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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100388
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[近代史3] モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ 中川隆
3. 中川隆[-14005] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:11:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-674]

モーツァルト(クラヴィーア曲、声楽)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%29


クラヴィーア曲

ピアノソナタ

モーツァルトのピアノソナタは愛らしく可愛らしい曲が多い。単旋律を歌わせることに長けているモーツァルトに向いている分野である。現代ピアノの機能の一部しか使わずスケール感やピアニスティックな楽しみには少々欠けるものの、良作揃いで楽しめる。素直でシンプルな初期や中期の良く、後期の作品は考えすぎの感がありイマイチである。

•ピアノソナタ第1番 ハ長調 K.279(189d)◦3.5点


どの楽章もオーソドックスな構成や内容で、モーツァルトのソナタの魅力を端的に味わうことが出来る。

•ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280(189e)◦3.5点


1、3楽章は1番の方が良いが、2番は二楽章の短調のアダージョの魅力が素晴らしいのでトータルでは同じくらいよい。

•ピアノソナタ第3番 変ロ長調 K.281(189f)◦3.5点


各楽章いい。コロコロとした曲であり、最終楽章らしい感情に満ちた三楽章は特に魅力的。

•ピアノソナタ第4番 変ホ長調 K.282(189g)◦3.5点


いきなりアダージョで始まり、その魅力がかなりのもの。他の楽章は並。

•ピアノソナタ第5番 ト長調 K.283(189h)◦3.0点


イントロは耳を捉える魅力があるが、それ以降は詩的な魅力において1から4番までより少し下がると思う。

•ピアノソナタ第6番 ニ長調 K.284(205b)◦2.5点


最後の長い変奏曲は聞くのが大変。それ以外も発想の素晴らしさがあまりない。

•ピアノソナタ第7番 ハ長調 K.309(284b)◦3.5点


オーケストラのようにユニゾンで鳴らすイントロが耳に残る。各楽章が6番までより華やかでどの楽章も魅力がある。

•ピアノソナタ第8番 イ短調 K.310(300d)◦3.5点


初の短調ピアノソナタ。1楽章と3楽章の悲しみが疾走する感じが良い。

•ピアノソナタ第9番 ニ長調 K.311(284c)◦3.5点


1楽章がかなり魅力的。2,3楽章はいまいち。

•ピアノソナタ第10番 ハ長調 K.330(300h)◦3.5点


全部の楽章が魅力的。16番同様にハ長調をやさしく柔らかく詩的に非常に魅力的に鳴らしている。

•ピアノソナタ第11番 イ長調 K.331(300i) 『トルコ行進曲付き』◦3.5点


一楽章が主題や前半部分は魅力的だが、長い変奏曲なので後半は次の曲にいきたくなる。二楽章は並。三楽章の有名なトルコ行進曲は素晴らしいの一言。

•ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332(300k)◦3.5点

一楽章は内容充実。二楽章は伴奏に乗って歌うような曲。三楽章は技巧的フレーズなど工夫あり。短調を活用したり作者の意気込みを感じる。

•ピアノソナタ第13番 変ロ長調 K.333(315c)◦3.5点


全編がしなやかな瑞々しい美しさにあふれた曲。三楽章にカデンツァがあるのは面白い。

•ピアノソナタ第14番 ハ短調 K.457◦3.5点

二曲目の短調曲。同じハ短調の協奏曲を思い出す。イントロはベートーヴェンのようだ。二楽章の穏やかさによる対比はモーツァルトの得意技の一つだがやはり素敵。三楽章の性急さを持った悲しみの表現も素敵。で少し理屈っぽい。慣れが必要な曲だが良さが理解できると感動的。

•ピアノソナタ第15番 ヘ長調 K.533/494(旧全集では第18番)◦3.0点


大作というより長すぎの曲だと思う。モーツァルトのピアノソナタは若いときの発想の瑞々しさがだんだん無くなってそれを技術でカバーされてクオリティーを維持している印象があるのだが、この曲でいよいよ発想の衰えが顕著になって隠しきれなくなった感じがする。

•ピアノソナタ第16番 ハ長調 K.545(旧全集では第15番)◦4.0点


初心者向けとして有名だし、一般的な観賞用にもトルコ行進曲を除いてもっとも有名な曲。シンプルでコンパクトな中に巧みな作曲技術を生かした絶妙なバランスがあり、他人には真似出来ない不思議なほど耳を捉えて離さない美しさ。

•ピアノソナタ第17番 変ロ長調 K.570(旧全集では第16番)◦1.5点

モーツァルトのピアノソナタの中でダントツの駄作。冗長で内容も薄い。

•ピアノソナタ第18番 ニ長調 K.576(旧全集では第17番)◦2.0点

一楽章や三楽章のテクニカルさが楽しむポイントと思うが、発想力の豊さも美しさも足りないと感じる。


4手および2台のピアノのためのソナタ


•四手のためのピアノソナタ ハ長調 K.19d◦2.0点

9歳の作品。まだお子様の作品で、独奏のソナタでも構わないような単純な部分が大半である。しかしモーツァルトの旋律の癖や優美さなどのセンスが現れ始めているのが興味深い。

-四手のためのピアノソナタ ト長調 K.357(497a)

•四手のためのピアノソナタ 変ロ長調 K.358(186c)◦2.8点


音感の良さでは悪くはないのだが、冴えている霊感を感じる瞬間がほとんどない地味な曲。4手ピアノの音の厚さもあまり生かせていない。

•四手のためのピアノソナタ ニ長調 K.381(123a)◦3.3点


序曲風の豪華さがある1楽章。モーツァルトらしい穏やかな優美さを発揮しいる2楽章。オペラのような活力のある3楽章。いずれも管弦楽的で編曲のようであり、華やかさで耳を楽しませてくれる愉しい曲。

•四手のためのピアノソナタ ヘ長調 K.497◦3.3点


モーツァルトにしては、かっちりとした印象。規模が大きくて、堂々としていて、あまり優美さや愛らしさは感じない。2手用ピアノソナタとも協奏曲などの別ジャンルとも違うし、2人が活発に絡むのとも違う、独特のこの曲だけの音世界の美しさを作っている。若い新鮮さやメロディーの魅力が足りない点は物足りない。

•四手のためのピアノソナタ ハ長調 K.521◦2.8点


若いときの愛らしい曲調を取り戻している。しかし、音が薄くて4手で演奏する価値が低く、2手でいいのでは?と思ってしまう。メロディーも発想の瑞々しさに乏しい。愛らしいだけで面白くない曲になってしまっている。

•2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(375a)◦3.3点

冒頭が非常に印象的。オペラが開幕するような威勢のよい音楽。1楽章はそのまま元気に管弦楽的な豊かさを見せる。2楽章は優美で管弦楽的なまったりした豊かさがある。3楽章は少し印象が薄いが、悪くない。


その他のピアノ曲

•アレグロ ト短調 K.312◦2.5点


普通のアレグロ曲。特段感動しなかった。ひどい曲というほどではないが。

•メヌエット K.355

モーツァルトにしては異様な不協和音に近い響きや半音階的進行を使った部分に驚かされる。しかし、全体に美しさが感じられず、あまり価値が高い曲とは思えない。

•プレリュードとフーガ◦2.5点


モーツァルト本人のスタイルによる作品というより模倣による習作であるのは明らか。プレリュードといっても普通の曲ではなく、自由な疾風怒濤の激しい幻想曲である。CPEバッハとJSバッハの作品を真似したものとはっきり分かる。フーガは感心するほどの出来ではなかった。

•カプリッチョ K.395◦2.5点


モーツァルトとは思えないヴィルトゥオーゾ的な即興的パッセージで埋め尽くされた曲。違うCDと間違えたかと思うほど異色の作品で驚いた。たいした曲ではない。

•組曲 K.399◦3.0点


ヘンデルの組曲の影響を受けた曲。バロック音楽色がかなり強い、異色の曲。アルマンドが素敵だし、他の曲も頑張っている。

•アレグロ K.400◦3.0点


未完の曲。活発なソナタ形式のアレグロ。将来ソナタにする予定だったため、きっちりとした形式感があるし、かなり華やかな派手さがあるため楽しめる。

•フーガ ト短調 K.401◦2.8点


バロック風のフーガであり、未完成である。まだ若い時の作品であり、昔の作品を真似しながら書いたように感じた。

•行進曲 K.408◦3.5点


かなり楽しめる行進曲。規模が大きくて勇壮で、心踊るような元気な楽しさに満ちていて、かなり魅力的。行進曲を書いても一流であることに感服した。管弦楽曲の編曲。

•2台のピアノのためのフーガ ハ短調 K.426◦3.0点


成熟した内容である。大バッハのフーガにテーマも展開も非常に似ており、伝記に登場するようなモーツァルトのバッハ体験の強烈さを体感できる曲の一つ。

•小さな葬送行進曲 K.453a◦3.0点


ごく小さな曲であるが、内容はしっかりしており、小品として良い曲である。葬送曲らしさを楽しめる。

•主題と2つの変奏曲 K.460◦3.0点


愉しいテーマと細かく音を分断して派手にする変奏曲。自筆譜に2つの変奏しか無いそうだ。おかげで短くて聞きやすい小品になっている。

•アンダンテと5つの変奏曲 ト長調 K.501 (四手のための)

•幻想曲 ハ短調 K.475◦3.8点


ハ短調の曲らしく悲劇的で堅い印象。内向的な作品で形式にとらわれない自由なドラマ構築がされている。かなり暗い曲であり、モーツァルトの内に秘めていた熱いものをさらけ出している。堅さはあるものの、悲しみを乗り越えて現実を受け入れるかのようなメロディーは胸をうつ。ドラマティックな場面展開はかなり優れていて、ソナタには無い自由さと長大さを正しく使いこなして、曲を成功させている。

•幻想曲 ニ短調 K.397◦4.0点


短調の曲における悲劇と悪魔的な雰囲気を最も感じさせるクラヴィーア曲。むしろやり過ぎで、あからさま過ぎなのが気になる。とはいえ、素直に音楽の流れに乗れれば感動できるし、印象的な場面ばかりなのは確か。同じ二短調のピアノ協奏曲と共通点がある。

•ロンド ニ長調 K.485◦3.5点


愛らしい主題によるロンド。成熟した音楽であり、転調を繰り返しながら、場面展開を繰り返す。ピアノソナタの大半の楽章以上に複雑で充実した作品である。

•ロンド イ短調 K.511◦3.5点


晩年の諦観の香りがする曲。どこもなく人恋しく寂しい感じのする主題が胸をうつ。書法に他の作品とどこか違う簡素さがあり、モーツァルトのクラヴィーア曲の中で特殊な曲という印象を与える。

•小葬送行進曲 ハ短調 K.453a

•アダージョ ロ短調 K.540◦3.5点


悲しい人生経験を衝動的に表現したくなって書いた事が容易に想像出来る曲。モーツァルトらしい悪魔的な表現、内面的なドラマティックさの塊のような曲であり、切々とした寂しさや悲しみに強く胸を打たれる。これだけ端的にこのような表現をされた曲は珍しい。10分の大作だが、聞き入っているうちにあっという間に終わる。とはいえ、時間をかけて何か特別な用意をした感じの曲ではないので、点数は抑え目にした。

•小さなジーグ K.574◦2.5点

2分以下の小さな曲。ソナタでは聴かれない特殊な軽快で活発な音楽という点で、モーツァルトの新しい面を聴ける。スケルツォのようでもある。ただ、良い曲という印象はない。

•2台のピアノのためのラルゲットとアレグロ変ホ長調◦2.8点

2台ピアノの書法に成熟感があり楽しめるだが、メロディーにあまり魅力がないため、全体としてはいまいちな作品である。

声楽作品

ミサ曲

•戴冠ミサ ハ長調 K.317◦3.3点

華やかで豪華な印象の強い曲。しかし、あまり目立つ良さがない。モーツァルトの良さが十分に生きていないというか、ミサ曲に馴染んでいないと感じる場面が多いのと、メロディーにこれはという感動がない。職人的に書かれた機械音楽の趣が強いと感じる。とはいえ舞台音楽の名手らしい躍動感で音の輝きをみせるし、華やかな聴き栄えの良さはなかなかである。

•大ミサ曲 ハ短調 K.427(K6.417a)◦4.5点

このような曲を自主的に書き始めるのは、どのような切羽詰まった心境だったのだろうか?冒頭こそ半音階的でバッハのような堅さが目立つが、すぐに音楽は悲しみにくれた心情を露わに表現する音楽が始まる。ロマン派の誰よりも直接的な感情表現の得意なモーツァルトの独壇場となって、次々とシンプルでありながら見事に心を打つメロディーをみせる。その迫力においてやはり非常に価値のある曲と言えるだろう。レクイエムと比較したくなる曲だが、自身で完成している割合がずっと高い点ではこちらの方が素直に楽しめる。ただし長いため最後の方は飽きてしまうが。


合唱音楽・モテット

•モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618

•カンタータ『悔悟するダヴィデ』K.469

大ミサ曲ハ短調を改作した曲

•レクイエム ニ短調 K.626◦5.0点


映画アマデウスのイメージが強い。心の叫びのような素晴らしく感動的な曲が並んでいる。本人作は全曲良いが、その中でも特に全部本人が書いた1曲目は素晴らしいし、その後も次々と凄まじい曲が続いて圧倒される。ただし、全てが清算される無に返る超越的な事象である死を受け入れるというより、どちらかというと生への執着と劇的な悲しさを感じてしまう。他人が鎮魂するための曲というより、本人が死と格闘する曲であるかのようだ。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html#c3

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
19. 中川隆[-14004] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:17:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-673]

クラシック音楽 一口感想メモ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン( Ludwig van Beethoven,1770 - 1827)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3

音楽に魂を込めて、ずば抜けた才能と強靱な精神力と高い理想で、ロマン派への道を切り開くとともに、クラシック音楽の金字塔となる大傑作を数多く作曲した。

それまでの作曲家が多作で似たような曲を多数書いたのに比べて、一つひとつの曲を作りこんで際立った個性を与えている。

その結果生み出されたクラシック史上の最高峰の作品群は、後年の多くの作曲家の目標になり、道しるべとなった。そして、生涯に生み出せた全作品を総合的に比較するならば、後の作曲家は誰一人太刀打ちできなかったと言える。

短調の激情的なイメージが強いが、明るい曲の方がずっと多く、明るい曲の1番の魅力は気品の良さであると思う。


管弦楽曲

交響曲

自分のベスト3は5、6、9番である。

•交響曲第1番ハ長調 Op.21(1800年)◦3.3点


初々しさが魅力である。しかし、この時は既に7重奏曲やピアノソナタ8番などの名作を書いており、それらと比較すると、交響曲の形式で自身の代表作を書く、というほどの気合を感じない。初めての大規模な管弦楽曲ということで、チャレンジという気分が強かったのではないだろうか。もちろん、完成度はそれなりに高いものではあるが。

•交響曲第2番ニ長調 Op.36(1803年)◦4.0点


1番からかなり進歩していて、魅力的な部分が多々ある曲になっている。ベートーヴェン中期の芸風が完成形に近づく途上にある曲である。肩肘張りすぎな所はあるが、どの楽章も多くの推敲を重ねられた内容の濃いもので、自身の代表作を目指した気合いがよく分かる。長い序奏からの、胸が膨らむようなスケールと爽快さがある1楽章。穏やかな温かみに包まれるような2楽章。間奏的な3楽章。ノリノリで終結を盛り上げる4楽章。どれもよい。

•交響曲第3番変ホ長調「英雄」 Op.55(1805年)◦4.5点


音楽史におけるエポックメイキングな作品。巨大なスケールで天才的な発想に満ちており素晴らしいが、ベートーヴェンの野心とエネルギーが溢れ過ぎて統制が効いていないので、造形的な収まりが悪く、とっちらかった発散する感じがある。それはそれで聴いていてパワーに圧倒されるし初々しくて魅力的ではあるのだが、この後の作品群と比較すると聞いていて疲れてしまう。そのため、なかなか聞く気にならない。

•交響曲第4番変ロ長調 Op.60(1807年)◦4.5点


巨大な3番と5番にはさまれた4番は、マイナーであるが魅力的な部分が多く、かなり良い曲だと思う。表題性が感じられない絶対音楽的な2番4番8番の中で、最も天才的な霊感に満ちている。全ての楽章のほぼすべての箇所が素晴らしい。生き生きとした音の躍動感と、しなやかな優美さを併せ持っている。

•交響曲第5番ハ短調 Op.67(1808年)◦6.0点


クラシックを代表する1曲。無駄のない緊密さ、内面的なドラマの白熱、演出の巧みさ、構成の完璧さ、内容の斬新さ、天才的なひらめきに満たされており、何度聴いても素晴らしいと感嘆してしまう。すべての楽章が史上最高レベルの出来であり、1楽章は特に完璧である。特筆すべきは2楽章だと思う。あまり類似曲が思いつかない独特な緊張感と透徹した世界感であり、他の楽章だけではドラマ的すぎるこの曲に哲学的深みを与えて大成功させることにつながっている。

•交響曲第6番ヘ長調「田園」 Op.68(1808年)◦6.0点


天才的な旋律美にあふれた超名曲。全編が最高である。分かりやすい表題性、純粋な精神的な高貴さと、内面的なドラマ性、自然美の崇高なものへの昇華など、驚くべき成功をひとつの作品として兼ね備えたことは奇跡である。そして、ベートーヴェンは決して旋律美の作曲家ではないのに、この曲においては全ての場面が天才的な霊感の塊であり誰にも到達できない旋律の美しさに溢れている。圧巻は最終楽章である。自然の美に感謝する精神のドラマが素晴らしすぎる。ちなみに、リスト編曲のピアノ版も好きである。

•交響曲第7番イ長調 Op.92(1813年)◦4.0点


天才的だし華やかだが、一方で聴いていて疲れる曲でもある。ベートーヴェン後期の狂気が現れ始めており、作り物っぽくと自然さに欠けるところがあるので、最高レベルの曲とは思えない。

•交響曲第8番ヘ長調 Op.93(1814年)◦3.8点


本人は自信作であり、人気が無いのが不満だったそうだ。これが彼の交響曲の最高傑作という人もいる。しかし、自分はこの曲は地味だと思うし、思い入れをもてない。純粋な交響曲として、コンパクトで磨きがかけられており、完成度が高いのは確かだ。しかし、努力により作られた感じがして、自然に閃いたものが足りないと思う。それが内的な活力の足りなさという結果なっている。旋律の魅力にあと一歩の物足りなさを感じるし、楽章の有機的な構成感もいまいちである。ただし、もちろん他の作品があまりに天才的であるから、比較してそう感じるというだけで、素晴らしい作品ではある。

•交響曲第9番ニ短調(合唱付き)Op.125(1824年)◦6.0点


何度聴いても飽きない。耳が聞こえなくなった状況で、ここまでの高みに自分の力でたどり着いたベートーヴェンは本当に偉大だと思う。後期に入ってバランス感覚が崩れていたり、狂気を感じる曲が多いなか、この曲はバランスが良いうえに極めて楽曲として完成度が高く充実している。天才中の天才が何10年も積み重ねてきたものを集大成させることによって可能になる仕事としか言いようの無い、人類の宝のような作品となっている。そして崇高であるとともに親しみやすく、人を楽しませるエンターテイメント性も兼ね備えていることがまた素晴らしい。


協奏曲

ピアノ協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番 ハ長調Op.15(1795年)◦3点


初期らしい初々しさで、他の古典派のピアノ協奏曲と十分に対抗しうる作品ではある。

•ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調Op.19(1795年 )◦3点


1番と同様。

•ピアノ協奏曲第3番 ハ短調Op.37(1803年)◦3.3点


ベートーヴェンのハ短調らしさをあまり感じない。ベートーヴェンの中期の曲にしてはあまり面白くなく、まあまあであるという程度であり、個人的には思い入れがない。

•ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58(1807年)◦3.8点


5番の皇帝よりいいという人も多い曲であるが、個人的には同意できない。外面的な派手な5番より、気品の高さがあり素敵な雰囲気の4番の方がよいところもある。しかし、メロディーの良さや霊感の強さでは5番がやはり上である。4番はベートーヴェンの中期の中で上位の曲ではないと思う。

•ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」Op.73(1809年)◦5.5点


まさに「皇帝」の異名に相応しい、威厳と高貴さを感じる名曲。冒頭のピアノの豪快さな華やかさからして大変素晴らしい。オーケストラによるトゥッティーが始まるが、力感と威厳をもった天才的なメロディーが積み重なる音楽は、類例を思いつかない。2楽章は間奏的な変奏曲で落ち着く。そして3楽章のロンドのずば抜けた華やかさと高揚感の持続が1楽章と同様に大変に素晴らしい。ロマン派のどの協奏曲よりも高貴さと一貫性がある。協奏曲は得意分野ではないベートーヴェンだが、本気を出すとここまでずば抜けた曲を書けたという才能の高さに畏敬の念を感じる。

その他の協奏曲

•ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 ト長調 Op.40(1802年)◦3.0点


親しみやすい曲だが、特段優れている所はなく普通の曲である。ソロで始まるのが面白い。ベートーヴェンの曲の中ではかなりモーツァルトっぽい。

•ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 ヘ長調 Op.50(1798年)◦3.5点

どこかでよく耳にする有名な親しみやすいメロディーであり、曲の構成もメロディーの良さを活かしながらうまく適度な変化をつけてまとめられている。


•ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲 ハ長調 Op.56(1805年)◦1.5点


ピアノトリオの協奏曲。ソロ楽器同士の絡み合いは効果を上げておらず、メロディーは魅力が無い。3楽章の活発な雰囲気がやや楽しめるが、1楽章は特に楽しくなく、2楽章は少しましになる。オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルという独奏陣でも面白くないという、ベートーヴェンの大規模な管弦楽曲では飛び抜けた失敗作といえよう。


•ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61(1806年)◦3.5点

自分としては、この曲はベートーヴェンらしい良さはあるものの、マッタリしすぎだしメロディーの魅力も少なく、4大ヴァイオリン協奏曲の中では一番よくないと思っている。


その他管弦楽曲

•『ウェリントンの勝利』(戦争交響曲) Op.91(1813年)◦2.0点


作曲当時は評判だったようだが、ベートーヴェンにしてはかなりの駄作で、やっつけ仕事にしか聞こえない。

序曲

•『コリオラン』 Op.62(1807年)ハ長調◦3.5点


インスピレーションが豊富。序曲らしくすっきりとしていてキレが良く、端的な劇的表現が楽しい。

•『レオノーレ』第2番 Op.72a(1805年、オペラ「フィデリオ」初版の序曲)

•『レオノーレ』第3番 Op.72b(1806年、オペラ「フィデリオ」第2版の序曲)◦3.8点


交響曲にも使えそうな音楽的な密度と、序曲らしい清々しさや予感を感じさせる秀逸な曲。濃密の味わいはワーグナーのようだ。

•『エグモント』序曲(ゲーテの悲劇『エグモント』への音楽の序曲)Op.84(1810年) ◦3.5点


中期ベートーヴェンの管弦楽作品としてコンパクトに楽しめる。かなり有名だが、交響曲ほど充実した内容ではないしはっきりしたテーマも無いように思うので、それほど重要な曲ではないと思う。

•『シュテファン王』序曲(コッツェブーの祝祭劇『シュテファン王、またはハンガリー最初の善政者』への音楽 Op.117(1811年) ◦3.0


ごく普通の序曲。快活で聴きやすく、それなりにいい曲。

•フィデリオ序曲 Op.72c(1814年)◦3.5点


あまり特別なことはしていない序曲らしい序曲だが、胸が膨らむような広がり、優美さ、劇の期待感を高めるなどの手腕が見事で聴いて楽しい。

•『命名祝日』 Op.115(1815年)◦2.3点


祝典的な雰囲気の序曲だが、平凡であり面白くない。

•『献堂式』 Op.124(1822年)(『献堂式』全曲は序曲の他、『アテネの廃墟』Op.113から4曲を転用、WoO.98と合わせ初演)◦3.3点


ベートーヴェンが、純粋管弦楽のために作曲した最後の作品。気力は十分で堂々としており、胸の膨れるような感じや、後期らしい対位法的な書法も楽しめるので序曲の中でそれなりの存在感がある作品。

•『レオノーレ』第1番(遺稿) Op.138(1807年)◦2.5点


序曲らしい活発さや舞台への期待の盛り上げが足らない。駄作だと思う。

バレエ音楽

•『プロメテウスの創造物』 Op.43(1801年)◦2.5点(序曲)


序曲としてあまりにありきたりで、当たり前のフレーズばかりなのであまり面白くない。


室内楽曲

ヴァイオリンソナタ

•ヴァイオリンソナタ第1番 ニ長調 Op.12-1(1798年)◦3.0点


爽やかで明快な曲想のいい曲。自分で演奏したら楽しそうだ。三つの楽章が全部よい。

•ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 Op.12-2(1798年)◦2.5点


1番に比べると、いい曲という感じに欠ける。陽気で諧謔性があったり雰囲気が違うが、メロディーのレベルが落ちることの穴埋めにはなっていない。

•ヴァイオリンソナタ第3番 変ホ長調 Op.12-3(1798年)◦2.5点


2番と同様の印象である。頑張ってはいるが魅力が足りない。二楽章がイマイチだが三楽章は快活で聴きやすい。

•ヴァイオリンソナタ第4番 イ短調 Op.23(1801年)◦3.0点


短調の曲だが、悲劇的な感じではない。小型の形式の中でコンパクトにまとまっており、特別に凄いところはないが、アンサンブルを楽しめるし聴きやすい。

•ヴァイオリンソナタ第5番 ヘ長調「春」 Op.24(1801年)◦4.0点


やはり冒頭の美メロの魅力が最高である。この一楽章一曲でもヴァイオリン曲の歴史に名を残しただろう。他にもいいところが沢山ある名曲。

•ヴァイオリンソナタ第6番 イ長調 Op.30-1(1803年)◦2.5点


穏やかな雰囲気は悪くは無いのだが、美メロのような分かりやすい良さが無いので前後の名曲群と比べると評価は落ちる。

•ヴァイオリンソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2(1803年)◦3.0点


ハ短調の本格派だが、普通の曲であり特別光る楽章は無い。

•ヴァイオリンソナタ第8番 ト長調 Op.30-3(1803年)◦3.5点


一楽章はアンサンブルが華やか。二楽章はおだやかないい曲。三楽章も明るく華やか。全体にいい曲。

•ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47(1803年)◦4.5点


規模が大きく、悪魔的な魅力が強く心をひきつけてやまない。天才的なインスピレーションに溢れた曲。一楽章が特に大変魅力的。三楽章の活き活きした魅力も素晴らしい。ベートーヴェンの二重奏曲の最高傑作と思う。

•ヴァイオリンソナタ第10番 ト長調 Op.96(1812年)◦3.5点


後期の内省的だが人情の温かみを感じる筆致が全体に感じられて、他の曲とは違う魅力がある。


チェロソナタ

•チェロソナタ第1番 ヘ長調 Op.5-1(1796年)◦3.5点


1,2番は同時期に作曲。序奏付きの長いソナタとロンドの二楽章も共通。初期だが書法がしっかりしており、楽しんで聴ける。若者らしい清々しさがある。主題が両方の楽章とも魅力的。心地よく気持ちよく聴けて、とても好感を持てる曲。

•チェロソナタ第2番 ト短調 Op.5-2(1796年)◦3.3点


1番も序奏が長いが2番はあまりにも序奏が長すぎる。とはいえ、本編はしっかり書かれていてアンサンブルを楽しめる。1番と同様にこの時期にしては非常に充実した力作。まだ20代だがこれほど巨匠的な音楽を書けたのだなと驚いた。1番と比較して、異常に長い前奏の試みはやはり失敗と思うのと、メロディーの魅力が1番ほどではない点で、少しだけ落ちると思う。

•チェロソナタ第3番 イ長調 Op.69(1808年)◦3.5点


構成が充実していて、立派な曲。特に三楽章はチェロの魅力を存分に生かしたいい曲。中期の充実したベートーヴェンを楽しめる作品という高い評価を目にするが、自分はこの時期の作品にしては特別感がない並みの曲だと思う。ベートーヴェンの自信の漲っているところには関心するのだが、そこが一番の評価ポイントになってしまう。

•チェロソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1(1815年)◦2.0点


後期の音楽になっており、二楽章で長い曲ではないのだが、形式が自由で音楽の輪郭がくっきりせず正直よくわからない。

•チェロソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2(1815年)◦2.0点


4番よりは少しだけ解りやすいかもしれないが、やはり同様にはっきりせず深い意味を感じられないフレーズが続き、どうにも理解しにくい。


弦楽四重奏曲

初期の弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 Op.18-1(1800年)◦3.0点


2楽章の歌心あふれた悲しい出来事を直截に表したような音楽が非常に印象的。しかし他の楽章は、典型的な快活だが面白くない初期ベートーベンの音楽。

•弦楽四重奏曲第2番 ト長調「挨拶する(Komplimentier)」Op.18-2(1800年)◦2.0点


モーツァルトのような均整とハイドンのような端正な快活さを併せ持っている。しかしながら、フレーズに聴いていて愉しいような魅力が足りないと感じる。

•弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 Op.18-3(1800年)◦2.5点


全体的に普通の曲であり、さしたる特徴がない。アダージョや最終楽章など耳を楽しませる音楽ではある。

•弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op.18-4(1800年)◦4.0点


悲愴ソナタと同様に同時代の同ジャンルの中でずば抜けた内容である。発想の豊かさ、響きの充実、内容の豊富さはいずれも中期の曲に匹敵する。ただし意外なことに彼のハ短調の曲らしさはあまりない。

•弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18-5(1800年)◦2.5点


1、2、3楽章は充実した内容である。二楽章の内容の豊富さや三楽章の若干複雑なリズムなど工夫や創意が楽しめる。四楽章の序奏はいけていない駄作だと思う。

•弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 Op.18-6(1800年)◦3.5点


優雅で古典的な美しさに溢れている。2楽章は特に貴族のような上品な優美さであり印象的だが、他の楽章も同様に上品であり、しかも堂々として充実した内容である。4楽章の冒頭に悲しみに打ちひしがれたような序奏があるのも効果的。


中期の弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調「ラズモフスキー1番」Op.59-1(1806年)◦4.3点


それ以前の弦楽四重奏2〜3曲分の内容はありそうな巨大な曲。チェロのイントロのフレーズの感じさせる広大さからして、胸の膨らむようなワクワクさせる素晴らしさである。三楽章の悲しみ、最後のロシア主題の絡みつく声部の魅力まで、各楽章が実に幅広くて圧倒的に巨大であり、それが4つの楽章もあるのだから、たまらない。画期的な壮大さの点で交響曲3番を連想する。

•弦楽四重奏曲第8番 ホ短調「ラズモフスキー2番」Op.59-2(1806年)◦3.0点


同じラズモフスキーでも二番はサイズも内容も小ぶりな曲。音の充実や絡み合い方は素晴らしいものの、聴後に残る印象は強烈なものではない。

•弦楽四重奏曲第9番 ハ長調「ラズモフスキー3番」Op.59-3(1806年)◦3.5点


一楽章の英雄的な力強さは魅力的。二楽章は静かで淡々としすぎて、明快な良さに欠けると思う。三楽章は小さな曲。四楽章は非常に力強くてスピード感あふれる立派な素晴らしい曲である。

•弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調「ハープ」Op.74(1809年)◦4.0点


ラズモフスキーほどの衝撃的な密度ではないかもしれないが、音楽が力強く構成力も同等の内容と思う。ハープの愛称だが、優美で女性的というわけでなく非常に男性的な曲。三楽章まで素晴らしいが最終楽章がいまいち。

•弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調「セリオーソ」Op.95(1810年)◦4.5点


一切の冗長性を排した凝縮された音楽であるとともに、生真面目で文字通り厳粛な作品。すべての楽章が聴き映えする傑作である。曲の構成のバランスが完全に計算されていることや、圧倒的に劇的で密度の高い点は、交響曲5番を彷彿とさせる。

後期の弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調Op.127(1825年)◦4.0点


二楽章のアダージョは後期らしい変奏曲の大作で大変素晴らしく、長い曲だがずっと聞き入ってしまう。一楽章や四楽章も重厚でなかなかよい。

•弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調Op.130(1825年)◦3.0点


自分の修行が足らないのかもしれないが一楽章から四楽章までは平凡な面白くない音楽だと思う。五楽章は幻想世界の深層世界を彷徨うような美しく素晴らしい曲。その後は大フーガでなければ風呂敷を広げたままになりバランスが悪い平凡な曲になってしまうと思う。新しい方の最終楽章も悪くはないのだが。

•弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調Op.131(1826年)◦4.0点


各楽章のバランスが良く推進力があり、後期によくある停滞しているような楽章がない。間奏曲的な楽章も内容が豊かである。その代わり後期作品によくあるアダージョの決定的な大傑作楽章はない。自由闊達な構成で曲を把握するのに時間がかかる変わった曲だが、構成を覚えて理解出来るようになると、胸に迫るような熱く温かい真情に曲全体が溢れていることが分かり、感銘を受ける。晩年になって到達した世界は、あまりにも画期的で驚く。

•弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132(1825年)◦4.0点


クライマックスの3楽章が感動的で泣ける。なんという感謝の心に満ちた音楽だろう。その他の楽章はどれも中期のような緊密さを保持している濃厚な内容であり、聴きやすい。

•大フーガ 変ロ長調 Op.133(1826年)◦3点


単体で聞くと、気が狂ったのかと思ってしまうような狂気に満ちている。聴いていて楽しい曲ではない。

•弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135(1826年)◦3.5点


爽やかな一楽章、ユーモアがある二楽章は、初期に戻ったかのようなシンプルで快活な音楽でここまでは普通の曲である。三楽章が濃厚で胸に迫りくるものがある、人生を振り返るかのような後期の実力をいかんなく発揮した美しいアダージョ。四楽章の序奏も、人生において闘い問い続けたベートーベンの人生を総括してるかのよう。アレグロもどこか感動的なエモーショナルなものがある。しかし、曲の最後まで勢いを保たず力尽きてきてしまい、なんとか最後の力で曲を締めくくって終わるのがなんとも印象的。


ピアノ三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1(1794年)◦2.0点


娯楽作品の印象が強い。そしてまったりしすぎであまり面白くない。

•ピアノ三重奏曲第2番 ト長調 Op.1-2(1795年)◦2.0点


1番と同様の印象。爽やかではあるが面白くない。

•ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.1-3(1795年)◦2.5点


1、2番と比較して少し成長している気がする。1楽章に少し充実感があるし、他の楽章も多少見所がある。

•ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調「街の歌」 Op.11(1797年)◦2.8点


1楽章はメロディーがつまらないため魅力がない。2楽章は楽器に存分に歌わせる楽章で、高い価値があるのはこの楽章のみである。3楽章は1楽章ほどではないがあまり魅力がない。

•ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調「幽霊」Op.70-1(1808年)◦2.8点


1楽章は冒頭のいきなりのユニゾンに驚かされるが、それ以外は面白くない。2楽章は痛切な感情を押し殺しているようなじわじわとした雰囲気で少し面白い。3楽章は活気ある雰囲気でそれなりに楽しめる。

•ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2(1808年)◦2.3点


1楽章は叙情的ではあるがぱっとしない感じで面白くない。2楽章も3楽章も4楽章もベートーヴェン中期らしからぬ平凡さであり、まるで2流作曲家のようだ。全体にベートーヴェン中期の作品にしては駄作だと思う。同時期ならフンメルのピアノ三重奏曲の方が優れているかもしれない。

•ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調「大公」Op.97(1811年)◦6.0点


古今の室内楽を代表する一曲だろう。親しみやすさ、旋律の豊かさ、しなやかさ、漂う高貴な気品がすばらしい。規模が大きく雄大であり、ゆったりとした時間の流れを楽しめる。爽やかな風のような心地よい気分になれる曲でありながら、しかし濃密な時間が流れる。構成はがっしりとしていて手応え十分である。

弦楽三重奏曲

•弦楽三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.3(1794年)◦3.0点


ベートーヴェンらしい高潔さと力強さを感じられる。初期の室内楽の中では単なる娯楽性に終わらない芸術性を感じる作品となっている。

•弦楽三重奏曲第2番 ト長調 Op.9-1(1798年)◦2.0点


後年の成長の萌芽が沢山秘められている曲だが、冗長であるとともに、三重奏の音の薄さが気になってしまう。弦楽四重奏の作曲の練習に書いたという価値しか見いだせないと思ってしまう。二楽章の歌心あふれる音楽はなかなか良いのだが。

•弦楽三重奏曲第3番 ニ長調 Op.9-2(1798年)◦2.5点


感想は2番とほぼ同様だが、短調の2楽章が効果的なのと、ベートーヴェンらしい3楽章のメヌエットや活発な4楽章も悪くないので少し上だと思う。

•弦楽三重奏曲第4番 ハ短調 Op.9-3(1798年)◦3.0点


前半の2楽章はなかなか立派な曲。後半は物足りないのだが、初期らしい爽やかさと、一生懸命頑張っている感じは悪くない。

•弦楽三重奏のためのセレナード ニ長調 Op.8(1797年)◦2.5点


娯楽作品であり、曲はバラエティーに富んでいる。また、弦が3本しか無いが、音が薄いことへの不満は無い。しかし、自分の聴いた演奏のせいなのかもしれないがあと一歩の何かが足らない。

弦楽五重奏曲

•弦楽五重奏曲 変ホ長調(管楽八重奏曲 変ホ長調 Op.103の改作) Op.4(1795年)◦2.0点


作品103の8重奏を編曲したもの。穏やかな雰囲気で落ち着いて聴ける曲だが、初期過ぎて発想も音の使い方も個性が無く、凡庸で面白くない。

•弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29(1801年)◦3.5点


初期の弦楽四重奏曲より優れているのに、聴かれる事が少ないのはもったいない。堂々とした巨匠の香りが漂う作品であり、2楽章のピチカートに乗ったとろけるようなメロディーの部分など魅力的な箇所が多くある。

•弦楽五重奏曲(フーガ)ニ長調 Op.137(1817年)◦2.0点


弦楽五重奏のためのフーガ。2分の短い曲であり内容もありきたりに聞こえた。特に感想を持てるほどの作品ではない。


その他の室内楽曲

•八重奏曲 変ホ長調 Op.103(2本ずつのオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)(1793年)◦2.5点


悪い曲ではなく、くつろいだ気分で管楽器の合奏をまったりと楽しめるのだが、ベートーヴェン作品に求めたい優秀さがほとんど感じ取れない。平凡な作曲家の作品のような印象。

•六重奏曲 変ホ長調 Op.81b(2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、2つのホルン)(1795年)◦3.0点


ホルンの響きと合奏を楽しむことは出来るが、あまり弦楽四重奏との絡みを楽しめないし、ホルンパートの魅力も今一歩で、ベートーヴェンの管楽器入りの合奏曲の中ではいまいちな部類である。

•2本のオーボエとコーラングレのための三重奏曲 ハ長調 Op.87(1795年)◦3.0点


3本の管楽器のアンサンブルの爽やかな美しさを楽しめる。曲は取り立てて優れている訳ではないが、初期ベートーヴェンらしい気品と清々しさとセンスは活かされている。

•ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 Op.16(1796年)◦3.3点


2楽章が管楽器らしい音の温かさを生かした美しいかんじょ楽章で素晴らしい。1,3楽章は管楽器の合奏を楽しむ娯楽作品であり、優秀ではあるが名作というほどではない。

•六重奏曲 変ホ長調 Op.71(2本ずつのクラリネット、ホルン、ファゴット)(1796年)◦3.3点


まだベートーヴェンらしさがあまり感じられない。娯楽作品だが、管楽器の合奏曲として、耳に優しく優美で温もりのある響きと音色や楽器の絡みを案外楽しむことが出来る。

•6つのドイツ舞曲(アルマンド)WoO.42(ヴァイオリン、ピアノ)(1796年)

•四手のためのソナタ ニ長調 Op.6(1797年)◦3.0点


全2楽章の短い曲。1楽章はコンパクトなソナタでメロディーに魅力ある。2楽章はあまり面白くない。

•七重奏曲 変ホ長調 Op.20(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルン、ファゴット)(1799年)◦4.0点


大編成であり、オーケストラ並みの声部数と重奏の楽しさを味わえる。どの楽章もセンス満点で心から楽しめる名作。娯楽性の高い作品でありながらベートーヴェンの天才を存分に味わえるのが新鮮。

•ホルンソナタ ヘ長調 Op.17(1800年)◦3.8点


1楽章はまさに初期らしい内容で、すっきりとした爽やかで快活なソナタ。2楽章は短くて間奏曲の役割。3楽章は伸びやかなロンド。あまり話題に挙がらない曲だがホルンの魅力とあいまってかなり魅力的。聴後にすがすがしい印象を残す作品である。

•フルート、ヴァイオリン、ヴィオラのためのセレナード ニ長調 Op.25(1801年)◦2.5点


娯楽的なセレナード。特殊構成であり、フルートの明るさを楽しめるものの、低音が無いためフワフワとした音響。作曲者の気合いをあまり感じず面白くないが、長い4楽章と6楽章は割と優れている。

•ピアノとフルートのためのセレナード ニ長調 Op.41(1803年)◦2.5点


作品25を他人が編曲しベートーベンは校訂だけをしたそうだ。こちらの方が楽器構成としては親しみやすいが、編曲がいけてない。ただ、4、6楽章がやはり優れているのは作品25と同様である。

•四手のための3つの行進曲 Op.45(1803年)

•ヴィオラとピアノのためのノットゥルノ ニ長調 Op.42(1803年)◦2.5点


弦楽三重奏曲op8の他人による編曲。編曲はなかなか優秀で、音が薄くてピアニスティックでないものの、十分に曲を楽しめる。

•フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための6つの主題と変奏 Op.105(1817年)◦2.5点


シンプルな変奏曲集。フルート学習者には良さそうだが、一般的な鑑賞にはあまり向かない。民謡が主題なので親しみやすく聴きやすい曲もある。

•フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための10の主題と変奏 Op.107(1820年)◦3.3点


作品105と同様の小さな変奏曲集だが、主題の魅力も変奏の自然さ音楽の美しさは作品105よりかなり上であり、民謡の主題の素朴な楽しさもあって何度も聞いてみたい曲になっている。

•大フーガ(Op.133を四手のために編曲)Op.134(1826年)◦3.0点


大フーガのピアノ用編曲だが、やはりこちらよりも元の弦楽の方が声部の聞き取りが容易でテーマの力強さがいかされるので良いと思う。このピアノ版の方がマイルドで耳に痛くないので最後まで簡単に気楽に聴き通せる利点はある。


ピアノ独奏曲

ピアノソナタ

初期ピアノソナタ

•ピアノソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1(1794年)◦2.8点


既に力強い表現への意志が発露していることには感動する。悲劇的で激情的な音楽。初めての出版作品のソナタとしての、気合いを感じる力作。しかし、音がスカスカであるのは否めず、どうしても未成熟な物足りなさを感じる。

•ピアノソナタ第2番 イ長調 Op.2-2(1795年)◦3.3点


明快で力強くしかも高潔な、後年のベートーヴェンの音が既に鳴っている。特に前半の2つの楽章は素晴らしい曲である。しかし、4楽章がいまいちであり、繰り返し聴いてもピンとこない。1番の音の密度の問題は改善されており、むしろ若々しい躍動感を楽しめるようになった。作品2の3曲は、20番台に匹敵する良い曲である。4楽章制のスケール感やメロディーの良さ、おおらかさ、躍動感、品の良さなど、小さくまとまっていない独自の魅力がある。ただし、曲に開眼するには、作曲技術の未成熟さを補う演奏者の力量と鑑賞者の耳の慣れが必要である。

•ピアノソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3(1795年)◦3.3点


1楽章が大作。全体的におおらかで胸がすくような広大さと音の躍動感が楽しい曲。

•ピアノソナタ第4番 変ホ長調 Op.7(1797年)◦3.3点


どの楽章も管弦楽のような交響的な音楽と感じる。メロディーにどの楽章もなかなかの魅力がある。4楽章のおおらかさと中間との対比がドラマチックで良い。

•ピアノソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1(1798年)◦2.8点


1楽章は冒頭のみ激情的でバランスが悪く、発想もいまいち。3楽章も性急さの雰囲気が1楽章よりは良いがやはりイマイチである。2楽章は真心に溢れた美しい曲であり、この楽章だけならば価値は高い。全体にハ短調の曲として悲愴ソナタの準備となる曲と思うが、レベルは落ちる。

•ピアノソナタ第6番 ヘ長調 Op.10-2(1798年)◦3.0点


まだ荒削りだが、音に若干の成熟が見られる。コンパクトで、個性的な楽章の集まった曲という印象。作品2のような壮大な野心は感じない。どの楽章もまあまあだが、1楽章は面白みがもの足りないと感じる。

•ピアノソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3(1798年)◦3.0点


四楽章で荒削りでイマイチな部分と素敵な部分が混在している。

•ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」 Op.13(1799年)◦5.0点


2楽章はベートーヴェン生涯でも屈指の名メロディーだ。何度聴いても本当に素敵だなあと感嘆する。1楽章はこの時期にしては大変な力作である。悲壮感や憂いなど、多くのものが詰め込まれている。3楽章の性急さと多くの詰め込まれた楽想はベートーヴェンの努力を感じる。ピアノ書法や音響の豊かさや構成の緊密さなどの完成度の高さは後年に及ばない。しかし、若い瑞々しい感性と本気度が、持ち前の才気とぶつかり合って融合し、時間をかけて集めたのであろう多くの多彩なアイデアをぎっしり詰め込んだことで、強烈な魅力を放つ作品になっている。

•ピアノソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1(1799年)◦3.0点


10番とともにしなやかで優美な印象が強い。活き活きとした感じを残しつつも、初期のような角があり無理のあるピアノ書法がだいぶ無くなり中期に近づいてきた印象

•ピアノソナタ第10番 ト長調 Op.14-2(1799年)◦3.0点


9番同様にしなやかで優美な魅力。コンパクトによくまとまっている。

•ピアノソナタ第11番 変ロ長調 Op.22(1800年)◦3.5点


四楽章の雄大さと優美さを兼ね備えた力作。後半の二つの楽章がキャッチー。

•ピアノソナタ第12番 変イ長調 「葬送行進曲」 Op.26(1801年)◦3.0点


ソナタ形式の楽章がなく画期的な曲ではある。葬送行進曲はいい曲だが、英雄交響曲のそれと比較してしまうとかなり物足りないといわざるをえない。他の楽章も中期に向かう興味深さはあるが観賞曲としての素晴らしさは足りない。


中期ピアノソナタ

•ピアノソナタ第13番 変ホ長調「幻想曲風ソナタ」 Op.27-1(1801年)◦3.5点


全編どこか内面を向いた曲調で、前を向いた明快な快活さに欠ける。まさに幻想風の自由な曲なので落ち着かないのだが、分かってくると実はあの「月光」と一緒に出版されただけのことはある良い曲である。

•ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調「幻想曲風ソナタ」(月光) Op.27-2(1801年)◦5.5点


1楽章は発想が素晴らしい。シンプルだがベートーヴェンの作品の中でも屈指の強烈で天才的な詩情を見せている。暗黒の闇に溶け込んでいく、タッタターというモチーフのかっこよさには痺れる。2楽章は両端の音楽に息をつく暇ががないので、間奏として丁度よい。3楽章は全く隙がなくて、とにかくめちゃくちゃカッコいい曲。切れ味の鋭さはベートーヴェンの中でも屈指の出来である。

•ピアノソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op.28(1801年)◦3.3点


1楽章の主題は田園風という愛称がふさわしい曲。しかし、全体は田園交響曲のような標題音楽ではなく他の多くと同様に抽象的なソナタである。内容充実で中期らしさが顕著になってきている。

•ピアノソナタ第16番 ト長調 Op.31-1(1802年)◦2.5点


どの楽章も印象がかなり薄い。

•ピアノソナタ第17番 ニ短調「テンペスト」 Op.31-2(1802年)◦3.5点


評価しにくい曲。一楽章はかっこいいのだが、やや通俗的な感じがしてしまう。二楽章はベートーヴェンの本気曲で登場する緩徐楽章らしい音楽で素晴らしい瞬間もあるが、密度が薄い。三楽章は無窮動の曲だが、1楽章と同様に通俗的な野暮さが気になる。どうしても自分の中で1楽章や3楽章が熱情ソナタと類似する部分があるために、その縮小版と位置づけて聴いてしまう。

•ピアノソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3(1802年)◦3.5点


明るくて飛び跳ねるような快活さにあふれており、マイナーだが結構いい曲である。

•ピアノソナタ第19番 ト短調(やさしいソナタ)Op.49-1(1798年)◦3.0点


学習者におなじみの2曲の易しいソナタの一曲目。一楽章は並だが二楽章は活き活きとしたいいロンド。

•ピアノソナタ第20番 ト長調(やさしいソナタ)Op.49-2(1796年)◦3.5点


おなじく学習者にはお馴染みの曲。両楽章ともいい曲。よい出来である。

•ピアノソナタ第21番 ハ長調「ワルトシュタイン」Op.53(1803年)◦4.0点


ハ長調で広大なスケール感と運動的な音の動きの感覚が売りの曲。沢山の素材を使った雄大で快活な一楽章。2は間奏曲。胸のすくような広大な三楽章が素晴らしい。

•ピアノソナタ第22番 ヘ長調Op.54(1804年)◦3.0点


まるで巨大な二曲の間奏曲のよう。この曲をシューマンが評価したそうだ。特に2楽章はシューマンに似ている。同じパッセージを使いながらうねって雰囲気を作る感じは、小品集に入っていても違和感が無さそう。1楽章も2つの楽想の対比があまりソナタの楽章ぽくない。ベートーヴェンの曲としては異色。1楽章はたいした曲ではないが、2楽章もはやロマン派のピアノ曲のようで先進的でなかなか良い。

•ピアノソナタ第23番 ヘ短調「熱情」 Op.57(1805年)◦5.5点


1楽章は、武士の居合い抜きのような静寂と一瞬の動きの対比が生む独特の緊張感が面白い。第2主題が渋くてよい。2楽章は幻想的で甘い切なさもある、大変美しい変奏曲。音を細分化していく変奏曲は数多くあるが、音楽が高揚して奔流のようになることで、これほどまでに感動的に心をゆり動かすことは少ない。3楽章は無窮動であり、急かされ走り抜ける緊迫した激情が息をもつかせないものであり、非常にかっこいい。どの楽章も本当に素晴らしいくて、完成度が高い。

•ピアノソナタ第24番 嬰ヘ長調「テレーゼ」 Op.78(1809年)◦4.0点


1楽章の穏やかで優しい気持ちになる曲想で素敵な曲。2楽章は1楽章のような素晴らしさがないのだが、1楽章の素敵さだけで大いに価値がある。1楽章は愛しい人の甘い思い出や人柄を回想するような曲である。

•ピアノソナタ第25番 ト長調「かっこう」 Op.79(1809年)◦3.0点


各楽章が短いこと、主題がシンプルであることから、ソナチネに分類したいような曲。内容は悪くないが、この時期にしては特に優れているわけではない。勢いにまかせたような1楽章と軽快でコミカルな3楽章の間に、童謡のように素朴な2楽章が挟まっているというシンプルながらも面白い構成を楽しむ曲。

•ピアノソナタ第26番 変ホ長調「告別」 Op.81a(1809年)◦3.5点


ルドルフ大公への親愛の情を込めた曲として全体に真心を感じられていい。人気曲のようだが、個人的には上位には属するものの特別にいい曲とは思わない。

•ピアノソナタ第27番 ホ短調 Op.90(1814年)◦4.0点


ピアノの歌わせ方がシューベルトのようだ。心にぐっと迫るくるものがある。特に二楽章は素晴らしい。

後期ピアノソナタ

•ピアノソナタ第28番 イ長調 Op.101(1816年)◦3.5点


後期らしさが顕著になった曲。どの楽章も温かみがあるシンプルながらも柔らかい響きが美しい素敵な曲。全体が綺麗にまとまっている最後の曲。

•ピアノソナタ第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィーア」 Op.106(1818年)◦4.0点


圧倒的な巨大建築のような壮観さと交響曲と同等のスケール感は、結局のところロマン派以降の誰も真似をしようとしなかった。オンリーワンの怪曲といえる。交響曲のように堂々として立派な1楽章。ブルックナーのように深淵の底を逍遥するような雰囲気の長大な3楽章は素晴らしい。4楽章の高速なフーガはものすごい迫力であるが、正直なところ普通の音楽として鑑賞するのは困難と感じる。

•ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109(1822年)◦4.5点


1楽章はシャガールの絵のように幻想的な大伽藍である。少しヘンな曲だが何度も聞いて理解が進み、幻想性に浸れるようになると大変美しいと感じる。2楽章が少し野暮で、現実に一時的に引き戻される。そして、この曲の核心はなんといっても三楽章の変奏曲である。あまりにも美しく、温かみを持って人生の素晴らしさを回想するかのごとく切々と心に訴えかける素敵な主題の魅力は大変なものである。それを何度もかみ締めるように繰り返していきながら、自由に大きく変容して行く変奏もすごい。32番の変奏曲のような究極的に突き詰めた彼岸の世界の凄みはない代わりに、人間的な心温まる現実的な素晴らしさでは上回る。

•ピアノソナタ第31番 変イ長調 Op.110(1822年)◦4.5点


1楽章は非常にまとまりがよく、美しい冒頭から心惹かれる。静謐さとおおらかさと幻想性とまとまりが共存して絶妙なバランスで成り立っているのが素晴らしい。2楽章は現実的であるが、特段の特別性はないと思う。3楽章がなんといっても驚異的な後期ベートーヴェンならではの傑作であり、この曲の価値の多くはこの楽章にある。嵐の中で孤独を耐えるような嘆きの歌や、晴れ晴れとした気持ちや人生の前向きな気持ちを描いたようなフーガ。自由度の高い複数の場面転換が驚異的な効果を産んでおり、あまりにも強烈に心を揺さぶる。曲を聴き混んで全部覚えると、虜になって二度と離れられなくなるような強烈な魅力がある。フーガはバッハが築いた世界を独自に敷衍し、後期らしい自由さとともに人間の心に深く力強く訴えるものを持っており、素晴らしい出来である。最後の歓喜溢れる気分にもっていく場面は素晴らしい。

•ピアノソナタ第32番 ハ短調 Op.111(1822年)◦4.0点


1楽章はハ短調らしい正統派の緊張感があり、なかなかよい。緊張度が高く、鋭く無駄をそぎ落としたような曲であり、対位法の効果が印象的。ただ、若干の無理を通して主題をつなげてソナタを成立させているような印象があり、聴きにくさを感じさせるため、個人的には愛着を感じない。前2曲と違い、とってつけたようなスケルツォが無いのは良いところ。長大な変奏曲である2楽章は、晩年の多くの傑作変奏曲の中でも特に自由であり、魂が身体から分離して宇宙のはるか彼方の遠くに連れて行かれるような感じのする、驚異的な曲である。時代を60年先取りし、肥大化したロマンを極めたかのような境地に達したベートーヴェンの凄みがここにある。


変奏曲

•創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34(1802年)◦3.3点


優しく穏やかな主題による変奏曲。常に気品にあふれているのが素敵。やや長い曲だが各変奏は変化が大きく、表情豊かで歌心があるので飽きない。

•『プロメテウスの創造物』の主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 Op.35(1802年)◦3.5点


2つの主題が魅力的なので、繰り返し変奏されても飽きない。変奏曲としてのバリエーションの豊富さや展開力はベートーヴェンにしてはやや物足りなく、まだ中期に入ったばかりなのを感じさせる。しかし、最後のフーガからのコーダの素晴らしさなど聴き所はある。

•創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80(1806年)◦2.5点


短い主題の変奏でピアノの教材としてはいいのだけれど、聴くための曲としては主題もややありきたりだし、あまりおもしろくない。

•創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 Op.76(1809年)◦3.0点


有名なトルコ行進曲の主題による変奏曲。明るく勇壮に変奏される。

•ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120(1823年)◦3.3点


長大で非常に立派な変奏曲。次々と万華鏡のように移り変わる雰囲気を楽しめる。しかし主題に魅力が無いからか、変奏を重ねてもあまり音楽が深まらず、間奏曲が延々と続いているようになっているのが不満。所々にある後期らしい瞑想の雰囲気は魅力。最後の穏やかな変奏は感動する。


その他のピアノ独奏曲

•すべての長調による2つの前奏曲 Op.39(1789年)(またはオルガン)◦2.5点


対位法的な作品。全ての調を一巡しているらしい。1曲目はあまりに教科書的だが2曲目の方は少し楽しめる。

•ロンド・カプリッチョ ト長調(「失われた小銭への怒り」)Op.129(1795年)◦3.0点


技巧的な部分もあるロンド。ややエキゾチックな雰囲気もある。それほど魅力を強く感じる曲ではないが、活発で変化があるのでつまらなくはない。

•アレグレット ハ短調 WoO.53(1797年)◦3.0点


劇的な力強さと柔らかい部分など対比の強さが印象的な小品。ソナタとは違う味がある。

•ロンド ハ長調 Op.51-1(1797年?)◦3.0点


穏やかで柔らかいロンド。初期の瑞々しい感性と、ベートーベンらしいフレーズを多く聴ける。

•ロンド ト長調 Op.51-2(1798年?)◦3.0点


優美で穏やかなロンド。長い序奏がある。ピアノソナタではあまり無いようなシンプルさで、モーツァルトを時々連想してしまうほど。

•ピアノのための7つのバガテル Op.33(1802年)◦2.5点


小品集。特段の印象に残る優れたい曲は1曲も無かったが、人恋しさを歌うような優しさと愛らしさがあり、ソナタとは違う独特の魅力がある。

•幻想曲 ト短調・変ロ長調 Op.77(1809年)◦3.0点


ザ・幻想曲とでも呼びたいような、自由な変化を楽しむための曲。ソナタ等では到底聴けない自由さを楽しめる面白い曲ではある。

•バガテル『エリーゼのために』イ短調 WoO.59(1810年)◦5.0点


非常に有名な作品。冒頭はシンプルだが、切々とうたう感じが心に強く迫る。

•ポロネーズ ハ長調 Op.89(1814年)◦3.0点


竹を割ったようなスカっとする雰囲気など、ベートーヴェンの特質が活かされているポロネーズ。ただの小品ではなく、割と楽想が豊かで場面が展開されていく曲。

•ピアノのための11の新しいバガテル Op.119(1822年)◦2.3点


曲が1曲目以外は2分以下と短い。そのせいで各々の曲に断片的な感が増してしまったせいか、あまり魅力がない。

•ピアノのための6つのバガテル Op.126(1824年)◦3.3点


ベートーヴェンの最後のピアノ作品。最晩年の作品として、弦楽四重奏曲と同様のずっしりとした精神的な重さがあり、夢のような儚さと人生を回想するような曲集になっている。他のバガテル集よりずっと聴き応えがある。

•アンダンテ・マエストーソ(「さらばピアノよ」)ハ長調 WoO.62(原曲は作曲予定の弦楽五重奏冒頭のスケッチ。ディアベッリによりピアノに編曲。ベートーヴェン最後の楽想と見られる。)(1826年)


声楽曲

宗教曲・合唱曲

•オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」(Christus am ?lberge)Op.85(1804年)◦3.3点


中期に入り始めた時期の作品である。劇的で物語的な表現力の巧みさは十分に優秀で聴き映えがする。ベートーヴェンの器用さに驚く。ただし1時間近くてパンチが効いた曲なので、歌詞が分からず聴き通すのは疲れる。

•ミサ曲 ハ長調 Op.86(1807年)◦4.3点


この曲はマイナー作品と認識しており聴く前は期待していなかったのだが、ベートーヴェンの充実していた時期に相応しい大変聴き応えのある傑作で驚いた。ミサ・ソレムニスの普遍性と壮大さには一歩劣るにしても、音楽のドラマの天才的な充実感と高らかに人間の素晴らしさを歌い上げるような精神力と劇的な高揚感は圧倒的に素晴らしい。ただ教会音楽という感じはあまりしない。また、調子が一辺倒であり変化が少ないのは弱点。

•ピアノ、合唱、オーケストラのための幻想曲(合唱幻想曲)Op.80(1808年)◦2.5点


企画倒れと言われるが確かにそうかも。いい曲と言っていいか微妙。

•カンタータ「栄光の瞬間」(Der glorreiche Augenblick)Op.136(1814年)◦2.5点


それなりの長さのカンタータだがあまり面白くない。いつもの強靭な発想力や創造性に溢れた音楽でないと感じた。薄めのオケと、長い独唱の場面が多いせいかもしれない。

•連合君主たちへの合唱 WoO.95(1814年)◦2.5点


2分程度の短い合唱曲。君主を讃えるような雰囲気。

•カンタータ「静かな海と楽しい航海(Meeresstille und gl?ckliche Fahrt)」Op.112(1815年)◦2.8点


ベートーヴェン節が全開すぎる。また7分の短さにしては構想が大きすぎるため、構えて聴かなければ体が曲についていけない。

•「修道士達の歌」(Gesang der M?nche)WoO.104(1817年)◦2.0点

1分程度の断片的な合唱曲。

•ミサ・ソレムニス Op.123(1822年)◦5.0点

ベートーヴェン畢生の対策。第九と違いエンターテイメント性は無いので分かりやすくないが、充実の大作で大変聴き応えがある。


独唱曲

•遥かなる恋人に(An die ferne Geliebte, Liederkreis nach Alois Jeitteles)Op98(1816年)◦3.3点


連作歌曲全6曲。曲に変化をつけて対比させておらず曲が似ており、次の曲になった事に気付かないほどである。ささやかで親愛なる感情を感じる佳作だが、名作というほどだとは思わない。シューベルトに近いようなロマン派の萌芽を感じる曲。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c19

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
9. 中川隆[-14003] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:21:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-672]

クラシック音楽 一口感想メモ
イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky、1882 - 1971)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

バレエ音楽
•『火の鳥』(L'Oiseau de feu, 1910年)◦4.0点


たった1年の違いであるが、ペトルーシュカと比較すると刺激が少なくて、かなりノーマルな曲である。地味で物足りないと初めて聴いたときは思ったが、よく聞くとやはり面白いフレーズがたくさんある。超絶的ではないにしても、かなり刺激的な音楽である。それとともに、音の使い方のセンスの良さに立脚した、かなり発想が斬新ながらもいい音楽がそこかしこで現れており、いい曲だなと純粋に感じられる場面がかなり多い。自由でファンタジー的で、幻想的な映像を見ているかのようである。

•『ペトルーシュカ』(Petrushka, 1911年)◦4.5点

春の祭典の高みの一歩手前とは思うが、この作品も匹敵するくらい非常に素晴らしい。様々なイメージが奔流のように湧き出てくる。刺激的な音が次々に飛び出して、息もつかせない。とにかく面白くてたまらない。圧倒的な面白さという点ではクラシック音楽でも屈指だろう。意外な音が出て愉しい気分になったら、また全然違う音が飛び出す。おもちゃ箱のような曲だ。

•『春の祭典』(Le sacre du printemps, 1913年)◦5.0点

センセーショナルさを現代でも失わず、それでいて古典的な完成度である。鮮やかなリズムと和声、印象的なメロディー、野生の匂いをぷんぷんと漂わす音楽は、強烈な魅力を放っている。音楽の複雑さが絶妙であり、最大級の効果を発揮している。聴く前から心躍るし、聴きながらもずっと楽しく音楽に酔うことが出来る。

•『プルチネルラ』(Pulcinella, 1920年)◦3.0点

組曲版で聴いた。不協和音がなく平明ながらも現代性のある音楽というのは斬新なものだとは思う。この独特な世界はなぜか印象と記憶に強く残る。一方で、純粋にいい曲と思うかというと、あまり思わないのが偽らざる感想である。新古典主義に入ったという音楽史的な意義の大きさに匹敵するような感慨は得られないと思う。編成が小さくて、アイデアも豊富ではないように感じる。初期の三部作が圧倒的すぎるせいかもしれないが。


•『結婚』(Les Noces, 1923年)◦3.3点

野蛮で原始的な響きに支配された、声楽主体のバレエ音楽。聴いた感じのインパクトはかなり強い。しかし、声楽主体で声楽の使い方は似たものが続くため、音の多様性が少なくなっており、よく理解できない。リズムやピアノの使い方などに圧倒される楽しさと、ストラヴィンスキーらしい音のセンスの良さを愉しむことは出来る。

•『ミューズを率いるアポロ』(Apollon Musagète, 1928年;改訂1947年)◦3.3点

弦楽器だけの合奏のため、どうしても刺激が少なくて地味になっている。ただ、芳醇な弦の響きと音の動きの滑らかさ柔らかさが魅力になっていて、これはストラヴィンスキーのバレエ音楽の中で特徴的な魅力になっている。新古典主義ということで、この曲も不協和音や前衛性はないが飽きにくいものになっている。ただ、弦楽合奏の機動力の低さのためか、聴いていてだんだん物足りなくなっていく。新古典主義の表現の限界も感じる。

•『妖精の接吻』(Le Baiser de la fée, 1928年;改訂1950年)◦3.5点

まさにチャイコフスキーの音楽にインスピレーションを得たバレエ音楽である。音の取り扱いにおける、華やかさとダイナミックさ、動きの舞台的で、心を踊らせて、人の身体をも踊らせようとするような内在的なパワーを、そして時に愛らしい愛嬌や幻想的で魅惑的な魅力をこの曲も持っている。しかし勿論、深いレベルのインスピレーションの結晶であり、全然表面的な真似ではない。高く評価してよいか迷うがなかなか楽しめるのは間違いない。

•『カルタ遊び』(Jeu de Cartes, 1936年)◦3.5点

新古典主義らしい不協和音はないが、19世紀らしい制約のない自由な新しい響きの楽しさを存分に味わえる。バレエ音楽らしい音の活力と物理的にフワフワとした感じも良く出ている。圧倒的な何かこそないが、プルチネルラよりはずっと良い。エンターテイメント的な楽しみで、音楽に浸れる。

•『バレエの情景』(仏:Scènes de ballet, 1944年)◦3.3点

新古典主義の滑らかで穏やかな音楽が心地よい。情景というタイトルはかなり適切かもしれない。少しチャイコフスキーのような饒舌で音が踊り躍動する感じがあるが、冷静にみていつものストラヴィンスキーという気もする。練達の音の魔術を発揮した曲で、さすがと唸ってしまう。

•『オルフェウス』(Orpheus, 1947年)◦3.3点

密度が薄い。映画のバックミュージックのように雰囲気を一定のまま少しずつ変遷させていくだけの音楽である。とはいえ、単体で聴くぶんにも、個別部分のセンスは感じるためエンターテイメントとしては楽しめる。新古典主義的だが平明すぎず、ある意味で円熟した技術と精神の熟成感ともいうべき良さがあると思う。

•『アゴン』(Agon, 1957年)◦2.8点

晩年の音が薄く枯れた感じが印象的。老人になったストラヴィンスキーはさすがにインスピレーションが衰えているのを感じる。場面は刻々と移っていき、バラエティは豊かだが内容があまり豊富という印象がない。新しい音世界を75歳になっても作り続けたことはすごい。しかし、音や楽想のつながりの有機性が足りない。


バレエ以外の舞台作品

•『兵士の物語』(L'Histoire du soldat, 1918年)◦3.0点

基本的には特殊編成による軽妙な新古典主義作品に聴こえる。かなりコミカルなところが面白い。また、まだ純数に単純化された新古典主義音楽になりきっていないところが魅力か。土臭いところが残っていて、親しみやすさを感じた。全曲盤は語りの時間が半分以上を占めていたからあまりお勧めできない。


交響曲

•交響曲第1番変ホ長調 Op.1◦2.5点


これをストラヴィンスキー作曲と当てられる人は少ないだろう。驚くほどロマン派の先達の模範に則った音楽であり、新奇性が少ない。それどころか、ストラヴィンスキーらしさすら私には見つけ難かった。開放的であり、機能的な近代管弦楽法が使われている。19世紀の様々な作曲家の要素が現れているのが分かるのが面白い。華やかさはあるものの平凡でオリジナリティーが少ない、のちの天才を感じにくい曲だと思う。

•詩篇交響曲(Symphonie de psaumes)◦3.5点


全3楽章。合唱付きでヴァイオリンとヴィオラなし。1楽章は前奏曲ということで、最初の盛り上がりを作る単純な曲。2楽章は神秘的な管楽器の合奏で始まり、合唱も神秘性と荘厳な宗教性を帯びている。3楽章は一番長い。辛気くさい宗教性を感じさせてから、場面転換をしながらじわじわと盛り上げていく。どちらかというと宗教曲にいが、本格的な精神性や、構成が透徹していて作り込みを感じるので、交響曲としてもあまり不満はない。響きに明快さと複雑さがあり、よくまとめられておりバランスがよい。ヴァイオリンが無いことでオケがくすんだ響きになり合唱を浮かびあがらせ、奥の深さを演出している。良くできた作品である。

•交響曲ハ調◦2.3点


全4楽章30分。正直なところ新古典主義らしい明確でシンプルな音の構成であり、ハ長調らしい素朴さがあるなあ、くらいの感想しか持てず、鳴っている音の意味を感じ取ることが出来なかった。耳をそれなりに楽しませるストラヴィンスキー独特の管弦楽の扱いと内部の複雑さがあることで、辛うじて聴き通せる。交響曲らしさも希薄。

•3楽章の交響曲(Symphony in 3 Movements)◦3.0点


1楽章は二次大戦の事件を連想させる強烈さもあるが、映画音楽のような軽さとジャズの要素もある多彩な曲。ピアノ独奏の活躍はかなり控え目。

2楽章はハープが活躍し、多少社会的な深刻さを醸し出しながらも、流麗な多彩さがある。3楽章も多彩な楽しい曲。全体に、交響曲を名乗るだけの普遍性と構成感は一応あり、ストラヴィンスキーにしては重さもあるのだが、とはいえバレエ音楽に近い雰囲気であり一般的な交響曲とは違う異色の作品。


協奏曲

•ピアノと管楽器のための協奏曲◦3.5点


管楽器だけだが、吹奏楽のようではなく、オーケストラ風である。弦がないため音のキレが良く乾いており、湿っぽさがない。1楽章は複雑で前衛的な切れ味鋭い系統のピアノソロが続く。音が絨毯爆撃のようにガンガンと演奏されるとともに、リズムの複雑さで楽しませる。なかなかの迫力である。2楽章は一転してラヴェルの協奏曲のような叙情性だが、そのあとは期待通りに捻りの入った展開をみせる。3楽章は押せ押せで気持ちいいし面白い。とても聴き映えのする曲で内容豊富。名作というほどではないが、なかなか楽しめる。

•カプリッチョ(Capriccio) - ピアノと管弦楽のための◦3.0点


全3楽章17分。ピアノのテクニックはあまり超絶技巧という感じはしないが、音数が多く十分に派手である。新古典主義時代の音楽とピアノ協奏曲の相性がよく、スリリングで新しい事が次々と起こるような作品となっていて耳を楽しませる。初期の原始主義的な音楽の雰囲気が出ている感あり、冷静で客観的すぎる新古典主義の曲の中では聞きやすい。

•ヴァイオリン協奏曲ニ調◦2.8点

1楽章はトッカータの名の通りの曲調。多くの楽器が軽快に刺激的に活躍する楽しい曲。2楽章はアリアといいつつ、前半は割と活動的で、管楽器が活躍したりする。後半は泣きの入ったフレーズも登場し、アリアらしくなる。3楽章は軽快なフレーズを執拗に積み重ねる曲。全体に軽快で楽器が多彩に音を重ねながら扱われて耳を楽しませるし、独特の音使いによる独奏も面白い。しかし、構成や雰囲気が軽すぎるし即興的に感じて、腹に落ちる感じがない。

•協奏曲『ダンバートン・オークス』(Dumbarton Oaks Concerto)◦3.0点

全3楽章14分。小編成の合奏協奏曲。この時代にしては割と親しみやすい。メロディーは断片的で分かりにくいが、くつろいだ落ち着いた雰囲気で、楽器数も15人と少なく音の複雑さを楽しみやすい。


•エボニー協奏曲(Ebony Concerto)◦2.5点

クラリネットとジャズバンドの曲。3楽章11分。ストラビンスキーのジャズの影響を端的に味わえる曲として面白いのだが、曲自体は評価やコメントが困難だと感じた。

•弦楽のための協奏曲ニ調(バーゼル協奏曲)(Concerto in D for String Orchestra (Basle Concerto))◦2.8点


全3楽章12分。バーゼル協奏曲とも呼ばれる。弦楽だけなので音のバラエティーが少ないが、その代わりにまったり感が強くて、2楽章の優美さなどの目新しさが出ているし、声部が少ないので、良くも悪くも難解さが少ない。


室内楽曲

•エレジー◦2.8点

無伴奏ヴィオラ用の曲。ルネサンスの宗教曲のような雰囲気のコラールであり、人の声に近いヴィオラの特徴が活かされている。面白い。


•八重奏曲◦3.5点

様々な管楽器の軽快な扱いと新古典主義の作風が非常にうまく合致していて、よく出来た作品に聴こえる。夢に出てきた編成で書いた曲とのことだが、編成として成功している。おもちゃが跳ねて踊って遊ぶようなイメージであり、諧謔的で可愛らしくて軽くて愉しい。楽章に分かれているわりには雰囲気は変わらないが愉しさに浸れるため気にならない。


•七重奏曲◦3.3点

12音技法らしいが調性感がある。編成はピアノが入っているのがよい。ピアノの使い方がうるさくなくてセンスがいい。1楽章はセンスがよくて、明るい旋律もよくてなかなかの名曲と思う。しかし2楽章以降はあまり面白くない。レベルが落ちてしまう。


•弦楽四重奏のための3つの小品◦3.0点

バグパイプ風だったり、特殊な現代音楽風だったり。3曲目は魔法のような神秘性がある。断片的ともいえる曲が3つ並んだ合計7分の小品で、好奇心のような刺激を受ける。


ピアノ曲

•『ペトルーシュカ』からの3楽章◦3.5点

超難しいことでコアなピアノ曲ファンには有名。ペトルーシュカのエッセンスが詰まっていて楽しいし、無茶なフレーズをあっさり弾きこなすプロの技も楽しめる。


•ピアノ・ソナタ(1924年)◦3.8点

1楽章は硬く前衛的で、即物主義的でもある。かなりのセンスを感じる。2楽章は不協和音を使ったやはり前衛的な曲で、音のセンスがかなり良いと思う。3楽章は無窮動ではじまり両手の2声が蠢めく。全般にプロコフィエフを連想するのだが、非常にセンスが良く、彼の一連のソナタ勝るとも劣らない名作だと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c9

[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
8. 中川隆[-14002] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:28:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-671]

クラシック音楽 一口感想メモ
クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862 - 1918)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

機能和声の枠を越えて新しい音楽を開拓し、印象派の名前のとおり曖昧で繊細な感覚的音楽を書いた。

音楽による詩情の表出力は天才的であり、詩のような小品において特に力を発揮した。

しかし、大規模な作品の場合も小規模の作品と同様の手法で書かれており、壮大さや力強さや構築的な展開に欠けるため物足りなく感じる。


バレエ音楽

•カンマ 1911-12◦3.0点


強い特徴は感じられないが、わりと聴きやすい。

•遊戯 1912-13◦3.0点


鑑賞用の曲としてどうこうというより、音楽的に非常に現代音楽の管弦楽曲に近いのが面白い。調声感の稀薄さと秩序に乏しい音の動き。

•おもちゃ箱 1913◦3.0点


わりと長いので全曲聴く価値があるかというと微妙だが、バレエ音楽として普通に楽しめる。


管弦楽作品

ドビュッシーの管弦楽曲はとらえどころがない曖昧な雰囲気に慣れる必要がある。


夜想曲 1897-99 Op91

•1曲目 3.5点

穏やかな曲調の中に一つひとつのフレーズに詩情に満ちた夜の世界が表現されている。

•2曲目 3.5点

夜想曲なのに祭典的な雰囲気の曲というのも面白い。なかなか充実感のある曲

•3曲目 3.5点

女性コーラスの神秘的な海の精の表現が素晴らしい。


管弦楽のための『映像』 1905-12 映像第3集 Op122

•1曲目 3.0点

特に強く映像的なものや想像力を喚起する印象はないが、管弦楽曲として純粋に楽しめる。

•2-1曲目 3.0点

活き活きとしたスペイン情緒が愉しい。ドビュッシーにしては分かりやすく楽しめる管弦楽曲。

•2-2曲目 3.5点

これと分かりやすく楽しめる。夜がテーマだが、いつもの静寂さではなく情熱の余韻が残っている。

•2-3曲目 3.5点

この曲もスペイン情緒満載で街中のような活気もあり愉しい。

•3曲目 3.0点

活気があり、珍しくウキウキしそうになるような感情を秘めている気がする。


その他の管弦楽曲

•管弦楽組曲(第1番) 1883 Op50

•交響組曲『春』 1886-87 Op61◦2.5点


悪い曲ではないが若書きの感じが強く、個性もそれなりに出ているが確立していない。

•3つの黄昏の情景 1892-93 Op83

•牧神の午後への前奏曲 1892-1894 Op86◦4.0点


パンの笛の冒頭が印象的。神話のような夢幻的で霧の中のように儚い叙情性の音世界に浸れるようになれば、大変に楽しめる曲。

•交響詩『海』-3つの交響的スケッチ 1903-05 Op109◦3点


海をテーマにここまで多彩な情景を表出できる強靭な想像力と描写力には驚くが、喜怒哀楽などの人間的な感情をほとんど感じない音楽なので、この長さの曲は自分は聴き通せない。

•スコットランド風行進曲◦3.0点


バグパイプ風の音が鳴る。行進曲といってもドビュッシーなのでノリノリでは無い。とはいえ他の管弦楽曲よりはリズムが多少充実。


協奏曲

•間奏曲 1882 チェロ Op27

•ピアノと管弦楽のための幻想曲 1889-92 ピアノ Op73◦2.0点


ピアノ協奏曲の一種。普通の協奏曲にややドビュッシーらしい味付けをしたような感じで中途半端。ピアノもそれ程効果的ではないし、内容的にいまいちで失敗作だと思う。

•サクソフォンと管弦楽のための狂詩曲 1901-11 サックス Op98◦3.0点


古代の神秘の音楽と、くぐもった音のサックスのソロを取り合わせたのが面白い。しかし曲の中に使われている動機にやや平凡さが感じられる。

•神聖な舞曲と世俗的な舞曲 1904 ハープ Op103◦3.5点


この構成の曲と聞いてドヴュッシーが期待させる通りの内容。ハープをドビュッシーらしい和声に載せた美しい調べで見事に活用している。ハープの美しさを堪能出来る。明るくリズム感もあり、なかなか良い。

•クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 1909-10 クラリネットOp116◦3.0点


とりとめのない感じがある。クラリネットの音の甘さや諧謔性やロマンティックさなど、特徴をうまく活用して、ドビュッシーの語法と合体させることに成功している。


室内楽曲

•ピアノ三重奏曲 ト長調 1879?/80 Op3

•夜想曲とスケルツォ 1880,82 チェロとピアノ Op26

•弦楽四重奏曲 ト短調 1892-93 Op85 ◦2.0点


ドビュッシーならもっといい弦楽四重奏を書けそうだけどなあ、と残念に思う。楽章ごとの音楽の違いもはっきりしないし、正直なところ四楽章がなんとなくピンとくる位であり、よく分からない。

•クラリネットとピアノのための小品 1910 Op120

•シランクス 1912 フルート独奏 Op129 ◦3.0点


フルートの独奏。古代ギリシャを想起するのような音色で神秘的で面白い。いい曲

•チェロソナタ ニ短調 1915 Op135 ◦2.0点


渋い中に作曲技巧が凝らされているのかもしれないが、観賞して楽しむ対象としては、チェロソナタとしてもドヴュッシーの作品としても、あまり優れた曲とは感じられないのは自分だけ?短いから聞くのは苦にならないが。

•フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ 1915 Op137

•ヴァイオリンソナタ 1916-17 Op140 ◦3.5点


最後の作品。ヴァイオリンの機能や音色をうまく生かして内容のある音楽にきっちり仕立て上げられていると思う。あまり最晩年の作品という感じがしない。


ピアノ曲、連弾曲

前奏曲第1巻 1909-10 全12曲 Op117

•1曲目 2.5点

前奏曲集の前奏曲という感じ。静かに終わる。

•2曲目 4.0点

神秘的世界から沸き立つ詩情が強すぎて、匂いが漂ってきそうに感じる位すごい。

•3曲目 3.5点

野の放つ蒸気が混ざったふわふわとした風が青空と陽に照らされて舞っているかのよう

•4曲目 3.0点

神秘的な響きと静寂の活用の曲だが、少し特徴が弱い。

•5曲目 3.5点

野の中で風に吹かれるような心地よさ

•6曲目 2.5点

静かすぎて分かりにくい

•7曲目 3.0点

力強くピアニスティックな中間以降が面白い

•8曲目 3.5点

分かりやすい旋律で、この曲集では異色。人間より人形を描いたかのよう。

•9曲目 2.5点

特徴が弱くあまりインスピレーションをかき立てられない

•10曲目 3.0点

神秘的な夜の帳が落ちていく中のような風情があるが、珍しく静物的な重量感もある。

•11曲目 3.0点

妖精の踊りのようということで、躍動感はあるが力強くはなくふわっとしてる。

•12曲目 3.0点

即興的に展開する雰囲気を楽しむ曲


前奏曲第2巻 1911-13 全12曲 Op123

•1曲目 2.5点

前奏曲の前奏曲という感じ

•2曲目 2.5点

後期に多くある和音の響きと時々のパッセージだけの曲

•3曲目 3.0点

低音の響きとアラビア風の音階が印象的。

•4曲目 3.0点

運動的な音の流れがまさに妖精の踊り子

•5曲目 3.0点

曲集の中では割と輪郭がはっきりしている。

•6曲目 3.0点

ユーモラスな強面の将軍を想起

•7曲目 3.0点

曲集の中ではかなり分かりやすい曲

•8曲目 3.0点

超常現象が発生しているかのよう。

•9曲目 2.5点

重たさや運動的な場面など即興的

•10曲目 2.0点

ほぼ和音進行だけのような印象

•11曲目 3.0点

運動的で面白い

•12曲目 3.5点

華々しい花火の描写の曲で面白い


ベルガマスク組曲 1890 全4曲。1905年改訂 Op75

•1曲目 4.0点

初期ドヴュッシーの典型的な和声や音使い。清新な雰囲気で楽しめる。

•2曲目 4.0点

内容も充実の可愛らしさのあるいい曲。

•3曲目 4.0点

有名な曲。湖に映る月が鮮やかに浮かぶような映像的な曲。

•4曲目 4.0点

組曲の中では活発な曲。やはり叙情性が優れていて、中間に登場するメロディーも効果的。


忘れられた映像 1894 pf 全3曲 Op87

•1曲目 3.0点

美しい音階と和音の並行移動を楽しめる曲。

•2曲目 3.0点

静かな曲だが、音に主張と力強さがあり悲しさを内に秘めている。

•3曲目 3.0点

運動的だが激しくなく、鮮やかさがある。

映像第1集 1901-05 Op110

完全に印象主義絵画のような世界になり、聞きやすくないし、曲の内容を掴みにくい。

•1曲目 3.0点

有名な水系の曲の中で特に傑作の方とは思わないが、それなりに美しい。

•2曲目 2.5点

この曲のどこがラモーなのか分かってないのだが、曲は静かに和音を重ねるだけなので聴くのがつらい。

•3曲目 3.5点

ピアニスティックで抽象的な音の運動が愉しい。


版画 1903 Op100

版画は映像のように完全に輪郭のない印象主義絵画のような世界に突入しておらず、まだ輪郭を残しており聴きやすい。

•1曲目 3.0点

闇夜に光を発しているような幻想的な世界。

•2曲目 3.5点

穏やかな美しいスペインを見事に表現していて見事。

•3曲目 3.5点

雨がしとしとふる情景をこんなに情緒的に美しくて表せるのかと驚く。


映像第2集 1907 Op111

•1曲目 3.0点

非常に美しく印象主義的な雰囲気と音楽的な内容を両立してバランスを取ることに成功している。

•2曲目 3.0点

この曲もメロディーが少なく和音の動きによる印象主義的な曲で、深い夜の中に沈む月や荒廃した寺といったイメージの世界を極めて抽象的に描いている。

•3曲目 3.0点

三曲の中では一番運動的。やはり抽象的で内容は充実している。この曲を華やかな金粉や漆器の音化と解説するというのは、かなり抽象的で難解なことだと思う。


その他

•ボヘミア風舞曲 1880 Op9◦3.5点


書法がシンプルであるため自分で弾いたら物足らないのかもしれないが、耳で聴く限りはかなり魅力的でショパンに匹敵するような優れた小品。ボヘミア風が愉しい。

•管弦楽組曲(第1番) 1883 4手pf 全4曲 Op50

•ディヴェルティスマン 1884頃 4手 Op36

•2つのアラベスク 1888,91 Op66◦1曲目 4.5点


夢のように大変美しくて、キラキラと輝かしく可愛らしい傑作小品。初期を代表するピアノ曲。

◦2曲目 3.0点


こちらは普通の小品。やはり可愛らしさやキラキラした感じがよい。

•マズルカ 1890?/91 Op67◦3.8点


初期ドビュッシーらしい幻想的な音遣いで、あの粘り気たっぷりのマズルカが書かれており、とても面白い。聴く前はイメージが湧いていなかったが、聴けば納得の曲。

•夢 1890 Op68◦3.0点


初期らしい明確な和声に乗せたメランコリーと美しさは分かりやすくて良いが、曲としての全体の完成度や独創性は初期の中で高い方ではないと思う。

•舞曲 1890 Op69◦3.5点


当初『スティリー風タランテラ』とされていた。将来に前奏曲に入りそうな曲調。やや成熟しきっていない初期らしさはありながらも、かなり親しみやすく快活さがあるので楽しい。

•バラード 1890 Op70◦3.5点


メロディーの魅力が少な目である。その代わりに、バラードらしい自由な物語性を、初期らしい美しさと透明感の魅力で表現している点で、十分すぎるくらいに感動的に仕上げられている。

•ロマンティックなワルツ 1890 Op71◦3.0点


初期の曲の中では魅力が少ない方だと思う。エキゾチックな雰囲気を持つメロディーを活用した曲であるのは面白い。ワルツらしいのはごく一部のみ。曲の方向性が分かりにくいと思う。

•スコットランド風行進曲 1891 4手 Op77

•ノクテュルヌ(夜想曲) 1892 Op82◦3.0点


ノクターンという題名の期待値に比べると物足りない。中間からの場面は美しくて素敵だが、冒頭からしばらくが面白くない。もっと夜の世界を突き詰めて欲しかった。

•ピアノのために 1894-1901 Op95

•リンダラハ 1901 2台 Op97

•仮面 1903-1904 Op105◦2.5点


ベルガマスク組曲に入る予定だったそうだが、渋すぎて親しみやすい良さに欠けるし、耳につくメロディーもないのでベルガマスク組曲の各曲よりワンランク以上劣ると思う。

•喜びの島 1903-1904 Op106◦3.5点


ピアニスティックで曲が長くて、ラヴェルの夜のガスパールを思い出す。交響的な響きの充実がある。

•スケッチブックより 1904 Op99◦3.0点


タイトルがないぶん自由に聴ける。中期ドビュッシーらしい美しさをたたえた小品。

•コンクールのための小品 1904 Op108

•子供の領分 1906-08 Op113◦3.5点


練習曲に挑戦する子というテーマと練習曲風の冒頭が面白い1曲目と、ケークウォークの可愛い六曲目が耳につく。他もアイデアがあるいい曲ばかり。

•小さな黒ん坊 1909 Op114◦3.0点


ケークウォークに独自の捻りを入れている感じはあまりないが、聴きやすいといえば聴きやすい。

•ハイドンを讃えて 1909 Op115◦3.0点


前奏曲に入ってそうな小品。どこがハイドンなのかはよく分からない。

•レントより遅く 1910 Op121◦2.5点


ふわふわとした取り留めのないワルツ。

•6つの古代墓碑銘 1914 4手 Op131◦3.5点


完成が後期の曲にしてはかなり分かりやすく聴きやすい。前奏曲集1頃の作品に聞こえる。はるか古代へ想いを馳せるような雰囲気はドビュッシー頻出のものの一つだが、それを6曲存分に味わえる。

•英雄的な子守歌 1914 pf Op132◦2.8点


子守唄という可愛らしい題名だが、動きに力を欠きグロテスクな音の動きが支配的名ピアノ曲である。葬送行進曲に近いイメージすら抱いてしまう。

•慈善団体「負傷者の衣」のために 1915 Op133

•白と黒で 1915 2台 Op134

•12の練習曲 1915 全2巻 Op136◦2.5点


12曲もあり、ドビュッシーの音楽の語法を活用しているものの、どちらかというと普通に練習曲としての性格が強く、鑑賞用の曲としては他の小品集ほど楽しめない。

•見出された練習曲 1915◦3.5点


本家の12の練習曲より内容が充実している。いい曲。

•エレジー 1915 Op138◦2.5点


晩年の小品だが、特に着目するほどの特徴やメロディーはないと思う

•燃える炭火に照らされた夕べ 1917


合唱曲

•カンタータ『選ばれし乙女』(La demoiselle élue)◦3.3点


もやっとした神秘的な雰囲気の中で、合唱も神秘的に進む。ドビュッシーとしてはありきたりにも感じるが、オーケストラだけでないために聴きやすいのが良い。短くない曲だが、ふんわりと大きな音楽の変化なく進み、ある意味では耳に優しくて、一歩間違えればムードだけの音楽になりそうなくらいだ。しかし、独特な印象派らしい世界観の構築のもとに作られた美しい音楽であるため、飽きない。途中で一瞬だけプッチーニを連想する場面があり、面白い。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c8

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
27. 中川隆[-14001] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:31:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-670]

クラシック音楽 一口感想メモ
バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF

管弦楽曲

•交響詩『コシュート』 (1903年) Sz.21◦3.5点


まだバルトークらしい前衛的な音楽ではなく、Rシュトラウスや、さらにいえばチャイコフスキーみたいに感じる部分もある。でもなかなかの力作でいい曲。22歳でこんなに本格的な曲を書けたバルトークはやはり天才作曲家だった。

•管弦楽のための組曲第1番 (1905年、1920年改訂) Op.3 Sz.31◦2.8点


まだ初期の作品で音楽的にはほぼ完全に19世紀末のロマン派の内容であり、たまに変な音の使い方が出てくるがほんの一瞬であり、前衛的な世界は殆ど無い。洗練されていない土泥臭さや牧歌的なユルさを感じる所が魅力。たまに出てくる運動会みたいなノリも楽しい。長い曲であり、個々の場面は悪くないのだが、やや散漫で冗長なので全体として長さに見合った効果を挙げているとは思えない。晩年の管弦楽のための協奏曲と類似する所がある。

