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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100431
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[近代史5] ローマ人の起源 中川隆
1. 中川隆[-11552] koaQ7Jey 2020年9月01日 19:45:41 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[43]
雑記帳 2020年07月08日
鉄器時代と現代のウンブリア地域の人類集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_9.html


ウンブリア州 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%B7%9E


 鉄器時代と現代のウンブリア地域の人類集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析に関する研究(Modi et al., 2020)が公表されました。先史時代の地中海地域では3回の重要な移住の波があり、現代人の遺伝的構成を形成しました。それは、旧石器時代の狩猟採集民と、東方からの新石器時代農耕民と、青銅器時代の始まりにおけるポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの牧畜民です。

 イタリア半島は、ヨーロッパ他地域と比較して現代人の遺伝的変異性が高いことから、地中海地域の人類集団の移住に重要な役割を果たした、と考えられます。これは、上部旧石器時代以来の、複数の移住の波の結果です。イタリア半島の人口史(関連記事)やローマ住民の長期的な遺伝的構成の変遷(関連記事)に関するゲノム規模研究からは、イタリア半島の人類集団の基本的な遺伝的構成はローマ以前に確立され、ローマ帝国崩壊後には大きくは変わらなかった、と示されます。

 イタリア半島の人類集団に関しては、常染色体でも単系統遺伝指標(ミトコンドリアとY染色体)でも、北部・中央部・南部を区別できる明確な遺伝的パターンの識別は困難です。南部集団はギリシアとアラブの植民化の影響を受け、北部集団にはフランス語およびドイツ語集団との混合が反映されているかもしれませんが、中央部集団は継続的な勾配を示します。イタリア半島中央部に関しては、エトルリア人とピケニ人に関して、現代人との遺伝的類似性が分析されてきましたが、もう一つの重要地域であるウンブリアはこれまで調査されてきませんでした。古代ウンブリア人の起源と民族的類似性に関しては、まだ議論が続いています。

 考古学および歴史学的データからは、紀元前9〜紀元前8世紀頃となる前期鉄器時代に、ウンブリア人はエトルリア人やピケニ人とともに、よく定義された文化的属性を有する共同体をイタリア半島中央部に築いていた、と示唆されます。ウンブリア人は当初、テベレ川左岸に位置する現代のウンブリア地域東部を占拠し、すぐにウンブリア西武とトスカーナ地方に拡大しました。紀元前6世紀頃、ウンブリア文化に影響を与え始めていたエトルリア人がウンブリア西部を支配し、テベレ川はウンブリア人とエトルリア人の境界線になりました。これら古代人の間の相互作用の程度はまだ不明です。ローマ人は紀元前4世紀に初めてウンブリア人と接触し、紀元前3世紀初めにラテン植民市を建設しました。紀元前260年以後、ウンブリアはローマの完全な支配下にありましたが、エトルリア文化(および言語)が消滅したのは、紀元前90〜紀元前88年の同盟市戦争の時でした。現在のウンブリアは古代よりも小さいものの、その住民の方言には大きな違いが見られます。

 ウンブリア東部の重要な墓地は、アペニン山脈の海抜760mに位置する現在のコルフィオリート(Colfiorito)にあります。ここは交通の要路ですが、鉄器時代の前には安定した人類の居住は確認されていません。しかし、資源が豊富なため、鉄器時代以降には人口が増加しました。本論文は、現在のウンブリア地域の545人のデータセットから選択された198人のミトコンドリアゲノム(このうち191人は本論文で初めて報告されます)と、現在のコルフィオリートにある鉄器時代の墓地の19人のミトコンドリアゲノムを分析し、ウンブリア地域住民の通時的な母系の遺伝的歴史を検証します。

 制御領域の分析からは、ウンブリア地域でも東部集団が遺伝的に他の亜集団と最も離れている、と示されます。これは、ウンブリア東部地域が他地域と比較して、古代もしくは最近の違いがあることを示唆します。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)分析では、ほとんど(97%)の個体が典型的なユーラシア西部型に分類されます。主成分分析では、ウンブリア東部集団はヨーロッパ東部集団とクラスタ化します。これは、ヨーロッパ中央部および東部で高頻度のmtHg-U4・U5aに起因します。その中でもとくに、mtHg-U4a・U5a1は、ヨーロッパ北部および東部の中石器時代標本群と同様に、ヤムナヤ(Yamnaya)文化関連標本群でも確認されています。

 鉄器時代の19人のmtHgで多いのは、J(32%)・H(26%)・U(16%)です。mtHg-Jは最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に近東で多様化し、後期氷河期にヨーロッパに拡大した、と推測されています。mtHg-Hはヨーロッパにおいて最も高頻度で見られ(40%以下)、ヨーロッパ西部から近東にかけて減少するパターンを示しますが、その起源はよく分かっていません。mtHg-UはU4を含む4系統が検出され、上述のようにこれはウンブリア東部集団をヨーロッパ東部集団へと近づけます。

 鉄器時代と現代とで、ウンブリアにおける主要なmtHgの割合が決定的に変わっているわけではありませんが、鉄器時代では32%のJが現代では12%と低下しています。しかし、ウンブリア東部では、現代でも鉄器時代とさほど変わらない割合(30%)です。ウンブリアでは、鉄器時代のmtHgが事実上すべて現代でも確認され、先ローマ期からの遺伝的連続性の可能性が示唆されます。より詳細な分析では、4万年前頃の上部旧石器時代と1万年前頃以降の新石器時代に、急激な増加を伴うヨーロッパ集団の典型的傾向が確認されます。鉄器時代標本の約半数で、より詳細なmtHg(H1e1・J1c3・J2b1・U2e2a・U8b1b・K1a4a)が現代人の標本と共有されます。

 イタリアは、地中海とアルプスに囲まれ、シチリア島とサルデーニャ島を含む、ひじょうに複雑な地理を示します。ミトコンドリアゲノム分析により、マルケ州やピエモンテ州やトスカーナ州やサルデーニャ島の特殊性が明らかになっています。しかし、他地域に関しては、詳細で網羅的な地理的特性の評価はまだ行なわれていませんでした。本論文は、ウンブリア地域のmtDNAの多様性を報告します。ウンブリア地域のmtHgのほとんど(97%)はユーラシア西部で典型的なものです。ウンブリア地域全体でこれらのmtHgの割合は比較的均一ですが、mtHg-Kが南部では高頻度(17%)であることや、mtHg-Jが東部では高頻度(30%)であることが注目される例外です。ユーラシア西部集団を対象にした主成分分析では、ウンブリア南部と東部がヨーロッパ中央部および東部集団と近くなり、上述のように、これはウンブリア南部と東部でmtHg-U4・U5aが高頻度だからです。

 より詳細なmtHg分析では、ウンブリア地域における先ローマ期の鉄器時代から現代までの遺伝的連続性が示唆されます。この遺伝的構成は、さまざまな地域の集団が異なる時代にウンブリア地域に到来したことにより形成された、と推測されます。それは、東方からの新石器時代農耕民や、青銅器時代のヤムナヤ文化関連集団などです。鉄器時代以後、中世にも、ある程度の人々の到来が考えられます。こうしたウンブリア地域の通時的な遺伝的構成の変遷は、イタリア半島全体の遺伝的データとよく適合します。既知のゲノム分析におけるイタリアのクラスタは、大まかにはサルデーニャ島・北部・南部ですが、そのうち北部と南部がイタリア半島中央部、より正確にはウンブリア地域で重複します。その意味でも、ウンブリア地域のより詳細な遺伝的構成の解明が期待されます。


参考文献:
Modi A. et al.(2020): The mitogenome portrait of Umbria in Central Italy as depicted by contemporary inhabitants and pre-Roman remains. Scientific Reports, 10, 10700.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-67445-0

https://sicambre.at.webry.info/202007/article_9.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html#c1

[近代史5] イベリア半島人の起源 中川隆
2. 中川隆[-11551] koaQ7Jey 2020年9月01日 19:56:31 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[47]
雑記帳 2020年03月02日
地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html


バレアレス諸島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6

サルデーニャ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3


 地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。紀元前3000年頃、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を起源とする人々が西進し始め、ヨーロッパ中央部の在来農耕民と交雑し、縄目文土器(Corded Ware)文化集団の系統の1/3に寄与し、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団との関連においてヨーロッパ西部で拡大しました。イベリア半島では、草原地帯系統が紀元前2500年頃までに外れ値の個体群に出現し、紀元前2000年頃までにイベリア半島集団へと完全に混合しました。地中海東部のクレタ島では、紀元前2400〜紀元前1700年頃となる中期〜後期青銅器時代のミノア文化期の報告されている個体群では、草原地帯系統がほとんど確認されませんが、早期イラン牧畜民と関連した集団由来の系統(イラン関連系統)の約15%がゲノムで見られます。

 しかし、草原地帯系統はクレタ島とその近隣のギリシアに、紀元前1600〜紀元前1200年頃のミケーネ期には到達していました。地中海中央部および西部諸島では、青銅器時代の移行は古代DNA分析で調査されてきませんでした。バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500〜紀元前2300年頃にさかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ文化との類似性が示唆されています。同様に、青銅器時代ヌラーゲ文化期のサルデーニャ島の農耕民もまた、地中海東部からの集団と交易しました。サルデーニャ島とシチリア島は紀元前2500年以後のビーカー文化の拡大に影響を受けましたが、一方でミケーネ文化期にエーゲ海の影響を受けました。これらの文化的交流が人々の移動に伴っていたのかは未解決の問題で、本論文は61個体のゲノム規模古代データを生成することで検証しました。バレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島の61個体から約124万ヶ所の一塩基多型配列が決定され、ゲノム規模データが得られました。46人では遺骸から直接放射性炭素年代が得られました。1親等の関係にある個体が1人除外されました。常染色体DNAの平均網羅率は2.91倍(0.11〜12.13倍)です。

 まず本論文の分析結果を概観すると、バレアレス諸島では青銅器時代の3人がヨーロッパ新石器時代および青銅器時代集団の変異内に収まり、草原地帯系統も見られます。早期青銅器時代と中期青銅器時代と後期青銅器時代の間で、顕著な違いが明らかになりました。3人の考古学的背景はひじょうに異なるので、個別に処理されました。シチリア島では中期新石器時代の4人がヨーロッパ早期農耕民と近縁で、シチリア島中期新石器時代集団として分類されます。これと比較して早期青銅器時代のシチリア島個体はすべて、早期青銅器時代の外れ値となる2人とともに東方集団へと接近しています。この外れ値の2人は草原地帯系統を有し、シチリア島早期青銅器時代集団として4人とはやや異なります。中期青銅器時代の2個体は早期青銅器時代個体群とは区別されるクレードで、シチリア島中期青銅器時代集団と分類されます。後期青銅器時代の5人は全員クレードを形成します。サルデーニャ島では、新石器時代の始まりから青銅器時代末まで、ヨーロッパ本土の早期および中期新石器時代農耕民と遺伝的に近縁で、2人を除いて系統構成を区別できません。この外れ値となる2人は、レヴァントおよびアフリカ北部新石器時代個体群と類似した銅器時代の個体と、地中海東部系統をわずかに有する青銅器時代の個体です。鉄器時代の2人はクレードを形成せず、1人はイラン関連系統を、もう1人は草原地帯系統を有します。古代末期の2人はサルデーニャ島の早期中世個体とともにクレードを形成しますが、早期中世の個体は主成分分析では分離し、年代も離れているのでサルデーニャ島早期中世人として個別に分析されました。


●バレアレス諸島

 バレアレス諸島で人類の居住が永続的となったのは早期青銅器時代以降で、青銅器時代以降の4人のDNAが解析されました。この4人のうち最古となる紀元前2400年頃の早期青銅器時代個体は、そのゲノムのうち38.1±4.4%が草原地帯系統に由来する、と推定されています。この早期青銅器時代個体は、草原地帯系統を有するイベリア半島ビーカー(Beaker)文化関連個体の子孫と推測されます。バレアレス諸島に草原地帯系統をもたらしたのはイベリア半島からの移民と考えられますが、早期青銅器時代でDNAが解析されたのは1人だけなので、この個体がバレアレス諸島の最古の入植者の代表的な遺伝的構成を表していないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。

 中期および後期青銅器時代の2人はそれぞれ、早期青銅器時代個体よりも草原地帯系統の推定割合が低く、20.4±3.4%、20.8±3.6%です。この2人は、草原地帯系統の割合が比較的高い集団と、もっと古いヨーロッパ農耕民関連系統を有する集団との混合と推測されます。これは、さまざまな割合の草原地帯系統がバレアレス諸島に移住して混合したか、より多くヨーロッパ農耕民系統を有する集団からの遺伝子流動の結果かもしれません。また後期青銅器時代個体は、中期青銅器時代個体の属する集団の直接的な子孫かもしれません。バレアレス諸島のタライオット文化とサルデーニャ島のヌラーゲ文化との遺伝的関連の証拠は得られませんでしたが、タライオット文化期では1人しかDNAが解析されておらず、また移住なしの文化的接触もあり得る、と本論文は注意を喚起します。

 鉄器時代のバレアレス諸島にはフェニキア人が植民してきます。鉄器時代の1個体の年代は紀元前361〜紀元前178年頃で、青銅器時代の3人とはクレードを形成せず、異なる遺伝的構成を有します。この鉄器時代個体の遺伝的構成をモデル化するには、モロッコの後期新石器時代系統が必要で、青銅器時代の先住集団の遺伝的影響をまったく受けていない可能性もあります。バレアレス諸島現代人集団は、アナトリア農耕民系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統に加えて、草原地帯系統・イラン系統・アフリカ北部系統の混合としてモデル化できます。これは過去の異なる系統の混合を反映しており、そのうちのいくつかは地中海南部および東部からと推測されます。バレアレス諸島現代人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はともに、古代に見られるmtHg-J2・H・U5およびYHg- R1bを有していますが、いずれも古代バレアレス諸島に特有ではないので、地域的な集団継続が証明されるわけではありません。


●シチリア島

 シチリア島では、中期新石器時代個体群が典型的な早期ヨーロッパ農耕民系統を有し、アナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化できます。また、ビーカー文化関連個体には草原地帯系統が見られない、と確認されました。早期青銅器時代になると、当初は紀元前2200年頃までに草原地帯系統が見られるようになります。2個体はとくに草原地帯系統の割合が高く、そのうち1個体はバレアレス諸島早期青銅器時代個体とクレードを形成するので、近い世代での祖先集団が同じと考えられ、その起源地としてとくに有力なのはイベリア半島です。早期青銅器時代における草原地帯系統の存在はY染色体の分析でも明らかで、男性5人のうち3人がYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)です。この3人のうち2人はYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)で、現在はおもにイベリア半島に存在し、紀元前2500〜紀元前2000年頃に分岐した、と推定されています。これらの知見からの節約的な説明は、イベリア半島からシチリア島およびバレアレス諸島への遺伝子流動があった、というものです。

 シチリア島では、中期青銅器時代となる紀元前1800〜紀元前1500年頃までにイラン系統が検出され、主成分分析におけるミノア人とミケーネ人への方向変化と一致します。中期青銅器時代個体群は、イラン新石器時代関連系統が15.7±2.6%としてモデル化されます。またモデル化において、年代の近い系統では、ミノアやアナトリア早期青銅器時代が必要とされます。現代イタリア南部集団はイラン関連系統を有しており(関連記事)、シチリア島とイタリア南部ではイラン系統がギリシアの植民地となる前に出現した、と示されます。

 後期青銅器時代個体は、アナトリア新石器時代系統81.5±1.6%、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統5.9±1.6%、草原地帯系統12.7±2.1%としてモデル化されます。現代人集団では、青銅器時代までに示された草原地帯系統とイラン関連系統がそれぞれ、10.0±2.6%と19.9±1.4%存在しますが、主要な系統は46.9±5.6%のアフリカ北部系統です。これらの結果は、鉄器時代以降にシチリア島に流入したのがほぼアフリカ北部系統だったことを示します。シチリア島現代人集団は、バレアレス諸島フェニキア期個体とクレードを形成します。これらの結果は青銅器時代以降のシチリア島におけるほぼ完全な系統転換と一致しますが、青銅器時代集団が現代人集団に少ないながら遺伝的影響を残している可能性も排除できません。現代人集団のmtHg- H・T・U・Kも、25%ほど存在するYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)も、青銅器時代に見られます。


●サルデーニャ島

 サルデーニャ島では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、ほぼ全ての個体がアナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、高い遺伝的継続性が推測されます。新石器時代の個体群は、74〜77%がフランス中期新石器時代系統と、23%がハンガリー早期新石器時代系統もしくはクロアチアのカルディウム文化系統と関連しています。サルデーニャ島の早期農耕民の起源は、まだ古代DNAデータがほとんど得られていないイタリア北部やコルシカ島にあるだろう、と本論文は推測しています。ビーカー文化個体群でも、草原地帯系統は検出されませんでした。これはシチリア島およびイベリア半島のビーカー文化関連個体群と類似しており、ビーカー文化関連個体群にかなりの草原地帯系統が見られるヨーロッパ中央部および北部とは対照的です(関連記事)。

 このように、サルデーニャ島では新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパでは例外的な遺伝的連続性が見られますが、外れ値も2個体確認されています。銅器時代となる紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体は、アナトリア新石器時代系統22.7±2.45%とモロッコ早期新石器時代系統77.3±2.4%としてモデル化されます。この個体は、ほぼ同年代となる紀元前2473〜紀元前2030年頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡個体(関連記事)と遺伝的に類似しています。この遺跡の個体はアフリカ北部系統を有し、mtHg-M1a1b1、YHg-E1b1b1で、ともにアフリカ北部で典型的です。こうしたアフリカとヨーロッパの間の遺伝子流動は、それが増加し、より大きな人口への影響を有するようになった古典期のずっと前に、地中海全体の広範な移動があったことを示します。

 外れ値の2番目の個体は、年代が青銅器時代となる紀元前1643〜紀元前1263年頃で、サルデーニャ島在来集団と、ミケーネ文化やヨルダン早期青銅器時代のような地中海東部系統、もしくはイタリアやフランスの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の草原地帯の混合としてモデル化されます。サルデーニャ島の銅器時代の1個体のmtHgは、サルデーニャ島では珍しく、早期青銅器時代バルカン半島やアジア西部で知られているU1aです。また、サルデーニャ島青銅器時代の1個体のYHgは、現在バルカン半島や中東において最高頻度で見られる J2b2aで、青銅器時代以前にはバルカン半島や中東にほぼ固有です。

 サルデーニャ島における草原地帯系統とイラン系統の最初の出現は、鉄器時代の2個体で見られます。一方は紀元前762〜紀元前434年頃で、草原地帯系統が22.5±3.6%、もう一方の紀元前391〜紀元前209年頃の個体ではイラン系統が12.7±3.5%と推定されています。イラン系統は、古代末期の個体群の複数個体ではより高くなります。サルデーニャ島の古代末期集団は、バレアレス諸島のフェニキア期個体とクレードを形成し、フェニキア人によりもたらされた、と推測されます。サルデーニャ島の中世個体は限定的な一塩基多型網羅率のためモデル化されていませんが、そのYHg-E1b1b1b2は、サルデーニャ島銅器時代個体およびヘレニズム期エジプトの個体群のYHg-E1b1bと同じ系統で、地中海東部起源を示唆します。

 これらの知見から、鉄器時代2人・古代末期2人・中世前期1人というサルデーニャ島の比較的新しい個体群では、新石器時代から青銅器時代の先住民の遺伝的影響は比較的小さいと推測されます。この5人は全員沿岸の遺跡で発見されており、サルデーニャ島外の集団からの移住を示唆します。内陸部などサルデーニャ島で古代DNAデータが得られていない地域では、おそらく鉄器時代より前の先住民系統を高い割合で保持しており、その先住民系統は、サルデーニャ島現代人集団に寄与した最大の単一系統と推測されます。

 サルデーニャ島現代人集団は、4〜5系統の混合としてのみモデル化でき、以前の推定よりも複雑な形成過程が示唆されます。サルデーニャ島現代人集団における先住民系統の割合は、新石器時代系統で56.3±8.1%、青銅器時代系統で62.2±6.6%と推定され、アフリカ北部(モロッコ)関連後期新石器時代系統の割合は、前者で22.7±9.9%、後者で17.1±8.0%と推定されます。このアフリカ北部関連系統はおそらくサハラ砂漠以南アフリカ系統との混合で、サルデーニャ島現代人集団でも複数の研究で検出されています。この56〜62%という割合は、鉄器時代よりも前のサルデーニャ島先住民を唯一の祖先源と仮定して推定しているので、上限値となります。

 これらの知見は、サルデーニャ島ではヨーロッパ最初の農耕民関連系統の割合がヨーロッパの他地域よりも高いことを確証しますが、以前には知られていなかった新石器時代後の主要な遺伝子流動があったことも明らかにします。これは、サルデーニャ島現代人集団において、新石器時代から青銅器時代までに一般的だったYHg-R1b1aとmtHg-HV・JT・Uとともに、青銅器時代以前には確認されていないYHg-R1b1a1a2a1a2が高頻度で見られることからも明らかです。最近の研究でも、サルデーニャ島現代人集団において、以前の推定よりも大きい青銅器時代後の遺伝子流動と、サルデーニャ島沿岸における青銅器時代以前の先住民系統の低さが指摘されています(関連記事)。アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島現代人集団とひじょうに近いと言われていますが、その一致率は100%よりはるかに低くなります。


●まとめ

 本論文は5つの結果を強調します。まず、バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部がイベリア半島系統由来だった人々もいました。早期青銅器時代のシチリア島の2人では、イベリア半島に特徴的なYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)が確認されました。イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への「逆流」の起源地でもあったわけです。しかし、この期間のイベリア半島の人口史は地中海諸島とは異なっており、たとえばイベリア半島では、銅器時代に一般的だったYHgが青銅器時代にはほぼ完全に置換されましたが(関連記事)、シチリア島ではYHgのほぼ完全な置換は起きておらず、新石器時代および草原地帯関連のYHgが両方見られます。

 第二に、ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するようになったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。バレアレス諸島やサルデーニャ島では、フェニキア期の前にイラン系統の高い割合の証拠はありませんが、それは地中海東部からの孤立を意味しません。考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。

 第三に、銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体で、イベリア半島中央部の紀元前2473〜紀元前2030年頃の個体と類似しています。また、紀元前1932〜紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が認められます。現時点では、5000〜3000年前頃の地中海ヨーロッパの191人のうち1.6%に、数世代前のアフリカ北部移民系統の証拠があります。

 第四に、フェニキアおよびギリシア植民地期と、それに続く地中海西部諸島の移民の影響です。たとえば、バレアレス諸島鉄器時代以降の個体群は、在来の先住集団からの系統を有していないかもしれません。以前の研究と併せて考えると、鉄器時代以降、地中海西部の沿岸地域は、地理的に近接して共存していた移民と在来集団の民族的分離により特徴づけられます。じっさい、イベリア半島北東部のギリシア植民地アンプリアス(Empúries)では、遺伝的に異なる個体群2系統が共存しており、ストラボンの歴史的記述と一致します。バレアレス諸島やシチリア島のような地域では、鉄器時代後の集団のほぼ完全な置換が推定されますが、ある程度の在来集団の継続性も除外できません。

 最後に、サルデーニャ島現代人集団は初期農耕民の定着後比較的孤立していた、という一般的な見解に疑問を呈していることです。本論文は、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、サルデーニャ島集団が典型的なヨーロッパ早期農耕民系統を有し、それがヨーロッパ他地域よりも長く続いたことを明らかにしました。しかし、地中海東部および北部とアフリカからの移民は、鉄器時代以降にサルデーニャ島集団の遺伝的構成にかなりの影響を及ぼし、それは地中海西部沿岸の他地域と同様です。サルデーニャ島現代人集団の系統の少なくとも38〜44%は、明らかに在来集団と混合した移民系統で、そのうちアフリカ北部系統は17〜23%と推定されます。このように、サルデーニャ島は新石器時代以来混合と移民から完全に隔離されていたというよりはむしろ、ヨーロッパの他地域のほとんどと同様に、移動と混合を経て現在の住民の遺伝的構成が形成されました。


参考文献:
Fernandes DM. et al.(2020): The spread of steppe and Iranian-related ancestry in the islands of the western Mediterranean. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 334–345.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1102-0

https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/291.html#c2

[近代史5] バスク人の起源
バスク人の起源


雑記帳 2019年05月12日
バスク人の起源とインド・ヨーロッパ語族の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_20.html


 当ブログではバスク人についてほとんど言及していませんが、その起源と関わる研究を取り上げたことがあります。バスク人は、インド・ヨーロッパ語族集団が支配的なヨーロッパにおいて、孤立言語であるバスク語を話しているため、その起源について関心が寄せられてきました。バスク語の孤立性から、バスク人は旧石器時代や中石器時代からイベリア半島で継続してきた集団で、比較的孤立していたのではないか、との見解が長い間有力でした。

 古代DNA研究が進むと、ヨーロッパの他地域と同じく、バスク人は新石器時代になってアナトリア半島からイベリア半島に進出してきた初期農耕民の子孫ではないか、との見解が提示されました(関連記事)。もっとも、ヨーロッパの他の多くの地域と同様にイベリア半島北部においても、アナトリア半島起源の農耕民集団は、じょじょに更新世からの在来狩猟採集民集団と交雑していった、と推測されています。バスク人は遺伝的には、ヨーロッパにおいてきわだって特異的な存在ではないだろう、というわけです。

 もっとも、現代ヨーロッパ人の起源については、アナトリア半島起源の農耕民集団と更新世からの在来の狩猟採集民集団との融合だけでは説明できません。現代ヨーロッパ人の遺伝的構成に大きな影響を及ぼしているのは、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団です(関連記事)。ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、青銅器時代のヨーロッパにおけるポントス-カスピ海草原地帯起源の遊牧民集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。この遊牧民集団のヨーロッパへの拡散は、とくに父系において大きな影響力を有した、と推測されています(関連記事)。15世紀末以降のアメリカ大陸もそうですが、征服的側面の強い大規模な人類集団の移動は男性主体で、被征服地はとくに父系で強い影響を受ける傾向にあるのかもしれません。バスク人も、この遊牧民集団の遺伝的影響を強く受けています(関連記事)。

 ヤムナヤ文化集団の大規模な拡散は、インド・ヨーロッパ語族の拡散との関連でも注目されています。インド・ヨーロッパ語族の起源について大別すると、アナトリア半島の初期農耕民説とロシア南西部草原地帯説があります。後者の仮説の発展版が、ヤムナヤ文化集団によるヨーロッパやアジア南西部・中央部・南部という広範な地域へのインド・ヨーロッパ語族の拡散説です。この見解は近年では有力になりつつあるように思います。しかし、アナトリア半島に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の前にインド・ヨーロッパ語族系言語が用いられており、アジア中央部および南部に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんどない、との見解も提示されています(関連記事)。

 それでも、ヨーロッパに関しては、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族を広めた可能性は高そうです。しかし、ヨーロッパの他地域と同様にヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けたバスク人の言語はインド・ヨーロッパ語族ではありません。なぜこのような違いが生じたのか、現時点ではよく分かりません。バスク人は、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けた後は、遺伝的には比較的孤立していたと推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団はヨーロッパにおいて全地域集団の言語をインド・ヨーロッパ語族に転換させたわけではなく、当初は新石器時代以来の言語を保持し続けた集団もそれなりに存在したものの、他集団との交流により次第にインド・ヨーロッパ語族へと転換していった中、バスク人は比較的孤立していたので、新石器時代以来の言語を保持し続けたのかもしれません。そうだとすると、バスク人の言語が新石器時代にイベリア半島に拡散してきたアナトリア半島農耕民集団に由来するのか、それとも中石器時代以前の狩猟採集民集団に由来するのか、気になるところです。

https://sicambre.at.webry.info/201905/article_20.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/298.html

[近代史5] ポーランド人の起源
ポーランド人の起源


雑記帳 2019年05月12日
ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html


 ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析に関する研究(Schroeder et al., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ポーランド南部のコシツェ(Koszyce)村の集団墓地で2011年に発掘調査が行なわれました。この集団墓地は球状アンフォラ(Globular Amphora)文化(GA)と関連しており、殺害された成人と子供の計15人が丁寧に埋葬されていました。16点の放射性炭素年代測定から、この虐殺事件は紀元前2880〜紀元前2776年と推定されました。

 埋葬された15人の内訳は、男性が8人、女性が7人です。男性のうち成人が3人、10代が2人、10歳未満の子供が3人で、女性のうち成人が5人、10代が2人です。最高齢は50〜60歳の女性で、最年少は1.5〜2歳の男児です。この15人のゲノムが解析され、網羅率は1.1〜3.9倍です。コシツェなどGA集団は、遺伝的には旧石器時代〜中石器時代以来のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とアナトリア半島起源の新石器時代農耕民集団(ANF)の混合により形成され、WHGよりANFの方が影響は強くなっています。これはヨーロッパの他地域の新石器時代農耕民集団と同様です。ゲノム解析から表現型も推測されており、この15人はほとんど、褐色の目、黒もしくはダークブロンドの髪と、中間的から濃い肌の色を有していました。

 この15人のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aやK1a1b1eなど6タイプに分類されましたが、8人の男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)は全員I2a1b1a2b1に分類されました。ホモ接合性から、この15人では近親交配の痕跡はない、と推測されています。この15人では、近親度からおもに4つの核家族が確認されました。母親が子供を抱き、きょうだいが隣同士になっているなど、親族関係に応じた埋葬になっていることから、この15人をよく知る者が埋葬した、と考えられます。この件に関して興味深いのは、母親と息子の組み合わせが4組存在するのにたいして、父親と息子の組み合わせは1組しか存在しないことで、被葬者の父親たちがこの15人を埋葬した可能性を本論文は提示しています。

 YHgの分析から、コシツェ遺跡のGA集団は父系的社会を形成していた、と考えられます。後期新石器時代〜初期青銅器時代のドイツのバイエルン州南部では父系的社会の存在が確認されており(関連記事)、当時ヨーロッパ中央部では父系的社会が一般的だったのかもしれません。ただ、コシツェ遺跡の男女間で、ストロンチウム同位体比の明確な違いは確認されませんでした。しかし、mtHgの多様性とYHgの単一性から、コシツェのGA集団は父系的だった、と本論文は指摘します。GA集団はおもにウシの牧畜に依存していたようです。この生業形態の遊動性は、分裂と融合の流動的な社会を形成したと考えられます。コシツェ遺跡の15人のストロンチウム同位体比からも、比較的高い遊動性が示唆されています。コシツェ遺跡のGA集団は父系的で大規模な拡大家族を形成していた、と推測されています。

 コシツェ遺跡の15人には全員、負傷の痕跡が見られ、最も一般的なのは頭蓋の骨折です。これは、頭部への強打が死因だったことを示唆します。上肢の骨折がないことから、この15人は戦死したのではなく、捕らえられて処刑された、と推測されます。これは、ヨーロッパ先史時代の特定段階における広範で高頻度の暴力パターンに当てはまり、新石器時代には、人口圧力から資源や土地をめぐる競争が激化したのではないか、と推測されます(関連記事)。新石器時代における集団間の紛争は、共同体全体を標的とするか、男性に特化しているかのどちらかに分類されるようで、後者の場合、成人女性や子供は捕虜の対象です。コシツェ遺跡の場合は、儀式的暴力や家族内殺人の可能性も排除できませんが、共同体全体が標的とされていただろう、と本論文は推測します。成人男性が少ないことから、彼らは襲撃時に集落から離れた場所にいたか、逃亡した、と本論文は推測しています。あるいは、コシツェ遺跡の成人男性が狩猟や他集落の襲撃に出かけた隙を狙われたのかもしれません。

 紀元前2880〜紀元前2776年頃に起きたコシツェ遺跡の虐殺の原因の特定は将来も不可能でしょうが、縄目文土器(Corded Ware)文化が急速にヨーロッパ中央部に拡大してきた時期と合致していることに、本論文は注目しています。早期縄目文土器文化集団も含むポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団の遺伝的影響をGA集団が受けていないことから、コシツェ遺跡のGA集団は縄目文土器文化集団と敵対的関係にあり、その紛争の中で虐殺事件が起きたのかもしれません。本論文は、遺伝学・形態学・考古学(同位体分析)を統合した興味深い結果を提示しており、同様の研究はヨーロッパを中心に盛んになりつつあるように思いますが、日本列島も含めてユーラシア東部圏でも同様の研究が進展するよう、期待しています。


参考文献:
Schroeder H. et al.(2019): Unraveling ancestry, kinship, and violence in a Late Neolithic mass grave. PNAS, 116, 22, 10705–10710.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820210116


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/299.html

[近代史5] エストニア人の起源
エストニア人の起源


雑記帳 2019年05月11日
バルト海東部地域のウラル語族の起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_18.html


 バルト海東部地域のウラル語族の起源に関する研究(Saag et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ほとんどのヨーロッパ人の遺伝的構成は、旧石器時代〜中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民と、新石器時代のアナトリア半島起源の初期農耕民と、青銅器時代前後のポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とする草原地帯遊牧民という、3系統の組み合わせです。

 バルト海東部地域もその例外ではありません。バルト海東部の人類集団においては、中石器時代以降の遺伝的情報が得られています。中石器時代の狩猟採集民は、遺伝的にヨーロッパに拡散したヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と最も類似しています。バルト海東部におけるヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)への遺伝的移行は、紀元前3900年以降となる新石器時代の櫛目文土器文化(Comb Ceramic culture、CCC)集団の到来の影響と推測されています。ポントス-カスピ海草原地帯起源の後期新石器時代縄目文土器文化(Corded Ware culture)は紀元前2800年以降にバルト海東部に到達し、ヨーロッパの他地域と同様に、草原地帯遊牧民の遺伝的影響がもたらされました。

 インド・ヨーロッパ語族が支配的なヨーロッパにおいて、ウラル語族の存在するヨーロッパ北東部に関しては、現代人集団にヨーロッパの他地域よりも強いシベリア系の遺伝的影響が確認されています。バルト海東部では、Y染色体DNAハプログループ(YHg)のN3a系統が高頻度で確認されており、N3a系統はヨーロッパのウラル語族であるのフィン・ウゴル語派集団のほとんどおよびシベリア全域のいくつかの集団で共有されています。古代DNA研究からは、青銅器時代以降にシベリアからウラル語族集団が到来し、ウラル語族系言語をもたらしたのではないか、と推測されています(関連記事)。本論文は、青銅器時代〜中世にかけてのバルト海東部地域の人類の古代DNAを解析し、既知の古代および現代の遺伝的データと比較することで、バルト海東部における遺伝的構成の変容を検証しています。

 本論文は、青銅器時代〜中世にかけてのバルト海東部地域の56人の歯根からDNAを解析しました。地域はさらにエストニアとイングリアに区分されています。このうち15人は分析できるだけのデータが得られなかったので除外され、8人からはミトコンドリアDNA(mtDNA)と(男性の場合は)Y染色体DNAのハプログループを決定できるだけのデータが得られたものの、常染色体では情報分析に充分なデータが得られず、33人は解析に充分なデータが得られました。この33人のゲノム解析の網羅率は0.017倍〜0.734倍です。その内訳は、紀元前1200〜紀元前400年となる後期青銅器時代のエストニア(EstBA)の15人と、紀元前800/500〜紀元後50年となる先ローマ期鉄器時代のエストニア(EstIA)の6人と、紀元前500〜紀元後450年となるイングリアの先ローマ期からローマ期鉄器時代(IngIA)の5人と、紀元後1200〜紀元後1600年となる中世エストニア(EstMA)の7人です。

 新たに特定された41人の古代のmtDNAハプログループ(mtHg)は全て現代エストニア人にも確認され、特定の地域に限定されない、と明らかになりました。父系では、30人の古代のYHgが特定されました。EstBAの16人は全員YHg- R1aで、後期新石器時代のCWCとはまったく異なりません。EstIAの3人とIngIAの2人もYHg- R1aですが、EstIAの3人はシベリア系のYHg- N3aで、これまでバルト海東部において確認されたYHg- N3としては最古となります。EstMAのYHgは、3人がN3a、2人がR1a、1人がJ2bです。CWC以前のバルト海東部のYHgはI・R1b・R1a5・Qですから、東方の草原地帯由来のR1aに実質的に置換されたようです。エストニアでは、フェノスカンジアとは異なり、青銅器時代にシベリア系のN3aは検出されていませんが、標本が少ないためにまだ検出できていないだけで、青銅器時代に存在した可能性を除外できない、と本論文は指摘します。ただ、YHg- N3aの頻度は青銅器時代よりも鉄器時代で顕著に高く、ヨーロッパ東部におけるYHg-R1a1とYHg-N3a3の拡大時期は類似しており、エストニアにおけるN3aの出現もしくは少なくとも現代エストニア人と匹敵する程度の頻度になったのは、青銅器時代〜鉄器時代の移行期のみだっただろう、と本論文は結論づけています。この頃に、エストニアにシベリア系集団が到来したのではないか、というわけです。

 青銅器時代以降のエストニアの常染色体では、以前のバルト海東部地域の研究で指摘されていたように(関連記事)、WHG系統の明確な比率増加が見られます。EstBA・EstIA・IngIA・EstMA・現代エストニアの集団は相互に平均してよく類似しており、他の現代ヨーロッパ人と比較して現代バルト海東部地域集団においてWHGの比率が比較的高いのは、青銅器時代以来のことだろう、と本論文は指摘します。銅器時代〜鉄器時代にかけて、エストニアの人類集団の常染色体では、それまでにはほぼ検出されなかったシベリア系の要素が出現します。これはシベリア系YHgの出現時期とおおむね一致します。フェノスカンジアの人類集団ではシベリア系統が3500年前頃に出現したと推測されていますが(関連記事)、バルト海東部の人類集団ではこれよりも後の紀元前千年紀となる青銅器時代〜鉄器時代の移行期に、ウラル語族のシベリア系統集団の遺伝的影響を受けたようです。これは、言語学で推定されている、バルト海東部におけるフィン・ウゴル語派の多様化の時期とも一致しており、バルト海東部では青銅器時代〜鉄器時代の移行期にウラル語族のシベリア系統集団が到来し、考古学的証拠に基づくと、それはヴォルガ-ウラル地域からの南西経路だったのではないか、と本論文は推測しています。ただ、エストニアの鉄器時代以降の人類集団において、常染色体でのシベリア系の影響はY染色体よりもずっと低く、青銅器時代〜鉄器時代にかけてバルト海東部に拡散してきたシベリア系集団は男性主体だったか、シベリア系集団が支配的な地位を確立して父系社会を築いた、とも考えられます。

 本論文は、新たにDNAを解析した個体間の親族関係も推定しています。X14とV16という青銅器時代の2個体は、かなり近い近親関係にありました。2人は母系でも父系でも同じハプログループに分類され、mtHgではH1b2、YHgでも他のEstBA 男性全員と同様にR1aでした。Y染色体DNA解析の網羅率が充分ではないため、2人が父系でどの程度近い関係にあるのか定かではありませんが、mtDNAの全解析ではハプロタイプが一致しており、2人は母親を同じくする半兄弟もしくは男性とその姉妹の息子(オジと甥の関係)だった、と推測されます。この2人の石窯での埋葬場所は13km離れており、石窯での埋葬例が少ないことから、こうした墓は限られたエリート層のものだっただろう、と本論文は指摘します。放射性年代測定では、X14が2481±30年前、V16が2399±27年前です。推定死亡年齢は、X14が35〜40歳、V16が30〜40歳です。本論文は、X14がオジでV16は(その姉妹の息子となる)甥だろう、と推測しています。

 本論文は、バルト海東部の古代人類集団の表現型の変化についても検証しています。バルト海東部のCWC集団では、肌の色は濃かったと推測されています。その後、バルト海東部の人類集団では肌の色が薄いもしくは中間的になっていき、さらに青い目とより明るい髪の色の比率が増加しました。バルト海東部の人類集団においては、色素沈着機能を低下させるような遺伝的多様体の比率が青銅器時代以降に増加していった、と考えられます。ヨーロッパでは中石器時代まで薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、と推測されていますが(関連記事)、青銅器時代には薄い肌の色が高頻度で存在していた、と指摘されています(関連記事)。また、ヨーロッパ北部においてとくに高い乳糖耐性関連の遺伝的多様体の頻度も、バルト海東部では後期新石器時代以後に増加したことが明らかになりました。


参考文献:
Saag L. et al.(2019): The Arrival of Siberian Ancestry Connecting the Eastern Baltic to Uralic Speakers further East. Current Biology, 29, 10, 1701–1711.E16.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2019.04.026


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_18.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/300.html

[近代史5] ペリシテ人の起源
雑記帳 2019年07月07日
ペリシテ人の起源
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html


 ペリシテ人の起源に関する研究(Feldman et al., 2019B)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。地中海東部において、青銅器時代へ鉄器時代への移行は、ギリシア・エジプト・レヴァント・アナトリアの繁栄した経済・文化の終焉に続く、文化的混乱により特徴づけられています(関連記事)。レヴァントではこの事象と一致して、紀元前12世紀にアシュケロン(Ashkelon)などでかなりの文化変容が見られ、その担い手は『ヘブライ語聖書』では「ペリシテ人」と呼ばれています。これらの集落の建築や他の物質文化は、近隣の遺跡とは異なります。紀元前12世紀のペリシテ人の文化は、紀元前13世紀のエーゲ海の文化との類似性が指摘されています。そこから、エジプトやレヴァントに侵入してきた「海の民」はエーゲ海から到来した、との仮説も提示されています。これに対して、文化変容は知識の拡散や内在的発展により起きた、との反論もあります。また、ペリシテ人の起源地として、キリキアやキプロス島も提示されています。

 本論文は、アシュケロンで発掘された108人のうち、後期青銅器時代〜鉄器時代の10人のDNA解析に成功しました。平均網羅率は0.08倍〜0.7倍です。本論文はこの10人を、紀元前18〜紀元前16世紀頃となる後期青銅器時代(3人)、紀元前14世紀〜紀元前12世紀頃となる鉄器時代初期(4人)、紀元前12世紀〜紀元前11世紀頃となる鉄器時代後期(3人)の3期間に区分しています。本論文は、この10人の124万ヶ所のゲノム規模の一塩基多型を解析しました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNAのハプログループも明らかになっています。mtDNAハプログループ(mtHg)はU3b1a・T2c1c・H4a1cなど多様で、男性4人のY染色体DNAハプログループ(YHg)はJ・R1・BT・Lです。

 本論文は、青銅器時代〜鉄器時代にかけての、1000年以上にわたるレヴァントの人類集団の遺伝的継続性を明らかにしています。しかし、鉄器時代初期には、前後の時代と異なる遺伝的構成が見られます。これは、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の増加により示されます。本論文は、これがヨーロッパ南部系統からの遺伝子流動と推測します。これは、レヴァントにペリシテ人が到来したと推定されている時期と一致します。ヨーロッパ南部起源の集団が青銅器時代末期か鉄器時代初期にレヴァントへ到来し、在来集団と混合してペリシテ人が形成されたのではないか、というわけです。この時期、陶器の様式から、ペリシテ人とレヴァント在来系集団とが近接していた、と推測されています。

 しかし、それから2世紀以内の鉄器時代後期には、このヨーロッパ南部系統の遺伝的痕跡はアシュケロンでは消滅し、再びレヴァント在来集団と近い遺伝的構成となります。本論文は、レヴァントの在来集団との混合により、ヨーロッパ南部系統が希釈されたのではないか、と推測しています。ただ、ペリシテ人に関して単純化しすぎてはならない、とも指摘されています。鉄器時代初期のペリシテ人の起源は一つではなく、ペリシテ人は在来のレヴァント集団との混合後も、紀元前604年にバビロニア人によって征服されるまで、5世紀以上にわたり近隣集団と文化的にはっきり異なっていた、というわけです。

 本論文は、アシュケロンに見られる古代の一時的な遺伝的構成の変化が、少ない標本では見落とされる可能性を指摘しています。じっさい、青銅器時代と鉄器時代後期のアシュケロンの人類集団のDNA解析では、ヨーロッパ南部からの比較的大きな遺伝子流動は見落とされていた可能性が高そうです。さらに本論文は、レヴァントの青銅器時代の遺伝的多様性や、青銅器時代〜鉄器時代の遺伝子流動をより正確に把握するには、追加の標本が必要であることを指摘しています。本論文は、ペリシテ人の起源地としてヨーロッパ南部の可能性を提示していますが、さらに限定するには、キプロス島やサルデーニャ島やエーゲ海地域の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団の古代DNAが必要になる、というわけです。


参考文献:
Feldman M. et al.(2019B): Ancient DNA sheds light on the genetic origins of early Iron Age Philistines. Science Advances, 5, 7, eaax0061.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax0061


https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/301.html

[近代史5] ハンガリー人の起源

ハンガリー人の起源


雑記帳 2019年07月28日
ハンガリーとウラル地域の父系のつながり
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_54.html


 ハンガリーとウラル地域の父系のつながりに関する研究(Post et al., 2019)が公表されました。ウラル語族集団は現在、シベリア西部からヨーロッパ北東部までユーラシア北部の広範な地域に存在します。約1300万人の話者がいるハンガリー語もウラル語族の一派ですが、現在、その話者であるハンガリー人(マジャール人)は他のウラル語族集団と離れた地域に居住しています。ハンガリー語と最近縁の言語は、ヨーロッパ中央部のハンガリーから遠く離れたシベリア西部に居住する集団のマンシ(Mansi)語およびハンティ(Khanty)語で、ハンガリー語も含めてこれらはウゴル諸語を形成します。ハンガリー語は、紀元後千年紀の後半にテュルク語族のいくつかより強い影響を受けました。

 言語学と考古学から、ハンガリー人の起源はシベリア西部にある、と考えられてきました。しかし、ハンガリー人は遺伝的に、近隣のインド・ヨーロッパ語族集団とひじょうに類似しています。これは、常染色体でもY染色体DNAでもミトコンドリアDNA(mtDNA)でも同様です。対照的に、ハンガリー人は言語では近縁となるウラル語族の大半とはとくに強い遺伝的関連を示しません。これは、ハンガリー人の祖先が紀元後9世紀末頃にカルパチア盆地に到達し、過去1100年間の異なる集団間の均質化の過程により遺伝的構造が大きく変化した、という以前からの人類学の知見と一致します。

 古代mtDNA研究からは、ハンガリーの征服者たちと、アジア内陸部やヨーロッパ北部および東部やロシア中央部やオビ川とエルティシ川の間の地域の現代人との、強い遺伝的類似性が明らかになりました。また、紀元後8〜9世紀にカルパチア盆地に存在したアヴァール人に関しては、推定上のハンガリー人の祖先より明らかに多かった、と考えられています。アヴァール人の庶民のmtDNAとアヴァールおよびスラヴの混合墓地から、アヴァール人の庶民はアジア系集団よりも中世ヨーロッパ集団の方と遺伝的には顕著に近縁と明らかになりました。これは、アヴァール人支配層が母系では庶民に影響を及ぼさなかった、と示唆します。父系的な支配集団が形成されていた、ということでしょうか。

 紀元後6〜7世紀となるハンガリーのソラッド(Szólád)遺跡の埋葬者21人のY染色体DNAハプログループ(YHg)は、常染色体から推測される地域パターンとおおむね一致し、おもにヨーロッパ中央部および南部のYHg(E・I1・I2a2・T・R1a・R1b)に分類されます(関連記事)。近隣地域からカルパチア盆地への多くの移住を考慮に入れると、現代ハンガリー人の遺伝的構成が近隣集団とひじょうに類似しているのはよく了解されます。しかし、現代ハンガリー人の遺伝的構成に、東方の起源地であるウラル地域からの遺伝子流動が反映されているのか、という問題は残ります。

 そこで注目されているのがYHg-Nで、ウラル語族の拡大と関連している、と考えられてきました。これまで、YHg-N3はヨーロッパ中央部の現代のインド・ヨーロッパ語族集団では報告されていませんが、現代ハンガリー人では4%ほどとなり、他のウラル語族集団より低い割合となっています。YHg- N3a4は、ハンガリー人とマンシ人およびハンティ人というウゴル語族集団とを関連づけるサブクレードではなかい、と以前より考えられてきました。紀元後9〜10世紀のハンガリーの人類集団はYHg-Nのサブクレードに分類され、その中にはYHg- N3a4も確認されています。

 また、ハンガリーの古代人のDNA研究では、mtDNAハプログループ(mtHg)にアジア東部起源のものがあることも確認されています。mtHgでは、古代のハンガリーの人類集団は、ヴォルガ・ウラル地域のテュルク語族系の現代バシキール人(Bashkirs)との類似性が指摘されていました。バシキール人は、テュルク語族とウゴル語族とインド・ヨーロッパ語族の各集団の混合と考えられています。本論文は、初めてハンガリー人の高網羅率のY染色体DNA配列データを用いて、ウラル山脈およびシベリア西部地域の集団と比較し、YHg- N3a4の分岐年代を推定し、その時空間的な分散パターンを明らかにしています。

 YHg- N3a4は、B535とB539というサブクレードに二分されます。両者の分岐は4200年前頃と推定されています。B539はさらにB540とB545に分岐し、その年代は4200年前頃と推定されています。B540は、マンシ人およびハンティ人集団のサブクレードと、ハンガリー人およびバシキール人のサブクレードに区分されます。両者の推定分岐年代は3900年前頃です。B545はハンガリー人とバシキール人とタタール人(Tatars)のサブクレードに区分されます。B540とB545の拡大は、ともに2900〜2700年前頃に始まった、と推定されています。YHg- N3a4のハンガリー人は全員B539サブクレードに分類され、オビ・ウゴル諸語のマンシ人およびハンティ人、ヴォルガ・ウラル地域のテュルク語族のバシキール人およびタタール人も含まれます。YHg- N3a4が比較的高頻度で見られる地域は、サブクレードB535がフィンランド人を中心としたヨーロッパ北東部で、サブクレードB539がウラル山脈南方です。この二つのサブクレードの地理的分布パターンには、明らかに違いがあります。B539にはB540とB545というサブクレードがあり、ハンガリー人とバシキール人では両方見られます。

 上述のように、考古学でも言語学でも、ハンガリー人の起源がウラル山脈の東のシベリア西部だと考えられてきました。ヴォルガ・ウラル地域におけるその起源としては、紀元後6〜8世紀のカシュナレンコヴォ(Kushnarenkovo)文化集団、それに続く紀元後9〜10世紀のカラヤクポヴォ(Karayakupovo)文化集団が想定されてきました。考古学的証拠からは、ハンガリー人の祖先集団(古マジャール人)の一部は紀元後9世紀半ばに西方へと移動し、現在のウクライナとなるドニエプル川下流地域に出現した、と推測されています。しかし、紀元後11〜13世紀のチヤリクスカヤ(Chiyalikskaya)文化の遺跡からは、ウラル地域における古マジャール人の存続が支持されます。さらに、他の証拠からも、古マジャール人はウラル地域で紀元後13世紀まで存続していた、と指摘されています。ハンガリー人の東方の故地は古代ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの初期の年代記で言及されています。

 YHgは通常、滑らかな分布パターンを示しますが、YHg- N3a4のサブクレードB539の分布は独特です。古代DNA研究により、YHg- Nは新石器時代の中国とバイカル湖地域において、すでに6000年以上前に高頻度で多様である、と明らかになっており、その起源はユーラシア東部と考えられます。YHg- N3a4-B539は、ウラル地域とシベリア西部が中心的な分布地域ですが、低頻度ながら遠く離れたハンガリーで見られ、その間ではほとんど確認されていません。シミュレーションにより、ランダムな遺伝的浮動モデル、ヨーロッパとウラル山脈地域およびシベリア西部との間の単一の移住モデルは棄却されています。カルパチア盆地のハンガリーでは、紀元後10世紀の征服者の墓地でYHg- N3a4が確認されており、この頃のハンガリーの征服者の少なくとも一部がウラル地域起源だったことを示唆します。

 バルト海地域で高頻度のYHg- N3aでは、明確な南北の頻度勾配傾向が見られます。YHg- N3a3-VL29はエストニア人とラトヴィア人の間では高頻度で、ウクライナ人の間でも検出されます。これはYHg- N3aの分布の西端となり、ハンガリー人でも同様の分布が予想されますが、ハンガリーにも低頻度ながら存在するYHg- N3a4-B539とそのサブクレードの事例は異なります。ヴォルガ・ウラル地域、シベリア西部、それらから地理的に遠いハンガリーにおけるYHg- N3a4-B539の存在は、段階的な頻度勾配で説明するのは容易ではなく、現代ハンガリー人の祖先集団(古マジャール人)の移住が想定されます。

 サブクレードB 540内のマンシ人およびハンティ人とハンガリー人およびバシキール人との分岐は2900〜2700年前頃に始まったと推定されており、これはオビ・ウゴル諸語とハンガリー語の分岐を紀元前10世紀に起きたと推定する言語学的データと一致します。ただ、ウラル語族系統樹の最近の言語学的復元では、ウゴル語族系統の推定分岐年代の幅が、4900〜1700年前とより広くなっています。シベリア西部では寒冷気候の最盛期が紀元後8〜9世紀で、その結果としていくつかのシベリア西部集団が移動したか可能性も指摘されており、古マジャール人の西進はこれで説明できるかもしれません。

 上述のように、現代ハンガリー人におけるYHg- N3a4- B539の頻度は低いのですが、紀元後9世紀後期〜10世紀早期のハンガリーの墓地ではその頻度が26.3%と高いので、ウラル山脈地域の古マジャール人におけるYHg- Nの割合は顕著に高かったかもしれません。また、ウラル山脈地域周辺の古マジャール人の起源として、カシュナレンコヴォ文化およびカラヤクポヴォ文化が指摘されていることから、両文化の人類集団のY染色体および常染色体の多様性の研究が、ハンガリー人の人口史への新たな洞察を提供できるだろう、と本論文は指摘しています。ハンガリーの言語状況は、男性主体の父系的な集団による征服の結果として説明できるかもしれません。こうした事例は人類史において普遍的だったのではないか、と私は考えているのですが(関連記事)、まだ明らかに勉強不足なので、今後も地道に調べていくつもりです。


参考文献:
Post H. et al.(2019): Y-chromosomal connection between Hungarians and geographically distant populations of the Ural Mountain region and West Siberia. Scientific Reports, 9, 7786.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-44272-6


https://sicambre.at.webry.info/201907/article_54.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/302.html

[近代史5] コーカサス人の起源
コーカサス人の起源

雑記帳 2019年02月07日
コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_10.html

 コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2019A)が報道されました。1100kmに及ぶコーカサス山脈は黒海とカスピ海の間に位置しており、コーカサス地域には上部旧石器時代以降の豊富な考古学的記録があります。コーカサス地域での新石器時代は8000年前以降に始まりました。鉱石・牧草地・木材といった天然資源が豊富なコーカサス地域は、発展していくメソポタミアの都市文化にとって重要な地域でした。

 西アジア・コーカサス地域・ユーラシア草原地帯・ヨーロッパ中央部の接触に関しては、7000〜6000年前頃に考古学と遺伝学の双方で証拠が得られています。こうした接触は6000〜5000年前に増加していき、車輪・ワゴン・銅合金・新たな武器や家畜品種などが好感されていきました。こうした接触によりヤムナヤ(Yamnaya)文化が形成され、やがてヤムナヤ文化集団は5000〜4000年前頃より拡散していき、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。車輪の開発やウマの家畜化の進展などによる移動力の増加が、こうした大移動の背景にあるのでしょう。コーカサス地域は、こうした人類集団と文化の移動・拡散において、重要な役割を果たしたのではないか、と考えられています。

 本論文は、おもに6500〜3500年前頃のコーカサス地域の45人のゲノム規模の一塩基多型データを生成し、既知の古代人や現代人のデータと比較しつつ、コーカサス地域、さらにはユーラシア西部の人類集団の移動・相互の関係を検証しています。これまでのコーカサス地域の現代人のゲノム解析からは、アナトリア半島や近東の集団との類似性と、隣接する北方の草原地帯との遺伝的不連続性が指摘されていました。常染色体やミトコンドリアDNA(mtDNA)のデータからは、コーカサス地域全体は遺伝的に比較的均質に見えるのにたいして、Y染色体は多様でより深い遺伝的構造を示し、地理的・民族的・言語・歴史的事象と一致します。本論文は、古代ゲノムデータの解析・比較により、こうしたパターンがどのように形成されてきたのか、検証しています。

 まず大まかに言えるのは、6500〜3500年前頃のコーカサス地域の人類集団の遺伝的構成は草原地帯と山岳地帯とで大きく分かれ、3000年にわたって安定的だった、ということです。つまり、人類集団の遺伝的構成は、コーカサス山脈の南方地域と北部の山麓地域とでは類似しているのに対して、コーカサス山脈の北部では、隣接していても、山麓地域と草原地域とでは明確に異なり、そうした構造が3000年にわたっておおむね安定的に継続した、ということです。銅石器時代〜青銅器時代には、コーカサス山脈は人類集団を遺伝的に分離する障壁とはならなかったようです。本論文は、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成になっている、と指摘しています。Y染色体では、ハプログループJ・G2・Lが多い山麓地域と、R1/R1b1およびQ1a2の多い草原地域とで明確に異なりますが、mtDNAのハプログループは両集団ともY染色体DNAハプログループよりも多様で類似しています。

 青銅器時代のコーカサス地域には、おもにコーカサス山脈以北のマイコープ(Maykop)文化(5900〜4900年前頃)とコーカサス山脈以南のクラアラクセス(Kura-Araxes)文化が存在し、後者は青銅器時代後期にかけて1期〜3期へと変容していきます(5600〜4300年前頃)。コーカサス山脈以北では、ヤムナヤ文化も拡大してきて、マイコープ文化から北部コーカサス文化(4800〜4400年前頃)へと変容していきます。こうした文化変容にも関わらず、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成は比較的安定していました。

 さらに、マイコープ文化集団の担い手の遺伝的構成も、山麓地域と草原地域とで異なっており、文化変容が大規模な人類集団の移動を伴わず、在来集団による文化受容だったことを示唆しています。ただ、マイコープ文化期に、山麓地域には多いアナトリア農耕民系要素が草原地域では基本的に見られないか少ない一方で、アナトリア農耕民系要素が顕著に多い個体も草原地域マイコープ文化集団で2人確認されているので、山麓地域と草原地域とである程度の遺伝子流動があった、と推測されます。また、草原地域マイコープ文化集団には、ユーラシア北部・中央部に存在したと推測される、まだ識別されていない祖先集団(ゴースト集団)からの遺伝的影響を受けており、アメリカ大陸先住民集団や東アジア系集団との類似性をもたらしている、と推測されています。本論文の見解を私が文章にしても分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。

画像
https://media.springernature.com/lw900/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41467-018-08220-8/MediaObjects/41467_2018_8220_Fig5_HTML.png

 上述したように、コーカサス地域では現在、常染色体やmtDNAが比較的均質なのに対して、Y染色体では民族に応じた大きな違いが見られます。本論文は、現在のコーカサス北部集団には、鉄器時代以降に草原地帯集団から追加の遺伝子流動があった、と推測しています。考古学と歴史学からは、鉄器時代と中世におけるコーカサス地域への大量の侵入が指摘されていますが、この仮説の検証には、鉄器時代以降の古代DNA解析が必要になる、と本論文は慎重な姿勢を示しています。おそらく鉄器時代以降のコーカサス地域では、男性主体の征服活動があったのでしょう。

 また本論文は、ヤムナヤ文化系集団が、そのヨーロッパ西方への本格的な拡大の前に、ヨーロッパからわずかに遺伝的影響を受けた可能性も指摘しています。本論文はその候補として、ヨーロッパ中央部の球状アンフォラ(Globular Amphora)文化集団などを想定しています。ヤムナヤ文化集団のヨーロッパへの大規模な拡散の前に、ユーラシア西部では微妙な遺伝子流動があり、それはユーラシア草原地帯(東)からヨーロッパ(西)への一方向のみではなかった、というわけです。本論文は、考古学的証拠でも、ヨーロッパからメソポタミアまで含む文化の交流がヤムナヤ文化集団の本格的な拡大前より始まったことが示されていることから、ユーラシア西部では早くから広範囲の文化的・遺伝的交流があったのではないか、と指摘しています。


参考文献:
Wang CC. et al.(2019A): Ancient human genome-wide data from a 3000-year interval in the Caucasus corresponds with eco-geographic regions. Nature Communications, 10, 590.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-08220-8


https://sicambre.at.webry.info/201902/article_10.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/303.html

[近代史5] アイスランド人の起源
アイスランド人の起源


雑記帳 2018年06月01日
アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_1.html


 アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動についての研究(Ebenesersdóttir et al., 2018)が報道されました。アイスランドへの人類の移住は紀元後870〜紀元後930年に始まり、その担い手はヴァイキングやその奴隷とされた人々だと推測されています。アイスランドの人類集団は、初期の移住後1000年間は人口が1万〜5万人と比較的小規模で、孤立していました。現在では、アイスランドには約33万人が居住しています。

 本論文は、アイスランドの27人の遺骸のゲノムを解析し、アイスランドの現代人と比較しました。放射性炭素年代測定により、年代は最初の移住に近い1000年前頃と推定されました。ゲノム解析の結果、初期アイスランド人は古代スカンジナビア人(現在のノルウェーとスウェーデン)とゲール人(現在のアイルランドとスコットランド)から、ほぼ同程度の遺伝的影響を受けている、と明らかになりました。しかし、現代のアイスランド人では、スカンジナビア系の遺伝的影響が70%と強くなっています。これは、1100年間での急速な遺伝的浮動の結果と考えられます。他の動物集団ではしばしば見られる、孤立した集団に起きる遺伝的浮動と同様の結果ではないか、というわけです。

 ただ、別の解釈も提示されています。スカンジナビア半島からの移住、とくにデンマーク人の比較的最近の移住もまた、アイスランド人の遺伝子プールに影響を及ぼした可能性がある、というわけです。他には、アイスランドの初期住民のうち奴隷にはゲール人の遺伝的影響が強く、スカンジナビア系の遺伝的影響の強い支配層の方がより多く子孫を残した(適応度が高い)可能性も提示されています。また、奴隷は支配層よりも丁寧に埋葬されなかったかもしれないので、標本数が少なく偏っている可能性も提示されています。アイスランドは狭く、人口規模が小さくて家系図が充実しているので、今後も人類遺伝学の研究に大きく寄与していくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Ebenesersdóttir SS. et al.(2018A): Ancient genomes from Iceland reveal the making of a human population. Science, 360, 6392, 1028-1032.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aar2625

https://sicambre.at.webry.info/201806/article_1.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/304.html

[近代史5] レヴァント人の起源
レヴァント人の起源


雑記帳 2018年08月22日
レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_35.html


 レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析結果を報告した研究(Harney et al., 2018)が報道されました。レヴァント南部の後期銅器時代の物質文化は、質的に前後の時代と異なります。レヴァント南部後期銅器時代の文化の特徴は、定住密度の増加・聖域的な場所の導入・二次埋葬における骨壺の使用・公的儀式の拡大・銅や玄武岩や象牙の人工物の象徴的文様の彫刻や絵画的表現などです。レヴァント南部の銅器時代には、埋葬や儀式慣行の点で大きな変化が見られます。また、レヴァント南部の後期銅器時代には、「蠟型法」として知られる銅鋳造技術が用いられていました。このような文化的特徴は、レヴァント南北で共有されています。しかし、レヴァント南部の後期銅器時代の文化は、上述したようにレヴァントの前後の時代の文化とほとんど関連していないので、その起源について議論されてきました。一方の仮説は芸術的な模様に基づき、北メソポタミアのような北方からの移民によりもたらされた、というものです。もう一方の仮説は、レヴァント地域集団がこれらの文化を発展させ、北方との類似性は文化交流に起因しており移住の結果ではない、というものです。

 本論文はこれらの仮説の検証のため、イスラエル北部の上ガリラヤ(Upper Galilee)地方にあるペキイン洞窟(Peqi’in Cave)の人類遺骸のDNAを解析し、合計22人からゲノム規模のデータを得ました。イスラエルの気候条件はDNAの保存に適していないので、貴重なデータと評価されています。ペキイン洞窟は長さが17m、幅が4.5〜8mで、擬人的な模様のある200点以上の骨壺や杯などが発見されており、600人以上が埋葬されたと推定されています。ペキイン洞窟は銅器時代のレヴァントでは最大級の墓地となります。直接的な放射性炭素年代測定の結果、ペキイン洞窟は後期銅器時代となる紀元前4500〜紀元前3900年前頃を通じて使われていた、と推測されています。

 農耕が始まった頃の中東の人類集団のゲノム規模の解析結果から、当時のアナトリア半島・イラン・レヴァントの人々は相互に現代のヨーロッパ系と東アジア系ほどに異なっていたものの、青銅器時代までには相互の移住・交雑により中東の人類集団は均質化していき、現在のような遺伝的類似性が形成されました(関連記事)。イランの初期農耕民と遺伝的に最も類似している現代人は、イランのゾロアスター教徒です(関連記事)。ペキイン洞窟銅石器時代集団(PCh)の遺伝的構成は、レヴァントの新石器時代農耕民集団(NL)から57%、イランの銅器時代集団(ICh)から17%、アナトリア半島の新石器時代農耕民集団(NA)から26%と推定されます。一方、青銅器時代のレヴァントでは、紀元前2490〜紀元前2300年前頃となるヨルダンのアインガザル('Ain Ghazal)遺跡の人類集団が、遺伝的には、56%がNL系統に、44%がIch系統に由来する、と推定されています。

 このようにPChは、その前の新石器時代レヴァント農耕民集団とも、その後の後期青銅器時代レヴァント南部集団(LBSL)とも、遺伝的構成が大きく異なっていました。銅器時代には、アナトリア半島やイラン方面から住民がレヴァントに移住してきて、レヴァントにおいてかなりの遺伝的影響を与えて、均質化も進展していき、その傾向は青銅器時代にも続いたようです。PChはゲノム規模のデータでも遺伝的に比較的均質な集団と推定されていますが、Y染色体ハプログループでも、10人中9人がT系統(そのうち、より詳しく分類できた8人はT1a1a)に分類されるように、均質だったようです。レヴァントの人類集団のY染色体ハプログループは、続旧石器時代や新石器時代ではEが、青銅器時代ではJが優勢でしたから、レヴァントでは父系の点でも、新石器時代〜銅器時代〜青銅器時代にかけて、時代の移行にともない大きな変化があったようです。PChのDNA解析は、レヴァントにおける新石器時代と青銅器時代の古代DNA研究の空白期間を埋めるという意味でも貴重です。PChの遺伝的影響は、LBSLにはほとんどないようですが、レヴァント北部の後期青銅器時代の集団には一定以上あるようです。また、アフリカ東部の現代人集団にはレヴァントからの遺伝的影響が指摘されていますが、その中にPChは含まれていないようです。

 上述したように、レヴァントにおいては銅器時代に大きな考古学的変化が見られ、それが人々の移住によるのか、移住ではなく文化的交流の結果なのか、という議論が続いてきました。本論文は、上述の古代DNA解析の結果から、人々の移住による影響が大きかったのではないか、との見解を提示しています。上述したように、PChは、NLを基層に、Ich(17%)とNA(26%)の遺伝的影響で成立しましたが、埋葬習慣や人工物の模様など、レヴァント南部の銅器時代の文化のいくつかは、考古学的にはアナトリア半島と北メソポタミアの新石器時代の文化に起源があったかもしれない、との見解が以前から提示されていました。本論文の古代DNA解析の結果は、そうした考古学的見解と整合的と言えそうです。Ichは、メソポタミアを経由してレヴァント南部へと拡散してきた、と考えられます。レヴァント南部の銅器時代の芸術的表現には、メソポタミアの、イナンナ(Inanna)やタンムーズ(Dumuzi)といった神々との関連も指摘されていました。また、レヴァントの冶金工芸品製作の知識と資源も、イラン方面やメソポタミアやアナトリア半島など北方・東方からもたらされた、との仮説も提示されてきました。

 レヴァント南部における大きな考古学的変化は、新石器時代から銅器時代にかけてと同様に、銅器時代から青銅器時代にかけても起きました。骨壺での二次埋葬の消失といった埋葬習慣や定住パターンの変容、遺跡の大規模な放棄、象徴的意味合いの人工物の激減などです。これも、人類集団の構成が大きく変わったことに起因する、と本論文は指摘します。上述したように、LBSLの遺伝的構成は、NL系統が56%、Ich系統が44%と推定されており、PCh に見られるNA要素が確認されていません。Ich系統の要素は、NLとPChにはなく、LBSLに見られるので、Ich系統は銅器時代までにはレヴァントに拡散してきた、と考えられます。LBSLは、Ichの最初の拡大のさいにNLとの融合の結果成立し、NA系統の影響を受けずにいた系統の残存集団か、あるいはレヴァント外でIch系統の影響を受けつつもNA系統の影響を受けずに成立し、後にレヴァントへ再度拡散してきたのかもしれません。いずれにしても、レヴァント南部では銅器時代から青銅器時代への移行において人類集団の交替と言えそうな大事象があり、それが考古学的記録に見える文化の大きな変化をもたらしたようです。本論文は、遺伝学と考古学のデータを組み合わせた分析は過去の社会の変化の仕組みについて豊富な情報を提供できるし、他地域にも適用できるだろう、と指摘しています。もちろん、文化変容が、新石器時代〜銅器時代〜青銅器時代のレヴァントのように、人類集団の置換とも言えそうな外部からの大規模な遺伝的影響を伴わずに起きた事例も少なくなかったでしょう。

 PChの表現型についても、興味深いことが明らかになっています。ヨーロッパ系現代人集団の青い目と関連しているアレルの頻度が、PChにおいて49%になるので、PChでは青い目は一般的だった、と推測されています。これは、NLにはほとんど見られないので、レヴァントの外部からもたらされた、と考えられます。また、ユーラシア西部系現代人集団において皮膚の色素沈着と関連しているアレルからは、PChにおいて明るい肌の色が一般的だった、と推測されています。ただ、単一部位に基づく皮膚の色素沈着に関しては慎重な検証が必要とも指摘されています。


参考文献:
Harney É. et al.(2018): Ancient DNA from Chalcolithic Israel reveals the role of population mixture in cultural transformation. Nature Communications, 9, 3336.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-05649-9

https://sicambre.at.webry.info/201808/article_35.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/305.html

[近代史4] パソナ本社が淡路島に移転 淡路島がパソナ島化してた
2020.09.01
パソナ本社が淡路島に移転 淡路島がパソナ島化してた
https://golden-tamatama.com/blog-entry-pasona-awaji-iland.html


さて、安倍ちゃん辞任以降、何があってもおかしくない昨今。

今日気になったのはこのニュースですた。

パソナ本社機能を淡路島に移転?


