。「わたしは、かんこくじんになりたいとは思わない」、と。(上掲書 p.13.) 別の小学三年生は父親が韓国人なので恥ずかしいと感じたそうだ。(p. 15) ある小学四年生の子供は、周囲から「あんたかんこく人でしょう」と言われ、恥ずかしく思ったそうだ。しかし、「私は、日本人よりかんこく人の方がいい」と述べていた。(p.22.) たぶん、この子は内心で朝鮮人であることを恥じているが、両親が朝鮮人なので「韓国人の方がいい」と書いたのだろう。こうした気持ちはよく分かる。米国にいた頃、筆者が親しくしていたP教授は、香港で英文学を教えたことのあるアイリス系アメリカ人の大学教授であった。彼の夫人は英語を話す支那人で、二人は米国に移って結婚し、後に子供をもうけている。ある日のことだ。P教授の息子は学校で人種を尋ねられ、アンケート用紙に記載された「アジア人」の蘭に印を付けたという。この話を聞いたP教授は、家で息子に「どうしてアジア人にしたんだ?」と尋ねたそうだ。すると、彼の息子は笑顔を見せながら、「分からない。何となく・・・」と誤魔化したらしい。たぶん、母親のことを気に懸けていたのだろう。さすがに、「アメリカ白人」とは言えないから、「支那系アメリカ人」としたんじゃないか。

  朝鮮系の子供は幼いときから悔しい思いをするようだ。小学四年生の高田君子(きみこ)さんは、朝鮮人であることを「しょうがない」と思っていた。だが、引っ越し先で「朝鮮人」と呼ばれた時には涙が出たらしい。(p. 21) 小学四年生の木下竜男くんは「韓国人」であることが嫌だという。面白いことに、竜男くんは韓国に不良やチンピラがいるか調べてみたい、と書いていた。(p.24) たぶん、彼の周りに不良の高校生やヤクザの朝鮮人がいたからだろう。また、竜男くんは韓国にどんな美しい町や村があるのか調べてみたいそうだ。でも、実際の南鮮に行けば、薄汚い街並みに卒倒するんじゃないか。絵葉書に印刷される朝鮮の風景は、朝鮮人の宣伝だから。小学五年生の渡辺星七(せいしち)くんは、韓国人の父親と韓国が嫌いで、韓国の字を覚えるのも嫌いだ、と書いていた。(p.37) また、星七くんは「どうせなら日本人になりたい。かん国人にはなりたくない」と述べていたから、よほど辛い過去があったのだろう。

  小学五年生の金原文子(ふみこ)さんも学校で「韓国人」と言われ、恥ずかしく思ったそうだ。しかし、家では韓国人がいるからそうでもない。彼女によると、学校で韓国人と呼ばれるのは嫌だけど、「私はかんこくじんでもいい」と書いている。(p. 40) こういう矛盾した作文を目にすると、子供の複雑な感情が伝わってきて哀しくなる。小学六年生の石山昌枝(まさえ)さんは、韓国が大変よい所と耳にするが、彼女自身は「あまりよい所とおもっていません」とのことだ。(p. 43) 彼女は両親が朝鮮語で喧嘩をするとこが一番嫌だという。また、韓国の服装は好きだけど、母親が喋る朝鮮語の発音を聞くと、「なにかはずかしい気持ち」になるそうだ。確かに、英語やフランス語を喋る親ならいいけど、朝鮮語や支那語、ベトナム語、タガログ語じゃ恥ずかしい。もし、友達を家に招いて、母親が朝鮮語を口にすれば、日本人の子供は「えっ、君のお母さん、いま何喋ったの?」と訊いてくるから、恥ずかしくて隠れたくなる。もし、チマチョゴリ姿なんか見られたら、もう学校に行きたくない。普通の日本人には分からないけど、朝鮮の土俗宗教では、母親が「トランス状態」になって狂ったように踊ることがある。こんな光景を友達に見られたら、もう不登校どころかロープを握って自殺したくなる。

  『ことばの叫び』には小学生から高校生まで、様々な作文が収録されているので、この本を手に取った在日鮮人、あるいは帰化鮮人および二世・三世の子孫は、悔しさと悲しみを共有するに違いない。彼らは「何で朝鮮人というだけで、こんな辛い思いをするのか ! 差別をする日本人が赦せない !」と憤るはずだ。しかし、我々の方にも反論がある。もし、目を吊り上げた朝鮮人がギャーギャー言えば、温厚な日本人だって「そんなに差別が嫌なら、なぜ朝鮮に帰らないんだ?」と激怒するだろう。そもそも、日本人が日本国内で、どの外国人を好み、どの民族を嫌い、どんな文化を排斥しようが、日本人の自由じゃないか。南や北を問わず朝鮮人だって、朝鮮国内で日本人を激しく罵倒し、嘘まで拵えて我々を糾弾しているじゃないか。在日朝鮮人は普段、ヘイトスピーを問題にしているが、彼らは同胞のヘイトスピーチを公的に非難せず、「朝鮮人を苦しめた日本人なんだから当然だ」と考えている。だいたい、在日南鮮人は天皇陛下を侮辱し、総理大臣の写真を燃やす同胞に対して、抗議デモを起こしたことがあるのか? また、帰化鮮人は日本に永住することばかり考えているけど、彼らは帰化のとき、皇室と国旗に忠誠を誓ったのか? もし、彼らが日本に忠誠を誓うなら、日本防衛のために朝鮮人を殺します、と誓えるはずだ。帰化鮮人は北鮮からの難民を迎えることに熱心でも、竹島を奪還することに関しては冷淡だ。また、こうした質問を朝鮮人に訊かないマスコミだっておかしい。

どの外人を好きになろうが日本人の勝手

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(写真 / 昔の伝統的村に住む朝鮮人)

  日本人は日教組や左翼マスコミの考え方に洗脳されたままである。というのも、大半の日本人は「なぜ、いつも日本人側だけが非難され、反省しているのか?」という点に気づかないからだ。本来なら、密入国した在日一世やその不法状態を続けた子孫の方が土下座して謝るべきなのに、朝鮮人を追い払おうとする日本人の方が非難されているんだからアベコベである。例えば、ある日本人の家に朝鮮人が忍び込んだとする。当然、家の主人はこの侵入者を補足し、警察に引き渡すか、ボコボコにして敷地から叩き出すだろう。たとえ、この不逞鮮人が「人権無視 !」とか「日帝支配を謝れ !」と叫んでも、「何言ってんだ、このヨボ野郎 !」と怒鳴りつけ、決して相手にしないはずだ。腕っ節の強い日本人だと、何も言わず黙って、ランディー・クゥートァ流のクリンチ・アッパーを顎に喰らわすか、ヴァンダレイ・シウバ仕込みの膝蹴りを腹に一発決めてしまうだろう。

  日本という国家は日本人のホームで、どの外人を歓迎し、どの外人を門前払いにするか、日本人の勝手で、朝鮮人がどうこう言う問題じゃない。朝鮮人は朝鮮で暮らせばいいじゃないか。なぜ、嫌いな日本にやって来るのか。「移住の権利」なんて冗談じゃないぞ。大日本帝国憲法に「朝鮮人には移住の権利がある」なんて条文は無いし、たとえ国連職員が「人権」を持ち出してきても、そんな戯れ言は干からびた馬糞と同じだ。 左翼知識人は日本人を「外人嫌い(xenophobia)」と非難するが、日本人ほど外人を厚遇する民族はいないだろう。明治の頃は、高額の給料を払って西歐人教師を雇ったし、軍人は歐洲に留学して法律や軍事を学んでいた。カビ臭い漢籍から解放された日本人は、こぞって洋書を翻訳し、多くの庶民が貪るように読んだ。大東亜戦争中に「鬼畜米英」と叫んでも、庶民はアメリカ文化に憧れ、占領軍にさえ敬意を払っていた。バブル期になると、外国文化と外国人の輸入はもっと激しくなる。日本企業は歐米の俳優に大金を払って、宣伝広告のモデルになってもらっていたじゃないか。例えば、カネボウは化粧品を売るためにブルック・シールズを雇ったが、その契約料は100万円じゃ済まないはずだ。また、銀座ジュエリー・マキはファラー・フォセットをモデルとして起用したけど、まさかギャラがダイヤモンド一個ということはない。サントリーは「VSOP」というブランデーの売り子として、シェリル・ラッドを選んでいた。東京ドームでビールを売る小娘なら、時給1,000でOKだが、アメリカの女優は時給2,000でも働かないぞ。一方、ソニア・ソーン(Sonja Sohn)みたいな朝鮮系アメリカ人は、化粧品や宝石のモデルには採用されないだろう。たぶん、黒い朝鮮人は南鮮でも排除されるんじゃないか。

Brooke Shields 1Farrah Fawcett 1Cheryl Ladd 3Sonja Sohn 1


( 左 : ブルック・シールズ / ファラー・フォセット / シェリル・ラッド / 右 : ソニア・ソーン )

  とにかく、日本人は国家とか民族に関して鈍感すぎる。日本人は野生動物と違い、過去と未来、祖先と子孫、素晴らしい文化と古い伝統を大切にする国民だ。野良犬ならどの雌と交尾してもいいし、目先の餌だけ考えていればいい。だが、我々は祖先からの文化と権利、そして国土や遺産を受け継ぎ、それを子孫に伝える義務を有する。日本人は日本人の血統を守った方が賢明だし、生まれてくる子孫もその方が幸せだ。もし、このまま日鮮混血児や日支混血児が増えれば、日本人は日本人の精神を失ってしまうだろう。肉体の25%ないし50%がアジア人なった子供が、命懸けで日本を守るとは思えない。学者が帰化鮮人に対して愛国心調査を行わないのは、やる前から結果が判っているからだ。また、アジア系国民が心から天皇陛下に忠誠を誓うことは滅多になく、無関心というのが大半だろう。

  朝鮮人の血統を「恥ずかしい」と感じた混血児は、自己防衛のため、その劣等感を日本への憎しみで中和しようとする。朝鮮系国民は相反する感情に支配されやすい。「日本人になりたい」という願望の裏で、「伝統的な日本を撲滅したい」という衝動が蠢(うごめ)いてしまうのだ。朝鮮人と結婚する日本人は、愛があれば困難を克服できると考えてしまうが、生まれてくる混血児には親が持つ「日本人らしさ」は伝わらず、むしろ朝鮮人に生まれついた屈辱感が肥大化してしまう虞(おそれ)がある。「血は水よりも濃い」と言うが、とりわけ朝鮮人の血は厄介だぞ。ドロドロした親戚や人脈を持つ朝鮮人だと、後で後悔することになるから、深入りする前に足抜けした方がいい。関係ないけど、子供の命名だって気をつけなきゃ。もし、「黒木」という「通名」持つ鮮人の子供が、「金」という本名で、「歩(あゆむ)」という名前を持っていたら大変だ。中学や高校の悪ガキどもは、「お前が成人したら成金だぞ」と茶化すかも知れない。将棋だと「歩」は「と金」に変わるからねぇ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68771291.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/495.html

[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
5. 中川隆[-9235] koaQ7Jey 2019年6月28日 14:37:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3272]


社会科学者の随想 2019年06月24日
従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったところで,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その2)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075061254.html

 28 ducksoup 2019/05/08 16:06

 映画『主戦場』を観た。GW後半の当日朝いきなりいったら,すでに夕方まで満席。立ち見となった。大盛況だ。

 『主戦場』は,慰安婦問題をめぐる議論のポイントを,登場人物たちのインタビューをもとに整理しつつ,その裏に隠された部分を伝えてくれる,有意義かつスリリングな映画だった。

 なんといっても,この映画を観て誰もが気になるのは,後半ラスボスの如く登場する,日本会議の中心人物のひとり,「加瀬英明氏」だ。インタビューでの彼の発言はいきなりぶっとんでいる。

 まず「日本が戦争に勝ったから黒人が公民権をえた」という前提も結果も間違いだらけの珍言が飛び出す。日本が戦争に勝った…,勝ったのか? 先の大戦じゃなくて日清日露の話だろうか。単なるいい間違いだろうか。あるいは彼の独自の解釈の果てに出たいいまわしなのかもしれない。それは分からない。

 補注)加藤英明の発言ぶりは,そのまま真に受ければ「世間しらず,常識無縁のもの」ばかりであった。だが,真意そうではなく感じられ,意図的にそのようにみずから “バカを装っての発言” だとしたら,二重三重に非常にたちの悪い対応の態度であったと形容するほかない。


 インタビューは続く。つぎにインタビュアーは吉見義明氏という別の慰安婦問題の専門家に対する,加藤氏の意見を尋ねる。どれだけの嫌悪や反駁が返ってくるのかと思いきや,加藤氏は「誰ですかそれ?」と来る。

「私は他人の本は読まないから分かりません。不勉強なので」と悪びれずにおっしゃる。
なるほど彼は議論などしない。自説あるのみ。
人の意見を聞かないから自説の負けはない。
バッターボックスに立たないのだから三振もない。

 補注)映画の場面をみたかぎりでは,加藤英明が「吉見義明」の姓名をしらないという反応の仕方は,やや演技がかっていたようにも感じられた。この吉見義明の名前が出たときは,そのように反応する準備を前もって決めていた,というふうな解釈をしたくなるくらいに,そうであった。

 いうなれば,そのくらい不自然にもしらないと応じていたが,そこまで相手を無視(無化)する態度となれば,議論もなにもヘッタクレもないのが「加藤たち側の立場」なのかという観方が出できてもおかしくはない。

 そんな反知性主義を豪語する彼の背後に,百科事典がズラッと並んでるのがなんとも皮肉だ。鑑賞後調べてみるとなにを隠そうこの方,ブリタニカ百科事典の初代編集長というから二度驚いた! 他人の本は読まない百科事典の編集長ってなんだろうか…。彼への興味は尽きない。


 と,ここまで散々揶揄するような書き方をしたが,実は,映画を観ている間は加藤氏をあまり笑えなかった。彼の妄言には正直驚いたが,この人を嘲笑したら,その対象を笑った瞬間に,一緒に笑ってる側の党派に立たされてしまう気がしたからだ。


 左右どちらの立場にも立ちたくない私は,笑うことで立場の選択を迫られ,まさに議論の主戦場に立たされてしまう気がして,うまく笑えなかった。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c5

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
112. 中川隆[-9234] koaQ7Jey 2019年6月28日 16:00:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3273]

【2019年最新】くつろぎの空間!
軽キャンンピングカー「リゾートデュオ バンビーノJr.」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PrVQ6JJ_N1Q


2019/02/15 に公開


☆軽キャンパーバロッコ+のオーナーケンケンが運営するチャンネル「KEN'SキャンプTV」
 最近は車両紹介を主にキャンピングカーを世に広めるため日々試行錯誤してます!
 僕の動画で一人でもキャンピングカーに興味を持っていただけたら嬉しいです!
 ・・・と言いつつ自分が一番楽しみながら気楽にアップしています(*^^*)


・サブチャンネル「けんけんのあじと」
 ゆるーくなるべくキャンパー関連な、でもジャンル問わず、ケンケンの好きな動画を
 アップしていきます。
 https://www.youtube.com/channel/UCODa...


・工作ちゃんねる「気ままにクラフトTV」
 ゆるーくなるべくキャンパー関連な、トミカ改造動画チャンネルです!
 そのほかもなにか近いジャンルをやりたい!
 https://www.youtube.com/channel/UCODa...


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c112

[国際26] 69年前の朝鮮戦争もその後のベトナム戦争もアメリカの目的は中国の占領と略奪(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9233] koaQ7Jey 2019年6月28日 17:16:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3274]
櫻井ジャーナルに騙されるな


米ソ対立・米中対立なんか無かった
朝鮮戦争は八百長戦争だった


「ひとりがたり馬渕睦夫」#17 朝鮮半島問題とは何か?@ 朝鮮戦争に見る近代史の真実 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B2p75lnFBfU&list=PL7MaEu9i584fGdp78r27h-eH0rmWLioEC&index=20

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18 朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY&list=PL7MaEu9i584fGdp78r27h-eH0rmWLioEC&index=21

櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった


ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし

アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人

ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし

ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた


アメリカが本気になれば1年でソ連を潰せたけど、それでは軍需産業が儲からなくなるから、意図的にソ連を超大国に見せ掛けた。


ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


伊藤貫 「アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1a7z5Xvo1aQ

馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc

林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ



http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/711.html#c1

[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
268. 中川隆[-9235] koaQ7Jey 2019年6月28日 17:48:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3272]

2019年06月28日
日本人が想像できない中国の信用スコアと身分証制度


オバマのパロディ身分証

こうしたもので全国民の行動が追跡管理されている


画像引用:http://image.news.livedoor.com/newsimage/f/1/f1b58_249_2010-09-26-145831.jpg

信用スコアは素晴らしいか?

最近日本では中国から始まった信用スコアを素晴らしいと褒めたたえるのが流行っています。

中国では個人の債務情報や犯罪歴、交通違反から学校の成績などあらゆる情報を国家が握っています。

この結果家賃を滞納すると信用スコアが下がり、鉄道の切符を買えないという事が起きています。




まったく無関係な事で信用スコアの点数が減点されていくので、ネットで政府への不満を書いても減点されます。

親の信用情報も影響を与えるので、チベットやウイグル人の子供は「中国人向けの」幼稚園に入れない。

ウイグル人に生まれたと言うだけで一生鉄道に乗れず、政府が決めた居住区以外への移動や集会も禁止されている。


こんな信用スコア制度の元になったのは身分証制度で、国民全員がICチップを内蔵したIDカードを義務付けられていました。

日本では報道されないが、あらゆる行為でIDカード提示が義務付けられ、常に個人情報が照会されています。

身分証くらいなんの問題もなさそうですが、例えば長距離バスのチケットを買う時、その人が「旅行する資格がある人か」自動的に照会されます。


信用スコアが一定の点数以下の人は公共交通機関を利用できないので、売って貰えないだけでなく公安に拘束されます。

鉄道に乗るにも一定の点数が必要、レンタカーを借りるにも点数が必要、ホテルに泊まるにも必要なのです。

従って信用スコアが低かったり公安に利用を禁止されている人は、カードを要求されないような手段で移動したり宿泊先を探さねばならない。

信用スコアが低いと食事も拒否される

最近おもしろいニュースがあり、中国人観光客に東京都庁のレストランが人気だと書かれていました。

都庁のレストランは600円から1000円以内で美味しい料理が食べられるのだが、中国人は別なことに注目しました。

北京庁舎に相当する東京都庁に入るのに身分証が不要で、中で食事をするのにIDカードが不要だと言う点でした。


庁舎のレストランなので東京都知事や政府要人が食事をするかも知れず、トランクに爆弾などを詰めてテロを計画する人間がいるかもしれません。

それを「敵国の」中国人を荷物検査もせずに入場させ、誰でも自由に利用できることに驚くのです。

90年代までの中国は国内を移動するにも工作証と移動許可証の携帯が必要でした。


こうした制度は共産主義国に共通で、旧ソ連圏や今も北朝鮮などで行われています。

90年代に身分証番号を記載した身分証が配布され、2003年から非接触式のICカードが使用されるようになった。

最近はスマホを持ち歩く人が多くなり、スマホを身分証にする検討もされていて、顔認証などのIT技術も使用されている。

ネットで政府批判すると一生を棒に振る

中国の主要駅全てや公共施設や街中に防犯カメラが設置され、コンピュータで通行人の顔を照会している。

信用スコアが低い人や手配中の人が防犯カメラに映ると、公安や警察に情報が伝えられ、必要なら拘束される。

このシステムは現在急速に進歩していて、数年後には中国全土でどこにいても追跡できるようになる。


こんな国で生きる人はレストランで荷物検査や身分証チェックされないだけで驚くようになる。

中国ではインターネットに書き込むのに政府の許可と登録が必要で、もちんろん信用スコアが低い人はネット利用できない。

中国でブログを開設するには政府が指定した複数の検査官の審査を受ける必要があり、かなり厳しい。


過去3年ほどで政府に批判的な事を書いた中国のブログはすべて閉鎖され、運営者が行方不明になった例も多い。

中国ではブログやSNSを書くのも命がけで、つい勢いで政府批判を書いたがために、一生を棒に振る人も居る。

中国にはどこにいても政府の監視がついて回り、隠れる場所はどこにもありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80247613.html


阿修羅の赤かぶ氏は中国の工作員グループなので、赤かぶ氏の批判をすると中国には行けなくなります。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c268

[近代史3] 日本人ジャーナリストがウイグル問題を報じると こういう目に遭う 中川隆
2. 中川隆[-9234] koaQ7Jey 2019年6月28日 17:49:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3273]

2019年06月28日
日本人が想像できない中国の信用スコアと身分証制度


オバマのパロディ身分証

こうしたもので全国民の行動が追跡管理されている


画像引用:http://image.news.livedoor.com/newsimage/f/1/f1b58_249_2010-09-26-145831.jpg

信用スコアは素晴らしいか?

最近日本では中国から始まった信用スコアを素晴らしいと褒めたたえるのが流行っています。

中国では個人の債務情報や犯罪歴、交通違反から学校の成績などあらゆる情報を国家が握っています。

この結果家賃を滞納すると信用スコアが下がり、鉄道の切符を買えないという事が起きています。




まったく無関係な事で信用スコアの点数が減点されていくので、ネットで政府への不満を書いても減点されます。

親の信用情報も影響を与えるので、チベットやウイグル人の子供は「中国人向けの」幼稚園に入れない。

ウイグル人に生まれたと言うだけで一生鉄道に乗れず、政府が決めた居住区以外への移動や集会も禁止されている。


こんな信用スコア制度の元になったのは身分証制度で、国民全員がICチップを内蔵したIDカードを義務付けられていました。

日本では報道されないが、あらゆる行為でIDカード提示が義務付けられ、常に個人情報が照会されています。

身分証くらいなんの問題もなさそうですが、例えば長距離バスのチケットを買う時、その人が「旅行する資格がある人か」自動的に照会されます。


信用スコアが一定の点数以下の人は公共交通機関を利用できないので、売って貰えないだけでなく公安に拘束されます。

鉄道に乗るにも一定の点数が必要、レンタカーを借りるにも点数が必要、ホテルに泊まるにも必要なのです。

従って信用スコアが低かったり公安に利用を禁止されている人は、カードを要求されないような手段で移動したり宿泊先を探さねばならない。

信用スコアが低いと食事も拒否される

最近おもしろいニュースがあり、中国人観光客に東京都庁のレストランが人気だと書かれていました。

都庁のレストランは600円から1000円以内で美味しい料理が食べられるのだが、中国人は別なことに注目しました。

北京庁舎に相当する東京都庁に入るのに身分証が不要で、中で食事をするのにIDカードが不要だと言う点でした。


庁舎のレストランなので東京都知事や政府要人が食事をするかも知れず、トランクに爆弾などを詰めてテロを計画する人間がいるかもしれません。

それを「敵国の」中国人を荷物検査もせずに入場させ、誰でも自由に利用できることに驚くのです。

90年代までの中国は国内を移動するにも工作証と移動許可証の携帯が必要でした。


こうした制度は共産主義国に共通で、旧ソ連圏や今も北朝鮮などで行われています。

90年代に身分証番号を記載した身分証が配布され、2003年から非接触式のICカードが使用されるようになった。

最近はスマホを持ち歩く人が多くなり、スマホを身分証にする検討もされていて、顔認証などのIT技術も使用されている。

ネットで政府批判すると一生を棒に振る

中国の主要駅全てや公共施設や街中に防犯カメラが設置され、コンピュータで通行人の顔を照会している。

信用スコアが低い人や手配中の人が防犯カメラに映ると、公安や警察に情報が伝えられ、必要なら拘束される。

このシステムは現在急速に進歩していて、数年後には中国全土でどこにいても追跡できるようになる。


こんな国で生きる人はレストランで荷物検査や身分証チェックされないだけで驚くようになる。

中国ではインターネットに書き込むのに政府の許可と登録が必要で、もちんろん信用スコアが低い人はネット利用できない。

中国でブログを開設するには政府が指定した複数の検査官の審査を受ける必要があり、かなり厳しい。


過去3年ほどで政府に批判的な事を書いた中国のブログはすべて閉鎖され、運営者が行方不明になった例も多い。

中国ではブログやSNSを書くのも命がけで、つい勢いで政府批判を書いたがために、一生を棒に振る人も居る。

中国にはどこにいても政府の監視がついて回り、隠れる場所はどこにもありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80247613.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/482.html#c2

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
19. 中川隆[-9233] koaQ7Jey 2019年6月28日 17:49:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3274]

2019年06月28日
日本人が想像できない中国の信用スコアと身分証制度


オバマのパロディ身分証

こうしたもので全国民の行動が追跡管理されている


画像引用:http://image.news.livedoor.com/newsimage/f/1/f1b58_249_2010-09-26-145831.jpg

信用スコアは素晴らしいか?

最近日本では中国から始まった信用スコアを素晴らしいと褒めたたえるのが流行っています。

中国では個人の債務情報や犯罪歴、交通違反から学校の成績などあらゆる情報を国家が握っています。

この結果家賃を滞納すると信用スコアが下がり、鉄道の切符を買えないという事が起きています。




まったく無関係な事で信用スコアの点数が減点されていくので、ネットで政府への不満を書いても減点されます。

親の信用情報も影響を与えるので、チベットやウイグル人の子供は「中国人向けの」幼稚園に入れない。

ウイグル人に生まれたと言うだけで一生鉄道に乗れず、政府が決めた居住区以外への移動や集会も禁止されている。


こんな信用スコア制度の元になったのは身分証制度で、国民全員がICチップを内蔵したIDカードを義務付けられていました。

日本では報道されないが、あらゆる行為でIDカード提示が義務付けられ、常に個人情報が照会されています。

身分証くらいなんの問題もなさそうですが、例えば長距離バスのチケットを買う時、その人が「旅行する資格がある人か」自動的に照会されます。


信用スコアが一定の点数以下の人は公共交通機関を利用できないので、売って貰えないだけでなく公安に拘束されます。

鉄道に乗るにも一定の点数が必要、レンタカーを借りるにも点数が必要、ホテルに泊まるにも必要なのです。

従って信用スコアが低かったり公安に利用を禁止されている人は、カードを要求されないような手段で移動したり宿泊先を探さねばならない。

信用スコアが低いと食事も拒否される

最近おもしろいニュースがあり、中国人観光客に東京都庁のレストランが人気だと書かれていました。

都庁のレストランは600円から1000円以内で美味しい料理が食べられるのだが、中国人は別なことに注目しました。

北京庁舎に相当する東京都庁に入るのに身分証が不要で、中で食事をするのにIDカードが不要だと言う点でした。


庁舎のレストランなので東京都知事や政府要人が食事をするかも知れず、トランクに爆弾などを詰めてテロを計画する人間がいるかもしれません。

それを「敵国の」中国人を荷物検査もせずに入場させ、誰でも自由に利用できることに驚くのです。

90年代までの中国は国内を移動するにも工作証と移動許可証の携帯が必要でした。


こうした制度は共産主義国に共通で、旧ソ連圏や今も北朝鮮などで行われています。

90年代に身分証番号を記載した身分証が配布され、2003年から非接触式のICカードが使用されるようになった。

最近はスマホを持ち歩く人が多くなり、スマホを身分証にする検討もされていて、顔認証などのIT技術も使用されている。

ネットで政府批判すると一生を棒に振る

中国の主要駅全てや公共施設や街中に防犯カメラが設置され、コンピュータで通行人の顔を照会している。

信用スコアが低い人や手配中の人が防犯カメラに映ると、公安や警察に情報が伝えられ、必要なら拘束される。

このシステムは現在急速に進歩していて、数年後には中国全土でどこにいても追跡できるようになる。


こんな国で生きる人はレストランで荷物検査や身分証チェックされないだけで驚くようになる。

中国ではインターネットに書き込むのに政府の許可と登録が必要で、もちんろん信用スコアが低い人はネット利用できない。

中国でブログを開設するには政府が指定した複数の検査官の審査を受ける必要があり、かなり厳しい。


過去3年ほどで政府に批判的な事を書いた中国のブログはすべて閉鎖され、運営者が行方不明になった例も多い。

中国ではブログやSNSを書くのも命がけで、つい勢いで政府批判を書いたがために、一生を棒に振る人も居る。

中国にはどこにいても政府の監視がついて回り、隠れる場所はどこにもありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80247613.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c19

[昼休み54] 中国 _ 悪夢の監視社会 中川隆
33. 中川隆[-9232] koaQ7Jey 2019年6月28日 17:50:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3275]

2019年06月28日
日本人が想像できない中国の信用スコアと身分証制度


オバマのパロディ身分証

こうしたもので全国民の行動が追跡管理されている


画像引用:http://image.news.livedoor.com/newsimage/f/1/f1b58_249_2010-09-26-145831.jpg

信用スコアは素晴らしいか?

最近日本では中国から始まった信用スコアを素晴らしいと褒めたたえるのが流行っています。

中国では個人の債務情報や犯罪歴、交通違反から学校の成績などあらゆる情報を国家が握っています。

この結果家賃を滞納すると信用スコアが下がり、鉄道の切符を買えないという事が起きています。




まったく無関係な事で信用スコアの点数が減点されていくので、ネットで政府への不満を書いても減点されます。

親の信用情報も影響を与えるので、チベットやウイグル人の子供は「中国人向けの」幼稚園に入れない。

ウイグル人に生まれたと言うだけで一生鉄道に乗れず、政府が決めた居住区以外への移動や集会も禁止されている。


こんな信用スコア制度の元になったのは身分証制度で、国民全員がICチップを内蔵したIDカードを義務付けられていました。

日本では報道されないが、あらゆる行為でIDカード提示が義務付けられ、常に個人情報が照会されています。

身分証くらいなんの問題もなさそうですが、例えば長距離バスのチケットを買う時、その人が「旅行する資格がある人か」自動的に照会されます。


信用スコアが一定の点数以下の人は公共交通機関を利用できないので、売って貰えないだけでなく公安に拘束されます。

鉄道に乗るにも一定の点数が必要、レンタカーを借りるにも点数が必要、ホテルに泊まるにも必要なのです。

従って信用スコアが低かったり公安に利用を禁止されている人は、カードを要求されないような手段で移動したり宿泊先を探さねばならない。

信用スコアが低いと食事も拒否される

最近おもしろいニュースがあり、中国人観光客に東京都庁のレストランが人気だと書かれていました。

都庁のレストランは600円から1000円以内で美味しい料理が食べられるのだが、中国人は別なことに注目しました。

北京庁舎に相当する東京都庁に入るのに身分証が不要で、中で食事をするのにIDカードが不要だと言う点でした。


庁舎のレストランなので東京都知事や政府要人が食事をするかも知れず、トランクに爆弾などを詰めてテロを計画する人間がいるかもしれません。

それを「敵国の」中国人を荷物検査もせずに入場させ、誰でも自由に利用できることに驚くのです。

90年代までの中国は国内を移動するにも工作証と移動許可証の携帯が必要でした。


こうした制度は共産主義国に共通で、旧ソ連圏や今も北朝鮮などで行われています。

90年代に身分証番号を記載した身分証が配布され、2003年から非接触式のICカードが使用されるようになった。

最近はスマホを持ち歩く人が多くなり、スマホを身分証にする検討もされていて、顔認証などのIT技術も使用されている。

ネットで政府批判すると一生を棒に振る

中国の主要駅全てや公共施設や街中に防犯カメラが設置され、コンピュータで通行人の顔を照会している。

信用スコアが低い人や手配中の人が防犯カメラに映ると、公安や警察に情報が伝えられ、必要なら拘束される。

このシステムは現在急速に進歩していて、数年後には中国全土でどこにいても追跡できるようになる。


こんな国で生きる人はレストランで荷物検査や身分証チェックされないだけで驚くようになる。

中国ではインターネットに書き込むのに政府の許可と登録が必要で、もちんろん信用スコアが低い人はネット利用できない。

中国でブログを開設するには政府が指定した複数の検査官の審査を受ける必要があり、かなり厳しい。


過去3年ほどで政府に批判的な事を書いた中国のブログはすべて閉鎖され、運営者が行方不明になった例も多い。

中国ではブログやSNSを書くのも命がけで、つい勢いで政府批判を書いたがために、一生を棒に振る人も居る。

中国にはどこにいても政府の監視がついて回り、隠れる場所はどこにもありません。
http://www.thutmosev.com/archives/80247613.html



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c33

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか?

東海アマブログ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 2019年06月28日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-789.html


 

 安倍晋三が、祖父の岸信介の時代から、朝鮮と深い関係と強力な人脈を持っていたことは有名である。

 母方祖父、岸信介は、戦前、満州国総務次長、日本政府商工大臣の要職にあり、満州および、朝鮮経済の最高責任者であったことが知られていて、満州と朝鮮に、昭和通商という武器麻薬密売企業を作り、阿片モルヒネを販売して日本軍の活動資金に充てていたことも知られている。

 岸が敗戦後A級戦犯として三年間拘束されながら、大半の戦犯が死刑に処せられながら岸のグループ(岸・児玉誉士夫・笹川良一ら)だけ無罪放免になった理由は、上海の里見甫が率いる麻薬密売組織、児玉機関、昭和通商で稼いだ現在価値で1兆円以上ともいわれる巨大な麻薬販売資金を米軍に提供することと放免を引き換える取引だったといわれている。
 https://7fukuzin.at.webry.info/201507/article_166.html

 なお、岸は、戦後、この資金の一部を利用して現在の自民党の母体を結成した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B

 実は出身地が山口県田布施町であることから明らかなように、明治天皇=大室寅之祐や田布施に関係する李王朝官僚たちの日本移民グループの血脈とも噂されているが、正確な資料が得られていないので不明である。

 日本敗戦時における最後の「朝鮮総督府長官」だったのも、安倍の父方祖父、安倍信行であった。
 https://kaikai.ch/board/49554/

 http://www.kihoilbo.co.kr/?mod=news&act=articleView&idxno=767034

 安倍晋三は、父方・母方の祖父ともに朝鮮総督府を牛耳る立場であったことで、当時の朝鮮人脈を受け継いでいる。

 統一教会の文鮮明もまた、小泉純也とともに昭和通商の事務員として岸のグループにいたことが明らかにされている。

 安倍が韓国の統一教会による資金や運動員の支援を受けて衆議院議員に当選してきた事実は、すでに繰り返し述べてきた。これは教祖文鮮明と岸信介の長い友誼の歴史から来ているもので、一夕一朝のものではない。

 岸信介は、やがて渋谷区南平台の自宅敷地に、最初の統一教会日本支部を建設させている。このときの支部長は、立正佼成会から転身した久保木修身であった。

 https://blogs.yahoo.co.jp/honjyofag/66545194.html
 https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8C%E3%80%8E%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%80%8F%E3%81%AE%E7%A7%98%E9%83%A8%E3%81%A0/

 安倍晋三は、その政治家歴の最初から、統一教会によって日本に送り込まれた政治家といってよいほどだ。
 
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-341.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-694.html

(私のブログ、統一教会 その2をリンクしようとしたら、無断削除されていたことに今、初めて気づいた。FC2も無断削除をやるんだ!)
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-344.html

 勝手に削除されたブログを、まとめて自分のサイトに入れてリンクすることにする。画像は、時間がかかるので、後から移行する。
 http://tokaiama.minim.ne.jp/touitu/123touitu.htm

 いわば、韓国統一教会による傀儡政権といってもいいほどの安倍晋三政権は、今年の4月から年間、公称35万人規模、(実際にはその数倍以上の)移民政策を行っている。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-536.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-569.html

 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12410850852.html

 統一教会の圧力による移民と考えれば、ちょうど統一教会の合同結婚式が、日本の若い女性を嫁の来てがない韓国の農村に、統一教会の指令により無理矢理嫁がせているのと同じで、現在、絶望的な韓国経済のなかで、戦後最悪といわれる韓国の若者たちの就職難を解決するため、韓国の若者たちを日本に送り込むために行われている移民政策であって、安倍が統一教会の指示によって行ったのは間違いないだろう。

 https://ameblo.jp/chanu1/entry-12198634824.html

 https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20190515008/

 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/476103/

 これを書きながら、私のブログ過去ログが、検索しても出てこないのは、グーグルによる排除だと思っていたが、FC2のサーバから消されている事実が分かってショックを受けている。
 これまでFC2はサーバに蓄積したブログを警告なしで消すことはしなかったが、今回、調べて見ても、警告はなかった。

 この分では、ヤフーブログと同じで、知らないうちに、どれだけのブログが消されているか分からない。

 FC2管理にも、どうやら日本会議=自民党系の工作員が入り込んでいる疑いが強い。これでは、ヤフーも、はてなも、ほとんどのブログが、私の政治的内容のブログを勝手に削除していることになる。

 このようにして、安倍政権に対する世論が、工作員の力で捏造され、生み出されているのである。

 もう一度安倍政権による移民政策に戻ろう。
 ちょっと古いが、昨年6月の現代論評を引用しよう。

 日本政府が「本格的な移民政策」に踏み出したと言える理由(2018年6月12日)
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55905

  日本がいつのまにか「世界第4位の移民大国」になっていた件(2018年6月29日)
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56296

 外国人受け入れ政策と日本の未来(2019年1月23日)
 https://www.nippon.com/ja/in-depth/a06004/

 日本が真実知られずなし崩し的に「移民国家」に変わる現状(2018年11月12月)  https://ironna.jp/article/11156

 上のリンクに書かれているとおり、すでに日本は海外労働者を数百万人規模で受け入れていて、その多くが永住者になっていて、欧米と同じ移民問題を抱えているのである。

 これに、安倍晋三による特別な配慮として、韓国移民が年間数十万人の規模で加わってくることは確実で、これは1910年の朝鮮併合以来の規模と考えられる。

 朝鮮併合は1900年頃には実務的に完成していて、李朝は完全崩壊し、その官僚であるヤンパン階級が、続々と日本列島に移住を開始していた時代である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88

 このときに、小泉純一郎の祖先や、岸信介の両親世代が、日本にやってきた疑いがあるのだが、記録は失われている。

 全国で、数十万人の朝鮮人が、日本人の戸籍を買って、秀吉時代に日本人に同化した陶工の故郷である、加世田や田布施に移住した疑いがあり、これを「背乗り」と呼んでいる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A

 https://matome.naver.jp/odai/2140126185854555301

 こんな面倒くさい戸籍買い=「背乗り」をしなくとも、安倍政権は、正々堂々と韓国人を日本に受け入れる政策を始めたのである。

 しかも、その規模は、これまでとは桁違いで、政府は年間35万人規模と言っているが、そんな程度で済むはずはなく。韓国の経済破綻により行き場を失った若者たちの大半が日本列島に押し寄せてくるのは確実であろう。

 何度も言うが、安倍晋三は、一貫して韓国ロビーであり、統一教会の事実上の工作員と言ってもいいほどだ。

 だから、それを指摘した、私のブログを削除させてしまったのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-789.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
32. 中川隆[-9231] koaQ7Jey 2019年6月28日 19:28:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3277]

[藤井聡]消費増税はリーマンショック70回分の衝撃やで - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tUktm8DyTA0


[藤井聡]瓶の蓋外すて、とうとう本性現しよったなぁ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UaPJNUsl3fo

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c32

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
211. 中川隆[-9230] koaQ7Jey 2019年6月28日 19:47:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3278]
MSプレミアム=債券代替へ資金シフト―高利回り株の逆襲も 19/06/28

 世界的な金利低下を背景に、投資妙味の下がった債券を代替する金融商品への関心が高まっている。株式市場では本来、高配当利回り株やディフェンシブセクターが選好される。しかし、これまでのところセオリーとは異なる動きが目立つ。

FRB(米連邦準備制度理事会)の利下げ観測の強まりとともに、米10年債利回りが足元で2%割れの水準に低下(債券価格は上昇)。欧州はドイツなどの長期金利が過去最低を付け、日本でも債券先物の中心限月が史上最高値を更新した。

債券市場に過熱感が漂う中、低金利によって相対的に魅力が高まる金は、ニューヨーク市場の先物価格が直近6年ぶりの高値まで上昇した。利回りの限られる債券から離れた資金の受け皿をめぐり、株式市場でもいわゆる「ボンドプロキシー(債券代替)銘柄」への注目度が増す局面だ。

しかし、日本株市場をみると、必ずしもそうした状況になっていない。債券代替の代表格はディフェンシブ株だが、東証業種別指数の「電力・ガス」は年初来でおよそ15%下落しTOPIX(東証株価指数)の3%高を大きくアンダーパフォームした。一時好調だった医薬品も足元では弱含んでいる。

個別株をみても、食品セクターのJT2914.Tは軟調な動きが続く。株価は27日も前日に続いて年初来安値を更新。足元の配当利回りは6%を超える。利回りへの根強い人気に支えられるJリート(上場不動産投信)の指数が上昇基調を維持する一方で、物色格差は広がっている。

電力株には廃炉のリスク、JTにはESG投資の逆風といった個別要因もパフォーマンスに影響を与えている。ただ、市場関係者からはグローバルマネーの日本株離れを指摘する声も聞かれる。

もっとも、29日に予定されている米中首脳会談を通過すれば、利下げ実施が予想される7月のFOMC(米連邦公開市場委員会)が意識される。ディフェンシブ株や高配当利回り株の見直しにつながる可能性もあるだろう。記念配込みで配当利回りが6.4%と高い新明和工業7224.Tなどに注目したい。

時価総額1000億円以上の主な高配当利回り株 銘柄(コード)      利回り

新明和7224.T    6.4%
JT2914.T     6.4%
あおぞら8304.T   6.1%
JFE5411.T    6.1%
ソフトバンク9434.T 6.0%
SUBARU7270.T 5.7%
住友商8053.T    5.6%
長谷工1808.T    5.6%
オリックス8591.T  5.5%
三菱ケミHD4188.T 5.4%
阪和興8078.T    5.3%
日鉄物産9810.T   5.3%
日産自7201.T    5.3%
みらかHD4544.T  5.2%
キヤノン7751.T   5.1%
兼松8020.T     5.0%
出光興産5019.T   5.0%
菱ガス化4182.T   5.0%
三菱UFJ8306.T  5.0%
双日2768.T     5.0%

[ 株式新聞ニュース/KABDAS−EXPRESS ]

提供:モーニングスター社 (2019-06-28 16:08)



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c211

[近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
15. 中川隆[-9232] koaQ7Jey 2019年6月28日 20:38:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3277]

南京虐殺を否定する"歴史修正主義新聞"産経が「旧日本軍が婦女子も虐殺」「犠牲者は40万人」と報道していた
リテラ 2016/11/10
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/5314053

 徹底した裏付け取材により、大きな評価を得たドキュメンタリー『南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ)に対し、「『虐殺』写真に裏付けなし 日テレ系番組『南京事件』検証」なる批判記事で襲いかかった産経新聞。

本サイトでは先日、その産経記事の内容が、事実誤認に嘘、いいがかり、詭弁、デマゴギーだらけであることを詳しく解説したが、産経はそれまでも歴史修正主義を「歴史戦」と言い換えて、"南京事件は中国のプロパガンダだ"とがなりたててきた。

たとえば、14年2月16日付「『大虐殺なかった』は正論だ」(論説委員の持ち回りコラム「日曜に書く」)では、作家・百田尚樹の「南京大虐殺はなかった」という発言が朝日新聞などで批判された件について〈ほとんど間違っていない〉と全面擁護し、NHKが01年に慰安婦問題などを題材に放送した『ETV特集 問われる戦時性暴力』を「偏向番組」と批判。こう主張している。

〈「南京大虐殺」は、旧日本軍が当時の中国の首都、南京を占領した1937(昭和12)年12月から38年初めにかけ、多くの中国軍捕虜や市民を虐殺した−と宣伝された事件だ。その人数について、中国当局は「30万人」と主張し、戦後の東京裁判では「20万人」とされた。いずれも荒唐無稽な数字である。〉

また、16年5月にも連載シリーズ「歴史戦」のなかで、元朝日新聞記者・本多勝一氏への大々的批判を展開。1973年、朝日新聞紙上で本田氏が連載した「中国の旅」によって〈ゆがんだ歴史観〉が形成されたとして、「南京事件」そのものを打ち消しにかかっている。

今回の日テレの番組への"言いがかり"もそうだが、こういう他社報道や中国側の主張など、一部をあげつらって日本の戦争犯罪全体を否定するやり口は歴史修正主義の典型的なスタイルだ。とりわけ"中国側が主張する「虐殺30万人説」はウソだから南京大虐殺はなかった"という論理展開は、産経新聞のもっとも得意とするところと言っていい。

ところが、である。実は、他ならぬ産経新聞自身、南京攻略後の日本兵の行動を、かつてこのように報じていたのだ。

〈日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長行(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせて皆殺しにした。
 虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。〉
〈こうした戦闘員・非戦闘員、老若男女を問わない大量虐殺は二カ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。〉

当時の「サンケイ新聞」1976年6月23日付に掲載された、連載記事「蔣介石秘録」第497回のなかにある記述だ。小見出しには「南京大虐殺の悲劇」と記されており、また、日本兵による中国兵・民間人虐殺の"手段"も具体的に書かかれている。

〈虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中にうめ、軍用犬に襲い掛かからせる"犬食の刑"、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる"鯉釣り"、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火のなかに放り込む"ブタの丸焼き" ──など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。〉

こうした産経の記述を素直に読めば、日本兵は中国兵だけでなく一般人も対象として極めて無残な虐殺を行い、その犠牲者は30万人どころの話ではなく「三十万人から四十万人」であると受け取れる。つまり産経は、自身が「荒唐無稽」と批判する南京事件の「虐殺30万人説」、いやそれよりも10万人も多い「40万人説」までをも、自社報道で大々的に展開していたのだ。これは、どういうことなのか。

「蔣介石秘録」は、産経新聞が74年から76年まで計666回にわたって長期連載したもので、のちに同名で書籍化、サンケイ新聞社(当時)から刊行されている。執筆したのは産経新聞論説副委員長もつとめた古屋奎二氏で、「社長を説得して台北に連載の準備室をつくり、『蒋介石が生きているうちに証言をとろう。歴史の証言を書くんだ』と、しゃかりきに資料や情報を集めていた。とにかく妥協しない人で、大漢和辞典を手元に置いて原文を読み込んでいた。大変な勉強家だった」(産経新聞2000年9月15日付)という。

しかし、繰り返すが、現在、産経は「30万人説は中国のプロパガンダだ」「30万人説はウソだから南紀大虐殺はなかった」と、「蒋介石秘録」とはまったく逆の主張をしているのだ。これをどう説明するのか。

実は、産経は2014年12月24日付記事のなかで、〈「『30万人虐殺』は中国側の一方的な宣伝であり現実にはあり得ない」との立場だ〉と明言しつつ、〈産経新聞も過去に犠牲者数を「30万〜40万人」と紹介したこと〉については〈これは中国国民党が保有する記録などに基づいて執筆された〉とサラっと流しただけで、その自社報道をしっかり「検証」したことは、これまで一度たりともないのだ。

「南京事件」の被害者数については1万人から30万人まで諸説あるが、本サイトはその人数の多寡を問題にすることは歴史の矮小化だと考えている。しかし、他のメディアに対して「30万人説は中国のプロパガンダだ」と血祭りにあげながら、自社の報道についてほおかむり、というのはあまりにご都合主義が過ぎるのではないか。

しかし、これこそが産経新聞のお家芸とも言える。産経はいわゆる朝日新聞慰安婦報道問題でも、まったく同じことをしでかしていた。

産経新聞は、元朝日新聞記者の植村隆氏が1991年に書いた記事に対し、"「女子挺身隊」と「慰安婦」は別物なのにわざと混同して書いた"とする。そして、植村の記事がスクープとして報じられたため、慰安婦問題が日韓の懸案として燃え上がり、誤った認識を世界に発信したとしている。

しかし、本サイトでも以前報じた通り、当時の新聞各紙では、産経を含む朝日以外も「女子挺身隊」と「慰安婦」は同じものだという前提で記事を書いていた。たとえば、産経新聞91年9月3日付には〈「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として狩りだされた〉と、ほとんど植村氏の記事と同じ表現が使われていた。また当時産経は、植村氏が聞き取りを行った金学順さんは「日本軍によって強制連行された」と明確に報じていた。

〈太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お前たちは朝鮮人か。スパイだろう」。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた〉(1993年8月31日付産経新聞大阪本社版)

なお、植村氏の記事では、金学順さんは「騙されて慰安婦にされた」とされていて、「強制連行」や「軍」という言葉はひとつも出てこない。ようするに、「日本軍によって強制連行された」というフレーズは、朝日ではなく産経が広めたものだったのである。

ところが、産経はこうした自社の記事をチェックすることなく、朝日新聞、とりわけ植村氏を"慰安婦捏造の戦犯"として血祭りにあげた。

事実、昨年、植村氏に対し、産経新聞政治部編集委員・阿比留瑠比記者および原川貴郎記者がインタビューをした際には、植村氏からかつての産経記事を突きつけられ、「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」(阿比留記者)、「私、初めて見ましたので」(原川記者)などと答えていた。つまり、自分たちが批判する問題の自社報道すら、きちんと確認していなかったことを露呈してしまったのだ。

ようするに、産経新聞には自社報道を振り返り、「誤報」を反省したり、徹底的に検証したりする態度がまったくないようなのである。ちなみに今回、日テレの『南京事件 兵士たちの証言』に対する言いがかり記事を執筆したのも、植村氏に論破された原川記者であった。

いずれにせよ、明らかなのは、産経新聞が「歴史戦」と称して展開する歴史問題の報道や「検証記事」は、事実をないがしろにした結論ありきの宣伝、それこそ"プロパガンダ"でしかないということだ。歴史修正主義者たちが、人数の問題や言葉遣いといった小さな問題にこだわるのは、結局、歴史的事実そのものを否定できないため、そうやって枝葉末節を大きく見せて、歴史的事実がないかのような宣伝をするためにすぎない。

戦中に軍人として南京へ出向いたこともある三笠宮崇仁親王は、かつてこう述べていた。

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

産経は、この崇仁親王の言葉をどう受け止めるのか。安倍政権の歴史修正主義と二人三脚で"独自の報道スタンス"をとっている産経新聞だが、そろそろ、自分たちの足元を見つめなおした方がいい。すくなくとも、人々のマスコミへの信頼を一番失わせているのは、朝日でも毎日でもNHKでもなく、こうしたプロパガンダ記事ばかり打ってジャーナリズムをかなぐりすてている産経新聞のほうだろう。
(編集部)
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/5314053
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html#c15

[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
41. 中川隆[-9231] koaQ7Jey 2019年6月29日 05:31:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3278]

【閲覧注意】リストカットとファッション性【病みかわいい】 - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2146822796414549701


リストカット。今までこれほどひどいリストカットは見たことがない2019.06.29

身体を切り刻んで血を流す。それは、とてもショッキングなことだ。自ら皮膚を切り裂くその行為は、身体の傷であると同時に、心の傷でもある。

ところで、最近のリストカットはかつてとは様相が違っている。どういうことなのかというと、リストカットも「見せる時代」になってきているのである。

リストカットをする者同士、あるいはリストカットをする女性を愛するフリークたちが存在していて、リストカットの傷をSNSで共有する。それが今の時代のリストカットの特徴だ。

そうすると、そこで奇妙な競争原理も起きる。互いに相手のリストカットを見せるうちに、普通のリストカットでは飽き足らなくなっていく。「普通」は目立たないし、誰も話題にしてくれない。

どうするのか。言うまでもない。誰よりも深く、誰よりも衝撃的に切る。そうすることによって、話題になり、承認欲求が満たされ、満足を得られるようになる。そして、リストカットは常軌を逸するレベルへと突き進んでいく。

「今までこれほどひどいリストカットは見たことがない」と言われるほどに……。
https://blackasia.net/?p=13429
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c41

[近代史3] 日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア

2019年6月29日
日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16647


安倍首相がプーチン大統領との“個人的信頼関係”を打ち出しながら鋭意進めてきた北方領土返還交渉は、楽観と悲観の間を揺れ動きながら時を重ねてきた。だが、6月末の大阪におけるG20を前にしてプーチン大統領は唐突に「ニエット」(ロシア語で「いいえ」の意)である。“期待の風船”は一気にしぼんでしまったようだ。

 これまで日本はロシア(ソ連)から何回煮え湯を飲まされてきたことか。その原因は、いったい、どの辺りにあるのか。戸水寛人(文久元=1861年〜昭和10=1935年)の旅を追いながら考えてみようと思う。

 戸水は日露戦争直前の1902(明治35)年9月に東京を出発し、敦賀からウラジオストック、グロデコフ、ハルピン、旅順、ダルニー(大連)、旅順、芝罘、牛荘、錦州、山海関、秦皇島、山海関、天津、北京、張家口、ハノルパ、トウタイ、チャーカントラハイ、張家口、北京、天津、芝罘、仁川、京城、仁川、釜山、長崎、門司、神戸を経て11月に新橋に帰着している。まさに駆け足で「滿州蒙古北清朝鮮を漫遊し」ている。

 旅立ちに当たり「若し日本の政治家が私の議論を用ひずして兵力を用いることを止めて唯言論を以て露西亜と争ふ積りならば或は失敗に終るでせう」と宣言するほどだから、旅程を追うごとに戸水の主張はヒートアップするばかり。だが、日露戦争前夜の旅であることを予め承知しておいてもらいたい。

日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア

「強盗が沢山居る」というウラジオストックに上陸した戸水は、「露西亜上流社会にも余り感服出来ぬ」ようであった。「彼等が賄賂を好むことは支那人と余り違ひませぬ」とした後、「上流社会すら賄賂を好みますから下流は尚更さうで」とあり、税関の役人でも警察官でも賄賂を与えれば、チョットした不法なら大抵は見逃してくれると記す。

 じつは「日本人中には恐露病者も沢山有る様だが露西亞内部の腐敗は甚しいものです」。そんなロシアを恐れることはない、と訴える。

 戸水は自らの調査に基づき、ロシアの政治家の狙いは旅順・ダルニー(大連)の隆盛と満洲の領有にありと見定めた。だが、日本としてはこれを黙視しているわけにはいかない。

 ウラジオストックでは日本からの輸入品に対する扱いが他国に較べて不当に過ぎる。また同地経由で「満州に入らんとするの日本人に対しては時として甚しき侮辱を加へ或は乗車に防害を加へ甚しきに至りては之を監禁して平然たり」。ロシア政府は日本との間で結ばれた条約を「無法の解釈」によって運用し、日本に対し不当の扱いを繰り返す。ロシア政府自らも「無法の解釈」であることを十分に判っているにもかかわらず、である。それというのも「能く日本人民の闘志無きを看破する故」であり、それを甘受する「日本人民の意気地無きと露国の無法無遠慮は是蓋し天下の好一対なり」と憤る。

「能く日本人民の闘志無きを看破する」ゆえにゴリ押しするロシアに対し、結果としてそれを受け入れてしまう日本――「是蓋し天下の好一対なり」とは、戸水の時代から1世紀以上が過ぎた現在の両国の関係にも当てはまるようだ。なぜ、そうなのか。なぜ、1世紀が過ぎても変わらないのか。いや、変われないのか。

 ウラジオストックの人口は1901(明治34)年1月1日段階の調査では37,597人。翌年に上陸した「支那人の数ですら四万人以上」。居留民事務所に届け出ている日本人は3000人ほど。これ以外に「何処から来た人か分からぬものも隨分」と居るようだ。驚くことに日本人女性で「支那人の妾となりて居るもの」は、不確かな数だが「三百人位は居るだらうと思ひます」。彼女らの間では「互い連絡が付て居るよう」であり、特に組織化されているわけでもなさそうではあるが、先に立つ者がいて互いに連絡を取りながらイザという時には助け合っているようだ。

 ウラジオストックには「支那の出稼人が頗る多」く、「大抵は山東から来たのです」。加えるに「満州の支那人も山東から来たものが余程多い」。じつは当時の満洲各地には山東省からの出稼ぎが少なくなかったのだ。

日本の政治家の「馬鹿さ」は計り知れない

 先に戸水は日本の「恐露病者」について言及していたが、じつはロシア側にも恐日病者が見られるようになってきたと記す。

「近頃までは格別日本人を恐れて居無かりた様ですが日清戦争に於て日本人は甚しき武勇を著はし」ただけではなく、「北清騒動」、つまり義和団事件(1901~02年)に際して自国の利益と居留民を守るため、日本・ロシア・イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリアの8カ国が天津から北京一帯に共同出兵し、義和団を制圧しているが、なかでも柴五郎率いる日本部隊は「(8カ国の)聨合軍中無類の武勇を顯はし」た。加えて日本人が持つ地図が極めて正確だと評判であり、満州で日本人に正確な地図作りでもされたら大変だと考える。それというのも「他日、日露戦争の起る時日本人は又此精確の地図を用ひるだらうから今から防禦の策を講す」る必要がある。だから「日本人を満州に入れないのが上策だと」して、「露西亜人は上下挙て日本人の満州に入ることを妨害する」。「特に軍事探偵を恐れ」、「屢ば日本人を捕へる」。

「若しも日本の陸軍が弱小であるならば露西亜人は日本人を恐れない」。だから「日本の方より言はば陸軍を弱小にすることは得策では無い」ということになる。

 じつは「日本の或政治家が露西亜の蔵相に逢つた時」、ロシアの蔵相は頻りに「『満州で日本人を歓迎するから沢山来る様にして下さい』と言つたさうで其で日本の政治家は大いに悦んで「『だから戦争などせなくても善い』と人に吹聽したさうです」。そこで戸水は、「(ロシアの)蔵相のずるさ加減と日本の政治家の馬鹿さ加減はちよつと測量が出来ませぬ」と嘆き呆れる。

「(ロシア)蔵相のずるさ加減」対「日本の政治家の馬鹿さ加減」という図式は、いったい、いつまで続くのだろうか。

「戦争をして善いか悪いかは別問題として日本人が平和的に満州に入り平和的に満州に居住し平和的に商工業又は農業に従事して金を儲けることが出来ると思ふのは頗る迂闊です」と説く戸水に従うなら、「特別な仕組み」を考えたところで、我が固有領土である北方4島の一部で日本国民が平和的な経済活動に従事すること「が出来ると思ふのは頗る迂闊」ということになるわけだ。

 いよいよ戸水の旅は「(人口)八万の内五万が支那人で三万が露西亜人」という人口構成のハルピンへ。そのハルピンで行政の衝に当るロシア人高官は「何ても喰へない古狸」だった。

 当時のハルピン在住日本人は506人(男:269人、女:237人)。職業は商業、写真、ラムネ製造、大工、石工、洗濯、貸席、視察員、語学実習、裁縫業、時計商、理髪業、行商に加え「露清人の雇人」など。「貸席の女が百七十五人」だけがロシア人に歓迎されているが、他は「実に邪魔に思はれています」。

「『ハルピン』に留まる日本人の半数位は探偵と見て宜いなどと勝手な事を言つて居」るロシアの要人もいる。そこで日本人に対し「どしどし圧制を加へ居る」。「唯日本人が支那人と喧嘩をすると云ふと巡査などは日本人の贔負をすると云ふ」。だが、別に日本人の肩を持っているわけではない。「日本人の贔負をす」れば、「些少はカネになると云ふこと」だからだ。

 戸水はハルピンにおける土地所有問題を一例にして、ロシアでは如何に日本人が不当な扱いを受けているかを縷々説いた後、どうやらロシアと清国の間では秘密条約が結ばれているゆえに清国人は優遇されていると推測する。

「事情既に此に至りたものとすれば日本の役人が(ロシア官憲に)向て何と理窟を言つても其理窟は糠に釘です」。だから「日本人の主張を通ほす積ならば日本の中央政府が戦争するの覚悟でうんと露西亜の中央政府に交渉せねばならぬ」。だが交渉によって「日本人の主張を通ほす」ことは困難だから、これまで戸水が説いてきたように「満州を取る考へで戦争する方が善いでせう」と、なんとも勇ましい。

 当時も当然のように我が国には反戦・非戦論者はいたわけで、であればこそ戸水は「私が戦争論を主張しますと直く新聞などであの陳腐な戦争論などと言つて冷かされます」が、ならば「あの連中の平和論は新奇ですか」と反論してみせた。