•小管弦楽のための組曲第2番 (1905年-1907年、1943年改訂) Op.4 Sz.34

•『舞踏組曲』(1923年)Sz.77 ◦3.5点


舞踏的ということで、民族的なフレーズやワイルドさも聴きやすくまとめられており、なかなか良い。

•弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 (1936年) Sz.106◦3.8点


バルトークの作曲技術の高さや、不思議な東洋的神秘などの民族的要素や前衛など多くの要素を取り込んだ、作品としてがっちりと構築され、交響曲のような規模の作品として結実している。メロディーや和声は分かりやすいので十分に聞きやすく、しかし平明過ぎず刺激的であり、曲の長さも適切で楽しみやすい。

•弦楽のためのディヴェルティメント (1939年) Sz.113◦3.0点


1楽章と3楽章は調性が明確で楽しく分かりやすい音楽。2楽章は晦渋でバルトークらしさを記憶に残す。バルトーク入門には良いかもしれないが、明快過ぎて特段の素晴らしさがなく、あまり面白くない。

•管弦楽のための協奏曲 (1943年) Sz.116◦3.0点


一般的な曲のような平明な聴きやすいフレーズと不思議な雰囲気をバラエティー多く用意し、各楽器に活躍をさせる曲ということで、バルトークの中では人気のある曲になっているのだろうか。正直なところ、単純化のせいでバルトークの特長が消えており、普通の曲として聴くと別にそれ程魅力的な音楽というわけでもない。音楽の密度も低いし、高い評価は出来ない。恐らくバレエ音楽のような聞き方をするのが正解。

協奏曲

•ピアノと管弦楽のためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.27◦3.0点


まだ前衛的になる前の作品。ピアノのためのラプソディーSz.26の編曲。音楽的には平明ではあるがメロディーが全然印象に残らず心に響かないため、平凡な作品だと思う。しかしながらピアノ書法が素晴らしい。非常に華やかに活躍しており重すぎず軽すぎず使われる技巧も的確で見事である。ピアニストとしても一流だったので、ピアノの機能と特徴を知り尽くしていたのだろうなと思う。個人的にはピアノ独奏版の方が印象的。

•ピアノと管弦楽のためのスケルツォ(ブルレスク)(1904年) Op.2 Sz.28◦2.3点


初期の作品であり後期ロマン派の語法の範疇で書かれている。しかし、内容に冒険が少なくて個性の発揮も少なく、ありきたりと感じる場面が多い。ピアノも地味であまり活躍しない。大作にしてはあまり面白くない。駄作一歩手前と思う。

•ヴァイオリン協奏曲第1番 (1907年-1908年) Sz.36◦2.8点


2楽章しかない。死後に発見された曲。1楽章は悲嘆の感情をゆったりと歌っており、しんみりとさせられる。2楽章も叙情的でテンポが遅い場面が多く、1楽章と割と近い雰囲気。終わりの方はちゃんと盛り上げて終わるが。聴きやすい曲ではあるが総合性が足りない。

•ピアノ協奏曲第1番 (1926年) Sz.83◦3.3点


1楽章は明快でピアノが全面に出ている。2楽章は民族音楽的な要素が非常に強く、ほとんど完全にアジア音楽の世界である。3楽章はバルトークらしい前衛性を持っているが、基本的に快速で明快で軽やかな気持ちいい音楽。

•ピアノ協奏曲第2番 (1930年-1931年) Sz.95◦3.8点


1楽章は弦楽が使われていないせいか、多面的で多層的な印象であり、ピアノの技術的に特殊な箇所が何カ所も出てきて驚かされる。ピアノが全面に出て活躍する。2楽章は亜空間のような不思議な神秘的な雰囲気。高速な中間部分のピアノがかっこいい。3楽章はワイルドで力強く、ピアノもオケもとても格好いいしセンスが良い。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 (1937年-1938年) Sz.112◦3.0点


調がはっきりしている分かりやすい音楽になったり、無調になったり、雑多な音楽がどっさりと混ざっていて、どのような曲なのか把握しにくいと感じる。ヴァイオリンを様々なやり方で歌わせる事に長けたバルトークの良さは独奏において出せているとともに、大作に見合った内容の豊富さはあるかもしれないとは思う。しかし録音で聴くせいだからか各場面の印象が弱く、そこそこの魅力の音楽が繋げられているだけのように聞こえる。正直に言うとあまり面白いと感じない。

•ピアノ協奏曲第3番 (1945年) Sz.119◦3.3点


1楽章は強い捻りが随所に大量に入ってあるとはいえ、アメリカ的気分を感じるロマン派協奏曲で驚く。2楽章も都会的な所が20世紀のアメリカ的なロマン派協奏曲。3楽章はほとんどガーシュインの世界である。全体的にロマン派の音楽に近すぎるが、アメリカ的なので陳腐すぎず楽しめるといったところか。

•ヴィオラ協奏曲 (1945年) Sz.120◦3.3点


ヴィオラの落ち着いた艶めかしい音を楽しむ曲。この曲において引き出されている中音域を主体とし幅広い音域で魅せられるヴィオラの魅力はなかりのものであり、じっくりと堪能できる。ただし、メロディーは耳につかないので、なんとなくいいなあと思いながら聴く曲ではある。管弦楽は本人作でなく控え目なのでなおさらヴィオラが大活躍である。


舞台作品

•バレエ音楽『かかし王子』1914年-1917年、Op.13 Sz.60 BB.74◦3.8点


色彩感の豊さに驚かされる。リヒャルト・シュトラウスを彷彿とさせる豪華なオーケストレーションであり、その中で鋭角的なメロディーセンスを披露しているところがバルトークらしい。おとぎ話のような可愛らしい曲調であり、その雰囲気だけでも楽しいが、場面の移り変わりや、踊れるバレエ音楽らしさもあるところがさらに良い。エンターテインメント音楽として、かなりの出来だと思う。

•パントマイム『中国の不思議な役人』(1918年-1924年、1931年改訂) Op.19 Sz.73◦4点


バルトークらしいワイルドさと、管弦楽の色彩の豊かさ、リズムの多彩さ、テンポと楽想の表情の豊かさが合わさっている。明らかに影響を受けているストラヴィンスキーの有名バレエ音楽に匹敵する素晴らしい出来映えである。抽象的で思弁的なバルトーク作品の中で、例外的に華やかで情景を音を描くような作品なので、聴いていてとても楽しい。

室内楽曲

•弦楽四重奏曲第1番 (1908年-1909年) Op.7 Sz.40◦4.0点


まだ1908年の作品とは思えないほど前衛的で異様に緊張感の高い響き。1作目から既に完成度が高く、まさに新たな表現の地平を切り開いて20世紀の弦楽四重奏の礎となった感が強い。鋭い不協和音や、対等な四つの楽器がうねってぶつかり合う、テンションの上げ下げ、音の間の活用、独奏と合奏やユニゾンの対比など、弦楽四重奏ならではの柔軟な表現力や手法を効果的に使っている。

•弦楽四重奏曲第2番 (1915年-1917年) Op.17 Sz.67◦4.0点


2楽章の終わり近くの高速部分はかっこいい!1楽章は悪く言えば民族的音楽と無調の折衷的音楽にも聞こえてしまう曲で、中間の展開部の力強さ以外はまあまあという感じである。2楽章で段々ボルテージを上げて極限に達し、そのあとに3楽章の汚れた浄化と呼びたいような、荒廃した静寂世界へのつなげ方が非常に秀逸で見事である。

•ヴァイオリン・ソナタ第1番 (Vn.&Pf) (1921年) Sz.75◦4.0点


無調的な凄い作品。1楽章は研ぎ澄まされた鋭利な刃物で構えているような、異常な緊張感で貫かれている。2楽章のアダージョも同様の緊張感で、さらに本当に人を襲おうとしているかのような狂気と恐怖感を感じる。3楽章は速度を上げる。相変わらずの緊張感でテンションが上がり凄いが、ヴァイオリンソナタの限界かバルトークがやりすぎを抑えたのか、異常を維持出来ない箇所が所々あると感じる。

•ヴァイオリン・ソナタ第2番 (Vn.&Pf) (1922年) Sz.76◦3.3点


ヴァイオリンソナタ1番と同じ系統の無調的で音の鋭利さを主な特徴とする音楽である。しかし1番で見せた圧倒的な緊張感や異常性は薄れ、切れ味がやや鈍り、所々でまとまりが悪く中途半端な印象を持ってしまう。勝手な印象だが1番のソナタとの内容の重複を避けた結果のように感じた。

•弦楽四重奏曲第3番 (1927年) Sz.85◦4.0点


バルトークの弦楽四重奏曲で一番短い。単一楽章だが部分の区切りは割と明確である。無調的だが、聞きにくく無い。簡素だが緊密で無駄が無く、特殊奏法の使い方、音の重ね方、音響やフレーズなど、前衛的だが非常に高いセンスと閃きの良さに感心する。

•ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.86◦2.8点


尖った民族性ともいうような、少しきつめの雰囲気。あと一押しの雰囲気だけでない何かがほしい。

•チェロとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.88

•ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.89◦3.0点


1番と雰囲気も感想も同じだが、後半パートの野蛮性が好きな感じなので少し評価は上。

•弦楽四重奏曲第4番 (1928年) Sz.91◦3.5点


特殊奏法が多く登場する。簡素な3番とは1年しか違わないが、かなり異なる曲。音自体の面白さを楽しめる点では素晴らしいが、音世界を尖鋭化し過ぎてやり過ぎになり、精神的には少し殺伐とし過ぎていると感じた。アーチ型ではあるが、曲のストーリーが追いにくいと思う。

•44のヴァイオリン二重奏曲 (1931-32年)Sz.98 Op.104 ◦3.3点


民族音楽を素材にしている。渋みとコクのある断片的な小品の曲集。教材として書かれた名曲があるわけではないし、本格的な曲もない。ヴァイオリンは音数が少なく簡素の書法である。しかし、気楽に聴けるのと、低音のない地に足の着かない響きのせいか、不思議な民謡の魔力を秘めたかのような魅力が心を捉える。

•弦楽四重奏曲第5番 (1934年) Sz.102◦4.0点


最初の方はあまり緊張感が高く無いのだが、後半になるに従い緊密度を増して先鋭的になり、おぞましい恐怖の世界を構築していく。最終楽章は魑魅魍魎の飛び交う世界のようである。耳に刺さるような音の痛さは少ないが、まさに天才が狂気をさらけ出した音楽。

•2台のピアノと打楽器のためのソナタ (1937年) Sz.110◦4.3点

全3楽章。特殊編成であるが、バルトークの良さを引き出すのに実に適切と感じる。神秘的で東洋的な雰囲気を出す打楽器、2台のピアノは分厚く、豊富な音数を使って自由な表現を実現している。先鋭的な音使い、充実したリズム、夜の歌など様々なバルトークらしい要素がよくまとめられており、音楽的に充実しているとともに詩的な情緒の面でも充実している。聴きやすさもあり、代表作の一つとして楽しめる作品。

•弦楽四重奏曲第6番 1939年 Sz.114◦3.5点


内省的な印象が強くなり、尖鋭性や強烈さは抑えられている。悲しみの主題が曲を覆い、時代背景を象徴しているのだが、分かりやすいエレジーの類ではない。古典的な印象があり、割と正気を保っており毒の少ない内容は、やや物足りない感じがする。

•無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 1944年 Sz.117◦3.3点


バルトークらしい強烈な緊張感をベースにヴァイオリンの音に強い意味と存在感を持たせる音楽は、無伴奏ヴァイオリンに向いているのだろう。しかし、無伴奏なので音の繋がりを簡単に把握出来ないため、難解な音楽であり、4楽章以外は簡単には聴けない。すごい何かを聞いた気分にはなれるが、それが何なのか分かりそうにないもどかしさがある。

ピアノ曲

•ピアノのためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.26◦3.3点


24分の大作でものすごい力作である。ハンガリー風の動機をふんだんに活用しながら自由に音楽が展開していく。曲としては、力作ぶりに圧倒されるものの、分かりやすくないし感動する感じではない。しかしながらピアノ書法が見事である。技術を駆使して華やかで幅広いピアノの能力を引き出しており、その点でピアノ音楽が好きな人なら、上位にランキングされるだろう。

•アレグロ・バルバロ (1911年) Sz.49◦3.5点


まさに野蛮なアレグロである。ゴツゴツした無機質で異質な音の岩の塊を並べたような曲。ごくみじかい曲だが、密度が濃すぎてもっと長く感じる。

•ソナチネ (1915年) Sz.55◦3.5点


3楽章合計4分の短い曲。ソナタ形式が使われておらず、どちらかというと3曲の小品集に近い。ただ、民謡が使ったこの曲はインパクトがあり出来も良いため、アピールの観点ではソナチネという命名は正しい気もする。

•ピアノのための組曲 (1916年) Op.14b Sz.62◦3.5点


小さな小品4曲。演奏会用の曲なので華々しい技巧が使われている。バルトークが民族音楽の研究の結果を自分の中で消化して生まれた本格的で意欲的な作品であり、かなり聴き映えがする。前衛性はほどほどであり、適度に耳を突き刺す音の痛さが心地よい。

•戸外にて (1926年) Sz. 81◦3.5点


全5曲。この時期に書かれたにしては調が明確で曲想もわかりやすく聴きやすい。激しいのは最後の曲だけであり静寂を主体としている。ドビュッシーの後継者と呼びたい程の詩情がある。

•ピアノ・ソナタ (1926年) Sz.80◦3.3点


ピアノを打楽器的に扱う語法が目立ち、ゴツゴツして野蛮な印象で迫力がある。バルトークらしい異質で鋭角的で前衛的な音楽を本格的に聴かせるピアノ曲として貴重な存在。しかし、ソナチネと呼んでもよいような小さな規模であり、総合性の観点では少し物足りない。

•ミクロコスモス (1926年から1939年)◦N/A


教育用の小曲の集まり。抜粋して少し聴いた印象だと、教育用の大部分は鑑賞するにはつまらないが、後半の難易度が高い曲になると鑑賞に耐える曲になる。

•6つのハンガリア舞曲◦3.0点


ミクロコスモスの最後の6曲。短くてかなり軽い。ごく短いピアノ曲。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c27

[近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
42. 中川隆[-14000] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:35:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-669]

クラシック音楽 一口感想メモ
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

20世紀生まれの唯一のメジャーな大作曲家。

戦中戦後のロシアの悲劇を連想させる現代的な社会性を音楽芸術として昇華させつつ、古典的な形式であり、和声も歪んではいるがとっつき易いのが人気の所以か。

スケールが大きく深刻でシリアスな本格的なところが魅力である。一方で軽妙でシニカルさが魅力の曲も多い。

ただ個人的には、頭の中だけで書いたような機械的な書法に感じたり、わざとらしい作り物の盛り上げ方が気になる時がある。


交響曲

•交響曲第1番 ヘ短調 作品10 (1925年)◦3.5点


19歳の作品で、音に純朴さはあるがセンス抜群で非常によい。後年のひねくれたセンスや国家的なものとの戦いの要素がまだなく、精神的深さは無いものの彼の音感が原石として現れており、それが素晴らしい。

•交響曲第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」 (1927年)◦3.5点


前衛的な一楽章もの。短くて聴きやすい。ウルトラ対位法の部分はもの凄く面白い。だが最後の暑苦しい合唱はいやになる。1番ほどの感動は無いが、音楽としての充実と楽しさは上である。

•交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」 (1929年)◦3.5点


後年のショスタコらしさがかなり現れている。後年に見られる同じ音型を一定時間繰り返すことをせず、きびきびと次に展開していくのが非常に好印象でかなり良い。内容が濃い。

•交響曲第4番 ハ短調 作品43 (1936年)◦3.5点


1楽章はマーラー的なスケールの巨大な音楽。展開部の超高速のフーガは狂気にも程がある。マーラーのようなオーケストラの酷使と、ゴツゴツした荒さと、素材の乱暴な扱いによる取っつきにくさが魅力。2楽章もスケルツォも3楽章も同様の印象である。5番以降のように器用に整理されておらず、生々しい、未整理の"音のるつぼ"であるのが大きな魅力であると同時に、聞きにくく分かりにくい欠点にもなっている。

•交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年)◦5.5点


純音楽的に優れているという点ではショスタコーヴィチの最高傑作だと思う。特に1楽章と3楽章は非常に出来がよい。他の交響曲の深い精神世界を知ってしまったファンは、この曲を浅く感じるので最高傑作と呼ばないかもしれないが、初心者にはやはり真っ先にお勧めしたい。

•交響曲第6番 ロ短調 作品54 (1939年)◦4.0点


1楽章はマーラーのようなゆったりした時間の流れで、大河的な巨大なスケールで叙情的に沈鬱な表情で世界の悲劇を嘆くような、非常に秀逸な楽章。2楽章は1楽章を受けた軽くて気分転換できる良い曲。3楽章は表面的な音楽でいまいちなように感じられるが、裏に皮肉や偽善を隠しているのに着目すると天才的と感じる曲。

•交響曲第7番 ハ長調 作品60 (1941年)◦4.5点


派手にドンチャン騒ぎする曲。確かに浅いから「壮大な愚作」という評価はしっくりくるものであるが、とはいえ大河的、国家的な壮大さを表現できており、やはりよい曲といえると思う。特に1楽章の中間の部分や3楽章は優れていると思う。

•交響曲第8番 ハ短調 作品65 (1943年)◦4.0点


純音楽的にはすこし冗長さが感じられたり響きの多様性や発想力が5番より劣る気がするが、精神的な深さとドラマ性では上回る。

•交響曲第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)◦3.0点


この曲は第九なのにスケールが小さく肩すかしを食わせた曲として有名だ。自分は率直に言ってどう聴いたら良いのかよく判らない。いつもの精神的重さが無いが、それを代替する何かがあるかというと、センスが特別に良いとは思わないし、思い当たらない。交響曲と呼ぶのに必要なものが足りない気がする。交響的な組曲を聴く位の気分で気軽に接するのが正解だろうか。一応後半は何故かいつもの交響曲らしさを少しみせたりするが。

•交響曲第10番 ホ短調 作品93 (1953年)◦4.0点


古典的な均整の取れた4楽章制であり、内容も正統派の力作。古典性を備えた交響曲としては最後の作品集。8年経ち久しぶりの交響曲として気分一新で書いた事が伺える。スターリン時代の人々の苦悩や暴力が国家的なスケール感をもって見事に描かれているし、表面的な表情の裏では別のことを考えていそうな多義性もある。ただ、ショスタコーヴィチが狙っているその通りに音楽が進みすぎるような、作り物っぽさをどこかに感じる。

•交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」 (1957年)◦3.5点


キリキリと音楽のテンションを高めたり沈鬱な音を鳴らして精神的なものを表現する感じが薄い、描写的な音楽。映画に使えそう。描写的なので音楽として楽しく聴ける。異常なテンションの高さが現れないので長い曲だが聴いていて疲れずまったり楽しめてよい。

•交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」 (1961年)◦2.5点


13番と共通するエグい音が散見される。あまり精神的な深い世界を描いていない描写的な交響曲だが、同じように扱われる11番ほど音の密度が濃くなく説得力がない。音だけではよく分からず曲の世界にのめり込めない。

•交響曲第13番 変ロ短調 作品113 (1962年)◦3.8点


全5楽章。バスの独唱と合唱のみであり、特に読経しているかのような単一声部の男声が暑苦しくも凄い迫力で印象的。大河的で圧倒的に巨大で骨太な音楽であり、歴史の闇を生々しく描き真正面から告発するような内容である。オーケストラは低音を使いドーンとかグワーンと鳴らされるのが、読経のような合唱とあいまって東洋的に感じる。異様な迫力と生々しさと巨大さは4番と並ぶ。最大限に深刻な1時間の音楽を緩みなく作りきった精神力は感服するが、純粋に音楽として評価すると、曲の雰囲気があまり変わらず、楽想のバラエティーの豊さはショスタコービチの交響曲の中で一番少ないと思うため、力作だが名曲というには少し足りない。

•交響曲第14番 ト短調 作品135 (1969年)◦3.5点


全11楽章の歌曲の交響曲。晩年の不思議な美しさが顔を見せている。13番同様に力作である。マーラーの大地の歌同様に体裁は交響曲ではないが内容の充実と有機的なテーマの関連性とつながりがあるので交響曲と呼ばれることに違和感は無い。久しぶりに歴史や国家から離れて個人の世界がテーマになった曲。バラエティーと変化に富むので聴きやすい。

•交響曲第15番 イ長調 作品141 (1971年)◦3.0点


様々な楽曲の引用で彩られたショスタコ流の人生回顧曲。ここでも歴史や国家のテーマは感じられない。曲の不思議な明るさと無邪気さには童心回帰を感じる。後半は音が薄く虚無感がある。謎めいた夢の中に帰るような終わり方は素晴らしい。しかし全体としては名曲とかの類ではないと思う。


弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49 (1938年)◦3.0点


明朗で爽やかな印象が強く分かりやすい。とはいえ諧謔などショスタコらしい要素は詰まっている。ちゃんとした音楽を充実した内容で書くという自信を感じる。

•弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68 (1944年)◦2.5点


2次大戦中の曲で、大作。一楽章は少し変わった雰囲気でショスタコじゃないみたい。二楽章以降はなかなか本格的で重い。精神的にもなかなか深いものを表現している。ただ音楽の素材は彼の中の一級品は使ってないと思う。

•弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73 (1946年)◦3.5点


交響曲8番と共通する悲劇的で深い世界を表現している。中期の交響曲群に匹敵する重さと響きの質の高さを持った作品。

•弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83 (1949年)◦2.5点


悪くはなく所々いい場面があるのだが強い印象は無く地味。曲の素材が一級品でなく二軍を使ってる。

•弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92 (1952年)◦3.0点


アダージヨが美しい名作で心惹かれた。その流れで三楽章も楽しめた。最後の場面はショスタコ得意のパターンとはいえ美しい。

•弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101 (1956年)◦2.5点


ショスタコの四重奏にしては全体が快活な雰囲気でまとめられており聴きやすい。

•弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108 (1960年)◦2.5点


短い作品で、ショスタコ節を鳴らして終わる普通の曲。

•弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110 (1960年)◦3.5点


激情にかられて一気に書いたという逸話に納得の内容。彼の熱い思いがみなぎるテンションに圧倒される。

•弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117 (1964年)◦3.0点


ショシタコらしい音がして、バラエティー豊かで内容は豊富でバランスが取れているという点で聴きやすい。

•弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118 (1964年)◦3.0点


交響曲のような発想が所々あり、力強い楽章などそれなりに聞き応えがある。

•弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122 (1966年)◦3.0点


ダークで殺伐とした静かな後期の世界が展開される。複雑怪奇なフレーズは少ない。夜の闇の静けさの中で事象が発生しはるか遠くに消えていくかのようである。

•弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133 (1968年)◦3.5点


歯止めの利かないクレイジーさはベートーベン後期のようだ。二楽章はしつこく繰り返される動機が妙に印象に残り、その間を自由で即興的で異様な内容の音楽がつないでいく。やけに即物的な音楽であるが、それがいい。後期四重奏の魅力を強く感じられる。

•弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138 (1970年)◦3点


リズムがなく、もはや観客の視点も無い。暗闇の中で何かが唸っているような、自然の中の何かの現象が発生しているような曲。構成感も希薄で現代音楽のよう。雅楽のような虚無の使い方。ショスタコにしてはやり過ぎではないかとも思うが、割り切って聴けば悪くない気もする。
•弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142 (1973年)◦3点


1楽章はヘンテコで正直どう感じればいいのか分からない。二楽章はやたら分かりやすい、そして分かり易いと自然と感情移入できるというのを実感する。三楽章も自由だが割と音楽になっており理解は可能。

•弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144 (1974年)◦3点


全編アダージョの長い曲だが、音楽的に充実していて飽きることなく最後まで聴ける。後期の四重奏の中で一番聴きやすい。ヴィオラソナタのように最晩年らしい特別な感情や世界が展開されてる感じではなく、ただただ叙情の世界である。

•弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)

管弦楽曲・吹奏楽曲

•タヒチ・トロット (1928年)◦3.5点


ヒットソングの編曲で、45分でオーケストレーションしたらしい。なかなか洒落ていて色彩的で愉しい編曲で面白い。何しろ原曲が秀逸である。

•ジャズ・オーケストラのための第1組曲 (1934年)◦3.5点


いわゆるジャズに分類される音楽ではないが、今でも耳にする事があるようか古いバンド向けお洒落音楽ではある。線を繋げて構成するショスタコーヴィチの柔軟さが生かされている。洗練度は微妙だが、クラシック専門作曲家にしてはセンスがよい。奔放な発想力が凄い。

•ジャズ・オーケストラのための第2組曲 (1938年)◦2.5点


ブラスバンド用もしくはディズニーランドで流れているような音楽のよう。ごくありきたりの音楽であり、悪い曲ではないがショスタコーヴィチ作曲である附加価値は何も無い。なお、いわゆるジャズ的な音楽ではない。この曲の本来の題名は舞台管弦楽のための組曲であり、誤って「第2番」として知られてしまっているのだそうだ。

•荘厳な行進曲 (1941年)

•バレエ組曲第1番 (1949)◦3.5点


非常に軽妙な舞台音楽の再編集による組曲。よくある音楽にショスタコーヴィチらしい味付けがされており、作曲者の個性がちゃんと発揮されている。センスがかなり良いし表情豊かで1曲ごとにちゃんと個性があるので、心底楽しい気分で聴ける。いつもの深刻なショスタコーヴィチとは全然違う一面がみれる。この曲集は1曲が非常に短いので聴きやすい。

•バレエ組曲第2番 (1951)◦3.8点


2曲目に独奏チェロを使用した7分程度のアダージョがあるのが特徴。アダージョといっても軽くて楽しい気分で聴けるものである。そのような楽しい曲を書けたショスタコーヴィチのセンスに驚く。その他の曲は1番と基本的に似ていて、同様に楽しめる。4曲目のトランペットの独奏によるロマンスは昭和の歌謡曲のようで面白い。そして非常にいい曲。

•バレエ組曲第3番 (1952)◦3.0点


この曲集もやはり個性豊かで聴いていて楽しい曲の集合である。しかしながら、曲にありきたりな感が増している印象をうけた。はっとするような感動や感心してしまうような場面が少なくて、よくある音楽にわずかな一捻りを入れただけの曲ばかりと思ってしまった。

•バレエ組曲第4番 (1953)◦2.8点


3曲しかなくて1曲が3から5分程度と長いのが特徴。どれも普通の曲であり、あまり特徴が無いので面白いと感じなかった。他のバレエ組曲同様に軽快ではあるが、軽やかさが少ない。

•祝典序曲 (1954年)◦2.5点


ファンファーレ吹きまくりのノリノリの曲である。生で聴いたら楽しそうだが、CDで鑑賞する場合にはそれほどいい曲ではない。

•交響詩「十月革命」 (1967年)◦2.0点


耳に残るものがなくつまらない。交響曲の中の一つの楽章だと評価が変わるかもしれないが、単品の曲としては評価できない。

•交響的哀悼前奏曲 (1967年)

•「緑の工場」のための序曲

•ソヴィエト民警の行進曲(1970年)◦2.0


吹奏楽曲。普通のマーチ。少しだけショスタコ風ひねりがある程度。

•ロマンス『春よ、春よ』Op128◦2.0


断片的な歌曲。歌詞も分からないのにわざわざ聞くほどのものでない。


協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35 (1933年)◦3.5点


弦楽合奏のピアノ協奏曲だけでなく、所々にトランペットの効果的な彩りが入っているのが楽しい。重音が少なく軽快に駆け巡るピアノ書法と伴奏が良くマッチしている。軽くて楽しい曲だが適度にシニカルさが混入して表情豊かになり、聴き映えのある仕上がりになっている。

•ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102 (1957年)◦3.0点


1番以上に軽快な曲であまり深い内容はありそうにない。聴く側も気楽に娯楽音楽を聴く気分で接すると良さそう。駆け巡るようなピアノ書法や2楽章の叙情性は楽しい。

•ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99) (1948年)◦3点


交響曲以上に暗くて分厚くずっしりと重たい感じのする曲。本格派だが、暗すぎて気分が乗らないと聞いていて滅入ってしまう。しかも一楽章と三楽章が両方そう。カデンツァ長すぎ。アップテンポの楽章も耳に心地よくない。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129 (1967年)◦2.0点


どの楽章も魅力や光るものが無いと思う。美しさや感動もなく、耳に痛いギシギシとしたヴァイオリンが続く。

•チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 (1959年)◦3.0点


1楽章は同じ音型を繰り返すだけの行進曲で前奏曲のようなイメージ。二楽章は長くて叙情的でなかなか美しい音楽。三楽章は二楽章の続きでまるまる楽章全部がカデンツァ。四楽章はコンパクトな締めの楽章で悪くない。早い楽章は小品で、緩徐楽章がメインの曲。

•チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 (1966年)◦3.0点


アダージョで始まる。長大で内省的にせつなく歌い続けるのはチェロの魅力を生かしてる。二楽章は短く活動的で、三楽章は長大で中庸なスピードや内容だが、重くないサウンドで飽きずに楽しめる。最後が交響曲15番と似たような終わり方なのが面白い。

室内楽曲

•弦楽八重奏のための2つの小品 作品11 (1927年)◦3.5点


二曲とも豊富な声部を面白く活用して興味深い音楽を作っている。聞き応えあり。

•チェロ・ソナタ ニ短調 作品40 (1934年)◦2.5点


静かで叙情的な1楽章と3楽章が長大で曲の中心になっている。分かりやすい歌うような部分は多いが、すぐに皮肉な捻りが入り落ち着かない。暗いような明るいようなはっきりしない場面が続く。2楽章と4楽章は割とはっきりしており聞きやすい。全体に心への響きが弱い。

•ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57 (1940年)◦4.5点


交響曲5番と同様に、観念的な精神性にも娯楽性にも偏らず、正統的で純粋な音楽的内容の豊富さとレベルの高さと密度の濃さが特徴。交響曲以上の内容の豊富さであり、大変に聴き応えがある。しかも真実味に溢れ、交響曲のように余計なエンターテイメント性に気を使う必要も無く内容に注力出来ている。ショスタコーヴィチの最高傑作候補の一つ。

•ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8 (1923年)

•ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67 (1944年)◦3.0点


1楽章と3楽章の追悼音楽の雰囲気が印象的。全体にとっつきにくく、心地よさを拒絶しているような内容で、メロディーがはっきりせず耳に残らない。4楽章は夜の墓場のようなおどろおどろしい雰囲気は悪くないが、曲が長すぎる。

•ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 (1968年)◦3.0点


1楽章は4度を主体にした虚無的な音楽がひたすら続きよく分からない。2楽章はかなり激しいピアノとヴァイオリンの絡み合いで、分かりやすさはある。3楽章は無調に近い響きでバルトーク的な狂気の世界の変奏曲。この曲はいろいろとやり過ぎで、力作ではあるが聴くのがしんどい。

•ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 (1975年)◦4点


最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある

•弦楽四重奏のための2つの小品 (1931年)◦3.0点


1曲目はなかなかいいけど2曲目はいまいち。

•ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)◦4.5点


最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある。催眠にかけられて深遠の暗闇に引き込まれるような不思議な感覚を覚える。そんな両端楽章にあって、2楽章のスケルツォも骸骨の踊りのようであり、刺激の点で効果的に機能している。3楽章の月光ソナタのオマージュ部分はあまりにも儚く美しく、最後はベートーヴェンを使ったという事実に想いを馳せると胸を打たれる。

•3つのヴァイオリン二重奏曲◦2.5点


自分で演奏したら楽しそうなオーソドックスで分かりやすい小品。

合唱曲

•オラトリオ「森の歌」 (1949年)◦3.0点


ショスタコーヴィチにしては単純で分かりやすすぎると共に、演出が豪華で派手な合唱曲である。骨太で大地のような巨大なスケールであり聴き映えはする。本人の意図に反した保身目的の曲という歴史的興味を引く曲であるが、内容が表面的でありいつものエグさがないので物足りない。

•カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』◦3.5点


少年合唱は使い方をはじめ、いかにもという感じのコテコテのプロパガンダ曲で、そういう音楽としては楽しめる。

•バラード「ステパン・ラージンの処刑」(1964年)◦3.5点


迫力満点。目の前で歴史的な事件が起きているかのような臨場感である。ショスタコがこのような政治や国家の関係する劇的な叙事曲を書かせたら圧倒的に凄いと再認識。交響曲に匹敵する重量感。


バレエ音楽

•黄金時代 (1930年)◦3.5点


黄金時代の組曲で聴いた。ショスタコ節がすでに確立しかかっている。

•ボルト (1931年)

•明るい小川 (1935年)

•お嬢さんとならず者 (1962年)


ピアノ曲

•5つの前奏曲(1921年)

•3つの幻想的な舞曲(1925年)◦3.0点


1分程度の小曲が3曲。すぐにサティーを思い出すような、フワフワしてアンニュイで幻想的な曲。

•2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)◦3.0点


初期の曲であり、まだロシア的なロマン派の香りが漂い和声に歪みが少ないが、新しい20世紀らしい音楽へと踏み出してもいる。輝かしい神秘的な響きが多いのが目新しく感じる。スケール感があり音が分厚く発想は豊かであり、2台のピアノ用組曲としては聴き応えのあるものである。

◦箴言
◦3.0点


古代からの不思議な伝承物を連想させるような謎めいた音楽。何かの暗号のようだ。即物的に聞こえる瞬間も多い。嫌いではないが、どちらかというと実験音楽のたぐいだろう。

•ピアノ・ソナタ第1番(1926年)◦3点


前衛的であり2番とは大きく異なる世界の曲である。

•ピアノ・ソナタ第2番(1943年)◦3点


多楽章のピアノ・ソナタとしては唯一の作品である。ソナタ形式の得意なショスタコーヴィチにしては残念である。この曲はショスタコーヴィチならばこれ位書けそうという予想の範囲を超えるものが無く、曲としてはまとまっていて規模も大きいのだが、形式にはまりすぎであり驚きの無い作品である。

•24の前奏曲(1933年)◦2.0点


1曲の長さは短い。24の前奏曲とフーガと同様の24曲の曲集ではあるが、こちらはかなり地味で各々の曲の特徴も薄く、聴いているとどんな曲か把握出来ないままに次の曲に移ってしまう感じである。よく聴くとショスタコーヴィチらしい風味がある音楽ではあるのが分かるものの、地味すぎて楽しめないというのが率直な感想である。

•24の前奏曲とフーガ(1952年)◦4.5点


1曲目が大変素晴らしくて、一般化された精神の深みをバッハのように音楽で体現し、心をノックアウトする音楽。

2曲目はパラパラとしたバッハの影響が強い雰囲気

3曲目はフーガがかなりバッハっぽく、前奏曲はショスタコーヴィチによくある雰囲気。

4曲目は悲しくエモーショナルで心を動かされる。

5曲目は前奏曲はエモーショナルでフーガは個性的な主題と、どちらも面白くて良い曲。

6曲目は暗い情熱が素敵。フーガはやや長すぎる。

7曲目は分散和音をテーマにしているのが面白い。

8曲目は虚空をさ迷うような前奏曲はいいが、長すぎるテーマのフーガはアイデア倒れ。

9曲目はユニゾンの曲でショスタコーヴィチ節全開すぎるし、フーガの押せ押せは面白いが刹那的すぎる。

10曲目は前奏曲も悪くないし、ロマンチック的情緒のフーガが割と良い。

11曲目は間奏的な軽いスケルツォの前奏曲と、軽くてあまり印象に残らないフーガ。

12曲目は、オクターブの重厚な低音が悲劇的な前奏曲も、耳を突き刺すようなフーガもともに力作。

13曲目は前の曲の流れをうけて静寂と平和を静かに望むような雰囲気が良い。

14曲目は前奏曲はムソルグスキーを彷彿とさせるグロテスクさ。フーガは普通。

15曲目はシニカルな前奏曲も良いが、前衛的で複雑な押しのフーガが圧倒的。

16曲目は黙示録のようなフーガがすごい。捕らえ所のないテーマが延々と薄い音とボソボソとした独白で続けられる。

17曲目は様々な色の絵の具を混ぜたような、複雑で何にも帰属できない雰囲気が面白い。

18曲目は普通だが、フーガのテーマに泣きが少し入ってる。

19曲目は謎めいたフーガが印象に残る。前奏曲も捉えにくさがある。

20曲目は静謐な曲で特にフーガの途中からは印象が弱い。

21曲目は軽快で気分転換できるが、だんだんひねくれてしまう。

22曲目は曙光のような薄暗さの中にいるような曲で雰囲気は好き。

23曲目は曲集の終わりに近付いた清々しさを表現した曲で心地よい。

24曲目は壮大に曲集を締めていて、十分な出来になっている。


全体にショスタコーヴィチにマッチした形式であり、ピアノ作品の代表作である。彼の音楽の類い希な普遍性が非常に良い形で現れている良作。24曲の表情は様々であり、多様な表現を見せている。

•2台のピアノのための小協奏曲(1954年)◦3.3点


多くの部分が伴奏とソロに別れており、協奏曲として楽しめる。ピアノ協奏曲としては他の曲と同様に軽い駆け巡るピアノが楽しめる曲になっている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c42

[近代史3] アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの? 中川隆
15. 中川隆[-13999] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:37:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-668]

クラシック音楽 一口感想メモ
アルノルト・シェーンベルク (Arnold Schönberg, 1874 - 1951)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

12音技法の開発者。目新しい語法や音感を楽しむ刺激ありきの音楽ではあるだが、古典的な感性は保持しており、奥にはしっかりとした根を張っている。


管弦楽曲

•交響詩「ペレアスとメリザンド」 op.5(1903/1913、1918改訂)◦3.0点


初期のシェーンベルクに共通するように、ドロドロとして蠢く複雑な音のうねりが、精神の基底部分を表現しているように感じられる。40分もある大作であるが、その長さの必然性は理解できなかった。輝かしい場面はなく、ひたすらに音深夜の暗黒の中で寝付けずにうなされているかのように、動き続ける。最初からこんな作品を書くとは、シェーンベルクは他の人とは違う志向を生まれつき持っていたのだろう。

•室内交響曲第1番 op.9(1906/1923改訂/1914、1935管弦楽版)◦2.5点


単一楽章。15人の奏者で管楽器が弦楽器の倍の人数。従ってハルモニームジークに近い響きであり、軽やかで叙情的なしつこさがない。まだ無調ではないが、時代が近いマーラー晩年の作品を連想するような、調がやや曖昧で小節の区切りも分かりにくく、各声部が線となりそれがもつれ合うような書き方である。いい曲とは思えないが、興味深さはある。

•室内交響曲第2番 op.38(1906-1916、1939-1040)◦3.3点


楽章は2つ。調性が明確。1楽章は叙情的で悲劇性のあるアダージョ。純音楽としての美しさがあり、聴き応えのある曲。

2楽章は切迫感を基調として持ちながらも、多彩な楽想を盛り込んでバランス良く非常に巧みに曲が構成されており、なかなか素晴らしい。

•5つの管弦楽曲 op.16(1909/1922改訂/1949小管弦楽版)◦3.5点


これは優れた作品で、大作曲家ならではの領域に到達していると思う。斬新さだけでなく、技術と精神の両方を高レベルで作品として結晶させることに成功している。作品としても、個別には短い曲で、それが順番を意図して並んでいるのが聴きやすい。様々な技法の展示のようにも楽しめる。

•浄められた夜 op.4 (1917、1943弦楽合奏版)◦3.5点


マーラーの爛熟感をさらに推し進めて、とめどない表現の限界を探っている。ロマンチックで調性の枠内にあるが、音楽の崩壊を予兆させる部分は大いにある。パンドラの匣を開けたかのような、やりすぎの情緒性とか官能性が渦巻く曲。非常に美しいのだが、自分は精神の規範意識とかバランス感覚が許容できる限界を半ば超えており、聴いていてしんどい。すごい曲ではあるのは認めるが、バランスは大事でやりすぎは良くないと思ってしまう。「トリスタンとイゾルデ」を拡大した曲ともいえる。

•管弦楽のための変奏曲 op.31(1926-1928)◦3.3点


色彩感が豊かな管弦楽が美しい。12音技法の初めての大作とのことで、作曲者が全霊を傾けて書いただろうことは伝わってくる。調性感がない音楽はまさに前衛的な抽象絵画を観るようであるが、長い曲であり変奏を積み重ねていくうちに場面が次々と変化していく映像を見ている気分になる。やはり管弦楽であることの価値が高くて、色彩感と運動感を愉しめるのが大きいと思うから、12音技法の音楽にしては聴きやすい。映像化したものがあったら見てみたい。

•映画の一場面への伴奏音楽 op.33(1929-1930)◦3.3点


中間の盛り上がる場面のカオスで派手なやり方が気に入った。これがあるから前後のコントラストを楽しめるし、終わり方の不穏さもかっこいいと感じられる。映画音楽だけあって、エンターテイメント性が高い楽しませる曲である。

•組曲ト長調(弦楽合奏)(1934)

•主題と変奏 op.43a(吹奏楽版:1943)/op.43b(管弦楽版:1944)◦3.0点


随分とオーケストラの機能をフルに活かそうとしている意図が感じられる。聴き映えを明確に意識している。だから、12音技法とはいえ、かなり普通の曲に近いように聴こえる部分もある。ただし、変奏曲としての魅力はあまりない。なんとなく場面が移っているだけに聴こえる。

協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲 op.36(1934-1936)◦3.3点


かなり長い作品。1楽章は無調の音のごった煮の中で、キーキーと耳につくヴァイオリンのソロが続くイメージ。ピアノ協奏曲ほどバランスが良くない。2楽章はドロドロとした秘めた情熱性が出ていて、なかなか引き込まれるものがある。このような音楽がシェーンベルクはうまい。3楽章は最初の方は2楽章の続きで心を突き動かすものがあり良いと思ったが、後半はいまいちだ。

•ピアノ協奏曲 op.42(1942)◦3.3点


情緒的な曲であるが、強い抑揚はない。ピアノの使い方や管弦楽とのバランスなど、よく出来た協奏曲ではある。12音技法の協奏曲としての興味と期待を満たしてくれる。しかし、ソロの技術的な大活躍はないし、全体を通し期待を越えた何かを見せてくれる印象はない。あくまで、センスの良さと職人的な技法的洗練を楽しむ作品に留まっていると思う。


室内楽曲

•浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版:1899)

•弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 op.7(1905)◦3.0点


異常に長大な単一楽章の曲。初期のシェーンベルクらしいモヤモヤして陰鬱でドロドロした暗い曲。聴き通すのにかなりの苦痛を強いられる。これはひどい。浄められた夜の世界をより進めたものとは言える。対位法的な音の使い方が耳につくのだが、その音の重なりがまた鬱陶しい(笑)ということで、表現力の高さにおいて芸術的価値はある曲だと思うが、聴く人をかなり選ぶと思う。1900年代の同時期のマーラーに似ているが外面的な派手さがなく内面的な感情の噴出の生々しさを増した感じである。

•弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 op.10(1907-1908/1929弦楽合奏版)◦3.3点


1楽章も2楽章も1番よりもはるかに明確で精神的にも成熟した音楽であり、満足感が大きい。ドイツ的な骨格の太い音楽である。巨匠的な品格がある。3楽章からは歌曲との融合になるが、これも雰囲気だけでない多様性と鋭角的な表現の強さがあり、聴いていて心地よい。4楽章は無調とのことだが、あまり強く感じられない。ひたすら不安定で不安感を煽る短調の音楽という印象の場面が多い。

•弦楽四重奏曲第3番 op.30(1927)◦2.8点


まったりとした典型的な無調音楽に聴こえる。悪くはないが、弦楽四重奏の機能を十分に使い切っている感じもないし、意外性もない。予想通り以上ではない印象である。となると、無調の平板さのデメリットが目立ってしまう。シェーンベルクの作曲能力からして当然書ける以上のものがないから、面白くない曲になってしまっている。特に2回連続で聴いた2回目は全然面白くなかった。

•弦楽四重奏曲第4番 op.37◦3.0点


前半は交響的な雄大さが志向されており、明確な曲想を感じる。後半の特に4楽章は舞台的なドラマ性がある。やりたい事が分かりやすいため聴きやすく、楽しみながら聴ける。無調の限界は同じようにあるのだが、不平不満がたまるほどではない。音に力があるから、心を動かすものがある。3番よりも明らかに上だと思う。楽しいと思う瞬間は沢山ある。無調にしては、だが。

•弦楽三重奏曲 op.45(1946)◦2.5点


表現力がすごい。自由自在に音を動かして、弦楽三重奏があまり多声的ではないのを逆用して豊かな前衛的表現の器として活用してる気がする。しかし、良さはそれだけであり、音楽が心に響くような場面はほぼ無かった。

•鉄の旅団(1916)

•セレナード op.24(1920-1923)◦3.0点


マンドリンとギターが入っているのが面白い特殊編成の室内楽。中間で突然声楽入りの楽章があるが、唐突である。現代音楽的な無調もしくは無調的音楽による娯楽作品という面白さはある。しかし、現代の耳では凄みは感じられず、みんなが好き勝手に弾いているように聴こえるだけの、ありがちな現代音楽のように思えてしまった。

•クリスマスの音楽(1921)◦3.5点


心温まる素敵な曲だ。前衛性はなにもないが、多声的な要素のため、つまらなくは感じない。室内楽の柔らかい温かみの魅力に包まれて、浸って感動できる。

•管楽五重奏曲 op.26(1923-24)◦2.5点


管楽合奏はシェーンベルクの無調音楽との相性があまりよくないと思う。内部にエモーショナル内部にものがなく、無作為にランダムに音を並べただけの実験音楽にしか聴こえない。しかもやたらと長い。最初は管楽器の明瞭さを楽しめたが、同じ調子でいつまでもダラダラと音楽が続くのでだんだんウンザリしてくる。

•7楽器の組曲 op.29(1924-1926)◦2点


長い曲だが似たような音響が続いて退屈。30分の曲だが「5分にまとめればいいじゃん」と思った。短時間なら聞いてみる価値はある曲だが。特殊構成なので実際の演奏会を成立させるために曲の長さが必要だったのかもしれないが。

•ヴァイオリンのためのピアノ独奏付き幻想曲 op.47(1949)◦3.0点


無調でリズム感にも乏しく無機質であり、完全に現代音楽である。面白いが現代の耳で聴くとこの構成で想定される範囲内であり特筆するべきものはない。

ピアノ曲

•3つのピアノ曲 op.11(1909)◦3.5点


無調に向かうシェーンベルクの作品の発展のダイナミズムの中にある作品らしいエネルギーと創作性が楽しい。音感の良さと、表現の意思の強さが、感動的なものを曲に与えている。グロテスクさもありつつ、なんとも言えない独自の世界観が表現されている。それがなぜか心地いい。世界の狭間から地上の割れ目に落ちたかのような特殊な深みを感じる。そして音の使い方のセンスが良い。システマチックでないし和製的だから平板な単調さがない。

•6つのピアノ小品 op.19(1911)◦3.3点


あまりにも断片的な小曲の集まり。さすがに感想を持ちにくい。音のセンスがあってとても素敵と思うが、曲に酔う前に終わってしまう。静物絵のような静謐な世界観と、人形が動き出すような童話のような非現実性と愛らしさの音楽と思う。もう少し曲が長ければよかった。

•5つのピアノ曲 op.23(1920-1923)◦3.0点


なんだか新鮮さがなくなった。悪くはないのだが、テクニックで書かれていて驚異的で代替不可能なものがなくなった気がする。強く心を掴むものがない。バランスが良く尖っていない優等生になっている。

•ピアノ組曲 op.25(1921-1923)◦3.0点


最後の曲が技巧的だったり、いろいろと頑張って音楽の幅を広げようとしているのは分かる。しかし、本質的なピアノという楽器の魅力を引き出しているとは感じにくい。音を敷き詰めて曲らしい形に仕立て上げているだけに聞こえてしまう。新鮮な驚きに乏しい。

•ピアノ曲 op.33a(1928)
•ピアノ曲 op.33b(1931)◦3.3点


12音技法の生の音をそのまま感じられる点でなかなか興味深く聴けた。無調の音を敷き詰めているだけでないある種の艶かしい生理的なものに届く音楽になっていると感じる。曲がそれなりの長さであり、世界に入り込みやすいのもあるかもしれない。どこにも安定しないで狭間の世界に入り込むような浮遊感と孤独な静寂感がなかなか楽しめる。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html#c15

[近代史3] ベルクのヴァイオリン協奏曲は何度聴いても理解不能なんだけど、本当にみんな感動してるの?(強い疑い) 中川隆
37. 中川隆[-13998] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:41:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-667]

クラシック音楽 一口感想メモ
アルバン・ベルク(Alban Maria Johannes Berg, 1885 - 1935)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

シェーベルクよりも「いい曲」であり「また聴きたい」と素直に感じる作品が多い。無調の作曲家ではあるが強く心に訴えるものがある。

•ピアノ・ソナタ Op.1◦4点


この曲は好きだ。独特のロマン派的感動エネルギーを内包しながらも。無調の世界を時折予感させるような不安定な調性。センス良く多重的に音の積み重ね続けて構築された世界は個性的な精神世界を生み出しており、ピアノの美しさを引き出している。ロマン的な世界など、断片的に一瞬だけ古い音楽を見せるのが効果的。聴後感がよいため、また聴きたくなる。

•弦楽四重奏曲 Op.3◦3.5点


無調のカオスが渦巻いたり、虚無的な音が鳴り響いて精神的な闇の底を露わにしたり。ピアノソナタ程の美しさと天才性はないと思うが、無調性の音楽の初期の時代の作品としてはよい作品。ピアノソナタと同様に、1曲しか無いのが残念である。

•管弦楽の為の3つの小品 Op.6 (1914年 - 1915年/1929年改訂)◦3.0点


独自のニュアンスに満ちた曲である。現実的な何かを連想できない前衛的で思弁的な哲学的な曲のため、難解であり聴き方が難しい。とはいえ、骨太のスケール感や、様々なものが強引にごった煮のように混ぜられたカオスや、そのなかに姿を見せるベルク独特の叙情は楽しめる。3曲で20分程度だが、長さ的には密度を保ち聴き手として楽しめる限界と感じた。

•歌劇「ヴォツェック」 OP.7 (1925年初演)◦4.0点


舞台を見ないで音楽だけ聴いても、相当に優秀な音楽であることがよく分かる。無調らしい不条理の表現が大成功しており、音楽の緊密さも高い。そして、音楽が劇的な物語表現と役者の表現行為への音楽の貢献が素晴らしい。器楽曲だけではなかなか分からないベルクの音楽が持つエモーションの力の強さに驚愕する。音楽の新しい表現世界を切り開いており、これ一曲でもベルクの名前は音楽史に残っただろう。

•室内協奏曲 (1923年 - 1925年)◦3.8点


音感の良さが感動的なレベルにある。無調であるのに、音があるべき所にあるため、なんとも素晴らしい心地よさである。ベルクらしい見事な表現の力を発揮しており、情熱的な精神と、高雅で高貴でありかつ厳しさを併せ持ったものが表現されている。特殊構成の曲であるが、ここ音のバランスがまた絶妙だ。管楽器が邪魔せずに控えめな柔らかさが対比されてよい雰囲気を作っている。ヴァイオリンとピアノの鋭さをうまく適度に中和している。かなり感心した。

•抒情組曲 (1925年 - 1926年)◦3.3点


これが抒情的かというと、音楽だけから内容を読み取るのには苦労が伴う。しかし、うまく感じ取ることに成功すると、情熱や甘酸っぱい思い出や悲哀や不条理を感じ取ることは可能だろう。強く感動するほどではないが、無調独特の灰色の世界と、同色の音色である弦楽四重奏で表現される抒情的音楽に、それなりの感慨を感じる。

•4つの小品 Op.5◦3.8点


クラリネットとピアノの曲。4つの曲だがごく短くて、あっという間に終わる。内容が非常に示唆的であり未来的とも言える。感性を強く刺激することではかなりのインパクトがある。音感の良さとセンスに感服する。空白が活かされており、日本的なわびさびに通じるものある。この曲は個人的には、かなり好みでありツボである。

•ヴァイオリン協奏曲 (1935年)◦3.3点


自分と曲との相性が悪いのか、聴いた演奏のせいか分からないが、自分にはベルクの代表作とされているほどのものを感じない。ヴァイオリン協奏曲としてのフットワークの良さや協奏の楽しみや、場面の変化による構成の楽しみが足りないからかもしれない。ベルクらしい無調であるが調性的な中心感がある音楽はここでも健在である。無調というよりむしろ、予想を外すことが多い調性曲という趣の場面も多い。無調が持つ独特のはかなさや超常的な透明感と美しさ、緊張感をうまく活かした曲調である。ヴァイオリンが出ずっぱりの活躍である。最後の完成作品として到達した完成度の高さはよく分かる。

•ルル組曲 (1928年 - )◦3.0点

オペラの一部分を組曲にしたもので、短い時間だけであるが歌も入る。オペラ的、もしくは映画音楽的という印象である。あまり管弦楽曲としての純度は高くない。無調的な映画音楽と考えて聴けば面白いけれども、密度が高くないのはやはり物足りないと感じる。音楽だけを聞く限りは、あまりストーリーも感じられない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/710.html#c37

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
9. 中川隆[-13997] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:48:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-666]
完全に勘違いされているようですが、グローバリズムというのは国際化ではありません。企業の活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。共産諸国はそういう国際化はしていません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c9
[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
10. 中川隆[-13996] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:59:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-665]
完全に勘違いされているようですが、グローバリズムというのは国際化ではありません。企業の活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。関税も非関税障壁も撤廃した完全な自由貿易がグローバリズムの精神です。完全自由貿易にすれば開発途上国の企業はすべて淘汰されて消滅します。

共産諸国はそういう国際化はしていません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c10

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
11. 中川隆[-13995] koaQ7Jey 2020年2月06日 14:11:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-664]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するには世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。

キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。

今、世間で問題視されているグローバリズムというのは唯の国際化という意味ではありません。
企業活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。関税も非関税障壁も撤廃した完全な自由貿易がグローバリズムの精神です。完全自由貿易にすれば開発途上国の企業はすべて淘汰されて消滅します。内需も破壊されて中間階層が没落して完全階級社会になります。

共産諸国ではそういう国際化はしていません。

ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、確かに多民族国家にはなりましたが、中南米みたいな自治や民主選挙を認めた傀儡国家化ではなく、戒厳令を敷いた弾圧・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく民族文化の否定・ミンゾクジョウカになるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c11

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
12. 中川隆[-13994] koaQ7Jey 2020年2月06日 14:17:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-663]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するには世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。

キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。

今、世間で問題視されているグローバリズムというのは唯の国際化という意味ではありません。
多国籍企業の活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。関税も非関税障壁も撤廃した完全な自由貿易がグローバリズムの精神です。完全自由貿易にすれば開発途上国の企業はすべて淘汰されて消滅します。内需も破壊されて中間階層が没落して完全階級社会になります。

共産諸国ではそういう国際化はしていません。

ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、確かに多民族国家にはなりましたが、中南米みたいな自治や民主選挙を認めた傀儡国家化ではなく、戒厳令を敷いた弾圧・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく民族文化の否定・ミンゾクジョウカになるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、多国籍企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c12

[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
1. 中川隆[-13993] koaQ7Jey 2020年2月06日 15:18:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-662]
クナッパーツブッシュ

Symphony No. 8 in B Minor, D. 759 "Unfinished": Knappertsbusch Wiener Philharmoniker 1949





_____





Wiener Philharmoniker, Hans Knappertsbusch
REC : 1949

▲△▽▼

【高音質復刻】Knappertsbusch & BPO - Schubert: Sym. No.8(7) `Unfinished` (1950.1.29)


ハンス・クナッパーツブッシュ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1950年1月29日、ベルリン、ティタニア・パラストでのライブ録音
_____

Schubert Symphony No.7 (No.8) 「Unfinished」(1950rec)


1950年録音
Hans Knappertsbusch
Berlin Philharmonic Orchestra


クナの「未完成」はこの3種で全部である。いずれもブルックナー第9と同じ演奏会およびそのリハーサルである。
ベルリン・フィル
audite。21.405。RIAS録音集5枚組。
1950年1月28日、ティタニア・パラストでの放送用録音。12:03, 11:16。
TAHRA TAH 214/5と同一録音であるが、こちらは29日表記(場所表記無し)。おそらくaudite盤が正しいのだろう。
音も良く、演奏もまっとうなものである。下のライヴよりもすっきりした演奏になっている。


ベルリン・フィル
audite。21.405。RIAS録音集5枚組。
1950年1月30日、ティタニア・パラストでのライヴ録音。12:20, 11:51。
TAHRA TAH 417/8と同一録音である。TAHRA盤は同日のブルックナー第9などとのカップリング2枚組。
上の放送用録音とくらべると、ライヴらしい感興があり、起伏に富んだ演奏になっている。基本テンポも若干ゆったりしている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm


▲△▽▼

Symphony No. 8 In B minor, D. 759, Unfinished, Knappertsbusch the Bayerisches Staatsorchester





Hans Knappertsbusch Conducts the Bayerisches Staatsorchester

バイエルン国立管弦楽団
ORFEO。C426 981C。1958年2月10日、音楽アカデミー・コングレスザールでのライヴ。11:00, 10:21
これも特に変わったところもない、まっとうな演奏である。
55年3月20日ライヴのウィンナ・ワルツ&ポルカとカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c1
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
2. 中川隆[-13992] koaQ7Jey 2020年2月06日 15:57:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-661]

ブルーノ・ワルター

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Vienna / Walter




_____







Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Studio recording, Vienna, 19-21.V.1936

ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィル
EMI。戦前の有名なSP録音。10:30,12:01。
EMIのウィーン・フィル150周年記念盤(CDH7 64296 2、シャルクの「田園」とのカップリング)。
名演だが、このCDでは第2楽章後半になって復刻にともなうノイズが目立つのが残念である。
2003年初め、opus蔵OPK 2032でSPから復刻されたものも入手。実によい音だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm


▲△▽▼

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Philadelphia / Walter


Philadelphia Orchestra
Bruno Walter
Studio recording, Philadelphia, 10 & 12.I.1946

▲△▽▼

Symphony No. 8 in B Minor, D. 759 "Unfinished": Bruno Walter Bayerisches Staatsorchester 1950





Conductor: Bruno Walter
Orchestra: Bayerisches Staatsorchester

バイエルン国立管弦楽団
ORFEO。1950年10月2日、ドイツ博物館コングレスザールでのライヴ録音。
10:30, 12:51。
ワルターは第一次世界大戦前にバイエルン国立歌劇場の監督だったので、このオケは古巣である。
同日演奏の「巨人」とカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm


▲△▽▼

Schubert: Symphony No. 7(8) `Unfinished`, Walter & NYP (1958)






Bruno Walter (1876-1962), Conductor
New York Philharmonic

Rec. 3 March 1958, at Hotel St. George, in New York

ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル
ソニー。1958年3月3日録音。10:57,13:53。
何度聴いてもすばらしい! 第1楽章の「死」と第2楽章の「天国」との対比。




▲△▽▼

Bruno Walter: Schubert: Symphony 8 Live 1960 & 9 Live 1950



• Franz Schubert: Symphony no.8 D759 “Unfinished”
Wiener Philharmoniker R.1960

• Franz Schubert: Symphony no.9 D944 “The Great”
Stockholm Philharmonic Orchestra R.1950


Altus。1960年5月29日、ムジークフェラインでのライヴ。
ワルターのウィーン・フィルとの告別演奏会のプログラム、マーラー「美しいトランペットの鳴るところ(角笛)」「僕は菩提樹の香りを吸い込んだ(リュッケルト)」、交響曲第4番(sop:シュヴァルツコプフ)とカップリングで2枚組。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c2
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
3. 中川隆[-13991] koaQ7Jey 2020年2月06日 16:17:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-660]

フルトヴェングラー指揮のシューベルト『未完成交響曲』


Wilhelm Furtwängler Composer INDEX 2

このコーナーでは、主要な作曲家・作品別にフルトヴェングラーのディスクを掲載します。特に「スタジオ録音」と記載のないものはすべてライヴ録音です。


Schubert:Sym.No.8

1)48/10/24 BPO Titania(RISA)

2)50/10/01 VPO Copenhagen

3)50/01/19-21 VPO Musikverein(EMIstudio)

4)52/02/10 BPO Titania

5)52/03/11 RAITorinoO TorinoRAI

6)53/09/15 BPO Titania

7)54/05/04 BPO Paris opera

8)54/05/30 VPO Musikverein


▼43/05/12(ストックホルム・VPO)と44/12/12(アドミラルパラスト・BPO)の1楽章が残されている。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu09.htm#sch8
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c3

[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
4. 中川隆[-13990] koaQ7Jey 2020年2月06日 16:33:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-659]

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Furtwängler 1948




_____





Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 24.X.1948


1948年
24 Oct. 1948 BPO Titania(RIAS)
Schubert: Sym. No.8
●10月24日 バッハ/管弦楽組曲3番 シューベルト/未完成 ブラームス/交響曲第4 BPO ティタニア RIAS収録

LP/PR(No8): Columbia(JP)DXM157('72) VoxTV34478('73?)
CD: Crown-JapanPAL1073(88/07) PricelessD13272('90?) WFSG TMK12681('98)

▼超名演とされながら正規盤のなかった未完成は独フ協会から正規CD(98/12)が出た。
ブラ4に比べて歪が多く音質が古ぼけているが、正規盤が登場した現在でもVOX原盤LP(TV/DXMなど)の音がベストと言える。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c4
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
5. 中川隆[-13989] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:03:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-658]

Symphony No. 8 in B Minor, D. 759, "Unfinished": Furtwangler Vienna Philharmonic





Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Vienna Philharmonic Orchestra


1950年
19-21 Jan. 1950 VPO Musikverein (EMI studio Version=SP)
Schubert:Sym. No.8

●1月19-21日 シューベルト/未完成 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音Matrix:2VH7190-1A/91-1A/92-1A/93-1A/94-1A/95-1A

SP/PR: DB21131-3(50/11)
CD: EMICDH7 63913 2(90?)CHS566770-2(98/03)

▽50年初頭のEMI録音はテープで収録されたといわれているが、この曲のモノラル盤に関しては針音が聞かれ、音質も暗めで、一連の50年録音の中では最も音質が悪かった。50年初頭の録音のマスター作りについての「SP原盤を空間的に再生した音を拾ってマスターにした」という説に合致するのは、この「未完成」と「名歌手」だったようだ。

オリジナルテープは残っていないと推測されたが、ART盤CHS5 66770 2は今までのSPおこしの録音ではなくオリジナルテープからの復刻と思われるが、2楽章に若干周期ノイズが聞こえるため即断できない状況。1楽章冒頭から3分間にベト7のような女性の声が聞こえ、ゴーストが多いのが気になる。この現象はオベロンでも確認でき、いくつかの50-51年録音で針音入りとなしの2ヴァージョンが確認できるミステリーとなっている。またこのCDの初版は2楽章が約3分欠落している。2000年に再販されたCDは正常でブックレットでも以前は19:44と印刷されていたものが23:56となっている。

長野S氏によればブライトクランク盤もこのテープを使ったらしく針音は聞こえない。
それでも演奏では54年パリ盤を推す


1 Oct. 1950 VPO Copenhagen Odd Fellow Palaet(Danish Radio)
Schubert:Sym.No.8

●10月1日 ベートーベン/運命 シューベルト/未完成 VPO コペンハーゲンオドフェローパレス デンマーク放送収録

LP/PR(No5): DanacordDACO114('85?)
CD: DanacordCD301('86)
未完成未発売 No8 not issued.

▼このデンマーク製のDanacord盤CDは輸入盤店で良く見かけた。カップリングは他のアーチストのブラームスの歌曲など。録音状態は直前のスウェーデン盤と同程度。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c5
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
6. 中川隆[-13988] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:19:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-657]

Wilhelm FURTWÄNGLER conducts Franz Schubert - "Unfinished" LIVE 1952 !





Berlin Philharmonic
Wilhelm Furtwängler

Live, 1952.02.10. Berlin

1952年
10 Feb. 1952 BPO Titania(SFB)
Schubert: Sym.No.8

●2月10日 ベートーヴェン/大フーガ オネゲル/3楽章の交響曲 シューベルト/未完成 ブラームス/交響曲第1 BPO ティタニア SFB収録

LP/PR(No8): DG2535804('76)
CD: POCG3790(97/08)

>> W29(LP) and Venezia Disk V1001 copied of Japan NHK Broadcasting. This is same performance as DG. But DG the originals (POCG-3793= 453604-2) on Japan is unediting version. Old DG's CD(POCG2356=427402-2) edited to take off audience noise.
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c6
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
7. 中川隆[-13987] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:34:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-656]

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Furtwängler 1953







Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 15.IX.1953


15 Sep. 1953 BPO Titania(RIAS)
Schubert: Sym.No.8

●9月15日 シューベルト/ロザムンデ序曲 未完成 ザ・グレイト BPO ティタニア RIAS録音

LP/PR(No8): ParagonDSV52101('80?)
CD: KingKICC2297('93)TAHRA FURT1017(97/07)

▼15-17日まで3日連続のシューベルト演奏会初日の実況録音。
TAHRAから97/08 第8正規盤出現。TAHRAのCDはいつもの派手な音質加工がなく平凡な仕上がり。ティタニアパラストの音質的限界を感じさせる一枚。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c7
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
8. 中川隆[-13986] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:43:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-655]


Schubert "Symphony No 8 in B minor" Wilhelm Furtwängler 1954



BPO (Paris Opera)
Wilhelm Furtwängler, conductor
Paris, 04.V.1954



1954年
4 May 1954 BPO Paris Opera(INA Paris)
Schubert:Sym.No.8

●5月4日 ウェーバー/オイリアンテ序曲 ブラームス/ハイドン変奏曲 シューベルト/未完成 ベートーベン/運命 BPO パリオペラ座 ORTF収録 INAパリ所蔵

LP/PR(No8): ColumbiaJapanOZ7512(75?)
CD: SWF941-2('94) ELA901('96)

▼仏協会(SWF)盤でやっとこのパリでの演奏会が良質の音で聴け、楽器一つ一つの音が手に取るようにわかるようになった。

未完成は48年盤の評判がよいが、録音状態がいいこのパリ盤がshin-pの愛聴盤。



<SK氏のメール>
巨匠のウィーンでの最期の演奏会は 5月30日、シューベルト・プロで、ロザムンデ、交響曲第8番、第9番でした。

ハント第5版にはこの日の「未完成」が遺っている旨の記述がありますが、トレマンは載せていません。<終>

東芝新全集で H氏もこの未完成をディスコグラフィーに加えている。この「未完成」の確認情報は、79年1月の仏フ協会報にある。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c8
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
9. 中川隆[-13985] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:52:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-654]

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のシューベルト『未完成交響曲』


 LD「アート・オヴ・コンダクティング」で、彼とベルリン・フィルとのこの曲冒頭部のリハーサル風景が収録されている。


Furtwangler rehearsals Schubert Symphony No.8 in 1951



rare footage of W. Furtwangler rehearsing Schubert's Unfinished Symphony


from 1951



バスの導入からヴァイオリンのきざみ、そして第1主題へとずっと指揮棒が3拍子を振り続けているのがわかる。これを見たあとは、バスの導入句をフェルマータ気味にしたり、それに続く部分が別テンポになっていたりする演奏を聴くと、違和感を感じるようになってしまった。(何もカラヤンだけでなく、そういうのが結構多い。)

ウィーン・フィル----1950年1月、Musikverein、スタジオ録音
EMI。11:38,12:23。
ベートーヴェン第7番と同月録音なので、録音方法も同じである。
(→こちらを参照)
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven7-m.htm#1950rec


諸井誠氏が、この演奏のテンポを一定に保とうとする意図を指摘し、「すべてを十全に心得た上での禁欲的な演奏」と評価している。

 Referenceシリーズ輸入盤CDH7 63913 2(モーツァルト第40番とカップリング、写真左、譲渡済み)で長く聞いてきたが、2000年3月に、ART処理されたReferenceシリーズ輸入盤CHS5 66770 2(ウィーン・フィルとのスタジオ録音集3枚組、写真右)を入手した。

しかし何とこの盤の「未完成」は第2楽章の冒頭3分ぐらいが欠落している! ブックレット表記からして第2楽章が8分7秒と表記されている(それに伴い全曲時間も19:44と表記)ので、欠陥ではなく最初からそのように製造されているのだ。これが収録された2枚目のディスクの容量が足りないからというわけでもない(まだ6分以上余裕ある)。全く何故なのか理由不明である。

他の収録曲は、ハイドン「驚愕」、モーツァルト第40番、リスト「前奏曲」、シューマン「マンフレッド序曲」、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、ケルビーニ「アナクレオン序曲」、グルックの序曲2曲、ヴェーバーの序曲3曲、シュトラウスの皇帝円舞曲・ピツィカートポルカ。モーツァルト「魔笛」から夜の女王のアリア2曲。


2000.5.1。
 上の欠落について、この記事を読んだ方からメールをいただいた。その方は同じ「CHS5 66770 2」を入手したが全く問題なかった、という。タイム表記も正しく第2楽章12:18、全曲23:56となっているとのこと。
 どうやら、1998年発売後すぐにEMIはこの間違いに気づいて発売延期としたのだが、私は何故かその「貴重な」不良品をつかまされてしまった、ということのようである。


2000.8.10。
 私も正常品を入手した。HMVに注文した際に、上の件を担当者にメールして送付前に確認してもらったのである。一件落着!

2005年、日本のDeltaレーベルからSP復刻盤が出た(DCCA 0011)。ベートーヴェン第7番、ケルビーニ「アナクレオン」序曲もSP復刻で収録している。

2011年1月、フルトヴェングラー生誕125周年でSACD化された。このSACDは、上記Reference盤3枚組と同じ曲が、同じカップリングで3枚分売で出ている。



ベルリン・フィル----1948年10月24日、ティタニア・パラスト、ライヴ録音
クラウン(パレット) PAL-1073。
11:09, 11:37。

あの有名なEMI盤ブラームス第4番と同日の演奏である。今は廃盤。
音は悪いがドラマティックな演奏である。

正規音源からの再発売を期待する。
..と書いていたら、没後55周年の2009年にauditeレーベルから発売されたRIAS録音集12枚組BOX(21.403)でついに正規発売された。


ベルリン・フィル----1952年2月10日、ティタニア・パラスト、ライヴ録音
DG。OIBP化国内盤。
12:01,12:09。


同日演奏のブラームス第1番と大フーガもDGからCD化されている。
2002年発売のORIGINAL MASTERSシリーズ6枚組輸入盤474 030-2にも収録。


トリノRAI交響楽団----1952.3.11, トリノ、ライヴ
TAHRA FURT 1080/1。
11:35,12:01。

慣れていないオケとのフルトヴェングラー特有の手作り感がある。
この日はカップリングされているジョコンダ・デ・ヴィートとのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も演奏している。4日前のコンサート「ブラームス第1&V協」もあわせての2枚組である。


ベルリン・フィル----1953年9月15日、ティタニア・パラスト、ライヴ録音
TAHRA FURT 1017(写真左)。
11:47,11:40。

同日演奏の「グレイト」とカップリングである。
auditeから出たRIAS録音集(21.403、写真右)にも収録されている。



ベルリン・フィル----1954年5月4日、パリ・オペラ座、ライヴ録音
TAHRA。FURT 1023/4。
12:30,11:56。

同日の「運命」、ハイドン変奏曲、オイリアンテ序曲とカップリング。
大学時代所有していたチェトラのLPとは段違いの音質。

この日のコンサートは吉田秀和氏が聴いている。

内田光子が「レコ芸」誌上で、

「シューベルトは死が身近になると良い演奏ができる。死の年のフルトヴェングラーの未完成は素晴らしい」

というようなことを言っていた。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c9
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
10. 中川隆[-13984] koaQ7Jey 2020年2月06日 18:01:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-653]

フランツ・シャルク


Schubert "Symphony No 8 in B minor" Franz Schalk







Berlin State Opera Orchestra
Franz Schalk, Conductor
02.III.1928


フランツ・シャルク(Franz Schalk, 1863年5月27日 - 1931年9月3日)
シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」(1929年5月録音)

イギリス、及び、日本パーロフォン・レーベルではベルリン大交響楽団、ドイツ・オデオン、及び、コロンビア・レーベルではベルリン国立管弦楽団標記であるが録音は全く同じものである。両方のオーケストラの実体はベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏会用メンバーに拠るものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・シャルク

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c10
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
11. 中川隆[-13983] koaQ7Jey 2020年2月06日 18:25:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-652]


トスカニーニ

Toscanini / NBC, 14 Oct 1939 NYC Live Concert, restored





Schubert-Symphony No. 8, "Unfinished"
R. Strauss-Don Juan, Op. 20
Haydn-Symphony Concertante, Op. 84
Bach arr. Respighi-Passacaglia and Fugue in C minor

Live broadcast, 14 October 1939

NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini, cond.

▲△▽▼

Schubert: Symphony No. 7(8) `Unfinished`, Toscanini & NBCso (1950)




Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 12 March & 2 June 1950

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
RCA。1950年、8Hスタジオ録音。9:34,11:27。
1992年トスカニーニ・コレクション・シリーズ、「グレイト」とカップリング。古典的なフォルム重視の名演である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c11
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
12. 中川隆[-13982] koaQ7Jey 2020年2月06日 18:55:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-651]


メンゲルベルク

Schubert : Symphony No.8 in B minor "Unfinished" 1939


Willem Mengelberg (Conductor)
Concertgebouw Orchestra Amsterdam

(Rec.1939) Public Domain

▲△▽▼

Schubert “Symphony No 7 8 ‘Unfinished’” Willem Mengelberg, 1940



Conductor: Willem Mengelberg
Orchestra: Royal Concertgebouw Orchestra



ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
PHILIPS。1940年12月19日ライヴ。

同日演奏の「グレイト」とカップリング。
13:59,11:01。

頻繁にテンポを変化させながらも、造形の崩れは見られない。名演である。ただし、アセテート盤録音のため、ちょっと我慢のならない断続的ノイズがある。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

▲△▽▼

Schubert “Symphony No 7 8 ‘Unfinished’” Willem Mengelberg, 1942


Conductor: Willem Mengelberg
Orchestra: Royal Concertgebouw Orchestra
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm



ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
Biddulph。WHL 039。1943年6月17日録音のTELEFUNKENのSP復刻。

こちらは第1楽章リピートなし。
10:59, 11:32。

音質も大変よく上のライヴよりも良い演奏だ。
前日6月16日SP録音の「グレイト」とのカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c12
[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
48. 中川隆[-13981] koaQ7Jey 2020年2月06日 19:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-650]
2020年02月06日
日本の問題点「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識


金を貸すのは相手が破産するリスクを全て引き受けること。

引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-1d-e7/bnr32gtr_kouichi/folder/1034906/03/26774303/img_0


悪徳金融が借金の返済を迫る物語は、日本ではドラマや漫画のジャンルとして人気がある。

だが『闇金ウシジマくん』や『ナニワ金融道』は日本以外では通用しません。


金を貸すのはリスクを負って金利を得る事

日本では「金を借りたら返すのが当たり前」「返せない金を借りる人が悪い」とされています。

ところがこういう考えを持っているのは世界で日本人だけで、特に欧米では違います。

むかし渡辺美智雄という自民党の人気政治家が、アメリカにおける借金の常識を次のように揶揄しました。


「アメリカの連中は黒人とかいっぱいいて『うちは破産だ。明日から払わなくていいんだ』あっけらかんのかーだよ」

破産した人が「破産したから明日から借金を払わなくて良い。」と喜んでいる様子を見て、在り得ないと言っている訳です。

黒人差別発言として問題になったが、本質を突いた発言だったからこそ問題視されたのでしょう。


日本では借金を返せないと借りた人が非難されるが、アメリカでは貸した人が非難されます。

金を貸す、借りるのは純粋なビジネスであり、貸す人は金利で利益を得る為に金を貸すのです。

借りる人は借りたお金を元手に、事業を拡大したり生活のやり繰りをして、金利をつけて返します。


ここで借り手が事業に失敗したり失業して返せなくなったら、貸す人に人を見る目が無いのです。

競馬で自分が投資した馬が負けたときに「バカヤロー」と馬に叫ぶ人が居ますが、どう見ても自分が悪いのです。

日本の銀行や信販会社は、失業や事業の失敗で金を返せない人を罵って、追い立てていますが「私は馬鹿です」と言っているのと同じです。


一時期銀行や金融会社がバタバタと倒産しましたが、社員が馬鹿だったから会社が倒産したのです。

借金を返せないのは貸し手が悪い

金利とは何かというと、相手が破産して返せなくなるリスクと引き換えに受け取るもので、最初から破産前提です。

相手が破産するリスクを引き受けたくない人は、そもそもお金を貸すべきではありません。

借り手と貸し手は対等であって、貸し手が上という事ではありません。


戦前戦後にアメリカで活躍したジェシー・リバモアという投資家は生涯に何度も借金しては、何度も破産しました。

借りるときは「私は投資で成功する自信があるのでお金を貸してください」と言ってお金を借ります。

投資で負けて一文無しになると貸し手の所に行って「私に金を貸した貴方の見る目が無かったので、債権を放棄して下さい」と言いに行きます。


そしてさらに「再起するのに資金が必要なので、追加でお金を貸して頂きたい」と言うのです。

日本でこれをやったら社会から追放されるかも知れませんが、驚く事にアメリカでは貸した方が納得して応じるのでした。

結局リバモアは何度踏み倒しても一度も貸し手に謝罪したりせず、対等の立場を通しました。


だが日本では「金利」がリスクと引き換えだという事が認識されていないので、謝罪の意味だと考えている貸し手が多い。

借金をする人は悪い事をしているので、お詫びの印にお金を払っていると考えている。

だから相手が返せないと分かっているのに返済を迫り、借り手は謝罪しながら首をつったりする。

こんなバカな話はない。

返せない借金は踏み倒せ

欧米では借金を返せない人が破産を宣言して返済を拒否するのは、経済的に良い事だと考えられている。

いつまでも返せない借金を払い続けるのは、その人の経済活動が止まってしまい、社会を停滞させるからです。

貸し手は金利を受け取るのと引き換えにリスクを「買った」のだから、権利を放棄するのが当たり前だという考えです。


どんどんお金を借りて何かにチャレンジし、返せなければ破産しろというのが資本主義です。

これがあるから欧米では若者がリスクを負って起業できるが、日本は借金が一生ついて来るのでリスクを負えない。

奨学金みたいなものでも、悪徳金融のようにつきまとって返済を迫って人生を台無しにしています。


リーマンショックの前年にサブプライムショックがあり、ホームレスや不法移民に高金利で住宅ローンを貸していました。

無職で英語すら喋れない連中が、最初から返す気もなく借りていたので、破綻して当然でした。

当然彼らの家を没収するべくローン会社が動いたが、その時CNNのレポーターは「借りた金を返せないからといって家を取り上げるのはおかしい」と言いました。


驚いたことに多くの人はその意見に賛成し、結局多くの人はローンを返さないまま家を手に入れました。(政府の救済策)

「返せない人に金を貸す方が悪いのだから、家を取り上げるのはおかしい」これが資本主義の考え方です。

返せない借金は堂々と「返しません」と宣言して債権放棄を求める方が社会の為です。
http://www.thutmosev.com/archives/57414496.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c48

[リバイバル3] 投資損失でも自己破産はできる 常識は嘘だらけ 中川隆
2. 中川隆[-13980] koaQ7Jey 2020年2月06日 19:37:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-649]
2020年02月06日
日本の問題点「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識


金を貸すのは相手が破産するリスクを全て引き受けること。

引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-1d-e7/bnr32gtr_kouichi/folder/1034906/03/26774303/img_0


悪徳金融が借金の返済を迫る物語は、日本ではドラマや漫画のジャンルとして人気がある。

だが『闇金ウシジマくん』や『ナニワ金融道』は日本以外では通用しません。


金を貸すのはリスクを負って金利を得る事

日本では「金を借りたら返すのが当たり前」「返せない金を借りる人が悪い」とされています。

ところがこういう考えを持っているのは世界で日本人だけで、特に欧米では違います。

むかし渡辺美智雄という自民党の人気政治家が、アメリカにおける借金の常識を次のように揶揄しました。


「アメリカの連中は黒人とかいっぱいいて『うちは破産だ。明日から払わなくていいんだ』あっけらかんのかーだよ」

破産した人が「破産したから明日から借金を払わなくて良い。」と喜んでいる様子を見て、在り得ないと言っている訳です。

黒人差別発言として問題になったが、本質を突いた発言だったからこそ問題視されたのでしょう。


日本では借金を返せないと借りた人が非難されるが、アメリカでは貸した人が非難されます。

金を貸す、借りるのは純粋なビジネスであり、貸す人は金利で利益を得る為に金を貸すのです。

借りる人は借りたお金を元手に、事業を拡大したり生活のやり繰りをして、金利をつけて返します。


ここで借り手が事業に失敗したり失業して返せなくなったら、貸す人に人を見る目が無いのです。

競馬で自分が投資した馬が負けたときに「バカヤロー」と馬に叫ぶ人が居ますが、どう見ても自分が悪いのです。

日本の銀行や信販会社は、失業や事業の失敗で金を返せない人を罵って、追い立てていますが「私は馬鹿です」と言っているのと同じです。


一時期銀行や金融会社がバタバタと倒産しましたが、社員が馬鹿だったから会社が倒産したのです。

借金を返せないのは貸し手が悪い

金利とは何かというと、相手が破産して返せなくなるリスクと引き換えに受け取るもので、最初から破産前提です。

相手が破産するリスクを引き受けたくない人は、そもそもお金を貸すべきではありません。

借り手と貸し手は対等であって、貸し手が上という事ではありません。


戦前戦後にアメリカで活躍したジェシー・リバモアという投資家は生涯に何度も借金しては、何度も破産しました。

借りるときは「私は投資で成功する自信があるのでお金を貸してください」と言ってお金を借ります。

投資で負けて一文無しになると貸し手の所に行って「私に金を貸した貴方の見る目が無かったので、債権を放棄して下さい」と言いに行きます。


そしてさらに「再起するのに資金が必要なので、追加でお金を貸して頂きたい」と言うのです。

日本でこれをやったら社会から追放されるかも知れませんが、驚く事にアメリカでは貸した方が納得して応じるのでした。

結局リバモアは何度踏み倒しても一度も貸し手に謝罪したりせず、対等の立場を通しました。


だが日本では「金利」がリスクと引き換えだという事が認識されていないので、謝罪の意味だと考えている貸し手が多い。

借金をする人は悪い事をしているので、お詫びの印にお金を払っていると考えている。

だから相手が返せないと分かっているのに返済を迫り、借り手は謝罪しながら首をつったりする。

こんなバカな話はない。

返せない借金は踏み倒せ

欧米では借金を返せない人が破産を宣言して返済を拒否するのは、経済的に良い事だと考えられている。

いつまでも返せない借金を払い続けるのは、その人の経済活動が止まってしまい、社会を停滞させるからです。

貸し手は金利を受け取るのと引き換えにリスクを「買った」のだから、権利を放棄するのが当たり前だという考えです。


どんどんお金を借りて何かにチャレンジし、返せなければ破産しろというのが資本主義です。

これがあるから欧米では若者がリスクを負って起業できるが、日本は借金が一生ついて来るのでリスクを負えない。

奨学金みたいなものでも、悪徳金融のようにつきまとって返済を迫って人生を台無しにしています。


リーマンショックの前年にサブプライムショックがあり、ホームレスや不法移民に高金利で住宅ローンを貸していました。

無職で英語すら喋れない連中が、最初から返す気もなく借りていたので、破綻して当然でした。

当然彼らの家を没収するべくローン会社が動いたが、その時CNNのレポーターは「借りた金を返せないからといって家を取り上げるのはおかしい」と言いました。


驚いたことに多くの人はその意見に賛成し、結局多くの人はローンを返さないまま家を手に入れました。(政府の救済策)

「返せない人に金を貸す方が悪いのだから、家を取り上げるのはおかしい」これが資本主義の考え方です。

返せない借金は堂々と「返しません」と宣言して債権放棄を求める方が社会の為です。
http://www.thutmosev.com/archives/57414496.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1017.html#c2

[番外地7] 住宅資金を借りたアイヌは金が無ければ返さなくても良い
住宅資金を借りたアイヌは金が無ければ返さなくても良い

日本では借金を返せないと借りた人が非難されるが、アメリカでは貸した人が非難されます。金を貸す、借りるのは純粋なビジネスであり、貸す人は金利で利益を得る為に金を貸すのです。借りる人は借りたお金を元手に、事業を拡大したり生活のやり繰りをして、金利をつけて返します。

ここで借り手が事業に失敗したり失業して返せなくなったら、貸す人に人を見る目が無いのです。競馬で自分が投資した馬が負けたときに「バカヤロー」と馬に叫ぶ人が居ますが、どう見ても自分が悪いのです。日本の銀行や信販会社は、失業や事業の失敗で金を返せない人を罵って、追い立てていますが「私は馬鹿です」と言っているのと同じです。

一時期銀行や金融会社がバタバタと倒産しましたが、社員が馬鹿だったから会社が倒産したのです。借金を返せないのは貸し手が悪い金利とは何かというと、相手が破産して返せなくなるリスクと引き換えに受け取るもので、最初から破産前提です。相手が破産するリスクを引き受けたくない人は、そもそもお金を貸すべきではありません。借り手と貸し手は対等であって、貸し手が上という事ではありません。

戦前戦後にアメリカで活躍したジェシー・リバモアという投資家は生涯に何度も借金しては、何度も破産しました。借りるときは「私は投資で成功する自信があるのでお金を貸してください」と言ってお金を借ります。投資で負けて一文無しになると貸し手の所に行って「私に金を貸した貴方の見る目が無かったので、債権を放棄して下さい」と言いに行きます。

そしてさらに「再起するのに資金が必要なので、追加でお金を貸して頂きたい」と言うのです。日本でこれをやったら社会から追放されるかも知れませんが、驚く事にアメリカでは貸した方が納得して応じるのでした。結局リバモアは何度踏み倒しても一度も貸し手に謝罪したりせず、対等の立場を通しました。

だが日本では「金利」がリスクと引き換えだという事が認識されていないので、謝罪の意味だと考えている貸し手が多い。借金をする人は悪い事をしているので、お詫びの印にお金を払っていると考えている。だから相手が返せないと分かっているのに返済を迫り、借り手は謝罪しながら首をつったりする。こんなバカな話はない。返せない借金は踏み倒せ欧米では借金を返せない人が破産を宣言して返済を拒否するのは、経済的に良い事だと考えられている。いつまでも返せない借金を払い続けるのは、その人の経済活動が止まってしまい、社会を停滞させるからです。貸し手は金利を受け取るのと引き換えにリスクを「買った」のだから、権利を放棄するのが当たり前だという考えです。

どんどんお金を借りて何かにチャレンジし、返せなければ破産しろというのが資本主義です。これがあるから欧米では若者がリスクを負って起業できるが、日本は借金が一生ついて来るのでリスクを負えない。奨学金みたいなものでも、悪徳金融のようにつきまとって返済を迫って人生を台無しにしています。

リーマンショックの前年にサブプライムショックがあり、ホームレスや不法移民に高金利で住宅ローンを貸していました。無職で英語すら喋れない連中が、最初から返す気もなく借りていたので、破綻して当然でした。当然彼らの家を没収するべくローン会社が動いたが、その時CNNのレポーターは「借りた金を返せないからといって家を取り上げるのはおかしい」と言いました。

驚いたことに多くの人はその意見に賛成し、結局多くの人はローンを返さないまま家を手に入れました。(政府の救済策)「返せない人に金を貸す方が悪いのだから、家を取り上げるのはおかしい」これが資本主義の考え方です。返せない借金は堂々と「返しません」と宣言して債権放棄を求める方が社会の為です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/472.html

[番外地7] 住宅資金を借りたアイヌは金が無ければ返さなくても良い 中川隆
1. 中川隆[-13979] koaQ7Jey 2020年2月06日 19:53:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-648]
北海道庁はアイヌ人を差別・迫害した過去を帳消しにして国際社会に認めてもらいたくてアイヌに金を貸したのです。もうその目的は果たして既に大きな利益を得たのですから、社会の底辺で苦しむ食うや食わずのアイヌ人から金まで返して貰う必要は無いのです。

お金くらい日銀が何百兆円でもすぐに発行できるのですから、極貧のアイヌ人から金を毟り取る必要なんかないのですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/472.html#c1

[番外地7] 赤字黒字議論のバカバカしさ
赤字黒字議論のバカバカしさ

どんな新しい事業や計画にも「採算が得られない」「赤字になる」と言って反対する人達がいる。
一見正しそうに聞こえるこの理論だが、彼らの生活は丸ごと「赤字事業」で成り立っている。
インフラ的なこと、道路や橋や鉄道や水道、信号機や公営駐輪場にいたるまで、大半が赤字事業です。


電気、ガス、インターネット、無線サービス、テレビ、ラジオのような物も、最初は赤字だった。

日本初のラジオもテレビも「国営放送局」NHKが強制的に金をぶんどったり税金で事業を始めている。

赤字・黒字理論に従えば、今日本にこれらのサービスは無く、全ての家でまだ汲み取りトイレの筈です。

新幹線については戦前、弾丸鉄道を作る計画があったが、そんなものは無駄だといって軍事予算の方に回しました。
戦後、同じ計画を新幹線と名前を変えて事業化しようとしたら、「そんな物に誰が乗るのかね?」と多くの人が反対した。

新幹線は現在儲かっているが、それは結果論でしかなく、採算度外視の赤字事業として始められました。


当時日本は第二次大戦で中止になった東京オリンピックをやり直す事になり、新生日本の国際デビューと考えていた。

世界を驚かせるような何かが欲しいという理由で、赤字の予定で建設したら、思いがけず儲かったので政府は驚いた。

インターネットは「利用者がいない」という理由で欧米より数年間遅れ、日本は致命的な遅れを取りました。


「日本に高速道路は不用」と言った専門家たち

始めなければ利用者が居ないのは当たり前で、あまりにも馬鹿げているが、当時は合理的判断だと支持された。

「インターネットなんか赤字になるから必要ない」という訳です。

一見正しそうな採算性重視が、実は一番非合理的で、採算性を悪化させているのです。


それは創造的な事業を作れない、新しい分野を開拓出来ないからです。

日本の高速道路は東京オリンピックの為、国家の威信とか見てくれを良くする為だけに作りました。

「オリンピックを開くのに高速道路が無いのはみっともない」という理由であって、必要だから作ったのではありません。


むしろ「国産車に時速100キロ出せる車が無いのに、高速道路建設は無駄な事業」という声が大きかった。

これは事実であり1959年に開催決定したとき、舗装道路があまりなく、国産車は砂利道を走る前提で設計されていた。

これではいけないと奮い立ったのが本田宗一郎で、日本初の本格サーキット「鈴鹿サーキット」を建設した。


首都高速そのものも鈴鹿サーキットを真似して舗装工事が行われ、「時速100キロ」を目指して第一回日本グランプリが開催された。

出場したのが後にスカイラインGTRに進化するプリンス自動車やトヨタ、日産といったメーカーだった。

日本武道館などの日本初の大型屋内競技場や、本格ホテルなども「必要が無かったのに」次々に建設された。
東京五輪が終わったら1万人も観客が集まるスポーツなんか、在る筈がないとされていました。