なんでしょうね。これ。
スーパーシティで地方創生する計画の一環なのか。

パソナと言えば

与作は木を切る〜

へいへいぞ〜
へいへいぞ〜

知っての通り、我らが竹中平蔵先輩の会社です。

最近、パソナは、コロナの持続化給付金で騒がれていますた。

幽霊会社(サービスデザイン推進協議会)を作って
税金769億を電通やトランス・コスモスと一緒に山分けしてしまったとか。


まぁ、これも、へいへいぞ〜氏がやったのでしょう。

それにしても、淡路島移転って最近かと思ったら、
もうずっと前から淡路島=パソナ島になってたんですね。

知りませんですた。

これは日刊ゲンダイさんから。
2014年6月の記事です。

県議会でも問題視…兵庫・淡路島は“パソナ島”になっていた
県や市から予算と土地


ASKA事件をキッカケに政官との癒着が次々と発覚しているパソナだが、兵庫県「淡路島」が「パソナ島」になっていることをご存じだろうか。

次々できるパソナグループの施設で島が埋め尽くされる勢いなのだ。

4年前、廃校になった市立野島小学校の跡地を淡路市から譲り受けて造ったレジャー施設「のじまスコーラ」を運営するのは、「パソナふるさとインキュベーション」。

1階のカフェではウッドデッキで焼きたてパンを食べられ、2階のイタリアンではコース料理と音楽の生演奏を楽しめる。3階のテラスでは瀬戸内海に沈む夕日を一望できる。

島の東側に車を30分ほど走らせると、古民家を改装した「春風林」に着く。

新神戸からパソナ所有のクルーズ船「コンチェルト」に乗せてきた国会議員や芸能人をもてなす施設で、コース料理が食べられる。

いわば「淡路島の迎賓館」。元参議院議長の江田五月や落語の桂文枝も“おもてなし”を受けた。

そのそばには1人2000円で農業体験ができるパソナの農園「チャレンジファーム淡路」があり、北部にある県立淡路島公園の中の4.3ヘクタールの敷地にはこれからパソナのテーマパーク「淡路マンガ・アニメアイランド」も建設する。

■不透明な関係が県議会でも問題に

まあ、淡路島はどこもかしこもパソナ、パソナなのだが、問題は施設の一部の土地が市からの無償譲渡であることだ。

さらに、パソナグループは「農業人材育成事業」として11年度に4億800万円、「淡路島6次産業人材育成事業」として12年度に1億5400万円の予算を兵庫県から受け取っている。



県は「企画提案コンペを経て適切に選定しました」(しごと支援課)と説明するが、「淡路島とパソナ」の関係については早くから疑惑の目が向けられていて、2011年の兵庫県議会では、公募は何社か、なぜパソナが選ばれたのか、最初にパソナありきの事業ではないかなど、追及された。

質問に立った杉本ちさと県議(共産党)はこう言う。

「3年前に兵庫県は国に総合特区案『あわじ環境未来島構想』を提出しました。

そこにはパソナとの協働事業が最初から盛り込まれていたのです。

最初からパソナありきの事業といわれても仕方ないと思い、質問しました。

しかもパソナは『農業人材育成』をうたいながら、ホームページでは『芸術家の卵』を募集していた。

そうしたら淡路島にパソナのレジャー施設が乱立していると聞いて驚愕(きようがく)しました。改めて県とパソナの関係を追及しなくてはなりません」

淡路市の門康彦市長は西麻布の迎賓館「仁風林」で〈淡路市の未来について語った〉と2010年11月8日のブログに書いていた。

井戸敏三県知事は「仁風林」でおもてなしを受けている。

不透明な関係について説明を聞きたいが、パソナは「回答を差し控えさせていただく」とのことだった。

パソナには北朝鮮の喜び組に似た有名な施設。

「仁風林」があるとは有名な話でしたが、
どうも淡路島には春風林があるようですた。

同じく2014年の日刊ゲンダイさんの現地ルポです。

地元住民の本音は? “パソナの島”と化した淡路島現地ルポ
ASKA事件をきっかけに政官との不透明な癒着が露呈したパソナ。

日刊ゲンダイは11日、兵庫県・淡路島がパソナに“乗っ取られている”ことを報じた。県や市がパソナに土地の一部を無償譲渡したり、巨額の補助金をつけたりして、島中、パソナの関連施設だらけなのである。

「パソナ島」と化した現地を訪れると、島民がパソナに抱く感情は複雑だった。

パソナはここ数年、グループ企業を通じて「農業実習」「新規事業立ち上げ」などの業務名目で、数百人の契約社員を淡路島で雇用している。

当然、感謝されているのかと思ったら、むしろ、不気味がられていた。

明石港から高速フェリーで13分、島の玄関口「岩屋港」に降り立つと、すぐ目の前に民宿を改装したパソナの契約社員向け宿泊施設「絵島館」が見える。

15分ほど歩いた場所にも三洋電機の元保養所「淡路浦荘」を改装した研修施設「凛風館」があるが、どちらも「パソナ」の看板は掲げられていない。

付近住民に絵島館はまだ「パソナの施設」として知られていたが、凛風館は「無人施設」と思われているようだ。近所のお年寄りはこう言った。

「パソナで働く人はこっちに来たかと思ったら、すぐにいなくなっちまってのー。

住民票も島に移さんし、町内会にも入ってくれんから、誰が誰だか分からんのよ。えっ!淡路浦荘にパソナの人が住んどるの? ホンマかいな。

まあ、ほとんどが契約社員らしいから、悪気がないのはよう分かっとるけど、年寄りにはちょっと不安やわ」

凛風館から淡路市役所に向かって車を10分走らせると、国道28号線沿いに古民家風の建物が現れる。

聞けば淡路島出身の三洋電機創業者・井植歳男氏の実弟、祐郎氏の別宅だったそうだが、約1年半前にパソナの迎賓館「春風林」になった。

パソナ所有のクルーズ船に乗せてきた政治家や官僚を接待する施設で、元参院議長の江田五月や落語家の桂文枝も“おもてなし”を受けた。

有名指揮者もブログに「コース料理を食べた」とつづった場所だ。

■自治体は何のために土地やカネを与えているのか

春風林の評判を聞くと、近所の老人は顔をしかめてこう言った。

「井植さんが住んどったころは、いかにも由緒ある旧家という感じだったけどな。

パソナのものになった途端、庭にモンゴルの『パオ』(移動式住居)みたいな建物がポコポコできてヘンテコになってしもた。

簡易宿泊所らしいけど、うちらには何の挨拶もないから、中で何をしちょるかよう知らん。

週末になると黒い高級車が3台くらい横付けされて、若い男女が30人くらい乗ったマイクロワゴンが横付けされるんやけど、何をしとるのやら……」

ASKA事件以降はパタリと静かになったというが、「パオ」の中で何が行われているのか――。春風林の正面玄関のチャイムを鳴らしても、電話をかけても不在なのか、誰も出てこなかった。

地元住民も首をかしげている施設に、県や市が便宜を図るのは不可解だ。

中で何をしてとるのやら。。

つぉぉ。
羨ますぃ。

どなたかここを読んでるパソナの方、春風林にお誘い頂けないでしょうか。
ワタスも春風にふれてみたい。

とかなんとか。

淡路島と言えばユダヤゆかりの地とも言われてるので
どうもその筋の企業が移って来てるのでしょう。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-pasona-awaji-iland.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1015.html

[近代史5] ブリテン島人の起源 中川隆
3. 中川隆[-11550] koaQ7Jey 2020年9月02日 03:52:48 : wpXk3w6zIY : LjZzUlJFRWgzbWM=[4]
雑記帳 2015年11月13日
ブライアン・ウォード=パーキンズ『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201511/article_13.html


第1刷の刊行は2014年6月です。原書の刊行は2005年です。ローマ帝国が衰退・崩壊し、古代は終焉して暗黒の中世が始まった、との見解は今でも一般では根強いようです。

 本書は諸文献も引用していますが、おもに考古学的な研究成果に依拠して、ローマ帝国の滅亡とともにローマ「文明」も崩壊したのだ、との見解を提示しています。

もっとも、この場合の「ローマ帝国の滅亡」とは西ローマ帝国のことであり、本書がローマ「文明」の崩壊と把握するのも、西ヨーロッパ(ローマ帝国西方)が対象です。ローマ帝国東方では、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が西ローマ帝国の滅亡後1000年近く存続しました。

 本書がローマ「文明」崩壊の根拠としているものとして、識字率の低下もありますが、これは推定が難しいことを本書も認めており、決定的な根拠とはされていません。本書がローマ「文明」崩壊の重要な根拠としているのは、陶器や瓦といった身近な日常生活用品や貨幣です。このうち、瓦については、ローマ帝国期には社会の上層ではない人々の住宅でも瓦葺だったのに、西ローマ帝国滅亡後の西ヨーロッパ社会では、瓦葺は一部の建築物に限定される、と本書では指摘されています。もっとも、これについては、瓦葺から茅葺への変化は、気候に対応した文化的な変容であり、「文明」衰退の根拠にはならないかもしれない、との懸念も取り上げられています。

 本書がローマ「文明」衰退の重要な根拠としているのは陶器です。4世紀以前には社会の中層・下層にまで、質の高い統一的な規格の陶器が用いられていたのにたいして、西ローマ帝国滅亡後には、そうした質の高い陶器が社会の中層・下層では見られなくなる、と本書は指摘します。ローマ帝国時代には、社会の中層・下層でも用いられていたそうした質の高い陶器はしばしば遠隔地で生産されており、大規模で複雑で広範な流通・経済の仕組みが存在していた、というのが本書の見解です。

 そうした「洗練」され複雑な経済の仕組みが、西ローマ帝国とともに崩壊していった、というわけです。西ローマ帝国の滅亡にともない、西ヨーロッパにおいて貨幣の使用が減少したと推定されるのも、そうした複雑な経済の仕組みが崩壊していったことと関連している、と本書では指摘されています。また、古環境の大気汚染に関する研究から、ローマ帝国時代と比較して、ローマ帝国崩壊後の数世紀の大気汚染の水準が先史時代に近い水準にまで落ち込み、汚染の水準がローマ帝国時代にまで上昇したのは16〜17世紀になってからである、とも指摘されており、「洗練」され複雑な経済の仕組みが崩壊した根拠とされています。

 ただ、上述した西ローマ帝国の滅亡と東ローマ帝国の長期の存続の問題とも関わってきますが、本書は、ローマ帝国の経済の様相は地域により大きく異なっていた、と強調します。西ヨーロッパ(ローマ帝国西方)においては、ローマ帝国(西ローマ帝国)の崩壊にともない、「洗練」され複雑な経済は崩壊します。しかし、その西ヨーロッパにおいても、地域により様相がかなり異なることを本書は指摘しています。たとえばイタリアでは、4世紀の間に衰退が始まり、5世紀になるとやや加速しつつも、600年頃まで緩やかに経済的指標が低下していきます。

 もっとも、緩やかな低下とはいっても、長期的にはその間ほぼずっと低下し続けているわけで、300年頃と600年頃とを比較すると、推定される経済の複雑さには大きな違いが生じています。西ヨーロッパにおいて経済的複雑さがローマ帝国時代の水準に回復するのがいつなのか、諸見解があるようですが、上述した大気汚染の研究からは、西ローマ帝国の滅亡後1000年以上要したとの見解もあり得るわけで、ローマ帝国における経済的水準の高さが窺われます。

西ヨーロッパでもブリテン島では、5世紀初頭に経済水準の劇的な低下があり、それ以降700年頃までほとんど回復していない、と推定されています。

本書は、ブリテン島ではローマ帝国の崩壊(ブリテン島におけるローマの統治体制の崩壊)とともに、その経済的複雑さが先史時代の水準にまで低下してしまった、との見解を提示しています。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html#c3

[近代史02] 小泉純一郎_その人気の秘密 中川隆
19. 中川隆[-11549] koaQ7Jey 2020年9月02日 06:02:18 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[2]
「音楽&オーディオ」の小部屋
小泉純一郎さん流の「クラシック音楽への親しみ方」2020年09月02日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/dd1919981db69723bd0881a80323bb61


これまでの体験から推し測ると「クラシック音楽が好きな人間」はこの世でホンの一握りなので、著名人でクラシックが好きという噂を聞くだけで随分と親近感が増す。ましてや政治家においては。

ずっと以前の元総理・福田康夫〔自民党)さんはベルリオーズの「幻想交響曲」が好みで自宅にはタンノイの高級スピーカーが設置されているという話を漏れ聞く。ヤナーチェクの音楽もお好きというから相当の通である。

しかし、在任中、低支持率と不安定な政局に苦しみ、クラシックをゆっくりと聴く気分にはなれなかっただろうと想像がつくのでお気の毒。

クラシックを心から楽しむのであれば鑑賞者の気持ちの中に「ゆとりと静謐感」が必要なので、今ごろはきっと(クラシックを)満喫されていることだろう。

それにしてもクラシック好きの総理というのはかなり珍しい。先般亡くなられた中曽根さんは「サミットでクラシックの話題に入れる」と自負されていたようだが、今回、ほぼ決定的ともいえる「菅」さんはどうなんだろう。たいへんな苦学をされた「叩き上げ」の経歴に大いに敬意を表するが、クラシックに親しむ悠長な時間の余裕があったかな。

そういえば、元総理の小泉純一郎さんはたいへんな音楽好きで、郵政大臣在任中に民間のFM局を数多く認可したことでも知られている。

それでも、どの程度お好きかは知る由もなかったが、同氏の著作「音楽遍歴」(日本経済新聞社刊)を見かけたのでざっと目を通してみた。

ところが、あにはからんや相当の通で、ほとほと恐れ入ってしまった。

また、本書は「音楽遍歴」と銘打ってはいるが、むしろ自分の音楽体験をもとにして一般の人がクラシックに親しむためのノウハウを主眼として書かれた趣がある。

いわば「これからクラシックに親しもうという人やもっと深くのめり込みたい人」に向けて書かれた指南書みたいなもので、随所にそういった表現もあり、それもかなり具体的に書かれていて随分参考になること請け合い。

以下、「小泉さん流のクラシック音楽に親しむためのノウハウ」をいくつかポイントをしぼってピックアップしてみた。

☆ 人生と切り離せないほどの音楽大好き人間と自負している。12歳のときからヴァイオリンを始め、クラシック音楽とは優に半世紀以上の付き合い。

☆ ヴァイオリン協奏曲から音楽の道に入った。バッハ、ブラームス、パガニーニ、モーツァルト、シベリウス、エルガーなどが好きになった。特にエルガーは全作品が大好き。

☆ クラシックはポピュラー音楽や演歌とは違って最初に聴いて「即いい」というのはそれほどない。何回も聴かないと良さが分からない。たった一小節でも良くなってきた後、何回も聴くと、全部良くなってしまう。ブラームス(ヴァイオリン協奏曲)がそうだった。

☆ 音楽の聴きかたはBGMから入っている。ご飯を食べているときでも新聞を読んでいるときでも知らない曲を四六時中流している。そして、これいいなと思ったら本格的に腰をすえて聴く。

☆ マーラーとブルックナー、彼らの良さが分かったのは40歳過ぎてから。ある日のことクルマに乗ってFMラジオをかけてもらい「これ何だ」と訊くと「マーラーの何番です」「ブルックナーの何番です」となった。

いいと思った曲名はすぐメモをしてレコード店に買いに行く。最初は特定の部分しか良さが分からなかったが、段々聴くうちに全部がいいと思えるようになった。

☆ オーディオ装置には全然こだわらない。生演奏に勝るものはないから。部屋全体の音響効果を考える人もいるけど私は普通でいいと思う。(そうかな?笑)

☆ 大好きなオペラとの出会いはNHKのテレビ放映でジョルダーニ作曲の「アンドレア・シェニエ」だった。メロディーの美しさ、詞の素晴らしさに感動した。

またテノール歌手のマリオ・デル・モナコの人間業とは思えない美声にびっくり。こういう歌手は50年、100年に1人だろう。いまだにデル・モナコ級は出ていない。

☆ 大人の初心者向けのオペラを紹介する。
  ヴェルディ 「椿姫」「イル・トロヴァトーレ」「アイーダ」
  プッチーニ 「ラ・ボエーム」「トゥーランドット」
  ワーグナー 「ローエングリン」「タンホイザー」
  モーツァルト 「魔笛」

「椿姫」「イル・トロヴァトーレ」「アンドレア・シェニエ」「トゥーランドット」の四作品を観てオペラの良さがわからない、あるいは感動しないという人はもうオペラを観なくていい。

以上、ほんのさわりの部分の抜粋だがプロの音楽家を目指すのならいざ知らず、趣味としてクラシックを楽しむのであればこうした小泉さん流のアプローチは「大いにあり」ではないかと思えてきた。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/dd1919981db69723bd0881a80323bb61
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/303.html#c19

[リバイバル3] 本当のブリティッシュ・サウンドはタンノイではなくヴァイタボックス 中川隆
58. 中川隆[-11548] koaQ7Jey 2020年9月02日 06:09:20 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[4]
晴耕雨聴 2020年05月31日

オーディオ製品は新しいものが良いとは限りません。

 弄りまわし過ぎて「角を矯めて牛を殺す」が起こっているのでしょうか、自社製品でも以前に作られたモデルを超えられない事はよくある話です。

 スピーカーなどは顕著で、アルテックの515ウーハーは多くのモデルがありますが、一番旧いフィックスドエッジ、ベークライトダンパーの515(A)が音が一番らしいです。
 私は515と515Bしか手元では聴いていませんが、515の方が良かったです。

 バイタボックスのS2ドライバーも最初期の赤ラベル(お尻に赤いラベルが貼って有る黒塗装のモデル)は高域がきれいに出て、最終型のS2(グレーハンマートーン塗装、シルバーの銘板、ベンプレ亭書斎で使用中)より上だそうです。
 これはバイタボックス一筋で何十年もやられており、どちらも所有しておられる四国の先輩のお話ですので確かです。

 アンプもWEやロンドンWE、クラングフィルムなどのアンプが今も最高と言われる方が沢山おられます。量産品でも、例えばNECのプリメインアンプは初代のA-10が一番評価が高いです。

 スピーカーやアンプと比べると新しいオーディオ製品であるCDプレーヤーも一部に同じ現象が見受けられます。
 CD最初期の製品であるマランツCD34やスチューダーA730は、今も探しておられる方がいますね(スイングアームのメカが良かったらしい)。

 さて、D-10XがD-08より音が良ければ良いのですが。こればかりは聴いてみないと分かりません。
 雑誌を読むとラックスのSACDプレーヤーも、徐々に鮮明派に代わっているみたいなので少し心配ですね。

 ナマの音はそんなに分離もしないし、定位だってそこまできれいに出ません。
 音楽家が「我々は音を混ぜよう混ぜようとしているのに、オーディオは音を分けよう分けようとする」と不満を言ったという、いかにも聞いてきた様な話も。

 しかしソースの音が分離されているのなら、そのまま出すのがHIFIなのかも。いや、ソコをコンサートホールの様に味付けするのがウデなのかも。
 この辺は私程度の知識とキャリアでは判りませんね。

https://91683924.at.webry.info/202005/article_20.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/710.html#c58

[リバイバル3] 絶対に買ってはいけない アルテック VOICE OF THE THEATER A5・A7 中川隆
26. 中川隆[-11547] koaQ7Jey 2020年9月02日 06:09:56 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[5]
晴耕雨聴 2020年05月31日

オーディオ製品は新しいものが良いとは限りません。

 弄りまわし過ぎて「角を矯めて牛を殺す」が起こっているのでしょうか、自社製品でも以前に作られたモデルを超えられない事はよくある話です。

 スピーカーなどは顕著で、アルテックの515ウーハーは多くのモデルがありますが、一番旧いフィックスドエッジ、ベークライトダンパーの515(A)が音が一番らしいです。
 私は515と515Bしか手元では聴いていませんが、515の方が良かったです。

 バイタボックスのS2ドライバーも最初期の赤ラベル(お尻に赤いラベルが貼って有る黒塗装のモデル)は高域がきれいに出て、最終型のS2(グレーハンマートーン塗装、シルバーの銘板、ベンプレ亭書斎で使用中)より上だそうです。
 これはバイタボックス一筋で何十年もやられており、どちらも所有しておられる四国の先輩のお話ですので確かです。

 アンプもWEやロンドンWE、クラングフィルムなどのアンプが今も最高と言われる方が沢山おられます。量産品でも、例えばNECのプリメインアンプは初代のA-10が一番評価が高いです。

 スピーカーやアンプと比べると新しいオーディオ製品であるCDプレーヤーも一部に同じ現象が見受けられます。
 CD最初期の製品であるマランツCD34やスチューダーA730は、今も探しておられる方がいますね(スイングアームのメカが良かったらしい)。

 さて、D-10XがD-08より音が良ければ良いのですが。こればかりは聴いてみないと分かりません。
 雑誌を読むとラックスのSACDプレーヤーも、徐々に鮮明派に代わっているみたいなので少し心配ですね。

 ナマの音はそんなに分離もしないし、定位だってそこまできれいに出ません。
 音楽家が「我々は音を混ぜよう混ぜようとしているのに、オーディオは音を分けよう分けようとする」と不満を言ったという、いかにも聞いてきた様な話も。

 しかしソースの音が分離されているのなら、そのまま出すのがHIFIなのかも。いや、ソコをコンサートホールの様に味付けするのがウデなのかも。
 この辺は私程度の知識とキャリアでは判りませんね。

https://91683924.at.webry.info/202005/article_20.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1071.html#c26

[リバイバル3] 滅びゆくSACD 中川隆
3. 中川隆[-11546] koaQ7Jey 2020年9月02日 06:18:06 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[6]
晴耕雨聴 2020年05月31日
SACDプレーヤーをラックスマンD-10Xに取り替えました(その1.)
https://91683924.at.webry.info/202005/article_19.html


(導入したD-10Xです。D-08は角にラウンドが付いていたのですが、今回は直線的です。D-08の方がラックスらしい品の良いデザインで好きですね。
 トレーも少し口が大きくなりました。これも前の方がカッコウは良いです。トレーの出し入れの際のメカノイズもD-08の方が低いです。
 改良型のデザインは難しいですよね。なにしろ最初のモデルを作るときに散々検討して一番良いと思ったヤツを出しますが、その後のモデルは前と同じという訳にはいかないもの)

 全国的に緊急事態宣言が解除されました。休業要請に関しては東京都は全解除とは行きませんが、コロナ感染者数が一定以下にコントロールされていれば徐々に解除の方向に向かうと期待されます。

 緊急事態宣言解除となりましたので、自分へのご褒美として大物を買い変えましたw
 以下はラックスマンD-10X導入記です。

 ベンプレ亭書斎で鳴らす音楽ソースの割合はLPが40%、SACDが45%、CDが5%、オープンリールテープが5%、FM放送が5%といった所です。
 LPはEMT927st、RCA70-C1、デンオンDN308N、エンパイヤ398、アルゴンヌP-38と5台のプレーヤーに6本のアームを使い分けていますので、機械単体としてはSACDプレーヤーの使用頻度が一番高くなっています。

 SACDプレーヤーは2013年からラックスマンD-08を使用しています。このプレーヤーは2008年に発売され、2014年にD-08uにモデルチェンジされました。
 ですから購入は発売開始後5年、ディスコン1年前だったのですが、購入当時にエソテリックK-05、マランツSA-11S3と聴き比べD-08にしました。

 2013年5月30日のブログhttps://91683924.at.webry.info/201305/article_10.htmlに当時の比較試聴の印象を書いています。

 『左からマランツSA-11S3、エソテリックK-05、ラックスD-08です。
エソは早目に脱落しましたが、マランツとラックスは接戦でした。

 華やかさ、弾むような音、粒立ちなどはマランツが上。
 厚み、落ち着き、深みはラックス。

 ベンプレ親父は迷いましたが、ベンプレ妻はアッサリ「ラックスよ」と。
 「長時間聴くならコッチ。マランツは疲れる音」と一刀両断です。
 マランツのモダンさにも魅かれる所が有りますが、ココは妻の意見に従います。』

 さて、2020年4月にD-08の後継機種、D-08uもディスコンになり、D-10Xにモデルチェンジしました。D-08、気に入っていましたが、2世代前のモデルですからそろそろ買い替え時かもしれません。7年間バッチリ使いましたから、元は取りましたし。

 D-08にお暇を出そうと思ったのはもう一つ理由があります。
 ソウルノートという比較的新しいメーカーからS-3というモデルが発売され、各種オーディオ雑誌で絶賛されており、次はコレも良いかなと思いましたので。

 AVアンプで付き合いのあった大阪・日本橋のお店にS-3とD-10Xの比較試聴が出来ないか聞いたところ、S-3は店頭に試聴機があるが、D-10Xはないとの事です。
 なにしろ安くはない買い物ですし、買ってしまえば5年以上は使うと思いますので、ここはエイヤッとも行きません。

 ちょっと大変でしたが、ベンプレ亭書斎のD-08をお店に持ち込んで、S-3と比較試聴をお願いしました。

 SACDはクライバーの「トリスタン」、ティリングの「ロートローゼン」、ギレリスの「エロイカ変奏曲」、CDはモナコの「道化師」を使用しました。
https://91683924.at.webry.info/202005/article_19.html


晴耕雨聴 2020年05月31日
SACDプレーヤーをラックスマンD-10Xに取り替えました(その2.)
https://91683924.at.webry.info/202005/article_20.html


 (液晶表示のガラスパネルが大きくなりました。程よい大きさだったD-08がデザインは上ですが、表示文字が大きくできますので年寄りには重宝します。でもちょっと安っぽいかなー)

 ソウルノートS-3は音の分離が良く、音数が多い鮮明な音です。同時になんと言いますか、グルーブ感がありシャキッとした音です。
 これに比してD-08は分離や鮮明度では後れを取りますが、音の溶け合い、ホールトーン、響きの柔らかさ、深みが特徴です。

 私が聴くことが多いソースなら、D-08の方が好ましいと思いました。S-3は音が明るくパワフルなので、ジャズやポップスを中心に聴く方ならこちらを選ばれるかもしれません。

 以上から次期SACDプレーヤーはラックスマンD-10Xに決めました。

 しかし、D-10XがD-08と同傾向の進化型と決まったわけではありません。
 設計者が変わったかもしれませんし、D-08とD-08uと同じ物が継承されていたキーパーツのDAコンバーターも新型に変更されたようです。

 しかしもうキメました。D-10Xに交換しまーす。

 ひょっとすると後悔するかも。オーディオ製品は新しいものが良いとは限りませんので。
 弄りまわし過ぎて「角を矯めて牛を殺す」が起こっているのでしょうか、自社製品でも以前に作られたモデルを超えられない事はよくある話です。

 スピーカーなどは顕著で、アルテックの515ウーハーは多くのモデルがありますが、一番旧いフィックスドエッジ、ベークライトダンパーの515(A)が音が一番らしいです。
 私は515と515Bしか手元では聴いていませんが、515の方が良かったです。

 バイタボックスのS2ドライバーも最初期の赤ラベル(お尻に赤いラベルが貼って有る黒塗装のモデル)は高域がきれいに出て、最終型のS2(グレーハンマートーン塗装、シルバーの銘板、ベンプレ亭書斎で使用中)より上だそうです。
 これはバイタボックス一筋で何十年もやられており、どちらも所有しておられる四国の先輩のお話ですので確かです。

 アンプもWEやロンドンWE、クラングフィルムなどのアンプが今も最高と言われる方が沢山おられます。量産品でも、例えばNECのプリメインアンプは初代のA-10が一番評価が高いです。

 スピーカーやアンプと比べると新しいオーディオ製品であるCDプレーヤーも一部に同じ現象が見受けられます。
 CD最初期の製品であるマランツCD34やスチューダーA730は、今も探しておられる方がいますね(スイングアームのメカが良かったらしい)。

 さて、D-10XがD-08より音が良ければ良いのですが。こればかりは聴いてみないと分かりません。
 雑誌を読むとラックスのSACDプレーヤーも、徐々に鮮明派に代わっているみたいなので少し心配ですね。

 ナマの音はそんなに分離もしないし、定位だってそこまできれいに出ません。
 音楽家が「我々は音を混ぜよう混ぜようとしているのに、オーディオは音を分けよう分けようとする」と不満を言ったという、いかにも聞いてきた様な話も。

 しかしソースの音が分離されているのなら、そのまま出すのがHIFIなのかも。いや、ソコをコンサートホールの様に味付けするのがウデなのかも。
 この辺は私程度の知識とキャリアでは判りませんね。
https://91683924.at.webry.info/202005/article_20.html


晴耕雨聴 2020年05月31日
SACDプレーヤーをラックスマンD-10Xに取り替えました(その3.)
https://91683924.at.webry.info/202005/article_21.html


(ラック下段にウェルフロートを置き、その上にD-10Xを設置しました。D-10XのデザインはD-08より若々しくなりましたが、純粋にデザインの完成度ではD-08ですね。
ソウルノートのS-3も見た目は面白かったです。少しチープな部分のある外観で、いかにも蔵出し感がありましたね)

注文して待つことしばし、ラックスマンD-10Xが到着しました。
回転系の器械なので、安定性の良い所に置き、上に何も置かないのが理想でしょう。
D-08は2段式ラックの上段に置き、上にプリアンプを乗せていましたが、今回はラックの下段にして、上に何も載せない事にしました。

振動から逃れるためと、SACDの挿入口が低すぎると操作がし難いためもあり、D-10Xの下にはエアボウのウェルフロートボードを敷きました。

試聴はティリングの「ロートローゼン」、クライバーの「トリスタン」、モナコの「道化師」、アッカルドの「シベリウス・バイオリン協奏曲」と進めて行きました。
前二枚がSACD、後ろ二枚がCDです。

最初の1時間くらいはブレイクインという事で、少し生硬な音がしましたが、徐々に良くなってきました。

まず分解能はD-08をかなり凌ぎます。定位もハッキリします。音の透明度が上がって、少し華やかで高域寄りの音に聴こえます。従って歌手は少し若返りますね。
分解能が良いので、音数は多く感じます。暖色系の音からやや玲瓏な音に振って来たようです。

重厚感や温かみはD-08に譲りますが、木管も弦も繊細に描写しますので、演奏者の意図が良く判る印象で、ソースに忠実なのはD-10Xですね。D-08より少しステージに寄った音です。

ダイナミックレンジも広く感じます。
しかし歪が少ないのでしょうか、うるさくはないので、ボリュームの位置はD-08より上げられます。
従って微小音のニュアンスが聴き取りやすくなりました。

スピーカーをバスビンシステムに変更して、先日購入して感心したジョナサン・ノットの「ハルサイ」のSACDを聴いてみました。
先ほどやや高域寄りに感じると書きましたが、最低域の伸びはD-10Xの方が伸びています。
各楽器の質感もより描写が細やかです。ベームの「魔笛」にかけ替えましたが、歌手の息継ぎも鮮明にわかっちゃいます。
バスビンで聴くとD-10XはD-08より高性能なプレーヤーだとはっきり分かります。

D-08のピラミッドバランスでベルベットタッチの音も評価しますが、D-10Xの不偏不党のHIFIサウンドでより音楽を深く味わう事にしましょう。
D-10Xに買い換えて良かったです。

D-10Xuを6年後に出すときは、もう少しシックなラックス調のデザインを期待します。でも木は使っちゃダメですよ。

P.S.
 昼前にやって来たD-10Xですが、夜半となり音が落ち着いたところで飲み物を取りに台所に行きました。
そこでベンプレ妻に「今度買ったCDプレーヤー、デザインはイマイチだけど、音は凄く良いよ」といいますと、「そうね、透明な音ね」と言われました。

そういえば夕飯を呼びに来たとき、15秒くらい書斎に入って来て、その時に音を出していました。ノットのシェーンベルク「浄夜」です。

ベンプレ親父が丸1日かけて導いた結論を、ついでに15秒、聴くともなしに聴いた音で核心に迫られたら困りますが…
ホントに妻は良い耳をしていると思います。でも全然オーディオに興味はありません。
そんなもんなんでしょうねーw

 先日言われました。
 「あなた、ステイホーム中にオーディオし過ぎ、お金使い過ぎでしょ。あの黄色いヤツ(ハートレイ224HSのLCハイカットフィルターの事)何よ」
 「いやあれは前からあったよ。コンデンサーを取り替えただけで数百円しか使ってないし」
 「数百円?あやしー」
 「ママ、コンデンサー、知らないでしょ」
 「こんなんでしょ」
IMG_1211.JPG
 ベンプレ妻の描いたコンデンサーです。
 リード線の感じがいかにも絵心がありましたので、アップします。
 


この記事へのコメント

名無しの権兵衛
2020年05月31日 21:38
先生,おめでとう御座います!

矢張り,D-10Xときましたかw 買い替え予定とお聞きし
先生の好みならば,間違いなくD-10Xだろうと思ってました。

大阪というと逸品館でしょう?

所で,先日お話ししたMQAに,此の機種は対応してます。

https://www.universal-music.co.jp/international/mqa-uhqcd/cat/mqa/

此方で選んで,試してみては如何でしょうか?

う〜ん,私も欲しいけれど,安くても110諭吉ですか・・・。


ベンプレ親父
2020年05月31日 22:07
名無しの権兵衛さま、コメント有難う御座います。

私は下取り品がありましたので、助かりました^_^

https://91683924.at.webry.info/202005/article_21.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1030.html#c3

[近代史5] アーリア人の起源
アーリア人の起源


雑記帳 2015年09月13日
青木健『アーリア人』
https://sicambre.at.webry.info/201509/article_13.html


https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E5%81%A5/dp/4062584387


 講談社選書メチエの一冊として、講談社より2009年5月に刊行されました。著者の他の著書『古代オリエントの宗教』を以前このブログで取り上げたことがありますが(関連記事)、その後再読して改めて面白いと思ったので、本書も読んでみました。本書の定義する「アーリア人」とは、インド・ヨーロッパ語族のうちインド・イラン系を指します。本書はおもに、そのうちイラン系を取り上げています。本書はこの「イラン系アーリア人」を、さらに中央アジアを中心とする範囲の騎馬遊牧民と、中央アジアのオアシス地帯やイラン高原の定住民とに区分します。ただ本書は、「アーリア人」の意味内容は時代により異なる、と注意を喚起しています。

 イラン系アーリア人のうち、騎馬遊牧民にはスキタイ人やパルティア人やサルマタイ人などが、定住民にはメディア人やペルシア人やバクトリア人やソグド人などが含まれます。本書は、これらの集団を列伝形式で概観していきます。本書も認めているように、この叙述形式だと、時代順の解説にならないこともありますし、同じ地域に存在した集団を個別に叙述してしまうことにもなります。その意味で、全体的な歴史像の把握がやや難しくなっている感もありますが、広範囲に存在したイラン系アーリア人の多様性と各集団の特徴を理解するのには適しているように思います。

 本書を読むと、西アジア〜中央アジアにかけても、ユーラシア東部と同じく、騎馬遊牧民と定住民との相克が長く続いたことが分かります。これは、前近代におけるユーラシア大陸の大きな歴史的動向と言えそうです。また、ペルシア帝国(クル王朝→ハカーマニシュ王朝)がメディア王国から大きな影響を受けていたことや、クル王朝・ハカーマニシュ王朝がペルシア帝国と呼ぶべき性格を強く有していたのにたいして、サーサーン王朝の方は「エーラーン(アーリア人)」帝国と呼ぶべき性格が濃厚だったことなど、興味深い論点を色々と知ることができました。

 サーサーン王朝に関する見解では、興味深いものが提示されています。サーサーン王朝下では、メソポタミア平原〜イラン高原の中間地帯で集中的な開墾が始まりました。これにより、紀元前3000年から続くメソポタミア平原の長い歴史のなかでも、サーサーン王朝の時代が農業生産力のピークだった、と本書では高く評価されています。しかし、6世紀からメソポタミア平原の土壌は疲弊していきます。7世紀前半にサーサーン王朝がビザンティン帝国相手に無理な戦争を仕掛け、その最中の628年にティグリス河で大氾濫が発生すると、メソポタミア平原の灌漑設備は破壊され、農業生産力は凋落の一途をたどります。これ以降現在にいたるまで、メソポタミア平原の灌漑設備は再建されなかった、と本書は評価しています。

 このメソポタミア平原の灌漑設備を破壊した628年のティグリス河での大氾濫により、サーサーン王朝は実質的に滅亡した、というのが本書の見解です。中央集権体制を充実させ、オリエント史上最盛期となる農業生産力を誇ったサーサーン王朝の人口は最盛期でも1000万〜1500万人程度で、ローマ帝国・ビザンティン帝国・唐と比較すると、国家としての実力はその数分の一にすぎない、と本書は指摘します。サーサーン王朝はローマ帝国やビザンティン帝国と並び立つ超大国ではなく、メソポタミア平原からの税収とイラン高原からの軍事力に依拠する脆弱な国家だったので、ティグリス河での大氾濫による灌漑設備の破壊で実質的に滅亡した、というわけです。

 サーサーン王朝末期のメソポタミア平原における天災・人災による破局は、その後の西アジアの歴史を大きく変える要因になった、と本書は指摘します。テュルク系が傭兵として西アジアに進出し、やがてさまざまな王朝を樹立していく前提として、西アジアの経済的衰退がある、というわけです。イスラーム勢力の拡大、その後のテュルク系諸族の進出など、7世紀前半は西アジアの大きな転換期だった、と評価する本書は、サーサーン王朝の実質的滅亡をもって古代オリエント文明は終焉したと言えるのではないか、との見解も提示しています。
https://sicambre.at.webry.info/201509/article_13.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html

[番外地8] 世界で相次ぐ「後遺症」の報告
そもそもアメリカとフランスが全面バックアップして作った生物化学兵器がインフルエンザ程度の訳ないだろ
■世界で相次ぐ「後遺症」の報告
最近、特に目に付くのは新型コロナの後遺症に関するものだ。
例えば新型コロナにより全身の血管が炎症状態になる「川崎病」と類似した症状が発生するケースは一部のメディアで紹介されているが、この他にも新型コロナの後遺症としては以下のような研究結果が発表されている。

・イタリア・ジェメッリ大学病院などが7月、退院患者143人を追跡調査した結果、回復から平均2か月の段階で87.4%の患者に後遺症があった。
目立ったのは、疲労(53.1%)、呼吸困難(43.4%)、関節痛(27.3%)、胸痛(21.7%)といった症状。

・中国の孫文大学第五附属病院が退院30日後の患者を調べたところ半数以上に肺拡散容量の低下、呼吸筋力の低下、肺画像異常が認められた。

・米国の医学誌『JAMA』に掲載されたイタリア・パドヴァ大学などの研究では発症から4週間経過した軽症患者113人の内、46人(40.7%)は味覚または嗅覚障害が完全には良くならず、12人(10.6%)は症状が変化しないまたは悪化していた。

・英国マンチェスター大学が7月31日、新型コロナに感染し退院から8週間が経過した121人を対象に調査したところ、8人が聴力の悪化、8人が耳鳴りの症状など、合わせて16人が聴覚の異常を報告。

・「キドニー・インターナショナル」誌の調査ではニューヨークの医療法人の新型コロナ患者3分の1以上で急性腎障害が見られ15%近くで人工透析が必要になった。

・イタリアのジョバンニ23世病院では600人近い新型コロナ患者の予後に肺機能の障害が約30%、神経学的な問題が10%、心臓の問題が10%、慢性的な運動能力障害が約9%に見られる。

・ドイツのフランクフルト大学病院の研究チームが新型コロナから回復した100人以上の人々の心臓の健康を調べ、そのうち50人が感染前に健康で57人が心臓病のリスクが高いグループに属していた。

等々、取り上げれば枚挙に暇がない。
8/23(日) 7:01配信
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/307.html

[リバイバル3] グッドマンの最上位機種 Axiom 22

グッドマンの最上位機種 Axiom 22


Goodmans Axiom 22 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Goodmans++Axiom+22

Goodmans 製品一覧 グッドマンズ
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/index.html

Soundbox Audio
グッドマンズ Axiom22 Mk−II 極上 ( アルニコ大型マグネットの初期モデル)
¥189,000/ペア sold
https://soundbox.co.jp/index.htm

ヤフオク! -「goodmans axiom」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch/goodmans%20axiom/0/


▲△▽▼

Goodmans(グッドマン) Axiom 22mk2 | VintageAudio 2015/06/01
https://vintage-audio.jp/?p=341

Goodmans最強のフルレンジスピーカーユニットのご紹介です。Goodmans最強と言うことはある意味英国最強と言い換えれるかも知れません。AXIOM(アキシオム)とはGoodmansのダブルコーン型フルレンジシリーズのシリーズ名称の事です。

Goodmansのダブルコーン型フルレンジユニットといえば、国内ではAxiom80やAxiom150(Axiom301)が有名かも知れませんが、Axiom22が最上位機種となります。

1950年代後半のカタログには、Axiom80は$52.30 Axiom150mk2は$43.50、そしてAxiom22mk2は$65.00ですから価格的にも最も高級ユニットなのです。
例えば同時期ALTEC 600Bが$60.00ですね。

1930年代から続く構造で強力なマグネット、強靭なフレーム、良質なカーブドコーン紙が特徴です。

高域用のサブコーンは特殊な表面加工が施され、まるでベークライトかプラスチック素材の様になっています。これで周波数帯域は30-15kHzとなります。

組み合わせるパワーアンプはLeak等ダンピング特性の高い管球式HiFi系のアンプが最適ですが、現在の感覚ではナローな感じは拭え切れません。しかし、例えばGoodsellやRogersのウィリアムソン型パワーアンプで駆動してやれば、フルレンジでここまで出るか!?と思えるくらいのHiFiサウンドを奏でます。

ハイダンプ型パワーアンプで駆動するフルレンジの音は、マルチでは絶対に出ないスムーズな音の繋がりが最大の良さであり、ハマる方も多いのです。

個人的にはフルレンジユニットの中では英国だと、このAxiom22mk2、米国だとRCAのSL-12がお気に入りです。


当時のカタログ

https://vintage-audio.jp/?p=341
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1075.html

[リバイバル3] グッドマンの最上位機種 Axiom 22 中川隆
4. 中川隆[-11545] koaQ7Jey 2020年9月02日 10:03:50 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[15]
晴耕雨聴 2018年10月20日
AXIOM22のコーン紙を補修しました
https://91683924.at.webry.info/201810/article_18.html

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https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/011/154003856297033472180.jpg.html

 (左chのAXIOM22のコーン紙を補修したついでに、スピーカーの間隔を広げました)

 AXIOM22、良い音で楽しく聴いています。以前にも書きましたが、片チャンネルのユニットはサブコーン紙がカットしてあり、メインのコーン紙も二か所で破れています。
 コーン紙の破れは裏側から接着剤で補修してあるためか、音は左右でそろっています。特にビビッたりもしませんし、音に問題はありません。

 しかし、2本の亀裂のうち一本のエッジ側は裏打ちが不十分なようで、向こうが透けて見えています。
 エッジは少々破れていても音に関係ないという方もおられますが、この機会に補修することにしました。
 
 今回はコーン紙の表側から補修することにしました。それと言いますのも、補修が裏打ちだけなので、裂け目を表面からなぞると段差が付いているのです。

 コーン紙の補修は初めてですが、やり方はかなり以前に教えてもらい、目の前で補修を見せてもらったことがあるので、その記憶をたどってやってみましょう。
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 用意するのは和紙。
 楮100%の本物の和紙を使います。パルプを使った偽物の和紙や洋紙と違って、繊維が長いので切れ難く、馴染みやすいです。
 今回は銀座の伊東屋で90p×60p、830円の高級和紙を買いました。4匁と書いてあります。匁の重いやつが厚いそうで、4匁は一番薄い部類でした。もう少し厚くても良かったですね。
 
 次に糊。
 教えてもらったときはフエキ糊を使われていました。今回は伊東屋にあった和紙専用糊450円を使ってみました。

 最後に墨。
 墨汁では色合わせが出来ないので、墨を磨って色の濃さを合わせます。

 和紙で裂け目の長さに合わせ、幅1.5p位の短冊状のものを作ります。鋏で切らずに、手でゆっくり千切りながら、周囲をけば立たせたヤツを作ります。

 次に和紙用糊と磨り終って色合わせをした墨を混ぜて、黒色の糊を作ります。

  これに先ほど作った短冊状の和紙を浸し、全体に糊をしみこませます。表面にはなるべく糊が染み出さないように気を付けます。

 この糊と墨で浸した短冊を裂け目に貼り付けます。指で和紙を伸ばしながら貼ると、コーン紙に溶け込んだようになります。

 余分な糊と墨をペーパータオルで抑えて取ります。エッジのギザギザの山谷は、細いへらで抑えて成形し、馴染ませます。

 これで完成です。自分でやってみると、少し糊と墨が短冊の外のコーン紙まで広がりましたので、次回やるときは、糊を細筆で短冊の裏に塗りコーン紙に貼り付け、そのうえで、やはり細筆で墨を短冊に塗ってみようかな。
その方が色のはみだしが少なくできそうに思います。
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 半日乾燥させたら出来上がり。さっそく音を聴いてみましたが、コーン紙補修前と変化はないようです。上手く行ったようですね。

 見た目は少しキタナクなりましたが、これでコーン紙は長期間使えると思います。
 それに、自分の手でコーン紙を補修したユニットなんて、愛着がわきますよね。これがヴィンテージオーディオの面白さの一つですな。

 同時にAXIOM22の設置を左右大きく広げてみました。このほうが音場感は豊かです。
 しかし、バスビンのウィングをバッフルとして使えなくなるためか、100Hz以下の低域の下がり加減はやや大きくなりました。
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 上のグラフはAXIOM22の間隔を広げた現在のもの、下は以前の間隔が狭い置き方です。
 100Hz以下には、また何か対策を考えましょう。
https://91683924.at.webry.info/201810/article_18.html


晴耕雨聴 2018年10月23日
AXIOM22の低域をパワード・サブウーハーCW200Dで増強(前編)
https://91683924.at.webry.info/201810/article_19.html

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 (AXIOM22後面開放箱を載せているスツールの足の中に、サブウーハーのフォステクスCW200Dを仕込んでみました)
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 (CW200Dの表面、裏面です。スピーカー端子からも入力できるようになっています)

 先日ベル・ハウエルの箱からG.T.K.オーディオの後面開放箱に移設したGoodmans AXIOM22ですが、明瞭で力強い、響きの明るい良い音がしています。
 英国物のヴィンテージなのに、晴れ渡ったような音で気に入っているのですが、低域が100Hzあたりから落ちているのが玉に瑕です。
 曲によっては問題があります。

 ベンプレ亭書斎にはAXIOM22を入れてステレオスピーカーが4組あります。ほかの3組は20Hz前後までフラットに出るように組んでありますので、AXIOM22は低域がナローレンジのままでも良いといえば良いのですが、せっかく良い音がしているAXIOM22、ワイドレンジならもっと凄いのではないかと考えるのがオーマニのゴウでしょう。

 以下の3方法を考えました。
1.G.T.K.オーディオに大型の砂入り平面バッフルを注文する。
 音は間違いないと思いますが、納期は一番かかるでしょう。
 
2.自作で大型の平面バッフルを作る。
 砂入りバッフルではないので音は変わるでしょう。一番ローコストですね。

3.現在のG.T.K.オーディオの46p四方の砂入りバッフルの外側に、自作バッフルを付ける。
 音が悪くなる要素は少ないと思いますが、工作は難しいかも。

4.パワード・サブウーハーを加える。安易すぎますし、音は心配ですが、明日からでも出来ますな。低域のレンジは一番広いでしょう。

 どれも一長一短ですが、普通のマニアは一番避けるでありましょう4.を選びました。
 1.2.3.は何れも大型の平面バッフルがオイロダイン、バスビンの前に立ちますので、それらの音に影響がないか心配です。

 4.なら大型バッフルは立ちませんし、サブウーハーの音を出したくないときはコレの電源をOFFにすれば今の音が聴けます。
 バスビン、オイロダイン、AXIOM22のどれも今の音を根本的に変えるのはイヤなので、4.もアリかもしれませんよ。
https://91683924.at.webry.info/201810/article_19.html


晴耕雨聴 2018年10月23日
AXIOM22の低域をパワード・サブウーハーCW200Dで増強(後編)
https://91683924.at.webry.info/201810/article_20.html

 サブウーハーはすぐ決まりました。フォステクスのCW200Dです。
 20p口径のロングストロークなウーハーが小型の密閉箱に入っており、アンプとローパスフィルターはもちろん内蔵です。信号をスピーカー端子から貰えるのもポイントです。
 ひとつ上の機種でCW250Dというのもあるのですが、現在AXIOM22の足に使っているスツールの下に押し込めるサイズを選ぶとCW200Dになります。

 低域を100Hzあたりから付加するなら方向感が分かると思うので、左右のAXIOM22に一台ずつ、2台のCW200Dを買いました。
 2台となるとあまり高いのは買えませんが、CW200Dなら何とかなります。

 ベークダンパー、フィックスドエッジ、軽量コーン紙、小型後面開放箱、真空管駆動のハイスピード型フルレンジであるAXIOM22に、小口径大ストローク、コーン紙の重い密閉箱、トランジスタ式パワード・サブウーハーCW200Dを加えるなんてマニアの方々が顔をしかめるのが目に見える様です。

 でもやっちゃいますよ、ベンプレ親父は。
 WE13aシステムにはエラックSUB2090を付加してますが、良い音してますし、まあやってみないと何も言えません。
 ダメでもすぐ元に戻せますし、目の玉が飛び出るほどのコストでもないですから。
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 さて、上のグラフがAXIOM22+3000HにCW200Dをハイカット120Hzで足したもの、下はAXIOM22+3000Hだけです。
 低域の−10dbポイントは30Hzですから、ずいぶん低域のレンジが拡張しました。

 音楽を聴いてみましょう。最初はホールの残響成分がタップリ入ったSACD、ヴァントの「未完成」ライブです。
 演奏開始前のホールの暗騒音がCW200D付加ならタップリと聴こえ、低弦の響きも豊かになり、臨場感が段違いです。

 次はLP、コルトレーンの「ブルートレーン」をDL103+TD124mkUにて。ベースの鳴りとサックスの太さに差が出ますね。CW200Dの効果が分かります。

 さて、CW200D、付加した方が低音楽器はより良く再生されますし、臨場感も向上します。しかし、キレや明るさは一歩後退するような気がします.。なんとなく普通っぽい音になるんですね。
 これはCW200Dの問題なのか、低域のレベルを落とすと明るく、キレがあるように聴こえるだけなのか、よくわかりません。

 当分はCW200Dで演りましょう。ソースによってCW200Dが無いほうが良い時は、こちらのスイッチをOFFにするだけでイケますから。
https://91683924.at.webry.info/201810/article_20.html


晴耕雨聴 2018年10月26日
フォステクスCW200Dサブウーハーを少し持ち上げました(駄)
https://91683924.at.webry.info/201810/article_22.html

 (駄)です。
 先日からグッドマンAXIOM22(ベークダンパー)のサブウーハーにフォステクスCW200Dを使用しています。
 F特を測ると30Hzのピークが強いので、少し何とかならないかなと考え、CW200Dを10p程持ち上げてみました。
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https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/011/154052058779414062177_IMG_1995.jpg.html

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https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/011/154050322803984355179_IMG_1990.jpg.html

 端材のスギ集成材が有ったので、これをカットして井桁に組み、墨汁で塗装、AXIOM22を乗せているスツールの補強桟の上にはめ込み、写真のようにその上にCW200Dを乗せてみました。
 横から見ると、140万円SACD中身1万円パイオニア事件で日本ではまるで売れなくなったゴールドムンドのエピローグに似てません?あるいはワット・パピー、KEF105にも似てますよ。
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 F特です。別に変わりませんなw
 でもまあ、CW200Dのウーハーの前にスツールの補強桟が横切るのは何となく面白くないので、コレで行きましょう。

 それにしてもCW200Dはコスパ高いですね。
 パワーアンプ、ローパスフィルター内蔵、低域をここまで伸ばせて音質も悪くないサブウーハーですが、実売価格は1個6諭吉を切るくらいです。
 オーディオは進歩してないとよく言われますが、こんなの見ると、やはり進歩はありますな。
 デジタルフィルターとデジタルアンプなんでしょうが、これをアナログで作ると、大きさも重さも価格もコレじゃとても収まりませんぞ。

 ちょっと方向性は斜め上ですけどねw
https://91683924.at.webry.info/201810/article_22.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1075.html#c4

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
30. 中川隆[-11544] koaQ7Jey 2020年9月02日 10:12:45 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[18]
晴耕雨聴 2018年11月19日
月刊ステレオ誌「音の見える部屋」の取材を受けました
https://91683924.at.webry.info/201811/article_20.html
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https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/011/154262810134389764179.jpg.html

 本日はお休みを頂き、月刊ステレオの記事、「音の見える部屋」の取材を受けました。
 ライターは写真右の田中伊佐資先生、各誌の読者訪問記では一番の書き手では?
 左はカメラマンの高橋慎一氏です。映画監督、キューバ音楽の専門家でもあるそうです。

 さて、ステレオ誌の読者訪問記へは数か月前に応募していました。赤穂は飛び地なので、いくつか訪問先が固まってからの取材という事でした。
 兵庫県内にベンプレ亭書斎以外に2か所の取材先が決まって、取材旅行が決定。ベンプレ亭書斎を含めて合計3か所を二日で回るそうです。
 地方によっては取材応募が一か所だけの場合、数件まとまるまで、さらに長い期間待ってもらう事もあるそうです。

 取材は午後1時前から6時前まで、5時間のロングラン取材となりました。ベンプレ亭はシステムの数が多いため、時間がかかってしまった様で、申し訳ありませんでした。
 
 取材は三部に分かれていて、第一部の2時間弱がインタビュー。ベンプレ親父のオーディオ遍歴や現在使用中の機材の蘊蓄など。
 第二部は2時間弱の試聴。
 第三部はフォト・ビデオセッションでした。

 なんでも第一部にインタビューを持ってくるのがコツだそうで、音を長時間聴いた後ではお互い疲れてしまって、話が上手く引き出せないそうです。

 ステレオLPはEMT927st、TSD15を使用、モノLPはRCA70C-1、EMT OFD25で聴いてもらいました。

 マラソン試聴ではどのシステムもいつも通りに鳴ってくれたと思います。
 バイタボックス・バスビンはステレオLP、スウィットナー「後宮からの遁走」他が高貴な音で歌ってくれました。
 ロンドンWEはモノLP、エラとサッチモの「エラ&ルイ」他が生き生きと。
 クラングフィルム・オイロダインはモノLP、コルトレーン「マイ・フェイバリット・シングス」がガンガンいきます。
 WE13aはハイレゾ配信、フランク永井「ファイブ・ミニッツ・モア」を量感豊かに。

 意外に評判が良かったのが、最後のグッドマンAXIOM22。
 シュタルケルのコダーイ「チェロソナタ」をかけました。
 このモノラルLPは古い録音ですが、音の良さには定評があります。盤もオリジナルですから、けっこう鳴るわけです。

 田中さんも高橋さんも「こりゃ良い」と。「盤が良いからですよ」と答えましたが、「いやいや、次はさっき聴いた”エラ&ルイ”をかけてくれ」との事です。
 おかけしますと、「やっぱり良いよね」。

 「グッドマンはもっと枯れた音で鳴らす人が追い、こんなにバリバリ鳴るのは初めて聴いた」との事。
 おそらくG.T.K.オーディオ製の砂入り後面開放箱、同じくG.T.K.オーディオの改良型リークアンプが良いのだと思いますが、私はグッドマンの音はG.T.K.オーディオの物しか知らないので、グッドマンはこういう音だと思っていました。

 実はバスビン、ロンドンWE、オイロダイン、WE13aと聴いていき、終了したのでフォトセッションと言われましたが、「イヤイヤ、最後にコレも聴いてください」とグッドマンも無理に聴いてもらいました。聴いてもらってよかったです。

 さて、よく言われることですが、複数のシステムを使っていても、聴く人(調整する人、音を作る人)が同じならどれも良く似た音になるそうで、田中さんのお話ではウチもそうらしいです。
 
 今日の田中さんのお話では、早ければ来月の「ステレオ」誌の「音の見える部屋」にベンプレ亭書斎が取り上げられるそうです。
 予定は未定ですが、雑誌にホントに掲載されたら楽しいですね。

 これまで医療業界誌やパワーリフティングの業界誌には何度も出ています。オーディオビジュアルの雑誌にも20年ほど前に一回出たことがあります。
 しかしオーディオ誌は今回が初めてです。また、「音の見える部屋」は記事が貯まると本で出されることがありますので、そこまで行ったら更に嬉しいですね。

P.S.
 もう一つ評判が良かったのは、玄武会の障碍者就労支援A型施設「げんぶ」のもっちゃんベーカリーのパンとクッキー。
 大皿に盛っておきましたが、午後の5時間の取材中にベンプレ親父と3人で、菓子パンを10個位食べたかも。

 残りも帰りの電車で食べて頂けるとの事で、全品持って帰っていただけましたw

https://91683924.at.webry.info/201811/article_20.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c30

[番外地8] 「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も… 中川隆
1. 中川隆[-11543] koaQ7Jey 2020年9月02日 11:42:56 : AUv6HyK3b2 : OW1XSExYVDc0dHc=[25]
GDPは所得の合計ですが、その所得の大半は大企業と資本家の所得です。
GDPがいくら増えても労働者の所得が増える事はないので、デフレのままです。
GDPや経済成長率ではデフレになるか、ならないかは判断できません。
「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:
いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。

三橋貴明 「プライマリーバランス黒字化目標は、国民赤字化目標です。」
三橋貴明 「プライマリーバランスの黒字化は、政府の貨幣回収、皆さんの純資産収奪になります」
というのは正確には
「プライマリーバランス黒字化目標は、大企業や資本家の利益赤字化目標です。」
「プライマリーバランスの黒字化は、政府の貨幣回収、大企業や資本家の皆さんの純資産収奪になります」
なんですね。 金融はゼロサムなので、資本家が得すれば労働者が損します。

三橋さんの言う「損する国民」には労働者は含まれていないのですね。
デフレの原因は労働者の購買力の低下ですから、三橋さんが考えている様な財政出動ではデフレから脱却できません。
いくら財政出動しても大企業と資本家が儲かるだけで、労働者の賃金は上がりません。

一方、大西さんが考えているデフレ対策は

・輸出額を輸入額と同じになるまで減らし、内需主導経済に変える
・資本家から労働者への富の再分配は税金(累進課税)で行うのではなく、利子ゼロの政府紙幣を大量発行して意図的にインフレを起こす事によって行う(インフレ税)
・土地の公有化を進める
・農民を準公務員にして食料自給率を80%以上にする。
・移民と留学生の受け入れを止める
・郵政、JR、電力、大病院等のインフラの国有化
・利子付きの国債の発行を止めて、無利子の政府紙幣を大量発行する
・年金の積み立ては廃止、年金はすべて政府紙幣で十分な金額を給付
・医療費と大学までの教育費はすべて無料にする
・消費税は廃止
・高速道路は無料化

政府紙幣を大量発行すると円の貨幣価値が暴落し(為替にはあまり影響しない)、資産家の金融財産が目減りするので、資産家の財産を国民全員に再分配するのと同じ事になります。労働者がインフレで食べて行けなくなったら、生活費はまた政府紙幣を大量発行してベーシックインカム的に配布すればいいのです。
現代は技術の進歩で全国民が必要とする食料も工業製品も労働者が1日に 2,3時間も働けば十分生産できるので、その程度の労働者への福祉は可能なのです。

円の価値が暴落しても日本の労働者の給料は変わらないので、人件費も上がらず、日本の商品価格は上がらないんですね。
つまり、円の価値が暴落しても国内の消費者物価は上がりません。
しかし、労働者の実質賃金が減って購買力がなくなるからデフレになるのです。


それから昔のイギリス植民地インドがそうだった様に、輸出すればする程国民が貧しくなってデフレが酷くなります。
輸出で儲けたドルは日本には戻らないでアメリカで再投資されるだけなんですね:

当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

インドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。


 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/306.html#c1

[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
1. 中川隆[-11542] koaQ7Jey 2020年9月02日 17:07:01 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[1]
雑記帳 2018年10月07日
青銅器時代〜鉄器時代のユーラシア西部草原地帯の遊牧民集団の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_11.html


 青銅器時代〜鉄器時代のユーラシア西部草原地帯の遊牧民集団の変遷に関する研究(Krzewińska et al., 2018)が報道されました。本論文は、おもにポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団のゲノムを解析し、ユーラシアの古代および現代の人類集団の既知のゲノムと比較しました。本論文の結論は、鉄器時代のユーラシア西部遊牧民集団の主要な起源はポントス-カスピ海草原東部にある、というものです。

 ポントス-カスピ海草原には青銅器時代〜鉄器時代にかけて多くの遊牧民集団が連続的に存在し、アジアとヨーロッパ双方の文化発展に大きな影響を及ぼしました。その中で最も有名なのは前期青銅器時代のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団で、その拡大はヨーロッパにコーカサス地域の遺伝的要素をもたらしました(関連記事)。ポントス-カスピ海草原の重要性は、このヤムナヤ文化集団の拡大だけではなく、その後の紀元前1800〜紀元後400年にかけての青銅器時代〜鉄器時代の連続した移住と文化的変容も同様です。

 紀元前1800〜紀元前1200年にかけてのポントス-カスピ海草原は、スルブナヤ-アラクルスカヤ(Srubnaya-Alakulskaya)文化集団の期間で、ウラルからドニエプル流域まで小さな居住遺跡が分布しています。青銅器時代〜鉄器時代の移行期となる紀元前1000年頃からは、キンメリア人を含む先スキタイ遊牧民集団がポントス-カスピ海草原西部に出現し始めます。紀元前700〜紀元前300年にはスキタイ人がポントス-カスピ海草原西部を支配し、新たな軍事文化を有する遊牧民として、アルタイ地域からカルパティア山脈までその勢力が及びました。スキタイ人は、ポントス-カスピ海草原に留まらず、カザフスタン草原まで支配したわけです。

 スキタイ人は紀元前300年頃に衰退し始めますが、これは西方のマケドニアと敵対していったことと、東方からのサルマティア人の侵略が大きかったようです。サルマティア人とスキタイ人は数世紀間共存したと考えられていますが、けっきょくはサルマティア人が優勢になり、スキタイ人は没落しました。サルマティア人は、類似した多くの遊牧民集団から構成されていたと考えられ、政治的にはローマ帝国東方の辺境地帯で最も政治的影響力を有しましたが、紀元後400年には、ゴート人とフン人の連続した攻撃により衰退しました。

 ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団のゲノム構造はじゅうぶんには解明されていません。以前の研究では、スルブナヤ集団と後期新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパ集団との近縁性が指摘されていました。キンメリア人については、その遺伝的起源はあまり解明されていません。スキタイ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、ユーラシア草原地帯の東西の集団の混合が指摘されていました。スキタイ人でも東方のアルタイ地域のアルディベル(Aldy-Bel)文化集団は、中央アジアの東部集団との遺伝的類似性を示しますが、西方のポントス-カスピ海草原のスキタイ人集団との関係と起源に関する理解は貧弱です。サルマティア人の起源と他集団との遺伝的近縁性もあまり知られていませんが、ゲノム解析では東部ヤムナヤ文化集団および青銅器時代のヴォルガ川中流域のポルタフカ(Poltavka)集団との類似性が指摘されています。

 本論文は、後期青銅器時代〜鉄器時代にかけてのポントス-カスピ海草原の古代人のゲノム解析が不充分であることから、紀元前1900〜紀元後400年にかけての、ポントス-カスピ海草原の年代的に連続した異なる4文化集団の35人ゲノムを解析し、既知のユーラシアの人類集団のゲノムと比較することで、研究を前進させました。ゲノム解析の平均網羅率は0.01倍〜2.9倍です。内訳は、スルブナヤ-アラクルスカヤ人が13人、キンメリア人が3人、スキタイ人が14人、サルマティア人5人です。

 mtDNAハプログループでは、後期青銅器時代のスルブナヤ-アラクルスカヤ人がヨーロッパ人もしくはユーラシア西部人と関連するH・J1・K1・T2・U2・U4・U5に分類されたのにたいして、青銅器時代〜鉄器時代の移行期の遊牧民集団であるキンメリア人と、鉄器時代の遊牧民集団であるスキタイ人・サルマティア人には、中央アジアおよび東アジア系集団と関連するA・C・D・Mに分類される個体がいました。より古いスルブナヤ-アラクルスカヤ人に東アジア系mtDNAハプログループが見られないのは、草原地帯の集団の東アジア系ハプログループの出現が鉄器時代の遊牧民集団と関連しており、キンメリア人に始まるからかもしれません。Y染色体DNAハプログループでは、18人の男性のうち17人が、ハプログループRに分類されました。スルブナヤ-アラクルスカヤ人は、青銅器時代に拡大したR1aに分類されました。鉄器時代の遊牧民はほとんどがR1bに分類され、これはロシア草原地帯のヤムナヤ文化集団に特徴的です。例外はキンメリア人の男性1人で、ユーラシア東方集団と関連するQ1に分類されました。

 低〜中網羅率ですが、ゲノム解析の結果、さまざまな新知見が得られました。スルブナヤ-アラクルスカヤ人は現代のヨーロッパ北部・北東部集団と近縁です。青銅器時代〜鉄器時代移行期のキンメリア人は、遺伝的に均質ではありません。本論文でゲノム解析の対象となったスキタイ人は、スキタイの中核であるポントス草原北部の個体群で、高い集団内多様性を示します。スキタイ人は遺伝的に大きく3集団に区分され、それぞれ、ヨーロッパ北部集団・ヨーロッパ南部集団・コーカサス北部集団と近縁です。スルブナヤ-アラクルスカヤ人の1個体と、キンメリア人の最も新しい年代の個体と、サルマティア人全員も、コーカサス北部集団と近縁です。スキタイ人の1個体は、ユーラシア西部集団の遺伝的変異の範囲を超えて、東アジア人と遺伝的近縁性を示しています。

 スルブナヤ-アラクルスカヤ人はユーラシア西部集団の変異内に収まり、北東部および南東部アジア集団の要素を欠いています。一方、それに続くキンメリア人は全員、東方のシベリア集団の遺伝的要素を有していました。キンメリア人の最古の個体の遺伝的構成の比率は東方のアジア系とユーラシア西部系で等しく、2番目に古いキンメリア人個体は、ユーラシア東部とアメリカ大陸先住民集団で見られるY染色体DNAハプログループQ1に分類され、この頃よりポントス-カスピ海草原の遊牧民集団に東アジア系の遺伝的要素が入ってきたようです。

 スキタイ人は、上述したように遺伝的には多様で、複数の系統から構成されているため、起源の解明は困難です。東方スキタイ人がヤムナヤ文化集団と近縁な一方、西方スキタイ人は中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です。また、西方スキタイ人には、南アジアおよび東アジア系集団の遺伝的要素が欠けており、これもスキタイ人の遺伝的多様性の一因となっています。スキタイ人は、ユーラシアの半遊牧民集団や黒海地域のギリシア人など、多様な人々を組み込んでいったのではないか、と推測されています。じっさい、異なる遺伝的背景の個体が、同じ文化様式で埋葬されていたこともありました。スキタイ人は、遺伝的に大まかに言って、その前後にポントス-カスピ海草原を支配したキンメリア人とサルマティア人とも、近い関係にはあるものの直接的な祖先-子孫関係にはない、と推測されています。

 ウラル南部の個体も含むサルマティア人は草原地帯集団の変異内におおむね収まり、ウラル南部ではユーラシア西部の遊牧民集団の遺伝的構成が比較的維持された、と推測されています。サルマティア人の比較的高い遺伝的多様性については、遺伝子流動というよりも、大きな有効人口規模の結果かもしれない、と指摘されています。サルマティア人とキンメリア人の遺伝的近縁性も指摘されており、鉄器時代以降にユーラシア東部の遺伝的影響を受けつつも、ポントス-カスピ海草原においてユーラシア西部草原地帯の遺伝的要素が強く維持されてきた、と示唆されます。

 古代ゲノム解析から、ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代は、遊牧民集団の移動性の高い複雑な時代だった、と推測されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけてポントス-カスピ海草原を支配した人類集団は、それぞれ前後の時代の集団と主要な直接的祖先-子孫関係にあったまでは言えませんし、ユーラシア東部からの遺伝的影響を受けているものの、大まかには、ポントス-カスピ海草原とウラル南部を起源地とする集団の遺伝的構成が維持され、ユーラシア西部の遊牧民集団が形成された、と言えそうです。

 ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代の遊牧民集団では、とくにスキタイ人において強い傾向が見られるようですが、拡散先の在来集団を同化させて組み込んでいったようです。遊牧民集団の柔軟性は、歴史学などでも指摘されていたと思いますが、それが古代ゲノム解析でも裏づけられた、ということなのでしょう。もっとも、これにより広範な地域に及ぶ強大な勢力を短期間で築くこともできますが、出自の異なる集団の合流で形成されているだけに、史実に見えるように、崩壊する時はあっけないのでしょう。

 ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代の遊牧民集団は、アジアとヨーロッパに遺伝的にも文化的にも大きな影響を及ぼしました。文化面では、乗馬・戦車(チャリオット)などが挙げられます。これらは考古学的検証が可能ですが、直接的証拠は乏しいとしても、おそらくはインド・ヨーロッパ語族も、草原地帯の遊牧民集団が広めた可能性は高いと思います。ユーラシア中央部の遊牧民集団は、とくに紀元前に関しては文字記録が少ないため、あるいは過小評価される傾向にあるかもしれませんが、古代ゲノム解析の進展により、その重要性が今後広く認識されていくのではないか、と予想されます。


参考文献:
Krzewińska M. et al.(2018): Ancient genomes suggest the eastern Pontic-Caspian steppe as the source of western Iron Age nomads. Science Advances, 4, 10, eaat4457.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aat4457

https://sicambre.at.webry.info/201810/article_11.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c1

[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
2. 中川隆[-11541] koaQ7Jey 2020年9月02日 17:08:32 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[2]
雑記帳 2008年03月02日
林俊雄『興亡の世界史02 スキタイと匈奴 遊牧の文明』
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_6.html


 講談社の『興亡の世界史』シリーズ7冊目となります(2007年6月刊行)。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%A8%E5%8C%88%E5%A5%B4-%E9%81%8A%E7%89%A7%E3%81%AE%E6%96%87%E6%98%8E-%E8%88%88%E4%BA%A1%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2-%E6%9E%97-%E4%BF%8A%E9%9B%84/dp/4062807025


遊牧社会が自身の文献記録を残すようになったのが、定住社会よりかなり遅れたということもあったため、じゅうらい、遊牧社会への一般的な関心は低かったように思われます。そのため、欧州・西アジア・中国といった記録の豊富な定住社会と比較すると、遊牧社会の重要性が低く評価されていたようですが、近年の日本では、杉山正明氏による積極的な啓蒙活動もあってか、じゅうらいよりも遊牧社会への評価が高くなっているように思われます。

 その意味で、本書ではどのような遊牧社会像が描かれるのか、遊牧の文明とはどのように定義されるのか、ということに注目していましたが、巻末でも述べられているように、スキタイと匈奴に文明的要素は多くはないな、というのが正直なところです。とはいっても、本書によって明かされるユーラシア草原の騎馬遊牧社会の動きは活発で、ある種の開放感も感じさせますから、たいへん魅力的だとも言えます。騎馬遊牧民の起源については、前9世紀頃との説が提示されていて、意外に新しいのだと不勉強な私は驚かされました。

 ただ、本書でも強調されているように、スキタイと匈奴自身が残した史料がないため、その社会がどのようなものだったか、いまいちはっきりと伝わってこなかったのが残念ですが、それは仕方のないことなのでしょう。それでも、匈奴については中国の史料がかなり残されているので、本書でも、考古学的成果と史料から匈奴社会の追及がなされています。『史記』や『漢書』が基本史料となりますので、私にとっては、ある意味でなじみのある匈奴像だったとも言えます。

 史料の少ないスキタイについては、考古学的成果が豊富に引用され、さまざまな可能性が提示されながら、スキタイの在り様が追及されていて、ユーラシア草原東部にスキタイ文化の起源があるとの指摘は、不勉強な私にとってはなかなか興味深いものでした。スキタイ時代後期の文化は、ペルシアとギリシアから強い影響を受けていますが、この時代の遺跡からは、中国の戦国時代の鏡も出土しているとのことで、古くから草原ルートがユーラシアの東西を結びつけていたことと、人類史における騎馬遊牧民の役割の大きさを強く感じました。

https://sicambre.at.webry.info/200803/article_6.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c2

[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
4. 中川隆[-11540] koaQ7Jey 2020年9月02日 17:15:20 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[4]
2020年08月31日
古代DNAに基づくユーラシア西部の現生人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_42.html


 古代DNAに基づく近年のユーラシア西部の現生人類(Homo sapiens)史研究を整理した概説(Olalde, and Posth., 2020)が公表されました。ユーラシア西部における現生人類の遺伝的歴史は、過去10年にたいへん注目されてきた研究分野です。これまでの研究の大半は、新石器時代と青銅器時代に起きた大規模な文化的移行をより理解するため、超地域的視点に焦点を当ててきており、おもに8500〜3000年前頃の個体群が対象でした。

 最近では、そうした大規模な手法は学際的な小地域研究により補完されており、それは過去の社会の通時的な再構築を目指し、古代DNA研究の将来の主流の方向性となる可能性が高そうです。さらに、ユーラシア西部全域の刊行された人類ゲノムの時間的分布を考慮すると、一方の側は上部旧石器時代と中石器時代、もう一方の側は鉄器時代に広く対応しています。この期間の研究もひじょうに興味深いものの、固有の課題もあり、それは、狩猟採集民遺骸としばしば乏しい古代DNA保存という利用可能性の低さと、歴史時代の集団間の減少した遺伝的差異を含みます。本論文は、最近明らかになってきたような、ユーラシア西部の古代DNA研究における新たな動向を取り上げます。


●ユーラシア西部狩猟採集民

 45000年前頃以降の大半において、ヨーロッパと近東の現生人類は狩猟採集戦略に依存していました。上部旧石器時代および中石器時代と新石器時代の一部地域では、集団の生活様式は狩猟採集でした。8500年前頃以降になって初めて、農耕が近東からヨーロッパに拡大してきました。この狩猟採集に依拠していた期間が長いにも関わらず、ヨーロッパと近東の刊行された古代ゲノムのうち、狩猟採集民個体群に由来するのは10%未満です。

 ヨーロッパの狩猟採集民に関する最初の大規模なゲノム規模研究は2016年に公表され、45000〜7000年前頃の50人のゲノムが分析されて、その後のいくつかの研究の基礎となりました(関連記事)。遅くとも37000年前頃以降、ヨーロッパの全個体は後のヨーロッパ人集団とある程度の遺伝的類似性を有します。しかし、その研究ではヨーロッパの現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)系統は経時的に減少したと推定されましたが、最近の研究では、ヨーロッパの現生人類におけるネアンデルタール人系統の割合はほぼ一定だった、と推定されています(関連記事)。

 後のヨーロッパ人集団に寄与した最古のゲノムは、ロシア西部のコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で1954年に発見された37000年前頃の若い男性個体(関連記事)と、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)です。この2個体は相互に、ひじょうに異なる2系統の初期の分岐を表しており、より新しい別々の狩猟採集民集団と関連しています。

 ヨーロッパ全域で観察された最初の明確な遺伝的クラスタは、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡の3万年前頃の個体群に因んでヴェストニツェと命名され、チェコからベルギーとイタリア南部までの34000〜26000年前頃のゲノムを含みます。これらの個体群はグラヴェティアン(Gravettian)技術複合と関連しており、コステンキ14個体およびその姉妹系統である34000年前頃のロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡集団と、高い遺伝的類似性を共有しています。さらに、クリミア半島からの提案されたグラヴェティアン個体もまた、ヴェストニツェ遺伝的クラスタのより新しい個体群との類似性を示し、グラヴェティアン関連遺伝的構成の西方から東方への拡大が支持されます。

 最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の後、Goyet Q116-1個体で特定された遺伝的系統は、考古学的にはマグダレニアン(Magdalenian)と関連した個体群に現れ、その年代はイベリア半島では19000年前頃、ヨーロッパ中央部では15000年前頃です。15000年前頃のヨーロッパでは温暖化が起き、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡で発見された14000年前頃の個体に因んで命名された新たな遺伝的系統であるヴィラブルナの存在と同時に発生し、このヴィラブルナ系統は現代および古代の近東集団と有意なつながりを示します(関連記事)。このかなり均質な遺伝的構成は、イタリア(関連記事)からブリテン島(関連記事)にまたがるヨーロッパ全域に広範に拡大しました。

 ヴィラブルナ系統の起源はまだ議論されていますが、近東の上部旧石器時代個体群の最近の分析では、ジョージア(グルジア)とアナトリア半島でそれぞれ26000年前頃と15000年前頃に混合したそのような系統存在が明らかになっています。しかし、近東からヨーロッパへの長期的拡大というよりもむしろ、ヨーロッパ南東部の気候的な待避所からの二重の集団拡散が、これら2地域の遺伝的な祖先構成の説明として提案されてきました。他の氷期の待避所としてイベリア半島が提案されており、そこではマグダレニアン関連系統が、広範囲のヴィラブルナ系統とともに、中石器時代まで高い割合で残存していました(関連記事)。

 ヨーロッパ北東部では遅くとも8000年前頃までには、東部狩猟採集民(EHG)と命名された他の異なる遺伝的系統を有する個体群が、西部狩猟採集民(WHG)ヴィラブルナ系統と関連する個体群とともに東西に沿って遺伝的勾配を示します。スカンジナビア半島の中石器時代の狩猟採集民は、さらに東方に位置する集団と比較してずっと高い割合のEHG関連系統を有するので、この勾配の顕著な例外を表します(関連記事)。そのため、氷期後のスカンジナビア半島の定住は、北方からEHG、南方からWHGの拡大を伴っていたという二重経路で、その後で混合が起きた、と提案されています(関連記事)。

 ヨーロッパのほとんどで、狩猟採集民系統はその後に、新石器時代の拡大の結果として、農耕関連遺伝的構成にほぼ置換されました。しかし、バルト海地域のようなヨーロッパ北部の周辺では、狩猟採集民の遺伝的構成が中期新石器時代の5500年前頃まで、ヨーロッパにおける農耕民到達後も3000年ほど維持されました。ロシア西部のサマラ(Samara)地域の個体群は、EHG関連系統の東限となり、ウラル山脈のすぐ東のシベリア狩猟採集民は、ユーラシア東部集団との遺伝的類似性を示します。


●鉄器時代から歴史時代

 過去3000年の歴史は、現代人集団の最終的な形成の理解に重要です。人類の移動性が高まっているため、この期間の人口統計学的事象は小規模でも大規模でも豊富で、そのほとんどは歴史的な情報源で描かれています。しかし、歴史的記録の解釈は決定的ではないかもしれず、古代DNA研究には、記録にある事象の人口統計学的影響をよりよく理解するのに有益な手法となる可能性があります。じっさい、この分野の焦点はより最近の歴史に移り始めており、鉄器時代から現代までのヨーロッパと近東の遺伝的歴史を扱う研究が増加しています。

 ヨーロッパ南西部では、鉄器時代のイベリア半島人が、先行する青銅器時代にヨーロッパ全域に拡大した草原地帯関連系統を有するヨーロッパ中央部および北部集団から、引き続き遺伝子移入を受けていました。これは、大きな社会文化的変容の期間で、人口統計学的転換を伴っており、究極的にはヤムナヤ(Yamnaya)文化草原地帯牧畜民と関連する集団はまずヨーロッパ東部および中央部で、後にはヨーロッパ西部で、在来集団とのかなりの混合を通じて、大きな影響を残しました(関連記事)。侵入してくる草原地帯集団は、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの導入と関連しており、鉄器時代イベリア半島の非インド・ヨーロッパ語族地域もまた、この遺伝子流動の影響を受け、過去と現在の言語境界が明確な系統区分と必ずしも相関しないことを示します(関連記事)。

 ヨーロッパ北東部では、最近の研究により、ウラル語族現代人に特徴的なシベリア人関連系統の痕跡が、フェノスカンジアに遅くとも3500年前頃、バルト海地域東部には2500年前頃に到達していた、と明らかになりました(関連記事)。ポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)は、鉄器時代にはスキタイ人に支配されており、スキタイ人は広範な地域で文化要素を共有するさまざまな遊牧民部族族の連合です。これらの古代集団からのゲノムデータにより、スキタイ関連個体群は遺伝的に均質な集団ではない、と明らかになりました(関連記事)。スキタイ人は後期青銅器時代草原地帯牧畜民およびアジア東部集団と関連する系統のさまざまな割合でモデル化できます。

 レヴァントでは、遺伝子流動の兆候が鉄器時代とローマ期の個体群で検出されました。これらの個体群は、青銅器時代および現代の集団と全体的には遺伝的継続性を有するにも関わらず、おそらくは早期の歴史的事象と関連するヨーロッパ人関連構成をわずかに示します(関連記事1および関連記事2)。

 古代DNA研究で注目を集め始めている大きな事象は、紀元前三千年紀のギリシア人とフェニキア人の拡大です。これらの文化は長距離海上ネットワークの確立を通じて地中海沿岸に交易所を設けましたが、在来集団との統合の程度や、後の集団への遺伝的寄与といった重要な問題はさほど理解されていません。スペイン北東部のギリシア植民地の24個体のゲノム規模研究では、遺伝的に異なる2集団が報告されており、一方は在来のイベリア半島集団と、もう一方は同時代のギリシア集団との遺伝的類似性が指摘され、移民の継続的到来もしくは在来集団との限定的な交雑が示唆されます(関連記事)。

 スペインのイビサ島とイタリアのサルデーニャ島のフェニキア・カルタゴ文化個体群は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の分析(関連記事)とゲノム規模分析(関連記事)によって、遺伝的に先住集団とは異なるところがあり、在来集団からの多様な割合の遺伝的寄与とともに、地中海東部関連系統およびアフリカ北部関連系統を有する、と明らかになっています。同様のゲノム規模データの痕跡が、イベリア半島南部で少なくともローマ期には観察されていますが、より早期の同地域のフェニキア・カルタゴ文化関連個体群にさかのぼることができるかもしれず(関連記事)、これらの文化と関連した人類の移動が、長期間持続する遺伝的影響を地中海の一部集団に残した、と示唆されます(関連記事)。

 ローマは共和政確立後、ユーラシア西部で最大かつ最強の都市となりました。最近の研究では、帝政期のローマの成長は、地中海東部からの移民の影響を受けており、西方からの遺伝的影響の証拠はほとんどなかった、と明らかになっています(関連記事)。1500〜1000年前頃となる中世前期には、文献に西ローマ帝国の支配地だった地域における「蛮族」集団の拡大が見え、しばしば大移動期とされます。西ゴートやランゴバルド(関連記事)やバイエルン(関連記事)やアレマン(関連記事)関連の墓地の被葬者の遺伝的構成に関する研究で一貫して明らかなのは、大規模な集団間の不均質性で、ヨーロッパ南部起源よりもむしろ、高頻度でおもにヨーロッパ中央部および北部関連系統の個体群が示されています。同様に複雑な状況はヴァイキングの拡大と関連した集団のゲノム分析でも示されるようになっており、1200〜900年前頃となるヴァイキングの時代とその前には、スカンジナビア半島における人類集団の出入が文献に見えますが、それが確証されました(関連記事)。


●小地域の研究

 人類の古代DNA研究の新しい重要な動向は遺跡固有の分析で、古代社会の構造を解明するために学際的手法が用いられています。大規模な研究では複数のゲノムが同じ遺跡から得られ、密接に関連した個体群(たとえば、2〜3親等程度)がしばしば見つかっています。これまで、そうした親族関係にある個体群は一般的に、集団遺伝分析から除外されていました。この手法は統計的検定で関連性バイアスを回避するのに適していますが、これら近親者の関係を調べることで、対象集団に関して多くの追加の情報が得られます。こうした研究には学際的手法が必要で、ゲノム・同位体・放射性炭素年代・形態・物質(考古学)のデータが統合されることで、集団内の社会文化的動態の理解を最大化します。

 そうした古代DNA分析に基づいて社会的構造を検証した研究の最初の事例が、装飾品など豪華な副葬品で有名なロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡です(関連記事)。スンギール遺跡の34000年前頃の4個体は遺伝的に密接な関係にない、と明らかになりました。さらに、有効人口規模の減少にも関わらず、近親交配の水準が低いことから、多くの現代狩猟採集民集団と同様に同族婚が避けられていた、と示唆されます。

 後の時代の集団では、複数の新石器時代と青銅器時代の遺跡で、遺跡固有の古代DNA研究により徹底的な調査が行なわれました。その一例は、ポーランドの球状アンフォラ(Globular Amphora)文化関連墓地です(関連記事)。この墓地の全被葬者には暴力的な死の痕跡が見られ、墓地内の4核家族を伴う拡大家族を表しています。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の高い多様性とは対照的に、Y染色体ハプログループ(YHg)の多様性が低い場合には、父方居住体系と解釈されています。

 アイルランドやイギリスやスウェーデン(関連記事)やチェコやスイス(関連記事)の新石器時代の巨石埋葬遺跡文でも、社会構造が調査されました。一般的な傾向として、女性よりも男性の方が被葬者は多く、とくにブリテン島とアイルランド島とスイスの巨石墓でその傾向が見られます。さらに、YHgは経時的に維持されており、これらの巨石墓地が父系社会と関連している、と改めて示唆されました。興味深いことに、同時代の異なる遺跡に埋葬された個体群間の密接な近縁関係の事例も明らかになっています。これは、アイルランドの2ヶ所の巨石墓、エストニアの石棺墓、イングランドの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の3ヶ所の遺跡で確認されており、これら複雑な埋葬構造が、選択された集団のために建てられた、と示唆されます。

 考古遺伝学的研究はまた、同位体分析や放射性炭素年代測定と効率的に組わせることができ、その事例として、後期新石器時代から中期青銅器時代のドイツ南部のアウグスブルクに近い地域に焦点を当てたものがあります(関連記事1および関連記事2)。中期青銅器時代のドイツ南部では、100個体以上のゲノム比較から、関連していな個体群よりも中核的家族の方が副葬品は多く、副葬品と親族関係との間に正の相関があると明らかになり、社会的不平等の証拠が提示されました。さらに、複数世帯が同じ遺跡に同じ家系で最大5世代にわたって埋葬されており、一般的には女性外婚制と父方居住により特徴づけられます。

 中世前期に関しては、上述のランゴバルドとアレマンとバイエルンという3ヶ所の小地域研究で、親族関係と社会構造が取り上げられています。ランゴバルドに関する研究(関連記事)では63個体が調査され、ハンガリーも含むパンノニアとイタリア北部のピエモンテ州の2ヶ所のランゴバルド人遺跡間および内部の比較が行なわれました。両遺跡の個体群は生物学的親族の周囲に葬られ、遺伝的にはヨーロッパ南部系統とヨーロッパ中央部および北部系統の割合はさまざまで、ヨーロッパ中央部および北部系統は墓地の豊富な副葬品と正の相関を示します。

 ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州のアレマン関連墓地は、性的な偏りのある埋葬遺跡を表しており、成人も幼児も男性のみで、戦士階級集団の可能性があります(関連記事)。さらに、このうち5個体は異なる3文化の副葬品と関連しているにも関わらず、父系では関連しています。ドイツ南部のバイエルンの6ヶ所の遺跡では紀元後500年頃の36人のゲノムが分析され、男性は現代の同地域集団と類似しているのに対して、女性は遺伝的異質性が高い、と明らかになりました(関連記事)。興味深いことに、細長い頭蓋骨を有するこれらの女性は、おそらく究極的にはヨーロッパ南東部起源です。

 まとめると、既知の学際的な小地域研究は、複数の証拠を通じて、ヨーロッパの過去の社会の埋葬が、しばしば父系的体系で組織されていると示唆するものの、他の地域と期間も対象とする将来の研究は、ユーラシア西部における変化する社会文化的動態のよりよい理解を、間違いなく提供するでしょう。