支那のために尽くしても「徒労」に終わるワケ

 現地を歩いた戸水は、土地の取得・賃貸、商売など当時の東シベリアでロシア人、清国人に較べて日本人は不当に差別されていると痛感した。

 要するに「日本人は営業の自由を失なつています」。「『ダルニー』に於ても露西亜人は决して日本人を他の外国人と同等の地位に置いて無い」。ロシア官憲のなかには「日本人の贔負をしたいなどと旨い事を言つて居ますがそんな言は当になりませぬ」。だから「日本の中央政府の手腕を煩はさねば」ならない。事が起った後で「外交談判など遣りて居ては遅蒔です」。「幾度言つても同じ事」ではあるが、「日本の中央政府は今日でもうんと強く腰をすゑて雄腕を奮ふて善からう」と力説する。とはいえ、猪突猛進したところで悲惨な結果が待っているだけ。「うんと強く腰をすゑて雄腕を奮」う体制を支えるのは、やはり透徹した大局観だろう。やはり一時の勇ましさは、禍根を末代まで残しかねない。

 ある時、戸水は「露西亜騎兵の訓練を見」る。そこに参加していた「支那の巡査の背を見ると云ふと奉天懐徳県馬隊と書いて有る」。この事実から、「露西亜人は満州の騎兵を頤で使つて鉄道の番をさせ支那人の取締をさせているのです」と結論づけた。当時の満州はロシア人の天下と化していたわけだ。

 戸水は、その満州を「平地と天と連なりて茫々漠々たる原野か沢山有」ると形容し、「満州を占領するものは宝の庫を掌握するものであります」と力説する。「私が始めて満州を占領す可しの議論を吐いた時に日本の政治家中冷笑して私の議論を駁擊したものがありて『あんな荒漠なる土地を取りても益に立たない』と言つて駁擊しました」。だが、こういう議論こそ「『のんせんす』でありました」。「満州の大半特に東部は至て豊饒です政治家にして之を知ら無なかりたのは迂闊です」と切り捨てた。当時はともあれ、現在でもなお多くの、いや大部分の国会議員センセイ(敢えて政治家とはいうまい)が「迂闊」なままに振る舞っていることか。

 戸水の旅は次いで満州王朝の古都である奉天(現在の瀋陽)へ。

「奉天には支那の将軍もあり副将軍もありて支那兵が数万ある様に聞いて居ましたが」、実際に目にしてみると、「支那人は沢山ありても其武器は概して益に立た」ない。「満州西部に於ける露西亜兵の重なる根据地は奉天に在るものと見え」、それゆえに奉天においてはロシア人が許可する以外の武器の携行は不可である。だから「支那兵の武器は馬賊の武器に劣ると云ふことです」。ここからも戸水は「満州は矢張り露西亜の権力の下に在ります」と念を押す。

 やはり「宝の庫」であるゆえに、満州は将来の日本にとってこそ「宝の庫」。ならば、このままロシアの振る舞いを拱手傍観しているわけにはいかない。だが「之を治むるには小心翼々ではいけない」。「是迄の日本流」を脱し、「矢張り大胆で豪放で露西亜流で遣らなけれはなりませぬ」。とは言え肝心の「大胆で豪放で露西亜流」が、日本人は不得手なのだ。

「今後日本に於て何事を為すにしても世界の大勢」に合わせなければならないし、「特に東洋の事情に通するのが必要だと思います」と、国際情勢を無視しての軽挙妄動は厳に慎むべしと釘を刺すことを忘れてはいない。やはりカラ元気の無手勝流は日本国内でしか通用しない、ということだろう。

 戸水の旅は、やがて北京へ。

 第一声は、「支那に居りて感じたのは政治改革の困難です」との断言だった。

 北京では先ず「北京大学堂の服部博士、巌谷博士(中略)に逢」った後、日本人教師による教育は「前途に余り多くの望みを属して居ませぬ」と考えた。それというのも日本語を解さない「支那の学生に向て日本語で講義」するから、通訳を介さなければならい。当然のことだが「そんな事では支那の学生をして深遠なる学理を解せしむることは六ヶ敷でせう」。

 服部らは当時の最高学府の北京大学堂に乗り込んで日本式教育を施し教育改革を試みているものの、それはむずかしい。これまた当然というべきだ。

 また戸水は「真に支那の政治を改革したいと思つて居る人は沢山は居無い」と見做すから、「支那に居りて感じたのは政治改革の困難です」と結論づける。

 戸水によれば、清朝中枢は「大抵は日本人が強いか露西亜人が強いか分らぬ」。だから「断乎として日本人を採用して支那内治の改革を企図する如きことは為」すわけがない。「支那人に対して親切を尽」したところで、「支那人は日本人を近けて内政の改革を為し得無い」。ならば「支那人に対して親切を尽」しても徒労以外の何物でもないことになる。

 やはり「支那人が実際日本人の価値が分ら無ければ是亦致方の無い話です」。だから「今日の処では躍起となりて口舌を以て日本風の文明を支那に輸入せうとしても功を奏しませぬ」。たとえば先に示した北京学堂にしても「今日の處では告朔の餼羊たるに過ぎ無いと思います」。いわば服部らの努力は「告朔の餼羊」、つまり形だけ、徒労、ムダということだ。

日本の政治家の「小ささ」を嘆く

 ここから戸水は一気に積極論に転じた。

「若し真に日本風の文明を以て支那を靡かし日本の勢力を支那に樹立せうと欲するならば」、とどのつまり戦争しかない。だが「支那に対して戦争を為すに非ず」。やはり「露西亜に対して戦争を為すのです」。

「露西亜に対して戦争をすれば無論日本が勝つ」。「日本が勝てば支那も朝鮮も必ず日本に寄せて日本の為すところを学ばうとします」。「其時に於て日本風の文明を以て此両国を靡かすのは」難しいことではない。かくして戦争に勝利すれば「日本の勢力を此両国に樹立するのは」、やはり難しくはない。「今日必要なのは唯一の戦争です」。だから「此の事を解し得無い人は共に支那現今の事情を語るに足らない」ということになる。

 北京を後に戸水は張家口に向う。

 中国における旅の困難さについては既に多くの先人が記しているので省くが、通貨の不便さについて戸水は、「支那は不便の国で到る処通用する銭の違ふのには閉口です」。「何故支那の政府は紙幣を発行」しないのかと言えば、紙幣発行のための「正貨準備に困難を感ずる」からだ。「正貨は沢山あるけれとも之を保管するのが六ヶ敷」。なぜかというと役人に保管させたら、「何時の間には其正貨が役人の懐に入り政府の正貨が減するの恐が有る」からだ。紙幣発行の条件はあるものの、その紙幣の価値を保障する本位貨幣(銀本位制の中国の場合は銀貨)を役人が私腹してしまうのである。これでは紙幣発行は不可能だ。

 ここで頭に浮かぶのは、林語堂が『中国=文化と思想』(講談社学術文庫 1999年)に示した「収賄汚職は人民にとっては罪悪であるが、家族にとっては美徳である」との見解である。人民にとっては「罪悪」であっても、家族にとっては「美徳」。いわば家族が人民よりも国家よりも優先するのである。そのうえ役人の世界は「官官相護(役人同士の庇い合い)」という、もう一つの「美徳」で鞏固に守られている。かくて「支那は困りた国です何処までも亡国の兆を帯びて居ます」と結論づける。 

「張家口は蒙古と支那の貿易の中心であり且つ茶を露西亞に送る関門です」。そして張家口郊外は、どうやらロシアの影響下に置かれていた。だから、そこでは「露西亞の言葉が通ずる」。「張家口に於て露西亞人が専管居留地を設けたい」と言っているが、この点からも「露西亞人の意思は察せられる」。

「張家口に至る迄鉄道を敷いて張家口に於て専管居留地を設けて露西亞の勢力を其辺りに扶植してそうして北京を圧伏する積りである」から、このままロシアの行動を拱手傍観することがあったなら、「北京は露西亞人の圧伏を蒙るに至るのである」。だから「吾日本国民は如何なる事を為してそれに応じて良からうか大いに考究を要す」と問題提起をし、最後に持論の披瀝に及ぶこととなった。

「成る可く速に露西亜と戦争をなし露西亜の勢力を挫いて仕舞つたならば北京は露西亞人の圧伏を蒙ることはなからうと思ふ」。それというのも、「出来得るならば日本の勢力を少なくとも張家口迄速に伸ばしたいのである」からだ。とは言うもののロシア勢力を駆逐し、北京から張家口を結ぶ一帯を日本の影響下に置くなどという事が簡単にできるわけがない。

 だが戸水は断固として突き進む。

「露西亜は既に満州を席巻した上にまた是の如き雄図を企てて居る」。ここでいう「是の如き雄図」とは「『ゴビ』の沙漠を横断して張家口まで鉄道を敷設せうとして居る」ことを指すが、「露西亜と東洋の覇権を争ふところの日本は默して之を見て居るのは得策で無い」。だから「寧ろ露西亜と一戦して日本人の方が優者であることを支那人に示し然る後日本の勢力を支那に展はすことか必要である」。だから「何卒日本の志士は海外の事情に注目して国威を宣揚するの術を講じて欲しい」。だが、「翻て日本の事情を観るに日本の政治家は小忿争に従事して居る」のみで、情けなくも口惜しいことに、何らの有効策を打ち出せない。

 戸水は「日本の政治家のする仕事の規模の小なるを実に憫んで居る」と嘆いた後、「ちつとはさう云ふ政治家は大陸に行て大規模の仕事を見て来るが良からうと思ふ」。「壮大なる心を懐いて世界に雄飛するの計画を立てて欲しいものです」と呼び掛け、旅を終えた。

 戸水寛人は「バイカル博士」とも呼ばれ、東京帝国大学法科大学教授当時の明治37(1904)年の日露戦争開戦に当り、富井政章らと共に時の桂太郎首相・小村壽太郎外相に向けて「七博士意見書」を発表し、ロシア帝国に武力進攻してバイカル湖以東の東シベリアの占領を強く主張している。引用は戸水寛人『東亞旅行談』(有斐閣書房・東京堂 明治36年)に従った。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16647
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/497.html

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
33. 中川隆[-9230] koaQ7Jey 2019年6月29日 07:23:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3280]
20190520 UPLAN 藤井聡
「消費税減税・格差是正の税制改革と、 くらし安心社会への財政投資で日本経済を再生せよ!」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZEpAE_dVnrs


2019/05/20 に公開

【「99%フォーラム」第4回学習会】

講師:藤井聡(京都大学大学院 工学研究科 教授、元内閣官房参与)

演題:
「消費税減税・格差是正の税制改革と、くらし安心社会への財政投資で日本経済を再生せよ!」

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c33

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
12. 中川隆[-9229] koaQ7Jey 2019年6月29日 07:34:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3281]

阿修羅掲示板でデマを撒き散らしている頭がおかしい投稿者のリスト

・ポスト米英時代=小沢内閣待望論
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO
・板垣 英憲
・櫻井ジャーナル 櫻井春彦
・taked4700
・てんさい(い)= 東海アマ
・小野寺光一
・仁王像
・HIMAZIN
・西岡昌紀
・木村愛二
・こーるてん


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c12

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
217. 中川隆[-9228] koaQ7Jey 2019年6月29日 09:30:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3282]

アホ右翼が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)

amazon.co.jp 長浜浩明 本著書
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E


長浜 浩明 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%95%B7%E6%B5%9C+%E6%B5%A9%E6%98%8E


R1.05.19 長浜浩明講演会 『邪馬台国はここにある』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QsSdvFLFqJI

【我那覇真子「おおきなわ」#74】
長浜浩明〜韓国人とは遠縁だった!遺伝子から探る日本人のルーツ[桜R1-6-21] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7CPxmCGtjR0


【我那覇真子「おおきなわ」#75】
長浜浩明〜遺伝子が証明!沖縄の先祖たちは、日本本土から移住した縄文人だった[桜R1-6-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BezxJ6uRi1g


【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26-4-15] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HsDDzE5Gao4

「最新の縄文分析で今明かされる、沖縄のルーツと日本の建国」古代史研究家・長浜浩明氏 2018.02.11 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8q-ZXmoPa-Y

長浜浩明


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長浜 浩明(ながはま ひろあき、1947年 - )は、建築家、評論家。

群馬県太田市生まれ。
1971年東京工業大学建築学科卒。73年同大学院修士課程環境工学専攻修了、(株)日建設計入社。

建築の空調・衛生設備設計に従事。2008年退社、評論活動を始める。
一級建築士、技術士、公害防止管理者、企業法務管理士[1]。


著書

『文系ウソ社会の研究』展転社 2008
『続・文系ウソ社会の研究』展転社 2008
『日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!』展転社 2010
『古代日本「謎」の時代を解き明かす 神武天皇即位は紀元前70年だった!』展転社 2012
『「脱原発」を論破する 今、日本人の知性が試されている!』東京図書出版 2013
『韓国人は何処から来たか』展転社 2014
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E


ハッシュタグ #長浜浩明
https://twitter.com/hashtag/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c217

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?

チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?


amazon.co.jp 長浜浩明 著書
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長浜 浩明 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%95%B7%E6%B5%9C+%E6%B5%A9%E6%98%8E


R1.05.19 長浜浩明講演会 『邪馬台国はここにある』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QsSdvFLFqJI


【我那覇真子「おおきなわ」#74】
長浜浩明〜韓国人とは遠縁だった!遺伝子から探る日本人のルーツ[桜R1-6-21] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7CPxmCGtjR0

【我那覇真子「おおきなわ」#75】
長浜浩明〜遺伝子が証明!沖縄の先祖たちは、日本本土から移住した縄文人だった[桜R1-6-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BezxJ6uRi1g


【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26-4-15] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HsDDzE5Gao4

「最新の縄文分析で今明かされる、沖縄のルーツと日本の建国」古代史研究家・長浜浩明氏 2018.02.11 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8q-ZXmoPa-Y


▲△▽▼

長浜 浩明(ながはま ひろあき、1947年 - )は、建築家、評論家。

群馬県太田市生まれ。
1971年東京工業大学建築学科卒。73年同大学院修士課程環境工学専攻修了、(株)日建設計入社。

建築の空調・衛生設備設計に従事。2008年退社、評論活動を始める。
一級建築士、技術士、公害防止管理者、企業法務管理士[1]。


著書

『文系ウソ社会の研究』展転社 2008
『続・文系ウソ社会の研究』展転社 2008
『日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!』展転社 2010
『古代日本「謎」の時代を解き明かす 神武天皇即位は紀元前70年だった!』展転社 2012
『「脱原発」を論破する 今、日本人の知性が試されている!』東京図書出版 2013
『韓国人は何処から来たか』展転社 2014
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E


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[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
1. 中川隆[-9227] koaQ7Jey 2019年6月29日 09:43:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3284]

古代日本「謎」の時代を解き明かす―神武天皇即位は紀元前70年だった! – 2012/4/1
長浜 浩明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3

内容
「大阪平野の発達史」が明かす古代史の真実、「男子は皆黥面文身す」が邪馬台国論争に黒白をつける、「皇紀」を「西暦」に直すと古代史が見えてくる、「韓国の前方後円墳」が覆す騎馬民族渡来説―混迷する古代史界に正気を取り戻す。


____


カスタマーレビュー

hira 5つ星のうち2.0
歴史利用による日本賞賛は、一種の宗教である 2019年3月5日


 日本古代史の研究本には、考古学中心と、文献学中心に、大別でき、考古学中心だと、調査での知識が取得できる一方、文献学中心だと、引用文が多用されていれば、読解での知識が取得できます。

 ところが、本書のように、文献学に傾倒し、いきなりの筆者の仮説や、他者の批判と、それらの根拠の説明だと、もし、その仮説が否定されれば、本自体の存在価値は、ほぼなくなってしまいますが、残念ながら、本書で、肯定できる箇所は、次のように、ほとんど散見できません。

 日本古代史には、著名な学者達の通説でさえ、到底納得できないものが、多々あり、なので、在野の研究者達が、入り込む余地があるのですが、筆者が、本書で諸説を散々批判したわりには(特に3章)、その前提条件が、大変脆弱です。

○1章への反論
 筆者は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。

 「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。

 よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。

 余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。

 そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。

○2章への補足
 筆者の主張する、邪馬台(壱)国=九州北部説には、私も賛同し、帯方郡〜邪馬壱国間が1万2000余里、帯方郡〜奴国間が1万600余里なので、奴国〜邪馬壱国間が1400余里以内となる説明は、わかりやすいですが(p.54)、入墨の分布が、かえって、わかりにくくしているのではないでしょうか(p.69)。

 私なら、もし、邪馬台国が近畿だと、伊都国設置の諸国を検察する一大率を、畏憚する(おそれはばかる)距離でないこと、もし、「魏志倭人伝」で、方位を書き誤ったなら、後世の「後漢書倭伝」で、狗奴国の位置を、女王国の東1000余里に訂正した際、一緒に訂正するはずとの理由を追加します。

 「魏志倭人伝」に、狗奴国は、倭の21ヶ国の南にあるという記述だけを、筆者が信用するのも、疑問です。

○5章への反論
 本書で筆者は、神武東征を紀元前70年と主張しており、ここでは、葦の根に生成・蓄積される褐鉄鉱を持ち出し、鉄器の導入と結び付けたいようにみえます。

 しかし、日本列島での鉄器の出土数を比較すると、九州北部は、3世紀前半まで、他地域を圧倒し、3世紀後半になって、はじめて畿内が逆転しており、紀元前1世紀の大和は、鉄器の後進地域なので、結局は、何がいいたいのか、不明です。

○4・6章への反論
 100歳以上の天皇が、初期に多数いるので、筆者は、1〜19代に、1年2歳説を採用していますが、そもそも1年サイクルで、農耕民は、稲作・畑作、漁労・狩猟・採集民は、旬の食物を獲得、交易民は、海流を渡海・交易する等、生活・活動しているのに、年齢だけが、1年で2歳になるのは、とても不自然です。

 「魏略」での裴松之の注では、倭人が、正月や四季を知らず、春の耕作と秋の収穫を計って1年としていると、解説しているにすぎず、当時の人々は、朝に、観測点から見て、太陽が東の山々の、どこから昇るかを基準に、自然の暦(夏至・春秋分・冬至等)を算出していたようです(福岡県・平原遺跡)。

 「魏志倭人伝」に、倭人は長寿で、中には100歳・80〜90歳もいるとあり、訳文には、歳と記載されていますが、原文には、年となっており、17代以後で、記紀神話に死去年齢が記載されている天皇には、60〜70歳代も結構いるので、1年で1歳とみるのが自然です。

 私は、「日本書紀」で、100歳以上の天皇が、1・5〜13・14-15代の間・15代、事績に長期間の空白がある天皇が、1・10・11・14-15代の間・16代なので(それぞれ26年・30年・47年・25年・19年間)、父子継承が主流の16代以前は、年代不当、兄弟継承が主流の17代以後は、年代妥当とみています。

 ただし、歴代天皇の全員が、実在したかは、疑問ですが、この程度の人数は、存在していたと仮定し、16代以前だけでなく、17代以後にも、多少の年代のズレが、あったでしょう。

 年代不当の1〜16代の17人は、紀元前660〜400年の1060年間なので、天皇の在位期間の平均が、約62年/人、年代妥当の17〜41代の25人は、400〜697年の297年間なので、在位期間の平均が、約12年/人となり、年代不当の17人を12年/人とすれば、初代・神武天皇の即位は、196年になります。

 この2世紀終りは、銅鏡が、畿内に集中するようになった時期(漢鏡7期の第2段階)であるうえ、大和に大型前方後円墳が出現する直前で、神武が天皇の始祖にふさわしく、河内湖Tの時代になります。

 そのうえ、10代・崇神天皇の即位は、304年になり、4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期と一致するうえ、10代の磯城の瑞籬宮・11代の纒向の珠城宮・12代の纒向の日代宮とも符合します。

 一方、筆者が1年2歳説を採用した、1〜19代の20人は、紀元前70〜457年の527年間なので、天皇の在位期間の平均が、約26年/人、20〜41代の22人は、457〜697年の240年間なので、在位期間平均が、約11年/人となります。

 41代までのほとんどは、いったん即位すれば、死去するまで天皇だったので、古い年代で寿命が長いのは、矛盾しています。
 また、16代以前の父子間の皇位継承は、後述のように、3〜6代が兄弟間の皇位継承とみられるので、それ以外の部分の信憑性も疑問視され、筆者のいう、神武天皇の即位を紀元前70年とするのは、無理があると導き出せます。

○7章への補足
 筆者が、闕史八代の天皇の妻に着目したまでは、よかったのですが、その子供達の子孫を、記紀神話で、全国各地の豪族達の始祖に位置づけたのは、後世に天皇へ奉仕した、かれらの正統性を確保するためとみられ、そこに血縁関係があったとまでは、けっして言い切れません。

 むしろ、2〜7代の妻は、「古事記」「日本書紀」の本文と、一書にも記載があるので、そこにも注目すべきで、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(高尾張邑=葛城邑としました)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。

 これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。
 ちなみに、崇神天皇(10代)は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還したので、実際には、4世紀初めから、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、4方向を開拓し、流通ネットワークを広域整備、統治範囲は、大和一帯とみられます。

 第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、ここは、父子間での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、ここは、兄弟間での皇位継承とみられます。

 つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の父子間の皇位継承は、捏造でしょう。

 1〜13代の父子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、父子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。

 第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。

 しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。

 第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。

 したがって、2〜9代が、もし、非実在なら、その妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明できます。
 闕史八代の実在を主張するなら、この程度の根拠を、提示すべきですが、おそらく筆者は、「日本書紀」の本文(訳文)しかみておらず、2〜7代に一書があるのを、把握していなかったのでしょう。

○8章への苦言
 日本古代史は、東アジアの視点が大切で、中国・朝鮮・日本が、まだ未分化な状態から、徐々に分化していく過程をみるべきなのに、日本・中国・朝鮮等の人種や国家が、分立していたかのように取り上げ、現代の善悪・優劣・尊卑等や、筆者の価値観で、評価するのは、歴史研究者として反則行為です。

 最後の「おわりに」(p.209-292)まで読み進めると、筆者は結局、日中の歴史書等から、史実を探求するよりも、日本賞賛に都合のよい、こじつけ的な解釈が、必要なだけだったと理解でき、天皇の年齢や年代以外は、吟味していないので、日中の歴史書等を信仰の対象とした、新興宗教者といえます。

 中世・近世の日本では、伊勢神道・吉田神道・復古神道等が、記紀神話をこじつけ的に解釈することで、自分達の正当性・優位性を主張していました。

 ここまでみると、どうも、筆者が、神武天皇の即位を、紀元前70年としたのは、新羅の建国が、紀元前57年、高句麗の建国が、紀元前37年、百済の建国が、紀元前18年とされているので、それらに対抗・優越しようとしただけにしか、みえないのは、私だけでしょうか。

 中国・欧米等の建国史は、人工的・作為的な「創造」である一方、日本の建国史として位置づけられる記紀神話は、自然な「生成」を意識しており、だから、神代に数々の一書を併記することで、意図的に曖昧にしているのを、筆者は、無理矢理に確定しているようで、まさに人工的・作為的です。

 それは、最近の右派・右翼系の活動も同様で、日本らしさといいながら、かれらが嫌悪している中国らしく・朝鮮らしく変貌してきているのを、自覚しているのでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RCQT9M0397NL/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4886563694

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c1

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
2. 中川隆[-9226] koaQ7Jey 2019年6月29日 09:55:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3285]

日本人は縄文人の子孫ではなく朝鮮系渡来人の子孫だった


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA%E3%81%AEDNA%E3%81%A7%E8%BF%AB%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%AE%E8%AC%8E&sp=mAEB

弥生人は韓国人に近い遺伝子だと思われてたが今回の調査で違うことがわかった
大がかりなDNA解析による新情報では弥生人の初期は縄文人に近い遺伝子だったが集団の戦いなどで弥生人は時代が進むにつれて韓国人のDNAに近づいて
現代日本人はほとんど韓国人のDNAと一緒になった

これ旧日本人が韓国人に大虐殺された後に中出しレイプされて生まれたのが俺たち現代日本人ってことになるぞ

ナレーション(弥生人の核DNA分析から予想された現代日本人の位置は ここ。弥生人同士がまじわって 現代日本人が成立したと考えられるからです。ところが…。)

篠田謙一:実はですね 現代日本人はもう既に この辺りだということが分かったんですね。つまり 弥生人って 混血していけば恐らく 混血する相手は
この縄文人になりますから当然 現代日本人の位置っていうのはこちらに ずれてくるはずなんですよね。ところが そうならなくてこっちに来てしまったということで
ちょっと 考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり こっち(韓国人)に引っ張る 何かがなければいけないということになるんですね。

小島瑠璃子:てことは 韓国とか あとは大陸の方と多くまじわりながら人口を増やしてったのが私たちってことですか?

篠田謙一:そういうことになると思うんです。

小島瑠璃子:え〜!

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c2

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
3. 中川隆[-9225] koaQ7Jey 2019年6月29日 09:57:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3286]

長浜浩明の朝鮮人の縄文人起源説は間違い

韓国人のルーツは? 北方界でない混血南方系
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 2017年02月02日

https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=225352
韓民族のルーツはどこだろうか。人類・考古学界の一部は、韓民族がアルタイ山脈から出発しモンゴルと満州原野を通って韓半島(朝鮮半島)に入ってきた北方民族だと推定している。これらの地域の人々の言語・風習・顔つきなどと共通点が多いというのがその根拠だった。

だが、科学界の判断は違う。2日、蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST)ゲノム研究所によると、韓民族は3万〜4万年前に東南アジア〜中国東部海岸を経て極東地方に流入して北方人になった南方系狩猟採取人と、新石器時代が始まった1万年前に同じルートで入ってきた南方系農耕民族の血が混ざって形成された。2009年、UNISTは韓民族が東南アジアから北東に移動した南方系の巨大な流れに属しているとサイエンス誌に発表したことがあったが、今回これをより具体化した。

その始まりはロシア・ウラジオストクからやや北の『悪魔の門(Devil’s Gate)』という名称の洞窟から見つかった7700年前の20代と40代女性の頭蓋骨だった。

この地域は韓国の歴史において、旧高句麗・東夫餘・沃沮だった場所だ。ゲノム研究所はスーパーコンピュータを利用してこの頭蓋骨の遺伝子を解読・分析した。

DNA分析の結果、「悪魔の門」の洞窟人は3万〜4万年前に現地に定着した南方系人で、韓国人のように褐色の瞳と凹型の前歯(shovel−shaped incisor)をつくる遺伝子を持っていたと発表された。また、彼らは現代の東アジア人の典型的な遺伝特性を有していた。牛乳が消化できない、高血圧に弱く体臭があまりない、乾いた耳あかが出るなどの遺伝子が代表的だ。この洞窟人は現在近くに住むウルチ(Ulchi)族の先祖と考えられている。周辺の原住民を除けば、現代人のうちでは韓国人が彼らに近い遺伝子を持っていることが判明した。彼らのミトコンドリアDNAの種類も、韓国人が主に持っているものと同じだった。

同研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じだということは母系が同じであることを意味する」とし「2つの人類間の時間的な開きを考慮しても、遺伝子が非常に似通っていると言え、悪魔の門の洞窟人は韓国人の先祖とほぼ同じだと言える」と述べた。

だが、悪魔の門の洞窟人の遺伝子が韓民族のそれとすべて一致したわけではない。研究陣は正確な韓国人の民族ルーツと構成を計算するために、悪魔の門の洞窟人と現存する東アジア地域50カ所余りの人種に対する遺伝子比較を行った。その結果、悪魔の門の洞窟に住んでいた古代人と、現代ベトナムおよび台湾で孤立している原住民の遺伝子を融合したところ、韓国人の遺伝子を最もよく表していた。時代と生存方式が異なる二つの南方系列の融合だったことを発見した瞬間だった。

だが、現代韓民族の遺伝的構成は1万年前の農耕時代の南方系アジア人にはるかに近い。狩猟採集や遊牧をしていた極東地方の狩猟採取人に比べて、稲作をしていた南方系民族が多くの子供を産みスピーディーに拡散したためだというのがその理由だ。実際、狩猟採集を中心に生活していた過去の極東地方部族たちの現在の人口は多くても数十万人以上にはならない。

パク所長は「巨大な東アジア人の流れの中で、技術発達によって、小さな幹の民族が生じて混ざり合いながら韓民族が形成されたものと推定できる」と説明した。UNISTの研究は国際学術誌「Science Advances(サイエンス・アドバンシズ)」1日付(米国現地時間)に発表された。
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=225352


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韓国人のルーツは「悪魔の洞窟で暮らした新石器人」=研究発表にネットから疑問噴出=「標本2つで出した結論」「おしりの蒙古斑はなに?」
Record china:2017年2月5日
https://www.recordchina.co.jp/b162581-s0-c30-d0127.html


2日、UNISTゲノム研究所は、朝鮮民族は3〜4万年前に東南アジアから極東地方に流れ込み北方人となった南方系狩猟採集民と、1万年前に同経路で入ってきた南方系農耕民族の血が混ざって形成されたと発表した。写真はロシア・ウラジオストク
https://www.recordchina.co.jp/b162581-s0-c30-d0127.html


2017年2月2日、韓国・中央日報によると、蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST)ゲノム研究所は国際学術誌「Science Advances」で、韓民族(=朝鮮民族)は、3〜4万年前に東南アジアから中国東部の海岸を経て極東地方に流れ込み、北方人となった南方系の狩猟採集民と、新石器時代が始まった1万年前に同じ経路で入ってきた南方系の農耕民族の血が混ざって形成されたと発表した。

これまで人類・考古学界の一部では、言語・風習・容姿などの共通点が多いことから、朝鮮民族がアルタイ山脈に始まり、モンゴルと満州の原野を越えて朝鮮半島に入ってきた北方民族であると推定されてきた。

しかし科学界の判断は違っており、2009年、UNISTは国際学術誌「Science」に「朝鮮民族が東南アジアから北東へ移動した南方系の巨大な流れに属している」と発表、今回の発表はこれをさらに具体化したことになる。

その手がかりは、ロシア・ウラジオストクの上方にある沿海地方の「悪魔の門(Devil’s Gate)」という名の洞窟で発見された7700年前の20代と40代の女性の頭蓋骨にあった。ここは韓国の歴史上、かつての高句麗・東夫余(ふよ)・沃沮(よくそ)の地と言われている。ゲノム研究所がスーパーコンピュータを利用してこの頭がい骨のゲノムを解読・分析したところ、悪魔の門の洞窟人は3〜4万年前に現地に定着した南方系人で、韓国人のように茶色い目とシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の遺伝子を持っていたことが明らかになった。また彼らは、牛乳を消化できない遺伝変異や、高血圧に弱い遺伝子、体臭が少ない遺伝子、耳たぶの薄い遺伝子など、現代の東アジア人の典型的な遺伝特性も持っていたという。悪魔の門の洞窟人は近くに住む「ウルチ(Ulchi)」族の先祖とされており、近くの原住民を除く現代人の中では韓国人がこれと近いことが判明した。

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じであるということは、母系が同じであるということを意味する。長い時間差を考慮しても2つの人類の遺伝子は非常に近く、悪魔の洞窟人は韓国人の祖先とほぼ同じだと言える」と話している。

これを受け韓国ネットユーザーからは、研究方法に関連して「偶然洞窟にたどり着いたのかもしれないし、サンプル2つは少なすぎ」「標本2つの結論か。もっと多い標本が必要な研究じゃない?」というコメントや、「でも、言語は北方系のモンゴル語じゃん。これはなんで?」「おしりにある蒙古斑はなに?」というコメント、「つまり、ウィー・アー・ザ・ワールドってことね。ということは、今後科学がもっと発達したら数十万年前まで研究できるから、また北方系になる可能性もあるわけだ」「朝鮮民族は単一民族ってよく言うけど、これはギャグ」など、異論や疑問を唱えるコメントが多く寄せられている。(翻訳・編集/松村)
https://www.recordchina.co.jp/b162581-s0-c30-d0127.html


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悪魔の門
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E9%96%80


悪魔の門(あくまのもん、Devil’s Gate)は、ロシアウラジオストクの上方にあるアムール川流域の沿海地方(プリモルスキー地方)で確認されている洞窟である[1]。

この洞窟で、朝鮮民族の祖先にあたるウルチ族(Ulchi)といわれる少数民族の人骨が見つかっている[1]。別称、チェルーヴィーヴォロタ洞窟(Chertovy Vorota Cave、血まみれの門の洞窟)。

1.^ また彼らは、牛乳を消化できない遺伝変異や、高血圧に弱い遺伝子、体臭が少ない遺伝子、耳たぶの薄い遺伝子など、現代の東アジア人の典型的な遺伝特性も持っていた


パク・ジョンファ蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所長(生命科学部教授)が率いるイギリス・ロシア・ドイツの国際共同研究チームは1日、「中朝国境・豆満江の北にあるロシア・アムール川流域の悪魔の門で発見された7700年前の人類のゲノムを解読した」と明らかにした[1]。

2017年2月2日の韓国中央日報によると、蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所の国際学術誌「Science Advances」で、韓民族(朝鮮民族)は、3〜4万年前に東南アジアから中国東部の海岸を経て極東地方に流れ込み、「北方人となった南方系の狩猟採集民」と、新石器時代が始まった1万年前に同じ経路で入ってきた「南方系の農耕民族」の血が混ざって形成されたと発表した[1]。

今まで人類・考古学界の一部では、民族的な風貌などの共通点から、韓国人はアルタイ山脈に始まり、モンゴルと満州の原野を超えて朝鮮半島に移住した北方民族であると推定されてきたが、現在の進歩した科学界の判断は違っており、2009年、UNISTは国際学術誌「Science」に「朝鮮民族が東南アジアから北東へ移動した南方系の巨大な流れに属している」と発表、今回の発表はこれをさらに具体化したことになる[1]。


悪魔の門の洞窟人

韓国人のルーツといえるDNAが、ロシア・ウラジオストクのアムール川流域にある「悪魔の門の洞窟」で7700年前の20代と40代の女性の頭蓋骨から発見された[2]。ここは韓国の歴史上、かつての高句麗・東夫余(ふよ)・沃沮(よくそ)の地と言われている[2]。

ゲノム研究所がスーパーコンピュータで、この頭蓋骨の遺伝子を解読・分析したところ、悪魔の門の洞窟人は3〜4万年前に現地に定着した南方系人で、韓国人に特徴な茶色い目とシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の遺伝子を持っていることが証明された[注 1][2]。悪魔の門の洞窟人は近くに住む「ウルチ族」の先祖とされており、近くの原住民を除く現代人の中では韓国人がこれと近いことが判明した[2]。

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じであるということは、母系が同じであるということを意味する[2]。長い時間差を考慮しても2つの人類の遺伝子は非常に近く、悪魔の洞窟人は韓国人の祖先とほぼ同じだと言える」と話している[2]。。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E9%96%80




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韓国人とベトナム・台湾人の遺伝的祖先はほぼ同じ 2017-02-03
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/26416.html

UNISTなどロシア極東地方の7700年前の古代人の骨、ゲノム分析
 
南方系アジア人、北方系の代替の代わりに融合し遺伝性を持続 
「征服などで古代人遺伝の痕跡が消えた西ユーラシアとは異なる」


ロシア極東の「悪魔の門洞窟」で発見された7700年前の古代人遺骨=蔚山科学技術院提供//ハンギョレ新聞社

 現代韓国人は、ベトナム・台湾など南方とロシア極東地方に住んでいた北方の古代人の遺伝の特性をいずれも受け継いでいることが明らかになった。

 蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST)ゲノム研究所は1日、「イギリス、ロシア、ドイツなどの研究チームと共同で、豆満江(トゥマンガン)上部のロシア極東地方の『悪魔の門洞窟』(Devil's Gate Cave)で発見された7700年前の人間の骨のゲノムを分析した結果、韓国人を含む現代東アジア人は先祖の遺伝的痕跡を持ち続けてきたことが分かった」と明らかにした。

 研究チームの論文はオンライン科学ジャーナル「サイエンス・アドバンシス」2日付(現地時間)に掲載された。悪魔の門洞窟は1973年、高句麗・東扶余・沃沮が位置した場所で発掘され、そこで新石器時代の人間と判明された何躯かの骨が発掘された。研究チームが悪魔の門洞窟人と現存するアジアの数十の民族(ethnic groups)のゲノムの変異を比較してみたところ、洞窟人とベトナムおよび台湾で孤立していた原住民のゲノムを融合した時、現代韓国人の遺伝変異が最もよく表現された。つまり韓国人の遺伝的祖先はベトナム・台湾など南方の古代人と北方の古代人にいずれも接しているということだ。

 ゲノム研究所のパク・ジョンファ所長(生命科学部教授)は「現代西ユーラシア人は、ここ数千年間の多くの人口移動、征服、戦争などで古代狩猟採取人の遺伝的痕跡はほとんど消えた。一方、東アジア現代人は祖先の遺伝的遺産を受け継いだことが明らかになった」と話した。悪魔の門洞窟人は韓国人のように褐色の瞳とシャベル状の前歯を持ち、牛乳をよく消化できず、高血圧に弱く、体臭が少ない遺伝子であるなど、現代東アジア人の典型的な遺伝特性を持っている。東アジア人は遺伝的に「単一民族」であるということだ。

 パク教授は「数万年前に東アジアの狩猟採取人はロシア北方まで進出し、アジア全域に広がって北方系を形成した。そして1万年余り前、南中国系の人々が本格的な農耕社会を構成し、急速に膨張した。しかし、西ユーラシアとは異なり南方系が北方系を代替せず、二つの系列が混合を遂げた。南方系の拡散が北方系より遥かに大きく、現代人の遺伝特性には南方系の影響が大きく現れる」と説明した。

 悪魔の門洞窟人は、近くに住む現代のウルチ族と遺伝的に最も近く、彼らの先祖であると推定されるが、これらの原住民を除外すれば現代人の中で韓国人がこの洞窟人と一番近いゲノムを有するものと分析された。研究を主導したチョン・ソンウォン研究員は「悪魔の門洞窟人のミトコンドリアゲノムの種類が韓国人とほぼ同じであり、洞窟人は韓国人の先祖とほぼ同じだといえる」と話した。ミトコンドリア遺伝子は母親から子に母系血統を通じてのみ伝達され、祖先を追跡するのに役立つ。

イ・グンヨン、オ・チョルウ先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/26416.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c3

[近代史3] 孔子を捨てた国――現代中国残酷物語

孔子を捨てた国――現代中国残酷物語 (ASUKASHINSHA双書) – 2017/2/15
福島香織 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%94%E5%AD%90%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%81%9F%E5%9B%BD%E2%80%95%E2%80%95%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%AE%8B%E9%85%B7%E7%89%A9%E8%AA%9E-ASUKASHINSHA%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E9%A6%99%E7%B9%94/dp/4864105405

内容紹介

ともに儒教を文化の基盤にしているから「中国人とは理解しあえる」と信じる日本人はいまだに多い。

だが、習近平政権下の空前の儒教ブームは、政治に敏感な彼らの保身のための口パクにすぎず、中国人はとうに孔子を捨てていたのだ。

「つらの皮厚く、腹黒く、常に人を疑い、出し抜くことを考え、弱いものを虐げ、強いものにおもねりながら生きていかねばならない」中国人の苛烈すぎる現実を、当代一のチャイナウォッチャーが取材。

共産党独裁下で想像を絶する生き地獄に苦しむ人々。厳しい社会階層のヒエラルキーの中で管理、コントロールされ、言論や思想の自由も許されない大多数の国民が直面する、
冷酷無比の支配システム、過酷すぎる政治権力闘争、血で血を洗う近代史をできるだけ具体的に描写。

「実際の中国社会は儒教を建前とした残酷な世界なのだ。日本人的な甘ったるい善意や真心が中国人に通用すると期待してはいけない」

2017年、トランプ政権とともに米中は新たな緊張関係を迎え、日本も必ず巻き込まれる。
「日中の関係改善を期待するよりは、この残酷で腹黒い国と対峙していかねばならないことの大変さ」を覚悟する全5章。

弱者の人権はとことん踏みにじられ、知識人への政治的迫害と拷問、臓器売買犯罪、カルト宗教がまん延する社会……
凶悪事件や大事故、人民蜂起が相次ぐ中国の闇。月刊誌の名物連載、待望の書籍化!


(目次より)
1.虐げられる女性と子供、高齢者の人権
2.司法が人民に牙をむく
3.政治権力闘争がすべて
4.環境汚染とマスメディアの暗黒
5.凶悪事件・重大事故続発の酷薄社会


内容(「BOOK」データベースより)

当代一の専門家が取材した、共産党圧政下の生き地獄。人民の敵は人民、当局もメディアも被害者に牙をむく!月刊誌の名物連載、待望の書籍化!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

福島香織

奈良市出身。大阪大学文学部卒業後、産経新聞社大阪本社に入社。
1998年に上海・復旦大学に1年間、語学留学。

2001年に香港支局長、2002年春より2008年秋まで中国総局特派員として北京に駐在。

2009年11月末に退社後、フリー記者として取材、執筆を開始する。

テーマは「中国という国の内幕の解剖」(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/499.html

[近代史3] 孔子を捨てた国――現代中国残酷物語 中川隆
1. 中川隆[-9245] koaQ7Jey 2019年6月29日 13:43:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3277]

特別番組「なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか わが国だけが近代文明を手に入れた歴史の必然 」
石平 福島香織 倉山満【チャンネルくらら・4月22日配信】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=POMX8QUJKJE


福島香織【香港人も中国人が嫌いだった⁉︎ 香港を捨てて日本に避難してくる⁉︎ 福島香織徹底解説!】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RR9xCBdKkWk
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/499.html#c1

[近代史3] 孔子を捨てた国――現代中国残酷物語 中川隆
2. 中川隆[-9244] koaQ7Jey 2019年6月29日 13:45:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3278]

【Front Japan 桜】監獄都市・カシュガル探訪 - [桜R1-5-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO6RTWR7CPo

キャスター:福島香織・宮崎正弘


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いわんかな#24-1【ウイグル最新レポート!文化&民族浄化の現在★中国タブー!前半】
福島香織・堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公人・志方俊之・塩見和子 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4iP48ywliDM

「いわんかな」〜日本の国益を考える会〜 第24回 第1部(前半)
収録日:2019年6月6日

出演:(左から順に)

日下公人(評論家)
塩見和子(日本太鼓財団理事長・国際同時通訳の第一人者)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)
福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
堤堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長)
高山正之(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
志方俊之(軍事アナリスト・元陸上自衛官陸将)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/499.html#c2

[近代史3] 孔子を捨てた国――現代中国残酷物語 中川隆
3. 中川隆[-9243] koaQ7Jey 2019年6月29日 13:49:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3279]

いわんかな#24-2
【中国共産党崩壊間近!天安門事件を振り返る★中国タブー!後半】
福島香織・堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公人・志方俊之・塩見和子 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t8Q75jEcySU

収録日:2019年6月6日

出演:(左から順に)

日下公人(評論家)
塩見和子(日本太鼓財団理事長・国際同時通訳の第一人者)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)
福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
堤堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長)
高山正之(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
志方俊之(軍事アナリスト・元陸上自衛官陸将)


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【討論】天安門30年と習近平の行方[桜R1-6-1] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z8e6o4Vxo3k


◆天安門30年と習近平の行方

パネリスト:
 古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
 澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
 石平(評論家)
 坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
 福島香織(ジャーナリスト)
 ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・チベット文化研究所名誉所長)
 矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総


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天安門事件から三十年 - 天安門事件後、党中央では何が話し合われたか[R1-6-4] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=11LPd02pX1Y


キャスター:宮崎正弘・福島香織
■ 天安門事件から三十年
■ 天安門事件後、党中央では何が話し合われたか



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/499.html#c3

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
4. 中川隆[-9242] koaQ7Jey 2019年6月29日 14:29:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3280]

長浜浩明のアイヌ人のシベリア起源説は間違い


日本人の遺伝子の 90% は朝鮮からの渡来人で、縄文系は僅か10%
アイヌ人の遺伝子の 70% は縄文系

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/


東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。


国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。日本人の祖先がどこから来たのかといった謎に迫る貴重なデータとなる。詳細を5月末にも学術誌で発表する。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。

特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

ゲノム情報からは船泊遺跡で発掘された女性がアルコールに強い体質であったことや、脂肪を代謝しにくくなる遺伝子の変異を持っていたことなどもわかった。現代人の様々な疾患について、今回の縄文人のゲノムから説明できる可能性があるという。

古代の人類のゲノムを解析する試みは欧米を中心にネアンデルタール人などで進んできた。縄文人の全ゲノムが読まれたことで、アフリカで生まれた人類集団がどのように東アジアの各地に広がったか研究の進展が期待される。

今後、研究チームはさらにデータの解析を進める。配列を公開して海外の研究機関との共同研究も検討していく。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/


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縄文人の多様性と特殊性−篠田謙一氏講演「日本人の起源」レポート 2017-12-21
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/


12月8日(金)、本学第14講義室で、DNA分析による日本人起源論の第一人者、篠田謙一氏(国立科学博物館・分子人類学)の講演会「ここまでわかった! 日本人の起源」がおこなわれました。講演の前座として、主催側の浅川滋男教授(本学環境学部・建築考古学)も「古墳時代前期の大型倉庫群−松原田中遺跡の布掘掘形と地中梁から」と題するミニ講演をされました。広報期間が2週間弱と短いなか、学内外から約50名の聴衆が集まり、最新の人類学・考古学の成果に耳を傾けられました。

ここまでわかった! 日本人の起源

日本人の起源論については、埴原和郎氏による「二重構造説」がよく知られています。縄文時代の日本列島にひろく拡散していた古モンゴロイドと、主として弥生時代以降に朝鮮半島から渡来した新モンゴロイドの混血として現代日本人を理解する考え方です。こうした二重構造説は人骨を対象とする形質人類学の研究によって導かれましたが、篠田氏はミトコンドリアDNAの系統解析をもとに新たな成果と視点を続々と呈示されています。講演の構成は以下のとおりです。

1.はじめに  2.日本人の起源  3.ミトコンドリアDNAの系統
4.ミトコンドリアDNAから見た日本人  5.縄文人のミトコンドリアDNA
6.縄文人と弥生人のゲノム解析

【講演要旨】 日本人の有するミトコンドリアDNAのハプログループは、朝鮮半島や中国東北部の集団と共通している。これらは弥生人にも共有されていることから、現代日本人のもつ多くのハプログループは、弥生開始期以降に稲作農耕とともに列島にもたらされたと推測できる。ミトコンドリアDNAの分析結果は埴原氏の「二重構造説」を概ね支持する結果となったが、北海道の先住集団であるアイヌは沿海州の先住民と共通のDNAをもっていることも判明しており、沖縄や北海道を本土日本の周辺地域としてみるのではなく、それぞれを独自の成立史をもつ地域として捉える複眼的な視座が求められている。一方、縄文人の系統には地域差があることがわかってきている。とくにミトコンドリアDNAのM7a系統では地域差が顕著であり、均一な縄文人像は見直す必要がある。2010年以降、古人骨に含まれる核のDNAの分析も可能になっており、そのゲノム解析から、縄文人は現代の東アジア人と大きく異なっていることが明らかとなったが、その特殊性については未だ定説がない。この問題を解決するためには、縄文相当期の東アジアの古人骨を調べるとともに、一万年以上続いた縄文時代の各地の人骨から得られたゲノムを丹念に解析していく必要がある。

オホーツク文化とアイヌ、ニブヒの関係

以上の講演に対して、青谷上寺地遺跡出土人骨から採取したサンプルの位置づけの予想やDNAサンプル採取方法について質問がありました。最後に浅川教授から「北海道アイヌの文化は擦文文化(蝦夷 えみし?)とオホーツク文化(粛慎 みしはせ?)の融合として成立したと考えられるが、その一方で、オホーツク文化の担い手をニブヒ(別名ギリヤーク:アムール下流域・樺太に分布する古アジア系民族)の祖先として理解する説があるけれども、人類学的にはどう理解されているか」という質問がありました。篠田氏はニブヒ、コリヤーク、チュクチなど極北の古アジア系民族は遊牧エヴェンキ(新モンゴロイド系)に攪乱され、さらにロシア化も進んでいるため、残念ながら、現状では固有のDNAを抽出しにくいと答えられました。
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/

アイヌ人も日本人も縄文人の遺伝子を受け継いでいるのですが、

アイヌ人の先祖の縄文人はアイヌ語を話し、食べていたのは栗・木の実、サケ

日本人の先祖の縄文人は日本語を話し、食べていたのは焼き畑作物、魚

なので、同じ縄文人と呼んでいても、全くの別民族なのです:


東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8


朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。


小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8



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日本人のガラパゴス的民族性の起源
0-0. 日本人の源流考 rev.1.3 2018/7/29
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm

  国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、2017年10月に核-DNA解析でたどるによる「日本人の源流」本を出版しました。


核DNA解析でたどる 日本人の源流 – 2017/10/21 斎藤 成也 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%A0%B8DNA%E8%A7%A3%E6%9E%90%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8B-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E6%88%90%E4%B9%9F/dp/4309253725


その中でやっと海の民にも焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が間違ってはいないかもしれない雰囲気になって来ました。

  そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 これはY-DNA及びmtDNAの論文104編を読み込みメタアナリシスした結果得た、アブダクション(推論)です。追加の着想がまとまる都度書き足します。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して組み立てていますので、異論・興味のある方は、 当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。


はじめに

  当ガラパゴス史観が、Y-DNAとmtDNAツリー調査を進めて行った時、ホモサピエンスの歴史自身をもう少し深堀したい疑問が生じてきました。

 ・何故、ホモサピエンス始祖亜型のY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたるまで狩猟採集の原始生活から前進せず、 ホモエレクトスの生活レベルのままだったのか?

 ・シ−ラカンス古代亜型のY-DNA「D」、Y-DNA「E」やY-DNA「C」などの、オーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸島、アフリカなどの僻地に残った 集団も、現代に至るまで何故「A」,「B」同様、狩猟採集から抜け出せなかったのか?

 ・彼らは本当にホモサピエンスになっていたのだろうか?我々現生人類はアフリカ大陸でホモサピエンスに進化してから 出アフリカしたと思い込んでいるが、もしかすると出アフリカ後に、ネアンデルタール人との遭遇で現代型に進化したのではないか?


1.ネアンデルタール人の出アフリカから始まったようだ。

  ホモサピエンスの亜種とされているネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス:Homo sapiens neanderthalensis)は、 ホモエレクトスから先に進化し、60万年ぐらい前には出アフリカし、先輩人類としてユーラシア大陸に拡がったらしい。 そして3万年前ぐらいには絶滅した、という見解になっている。

  しかし現生人類の遺伝子の3−4%はネアンデルタール人から受け継いでいることも研究の結果解明されている。 その後、現生人類の先祖が、スタンフォード大学の研究では2000人程度の規模で、出アフリカしユーラシアに拡がるまで ネアンデルタール人の歴史は既に数十万年を経過しており、その間にネアンデルタール人はユーラシア各地で亜種に近いぐらい分化していたらしい。 アジアで発掘されたデニソワ人はどうもネアンデルタール人のアジア型の1例のようだ、 しかも研究ではデニソワ人の遺伝子が現代人に6−8%も受け継がれている、という報告まである。

  これはつまり現生人類は既にある程度の高度な文化を築き上げていたネアンデルタール人との亜種間交雑の結果、 一気に爆発的に進化し現ホモサピエンスとして完成したのではないかと考えるのが妥当なのではないかと思われる。


2.原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!

  我々現代人(Homo sapiens sapiens)の祖先は、ネアンデルタール人が先に進化し出アフリカした後も進化できずに出遅れ、 アフリカ大陸に残存していたホモエレクトスの中で、先ずmtDNA「Eve」がやっと進化し、Y-DNA「Adam」はかなり遅れて進化したと考えられていた様だが、 最近の研究ではY-DNA「Adam」も20万年近く前には既に現れていたらしい。

  しかも最近の発掘調査では、10万年前ごろにはすでにレバント地域に移動していたらしく、8万年前頃には中国南部に到達していたのではないか、と報告されてきている。 これまでの5−6万年前頃に出アフリカしたのではないかという旧説が、どんどん遡ってきているのは今後まだまだ新しい研究報告がある予兆と思われる。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人が先に進化し、出アフリカした後に、落ちこぼれ 取り残されていた最後のホモエレクトスが遅れて進化したのが、我々の直接の先祖の原ホモサピエンスだったと考えられる。

  つまり、このころまでアフリカ大陸ではホモエレクトスが存続していた可能性があり、原ホモサピエンスはホモエレクトスの最終形だったはずである。
 Y-DNA「Adam」がY-DNA「A」となり、

 Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分離し、

 Y-DNA「BT」がY-DMA「B」とY-DNA「CT」に分離したが、

    この「A」と「B」はホモエレクトスのY-DNA亜型だった可能性も十分ありえる。

 Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、更にY-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分離した。

    これは恐らく中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測可能である。

    この「C」以降が現生人類のY-DNA亜型と考えられるが、もしかするとネアンデルタール人の亜型の可能性だってありえる。

 つまりY-DNA「A」と「B」はホモ・サピエンス・サピエンスではあるが完成形ではないプロト(原)ホモ・サピエンス・サピエンスと言っても良いかもしれない。

 西欧列強が世界中を植民地化するべく搾取活動を続けているときにわかったことは、アフリカ大陸やニューギニア・オーストラリアやアンダマン島の先住民は、 何万年もの間、古代のままの非常に素朴な狩猟採集民の文化レベルにとどまっていた、ということだった。

  研究調査からかなり高度な文化・技術レベルに達していたと判ってきているネアンデルタール人と比べると、 分類学的・解剖学的な現生人類/ホモサピエンスに進化したというだけではホモ・エレクトスと何ら変わらない文化レベルだったという証明だろう。 つまり脳容積がホモエレクトスより大きくなったり、会話が出きるようになった程度では、同時代のネアンデルタール人より原始的な、 しかし可能性は秘めている新型人類に過ぎなかったようだ(しかし体毛は薄くなり、前頭葉が発達し、見た目は多少現生人類的だが)。

  では一体、なぜ現生人類は現代につながるような文明を興すほど進化できたのだろうか?大きな疑問である。 一部の王国を築いた集団を除いた、古ネイティブ・アフリカンは大航海時代になっても、狩猟採集民でしかなかった。 その後西欧列強と出会わなければ、今でも狩猟採集のままのはずである。

  このことは、文明と言うものを構築するレベルに達するには解剖学的なホモサピエンスではなく、 何か決定的なブレークスルーのファクターがあったはずである。

  ネアンデルタール人と原ホモサピエンスの亜種間交配の結果、進化の爆発が起こったと推測するのが今のところ最も妥当だろう。

  出アフリカした先輩人類のネアンデルタール人と亜種間交雑し、ネアンデルタール人がすでに獲得していた先進文化を一気に取り込むことに成功し、 恐らく人口増加率(繁殖性)が高い原ホモサピエンスの中にネアンデルタール人が自然吸収される形で統合化されたのが 完成形の現ホモサピエンスと考えるのが最も妥当性が高い。 (この繁殖力の高さが現生人類の勝ち残った理由なのではないか、想像を逞しくすると、交配の結果得た後天的な獲得形質かもしれない。)

  もし出アフリカせずネアンデルタール人とも出会わずアフリカの中に留まっていたら、 人類は相変わらず19世紀ごろのサン族やピグミー族のように素朴な狩猟採集段階に留まっているだろうと容易に推測できるが、 北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。 つまりホモサピエンスが出アフリカし狩猟採集文化から脱し、現代文明にまで至ったのは必然だったということかもしれない。


3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」とY-DNA「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級としてネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)

  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、 そこから北上し現在の中国大陸に到達した。その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」がそのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。最も頻度が高いのはTanana族である。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。


4.長江文明系稲作農耕文化民の到来

  さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

  古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した現代遺伝子亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分離しインダス文明を興し、ドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。 Y-DNA「T」からは後のジェファーソン大統領が出自している。

  Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く残されており、 テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。

  しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子はY-DNA「R1a」,「R1b」,「J2」などに変貌している為、 東アジア起源の面影は全くない。唯一タタール人に若干の面影が残っているが今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も残っている。やはり移動性の強い遺伝子のようだ。

  さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている事は研究者の周知である。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない(当史観は環境適応は進化ではないと考えるが、 ラマルクの後天的獲得形質論も進化論といわれるので、進化の一部なのでしょう。と言うことは余談だが、 人類(動物)は体毛が減少する方向に進んでいるので、実は禿頭/ハゲも「進化形態」である事は間違いない。)

  この東北アジア起源のY-DNA「O」は雑穀栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。

  一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」(旧「O2a」)と「O1b2」(旧「O2b」)が分化し稲作農耕は発展したようだ。このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

  長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し江南から更にベトナムへ南下し、 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 ほぼ純系のY-DNA「O1b1」が残っているのはニコバル諸島(Y-DNA「D*」が残るアンダマン諸島の南に続く島嶼でスマトラ島の北に位置する)のShompen族である。

また南インドのドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。

カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、ドラヴィダ民族(特にタミール人)に長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、 その結果、学習院大学の大野教授が日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となったが、こんな遠くまで稲作農耕民が逃げてきたことを間接証明した功績は大きい。

  一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州の14%は、満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い(恐らく起源は同一集団)要因となっている。 北朝鮮はツングース系遺伝子の分布が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。

過去の箕子朝鮮や衛氏朝鮮が朝鮮族の起源かどうかは全く分かっていないが、呉系稲作農耕民が起源の一つであることは間違いないだろう。


  長江流域の呉越の時代の少し前に江南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、インド亜大陸でY-DNA「O1a」はほとんど検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは台湾のほとんどの先住民、フィリピンの先住民となんと日本の岡山県である。

  岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として混在して来たのか単独で来たのか? 岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は楚系文化の名残と推測可能で、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。 台湾やフィリピンの先住民の民話を重点的に学術調査するとわかるような気がしますが。


5.黄河文明系武装侵攻集団の到来

  狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島での中国王朝出先機関内のから生き残りに敗れ逃れてきたのが、Y-DNA「O2」(旧「O3」)を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

  朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ追い出される形で日本列島に逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でも、また黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。

  この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていた戦闘要員としてのツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」であろう。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた騎馬を好む好戦的な集団と推測できる。

  この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の朝鮮半島の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由である。

  一方、韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」,Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」,「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。

  一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 特有の征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。


6.簡易まとめ

  日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、一方過去の武士団や維新前後の武士や軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 日本人を構成するもともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。

  日本人の3つの源流は、

  ・日本列島の中で約1万年以上純粋培養されてきた大多数の素朴な狩猟採集民と少数のハンターの縄文系、

  ・中国大陸から僻地の日本列島にたどり着き、集団の和で結束する水田稲作農耕民の弥生系、

  ・朝鮮半島を追い出された、征服欲出世欲旺盛な大王系/武士団系の武装侵攻集団系、

  個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの古代遺伝子(縄文系)が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。 もしこの縄文系遺伝子がなければ、日本と朝鮮及び中国はほとんど同一の文化圏と言って差し支えないでしょう。 それだけ縄文系遺伝子がもたらした日本列島の基層精神文化は、日本人にとって世界に冠たる独特の国民性を支える守るべき大切な資産なのです。


7.後記

  これまで独立した亜型として扱われてきたY-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は、 現在、再び統合されてY-DNA「K」の子亜型Y-DNA「K1」とY-DNA「K2」の更に子亜型として再分類される模様です。 つまり独立名をつける亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンのY-DNA「Q」等が含まれているのです。 とても遺伝子が近いとは思えないのです。では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

これらの亜型群は何十万年の歴史でユーラシア大陸の各地で亜種に近いほど分化していたと考えられている ネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNA亜型を受け継いだだけの可能性も十分にあるのです。

西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。 何しろネアンデルタール人もデニソワ人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で当然Y-DNAもmtDNAも遺伝子が繋がっているのだから。 恐らくY-DNAもmtDNAもほとんど同じ亜型程度の違いしかない可能性は高いのです 今後の研究の発展を楽しみに待ちましょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c4

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
3. 中川隆[-9241] koaQ7Jey 2019年6月29日 14:37:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3281]

長浜浩明のアイヌ人のシベリア起源説は間違い


【我那覇真子「おおきなわ」#75】
長浜浩明〜遺伝子が証明! アイヌ人は元の時代にシベリアから北海道に移住して縄文人の子孫を滅ぼした[桜R1-6-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BezxJ6uRi1g


▲△▽▼


真実は

日本人の遺伝子の 90% は朝鮮からの渡来人で、縄文系は僅か10%
アイヌ人の遺伝子の 70% は縄文系


縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/


東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。


国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。日本人の祖先がどこから来たのかといった謎に迫る貴重なデータとなる。詳細を5月末にも学術誌で発表する。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。

特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

ゲノム情報からは船泊遺跡で発掘された女性がアルコールに強い体質であったことや、脂肪を代謝しにくくなる遺伝子の変異を持っていたことなどもわかった。現代人の様々な疾患について、今回の縄文人のゲノムから説明できる可能性があるという。

古代の人類のゲノムを解析する試みは欧米を中心にネアンデルタール人などで進んできた。縄文人の全ゲノムが読まれたことで、アフリカで生まれた人類集団がどのように東アジアの各地に広がったか研究の進展が期待される。

今後、研究チームはさらにデータの解析を進める。配列を公開して海外の研究機関との共同研究も検討していく。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/


▲△▽▼

縄文人の多様性と特殊性−篠田謙一氏講演「日本人の起源」レポート 2017-12-21
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/


12月8日(金)、本学第14講義室で、DNA分析による日本人起源論の第一人者、篠田謙一氏(国立科学博物館・分子人類学)の講演会「ここまでわかった! 日本人の起源」がおこなわれました。講演の前座として、主催側の浅川滋男教授(本学環境学部・建築考古学)も「古墳時代前期の大型倉庫群−松原田中遺跡の布掘掘形と地中梁から」と題するミニ講演をされました。広報期間が2週間弱と短いなか、学内外から約50名の聴衆が集まり、最新の人類学・考古学の成果に耳を傾けられました。


ここまでわかった! 日本人の起源


日本人の起源論については、埴原和郎氏による「二重構造説」がよく知られています。縄文時代の日本列島にひろく拡散していた古モンゴロイドと、主として弥生時代以降に朝鮮半島から渡来した新モンゴロイドの混血として現代日本人を理解する考え方です。こうした二重構造説は人骨を対象とする形質人類学の研究によって導かれましたが、篠田氏はミトコンドリアDNAの系統解析をもとに新たな成果と視点を続々と呈示されています。講演の構成は以下のとおりです。

1.はじめに  2.日本人の起源  3.ミトコンドリアDNAの系統
4.ミトコンドリアDNAから見た日本人  5.縄文人のミトコンドリアDNA
6.縄文人と弥生人のゲノム解析


【講演要旨】 日本人の有するミトコンドリアDNAのハプログループは、朝鮮半島や中国東北部の集団と共通している。これらは弥生人にも共有されていることから、現代日本人のもつ多くのハプログループは、弥生開始期以降に稲作農耕とともに列島にもたらされたと推測できる。ミトコンドリアDNAの分析結果は埴原氏の「二重構造説」を概ね支持する結果となったが、北海道の先住集団であるアイヌは沿海州の先住民と共通のDNAをもっていることも判明しており、沖縄や北海道を本土日本の周辺地域としてみるのではなく、それぞれを独自の成立史をもつ地域として捉える複眼的な視座が求められている。一方、縄文人の系統には地域差があることがわかってきている。とくにミトコンドリアDNAのM7a系統では地域差が顕著であり、均一な縄文人像は見直す必要がある。2010年以降、古人骨に含まれる核のDNAの分析も可能になっており、そのゲノム解析から、縄文人は現代の東アジア人と大きく異なっていることが明らかとなったが、その特殊性については未だ定説がない。この問題を解決するためには、縄文相当期の東アジアの古人骨を調べるとともに、一万年以上続いた縄文時代の各地の人骨から得られたゲノムを丹念に解析していく必要がある。


オホーツク文化とアイヌ、ニブヒの関係


以上の講演に対して、青谷上寺地遺跡出土人骨から採取したサンプルの位置づけの予想やDNAサンプル採取方法について質問がありました。最後に浅川教授から「北海道アイヌの文化は擦文文化(蝦夷 えみし?)とオホーツク文化(粛慎 みしはせ?)の融合として成立したと考えられるが、その一方で、オホーツク文化の担い手をニブヒ(別名ギリヤーク:アムール下流域・樺太に分布する古アジア系民族)の祖先として理解する説があるけれども、人類学的にはどう理解されているか」という質問がありました。篠田氏はニブヒ、コリヤーク、チュクチなど極北の古アジア系民族は遊牧エヴェンキ(新モンゴロイド系)に攪乱され、さらにロシア化も進んでいるため、残念ながら、現状では固有のDNAを抽出しにくいと答えられました。
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171215/


アイヌ人も日本人も縄文人の遺伝子を受け継いでいるのですが、

アイヌ人の先祖の縄文人はアイヌ語を話し、食べていたのは栗・木の実、サケ

日本人の先祖の縄文人は日本語を話し、食べていたのは焼き畑作物、魚

なので、同じ縄文人と呼んでいても、全くの別民族なのです:


東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8


朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。


小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8


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日本人のガラパゴス的民族性の起源
0-0. 日本人の源流考 rev.1.3 2018/7/29
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm

  国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、2017年10月に核-DNA解析でたどるによる「日本人の源流」本を出版しました。


核DNA解析でたどる 日本人の源流 – 2017/10/21 斎藤 成也 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%A0%B8DNA%E8%A7%A3%E6%9E%90%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8B-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E6%88%90%E4%B9%9F/dp/4309253725


その中でやっと海の民にも焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が間違ってはいないかもしれない雰囲気になって来ました。

  そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 これはY-DNA及びmtDNAの論文104編を読み込みメタアナリシスした結果得た、アブダクション(推論)です。追加の着想がまとまる都度書き足します。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して組み立てていますので、異論・興味のある方は、 当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。


はじめに

  当ガラパゴス史観が、Y-DNAとmtDNAツリー調査を進めて行った時、ホモサピエンスの歴史自身をもう少し深堀したい疑問が生じてきました。

 ・何故、ホモサピエンス始祖亜型のY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたるまで狩猟採集の原始生活から前進せず、 ホモエレクトスの生活レベルのままだったのか?