世界一無駄な事業「アポロ計画」

オリンピックが開催されたのは僅か2週間ほどで、大会が終わるとこれら全てが無駄な建造物になった。

だが話はここから始まり、「需要がなかったのに施設を建設したら需要が生まれた」のでした。

東京と大阪を日帰りしたい人なんか1人も居なかったが、新幹線を建設したから需要が生まれた。


自動車で時速100キロを出せる車は日本に存在しなかったが、高速道路を建設したら需要が生まれました。

テレビ放送も始めてみたら「テレビを見たい人」が生まれ、インターネットを始めたらネット需要が生まれました。

世の中は全てこういう事であり、日本初の鉄道も「誰も乗りたくないのに」作ったら需要が生まれたのです。


「需要がないからやらない」という意見が最も不合理で、最も採算を悪化させるとはこの事です。

「赤字黒字論者」が国の権力を握ると、新しい事業を何もしなくなり、ジワジワと経済力が低下していきます。

彼らが好むのは「既に需要がある事業」言い換えると将来性がまったくない、終わった事業だけだからです。


1961年にケネディ大統領は「10年以内に月に人を送る」と言って1969年に実現させました。

10年間で254億ドル(9.1兆円)かかり、日本の国家予算3.4兆円の3倍近くになりました。

世紀の馬鹿な計画といわれ「万里の長城、ピラミッド、アポロ計画」と世界の3つの無駄なものに数えられた。

需要はいつも後から生まれる

だがこの頃日本も負けておらず、東京オリンピックだけで国家予算の3分の1を投入し「破産するか勝利か」という賭けをやっていた。

結局アメリカは一時財政悪化で苦しんだが、アポロ計画のお陰で現在はIT大国、宇宙先進国となっている。

日本が東京オリンピックで投じた金も、施設が運用され経済が発展した事で、その後経済大国と呼ばれるきっかけを作った。


「赤字・黒字・採算」だけ考える人にはこういう事ができないので、結局かえって国を衰退させるのです。

北海道新幹線を巡ってまた間抜けな評論家や経済学者が「赤字だ黒字だ」と騒いだが、これも同じです。

北海道に新幹線を作ったら需要が出来るので、国家予算で網走までフル規格で作ってしまえば良いのです。


財務省が反対したら財務官僚を網走刑務所にぶち込んで見世物にすれば良い。

中途半端に作るから中途半端な需要しか生まれず、事業としても中途半歩なのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/473.html

[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』 中川隆
2. 中川隆[-13978] koaQ7Jey 2020年2月06日 20:44:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-647]
クレメンス・クラウス


Clemens Krauss - Schubert - Rosamunde - Ballet Music



Vienna Philharmonic Orch.
transfer from Jpn Victor 78s / JH-21(2L-215)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html#c2
[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』 中川隆
3. 中川隆[-13977] koaQ7Jey 2020年2月06日 20:52:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-646]
メンゲルベルク

Willem Mengelberg - Schubert : Rosamunde - Overture D.747 (1938) - 再復刻






Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
recorded November 30, 1938
transferred from Deutsche Telefunken 78s / SK-3008(023713/4)


____


Schubert “Incidental Music for ‘Rosamunde’” Willem Mengelberg, 1941





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html#c3
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
3. 中川隆[-13976] koaQ7Jey 2020年2月06日 21:33:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-645]
日本人も中国人もまともな人間は少ないし、まともな人間であっても一時的に異常な言動をする:

「徳島コロナ上陸しました」 新型肺炎、徳島市の医師が誤情報拡散 
2020/2/6 05:05 (JST)
©一般社団法人徳島新聞社

徳島県庁

 新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大に不安が高まる中、徳島県内で感染者が出たとの誤情報を徳島市の女性医師が会員制交流サイト(SNS)に投稿した。既に拡散されており、県は冷静な対応を呼び掛けている。

 医師は4日午後、フェイスブックに

「徳島コロナ上陸しました」
「犯人は中国人夫婦だそうで」
「ばらまかれてます」

などと書き込んだ。

 4日中に削除されたものの、投稿内容への不安や発信元に対する疑念の声がネット上に拡散。県立中央病院などの医療機関や県に問い合わせが相次いだ。

 県感染症・疾病対策室によると、感染疑い例を含め県内で感染者は確認されていない。

 阿南市の50代の自営業男性は「社会を混乱させたかったのだろうか。医療従事者の行為とは。考えられない」と憤った。投稿内容を知人に連絡したという女性は「もっと冷静に情報収集すればよかった」とした。

 医師の夫は謝罪した上で「妻は(難病の)潰瘍性大腸炎やインフルエンザを患っている。病気のせいでこんな行為に及んだのではないか」と話した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c3

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
6. 中川隆[-13975] koaQ7Jey 2020年2月06日 23:53:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-644]
シューベルト 交響曲第8(9)番ハ長調D.944「ザ・グレート」 名盤: ハルくんの音楽日記
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) 

冒頭から、歌い方の柔らかさに魅了されます。オケの響きの薄さも、必要以上にカロリー過多にならずに好ましく思えます。ゆったりとした落ち着きと推進力のバランスも自分には丁度良く感じられます。

スタジオ録音なので楽器の分離は良いですが、金管を常に抑え目に吹かせて、弦と溶け合わせるのはウイーン・スタイルでしょう。曲のどの部分をとっても表情に意味が有るので、この長い曲を少しも飽きさせません。特筆すべきは3楽章の中間部で、これほど浮遊感を感じさせる演奏は有りません。さすがに終楽章では音の薄さがマイナスに思えないことも有りませんが、騒々しいよりは好ましいので、これで充分満足です。

カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1963年録音/グラモフォン盤) 

ベーム壮年期の全集は記念碑的な名盤だと思います。ベルリン・フィルの当時の暗く厚い響きは本当に魅力的でした。この曲の場合も、堂々と立派な造形性が見事ですが、それでいて無機的に感じさせないのが素晴らしいです。弦楽と木管のしっとりとした音色や表情にはとても惹かれますが、金管が目立ち過ぎる点が自分の好みからは幾らか外れます。このあたりは恐らく好みの問題だと思います。

カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1975年録音/グラモフォン盤) 日本ツアーのNHKホールでのライブ録音です。オーケストラの音色で言えば、シューベルトはやはりウイーン・フィルが一番です。金管、木管、弦楽の全てが柔らかく溶け合って、極上にブレンドされた響きを聴かせるからです。録音もオフ・マイクなので会場で聴いているような臨場感が感じられます。その分、逆に楽器の分離、バランス的に少々のっぺりとした感じになるのは仕方が有りません。テンポは3種の中で一番ゆったりしていて重量感を感じます。

カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1979年録音/グラモフォン盤) 晩年のライブですが、演奏には驚くほどの若々しさを感じます。テンポは日本ライブよりも速めで、響きは引き締まって迫力が有ります。弦や木管の柔らかい音色はこのオケらしい魅力なのですが、金管が少々張り出し過ぎに感じられます。これは演奏の気迫と裏腹ですのでやむを得ないところかもしれません。「晩年のベームは年寄り臭い」とお思いの方は、きっと認識が覆される演奏でしょう。


この曲の演奏においては、余りに感情移入が激しいものは好みません。

例えばフルトヴェングラーが第二次大戦中に指揮した壮絶な演奏が有りますが、個人的には余り好んでいません。

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤(グラモフォン)もクナ・ファン曰く「片手で地球をひっくり返したような凄演」として大変に人気が有りますが、僕は違和感を感じます。

期待して聴いたクレメンス・クラウス/ウイーン交響楽団(テルデック)の演奏もさほど良い印象が残っていません。

フランツ・コンヴィチュニーが珍しくチェコ・フィルを指揮した演奏(スプラフォン)は、金管のド迫力が自分には論外でした。

イシュトヴァン・ケルテス/ウイーン・フィル(DECCA)、それにウイーン子のヨーゼフ・クリップス/ロンドン響(DECCA)も、さほど良い印象が有りません。

そうしてみると、好むのは結局のところワルターとベームの二人に絞られます。

特にワルターの演奏は奇跡的な素晴らしさだと思います。

ウイーン、ベルリン、ドレスデンと世界に冠たる名楽団を三つ指揮したベームが、アメリカのセッション・オーケストラを指揮したワルターに敵わないのですから、これは驚くべきことです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c6

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
7. 中川隆[-13974] koaQ7Jey 2020年2月07日 00:23:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-643]
カール・ベーム

Symphony No. 9 in C Major, D. 944 "Great" Karl Böhm's Dresden Farewell Concert in 1979 (Live)









Conductor: Karl Böhm
Orchestra: Staatskapelle Dresden

シュターツカペレ・ドレスデン
DG原盤。1979年1月12日、ドレスデン、文化宮殿におけるシューベルティアーデのライヴ録音。


冒頭のホルンはおそらくペーター・ダムだろう。第1楽章は楽段ごとに熱くなったテンポをもとに戻している。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-s.htm


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ベーム ベルリンフィルの「ザ・グレート」 ライヴ


Karl Bohm
Berliner Philharmoniker
9/9 1978 Live recording

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Schubert Symphony 9 "The Great" - Karl Böhm (Live)


Karl Böhm / Wiener Philharmoniker
Live on 19 June 1977, "Schubertiade", Karl-Borromäus-Kirche, Wien

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Schubert Symphony No.9 D944 "The Great" Karl Böhm V.P.O. 1976 Salzburg


シューベルト: 交響曲 第9番 ハ長調 《ザ・グレイト》
1976年度「ザルツブルク音楽祭」期間中の 8月15日に ザルツブルク・フェルゼンライトシューレに於いて、カール・ベーム指揮、ウィン・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏されました。
1976 Salzburger Festspiele Felsenreitschule

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Schubert: Symphony No.9 The Great / Böhm Wiener Symphoniker (1966 Movie)


ウィーン交響楽団
DREAMLIFE。UNITEL原盤DVD。
1966年、モノクロ・モノラル。アンリ・コルピ監督。

上のDGへの録音の際のリハーサル風景とあわせれば、ベームがこの曲をどう設計しているかが理解しやすい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-s.htm


▲△▽▼

Schubert - Symphony n°9 - Berlin / Böhm 1963





Berliner Philharmoniker
Karl Böhm
Studio recording, Berlin, VI.1963

ベルリン・フィル
DG。OIBP化国内盤。1963年録音。「未完成」とカップリング。

この1曲単独でも1964年度レコード・アカデミー賞受賞。
かつこれから発展した全集も1973年度レコード・アカデミー賞。

古典的・模範的・ドイツ的....な名演である。ベルリン・フィルの音色がまた素晴らしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-s.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c7
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
8. 中川隆[-13973] koaQ7Jey 2020年2月07日 01:11:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-642]
トスカニーニ

Schubert: Symphony No.9 D.944 "The Great" / Toscanini Philadelphia Orchestra (1941)





Arturo Toscanini
Philadelphia Orchestra

1941.11.16


アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団
RCA。1941年11月16日録音。
ライヴではなく、客演の際に録音されたSPで後のNBCとの新録音よりも(なぜか)評判の良い演奏である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm


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SCHUBERT: Symphony No. 9 in C major D. 944 "The Great" / Toscanini · NBC Symphony Orchestra


Arturo Toscanini (conductor)
NBC Symphony Orchestra
1947/02/25 Mono, Carnegie Hall, New York


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Schubert, Symphony No. 9 - Toscanini, Scala 1948




Arturo Toscanini
Orchestra del Teatro alla Scala
Live, Milano, Teatro alla Scala
September 16th, 1948

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Schubert: Symphony No. 8(9) `The Great`, Toscanini & NBCso (1953)


Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 9 February 1953, at Carnegie Hall, in New York

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
RCA。1953年2月9日、カーネギーホール録音。
古典的なフォルム重視の名演である。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c8
[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
10. 中川隆[-13972] koaQ7Jey 2020年2月07日 07:46:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-641]
那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」 生徒ら8人死亡 人災の可能性 専門家報告
毎日新聞 2020/02/07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」-生徒ら8人死亡-人災の可能性-専門家報告/ar-BBZJd3w?ocid=ientp


© 毎日新聞 雪崩発生時の状況
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」-生徒ら8人死亡-人災の可能性-専門家報告/ar-BBZJd3w?ocid=ientp&fullscreen=true#image=1


 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加した県立大田原高の生徒ら8人が死亡した雪崩事故で、防災科学技術研究所の研究員ら専門家による調査チームが「雪崩は人為発生の可能性が高い」という見解をまとめ、学会で報告した。講習会を運営した教諭らが漫然と歩行訓練をさせたことが雪崩発生につながった疑いが強まった。

 調査チームは、雪崩発生から6日後に上空から現場を撮影した写真を解析するなどし、亡くなった8人を含むグループ(A班)と別のグループ(B班)の足跡や雪崩発生位置を調べた。

 その結果、雪崩発生域は茶臼岳山腹の大岩「天狗の鼻」から数十メートル離れた場所と推定。足跡から、A班は斜面を上方に向かって歩き、天狗の鼻直下(標高1465メートル程度)で発生推定域の近くに到達していたことが分かった。B班もA班の近く(標高1430メートル程度)を歩いていた。

 A、B班ともに発生推定域の数十メートルの地点にいたとみられることから、「登山研修中の班が斜面に入り込むことで表層雪崩が生じたと考えるのが自然」として、雪崩は人為発生の可能性が高いと結論づけた。

 雪崩発生域と推定される場所は、県教委が17年に設置した検証委員会のヒアリングでA、B班の生徒らが証言した内容と矛盾がないという。調査チームの結果は19年9月に山形市で開かれた雪氷研究大会で報告された。

 雪崩の発生原因について、県教委の検証委が17年10月に公表した事故の最終報告書は「自然発生か人為的かを特定することは難しい」としていた。

 雪崩事故は17年3月27日朝、茶臼岳で発生し、登山講習会に参加していた県内7校の山岳部の生徒や教諭計55人のうち8人が死亡した。講習会を中止するか安全な範囲を具体的に指定する義務を怠ったとして、県警は19年3月、講習会を運営した教諭3人を業務上過失致死傷容疑で書類送検した。【李舜】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」-生徒ら8人死亡-人災の可能性-専門家報告/ar-BBZJd3w?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c10

[リバイバル3] 小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される
小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される


2020年02月07日
小が大を食らう自動車産業の法則 トヨタもテスラも負け組になる


大型車メーカーは最終的に小型車メーカーに敗れるのが自動車の歴史

画像引用:https://www.grandtournation.com/wp-content/uploads/2019/01/49647114_2032091616875836_7530546226580684800_n.jpg

小型車を制した物が覇者になる歴史

米EVメーカーテスラの株価が急騰し株価は3か月で3倍になり、時価総額は1400億ドル(15兆2000億円)となった。

このところテスラには良いニュースが続き、納車台数や新型車、中国工場の稼働などが期待感を増幅した。

テスラが今後どうなるかは分からないが、ドイツ勢は苦戦していると言われている。


メルセデス、ポルシェ、アウディ、VWなどは全車EV転換を打ち出しているが、今のところテスラの勢いは止まっていない。

欧州最大の自動車メーカーはVWだが、既にテスラは時価総額でVWを追い抜いている。

これは資金調達力でテスラがVWを上回るのを意味し、将来技術や新型車開発で有利になるかも知れない。


ダイムラー、VW、BMWは販売台数を維持しているがアメリカでのシェアが低く、利益率は減少している。

こうした従来の大きな自動車メーカーはガソリン車とEVとハイブリッド車を同時に開発している。

トヨタはガソリン、ハイブリッド、EV、PHV、そして水素自動車まで同時開発している。


テスラはEVだけ開発すれば良いのに比べて随分投資効率が悪く、この辺が株価の評価の差になっている。

ドイツ勢は全車EV化を掲げているものの、実際にはあと20年はガソリン車を併売しなくてはならない。

というのはEVのインフラがあるのは一部の先進国だけで、9割の国ではEVを買っても充電できない。

小が大を制してきた自動車の歴史

自動車産業の栄華盛衰にはある法則があり、必ず小型車メーカーが発展し大型車メーカーが食われてきた点です。

自動車生産国で最大メーカーは必ず小さい車を作ってきた会社で、ドイツはVW、イタリアはフィアットなどとなっている。

世界的にも小型車を得意とする日独メーカーが、大型車を得意とするアメリカビッグ3を倒し、現在の地位を築いた。


この理由は単純で小型車メーカーは大型車を作れるが、大型車メーカーは小型車を作れない。

大型車を作るには4気筒を6気筒にして車を長くすれば良いが、大きな車を小さくする事は出来ない。

工業技術とは「大きいものを小さくする」事なので、基本的に小さい車を作るメーカーの方が技術力が高い。


ドイツ勢はVWすらどんどん大型化してしまい、日本の基準で小型車と言えるものを作っていない。

ダイハツやスズキはVWみたいな車を作れるが、VWやポルシェは660tでまともに走る車を作れません。

小が大を制する法則からはトヨタも安泰ではなく、どんどん大型車、高級車指向になっている。


ドイツ車を見ると分かるように大きい車の方が利益が大きく成功するが、小さい車を作る技術力は逆に低下していきます。

高級車が売れる時代は良いが、大不況が到来すると大型車メーカーから倒産し、最も小さい車を作るメーカーが生き残る。

今はトヨタがダイハツやスズキを支配しているが、将来もそうだとは限らない。

高級大型車メーカーはやがて淘汰される

テスラは以前モデル3を発売するとき、小型車を大量生産して販売台数でトヨタを抜くと豪語していた。

だがモデル3は当初350万円の予定だったが、実際にはオプション込みで500万円以上で販売されている。

新型ピックアップのモデルYはもっと高価になる筈で、モデルXやモデルSは補助金なしだと1200万円する。


テスラのEVが航続距離などで優秀なのは値段が高く大きいからで、メルセデスと同じような高級大型メーカーになった。

このタイプのメーカーはロールスロイスのようにどんどん高級化し利益を増やすが、もう小型車を生産できなくなる。

小が大を食らう法則によってやがて巨大化しすぎた恐竜のような存在になり、天変地異で対応できなくなる。


メルセデスにアウディにVW、ジャガー、ロールスなど多くのメーカーが利益の大きい高級大型車に特化した。

その一方で日本の軽メーカーやフィアットは高級車バブルに乗り遅れ、今も小さな車を作っている。

高級車バブルが終わる時、小型車を作れるメーカーが生き残り、大型高級車しか作れないメーカーは倒産している。


それが自動車産業の歴史なので、2トンや3トンの車を作って儲けているメーカーもいつかは淘汰される。
http://www.thutmosev.com/archives/82142601.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク 中川隆
3. 中川隆[-13971] koaQ7Jey 2020年2月07日 08:09:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-639]
ピケティで明けました
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/562.html

グローバリズムというのはファシズムだった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/117.html

グローバル経済では人間が商品として売買される
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/884.html

終戦後、自称”労働者の代表”達の活動を背後で操り、支援していたのはGHQだった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/116.html

主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてるとこういう社会になる
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/784.html

竹中平蔵物語 _ 竹中先生が理想とするアメリカ社会とは
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html

池田信夫の逝かれっぷり _ 時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html

日本の1946年預金封鎖
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/740.html

日本の異次元緩和はアメリカに資金提供するために行われた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/744.html

実力主義だと白人男性だけしか高い地位を得られない
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/772.html

経済格差は知能の格差
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/759.html

家庭環境が貧しいと子どもの脳は「貧困脳」になる
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/770.html

ユダヤ人の「リベラル」思想とはどういうものか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/922.html


アメリカが中国を世界の工場にして、日本の競合メーカーを壊滅させた手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/321.html

中野剛志 「没落について」 グローバル資本主義を超えてII
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/338.html

世界を救うトランプ _ ディープステート vs. ドナルド・トランプ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/347.html


馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

政府批判するとブラックリストに載せられて買い物もできなくなるキャッシュレス社会がやってくる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/367.html

第25代日本銀行総裁(1984-1989年) 澄田智がやった事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/153.html

日経平均株価が上がる程 日本人はどんどん貧しくなっていく _ アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/188.html


自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/192.html

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

本当かな? リーマン危機から10年、膨らみ続ける世界の借金の先に見える崩壊の危機
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/368.html

日銀の金融緩和はアメリカの出口戦略に協力していただけだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/369.html

施 光恒 : 「グローバル化」とは「多国籍企業中心主義化」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/397.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html#c3

[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
43. 中川隆[-13973] koaQ7Jey 2020年2月07日 08:21:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-647]
小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c43
[近代史3] 世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン 中川隆
8. 中川隆[-13972] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:02:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-646]
「神に選ばれた国」と「神に選ばれた民」に未来はあるか 
 国際教育総合文化研究所・寺島隆吉 2019年3月6日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/10854


1 はじめに

 一昨年、九州を本拠地にして活動しているデータ・マックス社の経済情報誌『IB: Information Bank』から、「先生の訳書『アメリカンドリームの終わり』を拝読し、ぜひ本著を弊誌読者に紹介したい」との取材依頼があり、そのインタビューの記録を私のブログ「百々峰だより」でも紹介しました。
*「今日のアメリカは、明日の日本である」2018新春特別号
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-3 1 2.html

 ところがその後、再び上記の経済情報誌『IB』の記者から次のようなメールが飛び込んできて驚喜させられました。というのは今度は「九州本部の社長から、新春号に続いて夏季特集号でも、ぜひ先生のお話をというリクエスト」だというのですから、私にとっては驚愕の極みでした。

 しかも夏季特集号の大きなテーマは「大転換」で、政治・経済・社会・文化の分野での大転換を探るというのです。

 そこで私の頭に浮かんだのは「三つの大転換」でした。一つ目は「アメリカの現実を知ろう」、二つ目は「世界の流れを知ろう」、三つ目は「日本の良さを知ろう」です。

 日本の知識人は、ともすると「日本はだめだけどアメリカはすごい」と言ったりしますが、アメリカ国内の崩壊ぶりは、チョムスキーが『アメリカンドリームの終わり』で述べているとおりです。

 他方、国外でもシリア情勢を見れば分かるとおり、アメリカの失敗と孤立化は世界的に露呈しつつあります。

 その一方、日本は劣化しつつあるとはいえ、今でも世界で稀に見る長寿国であり高学力の国なのです。その証拠に、拙著『英語で大学が亡びるとき』(明石書店)でも詳述しましたが、OECD学力調査では、日本はトップクラスで、アメリカは最底辺です。

 したがって日本政府は、いたずらにアメリカの後を追うのではなく、日本の現実をふまえ、しっかり地に足をついた考えを持って欲しいと思います。世界でもうらやましがられている清潔で安全な社会を、維持・発展させなければならないからです。

 しかし残念ながら、この「三つの大転換」は、予定されていた夏季特集号のテーマが「時事国々、新先進国の台頭」に変えられたため、せっかく次のインタビューに備えて書きためつつあった原稿も宙に浮いてしまいました。そこで、その一部を私のブログに載せました。

 ところが、そうこうしているうちに、長周新聞から「2019年度の新年号のために何か書いていただけないか」との依頼があったので、この原稿に手を入れて載せていただくことにしました。しかし三つのテーマで書いたものはあまりに長いので、ここでは最初の二つにしぼらせていただきます。

 (ちなみに、「大転換」の代わりのインタビューは、「なぜ文科省は自発的『植民地化』に邁進するのか」というテーマでおこなわれ、その内容は下記に載せてあります。興味のある方は御覧いただければ幸いです。)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-3 2 3.html?sp


2 アメリカ「民主主義」神話の崩壊

2―1

ドナルド・トランプ
 では、私が「アメリカの現実を知ろう」としてあげた一つ目の「大転換」とは何でしょうか。それは、「大統領は、アメリカ国民の意志に従って選挙され、その国民の意向に沿って政治をおこなうものであり、その理想型がアメリカである」という神話が、今や完全に崩壊したということです。

 このことを最もよく示してくれたのがトランプ大統領の誕生でした。

 選挙の下馬評ではヒラリー・クリントン女史が「アメリカ初の女性大統領」として当選が確実視されていました。

バニー・サンダース
 ところが自称「社会主義者」のバーニー・サンダース氏が「ヒラリー候補はウォール街と結びついている」と批判し、彼女を裏で支援しているのが共和党と同じ財界・特権階級であることを暴露してから、流れは大きく変わり、彼女に代わってサンダース氏が民主党の大統領候補になる可能性が出てきました。

 この頃から大手メディアの攻撃はサンダース氏に集中し、終盤のカリフォルニアの予備選挙では投票が始まる前から「ヒラリー女史が圧倒的優勢、当選確定」という報道が流されるまでになりました。

 このような風圧の中で、サンダース氏はついに膝を屈し、共和党候補として勢いを増しつつあったトランプ氏を勝たせないという理由で「ヒラリー女史こそアメリカで最良の候補者だ」という声明すら出すまでに変質してしまいました。

 一握りの富裕層・特権階級に富と権力が集中している現状に不満を感じて、サンダース氏の選挙運動に精力を注ぎ始めていた没落中産階級の人々や若者は、このようなサンダース氏の裏切りに失望し、その多くの票がトランプ氏に流れたと言われています。

 サンダース氏が民主党の候補者になっていたら、富豪として有名だったトランプ氏と互角に闘うことができ、大統領に当選していたかも知れないと言われているのも、このためです。

シリアで傭兵を激励するヒラリー・クリントン
 民主党の幹部はヒラリー女史を「アメリカ初の女性大統領」として売り出し、彼女を共和党の候補者と対決させることを、予備選が始まる以前から、裏で密かに決めてしまっていました。

 サンダース氏が各州で予備選を確実に勝ち抜いていくのを何とか阻止しようと、民主党の幹部が様々な工作をしたことも、今ではウィキリークスなどで暴露されています。

2―2
 しかし何と驚いたことに、ヒラリー女史は「ウィキリークスはプーチンの手先だ。トランプもプーチンの傀儡(かいらい)だ」と言って、大統領として公約を果たそうとするトランプ氏の手足を縛ることに、いまだに全力を注いでいます。

 1%(チョムスキーによれば実際は0・1%)の富裕層・特権階級を基盤にしている共和党のなかで、トランプ氏が共和党の予備選に勝利した背景には、氏が富豪であるにもかかわらず、主として白人の没落中産階級に「昔の豊かなアメリカを取り戻そう」と呼びかけたことにありました。

 裏切られたと感じたサンダース支持者の少なからぬ人たちが、トランプ支持者に変わった要因も、トランプ氏の呼びかけが「アメリカは外国に余計な手出しをして、戦争や政権転覆などにお金を使いすぎている。だからロシアと手をつないでシリアの戦争を一刻も早く終わらせるべきだ。軍隊をシリアから撤退させ、戦争に無駄遣いしている巨額のお金を国内産業の復興に回そう」ということにありました。

 不思議なことに、自称「社会主義者」を名乗り、アメリカ国内の富裕層・特権階級を攻撃していたサンダース氏でさえ、このような呼びかけを予備選でおこなっていないのです。

 外交政策では「シリアのアサド大統領は早く去るべきだ」という軍産安保複合体の要求、政権転覆の政策をそのまま掲げていたのでした。

 ですから、トランプ氏が大統領になったときにおこなわれた氏への強力な攻撃は、「トランプはプーチンの傀儡だ。ロシアが裏で密かに選挙介入したからこそトランプは大統領になれたのだ」というものでした。さらに、それに大手メディアも大々的に悪乗りすることになりました。

 アメリカが外国の選挙に介入したりクーデターや要人暗殺を企ててきた長い歴史をもっていることは、ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(作品社、2003)に詳しいのですが、それを全く棚に上げて、ヒラリー女史の選挙敗北をロシアのせいにするというのは、まったく「天に唾する行為」と言うべきでしょう。「亀は自分の甲羅に似せて穴を掘る」と言い換えてもよいかもしれません。

マイケル・フリン
 ところがトランプ氏は大統領になった途端に選挙時の公約をくつがえし、国家安全保障問題担当大統領補佐官として自らが任命したマイケル・フリン(元陸軍中将、元国防情報局DIA長官)を解任して、タカ派の人物と入れ替えてしまいました。

 フリン氏は、「ロシアと協調し、アサド政権と闘っているイスラム原理主義を一掃すべきだ」と主張してきた人物ですから、このような人物を解任することは、トランプ大統領が裏からの圧力に屈したことを示す典型的事件でした。

 こうしてフリン解任を皮切りに、トランプ大統領は次々と自分の任命した補佐官や閣僚を解任し、シリア紛争を終結させるどころか、この姿勢を逆転させてしまい、シリア政府の援助要請を受けてシリア内部で闘っているロシア軍やシリア政府軍をミサイル攻撃するまでになりました。

 公約だった「アメリカ第一主義」を逆転させて、トランプ氏が元大統領オバマ氏がとっていたのと同じ政策=「外国への干渉・侵略」に乗りださせた裏の勢力は、“Deep state”「裏国家」「闇の政府」と呼ばれています。

 このような「裏の勢力」が存在すること、それが“Deep state”という名称で、公の場で論議されるようになったことは、アメリカの歴史上かつてないことでした。

2―3
 今までも大統領の候補者が「裏の勢力」によって秘密裏に決定され、それがお祭り騒ぎの大選挙戦で、「アメリカ史上初の黒人大統領」などといったかたちで「売り出されてきた」ことは、公然の秘密だったわけですが、それが最も露骨なかたちで暴露されたのは、クリントン女史が「アメリカ史上初の女性大統領」というかたちで売り出され、大手メディアが、こぞってヒラリー支持の報道を繰り広げたときでした。

 というのは、先述したように、選挙戦が始まる以前から民主党幹部が「次の大統領はヒラリー女史だ」と決めていたこと、予備選でもサンダースにたいする露骨な選挙妨害を裏で工作していたことが、ウィキリークスその他で暴露されたからです。
(このためアサンジ氏は、エクアドルに新しい親米大統領が誕生したことによって、亡命したはずのロンドンのエクアドル大使館で今や幽閉状態です)。

 そのうえ選挙が終わったあとも、トランプ氏を大統領の座から引きずり下ろそうとする動きは止むことがありませんでした。それは現在も執拗なかたちで続けられています。

 もちろんトランプ氏の言動に問題がなかったわけではありません。それどころか大言壮語で、かつ矛盾する言動、間違った意見も少なくありませんでした。

 しかし氏の「アメリカはこれまで外国に干渉しすぎてきた。これからは政権転覆などに手を出すのではなく国内再建に精力を集中する」という主張は、大筋では正しいものでした。

 ところが、それを許せない勢力がアメリカ国内に存在するのです。それがいわゆる“Deep state”「裏国家」「闇の政府」です。

 しかし、このような「裏国家」「闇の政府」という名称と存在は、すでに述べたように、公の場で明らかにされ議論されたことは今までありませんでした。

 ところが今では民主党の元下院議員であり元大統領候補として2004年の予備選でも善戦したデニス・クシニッチでさえ、“Deep state”という言葉を使って今のアメリカの政治を鋭く批判するようになっています。
*闇の政府’Deep state’がシリアの紛争を求めて、これを推進している
https://on.rt.com/9 4a9

 クシニッチはラリー・キングのインタビューに応えて「シリアの紛争をわざと長引かせているのは、ペンタゴン、CIA、国務省の連中だ。彼らは自分たちの考え方にしたがってトランプ大統領を動かしている。しかし彼らは国民によって選挙で選ばれたのではない。これは実に憂慮すべき事態ではないか」と語っています。

 クシニッチ氏は、ここで“Deep state”を「CIA、ペンタゴン、国務省の連中」として、彼らを名指しで非難しているのですが、「CIA、ペンタゴン、国務省の連中」を裏で動かしている真の勢力は「軍産複合体」「0・01%の超富裕層」ですから、もっと鋭くDeep state”のなかみを分析し追及すべきでした。

 しかし、いずれにしても、この大統領選挙の過程とその後の進展で明らかになったことは、アメリカの大統領は民衆が選挙で選ぶものではなく裏で密かに誰を次期大統領にするかが決められていること、裏の勢力の意向に沿わない人物が選ばれた場合、 その人物は“Deep state”の言いなりになるか、さもなければ「消される」運命にあるということです。

 このことがアメリカ国民だけではなく、世界中の心あるひとたちの目にはっきりと見える形になったことは、何度も言うように、アメリカ史上かつてなかったことでした。

 これは、トランプ氏が大統領選に立候補したことによってもたらされたもので、氏が勝利しなければ、アメリカの裏舞台がこれほど劇的に暴露されることは、たぶんなかったでしょう。

 これは実にトランプ氏の「大きな功績」であり、世界の「大転換」として私がこれを第一に挙げたいと思う所以です。

2―4
 この節を終える前に、最後に付け加えておきたいことが三つあります。

 その一つはトランプ氏が大統領になった直後に解任されたマイケル・フリンについてです。元DIA(国防情報局)長官マイケル・フリンについて櫻井ジャーナルは2016年11月19日の時点で次のように書いていました。

 「ドナルド・トランプはマイケル・フリン元DIA長官に対し、安全保障担当補佐官への就任を要請したとAPが伝えている。
 トランプは、ロシアとの関係修復を訴え、シリアではバシャール・アル・アサド体制の打倒ではなくアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)と戦うべきだと主張しているが、そうした判断はフリンのアドバイスに基づいている可能性が高い。
 そのフリンを重用できるなら、軍事的な緊張は緩和される可能性が高い。
 マイケル・フリン中将は退役後にアル・ジャジーラ [中東カタールの放送局] の番組へ出演、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、そうした情報に基づく政策の決定はバラク・オバマ大統領の役割だとしている。
 何度も書いていることだが、DIAは2012年8月に作成した文書の中でシリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIだと指摘、バラク・オバマ政権が支援している「穏健派」は存在していないとしていた。
 つまり、「穏健派」の支援とはサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)にほかならないということだ。
 アル・カイダ系武装集団の主力はサラフ主義者やムスリム同胞団であり、アメリカ政府はアル・カイダ系武装集団を支援しているということになる。
 DIAの報告書ではシリア東部にサラフ主義者の国ができる可能性も警告していたが、これはダーイッシュという形で現実になった。
 トランプ政権へ入るとも噂されているルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長は選挙期間中、「ヒラリー・クリントンはISISを創設したメンバーだと考えることができる」と口にしていた。オバマ同様、確かにヒラリー・クリントンもダーイッシュを操る勢力に属していると言えるだろう。」[引用終わり]

 ところが、フリン中将は、上記の報告をオバマ大統領に提出後しばらくして退役しました。

 自分の警告が受け入れられなかったから自ら辞職したのか、余計な報告書をつくるなという理由で解任されたのかは不明ですが、そのフリン氏をトランプ大統領は安全保障担当補佐官として採用したのです。しかし御存知のように、フリン氏は間もなく解雇されてしまいました。

 これは裏の戦争勢力がいかにフリン氏を嫌っていたかを示す典型的事例でした。このようにトランプ氏は大統領に就任直後から“Deep state”の攻撃にさらされ、それに屈するということを繰りかえしつつ現在に至っています。

2―5

バラク・オバマ
 二つ目は元大統領オバマ氏についてです。オバマ氏は「アメリカ史上初の黒人大統領」という宣伝文句で売り出されたのですが、この選挙戦についてチョムスキーは『アメリカンドリームの終わり富と権力を集中する10の原理』で次のように述べています。

 「大統領選挙の直後に、オバマ大統領は広告産業からひとつの賞を獲得しました。2008年の市場広告最優秀賞というものでした。つまり、2008年の大統領選挙で最も良い宣伝活動を展開したというのです。
 そのことはこのアメリカでは報道されませんでしたが、国際的な商業紙では、経営幹部は幸福感に満ちて次のように言っていました。『われわれはこれまでずっと大統領候補者を売り出してきた。レーガン政権からずっと大統領選挙という市場で、候補者を(練り歯磨きを売り出すのと同じように)売り出してきた。オバマはそのなかでも最高の成果だった。』
 私は普通、共和党の大統領候補であったサラ・ペイリンの意見に同調はしないのだけれど、彼女がオバマを、『ホープ(希望)とチェンジ(変化)という謳(うた)い文句だけを振りまく男』と呼んで揶揄(やゆ)したとき、彼女は正しかったのです。そもそもオバマは選挙で具体的なものをなにひとつ約束しませんでした。かれが振りまいたのは、ほとんどすべてが幻想で、具体的な提案に欠けるものだったからです。


 オバマが選挙運動の際に振りまいた言い回しをよく見てみれば、そのことがよくわかるはずです。かれの選挙演説のなかには、具体的な政策をめぐる論争はほとんど何もありませんでした。
 それには十分な理由がありました。政策にかんする一般民衆の世論は、二大政党の指導者や金融界の指導者の望んでいるものとは鋭く対立し、大きな溝があったからです。選挙運動が進めば進むほど、オバマの政策は選挙運動に資金を提供してくれる民間企業の利益に焦点を当てるものになっていました。そして民衆の要求はますます周辺部に追いやられてしまいました。」[引用終わり]

 つまりオバマという人物は、最初から“Deep state”によって選ばれ、「アメリカ史上初の黒人大統領」として選挙市場に売り出された人物だったのです。

 それにしてもオバマ氏の母親は白人なのですから、彼を「黒人」と呼ぶのはいかにも変な話です。オバマ氏の血の半分は白人のものなのですから、氏をなぜ「白人」と呼んではいけないのでしょうか。

 ナチスがユダヤ人を扱ったときと同じように、黒人の血が一滴でも混じっていれば「黒人」であるというのは、偏見の極みです。この一般化されている偏見を逆用して選挙市場に売り出そうと工作した「裏国家」の手腕は実に見事と言うしかありません。

2―6
 三つ目は、公民権運動・黒人解放運動の指導者として有名だったキング牧師の暗殺についてです。

 今からちょうど51年前に(1968年4月4日)キング牧師が公権力によって暗殺されたこと、それがキング師の遺族による裁判闘争で明確に結論づけられたことを下記ブログ(「百々峰だより」2018/0 4/1 4)で紹介しました。
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-3 1 6.html

 また、この偉大な勝利判決の翌日、1999年12月9日におこなわれた記者会見は下記のサイト(『寺島メソッド翻訳NEWS』)で読むことができます。
*MLK暗殺裁判判決についてキング家の記者会見
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-8 4.html

 ところが、この偉大な勝利判決について言及している大手メディアやアメリカ研究者は皆無に近いのです。

 キング師は、「黒人解放運動の指導者」という地位にとどまっていればおそらく殺されることはなかったでしょう。彼が“Deep state”の怒りにふれたのは、アメリカの外交政策に公然と反旗をひるがえし始めたからでした。その立場を明確に宣言したのが、暗殺のきっかり1年前、1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会でおこなった演説「ベトナムを超えて」でした。

 この演説は、ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』下巻、156―164頁に載っています。

 ふつうキング師の演説と言えば誰でも思い浮かべるのが、1963年8月28日にワシントンDCで25万人近くの集会参加者を前におこなわれた有名な演説「I HAVE A DREAM」です。しかし内容的にはるかに重要なのは、この「ベトナムを超えて」という演説でした。

 キング師がアメリカの内政批判「公民権運動」にとどまっているかぎりは、“Deep state”にとっては、まだ我慢が出来る存在でした。

 というのは「戦争は国家の健康法である」と信じ、戦争で国家を維持し財力を貯えてきた“Deep
state”の人たちにとっては、「アメリカの外交=戦争政策に口出しをする人物は許すべからざる人物であり生かしておけない」存在だったのです。

 このことは上記のキング一家がおこした裁判でも明確に確認されたことでした。

 トランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げ、「国家の再興」という内政問題に関わっているかぎりでは、あれほどひどい攻撃を受けることはなかったでしょう。しかしトランプ氏が踏み外したのは、アメリカの外交(戦争政策)を痛烈に批判し、それを内政(国家の再興)と結びつけたことでした。

 トランプ氏が選挙戦で、オバマ政権やヒラリー女史の戦争政策「シリアの政権転覆」を痛烈に批判し、ロシアとの協力・協調を訴えたことは、“Deep state”の逆鱗に触れるものでした。

 これは、中国とロシアを包囲するという方針に真っ向から対立するものだからです。これは、時の政府が窮地に陥ったときの、恒例かつ最後の手段に鎖をかけるような政策だからです。

 ちなみに、夭折の天才ランドルフ・ボーンによる「戦争は国家の健康法である」という有名な論文も、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻、532―539頁に訳出されています。
(また私のブログでも過去3回にわたって、この論文をとりあげて紹介しているので、興味ある方はぜひ御覧ください。)
*「戦争は国家の健康法である」
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 9 4.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 9 5.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 9 6.html


3 「神によって選ばれた国」「神によって選ばれた民」

3―1
 前節では、「大転換」の一つ目として、トランプ大統領が誕生したおかげでアメリカ国内におけるDeep state”(裏国家、闇の政府)の存在が今や誰の眼にも明らかになったことを紹介しました。

 さて、そこで二つ目の「大転換」です。

 大国アメリカの「例外主義」(自称「神に選ばれた国」)と世界における孤立がこれほど明らかになったことはかつてなかったのではないか、これもトランプ氏の大きな「功績」ではないか―と私は思うようになりました。

3―2
 アメリカが世界の超大国・覇権国家となったのは、第二次世界大戦が終わってイギリスが帝国の地位から転落したときからでした。

 こうして大戦後、アメリカは経済的にも軍事的にも世界の帝国となりました。

 しかしチョムスキー『アメリカンドリームの終わり』によれば、これは同時に、大戦直後に世界の頂点に立ったアメリカの衰退の始まりでもありました。

 とりわけアメリカの経済的衰退ぶりが顕著になったのは、アメリカが金本位制を止めた1970年代からでした。これはアメリカの通貨である「ドルの弱体化」を示すものでもありました。

 この「ドルの弱体化」は、アメリカが投資銀行と商業銀行の垣根を取り払い、国内産業の構造が製造業から金融業へと大きく変化していくのと同時進行でした。

 製造業の多くは安い労働力を求めて海外移転し、国内産業は大きく疲弊したからです。代わって登場したのが金融資本が乱舞する世界でした。

 では衰退する経済力をくい止める手段としてアメリカが選んだのはどんな方法だったのでしょうか。それは産業の動力源である石油を支配することを通じて、世界を支配すること、アメリカの覇権を脅かす国が現れればそれを軍事力で叩き潰すことでした。

 世界の産業は石油で動いているのですから、これを占有しさえすれば、刃向かう国を屈服させることができます。

 アメリカが、「民主主義の理念」に反して、イスラム王制独裁国家のサウジアラビアを軍事力で支えているのも、OPEC(石油輸出国機構)の盟主であるサウジを通じて世界の石油の流れをコントロールできるからです。

 サウジ王室を目下(めした)の家来として使い、石油貿易の決済をドルを使っておこなわせることにより、ドルの弱体化を防ぐことができます。

 その代わりアメリカは、独裁王制の下で抑圧されているサウジ民衆が王室転覆に決起したとき、それを鎮圧する仕事を引きうけました。

 王室が鎮圧に失敗したときアメリカ軍が出動して王室を支えるという約束をしたわけです。これは同時に高額の武器をサウジに輸出する絶好の口実ともなりました。

3―3
 アメリカの覇権を脅かす国が現れればアメリカがそれを軍事力で叩き潰してきたことは歴史が数多くの事実を提供してくれます。

 その実例として前節ではブルム『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)を紹介しましたが、それを読めばアメリカが犯してきた戦争犯罪、「拉致」「テロ」「暗殺」「拷問」「毒ガス」「クーデター」などの数々を知ることができます。

 もちろんアメリカの覇権を脅かす国が現れても、その為政者を賄賂・買収その他で籠絡できれば、わざわざ「拉致」「テロ」「暗殺」などの手段を使う必要はありません。ましてや軍隊を派遣して侵略する必要などありません。

 その具体的な手口は、ジョン・パーキンス『エコノミック・ヒットマン、途上国を食い物にするアメリカ』(東洋経済新報社、2007)に詳しく述べられています。

 この著者パーキンスは、表の顔は一流コンサルティング会社のチーフエコノミストですが、裏の顔・本当の姿は対象国を経済的に収奪するアメリカの工作員でした。

 この本は良心の痛みに耐えかねたエコノミック・ヒットマンの内部告発書です。彼は「買収工作が成功しないときは本当のヒットマン(暗殺者)の出番になる」と述べています。飛行機事故に見せかけて国家元首を殺すこともあったと言います。

 この本を読むと、アメリカ政府が多国籍企業と一体になっておこなってきた「買収」→「恫喝」→「暗殺」→「戦争」という流れがよくわかります。常に脅しをかけて言うことを聞かせたり、莫大な利益を約束して懐柔したりします。そして言うことを聞けば国家元首としての地位を与えるというわけです。

 アメリカは、第二次大戦後の日本政府の場合、戦犯で刑務所に入れられていた人物を為政者に仕立て上げ、かつ国際法廷で裁かれるべきだった人物を新たな「象徴」として全国巡幸させることによって、みごとな従属国をつくりあげました。

 この日本をモデルにしてイラクに乗り込んでいったのがブッシュ二世でした。「大量破壊兵器」を口実に侵略し、「イラクを第二の日本にする」と豪語していました。

イラク戦争下、バグダッドを訪れたブッシュ
 しかし、イラクには岸信介や昭和天皇に当たる人物を見つけることができず、この作戦は見事に失敗しました。残されたのは破壊された国土と大量の死者と難民でした。

 中南米では、アメリカ軍が経営する軍事学校“School of the Americas”で訓練された軍人が準軍事組織をつくり、クーデターで政権を取った後、腐敗する為政者に抵抗する民衆や活動家を虐殺していきました(チョムスキー『アメリカが本当に望んでいること』現代企画室)。

 しかし軍事独裁政権による民衆の抑圧ぶりがあまりにも残虐・凄惨で、評判が悪かったので、オバマ氏は、ウクライナでも、リビアでも、シリアでも、「民衆蜂起」というかたちで政権転覆をはかることにしました。

 ウクライナの政権転覆(2014年2月)は、極右勢力や旧ナチスの残党勢力を傭兵として使ったクーデターであったことは、今となっては歴然としてきています。この間の裏事情を櫻井ジャーナル(2017.0 1.1 9 )は次のように述べています。

ウクライナでは旧ナチスの残党が傭兵として使われた
 「ソ連が崩壊しロシアを自分の属国だと認識していた時期にもアメリカの好戦派は支配システムを築く努力はしていた。ビクトリア・ヌーランド国務次官補は、2013年12月に、米国ウクライナ基金の大会で、『ウクライナの政権転覆を支援するために1991年から50億ドルを投資した』と発言している。システムの構築にはNGOを利用した。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201508110000/

 リビアの政権転覆(2011年10月)の場合も、アメリカは、カダフィ大佐が「民衆蜂起」を弾圧しているという口実で、フランスを初めとするNATO軍を使って国土を破壊しカダフィ大佐を惨殺しました。

 このときはイスラム原理主義勢力を傭兵として使いましたが、その詳細は、物理化学者である藤永茂氏がブログ「私の闇の奥」で生々しく描写しています。
*リビア挽歌(上・下)
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/af790e16376731460b2a7f5f493b758c
(2011/0 8/2 4)
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/9cd61d906c0c02b82a34d5b70da709f5
(2011/0 8/3 1)

 シリアの場合も基本的には同じでした。「民衆蜂起」という体裁をとらせながら、サウジなどの王制独裁国家から送り込まれたイスラム原理主義勢力を傭兵として使いました。

 アル・カイダ系武装集団やダーイッシュをアメリカやその同盟国が支援してきたことも、次々と明らかになっています。

 例えば、2014年9月に米軍のトーマス・マッキナニー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けをしたとテレビで発言し、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)もアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言しています。

 また同年10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語り、2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べています。
(櫻井ジャーナル2017.01.19.http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701190000/

3―4
 このようにアメリカがウクライナで政変を企て、リビアを破壊し、またもやシリアで政変転覆を企ててきたことは、今では世界中の心あるひとにとっては自明のことになっているのですが、大手メディアはそれを報道しませんから、アメリカ国民のほとんどは(そして日本国民も)このような事実を知りません。

 それをよいことに、「シリアのアサド政権は化学兵器を使って自国民を殺害している」という宣伝を、壊れたレコード盤のように繰りかえしてきたのがオバマ政権でした。

 この「アサド政権の化学兵器」という嘘は、そのつどロシア政府や独立ジャーナリストなどによって、嘘であることが暴露されてきています。最近でも「ホワイトヘルメット」を使った同じたぐいの宣伝がなされ、すぐにその嘘がばれてしまいました。
*ピンクフロイドのメンバー、コンサートで「ホワイト・ヘルメット」を批判
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-4 1.html

 有名なイソップ寓話「オオカミが来る」に、何度も村人をだましてきた少年が、最後には村人から相手にされなくなるという話が出てきますが、この寓話は、そのままアメリカ政府に当てはまりそうです。

 今では、アメリカの言動をまともに信じる国は、イスラエルとEU諸国を除けば、世界でも圧倒的少数になりつつあるからです。これも世界の流れを大きく変える「大転換」です。

3―5
 ところがアメリカを支持するEU諸国でさえ、いまアメリカから離れようとする動きをし始めています。というのは、トランプ氏が「イランとの間に交わした核兵器協定から一方的に離脱しイランと経済交流する国には経済制裁を課す」と宣言をしたからです。

 この協定を10年近くもかけてまとめたドイツ、フランスからは強い抗議の声が起き、イギリスもこれに同調せざるを得なくなってきています。

 こうして「化学兵器」「大量破壊兵器」などという口実で中東に内紛をつくりだし、「オオカミ少年」として世界から孤立しつつあったアメリカは、このイランをめぐる問題で、さらにEU諸国の信頼さえも失いかねない危機に立たされました。

エルサレムをイスラエルの首都と公式に認めたトランプ
 このアメリカの孤立を、もう一歩さらに強めることになったのが、「エルサレムにアメリカ大使館を移す」というトランプ氏のもうひとつの宣言でした。

 これにたいしてもEU諸国は強い抗議の声を上げました。というのは、「エルサレムは国際管理とする」というのが1980年の国連決議だったからです。アメリカの同盟国であるEU諸国でさえ、受け入れることができなかったわけです。

 こうしてトランプ氏を大統領にいただくアメリカは、イスラエルと共にますます世界から孤立する道を選んでいるように見えます。

 アメリカが大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた2018年5月14日は、イスラエルの建国記念日だった一方、15日はパレスチナ人にとっての「ナクバの日」でした。

 「ナクバ」とはアラビア語で「大惨事」を意味することばです。ユダヤ人が1948年5月14日、パレスチナにイスラエルを建国した際、70万人ものパレスチナ人が故郷を追われ難民となりました。

 トランプ大統領は、よりによって、このような日を大使館移転の日に選んだのですから、火に油を注ぐようなものです。

 予想どおりパレスチナ人の怒りは頂点に達し、6週間に及ぶ抗議行動の間、イスラエルによる銃撃で100人以上の抗議参加者が死亡し、数千人の負傷者が出ています。14日と15日の2日間だけでも「衝突の死者は62人に達した。催涙ガスの吸引により死亡した生後8カ月の女児も含まれる」そうです(毎日新聞2018年5月15日)。

 これでは、シリアのアサド政権を転覆することに協力していたサウジなどの王制独裁国家も、同じアラブ人イスラム教徒として、さすがに、このようなアメリカやイスラエルの蛮行に目をつむるわけにはいかず、アメリカとイスラエルの孤立ぶりは一層、際立つことになりました。

 事実、GCC(湾岸協力会議Gulf Cooperation Council)の一員であったカタールはアサド政権の転覆活動から完全に手を引き、独自の活動を始めています。オマーンとクウェートも、カタールに同調し始めています。

3―6
 考えてみれば、アメリカは「先住民を大虐殺し、その土地を奪いながら建国された国」ですから、アラビア半島の先住民であったパレスチナ人を追放・戮殺し、その土地を奪いながら建国されたイスラエルと波長が合うのも当然かも知れません。

 もうひとつアメリカとイスラエルの波長が合う理由があります。

 アメリカは先住民を虐殺しながら西海岸まで領土を拡大し、それを「明白なる運命」「神から与えられた明白な使命」と考えてきました(ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻、256頁)。

 これが、「アメリカは特別な国であり何をしてもかまわない。国際法を踏みにじろうが、それは神から許された行為だから」という、「アメリカ例外主義」の根底を流れる考え方です。

 このような考えを土台にして、その後も太平洋を越えてハワイを併合しフィリピンまでも領有するようになりました。

 他方、イスラエルも「ユダヤ人は神によって選ばれた民族であり、エルサレムどころか聖書に書かれているとおりの領土を所有する権利がある」と考えているのですから、アメリカと波長が合うのも当然だったわけです。

 この間の事情をチョムスキーは次のように書いています。今後の資料としても重要だと思いますので、長くなりますが敢えて引用させていただきます。

 英国や米国の「キリスト教シオニズム」は、「ユダヤ教シオニズム」よりも古い歴史を持つ。
 ちなみに、「キリスト教シオニズム」は神がアブラハムと結んだ契約に基づき、エルサレムがアブラハムの子孫に永久に与えられたとする教理であり、「ユダヤ教シオニズム」はユダヤ人国家を建設しようとする一九世紀末以来の運動だ。
 「キリスト教シオニズム」は英米のエリート層には重大な意義があり、明確な政策も持っていた。ユダヤ民族のパレスチナ帰還を支持するバルフォア宣言もその一つだ。
 第一次世界大戦中に英国のエドモンド・アレンビー将軍がエルサレムを征服した。このとき、アレンビー将軍は米国の報道機関からリチャード獅子心王の再来だと大喝采を受けた。なぜなら、十字軍を率いて聖なる地から異教徒たちを追い出したのは、リチャード獅子心王だったからだ。
 そこで次なるステップは、選ばれた民たちを、神によって約束された土地に返すことになる。
 当時のエリートたちの典型的な見方は、フランクリン・ルーズベルト大統領の内務長官ハロルド・イッキーズの言葉によく示されている。彼はユダヤ人によるパレスチナ植民地化を讃え、「人類の歴史においてこれほどの業績はほかにない」と述べた。
 このような態度は、神意主義者(プロヴィデンシャリスト)の教義を信じる人々の間では、ごく普通のことだ。
 その教義は「神が世界に計画を持っており、神がすべてを計画済みである」とするもので、米国は聖なる指示に従って前進していると信じている。この教義は米国が建国されたときから大衆とエリートの文化の中で強い力を持っている。
(『誰が世界を支配しているのか』137―138頁、寺島が改訳)

 チョムスキーは上記でアメリカにおける「キリスト教シオニズム」「ユダヤ教シオニズム」および「神意主義者(プロヴィデンシャリスト)」について説明しているのですが、アメリカとイスラエルの関係について、ここでもうひとつ重要な指摘をしています。それは「キリスト教福音派」および「終末キリスト教福音派」についてです。

 「キリスト教福音派」は米国では主流派だ。さらに極端な教義を持つ「終末キリスト教福音派」も米国では大人気で国民に浸透している。
 彼らは1948年のイスラエル建国で元気づけられ、1967年にパレスチナを征服すると、さらに活気づいた。これらすべては終末の時とキリストの再臨が近づいている予徴だと、彼らは見ているからだ。
 これらの宗派の勢力はレーガン時代から強くなりはじめた。(中略)彼らは大きな恐れと憎しみを抱える外人嫌いの国粋主義者で、宗教面でも国際的な基準からみると過激だが、米国内では普通の範曙に入る。
 その結果、アメリカで強くなったのは聖書の予言に対する敬意だ。この新しい政治勢力はイスラエルを支持するだけでなく、イスラエルによる征服と拡大を喜び、情熱的にイスラエルを愛している。
(『誰が世界を支配しているのか』138頁、寺島が改訳)

 この叙述を読むと、蛮行を重ねるイスラエルを、なぜ共和党はもちろんのこと民主党すら支持して止まないのかがよく分かります。これではイスラエルと共にアメリカも世界から孤立していくのは時間の問題とすら思えてきます。

 このアメリカの「孤立」「停滞」「凋落」を加速させているのが、今まで述べてきたように、トランプ大統領の最近の言動でした。

 チョムスキーは、冒頭でも紹介したように、『アメリカンドリームの終わり』で大略、次のように述べています。

 「アメリカは第二次大戦で世界の頂点に立ったが、その衰退は終戦直後から始まっている。しかし急激な経済的停滞と凋落は1970年代から顕著となった。それでも軍事的優位は揺るがず、それが覇者としてのアメリカを支えてきたし世界的通貨としてのドルを支えてきた。」(傍点は寺島)

 このようなアメリカの「停滞と凋落」を回復すると称してトランプ氏は大統領選に立候補し、当選しました。しかし彼の主張する「アメリカ・ファースト」は、先述のとおり、大統領に就任した早々から Deep state”の巻き返しに会い、政策は180度、逆転することになってしまいました。

 トランプ氏は先述のとおり、選挙戦で、「国内の立て直しに専念する。そのため海外に手を出すことはやめ、ロシアと協力しながらイスラム原理主義勢力を一掃し、海外の米軍を撤退させ、軍事費を国家再建にまわす」と公約したのですが、今はオバマ前大統領も顔負けするほどの軍拡に走り出してしまいました。

 その後の言動は、ご覧のとおり、アメリカの威信を回復させるどころか、ますます世界から孤立させるものでした。

 しかし前節でも述べたように、トランプ氏はいまアメリカ大統領として世界に巨大な貢献をなしつつあるとも言えます。

 というのは、アメリカが振りかざしている「アメリカ例外主義」「神から与えられた明白な使命(マニフェスト・デスティニー)」が、このようにはっきりと目に見えるかたちで世界に提示されたことは、かつてなかったからです。

 繰り返しになりますが、これはトランプ氏の登場なしにはあり得なかったでしょう。オバマ氏の偽善的な姿勢が、アメリカの真の姿を覆い隠してきたからです。

 まだまだ核戦争の危機が完全に消えたとは言えませんが、絶対的帝国として世界に君臨していたアメリカが、これを機会に、その流れを多極主義へと転換することになるとすれば、世界の平和にとってこんなよいことはありません。

3―7

3―7―1
 この節を終えるにあたって、最後に付け加えておきたいことが二つあります。

 その一つ目はエルサレムについてです。

 トランプ氏はエルサレムを新しくイスラエルの首都と認めると宣言し、アメリカ大使館もそこに移転しました。

 そもそも、1947年11月29日の国連総会で、エルサレムは国際管理地区ということになっていました。

 しかし1967年6月の第三次中東戦争でイスラエルがエルサレム全域を押さえた以降は、イスラエルが実効支配し、そのうえ1980年には、イスラエル議会がエルサレムはイスラエルの首都と決議しました。

 これにたいして、143対1でその決定の無効を決議したのが、1980年の国連総会でした。これを踏みにじったのが、今回のアメリカ大使館エルサレム移転です。

 このことがアメリカとイスラエルをいっそう孤立化させることになったことは、何度も述べてきたとおりです。

3―7―2
 もうひとつ付け加えておきたいことは、なぜ中東問題が理解しにくいのかということです。

 シリアを初めとする現在の中東問題が理解しにくい理由のひとつは、アメリカが裏でイスラム原理主義勢力を育てながら表向きはそれを叩き攻撃するという高等戦術をとっているからです。

 ソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきたときは、同じイスラム原理主義勢力を「自由の戦士」と称して裏で軍事訓練をし、武器を供給しながら彼らを支援しました。

 共産党・共産主義=悪という通念が、アメリカのみならず西側の世界では一般的でしたから、これは非常にわかりやすい構図でした。

 ましてソ連軍がアフガニスタンに「侵略」したとなれば、それをたたく絶好の口実になります。

 しかし、この戦略を考案したブレジンスキーは、後に「実はイスラム勢力を使ってソ連軍をアフガニスタンにおびき出したのは私だ」とインタビューで自慢しているのです。ビンラディンも、このような中で育てられた人物でした。
*ジョン・ピルジャー「タリバンを育てたアメリカ」その1〜3
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-271.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-272.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 7 3.html

 しかしソ連が崩壊した現在、アメリカの軍産複合体を維持するためには新しい敵が必要になります。それで標的になったのがイラクのサダム・フセインでありリビアのカダフィ大佐でした。いずれも「自国民を殺害する残虐な独裁者」というふれこみで、人道主義をふりかざしてイラクやリビアに乗りだし、独裁者を倒すという構図です。

 ところが、これらは全て嘘だったことが後で明らかになってきました。イラクやリビアは、サウジなどのイスラム原理主義の王制独裁国家と違って、世俗主義の国家であり、選挙もありましたし女性でも大学に行けました。

 現在、攻撃されているシリアも同じです。シリアが化学兵器を使っているというのも、すでに述べたとおり、すぐ嘘だということが暴露されてしまいました。

 だとするとシリアを攻撃する口実がなくなります。そこで考え出されたのが、シリアで残虐な行為を繰りかえしているイスラム原理主義勢力を「テロリスト」だとして、これを成敗するという口実です。

 昨日の「自由の戦士」が今日は「残虐なテロリスト」として宣伝され、そのためのビデオも制作されました。

 このようにアメリカは、自分の侵略を正当化するために新しい高等戦術を次々と編み出してきています。

 ですから、大手メディアだけを見ていると余りにも理解し難いことが多く、頭が混乱してきます。今では人権NGOという一見すると中立的な団体までつくって敵を悪魔化しますから、ますます混乱させられます。

 だとすると、いま私たちは容易ならざる時代に突入しているのだと言えるでしょう。よほど腹をすえてかからないかぎり真実は見えてこないからです。


4 大転換する朝鮮半島

4―1
 前節でも述べたとおり、トランプ氏は大統領選挙戦で、「国内の立て直しに専念する。そのため海外に手を出すことはやめ、ロシアと協力しながらイスラム原理主義勢力を一掃し、海外の米軍を撤退させ、軍事費を国家再建にまわす」ことを公約したのですが、今はオバマ前大統領も顔負けするほどの軍拡に走り出してしまいました。

 その後の言動は、アメリカの威信を回復させるどころかますます世界から孤立させるものだったことは、先述のとおりです。

 私がこのようにアメリカの孤立化を紹介して間もなく、「神によって選ばれた民」「神によって選ばれた国」の孤立化をさらに歴然と示す二つの出来事がありました。

 ひとつは、キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長とトランプ大統領との直接対話が、2018年6月12日に、シンガポールで実現したことであり、もうひとつは、国連人権理事会からの脱退を、6月19日に、アメリカが表明したことです。

4―2
 キム委員長とトランプ大統領の直接対話が実現したことは世界の平和にとって非常に好ましいことでした。これは、核戦争を回避しようと努力してきたひとたちに大きな希望を与えるものでした。しかし、同時にこれは軍事帝国アメリカの一層の衰退と孤立化を象徴するできごとでもありました。

 というのは、これまでトランプ氏は、個人的にはキム氏との直接対話を望むと言いながらも、他方では、Deep state” の意向に沿って「朝鮮が完全な非核化を約束し実行しないかぎりキム委員長とは会わないし韓国との共同軍事演習もやめない」と言明し続けていたからです。

 にもかかわらずトランプ氏が一転して前言を翻し、直接対話に乗りだしたのは、韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領が先導して北朝鮮との直接対話の気運を作りだし、北朝鮮も、それに応えて、2018年5月25日に、米英韓中露5カ国の外国記者団まで招いて、核実験場の爆破を公開したからです。

 このような北朝鮮による核廃絶の意思表明は、韓国はもちろんのこと平和を望む多くの人々の支持を得ました。

 この高まる大きな世論を無視して、経済制裁や武力による恫喝のみを繰りかえしていては、ますますアメリカの傍若無人さが際立って、孤立が進行してしまいます。

 というよりも、世界中の世論によるアメリカの孤立化が、シンガポールでの直接対話となって実現したと言うべきでしょう。

 ではキム委員長に核実験場の廃棄・爆破を決断させた要因は何だったのでしょうか。これについて櫻井ジャーナルは次のような興味ある説明をしています。(傍点は寺島)

 ソ連崩壊後、ミハイル・ゴルバチョフに見捨てられてから生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み、東アジアの軍事的な緊張を高めたいアメリカにとって好都合なこと、例えば核兵器の開発やミサイルの発射実験を行ってきた。
 こうしたことは中国やロシアから止めるよう説得されていたが、無視してきた。
 ロシアの前身であるソ連に裏切られたという思い、アメリカ軍の強さに対する恐れが朝鮮を動かしてきたのだろうが、昨年四月の攻撃でロシアや中国への信頼が戻った可能性がある。
 しかも、韓国がロシアや中国と連携している。ロシアの防空システムがあれば、アメリカ軍をそれまでのように恐れる必要はないと考えても不思議ではない。
(櫻井ジャーナル2016.06.17.https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201806160001/

 アメリカは、北朝鮮がミサイル実験をするたびに、それを口実に韓国や日本に巨額の武器を買わせ、THAAD(高高度防衛ミサイル)や地上配備型弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」を韓国や日本に配備して中国包囲網を強化してきました。

 と同時に、モリカケ問題などで安倍政権が国会で追い詰められているときに、具合のよいことに、いつも北朝鮮がミサイル騒ぎを起こしてくれ、NHKを初めとする大手メディアは、世論の批判が安倍政権に向かわず北朝鮮非難へと集中する役割を果たしてきました。

 このことを私はいつも不思議に思ってきました。そもそも貧困に喘いでいるはずの北朝鮮が、核実験やミサイル開発に向ける技術やお金はどこから手に入れたのだろうか。中国やロシアとの関係は悪化していたのだから、どこが裏で支援していたのだろうか。これが私にとって最大の謎でした。

 この疑問を解いてくれたように思われたのが、上記の櫻井ジャーナルで指摘されている二つの事実、すなわち「生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み……」、および「昨年4月の攻撃でロシアや中国への信頼が戻った可能性がある」という説明でした。

 まず後者の「昨年4月の攻撃」ですが、これについて先述の櫻井ジャーナルは、「昨年4月の攻撃が中国や朝鮮の考え方に変化を与えた可能性はあるが、それはトランプ大統領の主張とは逆だろう」として、次のように説明しています。

 ドナルド・トランプ米大統領は、シンガポールで朝鮮の金正恩労働党委員長との会談を行った6月12日、FOXニュースのシーン・ハニティのインタビューを受けたが、その最後の部分で、昨年(2017年)4月6日にシリアで実行した攻撃について語っている。
 その攻撃とは、地中海にいたアメリカ海軍の2駆逐艦(ポーターとロス)が巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したもの。
 シリア政府軍が自国民に対して化学兵器を使ったという口実だったが、証拠はなく、それが事実でなかった可能性は極めて高い。(中略)
トランプ大統領は昨年4月6日のシリア攻撃で発射されたミサイル全てが目標にヒットしたと主張しているのだが、被害が事実上、なかったことが判明している。
 しかも、ロシア国防省によると、目標に到達したのは23機だけ。いくつかは地上に落下しているが、残りは不明。海中に落下した可能性が高い。
 トランプ大統領の主張とは違い、アメリカのミサイルはロシアの防空システムを突破できていないと言える。[引用終わり]

 つまり、アメリカは59機ものミサイルを発射したのですが、目標に到達したのは23機だけで、その6割は撃ち落とされているのです。しかも目標に到達した23機も、事実上は何も被害を与えていません。

 もうひとつ北朝鮮の姿勢を変えさせる事件がありました。それを櫻井ジャーナルは上記の解説に続けて、次のように伝えています。

 そして今年(2018年)4月、アメリカ軍は再び偽情報を宣伝しながらシリアをミサイル攻撃した。国防総省の発表によると、攻撃のターゲットはバルザー化学兵器研究開発センター(76機)、ヒム・シンシャー化学兵器貯蔵施設(22機)、ヒム・シンシャー化学兵器(7機)で、全て命中したとしている。
 しかし、「攻撃目標」と「使用されたミサイルの数」が不自然で、現地の様子とも符合しない。
 それに対し、ロシア国防省の説明によると、この攻撃で米英仏の3カ国は103機の巡航ミサイルを発射、そのうち71機をシリア軍が撃墜したという。
 今年は短距離用の防空システム、パーンツィリーS1が配備されていたが、これが効果的だったようだ。アメリカはリベンジを狙って返り討ちに遭った。
 ロシア国防省は攻撃された場所として、ダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍用空港(12機。全て撃墜)、バリー軍用空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍用空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍用空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍用空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)を挙げている。[引用終わり]

 要するに、発射されたミサイルのうち7割は撃墜されているのです。前回の撃墜率は6割でしたから、大きな前進と言うべきでしょう。しかも狙ったのは化学兵器施設だったとするアメリカの主張が全く嘘だったということも暴露されてしまいました。

 そもそもシリアの化学兵器は国際団体監視の下で全て廃棄されているのですから、このような嘘は初めから意味のないことでした。

 だとすれば、「ロシアの防空システムがあれば、アメリカ軍をそれまでのように恐れる必要はない」と北朝鮮が考えて、自分もロシアや中国に接近したいと思ったとしても不思議ではないわけです。

 まして韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領がロシアや中国に接近し両国と連携し始めているのですから、なおさらのことです。

 こうしてキム委員長は急速に中国に接近し、習近平(シー・ジンピン)国家主席との会談に至ったのでした。

4―3
 では第二の事実「生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み……」については、どうでしょうか。

 反共団体として名高い統一教会が、共産主義国家として悪罵を受けている北朝鮮と手を組んでいるという事実を、私は、初めは信じられなかったのですが、Yahoo!ニュース(2 0 1 5/8/3 0)が次のような事実を報道していることを知り、やっと納得することが出来ました。

 北朝鮮の国営メディアである朝鮮中央通信は8月30日、金正恩第一書記が、韓国発祥の宗教団体・世界基督教統一心霊協会(統一教会)の教祖である文鮮明(ムン・ソンミョン)氏の三周忌に際し、遺族らに弔電を送ったことを伝えた。

 日本では霊感商法や有名芸能人の「合同結婚式」などで社会問題化した統一教会だが、教祖の文氏は、もともと北朝鮮・平安北道(ピョンアンブクト)出身だ。

 社会主義体制の北朝鮮とは、反共団体である国際勝共連合の活動などを通じて長年対立していたが、1991年に電撃的に訪朝。当時の金日成主席と和解して以降、密接な関係を築いてきた。

 金正恩氏は文鮮明氏の死亡時と一周忌に際しても弔電を送っている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20150830-00048987/

 この記事は、もうひとつ衝撃的事実を報じていました。何と安倍晋三氏や自民党タカ派勢力は、これまで統一教会(および北朝鮮?)と親密な関係を築いてきていたのです。Yahoo!ニュースは上記の報道に続けて、次のような解説を載せていました。

 それだけではない、文氏は安倍晋三ファミリーとも親密な関係を築いていた。
 統一教会は観光や自動車生産で北朝鮮を支援してきたほか、北朝鮮が旧ソ連製の弾道ミサイル潜水艦を「スクラップ」として輸入する際にも、同教団系の企業が関与していた。
 また、統一教会は、日本の弁護士グループから「信者らが違法な物品販売等で再三刑事摘発されている反社会的団体」と指弾されている一方、自民党政治家と親密な関係を築いてきたことで知られる。
 中でも、安倍晋三首相の祖父である岸信介元首相は文氏ととくに親密で、最近では、山谷えり子国家公安委員長と国際勝共連合の関係がメディアで取り沙汰された。
 石原慎太郎元都知事も同組織から選挙支援を受け、熱烈な感謝のメッセージを送っている。[引用終わり]

 要するに、安倍晋三氏は、表では「力で屈服させろ」と北朝鮮を声高に非難しつつ、裏では統一教会を通じて北朝鮮を支援し、アジアの緊張関係を高め、それを口実に日本の軍拡と改憲(=壊憲)を一気に進めるという、高度な戦術を取ってきたわけです。

 (ちなみに、山谷えり子国家公安委員長が関係していたとされる「国際勝共連合」は、統一教会の外郭団体です。)

 これはアメリカも全く同じで、「冷酷な独裁政権」と北朝鮮を声高に非難しつつ、「金正恩の斬首作戦」などの軍事演習を繰りかえしてアジアの緊張関係を高め、それを口実に韓国や日本に巨額の兵器を買わせてきました。

 と同時にアメリカは、緊張関係を口実に、THAADやイージスアショアなどの超巨額かつ超攻撃的な武器を韓国や日本に配備して中国包囲網を強化する、という高等戦術を駆使してきたのです。

 ですから北朝鮮は、このような高等戦術のなかで踊らせられてきたとも言えるわけです。

 もっとうがった見方をすれば、キム委員長とトランプ大統領は、「お互いに悪罵を投げつけ合いながら中国包囲網を強化するという猿芝居を演じてきたのではないか」という疑いすら浮かんで来ます。

 北朝鮮にしてみれば、このようなかたちで敵対しつつあった中国に恨みを晴らすつもりだったのかも知れません。

 しかし、シリアにおけるロシア軍とロシア兵器の目を見張るような働きが、キム委員長の姿勢を大逆転させたのではないか。これが櫻井ジャーナルの意見でした。

4―4
 では「生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み……」と櫻井ジャーナルが指摘している「イスラエルとの関係」については、どうでしょうか。

 これについても先述の櫻井ジャーナルは次のように述べています。

 中国には一帯一路(海のシルクロードと陸のシルクロード)というプロジェクトがある。かつて、輸送は海路の方が早く、運搬能力も高かったのだが、技術の進歩によって高速鉄道が発達、パイプラインによるエネルギー源の輸送も可能になった。海の優位さが失われている。
 しかも中国は南シナ海からインド洋、ケニアのナイロビを経由して紅海に入り、そこからヨーロッパへ向かう海路も計画している。この海路を潰すため、東の出発点である南シナ海をアメリカは支配しようと考え、日本はアメリカに従ったということだ。
 ところが、2016年6月にフィリピン大統領となったロドリゴ・ドゥテルテはアメリカに従属する道を選ばない。ベトナムなどもアメリカの好戦的なプランから離れていく。
 他方、ロシアと中国は東アジアでの経済的な交流を活発化させて軍事的な緊張を緩和しようとする。
 例えば、今年(2017年)9月4日から5日に中国の厦門でBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の会議が開催され、9月6日から7日にかけてロシアのウラジオストックで同国主催のEEF(東方経済フォーラム)が開かれた。
 このイベントに朝鮮も韓国や日本と同様、代表団を送り込んでいる。韓国がロシアや中国との関係を強化しようとしていることは明白だ。
 こうしたなか、核兵器の爆発実験や弾道ミサイル(ロケット)の発射実験を繰り返し、アメリカとの軍事的な緊張を高める口実を提供してきたのが朝鮮にほかならない。BRICSの会議やEEF(東方経済フォーラム)が開かれた直後、9月15日にもIRBM(中距離弾道ミサイル)を発射している。
(櫻井ジャーナル https://plaza.rakuten.co.jp/condor3 3/diary/20171115/)

 上記の説明にあるように、今までアメリカによる中国包囲網に加わっていたベトナムやフィリピンも、アメリカ離れを始めているのです。

 ここでもアメリカの孤立化が進行していることは明らかです。この流れに唯ひとり従っているのが日本政府・安倍政権です。

 この路線を裏から支えてきたのが北朝鮮だったわけです。それが中国の北朝鮮にたいする姿勢を一層硬化させてきたことも疑いのないところです。しかし、これについて前記の櫻井ジャーナルは、さらに詳しく、次のように重要な事実を暴露しています。

 このところ朝鮮の爆発実験やミサイルの発射は成功しているようだが、少し前までは四苦八苦していた。
 ところが、短期間の間にICBMを開発し、水爆の爆破実験を成功させた可能性があるという。そこで、外国から技術、あるいは部品が持ち込まれたと推測する人もいる。
 ミサイルのエンジンについて、イギリスを拠点にするシンクタンクIISS(国際戦略研究所)のマイケル・エルマンは、朝鮮がICBMに使ったエンジンはソ連で開発されたRD―250がベースになっていると分析、朝鮮が使用したものと同じバージョンのエンジンを西側の専門家がウクライナの工場で見たとする目撃談を紹介している。
 また、ジャーナリストのロバート・パリーによると、エンジンの出所だと疑われている工場の所在地は、イゴール・コロモイスキーという富豪が知事をしていたドニプロペトロウシク市(ウクライナのドニプロペトロウシク州、現在はドニプロ市と呼ばれている)にある。[引用終わり]

 北朝鮮が核実験やミサイル発射をするたびに、私は、「そのような技術やお金はどこから出ているのだろうか」という疑問をもち続けてきたことは最初に述べたとおりですが、この叙述で、私の疑問はかなり解消された気がしました。

 しかし、ウクライナとイスラエルの関係はどうなっているのでしょうか。北朝鮮とイスラエルは、どのような関わりでつながっているのでしょうか。この疑問について櫻井ジャーナルは、さらに次のような説明を加えています。

 富豪コロモイスキーは、ウクライナ、キプロス、イスラエルの国籍を持つ人物で、2014年2月のクーデターを成功させたネオ・ナチのスポンサーとしても知られている。2014年7月17日にマレーシア航空17便を撃墜した黒幕だとも噂されている人物だ。
 国籍を見てもわかるようにコロモイスキーはイスラエルに近い人物だが、朝鮮はイスラエルと武器の取り引きをした過去がある。
 1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求。その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸した。その際、イランは大量のカチューシャロケット弾をアメリカ側へ発注。
 アメリカはイスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入してイランへ売っているのだ。この関係は切れていないと考えるのが自然だろう。
 その後も朝鮮とイスラエルとの関係は続き、イスラエルには朝鮮のエージェントがいるようだ。そのエージェントがエンジンの件でも重要な役割を果たしたという情報も流れている。[引用終わり]

 アメリカもEU諸国も、ウクライナの政変を、ネオ・ナチによるクーデターだったと、いまだに認めていません。

 しかし、これが長年にわたって大金を注ぎ込んでアメリカの仕組んだクーデターだったことは、オバマ政権時の国務次官補ビクトリア・ヌーランド女史が公開の場で堂々と述べたとおりです。

 前節でも紹介したように、彼女は、2013年12月13日にワシントンで開かれた「ウクライナを巡る会議」において、「米国は、ソ連崩壊時からウクライナの民主主義支援のため50億ドルを投資した」と語っています。

 またヌーランド女史は、2014年4月、テレビ局CNNのインタビューでも、米国は「より強い民主主義的な政府を目指すウクライナ国民の欲求をサポートするために」五〇億ドルを拠出した、と述べているのです。
https://jp.sputniknews.com/us/201701263276021/

ヌーランド女史とウクライナの自由党(ネオ・ナチ)指導者のチャニボク
 もし、これが事実だとすれば、アメリカが統一教会やイスラエルと協力しつつ裏で仕組んだ猿芝居に、金正恩委員長もまんまとのせられ、中国封じ込め政策に利用されてきたのではないか、という疑いすら出てきます。
(そして私たち日本人も、この猿芝居に騙され、日本中に鳴り響いた「Jアラート」に翻弄されたことになります。)

 とはいえ、いま北朝鮮はアメリカと正面から対峙し、中国やロシアとの関係改善へと、新しい方向に歩み出そうとしていることだけは確かなようですから、その意味でも、アジアにおけるアメリカの孤立化は、ますます鮮明になってきたように見えます。そこで慌てふためいているのが安倍政権です。

4―5

4―5―1
 以上で、「アメリカとイスラエルの孤立化を示す、さらなる二つの出来事」のうちの前者「朝鮮情勢の大転回」についての説明を終えたいと思います。

 しかし、この節を閉じるにあたってどうしても付記しておきたいことがふたつあるので、それを述べて本節を閉じたいと思います。

 その一つ目は、オバマ政権時に国務省国務次官補だったビクトリア・ヌーランド女史についてです。というのは、私が本節を書くに当たって、いろいろ調べているうちに、次のような衝撃的記述を見つけたからです。

 イラク戦争に失敗してネオコンは退潮した。それでもネオコンは生きていてオバマ政権にも入り込んだ。ネオコンとして今も生き残っているのがビクトリア・ヌーランド国務省国務次官補(ヨーロッパ・ユーラシア担当)である。彼女の夫のロバート・ケーガンがネオコン第三世代の代表だ。…ビクトリア・ヌーランド女史は、明らかにムーニー(統一教会員)である。そしてヒラリー派だ。」(副島隆彦『トランプ大統領とアメリカの真実』178頁)

 統一教会の旧名称は「世界基督教統一神霊協会」(今は「世界平和統一家庭連合」と名前を変更)で、アメリカにも支部があることは知っていたのですが、まさかヌーランド女史までが統一教会の一員であったことに驚愕させられました。

 これが事実だとすれば、統一教会とイスラエルは、北朝鮮だけでなくウクライナでも暗躍してきたことになります。

 ちなみに、ウィキペディアによれば、統一教会は「開祖・文鮮明の姓ムンから、俗にMoonies(ムーニーズ)の名で知られていて」、アメリカでの活動は次のように説明されています。

 「1954年5月に韓国ソウルで世界基督教統一神霊協会が創設され、1965年に文鮮明一家と幹部たちは宗教・政治的情宣活動の拠点をアメリカに移し、世界宣教・経済活動を拡大し、巨大な統一運動傘下組織を作った。韓国の多くの少数派宗教団体と異なり、朝鮮半島を超えて世界中に普及したという特異性を持つ。世界193か国に支部がある。…文鮮明は戦闘的な反共産主義者であり、共産主義は神の摂理に基づく民主主義に対抗する悪魔によるものとされた。」

 つまり、上記の副島説が正しいとすれば、オバマ政権内のネオコン一派として著名であったヌーランド女史は、ネオコンであるだけでなく、反共陣営・中国封じ込めの一員として、統一教会の一員でもあったのです。これも「事実は小説よりも奇なり」の好例かもしれません。

4―5―2
 私は、櫻井ジャーナル(2 0 1 7/1 1/1 5)から下記のような引用をしつつ、北朝鮮がイスラエルから援助を受けながら核実験やミサイル開発をしてきたのではないかと、述べてきました。

 「1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求、その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸したのだが、その際、イランは大量のカチューシャロケット弾をアメリカ側へ発注。アメリカはイスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入してイランへ売っているのだ。この関係は切れていないと考えるのが自然だろう。」[引用終わり、傍点は寺島]

 しかし、上記の引用で、1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求し、その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸したという件(くだり)については、もう少し説明を付け加えないと理解しにくいのではないかと思います。

 この「共和党とイラン革命政権との裏取引」について時系列に沿って略述すると次のようになります。

(1)1980年の大統領選挙では、現職ジミー・カーター大統領(民主党)とロナルド・レーガン候補(共和党)の間で接戦が繰り広げられていた。
 その当時、カーター政権は、イラン革命(1979)でテヘランのアメリカ大使館が占拠され、大使館員52人が人質にとられるという試練を抱えていた。

(2)1980年4月、特殊部隊デルタ・フォースによる人質救出作戦に失敗し、二期続投を目指すカーター政権への大きな打撃となった。
 このため、カーター政権の外交姿勢を「弱腰」と批判する共和党を勢いづかせる結果となった。

(3)1980年10月18、19日、共和党の大統領指名を争う予備選に出馬し、レーガン政権の副大統領へ転身を企むブッシュ一世(元CIA長官)は、レーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)と共に、パリで密かにイラン政府関係者と会談した。
 共和党は、イランの最高責任者ホメイニ師ほかイラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉した。

(4)これは、「レーガンが大統領に当選した暁にはお望みの武器を供給するから、それまでは人質解放をしてくれるな」という交渉だった。
 民主党カーター大統領の在任中に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし、接戦を繰り広げていた大統領選挙で、レーガンを当選させるという隠密作戦だった。

(5)その結果、この選挙でカーターは敗北し、1981年1月20日、レーガンが第40代大統領に就任した。

(6)同日、人質となっていたテヘランのアメリカ大使館員らも無事解放され、生還した。人質解放がレーガン大統領の誕生で実現し、共和党は「強いレーガン大統領」を演出することに成功した。

 このような経過を見ると、再び「事実は小説よりも奇なり」です。

 イラン革命は「アメリカを後ろ盾とする王制独裁国家に対する革命」でしたから、本来ならイラン政府とは敵対関係のはずです。

 にもかかわらず共和党は、自分たちの利益を最優先にして、イランと取引したのです。しかも何と!敵に武器(大量のカチューシャロケット弾)を売るというのですから、信じがたい光景です。

 そしてレーガン政権は、イスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入した武器をイランへ売っているのです。

 ですから、今度の核実験やミサイル開発でも、北朝鮮とアメリカとの間でどのような裏取引があったか、凡人にはとても推し量ることは出来ません。

 レーガン大統領は、この後も有名な「イラン・コントラ事件」で全く同じ手口を使っていますが、ここでも仲介役として暗躍していたのがイスラエルでした。

 だとすれば、私たちは何と恐ろしい世界に生きているのでしょう。よほど腹を据えてかからなければ、まんまと権力者がばらまく嘘に騙されてしまいます。


5 アメリカが支えるイスラエルの「民族浄化作戦」

5―1
 国連大使ヘイリー女史は去る2018年6月19日、アメリカは国連人権理事会から離脱すると表明しました。

 トランプ政権は、すでに2017年6月1日、地球温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」からの離脱を決め、NATO同盟国のフランスからも強い批判を浴びました。

 またトランプ政権は、2017年10月、「反イスラエルの姿勢が目立つ」として、ユネスコからの脱退も表明しました。

 アメリカが「反イスラエルの姿勢が目立つ」とした理由は、ユネスコが2011年10月31日に総会を開き、賛成107、反対14、棄権52で、最も新しい加盟国として、パレスチナ国の正式加盟を承認したことでした。

 この決議案採択にたいして、アメリカ、イスラエルなどは反対し(日本は棄権でした)、アメリカ国務省は、この採択への対抗措置として、ユネスコ分担金の停止を実行し、さらに2017年10月にはユネスコを再脱退すると表明したのでした。

 パレスチナは元々、国連に加盟したかったのですが、常任理事国として拒否権を持つアメリカが、イスラエルの意向をくんで反対し、いまだに国連加盟を果たしていません。しかし国連の下部団体であるユネスコが、パレスチナの加盟を認めたことが、アメリカとイスラエルの怒りを買ったのです。

 しかし(2016年3月)、国連加盟国193カ国の中で、136カ国がパレスチナを国家承認しています。常任理事国ではロシアと中国が承認している他、南米ではコロンビア以外、アフリカではカメルーンとエリトリア以外のすべての国が承認しています。またアジアでは、日本、韓国、中華民国、シンガポール、ミャンマー以外の全ての国がパレスチナを承認しています。

 つまりアメリカの息のかかったNATO諸国およびアジアにおけるアメリカの属国・同盟国以外はすべて、パレスチナという国を承認しているのです。

 そういう意味では、アメリカのユネスコ脱退は、ユネスコが世界の知性を代表する国際機関と認められているだけに、「神によって選ばれた国」イスラエル、「神によって選ばれた民」アメリカの、孤立化を象徴する事件でもありました。

 この孤立化をさらに後押ししたのが、2018年6月19日に表明された国連人権理事会からの離脱でした。

 地球温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」からの離脱、アメリカ大使館の「エルサレムへの移転」と併せて、アメリカの世界的威信を、これほど低下させた事件はなかったでしょう。

 言い換えれば、これらの国際機関からの離脱・脱退は、アメリカやイスラエルの強さの現れではなく、むしろ弱さの現れだとみるべきでしょう。

 以下、この点について、項を改めて検証してみたいと思います。

5―2
 先述のとおり、アメリカ国連大使ヘイリー女史が、2018年6月19日に「アメリカは国連人権理事会から離脱する」と表明したとき、その理由として挙げたのが、「人権理事会の最近の決議数はイスラエルを非難するものが突出して多い」「人権理事会が人権ではなく政治的な偏見によって動いている明確な証拠だ」という点でした。

 しかしイスラエルのパレスチナにたいする蛮行、とりわけガザ地区に対する蛮行は目を覆わんばかりの残虐行為に満ちていて、それにたいする非難決議が何度も国連安保理事会で提出されましたが、いつもアメリカによる拒否権の発動で実効あるものになりませんでした。

 しかし、このような蛮行は、もうすでに何十年も続いているものです。チョムスキーはすでに『チョムスキーの教育論』(明石書店、2006)の補章第1節「『歴史捏造』の技術を検証する」で、わざわざ「2 沈黙の義務」という項をもうけ、そこでイスラエルの残虐行為を詳しく論じているのです。

 この補章そのものは、中米ニカラグアでアメリカがいかに政権転覆活動をおこなったか、その過程でアメリカが特殊部隊を使いながら、ニカラグアやエルサルバドルでどんな残虐行為を展開したかを詳細に説明したものですから、本来イスラエルとは関係ないはずです。

 にもかかわらず、チョムスキーは、この節この項で、次のように更なる小項目をたてて、過剰とも思われるほどの頁数をついやして、イスラエルの蛮行を、怒りを込めて糾弾しているのです。
*米国ではタブーとされるイスラエル問題
*イスラエルでは何が起きていたのか
*無罪になった兵士達の蛮行
*米国で当然視されてきた民族浄化

 ユダヤ人であるチョムスキーの、ユダヤ人国家とされるイスラエルへの怒りが、いかに激しかったか、これだけでも分かっていただけるのではないでしょうか。

 この原書ペーパーバック版が出版されたのは2000年ですから、それから既に18年間も、イスラエルによる似たような蛮行が続いてきたことになります。

 しかし実を言うと、「『歴史捏造』の技術を検証する」は、 Necessary Illusionsという本に入っていたものを、編集者のドナルド・マセード氏が、チョムスキーの許可を得て、この原書に再録したものでした。

 この本の出版年は1989年でしたから、チョムスキーの怒りは18年前どころか、29年前から続いてきていることになります。

 というのは、最近のチョムスキーは、ガザの惨状を「青天井の牢獄」と名付けて、その怒りを表現しているからです。

 ガザの惨状は地区そのものが牢獄であり、そのような牢獄のなかで地区住民が毎日を生きていると、チョムスキーは言いたかったのです。詳しくは下記の拙論を御覧ください。
* 血に染まった「青天井の牢獄」ガザ、「民族浄化」としてのパレスチナ
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-105.html

 私がこの小論を書いたのは2012年ですが、それから2年も経たないうちに、次の大惨事が起きました。

 それをAFP通信(2014年7月24日)は、「パレスチナ側の死者700人超に、イスラエルがガザ攻撃続行」という見出しで次のように伝えています。

 「パレスチナ側の死者、700人超に イスラエルがガザ攻撃続行」
 パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)でイスラエル軍が続ける軍事作戦は24日、17日目に突入し、医療関係者によるとパレスチナ側の死者数は718人に上った。同地区で活動する人権団体は、死者の8割以上が一般市民だと指摘している。ガザ地区では同日だけでも、イスラエル軍の空爆で21人が死亡。犠牲者の中には、5歳の女児と3歳の男児を含む6人家族もいた。[引用終わり]