●まとめ

 本論文は、現在注目を集めている3分野を強調することで、ヨーロッパと近東の人類古代DNA分野の可能な研究方向性を検討しました。この発展を可能にするためには、ひじょうに分解されたDNAの分離と配列の新たな分子生物学的手法を開発する必要があります。それにより、追加の狩猟採集民遺骸やより困難な環境からのゲノムデータを回収できます。

 一方、ユーラシア西部集団間の遺伝的分化は広範な混合のために時代が降ると顕著に減少することが観察されており(関連記事)、伝統的なアレル(対立遺伝子)頻度に基づく手法ではしばしば検出困難な、微妙な遺伝的パターンをもたらしました。これは、歴史時代における増加する集団内の遺伝的異質性とともに、古代DNAに合わせた、より大規模な標本群の使用と、より高解像度の分析手法の開発を要求します。詳細で場合によっては自動化された血統復元を通じての地域の歴史調査の後には、学際的枠組み内の世界的傾向を識別できるよう、時空間を通じて社会的構造を比較するために、再度俯瞰する必要があるでしょう。


 本論文は、近年のユーラシア西部における古代DNA研究の進展を整理するとともに、新たな研究動向と今後の方針をも提示しており、たいへん有益だと思います。ユーラシア西部、とくにヨーロッパの古代DNA研究は他地域よりもずっと進展しているため、本論文で言及された論文のうち当ブログで取り上げたものも少なくありませんが、未読の論文も多く、既読の論文の内容を改めて整理できたとともに、新たな知見も多く得られました。古代DNA研究の進展は目覚ましいので、頻繁に本論文のような概説を読んでいく必要がある、と改めて思ったものです。

 本論文の提示した古代DNA研究の新たな動向は、小地域、場合によっては1遺跡での学際的な研究です。DNA分析と、同位体分析や放射性炭素年代測定や遺物分析(考古学)や遺骸分析(形態学)を組み合わせることにより、当時の社会構造が浮き彫りにされていきます。これは歴史時代にも有効な手法で、文献を補完できます。歴史学でも、今後は古代DNA研究がさらに重視されるようになっていくでしょう。日本人の私としては、日本列島でもそうした学際的研究が進展するよう、期待しています。また本論文は、そうした詳細な研究の蓄積の後には、改めて俯瞰していく必要があることも指摘しています。どの分野でも、専門化・蛸壺化が指摘されて久しく、専門的で詳細な研究の蓄積は基礎としてたいへん重要ではあるものの、広い視点でそれらを統合する必要があることも確かだと思います。


参考文献:
Olalde l, and Posth C.(2020): African population history: an ancient DNA perspective. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 36-43.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.05.021

https://sicambre.at.webry.info/202008/article_42.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c4

[番外地8] 故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
林千勝さんの話はすべて妄想です。 そもそも近衛文麿は反戦派で何とかして戦争を止めようとしていたんですね:

天皇のための戦争
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ
それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけですだから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです
東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中もそういうシステムで戦争が進んでいく訳です


戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)

戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)

昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)

真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)

海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)

パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)

天皇が内通していた(00:31:38)

スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)

天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)

終戦工作と白州次郎 (00:33:39)

ヨハンセングループ (00:34:17)

日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)

日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)

弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)

火事場泥棒なんです。(00:36:15)

こじつけ無罪論(00:36:19)

明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)

第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)

戦争はすべて八百長(00:38:51)

戦争は継続しなければいけない (00:40:48)

天皇が被爆に加担した(00:42:23)

白洲次郎の秘密(00:44:17)

吉田茂の秘密(00:46:20)

こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)

キッシンジャーと中曽根(00:57:00)

使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)  

▲△▽▼


天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元訳
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm


http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/308.html

[番外地8] 故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 中川隆
1. 中川隆[-11539] koaQ7Jey 2020年9月02日 18:33:38 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[5]
林千勝さんの話はすべて妄想です。 そもそも近衛文麿は反戦派で何とかして戦争を止めようとしていたんですね:
天皇のための戦争
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https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。
おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通.
御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ
それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけですだから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです
東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中もそういうシステムで戦争が進んでいく訳です

戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)

戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)

昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)

真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)

海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)

パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)

天皇が内通していた(00:31:38)

スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)

天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)

終戦工作と白州次郎 (00:33:39)

ヨハンセングループ (00:34:17)

日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)

日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)

弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)

火事場泥棒なんです。(00:36:15)

こじつけ無罪論(00:36:19)

明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)

第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)

戦争はすべて八百長(00:38:51)

戦争は継続しなければいけない (00:40:48)

天皇が被爆に加担した(00:42:23)

白洲次郎の秘密(00:44:17)

吉田茂の秘密(00:46:20)

こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)

キッシンジャーと中曽根(00:57:00)

使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)  

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天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元訳
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[番外地8] 故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 中川隆
2. 中川隆[-11538] koaQ7Jey 2020年9月02日 18:35:06 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[6]
林千勝さんの話はすべて妄想です。 そもそも近衛文麿は反戦派で何とかして戦争を止めようとしていたんですね:
天皇のための戦争
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通.
御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ
それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけですだから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです
東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中もそういうシステムで戦争が進んでいく訳です

戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)

大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)

戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)

昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)

真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)

海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)

パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)

天皇が内通していた(00:31:38)

スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)

天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)

終戦工作と白州次郎 (00:33:39)

ヨハンセングループ (00:34:17)

日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)

日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)

弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)

火事場泥棒なんです。(00:36:15)

こじつけ無罪論(00:36:19)

明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)

第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)

戦争はすべて八百長(00:38:51)

戦争は継続しなければいけない (00:40:48)

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白洲次郎の秘密(00:44:17)

吉田茂の秘密(00:46:20)

こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)

キッシンジャーと中曽根(00:57:00)

使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)  

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東京裁判で東条英機は作戦はすべて昭和天皇一人で決めたと証言しています。
そして昭和天皇の戦争責任を証言しようとした近衛文麿の運命は
牛場友彦と松本重治が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。

占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。

前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。


山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件

http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html

▲△▽▼


天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元訳
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[番外地8] 戦前の天皇一族は JPモルガンと、戦後はロックフェラー家と大の仲良し
林千勝さんの話はすべて妄想です。
戦前の天皇一族は JPモルガンと、戦後はロックフェラー家と大の仲良し
一方、ルーズベルトは共産主義者で反ウォール街
だったのでアメリカと戦争になった


天皇家と国際金融資本との関係

日本にもアメリカ軍の恒久的な軍事基地がいくつもあるが、これは中国やロシアを締め上げるための出撃基地。明治時代から日本はダーイッシュと同じように、アングロ-シオニストの傭兵として扱われてきた。

例外はアメリカでウォール街と対立していたニューディール派がホワイトハウスの主導権を握っていた期間だけだ。


94年前の9月1日に起こった関東大震災は虐殺事件を引き起こし、日本をJPモルガンの属国にした


8月も終わり、9月を迎えようとしている。

1923年9月1日、日本にとって大きな節目になる出来事が起こった。相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲い、10万5000名以上の死者/行方不明者を出し、その損害総額は55億から100億円に達したのだ。

震災対策の責任者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビ、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監だった。震災当日の夕方、赤池総監は東京衛戍(えいじゅ)司令官の森山守成近衛師団長に軍隊の出動を要請、罷災地一帯に戒厳令を布くべきだと水野内相に進言しているが、その頃、「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、翌日の夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電した。

そうした中、朝鮮人や社会主義者が虐殺され、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われて殺されそうになる。伊藤圀夫はその後「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、千田是也と名乗るようになった。アナーキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺されたのもこの時だ。この虐殺には治安当局が関係している疑いがあり、その意味でもこの時の犠牲者を追悼するという姿勢を東京都知事は見せてきた。それを止めるという意味は対外的にも重い。

震災後、山本権兵衛内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だった。

震災手形で日銀の損失が1億円を超えた場合は政府が補償することも決められたが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だ。

復興に必要な資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモントだ。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。

1932年にはアメリカでも大きな出来事が引き起こされている。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破ったのだ。

フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

このフーバーは1932年、駐日大使としてジョセフ・グルーを選び、日本へ送り込んだ。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーが結婚していたアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后である。

グルーの皇室人脈をそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

そうした人脈を持つグルーだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

当時、アメリカの大統領就任式は3月に行われていた。その前、2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミで開かれた集会で狙撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、ルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に弾丸が命中して市長は死亡した。

群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外した可能性があり、本来なら事件の背景を徹底的に調査する必要があるのだが、真相は明らかにされなかった。ザンガラは3月20日に処刑されてしまったのである。

そして1934年、名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、海兵隊のスメドレー・バトラー退役少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」でウォール街の大物たちによるクーデター計画を明らかにしている。少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチは、クーデター派が「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。

バトラーに接触してきた人物はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領を健康問題で攻撃し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して大統領をすげ替えることにしていたという。クーデター計画と並行する形で、ニューディール政策に反対する民主党の議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だった。

それに対し、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら自分は50万人以上を動かして対抗するとバトラーは応じた。内戦を覚悟するように警告したわけだ。そうしたこともあり、クーデターは実行されていない。クーデターを計画したとされた人々は誤解だと弁明、非米活動特別委員会はそれ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。捜査当局も動かなかった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/309.html

[番外地8] 故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 中川隆
3. 中川隆[-11537] koaQ7Jey 2020年9月02日 18:47:44 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[7]
林千勝さんの話はすべて妄想です。 そもそも近衛文麿は反戦派で何とかして戦争を止めようとしていたんですね:
天皇のための戦争
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通.
御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ
それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけですだから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです
東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中もそういうシステムで戦争が進んでいく訳です

戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)
戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)
昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)
真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)
海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)
パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)
天皇が内通していた(00:31:38)
スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)
天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)
終戦工作と白州次郎 (00:33:39)
ヨハンセングループ (00:34:17)
日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)
日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)
弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)
火事場泥棒なんです。(00:36:15)
こじつけ無罪論(00:36:19)
明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)
第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)
戦争はすべて八百長(00:38:51)
戦争は継続しなければいけない (00:40:48)
天皇が被爆に加担した(00:42:23)
白洲次郎の秘密(00:44:17)
吉田茂の秘密(00:46:20)
こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)
キッシンジャーと中曽根(00:57:00)
使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)  

▲△▽▼

東京裁判で東条英機は作戦はすべて昭和天皇一人で決めたと証言しています。
そして昭和天皇の戦争責任を証言しようとした近衛文麿の運命は
牛場友彦と松本重治が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。

占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。

前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。

山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html

▲△▽▼

天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元訳
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/308.html#c3

[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
6. 中川隆[-11536] koaQ7Jey 2020年9月02日 21:11:23 : 5hBKKhcisA : Z2ZTZFJlOEpJRlE=[10]
ヨーロッパ南西部では、鉄器時代のイベリア半島人が、先行する青銅器時代にヨーロッパ全域に拡大した草原地帯関連系統を有するヨーロッパ中央部および北部集団から、引き続き遺伝子移入を受けていました。これは、大きな社会文化的変容の期間で、人口統計学的転換を伴っており、究極的にはヤムナヤ(Yamnaya)文化草原地帯牧畜民と関連する集団はまずヨーロッパ東部および中央部で、後にはヨーロッパ西部で、在来集団とのかなりの混合を通じて、大きな影響を残しました(関連記事)。

侵入してくる草原地帯集団は、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの導入と関連しており、鉄器時代イベリア半島の非インド・ヨーロッパ語族地域もまた、この遺伝子流動の影響を受け、過去と現在の言語境界が明確な系統区分と必ずしも相関しないことを示します(関連記事)。

 ヨーロッパ北東部では、最近の研究により、ウラル語族現代人に特徴的なシベリア人関連系統の痕跡が、フェノスカンジアに遅くとも3500年前頃、バルト海地域東部には2500年前頃に到達していた、と明らかになりました(関連記事)。

ポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)は、鉄器時代にはスキタイ人に支配されており、スキタイ人は広範な地域で文化要素を共有するさまざまな遊牧民部族族の連合です。これらの古代集団からのゲノムデータにより、スキタイ関連個体群は遺伝的に均質な集団ではない、と明らかになりました(関連記事)。スキタイ人は後期青銅器時代草原地帯牧畜民およびアジア東部集団と関連する系統のさまざまな割合でモデル化できます。
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_42.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c6

[近代史5] インダス文化人の起源
インダス文化人の起源


雑記帳 2020年07月19日
インダス文化に関するまとめ
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_22.html


 当ブログのインダス文化に関する記事を短くまとめます。インダス文化はメソポタミアやエジプトといった年代の重なる他地域の古代文字文化と比較して、謎めいた印象を持たれているように思いますが、それはインダス文字(インダス文化の印章記号)がまだ解明されていないからなのでしょう。インダス文字で書かれた文書の文字配列の統計的構造を、シュメール語や古代タミル語やリグ・ヴェーダのサンスクリット語といった他の言語体系、人間のDNAや細菌の蛋白質配列といった非言語体系、人工の言語体系と比較した研究では、インダス文字は言語体系と酷似しており、非言語体系とは似ていない、と指摘されています(関連記事)。ただ、この研究により文字の意味的理解が進んだわけではなく、インダス文字の解読には、インダス文字と他の解読済の文字の併記された文書の発見が必要となるでしょう。

 インダス文化は、メソポタミア・エジプト・黄河・長江といった他の古代文化とともに、大河文化と定義されてきました。しかし近年では、インダス文化は他の大河文化とは大きく異なる性格を有する、との認識が浸透しつつあるように思います。従来の通俗的なインダス文化像の見直しを強く主張するのが、長田俊樹『インダス文明の謎 古代文明神話を見直す』です(関連記事)。同書は、メソポタミア文化やエジプト文化をモデルに構築された古典的なインダス文化像を徹底的に批判します。つまり、王のような専制権力の存在・活発な軍事活動・大河に依存した灌漑農耕・奴隷制社会を特徴とする文化像です。また同書は、モヘンジョダロとハラッパーに偏ったインダス文化像の構築も批判します。

 さらに同書は、インダス文化は大河文化ではない、と指摘します。現在は乾燥地帯にある遺跡の側をかつて大河が流れていた、という説は今では否定されているそうです。また同書は、植物遺存体の分析から、インダス文化において大河に依存した灌漑農耕の比重は必ずしも高くなく、多様な作物が栽培されていた、と指摘します。同書が提示する新たなインダス文化像は、牧畜民も含む流動性の高い人々により各都市が密接に結びつき、ヒトだけではなくモノも活発に動いた多民族・多言語共生社会だった、というものです。また同書は、インダス文化期には現代よりも海水面が高かったので、南部の都市は海に面しており、オマーンやバーレーンやメソポタミア方面とも交易していた、とも強調します。同書刊行後の研究でも、インダス文化の多くの都市が、大河から離れて反映していた、と指摘されています(関連記事)。

 インダス文化の担い手については確定していませんが、ドラヴィダ系住民との見解が有力だと思います。しかし、アジア中央部考古学専攻の研究者の中には、インダス文化の担い手を「アーリア系」と考える人もいます(関連記事)。この問題は、アジア南部における古代DNA研究の進展(関連記事)により明らかになりつつあります。インダス文化最大級の都市となるラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された1個体(I6113)のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はU2b2で、アジア中央部の古代人では現時点で確認されていません。

 I6113は核DNA解析では、紀元前2500〜紀元前2000年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化遺跡と紀元前3300〜紀元前2000年頃のイラン東部遺跡で確認された11人と類似しており、アジア南部現代人集団の変異内には収まりません。これはインダス川流域集団と呼ばれており、その遺伝的構成は、イラン関連系統およびシベリア西部狩猟採集民(WSHG)関連系統の混合系統(50〜89%)と、アンダマン諸島狩猟採集民(AHG)関連系統(11〜50%)の混合です。イラン関連系統とAHG関連系統との混合が紀元前5400〜紀元前3700年頃に起きたと推定されていることからも、インダス川流域集団はインダス文化の担い手と考えられます。インダス川流域集団にはアナトリア新石器時代農耕民関連系統が検出されず、イランからアジア南部への人類集団の移住は、イランにおける農耕開始前だったと推測されます。

 アジア南部のインド・ヨーロッパ語族はユーラシア中央草原地帯、より具体的にはポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源と考えられますが、インダス川流域集団のゲノムにはユーラシア中央草原地帯関連系統が見られないので、インダス文化の担い手はインド・ヨーロッパ語族ではなかった、と推測されます。インダス川流域集団と古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が紀元前2000年以後に混合して祖型南インド人(ASI)が形成され、紀元前2000〜紀元前1000年の間に、ユーラシア中央草原地帯系統がアジア南部へと拡大し、インダス川流域集団と混合して祖型北インド人(ANI)が形成されました。アジア南部現代人は遺伝的に、ASIとANIの地理的勾配として表されます(関連記事)。

 アジア南部で2番目に大きな言語集団であるドラヴィダ語族の起源に関しては、ASI系統との強い相関が見られることから、インダス文化衰退後に形成されたASIに起源があり、インダス文化集団により先ドラヴィダ語が話されていた、と推測されます。これは、インダス文字がドラヴィダ語を表している、との見解と整合的です。また、先ドラヴィダ語がインダス川流域集団ではなくインド南部および東部起源である可能性も想定されます。この仮説は、インド特有の動植物の先ドラヴィダ語復元の研究と整合的です。これらの知見から、インダス文化の担い手の言語は先ドラヴィダ語と考えられます。ただ、インダス文化は広範な地域に分布しており、その担い手の遺伝的構成は多様だった可能性が高そうです。とはいえ、アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたと考えられ、アジア南部現代人のゲノムに大きな影響を残しているユーラシア中央草原地帯関連系統は、基本的に欠けていたでしょう。おそらくインダス文化の担い手の多くの遺伝的構成は、イラン関連系統とAHG関連系統の割合が多様だったのではないか、と推測されます。

https://sicambre.at.webry.info/202007/article_22.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/307.html

[番外地8] "国家社会主義"というのはファシズムの事だよ

"国家社会主義"というのはファシズムの事だよ:
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。


 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/310.html

[番外地8] 日本人はこうやってアイヌ人から北海道を乗っ取った:
チャンネル桜は歴史を捏造している : 日本人はこうやってアイヌ人から北海道を乗っ取った:
とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化―日本人が自ら葬り去った異文化―
 日本列島に三つの異なった文化があることは存外知られていない。ひとつはいうまでもない、天皇を中心とした国家が育んだ「日本文化」であり、ひとつは琉球国王を中心とした琉球王国が育んだ「琉球文化」であり、いまひとつが北辺でアイヌの人びとが育んだ「アイヌ文化」である。これらは広い意味での「日本文化」ともいいうるのであるが、そうした扱いはなされてこなかったといっていい。
 それでも、狭義の「日本文化」と深くかかわる「琉球文化」については、近年、新たな視点からの研究・紹介がなされはじめている。しかるに、アイヌ文化は広義の「日本文化」の枠内には容れられないままなのである。

 アイヌ文化には三つの文化圏がある。すなわち「北海道」島に栄えた北海道アイヌ、樺太(ロシア領サハリン)島南部に栄えた樺太アイヌ、そして、中部千島・北千島(ロシア領クリール諸島)に栄えた千島アイヌである。

 このなかで、千島アイヌはそのひとを含め、文化・言語は今日にまったく伝わらないのである。国際交渉の陰で、しかもきわめて平和裡に、日本人は地上から一つの文化を葬り去ったのである。

 いまひとつの文章がある。主題とも深く関わるので一瞥してみよう。

「1884年の日露両国間の協定によって、樺太はロシアに、千島列島は日本に帰することになった。その後、日本は総人口わずか九七人のものが群島の各地点に分散している極北の新しい国民の憐れな状態に憐憫の情をもよおし、彼らを絶滅から救うことを願った。そのため、彼ら全員を、はるかに豊で気候も温暖なシコタン島へ移住させた。ここは蝦夷の根室地方とクナシリ島の間にあり、千島列島の最南端に位置する。しかし、憐れな彼らにとってそこが楽園となったであろうか。否、無益であった…」(鳥居竜蔵『千島アイヌ』序)。

 日露間で締結された「樺太千島交換条約」によって、樺太はロシアに割譲され、全千島列島が日本の版図となった。このとき、日本政府は先住民であるアイヌの人びとをも同時に自らの民に加えた。樺太アイヌは北海道に強制移住させられ、当初は樺太に程近い稚内のメグマに居住地が定められたが、じきに札幌近郊の対雁(ツイシカリ、現在の江別市内)に移された。

 シムシュ島、ホロムシリ島などに住む千島アイヌが移された先が、鳥居の序文にあるシコタン島である。

 このいずれもが、かれらがロシア人と通交をおこなって、結果的に日本に不利となる行為を働くことを危惧してのものであった。

 明治36年の戦争の結果、樺太アイヌはそれでも故郷に帰りえた。しかし千島アイヌは、そこが日本領土であったにもかかわらず、帰ることはできなかった。望郷の想いにかられながらも、かれらは北海道とその付属島嶼(島々)のなかで、みずからの文化を放棄せざるを得なかった。今日、千島アイヌの文化を伝えるひとはただのひとりも存在しない。

佐々木 利和(ささき としかず)

東京国立博物館
主著等:
『アイヌ文化誌ノート』(吉川弘文館 2001年)
『アイヌの工芸』(日本の美術354号 至文堂 1995年)
「東京国立博物館のアイヌ民族資料(上)」『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要』3号(1994年)
『アイヌ語地名資料集成』(草風館 1988年)
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千島アイヌの強制移住
1884年(明治17年)に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌの人々が色丹島に強制移住させられた。

これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与える恐れがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、日本の領域を確定するにおいて危険な障害と感じられたためである。

移住した千島アイヌに対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が漁撈民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失った。
_____

色丹島移住後のクリル人

 移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。

 この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。

強制移住による人口の減少

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。
 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/311.html

[番外地8] 最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。
チャンネル桜は歴史を捏造している :
最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。
2020/08/25
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚遺跡から出土した女性人骨(図1)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し、縄文人骨(IK002)のゲノムは、東ユーラシアのルーツともいえる古い系統であり、南ルートに属し、北ルートの影響をほとんど受けていないことを明らかにした。


アフリカ大陸からユーラシア大陸の東端までのホモ・サピエンスの拡散は、後期旧石器時代に相当する。石器など考古遺物はヒマラヤ山脈以北および以南どちらからも見つかるので、拡散の経路として北と南の2つのルートがあったはずだ。近年劇的に蓄積されている人類集団ゲノム情報を解析すると、現在ユーラシア大陸の東側に住んでいる人々は、南ルートで来たことを示す。

IK002の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった。そして、IK002は日本列島にたどりついた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明した。

また、先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。

図2:東アジア人類集団の形成史をモデル化した図
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/312.html

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然
専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然だという事です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html
[近代史5] ニュースは最初からすべてマスコミを経営する資本家が流すフェイクだった

ニュースは最初からすべてマスコミを経営する資本家が流すフェイクだった

2020年09月03日
ニュースは最初からフェイクだった

新聞は書き手にとって都合が良い事だけを書き、人々の対立を煽ってきた

引用:http://barnessite.weebly.com/uploads/1/3/1/4/13141100/951411743.jpg

世界は偽ニュースに汚染された

現代の世界ではフェイク(偽)ニュースが飛び交っていて、欧米や日本では選挙や政治を左右するほどになっています。

アメリカではトランプ大統領派と反対派が偽ニュースを発信し合い、伝統的な大手メディアも参戦しました。

ワシントンポスト、NYT、CNN、フェイスブックなどもフェイクニュースを配信していました。

大手メディアはすぐにばれる嘘よりも、「一方的で偏ったニュースだけを放送する」という手段を好みます。

例えばフェイスブックは前回の大統領選挙期間中「共和党に都合が良いニュースは配信するな」という指示をニュース選択部門に出していました。

期間中FBのニュースでは「共和党また不祥事」「民主党がリード」という記事だけが配信され、反対の記事は掲載されませんでした。

日本のテレビや大新聞もやっていて、自分が反対する政党やグループには悪い記事だけを流し、良い記事は掲載しません。

受信料を徴収しているNHKですら、中国に都合が良い報道だけをし、中国に都合が悪いニュースは放送しません。

フジテレビは「韓流騒動」の頃、韓国に都合が良いニュースだけを流し、日本については悪いニュースだけを流し続けました。


例えばフジテレビのフィギュアスケート番組では、日本の選手については転倒した場面だけを繰り返し流し、韓国選手は成功した場面だけ放送していました。


欧州でも同じで、イギリスのEU離脱国民投票のとき、賛成反対双方が偽ニュースを流し、結果は離脱に決まったが非常に後味が悪いものになった。

フランスの大統領選挙も偽ニュースでの叩きあいに終始し、結果はマクロンが勝ったが、フランス国民は「なぜこの男に投票してしまったのだろう」と自問しているようです。

新聞の始まりはフェイク

こんな世界になってしまったのはインターネットが普及して、個人が偽ニュースを配信し、影響力を持つようになったからでした。

2011年の東日本大震災で、既存の大メディアの情報を人々が信じなくなり、ネットの「まとめサイト」がブームになりました。


まとめサイトの情報源は玉石混合で、新聞社のサイトをソースにする事が多かったが、個人が書いた記事も多かった。


ネット世界に対抗するように、テレビや新聞、大手メディアも自分に都合が良いフェイクニュースを流し出しました。

こうして世界は混乱に陥っているのですが、「では偽ニュースが飛び交う前は『正しい情報』だったのか」という疑問が沸きます。

日本では数十年間信じられていた慰安婦が、朝日新聞社による捏造だったのが数年前判明しました。


同じように南京事件、731部隊、東京裁判、関東大震災の朝鮮人襲撃などが、次々に「偽ニュース」と判明しています。(中川註 これは右翼のデマですべて事実だとわかっています)

新聞やテレビはアメリカ軍やソ連、中国に都合が悪い事は70年間隠し続け、あたかも日本人が一方的な悪者だったかのように報道してきました。


アメリカや英米、ドイツなどでもこうした捏造は数十年間続けられていて、既存の大手メディアが加担していました。


メディアは昨日今日フェイクになったのではなく、少なくとも70年前からフェイクニュースを配信し続けていたのです。

ニュースの始まりは新聞ですが、その始まりは欧州では1600年ごろの英仏独で始まり、最初から自分に都合が良い記事だけを掲載していました。

最初の記録もフェイク

考えてみれば自分に都合が悪い記事など書く人はいないので、最初からニュースはフェイクだったのです。

フランス革命では新聞による偽ニュースで市民の怒りを煽り、王妃マリー・アントワネットが『パンが無ければケーキを食べなさいよ』と言ったとでっち上げた。

王家や貴族の贅沢な暮らしぶりは誇張され、革命家たちの冷酷さは一言も記事にしませんでした。


フランス革命は美化されていますが、実際の事実だけを検証すると、テロリストが民衆を操って暴動を起こし、大量の人をしなせたに過ぎません。

これが才能有る芸術家によって文章や絵画になると、崇高で美しい出来事に思えてくるのです。

日本でも1600年代から「かわら版」が始まりましたが、読み物としての面白さが重視されていて、事実かどうかは後回しでした。


各国で最初のニュース報道は聖書や古事記のような宗教書で、古くからの伝承を記録したものと言われています。

文字が発明されるまでは口頭で伝えるしかなかったので伝承は重要であり、何かの出来事を伝えようとした痕跡が見られます。

伝承は多くの人に「伝言ゲーム」のように伝えるため、記録性より大げさで覚えやすい事が重視されます。


「紅海を渡った」よりも「モーゼは海を割った」のほうが覚えやすいしドラマチックで注目を集めやすいという事です。

皆既日食や天候不順と言うより「アマテラスが岩戸に隠れて太陽が消えた」の方が伝えやすいのです。

もちろん伝承を伝える人に都合が悪い事は伝えなかった筈で、このように考えるとニュースは最初からフェイクだったとも言えます。
http://www.thutmosev.com/archives/72323299.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/308.html

[近代史5] こんなところで人が暮らせるのかと、衝撃
こんなところで人が暮らせるのかと、衝撃


日本に極度の貧困は起こり得ないという前提は果たして本当に正しいのか?
2020.09.03
https://blackasia.net/?p=19868


日本人は「日本で極度の貧困は発生しない」と考える。しかし、政治的混乱、経済悪化、社会保障費の大削減、福祉劣化、インフレ、暴動、預金封鎖、戦争、超巨大地震など「絶対に起こらないだろう」と思われていることが起きたら、想像を絶する貧困が広がるかもしれない……。(鈴木傾城)


こんなところで人が暮らせるのかと、衝撃

発展途上国の生活レベルはとても低く、日本人から見ると日本の昭和30年代よりもさらに貧しい場所もたくさんある。途上国の貧困層の集まるスラムになると、日本とは比べようがなく、その荒廃にショックを受ける人も多い。

かく言う私も、二十歳の頃に初めてタイを訪れてドンムアン空港から市内に入る列車の両脇にバラック小屋の建物がたくさん立っているのを見て、「こんなところで人が暮らせるのか」とショックを受けた。

列車スレスレにバラック小屋が建ち、小屋の中が見えるどころか、住民と目が合うほど距離が近かったのだ。

子供がウロウロしていたら轢かれることもあるかもしれない。酔っ払って線路に寝る男も出てくるかもしれない。運悪く線路に倒れて動けなくなる年寄りもいるかもしれない。

不測の事態は何か起こり得る。線路に近すぎるというのは危険極まりないことである。

その後、私はタイにどっぷり浸ることになるのだが、当時はドンムアン空港近くだけでなく、市内でも線路沿いにスラムが建ち並んでいた。廃線になって線路だけが残されている場所もあったが、スラムは「線路沿い」だったのだ。

なぜ環境の悪い線路脇にバラック小屋を建てるのかと考えても、そのときはまったく分からなかった。(ブラックアジア:なぜ途上国では線路沿いのうるさい場所に人が住み着くのか?)

さらに、高速道路沿いにもバラック小屋が建ち並んでいて、それ自体がスラム地区のようになっていた。


ヤモリが壁に張り付き、這い回る宿
後に私はタイだけでなく、カンボジアでもインドネシアでもフィリピンでもインドでも、線路脇や川沿いに多くのバラック小屋が並んでいる光景を目にするようになる。

カンボジアで私が足しげく通っていたトゥールコック地区も、すでに廃線になっていたが線路沿いにスラムがずっと続いていた。トゥールコック地区は線路沿いであると同時に沼地だった。雨が降ると道は泥だらけになり、異様な臭いが漂った。

そう言えば、タイのクロントイ・スラムも、いつもジメジメ湿った沼地に建っているようなスラムだった。パッポンで働いていた知り合いの女性がそこに住んでいるというので訪ねて行ったが、暑さと湿気で倒れそうになったのを覚えている。

床はじくじくとヘドロが湧いてくるようなところだったので、狭い細い路地はいつも濡れていて、足が汚れないように板が敷いていた。そんなところだった。「なぜこんなところにいるのだろうか。早く引っ越せばいいのに」と思ったこともある。

しかしながら、こうしたところにずっといると、次第に貧しさの光景に慣れていく。何とも思わなくなる。そして、ここにしか暮らせないのなら、ここでもいいのかもしれない……と思うようになっていく。

ただ、私は最初からすぐにスラムのような極度の貧困の世界に慣れたわけではなかった。初めてタイで貧困を目撃した時は衝撃的だったし、目の前の光景に拒絶感すらも覚えたほどだった。

東南アジアを最初にうろついた二十歳の頃は、自分の泊まった安宿があまりにもボロボロで自分の想定以上に薄汚れており、薄暗い部屋の中でヤモリが這い回っているのが私を憂鬱にさせた。

東南アジアの安宿はどこに泊まっても同じだ。必ずヤモリが壁に張り付き、這い回り、夜になったら鳴く。

限界を突破して転がり堕ちることもある

バックパッカーでもやってみようと思い立ち、実際にタイの旅に出たところまでは意気揚々としていたが、現地に着いて最初の一週間ほどは「なぜこんなところに来てしまったのか。なぜこんなところにいるのか」と、夜になったら泣きそうになっていた。

当初はカオサンに泊まったが、当時のカオサンはまだまだ洗練されておらず、夜になればなるほど安宿の雰囲気は陰惨になった。

蛍光灯もやたらと薄暗く、チカチカし、しかもしばしば停電する。そんな場末の部屋の中で「強盗がやってくるのではないか?」「こんなところで死にたくない」と私は恐怖に震えていた。

最初の頃は東南アジア名物の屋台の食べ物も、最初は汚らしいと思って食べられなかった。今では大好きな香菜(パクチー)のニオイも当時は吐き気がした。不潔なニオイのように思えて口にできなかった。

カエルの唐揚げやら得体の知れない虫の唐揚げまで売っていた。「こんなものまで食べているのか」という驚きと、「こんなものも食べなければいけないほど貧しいのか?」という気持ちが交差した。

何を見てもショックを受けて、「自分が耐えられる心理的限界を超えた貧しさだ」と感じていた。屋台で何か食べるなんてとんでもないと思った。食べた瞬間に食中毒になって、毒が全身に回るのではないかと想像した。

ところが……。

1ヶ月もすると最初の頃の恐怖と拒絶感が嘘のように取れていた。何がきっかけだったのか覚えていないが、初めて見た貧困のショックは、ゆっくりと、自然に消えていったように思う。

そして、その後はさらに貧困地区をさまようようになった。ヤモリが這い回る宿で私は安眠し、屋台の食事が私の日常の食事となった。パクチーに慣れたのはずっと後の話だが、それも何とも思わなくなった。


インドの貧困層の女性たちを扱った『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち』の復刻版はこちらから

平穏であり続けるという前提は正しいのか?
タイの貧困地区をうろういていたこともあって、1990年代の後半にカンボジアに向かって、タイよりもさらに貧しい場所のスラムに出入りするようになっても、私は別に何とも思わなかった。

ボロを着てうろつき、雨水を溜めた濁った水で身体を洗い、何の肉なのか分からない肉が乗った飯を食べて満足していた。その後、さらにいろんな国で極限的な貧困も見てきたが、もはや不感症のようになっていた。

インドのコルカタやムンバイに降り立った時には、再び凄まじい貧困にショックを受けたのだが、それも3日ほどで慣れたように思う。貧困の光景は慣れる。スラムに出入りしていると、貧困が日常になるので、自分が貧困地区にいるということすらも気づかなくなっていく。

だから、私は他の人に比べると貧困での生活は問題ないのかもしれないとも思う。それがどんな世界なのか実際に知っているし、耐性もついている。日本が経済的に縮小してしまい、アジアの極貧国と化しても問題なく生きていけるようにも思える。

しかし、ふと思うこともある。

私が経験したのはしょせん「旅の中の出来事」であり、自分が実際に落ちぶれたわけではなかったので耐えられたのかもしれない。日本という「帰る場所」があった。「帰る場所」があるというのは、最初から救いがある状態だ。

もし自分が何もかも失って、日本が落ちぶれると同時に自分も一緒に落ちぶれて、ヘドロの臭いが充満するバラック小屋で暮らすしかなくなった時、自分は本当に耐えられるのだろうか。体力が持つのだろうか、精神力が持つのだろうか……。

「貧困の世界には慣れているから大丈夫」みたいなことを言ってられるのか。あのもがいてももがいても這い上がれない極度の貧困で、徒手空拳で今の自分はやっていけるのだろうか。

日本人は「日本は大丈夫だし、大したことは起こらないだろう」と考えている。

しかし、いつまでも日本が平穏であり続けるという前提は正しいのだろうか? 日本に極度の貧困は起こり得ないという前提は正しいのだろうか。

政治の混乱、国内の対立、経済の急激なる地盤沈下、社会保障費の極度の削減、福祉の劣化、極度のインフレ、暴動、預金封鎖、戦争、超巨大地震、超巨大災害など「絶対に起こらないだろう」と思われていることが突如として起きたら、一気に私たちが想像したことのない貧困が広がるかもしれない。

可能性はゼロだろうか?

https://blackasia.net/?p=19868
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/309.html

[番外地8] 津軽・下北は江戸時代までアイヌコタンが沢山有った所で、今も住民の遺伝子はアイヌ人と変わらない
【ch桜・別館】清水有子の青森講座〜津軽と南部はこんなに違う[R2/8/27]
https://www.youtube.com/watch?v=vxYEcYZ3WfM

津軽・下北は江戸時代までアイヌコタンが沢山有った所で、今も住民の遺伝子はアイヌ人と変わらない
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/314.html

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
135. 中川隆[-11535] koaQ7Jey 2020年9月03日 10:07:49 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[6]
Mr.トレイルのオーディオ回り道 サブシステムのレイアウト変更
2020年09月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/cf4a8e2fa69e832b93ddd27f47acf951


サブシステムの機器のレイアウト変更をしました。目的はC3+M4の正規の活用と機器の安定性やケーブル類の充実の為です。ほぼNo2グレードの電源ケーブルとラインケーブルで主要な機器の接続が出来ました。プリアンプ3台、パワーアンプ5台、CDP×2台、MD機×2台、DAT×1台、チューナー×1台です。これだけ揃うと壮観です。他に管球パワーアンプ3台が眠っています。サトリのミニプリ+パワーのセットも別室で眠っています。チョッと集めすぎと自分でも思います。

C3+M4間及びCDP-D500間は特別にNo1グレードのラインケーブルにしています。この配置なら使えます。サウンドは極上になりました。

この機器の中で直出し電源ケーブルはSONYのTA-N86×2台とMD機とパイオニアのチューナーだけです。(合計4台)そのうちに電源をインレット化します。インレット化すれば高級な電源ケーブルが使えます。更なる音質アップが出来ます。ちなみにNo2グレード云えど、一般のケーブルに比べ3db程「音量アップ」します。No1ケーブルは更に3db以上アップします。(No2グレードの2倍以上)

私の自作ケーブルはNo2グレードでも市販の30万円クラスのケーブルの性能を超えます。No1グレードは更にその倍以上でしょう。ケーブルのグレードを上げれば「激変」のサウンドが待っています。ケーブルの自作をお勧めします。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/cf4a8e2fa69e832b93ddd27f47acf951
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c135

[リバイバル3] 音がわからないアホ・オーディオマニアが良く引用する「オーディオの科学」の何処がおかしいか 中川隆
48. 中川隆[-11534] koaQ7Jey 2020年9月03日 10:09:14 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[7]
Mr.トレイルのオーディオ回り道 サブシステムのレイアウト変更
2020年09月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/cf4a8e2fa69e832b93ddd27f47acf951


サブシステムの機器のレイアウト変更をしました。目的はC3+M4の正規の活用と機器の安定性やケーブル類の充実の為です。ほぼNo2グレードの電源ケーブルとラインケーブルで主要な機器の接続が出来ました。プリアンプ3台、パワーアンプ5台、CDP×2台、MD機×2台、DAT×1台、チューナー×1台です。これだけ揃うと壮観です。他に管球パワーアンプ3台が眠っています。サトリのミニプリ+パワーのセットも別室で眠っています。チョッと集めすぎと自分でも思います。

C3+M4間及びCDP-D500間は特別にNo1グレードのラインケーブルにしています。この配置なら使えます。サウンドは極上になりました。

この機器の中で直出し電源ケーブルはSONYのTA-N86×2台とMD機とパイオニアのチューナーだけです。(合計4台)そのうちに電源をインレット化します。インレット化すれば高級な電源ケーブルが使えます。更なる音質アップが出来ます。ちなみにNo2グレード云えど、一般のケーブルに比べ3db程「音量アップ」します。No1ケーブルは更に3db以上アップします。(No2グレードの2倍以上)

私の自作ケーブルはNo2グレードでも市販の30万円クラスのケーブルの性能を超えます。No1グレードは更にその倍以上でしょう。ケーブルのグレードを上げれば「激変」のサウンドが待っています。ケーブルの自作をお勧めします。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/cf4a8e2fa69e832b93ddd27f47acf951
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/881.html#c48

[近代史5] ニュースは最初からすべてマスコミを経営する資本家が流すフェイクだった 中川隆
14. 中川隆[-11533] koaQ7Jey 2020年9月03日 12:18:35 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[23]
2020.08.24
心理操作が切り開く殺戮と破壊への道
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008240000/
 コマーシャルの目的は、商品を買いたいという心理を引き起こすことにある。そうした商品の中には戦争も含まれている。人びとが戦争を望むように仕向けるわけだ。心理操作の「民間委託」とも言えるだろう。


 民間企業が心理操作で戦争への道を演出した一例は、1990年10月10日にアメリカ下院の人権会議という非公式の集まりで行われた「ナイラ」なる女性の証言。クウェートの病院で働いていた看護師を名乗り、イラク兵が保育器を盗んで多くの赤ん坊を殺したなどと主張、好戦的な雰囲気を作り出す一因になった。


 この「証言」を演出したのはヒル・アンド・ノールトンというアメリカの広告会社で、雇い主はクウェート政府。イラク軍の残虐行為を涙ながらに語った少女はアメリカ駐在クウェート大使だったサウド・アル・サバーの娘、ナイラ・アル・サバーだった。勿論、イラク軍がクウェートへ攻め込んだ当時、ナイラは現場にいない。


 この嘘を真に受けた「善良なる市民」はイラクへの先制攻撃を後押しすることになり、子どもを含むイラク人が殺されることになる。2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」はジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究による調査報告を掲載、それによると、2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だという。イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに94万6000名から112万人が、またNGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。


 ソ連が消滅した直後の1992年2月、アメリカ国防総省ではDPGが作成された。国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。


 ライバルのソ連が消えたことでアメリカは唯一の超大国になり、単独で行動できる時代が到来したとネオコンは考えた。そうした状態を維持するため、ソ連のようなライバルが再び出現することを阻止しようとしたのだ。潜在的なライバルとしてネオコンが想定したのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。特に重要視したのは中国だ。力の源泉であるエネルギー資源を支配するため、南西アジアも重視された。


 ネオコンはまずユーゴスラビアの解体し、セイルビア勢力を弱体化させようとする。1990年代の前半からアメリカの有力メディアやジョージ・ソロスと関係が深いHRW(ヒューマン・ライツ・ウオッチ)は偽情報を広めながらユーゴスラビアへの先制攻撃を主張していたが、ビル・クリントン政権は戦争に消極的。状況が変化したのは国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年からだ。


 NATOは1999年3月にユーゴスラビアへの軍事攻撃を開始、4月には空爆でスロボダン・ミロシェビッチの自宅を破壊、5月には中国大使館も爆撃されている。いうまでもなく、多くの建造物が破壊され、多数の市民が殺された。この戦争からコソボ紛争も生まれる。コソボの反セルビア勢力が宣伝のために雇った会社がルダー・フィンだ。


 有力メディアや広告会社はターゲットを悪霊化する仕事をしているわけだが、実際に事件を引き越すこともある。例えば、1985年にイスラエルの情報機関、モサドは「偽装テロ」を実行している。アキレ・ラウロ号事件だ。


 イスラエルの情報機関ERD(対外関係局)に所属していたアリ・ベン-メナシェによると、工作にはモハメド・ラディ・アブドゥラなる人物が利用されている。この人物はヨルダン軍の大佐だったが、ヨルダン軍によるパレスチナ人虐殺に反発、ロンドンへ移住していた。そこで一緒にビジネスを始めたアンソニー・ピアソンはイギリスの特殊部隊SASの元将校で、イスラエルともつながっていたころからラディはモサドに操られることになる。


 イスラエルの命令はラディを介してアブル・アッバスなる人物に伝えられる。アッバスはシチリア島のドンから資金を得ていると思っていたようだ。そのアッバスが編成したチームが客船のアキレ・ラウロ号を襲撃したのだ。この襲撃はイスラエルにとって格好の宣伝材料になった。


 アメリカやイスラエルは「ジャーナリストの死」を求めることがある。その犠牲者になった可能性があるひとりが2012年8月にシリアのアレッポで殺された​山本美香​。彼女は反政府軍(実態はアル・カイダ系武装集団)のFSA(自由シリア軍)に同行して取材していたようだ。


 シリアを取材する記者の多くはトルコから密輸ルートを使い、シリアへ入国しているようなので、それだけでも危険が伴う。しかもFSAはジャーナリストの死を望んでいる節がうかがえる。


 イギリスのテレビ局、チャンネル4のケースも山本の場合と似ている。チャンネル4チームの中心的な存在だった​アレックス・トンプソンによると、彼らは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだった​という。取材していたチームを反政府軍の兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。​イギリスやドイツなどの情報機関から政府軍の位置は知らされているはず​で、意図的だったとしか考えられない。トンプソンたちは危険を察知して逃げることに成功したが、危うく殺されるところだった。今回のケースを彷彿とさせる。


 2012年12月には、NBCニュースの取材チームが同じシリアで拉致され、5日後に解放されるという出来事があった。チームのひとりで主任外国特派員の​リチャード・エンゲルは翌年4月号のバニティ・フェア誌で政府軍と連携している武装勢力が実行したと主張​したが、後にその主張を取り下げ、反シリア政府軍につかまっていたと認めている。


 実は、​エンゲルらが解放された直後から、拘束したのは反シリア政府軍ではないかという報道もあった。​エンゲルも自分たちが携帯していたGPSでNBCの幹部が拉致を察知、その場所が反政府軍の支配している地域であることも認識していたというのだ。しかも拉致したグループと救出したグループの指揮官は一緒。つまり、バニティ・フェア誌の記事は「誤解」ではなく、嘘だった可能性が高いということだ。

 アメリカやイギリスの支配者にとって都合の悪い誰かを批判していた人物が死亡した場合、その誰かが殺したに違いないと単純に叫ぶべきでないということでもある。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008240000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/308.html#c14

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
7. 中川隆[-11532] koaQ7Jey 2020年9月03日 14:29:57 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[27]
ディビット・バーガミニは当時一番有名な歴史学者だったけど、昭和天皇の研究をしてから大学を追われたんだよ。
それ以降、研究者は誰も太平洋戦争の研究はできなくなった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c7
[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
7. 中川隆[-11531] koaQ7Jey 2020年9月03日 14:51:59 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[28]
雑記帳 2019年09月08日
アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成

以前の研究(関連記事)では、アジア南部に草原地帯牧畜民系統をもたらしたのは直接的にはヤムナヤ文化集団ではない、と推測されていましたが、間接的にはヤムナヤ文化集団のアジア南部への遺伝的影響は一定以上あるようです。

さらに本論文は、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語文献の伝統的な管理者と自任してきた司祭集団において、男系を示すY染色体においてとくに草原地帯牧畜民系統の比率が高いことからも、インド・ヨーロッパ語族が草原地帯系統集団によりもたらされた可能性が高い、と推測します。


 ヨーロッパとアジア南部は、農耕開始前後にアジア南西部起源の集団が流入した後、銅器時代〜青銅器時代にかけて、ユーラシア中央草原地帯起源の牧畜民が流入してきて遺伝的影響を受けたという点で、よく類似しています。しかし、更新世から存在したと考えられる狩猟採集民系統の比率が、アジア南部ではAASIとして最大60%程度になるのに対して、ヨーロッパではヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)として最大で30%程度です。これは、ヨーロッパよりも強力な生態系もしくは文化の障壁がアジア南部に存在したからだろう、と本論文は推測しています。

 これと関連して、草原地帯牧畜民系統の到来がアジア南部ではヨーロッパよりも500〜1000年遅くて、その影響がアジア南部ではヨーロッパよりも低く、Y染色体に限定しても同様である、ということも両者の違いです。本論文は、この状況はヨーロッパ地中海地域と類似している、と指摘します。ヨーロッパでも地中海地域は、北部および中央部よりも草原地帯系統の比率はかなり低く、古典期には多くの非インド・ヨーロッパ語族系言語がまだ存在していました。

一方、アジア南部では非インド・ヨーロッパ語族系言語が今でも高い比率で使用されています。これは、やや寒冷な地域が起源の牧畜民集団にとって、より温暖な地域への拡散は難易度が高かったことを反映しているのかもしれません。

アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたのは紀元前二千年紀に到来した草原地帯牧畜民系統集団だろう、と推測します。

https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c7

[番外地8] 1947年の12月、戦時中の首相、東条英機は自らを弁護して証言台に立った
1947年の12月、戦時中の首相、東条英機は自らを弁護して証言台に立った。

ドラマ東京裁判名場面02 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6I3ZLht7o1g

の2:38 から。

彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は
限度を越えていた。

中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、
あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。

ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、
よく理解できるはずである。


 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。 だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で
天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。

彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。

木戸はまた、 刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。 二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/315.html

[近代史5] アーリア人の起源 中川隆
8. 中川隆[-11530] koaQ7Jey 2020年9月03日 16:38:27 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[31]
雑記帳 2018年05月11日
インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html


 おもに5500〜3500年前頃となる、内陸アジアとアナトリア半島の74人の古代ゲノムの解析結果と比較を報告した研究(Damgaard et al., 2018A)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。インド・ヨーロッパ語族の拡散については複数の仮説が提示されていますが、有力なのは、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族祖語も広範な地域で定着していった、というものです。

 この「草原仮説」においては、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡散が、ヨーロッパから西・中央・南アジアにまで及ぶ、インド・ヨーロッパ語族の広範な定着に重要な役割を果たしたのではないか、との想定もあります(関連記事)。ヤムナヤ文化集団は5000年前頃からヨーロッパへの大規模な拡散を始め、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を各地に定着させ、やがて言語が多様化していったのではないか、というわけです。ヤムナヤ文化集団が初めてウマを家畜化したとの見解も提示されており、ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、ヤムナヤ文化集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。

 しかし、ウマの家畜化については議論が続いており、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化集団が、初めてウマを家畜化した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、この研究では、現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期〜後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています。これは、ボタイ文化の初期家畜馬は現生家畜馬に2.7%程度しか遺伝的影響を及ぼしていない、という知見(関連記事)と整合的です。ボタイ文化集団は、3人のゲノム解析結果から、ヤムナヤ文化集団とは遺伝的に近縁関係にはなく、それぞれ独自にウマを家畜化したのではないか、と推測されます。ボタイ文化集団は、近隣の集団が農耕・牧畜を採用した後も長く狩猟採集生活を維持し続けたので、孤立していたとも考えられていましたが、ウマの埋葬儀式に関しては他のアジアの文化との共通点があり、他集団との交流は一定上あったと考えられます。

 ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に拡散させた、との仮説の検証で重要なのは、インド・ヨーロッパ語族の使用が最初に確認されている、アナトリア半島を中心に繁栄した古代オリエントの強国ヒッタイトの住民と、ヤムナヤ文化集団との関係です。この研究では、アナトリア半島の住民の古代ゲノム解析の結果、古代アナトリア半島ではヤムナヤ文化集団の遺伝的影響は確認されませんでした。また、シリアの古代都市エブラ(Ebla)の記録から、インド・ヨーロッパ語族はすでにアナトリア半島で紀元前2500〜2400年前頃には用いられていたのではないか、と推測されています。この研究は、インド・ヨーロッパ語族集団はヤムナヤ文化の拡大前にアナトリア半島に到達していただろう、と指摘しています。

 中央・南アジアに関しても、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんど確認されませんでした。これまで、アジアにおけるユーラシア西部集団の遺伝的影響は、ヤムナヤ文化集団の拡散の結果と考えられ来ました。しかし、この研究は、その可能性が低いと指摘し、5300年前頃にユーラシア草原地帯の南方にいたナマズガ(Namazga)文化集団が、ヤムナヤ文化集団の大移住の前に、ユーラシア西部系住民の遺伝子をアジア人集団にもたらしたのではないか、と推測しています。

 ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はヨーロッパにおいて大きかったものの、アジアではたいへん小さかったようです。もちろん、文化的影響は遺伝的影響を伴うとは限りませんが、この研究で報告されたゲノム解析結果と比較は、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に定着させ、インド・ヨーロッパ語族は各地で多様化していった、という仮説と整合的とは言えないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の拡散に関しては、この研究のように、学際的な研究の進展が欠かせない、と言えるでしょう。その意味で、この研究の意義は大きいと思います。


参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aar7711


https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html#c8

[近代史5] ヤグノブ人の起源
ヤグノブ人の起源


雑記帳 2019年10月14日
ヤグノブ人の遺伝的歴史
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_28.html


 ヤグノブ人(Yaghnobis)の遺伝的歴史に関する研究(Cilli et al., 2019)が公表されました。アジア中央部は長きにわたって人類集団・遺伝子・言語・文化・商品の重要な経路・交差点となってきました。アジア中央部の歴史は、異なる人類集団の大規模な移動により特徴づけられ、最終氷期極大期(LGM)後に活発化し、新石器時代と青銅器時代にかなりの程度に達し、古代および中世までじょじょに増加していきました。アジア南部とヨーロッパには、青銅器時代にユーラシア中央部の草原地帯より遊牧民集団が拡大し、大きな遺伝的影響を残した、と推定されています。中世にはテュルク系の大移動やモンゴルの急速な拡大もありましたが、その激しい人類集団移動のため、アジア中央部の歴史の大半は複雑で未解明の点も多く、議論が続いています。

 このように複雑な形成史を有するアジア中央部集団の中で、ヤグノブ人は民族言語的および遺伝的観点の両方からひじょうに注目されています。ヤグノブ人は、中期イラン諸語の一つであるソグド語の直系と考えられているヤグノブ語話者なので、古代の遺伝的構成を保持しているのではないか、とも推測されていますが、ヤグノブ語の文献は19世紀後半までしかさかのぼらず、未解明の点が少なくありません。現在、ヤグノブ人は孤立した民族言語集団で、海抜2200〜2600mに位置するタジキスタンのザラフシャン渓谷(Zarafshan Valley)上流のヤグノブ川(Yaghnob River)沿いに、歴史的に居住してきました。ただ、ソ連統治時代に一部が移住させられたこともありました。ヤグノブ川の上流はかなりの降雪量とネメトコン(Nemetkon)村以後の道路の欠如のため、1年のうち数ヶ月は事実上通行不能となります。

 地理的な孤立により、ヤグノブ川流域の人々は独自の言語・文化・生活様式とおそらくは遺伝的構成を何世紀にもわたって維持してきた、とも考えられます。ヤグノブ人は遺伝的に、イスラム教拡大前のイラン人と関連しているかもしれないとしても、今はイスラム教徒です。ヤグノブ人は現在500人未満と推定されており、21の村に居住し、農耕で生計を立てています。これまで、ヤグノブ人の遺伝的歴史はじゅうぶんには調査されておらず、標本数や精度に問題がありました。また、ヤグノブ渓谷外のヤグノブ人が調査対象となったことも本論文は指摘しています。本論文は、ヤグノブ川流域のヤグノブ人88人(ヤグノブ川流域のヤグノブ人の約2割)のDNAを解析し、常染色体だけではなくミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも対象として、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)を決定しました。

 mtDNAの分析では、アジア中央部集団はおおむねアジア東部集団と中東の中間に位置します。また、アジア中央部集団とアジア南部集団との違いも明確に示されます。しかし、ヤグノブ人は近隣のタジク人などアジア中央部の他集団とは異なり、中東集団に近縁です。ヤグノブ人のmtHgでは、ユーラシア西部集団に多いH(19.1%程度)とHV(38.2%程度)が多く、ユーラシア西部には基本的に見られないmtHg-Mの派生系統がほとんど存在しません。

 Y染色体DNAの分析でも、ヤグノブ人はタジク人などアジア中央部集団とは異なる分布を示し、アジア中央部集団と中東集団の間に、分散して位置づけられます。ヤグノブ人のYHgでは、中東に典型的なJ2とヨーロッパ東部およびアジア中央部に典型的なR1aがそれぞれ約30%ずつ、ヨーロッパ西部に多くアジア東部で欠けているR1bが約21%、多くのサブハプログループの祖となるKが約12%を占めます。ヤグノブ人のYHgではその他に、おもにアフリカや中東で見られるE1b1bもわずかながら見られます。

 常染色体の一塩基多型の分析では、ヤグノブ人は個体内のホモ接合性のひじょうに高い水準を示しました。これはミトコンドリアやY染色体と同じく多様性の減少を示しており、ヤグノブ人が長期にわたって孤立し、強い遺伝的浮動を経験した、という仮説のさらなる証拠となります。古代人を除いた場合、常染色体ではヨーロッパ集団からアジア東部集団への大まかな勾配が示され、ヨーロッパ集団とアジア南部集団も区別されます。ヤグノブ人はイラン人とタジク人(テュルク系)との中間に位置し、何人かはタジク人とわずかに重なります。ヤグノブ人に関しては全体的に、常染色体のデータはミトコンドリアのデータよりもY染色体のデータの方と一致します。

 古代人のゲノムデータも参照すると、ヤグノブ人の系統のうち新石器時代イラン系統が平均して44%を占め、これは現代イラン人の46%とほぼ同じです。しかし、ヤグノブ人と現代イラン人とでは古代人系統の比率の明確な違いも見られ、前期〜中期青銅器時代草原地帯系統がヤグノブ人では32%にたいして現代イラン人では11%、新石器時代アナトリア農耕民系統がヤグノブ人では8%にたいして現代イラン人では25%を占めます。タジク人は現代イラン人よりもヤグノブ人に近いものの、集団内ではかなりの変異を示します。たとえば、アジア東部系の比率では、一部のタジク人がヤグノブ人よりも高いのにたいして、他のタジク人はヤグノブ人と同程度です。ヤグノブ人とタジク人のおもな違いはアジア南部系統と新石器時代イラン系統の割合の違いで、ヤグノブ人ではそれぞれ10%と44%にたいして、タジク人ではそれぞれ21%と30%になります。ヤグノブ人とタジク人は相互にユーラシアの他の集団とよりも類似しており、これは両者の間の最近の遺伝子流動を反映している、と推測されます。

 本論文は、mtDNAとY染色体および常染色体の一塩基多型を用いて、ヤグノブ人の歴史を推測しました。上述のように、ヤグノブ人は母系ではおもにユーラシア西部系となり、中東集団との古代のつながりを示します。これは、ヤグノブ人の長期の孤立と、男性に偏っていた稀な遺伝子流動事象が比較的最近起きたことを示唆します。言語学でも、ヤグノブ語はイラン語群に位置づけられます。男性に偏っていた遺伝子流動は、ヤグノブ人のY染色体が中東集団よりもアジア中央部集団と近い関係を示すことでも特徴づけられます。ただ、上述のようにヤグノブ人は父系でも他のアジア中央部集団と明確に区別できる特徴を示すため、その形成史は複雑です。こうした特徴は、ヤグノブ人における孤立の影響の可能性を示します。

 Y染色体やミトコンドリアといった片親性の遺伝的パターンは、小さな効果の集団規模によりある程度歪められるかもしれないので、本論文は常染色体全体を調査しました。上述のように、その結果、常染色体のデータはmtDNAのデータよりもY染色体DNAデータの方と一致します。常染色体データでは、ヤグノブ人はアジア中央部集団と中東集団との間に位置しますが、さらに、イラン人よりもタジク人の方に近縁と示されています。これは上述のように、イラン人と比較してヤグノブ人の方でアナトリア農耕民系統の割合が低く、逆に前期〜中期青銅器時代草原地帯系統の割合ではイラン人の方がタジク人よりも低いことを反映しています。ただ、イラン人のデータがイラン全体の集団を反映しているのか、という問題が残っている、と本論文は注意を喚起します。ヤグノブ人とタジク人の類似性は示されていますが、上述のように、アジア南部系統と新石器時代イラン系統の割合の違いは、ヤグノブ人とタジク人が遺伝的に明確に区別できることを示しており、これはヤグノブ人の長期的な孤立による古代の遺伝的構成の保存を反映している、と推測されます。

 アジア中央部集団におけるアジア東部系の遺伝的影響の原因としては、テュルク系やモンゴル系の東進が想定されます。ヤグノブ人に見られるアラブ系集団との混合に関して、本論文はイスラム教勢力のアジア中央部への拡散との関連を推測しています。また、サハラ砂漠以南のアフリカ系の遺伝的影響が、イスラム勢力による奴隷貿易の結果として中東とアジア中央部にもたらされた可能性も指摘されています。北アメリカ大陸の事例もそうですが(関連記事)、遺伝学は過去の奴隷貿易の痕跡を示す方法も提供できます。

 ヤグノブ人は、近隣のタジク人集団との最近の遺伝子流動を除いて、長期的に孤立していたか、他のアジア中央部集団との遺伝子流動の水準が低かった、と推測されます。これは、上述した孤立しがちな地形での居住と一致しており、ヤグノブ人が遺伝的・言語的に長期にわたって独特な性格を維持し続けた理由と考えられます。しかし本論文は、ヤグノブ人の遺伝的構成から、かつてヤグノブ人の母体となった集団は広範な地域に存在していただろう、と推測しています。その中から、ヤグノブ人の直接的な祖先集団は孤立した地域に定住したため、その後の大規模な人類集団の移動の影響をあまり受けず、古代の遺伝的構成を比較的よく保持していただろう、というわけです。より詳細なヤグノブ人の歴史は、アジア中央部、とくにソグド人居住地の古代DNA研究により明らかになっていくだろう、との見通しを本論文は提示しています。


参考文献:
Cilli E. et al.(2019): The genetic legacy of the Yaghnobis: A witness of an ancient Eurasian ancestry in the historically reshuffled central Asian gene pool. American Journal of Physical Anthropology, 168, 4, 717–728.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23789

https://sicambre.at.webry.info/201910/article_28.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/310.html

[番外地8] チャンネル桜の歴史捏造を憂える _ 虎ノ門ニュースでの有本香氏と小野寺まさる氏のアイヌに関するやり取り
チャンネル桜の歴史捏造を憂える _ 虎ノ門ニュースでの有本香氏と小野寺まさる氏のアイヌに関するやり取り
有本香「先住民である縄文系の日本人を北方から来た人達が侵略し、男達を中心に殺戮し女を残して混血していったのであれば、当然アイヌの人達には縄文のDNAが多く残っている」

小野寺まさる「この(縄文の)DNAは後天的に獲得したDNAであるのは間違いないと道庁も答えている」

 検索してみると、これは虎ノ門ニュースの今月(2020年7月)16日放送分で、まだ公式動画を閲覧できます(今回取り上げるのは1時間9分00秒〜1時間11分40秒あたり)。じっさいに視聴したところ、このやり取りは、まず有本香氏が、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された「縄文人」のDNA解析に関する研究(関連記事)を取り上げた北海道新聞の記事に、以下のように言及したことで始まります。

日本人の中に縄文人のDNAを持っている人と持っていない人がいますが、普通は10%くらいです。北海道と沖縄はやや異なり、アイヌと言われる人々は70%、沖縄の人々は30%ほど縄文人のDNAを持っているそうです。縄文人は日本において最古の民族なので、アイヌも先住民族という印象操作になっています。

これを受けて小野寺まさる(秀)氏が

鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代から北海道にいた人々を征服しましたが、このアイヌの人々は女性と子供は殺さず、女性たちに自分たちの子供を産ませた結果、アイヌに縄文人のDNAが継承された、という可能性がひじょうに高く、学術的にも、この(縄文人の)DNAは後天的に獲得したのは間違いない、と道庁は答えています。

という趣旨の発言をしており、有本氏が

そうならば、アイヌと言われる人々に縄文人のDNAが多く残っていても不思議ではありません。

とまとめています。まず問題となるのが、船泊遺跡の「縄文人」の研究についての有本氏の理解です。このやり取りからは、(北海道と沖縄を除く)日本人のうち、「縄文人」のDNAを有しているのは10%程度、と有本氏が理解しているように思います。もちろんそうではなく、(北海道と沖縄を除く)日本人のゲノムには、平均して10%(論文では9〜15%とされています)ほど「縄文人」由来の領域があると推定される、ということです。

 次に小野寺氏の発言ですが、鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代以来北海道に居住し続けてきた人々を征服し、女性と子供たちは殺さず、女性たちに子供を産ませたとすると、確かに「縄文人」のDNAが現代アイヌに継承されます。しかし、そもそもこのような見解を提示している専門家は、現在ではまず間違いなくいないでしょう。それに、小野寺氏の想定では、現代アイヌ集団に「縄文人」由来のY染色体ハプログループ(YHg)を継承している人はほとんどいないことになります。しかし、「縄文人」由来と考えられるYHg-D(関連記事)の割合は現代アイヌ集団では81.3%と高く(関連記事)、小野寺氏の想定とは矛盾します。これに対しては、アイヌが(琉球列島を除く本州以南の)日本人(「本土」集団)から婿養子を迎えたためだ、といった「反論」もあるかもしれませんが、そうならば、現代「本土」集団で55.1%(関連記事)と多く見られるYHg-Oの割合が、現代アイヌ集団でもっと多くなるはずです。

 また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究からも、小野寺氏の想定とは逆だった可能性が高い、と考えられます。「本土」では江戸時代(近世)のアイヌ集団のmtDNAが解析されており、近世アイヌ集団のmtDNAハプログループ(mtHg)では、北海道「縄文人」型が30.9%に対して、オホーツク型が35.1%、「本土」型が28.1%、シベリア型が7.3%と推定されています(関連記事)。これらの知見からは、縄文時代以来の北海道在来の集団が前近代において外部集団からかなり女性を迎え入れつつ、縄文時代以来の父系(YHg)を維持していた、と示唆されます。

 人類史において、交雑しつつ父系を維持・拡大していくような場合、その集団が外部集団に対して優勢であることが多いと考えられます(関連記事)。その意味で、前近代アイヌ集団は、YHg-Dが一定以上の割合で存在する「本土」集団はさておき、オホーツク文化集団や、オホーツク文化消滅後にもアイヌ集団と関係を持っていたと考えられるシベリア集団に対して、優位に立っていた可能性が高そうです。じっさい考古学では、北海道において縄文文化と続縄文文化を継承した擦文文化集団が、10世紀になってオホーツク文化集団に対して優位に立ったのではないか、と示唆されています(関連記事)。

 現代アイヌ集団のゲノムに「縄文人」以外の要素があることは、上述の船泊遺跡「縄文人」の研究でも改めて示されており(約34%)、近世アイヌ集団のmtDNA研究でも確認された、と言えるでしょう。しかし、YHgおよびmtHgの分析と考古学的記録を併せて考えると、アイヌ集団が「本土」の鎌倉時代に南下してきた集団に征服され、本質的には「外来」集団であるというような見解は的外れで、むしろ逆に、縄文時代からの北海道在来集団が、オホーツク文化集団など外部集団に対して優位に立つ傾向にあり、そうした外部集団からの遺伝的・文化的影響を受けつつ、アイヌ集団が形成されていった、と考える方が妥当だと思われます。


 このように、上述の虎ノ門ニュースでの小野寺氏の発言は的外れですが、有本氏は小野寺氏の発言に肯定的なように見えますし、ネットでも、「アイヌの縄文のDNAは後天的なDNA」との上述の小野寺氏の発言には、65も「いいね」がついています。まあ、「いいね」が賛同を表すとは限りませんし、アカウント数は人数の上限を示しているだけとも言えますが。しかし、小野寺氏のようなアイヌ認識は、現代日本社会では無視できないくらいの影響力があるように思います(定量的調査をする気力も能力もとてもありませんが)。小野寺氏の上記のような発言を真に受けた人々は、自分の情報判断力が自己評価よりずっと低いことを自覚し、今後は慎重になってもらいたものです。とはいっても、そのように自省できる人ならば、そもそも小野寺氏の与太話に引っかかる可能性は低いでしょうから、残念ながら今後も、小野寺氏は一定以上の影響力を及ぼし続けるのでしょう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/316.html

[番外地8] 天皇家の師匠の福沢諭吉は朝鮮や台湾の人びとのことをどう述べているか
天皇家の師匠の福沢諭吉は朝鮮や台湾の人びとのことをどう述べているか:
「朝鮮……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、
「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……
朝鮮人は唯頑固の固まり」(本書121頁)
朝鮮は、野蛮な国であり、朝鮮人はただ頑固なだけであり、台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。

「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……

「朝鮮……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……

「土人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」

「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……

「支那兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」

(本書160−161頁)

なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。……甲申政変の際にさえ


「京城の支那兵を鏖(みなごろし)に」


と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅」「誅戮」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁)

中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。

筆者は、福沢諭吉を、「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」と結論づけている。福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/317.html

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
38. 中川隆[-11529] koaQ7Jey 2020年9月03日 20:45:09 : jvGCu7fHGg : Lmp2RC5rUmZuMjI=[36]
以前お伺いしたTK邸・・・この時も、Fさんと大@神戸とご一緒にお伺いして・・・

【1091】110703 TK邸訪問(その1):驚きの連続・・・(^^; [2011/08/02]
https://mtt2.blog.fc2.com/?date=201108&page=0#entry1144

以降、全8話・・・

この7話目で、ロンドンウェスタンのユニットの音を聞かせていただいてたんですね・・・(^^;

【1097】110703 TK邸訪問(その7):ロンドンウエスターンでLPを・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1150.html

そう言えば、この時、一緒に伺った大@神戸さん、このユニットのサウンドに物凄く魅了されておられる様子で、KTさんとのお話が、物凄く盛り上がっていたなと・・・なるほど、そういうことだっただ!・・・あの時のお話に、頻繁に出て来ていた方が、今日お伺いするかめきちさんだったんですね・・・
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1471.html

▲△▽▼

TK邸訪問(その1):驚きの連続・・・(^^; [2011/08/0207:00]
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1144.html

酒仙坊邸のオフ会でお会いした、酒仙坊さんご愛用のStream Playerと言う再生アプリの作者でもあるFさんから、きっと惹かれるものがあるんじゃないかと、ご紹介いただいたTKさんのお宅へ伺ったお話を・・・

ただ、若輩者のσ(^^)私には、機器の名前さえ聞いたこともない珍しい・・・多分、お好きな方には、お宝の山なんでしょうが・・・珍しい機器ゆえ、そのいわれも何も分かっていないと言う、もったいない状況でして・・・

ま、とにかく、のっけから驚きっぱなしの、衝撃的な体験でした・・・

まず、お部屋に置かれた機材・・・広さは、12〜13畳だと思うんですが・・・巨大な機材が、所狭しと置かれていました・・・

更に、その周りは、入り口以外の3面が、別の部屋に隣接していまして、そこに膨大なライブラリが・・・SPやLPなどレコードとテープも・・・そのコレクションの数は、千の単位を遥かに超える膨大な量だそうで・・・(@@;

一方で、インフラノイズの機器を使ったPCオーディオもされているそうですが、残念ながら、今回は時間の関係で聞けませんでした・・・

さて、その膨大なレコードを聞かれるメインの送り出しは・・・


【EMTのターンテーブル】
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送出しは、EMTのターンテーブルで、奥がモノラル用、左がステレオ用、手前は自作?のアームのようでした・・・カートリッジは・・・ステレオ用はオルトフォンのSPU・・・スミマセン良く分かってませんm(_ _)m

で、最も興味深く、驚きだったのが・・・その設置方法・・・中が丸見えですが、これも音のために外側のパネルを外しておられるのだそうで(これはσ(^^)私の勘違いのようで、もともとこれをコンソールに入れて使うんですね)・・・それより、一番下のボードからミルフィーユのように何層にもなっているのは、米松の合板を重ねて接着したボードの間に、カーペット使い古しのウール毛布あるいは綿毛布を数枚挟んで、浮揚?されておられるようで・・・この組み合わせで、音の調整をされているのだそうで、長年の試行錯誤の積み重ねで、そのノウハウを、文字通り積み重ねられてのセッティングだとか・・・(@@

で、こちらは、更に分かりませんが・・・昇圧トランス・・・

【積層浮揚セッティングの昇圧トランス】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/201108010208073bd.jpg


こちらも、積層浮揚セッティングされた昇圧トランスで・・・一番奥一番手前のもので聞かせていただいたようです・・・

それから、プリアンプは、マランツの#1で・・・

【プリはマランツの#1】
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これは、左右チャンネルに2台をいれているのだったと思いますモノラルを左右チャンネルに各1台を使われてました・・・(汗

でもって・・・パワーアンプは・・・


【巨大な管球式パワーアンプ】
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Audio Researchの巨大な管球式のパワーアンプで・・・6550が何十本も使われていて、片チャンネル250WをBTL接続?されて、500WのモノラルアンプAcoustat#6が#3を上下2台連結していて、入力端子が2台分あるので、これにそれぞれ接続して使われているそうです・・・

で、この巨大な超度級管球式アンプ2台で、左右のそれぞれのSPを駆動されていると・・・

でもって、このアンプが支えているのが・・・AcoustatのコンデンサーSPのサウンド・・・

【超巨大モニュメントのようなSP】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/2011080102080606d.jpg


それにしても・・・なんて巨大なSPなのでしょう!・・・2.5m位あるんじゃないでしょうか?・・・もう天井スレスレです!(@@

と言うことで・・・これが、冒頭、聞かせていただいたシステムで・・・

っと、残念ながら、今日はここで時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

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【1092】110703 TK邸訪問(その2):これ、コンデンサーSP?・・・(^^; [2011/08/0307:00]
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さて、いよいよ、TK邸で初めて見る機器達・・・その背景にあるものを、全く知らないと言うもったいない訪問だったのですが・・・何より、まず目が行ったのが、その設置方法・・・

丁度、ゲル浮揚実験で、機器を浮かせて聞ける音の不思議に夢中でしたから・・・ウール毛布や綿毛布と米松合板の積層浮揚という設置方法には、興味津々!(^^;

果たして、どんなサウンドを聞かせてくれるんだろう?・・・

巨大なモニュメントのようなSPは、後の壁からは1mほど離れたフリースタンディング・・・

リスニングポジションは、部屋の中央を中心とする1辺2m強の三角形の頂点・・・

SPとの距離は、拙宅と似たようなものですが・・・さすがにこの大きさの板状の物体があると、圧巻ですね・・・まるで、その部分には、壁か柱が立っているような感じです(^^;

で、最初におかけいただいたのは・・・ソニーロリンズのサキソフォンコロッサスから、2曲目のYou don't know what love is.

うわっ!!(@@;・・・冒頭から、めっちゃぶっといサックスに、思わず体がビクッと浮いた!

まるで、ラッパの口に耳を近付け、直接、リードの振動板の振動する音も逃さず聞こうって感じ・・・

リードの音の直接音と、そこからラッパの開口部までの金属パイプを息が通り抜けて広がる音・・・

そのぶっといサックスの後方に、暖かく包み込むようにベースとドラムのリズム・・・

ブラシで叩くシンバルの音も生々しく、優しくそっとサポートするピアノの音も軽やかに・・・

なんとも鮮烈なサックスの音を、正にかぶりつきで浴びるように聞かせていただきました・・・

何とエネルギッシュで、鮮烈な音なんだろう!

この巨大なモニュメントのような平面から・・・中身は極々薄いフイルムなのに・・・

何とも不思議な鳴り方!・・・座って聞いても、正面に中央に・・・立って聞いても正面中央に・・・

音像の出来方も何とも不思議・・・

コンデンサーSPも、こんな、鮮烈でエネルギッシュに鳴るものなんだ・・・(@@

単身赴任中・・・2年半ほど前に、千葉の通称クオードを聴く会で、初めて体験した、コンデンサーSPのエネルギッシュな鳴り方・・・


【186】090124 クォードを聴く会 Part3(DECCAのSPを聞く@) [2009/01/28]
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-206.html


以降6話・・・

この1話目の中のリンク先にある通り、ESL-63ProやESL-57をフリースタンディングで、少し離れた位置から、聞かせていただいて、膜のSPが、非常にパンチ力のあるサウンドが出るんだ・・・って事を体験したことがあったんですが・・・

今回お聞かせいただいたのは、振動板の面積が、2倍以上ある上、ほぼかぶりつきのニアフィールドだからと言うのもあるのでしょうが・・・

また、全く違った鳴り方の印象・・・ホント、ビックリでした!(@@

っと、面食らって、しばし感心していると・・・

次にかけていただいたのは・・・ブラックコーヒーを・・・

どひぇ〜!・・・めっちゃ近い!(^^;

最前列のテーブルで、マイクなしに直接、歌を聞いているようなかぶりつき状態・・・ミュートトランペットも時折、耳の近くまでやってくる・・・

熱く妖艶なボーカルに見つめられながら・・・目の前で聞いている・・・そんな感じ・・・

っと、ここで一旦お茶タイム・・・

ここで、ご一緒させていただいた大さんが、以前のプレゼントのお返しで・・・っと、ヴァンゲルダーがカッティングまでしたレコードをプレゼント・・・入手して、クリーニングもしていないと・・・

じゃあ早速・・・っと、残念、今日は、ここで時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

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▲△▽▼


TK邸訪問(その3):一体何を聴いているの?・・・(^^; [2011/08/0407:00]
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1146.html


さて、のっけから、コンデンサーSPって、こんな鳴り方するの?と、驚くばかりのエネルギッシュで鮮烈なサウンドを聞かせていただき・・・

演奏の熱気・・・歌の思い・・・何か、この曲の一番熱いところはここなんだよ!・・・って感じで、ストレートに迫ってくる・・・そんなサウンドに、ああ、音楽ってこんな風に感じれないと面白くないんだなと、ハッと気づかせていただいた気がします・・・

っと、冒頭の興奮状態をクールダウンするかのように、お茶タイムに入り・・・

ご一緒した大さんが、持参された・・・ヴァンゲルダーがカッティングまでしたレコードのお話から・・・ジャケットのない特殊なレコードで・・・ノーマングランツが起こしたクレフやノーグランの音源に近いものとのこと・・・

っと、先程の再生系のお話があって・・・SPUのGシェルから、384を通ってマランツ#1のフォノイコを使っての再生とのことでした・・・

それから、ウェスタンのプレーヤーとフェアチャイルドのプレーヤーのお話になりまして・・・じゃ、ちょっとかけましょうかと・・・


【フェアチャイルドのプレーヤー】
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フェアチャイルドのプレーヤーで、エラフィッツジェラルドをモノラルで・・・

う〜ん・・・声の存在感が凄い・・・バックの演奏を聞くと、古さを感じさせる録音って感じなんですが・・・歌の生々しさと言うか存在感は、全く古さを感じさせない・・・

【カートリッジは225A?】   
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 【ユニークな駆動方式】
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回転速度を、上部のレバーで切り替えると、下のモーターのところのコックドベルトを切り替える仕組みになっているのだそうです・・・

それはそうと、σ(^^)私には・・・ステレオでも、モノラルでも、立っても、座っても・・・目の前あたりに声の主がいるようななり方が、不思議で・・・

アクースタットのコンデンサーSPの鳴り方に、何か、パネルの位相を変えているとか、仕組みがあるのか?と伺ってみたんですが・・・上下3枚ずつのパネルを、フルレンジとして、同一位相で鳴らしているのだそうで・・・なお更、不思議な鳴り方だなあと・・・トーンゾイレのSPみたいなものかなあ?

っと、今度は、先程の大さんが持参されたレコードをかけてみましょう・・・後で、クリーニングもやってみましょうと・・・

送り出しを再びEMTに戻して、かけられたレコードは・・・オスカーピーターソン?