 ・シ−ラカンス古代亜型のY-DNA「D」、Y-DNA「E」やY-DNA「C」などの、オーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸島、アフリカなどの僻地に残った 集団も、現代に至るまで何故「A」,「B」同様、狩猟採集から抜け出せなかったのか?

 ・彼らは本当にホモサピエンスになっていたのだろうか?我々現生人類はアフリカ大陸でホモサピエンスに進化してから 出アフリカしたと思い込んでいるが、もしかすると出アフリカ後に、ネアンデルタール人との遭遇で現代型に進化したのではないか?


1.ネアンデルタール人の出アフリカから始まったようだ。

  ホモサピエンスの亜種とされているネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス:Homo sapiens neanderthalensis)は、 ホモエレクトスから先に進化し、60万年ぐらい前には出アフリカし、先輩人類としてユーラシア大陸に拡がったらしい。 そして3万年前ぐらいには絶滅した、という見解になっている。

  しかし現生人類の遺伝子の3−4%はネアンデルタール人から受け継いでいることも研究の結果解明されている。 その後、現生人類の先祖が、スタンフォード大学の研究では2000人程度の規模で、出アフリカしユーラシアに拡がるまで ネアンデルタール人の歴史は既に数十万年を経過しており、その間にネアンデルタール人はユーラシア各地で亜種に近いぐらい分化していたらしい。 アジアで発掘されたデニソワ人はどうもネアンデルタール人のアジア型の1例のようだ、 しかも研究ではデニソワ人の遺伝子が現代人に6−8%も受け継がれている、という報告まである。

  これはつまり現生人類は既にある程度の高度な文化を築き上げていたネアンデルタール人との亜種間交雑の結果、 一気に爆発的に進化し現ホモサピエンスとして完成したのではないかと考えるのが妥当なのではないかと思われる。


2.原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!

  我々現代人(Homo sapiens sapiens)の祖先は、ネアンデルタール人が先に進化し出アフリカした後も進化できずに出遅れ、 アフリカ大陸に残存していたホモエレクトスの中で、先ずmtDNA「Eve」がやっと進化し、Y-DNA「Adam」はかなり遅れて進化したと考えられていた様だが、 最近の研究ではY-DNA「Adam」も20万年近く前には既に現れていたらしい。

  しかも最近の発掘調査では、10万年前ごろにはすでにレバント地域に移動していたらしく、8万年前頃には中国南部に到達していたのではないか、と報告されてきている。 これまでの5−6万年前頃に出アフリカしたのではないかという旧説が、どんどん遡ってきているのは今後まだまだ新しい研究報告がある予兆と思われる。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人が先に進化し、出アフリカした後に、落ちこぼれ 取り残されていた最後のホモエレクトスが遅れて進化したのが、我々の直接の先祖の原ホモサピエンスだったと考えられる。

  つまり、このころまでアフリカ大陸ではホモエレクトスが存続していた可能性があり、原ホモサピエンスはホモエレクトスの最終形だったはずである。
 Y-DNA「Adam」がY-DNA「A」となり、

 Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分離し、

 Y-DNA「BT」がY-DMA「B」とY-DNA「CT」に分離したが、

    この「A」と「B」はホモエレクトスのY-DNA亜型だった可能性も十分ありえる。

 Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、更にY-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分離した。

    これは恐らく中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測可能である。

    この「C」以降が現生人類のY-DNA亜型と考えられるが、もしかするとネアンデルタール人の亜型の可能性だってありえる。

 つまりY-DNA「A」と「B」はホモ・サピエンス・サピエンスではあるが完成形ではないプロト(原)ホモ・サピエンス・サピエンスと言っても良いかもしれない。

 西欧列強が世界中を植民地化するべく搾取活動を続けているときにわかったことは、アフリカ大陸やニューギニア・オーストラリアやアンダマン島の先住民は、 何万年もの間、古代のままの非常に素朴な狩猟採集民の文化レベルにとどまっていた、ということだった。

  研究調査からかなり高度な文化・技術レベルに達していたと判ってきているネアンデルタール人と比べると、 分類学的・解剖学的な現生人類/ホモサピエンスに進化したというだけではホモ・エレクトスと何ら変わらない文化レベルだったという証明だろう。 つまり脳容積がホモエレクトスより大きくなったり、会話が出きるようになった程度では、同時代のネアンデルタール人より原始的な、 しかし可能性は秘めている新型人類に過ぎなかったようだ(しかし体毛は薄くなり、前頭葉が発達し、見た目は多少現生人類的だが)。

  では一体、なぜ現生人類は現代につながるような文明を興すほど進化できたのだろうか?大きな疑問である。 一部の王国を築いた集団を除いた、古ネイティブ・アフリカンは大航海時代になっても、狩猟採集民でしかなかった。 その後西欧列強と出会わなければ、今でも狩猟採集のままのはずである。

  このことは、文明と言うものを構築するレベルに達するには解剖学的なホモサピエンスではなく、 何か決定的なブレークスルーのファクターがあったはずである。

  ネアンデルタール人と原ホモサピエンスの亜種間交配の結果、進化の爆発が起こったと推測するのが今のところ最も妥当だろう。

  出アフリカした先輩人類のネアンデルタール人と亜種間交雑し、ネアンデルタール人がすでに獲得していた先進文化を一気に取り込むことに成功し、 恐らく人口増加率(繁殖性)が高い原ホモサピエンスの中にネアンデルタール人が自然吸収される形で統合化されたのが 完成形の現ホモサピエンスと考えるのが最も妥当性が高い。 (この繁殖力の高さが現生人類の勝ち残った理由なのではないか、想像を逞しくすると、交配の結果得た後天的な獲得形質かもしれない。)

  もし出アフリカせずネアンデルタール人とも出会わずアフリカの中に留まっていたら、 人類は相変わらず19世紀ごろのサン族やピグミー族のように素朴な狩猟採集段階に留まっているだろうと容易に推測できるが、 北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。 つまりホモサピエンスが出アフリカし狩猟採集文化から脱し、現代文明にまで至ったのは必然だったということかもしれない。


3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」とY-DNA「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級としてネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)

  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、 そこから北上し現在の中国大陸に到達した。その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」がそのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。最も頻度が高いのはTanana族である。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。


4.長江文明系稲作農耕文化民の到来

  さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

  古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した現代遺伝子亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分離しインダス文明を興し、ドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。 Y-DNA「T」からは後のジェファーソン大統領が出自している。

  Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く残されており、 テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。

  しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子はY-DNA「R1a」,「R1b」,「J2」などに変貌している為、 東アジア起源の面影は全くない。唯一タタール人に若干の面影が残っているが今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も残っている。やはり移動性の強い遺伝子のようだ。

  さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている事は研究者の周知である。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない(当史観は環境適応は進化ではないと考えるが、 ラマルクの後天的獲得形質論も進化論といわれるので、進化の一部なのでしょう。と言うことは余談だが、 人類(動物)は体毛が減少する方向に進んでいるので、実は禿頭/ハゲも「進化形態」である事は間違いない。)

  この東北アジア起源のY-DNA「O」は雑穀栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。

  一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」(旧「O2a」)と「O1b2」(旧「O2b」)が分化し稲作農耕は発展したようだ。このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

  長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し江南から更にベトナムへ南下し、 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 ほぼ純系のY-DNA「O1b1」が残っているのはニコバル諸島(Y-DNA「D*」が残るアンダマン諸島の南に続く島嶼でスマトラ島の北に位置する)のShompen族である。

また南インドのドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。

カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、ドラヴィダ民族(特にタミール人)に長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、 その結果、学習院大学の大野教授が日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となったが、こんな遠くまで稲作農耕民が逃げてきたことを間接証明した功績は大きい。

  一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州の14%は、満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い(恐らく起源は同一集団)要因となっている。 北朝鮮はツングース系遺伝子の分布が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。

過去の箕子朝鮮や衛氏朝鮮が朝鮮族の起源かどうかは全く分かっていないが、呉系稲作農耕民が起源の一つであることは間違いないだろう。


  長江流域の呉越の時代の少し前に江南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、インド亜大陸でY-DNA「O1a」はほとんど検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは台湾のほとんどの先住民、フィリピンの先住民となんと日本の岡山県である。

  岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として混在して来たのか単独で来たのか? 岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は楚系文化の名残と推測可能で、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。 台湾やフィリピンの先住民の民話を重点的に学術調査するとわかるような気がしますが。


5.黄河文明系武装侵攻集団の到来

  狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島での中国王朝出先機関内のから生き残りに敗れ逃れてきたのが、Y-DNA「O2」(旧「O3」)を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

  朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ追い出される形で日本列島に逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でも、また黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。

  この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていた戦闘要員としてのツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」であろう。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた騎馬を好む好戦的な集団と推測できる。

  この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の朝鮮半島の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由である。

  一方、韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」,Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」,「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。

  一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 特有の征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。


6.簡易まとめ

  日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、一方過去の武士団や維新前後の武士や軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 日本人を構成するもともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。

  日本人の3つの源流は、

  ・日本列島の中で約1万年以上純粋培養されてきた大多数の素朴な狩猟採集民と少数のハンターの縄文系、

  ・中国大陸から僻地の日本列島にたどり着き、集団の和で結束する水田稲作農耕民の弥生系、

  ・朝鮮半島を追い出された、征服欲出世欲旺盛な大王系/武士団系の武装侵攻集団系、

  個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの古代遺伝子(縄文系)が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。 もしこの縄文系遺伝子がなければ、日本と朝鮮及び中国はほとんど同一の文化圏と言って差し支えないでしょう。 それだけ縄文系遺伝子がもたらした日本列島の基層精神文化は、日本人にとって世界に冠たる独特の国民性を支える守るべき大切な資産なのです。


7.後記

  これまで独立した亜型として扱われてきたY-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は、 現在、再び統合されてY-DNA「K」の子亜型Y-DNA「K1」とY-DNA「K2」の更に子亜型として再分類される模様です。 つまり独立名をつける亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンのY-DNA「Q」等が含まれているのです。 とても遺伝子が近いとは思えないのです。では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

これらの亜型群は何十万年の歴史でユーラシア大陸の各地で亜種に近いほど分化していたと考えられている ネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNA亜型を受け継いだだけの可能性も十分にあるのです。

西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。 何しろネアンデルタール人もデニソワ人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で当然Y-DNAもmtDNAも遺伝子が繋がっているのだから。 恐らくY-DNAもmtDNAもほとんど同じ亜型程度の違いしかない可能性は高いのです 今後の研究の発展を楽しみに待ちましょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c3

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
4. 中川隆[-9240] koaQ7Jey 2019年6月29日 14:41:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3282]

チャンネル桜関係者が盲信している長浜浩明と田中英道のインチキ学説について詳細は

チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html


西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c4

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
18. 中川隆[-9239] koaQ7Jey 2019年6月29日 15:30:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3283]

2019年06月29日
中国農民の年収は全国平均の4分の1 奥地の農村はさらに貧しい

産み分けで女子が少ない上、貧困農村に嫁に来る女性はパンダ並みに希少

画像引用:中国農村部の子ども半数、知能発達に遅れ=米スタンフォード大研究https://www.epochtimes.jp/2017/09/28565.html

中国農民の平均年収は20万円程度

中国に好意的なメディアによると、中国には貧困は存在せず、40年間で7億人が貧困状態から脱したという。

有名メディアの記者は中国から招待されて「富裕村」に行き、日本より遥かに発展していると衝撃を受ける。

日本に帰国すると「貧乏な日本人と金持ちの中国人」のような記事を嬉々として書き、中国通を自負するようになる。



実際には中国の貧困は無くなっていないし、「中華民族」以外の居住地域は貧困状態を維持することで反乱を防いでいる。

中国政府の公式な調査で全国のサラリーマン平均給与は年収80万円以下で、平均を超えたのは北京と上海だけです。

2015年の中国農民1人当たりの平均年収は2015年に1万1422元(約17万2000円)と初めて1万元を超えた。


2011年に農民1人当たりの平均年収が6900元(約8万5千円)だったので、4年間で倍増したがその後発表していない。

2015年から4年経っているので、現在は20万円以上になっているのかも知れない。

統計発表を辞めた理由は農民以外との格差が酷いからで、2014年以前はサラリーマン年収が50万円ほどだったのに農民は7万円以下でした。

中国奥地の農村は今も貧しいままであり、中国の平均年収が80万円になっても、20万円を超えたかどうかという所です。


しかもこの統計には異人種のモンゴル人やウイグル人やチベット人が含まれない、恵まれた農民だけの平均です。

中国奥地にはタイ人やロシア人やインド、中東系などあらゆる人種が住んでいるが、中華民族ではないから統計に含めない。

こうした統計に含まれない貧困農民は、年収5万円や3万円やゼロで暮らしています。

農村の花嫁は絶滅危惧種

先日中国で「妻として売られた外国人女性1100人を救出」というニュースがありました。

農村があまりに貧しいので長男が(一人っ子政策なので長男しか居ない)後を継いでも嫁の来てがまったくない。

そこで別の村から若い女性をさらう強奪婚や、たまたま村に来た外国人旅行者を拘束して嫁にしてしまうことが昔から行われていた。


嫁の売り買いをするブローカーも存在し、農村ボランティアだとか言われてついて行ったら売られそうになった日本人旅行者も居たという。

ミャンマーのような貧しい国から嫁を買う行為も行われていて、工場で働くなどと騙されて連れてこられた人も多い。

中国の農村では兄妹婚も多く、養女をもらったり親のない女の子を引き取って、早いうちに息子の嫁として確保しておく。


息子の結婚相手を確保したい親心からで、そこまでしないと貧困農村に嫁に来る女性などいないのです。

子供の時に中国に嫁として売られる東南アジア女性は年間数万人で、韓国の農村でも同様に嫁買いをしている。

中国では一人っ子政策が長年続けられてきて、現在も「2人っ子政策」として続けられている。


ところが金さえ払えば何人でも出産して良いと言う抜け道があり、貧しい人は一人しか作れない。

嫁は絶対来ないし1人息子は生涯結婚できない、耐えられずに農民工として都市部に出ていくので、もの凄い勢いで過疎化している。

一人っ子政策の影響で男子の数が女子より5%も多いので、農村にとって花嫁争奪戦は厳しさを増すばかりです。
http://www.thutmosev.com/archives/80254693.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c18

[国際26] ロシアと中国を中心とする「新秩序」ができはじめている。(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9241] koaQ7Jey 2019年6月29日 16:02:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3284]
櫻井ジャーナルに騙されるな

ロシア人は中国人が大嫌い
ロシアは中国に天然ガスを買ってもらいたいだけ

プーチンは反グローバリズム
中国共産党はグローバリズム

ロシアと中国が同盟関係になる可能性は完全にゼロだよ


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった


ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし

アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人

ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし

ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた


アメリカが本気になれば1年でソ連を潰せたけど、それでは軍需産業が儲からなくなるから、意図的にソ連を超大国に見せ掛けた。


ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


伊藤貫 「アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1a7z5Xvo1aQ

馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc

林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/715.html#c1

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
5. 中川隆[-9243] koaQ7Jey 2019年6月29日 16:58:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3282]

長浜浩明の神武天皇即位 紀元前70年説は間違い


考古学、文献学、年輪年代学、神話学からすると、神武天皇即位は二世紀末でしょう:


従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江人、後期は漢民族系朝鮮人で、完全に別民族です。

天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り朝鮮との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論漢民族系朝鮮人です。

漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口

天皇一族は朝鮮を追われて日本に移民して以降

中国華北 → 韓国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土

の順に支配地域を広げて行った様です。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に日本人(縄文人・弥生人)は少数民族となってしまいました。


現時点でわかっている事を纏めると

日本は多民族国家で

陸稲は焼き畑農耕と一緒に縄文中期に長江から九州に伝わった

水田は弥生初期に長江から北九州に伝わった

弥生人は九州に移住した少数の長江の男が縄文女性を現地妻として作った混血児の子孫
言葉は西日本の縄文人の話していた日本語をそのまま継続使用

漢民族系渡来人は弥生時代後期に北九州に植民市を作り、朝鮮と交易を行った。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けた


信仰対象によってどの民族か簡単に判別できます:


縄文人
蛇信仰、巨木・磐座に神が降りる、死んだら円錐形の山からあの世に上がる

長江人
鳥信仰、太陽信仰、銅鐸の祭り、集落の入り口に鳥居を設ける

朝鮮からの漢民族系渡来人
中国鏡を神体とする太陽信仰、三種の神器



▲△▽▼

2017-05-31 日本神話=朝鮮神話
http://japbuster.hatenablog.com/entry/2017/05/31/092557

日本人が天から舞い降りた民族でもなければ日本から生えてきた民族でも無い以上日本人はどこからかやってこなければならない。そしてそれは間違いなく朝鮮半島であった。日本神話は確実に朝鮮神話に源流を持つ。日本神話で有名な八咫烏も高句麗のシンボルである。

↓高句麗の壁画に描かれた八咫烏

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八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。 日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、 導きの神として篤い信仰があります。

八咫烏について - 熊野本宮大社 | 公式サイト

平安から鎌倉時代にかけて皇族や貴族から篤い信仰を受けた熊野神社の主祭神は朝鮮半島ソシモリ出身のスサノオであり、そのお仕えである八咫烏は高句麗のシンボルである。熊野神社は高句麗系渡来人の神社であったのだろう。スサノオは朝鮮半島のソシモリから虵の韓鋤の剣を携えやってきてヤマタノオロチを退治した。「虵の韓鋤の剣」は間違いなく朝鮮製の剣であろう。ヤマタノオロチは蛇である。日本の古くからの信仰は蛇信仰である。蛇信仰は注連縄や鏡餅や土器などに見ることができる。脱皮し永遠の命を持つと思われた蛇は信仰の対象であった。その蛇を朝鮮半島からやってきた神が朝鮮製の剣で退治したヤマタノオロチの神話は示唆的である。これは渡来人が蛇信仰の土着倭人を殺戮した歴史では無いだろうか。

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古神道とはどのようなものか考えたときそれは原始的なアニミズムであっただろう。その特徴を色濃く残す神社と言えば諏訪大社である。諏訪大社の巨木信仰はまさにアニミズムだろう。また諏訪大社ではソソウ神という蛇神やミシャグジ神を祀っている。柳田国男もこれを先住民族の信仰と考えた。諏訪大社の主祭神は建御名方神と八坂刀売神である。建御名方神といえば国譲り神話でこっぴどくやられた神であり八坂刀売神は記紀神話には存在しない諏訪土着の神である。おそらく土着の倭人が朝鮮系の民族に追いやられた歴史を反映していると考えられる。縄文の信仰を残す諏訪大社と国を譲らざるを得なかった神。偶然の取り合わせでは無いだろう。実際縄文系のDNAは日本の周縁へと追いやられている。朝鮮系渡来人である弥生系DNAは日本の中心に分布している。

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古神道を考える上で忘れてはならないのが出雲大社である。記紀の3分の1の記述は出雲のものであり、全国にある8割の神社には出雲系の神が祭られているという。間違いなく古神道といえるだろう。出雲大社の主祭神は大国主大神である。国譲りで国を明け渡さなければならなくなった神であり、大和へその地位を譲らなければならなかった古代出雲文明の神であろう。事実、大国主神は祟り神として知られている。大国主神は国津神の主祭神であり土着の神である。大国主神もまた縄文系の土着の倭人の神であろうか。出雲大社にも流れ着いた海蛇を祀る風習があるという。古代の蛇信仰も色濃く残した神社である。研究によれば出雲の人々のDNAは朝鮮人や中国人とは違うようだ。やはり出雲大社は土着の倭人の神社であるように思われる。

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比較的新しい信仰が天照大神信仰であろう。天照大神は天津神である。渡来人の神であろう。天照大神は機織りや稲作を行う記述があることからも渡来人であることが伺える。天孫降臨神話においても天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊は「この地は韓国に面して、笠沙の岬にも通じており、朝日と夕日が照らす素晴らしい土地である」と発言したように、朝鮮半島との関係をうかがわせる。天照大神は皇室の祖神であり、国家神道の主祭神である。大化の改新の後に皇祖神となったと言われている。持統天皇が日本書紀を編纂させた。その日本書紀が天照大神に特別な地位を与えたと言われている。
http://japbuster.hatenablog.com/entry/2017/05/31/092557


▲△▽▼


朝鮮と日本の神話の類似性
上田正昭 京都大学名誉教授(2002年1月26日 講演記録より)

百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。

百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。

百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。

新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。


 共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。

同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。

伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。

 「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。

そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。

伽耶の国の建国神話があります。[史料4]

「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。

禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。

「所居北亀旨(クシ)」。

今も首露を祀っている廟があります。

「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。

変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。

「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」

と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。


 天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html


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「朝鮮隠し」 と 「日本神話」

「白村江の戦」で新羅に破れ国を追われた百済人は、故郷を追われた怨念もあったであろうか、追われた身としてではなく「天から降臨した神の子」として新天地づくりに熱情を傾けた。自分たちの国として、自分たちの位置づけを明確化し、故郷に対する優越意識を高めるために、「朝鮮隠し」なるものを発揚させたのである。

「日本」という国号を作り、「我々は日本人である」という意識高揚が、現日本人の祖先の位置づけを曖昧化させた。朝鮮系の地名・人名を変え

加羅→唐 高麗→呉 金→今、

その風潮は1300年経った現在も消えず、朝鮮の痕跡を顕在化させまいとする歴史が今でも点灯している。


「日本神話」の真実

ソウル市内の国立中央博物館で韓国の「檀君神話」 と「日本の建国神話」 を比較考察する学術会議が開催されたとき、アジア史学会会長 上田正昭氏の論文が事前公開された。その際、上田氏の

「天孫が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」

という記述に注目が集まったという。日韓の神話を比較研究してきた上田氏は、

日韓の天孫は山頂に降臨しており、共通点が多い

と主張。百済の神の存在が、日本で継続的に命脈を受け継いできたと指摘しているという。


日本の建国神話は、韓国の「檀君神話」の影響を大きく受けており、この事実は韓国だけでなく日本史学界でも認められているという。「日本神話」は、主に八世紀初めに書かれた「記紀」の記述がもとになっている。

この説は、「駕洛国記」による韓国の降臨地「亀旨kuji」と「記紀」による降臨地「久志」の音がそっくりであることからも否定できないという。


日本にも朝鮮にも、「仏教」以前から「神道」が存在している。

「神道」は、朝鮮半島の古代文化を形成した北方民族 (騎馬民族) のシャーマニズムに由来すると言われている。北方民族のシャーマニズムは「天孫降臨神話」をもっており、「天孫降臨神話」が日本にも朝鮮にもあるということは、騎馬民族によって形成された朝鮮文化の流れに日本も乗っていることになる。

弥生時代から急増した朝鮮渡来人が、倭国へ「神道」をもちこんだのはごく自然な流れだろう。


梅原猛は「芸術新潮(2009年)」の大特集「古代出雲王朝」で、

「日本書紀の記録や出雲で発見された古墳・遺跡・大社の社などから判断すれば、

スサノオは朝鮮半島から出雲へ来た

という説が正しい。スサノオがヤマタノオロチを切った刀は韓鋤の剣であることからしても、スサノオが韓国から来た神であると考えるのが最も自然であろう。

スサノオに始まる出雲王朝には朝鮮の影が強く差している。」

と述べている。さらに、梅原猛は、著書『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』で、

「出雲王朝の創立者は韓国系と考える。

その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。
銅鐸の起源は韓国の貴族が双馬馬車につけていた鈴だ。
スサノオが韓国からきたとする説はますます有力になっている。
新しい日韓関係を見せてくれる。韓国に注目しなければならない。
古代日本にとって、韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた。」


と述べている。


出雲市の斐伊川の上流に「鳥髪」という所がある。

市町村合併によりその地名なくなったが、奥出雲の「鳥上小学校」「鳥上公民館」の「上 かみ」は「髪」の音から転用した語である。

AD四世紀ごろ スサノオは韓国の「소머리 somoli 牛頭」から奥出雲の「鳥髪(とりかみ)」へ渡来し、「たたら流し」のリーダーとして名を成した人であるという。

スサノオは砂鉄によって「草薙の剣」を作った偉人という伝説があり、「草薙の剣」はヤマタノオロチの尾にあった剣のことである。「記紀」の神話を書く際に、フィクションのモデルにされたのはスサノオであろうという説がある。奇妙に思うかもしれないけれども、

「記紀」を書いたのは渡来人(主として百済のエリート)であり、「記紀」が書かれるより300年前の伝説の人 スサノオも渡来人である。

「日本神話」の成立についてのこのような話は、現在の日本人にとって想像を超えた物語に聞こえるだろう。


「소머리 somoli 牛頭」と「鳥髪(とりかみ)」は同じ言葉で、「소 so 牛」が「새 se 鳥」に転訛し、「머리 moli 頭 髪」は「鳥髪」の「髪」と同じ言葉であるという。

スサノオが天から降りて来たという神話は、朝鮮の「天孫降臨神話」を模したものでフィクションに過ぎない。このような真実を、馬鹿馬鹿しい想像によるものであると影に移し、「記紀」が書かれて1300年たった現在ですら「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」は日本神話の真髄である。朝鮮の影が映っている歴史は影に過ぎないと追跡せず、朝鮮由来の歴史は朦朧と曖昧化されている。従って、日本の古代史の書籍には「謎である」という解釈が目立ち、日本語のルーツは明治以来150年にたってもわからないのだから、今後も「謎だらけ」であろうと豪語する学者らしき人の書籍が店頭を飾っている。
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1eca.html


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10. 2013年7月13日 17:47:40 : WUs3UH3xVg

天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、
として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。
例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような
盛り土である事は知られています。
古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。
終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。
当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、
それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。


日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。
日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。
現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。


民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の
小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である
ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、
そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。

38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、
仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ
可能性が浮かび上がります。

(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係して
いなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)

こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで
爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。

天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、
戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において
戦争経験者が多く存在する時代ですし、
天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではない
といえるでしょう。

そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html

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昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16

あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。

と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


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hoh********さん 2016/2/13 01:29:09

神武東征は実際にあったとすれば、西暦何年頃の出来事だと思いますか?


pin********さん 2016/2/13 21:23:55

「日本書紀の神武紀」を見ると、彼らは、大阪湾までやってきて、「登美のナガスネヒコ」との戦闘の時に、舟で日下の蓼津(現在の東大阪市日下町付近)まで進出して来ます、そこでの戦闘で、兄の五瀬命が負傷したので、南方(現在の大阪市淀川区西中島南方付近)を舟で経由して撤退し血沼海(茅渟海、大阪湾)に出たとの記述があります。

現在の地形では、「蓼津も南方」も陸地で、舟で到達したり通過したりすることができません。

でも、250年から300年頃の弥生時代の後半には、大阪湾の奥に河内湾というのがあり、この二つの湾を分断するような半島状の地形(片町台地)の先端部分が開いていて、海水が河内湾にも流入していたのです。

その後、堆積物によりふさがって河内湖になり、ふさがったところが「南方」です。

このように、「神武」が東征してきた時の状況がリアルに伝えられていますので、時期としては、250年から300年ごろのことだと考えられます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13155826588


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実在したアマテラスの墓と八咫鏡

糸島郡の平原遺跡 2014-11-02


平原遺跡 :糸島郡前原町平原

昭和40年糸島郡前原町平原(当時、現在は平原市)において、農作業の最中に多量の朱と共に大小鏡の破片等が発見された。

偶然の発見であったが、福岡県教育委員会はただちに原田大六を調査団長とした発掘調査団を組織し、調査・発掘が実施された。結果、遺構は東西十八m、南北十四mの長方形の方形周溝墓で、弥生時代から古墳時代にかけての遺構であるとされた。原田大六は、2世紀中頃であるとしている。

遺構の中央部には、割竹形木棺を収めていたと思われる痕跡もあった。

この遺跡からは、破砕された合計39面の鏡、ガラス・メノウなどの装身具、素環頭太刀等が出土し、鏡の枚数は一墳墓からの出土数としては我が国最多であった。

又、復元された内行花文鏡は直径が46.5cmもあり、これ又我が国では最大経の鏡であった。太刀等武具の少なさ、装飾品の豪華さ、それに鏡の多さなどから、原田は、この遺構を「伊都国の女王」の墓だと想定している。

平成2年には、平原方形周溝墓出土品が国の重要文化財に。さらに、平成18年には国宝に指定されました。

副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されていて、銅鏡のなかには日本最大級の直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありました。ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一。

副葬品にネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、この墓に葬られた人物は女性で、特に超人的な力を持った女性ということで、卑弥呼の墓という説もあるほどです。


1号墓出土品(国宝)

大型内行花文鏡 4面(5面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、仿製鏡(日本製)、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡である。

内行花文鏡(内行花文四葉鏡) 2面

方格規矩鏡 32面、(鋸歯文縁方格規矩四神鏡が23面、流雲文縁方格規矩四神鏡が9面)

四螭文鏡 1面

メノウ製管玉 12個
ガラス製(瑪瑙:めのう)勾玉(くだたま) 3個、ガラス丸玉 約500個
ガラス小玉 一括(約500)
ガラス管玉 一括(30以上)
ガラス連玉 一括(約886)
耳璫(じとう、耳珠)3
素環頭大刀 1振
鉄鏃10
鉄やりがんな1
鉄のみ1
鉄斧1

 日本一大きな国産の内行花文八葉鏡四枚について、考古学者故原田大六(だいろく)はその図抜けた大きさと特異文様とが、伊勢神宮に関する種々の史料から内宮の御神体である八咫鏡( や たのかがみ)と同じものではないかと推察し、次のように述べている(『実在した神話』、学生社)。

「伊勢神宮の八咫(やた)の鏡と平原弥生古墳出土の大鏡は上述のように、寸法、文様ともに食い違ったところを見受けないのである。これがもし事実だとしたら、平原弥生古墳には大鏡の同型同笵鏡(どうはんきょう)が四面あることから、はじめは五面を作製したものの一面が伊勢神宮の御神体になっているといわれないことはない」

原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。

 森浩一氏も、この原田説を支持され、

「原田氏の生涯をかけての、この重要な研究が基本において修正を要しないとすれば、八咫鏡は弥生時代後期に北部九州で製作され、他の同類は破砕されたけれども、一面だけがはるばる近畿地方にもたらされたということになる」

と述べておられる(『日本神話の考古学』)。


 豊玉姫−玉依姫−イワレヒコ(神武)の系譜から、この鏡の製作の中心にいたのは母豊玉姫を弔(とむら)ったであろう玉依姫ということになる。

その玉依姫が、わが子神武の東征にあたって、鏡の一面を携帯させたとすれば、当然、大和朝廷においてその鏡は玉依姫の鏡として長らく宮中にあったに違いない。それが、

「崇神五年、国内に疫病多発、人民の大半が死亡、六年には国内大混乱。その原因としてこれより先、宮中にアマテラスと倭(やまとの)大国魂(おおくにたま)の二神の並祭が、お互い神威が強すぎることにあると思えたので、別々に祭ることにし、アマテラスは豊鋤入姫(とよすきいりびめ)に託して云々」

とある『書紀』に従えば、このときからアマテラスこと玉依姫の依り代である八咫鏡が、現在の鎮座地である伊勢へと至る長い巡幸が始まるのである。 

 その伊勢神宮内宮を見てみれば、アマテラスこと玉依姫の相殿に万幡(よろずはた)豊秋津姫こと豊玉姫が鎮座している。


http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3124.png

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原田先生の報告書は『平原弥生古墳 大日霊貴の墓』

原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。


tokyoblog April 2015 八咫の鏡

「咫(た)」とは円周の長さの単位で、1咫=8寸、直径2.5寸の円周(円周率3.2)とされている。
八咫鏡とは直径2尺、46センチの鏡という事になる。

平原遺跡からは、まさに直径46センチの国内出土最大の鏡が4枚出土している。御統は勾玉や管玉などを緒に通して首飾りにしたもので、五百箇の御統とは、珠が五百箇ある首飾りという事になる。平原遺跡出土の首飾りを写真で数えてみると約470個の珠があった
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%E7%B3%B8%E5%B3%B6%E9%83%A1%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%81/


平原遺跡(ひらばるいせき)は、福岡県糸島市にある弥生時代後期のものと考えられる遺跡。 曽根遺跡群の一つとして、昭和57年10月、国の史跡に指定。平成12年10月追加指定。

平原遺跡は弥生時代後期から晩期の5つの墳丘墓を合わせた名称である。 1965(昭和40)年1月、平原遺跡1号墓が偶然発見され、原田大六を中心に学術調査された。昭和63〜平成11年度にかけて、1号墓周辺に調査範囲を広げて、最終的に5基の墳丘墓が発見されている。 この遺跡は「平原歴史公園」として、1号墓のみが墳丘墓として復元管理されている。

1号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年、国宝に指定された(文化庁所有、伊都国歴史博物館保管)。


1号墓は方形周溝墓で、割竹形木棺の埋納が検出されている。

その1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あった。これらの破片は当初、39面分に復元されていた。

その後の調査の結果、従来4面に復元されていた直径46.5センチメートルの大型内行花文鏡の破片が実は5面分の破片の可能性があると指摘された。(前原市調査報告書)。このうち1面が九州国立博物館、4面が伊都国歴史博物館に展示されている。

1990年の重要文化財指定時には、銅鏡の員数は39面分とされていたが、上述の調査結果をふまえ、2006年の国宝指定時の官報告示では、銅鏡の員数は40面分となっている[1]。この数は1つの墳墓から出土した銅鏡の枚数としては日本最多である(2009年現在)。

なお直径46.5センチメートルの鏡の外周は鏡の円周の単位で八咫(やあた)あることから、八咫鏡と同じ大きさになる。

この副葬された多数の銅鏡片は「人為的に破砕されたモノではない」と発掘責任者の原田大六は主張している[2]。

学術調査時に、2〜5号墓からは青銅器類の遺物は発見されず、出土した土器や石器類などから弥生時代後期の墓と推定された。5号墓から発見されたとする銅鏡の鈕部分2個は、この破片が土中から発見されたことから5号墓の発見に繋がっていることによる。


主な出土品

1号墓大型内行花文鏡 5面(または4面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、日本製、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡。
内行花文鏡 2面
方格規矩鏡 32面
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900
耳璫 3破片
素環頭大刀 1


国宝指定名称は以下のとおり。

福岡県平原方形周溝墓出土品 銅鏡 40面分
玉類 一括
鉄素環頭大刀 1口
附:土器残欠、ガラス小玉、鉄鏃等 一括

5号墓銅鏡片 2


1号墓から出土した大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)を、その文様と大きさから原田大六は「八咫鏡」と解し、伊勢神宮の八咫鏡も元々は同型の鏡であったのではないか、との説を提示している[5]。『御鎮座伝記』に「八咫鏡」の形は「八頭花崎八葉形也」とあり、この「八頭花崎八葉形也」の図象を持つ考古遺物は現在のところ、この「大型内行花文鏡」のみである。

1号墓は副葬品の多くが勾玉や管玉、耳璫(耳飾り)[6]などの装身具であり、武器類が少ないため、この墓に埋葬された人物は女性であると考えられている。 原田大六はこの平原1号墓の主を玉依ヒメとし、大日孁貴であるという説を提示している[5]。

1号墓の東南にある直径約70センチメートルの縦穴を、発掘調査した原田大六は、湧水の存在から井戸として報告している。この縦穴を「前原市報告書」は大柱跡(穴中の土壌成分未調査)として、墓から見て東南の日向峠の方角に位置していることから、この大柱跡は太陽信仰に関係するものとの説を提示している。

墓壙周辺の12本の柱穴の遺構について、原田大六は「銅鐸や弥生式土器などの絵画に見られる棟持柱を持つ切妻造の倉庫建築の柱の配置にこの柱跡の遺構が似ている」として、この墓壙周辺の12本の柱跡は「殯宮関係の建築物の遺構と考えられる」としている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1


2008.9.28
邪馬台国の会 【特別講演会】 柳田康雄先生  伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm

1.伊都国と邪馬台国  柳田康雄先生


私は伊都国とは深い関わりがある。平原遺跡を始め数多くの遺跡の発掘に携わり、平原遺跡の巨大鏡を始め120枚以上の鏡を発掘した。

平原遺跡については発掘後20年以上になるが、ようやく報告書を刊行することができた。

今日は、これらの経験を踏まえて、邪馬台国に入る直前までの北部九州(福岡、佐賀)の状況について解説する。

■ 弥生時代のクニと国の出現

弥生時代の集落を村とすると、それを束ねているのを考古学で、カタカナで「クニ」 という。そして、この「クニ」が「国」に発展する。

現在、発掘が進んでいる早良(さわら)平野に、弥生中期の初め(紀元前200年前後)に 出現した遺跡があり、朝鮮半島の青銅器がはじめて副葬品として現れる。

そのなかの吉武高木遺跡は青銅器が副葬される率が高い。なかには、1人で銅剣、銅戈4本を持ち、小さいが「多鈕細文鏡」という鏡を持ち、勾玉を持つものがある。

銅剣を1本もっている集落が周辺にいくつか散らばっている。 この地域ではこのような銅剣は合計15〜16本出ているので、これは、吉武高木遺跡を中心に付近の村を統率した「クニ」が出現していたと考える。

弥生時代初期からある板付遺跡は福岡平野の拠点集落であるが、ここには弥生中期の初めに銅剣、銅矛7本が出てくる墳墓が出現する。しかし福岡平野の他の地域からは出てこない。

少し後の弥生中期の中ごろ以後、春日平野の須玖岡本遺跡に青銅器が集中する。青銅器を作る工房も集中する。ここでは銅鏡30枚、銅剣、銅矛が8〜10個出土した甕棺が出現する。

福岡平野は、中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。

須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。

比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。

弥生中期の段階で首長墓が出てくる。弥生中期の終わりに、いままでは朝鮮半島との 交流ばかりであったが、福岡平野の首長墓から中国の鏡が出てくる。

これは全部前漢時代の 鏡である。三雲南小路遺跡からは1号甕棺と2号甕棺の合計で57枚の前漢鏡が出土した。

三雲南小路の1号甕棺は、金銅製の埋葬用の飾り金具(下図の8)が発見されている。これは、皇帝が王侯クラスに下げ渡した物で、1号甕棺が王墓であることを示している。


2号甕棺は22枚の小型鏡が出ているが、ペンダントや勾玉が多数出ていることや、武器がないことから女性の墓と考えられている。

なお、昔に発掘されたもので、金ぴかなものなど価値のありそうなものは持ち去られたりして申告されていない可能性がある。 このようなことも考慮しないと、出土物についての研究では誤る可能性がある。


井原鑓溝遺跡は江戸時代に発掘され、鏡の鈕が21個あったことから少なくとも21面の鏡があったとされる。鉄刀や鉄の鎧なども発見されていることから王墓級の墓である。ただし、大型鏡がない。


最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。

九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。

このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。

後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。

吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。

■ 平原遺跡

平原遺跡の1号墓は王墓である。寺沢薫氏などの近畿の一部の考古学者も王墓と認めるようになった。

王墓もランクがある。鏡の大小や数だけでなく、いろいろな要素で決まる。

王墓には鏡がなければいけない。4世紀までの初期の前方後円墳の副葬品は鏡が主体である。

鏡を副葬品の主体とする墳墓は、弥生時代では三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡、平原遺跡だけである。

棺の主軸近くにある柱跡と、少し離れたところにある大柱の跡を結ぶ線を延長すると、日向(ひなた)峠に向かっている。

10月20日ごろの収穫の時期に日向峠から日が昇るので、何か関係があるかも知れない。

墓には長さ3mの刳抜式木棺があり、大量の朱が蒔かれていた。

頭と足の付近で大量に見つかった鏡の破片のうち、頭付近の破片は全て元の鏡に復元できた。

墓坑のコーナに柱穴の跡があり、木槨があった可能性がある。ホケノ山古墳と同じよう、副葬品は木槨の上から落ちてきているように見える。


出土した前漢鏡(上図左)は直径16センチもあり、この型式の鏡としては中国でもトップクラスのもので、楽浪郡でも見つかっていない。平原の王が中国の外臣の中でも上位として扱われた証拠であろう。

この鏡は、カドが丸くなっていて、周りがすり減っている。前漢末に作られたものが、平原の王の時代まで伝世されたものと思われる。

また、直径21センチの方格規矩四神鏡(上図右)は、京都大学の岡村秀典氏の編年では、漢鏡4期から5期の鏡で、1世紀前半から中頃のものとされる。

しかし、後漢の始めの鏡とすると、銘文は鏡の上から始まるのだが、この鏡では下側から始まっているのはおかしい。

また、後漢の鏡では四の文字を横棒四本で現すのが特徴であるのに、ここでは四の文字を用いている。

つまり、この鏡は岡村氏の言うような中国の鏡ではなく、日本で作られた製鏡である。

平原からは40枚の鏡が出土しているが、直径46.5cmの超大型内向花文鏡や、直径27cmの内向花文鏡も中国にはなく、製鏡と思われる。

平原王墓から、楽浪郡などでも出土するガラス耳(じとう:ピアス)が出てくる。

耳は女性の墓からしか出ないので、平原王墓の被葬者は女性であると判断できる。

耳は時代が降るに従って端部の広がりが少なくなり管玉のようになる。

平原出土の耳は端部の広がりがほとんど無く、後漢の終わり頃のものと考えられている。発掘主任の原田大六氏はこれを琥珀の管玉としていた。

平原王墓からは、ガラス連玉、ガラス小玉、細型ガラス管などが多数出てくる。

右図上段左の連玉は直径5ミリ長さ2センチほどのものだが、高度な技術で作られており、内側は薄い空色で外側が紺色の二重構造になっている。

平原王墓を始め伊都国の地域からは、加工途中のものを含め大量のガラス玉や小玉が出てきており、この地域が高い技術でガラス飾りや玉を製作していたことがわかる。

三雲の弥生終末の遺跡からファイアンス(ガラスの釉薬をかけた焼きもの)が出てきている。

ファイアンスは地中海地域が起源で、エジプト・メソポタミアや中国にもあるので、海のシルクロード経由で南方からもたらされた物である。

伊都国地域のガラス玉の技術も南方から海を経由して入ってきたものであろう。

■ 弥生終末から古墳時代

福岡市の那珂八幡古墳は九州で最も古い時期の前方後円墳である。前方部がやや長めだがその形から纏向型前方後円墳であろう。

このような古墳は小さいものを含め、福岡県には多数あるが、唐津を除くと佐賀県にはない。

弥生時代の福岡県の王墓・首長墓を、副葬品の数などの要素から5段階のランクを付けて表に整理してみた。

この表を見ると弥生後期では圧倒的に伊都国の地域に権力が集中していることがわかる。

北部九州の地域では、弥生王墓から初期の前方後円墳に権力が繋がっているのである。

近畿地方でもこのような表を作って検討して欲しい。近畿で前方後円墳が発生したとするなら、福岡地域のように弥生時代から繋がっていないとおかしい。

近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備から東瀬戸内の要素である。

近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、これらの地域の影響を受けて出来たものである。

弥生終末と古墳出現の時期はAD200年頃と考える。卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。

考古学者の中には、邪馬台国は弥生時代にあったと考える人がいる。邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。

平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。平原の被葬者は卑弥呼と親子関係なのではないか。


2.柳田先生の論点                             安本美典先生


邪馬台国論争そのものは、いずれ別の機会に行いたいと思うので、今回は論点の整理をしてみたい。

■ 考えの一致する部分と異なる部分

柳田先生は著書『伊都国を掘る』のなかで、原田大六氏の発言を引用して「考古学的事象は日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の「神代」神話をさけて通ることは出来ない。」と述べているが、これについてはまったく同感である。

また、「これまで、多くの研究者が平原王墓を無視してきたが、そのために邪馬台国問題や古代国家形成で避けて通れない古墳出現期の諸問題の研究に多くの時間がかかった。今後は、古墳出現期の研究に対して、平原王墓を正面から評価し、その研究に取り組んで欲しい。」とする考えについても賛成である。

邪馬台国に関連する部分では、柳田先生の考えは「伊都国東遷説」ともいえるような内容である。すなわち、邪馬台国は大和朝廷の一時期の姿であり、大和朝廷は九州で発生し、邪馬台国時代以前に畿内に移ったと考えておられる。邪馬台国は畿内にあったことになる。

いっぽう、安本先生は、九州勢力が畿内に移ったのは邪馬台国時代の後であり、邪馬台国は九州にあったとする。

北九州勢力が畿内に移ったとする点では、柳田先生と安本先生の考えは同じであり、中山平次郎や和辻哲郎が述べていた「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性」や「大和の弥生文化を代表する銅鐸と、古墳文化の非連続性」は、このような考えと整合するものである。

骨組みの所で意見が異なるのは、北九州勢力が近畿地方に移動する時期の違いである。


■ 洛陽焼溝漢墓出土鏡の時期について

洛陽の焼溝漢墓の鏡の年代の、日本での紹介のされ方がおかしい。洛陽焼溝漢墓の鏡の年代は平原遺跡の年代にも関係する重要なことである。

下表は、奥野正男氏の『内行花文鏡とその製鏡』(季刊邪馬台国32号)による。ただし、後漢晩期の年代幅は、もとの報告書に基づき安本先生が訂正。

平原遺跡から、長宣子孫内行花文鏡が出土している。長宣子孫鏡は、焼溝漢墓では、第六期に最も多く出土する鏡である。

奥野氏は、第六期を後漢晩期として、後147〜160という年代幅を与えていたが、もとの報告書では、西暦190年の年号が記された入れ物から第六期の鏡が出土した記録があり、第六期は少なくとも190年まで時代を広げるべきである。

柳田先生は、平原遺跡を西暦200年ごろと見ておられるので、長宣子孫鏡が洛陽で190年ごろに使用されていたことと年代的には整合することになり、平原の年代についての柳田先生の見解に納得できる。

ところが、京都大学の岡村秀典氏は、平原遺跡でも出土した長宣子孫鏡を漢鏡5期とし、紀元75年頃の鏡としている。平原を200年ごろとする柳田先生とは、100年以上年代が異なっているのはおかしなことである。

3.対談                         柳田康雄先生 VS 安本美典先生


■ 平原遺跡について

安本: 副葬品から考えると平原遺跡を卑弥呼の墓と考えてもおかしくない。しかし、『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径100余歩と記されている。魏の尺度では100余歩は100m以上になるが、平原遺跡全体に土を持った墳丘としたとき100m以上になる可能性はあるのか?

柳田: 14m×10mくらいの方形周溝で区切られているので、まったく無理である。周溝があると言うことは、掘った土を盛り上げるので、もともとは墳丘があったはずだが、100m以上にはなり得ない。

安本:女性の墓か?

柳田: 弥生時代で一番大きな素環刀太刀が出てきているが、女性の墓からしか出土しない耳(じとう:ピアス)が出土しており、女性に間違いない。

また、女性の墓とされている三雲南小路2号墳と同じように、小型の鏡に色を付けて模様を塗り分けていることからも女性の墓といえる。

■ 三角縁神獣鏡と庄内式土器の初現

安本:柳田先生の著書に「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは九州の前方後円(方)墳のみである。」という文章がある。これを素直に理解すれば、三角縁神獣鏡が出てくるのは、畿内より、九州の方が早いということになるが・・?

柳田: 土器で見ると、庄内式土器の一番新しい物と三角縁神獣鏡がいっしょに出るので、三角縁神獣鏡は九州の方が先に出現したといえる。

■ 庄内式土器

安本: 庄内式土器が畿内で発生したことを疑っている。九州の方が早いのではないか?

柳田: 庄内式土器は圧倒的な量が近畿から出る。古い庄内式土器は九州では少ないが三雲遺跡で若干出てくる。しかし、近畿の人はこれを新しいと言う。私も土器の編年についてはみっちりやってきたがどこが新しいというのか良く判らない。私が見ると古いのもあるのだが数は圧倒的にすくないのは確か。

庄内以前の土器は単体で九州に流れてくるが、庄内式土器からは高坏や壺がセットで出現する。ここに大きな違いがあるので庄内式土器から古墳時代に移る。

九州の古墳では、那珂八幡古墳などから庄内式土器の新しい物は出てくるが、古いものは出ない。しかし、近畿と違って、庄内式土器の新しいものと三角縁神獣鏡がいっしょに出てくる。

■ ホケノ山古墳

安本:庄内式土器や画文帯神獣鏡を出土したホケノ山古墳から、布留T式相当の小型丸底土器がでている。柳田先生も、土器の底部の形態変化は平底→凸レンズ状平底→とがり気味丸底→丸底という変化の方向であることを述べておられる。従って、小型丸底土器を出土するこの古墳は、かなり新しいのではないか?

『ホケノ山古墳調査概報』には、布留式相当の小型丸底土器と庄内式土器が同時期に使用された可能性が高いと記されている。そうすると、ホケノ山の庄内式土器の年代は、かなり新しい布留式土器の時代になるのではないか。

柳田: 当事者ではないので、確定的なことを言えない。一時、ホケノ山古墳は新しい布留式土器の時代との話もあったが、今年の2月の勉強会では、また古いとされているようである。

一般的に言えば、古い土器と新しい土器がいっしょに出たら新しい土器で年代を考えるのだが、発掘担当者などによる最近の勉強会では、ホケノ山のものは布留式土器の古いものが見つかったと解釈しているようである。

また、見つかった銅鏃は、普通にみれば布留式土器に伴う銅鏃であるが、これも、古い銅鏃という解釈をしているようだ。報告書をまとめる人たちは、古墳の年代を3世紀なかごろ以前と考えているようだ。

■ 伊都国と女王国の位置関係

安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。

ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?

柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。

大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。

文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。

■ 三種の神器

安本: 三種の神器が出てくる遺跡は須玖岡本遺跡、平原遺跡、三雲遺跡と言われたが、 すぐ南の東小田峰遺跡から璧がでているので、璧を玉と考え、剣、鏡も出土しているので、 三種の神器が出ているといえるのではないか?

柳田: 玉というのは勾玉ではないのか?