 これを受けて、国連人権理事会は、パレスチナ自治政府とアラブ諸国などが共同で提出した「イスラエルのガザ侵攻を非難する決議」を、29カ国の賛成多数で可決し、理事会議長が派遣する調査委員会が国際人道法・国際人権法違反を調べることになりました(2014年7月23日)。

 しかし、これにたいして、いつものとおり、理事国ではアメリカ合衆国だけが反対でした。そしてEU諸国と日本など、アメリカの属国である17カ国が棄権しました。イスラエルは「衡平を欠く」と猛反発し、調査に協力することを拒否しました。

 これが、アメリカの国連大使ヘイリー女史の「人権理事会は、人権ではなく政治的な偏見によって動いている明確な証拠だ」という実態なのです。

 ヘイリー女史は、その場でさらに、中国、ベネズエラ、コンゴ民主共和国を名指しして「最も基本的な権利を明らかに軽視している」と指摘し、こうした国が理事会の参加国になっていることも批判したそうですが、これもまさに天に唾する行為でした。

 というのは、アメリカ自らが、「最も基本的な権利を明らかに軽視している」国々、たとえばイスラム教原理主義国家サウジアラビアなどの王制独裁国家を支援し、選挙で選ばれた政権の転覆を謀ってきたことは、今では誰の眼にも明らかになってきていることだからです。

 その典型例が、イラクのサダム・フセインやリビアのカダフィ大佐にたいする政権転覆と彼らの死刑または惨殺でした。

 初めは、「独裁者が民衆を弾圧している」「大量破壊兵器をもっている」という口実で、この政権転覆を国連が支持したかのように思われましたが、前節でも紹介したように、これらが全て嘘であったことは今では誰でも知っている事実となりました。

 アメリカやNATO諸国は、イラクやリビアの成功に味をしめて、今度はシリアのアサド政権転覆に乗りだしたのですが、イラクやリビアの件で騙されたことに気づいたロシアと中国は、今度は国連決議によるシリア侵略にGOサインを出しませんでした。

 「アサド政権が化学兵器を使っている」という嘘も繰り返し出されましたが、そのたびにロシアや現地を自分の眼で確かめたジャーナリストによって、その嘘が暴露されていることも先述したとおりです。

 アメリカが「オオカミ少年」であることがこれほど明らかになったことは、いまだかつてなかったことです。

 たとえば、ノーベル平和賞の候補になり映画化までされた「ホワイトヘルメットと言われる集団」も、アメリカやNATO諸国によってつくりあげられ、支援されたプロパガンダ部隊であったことも、調査報道記者として有名なセイモア・ハーシュによって暴き出されています。
*セイモア・ハーシュは語る「プロパガンダ組織ホワイトヘルメットがアサド政権転覆に従事」
https://www.rt.com/news/431379-white-helmets-propaganda-syria/


5―3
 こうして、イスラム原理主義勢力を裏で支えながらシリア侵略をすすめてきたのが、アメリカとNATO諸国、イスラエルおよびサウジアラビアなどのイスラム王制独裁国家でした。

 とりわけ自らの立場を、自らの行為で暴露してしまったのが、先述のイスラエルの「ホワイトヘルメット救出作戦」でした。

 シリア侵略勢力は、ロシア軍とアサド軍の目覚ましい働きによってますます追い詰められ、今やどうやってシリアから脱出したらよいかを深刻に考えなければならない状況になってきました。

 そこへ登場したのがイスラエルだったというわけです。
*イスラエルが「白ヘル部隊」をシリアからヨルダンへ避難させる
https://www.rt.com/news/433924-white-helmets-evacuation-israel/
*「白ヘル部隊」の救出作戦は、誰が彼らを雇っていたのかを明確に示すことになった
https://www.rt.com/news/434052-white-helmets-rescue-hypocrisy/

 このように世界平和にとって誰が脅威かをイスラエルは自らの行動によって示したわけですが、ご承知のように、このイスラエルを強力に擁護してきたのがアメリカでした。それを劇的なかたちで世界に見せつけたのが、「反イスラエルの姿勢が目立つ」という理由による、国連人権委員会からの脱退宣言だったわけです。

 ヘイリー女史は、その場でさらに中国、ベネズエラ、コンゴ民主共和国を名指しして「最も基本的な権利を明らかに軽視している」と指摘し、こうした国が理事会の参加国になっていることも批判しました。

 ところが皮肉なことに、彼女が強力に擁護するイスラエルは、最近、「国家自決」法を議会で可決しました(2018年6月18日)。

 これはイスラエルをユダヤ人だけの国だと宣言する法律ですから、かつてナチスがドイツですすめた「民族浄化」政策を、イスラエルの地で再現しようとするものと言うべきでしょう。
*イスラエルが、ユダヤ人だけの「国家自決」法を、議会で可決
https://www.rt.com/news/433655-israel-nation-state-law-passsed/

 イスラエルには、約180万人のアラブ系イスラエル人がいて、イスラエルの人口の約4分の1を占めています。今までは公用語として認められてきたアラビア語を話してきました。

 しかし今後は、正式な公用語はユダヤ人が話すヘブライ語だけとなります。つまり約180万人のアラブ人を「二級市民」として扱うことを、イスラエルは法律で正式に宣言したことになります。

 これでは、ヒトラーによる「民族浄化」政策や、かつて人種差別国家として有名であった南アフリカ共和国の「アパルトヘイト」とどこが違うのでしょうか。ヘイリー女史は、このようなイスラエルを、どのように擁護するのでしょうか。

 これでは、「神によって選ばれた国」と「神によって選ばれた民」の、世界からの孤立は、ますます深刻になることはあっても緩和することはないでしょう。
 (しかし残念なことに、このようなアメリカとイスラエルの行動に、ほとんどいつも歩調を合わせてきたのが我が国の政府なのです。)

5―4
 最後に、ヘイリー女史によって、「最も基本的な権利を明らかに軽視している」と名指しで非難された中国、ベネズエラ、コンゴ民主共和国についても、ここで言及しておきたいと思います。

 まず中国ですが、アメリカと違って現在の中国は、他国を侵略したり特殊部隊を密かに派遣して住民を虐殺してきたという過去を持っていません。

 それに比して、アメリカの過去は実におぞましいものです。先に紹介した『アメリカの国家犯罪全書』はアメリカ人自身による内部告発書です。

 たとえばベネズエラについても、アメリカはチャベス大統領を「独裁者」だとして口汚く非難してきました。しかし、チャベスが大統領になってからはベネズエラの貧困層は激減し、教育水準も驚くほどの高まりを見せました。

民衆の支持に応えるベネズエラのチャベス前大統領(2008年)
 ところが、2002年4月11日にはCIAの支援を受けて軍部によるクーデターが発生し、チャベスは軍に監禁され、代わりに元ベネズエラ商工会議所連合会議長のペドロ・カルモナが暫定大統領に就任しました。

 最初クーデターは成功したかに思われましたが、暫定政権が強権的な支配を強めたため、大統領の支持基盤である貧困層のデモが激化しました。

 情勢を見た軍や国家警備隊が寝返り、カルモナは逃亡。クーデターはわずか2日間で失敗に終わりました。

 これを見れば分かるように、チャベスの政策はベネズエラの富裕層・特権階級にとっては非常に不愉快なものでした。これはベネズエラの石油資源などに以前から目をつけているアメリカにとっても許せない政策でした。

 だからこそCIAはベネズエラにおけるアメリカ大使館を拠点に、何度も不安定化工作を実施しましたが、それが成功しなかったので、ベネズエラの軍部を利用したクーデターを企てたのです。

 ウィキペディアですら、このクーデターについて次のように記述しています。
 「このクーデター時、RCTVを含む民間テレビ4局は、チャベス派の狙撃兵による反チャベス派への銃撃事件を捏造し、繰り返し報道した。RCTVのグラニエル最高責任者はクーデター派のこの陰謀に直接、加担していたことが判明している。この報道機関として著しく中立性を欠いた行為が、のちのRCTV放送免許の更新問題を引き起こす原因となった。」

 まるで最近のアメリカによるウクライナ政変劇を思わせるような狙撃事件です。

 ベネズエラでは、チャベス大統領が癌で死去した(毒物による暗殺だとの説もある)あとを引き継いだマドゥロ大統領も、相変わらず「独裁者」だと罵られ、今でもアメリカによる不安定化工作が続けられています。

5―5
 最後は、ヘイリー女史が名指ししたコンゴについてです。これについては、ずいぶん長くなってきたので、櫻井ジャーナル(2 0 1 7.1 0.1 5)の次のような説明を引用するにとどめておきます。

 資源の宝庫、コンゴは1960年2月に独立し、6月の選挙でパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれる。
 それを受け、コンゴ駐在アメリカ大使のクレアー・ティムバーレークはクーデターでルムンバを排除するように進言するが、同大使の下には後に国防長官となるフランク・カールッチがいた。
 ドワイト・アイゼンハワー大統領は同年8月にルムンバ排除の許可を出している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2 0 1 5)
 アメリカ支配層に選ばれたモブツ・セセ・セコが9月にクーデターを成功させ、12月にルムンバは拘束された。
 1961年1月17日、ジョン・F・ケネディが大統領に就任する3日前に、ルムンバは刑務所から引き出されてベルギーのチャーター機に乗せられ、ルムンバの敵が支配する地域へ運ばれた。
 そして、そこで死刑を言い渡され、アメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団によって殴り殺された。
 1961年1月26日にアレン・ダレスCIA長官はコンゴ情勢についてケネディ新大統領に説明しているが、ルムンバ殺害について触れていない。[引用終わり]

 つまり、民主的に選ばれたルムンバがCIAの暗躍によって殺されたことをケネディ大統領は知らなかったわけですが、アメリカが犯した国家犯罪であったことは間違いありません。

 そして今度はケネディ自身が、1963年11月22日に暗殺され、その2年後にキューバ革命の英雄ゲバラは独裁者モブツが支配するコンゴへ入って活動を始めます。

 しかし、そのゲバラも、CIAの手引きで、1967年10月9日にボリビアで殺されました。

 このように、調べれば調べるほど、アメリカやイスラエルの言う「人権」「民主主義」がいかに偽善に満ちたものであるかが見えてきます。


6 ユダヤ人フィンケルスタインのイスラエル批判

 それにしても、なぜアメリカは、これほどにまでイスラエルに肩入れしなければならないのでしょうか。

 先述のとおり、チョムスキーは『チョムスキーの教育論』の補章で「米国ではタブーとされるイスラエル問題」と述べていましたが、言論の自由を最も声高に叫び、「人権」や「民主主義」を口実に他国に干渉し、クーデターまで企ててきたアメリカが、なぜイスラエルの政策を非難できないのでしょうか。

 その理由のひとつとして考えられるのは、(アメリカのキリスト教原理主義とユダヤ教原理主義の奇妙な一致は別にして)イスラエル批判はユダヤ人差別と受けとられるのではないかという恐れでしょう。

 もちろんアメリカには通称AIPAC「エイパック」と呼ばれるロビー団体「アメリカ・イスラエル公共問題委員会」があり、全米ライフル協会をも上回ると言われる強力な組織です。

 この団体は全米50州に10万人の会員を数えており、またイギリスの経済誌『エコノミスト』によれば、その年間予算は5000万ドルに上るそうです。

 そこからの莫大な政治献金を考えれば、この団体の影響力も無視できないことは間違いないでしょう。彼らの意向に逆らうと絶対に議員や大統領になれないと言われているほどですから。

 しかし私がここでも問題にしたいのは、そのような政界の話ではなく、「言論の自由」を誇っているはずの学者・言論界の世界でさえ、その例外ではないという事実です。

 確かに、ユダヤ人以外のひとがイスラエルの政策や行動を批判すれば、「それはユダヤ人に対する差別・偏見だ」と言われかねないので、なかなかイスラエル批判に踏み切れないのも分からないでもありません。

 しかし、いまアメリカで深刻なのは、ユダヤ人でさえイスラエル批判ができないという現実です。チョムスキーはユダヤ人ですが、彼のように堂々とイスラエル批判ができるのは、彼が全く例外的存在だからです。

 とはいえ、そのように著名な例外的人物でさえ、大手メディアで発言したり執筆したりすることは、ほとんど許されていません。彼が『Play Boy』という通俗雑誌で発言しているのを見ると異様な感じがしますが、そのような場しかアメリカの一般市民に語りかける場が、彼に許されていないからです。

 ですから、博士課程にいる学生がイスラエル問題を取りあげて論文を書くことは不可能に近いと言えます。その不可能に挑戦したのがノーマン・フィンケルスタインでした。

 彼の父親はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所収監の、母親はマイダネク強制収容所収監のユダヤ人生存者でした。

 このようにアウシュヴィッツの生き残り、ホロコーストを身をもって体験した人物を両親にもつフィンケルスタインでさえ、イスラエル批判をやりとげることは容易なことではありませんでした。

 彼が、パレスチナ人はもともと存在しなかったとするジョーン・ピーターズの著書『ユダヤ人は有史以来』を取りあげて、プリンストン大学で、それを批判する博士論文を書こうとしたとき、助言を求められたチョムスキーが再考するよう求めたという話は、あまりにも有名です。

 チョムスキーが再考を求めた理由は、「そのような課題に挑戦すると研究者としての人生を送れなくなる恐れがある」「そもそもその論文を審査員として引きうける教授がいるかどうか」というものでした。

 しかしフィンケルスタインは、その助言を重く受け止めつつも、敢然と自分の目標に挑戦したのでした。そしてチョムスキーの援助も得ながら、名門プリンストン大学から博士号を取得し、なんとかシカゴのデポール大学に職を得ることが出来ました。

 このような研究のなかで誕生したのが、世界的話題となった『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(三交社、2004)、『イスラエル擁護論批判―反ユダヤ主義の悪用と歴史の冒涜』(三交社、2007)という2冊の本でした。

 彼は前著『ホロコースト産業』では、AIPACなどを中心とするアメリカのユダヤ人エリートが、自らの政治的・経済的利益にそぐわないものに対して反ユダヤ主義のレッテルを貼りつけることで、ホロコースト被害者としての立場を濫用し暴利をむさぼっていると強く批判しました。

 また後著『イスラエル擁護論批判』では、ハーバード大学ロー・スクール教授として著名であったアラン・ダーショウィッツ(彼自身もユダヤ人である)の『ケース・フォー・イスラエル―中東紛争の誤解と真実』に対して、虚偽に満ちているとして徹底した批判を展開しています。

 しかし、このイスラエルの擁護書を批判したことで、フィンケルスタインはダーショウィッツから、「ユダヤ人の裏切り者」と目されるようになり、その後の人生は、まさにチョムスキーの予言したとおりのものになりました。

 というのは、この本が出版された後に、准教授を務めていたデポール大学で間近に迫っていた終身在職権の取得が、大学上層部によって急に否決されるという事件がおきたからです。

 こうして彼はデポール大学で教授になる道を閉ざされただけでなく、大学そのものから去るよう追い込まれてしまいました。

 他方、ダーショウィッツは、この間、『イスラエル擁護論批判』の出版差し止めをカリフォルニア州知事(当時)のアーノルド・シュワルツェネッガーに依頼したり、出版元のカリフォルニア大学出版局に高額訴訟をほのめかす等の行動をとっていました。

 ですから、デポール大学で間近に迫っていた終身在職権を、大学上層部によって急に否決されることになったのも、ダーショウィッツによる裏工作の結果ではなかったのかと、強く疑われている所以です。

 いずれにしても、このフィンケルスタインをめぐる事件は、アメリカの誇る「言論表現の自由」「教育研究の自由」なるものがどの程度のものか、それを示す好事例ではなかったでしょうか。


7 おわりに

ボリバル革命20周年の集会で大統領の支持と外国の干渉に抗議するベネズエラ国民(2月)
 いま私がこの小論を執筆している現在(2019年2月5日)、トランプ大統領はベネズエラのマドゥロ大統領にたいして、「グアイド国会議長をベネズエラの暫定大統領として認める」と宣言し、「もし退陣しないのであれば米軍の派遣もありうる」と恫喝しています。

 しかし、ベネズエラの国民ではなく他国の元首がベネズエラの大統領を選ぶことができるのであれば、たとえば中国の元首が、トランプではなく、下院議長のペロシ女史をアメリカ大統領として宣言できることになります。このようなトランプ氏の言動は、自分が「ロシアの傀儡」ではないことを証明し、民主党や「影の政府」による大統領弾劾を逃れるための術策とも考えられないわけではありません。

 しかし、このような荒唐無稽な言動は、アメリカ大統領だけでなく、そのような言動を支持するアメリカ政界全体の「痴性」(「知性」ではない!)を証明するものであり、世界中にその恥をさらけ出すことになっています。

 そのような下劣さはEU諸国も似たり寄ったりで、フランスを初めイギリスやドイツも似たような声明を発表しました。

 こうなると、EUを代表するはずのフランス、ドイツ、イギリスの「知性」もその程度だったのかと、世界各国の心あるひとたちはあきれかえっているのではないでしょうか。

 その証拠に、イタリアは、「グアイド国会議長をベネズエラの暫定大統領と認める」というEU声明案を明確に拒否しています。

 フランスにしても、国内では「黄色いベスト運動」が、マクロン大統領の退陣と新しい選挙を要求しているのですが、マクロン氏はそれを拒否しながら、他方ではベネズエラのマドゥロ氏にたいして退陣と新しい選挙を要求しているのです。

 その厚顔無恥ぶりには開いた口が塞がらない思いの国々も少なくないでしょう。

 つまり、富裕層・特権階級を代表するEU首脳国(フランスやドイツなど)がアメリカの指示に従おうとしても、他の国がそれを認めようとしていないのです。

 まして中国、ロシア、インドなど、アジア、アフリカの諸国で、「神に選ばれた国」の指示に従おうとする国は今のところ見当たりません。

 そもそもトランプ氏が大統領選に立候補したときの政策の大きな柱の一つが「今後アメリカは他国の政権転覆に加担しない」というものだっただけに、今回のトランプ氏の言動は、アメリカ大統領だけでなく、アメリカという国の威信を大きく低下させることになってしまいました。

 とりわけトランプ氏自身が、「ロシアによる裏からの選挙介入によって大統領になった」と、民主党だけでなく大手メディアにも激しく攻撃されてきただけに、氏の醜態ぶりは特に際立っています。

 なぜなら、「トランプはプーチンの傀儡」「ロシアによる裏からの選挙介入」ということにたいして最も激しく反発してきたのがトランプ氏自身だったからです。

 そのトランプ氏が、手のひらを返したように、今度は「表から堂々と」クーデターを企てることに加担しているわけですから、「神に選ばれた国」が放つ腐臭に、多くの国は我慢ができなくなってきているのではないでしょうか。

 アメリカが放つ強い腐臭は、このような対外政策だけでなく国内政策からによってさらに強められています。

 というのは、アメリカ国内ではイスラエルの政策に反対する人は公職に就けなくなってきているからです。

 最近でもテキサス州の公立学校教師が「イスラエルの政策を支持しない」という理由で、州法によって公職から追放される事件が起きているからです。
*「いかなる場合でもイスラエルの政策を支持する、との誓約を拒否した理由で職を奪われた教師が提訴」
https://on.rt.com/9koj

 アメリカでは、イスラエルによるガザ地区への残虐な攻撃に抗議して、イスラエル商品にたいする「ボイコット・資本引き揚げ・制裁」を呼びかける「BDS運動」が広がりつつあるのですが、これに参加することを禁じる法律が、アメリカの少なからぬ州で法律化されています。

 すでに26の州がこのような法律を制定し、さらに13州が同様の法律を制定する予定だそうです。

 これを合計すると39州になりますから、アメリカ50州のうち8割近くが「思想信条の自由」を奪われていることになりかねません。チョムスキーが以前から心配していたアメリカの「ファシズム化」です。

 これが「民主主義のモデル国」と自称するアメリカ(および、そのような立法を裏で強力に後押しをしているイスラエル)の実態なのです。

 このような実態は早晩、世界中の国々に知れ渡ることになるでしょう。日本でも最近、BDSジャパンの発足集会が開かれているからです(大阪12月14日、東京12月16日)。

 こうして、トランプ氏の言動や州政府の行動が、ますます世界中のひとたちに、アメリカの真の姿を露呈させることになっています。「神に選ばれた民」と「神に選ばれた国」の孤立化とファシズム化は進む一方です。

 ローマ帝国の崩壊を見れば分かるように、「明けない夜はない」のです。それと同じく、帝国アメリカも永遠に続くとは思えません。むしろ「夜明けは近い」とさえ思えてきます。ですから、トランプ大統領に感謝です。

 むしろ深刻なのは、このようなアメリカに付き従っているだけの我が国の未来ではないでしょうか。


〈追加補節〉
「神に選ばれた国」と「神に選ばれた民」と緊迫するベネズエラ情勢


 この原稿を書いている2019年2月18日現在、アメリカによるベネズエラのマドゥロ政権転覆の動きは、ますます露骨になってきています。 今までアメリカは政権転覆を企てても、シリア、リビア、ウクライナのように、それを民衆運動によるかたちをとるか、中米ホンジュラスのように、裏で軍部を動かしてクーデターを起こさせるというかたちをとってきました。 

 しかしベネズエラの場合、このどちらもうまくいきませんでした。民衆運動のかたちをとろうにも、チャベス大統領が亡くなった後のマドゥロ政権に対する民衆の支持は、変わらなかったからです。

 アメリカは経済制裁を加えつつベネズエラを不安定化させ、裏でも白人富裕層を焚きつけて、民衆運動のかたちをとって政権転覆を試みますが、これにも失敗しました。

 というのはアメリカによる経済制裁のため、物価高騰と物資欠乏に苦しめられつつも、ベネズエラ民衆はマドゥロ政権に対する支持を変えることはなかったからです。

 大手メディアでは、マドゥロ政権にたいする反政府デモが巨大な支持を得ているかのように報道されていますが、この反政府デモに参加しているのは、そのほとんどが白人富裕層であり、有色人種が多数である民衆はその多くが、マドゥロ政権を支持しています。

 その一般民衆のデモの方が大きいのですが、大手メディアではほとんど紹介されていません。その実態は下記の『マスコミに載らない海外記事』による次の記事(2019年2月15日)を御覧ください。
*ベネズエラの白人優越主義がトランプ・クーデターの鍵
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2 0 1 9/0 2/post-7 6be.html



 そこで次の手段が軍部によるクーデターなのですが、アメリカにとって残念なことに今のところベネズエラ軍はマドゥロ政権にたいする支持を変えていません。

 そこでアメリカ大統領トランプ氏は裏工作を諦め、表から堂々と軍部に政権転覆に乗りだすよう呼びかけるに至りました。これは国際法に照らしても前代未聞の事件です。それは中国の国家主席がトランプ政権の打倒をアメリカ軍部に呼びかける図を想像するだけでも分かるはずです。

 しかも民主党や大手メディアから「トランプはロシアによる選挙工作で大統領になった」と攻撃されているトランプ氏が、今度は自分自らが、裏からどころか表から堂々と、他国の政権転覆に乗りだしているのですから、まったく唖然とさせられます。

 そのうえ、もっと奇々怪々なのは、「トランプはロシアによる裏工作で大統領になった」と攻撃してきたはずの民主党幹部や大手メディアが、自国によるあからさまな他国への介入には、まったく異を唱えていないことです。

 これほど見事な「アメリカ第一主義」は考えられません。まさに「『神に選ばれた国』は、何をしようがすべては許される」ということを、そのまま絵に描いたような行動ではないでしょうか。

 これは弱冠35歳の若者(ベネズエラ国民議会議長フアン・グアイド)を、「ベネズエラの暫定大統領として認める」とトランプ氏が宣言したことにも歴然と現れています。

 しかも、「大統領が不在になったとき国民議会議長を暫定大統領にする」という規則はベネズエラ憲法233条のどこにも書いてありません。詳しくは次の記事(『寺島メソッド翻訳NEWS』2019年2月12日)を御覧ください。
*欧州議会のダブルスタンダード   ベネズエラ情勢
http://tmmethod.blog.fc2.com/

 ここでも「神に選ばれた国」アメリカの傲慢さと、それに追随しているEU支配層の卑屈さが浮き彫りになってきます。プーチン大統領が、マクロンを気に入らないからという理由で、「黄色ベスト運動」の指導者をフランス大統領の座に据える図を想像すれば、もっと分かりやすいかも知れません。



 最後に、追記しておきたいことが、もうひとつだけあります。それはトランプ氏によってベネズエラ特別大使に任命されたエリオット・エイブラムスについてです。

 エリオット・エイブラムスは、1986年に発覚したイラン・コントラ事件について1991年に議会で聴聞された際に偽証し、そのため有罪になりました。しかし後にジョージ・H・W・ブッシュ大統領により恩赦されています。

 ここで問題になっているイラン・コントラ事件とは次のようなものでした。

 ロナルド・レーガンは、大統領選挙に立候補したとき、現職のカーター大統領に手柄を立てさせないため、イラン革命で人質になったアメリカ人の釈放を選挙後まで延期するよう、裏でこっそりイラン革命政権に要請しました。そして自分が大統領になったときには、その代償としてイランに武器を売る約束をしたのです。

 かくしてカーターは、人質を釈放させることの出来ない軟弱な大統領だと攻撃され、レーガンは、まんまと大統領の座を手にすることが出来たのでした。

 他方、レーガンはイランと裏取引をした上に、同国への武器売却代金を、反政府ゲリラ「コントラ」の援助に流用しました。ニカラグアの革命政権を転覆させるためです。

 これが後に発覚することになった有名なイラン・コントラ事件です。まるで嘘のような本当の話です。

 この件にかんしては以前の節でも紹介しましたが、まさに「事実は小説よりも奇なり」です。



 しかし事件の奇怪さはまだ続きます。

 というのは、アメリカ人を人質にしていたイランに武器を売るというのは、あまりに露骨すぎて、とても出来ない相談でしたから、その仲介役をイスラエルに頼んだわけです。

 こうして、イランに武器を売る役割をイスラエルが引きうけ、アメリカはその代金をニカラグアの反政府ゲリラに手渡して、ニカラグアだけでなくグアテマラやエルサルバドルを殺戮・虐殺の荒野に変えたのでした。

 これが「神に選ばれた国」「神に選ばれた民」が手を携えておこなった行為です。

 たとえば80年代にグアテマラでは、アメリカに後押しされた独裁者エフライン・リオス・モント将軍の下で、先住民の集団虐殺と拷問が行われ、エルサルバドルでもアメリカが訓練した暗殺部隊によって市民が800人以上も虐殺されました。

 これらの事件を議会で追及された際、エリオット・エイブラムスは、その虐殺行為を「中米に民主主義を植えつけるという点で素晴らしい成果だった」と擁護したのでした。しかも氏は、その当時、レーガン政権の国務省高官(人権部門担当)だったのです。

 選りに選って、このような人物をトランプ氏は、ベネズエラ特命大使として任命したのです。しかし、このような人物を特使に任命したことに対して、民主党幹部も大手メディアも、何ら異を唱えることはありませんでした。

 ただし民主党下院議員で、異を唱えた若い女性議員がいました。彼女はアメリカ史上で初の、イスラム教徒の女性議員でした。

 彼女は下院外交委員会の聴聞会で、スカーフを頭に巻いたままの姿で、舌鋒鋭くエイブラムス氏の過去を問い詰めたのです。「いまだに、アメリカの過去の行為を『素晴らしい成果だった』と考えているのか」と。
*Ilhan Omar grill US Venezuela envoy n war crimes of previous US-backed coups(イルハン・オマール下院議員が、ベネズエラ特使エイブラムスを、過去のアメリカ支援による政権転覆と戦争犯罪について厳しく追及)
https://on.rt.com/9oba

 しかし、この彼女の行為は、共和党どころか民主党幹部からも攻撃されています。何度も言いますが、これがアメリカ民主主義の実態、ファシズム化しつつあるアメリカの現状です。

 (とはいえ、このソマリア系アメリカ人のイルハン・オマール議員だけでなく、プエルトリコ系のアレクサンドリア・オカシオ=コルテスのように堂々と社会主義者を名乗りつつ下院議員に当選する若い女性の登場は、真っ暗なアメリカに微かな光を感じさせるものです。)



 ちなみに、グアテマラに関しては『グアテマラ虐殺の記憶―真実と和解を求めて』(岩波書店)という本があります。

 この本の訳者代表だった飯島みどりさんは、中南米を専門とする若い研究者で、まだ岐阜大学に教養部というものが存在していた頃の私の同僚でした。

 私は彼女から、しばしば次のように皮肉られたものでした。
 「スペイン語は簡単だけど英語は難しいですね」
 「寺島先生はあのような残酷な国アメリカに、よく行く気になりますね」
 その頃の私は、恥ずかしながら、アメリカの残酷さを(知ってはいたつもりでしたが)充分に知らなかったのです。

 そして学会参加を口実に、10年近くもアメリカに通い続けていくなかで、彼女の言い分を自分の眼でしっかり納得できるようになりました。

 この小論は、そのような私の中間総括です。(おわり)

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/10854
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html#c8

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
53. 中川隆[-13971] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:17:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-645]

「オーディオの相対性原理」とは
「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb


現在9台のアンプがあるが、1台は外部に発注して改良中、3台はウェストミンスター(改)用として固定しているので残りは5台となる。

この5台を毎日の朝起きぬけに1台づつ取り換えてその日1日中聴くことにしている。

なにしろ機械ものなのでときどき通電してやらないと調子がおかしくなる。

つい最近の5日間の例を挙げてみると次のとおり。

すべてのアンプのタイトルには「出力管」名を冠している

月曜日 「171A」(前段管:AC/HL)シングルアンプ

火曜日 「300B」シングルアンプ

水曜日 「171Aプッシュプル」アンプ

木曜日 「171A」(前段管:A411)シングルアンプ

金曜日 「6098」シングルアンプ

いずれ劣らぬ個性派ぞろいだが、それぞれに長所と短所があって「帯に短し、たすきに長し」で完璧無欠なアンプなんて無いことを常に思い知らされている。

まあ、そもそも単独のオーディオ機器に100点を求めるのは「世間知らずのおバカさん」でしょうよ(笑)。

たとえば、50点同士のアンプとスピーカー同士を組み合わせても相性が良かったら80点以上に変身したりするから、結局は組み合わせ次第でどのようにも変身する。

つまり、オーディオ機器の性能は「組み合わせの妙」に尽きるので、常に相対性を意識する必要があり、我が家では勝手にこれを「オーディオの相対性原理」と呼称している。

話のついでに我が家の4系統のシステムの自己採点をしてみよう。

1 AXIOM80(最初期版)は90点

我が家の羅針盤的なスピーカーだが、ワーグナーやマーラーなど大規模編成の音楽には向かないのが実に惜しい。こればかりは、どんなに相性のいいアンプを持ってきても無い物ねだりというものだろう。

ただし、ユニットを容れる箱の工夫次第では何とかなりそうな気もするところ。

1.5センチくらいの薄い板厚の大きな箱(ARU付き)をつくって、うまく箱を共振させる手があるが、いずれチャレンジしてみたい気もする。それだけの値打ちのあるスピーカーである。

2 3ウェイチャンデバで鳴らすウェストミンスター(改)は85点

低音、中音、高音の各帯域のアンプと各SPユニットの両方の組み合わせにはまだ見直す余地があって、もっと良くなりそうな気がする。

3 「トライアクショム」は75点

つい先日(2日)、大分からオーディオ仲間が2名お見えになったので我が家のシステムを聴いていただいた。それぞれ「アルテックA5」と「オートグラフ」を愛用されている方々である。

聴いていただいた順番は2、3だったが2は大好評だったし、3もそこそこだったので「次はAXIOM80を聴いてみましょうかね」と、入れ替えたところあまりの落差に愕然としてしまった。

「こじんまりとした音の世界では」という注釈付きの話になるが、どんなに創意工夫を凝らしてみても結局「AXIOM80」には敵わないことが判明した。まったく次元が違う音といっていい。

したがって、トライアクショムの3ウェイへの改造は所詮は無駄な抵抗だと悟ったのでお客さんがお帰りになった後で「即解体」の運びとなりました(笑)。

4 JBL「LE8T」は70点

前述の3強に押されてなかなか出番が回ってこないが、口径20センチならではの音のスピード感を楽しめるスピーカーだ。日頃イギリス系の思慮深い音に囲まれる中で気分転換を図るにはもってこいだろう。

と、ここまで書いたところで、前回のブログの末尾にある「小鳥の名前」談義に付随して関東地方の熱烈な「AXIOM80」愛好家の方からとても興味深い示唆をいただいた。

近々、記事にしますのでどうかお愉しみに〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c53

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
114. 中川隆[-13970] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:17:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-644]

「オーディオの相対性原理」とは
「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb


現在9台のアンプがあるが、1台は外部に発注して改良中、3台はウェストミンスター(改)用として固定しているので残りは5台となる。

この5台を毎日の朝起きぬけに1台づつ取り換えてその日1日中聴くことにしている。

なにしろ機械ものなのでときどき通電してやらないと調子がおかしくなる。

つい最近の5日間の例を挙げてみると次のとおり。

すべてのアンプのタイトルには「出力管」名を冠している

月曜日 「171A」(前段管:AC/HL)シングルアンプ

火曜日 「300B」シングルアンプ

水曜日 「171Aプッシュプル」アンプ

木曜日 「171A」(前段管:A411)シングルアンプ

金曜日 「6098」シングルアンプ

いずれ劣らぬ個性派ぞろいだが、それぞれに長所と短所があって「帯に短し、たすきに長し」で完璧無欠なアンプなんて無いことを常に思い知らされている。

まあ、そもそも単独のオーディオ機器に100点を求めるのは「世間知らずのおバカさん」でしょうよ(笑)。

たとえば、50点同士のアンプとスピーカー同士を組み合わせても相性が良かったら80点以上に変身したりするから、結局は組み合わせ次第でどのようにも変身する。

つまり、オーディオ機器の性能は「組み合わせの妙」に尽きるので、常に相対性を意識する必要があり、我が家では勝手にこれを「オーディオの相対性原理」と呼称している。

話のついでに我が家の4系統のシステムの自己採点をしてみよう。

1 AXIOM80(最初期版)は90点

我が家の羅針盤的なスピーカーだが、ワーグナーやマーラーなど大規模編成の音楽には向かないのが実に惜しい。こればかりは、どんなに相性のいいアンプを持ってきても無い物ねだりというものだろう。

ただし、ユニットを容れる箱の工夫次第では何とかなりそうな気もするところ。

1.5センチくらいの薄い板厚の大きな箱(ARU付き)をつくって、うまく箱を共振させる手があるが、いずれチャレンジしてみたい気もする。それだけの値打ちのあるスピーカーである。

2 3ウェイチャンデバで鳴らすウェストミンスター(改)は85点

低音、中音、高音の各帯域のアンプと各SPユニットの両方の組み合わせにはまだ見直す余地があって、もっと良くなりそうな気がする。

3 「トライアクショム」は75点

つい先日(2日)、大分からオーディオ仲間が2名お見えになったので我が家のシステムを聴いていただいた。それぞれ「アルテックA5」と「オートグラフ」を愛用されている方々である。

聴いていただいた順番は2、3だったが2は大好評だったし、3もそこそこだったので「次はAXIOM80を聴いてみましょうかね」と、入れ替えたところあまりの落差に愕然としてしまった。

「こじんまりとした音の世界では」という注釈付きの話になるが、どんなに創意工夫を凝らしてみても結局「AXIOM80」には敵わないことが判明した。まったく次元が違う音といっていい。

したがって、トライアクショムの3ウェイへの改造は所詮は無駄な抵抗だと悟ったのでお客さんがお帰りになった後で「即解体」の運びとなりました(笑)。

4 JBL「LE8T」は70点

前述の3強に押されてなかなか出番が回ってこないが、口径20センチならではの音のスピード感を楽しめるスピーカーだ。日頃イギリス系の思慮深い音に囲まれる中で気分転換を図るにはもってこいだろう。

と、ここまで書いたところで、前回のブログの末尾にある「小鳥の名前」談義に付随して関東地方の熱烈な「AXIOM80」愛好家の方からとても興味深い示唆をいただいた。

近々、記事にしますのでどうかお愉しみに〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c114

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
10. 中川隆[-13969] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:19:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-643]

「オーディオの相対性原理」とは
「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb


現在9台のアンプがあるが、1台は外部に発注して改良中、3台はウェストミンスター(改)用として固定しているので残りは5台となる。

この5台を毎日の朝起きぬけに1台づつ取り換えてその日1日中聴くことにしている。

なにしろ機械ものなのでときどき通電してやらないと調子がおかしくなる。

つい最近の5日間の例を挙げてみると次のとおり。

すべてのアンプのタイトルには「出力管」名を冠している

月曜日 「171A」(前段管:AC/HL)シングルアンプ

火曜日 「300B」シングルアンプ

水曜日 「171Aプッシュプル」アンプ

木曜日 「171A」(前段管:A411)シングルアンプ

金曜日 「6098」シングルアンプ

いずれ劣らぬ個性派ぞろいだが、それぞれに長所と短所があって「帯に短し、たすきに長し」で完璧無欠なアンプなんて無いことを常に思い知らされている。

まあ、そもそも単独のオーディオ機器に100点を求めるのは「世間知らずのおバカさん」でしょうよ(笑)。

たとえば、50点同士のアンプとスピーカー同士を組み合わせても相性が良かったら80点以上に変身したりするから、結局は組み合わせ次第でどのようにも変身する。

つまり、オーディオ機器の性能は「組み合わせの妙」に尽きるので、常に相対性を意識する必要があり、我が家では勝手にこれを「オーディオの相対性原理」と呼称している。

話のついでに我が家の4系統のシステムの自己採点をしてみよう。

1 AXIOM80(最初期版)は90点

我が家の羅針盤的なスピーカーだが、ワーグナーやマーラーなど大規模編成の音楽には向かないのが実に惜しい。こればかりは、どんなに相性のいいアンプを持ってきても無い物ねだりというものだろう。

ただし、ユニットを容れる箱の工夫次第では何とかなりそうな気もするところ。

1.5センチくらいの薄い板厚の大きな箱(ARU付き)をつくって、うまく箱を共振させる手があるが、いずれチャレンジしてみたい気もする。それだけの値打ちのあるスピーカーである。

2 3ウェイチャンデバで鳴らすウェストミンスター(改)は85点

低音、中音、高音の各帯域のアンプと各SPユニットの両方の組み合わせにはまだ見直す余地があって、もっと良くなりそうな気がする。

3 「トライアクショム」は75点

つい先日(2日)、大分からオーディオ仲間が2名お見えになったので我が家のシステムを聴いていただいた。それぞれ「アルテックA5」と「オートグラフ」を愛用されている方々である。

聴いていただいた順番は2、3だったが2は大好評だったし、3もそこそこだったので「次はAXIOM80を聴いてみましょうかね」と、入れ替えたところあまりの落差に愕然としてしまった。

「こじんまりとした音の世界では」という注釈付きの話になるが、どんなに創意工夫を凝らしてみても結局「AXIOM80」には敵わないことが判明した。まったく次元が違う音といっていい。

したがって、トライアクショムの3ウェイへの改造は所詮は無駄な抵抗だと悟ったのでお客さんがお帰りになった後で「即解体」の運びとなりました(笑)。

4 JBL「LE8T」は70点

前述の3強に押されてなかなか出番が回ってこないが、口径20センチならではの音のスピード感を楽しめるスピーカーだ。日頃イギリス系の思慮深い音に囲まれる中で気分転換を図るにはもってこいだろう。

と、ここまで書いたところで、前回のブログの末尾にある「小鳥の名前」談義に付随して関東地方の熱烈な「AXIOM80」愛好家の方からとても興味深い示唆をいただいた。

近々、記事にしますのでどうかお愉しみに〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c10

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
4. 中川隆[-13968] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:26:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-642]


GRFのある部屋 ユニコーン ユニット交換の頃 1 2020年 02月 06日
https://tannoy.exblog.jp/31044282/

今回のGerman Physiks News Letter 向けのUNICORNの写真を集めている時に、なぜ、初期のユニコーンを再生産してもらったか、その輸入時のいろいろなエピソードを思い出しました。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_13453352.jpg


はじめてユニコーンに邂逅したのが2007年の初夏。UNICORNさんのお宅でした。初期型のユニコーンは、2004年に製造をやめましたが、UNICORNさんは、ギリギリに特注で作っていただいたそうです。その時のモデルは、カーボン使用のキャビネット同様な、初期モデルの肩が落ちている形や、スカートの部分の形状がすっきりとされて、作りにくい特殊形状から、音を変えずに作りやすい形にと進化していたそうです。外見はすっきりとしましたが、内部は同じ構造です。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_13433067.png


UNICORNさんのお宅ですっかり魅了された私は、真剣に探し始めたのです。一年後、名古屋のサウンドピットさんが以前売られたユニコーンが引き取られてきたのです。2008年の5月の末に家に来たときにはすでに10年以上経っていて、二回ほど持ち主が変わっていました。小さなお子さんのいるご家庭で使われたこともあり、ただでさえ薄くてもろいチタンのユニットは、触られて凹みがありました。ですから、ある程度使用したらユニットを新品に交換をするという前提で、とても安くしていただいたのです。大山さんに相談したら、使われているバールの模様の木は、条約で在庫で持っている会社しかつかえなくなるので、ぜひ、手に入れろとの話でした。しかし、そのへこみ自身は、余り音に関係なく、その切れ味と分解能が高いスピーカーはお気に入りでした。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_14082798.jpg


この木目の話には後日談があります。北海道のある地方都市で全国の木材組合の集まりがあるのに遭遇しました。席が一杯なので、その組合の会長と同席することになりました。盛り上がったあとお互いの仕事の話をしたところ、銘木の木目を扱っている組合だと言うことがわかりました。そこで、私のUNICORNの写真を見せたら、これはすごい!もう日本では手に入らないから大事にしなさいといわれました。その後同じ木目を見たのは、マカオの高級カジノの廊下でした。いかにも豪華な造りで、嬉しかったです。


ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_16493576.jpg


2008年に家に持ち込まれたとき、大きな部屋でならしていたときは、低音は十分で浪々としたホールトーンも聞こえていました。それが、徐々に低音が聞こえなくなり、2012年の寒い二月にUNICORNさんに来ていただいた時は、何か変だと気がつきました。


メガホン形状のチタンの振動板を支えるエッジは、その頃になると材質の硬化が始まり、当初から円錐形のコーンにフィットするように切れ込みが入っていたエッジにひび割れが始まり、バックロードホーンのロード(負荷)が掛かると、その音圧に負けて空気が漏れロードが掛からなくなってきたのです。問題は、代理店も無いドイツの会社にどのように連絡を取るかの問題でした。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_14243134.jpg


悩んでいたところ、初期のユニコーンのオーナーで、友の会の会長をお願いしているAさんの主催する、ホワイトアスパラガスの会でこのユニコーンを輸入した商社の人と会い、直接連絡する方法を教えていただきました。それから、一月後、新品のユニットが交換用に送られてきました。14年間の進歩は大きく、そのエッジの形状ばかりでは無く、マグネットも強化され、新しい音へと進化していました。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_14532818.jpg

エッジの部分の形状が全く違いますね。それによりしっかりとしたバックロードが掛かるようになりました。また、カーボンの開発を通じて、マグネットの強化も図られ、その効果も大きいと思いました。この初期型の頃に比べて、四回ものユニットの改良が行われたそうです。その生まれ変わった音は従来までの高域重視の音では無く、低域まで豊かな音を聞かせてくれます。50Hzぐらいまでしかな理論上もならないのですが、倍音成分が位相差無くなるので、遙か下まで鳴っているような充実した低音が鳴るのです。キャビネットの中にウーファーが隠れているとのではとスカートの下からのぞき込もうとした人も何人かいたぐらいです(爆)。


そう、ユニコーンは、一本のスピーカーだけがなっているシングルスピーカーなのです。低音はバックロードを通って聞こえてきますから、若干の遅れはあるのですが、200Hz以上は、上のDDDドライバーだけでなります。そのため、位相特性が良く、音はチタンドライバーから聞こえずに、キャビネット中央あたりからなるのです。それも、中にウーファーが隠れていると思われた理由ですね。不思議です。

https://tannoy.exblog.jp/31044282/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c4

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
13. 中川隆[-13967] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:53:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-641]
@森さらしな
>レーニンもトロツキーもグローバリストでしたよ

グローバリストじゃないですね。
反共連合の経済弾圧・軍事弾圧に対抗する為には共産国家が連帯しないといけないというだけでしょう。
キューバや北朝鮮みたいに経済封鎖されたら一国ではやっていけないですからね。

ソ連のバルト海三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、中南米みたいな一応 自治や民主選挙を認めた支配ではなく、完全属国化・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の場合はグローバリズム支配ではなく民族消滅政策になるのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c13

[番外地7] 赤字黒字議論のバカバカしさ 中川隆
1. 中川隆[-13966] koaQ7Jey 2020年2月07日 10:02:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-640]
赤字黒字議論のバカバカしさ
お金くらい日銀が何十兆円でもすぐに発行できるというのを知らない人が多いですね。
どんな新しい事業や計画にも「採算が得られない」「赤字になる」と言って反対する人達がいる。一見正しそうに聞こえるこの理論だが、彼らの生活は丸ごと「赤字事業」で成り立っている。インフラ的なこと、道路や橋や鉄道や水道、信号機や公営駐輪場にいたるまで、大半が赤字事業です。


電気、ガス、インターネット、無線サービス、テレビ、ラジオのような物も、最初は赤字だった。

日本初のラジオもテレビも「国営放送局」NHKが強制的に金をぶんどったり税金で事業を始めている。

赤字・黒字理論に従えば、今日本にこれらのサービスは無く、全ての家でまだ汲み取りトイレの筈です。

新幹線については戦前、弾丸鉄道を作る計画があったが、そんなものは無駄だといって軍事予算の方に回しました。
戦後、同じ計画を新幹線と名前を変えて事業化しようとしたら、「そんな物に誰が乗るのかね?」と多くの人が反対した。

新幹線は現在儲かっているが、それは結果論でしかなく、採算度外視の赤字事業として始められました。


当時日本は第二次大戦で中止になった東京オリンピックをやり直す事になり、新生日本の国際デビューと考えていた。

世界を驚かせるような何かが欲しいという理由で、赤字の予定で建設したら、思いがけず儲かったので政府は驚いた。

インターネットは「利用者がいない」という理由で欧米より数年間遅れ、日本は致命的な遅れを取りました。


「日本に高速道路は不用」と言った専門家たち

始めなければ利用者が居ないのは当たり前で、あまりにも馬鹿げているが、当時は合理的判断だと支持された。

「インターネットなんか赤字になるから必要ない」という訳です。

一見正しそうな採算性重視が、実は一番非合理的で、採算性を悪化させているのです。


それは創造的な事業を作れない、新しい分野を開拓出来ないからです。

日本の高速道路は東京オリンピックの為、国家の威信とか見てくれを良くする為だけに作りました。

「オリンピックを開くのに高速道路が無いのはみっともない」という理由であって、必要だから作ったのではありません。


むしろ「国産車に時速100キロ出せる車が無いのに、高速道路建設は無駄な事業」という声が大きかった。

これは事実であり1959年に開催決定したとき、舗装道路があまりなく、国産車は砂利道を走る前提で設計されていた。

これではいけないと奮い立ったのが本田宗一郎で、日本初の本格サーキット「鈴鹿サーキット」を建設した。


首都高速そのものも鈴鹿サーキットを真似して舗装工事が行われ、「時速100キロ」を目指して第一回日本グランプリが開催された。

出場したのが後にスカイラインGTRに進化するプリンス自動車やトヨタ、日産といったメーカーだった。

日本武道館などの日本初の大型屋内競技場や、本格ホテルなども「必要が無かったのに」次々に建設された。
東京五輪が終わったら1万人も観客が集まるスポーツなんか、在る筈がないとされていました。

世界一無駄な事業「アポロ計画」

オリンピックが開催されたのは僅か2週間ほどで、大会が終わるとこれら全てが無駄な建造物になった。

だが話はここから始まり、「需要がなかったのに施設を建設したら需要が生まれた」のでした。

東京と大阪を日帰りしたい人なんか1人も居なかったが、新幹線を建設したから需要が生まれた。


自動車で時速100キロを出せる車は日本に存在しなかったが、高速道路を建設したら需要が生まれました。

テレビ放送も始めてみたら「テレビを見たい人」が生まれ、インターネットを始めたらネット需要が生まれました。

世の中は全てこういう事であり、日本初の鉄道も「誰も乗りたくないのに」作ったら需要が生まれたのです。


「需要がないからやらない」という意見が最も不合理で、最も採算を悪化させるとはこの事です。

「赤字黒字論者」が国の権力を握ると、新しい事業を何もしなくなり、ジワジワと経済力が低下していきます。

彼らが好むのは「既に需要がある事業」言い換えると将来性がまったくない、終わった事業だけだからです。


1961年にケネディ大統領は「10年以内に月に人を送る」と言って1969年に実現させました。

10年間で254億ドル(9.1兆円)かかり、日本の国家予算3.4兆円の3倍近くになりました。

世紀の馬鹿な計画といわれ「万里の長城、ピラミッド、アポロ計画」と世界の3つの無駄なものに数えられた。

需要はいつも後から生まれる

だがこの頃日本も負けておらず、東京オリンピックだけで国家予算の3分の1を投入し「破産するか勝利か」という賭けをやっていた。

結局アメリカは一時財政悪化で苦しんだが、アポロ計画のお陰で現在はIT大国、宇宙先進国となっている。

日本が東京オリンピックで投じた金も、施設が運用され経済が発展した事で、その後経済大国と呼ばれるきっかけを作った。


「赤字・黒字・採算」だけ考える人にはこういう事ができないので、結局かえって国を衰退させるのです。

北海道新幹線を巡ってまた間抜けな評論家や経済学者が「赤字だ黒字だ」と騒いだが、これも同じです。

北海道に新幹線を作ったら需要が出来るので、国家予算で網走までフル規格で作ってしまえば良いのです。


財務省が反対したら財務官僚を網走刑務所にぶち込んで見世物にすれば良い。

中途半端に作るから中途半端な需要しか生まれず、事業としても中途半歩なのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/473.html#c1

[近代史3] シューベルト 『軍隊行進曲』 中川隆
1. 中川隆[-13965] koaQ7Jey 2020年2月07日 10:13:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-639]

メンゲルベルク

Franz Schubert : Marches Military (Willem Mengelberg 1942)







Conductor: Willem Mengelberg
Orchestra: Royal Concertgebouw Orchestra
Recorded in 1942

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html#c1
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
9. 中川隆[-13964] koaQ7Jey 2020年2月07日 10:53:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-638]

メンゲルベルク

Schubert: Symphony No.9 The Great D.944 / Mengelberg Concertgebouw Orchestra (1940 Live)





Willem Mengelberg
Concertgebouw Orchestra
1940.10.3 Live


ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
PHILIPS。1940年12月19日ライヴ。同日演奏の「未完成」とカップリング。
アセテート盤録音のため断続的ノイズがある。
2013年にDECCAから旧PHILIPS発売音源15枚組BOXが出た(写真)。よってPHILIPS盤は譲渡した。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm


▲△▽▼

Willem Mengelberg (1871 - 1951): Schubert: Symphony No. 9 in C major "La Grande" (R.1942)







Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Willem mengelberg, conductor.
1942年11月録音


ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
Biddulph。WHL 039。1943年6月16日録音テレフンケンSPの復刻。
表情づけをとことんやりつくしている。予想に違わず第2楽章がその頂点である。「レコード芸術」誌の輸入盤紹介欄でも絶賛されていたので早速入手した。
上のライヴよりもさらに名演である。音質も大変よい。
翌日録音の「未完成」とカップリング。
TAHRA TAH231 で同じ演奏が復刻されている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c9
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
10. 中川隆[-13963] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:01:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-637]

クレメンス・クラウス

SCHUBERT: Symphony No. 9 in C major D. 944 "The Great" / Krauss · Wiener Symphoniker







Clemens Krauss (conductor)
Wiener Symphoniker
1951/03/02 Mono, Wien


クレメンス・クラウス指揮ウィーン交響楽団
TELDEC。1951年3月2日録音。

結構鮮明な音質で「粋な」演奏が聴ける。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c10
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
11. 中川隆[-13962] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:30:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-636]

カール・シューリヒト


Schubert: Symphony No. 8(9) `The Great`, Schuricht & SGRso (1960)


Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
South German Radio Symphony Orchestra (Stuttgart Radio Symphony Orchestra)

Rec. September 1960, in Stuttgart

カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
コンサート・ホール・ソサエティ。1960年9月。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm


カール・シューリヒト指揮南ドイツ放送響(1960年録音/Scribendum盤) 

原盤がコンサートホールなので、音質が余り優れません。特にフォルテで音が割れ気味です。演奏解釈は1956年ライブと同じですが、加えてスタジオセッションらしいきめ細かさを感じます。特に後半の2楽章は単調になりがちなこの曲を、リズムを生かした名人芸で味わい深く乗り切っています。音質さえ良ければ、ランクがぐっと上がる、素晴らしい演奏だと思います。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/cat49966071/index.html

▲△▽▼

Symphony No. 9 in C Major, D. 944 "Great":









Conductor: Carl Schuricht
Orchestra: Stuttgart Radio Symphony Orchestra
Composer: Franz Schubert

カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
アルヒフォン。1956年3月20日ライヴ。
しかし、放送用のライヴと思われ、結構録音も良い。
演奏もシューリヒトらしい端正さがよく出ている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送響(1956年録音/archiphon盤) 

シューリヒトの「未完成」はオケがウイーン・フィルということもあって、儚い夢のような演奏でしたが、「グレート」の場合には古典的な造形性が非常に良く出ています。幾らか速めのテンポできりりと進むオーソドックスな演奏ですが、この人特有の”閃き”は有りません。放送局のライブでモノラル録音ですが、非常にしっかりした音で、後述の1960年ステレオ盤よりも優れていると思います。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/cat49966071/index.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c11
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
12. 中川隆[-13961] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:39:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-635]
シューベルト 交響曲第8(9)番ハ長調D.944「ザ・グレート」 名盤: ハルくんの音楽日記
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤)



冒頭から、歌い方の柔らかさに魅了されます。オケの響きの薄さも、必要以上にカロリー過多にならずに好ましく思えます。ゆったりとした落ち着きと推進力のバランスも自分には丁度良く感じられます。

スタジオ録音なので楽器の分離は良いですが、金管を常に抑え目に吹かせて、弦と溶け合わせるのはウイーン・スタイルでしょう。曲のどの部分をとっても表情に意味が有るので、この長い曲を少しも飽きさせません。特筆すべきは3楽章の中間部で、これほど浮遊感を感じさせる演奏は有りません。さすがに終楽章では音の薄さがマイナスに思えないことも有りませんが、騒々しいよりは好ましいので、これで充分満足です。




この曲の演奏においては、余りに感情移入が激しいものは好みません。
例えばフルトヴェングラーが第二次大戦中に指揮した壮絶な演奏が有りますが、個人的には余り好んでいません。

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤(グラモフォン)もクナ・ファン曰く「片手で地球をひっくり返したような凄演」として大変に人気が有りますが、僕は違和感を感じます。

期待して聴いたクレメンス・クラウス/ウイーン交響楽団(テルデック)の演奏もさほど良い印象が残っていません。

フランツ・コンヴィチュニーが珍しくチェコ・フィルを指揮した演奏(スプラフォン)は、金管のド迫力が自分には論外でした。

イシュトヴァン・ケルテス/ウイーン・フィル(DECCA)、それにウイーン子のヨーゼフ・クリップス/ロンドン響(DECCA)も、さほど良い印象が有りません。
そうしてみると、好むのは結局のところワルターとベームの二人に絞られます。
特にワルターの演奏は奇跡的な素晴らしさだと思います。

ウイーン、ベルリン、ドレスデンと世界に冠たる名楽団を三つ指揮したベームが、アメリカのセッション・オーケストラを指揮したワルターに敵わないのですから、これは驚くべきことです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c12
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
4. 中川隆[-13960] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:47:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-634]
2020/2/6 21:31 投稿者:777


中国発新型コロナウイルスは2月5日に中国国内で2万8018人で前日から3694人増え、死者563人になりました。

前日からの増加率は約18%で依然として感染者の増加が続いている。

中国政府発表の感染者数は2万4,324人(2月5日)のうち武漢市は8351人、周辺を合わせても約1万人程度です。


湖北省の合計でも1万6678人、なぜ発表される感染者数がこんなに少ないのかは、現場からの証言が説明している。

武漢では最近2000人収容の仮設病院が建設されたが、従来からある病院と合わせても5000人に満たない。

1日に診察できる患者数は1月末の段階では2000人程度だった筈で、多くの来院者は門前払いされた。


市内にはまともな病院が4つしかなかったが、すべて断られた人もかなり居た。

新型ウイルスの検査キットが不足していて、仮に診察されても医師は検査できなかった。

入院できるのは重傷者のみとされ、90%以上の希望者が入院を拒否された。


このため一家全員が症状を訴えているのに放置されるなどし、感染者にカウントされていない。

中国政府にとっては「検査しなければ感染者ではない」という好都合な状況で、検査や治療をすると感染者数が増えてしまう。

幸い新型コロナウイルスの致死率は感染者の千人に1人程度で、しかも高齢者が大半なので亡くなっても別な病名に「付け替える」事が可能です。

治療しなければ「感染者」は増えないのでわざと放置している
治療したらその人は感染者になり、感染者数が増えて医療機関の落ち度になる

共産主義の論理「感染したと認めなければ感染者ではない」

このへ理屈は中国全土にも適用され、熱を訴えても病院で検査を受けられるのは希望者の1割未満しかいない。

病院の絶対数が不足しているのと、医療の未整備が主な原因で、病院で検査を受けなければ感染者にカウントされません。

中国政府にしてみれば放っておいた方が「感染者」が増えず、下手に検査したら10倍や100倍に増えかねない。

高齢者や深刻な持病持ちの人は、ウイルスに感染しなくても亡くなっていたかも知れず、死因は心不全とか適当に作れる。


中国はこうした偽装を行って感染者数を少なく見せるのに成功しているが、これが新型ウイルスの流行を招いた。

2020/2/6 10:57

投稿者:777


日本人も中国人もまともな人間は少ないし、まともな人間であっても一時的に異常な言動をする:

「徳島コロナ上陸しました」 新型肺炎、徳島市の医師が誤情報拡散 
2020/2/6 05:05 (JST)
©一般社団法人徳島新聞社

徳島県庁

 新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大に不安が高まる中、徳島県内で感染者が出たとの誤情報を徳島市の女性医師が会員制交流サイト(SNS)に投稿した。既に拡散されており、県は冷静な対応を呼び掛けている。

 医師は4日午後、フェイスブックに

「徳島コロナ上陸しました」
「犯人は中国人夫婦だそうで」
「ばらまかれてます」

などと書き込んだ。

 4日中に削除されたものの、投稿内容への不安や発信元に対する疑念の声がネット上に拡散。県立中央病院などの医療機関や県に問い合わせが相次いだ。

 県感染症・疾病対策室によると、感染疑い例を含め県内で感染者は確認されていない。

 阿南市の50代の自営業男性は「社会を混乱させたかったのだろうか。医療従事者の行為とは。考えられない」と憤った。投稿内容を知人に連絡したという女性は「もっと冷静に情報収集すればよかった」とした。

 医師の夫は謝罪した上で「妻は(難病の)潰瘍性大腸炎やインフルエンザを患っている。病気のせいでこんな行為に及んだのではないか」と話した。

2020/2/5 16:01 投稿者:777


中国はこういう事情なのでもう終息は無いでしょう:

現在中国では新型ウイルスで病院がパンク状態だが、実は以前からパンクしていた。

北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている。

番号を買っても診察時間は3分以内で、医者にも賄賂を取られ、高額な薬を売りつけられています。

中国の医療保険制度は自治体ごとに分かれていて、職業別にも適用範囲が分かれています。

北京のように人口が多く発展している都市で、公務員をしているなら充実した医療を低価格で受ける事ができます。

ただし保険が適用される病院はほとんど存在せず、病院の受付は常に大渋滞が起きています。

一般人民が病院に受診するには、何週間も前から申し込んで順番待ちをする事になります。

しかも「受付番号」を貰う為に、まず何日も座り込んで順番を待つ状況で、数日泊り込んでやっと1ヵ月後の順番を貰えるのです。

だが診察時間は1分から3分という所で、話も聞かずに薬を出して終わりだったという。

医者はなるべく高額な薬を売って金儲けし、患者からも賄賂を受け取っています。

賄賂は病院のあらゆる場所で横行し、窓口の係が受け付け番号を出すのも、賄賂が多い順番です。

そもそも受け付け番号自体も、300元(約5,400円)で買わなければならないようです。

これが正規の料金なのかは分からないが、恐らく窓口係が患者全員から強制的に賄賂を取っているのでしょう。


中国人13億人の平均所得は80万円で、北京は高いがこの2倍程度なので、受付番号に5400円は法外です。

しかも日本で言う健康保険を適用されるのは公務員や大企業など上級市民だけで、貧しい人ほど医療費が高額負担です。


2020/2/5 11:18 投稿者:777

現時点で死者4500人程度だというのが定説ですけどね:

268【怒れるスリーメン】加藤×高橋×渡邉
https://www.youtube.com/watch?v=fyp_seC67rg
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c4

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
5. 中川隆[-13959] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:50:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-633]
2020/2/4 1:07 投稿者:777


厚労省

世界でデマが広がっていて、「青森県で感染者が出た」という内容のSNSが投稿されたが、実際は青森で感染者は出ていない。

また厚労省によると、ネット上に「入院中の重症者が抜け出して観光地でウイルスを撒き散らしている」などといった間違った情報が拡散された。

しかし、厚労省は正式に事実ではないと述べていて、「正しい情報に基づいて冷製に行動をしてほしい」と呼びかけている。

海外でも、1月29日にSNSに「中国でたくさんの人が死んでいる」とインドネシア語で投稿されたが、使われていた写真は2014年にドイツの「アートプレジェクト」で使われた写真だった。

今回のウイルスの特徴を紹介。国立感染症研究所によると、インフルエンザは感染者1人から約2人に感染し、致死率は0.1%以下。SARSの感染力は2人〜5人となり、致死率は約10%。新型コロナウイルスの感染力は、1.4人〜2.5人に感染し、致死率は約2%。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c5

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
6. 中川隆[-13958] koaQ7Jey 2020年2月07日 12:13:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-632]
2020.02.07
国内で既に散発流行の可能性 新型コロナウイルス 進化中なのか
https://golden-tamatama.com/blog-entry-corona-virus-evolving.html


ヒャッハー!
さて、今日も元気に逝ってみよう。
死亡者635名になりますた。
昨日は564名だったのになぁ。感染者数は3万越え。
こりゃ1000人超えは時間の問題ですね。
日本は45人になりますたとさ。

内訳はこんな感じ。神奈川多いですね。
これはクルーズ船のためということでしょうか。

やめて欲しいな〜もう。
今日、新たに41名?

ってことは、昨日の45人+41人=86人。
いっきに増えますたね。
以下、日本感染症学会が既に国内で散発流行してる可能性があると言い始めました。
新型肺炎、既に国内で散発流行も
学会が見解「正しく恐れて」
2020/2/6 21:15 (JST)2/6 21:30 (JST)updated
日本感染症学会などは6日、新型コロナウイルスによる感染症について、政府が入国を禁止する前に中国湖北省武漢市から多くの人が日本に来たことを考えると「既に国内にウイルスが入り込み街の中で散発的な流行が起きていてもおかしくない」との見解をまとめた。
一方で、感染した人の経過を分析した結果「ウイルスの感染性や病原性はインフルエンザ相当か、やや強い程度と推察される」としている。
学会の舘田一博理事長は「新しい病原体なので油断は許されないが、パニックにならないよう、正しく恐れることが大切だ」と話した。
そう正しく恐れる。
またまた大げさな〜
今回も大したことないでしょ。
またいつものように収束するでしょう。
インフルの方が被害大きいでしょ。
そう思いたい気持ちも分かりますが。
それは完全に正常性バイアスです。
ワタスの大阪の知り合いからもこのような情報来てます。
その人の旦那さんが日本料理店で働いいる。
そこには中国人のアルバイトも何人かいる。
去年の年末にアルバイト達は中国帰国した。
昨日、旦那が帰宅したら真っ青な顔で熱を測ると42度だった。
インフルエンザか新型肺炎や〜
と大阪弁で心配しておりますた。
ワタスは地味に徐々に広がってるのでは?
と思ってます。
以下はシェアされて来た中国現地からの生の声のようですた。
コロナウイルスまとめ (2月6日現在)
こんにちは、ふーみんと申します。
中国で感染被害が拡大しているコロナウイルスについて、
少しでも現状や対策をお伝えできればと思います。
私の妻(中国人)の故郷が武漢から近く、ウイルスの被害拡大を大変心配しています。
妻の親戚からも感染者が出てしまい、
一緒に食卓を囲んでいた妻の両親、兄弟、親族は自宅から外出禁止になっています。
それに加えて、家族の住む場所や故郷が次々と封鎖されており、
街や自宅から一切身動きの取れない状況です。
助けようにも封鎖されていて双方手出しできない状況です。
中国政府の対応を見守って進捗を待つことしかできません。
ウイルス自体は致死力の高い恐ろしいものではないですが、
自覚症状がないまま感染が拡大していることが本当に怖いことだと思います。
症状が出ていない潜伏期間中にも他人に感染させている可能性が非常に高いです。
病院は患者でパンクしていて、治療を受けられない人も大勢います。
少しでも現状把握、予防のきっかけになれれば幸いです。
【 現状 】
・湖北省では街の封鎖が相次ぎ、人の出入りができない。
・必要以上の外出禁止。街に軍隊が入っていて勝手な外出は逮捕される。
・買物は2日に1回、家族で代表者1人のみ
・マスクを着用していないと入店禁止
・出社禁止にしている会社も多く、リモートワークで仕事をしている。
・感染の疑いがある人は報告の義務あり。感染を隠していると犯罪なので逮捕される。
・中国政府の備蓄倉庫から食料を供給し、食品価格の高騰を抑えている。
・感染者が死亡したら火葬するが、家族には事後報告。対応に追われている場合、国の対応が最優先のため火葬後に結果報告される。
・医者や病院のベッド不足による門前払いで、やむなく自宅の別室で隔離されている人もいる。
・欧米での差別問題。アジア人、マスクをしている人は避けられる。
・小中高の学校は春節休みの延長。大学はオンラインで授業開始予定。
・死者よりも完治人数が多いが、油断はできない。ウイルスが変異する可能性もある。
・潜伏期間中の人数が含まれておらず、実際の感染者は氷山の一角。無自覚のまま自分が感染源となって感染を拡大させる恐れがある。
・感染してから症状が現れるまでの期間は3〜14日。
・マスクが必要な家庭はネット予約、入手可能になった。
【 懸念 】
・拡散スピードが早い。
(春節前、中国本土中心の玄関口で発生。最悪の場所とタイミング)
・潜伏期間中にも感染するため、無自覚のまま感染が拡大している。
・自分が重症化しなくても、感染源となって周囲を巻き込む加害者になる恐れがある。
・中国人に次いで日本人の感染者が多い。
・ウイルスの変異
【 症状 】
発熱(37.5℃以上)
喉の痛み
咳や痰
胸部不快感
呼吸困難、息切れ
下痢
吐き気
頭痛
全身倦怠感
※症状がほとんどないケースもある。
【 重症化しやすい人 】
高齢者(60歳以上〜)
持病のある人
免疫力が低い人
【 予防 】
人混みに近付かない
不必要な外出を控える
接触感染に注意する(外出先で目や口に触れない)
手洗い
マスク
うがい
ゴーグル
使い捨て手袋
よく触れるものを消毒する
ペーパータオルを使う
免疫力アップさせる。温熱療法など。
運動、睡眠をしっかりとる
中国では病院、医者が不足していて、
治療が受けられない人も大勢います。
日本では感染の疑いがあっても検査対象者しか検査して貰えていません。
今この瞬間にも日本の感染者が水面下で増えている可能性が高いです。
本当に怖いのはこれからだと懸念しています。
危機感は人それぞれですが、予防できることはやった方が良いと思います。
自分が感染源となって人を死なせる恐れもあるからです。
自分の為だけでなく、人の為にも予防をすべきだと考えます。
現在、死者564人、治療できた方は1266人です。
このまま終息に向かうことを願いますが、
万全対策をし、油断せずに気をつけてください!
当事者になるとウイルスの恐ろしさと予防の必要性を強く感じます。
あとから手遅れにならないよう、自分と家族の身を守ってほしいです。
ありがとうございました。
※シェア拡散希望
症状がない人が拡散させてる可能性が高い。
だから日本で既に水面下で広がってると見てます。
ちなみに先日、タイのHIV治療薬で治る情報。

その後、これはタイのメディカルニュースの記事ですが。
ウイルスが進化しているんでは?との情報を載せてます。
最近!初期の抗ウイルス薬に耐性を示すコロナウイルスは進化しているようだ
出典:Thailand Medical News2020年2月5日

武漢総合病院、上海パスツール研究所、湖北省ウイルス学研究所の中国人医師や研究者は、コロナウイルスが進化し、毒性が強くなってきていると懸念している。
武漢総合病院の医師の観察によると、初期の患者では一旦症状が現れると、病気が潜伏期に進むまでに時間がかかり、そこで患者は重症肺炎とARDS(急性呼吸器疾患症候群)を発症し、続いて腎臓または多臓器不全を発症した。
しかし、最近では進歩が早くなってきているようで、それが現在、深刻な状態にある患者が多くなっている理由です。
また、流行の初期段階では、武漢総合病院の医師は、多数のHIV抗ウイルス薬、さらにはインフルエンザ抗ウイルス薬やその併用を用いた検査を行った後、オピナビルやリトナビルなどの抗ウイルス薬とネブライザーを用いたα-インターフェロンを併用する独自の治療プロトコルを開発し、その治療プロトコルは患者のほとんどに有効であった。
しかしながら、その後、同じ治療プロトコルはもはや機能していないようであり、多くの患者は耐性が生じた徴候を示しており、一部は悪化してコロナウイルスがこれらの薬剤に対する抗ウイルス耐性を発現し始めたことを示している。
上海パスツール研究所iの研究者らは、すでにさまざまな研究が、コロナウイルスが患者の体内で、また人から人へと感染しながら進化していることを示していると警告している。
症状を示さない患者がコロナウイルスを伝播できるという事実は、何か憂慮すべきことを示している。
典型的には、このような呼吸器系ウイルスは、通常、くしゃみや鼻をかむことによって鼻汁が放出されるときに、微小な飛沫が露出する咳を介して口から、または鼻から伝播される。
もし患者が何の症状も示さなければ、可能な唯一の手段は感染者の呼気を介することであり、これはウイルスが極めて強力な空中病原体であることを意味する。
また、武漢総合病院で現在行われているさまざまな新薬の臨床試験でも、良好な結果は得られていない。
これまで観察されてきたのは、若年で基礎的な問題がない患者のみであり、強い免疫システムが、感染者や死亡者と比較して少数ではあるが、回復しつつある患者である。
さらに現在では、基礎疾患のない若年患者の多くが、コロナウイルスに感染した後に重篤な状態に進行し、中には死亡する患者もいることがわかっている。
新たに報告された死亡例の中には、湖北省で基礎疾患を伴わずにコロナウイルスにより死亡した27歳という若年患者もすでにいる。
一方、米国の他の地域の専門家は、このコロナウイルスの本当の可能性が理解されるまでには、少なくともあと15日から一ヶ月はかかるだろうと述べている。
当初は致命的で強力なウイルスだったが、後には死滅し、解読の有力な候補となったSARSウイルスとは異なり、今回発見された非常にマイルドなコロナウイルスは、やや扱いにくく、解明が難しい。

まぁ、どうだか分かりませんが。
ワタスの見たところ今の時点では楽観論に流されない方が良い。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-corona-virus-evolving.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c6

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 _ 従軍慰安婦は売春婦だった 中川隆
3. 中川隆[-13957] koaQ7Jey 2020年2月07日 14:10:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-631]
正論・チャンネル桜関係者の嘘 _ 従軍慰安婦は売春婦だった
日本軍の慰安婦は13, 14歳から仕事をさせられていた
一方、売春婦は18歳以上でないと認可が下りない
従って、慰安婦は売春婦ではない 未成年の少女に売春させたら、たとえ本人が承諾していても担当者は死刑相当の重罪だからね チャンネル桜や文春・産経関係者が慰安婦・南京大虐殺に関するデマを流し続けているので、純真な人は そういうのを安易に信じてしまうんだな : 1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。 日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、chousen における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。
この傾向は、kankoku を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。 http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090728170811
http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080628173338
「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。 安倍元首相の言うところの「狭義の強制性」の有無など全く重要ではない。 「慰安婦」と言う言葉自体が実態を表していないのだ。 要するに子供を騙して連れて来て、日本軍の建物に監禁してみんなでレイプしまくっただけ
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朝日新聞の慰安婦強制連行報道はすべて本当だった従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/419.html#c3
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
13. 中川隆[-13956] koaQ7Jey 2020年2月07日 14:54:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-630]



カール・シューリヒト



Schubert: Symphony No.8 in B minor, D.759 - "Unfinished" Schuricht Wiener Philharmoniker





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Wiener Philharmoniker
Carl Schuricht

カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1956年録音/IMG盤) 

この演奏はシューリヒトのファンにも滅多に取り上げられませんが、僕は素晴らしい演奏だと思っています。速いテンポで飄々と進み、フォルテもアタックも弱く軽く流しています。まるで霞のような印象なのですが、それが何とも儚さを感じさせます。2楽章も淡々として浮世離れした雰囲気ですが、儚さや寂寥感を他のどの演奏よりも感じてしまいます。

コメント
私がクラシック音楽を聴きはじめた頃(35年以上前・・・笑)は 交響曲第8番「未完成」でしたが・・・。やはり名曲です。儚く、ほの暗く、なにより美しい! そんなこの曲が大好きです。

CDは ウィーン・フィルや、SKドレスデンのような 弦の美しいオケで聴きたいですね。私が持っているのは シューリヒト盤、ワルター/ウィーン(EMI)盤、ニューヨーク盤、クリップス盤、ブロムシュテット盤、ヴァントの日本ライブ盤です。

どれも素晴らしいですが、やはり シューリヒトが一番、儚く、美しいと思います。
投稿: ヨシツグカ | 2012年7月 7日 (土) 12時54分


弦の美しいオケで行きたい・・・全く同感です。
それにしてもシューリヒト盤がお好きでしたか!
本当に儚い夢か幻を見ているかのように美しい演奏ですよね。
投稿: ハルくん | 2012年7月 7日 (土) 13時39分


シューベルトのこの未完成交響曲は、母親が私の為に買ってくれた初めてのレコードでした。

後日解説文を読み返してみると、何と!シューリヒト指揮ウィーンフィルの演奏だったのですよ!そして、解説文を書かれたのは、ハルくんさんご存知の宇野功芳先生!(笑)運命的なクラシック入門盤だったのですね!

さて、演奏の方は〜、淡々としてオケの盛り上がりも、いまひとつ物足りなさを感じて、当初はあまり印象に残らなかったのですが、聞き込むにつれて〜、弦楽器の深くそして微妙な美しさ、絶妙にブレンドされた木管金管楽器の意味深い響きに次第に魅了され、これほど浮世離れした?この世のものとは思われない儚く神秘的な音楽の虜となって、クラシック音楽ひいては〜シューベルトの音楽に開眼したのでした!

丁度あのベームが来日公演した際の’77年ライヴを聞いて、大いに感動・感銘〜これこそ!シューリヒト&ウィーンフィルの名盤に匹敵するぞ!と欣喜雀躍したものでしたよねぇ〜。

この二つの名演に接すると〜、ジュリーニ&シカゴ響の演奏は、いかにも大味で金管楽器が強すぎ人工的な印象が否めず、最近のピリオド奏法による演奏は〜、どうもテンポが早急に過ぎて情緒もへったくれもありません。むしろ、ティーレマンに期待が持てるのかな?
投稿: kazuma | 2014年8月15日 (金) 08時31分
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html

カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィル
DECCA。1956年6月3〜6日、ゾフィエンザールでの録音。
シューリヒトらしい枯淡の境地。
10:36,11:59。

DECCAの名プロデューサー、ジョン・カルショウがウィーンで手がけた最初のレコーディングであり、かつシューリヒトがDECCAに残した最後の録音である。
カルショウの著書「レコードはまっすぐに」の第16章冒頭に、この時のエピソードが書かれている。

彼(シューリヒト)とは何年か前にパリで仕事をしたことがあったが、ウィーンではもう老衰していて、シューベルトの「未完成」交響曲の第1楽章を、すべてテンポの異なる11の解釈で演奏した。オーケストラがうんざりしたのは当然のことで、理事会は私に文句を言うだけでなく、チューリヒとロンドンに電報を打って、指揮者を充分に管理できない私が悪いのだと訴えた。この「未完成」をどうにか終えると...

 うーむ、これはヒドい書き方だ。カルショウはこれより前の部分で、一時出向していたアメリカのレコード会社キャピトルが「大演奏家にも不調の時があり、それから復活して輝かしい黄昏を迎えることを理解できない」ことに困っていた、と書いている。そこでは、キャピトルがクレンペラーを「サンフランシスコで成功を収められなかった」という理由で拒絶したが、その後クレンペラーがEMIで大成功を収めたことまで指摘しているほどである。

しかし、ここでのシューリヒトに関する文章のあとには、彼もまたこのあとEMIにすぐれた録音をしていることを記していない。それは片手落ちというべきだろう。
(→シューリヒトのEMIでの初仕事はベートーヴェンの交響曲である。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven-m.htm

http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


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Schubert: Symphony No. 8(9) `The Great`, Schuricht & SGRso (1960)


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Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
South German Radio Symphony Orchestra (Stuttgart Radio Symphony Orchestra)

Rec. September 1960, in Stuttgart

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c13
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
14. 中川隆[-13955] koaQ7Jey 2020年2月07日 15:23:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-629]

オットー・クレンペラー

chubert: Symphony No. 8 "Unfinished" [Klemperer] Philharmonia Orchestra




Philharmonia Orchestra conducted by Otto Klemperer
Recorded: 4 & 6.II.1963, Kingsway Hall, London

オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア
EMI。1963年録音。
13:35,11:31。
クレンペラー・レガシー・シリーズでART処理された輸入盤で「グレイト」とカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


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Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Bayerischen Rundfunks / Klemperer





Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
Otto Klemperer
Live recording, Munich, 1.IV.1966

オットー・クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団
EMI。1966年4月1日、ヘルクレスザールでのライヴ。
14:25,11:23。
ART処理で正規発売。「スコットランド」とのカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm

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Otto Klemperer: Broadcast 21-03-1967: Bruckner No.5 & Schubert No.8


• Bruckner: Symphony No.5
• Schubert: Symphony No.8 D.759 ‘Unfinished’

New Philharmonia Orchestra Live @ Royal Festival Hall, London
21-03-1967

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Otto Klemperer Schubert - Symphony No.8 "Unvollendete" (1968) VPO


Otto Klemperer
Vienna Philharmonic Orchestra
June 16, 1968

オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィル
DGのVPO150周年記念CD(写真左)。
1968年6月16日、ムジークフェライン、ライヴ。
15:33,12:41。

最後の音が鳴り止んだ直後クレンペラー自身の「Schön」という声が聞こえる。
2005年夏、TESTAMENTから68年ウィーン音楽週間ライヴ8枚組SBT8 1365で再発売された(写真右)。
Paul Bailyによるリマスターで音質はより生々しくなっている。しかし、何とこの「Schön」という声が編集で消されている(怒)!
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm



オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/テスタメント盤)
 ウイーン芸術週間ライブBOXの中に収められています。

いくらか遅めのインテンポで淡々と進みます。俗世に背を向けたような趣は良いのですが、それにしては今一つ心を動かされません。

録音もウイーン・フィルの美しい音が充分に再現されているとも思えません。
ですので自分にとっては「普通に良い演奏」どまりです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c14
[近代史3] 徳川時代の日本の経済力はアメリカより大きかったし、清国は当時の超大国イギリスより大きかった。

徳川時代の日本の経済力はアメリカより大きかったし、清国は当時の超大国イギリスより大きかった。


2020年02月07日
アジアの時代の終わり 日本、中国、韓国、東南アジア、インド


アジア諸国は競って高層ビルを建てたが、こういうものもいずれ古くなる。

引用:https://pixabay.com/static/uploads/photo/2014/07/19/16/13/shanghai-397147_960_720.jpg


20世紀はアジアの時代と呼ばれたが、最近の情勢をみると、その時代は終わりつつあるようです。

数年前「世界の超大国になる」と息巻いていた中国は、これから衰退すると予測されている。


アジアの時代の始まり

20世紀終わりから21世紀始めにかけて、アジアの時代やアジアの世紀と盛んに言われました。

欧米の成長率は1桁に対してアジア諸国は(日本を除いて)10%以上だったからです。

このままアジアが世界の中心になるかと思われたが、栄光の時代は終わったようです。

まず「アジアの時代」がどうやって始まったのかを考えると、日本の明治から昭和の発展が最初でした。

徳川幕府は1867年に大政奉還し明治政府が引き継いだが、この時の日本は言われるほど貧乏ではなかった。

工業生産高などを基準にすると、徳川時代の経済力はアメリカより大きかったし、清国は当時の超大国イギリスより大きかった。


イギリスが清国を超えたのはアヘン戦争で、アメリカが日本を超えたのは明治中ごろ、日本が清国を超えたのは日華事変の年でした。

つまり明治維新の時点ではイギリス>清国>日本>アメリカという力関係でした。

だが軍事力という点で既にアメリカは世界の大国で、イギリスを打ち破って独立するほどでした。


明治初期にはまだ鉱山で金銀銅などが採掘されたので、それらを元手に米英独仏から鉄道や発電所を輸入しました。

現在は世界銀行やIMFのような制度で途上国にお金を貸していますが、当時は現金を出さないと相手にされません。

日本の陶磁器や浮世絵や飾り細工は欧米で人気があり、そうしたものも輸出されて、発電所や造船所に化けました。

日本が主導したアジアの経済成長

日本の経済成長というと、輸出で発展したと考える人が多いですが、実際には欧米から技術を買って、国内で投資することで発展しました。

日本が輸出立国だった期間は、今振り返ると昭和40年代から60年代までの、せいぜい20年間だけです。

国内に近代的な鉄道や発電所、造船所、鉄工所などを作った日本は、金融業や商業でも大きく発展しました。


軍事力はアジアでは突出したものになり、あっという間に世界の軍事大国5強の仲間入りをしました。

日本の影響力は国土の外に向けられ、朝鮮、清国、ロシアを次々に倒して、周辺地域を併合していった。

この時日本が統治した国や地域が、20世紀後半に「アジアの奇跡」や「アジアの時代」の主役になったのは偶然ではなかった。


後進国が中進国や先進国になるには、「人口、技術、資本(お金)、有能な政府」などが必要とされています。

このうち最も困難なのが「有能な政府」を持つことで、大半の国が永遠に後進国なのは政府が無能だからです。

例えばアフリカには豊富な資源と人口があるが、まともな国は一つも存在しません。


中東は資源高の時、欧米や中国より稼ぎましたが、数年で浪費してしまい現在は残っていません。

台湾、韓国、中国はいずれも日本が戦前に統治して、ミニ日本帝国を作った地域でした。

戦後国家を作るときに、これらの国は日本が残した仕組みの上に国家を作ったので、アフリカや中東国家より政府が有能なのです。


日本軍の活動範囲とアジアの奇跡の範囲が同じなのは偶然ではない

引用:http://livedoor.blogimg.jp/umeboshi2004/imgs/f/f/ff2f4972.jpg

アジアの奇跡の正体

例えば現在の韓国は「朝鮮総督府」を元にしており、韓国大統領が朝鮮総督の地位を勤めています。

中国国家主席は満州国皇帝で、台湾総統は台湾総督府の総督という訳です。

これらの国々が微妙に軍事独裁の色合いを帯びているのも、やはり日本帝国の遺産なのかも知れません。


後進国が発展するには他に資本と技術が必要ですが、どちらも日本企業が進出したり投資する事で解決しました。

韓国の有名企業は全て、80年代に日本企業の提携先や支援した企業ばかりで、現代自動車やサムスンも日本の下請け企業でした。

日本企業は東南アジアへも積極的に進出し、日本政府は気前良くお金を貸したので、それらの地域も栄えました。


国の発展にはもう一つ「人口」が必要ですが、アジア諸国は穀倉地帯でもあったので、空前の人口バブルを起こしました。

人類77億人のうち、46億人がアジア人だそうで、もうこれ以上増えなくて良い感じです。

最近は日本をはじめ中国、韓国、台湾、タイなどでも出生率1.5を割り込んでいて、人口減少が始まろうとしています。


人口が増えると経済には人口ボーナスがあり、減少すると勿論マイナスのボーナスが発生します。

毎年人口が5%増えれば、どう考えたってGDPが5%以上かさ上げされますが、マイナスだとこの分がそっくり減ります。

中国人は短期間に3億人から14億人まで増えたので、ボーナス効果が凄かったのが、中国高度成長の秘密でした。

アジアの時代の終わり

人口ボーナスは中国の成長率を、毎年7%以上かさ上げしていたと考えられます。

でも中国を始めアジア諸国は2030年台には一斉に人口が減り始めるのが分かっていて、マイナス人口ボーナスを受け取る事になる。

日本の衰退によって日本から流入していた資本と技術も、もう貰えなくなり、奇跡の原動力はなくなります。


日本帝国式の優れた国家体制も、21世紀にいつまでも通用するとは思えず、本家の日本帝国のように滅びるかも知れません。

特に人口ボーナスが大きかった中国は反動も大きいので、これから非常に厳しい時代を迎えるでしょう。

もちろん本家の日本は既に人口が減り始めているので、人口増加に頼った経済成長は望めません。


要するにアジアの時代とは、人口増加と日本という牽引役がもたらした現象だったと言えます。

マスコミや解説者は「これからはインドの時代だ!」と言っていますが、どうも来ないような気がします。

あらゆる経済予測は全てウソだが、人口予測だけはウソをつかないと言った経済学者が居て、人口予測によると今後アジアは衰退に向かいます。
http://www.thutmosev.com/archives/57155688.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/893.html

[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
15. 中川隆[-13954] koaQ7Jey 2020年2月07日 17:29:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-627]

カール・ベーム

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Vienna / Böhm 1940


Wiener Philharmoniker
Karl Böhm
Studio recording, Vienna, 1940

▲△▽▼

Karl Bohm Schubert - Symphony No.8 (1954) WPO


Karl Böhm
Wiener Philharmoniker
1954, Musikverein Grosser saal

▲△▽▼

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Böhm 1966


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Berliner Philharmoniker
Karl Böhm
Studio recording, Berlin, II & III.1966

カール・ベーム指揮ベルリン・フィル
DG。OIBP化国内盤。1966年録音。
11:31,11:29。
1973年度レコード・アカデミー賞の全集からの1枚である。「グレイト」とカップリング。
古典的・模範的・ドイツ的....な名演である。ベルリン・フィルの音色がまた素晴らしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1966年録音/グラモフォン盤) 

ベーム壮年期の記念碑的な交響曲全集に含まれます。
ウイーン風ではない、純ドイツ風の演奏ですが、当時のベルリン・フィルの暗く厚い響きがシューベルトの仄暗い抒情性に適していてとても魅力的です。
金管が目立つことも無く、常に弦と木管との絶妙なブレンドを
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html


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KARL BÖHM DIRIGIERT SCHUBERT - DIE UNVOLLENDETE


Wiener Philharmoniker
Karl Böhm, Leitung

カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
NHK。DVD。1975年3月18日、NHKホールでのライヴ。
同日の演奏では「マイスタージンガー前奏曲」が収録されている。画質は良くない。音はFM放送のものを使用している。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm

▲△▽▼

Schubert Symphony No.8 "Unfinished" (Karl Böhm Wiener Philharmoniker 1977)





Karl Böhm
Wiener Philharmoniker
REC: 1977

カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
DG。12:47,12:06。1977年6月、オーストリア・ホーエンエムスでのシューベルト音楽祭(シューベルティアーデ)におけるライヴ録音。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1977年録音/グラモフォン盤) 

オーストリアのホーエンエムスで行われたシューベルト音楽祭でのライブ録音です。
かなり遅いテンポで、力んだところの全く見られない枯淡の境地とも言える演奏です。フォルテでも管楽器が弦と完全に溶け合っていますので、外面的な迫力は有りません。そこが素晴らしいのです。それにしても、このしみじみとした味わいはどうでしょう。黄泉の国へと誘われるかのような雰囲気は極めてユニークですが、これこそがこの曲の本質なのではないかと思えるほどです。

このコンビの日本公演も美しい演奏でしたが、録音の良さも相まって、このウイーンでのライブが更に上を行くと思います。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html


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Symphony No. 8 in B Minor, D. 759 "Unfinished" Karl Böhm's Dresden Farewell Concert in 1979 (Live)





Karl Böhm's Dresden Farewell Concert in 1979 (Live)
Conductor: Karl Böhm
Orchestra: Staatskapelle Dresden

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c15
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
16. 中川隆[-13953] koaQ7Jey 2020年2月07日 17:47:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-626]

カルロス・クライバー

Schubert - Symphony No 8 "Unfinished" - Kleiber, VPO (1978)





Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Carlos Kleiber
Studio recording, Grosser Saal, Musikverein, Wien, Austria, September 1978


カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル
DG。OIBP化輸入盤(写真左端)。1978年録音。
13:56,10:42。

自筆譜にあたった形跡が見られる(ディミヌエンド→アクセント)。
速いテンポの中で、微に入り細にわたって表現をつけている、ずいぶん「忙しい」演奏である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c16
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
17. 中川隆[-13952] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:03:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-625]
2012年7月 7日
シューベルト 交響曲第7(8)番ロ短調D.759「未完成」 名盤: ハルくんの音楽日記 
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html


「未完成交響楽」(1933年 ドイツ=オーストリア作品)



昔、クラシック音楽を聴き始めた頃には、いわゆる「三大交響曲」と言えば、「運命」「未完成」「新世界より」でした。この他にも一般によく知られた交響曲は幾つも有りましたが、こと「三大」と呼べば、やはりこの御三家だったような気がします。それにしても完成していない曲が堂々と入るのですから大したものですね。


子供の頃に、テレビでよく古い名作映画を放送していました。音楽家ものも案外と多かったです。それらの中で特に記憶に残っているのが「未完成交響楽」という映画です。大人になって、懐かしさからDVDで購入しましたが、1933年の作品でした。

随分と古い映画だったわけです。話の内容はシューベルトがハンガリー貴族の令嬢と恋に落ちるが、実らずに終わってしまう悲恋映画です。事実を幾らかモチーフにしている面も有りますが、基本的には完全なフィクションなので、間違ってもシューベルトの歴史物語とは言えません。にもかかわらず、モノクロの映像と音の悪い背景音楽が不思議と郷愁を誘います。仮に子供のころに観ていなくても、この映画にはそのような雰囲気が一杯です。