ここまで聞かせていただいたレコードは、ほとんどスクラッチノイズがしなかったんですが・・・こちらは、結構スクラッチノイズが聞こえます・・・

古い録音らしい、中域中心の暖かなサウンドで、柔らかなピアノの演奏に、とっても心地良く響くクラリネット・・・ブラシもベースも控えめにリズムを刻んでいる・・・とても軽快に楽しい演奏・・・

っと、それじゃあ、ちょっとクリーニングをやってみましょうと・・・

【クリーニングを】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/201108040525221dd.jpg

まずは、TKさんオリジナルの洗浄剤にオリジナルのブラシを使って、粗洗いで、溝の汚れを浮かして・・・別の液で別のブラシで表面の汚れを濯ぐ・・・で、洗った液をバキュームで吸い取る・・・

ざっと、片面のクリーニングを見せていただいて・・・この間、ほんの5分程度・・・

まだ、充分乾いていませんが、ちょっと再生をと、再び再生・・・

おおお!・・・凄い!全く別のレコードを聴いているみたい!(@@

スクラッチノイズは、少し残っていますが、冒頭のピアノの音が・・・クリーニング前は、音が丸く、酷く曇った感じだったのが明らかに・・・ホントに、同じ曲か?と疑うほどに抜けのよい軽やかなサウンドに、大変身!・・・ピアノの打鍵の瞬間の音が非常にクッキリ・・・クラリネットも数倍、演奏に力と抑揚がついてクリアに抜けのよい感じに・・・

いやいや・・・これほどまでに変わるもんですか!(@@

っと、次にかけられたのは・・・西田佐知子の女の意地・・・

は〜!・・・冒頭のサックスがドッと飛んでくる・・・っと、ボーカルの何と存在感のある歌声!

「ことば」が「詩」として、はっきりと迫ってくる!・・・

間奏のギターも、音にもの凄いエネルギー感が・・・ああ、でも、やっぱりサックスの存在感が強烈に印象に残ります・・・(^^;

こんどは、クラシックをと言うことで、ジネットヌヴーでショパンノクターンを・・・

【ジネットヌヴーでショパンノクターンを】


ああ、なんて物悲しく切ない演奏!・・・セピア色の雰囲気ではあるんですが・・・なんと言うか・・・あっという間にバイオリンの調べに、気持ちが引き込まれ、思わず胸が熱くなる・・・気がつくと、手のひらをギュッと握り締めていた・・・

う〜ん・・・じわっと来るショック・・・自分は普段、何を聴いているの?・・・

音じゃなく、音楽って、こう言う事・・・っと、今日は、ここで時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

コメント

やっぱり出ましたか。

西田佐知子がやっぱり出ましたか。TKさんのお宅は以前に訪問させていただきました。システムは若干違っていますが、「オーディオの極道」いや「オーディオ道の極み」といった印象でした。通常のオーディオが安物のTVドラマか、映画とすれば、TKさんのオーディオは、歌舞伎か京劇といった印象で伝統の重み、文化の香りがします。この道にはまりかけているのが、年は若いが大さんでしょう。
[2011/08/04 11:47]


酒仙坊さん、コメントありがとうございますm(_ _)m
現代オーディオとは一線を画す、全く別の音楽再生という感じで・・・
この曲、この演奏の、ここを聴かずして・・・と言った感じで、σ(^^)私の感覚では、究極のクローズアップサウンドの方向ってことになる気がします・・・このサウンドに嵌ったら、もう他は・・・(^^;
ただ、ふと思ったのは、このオーディオ再生を堪能するには、この音に合うソースも充分持っていればこそなのかなと・・・

[2011/08/04 12:32]


忘れてはならないのは
ものの価値です。
オイロッパ系のシステムは
現代のハイエンドスピーカーと
比較して特性で劣るものは
ありません。かかっているコストは
とんでもないものです。
国の威信をかけたものですから
オーディオメーカーが営利目的
で開発するものとは
かかるコストも桁が違います。

凝縮した音のものだと片付けるのは
せっかくの経験がもったいない。
レンジの不足感があるならツイータを
加える方法がありますが、
音楽の本質に気づくべきです。
[2011/08/06 02:36]


スタジオマンさん、コメントありがとうございます。
レスが遅くなってスミマセンm(_ _)m
このSPの素性を全く知らないもので、特性やその実力については、分かりませんが、聞かせていただいた音楽に、強く引き寄せられたのは確かです。
仰る通り、現代録音のソースを再生すれば、その実力を知ることが出来たのかも知れませんね。
ソースや駆動系も近い世代のもので聞かせていただいたわけですが、その中に時折聞き取れる微細で繊細な音と澄んだ音色が、その片鱗だったのかもと思っています。
それとは別に、気持ちが強く惹きつけられたのは、演奏そのもののパワーが大きいとは思うのですが、それをキチンと伝えられるシステムだったからだと思うのですが、それが、一体どういう部分なんだろうと言う興味が強く湧いてきます。
そういう部分をしっかり受け取れる感性と、キチンと再生できるオーディオ的ノウハウを身に付けたいなと思います・・・道のりは長く、険しそうですが・・・(^^;
[2011/08/07 09:51]


極道

一言で極道だと思います。
料理でも、お酒でも
極めていくとそうなっていくと
思います。知れば知るほど、
いい物を見れば見るほど
深みにはまっていく。
結局はその人の情念にかかわる
こと。

Mt.T2さんがいったい自分は
なにを求めているのかに
早く気づかれて、枝葉の部分を
調整するのでなく、自分自身を
見つけられることを期待します。
高額なヴィンテージを使わなくて
ご使用中の機器で、ヴィンテージが
持つ本質を出すことは可能です。
ただし物理的な差を縮めることは
必要です。いくら数百万する現代の
ハイエンドスピーカーでも
オイロダインのドライバーの
振動板のエネルギーには負けます。
物量というのはやはり必要です。
でも他の方法である程度は
カバーできるのです。

インシュレーターや、ケーブルなどで
後からつじつまを合わせるより
つじつまを合わせる必要のない方法を
探してください。
[2011/08/08 10:54]


スタジオマンさん、コメントありがとうございます。

> Mt.T2さんがいったい自分は
> なにを求めているのかに
> 早く気づかれて、枝葉の部分を
> 調整するのでなく、自分自身を
> 見つけられることを期待します。

訪問時のおさらいを、最後までわりましたが、まだσ(^^)私には・・・
中域の重要性とモノラルのエネルギーなんて辺りを、今後、自分のシステムにどのように反映させるのかを考えていこうかとは思っておりますが・・・

ちょっと、道を極めると言うところを目指すつもりはなくて(^^;
最後に振り返った時に、自分なりにやり切った充実感が得られれば嬉しいですね・・・

> 高額なヴィンテージを使わなくて
> ご使用中の機器で、ヴィンテージが
> 持つ本質を出すことは可能です。

これには興味津々です!・・・が、その前に、本質を知ることが先ですが(^^;

> ただし物理的な差を縮めることは
> 必要です。いくら数百万する現代の
> ハイエンドスピーカーでも
> オイロダインのドライバーの
> 振動板のエネルギーには負けます。
> 物量というのはやはり必要です。
> でも他の方法である程度は
> カバーできるのです。

この辺りが、ノウハウとして身に付けられればと、憧れます!(^^;

> インシュレーターや、ケーブルなどで
> 後からつじつまを合わせるより
> つじつまを合わせる必要のない方法を
> 探してください。

う〜ん、経験として、今のσ(^^)私には、これも必要なんだと思っているのですが・・・
やっぱり、道のりは長そうですね・・・
[2011/08/09 17:57]

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▲△▽▼


【1094】110703 TK邸訪問(その4):これがオイロッパジュニア?・・・(^^; [2011/08/0507:00]
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さてさて、じわじわ感じ始めた焦り・・・自分は今まで、何を聴いてきたのか・・・って、過去、何度かこのパターンになったことがあるんですよね・・・(^^;

良い音って何?・・・

元々は、映画や音楽を鑑賞して、ハッとしたり、グッと来て感動したくて、そんな体験が、少しでも多く出来ないか?ってのが始まりだったような気がするものの・・・

それが、いつの間にか、機器やアクセサリーを変えた時の音の変化に一喜一憂して・・・結局、何がなんだか分からないまま・・・

でも、そんな事とは、全く関係無しに、聞かせていただいた曲は・・・こんなにエネルギッシュに、ストレートに、その歌や演奏の思いや熱気をぶつけてくる・・・音楽って、こんなに楽しく、凄いものなんだよって・・・

そんな思いが、徐々に体中に染み込んできた頃・・・TKさんから、Mt.T2さんはどんな曲が?とリクエストを求められたんですが・・・このジワジワ来るショックのため、半ば放心状態の頭には、全く何も思い浮かばない・・・慌てて、何でも聞きますのでと答えるのが精一杯・・・(汗

と、それじゃあ今度はポピュラーを・・・そうだ、オーディオ的にポピュラーなこれを、さわりの部分だけと・・・かけられた曲は・・・ドナルドフェイゲンのナイトフライ・・・

【ドナルドフェイゲンのザ・ナイトフライから】
1094-01ドナルドフェイゲンのナイトフライ.jpg

あっ!・・・こう言うことなんだ・・・・

レンジも広く、抜けがよく、非常にタイトに、極めて歯切れの良い、シャープにリズミカルにカッコいいサウンド!・・・フュージョンらしいサウンド・・・そう、これはそのまま、そういう風に鳴るわけなんですよね・・・

膜のSPなので、微細な音は得意で、アタックの時の立ち上がりが早く、シャープで、ドラムの制動も素早くドスッと・・・量感、重量感と引き換えに、素晴らしいトランジェント・・・なんて感想が、直ぐに頭に浮かんでくるわけです・・・

こうじゃないんですよね・・・ここまでに聞かせていただいた曲は、何か、頭に、気持ちに、ガツンって来るんですよね・・・

何てσ(^^)私の思いはともかく・・・この時、話題は、先のクリーニング前後の音の変化を聞くと・・・ひょっとすると、レコードを掃除すれば、勿論全部とは行かないものの、半分位は、このサウンドに近付けるんじゃないかって、思ってしまう・・・なんて話題で大ウケ!大盛り上がり・・・(^^;

更に、Gシェルで、こんなにトランジェントが良いのは凄いってコメントがあり・・・実は、ここにもTKさんならではのチューニングが施されているとのことで・・・一同、感心して納得・・・(^^;

さてさて・・・次は、更なる驚きの体験へ・・・

TKさんは、片チャンネルのアンプの調子が悪いので・・・それに、最近鳴らしていないので、寝起きの音しかでませんからちょっと・・・って感じだったんですが・・・

是非にと、お願いして聞かせていただきました・・・(^^;

まず、送出しは・・・ウエスタンのプレーヤー・・・あれれ?ここではまだ使われてなかったかな?・・・この後のもう一つの再生系の時に使われたのかも?・・・もう記憶になくって・・・m(_ _)m
⇒やはり、このプレーヤーは、SP専用で、この後のもう一つの再生系の時に聞かせていただいととのこでしたm(_ _)m

【ウエスタンのプレーヤー】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/20110805062338d98.jpg

これは、演奏前なので、ターンテーブルの上にカバーが乗ってますが、演奏時には、このかバーがどけられ、綺麗なターンテーブルシートが姿を現しました・・・

おそらく、ご存知の方々には、珍しいものなのだろうと思うのですが・・・無知ゆえ、こんな、コメントしかかけないんです・・・スミマセンm(_ _)m

でもって・・・今度の主役はこちら・・・

【オイロッパジュニア】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/201108050623370fc.jpg

えっと、こちらも、全く、知識がなくて・・・オイロダインという名前を聞いたことがあるだけで・・・その小型バージョンなのだろうとは思うのですが・・・オイロッパジュニアというSPだそうです・・・ これは、全く逆で、クラングフィルムオイローパジュニアはクラングフィルムオイロダインより前のモデル(オイローパジュニアの小型版がオイロダイン)だとのことでしたm(_ _)m

励磁型のSPだそうで・・・要は、今のSPユニットの後のマグネットの部分が、電磁石になっているってことですよね?(^^;

なので、このユニット・・・通常は上のホーンのドライバと下のウーファーの2つ、左右では計4つの励磁電源が要るのだそうで・・・本来はそれぞれ別々に電源を当てておられるそうですが・・・この時は、1組が貸し出し中とのことで、左右、各1台の電源で・・・

で、このSPを駆動するアンプは?・・・多分、ウエスタンのプレーヤーの右にあった黒い大きな2つの箱がそうなんでしょうが・・・画像撮るのを忘れました・・・多分、ウエスタンのアンプだったような・・・スミマセンm(_ _)m このパワーアンプは、同じくクラングフィルム製のKL401dと言うアンプだとのことでしたm(_ _)m

ってわけで、不調ながらに、無理を行って聞かせていただいた・・・っと、ここで時間切れm(_ _)m

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

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TK邸訪問(その5):驚きのオイロッパジュニアのサウンド・・・(^^; [2011/08/06 07:00]
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えっと・・・月末月初の輻輳状態のために、帰宅が遅くって・・・おさらいの進みが悪い上、今回聞かせていただいた機器について、全くと言って良いほど知識がないということもあって、記憶が乏しくて・・・どの機器が、どの系統の時に使われてたのかがさっぱり・・・(^^;

そんなわけで、昨日のお話しで、ウエスターンのプレーヤーをご紹介しましたが・・・あれは、まだ、この後の再生系で登場したということが判明し増した・・・(^^;

で、多分、この時の送り出しは、EMTだったと思われます・・・m(_ _)m

ま、それはともかく・・・この珍しい、励磁型のSP、オイロッパジュニアのお話に・・・

っと言うのも、送り出しがどうこうと言う事はどうでも良くなる、驚きの体験だったからです・・・


【オイロッパジュニアを】
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片チャンネルのアンプの調子が悪く、最近ならされていなかったとのことで、寝起きの音しかしないのでと、乗り気でないTKさんに、是非にとお願いしたわけですが・・・

その準備に少しかかって・・・やはり、片チャンネルからは、プチ、ジリジリ、ギャーと、時折ノイズが出ますが、一応、両チャンネルとも鳴ることが確認でき・・・

いよいよ、このオイロッパジュニアを聞かせていただいたわけで・・・


【ベートーベンの第九】


おかけいただいたのは・・・フルトヴェングラー:バイロイト第九第4楽章の前半を・・・

おお、おおお!・・・ガ〜ン!!・・・やっぱり来ました!(@@;

レコードに針を下ろされた瞬間は、溝をトレースする音も盛大に、ゴ〜ッと・・・冒頭、太鼓や管、弦の音からは、古い録音なりのナローなサウンドが・・・

ところが、すぐさま太鼓のパンッと飛んでくる音に、緊張と熱気の塊のような管と弦・・・深々と地面ごと救い上げて押し寄せてくるようなコントラバスの低い音色・・・

そのダイナミックなコントラストに、ノイズやレンジのことなど、一瞬にしてどこかへ・・・グングン、ドラマチックな演奏の波に飲み込まれ、溺れて行く・・・息継ぎをどこでして良いのかさえ分からなくなるほどに・・・

っと、演奏の隙間に聞こえた、会場の咳払い・・・鳥肌!!!

その咳払いの周辺の音の澄み方に、驚きの感覚!・・・ノイズ交じりの音の向こうに、澄んだ巨大なホールの空間が広がったような気がして・・・

と、その巨大なホールの空間・・・地の底を思わせる低く太い弦の音色が、お馴染みのメロディーに・・・相変わらず、目の前の世界では、プチパチとノイズが聞こえているんですが・・・オイロッパの向こうに見える巨大なホールの空間には・・・バイオリンが優しく澄んだ空間にたなびいていく・・・次第に金管も交えた壮大な演奏に・・・

っと、スリル満点のジェットコースターの頂上に止まったかと思った瞬間・・・男声の歌が正面から搾り出されるように飛び出してくる・・・なだらかなうねりから、コーラスが入って、再び静かに盛り上がり始め・・・女声が伴ってグングン高みへ・・・コーラスと共にずっと登り詰める・・・

プチパチのノイズだけの空間に戻って・・・思わず、口から出たのは・・・う〜ん、素晴らしい!

アンプ不調のノイズや寝起きの音?・・・レンジが狭くナローな音・・・そんなの全く関係ない!・・・意識は、あっという間に、向こうの空間に入り込んだかのように、演奏を全身で感じ、受け止めようと集中し、手前の空間が消え去っていた・・・

ふと気がつくと手前の世界に戻りって・・・いやいや、凄い!いや〜参りました!・・・って状態に

正に、現代オーディオとは、全く異なる次元の音世界・・・

素晴らしい演奏のソースがあって、大切な部分だけは確実に伝える力のあるシステムがあればこその、とびっきりの感覚を体験させていただきました!・・・

っと、次にかけられたのは・・・園マリで夢は夜開く・・・

どっひぇ〜!(^^;・・・ギターの伴奏にベースが下支え・・・録音が新しいからか、中高域が先程とはガラッと雰囲気が違う・・・ああ、中高域の見通し?透明感?・・・ボーカルが、熱く目の前で歌いだした・・・ことばを大切に語るように歌う・・・詩の重みがずっしりと・・・

何とも実体感のある演奏・・・音の密度が桁違いに高い気がする・・・でも、何より、曲のイメージの伝わり方が違う気が・・・

耳から脳へ、なんて無粋なイメージでなくて・・・直接、胸が熱くなるような・・・

それこそ、胸ぐら掴まれ、これが分からんのか!って、凄まれているみたいな・・・(^^;

っと、お次は、再びクラシックで・・・ありゃ、残念、夜が開ける・・・今日はこれで時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

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TK邸訪問(その6):オイロッパジュニアで次々と・・・(^^; [2011/08/07 07:00]
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突然、胸元をグッとつかまれたように、驚きつつも、身動きできなくなるような、迫ってくるサウンドを聞かせてくれたオイロッパジュニア・・・アンプの不調から、最近、聞かれていなかったので、寝起きの音だからと・・・いやあ、とてもそんな風には・・・いきなり気持ちを鷲掴み状態ですから(^^;

で、お次は、モノラル盤で、奥行きが良く出るんですと・・・


【こちらがモノラル用のアーム】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/20110807064721f10.jpg

バーンスタイン:ウエストサイドストーリーをかけていただいた・・・

ほー!今度は、随分レンジが広がった感じが・・・録音が新しいんでしょうか?・・・

クラリネットやドラムやホーンセクションが・・・指パッチンが綺麗に響く・・・それぞれの楽器が個々に自分のパートをキチンと聞かせ、とってもカッコいいサウンド・・・だったんですが、ちょっと高域がキツイので、そこそこで中断・・・

こっちをかけましょうと、シュタルケルのコダーイ無伴奏チェロソナタ第1楽章を・・・

【シュタルケルのコダーイ】


チェロの中高域あたりが、ちょっと切ない感じに聞こえて・・・中低域の深い表現と交互に・・・それにしても何て滑らかで澄んだ響なんでしょう!

深い悲しみのシーンから心が入り乱れ葛藤するようなシーンへと・・・怒り?はたまたやるせない悲しみに?・・・という感じに、次から次へと思い浮かぶ情景が変わって行く・・・

しかし、その澄んだ深い響と悲しく切ない中域の綺麗な響、やるせない悲しみのように澄んだ中高域の響と・・・目まぐるしく変わるイメージを簡単に思い浮かべられるような熱く鬼気迫る演奏・・・

いやあ、良かったです!素晴らしく引き込まれる演奏ですね・・・

お次は、フルトヴェングラー:ワーグナータンホイザー序曲を・・・

【フルトヴェングラー:ワーグナータンホイザー序曲】


豊かなホルンの調べから、静かにドラマチックな弦の盛り上がり・・・ホーンと太鼓が加わって壮大な雰囲気に・・・バイオリンが不安で悲しげな雰囲気に・・・また穏やかなホーンの調べ・・・バイオリンの明るい音色でシーンが変わり目くるめく世界に・・・やがて再び勇壮なシーンへ・・・って感じに

この曲も疎くて、どんな曲なのか良く分かりませんが、映画を見ているように、情景が次第に変わっていく感じで、ついつい引き込まれていきました・・・

次は、フルトヴェングラー指揮ミュンヒメニューイン(Vn)でベートーベンのバイオリンコンチェルト・・・

【メニューインのバイオリンコンチェルト】


穏やかな弦の調べから繊細で綺麗な音色のバイオリンがクラリネットと交互に・・・バイオリンの繊細に澄んで滑らかに伸びる中高域が何とも心地良いく・・・何か、このどことなく儚いようなバイオリンの音色に、気持ちが吸い寄せられるような感じが・・・

う〜ん、なんなんでしょう?・・・何を聴いても、直ぐに引き込まれてしまいますね・・・

っと、ここまででオイロッパジュニアでの演奏は終了・・・

で、再びお茶タイムに・・・同時に、TKさんは次の準備を・・・

【ロンドンウェスターンSP(2080A+2090A)】
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/2011080706471980d.jpg


お次はこちらのスピーカー・・・ロンドンウェスターンのSP(2080A+2090A)だそうです・・・

さて、一体どんな演奏を聞かせてくれるのか?・・・

おっと、外が明るくなってきた・・・なので、今日はここで時間切れ・・・

毎度、こま切れですみませんm(_ _)m・・・なかなかおさらいが進まないもので・・・(^^;

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1149.html


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【1097】110703 TK邸訪問(その7):ロンドンウエスターンでLPを・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1150.html


さて、TK邸での驚きの連続の体験・・・アクースタットの巨大なコンデンサーSPで、浴びるようなサウンドを・・・オイロッパジュニアで、瞬時に引き込まれる音楽をと・・・

既に、ここのところ、自分が出そうとしていた再生音とは、全く異なる次元の再生音楽を、たっぷり楽しませていただいたわけですが・・・

まだ、これで終わりではありません・・・(@@;

お茶タイム(とっても美味しいお抹茶をいただきました)の後で、お次は、もう一つの再生系・・・

【ロンドンウェスターンSP(2080A+2090A)】1096-05
https://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/2011080706471980d.jpg


ロンドンウェスターンのSPでの再生です・・・

TKさんは、いずれ、このウーファーを後4本揃え、片チャンネル4発としてバッフルを組んで・・・との計画をお持ちだそうですが、今はその途中の段階で、床置きなのだとのこと・・・

で、片方のチャンネルの調子が良くないので、ちゃんと鳴るかどうかと仰りながら、オーディオリサーチのアンプ(アクースタット用より大分小振りな別のアンプ)を接続し、準備完了・・・

まずは試しにと、先程のメニューインのバイオリンコンチェルトを少しかけられた・・・

オイロッパジュニアの時とは、随分違った雰囲気で、低域はユニットが裸なので少ないものの、非常にフラットなレンジの広い印象・・・逆に、オイロッパジュニアには、独特の個性があったんだなと、改めて感じました・・・

と言うか、ロンドンウェスターンでも、かなり濃く厚い方だと思うんですが・・・オイロッパジュニアを聞いてしまうと・・・(^^;

印象の違いとしては、オイロッパジュニアに比べて、レンジが広く感じる分、ロンドンウェスターンでの音の方が線が細く薄い感じが・・・その原因の1つは、アンプ・・・片や、オイロッパジュニアを鳴らしたのは、劇場用のアンプだから・・・

それともう1つは、カートリッジが、オイロッパの時はモノラル用だったのが、今はステレオ用で鳴らしたと言う事も・・・やはり、エネルギー感が随分違って、さっぱりとしてしまった感じで・・・

とは言え、接触の不調も今は、辛うじて出ていないようなので、ロンドンウェスターンでの再生を続けましょうと言うことで・・・大さんのリクエストで、オスカーピーターソントリオのプリーズ・リクエストのB面1曲目をかけていただいた・・・

ほ〜!・・・オイロッパジュニアに通じる中域の厚みや濃さはあるものの、その鳴り方は、σ(^^)私の知る普通のSPの鳴り方に近い気がする・・・これがソースによるものなのかSPの鳴り方の傾向によるものかは分からないけれど・・・

ただ、そうは言っても、厚みを持ちながら中域〜中高域が全くストレスなくふわっと広がる、何とも不思議な、それでいてとっても心地良い鳴り方には、非常に好感を持った・・・どうもこの独特の12セルのホーンによるもののような気がするんだけど・・・どうなんでしょうか?(^^;

ウーハーはそのままで、クロスは600Hzくらいとのこと・・・

お次は、マイルスディヴィスのマイファニーバレンタインを・・・

ほっほ〜!・・・ピアノの音色を聞くと、このホーンの感じが出ているような気がするんですが・・・バッフルなしのウーハー側の音かな?・・・ハハハよう分かりません(^^;

でも、ミュートトランペットの音は、正しく!って感じで・・・グイッと迫ってくる・・・これは、オイロッパのときとはまた違った印象で、凄く良いなあ!・・・あっ!ピアノのソロのところを聞くと、やっぱりこのホーンの感じのような気がする・・・このストレスなくふわっと鳴る感じ、良いなあ(^^;

そして、お次は・・・ホプキンソン・スミスで、デュフォーのリュート組曲?・・・

【ホプキンソン・スミスのリュート】
1097-01ホプキンソンスミスのリュート.jpg

う〜ん、この音の密度濃さは、凄く生々しさを感じるなあ・・・この軽々と音が立ち上がるのは、このホーンドライバーと、このホーンならではなんでしょうかねえ・・・それに、凄く澄んだ音色で、空間の響も凄く綺麗に聞こえるんですね・・・

これにウーファーが4発になって、バッフルがつくと、どんなバランスになるんでしょうかね?(^^;

っと、それでは次はSPをかけましょうかと・・・遂にあれを!・・・

ハハハ、先に勘違いでフライング紹介した・・・

【ウエスターンのプレーヤー】
1097-02ウエスターンのプレーヤー.jpg

ウエスターンのプレーヤーが、遂に登場です・・・が、またまた今日は時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いよいよラストか?・・・

いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2011/08/08 07:00]


コメント

London Western 2080は良いユニットだと思います。

当時の劇場用システムの完成度には昔の技術を感心させられました。

この時代の方が音楽の原点に近い鳴り方をしていると感じる人も多いでしょう。

Mt.T2さん良い体験が出来ましたね!
[2011/08/09 15:46] URL | 大佐


大佐、コメントありがとうございますm(_ _)m
軽く適度な減衰で、耳障りな振動音を出さない振動板で、高能率な遠達性の高いスピーカー
そんなユニットと箱が・・・おっと、そのサウンドを活かす部屋も・・・

この後、おおよそ2週間後に、またひとつ、貴重な体験を・・・

そんな体験が、自分の周りのそこかしこで、つながり始めれば、更に充実した世界が?・・・なんて思いを持ちつつ、音の不思議を色んな点で、楽しんで行きたいです\(^^)/
[2011/08/09 18:15] URL | Mt.T2


私は最初はビンテージに浸かってましたから、ハイエンド系は苦手だった。

聴いていても情報量が多くても楽しくない音に感じて、これならビンテージのまままで

良いと30年過ごしてました。

しかし今のシステムで両立出来た気がします。 それぞれの軌跡を得て今があると思います。

Mt.T2さんも良い方向を進まれていると感じますよ!
[2011/08/09 18:41] URL | 大佐


大佐、再レスありがとうございますm(_ _)m

アンテナ高くセンス良く判断の速い方、信念やポリシーをお持ちの方、育った環境など影響で、早くに自分の音楽観やイメージをお持ちの片なら、方向性の振幅は大きくなく、直ぐに収束して行かれるのでしょうが・・・
残念ながら、素質や育ちも縁遠いところで蠢いておりますので・・・いつまで経っても、右往左往の振幅は大きく、毎度行き過ぎないと方向転換できないわけで・・・

まあ、あれもこれも欲張って、何度も失敗を続ければ、そのうち少しは、学習効果も・・・
そんな、気の長〜い歩みを続けることで、いつか少しは進歩があるかも・・・
せっかくやるなら、楽しくと・・・おまけ的気持ちで書いているのがこのブログ・・・

焦らず、時折振り返って、またぼちぼちと歩いていくことにしますわ・・・v(^^
[2011/08/09 19:28] URL | Mt.T2

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【1098】110703 TK邸訪問(最終話):SPの電気再生とクレデンザ・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1151.html

さて、巨大コンデンサーSPのアクースタットからかぶりつき席で、浴びるように聞かせていただいたロリンズのぶっとく厚く、めっちゃ熱いサックス・・・

励磁型のヴィンテージSPのオイロッパジュニアで、瞬時に、気持ちを鷲掴みにされたように入り込んでしまったシュタルケルのむせび泣く様なチェロの深い響・・・

あまりに厚く濃く、ストレートに迫ってくる音楽のエネルギーに圧倒されたもんだから・・・

熱さも濃さも持ちながら、独特の暖かく柔らかくふわっと包み込むように、囁くマイルスのトランペットが、クールに?聞こえたロンドンウェスターン・・・

【ロンドンWEのSP】1096-05
1096-05ロンドンWEのSP.jpg

いよいよ今度は、同じウェスターンのプレーヤーで、SPを聞きましょうと・・・

【ウエスターンのプレーヤー】1097-02
1097-02ウエスターンのプレーヤー.jpg

SPの電気再生の1曲目は・・・カールエルプの君を愛す・・・

シャープチプチプチっという古いSP盤をかけた時のイメージの音から始まったんですが・・・

高域の無い詰まった音をイメージしていると・・・思いの外、中高域が伸びている・・・

更に、曲が始まると、突然信じられないほど、シャープチプチプチって音が消え、ピアノの伴奏と男声の響が聞こえ出す・・・ああ!やっぱり音の厚み、密度が凄く、声のエネルギーが、驚くほどドバッと迫ってくる・・・

オイロッパジュニアのようにほとばしるように音のエネルギーの塊が次々ぶつかってくるのとは違い・・・一応演奏している空間が少し感じられ、そこから歌が押し寄せてくる感じで・・・より実体をイメージしたところから、声が迫ってくる感じ・・・

お次は・・・セゴビアのソルテーマ・・・

おお?今度のトレース音?は、かなり高い音でショワーって感じで、結構盛大・・・

っと、またまた、この音は聞こえてるものの、ギターの演奏が始まった途端、このショワーって音が、ガクンと音量が下がったかのように、ギターの演奏がクリアに聞こえ始めた・・・弦を指で弾く瞬間の音と弦が震える音もはっきりと・・・

続いては・・・ゴールドベルグ、クラウスのモーツアルトVnソナタK378から冒頭を・・・

ピアノの音色が艶っぽく暖かく響くなか・・・何とも生々しい実在感で、バイオリンが・・・目を瞑れば、なお更そこで演奏しているような感じが増す・・・今のソースや機材の音に比べれば、帯域もかなり狭く、シャープチプチとノイズも盛大に聞こえているんですが・・・演奏のエネルギー感と実体感は、信じられないほど高い・・・正に中域の密度とエネルギー感の違い・・・モノラルの威力?(^^;

それじゃオーケストラをと・・・ワルターウィーンフィルで田園第5楽章前半を・・・

ああ!・・・シャーの中なのに、ホールの響と言うか、空間に音が広がる感じまで・・・よく、オーディオ機器の試聴で、ベールを1枚はいだように・・・なんて表現がありますが・・・確かに、シャープチプチって音は、粗い織りのレースのカーテン越しに聞いているようではあるんですが・・・粗い目の向こうは、実際の演奏現場って感じで・・・ある種、生々しさや実体感を感じるんですよね・・・

っと、貴重なSP盤を電気再生で聞かせていただいてきたんですが・・・

いよいよ最後に・・・蓄音機でと・・・

【クレデンザで】
1098-01グレデンザで.jpg

一際、その存在感を示していた、家具のような蓄音機・・・クレデンザでの再生・・・

まずは・・・コルトー:ラヴェル水の戯れ・・・

へ〜!電気再生の時は、あれだけ盛大にシャーって聞こえてたのに・・・微かにシャーって聞こえる程度で、ほとんど気にならない・・・

で、流れ始めた、優しく繊細なピアノの調べ・・・思いの外柔らかく、優しい感じ・・・でも、その分細かな音の表情が聞こえるような・・・

針が、真鍮の針だそうで、波状の特殊な構造の針だからなのだとか・・・

と、最後は・・・エリカモリーニのVn小品をと・・・

う〜ん、何とも暖かく思いやりに満ちた、優しい演奏・・・ピアノを後に、バイオリンが情感たっぷりに、ある種の切なさも伴って・・・それにしても細かな音までよく出るんだなあ・・・

いやあ、素晴らしい!・・・パチパチパチ

コンデンサーSPから、不調で最近鳴らしていないので、ちゃんと鳴るかどうか・・・鳴っても寝起きの音しか出ませんよとのことでしたが・・・嬉しいことに、何とか鳴ってくれて、完調ではないにせよ、圧倒的に厚く濃く、トンでもない音楽のエネルギーを感じさせていただきました・・・

普段、聞いている音楽やそのサウンドも、それはそれなりに好きなんですが・・・今日聞かせていただいた音楽は、全く別次元のもの・・・ソースの持つエネルギーもあるのでしょうが、ヴィンテージ機器の驚くほど、音楽のエネルギーをストレートに伝える力・・・

帯域や特性とかスペックには全く関係なく・・・音楽のエネルギーと実体感、何より、中域の厚く濃く、完全に中身の詰まったサウンドで・・・演奏の熱気と思いをダイレクトに受け取る素晴らしさ・・・

スペックに現れない、音楽の大切な要素に気付かせていただきました・・・

TKさん、長時間に渡って貴重な体験をさせていただき、大変ありがとうございましたm(_ _)m

おちゃらけた音遊びからは、まだ卒業できそうにありませんが、お聞かせいただいた素晴らしい音のエッセンスを心に留め、あらたな観点も加えた、自分の音作りをして行きたいなと思います・・・

今後とも、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

ってわけで、こま切れ度が増し、少々長くなってしまったこのお話も、ここで一旦お終い・・・

明日からは・・・多分、またおちゃらけ音遊び?(^^;

ま、いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2011/08/09 07:00]

コメント

Mt.T2さん、長文の試聴記をありがとうございました。多少なりともお役に立てたならば幸いに存じます。また宜しければいつでもお越しください。
[2011/08/09 23:05] URL | TK


TKさん、こちらこそ、長々とお付き合いいただき、大変ありがとうございました。
レコードというソースと、ヴィンテージと呼ばれる機器、アナログでの音楽再生の持つ、強烈な魅力を再認識させていただきました。
ただ、そのソースも機材も、今からは入手も維持も多くのノウハウと労力、コストが必要ですので、σ(^^)私には、その世界に入り込むことは難しいとも、感じました。
でも、この体験を通して感じたアナログならではのエッセンスや、アドバイスいただいた考え方を参考に、今後のσ(^^)私のシステムの調整や音作りに、少しでも取り込んでいけたらと思っています。
ま、今のところは、その思いだけで、何をやればどう変わるのか、その術は、全くありませんので、また、ぼちぼちと経験値を上げるべく、右往左往を繰り返し、続けて行きたいと思っています。

今後とも、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
[2011/08/10 04:10] URL | Mt.T2


オーディオの王道
TK邸の詳細レポートありがとうございました。Mt.T2さんの異次元のサウンド体験の印象が十分に伝わってきました。
TK邸のこれだけのシステムをそれぞれうまく鳴らせるのは、並みの努力、並みの力量ではできないと思います。また、SPからPCオーディオまで、幅広く楽しんでおられるのですが、SPやLPを極められているからPCオーディオの良さも分かり、PCオーディオをやっているからSPやLPの良さも再認識できるということでしょう。
それに比べて、昨今のオーディオは少し底が浅いと言うか、代わり映えしない新製品の羅列とか、アクセサリー遊びなど、本質からずれているように思います。
[2011/08/10 07:25] URL | 酒仙坊


酒仙坊さん、コメントありがとうございます。
レスをつけたはずが、上手く更新されていなかったようで、遅い返信になり、申し訳ありませんm(_ _)m

さて、TK邸で体験させていただいたサウンドは、以前、単身赴任で神奈川にいた時、先輩に連れて行っていただいたお宅・・・思い返すと、かなりのお宅が、いわゆるヴィンテージに入るシステムをお使いで、その頃から、何か気持ちを捉えて離さない魅力を感じてはいたのですが、まだ、音に対する経験が浅く、充分その良さを理解出来ていなかったように思います。

そんな背景もあり、TKさんのお宅では、その魅力を色濃くストレート出されていて、σ(^^)私の感覚でも感じとりやすかったような気がします・・・そのようなサウンドに調整されているTKさんの情熱のおすそ分けをしていただいたような感じです(^^;

> それに比べて、昨今のオーディオは少し底が浅いと言うか、代わり映えしない新製品の羅列とか、アクセサリー遊びなど、本質からずれているように思います。

う〜ん、耳の痛いお話・・・でも、その違いも、一度は体験して見ないと、本質に辿り着けないような気もするのですが・・・と言いつつ、まだ本質がよく分かっておりませんが・・・足掻くしか方法を思いつかなくて(^^;
[2011/08/11 05:04] URL | Mt.T2

https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1151.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c38

[番外地8] バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史
バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めてそれを明らかに光を当てたんですよ。


この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を寄せたわけです。驚くべきことが書いてあります。


「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と言ってるんですよ。

これはビックリしませんか? 非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。

この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。これは欧米ではとてつもないエリートです。インサイダーの候補です。

そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたりして、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいになったって言ってるんです。

内輪に見積もっても200万〜500万ドル。今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃないでしょうか。200万〜500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料として使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?

「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす大きな蝿叩きを作るために手を貸した」って言うんですよ。ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達の中核の献身を受けていたって言うんです。

つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかったんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?

本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、どうのこうのって訳ですよ。アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。

そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって言うことになっちゃった。そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、そう言ってますよ。

これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない本だと考えるのは当然ですよ。ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、バーガーミニに襲いかかった。それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下にさらけ出してしまう。そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。

いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。

それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられてしまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だインチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人はそういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。だから、普通の人は理解不可能です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/318.html

[番外地8] 南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、
証拠は揃っている:
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/319.html

[番外地8] 渡部昇一は、現在、保守論壇の重鎮という位置に祭り上げられているらしく
渡部昇一は、現在、保守論壇の重鎮という位置に祭り上げられているらしく、本人も満更でもないらしく、すっかりその気になって、いかにも「保守論壇の重鎮」風の言動を繰り返しているらしい。

僕に言わせれば、まさにそこに、つまり渡部昇一ごときが、「保守論壇の重鎮」であるかの如く振舞えるところに、昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムの劣化と知的退廃の病根があるのだが、誰もそれには気付いていないらしい。渡部昇一が、「沖縄集団自決裁判」に関連して、「騒げば金が手に入ることがわかったから騒いでいる」というような、読むのもはばかれるようなデタラメ発言を繰り返してきたことは、すでに何回か検証したから、繰り返さないが、渡部昇一の中心的な仕事と言えば、おそらく「英語学」とか「英語学史」というようなものではなく、やはり「昭和史」なのではないかと思う。

渡部昇一が、どれだけ「昭和史」なるものを深く広く探求、解明しているかは知らないが、渡部昇一の「昭和史」は、一種の政治漫談としては面白いが、とても思想史や政治学、歴史学、あるいは国際政治学の問題として扱うにははばかれるようなシロモノである。

僕は、今、手元に『東条英機 歴史の証言』(詳伝社、平成18年)と『昭和史 松本清張と私』(ビジネス社、2005年)の二冊を置いているが、渡部昇一の「昭和史」は、簡単にまとめるならば、「受動史観」だと言っていいと思う。

「受動史観」とは、悪いことは、全部、他人の責任に転嫁し、「自分は悪くない」「日本は悪くない」と言いつつ、「中国が悪い」「ロシアが悪い」「アメリカが悪い」…そして「日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ」と言うような「子の論理」、あるいは「被害者の論理」、つまり「負け犬の遠吠え」的史観である。

僕は、そこのところに渡部昇一的「昭和史」の思想的弱点、あるいは昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延している思想的弱点があると思う。

渡部昇一の「昭和史」やマンガ右翼・小林よしのりの『戦争論』を適当に「いいとこ取り」して、それをアレンジしたのが、田母神俊雄の『日本は侵略国家か』というエッセイらしいが、それも、渡部昇一同様の、同じような思想的弱点を内包していることは言うまでもないし、また一時的とは言え、「田母神俊雄ブーム」なるものを巻き起こした保守論壇や保守ジャーナリズムの思想的限界も、そして今や解党的危機に追い込まれ、断末魔の迷走を続ける自民党の、安倍晋三や中川昭一等を筆頭とする「真正保守派」(笑)の政治家たちの思想的限界も、明らかである。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/320.html

[近代史4] スターリンはなぜ北海道占領計画を放棄したのか?
スターリンはなぜ北海道占領計画を放棄したのか?© Sputnik / V. Kiselyov
戦勝75周年
2020年09月03日
筆者 : リュドミラ サーキャン
https://jp.sputniknews.com/75-victory/202009037744184/


今年4月、ロシアのプーチン大統領は9月3日を「第2次世界大戦終結の日」とする法案に署名した。日本の降伏文書が調印されたのは1945年9月2日。同年、ソ連では9月3日を「対日戦勝記念日」と定めて祝日とすることが正式に承認された。一方、それから2年後、「対日戦勝記念日」は労働日となり、祝日としては次第に忘れられていった。ただサハリンと極東の複数の地域では引き続き祝われた。

ロシア国防省は終戦75周年に合わせて「道理にかなったフィナーレ」と題した新たなマルチメディアコンテンツをサイトで公開した。そこには第2次世界大戦の最終段階に関する機密解除された文書が公開されている。作戦マップ、諜報報告書、命令書、ソ連と日本の外交官及び軍事指揮官の交渉プロトコルなどがある。

1945年2月のヤルタ会談で米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相は、ソ連が極東で同盟国をサポートし、ドイツ降伏から3か月以内に日本に宣戦布告することを約束する協定を結んだ。この見返りとしてルーズベルト大統領とチャーチル首相はサハリン南部とクリル諸島(千島列島)をソ連へ引き渡すことを認めることに同意した。

クリル諸島
© SPUTNIK / EKATERINA CHESNOKOVA
その昔、なぜソ連はクリルを買いたかったのか?
1945年春、ソ連軍司令部は満州、サハリン、クリル諸島を攻撃する作戦を計画し始めた。だが、もう1つ別の計画も練られていた。それは北海道北部への侵攻だった。満州で関東軍を壊滅し、サハリン、クリル諸島、そして北海道の半分を占領すれば、日本は必然的に降伏を余儀なくされると想定された。そして1945年8月8日、ヤルタでの約束に従いソ連は日本に宣戦布告した。
その前、日本政府は夏の初めからこれを回避しようと試み、ソ連との外交的接触を確立、単独の交渉では領土に関して譲歩する用意さえあった。だがスターリンは戦争をせずに領土を返還するという日本政府の提案に同意することは、同盟国によってヤルタ協定違反と見做される可能性があると判断した。

北海道への上陸作戦は、8月22日または23日に開始される予定だった。スターリンはトルーマン米大統領に北海道北部を戦略する計画について説明し、これはソ連の世論にとって特に重要な意味を持っているとし、1919年から1921年にソ連の極東全域は日本軍の占領下に置かれていたからだと指摘した。これに対してトルーマン大統領は、極東のソ連軍総司令官に対して降伏することになる地域にクリル諸島全体を含めることに同意した。一方、トルーマン大統領は、ソ連軍による北海道北部の占領計画を断固として拒否した。この時すでに米国は広島と長崎に原爆を投下しており、その結果、日本の降伏は事実上、すでに決まっていた。しかし、ほぼすべての戦場で日本軍の残った部隊が自暴自棄な抵抗を行っていた。これはクリルとサハリンでの作戦にも影響を与えた。日本軍の残った部隊の抵抗は、北海道上陸が予定されていた時までに終わらなかった。

第2次大戦終結日の変更とその露日関係への影響 専門家たちの見解 
© SPUTNIK /
第2次大戦終結日の変更とその露日関係への影響 専門家たちの見解 
一体なぜ、北海道侵攻計画を最終的にはスターリンも支持しなかったのだろうか?もしかしたらそれは、ソ連による極東での戦争への参入が、日本軍のできるだけ早い壊滅という課題だけでなく、東アジア地域でソ連にとって有利な軍事・戦略的および地政学的な立場を築くことも追及していたからかもしれない。また日本古来の領土の一部を占領することは、ソ連と日本の戦後の関係を非常に複雑にした可能性がある。
一方、この問いに対して正確に回答することを可能とする文書は、まだ研究者の手に渡っていない。これらの文書は今も「機密」という印がつけられたまま保管されているのかもしれない。あるいは、そのような文書は最初から存在せず、スターリンの口頭による命令で決定されたのかもしれない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1016.html

[番外地8] 尖閣は石器時代からの領有者の台湾先住民に返してやれよ
尖閣は石器時代からの領有者の台湾先住民に返してやれよ 
西表島や先島諸島には元々台湾先住民が住んでいたんだけど。10世紀に九州人に占領され先住民は絶滅している。

尖閣と先島諸島は10世紀までは台湾の領土だったんだよ。
尖閣は現在までずっと台湾先住民の漁場だったので台湾先住民の領土だよ
沖縄から尖閣には昔の船では渡航できなかったから沖縄の一部ではない


宮古・八重山諸島では、ピンザアブ洞穴から2万6,7千年前の、子供を含む数個体の化石人骨が出土し、旧石器時代に人がいたことが確認されているが、その後、空白の時代が長期間続く。
 実は宮古島と沖縄諸島との間は290kmも離れ、「宮古凹地」とよばれる無島海域が広がっている。そのため中部地域と南部地域はお互いに望見することが出来ず、往来が断絶されていたからであろうか。

 この南部地域(先島地域とも言われる)に新石器時代が訪れるのは、約4000年前のことである。

波照間島で下田原貝塚という遺跡が発掘されている。出土した土器は、紀元前1800〜1300年前ごろの、胎土の粗い、丸底の八重山式土器で、一方、石器のほうは、刃部だけを磨いた局部磨研石器で、台湾の巨石文化期のものと類似する。

 石器類が耕作用とみられることから、当時、すでに漁撈と共に、イモやアワを主作物とする畑作農耕が行われていた可能性がある。

 この南部地域は、その後不思議な動きをする。新石器時代後期といわれる紀元前後のころから、折角持った土器文化を忘れ(捨て?)、また「無土器文化」に逆戻りする。これは、この地域の衰退を意味するわけではない。

 周りの珊瑚礁の海から得られる豊富な食料資源に支えられ、人口は増加し集落の規模は拡大しているのである。

土器を使わなくなった彼らは、いわゆる「ストーンボイリング」と呼ばれる調理用の石蒸し方法を多用し、その遺構も残している。

 また、石斧に加え貝斧というシャコガイから作った特殊な道具を使ってる。

 これはフィリッピン方面との繋がりが指摘されている。(右図参照。貝斧拡大サンプル) 
   
このように南部地域は、考古学的資料からは、10世紀ごろまで南方の文化が卓越していたとみられ、北部、中部と違って、本土の文化の影響は受けなかった。

 また、民族集団としても、縄文人や弥生人との交流がなく、台湾やフィリピンなど南方との繋がりを感じさせる。


▲△▽▼


先史時代の先島諸島では縄文文化の影響は殆ど見られず、台湾との共通点が指摘される土器が多く見つかっている。
約2500年前から無土器文化(料理には同様に無土器文化を持つポリネシアと同じく石焼を多く用いたと考えられている)に入るが、この時代もシャコガイ貝斧などがみられ、これもフィリピン方面との文化的関係が考えられている。
約800年前ごろからカムイヤキや鍋形土器など、本島さらには北方との関係がみられるようになる。記録としては、『続日本紀』に、714年(和銅7年)に「信覚」などの人々が来朝したと記されており、「信覚」は石垣島を指すといわれる。
14世紀から15世紀に沖縄本島に興った琉球王国による海上交易の中継地として次第にその影響圏に置かれた。1500年に石垣島の按司オヤケアカハチが反旗を翻すと、尚真王は征討軍を編成するが、宮古島の豪族・仲宗根豊見親が先鋒となって石垣島に上陸し、オヤケアカハチを討ち取った。これによって先島のほぼ全域が琉球王国の支配下に入ったが、与那国島では女首長サンアイイソバ(サカイイソバともいう)による独立状態がしばらく続いた。
1609年、薩摩国の島津氏による琉球王国侵攻以降、薩摩の過酷な搾取に窮した琉球王府は先島諸島に対して人頭税を導入し、ここから搾取した。このため、先島の各地には子供や妊婦を処分する遺構が残されている。


縄文文化の影響が強かった沖縄諸島に対し、先島諸島(宮古諸島・八重山諸島)ではかなり違った様相が見られる。縄文時代に当たる古い時期には、厚手平底の牛角状突起がある下田原(しもたばる)式土器などが見られる。

これらは縄文土器よりも台湾先史時代の土器との共通点が指摘されており、この時期には縄文文化と異なる東南アジア系の文化があったとも考えられる。その後約2500年前から先島諸島は無土器文化の時代に入るが、この時代もシャコガイを用いた貝斧など東南アジアとの関連性を示唆する遺物がみられる。

約800年前ごろになるとカムイヤキや鍋形土器などがみられるようになり、本島地方と近しい文化をもつようになる。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/321.html

[リバイバル3] ロンドン・ウエスタンの世界 中川隆
39. 中川隆[-11528] koaQ7Jey 2020年9月04日 06:52:15 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[7]
【1418】120407 M氏邸訪問(序):漢の隠れ家(英米ウェスタン5way:W4発)・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1478.html

さて、かめきち邸から程なくM氏邸に到着・・・何と、オーディオルームは、ご自宅敷地にその専用ルームが離れとして建っている・・・で、M氏にご挨拶しつつ、早速その中へ・・・

入り口で靴を脱ぎ、1段上がろうとすると・・・壁の厚みが凄い事に気が付いた・・・おそらく、30cmはあると思われる壁・・・かなりしっかりした防音施工がされているみたい・・・

で、部屋に上がってなるほどと・・・

まず、こちらが、システム全景・・・いやいや、正に漢の隠れ家!羨ましい(^^;

【こちらがメインシステム】
https://blog-imgs-44-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/20120624070551aed.jpg

おっと・・・機材の詳細をφ(..)メモってませんでした(^^;

で、少し右側の画像がこちら・・・

【右手にサブシステム】
https://blog-imgs-44-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/2012062407055021e.jpg

画像右手の窓・・・アンプの乗ったラックが置いてありますが・・・手前のアルミの枠・・・

それが、内窓・・・そう!・・・このラックが置いてあるのは、実は吸音層・・・

ってことは・・・部屋全体がこの厚みの吸音材と壁に包まれているということ・・・

何でも、お若い頃は、バンドを組んで演奏をされていたそうで、そのための防音室ということだったのですね・・・壁にベースが何本も飾られています・・・

で、部屋に入って直ぐ、その分厚い吸音層をに気付いたので、かなりデッドな部屋なのかな?って思ったのですが・・・部屋での会話の感じからは、全然そういった感じは無くて、適度な反射のある、話し易い感じの空間でした・・・

えっ?何で、システムの画像を載せておいて、防音室の話かって?・・・ハハハ、機材のφ(..)メモをしてなくて(汗・・・とりあえず、書けるとこだけ・・・

一応・・・箱のようにも見えていますが、ウーファー4発と中央寄りの上の口径の小さいの(スコーカー?)が付いているのは、平面バッフルです(^^;・・・で、ウーファーのユニットは、かめきち邸と同じくロンドン・ウェスタン・・・

で、天井の梁から鎖でぶら下げられている一番大きな四角いホーンは、金属製で、ドライバが、同じくロンドン・ウェスタンだと思います・・・

このホーンの中の、マルチセルのホーンは・・・ドライバは・・・(^^;

多分、その下の縦のスリットのホーンは・・・ケリーツイータでしょうね・・・

ってわけで、かめきち邸と同じく5wayってことで・・・ただ、ウーファーの本数が半分なのと、ホーンが適度な大きさ・・・そう、SPシステムとしてはこれぐらいのサイズが限界ですよね?(^^;・・・

で、これらを駆動するアンプ群・・・最上段は・・・上から2段目は・・・3段目は・・・

4段目の右がプリアンプ?・・・左はマッキントッシュのCDPと上がタスカムの録音機(CD-R)・・・

そうそう、画像を撮り損なったんですが、手前のリスポジの後の壁面は、一面ソフトラックになっていて、その大半がジャケット写真も付いたCD-R・・・枚数は、何百枚もありそうでしたが・・・何とそれは、お持ちのレコードからこの録音機(CD-R)で焼いて、ジャケットも作成されたアーカイブで・・・

いやいや、その気の遠くなるような作業・・・想像するだけでびっくり(@@;

っと、その下5段目右が・・・左がアキュフェーズの・・・でも、多分、ウーファーのドライブは、このアキュフェーズかと思います・・・(^^;

で、一番手前・・・ごっついマウントに乗ったプレーヤーが、ヤマハのGT-2000ですかね・・・で、その下の木製ラックの下・・・ああ、チューナー?が、見えてますが・・・これを跨ぐラックの足・・・手前の床より下へ伸びてますよね・・・(^^;

そうなんです・・・この部分、床に穴が開いてて・・・プレーヤーは下の床(基礎)に直接乗っているわけでして・・・地面にドッシリって感じですね・・・(^^;

それと・・・先に出てきたサブシステム・・・吸音層の窓の間に入った・・・

【サブシステムのアンプ】
1418‐03サブシステムのアンプ.jpg

このラックの上が、サブシステムのアンプ・・・2042

メインSP右のウーファーの前に置かれたのが・・・

【サブシステムのSP】
https://blog-imgs-44-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/201206240705484fb.jpg

これが、サブシステムのSPで、754という20cm(また間違い(^^;)754Aという30cmのフルレンジの入った後面解放の箱で・・・(^^;

手前の床に伏せてあるのが・・・たしかこれが、前に使われてたアルテックのウーファーユニットだったかと・・・

で、M氏は、このシステムを、3年ほどで集められたんだとか・・・

っと、この世界、数の限られたものを探して入手されるので、結構時間がかかり・・・ましてや、アンプも含めて組み上げて音を出すまでには、数年単位でかかるようで・・・ま、それゆえ、途中までアルテックのユニットで鳴らされてたと・・・

っというわけで、M氏邸のシステムのご紹介・・・って、画像だけで、ほとんどかけてませんが・・・

いよいよ、明日は、このシステムのサウンドのお話へ・・・

いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2012/06/24 07:00]

コメント

もし754が私の知ってるものなら30pのユニットだったと思います。

ウエスタン728よりも20pの755よりで聴きやすいユニットでフルレンジよりの音は知る人ぞ知る名品です。

それおも上回る名品は中津川で見た750です。
こんど中津川へ行ったら750を聴いてみたいと思っています。
[2012/06/25 22:58] URL | 大佐


大佐、おはようございます。
月末輻輳で、レスが遅くなってスミマセンm(_ _)m
754は、ご指摘の通り、12インチの30cmのスピーカーだそうで・・・
またまた聞き間違いをφ(..)メモっちゃってたみたいで、スミマセンm(_ _)m

ちなみに、M氏邸のは、754のAタイプだそうです・・・
754Aは紙のコーンで、日本の地方の映画館には754Aだけの小屋があったとか・・・754Bと言うのもあって、こちらは船舶や屋外用に使われたフェノールのコーンで、エッジはゴムだったなんてお話も・・・(^^;

いやいや、せっかくのお話も、間違ってちゃ、それこそ話しになりませんね・・・すみませんm(_ _)m
[2012/06/26 08:28] URL | Mt.T2
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1478.html


【1419】120407 M氏邸訪問(1):システムの特徴と音の違い?・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1479.html

さて、かめきち邸で、巨大な5Wayシステムを聞かせていただいた後、かめきちさんの車で、ほんの10分あまりの距離のM氏邸へと伺った・・・

M氏邸のオーディオルームは、ご自宅とは別棟で、元は楽器の演奏用に作られたため、分厚い吸音層に包まれた防音室となっていました・・・その内部は、実質約12畳くらいでしょうか?・・・

その内部は、まさに漢の隠れ家のような空間で、一人でドップリと音楽に浸ったり、ご友人達とミニライブを楽しむように音楽を聞ける素敵な空間でした・・・

その部屋に入って、まずはシステムを拝見している間に、美味しいコーヒーを入れていただいて・・・それじゃあ、早速曲をってことで・・・

まずは、レコードをかけられた・・・曲は・・・非常に生々しい演奏・・・ブルース?・・・女声ボーカルが入って・・・すみませんm(_ _)mどなたなのか知りませんm(_ _)m・・・

ですが、やっぱり、物凄く細かな音が近くて鮮度感がめっちゃ高く感じる・・・

ここは、かめきち邸と近い印象ですね・・・やっぱ、このドライバと、大きさは違ってもこのホーンの独特の聞こえ方のような気が・・・

ただ、距離感は、かめきち邸とは全然違いますね・・・こちらは、かなり前へ出てくる感じで、σ(^^)私の知ってるホーンシステムのイメージに近い気が・・・

で、低域の印象は、かなり違う気が・・・ベースの太さと響き方・・・量感が違う・・・

と言うか、低域が豊かで、柔らかく(緩いんじゃなく音程も弦の振動も聞こえるんだけど音色が柔らかい感じで)部屋に満ちる感じに・・・一方、かめきち邸は、レンジは更に低くまで出ている気がしますが、タイトで、軽く抜ける感じ?・・・

っと、同じプレーヤーをお使いとのFさんが、カートリッジはなんですか?と聞かれたら・・・シェルには、オルトフォンと書かれているが、中身はエンパイヤで、オルトフォンのシェルに入っている特注の業務用なのだそうで・・・どこかのスタジオで使われていたものらしい・・・(^^;

続いては、45回転のレコードで・・・ベースメインのトリオ?・・・曲はサマータイム・・・

いやいや、冒頭のベースがカッコいい・・・ピアノも渋い・・・あら?フルートが・・・おお、やっぱこの帯域は独特の生々しさ・・・ああ、シンバルもめっちゃ気持ち良い・・・

あ、ピアノとベースはやっぱり独特の柔らかさ?ああ、暖か味と言うのが合うかな?・・・間近で、演奏者の胴体を感じるイメージ・・・この傾向は、ウーファーのアンプによるのか?部屋の性格か?(^^;

っと、ここでかめきちさんから、かめきち邸で聞いたソースに近いイメージの曲をかけましょうと言う事で・・・多分、高橋美智子のウルトラパーカッションから・・・

おお!・・・低域のトランジェントがめっちゃ高いですね!・・・打楽器のアタックの瞬間の音の立ち上がりが、非常に早く、なんと言っても強い・・・

と、かめきちさんが、設計者が同じなので、音の傾向は、同じだと思いますとのこと・・・

う〜ん・・・全く同じ曲ではないので、難しいですが・・・ホーン型で無いSPと比較した場合の音の出方の違いは、似ているかもしれませんが・・・全体の漠然としたイメージでは、やはり大きく違う気がしますね・・・

例えば、金属振動板の音がそのまま耳まで飛んでくるような独特の解像度と鮮度感のようなところ・・・とにかくパルシブな打楽器とかのアタックの立ち上がりと、低域の制動なんかは似てる・・・

でも、中音域の広がり方、奥行き感や、低域の抜けと集束の早さみたいなところは、結構違った印象な気がしますね・・・(^^;

こう言う音の曲は、途中でもう良いって感じになるけど・・・不思議とならない・・・それどころか、どんどん引き込まれていく・・・でも、音楽じゃなしに音を聞いてることもあるけど・・・音質はいい方がいいってことが分かってきた・・・

で、お次は、チェットベーカー・・・子供がからんでいるジャケットのやつ・・・

やっぱり、中音域中心に、物凄く澄んだイメージ・・・透明な空間・・・

トランペットの張りのある音色がスパンと飛んで来る・・・バリトンサックスが軽くて透明感タップリな、それでいて濃い音が印象的・・・ベースの低い方は、この部屋の特徴かもしれない・・・それにしても音がめっちゃ近くで聞いてるような感じ・・・

ってわけで、かめきち邸と、同じ英米のウェスタンの5Wayでも、システムの構成と部屋によってその印象が大きく違うなと感じたところで・・・今日は時間切れ・・・

ということで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2012/06/25 07:00]
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【1420】120407 M氏邸訪問(2):Jazzバーのかぶりつき席でご機嫌サックスを・・・(^^;
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さて、M氏邸の漢の隠れ家のようなオーディオルームにて、かめきち邸からすると、かなり現実的なサイズのロンドンウェスタンを中心とした5Wayシステムをきかせていただいているわけですが・・・

やはり、同じロンドンウェスタン中心のシステムとは言え、アンプや部屋が違うと、印象はかなり違うようで・・・っと、それよりも、やっぱり、そのサイズの違いを決定付けているホーンが違うと言うのが大きいのかな?(^^;

まあ、片や一辺1m50cmはあろうかと言う巨大な木製ホーンに対し、一辺が1mに満たない金属のホーンですから・・・

【M氏邸のシステム】1418-01
https://blog-imgs-44-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/20120624070551aed.jpg

っと考えると、ふわっと全体的に大きな空間を印象付けるかめきち邸の巨大システムに対し、M氏邸のシステムは、その強烈なエネルギーを、この空間に一気に放出する感じで・・・

対比すると、かめきち邸のサウンドは、サイズなりの開放感や広がりを感じ、木製ホーンの優しさ、暖かさを感じるのに対して・・・M氏邸では、正にこのサイズの、四角い金属の開口部から、その見た目の印象どおり、カチッとしててエネルギーも凝縮した感じで、これを全力でこちらへぶつけてくるような印象がある・・・ホンマか?見た目だけで言って無いか?・・・ハハハ(^^;

ま、勿論、家一件分に相当する高価なプロ用ユニットの音のクオリティのまま・・・強烈に澄んだ濁りの無い背景に、細かな音まで余さず、耳まで届く間に、あたかも空気の存在が、全く邪魔していないかのようなダイレクトな音の伝播の印象はそのままに・・・

これに負けず劣らずの素早い立ち上がりと制動の効いた、トランジェントの高い低域が、全く違和感なく繋がっているのは、驚異的としかいいようがない・・・

特に、この中低域〜低域の音の出方、方向性、クオリティが感じられる再生は、未熟な知見のσ(^^)私には、現代SPには感じれない気がするんですが・・・

っと、まあ大体、これが、M氏邸で最初数曲聞かせていただいた時点でのイメージかな・・・?(^^;

で、しばし、このM氏邸の音を特徴付けているホーンの話から・・・英国ウェスタンの特徴や入手のご苦労などのお話や、その音を特徴付けるポイント・・・ウーファーのダンパーのお話など・・・

と、M氏が、以前も訪問されている大@神戸さんに、印象を尋ねられ・・・前より音が滑らかになったとのコメントがあって・・・以前は、ウーファーが、半分アルテックだったのが、昨年、残りのウェスタンが揃って、片チャン4発、左右で8発全部がウエスタンになって、低域の出方が大きく変わったとのお話をひとしきり・・・

と、それじゃあ次はこれを・・・と、大@神戸さんの持参CDから・・・ベイシーのライブを・・・

おお、凄く背景というか・・・ライブハウスの騒音が入った、その場の空気感満載の録音・・・ピアノは少し奥で、ドラムが手前?ホーンセクションはグッと前に出てくる感じで・・・

まるで、お店の中にトリップしたような雰囲気タップリ・・・やっぱ、このドライバとホーンのダイレクトなサウンドと言うか、音の鮮度感と抜けはいいですね!ご機嫌です!

じゃ、次はピアソラかけようとかめきちさんが・・・

おお、重み?迫力?のあるベース・・・ちょうど部屋を満たすような量感・・・全体のバランスは、このベースがドッシリ支えるピラミッドバランス・・・バンドネオンが切ない憂いある音色で・・・後のピアノも凄くせつなさを増すような渋い音色で・・・

ちょっと暗いんで、2曲目へと・・・

おお!ベースの土台にバンドネオンのメロディーが、気持ちを騒がせるような、不安な感じに・・・哀愁を感じる綺麗な響きのバイオリン・・・

と、それじゃあ、メインの最後にこれをと・・・ジョニーグリフィンのハッシャバイを・・・

【ジョニーグリフィン】
1420-01ジョニーグリフィン.jpg

おおー、凄い濃さ!・・・ホンとJazzバーのステージ前の席で聞いている感じ・・・サックスのエネルギー感が、断然高い・・・うしろのドラムやベース、ピアノも、それぞれ音の存在感がありつつ・・・いやいやこのサックスの生々しさったら!・・・演奏の力の入り方がこちらにグイグイ伝わって来る・・・

なるほど!・・・大@神戸さんが、前回来られたときに聞かれて、感動されたと言うのが良く分かりますね・・・目を瞑ると、目の前にステージが・・・

っと、大@神戸さんが・・・前はもっと危しさがあったのが、スッキリとして音が1歩近付いたような感じになったとのコメントが・・・

まさに、ウーファーがオールウェスタンになって大きく変わったところだとのこと・・・

いやいや、Jazzには、ピッタリのサウンドを、ライブを体験するかのように聞かせていただいた!(^^;

じゃ次は、754を・・・っと、残念、今日はここで時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2012/06/26 07:00]


コメント

ホーンの材質って
おはようございます。
ホーンって、材質で随分と音の性質が
変わってきますね。JBLでもしかり。
仰るように、金属製の方が音が飛んで
くるように感じますね。音離れがいい?
音速が早い(なわけはないですね)
拙宅のシステムと志摩にあるJAZZ
喫茶のよく似た構成のSPで体験
しました(笑)
[2012/06/26 07:44] URL | 吉田兼好


Re: ホーンの材質って
吉田兼好さん、おはようございますm(_ _)m
やっぱそうなんですか・・・ホーン体験自体少ないですし、ましてや同じ形状で材質の違うホーンを聞くなんて、やったことがないので、材質と音の関係までは、全然?です・・・それに今回は、ホーンの大きさもずいぶん違いましたから余計に?です(^^;
でも、振動体にくっついた躯体の延長のようなものですし・・・ホーン自体も相当鳴るでしょうから、音色には材質の影響もあると言うのは想像できますが・・・飛び?音離れ?についてはちょっと分かりませんでした(^^;
この時は、サイズと形状、部屋の関係で前面にエネルギーが飛んでくる感じなんだと思ってました・・・
やっぱ、材質もあるんですかね(^^;
[2012/06/26 08:53] URL | Mt.T2


London Western 2080-Aは希少なユニットで基本的にALTEC 515Aと同じですが
イギリス流のチューンされたヨーロッパの音がすするので良いユニットですね

このてを一度聴くと515Bなどは聴けないでしょう。
The Kerry Dancers (Riverside) Johnny Griffinがどう鳴るかは2080-Aが一番重要な鍵を握っているんですよね!
[2012/06/26 11:36] URL | 大佐


大佐、こんにちは。
残念ながら、以前のアルテックのユニットと半々に使われていた時の音は聞いて無いので、どのように変わったのかは分かりませんが、音の抜けと言うか通りは良いのに、空気の密度が高まったような、ライブハウスの室内の雰囲気が非常に生々しくて、更に、そこに浮かび上がるサックスの、ちょっと抑えつつも熱っちっちの演奏がご機嫌でした!
こう言う静かに熱い空気感が出るのって、演奏にグイグイ引き込まれていくので、とっても気持ちいいなと・・・(^^;
[2012/06/26 11:57] URL | Mt.T2


それでは、どうなるか解りませんが
道のりがちょっとかかりますが
拙宅の駄音と、JAZZ喫茶の音を
聴き比べてみます??
送り出し機器と低音、高音のユニットは違いますが、中音のユニットは同じ375でホーンのみ木製と金属製です。
AM:拙宅、PM:JAZZ喫茶
とすればいけそうな感じです。
[2012/06/26 16:58] URL | 吉田兼好

Re: それでは、どうなるか解りませんが
吉田兼好さん、こんばんは。
月末輻輳で、先程帰宅しました・・・レス遅れてスミマセンm(_ _)m
比較、面白そうですね・・・別途SNSの方ででも連絡します。
やっぱり、ホーンの音をもう少し知るためにも、ブルーライツにもう一度聞きに行かないと駄目な気がしてきました・・・ただ、ちょっと先にとんでもないものを聞いちゃったのかな?という気もしてきたりして・・・(^^;
[2012/06/26 23:58] URL | Mt.T2
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【1421】120407 M氏邸訪問(3):同じ英国ウェスタン、音の出方の違い?・・・(^^;
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さて、お部屋に入った当初、かめきち邸のシステムを現実的な静にしたシステム?なんて、視覚から安直に思っていたわけですが・・・確かに、ユニットの持っている性能と言うか、品位については、同じ血が流れている事は、ひしひしと感じるのですが、そのサウンド面での印象は大きく違う気が・・・

まず、一番の違いは音の出方・・・かめきち邸の巨大システムが、そのサイズから、とんでもない音圧が飛び掛って来るのじゃないかと身構えていると、巨大なスピーカーの少し後方を中心に、思いの外ふわっと広がるサウンドステージ・・・

ま、無理矢理こじつければ、部屋の空間に凝縮されずに音が、思いのまま、ソースの表現する空間のまま広がり、録音時の演奏と、演奏者、楽器の音の雰囲気と、空間の雰囲気をサイズも含めて感じさせてくれるような感じ・・・

対して、M氏邸の音の出方は、まだ、どちらかと言うと、σ(^^)私の知るオーディオシステムの音の出方に近いかな?・・・

ただ、あくまでもどちらかと言うと・・・と言う前置きの上でのことで、単純に言うと、部屋のサイズに凝縮された感じの部分で、部屋の影響を受けていることを感じると言う点で、どちらかと言うと、σ(^^)私の知るオーディオの音に近いというだけ・・・(^^;

で、実際の音の出方は、元のソースの持っている新鮮で強烈な音楽のエネルギーを、上下左右の床壁天井に覆われることで、正面の壁のサイズでそのままリスポジ方向、ドバッとぶつけてくる感じ・・・

ゆえに、その音域ごとのエネルギーバランスも印象としては、随分違って感じられるが・・・かめきち邸の大きなエアボリュームに解き放たれた音のエネルギーを、M氏邸の部屋のエアボリュームに囲み込むと考えると・・・なるほどと思える・・・

かめきち邸では、低域、高域共に開放され、中域の鮮度と解像感を中心にそのまま前方向へ開放される感じに対し・・・

M氏邸では、左右4発計8発少なくしてもなお、高いレスポンスの低域のエネルギーは、サイズダウンした部屋を思いのままに満たしつつ、中域、中高域は、天井床壁に囲まれ、太く濃く熱くこちらに向ってくる・・・と言うか、天井床壁で構成される巨大ホーンのまん前で、ピラミッドバランス的なそのエネルギーを浴びている感じ・・・

って、わけ分からんイメージを書いても・・・同席された皆さんさえも、そうかな?なんて思われる、ちょっとσ(^^)私なりの変わった捉えたかも?・・・いや、やっぱ、まだ、英国ウェスタン中心の独特?なサウンドの世界に度肝を抜かれて、混乱したままなのでしょう・・・(^^;

と言うわけで・・・って、どう言うわけか分かってませんが・・・(^^;

その演奏のエネルギーを、部屋のサイズのまま太く濃く暑くぶつけてくるシステムで、ジョニーグリフィンのご機嫌な演奏を楽しんだ後・・・

今度は、サブシステムの方を聞かせていただくことに・・・

【サブシステムのSP】1418-04
https://blog-imgs-44-origin.fc2.com/m/t/t/mtt2/201206240705484fb.jpg

かめきち邸で聞かせていただいた、小さい方の4189のシステムとは、ユニットが一回り大きな30cmの754Aで、アンプも、2040に対して、こちらは2042とのことで・・・

【サブシステムのアンプ】1418-03
1418‐03サブシステムのアンプ.jpg

って、σ(^^)私には、その違いが、どのような違いを生み出すのか、全く想像もできなくて・・・(^^;

っと、じゃあ、同じ大貫妙子をということでピュアアコースティックから、突然の贈り物を・・・

ああ、何とも爽やかに優しく語りかける・・・ちょっと声が若返ったか?・・・ホンの少し中高域に中心がある間で・・・なんとも心地よく声が前に出てふわっと広がる・・・

勿論、後面開放と思いきや、開いていなかった・・・ちょっと予想外・・・

独特の開放感と、なんとも言えないストレスの無い音の出方・・・す〜っと、それこそ身構えず、リラックスして歌いかけてくれているようだ・・・素晴らしい!

と、ここでこのサウンドの主役のSPの話や、もう一方の立役者?のアンプのお話が・・・

で、次は、これを聞かせてくださいと出てきたのは、寺島靖国監修のJazzBar2001から、ケニーバロントリオのフラジャイルがかけられた・・・

スティングの名曲・・・なんとも綺麗で居心地の良いメロディーを・・・寺島さん監修のわりに、そんなに強調感の無い普通の録音・・・システムの能力でめいっぱい、ソースに入っている音が出ているはずな割には・・・でも、曲と演奏は良いですね!・・・

何でも、なかなか上手く鳴らない曲なんだそうで・・・やっぱり、鳴らない方一般的なのかも?・・・σ(^^)私のイメージでは、もっとシンバルが目立ってベースと対峙するくらいに鳴るシステムだと、それなりの雰囲気に聞こえた気が・・・

じゃあ、もう一度、メインシステムの方で聞いてみましょうか?ってことになって・・・

っと残念・・・今日はここで時間切れ・・・

ってわけで、つづきは明日・・・いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2012/06/27 07:00]
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【1422】120407 M氏邸訪問(終):英国ウェスタンでライブ物を楽しむ!・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1482.html


さて、M氏邸のウェスタンのサブシステム・・・フルレンジの754Aを箱に入れ、2042のアンプで駆動するという、スペシャルな構成・・・これで聞く、大貫妙子は、5歳ほど若返った?気がして・・・

っと、上手く鳴らないとの話題のある寺島靖国さん監修のJazzBar2001から、フラジャイルを聞いてみると・・・先の大貫妙子をあれほどに鳴らすシステムで、この鳴りようでは、鳴らないのが正解じゃないかと思える感じ・・・(^^;

じゃあ、メインシステムの方で聞いてみましょうかと言う事になり、再び再生・・・

ああ、なるほど・・・中高域から上のシンバルの帯域がしっかり出てくると、それらしく鳴って来た・・・ピアノが随分艶やかに鳴り始めた・・・結構、この帯域で雰囲気が変わるんだ・・・ま、でも、良く鳴るというにはちょっと辛い感じ・・・

と、曲は良いんだけどねえ・・・CDの悪い所がそのまま出てしまう感じなんだけど、LPで聞いたら、きっと凄くいいだろうな・・・なんてコメントも・・・

いやあ、気が付くと、既に無条件に、英国ウェスタンのシステムで聞いて、感じよく鳴るか鳴らないかを基準にして聞いている・・・これで鳴らないのは、録音が・・・なんて(^^;

と、ここで、かめきちさんが所用で中座・・・で、M氏から、かめきちさんとの偶然の出会いから、英国ウェスタンの世界へ入った、奇遇なめぐり合わせのお話など・・・

で、次はこれを聞かせてくださいと・・・大さんが持参のCDを・・・

【ライブアットザきりきりぶらうん】
1422-01ライブアットザきりきりぶらうん.jpg

おお、このCD・・・もう手に入らないんですよ・・・いやあ、やっぱ弄ってないストレートな録音ですねえ、この鮮度感がたまりません・・・やっぱりこの鮮度感と音の肌触りは、このドライバとホーンの存在が大きそうだなあ・・・

特に、σ(^^)私の好きなギターの弦の色んな細かな音が、演奏が見えるかのように全部聞こえて来る感じは、たまりませんねえ・・・って言うか、ここがスカッと出無いとノリがよく無いですよね・・・

おお!会場の拍手が・・・この拍手ぐらいの立ち上がりが、楽器の音に欲しいですねとのコメントが・・・でも、やっぱり、良いとこも悪いとこも歩けど、生の方がいいなあ・・・(爆

と、これはライブなんで鳴ると思うんですけどと・・・出されたCDから2曲目を・・・

【ケニーバロントリオ】
1422-02ケニーバロントリオ.jpg

ふ〜ん、やっぱり随分ダイレクトな録音?・・・ピアノの音が先の寺島レコードとは違って、生々しい感じが強く出ますね・・・シンバルが気持ちいですね!・・・

こちらは、先のライブアットザきりきりぶらうんのように録りっぱなしに近い感じではなくて・・・聞きやすくしてある・・・会場の拍手も、立ち上がりを余り意識しない・・・と言うか、通常CDでは煩く、ごちゃごちゃなりがちなところを丸めちゃってる気もする・・・

と、もう一度レコードを聞かせてくださいとノリクエストで・・・ミスティを・・・

おおぉぉ!・・・困るなあ、こんなに濃くて、エッジの強調感を全く感じない、音の密度で感じる立体感・・・粒状感を感じない・・・濃くて滑らか・・・

っと、ここで、所用から戻られたかめきちさんと、カートリッジの話に・・・このカートリッジは、業務用の特注のもので・・・無垢のダイヤから針が作られてて・・・針の寿命も長いのだそうで・・・それから、プロ機のアームの話・・・針圧を確かめるべく、デジタルの針圧系で測ったら、小数点以下3桁まで正確だったとか・・・

それじゃあ、最後に、もう1曲だけと・・・

【北村英二】
1422‐03北村英二.jpg

ふ〜ん・・・このCD-R、M氏がレコードから録音されもので・・・リスポジの後の壁面には、このアーカイブが何百枚も・・・(@@;

その労力を想像すると、気が遠くなりそうだが・・・音を聞いて納得(^^;

元は、ダイレクトカッティングのレコードだそうですが・・・いやいや、凄いクオリティ・・・滑らかで濃く、ご機嫌なノリの演奏が、ドップリ楽しめる!・・・

でも、このCD-R、凄いですね!ドラムの鳴りっぷりがめっちゃご機嫌・・・スネアのドスドスってのがホンと気持ちよく聞こえる・・・ま、何よりクラリネットが良いのは勿論なんですけど・・・

っというわけで、かめきち邸のサウンドにぶっ飛んだ感覚から、M氏邸のサウンドは、サイズ的にも、音の出方的にも(英国ウェスタンとホーンの別世界サウンドの骨格はそのままに)、聞き慣れたイメージに近い印象で・・・少〜し、現実世界の感覚からでも地続きで捉えられる感じに戻ったところでお終いということに・・・

いやいや、ホンッと貴重な体験をさせていただいて・・・おまけに、とっても興味深いお話もたくさんいただいて・・・ま、ちょおっとσ(^^)私の知識不足で、せっかくのお話の充分消化出来てないのが申し訳ありませんが・・・m(_ _)m

今回の衝撃体験を、どのように自分の中に取り込んで、拙宅システムをどんなサウンドにまとめていけるかを、ボチッと考えながら取り組んで行きたいと・・・

って、実際は、帰って、拙宅の音を聞いて、ドンだけ落ち込んだか!・・・(^^;

この刺激が切れてしまったら、是非また直接のおさらいをさせてください・・・今回は、ホント、楽しく貴重な時間をありがとうございました・・・m(_ _)m

ってわけで、この訪問のお話は、これにてお終い・・・明日は・・・

多分、気を取り直して、拙宅サウンドでのお遊びの話かな?

いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2012/06/28 07:00]


コメント

ウエスタン系で旨く鳴らないのは寺島レコードの音作が原因でしょう。

先日、寺島レコードのCD TERAMURA YOKO MOODSを聴きましたが下品な音作りに、がっかりしました。

所詮JAZZ喫茶系のオーディオレベルな録音・・・ てめえ達の装置で聴くように音作りされた感が聴き手に音楽の内容よりも自分たちが聴きたい音を優先したクソ録音・・・

昔、寺島靖国の本で紹介されたLPを集めて良いLPにも出会えたので少しは期待したのですが、寺島さんが音に口だししない方が良いのでは無いかと思います。

[2012/06/28 12:43] URL | 大佐


大佐、こんにちは。
あらら、またまた辛いことを・・・(^^;
どれもいまいち上手いこと鳴らんなあと思ってるうちのシステムでも、おっ、ちょっと欲しいとこ出るやん!って思うことがありますから、寺島さんの快感な部分をかなりクローズアップしてるんでしょうね(^^;
あるがままを軽々と、切れ味鋭くドバッとも、繊細にも出せるウェスタンのシステムでは、その音作りの裏側まで聞こえちゃって興醒めって感じましたが・・・
鳴りきらずに悶々としているシステムで、まやかしだとしても、ちょっとだけご機嫌にさせてくれる音作り・・・寺島さんの、ここええやろ?ってのが分かりやすくて、σ(^^)私は案外好きだったりします(^^;
特に、このJazzBarのシリーズは、いろんなCDからの寄せ集めですので、オリジナルのCDも聞くと、両方楽しめていいかな?なんて(^^;
ふか〜く楽しむには、オリジナルの方のレコード(オリジナル盤でなくても)を、英国ウェスタンのシステムで聞ければ幸せだろうなとは思いますが・・・限られた人しか聞けませんし(^^;
それより、モノの質の次元が違うと分かってはいても、うちのシステムを、ウェスタンのような音が出るように手なづけられたらなあ・・・なんて思ってしまいます(^^;
[2012/06/28 13:13] URL | Mt.T2
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1482.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html#c39

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
15. 中川隆[-11527] koaQ7Jey 2020年9月04日 08:05:18 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[9]
刑事裁判で証拠とされる 9割は証言ですね。証言の信頼度を判断するのが検察や裁判官の仕事だからね、
重要な証拠が「一次資料」として残る事はまずありません。 真っ先に証拠隠滅されますからね。
林千勝さんが出した「一次資料」は人畜無害などうでもいいものばかりです。

歴史学も同じで、「一次資料」云々ではなく、様々な観点から証言や資料の信頼度を判断するのが歴史家の仕事です。
林千勝さんは完全なド素人で、そういう判断をする能力が完全にゼロなのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c15

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
18. 中川隆[-11526] koaQ7Jey 2020年9月04日 10:44:38 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[13]
専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然だという事です。

そもそも天皇の犯罪の証拠を残す筈もないから、一次ソースなんか存在しないんだよ
俺は専門家の学説を紹介しただけだ
俺が専門家である必要はない

刑事裁判で証拠とされる 9割は証言ですね。証言の信頼度を判断するのが検察や裁判官の仕事だからね、
重要な証拠が「一次資料」の文書として残る事はまずありません。 真っ先に証拠隠滅されますからね。
それから事件当事者の証言はれっきとした「一次資料」になります。書類になった「一次資料はそもそも証言内容を集計しただけのものなので価値はかわりません。

林千勝さんが出した「一次資料」の書類は人畜無害などうでもいいものばかりですね。
日本軍に都合の悪い文書は終戦直後にすべて燃やされているし、敗戦が濃厚になった時点で知られては困る文書の改竄・捏造を行っているので、そういう「一次資料」の書類が信用できる訳ではないのですね。

歴史学も同じで、「一次資料」云々ではなく、様々な観点から証言や資料の信頼度を判断するのが歴史家の仕事です。
林千勝さんは完全なド素人で、そういう判断をする能力が完全にゼロなのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c18

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
20. 中川隆[-11525] koaQ7Jey 2020年9月04日 11:26:55 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[16]
​ @Mononofu2010
そもそも天皇の犯罪の証拠を残す筈もないから、一次ソースなんか存在しないんだよ
俺は専門家の学説を紹介しただけだ
俺が専門家である必要はない

刑事裁判で証拠とされる 9割は証言ですね。証言の信頼度を判断するのが検察や裁判官の仕事だからね、
重要な証拠が「一次資料」の文書として残る事はまずありません。 真っ先に証拠隠滅されますからね。
それから事件当事者の証言はれっきとした「一次資料」になります。書類になった「一次資料はそもそも証言内容を集計しただけのものなので価値はかわりません。

(一次資料というのは、一テーマになる人物本人が書いたもの(作品、書簡、日記など)、テーマになる事件・できごとの当事者が書いたもの(調書、目撃証言、当時のビラなど)。それに対して二次資料というのは、一次資料を材料にして書かれた研究などである。たとえば『ドストエフスキー研究』や『ロシア経済史』のようなものである。)

林千勝さんが出した「一次資料」の書類は人畜無害などうでもいいものばかりですね。
日本軍に都合の悪い文書は終戦直後にすべて燃やされているし、敗戦が濃厚になった時点で知られては困る文書の改竄・捏造を行っているので、そういう「一次資料」の書類が信用できる訳ではないのですね。

歴史学も同じで、「一次資料」云々ではなく、様々な観点から証言や資料の信頼度を判断するのが歴史家の仕事です。
林千勝さんは完全なド素人で、そういう判断をする能力が完全にゼロなのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c20

[番外地8] 二流小説家 三島由紀夫の格好付け人生
二流小説家 三島由紀夫の格好付け人生
三島由紀夫は19歳の時に徴兵され、軍の入隊検査を受けるが軍医から「肺浸潤」と診断され即日帰郷となった。彼が入るはずだった部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、戦闘でほぼ全滅した。これは軍医の誤診だったとも、仮病を使って兵役逃れをしたとも言われている。何れにせよここで三島は死ではなく、生き延びることを選んだわけだ。しかし後に彼は自衛隊に体験入隊したりした挙句の果て、自ら組織した民兵組織「楯の会」隊員4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げる。享年45歳だった。

戦争で死に損ない、そのことを恥じていた三島は〈美しい死〉〈英雄的な死〉に魅せられていた。彼は若い頃から(老化で体が醜くなる直前の)45歳で死ぬと周囲の人に公言しており、割腹自殺は長年に渡る綿密な計画に基づいていた。「豊饒の海」4部作を書き上げた日に自決しているのがその証である。また31歳(1956年)からボディービルディングに勤しんだのも〈完璧な肉体〉を希求していたことを示している。1960年には映画「からっ風野郎」に主演した。

映画監督の大島渚は「政治オンチ克服の軌跡=三島由紀夫」という文章で次のように述べている。

対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。

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本多勝一は三島由紀夫については、彼が自爆する2年前の文章が載っていて、

「定向進化の道を歩み始めた生物はもはや手遅れのガン細胞となる」
と予言している。勝手に滅びればいいが、困るのはナチのように、「神々の黄昏」に多くの人を巻きこもうとすることである、とも書いている。


殺す側の発起人たち 本多勝一 1971年

名を口にするのも不快な一小説家が、江戸時代の職業用心棒としての武士階級の真似をしてハラキリ自殺をしたとき、新聞、週刊誌、月刊誌の多くはたいへんな紙数をこの事件のために費やした。(中略)あの小説家は芸能人的な要素があったようだから、一般的週刊誌がこれに飛びついて、何週間にもわたって洗いざらい書きまくることについては、私も大して違和感を覚えない。ところが、日常的にはそういうゴシップ雑誌として通用しているのではない雑誌(特に月刊誌)までが、いつまでたってもこの小説家のことに洪水のごとく紙面を提供しているのは、いささかうんざりさせられた。(中略)


そうした中で、一つだけ私の興味をつよく引いたのは、「三島由紀夫追悼集会」のための発起人名簿であった。そのまま写せば次の通りである。


発起人総代 林房雄

代表発起人 川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之、武田繁太郎、中山正敏 藤島泰輔、舩坂弘、北條誠、黛敏郎、保田與重郎、山岡荘八
発起人 会田雄次、阿部正路、伊藤桂一、宇野精一、大石義雄、大久保典夫、大島康正、桶谷繁雄、小野村資文、川上源太郎、岸興祥、倉橋由美子、小林秀雄、小山いと子、坂本二郎、佐古純一郎、清水崑、杉森久英、曽村保信、高鳥賢司、多田真鋤、立野信之、田中美知太郎、田辺貞之助、中河与一、中村菊男、萩原井泉水、林武、平林たい子、福田信之、水上勉

こうしてみると、さもありなんというひとがもちろん多いけれど、おや、と思わせられるような意外な人も見受ける。いろんな義理もあったのだろう。(中略)しかし、その「意外な人」も含めて、やっぱり私は問いたいのだ。日本が朝鮮や中国などを侵略したこと、これを否定することは、発起人の方々もできないであろう。そのとき、それらの国々で、何万とも知れぬ一般民衆を虐殺(中国での三光政策はその典型)したこと。これもまた否定できないであろう。そして、それらすべてが、最終的に「天皇」の名のもとに行われたこと、これもまた議論の余地はないであろう。背景は少しも「複雑」ではないし、侵略側の事情を「理解」して弁護することはない。

発起人の方々よ、右のような事実に対して、あなた方はどう思っているのだろうか。

あのハラキリ小説家が、日本列島に住む一億の人々の、どの層と関連、或いはどの層の意識の中に生きていたかは、もはや説明するまでもあるまい。逆から言うと、庶民、民衆、人民、大衆(何分様々な表現と歴史がある)とは無縁の、いい気な男の一人であって、別にこういう人も多数の中の一人として、他の人々と同じ意味で存在してもいいけれども、その存在は、あくまで「それ相応のもの」でなければならない。侵略する側、すなわち庶民、民衆、人民、大衆を殺す側によって利用され続けてきた天皇制を、またしても利用しようという男、そんなものを、あたかも大思想家や大芸術家であるかのごとく扱うことに、戦後日本の民主主義なるもののいかさま性を暴露する以上の意味はない。

彼の破滅も、このような意味、つまり「殺す側」と「殺される側」のどちらに立つ人間かをはっきりさせるための踏み絵となってくれた点においてだけは、無駄ではなかった。私にとっては意外に思われる人が、この踏み絵事件で「感動」や「衝撃」の反応を示し、それによって当人が「殺す側」に立つものであることを、庶民、民衆、人民、大衆及び虐殺された中国人、朝鮮人そのほかのアジア人たちに示してくれた。(アジア人の眼には、この発起人名簿は、「殺し屋名簿」に見えるだろう。)


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これも読んでね:
三島由紀夫に関する病跡学的試論
https://www.shukugawa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/11/bulletin201203_6.pdf

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/322.html

[リバイバル3] 絶対に買ってはいけない アルテック VOICE OF THE THEATER A5・A7 中川隆
28. 中川隆[-11524] koaQ7Jey 2020年9月04日 13:07:06 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[19]
London Western 2080-Aは希少なユニットで基本的にALTEC 515Aと同じですが
イギリス流のチューンされたヨーロッパの音がすするので良いユニットですね

このてを一度聴くと515Bなどは聴けないでしょう。

The Kerry Dancers (Riverside) Johnny Griffinがどう鳴るかは2080-Aが一番重要な鍵を握っているんですよね!
[2012/06/26 11:36] URL | 大佐


大佐、こんにちは。
残念ながら、以前のアルテックのユニットと半々に使われていた時の音は聞いて無いので、どのように変わったのかは分かりませんが、音の抜けと言うか通りは良いのに、空気の密度が高まったような、ライブハウスの室内の雰囲気が非常に生々しくて、更に、そこに浮かび上がるサックスの、ちょっと抑えつつも熱っちっちの演奏がご機嫌でした!

こう言う静かに熱い空気感が出るのって、演奏にグイグイ引き込まれていくので、とっても気持ちいいなと・・・(^^;
[2012/06/26 11:57] URL | Mt.T2

https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1480.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1071.html#c28

[リバイバル3] ジャズ喫茶は音楽がわからないアホが道楽でやるもの 富山誠
33. 中川隆[-11523] koaQ7Jey 2020年9月04日 14:02:07 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[20]
【1422】120407 M氏邸訪問(終):英国ウェスタンでライブ物を楽しむ!・・・(^^;
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1482.html


さて、M氏邸のウェスタンのサブシステム・・・フルレンジの754Aを箱に入れ、2042のアンプで駆動するという、スペシャルな構成・・・これで聞く、大貫妙子は、5歳ほど若返った?気がして・・・

っと、上手く鳴らないとの話題のある寺島靖国さん監修のJazzBar2001から、フラジャイルを聞いてみると・・・先の大貫妙子をあれほどに鳴らすシステムで、この鳴りようでは、鳴らないのが正解じゃないかと思える感じ・・・(^^;

じゃあ、メインシステムの方で聞いてみましょうかと言う事になり、再び再生・・・

ああ、なるほど・・・中高域から上のシンバルの帯域がしっかり出てくると、それらしく鳴って来た・・・ピアノが随分艶やかに鳴り始めた・・・結構、この帯域で雰囲気が変わるんだ・・・ま、でも、良く鳴るというにはちょっと辛い感じ・・・

と、曲は良いんだけどねえ・・・CDの悪い所がそのまま出てしまう感じなんだけど、LPで聞いたら、きっと凄くいいだろうな・・・なんてコメントも・・・

いやあ、気が付くと、既に無条件に、英国ウェスタンのシステムで聞いて、感じよく鳴るか鳴らないかを基準にして聞いている・・・これで鳴らないのは、録音が・・・なんて(^^;

と、ここで、かめきちさんが所用で中座・・・で、M氏から、かめきちさんとの偶然の出会いから、英国ウェスタンの世界へ入った、奇遇なめぐり合わせのお話など・・・

で、次はこれを聞かせてくださいと・・・大さんが持参のCDを・・・

【ライブアットザきりきりぶらうん】
1422-01ライブアットザきりきりぶらうん.jpg

おお、このCD・・・もう手に入らないんですよ・・・いやあ、やっぱ弄ってないストレートな録音ですねえ、この鮮度感がたまりません・・・やっぱりこの鮮度感と音の肌触りは、このドライバとホーンの存在が大きそうだなあ・・・

特に、σ(^^)私の好きなギターの弦の色んな細かな音が、演奏が見えるかのように全部聞こえて来る感じは、たまりませんねえ・・・って言うか、ここがスカッと出無いとノリがよく無いですよね・・・

おお!会場の拍手が・・・この拍手ぐらいの立ち上がりが、楽器の音に欲しいですねとのコメントが・・・でも、やっぱり、良いとこも悪いとこも歩けど、生の方がいいなあ・・・(爆

と、これはライブなんで鳴ると思うんですけどと・・・出されたCDから2曲目を・・・

【ケニーバロントリオ】
1422-02ケニーバロントリオ.jpg

ふ〜ん、やっぱり随分ダイレクトな録音?・・・ピアノの音が先の寺島レコードとは違って、生々しい感じが強く出ますね・・・シンバルが気持ちいですね!・・・

こちらは、先のライブアットザきりきりぶらうんのように録りっぱなしに近い感じではなくて・・・聞きやすくしてある・・・会場の拍手も、立ち上がりを余り意識しない・・・と言うか、通常CDでは煩く、ごちゃごちゃなりがちなところを丸めちゃってる気もする・・・

と、もう一度レコードを聞かせてくださいとノリクエストで・・・ミスティを・・・

おおぉぉ!・・・困るなあ、こんなに濃くて、エッジの強調感を全く感じない、音の密度で感じる立体感・・・粒状感を感じない・・・濃くて滑らか・・・

っと、ここで、所用から戻られたかめきちさんと、カートリッジの話に・・・このカートリッジは、業務用の特注のもので・・・無垢のダイヤから針が作られてて・・・針の寿命も長いのだそうで・・・それから、プロ機のアームの話・・・針圧を確かめるべく、デジタルの針圧系で測ったら、小数点以下3桁まで正確だったとか・・・

それじゃあ、最後に、もう1曲だけと・・・

【北村英二】
1422‐03北村英二.jpg

ふ〜ん・・・このCD-R、M氏がレコードから録音されもので・・・リスポジの後の壁面には、このアーカイブが何百枚も・・・(@@;

その労力を想像すると、気が遠くなりそうだが・・・音を聞いて納得(^^;

元は、ダイレクトカッティングのレコードだそうですが・・・いやいや、凄いクオリティ・・・滑らかで濃く、ご機嫌なノリの演奏が、ドップリ楽しめる!・・・

でも、このCD-R、凄いですね!ドラムの鳴りっぷりがめっちゃご機嫌・・・スネアのドスドスってのがホンと気持ちよく聞こえる・・・ま、何よりクラリネットが良いのは勿論なんですけど・・・

っというわけで、かめきち邸のサウンドにぶっ飛んだ感覚から、M氏邸のサウンドは、サイズ的にも、音の出方的にも(英国ウェスタンとホーンの別世界サウンドの骨格はそのままに)、聞き慣れたイメージに近い印象で・・・少〜し、現実世界の感覚からでも地続きで捉えられる感じに戻ったところでお終いということに・・・

いやいや、ホンッと貴重な体験をさせていただいて・・・おまけに、とっても興味深いお話もたくさんいただいて・・・ま、ちょおっとσ(^^)私の知識不足で、せっかくのお話の充分消化出来てないのが申し訳ありませんが・・・m(_ _)m

今回の衝撃体験を、どのように自分の中に取り込んで、拙宅システムをどんなサウンドにまとめていけるかを、ボチッと考えながら取り組んで行きたいと・・・

って、実際は、帰って、拙宅の音を聞いて、ドンだけ落ち込んだか!・・・(^^;

この刺激が切れてしまったら、是非また直接のおさらいをさせてください・・・今回は、ホント、楽しく貴重な時間をありがとうございました・・・m(_ _)m

ってわけで、この訪問のお話は、これにてお終い・・・明日は・・・

多分、気を取り直して、拙宅サウンドでのお遊びの話かな?

いつものごとく、余り期待せずに、お楽しみに!

デハ ^^)/~

[2012/06/28 07:00]


コメント

ウエスタン系で旨く鳴らないのは寺島レコードの音作が原因でしょう。

先日、寺島レコードのCD TERAMURA YOKO MOODSを聴きましたが下品な音作りに、がっかりしました。

所詮JAZZ喫茶系のオーディオレベルな録音・・・ てめえ達の装置で聴くように音作りされた感が聴き手に音楽の内容よりも自分たちが聴きたい音を優先したクソ録音・・・

昔、寺島靖国の本で紹介されたLPを集めて良いLPにも出会えたので少しは期待したのですが、寺島さんが音に口だししない方が良いのでは無いかと思います。

[2012/06/28 12:43] URL | 大佐


大佐、こんにちは。
あらら、またまた辛いことを・・・(^^;
どれもいまいち上手いこと鳴らんなあと思ってるうちのシステムでも、おっ、ちょっと欲しいとこ出るやん!って思うことがありますから、寺島さんの快感な部分をかなりクローズアップしてるんでしょうね(^^;
あるがままを軽々と、切れ味鋭くドバッとも、繊細にも出せるウェスタンのシステムでは、その音作りの裏側まで聞こえちゃって興醒めって感じましたが・・・
鳴りきらずに悶々としているシステムで、まやかしだとしても、ちょっとだけご機嫌にさせてくれる音作り・・・寺島さんの、ここええやろ?ってのが分かりやすくて、σ(^^)私は案外好きだったりします(^^;
特に、このJazzBarのシリーズは、いろんなCDからの寄せ集めですので、オリジナルのCDも聞くと、両方楽しめていいかな?なんて(^^;
ふか〜く楽しむには、オリジナルの方のレコード(オリジナル盤でなくても)を、英国ウェスタンのシステムで聞ければ幸せだろうなとは思いますが・・・限られた人しか聞けませんし(^^;
それより、モノの質の次元が違うと分かってはいても、うちのシステムを、ウェスタンのような音が出るように手なづけられたらなあ・・・なんて思ってしまいます(^^;
[2012/06/28 13:13] URL | Mt.T2
https://mtt2.blog.fc2.com/blog-entry-1482.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/403.html#c33

[リバイバル3] グッドマン MAXIMスピーカーシステム

GOODMANS MAXIM - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=GOODMANS+MAXIM

ヤフオク! -「goodmans maxim」(スピーカー) の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch/goodmans%20maxim/23812/


▲△▽▼


Goodmans(グッドマン) MAXIMスピーカーシステム 2015/06/01
https://vintage-audio.jp/?p=143


1960年初めにGoodmans社から発売された超小型2WayスピーカーシステムがMAXIM(マキシム)です。サイズはたった267mm×140mm×184mmにも関わらず、公表された再生周波数帯域は45-20,000Hz…

4inにも満たない小さなウーファーは幅広のエッジにビスコロイド系のダンプ材をしっかり塗布され、大きなストロークに耐える設計になっています。この小さなウーファーがただモノではない事は背負った巨大なアルニコマグネットを知ると分かります。振動板より遥かに大きなマグネットはこの小さなスピーカーを構築する為に必要だったのでしょう!

Goodmans MAXIM(グッドマン マキシム) カタログ

日本では英国系サウンドの代表はTANNOYなどと勘違いされている方が多いですが、本当はGoodmansが代表なのですよ。またGoodmansを知っている方の中でもAXIOM80がGoodmansの代表と思われている方が多いですが、それもある意味間違いです。Goodmansは古くから1965年頃まで英国の殆どのスピーカーメーカーに、ユニットを納めてきた経緯があります。各メーカーの要望に応じた様々な用途、サイズのユニットを製造していました。AXIOM80は特殊な構造したユニットの1つなのです(異端児)。

MAXIMを含めGoodmansのサウンドは、フラットで繊細感があり艶やかなサウンドです。TANNOY等PA系の粗くドンシャリなサウンドとは全く異なります。

ただ、そんなMAXIMはGoodmansのスピーカーシステム中、個体数も多く小さいのでeBay等で時々出品されていますが状態が悪いや2本出品されてても1本1本がヴァージョン(時期)違いだったりとそのままでは常用できるモノが少ないのです。(※Vintage機材は殆どそうなのですが…)だから、きちんとレストアして使用しなければ本来の良さは発揮されません。適切に修復されたMAXIMは、小型スピーカー中最強ではないかと思えるほどの再生が出来ます。特にステレオを聴く上では適切なスピーカーと言えます。組み合わせるアンプは、LEAK社のStereo20辺りが良く合いますね。6〜10畳位のお部屋でサブシステムとして使用されるといいですよ。

販売価格は下記までお問い合わせ下さい。
※モノラル1本、ステレオペアー等多数在庫ありますので、興味がある方はお気軽にお問い合わせ下さい。
https://vintage-audio.jp/?p=143


岡山県 玉野市 Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/458.html


▲△▽▼

GOODMANS MAXIM ¥21,500(1台、1967年頃)
2ウェイ構成のブックシェルフ型スピーカーシステム。


機種の定格

方式 2ウェイ・2スピーカー・ブックシェルフ型
入力 16W
インピーダンス 15Ω
周波数特性 45Hz〜20kHz
外形寸法 幅140x高さ265x奥行185mm
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/speaker/maxim.html

▲△▽▼

Goodmans maxim BBCが卓上モニターとして使っていたので有名になった。
アルニコVマグネットの異例の強力な磁気回路を搭載。
精密感が凄いが冷たくならず軽快で柔らかく広がりのあるサウンドで
ウォームな雰囲気。英国スピーカーだが明るい陽気な音色。
甘い口で贅沢な酒に酔うような心地よさがある。

maxim は大変すばらしいですね。こんなインティメートな
雰囲気と味わい深さは現代のスピーカーでは得られないでしょう。
暖かく情緒があって繊細にして優美な音色が素晴らしい。


Goodmans maxim のような音は他の Goodmans では出ないそうだ。
すごくちっさいスピーカーだから大きなので同じ音が出るやつない?
と質問しても 「ない」 との事で残念です。

「復刻のaxiom80持ってたんですが、音が全然違います!」

「それは箱がオリジナルじゃないでしょ?」


「確かにそうでした」

「でしょ?」


Goodmansは現在のFostexのような立ち位置のメーカーで、
事業はスピーカーユニットの供給が主だった。
完成品としてのスピーカーシステムはあまり残っていないのが惜しまれるところです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1076.html

[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
16. 中川隆[-11522] koaQ7Jey 2020年9月04日 19:52:48 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[26]
絶対に買ってはいけない アルテック VOICE OF THE THEATER A5・A7
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1071.html

史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html

ロンドン・ウエスタンの世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1074.html

グッドマンの最上位機種 Axiom 22
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1075.html

グッドマン MAXIMスピーカーシステム
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1076.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c16

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
25. 中川隆[-11521] koaQ7Jey 2020年9月04日 21:28:35 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[29]
知恵遅れの相手しても仕方ないんだけど
当時の関係者の証言は一番信頼度が高い「一次資料」だよ
文章になったものは大抵改竄・捏造しているから信用できないと言われている
特に天皇関係の資料は徹底的な改竄がなされていると証言されている
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c25
[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
28. 中川隆[-11520] koaQ7Jey 2020年9月04日 23:01:13 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[32]

EMIT, オーダックス, ポリプロピレン
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/emitaudaxpp.html


 ネットワーク製作時の試聴風景。どこかのオーディオ屋のようで部屋の美観も何もありはしない。オーディオファイルというとかっこいい気がするものの、 オーディオギーク(オタク)という感じ。左のスピーカーは参照用のハーベス・モニターHL。真ん中の列の上に乗っている黒いのがインフィニティのインフィ ニテシマル3 で、このシリーズ3のみ黒いダイキャストの箱に入っている。

 色々 な機会に様々なスピーカーを聞いてきて気づいたことがあります。それは素材の面から言うと、低音側を再生するユニットの振動板材量としてはベクストレンと ポリプロピレンがどうも好みらしいということ。高音側を受け持つツイーター・ユニットとしては、ひとつにはフランスのユニットメーカーであるオーダックス 製のシルクドームのような倍音がきれいだということです。これは具体的には HD12と13という二機種だったのですが、薄いシルクの振動板に粘着性のダンプ剤が塗り付けて あるソフトドーム型であり、このポリプロピレンとオーダックスのシルクというのはどちらもイギリスの BBC が製作したモニタースピーカーの系統で耳にしたもの(ハーベスモニター HL、チャートウェル=ロジャース LS5/8、5/9)でした。素材自体に加えてその用い方がいかに重要かということは後で言いたいのですが、ともかく部品としてはまずそれらのもの、それ にアメリカのメーカーだったインフィニティの初期のスピーカーが良かったということがあります。インフィニティはこれまた BBC モニターの系統と同じポリプロピレンを低音側に使い、一方で高音用としては EMIT と名づけられたリボン型のユニットを採用しています。EMIT は極薄のフィルムにボイスコイルをフォトエッチングし、両側から強力なマグネットで挟む構造をしており、オーソドックスな金属箔によるリボンや片側だけの マグネットのものとは違って静電型のように透明で繊細な音を持っています。アコーディング・プリーツ状のテフロンカーテンを伸び縮みさせるハイルドライ バーとも混同されがちですが、ハイルドライバーのはっきりとした、やや即物的な音とも出方が異なります。
 そこで自作派としては、ポリプロピレンのユニットをウーファーに使って、ツイーターとしてはオーダックスのシルク・ドームとリボンの EMIT のどちらがいいか確かめてみたいという気持ちになりました。

インフィニティの改造

 まず一つの方法として、インフィニティのインフィニテシマル3(0.3)という小型の優れたスピーカーを手に入れ、ネットワークを改造するという方法を 試してみました。これはその方法で素晴らしい音を出しているショップがあったからなのですが、市販のスピーカー・システムというものはコストの制約から電 解コンデンサーや鉄芯入りのコイルといったあまり音色の良くないものを使わざるを得ず、ハイエンド製品の走りだったインフィニティですらそのような部品を 上手に組み合わせて使っていたということがあります。それと、これは一種の信仰の問題かもしれませんが、ネットワークの回路は「もしユニットの性能が十分 に良いならば」部品点数が少ない6dB/oct の緩いスロープのフィルターで作った方が良いという考えもありました。回路に使う部品というものは、たとえそれがどんなに高価で性能の良いものであっても 何らかの色づけ=劣化があるからです。
 システムのエンクロージャーは元のアルミダイキャストのもの(シリーズ1、2は引き抜き材と樹脂+木)をそのまま使いました。ダイキャストの箱はあまり箱鳴りを感じさせなかったからです(独特の低音で鳴っているとい う人もいます)。

infinitesimal3.jpg
Infinity Infinitesimal 0.3 1982

 参考にできたネットワークの回路は、インフィニテシマルのシリーズ1〜3までの三種と、同じユニット構成のカーステレオ用のシステムが一つ、それにRS7という3ウェイのシステム用のものがありました。この中で6dB/oct のものはインフィニテシマルのシリーズ1とカーステレオ用のものの二種類で、後は12dB/oct スロープです。インフィニテシマル1はウーファー側がワトキンス型のダブルボイスコイルになっているために変則的ですが、ウーファー側のコイルが1mH でそれに3.5Ωの抵抗が並列接続されています。ツイーター側のコンデンサーは1.5uF です。ウーファー 側で大 きめのコイルに抵抗がパラってあるということは、比較的低い周波数からレベルを落として行きながらも、一定周波数から上のスロープを鈍らせる(浅くする) 効果があるようです。これはウーファー側の中高域での盛り上がりを抑える狙いなのかもしれません。この回路で音を聞くと中域が少し痩せてすっきりした音に なります。シリーズ3の元々の回路もこれにさらにコンデンサーと0.3mHのコイルがもう一つ加わっていますが、同じような傾向の音に聞こえます。一方で カーステレオ用のものはウーファー側0.4mHのコイルだったようです。

infinitesimalfil1.jpg infinitesimalfil2.jpg
 インフィニテシマル3のネットワーク(Infinity Infinitesimal 0.3 dividing network)。左が元々のもので、右が改造したもの。ウーファーの複雑な回路はやめ、ツイーター側の音圧調整の抵抗も省いてある。また、余分な接点は 増えるものの、ツイーター側は1次と2次のスロープをスイッチで切り替えられるようにしてみた。最終的には2次の方が合っていたのでそちらに固定しても良 い。B&Wに使われて有名なムンドルフのサプリーム・シリーズのコンデンサーは大変高価だ。小さい方のコイルは写真よりも基板から離して設置して ある。このように部品のクオリティを上げ、回路を単純化するのは あくまでも音色の改善のためであって、周波数特性が規定の幅に収まったものを出したいメー カーとしてはこういう手は使えない。アマチュアだからこその楽しみだ。

 今回は色々試聴をしてみた結果、1次フィルター(6dB/oct スロープ)の場合はウーファー側0.4mH〜0.47mH、ツイーター側2.2uF 〜2.67uF の組み合わせにしたものがもっとも自然な音になりました。最終的にはムンドルフの2mmφの線径で巻かれた0.47mH のコイルと同じくムンドルフのシルバー/オイル・タイプの2.2uF に決定し、あえてレベル調整の抵抗は入れませんでした。このように部品点数が2点しかないような回路だと、その一つひとつのパーツの持つ音色が大きく影響するようになります。コイルの方はお金をかければ銀のフィルム・タイプもあるようですが、.99より純度の高いものや音 色の素直な PCOCC は手に入らず、市販のものの中からムンドルフをチョイスしたわけです。ジェンセンのものも試しましたが、ムドルフの方がおとなしくて太い音、ジェンセンの 方が高域にやや華やかさが乗るように聞こえました(線径の面からは一見逆のようですが)。したがって特性上は矛盾するのですが、ムンドルフを使うときは一 つ小さな値にすると聴感上ジェンセンの音に近づくような感じになります。フォ ステクスはその中間ぐらいでしょうか。他には IT エレクトロニクス製のものも出てますが、以前トリテックとの提携で出ていたものを除けば試したことはありません。そしてコイル全般に言えることですが、コ ア入りのものよりも空芯の方が音が伸びやかで自然です。直流抵抗分の増大とコストの面から市販のスピーカーシステムではコア入りが多いですが、比べるとコ ア入りは全般に音が少し痩せ、歯切れよくにぎやかになるようです。

 コンデンサーは色々試してみましたが、最終的には昔からのお気に入りであるドイツの IT エレクトロニクス社製オーディン・キャップシリーズの中から錫箔の KPSN と、B&Wでおなじみのムンドルフのシルバー/オイルのタイプの一騎打ちとなりました。どちらもポリプロピレンをベースにした箔巻きですが、前者 は錫箔、後者は銀箔にオイルが含浸させてあります。ムンドルフの方が高価ですが、損失は前者の方が一桁少ないようです。音色はどちらも高域が繊細に延びて ディテールが出ますが、KPSN の方がやや細身でクリア、かつはっきりしているのに対して、シルバー・オイルの方はシルキーでしっとりし、独特の雰囲気を持っています。好みですが、値段 分の差があるかどうかは人によると思います。

capacitors.jpg
 コンデンサー(上から)ムンドルフ・シルバー・オイル [Mundorf Supreme Silver & Oil capacitor]、IT エレクトロニクス オーディン・キャップ KPSN [IT Electronics Audyn-Cap KPSN]、抵抗(下二つのうち上から)デール無誘導巻線型 NS-5 [Dale NS-5]、デール・メタルクラッド NH-25 [Dale Metal Clad NH-25]。

 音 量を調節することなどに用いられる抵抗ですが、メーカー製のものはたいていセメント抵抗です。これは巻線抵抗をセラミックのケースにセメントで塗り固めた ような構造です。しかし自分が今まで使ったものの中ではアメリカ(現在はメキシコ工場)のデール(Dale)製の5Wのものが評判通りで使えました。セメ ント抵抗と同じ巻線型ですが無誘導巻きになっており、さらにその上には放熱用のアルミケースに封入されたメタル・クラッドの抵抗もあり、25W のものはさらに繊細さが出るようです。他にも良い抵抗はあるかもしれませんが、同じような巻線型ではホーロー抵抗が安く、ちょっと固めの輝きが乗る感じが しましたが、実験用には悪くありませんでした。

 さて、1次スロープのフィルターで組んでみた後でさらに実験を重ねたところ、ひとつ気づいたことがあります。それはどうやっても、緩い6dB/oct スロープのフィルターでは各楽器の分離が今ひとつすっきりしないということです。ムンドルフのシルバー/オイル・タイプのキャパシターを使うと、えも言わ れぬやわらかな、弦では周りの空気に音が浸み込むようなシルキーなテクスチュアが感じられ、一種麻薬的な魅力を覚えます。しかしオーケストラの合奏などで 楽器が増えてくると、とくにフォルテで少しうるさい感じがするときがあり、何だろうと思っているとあるとき、楽器間のセパレーションが悪くて位置がはっき りしてしないことに気づいたのです。どうやらクロスオーバー・ポイントの下方で各ユニットの重なりが大きいためにそうなっているようです。 かといってクロス点を開くと間の抜けた艶消しの音になってしまいます。オリジナルのネットワークにあったような、 ウーファー側のコイルを大きくして抵抗を並列につなげるような工夫をしていないので(音色の面でなるべくシンプルにしたいのです)、中域が少しせり出して きていることも関係があるかもしれません。
 そこで元々の哲学には反しますが、ツイーター側を2次スロープ(12dB/oct )にしたフィルター回路でも追い込んでみることにしました。耐入力を上げるためではありません。結果、ウー ファー側は同じ0.47mH コイルのままで、ツイーター側のみコンデンサーを4uF(2.2uF のムンドルフと1.8uFの KPSN )にし、0.1mH のコイル(ムンドルフの線径1.4mmのシリーズ)に0.5Ωの抵抗(デール NH-25)を並べたものをスピーカーと並列に入れた回路に決定しました。結果は EMIT で陥りがちな線の細い音を脱し、楽器の分離も良い状態に持ち込めました。前述した通りウーファー側のコイルに特別な細工はしていないため、このウーファー の元来の性質である中域のはっきりしたバランスも持ち込まれましたが、悪くはないと思います。ただ、1次ス ロープのときに感じたようなやわらかくシルキーな魅力は半減し、よりくっきりとしています。ひょっとすると錫箔のコンデンサーを加えたことによる表情の違いかもしれませんが。
 しょうがないので、邪道だとは分かりつつも2回路の切り替えスイッチを一つかませて、キャビネットの裏から 6dB と12dB のフィルターを選べるように工夫しました。

Infinitesimalschematic.jpg
Schematic Diagram of Infinity Infinitesimal 0.3 Modified Network

 クロスオーバー点をもっと上にすることで6dB/oct のスロープのまま楽器の分離を改善する方法も考えられますが、振動板質量から解放されたせっかくのEMIT の受け持ち帯域が減ってしまう上にウーファー側の分割振動域を活用することになり、コーン・ウーファー+スーパーツイーターになってしまうのも残念な気がします。結局問題は、シンプルな回路ゆえに、この帯域を強調してこっちを下げるというような音色上の微調整がやりにくいということです。ヴァイオリンがもう少し艶が乗って張り出すと色気があって良いなということがあったにしても、そこだけいじるわけには行きません。艶にかかわる帯域は強調されると耳に痛くなる帯域です。2〜3KHz と8KHz あたりの出方をうまくコントロールできると良いわけで、3 次フィルター(18dB/oct )とマルチユニットで臨めば調整代(しろ)が増えてやりようがありますが、単純なシステムでは不可能です。そして単純こそが純粋にもなり得るわけで、ユ ニットの性質を活かした直球勝負というのがこのシステムの狙いだったわけです。ユニットから開発できるといいのですが。

 とは言いつつ、結果としておとなしいバランスの音ながら、繊細で高域の反応性が良いシステムに組むことができました。ネットワークのスロープ切り替えは 最終的には2次で聞くことがほとんどになり、スイッチを外して直結にしてもいいかなと思っています。このインフィニテシマルのスピーカーに、KEF の B139 楕円ユニットをドロンコーンで低音補強したもの(前の記事で触れた自作品)をスーパー・ウーファーとして接続したシステムが今最も良く聞く基準の再生装置 となっています。

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 ロ ジャーズのスタジオ3用ユニット(DU125) とオーダックスのツイーター HD13(TW034)の組み合わせでハードメープルの箱に入れてみた。箱の材質が良くなかったことも響いたのかネットワークがなかなか難しく、当初試みた緩いスロープ のものではうまく行かなかったため、結局 BBC モニターで使われるような18dB/oct の複雑な回路を組まざるを得なくなった。LS5/9やハーベスの HL モニターのような色気と穏やかさの共存をねらったのだが。

オーダックスのドームとポリプロピレンのウーファーによる自作 

 さて、もう一つの実験として、オーダックスのシルク・ドームのユニットを使ってどこまで納得できるシステムが組めるかというものがあります。ベンチマークとしてはずばり、ハーベスモニター HL です。それなら最初から自分のモニター HL があるからそれでいいではないか。たしかにおっしゃる通りです。さて、オーダックスのドームは以前に作った大型の4ウェイのシステムでモニター HLと同じ HD12を試しましたので、ここではロジャースの LS5/8や5/9などに使われたより大きな口径の HD13(1.5インチで、型番は TW034)を使いました。ロジャースのこれらのシステムも大変良い音色でしたので、試してみるまで1インチの HD12とどちらが良いか分かりませんでした。結論を先に言ってしまえば12の方がちょっと繊細できつさが出にくく、線が細いながら滑らかな音に仕上げやすいように思います。大変似た系統の音なのですが。

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Audax TW034 X0 フランス製のツイーターで、BBC モニターの LS5/8 や LS5/9 に用いられた HD13 と同じもの。ハーベスモニター HL 用の HD12 の 1.5 倍のサイズながら、構造と材質がほとんど同じなのか周波数特性の形もそっくりで、HD12 のグラフをそのまま下へと引き伸ばしたような凸凹を持っている。音色も良く似ているが、13 の方がエネルギーが強いように感じられ、下側を上手にカットしないと子音のきつい音になりがち。それでもトータルで弦の音が繊細であり、よくできたユニットだと思う。同じような外観のヨーロッパ製ユニットはたくさんあるが、ソフトドーム型は個々に音色が違う。

 ウーファーとしてはロジャースの LS2用の14センチのポリプロピレン(R125)も考えました。これと同じようなものではハーベスのモニター ML(日本には入っていません)用のものやチャートウェルのものがあり、モニター MLは後期モデルではフレーム・バスケットがアルミダイキャストになっていて鉄板プレスのものよりもしっかりしていそうでした。しかし手持ちの LS2のものはエッジと振動板の接着が片方はがれかかっていたのでやめ、代わりに同じくロジャースのスタジオ3用の ユニット(DU125)を手に入れました。ノルウェイの SEAS というユニットメーカーが作っているダイキャスト・バスケット入りの乳白色ポリプロピレンのものです。そして同じバスケットに入っていてマグネットが小さいウィーン・アコースティック S1 用のもの(T14RC)と、センターキャップが銅のフェイズプラグになっていてマグネットが大きな ProAc Response SC1用のもの(T14RCY/PH)も用意しました。この二つはどちらもTPX(メチルペンテンポリマー)系の透明な振動板で、SEAS では XP と呼び、ウィーン・アコースティックでは XPP と名付けていて、XPP の方はポリプロピレンとの複合素材だと説明しています。着色はされていませんが、ハーベスのダッドリー・ハーウッドがタイプWのモニター HL で採用したのに近い材料だと思います。
 ProAc のようにセンターキャップがなくてフェイズプラグにしてあることのメリットは、ボイスコイルの温度変化とキャップの反射による波形の影響を受け難いことだ とされますが、一方で振動板センター付近の強度はキャップ付の方があるため、一長一短だと思います。
 それと、これは後述しますが、インフィニティ RS-7用のポリプロピレンのユニットも調達しました。これはインフィニテシマル・シリーズ3と同じものです。
 エンクロージャーはハードメープルの3cm 厚の集成材で作り、内部にフェルトの吸音材を一層貼付けました。結果的にこの選択はあまり良くないものだったと分かりました。ソナスファベルのミニマとい うイタリアのスピーカーが側板に単板集成材を使って大変良い音を出していたので(木材はウォルナット)、同じように単板の集成材でやってみたのですが、 ハードメープルという材料は硬いせいもあって共振すると高域に華やかな色が乗るようです。単板ならウォルナットやマホガニーといったよりやわらかい木材にするべきだったのでしょう。ピアノでもそれらを寄り合わせて合板にしているのだし、初めから良いバランスだと分かっていたアピトン合板で行くべきでした。

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 SEAS製の低音ユニット。左がプロアック用 T14RCY/PH (ProAc W14CY1-O)、右がウィーン・アコースティック用 T14RC (Vienna Acoustics 710041697)。この中でウィーン・アコースティック向けのユニットのみマグネットが小型のものとなっている。同じような違いはインフィニティのイ ンフィニテシマルのシリーズにも見られ、シリーズ1と2はロジャースやプロアックとほぼ同じサイズの大きなマグネット、シリーズ3はウィーン・アコース ティックと同じサイズの小型のものとなっている。マグネットが大きくなると、同じ低音を出すためにはエンクロージャーも大きくしなければならないが、それ 以外でも高域に向 かってレベルが若干上がる傾向が見られる。ネットワークの設計時にはこのことを考慮しておかねばならない。

 まず低音ユニットの振動板材料による音の違いですが、乳白色のポリプロピレンは中高域がやや張った傾向になりやすい明るく素直な音で、PVA のダンプ剤を塗らない分だけベクストレンよりも高域が延びています(LS3/5a用の KEF B110とロジャース・スタジオ3用の R125 を同じ回路で比較)。それに対してTPX系の材料はポリプロピレンよりも軽く、内部損失はあるとのことですがより固いためもあるのか、ポリプロピレンより もさらに高域が伸びているように感じます(グラフ上はマグネットの違いの方が大きいぐらいであまり差はなさそうですが)。ただしその伸びた部分の音質は チーンという感じの独特の音の輝きがわずかに加わり、半透明のポリプロピレンよりもすっきりしていて細身に感じます。したがって使用にあたってその帯域を フィルターで落とし込む場合は材料本来の良さが出難いとも言えます。実際にうまく行ったフィルターは12dB/oct か18dB/oct のものでした。一方で、インフィニティのインフィニテシマル(3)に使われるウーファーでやってみると、ツイーター 側はどうやっても18dB/oct で行かざるを得ないものの、ウーファー側のハイカットは6dB/oct の単純なコイル一個でバランスを取ることができました。結局製作にあたっては TPX 系は使うことなく、ポリプロピレンのインフィニティを採用することになってしまいました。同 じポリプロピレンでもロ ジャースの DU125 は1次フィルターではハイを切りきれませんでしたので、振動板材質のせいだとばかりも言えないのかもしれませんが。それと今回の実験ではハードメープルの 箱を使ったことで華やかさが増しているので、もう少し素直なキャビネットなら素子の値などは違っていたかもしれません。

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Schematic Diagram for the system built with Infinitesimal woofer and Audax HD13 tweeter

 また変えるかもしれませんが、今回取り組んだネットワークは、ウーファーのハイカット・コイルが0.8mH 一個、ツイーター側が18dB/oct で、4.7uF と8.3uF のコンデンサがスピーカーに向かって直列に入り、その中間点からアースに向かって0.35mH のコイルと68Ωの抵抗を並列で落とすというものになりました。コンデンサーは KPSN、音圧調整の抵抗はなしです。コイルに対して抵抗でバイパスする手法は LS5/9の後期型ネットワークに学びましたが、音を聞いて結果が良かったので採用しました。もちろん R も C も値はウーファー側に合わせて変えてあります。このようにすると、本来の設計で目指されていたローカット側のカーブに対して、ウーファーのハイカット側はずっと緩いカーブで出会うわけですから、元々の手法の意味が別のものになってくるとも言えます。
 余談ですが、コイルと抵抗を並列にしたときの働きは、周波数が上がるにつれてコイルの抵抗が増し、高い音が通り抜け難くなってきたときに、抵抗値との割 合に応じて抵抗側に信号が逃げることを意味します。つまり高域側でのカットオフが緩まるわけです。今回のようにアース側に落とす回路ではその逆数になるので、低域側でのカットが緩まります。同時に全体の音圧も下がります。そ の度合いは周波数ごとにコイルに生じる抵抗を計算し、それと並列抵抗の合成値をスピーカーとの比率にかけてグラフにプロットして行けば分かります。しかし 実際には残りのコンデンサー二つと合わさってフィルターを形成していますので、それら相互の共振の度合いからカーブを求めねばなりません。本格的に設計す るには、やはりコンピューターの助けを借りる必要があるでしょう。
 
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 Infinity Infinitesmal 0.3 woofer (902-4962 / 733TNG) 写真は eBay で手にいれたRS−7用のユニットで、フランジの外側が黒ではなくグレーに塗装されている。型番は両者とも同じく 902-4962 / 733TNG となっており、インピーダンス・テスターで計っても全く同じカーブ、音も同じであった。このユニットは大変音色が良く、特性的にもクセが少ないのか、 6dB/oct のフィルターでたいていうまく行く。フルレンジで使ってもいいという人もあるようだ。同じ Infinitesimal でもシリーズ1と2(0.1/ 0.2) に使われているものに比べるとマグネットが小さく、ボイスコイルもワトキンス型のダブル・ボイスコイルになっていない。シリーズ1には同じポリプロピレン ながらグレーっぽい不透明なコーンのものが初期モデルとしてあり、その方が音がいいと言う人もいる。

 オーダックスのツイーターは、うまく使うと独特の艶がありながら耳にやさしく、しかも高域の繊細さが出るように仕上げられます。これは HD13 よりも HD12の方が微妙にきれいな響きにしやすいようです。13の方はちょっと間違うとキンとしたきつさを見せるところがあり、ネットワークの調整をしっかり やらねばなりません。そして上手く行ったときの音はインフィニティの EMIT とは違い、非常にリアルに聞こえる「作られた音」なのかな、と思うところがあります。セレッション等の昔のユニットが持つ魅力的な癖というほどではないで すが、生っぽく聞こえるよく選ばれた音の形です。ユニットメーカーがどこまで意図しているかは知りませんが。そしてハイエンドの細やかさ、ヴァイオリンの 擦れるシュッとした音の成分などが非常に繊細に出るので高域の再現 性が良いのかと思いますが、一方で、一聴して高域がさほど出てないようにセッティングした場合でも、むしろリボン型の EMIT の方が細かな情報を伝えているようにも聞こえます。振動板が軽いせいでリニアに反応して立ち下がりも良いためか、何げないオフな高域でありながら、その静 けさの中に細かな音が含まれていることに気づくことがあるのです。ただ、どっちがいいかとなると、正確なのはリボン系の EMIT で、音色のきれいなところがうまく寄せ集められた感のあるオーダックス・ドームも大変気持ちの良い音なので捨てがたいというところでしょう。

 ソフトドーム・ツイーターというものは、一見同じように見えるものでも機種によって独特の音色を持っています。そういう意味では残念ながら楽器だと言わ ざるを得ないでしょう。ソフトドームに限らずハードドームでも、リボンやホーンでも結局音色は持っていますが、やわらかい材料で作られたソフトドームはと くに楽器のような鳴り方をします。しかしヴァイオリン同様、名器からは素晴らしい音が奏でられるものです。一方でリボン系はときにさらっとしていて色っぽ くないように聞こえるときもありあす。プレーヤーやアンプ等、組み合わせる機械に影響されますので敏感ということになり、オーディオ機器として追求した場 合は EMIT の方が優れているということになるのでしょうけども、個人的にはハーベスのドームの方を聞きたくなることも多いです。

ls59schematic.jpg
LS5/9 Schematic Diagram

 ネットワーク、これがスピーカー製作において最も重要なことのひとつだということは強調しておかなければなりません。せっかくの良いユニットでも、つなぎ方が悪ければただ刺々しいちぐはぐな音にしかなりません。その 点ハーベス等 BBC モニター系統のスピーカーのいくつかは大変うまくバランスを取っています。彼らは大分前から設計時にコンピューターを導入しているようです。最終的な音合 わせは耳で行うものですが、回路の組み合わせはそれこそ無限にあるので、ユニットの特性に合わせて最初にだいたいのところを何パターンか計算しておけば労 力がぐっとはぶかれるはずです。実際に設計してみれば各素子の数値は決して計算値通りには行きません。ユニットのインピーダンス変動に合わせ、出力の変動 に合わせ、音色の癖に合わせて色々と変えて行きます。ただし、その計算公式からずれた値についても、ソフトウェアを上手く組めばある程度計算はできるで しょう。フィルターというものは L(コイル)と C(コンデンサー)の組み合わせで作りますが、2次(12dB/oct)以上のスロープになれば一つのユニットに対して複数の素子を使います。計算公式は それらの値が一番良いカーブを描くように決められているわけですが、最初の素子でぐっと低いところから落とし、次とその次はお互いに近い値にして最初の素 子からは大分離して、などと変則的なカーブも描けます。素子の並ぶ間隔にしたがって肩特性(共振し合う度合いによる Q 値の変化)も変わってきて、位相特性や過渡特性に変化が出ますが、それも昨今の精密なコンピューターをもってすればあらかじめ計算ができます。複雑な補正 用の等価回路などもはじき出すことができるでしょう。彼らは1973年に UC バークレーで開発されたオープンソースのソフトウェア、SPICE を使ったようですが、現在はそれぞれに社内で発展型のものを持っているのかもしれません。原始的ながら私も、個々に紙で計算してグラフにプロットして行く ということは試したことがあります(もう定年されたかもしれませんがフォステクスに和田さんという方がおられ、以前変則的で複雑な計算方法を色々教えてい ただいたことがあり、感謝しております)。

 結論としては、こうしたコンピューターと音楽を知っている耳との組み合わせで、イギリスの技術者の何人かは大変優れた回路を生み出しているようだ、とい うことです。自作した方が高いクオリティのものを自由に作れると思って作業を始めてみても、いい加減に組み合わせているだけだとなかなか良い音になりませ ん。やってみて初めて、ほう、 と感心するプロの技もあるわけです。
 参考にした回路としては、ハーベス・モニター HL、ロジャース LS5/9、プロアック・レスポンス SC1などがありました。どれも2次以上、主に18dB/oct のスロープを用いたものです。

  network.jpg
 ネットワークの製作にあたっては、ワニ口クリップのコードで様々な部品をつなぎ変えて音を聞く。18dB/oct の複雑な回路ともなると、終いには自分でも何だかわけが分からなくなる。

 そしてネットワークについて一つ分かったことがあります。少し前にも書いた通り、構成する素子は少ない方が部品による音の濁りも少なくなる、だからシン プルな回路の方がいい、そのことの正しさは変わらないのですが、18dB/oct のような複雑な回路の場合、複雑なだけに調整も大変ながら、裏を返せば音色を整えるためにいじれる部分も多くなるということです。6dB/oct の一次スロープでは、そのスロープのあり方は一通りでしかなく、どこから落ち始めるかしか決められませんが、部品を増やすと複雑なカーブを描いて減衰させ られるのです。これによって音色の調整ができます。周波数特性上は理想値は一つしかないように思われるかもしれませんが、ユニットに起因する凸凹は最初か ら避けようがありませんので理論通りには行かず、選択できる値も色々と出てくるというのが実情です。その際に複雑な回路は自由度が多いのです。そして、緩 いカーブの一次フィルターだと両方のユニットが重なって音を出す部分が多くなるため、ユニットの素性いかんでは音に濁りを感じることがあります。その点、 急峻なカーブで落とすと、通る部品による音の濁りの分を補って余りがあるほどに透明な音が出ることがあります。必ずしも6dB/oct のスロープがベストだとも言えないわけで、頭で考えた通りに行かないのはこういうところにも現れてくるわけです。
 
 結局ポリプロピレン系のウーファーにオーダックスのシルク・ドームを組み合わせたシステムでは、本家の BBC モニターの製作会社がやっているような(高域側)3次フィルターのものに落ち着きました。値は前述した通りですが、キャビネットの鳴きが加わったことも あったものの、そうしないときれいな音色にはできなかったのです。中でもハーベス・モニター HL のようにウーファー側のハイカットコイルをちょっと大きめ(2.8mHほど)にして下から落として行くという手法は参考になりました。元来計算値よりもク ロス点を開いて使うことはよくあるのですが、ポリプロピレン系のこうしたユニットを使ったシステムでは、インフィニティもそうであるように、中高域の張り 出しをコントロールしているかのように見える手法を目にすることがあります。そしてそのインフィニティのスピーカーではネットワークを高品質な部品で自作 した方がいい結果が得られましたが、ドーム系の今回のシステムでは、正直なところイギリスのメーカー製を超えたとは言いがたいところもありました。単体の 部品クオリティよりもバランスこそが命というのがこういったシステムの性格だからだと思います。すべてがすべてのシステムでバランスが良いわけではなく、 KEF も105だとか、スペンドールの BCUだとか、あるいはロジャースの何だかとか、個人的な好みの問題でもありますがどうしてこのバランス、いうものもあります。でもトータルでやはり彼らの耳は大したものです。

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/emitaudaxpp.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c28

[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
27. 中川隆[-11519] koaQ7Jey 2020年9月04日 23:19:44 : HkgJnKAIEY : SlIuQVB5bUtNeFE=[34]
​ @rice hayashi
元々ルーズベルトのニューディール派は全員共産主義者で反ウォール街だし、アメリカ人には共産主義者が多かったんだよ。 近衛文麿が周りに共産主義者を集めたと言っても、当時の日本のエリートの大半もアメリカ人同様に共産主義者だったんだから、普通に人材を集めれば当然そうなるんだな。

昭和天皇は日本の共産主義者をやっつける為に、米軍に日本空襲をやってもらったと言われているんだ。
革命を起こされると困るから、米軍に日本の共産主義者を徹底的に叩いてもらったんだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c27

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300
セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300


celestion HF1300 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=celestion+HF1300

celestion ditton - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=celestion+ditton

ヤフオク! -「celestion HF1300」(スピーカー) の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=23812&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=celestion+HF1300&x=0&y=0

ヤフオク! -「celestion ditton」(スピーカー) の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch/celestion%20ditton/23812/


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CELESTION の DITTON 15, 25, 66
ハイファイ堂メールマガジン第763号 京都商品部 大久保
https://www.hifido.co.jp/merumaga/kyoto_shohin/180914/index.html

今回は英国CELESTIONのDITTONシリーズ、DITTON 15、25、66の3つを紹介したいと思います。
ローラ・セレッション社はイギリスの1930年創業のローラ社と1924年創業のセレッション社が合併した会社で長い歴史を持っています。
DITTONシリーズは1970年代に発表されたスタジオスピーカーシリーズです。
現在でも人気・評価は高く、弊社でも商品として出て売約になるまで早いように思います。

DITTON 15
高域用3.8cmドーム型(HF1300)
低域用20cmコーン型(UL8)
その他20cm平面型パッシブラジエーター(A.B.R.)
周波数特性30Hz〜15kHz
インピーダンス8Ω
W240×H530×D230mm
9.2kg/1本

スペンドールの BC2 でもお馴染みの名ユニットHF-1300を高域に使っています。小型スピーカーにありがちな低域不足をABRユニットにより補われた程よい低域がバランス良くまとまっています。


DITTON 25
高域用2.5cmドーム型/HF2000
中域用3.8cmドーム型/HF1300×2
低域用30cmコーン型/UL12
その他30cm平面型パッシブラジエーター(A.B.R.)
周波数特性20〜40kHz
インピーダンス8Ω
W360×H750×D250mm
19kg/1本

上記DITTON15では高域用として搭載された名ユニットHF-1300を中域用として2個も使用しています。中高域はしっかりと厚みがあり、DITTON15よりも箱が大きく量感も出るので、この中で一番歌声を気持ち良く聴けるかと思います。


DITTON 66
高域用2.5cmドーム型/HF2000
中域用5cmドーム型/MD500
低域用30cmコーン型/UL12
その他30cm平面型パッシブラジエーター(A.B.R.)
周波数特性16Hz〜40kHz
インピーダンス8Ω
W380×H1000×D290mm
30kg/1本

DITTONシリーズ最高峰モデル。
柔らかくゆったりとした低域、5cmドーム型のMD500から出る中域はHF1300と比べて音が丸くなり、キメ細やかな高域で交響曲など大編成でもしっかりと鳴らします。
キツくなりすぎずにゆっくり長時間聴けるサウンドに仕上がっています。

DITTONシリーズの特徴として本体下部に搭載されている平面ユニットがA.B.R.(Auxiliary Bass Radiator)方式というドローンコーンシステムを採用していることです。
このABRユニット、外観からパッと見た感じだとわかりにくいのですが、取り出してみるとなかなか興味深い形をしています。

写真はDITTON66のABRユニットになります。
左上の黒い方が正面、右上の水色の方が背面です。
プラスチックフォーム製円筒型で正面背面ともにフラット、背面にもゴムエッジがついています。
的確にピストンモーションを行うように設計された独特なユニットで、通常のドローンコーンよりも動作点の低い30~60Hzで効果的に動くようになっています。
他のスピーカーにはなかなかない特徴かと思います。
DITTONシリーズを今後見かけられた際は、ABRユニットによる低域も含め、セレッションのゆったりしながらもハリのあるサウンドを感じてみてください。
https://www.hifido.co.jp/merumaga/kyoto_shohin/180914/index.html

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セレッション (Celestion) とスペンドール (Spendor)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/celessionspendor.html

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 セレッションのツイーター HF1300 を使ったBBCモニター系統のスピーカー。一番左は実際にBBC規格で作られ、型式承認された LS3/6 (スーパー・ツイーターは Celestion HF2000)で、左から二番目がスペンドールのスペンサー・ヒューズが1969年、LS3/6 とほぼ同時期に相前後して完成させた派生品とも言える BC1 (Spendor BC1/スーパー・ツイーターは Coles STC 4001)。開発に携わっていたスペンサーがこの頃BBCを引退したのでこういう二種類のシステムが存在することになったらしい。これらはこの時代を代表するモデルとなったが音圧は出ず、88年頃までには現役から退いた。
 右から二番目は1970年代初めにロジャースが LS3/6 を家庭用に改造したイクスポート・モニター(Rogers Export Monitor/オフセットした角形ダクトが特徴で、ウーファーはアルミ・ダイキャストから鉄プレス・フレームのものになった)。
 一番右はイクスポート・モニターから発展した同じくロジャースのスタジオ1(Rogers Studio1/スーパー・ツイーターは KEF T27)。
 どのモデルもウーファーにはベクストレン・コーンを使っており、ツイーターはセレッション HF1300 だった。スペンドールの 'BC' が表すのは Bextrane - Celestion とのこと。傑作だったため、同じようなユニット構成のスピーカーは下段のものも含めて多く作られた。


bbc2.jpg
左の2台は BC1の改良型であるスペンドール BC2(Spendor BC2 1973)のサランネットありとなし。右2つはB&Wで、左側がDM4、右側がDM2。セレッションHF1300 の後期型 (Celestion HF1300U)を使っている。スーパーツイーターはコールズ4001G (Coles STC 4001G) で、この構成のスピーカーシステムは当時の流行とも言える。

 
イギリスのコンシューマー用スピーカーはタンノイやQUADを除いても、セレッションやB&Wなど他にもありました。B&Wは創業者から代が変わってハイ テクの会社になり、現在大変人気がありますので後で触れますが、以前はBBCモニターのLS3/6の流れを汲む、ツイーターがセレッションのHF1300/Uを用いた小型3ウェイ(DM2とDM4が日本に入って来ました)などを作っていました。同じようなユニット構成のスピーカーに73年に出たスペンドールBC2と いうものもあり、そちらは高域寄りのバランスで線が細く、明るめの音がしていました。しかしそのバランスが意外と人気があり、日本ではオーディオ評論家に よって雑誌でも高く評価されていたようです。チークのキャビネットでサランネットがラベンダー・グレーの複雑な織糸風であり、所有欲を刺激する外観でした が、音色はちょっと不自然だった気がします。

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Celestion HF1300U tweeter

 このセレッションのHF1300/U、樹脂を染み込ませた布の円錐形ドーム振動板にディフューザーキャップが付く独特のデザインで、13KHz までしか再生しないものの、音はタ ンノイのホーンとはまた違った癖のある艶を持っていて魅力的でした。その後KEFのT27やオーダックス製のものなどが英国製システムによく使われるよう になりましたが、この当時最も優れたツイーターの一つだったのではないかと思います。とくに弦の音はきれいでした。このユニットを手に入れて自分のシステ ムに組み込んでみたことがありますが、ハイファイというのとは違い、一個遣いでは能率も低かったために結局メインのシステムには採用できず、 ロジャースのLS2という小型のシステムにツイーターだけ交換する形で別室で使うことになりました。

IMG0004.jpg
ロジャースLS-2の箱にセレッションHF1300 Uを入れ、ウーファーにKEFのB110を組み合わせてみた。独特の艶とムードのある音。

ditton25.jpg ditton66.jpg
セレッション・ディットン25(左)と66 (Celestion Ditton 25, 66 1975) 大らかに響いて艶があり、うっとりする個性的な音。

 そしてそのユニットを作ったセレッション本家では、BBCモニターLS5/1に似た構成のディットン25というモデルにこのツイータが2個使われていました。その上には ディットン66というモデルもありましたが、若干違うバランスながらどちらも独特の響きを持った魅力的なスピーカーでした。どんなソースもきれいな色で朗々と鳴らしてくれたのです。とくに66の方は大きめの箱に入ったややグラマラスなパッシブ・ラジエーターの低音でリアルな音ではないなと知りつつも、ホールのような響きが加わった、それにしかないくつろいだ音に降参してしまいます。スーパー・ツイーターがついているのでレンジは狭くないのですが、ちょうど昔のクレテンザ やエレクトローラといった蓄音機がナローレンジだったにもかかわらず甘く美しい音色を響かせていたのに若干似ているかもしれません。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/celessionspendor.html


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ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=25795

セレッションのDitton 25のことを書いていて、
Ditton 25のことについてあらためて眺めていると、
そういえば、と気づくのは、私が好きな音色スピーカーには、
ほぼ必ずといっていいほどトゥイーターにセレッションのHF1300が使われていたことだ。

最初に、その音色に惚れ込んだスペンドールのBCII。
この素敵な音色のスピーカーにもHF1300が使われていた。

BCIIはカタログ上では3ウェイだから、HF1300はスコーカーではないか、といわれそうだが、
クロスオーバー周波数は3kHzと13kHzで、2ウェイ・プラス・スーパートゥイーターという構成でもある。

KEFのLS5/1A。
瀬川先生が愛された、このスピーカーにはHF1300が二本使われている。
私が中古で手に入れたのは、LS5/1。もちろんユニット構成は同じで、HF1300が二本。

HF1300は、おそらくHigh Frequency 1300Hzを表わしているはずだ。
13kHzまでを受け持つトゥイーターということだ。
いまの感覚からすれば、13kHzなんて、たいして高域がのびているわけではないと思われがちだが、
HF1300は1956年に発表されたトゥイーターであり、当時としては十分な性能の周波数特性だった。

イギリス製のトゥイーターはいえば、ソフトドーム型をイメージしてしまうが、
HF1300はアルミ製タンジェンシャルエッジの振動板に、
音響負荷をかねたディフューザーを組み合わせた構造の、
他に同様の構造のユニットが思い浮かばない独自のものである。

この独特のユニットが、Ditton 25にも使われている。
それからDitton15。
B&Wのスピーカーでは、DM4、DM2もそうだ。

Ditton 15はスーパートゥイーターはないが、
DM4、DM2はHF1300の上にスーパートゥイーターを加えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=25795


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=25855

セレッションのDitton 25もKEFのLS5/1A、
どちらもHF1300を二発使っている。
縦方向に二本並べて配置している。

Ditton 25のウーファーとトゥイーター(HF1300)とのクロスオーバー周波数は2kHz、
LS5/1Aは1.75kHzと発表されている。
どちらも同じくらいの値だ。

HF1300を使っている他のスピーカー、
Ditton 15は2.5kHz、B&WのDM2は2.5kHz、DM4は4kHzとなっている。
スペンドールのBCIIとBCIIIは3kHz。

Ditton 25とLS5/1Aが、他よりも若干低いのは、二本使用ということも関係してだろう。
ただ二本使うことで、高域にいくにしたがって定位への影響も懸念される。

Ditton 25はだからだろう、9kHz以上は別のユニットに受け持たせている。
LS5/1Aは2ウェイだから、どうしているかというと、
上下に配置されている上側のHF1300については、3kHzからロールオフさせている。
そのためトータルの周波数特性は高域がなだらかに減衰していくため、
専用のパワーアンプ(EL34のプッシュプル)には、高域補正回路が組み込まれている。

LS5/1Aの定位は、確かにいい。
私が一時期鳴らしていたのはLS5/1だったが、その定位の良さには、
良いことを知っていても驚かされた。

瀬川先生は、ステレオサウンド 29号にLS5/1Aの定位の良さについて書かれている。
     *
 LS5/1Aのもうひとつの大きな特徴は、山中氏も指摘している音像定位の良さである。いま、わたくしの家ではこのスピーカーを左右の壁面いっぱいに、約4メートルの間隔を開いて置いているが、二つのスピーカーの中央から外れた位置に坐っても、左右4メートルの幅に並ぶ音像の定位にあまり変化が内。そして完全な中央で聴けば、わたくしの最も望んでいるシャープな音像の定位──ソロイストが中央にぴたりと収まり、オーケストラはあくまで広く、そして楽器と楽器の距離感や音場の広がりや奥行きまでが感じられる──あのステレオのプレゼンスが、一見ソフトフォーカスのように柔らかでありながら正確なピントを結んで眼前に現出する。
     *
井上先生も、同じことを38号で書かれている。
《このシステムは比較的近い距離で聴くと、驚くほどのステレオフォニックな空間とシャープな定位感が得られる特徴があり、このシステムを選択したこと自体が、瀬川氏のオーディオのありかたを示すものと考えられる》

これはほんとうにそのとおりの鳴り方であって、
私は六畳間で鳴らしていた。
長辺方向にスピーカーを置くわけだから、かなりスピーカーとの距離は近い。

LS5/1は当然だがLS5/1Aよりも古い。
私のLS5/1は1960年前後に造られたモノ。
その30年後に、追体験していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=25855


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=26214

セレッションのトゥイーター、
個人的には名トゥイーターといいたくなるHF1300。

いまBBCモニターのLS3/5Aの復刻モデルが、各社から出ている。
LS3/5Aに搭載されていたKEFのユニットは製造中止になって久しいから、
オリジナルの復刻にはユニットの復刻から、始めることになる。

そうやった復刻されたユニットを見ると、なかなかの仕上がりだ。
BBCモニターの復刻はLS3/5Aだけではない。

グラハムオーディオからはLS5/8とLS5/9も出ている。
LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか。

LS5/5の復刻にはHF1300(正確には改良型HF1400)が不可欠だと、思っている。
ここが他のトゥイーター、どんなにそれが優秀であってもLS5/5の復刻とは呼べないはずだ。

ようするにどこかHF1300を復刻してくれないか、と思っているわけだ。
HF1300を単体のトゥイーターとして使ってみた(鳴らしてみた)ことはない。

自分でそうやって使う(鳴らす)ことで、確かめたいことがある。
それはHF1300独自の音色について、である。

ここでのタイトルは、
好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた、としている。
そうである。

そうなのは確かだが、HF1300は各社のスピーカーシステムに使われている。
組み合わされるウーファーもさまざまだ。

そこにおいて音色のつながりに不自然さを感じさせるスピーカーシステムはなかった。
ということは、HF1300はそれほど主張の強い音色をもっていないのではないか。
そう解釈することもできるからだ。

ステレオサウンド 35号「’75ベストバイ・コンポーネント」で、
井上先生は、
《英国系のスピーカーシステムに、もっとも多く採用されている定評のあるユニットだ。滑らかで、緻密な音質は、大変に素晴らしく他社のウーファーとも幅広くマッチする。》、
瀬川先生は、
《イギリス製のスピーカーシステムに比較的多く採用されている実績のある、適応範囲の広いトゥイーター。BBCモニターの高域はこれの改良型。高域のレインジはそう広くない。》
と書かれている。

HF1300は適応範囲の広いトゥイーターだということが読みとれる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26214

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=28954

ほぼ一年前の(その3)で、
グラハムオーディオからLS5/5は復刻されないものか、と書いた。

書いているけれど、あまり可能性はないと思っていた。
ドイツで開催されていたオーディオショウ、
HIGH ENDでのグラハムオーディオのブースの写真が、
グラハムオーディオのfacebookのページで見ることができる。

そこにはLS5/5の復刻版が写っている。
今日現在、グラハムオーディオのウェブサイトには、LS5/5の情報はない。
けれど、期待していい、と思っている。

写真を拡大していくと細部は粗い。
トゥイーターは、いまのところHF1300(もしくはHF1400)の復刻版ではなさそうである。
LS5/8に採用されているトゥイーターの同じようである。

ユニット配置、コーン型ユニットの取り付け方などはLS5/5を踏襲している。
肝心なのは、その音と音色である。

どうなんだろうか。

LS5/5の資料はBBCのウェブサイトから
“The design of studio monitoring loudspeakers Types LS5/5 and LS5/6”が
ダウンロードできる。

ラジオ技術選書「スピーカ・システム(山本武夫 編著)」に、LS5/5のことは載っている。
そのころから気になっていたスピーカーである。

なのでどういう構成のスピーカーなのかは、割と知っている。
それでも、LS5/5は、実物を見たことはない。
当然、音を聴いていないし、周りにきいたことのある人もいない。

グラハムオーディオのことだから、いいかげんな復刻モデルではない、と信じている。
グラハムオーディオのLS5/5、どんな音色に仕上がっているのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=28954


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=29793

数日前、facebookを眺めていたら、グラハムオーディオのfacebookのページに、
BBCモニターLS5/5の写真が公開されていた。

四ヵ月前に公開された写真とは違い、ぐっとスピーカーに寄ったものであり、
前回の写真ではなんともはっきりしなかったところも、今回の写真はきちんとは伝えてくれる。

トゥイーターは、やはり復刻版のLS5/8やLS5/9に採用されているものと同じに見える。
HF1300と外観的にもかなり違うトゥイーターではあっても、
ロジャースのPM510やLS5/8に採用されていたオーダックス製のトゥイーターによく似た感じだ。

コーン型のウーファーとスコーカーは、ベクストレンの振動板のようだ。
それからエンクロージュアのプロポーションが、奥にかなり長い。

オリジナルのLS5/5は聴いていない。
聴いていないからこそ、今回のグラハムオーディオによる復刻は、
これはこれでいいんじゃないか、と、かなり魅力的に思えてくる。

オーディオマニアとして、音に対して強くありたい、とは常々おもっている。
それでも、今回のLS5/5のようなスピーカーの報せをみると、そのへんがぐらぐらとしてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=29793

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=31651

(その3)で《LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか》と書いたところ、
その一年後、イギリスのグラハムオーディオがLS5/5の復刻を発表した。
2019年のことである。

こうなると、LS5/1の復刻を期待したくなる。
まぁ、でも無理だろうな……、と思っていた。

先ほどグラハムオーディオのfacebbokに、
LS5/1用のエンクロージュアが届いた、という写真が公開されていた。

バスレフポートの形状と数は違うが、
ウーファーは15インチ口径を、ストロットを採用している。
トゥイーターは、二つ取り付けられるようになっている。

ユニットの写真は、まだない。
どんなユニーットが搭載されるのかを含めて、非常に楽しみである。
http://audiosharing.com/blog/?p=31651


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(余談)
http://audiosharing.com/blog/?p=25857

(その2)へのfacebookでのコメントに、
ヤフオク!にLS5/1Aが出品されている、とあった。

KEFのLS5/1Aではなく、BBCモニターのLS5/1Aが出ていた。
ただ出品されているLS5/1Aは、付属アンプがどうもないみたいだ。

スタンドもついている。
けれど肝心の専用アンプがない。
もちろん専用アンプがなくとも、音は鳴る。
けれど(その2)に書いているように、専用アンプの高域補正がなければ、
中域より上がなだらかにロールオフしていく周波数特性である。

瀬川先生も、付属アンプで鳴らすよりも、
トランジスターアンプで鳴らすようになって本領を発揮してきた、と書かれているから、
付属アンプにこだわる必要はない。

それでも瀬川先生は付属アンプでの音を聴かれた上で、
高域補正が行われていることをわかったうえで、別のアンプで鳴らされているわけだから、
トーンコントロールで、そのへんはうまく処理されていたはずだ。

わかっている人が鳴らすのであれば、アンプがなくともかまわない、といえるが、
初めてLS5/1Aに接する人は、やはり付属アンプで鳴らす音を一度は聴いておいてほしい、と思う。
それが、ひとつの基準となる音なのだから。

私がLS5/1を手離した理由のひとつは、
ウーファーのボイスコイルの断線がある。

私が20年ほど前に鳴らしていた時点でも、製造されてから30年、
いまなら50年ほどが経過している。

スピーカーユニットのトラブル発生のリスクも考えておいたほうがいい。
ウーファーが断線しても、同じユニットを探して出して……、と考える人もいるだろう。
グッドマンのCB129Bという型番、38cm口径のウーファーである。

当時はインターネットなかった。
探すことはしなかった。
仮にCB129Bが入手できたとしても、実はそのままでは交換できない。

LS5/1(A)は、バッフル板の横幅をぎりぎりまで狭めているため、
ウーファーフレームの両サイドを垂直にカットしている。
この加工ができなければ、CB129Bを入手できても無駄になる。

他にもいくつか書いておきたいことがあるが省略しよう。
とにかくLS5/1Aは古いスピーカーである。

入札している人は、そのへんのことを分った上なのだろうか、とつい思ってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=25857

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html

[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
17. 中川隆[-11518] koaQ7Jey 2020年9月05日 06:54:51 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[2]
セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c17
[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
1. 中川隆[-11517] koaQ7Jey 2020年9月05日 06:59:14 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[3]

Celestion 製品一覧 セレッション
https://audio-heritage.jp/CELESTION/

celestion ditton - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=celestion+ditton

ヤフオク! -「celestion ditton」(スピーカー) の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch/celestion%20ditton/23812/


▲△▽▼


Celestion Ditton15 ¥53,000(1台、1975年頃)
https://audio-heritage.jp/CELESTION/speaker/ditton15.html

ディットンシリーズのブックシェルフタイプとしては最上位の機種にあたるスピーカーシステム。

低域には20cmコーン型ウーファーであるUL8と20cm平面型ドロンコーンであるABRを搭載しています。

ABRは振動板に軽量で剛性の高い合成樹脂を用いた特殊二重構造を採用しており、ネオプレンのダブルロールサスペンションによって保持されています。
動作質量は精密に設計されており、ウーファーとチューニングしています。また、一般的なドロンコーンではウーファーのfo以下では逆位相となって急激に低音出力が低下するのに対し、ABRは常にウーファーと同位相で振動するため、fo以下の低音域まで再生が可能です。

高域には3.8cmドーム型ツィーターであるHF1300を搭載しています。

エンクロージャーの仕上げにはウォルナットとチークの2種類のバリエーションがありました。

機種の定格

方式 2ウェイ・2スピーカー・パッシブラジエーター方式・ブックシェルフ型
使用ユニット 低域用:20cmコーン型(UL8)
高域用:3.8cmドーム型(HF1300)
パシブラジエーター:20cm平面型(ABR)
周波数特性 30Hz〜15kHz
インピーダンス 4Ω〜8Ω
最大入力 30W(DIN)
出力音圧レベル 96dB/3.8W/m
クロスオーバー周波数 2.5kHz
外形寸法 幅240x高さ530x奥行230mm
重量 7.6kg
https://audio-heritage.jp/CELESTION/speaker/ditton15.html


▲△▽▼


Celestion Ditton25 ¥118,000(1台、1975年頃)
https://audio-heritage.jp/CELESTION/speaker/ditton25.html

ディットンシリーズのスピーカーシステム。

低域には30cmコーン型ウーファーであるUL12を搭載しています。
このユニットには粘弾性の合成樹脂コーティングが施されたファイバーコーンを採用することで高い剛性を確保しており、エッジにはネオプレン製ロールエッジを使用しています。

また、低域にはABRと呼ばれるセレッション独特の30cmパッシブラジエーターを組み合わせています。
このユニットの振動板は軽量で剛性の高い合成樹脂製の特殊二重構造となっており、ネオプレンのダブルロールサスペンションによって保持されています。
動作質量は精密に設計されており、ウーファーとチューニングしています。また、一般的なドロンコーンではウーファーのfo以下では逆位相となって急激に低音出力が低下するのに対し、ABRは常にウーファーと同位相で振動するため、fo以下の低音域まで再生が可能です。

中域には3.8cmドーム型スコーカーであるHF1300を2個搭載しています。
このユニットはBBCモニターに採用されたもので、フェノールドームを使用しています。

高域には2.5cmドーム型ツィーターであるHF2000を搭載しています。
このユニットもBBCのモニタースピーカーに使用されました。

エンクロージャーの仕上げにはウォルナットとチークの2種類のバリエーションがありました。

機種の定格

方式 3ウェイ・4スピーカー・パッシブラジエーター方式・フロア型
使用ユニット 低域用:30cmコーン型(UL12)
中域用:3.8cmドーム型(HF1300)x2
高域用:2.5cmドーム型(HF2000)
パッシブラジエーター:30cm平面型(ABR)
周波数特性 20Hz〜40kHz
インピーダンス 4Ω〜8Ω
最大入力 60W(DIN)
出力音圧レベル 96dB/7W/m
クロスオーバー周波数 2kHz、9kHz
外形寸法 幅360x高さ810x奥行280mm
重量 19kg
https://audio-heritage.jp/CELESTION/speaker/ditton25.html


▲△▽▼


Celestion Ditton66 ¥178,000(1台、1975年頃)
https://audio-heritage.jp/CELESTION/speaker/ditton66.html

ディットンシリーズの最高級スピーカーシステム。
低域には30cmコーン型ウーファーであるUL12を搭載しています。
このユニットには粘弾性の合成樹脂コーティングが施されたファイバーコーンを採用することで高い剛性を確保しており、エッジにはネオプレン製ロールエッジを使用しています。