安本:璧という字は下に玉がついているので・・・

柳田:ははは、それなら認めます。(^_^)

璧を持っている三雲南小路や須玖岡本は最高ランクであるが、かけらを加工したものがその次に準じると國學院雑誌にはっきり書いた。

東小田峰遺跡では4分割以上したものを丸く再加工して璧に見せようとしている。更に璧のかけらを再加工して勾玉に見せようとしたものもあるので、東小田峰遺跡の例も勾玉と同レベルと考えて良い。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm


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古代史の鍵・丹後 籠神社
太陽信仰もつ海人集団の拠点
「元伊勢」、伊勢神宮の成立に関与?
 京都府の丹後(かつての丹波)地方は、天女伝説や浦島伝説で知られる。近年、古代海部(あまべ)氏の系図が公表されたり、考古学的にも注目すべき遺物が出るなど、漁労や航海を生業とした海人集団による独自の歴史性が明らかにされつつある。

 丹後半島の東側、日本三景の一つ「天の橋立」の付け根に、「元伊勢」といわれる籠 (この)神社が鎮座する。祭神はホアカリノミコト(火明命)で、丹波国造が祖神として祭った。

 籠神社の宮司家は海部直といい、宮司家が長く秘蔵してきた二つの系図、通称「海部氏系図」「勘注系図」は、現存する最古の系図として、昭和五十一年に国宝に指定された。

 これら系図によれば、海部直氏の始祖、ホアカリノミコトをオシホミミの第三子とする。

 オシホミミは『古事記』によれば、天照大神の子である。一方、『新撰姓氏録』(九世紀成立)によれば、ホアカリノミコトは愛知県の濃尾平野に勢力を築いた雄族・尾張氏の祖神である。尾張氏の配下にあった有力な海部集団が、ホアカリノミコトを自らの祖神としたものらしい。


浦島伝説にちなんで名前の付けられた丹後半島の亀島

 籠神社にはまた、二枚の中国製の銅鏡も伝えられてきた。それぞれ前漢時代、後漢時代のもので、系図中にも「息津鏡」(おきつかがみ)「辺津鏡」(へつかがみ)と記されている。昭和六十二年に初めて公表され、弥生時代に招来されて以来、二千年にわたって伝世されたということで、大きな反響をよんだ。息は沖、辺は岸辺のことで、航海の安全に呪力をもつ鏡として祭られたものだ。

 銅鏡といえば、平成六年には、竹野郡弥栄町の墳墓から、邪馬台国の卑弥呼の晩年に相当する「青龍三年」(紀元二三五年)の年号がある銅鏡が発見され、卑弥呼とのかかわりも取り沙汰された。

 弥生時代の近畿地方には、銅鏡文化はほとんどなく、丹後の特殊性がうかがわれる。太陽信仰をもっていた海人集団の幅広い活動を示すといえよう。

 ホアカリノミコトは太陽神で、各地に鎮座するアマテル(天照)神社の祭神である。神話学の松前健氏は、もともとあった「アマテル」という神が、その格があげられて皇祖神である「アマテラス」となったのだと説く(『日本神話の形成』)。

 当時の海人集団の習俗をパノラマ的に描いたらしい土器がある。鳥取県西伯郡淀江町から出土した壷(弥生時代中期後半)だ。神殿建築のような高床式の建物があり、その右側の船には、鳥の装束の人物が乗っており、船の上には太陽らしい渦巻き(同心円)紋がある。

 さらに、左側の木には、瓜のようなものが二つぶら下がっている。金関恕・天理大教授 によれば、銅鐸であるという。千田稔・国際日本文化研究センター教授は、このパノラマ図について銅鐸をともなった弥生時代の太陽信仰を描いたものとし、アマテル信仰の 源流とみている。


息津鏡=籠神社・海部宮司家所蔵

 しかしこれがアマテラス信仰の源流であるかについては、さらに検討の必要がある。ホアカリノミコトは、天照国照彦火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと)のように、ニギハヤヒと複合で称されることがしばしばで(丹後の天照玉命神社もその一つ)、ニギハヤヒは物部氏の祖神の名であるからだ。

 物部氏は銅鐸を奉祭した氏族とみられ、実際、丹後には銅鐸が多く出土する。天ノ橋立に囲まれた阿蘇海に流入する野田川右岸の加悦町から、銅鐸形土製品が発見され、籠神社の東の由良川の上流には、阿陀岡神社が鎮座し、付近から二個の銅鐸が出ている。

 郷土史家の金久与市氏によれば「銅鐸出土地には必ずといっていいほど古社がある。海洋民の集団が由良川をさかのぼり、上流地点に銅鐸を祭祀し、祠を建立、拠点としたのではないか」(『古代海部氏の系図』)という。

 丹後町から西に向かう網野町の函石浜遺跡からは、中国の新時代の王莽によって鋳造された「貨泉」が発見されている。中国とかかわる交流を物語るものだ。

 平成十年には、王墓とみなされる墳墓(弥生後期〜末期)が籠神社から約三キロ西南で見つかった。美しい透明の青色ガラス製の釧で話題を呼んだ。他に、貝輪系の銅釧(く しろ)(腕輪)十三点、鉄剣十四本などが出土したが、これらは九州系の文化遺物である。

 銅鐸氏族・物部氏には、天磐舟(あまのいわふね)による降臨神話があり、先の壷のパノラマ図をほうふつとさせる。物部氏は航海、交易によって栄えた氏族だったといえよう。


 さて、この地を「元伊勢」というのは、天照大神が大和から伊勢に遷座する途中、最初に立ち寄ったのが、この籠神社だったとする伝承が、伊勢神宮に伝わる「倭姫命世記」(やまとひめのみことせき)(七六六年の成立という)にあるからだ。また、伊勢神宮外宮の豊受大神ももと籠神社奥宮の祭神で、八世紀に、丹後から遷座したと伝えられる。

 このように、丹後は大陸・韓半島に近いがゆえに、物部氏や海部氏をはじめとする海人集団の幅広い活動の舞台となり、アマテラスの伊勢への遷宮ともかかわりをもったと思われる。まさに古代史を解くカギが潜む地といえる。

http://tamagaki.exblog.jp/2992078/


京都府北部、丹後半島の付け根にある天橋立は、日本三景の一つに数えられる観光の名所ですが、天橋立を渡ったところにある丹後一の宮、籠(この)神社はまた、古代史ファンにはよく知られた神社です。

 1975年、神社に代々極秘で伝えられていた系図が公表され、関係者の大きな注目を集めました。現存する日本最古の系図として、また、従来にない古代史の新史料として、思いがけないものだったからです。翌年にはさっそく国宝の指定を受けたのも異例のスピードでした。

 この系図には、なんと邪馬台国の女王、卑弥呼と思われる名前が記されています。最近、卑弥呼の墓の最有力候補として注目されている奈良県・纏向遺跡にある箸墓古墳、その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名が載っているのです。

 系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。

 「日神」とは、すごい呼び方です。太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。なんとなく卑弥呼を思わせるといってもいいでしょう。
 それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致します。宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。

 どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。

 この系図は、5世紀に丹波国造となった海部氏が、籠神社の神主となって代々伝えてきたものです。主祭神の彦火明命を丹波国造の祖として、以後、今日まで海部氏が代々続いており、現在は82代目の海部光彦さんです。

 「海部氏系図」と呼ばれるこの系図には、始祖の彦火明命についての驚くべき伝承も伝えています。

 彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、やはり天孫として天降っている。しかも、丹後に天降っているというのです。

 天孫降臨というと、普通、天皇家の祖先のニニギノミコトが九州の日向の高千穂に天降ったといわれますが、「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるようです。

 籠神社には、2000年間にわたり伝世されてきた息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)と呼ばれる秘蔵の鏡も2面あります。


息津鏡(下)と辺津鏡(上) (c)gakken

 ひとつ(辺津鏡)は、紀元前1世紀後半の前漢鏡(内行花文昭明鏡)、もうひとつ(息津鏡)は、紀元後1世紀の後漢鏡(長宜子孫内行花文鏡)です。

 前漢鏡の方は、近畿地方では出土例がまったくない貴重なものですし、後漢鏡の方も、近畿地方では破片で出ることはあっても、完全な形で出土したことはなく、やはり貴重な鏡といえます。

 驚くべき鏡が、代々神社の神宝(かんだから)として伝えられていたわけです。
 では、なぜ卑弥呼の名が籠神社の系図のなかに残っているのでしょうか。それが謎です。


古代丹後の鉄とガラス


 籠神社のある丹後半島周辺は、不思議な伝説が多いところでもあります。

 『丹後国風土記逸文』には、このあたりの漁師の若者が竜宮城を訪れる話、つまり、有名な浦島太郎の伝説が残っています。ほかにも、羽衣を奪われた天女が天に帰れなくなるという羽衣伝説、さらに、天橋立はもともとイザナギ命が天から通ってくる梯子でしたが、神が地上で寝ている間に倒れて天橋立になった、という伝説もあります。いずれも、天上界や海の彼方にある別世界と交渉する内容をもっているのが特徴といえます。

 籠神社の名前の由来も、神代に彦火火出見命(ひこほほでみのみこと・彦火明命の別名)が籠船で龍宮に行ったとの伝説があり、そのために昔は籠宮(このみや)といったようです。

   


 丹後はこのように、どこか神話的な世界の残る地方でもあります。籠神社のある宮津市の「宮津」とは、大きな宮のそばにある港という意味です。むろん籠神社を指してのことです。天橋立はもともと籠神社の参道だったからです。

 なお、丹後という呼び名は比較的新しいもので、古代には、現在の京都府と兵庫県の中部北部合わせた全部を丹波と呼んでいました。ところが、684年(天武13年)に丹波国から但馬国(兵庫県北部)が分けられ、713年(和銅6年)、丹波国の北部5郡が分けられて丹後国となったという経緯があります。

 弥生時代には、この丹後地方は列島のなかでもかなり特別な地域だったようです。何が特別かというと、弥生時代からなんとガラスや鉄製品が作られていたのです。それを物語る考古学の発掘が、この10年ほどの間に相次いでいます。
 特徴的なものをいくつかピックアップしてみると…

 まず、丹後半島中央部の弥栄(やさか)町、奈具岡(なぐおか)遺跡では、紀元前1世紀頃ごろ(弥生時代中期後半)の鍛冶炉や、玉造りの工房が見つかっています。水晶やガラスを使って勾玉(まがたま)や管玉(くがたま)などを生産していた工房です。そのための道具としてノミのような鉄製品が作られていたようです。
 この遺跡の場合、出土した鉄屑だけでも数キログラムになるといわれ、大和や河内など近畿地方の中心部と比べると、「鉄の量としては桁違いの多さ」だといわれます。ましてや、鉄製品そのものが残されていたら、どれほどの量だったのでしょうか。

 驚くべきことに、このような玉造りが丹後半島では紀元前2世紀ごろから始まっていました。玉造りの工房のある遺跡が、丹後半島だけで十数か所見つかっています。

 当然、この地域の遺跡から大量のガラス玉が出土するケースも多く、大宮町の三坂神社墳墓群や左坂墳墓群など、ガラス玉の総数は1万点にも及ぶということです。全国の弥生時代のガラス玉のほぼ10分の1が、丹後から出土しているといわれます。


もう一つの先進地域


 次は、墓です。平成13年5月、宮津市の隣、加悦町の日吉ヶ丘遺跡からやはり弥生時代中期後半の大きな墳丘墓があらわれました。紀元前1世紀ごろのものです。30メートル×20メートルほどの方形貼石墓といわれるスタイルで、当時としては異例の大きさでした。

  墓のなかには大量の水銀朱がまかれ、頭飾りと見られる管玉430個も見つかりました。水銀朱は当時としては貴重なもので、魔よけの意味があるといわれます。それがふんだんに使われていました。しかも、大量の管玉。墓に接するように環濠集落があるようです。

 この墓は、他の地域と比べてみると、あの吉野ヶ里遺跡の墳丘墓とほぼ同じ時代です。墓の大きさも、吉野ヶ里よりわずかに小さいだけで、しかも、吉野ヶ里の墳丘墓には十数体が埋葬されていましたが、日吉ヶ丘遺跡の場合はただ一人のための墓です。当然、王の墓という性格が考えられ、「丹後初の王墓か」と新聞などでは話題になりました。

 全国的に見ても、この時代にはまだ九州以外では王はいなかったと考えられていますが、丹後では王といってもよい人物が登場してきたわけです。


丹後半島の古墳公園(加悦町)


倭国大乱の原因となる鉄

 丹後地方は、弥生時代の終わりごろになってくると、今度は鉄製の武器を大量に保有するようになります。
 平成10年9月、携帯電話の中継塔を立てる目的で、籠神社から数キロはなれた岩滝町の天橋立を見下ろす丘陵の中腹を調査したところ、驚くべき出土品が多数見つかりました。これは大風呂南遺跡と呼ばれる墳墓群ですが、その中心的な墓(1号墓)から11本の鉄剣と、美しい青色のガラスの腕輪が出土したのです。墓の年代は西暦200年前後。

 ほかにも、銅の腕輪(銅釧・どうくしろ)が13個、大量の鉄製品や管玉、朱など、弥生時代の墳墓の常識を超えるものでした。
 なかでもガラスの腕輪は、国内ではこれまでに3例しかないうえに(福岡県で2例、丹後で1例)、どれも原形をとどめていませんでしたが、ここでは完全な形で出土し、透明感のあるコバルトブルーの輝きを放っています。被葬者が左手につけていたもので、権威の象徴です。

 11本の鉄剣も、墓の副葬品としては異例の多さです。弥生時代の墓に副葬される鉄剣は通常1〜2本ですが、11本というのは被葬者がいかに大きな権力を持っていたかをよく物語っています。しかも、時代は西暦200年前後、まさに邪馬台国が誕生した直後です。

 この墓の被葬者は、奈良県・纏向遺跡の石塚や、岡山県・楯突墳丘墓に葬られた人物と同じ時代に生きていたことになります。

 この時代の丹後の墓からは、鉄剣が大量に出土します。特別な立場にあるような人の墓ではなく、家長クラスの墓からも当たり前のように鉄剣が出てくるのです。おそらく軍事集団のようなものが存在していたのではないか、と考えられています。そうなると当然、軍事集団を束ねるリーダーがいたはずです。大風呂南遺跡の墓の被葬者は、そのような人物だったのではないか、と考えられています。


ガラス釧(腕輪)と銅釧 丹後郷土資料館蔵

 このように倭国大乱期から邪馬台国時代にかけて、列島のなかでどこよりも鉄を保有していたのが丹後です。その多くが鉄剣や鉄鏃(てつぞく・矢の先端部)など、武器として出土しています。

 弥生時代はかつて平和な農村社会と考えられていましたが、案外、戦いが多かった時代だと今では考えられています。各地の戦いで武器の主力が鉄器になってくるのは、1世紀ごろからです。そのころから、丹後の墓からも鉄剣が出始める。ちょうど1世紀ごろの王墓と見られる三坂神社3号墓からは、大陸製の鉄刀やりっぱな弓矢、豪華な玉飾りなど、経済的な権力を持った王の姿があらわれてきます。

 その後、2世紀後半から3世紀前半にかけては、上に述べたような状況で鉄剣がポンポン出てくきます。この時期に丹後の勢力がもっていた鉄は、キャスティング・ボードになったのではないでしょうか。これほどの突出した武力が、あの倭国大乱を引き起こしたのではないか、とさえ思えるのです。

  そう考えると、丹後(古代丹波)の勢力は、女王卑弥呼の誕生にも重要な立場を取ったに違いありません。邪馬台国の女王に卑弥呼を共立していく主要なメンバーに、古代丹波が入っていたのはほぼ間違いないでしょう。しかも、海部氏の系図に残る「日女命」の名は、卑弥呼がじつは古代丹波出身だったのではないか、と思えてきます。

 先進の技術によって蓄えられた力が、数百年をかけてピークに達したとき、そういう時代に合わせるように、ひとりの飛びぬけて神秘的な能力をもった女性が丹波にあらわれたのではないでしょうか。もちろん、その女性こそが卑弥呼です。
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/index.html

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十種神宝


十種神宝(とくさのかんだから、じっしゅしんぽう)とは、物部氏の祖神である饒速日命が伝えたとされる十種の神宝である。

『先代旧事本紀』の「天孫本紀」の記載によるもので、饒速日命が天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする。『先代旧事本紀』には「天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)」と書かれている。

分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が、首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。これを三種の神器に対応させて、鏡は八咫鏡、剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉であるとする説もある。

十種神宝の内容は以下の通りである。

沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)


布瑠の言

布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。

『先代旧事本紀』の記述によれば、「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱える「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱えながらこれらの品々を振り動かせば、死人さえ生き返るほどの呪力を発揮するという。

「ふるべ」は瑞宝を振り動かすこと。
「ゆらゆら」は玉の鳴り響く音を表す。

饒速日命の子の宇摩志麻治命が十種神宝を使って神武天皇と皇后の心身安鎮を行ったのが、宮中における鎮魂祭の起源であると『先代旧事本紀』には記載されている。


十種神宝の行方

石上神宮の祭神である布留御魂神は十種神宝のことであるとする説もある。石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱える。いずれにしても、十種神宝は現存していない。

本物か不明であるが、大阪市平野区喜連6丁目にある楯原神社内の神寶十種之宮に、偶然、町の古道具屋で発見されたという十種神宝が祀られている。石上神宮側から返還要請があったにもかかわらず、返していないという。

江戸時代、山崎闇斎は、垂加神道においては神秘的な意義の有るものとして、さまざまな口伝的著述を残した。

籠神社には、息津鏡・辺津鏡という2面の鏡が伝世している。十種神宝の沖津鏡・辺津鏡との関係は不明で、籠神社も特に見解は出していない。

秋田県大仙市の唐松神社には古史古伝のひとつである『物部文書』とともに奥津鏡、辺津鏡、十握の剣、生玉、足玉とされる物が所蔵されているという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%A8%AE%E7%A5%9E%E5%AE%9D


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ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書) – 2010/11/20
吉村 武彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/ヤマト王権〈シリーズ-日本古代史-2〉-岩波新書-吉村/dp/4004312728/ref=cm_cr_srp_d_product_top?ie=UTF8

内容紹介
日本列島にはじめて成立した統一国家、ヤマト王権。その始まりはいつだったのか。最初の「天皇」は誰なのか。王宮や王墓の変遷は何を物語るのか──。『魏志倭人伝』等の中国の正史や金石文ほか、貴重な同時代資料に残された足跡を徹底的にたどりつつ、ひろく東アジア全域の動きを視野に、多くの謎を残す時代の実像に肉迫する。(全6巻)


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉村/武彦
1945年朝鮮大邱生まれ、京都・大阪育ち。1968年東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大大学院国史学専攻博士課程中退。現在、明治大学文学部教授。専攻は日本古代史

カスタマーレビュー

hira 5つ星のうち2.0
古墳期の一元的・集権的な世界観から脱却せよ! 2019年2月16日


 本書のシリーズAは、@が弥生期、Bが飛鳥期なので、古墳期を範囲としており、日本列島で、7世紀後半から、律令制を本格的に導入した、中央政府の起源を、ヤマト王権とし、それが分権社会から集権社会へと、移行していった過程を、主に文献学から解説しています。

 したがって、本書では、考古学による、畿内以外の地域の状況は、ほとんど取り上げられていませんが、だからといって、日中の古代歴史書も、正当に史料批判されているとはいえず、ヤマト王権の初期から、大和中心の一元的な世界に偏重しており、現在でも、それが通説化しています。

 しかし、実際の古墳期は、もっと多元的な世界だったので、ここでは、異説を取り上げることで、本書にも問題点が、多々あることを、指摘しておきます。


○倭奴国(p.5-7)

 「後漢書倭伝」で、57年に、後漢の光武帝(初代)へ朝貢し、金印を授与されたのは、倭の奴国ではなく、倭奴国で、それは、「旧唐書倭国伝」に、倭国は、古(いにしえ)の倭奴国なり、「新唐書日本伝」に、日本は、古の倭奴なり、とあるからです。

 また、金印も、漢の委(わ)の奴(な)の国王ではなく、漢の委奴の国王、「隋書俀国伝」で、後漢の安帝(6代)の時代(106〜125年)に、使者を派遣・朝貢したのは、俀奴国、「後漢書倭伝」で、107年に、倭国王の帥升等が、安帝に奴隷160人を献上しているので、倭国=倭奴国=委奴国=俀奴国です。

 そうなると、金印の委奴国は、伊都(いと)国よりも、倭奴国の人偏を省略とみるのが適当で、「魏志倭人伝」には、倭の30ヶ国の他にも、倭種(倭人)の国があり、それらと区別するためか、中国は、匈奴と対照的に、「倭奴」の呼称にしたとも推測でき、57年・107年の後漢朝貢ともに、倭国です。


○邪馬壱国・壱与(p.12、23)と邪馬壱国九州説(p.13-17)

 3世紀後半成立の「魏志倭人伝」では、邪馬壱(旧字は壹)国と壱与でしたが、5世紀前半成立の「後漢書倭伝」では、邪馬台(旧字は臺)国に改変され、7世紀前半成立の「梁書倭国伝」では、なぜか祁馬台国となっています。

 7世紀半ば成立の「隋書俀国伝」では、邪靡堆(やまたい)=邪馬台、7世紀半ば成立の「北史倭国伝」では、邪摩堆=邪馬台と、踏襲されており、本書では、10世紀後半成立の「魏志」の抜粋が収録された「太平御覧」も、邪馬台国のようなので、「後漢書倭伝」で、改変されています。

 一方、壱与は、「後漢書倭伝」「隋書俀国伝」には、記事がなく、「梁書倭国伝」「北史倭国伝」で、台与に改変され、邪馬台国に改変された時期とズレており、どちらか本当かは、不明なので、勝手に改変すべきでなく、正確には、邪馬壱国・壱与です(「隋書俀国伝」を「隋書倭国伝」とすべきでないのと同様)。

 邪馬壱国=近畿(大和)説は、方位の東を南に書き誤ったとしていますが、魏は、倭に派兵しており、方位は、進軍・補給に大切なうえ、万一記載ミスなら、「魏志倭人伝」より後世に成立した「後漢書倭伝」で、狗奴国の方位を訂正・距離を追加した際に、そこも訂正してもよいはずではないでしょうか。

 邪馬壱国=九州説は、帯方郡〜邪馬壱国間を1万2000余里、帯方郡〜伊都国間を1万500余里、伊都国〜邪馬壱国間を1500里以内(対馬国〜壱岐国間の約1.5倍)としており、それを論破しないまま、はるか後世の15世紀初めの地図を持ち出し、邪馬壱国=近畿(大和)説を採用するのは、不充分といえます。


○銅鏡の価値(p.21)

 中国の銅鏡は元々、官営工房で製造されていましたが、やがて政権の庇護がなくなったため、工房が、自立するようになり、後漢末期の2世紀終りには、すでに民間工房の量産品が、中国市場に流通していたので、前漢鏡→後漢鏡→魏晋鏡以降と、銅鏡の価値が、しだいに低下していました。

 3世紀初めを境に、中国鏡の分布の中心が、九州から畿内に移動したのは、畿内が、政治の中心になったからではなく、価値の低下を認知していた九州北部が、輸入品を畿内へ、率先して販売した可能性があります。

 「魏志倭人伝」では、238年に、魏皇帝が、倭の卑弥呼へ、紺色地に曲線模様の錦3匹・まだらの花の細密模様の毛織物5張・白絹50匹・金8両・五尺刀2口・銅鏡100枚・真珠+鉛丹各々50斤を授与しており、銅鏡100枚は、五尺刀2口よりも後ろの記載なので、価値があまり高くないともいえます。

 銅鏡100枚は、魏の政権が、複数の民間工房に発注したとみられ、古墳期の銅鏡は、有力者から配布(下賜)されるよりも、贈与と返礼(互酬)や物々交換(交易)で、大量入手したと推測できます。


○初代・10代と欠史八代の実在性(p.35-41)
 一書も含めた、記紀神話での、1〜10代の天皇の妻の出身は、次の通りです。

・神武(初代):日向(阿多、紀・記)、神の子孫(紀・記)*
・綏靖(2代):磯城(県主・ハエの妹=紀1・記)、春日(紀2)、神の子孫(紀本)*
・安寧(3代):磯城(県主・ハエの娘=紀1・記)、春日(大間、紀2)、神の子孫(紀本)*
・懿徳(4代):磯城2(県主・ハエの弟イテの娘=紀1、紀2)、皇族(紀本)*
・孝昭(5代):磯城(県主・ハエの娘=紀1)、大和(紀2)、葛城(尾張、紀本・記)*
・孝安(6代):磯城(県主・ハエの娘=紀1)、十市(紀2)、皇族(紀本)*
・孝霊(7代):磯城(紀本)*、十市(紀2・記)、春日(紀1・記)、皇族2(紀本×2・記×2)
・孝元(8代):河内(紀・記)、穂積(物部)氏2(紀×2・記×2)*
・開化(9代):葛城(記)、丹波(紀・記)、穂積(物部)氏(紀・記)*、和珥(丸邇)氏(紀・記)
・崇神(10代):紀伊(紀・記)、葛城(尾張、紀・記)、皇族(記)*

※紀本:日本書紀本文、紀1:日本書紀一書第一、紀2:日本書紀一書第二、記:古事記、*:皇后

 ここで注目すべきは、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(尾張は、高尾張邑=葛城邑なので)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。

 これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。

 第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、この間は、親子世代での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、この間は、兄弟世代での皇位継承とみられます。

 つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の親子間の皇位継承や、100歳以上の超長寿・神武天皇(初代)即位以降の年代も、捏造でしょう。

 初代から13代までの親子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、親子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に捏造し、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。

 第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。

 しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。

 第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇(10代)も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。

 よって、2〜9代が、もし、非実在なら、妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明でき、超長寿や特異な名前・事績がないだけで、全否定は、できません。

 崇神天皇は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還しているので、実際には、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、開拓で、流通ネットワークを全国展開した一方、4世紀前半の統治範囲は、大和の周辺地域までとみられます。

 神武天皇は、その始祖なので、編纂の際に、「天下」と装飾され、初代・10代ともに、「はじめてこの国を統治した天皇」と潤色されただけではないでしょうか。
 履中天皇(17代)以後は、旧天皇即位から新天皇即位までの平均が12年で、仁徳天皇(16代)以前は、超長寿なので、仮に、それらの天皇が全員実在し、在位期間を12年/人、履中天皇即位を400年とすれば、神武天皇即位は、196年(2世紀終り)、崇神天皇即位は、304年(4世紀初め)となります。

 崇神天皇の4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期で、筆者が主張する、初期ヤマト王権の4世紀前半とも、ほぼ符合し、神武天皇の2世紀終りは、大和に銅鏡が集中するようになる(漢鏡8期の2・3段階)直前で、大型古墳が大和に出現する直前の時期で、始祖にふさわしいともいえます。

 孝元・開化の2天皇(8・9代)は、それぞれ280年・292年即位と算定でき、河内・丹波出身の妻がいて、3世紀後半に、畿内が、鉄器の出土数で、はじめて九州を逆転したので、それぞれ瀬戸内海側・日本海側の、輸入用の交易ルートを開拓したとも、結び付けられます。

 各天皇の実在性は、疑問視されますが、この程度の人数がいた可能性があり、実際には、親子間でなく、兄弟間での皇位継承が、主流だったと導き出せます。


○日中で古代歴史書での食い違い

 これは、あまり取り上げられていませんが、「日本書紀」神功皇后(14-15代の間)の時代の記事で、「魏志倭人伝」から、人名等を引用したにもかかわらず、次のように、ことごとく食い違っています。

「魏志倭人伝」→「日本書紀」
・238年:倭の使者の難升米・帯方郡長官の劉夏→239年:難斗米・ケ夏
・240年:帯方郡長官の使者の建中校尉の梯儁→建忠校尉の梯携
・243年:倭の使者の伊声耆・掖邪拘→伊声者・掖耶約

 また、「旧唐書日本伝」に、日本国は倭国の別種なり、とあり、日本国の人で、唐の朝廷を訪問した者は、自己のおごりたかぶりがひどく、事実を答えないので、中国は、日本国の人の言葉を疑っている、となっており、日本による、中国への虚偽報告は、有名だったようです。

 さらに、「新唐書日本伝」では、日本国王の姓は、アメ氏で、初代がアメノミナカヌシ、32代まで筑紫城、神武天皇から大和州へ移住したとあります。

 「宋史日本国伝」では、献上された年代記には、初代がアメノミナカヌシ、23代(訂正)までは、筑紫日向宮が、神武天皇からは、大和州橿原宮が、都で、「隋書俀国伝」でも、倭王の姓は、アメ氏、「旧唐書倭国伝」でも、倭国王の姓は、アメ氏となっています。

 それらから、倭国は、九州北部の筑紫政権が中心で、畿内の大和政権は当初、倭国の圏外だったのが、朝鮮半島への派兵で、各地の政権が協力するようになり、白村江の合戦(663年)での大敗後の戦後処理をきっかけに、倭国から日本国へと改号し、大和政権が中心になった、とする説があります。

 これによれば、「魏志倭人伝」と「宋書倭国伝」の倭の五王は、すべて筑紫政権の記事で(邪馬壱国=九州北部説、倭の五王=九州王朝説)、大和政権は、「日本書紀」で、故意に人名等を、一部改変することで、筑紫政権の史実を乗っ取ったとみることもできます。

 記紀神話で、神武天皇は、日向から進出しているので、大和政権の始祖(初代)は、筑紫政権と無関係といえますが、中国には、神武天皇が、筑紫から大和へ進出したように、改変しており、権威・権力が、倭から日本へと、スムーズに受け継いだように見せ掛け、正統性を担保したとも読み取れます。
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古代国家はいかに形成されたか 古墳とヤマト政権 (文春新書 (036)) – 1999/4/20
白石 太一郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/古代国家はいかに形成されたか-古墳とヤマト政権-文春新書-036-太一郎/dp/4166600362/ref=cm_cr_srp_d_product_top?ie=UTF8

内容紹介
ヤマト政権が成立したのは、果して三世紀か、五世紀か、七世紀か。最新の発掘成果をふまえて古代史最大の謎・この国のルーツに迫る


カスタマーレビュー

hira 5つ星のうち2.0
経済連携していたところに、古墳文化が流行し、政治連合になったのでは? 2019年2月11日

 本書は、為政者の古墳から、政権の変遷を読み取ろうとしていますが、そうするにあたって、問題なのは、主に次の2点ではないでしょうか。

(1)政治の中心地は、王墓よりも、王宮であること
(2)他地域と比べて、古墳の規模が大きいからといって、そこよりも権力があるとはいえないこと


 (1)について、筆者は、「古墳は本来的に、その勢力の本拠地に造営されるのが原則だった」とし(p.119)、「王宮の位置は、その王の姻族(配偶者の血族)や、時の政権を支えた豪族との関係等、時々の政治情勢に規制される可能性が大きい」としています(p.123-124)。

 王宮の位置は、記紀神話での皇宮(天皇の宮殿)の立地と、天皇の妃の出身地・有力豪族の拠点等から、イメージしているようです。

 大型の前方後円墳(帆立貝式も)が立地する、3世紀前半からの大和(おおやまと)・柳本・箸中・鳥見山古墳群(奈良盆地南東部)は、その付近に皇宮も立地していますが、4世紀半ばからの佐紀古墳群(奈良盆地北部)は、皇宮が立地しておらず、豪族の拠点もなく、先行の古墳もなく、根拠不明です。

 一方、4世紀終り〜5世紀初めからの古市・百舌鳥古墳群(大阪平野南東部・南西部)は、交互に古墳が造営され、その付近に皇宮の一部も立地していますが、これは、初期ヤマト政権の盟主が、大和の勢力から、河内南部と和泉北部の二大勢力連合へと、移動したからとしています(p.123)。

 その根拠は、古市・百舌鳥の両方ともに、巨大古墳に先行する、大型古墳が造営されていたからとしていますが(p.122)、そこに有力豪族の拠点があった痕跡は、発見されていないようです。

 また、4世紀半ばに、柳本古墳群の行灯山・渋谷向山の2古墳が続いたので、王位の世襲制が固定化したとし、5世紀にも、佐紀古墳群でも大型古墳が造営されたので、それらから、佐紀の古墳の被葬者は、古市・百舌鳥の古墳を造営した王の妃+その父の家系の可能性が高いとしています(p.124-125)

 これは、夫が妻の家に通い、その子が妻+その父の家に住む、当時の婚姻の風習を想定しているようですが、それだと、筆者が最初に設定した「その王の姻族」で、古墳が立地していることになります。

 吉備・毛野等、畿内以外の地域で、大型古墳(盟主)が移動するのも、婚姻の可能性があると推測でき、婚姻での祖先を共通にした同族意識も、当初は、九州北部・出雲・吉備・畿内・東海・毛野等の、広域内で発達したとみられます。

 ここまでみると、佐紀古墳群の立地が、根拠不明なことと、古市・百舌鳥古墳群の立地が、先行の大型古墳の存在のみで、その付近に、先行古墳の被葬者の拠点が発見されていない以上、根拠にならないことがわかります。

 そうなると、そもそも、王墓は、被葬者の出身地だという、設定自体が、成り立つとはいえなくなり、王墓も、王宮と同様、時々の政治情勢で決定されていたと、みるほうが自然です。

 豪族の拠点がないとすれば、奈良盆地の、北方の佐紀古墳群は、日本海経由の交易ルートの出入口に、西方の古市・百舌鳥古墳群は、瀬戸内海経由の交易ルートの出入口に、それぞれ立地しているので、皇宮のある盆地へ、アプローチする際の視覚的効果が、相当意識されていることになります。

 「日本書紀」の、崇神天皇(10代)による四道将軍の派遣・平定は、4世紀前半とされ、出発から帰還まで、わずか半年なので、実際は、交易ルートの開拓で、輸入用の丹波・西道の2ルートと輸出用の北陸・東海の2ルートを確保した、次のステップの佐紀古墳群と古市・百舌鳥古墳群の造営といえます。

 (2)について、筆者は、「3世紀後半という、あまりに古い時期に、ヤマトを中心とする一元的・集権的な国家的秩序の形成を構想してしまうと、その後の400年にもおよぶ、長い期間における政治連合の変質過程を、正しく認識するうえで支障がある」(p.19)といっており、これに、私も賛同します。

 しかし、出現期の古墳が、畿内の大和で大型、畿内の山城・瀬戸内の吉備・九州北部の豊(とよ)で中型、九州北部の筑紫で小型なので、広域の政治連合が、畿内の大和を中心に形成され(p.56)、連合の盟主である倭国王は、倭の諸国を代表して外交権・交易権を掌握していたとしています(p.61)。

 そして、出現期古墳を生み出した政治連合の形成の契機が、鉄資源をはじめとする、様々な先進的文物の輸入ルートの支配権を巡る、玄界灘沿岸地域と、畿内・瀬戸内海沿岸地域の、争いにあり(p.57)、それを「魏志倭人伝」での2世紀後半の倭国の乱とし、畿内・瀬戸内連合が、勝利したとしています(p.60)。

 つまり、筆者は、3世紀後半を、多元的・分権的といいつつも、いつのまにか、一元的・集権的な畿内の大和をイメージしており、これは、古墳の大きさと権力の大きさを直結し、邪馬台国=畿内説と、安直に結び付けてしまったのが、原因だといえます。

 ところで、日本列島での鉄器の出土数を比較すると、九州北部は、3世紀前半まで、他地域を圧倒し、3世紀初め〜半ばに、畿内が、ようやく瀬戸内と同程度になり、3世紀後半になって、はじめて畿内が逆転しています。

 もし、倭国の乱で、畿内・瀬戸内連合が、鉄器の輸入ルートを支配したのなら、逆転するのに約100年もかかったことになり、大幅にズレがあることになります。
 そこで私は、古墳の大きさと権力の大きさが、アル程度比例し、上下(主従)関係が成り立つのは、九州北部・出雲・吉備・畿内・東海・毛野の広域内等、盟主が首長を観察でき、反抗すれば、すぐに戦争ができる範囲内だとみています。

 他方、戦争ができる範囲外では、そもそも首長・盟主が、他地域へ頻繁に行き来しないので、古墳の大きさと権力の大きさの比例を想定するのは、大変疑問で、各首長・盟主は、対等が原則、序列があっても、兄弟程度の関係だったと推測できます。

 ここでの戦争ができる範囲とは、当時は、丸木舟か準構造船しかなく、人や物を多く乗せられず(1艘最大20人程度)、途中で水・食糧等を調達しなければならず、海路で侵攻しても、長期戦で食糧不足になれば、撤退しかなく、それほど戦果が期待できないので、補給が容易な、陸路での侵攻が前提です。

 そうなると、遠方とは、戦争よりも交易でつながり、古墳の規模は、広域外への権力の表現よりも、まず広域内への権力の表現で、何よりも、大型古墳を造営できる財力があったと、みるのが自然で、最初から政治連合ではなく、経済連携があり、そこに古墳文化が流行したと、イメージすべきでしょう。

 出現期古墳・纏向型前方後円墳の規模が、それぞれ箸墓・大和の大型前方後円墳の約1/4・1/3・1/2・2/3・3/4・1/1・6/5倍となっているのは、共通の築造企画が存在しなくても(p.38)、交易で長さ(絹・布等)の単位が統一され、被葬者の財力を勘案し、周囲を真似すれば、特定の寸法に近づくのではないでしょうか。

 3世紀初めを境に、中国鏡の分布の中心が、九州から畿内に移動したのは(p.59)、前漢鏡→後漢鏡→魏晋鏡以降と、徐々に銅鏡の価値が低下したのを、九州北部が認識していたからで、後漢末から、民間工房の量産品が、中国市場に流通していたため、それを九州北部が、率先して商売にしたのでしょう。

 畿内・吉備の土器が、九州北部へ移動し、その逆が、ほとんどみられないのは(p.60)、交易で、畿内・吉備の土器を商品として、九州北部の輸入鉄器と、物々交換していれば、それは成り立ち、それが、5世紀初めからの、和泉での、陶邑窯跡群の須恵器の全国流通につながったとも、いうことができます。

 筆者が、政治連合の1次的なメンバーは、3世紀初めの西日本の邪馬台国連合で、前方後円墳形の墳丘墓を造営し、2次的なメンバーは、3世紀中葉すぎに邪馬台国連合と合体した東日本で、前方後方墳形の墳丘墓を造営したとしていますが(p.69)、「魏志倭人伝」と、安直に結び付けるのは、禁物です。

 私は、大和が、裕福な財力を元手に、鉄器による水田整備・古墳造営+首長霊祭祀(墳丘形式・葬送儀礼)・威信財副葬のセットの、領国統治モデルを、東国に提供・交易したので、ますます蓄財でき、経営力があったとみています。

 5世紀前半には、その利益を、畿内は、国内不戦の意思表示として、巨大古墳造営に、多く投入した一方、九州北部は、国外からの鉄器確保のため、朝鮮半島派兵に、多く投入したとみれば、古墳の規模の格差は、説明できます。

 それが、5世紀後半には、戦況悪化で、鉄器確保の危機になったため、九州北部だけでなく、畿内も、領国統治モデルを維持しようと、巨大古墳を天皇陵のみに制限し、財力を朝鮮半島派兵に、本格投入したと、みることができます。

 ただし、筆者は、2世紀後半に、九州北部の玄界灘沿岸地域が、畿内・瀬戸内海沿岸地域に敗北・衰退し、3世紀半ばに、狗奴国の濃尾(美濃・尾張)が、邪馬台国の畿内に敗北・衰退したと、主張したいため、九州北部・濃尾の大型古墳は、6世紀前半としています(それぞれ岩戸山古墳・断夫山古墳)。

 ところが、九州北部・濃尾には、4世紀にも、全長100m前後の大型古墳が、次のように、散見できるので、その推論は、成り立ちません。


○九州北部
・久里双水古墳(佐賀県唐津市双水):3世紀後半〜4世紀前半・前方後円墳・全長109m
・一貴(いき)山銚子塚古墳(福岡県糸島市二丈田中):4世紀後半・前方後円墳・全長103m
・金立銚子塚古墳(佐賀市金立町):4世紀終り・前方後円墳・全長98m
・黒崎観世音塚古墳(福岡県大牟田市岬):4世紀終り・前方後円墳・全長97m


○濃尾
・青塚古墳(愛知県犬山市青塚):青塚古墳群、4世紀半ば・前方後円墳・全長123m
・白鳥(しらとり)塚古墳(名古屋市守山区上志段味):志段味古墳群、4世紀後半・前方後円墳・全長115m
・昼飯(ひるい)大塚古墳(岐阜県大垣市昼飯町):不破古墳群、4世紀終り・前方後円墳・全長150m
・坊の塚古墳(岐阜県各務原市鵜沼羽場町):4世紀終り・前方後円墳・全長120m
・粉糠(こぬか)山古墳(岐阜県大垣市青墓町):不破古墳群、4世紀終り〜5世紀初め・前方後方墳・全長100m


 以上より、3世紀前半から、濃尾以西で土器の地域差が希薄化し(庄内式)、環壕集落が廃絶したのは、西日本で経済連携ができたからで、そこへ古墳文化が流行し、3世紀半ばから、東日本にも拡大、政治連合化したのは、4世紀終り〜5世紀初めからの、朝鮮半島派兵が、きっかけではないでしょうか。

 経済連携といっているのは、首長・盟主間が、贈与と返礼(互酬)や物々交換(交易)の、対等・分権のヨコの関係で、政治連合化すると、支配と服属の、序列・集権のタテの関係もでき、最初は、みんなの自発的な文化摂取だったのが、やがて有力者の強制的な制度摂取へと変容していくのです。

 これまでは、古墳期を飛鳥期につなげようと、「前方後円墳体制」等のように、古墳を制度として取り扱い、タテの関係に偏重してきましたが、統一国家成立前なので、これからは、有力者どうしのヨコの関係も、同時にみていく必要があり、古墳が文化だった原初へ、イメージを遡行させるべきです。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3355WHQS4KXTS?ref=pf_vv_at_pdctrvw_srp


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c5

[近代史3] もうすぐ氷河時代が来る証拠 中川隆
21. 中川隆[-9242] koaQ7Jey 2019年6月29日 17:37:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3283]
欧州熱波、仏史上最高45.9度 各国で死者、異常高温で山火事も
共同通信社 2019/06/29 13:37

 【パリ共同】欧州各地では今月下旬、アフリカからの熱波で異常な高温が続き、フランス南部ガラルグルモンテュで28日、同国本土の観測史上最高となる45.9度を記録した。報道によると、同国やスペイン、イタリアで死者が出た。スペインでは山火事も広がり、各国当局は警戒を強めた。

 世界気象機関(WMO)は29日、今年夏は北半球各地が熱波に襲われ、異常高温になる恐れもあるとの予測を発表した。WMOは今年の熱波が地球温暖化によるものかどうか断言するのは時期尚早だと説明する一方、温暖化進行により長期の異常高温が頻発するという気候シナリオに合致していると指摘した。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html#c21

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
110. 中川隆[-9265] koaQ7Jey 2019年6月29日 18:50:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3284]
世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本市場で溢れかえる 2019年5月23日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791


遺伝子組換え作物輸入とセットで広がる


モンサント社に抗議するスイスのデモ(18日、バーゼル)

 毎年5月には「反モンサント・デー」(現在は「反バイエル・モンサントデー」)と称して、世界中の農民や労働者など広範な人人が一斉に抗議行動をおこなっている。今年も18日にフランスやスイス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど数百の都市で一斉にデモ行進をおこなった。行動の主眼はモンサントが開発したラウンドアップを含む除草剤への抗議だ。ラウンドアップの発がん性や遺伝子への影響が問題になり、2013年に始まった「反モンサント・デー」は今年で7回目を迎える。抗議行動の高まりのなかで世界各国ではラウンドアップの使用禁止や販売中止、輸入禁止が主な流れになっている。ところがそれに逆行して日本では内閣府食品安全委員会が「ラウンドアップは安全」と承認し、農協が使用を推奨し、ホームセンターなどでも販売合戦に拍車がかかっている。世界中で規制が強化され販売先を失ったラウンドアップが日本市場になだれ込んでいるといえる。ラウンドアップとはどういう除草剤で、なぜ世界各国で使用禁止になっているのかを見てみたい。

 フランスでは18日、「反バイエル・モンサント」デモに世界中から数千人が参加した。この行動に参加したのち、「黄色いベスト」運動のデモにも合流している。フランスは世界第3位の農薬消費国で、ラウンドアップに対して関心が高い。世界中で200万人以上が参加した第1回目の2013年の行動以来、2015年のデモには世界40カ国以上、約400都市で行動がおこなわれるなど、年年規模が大きくなっている。


フランスのロリアンでの抗議デモ(18日)

 今年1月、フランス当局は安全性に問題があるとして、ラウンドアップ除草剤とその関連商品の販売を禁止した。ラウンドアップはベトナム戦争で使われた「枯葉剤」をつくったモンサントが1974年に発売した除草剤で、グリホサートを主成分としている。このグリホサートが猛毒を含んでおり、2015年に世界保健機関(WHO)の下部組織「国際がん研究機関」が「おそらく発がん性がある」と発表し、17年には米国政府の研究で急性骨髄性白血病との関連が発表された。発表したのは米国の国立がん研究所、国立環境健康科学研究所、環境保護庁、国立職業安全健康研究所の共同プロジェクト。急性骨髄性白血病は急速に発達するがんで、5年の生存確率は27%とした。

 同年にはカリフォルニア州がラウンドアップを発がん性物質のリストに載せた。今年2月にはワシントン大学の研究チームが「グリホサートにさらされると発がんリスクが41%増大する」との研究結果を発表した。

 グリホサートは発がん性はもちろん、植物を枯れ死させてしまうが、同様に土壌細菌や腸内細菌も損なう。腸内環境を破壊することでアレルギーなど自己免疫疾患などの原因になったり、神経毒として自閉症や認知症を誘発する可能性が指摘されている。また、生殖に与える影響も懸念されている。精子の数の激減、胎児の発育に影響を与える可能性だけでなく、世代をこえて影響する危険を指摘する研究結果も発表されている。ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤によってつくられたダイオキシンは三代にわたって影響を与えるといわれるが、グリホサートにも同様に世代をこえた影響が出る可能性も指摘されている。


ホームセンターで販売されているラウンドアップ

 ラウンドアップの危険性が問題にされた歴史は古く、1996年にはモンサントが「食卓塩より安全」「飲んでも大丈夫」「動物にも鳥にも魚にも“事実上毒ではない”」と宣伝していたことに対し、ニューヨークの弁護士が訴訟を起こした。2001年にはフランスでも消費者の権利を守る運動をおこなっている活動家が訴訟を起こした。争点になったのはグリホサート使用による土壌の汚染問題で、EUは「環境に危険であり、水生動物にとって毒である」とした。2007年にモンサントは「嘘の広告」で有罪判決を受け、2009年に判決が認められた。

 2003年にはデンマークがラウンドアップの散布を禁止した。グリホサートが土壌を通り抜けて地下水を汚染していることが明らかになったことによるものだ。

 2008年の科学的研究では、ラウンドアップ製剤とその代謝産物が試験管の中でかなり低い濃度であっても、人間の胚、胎盤、へその緒の細胞に死をもたらすことが明らかになった。代謝産物とは、分解されて除草剤の役目をしなくなった状態のもので、分解されても動物には同じように死をもたらすことが明らかになった。

 2009年のネズミの実験では、思春期の時期にラウンドアップにさらされると生殖の発達に障害を起こす「内分泌腺撹乱」の可能性が発見された。「内分泌腺の撹乱」とは、脳内ホルモンのバランスを崩すことで、体が思うように動かなくなったり、気分を自分でコントロールすることが難しくなることをいう。

 カナダでは2012年末までに全州で芝生や庭での使用を禁止した。

 アメリカでは、長年にわたるラウンドアップの使用によるがん発生が広く問題になり、昨年8月、今年3月と5月の3回にわたってラウンドアップを使用してがんになったとしてモンサント社を訴えていた原告が勝訴した。同様の訴訟は1万3000件以上も起こされている。

 直近の5月13日には、カリフォルニア州の夫婦が「ラウンドアップが原因でがんを発症した」として賠償を求めた訴訟で、州裁判所の陪審はモンサントに対し約20億j(約2200億円)の支払いを命じた。原告1人につき10億jという懲罰的賠償額は、2017年にモンサントが農薬部門で得た利益8億9200万jにもとづくとしている。この評決を歓迎してアメリカの市民団体は、「何十年もの間、モンサントはグリホサートが無害であると農民、農場従事者、農薬散布者、住宅所有者に思わせていた。世論は明らかに変化している。発がん性のある農薬を市場から閉め出し、生態系を守る農業に移行しつつある農家を支援するときが来た」との声明を発表した。

 なお昨年8月の裁判では2億j(後に約8000万jに減額)、今年3月にも8000万jの賠償をバイエル・モンサント側に命ずる判決が下されている。

 こうしたなかで、アメリカではすべての州でラウンドアップの全面禁止を求める運動が開始されている。ニューヨーク州ではラウンドアップを「安全な農薬」と宣伝することが禁止されている。

次々モンサントを告訴 判決は賠償命じる

 フランスでも今年4月、控訴裁判所がモンサントのラウンドアップの一世代前の農薬ラッソーによって農民に神経損傷の被害を与えたとして、モンサントに有罪判決を下した。

 ちなみにラッソーは1980年代にアメリカでもっとも多く売られていた農薬だったが、危険性が問題になり米国環境保護局が発がん性の可能性を認め、フランスを含むEUでは2007年に禁止した。だがアメリカと日本では使われ続けている。日本では日産化学が「日産ラッソー乳剤」として現在も販売している。 

 フランスはラウンドアップに対しても、今年1月に個人向けの販売を禁止した。政府は今後3年をめどに農家向けにも禁止すると公表している。フランスではまた、1700人の医師がつくる連合体がラウンドアップの市場からの一掃を求めて運動を展開している。

 さらに養蜂農家の協同組合がラウンドアップに汚染されたとしてバイエル・モンサントを訴えている。ラウンドアップを多く使用してきたぶどう園などでは、農薬への依存を減らす動きが活発化しており、条件のいい所では100%使用を減らし、条件の厳しい所でも70%農薬の使用を減らす計画であり、ラウンドアップの命運はほぼつきている状況だ。

 2014年にはスウェーデンやノルウェーがラウンドアップの使用を禁止した。オランダ議会は2015年末でグリホサートの使用禁止を決めた。ブラジルでも2015年連邦検察官が司法省にグリホサートを暫定的に使用禁止にするよう求めた。ドイツ、イタリア、オーストリアなど33カ国は2〜3年後には禁止すると表明している。

 スリランカ政府は2014年、ラウンドアップの販売を禁止し、翌2015年にグリホサートの輸入を禁止した。これはカドミウムとヒ素を含む土壌でラウンドアップを使用した場合、飲料水やコメを通して重い慢性腎不全の原因となるとの研究報告を受けてのことだ。

 ロシアも2014年4月、ラウンドアップ耐性遺伝子組み換え食品の輸入を禁止した。アラブ6カ国も使用禁止に踏み切っており、ベトナムなどアジア5カ国やマラウィはグリホサートの輸入禁止を決定している。エルサルバドルやチリ、南アフリカ共和国などもラウンドアップの販売を禁止するか禁止に向けて動いている。

 流通業界では、昨年8月のアメリカでの判決を受けて、イギリスの流通大手がラウンドアップの販売禁止の検討を始めた。アメリカに本社を置くスーパー・コストコも今年4月、ラウンドアップの仕入れと販売をすべて中止することを発表した。コストコは世界に約768の大型店舗があり、日本にも26店舗ある。

別名で店頭に並ぶ日本 政府が「安全」とお墨付き

 このようにラウンドアップの危険性への認識は世界的に拡散されており、店頭でラウンドアップが簡単に手に入るのは先進国では日本ぐらいになっている。

 世界中からはじき出され行き場を失ったラウンドアップが日本市場に一気になだれ込んできており、除草剤では売上トップの座を占めている。日本では日産化学工業が2002年5月にモンサントの日本での農薬除草剤事業を買収し、ラウンドアップの日本での販売権を引き継ぎ、「優れた効力と環境に優しい除草剤」などと宣伝してきた。

 日本政府はすでに世界的に危険性が明確になっていた2016年に「グリホサートの安全性を確認した」との評価書を公表した。この評価書を前提に2017年12月には、グリホサートの残留農薬基準を大幅に緩和した。小麦で6倍、ソバで150倍、ゴマで200倍、ベニバナの種子で400倍というけた違いの大幅緩和だ。しかもこのことをマスコミは一切報道しなかった。これによってグリホサートの残留基準は中国の基準の150倍になった。中国からの輸入野菜が農薬まみれで危険だと問題にしていたが、その中国産野菜の方がまだましという殺人的な状況になっている。

 また、ラウンドアップの主成分であるグリホサート剤はすでに成分特許が切れており、さまざまな名前で同剤が販売されている。そのなかには住友化学園芸の「草退治」などがある。

 ラウンドアップは日本の店頭では「もっとも安全な除草剤」とか「驚異の除草力」とかいった宣伝文句で販売されている。農協の販売ルートにも乗っており、ホームセンターやドラッグストア、100均などでも大大的に扱っている。またテレビCMや新聞広告もされ、危険性についての説明は一切なく、警戒心なしに購入し使用しているのが現状だ。

 モンサント社が遺伝子組み換え作物を開発したのは、ラウンドアップに耐性のある農作物をつくり、セットで販売するためだった。ラウンドアップの販売促進は遺伝子組み換え作物導入とセットでもある。日本は世界で最大級の遺伝子組み換え作物輸入国で、日本の遺伝子組み換え食品表示は世界の制度のなかでも緩いため、日本の消費者は知らないうちに大量の遺伝子組み換え食品を食べさせられている。

 モンサントのホームページでは「日本は海外から大量のトウモロコシ、大豆など穀物を輸入しており、その数量は合計で年間約3100万dに及ぶ。その半分以上(1600万〜1700万d=日本のコメの生産量の約2倍)は遺伝子組み換え作物」で「日本の食生活安定に大きく貢献している」とし、ラウンドアップとともに「是非、遺伝子組み換え作物の効果やメリットを目で見て、肌で感じて」ほしいと豪語している。

 こうしたモンサントの要求に応えて、日本政府はモンサントの遺伝子組み換え作物をアメリカ政府以上に承認していることも明らかになっている。TPP11の発効や今後の日米貿易協定などを通じて、今まで以上に遺伝子組み換え作物輸入の圧力がかかってくることは必至だ。

 モンサント社(昨年ドイツのバイエル社が買収)はアメリカのミズーリ州に本社を構える多国籍バイオ化学メーカー。除草剤ラウンドアップが主力商品で、遺伝子組み換え種子の世界シェアは90%であり、世界の食料市場をほぼ独占している巨大なグローバル企業だ。同社は、人間の健康および環境の両方に脅威を与えているという理由から健康情報サイトでは2011年の世界最悪の企業にも選ばれている。

 ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサントの救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサントという一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c110

[外国人参政権・外国人住民基本法01] トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか? 中川隆
105. 中川隆[-9264] koaQ7Jey 2019年6月29日 18:51:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3285]
世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本市場で溢れかえる 2019年5月23日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791


遺伝子組換え作物輸入とセットで広がる


モンサント社に抗議するスイスのデモ(18日、バーゼル)

 毎年5月には「反モンサント・デー」(現在は「反バイエル・モンサントデー」)と称して、世界中の農民や労働者など広範な人人が一斉に抗議行動をおこなっている。今年も18日にフランスやスイス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど数百の都市で一斉にデモ行進をおこなった。行動の主眼はモンサントが開発したラウンドアップを含む除草剤への抗議だ。ラウンドアップの発がん性や遺伝子への影響が問題になり、2013年に始まった「反モンサント・デー」は今年で7回目を迎える。抗議行動の高まりのなかで世界各国ではラウンドアップの使用禁止や販売中止、輸入禁止が主な流れになっている。ところがそれに逆行して日本では内閣府食品安全委員会が「ラウンドアップは安全」と承認し、農協が使用を推奨し、ホームセンターなどでも販売合戦に拍車がかかっている。世界中で規制が強化され販売先を失ったラウンドアップが日本市場になだれ込んでいるといえる。ラウンドアップとはどういう除草剤で、なぜ世界各国で使用禁止になっているのかを見てみたい。

 フランスでは18日、「反バイエル・モンサント」デモに世界中から数千人が参加した。この行動に参加したのち、「黄色いベスト」運動のデモにも合流している。フランスは世界第3位の農薬消費国で、ラウンドアップに対して関心が高い。世界中で200万人以上が参加した第1回目の2013年の行動以来、2015年のデモには世界40カ国以上、約400都市で行動がおこなわれるなど、年年規模が大きくなっている。


フランスのロリアンでの抗議デモ(18日)

 今年1月、フランス当局は安全性に問題があるとして、ラウンドアップ除草剤とその関連商品の販売を禁止した。ラウンドアップはベトナム戦争で使われた「枯葉剤」をつくったモンサントが1974年に発売した除草剤で、グリホサートを主成分としている。このグリホサートが猛毒を含んでおり、2015年に世界保健機関(WHO)の下部組織「国際がん研究機関」が「おそらく発がん性がある」と発表し、17年には米国政府の研究で急性骨髄性白血病との関連が発表された。発表したのは米国の国立がん研究所、国立環境健康科学研究所、環境保護庁、国立職業安全健康研究所の共同プロジェクト。急性骨髄性白血病は急速に発達するがんで、5年の生存確率は27%とした。

 同年にはカリフォルニア州がラウンドアップを発がん性物質のリストに載せた。今年2月にはワシントン大学の研究チームが「グリホサートにさらされると発がんリスクが41%増大する」との研究結果を発表した。

 グリホサートは発がん性はもちろん、植物を枯れ死させてしまうが、同様に土壌細菌や腸内細菌も損なう。腸内環境を破壊することでアレルギーなど自己免疫疾患などの原因になったり、神経毒として自閉症や認知症を誘発する可能性が指摘されている。また、生殖に与える影響も懸念されている。精子の数の激減、胎児の発育に影響を与える可能性だけでなく、世代をこえて影響する危険を指摘する研究結果も発表されている。ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤によってつくられたダイオキシンは三代にわたって影響を与えるといわれるが、グリホサートにも同様に世代をこえた影響が出る可能性も指摘されている。


ホームセンターで販売されているラウンドアップ

 ラウンドアップの危険性が問題にされた歴史は古く、1996年にはモンサントが「食卓塩より安全」「飲んでも大丈夫」「動物にも鳥にも魚にも“事実上毒ではない”」と宣伝していたことに対し、ニューヨークの弁護士が訴訟を起こした。2001年にはフランスでも消費者の権利を守る運動をおこなっている活動家が訴訟を起こした。争点になったのはグリホサート使用による土壌の汚染問題で、EUは「環境に危険であり、水生動物にとって毒である」とした。2007年にモンサントは「嘘の広告」で有罪判決を受け、2009年に判決が認められた。

 2003年にはデンマークがラウンドアップの散布を禁止した。グリホサートが土壌を通り抜けて地下水を汚染していることが明らかになったことによるものだ。

 2008年の科学的研究では、ラウンドアップ製剤とその代謝産物が試験管の中でかなり低い濃度であっても、人間の胚、胎盤、へその緒の細胞に死をもたらすことが明らかになった。代謝産物とは、分解されて除草剤の役目をしなくなった状態のもので、分解されても動物には同じように死をもたらすことが明らかになった。

 2009年のネズミの実験では、思春期の時期にラウンドアップにさらされると生殖の発達に障害を起こす「内分泌腺撹乱」の可能性が発見された。「内分泌腺の撹乱」とは、脳内ホルモンのバランスを崩すことで、体が思うように動かなくなったり、気分を自分でコントロールすることが難しくなることをいう。

 カナダでは2012年末までに全州で芝生や庭での使用を禁止した。

 アメリカでは、長年にわたるラウンドアップの使用によるがん発生が広く問題になり、昨年8月、今年3月と5月の3回にわたってラウンドアップを使用してがんになったとしてモンサント社を訴えていた原告が勝訴した。同様の訴訟は1万3000件以上も起こされている。

 直近の5月13日には、カリフォルニア州の夫婦が「ラウンドアップが原因でがんを発症した」として賠償を求めた訴訟で、州裁判所の陪審はモンサントに対し約20億j(約2200億円)の支払いを命じた。原告1人につき10億jという懲罰的賠償額は、2017年にモンサントが農薬部門で得た利益8億9200万jにもとづくとしている。この評決を歓迎してアメリカの市民団体は、「何十年もの間、モンサントはグリホサートが無害であると農民、農場従事者、農薬散布者、住宅所有者に思わせていた。世論は明らかに変化している。発がん性のある農薬を市場から閉め出し、生態系を守る農業に移行しつつある農家を支援するときが来た」との声明を発表した。

 なお昨年8月の裁判では2億j(後に約8000万jに減額)、今年3月にも8000万jの賠償をバイエル・モンサント側に命ずる判決が下されている。

 こうしたなかで、アメリカではすべての州でラウンドアップの全面禁止を求める運動が開始されている。ニューヨーク州ではラウンドアップを「安全な農薬」と宣伝することが禁止されている。

次々モンサントを告訴 判決は賠償命じる

 フランスでも今年4月、控訴裁判所がモンサントのラウンドアップの一世代前の農薬ラッソーによって農民に神経損傷の被害を与えたとして、モンサントに有罪判決を下した。

 ちなみにラッソーは1980年代にアメリカでもっとも多く売られていた農薬だったが、危険性が問題になり米国環境保護局が発がん性の可能性を認め、フランスを含むEUでは2007年に禁止した。だがアメリカと日本では使われ続けている。日本では日産化学が「日産ラッソー乳剤」として現在も販売している。 

 フランスはラウンドアップに対しても、今年1月に個人向けの販売を禁止した。政府は今後3年をめどに農家向けにも禁止すると公表している。フランスではまた、1700人の医師がつくる連合体がラウンドアップの市場からの一掃を求めて運動を展開している。

 さらに養蜂農家の協同組合がラウンドアップに汚染されたとしてバイエル・モンサントを訴えている。ラウンドアップを多く使用してきたぶどう園などでは、農薬への依存を減らす動きが活発化しており、条件のいい所では100%使用を減らし、条件の厳しい所でも70%農薬の使用を減らす計画であり、ラウンドアップの命運はほぼつきている状況だ。

 2014年にはスウェーデンやノルウェーがラウンドアップの使用を禁止した。オランダ議会は2015年末でグリホサートの使用禁止を決めた。ブラジルでも2015年連邦検察官が司法省にグリホサートを暫定的に使用禁止にするよう求めた。ドイツ、イタリア、オーストリアなど33カ国は2〜3年後には禁止すると表明している。

 スリランカ政府は2014年、ラウンドアップの販売を禁止し、翌2015年にグリホサートの輸入を禁止した。これはカドミウムとヒ素を含む土壌でラウンドアップを使用した場合、飲料水やコメを通して重い慢性腎不全の原因となるとの研究報告を受けてのことだ。

 ロシアも2014年4月、ラウンドアップ耐性遺伝子組み換え食品の輸入を禁止した。アラブ6カ国も使用禁止に踏み切っており、ベトナムなどアジア5カ国やマラウィはグリホサートの輸入禁止を決定している。エルサルバドルやチリ、南アフリカ共和国などもラウンドアップの販売を禁止するか禁止に向けて動いている。

 流通業界では、昨年8月のアメリカでの判決を受けて、イギリスの流通大手がラウンドアップの販売禁止の検討を始めた。アメリカに本社を置くスーパー・コストコも今年4月、ラウンドアップの仕入れと販売をすべて中止することを発表した。コストコは世界に約768の大型店舗があり、日本にも26店舗ある。

別名で店頭に並ぶ日本 政府が「安全」とお墨付き

 このようにラウンドアップの危険性への認識は世界的に拡散されており、店頭でラウンドアップが簡単に手に入るのは先進国では日本ぐらいになっている。

 世界中からはじき出され行き場を失ったラウンドアップが日本市場に一気になだれ込んできており、除草剤では売上トップの座を占めている。日本では日産化学工業が2002年5月にモンサントの日本での農薬除草剤事業を買収し、ラウンドアップの日本での販売権を引き継ぎ、「優れた効力と環境に優しい除草剤」などと宣伝してきた。

 日本政府はすでに世界的に危険性が明確になっていた2016年に「グリホサートの安全性を確認した」との評価書を公表した。この評価書を前提に2017年12月には、グリホサートの残留農薬基準を大幅に緩和した。小麦で6倍、ソバで150倍、ゴマで200倍、ベニバナの種子で400倍というけた違いの大幅緩和だ。しかもこのことをマスコミは一切報道しなかった。これによってグリホサートの残留基準は中国の基準の150倍になった。中国からの輸入野菜が農薬まみれで危険だと問題にしていたが、その中国産野菜の方がまだましという殺人的な状況になっている。

 また、ラウンドアップの主成分であるグリホサート剤はすでに成分特許が切れており、さまざまな名前で同剤が販売されている。そのなかには住友化学園芸の「草退治」などがある。

 ラウンドアップは日本の店頭では「もっとも安全な除草剤」とか「驚異の除草力」とかいった宣伝文句で販売されている。農協の販売ルートにも乗っており、ホームセンターやドラッグストア、100均などでも大大的に扱っている。またテレビCMや新聞広告もされ、危険性についての説明は一切なく、警戒心なしに購入し使用しているのが現状だ。

 モンサント社が遺伝子組み換え作物を開発したのは、ラウンドアップに耐性のある農作物をつくり、セットで販売するためだった。ラウンドアップの販売促進は遺伝子組み換え作物導入とセットでもある。日本は世界で最大級の遺伝子組み換え作物輸入国で、日本の遺伝子組み換え食品表示は世界の制度のなかでも緩いため、日本の消費者は知らないうちに大量の遺伝子組み換え食品を食べさせられている。