それにしても、この映画で演奏をしているウイーン・フィルの当時の音の甘さと柔らかさは、ちょっと浮世離れをしています。

未完成のままに終わってしまった音楽作品というのは、歴史上に数えられないほど存在するでしょうが、最も有名な作品は、やはりシューベルトのこの曲です。通常の4楽章形式の前半しか書かれていないのに、これほどに名曲の扱いを受けているのは驚異です。それもこれも、とてもこの世のものとは思えないような音楽の美しさからでしょう。

シューベルトが何故この交響曲を第3楽章スケルツォの冒頭のスケッチでペンを置いてしまったのかは不明です。あの美しい2楽章に続くのに相応しいスケルツォ楽章がどうしても書けなかったのは、何となく分るような気もします。しかし、もしも後半の3、4楽章が完成していたら、「グレート」にも匹敵する長大な作品になったことでしょう。但し、引き替えに「未完成」という有名なタイトルを失うことにはなりますが。

僕はもちろんこの曲は大好きです。けれどもこの曲の魅力は演奏に極端に左右されるように思います。気に入った演奏で聴くと大変な名曲に感じますが、もしも気に入らない演奏で聴くと、退屈極まりない曲に感じてしまいます。それでは、それを左右するのは何かということですが、ごく簡単に言えば、「この世のものと思えないような音」を聴かせてくれれば好き、逆に音が単なる楽器の音に聞えてしまう場合は嫌い、ということです。たとえば第1楽章のフォルテで金管が強奏したりすると、すぐに耳が拒絶反応を起こしてしまいます。弦と管がしっかりと柔らかく溶け合った音を出してくれないと駄目なのです。そこに古き良きウイーンの情緒が加われば最高ですね。第2楽章の神秘的な美しさもブルックナーやシベリウスの世界に匹敵します。古典派と浪漫派の境界の時代にこんな音楽を書いたとは全くもって驚きです。

では、そういう基準で愛聴盤をご紹介してみます。


ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1936年録音/EMI盤) 




SP盤からの復刻ですので、当然音質は古めかしいのですが、あの「未完成交響楽」で聴いた懐かしい雰囲気をそのままに味うことが出来ます。ウイーンで生まれてウイーンで死んだシューベルトの音楽を演奏するウイーン・フィルの夢見るように甘く柔らかい音は何物にも代えられません。その音は戦後のウイーン・フィルをもってしても、もはや出すことは出来ないのです。参考ですが、オーパス蔵の復刻盤よりも東芝GR盤のほうが好みの音でした。


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1950年録音/EMI盤) 

フルトヴェングラーの「未完成」は演奏が物々し過ぎるので余り好みではありません。但し、ウイーン・フィルとの演奏はベルリン・フィルほどの激しさは有りませんし、弦楽器中心の響きですので好ましく思います。音の柔らかさは戦前のワルターほどではありませんが良く感じられます。年代を考えるともう少し録音が良くてもよいと思いますが、逆にレトロさが出ていることでもあり、良しとしておきます。

ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1953年録音/audite盤) このベルリンでのライブ演奏はRIASボックスで持っているものです。個人的にはフルトヴェングラーが「未完成」で聞かせる強烈なフォルテやアタックはこの曲には余計だと思っています。フレージングもくどすぎて、ウイーンの洒落っ気が全く感じられません。このボックスには1948年の演奏も収録されていますが、印象は同じです。録音が良い分、こちらを取るべきです。


カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1956年録音/IMG盤) 






DECCA音源ですが、僕はIMG盤で所有しています。この演奏はシューリヒトのファンにも滅多に取り上げられませんが、僕は素晴らしい演奏だと思っています。速いテンポで飄々と進み、フォルテもアタックも弱く軽く流しています。まるで霞のような印象なのですが、それが何とも儚さを感じさせます。2楽章も淡々として浮世離れした雰囲気ですが、儚さや寂寥感を他のどの演奏よりも感じてしまいます。

ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1958年録音/CBS盤) 




ワルターの代表盤の一つです。これがアメリカの楽団の音だとは信じられないほどに柔らかく美しい響きを醸し出しています。ロマンティックな雰囲気も最高です。ウイーン・フィル以外のオケとこれほど美しい演奏が可能なのはワルターだけでしょう。ウイーン・フィルを超えるかと聞かれれば、そうとは言えませんが、これはステレオ録音ですし、不滅の価値を持っていると思います。



ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1960年録音/Music&Arts) 

マーラー生誕100年記念コンサートにワルターが招かれて指揮した時の演奏です。メインのマーラー4番の前に演奏されました。このコンサートはワルターとウイーンフィルの最後のコンサートです。マイクが近いので、楽器の分離が明確で、室内楽的なアンサンブルを楽しめます。時にバランスのおかしな箇所も見受けられますが、録音も悪くありません。歴史的なコンサートということを抜きにしても、素晴らしく味わいのある演奏です。



イシュトヴァン・ケルテス指揮ウイーン・フィル(1963年録音/DECCA盤) 

若くして亡くなる前に極めて評価の高かったケルテスでしたが、この「未完成」はいただけません。ウイーン・フィルを締め上げてダイナミックスの大きな演奏をさせているところは同郷のショルティさながらです。フォルテの音は硬く威圧的に感じられ、トロンボーンの強奏は耳をつんざき騒々しいです。弱音部ではウイーン・フィルの美しい音が聴けるのですが、前述の欠点が音楽全体を台無しにしていて残念です。


カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1966年録音/グラモフォン盤)

 

ベーム壮年期の記念碑的な交響曲全集に含まれます。ウイーン風ではない、純ドイツ風の演奏ですが、当時のベルリン・フィルの暗く厚い響きがシューベルトの仄暗い抒情性に適していてとても魅力的です。金管が目立つことも無く、常に弦と木管との絶妙なブレンドを響かせています。この曲の場合は余り立派な造形性はマイナスに思えますが、ベームはそれを少しも感じさせません。個人的には同じベルリン・フィルでは「グレート」以上の名演だと思っています。



オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/テスタメント盤) 

ウイーン芸術週間ライブBOXの中に収められています。いくらか遅めのインテンポで淡々と進みます。俗世に背を向けたような趣は良いのですが、それにしては今一つ心を動かされません。録音もウイーン・フィルの美しい音が充分に再現されているとも思えません。ですので自分にとっては「普通に良い演奏」どまりです。



カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1977年録音/グラモフォン盤)
 


オーストリアのホーエンエムスで行われたシューベルト音楽祭でのライブ録音です。かなり遅いテンポで、力んだところの全く見られない枯淡の境地とも言える演奏です。フォルテでも管楽器が弦と完全に溶け合っていますので、外面的な迫力は有りません。そこが素晴らしいのです。それにしても、このしみじみとした味わいはどうでしょう。黄泉の国へと誘われるかのような雰囲気は極めてユニークですが、これこそがこの曲の本質なのではないかと思えるほどです。このコンビの日本公演も美しい演奏でしたが、録音の良さも相まって、このウイーンでのライブが更に上を行くと思います。


ギュンター・ヴァント指揮ミュンヘン・フィル(2000年録音/Profile盤) 

ブルックナーを得意とするヴァントの音造りはこの曲にも適していると思います。管弦楽的な音よりも自然音に近い音が望ましいからです。1楽章はウイーン風の甘い情緒こそ有りませんが、繊細なフレージングと美しい響きが素晴らしいです。贅沢を言えば、金管の響きがもう一つ抑えられていれば更に満足できますが、凡百の指揮者よりはよほど優れています。2楽章はゾクゾクするほど瑞々しい美しさに包まれていて、現実離れした世界に我々を誘います。


ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響(2000年録音/RCA盤) 

東京初台のオペラシティでのライブ録音です。メインのブルックナー9番の前に演奏されました。僕は、このコンサートに行ったのですが、仕事で遅刻してしまい「未完成」は聴き逃しました。同じ年の演奏なので、ミュンヘン盤と基本的解釈は変わりません。暗い北ドイツと明るめのミュンヘンとのオケの音色の違いが有るだけです。優劣は付けがたいですが、今回聴き比べた限りではミュンヘン盤のほうが良いような気がしました。


この他に、記憶に残るのはまずムラヴィンスキー/レニングラードPOです。
2楽章の途中で通常フォルテで演奏する部分を逆にぐっと音量を抑えて、まるで地獄の淵を覗かせるような緊張感を感じさせました。しかしシューベルトとしてはエクセントリックに思うので好みません。


ケルテス/ウイーンPOも定評有りますが、情緒に溺れない指揮ぶりがやはり好みでは有りません。

Cクライバーも同じように好みでは有りません。

カラヤン/BPOは最初のDG盤をLP時代に聴きましたが、曲の良さを全く感じませんでした。

ジュリーニ/シカゴ響なんてのも有りましたが、オケの迫力ある音が曲に不釣り合いでした。


ということで、この曲の自分の好みは余り一般的では無いかと思います。

最も好きなのがワルター/ウイーン・フィルの1936年盤。

2番目がベーム/ウイーン・フィルの1977年ライブ盤。

3番目がシューリヒト/ウイーン・フィルの1956年盤。

以上となります。恐らくは皆さんの好みと、だいぶ異ってしまうのではないでしょうか。

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c17
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
18. 中川隆[-13951] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:13:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-624]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランツ・ペーター・シューベルト( Franz Peter Schubert 1797 - 1828)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューベルト

シューベルトは作品の完成度が高まってきた矢先にたった31歳で亡くなってしまった。

曲が長くて冗長さのある場合が多いこと、また同じ曲の中で楽章により出来不出来が激しいために、とっつきにくいところがある。

同年齢比較ではモーツァルトとベートーヴェンに匹敵するような大作曲家ではあると思うが、この2人と比較してしまうとややマニアックな扱いの作曲家である。
若い時にも傑作はあるが、30歳を過ぎてからの最晩年の傑作群はハズレなしの史上最高峰の作品ばかりであり、せめてあと数年長く生きてくれたらと残念に思わざるを得ない。

ロマン派に分類されているが、曲の構成はかっちりしており、ベートーヴェンと同時代であることから、聴き方としては古典派に近いと思う。

交響曲

交響曲第1番 ニ長調 1813 D82
2.5点

どの楽章も主題の部分は古典派音楽としてかなり魅力的で才能を感じるのに、そこからの発展がかなり単純なことしかできておらず、音楽が進むにつれて残念なことになる。

交響曲第2番 変ロ長調 1814-15 D125
2.5点

形式も内容も1番より上かもしれないが、ただの18世紀古典派からベートーベン的な世界に脱出を計り始めている代償か、旋律や音楽の魅力は少し落ちてる気がする。

交響曲第3番 ニ長調 1815 D200
2.0点

作曲技術は上がっているのが分かる。しかし、快活で聞きにくくはないものの、音楽的な内容は薄く、心に響かない。

交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』 1816 D417
2.0点

成長してがっちりした風格が出てきたのの、冗長な感も強くなっていて残念。短調の曲としてベートーベンやモーツァルトよりはるかに劣る。

交響曲第5番 変ロ長調 1816 D485
2.5点

後半が少しモーツァルトやハイドンを思い出させる。2人の若い時期の作品レベルに近く、たいした作品ではない。最終楽章が少し魅力あり。

交響曲第6番 ハ長調 1817-18 D589
2.5点

ハ長調らしい堂々とした曲調。アンダンテは美しい。他の楽章は悪くないのに聞いた後に記憶に残らない。

交響曲第7番 ロ短調『未完成』 D759
5.5点

シューベルトの器楽曲の入門には間違いなくオススメ。1楽章のスマートな美しさ、歌心にあふれたフレーズ、2楽章の天国的な美しさ、絶妙なメロディーや転調といい、端的なシューベルトが楽しめる。未完成なので曲の長さがちょうどいい。完成していたら長くて聞くのが大変だったろう。


交響曲第8番 ハ長調『ザ・グレート』 1825-26 D944
3.0点

高く評価する人も多い曲だが、自分には若いときの交響曲よりははるかに充実していて、旋律の魅力はそれなりにある者の、長さに見合った内容や未完成交響曲のように魅力にあふれた曲とは思えない。

大作曲家の名交響曲群と同列とするのは過大評価だろう。
他の多くのシューベルトの曲は好きだが、この曲は苦手である。

協奏曲

ヴァイオリンと管弦楽のための小協奏曲 ニ長調 1816 D345
2.8点

ヴァイオリン協奏曲として華やかに書けていてなかなか優秀である。モーツァルト等の強い影響を感じる。しかし、それ以上のものは感じない。


ヴァイオリンと弦楽のためのロンド イ長調 1816
3.0点

爽やかな古典派音楽で、あまりシューベルトらしさが感じられない。独奏ヴァイオリンが大半の場面でずっと表で出ずっぱりである。音楽的な内容は割と大人っぽいため、本格的な曲だと感じられる。

ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズ 変ロ長調 1817 D580
2.0点

優雅で心地よいがそれだけである。独奏とオケの絡みはいまいちであり、音楽はモーツァルト以前のような素朴さである。


弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ハ短調/変ロ長調 1811 D18
3.3点

伴奏は初期らしいシンプルさではあるが、バランスがよいため悪くない。少なくともつまらなさは全然感じない。そして、旋律にシューベルトらしいしなやかな旋律の良さがあり、単なる古典的な均整の取れたムード音楽でなく、どの楽章も聴き応えが十分にある。期待していなかっただけに、出来の良さに驚いた。

弦楽四重奏曲第2番 ハ長調 1812 D32
3.3点

1楽章は運動的な曲で工夫の意志を感じるが、成功とは思えない。2楽章は泣きのシューベルト節を全面に出した歌曲のような曲で、印象的で素晴らしい。3楽章は割と良い。4楽章はシューベルトの通例のように、頑張ってはいるがパンチが弱い。

弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 1813 D36
3.5点

1番2番よりずっと巨大な曲。ベートーヴェン的な構築性と強靭で壮健な力強さを全面に出した曲。巨匠的な響きに満ちており、非常に頑張っている。そして、その努力はほぼ完全に成功していると思う。若さゆえの複雑さの不足はあり、名曲の域には達することが出来ていないにせよ、この巨匠性は天才しか出せないものであり、見事な作品である。

弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 1813 D46
3.3点

音に緊密な緊張感があり、高貴さがあるという巨匠性は3番同様に現れている。しかし、短調の響き方の問題からか、伴奏の単純さなどの若書きの欠点がやや気になってしまった。最終楽章がうまく高揚感を持たせられており、優れているのは良いところ。

弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 1813 D68
3.3点

1楽章は跳ねるようなリズムに極端に支配された曲であり珍しい。実験的と言ってよいほどである。2楽章はいきなり終楽章であり、極端ではないもののやはりリズムが重要である。シューベルトにしては高揚感に優れた2楽章がなかなか良いため、聴後感がよい。

弦楽四重奏曲第6番 ニ長調 1813 D74
3.5点

柔らかい歌謡性が主要な雰囲気を作っている曲。歌謡的な才能の豊かさには舌を巻く。ものすごい名作というにはまだ素朴すぎる感じはするものの、かなり素敵な曲として聞き入ってしまう。魅力の点では後年の作品に匹敵するかもしれない。素朴だが素直に自分の強みを活かしている。

弦楽四重奏曲第7番 ニ長調 1811 D94
3.5点

2楽章がとても美しいメロディー。これだけでも聴く価値がある。その他にも、冒頭でいきなり短調になるなど工夫が感じられる1楽章はなかなか面白いし、3楽章や.4楽章は普通の曲であるが、曲全体の価値を落とさない程度にはよく出来ている。ビアノよりも弦楽の方にシューベルトの適性があると感じさせられる。

弦楽四重奏断章 ハ短調 1814 未完 D103
3.5点

ハ短調の荘重で本格的で悲劇的な曲として、予想外の出来で驚いた。かなりの聴き応えであり、こういう曲も若い時から書けたのかと驚いた。音の密度はいまいちだが音感がよい。

弦楽四重奏曲第8番 変ロ長調 1814 Op.168 D112
3.3点

同じ時期の曲と比較して、かなり複雑で大人びた曲である。優美であるが古典的すぎる作風からの脱却を計っているように思える。その過渡的な作品であるがゆえに、魅力でいえば一歩引いたものになっているというのが率直な感想である。頑張っている感が出てしまっているし、複雑でよくわからない。曲がすんなり理解できない。ベートーヴェンの影響かなと思う箇所はある。とはいえ、天才的な作曲センスは相変わらず楽しめる。

弦楽四重奏曲第9番 ト短調 1815 D173
3.5点

1楽章は、真剣な短調曲であり、まだ内容の緊密さはないにしても、そこそこの満足は得られる。2楽章は短調の曲らしい、愛おしさにあふれた緩徐楽章であり、シンプルではあるがロマンチックであり、あのモーツァルトの短調の曲にかなり近い世界を構築できていると思う。3楽章や4楽章も簡素な書法ながら心に迫るものがあり十分に全体のバランスを取った曲になっている。

弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 1813 D87
3.3点

優雅な曲から大人の曲に脱皮しようと背伸びしているのが、いかにも伝わってくる曲。ぎこなちさを感じてしまう。ベートーヴェン的な立派な堅さを少し帯びている。時にモーツァルト的な優美なセンスも見せている。やはり発展途上を楽しむ曲と思った方がよいと思う。

弦楽四重奏曲第11番 ホ長調 1816 D353
3.5点

まだ19世紀に書かれただけあって、古典的な均整が非常にしっかりと取れている作品である。20分とシューベルトにしては短くて、全ての楽章において緩みがない。個性が強くみられるわけではないが、ハイドンやモーツァルトにも匹敵するような古典派弦楽四重奏に聞こえた。古典的な完成度が高く、書法は密度が高くなっている。音に自分らしさを確立してきた自信を感じる。

弦楽四重奏曲第12番 ハ短調『四重奏断章』 1820 D703
3.5点

順番に聞くと、急に立派な作品になって驚く。ベートーヴェンにもひけを取らなと言ってもいいくらいに、重厚で規模が大きく、力の篭った力作である。強く訴える力を音楽に与えているのが印象的だ。場面のコントラストが強く、少し聞き疲れする感じもある。管弦楽的な響きの充実がある。後期の偉大さを見せた作品の一つであり、未完成なのが残念だ。

弦楽四重奏曲第13番 イ短調『ロザムンデ』 1824 D804
3.8点

音の濃密さ、ロマンチックな情緒と陰影の深さ、音のなめらかなつなぎなど、前作までとは大きく異なり、別の作曲家かと思うほどの成長を見せている。
このようなメロディーを楽しませる正統派の弦楽四重奏曲は少ないため、重宝されているのはよくわかる。弦楽四重奏曲への作曲者の個性の適性の良さは相変わらずである。メロディーと音と情緒の濃密さに心を委ねて聴くとあっという間に時間が過ぎていく。聴き方がベートーヴェン以前とは全然違う曲である。

弦楽四重奏曲第14番 ニ短調『死と乙女』 1824 D810
3.8点

全部の楽章が短調であり、全体としてはかなり暗澹とした気分にさせられる曲である。もちろん部分では多くの救いがあり、美しさにはっとする場面は多い。1楽章は特に立派であり、多くの素材を使っており幅広い世界を表現しており、交響的な充実感がある。13番で主役だったシューベルトらしい甘いロマンはここでは脇役であるベートーヴェン的な厳しさをもうすこしロマン派に近い情緒表現で使っているイメージだ。もちろんシューベルトらしい柔らかさと歌謡性は残っており、むしろこの曲独自のそのバランスが魅力になっている。個別部分の表現の濃厚さはすごい。2楽章の変奏曲の魅力は特に心惹かれる。

弦楽四重奏曲第15番 ト長調 1826 D887
3.8点

急な転調などで陰影を与えて心を撃つことで晩年のシューベルトらしい感動を与える。しかし多用されるトレモロが煽る不安定さは心にせまる。しかしたまにみせる管弦楽的な響きについては、効果的かというと個人的には疑問符がつく。副題付きの2曲と比較すると、わかりやすさや親しみやすさで一歩譲る。密度や内容でいえば一歩もひけをとらない作品である。晩年らしい達観の世界が、ここでは珍しく鬼気迫るような迫力に達しているのが良い。

その他の室内楽曲

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第1番 ニ長調 1816 D384
3.5点

一見爽やかなだけの工夫のなく繰り返しが多い古典派音楽のようだが、もう一度聴きたいと思わせる魅力がある。リートの名手だけに純度の高い歌心がうまく込められており、ヴァイオリンソナタは相性の良い形式のようだ。

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第2番 イ短調 1816 D385
2.8点

1番と違い音楽の密度が薄く、早く次に進まないかと思ってしまう場面が多い。美的なセンスは優れており、特に1楽章で短調の美しさを楽しめるものの、冗長すぎるのが残念。

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第3番 ト短調 1816 D408
3.0点

シューベルトの仲では珍しいほどモーツァルトを感じる場面が多いのが特徴。古典的なオーソドックスな曲であり、プラスアルファはあまりないが、あまり冗長でないのは良い。

アダージョとロンド・コンチェルタンテ ヘ長調 1816 D487
3.5点

室内楽だが協奏曲のように書かれており、明るく華やかで楽しい曲。ピアノ協奏曲にもシューベルトの才能があった事が分かるだけに、もう少し長生きして本格的な協奏曲を残して欲しかったと思う。効果的な序奏と本編のロンドと両方良い。

ヴァイオリンソナタ(第4番) イ長調 1817 D574
3.0点

前の3作品はソナチネであり本作はソナタとされている通り、楽曲の規模も内容的なスケールも大きくなった。1年の成長もあるのか、より成熟感もある。名曲に分類できる内容ではないものの、作曲者の意欲を感じられるので印象は悪くない。

弦楽三重奏曲第2番 変ロ長調 1817 D581
2.8点

伴奏とメロディーが完全に分離してしまっており、うまく絡んでいない感じの箇所が多いのが残念。そういう箇所は息長くメロディーを歌い継がせる能力で間を持たせている印象がある。うまく書かれている箇所も所々にある。つまらない曲ではないが今一歩。

ピアノ五重奏曲 イ長調『鱒』 1819 D667
4.0点

若々しくてすがすがしくて、平明な音楽は非常に心地よくて気持ちよい。晩年のような深みはないものの、音楽的な充実度ではひけをとらないと思う。ユニゾンを中心とした軽いピアノが、コントラバスまで入った厚めの弦楽とバランスがよい。また、ヴァイオリンが2台ないため、ピアノ四重奏曲のバランスにも近くて、弦楽が分厚すぎないのもよい。難しく考えないで楽しめる娯楽作品として優秀だと思う。

『萎れた花』の主題による序奏と変奏曲 ホ短調 1824 D802
3.5点

フルートとピアノ。フルートの音色の美しさを生かした主題と変奏曲。長大だが、主題が良いので、美しさに浸る事が出来るのでゆったりと楽しむ事が出来る。シューベルトの歌心とフルートの相性が良く、秀逸な曲だと思った。

八重奏曲 ヘ長調 1824 D803
4.0点

編成の大きさも楽曲の規模も大きいが交響曲というよりセレナードに近い。明るくて柔らかく、巨匠的な質の響きに満たされている。1時間は長いが、集中して聴くというより軽い気分でゆったり聴く娯楽曲なのでしんどいものではない。シューベルトが力を入れて書いた曲と思われ、音に充実感がありメロディーやニュアンスが豊富な傑作である。これだけ心地よい曲は滅多になく、また聴きたくなる。

アルペジオーネ・ソナタ イ短調 1824 D821
3.8点

有名曲であるが、暗い曲であり、個人的にはあまり好んでは聴きたい気分と過去には思っていた。シューベルトらしい歌心が全体を覆っていて隙がなく、中身の詰まった聞き応えのある曲である。短調ではない場面も実は多いのだが、精神的な暗さや生への憧憬を色濃く感じさせる場面が非常に多い。しかし、アルペジオーネを使った演奏だとチェロほどしつこさがないため、もう少し軽い気分で聴くことができる。シューベルトの熟練した本格的な二重奏曲がこれだけになったのは非常に勿体無いと思う。

華麗なるロンド ロ短調 1826 D895
2.8点

ヴァイオリンとピアノ。悪い曲では無いかと思うが、特段優れている所もなく、シューベルトならいつでも書けそうな曲なので、15分は少し長すぎる。長大な序奏あり。最後はのエネルギッシュに締めるので聴後感は悪くない。

ピアノ三重奏曲 変ホ長調『ノットゥルノ』 1827/28 D897
4.0点

一聴して素敵と感じる独特の歌心に満ちた美しいメロディーの変奏曲。単品のピアノ三重奏曲。いい夢を見ながらすやすやと眠る子供のよう。おとぎ話のような温かくて幻想的な曲。

ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 1828? D898
4.0点

晩年の成熟してワンランク上がった実力が発揮されている。曲の素晴らしさのわりに、知名度が低い気がする。寂寥感を常に持ちながらも、美の結晶のようなあまりにも美しいメロディーが連綿と続く。音のバランスや楽曲の活躍のさせかたが良く、ピアノ三重奏曲としての書法が優れていると思う。全く曲の長さが気にならず、むしろもっとずっと聴いていたいと思わせる。特に1楽章と2楽章は泣きそうになるほど感動的であり、密度が濃くて素晴らしい。3楽章と4楽章は比較すると軽いが、十分な聞き応えを持っている。

ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 1827 D929
3.8点

1番ほどの神がかった素晴らしい感動は感じないが、壮健な精神と、堂々とした内容は素晴らしい。晩年に達した大作曲家らしい充実感のある筆致を見事に発揮している。長さも気にならない。爽快で力強い曲調だが、当然裏にはシューベルトらしい歌心も込められていて、陰影もある。ピアノ三重奏曲はメロディーを中心として、線をつなげて作られるシューベルトの音楽に合っているようだ。

幻想曲 ハ長調 1827 D934
2.5点

あまり聴き応えがある曲という印象がなかった。メロディーにインパクトがなく、編曲もいまいちであり、22分が長く感じた。ただし、冒頭の序奏はロマン派的な内容でありシューベルトにしては大胆で目新しい。

弦楽五重奏曲 ハ長調 1828 D956
3.8点

最晩年らしい充実感と、見通せないような深遠への扉を開けている曲。チェロが2本であるおかげで、低音のずっしりした重さが芯となり、弦楽四重奏の曖昧模糊とした雰囲気を避けている。空間的な広がりにも貢献している。この曲は巨匠的な充実感であり、かなり多くの素材を盛り込んで、長い曲であるにも関わらず飽きさせない。構成も良い。陰鬱さが少なく、大人になって前向きに人生を生きようとする、吹っ切れたものがあるのに感動する。

ピアノソナタ

ピアノソナタ第1番 ホ長調 1815 D157
3.0点

一、三楽章は若書きらしいありきたりさだが、二楽章がシューベルトらしい歌心が見事に込められていて素晴らしい。驚いた。

ピアノソナタ第2番 ハ長調 1815 D279
2.5点

緩叙楽章が一番よくて、スケルツォも割とよいが、いずれも一番ほどは光らない。

ピアノソナタ第3番 ホ長調 1817 D459
2.5点

5楽章の力作。全体的には音の充実感など二番までより大分進歩してる。いい曲といえるほどの楽章は無いが、どの楽章もなかなか美しい。

ピアノソナタ第4番 イ短調 1817 D537
3.0点

割としっかりと書かれていて大作曲家らしい風格が垣間見れる。短調だがあっさりしていて、心地よく楽しんで聴ける。

ピアノソナタ第5番 変イ長調 1817 D557
2.5点

未完成とされているが三楽章が最終楽章のような雰囲気を持っているので、知らずに聴けばあまり大きな違和感はない。出来はまあまあ。

ピアノソナタ第6番 ホ短調 1817 D566
3.0点

1楽章は所々美しい場面が出てくる。歌うような二楽章も魅力的。

ピアノソナタ第7番 変ホ長調 1817 D568
3.5点

完成作であり自分で出版した曲。3番から9番までの同年に書かれた作品の中でも特に非常に美しい歌心に満ちていて聞き応えがある。歌に身を任せてゆったり聴ける。

ピアノソナタ第8番 嬰ヘ短調 1817 D571
3.0点

1楽章だけ完成。特に第2主題以降が美しい。どこか寂寥感がある。自分の聞いた演奏のせいだろうか。

ピアノソナタ第9番 ロ長調 1817 D575
3.0点

ロ長調は珍しいので新鮮に感じる。力強さと明朗さがある。

ピアノソナタ第10番 ハ長調 D613
断片だけしか残ってないそうで全集にも未収録。

ピアノソナタ第11番 ヘ短調 1818 D625
3.0点

三楽章冒頭のユニゾンや一楽章の第2主題後のキラキラした部分などピアニスティックな箇所が印象的。

ピアノソナタ第12番 嬰ハ短調 1819 D655
未完成のため全集に収録なし

ピアノソナタ第13番 イ長調 1819 D664
3.5点

優美で温かみや優しさがある素敵な名曲。一楽章が非常に印象的で二楽章もかなりいい。楽章が3つでコンパクトなのもいい所である。しかし、14番以降の独自の魅力はまだなく、若書きの作品という印象は支配する。

ピアノソナタ第14番 イ短調 1823 D784
3.8点

最初は軽視していたが、よく聴くとこの曲はこれ以降にないほどの濃厚なロマンに満ちた強烈な魅力を持っている作品である。1楽章のムソグルスキーの展覧会の絵のような目新しさが耳を引く重々しさと、第2主題のショパン以降でも滅多に聞けないようなロマン的情緒が濃厚な旋律はいずれも素晴らしい。何度もなんども聞きたくなる。2楽章は平凡な旋律のようで、実は魅力がある。3楽章はふわふわと中空を彷徨うような冒頭の独特のパッセージと、ロマンでかつ落ち着いた情緒的な旋律が素晴らしい。

ピアノソナタ第15番 ハ長調『レリーク』 1825 D840
3.5点

あてもなく精神の赴くままに彷徨うような構成感の薄い音楽である。1楽章も2楽章も穏やかであるため、交響曲の未完成ほどに2つの楽章だけで十分完結している感じはない。未完結のソナタだなと感じる。とは言え、1楽章のしなやかで繊細さにゆっくりと流れに心を浸せる巨大さは良いし、それより2楽章はかなり美しい傑作の楽章であるため、心を捉えるような音楽の魅力がかなりある。

ピアノソナタ第16番 イ短調 1825 D845
3.5点

1楽章は最初は良さが分からなかったが、15番を少し密度を上げたが同系統の音楽と思ってゆったりと心を浸すように聞けば良いと気づいたら魅力的に感じるようになった。二楽章は美しい変奏曲で素晴らしい。三楽章は印象が薄い。四楽章はピアノ的な音楽でシューベルトのアレグロにしてはなかなかの盛り上げ方である。

ピアノソナタ第17番 ニ長調 1825 D850
3.5点

一楽章はあてのない感じがありつつも非常に快活な曲。二楽章はとりとめのない感じの中に、しつこいほどにじっくりと情緒的な曲である。三楽章は突然にベートーヴェンぽい曲。四楽章は大作の最終楽章の威厳が皆無なチャーミングな曲ではあるが、悲しみ喜び多くの感情が混ざるため重くはないが感慨を感じる印象的な作品である。ガチャガチャとしてまとまりはないが、ある意味で強いロマン的主張を持つ楽章が並んでいる曲。

ピアノソナタ第18番 ト長調『幻想』 1826 D894
3.8点

全体に穏やかで幻想的な雰囲気が支配的である。美しい幻想性のおかげで、他のソナタとは違う大きなワンアンドオンリーな存在感がある。特に1楽章はタイトルの元になった楽章であり、幻想性をたっぷり楽しめる。またこれは全楽章のバランスが良いソナタの一つであり、最後まで各楽章の個性を楽しめる。出版社が勝手にタイトルをつけて出版したソナタとのことだが、確かにソナタ形式でありながらも組曲的な楽しさがある曲である。

ピアノソナタ第19番 ハ短調 1828 D958
3.3点

この曲は個人的には、前後の大作群と比較すると、あまり魅力を感じていない。短調と長調が交錯する長大な曲は立派ではあるけれど、驚くべき傑作群の中では「これは」という名作と言える楽章がないと思う。

ピアノソナタ第20番 イ長調 1828 D959
4.5点

全ての楽章が均等な存在感を持っており、壮大なスケール感を持っている曲である。そして、英雄的な力強さや2楽章に代表されるような感情の起伏の激しさを持っている。全曲通しての素晴らしさでは21番以上のピアノソナタかもしれない。特に終楽章のイ長調らしい明るく伸びやかな主題を高揚感を保ちながら聞かせる音楽が大変素晴らしい。

ピアノソナタ第21番 変ロ長調 1828 D960
4.0点

最後のピアノソナタ。前半二楽章の特別感は素晴らしい。平安な心の中に感動と追憶をはらみ、未来を夢見て、現実に追い立てられるような感じで深い精神性。後半二楽章は音楽としてよくまとまっているが特別感が足りておらず、前半2楽章の深さを受け止めきれていない。特に4楽章がもう少し重量級の作品であってくれれば、最高級のピアノ音楽としての手放しで賞賛できるものになっていたと考えている。全体的に薄暗い中を長く細い道筋をたどって終わりまでたどり着くように聴く曲である。

その他のピアノ曲(連弾含む)

2つのスケルツォ 1817 D593
1曲目
3.5点

ちょっとしたお宝発見を感じた優れた小品。主題も挿入部分も魅力的で、聴き入ってしまう。

2曲目
3.0点

スケルツォにしては優雅である。どの部分もセンスはあって感心するのだが強い印象には残らない。

3つの英雄的行進曲 1818-24 4手 D602

ピアノ小品 イ長調 1816-17 D604
3.0点

ロマンチックさを秘めており、はっきりしない密やか感情がふわふわと揺らぐような小品。

行進曲 ホ長調 1818? D606

ロンド ニ長調 1818 D608
3.3点

ロンドの主題にシューベルトらしい柔らかくて夢のような美しい魅力があるので楽しめる曲。

アダージョ ホ長調 1818 D612
2.5点

センチメンタルな曲盛り上がった想いを即興演奏したものをそのまま書き留めたような曲。巨匠らしさは感じない。

大ソナタ 変ロ長調 1818 4手pf D617
3.5点

明快で陰がない曲。シューベルトらしい純度の高さと透明感と優しい手触りを単純に楽しんで聴ける。冗長でなく、割と引き締まった内容である所も良い。

幻想曲 ハ長調 『さすらい人』 1822 D760
4.0点

4楽章がつながっていて20分。リスト的な外面的な華やかさを持つシューベルトには珍しい作品。英雄的で勇壮で力強く、ピアノは技巧的であり聴いていて楽しい。精神的にも自由で広々とした精神的世界を旅するような趣がある。形式の自由さとテクニック的な楽しさを存分に聞かせる音楽として、リストに大きな影響を与えていると感じる。そして音使いのセンスに優れているだけあって、エンターテイメント的にかなり楽しめる音楽となっている。

楽興の時 1823-28 D780
4.0点

シューベルトの良さがよく現れている6曲の曲集。簡潔な書法の中に、静けさと歌心、メロディーの柔らかく儚い美しさが現れていて魅力的である。最後の締めが良いため、全曲を聴くと実にいいものを聴いたと満足感を得られる。とは言え書法の簡潔ゆえの物足りなさもなくはない。

ソナタ ハ長調『大二重奏曲』 4手 1824 D812
3点

シューベルトらしい曲。完成度はなかなかで大規模。
しかし、特記するべき特徴は感じなかった。

幻想曲ヘ短調 4手 1828 D940
4.5点

切なく奥ゆかしい悲しみに満ちた主題が大変に魅力的である。純粋なる美を湛えたその主題を何度も繰り返しながら、魅力たっぷりに場面展開していく。主題が何度も再現するたびに胸が締め付けられそうになる。主題以外も、全ての場面が音楽的な密度の高さを持っており、聴くものの心を強く捉えて離さないような歌心に満ちていて隙がないことから、シューベルトのピアノ音楽の中でも最も魅力的な曲の一つであることは間違いない。連弾曲ということで聴くのを避けては絶対にいけない曲である。

3つのピアノ曲 1828 D946
3.8点

1曲目と2曲目は、晩年らしい充実感であり、諦観や歌心などシューベルトらしい素晴らしさにあふれている佳曲。ただし、少し長いので曲を把握しにくいところがある。3曲目は早いテンポでソナタの最終楽章のような曲想であり、やはりシューベルトの最終楽章がとってつけたようで面白くないという弱点はそのままこの曲にも当てはまる。

アレグロ イ短調『人生の嵐』 4手 1828 D947

4つの即興曲 1827 D899

第1曲
4.5点

ハ短調の悲劇的な主題による変奏曲。はかなく切なく美しい心に強く訴える主題が、変奏しながら何度も切なく繰り返し演奏される事で深く心をえぐられる。短調と長調の交代が絶妙であることが、大変な効果を発揮している。

第2曲
4.0点

主題はショパン的な華麗さと軽やかさを持っている。挿入部分が対照的な短調の悲しい歌であり、絶妙な効果を挙げているため、全体にまとまりが良く演奏効果が高い曲になっている。

第3曲
4.0点

軽やかながらもしっとりとした歌心に満ちた曲。特に対比される部分による変化が無いのため間奏曲のような雰囲気ではあるのだが、そんなことは関係なく、メロディーも伴奏も完璧に美しく素晴らしく、強く心に感動を与える。

第4曲
4.0点

2曲目と同様のショパン的な軽やかなパッセージによる主題が魅力。中間は暗い旋律的な場面で強い対比を与えている。中間部分はわりと長いため、一度没入してしまった所で軽やかな冒頭に戻る。


4つの即興曲 1827 D935

曲集全体
4.0点

全体で一つの巨大なソナタのような構築性がある曲集。全体を通しでし聴くと素晴らしい大作であるが、個々の曲の良さはD899に負けると思う。

第1曲
3.5点

優雅でおおらかで幻想的。広大な空間の大きさを持っていて、心をあちこちに連れて行ってくれる。4曲セットのこの曲集の開始として素晴らしい雰囲気を作っている。印象的なメロディーではないので単独での名曲性は高くないが、大規模な曲の冒頭曲として優れている。

第2曲
3.8点

1曲目と違い、歌謡性のある曲で聞きやすい。優雅さとメヌエットのような舞曲性と重厚性を兼ね備えており、優れた曲。

第3曲
4.0点

儚く美しいメロディーを味わい尽くせる変奏曲。サロン的な上品な聴きやすさが優勢だが、シューベルトらしい陰もあり深みもある素晴らしい曲。

第4曲
3.3点

跳ねるようなリズムに民族的な味がある。豊富な時間を使って即興的な驚きのある展開を見せる面白さ、主題の面白さで楽しめる作品。とはいえ、最終楽章の苦手は払拭しきれていない印象はどうしても残ってしまった。

歌曲

歌曲集「美しき水車小屋の娘」(20曲) D795, Op.25 (1823)
4.3点

冬の旅と比較すると、心を揺さぶるような深い曲は少ないが、明朗で生き生きとして、青春の輝きに満ちているとともに、話のストーリーがあるのが特徴。最後の2曲の文学的な美しい締めくくり方は最高である。冬の旅と比較して曲の出来が平均的であり、ものすごい名作は少ないが、ほとんどの曲が最後まで聴きたくなる。リート作者としてのピアノと歌唱による表出力の才能の高さには脱帽するしかなく、まさに天才である。10曲目が好き。最後の20曲目は最高であり、感動で胸がいっぱいになる。

歌曲集「冬の旅」(24曲) D911, Op.89 (1827)
4.5点

1曲目から哀しい叙情の素晴らしさに心を奪われる。暗くしんみりした曲が多い。しかし鬱屈せずに輝きと静寂のなかにドラマを持っている。ピアノの表情の豊かさと詩情、次から次へと現れるシューベルトの天才的なメロディーは凄みがある。曲のつながりがよいし、短い曲も多いので聴きやすい。正直全てが名曲という訳ではないと思う。自分がリートに慣れていないせいかもしれないが、途中で次の曲に行きたくなる曲も3分の1位ある。しかし、強く心を揺さぶり、最後まで聞きほれてしまう曲も3分の1位ある。シューベルトの才能が最も端的に結晶している傑作であり、器楽曲が好きになったらぜひ聴いてみるべきと思う。

歌曲集「白鳥の歌」(14曲) D957,965A (1828)
3.8点

前半7曲は無名の詩人の詩によるもの。有名な4曲目のセレナーデこそ素晴らしいが、その他はあまり良いと感じない。後半は6曲がハイネ。非常に劇的で大胆なのに驚く。ロマン派的な世界により近づいており、凄みがある。かなり暗い。最後の一曲はまた無名の詩人による曲で毛色が違い、明るくて天真爛漫であり、ハイネでどんよりした気分を癒やして明るくしてくれる。この曲はシューベルトの絶筆だそうだが、非常に感動的で、この曲集で一番好き。本人が歌曲集として編纂したわけではなく、一つの連作歌曲と呼ぶにはまとまりが無いと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューベルト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c18

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
7. 中川隆[-13950] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:21:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-623]
2020/2/7 16:11 投稿者:777


安倍政権に潜む売国奴議員や日本を嫌う左翼議員は、観光業者の利益を優先して個人の観光客を入国させたが、一般国民は「いつ武漢肺炎に罹るかわからない」と不安な日々を過ごしている。

しかも、日本は支那大陸に次いで第二位の感染者数を誇っているのだ。この患者数により、歐米諸国は日本を「感染地域」と判断し、日系日本人までを“危険外国人”と見なすようになった。

イタリア人やフランス人は、日本人と支那人との区別が付かないから、ヨーロッパを旅行する日本人を目にすれば、「あっ、ウィルス保持者だ!」と思うし、子供連れの母親は“あの東洋人”に近づかないよう我が子に諭す。したがって、日本人観光客はイタリアのブテックに入店すれ、周囲の客から妙な目つきでジロジロ見られるし、在仏の日本人留学生も、食堂や電車の中で理不尽な差別に遭う可能性がある。

  こうした差別や偏見を外国で味わえば、「なんで私を黴菌みたいに扱うの!」と腹立たしくなるが、日本人は徐々に支那人や朝鮮人と融合し、「アジア人」となっているから仕方がない。

例えば、イタリアの街角で立ち小便をしたり、道端に痰を吐き捨てる支那人でも、日本の旅券を持っていれば、現地の住民は「何だ、あの日本人は ! そこら辺に小便や痰をまき散らしやがって! さっさと、国へ帰れ !」と激怒するに違いない。

また、帰化朝鮮人がアメリカの大学に留学し、白人からの差別に耐えかねて、「アイゴォォ〜」と銃の乱射を行えば、「日本の大量殺人鬼」として報道されるだろう。現地の日本人は苦々しく思うけど、事情を知らないアメリカ人は、「日本人と付き合うのはやめておこう。彼らは危険だから、会っても話さないようにしなきゃ」と考えるはずだ。

  しかし、日系日本人の駐在員や留学生は、アメリカの友人に対し「いやいや、あれは帰化鮮人で、日本人じゃないんだ。一緒にされては困るよ !」と反論するだろう。ところが、CNNやPBSといった米国のメディアは犯人を「日本国籍者」と伝えるから、普通のアメリカ人は「日本人の犯罪者」と思い込む。

また、フランスやイタリアで日本の旅券を持った帰化支那人が、滞在中にウィルスに感染し、どこかで病気を発症すれば、現地のテレビや新聞は「日本人旅行者が陽性反応 !!」と書き立て、「日本人には気をつけよう !」と仄めかすはずだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c7

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
33. 中川隆[-13949] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:31:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-622]

2020年02月07日
ウイルスで中国経済は2割減、成長率4%、長期的なダメージ確実



封鎖されて人気のない武漢市内。これでは経済活動もできない


画像引用:https://static01-proxy.hket.com/res/v3/image/content/2555000/2556732/fung001_1024.jpg

ウイルスで中国成長率は4%に下落

中国発新型肺炎は他の国への拡大は防止できているが、中国では長期的な経済へのダメージが懸念されている。

ゴールドマン・サックスは中国の第1・四半期(3月まで)成長率予想をを5.6%から4%に引き下げた。

2019年の中国成長率は6%だったので最初の見通しの5.6%ですらかなり低いが、さらに引き下げています。



中国政府による成長率目標は実際には目標では無く共産主義の経済計画で、ノルマと言った方が良い。

19年目標は6.0から6.5%だったので、中央政府や地方政府はこのノルマ達成のためにいくら支出すべきかを決める。

日本の財務省のように財政状態をチェックする機関が中国には無いので、予算は調達できる限り無限です。


例年なら前年の12月に目標が決定され、3月の全人代(20年は3月5日)で公表される。

新型ウイルスの拡大が3月まで続いていれば、全人代の延期や開催されても目標発表を先送りするかも知れません。

中国経済は去年後半から減速し、今年に入ってさらに減速しているので、6%ですら達成不可能な目標です。


現実路線で5.5%以上などに設定し、例え達成できなくても例年通り「達成した」と虚偽の発表をするでしょう。

中国が発表する経済指標はどれも信憑性がないが、中国の石油国内消費が20%減少し備蓄在庫が急増している。

これは外国から輸入するので誤魔化せず、経済活動が2割減少したのを示しています。

中国の経済活動は2割減

生産や輸送を伴う物理的な経済活動は石油消費量に比例している筈なので、実体経済が前年より2割減というのが実態でしょう。

ウイルス発生源の武漢や湖南省など約6000万人が移動制限を受けていて、商店もほとんど閉まっている。

武漢市などでは外出禁令が出されていてウイルス関連や許可された以外の就業も禁止、買い物は2日に1度家族で1人に制限されている。


まるで文化大革命時に戻ったような状況なので、これらの地域では2割どころか半減以下になったかも知れません。

武漢では許可を得ていない自動車の走行が禁止され、市外から輸送トラックも進入できない。

日用品や食料やあらゆる物資は軍や政府が統制し、スーパーマーケットや市場に搬送している。


共産主義の本領発揮というところで、共産主義が始まった当時のソ連もこうした状況だった。

中国の混乱に対して、世界市場への影響は限定的で、2月5日には米S&Pが史上最高値を更新した。

中国以外で感染が拡大していない事や、中国が20兆円規模の資金供給を行ったのが好感された。


新型ウイルスのワクチンが開発されたという噂も流れたが、これはWHOが真偽不明として打ち消した。

治療薬開発のため2月11日に100人以上の専門家が会議を開くのが決まり、「特効薬」がすぐに出来るような期待も膨らんだ。


一方アメリカではインフルエンザが大流行し、2月5日時点で1900万人が感染し1万人が死亡している(米疾病対策センター(CDC))

1月25日までの1週間でインフルエンザ患者数は400万人増え1900万人になり、18万人が入院した。

インフルエンザ大流行があった18年は感染者数は4500万人、死者数は6万1000人だったので、さらなる拡大が懸念される。

アメリカでもインフルエンザ大流行

中国はこれを格好の材料とし「アメリカのインフルエンザの方がずっと酷い」とアメリカを非難している。

アメリカのインフルエンザは例年2月にピークとなり5月まで影響が続くので、中国の新型ウイルスも3月や4月まで続くでしょう。

2月7日時点で中国での新型ウイルス感染者は2447人増え2万2112人、死者は618人だった。


感染者数の増加ペースは毎日20%以上だったのが10%近くに下がったが、本当の感染者数は10倍以上という説が有力です。

日本での感染者数は6日深夜時点で45人で重傷者はなし、チャーター機の帰国者とクルーズ船が18人を占めている。

そのクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス)では7日、感染者が41人増えて計61人になったと発表された。


集計時刻や外国船を含めるかが違うので、それぞれの集計数は一致せず、全て合計すると7日朝時点の国内感染者数は86人となった。

クルーズ船には3700人が乗船していたので船内の感染率は約1.7%になる(香港で下船した1人を含む)

これはチャーター機で帰国した565人中8人の感染率1.4%よりも高い。


チャーター機では2月7日にも約200人が帰国する予定で、おそらく2%の4人以上は感染者が含まれているでしょう。

武漢から帰国した日本人や感染者が乗船した船の感染率がいずれも1.5%程度なので、武漢市内の感染者数も人口の1.5%と考えるのが妥当です。

武漢と周辺地域の人口は約1400万人だが封鎖前後に脱走して1000万人になったとして15万人、湖北省全体では20万人でしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/82147956.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c33

[番外地7] 自衛隊の中東派遣 中川隆
2. 中川隆[-13948] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:47:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-621]
海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」が2日、横須賀基地から出航し中東に向かった。

 安倍首相は出国行事で「日本関係船舶の安全を確保することは政府の重要な責務だ」と訓示していた。多くの国民はこの説明に理解を示し、例えば、読売新聞社の世論調査によると、海自の中東派遣を「評価する」は50%、「評価しない」は35%だった。

 今回の海自の中東派遣は果たして船舶を含め、日本の安全を高めるのかといえば、真逆であり、日本を危険にさらす行為である。

 米国とイランは今、大変な緊張状態にある。米国はイランが核開発に向けて動き出そうとしていることについて不満を抱き、経済制裁を科している。

 米国は1月初旬、イランのソレイマニ革命防衛隊司令官を無人機で殺害。これに対し、イランは米軍が駐留するイラクのアルアサド空軍基地に十数発のミサイルを発射して反撃した。これまでにない大変な緊張状態である。そして、イランは「米国のみならず、米国の同盟国も攻撃の対象とする」としている。

 こうした中で、中東に派遣される海自をイランはどう見ているのか。

 日本政府は海自の活動を「調査」と説明している。しかし、軍事的緊張が高まっている時の「調査」は「偵察行為」である。過去を見ても、偵察行為にあたっていた飛行機などへの攻撃例は複数ある。最近でも、イラン革命防衛隊が2019年6月20日、南部ホルムズガン州に侵入してきた米国の無人偵察機を撃墜している。

 自衛隊の「調査活動」はイランから見て決して「無害行為」ではないのである。

 日本政府は海自の中東派遣は日本独自の行動であり、イランに敵対する有志連合の一員としての行動ではない、とも説明している。

 しかし、菅官房長官は昨年10月18日の会見で、「米国とは緊密に連携していく」と語っており、今後も情報共有などを進めるとみられている。在京イラン大使館がこうした発言を本国に報告しないはずがない。

 イランを敵国にするという意味は、イラク、シリア、レバノン、イエメンなど湾岸諸国のシーア派を敵に回すことであり、これらの国の人々のテロ行為の危険性も高まるのである。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/454.html#c2

[番外地7] 日本人は北海道の侵略者 中川隆
1. 中川隆[-13947] koaQ7Jey 2020年2月07日 19:09:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-620]
北海道開拓の歴史=和人による北海道侵略の歴史
アイヌ文様 = 北海道縄文土器の模様
アイヌ語=縄文人の言葉
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/450.html#c1
[昼休み46] 731部隊・wikipedia(隊員の子孫は、先祖の功罪を相続し、米英以生物兵器の全ワクチンを発見・発表すべきです) 小沢内閣待望論
11. 中川隆[-13946] koaQ7Jey 2020年2月07日 20:29:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-619]
細菌戦「731部隊」の新資料発見 「ないはず」の戦後公文書 細菌生産を明記
京都新聞社 2020/02/07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp



© 京都新聞社 関東軍防疫給水部行動経過概況図の実寸複写と西山名誉教授

 第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。

 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。西山名誉教授が昨年11月、国立公文書館から開示決定を受けた。文書は計4ページあるが、もっと分厚い資料の一部だった可能性がある。戦後中ソに取り残された元731部隊の軍医や軍人らの状況を把握するために作成された資料で、「関東軍防疫給水部の特異性 前職に依る(サ)関係者が多い」と書かれている。
 うち1枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された縦約90センチ、横約60センチある大きな図面。「防給本部」について「部隊長 石井四郎中将以下約1300人内外 本部は開戦と共に全部を揚げて北鮮方面に移動すべく」などと満州(現・中国東北部)から日本に帰国するまでの経路が図説され、本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成も記載されている。

 図は大連支部や牡丹江支部、ペスト防疫部隊など、関東軍防疫給水部の各支部がソ連参戦時にどういう部隊構成だったか、武装解除や敗走経路、ソ連に抑留された人数や指揮官の氏名、中国側に残留している人数なども記載している。731部隊はハルビン近郊にあった本部と実験施設を爆破し研究資料も廃棄処分したとされるが、撤退の経路が日本側公文書で裏付けられるのは初。731部隊の本部では日本に帰国し、戦後の医学界や製薬会社で活躍した人物が多いが、今回の資料で各支部は混乱した状況だったことも明らかになった。

 731部隊の生体実験やペスト菌散布などを示す戦時中に作成された文書や論文は国内や中国で発掘が相次ぎ、占領期に米国が石井元731部隊長や解剖した医学者らに尋問した調書も機密開示されているが、戦後に日本政府は731部隊について「調査しない」との見解を繰り返しており、公文書が存在した意義は大きい。
 日本政府は、731部隊のペスト菌散布を裏付ける金子軍医少佐論文(1943年付)が国会図書館関西館(精華町)で発見された際も、2012年の国会答弁で「政府内部に資料が見当たらないのが実態」と答弁している。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/11/lunchbreak46/msg/167.html#c11

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
1. 中川隆[-13945] koaQ7Jey 2020年2月07日 20:30:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-618]
細菌戦「731部隊」の新資料発見 「ないはず」の戦後公文書 細菌生産を明記
京都新聞社 2020/02/07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp



© 京都新聞社 関東軍防疫給水部行動経過概況図の実寸複写と西山名誉教授

 第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。

 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。西山名誉教授が昨年11月、国立公文書館から開示決定を受けた。文書は計4ページあるが、もっと分厚い資料の一部だった可能性がある。戦後中ソに取り残された元731部隊の軍医や軍人らの状況を把握するために作成された資料で、「関東軍防疫給水部の特異性 前職に依る(サ)関係者が多い」と書かれている。
 うち1枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された縦約90センチ、横約60センチある大きな図面。「防給本部」について「部隊長 石井四郎中将以下約1300人内外 本部は開戦と共に全部を揚げて北鮮方面に移動すべく」などと満州(現・中国東北部)から日本に帰国するまでの経路が図説され、本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成も記載されている。

 図は大連支部や牡丹江支部、ペスト防疫部隊など、関東軍防疫給水部の各支部がソ連参戦時にどういう部隊構成だったか、武装解除や敗走経路、ソ連に抑留された人数や指揮官の氏名、中国側に残留している人数なども記載している。731部隊はハルビン近郊にあった本部と実験施設を爆破し研究資料も廃棄処分したとされるが、撤退の経路が日本側公文書で裏付けられるのは初。731部隊の本部では日本に帰国し、戦後の医学界や製薬会社で活躍した人物が多いが、今回の資料で各支部は混乱した状況だったことも明らかになった。

 731部隊の生体実験やペスト菌散布などを示す戦時中に作成された文書や論文は国内や中国で発掘が相次ぎ、占領期に米国が石井元731部隊長や解剖した医学者らに尋問した調書も機密開示されているが、戦後に日本政府は731部隊について「調査しない」との見解を繰り返しており、公文書が存在した意義は大きい。
 日本政府は、731部隊のペスト菌散布を裏付ける金子軍医少佐論文(1943年付)が国会図書館関西館(精華町)で発見された際も、2012年の国会答弁で「政府内部に資料が見当たらないのが実態」と答弁している。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp

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[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
メンデルスゾーン 交響曲『スコットランド』



オットー・クレンペラー指揮 メンデルスゾーン 交響曲『スコットランド』


Mendelssohn: Symphony no. 3 "Scottish" - Klemperer & Philharmonia Orchestra





Philharmonia Orchestra
Otto Klemperer
Studio recording, London, 22, 25 & 27.I.1960


オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
EMI。1960年1月22,25,27,28日、アビー・ロード・スタジオでの録音。


古典的名盤。


終楽章コーダのテンポの「ゆったり」さ加減が何とも言えない。私はこの録音で初めてこの曲を聴いたので、しばらくの間は、他の演奏を聴くと終楽章コーダが「軽薄」に聞こえてしょうがなかった。
なぜ、この演奏がこんなに他と違うのか、は下のライヴ録音を聴き、そのライナーノートを読んで初めて納得できた。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1960年録音/EMI盤) 


昔から「スコットランド」と言えばクレンペラーと言われるほどの定番中の定番です。
遅いテンポでゆったりと構えているので、メンデルスゾーンの持つ音楽の明るさが減衰している印象です。常にクールで熱く成り過ぎないのです。でも、この曲にはむしろ適していると思います。特に第2楽章の遅さは、このテンポだからこそ、あのチャーミングなメロディが生きるのだと思います。他の部分も甘さ控えめで落ち着いた大人の魅力です。
こんなメンデルスゾーンは、ちょっと他の指揮者には真似が出来ないでしょう。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html


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Mendelssohn: Symphony No. 3 "Scottish" ( Bayerischen-Rundfunks
& Otto Klemperer )



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Mendelssohn Symphony No 3 in A minor 'Scottish', Adagio _ Symphonie-Orchester des Bayerischen-Rundfunks




Symphonie-orchester des Bayerischen-Rundfunks
Otto Klemperer


Herkulessaal, München, 23. V. 1969


オットー・クレンペラー指揮 バイエルン放送交響楽団


EMI。ART処理されての正規発売。1969年5月23日、ヘルクレスザールでのライヴ録音。
「レコ芸」7月号のタワーレコードの広告の紹介通り、「スコッチ」の最終楽章コーダが A-Durにならず、a-mollのまま終わっていく!
これがまた実に感動的である。


 しかし、上記紹介文には、A-Durになるのは1848年改訂版、a-mollのままなのは1830年の初稿、といった記述があるが、そういう改訂の事実があるのかどうかは裏がとれていない。
 だが、ハッキリしているのは、ここでクレンペラーが演奏しているのは「自作のコーダ」である、ということである。ケース裏にも「Coda : Otto Klemperer」と表記されている。
 英文のライナーには、こう書いてある。
As was his unvariable custom when conducting this symphony, he cut Mendelssohn's 95-bar coda to the last movement and substituted a coda of his own devising,
(つまり、自作のコーダで演奏するのが常だった。ということは、60年の楽譜通りのスタジオ録音は、名盤だが、彼にとっては特別だったのだ。)
in which he extends the movement's second subject to provide a conclusion he believed to be more suited to the general mood of the symphony than the A-major exuberance of Mendelssohn's own ending,
(長調の雰囲気に満ちたエンディングより、終楽章第2主題を用いた自作のほうが、この曲の全体の雰囲気に合っている、と彼は信じていた)
実際、クレンペラーは、自分のこの演奏に証をたてるために、このミュンヘンでの演奏会のプログラムに自身で次のような文を書いていた。
私は、H・E・ヤーコブの本に、次のような一文を見つけた。
Mendelssohn was so worried about the male-chorus character of the ending
(メンデルスゾーンはこのエンディングの男声合唱的性格を憂えていた)
(中略)
つまりメンデルスゾーン自身、このコーダに全く満足していなかったのだ。実際、このコーダは全く変だ。妙だ。(中略)
この私のバージョンは1音符たりともメンデルスゾーンによるものではない。ただ、美しい第2主題をその終結に導いてやっただけだ。(中略)この改変は多くの批判を受けるだろうが、しかし、私はこれが正しいと信じる。
だから、クレンペラーは、上のスタジオ録音で、楽譜通りのコーダを勇ましくは演奏しなかったのだ!
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


オットー・クレンペラー指揮バイエルン放送響(1969年録音/EMI盤) 


ミュンヘンでのライブ録音ですが、オーケストラは優秀ですし、スタジオ盤を上回るほどの出来栄えです。ところが、ひとつ問題が有ります。クレンペラーは、この曲の終結部が気に入らなかったようで、自分で勝手にコーダを書き換えてしまいました。


それは短調のまま静かに終わるので、確かに面白いと思います。でもメンデルスゾーンが13年かけて書き上げたものに手を加えるというのは、如何なものかなぁという気がします。聴き慣れているせいもあるでしょうが、個人的にも通常版のコーダは好きです。従って、これはあくまでもセカンドチョイスとせざるを得ません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html


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交響曲第3番イ短調『スコットランド』(ドイツ語: Sinfonie Nr. 3 in a-Moll op. 56, „Schottische“ MWV N 18)はフェリックス・メンデルスゾーンが1830年から1842年にかけて作曲した交響曲。作品番号56。


メンデルスゾーンが完成させた最後の交響曲である。
「第3番」の番号は出版順による。
これより早い時期に作曲された第4番「イタリア」、第5番「宗教改革」の両曲はメンデルスゾーンの死後に出版された。


「スコットランド」という標題は、メンデルゾーンがこの曲を着想したのがスコットランド旅行中だったことによる。ロマン派音楽の交響曲として代表的な存在であり、4つの楽章は休みなく連続して演奏されるよう指示されている。しかし、各楽章は終止によって明確に区切られているため、連続性は緩やかであり、同じく全楽章を連続的に演奏するロベルト・シューマンの交響曲第4番とは異なって、交響曲全体の統一性や連結を強く意図したものとは認められない。


作曲の経緯
1829年3月にメンデルスゾーンは、バッハのマタイ受難曲を蘇演し、5月に初めてイギリスに渡った。スコットランドを旅したメンデルスゾーンは7月30日、エディンバラのメアリ・ステュアートゆかりのホリールードハウス宮殿を訪れ、宮殿のそばにある修道院跡において、16小節分の楽想を書き留めた。これが「スコットランド」交響曲の序奏部分であり、この曲の最初の着想となった。


しかし、翌1830年にはイタリア旅行して、第4交響曲「イタリア」の作曲にかかり、1835年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となるなど、多忙のために「スコットランド」の作曲は10年以上中断された。


全曲が完成したのは1842年1月20日、ベルリンにおいてであり、メンデルスゾーンは33歳になっていた。メンデルスゾーンはモーツァルト同様、速筆で知られるが、この曲に関してはその例外ということになる。


初演
初演は1842年3月3日、メンデルスゾーン自身の指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。
同年5月に7度目のイギリス訪問を果たしたとき、メンデルスゾーンはバッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に謁見し、この曲を女王に献呈する許可を得た。献辞付きの楽譜は翌1843年に出版された。


楽器編成
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2、ティンパニ、弦五部。


楽曲構成


第1楽章 Andante con moto — Allegro un poco agitato[編集]
イ短調 3/4拍子 - イ短調 6/8拍子
序奏付きのソナタ形式(提示部リピート指定あり)。


序奏は、幻想的かつ悲劇的な旋律で始まる。旋律の初め、属音から主音に4度跳躍して順次上行する4音からなる音型は、各楽章の主題と関連があり、全曲の基本動機的な役割を果たしている。序奏はかなり長く、物語るように発展するが、やがて始めの旋律に戻り、主部に入る。 主部は弦とクラリネットが弱音で第1主題を提示する。主題は序奏動機に基づき、繰り返しながら急激に盛り上がる。第2主題はホ短調、クラリネットで奏されるが、弦の第1主題の動機が絡んでいるためにあまり目立たない。小結尾では弦に詠嘆的な旋律が現れる。提示部は繰り返し指定があるが、実際に繰り返す演奏は少ない。展開部は弦の長く延ばした響きで開始され、各主題を扱う。再現部は短縮されている。コーダは展開部と同じように始まり、すぐに激しく興奮するが、やがて序奏の主題が戻ってきて静かに楽章を締めくくる。


第2楽章 Vivace non troppo
ヘ長調 2/4拍子 ソナタ形式。
スケルツォ風の楽章。
短い前奏につづいて、木管がスコットランド民謡を思わせる旋律を示す。これが第1主題で、第1楽章の序奏主題の動機に基づく。第2主題はハ長調、弦のスタッカートで順次下行する。展開部では第1主題を主に扱い、各楽器がこの主題を追いかけるように奏し合う。再現部では第2主題が強奏されて効果を上げる。


第3楽章 Adagio
イ長調 2/4拍子 ソナタ形式。
短い序奏があり、ヘ長調からイ長調に変わる。
主部は、歌謡的な第1主題が第1ヴァイオリンで、それに応えるように葬送行進曲風の第2主題がクラリネット、ファゴット、ホルンで厳かに提示され、クライマックスを築く。再び穏やかな小結尾の後に、短い展開部に入るが、ここでは序奏と第2主題が取り扱われる。その後、ほぼ型通りの再現部の後、長めのコーダに入る。


第4楽章 Allegro vivacissimo — Allegro maestoso assai
イ短調 2/2拍子 - イ長調 6/8拍子 ソナタ形式。


低弦が激しくリズムを刻み、ヴァイオリンが広い音域を上下する第1主題を示す。経過句では、弦によって推進的なリズムが現れる。第2主題はホ短調、木管楽器で出されるが、弦によるハ長調の勇壮な対句を伴っている。この主題も第1楽章の序奏主題と関連がある。展開部では、第1主題と経過句の動機が主に扱われる。再現部は短縮され、コーダに入ると、第1主題に基づいて激しく高まるが、波が引くように静まって、第2主題が寂しげに奏され、いったん全休止となる。テンポを落として6/8拍子になり、低弦が新しい旋律をイ長調で大きく歌う。これも第1楽章の序奏主題の動機が組み込まれている。この新しい主題によって壮大に高まり、全曲を明るく結ぶ。


終楽章の結尾について
第4楽章のコーダで全休止の後、新しい旋律が導入されてそれまでの曲調が一変する手法は、その雰囲気と効果はかなり異なるが、ロベルト・シューマンが1845年から1846年にかけて作曲した交響曲第2番にも見られ、シューマンが「スコットランド」を聴いて影響を受けた可能性がある。


クレンペラー版
指揮者のオットー・クレンペラーは、このコーダについて批判的意見を持っていた。
クレンペラーが「スコットランド」を指揮した録音では、1960年フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音(EMI)が一般に知られているが、これは通常の演奏である。


しかし、同レーベルで1966年にバイエルン放送交響楽団を指揮したライヴ録音では、第4楽章のコーダの後半95小節分をカットし、第4楽章の第2主題に基づく独自のコーダを演奏したものが残されている。
この演奏では、イ長調の新たな旋律は現れず、音楽は短調のまま、静かに閉じられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第3番_(メンデルスゾーン)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
129. 中川隆[-13944] koaQ7Jey 2020年2月07日 21:41:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-617]
メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c129
[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
35. 中川隆[-13943] koaQ7Jey 2020年2月07日 21:56:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-616]
非正規社員世代の40〜50代が孤独死2割の世界になった。異常事態と認識すべき!
https://31634308.at.webry.info/202002/article_5.html?1581076810

朝日新聞の『孤独死、40〜50代が2割の衝撃 不安定な雇用影響か』という記事を読んでついにそんな記事が出るようになったかと暗澹となる気持ちになった。この世代はロストジェネレーションと言われる世代である。れいわの山本太郎が政策としてロスジェネを含む底上げを行うとよく言う。山本はその危機感を持っている。この世代は、小泉首相の下で竹中が大臣の時、派遣法が制定され正規社員から非正規社員がどんどん増やしていく中で割を食った世代である。

失われた世代と言われている。まだまだ若い40〜50代世代の孤独死が全体の2割という。いよいよ、そういう事態が起き出したということである。孤独死は70、80歳の話では無くなった。非正規社員の年収は250万円も行かない。200万円とも言われている。孤独死が出ている背景にまだ脛をかじる親が居る場合はまだ生き延びる。しかし、親も死に、頼れる者が居なくなれば病気などで失業しすぐに立ち行かなくなってしまう。もしくは親が居ても介護状態に入り、どこにも入る施設がなくなり介護するために離職する場合もある。

今の自民の政治はそのような弱者を救済するような政治ではなくどんどん切り捨てる。今弱者のための政治を声高に謳っているのは、れいわと共産ぐらいしか聞かない。今後、日本の労働者の中で非正規社員率が50%を超えていく社会は異常そのものである。この非正規社員問題が抜き差しならぬ状態になるのは時間の問題である。山本は税金もあるところからとれ、無いところから剥ぎ取るなと叫んでいる。エンゲル係数の大きい弱者には消費税10%は途轍もなく重い。れいわ、共産のような政党の数を増やさない限り日本のロスジェネ世代の孤独死はもっともっと増えて行く。


孤独死、40〜50代が2割の衝撃 不安定な雇用影響か
https://www.asahi.com/articles/ASN26778HN25PTIL01G.html?iref=comtop_8_04


 1日に1体以上、死後1カ月あまりが経過した遺体が見つかる――。統計データがないことから、実態把握が困難だった孤独死。だが大阪府警が初めて実施した調査により、深刻化する実態が明らかになった。識者らは、国がこうした調査に取り組む必要性を訴える。


• 孤独死、65歳以上が7割 昨年2996人、大阪府警調査

 大阪府南部の団地で昨年1月、やせこけた80代男性の遺体が見つかった。ポストにたまっていた新聞に別の住人が気づいたが、死後1カ月ほどが経過。妻に先立たれ、近所づきあいは乏しかったという。同じく府南部のアパートで昨年11月に見つかった70代男性の遺体は激しく傷み、死因は不詳だった。室内には9カ月前に賞味期限が切れた食品があり、このころに亡くなった可能性がある。遺族は「3年ほど会っていない」と府警に説明した。

 大阪府警は昨年1年間に事件性がなく屋内で死亡し、死後2日以上経過して見つかった独居者(自殺含む)2996人について調べた。うち死後1カ月以上たって見つかった遺体は382体。ケアマネジャーなど介護現場の経験がある淑徳大学の結城康博教授(社会福祉学)は「臭いで気づくまで発見されなかったということ。周囲の無関心さ、孤独死への無関心さがあらわれている」という。

男性、女性の5倍以上

 382体のうち男性は321人で、女性の61人に比べ5倍以上。高齢者の孤立問題に詳しい河合克義・明治学院大学名誉教授(社会福祉学)はそこに「日本社会」のありようを見る。「これまでは男性が働き、女性が家庭にいるというパターンが多かった。その分女性は地域社会でつながりを持てるが、仕事ばかりの男性は、定年後に孤立しているのでは」と指摘した。

 年代別にみると、70代男性が全体の26・4%となる792人で、世代別では最多。一方で、65歳未満は29%(868人)。孤独死が高齢者だけの問題ではないことを物語っている。

 この中で「働き盛り層」とされる40代が159人、50代が392人と合わせて全体の18・4%にのぼったことについて、河合教授は「衝撃的だ」という。40代はバブル崩壊後の就職氷河期の影響で非正規雇用を余儀なくされる人も多く、また50代がリストラ対象となっているケースも目立つ。こうした雇用の不安定さが影を落としているとの立場だ。

 孤独死対策が求められる一方、全国的な統計データがないことについて、厚生労働省の担当者は「『孤独かどうか』は個人の内面の問題を含んでおり、孤独死をどう定義するかが難しい」とする。河合教授は「40、50代が高齢期を迎える20年後、30年後はさらに深刻になる。国は実態を把握し、対策に向け、早期に動くべきだ」と訴えた。(光墨祥吾、永野真奈)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c35

[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
1. 中川隆[-13942] koaQ7Jey 2020年2月07日 22:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-615]

ワインガルトナー

Felix Weingartner - Mendelssohn - Symphony No. 3







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Felix Weingartner, conductor
Olo Royal Philharmonic Orchestra

Recorded in 27 March, 1929 at the Portman Rooms, Baker Street, London

フェリックス・ヴァインガルトナー指揮ロイヤル・フィル
EMI。新星堂によるSP復刻盤SGR8534。1929年録音。
テンポは結構速い。
カップリングは「魔弾の射手」序曲、「舞踏への勧誘」(いずれもバーゼル管弦楽団、1928年録音)
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c1
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
2. 中川隆[-13941] koaQ7Jey 2020年2月07日 22:40:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-614]


トスカニーニ



Symphony No.3 in A minor, Op.56 'Scottish' NBC Symphony Orchestra
1941









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NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini (conductor)
1941年4月5日、8Hスタジオでのライヴ



アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
TESTAMENT。SBT 1377。1941年4月5日、8Hスタジオでのライヴ。

カップリングの「フィンガルの洞窟」ともども貴重な録音がついに正規発売。
やっぱりNBCは上手い! 1週間前のシューマン第2も収録。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c2
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
3. 中川隆[-13940] koaQ7Jey 2020年2月07日 23:02:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-613]


ペーター・マーク

Mendelssohn: Symphony No. 3 `Scottish`, Maag & LSO (1960)








Peter Maag (1919-2001), Conductor
London Symphony Orchestra

Rec. April 1960, in London (or 1959)



ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団
DECCA。1960年録音。
ながらくこの曲のベスト盤とされていたものである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


ペーター・マーク指揮ロンドン響(1957年録音/DECCA盤) 

マークは日本のオケにも度々客演しましたし、この演奏もかつては高く評価されていました。けれども最近ではすっかり忘れ去られた感が有ります。非常に残念です。

改めて聴いてみると、本当に若々しく瑞々しい演奏なので、若きメンデルスゾーンの異国への旅における喜びが余すところなく表現されていると思います。
DECCAの録音も年代を感じさせないほどに秀れているので不満は感じません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c3
[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
3. 中川隆[-13939] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:01:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-612]


77 73 分前(編集済み)

琉球人は日本人ではありません。 日本人や米軍に守って貰うというのが間違いなのです。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに琉球人を日本人化させるのが間違っているのです。そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。
さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。
今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法
そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。
これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。
半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c3

[番外地7] 沖縄 中川隆
1. 中川隆[-13938] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:04:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-611]


77 73 分前(編集済み)

琉球人は日本人ではありません。 日本人や米軍に守って貰うというのが間違いなのです。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに琉球人を日本人化させるのが間違っているのです。そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。
さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。
今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/381.html#c1

[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
4. 中川隆[-13937] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:10:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-610]
沖縄住民が戦後一貫して自民党支持だったというのは米軍に金を落として貰いたいからだもんね

ケビン・メア日本部長のお言葉 
 日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。 しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。

 沖縄の主産業は観光だ。農業もあり、ゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。 日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ、沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。

 沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。 

 日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。 (共同)
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c4

[番外地7] 沖縄住民が戦後一貫して自民党支持だったのは米軍に金を落として貰いたいから
沖縄住民が戦後一貫して自民党支持だったのは米軍に金を落として貰いたいから

ケビン・メア日本部長のお言葉 

 日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。 しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。

 沖縄の主産業は観光だ。農業もあり、ゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。 日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ、沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。
 沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。 
 日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。 (共同)

______


2000年7月16日付、「琉球新報」によると、1968年11月に行われた沖縄の日本「返還」後初の沖縄知事選挙(当時は主席公選と呼んだ)において、米国CIAが自民党の知事候補に選挙資金を援助し、自民党を勝たせるように裏工作していた事実が報道されている。

 この記事では、米国大使館から出された、「自民党にCIA資金を選挙の裏金として渡すよう」指示した、68年8月16日付の電文がスクープ掲載されている。CIAが「日本の政治家の買収資金を提供」するのは、「沖縄での米軍の駐留・永久化」のためであった。歴代自民党政権は、このCIA資金に買収され、「沖縄を米軍に売り渡し」、その見返りにCIA資金の提供を受け、その資金で選挙に「勝利」してきた売国政権でった。

 なお、この沖縄知事選挙で自民党幹部職員として選挙を担当していた金尚氏によると、CIAの代理人として沖縄でCIA資金2000万円の授受を担当していたのは、小泉純一郎元首相である(週刊文春2002年8月15日、22日合併号)。

 小泉純一郎元首相は、40年前からCIA工作員であった。


CIA極秘ファイルの破壊力 霍見芳浩

これまでに判明していることがある。米国政府がとくに、一九五一年のサンフランシスコ講和条約直前にA級戦犯を解かれた岸信介の要求を入れて、岸の政界復帰のためにCIAの対外工作機密費から毎年、資金と政治的援助を開始して以来、自民党の代々の首相や派閥のボスたちは、「米国の日本探偵(エージェント)」として、CIAの機密費を受け取ってきた。このために国務省とCIAは協力して、自民党の首相や派閥ボスたちについて、詳細な「人物と信用調査ファイル」を作成している。

 ○一年一月、ブッシュは小泉より一足先に米大統領になり、四月の日本の自民党総裁選挙では裏から小泉支持に回った。「ブッシュのポチ」としてしつけやすいと見抜いたからだった。私の開くところでは(ブッシュにごく近い筋から)、小泉ファイルを土台にした心理分析で、ブッシュと似た性格で、おだてと脅しの使い分けで自由に操作できるとの人物八卦(はっけ)だった。万一の場合、脅しの種としていくつかのメニューがあったとされる。私がCIA筋から聞いた話では、小泉が慶應義塾大学四年生の春に起こしたデートについての不行跡、そしてロンドンヘ逃避(留学名目)した事情がある。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/474.html

[番外地7] 沖縄住民が戦後一貫して自民党支持だったのは米軍に金を落として貰いたいから 中川隆
1. 中川隆[-13936] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:17:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-609]
琉球人は日本人ではありません。 日本人や米軍に守って貰うというのが間違いなのです。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに琉球人を日本人化させるのが間違っているのです。そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。

中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。

それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。

今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/474.html#c1

[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
4. 中川隆[-13935] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:00:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-608]

ロジャー・ノリントン

Mendelssohn Symphony No 3 A minor Scottisch Roger Norrington Age of Enlightment


▲△▽▼

Sinfonie Nr. 3 a-Moll Op. 56, MWV N 18 "Schottische":












Orchestra: Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
Conductor: Roger Norrington


ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
ヘンスラー。2004年9月3,7日、シュトゥットガルト、リーダーハレにおけるライヴ録音。

同時録音の「イタリア」とカップリング。緩徐楽章では弦を約半分に減らして演奏している。

これはクレンペラー盤を別にすれば最高の名盤である。
第1楽章の起伏の激しさ。第2楽章と第3楽章の対比。そして終楽章(Allegro vivacissimo)は一転して堅実なテンポ。コーダに入る前にぐっとテンポを落として、...はたしてコーダのテンポは?(クレンペラーのテンポを採ってくれるか? まさかそれは無いだろう。でも一転して馬鹿騒ぎというのも無さそうだ。)

うん!やはり楽譜の指示(Allegro maestoso assai)の“maestoso”を損なわないギリギリのテンポだ。終楽章主部のテンポを抑え気味にしておいたことでコーダをこのテンポにすることができたのである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm



▲△▽▼

Symphony No. 3 in A minor Op. 56, 'Scottish'









Orchestra: London Classical Players
Conductor: Roger Norrington

ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ

EMI。1989年録音。「イタリア」とカップリング。
国内盤が出ていないが、大変素晴らしい演奏だ。
古楽器の鄙びた音色がバグパイプ的でよい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c4
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
5. 中川隆[-13934] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:07:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-607]
カラヤン

Mendelssohn Symphony n. 3 / Karajan, BPO (24bit/96khz 2016)








Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan
Originally released by Deutsche Grammophon in 1971.