また、低域にはABRと呼ばれるセレッション独特の30cmパッシブラジエーターを組み合わせています。
このユニットの振動板は軽量で剛性の高い合成樹脂製の特殊二重構造となっており、ネオプレンのダブルロールサスペンションによって保持されています。
動作質量は精密に設計されており、ウーファーとチューニングしています。また、一般的なドロンコーンではウーファーのfo以下では逆位相となって急激に低音出力が低下するのに対し、ABRは常にウーファーと同位相で振動するため、fo以下の低音域まで再生が可能です。

中域には5cmソフトドーム型スコーカーであるMD500を搭載しています。

高域には2.5cmドーム型ツィーターであるHF2000を搭載しています。
このユニットはBBCのモニタースピーカーにも使用されました。

ネットワーク部には空芯コイルを使用しており、回路でのロスと歪を防いでいます。

エンクロージャーの仕上げにはウォルナットとチークの2種類のバリエーションがありました。

機種の定格

方式 3ウェイ・3スピーカー・パッシブラジエーター方式・フロア型
使用ユニット 低域用:30cmコーン型(UL12)
中域用:5cmドーム型(MD500)
高域用:2.5cmドーム型(HF2000)
パッシブラジエーター:30cm平面型(ABR)
周波数特性 16Hz〜40kHz
インピーダンス 4Ω〜8Ω
最大入力 80W(DIN)
出力音圧レベル 96dB/10W/m
クロスオーバー周波数 500Hz、5kHz
推奨アンプ出力 30W〜70W
外形寸法 幅380x高さ1,000x奥行290mm
重量 30kg
https://audio-heritage.jp/CELESTION/speaker/ditton66.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c1

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
2. 中川隆[-11516] koaQ7Jey 2020年9月05日 07:00:38 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[4]

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=25391


昨年11月と12月に、
オーディオを特集した「音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」とSWITCH Vol.36を紹介した。

この二冊には、何人かのリスニングルームが紹介されている。
その人たちのシステムを見ながら、
セレッションのDittonシリーズを、いまも使っている人がいるのを見つけて、
やっぱりセレッションはDittonシリーズなんだよね、と思っていた。

セレッションからSL6が登場し、
アルミハニカムエンクロージュアのSL600、SL700が続いて、
これらのスピーカーを高く評価する人の中には、
それ以前のセレッション、つまりDittonシリーズが主力だったころのセレッションを、
終ってしまったメーカーのように書いている人がいた。

SL6の開発リーダーのグラハム・バンク、
彼がいなかったころのセレッションは、絞り切った雑巾のようだ、という表現もあった。

SL6は優れたスピーカーではあったし、SL6の音には驚くこともあった。
そしてSL600が登場して、私は買った。

けれど、私の心のなかでは、Dittonシリーズも、いいスピーカーなのに……、という気持がつねにあった。
古くさい音と、SL6以降のセレッションの音を高く評価する人は、そういっていた。

ほんとうにそうだったのだろうか。

「音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」、SWITCH Vol.36を見て、
Dittonシリーズに興味をもった人がいるのかいないのか──、
それは知りようがないが、
Dittonシリーズと同系統の音を聴かせてくれるスピーカーは、
いまやなくなってしまっていることも気づかせてくれる。
http://audiosharing.com/blog/?p=25391

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=25559

ステレオサウンド 43号で、菅野先生が書かれている
《スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッション》。

このころのセレッションのスピーカーシステムはDittonシリーズが主力であり、
UL6という新しいスピーカーシステムが登場したころである。

UL6とだけ書いてしまったが、こちらもシリーズで、
UL6のうえにUL8、UL10があったが、
日本ではUL6がいちばんよく知られていて、評価も高かった。
それにUL6は見た目が魅力的でもあった。

菅野先生が書かれていることはおもにDittonシリーズを指している、と捉えてもいい。

私にとってのDittonシリーズは、トップ機種の66がまず浮ぶ。
その次は25である。

Ditton 25だけが、トゥイーターを二本パラレルで使っている。
しかも、そのトゥイーターはセレッションのHF1300/IIである。
HF1300は、BBCモニター系のスピーカーにひところよく使われていたトゥイーターであり、
LS5/1にも、スペンドールのBCII、BCIIIにも搭載されている。

このことからもわかるように、Dittonシリーズの中でも古くからある。
1969年発売のスピーカーである。

瀬川先生がステレオサウンド 17号に書かれた文章を読むと、
Ditton 25に興味を持つ人も出てこよう。
     *
 16号のテストの際、たったひとつだけ、おそろしく澄んだ、涼しいように透明な高音を再生するスピーカーがあった。弱々しくどこか腺病質的なか細い音なのに、中域から高域にかけての格調の高い美しさに、永いあいだ忘れていたAXIOM80の音の美しさと同質の鉱脈を見つけ出した。それがフィリップスで、テストが終るのを待ちかねて、一も二もなく買い込んでしまった。
 我家で鳴らしてみると、聴き込んでゆくにつれて、上記の判断があやまりでなかったばかりか、一見不足ぎみの低音も、トーンコントロールなどでバランスをとり直してみると、か細いくせに人の声など実に温かく血が通って、オーケストラも柔らかく広がって、ややおさえかげんの音量で鳴らすかぎり、音質について吟味しようなどという態度も忘れて、ただぽかんと音楽に聴きほれてしまえる安心感がある。
 むろんこの安心感とは、大型スピーカーのいかにもゆったりと鷹揚に鳴るゆとりとは全然別質の、いわば精巧なミニアチュールを眺めるような楽しさで、もともと一台二万円の、つまり欧州で買えば一万円そこそこのローコストのスピーカーに、大型の同質の音など、はじめから望んではいない。けれど、大型で忘れていたかげろうのようなはかないほどの繊細さに、大型への反動もあって、いっときのあいだ、我を忘れて他愛もなく聴き惚れてしまったという次第なのだ。
(フィリップスとはやや異なるがダイナコのA25も圧迫感のないさわやかな音質が印象的だったが、ご承知のようにこれはデンマークで作っているスピーカーだ。アメリカ製のスピーカーとは異質の音がして当然だが、最近コンシュマーリポートに上位にランクされて以来、飛ぶような売れゆきに目下大増産という噂で、品質が低下するようなことがなければよいがと、ちょっと心配している。)
 フィリップスを聴いてまもないころ、イギリス・ヴァイタヴォックスのクリプシュホーン<Vステムを聴く機会を得た。タンノイ・オートグラフを枯淡の味とすれば、これはもう少し脂の乗った音だ。脆弱さのみじんもない、すわりの良い低音の上に、豊かに艶めいた中高域がぴたり収まっている。あえていえば、たいそう色っぽい。中年の色気を感じさせる音だ。人を溺れさせるシレネエの声音だ。広いヘヤが欲しいなあと、つくづく思う。
 さらに今回の組み合わせテストの、ブックシェルフから大型スピーカーまでを同じ部屋に集めて同一条件で鳴らすという前例のない実験に参加してみて、改めて、上記の各スピーカーに加えて、ディットン25やタンノイのレクタンギュラー・ヨーク、ヴァイタヴォックスのバイトーン・メイジァに、何か共通の鍵のようなものを見出したように思った。
 音色の上ではむろん、一つ一つみな違うのに、たとえばレクタンギュラー・ヨークはまるでディットン15の延長にあるような、あるいはディットン25はフィリップスの延長にあるような錯覚をおぼえさせるほど、音楽の表現に共通の何かがある。そのことに思い当ったとき、音楽の伝統と音への感性という点で、ヨーロッパの良識に裏打ちされた音造りというものが、少しも衰えていないことに気づいた。
     *
《ディットン25はフィリップスの延長にあるような錯覚をおぼえさせる》、
もうこれだけで私には充分だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=25559


オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=25789

セレッションのこれまでのスピーカーシステムのなかで、
Dittonシリーズがベスト、などというつもりはない。

それに私自身、SL600を鳴らしていた。
欠点はあれどユニークなスピーカーであったし、
巷でいわれるほど駆動力の高いアンプを要求するスピーカーでもない。

SL600、SL700について語られるとき、決って「アンプの駆動力が……」的なことが出てくる。
駆動力の高いアンプとはいったいどういうものか、
そこから話をしていくつもりはないが、
SL600が特別に駆動力の高いアンプを必要としているわけではない。

SUMOのThe GoldでSL600を鳴らしていた。
けれどその前はアキュフェーズのP300Lだった。
The Goldが故障して修理に出しているあいだは、国産のプリメインアンプでも鳴らしていたことがある。

もちろんステレオサウンドの試聴室では、いくつものアンプで鳴らしたSL600の音を聴いてきている。
その経験からいわせてもらえれば、使い手の力量の不足を、
アンプの駆動力に転換していたのではないのか。

SL600にはサブウーファーを追加したSystem 6000が後に登場した。
これも興味深いシステムで、もう一台The Goldを持っていたら(入手できるのであったなら)、
System 6000に手を伸ばしていた。

このころのセレッションは、おもしろかった。
System 6000はそのコンセプトを基に新たに挑戦したいと、いまも思うくらいだが、
SL600、System 6000の時代から30年以上、
いまセレッションの数あるスピーカーシステムで無性に聴きたくなるのは、
Ditton 66、Ditton 25であり、DEDHAMだ。

菅野先生がいわれている
《スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッション》、
それはSL600、System 6000では稀薄になっている。
ゆえに高く評価し、Dittonなんて……、という人を生んだのかもしれない。

SL600、System 6000ではなく、Dittonを思い出すのは、そのためかもしれないし、
いまDittonのようなスピーカーがあるだろうか、とふり返ってみるわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=25789

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=25793

(その2)で引用した瀬川先生の文章に文章について、
facebookでコメントがあった。

読んでいてワクワクした、と。
そしてこんなふうにワクワクする文章が、いまのオーディオ雑誌からなくなってしまっている、とも。

こんなことを書くと、
いや、いまのオーディオ雑誌にもワクワクするような文章が載っている──、
そう思う人もいるであろう。

でも、そのワクワクと、コメントをしてくれた人のワクワクは、同じとは私には思えない。
少なくとも私も、いまのオーディオ雑誌にはワクワクしない。
ワクワクする文章は、そこにはまったく載っていないからだ。

瀬川先生の文章にワクワクしない人で、
いまのオーディオ雑誌に載っている文章にワクワクする人は、
勝手な想像ではあるが、おそらく自分の持っているオーディオ機器、
欲しいと思っているオーディオ機器について、称賛されている文章が載っていれば、
それだけでワクワクできる人なのかもしれない。

瀬川先生の文章はそれだけではない。
瀬川先生の書かれるものには、俯瞰という視点がはっきりとある。

オーディオ評論家(商売屋)の人たちには、その視点がまずない。
現在のオーディオを広く見廻しての俯瞰もあれば、
オーディオの歴史を見ての俯瞰もある。

それらの俯瞰という視点を持たない人の書くものには、深みも広がりもない。
そんな文章にワクワクすることは、絶対にない。

そんな文章しかかけない人たちが何人いても、
オーディオ入門にふさわしい本は出来てこない。
http://audiosharing.com/blog/?p=25793

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c2

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
3. 中川隆[-11515] koaQ7Jey 2020年9月05日 07:02:01 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[5]

Celestion Ditton 66           
http://www.jupiteraudio.com/2200/2200.html

懐かしいスピーカーが入荷いたしました。
3ウェイのパッシブラジエーター付きシステムです。

性能としては、周波数帯域も16Hz 〜40kHz とTANNOY を凌ぐものであり、能率も96dB 、最大入力80W と堂々たるものです。
それでいて、高域にはソフトドーム型を採用しており、そのお陰なのか刺激的なところはなく、弦楽器の再生においては、TANNOY よりも聴きやすいかもしれません。
後のCelestion とは違い、英国伝統サウンドを継承した正統派のスピーカーと言えるでしょう。

このDitton 66 は当時、最高峰のシステムデッドハムに搭載されていました。
そのヴィンテージ感溢れる容姿には憧れたものです。
ですが昨今全く見かけなくなってしまったのは、どういうことなのでしょう・・・。

さて、音はと言うと非常に滑らかで艶やか、端正な音と言えます。
音の表面はふっくらとしており、シルクのような肌触りに思えます。
これ程の素質を持ったスピーカーが皆無というのは、甚だ残念で仕方がありません。
TANNOY 、JBL 、ALTEC と言った御三家は、今やマーケットでは見ない日はありません。
しかしそれらとは違う隠れた名機は、日の目を見ていないのが現実です。

個人的に見ても、大変魅力的でスピーカーであり、場所を取らず設置条件も良く、主張しない優等生的な存在です。
そして寄り添ってくるようなサウンドは、滅多に味わうことはできません。
このようなスピーカーは後世に御三家同様、語り継がれなければなりません。
現行TANNOY と比べて、明らかに安らぎを覚える存在です。
特にクラシックや女性ヴォーカルなど、その表現は聴く者の心を震わせてくれるはずです。
店頭にてご試聴いただけます。
ご来店をお待ちいたしております。

寸法:W:380 ×H:1000 ×D:290(mm)・ 重量:30Kg
http://www.jupiteraudio.com/2200/2200.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c3

[番外地8] 真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った
真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った.

天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった。満州事変のまえの2・26事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も2000件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった. ソ連や中国に負けるわけにはいかなかった、どうしてもアメリカに負けなければならなかった

そうした背景があって青年将校が事件を起こした。事件そのものは鎮圧したが、天皇や上のものは、共産革命が日本でも起こることを念頭においていただろうし、それをもっとも恐れただろう。

太平洋戦争でアメリカに負けたというが、そのまえに中国でさんざんにやられている。それが日本の敗戦を決定的にしたのだ。

 日本軍は中国人や chousen人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた。創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた。中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/323.html

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
4. 中川隆[-11514] koaQ7Jey 2020年9月05日 07:30:16 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[6]
Tag Archives: Ditton15
http://audiosharing.com/review/?tag=ditton15


セレッション Ditton 15XR
Posted by audio sharing on 1980年6月15日No comments
菅野沖彦

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
特集・「’80ベストバイコンポ209選」より

 セレッション・ディットン15XRは英国セレッションの普及モデルとして人気のある製品。20cm口径ウーファーと2・5cm口径のドーム・トゥイーターによる2ウェイ構成に、ウーファーと同径のパッシヴラジエーターを加えている。からっとした音離れのよいシステムであるが、中域の充実感をもう一つ要求したくなる。


セレッション Ditton 15XR
Posted by audio sharing on 1979年6月15日No comments
菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 同社のスピーカーには、独特の豊かさを感じさせるものと、明るく軽快な、ちょっとホーンスピーカーを思わせるようなふっきれた音のものとの二つの大きな流れがあるが、これはどちらかというと前者の暖かいふくよかな音をもっている。洗練された音が魅力。


セレッション Ditton 15
Posted by audio sharing on 1977年6月15日No comments
菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 イギリスのセレッションのシリーズは、現在このディットンとULの二種を柱にしているが、ディットンシリーズのほうが、伝統的な渋さと風格をもち、ULは明るく分離のよいサウンドだ。この15はディットンシリーズ中最小のシステムで、2ウェイ・2スピーカーにドロンコーンつきである。小味な魅力。

セレッション Ditton 15
Posted by audio sharing on 1975年6月15日No comments
井上卓也

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 柔らかい音ながら、キラリと光る輝きがあるのは、やはり長年にわたる英国系スピーカー独得のキャラクターである。小型システムながらのびのびした低音が好ましい。

セレッション Ditton 15
Posted by audio sharing on 1975年6月15日No comments
瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 セレッションらしい品のいい音で、普及型にもかかわらず、高品位なクラシック音楽の再生にも満足感が得られる。国産の同価格クラスにない雰囲気のある音が聴ける。

セレッション Ditton 15
Posted by audio sharing on 1975年6月15日No comments
菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 セレッションらしい品のいい音で、普及型にもかかわらず、高品位なクラシック音楽の再生にも満足感が得られる。国産の同価格クラスにない雰囲気の或る音が聴ける。

セレッション Ditton 15
Posted by audio sharing on 1973年12月15日No comments
瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 中程度以下の音量で、ことに小編成の曲やヴォーカルなどを鳴らすかぎり、ひとつひとつの楽器や音像をくっきりと彫琢するように、磨かれた艶を感じさせる彫りの深い音で鳴る。低音の量感はあまり豊かとは言えないがキャビネットの共鳴や中低域の濁りが注意深く除かれて透明で鋭敏な音を聴かせる。スキャンダイナのA25MkIIと比較してみたが、ディットンとくらべるとA25の方が聴感上は高域が延びたように聴きとれ弦合奏などで目の前が開けたようにひろがるが、音像は平面的。ディットンは音像が近接した感じで立体的に聴こえる。たとえばヴォーカルでは、妙な言い方だがA25は唇を横に開くように広がり、ディットンは唇をとがらしたように前に張り出すようにも聴こえる。ただ、ハイパワーには弱みをみせ、「第九」などトゥッティでは音がのびきらないしユニゾンの各声部がきれいに分離しなくなる。なお今回のものは従来何度もとりあげたものと外装が変わり、音のバランスも以前のタイプより穏やかになっている。

周波数レンジ:☆☆☆
質感:☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆
解像力:☆☆☆☆
余韻:☆☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆☆

セレッション Ditton 15, Ditton 25, ゴールドリング 800 Super E
Posted by audio sharing on 1972年10月19日No comments
セレッションのスピーカーシステムDitton 15、Ditton 25、ゴールドリングのカートリッジ800 Super Eの広告(輸入元:成川商会)
(ステレオ 1972年11月号掲載)

セレッション Ditton 15
Posted by audio sharing on 1970年9月15日No comments
瀬川冬樹

ステレオサウンド 16号(1970年9月発行)
特集・「スピーカーシステム最新53機種の試聴テスト」より

 本誌14号の組合せ特集のときにも、割合に好感の持てる音質だと感じたが、今回あらためてテストしてみて、輸入品のこのクラスのスピーカー・システムの中でも一〜二といっていいほど良くできたスピーカー・システムであることが感じられた。なによりもまず、中低域が豊かであたたかく、コーラスなどでも混濁しないで、美しいハーモニイを聴かせるあたりに魅力がある。音全体にツヤがあり、ダイナコがホール・トーン的に距離感を持って響くのに対して、こちらは楽器がぐっと近接する感じが対照的だ。音域をやたらと広げるよりも、音の響きの美しさに重点を置いた作りかただ。実際の使用にあたって、トーン・コントロールで音のバランスをやや補整した方がいいと思われるあたり、スーパー・リントン等と一脈通じるところもあり、サブスピーカーとして上手に使いこなしたい製品。

採点表
大編成:★★★
小編成:★★★★
独奏:★★★
声楽:★★★★
音の品位:★★★★★
音のバランス:★★★★
音域の広さ:★★★
能率:★★★★
デザイン:★★★★★
コストパフォーマンス:★★★★
(特選)

http://audiosharing.com/review/?tag=ditton15
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c4

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
8. 中川隆[-11513] koaQ7Jey 2020年9月05日 07:42:16 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[10]
Mr.トレイルのオーディオ回り道 2020年08月30日
また邪な考えで「サブスピーカー」を買ってしまいました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/6b6b538b37f8c7488303456e8b4e21bc


英国製 Celestion DITTON 15です。英国製はタンノイ(アーデン・レクタンギュラーヨーク・VLZ他)やスペンドールBC-2、ハーベスモニター、ロジャース等使ってきましたが、陰影を含んだ表現が魅力です。長らくBC-2を愛用して来ましたが、手元を離れて10年近くになります。

先月、故障品を西原村のオーディオ道場に持って行った時、マスターが道場の2階にこっそりと連れて行ってくださいました。そこには「タンノイ:コーネッタ」と「Celestion DITTON 15」が置いてありました。コーネッタは以前にも聴いた事がありました。そのあと DITTON 15を聴かせていただきまして、BC-2の音色を思い出しました。BC-2もユニットはセレッション製で、 DITTON 15とほぼ変わりありません。(ツーパーツイーターが付いたぐらい)BC-2の泣き所はスーパーツイーターの耐入力が無い事(ボリュームを上げるとクリップする)でした。DITTON 15にはスーパーツイーターは有りませんので好ましく思います。道場の2階で聴いたコーネッタよりDITTON15の方がインパクトのあるサウンドでした。以後探していたのですが、お値段が上がってしまい「おあづけ」状態でした。ようやく価格もこなれて入手手配できました。来週水曜日の入荷予定です。果たして正常な状態なのか心配な点も有ります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/6b6b538b37f8c7488303456e8b4e21bc

Mr.トレイルのオーディオ回り道
やって来ました Celestion DITTON 15 2020年09月04日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23b3133eabc24a07badc4c5eb6497975


Celestion DITTON 15が入荷しました。CDP-D500+TA-2000+TA-N86のラインで、ほとんど一般品のケーブルで接続して「音出し確認」を致しました。オーディオ道場で聴いたのは2〜3分位でしたが、その時点で「ピピッ」と来ました。陰影の有るサウンドで艶やかさも有ります。

サイズは幅240×高さ530×奥行き230oで重量7.6Kgと非常にコンパクトな姿です。1975年製でもう45年前の製品です。当時1台¥56000くらいのスピーカーです。

SP端子が小さくて(可愛くて)専用のYラグ端子を使ってSPケーブルをセットしました。ウーハーの片chから音の出が小さいと云う事でジャンク品でしたが、左右ともまともなサウンドが出ています。

このDITTON 15は小さい割に大きなスケール感が有る事と音の線が太いですね。しばらくはこのまま鳴らし込んで行きますが、手を入れれば更に高性能なシステムになりそうです。現在は#4425の前の畳の上に「直置き状態」で鳴らしていますが、スケール感の大きさや艶やかさは分かります。サブシステムには最適なSPの様です。これ1台有れば他のSPは要らない感じに聴こえます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23b3133eabc24a07badc4c5eb6497975
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c8

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
9. 中川隆[-11512] koaQ7Jey 2020年9月05日 07:46:22 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[11]

日本一の音楽喫茶 阿蘇 オーディオ道場
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/713.html

ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c9

[番外地8] グローバリズムは共産主義ではなく極右ファシズムだ
グローバリズムは共産主義ではなく極右ファシズムだよ:
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。


 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/324.html

[番外地8] 安倍首相とトランプ大統領は国際金融資本のエージェントだよ
安倍首相とトランプ大統領は国際金融資本のエージェントだよ
安倍首相とトランプ大統領が画策していた欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り
安倍首相もトランプ大統領も反グローバリストではなく欧米資本のエージェント。
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/325.html

[番外地8] 中国の脅威なんかどうでもいい小さな問題、遥かに危険なのは自民党の売国政策の方です
中国の脅威なんかどうでもいい小さな問題、遥かに危険なのは自民党の売国政策の方です:
安倍首相とトランプ大統領が画策していた欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り
安倍首相もトランプ大統領も反グローバリストではなく欧米資本のエージェント。
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/326.html

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
7. 中川隆[-11511] koaQ7Jey 2020年9月05日 10:29:19 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[13]
【フィッシュ&ポテト】
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-111.html

@電蓄の世界

 ここでは、1960年代のイギリスのオーディオ事情について述べます。
 私たちは、ビートルズの活動時期と1960年代を重ね合わせて、ブリティッシュ・サウンドの原点について想像を掻き立てられます。タンノイ、ガラード、クォード、並み居るHi-Fiオーディオのパイオニアを並びたて、最高の音で聴きたいと願うわけです。今でもビートルズ、ストーンズの人気は衰えることがありません。


左:"Swinging London"を特集した米TIME誌1966.4.15号、右:Carnaby Streetの若者たち(1969年)


1960年代のロンドンのHMVショップ(オーディオコーナーと試聴コーナー)
・オーディオ・コーナーの中心はEMI製のDLSスピーカー、左隅にQUAD ESLモノラル。
・新盤の試聴コーナーでは、33/45回転は買った人だけ、78回転は無料で好きなだけ試聴できた。

 しかし、実際のビートルズ人気を支えた若者は、けしてそういう高級機器を購入できた富裕層ではありませんでした。1960年代でも78回転盤はまだまだ売れていましたし、英国内向けのシングル盤がモノラルであったというのは常識となっています。この難解きわまる前提に立ちはだかるのは、イギリス人に特有のSP盤への愛着です。五味康祐「オーディオ巡礼」には、1963年にイギリスを訪れたときのこととして次のように述べています。
 「英国というところは、電蓄に対しては大変保守的でケチンボな国である。アメリカや日本でステレオ全盛の今日でさえ、イギリスのレコード愛好家はまだ七十八回転のSP(LPのモノーラル盤ではない!)で聴いている。市販のカートリッジも、SP・LP両用でなければ売れないという。ロンドンにも現在シュアーのカートリッジは市販されているが、V15のU型はおろか、V15すら部品カタログに載っていない。高価なV15など誰も買わないからだ。それほどケチンボな国だ。オルトフォンはさすがに出廻っている。しかし殆ど月賦販売用である。SPU/GTが二十三ポンド――邦貨にして二万四、五千円見当だろう――それを十ヵ月払いの月賦にしなければ誰も買ってくれない。そういう国民だ。」

 この前置きのあとに、Decca社の高級ステレオ・コンソールDecolaが、ステレオのオーケストラ録音から78回転盤まで見事な音を奏でると賞賛しました。このことは何を示しているかと言えば、百花繚乱にみえる英国のHi-Fiオーディオ機器のほとんどは、一部の上流階級か海外向けの特産物であり、イギリス国民のお茶の間に届くことは稀であったということ。そして多くの人が電蓄(Radiogram)を愛し、RIAAになった後も78rpm盤を大切に聴いていたのです。Garrardのプレイヤーに78rpmがあるのは当り前、QUADの1967年発売の33型プリアンプ(トランジスター式)にさえ5kHzのハイカットフィルターを装備していたくらいでした。それがレコードをこよなく愛するイギリス人の常識だったのです。しかし、このポータブル・レコード・プレイヤー、結構いい味出していると思いませんか?


当時最も売れたDansette社 TempoとBermuda
 
自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey

 ポータブル・プレイヤーの多くは、BSR社のターンテーブル、セラミック・カートリッジ、ECL82のシングルアンプ、8x5インチの楕円フルレンジユニットの構成で、張り出している箱の部分からすると、卓上ラジオとターンテーブルが一体化したような構造です。
 セラミック・カートリッジは、78回転盤と33/45回転盤の両用で、ノブを回転させると切り替えられるタイプが長い間使われました。セラミック・カートリッジは、自身がイコライザーと同じような特性をもっており、イコライザー・アンプを必要としないため、廉価で済ませることができました。公称の周波数特性は30〜15,000Hzですが、実際は8kHz前後で急激に減衰します。78回転盤の時代と違いはそれほど大きくないというのが実情で、ステレオ時代のカートリッジは、クロストークは20dB程度、6kHzより上はほとんど分離しないというものです。これがピンポンステレオを再生していた初期ステレオ録音の限界でした。

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性

 アンプはECL82もしくはECC85+EL84のシングルでした。1.5Wのとても簡素なアンプ。これで8x5インチの楕円フルレンジを鳴らしたのです。楕円ユニットは当時のラジオにもよく使われていたもので、EMIの高級ユニットでも、6kHzから減衰して8kHzまでというものです。一方で、2〜4kHzにピークがあり、これが音の明瞭度を上げています。


Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー


EMI 92390型ワイドレンジユニット

 こうしたアナクロな時代の名残として、現在ではVoxやMarchallのギターアンプ用スピーカーとして有名なセレッションのユニットを取り上げましょう。Celestion Blueとして知られるワイドレンジ・ユニットは、1940年代にまで設計を遡るラジオ用スピーカーが前身でした。この頃、セレッション社はブリティッシュ・ローラ社に合併吸収されており、このローラはジェンセンから技術提供をうけてA12型スピーカーを製造していました。その後継機G12型がCelestion Blueにあたります。このスピーカーは100〜5,000Hzという電蓄のスペックであることが判りますが、こうしたスペックは天下のBBCが1948年まで使用していたGEC社のモニタースピーカーLSU/7も同様でした。1950年に発売されたMurphy社の高級ラジオにはセレッション社のスピーカーが採用されました。これで多くのイギリスの家庭にあった電蓄の音の概要が判るのです。


Celestion Blueの特性

1940年代のGEC社製BBCモニタースピーカー


Murphy社 "Baffle"Radio A146C(英Rola社 G12が搭載された)

 もうひとつ、化石のように生き残っているのが、エレボイ 209-8Aで、いわば構内放送用のユニットです。このユニットの特性は、雑踏の中でも明瞭に音声が聞き取れるように、ラウドネス補正でも特別なDカーブに準拠しています。これはジェット機の離着陸する空港でのアナウンス用に1970年代に追加されたものですが、驚くことに1930年代のGEC社のスピーカーと似た特性であることが判ります。つまり、こうした特性は小さい出力でも、人間に知覚しやすいように調整されたトーンなのです。弱点は大音量では破綻することです。

EV 209-8Aの周波数特性と音圧測定カーブの数々

 こうしたユニットは、エンジン音と格闘するカーステレオでも共通でしたが、ともかくローファイな世界でブリティッシュ・ロックは雑草のようにたくましく育っていったのです。その基礎はBBCのAM放送に培われた、と言っても過言ではないでしょう。しかし今でいうBBCモニターとは全く違う時代のものなのでご注意を。

A海賊ラジオ
 BBCラジオでビートルズの生演奏が流れたのが1963年以降。この頃、BBCが軽音楽を流すのは一日のうち45分だけ。それにレコード会社からの圧力で、レコードをそのまま放送することは硬く禁じられていました。いわゆるDJなるものはBBCにはいなかったのです。これに飽き足らない若者たちはルクセンブルクのラジオを短波で試聴するのが流行でした。知っている人は判りますが、短波は電波が安定しないと音声が波打ち際のように大きくなったり途切れたりで、音楽の試聴にはあまり向きません。これに目を付け、アメリカ風に24時間体制でレコードをかけまくるラジオ局のアイディアを実現すべく、英国の法律が行き届かない公海上の船舶からゲリラ的に放送したのが、1964年から始まった海賊ラジオRADIO CAROLINEでした。


Radio London 1137kHz(266m) 機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった

 またたく間に若者の心をつかんだ海賊ラジオは、当時20局以上も現れ、次第にレコード会社も売り出し前のバンドのデモテープを横流しするなどして、新しいポップシーンを牽引しました。テープはオープンリールではなく、カーステレオ用に開発された堅牢な8トラックカセット(初期の業務用カラオケにも使われていた)で供給されました。当時の船内スタジオには、山積みのカセットテープがみられます。


8トラックカセット エンドレスで再生できて便利だった

 しかし試聴環境はここでもAM放送で、しかも電池で動く携帯ラジオが結構人気だったのです。8kHzの攻防は若者文化のなかで依然として根強く、最新のミュージックシーンを牽引していたのです。

当時人気だった英Bush社 TR82

 海賊ラジオは1967年に法改正で一掃され、変ってBBCでトップギアなどのロック専門番組が、海賊ラジオの元DJによって始まります。この頃からBBCセッションは、アルバム発表前のスクープという様相を帯びますが、これこそ海賊ラジオのスタイルだったのです。1960年代を通じてイギリスのポップシーンの牽引役はラジオだったのですが、おそらく、上記のポータブル・プレイヤーの立ち位置は、同じようなアンプ&スピーカーで聴いておりながら、AMラジオよりも鮮明な音という位置づけでしょうか。それより高級なシステムでの試聴は、造り手からしても想定外でした。イギリスの若者は、最新のトレンドはラジオで味見して、気に入ったらレコードを買うというパターンのようです。それでも健全に音楽が育っていったのですから、時代特有の情熱があってのことだったのでしょう。

BBBCスタジオ
 1960年代のBBCモニターは、FMステレオ放送の実験に際し、従来のLSU/10に変る新しいモニタースピーカーの開発に着手します。セレッション社はHF1300などの高性能なツイーターを開発し、自社製品のDittonシリーズのほか、BBCモニター三代目となるLS5/1に採用されました。このとき周波数は13kHzまで。1960年代前半の放送はモノラルなので、モニター、ダビングすべて1本で行っていました。このLS5/1は250台ほどしか製作されず、基本的にはFMでのクラシック収録のために使用されました。
 これに1969年にスーパーツイーターを追加したのがLS3/6(BC1)です。この頃になると、レッド・ツェッペリンのライブ収録などが行われ、レコーディング技術も世の中と同じレベルに並びます。こうしたレコードは非売品ながら海外の放送局に配信され、世界中のFM放送で流れるようになります。つまりポップスでも、Hi-Fiなステレオ放送を前提にした録音がBBCで始まったのです。いわゆるオーディオのお手本のように言われているBBCモニタースピーカーは、1960年代にはあまり海外では知られず、1970年代のKEF、Rogersの新しいステレオ用スピーカーを指しているのです。


BBC LS5/1(1960年)ウーハーはGoodmans製、ツイーターはCelestion製HF1300


 では、1960年代のBBCの軽音楽スタジオではどうかというと、ビートルズ時代のSaturday clubの収録では、依然としてLSU/10が使われていました。これは1949年に開発されたモニタースピーカーで、パルメコ社の同軸2wayを搭載したものでしたが、このユニットは単体では8kHzまでが周波数の限界であり、AM放送のためには十分な帯域でした。タンノイ、アルテック、RCAのHi-Fi向けの最新同軸2wayはことごとくテストで落とされたのです。FMの試験放送が始まった1955年頃からは、よりHi-Fiのニーズを満たすために独ローレンツ社のツイーターを追加しました。しかし、1960年代のBBCの軽音楽番組はAM放送が中心だったので、LSU/10は帯域内を濃密に再生する点で、ちょうど良かったのかもしれません。


BBCの人気番組"Saturday club"で駆け出しの頃のBernie Andrews氏
左:合間にビートルズと談笑 右:最初はテープの頭出し係だった

Parmeko 単体の特性:50〜8,000Hzという特性だが音のキレは強い

 この1950年周辺のBBCのHi-Fiへの舵取りが、実はイギリスの1960年代に大きく圧し掛かっているように思えるのです。確かに、1947年開発のTANNOYのデュアル・コンセントリック型スピーカーの先進性が浮き彫りになり、Hi-Fi録音の創生期にDeccaやEMIに納入されたという伝説的な話とリンクしはじめます。しかし、このような近代的なスピーカーで聴くと、60年代初頭のポップスはどう考えても周波数バランスがおかしい。その理由が、庶民向けのラジオとその延長線上にある電蓄スピーカーのようなのです。

CEMIのDLSスピーカー
 同じく1960年代初頭に、レコード会社であるEMIからは、電蓄スピーカーとの折衷的な製品が発売されます。DLS(Dangerous Loud Speaker)と銘打ったシリーズで、ステレオ録音の普及が進まない状況に業を煮やして、1960年に店舗試聴用の小型で高性能なスピーカーを開発したのでした。よくアビーロード・スタジオで使われていたと言われますが、実際はオーケストラのエコー装置として壁に掛けられていました。ビートルズ初期の1963年のレコーディングでは、主にAltec 605A+612箱でモニターされました。アルテックのシステムは「プレイバック」という商標通りの、録音したてのテープを生のまま聴くという段階のもの。この頃は2トラック・レコーダーでの一発録りなので、録音直後にミックスバランスをいじることもできない。あくまでも演奏の善し悪しを判断するだけです。そしてスピーカーはステレオ用に2本ありましたが、メンバーの座っている居地から、ミキサーの右手にあるスピーカー1本で試聴していたことも判ってきます。このとき、EMIのDLSスピーカーがスタジオに持ち込まれた写真が1枚だけあります。おそらくイギリスの家庭用に、と気を利かせたようですが、ほとんど使わなかったようです。


ポールの後ろに置かれたEMI DLSスピーカー(目線は遠くのAltec)
ジョージが片方のスピーカーに陣取っているのはモノラルミックスのため。

この頃のモニター方法「斜め聴き」:右側のスピーカーでモノラルミックス。
この時は初アルバムのヒットに続くシングル再録セッション(1963年)

 ところで、DLSスピーカーのベースとなる92390型 楕円フルレンジは、大きさは13×8インチ(40×20cm)、中央辺りは金属製となっておりメカニカル2wayの一種ですが、帯域は7kHzまでです。EMIの楕円フルレンジにはいくつかのバーションがあって、150はダブルコーンでツイーターなし、319は同軸2way、DLS529はツイーターを2個搭載した高級型でした。1946年からHMV銘柄の電蓄に搭載されたもので、かつて最高級電蓄 Electrogram De Luxeにはデッカのリボン型ツイーターが搭載され、これはウォルター・レッグが世界最高のスピーカーを開発しろとの鶴の一声で始まったもので、その技術がステレオ時代に流用されたことになります。後にこの楕円フルレンジは、デッカのステレオ電蓄 デコラに使用され、五味康祐先生の78回転盤でも良い音で鳴るという話に戻るわけです。しかし五味先生は根っからのクラシック党。同じ時代でも当時のポップスの話とゴチャマゼにすると、実は話が噛み合わないのですが、いわゆるSP盤との共存という意味では、イギリス人の一般的傾向と辻褄が合います。ラジオや78回転盤との相性を保持するため、低域はウーハー専用ユニットではなく、フルレンジ+ツイーターという折衷的な2wayが好まれたのです。


EMI 92390型ワイドレンジユニット


HMV Stereogram 2330


Dローファイでも育つ音楽文化
 こうしてみると、イギリス国民が、LPの発売された1950年以降から1960年代の前半にかけて、立ちはだかる電蓄の巨大市場の壁を乗り越えるのに、かなりの時間を要したことが判ります。ビートルズのLPを買おうと殺到した人の多くは、電蓄の名残が強い8kHzまでの音響をさまよっていたと考えられます。しかし上に見るように、そういうスピーカーでも生き生きと鳴る工夫が、60年代前半のヘンテコな音に秘められていたようにも思うのです。こうした広いリスナーに聞かれた60年代の音楽は、オーディオ的な素養にピントを合わせるのが難しい。アラが見えないようにピンボケだと詰まらないし、何でもはっきり見えてもアバタだらけになる。今風の洗練されたステレオ機器で聴くことで、かえって評価を下げることも十分にありえるのです。

 よく「明るい音でポップス向け」という言葉を聞きますが、ドンシャリの音を好むオーディオ初心者を揶揄しているような言い回しで、ポップスに理解のない(良識のない)人の上から目線の言葉と思ったほうが良いです。むしろ話は逆で、ローファイな機材でも心地よく聞こえるように調整されたサウンドなのです。それを20kHzまでフラットなシステムで大音量で聴いて批評するのですから、「こういう音を若者は好んでいるんだな」と勝手に思っているだけ。ポップスを聴くのに、1960年代のイギリスの若者は、ラジオやポータブル・プレイヤー以上の大げさな装置でレコードを聴かなかったし、それでもロックの変革を牽引できたのです。

 1980年代との僅かな違いは、1960年代が古い戦前の音響学に沿っていて、まがりなりにPAのような開かれた音響と歩調が合わされていた点です。そこがインナー型ヘッドホンが音楽業界を牽引した1980年代とのサウンドの違いがあり、現在では周波数特性が全く逆の両翼が強調された録音が好まれています。こうして1960年代のサウンドは化石となっていったのです。どっちが正しいというよりも、現状を認識しておくことは必要だと思います。


【お茶漬けの味】

 ここでは、昭和とロックという、何となく水と油に思える事象について、私なりのコンプレックスの源泉を見つめてみようと思います。
 昭和と西暦の違いでしょうか。日本と西洋ではジェネレーションが5年ずれているような気がします。特に1964年の東京オリンピックの影響は顕著で、テレビの大幅な普及に合わせ動画での記録が急激に増えるようです。オーディオ的にはモノラルからステレオへの移行期にあたり、ポップスの多くはモノラル盤でプレスされることも多かった。とはいえ、1960年代が輝いていたのはアメリカだけで、日本もヨーロッパも戦後を引き摺っていました。ヌーベルバーグはほとんどがモノクロ映画だし、ビートルズを含め初期のステレオ録音の多くは外貨を稼ぐためのアメリカ向けだったのです。

@アンサンブル型ステレオ
 1960年代の日本でのステレオ事情は、どうでしょうか。1960年代は高度成長期の初めの頃で、3年で給料が倍に増えるという感じで、貧しさから徐々に脱していきました。日本は1964年にレコード売り上げが世界第二位(一位はアメリカ)に躍進します。1965年サラリーマン平均月給30,300円、シングル330円、LP 1,500〜2,000円の時代。給料3ヶ月分のアンサンブル型、1ヶ月分の卓上型など、プレーヤーとチューナーの一体型のものが好まれました。いわゆるステレオ再生の基本を無視したスピーカー配置、響きの悪い和室に置かれるため、エコー装置で音の広がりを調整できる機種も多くありました。月給の半年から1年分に相当する本格的なセパレート型ステレオは、まだまだマニアの領域でした。メーカー製のステレオは「家具調ステレオ」とも呼ばれ、居間を飾る豊かさの象徴でもあったのです。

        ビクターとコロンビアのアンサンブル型ステレオ(共に1964年)


サンスイの雰囲気いっぱいのステレオ広告
左:朝岡ルリ子、右:新珠 三千代

 しかし、折角購入したステレオ・レコードさえ、1965年頃までのポップスについて言うと、当時から「ピンポンステレオ」と揶揄されたデュオ・モノラルであり、単純に左右に楽器を分けて収録してある程度のお粗末な録音が多かったのです。1965年にFMステレオの試験放送が開始されて、初めて自分のカートリッジの音の悪さに気付いた人も少なくなかったらしく、国産でもオーディオテクニカ AT-3、スタックス CPS-4、グレース F-8L、デンオン D-103などが優秀なカートリッジとして注目を浴びます。
 F-8LはNHKと協同開発されたF-8Dの民生版ですが、フラットでチャンネル・セパレーション30dBという高性能にも関わらず、無味無臭の音は、当時の評論家から「お茶漬けの音」と揶揄されました。既にF-7カートリッジで、NHKのエンジニア達にブラインド・テストでFMステレオ試験放送のリファレンスに選ばれたという実績をもとに、F-8Lでも評論家にブラインド・テストをしてもらいます。結果はF-8Lの圧勝。その後、バーチカル・アングルなど先進的な技術が、シュアーのV-15で真似されても臆することなく、価格で圧勝だったこともあり、自社の宣伝に加えてしまう余裕もありました。

  グレース F-8Lの広告(1967年)

 一方で、いくら優秀でも給料の1/4〜1/3をカートリッジに費やせる人は少数派、まだまだ付属のセラミック・カートリッジが主流でした。給料1ヶ月に達するオルトフォンやシュアーなどはまだまだ高嶺の花です。アンサンブル型ステレオでは、その良さを十分認識できなかった可能性もあります。圧電式はイコライザーアンプがいらないということもあって、カーブ設定もいい加減なものであったし、チャンネル・セパレーションも10dB前後のつたないもの。ピンポンステレオのように2chが明確に分かれていないと、買い手はステレオとモノラルの差が判らなくてクレームの対象になったのではないでしょうか。

 唯一、スピーカーだけは1950年代から輸出用に開発された安価なユニットが豊富にあり、フルレンジまたは同軸ユニットに自作箱を付けることで、Hi-Fi規格を十分満足できました。放送局モニターではNHKお墨付きのP-610A、民生品でもナショナルのゲンコツ(1954年)からフォステクスFE-103(1964年)まで、日本のフルレンジスピーカーは安価で素直な音を出すということで、海外でも人気が衰えませんでした。アンプはEL82(6BM8)、EL84(6BQ5)か6V6が主流で、スピーカーも10W以下のアンプで十分に鳴らせたのです。こうしたユニットの価格は、上記のHi-Fi用カートリッジよりもはるかに安かったところをみると、逆に当時のカートリッジの重要性が判るのです。

日本の素直なフルレンジ:ゲンコツ(1954年) フォステクスFE-103(1964年)

Aテレビ
 こうしたHi-Fi機器を尻目に、この時代を象徴するのは、やはりテレビの普及です。東京オリンピックを境にテレビがお茶の間を飾りましたが、テレビのゴールデンタイムを飾る歌謡番組「ザ・ヒットパレード」やバラエティー「シャボン玉ホリデー」では、カバー曲からオリジナル曲まで非常に広いレパートリーが提供されました。ピーナッツの洋楽カバーは、さしずめ日本のビートルズのような役割(BBCでR&Bのカバー曲をいっぱい紹介した)を負い、和製ポップスの発展に貢献したのです。テレビの音声はモノラルながらFM波で、スペック上は15kHzまで収録できますが、ブラウン管テレビの水平走査回数15,750Hzとの干渉を避けるため、実質10kHz程度で丸められ、テレビ据付の楕円スピーカーの実力からすれば8kHz程度が限界ではないでしょうか。それでもAMラジオが8kHzをカットするのですから、音は良いほうだったのです。多くのビデオテープの記録を頼りに判断すると、少し印象が違うように思います。当時のビデオ音声は、生放送に比べてずっと音質が悪いからです。FMラジオが本格的に普及するのは、ステレオ化された1970年代となります。モノラルのFM放送は不要の用のような存在だったといえます。

 興味深いのは、長岡鉄男氏が「音楽の友」誌1967年4月号に寄稿した「オーディオ千一夜」で、原音再生についてテレビの音の合理性を述べている点です。いわく…
 「家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずないでしょう。やけにボンボンした胴間声と相場がきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。」
 ここで、テレビの音が良い理由として以下のことが挙げられています。
プログラム・ソース(音声電波)が素直
アンプ、スピーカーとも低域と高域をあまり欲張っていない
アンプは五極管シングルでシャリシャリした音になる
テレビ用だ円スピーカーは比較的マグネットが大きく、foが高く、中音域での歯切れが予想外によい
一般にあまりボリュームを上げずに用いている
 結局、ローコストで合理的な拡声装置として、10〜16cmのフルレンジを0.4m2の平面バッフルに取り付け、80万説により100〜8,000Hzを支持し、低域は絞ってダンピングを良くし、中高域に明瞭性をもたせるということを提案しています。(この頃バックロードホーンはじゃじゃ馬で素人には無理だと考えていたようです)

1960年代のテレビの広告

Bまとめ
 1960年代の日本の家庭用オーディオの風景は次のようになります。
レコードがHi-Fiの頂点に立つが、ステレオのカートリッジはセラミックが主流のため、周波数特性は10kHzを下回り、チャンネル・セパレーションも十分出ない。
スピーカーは早くからフラットな特性のものが安価で出回り、小型ビーム管のシングルでも十分な性能が出せた。裏返せば、LP、カートリッジ、FM放送など音源の差が判りやすい状況にあった。
ステレオ録音は発展途上で、左右チャンネルを極端に分けた「ピンポンステレオ」と揶揄されたものが多く、シングル盤はモノラル、LPはステレオという時代でもあった。
カセットテープは会議、英会話練習用などに適し、まだ音楽用として熟成していなかった。エアチェックするにもFM放送はモノラルだったし、1968年から発売されたラジカセもモノラル、テレビ放送も1970年代末までずっとモノラルだった。
オープンリールが発売当初よりHi-Fi規格に準じていたが、音楽テープは非常に高価で、高級カートリッジとLPのほうが経済的であった。Hi-FiステレオはLPが占有していた。
テレビの普及にしたがい歌謡番組がゴールデンタイムの娯楽で重要な位置を占めるようになる。テレビ音声はモノラルながらFM波で、AMラジオより優位にあった。
 この時代の流行歌は、かなりの音源がオリジナルの歌手によりステレオ再録されているので、60年代の音は判りにくいのですが、残ったモノラル音源は意外にキッチリと録られています。ある意味、ステレオ録音よりも目鼻立ちが良く、1950年代のHi-Fi録音のイロハが、お手本通りに生きており、ラジオでも良く通る声で響いたのではないかと思わます。多くの人はラジオから流れる歌に声をあわせたり、歌声喫茶に通って歌ったと言いますから、レコードの大半は今のように鑑賞するためのものでは無かったようです。この点は、初期の演歌がなぜ売れたのか、という本来のいきおいを理解する手がかりとなるでしょう。


「明星」S36年9月号の歌本
坂本九と森山加代子
「月刊平凡」S42年2月号の歌本
都はるみと西郷輝彦
 あらためてみると、日本のステレオ事情は、基本的にイギリスの事情と似てなくもないのですが、比較的フラット志向でおとなし目のシステムになりやすいことが判ります。それはいち早くステレオ録音に追従した点からも、合理的な音響機器が庶民のレベルに浸透していたことが判ります。こうしたシステムが生きてくるのは1970年代に入って、ラウドネスの効果的な使い方が録音側に備わって、さらに飛躍することになります。逆にオーディオ的に発展途上にあったイギリス発のポップス、特に60年代のハードロックやR&Bに対する日本での評価の低さは、1〜4kHzにピントの合っていない国産スピーカーの特性に起因するものと思われます。

C長岡鉄男氏から伺う1960年代
 一方で、1960年代の長岡鉄男氏のコラムなどを読み返すと、多くのメーカーがRCA、コロンビアなどの東海岸風ピラミッド・バランスを目指していたのに対し、長岡氏の推奨する音がテレビをお手本にした、辛めの英国ラジオ風なのは面白い結果でした。それ以前にも、「ローファイを楽しもう」「モノラル再評価」など、私好みのコラムがあって、今になってその内容が少しずつ読み取れるようになりました。日本語で書かれた1960年代のオーディオ批評のアンソロジーは意外に少ないのが現状で、庶民派の目線で本音をチラホラ漏らす長岡氏のコラムはさらに貴重なのです。
 長岡氏自身はクラシックを良く聴く人なのですが(音楽の友、レコード芸術の常連だった)、テレビではもっぱら歌謡曲だったのではないでしょうか。1971年に小三治師匠との対談で、FM放送の歌謡曲についても言及して、「歌謡曲っていうのはずんぶんくだらないと思ってたけどね」という前置きで、4chデコーダーを通して流しっぱなしで聞くと雰囲気があって案外おもしろい、という評。小三治師匠は、10枚中9枚はクラシックだけど、実際に聞く確率はポピュラー、ジャズ、歌謡曲が優遇されて、寝転がって聴くのが好き、という具合。こうした脱力系で楽しむ音楽もあるのだと改めて思った次第です。
 こうしてFMを中心としたステレオ・ブームとは裏腹に、音楽鑑賞の質が一向に上がらないのを見て取ったのか、長岡氏は1970年代に「週間FM」誌でオーディオの使いこなしなどを指南する際に、レコードは何を聞いているか、具体的な楽器の音がどう聞こえるかの詳細をほとんど語らず、終始、低音が高音がという抽象的な言葉でオーディオ批評しているのです。おそらくFM視聴者が歌謡曲などを主体に聴いていることを配慮して、あえて言及しなかったように思えるのです。1980年代に「外盤A級セレクション」を発表するようになりますが、そうした批評に耐えられるだけの装置を一般読者が所有できる時代になったという別の意味も含まれています。長岡氏は庶民派の目線でCP(コストパフォーマンス)でオーディオの価値観を表現したユニークな存在でしたが、オーディオの目指すべきゴールを見据えたうえで、一般のユーザーに辛抱強く語ってきたように感じます。
 長岡氏のコラムを振り返ると、1960年代から1980年代まで、オーディオ環境に大きな変化があったことを実感できるわけで、遠い眼差しで過去を振り返ることの難しさも実感するのです。60年代ポップスは明らかに「ずんぶんくだらない」B級、C級の録音セレクションとならざるを得ません。その回答が、下手なアンサンブル・ステレオより、テレビのほうがオーディオ装置として優れている、という逆説的な発言です。このことを実感できるようになるには、結構険しい道のりが待ち受けているように思うのです。

http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-111.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c7

[番外地8] 「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない 中川隆
1. 中川隆[-11510] koaQ7Jey 2020年9月05日 11:05:24 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[15]
「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない
通貨は基本的にはバブルで、お金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。

お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。
詳細そもそも日本は 生産年齢人口が減っている、輸出額が減っている、生産効率は変わらないのだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なのです。因みに、総資産はゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースで見ないといけない、ドルは紙屑化しているからドルベースで判断するのは NG。 詳細は

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

ただし、貨幣価値が減ったからといって給料を上げてくれる親切な会社はないので、実質賃金は下がります。
日本人の給料が上がらないから、人件費を反映する物価も上がらない

しかし、外国に行けば日本円が紙屑になっているのがわかります。
しかし、日本国内での商品価格のコストの大半は人件費なので、貨幣価値が減っても物価はあまり上がりません。
それで日本の物価だけは上がらずデフレ経済になるのですね。  日銀金融緩和の結果、国内物価が上がっていないだけで、円は海外では紙屑になっている。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
商品価格の大半は人件費なので、物価はあまり上がりません。
これが金融緩和してもインフレにならない理由ですね。

そもそも欧米の物価と日本の物価を比較すれば 1ドル=20円程度が適正値なのに、1ドル=110円まで超円安になっている。タイでもラーメン1杯が1000円になっているよ。

ドル自体が紙屑になっていると言われているのに、そのドルに比べても円のこの安さ。

日本人がアメリカに留学できなくなったのはアメリカの授業料が年間何百万円になったからだよ。アメリカでアパートを借りてもワンルームが月30万円だから、日本人はアメリカ留学すらできない。

そもそも日本人が作っている日本の野菜や傘、洋服や日曜品ですら日本人には高値の花になっている。こういうのをハイパーインフレーションというんだよ 。

因みに、僕がハイパーインフレーションと言っているのは
日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

GDPの増加率や経済成長率には意味はありません。
中国やアメリカの様にGDPがいくら増えても、いくら経済成長しても国民の生活が良くなる訳ではありません。
政府がいくら金融緩和しても財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。

日本のマネーストック M2 が増加し続けているのに名目賃金が増えない(実質賃金が減り続けている)というのは大西つねきさんが問題にしていますね。大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

現在は国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスで“超異次元緩和”を実施することによって、これまで(リーマン・ショック以後の金融緩和)にも増してカネが有り余った状態が作り出されようとしています。

日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)を中心とした各国の中央銀行が注ぎ込んだ資金は既に1000兆円を超えました。


MMT の資金供給で労働者の実質賃金が下がった為に実体経済は冷え込み、製造業はじめ各種産業には資金需要がないため、だぶついたマネーがみな金融市場に流れ込み、

2020年3月中旬から6月末だけでも、世界の富豪ランキングでトップのジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)は資産が46%も増加し、1650億j(約18兆円)になっている。

同2位のビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)は12%も増えて1097億jに、同4位のウォーレン・バフェット(世界三大投資家)は6%増の715億j、同5位のラリー・エリソン(オラクル創業者)は19%増加して702億j、同7位だったフェイスブックCEOのザッカーバーグに至っては63%も資産を増やし、891億jになった。

億万長者としては全体でコロナ禍に世界が沈み込んだ14週間(3月中旬から6月末)の期間に6280億jも資産が膨れあがった。

国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスが原因で、富める者は実体と乖離した有り余ったカネによって働かずして富を得て、その他の圧倒的な国民、社会を実際に下支えしている側は失業や貧困、生活が破綻しかねない現実に直面しています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/305.html#c1

[リバイバル3] グッドマン MAXIMスピーカーシステム 中川隆
3. 中川隆[-11509] koaQ7Jey 2020年9月05日 11:27:52 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[16]

岡山県 玉野市 Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/458.html

岡山県 Vintage Audio 店訪問記 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12616010035.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1076.html#c3

[リバイバル3] グッドマンの最上位機種 Axiom 22 中川隆
7. 中川隆[-11508] koaQ7Jey 2020年9月05日 11:28:35 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[17]

岡山県 玉野市 Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/458.html

岡山県 Vintage Audio 店訪問記 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12616010035.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1075.html#c7

[リバイバル3] グッドマン 8インチ フルレンジ スピーカーユニット AXIETTE

グッドマン 8インチ フルレンジ スピーカーユニット AXIETTE


Goodmans AXIETTE - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Goodmans++AXIETTE+

Goodmans 製品一覧 グッドマンズ
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/index.html

ヤフオク! -「Goodmans AXIETTE 」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=Goodmans+AXIETTE+&x=0&y=0


▲△▽▼

Goodmans(グッドマン) AXIETTE | VintageAudio 2015/06/01
https://vintage-audio.jp/?p=359

Goodmans Axiette 8in HiFiスピーカーユニット
本日は8インチフルレンジスピーカーユニットAXIETTE(アキシエッテ)のご紹介です。GoodmansのHiFi用小型ユニットの中でも大変有名な商品なのでご存知の方も多いと思います。また、各スピーカーメーカーや電蓄メーカーも高級機としてよく採用されております。BBCのモニタースピーカーにも採用されていた時期があるようです。バスレフ型のエンクロージャーがGoodmans指定エンクロージャーとされています。定格表を見ると、このサイズで40-15kHzをカバーしておりHiFi系のユニットである事はここからも判断できます。

音質は小型ユニットではありますが、Goodmansのサウンドポリシーを感じることができます。特に癖の無さは特筆すべきで、各社8インチサイズのユニットは沢山ありますが、やはり1・2位の実力はあります。クラッシック、Jazz、Popsなどソースを選ぶことなく何でもこなせます。HiFi的にはLeakなど高級HiFiアンプで、駆動すると真価が発揮できます。

当時のカタログ

https://vintage-audio.jp/?p=359


岡山県 玉野市 Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/458.html

岡山県 Vintage Audio 店訪問記 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12616010035.html

▲△▽▼

GOODMANS AXIETTE ¥11,200(1台、1962年頃)
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/unit/axiette.html
 
20cm口径のフルレンジスピーカーユニット。

機種の定格

型式 コーン型フルレンジユニット
口径 20cm(8inch)
入力 12W
インピーダンス 15Ω
最低共振周波数 65Hz
周波数特性 40Hz〜15kHz
総磁束 58,500maxwell
空隙磁束密度 15,000gauss
ボイスコイル口径 2.54cm
開口径 18.1cm
重量 1.6kg
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/unit/axiette.html

▲△▽▼

GOODMANS AXIETTE 8 価格不明(1台、1964年頃)
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/unit/axiette8.html

20cm口径のフルレンジスピーカーユニット。

機種の定格

型式 コーン型フルレンジユニット
口径 20cm(8inch)
入力 12W
インピーダンス 15/16Ω
最低共振周波数 65Hz
周波数特性 40Hz〜15kHz
総磁束 53,000maxwell
空隙磁束密度 13,500gauss
ボイスコイル口径 2.5cm
https://audio-heritage.jp/GOODMANS/unit/axiette8.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1078.html

[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
18. 中川隆[-11507] koaQ7Jey 2020年9月05日 11:36:33 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[19]
グッドマン 8インチ フルレンジ スピーカーユニット AXIETTE
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1078.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c18
[リバイバル3] グッドマン MAXIMスピーカーシステム 中川隆
4. 中川隆[-11506] koaQ7Jey 2020年9月05日 11:42:14 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[20]
Goodmans(グッドマンズ) MAXIMのネットワーク オーバーホール | VintageAudio
2017/03/11
https://vintage-audio.jp/?p=1322


Goodmans(グッドマンズ) MAXIMのネットワーク オーバーホールを行いました。

Goodmansに限らずSPのネットワークに使用されているコンデンサですが、1950〜1960年代(または、それ以前)オイルコンデンサーは高い確率で問題ないのですが、1950年代中期以降使用されているフィルムコンデンサは、殆ど不良になっています。

SPのネットワークに入っているコンデンサでハイパスフィルターを構成しているフィルムコンデンサは多くの場合、容量が増えている(1.5〜2倍)傾向にあります。正常なコンデンサでも容量が増していますとクロスオーバー特性が変わってしまいますが、経年劣化による容量増大ですから、単に容量の大きなコンデンサが入っているという訳ではなく音質的にも変化していると考えます。

ローパスフィルターに入っている電解コンデンも、測定上は正常な値を示しますが聴感的に明らかに周波数特性がおかしくなっています。このMAXIMの様にローパスフィルターにだけ電解コンデンサ(BP含む)を入れている場合には聴感上解りづらいのですが、1970年代以降のスピーカーシステムの様に電解コンデンサ(BP)をハイパスフィルターに入れている場合は、明らかにおかしいので判断しやすくなります。充放電特性の劣化によるものだと思われます。

今回のMAXIMでは、片側有極電解、片側BP電解と不揃いであったことと、アンプの場合もそうですが半世紀前の寿命が設定されている部品をそのまま使用するのは、気持ち悪いので交換しました。

4uF/DC50Vという低圧ハーメチックタイプのオイルコンデンサに交換します。スピーカーのフィルターコンデンサを交換する場合、容量は仕様規格を守ることはもちろんですが、むやみに耐圧の大きいコンデンサに交換することは好ましくありません。アンプの場合も同じですが、聴感上音の反応(立上り・立下り)が鈍くなります。

Goodmasn(グッドマンズ) MAXIM |オリジナルネットワーク

Goodmasn(グッドマンズ) MAXIM |ネットワークのOH2


写真の様に交換したネットワークを戻し、試聴します。
このMAXIMに限らず、多くの場合中高音域の耳障りな付帯音(歪っぽい音)が無くなり端正な感じになります。
https://vintage-audio.jp/?p=1322

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1076.html#c4

[番外地8] 天皇はソウル出身の漢民族 中川隆
5. 中川隆[-11505] koaQ7Jey 2020年9月05日 14:30:31 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[23]
日本にはユダヤ人は入っていないよ
天皇はソウル出身の漢民族だよ、だから中国鏡を沢山持って居たんだ
皇族は平安時代までは百済語しか話せなかったみたいだね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/232.html#c5
[番外地8] 天皇はソウル出身の漢民族 中川隆
6. 中川隆[-11504] koaQ7Jey 2020年9月05日 14:41:20 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[24]
日本にはユダヤ人は入っていないよ
天皇はソウル出身の漢民族だよ、だから中国鏡を沢山持って居たんだ
皇族は平安時代までは百済語しか話せなかったみたいだね。
万葉仮名とか平仮名・片仮名は漢文を日本語に翻訳する為に考案されたんだ。
皇族が使っていた百済語は8母音、日本語は5母音だから翻訳が大変だったみたいだね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/232.html#c6
[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇 中川隆
6. 中川隆[-11503] koaQ7Jey 2020年9月05日 15:27:58 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[25]
ロックフェラーの資金が太平洋問題調査会を通じて、真珠湾攻撃工作のために、ゾルゲ経由、日本の皇族に渡された
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/1053.html
投稿者 ウソ捏造工場 日時 2006 年 2 月 19 日 00:09:18: OszuLYfIhReeI
 

一九四一年、ロックフェラーの多額の資金が太平洋問題調査会(TPR)を通じて、日本の真珠湾攻撃工作のために、ゾルゲ経由、日本の皇族に渡された、とのジョン・コールマンの説。

平成十八年(二〇〇六年)二月十八日(土)
(第一千五百八十九回)

○「一九四一年、ロックフェラーの別のフロント組織、太平洋問題研究所(IPR)が
 東京の関連機関に多額の資金を拠出した。その資金はロシアスパイの大立者=
 リヒャルド・ゾルゲを経て皇族に送られ、日本の真珠湾攻撃工作資金となった。
 再度言うが、タビィストックがIPRのすべての出版物を起草している。」
 (ジョン・コールマン著『タビィストック洗脳研究所』、第一章。成甲書房から
 平成十八年三月下旬刊予定)

○この情報は、筆者の知る限り、今まで日本で公表されたことはない。

○このコールマン情報によれば、一九四一年太平洋問題研究所(IPR。日本では、
 これは太平洋問題調査会、と邦訳されて居る)を通じて、多数のロックフェラー
 資金がゾルゲに渡された。

○そしてゾルゲは、その資金を、日本の真珠湾攻撃工作資金として、皇族に渡した、
 と言う。

○この「皇族」とは誰か。
 その実名は分らない。

○当時「皇族」の数は、かなり多い。

○しかし、真珠湾攻撃工作と言うことは、
 これは、日本が対米英開戦を支持するような立場の皇族への工作資金、を意味
 するであろう。

○或る時、海軍軍令部長の職にあった伏見宮は、対米英強硬派、と言われて居た。

○皇族も、反米英派と、親米英派に分かれて居たであろう。

○ジョン・コールマンによれば、IPR(太平洋問題調査会)のすべての文書は、
 タビィストックが起草した、と言う。

○日本ではIPRの言動についてのまともな研究は、今に至るまで、ゼロに近い。

○IPR(太平洋問題調査会)は、一九二五年に正式には発足して居るが、もち
 ろん実質的にはその前に活動は開始されて居るであろう。

○IPRについては、一九四九年十月、中共が中国政権乗っ取りに成功した前後
 から、

○米国上下院で、反IPRの立場からの、かなり激しい批判と調査が行われた。

○それは、マッカーシー米上院議員の三冊の著作のうちに、表現された。

○しかし、日本では、占領中(一九四九年八月〜一九五二年四月)も、そのあとも、

○IPRに対する批判的研究はゼロである。

○IPRの行動は、
 第二次世界大戦前後、
 アジアの大部分を共産主義化すること、である。

○しかし、このIPRを、ロックフェラーが資金的に支え、そしてその指導は、
 タビィストック研究所が行った、このタビィストック研究所は、三百人委員会
 の秘密の参謀本部である、と言う。

○第一次世界大戦後、タビィストック研究所=三百人委員会は、米国=中国
 共同で日本を挟み撃ちして壊滅させる方向に状況を演出した。

○そしてこれから「彼ら」は、もう一度、

○米中による日本民族抹殺のための大作戦を実施しようとするのである。

 (了)

●[注]

○近刊予告 平成十八年三月下旬刊
 ジョン・コールマン著
 「タビィストック洗脳研究所」(成甲書房)

http://sv1.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html#c6

[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇 中川隆
7. 中川隆[-11502] koaQ7Jey 2020年9月05日 15:30:43 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[26]
日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」、世界の真実の姿を求めて(海軍どころか外務省が既に腐敗していたようです)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html
 

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-679.html

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

「吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。

吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

吉田茂の養父である吉田 健三。
吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。
吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇

吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。

麻生の正体                                                             
 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。
 その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。
 麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%89

吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) - 明治22年(1889年))は日本の武士(福井藩士)、実業家。、昭和期の内閣総理大臣・吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は孫に当たる。

1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。1864年に脱藩して大坂で医学を、次いで長崎で英学を学んだ。1866年にはイギリス軍艦でイギリスへ密航し、2年間、同国に滞在して西洋の新知識を習得した。
1868年に帰国。一時は新潟に居住するが、のち横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。さらに3年後に退社して独立し、慰労金(1万円)を元手に様々な事業を展開する。英学塾を皮切りに、翌1872年には東京日日新聞の経営に参画。さらには醤油の醸造業や電灯会社の設立、ビールやトタン、フランネルの輸入など、実業家としての頭角を顕して横浜有数の富豪に成長した。
自由民権運動の高まりを見せていた当時、健三は自由民権・国会開設派の牙城であった東京日日新聞の経営参画を通じ、板垣退助や後藤象二郎、竹内綱ら、自由党の面々と誼を通じて同党を経済的に支援した。特に竹内とは昵懇で、1878年の保安条例公布によって東京を追放された際、横浜の吉田邸に身を寄せている。1881年8月には、竹内の5男茂を養嗣子とする。
生来心身頑強だったが、1888年の父謙七の死去後に病を得、横浜にて急死した。享年40。
家族 [編集]

妻は、儒学者佐藤一斎の孫・士子(ことこ)である。茂が養嗣子となった理由について、実子に恵まれなかった健三が竹内に対し、当時懐妊していた竹内の妾が生んだ子が男ならば自分の養嗣子として貰い受ける約束をしていたから、といわれる。
備考 [編集]

富豪であった健三の死後、わずか11歳の茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。茂はこれを「吉田財閥」と自嘲気味に称してはいるが、やがて遺産の大半を蕩尽してしまう。莫大な遺産を一体何に蕩尽したのか、今もって不明である。
横浜太田町に構えた本邸の表門は、小男であった健三の背丈にあわせて造られていた。政府高官や実業家などの訪問客が出入りしたが、低い門構えであるため、門内で待ち構えている健三に対して自ずとお辞儀をする羽目になったという。
茂の幼年期の回想によれば、健三は日の出前に起床するや、家族や女中らをたたき起こして毎朝大掃除をするなど、エネルギッシュな一面をもっていたという。
狩猟が趣味で、自ら狩猟協会を立ち上げて副会長に就任している。因みに、会長には公爵近衛篤麿を擁立している。
大磯における初期の別荘族として知られる。国府本郷村(現在の大磯町内)の海浜沿いの広大な地所を徐々に買い増し、1万坪もの別荘を営んでいる。戦後「大磯」は、首相となった茂の代名詞となった。
信心深かった健三は、後年菩提寺として光明寺(神奈川県横浜市南区所在)を建立している。同寺の山号(吉上山)は健三と盟友であった上郎幸八の一字ずつと取って命名されている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%82%BD%E3%83%B3


ジャーディン・マセソン

ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィスを置くイギリス系企業グループの持株会社。ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング「フォーチュン・グローバル500」では世界437位。

前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。
中国での拠点は1844年に上海の共同租界、外灘(バンド)の中山東一路27号に移し怡和洋行大楼と呼ばれた。この場所の当時の地番は1号であり、ジャーディン・マセソンが最初に外灘(バンド)にて土地を獲得した。(現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入るが、間もなくサックス・フィフス・アベニューの中国1号店となる予定。)
1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(現在登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。170年たった今でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(国際複合企業)として影響力を持っている。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9 票という僅差で軍の派遣を決定した。陳舜臣の『阿片戦争』にも、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンが登場人物として登場する。
香港が中国に返還されるまでは、イギリス植民地資本であるジャーディン・マセソンの役員や幹部らがイギリス植民地下の香港行政局(現在の行政会議 )の非官守(官職)議員として参加し、香港政庁の政策に影響力を行使していた。
日本での歴史 [編集]

日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーが長崎代理店として「グラバー商会」を設立。現在はグラバー園として公開されている。
幕末・明治の日本において、五代友厚(薩摩)、伊藤博文(長州)、坂本竜馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援し、フランスに支援された徳川幕府打倒にも密接に絡んだたことで倒幕運動(明治維新)の黒幕としても知られる。
横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)にも、1859年(安政6年)に上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)が支店である「ジャーディン・マセソン商会」を設立。日本に進出した外資第1号としても知られる。 麻生太郎前首相の祖父である吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=212394


『日本の政界をコントロールする、スコットランド貴族達』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。
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19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガンは、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモントを使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった。

ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。

1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルーも、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルーは初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガンの妻であった。

この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。

天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。

アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。

一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。

このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。

麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」。

なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。

また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。

グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。

また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある。

http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html

吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見

 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。

 有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

 CIAの辰巳氏に関するファイル(52〜57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。

 辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。
 

コメント

01. 2011年1月04日 16:10:58: 4yAGFWyMRs
上の天皇が50万人拉致して売り払った悪意のある嘘です。あちこちに同じことをかいてるが反日の在日でしょう。洗脳してる。イルミナテイは天皇制は世界統一時に廃止するそうですよ。
戦国期にキリスト教の宣教師が硝石代金として日本人の女を50万人欧州に性奴隷として売り飛ばしたという話と同じにしてる。悪意がある。秀吉は宣教師に50万人返せとめいれいしてます。一切秘密にされてる歴史でしょうね。今も同じです。白人が日本を侵略してる。戦国期と同じですよ。偉い指導者がでれば啖呵を切って跳ね返すでしょう。海外に留学したら薬を飲まされて電磁波をかけられて洗脳されてロボットにされてしまうよ。


02. 2011年1月04日 21:34:28: sUpHQ8Q75g
>>01
> 上の天皇が50万人拉致して売り払った悪意のある嘘です。あちこちに同じことをかいてるが反日の在日でしょう。
その情報は「オルタナティブ通信」というブログ記事から拡散した結果のようだが
即「反日」や「在日」というレッテル貼りで反応するのはいかがなものだろうか

投稿者の他の投稿内容から
天皇を含む日本の中心的人物が油堕菌と通じていたと見ているらしいことが分かるが
万が一それが公知の事実となったら日本近代史はひっくり返る

問題の根源は日本史・世界史で油堕菌の存在自体が隠蔽されていることであろう
時々表に出てきても「陰謀論」または「都市伝説」というレッテルが貼られて
まるでフィクション小説のように偽装され隠蔽されてしまう
しかし偽装した箇所は事実と照らし合わせると多くの矛盾が生じる
投稿者はその矛盾を解きほぐそうと努力しているように感じるし
それを実現するためには一切のタブーを排除して掛からなければならない


> イルミナテイは天皇制は世界統一時に廃止するそうですよ。

もし天皇家が油堕菌と通じていたなら
統一政府側の主要メンバーとして一定の地位を得られるのではないか
少なくともかなりの貢献をしたはずであるから
一般大衆と同じ人間家畜側に分別されることはないであろう

子鼠やケケ中や菅や奥田や御手洗やナベツネなどの売国奴連中も
一般大衆と同じ人間家畜側に分別されることを避けるために
日本国を売ることに邁進しているのであろう
自分達は特別に選ばれた人間だと解釈してほくそ笑んでいるに違いない
卑しい選民思想でしかないと思うのだが連中は敗者の僻みとしか思わないだろう

連中の売国行為の犠牲となって死んでいく多くの命など眼中にない
まさにMichael Jacksonの「I just wanna say they don't really care of us」だ


03. 2011年1月05日 14:40:23: vo6bQYgRWo

「昼休み板」なるバッティング・ケージで、黙々と素振りを繰り返してきた「小沢内閣待望論」ブロガ―がフィールド復帰後、久々に見せた渾身の一撃と見た。文句なしフェンス・オーバーの当たりだ。
鬼塚英昭、オルタナティブ通信あたりからの転載だが、天皇のスパイ/ベラスコ・シリーズを書いた高橋五郎、それに副島隆彦も立場上何かに慮っているのだろうが、似たような視点を持っている筈。

極東軍事裁判において、明治以降、歴代天皇が英ガーター騎士団のメンバーであること、またその係累を知らない連合軍検察団が、天皇の戦争責任を糾弾すべきとの動きを見せた。これに慌てた英王室とさる欧州王室からの助命嘆願があって、以降沙汰止みとなった経緯がある由。


04. 2011年1月09日 06:29:34: B3CDvuOEiE

日本の偉い人たちは不利になると真っ先に逃げる。戦況不利になった満州から真っ先に逃げたのは陸軍。太平洋の諸島でも部下に万歳突撃を命じて自分だけは小型船で逃げる。天皇は東京が危ないというので長野の地下大本営に逃げようとした。つまり日本の偉い人たち自分のことしか考えていない。しかしそういう偉い人たちは税金で、つまり一般人の上がりで暮らしているわけだ。一般人の働きで養われている人たちが一般人を見下す、不利のときの捨て駒にする。ユダヤ人たちはゴイムと呼んでいるが日本のそういう貴族たちも似たようなものだ。


05. 2011年1月12日 21:40:43: 4yAGFWyMRs

戦後からネガチブな日本のことを嘘と妄想ばかし宣伝洗脳されてきたからとうとう彼らの予定とうり日本はなくなるね。人の世はこんなもんでしょうね。諦めるしかない。彼らには慈悲はないですから利用だけして反日達も切り捨てでしょう。
世界は完全家畜ですか。三島は日本が滅亡する姿を見たくなかった。彼は絶望して自殺しました。

一応、非常に非力ながらネットで調べた予定は4月に大手米銀を崩壊さす予定らしいですね。予定が遅れても必ずいつか実現させてるから。

そのあと日本の銀行も同時に破綻ですから予定どうり預金封鎖と政府債務踏み倒しと新円発行ですか。戦後の御破算ですね。

今回は世界統一と人口削減がセットにされてますから全銀行の廃止による経済崩壊と合わせて3次大戦と食料危機が開始される予定という塩梅ですか。まあ、はずれても近いとこでしょう。シナとの戦争は準備されてるでしょ。朝鮮せんそうも決定されてるでしょう。ここらが2012年までにというかんじですね。正念場ですか。

06. 2011年2月05日 10:12:50: Na5mjlhCcA

日本人が知らないだけで、幕末からこっち、日本の権力中枢は、ほとんどが、
ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの手先だよ!