 モンサントのホームページでは「日本は海外から大量のトウモロコシ、大豆など穀物を輸入しており、その数量は合計で年間約3100万dに及ぶ。その半分以上(1600万〜1700万d=日本のコメの生産量の約2倍)は遺伝子組み換え作物」で「日本の食生活安定に大きく貢献している」とし、ラウンドアップとともに「是非、遺伝子組み換え作物の効果やメリットを目で見て、肌で感じて」ほしいと豪語している。

 こうしたモンサントの要求に応えて、日本政府はモンサントの遺伝子組み換え作物をアメリカ政府以上に承認していることも明らかになっている。TPP11の発効や今後の日米貿易協定などを通じて、今まで以上に遺伝子組み換え作物輸入の圧力がかかってくることは必至だ。

 モンサント社(昨年ドイツのバイエル社が買収)はアメリカのミズーリ州に本社を構える多国籍バイオ化学メーカー。除草剤ラウンドアップが主力商品で、遺伝子組み換え種子の世界シェアは90%であり、世界の食料市場をほぼ独占している巨大なグローバル企業だ。同社は、人間の健康および環境の両方に脅威を与えているという理由から健康情報サイトでは2011年の世界最悪の企業にも選ばれている。

 ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサントの救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサントという一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html#c105

[近代史3] 世界を支配する者たちの隠された歴史 _ ロックフェラー、ロスチャイルドは王族、貴族の「下僕」にしか過ぎない 中川隆
1. 中川隆[-9269] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:09:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3280]

【討論】世界を支配する者たち[桜R1-6-29] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I6KuNUJug6o


◆世界を支配する者たち


パネリスト:
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 林千勝(戦史研究家)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 山岡鉄秀(公益財団法人モラロジー研究所研究員・Australia-Japan Community Network Inc.代表)
司会:水島総
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/315.html#c1

[近代史3] 林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か? 中川隆
21. 中川隆[-9268] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:42:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3281]
【討論】世界を支配する者たち[桜R1-6-29] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I6KuNUJug6o


◆世界を支配する者たち

パネリスト:
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 林千勝(戦史研究家)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 山岡鉄秀(公益財団法人モラロジー研究所研究員・Australia-Japan Community Network Inc.代表)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c21

[近代史3] ディープステートとは何か 中川隆
3. 中川隆[-9267] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:42:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3282]
【討論】世界を支配する者たち[桜R1-6-29] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I6KuNUJug6o


◆世界を支配する者たち

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[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
21. 中川隆[-9266] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3283]

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[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
39. 中川隆[-9265] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:45:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3284]

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[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
35. 中川隆[-9264] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:46:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3285]

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[政治・選挙・NHK262] 働けど、働けど、日本国民の多くが貧乏化しているのはなぜか:われらの国富が、国民に内緒で、端から対米移転されて米国政府の… 赤かぶ
1. 中川隆[-9263] koaQ7Jey 2019年6月29日 20:53:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3286]
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[近代史3] 病気の9割は歩くだけで治る! 中川隆
1. 中川隆[-9265] koaQ7Jey 2019年6月29日 21:31:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3284]

 



運動不足で寝たきりが決して他人事でない現実 関節の動きが悪くなると衰えは加速する/msnニュース
東洋経済オンライン 林 泰史
2019/06/29 08:30
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e9%81%8b%e5%8b%95%e4%b8%8d%e8%b6%b3%e3%81%a7%e5%af%9d%e3%81%9f%e3%81%8d%e3%82%8a%e3%81%8c%e6%b1%ba%e3%81%97%e3%81%a6%e4%bb%96%e4%ba%ba%e4%ba%8b%e3%81%a7%e3%81%aa%e3%81%84%e7%8f%be%e5%ae%9f-%e9%96%a2%e7%af%80%e3%81%ae%e5%8b%95%e3%81%8d%e3%81%8c%e6%82%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%a8%e8%a1%b0%e3%81%88%e3%81%af%e5%8a%a0%e9%80%9f%e3%81%99%e3%82%8b/ar-AADzNwN?ocid=iehp

© 東洋経済オンライン 体を動かさないことによる筋力の低下は、若年・中年層も無視できなくなっています(写真:xiangtao/PIXTA)

「運動不足」と聞くと、真っ先に思い浮かべるキーワードは「肥満」という人は多いのではないだろうか。確かに肥満は生活習慣病を呼び健康を害する一因ではあるが、運動不足が起こすトラブルはそれだけではない。

体を動かさなければ、筋肉は痩せ細り関節の動きも悪くなっていく。これが痛みや不具合を呼んで体を動かす気力を奪い、さらなる体の衰えを招くという負のスパイラルを形成するのだ。関節の動きが悪くなることのデメリットと対策について『体幹ほぐして関節元気に くるのびダンスエクササイズ DVDつき』に掲載されている内容を、一部抜粋し再構成のうえ紹介する。

転倒による骨折で「寝たきり」になることも

 経済的に豊かになるにつれ日本人の食生活は改善され、その間に医療も目覚ましい進歩を遂げました。こうして日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.26歳(厚生労働省「平成29年簡易生命表」)となり、1950年代と比べると21〜24年も延びています。

 栄養不足や病気などで若くして亡くなる方が減ったことは、医療に携わる人間として非常に喜ばしいのですが、かつてに比べ四半世紀も長く、肉体という「器」が使われ続けるようになった点を見逃すことはできません。

 例えば目は、80代の大部分の人は視界がかすむ白内障になります。下肢の筋力は25歳をピークに落ち続け、50代に入るとピーク時より20%以上落ちるという調査もあります。

 こうした体の衰えが、高齢者の自宅での骨折を増加させる一因となっています。30〜40代くらいの方は「自宅で骨折?」などと思われるかもしれませんが、親御さんの世代にとっては決して珍しいことではありません。

 高齢になると骨がもろくなることもあり、屋内のわずかな段差で軽くつまずいただけで、腰や太ももの丈夫な骨が簡単に折れてしまうのです。転倒が原因で要介護状態、いわゆる「寝たきり」になる方が増えていることを考えると、自宅での骨折の危険性をご理解いただけるのではないでしょうか。

 自分のことを自分でこなし楽しく生活し続けるには、体を動かす習慣が不可欠です。関節も筋肉も骨も、適度に刺激しないと日常生活すら過酷なものになりかねません。もちろん日々の刺激が足りないと体は弱っていくため簡単に病気や怪我をし、高齢者であればそのまま要介護状態になることもあります。

 このような衰えは高齢者に限った話ではなく、若い世代の方も適度に体を刺激しないと、若くして老化したかのような状態に陥りかねないのです。

運動習慣があるかどうかが人生を左右する

 運動習慣をいかにつけていただくかは、予防医学における最大の課題です。しかし、どうお伝えしても実践いただくのは本当に難しいと痛感しています。最近は当院の入院患者さんでも、入院中は懸命に体を動かしていたのに退院したらパッタリ運動をしなくなった、というケースをよく見るようになりました。

 世の中が便利になるにつれ、体を動かさずにできることは増え続けています。その一方で、動かさなくなればなるほど体は「動かす機能は必要ない」と判断するため、衰えは加速します。

 とはいえ不便な暮らしに戻ることは難しい。そうすると現代においては、体を動かす習慣を身に付けることこそが人生の後半を楽しく過ごせるか苦しいものにするかを決める、と言っても過言ではありません。

 体を動かさないことによる筋力の低下は、若年・中年層も無視できなくなっています。厚生労働省「国民健康・栄養調査」によると、運動習慣のある人(30分以上、週2回以上を1年以上継続)は、20〜50代では20%程度しかいません。

 デスクワーク中心で移動はタクシーや車、エスカレーターに頼りきりで買い物もインターネット。そんな生活を続ければ、若くして筋力や活力の低下という、将来に禍根を残す負債を抱えます。「寝たきり」にならないよう自ら健康維持に努めることは、今以上に大事になるはずです。

 ただ運動習慣のない人が、いきなり運動を始めるのは難しいと思います。筋力だけでなく体の柔軟性も低下しているため、せっかく運動をしたとしても痛みを呼んで継続が困難になるケースがあるからです。ここでは、動きが悪くなることで痛みや不具合が起きやすい肩、背骨、股関節に絞って話をしていきましょう。

 肩には、上腕骨と肩甲骨の間と 肩甲骨と鎖骨の間の2カ所に関節があります。さらに胸鎖関節を加えた3カ所の動きがスムーズだと、腕はよく動くのです。運動不足などで体が硬くなった人は、とくに肩甲骨の動きが悪くなります。肩甲骨の動きが悪いと肩の動きも悪くなり、肩や首のこり、偏頭痛など、さまざまな不調が現れ指の働きも低下します。

 肩回りの代表的な不調は、いわゆる四十肩・五十肩(肩関節周囲炎)。使わないことによる筋力低下、腱鞘炎、腱板がすり切れて弱くなる、などで肩周辺の筋肉や腱に痛みが生じます。そして上腕二頭筋長頭腱炎を発症すると、痛みで腕をねじる動作が難しくなるのです。

 例えば頭の後ろや背中、腰に手を回せなくなっていきます。すると髪をセットできない、背中のジッパーを上げられない、帯やエプロンのひもを結べない、湿布を貼れないなど、日常生活で困るシーンが増える一方に。中でも困るのはトイレです。手を後ろに回せないと、下着などをしっかりと引き上げられなくなるのです。

 肩関節は日々よく動かすだけで、痛みの予防・緩和になります。無理のない範囲で腕を肩より高く上げる、ぐるぐると回すなど、腕の高さを変えつつ多方向に動かして柔軟性を高めましょう。

 私が監修した『体幹ほぐして関節元気に くるのびダンスエクササイズ DVDつき』で紹介した「くるのびダンスエクササイズ」の中から、オススメしたいのが「くるくる1週間」です。

 右胸の斜め下から左胸の斜め下まで大きく半円を描きながら両手の位置を動かしつつ、下記の動作を行います。

1. 右手のひらと左手の甲を自分に向けて、親指どうしをつける

2. 両手のひらを返して人差し指どうしをつける

3. 両手のひらを返して親指どうしをつける

4. 両手のひらを返して人差し指どうしをつける

5. 両手のひらを返して親指どうしをつける

6. 両手のひらを返して人差し指どうしをつける

7. 両手のひらを返して親指どうしをつける

腕を大きく動かすことで肩の運動を、手と指の細かい動作で脳の活性化を狙っています。腕が上がらない方は、できる範囲で上げればOKです。続けるうちに可動域は広がり筋肉や関節がよく動くようになるので、焦らずトライしましょう。

背骨の動きはあらゆる動作に関係

 高齢者が骨折する部位の約半数を占めるのが背骨です。骨粗しょう症になるととくに折れやすくなり、折れた部位によっては何週間か歩けなくなります。

 高齢になると背骨回りの筋肉が硬くなりやすいため、まるで上体が1本の棒のように硬直しがちですが、上体が硬直すると、ちょっとしたつまずきでも「バタン!」と転倒し、体に大きな衝撃がかかるため骨折しやすいのです。逆に背骨がよく動けばバランスを取りやすく、とっさに前に手を出したり受け身をとったりする動きにも役立ちます。転倒しても大事には至りにくいでしょう。

 高齢者に限らず、体を動かさない方は背中が丸まり前屈みになる傾向にあります。これは、人間の体は背筋よりも腹筋のほうが強く働くからで、体は前屈し背骨のお腹側が潰れやすくなるのです。この姿勢が続くと胸や腹部が縮んで肺や胃が小さくなり、呼吸は浅くなって食事も量をとれなくなるという影響が生じがちです。

 背骨の動きを保つには、日々のケアとして上体をしっかり伸ばす、左右に曲げる、ねじるなどの動きを、できる範囲で繰り返すことが効果的です。また、両手を大きく左右に広げたり肩甲骨を寄せたりする動きは、胸を広げ背部を伸ばします。

 背骨をよく動かすうちに、棒のように固まった体もほぐれてきます。上体の硬直がなくなれば呼吸も楽になり、息切れしない体を取り戻せるでしょう。

 高齢になると脚の付け根にある骨が折れる「大腿骨頸部骨折」が増加し、この骨折が原因で要介護状態になる方もいます。 原因は、骨粗しょう症により骨がもろくなるから。ちょっとしたことで卵の殻が割れるようにパリッと折れます。

 また長期間の入院・入所などで歩かない期間が長引くと、脚を大きく開いただけで骨折することもあります。このような骨折の予防に効果的なのは、普段から股関節をよく動かしてなめらかな動きを保つことです。

 股関節がよく動けば、足がもたつかない「転ばない体づくり」にも役立ちます。逆に動かさなければ、たとえ骨や関節にいいと言われる薬やサプリメントを摂っても効果は薄れるでしょう。

40代でも歩く機会が少ない人は注意

 40代でも、歩く機会が少ない人は要注意です。脚を大きく動かす機会を失うと関節は固まっていくからです。股関節の動きをなめらかに保つには、脚の付け根を大きく動かす運動が効果的です。

 大きく前後左右に踏み出す、脚を付け根から内側・外側に回すなど、さまざまな方向に動かしましょう。普段あまりしない動きを取り入れつつ、さまざまな刺激を与えるのが有効です。

 骨には、一定以上の刺激を与えると丈夫になる性質があります。歩くだけでもある程度は刺激になりますが、できる範囲で片足立ちになったり踏み込んだりしたほうが効果的です。

 また、脚を付け根から持ち上げる動作は腸腰筋を鍛えられるため、転倒予防や歩行の安定につながります。階段を上ったり早歩きをしたりするのもいいでしょう。病気や怪我を抱えている方は、医師と相談のうえ実践ください。

 高齢の方の転倒予防に、そして若年・中年の方の健康維持や親御さんを要介護状態から遠ざけるために、お役立ていただければ幸いです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/475.html#c1

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
6. 中川隆[-9264] koaQ7Jey 2019年6月30日 05:23:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3285]

長浜浩明の神武天皇即位 紀元前70年説は間違い

古代日本「謎」の時代を解き明かす―神武天皇即位は紀元前70年だった! – 2012/4/1
長浜 浩明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3

カスタマーレビュー

hira 5つ星のうち2.0
歴史利用による日本賞賛は、一種の宗教である 2019年3月5日


 日本古代史の研究本には、考古学中心と、文献学中心に、大別でき、考古学中心だと、調査での知識が取得できる一方、文献学中心だと、引用文が多用されていれば、読解での知識が取得できます。

 ところが、本書のように、文献学に傾倒し、いきなりの筆者の仮説や、他者の批判と、それらの根拠の説明だと、もし、その仮説が否定されれば、本自体の存在価値は、ほぼなくなってしまいますが、残念ながら、本書で、肯定できる箇所は、次のように、ほとんど散見できません。

 日本古代史には、著名な学者達の通説でさえ、到底納得できないものが、多々あり、なので、在野の研究者達が、入り込む余地があるのですが、筆者が、本書で諸説を散々批判したわりには(特に3章)、その前提条件が、大変脆弱です。


○1章への反論
 筆者は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。

 「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。

 よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。

 余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。

 そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。

○2章への補足
 筆者の主張する、邪馬台(壱)国=九州北部説には、私も賛同し、帯方郡〜邪馬壱国間が1万2000余里、帯方郡〜奴国間が1万600余里なので、奴国〜邪馬壱国間が1400余里以内となる説明は、わかりやすいですが(p.54)、入墨の分布が、かえって、わかりにくくしているのではないでしょうか(p.69)。

 私なら、もし、邪馬台国が近畿だと、伊都国設置の諸国を検察する一大率を、畏憚する(おそれはばかる)距離でないこと、もし、「魏志倭人伝」で、方位を書き誤ったなら、後世の「後漢書倭伝」で、狗奴国の位置を、女王国の東1000余里に訂正した際、一緒に訂正するはずとの理由を追加します。

 「魏志倭人伝」に、狗奴国は、倭の21ヶ国の南にあるという記述だけを、筆者が信用するのも、疑問です。

○5章への反論
 本書で筆者は、神武東征を紀元前70年と主張しており、ここでは、葦の根に生成・蓄積される褐鉄鉱を持ち出し、鉄器の導入と結び付けたいようにみえます。

 しかし、日本列島での鉄器の出土数を比較すると、九州北部は、3世紀前半まで、他地域を圧倒し、3世紀後半になって、はじめて畿内が逆転しており、紀元前1世紀の大和は、鉄器の後進地域なので、結局は、何がいいたいのか、不明です。

▲△▽▼

日本書紀(現代語訳・口語訳の全文)
太歳甲寅11月〜戊午年春3月
https://nihonsinwa.com/page/859.html


原文

十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫国岡水門。

十有二月丙辰朔壬午、至安藝国、居于埃宮。

乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備国、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。

戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東、舳艫相接。方到難波之碕、會有奔潮太急。因以名爲浪速国、亦曰浪花、今謂難波訛也。訛、此云與許奈磨盧。

三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內国草香邑雲白肩之津。


現代語訳

太歳甲寅11月
11月の9日に神武天皇は筑紫国(ツクシノクニ)の岡水門(オカノミナト=福岡県遠賀郡の遠賀川河口)に到着しました。

太歳甲寅12月
12月の27日に安芸国の埃宮(エノミヤ=広島県府中町)に滞在しました。

乙卯年春3月
乙卯年(キノトウノトシ)の春三月の6日に吉備国(キビノクニ)に入り、行館(カリミヤ=仮宮)を作って滞在しました。これを高嶋宮(タカシマノミヤ)といいます。三年滞在している間に、船を揃え、兵食(カテ)を備え、ひとたび兵を挙げて天下(アメノシタ)を平定しようと神武天皇は思っていました。

戊午年春2月
戊午年(ツチノエウマノトシ)の春2月の11日。皇師(ミイクサ)はついに東へと向かいました。舳艫(ジクロ=船首と船尾)がぶつかり合うほどに沢山の船団でした。難波之碕(ナニワノサキ)に到着すると、潮が速いところがあった。それでこの場所を浪速国(ナミハヤノクニ)といいます。また浪花(ナミハナ)といいます。今、難波と呼ばれるのはこれらが訛ったものです。

訛は與許奈磨盧(ヨコナマル)と読みます。

戊午年春3月
三月の10日。流れを遡(サカノボ)って、河内国(カワチノクニ)草香邑(クサカムラ)雲(アオクモ)白肩之津(シラカタノツ)に到着しました。
https://nihonsinwa.com/page/859.html


▲△▽▼


日本書紀(原文) 日本書紀巻03/神武天皇
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html


~日本磐余彥天皇 ~武天皇

~日本磐余彥天皇、諱彥火火出見、彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰玉依姬、海童之少女也。天皇生而明達、意礭如也、年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛、爲妃、生手硏耳命。

及年卌五歲、謂諸兄及子等曰「昔我天~、高皇産靈尊・大日孁尊、舉此豐葦原瑞穗國而授我天祖彥火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃~乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。

其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。至速吸之門、時有一漁人乘艇而至、天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國~、名曰珍彥、釣魚於曲浦。聞天~子來、故卽奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎㰏末、令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彥椎、此云辭毗、此卽倭直部始祖也。行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。

十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。

十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。

乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。

戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東、舳艫相接。方到難波之碕、會有奔潮太急。因以名爲浪速國、亦曰浪花、今謂難波訛也。訛、此云與許奈磨盧。

三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內國草香邑雲白肩之津。

夏四月丙申朔甲辰、皇師勒兵、步趣龍田。而其路狹嶮、人不得並行、乃還更欲東踰膽駒山而入中洲。時、長髄彥聞之曰「夫天~子等所以來者、必將奪我國。」則盡起屬兵、徼之於孔舍衞坂、與之會戰。有流矢、中五瀬命肱脛。皇師不能進戰、天皇憂之、乃運~策於沖衿曰「今我是日~子孫而向日征虜、此逆天道也。不若、退還示弱、禮祭~祇、背負日~之威、隨影壓躡。如此、則曾不血刃、虜必自敗矣。」僉曰「然。」於是、令軍中曰「且停、勿須復進。」乃引軍還。虜亦不敢逼、却至草香之津、植盾而爲雄誥焉。雄誥、此云烏多鶏縻。因改號其津曰盾津、今云蓼津訛也。初、孔舍衞之戰、有人隱於大樹而得兔難、仍指其樹曰「恩如母。」時人、因號其地曰母木邑、今云飫悶廼奇訛也。

五月丙寅朔癸酉、軍至茅淳山城水門。亦名山井水門。茅淳、此云智怒。時五瀬命矢瘡痛甚、乃撫劒而雄誥之曰撫劒、此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢「慨哉、大丈夫慨哉、此云宇黎多棄伽夜被傷於虜手、將不報而死耶。」時人因號其處、曰雄水門。進到于紀伊國竈山、而五瀬命薨于軍、因葬竈山。

六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。戸畔、此云妬鼙。遂越狹野而到熊野~邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天~、母則海~。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持~。三毛入野命、亦恨之曰「我母及姨並是海~。何爲起波瀾、以灌溺乎。」則蹈浪秀而往乎常世ク矣。

天皇獨與皇子手硏耳命、帥軍而進、至熊野荒坂津亦名丹敷浦、因誅丹敷戸畔者。時、~吐毒氣、人物咸瘁、由是、皇軍不能復振。時彼處有人、號曰熊野高倉下、忽夜夢、天照大~謂武甕雷~曰「夫葦原中國猶聞喧擾之響焉。聞喧擾之響焉、此云左揶霓利奈離。宜汝更往而征之。」武甕雷~對曰「雖予不行、而下予平國之劒、則國將自平矣。」天照大~曰「諾。諾、此云宇毎那利。」時武甕雷~、登謂高倉下曰「予劒號曰韴靈。韴靈、此云赴屠能瀰哆磨。今當置汝庫裏。宜取而獻之天孫。」高倉下曰「唯々」而寤之。明旦、依夢中教、開庫視之、果有落劒倒立於庫底板、卽取以進之。

于時、天皇適寐。忽然而寤之曰「予何長眠若此乎。」尋而中毒士卒、悉復醒起。既而皇師、欲趣中洲、而山中嶮絶、無復可行之路、乃棲遑不知其所跋渉。時夜夢、天照大~訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲ク導者。」果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大~、欲以助成基業乎。」是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣、因號其所至之處、曰菟田穿邑。穿邑、此云于介知能務羅。于時、勅譽日臣命曰「汝忠而且勇、加能有導之功。是以、改汝名爲道臣。」

秋八月甲午朔乙未、天皇使徵兄猾及弟猾者。猾、此云字介志。是兩人、菟田縣之魁帥者也。魁帥、此云比ケ誤廼伽瀰。時、兄猾不來、弟猾卽詣至、因拜軍門而告之曰「臣兄々猾之爲逆狀也、聞天孫且到、卽起兵將襲。望見皇師之威、懼不敢敵、乃潛伏其兵、權作新宮而殿內施機、欲因請饗以作難。願知此詐、善爲之備。」天皇卽遣道臣命、察其逆狀。時道臣命、審知有賊害之心而大怒誥嘖之曰「虜、爾所造屋、爾自居之。」爾、此云飫例。因案劒彎弓、逼令催入。兄猾、獲罪於天、事無所辭、乃自蹈機而壓死、時陳其屍而斬之、流血沒踝、故號其地、曰菟田血原。已而弟猾大設牛酒、以勞饗皇師焉。天皇以其酒宍、班賜軍卒、乃爲御謠之曰、謠、此云宇哆預瀰。

于儾能多伽機珥 辭藝和奈陂蘆 和餓末菟夜 辭藝破佐夜羅孺 伊殊區波辭 區旎羅佐夜離 固奈瀰餓 那居波佐麼 多智曾麼能 未廼那鶏句塢 居氣辭被惠禰 宇破奈利餓 那居波佐麼 伊智佐介幾 未廼於朋鶏句塢 居氣儾被惠禰

是謂來目歌。今樂府奏此歌者、猶有手量大小、及音聲巨細、此古之遺式也。是後、天皇欲省吉野之地、乃從菟田穿邑、親率輕兵巡幸焉。至吉野時、有人出自井中、光而有尾。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是國~、名爲井光。」此則吉野首部始祖也。更少進、亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是磐排別之子。」排別、此云飫時和句。此則吉野國樔部始祖也。及緣水西行、亦有作梁取魚者。梁、此云揶奈。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」苞苴擔、此云珥倍毛菟。此則阿太養鸕部始祖也。

九月甲子朔戊辰、天皇陟彼菟田高倉山之巓、瞻望域中。時、國見丘上則有八十梟帥梟帥、此云多稽屢、又於女坂置女軍、男坂置男軍、墨坂置焃炭。其女坂・男坂・墨坂之號、由此而起也。復有兄磯城軍、布滿於磐余邑。磯、此云志。賊虜所據、皆是要害之地、故道路絶塞、無處可通。天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有天~訓之曰「宜取天香山社中土香山、此云介遇夜摩以造天平瓮八十枚平瓮、此云毗邏介幷造嚴瓮而敬祭天~地祇嚴瓮、此云怡途背、亦爲嚴呪詛。如此、則虜自平伏。」嚴呪詛、此云怡途能伽辭離。

天皇、祇承夢訓、依以將行、時弟猾又奏曰「倭國磯城邑、有磯城八十梟帥。又高尾張邑或本云、葛城邑也、有赤銅八十梟帥。此類皆欲與天皇距戰、臣竊爲天皇憂之。宜今當取天香山埴、以造天平瓮而祭天社國社之~、然後擊虜則易除也。」天皇、既以夢辭爲吉兆、及聞弟猾之言、u喜於懷。乃使椎根津彥、著弊衣服及蓑笠、爲老父貌、又使弟猾被箕、爲老嫗貌、而勅之曰「宜汝二人到天香山潛取其巓土而可來旋矣。基業成否、當以汝爲占。努力愼歟。」

是時、虜兵滿路、難以往還。時、椎根津彥、乃祈之曰「我皇當能定此國者行路自通、如不能者賊必防禦。」言訖徑去。時、群虜見二人、大咲之曰「大醜乎大醜、此云鞅奈瀰爾句老父老嫗。」則相與闢道使行、二人得至其山、取土來歸。於是、天皇甚ス、乃以此埴、造作八十平瓮・天手抉八十枚手抉、此云多衢餌離嚴瓮、而陟于丹生川上、用祭天~地祇。則於彼菟田川之朝原、譬如水沫而有所呪著也。天皇又因祈之曰「吾今當以八十平瓮、無水造飴。飴成、則吾必不假鋒刃之威、坐平天下。」乃造飴、飴卽自成。又祈之曰「吾今當以嚴瓮、沈于丹生之川。如魚無大小悉醉而流、譬猶范t之浮流者艨A此云磨紀、吾必能定此國。如其不爾、終無所成。」乃沈瓮於川、其口向下、頃之魚皆浮出、隨水噞喁。

時、椎根津彥、見而奏之。天皇大喜、乃拔取丹生川上之五百箇眞坂樹、以祭諸~。自此始有嚴瓮之置也。時勅道臣命「今、以高皇産靈尊、朕親作顯齋。顯齋、此云于圖詩怡破毗。用汝爲齋主、授以嚴媛之號。而名其所置埴瓮爲嚴瓮、又火名爲嚴香來雷、水名爲嚴罔象女罔象女、此云瀰菟破廼迷、糧名爲嚴稻魂女稻魂女、此云于伽能迷、薪名爲嚴山雷、草名爲嚴野椎。」

冬十月癸巳朔、天皇嘗其嚴瓮之粮、勒兵而出。先擊八十梟帥於國見丘、破斬之。是役也、天皇志存必克、乃爲御謠之曰、

伽牟伽筮能 伊齊能于瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屢 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務

謠意、以大石喩其國見丘也。既而餘黨猶繁、其情難測、乃顧勅道臣命「汝、宜帥大來目部、作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之。」道臣命、於是奉密旨、掘窨於忍坂而選我猛卒、與虜雜居、陰期之曰「酒酣之後、吾則起歌。汝等聞吾歌聲、則一時刺虜。」已而坐定酒行、虜不知我之有陰謀、任情徑醉。時道臣命、乃起而歌之曰、

於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾騖都都伊 異志都々伊毛智 于智弖之夜莽務

時、我卒聞歌、倶拔其頭椎劒、一時殺虜、虜無復噍類者。皇軍大ス、仰天而咲、因歌之曰、

伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫

今、來目部歌而後大哂、是其緣也。又歌之曰、

愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒

此皆承密旨而歌之、非敢自專者也。時天皇曰「戰勝而無驕者、良將之行也。今魁賊已滅、而同惡者、匈々十數群、其情不可知。如何久居一處、無以制變。」乃徙營於別處。

十有一月癸亥朔己巳、皇師大舉、將攻磯城彥。先遣使者徵兄磯城、兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰「天~子召汝。怡奘過、怡奘過。過、音倭。」兄磯城忿之曰「聞天壓~至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。壓、此云飫蒭。」乃彎弓射之、烏卽避去、次到弟磯城宅而鳴之曰「天~子召汝。怡奘過、怡奘過。」時弟磯城惵然改容曰「臣聞天壓~至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」卽作葉盤八枚、盛食饗之。葉盤、此云毗羅耐。因以隨烏、詣到而告之曰「吾兄々磯城、聞天~子來、則聚八十梟帥、具兵甲、將與決戰。可早圖之。」

天皇乃會諸將、問之曰「今、兄磯城、果有逆賊之意、召亦不來。爲之奈何。」諸將曰「兄磯城、黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之幷說兄倉下・弟倉下。如遂不歸順、然後舉兵臨之、亦未晩也。倉下、此云衢羅餌。」乃使弟磯城、開示利害。而兄磯城等猶守愚謀、不肯承伏。時、椎根津彥、計之曰「今者宜先遣我女軍、出自忍坂道。虜見之必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂、取菟田川水、以灌其炭火、儵忽之間出其不意、則破之必也。」天皇善其策、乃出女軍以臨之。虜謂大兵已至、畢力相待。先是、皇軍攻必取、戰必勝、而介胃之士、不無疲弊。故、聊爲御謠、以慰將卒之心焉、謠曰、

哆々奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虛能莽由毛 易喩耆摩毛羅毗 多多介陪麼 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虛禰

果以男軍越墨坂、從後夾擊破之、斬其梟帥兄磯城等。

十有二月癸巳朔丙申、皇師遂擊長髄彥、連戰不能取勝。時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄U、狀如流電。由是、長髄彥軍卒皆迷眩、不復力戰。長髄、是邑之本號焉、因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。昔孔舍衞之戰、五瀬命中矢而薨、天皇銜之、常懷憤懟、至此役也、意欲窮誅、乃爲御謠之曰、

瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 阿波赴珥破 介瀰羅毗苔茂苔 曾廼餓毛苔 曾禰梅屠那藝弖 于笞弖之夜莽務

又謠之曰、

瀰都々々志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇惠志破餌介瀰 句致弭比倶 和例破涴輸例儒 于智弖之夜莽務

因復縱兵忽攻之、凡諸御謠、皆謂來目歌、此的取歌者而名之也。時、長髄彥乃遣行人、言於天皇曰「嘗有天~之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。饒速日、此云儞藝波揶卑。是娶吾妹三炊屋媛亦名長髄媛、亦名鳥見屋媛遂有兒息、名曰可美眞手命。可美眞手、此云于魔詩莽耐。故、吾以饒速日命、爲君而奉焉。夫天~之子、豈有兩種乎、奈何更稱天~子、以奪人地乎。吾心推之、未必爲信。」天皇曰「天~子亦多耳。汝所爲君、是實天~之子者、必有表物。可相示之。」

長髄彥、卽取饒速日命之天羽々矢一隻及步靫、以奉示天皇。天皇覽之曰「事不虛也。」還以所御天羽々矢一隻及步靫、賜示於長髄彥。長髄彥、見其天表、u懷踧踖、然而凶器已構、其勢不得中休、而猶守迷圖、無復改意。饒速日命、本知天~慇懃唯天孫是與、且見夫長髄彥禀性愎佷、不可教以天人之際、乃殺之、帥其衆而歸順焉。天皇、素聞鐃速日命是自天降者而今果立忠效、則褒而寵之。此物部氏之遠祖也。

己未年春二月壬辰朔辛亥、命諸將、練士卒。是時、層富縣波哆丘岬、有新城戸畔者。丘岬、此云塢介佐棄。又和珥坂下、有居勢祝者。坂下、此云瑳伽梅苔。臍見長柄丘岬、有猪祝者。此三處土蜘蛛、並恃其勇力、不肯來庭。天皇乃分遺偏師、皆誅之。又高尾張邑、有土蜘蛛、其爲人也、身短而手足長、與侏儒相類、皇軍結葛網而掩襲殺之、因改號其邑曰葛城。夫磐余之地、舊名片居片居、此云伽哆韋、亦曰片立片立、此云伽哆哆知、逮我皇師之破虜也、大軍集而滿於其地、因改號爲磐余。

或曰「天皇、往嘗嚴瓮粮、出軍西征、是時、磯城八十梟帥、於彼處屯聚居之。屯聚居、此云怡波瀰萎。果與天皇大戰、遂爲皇師所滅。故名之曰磐余邑。」又皇師立誥之處、是謂猛田。作城處、號曰城田。又賊衆戰死而僵屍、枕臂處、呼爲頰枕田。天皇、以前年秋九月、潛取天香山之埴土、以造八十平瓮、躬自齋戒祭諸~、遂得安定區宇、故號取土之處、曰埴安。

三月辛酉朔丁卯、下令曰「自我東征、於茲六年矣。頼以皇天之威、凶徒就戮。雖邊土未C餘妖尚梗、而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都、規摹大壯。而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。且當披拂山林、經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之コ、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。觀夫畝傍山畝傍山、此云宇禰縻夜摩東南橿原地者、蓋國之墺區乎、可治之。」

是月、卽命有司、經始帝宅。

庚申年秋八月癸丑朔戊辰、天皇當立正妃、改廣求華胄、時有人奏之曰「事代主~、共三嶋溝橛耳~之女玉櫛媛、所生兒、號曰媛蹈韛五十鈴媛命。是國色之秀者。」天皇ス之。九月壬午朔乙巳、納媛蹈韛五十鈴媛命、以爲正妃。

辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子~八井命・~渟名川耳尊。故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰~日本磐余彥火々出見天皇焉。」初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。

二年春二月甲辰朔乙巳、天皇定功行賞。賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之。亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其緣也。以珍彥爲倭國造。珍彥、此云于砮毗故。又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也。弟磯城、名K速、爲磯城縣主。復以劒根者、爲葛城國造。又、頭八咫烏亦入賞例、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也。

四年春二月壬戌朔甲申、詔曰「我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海內無事。可以郊祀天~、用申大孝者也。」乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原。用祭皇祖天~焉。

卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。秀眞國、此云袍圖莽句爾。」復、大己貴大~目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是ク而降之、故因目之曰「虛空見日本國矣。」

卌有二年春正月壬子朔甲寅、立皇子~渟名川耳尊、爲皇太子。

七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲。明年秋九月乙卯朔丙寅、葬畝傍山東北陵。
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html


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古事記 中の卷 神武東征


大和国造の先祖サオネツヒコ
https://nihonsinwa.com/page/404.html


原文の読み下し文

また「従ひて仕へ奉らむや」と問ひたまへば、「仕へ奉らむ」と答へ曰しき。かれここに、槁機を指し渡し、その御船に引き入れて、即ち、名を賜ひて槁根津日子と号けたまひき。こは倭国造等の祖なり。


現代語訳

その亀に乗って釣りをしていた人に
「わたしたちに従い、仕えないか?」
と尋ねると

「お仕えしましょう」
と答えました。

その人に槁機(=竿)を差し渡して、兄弟神の船へと引き入れました。
そして槁根津日子(サオネツヒコ)という名前を授けました。
この人は倭国造(ヤマトノクニノミヤツコ)などの先祖です。


日本書紀の対応箇所
太歳甲寅冬十月−1 椎の木の竿の先を渡して
https://nihonsinwa.com/page/855.html


那賀須泥毘古との戦い
https://nihonsinwa.com/page/405.html


原文の読み下し文

故、その国より上り行でましし時、浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美の那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。

現代語訳

その国から出発して東へと向かいました。
浪速の渡(ナミハヤノワタリ)を通って白肩津(シラカタノツ)に船を泊めました。
そのときに、登美(トミ)の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が兵を集めて待ち受けていて、戦争になりました。
https://nihonsinwa.com/page/405.html


盾を取り出して戦いました
https://nihonsinwa.com/page/406.html


原文の読み下し文

ここに御船に入れたる楯を取りて下り立ちたまひき。故、其地を号けて楯津といひき。今に日下の蓼津と云ふ。


現代語訳

那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が戦いを挑んできたので、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ命)と五瀬命(イツセ命)は船から「盾」を取り出して船から下りて戦いました。その土地を名付けて盾津(=タテツ)といいます。現在は日下の蓼津(タデツ)といいます。


日本書紀の対応箇所
戊午年夏四月 退却の判断
https://nihonsinwa.com/page/863.html


手痛い矢を受けるイツセ命
https://nihonsinwa.com/page/407.html


原文の読み下し文

ここに登美毘古と戦ひたまひし時に、五瀬命、御手に登美毘古が痛矢串を負ひたまひき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良からず。故、賎しき奴が痛手を負ひぬ。今より行き廻りて背に日を負ひて撃たむ」と期りて、南の方より廻り幸でましし時、血沼海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。故、血沼海といふ。

現代語訳

登美毘古(トミビコ=ナガスネヒコ)と戦ったとき、
五瀬命(イツセ命)は手に登美毘古の痛矢串(イタヤグシ=矢を受けた傷)を負いました。

傷を受けたとき、五瀬命(イツセ命)は言いました。

「わたしは日の神の皇子なのに
日に向かって戦ってしまった。
これは良くなかった。
だから、卑しい奴に痛手を負わされた。
これからは回り道をして、太陽を背にして戦おう」
と誓い、南から回って血沼海に到着して
その手の血を洗いました。

それで「血沼海(チヌノウミ)」と呼ぶようになりました。


日本書紀の対応箇所

戊午年夏四月 退却の判断
https://nihonsinwa.com/page/863.html

五月丙寅朔癸酉 五瀬命の雄叫びと死
https://nihonsinwa.com/page/903.html

紀伊国の男乃水門で死亡
https://nihonsinwa.com/page/903.html


原文の読み下し文

其地より廻り幸でまして、紀国の男之水門に到りて詔りたまはく、「賎しき奴が手を負ひてや死なむ」と男建びして崩りましき。故、その水門を号けて男の水門と謂ふ。陵は紀国の竈山にあり。

現代語訳

その地(地沼海)から更に回って、紀伊国の男乃水門(オノミナト)に着いて言いました。

「卑しい奴によって、手に傷を負って、死ねるか!」
と雄雄しく振舞いましたが、
死んでしまいました。

その水門(ミナト=港)を名づけて男乃水門(オノミナト)というようになりました。イツセ命の墓は紀伊の国の竈山(カマヤマ)にあります。


日本書紀の対応箇所

戊午年夏四月 退却の判断
https://nihonsinwa.com/page/863.html

五月丙寅朔癸酉 五瀬命の雄叫びと死
https://nihonsinwa.com/page/903.html

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古事記 中巻-1/神武天皇〜開化天皇 原文
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_08.html

~倭伊波禮毘古命自伊下五字以音與其伊呂兄五瀬命伊呂二字以音二柱、坐高千穗宮而議云「坐何地者、平聞看天下之政。猶思東行。」卽自日向發、幸行筑紫。故、到豐國宇沙之時、其土人、名宇沙都比古・宇沙都比賣此十字以音二人、作足一騰宮而、獻大御饗。自其地遷移而、於筑紫之岡田宮一年坐。

亦從其國上幸而、於阿岐國之多祁理宮七年坐。自多下三字以音。亦從其國遷上幸而、於吉備之高嶋宮八年坐。故從其國上幸之時、乘龜甲爲釣乍、打羽擧來人、遇于速吸門。爾喚歸、問之「汝者誰也。」答曰「僕者國~。」又問「汝者知海道乎。」答曰「能知。」又問「從而仕奉乎。」答曰「仕奉。」故爾指渡槁機、引入其御船、卽賜名號槁根津日子。此者倭國造等之祖。

故、從其國上行之時、經浪速之渡而、泊青雲之白肩津。此時、登美能那賀須泥毘古自登下九字以音興軍待向以戰、爾取所入御船之楯而下立、故號其地謂楯津、於今者云日下之蓼津也。於是、與登美毘古戰之時、五瀬命、於御手負登美毘古之痛矢串。故爾詔「吾者爲日~之御子、向日而戰不良。故、負賤奴之痛手。自今者行廻而、背負日以擊。」期而、自南方廻幸之時、到血沼海、洗其御手之血、故謂血沼海也。從其地廻幸、到紀國男之水門而詔「負賤奴之手乎死。」男建而崩、故號其水門謂男水門也、陵卽在紀國之竈山也。

故、~倭伊波禮毘古命、從其地廻幸、到熊野村之時、大熊髮出入卽失。爾~倭伊波禮毘古命、倐忽爲遠延、及御軍皆遠延而伏。遠延二字以音。此時、熊野之高倉下此者人名賷一横刀、到於天~御子之伏地而獻之時、天~御子卽寤起、詔「長寢乎。」故、受取其横刀之時、其熊野山之荒~、自皆爲切仆、爾其惑伏御軍、悉寤起之。

故、天~御子、問獲其横刀之所由、高倉下答曰「己夢云、天照大~・高木~二柱~之命以、召建御雷~而詔『葦原中國者、伊多玖佐夜藝帝阿理那理此十一字以音、我御子等、不平坐良志此二字以音。其葦原中國者、專汝所言向之國、故汝建御雷~可降。』爾答曰『僕雖不降、專有平其國之横刀、可降是刀。此刀名、云佐士布都~、亦名云甕布都~、亦名云布都御魂。此刀者、坐石上~宮也。降此刀狀者、穿高倉下之倉頂、自其墮入。故、阿佐米余玖自阿下五字以音汝取持、獻天~御子。』故、如夢教而、旦見己倉者、信有横刀。故、以是横刀而獻耳。」

於是亦、高木大~之命以覺白之「天~御子、自此於奧方莫使入幸。荒~甚多。今、自天遣八咫烏、故其八咫烏引道、從其立後應幸行。」故隨其教覺、從其八咫烏之後幸行者、到吉野河之河尻時、作筌有取魚人。爾天~御子、問「汝者誰也。」答曰「僕者國~、名謂贄持之子。」此者阿陀之鵜飼之祖。從其地幸行者、生尾人、自井出來、其井有光。爾問「汝誰也。」答曰「僕者國~、名謂井氷鹿。」此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人、此人押分巖而出來。爾問「汝者誰也。」答曰「僕者國~、名謂石押分之子。今聞天~御子幸行、故參向耳。」此者吉野國巢之祖。自其地蹈穿越幸宇陀、故曰宇陀之穿也。

故爾、於宇陀有兄宇迦斯自宇以下三字以音、下效此也弟宇迦斯二人。故先遣八咫烏問二人曰「今天~御子幸行。汝等仕奉乎。」於是兄宇迦斯、以鳴鏑待射返其使、故其鳴鏑所落之地、謂訶夫羅前也。將待擊云而聚軍、然不得聚軍者、欺陽仕奉而、作大殿、於其殿內作押機、待時。弟宇迦斯先參向、拜曰「僕兄・兄宇迦斯、射返天~御子之使、將爲待攻而聚軍、不得聚者、作殿其內張押機、將待取。故、參向顯白。」

爾大伴連等之祖・道臣命、久米直等之祖・大久米命、二人、召兄宇迦斯罵詈云「伊賀此二字以音所作仕奉於大殿內者、意禮此二字以音先入、明白其將爲仕奉之狀。」而、卽握横刀之手上、矛由氣此二字以音矢刺而、追入之時、乃己所作押見打而死。爾卽控出斬散、故其地謂宇陀之血原也。然而其弟宇迦斯之獻大饗者、悉賜其御軍、此時歌曰、

宇陀能 多加紀爾 志藝和那波留 和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 伊須久波斯 久治良佐夜流 古那美賀 那許波佐婆 多知曾婆能 微能那祁久袁 許紀志斐惠泥 宇波那理賀 那許婆佐婆 伊知佐加紀 微能意富祁久袁 許紀陀斐惠泥 疊疊音引志夜胡志夜 此者伊能碁布曾。此五字以音。阿阿音引志夜胡志夜 此者嘲咲者也。

故、其弟宇迦斯、此者宇陀水取等之祖也。

自其地幸行、到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。故爾、天~御子之命以、饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀、誨其膳夫等曰「聞歌之者、一時共斬。」故、明將打其土雲之歌曰、

意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯

如此歌而、拔刀一時打殺也。
然後、將擊登美毘古之時、歌曰、

美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟

又歌曰、

美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟

又歌曰、

加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟

又擊兄師木・弟師木之時、御軍暫疲、爾歌曰、

多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥

故爾、邇藝速日命參赴、白於天~御子「聞天~御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。

故、如此言向平和荒夫琉~等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。

故、坐日向時、娶阿多之小椅君妹・名阿比良比賣自阿以下五字以音生子、多藝志美美命、次岐須美美命、二柱坐也。然更求爲大后之美人時、大久米命曰「此間有媛女、是謂~御子。其所以謂~御子者、三嶋湟咋之女・名勢夜陀多良比賣、其容姿麗美。故、美和之大物主~見感而、其美人爲大便之時、化丹塗矢、自其爲大便之溝流下、突其美人之富登。此二字以音。下效此。爾其美人驚而、立走伊須須岐伎此五字以音、乃將來其矢、置於床邊、忽成麗壯夫、卽娶其美人生子、名謂富登多多良伊須須岐比賣命、亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。是者惡其富登云事、後改名者也。故、是以謂~御子也。」

於是七媛女、遊行於高佐士野佐士二字以音、伊須氣余理比賣在其中。爾大久米命、見其伊須氣余理比賣而、以歌白於天皇曰、

夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟

爾伊須氣余理比賣者、立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等而、御心知伊須氣余理比賣立於最前、以歌答曰、

加都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟

爾大久米命、以天皇之命、詔其伊須氣余理比賣之時、見其大久米命黥利目而、思奇歌曰、

阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米

爾大久米命、答歌曰、

袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流斗米

故、其孃子、白之「仕奉也。」於是其伊須氣余理比賣命之家、在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許、一宿御寢坐也。其河謂佐韋河由者、於其河邊山由理草多在。故、取其山由理草之名、號佐韋河也。山由理草之本名云佐韋也。後、其伊須氣余理比賣、參入宮內之時、天皇御歌曰、

阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯

然而阿禮坐之御子名、日子八井命、次~八井耳命、次~沼河耳命、三柱。

故、天皇崩後、其庶兄當藝志美美命、娶其嫡后伊須氣余理比賣之時、將殺其三弟而謀之間、其御祖伊須氣余理比賣患苦而、以歌令知其御子等、歌曰、

佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須

又歌曰、

宇泥備夜麻 比流波久毛登韋 由布佐禮婆 加是布加牟登曾 許能波佐夜牙流

於是其御子聞知而驚、乃爲將殺當藝志美美之時、~沼河耳命、曰其兄~八井耳命「那泥此二字以音汝命、持兵入而、殺當藝志美美。」故、持兵入以將殺之時、手足和那那岐弖此五字以音不得殺。故爾其弟~沼河耳命、乞取其兄所持之兵、入、殺當藝志美美。故亦稱其御名、謂建沼河耳命。

爾~八井命、讓弟建沼河耳命曰「吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故、吾雖兄不宜爲上、是以汝命爲上治天下、僕者扶汝命、爲忌人而仕奉也。」故、其日子八井命者、茨田連、手嶋連之祖。~八井耳命者、意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹羽臣、嶋田臣等之祖也。~沼河耳命者、治天下也。

凡此~倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。

~沼河耳命、坐葛城高岡宮、治天下也。此天皇、娶師木縣主之祖・河俣毘賣、生御子、師木津日子玉手見命。一柱天皇御年、肆拾伍歲。御陵在衝田岡也。

師木津日子玉手見命、坐片鹽浮穴宮、治天下也。此天皇、娶河俣毘賣之兄、縣主波延之女・阿久斗比賣、生御子、常根津日子伊呂泥命自伊下三字以音、次大倭日子鉏友命、次師木津日子命。此天皇之御子等、幷三柱之中、大倭日子鉏友命者、治天下也。次師木津日子命之子、二王坐、一子孫者伊賀須知之稻置、那婆理之稻置、三野之稻置之祖、一子、和知都美命者、坐淡道之御井宮、故此王有二女、兄名蠅伊呂泥・亦名意富夜麻登久邇阿禮比賣命、弟名蠅伊呂杼也。天皇御年、肆拾玖歲。御陵在畝火山之美富登也。

大倭日子鉏友命、坐輕之境岡宮、治天下也。此天皇、娶師木縣主之祖・賦登麻和訶比賣命・亦名飯日比賣命、生御子、御眞津日子訶惠志泥命自訶下四字以音、次多藝志比古命。二柱。故、御眞津日子訶惠志泥命者、治天下也。次當藝志比古命者、血沼之別、多遲麻之竹別、葦井之稻置之祖。天皇御年、肆拾伍歲、御陵在畝火山之眞名子谷上也。

御眞津日子訶惠志泥命、坐葛城掖上宮、治天下也。此天皇、娶尾張連之祖奧津余曾之妹・名余曾多本毘賣命、生御子、天押帶日子命、次大倭帶日子國押人命。二柱。故、弟帶日子國忍人命者、治天下也。兄天押帶日子命者、春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海國造之祖也。天皇御年、玖拾參歲、御陵在掖上博多山上也。

大倭帶日子國押人命、坐葛城室之秋津嶋宮、治天下也。此天皇、娶姪忍鹿比賣命、生御子、大吉備諸進命、次大倭根子日子賦斗邇命。二柱。自賦下三字以音。故、大倭根子日子賦斗邇命者、治天下也。天皇御年、壹佰貳拾參歲、御陵在玉手岡上也。

大倭根子日子賦斗邇命、坐K田廬戸宮、治天下也。此天皇、娶十市縣主之祖大目之女・名細比賣命、生御子、大倭根子日子國玖琉命。一柱。玖琉二字以音。又娶春日之千千速眞若比賣、生御子、千千速比賣命。一柱又娶意富夜麻登玖邇阿禮比賣命、生御子、夜麻登登母母曾毘賣命、次日子刺肩別命、次比古伊佐勢理毘古命・亦名大吉備津日子命、次倭飛羽矢若屋比賣。四柱。又娶其阿禮比賣命之弟・蠅伊呂杼、生御子、日子寤間命、次若日子建吉備津日子命。二柱。此天皇之御子等、幷八柱。男王五、女王三。

故、大倭根子日子國玖琉命者、治天下也。大吉備津日子命與若建吉備津日子命、二柱相副而、於針間氷河之前、居忌瓮而、針間爲道口、以言向和吉備國也。故、此大吉備津日子命者、吉備上道臣之祖也。次若日子建吉備津日子命者、吉備下道臣、笠臣祖。次日子寤間命者、針間牛鹿臣之祖也。次日子刺肩別命者、高志之利波臣、豐國之國前臣、五百原君、角鹿海直之祖也。天皇御年、壹佰陸歲。御陵在片岡馬坂上也。

大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖・內色許男命色許二字以音、下效此妹・內色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。三柱。又娶內色許男命之女・伊賀迦色許賣命、生御子、比古布都押之信命。自比至都以音。又娶河內青玉之女・名波邇夜須毘賣、生御子、建波邇夜須毘古命。一柱。此天皇之御子等、幷五柱。故、若倭根子日子大毘毘命者、治天下也。其兄大毘古命之子、建沼河別命者、阿倍臣等之祖。次比古伊那許士別命、自比至士六字以音。此者膳臣之祖也。

比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣那毘二字以音、生子、味師內宿禰。此者山代內臣之祖也。又娶木國造之祖宇豆比古之妹・山下影日賣、生子、建內宿禰。

此建內宿禰之子、幷九。男七、女二。波多八代宿禰者、波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君之祖也。次許勢小柄宿禰者、許勢臣、雀部臣、輕部臣之祖也。次蘇賀石河宿禰者、蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也。次平群都久宿禰者、平群臣、佐和良臣、馬御樴連等祖也。次木角宿禰者、木臣、都奴臣、坂本臣之祖。次久米能摩伊刀比賣、次怒能伊呂比賣、次葛城長江曾都毘古者、玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也。又若子宿禰、江野財臣之祖。

此天皇御年、伍拾漆歲。御陵在劒池之中岡上也。

若倭根子日子大毘毘命、坐春日之伊邪河宮、治天下也。此天皇、娶旦波之大縣主・名由碁理之女・竹野比賣、生御子、比古由牟須美命。一柱。此王名以音。又娶庶母・伊迦賀色許賣命、生御子、御眞木入日子印惠命印惠二字以音、次御眞津比賣命。二柱。又娶丸邇臣之祖日子國意祁都命之妹・意祁都比賣命意祁都三字以音、生御子、日子坐王。一柱。又娶葛城之垂見宿禰之女・鸇比賣、生御子、建豐波豆羅和氣。一柱。自波下五字以音。此天皇之御子等、幷五柱。男王四、女王一。故、御眞木入日子印惠命者、治天下也。

其兄・比古由牟須美王之子、大筒木垂根王、次讚岐垂根王。二王。讚岐二字以音。此二王之女、五柱坐也。

次日子坐王、娶山代之荏名津比賣・亦名苅幡戸辨此一字以音生子、大俣王、次小俣王、次志夫美宿禰王。三柱。又娶春日建國勝戸賣之女・名沙本之大闇見戸賣、生子、沙本毘古王、次袁邪本王、次沙本毘賣命・亦名佐波遲比賣此沙本毘賣命者、爲伊久米天皇之后。自沙本毘古以下三王名皆以音、次室毘古王。四柱。又娶近淡海之御上祝以伊都玖此三字以音天之御影~之女・息長水依比賣、生子、丹波比古多多須美知能宇斯王此王名以音、次水之穗眞若王、次~大根王・亦名八瓜入日子王、次水穗五百依比賣、次御井津比賣。五柱又娶其母弟・袁祁都比賣命、生子、山代之大筒木眞若王、次比古意須王、次伊理泥王。三柱。此二王名以音。凡日子坐王之子、幷十一王。

故、兄大俣王之子、曙立王、次菟上王。二柱。此曙立王者、伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖。菟上王者、比賣陀君之祖。次小俣王者、當麻勾君之祖。次志夫美宿禰王者、佐佐君之祖也。次沙本毘古王者、日下部連、甲斐國造之祖。次袁邪本王者、葛野之別、近淡海蚊野之別祖也。次室毘古王者、若狹之耳別之祖。

其美知能宇志王、娶丹波之河上之摩須郎女、生子、比婆須比賣命、次眞砥野比賣命、次弟比賣命、次朝廷別王。四柱。此朝廷別王者、三川之穗別之祖。此美知能宇斯王之弟、水穗眞若王者、近淡海之安直之祖。次~大根王者、三野國之本巢國造、長幡部連之祖。

次山代之大筒木眞若王、娶同母弟伊理泥王之女・丹波能阿治佐波毘賣、生子、迦邇米雷王。迦邇米三字以音。此王、娶丹波之遠津臣之女・名高材比賣、生子、息長宿禰王。此王、娶葛城之高額比賣、生子、息長帶比賣命、次虛空津比賣命、次息長日子王。三柱。此王者、吉備品遲君、針間阿宗君之祖。又息長宿禰王、娶河俣稻依毘賣、生子、大多牟坂王。多牟二字以音。此者多遲摩國造之祖也。

上所謂建豐波豆羅和氣王者、道守臣、忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波之竹野別、依網之阿毘古等之祖也。

天皇御年、陸拾參歲。御陵在伊邪河之坂上也。
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_08.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c6

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
7. 中川隆[-9263] koaQ7Jey 2019年6月30日 05:35:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3286]

長浜浩明の神武天皇即位 紀元前70年説は間違い _ 3

>>6
長浜浩明は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。

 「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。

 よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。

 余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。

 そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3


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長浜浩明は神武東征が河内潟の時代だと主張していますが、河内湖Tの時代が正しい:


河内湖の名残
http://feynmanino.watson.jp/5697_kawachi2.html


邪馬台国とはなんぞや?(43) - altairposeidonのブログ

・古大阪平野の時代:約2万年前
・古河内平野の時代:約9000年前
・河内湾Iの時代:約7000年〜6000年前
・河内湾IIの時代:約5000年〜4000年前
・河内潟の時代:約3000年〜2000年前(BC1050年〜BC50年)
・河内湖Iの時代:約1800年〜1600年前(AD150年から350年)
・河内湖IIの時代〜大阪平野I・IIの時代:約1600年前以降
http://altairposeidon.hatenablog.com/entry/2018/10/11/000000

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霊(ひ)の国の古事記論54  若御毛沼命の河内湖通過(「神武東征」)時期について
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html

1.「神武東征」か?

御毛沼命と若御毛沼命(後の神倭伊波礼琵古(磐余彦)命、8世紀に神武天皇と諡(おくりな))兄弟のいわゆる「神武東征」については、史実説と虚構説に分かれ、史実説については、記紀史実説(薩摩半島の山幸彦の子孫の征服説)と邪馬台国東征説・東遷説が見られる。

私の説(『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』、ブログ「霊の国の古事記論」)は、「薩摩半島の山幸彦(山人:やまと)の子孫の傭兵部隊の仕官を求めての移動説」であり、「若御毛沼命実在・東征否定説(傭兵隊移動説)」という「おおむね真実、一部虚偽」という第3の説である。


御毛沼命・若御毛沼命兄弟の移動は「東征」か「傭兵隊の移動」か?


 
 なお、第10代崇神天皇以前、第15代応神天皇以前、第26代継体天皇以前の3つの天皇非存在説についての検討はいずれまとめたいが、私の記紀判断の基準に照らし、神話時代を含めた登場人物については、実在人物をモデルに創作されたアマテラスを除き、ほぼ実在していた人物と考える。

 


2.神話時代の年代論について 

 皇国史観は神武即位を「BC660年」としたが、那珂通世は「AD元年」、久米邦武は「AD6年」、とし、高木修三氏は『紀年を解読する』(2000年)において「BC29年」、長浜浩明氏は『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』(2012年)において「BC70年」とした。

 これらに対して、記紀の年代分析において初めて統計的に科学的分析を行ったのは、安本美典氏である(図参照)。氏は古代の天皇、中世・近世の将軍、中国・西洋の王の在位年数から、古代大王の平均在位年数を約10年とし、神武即位を「AD271年頃」とする統計的な推定を行った。

 30〜40代天皇の即位年の直線回帰による私の追試では「AD277年」であり、私はこの安本説を全面的に支持する。


30〜40代天皇の即位年の直線回帰によるスサノオ大神・大国主神16代の即位年の予測


 なお、この記紀年代の統計的分析において、安本氏はアマテラスより前の王について検討されていないが、私は古事記神話が始祖としている天御中主までの分析を進めた。

 詳しくは前著『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』を参照いただきたいが、結論だけを述べると、AD57年の「委奴国王」の遣使、107年の「倭王師升」の遣使、「100余国を7〜80年支配した王朝」、146〜189年頃の「倭国大乱」、100余国のうちの30国をまとめた「卑弥呼」の238年の遣使、弟王との後継者争いで共立された「壱与」の266年の遣使との照合性について検討を行い、「委奴国王」はスサノオ、「倭王師升」は淤美豆奴(オミズヌ)、「100余国を7〜80年支配した王朝」はスサノオ・大国主王朝7代」、「倭国大乱」は大国主の後継者争い、「卑弥呼」はアマテラスと考える。


3.「神武東征」の時期について

 統計的な分析による安本氏の神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)について、物証の裏付けはないのであろうか?

 その鍵となるのは、記紀に描かれた若御毛沼らの行動である。その記述は次の通りである。

@古事記:「その国(注:吉備国)より遷り上り幸(い)でましし時、亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙あげて来る人に、速水門(はすひのと)で遇(あ)ひき。・・・故、その国より上り行でましし時、浪速(なみはや)の渡を経て、青雲の白肩津(しらかたのつ)に泊(は)てたまひき」

A日本書紀:「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり。三月の丁卯の朔丙子(十日)、遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」

 この「速水門」「浪速の渡」「はやき潮」「遡流而上りて」「草香邑の青雲の白肩津」の記述がその時期を特定する鍵となる。


(1) 「速水門」はどこか?