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
DG。第3番&第4番&「フィンガルの洞窟」でOIBP化。1971年録音。
カラヤン唯一のメンデルスゾーンの交響曲全集から。どれも聞かせ上手な名演だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c5
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
6. 中川隆[-13933] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:23:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-606]

ブリュッヘン

Mendelssohn Symphony no. 3 ("Scottish"), op. 56. Brüggen, Orchestra of the 18th Century


Orchestra Of The 18th Century
Frans Brüggen

_____

Mendelssohn Symphonies 3 & 4 / Bruggen










Conductor: Frans Bruggen
Orchestra: Orchestra of the 18th Century
Released on: 2013-06-25


フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
GLOSSA。2012年11月録音。
19:16, 4:57, 10:12, 11:18。

09年録音の「イタリア」とのカップリング。
さらに何故かバッハの教会カンタータ第107番のコラールのオーケストラ版が入っている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

▲△▽▼

♪メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 「スコットランド」 Op. 56 / フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ 1994年11月


Frans Bruggen & Orchestra of the 18th Century 1994



フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
PHILIPS。1994年録音。
16:27, 4:21, 9:21, 9:46。

古楽器の限界だ、などという人もいるようだが、そんなことは決してない!
コクのある名演である。第3〜5番+「フィンガルの洞窟」で2枚組。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c6
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
7. 中川隆[-13932] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-605]

クラシック音楽 一口感想メモ
フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809 - 1847
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/メンデルスゾーン


端正でバランスの取れており、典型的なロマン派の情緒を持ち、美的感覚の鋭さを見せる優れた作品を多く書いている。しかしながら、作品の持つ世界がコンパクトで品が良すぎる点でやや地味な印象がある。非常に早熟な作曲家の一人である。


交響曲

交響曲第1番 ハ短調 Op.11 MWV.N 13 (1824年)
3.5点

わずか15歳の作品というのが驚きである。精神的な成熟による深みは全然ないのだが、音を楽しく心地よく巨匠的に鳴らすセンスに関するメンデルスゾーンの早熟に驚かされる曲の一つである。歯切れの良い音の使い方で耳を楽しませてくれる。弦楽のための交響曲からの正常進化であり、八重奏曲の高みに至る進歩の過程において、完成に近付いてきている。

交響曲第2番 変ロ長調「賛歌」 Op.52 MWV.N 15(1840年)
3.8点

3楽章のシンフォニアとカンタータの合わさった大作。前半は成熟感が高くて出来がよく、ブラームスの交響曲を連想するほど。ただし分かりやすいメロディーはない。隠れた名曲と言える。後半も非常に充実した立派な作品なのは確かだ。高揚感があって感動的なのだが、かなり長く、ずっと合唱が続く。交響曲として聴くには敷居が高いと思う。

交響曲第3番 イ短調「スコットランド」 Op.56、MWV.N 16(1842年)
4.5点

ずっしりとした重厚な手応えと響きや内容の充実は、イタリア交響曲よりもずっと上。どの楽章も聴きごたえがある本格的な曲。しかし、だからこそメンデルスゾーンの音楽の線の細さによる限界も露わになっている。

交響曲第4番 イ長調「イタリア」 Op.90、MWV.N 17(1833年)
5.0点

1楽章は明るい陽光を浴びるような明快さで楽しくてメロディーは完璧であり、ロマン派屈指の名曲の一つと言えるだろう。その後の2楽章も3楽章も異国らしい情緒があり雰囲気が良くてメロディーも良く、楽章の構成が効果的で楽しい。4楽章がやや軽いのが弱点。親しみやすい交響曲。

交響曲第5番 ニ短調「宗教改革」 Op.107、MWV.N 18(1830年)
3.0点

青年期の特徴をまだ少し残しながらも大人の音楽に成長する過程の曲と思う。メンデルスゾーン本人がこの曲の何を気に入らなかった不明だが、たしかに序奏の壮大を初めとして多くを詰め込んでいながらも、本人のやりたい事がやりきれていない感じがする。重心が定まっていない。実力があるだけに立派には仕上げているが、あとから曲が思い出せない。インパクト不足である。

協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ト短調 Op.25、MWV.O 7(1831年)
2.5点

やや性急に感じられるほどのテキパキとした音楽、かっちりした構築感、これらの若いメンデルスゾーンの特質が全くピアノ協奏曲に合っていない。このために、一部の場面を除いてあまり面白くない曲になっている。ピアノ書法は頑張っていて音数は多いのだが、いまいち心に響かない。ピアノ協奏曲は耽美性や自由さが大事ということに気付かされる作品。

ピアノ協奏曲第2番 ニ短調 Op.40、MWV.O 11(1837年)
2.5点

1番よりはいいが、やっぱりメンデルスゾーンにしてはいい曲ではないと思う。ロマン派大作曲家のピアノ協奏曲の中では駄作の部類だと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64、MWV.O 14(1844年)
5.5点

1楽章は冒頭の魅力から始まり、メロディーやつなぎの部分といい構成と展開といい完璧な完成度。メンデルスゾーンの音楽の線の細さがプラスに働いている。ヴァイオリンの奏でる歌は微かなメランコリーを常に持ちつつも繊細で美しくて魅力的。2楽章の憧れや儚さや人恋しさを歌い続けるヴァイオリンのメロディーの魅力も凄い。3楽章の妖精が踊るような楽しくて愛らしい音楽も非常に完成度が高くて魅力的。全体にほぼ全ての部分が完璧に近い完成度である。

序曲

『夏の夜の夢』序曲 “Ein Sommernachtstraum”Op.21(1826年)
3.8点

とても17歳の作品とは思えない完成度。各主題の良さとそれらの対比の素晴らしさ。妖精や幻獣の創意に満ちた描写の巧さは見事であり、想像を膨らませながら音楽の世界に入り込むことにより、絵巻物のような物語の世界を楽しめる。


トランペット序曲 Op.101(1826年、改訂1833年)
3.3点

なかなか快活で愉しい曲。ただ、それ以上ではないかなという気もする。とはいえ、9分間ずっとひたすら快活で華やかで飽きずに楽しめる曲は案外少ない気がする。シンプルな中に高い作曲技術が込められてはいるのだろう。


序曲「静かな海と楽しい航海」 “Meeresstille und glückliche Fahrt”Op.27(1828年、改訂1832年)
2.8点

大作の序曲であり、序奏の長さを初めとして立派ではあるのだが、分かりやすい華がない。じわじわとした良さしかないため、印象に残らずに終わる。

序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ諸島)」 “Die Fingals-höhle”Op.26(1830年、改訂1832年)
3.3点

ワーグナー的な濃密で現実感のある自然描写が特徴の曲。ブルックナー的なオケのパワーを生かしたダイナミックさもある。ロマン派らしいとても優れた管弦楽曲と頭では分かるが、メロディーが明確さを欠いた曖昧な雰囲気の曲でもあり、自分は個人的にはあまり心を動かされないのが率直な感想である。生のオーケストラで聴いてみたい。

序曲「美しいメルジーネの物語」 “Das Märchen von der schönen Melusine”Op.32(1833年、改訂1835年)
3.0点

並みの作曲家には書けないメンデルスゾーンの作曲技術が駆使されたダイナミックな良作で十分に楽しめる。しかし、他の序曲と比較すると全体を通してインスピレーションがやや弱いため、強くは推せない曲である。

序曲「リュイ・ブラース」 “Ruy Blas”Op.95(1839年)
2.8点

この曲はあまり面白い曲ではなく、一般的な作曲家に近いレベルと思う。主題が地味であまり工夫を感じないし、それを繰り返す中での味付けや他のテーマとの対比もイマイチである。舞台的な明朗な快活さだけが印象に残った。

吹奏楽のための序曲 作品24
3.5点

前半はモーツァルトの傑作緩徐楽章に匹敵するほど、美しいメロディーの叙情的で切ない気分になる名曲で、しんみりする。後半はいつものサバサバした音楽だが、賑やかな感じが愉しい。メンデルスゾーンが吹奏楽を書くとこうなるのか、と興味をそそるが、成功度合いとしては、なかなか良いと思った。

ピアノ曲

ピアノ・ソナタ 第1番 ホ長調 Op.6(1826年)

ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.105(1821年)

ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調 Op.106(1827年)

3.3点

1、2楽章は性急な感じがピアノソナタに合っておらず、お仕着せな印象もあり、聴いていて面白くない。3楽章の柔らかくては穏やかな書法の産み出す夢幻的な音楽がかなり美しくて、なかなか感動しながら聴き入った。そのままの流れでジワジワと無言歌を大規模にしたかのように、柔らかさを保って盛り上げていく4楽章もなかなか良い。しかし、2楽章の主題がリプライズされてガッカリするのだが。後半2つの楽章が優れている曲。


厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54(1841年)
4.0点

繊細で美しい主題。ロマンチックで美しく、華やかでありながら繊細な変奏の数々。ピアノの書法は見事。変奏曲の醍醐味を味わえる巨匠的な作品である。メンデルスゾーンのピアノ曲の中で一番素晴らしい。

幻想曲 嬰ヘ短調「スコットランド風ソナタ」Op.28(1833年)
3.8点

ロマンチックであるが、古典的な平衡感覚も十分に持っている。しかし、決して小さくまとまった行儀の良さだけではないとともに、繊細な歌心と美的な鋭敏な感覚を充分に発揮した曲である。ベートーヴェンとシューマンの間位に位置するような曲。一種のソナタとも言われるが、やはり雰囲気は幻想的。15分というなかなかの大曲。


ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14(1824年)
4.0点

ショパンのように華やかでメロディーが秀逸で耳に残る。上品で軽やかで聴いていて楽しい気分になれる名作。メロディーの対比は秀逸である。メンデルスゾーンのピアノ曲で一番よく演奏される曲であるのも当然の名作。

6つの子供の小品 Op.72(1847年刊)
3.5点

子供のための易しい小品集だが、決して子供だましのような幼い音楽ではなく、大人らしい精神の品位とリリシズムのある良い音楽である。従って、大人のとっても聞き応えがある作品となっている。

アルバムの綴り「無言歌」 ホ短調 Op.117(1837年)
3.5点

ホ短調であり、スマートで物憂さと情熱をはらんだ分かりやすいメロディーという点でヴァイオリン協奏曲に通ずるところがある。雰囲気は良いがすこし通俗的である。それより中間部分の長調のメロディーが、夢のような繊細さと柔らかさを持っていて素晴らしい。

ヴェネツィアの舟歌 イ長調(1837年)
3.5点

まさにタイトル通りの曲だが、ゆらゆらと揺られるような雰囲気、黄昏時の光のあたり方のような描写と詩情は素晴らしく、描写的な性格小品の傑作だと思う。描写力や詩情の素晴らしさはドビュッシーの小品を彷彿とさせる。

2つの小品
2.8点

対照的な2曲の小品。悪くはないがあまり優れた所もない。その意味で地味な作品。1曲目は歌があるし2曲目は高速で派手ではあるが。


無言歌集

第1巻 作品19 出版年代:1832年
3.5点

全6曲。1曲目から美しさにいきなり心を奪われる。それ以外の曲も捨て曲なしであり、全て個性的で素晴らしい。メロディーや雰囲気は素朴で音数は多くないが単純過ぎることはなく、シューベルトにも匹敵するような歌心を内包した音楽となっている。

第2巻 作品30 出版年代:1835年
3.3点

1集と比較すると薄味で、さらっと流して聴いてしまうような曲が多いと感じる。ただし最後の6曲目の憂鬱な重たさのあるメロディーはかなり印象的。

第3巻 作品38 出版年代:1837年
2.8点

悪い曲ではないが、ちょっと地味でパッとしない曲ばかりという印象。これはという名作がない。メンデルスゾーンの才能があればいつでも書けそうな浅い曲ばかり。

第4巻 作品53 出版年代:1841年
3.3点

成熟した骨太さと神経の繊細さを併せ持った曲が並んでいる。個々の曲が特に優れているというわけでないが、それぞれに美しさがあり、通して聞くとそれなりに魅力がある。

第5巻 作品62 出版年代:1844年
3.3点 ただし「春の歌」は4.0点

春の歌は一番有名なだけあって、他の曲と比較して断然魅力的。うららかな春の陽気と、そよ風の心地よさの楽しい気分が絶妙に表現されている。その他の曲は、4集よりやや精神的に落ち着いて成熟感が増した代わりに、美しさの魅力が少し減った印象。

第6巻 作品67 出版年代:1845年
3.3点

それまでの曲集と音楽的に大きく変わらないのだが、雰囲気が違う。この曲集はシューベルトを強く連想した。シンプルな中に、憂いと生への羨望の入った、静謐な世界。晩年らしい曲集となっている。

第7巻 作品85 出版年代:1851年
3.3点

没後4年目に、遺作として出版。4曲目がかなり美しい。歌曲以上の歌心を要求する曲。全体に様々な時代の曲が集められた曲集であり、統一感はあまりない。軽やかな曲も多くあり、それらがやけに心を癒される。

第8巻 作品102
2.5点

第7巻までの曲集と比較して、似ているようでも何かが足りないような曲ばかりが集まっている。特に印象に残った曲もない。やはり、死後に時間が経過した後にボツになった曲を集めた曲集というのが納得のレベルになってしまっている。

弦楽のための交響曲

弦楽のための交響曲 第1番 ハ長調(1821年)MWV.N 1
2.8点

12歳の習作にしては大人びている。少なくとも3、4歳位は上に感じる。音階が単純などまだまだ技術は足りないものの、快活さと音の豊さと耳を惹きつける魅力を既に持っていて驚く。


弦楽のための交響曲 第2番 ニ長調(1821年)MWV.N 2
3.3点

1楽章は快速な音で伴奏を埋めていて楽しい。2楽章はモーツァルトの五重奏40番2楽章のような柔らかさや哀愁が素晴らしい。3楽章はやや平凡。

弦楽のための交響曲 第3番 ホ短調(1821年)MWV.N 3
2.5点

1楽章は初めての短調曲だが全然面白くない。2楽章はモーツァルトのロマンチックなエッセンスを活用した感じで割とよい。3楽章は短調で対位法的に書かれているが、習作レベルという印象が強い。

弦楽のための交響曲 第4番 ハ短調(1821年)MWV.N 4
3.0点

1楽章は対位法的に書かれた短調のソナタであり、かなり成功しているように思える。提示部も展開部も対位法的とは面白い。2楽章も柔らかくて悪くない。3楽章は相変わらず弱点だが成長しているように思える。

弦楽のための交響曲 第5番 変ロ長調(1821年)MWV.N 5
3.0点

1楽章は小刻みの音が使われている快活な曲。2楽章はモーツァルト的な優美さ。3楽章も快活な曲。全体に精神的に一歩成熟した感がある。


弦楽のための交響曲 第6番 変ホ長調(1821年)MWV.N 6
3.3点

1楽章は快活だという程度の感想。2楽章は初めてメヌエットになり、それがセンスが良い曲であるとともに、変奏されていく複雑な構成。弱点だった3楽章のセンスが良くなり、しかも複雑な構成で楽しめる。

弦楽のための交響曲 第7番 ニ短調(1822年)MWV.N 7
2.5点

1楽章は切れ味が鋭いがザクザクしすぎ。2楽章は所々期待させつつ、盛り上がりに欠けて終わる。3楽章もいいのは瞬間的。4楽章は交響曲らしい力感のあるフィナーレになった。全体に約20分とこれまでより大作になったが、それに見合う楽しさがないと思う。


弦楽のための交響曲 第8番 ニ長調(1822年)(同年に管弦楽用に編曲)MWV.N 8
3.0点

交響的な響きの充実感がここまでの曲と違う。そのため精神的により成熟した印象を持つ。2楽章のチェロの活躍ぶりも良い効果を出している。最終楽章のモーツァルトのように活力あるたたみかけるような楽想溢れる曲も良い。

弦楽のための交響曲 第9番 ハ長調「スイス」(1823年)MWV.N 9
3.3点

25分。巨匠的な音楽的充実感と品位の高さがあり、管弦楽曲的な響きの豊さがある。冒頭の悲劇的な開幕に驚くが、本編は明るい。驚くべきメンデルスゾーンの成長が見られており、既にドイツロマン派の巨匠の域に達している。

弦楽のための交響曲 第10番 ロ短調(1823年)(一楽章のみ) MWV.N 10
3.0点

単一楽章。端正で均整の取れた美しさと、年齢の割に大人びた音楽と実力には関心するが、雰囲気的に中庸すぎてあっさりしており、これはというような目を引くものに欠ける。短いので盛り上がらずにあっさり終わる。

弦楽のための交響曲 第11番 ヘ長調/ヘ短調(1823年)MWV.N 11
3.0点

40分近いという弦楽のための交響曲の中でダントツの大作。長さを十分に生かしきっているとは思えないが、長いなりの音楽的内容になっており十分に頑張っている。目を引くような楽章は特にない。

弦楽のための交響曲 第12番 ト短調(1823年)MWV.N 12
3.5点

冒頭はまたしても短調の重厚で悲劇的な開始。2楽章は珍しくロマンチックの極みのような感動系の音楽で驚く。3楽章は短調で豊富な楽想を込めて対位法も活用したものすごい力作で圧倒される。この完成した最後の弦楽のための交響曲は、総決算であるとともに別次元の高みを目指してチャレンジした事は明白であり、試みとしては十分に成功していると言えるだろう。


弦楽のための交響曲 第13番 ハ短調(1823年) MWV.N 14
3.0点

重厚で悲劇的な前奏と対位法的曲な主部の1楽章のみ。自筆譜には番号無し。後のメンデルスゾーンの音楽を考えると、この後半数曲の音楽性はこの時期だけのマイブームだったのだと思う。出来は悪くないが、この一楽章だけでは総合性が無いので、未完成のまま放棄された曲として聴く事になる。

室内楽

メンデルスゾーンは室内楽マスターの一人だ。軽快な作風で音の重さに頼っていないし音感が良く、複数声部を絶妙に絡めることに長けているから室内楽に合っているのだろう。数が多いがどれも質が高く、名作揃いで楽しめる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1820年)
2.8点

いかにも子供が書いた作品という音の使い方であり、巨匠的ではない。それにも関わらず、思いのほか印象が良い。爽やかだし、様々な工夫をこらして頑張っているのが伝わってきて微笑ましい。センスの良さには驚く。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調 Op.4(1825年)
3.5点

若書きだが、メンデルスゾーンとヴァイオリン曲の相性の良さを強く感じる佳曲。冒頭から独奏のモノローグが悲しく響くのが独創的。1楽章の線の細さが産み出すもの悲しさは魅力的で、後のヴァイオリン協奏曲の萌芽を感じる。2楽章は端正なつくりのなかに感動的なロマンチックさを存分に発揮させていて、非常に魅力的で驚いた。3楽章はやや凡庸な曲ではあるが、やはりメンデルスゾーンらしい端正さともの悲しさの同居にそれなりの魅力を感じる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1838年)
3.0点

若書きの作品と比べて、規模の大きさ、ピアノとヴァイオリンの有機的で混然となった関係など、ロマン派の進化に沿った充実した作品となっている。にも関わらず、心への響きも曲の魅力も不足しており、立派だが平凡で面白くない作品と感じる。メロディーの魅力があまりない。

ヴィオラ・ソナタ ハ短調 (1823年)

チェロとピアノのための協奏的変奏曲 ニ長調 Op.17(1829年)
3.3点

ベートーヴェンを強く連想する、品の良さと広大さのある正統派の変奏曲。かなり雰囲気はよい。ただ、かっちりとしており、ロマン派にしてはやや手堅すぎて物足りない感はある。

チェロ・ソナタ 第1番 変ロ長調 Op.45(1838年)
2.5点

チェロらしい良さがあまり感じられない。お勧めポイントがあまりない曲。自分で演奏したら充実しているのかもしれないとは感じたが、鑑賞用としてはいまいち。

チェロ・ソナタ 第2番 ニ長調 Op.58(1843年)
3.0点

発想の豊さ、楽想の自然さなど、4つの楽章に作曲者の充実が現れている。1番はいかにも作り物という印象であり、こちらの2番の方がずっと音楽的に良いとは思う。だが、鑑賞していて感動するほどの場面はなかった。

チェロとピアノのための無言歌 ニ長調 Op.109
2.8点

凡庸な曲かなと思う。しかし一方で、チェロをたっぷりと歌わせているため、音数たくさんで作り込んだソナタより安心して聴ける楽しさがある。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第1番ヘ短調 Op.113
3.5点

3つの楽章に分かれたコンパクトな作品。月光ソナタのような三連符に乗せたロマンティックな甘さが素敵な2楽章が印象的。1楽章は正統派の悲劇的な短調のゴツい曲調のなかにクラリネットとバセットホルンの歌心のある音色の魅力を活かせていて十分に魅力的。3楽章の高揚感のなかにクラリネットとバセットホルンらしい陰もしのばせていて表情豊かなのも楽しい。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第2番ニ短調 Op.114
3.5点

1楽章は充実感が素晴らしい。2楽章の管楽器の2重奏でモーツァルトにかなり似た雰囲気の歌謡的な旋律をロマン派の情緒も取り入れて存分に歌うのが、かなり魅力的。3楽章のポロネーズ風を取り入れた曲も新鮮で楽しい。もっと高揚感があるとさらに好みだったが。全般にとても愉しめる曲。


ピアノ三重奏曲 ハ短調 (1820年)(ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ)

ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.49(1839年)
3.8点

ベートーヴェンばりの本格派で精神的な厳しさのある曲。メンデルスゾーンの普段の柔らかい音楽とは違う顔を見せている。ピアノが名人芸的な難易度の高さであるのが非常に高い効果を上げている。音数が盛り上げる曲想の鋭さと複雑さと密度感は聞き応えを増しているし、単純に華やかでもある。全体に説得的で情熱的で大きな感情の揺れがあり素晴らしい。ベートーヴェンが30年生まれるのが遅かったらこんな曲を書いたかもと思わせる。楽章の出来もレベルが揃っているが4楽章がやや落ちるか。

ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 Op.66(1845年頃)
3.8点

巨匠的な成熟感と音楽的内容における密度の高さが素晴らしい。三重奏曲における音の少なさがメンデルスゾーンの音楽に合っている。音の厚みに頼らず、端正で無駄がない。短調らしい情熱と、颯爽ときたさわやかさと力感や高揚感、可憐さを伴った美しさが共存している。全ての楽章が力感にあふれて素晴らしい。ピアニスティックで音数が多いのも楽しい。ロマン派屈指のピアノ三重奏曲。ただし、メロディーがあまり印象に残らない。1番ほどの厳しい緊密さがない代わりに、束縛のない自由な広大さがある。柔らかさと充実感が同居している。1楽章がやや地味で、2楽章以降が素晴らしい。

ピアノ四重奏曲 ニ短調 (1822年)

ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.1(1822年)
3.3点

若書きだが音は充実していて驚く。まだおおらかな典型的で古典的な音型のレベルから脱してはいないが、決してつまらない音楽ではないし、陳腐だとは全然感じない。知らないで聴いたらとても13歳の書いた音楽には聴こえない。弦は弱いがピアノパートがかなりよく出来ており、純粋に音楽としてなかなか楽しめる。室内楽らしいピアノパート語法をマスターしている。

ピアノ四重奏曲 第2番 ヘ短調 Op.2(1823年)
3.5点

1番よりさらに充実した作品。少なくともピアノパートは既に例えばシューベルトのピアノ五重奏曲くらいの充実感を実現しているように聴こえる。弦も、凄みを感じるほどではないが、十分によく書けているように聴こえる。大作曲家の作品として相応しい出来であり、習作感がなく、若書きと意識する必要がないくらいである。巨匠的な品格があり、屈性のない素直な初期のロマン派音楽を堪能できる。

ピアノ四重奏曲 第3番 ロ短調 Op.3(1825年)
3.3点

2番から2年後の作品だが、自分はあまり成長を感じない。むしろやや陳腐に聴こえる場面が増えていて、2番より面白くないと思った。最終楽章のゴツさやスケール感はなかなか楽しめるが。室内楽としての基本的な出来の良さはかなりのもので、とても16歳の作品とは思えないのだが。

ピアノ六重奏曲 ニ長調 Op.110(1824年)(ヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ1、コントラバス1、ピアノ1)
3.0点

ピアノばかり活躍しすぎで、弦が薄いし活躍しない。4人もいる弦奏者が可哀想になる。くつろいで聴く曲なので、特に活躍は必要ではなのかもしれないが。たまに見せるピアノのテクニック以外は聞き応えもあまりない、まったりした曲である。悪くはないが、それなりの曲。

弦楽四重奏曲 変ホ長調 (1823年)
2.5点

これは明らかに習作レベルである。ときどき音の絡ませ方に14歳とは思えないセンスを見せる箇所はあるが、大半はごくシンプルな子供レベルの簡潔な書法ばかりである。聞いていて楽しめるレベルにない。同時期でもここまでシンプルでない曲もあるから、この曲は練習に書いたのではと思う。ただ、4楽章のフーガはなかなか楽しめて天才少年ぶりに驚かされる。

弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12(1829年)
3.5点

かなり完成度は高いと感じた。全体に渋いと言ってよいと思うが、柔らかい中に多くを詰め込んでおり、室内楽としての書法はレベルが高いように思う。少し地味さがあるものの、演奏のせいかピアノ三重奏曲のような緊張感はなくマッタリしているものの、自分としては完成度を楽しむ意味ではなかなか感動できた。20歳とは思えないほど精神的にも音楽的にも成熟感がある。

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 Op.13(1827年)
3.5点

面白い曲。暗くてモヤモヤしたつかみどころのなさと自由闊達な動きに最初は驚いた。これが18歳の曲か?と思った。それが後期ベートーヴェンの作品に大きな影響を受けたのだと知って納得した。後期から、ロマン的で、耳が聞こえることによる音感の向上を施すと、このような曲になるかもしれない。曲そのものの絶対的な良さより、とにかく面白さが気に入った。

弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 Op.44-1(1838年)
3.8点

2番までとは全く違う、爽快で気持ちいい曲である。こちらが通常のメンデルスゾーンのイメージである。すっきりして正統派の書法や語法を使った音楽で、聴きやすいが決して表面的なだけでない内容の充実がある。楽しめて、音の愉しみに酔える音楽であり、素晴らしい。ロマン派の弦楽四重奏曲としての出来栄えはかなりのものである。メロディーが魅力的。

弦楽四重奏曲 第4番 ホ短調 Op.44-2(1837年)
3.5点

3楽章が非常に美しくて感動した。1楽章は規模が大きくて聴きごたえがあるが、苦労と努力で書かれているように聴こえてイマイチかと思ったが、後半が素晴らしい。4楽章も躍動感を見事に体現しており、しかもヴァイオリン協奏曲に通じるような繊細な陰影を見せており、音の織物が風になびくかのごとく自然に揺れて、感動させられる。

弦楽四重奏曲 第5番 変ホ長調 Op.44-3(1838年)
3.5点

作品44の他の2曲に比べると前半部分の感動はかなり落ちる。前半は余った材料で書いたのでは、と失礼なことを考えてしまう。一段階地味に聴こえる。しかし3楽章のアダージョは大変美しい。ベートーヴェンの渾身の名作アダージョにも匹敵するほどの素晴らしい。人生の重みと深みを表現し、多くの悲哀とその中にある生きる喜びを感じさせる曲といえよう。この楽章があるから曲全体を高く評価する。4楽章は料理の仕方は悪くないが材料がイマイチ。

弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op.80(1847年)
3.5点

悲劇的で重たい沈んだ気分で書かれている。姉が亡くなった影響というのは明らかだと思われる。もちろん大作曲家らしく楽曲としての必要なバランスは考えられているが、鎮魂の気分と自身の喪失感はかなりの時間を占めている。若い頃の明快さと元気さは消えてしまってパワーが無くなっており、悲しい独奏や不協和音が挟まったりして、痛ましい気分になる。3つの楽章が短調であり、唯一の長調の楽章も暗い場面が多い。とはいえ内容は強靭な発想力に満ちており、充実した密度の高い音楽である。ハマる人は非常に気にいるかもしれない。また、人によってはあるタイミングでこの曲が心に強く響く体験をするかもしれない。

弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81
2.8点

悪くはない小品集だが、これといって強い特徴もない。やはり弦楽四重奏の深く広大な世界と比較すると、いかにも重みに欠ける小品集といった感じであり、あっさりと終わる曲が集まっているように感じられる。

弦楽五重奏曲第1番 イ長調 Op.18(1826年)
3.3点

切れ味と整理の良さはあるものの、それだけの単純明快でない複雑な充実感に踏み出している。普通の五重奏曲と比べて、なぜか声部が多いように聴こえて、弦楽四重奏と差が大きいように感じる。そういう充実感はなかなか良い。メロディーや楽想に強い魅力は感じないが、佳作としての価値があると思う。

弦楽五重奏曲第2番 変ロ長調 Op.87(1845年)
3.3点

いまいち焦点が定まっていない感じがする曲。そのせいか気力が衰えたようであり、力強さとか展開の推進における生命感のようなものが、本来のメンデルスゾーンのそれと比較すると少し弱く感じる。ピアノ三重奏曲2番もその兆候はあるもののまだ大丈夫だったが、その後に書かれたこの曲でより強く現れたと解釈している。とはいえ、3楽章は非常にロマンチックで美しい、オーケストラ曲のようなスケール感があってよい。音は分厚い響きであり、弦楽四重奏より声部が多い恩恵を活かせていると思うが、1番ほどではないと思う。

弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20(1825年)
3.5点

初期の歯切れの良さと爽やかさに中にみせる古典的かつ巨匠的な音感センスの音楽の総決算と思われる曲。弦楽四重奏二つは音は多すぎて全ては聴き取れない。これ以降は徐々に大人の複雑さを表現しはじめる。初期の純粋さと才能のきらめきの魅力における一つの創作活動の頂点である。勢いに乗りながら推進していきながらも歌心あふれるのがよい。楽想の豊かさや密度の濃さや構成力による完成度は16歳とは思えないが、メロディーの魅力はそこそこだと思う。

声楽曲・宗教音楽

オラトリオ

聖パウロ Op.36(1836年)

エリヤ Op.70(1846年)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/メンデルスゾーン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c7

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
127. 中川隆[-13931] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:03:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-604]

柴田秋豊の様な自称株式投資成功者の正体は商材屋 _ 勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない


ネットで投資成功者を装う人たちの目的はお金を使わせる事

高級住宅地で写真を撮ってセレブを装うのは基本

成功自慢する人

インターネット黎明期の掲示板から、成功者を装って自慢する人たちが存在した。

目的は単に自慢して尊敬されたい、威張りたいというものから信者を増やしたい人まで様々です。

信者を獲得すると信者は「教祖」に従うようになり、勧められるままに行動するようになる。

広告を貼るとクリックして、教祖がお勧めする業者に口座開設するなどはまだ可愛い手口です。

悪質な教祖は投資法や必勝法と称してデタラメな必勝本や、高額な投資ソフトを購入させます。

もっと悪質なのは自分の投資ファンドに投資させたり、霊感商法さながらに価値のない物を買わせる。


原野が値上がりすると言って買わせる原野商法や、エビ養殖が儲かると言って投資させるエビ養殖詐欺と変わらない。

時代は下りインターネットは掲示板からSNSになり、フェイスブックやツイッターでファンを獲得しやすくなった。

成功者を装う人は証拠として業者の取引画面を掲示するが、これは画像加工ソフトで簡単に作れてしまう。


また業者によっては宣伝してもらうために、偽装の証拠画面を簡単に作れる偽口座を用意している。

こうしてカリスマ投資家は実際には投資で勝っていないのに、数千人や数万人のファン(信者)を獲得する。

毎日の(ウソの)取引を解説しながら、さりげなく商材購入や口座開設に誘導します。


成功者の正体は商材屋が多い

こうした信者獲得で成功者になった1人は与沢翼で、彼のメインの職業は商材販売でした。

自分は成功者であると名乗り、こうすれば成功できるという商材を数十万円や100万円以上で販売していた。

与沢は一度破産するが、立て直したのはブログによる信者獲得と、やはり商材販売のノウハウでした。


与沢が成功者であることは間違いないが、彼の商材を買って同じように成功できるかは、甚だ疑問です。

同様にSNSで成功者を名乗る人は、実際に成功者なのかも知れないが、その収入源は投資ではなく商材販売や紹介料です。

投資で大金を稼いでいる投資のプロが、ネット上で素人に教える事はなく、自分で自分の首を絞めたりしない。


簡単なロジックとして、「勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない」のであり、他人に教える情報はゴミだけです。

プロディーラーであろうと外資系ヘッジファンド役員であろうと、他人に教える投資家は100%投資で負けています。

ブログやユーチューブやツイッターやフェイスブックでは、自分は投資で勝っていると名乗る者が大勢います。


だが統計として、投資で生涯通算で勝つ人は5%以下であり、大金を得る人は万人に1人も居ません。

たとえば世界一を自称する有名FX業者は以前、「10万円を数億円に増やした」という体験談を広告に使っていました。

もっともらしく書いているが一目見てウソと分かる内容で、「水素水でガンが治った」のような類でした。


そんな悪徳業者が悪徳商材屋に金を渡し、偽の成功談や取引履歴で素人投資家を勧誘します。

こうして在りもしない成功談に騙されてお金を失う人が、後を絶ちません。
http://www.thutmosev.com/archives/82110665.html



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2019年11月29日
与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男

http://yozawa-matome.com/wp-content/uploads/f8ffa60452c588a699bfb9fde72f851e.png


秒速1億円を稼ぐ男と呼ばれた与沢翼は破産したという話が流れてから噂を聞かなくなり、自然に忘れられていった。

しかし2015年になってシンガポールで突然復活し、現在は『資産70億円男』として活躍している


この数年間に何があったのだろうか?


成功


与沢氏はテレビ番組で言っていたのとは違い、株や先物、為替取引のような金融投資で成り上がった訳ではない。

最初の成功はインターネットで「成功する法則」のような怪しい情報商材を販売して多額の資産を作った。

今でもそうであるように情報商材とは要するに、不遇な人に夢を与える代わりに金を騙し取る商売で、大半は嘘で出来ている。


多くは自分は貧乏から成り上がった成功者だと自称し、こうやって成功したという実体験が書かれている。

情報商材の料金は数十万円から数百万円で、月に1千万以上の収入があったようだ。

「成功の法則」のようなものには共通した矛盾があり、最初の一人が実行した時には大きな成果が得られるが、後になるほど取り分が小さくなり、最後にはマイナスになる。


例えば日本人全員が「情報商材」を販売したらどうなるか?、競馬の「必勝法」で全員が同じ馬券を買ったらどうなるかという事です。

これは株や投資にも当てはまり、その「必勝法」を実行する人数が増えるほど成果は低くなり、最後にはマイナスになる。

あらゆる成功の法則は、世間に広まった時点で無効になっているのです。


「情報商材」のような商売は必ずいつか行き詰るだろうが、与沢氏は行き詰る前に投資の世界に進出した。

ここら辺は見切りが上手く、その後の投資家としても全期間を含めて、最高月収は5000万円だと振り返っているので、年収にして数億円だった事になる。

しかも収入の多くは投資ではなく、情報商材や成功指南、マスコミへの出演報酬だったと見られている。

破綻


2014年4月、自身が経営する企業の法人税未納や実質経営破たん状態にあることを突如公表した。

彼がやっていたと自称している金融投資は先物とFXが中心だったようで、破産の原因はFXでの損失だった。

先物もFXも、素人が成功するような投資ではなく、両方とも投機、ハイリスクな賭けと言えます。


ハイリスク、ハイリターンな投資では、考えれば分かると思うのだが、成功者はほとんど居らず、全員が敗北する敗者のゲームです。

業者が天引きした残りを投資家同士が奪い合うのだが、1兆円以上をポンポン投資して相場自体を変動させるような機関投資家には絶対に勝てない。

与沢氏の金融投資は負けるべくして負けた。


与沢氏の経営する投資会社の破綻なのだが、多くの人は何故か奇妙な印象を受けた。

詳細は知らないが、破綻したファンド経営者など、一家で夜逃げして数年後にXXXで発見されるのが当たり前の世界である。

ところが与沢氏は堂々とマスコミに出て事情を説明したりしていました。


破綻したファンド経営者はまず逃げたり隠れたりするもので、そうしないのはおかしいのです。

それまで「俺は世界の支配者だ」とふんぞり返っていた人が、翌日無一文になったら、もう世間に出れるものではない。

もしかしたら個人的な資産を別に逃がしておいて、会社だけを破産させたのではないかと思った。

与沢はいつもカッコいい事だけを言うが、大元の資金源は商材とブログです


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画像引用:“元ネオヒルズ族”与沢翼、今の純資産は約75億円! 結婚を決めた妻の一言とは? | AbemaTIMEShttps://times.abema.tv/posts/7016004

復活 持つべきものは良いブログと商材?


復活後はシンガポールで展開している株式トレードと合法的な賭けで、月1000万円ほどを稼ぎ出していると報告していました。

主なビジネスは株式投資で、先物やFXのようなハイリスク投資は辞めたと言っている。

復活のきっかけになったのはブログだと言っていて、投資は全て止めてブログ執筆だけに専念したという。


ここで疑問なのはブログってそんなに儲かるのかという事だが、芸能人の人気ブログの多くは年に1億円以上を稼いでいる。

何かと話題になる元モーニング娘。の主婦とか、固定ファンが多ければ毎日30万円くらいにはなり、1年では1億円を超える。

芸能人にはステマ依頼があり「この化粧品を使ってみたら良かった」とか一言書くだけで数万から数十万円になる。


因みにこのブログではその数百分の1といった所で、そういう美味しい話は無いです。

与沢氏はブログの他にもLINEスタンプとか著書とか商材とか、地味だが堅実な収入源があり、破産後も月に1000万円の現金収入があったと考えられる。

彼自身は「投資を止めてブログに専念したら、かえって儲かった」と言っている。


2014年3月に、約3億5000万円の法人税未納に会社は破産したわけだが、家や高級外車を売却したら1億円程度に減ったと言っている。

残った1億2000万円の債務は、前年の巨額赤字によって還付金が受けられて帳消しになったようです。

つまり3億5000万円の負債は資産を売り払ってチャラに出来た。


銀行から融資を受けず、自己資金だけでやっていたので他に借金はなかったと言っている。

ブログと講演、著作権で月収1000万円以上あり、年収1億円の現金収入で再起できた。

確かに与沢氏の破産は注目を集めたので、ブログ収入が数千万円あったのは事実としても、僅か1年後に豪邸に住み、1億円のフェラーリを現金で購入するなどしている。

シンガポールに移住後はまず株とFXで稼ぎ、中東や東南アジアへの不動産投資で増やした。


さらにビットコインブームに乗って仮想通貨取引で14億円を稼いだと報告している。


所有する不動産40戸の価値は45億円で、その他資産が25億円ほどで合計約70億円だと語っている。

これらが本当なら不動産と仮想通貨以外の資産は10億円ほどにしかならず、使った分を含めても20億円未満でしょう。


ブログと商材販売など現金収入で年収1億円から2億あるので、このくらいはあってもおかしくないのかも知れない。


与沢翼の強みは結局ブログと商材の現金収入で、また破産したとしてもこの2つは確実に月収1千万円を稼いでくれます。
http://www.thutmosev.com/archives/33823225.html  

▲△▽▼

2020年02月05日
「天才」与沢翼が復活した錬金術 ブログと商材で瞬足1億円調達

破綻したのに妙にお金があるので、計画倒産も囁かれた


引用:https://s1-ssl.dmcdn.net/M3fVJ/1280x720-EYo.jpg


与沢翼は最近また「投資で成功しシンガポールで活動している」などと自身の活躍を誇示しています。

2014年に破産して無一文になった筈だが、どうやってそこから再起したのだろうか。


破綻したがお金持ちの理由

与沢翼は2014年4月に会社が破綻した筈だが、現在はシンガポールで投資家として活躍しているようです。

近況を伝えるマスコミによれば、株取引や土地投資で月に数千万円を稼ぎ、豪邸や高級車を所有しているという。


どうやって再起したのか調べてみると、相変わらず怪しさ満点の「ビジネス」をしていました。


まず2014年に会社が破綻した経緯は、情報商材などで稼いだ金で、もっと大きなビジネスをしようと思ったのがきっかけです。

情報商材は1件数十万円から数百万円の価格なので、月に1千万円以上の収入になりました。

その後テレビに出演し「投資で秒速1億円稼ぐ」と豪語していたが、実際は投資で儲けた金ではなかったようです。


収入の大半は情報商材販売とテレビ出演料、講演会の講演料のようなものだったとされています。

そんな与沢の転機になったのが東北地震と原発事故で、「日本はもう滅びる」と思って外国で投資しようと思った。

「All of me」という会社を立ち上げてゲーム開発をしようとしたが、思ったより面倒なのでFXに切り替えた。


ここで上手い話を持ちかけるペテン師に引っ掛かり、会社の運営資金数億円を持ち逃げされました。

「All of me」は与沢翼が出資した資金で運営されていたが、その大半を失ってしまいました。

「All of me」を立ち上げたのが2014年初めで、一ヵ月後には資金持ち逃げで破綻しました。


復活する与沢翼

この後税務署から3億5000万円の法人税を請求されたが収めることが出来ず、ブログで破産宣言をしました。

自宅や高級車を売ったら残り未納金は1億円になり、その後1億円の還付金があったのでチャラになりました。

この時与沢に他に借金は無かったので、無一文にはなったが、ただそれだけでした。


ここで重要な役割りを果たしたのがブログで、破産を報告してアクセスが殺到し、推定で毎月数百万の広告収入があったと思われます。

ブログ以外にもLINEスタンプ、著書の著作権料、情報商材売上げ、講演など現金収入が多く、どれも元手がタダでお金だけ入ってきます。

これらの合計だけで年間1億円近くに達し、破産後もシンガポールに移住してすぐに贅沢な暮らしを再開しました。


与沢は儲からないFXや株などを辞めて、ブログで儲ける事に集中しました。

推定一日数十万人のブログ読者に「商材」を売ることを思いつき、メールマガジン販売を始めました。

メルマガは一件600円だったが、一ヶ月で7万人の会員を集めたとされるので、数千万円の現金収入を得ました。


メルマガ会員にはさらに自分の商材を売ったりして、継続的に利益を上げているようです。

さらに与沢は得意のセミナー商法で会員限定の講演会を開き、経営塾のようなものも主催して料金を取りました。

このブログXメルマガX商材X講演会X経営塾の核分裂反応で、数億円を稼ぎました。


株投資はネタ話か

この間たった1年であり、なるほど与沢翼は何かの意味で「天才」なのかも知れません。

さらに申し込んだ人をネットで有名人にするというプログラムを販売し、ここでも数億円を得たようです。

これらもまた継続的に会員を獲得しているようで、確かに資産を増やし続けているようです。


では与沢翼が豪語している「株投資で毎千月数万円稼いでいる」は何かと言えば、会員を集める為の宣伝でしょう。


株投資(特にデイトレ)は継続的に儲かるものではないので、投資テクニックというのも作り話でしょう。


現在の主な収入源は土地を購入して賃貸するビジネスと、中長期の資産運用と考えられる。


資産運用の原資は相変わらず商材販売やブログなどの「現金収入」で、何にしろ現金が入ってくる商売は強い。


相変わらず与沢の本当の収入源は商材販売とか講演、ブログなどであって、土地投資や株投資は儲けた金を増やす手段だと思います。


1年の半分以上海外の同一国に居れば日本政府に納税しなくて済むのが、シンガポールに居る理由です。
http://www.thutmosev.com/archives/55986281.html


柴田罫線の様な商材販売屋に引っ掛かってはいけません。
柴田罫線で儲かった投資家なんか一人も居ないのです。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c127

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
3. 中川隆[-13930] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:08:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-603]
移動平均線で役に立つのは3日移動平均線だけ


日足の3日移動平均線以外は必要ありません。


株価が3日移動平均線を起点にして動いているというのに気付くかどうかがポイント。

連休明けなどで株価の位置がどうなるか良くわからない時は、大抵3日移動平均と同じ値に落ち着きます。

株価と3日移動平均線の乖離がいくら大きくなっても、2, 3日で3日移動平均線まで戻ります。


_____

私は移動平均なんて「3/9/25日線」しか見ませんが、理由は「株価は短期の動きで大きい波動を形成する」からで、「長期のポジションを想定できるものではない」と考えているからです。

 例えば、前述のTは「200日線を越えたのは、ここ1年での平均買いポジションがプラスに転じたことを意味する」と言いますが、そんな昔の玉持ってる連中が相場動かしているわけではありませんし、「200日ずっと買い増してたんかい!」とツッコミ入れたくなります。

今日上げている銘柄は輸出株が多かったのは朝から分かっていたことですが、チャートを見れば、すぐに察しがつきます。

 あぁ、3日線かと。

 今日の日経平均先物は3日線を頭にしています。
 主力銘柄の多くも、株価の位置はさまざまですが、3日線が上値になっています。

 決して、ロイターが指摘する「輸出株が買われ、小売株が売られた」ということではなく、個々の銘柄で3日線が意識されただけです。


25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

 アドバンテストや東京エレクあたりは、3日線の上にいますが、これは25日線を3日線が上抜けた位置にあり、チャート妙味があるからです。

25日線を下抜けで弱いチャートだが、日経平均につられて3日線まで戻っただけ

25日線を下抜けで弱いチャートだが、25日線は横ばいでまだマシ。
しかし、売られているのは増資が原因か。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。

あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。
ただし、悪い銘柄筆頭なので上値も重かった。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。
あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。

 -------------------------------------------------


 ちなみに、普段から「3/9/25日線を見ましょう」と書いている理由は、日々の株価の節目というのが「3/9/25日線」を目途に動くからです。

 移動平均で「5/25/75日線」なんか見ても、株価の動きに遅れてしまいますので、「3/9/25日線」を見ましょう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c3

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
4. 中川隆[-13929] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:13:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-602]

一般則として

外人投資家が買って、個人投資家が売っている → 株価は上昇中
外人投資家が売って、個人投資家が買っている → 株価は下降中

外国人が買って、日本人が売っていたら上昇トレンド

日本人が売りから買いに変わったらピーク

外国人が売って、日本人が買っていたら下降トレンド

日本人が買いから売りに変わったらボトム


海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


アダム・スミス2世の経済解説 投資部門別売買状況
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c4

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
128. 中川隆[-13928] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-601]
>勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない


スイングトレードのやり方教えてあげる


海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/

騰落レシオ(6日間)
https://nikkei225jp.com/data/touraku.php

3日移動平均線


の三つだけ見ていれば十分です。


海外投資家が買っていたら買い
海外投資家が売っていたら様子見

騰落レシオ(6日間) が 50以下になったらナンピンで買い
騰落レシオ(6日間) が 200以上になったらナンピンで利食い

株価が 3日移動平均線を下回ったら買い
株価が 3日移動平均線を上回ったら利食い
 


 
▲△▽▼
▲△▽▼


騰落レシオ(6日間) が 50以下になったらナンピンで買い
騰落レシオ(6日間) が 200以上になったらナンピンで利食い

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(6日)
2020-01-30 22,977.75 -401.65 35.01

2020-01-31 23,205.18 +227.43 52.77

2020-02-05 23,319.56 +234.97 112.25


ソニーや東京エレクトロンみたいな日経平均連動の優良大型株を買っておけば失敗は無いです。


8035東京エレクトロン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=8035

6758ソニー
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6758

6501日立製作所
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6501

7951ヤマハ
https://kabutan.jp/stock/?code=7951


▲△▽▼

JT やキャノンの様な日経平均に連動しない高配当銘柄は絶対に NG です

2914JT
https://kabutan.jp/stock/chart?code=2914

7751キヤノン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7751

7201日産自動車
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7201


▲△▽▼
▲△▽▼


海外投資家が買っていたら買い
海外投資家が売っていたら様子見

一般則として

外人投資家が買って、個人投資家が売っている → 株価は上昇中
外人投資家が売って、個人投資家が買っている → 株価は下降中

外国人が買って、日本人が売っていたら上昇トレンド

日本人が売りから買いに変わったらピーク

外国人が売って、日本人が買っていたら下降トレンド

日本人が買いから売りに変わったらボトム

海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


アダム・スミス2世の経済解説 投資部門別売買状況
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/


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▲△▽▼


株価が 3日移動平均線を下回ったら買い
株価が 3日移動平均線を上回ったら利食い



移動平均線で役に立つのは3日移動平均線だけ

日足の3日移動平均線以外は必要ありません。


株価が3日移動平均線を起点にして動いているというのに気付くかどうかがポイント。

連休明けなどで株価の位置がどうなるか良くわからない時は、大抵3日移動平均と同じ値に落ち着きます。

株価と3日移動平均線の乖離がいくら大きくなっても、2, 3日で3日移動平均線まで戻ります。


_____


私は移動平均なんて「3/9/25日線」しか見ませんが、理由は「株価は短期の動きで大きい波動を形成する」からで、「長期のポジションを想定できるものではない」と考えているからです。

 例えば、前述のTは「200日線を越えたのは、ここ1年での平均買いポジションがプラスに転じたことを意味する」と言いますが、そんな昔の玉持ってる連中が相場動かしているわけではありませんし、「200日ずっと買い増してたんかい!」とツッコミ入れたくなります。

今日上げている銘柄は輸出株が多かったのは朝から分かっていたことですが、チャートを見れば、すぐに察しがつきます。

 あぁ、3日線かと。

 今日の日経平均先物は3日線を頭にしています。
 主力銘柄の多くも、株価の位置はさまざまですが、3日線が上値になっています。

 決して、ロイターが指摘する「輸出株が買われ、小売株が売られた」ということではなく、個々の銘柄で3日線が意識されただけです。


25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

 アドバンテストや東京エレクあたりは、3日線の上にいますが、これは25日線を3日線が上抜けた位置にあり、チャート妙味があるからです。

25日線を下抜けで弱いチャートだが、日経平均につられて3日線まで戻っただけ

25日線を下抜けで弱いチャートだが、25日線は横ばいでまだマシ。
しかし、売られているのは増資が原因か。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。

あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。
ただし、悪い銘柄筆頭なので上値も重かった。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。
あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。

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 ちなみに、普段から「3/9/25日線を見ましょう」と書いている理由は、日々の株価の節目というのが「3/9/25日線」を目途に動くからです。

 移動平均で「5/25/75日線」なんか見ても、株価の動きに遅れてしまいますので、「3/9/25日線」を見ましょう。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c128

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
23. 中川隆[-13927] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:30:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-600]
アダム・スミス2世の経済解説 2020-01-19
実質実効為替レート、名目実効為替レートの長期推移
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20200120143024d99.png/


非貿易財を含む消費者物価指数から作成される実質実効為替レートを見る場合、バラッサ・サミュエルソン効果(経済成長率が相対的に高い国は購買力平価、ないしは実質実効為替レートも上昇するという現象)と合わせて見ることが必要。

日本はバラッサ・サミュエルソン効果に貿易摩擦も加わり、1995年までは異常な円高が発生。その後、日本経済の成長率低下に伴うバラッサ・サミュエルソン効果の是正=超円高の是正が起こった。しかし、超円高の是正は不十分。

日本周辺のアジア諸国では、固定レート制や政府・中央銀行の為替介入などにより経済成長に伴う通貨高=バラッサ・サミュエルソン効果がほとんど発生していない。


(購買力平価との関係)

IMFが算出している購買力平価で見ると、1ドル=97円であり現状はそれよりも円安。

従って、最近のIMFは円レートを適正とは評価しても、割安と評価することはない。

しかし、IMFの見方には3つの問題点がある。


第1点は、日本の購買力平価で見た一人当たりのGDPは欧米と比較すると過去のように高くはない。

先に示したバラッサ=サミュエルソン効果で示した通り、豊かではない国の為替レートは購買力平価で見て割安なのは当然。

これは、対米ドルや対欧州諸国の通貨に対して円が割安であることを正当化できる理由である。


第2点は、日本と貿易量の多いアジア諸国の通貨は、購買力平価で見ても非常に割安な国ばかり。

シンガポールなどの非常に豊かな国の通貨は日本よりかなり割安。

中国のようにあまり豊かとは言えない国の通貨はさらに割安。

日本と貿易量の多いアジア周辺諸国は、購買力平価で見ると超割安な国が多い。


第3点は、日本は1990年代後半のデフレ期以降は財価格↑≒サービス価格↑。

同期間の欧米諸国はサービス価格↑>財価格↑。

例 日米の消費者物価、財物価、サービス物価の差

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20190206130209f65.png/


日本の購買力平価比での円安や実質実効為替レートで見た円高是正はサービス価格の相対的な下落が原因。

財価格からみれば超円高の是正は全く不十分。


IMFなどの購買力平価だけからは見えないので、認識もされていない。

結果として、円は購買力平価で見ると円安、実質実効為替レートで見ると基準時点によっては円安。

しかし、財を主に生産する日本の輸出産業にとっては超円高が継続。

より厳密には欧米諸国の通貨に対しては超円高とは言えないが、大半のアジア諸国の通貨に対しては超円高。

詳細→アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


この超円高・アジア通貨安は是正されなければならない。


なお、購買力平価説の通説的解釈は物価変動の差→為替レートである。

1995年以降の日本については為替レート(円高)→物価とGDP変動の差(物価安とGDPの低迷)、という因果関係になる。

この因果関係についての考え方は特殊なように見える。

他方、通貨安→GDP増加という考え方は広く見られる。

アメリカは年に2度の為替報告書を公表して日本を通貨安誘導の疑いありと監視対象国に指定し続けている。


(超円高の是正方法)

1995年以降、実質実効レートが大きく円安方向に移動したことは事実。

しかし、名目実質実効レートは少ししか円安になっていない。

この現象下で発生したことは、日本の輸出産業の製品価格の下落、輸出産業の崩壊、物価下落、賃金下落、成長率低下。

賃金を見ても、世界の先進国の中で日本だけが上昇していない。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2019101322232406e.png/


電機を中心とする輸出成長産業が大崩壊。

その結果、賃金は低下。

実質円高の是正方法としては最悪。

今後の実質円高の是正は名目円レートの引き下げでなければならない。

それならば賃金、物価の上昇も可能。


(経常黒字で円高進行?)

日本は円高が原因で全然豊かになれない。

反対に、浪費壁があるアメリカは豊かになり、同時に経常赤字も拡大。

日本=経常黒字、アメリカ=経常赤字の原因を通常の経済学で考えると、円が安すぎ、米ドルが高すぎになる。

そのため、先に書いた通りアメリカは為替報告書で日本は円安誘導の疑いありと監視し、実際に円安誘導をしていると非難することもある。

日本国内でも、経常黒字で円高になるのは当然という意見はある。

購買力平価説の通説的解釈とも言える。


しかし、経常黒字の原因は円高のために賃金上昇がなく、消費も節約しすぎで、輸入が増えないことも一因。

円高差損に懲りた日本企業も国内では設備投資をほとんど増やさず、対外直接投資は大きく増やす。

結果として貿易赤字は増えず、第一次所得収支の黒字が拡大し、経常収支も黒字を維持。


世界的には、通貨安が原因で経常黒字になる国が多い。

日本に関しては円高を原因とする経常黒字が継続。

円安になると所得が増え、輸入も増え、貿易黒字は減るかもしれない。

企業の対外直接投資も減り、経常黒字も減るかもしれない。

これに近い貿易・サービス黒字、経常黒字の縮小はバブル時代の末期に実際に発生、現在のアメリカとも共通点が多かった。


ところが、日本ではバブル=悪という全面否定論が強すぎる。

バブル時代は資産価格の上昇に対して、賃金と物価の上昇率が低すぎたことが失敗という総括に変えることが必要。


(経済成長の困難化)

長年の超円高・アジア通貨安継続の結果、日本の輸出産業の基盤は大きく崩壊し、現在も崩壊中。

その結果として、日本の先端製造技術、規模の経済、外部経済が失われただけではない。

日本人の夢と希望が失われ、勤労意欲、学習意欲も低下。


こうした夢と希望の消失などは少子高齢化でも発生。

ただ日本の場合、少子高齢化以上に超円高・アジア通貨安が寄与。

少子高齢化で夢と希望の消失が発生するからこそ、超円高・アジア通貨安は是正する必要があった。

実際は夢と希望の消失を少子高齢化や既得権益層の過保護が原因と決めつけ、超円高・アジア通貨安を是正しなかった。


現時点では、円安だけで経済を再生させようとしても完全に手遅れであり、もはや不可能。

しかし、円高進行なら、産業崩壊は加速=日本経済の崩壊も加速=国民は貧困化。

食料や石油など輸入品価格上昇という痛みを伴う割には、経済成長は簡単ではない。

それでも経済衰退の加速防止には円安が不可欠。


なお、コーポレートガバナンスコードは、ROE重視より先に、賃金上昇の重視へと改める必要がある。

今まで書いてきた日本のマクロ経済の特殊性を知らない経営学者が、欧米の常識をそのまま日本に導入したこともまた大きな失敗。


(参考)

上記の実質実効為替レート、名目実効為替レートは1964年1月が基準時点。

仮に1ドル=360円と決定された1949年4月を基準時点にすると、円は少なくとも米ドルとの実質レートではさらに割高になる。

仮に1ドル=4.27円であった1941年12月を基準時点にすると、1949年4月の1ドル360円はおそらく割安。

しかし、第2次世界大戦終了後のハイパーインフレ期の日本の消費者物価上昇率は精度の低い推測値しか存在しない。

正確な消費者物価上昇率を計算できないため、おそらく割安とは言えても、何%割安かという正確な数値を計算することは不可能。

従って、第2次世界大戦以前までさかのぼって実質実効為替レートの推移を見ようとしても、正確な計算が不可能である以上、正確な分析もできない。

第2次世界大戦以前までも含む分析は、正確性の低い分析にならざるをえない。

あまりにも誤差の大きい分析をして結論を出すのは、逆に危険になる。


(出所)
BIS effective exchange rate indices
Narrow indices comprising 27 economies, with data from 1964
中国だけは、Broad indices より

オーストラリア(ドル)、オーストリア(シリング→ユーロ)、ベルギー(フラン→ユーロ)、カナダ(ドル)、台湾(ドル)、デンマーク(クローネ)、ユーロ圏(ユーロ)、フィンランド(マルカ→ユーロ)、フランス(フラン→ユーロ)、ドイツ(マルク→ユーロ)、ギリシャ(ドラクマ→ユーロ)、香港(ドル)、アイルランド(ポンド→ユーロ)、イタリア(リラ→ユーロ)、日本(円)、韓国(ウォン)、メキシコ(ペソ)、オランダ(ギルダー→ユーロ)、ニュージーランド(ドル)、ノルウェー(クローネ)、ポルトガル(エスクード→ユーロ)、シンガポール(ドル)、スペイン(ペセタ→ユーロ)、スウェーデン(クローナ)、スイス(フラン)、イギリス(ポンド)、アメリカ(ドル)、中国(人民元)の合計27の国、地域の実質実効為替レートと名目実効為替レート。

メキシコ(ペソ)は実質実効為替レートだけ

2020年1月19日チャート更新

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c23

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
229. 中川隆[-13926] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:30:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-599]
アダム・スミス2世の経済解説 2020-01-19
実質実効為替レート、名目実効為替レートの長期推移
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20200120143024d99.png/


非貿易財を含む消費者物価指数から作成される実質実効為替レートを見る場合、バラッサ・サミュエルソン効果(経済成長率が相対的に高い国は購買力平価、ないしは実質実効為替レートも上昇するという現象)と合わせて見ることが必要。

日本はバラッサ・サミュエルソン効果に貿易摩擦も加わり、1995年までは異常な円高が発生。その後、日本経済の成長率低下に伴うバラッサ・サミュエルソン効果の是正=超円高の是正が起こった。しかし、超円高の是正は不十分。

日本周辺のアジア諸国では、固定レート制や政府・中央銀行の為替介入などにより経済成長に伴う通貨高=バラッサ・サミュエルソン効果がほとんど発生していない。


(購買力平価との関係)

IMFが算出している購買力平価で見ると、1ドル=97円であり現状はそれよりも円安。

従って、最近のIMFは円レートを適正とは評価しても、割安と評価することはない。

しかし、IMFの見方には3つの問題点がある。


第1点は、日本の購買力平価で見た一人当たりのGDPは欧米と比較すると過去のように高くはない。

先に示したバラッサ=サミュエルソン効果で示した通り、豊かではない国の為替レートは購買力平価で見て割安なのは当然。

これは、対米ドルや対欧州諸国の通貨に対して円が割安であることを正当化できる理由である。


第2点は、日本と貿易量の多いアジア諸国の通貨は、購買力平価で見ても非常に割安な国ばかり。

シンガポールなどの非常に豊かな国の通貨は日本よりかなり割安。

中国のようにあまり豊かとは言えない国の通貨はさらに割安。

日本と貿易量の多いアジア周辺諸国は、購買力平価で見ると超割安な国が多い。


第3点は、日本は1990年代後半のデフレ期以降は財価格↑≒サービス価格↑。

同期間の欧米諸国はサービス価格↑>財価格↑。

例 日米の消費者物価、財物価、サービス物価の差

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20190206130209f65.png/


日本の購買力平価比での円安や実質実効為替レートで見た円高是正はサービス価格の相対的な下落が原因。

財価格からみれば超円高の是正は全く不十分。


IMFなどの購買力平価だけからは見えないので、認識もされていない。

結果として、円は購買力平価で見ると円安、実質実効為替レートで見ると基準時点によっては円安。

しかし、財を主に生産する日本の輸出産業にとっては超円高が継続。

より厳密には欧米諸国の通貨に対しては超円高とは言えないが、大半のアジア諸国の通貨に対しては超円高。

詳細→アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


この超円高・アジア通貨安は是正されなければならない。


なお、購買力平価説の通説的解釈は物価変動の差→為替レートである。

1995年以降の日本については為替レート(円高)→物価とGDP変動の差(物価安とGDPの低迷)、という因果関係になる。

この因果関係についての考え方は特殊なように見える。

他方、通貨安→GDP増加という考え方は広く見られる。

アメリカは年に2度の為替報告書を公表して日本を通貨安誘導の疑いありと監視対象国に指定し続けている。


(超円高の是正方法)

1995年以降、実質実効レートが大きく円安方向に移動したことは事実。

しかし、名目実質実効レートは少ししか円安になっていない。

この現象下で発生したことは、日本の輸出産業の製品価格の下落、輸出産業の崩壊、物価下落、賃金下落、成長率低下。

賃金を見ても、世界の先進国の中で日本だけが上昇していない。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2019101322232406e.png/


電機を中心とする輸出成長産業が大崩壊。

その結果、賃金は低下。

実質円高の是正方法としては最悪。

今後の実質円高の是正は名目円レートの引き下げでなければならない。

それならば賃金、物価の上昇も可能。


(経常黒字で円高進行?)

日本は円高が原因で全然豊かになれない。

反対に、浪費壁があるアメリカは豊かになり、同時に経常赤字も拡大。

日本=経常黒字、アメリカ=経常赤字の原因を通常の経済学で考えると、円が安すぎ、米ドルが高すぎになる。

そのため、先に書いた通りアメリカは為替報告書で日本は円安誘導の疑いありと監視し、実際に円安誘導をしていると非難することもある。

日本国内でも、経常黒字で円高になるのは当然という意見はある。

購買力平価説の通説的解釈とも言える。


しかし、経常黒字の原因は円高のために賃金上昇がなく、消費も節約しすぎで、輸入が増えないことも一因。

円高差損に懲りた日本企業も国内では設備投資をほとんど増やさず、対外直接投資は大きく増やす。

結果として貿易赤字は増えず、第一次所得収支の黒字が拡大し、経常収支も黒字を維持。


世界的には、通貨安が原因で経常黒字になる国が多い。

日本に関しては円高を原因とする経常黒字が継続。

円安になると所得が増え、輸入も増え、貿易黒字は減るかもしれない。

企業の対外直接投資も減り、経常黒字も減るかもしれない。

これに近い貿易・サービス黒字、経常黒字の縮小はバブル時代の末期に実際に発生、現在のアメリカとも共通点が多かった。


ところが、日本ではバブル=悪という全面否定論が強すぎる。

バブル時代は資産価格の上昇に対して、賃金と物価の上昇率が低すぎたことが失敗という総括に変えることが必要。


(経済成長の困難化)

長年の超円高・アジア通貨安継続の結果、日本の輸出産業の基盤は大きく崩壊し、現在も崩壊中。

その結果として、日本の先端製造技術、規模の経済、外部経済が失われただけではない。

日本人の夢と希望が失われ、勤労意欲、学習意欲も低下。


こうした夢と希望の消失などは少子高齢化でも発生。

ただ日本の場合、少子高齢化以上に超円高・アジア通貨安が寄与。

少子高齢化で夢と希望の消失が発生するからこそ、超円高・アジア通貨安は是正する必要があった。

実際は夢と希望の消失を少子高齢化や既得権益層の過保護が原因と決めつけ、超円高・アジア通貨安を是正しなかった。


現時点では、円安だけで経済を再生させようとしても完全に手遅れであり、もはや不可能。

しかし、円高進行なら、産業崩壊は加速=日本経済の崩壊も加速=国民は貧困化。

食料や石油など輸入品価格上昇という痛みを伴う割には、経済成長は簡単ではない。

それでも経済衰退の加速防止には円安が不可欠。


なお、コーポレートガバナンスコードは、ROE重視より先に、賃金上昇の重視へと改める必要がある。

今まで書いてきた日本のマクロ経済の特殊性を知らない経営学者が、欧米の常識をそのまま日本に導入したこともまた大きな失敗。


(参考)

上記の実質実効為替レート、名目実効為替レートは1964年1月が基準時点。

仮に1ドル=360円と決定された1949年4月を基準時点にすると、円は少なくとも米ドルとの実質レートではさらに割高になる。

仮に1ドル=4.27円であった1941年12月を基準時点にすると、1949年4月の1ドル360円はおそらく割安。

しかし、第2次世界大戦終了後のハイパーインフレ期の日本の消費者物価上昇率は精度の低い推測値しか存在しない。

正確な消費者物価上昇率を計算できないため、おそらく割安とは言えても、何%割安かという正確な数値を計算することは不可能。

従って、第2次世界大戦以前までさかのぼって実質実効為替レートの推移を見ようとしても、正確な計算が不可能である以上、正確な分析もできない。

第2次世界大戦以前までも含む分析は、正確性の低い分析にならざるをえない。

あまりにも誤差の大きい分析をして結論を出すのは、逆に危険になる。


(出所)
BIS effective exchange rate indices
Narrow indices comprising 27 economies, with data from 1964
中国だけは、Broad indices より

オーストラリア(ドル)、オーストリア(シリング→ユーロ)、ベルギー(フラン→ユーロ)、カナダ(ドル)、台湾(ドル)、デンマーク(クローネ)、ユーロ圏(ユーロ)、フィンランド(マルカ→ユーロ)、フランス(フラン→ユーロ)、ドイツ(マルク→ユーロ)、ギリシャ(ドラクマ→ユーロ)、香港(ドル)、アイルランド(ポンド→ユーロ)、イタリア(リラ→ユーロ)、日本(円)、韓国(ウォン)、メキシコ(ペソ)、オランダ(ギルダー→ユーロ)、ニュージーランド(ドル)、ノルウェー(クローネ)、ポルトガル(エスクード→ユーロ)、シンガポール(ドル)、スペイン(ペセタ→ユーロ)、スウェーデン(クローナ)、スイス(フラン)、イギリス(ポンド)、アメリカ(ドル)、中国(人民元)の合計27の国、地域の実質実効為替レートと名目実効為替レート。

メキシコ(ペソ)は実質実効為替レートだけ

2020年1月19日チャート更新

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c229

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
129. 中川隆[-13925] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:42:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-598]

柴田罫線の様な損切りを多用して相場の動きに付いて行くドテン売買法は完全な丁半バクチ売買法


勝つ投資家は暴落で買う マイナス金利、円高、株安、原油安

ソロスといえども神のように予言が当たった訳ではなく、半分は外れている。
つまり我々と予測の精度は変わらない。

引用:http://b2.img.mobypicture.com/befe2285c152c9fbb8f5f1047783f4eb_large.jpg


暴落は投資で勝つチャンス

現在は中国発新型ウイルスの脅威で市場の変動が大きくなり、儲けやすいが損もしやすい状況になっています。

2019年後半から米中貿易対立の影響で世界経済が減速し、悲観的な予想が増えていました。

2009年の世界経済危機を主要国は金融緩和つまりお金バラマキで乗り切ったが、限界が指摘されている。

各国の金融緩和の原資になったのは日本もそうだが中央銀行の借金であり、アメリカが100兆円ばら撒いた分はFRBの借金になった。

政府債務や企業の借金も増え、全世界の企業債務は8000兆円を超えた。(国際金融協会(IIF))

世界の債務合計金額は1京8000兆円(2016年、国際決済銀行(BIS))を超え、現在は2京円に達している筈です。


世界の経済成長はこうした借金に支えられているので、持続可能かどうか疑問視する声も出ている。

特に中国の債務は巨大で、政府債務だけで4000兆円、GDP比で300%を超えていると言われている。

世界的な経済危機が発生してもおかしくない状況であり、中国発世界経済危機が懸念されている。

ところが本当に「勝つ投資家」は大きな下げや暴落局面でしか、新たな投資を始めません。


大投資家は暴落で買う

一般的な投資家は上昇局面で買い、下がると耐えられなくなって売ります。

ジョージソロスは下げ相場で顧客の預かり金が20%以上減った時、「たった20%しか減っていないのに解約するなんてバカな連中だ」と言ったそうです。

彼にとっては暴落時こそ、安く株等を買うチャンスだったのです。


バフェットもほとんど同じ事を言っていて「肉が安ければ買うでしょう?私は安いから株を買うのです」とリーマンショックの時に言いました。

ここで一般的な投資家、例えば貴方や私の投資を検証して見ると、おそらく株価などが上昇しているときに買って儲けている。


日経平均は2008年から2012年までの民主党時代、7000円から9000円の間をうろうろしていました。


安倍首相が就任して金融緩和を始めると、あれよあれよと上昇して行き、2015年6月に2万952円の最高値をつけました。

多くの人は2013年に株高を確信して買い、2014年から2019年に掛けて儲けたと思います。

これは別に良いのですが、こうした人の多くは最後に高値で買ってしまって、損切りして終える。


一般的な投資家は、上昇局面からピークを超え、相場が下降してからも買い注文を入れています。

リーマンショックを例に取ると、危機前は1ドル124円でしたが110円や100円台の時に買った人が多く居ました。

その後ドル円は70円台まで下落して、株や為替を買った人は、全員が大損したが破産したと思います。


勝つ投資家は我々の真逆をやっている

優れた投資家は必ず分散投資をし、レバレッジは絶対に掛けません。

レバレッジを掛けると僅かな値動きで資産が底をついてしまうので、自分の戦略を制限されるからです。

自分が注目している相場が暴落して市場がパニックになっている最中に、やっと買い始めます。


それも相場が半額に下落しても痛くないような小額を、相場が下がるごとに、積み立て投資していきます。

相場の世界では指数が半分になるのは良くある事で、日経平均は5分の1、原油は4分の1に下落しました。

こうした指数がゼロになる事はないのですが、仮にゼロになっても深刻な打撃を受けない程度の金額を分散して積み立てます。


すると大抵数ヵ月後には反転し始めて、1年か2年後には大きな利益をもたらしている、というのが大人の投資です。

比較して見ると我々レベルとは、何もかも逆の事をしているのが分かります。

我々はなるべく高いレバレッジを掛けるが、大投資家はレバレッジなど掛けない。


我々は一度に可能な限りの金額を掛けて、後は相場が上昇するのを待つだけだが、大抵は下がり続ける。

我々は先の事など考えないが、大投資家は相場が半分になっても4分の1になっても、大きな打撃を受けないようにしている。(そうなる前に損切りするので、負けても損失は軽微)

我々は相場が上昇しているときに買い、あるいは少し下がった時に買い、暴落したときに損切りして破産する。


大投資家は暴落するほど買い進めて、上昇期では何もしない。

こうして優れた投資家は勝つべくして勝ち、劣った投資家は負けるべくして負けます。

欧米の投資機関が顧客を「勝っている人」と「負けている人」に分けて投資テクニックを分析したが、全く差は無かったという話があります。

勝ち組と負け組みは、ただ行動パターンが違っているだけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/55367037.html


柴田罫線の様に損切りを勧める投資法は絶対にやってはいけません
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c129

[番外地7] 琉球人の起源
皇紀2680年、天皇一族がソウル出身の chousenjin だと知ってる?
琉球人は縄文人の子孫だから、天皇一族は仇敵だよ

縄文人は日本人の先祖ではない 弥生人は縄文人と大して変わらないのですが、古墳時代以降に渡来人が大量に入って来て
縄文時代の文化と古墳時代以降の文化は断絶しています:日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(後半) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H1GFzg882d8

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。

斎藤教授「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/475.html

[番外地7] 琉球人の起源 中川隆
1. 中川隆[-13924] koaQ7Jey 2020年2月08日 11:26:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-596]
嘘八百の皇紀2680年(笑い)、天皇一族が2世紀に九州に移民して来たソウル出身の chousenjin だと知ってる?
琉球人は縄文人の子孫だから、天皇一族は琉球人の仇敵だよ
縄文人は日本人の先祖ではない 弥生人は縄文人と大して変わらないのですが、古墳時代以降に渡来人が大量に入って来て縄文時代の文化と古墳時代以降の文化は断絶しています:

日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明

弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(後半) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H1GFzg882d8

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。

斎藤教授「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/475.html#c1

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
230. 中川隆[-13923] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:04:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-595]
アダム・スミス2世の経済解説 2014-10-16
アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


円安は日本経済にとってマイナス、という声が相変わらず聞こえてくる。特に1ドル=110円にタッチした頃は、これ以上の円安が進行すると日本は窮乏化する、という考え方が、違和感もなく受け入れられていた。黒田日銀総裁は、「行き過ぎた円高が是正され、円安になってきたということは全体として経済にはプラス。」と発言している。しかし、円安メリット論者の援護発言があまり聞こえてこないので、黒田総裁がやや孤立しているとすら感じられる。

私の考え方は、仮に1ドル=80円がずっと継続していた場合と現在とを比較すれば、現在の日本経済の方がはるかに良くなっている、と考えている。しかし、円安進行前と現在とを比較した場合、日本経済が円安により獲得した狭義の利益は、損失よりも少ない、利益を損失よりも大きくするためには、円安がいっそう進むことが必要である、と考えている。この考え方は、少し前に書いたとおりである。

今回は、円安誘導の必要性を、また別の角度から見ることにする。今まで何度も触れてきた考え方であるが、IMFのデータが更新された機会に、もう一度まとめて示したいと思う。現在の日本に必要な政策は、長年、アジア諸国が実施してきた円高・アジア通貨安という近隣窮乏化政策を解消させることである。現在の円レートは、少なくともアジア諸国の通貨に対しては割高であり、円安の是正ではなく、円高の是正が必要なのである。その理由を説明したいと思う。

まず、現在の円レートが、IMFが算出している購買力平価からどれほど割高、あるいは割安であるかを見る。そこで、円レートの購買力平価からの割高・割安度合いを他の先進諸国の通貨と比較する。なお、「購買力平価からの割高・割安度合い」という言葉は長いので、ここではこの言葉に「割高度合い」、「割安度合い」のどちらかを略語として使用することにする。円レートと他の先進諸国の通貨の割高度合いを表すグラフを下記に示す。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141013181224a92.gif/


1995年前後の時期に、超円高の状態にあったことは間違いのない事実である。2012年のアベノミクス相場以前の円レートもやや割高であったが、アベノミクス相場によって割高感は解消された。なお、2014年の円の購買力平価は102円05銭である。そして、それよりも0.4%割安である1ドル=102円44銭を、IMFは2014年の円レートとして採用している。これは、今年前半の円の平均レートだと考えられる。現在では当時より、対米ドルでは円安が進んでいる。ただ、ユーロの対ドルレートは、今年前半平均との比較で、円とあまり変わらないくらいの率だけ下落している。従って、円は、多くのヨーロッパ諸国の通貨に対しては、上記のグラフと変わらない位置にあるはずである。

次に、円レートの割高度合いを、日本周辺のアジア諸国と比較することにする。「日本周辺のアジア諸国」という言葉も長いので、ここではこの言葉に「アジア諸国」という略語を使用することにする。円とアジア諸国の通貨の割高度合いを表すグラフを下記に示す。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141012012544d21.gif/


円レートの割安度合いは、アジア諸国の通貨の割安度合いを、大幅に下回っていることは間違いない。だが、正しいことはここまでである。この次に、「円レートは、購買力平価で見た場合、アジア諸国の通貨に対して大幅に割高である。」と言ってしまうと、完全な誤りとなる。

購買力平価にはたびたび言及してきたが、その扱い方は難しい。IMFの購買力平価が為替相場の適正レートに等しいならば、通貨問題は発生しない。すべての国の通貨の市場レートを、IMFの購買力平価に一致するように動かせばよいからだ。残念ながら、IMFの購買力平価は、為替相場の適正レートと一致しない。一致しないのであるが、適正レートと無関係というわけでもない。生活水準の高い国の通貨は、購買力平価に対する割高度合いが大きくなり、生活水準の低い国の通貨は、購買力平価に対する割安度合いが大きくなるという傾向は存在する。市場レートの購買力平価に対する割高度合いは、先進国ほど割高になりやすく、発展途上国ほど割安になりやすいことを、バラッサ=サミュエルソン効果(*1の最終段落を参照)として説明したことがある。

最初のグラフに示した、先進諸国の通貨の割高度合いを使って、「円は割高ではない。」と断言することは、厳密には正しくない。しかし、だいたいにおいては正しい。理由は、先進諸国の間の生活水準に格差は存在するが、それほど大きなものではないからだ。一方、アジア諸国の生活水準の格差は、先進諸国の間の生活水準の格差よりも大きく、その格差を無視することができない。従って、購買力平価に対する割安度合いを見て、その国の通貨は割安であると決めつけてはならないのである。

アメリカや日本のような、それなりに豊かな国は、インドやインドネシアのような、かなり貧しい国よりも、市場レートの割安度合いは小さくなりやすい。これは言い換えると、発展途上国が経済成長し、豊かになるにつれて、その国の通貨の購買力平価に対する割安度合いは、大きな割安から少しずつ小さな割安へと変化していくのが自然な姿であることを意味する。この法則も、常に成り立つわけではない。しかし、成り立たない場合、何らかの原因があるはずである。バラッサ=サミュエルソン効果が発生しない場合は、その原因を考える必要性が存在する。

ここでは豊かさの尺度に、購買力平価ベースの1人当たりGDPを用いることにする。「購買力平価ベースの1人当たりGDP」という言葉も長いので、ここでは、この言葉に「1人当たりGDP」という略語を使用することにする。アジア諸国の1人当たりGDPの、アメリカの1人当たりGDPとの割合を表すグラフを下記に示す。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141016215613df9.gif/


上記のグラフの意味を別の角度から説明すると、アジア諸国が、アメリカとの相対比較で、どれほど豊かであるかを表すグラフでもある。アジア諸国の多くは、水準は異なるが、貧しい国から豊かな国へと進みつつある。唯一、フィリピンだけが、相対的な1人当たりGDPが、少しだけ低下している。日本は、ほぼ横ばいである。つまり、日本とアメリカとの生活水準の格差は、1980年も2014年もほとんど変わっていない。具体的には1980年67.9→1991年83.4→2014年68.9と推移している。1980年代のバブルの時代には、少しばかりアメリカとの差が縮まり、バブル崩壊後の失われた20年の間に再び差が少し開き、結局は元の水準に戻っている。この1人当たりGDPの動きと、バラッサ=サミュエルソン効果という観点から見ると、1985年以降の超円高は全く不要であったと言えるかもしれない。しかし、円レートは1985年のプラザ合意直後から急上昇に転じた。1995年までの超円高は異常としかいいようがない。1995年に円レートは頂点を打ち、割高度合いもようやく縮小に転じる。そして直近は、対米ドルでの割高度合いがほんの少しのマイナスになっている。

一方、アジア諸国の通貨の割安度合いは、日本とは全く異なっている。アジア諸国の多くは、日本よりも1人当たりGDPが継続的に増加してきた。日本は豊かになる途中で過剰ともいえる円高を経験してきた。アジア諸国の多くはそうした通貨高をほとんど経験していない。アジア諸国の多くは、通貨を割安に操作し続けることにより輸出を伸ばし、1人当たりGDPを引き上げてきたのである。通貨高にもかかわらず成長を実現してきた日本と、通貨安を武器に成長してきたアジア諸国との間には、大変大きな違いが存在する。

上から2番目のグラフで、日本以外のアジア諸国の通貨の割安度合いが拡大した局面において、市場の需給関係だけで拡大した局面はもちろん存在する。しかし、固定相場制下での国家による平価切り下げが原因であった場合も存在する。後で説明するが、中国の平価切り下げがこれに相当し、それは強烈なものであった。

アジア諸国の通貨の割安度合いが大きく維持されているもう一つの理由は、政府による大規模な為替介入である。アジア諸国の外貨準備の対GDP比率を表すグラフを下記に示す。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141012012542921.gif/

香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシア、中国、フィリピンの外貨準備の対GDP比率は上昇し続け、現在でも日本を上回っている。上から3番目の1人当たりGDPのグラフで示したように、シンガポールと香港は日本よりずっと豊かな国になっている。しかし、この2ヶ国の豊かさは、国家の大規模な介入という為替操作があって成立しているのである。この大規模な為替操作がなければ、この2ヶ国は繁栄していたであろうが、今ほどの繁栄はなかったはずである。

なお、アジア諸国の為替介入は、通貨価値の引き下げや維持を第一の目的としたケースは存在するが、それだけではない。最大の目的が、十分な外貨準備を保有し、国際収支危機が起こることを防ぐために為替介入を実施したケースの方が、数としては多かったと思われる。ただ、「十分な」の意味は、「過剰な」の意味とほとんど変わらない。そしてまた、国際収支危機防止のための為替介入の効果は、為替操作のための介入の効果と、結果は同じになる。為替操作目的だけではなく、外貨準備積み上げ目的の介入もまた、結果としてバラッサ=サミュエルソン効果の発生を防ぐことにつながったことは間違いない。

外貨準備の対GDP比率は、韓国、ベトナム、インド、インドネシアは日本より小さい。このうち、ベトナム、インド、インドネシアの比率は、日本よりも明らかに小さい。韓国も日本より小さいが、ほんの少しである。つまり、為替操作の規模は、日本を下回っているように見える。しかし、実質的には、韓国の為替操作の規模は、日本を上回っているのである。その理由は、分母に当たるドル建ての名目GDPの伸び率が高いことがあげられる。アジア諸国のドル建てGDPの推移を、1980年=100とした場合のグラフを下記に示す。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2014101201253869a.gif/


見てわかるとおり、分母のドル建てGDPの上昇率は、中国、シンガポール、韓国の順に高い。日本は最下位である。分母が大きくなったため、韓国の介入規模が小さく見える。韓国の介入が、日本より効率的であるのだ。効率的な理由として、韓国ウォンは円とは異なって売買に少し制限があるので、韓国ウォンの市場規模が、GDP規模との比較で小さいことがあげられる。市場規模が小さければ、少額の介入で韓国ウォンの上昇を押さえ込むことが可能になる。そのため、実質的には日本よりも韓国の方が為替操作の規模が大きいと言っているわけである。

アジア諸国、具体名をあげると、香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシア、中国、韓国といった国々は、大規模な為替介入により、本来ならば、バラッサ=サミュエルソン効果により上昇しているはずの自国の通貨価値を、割安のまま維持することに成功したのであった。ベトナム、インドネシア、インドは、為替介入を実施してきたが、その規模は日本よりは小さかった。フィリピンは、大規模な為替介入を実施してきたのであるが、それにもかかわらず、アメリカとの相対比較で豊かになれなかった点が、他の国とは異なっている。

くり返すが、アジア諸国の多くは、平価切り下げや大規模な為替介入を実施することにより、為替レートを割安に維持することに成功してきた。その結果、割安な賃金で割安な製品を作り、輸出し続けることに成功してきた。割安な製品を作るための技術は、多くの先進諸国から移転してきたはずであるが、その最大の移転元は日本であった。そしてその技術を使った製品を世界中に輸出したのであるが、そうした製品の輸入割合が一番高い先進国も、日本であった。アジア諸国の多くは、そろって為替を安く操作し、主として日本から導入した技術によって作られた製品を、日本に多く輸出することによって、経済成長を遂げてきた。これは、アジア諸国の多くが、そろって教科書的な近隣窮乏化政策を実施し、結果として高度経済成長を実現することに、見事に成功したことを意味する。そして、割安な製品の輸入割合が一番高い日本は、教科書通りに見事に窮乏化してしまったことをも意味する。

日本の輸出競争力が、アジア諸国に対して大きく劣ってしまった原因は、アジア諸国の為替操作だけではない。アジア諸国が、長期間、アジア通貨安を維持し続けてきた点については、アジア諸国の側に責任がある。一方、日本側にも長期間、円高を容認してきたという責任がある。つまり、長年の超円高・アジア通貨安の半分は、日本側に責任があったのである。

そして、多くの人たちが考えているように、アジア諸国はまだ貧しいから、言い換えると、経済発展段階の差から発生する輸出競争力の差も、当然存在する。日本の輸出競争力が低下した原因は、私は、おおざっぱに、経済発展段階の差から生じた割合が50%、超円高・アジア通貨安から生じた割合が50%と考えている。ただ国別に見た場合、シンガポール、香港、台湾、韓国に勝てなくなった理由の大部分は、超円高・アジア通貨安の結果だとみている。マレーシア、タイ、中国に勝てなくなった理由が超円高・アジア通貨安から生じている割合は、50%を下回っていると思う。

日本が中国の製品に勝てなくなった理由が、超円高・人民元安よりも経済発展段階の差の割合の方が高いことは事実だと思う。しかし、中国の為替操作は、他のアジア諸国に見られない強烈なものであったことも事実である。上から2番目のグラフで示したように、1980年−1994年の期間に、中国は、人民元の割安度合いを、104から30へと71%も引き下げた。これを名目為替レートで見た場合、人民元レートは、1979年末−1994年末の15年間に、対ドルで83%、対円で91%も切り下げたのである。中国のような低賃金国家が工業生産力をつけてきたのであるから、日本の高賃金では競争に勝てるはずがない、日本はもの作りをあきらめるしかない、という意見が現在の日本で広がっており、多数説になっているかもしれない。この考え方の最大の誤りは、中国は最初から低賃金国家ではなかったということである。中国の低賃金は、1979年末−1994年末の15年間に、国家が人民元の為替レートを対米ドルで83%、対円で91%切り下げるという極端に大規模な為替操作を実施した結果、人為的に作り上げられた低賃金なのである。

こうした大規模な為替操作が可能であった一つの理由は、1980年時点、あるいはそれ以前の毛沢東時代の人民元レートが、当時の中国の生活水準から見た場合、割高であったことが一つの原因である。それにしても、15年間に83%とか91%の切り下げとは凄まじい切り下げである。中国は、国家成立以降、貧しい割には賃金が安くない国家であり続けた。それが、ケ小平が改革・開放路線を採用し始めた直後から、15年にわたる大規模な為替操作により、賃金が極端に低い国家へと大きく変貌したのであった。人民元の平価を大規模に切り下げた結果、賃金が劇的に低下し、中国製品の国際競争力が飛躍的に上昇した。そして、経常収支の黒字が累積したため、2000年頃から通貨に上昇の圧力がかかった。すると、現在までに4兆ドル近くの超大規模な人民元売り・外貨買い介入を実施し、人民元レートの上昇を最小限に抑えてきた。中国製の製品の国際競争力を語る際、こうした極端に大規模な為替操作があったことを忘れてはならないのである。

ただし、仮に中国が為替操作を実施せず、為替レートを完全に変動相場制にゆだねていた場合でも、人民元レートは1980年以降に、かなり安い水準にまで下落していたはずである。その場合、2014年の人民元の購買力平価は、今以上に低かったはずであるからだ。為替操作がなかった場合でも、経済発展の段階の差としての人民元安は、発生していたであろう。その結果、労働集約的な産業は、日本から中国へとかなりの程度移転していたはずである。為替操作を実施しなかった場合でも、現在よりは貧しかったであろうが、それなりの経済成長を遂げていたはずである。そして何年先かわからないが、いずれは日本を追い越し、世界第二の経済大国にまでのぼりつめていたであろう。中国の超大規模な為替操作は、中国の経済成長に必要な時間を圧縮するのに、大変大きく貢献したことは間違いない。

日本経済が長年低迷してきた原因は、アジア諸国による近隣窮乏化政策だけが原因ではないことは、先に書いたとおりである。しかし、アジア諸国による近隣窮乏化政策が大きな低迷原因の一つではあったことに間違いはない。アベノミクス相場開始以降の円安により、欧米諸国の通貨に対する円の割高は、かなり多くが解消されたと思う。しかし、割安に操作されているアジア諸国の通貨に対する円の割高は、まだ解消されていない。

まず最初に、アジア諸国が長年実施してきた近隣窮乏化政策と、円高・アジア通貨安は現在でも解消されていないという事実を認識することから始めなければならない。こうした認識が広まったならば、円高・アジア通貨安の解消は、当然必要であるという理解も広まるはずである。円高・アジア通貨安が完全に解消された場合、日本の輸出は多少は増えるであろうが、すぐに大きく増えることにはならない。理由は、長年にわたる超円高・アジア通貨安の結果、日本の多くの輸出産業が死に絶えてしまったからである。一旦、死んでしまった産業を生き返らせることは、不可能ではないが、非常に困難である。アベノミクス相場の開始以降、円安・ドル高にもかかわらず、先進諸国に対する日本の輸出が増えにくくなっている理由と同じである。それでも、競争の前提条件を等しくするために、円高・アジア通貨安の解消は行われなければならない。その場合、円安が自国窮乏化政策であるという認識が、とんでもなく間違った考え方であるという理解もまた、同時に広まるはずである。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c230

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
231. 中川隆[-13922] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:06:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-594]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-05-27
購買力平価とは
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


購買力平価から見た、円相場の水準を調べることにする。ネット上で手に入る、あるいは、算出可能な購買力平価のデータとしては、IMF(2011年)、世銀(2010年)、CIA(2011年)、OECD(2011年)、ビッグマック指数(2012年)がある。

このうち、IMF(2011年)(2012年4月の公表値ではなく、2011年9月公表の2011年の推定値)とCIA(2011年)は、大部分が同じなので、CIAは、独自計算ではなく、IMF等からデータを借用していることがわかる。

IMF(2011年)と、世銀(2010年)は、いずれも、世銀が2005年の価格を基準としたICP(International Comparison Program:国際比較プログラム)という作業で求められた数値を元にして算出されている。 ICPは、国連統計部とペンシルベニア大学が、1970年から開始した、購買力平価を算出するためのプログラムである。2005年基準のICPは、第7回目である。この時は、世銀が中心となり、OECD、ユーロスタットが分担協力して、146の国、地域における約1000の商品・サービスを比較して算出するという大規模な購買力平価算出プログラムであった。第6回は1993年基準であったので、精度向上のために、過去6回よりも相当長い時間をかけて算出している。先進国から途上国まで、幅広くカバーしている。2006年以降は、それぞれが、購買力平価算出用デフレーターを作って算出するという手法により、アップデートした数値である。大元が同じであるため、IMF(2010年)と世銀(2010年)は、非常に似た数値を示している。直近の数値は、IMFの方が新しいので、IMF(2011年)を使用するのが妥当であろう。

OCED(2011年)は、OECDとユーロスタットが共同して、先進国を中心とする2008年の主要国の購買力平価を算出したデータを元にしている。ユーロスタットは、1960年代後半から、ヨーロッパの一部の国の購買力平価算出プログラムを開始した。1980年から、OECDと共同して先進国中心の購買力平価を算出し始めた。その後、何度も新たに計算を行い、現在は、OECD(2008年)の数値が元となっている。これは、主要国における約3000の商品・サービスを比較して算出された購買力平価の数値である。2008年の数値から、IMF・世銀方式よりも、より精密な購買力平価算出用デフレーター作って算出するという手法によりアップデートしたものが、OECD(2011年)である。OECD(2005年)はICPで算出された世銀(2005年)に組み入れられている。

ビッグマック指数は、イギリスのエコノミスト社が、マクドナルドのビッグマックという一つの商品から算出している購買力平価である。IMF等の購買力平価と違って、あまりにも簡易な算出方法であり、実体がどこまで反映されているか疑わしい。実際、ビッグマック指数は、IMF、世銀、OECDの購買力平価と、かなりかけ離れた数値が散見される。より厳密な購買力平価を使うとしたら、ビッグマック指数ではなくIMF等の数値を使うのが妥当であろう。

それでも、IMF、世銀、OECDの購買力平価には、いくつかの問題がある。その中で最大のものは、貿易財と非貿易財の問題である。先進国と途上国の生産性の格差は、貿易財の方が非貿易財よりも大きい。例えば、工業製品の生産性は、先進国と途上国との間に大きな格差が見られる。しかし、散髪のようなサービス・非貿易財の生産性は、先進国と途上国との間に、大きな格差は見られない。しかし、市場で決定される為替レートは、非貿易財の価格は無視され、貿易財の価格のみが反映される。そのため、途上国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過小に評価される傾向がある。一方、先進国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過大に評価される傾向がある。このことは、同時に、途上国が経済成長を実現して先進国へと移っていく間、市場で決定される為替レートは、経済成長と共に上昇していくことをも意味する(バラッサ・サミュエルソン効果)。この問題を頭に入れておけば、IMF、世銀、OECDの購買力平価は、通貨価値を比較する際の指標として、かなりの正確性を持つことになると考えられる。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c231

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
232. 中川隆[-13921] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:10:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-593]
アダム・スミス2世の経済解説
購買力平価から見た円相場 対主要国(OECD)
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-6.html


(2013年までデータを更新したグラフを最後に掲載)

OECDのHPに掲載されている購買力平価を使って、1960年から、米ドル=100とした場合の主要国通貨の購買力平価に対する割高、割安度合いを算出した結果が、上記のグラフである。39ヶ国もデータがあるので、その中から主要10ヶ国をピックアップしたものである。39ヶ国のデータを数値化した表を掲載すると、下記のようになる。

円相場は、直近の2011年において、購買力平価からのかい離率が、39ヶ国中、上から6番目とかなり割高な水準にある。

購買力平価で円相場の水準を判断すると、以前に示した実質実効為替レートとは違って、円が断トツに割高というわけではない。それは、日本以外の通貨で、購買力平価よりも割高な国の大半がヨーロッパ諸国であり、日本は、そうしたヨーロッパ諸国との貿易量はそれほど多くはないからである。日本と貿易量の多い、中国、アメリカ、韓国の購買力平価については、基準国であるアメリカは、プラザ合意の翌年の1986年からずっと日本より下方に位置し、中国、韓国は、常に日本より大幅に下方にかい離した位置にある。

従って、購買力平価で見た円相場は、かなり割高な水準に位置しているのであるが、国際競争力という観点からは、購買力平価が示すデータ以上に、円は割高な水準に位置していると考えられる。こうした超円高が、現在の日本の製造業を苦境に陥れている最大の原因なのである。


追記 2014年4月


2012年11月以降、円安が進行した。その結果、円レートの購買力平価に対する割高度合いは、フランス、イギリスを少し下回り、アメリカ、ドイツを少し上回る水準にまで修正された。それでもなお、韓国と比較すれば、かなり高い場所に位置している。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c232

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
233. 中川隆[-13920] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:12:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-592]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-06-01
購買力平価から見た円相場 対アジア諸国(IMF)
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-7.html


(2013年までデータを更新したグラフを最後に掲載)

IMFのHPに掲載されている購買力平価を使って、1980年から、日本円=100とした場合の、アジア主要国通貨の購買力平価に対する割高、割安度合いを算出した結果が、上記のグラフである。今回は、アジアの主要国を対象にし、基準通貨を米ドルではなく、日本円とした。このグラフを数値化した表を掲載すると、下記のようになる。

1980年代のベトナムは、不規則な変動をしているが、この時期、ベトナムはカンボジア侵攻を続けており、経済も統計も相当混乱した状態であったと推測される。それを除けば、見て明らかな通り、アジア主要国の通貨は、円に対して恒常的に割安状態が継続している。2011年時点で、アジア主要国の通貨は、対円で
38%〜78%も安い。

このように、バラッサ・サミュエルソン効果(*1の最終段落を参照)が発生することなく、極端な円高、アジア主要国通貨安が何十年も継続する中で、アジア主要国の経済成長が続けば、日本の工業製品の競争力が失われていくのは当然である。実際、メイド・イン・ジャパンの製品の競争力は低下し、日本の製造業は、赤字で倒産したり、アジア諸国に生産・開発・一部の本社機能を続々と移転し続けている。こうした傾向が顕著に現れるようになったのは、2000年頃からである。
1990年代のバブル崩壊という傷口がようやく治りつつあった日本経済は、今度は、産業の空洞化という現象に苦しめられるようになった。

「世界の工場が、アメリカ→日本→アジアへと移っていくのは、歴史の定めであり、食い止めることは不可能である。日本は脱工業化社会を目指して成長していくべきだ。」という意見はよく聞かれる。私は、日本経済の空洞化現象は、半分は、運命的なものであって避けることはできないが、半分は、運命的なものではなく、日本政府は、政策対応によって避けるべきだと考える。そのことを次回(*1)に説明する。


追記 2014年4月


2012年11月以降、円安が進行した。それでも依然として円は対アジア通貨で割高であり、円高修正は不十分である。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-7.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c233

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
234. 中川隆[-13919] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:13:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-591]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-06-07
購買力平価から見た円相場 超円高による産業の空洞化
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-9.html


前々回(*1を参照)示した通り、アジア諸国の通貨の購買力平価に対する比率(日本円基準)を見ると、非常に割安である。その原因を調べるために、外貨準備のGDPに対する比率、経常収支のGDPに対する比率と、購買力平価ベースの1人当たりGDPをあわせて示す。そのデータを、3つのグループに編集し直し、下記の表に示す。

(古い2011年版を掲載しているが、最後に新しい2013年版までを掲載)


グループAは、シンガポール、香港、台湾である。この3ヶ国は、外貨準備の対GDP比率が、日本を大幅に上回っている。その結果、巨額の経常黒字を産み出し、購買力平価ベースの1人当たりGDPは、いずれも日本を上回っている。この3ヶ国が実施している政策は、大量の介入によって、自国の通貨を極端に割安に誘導し、巨額の経常黒字を産み出すことである。その結果として、日本以上に豊かな国をつくり出している。この3ヶ国が豊かになった理由は、通貨を極端に割安に誘導したことだけの結果ではないが、自国通貨安誘導政策なしには、ここまでの経済発展を成し遂げることは、不可能であったと思われる。このような自国通貨安誘導政策による経済成長が可能であったのは、3ヶ国がいずれも小国であり、アメリカなどの大国に対して、わずかな損害しか与えなかったからである。しかし、日本はこの3ヶ国から被害を受けている。

グループBは、韓国、中国、マレーシア、タイ、フィリピンである。この5ヶ国も、外貨準備の対GDP比率は、日本を上回っており、経常黒字の対GDP比率も、日本を上回っている。購買力平価ベースの1人当たりGDPは、フィリピンはまだ貧しいが、韓国は日本にあと一歩のところまで追い上げている。日本企業は、この5ヶ国に新規の工場を続々と建てているが、その最大の魅力は、低賃金である。しかし、その低賃金の何割かは、5ヶ国の政府・中央銀行による自国通貨安誘導政策の結果、実現されたものである。この5ヶ国が、実質的に日本を上回る多額の介入を実施しなければ、バラッサ・サミュエルソン効果(*2の最終段落を参照)により、経済成長とともに、通貨高が引き起こされていたはずなのである。政府・中央銀行による大量の介入により、5ヶ国の通貨の上昇は、ほとんど起こらなかった。中国の介入だけは、アメリカから、相当非難を浴びせられているが、中国は、そうした非難を跳ね返す政治力を保持している。残りの4ヶ国も、実質的には中国に匹敵する多額の介入を行っているが、大国ではないので、アメリカなどの大国への損害は少なく、ほとんど非難を受けることは無い。しかし、日本は、この5ヶ国からも大変大きな被害を受けている。

グループCのインドネシア、ベトナム、インドの外貨準備の対GDP比率は、日本よりは低い。従って、為替レートが割安である最大の原因は、この3ヶ国が、まだ貧しいからである。しかし、この3ヶ国の外貨準備の対GDP比率は、10%を超えており、アフリカの途上国の平均を、大幅に上回っている。この3ヶ国の経済成長が順調に進めば、近い将来、グループBのような国へと移行していく可能性は、十分考えられる。

以上のように、世界の工場が、アメリカ→日本→アジアへと移転しつつあるのであるが、市場原理だけで、このような現象が起こっているのではないのである。大半のアジア諸国は、介入という自国通貨安誘導政策により、自国の労働者の賃金を安く維持し、その低賃金を武器に、日本から工場や技術を引き付け、輸出を拡大することにより、経済成長を遂げているのである。きっかけの一つは、1997年のアジア通貨危機の影響を受けて、危機を二度と繰り返すまいとして、アジア諸国が外貨準備を積み増し始めたことである。それが継続し、大規模な自国通貨安誘導政策となって、現在も続いているのである。その結果が、日本の産業の空洞化現象である。従来のような工場の移転は加速化しており、研究開発施設や、本社機能の一部まで、日本からアジア諸国へと移転が継続している。

ただ、日本は、アジア諸国との貿易を通じて、日本自身も利益を受けており、全体としてはウィン・ウィンの関係にはあるのである。しかし、産業の空洞化を通じた雇用や技術の移転という点に関しては、日本が一方的に被害を受け、アジア諸国が一方的に利益を獲得している。従って、ウィン・ウィンといっても、全体としてみれば日本が小さなウィンを獲得し、アジア諸国が大きなウィンを獲得している、というのが現状である。これは、過去十数年間の日本とアジア諸国の実質GDPの成長率の差を見れば、明らかである。

世界の工場が、アメリカ→日本→アジアへと移転することは、ある程度は避けることができない運命的な現象である。ただ、現状は、アジア諸国の多くが、大規模な介入による自国通貨安誘導政策を実施しているため、移転の速度が速すぎるのである。日本が新製品を作り出しても、すぐにアジア諸国に移転してしまう。特に電機産業は、移転の速度が速く、日本の大手電機企業は、大赤字を出したり、倒産してしまう企業まで出てきている。日本としては、アジア諸国が実施している自国通貨安誘導政策と同じ程度の「円安誘導」政策を実施することが必要なのである。

現在の日本は、震災特需という一過性の原因により、経済成長を遂げている。しかし、その下で、産業の空洞化による潜在成長率の低下という現象が、従来以上のスピードで進行している。空洞化というのは、言葉を換えれば、大規模な構造改革(あるいは、生産構造の破壊と言った言葉が適切かもしれない)である。多くの日本企業は、工場の海外への移転という、生き残りのための血の出る構造改革を、毎日のように実施しているのである。こうした抜本的な構造改革により、日本企業は、生き残ることができるかもしれない。しかし、日本経済は、破壊され、潜在成長率が大きく低下して行くのである。日本経済の潜在成長率の低下を食い止めるためには、産業の空洞化という、日本企業の抜本的な構造改革の速度を緩めることが必要なのである。構造改革の速度を緩めるためには、政府・日銀による「円安誘導」政策が不可欠なのである。