07. 2011年2月12日 02:02:24: xO1eNzjKtM

明治維新で権力に返り咲いた者らは、
外務省や内務省どころじゃなく、
宮内省や皇族までもが
メーソンなんで。
天皇がメーソンの正装で写真に撮られていたとかの情報も
阿修羅にあるではありませんか。
いまさら何を。
嬉々として、大和民族を
サタンの生贄に捧げたんでしょうよ。

http://www.asyura2.com/0306/dispute11/msg/789.html


6.昭和天皇がメーソンに加入していたのではないかという話が著作家・財川外史によって書かれている(学習研究社、月刊ムー7月号)。
戦後、古神道の金井南龍の主催していた神理研究会の座談会で、日本屈指のスペイン語の権威、笠井鎮夫教授が驚天動地の話を漏らしたという。昭和天皇が皇太子だったころ、メーソンの社員の服装で写っている写真が存在する、というのだ、と。この話を、彼は、東京の法曹界では知らぬものはない高名な下村栄二弁護士から直接聞いたという。当時下村は三菱グループの顧問弁護士。昭和20年春、下村は東京大空襲で焼け出され、杉並区の松庵に避難。その隣家が詩人の小田秀人(心霊研究家でもある)で、すぐに仲良くなったという。この小田と上の笠井が友人関係。笠井は下村とも交友を結んだ。で、小田の家の離れでこの話が出たという。下村は別の弁護士益田正雄からメーソンの機関紙に皇太子のメーソン正装の写真が掲載されており、それを実際見せてもらったと断言したという。
笠井は上の座談会で、「誰かが何らかの目的でこんな写真を偽造したのでなければ当然若き日の皇太子が多分外国滞在中にどこかのメーソンのロッジをご訪問されたことになる。」と発言。もし写真が本物なら、大正10年の欧州巡行のときに撮られたものではないかと推測しているという。その根拠として、そのときの皇太子の供奉長を務めたいた珍田捨巳伯爵が「知る人ぞ知るメーソン社員」だからだというのである。(ちなみにサムさんの報告では三菱はメーソンの牙城だそうだ)。


08. 2011年2月20日 03:09:19: fhqMEypoT6

過去の真実が確かめるのが困難だが、この20年間の現実なら
国民はしっかりと焼付けている。
反日?自分にとって都合が悪い奴がか?
何がどうであれ、これ以上自民党政治の継承はないわ。
民主党も自民党と同じ連中である事は分かった。裏情報ではなく現実の政策でだよ。
奴隷というなら確かに現物から現金に代わっただけで現実に奴隷状態の人間はこの国にもおるろがい。
いつまでも黙っておれるかい。陰謀もへったくれもねえんだよ。


09. 2011年2月22日 01:47:21: xO1eNzjKtM

陸海軍の強大な人事権を持っていたのが、伏見宮であることを抜きにして、投稿本文は意味を成さないと思われます。先のNHK番組「海軍 400時間の証言」でも放映されました。余りに遅すぎる感はありますが。
統制派(戦争推進派)が権力を握ったのも、皇族の後ろ盾があったからです。黒幕こそが犯人なのです。

下記情報とともに置いておきます。

ロックフェラーの資金が太平洋問題調査会を通じて、真珠湾攻撃工作のために、ゾルゲ経由、日本の皇族に渡された
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html#c7

[近代史4] ジョセフ・マッカーシー上院議員

反知性主義者たちの肖像 - 内田樹の研究室
ジョセフ・マッカーシー上院議員
http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html


20世紀における反知性主義者のワーストテンに必ず算入されるはずの人間にジョセフ・マッカーシー上院議員がいる。彼が常習的な嘘つきであり、金に汚く、卑劣漢であったことについては無数の証言があるが、それは彼が1950年から1954年までトルーマン、アイゼンハウアーという二代の大統領の権限を「半身不随」に追い込むほどの権力を持った理由を説明してくれない。全盛期のマッカーシーはその一挙手一投足を世界のメディアが注視するアメリカでただ一人の上院議員だった。同盟国イギリスの『タイムズ』は彼のまわりに立ちこめる空気を「西側の政策決定にあたって不可欠の要素」と語り、ウィンストン・チャーチルはエリザベス二世の戴冠式の祝辞の中でマッカーシー批判の一節を挿入することを自制できなかった。短期ではあったけれど彼が国内外にふるったこの恐るべき影響力は彼の徹底的に反知性主義的な構えにあったと私は考えている。

 反知性主義はしばしば法外な政治力を持つことがある。ただし、それは「未来を持たない」という大きな代償と引き替えにしか手に入らない。反知性主義者の最大の特徴は「少し時間と手間をかければ根拠がないことが露見する話」を自信たっぷりに語ることにあるからである。

これほど自信ありげに断言するからには彼はきっと「真実」を語っているに違いないと人々は推論する。この推論そのものは経験的には正しい。けれども、少し時間が経つうちに、彼の話につじつまの合わないところが出て来て、疑問に思って話の裏を取ろうとする人も出てくる。すると、彼は「そんな話をしているんじゃない」と一喝して、また違う話を自信たっぷりに断言する。すると、これほど自信ありげに断言するからには、彼はきっとこの話題については真実を語っているに違いないと人々は推論し、問題になっている過去の断言についての吟味を停止する・・・ということが何度か繰り返される。それが何度か繰り返されているうちに、人々はどうも彼はその場しのぎで嘘を言うことで政治生命を延命させていただけではないのかということにようやく思い至る。でも、信じられないのだ。「どうしてそんなことをするのか」意味がわからないからだ。それが暴露されたときに(時間が経てば必ず暴露される)失うものがあまりに多いからだ。それがわかっていて、なぜ彼はあれほど嘘をつき続けたのか。マッカーシーも、上院議員として選挙民区でこまめに「どぶ板」活動をしているくらいのことで満足していれば、酒浸りで48歳で窮死することもなっただろう。

 ジョセフ・マッカーシーは政敵への遠慮ない人格攻撃と悪質な経歴詐称によって順調に政治的キャリアを積み重ね、40代で上院議員に選出された。

「1950年の初め頃、マッカーシーはウィスコンシン州以外の世間の人にとってはとるにたらぬ人間であった。ウィスコンシン州ではかれは下品で大げさな身振りの、公共の利益にいいかげんな態度で臨む安っぽい政治家として知られていた。アメリカ人百人のうち一人がその存在を知っていたかどうかも怪しい」という当時のジャーナリストの筆致は決して意地が悪すぎるというわけではない。(R・H・ロービア、『マッカーシズム』、宮地健次郎訳、岩波文庫、1984年、13頁)

 ある日転機が訪れる。1950年ウェストヴァージニア州のウィーリングの共和党婦人クラブという小さな集会でマッカーシーはその歴史的な演説をした。演説中で彼は、国務省は共産主義者の巣窟であり、自分も国務長官もその名前を記載したリストを持っているという爆弾発言を行った。

「後日、マッカーシーは共産主義者が205人と言ったか、81人、57人、それとも『多数の』と言ったかということで若干の論争があったが(かれが何か言うと必ず論争があった)、『国務長官にも知られている』共産主義者が『今も勤務し、政策を立てている』、これは事実だとかれが主張したのにくらべれば、数はどうでもよかった。」(同書、13頁)

 ただちに上院に調査委員会が組織されたが、マッカーシーはたいしたことを知っているわけではないということしかわからなかった。問題は、委員会がマッカーシーに「政府部内に共産主義者がいること」を証明せよと要望する代わりに、政府当局者は「政府部内に共産主義者がいないことを証明すべきだ」というマッカーシーの言い分にうっかり同意してしまったことだ。悪魔の証明である。ある政府部局に共産主義者が「ひとりでもいる」ことは簡単に証明できるが、「ひとりもいない」ことはほとんど証明不可能である。マッカーシーズムの期間、政府の各部局の長たちはマッカーシーの弾劾から組織を防衛するために「自分は腐敗しておらず、共産主義に反対で、反逆者を雇用してもいない」ことを証明することを他のすべての業務に優先せざるを得なかった。この無意味な作業のためにアメリカが五年間でどれほどの国益を失ったのか計算するのかを計測したものはいないが、おそらく天文学的な数値に上るだろう。彼が在任中に摘発できた「反逆者」は何人かの元共産党員だけに過ぎなかったが、彼が破壊したものは桁外れだった。

 マッカーシーは実際には共産主義者が政府部内に侵入しているのかどうか知らなかったし、興味もなかった。彼に必要だったのは何よりも「注目を浴びること」だった。

 彼がウィーリングで歴史的な演説をしたのは1950年2月9日だが、その一月前の1月7日にマッカーシーはワシントンで三人の選挙コンサルタントたち(ひとりの神父、ひとりの大学教授、ひとりの弁護士)とディナーを取りながら次の選挙の「目玉」になりそうな政策を物色していた。コンサルタントの一人はマッカーシーに「セント・ロレンス水路」の推進はどうかと提案した。マッカーシーはそれにはとりあわず、65歳以上のものに月額100ドルの年金をばらまくのはどうかと逆提案した。コンサルタントたちは賛成しなかった。別のコンサルタントが共産主義者の勢力拡大と破壊活動を主題にするのはどうかというアイディアを出した。マッカーシーはこれに飛びついた。彼らはしばらく討議したが、その話を持ち出した神父自身がマッカーシーの興奮ぶりを警戒して、こういう問題にあまり無責任なしかたで取り組まないようにと釘を刺した。マッカーシーは慎重に取り組むと約束したが、もちろん約束は守られなかった。

 この逸話は私に「反ユダヤ主義の父」ドリュモンがユダヤ人のフランス支配の陰謀の物語を着想したときのことを思い出させる。ドリュモンはその大著の刊行まで、新聞記者としてある新聞社で働いていた(その経営者はユダヤ人であり、彼はその社で厚遇されていた)。そしてある日、ドリュモンは、フランスの政治家も官僚も財界人もメディアもすべてはユダヤ人に支配されているという「隠された真実」を発見した。その証拠に、フランスのメディアは「政官財をユダヤ人が事実上支配している」という真実を報道していない。この完璧な報道管制こそユダヤ人の支配がフランス社会の隅々まで徹底していることの動かぬ証拠である。彼自身ユダヤ人が経営している新聞社で働きながら、そのことに気づかずにいたくらいだ・・・。不思議な論法であるが(ドリュモンという人は論理的な思考がほんとうに苦手な人だった)、読者たちはそれを読んで「なるほど」と同意した。
 マッカーシーもまたある日、共産主義者たちがひそかに政府を支配し、政策を起案しているという「真実」を発見した。まさに共産主義者が政策決定に深く関与していることが、共産主義者が政策決定に深く関与しているという事実が少しも明らかにされない当の理由なのだという論法もドリュモンとよく似ている。「そうでないことを証明してみせよ」という恫喝によってマッカーシーは4年間にわたって大統領と議会ににらみを効かせ、FBIを頥使し、アメリカ社会を狂騒と混乱のうちに陥れた。

 なぜ、このような人物がこれほどの政治力を発揮しえたのか。理由の一つは彼が「政府には共産主義者が巣喰っている」という自分が喧伝している当の物語を一瞬たりとも信じたことがなかったからだと『マッカーシーズム』の著者は書いている。私もこれに同意の一票を投じる。

「本当にそう信じ、本当に気にかけていたのなら、唯面倒くさいからとか、期待したような大見出しにならなかったからという理由で、調査を放棄するようなことはしなかっただろう。かれは政治的投機者、共産主義を掘り当て、それが噴油井を上って来るのを見た試掘者だったのである。そしてその噴油井が気に入った。しかし、別のどういう噴油井でも同じように気に入ったであろう。」(同書、97頁)

 例えば、マッカーシーはCIAこそ「最悪の状態」だと述べ、そこには百人以上の共産主義者がおり、それをこの手で根絶してみせると宣言した。だが、政府部内にマッカーシーの調査員たちがCIAを土足で歩き回ることを望むものはいなかった。彼らは自分たちの身内の調査委員会の結論(「何もありませんでした」)をマッカーシーに伝えた。マッカーシーはこれ以上ことを荒立てると誰かの虎の尾を踏むリスクがあることを感じ取ったのか、「この問題はこれ以上踏み込まない」と言って調査を切り上げた。マッカーシーの告発が正しければ、CIAはそれ以後も「最悪の状態」のままだったはずであるが、そのことはマッカーシーをあまり悩ませなかった。結局のところマッカーシーのキャンペーンは最終的に何一つ成就しなかったし、調査をすると発表しながら、調査に着手しないことさえあった。

 マッカーシーのカラフルな事例が教えてくれる最も豊かな教訓の一つは、自分の言っていることを信じていない人間は、自分の言っていることを信じている人間よりも、論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つという事実である。ふつうの人は、自分の言いたいことにまだ充分な裏付けがない場合は断定的に語るのを自制する。だから、どうしても歯切れの悪い言い方になる。そして、自分が「確信のないことを語るときの気後れ」を他人も経験するはずだと推論する。残念ながら、マッカーシーはそのような気後れとまったく無縁の人物であった。ロービアのほとんど詩的な罵倒を採録すると「マッカーシーは確かに嘘つきのチャンピオンだった。かれは思うままに嘘をついた。怖れることなく嘘をついた。白々しい嘘をつき、真実に面と向かって嘘をついた。生き生きと、大胆な想像力を用いて嘘をついた。しばしば、真実を述べるふりすらしないで嘘をついた。」(同書、71頁)

 反知性主義者には気後れというものがない。その点で、彼は論争における勝負の綾を熟知していると言ってよい。「ふつうなら気後れして言えないこと」を断定的に語る者はその場の論争に高い確率で勝利する。

 しかし、このような「短期決戦」スタイルの言論は当然ながら「手間暇をかけて裏を取る」人によってていねいに吟味されるといずれ土台から崩壊する。時間が経てば必ず崩壊する。だから、反知性主義のほんとうの敵は目の前にいる論敵ではない(彼らは目の前にいる人間のことなど、ほとんど気にしない)。彼らのほんとうの敵は時間なのである。
 時間はどのような手立てを講じようと経過する。そして、その過程で「嘘」は必ず露呈する。反知性主義者はだからある意味で「時間と戦っている」のである。それゆえ、彼らの戦術的狡知は「時間を経過させない」ことに集中することになる。

 時間を経過させないことは人間にはもちろんできない。人間にできるのは「時間が経過していないように思わせる」ことだけである。これについては経験的にかなり確かなやり方がある。それは反復である。「同じ言葉を繰り返すこと」「同じふるまいを繰り返すこと」によって時間は止まる(ように見える)。すべての反知性主義者はこの点については実に洞察力にすぐれた人類学者だと言わなければならない。彼らは太古の祭祀儀礼以来、同じリズム、同じメロディで反復される同じダンスを見せられているうちに人間は時間の感覚を失ってしまうということを熟知している。強化された反復によって、人間の時間意識は麻痺する。自然的時間は経過するのだが人間的時間は経過しない。歴史上のすべてのデマゴーグはこのことを直感的に知っていた。彼らはしばしば「雄弁」だと言われるが、その「雄弁」性は次々と新しい語彙を作り出すとか、次々と新しい概念を提出するとか、次々と新しいロジックを繰り出すというかたちでは示されない。彼らの「雄弁」性の本質を形成するのは、同一のストックフレーズの終わりなき繰り返しを「厭わない」という忍耐力なのである。

 ふつうの人間は同一性の反復に長くは耐えられない。同一の口調、同一のリズム、同一のピッチ、同一の身振りを繰り返すということはどこか本質的に反生命的・反時間的なふるまいだからである。同一的なものの反復は反生命的であり、反時間的である。だが、デマゴーグは反復を厭わない。むしろ反復に固執する。同じ表情、同じ言葉づかいで、同じストックフレーズを繰り返し、同じロジックを繰り返す。政治的失敗を犯した場合でさえ、その失敗をあえて二度三度と繰り返す。彼らは失敗から学習するということをしない。学習によって「変わる」とせっかく止めていた時間が動き始めてしまうからだ。彼らは同じ表情で、同じ言葉を繰り返す。それを見ているうちに、私たちはそれがいつの出来事だったのか、しだいにわからなくなってくる。一年前の出来事なのか、三年前の出来事なのか、それとも一年後の出来事なのかが識別ができなくなる。この過剰なまでの同一性への固執は彼らの知的無能を示しているのではない。むしろ、彼らの戦術的狡知の卓越性を示している。彼らは自分たちが息を吐くようについている嘘が時間の経過に耐え得ないものであることを知っている。だから、時間を止めようとするのである。
http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1017.html

[近代史4] ユダヤ陰謀論の起源

反知性主義者たちの肖像 - 内田樹の研究室
ユダヤ陰謀論の起源
http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html

 ホーフスタッターは反知性主義者の相貌を次のように描き出している。反知性主義の「スポークスマンは、概して無学でもなければ無教養でもない。むしろ知識人のはしくれ、自称知識人、仲間から除名された知識人、認められない知識人などである。読み書きのできる彼らは、ろくに読み書きのできない人々を指導し、自分たちが注目する世界の問題について、真剣かつ高邁な目的意識をもっている。」(同書、19頁)

 彼らは世界のなりたちを理解したいという強い知的情熱に駆られており、しばしば特定の分野について驚くほど専門的な知識や情報を有している。また、世界をよりよきものにしようという理想主義においてもしばしば人に後れをとることはない(と口では言う)。
 けれども、そのような知的情熱や理想主義がしばしば最悪の反知性主義者を生み出すことになるのである。具体的な例を挙げた方がわかりやすいだろう。反ユダヤ主義者がそうだ。


 私はある時期、ヨーロッパにおけるユダヤ教思想と反ユダヤ主義について研究していたことがある。そして、この分野について日本にも膨大な量の「研究」書が存在することに驚嘆した。

 日本にはユダヤ人はほとんどいない。日本には二つしかシナゴーグ(ユダヤ教会堂)がないが、東京広尾にあるシナゴーグに通っていた在日ユダヤ人は1980年代末で1000人。神戸のシナゴーグに通うユダヤ人はもっと少なかった。日本はユダヤ人とほとんど無関係な国だということである。にもかかわらず、「ユダヤがわかると世界がわかる」とか「ユダヤ人の世界征服の陰謀」といったタイプの反ユダヤ主義的な書物は飽きることなく出版され続けている。それらの本を開くと、国際政治も国際経済もメディアもすべてはユダヤ人の国際ネットワークによって操られているという同工異曲の主張が延々と記されている。よくこんなことまで調べたものだ・・・と驚嘆するほどトリビアルな情報が紹介されている。そのような文章を書いている人たちは、ユダヤ人の世界支配の抑圧的な機構からわれわれを解放しさえすれば、自由で豊かな世界を奪還できるとおそらく信じているのであろう。これらの書物の書き手は間違いなく知的情熱に駆られており、おそらくは善意の人である。けれども、そこには何か知性のはたらきをはげしく阻害するものが含まれている。私はそれを「反知性」として咎めるのである。

 知性と反知性を隔てるものは対面的状況でなら身体反応を通じて感知可能であると私は上に書いた。二人で顔を向き合わせている状況だったら、「私」の知性が活性化したかどうかを自己点検すれば、それだけで自分の前にいる人が知性的な人かどうかは判定できる。個人的なレベルでの、かつ短期の出会いについては、それで対応できる。けれども、個人が自分の身体をモニターして前にいる人物が知性的であるかないかを判断するにはおのずと限りがある。会ったこともないし、見たこともないし、声を聴いたこともない人々(外国の人たちや、死者たちはたいていそうだ)の思考や行動が知性的であるかどうかをみきわめるためには、もう少し射程の広い「物差し」が要る。知性と反知性を識別するためには、どのような基準を適用すればよいのか。

 反ユダヤ主義に見られる「陰謀史観」は反知性主義の典型的なかたちである。私はそれを「反知性」と判定する。なぜそう判定できるのかを説明するために、まずこのような思考枠組みが出現してくる歴史的経緯を見ておきたい。
 世の中にはさまざまな理解しがたい事象が存在する。例えば、グローバル経済では関与する変数が多くなり過ぎて、もはやどのような専門家もこれを単純な方程式に還元することができなくなってしまっている。どこか遠い国で起きた通貨の暴落や株価の乱高下や、あるいは天災やパンデミックのせいで、一国の経済活動が致命的な打撃を受けるリスクがある。一国単位でどれほど適切な経済政策を採択していても、その打撃を逃れることはできない。私たちが知っている限りでも、ドルショック、オイルショック、リーマンショックといった「ショック」によってわが国の経済は繰り返し激震に襲われて、長期にわたる低迷を余儀なくされた。「ショック」という言葉が示すように、それはいつ来て、どれほどの被害を、どの領域にもたらすか予測できないかたちで到来した。私たちがそれらの経験から学んだのは、経済についての専門知は、「想定内の出来事」だけしか起きないときにはそれなりに有用だが、「想定外の出来事」についてはほとんど役に立たないということであった。

 この無力感・無能感から陰謀史観は生まれる。陰謀史観というのは、どこかにすべてをコントロールしている「張本人(author)」がいるという仮説である。一見すると、まったく支離滅裂に、いかなる法則性にも随わずランダムに、まさに「想定外」のしかたで生起しているように見えるもろもろの事象の背後には、他者の苦しみから専一的に受益している陰謀集団が存在する。そういう物語への固着のことを陰謀史観と呼ぶ。

 陰謀史観は人類史と同じだけ古いが、近代の陰謀史観は18世紀末のフランス革命を以て嚆矢とする。革命が勃発したとき、それまで長期にわたって権力と財貨と文化資本を独占してきた特権階級の人々はほとんど一夜にしてすべてを失った。ロンドンに亡命したかつての特権階級の人々は日々サロンに集まっては自分たちの身にいったい何が起きたのかを論じ合った。けれども、自分たちがそこから受益していた政体が、自分たちがぼんやりと手をつかねているうちに回復不能にまで劣化し、ついに自壊に至ったという解釈は採らなかった。彼らはもっとシンプルに考えた。これだけ大規模な政治的変動という単一の「出力」があった以上、それだけの事業を成し遂げることのできる単一の「入力」があったはずだ。自分たちは多くのものを失った。だとすれば、自分たちが失ったものをわがものとして横領した人々がいるはずである。その人々がこの政変を長期にわたってひそかに企んできたのだ。亡命者たちはそう推論した。

 だが、革命前のフランス社会には、そのような巨大な事業を果しうるほどの力を備えた政治集団は存在しなかった。少なくとも政府当局はそのようなリスクの切迫を感知していなかった。しかるに、ある日突然、磐石のものと見えていた統治システムが根底から覆されたのである。恐るべき統率力をもった単一の集団によって事件は計画的に起こされたに違いないのだが、事前にはそのような事業をなし得る政治的主体が存在することさえ知られていなかったのだとすると、そこから導かれる結論はひとつしかない。それは一国の政体をあっというまに覆すことができるような巨大な政治的主体が久しく姿を現さないままに活動していたという「秘密結社の物語」である。

 陰謀史観の本質はこの推論形式に現われている。それは「巨大な政治的主体が誰にも気づかれずに活動している」ということがまず事実として認定され、そのあとに「それは何ものか」という問いが立てられるということである。重要なのは「陰謀集団が存在する」ということであって、それが誰であるかということには副次的な重要性しか与えらない。事実、ロンドンに亡命した貴族たちは「犯人は誰か?」という問いに熱中した。フリーメーソン、ババリアの啓明結社、聖堂騎士団、プロテスタント、英国の海賊資本、ジャコバン派、ユダヤ人・・・さまざまな容疑者の名が上がった。そして、多くの陰謀史観論者は「犯人」の特定を二転三転させたが、それを恥じる様子は見られなかった。その様子は適当な容疑者を殺人事件の犯人に仕立て上げて一件落着を急ぐ冤罪常習者の警察官を思わせる。彼らにとっては「この事件の全過程をコントロールしている単一の犯人が存在する」という信憑を強化できるのであれば犯人は誰でもよかったのである。

 最終的に19世紀末にエドゥアール・ドリュモンというジャーナリストが登場して、「フランス革命からの100年間で最も大きな利益を享受したのはユダヤ人である。それゆえ、フランス革命を計画実行したのはユダヤ人であると推論して過たない」と書いた。この推論は論理的に間違っている(「風が吹いたので桶屋が儲かったのだから、気象を操作したのは桶屋である」という推論と同型である)。だが、フランス人たちはそんなことは気にしなかった。ドリュモンのその書物『ユダヤ的フランス(la France juive)』は19世紀フランス最大のベストセラーになり、多くの読者がその物語を受け容れ、著者宛てに熱狂的なファンレターを書き送った。その多くは「一読して胸のつかえが消えました」、「頭のなかのもやもやが一挙に晴れました」、「これまでわからなかったすべてのことが腑に落ちました」という感謝の言葉を書き連ねたものだった。読者たちはどうやらこの物語に身体の深いところで納得してしまったようである。

 やがて、ドリュモンのこの物語は、同時期にロシアの秘密警察が捏造した偽書『シオン賢者の議定書』とともに全世界に広がり、半世紀後に「ホロコースト」として物質化することになった。フランス革命とユダヤ人を結びつけた陰謀史観の物語はおそらく人類史上最悪の「反知性主義」の事例としてよいだろう。

 600万人ユダヤ人の死を帰結したこの物語の最初のきっかけがはげしい「知的渇望」だったということを私たちは忘れるべきではない。そして、この書物を迎えた読者たちの支配的な反応が「長年の疑問が一挙に氷解しました。ありがとう」という大きな解放感と感謝の気持ちだったことも。

 歴史的変動(ドリュモンの場合は、産業革命以後のフランスの急速な近代化・都市化・産業化趨勢)に遭遇した人々が「どうして『こんなこと』が起きたのか」を知りたがるのは人間知性の自然である。知性の健全のあかしであると言ってもよい。しかし、その知的渇望はどこかで反知性に転じた。どこで転じたのか。

 いささか無礼な言い方になるが、それは一言で言えば、彼らが自分程度の知力でも理解できる説明を切望したからである。

 実際に、フランス革命は単一の「張本人」のしわざに帰すことのできるような単純なものではなかった。統治システムの経年劣化、資本主義の発達に伴う生産や流通構造の変化、科学とテクノロジーの進化、近代市民社会理論の登場、英雄的革命家の出現など無数のファクターが革命の勃発には関与しており、そのどれか一つが欠けていても、革命は別の軌跡を辿り、別の政治的事象となったはずである。だから、「どうして革命が起きたのか?」という問いに対して、一言で答えることは不可能なのである。強いて言えば、「いろいろな原因の複合的効果によって」というのがもっとも正直な回答なのであろうが、そのようなあいまいな説明を嫌って、人々は「ずばり一言で答えること」を求めた。

 これもまた知的渇望の一つのかたちだなのである。同一の現象について複数の説明がある場合、もっともシンプルな説明を選好する。これもまた知性の働きである。たしかに、一見複雑怪奇に見える現象の背後には、美しいほど単純な数理的法則が存在するという直感こそは、科学的知性を起動させる当のものだからである。

 数学にはさまざまな「予想」が存在する。フェルマー予想をフェルマーは「証明した」と書き残したが、久しく誰も証明も反証もできなかった。予想が証明されたのは360年後のことである。リーマン予想は予想が示されてから150年経った現在でも証明されていないが、多くの数学者はいずれ証明されると信じている。数学における「予想」の存在が示すのは、平たく言えば、人間には「まだわからないはずのことが先駆的にわかる」能力が備わっているということである。
  
 かつてソクラテスは「問題」について似たようなことを言った。「問題」というのはよく考えると不思議な性質のものである。私たちはその解法がわかっているものを「問題」としては意識しない。またその逆に、その解法がまったくわからないものも「問題」としては意識しない。私たちが「これは問題だ」と言うのは、まだ解けていないが、時間と手間をかければいずれ解けることが直感されているものだけである。私たちの知性は、自分がまだ解いていない問題について「まったく解けない」のか「手間暇さえかければ解ける」のかを先駆的に判断している。

 私たちの知性はどこかで時間を少しだけ「フライング」することができる。知性が発動するというのはそういうときである。まだわからないはずのことが先駆的・直感的にわかる。私はそれが知性の発動の本質的様態だろうと思う。

 あらゆる自然科学は、一見ランダムに生起しているかに見える自然現象の背後に数理的な法則性が走っていることを直感した科学者たちによって切り拓かれてきた。その科学的知性のプロトタイプは、自然を前にしてじっと観察している子どものうちに見ることができる。子どもたちを自然の中に放置すると、しばらくしてそれぞれの興味に従って「観察するもの」を選び出す。あるものは昆虫を眺め、あるものは花を眺め、あるものは空の雲を眺め、あるものは海岸に寄せる波を眺める。そうしているうちに、子どもたちがふっと観察対象のなかにのめり込む瞬間が訪れる。それは彼らの様子を横で見ているとわかる。いったいどういう場合に「のめり込む」のか。それは「パターンを発見したとき」である。虫の動きのうちにある法則性があることを直感したとき、花弁のかたちにある図形が反復することを直感したとき、岸辺に寄せる波の大きさに一定のパターンがあることを直感したとき、子どもたちは彼らなりのささやかな「予想」を立てる。もし自分の仮説が正しければ、次は「こういうこと」が起きるはずだと考える。そして自分の「予想」の通りの「イベント」が起きるかどうか息を詰めて見守る。そのとき、子どもたちは自然の中に一歩踏み込み、自然と融合している。それは、はたで見ていても感動的な光景である。そのとき、私たちは彼らのうちで科学的知性が起動した瞬間に立ち合っているからである。
 このような「対象へののめり込み」は「ずばり一言で言えば」というシンプルな説明を求める知的渇望とは似て非なるものである。どちらもランダムな事象の背後に存在する数理的秩序を希求している点では変わらない。でも、一点だけ決定的に違うところがある。それは先駆的直感には時間が関与していることである。

 自分がある法則を先駆的に把持していることはわかるけれどそれをまだ言葉にできないときの身もだえするような前のめりの構えにおいて、時間は重大なプレイヤーである。「まだわからないけれど、そのうちわかる」という予見が維持できるのは、時間の経過とともにその予見の輪郭や手触りがしだいに確かなものに変じてゆくからである。「熟す」という言い方をしてもいい。青い果実が時間とともにしだいに果肉を増し、赤く変色し、ずしりと持ち重りのする熟果になるプロセスにそれは似ている。Time is on my side というローリングストーンズの名曲があるが、「時間は私の味方である」というのは、時間の経過とともに自分の予見や願望がしだいに現実性を増してゆくことが今この瞬間も感知されている消息を語っている。

 フェルマー予測は証明までに360年がかかった。一人の人間の寿命どころか、一つの王朝の興亡に匹敵する時間である。その予測が維持されたのは、時間の経過とともに予測の証明に「近づいている」という実感を世代を超えた数学者たちが共有したからである。
「私が見ているものの背後には美しい秩序、驚くほど単純な法則性が存在するのではないか」という直感はある種の「ふるえ」のような感動を人間にもたらす。その「ふるえ」はその秩序や法則を発見した「個人」が名声を得たり、学的高位に列されたり、世俗的利益を得たりすることを期待しての「ふるえ」とは違う。「誰にでもすぐにその価値や意味が理解されそうな発見」はたぶんそれほどの感動をもたらさない(経験したことがないから想像だが)。ノーベル賞級の発見をしたのだが、ジャーナルに早く投稿しないと、「他の誰か」が自分と同じ発見をして、プライオリティも特許も奪われてしまうかもしれないと恐れているときの「ふるえ」は私が話しているものとは違う。「他の誰か」が自分と同じ発見をしてしまうからもしれないから「急ぐ」という構えそのもののうちに何か本質的に反知性的なものがあるように私には思われる。というのは、自分が直感的に幻視した仮説が「他の誰かによって、すぐに」追尋可能なものであるということが本人にもわかっているなら、実はそれはそれほど直感的ではなかったということだからである。真の直感はもっと大きな時間の流れの中に人を置く。

 自分は今これまで誰も気づかなかった「巨大な知の氷山」の一片に触れた。それはあまりに巨大であるために自分ひとりでは、一生をかけても、その全貌を明らかにすることはできない。だから、これから先、自分に続く多くの何世代もの人々との長い協働作業を通じてしか、自分が何を発見したのかさえ明らかにならないだろう。そのような宏大な見通しのうちで、まだ顔も知らない(まだ生まれてもいない)未来の協働研究者たちとのたしかな連帯を感じるときに、ひとは「ふるえ」を覚えるのだと私は思う。

 ひとが「ふるえる」のは、自分が長い時間の流れの中において、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなしている」という実感を得たときである。「いるべき」ときも、「いるべき」ところも、「なすべき」わざも、単独では存立しない。それは、死者もまだ生まれぬ人たちをも含む無数の人々たちとの時空を超えた協働という概念抜きには成立しないのである。もう存在しないもの、まだ存在しないものたちとの協働関係というイメージをありありと感知できた人間のうちにおいてのみ、「私以外の誰によっても代替し得ない使命」という概念は受肉する。

 自然科学というのはまさにそのようなものである。科学性とは何かということについて深く考究したカール・ポパーはこんな例を挙げている。無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが孤島に研究室を建て、そこで冷徹な観察と分析に基づいて膨大な数の論文の執筆をなしとげたと仮定する。その研究成果は現在の自然科学の知見とぴたりと一致するものであった。さて、クルーソーは「科学者」だと言えるだろうか。ポパーは「言えない」と答える。ロビンソンの科学には科学的方法が欠如しているからである。

「なぜなら、彼の成果を吟味する者は彼以外にはいないし、彼個人の心性史の不可避的な帰結であるもろもろの偏見を訂正しうる者は彼以外にはいない」からである。

「人が判明でかつ筋道の通ったコミュニケーションの修練を積むことができるのは、ただ自分の仕事をそれをしたことのない人間(somebody who has not done it)に向かって説明する企てにおいてだけであり、このコミュニケーションの修練もまた科学的方法の構成要素なのである。」(Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, Vol.II, Princeton University Press,1971, p.219,強調はポパー)

ポパーは科学的客観性とは何かについて、ここでたいへんリアカットな定義を下している。
「われわれが『科学的客観性』と呼んでいるものは、科学者の個人的な不党派性の産物ではない。そうではなくて科学的方法の社会的あるいは公共的性格(social or public character of scientific method)の産物なのである。そして、科学者の個人的な不党派性は(仮にそのようなものが存在するとしてだが)この社会的あるいは制度的に構築された科学的客観性の成果なのであって、その起源ではない。」(Ibid., p.220)

「科学および的客観性はひとりひとりの科学者の『客観的』たらんとする個人的努力に由来するものではない(由来するはずもない)。そうではなくて、多くの科学者たちの友好的−敵対的な協働に(friendly-hostile co-operation of many scientist)由来するのである。」(Ibid., p.217,強調はポパー)

 私はポパーが「科学」について述べたことは「知性」についてもそのまま準用できるだろうと思う。科学の場合と同じく、知性が知性的でありうるのは、それが「社会的あるいは公共的性格」を持つときだけである。個人がいかほど「知性的であろう」と念じても、人は知性的であることはできない。知性は「社会的あるいは公共的な」かたちでしか構築されないし、機能もしない。

 ただし、「社会的あるいは公共的」という言葉から、「学会」のようなものを漠然と想像すべきではないだろう。複数の専門家が一堂に会して、相互に忌憚なく業績を評価する仕組みができているというだけでは「社会的あるいは公共的」という条件は満たされない。現に、20世紀以降でも、さまざまな国家において当代一流の学者たちがぞろぞろと時の権力者の喜びそうな学説の保証人になった例を私たちはいくらでも知っているからである。ある一時点において多くの支持者を得た支配的な学説であるということだけでは「社会的あるいは公共的」という条件は満たされない。「社会的あるいは公共的」であるためには、時間を味方にしなければならない。時間の経過とともに、学説のあちこちに散乱していた「満たされるべき空虚」がひとつひとつ充填されてゆくような力動的なしかたで構成されたものを「社会的あるいは公共的」な言明と呼ぶべきだと私は思う。そのようなプロセスが出来するためには、そのプロセスには「原理的にその場に居合わせることができないもの」たちも含まれていなければならない。死者たちもいまだ生まれざる者たちにもまたその場に参加する正式の招待状を送られていなければならない。

 社会性、公共性とはいまここにおける賛同者の多寡によって計量されるものではない。そうではなくて、過去と未来の双方向に向けて、時間的に開放されているかどうか、それが社会性・公共性を基礎づける本質的な条件だろうと私は思う。「協働」という言葉に私が託したいのは、そのような「存在しない人々」をもフルメンバーとして含む、時空を超えて拡がる共同体の営みのイメージである。

 ポパーはかつて、科学者は先行する世代の科学者たちの「肩の上に立って」仕事をするという卓越した比喩を用いたことがある。死者たちからの贈与の恩恵を私たちはいま享受している。だとすれば、私たちの仕事の成果に何らかの価値があったとしたら、その果実を受け取るのは未来の科学者たち、まだ生まれていない、私たちがまだその顔も知らない科学者たちであることになる。先行世代から伝えられた「パス」を、次世代に繋ぐこと。ポパーの「社会的あるいは公共的」という言葉から私が思い浮かべるのは、そのような時間の流れの中で生起する繋がりである。

 それゆえ、時間の中でその真理性がしだいに熟してゆくような言明を私は「知性的」と呼びたいと思っている。私が時間の関与にこだわるのは、「ランダムな事象の背後に存在する数理的秩序」を幻視する知性の渇望が必ずしも知性的なものではないということを言いたかったからである。陰謀史観がその適例であるが、それは同時代に多くの賛同者を得たという意味についてだけ言えば「社会的・公共的」な仮説と言えなくもない。けれども、そこには構造的に欠落しているものがあった。そこには時間が流れていなかったのである。

ドリュモンは古代ローマから現代まで、ヨーロッパの全歴史は「セム族の世界支配の陰謀との戦い」の歴史であったと書いた。それゆえ、これからのちも同じ戦いが意匠を変えて継続することになるだろう、と。彼の物語において、死者たちも未来世界の人々も、その相貌はほとんど変わることなく同一である。セム族の人間は永遠不変のセム的性格を負い続け、アーリア人種も永遠のアーリア人性を負い続ける。たしかに、それによって世界史の見通しは驚異的にシンプルなものになる。あらゆる歴史的出来事は同一の戦いの反復と変奏だったのである。ドリュモンの物語の中で、死者たちは誰もがぎくしゃくした「操り人形」のように無個性的で、無表情である。彼らはただ単一の分かり易いストーリーを再演するためだけにそこに繰り返し召喚される。私はドリュモンの書いた膨大な反ユダヤ主義文献を読みながら何度も窒息感を覚えた。彼において、過去はほとんど現在であった。古代ローマ人も中世の騎士たちも、19世紀末のフランスの紳士たちと同じような論理と感受性によって行動している。その絶望的な「広がりのなさ」に私は辟易したのである。その経験が私に教えてくれるのは、反知性主義を決定づけるのは、その「広がりのなさ」「風通しの悪さ」「無時間性」だということである。

 反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。

 だから、彼らは少し時間をかけて調べれば簡単にばれる嘘をつき、根拠に乏しいデータや一義的な解釈になじまない事例を自説のために駆使することを厭わない。これは自分の仕事を他者との「協働」の一部であると考える人は決してすることのないふるまいである。

 私はこれを「エンドユーザー・シップ」というふうに呼んでいる。自分の知的努力を享受するのは自分ひとりである。自分の努力がもたらした成果は自分が使い切る。誰にも分与しない、贈与もしない。そう考える人のことを私は「エンドユーザー」と呼ぶ。
 これは大学で卒論指導をしているときに学生たちに毎年伝えたことである。私はこんなふうにオリエンテーションのときに話した。

 諸君にはこれから卒業論文というものを書いてもらう。これは君たちがこれまで書いてきた「レポート」とは性質が違うものである。「レポート」の場合、君たちは自分がどれほど勉強したか、どれほど出席して講義をノートしたかを、教師ひとりに専一的にアピールすれば済む。「レポート」はふつう教師ひとりしか読まない。だから、たとえそこに嘘を書いても、読んでもいない本を読んだことにしても、ネットからコピーした文章を切り貼りしても、教師ひとりがそれを見落とせば、諸君は高い評点をもらえる可能性がある。そういう「レポート」は評点をもらったらその使命を終え、誰にも読まれることなく、そのまま退蔵され、やがて捨てられる。それがどれほど不出来でも、どれほど誤謬や推論上のミスがあっても、それで困るものはどこにもいない。

 卒論はそれとは違う。卒論は君たちのほとんどにとって生涯にただ一度だけ書く「学術論文」である。それは潜在的には「万人」が読者であるということを意味している。教師ひとりが読むわけではない。だから、仮にデータの数値が間違っていたり、引用文献の書名が間違っていたり、事実誤認があったり、論理的に筋道が通らないことが書かれていた場合、仮に教師が読み落としても、他の誰かから指摘される可能性がある。実際に、うちのゼミ生の卒論をネットで公開したとき、自著からの「盗用」に気づいて指摘してきた人がいた。その学生はまさか盗用した本人が自分の論文を見ることになるとは思っていなかったのだろう。

 だから、論文の読者が「万人」であるということは書き手にそれなりの緊張感を求める。けれども、それは必ずしもストレスフルな緊張感には限られない。諸君には「君たちと同じテーマで卒論を書くことになった、何年か先の内田ゼミの後輩」を想定読者に論文を書いて欲しい。それならどう書いていいかわかるはずだ。

「重箱の隅を突くような」査定的なまなざしを意識して文章を書くことがいつもよいこととは限らない。たいていの場合、査読者に「自分の論文がどれほどの評点を得るのか」怯えながら書くよりも、自分の後輩を想定読者にして、彼女たちが「自分の論文からどれほどの利益と愉悦を得るか」を想像しながら書く方がずっと生産的だ。

 そう考えれば、どう書けばよいかはわかるだろう。君たち自身がこのテーマで卒論を書こうと決めたとき、「こういう先行研究があったらいいな」ということを漠然と思い描いたはずだ。だったら、それをそのまま後輩のために書くようにすればいい。論理的な記述を心がけるのも、引用に正確を期すのも、データや史料の恣意的解釈を自制するのも、それは君たちの書いた「先行研究」を後輩たちがその上に立つことのできる「肩」にするためだ。君たちが読みやすくて、論理的で、データが豊富で、信頼性の高い研究論文を書き残せば、それは「パブリック・ドメイン」として多くの後続研究者に繰り返し利用されることになる。学術研究では「被言及回数・被引用回数」がその論文のもつ影響力の尺度として用いられるけれど、それは言い換えれば、その研究の「社会性・公共性」が高いということだ。

 君たちがこれから書く論文の価値を判定するのはゼミの指導教師である私ではない。これから君たちの論文を読むことになる「まだ存在してない読者たち」である。その人たちのために書かなければならない。「レポート」の場合、どれほどひどいものを書いても、どれほど引用のしかたがずさんでも、データの転記ミスがあっていても、それを読んで実害をこうむる読者は(絶望的な気分になる教師の他には)誰もいない。でも、「論文」の場合はそうではない。もし、君たちが引用出典の頁数を間違えたり、書名を誤って表記していたら、後輩たちは典拠を探しあぐねて図書館で何時間もうろうろしなければならないかも知れない。論理的に記述されていなければ、いったい何を言いたいのか知るために繰り返し同じ頁をめくらなければならないかも知れない。論文の質がよいか悪いか、それから影響を受けるのは、まだ見ぬ読者たちである。君たちが質のよい論文を書けば、それによって受益するのは、まだ見ぬ読者たちである。君たちはその人たちに向けて「よいパスを出す」ことを期待されている。論文において君たちはエンドユーザーではなく、パッサーなのである。

 おおよそそのような話を私は卒論ゼミの最初の時間に学生たちに話してきた。易しい言葉づかいではあるけれど、私なりに「知性的」であるとはどういうことか、「科学的」であるとはどういうことかを学生に説き聞かせてきたつもりである。それは最終的には「まだ見ぬ読者たち」との協働の営みをどれほど生き生きと想像できるかにかかっている。
 反知性的なふるまいは「狭さ」を特徴する。それは上に書いたとおりである。彼らは「いま、ここで、目の前にいる人たちを威圧すること(黙らせること、従わせること)」を当面の目標にしている。それ以外には目的がない。その場での相対的優位の確保、それが彼らの求めるもののすべてである。ほんとうにそうなのだ。彼らには「当面」しかない。彼らは時間が不可逆的なしかたで流れ、「いま、ここ」で真実とされていることが虚偽に転じたり、彼らが断定した言明の誤りが暴露されることを望まない。それくらいなら、時間が止まった方がましだと思うのである。この「反時間」という構えのうちに反知性主義の本質は凝集する。

 20世紀における反知性主義者のワーストテンに必ず算入されるはずの人間にジョセフ・マッカーシー上院議員がいる。彼が常習的な嘘つきであり、金に汚く、卑劣漢であったことについては無数の証言があるが、それは彼が1950年から1954年までトルーマン、アイゼンハウアーという二代の大統領の権限を「半身不随」に追い込むほどの権力を持った理由を説明してくれない。全盛期のマッカーシーはその一挙手一投足を世界のメディアが注視するアメリカでただ一人の上院議員だった。同盟国イギリスの『タイムズ』は彼のまわりに立ちこめる空気を「西側の政策決定にあたって不可欠の要素」と語り、ウィンストン・チャーチルはエリザベス二世の戴冠式の祝辞の中でマッカーシー批判の一節を挿入することを自制できなかった。短期ではあったけれど彼が国内外にふるったこの恐るべき影響力は彼の徹底的に反知性主義的な構えにあったと私は考えている。
 反知性主義はしばしば法外な政治力を持つことがある。ただし、それは「未来を持たない」という大きな代償と引き替えにしか手に入らない。反知性主義者の最大の特徴は「少し時間と手間をかければ根拠がないことが露見する話」を自信たっぷりに語ることにあるからである。

これほど自信ありげに断言するからには彼はきっと「真実」を語っているに違いないと人々は推論する。この推論そのものは経験的には正しい。けれども、少し時間が経つうちに、彼の話につじつまの合わないところが出て来て、疑問に思って話の裏を取ろうとする人も出てくる。すると、彼は「そんな話をしているんじゃない」と一喝して、また違う話を自信たっぷりに断言する。すると、これほど自信ありげに断言するからには、彼はきっとこの話題については真実を語っているに違いないと人々は推論し、問題になっている過去の断言についての吟味を停止する・・・ということが何度か繰り返される。それが何度か繰り返されているうちに、人々はどうも彼はその場しのぎで嘘を言うことで政治生命を延命させていただけではないのかということにようやく思い至る。でも、信じられないのだ。「どうしてそんなことをするのか」意味がわからないからだ。それが暴露されたときに(時間が経てば必ず暴露される)失うものがあまりに多いからだ。それがわかっていて、なぜ彼はあれほど嘘をつき続けたのか。マッカーシーも、上院議員として選挙民区でこまめに「どぶ板」活動をしているくらいのことで満足していれば、酒浸りで48歳で窮死することもなっただろう。

 ジョセフ・マッカーシーは政敵への遠慮ない人格攻撃と悪質な経歴詐称によって順調に政治的キャリアを積み重ね、40代で上院議員に選出された。

「1950年の初め頃、マッカーシーはウィスコンシン州以外の世間の人にとってはとるにたらぬ人間であった。ウィスコンシン州ではかれは下品で大げさな身振りの、公共の利益にいいかげんな態度で臨む安っぽい政治家として知られていた。アメリカ人百人のうち一人がその存在を知っていたかどうかも怪しい」という当時のジャーナリストの筆致は決して意地が悪すぎるというわけではない。(R・H・ロービア、『マッカーシズム』、宮地健次郎訳、岩波文庫、1984年、13頁)

 ある日転機が訪れる。1950年ウェストヴァージニア州のウィーリングの共和党婦人クラブという小さな集会でマッカーシーはその歴史的な演説をした。演説中で彼は、国務省は共産主義者の巣窟であり、自分も国務長官もその名前を記載したリストを持っているという爆弾発言を行った。

「後日、マッカーシーは共産主義者が205人と言ったか、81人、57人、それとも『多数の』と言ったかということで若干の論争があったが(かれが何か言うと必ず論争があった)、『国務長官にも知られている』共産主義者が『今も勤務し、政策を立てている』、これは事実だとかれが主張したのにくらべれば、数はどうでもよかった。」(同書、13頁)

 ただちに上院に調査委員会が組織されたが、マッカーシーはたいしたことを知っているわけではないということしかわからなかった。問題は、委員会がマッカーシーに「政府部内に共産主義者がいること」を証明せよと要望する代わりに、政府当局者は「政府部内に共産主義者がいないことを証明すべきだ」というマッカーシーの言い分にうっかり同意してしまったことだ。悪魔の証明である。ある政府部局に共産主義者が「ひとりでもいる」ことは簡単に証明できるが、「ひとりもいない」ことはほとんど証明不可能である。マッカーシーズムの期間、政府の各部局の長たちはマッカーシーの弾劾から組織を防衛するために「自分は腐敗しておらず、共産主義に反対で、反逆者を雇用してもいない」ことを証明することを他のすべての業務に優先せざるを得なかった。この無意味な作業のためにアメリカが五年間でどれほどの国益を失ったのか計算するのかを計測したものはいないが、おそらく天文学的な数値に上るだろう。彼が在任中に摘発できた「反逆者」は何人かの元共産党員だけに過ぎなかったが、彼が破壊したものは桁外れだった。

 マッカーシーは実際には共産主義者が政府部内に侵入しているのかどうか知らなかったし、興味もなかった。彼に必要だったのは何よりも「注目を浴びること」だった。

 彼がウィーリングで歴史的な演説をしたのは1950年2月9日だが、その一月前の1月7日にマッカーシーはワシントンで三人の選挙コンサルタントたち(ひとりの神父、ひとりの大学教授、ひとりの弁護士)とディナーを取りながら次の選挙の「目玉」になりそうな政策を物色していた。コンサルタントの一人はマッカーシーに「セント・ロレンス水路」の推進はどうかと提案した。マッカーシーはそれにはとりあわず、65歳以上のものに月額100ドルの年金をばらまくのはどうかと逆提案した。コンサルタントたちは賛成しなかった。別のコンサルタントが共産主義者の勢力拡大と破壊活動を主題にするのはどうかというアイディアを出した。マッカーシーはこれに飛びついた。彼らはしばらく討議したが、その話を持ち出した神父自身がマッカーシーの興奮ぶりを警戒して、こういう問題にあまり無責任なしかたで取り組まないようにと釘を刺した。マッカーシーは慎重に取り組むと約束したが、もちろん約束は守られなかった。

 この逸話は私に「反ユダヤ主義の父」ドリュモンがユダヤ人のフランス支配の陰謀の物語を着想したときのことを思い出させる。ドリュモンはその大著の刊行まで、新聞記者としてある新聞社で働いていた(その経営者はユダヤ人であり、彼はその社で厚遇されていた)。そしてある日、ドリュモンは、フランスの政治家も官僚も財界人もメディアもすべてはユダヤ人に支配されているという「隠された真実」を発見した。その証拠に、フランスのメディアは「政官財をユダヤ人が事実上支配している」という真実を報道していない。この完璧な報道管制こそユダヤ人の支配がフランス社会の隅々まで徹底していることの動かぬ証拠である。彼自身ユダヤ人が経営している新聞社で働きながら、そのことに気づかずにいたくらいだ・・・。不思議な論法であるが(ドリュモンという人は論理的な思考がほんとうに苦手な人だった)、読者たちはそれを読んで「なるほど」と同意した。
 マッカーシーもまたある日、共産主義者たちがひそかに政府を支配し、政策を起案しているという「真実」を発見した。まさに共産主義者が政策決定に深く関与していることが、共産主義者が政策決定に深く関与しているという事実が少しも明らかにされない当の理由なのだという論法もドリュモンとよく似ている。「そうでないことを証明してみせよ」という恫喝によってマッカーシーは4年間にわたって大統領と議会ににらみを効かせ、FBIを頥使し、アメリカ社会を狂騒と混乱のうちに陥れた。

 なぜ、このような人物がこれほどの政治力を発揮しえたのか。理由の一つは彼が「政府には共産主義者が巣喰っている」という自分が喧伝している当の物語を一瞬たりとも信じたことがなかったからだと『マッカーシーズム』の著者は書いている。私もこれに同意の一票を投じる。

「本当にそう信じ、本当に気にかけていたのなら、唯面倒くさいからとか、期待したような大見出しにならなかったからという理由で、調査を放棄するようなことはしなかっただろう。かれは政治的投機者、共産主義を掘り当て、それが噴油井を上って来るのを見た試掘者だったのである。そしてその噴油井が気に入った。しかし、別のどういう噴油井でも同じように気に入ったであろう。」(同書、97頁)

 例えば、マッカーシーはCIAこそ「最悪の状態」だと述べ、そこには百人以上の共産主義者がおり、それをこの手で根絶してみせると宣言した。だが、政府部内にマッカーシーの調査員たちがCIAを土足で歩き回ることを望むものはいなかった。彼らは自分たちの身内の調査委員会の結論(「何もありませんでした」)をマッカーシーに伝えた。マッカーシーはこれ以上ことを荒立てると誰かの虎の尾を踏むリスクがあることを感じ取ったのか、「この問題はこれ以上踏み込まない」と言って調査を切り上げた。マッカーシーの告発が正しければ、CIAはそれ以後も「最悪の状態」のままだったはずであるが、そのことはマッカーシーをあまり悩ませなかった。結局のところマッカーシーのキャンペーンは最終的に何一つ成就しなかったし、調査をすると発表しながら、調査に着手しないことさえあった。

 マッカーシーのカラフルな事例が教えてくれる最も豊かな教訓の一つは、自分の言っていることを信じていない人間は、自分の言っていることを信じている人間よりも、論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つという事実である。ふつうの人は、自分の言いたいことにまだ充分な裏付けがない場合は断定的に語るのを自制する。だから、どうしても歯切れの悪い言い方になる。そして、自分が「確信のないことを語るときの気後れ」を他人も経験するはずだと推論する。残念ながら、マッカーシーはそのような気後れとまったく無縁の人物であった。ロービアのほとんど詩的な罵倒を採録すると「マッカーシーは確かに嘘つきのチャンピオンだった。かれは思うままに嘘をついた。怖れることなく嘘をついた。白々しい嘘をつき、真実に面と向かって嘘をついた。生き生きと、大胆な想像力を用いて嘘をついた。しばしば、真実を述べるふりすらしないで嘘をついた。」(同書、71頁)

 反知性主義者には気後れというものがない。その点で、彼は論争における勝負の綾を熟知していると言ってよい。「ふつうなら気後れして言えないこと」を断定的に語る者はその場の論争に高い確率で勝利する。

 しかし、このような「短期決戦」スタイルの言論は当然ながら「手間暇をかけて裏を取る」人によってていねいに吟味されるといずれ土台から崩壊する。時間が経てば必ず崩壊する。だから、反知性主義のほんとうの敵は目の前にいる論敵ではない(彼らは目の前にいる人間のことなど、ほとんど気にしない)。彼らのほんとうの敵は時間なのである。
 時間はどのような手立てを講じようと経過する。そして、その過程で「嘘」は必ず露呈する。反知性主義者はだからある意味で「時間と戦っている」のである。それゆえ、彼らの戦術的狡知は「時間を経過させない」ことに集中することになる。

 時間を経過させないことは人間にはもちろんできない。人間にできるのは「時間が経過していないように思わせる」ことだけである。これについては経験的にかなり確かなやり方がある。それは反復である。「同じ言葉を繰り返すこと」「同じふるまいを繰り返すこと」によって時間は止まる(ように見える)。すべての反知性主義者はこの点については実に洞察力にすぐれた人類学者だと言わなければならない。彼らは太古の祭祀儀礼以来、同じリズム、同じメロディで反復される同じダンスを見せられているうちに人間は時間の感覚を失ってしまうということを熟知している。強化された反復によって、人間の時間意識は麻痺する。自然的時間は経過するのだが人間的時間は経過しない。歴史上のすべてのデマゴーグはこのことを直感的に知っていた。彼らはしばしば「雄弁」だと言われるが、その「雄弁」性は次々と新しい語彙を作り出すとか、次々と新しい概念を提出するとか、次々と新しいロジックを繰り出すというかたちでは示されない。彼らの「雄弁」性の本質を形成するのは、同一のストックフレーズの終わりなき繰り返しを「厭わない」という忍耐力なのである。

 ふつうの人間は同一性の反復に長くは耐えられない。同一の口調、同一のリズム、同一のピッチ、同一の身振りを繰り返すということはどこか本質的に反生命的・反時間的なふるまいだからである。同一的なものの反復は反生命的であり、反時間的である。だが、デマゴーグは反復を厭わない。むしろ反復に固執する。同じ表情、同じ言葉づかいで、同じストックフレーズを繰り返し、同じロジックを繰り返す。政治的失敗を犯した場合でさえ、その失敗をあえて二度三度と繰り返す。彼らは失敗から学習するということをしない。学習によって「変わる」とせっかく止めていた時間が動き始めてしまうからだ。彼らは同じ表情で、同じ言葉を繰り返す。それを見ているうちに、私たちはそれがいつの出来事だったのか、しだいにわからなくなってくる。一年前の出来事なのか、三年前の出来事なのか、それとも一年後の出来事なのかが識別ができなくなる。この過剰なまでの同一性への固執は彼らの知的無能を示しているのではない。むしろ、彼らの戦術的狡知の卓越性を示している。彼らは自分たちが息を吐くようについている嘘が時間の経過に耐え得ないものであることを知っている。だから、時間を止めようとするのである。

http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1018.html

[番外地8] 昭和天皇が満洲国を建国した目的
昭和天皇が満洲国を建国した目的
【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク
北朝鮮による覚せい剤密輸事件が新聞を賑わしているが、そんなの大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイもんだ。

ケシ類未熟果実に傷をつけて滲出する乳液を乾燥乾固したものが阿片だ。阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。国家自体が関わって中国へ密輸したのが、オランダとイギリス、そして我が日本なのだ。

1840年、イギリスは、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止された事に貿易の自由を妨害したなどと恥ずべき口実で阿片戦争を仕掛けた。中国は敗北し、イギリスの阿片の毒牙はますます中国民衆を蝕んでいった。中国の弱体をみて、欧米列強は不平等条約を強要し、清王朝は阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。

麻薬中毒の恐ろしさに、1912年にハーグ阿片条約、1925年国際連盟によるジュネーブ阿片条約が結ばれたが、欧米の帝国主義者たちは自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。

日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。しかし、すぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。
やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。日清戦争後に台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。

大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。

さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。

拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。

阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。

三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。

南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。

これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。

満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。

阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで。吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったという。

内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのだ。

日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。

日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。

さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。
『天津の日本人居留地は、今や世界のヘロイン製造、及び阿片喫煙の神経中枢として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいはヘロイン魔窟の数はまさしく千を超えている。

しかのみならず、白色麻薬を公然販売するホテル店舗、その他の建物が数百ある。……中国人・ロシア人及び外国人が汚れた板の上に横たわっており……魔窟の第1室には朝鮮人の女が。ヘロインと不純物とを混合する仕事に忙しい。……注射は汚い注射器で、時には自製の物でなされる。針は決して洗ったり、消毒したり、取り替えることはない。

梅毒が自由に針を介して一人の阿片常用者から他の者へ蔓延する。私は、胸一面が腐って壊疽のような肉塊をなしており、拳全部を差し込むことができるような穴が体にある阿片常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつある辛うじて生命を保っている死体に、麻酔剤の注射器を次から次へと差し込むのである。(国際連盟阿片諮問委員会議事録よりエジプト代表ラッセル・パッシャの陳述)』

なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。

シンゾーの祖父岸信介は1936年10月に満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任。満州時代に関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。阿片による莫大な金が岸に動いたことは容易に想像できる。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/327.html

[番外地8] 日本人のアメリカへの移民が人身売買として禁止された理由
日本人のアメリカへの移民が人身売買として禁止された理由
天皇一族は売春業者
 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。

貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。


高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。


「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。

日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。


娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。


「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」


福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。


至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/328.html

[番外地8] 三島由紀夫 封印された「割腹自殺」の後日談 恋人に残した「手切れ金」と「愛」
三島由紀夫 封印された「割腹自殺」の後日談 恋人に残した「手切れ金」と「愛」
命より守らなければならない絶対の秘密を中国語で「絶密」という――
三島由紀夫が割腹自殺を遂げた後、大森の三島邸で起こった「事件」は本誌前号でお伝えした。(残念ながら前号を持っていない)
 そして今度は筆者が三島由紀夫を深く知る人物から聞いた話である。
 この話もまた現在まで封印され続けてきた「絶密」であった。
 この話は作家丸山健二の自宅で聴いた。丸山健二は綿矢りさが十九歳で芥川賞を取るまで史上最年少で芥川賞を受賞した作家だった。また丸山健二と同じく二十三歳での受賞は石原慎太郎・大江健三郎。村上龍と並ぶが、なかでも石原S太郎は「文学新人賞」から「芥川賞」という、Mと同じ小説家の登竜門としては王道中の王道で歩んで来た先輩作家だった。そこで『文学界』編集部が、この二人を対談させた。
 一九六七年(昭和四十二年)春、三島由紀夫が割腹する三年半前のことだ。

対談終了後、石原慎太郎が丸山健二を飲みに誘った。まだ若くて文壇のイロハも知らない丸山健二は喜ぶも断るもなくS太郎の背中に従った。しかし、丸山健二はアルコールを一滴も口にしない。酒場まで付き合っても、西部劇に出てくるお尋ね者よろしく「ミルク!」と叫ぶ。しかし、ミルクを飲む男が相手では、さすがのS太郎もつまらなかったのだろう。早々とバーを退散して、二人で東京の街をふらふらし始めた。

「ところで、丸山健二君。ここにおもしろい男が住んでいるんだ。」

慎太郎が目の前の高層マンションを顎でしゃくって両目をぱちくりする。

「えっ、誰です」
丸山健二もメガネの細い目いっそう補足して怪訝そうに訊いた。

「うん、三島さん男だ」
「えっ、男ですか」

丸山健二はびっくりした。右翼的な発言や行動を繰り返す三島と「男を囲っている」という行為がそぐわなかったからだ。石原慎太郎の話によると、三島由紀夫は七人の男を囲っていて、それぞれにマンションの一室を与え、生活費を手渡している。

 三島由紀夫が切腹して、半年ほど経ったときだった。Mが上京して、たまたま石原慎太郎と再会した。


「三島さんも無責任だな」

Mは七人の男の話を思い出して、石原慎太郎に呟いてみた。すると、石原慎太郎は多少口ごもりながら、こう反発した。

「でもな、三島さんはあの割腹自殺の直前に、七人の男のうち六人とは別れている。理由も告げずに手切れ金だけ手渡してさ。ところが、あのマンションの男にだけは、手切れ金を一円だってあげなかったし、別れ話も持ち出さなかった」
「ふむ、すると、三島の彼への愛は枯れていたのですかね。それとも過剰だったのですか」

丸山健二の質問に石原慎太郎は答えなかった。

若くて何事にも興味津々だった筆者は。丸山健二からその高層マンションの場所を訊き出して、三島由紀夫が最後に愛した男を捜した。結果、彼はもうその場所に住んでいなかったが、住民票などをこまめにおって、居所を突き止めた。彼の口は重かったが、ある目的のために無職だったので、生活は楽ではなく、謝礼目当てなのかインタビューを受けてくれた。

「あんたとは別れない」

三島先生はそう言ってくれました。

「他の六人の男とは、もう縁を切ったの。しかし、あんたとは永遠よ。死んでも別れない。だから、手切れ金なんて渡さないわ」

ぼくは涙が滲んで来ました。三島先生にそんなに思われているなんて、幸せを通り越して、怖い感じすらしました。

「あんたに手切れ金を渡さない理由は、もう一つあるのよ。それはね、あたい(三島先生は彼の前では、ご自分をこう呼んだ)が百パーセントの絶対的な確率で切腹するとは限らないからなの。あたいの呼びかけで。すわっとクーデターが勃発すれば、あたいが自分の命を絶つ必要はなくなるのよ」

――― ちょっと待ってください。すると三島先生は、あなたにはあの憂国行動の計画を事前に話していたのですか?

「そう。ぼくにはなんでも話してくれた」

彼は少し胸を張ってそれから再び三島になりきって話を続けた。

「あたいの計画では。まず東部方面総監を人質に取ってバルコニーに出る。テレビクルーが到着するのを待って。そこでテレビカメラに向かって檄を飛ばす。なに、眼下の自衛隊員にクーデターを呼び掛けるつもりは端からない。全国に散らばっている『青桐の会』の仲間たちの、電波を使って呼びかけるのよ。
“命令系統を破ってちょうだい!”
“起ち上がってよ!”
“クーデターを起こすのよ!”
この呼びかけに呼応する動きが出るならば、あたいは切腹しなくてもいい。」クーデターの実行部隊に加わるだけですもの。こうなれば、生き残る確率だってゼロではないでしょ。でも『青桐の会』は優秀な組織。あたいの激では、きっと命令系統は打ち崩せないわね。そしたら、あたいはあたいの命を差し出すまでよ。“命よりも大事なものがある!”って叫んでさ。『青桐の会』の仲間も、さすがに胸を揺さぶられるでしょう。この言葉は戦後の民主主義教育へのアンチテーゼですものね。でもね、あたいはとっくに文学者じゃないの。言葉での勝負はしない。行動よ。行動で示したいの。切腹。本当に命を投げ出してみせるは。あたいの切腹を知って、『青桐の会』の誰か一人でも起ちあがってくれたら、それで成功よ。誰か一人でも起ち上がれば、会の存在が公になるでしょ。もう『青桐の会』の後には退けない。上から下まで全員がクーデターに加わるわ。どっちに出るかしら。あたいの予想では、九十九パーセントが切腹ね。でもね、一パーセントは、あたいの檄で、あたいの言葉で山が動く。この一パーセントに賭けて、あたいはあんたに別れを言わないのよ」

三島先生はぼくには「愛」を遺して、お金は残さなかったのです。仕方がありません、ぼくは自分で働いて生きて行くしかありません。当たり前のことです。幸いにも先生の親友の某小説家が大手の出版社の校正係を世話してくれました。

「三島先生の愛を独り占めしてぼくは生き抜くのだ!」

しかし、年が改まって、四十九日も過ぎた頃に、ぼくは自分の間違いに気がつきました。三島先生がぼくにお金を遺してくれなかったのは、先生が生還する可能性がゼロではないから、ではないのです。ぼくへの単純な未練の表現ではないのです。お金がなければ、この世では生きられない。心優しい先生は、ぼく以外の六人の男たちには。この世で生きていかれるように手切れ金を手渡しました。しかし、この世で生き抜いていく必要がないぼくには、お金なんて遺さなくてもいいのです。

「死んでもいっしょに暮らそう。永遠にいっしょに暮らそうってば」

 これが、先生からぼくへの、真のメッセージなのです。手切れ金をくれなかった、真の理由なのです。先生はとてつもなく優しい人だったのです。先生のぼくへの愛は、こんなに深かったのです。

「ねえ、早く彼岸に渡ってきてよ」
 先生が毎晩僕の耳元まで降りてきて甘い声で囁くようになりました。後を追うしかありません。あの世で永久に先生を抱き締めていたいのです。


なぜ三島先生は割腹するのに、筋肉をつけたのでしょうか。これはぼくたちの“美”の問題なのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/329.html

[リバイバル3] グッドマン・スピーカーの世界
グッドマン・スピーカーの世界

Club SUNVALLEY-私のオーディオ人生-第9回
GOODMANスピーカー by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-009

マニアの音の共通点とサウンド

オーディオシステムの音を過去から現代まで沢山のマニアの音を聴かせて頂きましたが一つの共通点が見えくる、その共通点とはオーディオを長くやっている人ほど音はけして高音質、大音量ではなく音楽を聴かせる音になっている。しかも真空管を採用したデバィスがほとんどで半導体アンプや今流行のデジアンプで鳴らした音は良かったことは一度もない、「電気臭い音の代表だ」半導体アンプは音が平板になりスピーカーの回りでしか音が鳴らない、
最近はSUNVALLEY AUDIOさんが出している樽スピーカーの真似事のような小型タイプも巷で見るが一度聴いてみると樽スピーカーを超える音にはならない、猿真似はあくまでも所詮猿真似である。
音に関して熟成したマニアの音は低域も高域も欲張らずバランスの取れたサウンドを聴かせてくれます。家庭の部屋でコンサートホールと同一の音などは再現することは不可能に近いが真空管アンプを使用すると不思議とコンサートホールの雰囲気感が出てくる、例えを上げますとかの有名なウェスタンエレクトリックのサウンドは現代から見れば特性は悪いはずですが真空管アンプで鳴らすと音楽を心地よくリラックスして雰囲気感を大切に聴かせてくれる響きを持っている。確かに(生の音)とは違う音ですが独特なサウンドで中域に密度がありコクのあるサウンド、現代の上も下も伸ばした中域の薄い貧弱なスピーカーとは方向性が違う、名器と名の付くスピーカーは「音楽を美味しく聴かせてくれる」楽器の要素が秘められている、英国のヴィンテージスピーカーもウェスタンに共通した部分が多少感じ取れる。オーディオを追求して行くと最終的にはクレデンザ、HMVなどの蓄音機などの電気臭くない音を意識するのではないだろうか
(この部分に賛同する方も異論のある方もいると思いますが長い期間オーディオを追求して行くと私の言っている事が理解できると思う、)
オーディオの再出発はスピーカーありき
オーディオを再出発するにあたって一番悩ますのはスピーカーです。スピーカーの選定でその人の聴くソースのオーディオ人生は決まるような気がする。1970年代に使用していたスピーカーはエレクトロボイスのユニットを使っていましたが再度同じスピーカーはほしいと言う気が湧きません。(もうコリゴリ)
既製の出来合いのスピーカーシステムの場合、改造が出来ませんから遊び心があまりなく面白みに欠ける部分がありますが失敗をしないのであれば選択の余地はありますが自分の求める音と違えば即売りになってくる。以前から私はフロアー型のスピーカーが自分好みでありました。デザイン的にはタンノイのコーナータイプが部屋の調度品になる素晴らしいデザインですがタンノイのスピーカーシステムはだけは価格が高く私としては手が届きません。特にあのオートグラフはほしいのだがリビングには置いてもらえない、置いたら私は家を追い出される、
クラッシックファンはタンノイで決まりは今の時代も同じですが、あのタンノイサウンドは下手に鳴らすと高域が多少ソリッド的でヒステリックになり低域がボーボーした傾向がある、俗に言うドンシャリ(上手く鳴らせば素晴らしい音ですが)中々良いタンノイサウンドには巡り合わないが私が聴いた中でお見事と言えるタンノイサウンドは皆さんご存知のSUNVALLEY AUDIOさんの試聴室のタンノイだけである、
皆さんが使用しているタンノイサウンドがブリテッシュサウンドの代表と思われているが私は違うと思う、他にも沢山のスピーカーの名器は有りますが英国のヴィンテージスピーカーでタンノイ以外は不思議と巷ではあまり見かけない、ヴィンテージの専門店の話によると「イギリス政府が本国のヴィンテージ品は外に出すな」とおふれがあったとかないとか事実だとすれば非常に残念でもある。
GOODMANと瀬川冬樹氏
GOODMANの名前をご存知のマニアは昔からオーディオと共に歩んで来られたと人と思われる。私が高校生の頃ある雑誌に瀬川冬樹氏の書いたレポートにこのような文章が書かれたのを今も記憶している。瀬川氏は「GOODMANを代表する海外のスピーカーは国産と違って音楽性がある」「海外のスピーカーは一日の長がある」このようなレポートを読んだとき音楽性?一日の長?この文章は到底理解できずこの意味は謎であったが最近になってこの意味がわかってきた、
この時代名古屋の納屋橋にヤマハビルの中にオーディオ売り場があり此処で海外の最新のシステムを見ることが出来た。今も鮮明に覚えているのはGOODMAN AXIOM−80、301、ワーフデールスーパー12RS/DDだ、
特にマランツ#7は雑誌の写真でしかお目にかかったことのない超高級品も展示してあった、このアンプはデザインも素晴らしく音質も第一級の芸術的なアンプで何時かは手に入れたいと夢でも思ったが価格は当時で15万円はした記憶がある。オーディオマニアなら誰でも手元に置きたい芸術的な逸品ですが、
この#7が発売されたのは1958年もう50年前になります。私が10歳の「鼻タレ小僧」の時代です。果たして当時の状態が維持できているのか「オレ流アンプの導入選択」でじっくりと解析します。マランツ#7の購入をご検討されている方はマランツ#7を自分なりに美化しない真実のコラムを書きますのでしばらく待ってください。
展示コーナーの片隅にシュリロ貿易が扱っていたGOODMANのカタログがあり日本ではスピーカーユニットと言えばパイオニアPAX−20A、コーラル8CX−7、松下8PW1の20cmクラスがマニアの自作の対象であったがこのGOODMANのAXIOM−80を見た瞬間一度は使いたいユニットの一つでもあった、真っ赤なアルニコマグネットが印象的でお粗末なフェライトマグネットを採用した現代のスピーカーとは違う、
瀬川冬樹氏こそGOODMAN AXIOM−80とマランツ#7を45アンプで鳴らされてこよなく愛された方でその魅力にハマッた一人ではないだろうか、
GOODMANスピーカー
前置きが長いぞ!早く本題に進めと聞こえてきそうですから本題に入ります。スピーカーの購入で夢にまで見たGOODMANスピーカーが候補にあがった、当時のパンフレットを見ますと「GOODMANスピーカーは音の世界をリードする!」マニアの心をくすぐる歌い文句だが、今の時代果たしてGOODMANスピーカーは手に入るのだろうか、1970年代でもまずはお目にかかることは無く音を聴くどころか持っている人も少ない、ヴィンテージショップですら見かけない、仮にあったとしてもGOODMAN=AXIOM−80、AXIOM−301ぐらいでその他のスピーカーは巷ではまず見かけない、
今の時代は本当に便利な世の中だ、インターネットで検索すれば見つかる、ネットで検索するとGOODMANでも見たことも無い大型のホーンスピーカーとツィーターが目に飛び込んできた、「俺はミーハーだから珍しいものなら買う」パンフレットにはない非常に珍しいユニットだ、型式はMidax400ホーンとTrebax100ツィーターで勿論アルニコマグネットである。
Midax100はカタログに載っていたがMidax400のユニットは
カタログには乗っていない、多分日本では発売されなかったレアーな製品ではないだろうか、イギリス本国では小ホールなどで活躍していたのかも? 写真を見てください、外径は幅400mm高さ200mm奥行き480mmのスロートの長いドライバー付きの大型ホーンユニットでマグネットは小さめですがいかにも音が良さそうな気がする、振動板は一般的なアルミ合金ではなくフェノール系の振動板を採用しているのがミソである、アルミ系の振動板はどちらかと言えば音質的に多少冷たい感じがしないでもないがフェノール系は心地よく耳に聞こえてくるのが特徴だ、
30数年前に使用していたエレクトロボイスのホーンドライバーやツィーターもフェノール系の振動板だがアメリカとイギリスでは音の作りは違う、
GOODMAN Midax400ホーンドライバー
ホーンはアルミダイキャストと思われるが1960年代の代物としては非常に作りが良い、インピーダンスは15Ωで使用帯域は600Hz〜7000Hzの帯域で使用とマニュアルに記載されている。
日本には小型のMidax100がカタログに載っているがイギリスのスピーカーではヴァイタボックスもホーンがあるが珍しいユニットの一つでもある。
長いスロートの奥にかすかに振動板が見える
長いスロートの奥にかすかに振動板が見えるTrebax100ホーンツィーター
このユニットはGOODMANスピーカーのマニアなら良くご存知でこのユニットだけで使用する方もいる、このユニットもフェノール系の振動板で非常にソフトな耳あたりの良いユニットです。
このタイプはホーン部分は樹脂ですが、まれにアルミダイキャスト製を見ることができます。樹脂とアルミでは多少音の傾向が違うらしい、「オーディオはこんなことで音が変わるとは不思議な世界だ」

低音用はGOODMANのAudiom-60の30cmスピーカーでこの上にAudiom−80(38cm)がありますが一般家庭では30cmのウーファーで十分だ、

GOODMANのスピーカーユニットをネットで検索して手に入れたのだがこれは私にとっては宝物である。一週間に一度は手にとってニヤニヤしながら眺めていると満足感がいっぱいになってくるがオーディオに興味のない人から見れば「あいつはアホか!」
と思われそうだが・・・・・「思いたければ勝手に思え!の心境だ」
果たしてどんな音になるのか夢が膨らむ、一度もイギリス製のスピーカーを使用したことも無いから尚更だ、
 購入後、数ヶ月たってから我慢が出来ずに一度だけラジカセのスピーカーに接続して中音ホーンだけを鳴らしてみた、出てきた音は「なんじゃこりゃ!」カラスがカァーカァー鳴くような音で音楽にもならない、そう言えば中音スピーカーはスコーカーと呼ばれている「鳥の口ばしと言う意味の通り」の音である。
GOODMANスピーカー購入での難題山積み
GOODMANスピーカーを購入したのは良いのだが、果たしてどんな音なのか、他では聴くことは出来ないのに本当にGOODMANらしい音とは?どんな音なのだろうか、AXIOM−301は一度マニア宅で聴いたことがあるが鳴らし方が悪いのか中域が粗く分解能が悪かったのを憶えている、昔はエレボイで苦汁を飲まされた記憶が蘇えって来た、せっかく買ったのにこのユニットを入れるボックスはどうするんだ!グッドマンスピーカーと言えば必ずARUが付くはずなのにそんな代物などまずは手に入らない、グッドマンスピーカーを3Wayで鳴らすには肝心なネットワークをどうするのか、難題山積みである。
現在使用中のGOODMANスピーカーシステム
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-009

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Club SUNVALLEY/私のオーディオ人生/第10回 / SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋
by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-010

 第10回のコラム製作中にサンバレーの大橋氏がガイシホールの帰りに拙宅にお寄りくださいました、グッドマンスピーカーとWE−300Aの試聴
店主日記を見られている皆さんはもうご存知だと思います。9月6日の「Y下の300A」です。
鳴かせてみせるぞ!英国ヴィンテージスピーカー
第9回目はGOODMANスピーカーを紹介しましたが、購入したのは良いがすべてが未知数、スピーカーユニットは不思議な物で上手に磨けば努力次第で「ダイヤモンドにもなり」下手に磨けば「石コロにもなりうる」である、
英国スピーカーの挑戦は私にとっては未体験だ、特にグッドマン3Way、コアキシャルタイプのバイタボックス、ステントリアン等はタンノイと違って使っている人は極少数で知らない人が多いと思う、こんな超レアーが付くスピーカーを聴かれた方は少ないから情報がまずない、しかもオリジナルの音などあって無いようなものだ、タンノイなら周りを見れば持っている人は沢山いる、クラシックファンが10人いれば8人まではタンノイと言われている、ヴィンテージショップに行けば何時でもタンノイなら試聴できるから購入しても失敗がなく誰が鳴らしてもタンノイトーンになり安心感はある、
第1回のコラムで書きました戦国の武将の「鳴かぬなら、鳴かせてみようホトトギス」の心境でもある。またコラムがスピーカー編である以上GOODMANの次は店主日記で紹介されましたバイタボックスその次にステントリアンをご紹介させて頂きます。
GOODMANユニット
前回のコラムでGOODMANスピーカーを写真でご紹介しましたがあれは本当にGOODMANなのか?疑いの眼差しで見ている方もお見えかも知れません、また一度もGOODMANスピーカーを見たことも無いから「全体の写真を見せろ」と声が聞こえてきそうですから今回は中音ホーンのみボックスからユニットを外して再度写真でアップしました、(Club SUNVALLEY初公開)

 GOODMANの中音ホーンの写真です。開口部分は200×400で奥行は480あります。このホーンはスロートが長いので低い周波数帯から使用できます。英国のホーンスピーカーはあまり見かけません。