 古事記の「速水門」は吉備出発後の記述であり、考えられるのは備讃瀬戸か明石海峡であるが、備讃瀬戸には「門」と呼べるような狭い海峡はなく、潮流も緩やかで、地形・海流の両方からみて「速水門」と呼べるような場所はない。「速水門」は幅4kmで両側の山が迫って「門」にふさわしく、潮流の早い明石海峡とみて間違いない。

 古田武彦氏は『古代は輝いていたU』において、明石海峡は「平穏、清明の海」とし、「速水門」に相応しいのは鳴門海峡としているが、これは全くの事実誤認である。四季、何十回と明石海峡を小さな渡し船で渡った私の経験でいえば、明石海峡の潮流は早い。


海上保安庁 六区豆知識「海の流れについて」


 海上保安庁のデータでみると、最大潮流は鳴門海峡10.5ノット、明石海峡6.7ノットであり、備讃瀬戸の3.4ノット、播磨灘の0.4〜0.5ノット、大阪湾の0.3〜0.5ノットと較べると、明石海峡を「速水門」と見るべきである。

 一方、日本書紀は「速水門」を筑紫の宇佐への途中に置いているので、豊予海峡(最大6ノット)になる。しかしながら、豊予海峡は14kmと広く、「門」と言えるような地形ではない。

 また、黒潮に洗われる笠沙半島を拠点にした隼人族(海幸彦)が豊予海峡を越えるのは苦もなかった筈であり、海岸沿いに行けば日向から宇佐、岡水門へと移動するのに迷うこともない。水先案内人を頼む必要があったとは思えない。

 舟で豊予海峡説(最大6ノット)や関門海峡(同9ノット)を越えるのは大変と思われるかも知れないが、下げ潮に乗れば楽々である。私は船折瀬戸(同9ノット=時速17q、村上水軍の根拠地の大島と伯方島の間の瀬戸)を潮流に乗って小型ヨットとカヌーで下ったことがあるが、広い海を早い潮流に乗って移動するのは、狭い川の急流を下るのと較べて何の危険もない。10〜20人乗りの丸木舟の舷側に板を張った重心の重い当時の舟なら、これらの海峡を通過するのに案内人は必要ない。仮に、どうしても下げ潮での通過が怖いなら、潮待ちして、12時間ごとの満潮時か干潮時の停潮期に渡ればよいがそんなことをする海洋民はいないであろう。

 奈良盆地にいて海を知らない日本書紀の編集者達は、若御毛沼たちが未知の海に東征の冒険に乗り出したことを印象づけるために、地形も潮流も舟も知らず、「速水門」を明石海峡から豊予海峡に変えたと見てよい。


(2) 「遡流而上りて」はいつの時代か

 若御毛沼らは2月11日(3月上旬)に吉備をたち、「速水門」を経て、「浪速の渡」を通り、3月10日に「白肩津」に着いたというのであるが、それは史実であろうか、史実ならいつの時代であろうか。孫引きデータで不安ではあるが、以下、検討したい(いずれ、原データにあたりたい)。

 前述の古田武彦氏の『古代は輝いていたU』によれば、弥生・古墳期(約1800〜1600年前:執筆当時から計算しなおすとAD185〜385年)頃の大阪には河内湖があり、若御毛沼らはこの河内湖を舟で進み、「白肩津」に着いたとしている。

 長浜浩明氏の『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』にはさらに詳しい図が紹介されているので、その図とHP「水都大阪」のデータを参考にさせていただくと、河内潟・河内湖・河内平野は、次の4つの時代に区分される。


A 河内潟時代(BC1050〜50):湾口が広い、海水湾の時代

B 河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150):干潮時には湖水の水が海に流れ、満潮時には海水が侵入する汽水湖の時代

C 河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代、AD150〜350):湾口が狭まって海水の流入がない淡水湖の時代

D 陸地化時代(AD350〜):陸地化が進む時代


 日本書紀は「遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」としているが、それはどの時代のことであろうか?

 まず、河内潟時代(BC1050〜50)は、河内潟は満潮時も干潮時も海水が満ちており、広い流路で外海と内海は結ばれ、「遡流而上りて」はありえない。


AD185〜385頃の河内湖(古田武彦著『古代は輝いていたU』)


BC1050〜50の河内潟(長浜浩明著『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』)

          
 AD150〜350年頃の河内湖T(前同)


 5世紀以降の大阪平野(HP「水都大阪」より)


 次の、河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)は、「浪速(なみはや)の渡」のあたりで湾口は狭まり、満潮時には上げ潮が湖内に流入し、干潮時には下げ潮が湖内から流出する。

 想定される当時の「河内湖」より大きさがやや小さい浜名湖(日本1の汽水湖)でみると、上げ潮の速さは2ノット(1m/s)、下げ潮は3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)で、その潮流の範囲は湾口からわずかに前後それぞれ1qほどの狭い範囲である(伊東啓勝他「インレット周辺の流況特性把握調査」(『水路 第154号』より)。

 この下げ潮の3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)というと、軽いカヌーの中速であり、この程度の流れなら簡単に漕ぎ上ることができる。カヌーや競技用ボートが高速で8〜10ノット(4.0〜5.0m/s)程度、26人の漕ぎ手のペーロン船が9ノット(4.5m/s)程度とされているから、汽水湖の下げ潮に逆らっても、特に苦労することもなく遡ることができる。私は琵琶湖の水がただ1カ所流れ出る瀬田川(流速は確かめられなかった)をエイトで何度も往復したことがあるが、軽い性能のいい競技艇ではゆっくり漕いでも楽に流れの速い瀬田川を遡ることができた。

 ただ、浜名湖には流入する大きな川はないのに対し、河内湖には滋賀・丹波・京都・奈良の広範囲な流域から水を集める淀川や木津川、大和川などから流入しており、若御毛沼たちが漕ぎ上ったのが冬の渇水期とはいえ、大阪湾への流出口の水流は浜名湖よりはかなり早かったに違いない。

 若御毛沼らが10〜20人ほどの重い準構造船(丸木舟の舷側に板を張って高くしたもの)を「遡流而上りて」漕ぎ上るとなると、その通過時期はAD150〜350年の河内湖淡水湖時代とみて間違いない。

彼らには急流の浪速の渡を漕ぎ上ったことが強く印象に残り、「遡流而上りて」と伝わった可能性が高い。

 繰り返しになるが、大阪湾と河内潟が広い湾口でつながっていた河内潟時代や、上げ潮のある汽水湖時代には、「遡流而上りて」という表現はでてこないであろう。


(3) 「草香邑の白肩津」はどこか?

 「草香邑の白肩津」については、生駒山麓の日下町を当てる説が多いが、私はそこから2.3qほど下った「枚岡」を比定する。「7」を「しち」「ひち」と発音する例などからみて、「しらかた津」は「ひらかた津」の可能性が高く、この地を奈良の登美・春日への最短距離の奈良街道が通っていたことからみても、白肩津は「枚岡」の湖岸にあった港(津)の可能性が高い。

 その時代は生駒山麓の陸地化が進んだ河内湖淡水湖時代(AD150〜350)ではありえない。その時代が河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)であることは、「白肩津」からも裏付けられる。

 完全に陸地化した後の8世紀の記紀作者が、「浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき」「遡流而上りて、径に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」というような文章を創作することができないことは言うまでもない。これらの記述には、8世紀の記紀作者が知ることのできない「秘密の暴露」が見られる。

 以上、「速水門」「はやき潮」、「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩津」という記紀の記述は後世の創作ではなく、若御毛沼らがAD150〜350年の河内湖T時代にこの地にきた実際の体験であることが明らかである。

これは、安本氏の統計的分析による神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)を裏付けている。

いわゆる「神武東征」は、卑弥呼時代より後になり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。


4.「浪速国」の地名由来について

 日本書紀の「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり」という若御毛沼による地名命名説話は、記紀や風土記の天皇命名地名の怪しさを示している。

 日本書紀の編集者は古事記の「速水門」=明石海峡を豊後水道に置き換えたために、その代わりに明石海峡を「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ」とし、若御毛沼が「名付けて浪速国とす」としたが、明石は播磨の地であり、この地を浪速と名づけることはありえない。そもそも古事記は「浪速(なみはや)の渡」という地名を載せており、若御毛沼らがこの地に来る以前から、「浪速」「難波碕」の地名があったことは明らかである。

 なお、私は安本美典氏の北九州から奈良盆地への「地名ワンセット東遷」の指摘は重要と考えるが、九州の地名を持ってきた人々は、もっと前のスサノオ・大国主一族であると考える。「地名ワンセット東遷」を「神武東遷」の証拠とすることはできない。

 若御毛沼らの「東征」より先にこの地に「浪速」地名があったことが、それを証明している。


5.「草香邑の白肩津」の由来について

 前述のように「白肩(しらかた)津」は「枚潟(ひらかた)津」であったと私は考えるが、「枚潟」というと、関西の人は淀川を遡った「枚方」と考え、「牧」の当て字から「牧場」のイメージを持つかも知れない。

 しかし、「草香邑の白肩津」となると、「日下(くさか)」の南にある「枚岡」の麓の「枚潟」(平潟)にあった「津」(港)とみて間違いない。この地に、河内国一之宮の枚岡神社があることと、奈良街道が通っていたことからみて、河内湖時代にはこの地が重要な拠点港であったことが明らかである。

 大国主を「国譲り」させて後継者となった「天穂日神」の子の「天日名鳥命、天夷鳥命、武日照命」が「天比良鳥命」とも言われることからみて、「枚=比良」は「日名(夷、日)」と同じであった可能性がある。「はら(腹、原)」「あちら、こちら」の「ら(羅)」は、「はな(鼻)」「ひな(女性の性器=霊(ひ)の宿る所)」などの「な(那、奈)」と同じく、「場所、土地」を示すからである。

 記紀によれば、「ひ=日=霊(祖先霊)」であることから考えると、「比良」は「霊羅」で「霊(ひ)の降り立つ聖地」という意味になる。「天日名鳥命」が「出雲祝神」とも呼ばれていることから考えると、この「枚潟(ひらかた)津」は出雲族の祖先霊(磐霊(いわひ):磐座(いわくら)に宿る祖先霊)を祀る聖地であった可能性が高い。

 若御毛沼らを傭兵として受け入れず、追い返した「長髄彦(ながすね)彦」が「登美能那賀須泥毘古」と書かれていることをみると、「長髄彦(ながすね)彦」(森浩一氏は「長洲根彦」説)はこの地から生駒山を越えた登美にかけて支配した王であり、この地はその交易と祖先霊信仰の拠点であった可能性が高い。

 さらに、「草香邑」は現在、「日下(くさか)」の地名として残っているが、出雲市の日下には、出雲国風土記に登場する古社の「久佐加神社」があり、「草香邑」はこの地からきた出雲族の居住地であった可能性が高い。枚岡神社の所在地が「東大阪市出雲井町」であることや、「青雲の白肩津」という記紀の記述と合わせて考えると、この地が大国主の子孫の王の拠点であったことは確実であろう。

6.「亀に乗ったサヲネツ彦」のいわゆる「神話的表現」について
 古事記には、早水門で「亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙げて来る人に遇(あ)ひき」に会った、という印象的な記述が見られる。

 この記述から、「神武東征は、亀に乗った浦島太郎伝説をもとに作られた」というような結論を導き出すことはできるであろうか?


 まず「亀の甲に乗りて」は次のような現実的な解釈が可能である。

 第1の仮説は、「亀の形のような幅広型の舟に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第2の仮説は、「亀の甲羅のような板舟(幅広のサーフボード)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第3の仮説は、「桶の舟(たらい舟)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承の「桶」が「瓶(かめ)」に変わり、さらに「亀」に変わって、「亀の甲に乗りて」となって伝わった可能性である。「桶から瓶」、「瓶から亀」への「伝言ゲーム」ミスである。

「浦島太郎伝説をもとにした創作説」が成立するためには、この3つの説を否定しなければならない。

 さらに、「打ち羽挙げて来る人」(打羽挙来人)がある。まず亀に乗って竜宮城に行き来した「浦島太郎伝説引用説」ではこの部分は説明が付かない。しかしながら実際の舟を想定すると、「打羽」は帆船の「帆」となり、合理的な解釈が可能である。「うちわ・うちは(団扇)」の語源は「打ち羽」とされており(『日本語源大辞典』)、この風を起こす道具は風を受ける道具でもある。

 「サオネツ彦」は浦島太郎のように亀に乗った人ではなく、帆を張った「亀型の幅広舟」か「板舟」、「たらい舟」に乗った漁師の可能性が高い。それは、九州沿岸に見られる舟ではなかったために印象深く言い伝えられたものと考えられる。

 若御毛沼兄弟らは、浦島太郎のような空想的な神話上の人物ではなく、釣りをしていた漁師に若御毛沼らが「汝は海道を知るや」と、「浪速の渡」から「白肩津」への水路の案内を頼んだとみるのが妥当である。


7.「神武東遷」について

 以上の検討結果をまとめると、「若御毛沼傭兵部隊東遷」について、次の事実が明らかである。

@ 「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩之津」の記述は、8世紀の記紀編集者の創作ではなく、河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代:AD150〜350)の印象的な体験談である。

A 若御毛沼による「浪速国」の地名由来は、日本書紀編集者の創作である。

B 「草香邑の青雲の白肩之津」の地名は、この地の王が出雲の大国主の子孫の可能性が高いことを示している。

C 「亀に乗ったサヲネツ彦」は「浦島太郎伝説」を元にした後世の創作ではなく、実際の印象的な体験談(伝承の過程で変容した可能性が高い)である。


8.神武東遷時期の確定は「邪馬台国畿内説」を否定する

 以上の検討により、若御毛沼傭兵部隊の奈良盆地への移動は「AD271年頃」(私はAD277年頃)より少し前となり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。
 この結果は大きい。

 邪馬台国畿内説の崩壊である。卑弥呼(248年頃死亡)の時代より、少し後の271〜277年頃に「神武傭兵部隊の東遷」があったことが証明されるからである。

 神武より8〜14代後の倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫(第7代孝霊天皇の皇女)や倭姫(第 11代垂仁天皇の皇女)、神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)を卑弥呼(248年頃死亡)とする畿内説の全面崩壊である。

古事記によれば、天照大御神からオシホミミ命―ニニギ命―ホホデミ命―ウガヤフキアエズ命―若御毛沼命(神武)と続くが、アマテラスは「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で生まれ、ニニギ命・ホホデミ命・ウガヤフキアエズ命は薩摩半島の笠沙で死んでいる。アマテラスは大和とは無縁である。

 なお、言うまでもないが、記紀神話創作説や2〜9代天皇の「欠史8代説」を採用するなら、天照大御神や倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫、倭姫などを歴史上の人物として論ずることがそもそもナンセンスである。記紀からアマテラスだけを「つまみ喰い」するような行儀の悪い考古学者やそれをもてはやす朝日・NHKなどのマスコミ人がいることは、この国の知性の崩壊状況を示しているといわざるをえない。  141019 帆人(日向 勤)
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html


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何故、古代史の舞台は奈良盆地なのか?・・・大阪は河内湖、大和は湿地帯だった。
 
何故、古代史の舞台が畿内でも奈良の山奥から始まるのか、そして次第に河内に舞台が移っていくのか、不思議に思われる。
この謎は実は現在の地形を前提に考えているからで、かつて大阪は上町台地のみが陸地で他は河内湖と呼ばれる内海であり、大和は標高60m以下は大湿地湖だったとされている。

縄文中期以降、海退が始まり、次第に陸地が広がって行くという地理学的な前提をふまえると、古代史の舞台が奈良の山奥から始まるという謎も解けてくる。


>奈良盆地の東方の山裾を縫うように、細々と南北に続く道がある。その名を「山の辺の道」という。

古社寺や名所旧跡、古墳などが道沿いに点在し、古代の面影をよく残している・・・

人が住むところに道ができるのは当たり前だが、ではなぜ「山の辺の道」は標高60m〜70mの高度を保ちながら三輪山の山麓をめぐっているのだろうか。

その理由を大和湖の存在に求める学者がいる。

三輪山麓に人類が住みついた縄文前期の約6千年前、大和盆地にはまだ巨大な淡水湖が存在し、その湖岸にできた道が山辺の道の最初の姿だというのだ。


>その後次第に土地が隆起し大和川ができると、湖水が排出されて平野部が広がっていった。土地が干上がるにつれて、人々は平野部へ移り住みはじめ、弥生時代には、平野部の沼地を利用して稲作農耕を営むようになった。

しかし、弥生時代とそれに続く古墳時代を通して、「山の辺の道」は相変わらず大和盆地の東側を結ぶ主要道路でありつづけた。その証拠に、第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)、第11代垂仁天皇の纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)、第12代景行天皇の纒向日代宮(まきむくひしろのみや)など上代宮跡伝承地は標高60mの線上にある。

http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/preface.htm


この大和湖を最初に唱えたのが、樋口清之博士で、博士は神武東征の地も標高60m付近にあることから、神武神話の時代には大和は大湿地帯であったと考察している。

http://somo.seesaa.net/article/32163752.html


宝賀寿男氏は弥生時代の遺跡群も標高50−70mに存在していることと、文献的整合性から神武神話の年代を弥生時代に設定している。

半島、九州の動乱の影響により畿内へと逃げ延びてきた神武にとって、湿地帯故に土木造成次第では農地を切り開くことが可能だった大和の地は、絶好のフロンティアであったのであろう。(勿論、ナガスネヒコら縄文人らの抵抗はあったであろうが、先に入っていたニギハヤヒや鴨族の支援もあって九州で縄文人支配を経験済みの神武にとってはさほど難しくはなかったのであろう。)

以下は、

当時のイメージ地図 リンク
http://somo.seesaa.net/upload/detail/image/2yamatoko-imaji.JPG.html


奈良盆地が都になる必然

何故、奈良に最初の都ができたのか?

古代の高低差地図リンク
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/asuka_naniwa_0.jpg


も参照してみてください。


朝鮮半島から攻め入られたとき、生駒山山系を第一の防衛線、奈良盆地を第二の防衛線とし、最後の砦として三輪山を背にして都を築いた、と読めます。

平安遷都はエネルギー問題だった!

―地形で解く日本史の謎リンク
http://shuchi.php.co.jp/article/1794


から引用させていただきます。


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 21世紀の現在の地形から見ると「なぜ、奈良盆地が都になったのか?」が理解できない。

 ともかく奈良盆地は大阪湾から離れていて内陸に入っている。さらに360度周囲は山で、他の土地との連絡も悪い。奈良はどこから見ても交通の要所とはいえない。
(中略)

 なぜ奈良が日本最初の首都になったかを3〜4世紀の地形の上に立ちシミュレーションしてみよう。

 今の大阪平野は、当時は湿地帯であった。大坂湾は上町台地を回り込み内陸の奥まで入り込んでいた。

 また、今の大和川は堺市へ流れている。しかし、奈良時代の大和川は奈良盆地を出ると向きを北に変え、大坂湾に流れ出ていた。堺へ流れている今の大和川は、江戸時代に掘られた人工の水路なのだ。

 奈良が都になる4世紀頃、大坂平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていた。まさに河内と呼ばれた地であった。

 船で瀬戸内海から大坂湾に入り、上町台地を回り込み、大和川を遡ると生駒山、金剛山の麓まで行くことができた。中国大陸から生駒山麓の柏原市まで直接舟で行けたのだ。柏原で小舟に乗り換え生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、もうすぐそこは奈良盆地であった。

 この奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていた。その湿地湖を利用すれば奈良盆地のどこにでも舟で簡単に行くことができた。

 奈良盆地全体が、大坂湾の荒波を避ける穏やかな自然の内港のようであった。
 舟を利用すれば奈良盆地は便利がよく、ユーラシア大陸との連絡も容易であった。

 奈良盆地が日本の都になったのは、地形から見て合理的であった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=315461


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奈良盆地の原風景 〜古代奈良湖の残影〜
2013年10月31日 | 奈良大和路散策
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7


 以前から不思議に思っていたことがある。近鉄奈良線に乗って生駒トンネルをくぐり、奈良まで行く場合の全線の高低差の話である。電車は上町台地の地下(大阪上本町駅)を出て鶴橋方面へやや下ると、あとは平坦な河内平野を真東に進み、やがて枚岡、瓢箪山、石切と急激に高度を上げて、生駒山の斜面をやや北方向に駆け登ってゆく。まるで登山電車並みの勾配を軽快に走る近鉄電車の醍醐味を味わえる区間だ。しかもここらからの大阪市街地の風景は絶品だが、その話はまたにして、やがて生駒トンネルをくぐると再び真東に進路を取り、生駒、東生駒、富雄、学園前と進む。しかし、生駒トンネルを通過すると不思議なことに電車は下降せずにほぼ水平に奈良に向けて快走する。あれだけの急勾配を登ってきたのに。と言うことは奈良盆地の標高は河内平野の標高より高い、ということなのだろうか?

 早速調べてみた。奈良盆地の標高は40mから60mほど。一方、生駒山を隔てた河内平野のそれは1〜3m。やはりこれだけの高低差があるのだ。ちなみに上町台地は一番高いところが38m(大阪城のあるあたり)、天王寺あたりで16mだそうだ。生駒山は642m、二上山が517m、山辺の道の東にそびえる龍王山は517m、三輪山は467mである。奈良盆地はこれらの山塊に囲まれた比較的標高の高い盆地(上町台地よりは高い)であることを認識した。

 現在の河内平野は、かつては河内湖、さらに時代をさかのぼれば上町台地(砂嘴であったという)を挟んんで瀬戸内海とつながった海水湖であった。したがって海抜が0に近いのも理解できるような気がする。やがては流入する土砂で湖底が上がり、干上がって平地になっていった。今は大阪のベッドタウン、日本の製造業を支える東大阪の町工場群、河内のおっちゃん、おばちゃんでにぎわうソウルフルな地域である。もはや河内湖の痕跡も面影もないが、上町台地か生駒山から展望すると確かにここがかつては海、湖であったとしても不思議ではない地形に見える。

 一方、河内平野とこれだけの比高差がある奈良盆地には、かつて古代奈良湖があったとされている。周辺の山々から流入する水が溜まった巨大な盆地湖があったと言うのだ。奈良盆地は東西16km、南北30km、矢田丘陵、馬見丘などはあるものの総面積300平方キロメートルの比較的平坦な盆地である。今は初瀬川、富雄川、飛鳥川、高田川など、枝分かれた150余の小河川が張り巡らされており、そのどれもがやがては大和川に合流し、王寺から亀の瀬と言われる生駒山系と葛城・金剛山系の切れ目、すなわちあの二上山のある穴虫峠のあたりから高低差を一気に下り河内平野に流れ込んでいる。200万年前の二上火山の噴火に伴う地形変化で古代奈良湖の水が河内へ流出し始めたと考えられている。さらに、古代奈良湖は、縄文後期から弥生時代にかけて、地底の隆起や大和川からの流出増(これには農業のための人為的な流路変更も考えられるとする研究者もいる)などにより、水位が下がり続け、やがては干上がって消滅してしまったと言われている。何時頃まであったのかの確認が研究課題となっているが、後述のように様々な考古学、歴史学上の事績、記述にもヒントが隠されているようだ。

 なるほどこういう地形の大きな変遷があったのか。世の中にはこのようなことを研究しておられる先生方もいて、様々な研究成果が発表されている、特に最近は南海トラフ地震の被害想定や、海抜0メートル地帯である上町台地西側の大阪の中心部(難波八百八橋の水の都であった)や、東の河内平野(かつて海。湖であった)の防災対策、亀の瀬地域の大和川の土砂災害対策などの現実的な要請から、古代の地形変動に関する研究が盛んだ。また歴史学の視点からも様々な研究がなされている。私は研究者ではなく、通りがかりの「時空旅行者」なので、その詳細には立ち入らないが、太古の地形が歴史上のいくつかの出来事や風景描写、考古学的な発掘の意味を説明してくれている点はとても興味がある。
 
 いくつかのエピソードを並べると、

? 奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。

? また、古代の山辺の道がほぼ標高60mの高さで山麓を南北に通っているのは、かつての湖や通行に支障のある湿地帯をさけて形成された証拠だと言う。当初は人々の頻繁な自然往来で踏み分けられた道であったのだろうが、その重要性から権力者により官道として整備されていったのだろう。その後平地に造られた上津道、中津道、下津道より時代をさかのぼる最古の官道と言われるゆえんだ、と。

? 万葉集巻の一に舒明天皇御製の歌がある。
 「大和には群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
この「海原」はかつて香具山の北にあった埴安の池のことを指している、と唱える万葉集の研究者もいるが、この池も埋め立てられて、今香具山に登っても海や湖はおろか,池もも見えない。6世紀当時ははるか北に奈良湖の姿があったのであろうか。だとすると山と湖と水田で満たされた盆地はさぞ美しい風景だったことだろう。

? 斑鳩の法隆寺の南大門の前に鯛石という1×2メートルの踏み石が表面を露出させて埋まっている。地元ではこの鯛石まで水が来ても大丈夫と言い伝えられている。今見るとどこに水があるのか、という法隆寺界隈だが、創建当時は消滅寸前の奈良湖はこの斑鳩辺りに存在していて、創建時の斑鳩宮、法隆寺は近いところに建っていたのかもしれない。そうなると聖徳太子は飛鳥京へ毎日太子道を馬で通っていたとされるが、実は斑鳩からは船で飛鳥へ渡っていたのではないか。ちなみにこの鯛石のある地点の標高は50mで大和川の水位40mよりは高い位置にある。

 たしかに地形的に見ても、歴史的に見ても、「古代奈良湖存在説」はあまり荒唐無稽な感じではない。現在の奈良盆地の150余の中小河川の大和川一局集中の地形を見ても、かつての大きな水源の存在の痕跡を感じることが出来よう。さらに稲作農耕中心の生産手段と富の所有分配という経済体制、政治的支配機構、社会システムが確立されていったヤマト王権の時代の下部構造には、こうした水運に役立つ古代湖や河川とそれに連なる肥沃な湿地帯、神の権威を感じる甘南備型の山に囲まれた「まほろば」すなわち奈良盆地(大和盆地)が無くてはならなかった。まさにそうしたステージの一角、山懐(山の処)すなわちヤマト(大和)にヤマト王権が成立していったと考えれば、やはりこの盆地の舞台設定は、箱庭的であるが、国家誕生の揺籃としてはパーフェクトな設定ではないかと思う。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1a/e080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e.jpg

(奈良湖推定図。この図によれば、縄文遺跡は水辺、湿地帯をさけて山麓の微高地に分布しているが、弥生時代の農耕集落(唐古鍵遺跡など)は湿地帯に分布している。面白いのは古墳時代から飛鳥時代の古墳や宮殿・宮都跡は稲作生産の拠点である水辺・湿地ではなく三輪山の山辺に分布している。やがては湿地の無い盆地南の飛鳥の地に遷っている。この図はネットの図形検索で出てきた図で、あちこちのブログで引用されている。しかし、いくら調べても出典が明らかでない。以前「近畿農政局のHP」に掲載されていたものではないかと思う。作者不詳だがよく出来ているので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e8/fe71c8bbed362bd353858b8a95dbed6f.jpg

(奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図。高低差がある分だけ、亀の瀬地区は古代より大和川の流水による地盤崩壊などの災害の多いところであったようだ。奈良湖は最後は斑鳩の辺りに小規模に残り、やがては消滅していったのだろう。これも上図同様、出典が明らかでないがわかりやすいので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/4c34343109fc06091a8b3a8bc9b36947.jpg

(上町台地大阪城付近から展望した河内平野の今。高層マンション辺りが近鉄八尾駅前。かつてはこの辺り一帯は河内湖であった。二上山と左手の生駒山との切れ目あたりが亀の瀬、穴虫峠)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/0dca563980b9b718dee3cb64dedee8e8.jpg

(山辺の道の背後にそびえる龍王山山頂から奈良盆地を俯瞰する。この一帯に古代奈良湖があったと言われている。正面が二上山、その右側の山稜の切れ目が亀の瀬、大和川が河内平野に流入する所だ。手前の緑は崇神天皇陵。他にも箸墓古墳、景行天皇陵など大型の古墳がずらりと並ぶ大倭古墳群)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/67b040beb8603d584f70d66ad61df869.jpg

(龍王山からの二上山の展望。右奥の山向うに,うっすらと河内平野の町並みが見える)
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7

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 『逆・日本史3』樋口清之著 から
 大和平野標高六〇メートル地点の謎
http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm


 石器時代の終わりごろの遺跡が、奈良県全体で、約三〇〇近く発見されている。これらの遺跡は、大和の吉野渓谷から始まり、宇陀・三輪を通って大和平野に降りてくるが、平野の周縁部に広がるだけで、中央の平坦部にはまったくないのである。そして、周縁にある遺跡は、いずれも標高六〇メートルほどの線までである。
 これが弥生文化の一八〇〇年ほど前の遺跡になると、標高五〇メートルの線まで下りてくる。もっとも標高の低い島根山古墳も、やはり標高五〇メートルの線で止まっている。

 これはどういうことかというと、石器時代には標高六〇メートルが、古墳時代には標高五〇メートルが、人間が生活できる極限線だったことを意味している。それ以下の低い土地には何らかの障害があって、人間が住むことができなかった。

 そして、住むことができなかった障害とは、そこに水があったからである。標高五〇メートル以下の土地はすべて、かつては水中であった。つまり、大和湖の湖面が、二七〇〇〜二八〇〇年前の石器時代には標高六〇メートルの線にあり、一八〇〇年ほど前の弥生時代には、標高五〇メートルまで水位が下がったということなのである。

 なぜ、北九州にではなく、大和に都ができたのか

 弥生文化が、おもに西日本で発達し、なかでも大和と北九州に大きな文化圏ができたことはよく知られている事実である。だが、なぜ、大陸文化を早くから受け入れた九州に王朝ができず、大和に日本の古代王朝が誕生したのだろうか。
 それは、大和平野に巨大な湖があり、時がたつにつれて、水位が下がっていったことに大きな原因があったと思われる。

 水位が下がったのは土地がしだいに隆起したからであるが、水が引いたあとの湖畔の土地はよく肥えていて、農業にもっとも適した土地であった。しかも、大和平野は周りを山に囲まれているため、強い風を防ぎ、夏は蒸し暑くて、水田で稲を栽培するのには好条件であった。また、地形が複雑で土地の高低差があり、斜面に恵まれていたことから、大和地方に水田稲作農耕がいち早く発達し、それが大和王朝を生んだのである。


たかばみさん提供奈良湖


 記紀に書いてあることを、学問的根拠もなしに頭から否定してしまうのは、戦前、神話をすべて鵜呑みにして「歴史」としたことと同じくらい滑稽な話である。
 なぜなら、神武天皇の話の内容は、じつは古代の大和に存在したいくつかの歴史的事実の印象や伝承を編集、つまり日本の古代社会の雰囲気を如実に表現した部分が、数多く含まれているからである。

 たとえは、地名である。

 神武天皇は九州の日向を出発し、東へ進んで大和に入ると、長髄彦・兄猾・弟猾・土蜘蛛などの未開人を平定し、畝傍山のふもとの橿原の宮で天皇の位に即いた、ということになっている。

 この長髄彦や兄猾・弟猾・土蜘蛛などがいたという土地や、橿原など、神武天皇に関係のある地名が『日本書紀』や『古事記』などに三三カ所ほど挙げられているが、これらの地名を大和の土地にあてはめると、すべて標高六○メート〜線以上に存在していることがわかる。

 しかも、その土地ほ、大和湖のまわりの小高い所で、縄文式土器の出土する遺跡とぴったり一致しているのである。

 神武天皇伝承が、奈良時代にだれかが勝手につくりあげたものなら、うっかり、標高六〇メートル線以下の、古代においては湖底にあたる地名も出る可能性がある。奈良時代には土地の隆起がいちじるしく、大和潮は幻の湖になっていた。 昔は水位が六〇メートル線にあったなどということは記録に残されていないからである。

 とくに驚くべきことは、神武天皇の都とされている橿原が、ちゃんと存在していたことである。

http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm


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伝承は何年くらい伝わり・残るものか: 2016年12月28日


神話と考古学の間 創元社 (1973)  末永 雅雄, 三品 彰英, 横田 健一
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%96%93-%E6%9C%AB%E6%B0%B8%E9%9B%85%E9%9B%84/dp/4422201115


このところ物部氏の出自について、なるべく推測を交えずに語ることが出来るよう
にと様々な本を当たっています。

ただ多くの人たちが関心を持ってきた一族ですので、その量が半端ではありません。
少々時間が掛かります。

そこで今日はそんな調査の中で見つけた一つの説をご紹介します。

タイトルにある「伝承は何年くらい伝わり、残るものか」というものです。

「神話と考古学の間」という末永氏という考古学者と文献史学の先生たちの対談集
で、この点に触れています。

結論から言えばおおよそ400年と言っています。

末永先生という方は故人ですが、橿原考古学研究所の初代所長を務めた方です。
大学を出ずに色々な経験を積んで来られた異色の人物です。
ある時、町史編纂に関わっていました。

その家に伝わっていた話しを調べてみると、数百年前に実際にその通りだったと
いうことに出会われたそうです。

神武天皇は橿原の宮で即位したと伝わりますが、これは作り話しで橿原の宮は想
像の産物とされていました。

ところが昭和13年から始まった末永先生も加わった調査で縄文から弥生時代に
掛けての遺跡が発見されました。

現在の大鳥居の付近では、大きなカシの木の根も出てきました。畝傍山あたりか
ら持ってきた土で、土地の高低を調整し大きな広場を作ってお祭りをしたらしい
のです。その時の一群の土器も出てきました。

末永先生の話では、弥生の終わり頃1世紀辺りと見られる土器も出てきたので
す。

日本書紀には神武天皇が

「見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである」

と言われ都造りに着手したとあります。

私は神武天皇の即位年、辛酉を121年と見ています。
調べれば調べるほど奇妙な一致が出てきます。

庶民の家の話しが数百年残っていたとすると、皇家や大きな豪族の伝承などは、
より残り易いと考えていいでしょう。

記紀には考えていた以上に史実が含まれていた可能性があります。
http://newkojiki.com/2016/12/28/%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%AF%E4%BD%95%E5%B9%B4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%83%BB%E6%AE%8B%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8B/




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c7

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
22. 中川隆[-9262] koaQ7Jey 2019年6月30日 05:57:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3287]
長浜浩明の神武天皇即位 紀元前70年説は間違い


長浜浩明は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。

 「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。

 よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。

 余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。

 そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3

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長浜浩明は神武東征が河内潟の時代だと主張していますが、河内湖Tの時代が正しい:


河内湖の名残
http://feynmanino.watson.jp/5697_kawachi2.html


邪馬台国とはなんぞや?(43) - altairposeidonのブログ

・古大阪平野の時代:約2万年前
・古河内平野の時代:約9000年前
・河内湾Iの時代:約7000年〜6000年前
・河内湾IIの時代:約5000年〜4000年前
・河内潟の時代:約3000年〜2000年前(BC1050年〜BC50年)
・河内湖Iの時代:約1800年〜1600年前(AD150年から350年)
・河内湖IIの時代〜大阪平野I・IIの時代:約1600年前以降
http://altairposeidon.hatenablog.com/entry/2018/10/11/000000


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霊(ひ)の国の古事記論54  若御毛沼命の河内湖通過(「神武東征」)時期について
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html


1.「神武東征」か?

御毛沼命と若御毛沼命(後の神倭伊波礼琵古(磐余彦)命、8世紀に神武天皇と諡(おくりな))兄弟のいわゆる「神武東征」については、史実説と虚構説に分かれ、史実説については、記紀史実説(薩摩半島の山幸彦の子孫の征服説)と邪馬台国東征説・東遷説が見られる。

私の説(『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』、ブログ「霊の国の古事記論」)は、「薩摩半島の山幸彦(山人:やまと)の子孫の傭兵部隊の仕官を求めての移動説」であり、「若御毛沼命実在・東征否定説(傭兵隊移動説)」という「おおむね真実、一部虚偽」という第3の説である。


御毛沼命・若御毛沼命兄弟の移動は「東征」か「傭兵隊の移動」か?


 
 なお、第10代崇神天皇以前、第15代応神天皇以前、第26代継体天皇以前の3つの天皇非存在説についての検討はいずれまとめたいが、私の記紀判断の基準に照らし、神話時代を含めた登場人物については、実在人物をモデルに創作されたアマテラスを除き、ほぼ実在していた人物と考える。

 


2.神話時代の年代論について 

 皇国史観は神武即位を「BC660年」としたが、那珂通世は「AD元年」、久米邦武は「AD6年」、とし、高木修三氏は『紀年を解読する』(2000年)において「BC29年」、長浜浩明氏は『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』(2012年)において「BC70年」とした。

 これらに対して、記紀の年代分析において初めて統計的に科学的分析を行ったのは、安本美典氏である(図参照)。氏は古代の天皇、中世・近世の将軍、中国・西洋の王の在位年数から、古代大王の平均在位年数を約10年とし、神武即位を「AD271年頃」とする統計的な推定を行った。

 30〜40代天皇の即位年の直線回帰による私の追試では「AD277年」であり、私はこの安本説を全面的に支持する。


30〜40代天皇の即位年の直線回帰によるスサノオ大神・大国主神16代の即位年の予測


 なお、この記紀年代の統計的分析において、安本氏はアマテラスより前の王について検討されていないが、私は古事記神話が始祖としている天御中主までの分析を進めた。

 詳しくは前著『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』を参照いただきたいが、結論だけを述べると、AD57年の「委奴国王」の遣使、107年の「倭王師升」の遣使、「100余国を7〜80年支配した王朝」、146〜189年頃の「倭国大乱」、100余国のうちの30国をまとめた「卑弥呼」の238年の遣使、弟王との後継者争いで共立された「壱与」の266年の遣使との照合性について検討を行い、「委奴国王」はスサノオ、「倭王師升」は淤美豆奴(オミズヌ)、「100余国を7〜80年支配した王朝」はスサノオ・大国主王朝7代」、「倭国大乱」は大国主の後継者争い、「卑弥呼」はアマテラスと考える。


3.「神武東征」の時期について

 統計的な分析による安本氏の神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)について、物証の裏付けはないのであろうか?

 その鍵となるのは、記紀に描かれた若御毛沼らの行動である。その記述は次の通りである。

@古事記:「その国(注:吉備国)より遷り上り幸(い)でましし時、亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙あげて来る人に、速水門(はすひのと)で遇(あ)ひき。・・・故、その国より上り行でましし時、浪速(なみはや)の渡を経て、青雲の白肩津(しらかたのつ)に泊(は)てたまひき」

A日本書紀:「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり。三月の丁卯の朔丙子(十日)、遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」

 この「速水門」「浪速の渡」「はやき潮」「遡流而上りて」「草香邑の青雲の白肩津」の記述がその時期を特定する鍵となる。


(1) 「速水門」はどこか?

 古事記の「速水門」は吉備出発後の記述であり、考えられるのは備讃瀬戸か明石海峡であるが、備讃瀬戸には「門」と呼べるような狭い海峡はなく、潮流も緩やかで、地形・海流の両方からみて「速水門」と呼べるような場所はない。「速水門」は幅4kmで両側の山が迫って「門」にふさわしく、潮流の早い明石海峡とみて間違いない。

 古田武彦氏は『古代は輝いていたU』において、明石海峡は「平穏、清明の海」とし、「速水門」に相応しいのは鳴門海峡としているが、これは全くの事実誤認である。四季、何十回と明石海峡を小さな渡し船で渡った私の経験でいえば、明石海峡の潮流は早い。


海上保安庁 六区豆知識「海の流れについて」


 海上保安庁のデータでみると、最大潮流は鳴門海峡10.5ノット、明石海峡6.7ノットであり、備讃瀬戸の3.4ノット、播磨灘の0.4〜0.5ノット、大阪湾の0.3〜0.5ノットと較べると、明石海峡を「速水門」と見るべきである。

 一方、日本書紀は「速水門」を筑紫の宇佐への途中に置いているので、豊予海峡(最大6ノット)になる。しかしながら、豊予海峡は14kmと広く、「門」と言えるような地形ではない。

 また、黒潮に洗われる笠沙半島を拠点にした隼人族(海幸彦)が豊予海峡を越えるのは苦もなかった筈であり、海岸沿いに行けば日向から宇佐、岡水門へと移動するのに迷うこともない。水先案内人を頼む必要があったとは思えない。

 舟で豊予海峡説(最大6ノット)や関門海峡(同9ノット)を越えるのは大変と思われるかも知れないが、下げ潮に乗れば楽々である。私は船折瀬戸(同9ノット=時速17q、村上水軍の根拠地の大島と伯方島の間の瀬戸)を潮流に乗って小型ヨットとカヌーで下ったことがあるが、広い海を早い潮流に乗って移動するのは、狭い川の急流を下るのと較べて何の危険もない。10〜20人乗りの丸木舟の舷側に板を張った重心の重い当時の舟なら、これらの海峡を通過するのに案内人は必要ない。仮に、どうしても下げ潮での通過が怖いなら、潮待ちして、12時間ごとの満潮時か干潮時の停潮期に渡ればよいがそんなことをする海洋民はいないであろう。

 奈良盆地にいて海を知らない日本書紀の編集者達は、若御毛沼たちが未知の海に東征の冒険に乗り出したことを印象づけるために、地形も潮流も舟も知らず、「速水門」を明石海峡から豊予海峡に変えたと見てよい。


(2) 「遡流而上りて」はいつの時代か

 若御毛沼らは2月11日(3月上旬)に吉備をたち、「速水門」を経て、「浪速の渡」を通り、3月10日に「白肩津」に着いたというのであるが、それは史実であろうか、史実ならいつの時代であろうか。孫引きデータで不安ではあるが、以下、検討したい(いずれ、原データにあたりたい)。

 前述の古田武彦氏の『古代は輝いていたU』によれば、弥生・古墳期(約1800〜1600年前:執筆当時から計算しなおすとAD185〜385年)頃の大阪には河内湖があり、若御毛沼らはこの河内湖を舟で進み、「白肩津」に着いたとしている。

 長浜浩明氏の『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』にはさらに詳しい図が紹介されているので、その図とHP「水都大阪」のデータを参考にさせていただくと、河内潟・河内湖・河内平野は、次の4つの時代に区分される。


A 河内潟時代(BC1050〜50):湾口が広い、海水湾の時代

B 河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150):干潮時には湖水の水が海に流れ、満潮時には海水が侵入する汽水湖の時代

C 河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代、AD150〜350):湾口が狭まって海水の流入がない淡水湖の時代

D 陸地化時代(AD350〜):陸地化が進む時代


 日本書紀は「遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」としているが、それはどの時代のことであろうか?

 まず、河内潟時代(BC1050〜50)は、河内潟は満潮時も干潮時も海水が満ちており、広い流路で外海と内海は結ばれ、「遡流而上りて」はありえない。


AD185〜385頃の河内湖(古田武彦著『古代は輝いていたU』)


BC1050〜50の河内潟(長浜浩明著『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』)

          
 AD150〜350年頃の河内湖T(前同)


 5世紀以降の大阪平野(HP「水都大阪」より)


 次の、河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)は、「浪速(なみはや)の渡」のあたりで湾口は狭まり、満潮時には上げ潮が湖内に流入し、干潮時には下げ潮が湖内から流出する。

 想定される当時の「河内湖」より大きさがやや小さい浜名湖(日本1の汽水湖)でみると、上げ潮の速さは2ノット(1m/s)、下げ潮は3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)で、その潮流の範囲は湾口からわずかに前後それぞれ1qほどの狭い範囲である(伊東啓勝他「インレット周辺の流況特性把握調査」(『水路 第154号』より)。

 この下げ潮の3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)というと、軽いカヌーの中速であり、この程度の流れなら簡単に漕ぎ上ることができる。カヌーや競技用ボートが高速で8〜10ノット(4.0〜5.0m/s)程度、26人の漕ぎ手のペーロン船が9ノット(4.5m/s)程度とされているから、汽水湖の下げ潮に逆らっても、特に苦労することもなく遡ることができる。私は琵琶湖の水がただ1カ所流れ出る瀬田川(流速は確かめられなかった)をエイトで何度も往復したことがあるが、軽い性能のいい競技艇ではゆっくり漕いでも楽に流れの速い瀬田川を遡ることができた。

 ただ、浜名湖には流入する大きな川はないのに対し、河内湖には滋賀・丹波・京都・奈良の広範囲な流域から水を集める淀川や木津川、大和川などから流入しており、若御毛沼たちが漕ぎ上ったのが冬の渇水期とはいえ、大阪湾への流出口の水流は浜名湖よりはかなり早かったに違いない。

 若御毛沼らが10〜20人ほどの重い準構造船(丸木舟の舷側に板を張って高くしたもの)を「遡流而上りて」漕ぎ上るとなると、その通過時期はAD150〜350年の河内湖淡水湖時代とみて間違いない。

彼らには急流の浪速の渡を漕ぎ上ったことが強く印象に残り、「遡流而上りて」と伝わった可能性が高い。

 繰り返しになるが、大阪湾と河内潟が広い湾口でつながっていた河内潟時代や、上げ潮のある汽水湖時代には、「遡流而上りて」という表現はでてこないであろう。


(3) 「草香邑の白肩津」はどこか?

 「草香邑の白肩津」については、生駒山麓の日下町を当てる説が多いが、私はそこから2.3qほど下った「枚岡」を比定する。「7」を「しち」「ひち」と発音する例などからみて、「しらかた津」は「ひらかた津」の可能性が高く、この地を奈良の登美・春日への最短距離の奈良街道が通っていたことからみても、白肩津は「枚岡」の湖岸にあった港(津)の可能性が高い。

 その時代は生駒山麓の陸地化が進んだ河内湖淡水湖時代(AD150〜350)ではありえない。その時代が河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)であることは、「白肩津」からも裏付けられる。

 完全に陸地化した後の8世紀の記紀作者が、「浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき」「遡流而上りて、径に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」というような文章を創作することができないことは言うまでもない。これらの記述には、8世紀の記紀作者が知ることのできない「秘密の暴露」が見られる。

 以上、「速水門」「はやき潮」、「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩津」という記紀の記述は後世の創作ではなく、若御毛沼らがAD150〜350年の河内湖T時代にこの地にきた実際の体験であることが明らかである。

これは、安本氏の統計的分析による神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)を裏付けている。

いわゆる「神武東征」は、卑弥呼時代より後になり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。


4.「浪速国」の地名由来について

 日本書紀の「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり」という若御毛沼による地名命名説話は、記紀や風土記の天皇命名地名の怪しさを示している。

 日本書紀の編集者は古事記の「速水門」=明石海峡を豊後水道に置き換えたために、その代わりに明石海峡を「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ」とし、若御毛沼が「名付けて浪速国とす」としたが、明石は播磨の地であり、この地を浪速と名づけることはありえない。そもそも古事記は「浪速(なみはや)の渡」という地名を載せており、若御毛沼らがこの地に来る以前から、「浪速」「難波碕」の地名があったことは明らかである。

 なお、私は安本美典氏の北九州から奈良盆地への「地名ワンセット東遷」の指摘は重要と考えるが、九州の地名を持ってきた人々は、もっと前のスサノオ・大国主一族であると考える。「地名ワンセット東遷」を「神武東遷」の証拠とすることはできない。

 若御毛沼らの「東征」より先にこの地に「浪速」地名があったことが、それを証明している。


5.「草香邑の白肩津」の由来について

 前述のように「白肩(しらかた)津」は「枚潟(ひらかた)津」であったと私は考えるが、「枚潟」というと、関西の人は淀川を遡った「枚方」と考え、「牧」の当て字から「牧場」のイメージを持つかも知れない。

 しかし、「草香邑の白肩津」となると、「日下(くさか)」の南にある「枚岡」の麓の「枚潟」(平潟)にあった「津」(港)とみて間違いない。この地に、河内国一之宮の枚岡神社があることと、奈良街道が通っていたことからみて、河内湖時代にはこの地が重要な拠点港であったことが明らかである。

 大国主を「国譲り」させて後継者となった「天穂日神」の子の「天日名鳥命、天夷鳥命、武日照命」が「天比良鳥命」とも言われることからみて、「枚=比良」は「日名(夷、日)」と同じであった可能性がある。「はら(腹、原)」「あちら、こちら」の「ら(羅)」は、「はな(鼻)」「ひな(女性の性器=霊(ひ)の宿る所)」などの「な(那、奈)」と同じく、「場所、土地」を示すからである。

 記紀によれば、「ひ=日=霊(祖先霊)」であることから考えると、「比良」は「霊羅」で「霊(ひ)の降り立つ聖地」という意味になる。「天日名鳥命」が「出雲祝神」とも呼ばれていることから考えると、この「枚潟(ひらかた)津」は出雲族の祖先霊(磐霊(いわひ):磐座(いわくら)に宿る祖先霊)を祀る聖地であった可能性が高い。

 若御毛沼らを傭兵として受け入れず、追い返した「長髄彦(ながすね)彦」が「登美能那賀須泥毘古」と書かれていることをみると、「長髄彦(ながすね)彦」(森浩一氏は「長洲根彦」説)はこの地から生駒山を越えた登美にかけて支配した王であり、この地はその交易と祖先霊信仰の拠点であった可能性が高い。

 さらに、「草香邑」は現在、「日下(くさか)」の地名として残っているが、出雲市の日下には、出雲国風土記に登場する古社の「久佐加神社」があり、「草香邑」はこの地からきた出雲族の居住地であった可能性が高い。枚岡神社の所在地が「東大阪市出雲井町」であることや、「青雲の白肩津」という記紀の記述と合わせて考えると、この地が大国主の子孫の王の拠点であったことは確実であろう。


6.「亀に乗ったサヲネツ彦」のいわゆる「神話的表現」について
 古事記には、早水門で「亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙げて来る人に遇(あ)ひき」に会った、という印象的な記述が見られる。

 この記述から、「神武東征は、亀に乗った浦島太郎伝説をもとに作られた」というような結論を導き出すことはできるであろうか?


 まず「亀の甲に乗りて」は次のような現実的な解釈が可能である。

 第1の仮説は、「亀の形のような幅広型の舟に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第2の仮説は、「亀の甲羅のような板舟(幅広のサーフボード)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第3の仮説は、「桶の舟(たらい舟)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承の「桶」が「瓶(かめ)」に変わり、さらに「亀」に変わって、「亀の甲に乗りて」となって伝わった可能性である。「桶から瓶」、「瓶から亀」への「伝言ゲーム」ミスである。

「浦島太郎伝説をもとにした創作説」が成立するためには、この3つの説を否定しなければならない。

 さらに、「打ち羽挙げて来る人」(打羽挙来人)がある。まず亀に乗って竜宮城に行き来した「浦島太郎伝説引用説」ではこの部分は説明が付かない。しかしながら実際の舟を想定すると、「打羽」は帆船の「帆」となり、合理的な解釈が可能である。「うちわ・うちは(団扇)」の語源は「打ち羽」とされており(『日本語源大辞典』)、この風を起こす道具は風を受ける道具でもある。

 「サオネツ彦」は浦島太郎のように亀に乗った人ではなく、帆を張った「亀型の幅広舟」か「板舟」、「たらい舟」に乗った漁師の可能性が高い。それは、九州沿岸に見られる舟ではなかったために印象深く言い伝えられたものと考えられる。

 若御毛沼兄弟らは、浦島太郎のような空想的な神話上の人物ではなく、釣りをしていた漁師に若御毛沼らが「汝は海道を知るや」と、「浪速の渡」から「白肩津」への水路の案内を頼んだとみるのが妥当である。


7.「神武東遷」について

 以上の検討結果をまとめると、「若御毛沼傭兵部隊東遷」について、次の事実が明らかである。

@ 「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩之津」の記述は、8世紀の記紀編集者の創作ではなく、河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代:AD150〜350)の印象的な体験談である。

A 若御毛沼による「浪速国」の地名由来は、日本書紀編集者の創作である。

B 「草香邑の青雲の白肩之津」の地名は、この地の王が出雲の大国主の子孫の可能性が高いことを示している。

C 「亀に乗ったサヲネツ彦」は「浦島太郎伝説」を元にした後世の創作ではなく、実際の印象的な体験談(伝承の過程で変容した可能性が高い)である。


8.神武東遷時期の確定は「邪馬台国畿内説」を否定する

 以上の検討により、若御毛沼傭兵部隊の奈良盆地への移動は「AD271年頃」(私はAD277年頃)より少し前となり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。
 この結果は大きい。

 邪馬台国畿内説の崩壊である。卑弥呼(248年頃死亡)の時代より、少し後の271〜277年頃に「神武傭兵部隊の東遷」があったことが証明されるからである。

 神武より8〜14代後の倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫(第7代孝霊天皇の皇女)や倭姫(第 11代垂仁天皇の皇女)、神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)を卑弥呼(248年頃死亡)とする畿内説の全面崩壊である。

古事記によれば、天照大御神からオシホミミ命―ニニギ命―ホホデミ命―ウガヤフキアエズ命―若御毛沼命(神武)と続くが、アマテラスは「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で生まれ、ニニギ命・ホホデミ命・ウガヤフキアエズ命は薩摩半島の笠沙で死んでいる。アマテラスは大和とは無縁である。

 なお、言うまでもないが、記紀神話創作説や2〜9代天皇の「欠史8代説」を採用するなら、天照大御神や倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫、倭姫などを歴史上の人物として論ずることがそもそもナンセンスである。記紀からアマテラスだけを「つまみ喰い」するような行儀の悪い考古学者やそれをもてはやす朝日・NHKなどのマスコミ人がいることは、この国の知性の崩壊状況を示しているといわざるをえない。  141019 帆人(日向 勤)
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c22

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
23. 中川隆[-9261] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:00:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3288]

長浜浩明の神武天皇即位 紀元前70年説は間違い _ 2


長浜浩明の「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です:

日本書紀(現代語訳・口語訳の全文)
太歳甲寅11月〜戊午年春3月
https://nihonsinwa.com/page/859.html


原文

十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫国岡水門。

十有二月丙辰朔壬午、至安藝国、居于埃宮。

乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備国、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。

戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東、舳艫相接。方到難波之碕、會有奔潮太急。因以名爲浪速国、亦曰浪花、今謂難波訛也。訛、此云與許奈磨盧。

三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內国草香邑雲白肩之津。

現代語訳

太歳甲寅11月
11月の9日に神武天皇は筑紫国(ツクシノクニ)の岡水門(オカノミナト=福岡県遠賀郡の遠賀川河口)に到着しました。

太歳甲寅12月
12月の27日に安芸国の埃宮(エノミヤ=広島県府中町)に滞在しました。

乙卯年春3月
乙卯年(キノトウノトシ)の春三月の6日に吉備国(キビノクニ)に入り、行館(カリミヤ=仮宮)を作って滞在しました。これを高嶋宮(タカシマノミヤ)といいます。三年滞在している間に、船を揃え、兵食(カテ)を備え、ひとたび兵を挙げて天下(アメノシタ)を平定しようと神武天皇は思っていました。

戊午年春2月
戊午年(ツチノエウマノトシ)の春2月の11日。皇師(ミイクサ)はついに東へと向かいました。舳艫(ジクロ=船首と船尾)がぶつかり合うほどに沢山の船団でした。難波之碕(ナニワノサキ)に到着すると、潮が速いところがあった。それでこの場所を浪速国(ナミハヤノクニ)といいます。また浪花(ナミハナ)といいます。今、難波と呼ばれるのはこれらが訛ったものです。

訛は與許奈磨盧(ヨコナマル)と読みます。

戊午年春3月
三月の10日。流れを遡(サカノボ)って、河内国(カワチノクニ)草香邑(クサカムラ)雲(アオクモ)白肩之津(シラカタノツ)に到着しました。
https://nihonsinwa.com/page/859.html

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日本書紀(原文) 日本書紀巻03/神武天皇
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html


~日本磐余彥天皇 ~武天皇

~日本磐余彥天皇、諱彥火火出見、彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰玉依姬、海童之少女也。天皇生而明達、意礭如也、年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛、爲妃、生手硏耳命。

及年卌五歲、謂諸兄及子等曰「昔我天~、高皇産靈尊・大日孁尊、舉此豐葦原瑞穗國而授我天祖彥火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃~乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。

其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。至速吸之門、時有一漁人乘艇而至、天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國~、名曰珍彥、釣魚於曲浦。聞天~子來、故卽奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎㰏末、令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彥椎、此云辭毗、此卽倭直部始祖也。行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。

十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。

十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。

乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。

戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東、舳艫相接。方到難波之碕、會有奔潮太急。因以名爲浪速國、亦曰浪花、今謂難波訛也。訛、此云與許奈磨盧。

三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內國草香邑雲白肩之津。

夏四月丙申朔甲辰、皇師勒兵、步趣龍田。而其路狹嶮、人不得並行、乃還更欲東踰膽駒山而入中洲。時、長髄彥聞之曰「夫天~子等所以來者、必將奪我國。」則盡起屬兵、徼之於孔舍衞坂、與之會戰。有流矢、中五瀬命肱脛。皇師不能進戰、天皇憂之、乃運~策於沖衿曰「今我是日~子孫而向日征虜、此逆天道也。不若、退還示弱、禮祭~祇、背負日~之威、隨影壓躡。如此、則曾不血刃、虜必自敗矣。」僉曰「然。」於是、令軍中曰「且停、勿須復進。」乃引軍還。虜亦不敢逼、却至草香之津、植盾而爲雄誥焉。雄誥、此云烏多鶏縻。因改號其津曰盾津、今云蓼津訛也。初、孔舍衞之戰、有人隱於大樹而得兔難、仍指其樹曰「恩如母。」時人、因號其地曰母木邑、今云飫悶廼奇訛也。

五月丙寅朔癸酉、軍至茅淳山城水門。亦名山井水門。茅淳、此云智怒。時五瀬命矢瘡痛甚、乃撫劒而雄誥之曰撫劒、此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢「慨哉、大丈夫慨哉、此云宇黎多棄伽夜被傷於虜手、將不報而死耶。」時人因號其處、曰雄水門。進到于紀伊國竈山、而五瀬命薨于軍、因葬竈山。

六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。戸畔、此云妬鼙。遂越狹野而到熊野~邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天~、母則海~。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持~。三毛入野命、亦恨之曰「我母及姨並是海~。何爲起波瀾、以灌溺乎。」則蹈浪秀而往乎常世ク矣。

天皇獨與皇子手硏耳命、帥軍而進、至熊野荒坂津亦名丹敷浦、因誅丹敷戸畔者。時、~吐毒氣、人物咸瘁、由是、皇軍不能復振。時彼處有人、號曰熊野高倉下、忽夜夢、天照大~謂武甕雷~曰「夫葦原中國猶聞喧擾之響焉。聞喧擾之響焉、此云左揶霓利奈離。宜汝更往而征之。」武甕雷~對曰「雖予不行、而下予平國之劒、則國將自平矣。」天照大~曰「諾。諾、此云宇毎那利。」時武甕雷~、登謂高倉下曰「予劒號曰韴靈。韴靈、此云赴屠能瀰哆磨。今當置汝庫裏。宜取而獻之天孫。」高倉下曰「唯々」而寤之。明旦、依夢中教、開庫視之、果有落劒倒立於庫底板、卽取以進之。

于時、天皇適寐。忽然而寤之曰「予何長眠若此乎。」尋而中毒士卒、悉復醒起。既而皇師、欲趣中洲、而山中嶮絶、無復可行之路、乃棲遑不知其所跋渉。時夜夢、天照大~訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲ク導者。」果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大~、欲以助成基業乎。」是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣、因號其所至之處、曰菟田穿邑。穿邑、此云于介知能務羅。于時、勅譽日臣命曰「汝忠而且勇、加能有導之功。是以、改汝名爲道臣。」

秋八月甲午朔乙未、天皇使徵兄猾及弟猾者。猾、此云字介志。是兩人、菟田縣之魁帥者也。魁帥、此云比ケ誤廼伽瀰。時、兄猾不來、弟猾卽詣至、因拜軍門而告之曰「臣兄々猾之爲逆狀也、聞天孫且到、卽起兵將襲。望見皇師之威、懼不敢敵、乃潛伏其兵、權作新宮而殿內施機、欲因請饗以作難。願知此詐、善爲之備。」天皇卽遣道臣命、察其逆狀。時道臣命、審知有賊害之心而大怒誥嘖之曰「虜、爾所造屋、爾自居之。」爾、此云飫例。因案劒彎弓、逼令催入。兄猾、獲罪於天、事無所辭、乃自蹈機而壓死、時陳其屍而斬之、流血沒踝、故號其地、曰菟田血原。已而弟猾大設牛酒、以勞饗皇師焉。天皇以其酒宍、班賜軍卒、乃爲御謠之曰、謠、此云宇哆預瀰。