(2013年版)


(2012年版)

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c234

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
235. 中川隆[-13918] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:15:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-590]
アダム・スミス2世の経済解説 2013-02-09
ビッグマック指数の問題点
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-58.html


日本のエコノミストの中には、現在(2013年2月9日、1ドル=93円70銭)でも、為替レートが1ドル=70円台の時においても、円の為替レートは割高ではない、と主張する人たちがいる。そうしたエコノミストたちが円は割高ではないと主張する根拠の一つが、ビッグマック指数から見た円の購買力平価である。エコノミスト社が2013年2月1日に発表したビッグマック指数によれば、円はドルに対して、19%割安の水準であった。購買力平価の一つであるビッグマック指数から見ると、円は対ドルで20%近く安く評価されているので、現在の円相場は、円高ではなく円安である、という主張である。

以前、購買力平価とは何かを説明した際(*1)、ビッグマック指数を購買力平価として使用すべきではないと主張したが、今回は、その根拠をより詳しく説明する。エコノミスト社は、社内にEIUという調査・コンサルタント部門を抱えている。その EIUは、2013年2月4日に、駐在員用の生活費指数を発表している。これは、世界140都市における商品、サービス価格を160品目以上調査し、それをニューヨーク=100として比較するものである。この調査によれば、東京の指数は152であり、東京の生活費は世界で一番高いという評価であった。ちなみに、世界第2位は、大阪である。これは、東京の生活費がニューヨークを52%上回っている、ということを意味する。同時に、東京の物価がニューヨークを52%上回っている、という意味でもある。さらにこれは、購買力平価で見た場合、東京という日本を代表する都市で流通する円の価値が、ニューヨークというアメリカを代表する都市で流通するドルの価値を52%上回っている、ということをも意味している。

ビッグマック指数と生活費指数を使い、ドル=100とした基準で、円のドルに対する割高、割安度合いを示す数値をグラフ化したものが、最初に示したグラフである。このグラフには、IMFの購買力平価で見た円のドルに対する評価値も挿入した。グラフを見てわかることは、三つの指数の変動がよく似ている、ということである。一方、指数の水準は全く異なる。生活費指数は非常に高く、ビッグマック指数は非常に低い。IMFの購買力平価はその中間である。2013年の値は、生活費指数が152、IMFの購買力平価が127、ビッグマック指数は81である。

エコノミスト社の算出する生活費指数、ビックマック指数を用いてドル・円の為替レートを評価してみる。日本は生活費が非常に高いので、生活費指数を購買力平価として使用した場合、円の価値はドルを52%上回る。一方、ビッグマックという一商品に関しては、日本での価格が安いため、ビッグマック指数を購買力平価として使用した場合、円の価値はドルを19%下回る。

どちらの指数を購買力平価として使うのが正しいのであろうか。それは、生活費指数の方である。理由は、ビッグマック指数が、ビッグマックという一商品から算出される購買力平価であり、生活費指数は、160品目以上の商品、サービスから算出される購買力平価であるからだ。エコノミスト社は、ビッグマック指数を購買力平価として宣伝しているが、生活費指数を購買力平価としては扱っていない。しかし、本当は、エコノミスト社が算出する生活費指数の方が、ビッグマック指数よりも、購買力平価としては精度が高いのである。

では、エコノミスト社の生活費指数を購買力平価として使用することは正しいであろうか。これも誤りである。エコノミスト社の生活費指数で使用する商品、サービスは、160品目以上と少ない。IMFの購買力平価では、途上国においては、約1000品目、日本やアメリカなどの先進国においては約3000品目の商品、サービスから算出された指数である。EIUはエコノミスト社の一部門であり、その調査員が、毎年数多くの調査レポートを発表しているが、その中の一つのが、生活費指数である。IMFの購買力平価は、元をたどれば、世界銀行の ICP(International Comparison Program:国際比較プログラム)という購買力平価算出プログラムの中で作成された数値を元に計算されている。世界銀行が中心になり、OECD、ユーロスタットが協力して算出した購買力平価を、IMFがアップトゥデートしたものである。ICPという作業に何人が参加したかは分からないが、EIUの生活費指数よりも、遥かに膨大な人員、時間、統計の専門家が共同で算出した購買力平価であることは間違いない。世界銀行とIMFの購買力平価は、ICPで2005年を基準にして算出された購買力平価を大元に使っているので、全く同じではないが、似たような数値になっている。先進国に限った購買力平価については、OECDとユーロスタットが協力して算出したOECDの購買力平価も利用可能である。これも、ICPに組み入れられているので、2005年のOECDの購買力平価は、世界銀行、IMFと同じである。生活様式が異なる国々の物価を比較して計算し、購買力平価という一つの国を代表する一つの数値を算出している。どんなに多くの優秀な人員を長時間動員しても、欠点、欠陥を完全に除去することはできないと考えられ、その精度には、限界があるであろう。だが、現在、世界に存在する一番精度の高い購買力平価は、世界銀行、IMF、OECDの購買力平価であるはずだ。

2013年2月6日のエコノミスト紙に、「ビッグマック指数で見た通貨戦争」という題名の記事が書かれていた。ここでは「バーガノミックス」という名で、ビッグマック指数を使った通貨分析を行い、どの通貨が割高、割安であるかを評価している。その中では、円は対ドルで19%割安であるということも書かれており、その日本が通貨戦争の話題に火を付けた事を批判的に書いている。このエコノミスト紙の記事は非常に不適切であると考える。分析を行うなら、より精度の高い生活費指数を購買力平価として使った分析も同時に発表すべきであろう。生活費指数なら、円は、依然として世界一高く評価されている通貨なのである。

ビッグマック指数の大きな意義は、「わかりやすさ」にある。購買力平価とは何かを知らない人たちに対して、購買力平価の意味を説明する際、ビッグマック指数を例として使うと、非常に分かりやすい説明が可能になる。わかりやすく、かつ現実を正確に反映している指数であれば、いくら使用してもかまわない。しかし、ビッグ
マック指数はわかりやすいだけで、精度が低い物差しなので、使用すると、現実を歪んだ形でしか認識することができない。購買力平価を使うのであれば、世界銀行、IMF、OECDの購買力平価を使用すべきである。ビッグマック指数は、購買力平価を説明する際の入門者用のテキストだけに使途を限定して使用すべきである。ビックマック指数は、専門的な通貨問題の分析のために使用する尺度としての購買力平価からは、追放すべきである。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-58.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c235

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
236. 中川隆[-13917] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:17:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-589]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-05-22
円の実質実効為替レート 継続する超円高
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

実質実効為替レートの最新のグラフはこちら

BIS(国際決済銀行)のHPには、1964年以降の主要27ヶ国の月次の実質実効為替レートが掲載されている。そのデータから、年次のレートを計算し、1964年=100として指数化する。数が多いので、ユーロ圏の国々をまとめてユーロ圏だけに代表させて、18ヶ国の実質実効為替レートをグラフ化すると、上記のようになる。

1964年の日本の経常収支は若干の赤字。スタート時点において、円は少し過大評価されていたことになる。

見て明らかなとおり、円の実質実効為替レートは、1964年−1995年の間、第2位のスイスフランを大きく引き離して、ずば抜けて高い上昇率を実現してきた。円は、昨年1年間に大きく値下がりしたが、超々円高が、超円高に変わった程度である。

円の実質実効為替レートが、米ドルの実質実効為替レートと比較して、大幅に上昇しているという事実は、1ドル=360円からピーク時には1ドル=75円にまで上昇したのであるから、実感できるはずである。

もう一つ注目すべきことは、中国、韓国、香港、台湾、シンガポールのアジア諸国である。いずれも、2013年の指数は、87以下である。これらの国の実質実効為替レートは、円の実質実効為替レートが71%上昇している間、13%以上値下がりしてきたのである。

なお、中国人民元のデータは、BISのHPには1994年以降のデータのみが掲載されている。そこで、1964年−1994年のデータは、人民元と米ドルの実質為替レートを計算し、実質実効為替レートに代用し、上記のグラフに掲載した。人民元は割安であるが、1994年以前のドルに対する円高が全く反映されていない。従って、1994年以前の実質実効為替レートが計算可能であるならば、上記のグラフのさらに下を進んでいた可能性が高い。

以上から、1964年−2013年という長期の実質実効為替レートの推移を見ると、円は、主要国の通貨の中で、値上がり率がずば抜けて高かったのである。特に、アメリカとアジア諸国の通貨に対しては、極端に大きく上昇してきたという事実は間違いないはずである。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c236

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
131. 中川隆[-13916] koaQ7Jey 2020年2月08日 13:02:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-588]
日本が消費税率引き上げの為に令和大恐慌になろうとしているのに、日経平均だけが上がる理由:


[藤井聡]日本経済は緊急措置必要 もうこれは令和恐慌突入確実だ 2020/02/06




2019 年 12 月 11 日 宮田 直彦 エリオット波動マーケット分析
2015年、トヨタ株はドル 円に先んじてピークアウトした

かつて、レポート「トヨタ株が教える日経平均の転換点」(2015 年 4 月 15 日付 で、トヨタ株が重要な高値を付けた可能性があり、相関の強い日経平均とドル 円の調整入りが近いだろう、と予想したことがある。

結果的にこの見方は正しかった。トヨタ株が上場来高値 (8,783 円 を付けたのは
15 年 3 月 24 日、ドル 円高値 (125.86 円は同年 6 月 5 日だった。トヨタ株はドル円に先行してピークアウトし、その後は共に大型トライアングルを形成していくことになる。

なおトヨタ株の高値から3 ヵ月後、 15 年6 月 24 日に日経平均は当時の天井 (20,952円 を付け、その後の 1 年間で 30% 近く下落した。

トヨタ株は大型トライアングルから上放れ

最近になって注目すべきは、トヨタ株が大型トライアングルから明確に上放れた
ことだ。
代表的な輸出株であるトヨタ株とドル円の動きは互いに強く影響し合っている。
過去 10 年でみたときの相関係数は0.95 と高く、株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できるよう にみえる。

トヨタ株はドル高・円安を先取りか

2015年のトヨタ株がドル 円のピークを暗示していたように、現在のトヨタ株の
動きはドル 円の動きを先取りしているのではないか。

そうであれば、ドル円も 2015 年以来の大型トライアングルからの上放れが近い
だろう。そして 2020 年には、ドル高・円安トレンドが鮮明になっていくと思われ
る。

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日本がインフレになって超円安になれば一般庶民の生活は滅茶苦茶になりますが、トヨタの様な輸出企業の利益だけは倍増するからです:


日本経済が長年低迷してきた原因は、アジア諸国による近隣窮乏化政策が大きな低迷原因であった。アベノミクス相場開始以降の円安により、欧米諸国の通貨に対する円の割高は、かなり多くが解消されたと思う。しかし、割安に操作されているアジア諸国の通貨に対する円の割高は、まだ解消されていない。

まず最初に、アジア諸国が長年実施してきた近隣窮乏化政策と、円高・アジア通貨安は現在でも解消されていないという事実を認識することから始めなければならない。こうした認識が広まったならば、円高・アジア通貨安の解消は、当然必要であるという理解も広まるはずである。

円高・アジア通貨安が完全に解消された場合、日本の輸出は多少は増えるであろうが、すぐに大きく増えることにはならない。理由は、長年にわたる超円高・アジア通貨安の結果、日本の多くの輸出産業が死に絶えてしまったからである。一旦、死んでしまった産業を生き返らせることは、不可能ではないが、非常に困難である。

アベノミクス相場の開始以降、円安・ドル高にもかかわらず、先進諸国に対する日本の輸出が増えにくくなっている理由と同じである。それでも、競争の前提条件を等しくするために、円高・アジア通貨安の解消は行われなければならない。その場合、円安が自国窮乏化政策であるという認識が、とんでもなく間違った考え方であるという理解もまた、同時に広まるはずである。
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アダム・スミス2世の経済解説 2012-05-27
購買力平価とは
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

購買力平価から見た、円相場の水準を調べることにする。ネット上で手に入る、あるいは、算出可能な購買力平価のデータとしては、IMF(2011年)、世銀(2010年)、CIA(2011年)、OECD(2011年)、ビッグマック指数(2012年)がある。

このうち、IMF(2011年)(2012年4月の公表値ではなく、2011年9月公表の2011年の推定値)とCIA(2011年)は、大部分が同じなので、CIAは、独自計算ではなく、IMF等からデータを借用していることがわかる。

IMF(2011年)と、世銀(2010年)は、いずれも、世銀が2005年の価格を基準としたICP(International Comparison Program:国際比較プログラム)という作業で求められた数値を元にして算出されている。 ICPは、国連統計部とペンシルベニア大学が、1970年から開始した、購買力平価を算出するためのプログラムである。2005年基準のICPは、第7回目である。この時は、世銀が中心となり、OECD、ユーロスタットが分担協力して、146の国、地域における約1000の商品・サービスを比較して算出するという大規模な購買力平価算出プログラムであった。第6回は1993年基準であったので、精度向上のために、過去6回よりも相当長い時間をかけて算出している。先進国から途上国まで、幅広くカバーしている。2006年以降は、それぞれが、購買力平価算出用デフレーターを作って算出するという手法により、アップデートした数値である。大元が同じであるため、IMF(2010年)と世銀(2010年)は、非常に似た数値を示している。直近の数値は、IMFの方が新しいので、IMF(2011年)を使用するのが妥当であろう。

OCED(2011年)は、OECDとユーロスタットが共同して、先進国を中心とする2008年の主要国の購買力平価を算出したデータを元にしている。ユーロスタットは、1960年代後半から、ヨーロッパの一部の国の購買力平価算出プログラムを開始した。1980年から、OECDと共同して先進国中心の購買力平価を算出し始めた。その後、何度も新たに計算を行い、現在は、OECD(2008年)の数値が元となっている。これは、主要国における約3000の商品・サービスを比較して算出された購買力平価の数値である。2008年の数値から、IMF・世銀方式よりも、より精密な購買力平価算出用デフレーター作って算出するという手法によりアップデートしたものが、OECD(2011年)である。OECD(2005年)はICPで算出された世銀(2005年)に組み入れられている。

ビッグマック指数は、イギリスのエコノミスト社が、マクドナルドのビッグマックという一つの商品から算出している購買力平価である。IMF等の購買力平価と違って、あまりにも簡易な算出方法であり、実体がどこまで反映されているか疑わしい。実際、ビッグマック指数は、IMF、世銀、OECDの購買力平価と、かなりかけ離れた数値が散見される。より厳密な購買力平価を使うとしたら、ビッグマック指数ではなくIMF等の数値を使うのが妥当であろう。

それでも、IMF、世銀、OECDの購買力平価には、いくつかの問題がある。その中で最大のものは、貿易財と非貿易財の問題である。先進国と途上国の生産性の格差は、貿易財の方が非貿易財よりも大きい。例えば、工業製品の生産性は、先進国と途上国との間に大きな格差が見られる。しかし、散髪のようなサービス・非貿易財の生産性は、先進国と途上国との間に、大きな格差は見られない。しかし、市場で決定される為替レートは、非貿易財の価格は無視され、貿易財の価格のみが反映される。そのため、途上国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過小に評価される傾向がある。一方、先進国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過大に評価される傾向がある。このことは、同時に、途上国が経済成長を実現して先進国へと移っていく間、市場で決定される為替レートは、経済成長と共に上昇していくことをも意味する(バラッサ・サミュエルソン効果)。この問題を頭に入れておけば、IMF、世銀、OECDの購買力平価は、通貨価値を比較する際の指標として、かなりの正確性を持つことになると考えられる。
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アダム・スミス2世の経済解説 2020-01-19
実質実効為替レート、名目実効為替レートの長期推移
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非貿易財を含む消費者物価指数から作成される実質実効為替レートを見る場合、バラッサ・サミュエルソン効果(経済成長率が相対的に高い国は購買力平価、ないしは実質実効為替レートも上昇するという現象)と合わせて見ることが必要。

日本はバラッサ・サミュエルソン効果に貿易摩擦も加わり、1995年までは異常な円高が発生。その後、日本経済の成長率低下に伴うバラッサ・サミュエルソン効果の是正=超円高の是正が起こった。しかし、超円高の是正は不十分。

日本周辺のアジア諸国では、固定レート制や政府・中央銀行の為替介入などにより経済成長に伴う通貨高=バラッサ・サミュエルソン効果がほとんど発生していない。


(購買力平価との関係)

IMFが算出している購買力平価で見ると、1ドル=97円であり現状はそれよりも円安。

従って、最近のIMFは円レートを適正とは評価しても、割安と評価することはない。

しかし、IMFの見方には3つの問題点がある。


第1点は、日本の購買力平価で見た一人当たりのGDPは欧米と比較すると過去のように高くはない。

先に示したバラッサ=サミュエルソン効果で示した通り、豊かではない国の為替レートは購買力平価で見て割安なのは当然。

これは、対米ドルや対欧州諸国の通貨に対して円が割安であることを正当化できる理由である。


第2点は、日本と貿易量の多いアジア諸国の通貨は、購買力平価で見ても非常に割安な国ばかり。

シンガポールなどの非常に豊かな国の通貨は日本よりかなり割安。

中国のようにあまり豊かとは言えない国の通貨はさらに割安。

日本と貿易量の多いアジア周辺諸国は、購買力平価で見ると超割安な国が多い。


第3点は、日本は1990年代後半のデフレ期以降は財価格↑≒サービス価格↑。

同期間の欧米諸国はサービス価格↑>財価格↑。

例 日米の消費者物価、財物価、サービス物価の差

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20190206130209f65.png/


日本の購買力平価比での円安や実質実効為替レートで見た円高是正はサービス価格の相対的な下落が原因。

財価格からみれば超円高の是正は全く不十分。


IMFなどの購買力平価だけからは見えないので、認識もされていない。

結果として、円は購買力平価で見ると円安、実質実効為替レートで見ると基準時点によっては円安。

しかし、財を主に生産する日本の輸出産業にとっては超円高が継続。

より厳密には欧米諸国の通貨に対しては超円高とは言えないが、大半のアジア諸国の通貨に対しては超円高。

詳細→アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


この超円高・アジア通貨安は是正されなければならない。


なお、購買力平価説の通説的解釈は物価変動の差→為替レートである。

1995年以降の日本については為替レート(円高)→物価とGDP変動の差(物価安とGDPの低迷)、という因果関係になる。

この因果関係についての考え方は特殊なように見える。

他方、通貨安→GDP増加という考え方は広く見られる。

アメリカは年に2度の為替報告書を公表して日本を通貨安誘導の疑いありと監視対象国に指定し続けている。


(超円高の是正方法)

1995年以降、実質実効レートが大きく円安方向に移動したことは事実。

しかし、名目実質実効レートは少ししか円安になっていない。

この現象下で発生したことは、日本の輸出産業の製品価格の下落、輸出産業の崩壊、物価下落、賃金下落、成長率低下。

賃金を見ても、世界の先進国の中で日本だけが上昇していない。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2019101322232406e.png/


電機を中心とする輸出成長産業が大崩壊。

その結果、賃金は低下。

実質円高の是正方法としては最悪。

今後の実質円高の是正は名目円レートの引き下げでなければならない。

それならば賃金、物価の上昇も可能。


(経常黒字で円高進行?)

日本は円高が原因で全然豊かになれない。

反対に、浪費壁があるアメリカは豊かになり、同時に経常赤字も拡大。

日本=経常黒字、アメリカ=経常赤字の原因を通常の経済学で考えると、円が安すぎ、米ドルが高すぎになる。

そのため、先に書いた通りアメリカは為替報告書で日本は円安誘導の疑いありと監視し、実際に円安誘導をしていると非難することもある。

日本国内でも、経常黒字で円高になるのは当然という意見はある。

購買力平価説の通説的解釈とも言える。


しかし、経常黒字の原因は円高のために賃金上昇がなく、消費も節約しすぎで、輸入が増えないことも一因。

円高差損に懲りた日本企業も国内では設備投資をほとんど増やさず、対外直接投資は大きく増やす。

結果として貿易赤字は増えず、第一次所得収支の黒字が拡大し、経常収支も黒字を維持。


世界的には、通貨安が原因で経常黒字になる国が多い。

日本に関しては円高を原因とする経常黒字が継続。

円安になると所得が増え、輸入も増え、貿易黒字は減るかもしれない。

企業の対外直接投資も減り、経常黒字も減るかもしれない。

これに近い貿易・サービス黒字、経常黒字の縮小はバブル時代の末期に実際に発生、現在のアメリカとも共通点が多かった。


ところが、日本ではバブル=悪という全面否定論が強すぎる。

バブル時代は資産価格の上昇に対して、賃金と物価の上昇率が低すぎたことが失敗という総括に変えることが必要。


(経済成長の困難化)

長年の超円高・アジア通貨安継続の結果、日本の輸出産業の基盤は大きく崩壊し、現在も崩壊中。

その結果として、日本の先端製造技術、規模の経済、外部経済が失われただけではない。

日本人の夢と希望が失われ、勤労意欲、学習意欲も低下。


こうした夢と希望の消失などは少子高齢化でも発生。

ただ日本の場合、少子高齢化以上に超円高・アジア通貨安が寄与。

少子高齢化で夢と希望の消失が発生するからこそ、超円高・アジア通貨安は是正する必要があった。

実際は夢と希望の消失を少子高齢化や既得権益層の過保護が原因と決めつけ、超円高・アジア通貨安を是正しなかった。


現時点では、円安だけで経済を再生させようとしても完全に手遅れであり、もはや不可能。

しかし、円高進行なら、産業崩壊は加速=日本経済の崩壊も加速=国民は貧困化。

食料や石油など輸入品価格上昇という痛みを伴う割には、経済成長は簡単ではない。

それでも経済衰退の加速防止には円安が不可欠。


なお、コーポレートガバナンスコードは、ROE重視より先に、賃金上昇の重視へと改める必要がある。

今まで書いてきた日本のマクロ経済の特殊性を知らない経営学者が、欧米の常識をそのまま日本に導入したこともまた大きな失敗。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c131
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番
ロベルト・シューマン 交響曲第4番



フルトヴェングラー指揮 シューマン 交響曲第4番


Schumann - Symphony No.4 (Century’s recording : Wilhelm Furtwängler)





Wilhelm FURTWÄNGLER
Berliner Philharmoniker
Studio Recording, Berlin, May 14, 1953


1953年
14 May 1953 BPO Jesus Krist Church(DG studio version)
Schumann: Sym.No.4
●5月14日 シューマン/交響曲4番 BPO イエスキリスト教会 DGスタジオ録音


SP/PR: DG LVM72361-3('53)
LP/PR: DG LP16063(53/09)
CD: DG(JP)POCG3791(97/08)DG457722-2(98/01)


>>>This CD is my favorite CD.
▼スタジオ盤とは思えぬほど熱気あふれる演奏。私はこの演奏をCD時代になって初めて聞いたが、このうねるような終楽章には圧倒された。ベートーベンやブラームスの交響曲ばっかり聴いている私が唯一良く聞くイニシャルB以外の作曲家の作品。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル

DG。1953年5月14日、イエス・キリスト教会での録音。不滅の名盤である。
OIBP化。国内盤POCG 3791はライヴ録音の「マンフレッド」序曲とカップリング。


惜しむらくは、なぜか、第1楽章と第2楽章との間にスペースが開いている。
(CDの時間表記がマイナス何秒となる。)
フルトヴェングラーがこの曲を録音した際に、1度もカットさせなかったことは夫人の回想録の証言するところだから、これはレコード会社の編集によるものかもしれない。しかし下のルツェルン祝祭管とのライヴ盤のCDでも相当な間が開いているので、もしかしたらフルトヴェングラー・パウゼなのかもしれない。だとすればCDのトラック間のマイナス時間表記を無しにすべきだろう。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1953年録音/グラモフォン盤) 


フルトヴェングラーが亡くなる前の年の演奏です。「シューマンの4番と言えばフルトヴェングラー」と言われるぐらい有名な録音です。


比類無いほどにロマン的で情熱的な演奏ですが、とにかく凄いのはオーケストラがまるで生き物のように自由自在。楽器の音が全くせずに音楽そのものしか感じさせません。


この曲の第1楽章は中間部がとても鳴りにくく、しばしば演奏に失望することが多いですが、フルトヴェングラーの場合は情熱が迸るように立派に鳴り渡ります。


第2楽章のロマンも最高。当時のベルリンフィルのコンサートマスター、ジークフリート・ボリスの奏でるヴァイオリン・ソロは甘いポルタメントを効かせて耳がとろけるようです。過去最高の演奏と言えるでしょう。


第4楽章も極めてドラマティックであり、中間部の付点リズムの生命力も他の指揮者とは次元が異なります。


既に50年以上も昔の録音ですが、いまだに最高の演奏であり続けています。
モノラル録音ですが、フルトヴェングラーの録音の中でも最も音質の良い一つなので鑑賞には全く差支え有りません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html



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Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120 Furtwängler Luzerner Festpielhaus Orchester






Das Luzerner Festpielhaus Orchester
Wilhelm Furtwängler


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Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120 Furtwängler Schweizerisches Festspiel orchester






Schweizerisches Festspiel orchester
Wilhelm Furtwängler
Live


1953年
26 Aug. 1953 Lucerne Fes. Orc.(private arc.)
Schuman: Sym.No.4
●8月26日 シューマン/マンフレッド序曲 ベートーヴェン/英雄 シューマン/交響曲第4 ルツェルン祝祭管 ルツェルン音楽祭 Private archive(W.Staempfli所蔵=audite以前に発売のもの) バーゼル・スイス放送局(audite)


CD/PR: SWF961-2('96)ElaborationELA904-5('97)M&ACD1018(98/03)Audite91441(KIGC-27=17/12)


▼1993年仏フ協会総会ではじめて公表された録音。
Prof.J.Staempfliがバーゼル・スイス放送をエアチェックしていたという録音は、53年としては音質に不満が残りドロップアウトも多いものの、晩年は枯れた演奏が多い巨匠としては両曲共相当に燃えており、この録音の価値は高い。 シューマンはともかく英雄の52年BPO盤で枯れた演奏を見せていたのは「本当の巨匠」ではなかったとすら思わせる貴重な録音。
96年初出の仏フ協盤に続いてM&Aから98年市販盤が登場。これを「正規盤」とする意見もあるが実態は不明。M&Aは協会盤とは全く別のルートから入手したテープを使っている−としている。
英雄とシューマン4番も初めてオリジナルから聞くことができるようになった。
開演前の拍手やインターバルを含めた完全版。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm



ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団
1953年8月26日、ルツェルン、クンストハウス、ライヴ録音。
同日の「英雄」とカップリング。Elaborationレーベルの海賊盤で持っていたが、ようやく正規盤が出た。DG盤同様に素晴らしい演奏である。1年に1度音楽祭期間中ぐらいしか共演していないオケなのに、この自在な操縦ぶりはさすがである。


なおこのCDも第1楽章の一番最後の音と第2楽章の間がだいぶあいている。これがいわゆる「フルトヴェングラー・パウゼ」なのかどうかがイマイチよくわからない。ただ、第4楽章主部の直前はフルトヴェングラー・パウゼが結構長めにとられている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


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ロベルト・シューマンの交響曲第4番ニ短調作品120は、妻クララの22歳の誕生日1841年9月13日に、誕生日プレゼントとして彼女に贈られた。作曲はその直前3か月間で行われた。


2人の結婚は1840年9月12日(ロベルト30歳・クララ20歳)なので、クララにとっては結婚してから2回目の誕生日になる。初演は、そのクララの誕生日から3か月後の1841年12月6日に行われ、10年後1851年に改訂され、現在は改訂版が多く演奏されている。


全体構成、楽想、規模ともシューベルトの交響曲第4番ハ短調『悲劇的』の影響が見られる。


作曲年次としては、第1番『春』に次ぐ2番目の交響曲であるが、改訂後の出版年次(1854年)により第4番とされた。
作品番号は120が与えられたが、これは改訂版に対してであり、初版の作品番号は正確には存在しない。


作曲の経緯


初稿


1840年9月にクララと結婚したシューマンにとって、翌年1841年は、交響曲を2曲そして序曲など作曲活動が順調に進んだ年となった。まず1月から2月にかけて第1交響曲を完成し、3月に序曲、スケルツォとフィナーレ作品52、4月から5月にかけてピアノと管弦楽のための幻想曲(後に改訂され、ピアノ協奏曲の第1楽章となる)を立て続けに作曲する。さらに6月から、後に第4番とされたこのニ短調交響曲の作曲に取りかかり9月9日に完成し、9月13日の妻クララの誕生日に彼女にプレゼントした。

初演は、3か月後の12月6日、序曲、スケルツォとフィナーレとともに、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。しかし、メンデルスゾーンの体調不良のため、代わりにコンサートマスターのフェルディナント・ダーヴィトが指揮したことや、これら新作発表に加えて、クララとリストの二人のピアノ演奏もこの演奏会で行われたため、聴衆の目がこの二人に集中したことなどから、結局、初演当日のプログラム表記が『交響曲第2番』であったこのニ短調交響曲は、十分な評価を初演時に得るには至らず出版は見送られた。


シューマンは「この曲は第1番より決して劣るものではない」と自信を持っていたが、結局、この初稿に基づく版(後述)が出版されたのはシューマン死後の1891年である。


改訂稿


初稿の10年後、1851年に交響曲第3番『ライン』を完成したシューマンは、ニ短調交響曲の改訂に取りかかり、数日で完成させた。オーケストレーションもかなり書き換えられたが、本人がヨーゼフ・ヨアヒムへの手紙に「それが主目的じゃなかった」と書いているように、元の構成はほぼそのまま活かしながらも全体としての統一性をより高める変更を取り入れ、楽章毎の区分をなくして全曲休みなく続けて演奏されるようになったことが最大の相違点である(ただし、2003年にブライトコプフ社から出版されたジョン・フィンソン校訂版においては、第1楽章と第2楽章の終止線がいずれも複縦線に置き換えられており、アタッカの扱いとなっている)。


改訂後のこの作品をシューマンは「交響的幻想曲」と呼んだこともあり、後述する自筆譜にはそのタイトルをつけようとしたが、それを消して結局現在のタイトルにしたことが残されている。


改訂版は1853年12月30日にデュッセルドルフにおいてシューマン自身の指揮によって初演され、翌1854年に出版された。シューマンは初演について、「以前の作品より充実していて、効果十分だった」と書いている。この曲の楽譜には正式な献辞はないが、シューマンは自筆譜をヨアヒムに贈っている。


シューマンの死後、その楽譜の編集に当たったヨハネス・ブラームスは初稿の優位性を主張して、クララと意見が対立したといわれる。結局ブラームスの尽力で初稿版は1889年10月22日にケルンでフランツ・ヴュルナーの指揮で再演され、ブラームスとヴュルナーの校訂版として1891年には出版されるのだが、ヴュルナーは自筆に従った校訂を、ブラームスはシューマンによる最終稿の要素を取り入れた校訂を主張し、最終的には部分的に最終稿を採用する形でまとめられたため、厳密な意味での初稿版ではない。


現在では改訂稿が一般的に演奏されるが、このヴュルナー版(1891年版と表記されることもある)や後に出版された1841年の初演版による演奏や録音もある。


楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2(初稿:C管→改訂版:B♭管)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2(D管→F管)、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部。


楽曲構成


前述したように楽章区分はなく、全曲は休みなく続けて演奏されるが、ここでは便宜上4つの楽章に分けて述べる。各楽章で共通する主題が使用され、全曲の有機的な統一性を高めていることが特筆される。


第1楽章 かなり緩やかに (Ziemlich langsam) − 生き生きと (Lebhaft)


速度・表情の指示はドイツ語による。ニ短調。序奏付きの自由なソナタ形式(提示部反復指定あり)ともいえるが再現部が存在せず、ほぼ提示部−展開部−コーダという構成になっている。 3/4拍子で始まり、緩やかな序奏の動機が示される。第1主題を予告する動機が繰り返されて速度を速め、主部に入る。

主部は2/4拍子。第1主題は半音階的に上下し幻想的な響きを持つ。第2主題に相当するものは認められず、主部は第1主題の変形や展開によって形成されている。3本のトロンボーンの和音により展開部に入る。展開部では第1主題を扱うが、やがて新たな主題が現れ、確保される。さらに流麗な旋律が続く。これが繰り返され、高まるとコーダとなり、流麗な旋律が勝ち誇ったように奏され、第1主題と新たな主題で締めくくられる。


第2楽章 ロマンツェ かなり緩やかに (Ziemlich langsam)


イ短調。3/4拍子。三部形式。オーボエとチェロの独奏により、第1楽章第1主題に基づく中世ロマンス風な旋律を奏し、弦が第1楽章序奏の主題を示す。中間部はヴァイオリン独奏が3連符で流れるような旋律を奏でる。


第3楽章 スケルツォ 生き生きと (Lebhaft)


ニ短調。3/4拍子。ABABの形式。スケルツォ主題は第1楽章序奏の主題に基づく。中間部は変ロ長調。第2楽章の中間部と同一の素材である。第3楽章と第4楽章が休みなく続く構想は初稿でも同様であるが、大幅に改訂されている。


第4楽章 フィナーレ 緩やかに (Langsam) − 生き生きと (Lebhaft)


序奏付きの自由なソナタ形式(提示部反復指定あり)で、再現部で第1主題が再現されない。序奏は4/4拍子。第1楽章第1主題を扱いながら金管の響きで壮大に盛り上がる。主部はニ長調、4/4拍子。第1主題が決然と示されるが、これは第1楽章展開部で新たに示された主題である。第2主題は穏やかな旋律。金管の警告的な響きで展開部となり、第1主題をフガート的に展開する。再現部は第2主題のみが再現する。コーダでは速度を速めた歓呼となる。


初稿の特徴


初稿では、各楽章の速度指定にイタリア語を用いていた。


Andante con moto - Allegro di molto
Romanza: Andante
Scherzo: Presto
Largo - Finale: Allegro vivace


第1楽章の序奏は、改訂版と異なり主調の属和音(イ長調)・強拍から始まる(改訂版では主調・弱拍(3拍目))。さらに序奏後半には、サラバンド風のエピソードが登場する。なお、主部の展開部ではトロンボーンによる動機がソロで奏でられ(改訂版は2本のソリ)、弦楽器は休止するため、この動機が詠唱のように響く(同様の例はマーラーの交響曲第3番で見られる)。


第2楽章には、当初ギターを用いようとして撤回した形跡が残っている。また、チェロは始めソロだったが半プルトのソリに修正している。


第3楽章では、当初8小節にわたるファンファーレの後にスケルツォに入るようになっていた。このファンファーレはチャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章の序奏に似ている。この序奏は結局削除され、自筆譜の一番下にはトランペットによるもう一つのファンファーレが書かれている。しかし、この部分は最初のものを含めて出版譜には採用されておらず、録音でも取り上げられていない(例外として、ゲオルク・シュメーエとベルリン放送交響楽団とのCDは上記の第2のファンファーレをホルンと組み合わせて採用している)。


第4楽章は主題の後半4小節が違っている。提示部の繰り返しもないため、全体の演奏時間も少し短い。第1楽章も同様である。全体は約24分かかる。


オーケストレーションの変更・改訂


他のシューマンの交響曲と同様に、かつては様々な指揮者が様々なオーケストレーションの変更を行っていた。マーラーによるものがよく知られているが、他の3曲の交響曲の大幅な改変に比べるとこの曲での改変はあまり目立たない。このマーラー版の録音としてはチェッカート、シャイー(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との新盤)、スダーンのものが存在する。


またセル、クレンペラー、クーベリック(バイエルン放送交響楽団との新盤)、ロジェストヴェンスキーはマーラー版とは異なった手法でかなり過激な変更を行っており、第1楽章展開部のクライマックスやコーダでは金管による派手な補強が施されている。クーベリックはシューマンの交響曲全集を2回録音しているが、この曲の旧盤や他の3曲ではほぼ原典通りに演奏しているのに対し、この曲の新盤のみスコアを大幅に改変している。


https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第4番_(シューマン)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
130. 中川隆[-13915] koaQ7Jey 2020年2月08日 14:48:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-587]
ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c130
[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
16. 中川隆[-13914] koaQ7Jey 2020年2月08日 15:20:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-586]
2020年02月08日
ソフトバンクの評価がた落ち ビジョンファンド赤字で第二弾の出資なし


小さな利益を積み上げて大きな損失を出すのは典型的な素人投資

画像引用:ソフトバンクG、15年ぶり営業赤字 米ウィーで大幅評価損、7〜9月期9702億円赤字 - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイトhttp://www.sankeibiz.jp/macro/news/191106/eca1911061628003-n1.htm

ビジョンファンドは「素人の火遊び」の評価

ソフトバンクグループについて悪い評価と良い評価が交錯し、今後の業績にも見方が分かれている。

ソフトバンクGの10兆円ファンド「ビジョンファンド」は第2弾の出資を募集しているが、思うように集まっていない。

第一弾の10兆円ファンドは2017年の立ち上げ、3年で使い切ったと言われている。


第一弾ファンドの運用状況は不明で、含み益を資産に含めて発表するなど実態を隠そうとする隠蔽工作も指摘されている。

第二弾は12兆円を募集したが、今までに応募したのはソフトバンクグループ(380億ドル)のみとなっている。

サウジアラビア政府ファンドは第一弾ファンドの最大出資者だったが、第二弾には参加しないと表明している。


ビジョンファンド1は2019年7−9月期に9703億円の営業赤字を計上、前年同期は3925億円の黒字だった。

投資先88銘柄のうちウーバーやウィーワークなど25銘柄の株価評価額が下落し評価損が響いた。

ソフトバンクGはウィーワークに約1兆円の金融支援をしたが上場延期となり、ウーバーやスラック・テクノロジーズでも損失となった。


ソフトバンクの投資事業への評価は低下し、企業価値を判断できない素人と欧米で酷評された。

ビジョンファンド1で投資した企業が最近相次いで事業縮小したり、従業員を解雇したり経営者が交代している。

不動産事業やカーシェアリング、ピザ宅配、ホテル、配車サービスなど投資先には何の脈絡もなく、ソフトバンクは事業への知識も持っていなかった。

ソフトバンクから離れていく大口投資家

孫正義は「一目見て惚れた」「フォースを感じた」「10分話しただけで数百億円投資した」のような話をしたがる。

それで投資家を驚かせて「さすがは孫さんだ」と言われると鼻高々で、集まった株主らに神々しく話しかける。

孫氏を信じる株主はそれで恐れ入るのだが、信者でない人から見ると気持ちが悪い宗教団体に過ぎない。


ビジョン・ファンド1は2019年9月末時点で、88社に707億ドル(約7兆7,900億円)を投資した。

ソフトバンクはこれら企業に776億ドル(約8兆5,500億円)の価値があると説明したが、実態は不透明です。

孫正義は独自の計算方法で企業価値を大きく見せているが、それが逆に投資家の不信感を生んでいる。


ビジョン・ファンド1はスタートアップ企業に法外な投資を行い、ソフトバンクが投資する事で株価を釣り上げた。

つまり本来10億円だった企業にソフトバンクが100億円を投じれば価値が100億円以上になり、上場すれば巨額の利益を得られる。

ソフトバンクの投資事業とは価値のないスタートアップ企業に投資して株価を釣り上げ、株式公開して利益を上げるビジネスモデルだった。


このため投資先企業の評価額が下落したり株式公開に失敗すると、ウーバーやウィーワークのように失敗する。

孫正義は長期的な投資のように言っているが、実際には超短期で株価を釣り上げて「売り抜ける」投資をしている。

ビジョンファンド第二弾は実現しないだろうという見方が増え、それどころか第一弾ファンドの存続も危うい。


第一弾に投資したサウジ政府などがビジョンファンドに反発し投資した資金を引き揚げないとも限らない。

実際第一弾に投資した大口投資家は、「充分な利益を上げていない」として一社も第二弾に参加していない。

錬金術師孫正義は手品の種が尽きて退場するのか、それとも再び世界を驚かせる何かをやるのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/82151445.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c16

[近代史3] 東海アマ イスラム国を作ったのは、イスラエルであること

東海アマ イスラム国を作ったのは、イスラエルであること 2020年02月07日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1022.html


 911テロもイスラエル=モサドの仕業だ。ナチス・ホローコストも、シオニストの陰謀だ。そして、新型コロナウイルスも、ユダヤ=モサドがやったのかもしれない。

 なんて書けば、たちまち「陰謀論」のレッテルが貼られ、メディアも文筆家も総攻撃を受けて、立ち直れないほど痛めつけられる。

 例えば、1995年に起きた「マルコポーロ事件」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 ユダヤ人の陰謀論を書けば、必ず全世界のユダヤ教徒に一斉攻撃を受けて潰されるので、メディアは完全に萎縮して、イスラエルとユダヤ教に対する批判を避けて通るようになっている。
 だから、とうとう、ユダヤ教徒による国家支配の陰謀も、身の毛もよだつ、大イスラエル主義やアミシャーブ・プロジェクトも、その恐ろしさを指摘するメディア情報は、ほとんど失われてしまった。

 だが、冒頭に書いた、911テロがモサドによって実行されたこと、ビンラディンがCIA協力者であり、ジョージ・ブッシュ一族と家族ぐるみの親しい関係であったこと。
 911の前にドバイCIA病院で死んでいたこと。だから、オバマによる ビンラディン暗殺も、トランプによるバクダディ暗殺も真っ赤な嘘なので、遺体を保存せずに、ただちに水葬にして証拠隠滅してしまったこと。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-918.html

 イスラム国指導者バクダディが、サイモン・エリオットという名のモサド工作員であったこと、イスラム国のラジオ放送局基地が、トルコ国境の米軍基地内にあったこと。トヨタが提供した数百台のハイラックスが、ただちにイスラム国の軍用車になったこと。
 イスラム国の膨大な武器の多くが、米軍によって供与されていたこと。

 これらの事実は、イスラム国を詳しく調査すれば、誰でもすぐに理解できる真実である。イスラム国を作ったことで、最大の利益供与を受けるのは、イスラエルであり、イスラエルの属国であるアメリカであり、イスラエルの同盟国である、サウジアラビアとトルコである。

 つまり、上の四カ国が、イスラム国の本当の正体なのだ。では、いったいイスラエルやアメリカが、どういう理由でイスラム国を作って、この世のものとも思えないほど残虐で暴力的な集団として5年にわたり激しく活動させたのか?

 理由は、鮮明に存在している。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-987.html

 それは、シオニズムであり、大イスラエル主義である。
 
 http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2018-10_003.pdf?noprint

 なぜ、イスラム国の指導者がイスラエルの工作員であることに触れられないのか?
 https://www.mag2.com/p/news/121966/2

 イスラエルはユダヤ教を唯一とする宗教国家である。ユダヤ教の聖典は、旧約聖書とタルムードであり、そのなかに、イスラエル人の思想を拘束するすべてが書かれている。
 ユダヤ教徒にとって、もっとも重大なことが書かれているのは、創世記15章である。そこには、「神がイスラエル人に与えた『約束の地』」が記されている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%AE%E5%9C%B0

 神は、イスラエル人に、北はユーフラテス川から、南はナイル川に至る広大な土地を与えると書かれていて、レバノン・シリア・クルド人居住区、イラク・サウジアラビアが含まれている。


   https://fm-venus.muragon.com/entry/215.html

「グレーターイスラエル」 これこそが、イスラム国=ISILの活動範囲であった。
 イスラム国が残虐な大暴れをした結果、この地域の先住民は、大規模に難民となって欧州に向かった。
 もし、イスラム国がいなかったら、先住民は、過去2000年以上続いた平和な生活を捨てることなどありえなかったのだ。
 つまり、イスラエルは、イスラム国の大暴れによって、労せずして大イスラエルの領土を手に入れることが可能になるのである。

 これについては、アメリカ、トランプが、シオニズムを推進する福音派の支持を受けて、この大イスラエルを実現し、首都をエルサレムに置き、エルサレム第三神殿を再建すると強硬に主張している。
 これによってネタニヤフは、トランプを救世主と崇め、ゴラン高原をトランプ高原と改名するとまで言い出している。

 これほど、利害が鮮明な関係も少なく、つまり、イスラエル=モサドがイスラム国を作る理由も鮮明なのである。そして、現在までのところ、それは大成功している。

 今回、武漢肺炎=新型コロナウイルスについても、あるいはモサドの仕業ではないかとの情報が漏れ出している。

 あの、中国共産党の裏切り者、郭文貴が、とんでもない情報を明らかにしたのだ。

 「これは戦争だ」郭文貴氏:中国共産党は武漢肺炎ウイルスが人工合成であることを認めた
2020年2月6日
https://www.visiontimesjp.com/?p=4490

 米国に亡命した中国の実業家・投資家である郭文貴氏は2月3日、中国共産党が武漢肺炎ウイルスは人工合成の産物であると事実上認めたことを明らかにした。その根拠は、中国共産党の公式軍事ポータルサイト「西陸網」が、武漢の肺炎を引き起こす新型コロナウイルスが人工的に合成されたものであることを認めており、コウモリウイルスによる自然突然変異は不可能だと主張していることだ。

 郭文貴氏は次のように述べた。中国共産党軍の最高権力機関である中央軍事委員会のウェブサイト「西陸網」で発表される情報は極めて重要で、最高位層の首肯を得たものだ。そのようなサイトが武漢肺炎の爆発を米国になすり付けた。

 「西陸網」は1月26日に「武漢ウイルスの4つの主要蛋白質が交換され、中国人を正確に狙い撃ちできる」という文章を発表した。この文章には、武漢肺炎ウイルスが人工合成であることが書かれていた。

 文章の要点はこうだ。

「『武漢新型コロナウイルスは4つの重要な蛋白質を取り替えた』ことである。その目的は第一に、SARSウイルスに偽装し、医療関係者を欺くことで、治療の時間を遅らせることである」
「第二に、『人への感染力が強力』であるため急速に蔓延させ、伝染させることができる。人間を絶滅させるこの生物技術はコウモリやアケビが生み出したのでしょうか」
「これほど正確な『4つの鍵となるタンパク質』の『交換』は、自然界では1万年たっても不可能だ」
「これらの事実から導かれる結論は、武漢ウイルスは実験室が製造と生産に関与していることだ」

米国になすり付ける

 続いて、この中国共産党の権威ある軍事サイトの文章は米国に矛先を向け、「SARSから武漢新型肺炎まで、米国の人種絶滅計画を見る」という小見出しで、米国が生物兵器を製造し、中国人を攻撃できるようになったと非難した。

 文章のもう1つのゴシック体の小見出しは「もっぱら中国人を選んで殺している。このウイルスで死んだのは96%が中国人だ」と書かれている。

 文章は武漢ウイルスが生物戦であることを暗示し、「生物戦というこつの文字は消えることはない」
 「原爆は強いでしょう。生物兵器の前では、原爆でも水素爆弾でも、まったく武器にはならないかもしれない」
 動画でこの文章のスクリーンショットを写したあと、郭文貴氏は、アメリカ人はまだ中共がどのような悪の政権であるかを意識していない。米国人は金銭を信じ、マスコミを信じている。しかし彼らのメディアの中でどれほど多くの人がすでに中国共産党に買収・浸透されているか思いもよらないだろう。その中で何人が民衆の側に立っているのか?真実の側に立っているのか?そのため、トランプ大統領が正しい行いをすると、アメリカのメディアはでたらめな偽ニュースを流す。

 また、「西陸網」は1月22日に邱崇畏という人物の文章「武漢新型肺炎は米国の生物戦の匂いがする」を掲載した。同様に、武漢の疫病発生の責任を米国に転嫁した。

 この文章では、「米国は中国に対してもっと極端な手段に出るかもしれない」「米国はサイバー戦や宇宙戦を始めるかもしれない。しかし、皆さんが本当に無視できないのは『生物戦』です」と対立を煽動した。

 郭文貴氏は次のようにまとめた。「今は、米国人が目覚めるかどうかの歴史上最も重要な瞬間であり、現在武漢の疫病はまさに戦争である。この戦争は国賊である中国共産党と14億人の中国国民の戦争だ。そして中国共産党は14億中国国民を煽動して米国に戦争を仕掛けようとしているのだ。」
*********************************************************************
 引用以上

 この情報を補完すると思われる情報も出ている。
 
 新型コロナウイルスは人工的な生物兵器?陰謀論で片付けられない特殊性と迫る政変=斎藤満
 https://www.mag2.com/p/money/886092

 黄色人種だけを感染させる「新型コロナウイルス」@ http://www.peters.jp/ba/future_direction/New-coronavirus_that-infects-only-Mongoloid_01_1185.html

「新型」コロナウィルス、米英イスラエルの生物兵器説は妥当
 https://note.com/bungakumirai/n/nfd6f4ca51946

当初、私は、武漢の細菌兵器開発施設=病毒研究所の研究用廃棄動物死骸を、処理関係者が野生動物市場に横流ししたことが原因とみていた。
 しかし、その後、インドとタイの研究者が、偶然、このコロナウイルスには、エイズウイルスの性質がダイレクトに含まれていることを発見し、エイズワクチンを患者に投与したら、症状が治まったと報告した。

「コロナウイルスからHIVに似た成分」デリー大学が発表「偶然とは言い難い」人工的な生成を疑う声も
 https://niconews55.com/colona

 このウイルスには、自然界にはありえない、4つの蛋白質の改変が見られ、中国人を殺すために開発されたと郭文貴が報告した。
 それが本当だとすれば、いったい、どんな理由で中国に散布されたのか?
 そんな視点からニュースを見直すと、とんでもない事件が見えてくる。
   
米でインフルエンザ猛威 死者数1万人超え
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55312830W0A200C2000000/

 すでにアメリカのインフルエンザ感染者は2000万人をはるかに超えて、死者も数万人に達しているという。
 もし、このインフルエンザパンデミックが中国による陰謀と、米当局が認識したとすれば、当然報復として、用意されていた新型SARSウイルスを拡散することに説明がつく。

 この種の陰謀工作は、普通アメリカCIAがやるのだが、実は、CIAはモサドの下請け機関のようなものだとの話もあって、実際に行動したのは911テロと同じ、モサドであることは、十分に信憑性がある。
 理由は、中国がイランの最強の連携国だからだ。中国を潰すことは、イランを潰すことにつながるからなのだ。
 また、アメリカと中国のスパイ戦争は三年前から熾烈を極めている。

 中国に消えたCIA協力者 米紙「少なくとも12人殺害」報道 浮かび上がる熾烈な米中スパイ戦
 https://www.sankei.com/world/news/170609/wor1706090003-n1.html

 表に出ない、スパイの国際戦争が勃発しているのである。そのなかで、中国がインフルエンザをアメリカに撒き、米イスラエルが報復としてコロナウイルスを中国に撒くという細菌戦争が勃発していることは、十分にリアリティがある。

 日本だって、大半の人が知らないだけで、実は、大イスラエル主義、ネオシオニズムのなかのアミシャーブプロジェクトが、まともに凄まじい陰謀戦争の舞台になっているのである。

 アミシャーブとは何か?
 https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525405421/l50

 イスラエル=ユダヤ教は、天皇を「失われたユダヤ人」と認定しており、天皇家をイスラエルに帰還させることがユダヤ教徒の使命ということになっている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%96

 すでに、何度も書いたのだが、ほとんどの人が、単なる陰謀論とか、夢物語で片付けていて、リアリティのある話として認識しているのは、全国でも数名しかいなと思う。

 しかし、私は、イスラエル=モサドの活動は、とてつもなく恐ろしいと冒頭にも例を出して繰り返してきた。

 いずれ、我々は、アミシャーブの陰謀に真正面から向き合わされる日が来ると予想している。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1022.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/896.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
137. 中川隆[-13913] koaQ7Jey 2020年2月08日 16:37:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-585]
東海アマ イスラム国を作ったのは、イスラエルであること
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/896.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c137
[近代史3] 極貧のイギリス王室 _ イギリス王家の滅亡と「イギリス人」の消滅 中川隆
2. 中川隆[-13912] koaQ7Jey 2020年2月08日 16:50:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-584]
メーガン妃を王室追放したエリザベス女王の「やり場のない怒り」
「週刊文春」編集部 2020/02/08
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メーガン妃を王室追放したエリザベス女王の「やり場のない怒り」/ar-BBZLNjQ?ocid=ientp


「こういうことになり、大きな悲しみに襲われている」

 英国のヘンリー王子(35)は1月19日、自分と妻のメーガン妃(38)が“王室追放”を言い渡された胸中をこう吐露した。

◆ ◆ ◆

〈独立した生活を送りたいという願いを尊重して理解する〉
〈王室の主要メンバーから退き、経済的に自立する〉
 ヘンリー王子夫妻がインスタグラムでそう発表したのは1月8日のこと。

 現地特派員が語る。

「当初、ヘンリー王子夫妻は公金を受け取らない代わりに公務を減らし、英国とカナダを行き来する王室と民間の“半々”の生活を希望していた。独立の動機はマスコミへの反発でした。収入が減った分は王室ブランドを売りにした活動で賄おうとしていた」

 離脱表明を受け、エリザベス女王(93)らが宮殿に集まり、家族会議を開いた。
「会議は5日間行われ、特に父のチャールズ皇太子(71)とヘンリーの兄であるウィリアム王子(37)が独立するなら王室を離れるよう強く迫ったと見られます。カナダに滞在しているメーガン妃もスカイプで参加したいと申し出たが、断られた」(英王室に詳しい元BBCシニアリポーターのダンカン・バートレット氏)

 エリザベス女王は13日、〈私たちは、彼らの家族としてより独立した生活を送りたいという願いを尊重して理解する〉とコメント。

 そして“ゴッドマザー”が断を下した。18日、英王室が、ヘンリー王子夫妻は「殿下」「妃殿下」の称号を返上し一切の公務から退くと発表。事実上の追放だった。

 夫妻は、ロンドン近郊にある居宅の改修に使われた公費240万ポンド(約3億4000万円)も返済する。

「ただ、チャールズ皇太子が夫妻に渡している年間200万ポンドの支援は継続される見通しです。またサセックス公爵としての爵位は維持されますが、公爵のブランドを使うビジネスがどこまで認められるか、まだ不明です」(前出・特派員)
女王は「やり場のない怒りを抱えていた」

 翌19日、エリザベス女王は穏やかな表情で教会の日曜礼拝に姿を現した。

「女王は一度もメディアのインタビューを受けたことがなく、公の場で自分の感情を表に出すことがない」(前出・バートレット氏)

 だが、女王は、憤怒していたという。英ガーディアン紙東京特派員のジャスティン・マッカリー氏が語る。

「エリザベス女王はかねてより王室を“会社”に例えてきました。王室は国民の税金で成り立っており、国民への奉仕が仕事だと。だが、ヘンリーたちが言うスタイルでは、それが成り立たない。元女優でアフリカ系米国人を母に持つメーガンと結婚したヘンリーは古い王室を変える“革新”の象徴で人気もあっただけに、本心ではこれまで通りフルタイムの王室の一員として働いて欲しかった。しかし、王室の最後の一線は守らなければならず、やり場のない怒りを抱えていたのではないでしょうか」

 愛するヘンリー王子の生い立ちが、女王の心情をより複雑なものにしていた。
「ヘンリー王子は子どもの頃に父チャールズ皇太子と母ダイアナ妃の離婚を経験し、母を事故で失っているため、『両親とは違う生き方をしたい』と語っています。女王はそれも理解しており、独立を強く止めることはできなかった」(同前)
 英国内では世代や人種間で様々な感情がないまぜとなり、世論を二分するヘンリー王子夫妻。今後について、メーガン妃の女優復帰や夫婦揃ってのテレビ局とのタイアップなど憶測が流れる。

「これまで巨費が投じられてきたカナダでの警備費をどうするかも決まっていない」(前出・バートレット氏)

 ブレグジット以上に、王室からの離脱は前途多難だ。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年1月30日号)
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メーガン妃を王室追放したエリザベス女王の「やり場のない怒り」/ar-BBZLNjQ?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/800.html#c2

[近代史3] 監視国家 中国 中川隆
1. 中川隆[-13911] koaQ7Jey 2020年2月08日 17:11:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-583]

2020年02月08日
湖北省周辺の1億人超を封鎖、政府批判ジャーナリストや医師が失踪



武漢からの脱走者がいないか検閲する検問所、こんな事をしたら感染者は隠れて治療不可能になる


画像引用:「安全守るため」独自検問する北京の村 春節Uターンを警戒|【西日本新聞ニュース】https://www.nishinippon.co.jp/item/n/580655/

中国は共産主義の闇を見せた

共産主義には2面性があり表面は高い理想を掲げ、輝かしい成果を誇示している。

その裏側では例外なく膨大な収容所が存在し、中国では数百万人から数千万人が収容されている。

旧ソ連には100万人規模の収容所が存在し、中国は人口比で同じ比率としても1千万人以上が収容されている。




政府に不都合な活動をするジャーナリストは目を付けられやすく、定期的に失踪している。

2012年11月16日、貴州省畢節市でホームレス児童6人がゴミ箱の中でなくなっているのが発見された。

子供たちはこの辺でゴミをあさったり物乞いをしていて、寒さをしのぐためゴミ箱に入っていた。


このニュースをインターネットで報道し写真を公開した李元龍さんは公安に逮捕され、その後消息不明になった。

李元龍さんが撮影した写真もネット上から消えてしまい、今は見る事ができない。

こうした例は無数にあり、農民の反乱や地方の暴動を報じたジャーナリストの多くが行方不明になった。


そして現在、新型コロナウイルスで政府に批判的な報道をしたジャーナリストや医療関係者が姿を消しています。

中国では新聞記者は国家資格であり試験に合格して許可を得た者しか、新聞やニュース記事を書く事ができない。

ネットブログは許可制で、政府が指定する2人以上の審査員が審査し合格しないとブログを公開できない。

お人よしは中国では酷い目にあう

SNSや掲示板は実名登録制なので、ネット上に表示されなくとも公安や警察は誰が書いたのか把握している。

このように中国ではニュースや記事を書くのに政府の許可が必要で、無許可で記事を書いたり報道する行為は処罰されます。

政府に不都合な写真をネットで流したり、真実を暴露するとデマを流した罪で逮捕される。


武漢で新型ウイルスの危険性を最初にネット上で警告した眼科医の李文亮は、20年2月7日に新型ウイルスでなくなった。

李文亮は最後に、自分がしたことは何の役にも立たなかったという意味の言葉を語っていたそうです。

李文亮は19年12月30日にSNSの「微博(ウェイボ)」でウイルスの危険性を訴えたが、デマを流した罪で公安に逮捕されたようです。


武漢市が新型ウイルスの拡大を認めたのは1月23日の事で、1月20日に習近平が対策を指示したからでした。

武漢市民は1月23日になってもまだ、警察や公安が感染者らを「デマを流した」罪で拘束するのを目撃している。

日本の左翼マスコミは「中国人を一律に否定する日本人の方が異常だ」と言うが、中国はこのようなシステムなので、個人の善意には意味がないのです。


善意をもつお人よしの中国人がいたとしたら、李元龍や李文亮のような目に遭います。

李文亮医師は2月6日夜にネット上で死亡トピックが出たが、政府が統制し「死亡していない」事になった。

噂は収まらず抑えきれなくなって7日朝に亡くなった事になったが、本当はどうだったのか分からない。

最悪の場合、当局に消されたのではないかという噂すら流れている

共産主義は危機の時何をするか

中国政府がやっている感染拡大防止策は移動禁止と都市の封鎖だが、専門家は効果を疑問視している。

中国政府が認めただけで中国国内の感染者は3万人以上、一方移動制限していない中国以外の国で感染者は330人程となっている。

つまり都市の封鎖や移動制限は効果がなく、検査や医療、衛生といった基本的な事が重要なのを示している。


武漢市周辺では人口1400万人に対してまともな病院は4つか5つで、受け入れ可能な患者はそれぞれ500床程度だったようです。

ウイルス関連で1日に対応できる外来患者もその程度だった上に、感染を訴える人や医師を「デマを流した」と言って逮捕していました。

その後中国は武漢に1000床規模の病院を複数建設し、都市を封鎖し移動制限を行った。


だが武漢市長は「500万人が武漢から脱出した」と言っており、中国全土で潜伏している。

他の省では武漢からの潜入者を通報したら奨励金を出すなど指名手配扱いなので、感染した武漢市民は逃亡し潜伏している。

こうした政府や省の対策は感染を拡大しただけで、普通に武漢市民を治療したほうが良かった。


今までに移動制限が出された都市は60近くに達し、総人口は1億5000万人に達しているとされている。

中国発表の感染者数は3万4000人、死者は722人だが「10倍すると正しい数字になる」と揶揄されている。

共産党中枢が気にしているのは党の存続と習近平の権威だけで、人民の保護は気にかけていない。
http://www.thutmosev.com/archives/82156842.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/888.html#c1

[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
1. 中川隆[-13910] koaQ7Jey 2020年2月08日 18:57:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-582]

クナッパーツブッシュ

Schumann: Symphony No. 4 - Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1962) [PSEUDO STEREO]


_____









Wiener Philharmoniker
HANS KNAPPERTSBUSCH, conductor
Recording: Musikverein, Vienna, December 16, 1962



ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウイーン・フィル(1962年録音/Altus盤) 

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤はどうしても外せません。
評論家の福嶋章恭さんが最高の演奏と述べておられる演奏です。
確かに余りのスケールの大きさに度肝を抜かれますし、これはフルトヴェングラーに対抗し得る唯一の演奏だと思います。

但し、クナ特有の大きな間の取り方や、時に最強奏する金管がまるでワーグナーを感じさせてしまい、シューマネスクな演奏という点ではやはりフルトヴェングラーのほうが上かなと感じるのです。

これまでは海賊盤でしか聴くことができませんでしたが、Altusから正規録音盤がリリースされました。モノラルですが音質は極上の素晴らしさで、演奏の凄さが改めて認識されます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html

▲△▽▼

Hans Knappertsbusch Schumann Symphony No. 4









München Live 1962.6.1


 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
 録音:1962年1月6日 ミュンヘン、コングレスザール(ライヴ)
 旧CD=セブンシーズ(KICC2374 1995.1.7)

 シューマンの4番は、他に2種(56年ドレスデン、62年ウィーン・フィル)録音(いずれもライヴ)があります。
「両端楽章の遅いテンポとスケールの大きさ、濃厚な幻想性は19世紀風であり、英雄的な気迫が圧倒的である」〜宇野功芳、レコ芸95年3月号の月評より
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1912251014/

▲△▽▼

Schumann Symphony No.4 Hans Knappertsbusch 1956




ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
1956年11月4日ライヴ。

冒頭から素晴らしい音色、フルトヴェングラーのようなうねりだが、しかし主部に入ると、がぜん「クナ的」になる。(所々クナ・パウゼ − フルトヴェングラー・パウゼとは質が違う − がある。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c1
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
2. 中川隆[-13909] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:08:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-581]

ブルーノ・ワルター

Schumann sinf n 4 Bruno Walter NBC Symphony Orch 1940


NBC Symphony Orch.
Bruno Walter
(live rec. 02.03.1940)


▲△▽▼

Schumann:Symphony#4-Bruno Walter & Mozart Festival Orchestra(Paris)1928



Bruno Walter
The Mozart Festival Orchestra(Paris)
1928
Warning!Unedited Direct Playback From 78's with Side-Breaks

ブルーノ・ワルター指揮パリ・モーツァルト・フェスティヴァル管弦楽団
GRAMMOFONO。1928年SP復刻盤。「幻想交響曲」とカップリングされている。
その「幻想」同様、ワルターには向かない曲だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c2
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
3. 中川隆[-13908] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:25:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-580]

アーベントロート

Schumann - Symphony n°4 - RSO Leipzig / Abendroth


Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
Hermann Abendroth
Radio recording, Leipzig, 31.III.1956

▲△▽▼

Schumann: Symphony No. 4, Abendroth & LeipzigRSO (1951)


___










Hermann Paul Maximilian Abendroth (1883-1956), Conductor
Leipzig Radio Symphony Orchestra (MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra)

Rec. 13 February 1951

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c3
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
4. 中川隆[-13907] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:39:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-579]

カール・ベーム

Schumann: Symphony No.4 In D Minor, Op.120 Karl Böhm Wiener Philharmoniker









Wiener Philharmoniker
Karl Böhm


カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
DG。1978年録音。ベーム唯一のシューマン録音である。

ゴッツイなかにも、晩年のベーム特有の懐の深さがあり、3〜4楽章のブリッジ部分など意外なほどロマン的である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1969年録音/オルフェオ盤)
 
ベームには約10年後のグラモフォン盤も有りますが、これはザルツブルグでのライブ録音です。音質は年代相応ですが、幾らか高音に硬さを感じます。60年代のベームにしては意外に解放感があり堅苦しさを感じません。

ウイーン・フィルのしなやかな美しさも魅力です。シューマンの音楽に本来ベームの資質は合わないような気もしますが、ウイーン・フィルの音が中和させているように思います。終楽章の序奏で管のピッチが合わないのはご愛嬌ですが、続く主部のシューマン・リズムの味わいが忘れさせてくれます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html


▲△▽▼


Schumann - Symphony n°4 - LSO / Böhm


London Symphony Orchestra
Karl Böhm
Live recording, Salzburg, 10.VIII.1975



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c4
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
5. 中川隆[-13906] koaQ7Jey 2020年2月08日 20:03:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-578]

カラヤン

Schumann “Symphony No 4” Herbert von Karajan • Wiener Philharmoniker, 1987


Wiener Philharmoniker
Herbert von Karajan
1987

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル
DG。1987年ライヴ録音。
やや豊かすぎるくらいのオケの音をしっかりと締めているあたりはさすがである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm



▲△▽▼

Schumann - Symphony No.4 - Karajan, Staatskapelle Dresden (Live 1972)



▲△▽▼

シューマン: 交響曲 第4番 ニ短調 作品120 カラヤン 1957





Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
1957年4月25, 26日

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
EMI。1957年4月、グリューネヴァルト教会での録音。

このSACD盤の解説によると、ヴァーグナーが通常12インチ(30cm)のLPだったのに対し、シューマン第4は単独で10インチ(25cm)のレコードとして発売されたという。SACDの表ジャケットはヴァーグナーのLPのもので(写真左)、内側ジャケット写真がシューマン第4のものである(写真右)。

モノラルなのにカラヤンの録音は分離が良い。フルトヴェングラーはよく

「何でカラヤンの録音ははっきりとティンパニが聞こえるのか」

とレッグにクレームをつけていた、という話をどこかで読んだ覚えがある。しかし、この曲に関して言えば、フルトヴェングラーのDG録音のような渾然一体となった音こそがふさわしい。もちろんそれは録音だけのせいではなく、この時期のカラヤンの指揮そのものの特徴でもある。(これに対し、最晩年のウィーン・フィルとの録音はフルトヴェングラー的な音を指向している。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c5
[近代史3] 中国は何時から日本でマスコミ工作・ネット工作をしているのか? _ 赤かぶ氏は中国の工作員グループ 中川隆
12. 中川隆[-13905] koaQ7Jey 2020年2月08日 21:56:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-577]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/122.html#c12

[近代史02] 中国美女も日本男性が大好き 中川隆
82. 中川隆[-13904] koaQ7Jey 2020年2月08日 21:57:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-576]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html#c82

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
55. 中川隆[-13903] koaQ7Jey 2020年2月08日 22:01:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-575]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c55

[日本の事件17] プチエンジェル事件の真相
93. 中川隆[-13902] koaQ7Jey 2020年2月08日 22:02:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-574]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html#c93

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
70. 中川隆[-13901] koaQ7Jey 2020年2月08日 22:03:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-573]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c70

[昼休み53] 釧路にだけは住んではいけない 中川隆
79. 中川隆[-13900] koaQ7Jey 2020年2月08日 22:07:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-572]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/451.html#c79

[近代史3] 謝罪外交再開へ暗躍する自民党スパイ、二階俊博 中川隆
1. 中川隆[-13899] koaQ7Jey 2020年2月08日 22:07:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-571]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/797.html#c1

[近代史3] カジノ(IR)を巡る贈収賄事件で、アメリカが独占しようとしているカジノ利権に中国が手を突っ込んで来たから、東京地検特捜部を… 中川隆
2. 中川隆[-13898] koaQ7Jey 2020年2月08日 22:08:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-570]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/792.html#c2

[番外地7] 琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけない 中川隆
2. 中川隆[-13897] koaQ7Jey 2020年2月08日 23:56:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-569]
北海道開拓の歴史=和人による北海道侵略の歴史
アイヌ文様 = 北海道縄文土器の模様
アイヌ語=縄文人の言葉

琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけないですね。

民族自決権がありますからね。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに日本人化させるのが間違っているのです。

琉球人やアイヌ人がどんな思想を持とうが自由です。
今迄いくら差別や迫害を訴えても日本政府から相手にされなかったから北chousen や同和の力を借りただけでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/470.html#c2

[番外地7] 琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけない 中川隆
3. 中川隆[-13896] koaQ7Jey 2020年2月09日 00:04:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-568]
北海道開拓の歴史=和人による北海道侵略の歴史
アイヌ文様 = 北海道縄文土器の模様
アイヌ語=縄文人の言葉

現在の北海道や千島、樺太などで狩猟採集生活を営んでいたアイヌは、日本語とは異なる独自の言語や信仰、文化、生活様式を持つ少数民族である。ところが明治維新以降、日本政府は「蝦夷地」と呼んでいた地域を北海道と改称し、本州の和人による移住・開拓が強行される。政府は同化政策を強行し、富国強兵の「臣民化」の流れで、アイヌは住む場所や文化・生活を奪われていった。和人はアイヌら北方の少数民族を「土人」などと呼び、差別的に扱っていた(そのことは、1899年制定の「北海道旧土人保護法」の名称にも表れている)。 世界的な帝国主義の潮流に遅れを取るまいとする明治維新後の日本政府は、アイヌたち少数民族を怠惰で非文明的な「土人」と捉えて、日本語を教え、日本式の風習を叩き込み、「立派な日本人」に同化させようとした。それは、「先進国」であるヨーロッパの大国が、非ヨーロッパの人々を「野蛮人」とみなし、「啓蒙」によって支配下に置こうとする構図の再生産だった。


▲△▽▼

アイヌ系住民というのは、自分がアイヌ人だとわかると差別・迫害されるので、日本人に成りすましたアイヌ人と日本人のハーフの事で、日本で10万人います。混血が進んでいない純粋に近いアイヌ人も2万人存在して、DNA鑑定で日本人とは遺伝子が全く違うのがわかっています:国立科学博物館の神沢秀明研究員らは、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。 縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。
__江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大26800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。 1897年のロシア国勢調査によればアイヌ語を母語とする1,446人がロシア領に居住していた[33]。 現在、国勢調査ではアイヌ人の項目はなく、国家機関での実態調査は行われていないに等しい。そのため、アイヌ人の正確な数は不明である。 2006年の北海道庁の調査によると、北海道内のアイヌ民族は23,782人[34][14]となっており、支庁(現在の振興局)別にみた場合、胆振・日高支庁に多い。なお、この調査における北海道庁による「アイヌ」の定義は、「アイヌの血を受け継いでいると思われる」人か、または「婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる」人というように定義している。また、相手がアイヌであることを否定している場合は調査の対象とはしていない。 1971年調査で道内に77,000人という調査結果もある。日本全国に住むアイヌは総計20万人に上るという調査もある[35]。この結果を裏付ける他の研究はない。
北海道外に在住するアイヌも多い。1988年の調査では東京在住アイヌ人口が2,700人と推計された[34]。1989年の東京在住ウタリ実態調査報告書では、東京周辺だけでも北海道在住アイヌの1割を超えると推測されており、首都圏在住のアイヌは1万人を超えるとされる[14]。 日本・ロシア国内以外にも、ポーランドには千島アイヌの末裔がいると1992年に報道されたが、アレウト族の末裔ではないかとの指摘もある[36]。一方、アイヌ研究の第一人者で写真や蝋管など膨大な研究資料を残したポーランドの人類学者ブロニスワフ・ピウスツキが樺太アイヌの女性チュフサンマと結婚して生まれた子供たちの末裔は日本にいる。

2017年の調査では、道内のアイヌ人口は約1万3000人となっている。これは2006年の2万4000人から急激に減少しているが、これは調査に協力している北海道アイヌ協会の会員数が減少したことと、個人情報の保護への関心の高まりから、調査に協力する人が減っていることが挙げられ、実際の人数とは合致しないと考えられている[37]。


琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけないですね。

民族自決権がありますからね。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに日本人化させるのが間違っているのです。

琉球人やアイヌ人がどんな思想を持とうが自由です。
今迄いくら差別や迫害を訴えても日本政府から相手にされなかったから北chousen や同和の力を借りただけでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/470.html#c3

[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
6. 中川隆[-13895] koaQ7Jey 2020年2月09日 04:21:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-567]

チェリビダッケ

シューマン: 交響曲 第4番 ニ短調 作品120 チェリビダッケ 1986






Sergiu Celibidache
Münchner Philharmoniker
1986年9月20日

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル
EMI正規発売。1986年9月20日ライヴ録音。
正規発売第1弾の中ではチェリに最も向いている曲だと思う。
 チェリは唯一カラヤンに出会った際に、3時間も大議論をして、

「フォン・カラヤンさん、フルトヴェングラーの指揮するシューマンの交響曲第4番第3楽章から終楽章へ移行する時、音楽的に本当に何が起きたのか、貴方には夢想だにできないでしょうね。貴方には何もお分かりになってないので。」

と言ってのけたらしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


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Schumann - Symphony No 4 - Celibidache, MPO (1986)


Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Live: Tokyo, Showa Women's University Hitomi Memorial Hall - 14 October 1986

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル
Altus。1986年10月14日、昭和女子大学人見記念講堂でのライヴ。

このコンビによる初来日時のライヴで、FM東京が放送用に録音したものである。
上記EMI盤の翌月なので、解釈としてそう違いがあるわけではない。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm

▲△▽▼

Schumann - Symphony No 4 - Celibidache, MPO (1988)


Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Live recording: 20 April 1988, Philharmonie am Gasteig, München




セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1988年録音/EMI盤)

遅いテンポによるいかにもチェリビダッケらしい演奏です。

第1楽章は柔らかい響きでスケールが大きいのは悪くないのですが、情熱の高まりが感じられないのが気に入りません。

第2楽章の深々としたロマンの香りは魅力的です。ヴァイオリン・ソロも味わい深いです。

第3楽章は遅いテンポで暗くロマンティックな雰囲気に満ちていて良いと思います。

極端に遅い第4楽章冒頭のブリッジ部分はユニークですが違和感を感じます。
主部も遅いテンポで聴いていて段々もたれてくるのも事実です。
但し、最後は普通にアッチェレランドして終わります。一貫性の無さを感じないでもありません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c6
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
7. 中川隆[-13894] koaQ7Jey 2020年2月09日 04:45:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-566]

ロジャー・ノリントン

Schumann Symphony No. 4 - Sir Roger Norrington conducts The Tapiola Sinfonietta



Tapiola Sinfonietta conducter by Sir Roger Norrington.
Recorded live at the Espoo Cultural Centre, Finland, 13 September 2019.

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Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120 (1851 Revised Version) Norrington Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR









Conductor: Roger Norrington
Orchestra: Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR

ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
ヘンスラー。2004年9月1,3,7,9日、シュトゥットガルト、リーダーハレにおける2004年ヨーロッパ音楽祭でのライヴ。
ノリントンはロンドン・クラシカル・プレイヤーズとともに「第3・第4」を録音しているが、今回の全集では第4番は1841年の初稿を採用している。
分売2枚で、ノリントンによる演奏に先立っての解説も収録されている。演奏の大きな特徴は、弦楽器の人数を緩徐楽章では約半分にしていることである(14-14-12-10-8を8-8-5-5-4)。
なお、この年の同音楽祭でノリントンは同時にメンデルスゾーンも演奏しておりそれらもCD発売されている。(緩徐楽章での弦の半減、および解説収録という点は、メンデルスゾーンでも同じ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann.htm


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Symphony No. 4 in D minor Op.120 Norrington London Classical Players









Orchestra: London Classical Players
Conductor: Roger Norrington

ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ
EMI。輸入盤。1989年録音。

古楽器によるシューマン演奏の最初の録音か。ホルンの音色が良い。
のちのシュトゥットガルト放送響との全集では1841年版を録音している。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c7
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
8. 中川隆[-13893] koaQ7Jey 2020年2月09日 04:51:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-565]

クラシック音楽 一口感想メモ
ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューマン

前期ロマン派を代表する作曲家。文学的で濃厚なロマンティックさと、巨匠的な気品や風格の感じられる作品を書いた。時代によりジャンルが偏っているのも特徴。

大作曲家だが、もっさりしていて音を重ねすぎのオーケストレーションも、ピアノ書法も難あり。その点で室内楽は欠点が目立たない気がする。

同じリズム動機を積み重ねる所など、大作曲家である割にはどうも分かりにくくて地味なところがある。

管弦楽曲

交響曲第1番 変ロ長調『春』 1841
4点
祝典的な雰囲気を持つ明るく溌剌とした1楽章や四楽章。つい聞きいってしまう絶妙なロマンチックさを持った雰囲気が素晴らしいアダージョ。ピリッとした効果的なスケルツォ。どの楽章も素晴らしい傑作。

交響曲第2番 ハ長調 1845-46
3.0点
トランペットの輝かしい動機は印象的。なだらかな弦の動きの序奏はいいが本編はシューマン特有のしつこい繰り返しが気になる。めまぐるしく音が動くスケルツォは上手い。ベートーベンのように気品がある三楽章のアダージョはなかなかよくて聞き入ってしまう。四楽章は高揚感を持ち盛り上げてはいるが音を重ね過ぎで、しかもしつこいせいだと思うが、曲に入り込みにくい。

交響曲第3番 変ホ長調『ライン』 1850
3.5点
1楽章はやや単調ながらも主題に魅力があるので悪くない。二楽章のまさにライン川のような豊かさで美しい自然を感じる名旋律は素晴らしい。穏やかな三楽章と荘厳な四楽章も高揚感がある五楽章はあまり印象的なフレーズとキレがなく、まあまあ。

交響曲第4番 ニ短調 1841
4点
どの楽章も音楽として活き活きとしており、深刻とか悲しみとかでない短調の響き自体もつ音楽としての美しさが1,2,3楽章で見事に使われている。スケルツォのトリオは魅力的。四楽章の晴れやかで力強い高揚感は見事にその前と内容的に繋がっている。

序曲、スケルツォとフィナーレ ホ長調 Op.52 1841
3.3点
どの楽章も明るく前向きな雰囲気がいいのだが、交響曲と比較すると奥ゆかしさに欠ける。フガート風に開始する3楽章が一番規模が大きくて高揚感を楽しめるので、良いと思う。

4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック ヘ長調 1849
3.8点
とても面白い曲。4つのホルンが大活躍で、掛け合いの様子をウキウキした気分で楽しめ、聴き終わった後に、「ああ、楽しかった〜」という感想になる。

序曲『メッシーナの花嫁』 1850-51

付随音楽『マンフレッド』 1848-49
3.3点
音が分厚くて、劇的な説得力に満ちているという点でなかなか聴き映えがする。ブラームスに影響を与えて彼が交響曲を書くきっかけとなったのも納得。

序曲『ジュリアス・シーザー』 1851

序曲『ヘルマンとドロテア』 1851
3.0点
ラ・マルセイエーズのメロディーが軽快に活用されている部分とドイツ的な分厚さが交錯する面白い曲。

歌劇『ゲノフェーファ』(Genoveva)序曲 1847-50
3.8点
堂々としていて聴き映えが素晴らしい序曲。特別なことをしている感じではないが、ドイツらしい序曲としてかなり良い出来映えと思う。


協奏曲

ピアノ協奏曲 イ短調 1841
5.5点
前期ロマン派ピアノ協奏曲の代表作。後期ロマン派のような崩れがなく、まとまりと品がよく巨匠的な響き、3楽章がバランス良くすべて名作。

序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調 Op.92 1849
3.3点
序奏が良くて、この後の展開への期待を高める度合いが半端ない。しかし、主部のアレグロは残念ながらその期待に応えられるほどではなく、平凡な作品になってしまっている。

序奏と協奏的アレグロ ニ短調 Op.134 1853
3.0点
独奏ピアノの素晴らしさ、基本的な音楽性の高さを楽しめる。彼のピアノ協奏曲が好きな人が、もう一つのピアノ協奏曲を求めて聴く対象として、ある程度満足出来る。ただしメロディーの魅力はだいぶ落ちる。長いカデンツァもあり、十分楽しめるものである。

チェロ協奏曲 イ短調 1850
3.5点
交響曲やピアノ協奏曲のようなまとまりと巨匠性を感じない。しかし、単一の楽章のように書かれていることで独創的な奔放さが表現されていること、妙に頭から離れなくなるメロディーにより、特異な魅力を放っている。このため、いかにも不器用なチェロの扱いも逆に魅力の一部になって成功している。

幻想曲 ハ長調 Op.131 1853
2.5点
パンチの効いた強烈さがある音楽が続き、最後の数分間は感動的な雰囲気を作って終わる。支離滅裂というか、曲全体を通して作者が何がしたかったのかよく分からない。

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 1853
2.5点
1楽章はベートーヴェンの協奏曲と似た品があるが、ぱっとしないまま終わる。2楽章と3楽章も雰囲気は悪くないし、夢の中の妄想が膨らみすぎて現実と乖離したような病的な感じがどことなく感じられ、マニア向けには価値のある曲ではあるがぱっとせず一般的にみていい曲とは言えない。

合唱

オラトリオ『楽園とペリ』 1841-43
4.0点
冒頭の天国的な美しさが非常に印象的。分かりやすいメロディーと説得力のある劇的な音楽のオンパレードであり、長いオラトリオを全く飽きさせない。内向的な文学性の高さと外面的な音楽としての質の高さのバランスの良い両立を非常に高いレベルで実現している。最後は大変感動的に締めくくられて強い余韻を残す。作曲時までの集大成的な作品と考えられるシューマンの代表作の一つ。

レクイエム 変ニ長調 1852
4.0点
晩年の作品で作品番号は一番大きな数字。冒頭から強いインパクトと充実感があり引き込まれるし、40分の間それが持続する。レクイエムらしい死者を悼む感情も込められていて感動できる。シューマンの音楽と管弦楽伴奏の合唱曲の相性の良さに驚く。彼の天才性が生きている。もっと長生きしてこのような曲を書いて欲しかった。

ミニョンのためのレクイエム 1849
3.5点
ロマン派の濃厚で純粋な美のあるレクイエム。15分以下の短さもよい。ただし、全体に雰囲気が似た曲が続き、曲の集合体という感じがあまりしない。まあ統一感があるとも言えるかもしれない。いい曲であるが、永く記憶に残る圧倒的なものはないと思う。シューマンらしい品格とロマンがあり、しなやかで清浄で敬虔の音楽は、聴く前の予想の範囲を超えてはくれない。


室内楽

3つの弦楽四重奏曲 1842

第1番 イ短調
3.3点
ドイツ的な太い芯があり巨匠的な風格のある曲調。耳に残るメロディーは無いと思うが、風格を楽しみながら十分に楽しく聞ける。シューマンが向いていると感じるのは、作曲者の力の入れ方が自然と音楽的な力になっていると感じるからのようだ。

第2番 ヘ長調
3.3点
シューマンと弦楽四重奏の相性は割と良いようで、この曲も四重奏のサイズにあった生きの良さや柔らかさや切れを生かした音楽になっている。ただ、これはという出来の良い楽章はないので、シューマンの標準レベルに留まっている。

第3番 イ長調
3.8点
親密さや優しさを感じる1楽章と3楽章が秀逸。特に3楽章はゆったりと心を歌いながら演奏されるメロディーにかなり感動できる。4楽章は主題がいつものシューマンであるが、間に挟まれる間奏部分が素敵である。

ピアノ五重奏曲 変ホ長調 1842
4.0点
どの楽章もシューマンらしいロマンを内部に秘めていながら、品の良さに満ちているし、心地よくて室内楽の楽しさにも溢れている名品。

ピアノ四重奏曲 変ホ長調 1842
4.0点
五重奏の方が僅かに上かもしれないが、こちらの曲も同じくらい素晴らしい。どの楽章もアンサンブルを楽しめて、シューマンらしい巨匠性のあるロマンチックさをもった充実した音楽を楽しめる。

ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 1847
3.8点
いかにも典型的なドイツ中期ロマン派の室内楽である。堅固な構築性とロマンチックなメロディーや雰囲気を両立しており、どの楽章も効果的な内容でありバランスがよい。ピアノ三重奏で問題になる音のバランスの悪さも全く気にならない。最終楽章の高揚感が自然に実現されるのはやはりいいものである。ドイツロマン派室内楽の名作の一つに挙げられる。

アダージョとアレグロ 変イ長調 1849 hrn(vc任意),pf
3.5点
(チェロ版)シューマンらしい夢のような甘さに溢れたアダージョはなかなか魅力的。その流れを受けたアレグロも甘さを残しており、だんだんそれは消えていくが品の良さは残したまま最後まで聴かせる佳曲である。大作曲家が書いた貴重なレパートリーと呼ぶに相応しい曲。

4つのフーガ Op.72 1845 cl,pf
2.5点
短調のロマン的な3曲目は好きだ。他の曲も所々にロマン派らしい感情は感じられるが、全体にはバッハの平均律に似すぎていて客観的で観念的な音楽であり、あまり価値が高く無いように思う。

幻想小曲集 Op.73 1849 vc(vn,cl),pf
3.0点
1楽章は陰鬱な感情が盛り込まれていてもやもやとしている印象である。2楽章はクラリネットの音色の特性の活かし方が上手い。3楽章はシューマンには良くある曲としか思わない。曲集としてのまとまりはある。

ピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 1847
3.0点
ありきたりにならないようにと古典的な型から外れて自由に書こうとした事は伝わるが、あまり成功している印象がない。ただ、3楽章がかなり美しく真心とか親密さのようなものを感じて感動するので、曲の価値は低くない。

幻想小曲集 Op.88 1842 vn,vc,pf
3.3点
いくつかある幻想小曲集の中でも、ピアノ三重奏用であるだけあり、賑やかで華やかであるのが特色。

3つのロマンス 1849 ob,pf,vn,(cl)
3.0点
どの曲もシューマンらしい音楽としての魅力はある。オーボエ音楽としては明るさと陰影を持つオーボエの全てを引き出している感じではないが、ささやかさの中に歌心があり悪くない。1、2曲目ほ旋律は平凡であり、名曲と呼ぶ程でない。3曲目は陰があり魅力的。

ヴァイオリンソナタ第1番 イ短調 1851
3.8点
1楽章が美旋律のオンパレードで素晴らしい。憂鬱さをたたえた情熱的なメロディーで一度聴いたら忘れない。2楽章と3楽章は強い特徴は無いが、1楽章の素晴らしさを壊さない出来にはなっている。全3楽章でコンパクトなので聞きやすい。

ピアノ三重奏曲第3番 ト短調 1851
2.5点
曲としてまとまってはいるが、シューマン独特の執拗な繰り返しがしつこいと感じてしまう箇所が多いし、感激するような場面が無いので、いまいち。

ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調 1851
3.3点
1楽章と2楽章はあまりインパクトがない。3楽章の変奏曲は主題が包み込むような優しさに満ちた感動的なもので素晴らしいのに、短く終わってしまい残念。4楽章は力の入った作品だが主題の魅力は今ひとつ。全体に1番の2楽章3楽章よりはバランスが進歩している気がしたが、メロディーの魅力が足りないと思う。

おとぎ話 1853 cl(vn),va,pf
3.0点
ドリーミーなシューマン節をそこそこ楽しめる。とはいえ、本人としてもできの良い作品という感じではなく、出来合いの曲なのではと思う。特に感動するほどのものはない。

民謡風の5つの小品 Op.102 1849 vc,pf
3.3点
シューマン臭さがかなり少ない普通の曲である。チェロの低音が醸し出す渋い民族的な粘っこさが上手く活かされている。

ピアノ曲

ピアノ曲は初期に書かれた作品が多く、中期以降の成熟には達していないものが多い。また、ショパンやリストと比較して音を想像力で補う必要がある。

初期

アベッグ変奏曲 1829-30
3.0点
デビュー作で、書法に未成熟さは多少みられるものの、独自の世界は既に作られていて、魅力はある。

蝶々 1829-30
3.0点
初期の曲でまだ未熟さが残り、曲は名作といえるレベルに達していないと思う。しかしながら、素朴さの中に潜むシューマンらしい魅力は、既に十分である。

パガニーニの奇想曲による練習曲 Op.3 1832
2.5点
若書きの未熟さとまとまりのなさがどうしても気になってしまう。曲想がバラバラでまとまりがない。

6つの間奏曲 1832

クララ・ヴィークの主題による即興曲 1832-33
3.0点
即興曲という題名だが、実質的には変奏曲である。若書きだが、奥ゆかしさとか、一生懸命な感じがあり好感度が高い。

ダヴィッド同盟舞曲集 1837
3.5点
1〜2分の短い曲の連作。典型的なシューマンらしい香り立つ気品と幻想的ロマンの小品集で、曲が短いので聞きやすい。静かな夢の中のような静かな曲に吸い込まれるように強く心を奪われる。活発な曲は間奏や場面を転換させる曲と最初は思うが、しばらく数10秒聴くとその中に詩情と物語性がある事に気付く。これを繰り返しながら物語が展開している。シューマンの良さが出た曲集。

トッカータ ハ長調 1829-32

アレグロ ロ短調 Op.8 1831
2.5点
ベートーヴェン的と呼んでもいいかもしれない正統派的ながっちりとした力強さがある曲。だが、文学性を感じないせいかあまり印象に残らない。

謝肉祭-4つの音符による面白い情景 1833-35
4.0点
全21曲。シューマンのピアノ曲中で特に華やかでウキウキするような楽しさがあり聞きやすい曲集。最後の壮大な盛り上げ方が最高。

パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲 1833

ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調 1832-35
3.0点
二楽章が素敵。他の楽章も一生懸命頑張っている感が強い。最終楽章は複雑過ぎであり、凝りすぎ。

幻想小曲集 1837
3.5点
発想豊かで美しさのあるいい曲が多い。曲集の最後の締め方がよい。

交響的練習曲 1837
3.5点
前半の普通の変奏曲はあまり面白くない。自由になってからが本領発揮。変奏曲らしい統一感とバラエティーのふれ幅の大きさが魅力。

ピアノソナタ第3番 ヘ短調 1835-36
2.5点
元のタイトルは『管弦楽のない協奏曲』。技巧的で大規模の本格派だが、いい曲という印象はない。

子供の情景 1838
4.0点
有名なトロイメライに限らずどの曲もある程度描写的な分かりやすさがあり、一曲ごとは短いが個別の曲としても独立した良さがあるので聞きやすく楽しみやすい。

クライスレリアーナ 1838
3.0点
この曲をシューマンのピアノ作品の代表作にあげる人が多いが、自分には分からない。それほどロマンチックではないし、単体でいい曲があるわけではないし、発想の豊かさや霊感の強さを感じないのだが。。

幻想曲 ハ長調 1836-39
4.5点
ふわふわとした幻想性と濃厚なロマンチシズムの塊であり、シューマンのピアノ独奏曲の代表曲。一楽章のスケールが大きい冒頭の魅力と第2主題のドラマチックな感傷性など、場面展開が魅力的。二楽章は輝かしく英雄的な行進曲。三楽章は特に濃厚でロマンティクの極みで、深い沈静の中にドロドロとした感傷が満ちている。私はリヒテルの壮大なライブ版音源でこの曲の強烈な魅力が分かった。

アラベスク ハ長調 1838-39
3.5点
夢見るようで、エキゾチックさもあり魅力的な曲。

花の曲 変ニ長調 1839
2.0点
雰囲気だけの曲であまり価値のある曲には聞こえなかった。

4つの夜の曲
2.5点
メジャー曲と比較すると少しレベルが落ちる。

フモレスケ 変ロ長調 1839
2.5点
曲から特別な何かを感じない。いまいち。

8つのノヴェレッテ 1838
3.0点
メロディアスではなく個別の曲に単独での傑作は無い。また外面性、心理的な具体的な内面描写、分かりやすいストーリーもないので分かりにくい。しかし、5分程度の活発な曲を積み重ねると何となく心の冒険が出来るという不思議な曲集。長い最終曲がバラード的な物語あり。

ピアノソナタ第2番 ト短調 1833-38
4点
ロマン派のピアノソナタとして屈指の出来だと思う。ソナタらしい構成感がベースにあり、力強く情熱的ロマンチックさに浸れる。控え目に現れる幻想的場面がまた効果的。最終楽章が弱いが、それでもうまくバランスを取ってまとめてる。

4つの夜曲 1839

ウィーンの謝肉祭の道化 1840
2.5点
長い一楽章が面白くないし、そこそこ長い作品だが全体的にはっとする良さが少なく力作とは言い難い。最終楽章のノリの良さは悪くないけど。


3つのロマンス 1839

1 3.0点
2 3.5点
3 2.5点

二曲目が低音のメロディーを美しく響かせる曲で素晴らしい。最終曲は長くて自由だがいまいち。

4つの小品 1838-3

東洋の絵(6つの即興曲) Op.66 1848 2台pf
2.5点
あまり印象に残る曲が無く、失敗作だと思う。


中期以降

子供のためのアルバム 1848
2.0点
全43曲。面白くない曲が7割以上、名作と言えるのは有名な楽しき農夫と他はせいぜい数曲だろう。鑑賞用には向かない。

4つの行進曲 Op.76 1849
3.5点
4曲とも勇壮で豪快な中にシューマンらしい繊細さもあるという楽しい曲ばかり。シューマンのピアノ曲では名作の部類なのにあまり有名でないのが不思議だ。

森の情景 1848-49
3.5点
後期のピアノ曲集。1曲が2分程度と短い。インスピレーションが強く働いていて、幻想的な夢の中のような世界を現出させている。曲集の中で、有名な「予言の鳥」がやはり耳をひく。文学的な詩情の豊かさはすばらしい。最後は名残惜しく終わり、曲集としてもまとまってる、

色とりどりの小品 Op.99 1836-49
2.5点
未発表の小品集。割と長めの小品が収録。あまりいい曲はない印象。通して演奏すると時間が36分もかかるので、演奏されないのはしょうがない。

舞踏会の情景 1849-51 4手
3.3点
シューマンにしては珍しい、サロン風の上品な音楽。華やかで楽しめる。

3つの幻想的小曲 1851
2.0点
後期の錯乱して幻想的過ぎ、内面的過ぎの印象が強い。

子供のための3つのソナタ 1853
3.5点
短くて平明であり、子供向けの明るく素直な曲調を楽しめる。大人向けのドロドロした所がある曲より、シューマンの歌心が素直に表現されていると思う。とはいえ、それほど簡単な曲でもなさそうに聞こえる。子供向けでも、物足りなさは全然ない。

アルバムの綴り 1832-45
3.3点
短い小品全20曲。長い期間に渡る作品を集めたもので、子供の情景や謝肉祭に漏れた曲も入っているそうだが、そうした主要曲集とのレベルの差は聴いている限りではほとんど感じない。

7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126 1853
3.8点
晩年の隠れた名作。バッハの平均律を意識していると思われる。音が少なくて平明であり、静かで温かみがあり穏やかな気持ちになって、聞きながら物思いにふける異が出来る。

子供の舞踏会 1853 4手

朝の歌 1853 全5曲
3.3点
文学的な香気が他の作品以上に濃厚である。朝の全てが寝静まった静寂さと、太陽が昇り始めて世界が活動のような世界を、深い表現で描いている。

天使の主題による変奏曲(主題と変奏)
3.5点
最後の曲ということで力なく辞世の音楽が奏でられる。あまりの気力の無さに聴いていて悲しくなってくる。しかも変奏してもその雰囲気は変わらないのがまた悲しい。

歌曲

リーダークライス 作品24
3.8点
次から次へと顕れる曲の内部エネルギーと、短調と長調が交互に現れることが、心の揺れ動くさまを実に生々しくもロマンチックに描いている。シューマンのロマンチックを原石そのままに表現する美点が見事に現れていて心を捉えて離さず、また聴きたいと思わせる。前半の数曲は面白くなくてがっかりする。しかし、途中からはシューマンワールドの引力に引き込まれていく。

歌曲集「ミルテの花」 作品25
3.8点
陰鬱な雰囲気や、不安定な心情の曲は少なくて、素直な明るい曲が多いのが特徴。とはいえ底抜けな明るさではなく、なにかひっかかるものは常にあるから聞いていて胸に響く重さがあり感動がある。シューベルトのような天上的な近寄りがたさはなく、人間的で文学的なところが良い。3分の2くらいは「美しい曲だ」と感動できる名曲と思う。すごい打率だと思う。有名な1曲目は確かにふっと心をとらえて忘れられなくなる魅力がある。

リーダークライス 作品39
3.5点
暗くてしんみりとした歌が多い。1曲だけでなく多くがそうなので途中で飽きてしまった。終焉とか、人生の悲哀のようなものを噛みしめるような曲調である。シューマンの他の連作歌曲と比較して個人的には感動が薄かった。歌の雰囲気の組み合わせに翻弄される感じが薄い。

歌曲集『女の愛と生涯』 作品42
3.8点
凛とした女性の自恃を感じる音楽である。様々な表情が現れていくが、全体的に感情と運命に奔放されながらも強く生きる心を音楽から感じ取れるのが印象的である。1曲目は序奏という感じで、2曲目で音楽の中に心が入り込んでいき、3曲目からはどっぷりとシューマンの世界に入って心を翻弄されるがままになる。

歌曲集『詩人の恋』作品48
4.0点
夢を見るような精神世界の中に入り込むシューマンの美点が見事に結晶化している。そしてロマンに浸りながらもバランスが良くて巨匠的であるところが連作歌曲としての名作たる所以と思う。様々な曲は表情を煌めく水面のように揺れ動きながら変えていく。それに時間を忘れて見とれるように聴く音楽である。曲調の変化は心に大きな波を立たせる。そして、シューマンらしいロマンと表現のエネルギーの塊の芯だけ削り出して取り出したような音楽であり、心の遍歴そのものの音楽でもある。それがピアノと声楽という形で最善の造形を見せて、良さにため息をつきたくなる。最後のエンディングは最高に感動する。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューマン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c8

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
237. 中川隆[-13901] koaQ7Jey 2020年2月09日 12:26:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-564]
平野憲一の株のお話 2020.02.09 株高の恩恵。
http://kasset.blog.fc2.com/


 GPIF 10〜12月の運用実績も発表されましたが、7兆3613億円の黒字で、19年末の資産残高は168兆9897億円と発表になりました。

団塊世代が60歳を迎えた時は120兆円で、フルに年金がもらえる65歳の時、残高は100兆円を切って年金支給は危機的な状態になると、まことしやかに言われていましたが、団塊世代が70歳台の今、残高は逆に増えています。

いかに株式が国民と一体にあるかと言う事を証明しています。これからも株価を意識した政策がとられなければなりません。株が下がると困るのは「株なんかとは関係ない」と言っている日本国民なのです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c237

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
53. 中川隆[-13900] koaQ7Jey 2020年2月09日 12:33:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-563]

株主ではなく、働く国民が豊かになる国を 2020-02-09 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12573828138.html


 さて、実質賃金です。
 予想通り、2019年は12月もマイナス。結局、2019年に実質賃金が対前年比プラスになったのは9月のみで、それ以外は全滅。
 通年でも、▲0.9%と、ついに90年以降の最低水準(2015年)を下回ってしまいました。

『19年12月の実質賃金、前年同月比0.9%減 残業代や賞与の減少で
 厚生労働省が7日発表した2019年12月の毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上)によると、物価変動の影響を除いた実質賃金は前年同月比0.9%減少した。残業代やボーナス支払いの減少が響いた。
 名目賃金にあたる1人あたりの現金給与総額は56万5779円で横ばいだった。内訳をみると、基本給にあたる所定内給与が0.4%増、残業代など所定外給与は2.6%減、ボーナスなど特別に支払われた給与は0.2%減だった。
 パートタイム労働者の雇用環境は引き続き堅調だ。時間あたり給与は2.9%増の1180円だった。パートタイム労働者比率は0.30ポイント上昇の31.71%だった。
 同時に発表された19年の実質賃金は前年比0.9%減と、2年ぶりに減少した。』

 というわけで、2015年基準(最新)、2010年基準、2002年の基準を連関させた長期の実質賃金の推移をグラフ化しました。

【日本の実質賃金の推移(2015年=100)】


http://mtdata.jp/data_68.html#RI19

 日本の実質賃金は、ピーク(97年)から19年までに、▲12.8%、12年からは▲4.4%。これほどまでに「貧困化」した国は、内戦や革命でもやっていない限り、例がないのではないでしょうか。


 さらに恐ろしいと思うのは、ここまで国民を貧困化させておきながら、政権には「失政の自覚」が全くないことです。


 考えてみれば、不思議でも何でもないのですが、グローバリズムという「主義」は、国民を貧困化させる形で株主利益最大化を目指す政策パッケージです。


 具体的には、

1.正規雇用の非正規雇用化。(派遣社員化、フリーランス化など)<名目賃金切り下げ目的

2.労働市場への労働供給拡大(女性の社会進出、高齢者の労働市場への投入、移民受け入れ)<名目賃金切り下げ目的

3.デフレ深刻化による生産性の低下<実質賃金が切り下がる
 の三つになります。


 本来、国民経済(というか資本主義経済)とは技術投資、設備投資、インフラ投資により生産性を高める、つまりは「生産者一人当たりの生産量」を引き上げることで成長する経済モデルです。


 資本を投じるからこそ、資本主義なのです。

 ところが、技術投資、設備投資には「リスク」が生じる。さらには、インフラ投資は政府の緊縮財政で不可能。


 さらには、生産性向上は短期の利益にならず、しかも国民の実質賃金を引き上げてしまうため、
「国際競争力(=価格競争力)が低下する!」
 というわけで、我が国ではひたすら国民の実質賃金を切り下げるデフレ化政策が採られてきたのです。

 つまりは、橋本政権以降の実質賃金の低迷、国民貧困化は、「政策の成功の証」なのです。国民貧困化のデフレ化政策が、ここまで成功した事例を、わたくしは他に知りません。


 最終的には、日本は働いても、生産性が低すぎるために国民が豊かになれず、
「人々が外国人観光客相手の白タクや民泊、女性は外国人に身体を売って小銭を稼ぐ国」
 に落ちぶれることになります。まさに、発展途上国化です。


 大東亜戦争敗北後、いやそれ以前から、我が国は「投資」により生産性を高め、国民が豊かになる形で経済規模を拡大してきました。それが、1980年代にグローバリズムのトリニティが始まり、97年のデフレ化以降は特に、
「国民が豊かになる経済」
 を破壊することで、一部の(しかも多くは外国人の)株主の利益を最大化する、しかも、
「国民が貧困化する形で、株主利益を最大化する」
 形に構造を改革されてしまったのです。


 しつこいですが、働いて稼いだ所得から徴収される所得税の最高税率が(住民税入れると)55%であるのに対し、上場企業の株式配当金の税率は、どれだけ配当金が多額でも20%って、おかしいだろ、こらぁ!


 別に、所得税の最高税率を下げろとは言わない(これでも下がった)。株式配当金への分離課税を廃止するか、もしくは配当金は税率90%とかにしても一向に構いませんよ、わたくしは。

【資本金10億円以上の法人企業の配当金(兆円)の推移】


http://mtdata.jp/data_68.html#haitoukin

 ちなみに、日本がいかに「株主優先の国」に構造を改革されてしまったのかは、上のグラフを見れば誰にでも一発で分かるでしょ(あえて解説しない)。


 株主ではなく、働く国民が豊かになる国を取り戻す。そのためには、まずは国民が「祖国の構造がいかに歪んでいるのか?」を「データ」で明確に理解する必要があるのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12573828138.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c53

[近代史3] 国家を亡ぼす「狂った税制」 中川隆
5. 中川隆[-13899] koaQ7Jey 2020年2月09日 12:34:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-562]

株主ではなく、働く国民が豊かになる国を 2020-02-09 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12573828138.html


 さて、実質賃金です。
 予想通り、2019年は12月もマイナス。結局、2019年に実質賃金が対前年比プラスになったのは9月のみで、それ以外は全滅。
 通年でも、▲0.9%と、ついに90年以降の最低水準(2015年)を下回ってしまいました。

『19年12月の実質賃金、前年同月比0.9%減 残業代や賞与の減少で
 厚生労働省が7日発表した2019年12月の毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上)によると、物価変動の影響を除いた実質賃金は前年同月比0.9%減少した。残業代やボーナス支払いの減少が響いた。
 名目賃金にあたる1人あたりの現金給与総額は56万5779円で横ばいだった。内訳をみると、基本給にあたる所定内給与が0.4%増、残業代など所定外給与は2.6%減、ボーナスなど特別に支払われた給与は0.2%減だった。
 パートタイム労働者の雇用環境は引き続き堅調だ。時間あたり給与は2.9%増の1180円だった。パートタイム労働者比率は0.30ポイント上昇の31.71%だった。
 同時に発表された19年の実質賃金は前年比0.9%減と、2年ぶりに減少した。』

 というわけで、2015年基準(最新)、2010年基準、2002年の基準を連関させた長期の実質賃金の推移をグラフ化しました。

【日本の実質賃金の推移(2015年=100)】


http://mtdata.jp/data_68.html#RI19

 日本の実質賃金は、ピーク(97年)から19年までに、▲12.8%、12年からは▲4.4%。これほどまでに「貧困化」した国は、内戦や革命でもやっていない限り、例がないのではないでしょうか。


 さらに恐ろしいと思うのは、ここまで国民を貧困化させておきながら、政権には「失政の自覚」が全くないことです。


 考えてみれば、不思議でも何でもないのですが、グローバリズムという「主義」は、国民を貧困化させる形で株主利益最大化を目指す政策パッケージです。


 具体的には、

1.正規雇用の非正規雇用化。(派遣社員化、フリーランス化など)<名目賃金切り下げ目的

2.労働市場への労働供給拡大(女性の社会進出、高齢者の労働市場への投入、移民受け入れ)<名目賃金切り下げ目的

3.デフレ深刻化による生産性の低下<実質賃金が切り下がる
 の三つになります。


 本来、国民経済(というか資本主義経済)とは技術投資、設備投資、インフラ投資により生産性を高める、つまりは「生産者一人当たりの生産量」を引き上げることで成長する経済モデルです。


 資本を投じるからこそ、資本主義なのです。

 ところが、技術投資、設備投資には「リスク」が生じる。さらには、インフラ投資は政府の緊縮財政で不可能。


 さらには、生産性向上は短期の利益にならず、しかも国民の実質賃金を引き上げてしまうため、
「国際競争力(=価格競争力)が低下する!」
 というわけで、我が国ではひたすら国民の実質賃金を切り下げるデフレ化政策が採られてきたのです。

 つまりは、橋本政権以降の実質賃金の低迷、国民貧困化は、「政策の成功の証」なのです。国民貧困化のデフレ化政策が、ここまで成功した事例を、わたくしは他に知りません。


 最終的には、日本は働いても、生産性が低すぎるために国民が豊かになれず、
「人々が外国人観光客相手の白タクや民泊、女性は外国人に身体を売って小銭を稼ぐ国」
 に落ちぶれることになります。まさに、発展途上国化です。


 大東亜戦争敗北後、いやそれ以前から、我が国は「投資」により生産性を高め、国民が豊かになる形で経済規模を拡大してきました。それが、1980年代にグローバリズムのトリニティが始まり、97年のデフレ化以降は特に、
「国民が豊かになる経済」
 を破壊することで、一部の(しかも多くは外国人の)株主の利益を最大化する、しかも、
「国民が貧困化する形で、株主利益を最大化する」
 形に構造を改革されてしまったのです。


 しつこいですが、働いて稼いだ所得から徴収される所得税の最高税率が(住民税入れると)55%であるのに対し、上場企業の株式配当金の税率は、どれだけ配当金が多額でも20%って、おかしいだろ、こらぁ!


 別に、所得税の最高税率を下げろとは言わない(これでも下がった)。株式配当金への分離課税を廃止するか、もしくは配当金は税率90%とかにしても一向に構いませんよ、わたくしは。

【資本金10億円以上の法人企業の配当金(兆円)の推移】


http://mtdata.jp/data_68.html#haitoukin

 ちなみに、日本がいかに「株主優先の国」に構造を改革されてしまったのかは、上のグラフを見れば誰にでも一発で分かるでしょ(あえて解説しない)。


 株主ではなく、働く国民が豊かになる国を取り戻す。そのためには、まずは国民が「祖国の構造がいかに歪んでいるのか?」を「データ」で明確に理解する必要があるのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12573828138.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/730.html#c5

[近代史3] 貧困と格差が広がる日本!! 中川隆
2. 中川隆[-13898] koaQ7Jey 2020年2月09日 12:34:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-561]

株主ではなく、働く国民が豊かになる国を 2020-02-09 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12573828138.html


 さて、実質賃金です。
 予想通り、2019年は12月もマイナス。結局、2019年に実質賃金が対前年比プラスになったのは9月のみで、それ以外は全滅。
 通年でも、▲0.9%と、ついに90年以降の最低水準(2015年)を下回ってしまいました。

『19年12月の実質賃金、前年同月比0.9%減 残業代や賞与の減少で
 厚生労働省が7日発表した2019年12月の毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上)によると、物価変動の影響を除いた実質賃金は前年同月比0.9%減少した。残業代やボーナス支払いの減少が響いた。
 名目賃金にあたる1人あたりの現金給与総額は56万5779円で横ばいだった。内訳をみると、基本給にあたる所定内給与が0.4%増、残業代など所定外給与は2.6%減、ボーナスなど特別に支払われた給与は0.2%減だった。
 パートタイム労働者の雇用環境は引き続き堅調だ。時間あたり給与は2.9%増の1180円だった。パートタイム労働者比率は0.30ポイント上昇の31.71%だった。
 同時に発表された19年の実質賃金は前年比0.9%減と、2年ぶりに減少した。』

 というわけで、2015年基準(最新)、2010年基準、2002年の基準を連関させた長期の実質賃金の推移をグラフ化しました。

【日本の実質賃金の推移(2015年=100)】


http://mtdata.jp/data_68.html#RI19

 日本の実質賃金は、ピーク(97年)から19年までに、▲12.8%、12年からは▲4.4%。これほどまでに「貧困化」した国は、内戦や革命でもやっていない限り、例がないのではないでしょうか。


 さらに恐ろしいと思うのは、ここまで国民を貧困化させておきながら、政権には「失政の自覚」が全くないことです。


 考えてみれば、不思議でも何でもないのですが、グローバリズムという「主義」は、国民を貧困化させる形で株主利益最大化を目指す政策パッケージです。


 具体的には、

1.正規雇用の非正規雇用化。(派遣社員化、フリーランス化など)<名目賃金切り下げ目的

2.労働市場への労働供給拡大(女性の社会進出、高齢者の労働市場への投入、移民受け入れ)<名目賃金切り下げ目的

3.デフレ深刻化による生産性の低下<実質賃金が切り下がる
 の三つになります。


 本来、国民経済(というか資本主義経済)とは技術投資、設備投資、インフラ投資により生産性を高める、つまりは「生産者一人当たりの生産量」を引き上げることで成長する経済モデルです。


 資本を投じるからこそ、資本主義なのです。

 ところが、技術投資、設備投資には「リスク」が生じる。さらには、インフラ投資は政府の緊縮財政で不可能。


 さらには、生産性向上は短期の利益にならず、しかも国民の実質賃金を引き上げてしまうため、
「国際競争力(=価格競争力)が低下する!」
 というわけで、我が国ではひたすら国民の実質賃金を切り下げるデフレ化政策が採られてきたのです。

 つまりは、橋本政権以降の実質賃金の低迷、国民貧困化は、「政策の成功の証」なのです。国民貧困化のデフレ化政策が、ここまで成功した事例を、わたくしは他に知りません。


 最終的には、日本は働いても、生産性が低すぎるために国民が豊かになれず、
「人々が外国人観光客相手の白タクや民泊、女性は外国人に身体を売って小銭を稼ぐ国」
 に落ちぶれることになります。まさに、発展途上国化です。


 大東亜戦争敗北後、いやそれ以前から、我が国は「投資」により生産性を高め、国民が豊かになる形で経済規模を拡大してきました。それが、1980年代にグローバリズムのトリニティが始まり、97年のデフレ化以降は特に、
「国民が豊かになる経済」
 を破壊することで、一部の(しかも多くは外国人の)株主の利益を最大化する、しかも、
「国民が貧困化する形で、株主利益を最大化する」
 形に構造を改革されてしまったのです。


 しつこいですが、働いて稼いだ所得から徴収される所得税の最高税率が(住民税入れると)55%であるのに対し、上場企業の株式配当金の税率は、どれだけ配当金が多額でも20%って、おかしいだろ、こらぁ!


 別に、所得税の最高税率を下げろとは言わない(これでも下がった)。株式配当金への分離課税を廃止するか、もしくは配当金は税率90%とかにしても一向に構いませんよ、わたくしは。

【資本金10億円以上の法人企業の配当金(兆円)の推移】


http://mtdata.jp/data_68.html#haitoukin

 ちなみに、日本がいかに「株主優先の国」に構造を改革されてしまったのかは、上のグラフを見れば誰にでも一発で分かるでしょ(あえて解説しない)。


 株主ではなく、働く国民が豊かになる国を取り戻す。そのためには、まずは国民が「祖国の構造がいかに歪んでいるのか?」を「データ」で明確に理解する必要があるのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12573828138.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/773.html#c2

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
24. 中川隆[-13897] koaQ7Jey 2020年2月09日 12:38:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-560]

2020年02月09日
中国内陸部の農村 1日収入100円の貧困者が1億人の実態

農民には今も年収3万円から10万円の人々がいる

チベット人やウイグル人は統計しないので貧困者に含めない

中国政府では年収4万円以下の貧困者が550万人としているが、実際には1億人居るといわれている。

貧困者はお金を使う貨幣経済に参加できないので、半世紀前と同じ暮らしをしています。


年収4万円以下が1億人


国家統計局は年収4万円以下を貧困者と定義し、2015年に5500万人が存在したとしています。


2019年末に貧困者は550万人に減少したが、貧困ラインがいくらなのか基準を示さなくなった。


仮に貧困ラインを年収5万円としても、中国全体の平均収入の1割にも満たない。(労働給与は平均70万円以上)



中国の農業人口は約3億人だが、現在の平均年収は10万円台と推測されています。


一方で北京や上海の公務員や大企業の社員は、年収300万以上の人も居るといわれています。

さらに習近平や江沢民、胡錦濤などの支配層は、数兆円規模の蓄財をしていると噂されている。


中国の物価は年々上がっているので、貧困ラインを据え置けば「貧困者」は毎年急減する仕組みです。

中国奥地には現在も電気が通っていない村が多くあり、それどころか住居すら建っていない事があります。


原始人が暮らしていた「横穴式住居」というのが教科書に載っていたが、現在もそういう暮らしをしている人が居る。


中国政府が言っている「貧困者550万人」はかなり控えめな数字で、実際は1億人を超えている。

年収5万円といえば一日150円以下の収入なので、インドの最貧困層の収入に等しい。


こうした農民は荒れた農地でトウモロコシなどを自然栽培していて、農薬を買ったり肥料を買うこともできない。


貧しさから子供を売る親も多く、嫁が来ないので、人さらいや近親婚も行われている。

50年前と変わらない極貧農村の暮らし

中国の都会では経済発展しているので、出稼ぎに行けば良いのだが、本来出稼ぎは違法で見つかれば重罪になる。

共産国家は職業と居住地を国が決めるので、農民は生まれた土地で一生農業をしなければならない。

才覚がある者はそれでも都会に出て行くが、残された者はますます貧しくなる。


家があっても家具は何もなく、食事も調理も土間で、戦前の日本の農家のように地面の上で行っている。

布団などの寝具もないので、固まって床に寝転がるがるのがスタンダードです。

昔日本の政治家で「中国なんかトイレにドアも無いような国だ」と発言した人が居たが、農村では今もトイレにドアは無い。


中国や朝鮮半島では現在もレンガのような土壁作りの建物が並んでいる村があり、貧困地帯だと分かる。

レンガ、石ころ、土などで固めた壁は地震が起きなければ数十年か、もっと長持ちするので現在も使われている。

土壁、トタン屋根、ブルーシート、ベニア板といったお金を払わなくても入手できそうな素材で作られている。


農村は公共物が立派で道路には農機具があったり、大規模工事が行われているなど、一見すると賑わって見える場合がある。


2015年の中国の農家の平均年収は1万1422元(約17万2000円)で初めて1万元を超えた。


2019年末の貧困地区平均可処分所得は1万1567元(約18万円)で、前年比で11.5%増加した。(中国国家統計局)

この数字からは2016年から農家の平均収入は何割か増加し20万円を超えていると考えられる。

だが農家の場合サラリーマンと違って「世帯収入」の筈なので、1人の労働賃金は都会の工場労働者の1割未満になる。


さらに重大なのはこうした統計にはウイグル人やチベット人、内モンゴル人が含まれていない点です。

特にウイグル人については企業での就職や移動や交通機関の利用も禁止され、農業と言うより自給自足を強いられている。


こうした条件を考慮すると中国農民の多くは貧困であり、年収10万円以下の極貧人口は1億人を超えている。
http://www.thutmosev.com/archives/56373037.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c24

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
25. 中川隆[-13896] koaQ7Jey 2020年2月09日 12:44:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-559]
北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている。


2020年02月04日
中国の病院 数週間待つのが常識 医師が高額賄賂要求

中国の病院の酷さを訴える女子大生


引用:http://www.acnw.com.au/images/portal/201601/27/073427ea87d7ppr9w8prw5.jpg

現在中国では新型ウイルスで病院がパンク状態だが、実は以前からパンクしていた。


北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている。

番号を買っても診察時間は3分以内で、医者にも賄賂を取られ、高額な薬を売りつけられています。


病院で女子大生がキレた理由

数年前に中国の病院で「賄賂が横行している」と告発した女子大生の事が話題になりました。

中国で投稿された動画には、女性が中国語で怒鳴っている様子が写っているが、彼女は「受付番号」の不正に怒ってました。


中国の医療保険制度は自治体ごとに分かれていて、職業別にも適用範囲が分かれています。

北京のように人口が多く発展している都市で、公務員をしているなら充実した医療を低価格で受ける事ができます。

ただし保険が適用される病院はほとんど存在せず、病院の受付は常に大渋滞が起きています。

富裕層や共産党員はこのような病院には行かず、金持ちと権力者用の病院に、待ち時間なしで受診できます。


という事は一般人民が病院に受診するには、何週間も前から申し込んで順番待ちをする事になります。

この「受付番号」がどれほどの価値を持つかは、日本人には想像できませんが、プラチナチケットになっています。

しかも「受付番号」を貰う為に、まず何日も座り込んで順番を待つ状況で、数日泊り込んでやっと1ヵ月後の順番を貰えるのです。


こういう事なのでプラチナチケットの売買が横行し、窓口前ではダフ屋がチケットの買い取りと販売を行っています。

日本のヤ○オクとかでライブや希少列車のチケットが転売されていますが、あれが病院の窓口で展開されています。

動画の女子大生はその日は朝からずっと並んだが番号を貰えず、午後にまた並んで、運良く診察してもらう事ができた。

賄賂、ワイロ、わいろ

だが診察時間は1分から3分という所で、話も聞かずに薬を出して終わりだったという。

因みに中国の病院は日本のように病院と薬局は別れていないので、医者が直接薬を売ります。

医者はなるべく高額な薬を売って金儲けし、患者からも賄賂を受け取っています。


賄賂は病院のあらゆる場所で横行し、窓口の係が受け付け番号を出すのも、賄賂が多い順番です。

女子大生は田舎から北京の大病院に出て来て、受付時間前から並んでいたが、受付時間になると男達が割り込んで番号を受け取っていた。

割り込んだ数十人の男達はダフ屋で、窓口の係員に予め賄賂を渡してあるので、必ず一番先に番号を貰える。


ダフ屋は窓口から「買った」番号を、欲しい人に4,500元(約80,700円)で販売していたという。

この女子大生の話だと、そもそも受け付け番号自体も、300元(約5,400円)で買わなければならないようです。

これが正規の料金なのかは分からないが、恐らく窓口係が患者全員から強制的に賄賂を取っているのでしょう。


中国人13億人の平均所得は80万円で、北京は高いがこの2倍程度なので、受付番号に5400円は法外です。

しかも日本で言う健康保険を適用されるのは公務員や大企業など上級市民だけで、貧しい人ほど医療費が高額負担です。

病院の警備員もダフ屋の仲間なので、ダフ屋のために交通整理している始末で、怒りが爆発した女子大生は怒鳴り始めたという顛末でした。


受付番号を貰う為に並ぶ人々


引用:http://images.shobserver.com/news/news/2016/1/29/8ffac186-c831-47b4-9c02-9a59de4740a1.jpg

福祉大国北欧の現実

患者が病院に取られる5400円や8万円は番号を貰うだけの費用で、診察代や薬代、医者への賄賂はもっと高い。

ある田舎の人が母親を病院に入院させ、そこまでは幸運だったのが、彼は医者や看護婦にも賄賂を渡すのを知らなかった。

彼の母親は病院で放置され、治療されること無くなくなった、というニュースが以前流れていました。


これは中国の事なのだが、実は福祉先進国で知られている北欧諸国も、似たような状況にあると言われています。

北欧では医療費は全て無料で、もちろん中国のように賄賂をとられたりはしません。

しかし無料の病院は当然赤字であり、国の負担が重く、多数の患者に対して少ししか存在しません。


無料で診察してもらうには最低でも2週間前に予約が必要なので、急な場合は役に立ちません。

そこで「有料の病院」が登場し、高額料金を支払うことで診察してもらっているという、本末転倒な事になっています。

日本以外の世界の医療の実態は、ほぼこんな物と考えて間違いなく、治療費が高いか、何週間も待たされるかどちらかです。


世界レベルで見ると日本の医療は、問題を抱えながらもうまく行っている方のようです。
http://www.thutmosev.com/archives/53878203.html  





▲△▽▼

2020年02月03日
武漢肺炎 中国というシステムが作り出した妖怪だった

武漢市は1月23日過ぎまで、被害を訴える人を「デマを流した」と逮捕し治療しなかった。

この1カ月半で爆発的に感染者が増え治療不可能になった

画像引用:https://d15-a.sdn.cz/d_15/c_img_F_O/7d1MVj.jpeg?fl=cro,98,0,1080,720%7Cres,1200,,1%7Cwebp,75

中国というウイルスの自壊作用だった

武漢発の新型コロナウイルスは相変わらず中国では爆発的に増加し、中国以外の国ではそれほどでもない。

武漢から帰国した日本人感染者は565人中8人で、これを武漢周辺地域に当てはめると1月31日に20万人の感染者がいた筈です。

だが中国政府が発表した武漢市の患者数は2月2日に5千人程度で、中国全体でも1万5千人にすぎない。


もしこの発表を信じると新型ウイルスは日本人にだけ1.4%の割合で感染し、中国人は0.04%しか感染しない。

この理由を医師や科学者は誰も説明できないが、中国政府が武漢の患者数を40分の1に発表しているとすれば合理的に説明できる、

中国以外での感染者数は26か国178人で、50万人超と推測される中国に対して大幅に少ない。


この理由は中国以外で発熱や感染した患者が適切な治療を受けたのに対し、中国は今も9割以上の感染者を放置しているからです。

感染者数を40分の1に偽っているということは、治療を受けている人は感染者の40人に1人に過ぎないのを意味します。

人口1100万人の武漢に医療設備が整った病院は5つしかなく、臨時に建設した病院を含めて7病院です。


一つの病院で受け入れ可能なのは500人から1000人、外来で1日に受け入れ可能なのもその程度でしょう。

すると中国政府や湖北省が全員を治療したいと考えても、感染者が増えると不可能だったのです。

中国政府は感染者が100人以内の時に情報を隠蔽し、患者を逮捕して刑務所に入れていました。


中国以外では拡大しない可能性

感染者数人の段階で適切な治療をしていたら、中国国内の患者数は諸外国と同じ数十人にとどまっていたでしょう。

中国は最初の感染者が出た19年12月初めには事態を把握していたが、治療どころか「デマを流した」と取り締まりました。

武漢市民は感染を訴えると逮捕されるので病院に行くどころか隠れてしまい、治療不可能になって感染者を増やした。


これが武漢ウイルスの真相で、おそらく新型ウイルスの感染力自体はそれほど強くなかったのかも知れません。

各国は感染者の入国を防止しようとしていて、アメリカとオーストラリアは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国を拒否した。

フィリピンは2月2日に中国以外で初の死者が出たのを受けて、中国からの入国を禁止するとしている。


タイの保健省は2月2日、重症の新型肺炎患者にインフルエンザ治療薬と抗エイズウイルス(HIV)薬を組み合わせて投与したところ、症状が急速に改善したと発表した。

71歳の重症患者に投与したところ、熱が下がり食欲が回復し、48時間以内にコロナウイルスが消えたという。 

HIVウイルスとコロナウイルスの類似性が数日前から指摘されていて、HIVウイルスが変化した物という説もある。


武漢ウイルスの発生源とされた武漢の海鮮市場だが、本当に発生源だったのが疑問視する声が上がっている。

イギリスの医学専門誌ランセットによると最初の感染者4人のうち3人は海鮮市場に行っておらず、行ったのは一人だけだった。

初期の感染者41人のうち華南海鮮市場に行ったのは27人だけで、市場を悪玉に仕立てたのも中国政府が責任を押し付けた可能性が高い。


中国政府はやっと感染防止に本腰

中国浙江省温州市で2月2日に外出禁止令が出され、住人は家の中や部屋から出るのを禁止された。

2日に1度、1家庭から1人に限り、食料品や日用品を買いに出掛けて良いが、仕事をするのも禁止。

医療機関や感染防止に関わる仕事以外は、全面的に外出禁止となり、事実上の戒厳令に等しい。


湖北省黄岡市も1月1日から同様の措置を取っていて、これには中国共産党の姿勢変化が影響している。

中国共産党は最初の感染者確認から1か月半も経った20年1月20日にやっと対応を指示したが、それまでは隠蔽を指示していた。

習近平批判に繋がらないよう、湖北省幹部が対応を遅らせたと批判し、地方役人に責任を負わせた。


中国ではこんな場合、地方役人が責任を否定すれば即逮捕され、一家全員山奥の収容所などに送られる。

武漢市のトップ、馬国強書記は2月1日にテレビで謝罪放送をし、「自分の対応遅れが被害を拡大させた」と話した。

これの真の意味は「責任を取って謝罪しないと習近平に処刑される」という事なのでしょう。


中国人民銀行は2月3日、1兆2000億人民元(18兆円)を春節明けに資金供給すると発表した。

中国では武漢や大連・上海など南部の都市で商店が休業し、消費経済に大打撃があると予想されている。

外国企業の撤退や工場の一時閉鎖も起きていて、企業の資金繰りを助けるためだと思われる。
http://www.thutmosev.com/archives/82115721.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c25

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
29. 中川隆[-13895] koaQ7Jey 2020年2月09日 13:06:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-558]
スキー場積雪ランキング 2020年2月9日更新
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

1ロッテアライリゾート
新潟 積雪量 386cm
2夏油高原
岩手 積雪量 350cm
3シャルマン火打
新潟 積雪量 310cm
4赤倉温泉
新潟 積雪量 295cm
5関温泉
新潟 積雪量 290cm
6キロロスノーワールド
道央 積雪量 270cm
7ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ
道央 積雪量 270cm
8森吉山阿仁
秋田 積雪量 265cm
9野沢温泉(やまびこゲレンデ)
長野 積雪量 260cm
10赤倉観光リゾート
新潟 積雪量 260cm
11かぐら
新潟 積雪量 250cm
12秋田八幡平
秋田 積雪量 250cm
13池の平温泉
新潟 積雪量 240cm
14湯殿山
山形 積雪量 240cm
15妙高スキーパーク
新潟 積雪量 230cm
16石打丸山
新潟 積雪量 230cm
17たんばらスキーパーク
群馬 積雪量 230cm
18八甲田
青森 積雪量 230cm
19サッポロテイネ
道央 積雪量 230cm
20安比高原
岩手 積雪量 225cm
21志賀高原 横手山・渋峠
長野 積雪量 220cm
22野沢温泉
長野 積雪量 220cm
23六日町八海山
新潟 積雪量 220cm
24谷川岳天神平
群馬 積雪量 220cm
25斑尾高原
長野 積雪量 215cm
26HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ
長野 積雪量 210cm
27HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜
長野 積雪量 210cm
28GALA湯沢
新潟 積雪量 210cm
29キューピットバレイ
新潟 積雪量 210cm
30川場
群馬 積雪量 210cm
31丸沼高原
群馬 積雪量 210cm
32富良野
道北 積雪量 207cm
33HAKUBA VALLEY 栂池高原
長野 積雪量 205cm
34HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク
長野 積雪量 200cm
35HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根
長野 積雪量 200cm
36ムイカスノーリゾート
新潟 積雪量 200cm
37札幌国際
道央 積雪量 200cm
38竜王スキーパーク
長野 積雪量 190cm
39舞子スノーリゾート
新潟 積雪量 190cm
40戸狩温泉
長野 積雪量 180cm
41天元台高原
山形 積雪量 180cm
42神立スノーリゾート
新潟 積雪量 175cm
43妙高 杉ノ原
新潟 積雪量 175cm
44ニセコアンヌプリ国際
道央 積雪量 175cm
45星野リゾート 猫魔
福島 積雪量 170cm
46松之山温泉
新潟 積雪量 160cm
47なかさと清津
新潟 積雪量 160cm
48グランデコスノーリゾート
福島 積雪量 160cm
49奥中山高原
岩手 積雪量 160cm
50さかえ倶楽部
長野 積雪量 150cm
51志賀高原 焼額山
長野 積雪量 150cm
52立山山麓(極楽坂・らいちょうバレー)
富山 積雪量 150cm
53ニュー・グリーンピア津南
新潟 積雪量 150cm
54上越国際
新潟 積雪量 150cm
55湯沢高原
新潟 積雪量 150cm
56八幡平リゾート パノラマスキー場&下倉スキー場
岩手 積雪量 150cm
57岩手高原スノーパーク
岩手 積雪量 150cm
58ルスツリゾート
道央 積雪量 150cm
59星野リゾート トマム
道北 積雪量 146cm
60雫石
岩手 積雪量 145cm
61音威富士
道北 積雪量 145cm
62HAKUBA VALLEY 白馬乗鞍温泉
長野 積雪量 140cm
63YAMABOKUワイルドスノーパーク
長野 積雪量 140cm
64志賀高原 熊の湯
長野 積雪量 140cm
65戸隠
長野 積雪量 140cm
66十日町市松代ファミリー
新潟 積雪量 140cm
67ホワイトワールド尾瀬岩鞍
群馬 積雪量 140cm
68NASPAスキーガーデン
新潟 積雪量 135cm
69開田高原マイア
長野 積雪量 130cm
70タングラムスキーサーカス
長野 積雪量 130cm
71湯沢パーク
新潟 積雪量 130cm
72黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル
山形 積雪量 130cm
73たざわ湖
秋田 積雪量 130cm
74サホロリゾート
道東 積雪量 130cm
75HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド
長野 積雪量 125cm
76ONTAKE2240
長野 積雪量 120cm
77志賀高原中央エリア 東館山
長野 積雪量 120cm
78Mt.乗鞍スノーリゾート のりくらエリア
長野 積雪量 120cm
79志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス
長野 積雪量 120cm
80奥志賀高原
長野 積雪量 120cm
81志賀高原中央エリア 発哺ブナ平
長野 積雪量 120cm
82黒姫高原スノーパーク
長野 積雪量 120cm
83志賀高原中央エリア 寺小屋
長野 積雪量 120cm
84志賀高原中央エリア ジャイアント
長野 積雪量 120cm
85白山千丈温泉セイモア
石川 積雪量 120cm
86IOX-AROSA
富山 積雪量 120cm
87シャトー塩沢
新潟 積雪量 120cm
88岩原
新潟 積雪量 120cm
89湯沢中里スノーリゾート
新潟 積雪量 120cm
90パルコール嬬恋スキーリゾート
群馬 積雪量 120cm
91スノーパーク尾瀬戸倉
群馬 積雪量 120cm
92万座温泉
群馬 積雪量 120cm
93鹿沢スノーエリア
群馬 積雪量 120cm
94ハンターマウンテン塩原
栃木 積雪量 120cm
95山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)
山形 積雪量 120cm
96Asahi自然観スノーパーク
山形 積雪量 120cm
97スノーウェーブパーク白鳥高原
岐阜 積雪量 110cm
98富士見パノラマリゾート
長野 積雪量 110cm
99たいら
富山 積雪量 110cm
100山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)
山形 積雪量 110cm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c29

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
175. 中川隆[-13894] koaQ7Jey 2020年2月09日 13:07:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-557]
スキー場積雪ランキング 2020年2月9日更新
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青森 積雪量 230cm
19サッポロテイネ
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20安比高原
岩手 積雪量 225cm
21志賀高原 横手山・渋峠
長野 積雪量 220cm
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長野 積雪量 220cm
23六日町八海山
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24谷川岳天神平
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51志賀高原 焼額山
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52立山山麓(極楽坂・らいちょうバレー)
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92万座温泉
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95山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)
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[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
98. 中川隆[-13893] koaQ7Jey 2020年2月09日 13:08:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-556]
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長野 積雪量 140cm
65戸隠
長野 積雪量 140cm
66十日町市松代ファミリー
新潟 積雪量 140cm
67ホワイトワールド尾瀬岩鞍
群馬 積雪量 140cm
68NASPAスキーガーデン
新潟 積雪量 135cm
69開田高原マイア
長野 積雪量 130cm
70タングラムスキーサーカス
長野 積雪量 130cm
71湯沢パーク
新潟 積雪量 130cm
72黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル
山形 積雪量 130cm
73たざわ湖
秋田 積雪量 130cm
74サホロリゾート
道東 積雪量 130cm
75HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド
長野 積雪量 125cm
76ONTAKE2240
長野 積雪量 120cm
77志賀高原中央エリア 東館山
長野 積雪量 120cm
78Mt.乗鞍スノーリゾート のりくらエリア
長野 積雪量 120cm
79志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス
長野 積雪量 120cm
80奥志賀高原
長野 積雪量 120cm
81志賀高原中央エリア 発哺ブナ平
長野 積雪量 120cm
82黒姫高原スノーパーク
長野 積雪量 120cm
83志賀高原中央エリア 寺小屋
長野 積雪量 120cm
84志賀高原中央エリア ジャイアント
長野 積雪量 120cm
85白山千丈温泉セイモア
石川 積雪量 120cm
86IOX-AROSA
富山 積雪量 120cm
87シャトー塩沢
新潟 積雪量 120cm
88岩原
新潟 積雪量 120cm
89湯沢中里スノーリゾート
新潟 積雪量 120cm
90パルコール嬬恋スキーリゾート
群馬 積雪量 120cm
91スノーパーク尾瀬戸倉
群馬 積雪量 120cm
92万座温泉
群馬 積雪量 120cm
93鹿沢スノーエリア
群馬 積雪量 120cm
94ハンターマウンテン塩原
栃木 積雪量 120cm
95山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)
山形 積雪量 120cm
96Asahi自然観スノーパーク
山形 積雪量 120cm
97スノーウェーブパーク白鳥高原
岐阜 積雪量 110cm
98富士見パノラマリゾート
長野 積雪量 110cm
99たいら
富山 積雪量 110cm
100山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)
山形 積雪量 110cm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c98

[近代史3] 国家を亡ぼす「狂った税制」 中川隆
6. 中川隆[-13892] koaQ7Jey 2020年2月09日 13:14:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-555]


2020年2月9日【三橋貴明】消費税による雇用不安低下


メルマガ「Vol559 消費税と雇用の不安定化」
で取り上げましたが、

https://www.mag2.com/m/P0007991.html

実は消費税増税には、

「消費に対する罰金を強化する」

形で、直接的に消費を抑制する効果に加え、
もう一つ、

企業の「正規雇用の非正規化」を促進し、
雇用を不安定化し、生産者の将来不安を
高めるという間接的な消費抑制効果も
あるのです。


消費税額は、

=(課税売上−課税仕入)×消費税率

で決定されます。
「課税仕入」には、正規社員の人件費は
入りません。

ところが、
正規社員を派遣社員や個人事業主とし、
派遣契約や業務委託契約を締結すると、
人件費が「課税仕入」になってしまうのです。

課税仕入が増えれば、その分、
消費税額は減ります。

消費税には、雇用の不安定化による
デフレ促進という効果もあるのです。

日本は消費に対する罰金であり、
雇用不安低下をもたらす消費税を増税し、
反対側で企業の支出意欲を削る法人税減税を
繰り返してきました。

我が国のデフレーションがこれほど長期化
したのは、実は「税制面」においても、
至極当然なのです。

日本の税制が進む方向は、消費税廃止と
法人税増税以外にはありません。
国民を豊かにする経済を望むならば。

◆メルマガ 週刊三橋貴明
Vol559 消費税と雇用の不安定化
http://www.mag2.com/m/P0007991.html

実は、消費税は企業に「正規社員を非正規雇用
(派遣やフリーランスなど)に切り替えたい」
というインセンティブを与えてしまうのです。
なぜ、日本で非正規雇用やフリーランスが
激増したのか。

消費税増税が主因の一つなのです。

https://38news.jp/economy/15332
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/730.html#c6

[近代史3] グスタフ・マーラー 『アダージェット』 中川隆
2. 中川隆[-13891] koaQ7Jey 2020年2月09日 13:58:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-554]

グスタフ・マーラー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)は、主にオーストリアのウィーンで活躍した作曲家・指揮者。
交響曲と歌曲の大家として知られる。

1860年 7月7日、父ベルンハルト・マーラー(Bernhard Mahler, 1827年 - 1889年)と母マリー・ヘルマン(Marie Hermann, 1837年 - 1889年)の間の第2子として、オーストリア帝国ボヘミア・イーグラウ(Iglau、現チェコのイフラヴァ Jihlava)近郊のカリシュト村(Kalischt、現チェコのカリシュチェ Kaliště)に生まれた。

夫妻の間には14人の子供が産まれている[注釈 1]。しかし半数の7名は幼少時に様々な病気で死亡し、第一子(長男)のイージドールも早世しており、グスタフはいわば長男として育てられた。そのなか心臓水腫に長期間苦しんだ弟エルンストは、少年期のグスタフにとって悲しい体験となった。グスタフは盲目のエルンストを愛し、彼が死去するまで数ヶ月間ベッドから離れずに世話をしたという[2]。

父ベルンハルトは強く精力的な人物だった。当初は荷馬車での運搬業(行商)を仕事にしており、馬車に乗りながらあらゆる本を読んでいたため、「御者台の学者」というあだ名で呼ばれていた[3]。独力で酒類製造業を開始し、ベルンハルトの蒸留所を家族は冗談で「工場」と呼んでいた。ユダヤ人に転居の自由が許されてから一家はイーグラウに移住し、そこでも同じ商売を始める。

当時のイーグラウにはキリスト教ドイツ人も多く住んでおり、民族的な対立は少なかった。事業を成功させたベルンハルトは「ユダヤ人会」の役員を務めるとともに、イーグラウ・ユダヤ人の「プチ・ブルジョワ」としてドイツ人と広く交流を持った。

グスタフをはじめとする子供たちへも同様に教育を施し、幼いグスタフはドイツ語を話し、地元キリスト教教会の少年合唱団員としてキリスト教の合唱音楽を歌っていた[4]。

息子グスタフの音楽的才能をいち早く信じ、より良い音楽教育を受けられるよう尽力したのもベルンハルトである。彼は強い出世欲を持ち、子供たちにもその夢を託した[5]。

母マリーもユダヤ人で、石鹸製造業者の娘だった。ベルンハルトとは20歳の時に結婚している。家柄はよかったが、心臓が悪く生まれつき片足が不自由であり、自分の望む結婚はできなかったという。アルマ・マーラーは「あきらめの心境でベルンハルトと愛のない結婚をし、結婚生活は初日から不幸であった[6]」と書き記している。その結婚自体は理想的な形で実現したとは言えないものの、夫妻の間には前述の通り多くの子供が生まれている。ただし身体の不自由なマリーは、教育熱心な夫ベルンハルトと違い母親としての理想的な教育を子供たちに施すことができなかった。グスタフは生涯この母親に対し「固定観念と言えるほど強い愛情」を持ち続けた[7]。

ベルンハルトの母(グスタフの祖母)も、行商を生業とする剛毅な人間だった。18歳の頃から大きな籠を背に売り歩いていた。晩年には、行商を規制したある法律に触れる事件を起こし、重刑を言い渡されたが、刑に服する気はなく、ただちにウィーンへ赴き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に直訴する。皇帝は彼女の体力と80歳という高齢に感動し、特赦した。グスタフ・マーラーの一徹な性格はこの祖母譲りだとアルマは語っている[8]。

成長と音楽家への歩み
本人の回想によれば、グスタフは4歳の頃、アコーディオンを巧みに演奏したとされる[9]。5歳の頃、母方の祖父母の家を訪問した際、姿を消し長時間捜索されるが、見つかった彼は屋根裏でピアノをいじっていた。その時に父ベルンハルトはグスタフが音楽家に向いていることを確信したという[10]。

1869年(9歳)にイーグラウのギムナジウムに入学。
10歳となった1870年10月13日には、イーグラウ市立劇場での音楽会にピアニストとして出演した。ただし曲目は不明である[11]。

1871年(11歳)にはプラハのギムナジウムに移り[注釈 3]、この時期様々な文学にも親しんだ。

1872年(12歳)、イーグラウに帰郷。ギムナジウムの式典ホールでピアノ演奏を行った[12][注釈 4]。

1875年(15歳)、ウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学。
ピアノをユリウス・エプシュタインに、和声学をロベルト・フックスに、対位法と作曲をフランツ・クレンに学んだ[13]。この年に弟エルンストが死去する。

1876年(16歳)にはピアノ四重奏曲を作曲。またウィーン楽友協会音楽院でフランツ・シューベルトのピアノ・ソナタ演奏によりピアノ演奏部門一等賞を、ピアノ曲で作曲部門一等賞を受賞した[14]。

1877年(17歳)、ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの和声学の講義を受け、2人の間に深い交流が始まる。

1878年(18歳)、作曲賞を受け、7月11日に卒業。
1883年9月(23歳)、カッセル王立劇場の楽長(カペルマイスター)となる。
1884年(23歳)、ハンス・フォン・ビューローに弟子入りを希望したが受け入れられなかった。しかし6月、音楽祭でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『第9交響曲』とフェリックス・メンデルスゾーンの『聖パウロ』を指揮して、指揮者として成功を果たす。

1885年1月(24歳)、『さすらう若者の歌』を完成。
プラハのドイツ劇場の楽長に就任。しかしこの年、生活は窮乏を極めた。

1886年8月(26歳)、ライプツィヒ歌劇場で楽長となる。この年『子供の不思議な角笛』作曲。


指揮者・交響曲作曲家としての活躍

1888年(28歳)、『交響曲第1番ニ長調』の第1稿が完成。
10月、ブダペスト王立歌劇場の芸術監督となる。

1889年1月(28歳)、リヒャルト・ワーグナーの『ラインの黄金』と『ワルキューレ』のカットのない初演をして模範的演奏として高い評価を得た。しかしこの年、2月に父を、10月に母と、続けざまに両親を失っている。

1891年4月(30歳)、ハンブルク歌劇場の第一楽長となる。

1892年1月19日(31歳)、ハンブルク市立劇場で行われたピョートル・チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』のドイツ初演を指揮。

1894年12月18日(34歳)、『交響曲第2番ハ短調』が完成。

1895年2月6日(34歳)、弟オットーが21歳で自殺。12月13日(35歳)、『交響曲第2番ハ短調』全曲初演。

1896年(36歳)、シュタインバッハ(ザルツカンマーグートのアッター湖近く)にて『交響曲第3番ニ短調』を書く。

1897年春(36歳)、結婚などのためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗。
5月、ウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)第一楽長に任命され、10月(37歳)に芸術監督となった。
1898年(38歳)にはウィーン・フィルハーモニーの指揮者となる。

1899年、南オーストリア・ヴェルター湖岸のマイアーニック(ドイツ語版)(Maiernigg)に作曲のための山荘(別荘)を建て『交響曲第4番ト長調』に着手(翌年に完成)。
1901年4月(40歳)、ウィーンの聴衆や評論家との折り合いが悪化し、ウィーン・フィルの指揮者を辞任(ウィーン宮廷歌劇場の職は継続)。

12月(41歳)、「私の音楽を君自身の音楽と考えることは不可能でしょうか。二人の作曲家の結婚をどう考えますか[15]」と結婚前のアルマ・シントラーに作曲をやめるように申し出、彼女はその後作曲の筆を折った。
なお、アルマはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーに作曲を習い14曲の歌曲を残しており、これはウニヴェルザール出版社より出版されている。

1902年3月(41歳)、当時23歳のアルマと結婚。2人とも初婚だった。

夏にマイアーニックの山荘で『交響曲第5番嬰ハ短調』が完成。
10月(42歳)、長女マリア・アンナ(愛称プッツィ)が誕生する。
1903年には、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から第三等鉄十字勲章を授与された。この年、次女アンナ・ユスティーネ(愛称グッキー)も生まれた。

1904年4月、シェーンベルクとツェムリンスキーはウィーンに「創造的音楽家協会」を設立しマーラーを名誉会長とした。

夏にマイアーニックの山荘で『交響曲第6番イ短調』を書き上げ、『交響曲第7番ホ短調』の2つの「夜曲」を作曲。

1905年夏(45歳)にはマイアーニックの作曲小屋で残りの第1楽章・第3楽章・第5楽章を作曲して7番も完成に至った。


晩年と死

1907年(47歳)、長女マリア・アンナがジフテリアで亡くなり、マーラー自身も心臓病と診断された。
12月、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場から招かれ渡米し、『交響曲第8番変ホ長調』を完成。しかし翌1908年5月にはウィーンへ戻る。

トーブラッハ(当時オーストリア領・現在のドロミテ・アルプス北ドッビアーコ)にて『大地の歌』を仕上げる。秋に再度渡米。

1909年(49歳)、ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者となる。
春、ヨーロッパに帰る。
夏にトーブラッハで『交響曲第9番ニ長調』に着手し、約2カ月で完成させた。10月、再び渡米。

1910年4月(49歳)、ヨーロッパに帰る。この際クロード・ドビュッシーやポール・デュカスと会う。
8月(50歳)、自ら精神分析医ジークムント・フロイトの診察を受ける。
18歳年下の妻が自分のそばにいることを一晩中確認せざるを得ない強迫症状と、崇高な旋律を作曲している最中に通俗的な音楽が浮かび、心が掻き乱されるという神経症状に悩まされていたが、フロイトによりそれが幼児体験によるものであるとの診断を受け、劇的な改善をみた。ここへきてようやく、アルマへ彼女の作品出版を勧める。

9月12日にはミュンヘンで『交響曲第8番』を自らの指揮で初演し、成功を収めた。

1911年2月(50歳)、アメリカで感染性心内膜炎と診断され、病躯をおしてウィーンに戻る。

5月18日、51歳の誕生日の6週間前に敗血症で死去。暴風雨の夜だった。
最期の言葉は「モーツァルトル(Mozarterl)![16][注釈 5]」だった。

長女マリア・アンナと同じ、ウィーンのグリンツィング墓地に埋葬された。
「私の墓を訪ねてくれる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」
というマーラー自身の考えを反映し、墓石には「GUSTAV MAHLER」という文字以外、生没年を含め何も刻まれていない[17][18]。

人物

出自に関して、後年マーラーは

「私は三重の意味で故郷がない人間だ。
オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」

と語っている[19][注釈 6]。

マーラーは指揮者として高い地位を築いたにもかかわらず、作曲家としてはウィーンで評価されず[注釈 7]、その(完成された)交響曲は10曲中7曲(第1番を現存版で考えると8曲)が、オーストリア人にとっては既に外国となっていたドイツで初演されている。マーラーにとって「アウトサイダー(部外者)」としての意識は生涯消えなかったとされ、最晩年には、ニューヨークでドイツ人ジャーナリストに「なに人か」と問われ、そのジャーナリストの期待する答えである「ドイツ人」とは全く別に「私はボヘミアンです(Ich bin ein Böhme.)」と答えている[20][21][注釈 8]。

酒造業者の息子として育ったマーラーは、「シュパーテンブロイ」という銘柄の黒ビールが好物だった[22]。しかし本人はあまり酒に強くなかった[23]。

アマチュアリズムを大いに好んだとされ、チャールズ・アイヴズの交響曲第3番を褒めちぎったのは、「彼もアマチュアだから」という理由が主なものだったと言われている。

マーラーは自身と同じユダヤ系の音楽家であるブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーらに大きな影響を与えている。特にワルターはマーラーに心酔し、音楽面だけでなく友人としてもマーラーを積極的に補佐した。

クレンペラーはマーラーの推薦により指揮者としてのキャリアを開始でき[24][25]、そのことについて後年までマーラーに感謝していた[26][注釈 9]。

そのほか、オスカー・フリートやウィレム・メンゲルベルクなど当時の一流指揮者もマーラーと交流し、強い影響を受けている。なかでも非ユダヤ系のメンゲルベルクは、マーラーから「私の作品を安心して任せられるほど信用できる人間は他にいない」との言葉を得るほど高く評価されていた。メンゲルベルクはマーラーの死後、遺された作品の紹介に努めており、1920年の5月には6日から21日にかけてマーラーの管弦楽作品の全曲を演奏した[27]。

一方、マーラーはその一徹な性格から周囲の反発を買うことも多かった。
楽団員からはマーラーの高圧的な態度(リハーサルで我慢できなくなったときに床を足で踏み鳴らす、音程の悪い団員やアインザッツが揃わない時、当人に向かって指揮棒を突き出す、など)が嫌われた。

当時の反ユダヤ主義の隆盛とともにマーラーに対する態度は日々硬化しており、ある日、ヴァイオリン奏者の一人が「マーラーがなぜあんなに怒っているのか全く理解できない。ハンス・リヒターもひどいものだがね」と言ったところ、別の者が「そうだね。だけどリヒターは同じ仲間だ[注釈 10]。マーラーには仕返ししてやるぜ」と言った[28]。

当時のウィーンの音楽ジャーナリズムからも反ユダヤ主義にもとづく不当な攻撃を受けており、これらはマーラーがヨーロッパを脱出した大きな要因である。

なおマーラーの「敵を作りやすい性格」については、クレンペラーがブダペスト放送での談話(1948年11月2日)にて以下の通り擁護している[29]。

“マーラーは大変に活動的な、明るい天性を持っていました。自分の責務を果たさない人間に対してのみ、激怒せざるを得ませんでした。マーラーは暴君ではなく、むしろ非常に親切でした。若く貧しい芸術家やウィーン宮廷歌劇場への様々な寄付がそれを証明しています”

加えてクレンペラーは1951年にも「朗らかでエネルギッシュであったマーラーは、無名の人間には極めて寛大であり助けを惜しまなかったが、思い上がった人間には冷淡だった」「マーラーは真っ暗闇でも、その存在で周囲を明るく照らした」と述べ[30]、マーラーの死後に広まった一面的マーラー観(死の恐れに取り憑かれ、世界の苦を一身に背負い…など)を否定している。

マーラーの死後、評論家たちはマーラーのヨーロッパ脱出を「文化の悲劇」と呼んだ[31]。
しばしば引き合いに出される「やがて私の時代が来る」というマーラーの言葉は、1902年2月のアルマ宛書簡で、リヒャルト・シュトラウスのことに触れた際に登場している。以下がその一文である[32][33]。

“彼の時代は終わり、私の時代が来るのです。それまで私が君のそばで生きていられたらよいが!だが君は、私の光よ!君はきっと生きてその日にめぐりあえるでしょう!”

指揮者として

カリカチュア『超モダンな指揮者』(ハンス・シュリースマン作)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー#/media/ファイル:Mahler_conducting_caricature.jpg

マーラーは、当時の楽壇の頂点に登り詰めたトップ指揮者だった。
音楽性以上に徹底した完全主義、緩急自在なテンポ変化、激しい身振りと小節線に囚われない草書的な指揮法は、カリカチュア化されるほどの強い衝撃を当時の人々に与えている。

その代表的なカリカチュアである『超モダンな指揮者』(Ein hypermoderner Dirigent)には、1901年ウィーン初期の頃の、激しい運動を伴ったマーラーの指揮姿が描かれている。
なおその指揮ぶりは次第に穏やかなものとなり、晩年、医師から心臓疾患を宣告されてからは「ほとんど不気味で静かな絵画のようだった」(ワルターによる証言)と変化した[34]。

マーラーの指揮者としての名声は早くから高まっており、1890年12月にブダペストで上演された『ドン・ジョヴァンニ』を聴いたヨハネス・ブラームスは、「本物のドン・ジョヴァンニを聴くにはブダペストに行かねばならない」と語ったという[35]。

マーラーは演奏する曲に対して譜面に手を入れることが多く、アルトゥーロ・トスカニーニはマーラーがメトロポリタン歌劇場を去ったのち、手書き修正が入ったこれら譜面を見て「マーラーの奴、恥を知れ!(Shame on a man like Mahler!)」と、憤慨したという逸話が残っている[36][注釈 11]。

もっとも、ロベルト・シューマンの『交響曲第2番』『交響曲第3番』の演奏では、トスカニーニはマーラーによるオーケストレーションの変更を多く採用している。

オーケストラ演奏の録音は技術が未発達の時代であり残っていないが、交響曲第4番・5番や歌曲を自ら弾いたピアノロール(最近はスコアの強弱の処理も可能で原典に近い形に復刻されている)、および唯一ピアノ曲の録音(信憑性に問題がある)が残されている。

指揮についてマーラーの言葉が、いくつか残されている[37]。

“全ての音の長さが正確に出せるなら、そのテンポは正しい”

“音が前後互いに重なり、フレーズが理解できなくなるとしたら、そのテンポは速過ぎる”

“識別できる極限のところがプレストの正しいテンポである。それを超えたらもはや無意味である”

“聴衆がアダージョについてこられない時は、テンポを速くするのではなく、逆に遅くせよ”

マーラーは指揮者として多くの改革を実行し、それは現代にも引き継がれている。
ブダペスト王立歌劇場時代、マーラーは聴衆の理解のため、ハンガリー語で統一したワーグナーを上演した[38]。当時、オペラ歌手は容貌(舞台映え)がなにより重視されており、上演時にはそれら外部のスター歌手が起用されていた。そのためそれらスターが歌うことの出来る言語が優先され、ひとつのオペラ公演時に複数の言語が混じることすらあった。
マーラーは聴衆の理解と歌手の実力を重視し、既存のスターではなく若い歌手を次々起用し歌劇場を活性化させている。

ウィーン宮廷歌劇場では、マーラーはさくらを廃止し、ワーグナー・オペラを完全な形で上演した[39]。当時は劇場から雇われた人間が客席に陣取り、やらせの拍手やブラヴォーをし、長大なワーグナー作品はカットされることが常だったのである。


ブルックナーとの関係
ウィーンを中心に活動した交響曲作曲家の先輩として36歳年上のアントン・ブルックナーがおり、マーラーはブルックナーとも深く交流を持っている。
17歳でウィーン大学に籍を置いたマーラーは、ブルックナーによる和声学の講義を受けている(前出)。同年マーラーは『ブルックナーの交響曲第3番』(第2稿)の初演を聴き、感動の言葉をブルックナーに伝えた(なお演奏会自体は失敗だった)。その言葉に感激したブルックナーは、この曲の4手ピアノ版への編曲をわずか17歳のマーラーに依頼した。これはのちに出版されている[40]。

ブルックナーとマーラーは、その作曲哲学や思想、また年齢にも大きな隔たりがあり、マーラー自身も「私はブルックナーの弟子だったことはない」と述懐しているが[41]、その友好関係は途絶えていない。アルマは「マーラーのブルックナーに対する敬愛の念は、生涯変わらなかった」と記している[42]。ブルックナーの死後でありマーラー自身の最晩年でもある1910年には、ブルックナーの交響曲を出版しようとしたウニヴェルザール出版社のためにマーラーがその費用を肩代わりし、自身に支払われるはずだった多額の印税を放棄している[43]。

シェーンベルクとの関係
マーラーは14歳年下であるアルノルト・シェーンベルクの才能を高く評価し、また深い友好関係を築いた。
彼の『弦楽四重奏曲第1番』と『室内交響曲第1番ホ長調』の初演にマーラーは共に出向いている。

前者の演奏会では最前列で野次を飛ばすひとりの男に向かい「野次っている奴のツラを拝ませてもらうぞ!」と言った。この際は相手から殴りつけられそうになったものの、マーラーに同行していたカール・モル(英語版)が男を押さえ込んだ[注釈 12]。
男は「マーラーの時にも野次ってやるからな!」と捨て台詞を吐いた[44][45]。後者の演奏会では、演奏中これ見よがしに音を立てながら席を立つ聴衆を「静かにしろ!」と一喝し、演奏が終わってのブーイングの中、ほかの聴衆がいなくなるまで決然と拍手をし続けた。この演奏会から帰宅したマーラーは、アルマに対しこう語った[46][47][48]。

「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」

シェーンベルクの側でも、当初はマーラーの音楽を嫌っていたものの、のちに意見を変え「マーラーの徒」と自らを称している[49]。1910年8月には、かつて反発していたことを謝罪し、マーラーのウィーン楽壇復帰を熱望する内容の書簡を連続して送っている[50]。

ある夜、マーラーがシェーンベルクとツェムリンスキーを自宅に招いたとき、音楽論を戦わせているうち口論となった。反発するシェーンベルクに怒ったマーラーは「こんな生意気な小僧は二度と呼ぶな!」とアルマに言い、シェーンベルクとツェムリンスキーはマーラー宅を「もうこんな家に来るものか!」と出て行った。だが、数週間後にマーラーは「あのアイゼレとバイゼレ(二人のあだ名)は、なぜ顔を見せないのだろう?」とアルマに尋ねるのだった[51]。

作品

マーラーは、ポリフォニーについて独自の考えを持っていた。以下は、マーラー自身による結論である[52]。

“諸主題というものは、全く異なる方向から出現しなければならない。そしてこれらの主題は、リズムの性格も旋律の性格も全く違ったものでなければならない。音楽のポリフォニーと自然のポリフォニーとの唯一の違いは、芸術家がそれらに秩序と統一を与えて、ひとつの調和に満ちた全体を造り上げることだ”


マーラーの交響曲は大規模なものが多く、声楽パートを伴うことが多い。

第1番には、歌曲集『さすらう若人の歌』と『嘆きの歌』、
第2番は歌曲集『少年の魔法の角笛』と『嘆きの歌』の素材が使用されている。

第3番は『若き日の歌』から、
第4番は歌詞が『少年の魔法の角笛』から音楽の素材は第3番から来ている。
また、『嘆きの歌』は交響的であるが交響曲の記載がなく『大地の歌』は大規模な管弦楽伴奏歌曲だが、作曲者により交響曲と題されていても、出版されたスコアにはその記載がない。

楽器に関し、マーラーはカウベル、鞭、チェレスタ、マンドリン、鉄琴や木琴など、当時としては使用されることが珍しかったものを多く採用した。中でも交響曲第6番で採用した大型のハンマーは、人々の度肝を抜いた[53]。1907年1月に描かれたカリカチュア『悲劇的交響曲(Tragische Sinfonie)』では、奇妙な楽器群の前で頭を抱えたマーラーが描かれている。「しまった、警笛を忘れていた!しかしこれで交響曲をもうひとつ書けるぞ!」(英語版参照)

歌曲も、管弦楽伴奏を伴うものが多いことが特徴となっているが、この作曲家においては交響曲と歌曲の境がはっきりしないのも特徴である。なお現代作曲家のルチアーノ・ベリオは、ピアノ伴奏のままの『若き日の歌』のオーケストレーション化を試みている。

多くの作品において、調性的統一よりも曲の経過と共に調性を変化させて最終的に遠隔調へ至らせる手法(発展的調性または徘徊性調性:5番・7番・9番など)が見られる。
また、晩年になるにつれ次第に多調・無調的要素が大きくなっていった。
作品の演奏が頻繁に行われるようになったのは1970年代からだが、これは現代音楽において「新ロマン主義」とも呼ばれる調性復権の流れが現れた時期であり[54]、前衛の停滞とともに「多層的」な音響構造の先駆者としてマーラーやアイヴズ、ベルクなどが再評価された[55]。

現在、マーラーの交響曲作品はその規模の大きさや複雑さにも関わらず世界中のオーケストラにより頻繁に演奏される。その理由について、ゲオルク・ショルティはこう述べている[56]。
“マーラーが偶像視されるようになったのは偶然ではない。演奏の質に関わらず、マーラーの交響曲ならコンサートホールは必ず満員になる。現代の聴衆をこれほど惹きつけるのは、その音楽に不安、愛、苦悩、恐れ、混沌といった現代社会の特徴が現れているからだろう”


主要作品

自作の交響曲第1番を指揮するマーラーを描いたカリカチュア(テオ・ツァッシェ作)マーラーの勇猛な指揮ぶりと型破りな作品が共に皮肉られている
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー#/media/ファイル:Zasche-Theo_Gustav-Mahler-1906.jpg

オットー・ベーラー(英語版)による影絵
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー#/media/ファイル:Gustav_Mahler_silhouette_Otto_Böhler.jpg

詳細は「グスタフ・マーラーの作品一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラーの作品一覧


交響曲・管弦楽曲

交響曲第1番ニ長調(1884-88) - ジャン・パウルの小説に由来する副題『巨人』は、最終的にマーラー自身により削除されている。

交響曲第2番ハ短調(1888-94) - 独唱(ソプラノ、アルト)と合唱を伴う。広く知られる副題『復活』は、マーラーによって付けられたものではない。

交響曲第3番ニ短調(1893-96) - 独唱(コントラルト)、合唱と少年合唱を伴う。

交響曲第4番ト長調(1899-1900) - 独唱(ソプラノ)付。独唱は終曲である第4楽章で歌われる。

交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02) - マーラー絶頂期の作品。

交響曲第6番イ短調(1903-04) - 広く知られる副題『悲劇的』は、マーラーによって付けられたものか不明。中間楽章の配置(演奏順)には、今なお議論がある。

交響曲第7番ホ短調(1904-05) - 第2、第4楽章『夜曲(Nachtmusik)』に由来する『夜の歌(Lied der Nacht)』という通称は、後世のものであり、マーラーおよび作品には無関係である[57]。

交響曲第8番変ホ長調(1906) - 独唱(各8声部)、2群の合唱、少年合唱付と大オーケストラのための。『千人の交響曲』という名でも知られるが、これは初演時の興行主であるエミール・グートマンが話題づくりのために付けたものであり、マーラー自身はこの呼び名を認めていない[58]。

交響曲イ短調『大地の歌』(1908) - 独唱(テノール、コントラルトまたはバリトン)付、最後の歌曲としての分類もある。

交響曲第9番ニ長調(1909)

交響曲第10番嬰ヘ長調(1910) - 未完成。デリック・クックらによる補作(完成版)あり。

声楽曲

カンタータ『嘆きの歌』(Das klagende Lied, 1878-80)
歌曲集『若き日の歌』(Lieder und Gesänge, 1880-91) - 全3集14曲
歌曲集『さすらう若者の歌』(Lieder eines fahrenden Gesellen, 1883-85) - 全4曲
歌曲集『少年の魔法の角笛』(Des Knaben Wunderhorn, 1892-98) - 全12曲
リュッケルトの詩による5つの歌(Rückert-Lieder, 1901-03) - 全5曲
歌曲集『亡き子をしのぶ歌』(Kindertotenlieder, 1901-04) - 全5曲


その他の作品
ピアノ四重奏曲断章 イ短調(1876) - ウィーン音楽院に在籍していた頃の室内楽曲。1973年に再発見されている。
交響的前奏曲ハ短調(1876頃) - 偽作とみなされることが多い。ブルックナーの管弦楽曲・吹奏楽曲も参照のこと。
交響詩『葬礼』(Todtenfeier, 1891) - 本来、交響曲第2番の第1楽章の初稿である。
花の章(Blumine, 1884-88) - 本来、交響曲第1番の第2楽章として作曲されたが、1896年の改訂で削除された。


オペラ
以下の3曲のオペラはいずれも完成されず、そのまま破棄(もしくは紛失)している。

『シュヴァーベン候エルンスト』(Herzog Ernst von Schwaben, 1875-78)
『アルゴー船の人々』(Die Argonauten, 1878-80)
『リューベツァール』(Rübezahl, 1879-83)


編曲作品

ウェーバー:オペラ『3人のピント』の補筆
原曲は1820年から21年にかけて作曲されたが未完成に終わったため、作曲者の孫にあたるカール・フォン・ウェーバーがマーラー(当時26歳)に補筆を依頼し、1887年に完成された。補筆版の初演は1888年にライプツィヒの市立歌劇場でマーラーの指揮により行われている。

ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調『ワーグナー』
1878年に原曲を4手ピアノ用に編曲したもの。

ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55『英雄』・第5番 ハ短調 作品67『運命』・第7番 イ長調 作品92・第9番 ニ短調 作品125『合唱付き』
交響曲第9番の第1楽章や第3楽章にトロンボーンを取り入れている。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番『セリオーソ』
原曲を弦楽合奏版にしたもの。

シューベルト:交響曲第8番ハ長調『ザ・グレート』 D944
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番『死と乙女』
原曲を弦楽合奏版にしたもの。

シューマン:交響曲全曲
近年ではリッカルド・シャイーがこの編曲版を全曲録音している。

J.S.バッハ:管弦楽組曲(1909年)
原曲の第2番と第3番のなかから5曲を選び、新しい組曲の形式へと編曲したもの。
楽団


映画(マーラーを扱った作品)

『マーラー』 - 1974年、ケン・ラッセル監督の映画。
クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』 - マーラーをモデルとした人物が描かれているとされる。

トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』 - 主人公(グスタフ・フォン・アッシェンバッハ Gustav von Aschenbach)は、マーラーにインスピレーションを得て創作された人物とされている。
『ベニスに死す』 - 上記小説の映画化。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。原作での小説家という設定は作曲家に変更されて更にマーラーを思わせるものになっただけでなく、マーラーの交響曲第5番の第4楽章(および交響曲第3番の第4楽章)が映画音楽として使われた。さらに劇中、原作にはない「アルフレッド」という名のシェーンベルクを思わせる人物を登場させ、主人公と音楽論を戦わせるシーンを用意している。

同じくマンの小説『ファウストゥス博士』 - 主人公(アドリアン・レーヴァーキューン Adrian Leverkühn)が作曲家に設定されており、こちらもマーラーを想定しているとされている。

サントリーローヤル テレビCM(1986年)

『Bride of the Wind』 - 2001年、ブルース・ベレスフォード監督の映画(日本未公開)。『Bride of the Wind』(風の花嫁)は、アルマ未亡人の恋人になった画家、オスカー・ココシュカの代表作(1914年)のタイトルでもある。

『グスタフ・マーラー 時を越える旅』(Gustav Mahler - Sterben werd'ich um zu leben) - 1987年、ヴォルフガング・レゾウスキー監督のオーストリア・西ドイツ合作映画(原題は交響曲第2番終楽章の歌詞「私は生きるために死のう」にもとづく)

『マーラー 君に捧げるアダージョ』 - 2010年、パーシー・アドロン、フェリックス・アドロン監督のドイツ・オーストリア合作映画

『Requiem in Vienna』 - 2010年、J・シドニー・ジョーンズ(J. Sydney Jones)作のウィーンを舞台にしたミステリー・シリーズの第2作。- ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督グスタフ・マーラーの命を狙う事件が続発し……。

『The Premiere: A Case of the Ridiculous and the Sublime』- 2012年、スティーヴン・リース(Stephen Lees)作の小説。1910年、交響曲第8番のロンドン初演をめぐる物語。語り手はマーラーの友人のフリードリヒ・レーア。

ジェイソン・スター(en:Jason_Starr_(filmmaker))監督がマーラー作品にまつわる映画(What the Universe Tells Me: Unraveling the Mysteries of Mahler's Third Symphony; Of Love, Death and Beyond – Exploring Mahler's "Resurrection" Symphony; Everywhere and Forever – Mahler's Song of the Earth)、

マーラー研究家のアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記映画 (For the Love of Mahler: The Inspired Life of Henry-Louis de la Grange)、

さらにマーラー作品のコンサート映像をいくつか製作している。


https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html#c2

[近代史3] グスタフ・マーラー 『アダージェット』 中川隆
3. 中川隆[-13890] koaQ7Jey 2020年2月09日 14:04:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-553]

クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/マーラー

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860 - 1911)

厭世的、世紀末的で、独特の時間感覚を感じる巨大な交響曲と、独特の絹の肌触りのような滑らかな音使いが特徴の歌曲を書いた。あまり品がいい音楽では無いし冗長さや支離滅裂さもあるが、音楽の可能性を遥かに大きく広げた。

交響曲・管弦楽曲

交響曲第1番ニ長調「巨人」
3.5点

1楽章の冒頭のフラジオレットが印象的。自然の描写など、メロディーや楽想に新鮮な魅力がある。2楽章は非常に分かりやすく、個性は発揮しているもののまだ普通の作曲家らしい印象。3楽章は有名な民謡を使い素朴な味を演出する曲。後のマーラーからは聞けない世界。4楽章は後年の多層性を連想する複雑な音の使い方など、多くの要素を盛り込み詰め込んだ野心的な力作。最後のトランペットによる英雄的なフレーズは心踊る。

全体に聞きやすく分かりやすく、メロディーがかなり魅力的。若々しい新鮮さも魅力。曲が短いので聞くのが楽など、いい点が沢山ある。まだ成熟しきっていない音の薄さやまとまりがあるが、むしろそれが青年らしい魅力になっている。冗長な部分はあるが、曲が長くないので苦にならず、集中力をもって聞ける。ただ、この次作からのお腹いっぱいになる感じはこの曲の場合は薄い。

交響曲第2番ハ短調「復活」- 独唱(ソプラノ、コントラルト)、合唱付
4.0点

単純で明快な和声と分かりやすい構成で、後年の複雑な音楽とはかなり異なる。叙情的でスケールの大きな音の絵巻物にゆったりと安心して浸れる。一方で単純ゆえの音楽の刺激の少なさや、4楽章の作り物っぽいわざとらしい大仕掛けには、まだ未熟という印象を持ってしまう面もある。とはいえ、瑞々しく下品でない叙情性と物語性と声楽の優秀さと最後の感動は大きな魅力がある。曲は長いが他の普通のロマン派に近い聞き方が出来る。

交響曲第3番ニ短調 - 独唱(コントラルト)、合唱、少年合唱付
4.0点

1楽章は30分オーバーの大作で、ブルックナー的な壮大さによる自由な自然賛歌。明るくて大らかで夢のように幻想的な、多くの素材がごった返す愉しい曲である。長いが聴きやすい。2楽章は1楽章と雰囲気が似ており、よりメルヘンチックで柔らかい。3楽章は薄暗くなった夜の精が戯れるのを連想させる遅めの曲。曲想は良いが間延びし過ぎ。4楽章はしっとりした歌曲で雰囲気がよい。5楽章はクリスマスみたいな小品。6楽章の前半の弦楽合奏は感動的でかなりの聞き物で非常に素晴らしい。後半はオルガン的な持続音の効果で感動的に盛り上げて締めくくる。非常に長い曲だが気力が充実している時に聴けばかなり楽しめる。全体に2番よりも精神も技術も成熟しており、明るい曲調なので気楽に聴ける。ただ、ここまで長いと1度に集中して聞くのはやはり困難。

交響曲第4番ト長調 - 独唱(ソプラノ)付
3.5点

1楽章は牧歌的でメルヘンチック。簡素な書法でたまに多義性を垣間見せるものの、全般に聞きやすい。2楽章のスケルツォは雰囲気は悪くないがインパクトに欠けるのであまり印象に残らない。3楽章の緩徐楽章は、美しくしなやかで、ゆったりした時間の流れの中で刻々と雰囲気が移り変わっていく様子が楽しい。夕焼けから夜に移っていく大自然のようなゆっくりとした時間である。4楽章は天上的な世界の不思議な雰囲気だが、交響曲の締めくくりとしてはあまり効果的でない気がする。

全体に、楽曲の規模の小ささに比例ではなくそれ以下の小さな世界が構築されており、聞きやすいしインパクトに欠ける。前後の巨大な交響曲群は1つの映画のような規模感だが、この曲は映画をクライマックスを削除して半分位にまとめたイメージ。美しさなどこの曲独特の価値はあるのだが、3楽章以外は真骨頂が現れていると言いにくい。

交響曲第5番嬰ハ短調
4.0点

1楽章はマーラーには珍しい少ない動機の徹底的な展開でかなり分かりやすい。動機の提示もトランペットの独奏で分かりやすくて印象的。2楽章は1楽章をもう少し複雑でカオス的で闘争的な方向に持っていった曲で、複雑過ぎて印象はやや薄まるが、内容はかなり濃い。

3楽章はお得意のメルヘンチックな音楽で始まるが、刻々と雰囲気を変えていき、2楽章同様にやはりかなり内容が濃い。しかし冗長なので後半は聞いていて疲れてくる。

4楽章のアダージェットは有名だが、世界が凍ったようにゆったりした時間と透明な水色のような透き通った世界は非常に素敵。このような世紀末的な破滅をはらんだ美しさをたたえた曲はそれまで無かったのではと思う。

5楽章の牧歌的に始まり、対位法的な活気のある明るい陽のあたるような世界も素晴らしい。喜ばしい気分は心地よいものだが、長さのバランスを取るためか冗長な部分がある。

全体に、チャイコフスキーなどを連想するような、普通の後期ロマン派らしい音による説得方法を見せており、偏りが少なくバランスが良い。また、闘争から勝利へのテーマと流れが分かりやすい。肥大化した音楽ではあるが、まとまりは良い。多層性は、まだここぞという場面のみで出るため、効果的に使われている。聞きやすく内容も濃いので高く評価出来るが、一方で正統派過ぎるゆえに、他の大作曲家と比較して密度や偏りの点である種の物足りなさがある。また、隙間を埋めているだけのような冗長さを感じる場面があるのが残念。


交響曲第6番イ短調「悲劇的」
3.5点

1楽章は長いが緊密である。悲劇的で大仰な激しい起伏を楽しむ曲。2楽章のスケルツォ(3楽章と逆の場合も)は、トリオが聞きやすいのに不安定で、主部は1楽章同様に騒々しい。3楽章は牧歌的であり、中間の夜の世界や最後の盛り上がりは素敵。2楽章までの疲れを癒せる。4楽章は初めは素晴らしいのだが、段々わけの分からないカオスになる。全編の半分以上は混乱したカオスである。とはいえこの楽章が一番優れているだろう。最後はまさに悲劇的。全体に打楽器が活躍し、管楽器の使い方が激しくて、大変に騒々しい。音に説得力があり過ぎで疲れるし、気合いが入りすぎで大人げない。

ただ、豊富な楽器数と大仰な劇的さを大作を通して貫いた創作意欲は敬服する。既存の管弦楽の限界を突き破ってる。間延びした部分は少なく、ギッシリと音を詰め込んでいる。音楽の多義的で多層的な音作りは7番ほどのやり過ぎにはまだ至っていないので、聞きにくくは無い。

交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
3.0点

1楽章はヒステリックな高音の弦楽やドンチャン騒ぎが耳につく。劇的な効果を狙っていると思われるが、不自然であり病的に聞こえる。2楽章も猥雑な音楽であり、マーラーが後期に向かって音楽の複雑性を増していく過渡的な作品との印象。3楽章は落ち着かないグロテスクで悪魔的なスケルツォ。間奏的な価値の曲。4楽章は室内楽的な響きの薄さで愛嬌がある。5楽章は突然の凱歌となり驚く。

ノリが良く分かりやすい曲だが冗長。全体としては、まとまりが悪く気まぐれで猥雑であり、多層的で多義的な世界を突き進み過ぎである。良いメロディーや素晴らしい楽想は少なく、一つの作品としての完成度は低いと思う。

交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」 - 独唱(八声部)、2群の合唱、少年合唱付
3.5点

舞台一杯に並んだ大合唱団と巨大オケによる作品。1楽章は非常に分かりやすい曲。分かりやすいメロディーの大合唱とオーケストラで圧倒する曲。2楽章は非常に長く構成が複雑で、耳につくような分かりやすいメロディーがなく、1楽章との関連も分かりにくい難解な音楽となっている。

交響曲第9番ニ長調
5点

1楽章は冒頭から大変魅力的で素晴らしい。マーラーの管弦楽法や作曲技法の粋を尽くしている。多くの素材を交錯させて、繊細な織物のように作り上げたよる世にも美しい作品。たっぷりと時間を使って切々と別離と人生の邂逅や死を歌う、はかなく悲しく美しい曲。

2楽章は、楽しいレントラーであり、悲しさを裏に秘めつつも、初期のマーラーに戻ったかのような素朴な美しさが良い。

3楽章は多声的な落ち着かないスケルツォ。この名曲の中にあってはあまり完成度も高い感じではなく、ピリッとしたスパイスとなる間奏という印象。中間に突然泣けるフレーズが来るところがよいが。

4楽章は長大なアダージョで、緊密に書かれており無駄は少ない。別離の悲しみに浸りきる事が出来る。

この曲は遅いテンポの1楽章と4楽章は主であり、どちらも別離の感情と死の予感に満ちているので、そのまま曲全体の印象となっている。崇高な特別感がある。

特に1楽章が特別な名作である。6番7番での実験を通過して音楽が昇化し浄化され、シンプルな世界に戻っており無駄も少ないので、代表作らしい完成度に至ったと思う。初演されないままとなり、推敲を経なかったのが非常に残念である。

交響曲第10番嬰ヘ長調(未完成。デリック・クックらによる補作あり)
3.3点

長い1楽章は音が薄く、音楽の密度もあまり濃い印象が無い。退廃的で刹那的な雰囲気は好きだし美しさもあるが、1楽章についても演奏できるレベルに達しているというだけで完成作とは言えないと思う。

交響曲「大地の歌」イ短調 - 独唱(テノール、コントラルトまたはバリトン)
5.5点

1楽章は冒頭から激しく、かっこよくてノックアウトされる。ボーカルの激しさに心を揺さぶられる。

2楽章のはかなさもよいが、3楽章がメルヘンチックでありながらアンニュイさがある絶妙さ。

そして、なによりも最後の第6楽章の「告別」が大変素晴らしい。30分間という独唱曲としては大変な長編だが、別れの気分をゆったりと存分に歌を堪能してお腹一杯になれるという点では、クラシック音楽全体でも屈指だろう。

この楽章はバーンスタイン指揮のフィッシャー・ディースカウが好きだ。何回聴いたことか。

1時間の大作だが、交響曲の中では唯一、全体を通して無駄が全く無い曲であり、完成度はもっとも高いと思う。

歌曲

カンタータ『嘆きの歌』 (Das klagende Lied,1878-80)
3.0点

マーラーの原点ともいえる作品だが、のちに何度も改作されている。あまり強く耳を捉えるような魅力は無いと思った。交響曲や歌曲の作品と比べると、編曲こそ立派だが、メロディーや楽想に個性が確立されていないし薄味で面白くない。40分とそこそこ長いわりには、内容が盛り沢山という感がない。ところどころにマーラーらしさの萌芽はあり、コアなファンならそれを楽しむことが出来るかもしれない。

歌曲集『若き日の歌』 (Lieder und Gesänge,1880-91) - 全3集14曲

歌曲集『さすらう若者の歌』 (Lieder eines fahrenden Gesellen,1883-85) - 全4曲
4.0点

4曲全てが描写力に優れた名曲である。マーラーの歌曲では大地の歌に並ぶのではと思われる。心を強く打つ旋律の良さと分かりやすさがあり、管弦楽の上に乗って独特の旋律で歌うマーラーの魅力が発揮されている。

曲が短いため自由すぎない聴きやすさがある。一曲目の最初の切な旋律の場面がまず魅力的でそれが最後まで魅力を保ち続ける。何度でも聴きたくなる曲。

歌曲集『少年の魔法の角笛』 (Des Knaben Wunderhorn,1892-98) - 全12曲
3.0点

この曲集はマーラー独特の魔法がかかっていない。バラエティには飛んでいるし、オケはゴージャスではあるが、曲の魅力としてはごく普通である。

耳は楽しませるが、心が動かない。安っぽくて下品という自分の苦手なマーラーになっている場面が大半の場面を占めている。このボリュームで期待させるものがあったのに残念だ。マーラーとしてはこちらも本線の一つなのかもしれないが。

リュッケルトの詩による5つの歌 (Rückert-Lieder,1901-03) - 全5曲
3.8点

3曲は短く小品レベルである。とはいえマーラーの世界が全開でとても楽しい。どの曲も魅力的でどっぷり浸かれるマーラー歌曲の世界。

私はマーラーが得意ではないが、歌曲は文句なしによい。壮大さと、感情的な揺れ動きの揺さぶられる感じと、何か大きなものに包み込まれている感じがとにかく心地よい。心を曲に任せていられる。そして聴き終わったら、感動にまた聴きたくなってしまう。小品も中程度の長さの曲も変わらずそれぞれに魅力的。

歌曲集『亡き子をしのぶ歌』 (Kindertotenlieder,1901-04) - 全5曲
3.8点

濃密で爛熟感の強いロマン的曲集。悲しみの感情が大規模のオーケストラによる包み込むような伴奏と、たゆたうような歌唱が存分に表現している。

5曲目までもなかなか高いレベルだが、最後の曲はかなり感動的である。不安に心を揺さぶったあとに、大交響曲の終わりに匹敵するするじわっとした感動とその余韻に包まれて終わり、もう一度聴きたくなる。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/マーラー

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html#c3

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