于儾能多伽機珥 辭藝和奈陂蘆 和餓末菟夜 辭藝破佐夜羅孺 伊殊區波辭 區旎羅佐夜離 固奈瀰餓 那居波佐麼 多智曾麼能 未廼那鶏句塢 居氣辭被惠禰 宇破奈利餓 那居波佐麼 伊智佐介幾 未廼於朋鶏句塢 居氣儾被惠禰

是謂來目歌。今樂府奏此歌者、猶有手量大小、及音聲巨細、此古之遺式也。是後、天皇欲省吉野之地、乃從菟田穿邑、親率輕兵巡幸焉。至吉野時、有人出自井中、光而有尾。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是國~、名爲井光。」此則吉野首部始祖也。更少進、亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是磐排別之子。」排別、此云飫時和句。此則吉野國樔部始祖也。及緣水西行、亦有作梁取魚者。梁、此云揶奈。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」苞苴擔、此云珥倍毛菟。此則阿太養鸕部始祖也。

九月甲子朔戊辰、天皇陟彼菟田高倉山之巓、瞻望域中。時、國見丘上則有八十梟帥梟帥、此云多稽屢、又於女坂置女軍、男坂置男軍、墨坂置焃炭。其女坂・男坂・墨坂之號、由此而起也。復有兄磯城軍、布滿於磐余邑。磯、此云志。賊虜所據、皆是要害之地、故道路絶塞、無處可通。天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有天~訓之曰「宜取天香山社中土香山、此云介遇夜摩以造天平瓮八十枚平瓮、此云毗邏介幷造嚴瓮而敬祭天~地祇嚴瓮、此云怡途背、亦爲嚴呪詛。如此、則虜自平伏。」嚴呪詛、此云怡途能伽辭離。

天皇、祇承夢訓、依以將行、時弟猾又奏曰「倭國磯城邑、有磯城八十梟帥。又高尾張邑或本云、葛城邑也、有赤銅八十梟帥。此類皆欲與天皇距戰、臣竊爲天皇憂之。宜今當取天香山埴、以造天平瓮而祭天社國社之~、然後擊虜則易除也。」天皇、既以夢辭爲吉兆、及聞弟猾之言、u喜於懷。乃使椎根津彥、著弊衣服及蓑笠、爲老父貌、又使弟猾被箕、爲老嫗貌、而勅之曰「宜汝二人到天香山潛取其巓土而可來旋矣。基業成否、當以汝爲占。努力愼歟。」

是時、虜兵滿路、難以往還。時、椎根津彥、乃祈之曰「我皇當能定此國者行路自通、如不能者賊必防禦。」言訖徑去。時、群虜見二人、大咲之曰「大醜乎大醜、此云鞅奈瀰爾句老父老嫗。」則相與闢道使行、二人得至其山、取土來歸。於是、天皇甚ス、乃以此埴、造作八十平瓮・天手抉八十枚手抉、此云多衢餌離嚴瓮、而陟于丹生川上、用祭天~地祇。則於彼菟田川之朝原、譬如水沫而有所呪著也。天皇又因祈之曰「吾今當以八十平瓮、無水造飴。飴成、則吾必不假鋒刃之威、坐平天下。」乃造飴、飴卽自成。又祈之曰「吾今當以嚴瓮、沈于丹生之川。如魚無大小悉醉而流、譬猶范t之浮流者艨A此云磨紀、吾必能定此國。如其不爾、終無所成。」乃沈瓮於川、其口向下、頃之魚皆浮出、隨水噞喁。

時、椎根津彥、見而奏之。天皇大喜、乃拔取丹生川上之五百箇眞坂樹、以祭諸~。自此始有嚴瓮之置也。時勅道臣命「今、以高皇産靈尊、朕親作顯齋。顯齋、此云于圖詩怡破毗。用汝爲齋主、授以嚴媛之號。而名其所置埴瓮爲嚴瓮、又火名爲嚴香來雷、水名爲嚴罔象女罔象女、此云瀰菟破廼迷、糧名爲嚴稻魂女稻魂女、此云于伽能迷、薪名爲嚴山雷、草名爲嚴野椎。」

冬十月癸巳朔、天皇嘗其嚴瓮之粮、勒兵而出。先擊八十梟帥於國見丘、破斬之。是役也、天皇志存必克、乃爲御謠之曰、

伽牟伽筮能 伊齊能于瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屢 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務

謠意、以大石喩其國見丘也。既而餘黨猶繁、其情難測、乃顧勅道臣命「汝、宜帥大來目部、作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之。」道臣命、於是奉密旨、掘窨於忍坂而選我猛卒、與虜雜居、陰期之曰「酒酣之後、吾則起歌。汝等聞吾歌聲、則一時刺虜。」已而坐定酒行、虜不知我之有陰謀、任情徑醉。時道臣命、乃起而歌之曰、

於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾騖都都伊 異志都々伊毛智 于智弖之夜莽務

時、我卒聞歌、倶拔其頭椎劒、一時殺虜、虜無復噍類者。皇軍大ス、仰天而咲、因歌之曰、

伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫

今、來目部歌而後大哂、是其緣也。又歌之曰、

愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒

此皆承密旨而歌之、非敢自專者也。時天皇曰「戰勝而無驕者、良將之行也。今魁賊已滅、而同惡者、匈々十數群、其情不可知。如何久居一處、無以制變。」乃徙營於別處。

十有一月癸亥朔己巳、皇師大舉、將攻磯城彥。先遣使者徵兄磯城、兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰「天~子召汝。怡奘過、怡奘過。過、音倭。」兄磯城忿之曰「聞天壓~至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。壓、此云飫蒭。」乃彎弓射之、烏卽避去、次到弟磯城宅而鳴之曰「天~子召汝。怡奘過、怡奘過。」時弟磯城惵然改容曰「臣聞天壓~至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」卽作葉盤八枚、盛食饗之。葉盤、此云毗羅耐。因以隨烏、詣到而告之曰「吾兄々磯城、聞天~子來、則聚八十梟帥、具兵甲、將與決戰。可早圖之。」

天皇乃會諸將、問之曰「今、兄磯城、果有逆賊之意、召亦不來。爲之奈何。」諸將曰「兄磯城、黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之幷說兄倉下・弟倉下。如遂不歸順、然後舉兵臨之、亦未晩也。倉下、此云衢羅餌。」乃使弟磯城、開示利害。而兄磯城等猶守愚謀、不肯承伏。時、椎根津彥、計之曰「今者宜先遣我女軍、出自忍坂道。虜見之必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂、取菟田川水、以灌其炭火、儵忽之間出其不意、則破之必也。」天皇善其策、乃出女軍以臨之。虜謂大兵已至、畢力相待。先是、皇軍攻必取、戰必勝、而介胃之士、不無疲弊。故、聊爲御謠、以慰將卒之心焉、謠曰、

哆々奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虛能莽由毛 易喩耆摩毛羅毗 多多介陪麼 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虛禰

果以男軍越墨坂、從後夾擊破之、斬其梟帥兄磯城等。

十有二月癸巳朔丙申、皇師遂擊長髄彥、連戰不能取勝。時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄U、狀如流電。由是、長髄彥軍卒皆迷眩、不復力戰。長髄、是邑之本號焉、因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。昔孔舍衞之戰、五瀬命中矢而薨、天皇銜之、常懷憤懟、至此役也、意欲窮誅、乃爲御謠之曰、

瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 阿波赴珥破 介瀰羅毗苔茂苔 曾廼餓毛苔 曾禰梅屠那藝弖 于笞弖之夜莽務

又謠之曰、

瀰都々々志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇惠志破餌介瀰 句致弭比倶 和例破涴輸例儒 于智弖之夜莽務

因復縱兵忽攻之、凡諸御謠、皆謂來目歌、此的取歌者而名之也。時、長髄彥乃遣行人、言於天皇曰「嘗有天~之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。饒速日、此云儞藝波揶卑。是娶吾妹三炊屋媛亦名長髄媛、亦名鳥見屋媛遂有兒息、名曰可美眞手命。可美眞手、此云于魔詩莽耐。故、吾以饒速日命、爲君而奉焉。夫天~之子、豈有兩種乎、奈何更稱天~子、以奪人地乎。吾心推之、未必爲信。」天皇曰「天~子亦多耳。汝所爲君、是實天~之子者、必有表物。可相示之。」

長髄彥、卽取饒速日命之天羽々矢一隻及步靫、以奉示天皇。天皇覽之曰「事不虛也。」還以所御天羽々矢一隻及步靫、賜示於長髄彥。長髄彥、見其天表、u懷踧踖、然而凶器已構、其勢不得中休、而猶守迷圖、無復改意。饒速日命、本知天~慇懃唯天孫是與、且見夫長髄彥禀性愎佷、不可教以天人之際、乃殺之、帥其衆而歸順焉。天皇、素聞鐃速日命是自天降者而今果立忠效、則褒而寵之。此物部氏之遠祖也。

己未年春二月壬辰朔辛亥、命諸將、練士卒。是時、層富縣波哆丘岬、有新城戸畔者。丘岬、此云塢介佐棄。又和珥坂下、有居勢祝者。坂下、此云瑳伽梅苔。臍見長柄丘岬、有猪祝者。此三處土蜘蛛、並恃其勇力、不肯來庭。天皇乃分遺偏師、皆誅之。又高尾張邑、有土蜘蛛、其爲人也、身短而手足長、與侏儒相類、皇軍結葛網而掩襲殺之、因改號其邑曰葛城。夫磐余之地、舊名片居片居、此云伽哆韋、亦曰片立片立、此云伽哆哆知、逮我皇師之破虜也、大軍集而滿於其地、因改號爲磐余。

或曰「天皇、往嘗嚴瓮粮、出軍西征、是時、磯城八十梟帥、於彼處屯聚居之。屯聚居、此云怡波瀰萎。果與天皇大戰、遂爲皇師所滅。故名之曰磐余邑。」又皇師立誥之處、是謂猛田。作城處、號曰城田。又賊衆戰死而僵屍、枕臂處、呼爲頰枕田。天皇、以前年秋九月、潛取天香山之埴土、以造八十平瓮、躬自齋戒祭諸~、遂得安定區宇、故號取土之處、曰埴安。

三月辛酉朔丁卯、下令曰「自我東征、於茲六年矣。頼以皇天之威、凶徒就戮。雖邊土未C餘妖尚梗、而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都、規摹大壯。而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。且當披拂山林、經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之コ、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。觀夫畝傍山畝傍山、此云宇禰縻夜摩東南橿原地者、蓋國之墺區乎、可治之。」

是月、卽命有司、經始帝宅。

庚申年秋八月癸丑朔戊辰、天皇當立正妃、改廣求華胄、時有人奏之曰「事代主~、共三嶋溝橛耳~之女玉櫛媛、所生兒、號曰媛蹈韛五十鈴媛命。是國色之秀者。」天皇ス之。九月壬午朔乙巳、納媛蹈韛五十鈴媛命、以爲正妃。

辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子~八井命・~渟名川耳尊。故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰~日本磐余彥火々出見天皇焉。」初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。

二年春二月甲辰朔乙巳、天皇定功行賞。賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之。亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其緣也。以珍彥爲倭國造。珍彥、此云于砮毗故。又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也。弟磯城、名K速、爲磯城縣主。復以劒根者、爲葛城國造。又、頭八咫烏亦入賞例、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也。

四年春二月壬戌朔甲申、詔曰「我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海內無事。可以郊祀天~、用申大孝者也。」乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原。用祭皇祖天~焉。

卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。秀眞國、此云袍圖莽句爾。」復、大己貴大~目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是ク而降之、故因目之曰「虛空見日本國矣。」

卌有二年春正月壬子朔甲寅、立皇子~渟名川耳尊、爲皇太子。

七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲。明年秋九月乙卯朔丙寅、葬畝傍山東北陵。
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html


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古事記 中の卷 神武東征


大和国造の先祖サオネツヒコ
https://nihonsinwa.com/page/404.html


原文の読み下し文

また「従ひて仕へ奉らむや」と問ひたまへば、「仕へ奉らむ」と答へ曰しき。かれここに、槁機を指し渡し、その御船に引き入れて、即ち、名を賜ひて槁根津日子と号けたまひき。こは倭国造等の祖なり。


現代語訳

その亀に乗って釣りをしていた人に
「わたしたちに従い、仕えないか?」
と尋ねると

「お仕えしましょう」
と答えました。

その人に槁機(=竿)を差し渡して、兄弟神の船へと引き入れました。
そして槁根津日子(サオネツヒコ)という名前を授けました。
この人は倭国造(ヤマトノクニノミヤツコ)などの先祖です。


日本書紀の対応箇所
太歳甲寅冬十月−1 椎の木の竿の先を渡して
https://nihonsinwa.com/page/855.html

那賀須泥毘古との戦い
https://nihonsinwa.com/page/405.html


原文の読み下し文

故、その国より上り行でましし時、浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美の那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。


現代語訳

その国から出発して東へと向かいました。
浪速の渡(ナミハヤノワタリ)を通って白肩津(シラカタノツ)に船を泊めました。
そのときに、登美(トミ)の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が兵を集めて待ち受けていて、戦争になりました。
https://nihonsinwa.com/page/405.html


盾を取り出して戦いました
https://nihonsinwa.com/page/406.html


原文の読み下し文

ここに御船に入れたる楯を取りて下り立ちたまひき。故、其地を号けて楯津といひき。今に日下の蓼津と云ふ。


現代語訳

那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が戦いを挑んできたので、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ命)と五瀬命(イツセ命)は船から「盾」を取り出して船から下りて戦いました。その土地を名付けて盾津(=タテツ)といいます。現在は日下の蓼津(タデツ)といいます。


日本書紀の対応箇所
戊午年夏四月 退却の判断
https://nihonsinwa.com/page/863.html


手痛い矢を受けるイツセ命
https://nihonsinwa.com/page/407.html


原文の読み下し文

ここに登美毘古と戦ひたまひし時に、五瀬命、御手に登美毘古が痛矢串を負ひたまひき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良からず。故、賎しき奴が痛手を負ひぬ。今より行き廻りて背に日を負ひて撃たむ」と期りて、南の方より廻り幸でましし時、血沼海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。故、血沼海といふ。


現代語訳

登美毘古(トミビコ=ナガスネヒコ)と戦ったとき、
五瀬命(イツセ命)は手に登美毘古の痛矢串(イタヤグシ=矢を受けた傷)を負いました。

傷を受けたとき、五瀬命(イツセ命)は言いました。

「わたしは日の神の皇子なのに
日に向かって戦ってしまった。
これは良くなかった。
だから、卑しい奴に痛手を負わされた。
これからは回り道をして、太陽を背にして戦おう」
と誓い、南から回って血沼海に到着して
その手の血を洗いました。

それで「血沼海(チヌノウミ)」と呼ぶようになりました。


日本書紀の対応箇所

戊午年夏四月 退却の判断
https://nihonsinwa.com/page/863.html

五月丙寅朔癸酉 五瀬命の雄叫びと死
https://nihonsinwa.com/page/903.html


紀伊国の男乃水門で死亡
https://nihonsinwa.com/page/903.html


原文の読み下し文

其地より廻り幸でまして、紀国の男之水門に到りて詔りたまはく、「賎しき奴が手を負ひてや死なむ」と男建びして崩りましき。故、その水門を号けて男の水門と謂ふ。陵は紀国の竈山にあり。


現代語訳

その地(地沼海)から更に回って、紀伊国の男乃水門(オノミナト)に着いて言いました。

「卑しい奴によって、手に傷を負って、死ねるか!」
と雄雄しく振舞いましたが、
死んでしまいました。

その水門(ミナト=港)を名づけて男乃水門(オノミナト)というようになりました。イツセ命の墓は紀伊の国の竈山(カマヤマ)にあります。


日本書紀の対応箇所

戊午年夏四月 退却の判断
https://nihonsinwa.com/page/863.html

五月丙寅朔癸酉 五瀬命の雄叫びと死
https://nihonsinwa.com/page/903.html


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古事記 中巻-1/神武天皇〜開化天皇 原文
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_08.html

~倭伊波禮毘古命自伊下五字以音與其伊呂兄五瀬命伊呂二字以音二柱、坐高千穗宮而議云「坐何地者、平聞看天下之政。猶思東行。」卽自日向發、幸行筑紫。故、到豐國宇沙之時、其土人、名宇沙都比古・宇沙都比賣此十字以音二人、作足一騰宮而、獻大御饗。自其地遷移而、於筑紫之岡田宮一年坐。

亦從其國上幸而、於阿岐國之多祁理宮七年坐。自多下三字以音。亦從其國遷上幸而、於吉備之高嶋宮八年坐。故從其國上幸之時、乘龜甲爲釣乍、打羽擧來人、遇于速吸門。爾喚歸、問之「汝者誰也。」答曰「僕者國~。」又問「汝者知海道乎。」答曰「能知。」又問「從而仕奉乎。」答曰「仕奉。」故爾指渡槁機、引入其御船、卽賜名號槁根津日子。此者倭國造等之祖。

故、從其國上行之時、經浪速之渡而、泊青雲之白肩津。此時、登美能那賀須泥毘古自登下九字以音興軍待向以戰、爾取所入御船之楯而下立、故號其地謂楯津、於今者云日下之蓼津也。於是、與登美毘古戰之時、五瀬命、於御手負登美毘古之痛矢串。故爾詔「吾者爲日~之御子、向日而戰不良。故、負賤奴之痛手。自今者行廻而、背負日以擊。」期而、自南方廻幸之時、到血沼海、洗其御手之血、故謂血沼海也。從其地廻幸、到紀國男之水門而詔「負賤奴之手乎死。」男建而崩、故號其水門謂男水門也、陵卽在紀國之竈山也。

故、~倭伊波禮毘古命、從其地廻幸、到熊野村之時、大熊髮出入卽失。爾~倭伊波禮毘古命、倐忽爲遠延、及御軍皆遠延而伏。遠延二字以音。此時、熊野之高倉下此者人名賷一横刀、到於天~御子之伏地而獻之時、天~御子卽寤起、詔「長寢乎。」故、受取其横刀之時、其熊野山之荒~、自皆爲切仆、爾其惑伏御軍、悉寤起之。

故、天~御子、問獲其横刀之所由、高倉下答曰「己夢云、天照大~・高木~二柱~之命以、召建御雷~而詔『葦原中國者、伊多玖佐夜藝帝阿理那理此十一字以音、我御子等、不平坐良志此二字以音。其葦原中國者、專汝所言向之國、故汝建御雷~可降。』爾答曰『僕雖不降、專有平其國之横刀、可降是刀。此刀名、云佐士布都~、亦名云甕布都~、亦名云布都御魂。此刀者、坐石上~宮也。降此刀狀者、穿高倉下之倉頂、自其墮入。故、阿佐米余玖自阿下五字以音汝取持、獻天~御子。』故、如夢教而、旦見己倉者、信有横刀。故、以是横刀而獻耳。」

於是亦、高木大~之命以覺白之「天~御子、自此於奧方莫使入幸。荒~甚多。今、自天遣八咫烏、故其八咫烏引道、從其立後應幸行。」故隨其教覺、從其八咫烏之後幸行者、到吉野河之河尻時、作筌有取魚人。爾天~御子、問「汝者誰也。」答曰「僕者國~、名謂贄持之子。」此者阿陀之鵜飼之祖。從其地幸行者、生尾人、自井出來、其井有光。爾問「汝誰也。」答曰「僕者國~、名謂井氷鹿。」此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人、此人押分巖而出來。爾問「汝者誰也。」答曰「僕者國~、名謂石押分之子。今聞天~御子幸行、故參向耳。」此者吉野國巢之祖。自其地蹈穿越幸宇陀、故曰宇陀之穿也。

故爾、於宇陀有兄宇迦斯自宇以下三字以音、下效此也弟宇迦斯二人。故先遣八咫烏問二人曰「今天~御子幸行。汝等仕奉乎。」於是兄宇迦斯、以鳴鏑待射返其使、故其鳴鏑所落之地、謂訶夫羅前也。將待擊云而聚軍、然不得聚軍者、欺陽仕奉而、作大殿、於其殿內作押機、待時。弟宇迦斯先參向、拜曰「僕兄・兄宇迦斯、射返天~御子之使、將爲待攻而聚軍、不得聚者、作殿其內張押機、將待取。故、參向顯白。」

爾大伴連等之祖・道臣命、久米直等之祖・大久米命、二人、召兄宇迦斯罵詈云「伊賀此二字以音所作仕奉於大殿內者、意禮此二字以音先入、明白其將爲仕奉之狀。」而、卽握横刀之手上、矛由氣此二字以音矢刺而、追入之時、乃己所作押見打而死。爾卽控出斬散、故其地謂宇陀之血原也。然而其弟宇迦斯之獻大饗者、悉賜其御軍、此時歌曰、

宇陀能 多加紀爾 志藝和那波留 和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 伊須久波斯 久治良佐夜流 古那美賀 那許波佐婆 多知曾婆能 微能那祁久袁 許紀志斐惠泥 宇波那理賀 那許婆佐婆 伊知佐加紀 微能意富祁久袁 許紀陀斐惠泥 疊疊音引志夜胡志夜 此者伊能碁布曾。此五字以音。阿阿音引志夜胡志夜 此者嘲咲者也。

故、其弟宇迦斯、此者宇陀水取等之祖也。

自其地幸行、到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。故爾、天~御子之命以、饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀、誨其膳夫等曰「聞歌之者、一時共斬。」故、明將打其土雲之歌曰、

意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯

如此歌而、拔刀一時打殺也。
然後、將擊登美毘古之時、歌曰、

美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟

又歌曰、

美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟

又歌曰、

加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟

又擊兄師木・弟師木之時、御軍暫疲、爾歌曰、

多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥

故爾、邇藝速日命參赴、白於天~御子「聞天~御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。

故、如此言向平和荒夫琉~等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。

故、坐日向時、娶阿多之小椅君妹・名阿比良比賣自阿以下五字以音生子、多藝志美美命、次岐須美美命、二柱坐也。然更求爲大后之美人時、大久米命曰「此間有媛女、是謂~御子。其所以謂~御子者、三嶋湟咋之女・名勢夜陀多良比賣、其容姿麗美。故、美和之大物主~見感而、其美人爲大便之時、化丹塗矢、自其爲大便之溝流下、突其美人之富登。此二字以音。下效此。爾其美人驚而、立走伊須須岐伎此五字以音、乃將來其矢、置於床邊、忽成麗壯夫、卽娶其美人生子、名謂富登多多良伊須須岐比賣命、亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。是者惡其富登云事、後改名者也。故、是以謂~御子也。」

於是七媛女、遊行於高佐士野佐士二字以音、伊須氣余理比賣在其中。爾大久米命、見其伊須氣余理比賣而、以歌白於天皇曰、

夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟

爾伊須氣余理比賣者、立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等而、御心知伊須氣余理比賣立於最前、以歌答曰、

加都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟

爾大久米命、以天皇之命、詔其伊須氣余理比賣之時、見其大久米命黥利目而、思奇歌曰、

阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米

爾大久米命、答歌曰、

袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流斗米

故、其孃子、白之「仕奉也。」於是其伊須氣余理比賣命之家、在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許、一宿御寢坐也。其河謂佐韋河由者、於其河邊山由理草多在。故、取其山由理草之名、號佐韋河也。山由理草之本名云佐韋也。後、其伊須氣余理比賣、參入宮內之時、天皇御歌曰、

阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯

然而阿禮坐之御子名、日子八井命、次~八井耳命、次~沼河耳命、三柱。

故、天皇崩後、其庶兄當藝志美美命、娶其嫡后伊須氣余理比賣之時、將殺其三弟而謀之間、其御祖伊須氣余理比賣患苦而、以歌令知其御子等、歌曰、

佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須

又歌曰、

宇泥備夜麻 比流波久毛登韋 由布佐禮婆 加是布加牟登曾 許能波佐夜牙流

於是其御子聞知而驚、乃爲將殺當藝志美美之時、~沼河耳命、曰其兄~八井耳命「那泥此二字以音汝命、持兵入而、殺當藝志美美。」故、持兵入以將殺之時、手足和那那岐弖此五字以音不得殺。故爾其弟~沼河耳命、乞取其兄所持之兵、入、殺當藝志美美。故亦稱其御名、謂建沼河耳命。

爾~八井命、讓弟建沼河耳命曰「吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故、吾雖兄不宜爲上、是以汝命爲上治天下、僕者扶汝命、爲忌人而仕奉也。」故、其日子八井命者、茨田連、手嶋連之祖。~八井耳命者、意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹羽臣、嶋田臣等之祖也。~沼河耳命者、治天下也。

凡此~倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。

~沼河耳命、坐葛城高岡宮、治天下也。此天皇、娶師木縣主之祖・河俣毘賣、生御子、師木津日子玉手見命。一柱天皇御年、肆拾伍歲。御陵在衝田岡也。

師木津日子玉手見命、坐片鹽浮穴宮、治天下也。此天皇、娶河俣毘賣之兄、縣主波延之女・阿久斗比賣、生御子、常根津日子伊呂泥命自伊下三字以音、次大倭日子鉏友命、次師木津日子命。此天皇之御子等、幷三柱之中、大倭日子鉏友命者、治天下也。次師木津日子命之子、二王坐、一子孫者伊賀須知之稻置、那婆理之稻置、三野之稻置之祖、一子、和知都美命者、坐淡道之御井宮、故此王有二女、兄名蠅伊呂泥・亦名意富夜麻登久邇阿禮比賣命、弟名蠅伊呂杼也。天皇御年、肆拾玖歲。御陵在畝火山之美富登也。

大倭日子鉏友命、坐輕之境岡宮、治天下也。此天皇、娶師木縣主之祖・賦登麻和訶比賣命・亦名飯日比賣命、生御子、御眞津日子訶惠志泥命自訶下四字以音、次多藝志比古命。二柱。故、御眞津日子訶惠志泥命者、治天下也。次當藝志比古命者、血沼之別、多遲麻之竹別、葦井之稻置之祖。天皇御年、肆拾伍歲、御陵在畝火山之眞名子谷上也。

御眞津日子訶惠志泥命、坐葛城掖上宮、治天下也。此天皇、娶尾張連之祖奧津余曾之妹・名余曾多本毘賣命、生御子、天押帶日子命、次大倭帶日子國押人命。二柱。故、弟帶日子國忍人命者、治天下也。兄天押帶日子命者、春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海國造之祖也。天皇御年、玖拾參歲、御陵在掖上博多山上也。

大倭帶日子國押人命、坐葛城室之秋津嶋宮、治天下也。此天皇、娶姪忍鹿比賣命、生御子、大吉備諸進命、次大倭根子日子賦斗邇命。二柱。自賦下三字以音。故、大倭根子日子賦斗邇命者、治天下也。天皇御年、壹佰貳拾參歲、御陵在玉手岡上也。

大倭根子日子賦斗邇命、坐K田廬戸宮、治天下也。此天皇、娶十市縣主之祖大目之女・名細比賣命、生御子、大倭根子日子國玖琉命。一柱。玖琉二字以音。又娶春日之千千速眞若比賣、生御子、千千速比賣命。一柱又娶意富夜麻登玖邇阿禮比賣命、生御子、夜麻登登母母曾毘賣命、次日子刺肩別命、次比古伊佐勢理毘古命・亦名大吉備津日子命、次倭飛羽矢若屋比賣。四柱。又娶其阿禮比賣命之弟・蠅伊呂杼、生御子、日子寤間命、次若日子建吉備津日子命。二柱。此天皇之御子等、幷八柱。男王五、女王三。

故、大倭根子日子國玖琉命者、治天下也。大吉備津日子命與若建吉備津日子命、二柱相副而、於針間氷河之前、居忌瓮而、針間爲道口、以言向和吉備國也。故、此大吉備津日子命者、吉備上道臣之祖也。次若日子建吉備津日子命者、吉備下道臣、笠臣祖。次日子寤間命者、針間牛鹿臣之祖也。次日子刺肩別命者、高志之利波臣、豐國之國前臣、五百原君、角鹿海直之祖也。天皇御年、壹佰陸歲。御陵在片岡馬坂上也。

大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖・內色許男命色許二字以音、下效此妹・內色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。三柱。又娶內色許男命之女・伊賀迦色許賣命、生御子、比古布都押之信命。自比至都以音。又娶河內青玉之女・名波邇夜須毘賣、生御子、建波邇夜須毘古命。一柱。此天皇之御子等、幷五柱。故、若倭根子日子大毘毘命者、治天下也。其兄大毘古命之子、建沼河別命者、阿倍臣等之祖。次比古伊那許士別命、自比至士六字以音。此者膳臣之祖也。

比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣那毘二字以音、生子、味師內宿禰。此者山代內臣之祖也。又娶木國造之祖宇豆比古之妹・山下影日賣、生子、建內宿禰。

此建內宿禰之子、幷九。男七、女二。波多八代宿禰者、波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君之祖也。次許勢小柄宿禰者、許勢臣、雀部臣、輕部臣之祖也。次蘇賀石河宿禰者、蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也。次平群都久宿禰者、平群臣、佐和良臣、馬御樴連等祖也。次木角宿禰者、木臣、都奴臣、坂本臣之祖。次久米能摩伊刀比賣、次怒能伊呂比賣、次葛城長江曾都毘古者、玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也。又若子宿禰、江野財臣之祖。

此天皇御年、伍拾漆歲。御陵在劒池之中岡上也。

若倭根子日子大毘毘命、坐春日之伊邪河宮、治天下也。此天皇、娶旦波之大縣主・名由碁理之女・竹野比賣、生御子、比古由牟須美命。一柱。此王名以音。又娶庶母・伊迦賀色許賣命、生御子、御眞木入日子印惠命印惠二字以音、次御眞津比賣命。二柱。又娶丸邇臣之祖日子國意祁都命之妹・意祁都比賣命意祁都三字以音、生御子、日子坐王。一柱。又娶葛城之垂見宿禰之女・鸇比賣、生御子、建豐波豆羅和氣。一柱。自波下五字以音。此天皇之御子等、幷五柱。男王四、女王一。故、御眞木入日子印惠命者、治天下也。

其兄・比古由牟須美王之子、大筒木垂根王、次讚岐垂根王。二王。讚岐二字以音。此二王之女、五柱坐也。

次日子坐王、娶山代之荏名津比賣・亦名苅幡戸辨此一字以音生子、大俣王、次小俣王、次志夫美宿禰王。三柱。又娶春日建國勝戸賣之女・名沙本之大闇見戸賣、生子、沙本毘古王、次袁邪本王、次沙本毘賣命・亦名佐波遲比賣此沙本毘賣命者、爲伊久米天皇之后。自沙本毘古以下三王名皆以音、次室毘古王。四柱。又娶近淡海之御上祝以伊都玖此三字以音天之御影~之女・息長水依比賣、生子、丹波比古多多須美知能宇斯王此王名以音、次水之穗眞若王、次~大根王・亦名八瓜入日子王、次水穗五百依比賣、次御井津比賣。五柱又娶其母弟・袁祁都比賣命、生子、山代之大筒木眞若王、次比古意須王、次伊理泥王。三柱。此二王名以音。凡日子坐王之子、幷十一王。

故、兄大俣王之子、曙立王、次菟上王。二柱。此曙立王者、伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖。菟上王者、比賣陀君之祖。次小俣王者、當麻勾君之祖。次志夫美宿禰王者、佐佐君之祖也。次沙本毘古王者、日下部連、甲斐國造之祖。次袁邪本王者、葛野之別、近淡海蚊野之別祖也。次室毘古王者、若狹之耳別之祖。

其美知能宇志王、娶丹波之河上之摩須郎女、生子、比婆須比賣命、次眞砥野比賣命、次弟比賣命、次朝廷別王。四柱。此朝廷別王者、三川之穗別之祖。此美知能宇斯王之弟、水穗眞若王者、近淡海之安直之祖。次~大根王者、三野國之本巢國造、長幡部連之祖。

次山代之大筒木眞若王、娶同母弟伊理泥王之女・丹波能阿治佐波毘賣、生子、迦邇米雷王。迦邇米三字以音。此王、娶丹波之遠津臣之女・名高材比賣、生子、息長宿禰王。此王、娶葛城之高額比賣、生子、息長帶比賣命、次虛空津比賣命、次息長日子王。三柱。此王者、吉備品遲君、針間阿宗君之祖。又息長宿禰王、娶河俣稻依毘賣、生子、大多牟坂王。多牟二字以音。此者多遲摩國造之祖也。

上所謂建豐波豆羅和氣王者、道守臣、忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波之竹野別、依網之阿毘古等之祖也。

天皇御年、陸拾參歲。御陵在伊邪河之坂上也。
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_08.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c23

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
24. 中川隆[-9260] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:02:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3289]

チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html


▲△▽▼


【我那覇真子「おおきなわ」#74】
長浜浩明〜韓国人とは遠縁だった!遺伝子から探る日本人のルーツ[桜R1-6-21] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7CPxmCGtjR0

【我那覇真子「おおきなわ」#75】
長浜浩明〜遺伝子が証明!沖縄の先祖たちは、日本本土から移住した縄文人だった[桜R1-6-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BezxJ6uRi1g

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c24

[国際26] ロシアと中国を中心とする「新秩序」ができはじめている。(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
7. 中川隆[-9259] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:04:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3290]
【討論】世界を支配する者たち[桜R1-6-29] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I6KuNUJug6o

◆世界を支配する者たち

パネリスト:
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 林千勝(戦史研究家)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 山岡鉄秀(公益財団法人モラロジー研究所研究員・Australia-Japan Community Network Inc.代表)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/715.html#c7

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
8. 中川隆[-9261] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:39:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3288]

という事で

長浜浩明は基礎学力ゼロの完全なアホだった

という結論で間違い無いです。

しかし、右翼は何故こんな詐欺師の言う事をすぐに信じるのかな?


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c8

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
25. 中川隆[-9260] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:40:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3289]

という事で

長浜浩明は基礎学力ゼロの完全なアホだった

という結論で間違い無いです。

しかし、右翼は何故こんな詐欺師の言う事をすぐに信じるのかな?

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c25

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
218. 中川隆[-9259] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:42:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3290]

という事で

長浜浩明は基礎学力ゼロの完全なアホだった

という結論で間違い無いです。

しかし、右翼は何故こんな詐欺師の言う事をすぐに信じるのかな?


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c218

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
219. 中川隆[-9258] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:50:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3291]

右翼がその論拠にしている自称専門家については


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c219

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
26. 中川隆[-9257] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:51:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3292]

右翼がその論拠にしている自称専門家については


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c26

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
9. 中川隆[-9256] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:52:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3293]

右翼がその論拠にしている自称専門家については


西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c9

[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
6. 中川隆[-9255] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:57:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3294]

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c6
[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
220. 中川隆[-9254] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:57:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3295]

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c220

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
27. 中川隆[-9253] koaQ7Jey 2019年6月30日 06:57:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3296]

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c27

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 中川隆
12. 中川隆[-9252] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:18:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3297]

右翼がその論拠にしている自称専門家まとめ


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
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自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
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[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
9. 中川隆[-9251] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:19:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3298]

右翼がその論拠にしている自称専門家まとめ


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
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[近代史3] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
15. 中川隆[-9250] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:20:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3299]

右翼がその論拠にしている自称専門家まとめ


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
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日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html


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[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
5. 中川隆[-9249] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:20:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3300]

右翼がその論拠にしている自称専門家まとめ


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c5

[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
7. 中川隆[-9248] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:22:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3301]

右翼がその論拠にしている自称専門家まとめ


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

日本の右翼のバイブル _ ニセユダヤ人 モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c7

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
7. 中川隆[-9247] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:35:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3302]

Zoroastrians Celebrate Fire Festival in Iran - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=pB78CnYJfIY


The Doors - Break On Through (To The Other Side) - YouTubeどうが
https://www.youtube.com/watch?v=YCohm_CilUY



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人間はなぜ火を拝むのか。そして、儀式の最終的な目的とは何だったのか?
https://blackasia.net/?p=13449

現代のアフガニスタン・パキスタン・インドを含む広大な地域には「インダス文明」という巨大な文明が栄えており、広大な範囲から膨大な遺跡が発掘されている。そのうちのひとつは「モヘンジョダロ」と呼ばれる有名な遺跡でもある。

広大な遺跡であり、大きな文明があったのは間違いないのだが、なぜか急激に文明が消え去って、今もその謎は分かっていない。

このインダス文明があったところは現在は砂漠地帯となっているのだが、古代人は別に砂漠が好きだったわけではない。古代人が住んでいた頃、この地区は緑が生い茂る場所だったと言われている。

しかし、文明は森林を駆逐する。人間は森林を伐採し、建物を作ったり、道具を作ったり、火を燃やしたりする。さらに森林を破壊して道を作り、建物を作る。そのため、文明が栄えれば栄えるほど、森林は消えて砂漠化していく。

また、地球の環境も気候も変わるわけで、気候変動が森林を絶滅させたという説もある。いずれにしても、インダス文明が崩壊したのは、まわりが完全に砂漠化して陸の孤島と化したからだと言われている。

ところで、このインダス文明の時代、ある植物が栽培されていたことが分かっている。「火」を奉る宮殿に、この植物が大量に見つかっている。それは何だったのか。(鈴木傾城)

何が人間を陶酔させるのか?

インダス文明を覆っていた植物文化。それは「ケシ」だった。現在でもアフガニスタンでは広大なケシ畑が広がっているが、このケシの用途はただひとつ。

ケシ坊主(ケシの実)から取れるアルカロイド樹脂の採取である。ケシ坊主を傷つけると、樹脂が垂れてそれが固まる。これを採取して白湯で上澄みを取り、この上澄みを濾して灰を混ぜてさらに煮詰めていく。

そうすると、アヘンと呼ばれる物質になる。このアヘンを熱して煙を吸うと、陶酔感が得られるのである。

アヘンは鎮痛作用があるので、覚醒剤のように意識がバリバリと覚醒するようなものではない。眠気と陶酔に引きずり込まれて動作が緩慢になり、身体が落ち込むような、立ってられない陶酔がくる。幻覚を見ることもある。

だから、アヘンは宗教儀式とは非常に相性が良い。集団で神を思いながら、陶酔に浸るのである。インダス文明からは宮殿からケシが見つかっているのだから、火を拝みながら陶酔に耽っていたのだろう。

さらにインダス文明からは、人類を陶酔させるもうひとつのドラッグである大麻(マリファナ)もまた見つかっている。

人類はこの時代から何が陶酔をもたらすのかを「知っていた」ということになる。

さらに言えば、メソポタミア文明も、エジプト文明も、ケシや大麻を常用していた。文明があったところは、ケシや大麻の産地だったのである。

そもそも人類は紀元前1万年もの昔から人類の意識を変容させる植物があると知っていた。紀元前8世紀末の吟遊詩人であったホメロスも「ケシ」を薬として紹介している。


人間が火を拝むのはなぜなのか?

ケシや大麻を陶酔するための薬として使っていた産地に歴史に名が残るような文明があった。

現在も生き残っているヒンドゥー教やゾロアスター教等の古代宗教は、こうした文明の中から生まれて来ているのだが、その文明を生み出す根源にケシや大麻の陶酔と幻覚があったと考える学者も多い。

ゾロアスター教は「拝火教」とも言われるのだが、火は人類にとってその存在自体が文明である。

ところで、人間が「火」を拝むのは、夜を明るくするためだけではない。熱を得るためだけでもない。

これが宗教や儀式に結びつくと、別のものに結びつく。それは意識を変容させるための「動力」だ。火を起こし、アヘンや大麻を燃やすことによって、人間は意識を変容させてきた。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

儀式とはある意味、集団陶酔(トランス)に入ることだ。トランスは、建物の中でケシや大麻を燃やして全員が同時に煙を吸うことによって容易に得ることができる。

だから「火」が神聖視されたのである。それは陶酔の入口であり、解放の入口であり、快楽の入口であった。

陶酔し、意識が変容すると、人は様々な発想をそこで得ることができる。日常の生活の枠にとらわれない発想が生まれる。そして、突飛なものでさえも信じることができるようになる。

たとえば、「神」という概念も信じることが可能になる。

人間は「神」という概念を発見し、そしてそれを「全員で信じる」という暗黙の約束をして、あたかも神が存在するかのように振る舞うことになった。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

それは「本物の別次元」に連れて行ってくれるもの

意識を変容させるという行為は、それを体験したことがある人間にとっては特別な時間になる。興味深い現象が自分の身に起きるのを発見して、とても驚く。

私もまた初めて東南アジアでマリファナを吸ったとき、あるいはマジック・マッシュルームを食べた時、自分の身体が陶酔感や幻覚に痺れるのにひどく驚いたものだった。

まるで自分の身体や心が何かに乗っ取られてしまったような、そんな得体の知れない当惑もあった。「神がお前の身体に降り立った」と言われれば信じてしまいそうなほど、自分の意識とは関係なく陶酔や幻覚が来るのである。

古代の宗教儀式でドラッグが使われていたというのは、なるほどそういうことなのかと私は後になって深く納得したのだが、この感覚は実際にマリファナやマジック・マッシュルームを試した人にしか分からないものだろう。

それと同時に、なぜ意識変容が「文明を生み出す」のかも分かってくる。

陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。

だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。


「昼が夜を破壊し、夜が昼を切り裂く」

ドアーズのボーカリストだったジム・モリソンが言う、その「鮮烈な感覚」を容易に得ることができる。

1960年代から1970年代にかけて、LSDやマリファナが欧米で爆発的に流行って新しいジャンルの音楽が次々と生まれていく時代があった。ドラッグは人々を陶酔させ、幻覚を与え、新しい「何か」を生み出す原動力となった。

音楽だけではない。現代のITの歴史にとって最も重要な企業であるアップル社は最強のコンピュータ体験をその製品を通してユーザーに届けているが、その設立者スティーブ・ジョブズもまたLSDによってそれを生み出した。

ジョブズは「LSDの摂取は、人生で行ったことの中で最も重要な2、3の出来事のうちのひとつだ。サイケデリックの経験がない人には、まったく理解できないだろういくつかの事柄がある」と言っていた。

文明も、宗教も、哲学も、技術も、「本物の別次元」を体験した人が生むものは「本物の別次元」の発想であると言える。もちろん、興味のない人は無理して別次元に行く必要はない。戻って来れない人もいるのだから……。(written by 鈴木傾城)


ドアーズ『ブレーク・オン・スルー』。陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。
https://blackasia.net/?p=13449
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c7

[近代史02] 西洋の達人が悟れない理由 中川隆
7. 中川隆[-9246] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:35:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3303]

Zoroastrians Celebrate Fire Festival in Iran - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=pB78CnYJfIY


The Doors - Break On Through (To The Other Side) - YouTubeどうが
https://www.youtube.com/watch?v=YCohm_CilUY



▲△▽▼


人間はなぜ火を拝むのか。そして、儀式の最終的な目的とは何だったのか?
https://blackasia.net/?p=13449

現代のアフガニスタン・パキスタン・インドを含む広大な地域には「インダス文明」という巨大な文明が栄えており、広大な範囲から膨大な遺跡が発掘されている。そのうちのひとつは「モヘンジョダロ」と呼ばれる有名な遺跡でもある。

広大な遺跡であり、大きな文明があったのは間違いないのだが、なぜか急激に文明が消え去って、今もその謎は分かっていない。

このインダス文明があったところは現在は砂漠地帯となっているのだが、古代人は別に砂漠が好きだったわけではない。古代人が住んでいた頃、この地区は緑が生い茂る場所だったと言われている。

しかし、文明は森林を駆逐する。人間は森林を伐採し、建物を作ったり、道具を作ったり、火を燃やしたりする。さらに森林を破壊して道を作り、建物を作る。そのため、文明が栄えれば栄えるほど、森林は消えて砂漠化していく。

また、地球の環境も気候も変わるわけで、気候変動が森林を絶滅させたという説もある。いずれにしても、インダス文明が崩壊したのは、まわりが完全に砂漠化して陸の孤島と化したからだと言われている。

ところで、このインダス文明の時代、ある植物が栽培されていたことが分かっている。「火」を奉る宮殿に、この植物が大量に見つかっている。それは何だったのか。(鈴木傾城)

何が人間を陶酔させるのか?

インダス文明を覆っていた植物文化。それは「ケシ」だった。現在でもアフガニスタンでは広大なケシ畑が広がっているが、このケシの用途はただひとつ。

ケシ坊主(ケシの実)から取れるアルカロイド樹脂の採取である。ケシ坊主を傷つけると、樹脂が垂れてそれが固まる。これを採取して白湯で上澄みを取り、この上澄みを濾して灰を混ぜてさらに煮詰めていく。

そうすると、アヘンと呼ばれる物質になる。このアヘンを熱して煙を吸うと、陶酔感が得られるのである。

アヘンは鎮痛作用があるので、覚醒剤のように意識がバリバリと覚醒するようなものではない。眠気と陶酔に引きずり込まれて動作が緩慢になり、身体が落ち込むような、立ってられない陶酔がくる。幻覚を見ることもある。

だから、アヘンは宗教儀式とは非常に相性が良い。集団で神を思いながら、陶酔に浸るのである。インダス文明からは宮殿からケシが見つかっているのだから、火を拝みながら陶酔に耽っていたのだろう。

さらにインダス文明からは、人類を陶酔させるもうひとつのドラッグである大麻(マリファナ)もまた見つかっている。

人類はこの時代から何が陶酔をもたらすのかを「知っていた」ということになる。

さらに言えば、メソポタミア文明も、エジプト文明も、ケシや大麻を常用していた。文明があったところは、ケシや大麻の産地だったのである。

そもそも人類は紀元前1万年もの昔から人類の意識を変容させる植物があると知っていた。紀元前8世紀末の吟遊詩人であったホメロスも「ケシ」を薬として紹介している。


人間が火を拝むのはなぜなのか?

ケシや大麻を陶酔するための薬として使っていた産地に歴史に名が残るような文明があった。

現在も生き残っているヒンドゥー教やゾロアスター教等の古代宗教は、こうした文明の中から生まれて来ているのだが、その文明を生み出す根源にケシや大麻の陶酔と幻覚があったと考える学者も多い。

ゾロアスター教は「拝火教」とも言われるのだが、火は人類にとってその存在自体が文明である。

ところで、人間が「火」を拝むのは、夜を明るくするためだけではない。熱を得るためだけでもない。

これが宗教や儀式に結びつくと、別のものに結びつく。それは意識を変容させるための「動力」だ。火を起こし、アヘンや大麻を燃やすことによって、人間は意識を変容させてきた。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

儀式とはある意味、集団陶酔(トランス)に入ることだ。トランスは、建物の中でケシや大麻を燃やして全員が同時に煙を吸うことによって容易に得ることができる。

だから「火」が神聖視されたのである。それは陶酔の入口であり、解放の入口であり、快楽の入口であった。

陶酔し、意識が変容すると、人は様々な発想をそこで得ることができる。日常の生活の枠にとらわれない発想が生まれる。そして、突飛なものでさえも信じることができるようになる。

たとえば、「神」という概念も信じることが可能になる。

人間は「神」という概念を発見し、そしてそれを「全員で信じる」という暗黙の約束をして、あたかも神が存在するかのように振る舞うことになった。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

それは「本物の別次元」に連れて行ってくれるもの

意識を変容させるという行為は、それを体験したことがある人間にとっては特別な時間になる。興味深い現象が自分の身に起きるのを発見して、とても驚く。

私もまた初めて東南アジアでマリファナを吸ったとき、あるいはマジック・マッシュルームを食べた時、自分の身体が陶酔感や幻覚に痺れるのにひどく驚いたものだった。

まるで自分の身体や心が何かに乗っ取られてしまったような、そんな得体の知れない当惑もあった。「神がお前の身体に降り立った」と言われれば信じてしまいそうなほど、自分の意識とは関係なく陶酔や幻覚が来るのである。

古代の宗教儀式でドラッグが使われていたというのは、なるほどそういうことなのかと私は後になって深く納得したのだが、この感覚は実際にマリファナやマジック・マッシュルームを試した人にしか分からないものだろう。

それと同時に、なぜ意識変容が「文明を生み出す」のかも分かってくる。

陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。

だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。


「昼が夜を破壊し、夜が昼を切り裂く」

ドアーズのボーカリストだったジム・モリソンが言う、その「鮮烈な感覚」を容易に得ることができる。

1960年代から1970年代にかけて、LSDやマリファナが欧米で爆発的に流行って新しいジャンルの音楽が次々と生まれていく時代があった。ドラッグは人々を陶酔させ、幻覚を与え、新しい「何か」を生み出す原動力となった。

音楽だけではない。現代のITの歴史にとって最も重要な企業であるアップル社は最強のコンピュータ体験をその製品を通してユーザーに届けているが、その設立者スティーブ・ジョブズもまたLSDによってそれを生み出した。

ジョブズは「LSDの摂取は、人生で行ったことの中で最も重要な2、3の出来事のうちのひとつだ。サイケデリックの経験がない人には、まったく理解できないだろういくつかの事柄がある」と言っていた。

文明も、宗教も、哲学も、技術も、「本物の別次元」を体験した人が生むものは「本物の別次元」の発想であると言える。もちろん、興味のない人は無理して別次元に行く必要はない。戻って来れない人もいるのだから……。(written by 鈴木傾城)


ドアーズ『ブレーク・オン・スルー』。陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。
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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html#c7

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
86. 中川隆[-9245] koaQ7Jey 2019年6月30日 07:36:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3304]

Zoroastrians Celebrate Fire Festival in Iran - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=pB78CnYJfIY


The Doors - Break On Through (To The Other Side) - YouTubeどうが
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▲△▽▼


人間はなぜ火を拝むのか。そして、儀式の最終的な目的とは何だったのか?
https://blackasia.net/?p=13449

現代のアフガニスタン・パキスタン・インドを含む広大な地域には「インダス文明」という巨大な文明が栄えており、広大な範囲から膨大な遺跡が発掘されている。そのうちのひとつは「モヘンジョダロ」と呼ばれる有名な遺跡でもある。

広大な遺跡であり、大きな文明があったのは間違いないのだが、なぜか急激に文明が消え去って、今もその謎は分かっていない。

このインダス文明があったところは現在は砂漠地帯となっているのだが、古代人は別に砂漠が好きだったわけではない。古代人が住んでいた頃、この地区は緑が生い茂る場所だったと言われている。

しかし、文明は森林を駆逐する。人間は森林を伐採し、建物を作ったり、道具を作ったり、火を燃やしたりする。さらに森林を破壊して道を作り、建物を作る。そのため、文明が栄えれば栄えるほど、森林は消えて砂漠化していく。

また、地球の環境も気候も変わるわけで、気候変動が森林を絶滅させたという説もある。いずれにしても、インダス文明が崩壊したのは、まわりが完全に砂漠化して陸の孤島と化したからだと言われている。

ところで、このインダス文明の時代、ある植物が栽培されていたことが分かっている。「火」を奉る宮殿に、この植物が大量に見つかっている。それは何だったのか。(鈴木傾城)

何が人間を陶酔させるのか?

インダス文明を覆っていた植物文化。それは「ケシ」だった。現在でもアフガニスタンでは広大なケシ畑が広がっているが、このケシの用途はただひとつ。

ケシ坊主(ケシの実)から取れるアルカロイド樹脂の採取である。ケシ坊主を傷つけると、樹脂が垂れてそれが固まる。これを採取して白湯で上澄みを取り、この上澄みを濾して灰を混ぜてさらに煮詰めていく。

そうすると、アヘンと呼ばれる物質になる。このアヘンを熱して煙を吸うと、陶酔感が得られるのである。

アヘンは鎮痛作用があるので、覚醒剤のように意識がバリバリと覚醒するようなものではない。眠気と陶酔に引きずり込まれて動作が緩慢になり、身体が落ち込むような、立ってられない陶酔がくる。幻覚を見ることもある。

だから、アヘンは宗教儀式とは非常に相性が良い。集団で神を思いながら、陶酔に浸るのである。インダス文明からは宮殿からケシが見つかっているのだから、火を拝みながら陶酔に耽っていたのだろう。

さらにインダス文明からは、人類を陶酔させるもうひとつのドラッグである大麻(マリファナ)もまた見つかっている。

人類はこの時代から何が陶酔をもたらすのかを「知っていた」ということになる。

さらに言えば、メソポタミア文明も、エジプト文明も、ケシや大麻を常用していた。文明があったところは、ケシや大麻の産地だったのである。

そもそも人類は紀元前1万年もの昔から人類の意識を変容させる植物があると知っていた。紀元前8世紀末の吟遊詩人であったホメロスも「ケシ」を薬として紹介している。


人間が火を拝むのはなぜなのか?

ケシや大麻を陶酔するための薬として使っていた産地に歴史に名が残るような文明があった。

現在も生き残っているヒンドゥー教やゾロアスター教等の古代宗教は、こうした文明の中から生まれて来ているのだが、その文明を生み出す根源にケシや大麻の陶酔と幻覚があったと考える学者も多い。

ゾロアスター教は「拝火教」とも言われるのだが、火は人類にとってその存在自体が文明である。

ところで、人間が「火」を拝むのは、夜を明るくするためだけではない。熱を得るためだけでもない。

これが宗教や儀式に結びつくと、別のものに結びつく。それは意識を変容させるための「動力」だ。火を起こし、アヘンや大麻を燃やすことによって、人間は意識を変容させてきた。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

儀式とはある意味、集団陶酔(トランス)に入ることだ。トランスは、建物の中でケシや大麻を燃やして全員が同時に煙を吸うことによって容易に得ることができる。

だから「火」が神聖視されたのである。それは陶酔の入口であり、解放の入口であり、快楽の入口であった。

陶酔し、意識が変容すると、人は様々な発想をそこで得ることができる。日常の生活の枠にとらわれない発想が生まれる。そして、突飛なものでさえも信じることができるようになる。

たとえば、「神」という概念も信じることが可能になる。

人間は「神」という概念を発見し、そしてそれを「全員で信じる」という暗黙の約束をして、あたかも神が存在するかのように振る舞うことになった。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

それは「本物の別次元」に連れて行ってくれるもの

意識を変容させるという行為は、それを体験したことがある人間にとっては特別な時間になる。興味深い現象が自分の身に起きるのを発見して、とても驚く。

私もまた初めて東南アジアでマリファナを吸ったとき、あるいはマジック・マッシュルームを食べた時、自分の身体が陶酔感や幻覚に痺れるのにひどく驚いたものだった。

まるで自分の身体や心が何かに乗っ取られてしまったような、そんな得体の知れない当惑もあった。「神がお前の身体に降り立った」と言われれば信じてしまいそうなほど、自分の意識とは関係なく陶酔や幻覚が来るのである。

古代の宗教儀式でドラッグが使われていたというのは、なるほどそういうことなのかと私は後になって深く納得したのだが、この感覚は実際にマリファナやマジック・マッシュルームを試した人にしか分からないものだろう。

それと同時に、なぜ意識変容が「文明を生み出す」のかも分かってくる。

陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。

だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。


「昼が夜を破壊し、夜が昼を切り裂く」

ドアーズのボーカリストだったジム・モリソンが言う、その「鮮烈な感覚」を容易に得ることができる。

1960年代から1970年代にかけて、LSDやマリファナが欧米で爆発的に流行って新しいジャンルの音楽が次々と生まれていく時代があった。ドラッグは人々を陶酔させ、幻覚を与え、新しい「何か」を生み出す原動力となった。

音楽だけではない。現代のITの歴史にとって最も重要な企業であるアップル社は最強のコンピュータ体験をその製品を通してユーザーに届けているが、その設立者スティーブ・ジョブズもまたLSDによってそれを生み出した。

ジョブズは「LSDの摂取は、人生で行ったことの中で最も重要な2、3の出来事のうちのひとつだ。サイケデリックの経験がない人には、まったく理解できないだろういくつかの事柄がある」と言っていた。

文明も、宗教も、哲学も、技術も、「本物の別次元」を体験した人が生むものは「本物の別次元」の発想であると言える。もちろん、興味のない人は無理して別次元に行く必要はない。戻って来れない人もいるのだから……。(written by 鈴木傾城)


ドアーズ『ブレーク・オン・スルー』。陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。
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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c86

[国際26] 朝鮮を恫喝で屈服させることに失敗した米大統領が韓国で巻き返しを図る(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9244] koaQ7Jey 2019年6月30日 10:07:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3305]
櫻井ジャーナルに騙されるな


>日本では今でも世界情勢をアメリカ中心に語ろうとする人が多いようだが、そうした時代はすでに過去のものだ。


そもそも櫻井ジャーナルみたいに、アメリカ対イラン とか アメリカ対北朝鮮 みたいに国民国家の関係として判断するのが間違いなんだ:


【討論】世界を支配する者たち[桜R1-6-29] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I6KuNUJug6o


◆世界を支配する者たち

パネリスト:
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 林千勝(戦史研究家)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 山岡鉄秀(公益財団法人モラロジー研究所研究員・Australia-Japan Community Network Inc.代表)
司会:水島総

____


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった


ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし

アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人

ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし

ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた


アメリカが本気になれば1年でソ連を潰せたけど、それでは軍需産業が儲からなくなるから、意図的にソ連を超大国に見せ掛けた。


ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


伊藤貫 「アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1a7z5Xvo1aQ

馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc

林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ



http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/721.html#c1

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
182. 中川隆[-9246] koaQ7Jey 2019年6月30日 10:17:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3304]

【沖縄戦】島民の命の恩人を一家皆殺しにした日本軍【住民虐殺】 2019-06-30
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/30/093025


■ 最後まで降伏しなかった軍司令官がもたらした悲劇

前回記事で、沖縄の慰霊の日である23日、自衛官約30名が第32軍司令官牛島満中将らを祀った「黎明の塔」に「自主参拝」した問題を取り上げた。

しかし、この牛島司令官は、決して沖縄戦を最後まで戦った「悲劇の司令官」などと評して良い人物ではない。

第一に、米軍が首里城の守備軍司令部の目前まで迫って来たとき、牛島はここで最後の決戦を挑むのではなく、南部に撤退してなおも抗戦を続ける道を選んだ。これは、「軍は残存兵力をもって(略)の線以南喜屋武きやん半島地区を占領し、努めて多くの敵兵力を牽制抑留するとともに、出血を強要し、もって国軍全般作戦に最後の寄与をする」という、沖縄を捨て石として本土決戦準備の時間を稼ぐ作戦だった[1]。この結果、本来なら戦場とはならないはずだった本島南部が軍民混在の地獄の戦場と化し、住民に膨大な犠牲者を生んだ。

第二に、守備軍が本島南端の摩文仁の丘にまで追い詰められ、軍司令部自体が陥落寸前となっても牛島は降伏を拒否し、「(略)爾今じこん各部隊は各局地における生存者中の上級者之これを指揮し最後迄まで敢闘し悠久の大義に生くべし」という最後の軍命令を発して自決した[2]。

本来、軍司令官には、組織的戦闘の手段が尽きれば降伏して生き残った将兵と住民の命を守る責任があるのだが、牛島はこの責任を果たさず、全員死ぬまで戦えと命じたのだ。この結果、敗残兵の集団に等しい日本軍残存部隊が各地で住民に危害を加えるという悲劇が生じた。

■ 久米島住民の命の恩人を日本軍が虐殺

そうした悲劇の典型例を、那覇から西へおよそ90Kmの離島、久米島に見ることができる。

琉球新報(6/22):


ryukyushimpo.jp


 【東京】沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。(略)本紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日本兵だった」と振り返る。

(略)

 渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。

仲村渠なかんだかりさんは久米島出身の現地招集兵で、南部戦線で捕虜となっていた。米軍が久米島上陸作戦にあたって住民に投降を呼びかける協力者を募ったとき、20名ほどいた島出身捕虜がみな日本兵にスパイとして殺されるのを恐れて尻込みする中、仲村渠さん一人だけが応じたという。以下、大城将保『沖縄の真実と歪曲』から適宜引用・要約する。[3]


 (略)協力者がいなければ米軍は巡洋艦三隻で艦砲射撃をしてから上陸する計画だと聞いて、仲村渠明勇という具志川村西銘にしめの捕虜が名乗り出た。

 (略)彼は、米軍に協力することがどんなに危険なことか知らないわけではなかったが、生まれ島が猛烈な艦砲射撃の標的にされることを座視することはできなかった。「島にはわずかばかりの海軍部隊しかいない、あとは一万余の住民だけだ、自分が同行して道案内するから艦砲射撃をやめてもらいたい」と懇願した。米軍将校は「あなたが案内して上陸させるなら艦砲射撃は中止してもよい」と約束した。
 六月二六日、米軍は銭田海岸に無血上陸した。生まれ島に上陸した仲村渠さんは、住民の避難壕をまわって、米軍は抵抗しない民間人は殺さないから安心して下山するように説得した。

仲村渠さんが米軍に協力しなければ久米島は艦砲射撃により粉砕されていたわけで、彼は、渡嘉敷少年のような個別の例だけでなく、久米島住民全員の命の恩人と言える。(実際、久米島の隣にある小島の粟国あぐに島では、米軍上陸前の砲爆撃で住民56名が死亡している。)

しかし、久米島に駐屯していた海軍見張隊(指揮官:鹿山正兵曹長)は、この仲村渠さんを妻子もろとも虐殺してしまった。


 仲村渠さんは久米島上陸以来、昼間は米軍に協力して避難民の救出活動を続ける一方、夜は米軍の許可のもとで人里離れたスイカ畑の番小屋に、妻と男の子といっしょに隠れるようにして住んでいた。(略)自分もスパイ容疑で狙われているらしいことは知っていたので、外歩きのときは蓑笠で顔をかくして見張隊の目につかないように用心はしていたが、八月一五日、日本の無条件降伏の情報が伝わってきてからは緊張がゆるんだのか、同月一八日の夜間、近くの浜で夜釣りをして隠れ家に帰ってきたところを友軍兵に取り囲まれてしまった。兵隊たちは仲村渠さんの左脇腹を銃剣で刺して殺し、近くのアダン林に逃げ込もうとした妻と幼児の後を追って刺殺、三人の死体を屋内に引きずりこんでから小屋を焼き払った。

海軍見張隊はわずか35名。武器は軽機関銃と小銃程度で、敵である米軍には何もできない一方、丸腰の住民に対しては生殺与奪の権を握っていた。この鹿山隊に虐殺された住民は、仲村渠さん一家だけではない。

安里正次郎さん(久米島郵便局電話保守係):米軍に捕まって鹿山隊への降伏勧告状を届けるように命ぜられ、これを見張隊陣地に届けたところ、鹿山隊長に射殺された。


 (略)鹿山隊長は「敵の手先になってこんなものを持ってくるからには覚悟はできているだろうな」と怒鳴って、その場で自分からピストルで安里さんを撃ち、一発では即死しないので部下に命じて両側から銃剣でとどめを刺した。
 安里さんには島出身の内縁の妻がいたが、夫がスパイ容疑で射殺されたと知らされて恐怖のあまり家をとびだして山田川に身を投げて自殺した。彼女の母親もショックを起こして寝込んでしまい、間もなく亡くなった。二人とも鹿山隊長が殺したようなものだと近親者は嘆いた。

北原区民9人の集団虐殺:米軍に捕まったのち島に帰された区民2人と、この2人を鹿山隊に引き渡さなかった関係者7名を虐殺。


 (略)二人が帰島したのは米軍上陸の混乱のさなかであり、二人を部隊陣地まで連れて行くのは不可能な状況であった。だが鹿山隊長は、拉致されて帰島した二人は敵側スパイと断定し、二人を部隊に引致せずに放置した北原区警防班長ほかの関係者を、軍命に違反した者として処刑すべく部下の軍曹に命じた。六月二九日夜半、軍曹は一〇名ほどの部下を率いて北原区に降りていき、拉致被害者二人と区長、警防団班長、被害者の近親者など九人を一軒の民家に集め、針金で手足をしばり目隠ししておいて、一人ずつ銃剣で刺し殺したあげく、民家に火をつけて引き揚げていった。この光景を目撃した一区民は沖教組の調査チームに次のように証言している。
 「私たちは、敵の米軍より、味方であるべき日本軍が怖く、焼死体を埋葬することもできず、一カ月近くもそのまま放置していました。海岸の米軍と、山の日本軍にはさまれ、鍾乳洞の奥深くに隠れていましたが、洞窟の中で餓死する者もあり、病死する者もいた。全く悪夢のようなホラ穴生活でした。思い出すだけで身の毛が立つような思いです」

朝鮮人行商人一家を衆人環視の中で虐殺。


 最後に、谷川昇(注:通名)という朝鮮釜山プサン出身の行商人の一家八人が衆人環視の中で虐殺された。
 谷川さん一家がなぜ虐殺されたのか理由は明らかでない。行商で各民家や避難所を訪ね歩くのでスパイの濡れ衣を着せられたのか、あるいは朝鮮人というだけで日本への忠誠心を疑われたのか、あるいはただ島人たちへの見せしめのために最も弱い立場の一家を血祭りにあげたのか。ともかく、正当な理由もなく、罪もない女性や子どもたちまでが斬殺、刺殺という残酷な手段で集団的に殺されたということが、「虐殺」といわれるゆえんである。
 当時の警防団員で現場を目撃した人が次のように証言している。
 「八月二〇日、こうこうと明るい月夜の晩でした。村民に変装した日本兵一〇名位で護岸の上から谷川昇の死体を投げ捨て、その後一人の兵隊が小さな子どもを抱えて来て父親の死体のそばに投げ落としました。子どもは父の死体にしがみついてワーワー泣きくずれていましたが、その子を軍刀で何回も何回も切り刻んでいました。私は怖くて足もぶるぶるふるえました。日本軍から「見せしめだ、ほっておけ」とも言われるし、「あとで死体を片づけよ」とも命じられたので、私たち警防団員は涙をすすりながら、海岸に穴を掘って埋めました。あの時の子どもの断末魔の泣き声は、今も耳に残っているようです」

■ 反省のかけらもない旧軍人たち

多数の久米島住民を、米軍に接触したというだけの理由でスパイと決め付けて殺した鹿山隊は、仲村渠さんや谷川さんらの虐殺から三週間も経たない9月7日、米軍に降伏した。

それから四半世紀後の1972年、鹿山元隊長自身が当時の心境を次のように語っている。


 それから四半世紀が過ぎた。一九七二(昭和四七)年三月から四月にかけて、日本復帰を目前にひかえた沖縄では、久米島住民虐殺事件の記憶が生なましくよみがえり、沖縄返還協定の内容に怒りをつのらせていたが、思いがけず、県民の怒りにますます油を注ぐような出来事が表面化した。
 本土の新聞やテレビが鹿山元隊長の居所を探しあて、久米島虐殺事件の責任者にじかに責任追及を行ったのである。鹿山元隊長は健在だった。新聞やテレビの追及にも悪びれる風もなく、むしろ軍人の矜持を態度に表して、過去の事実関係や現在の心境を語った。
 「島は小さかったが食糧はあった。言葉は琉球語であるが、日本教育を受けているので不自由はしなかった。那覇は知らんが、久米島は離島で一植民地である」
 「一万の島民が米側についたらわれわれはひとたまりもないから、島民の忠誠心をゆるぎないものにし、島民を掌握するために、わしは断固たる措置をとったのだ」
 「これまで報道された事件のあらましはほとんど間違いないが、私は日本軍人として戦争に参加し、米軍が進駐した場合、軍人も国民も、たとえ竹槍であっても、うって一丸となって国を守るのだという信念、国の方針で戦争をやってきた。だから敵に好意を寄せるものには断固たる措置をとるという信念でやった」
 鹿山元隊長の弁明は全国ネットのニュース特集番組「久米島大量処刑事件・二七年目の対決」というタイトルで全国に放映された。鹿山正元海軍兵曹長は「わしは悪いことをしたとは考えてないから、良心の呵責もないよ」「日本軍人として当然のことをやったのであり、軍人としての誇りを持っていますよ」と軍隊口調で平然と語っていた。
(略)
 二七年後に鹿山元隊長の弁明を聞いた久米島の関係者は、腹わたの煮えくり返る思いでいく晩も眠れぬ夜を過ごしたという。関係者に限らず、多くの県民が久米島事件のマスコミ報道に触発されて、目前に迫った自衛隊の沖縄配備と重ねあわせて、反軍・反自衛隊感情をつのらせたであろうことはいうまでもない。
 七二年二月の那覇港への自衛隊上陸の場面で、抗議団の人々が「自衛隊は帰れ!日本軍は帰れ!」と叫んだ背景には、久米島住民虐殺事件と類似した数百件もの戦場の惨劇を体験した人たちの、心の深層に今なお疼く戦場の記憶がマグマのように煮えたぎっていたのである。

「米軍が進駐した場合、軍人も国民も、たとえ竹槍であっても、うって一丸となって国を守るのだという信念」で島民の虐殺を命じていたという鹿山隊長自身は、ではなぜその米軍に最後の突撃を行うこともなく、降伏して命を長らえたのか。

敗戦後、旧軍人の大半は、この鹿山元隊長同様、何ら反省することもなく自らの行為を正当化した。そして日本社会は、彼らを自分たちの手で裁くどころか、こうした旧軍人を中枢に据えて自衛隊が組織されるのを許してきた。

いま、旧軍を否定しない、反省なきその自衛隊が、宮古・八重山に続々と新基地を建設し、ふたたび沖縄を「本土」防衛の盾として要塞化しつつある。


[1] 大城将保 『改訂版 沖縄戦 ― 民衆の眼でとらえる「戦争」』 高文研 1988年 P.134
[2] 同 P.142
[3] 大城将保 『沖縄戦の真実と歪曲』 高文研 2007年 P.127-137
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/30/093025
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c182

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
183. 中川隆[-9245] koaQ7Jey 2019年6月30日 10:18:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3305]

【慰霊の日】被害者と米軍の目から見た集団自決(強制集団死)
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/06/23/215357


■ 今日は日本が沖縄を最終的に見捨てた日

今日、6月23日は、73年前、牛島第32軍司令官が自決して沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日であり、そのため沖縄県は、この日をすべての沖縄戦戦没者の霊を慰める「慰霊の日」と定めている。

しかし、この日で沖縄戦が終結したわけではない。牛島司令官は軍としての戦闘が継続不可能となっても降伏せず、最後の軍命令で「死ぬまで戦え」と命じた[1]。


全軍将兵の三ヶ月にわたる勇戦敢闘により遺憾なく軍の任務を遂行し得たるは同慶の至りなり。然れども今や刀折れ矢尽き軍の運命旦夕たんせきに迫る。既に部隊間の通信途絶せんとし軍司令官の指揮は至難となれり。爾今じこん各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし。

このためその後も残存部隊と米軍との戦闘が住民を巻き込みつつ続いていった。沖縄戦の正式な降伏調印が行われたのは9月7日だし、喜屋武半島の洞窟地帯では12月ごろまで敗残兵が出没して住民の恐怖のまとになっていたという[2]。

だからこの日を「慰霊の日」とすることには異論も多いが、牛島司令官の自決は戦場に取り残された沖縄住民に対する責任放棄であり、その意味で6月23日は日本が沖縄を最終的に見捨てた日だったと言える。

■ 究極の戦争被害と言える集団自決(強制集団死)

日本軍将兵の死者数(約9万人)を大きく上回る約15万人(四人に一人)の住民が死に追いやられた沖縄戦の悲惨さは言うまでもないが、沖縄住民にとって、日本軍による住民虐殺と並んで究極の戦争被害と言えるのが集団自決(強制集団死)だろう。

捕虜になることを恐れて親子兄弟が殺し合う、などという悲惨な事件はなぜ起きたのか。

1988年2月、沖縄戦に関する検定の適否が争点の一つとなった家永教科書裁判の出張尋問が那覇地裁で行われ、ここで集団自決を生き延びた被害者である金城重明氏が次のように体験を証言している[3]。


「私は実の母をこの手にかけて殺した……四三年間、背負い続けた重荷を、これからも背負い続けていく。それ以外に私の生きる道はない」
「集団自決事件」の生き証人、金城重明さんがとつとつとこう述べたとき、法廷内は一瞬、粛然と静まりかえった。(略)
 この人の身の上にあの日、いったい何が起こったのか。公判に先だってご本人から聞いた言葉の数々と金城さん自身が綴った「証言意見書」をもとに、「あの日」を再現してみる。
 那覇の西三◯キロの東シナ海に浮かぶ慶良間諸島。点在する二◯ほどの島々のうち最も大きいのが渡嘉敷島である。金城さんは、いまは沖縄でも有数の海のリゾート地となっているこの島で一九二九(昭和四)年に生まれた。(略)
 まぎれもない軍国少年として育った金城さんは、一九四五年三月、米軍による沖縄攻撃開始により「惨劇の日」に向かって運命的に引き寄せられていく。
 米軍が渡嘉敷島に上陸したのは三月二七日のことである。島の住民はその夜、日本軍の指示で軍の陣地近くに移動を命じられた。激しい豪雨と激しい弾雨だった。集結した島民は一千人にのぼったという。
(略)
「自決命令」が軍から出された、と情報が流れた。手榴弾が配られる。家族親戚が輪を作る。手榴弾をたたきつける。しかし、発火しない。従って死傷者は必ずしも多くはなかった。不幸中の幸いと呼んでもいいこの出来事はしかし、実はさらなる惨劇に結びついていった。
 至近弾の爆風でしばらく意識もうろう状態になっていた金城少年は、徐々に覚醒しながら異様な光景に目を奪われた。
 中年の男が木を折っている。全力できわめて熱心に折っている。そして次の瞬間、折り取った木を振りあげ、傍らにうずくまっていた妻や子を無茶苦茶に殴り始めた。
 これが導火線になった。夫が妻を、親が子を、兄が妹を、鎌を振るい、棍棒を振るい、石を振るって撲殺する。文字通りの地獄だったと金城さんは言う。
「私も幼い弟や妹の最期を見届けてやらなければなりませんでした。愛する故にそうしなければと思い込んでしまっていたのです。あのとき一六歳と一ヶ月でした。私と兄はついに自分を産み育ててくれた母親に手をかけることになりました」
 石を使ったか木を使ったか記憶は曖昧である。しかし、母を殺してしまったのはまぎれもない事実だった。兄弟は号泣した。しかし、あのとき他にどのような方法があったのか。
「鬼畜米英と教えられ、女たちはその鬼畜によって八つ裂きにされると教えられておりました。そんなことになるよりはいっそ自分の手で。それが愛情なのだと、これも長い間の教育のおかげでそう信じ込んでおりましたのです」
 奇妙なルールが出来あがっていた。愛情の深い者ほど、弱い者ほど先に殺すというルールである。大事な者ほど先に、しかも確実に消す。
「これが唯一残された愛情の表現でした」

一人でも息を吹き返してくれ

 この人はどうしてこのように静かな雰囲気で、このような告白が出来るのか。金城さんの話を聞きながら何度もそう思う。が、そう思いながらのぞき込むこの人の視線の暗さに改めて胸を突かれる。
 金城さんばかりでなく、そこで生き残った誰もが日本軍の玉砕を信じて疑わなかった。住民に自決を命じておいて自分たちが生き永らえるなど、到底、皇軍のよくなし得るところとは思えなかったのである。
 しかし、日本の軍人たちは生きていた。それどころか食事をとりながら談笑している。金城少年は目のくらむような怒りに我を忘れていた。だが、いくら悔やもうと、いくら嘆こうと、死者たちはもはやどうやっても生き返ってはくれない。
「一人でもいいから息を吹き返してくれないかと願いました。でも、それは、はかない望みだったのでありますねえ。愛情が深かったから、徹底的に殺害してしまったのです」

この渡嘉敷島で集団自決の現場に遭遇した米軍部隊が、その状況を次のように報告している[4]。


 三月二十九日、昨夜、われわれ第77師団の隊員は、慶良間最大の島、渡嘉敷の険しい山道を島の北端まで登りつめ、一晩そこで野営することにした。その時、一マイルほど離れた山地からおそろしいどよめきの声、悲鳴、呻き声が聞こえてきた。手榴弾が六発から八発爆発した。「一体何だろう」と偵察に出ようとすると、闇の中から狙い撃ちされた。仲間の兵士が一人射殺され、一人は傷を負った。われわれは朝まで待つことにした。その間人間とは思えない声と手榴弾の爆発が続いた。ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると「オーマイガッド」何と言うことだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子供たちの泣き声だけであった。
 そこには二百人ほど(注・G2リポートには二百五十人とある)の人がいた。そのうちおよそ百五十人が死亡、死亡者の中に六人の日本兵がいた。死体は三つの小山の上に束になって転がっていた。われわれは死体を踏んで歩かざるを得ないほどだった。およそ四十人は手榴弾で死んだのであろう。周囲には、不発弾が散乱し、胸に手榴弾をかかえ死んでいる者もいた。木の根元には、首を絞められ死んでいる一家族が毛布に包まれ転がっていた。母親だと思われる三十五歳ぐらいの女性は、紐の端を木にくくりつけ、一方の端を自分の首に巻き、両手を背中でぎゅっと握りしめ、前かがみになって死んでいた。自分で自分を絞め殺すなどとは全く信じられない。死を決意した者の恐ろしさが、ここにある。
 小さな少年が後頭部をX字型にざっくり割られたまま歩いていた。軍医は「この子は助かる見込みはない。今にもショック死するだろう」と言った。まったく狂気の沙汰だ。軍医は助かる見込みのない者にモルヒネを与え、痛みを和らげてやった。全部で七十人の生存者がいて、みんな負傷していた。(略)
 生き残った人々は、アメリカ兵から食事を施されたり、医療救護を受けたりすると驚きの目で感謝を示し、何度も何度も頭を下げた。「鬼畜米英の手にかかるよりも自ら死を選べ」とする日本の思想が間違っていたことに今気がついたのであろう。それと同時に自殺行為を指揮した指導者への怒りが生まれた。そして七十人の生存者のうち、数人が一緒に食事をしている所に、日本兵が割り込んできた時、彼らはその日本兵に向かって激しい罵声を浴びせ、殴りかかろうとしたので、アメリカ兵がその日本兵を保護してやらねはならぬほどだった。何とも哀れだったのは、自分の子供たちを殺し、自らは生き残った父母らである。彼らは後悔の念から泣きくずれた。自分の娘を殺した老人は、よその娘が生き残り、手厚い保護を受けている姿を目にし、咽び泣いた。また、別の島々でも同様な自殺、あるいは自殺未遂例があった。慶留間島の洞窟では、十二人が絞殺されていた。
 第77師団の歴戦の猛者たちも、このありさまをわが目で確かめるまで信じられなかった。日本兵だけでなく、日本の住民まで“アメリカの野蛮人に捕まるぐらいなら死ぬ方がましだ”という信念で自殺する狂気の沙汰が実際に起ころうとは……。
 集団自殺の現場を目撃し、日本兵の浴びせる機関銃の中をくぐり抜け、子供たちを助けたのが、ジョン・S・エバンス軍曹である。
 (一九四五年三月二十九日 アレクサンダー・ロバーツ伍長の談話より)

この集団自決(強制集団死)について、日本では、日本軍部隊による直接の自決命令はあったのか(命令がなければ軍に責任はない)などと問題を矮小化しようとする主張がなされている。だが、金城氏が次のように語っている[5]とおり、沖縄の人々は長年の皇民化教育と軍からの圧力により死ぬしかない状況に追いやられていったのであり、そのような責任逃れは許されるものではない。


 渡嘉敷島の「集団自決」についてひとつの論争がある。「日本軍は自決を命じたのか」。これが争点である。金城さんはきっぱりと言う。
「手榴弾は住民や村の指導者が自決のために軍に要請して貰い受けたわけではない。皇軍の武器は民間人の希望や意志で操作出来るものではなかった。村の担当者の話では、青年団員と役場の職員二〇名から三〇名ほどが役場に集められ、軍が手榴弾を各自二個ずつ配った。捕虜になる恐れがあるときには、一個を敵に投げ、他の一個で自決するように言われた。つまり、手榴弾は、自決のため、あらかじめ軍から渡されたのだ」

■ 戦後も沖縄を踏みにじり続ける日本政府

第32軍海軍部隊司令官の大田実少将は、6月13日、豊見城の司令部壕で自決する前、大本営に向けて「沖縄県民カク戦ヘリ。県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」との電文を発している。

しかし、戦後の日本政府は沖縄に対してどのような「配慮」をしてきたというのか。配慮どころか、狭い沖縄に大半の米軍基地を押し付け、危険な核を押し付け、沖縄にだけは事実上日本国憲法を適用せずに踏みにじり続けているではないか。

あたかも今日、安倍晋三は慰霊の日の式典に出席するため(どの面下げて?)やってきて、普天間基地の「移設」を名目とする辺野古への新基地建設について、「最高裁の判決に従って進めていく」と言い放った。沖縄の民意など歯牙にもかけず、これまで以上に沖縄の軍事要塞化を推し進めるぞ、という意思表示である。

沖縄の未来のためにも、アジアの平和のためにも、何としてもこんな愚かな政権は倒さなければならない。

[1] 大城将保『改訂版 沖縄戦』 1988年 高文研 P.142
[2] 同 P.143-144
[3] 村上義雄『教科書裁判沖縄出張法廷』 朝日ジャーナル 1988年2月26日号 P.82-83
[4] 上原正稔訳編『沖縄戦アメリカ軍戦時記録』 三一書房 1986年 P.20-22
[5] 村上 P.83-84
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/06/23/215357

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c183

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
184. 中川隆[-9244] koaQ7Jey 2019年6月30日 10:20:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3306]

「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺 2019年6月22日
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-941125.html


沖縄戦での久米島で、米軍から逃れて自死しようとして住民の呼び掛けで一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん=19日、東京都練馬区の自宅

 【東京】沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。同じ久米島出身の妻政子さん(80)が住民虐殺の歴史を語り継ぐ活動を続けており、一郎さんも参加して語り始めた。本紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日本兵だった」と振り返る。

 沖縄本島で捕らわれた仲村渠さんは1945年6月26日、米軍と共に久米島に上陸し、住民に投降を呼び掛けていた。日本のポツダム宣言受諾後の8月18日、島にいた日本軍の通称「山の部隊」(鹿山正海軍通信隊長)の兵士に妻子と共に殺された。

 渡嘉敷さんは旧具志川村(現久米島町)仲泊の出身で、戦争中は50〜60人で避難生活を送っていた。「ヒージャーミー(米国人)に殺される」との話が住民の間に広まっていった。米軍上陸後、母親の親戚と一緒に逃げていた渡嘉敷さんは、池に飛び込もうとしていた矢先、「もう戦争は終わったよ。もう死ぬことはないぞ」という仲村渠さんの呼び掛けを聞いた。「あれは西銘(集落)の明勇だ」と誰かが叫び、われに返った渡嘉敷さんは投身を思いとどまった。

 当時、島では日本軍の隊長からは「山に上がって来ない者は殺す」との命令が下されていた。上陸してきた米軍からは、日本兵が軍服を捨てて住民にまぎれこんでいることから「家に戻りなさい。戻らなければ殺す」と投降の呼び掛けが出ていたという。どちらを選択しても死を迫られるという苦しい状況に住民は置かれていた。

 渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。



久米島であった日本兵の虐殺事件や、集団投身自殺寸前で思いとどまった体験などを話す渡嘉敷一郎さん(右)と妻の政子さん=19日、東京都練馬区の自宅

■ほかにも住民虐殺が…

 久米島では日本軍による住民虐殺がほかにも起きている。渡嘉敷さんの妻政子さん(80)=同村仲地出身=は「島の人も関わったとされタブー(禁忌)となってきたが、何らかの形にして事実として伝えていかないといけない」と東京で島の沖縄戦について語り続けている。

 日本兵による住民虐殺は当時から住民の間でうわさになった。政子さんは「大人たちが屋号で『どこどこの誰々が殺されたよ』『部落の方で異様なことが起こっているよ』と話していたのを聞いていた」と話す。

 戦後も虐殺があったと聞いた場所に来ると、カヤを結んだ魔よけを手に通ったものだった。「子ども心にも、その時のことが思い出され、たまらない気持ちになった」。大人になって久米島の戦争の本を読んで、「ああ、あの話はそうだったのか」と記録と記憶がつながっていった。

 小学校1年で教えてくれた教諭が、島に配置されていた中野学校出身で「上原敏雄」を名乗る残置工作員だった。ある時、学校に米軍の憲兵が来て、2人で教諭を羽交い締めにして軍用車両で連行していった。その後の消息は知らないという。

 住民虐殺というテーマを語り継ぐのは重いため、得意の三線も交えて伝えている。島の悲劇にあえて向き合う夫婦。「今も残された者も重荷を背負いながら生きている」との思いを背に語り継いでいる。

 今年の慰霊の日は午後2時から、東京都練馬区立男女共同参画センター「えーる」で、久米島の沖縄戦について政子さんと一郎さんが語る会が催される。


(滝本匠)

久米島における沖縄戦での住民虐殺

 久米島に駐留した日本軍の通称「山の部隊」(鹿山正海軍通信隊長)が、6月26日の米軍上陸後にスパイ嫌疑で住民20人を殺害した。米兵に拉致された住民を「スパイ」と見なし、目隠しのまま銃剣で刺し、家に火をつけて焼き払うなどした。朝鮮人家族も犠牲になった。島には残置工作員が具志川村に上原敏雄、仲里村に深町尚親を名乗る2人(いずれも偽名)が小学校に配置されており、住民虐殺への関与が疑われている。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-941125.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c184

[リバイバル3] 日本一の音楽喫茶 阿蘇 オーディオ道場 中川隆
18. 中川隆[-9243] koaQ7Jey 2019年6月30日 10:22:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3307]

プリアンプ2台の修理完了 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年06月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e44a3ee03341137b8cc16f62a65d5b4b


プリアンプ2台の修理が完了したとの事で、受け取りに旧オーディオ道場に行ってきました。今回は一人なのでゆっくりと時間が取れる様に早めに出発しました。


2日ほど前に修理品4台を持ってオーディオ道場には行っています。その時に写真を取り損ねたのですが、JBL:パラゴンが鎮座していました。今回は久しぶりに音出しをしていただきました。バッハのバイオリン協奏曲が心地良く鳴っていました。

こちらはJBL:D130フルレンジ1発を山水のEC箱にいれて鳴らされていました。D130は当方も使っていますが、ボーカル等はこの1発仕様で十分に満足させられます。オーディオ・リサーチのMP-3プリ?をオーバーホールされて、管球パワーアンプ(WE300Bシングル)と組み合わせて鳴らされていました。ソースはアナログプレーヤーです。霧島昇・ジリオラ・チンクウェッティ等懐かしい曲をかけていただきました。

道場の凄い処はSPが沢山有る事も有りますが、最高峰アナログプレーヤーがズラリ勢ぞろいしている処でしょうね。どれか1セットでも持っていれば十分満足できるでしょう。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e44a3ee03341137b8cc16f62a65d5b4b
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/713.html#c18

[リバイバル3] 日本一の音楽喫茶 阿蘇 オーディオ道場 中川隆
19. 中川隆[-9242] koaQ7Jey 2019年6月30日 10:27:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3308]

2019-05-11
オーディオ道場 通信 VOL1 (テキスト編) 西野和馬のオーディオ西方浄土パート2
https://ameblo.jp/audioniravana/entry-12460453686.html


個展が大成功に終わって、いよいよオーディオ道場復興じゃ〜と片山マスターから連絡があったので、昨日午後、道場へ行ってきました。 

実は、夕方から仲間が集まって、SATRIの新作フォノイコライザーのお披露目をやるので、そっちにおいでと誘われたのだけど、あたしは何しろ早寝早起きだから夜はダメ、代わりに最新の道場の様子を皆様にお知らせするために行ってきました。

片山マスターも70才を迎え、さらに意気軒高! これからは超マニアの皆さんのために真空管アンプの修理や注文制作、ヴィンテージ機器の修理、メンテに力を入れるとのこと。年期のはいったスタッフ3人で全力サービスにあたりますとのことなので、何かあれば道場へお電話ください。

あたしも、最近、いいフルレンジスピーカーといい球のアンプで、むかしの録音のいい音楽をリラックシして楽しみたいんですよねと言うと、や〜っとオーディオの神髄がわかってきたばいね〜とマスターがにっこり。

実は、フルレンジの良かスピーカーが山ほどあるけん、鳴らそうと思いよったとたい、、そういうことなら、これからフルレンジコーナーば作って鳴らしてみようかと言うので、、そしたら、本ブログと共同で「フルレンジスピーカー大作戦」やりましょ〜よとお願いすると、、おもしろかね〜やろやろ〜いうことになりました(笑)。

で、さっそくマスターがJBLのLE8TとALTECのパンケーキをちょっと鳴らしてくれたのだけど、動画で聞けますけれど、LE8Tの音はすごかった! ジャズならこれでいいぢゃないと、一緒に聞いていた常連さんも同意、、パンケーキは裸で聞いたのだけど、きちんとしたボックスに入れたら、さらに良く鳴るのは必至、、う〜ん、やっぱりもってたんだフルレンジスピーカー、、、、

にっしのさ〜んがフルレンジが好きなら、とびきり良かとば貸してやるけん、また明日おいでとマスター、、これは楽しみ、、

後は、動画の「オーディオ道場通信」をごらんください。

道場への連絡先はググってもらえばすぐお分かりになりますので、やってみてね。

******************************************************

さて、突然ですがブログ友tobbyさんへ業務連絡です。

道場の片山マスターから「使わなくなったナカミチデッキが多数あります。メンテが必要ですが、ご興味あればご連絡ください」とのことでした。なにしろナカミチのデッキがごろごろしています(笑)。それとナカミチが大昔取り扱っていたB&Wもありますので、こちらもご興味あればとのことでした。もしご興味あれば道場へお電話を、、よければ一度、見に来られませんか?(笑)。遠すぎますかね?(笑)。

これとか、、、

あれとか

これも、、


https://ameblo.jp/audioniravana/entry-12460453686.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/713.html#c19

[国際26] 白書「中米経済貿易協議に関する中国の立場」全文(中華人民共和国駐日本国大使館) 無段活用
1. 中川隆[-9241] koaQ7Jey 2019年6月30日 12:55:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3309]
ファーウェイは死んでも潰さない。一般人が悪びれもせず知的財産を盗む中国の恐ろしさ=鈴木傾城 2019年6月27日
https://www.mag2.com/p/money/716555
米中貿易戦争は終わらない。勘違いしてはいけないのは、アメリカがこれほどまで中国を叩くようになったのは、アメリカ側に問題があるのではなく、中国側に問題があることだ。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城)


工作員だけが工作活動をしているわけではない?止まらぬ技術窃盗

関税だけじゃない米中戦争

2018年7月6日、「中国が知的財産権を侵害している」としてアメリカが340億ドル規模の製品に25%の追加関税をかけると、中国もアメリカに340億ドル規模の報復関税を課した。

それを見たアメリカは2018年8月23日に第2弾として、160億ドル規模の追加関税を発動、中国も再び報復関税をかけた。そこでアメリカは9月24日に2,000億ドル規模の製品に10%の追加関税をかけ、中国も600億ドル規模の報復関税をかけた。

エスカレートしていく貿易戦争の打開に両者は現状打開に向けて話し合いを続けてきたが交渉は決裂、トランプ大統領は2019年5月10日に10%の追加関税を25%に引き上げて、さらに今後は3,000億ドル規模の製品に最大25%の関税引き上げもあり得ることを中国に通達している。


これに対して中国もまた「戦うなら付き合う」と徹底抗戦を表明し、報復を検討している。今後、中国が取り得る報復は報復関税だけでなく、「アメリカへのレアアース輸出完全禁輸」「アメリカ国債の大量売却」「アメリカ企業の中国市場販売制限」などがある。

アメリカもまた追加関税だけでなく、チベット・ウイグルの人権弾圧の問題化や、台湾に絡んだ「ひとつの中国」の脱却や、香港の「一国二制度」の維持への表明など、次々と中国を追い込む政策を進めている。

グローバル化を悪用してきた中国

2018年10月、アメリカの副大統領マイク・ペンスは「中国は政治、経済、軍事的手段、プロパガンダを通じて米国に影響力を行使している」と中国の振る舞いを50分に渡って激しく批判した後、このように述べた。

「大統領は引き下がらない。米国民は惑わされない」

ドナルド・トランプ大統領も2019年2月に上下両院合同会議での一般教書演説の中でこのように述べている。

「中国は長年にわたり、米国を標的とし知的財産を盗んできた。我々は今、中国に対し、米国の雇用と富を盗み取るのはもう終わりだと明確にしておきたい」

アメリカのメッセージは明快だ。「中国とは徹底的に戦う」のである。それが、アメリカの選んだ道である。だから、このアメリカと中国の対立は「新冷戦」と呼ばれるものになっている。

勘違いしてはいけないのは、アメリカがこれほどまで中国を叩くようになったのは、アメリカ側に問題があるのではなく、中国側に問題があることだ。

日本には常に中国側に立って中国を擁護してアメリカを叩く親中反米主義者が大勢いて、彼らはこのように言っている。

「トランプ大統領が次の選挙しか考えていないから中国を叩いている」
「アメリカ第一主義の方が中国よりも悪い」
「アメリカの排斥の方が中国よりもひどい」


そうではない。中国共産党政権がやってきた「あらゆる不正」が問題視され、それを改めようとしないから貿易戦争が勃発し、今のようになってしまっているのだ。


中国の「あらゆる不正」

中国の「あらゆる不正」は、もはや数え上げることすらもできないほどのボリュームである。

多くの国に大量の工作員を潜り込ませ、意図的に情報を盗み取っていくというのは通常の諜報活動だが、中国がやっているのはそれだけではない。


工作員をターゲットの国に潜り込ませるのは諜報活動の基本だが、中国の恐ろしさは工作員だけが工作活動をしているわけではないところにある。

中国共産党政権は、外国で働いている中国人社員に対して、中国に残っている家族を人質にして圧力をかけたり報奨金を出したりして、最先端技術を持つ企業から情報を盗ませたりしている。

あるいは、それぞれの大学に潜り込んだ学生や教授に情報を最先端技術や研究成果や論文を盗んで中国に持ち込ませている。中国はその盗んだ情報で特許を取る。これについては「米国の知的所有権窃盗行為に関する委員会」が調査を行って裏付けを取っている。

トランプ大統領は中国人留学生が最先端分野を専攻する学生を制限する項目を「国家安全保障戦略」の大統領令の中に盛り込んで発動させたのは、まさに大学が知的財産の強奪の舞台となっていたからでもある。


ついでに中国は、孔子学院のような洗脳機関を世界各国の大学内に設置して、学生を中国の都合の良い歴史プロパガンダで染め上げている。

中国は、ここで洗脳が効いて中国の言いなりになった学生に中国の主張を代弁させたり、工作活動させたりする。これについては米国防総省が動いて、アメリカの大学は次々と孔子学院の閉鎖を決定した。

さらに中国は、技術や特許を狙って世界各国の企業を次々と買収している。

中国市場に目がくらんでやってきた外国企業には必ず中国企業との合弁会社を作らせて技術を盗めるようにしている。中国政府が求めれば技術を開示しなければならないような法を作ったりもする。

中国企業を通して世界支配をする

そうやって世界中の知的財産を意図的に窃盗して、中国共産党と結託した中国の企業が世界でシェアを取れるように画策する。

中国の企業は、内部に共産党の委員会があって、そこの「書記」が会社の創業者や社長よりも権限を持つ。そして、中国共産党政権と結託した企業経営者が中国政府から補助金をもらって世界に切り込んでいく。


中国の企業は、事実上「中国共産党政権の手先」であると言われるのは、会社内部の共産党組織の支配と補助金によるものである。そして、中国の企業が急激に世界でシェアを取れるような技術とスケールを持つようになった理由もここにある。

中国人でなくても中国共産党の支配を受けることに

中国共産党政権があらゆる不正で世界中の知的財産を強奪し、それを自らの支配下の企業にカネと技術を流し込んでシェアを取らせて世界を荒らし回っているのだ。
1.世界中の知的財産を窃盗する
2.手先の中国企業に技術と補助金を流し込む
3.中国企業に世界でシェアを取らせる
4.中国企業を通して世界支配をする

これが中国共産党政権がやろうとしていることだ。そして、この不正なやり方で中国共産党政権が次世代を支配すると宣言したのが『中国製造2025』という産業政策である。


この政策で中国は次の分野で世界を支配すると言っている。
1.次世代情報通信技術
2.先端デジタル制御工作機械とロボット
3.航空・宇宙設備
4.海洋建設機械・ハイテク船舶
5.先進軌道交通設備
6.省エネ・新エネルギー自動車
7.電力設備
8.農薬用機械設備
9.新材料
10.バイオ医薬・高性能医療器械

これが成就すると、私たちは中国人ではないのに、中国共産党政権に間接的支配されるということになる。

盗んだ知的財産で世界トップを狙うという戯言

中国共産党政権の支配下にある中国企業は、他国から徹底的に盗んだ知的財産と、共産党政権から流し込まれた補助金によって世界を荒らし回り、シェアを取り、最終的には世界を支配しようと画策するようになった。

「中国の技術が世界をリードするからアメリカが焦っている」と、いかにも中国が技術大国のように語るアナリストもいるが、中国が最先端技術で世界をリードしてるように「見える」のは、そもそも知的財産の強奪の結果なのだから話にならない。


問題は中国が徹底的に盗んだ知的財産で世界を支配しようとしていることなのだ。それが『中国製造2025』の骨子なのである。


バックには中国共産党政権がある

アメリカが今、中国に対して矢継ぎ早に対応策を出さざるを得ない状況になっているのは、もはや時間が残されていないからでもある。

なぜなら、中国の5Gの技術がそれぞれの国の中枢に使われたら全世界の機密情報が中国共産党政権に完全に漏洩することになって、直接的にも間接的にもアメリカの機密情報が保てなくなるからだ。


アメリカがファーウェイを徹底排除しようとしているのは、まさにファーウェイが中国共産党政権の手先であり、5Gの根幹にある企業だからだ。ファーウェイのバックには中国共産党政権があり、この企業と中国政府は一体化して動いている。

ファーウェイはただの企業ではないのだ。

本来であればファーウェイは死に体である。普通の企業であれば完全に死んでいる。しかし、これだけの逆風にさらされてもファーウェイが潰れないのは、ファーウェイの裏に中国共産党政権がいて「潰さない」からに他ならない。

ファーウェイは潰れるどころか、中国国内での徹底的なテコ入れによって「より強化される」シナリオさえもあり得る。そして、ファーウェイによる反撃もある。戦いは始まったばかりである。
https://www.mag2.com/p/money/716555

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/722.html#c1

[近代史3] 日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい 中川隆
11. 中川隆[-9252] koaQ7Jey 2019年6月30日 16:52:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3308]

久保田政男@ーある反ユダヤ主義研究家を読む
oka miguel 2019/02/23 17:25
https://note.mu/obebe/n/nda1e3d31935f

「日本人に謝りたい」(昭和54年12/15発行)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%B4%E6%82%94-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/4817404361/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1550931878&sr=1-1&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84


を読む。

モルデカイ・モーゼ著/久保田政男訳となっているが、イザヤベンダサン=山本七平と同じことだろう。久保田は昭和7年生まれ、山本は大正10年生まれ、共に青山学院大出身とは興味深い。

本書は、イザヤベンダサンの著作を批判するものだが、その根底にはユダヤ共産主義批判があり、日本でユダヤの別働隊として日本共産党があり階級闘争激化ツールとして東京裁判と日本国憲法があるという。

本書を読むと自虐史観批判や改憲論は、実はユダヤなき反ユダヤ主義ではないか?と思えてくる。久保田政男と新しい教科書を作る会や右派勢力との関係がないか更に調査が必要だ。また同様のユダヤ共産主義批判をした太田龍との関係も知りたいところだ。

太田龍も久保田政男を読んでいる。また没年不詳であり久保田政男は、反ユダヤ反フリーメーソンの有力な研究者の一人、久保田栄吉(一八八七年生まれ)の息子かもしれないが不明とのこと。


印象的な記述は以下の通り。太字は特に重要と思う部分だ。


・ユダヤは国家により弾圧された為、国家を破壊するのが習い性になっている。

・美濃部天皇機関説はゲオルグイネレックなるユダヤ人が吹き込んだもの。だがOrgan=搾取の装置と訳しきれない美濃部達吉によりユダヤの意図は挫かれた。

・日本共産党はユダヤNew Deal派による残置スパイ。

・国際連盟はユダヤ世界政府で国際労働局は別働隊で日本国内で階級闘争激化に向けアルベールトーマが派遣されたが日本の家族制度に阻まれた。失職しても家族に救済されると階級闘争できない。

・ユダヤが医師や弁護士に多いのは差別で大企業就職が困難だからではなく秘密を握り国家転覆する為。

・レーニンはユダヤ人で婦人を労働力にした。姦通罪廃止と婦人の社会進出が家庭不和と国家破壊を進める。家族制の究極が天皇制。

・在米ユダヤが麻雀を知っているのは上海ユダヤから習った為。

・ユダヤは二元論思考をする。ニューディール派が導入した創造力破壊の為のマルバツ式の教育、競合デパートが同立地にあるなど。

・日本国憲法こそゲッベルスが予言した巨大な謀略「人間獣化計画」の温床。

・米国のシベリア出兵はポーランドユダヤ人で構成され目的はボルシェビキ支援。

・東京裁判は階級闘争理論を日本に持ち込む為の仕掛け。つまり支配階級(天皇制軍国主義者)vs被支配階級(国民)の闘争という歴史観の導入。また問題を日本国内に限定し海外勢力の日本支配を容易にする。

・マルクス主義を利用するニューディール派と、マルクス主義に利用される日本共産党。だが日本共産党が東京裁判史観に賛成すれば、戦争を引き起こした本丸たる資本主義体制の打破をできなかった共産党自身の弱さを認めることになり、ひいては天皇制軍国主義者を断罪できなくなる。

・日本国憲法はワイマール憲法のパクリ。ワイマール憲法はヒューゴプロイスらユダヤ人3名で考案。ワイマール憲法もフランス革命、ロシア革命と同じユダヤの計画。国家においてユダヤが虐げられないようにする為にドイツ人とユダヤ人を同じ人権にすることに成功。更に人間の純度を下げ獣化する為の抗争激化を狙った自由と平等のスローガン。ドイツ人は自由と平等の矛盾を看破しナチズムによる統合で問題解決した。

・民主主義という言葉は自由と平等の矛盾を誤魔化す為に、また成熟社会ドイツで不満のある非ユダヤ人を集める為にユダヤ人がギリシャから盗んだ概念。日本国憲法には民主主義という語の記載はない。

・日本では民主主義が信仰の対象。日本国憲法記載の内容は被抑圧民族による最低限の生存権の希求に過ぎず敗戦直後に東京裁判を通じて天皇制軍国主義者に迫害されたと洗脳されていた日本人には適合した。

・日本国憲法には個人が利益を求めて団体になることが書かれているがユダヤの国家転覆計画の一環。軍隊を保持しないのも国家破壊を容易に進める為。

・国際連盟も軍縮をユダヤの国家転覆を容易にする為に進めた。シカゴのユダヤ弁護士ソロモンレーヴィンソンが中心人物。

・日本国憲法25条の社会福祉の考えは働かなくても国がカネをやるというものでユダヤがタルムードに基づき埋め込んだもの

・日本国憲法26条は民族意識を破棄させるもの

・日本国憲法28条は階級闘争激化装置

・明治憲法にもユダヤ流抑圧民族の叫びが埋め込まれている

・日本共産党はユダヤの残党で剰余価値論=故なく奪われたモノは故なく奪い返すべしというタルムード思想を奉じている。

・マルクス主義が戦前日本が誇る価値観、愛国、民族、家族を破壊し金銭至上主義を培養するもので、ユダヤ人が自身の解放事業の為に捻出したウソ。でも日本人は真理と考え研究した。

・マルクスに作成を依頼したのはバリニッシュレヴィー。タルムードとメシア思想がベースになっており非ユダヤ人の財産はユダヤ人が預けているだけor勝手に盗まれたものだから自由に取り返して良い=搾取されている!という発想がある。

・ユダヤ人レーニンの帝国主義論で重要なのは帝国主義国家同士で戦争させるべしという記述。

・社会主義国は貧乏でタルムードを信奉(=アイツの持ち物は本当はオレのもの!)しているから侵略的。

・日米安保は日本共産党が米国に支配される日本という二元論を唱え続けられる絶好のツールだから手放さない

・プロレタリアートとはユダヤが国家破壊の為に考案した概念。語源を見れば無産者=役立たずの意味があり蔑称。

・マルクスは極貧だったとは嘘。高い給料で雇われていたので家政婦を妊娠させている。

・資本主義は経済体制ではなく道具。共産主義ーマルクスー共産党宣言と資本主義ーレーニンー帝国主義論がある。

・マッカーサーがクビになったのは朝鮮戦争の拡大のせいではなく国務省内のニューディール派の秘密指令を実行していた為。GS=民生局のホイットニーやケーディスが実行者。阻止したのはGUのマッカート、ウィロビーら。民間人ではニューズウィークの外報部長ハリーカーン(のちにグラマン事件で有名に)

・ユダヤ人ルーズベルトはドイツ人全体のジェノサイドを戦後検討していた。マッカーシーの赤狩りはニューディール派の粛清。

・ハリウッド映画とはユダヤ映画。映画トラトラトラは日本人に開戦の責任意識を植え込むプロパガンダ映画。ルーズベルトにはあえて触れない内容

・ルーズベルトの取り巻きはユダヤ。フェリックスフランクフルター、ブランダイス、(2人はケーディスの師匠)、軍事産業の親分バーナードバルーク、レックスジーダッグウェル、レーモンドモーレー。

・ルーズベルトはニューズウィークを使って米国の孤立主義をやめるように宣伝。

・エノラゲイはイディッシュ語で天皇を葬れの意味


久保田政男にはフリーメーソンに関する著書もある。更に調査したくなった。
https://note.mu/obebe/n/nda1e3d31935f
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html#c11

[近代史3] 日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい 中川隆
12. 中川隆[-9251] koaQ7Jey 2019年6月30日 16:57:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3309]

久保田政男Aーある反ユダヤ主義研究家を読む
oka miguel 2019/02/23 20:09
https://note.mu/obebe/n/n0ff3209aff5f

「フリーメーソン」(1984/5/31発行)を読む。


魔性の傀儡師(くぐつし) フリーメーソン―その世界戦略に日本は踊る – 1984/5
久保田 政男 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%82%80%E5%84%A1%E5%B8%AB-%E3%81%8F%E3%81%90%E3%81%A4%E3%81%97-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%88%A6%E7%95%A5%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E8%B8%8A%E3%82%8B-%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0-%E6%94%BF%E7%94%B7/dp/4198128618/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1550931581&sr=8-2&keywords=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%80%80%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0%E6%94%BF%E7%94%B7

山本五十六軍神論は奇妙で、なぜ山本五十六が持ち上げられマレーの虎山下泰文が軍神にならないのか?から「日本人に謝りたい」で明かされたユダヤの論理(タルムード思想)やルーズベルトの正体を再び語る。新しい情報はスターリンによる粛清はソ連国内のユダヤ勢力排除であること、ユダヤ民族とアーリア民族の永遠なる闘争がありユダヤはアーリアに負け続けることが語られる。非常に興味深い。
川尻徹は本書を読んで「滅亡のシナリオ」の続編にあたる予言本を書いていたのかもしれない。


久保田政男は1932年大阪市生まれ、青山学院大学文学部英文科中退、国会議員秘書、英字紙編集長を経て欧米、ソ連遊学。

ユダヤ問題を研究、フリーメーソン最高指導者と親交を結び、フリーメーソンのルネッサンスに尽力。

現住所 東京都文京区水道1−5−16という。産業国際センター代表取締役。


書いている中身と経歴のギャップが大きい。メーソン最高指導者と親交を結んだ割にはメーソン=ユダヤとして攻撃している。


キリスト教を奉じるアーリア人vsユダヤ教を奉じるユダヤ人の永遠の闘争と常にユダヤが敗れる運命というのはミゲルセラノに通じる。キリスト教も男色や尼僧へのセクハラがあり科学者の探求を弾圧する装置だったが、これはキリスト教にユダヤが入り込んだからだと言うベンジャミンフルフォード やデーヴィッドアイクの説がある。何でも悪いことはユダヤの所為にするのは知的ではない。だが全ては民族闘争だというのは八切止夫の歴史観にも通じるものがあり個人的には納得できる。


以下、興味深い情報。重要と思う部分は太字にした。


・長谷川泰造はユダヤは15という数字を好むので、合計値が15になるよう第一次世界大戦を1914年に起こしたと語った。だから次は1941年と予言した。

・山本五十六こそ20世紀最大の予言者だ、予言者になれたのは自作自演だからだ。フリーメーソンは予言を大事にしておりノストラダムスの予言もその一例

・ルーズベルト山本五十六の交信記録を久保田政男が私淑するZ氏は保持しているが公開禁止が解けていない。次著で書こうとのこと

・キリスト教民族vsユダヤ教民族の闘争が続いており、ユダヤ教民族はキリスト教民族に抑圧され続けており復讐の時を狙っていた。キリスト教民族は国家があり政府がある。ユダヤ教民族には国家がないが政府はある。それがフリーメーソンだ。

・ユダヤは1717年にメーソンの実権を掌握。1717年以前をoperative mason,以後をspeculative mason と呼ぶ。

・日本陸軍は旅団のマークに五芒星を使用。明治初期のメーソンの影響による。

・ユダヤはアーリアに虐げられた民族であり歴史を語れば恨み節と逆転計画しかないのでアーリアからすれば陰謀をユダヤは企図してるように見える

・民主主義国家=ユダヤが操れる国。ファシズム国家=ユダヤが操作不能な国。ユダヤは20世紀以降は国家同士で相討ちさせる戦略をとる。

・アメリカでレーガンが選挙で買ったのはレーニンのクーデターと同じ性質。

・ベルギーメーソンのシャルルドモングランが薩摩藩の五代友厚に、プロシアメーソンのエドワルドスネルが長岡藩の河合継之助に接近。日本は明治維新からユダヤが流入。吉野作造と美濃部達吉は天皇制破壊の為のエージェント。

・ユダヤが日本で積極的に活動したのは満州入植を検討していて、日本が邪魔だった為

・進駐軍が笑顔だったのは勇敢に戦う日本人=スーパーマンやゴッドだと東南アジア戦闘を通じて考えていた為

・日本共産党は講座派の思想を持っていたが、ニューディール派も同じ発想だった。野坂参三がフリーメーソン人脈を使い日本共産党と米国ニューディール派を繋いだ。

・アーリア人の反撃としてのレッドパージによりニューディール派は日本から米国に送還され日本国内でも下山事件など発生。マッカーサーはメーソンなので帰国。

・レーガン政権はフリーメーソン政権。イスラエル以上のユダヤ人がいるソ連を破壊しユダヤ人を救う意図あり。

・日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵はフリーメーソンの意を汲んでいる。満州事変以降がアンチフリーメーソン。

・フリーメーソンは第二次世界大戦までに自身に都合のいい権力構造や原爆を作ったがヒトラーにユダヤ人を大量に殺され、中国共産党に東洋の権益を奪われた。

・経済封鎖はフリーメーソンのよく行う手法で、戦争違法化の論理で各国の軍事的弱体化を狙う。

・マルクスの「宗教は阿片なり」の宗教はキリスト教のことで、ユダヤはキリスト教により再び支配されるのを恐れている。マルクスの国家論は国家とはユダヤ人を合法的に圧迫する道具だというものでユダヤの本音がある。

・日教組はユダヤ人の願望を代弁している。

・第一次世界大戦中のドイツはドイツ人は前線におり後方にユダヤ人がいて物流支配していた。バリンラーテナウ方式と呼ばれる。それ故に敗北した。その後ドイツ1%のユダヤ寡頭勢力が自由と平等を並走させ国家を解体するワイマール憲法を作り支配。だがドイツ人はその意図に気づきナチズムでワイマール憲法を超克。ワイマール憲法下では共産主義でないと人にあらず状態の為、国家社会主義労働者党を名乗った。アーリア人によるユダヤへの反撃として戦争が始まり、英国首相チェンバレンもヒトラーと共にユダヤ人と戦う為にいわゆる宥和政策でヒトラーを支援した。

・タルムードのうちシュルンハンアルクーショッツェンハミツバッド第348条がマルクス主義の源流。非ユダヤ人の財産はユダヤ人が預けているだけなのでいつでも没収できる=国有化政策。学問的粉飾すると剰余価値説。

・マルクス=モルデカイはユダヤの上層家系だったがスパイとして改宗した。ルーズベルトもローゼンフェルト家改宗した存在。

・フランスの評論家サリュート「ボルシェヴィズムの秘密の起源」ではヘーゲル汎神論がマルクスの自然神教観念を消去しユダヤ人の誇りと崇高な思想による全世界支配を目覚めさせたと語る。

・ハイネは「ネオメシアニスト」なる思想集団リーダーでマルクスをライン新聞導いた。マルクスはロンドン亡命中にネオメシアニストに唯物史観を混ぜた教えをつけて第一インターを作る。

・マルクスの搾取Ausbeutungという概念は元は高利貸のユダヤドイツ人が言っていた言葉

・スターリンが粛清が必要だったのはメーソン勢力という反抗分子がいたから。ヒトラーは独裁者だからドイツ人とユダヤ人を分別できたがスターリンは独裁者ではないので分別できず収容所群島を作る羽目になった。ソ連はメーソン(レーニン)vs反メーソン(スターリン)の抗争を繰り返している。スターリンはメーソンと孤独に戦い毒殺された。

・だがスターリンは外交面ではメーソンと妥協しユダヤ人メーソンのリトヴィノフを活用してゾルゲースターリンールーズベルトで真珠湾攻撃の情報を流した。

・スターリンの排ユダヤ運動はキーロフによりなされたがキーロフは1934/12/1メーソンに暗殺されその2年前はスターリン愛妻が謎の死を遂げユダヤメーソンの後妻カガノヴィッチの妹を迎える。1935/12/5ソ連新憲法にはユダヤ排斥禁止の項目追加。メーソンはトロツキーを使いスターリン追放画策。メーソンはユダヤの中で犠牲者が出る手の込んだ工作も実施しソ連国内の反ユダヤ主義者撲滅を狙う。

・ノモンハン事件などはメーソンによる策謀でスターリンの意図ではない。

・スターリンはマルクス主義を完全に理解していたがメーソン勢力は理解しておらず共産党で上に立てない。またスターリンは軍も支配していた。メーソンは違う。メーソンはアーリア国家を弱体化させるのが目的だから軍には入らない。

・NY在住ユダヤ人ローゼンバーグが米国の原爆の秘密ソ連に出したと電気椅子処刑されたローゼンバーグ事件はレッドパージで米国メーソン勢力が弱体化した為にソ連に情報投げた。この事からもソ連にはメーソン勢力ありと言える。

・メーソン勢力はソ連でのユダヤ抑圧状況を告発すべくソルジェニーチンを出す。

・ソ連ではメーソン教が若者に流布。コムソモリスカヤプラウダという青年共産同盟機関紙とリテラトゥールナヤガゼータという文学新聞が活動の舞台。

・ソ連中央委員 ゲオルギーアルバトフとジャーナリストのヴィクタールイスはクレムリンのスパイ

・ポーランドの「連帯」なる労働組合はメーソン組織

・アメリカは共産主義に汚染されているから貿易摩擦と言ってる。自由経済なら摩擦が起きて当然。それを阻害するのは共産主義者だからだ。米国は牛肉とオレンジ自由化を迫るがこれは自民党を困らせ左翼政党を作りたいから。
https://note.mu/obebe/n/n0ff3209aff5f
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html#c12

[近代史3] 日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい 中川隆
13. 中川隆[-9250] koaQ7Jey 2019年6月30日 17:01:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3310]

amazon.co.jp 久保田政男著書
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久保田政男bot(@KubotaMasaoBot)さん Twitter
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html#c13

[近代史3] 日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい 中川隆
14. 中川隆[-9249] koaQ7Jey 2019年6月30日 17:11:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3311]

【太田龍・氏の久保田政男論】
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/kubotamasaoco.html

 2006.9.6日付け「太田龍・氏の時事評論bP795」の「広島に原爆を投下した米空軍爆撃機に付けられた愛称「エノラ・ゲイ」は、イディッシュ語で、「天皇を屠れ」の意味である、との「モルデカイ・モーゼ/久保田政男」説」を貴重と思い転載しておく。(れんだいこ編集)

 二、三年前、ある本の中に、広島に原爆を投下した米軍機の爆撃機に、その乗組員たちは、「エノラ・ゲイ」と言う愛称を付けた。その「エノラ・ゲイ」の意味は、ユダヤ人のことばで、「天皇を屠れ」の意味である、と述べた。すると、ある読者が、その出典を教えてほしい、と言って来た。ところが、そのときは、その出典を思い出すことが出来ない。それからずっと気にかけて居たところ、今日、その出典を発見した。それは、「あるユダヤ人の懺悔―日本人に謝りたい」(モルデカイ・モーゼ著、久保田政男訳、日新報道刊、一九七九年、一九九九年)。この本の二百三十一頁、原爆搭載機「エノーラ・ゲイ」は、天皇を抹殺せよ

 「この意味はほとんど日本では知られていないようである。それはイディッシュ語である。イデッシュ語とは中東欧のユダヤ人が使っている言葉で、現在はニューヨークのユダヤ人の間で多少使はれている程度であるが、第二次大戦前までは中東欧で非常によく使われている言葉で、ヘブライ語、ロシア語、ドイツ語の混血語といえよう。さて Enola Gay の意味であるが、『天皇を屠れ』がそれである」。

 筆者は、この本を二十数年前に読んで居る。その後の筆者の研究では、この本の本当の著者は、訳者とされている久保田政男氏であって、「モルデカイ・モーゼ」の一件は、山本七平氏が「イザヤ・ベンダサン」のペンネームで本を出したのと同じケースであろう。筆者の久保田政男氏は、昭和七年(一九三二年)生まれ、とあるが、没年が分らない。

 筆者はかなり以前、久保田政男氏が反ユダヤ反フリーメーソン的著作を日本で出版し始めたので、暗殺された、と言う話を聞いた記憶があるが、これは確認出来ない。敗戦前、反ユダヤ反フリーメーソンの有力な研究者の一人に、久保田栄吉(一八八七年生まれ)、と言う人物が居た。久保田政男氏は、この久保田栄吉氏の子息である、と聞いたが、これも確認は得られて居ない。しかし、本書にある、「エノラ・ゲイ」は、イディッシュ語で「天皇を屠れ」の意味である。とは、久保田政男氏の調査した裏付けのある説である、と、思はれる。(了)

 久保田 政男氏の著作、翻訳本は次の通り。
 
 日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔 モルデカイ・モーゼ (1979/12、2000/1)

 フリ-メ-ソンとは何か (Ohtemachi books) 久保田政男 ( 1981/9)

 魔性の傀儡師(くぐつし) フリーメーソン―その世界戦略に日本は踊る ( 1984/1)
 ユダヤを操るロックフェラー帝国の野望―世... (トクマブックス) (1987/5)


【加茂忍なる者の当てこすり考】

 インターネット検索で「内ゲバ廃絶・社会運動研究会 掲示板」の「れんだいこが好きな久保田政男  投稿者:加茂忍 投稿日:2011年12月31日」に出くわした。次のように記されている。

 れんだいこが大好きなユダヤ研究家に久保田政男という人がいる。マルクスがユダヤ軍産のロスチャルイドやロックフェラーとつながっているなどというやからである。三一書房刊の「フリーメーソンの秘密」赤間剛著で、赤間氏に、久保田政男のマルクスとユダヤ軍産が繋がるという理論は、まったく荒唐無稽と書かれたこともあるような似非学者なのだ。久保田によれば、日本軍部まで、ユダヤの傀儡だそうだ。共産主義とユダヤ軍産は、つながらない。一部の反ユダヤ主義の中に、ほんとうに、このような論理を展開するものがいるが、事実無根である。コシミズも一部、久保田の影響を受けているところがあるので、彼の主張にも、半信半疑しか私は耳を傾けない。

(私論.私見)


 この投稿者にレスつけるのも面倒臭い内容なので、ここに私的に記しておくことにする。

 加茂忍なる者が何者なのか知らないが、「久保田によれば、日本軍部まで、ユダヤの傀儡だそうだ。共産主義とユダヤ軍産は、つながらない。一部の反ユダヤ主義の中に、ほんとうに、このような論理を展開するものがいるが、事実無根である」なる言で得々しているようではお話にならない。「日本軍部まで、ユダヤの傀儡」は実に然りであり、海軍は上層部は殆ど「ユダヤの傀儡」に占められていた。陸軍は半々であり、2.26事件に決起した将校グループは炙り出された面もあるが、「ユダヤの傀儡」化されている陸軍上層部に対する決起であった。この程度のことは少し検証すれば分かることである。「私は耳を傾けない」は勝手であるが、れんだいこを巻き添えにすることはあるまいが、この愚か者め。

 2012.6.10日 れんだいこ拝

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/kubotamasaoco.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html#c14

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