左側はウーファーでAudiam60になります。フレームを見ますと何となくタンノイのレッドによく似ています。このスピーカーはグッドマンでも初期タイプのウーファーでこれとよく似ていますのは同じグッドマンのAXiom−150になります。
真ん中の写真はこのスピーカーのネットワークになります。多少汚い配線ですが色々テストしたため雑になってしまいました、黄色の色の筒状になっているのはHOVLANDのMUSICAPコンデンサーで素材はフィルムになります。
右側の丸いユニットはツィーターで同じグッドマンのTrebax100になります。
オレ流の料理
オーディオで一番難しく奥が深いのはスピーカーシステムと言われています。このGOODMANをどのように料理するのか思案の為所であり腕の見せ所でもあります。もちろん個人の感性が特に入ってくる部分で「耳と頭」の悪い私ですが自分なりの構想を1〜7にまとめてみた、
1.
ヴィンテージスピーカーは現代のスピーカーと違ってエッヂがフィックスドエッヂを採用してあるため重低音は望めないのでエンクロージャーは出来るだけ大型にして低域を豊かにする。
2.
使用するエンクロージャーの材質は何が適材なのか、また吸音材を何にするか、
3.
リビングに設置する以上は見栄えも大切にしたい、
4.
エンクロージャーの形式は密閉型、バスレフ型、バックロード型、後面開放型、平面バッフルと色んな方式があるがどれが自分好みかをじっくり検討する。
5.
スピーカーユニットを生かすも殺すもネットワークと言われているこの部分に重点的に力を注ぎたい、3Wayのマルチも面白いがアンプが3台とチャンデバも必要になって予算オーバーになるので今回はL,Cの組み合わせのネットワークで行くことにした、特に使用するコンデンサー(C)で音がガラリと変わる体験をしているので自分なりに好みの合うコンデンサーを幅広く選択する必要がある。
6.
3Wayで使用するため二次、三次のクロスオーバーをどこに設定するか
7.
スピーカーボックスの外観はどの様な形にするのか、「この部分こそ好みの世界でもあり楽しみでもある。」
 自分なりにまとめた大筋の7項目ですが3と7の構想だけは音には関係ない気がしないでもないが毎日顔を突き合わせて音楽を聴く以上、工作技術が小学生以下の私が作ったみかん箱のようなみっともないボックスでは良い音でも悪く聴こえる「オーディオもセンスの問題で外観が悪いと音も悪い?」
構想その1
ヴィンテージスピーカーを上手く鳴らすには箱の容積を大きくしないと低域が弱くなってピラミッドバランスが崩れてしまう、ヴィンテージスピーカーのほとんどはエッヂがフィックスドエッヂになっているので低域の振幅が少ないため低域が出にくい傾向がある、それを補うためにはボックスの容積を大きくすれば豊かな低域が望めそうだ、
構想その2
昔はエンクロージャーの材質をラワン合板で製作した経緯があるがラワン合板の響きは付帯音がついて回り響きが悪い、「作り方が悪いのか耳が悪いのか」は記憶にないが良い響きでなかったのは頭の片隅に残っている。当時は特殊な合板は手に入らないからコストの安いラワン合板が簡単に手に入れることができたので自作マニアはラワン合板でスピーカーボックスを製作する人がほとんどであった、
 今は色んな材料が手に入る、米松合板、アピトン合板、フィンランドバーチなどの集成材はスピーカーボックスには良い音が出そうな合板が沢山出ている。昔から米松合板はアルテックのA5,A7に使用されているが確かに響きは良いがコストは高いけど実際はどうなのか未知数であるが今回は初めてアルテックに見習って米松合板を採用して見ることにした、板厚は25mmでチューニングしながら吸音材の量と補強を入れるべきかはやってみなければわからない部分でもある。
 オーディオは自分なりにやってみないとわからない未知の世界だ、自分の耳と技量で馬鹿馬鹿しいことでもやってみるのも面白い、ひょっとしたら良い結果が生まれるかも?ボックスの吸音材は安くて手に入るグラスウールを使用する予定ですが「あれは触るとチカチカする」のがマイナスだ、
構想その3と7
木工工作が子供の頃から得意?であったがフロアータイプのボックス製作は労力が必要だ、それよりも腰を痛めたら病院代の方のが高いものに付くから専門の業者にお願いした方のが無難である。久しぶりに買ったMJ誌に(レコードのスズキ)の広告に特注家具、「スピーカーボックスなど製作します」の文字が書いてあった、
場所は神奈川県の川崎市だが名古屋からは高速を使えば4時間ぐらいで行ける、せっかく作っていただく以上は一度面識を持つ必要もあるがオーナーがどんな人柄であるか不安もある、
事前にアポを取ってから東名高速を4時間かけて行ったのはよいが「レコードのスズキ」の場所がわからない、近所の方に場所を聞いても知らないとの返事
が返ってきたが周りをよく見るとレコード店や木工工房と言うより駐車場完備の木工所の建物がありそこに大きく鈴木産業の文字が目に飛び込んできた、
レコードのスズキ
初めてお会いした鈴木氏は非常に温厚なタイプでこちらの要望にも嫌な顔をせずに親切に対応してくれたのが印象に残る、ここの「レコードのスズキ」の工房の中に入ったらびっくり仰天、右を向いても左を向いてもスズキオリジナルのスピーカーボックスとスズキオリジナルの真空管アンプが所狭しに陳列してあるではないか、「ここはヴィンテージオーディオのご本尊だ、」関東地区のマニアの方は羨ましい、クラフトオーディオの宝庫である、このような工房は名古屋地区にはない、
 スピーカーボックスの打ち合わせで奥の事務所に案内されたが、この事務所も凄い!部屋の中は「真空管、真空管」どうしてこんなに大量にストックされているのか不思議でならない、
 早速スピーカーボックスの打ち合わせを開始すると奥から20代半ばの青年が打ち合わせに入ってきた、この青年は鈴木氏の息子さんで木工職人らしくお父さんとは似ていない中々のイケメン男だったのが印象である。(笑)
スピーカーの外観はタンノイのGRFメモリーに似たデザインで決定したのだがGRFメモリーとはどんな外観なのか正直言って知らなかった、すべて鈴木氏にお任せである、
 ボックスの材質は米松合板の25mm厚でツキ板はウォールナット仕上げに決定した、サランネットはタンノイに似たようなサランネットが気に入ったのでこれに決めた、出来上がりの納期は約1か月とのこと、その間に真空管アンプを自作すれば完成と同時に聴ける、どんな音で音楽が奏でるか楽しみだ!
構想その4
スピーカーのエンクロージャーを設計する場合、ボックスの構造をどのようなタイプにするのか、これ又頭を悩ます部分でもあります。外観などは予算との兼ね合いで決まりますがボックスの構造になるとどれが最適なのか実際に試聴してみないと結論は出ません。
 最初の案としてバックロードも考慮していましたが3Wayを一つの箱に納めるのはユニットの構造上難しいので断念しました、密閉型は相当な容積がないと低域が豊かになりません、その昔エレクトロボイスのスピーカーを密閉型にして試聴してみましたが低域のレゾナンスが高く期待通りの音ではなかった、
 後面解放型の場合はスピーカーボックスの後ろの部分が硬い材質でできた部屋でないと効果が出ない、日本の建築は最近の家の壁はブラスターボードの上にクロスが貼ってあるのがほとんどでどうしても低域が逃げてしまう恐れがあります。リスニングルーム専用の部屋にするなら床も壁も考慮して設計しますけど・・・・
 最後に残ったのはバスレフタイプになります、このタイプは単に箱に穴を明けてポートを付ければ完成とは行きません、バスレフタイプにする以上必ず位相反転しないと逆効果になってしまいます、最近は便利になったもので市販のパソコンのソフトを使ってデーターをプロットするだけでポートの径とダクトの長さが求められるが計算はあくまで計算であって最終的には耳で調整する必要がある、今回はバスレフタイプで製作することにした、
構想その5
スピーカーユニットを生かすも殺すもネットワークと言われています、ネットワーク回路は複雑でなくコイルとコンデンサーの組み合わせですから難しく考える必要はありません。何Hzでクロスさせるか減衰量を6dB、12dB、18dBにするかだけです。これもネットワークの計算式で求めることが出来ます。ただしスピーカーの能率の差がありますから必ずアッテネーターのボリュームを介してやらないと音量のバランスが取れません、コイルも空芯か鉄芯を使うか議論もありますが今回は深く考えないようにしました。問題はコンデンサーを何にするかこれが悪いと音に影響します大切な部分です。
 今回は4種類のコンデンサーを使ってヒアリングテストをしました、ただしあくまでも私個人の評価であってこれが一番とは言えません、使用するスピーカーのユニットで評価はひっくり返る場合もありますからあくまでも参考にして下さい。
1.
WEのオイルコンデンサー
2.
一般的なローコストのフィルムコンデンサー
3.
イギリスのTCC社のオイルコンデンサー
4.
HOVLAND,MUSICAPフィルムコンデンサー
リファレンス用コンデンサーはHOVLAND,MUSICAPでの比較試聴です。
1,
WEのオイルコンデンサーは価格的には非常に高価です、巷ではオイルコンはWEが最高と言われていますが、今回のテスト試聴では音全体がモャ〜とした感じで抜けが悪いような気がしました。
2,
音の傾向は少しきつい音で歪感が感じられ長時間聴いていますと聴き疲れする傾向があります。エージングすればと思いますがエージングだけの問題ではなさそう
3,
このコンデンサーも価格的にも高価なコンデンサーです。音の傾向は多少硬い部分もありますが長時間かけてエージングかければ評価も変わると思います。
4,
このHOVLANDのMUSICOPは不思議にも同じ定数でもこのコンデンサーは低域が伸びてきます。音は嫌味な音にならず歪の少ない爽やかな音の傾向になります。このコンデンサーの代理店でウェスタン・ラボの宮岡社長が絶賛していた通りのコンデンサーで私も大のお気に入りの一つになりそうです。
以上がテストをしたコンデンサーですが音の捉え方は人其々です、皆さんも実験して見るのも面白いかも知れません。
構想その6
最後は何処でクロスさせるかですが、GOODMANのユニットの取扱説明書を読みますと(英文)中音ホーンは600Hz〜6000Hzの範囲で使用と書いてあった、今回は安全を見込んで下は700Hz上は5000Hzの12dBでクロスさせることにした、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-010

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第12回グッドマンスピーカーの音と
英国ヴィンテージスピーカー by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-012

 SUNVALLEY AUDIOさんのコラムでの私の情報の発信の場として紹介させて頂いておりますが今回はグッドマンスピーカーと私が愛蔵しています英国ヴィンテージスピーカーの全容を写真付きで公開したいと思います。写真撮影とそれに付随する文面は素人です。その辺はご考慮をお願いしたいのと音に関しては私個人の主観ですから参考程度にしてください。
 最近入手した非常に珍しいスピーカー、このスピーカーに見憶えのある方は長くオーディオに携わった諸先輩の方と存じます。名前は○○製で12インチです、英国ヴィンテージスピーカー(パートU)で詳しくご紹介させて頂きます。
グッドマンを鳴らす真空管アンプ
 グッドマン3Wayを鳴らすには現代の半導体アンプでは鳴らない、このようなヴィンテージスピーカーは真空管アンプで駆動するのがベストである。このスピーカーに合わせて試作した出力管はチェコで生産されていたKRのPX−25ナス管を清水の舞台から飛び降りる気持で大奮発して購入したのはよいがこのPX−25は古典球ではなく現代の技術で製作されたらしいから鳴らすまでは未知数である。
 いよいよグッドマン3Wayシステムのユニットを実装しました、ネットワークは予め製作しておきましたのでスピーカーシステムは完成、さぁ?英国のスピーカーはどんな音色と音質なのか未体験ゾーンに突入であるが試聴する音源は安物のCDプレーヤーで出力をダイレクトにメインアンプに接続しての試聴方法です。
スピーカーは自分の個性が主張できる
 オーディオの音に関してはあくまで個人の主観になります。言葉や文章で色々書いても読まれた方は想像だけで終わってしまう、過去の名器でもひどい音の出し方を聴けばそれがそのスピーカーの能力と判断してしまえば大変残念なことになります。セッティングもデタラメでボックスも簡易型でアンプなら何でも良いではスピーカーが惨めになるだけでこの辺を弁えないと違った評価になってしまう、今まで色んなマニアの能書きを聞かされて耳にタコが出来たがよ〜く話を聞いていくと単なる個人の主義主張にしかならない、世のオーディオマニアは能書きは一流、音は三流になっているのが多い、もっと素直な気持ちになれば音も素直な音になるのにと思うこともある。オーディオの世界は不思議なもので20年30年経っても良い音がでなければ死ぬまで出ないと思う、どこかで方向を転換すれば道が開けるはずだが・・・・良い音を出そうと思ったら耳より性格を治す事と言いたい、(これは私にも言える)
 又スピーカーに限らずオーディオもそうだが他人まかせの評価を鵜呑みにせずにじっくり聴きこんで決めないと必ず後悔する。
グッドマンスピーカーの音
 グッドマンスピーカーとアンプを接続して少しづつ音量を上げてみる、出てきた音は言葉では言い表わせない音である。アメリカのスピーカーとはまったく違う音である、一言で言うと地味な多少暗さを伴った響きで個性の強い音色でもある。ホーンスピーカーなのにホーン臭さがなくアルテックのA5、A7とは明らかに音作りが違う、この答えではグッドマンスピーカーは理解できない、ここで比較対照できるスピーカーがなければ答えにならない、
 皆さんがお持ちのタンノイスピーカーと比較してみた、比較対照は私の友人が愛用しているタンノイのオートグラフで内蔵ユニットはモニターシルバーである、勿論部屋もアンプ違うから絶対的な評価ではないことを付けくわえさせていただきたい、
 タンノイのモニターシルバーの音は上質な木作りのコンサートホールの響きでゆったりとして雰囲気を大切にした音、それに対してグッドマンは宮殿のホールで聴くエレガントな響きになる、タンノイもグッドマンも同じヴィンテージスピーカーである以上は音の傾向として似たような色感だ、どちらも優劣を付けられないレアなスピーカーでもある。タンノイもグッドマンも音の共通点は品位があり中域に厚みとコクをプラスした音になっている。(これが英国の伝統あるサウンドなのか?)現代のタンノイスピーカーはこれに多少繊細感がプラスされ上も下も伸ばした音になっているが人によっては中域がうすいと言う人もいる(この部分が日本人好みかも)音のコクとか味は少なめな感じで料理で言えば薄味的な印象と感じとれるがタンノイが好きなマニアなら気にもならない、タンノイもグッドマンも同じ英国製ですから極端には音の方向性は違わない、なぜだろう?ヴィンテージマニアにこの点を指摘したら「タンノイはグッドマンにOEMで作らせていたから似たような音」「タンノイもグッドマンも同じである」と言われる「やっぱり」昔も今も同じなのか、そう考えると必死にタンノイを探さなくてもグッドマンでも十分ではないか、
 同じグッドマンでもAXIOM−80を聴いたことがあるが多少高域が煌びやかになるぐらいで大きな差はないが過去に聴いた記憶を紐解いてこちらの3Wayタイプと比較すると中音ホーンの抜けの良さや緻密さではAXIOM−80とは異なる音色です。
 グッドマンはもう過去の古いスピーカーになってしまったが、今このスピーカーを聴くと現代のスピーカーとは見劣りは感じられないぐらい良いユニットなのだが一般的には手に入りにくいのとユニットを実装して音楽を楽しむマニアが減少したのも原因ではなかろうか、中古ショップに出ているグッドマンもあってもAXIOM−301か80ぐらいでその他のユニットはあまり見かけない、売れた本数が少なかったかも知れない、
VITAVOX,DU−120
 VITAVOXと聞くと私以上の諸先輩はよくご存じですがこのスピーカーを知らない方に少し付け加えていただきます。VITAVOX(ヴァイタボックス)は戦前からある有名なスピーカーでロンドンウェスタン直系のスピーカーメーカーと聞いている。シアター用が専門ですが家庭用にも素晴らしいシステムも出していました、特に有名なのはVITAVOX191コーナーホーンとバイトンメィジャーがあります。191コーナーホーンはタンノイのオートグラフと二分するぐらい素晴らしいのが特徴で家具の調度品にはピッタリ当てはまるデザインでもあります。昔私がエレクトロボイスの3Wayでオーディオを楽しんだ時に京都のジャズ喫茶「ヤマトヤ」にこの191コーナーホーンが鎮座してあった、音は芳醇な響きで非常に奥ゆかしく鳴っていたのを記憶しています。この音を初めて聴いた時「オーディオは聴かせてくれる音」これこそ自分が求めていた音だったのかも知れません、その夢は30数年経っても忘れられないぐらい私に強烈なインパクトを与えてた、VITAVOXと聞くだけで私にとっては未体験な音に感じる不思議と謎の多いスピーカーである。今回ご紹介するDU−120はVITAVOXではコアキシャルスピーカーユニットでこのタイプ以外にDU−121もあるがこちらはフェライトのマグネットの2本しか発売されなかった、このスピーカーの詳細を少しご説明します。ユニットは多分1950年の後半から1960年の前半に発売されたものでマグネットは大型のアルニコマグネットを搭載、ツィーターは特殊なポリエステルフィルムの振動板になっておりツィーターの音だし部分はアルミのパンチングで保護されている。クロスオーバーは2000HZで低域側をカットせずにそのままスルーになっている、ネットワークはコンデンサー1本だけで高域のみのカットになっています。この時代の同軸はネットワークを使用せずにコンデンサーのみでのカットが結構ありましたが私に言わせればケチな方法と思う、本格的に使うならネットワークもアッティネーターも必要ではないだろうか、その点タンノイのユニットは高いだけあってしっかりしているがあのネットワークを収容してあるケースがプラモデルのイメージと重なるので少しマイナスだ、
 ヴァイタボックス12インチのコアキシャルスピーカーでフレームをよ〜く見ますとタンノイのモニターレッドによく似ています。マグネットは強力なアルニコマグネット
 スピーカーユニットの中心にツィーターが飛び出している。ツィーターの振動板はポリエステルフィルムで珍しい振動板でもある。
 マグネットカバーにVITAVOX−DU120のシールが貼ってある。スピーカーからの引出し線は私が一部改造した部分です。
ヴァイタボックスの音
 グッドマンのウーファーを外してこのユニットを実装しての試聴になりました、
出てきた音は「何んだ!こりゃ〜」こんなスピーカーの音は今まで聴いたことがない!ひどいのも限度がある、低音がまるでなく中高音はカミソリを振り回したような鋭い響きで音楽を聴くには耐えないスピーカーではないか、これがVITAVOXの音なのか!今回の購入は大失敗かも?言葉が出ない絶句である。昔はエレボイのスピーカーで苦汁を味わされて泣かされた経験が蘇ってきた、このスピーカーこそ名器ではなく迷器であるが考えようによっては良いスピーカーこそテクニックと苦労が必要ではないだろうか、上手く鳴らせば感動ものであるが今の時点では落胆の言葉がぴったりだ、
DU−120の改造
 このスピーカーを宿らせるにはこのままの状態では不可能のなで大手術が必要だ、病院に行ってユニットに点滴を打てば治る問題ではない、手術をすればきっと当時の音が必ず宿るはずの気持ちで早速改造に取り組んだ、改造はこれに合わせたネットワークを自作するのとボックスを新たに特注で作ってもらう事、吸音材の量を調整しながら耳で確認する方法しかない、ボックスはグッドマンは米松合板を使用していたから今回はフィンランドバーチで作っていただくことに決定した、
改造後のVITAVOX.DU−120
 ボックスが完成してユニットを取り付けて音だしで固唾を飲んでヴァイタの音を待った、出てきた音は最初に聴いた音とは似ても似つかない実に渋い音である。この時代のスピーカーの開発者は多分この世にはいないと思う、このスピーカーの本当の音などは私にもわからない、知っているのはスピーカーの開発者と当時携わった方だけだと思う、何十年も前のスピーカーに使用してあるカットオフ用のオイルコンデンサーははっきり言って塵である、オイルコンデンサーが当時の状態を維持しているはずはない、こんな塵コンデンサーでもオリジナル崇拝者は使っていると聞く、はっきり言って良い音を出す以前の問題では・・・・これはアンプにも言える、私に言わせればビンテージアンプもそうですが今の時代からすればパーツはすべて当時の状態ではないのにマニアはオリジナルを尊重している、これは一種の宗教のようなもので不思議なマニアが沢山いる、
グッドマンスピーカーとの比較
 同じ英国の伝統あるスピーカーなのに音の傾向はずいぶんと違う、グッドマンはどちらかと言えばふくよかさが前面に出していたがこのヴァイタボックスはより古典的なドライな音色を持っているがボックスの材質も違えば容積も違うから「これがヴァイタの音だ!」とは断言できない、クレデンザ、HMV,ウェスタンと発展してきた音響技術の延長線上にあるような大変地味な音でかの有名な191コーナーホーンの音に似た奥ゆかしく暗い響きを伴っている、大橋氏が日記に書かれた「石作りの教会で聴く音」と表現されていますが的を得た答えだと思う、

 最後にこのスピーカーの音の印象を大橋氏が店主日記で的確に表現されていますからこれを参考にして頂ければ幸いです。(2006年6月13日の第3試聴室現る?)の日記(店主日記は終了致しました。)です。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-012


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第35回GOODMANS AXIOM−80を鳴らす。by Y下 
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-035


 大変長らくお待たせしました、このコラムももう35回目になりました、35回の節目としてマニアの間では究極のユニットとか伝説のユニットと云われているGOODMANS社のAXIOM−80フルレンジスピーカーを取り上げます。

 今回ご紹介するユニットはレプリカではなく1950年製の最初期オリジナルユニットになります。巷ではAXIOM−80はマニアを引き付ける麻薬的なサウンドで魅力的な音だとかこのスピーカーで聴く弦楽器の再生はこれ以上ない!とか云われ一度このスピーカーの虜になるとタンノイ、アルテック、JBL等では味わうことの出来ないスピーカーと云われていますが果たしてどれ程のユニットなのか実験を行いながら試聴しましたので興味がおありの方は最後までお付き合いください。


1950年前後の超レアなユニット、状態も大変よくコーン紙の補修もありません。

AXIOM−80
 AXIOM−80をネットで検索しますと色々な方が評価していますからあえて私が詳しく述べる必要はないのとAXIOM−80に関して自分はそれ程詳しくはありませんが使われた方のコメントを読みますとAXIOM−80は大変気難しく簡単には鳴らないと云われている、

 私のコラムでも以前に書きましたが故瀬川冬樹氏がこのユニットを使っていたと紹介しましたがこのユニットはオリジナルと復刻(レプリカ)がありその違いを比較したわけではありませんが今はないヒノオーディオでヒノ製のボックスに入ったレプリカのAXIM−80を聴いたことがあります。その時の印象として大変指向性が強よくて高域は耳に付くきつい音でこれが噂のAXIOM−80の音かとがっかりした覚えがある。
 皆さんもAXIOM−80を聴かれた方はオーディオショップがほとんどと思われますがショップの場合は適当にセッティングして展示してあるアンプを繋いでの音出しがほとんどですから本来の実力は見えてこないのとこのような簡易的な鳴らし方ではAXIOM−80が可哀そうに思える。ショップで鳴らすAXIOM−80は魅力が乏しく他のスピーカーのが良く聴こえて来る。残念ながら適当に接続してセッティングしたAXIOM80は本来の音とは程遠いサウンドでこれがAXIOM−80の実力かと思われるとこのユニットは哀れである。

AXIOM−80のオリジナルBOXは存在しない!

 色んな方のAXIOM−80のコラムを読みますとAXIOM−80をオリジナルボックスに入れて楽しんでいる方が沢山いますがGOODMANS社はユニットを装着したオリジナルボックスは存在しません。当時GOODMANSはシュロリ貿易が輸入元でこのユニットをヤマハがGOODMANS社からライセンスを受けて製作されたと聞いています。
 ヤマハボックスはAXIOM−80の図面を元に後面がコーナーになっていて前面にARUを取り付けて販売されていた、時々写真で見るオリジナルボックスはすべてヤマハが製作したものですがこのボックスは評判が悪く本来のAXIOM−80の良さが出ないボックスと云われている、 もう一度はっきり云わせて頂くとAXIOM−80のオリジナルボックスは存在しません。仮にオリジナルと称して本国からユニットを装着した物が入荷したのであれば英国の箱屋が作ってユニットを入れたものと思われる。

 タンノイの様なオリジナルボックス付きの場合100%失敗はしないがグッドマンズ社の場合はユニットだけの販売では一部マニアでしか使えない欠点がある。

 私が高校生の頃名古屋の納屋橋にありましたヤマハビルのオーディオ売り場にこのAXIOM80がヤマハボックスに収納されて展示してあったのを覚えています。またシュロリ貿易が出していたGOODMANSの総合カタログがありこれを目に通すと一風変わったユニットが載っていました、これが現代でも幻の名器と云われるAXIOM80で真っ赤なマグネットを装備した見た目にも高級感があったのを覚えています。当時の販売価格は1本26,000円ぐらいだったと記憶しています。またこのユニットを装着したヤマハボックスに入れたのを聴いていますが当時の耳のレベルでは凄いとは思わなかったが国産品しか知らない私でしたから外国製と云うことで魅力はありました。


センターのサブコーンは薄いベークライトのような素材を使ってあるのが本来のオリジナルになります。

AXIOM−80のレプリカ
 オリジナルとレプリカ、確か真空管の名器でマッキントッシュのC−22、マランツ#7もレプリカがありましたね、良質なオリジナルが無い為やむを得ずレプリカを購入された方が沢山いますがルックスは同じでも音質的にオリジナルとは似ても似つかない音ですがこれは仕方がないかも知れません。
 AXIOM−80もオリジナルとレプリカタイプが存在しますが今の時代良質なオリジナルを手に入れることは至難の業かも、ヤフオクで時々AXIOM−80が出品されていますがユニット単体で30〜40万ぐらいで落札されているのを見ますといかにこのユニットの人気があるのか伺えます。良質なオリジナルが手に入らなければレプリカになりますがこのレプリカも曲者で外観はAXIOM−80と同じ作りですが音質的にはまったく違います。
またオリジナルの場合も初期型、後期型が存在する事がわかりました、私が所有していますAXIOM−80は1950年代の初めのユニットですから完全な初期型になります。AXIOM−80の使いこなし
 今までステントリアン、ワーフェデール、グッドマン、パイオニア、コーラル、ヴァイタボックスなどのフルレンジユニットを使ってきましたがスピーカー遊びはフルレンジが一番面白いのとボックスに入れれば即鳴るのが魅力でしたがフルレンジ程上手く鳴らせないユニットはありません。オーディオはフルレンジ派もいればマルチ派もいます。あるマニアが云っていた事ですがマルチを追求して鳴らしている時に俺は音を聴いているのか楽を聴いているのか自己不信に落ちいって最終的にフルレンジに戻したと云っていましたが確かに3Way、4Wayの大型ホーンを使ったスピーカーの音を聴いていますと歪感の少ない良い音に聴こえますがじっくり聴きますと音の定位がバラバラで一つにならないのと楽器や人の声を聴きますと音像が大くなり不自然感は拭えません。音楽を楽しむと考えたらフルレンジ型やコアキシャルスピーカーが自然体で音楽が楽しめる。どちらも一長一短があるからオーディオは面白いのではないだろうか、

 早速ですが私なりにAXIOM−80の使いこなしになりますが良いスピーカーほど簡単には鳴らない、特にこのユニットは箱を選びアンプを選ぶ傾向があるのがわかった、ヤマハが販売したGOODMANSの指定箱では正直低域の量感が乏しくバランスがすべて上に行ってしまい高域がきつく疲れる傾向の音になってしまう、

 また解決策として低域の量感を増やす為ウーファを追加して2Wayでやられている方がいますが理論的には正しいのですがウーファとAXIOM−80の繋がりに問題があるはずです。AXIOM−80はフルレンジですからこのユニットを低域のみカットして使えば何処かの部分でディップが生じるのと音色が同じでない為不自然になってしまう、では同じGOODMANSのユニットを低域で使用すれば解決するのかと云えばこれは難しくカット&トライで挑戦するしかない、GOODMANSでもAXIOM−80は特別な音色を持ち合わせていますから音色は一致しない、

 今回は私の所有しているタンノイGRFタイプのボックスにこのユニットを実装して試聴しました、このボックスの容積は約250?、ボックスの材質はフィンランドパーチで板厚は19mmでバスレフタイプなります。

他の方が書かれたブログを読みますとAXIOM−80はバスレフ、バックロードではスピード感がなく付帯音がくっ付いて鳴らないと書いてありましたがそれは本当なのか実証してみたいと思いますがその辺はカット&トライでやって見たいと考えています。


マグネットは17000ガウスもある強力マグネットで現代のスピーカーでは考えられない強力なアルニコマグネットを採用しているのは脅威でもある。

AXIOM−80音出し
 早速このユニットを実装しての音出しですが取りあえずユニットのみ裸の状態で音出ししてみました、最初に出てきた音はどこにでもある特別な音ではなかったがこれをボックスに実装したらどんな音になるのか胸がわくわくしてくるのがわかる。世界の名器と云われたユニットが果たしてどんなサウンドを奏でてくれるのかスピーカーマニアならこの気持ちは理解していただけるのではないだろうか、折角鳴らす以上比較対称するものがなければ評価のしようがない、ここで片側の左側はAXIOM80を装着し右側をVITAVOXのDU−120コアキシャルを取り付けての比較試聴なら私の様な阿呆耳でもはっきりわかるはずだが未知の体験であるがため試聴には慎重にならないといい加減なレポートでは参考にならないとお叱りを受ける。

またこのAXIOM80は真空管アンプを選ぶらしいがWE−300Bを使えばきっと鳴るはずだが果たしてどうなのか、
早速であるが巷では最高の球と云われているWE−300Bシングルで試聴開始した、

試聴のシステム
プレーヤー
ヤマハGT−1000
トンアーム
GRACE G−565ロングアーム
カートリッジ
オルトフォンSPU−GとSL−15E
昇圧トランス
ゼンハイザー 1950年代のヴィンテージトランス
ブリアンプ
マランツ#7
WE−300Bシングルアンプ、メトロアンプ
試聴レコードとCD
ビバルディのバイオリンソナタその他
以上のシステムでの試聴になります。

全体で聴くAXIOM80は高域の透明感は見事なのだがいかんせん低域の量感が薄くバランスが上に持ち上げた音になる。シングルアンプの場合はトランスの磁化の影響で低音が出にくいのかもこれは300Bアンプが悪いとは思えない、
 答えはこのスピーカーにはシングルアンプは合わないではないか、250リッターのボックスを使っても低域不足は不満が残るが中高域の音色はロンドンウェスタン系の特徴のある個性のある音で巷ではこのスピーカーの虜になるのがわかる。音色を一言で云うならセピアカラーの音とHMVの蓄音器に近い一種独特のサウンドと云える。特にバイオリン、ピアノの響きと音色は特筆すべき良さが感じ取れる。ケフェレックのバッハのピアノ曲はスピード感のある付帯音の付かない切れ味の鋭い日本刀のようなサウンドだが長い時間聴いていると低域不足の不満が見え隠れしてくる。
 次にVAITAVOXのDU−120に切り換えると中高域はほとんど同じ音質と音色だが低域から中低域にかけてAXIOM80では出なかったふくよかさが出て品位の高さで差が出た、低域の量感は25pユニットでは難しいかも知れないがAXIOM80はVAITAVOXに劣らず品位の高い音でタンノイ、アルテックでは味合う事のできないマニアを虜にするサウンドだが大編成のオーケストラの場合は口径が小さい分無理の様な気がするがジャズトリオをかけるとあのクソ喧しい一般的なジャズサウンドとは違うしっとりとしたコクのあるサウンドに変身する、ジャズもボーカルもグッドだが低域がもう少し出れば文句なしだ、またバッハなどの室内楽、器楽曲を聴くとこれ以上望む必要がないぐらい味のあるサウンドになる。


サブバッフルを取り付けての試聴

メトロアンプで鳴らすAXIOM80
 WE−300Bシングルアンプで鳴らしたAXIOM80だがこのユニットを使っている方は良質のアンプを繋いで鳴らされていると思うがプッシュプルアンプを使うとどんな音になるのか、早速アンプを交換して再度試聴を試みた、
 このメトロアンプは前回のコラムで紹介したトランスは米国製のシカゴ・スタンダード(スタンコア)トランスを使った自分では最高のアンプと思っているがAXIOM80はアンプを選びトランスまでも選ぶスピーカーでこんな気難しいユニットは聞いた事が無い、今回は出力管はGECのKT−66に交換しての試聴になる。
接続後最初に出てきた音はWE−300Bでは出なかった低域の量感が豊かになり中高域は刺激のない味のあるサウンドでピラミッドバランスに変身したのは驚きであった、やはりこのユニットはシングルアンプでは簡単には鳴らないことを痛切に感じた、
多分このサウンドこそ本来のAXIOM80のサウンドかも知れない、AXIOM80はダブルコーンのため高域がきつくなるのが当たり前ですがこのメトロアンプではトランスの影響で長時間聴いていてもまったくきつくならずに疲れない、
その後VAITAVOXに切り換えて試聴したが好みとしてはVAITAVOXのが自分には合うように思えるのとVAITAVOXのDU−120は日本には10セットぐらいしか入って来なかったスピーカーですからある意味AXIOM80より貴重に感じる。
 最後に色々切り換えて試聴したがどちらがVAITAかAXIOM80かわからなくなってきた、どちらも特徴のあるロンドンウェスタン系のサウンドでよく似た音には間違いない、
 最後にAXIOM80を上手く鳴らすには容積の大きなボックスで材質はフィンランドパーチ、米松合板辺りを使い吸音材を調整しながらバスレフでの使用がベスト、またアンプはプッシュブルが適合で出力トランスは有名なトライアッド、ウェスタン、シカゴ、スタンコア辺りを使用すれば本来のAXIOM80の良さが出てくるような気がしますが国産のトランスを使ったマニアが作った自作のアンプではまずは簡単にならないことをご報告しよう、名ばかりの国産のトランスではAXIOM80の良さを十分に引き出すのは難しいのと世界の名器に対して失礼である。

あとがき
 今回はAXIOM80を取り上げての試聴でしたが私個人に云わせると巷で云う名器とは思わないのとこのユニットは価格がべらぼうに高くなってしまったがそれだけの価値は無いと思うがAXIOM80に恋こがれた方なら価格の問題ではない、AXIOM80もそうだが長年英国スピーカー遊びをしてきた私ですから特別凄いとは感じなかったが一般的に見ればこのユニットも名器の一つかも、

https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-035

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1079.html

[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
19. 中川隆[-11501] koaQ7Jey 2020年9月05日 17:04:20 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[28]
グッドマン・スピーカーの世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1079.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c19
[リバイバル3] グッドマン・スピーカーの世界 中川隆
1. 中川隆[-11500] koaQ7Jey 2020年9月05日 17:18:10 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[29]

Goodmans+LEAK TL-12plus | VintageAudio
2012/02/07 2017/03/10
https://vintage-audio.jp/?p=926

先週の土曜日に九州は福岡まで、Goodmansの3WayシステムとLeak Tl-12plus+ヴァリスロープVを納品に行ってきました。

Goodmans 3Wayシステム
https://vintage-audio.jp/wp-content/uploads/2012/02/DSCF3807.jpg

私は基本的にどんなに遠くても、それ相応のシステムの納品の時には持って行く事にしています。システムが嫁いだ先がどうなっているのか?そんな興味もあります。やはり、今後も大切に使用して欲しいという気持ちが一番かも知れません。

今回のGoodmansは、英国ADキャビネット社が製造したGoodmansの指定箱に、12inの3Way仕様です。スピーカーと二人三脚を組むのは、LEAK TL-12plusの初期型です。LEAKの専門書に解説がありますので、敢えて隠しませんが、LEAK TL-12plusはシャンパンゴールドのタイプでも初期型と後期型があり、出力トランスの設定を変更しています。発売が1957年で1964年まで製造されています。年表から考えれば初期型はモノラル時代の最後に発売されていますので、ステレオ時代に入り音作りを変更したのだろうと推測できます。初期型の方が中音域に厚みがあります。後期型はフラットでワイドレンジな感じを受けます。モノラルで使用するのであれば、初期型の方がマッチすると思います。

このシステムを活かすも殺すも今後はオーナー様の腕次第という事ではありますが、オーディオが最も華やかだった頃の英国のHiFiです。しかも、英国の音を代表するGoodmansのシステムですから、使いこなせば必ず答えてくれるポテンシャルは持っています。特にクラシック系の音楽には、これ以上ない位の組み合わせですから、是非是非大切に使ってやって頂きたいものです。

システムの詳細は、後日アップ致します。
https://vintage-audio.jp/?p=926


▲△▽▼


Goodmans社(グッドマン) 3Way Hi-Fi スピーカーシステム | VintageAudio
2010/12/27 2015/06/01
https://vintage-audio.jp/?p=728


Goodmans社(グッドマン) 3Way スピーカーシステム
https://vintage-audio.jp/wp-content/uploads/2010/12/1.jpg
https://vintage-audio.jp/wp-content/uploads/2010/12/8.jpg


■構成
・AUDIOM 60 ’12in BASS’
・MIDAX 650
・TREBAX
・X0-950/5000 ネットワーク
・A.R.U 172
・Variable Attenuator(カーボン抵抗タイプ)
・A.DAVIES & CO. HI-FI CABINETS

A.DAVIES社のエンクロージャーに納められた高級HIFIスピーカーとなります。

お客様からの予約があり、今回仕上げたモノをご紹介します。

Goodmans社はご存知の様に、基本的にSPユニットのサプライヤーであり、各社のからの仕様に合わせたユニットを製造販売しており、当時の英国系のオーディオメーカーは挙ってGoodmans社のユニットを使用しています。しかし、これだけのユニットを開発しながら、システムとしては殆ど製造していないので、優れたユニットを作りながら現在国内のオーディオマニアには本当の実力は知られていないのです。

実際、当時の英国製でGoodmans社のユニットを使用しているシステムや当時は箱屋といって、エンクロージャーを単体で製造していたメーカーが比較的多くありましたが、それらが製造したエンクロージャーも殆どありません。

今回は、そんなGoodmans社のHiFiユニットと当時の箱屋A.DAVIES社が製造したエンクロージャーを組み合わせてシステム化しました。

そのサウンドですが・・・

Goodmansの高級3Wayらしく、ワイドレンジでクリアーなサウンドです。ただ、Goodmansの凄さはクリアーでいて品があるのです。クリアーなサウンドを発するスピーカーは他にもありますが、この独特な品の良さはGoodmansにしか出ないサウンドなんですね。そして、特に英国は高級HiFiになればなるほど、クリアーで癖の少ないサウンドになります。HiFiを謳っているのですから、当然といえば当然なのですが!ただ、国内のオーディオマニアにはその理解力がない為に誤解されがちなのです。上手く理解して使用頂けるとその良さがわかるでしょう。LEAKの管球アンプを組み合わせると伺っておりましたので、LEAKのコンディション次第ではありますが、組み合わせ的には問題ないと思います。

また、エンクロージャーですが初期のパーチクルボードを使用しています。初期のパーチは混ぜ合わせている接着剤の量が少ないので、適度な内部損失があり後期のパーチ程、カチカチのサウンドにはなりません。ただ、結構脆いので、扱いやネジ締めには注意が必要です。このエンクロージャーは、ユニットがインラインで、上からTREBAX-AUDIOM-MIDAX-ARUという配置されています。音に広がり感を持たせる為に有効な手法なのです。

クラッシック、Jazz、J-popと何でもこなす能力があるのですが、やはりクラッシックは最高です。何とも言い難い上質な音楽は素晴らしいの一言。それも、特に編成の大きい作品はいいですね。分解能が高いのでディテールが見事に表現されます。封を切ったばかりの「独 ARH 14 328-0 リヒター  バッハ・ヨハネ受難曲」を聴きながらこの記事を書いているのですが、本当に素晴らしい!

このシステムは既に売約済みですが、同じモノはありませんが他にも在庫はありますので興味があれば、お問い合わせ下さい。

https://vintage-audio.jp/?p=728


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岡山県 玉野市 Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/458.html

岡山県 Vintage Audio 店訪問記 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12616010035.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1079.html#c1

[リバイバル3] 宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記
宇野功芳の音盤棚

unauの無能日記 @
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml

 日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。

 ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。

 そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。

 パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。

 フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。

IMG_2258『unauの無能日記』宇野功芳氏直筆原稿

 それを書き始めると切りがなくなるので他日にゆずることとし、今回は動物園について書いてみたい。ぼくはフランスのみならず、どこの町に行っても、まず足を運ぶのが動物園だ。動物を見ている時の幸せ感というものは、もう言葉には尽くせず、いつまで居ても飽きることがない。

 今までに行った動物園のベストはウィーンのそれだ。例のシェーンブルン宮殿の奥にあるものである。最近は昔風の檻が並んだ動物園は珍しくなり、もっと広々とした動物公園が多くなった。日本では上野までそういうスタイルに変ってしまったが、ここははっきりいって最低。動物が木や石などの陰にかくれて見えないことが多いからだ。

 その点、ウィーンは見る人のことがよく考えられており、とくにトラは最高! ガラス張りの檻だが、傍に近づいて写真をとろうとするとトラがわっと立上がって威嚇するので、思わず逃げてしまう。 我ながらだらしがないが、体が反応してしまうので仕方がない。ライオンも目の前、パンダも目の前、狼も実に見やすいし、しかも彼らは実にのびのびと広い場所を動きまわっている。ウィーンという町には飽きたが、動物園だけは何回でも行きたい。

 日本では神戸がすばらしい。やはりトラとパンダが見ものだ。他国ではロンドンが最低、ベルリンもあまり感動しない。アントワープ、ベルンは素朴でまあまあ。それよりはブザンソン、フランクフルト、ミュンヘンが豊かで好きだ。スイスのバーゼルは水族館がことによるとベストかも知れない。

 ではパリは、というと、これがひどい。動物園のはしりだが、見にくい上に、園自体にやる気がまったくなく、荒れ果てたまま。だからパリでは植物園の中にある小動物園に必ず行く。動物の数は少ないが、猛獣類も居るし、ダニの館もある。 いろいろな種類のダニがうようよいるのを顕微鏡でのぞくわけだが、フランス人たちが悲鳴をあげながら見ている。そのダニの気味の悪いこと!

 ぼくは動物園ではトラやヒョウも好きだが(パンダはもちろん!)、オオカミ、タヌキ、キツネ、モモンガ、コウモリなどの小動物、そして水族館が好きだ。ヘビやワニはあまり好まない。面白くないのはナマケモノだ。なにしろ動かないのだから話にならない。ご面相も珍妙で、決して味があるという代物ではない。このナマケモノがそのパリの小動物園に居る。相変らず木につかまったまま微動だにしない。何が面白くて生きているのか。馬鹿にしながら通りすぎようとして、ふと名前を見た。いや、びっくりした。なんと"unau"と書いてあるではないか。ナマケモノはフランス語ではunauというのだ! フランス人はもちろんユノーと発音するが、われわれにはウノーとしか読めない。オレは怠け者なのか。一瞬シュンとしたが、考えてみればかなり当っている。それからは署名にunauと書くようになってしまったのである!

2007年1月
unau 記
2018年4月 4日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1080.html

[近代史4] 宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生 中川隆
1. 中川隆[-11499] koaQ7Jey 2020年9月05日 19:54:50 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[32]
宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1080.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/432.html#c1
[リバイバル3] 宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記 中川隆
8. 中川隆[-11498] koaQ7Jey 2020年9月05日 20:03:58 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[40]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記H
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml


 2006年7月、キングインターナショナルから、ぼくの唯一の弟子である有山麻衣子の「幻のコンサート」(KDC6001)が発売されたが、この無名のソプラノ歌手のCDが売れに売れ、2007年3月には4000枚を超えたとの報が入った。4000枚。これはおどろくべき数字である。CDの帯には《女神が導いたかのような天使の歌声》というキャッチ・フレーズが書かれているが、今の世にヴィブラートのないピュアな声が受けたのかもしれないし、昔の文部省唱歌やなつかしい童謡の数々が心を癒したのかもしれない。もう一つ、インフラノイズによる超高音質録音も大きな力になったのであろう。

 あまりのフィーバーぶりに2007年には2枚目のCDが企画された。有山麻衣子はぼくが跡見学園女子大学合唱団の常任指揮者をつとめていた頃の学生で、4年間指導したが、類稀れな美声の持主なので、卒業後はぼくが歌謡曲シリーズをつづけているプロの女声アンサンブル、フィオレッティに賛助出演させることにした。そして2度目の「幻のコンサート」録音ではフィオレッティの若手メンバー2人を加え、トレフォリーネという女声三重唱団を結成、それをメインに有山のソロ8曲を入れて1枚のCDに仕上げようと考えたのである。インフラノイズの録音も有山の独唱も前回以上にすばらしく、トレフォリーネもなかなかの出来ばえだったので発売できると喜んでいたのだが、三重唱のCD化は時期尚早という強い意見がメンバーから出てボツになってしまった。トリオはともかく、そのことによって有山麻衣子の名唱「さくら」「嬉しい雛まつり」「かもめの水兵さん」「みかんの花咲く丘」「めんこい仔馬」「夜のルムバ」「森の水車」「想兄譜」が日の目を見ずに消え去ってしまったのは実に心残りの極みである。

 ところで前回の「幻のコンサート」がCD化されたとき、有山はまともな再生装置を持っていなかった。自分のCDが出るというのにそれでは仕方がない、というので、ぼくはオーディオに詳しい友人と秋葉原を歩きまわり、彼女のためのスピーカーとアンプを探し求めた。値段が手頃で音質の良い品というのはなかなか見つからなかったが、その友人がすすめてくれたデンマークのダリというメ−カーの超小型スピーカー「Menuet」と、マランツのプリ・メイン・アンプPM6100を求めることにした。ぼくはもともとマランツのアンプの音がクラシック向きで好きだし、ダリは初めて耳にしたが、手のひらに乗るような小型スピーカーなのに、ヴォリュームを上げても音が割れず、中音が充実、低音も大きく張り出し、高音の透明感も十分に満足できる。すごい世の中になったものだ、と感心した。しかし友人がいうには、こういう小型で安価なスピーカーのグレードは驚異的に進歩したが、自分のようにもっと高級な品を求めようとすると、昔に比べてずいぶん音質が悪く、スピーカーが買えなくて困っているという。
eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。
 それはともかく、秋葉原で選んだアンプと2台のスピーカーは全部で15万円ぐらいだったと思う。有山の部屋で鳴らしたが、「第九」のコーラスのフォルティッシモがオーケストラを伴って部屋全体を満たしたときは本当にびっくりした。ピアノのソロもすばらしい。彼女もすごいですね、と大満足。もちろん「幻のコンサート」も上々。これで1、2ヶ月エイジングをすればスピーカーも柔軟性を増していっそう良くなるはずだ。ちなみに、プレーヤーはぼくが予備に持っていたラックスマンのD500X'sを貸すことにした。ぼくが必要になったときは、前記マランツのアンプと対になったCDM1を買えばよい。この組み合わせは安価なわりに音質が優秀で、大いにおすすめしたい。もっともラックスマンは高級品なので音はやや落ちるだろうが、なんといっても再生装置の音を決めるのはスピーカーである。

 ぼくは1990年前後にオーディオ誌『サウンド・トップス』にオーディオの試聴記を連載していた。曰く、「音楽家が聴く最新オーディオ製品」。毎月、同社の試聴室に足を運び、新製品の聴き比べをするのだが、ラックスマンのプレーヤーもその試聴時、いちばん気に入ったので購入したのだ(その後、このD500X'sはD7に改良され、今はそれを使っているが、現在ではもう手に入らない)。

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。彼は仕方がないからB&WかJBLの高級機にしようか、といっているが、ぼくは懸命になって、あわてるなと説得しているのである。

2007年11月記 [宇野功芳]
2018年5月30日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1080.html#c8

[番外地8] 「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない 中川隆
2. 中川隆[-11497] koaQ7Jey 2020年9月05日 22:28:17 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[44]
「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない
現在の様な、人口が増えない、輸出が増えない、技術が大して進歩しないという状況ではGDPが増えない、経済成長しないのが正常です。アメリカや中国の様にGDPが増え、経済成長している国というのは貨幣価値が下がっているだけで、国民は豊かになっていません。
通貨は基本的にはバブルで、お金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。
お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。
詳細そもそも日本は 生産年齢人口が減っている、輸出額が減っている、生産効率は変わらないのだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なのです。因みに、総資産はゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースで見ないといけない、ドルは紙屑化しているからドルベースで判断するのは NG。 詳細は

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

ただし、貨幣価値が減ったからといって給料を上げてくれる親切な会社はないので、実質賃金は下がります。
日本人の給料が上がらないから、人件費を反映する物価も上がらない

しかし、外国に行けば日本円が紙屑になっているのがわかります。
しかし、日本国内での商品価格のコストの大半は人件費なので、貨幣価値が減っても物価はあまり上がりません。
それで日本の物価だけは上がらずデフレ経済になるのですね。  日銀金融緩和の結果、国内物価が上がっていないだけで、円は海外では紙屑になっている。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
商品価格の大半は人件費なので、物価はあまり上がりません。
これが金融緩和してもインフレにならない理由ですね。

そもそも欧米の物価と日本の物価を比較すれば 1ドル=20円程度が適正値なのに、1ドル=110円まで超円安になっている。タイでもラーメン1杯が1000円になっているよ。

ドル自体が紙屑になっていると言われているのに、そのドルに比べても円のこの安さ。

日本人がアメリカに留学できなくなったのはアメリカの授業料が年間何百万円になったからだよ。アメリカでアパートを借りてもワンルームが月30万円だから、日本人はアメリカ留学すらできない。

そもそも日本人が作っている日本の野菜や傘、洋服や日曜品ですら日本人には高値の花になっている。こういうのをハイパーインフレーションというんだよ 。

因みに、僕がハイパーインフレーションと言っているのは
日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

GDPの増加率や経済成長率には意味はありません。
中国やアメリカの様にGDPがいくら増えても、いくら経済成長しても国民の生活が良くなる訳ではありません。
政府がいくら金融緩和しても財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。

日本のマネーストック M2 が増加し続けているのに名目賃金が増えない(実質賃金が減り続けている)というのは大西つねきさんが問題にしていますね。大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

現在は国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスで“超異次元緩和”を実施することによって、これまで(リーマン・ショック以後の金融緩和)にも増してカネが有り余った状態が作り出されようとしています。

日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)を中心とした各国の中央銀行が注ぎ込んだ資金は既に1000兆円を超えました。


MMT の資金供給で労働者の実質賃金が下がった為に実体経済は冷え込み、製造業はじめ各種産業には資金需要がないため、だぶついたマネーがみな金融市場に流れ込み、

2020年3月中旬から6月末だけでも、世界の富豪ランキングでトップのジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)は資産が46%も増加し、1650億j(約18兆円)になっている。

同2位のビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)は12%も増えて1097億jに、同4位のウォーレン・バフェット(世界三大投資家)は6%増の715億j、同5位のラリー・エリソン(オラクル創業者)は19%増加して702億j、同7位だったフェイスブックCEOのザッカーバーグに至っては63%も資産を増やし、891億jになった。

億万長者としては全体でコロナ禍に世界が沈み込んだ14週間(3月中旬から6月末)の期間に6280億jも資産が膨れあがった。

国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスが原因で、富める者は実体と乖離した有り余ったカネによって働かずして富を得て、その他の圧倒的な国民、社会を実際に下支えしている側は失業や貧困、生活が破綻しかねない現実に直面しています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/305.html#c2

[番外地8] 「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない 中川隆
3. 中川隆[-11496] koaQ7Jey 2020年9月05日 22:29:57 : MiikQNbYFc : SExPd1N4T0pwU2M=[45]
「放漫財政論」や「貨幣プール論」は正しい、お金をこれ以上増やしてはいけない
現在の日本の様に、人口が増えない、輸出が増えない、技術が大して進歩しないという状況では GDPが増えない、経済成長しない方が正常です。アメリカや中国の様にGDPが増え、経済成長している国というのは貨幣価値が下がっているだけで、国民は豊かになっていません。
通貨は基本的にはバブルで、お金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。
お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。
詳細そもそも日本は 生産年齢人口が減っている、輸出額が減っている、生産効率は変わらないのだから、GDP も政府支出も日本株時価総額も増えないのが正常なのです。因みに、総資産はゴールドベース、プラチナベースとかシルバーベースで見ないといけない、ドルは紙屑化しているからドルベースで判断するのは NG。 詳細は

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

ただし、貨幣価値が減ったからといって給料を上げてくれる親切な会社はないので、実質賃金は下がります。
日本人の給料が上がらないから、人件費を反映する物価も上がらない

しかし、外国に行けば日本円が紙屑になっているのがわかります。
しかし、日本国内での商品価格のコストの大半は人件費なので、貨幣価値が減っても物価はあまり上がりません。
それで日本の物価だけは上がらずデフレ経済になるのですね。  日銀金融緩和の結果、国内物価が上がっていないだけで、円は海外では紙屑になっている。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
商品価格の大半は人件費なので、物価はあまり上がりません。
これが金融緩和してもインフレにならない理由ですね。

そもそも欧米の物価と日本の物価を比較すれば 1ドル=20円程度が適正値なのに、1ドル=110円まで超円安になっている。タイでもラーメン1杯が1000円になっているよ。

ドル自体が紙屑になっていると言われているのに、そのドルに比べても円のこの安さ。

日本人がアメリカに留学できなくなったのはアメリカの授業料が年間何百万円になったからだよ。アメリカでアパートを借りてもワンルームが月30万円だから、日本人はアメリカ留学すらできない。

そもそも日本人が作っている日本の野菜や傘、洋服や日曜品ですら日本人には高値の花になっている。こういうのをハイパーインフレーションというんだよ 。

因みに、僕がハイパーインフレーションと言っているのは
日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

GDPの増加率や経済成長率には意味はありません。
中国やアメリカの様にGDPがいくら増えても、いくら経済成長しても国民の生活が良くなる訳ではありません。
政府がいくら金融緩和しても財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。

日本のマネーストック M2 が増加し続けているのに名目賃金が増えない(実質賃金が減り続けている)というのは大西つねきさんが問題にしていますね。大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

現在は国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスで“超異次元緩和”を実施することによって、これまで(リーマン・ショック以後の金融緩和)にも増してカネが有り余った状態が作り出されようとしています。

日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)を中心とした各国の中央銀行が注ぎ込んだ資金は既に1000兆円を超えました。


MMT の資金供給で労働者の実質賃金が下がった為に実体経済は冷え込み、製造業はじめ各種産業には資金需要がないため、だぶついたマネーがみな金融市場に流れ込み、

2020年3月中旬から6月末だけでも、世界の富豪ランキングでトップのジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)は資産が46%も増加し、1650億j(約18兆円)になっている。

同2位のビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)は12%も増えて1097億jに、同4位のウォーレン・バフェット(世界三大投資家)は6%増の715億j、同5位のラリー・エリソン(オラクル創業者)は19%増加して702億j、同7位だったフェイスブックCEOのザッカーバーグに至っては63%も資産を増やし、891億jになった。

億万長者としては全体でコロナ禍に世界が沈み込んだ14週間(3月中旬から6月末)の期間に6280億jも資産が膨れあがった。

国際金融資本(とチャンネル桜のアホ評論家)が強力に推進している MMTポリティクスが原因で、富める者は実体と乖離した有り余ったカネによって働かずして富を得て、その他の圧倒的な国民、社会を実際に下支えしている側は失業や貧困、生活が破綻しかねない現実に直面しています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/305.html#c3

[近代史3] イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒した理由は日本人を使って中国内陸部を支配するためだった 中川隆
9. 中川隆[-11495] koaQ7Jey 2020年9月06日 05:27:44 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[3]


2020.09.06
ユーラシア大陸沿いの軍事同盟を強化している米国だが、思惑通りに進んでいない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009050000/


 太平洋地域にはアメリカを中心とするふたつの軍事同盟が存在する。ひとつはアメリカと日本、もうひとつはアメリカ、オーストラリア、そしてニュージーランドの3カ国によるものだ。アメリカと日本の同盟は1951年9月8日にサンフランシスコのプレシディオで調印された安保条約から始まるが、そのその1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。


 その太平洋地域へNATOを広げようという動きがある。NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは6月8日、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言したが、それは機構を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにしようということ。


 2018年5月にアメリカ太平洋軍はインド・太平洋軍へ名称変更になった。インド洋と太平洋を一体と考えることを意味しているが、太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アングロ・サクソンにはユーラシア大陸の沿岸地域を支配し、内陸部を締め上げていくという長期戦略がある。その戦略をまとめ、1904年に発表したのが地政学の父とも呼ばれているハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。


 イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国(清)に対して仕掛け、略奪を本格化させたが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本はその獲物を手にするための手先ということになる。


 三井財閥の大番頭と言われ、ウォール街とも深く結びついていた団琢磨は1871年にアメリカへ渡り、マサチューセッツ工科大学を卒業している。団の親友だった金子堅太郎も渡米したが、金子はハーバード大学で法律を学び、同大学の後輩にあたるセオドア・ルーズベルトと親しくなる。ふたりは1890年にルーズベルトの自宅で初めて会ったという。


 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。


 日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書き、金子はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)


 ロシアでは1905年1月に「血の日曜日事件」を切っ掛けにして始まった第1次革命で国内は混乱していたが、国力で差のある日本は戦争が長引くと劣勢になる可能性は高く、それを嫌ったルーズベルトが調停に乗り出した。この功績でルーズベルトは1906年にノーベル平和賞を授与されている。


 こうした状況の中、ポーツマスで講和条約が結ばれるが、その内容に不満を持つ人びとは日比谷公園で抗議大会を開き、暴動につながった。戦利品が少ないという不満が爆発したわけだ。暴動の際、17名が死亡したと言われている。


 その後、関東大震災を切っ掛けにして日本はウォール街の巨大金融機関JPモルガンの影響下に入り、1932年にはJPモルガンの総帥と結婚した女性のいとこにあたるジョセフ・グルーが駐日大使として赴任してくる。


 その1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ウォール街への不満を高めていた人びとはニューディール派のフランクリン・ルーズベルトを選んだ。そこでウォール街の住人は1933年から34年にかけてクーデターを目論んだが、失敗した。この辺の話は本ブログで繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。


 ニューディール派は反ファシズム、半植民地の立場で、大企業の活動を規制して労働者の権利を拡大しようとしていたが、1945年4月にフランクリン・ルーズベルトが急死、ホワイトハウスはウォール街が主導権を奪還することに成功した。戦争後、反ファシスト勢力はレッド・パージという形で粛清されていく。戦後日本の進む方向を決めたのはジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物はジョセフ・グルーにほかならない。


 アメリカは1949年にNATO(北大西洋条約機構)を組織を創設。その中に軍事員会が設置され、ヨーロッパ連合軍最高司令部や大西洋連合軍最高司令部が置かれた。そうした軍事部門の中心がヨーロッパ連合軍で、一般的にNATO軍と呼ばれている。


 NATOが作られる前年、アングロ・サクソン系のアメリカとイギリスはACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)を創設した。ヨーロッパの統合が目的だとされている。


 委員長を務めたのはウォール街の弁護士でOSS(CIAの前身)の長官だったウィリアム・ドノバン、副委員長はアレン・ダレス。言うまでもなく、ダレスもウォール街の弁護士で、OSSやCIAの中心的な存在だった。委員会のスポンサーはフォード財団やロックフェラー財団などだ。


 ACUEの下部組織にはビルダーバーグ・グループも含まれている。その創設者はオランダ女王の夫、ベルンハルトとユセフ・レッティンゲルだとされている。


 レッティンゲルは世界大戦の前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動していた人物で、ポーランドのブワディスラフ・シコルスキー将軍の側近だった。戦争が始まるとシコルスキーは1939年9月にロンドンで亡命政府を樹立し、翌年の6月にはウィンストン・チャーチルと会談、ポーランドがイギリスと一緒に戦うことを約束している。


 戦後、レッティンゲルはベルンハルトに接近、その人脈を利用してアメリカのハリー・トルーマン政権やドワイト・アイゼンハワー政権につながる。


 ソ連軍の軍事侵攻に備えるという名目で創設されたNATOだが、ヨーロッパをアングロ・サクソンが支配する仕組みという側面がある。同じことは安保条約やANZUSにも言えるだろう。同じ長期戦略に基づき、別々に創設された軍事同盟を統一する動きがあるわけだが、そこには大きな問題が横たわっている。アングロ・サクソンが立てた戦略の求心力が弱まっているのだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009050000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/743.html#c9

[近代史3] 表に出始めた明治維新の真実 中川隆
6. 中川隆[-11494] koaQ7Jey 2020年9月06日 05:28:09 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[4]


2020.09.06
ユーラシア大陸沿いの軍事同盟を強化している米国だが、思惑通りに進んでいない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009050000/


 太平洋地域にはアメリカを中心とするふたつの軍事同盟が存在する。ひとつはアメリカと日本、もうひとつはアメリカ、オーストラリア、そしてニュージーランドの3カ国によるものだ。アメリカと日本の同盟は1951年9月8日にサンフランシスコのプレシディオで調印された安保条約から始まるが、そのその1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。


 その太平洋地域へNATOを広げようという動きがある。NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは6月8日、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言したが、それは機構を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにしようということ。


 2018年5月にアメリカ太平洋軍はインド・太平洋軍へ名称変更になった。インド洋と太平洋を一体と考えることを意味しているが、太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アングロ・サクソンにはユーラシア大陸の沿岸地域を支配し、内陸部を締め上げていくという長期戦略がある。その戦略をまとめ、1904年に発表したのが地政学の父とも呼ばれているハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。


 イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国(清)に対して仕掛け、略奪を本格化させたが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本はその獲物を手にするための手先ということになる。


 三井財閥の大番頭と言われ、ウォール街とも深く結びついていた団琢磨は1871年にアメリカへ渡り、マサチューセッツ工科大学を卒業している。団の親友だった金子堅太郎も渡米したが、金子はハーバード大学で法律を学び、同大学の後輩にあたるセオドア・ルーズベルトと親しくなる。ふたりは1890年にルーズベルトの自宅で初めて会ったという。


 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。


 日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書き、金子はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)


 ロシアでは1905年1月に「血の日曜日事件」を切っ掛けにして始まった第1次革命で国内は混乱していたが、国力で差のある日本は戦争が長引くと劣勢になる可能性は高く、それを嫌ったルーズベルトが調停に乗り出した。この功績でルーズベルトは1906年にノーベル平和賞を授与されている。


 こうした状況の中、ポーツマスで講和条約が結ばれるが、その内容に不満を持つ人びとは日比谷公園で抗議大会を開き、暴動につながった。戦利品が少ないという不満が爆発したわけだ。暴動の際、17名が死亡したと言われている。


 その後、関東大震災を切っ掛けにして日本はウォール街の巨大金融機関JPモルガンの影響下に入り、1932年にはJPモルガンの総帥と結婚した女性のいとこにあたるジョセフ・グルーが駐日大使として赴任してくる。


 その1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ウォール街への不満を高めていた人びとはニューディール派のフランクリン・ルーズベルトを選んだ。そこでウォール街の住人は1933年から34年にかけてクーデターを目論んだが、失敗した。この辺の話は本ブログで繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。


 ニューディール派は反ファシズム、半植民地の立場で、大企業の活動を規制して労働者の権利を拡大しようとしていたが、1945年4月にフランクリン・ルーズベルトが急死、ホワイトハウスはウォール街が主導権を奪還することに成功した。戦争後、反ファシスト勢力はレッド・パージという形で粛清されていく。戦後日本の進む方向を決めたのはジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物はジョセフ・グルーにほかならない。


 アメリカは1949年にNATO(北大西洋条約機構)を組織を創設。その中に軍事員会が設置され、ヨーロッパ連合軍最高司令部や大西洋連合軍最高司令部が置かれた。そうした軍事部門の中心がヨーロッパ連合軍で、一般的にNATO軍と呼ばれている。


 NATOが作られる前年、アングロ・サクソン系のアメリカとイギリスはACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)を創設した。ヨーロッパの統合が目的だとされている。


 委員長を務めたのはウォール街の弁護士でOSS(CIAの前身)の長官だったウィリアム・ドノバン、副委員長はアレン・ダレス。言うまでもなく、ダレスもウォール街の弁護士で、OSSやCIAの中心的な存在だった。委員会のスポンサーはフォード財団やロックフェラー財団などだ。


 ACUEの下部組織にはビルダーバーグ・グループも含まれている。その創設者はオランダ女王の夫、ベルンハルトとユセフ・レッティンゲルだとされている。


 レッティンゲルは世界大戦の前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動していた人物で、ポーランドのブワディスラフ・シコルスキー将軍の側近だった。戦争が始まるとシコルスキーは1939年9月にロンドンで亡命政府を樹立し、翌年の6月にはウィンストン・チャーチルと会談、ポーランドがイギリスと一緒に戦うことを約束している。


 戦後、レッティンゲルはベルンハルトに接近、その人脈を利用してアメリカのハリー・トルーマン政権やドワイト・アイゼンハワー政権につながる。


 ソ連軍の軍事侵攻に備えるという名目で創設されたNATOだが、ヨーロッパをアングロ・サクソンが支配する仕組みという側面がある。同じことは安保条約やANZUSにも言えるだろう。同じ長期戦略に基づき、別々に創設された軍事同盟を統一する動きがあるわけだが、そこには大きな問題が横たわっている。アングロ・サクソンが立てた戦略の求心力が弱まっているのだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009050000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/742.html#c6

[番外地8] 金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくな
金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくなる:
コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日

 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。


 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

inequality.orgサイトより

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増

マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増

マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増

イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増

セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増

ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増

スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増

ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増

フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増

ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増

ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増

マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。


 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/330.html

[番外地8] 金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくな 中川隆
1. 中川隆[-11493] koaQ7Jey 2020年9月06日 05:37:34 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[5]
金融緩和・財政出動をしても大企業と資本家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくなる:
コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日
 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。


 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

inequality.orgサイトより

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増

マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増

マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増

イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増

セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増

ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増

スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増

ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増

フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増

ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増

ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増

マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。


 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。  
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/330.html#c1

[番外地8] 金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくな 中川隆
2. 中川隆[-11492] koaQ7Jey 2020年9月06日 05:51:39 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[6]
金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、一般人は更に貧しくなる:
コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日
 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。

 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増
マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増
マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増
イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増
セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増
ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増
スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増
フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増
ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増
ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増
マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。

 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。

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いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西つねきさんが考えているデフレ対策

・輸出額を輸入額と同じになるまで減らし、内需主導経済に変える
・資本家から労働者への富の再分配は税金(累進課税)で行うのではなく、利子ゼロの政府紙幣を大量発行して意図的にインフレを起こす事によって行う(インフレ税)
・土地の公有化を進める
・農民を準公務員にして食料自給率を80%以上にする。
・移民と留学生の受け入れを止める
・郵政、JR、電力、大病院等のインフラの国有化
・利子付きの国債の発行を止めて、無利子の政府紙幣を大量発行する
・年金の積み立ては廃止、年金はすべて政府紙幣で十分な金額を給付
・医療費と大学までの教育費はすべて無料にする
・消費税は廃止
・高速道路は無料化
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/330.html#c2

[番外地8] 金融緩和・財政出動をしても資産家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくな 中川隆
3. 中川隆[-11491] koaQ7Jey 2020年9月06日 05:54:14 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[7]
大規模投資・財政出動をしても大企業と資本家が資産を増やすだけで、労働者は更に貧しくなる:
コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日
 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。

 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増
マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増
マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増
イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増
セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増
ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増
スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増
フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増
ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増
ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増
マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。

 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。
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いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西つねきさんが考えているデフレ対策
・輸出額を輸入額と同じになるまで減らし、内需主導経済に変える
・資本家から労働者への富の再分配は税金(累進課税)で行うのではなく、利子ゼロの政府紙幣を大量発行して意図的にインフレを起こす事によって行う(インフレ税)
・土地の公有化を進める
・農民を準公務員にして食料自給率を80%以上にする。
・移民と留学生の受け入れを止める
・郵政、JR、電力、大病院等のインフラの国有化
・利子付きの国債の発行を止めて、無利子の政府紙幣を大量発行する
・年金の積み立ては廃止、年金はすべて政府紙幣で十分な金額を給付
・医療費と大学までの教育費はすべて無料にする
・消費税は廃止
・高速道路の無料化
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/330.html#c3

[リバイバル3] ドイツ人はお腹がいっぱいになれば食べる物は何でもいい 中川隆
13. 中川隆[-11490] koaQ7Jey 2020年9月06日 06:59:24 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[9]
unauの無能日記 @
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml

 日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。

 ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。

 そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。

 パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。

 フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。

IMG_2258『unauの無能日記』宇野功芳氏直筆原稿

 それを書き始めると切りがなくなるので他日にゆずることとし、今回は動物園について書いてみたい。ぼくはフランスのみならず、どこの町に行っても、まず足を運ぶのが動物園だ。動物を見ている時の幸せ感というものは、もう言葉には尽くせず、いつまで居ても飽きることがない。

 今までに行った動物園のベストはウィーンのそれだ。例のシェーンブルン宮殿の奥にあるものである。最近は昔風の檻が並んだ動物園は珍しくなり、もっと広々とした動物公園が多くなった。日本では上野までそういうスタイルに変ってしまったが、ここははっきりいって最低。動物が木や石などの陰にかくれて見えないことが多いからだ。

 その点、ウィーンは見る人のことがよく考えられており、とくにトラは最高! ガラス張りの檻だが、傍に近づいて写真をとろうとするとトラがわっと立上がって威嚇するので、思わず逃げてしまう。 我ながらだらしがないが、体が反応してしまうので仕方がない。ライオンも目の前、パンダも目の前、狼も実に見やすいし、しかも彼らは実にのびのびと広い場所を動きまわっている。ウィーンという町には飽きたが、動物園だけは何回でも行きたい。

 日本では神戸がすばらしい。やはりトラとパンダが見ものだ。他国ではロンドンが最低、ベルリンもあまり感動しない。アントワープ、ベルンは素朴でまあまあ。それよりはブザンソン、フランクフルト、ミュンヘンが豊かで好きだ。スイスのバーゼルは水族館がことによるとベストかも知れない。

 ではパリは、というと、これがひどい。動物園のはしりだが、見にくい上に、園自体にやる気がまったくなく、荒れ果てたまま。だからパリでは植物園の中にある小動物園に必ず行く。動物の数は少ないが、猛獣類も居るし、ダニの館もある。 いろいろな種類のダニがうようよいるのを顕微鏡でのぞくわけだが、フランス人たちが悲鳴をあげながら見ている。そのダニの気味の悪いこと!

 ぼくは動物園ではトラやヒョウも好きだが(パンダはもちろん!)、オオカミ、タヌキ、キツネ、モモンガ、コウモリなどの小動物、そして水族館が好きだ。ヘビやワニはあまり好まない。面白くないのはナマケモノだ。なにしろ動かないのだから話にならない。ご面相も珍妙で、決して味があるという代物ではない。このナマケモノがそのパリの小動物園に居る。相変らず木につかまったまま微動だにしない。何が面白くて生きているのか。馬鹿にしながら通りすぎようとして、ふと名前を見た。いや、びっくりした。なんと"unau"と書いてあるではないか。ナマケモノはフランス語ではunauというのだ! フランス人はもちろんユノーと発音するが、われわれにはウノーとしか読めない。オレは怠け者なのか。一瞬シュンとしたが、考えてみればかなり当っている。それからは署名にunauと書くようになってしまったのである!

2007年1月
unau 記
2018年4月 4日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/767.html#c13

[近代史3] 日本ではありえない!ドイツ人の食事! 中川隆
2. 中川隆[-11489] koaQ7Jey 2020年9月06日 06:59:47 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[10]
unauの無能日記 @
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml

 日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。

 ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。

 そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。

 パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。

 フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。

IMG_2258『unauの無能日記』宇野功芳氏直筆原稿

 それを書き始めると切りがなくなるので他日にゆずることとし、今回は動物園について書いてみたい。ぼくはフランスのみならず、どこの町に行っても、まず足を運ぶのが動物園だ。動物を見ている時の幸せ感というものは、もう言葉には尽くせず、いつまで居ても飽きることがない。

 今までに行った動物園のベストはウィーンのそれだ。例のシェーンブルン宮殿の奥にあるものである。最近は昔風の檻が並んだ動物園は珍しくなり、もっと広々とした動物公園が多くなった。日本では上野までそういうスタイルに変ってしまったが、ここははっきりいって最低。動物が木や石などの陰にかくれて見えないことが多いからだ。

 その点、ウィーンは見る人のことがよく考えられており、とくにトラは最高! ガラス張りの檻だが、傍に近づいて写真をとろうとするとトラがわっと立上がって威嚇するので、思わず逃げてしまう。 我ながらだらしがないが、体が反応してしまうので仕方がない。ライオンも目の前、パンダも目の前、狼も実に見やすいし、しかも彼らは実にのびのびと広い場所を動きまわっている。ウィーンという町には飽きたが、動物園だけは何回でも行きたい。

 日本では神戸がすばらしい。やはりトラとパンダが見ものだ。他国ではロンドンが最低、ベルリンもあまり感動しない。アントワープ、ベルンは素朴でまあまあ。それよりはブザンソン、フランクフルト、ミュンヘンが豊かで好きだ。スイスのバーゼルは水族館がことによるとベストかも知れない。

 ではパリは、というと、これがひどい。動物園のはしりだが、見にくい上に、園自体にやる気がまったくなく、荒れ果てたまま。だからパリでは植物園の中にある小動物園に必ず行く。動物の数は少ないが、猛獣類も居るし、ダニの館もある。 いろいろな種類のダニがうようよいるのを顕微鏡でのぞくわけだが、フランス人たちが悲鳴をあげながら見ている。そのダニの気味の悪いこと!

 ぼくは動物園ではトラやヒョウも好きだが(パンダはもちろん!)、オオカミ、タヌキ、キツネ、モモンガ、コウモリなどの小動物、そして水族館が好きだ。ヘビやワニはあまり好まない。面白くないのはナマケモノだ。なにしろ動かないのだから話にならない。ご面相も珍妙で、決して味があるという代物ではない。このナマケモノがそのパリの小動物園に居る。相変らず木につかまったまま微動だにしない。何が面白くて生きているのか。馬鹿にしながら通りすぎようとして、ふと名前を見た。いや、びっくりした。なんと"unau"と書いてあるではないか。ナマケモノはフランス語ではunauというのだ! フランス人はもちろんユノーと発音するが、われわれにはウノーとしか読めない。オレは怠け者なのか。一瞬シュンとしたが、考えてみればかなり当っている。それからは署名にunauと書くようになってしまったのである!

2007年1月
unau 記
2018年4月 4日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/432.html#c2

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
20. 中川隆[-11488] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:00:50 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[11]
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https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml

 日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。

 ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。

 そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。

 パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。

 フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。

IMG_2258『unauの無能日記』宇野功芳氏直筆原稿

 それを書き始めると切りがなくなるので他日にゆずることとし、今回は動物園について書いてみたい。ぼくはフランスのみならず、どこの町に行っても、まず足を運ぶのが動物園だ。動物を見ている時の幸せ感というものは、もう言葉には尽くせず、いつまで居ても飽きることがない。

 今までに行った動物園のベストはウィーンのそれだ。例のシェーンブルン宮殿の奥にあるものである。最近は昔風の檻が並んだ動物園は珍しくなり、もっと広々とした動物公園が多くなった。日本では上野までそういうスタイルに変ってしまったが、ここははっきりいって最低。動物が木や石などの陰にかくれて見えないことが多いからだ。

 その点、ウィーンは見る人のことがよく考えられており、とくにトラは最高! ガラス張りの檻だが、傍に近づいて写真をとろうとするとトラがわっと立上がって威嚇するので、思わず逃げてしまう。 我ながらだらしがないが、体が反応してしまうので仕方がない。ライオンも目の前、パンダも目の前、狼も実に見やすいし、しかも彼らは実にのびのびと広い場所を動きまわっている。ウィーンという町には飽きたが、動物園だけは何回でも行きたい。

 日本では神戸がすばらしい。やはりトラとパンダが見ものだ。他国ではロンドンが最低、ベルリンもあまり感動しない。アントワープ、ベルンは素朴でまあまあ。それよりはブザンソン、フランクフルト、ミュンヘンが豊かで好きだ。スイスのバーゼルは水族館がことによるとベストかも知れない。

 ではパリは、というと、これがひどい。動物園のはしりだが、見にくい上に、園自体にやる気がまったくなく、荒れ果てたまま。だからパリでは植物園の中にある小動物園に必ず行く。動物の数は少ないが、猛獣類も居るし、ダニの館もある。 いろいろな種類のダニがうようよいるのを顕微鏡でのぞくわけだが、フランス人たちが悲鳴をあげながら見ている。そのダニの気味の悪いこと!

 ぼくは動物園ではトラやヒョウも好きだが(パンダはもちろん!)、オオカミ、タヌキ、キツネ、モモンガ、コウモリなどの小動物、そして水族館が好きだ。ヘビやワニはあまり好まない。面白くないのはナマケモノだ。なにしろ動かないのだから話にならない。ご面相も珍妙で、決して味があるという代物ではない。このナマケモノがそのパリの小動物園に居る。相変らず木につかまったまま微動だにしない。何が面白くて生きているのか。馬鹿にしながら通りすぎようとして、ふと名前を見た。いや、びっくりした。なんと"unau"と書いてあるではないか。ナマケモノはフランス語ではunauというのだ! フランス人はもちろんユノーと発音するが、われわれにはウノーとしか読めない。オレは怠け者なのか。一瞬シュンとしたが、考えてみればかなり当っている。それからは署名にunauと書くようになってしまったのである!

2007年1月
unau 記
2018年4月 4日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/863.html#c20

[リバイバル3] ドイツの音とは何か? 中川隆
124. 中川隆[-11487] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:01:29 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[12]
unauの無能日記 @
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml

 日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。

 ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。

 そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。

 パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。

 フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。

IMG_2258『unauの無能日記』宇野功芳氏直筆原稿

 それを書き始めると切りがなくなるので他日にゆずることとし、今回は動物園について書いてみたい。ぼくはフランスのみならず、どこの町に行っても、まず足を運ぶのが動物園だ。動物を見ている時の幸せ感というものは、もう言葉には尽くせず、いつまで居ても飽きることがない。

 今までに行った動物園のベストはウィーンのそれだ。例のシェーンブルン宮殿の奥にあるものである。最近は昔風の檻が並んだ動物園は珍しくなり、もっと広々とした動物公園が多くなった。日本では上野までそういうスタイルに変ってしまったが、ここははっきりいって最低。動物が木や石などの陰にかくれて見えないことが多いからだ。

 その点、ウィーンは見る人のことがよく考えられており、とくにトラは最高! ガラス張りの檻だが、傍に近づいて写真をとろうとするとトラがわっと立上がって威嚇するので、思わず逃げてしまう。 我ながらだらしがないが、体が反応してしまうので仕方がない。ライオンも目の前、パンダも目の前、狼も実に見やすいし、しかも彼らは実にのびのびと広い場所を動きまわっている。ウィーンという町には飽きたが、動物園だけは何回でも行きたい。

 日本では神戸がすばらしい。やはりトラとパンダが見ものだ。他国ではロンドンが最低、ベルリンもあまり感動しない。アントワープ、ベルンは素朴でまあまあ。それよりはブザンソン、フランクフルト、ミュンヘンが豊かで好きだ。スイスのバーゼルは水族館がことによるとベストかも知れない。

 ではパリは、というと、これがひどい。動物園のはしりだが、見にくい上に、園自体にやる気がまったくなく、荒れ果てたまま。だからパリでは植物園の中にある小動物園に必ず行く。動物の数は少ないが、猛獣類も居るし、ダニの館もある。 いろいろな種類のダニがうようよいるのを顕微鏡でのぞくわけだが、フランス人たちが悲鳴をあげながら見ている。そのダニの気味の悪いこと!

 ぼくは動物園ではトラやヒョウも好きだが(パンダはもちろん!)、オオカミ、タヌキ、キツネ、モモンガ、コウモリなどの小動物、そして水族館が好きだ。ヘビやワニはあまり好まない。面白くないのはナマケモノだ。なにしろ動かないのだから話にならない。ご面相も珍妙で、決して味があるという代物ではない。このナマケモノがそのパリの小動物園に居る。相変らず木につかまったまま微動だにしない。何が面白くて生きているのか。馬鹿にしながら通りすぎようとして、ふと名前を見た。いや、びっくりした。なんと"unau"と書いてあるではないか。ナマケモノはフランス語ではunauというのだ! フランス人はもちろんユノーと発音するが、われわれにはウノーとしか読めない。オレは怠け者なのか。一瞬シュンとしたが、考えてみればかなり当っている。それからは署名にunauと書くようになってしまったのである!

2007年1月
unau 記
2018年4月 4日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/447.html#c124

[近代史3] ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 中川隆
51. 中川隆[-11486] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:01:55 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[13]
unauの無能日記 @
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml

 日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。

 ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。

 そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。

 パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。

 フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。

IMG_2258『unauの無能日記』宇野功芳氏直筆原稿

 それを書き始めると切りがなくなるので他日にゆずることとし、今回は動物園について書いてみたい。ぼくはフランスのみならず、どこの町に行っても、まず足を運ぶのが動物園だ。動物を見ている時の幸せ感というものは、もう言葉には尽くせず、いつまで居ても飽きることがない。

 今までに行った動物園のベストはウィーンのそれだ。例のシェーンブルン宮殿の奥にあるものである。最近は昔風の檻が並んだ動物園は珍しくなり、もっと広々とした動物公園が多くなった。日本では上野までそういうスタイルに変ってしまったが、ここははっきりいって最低。動物が木や石などの陰にかくれて見えないことが多いからだ。

 その点、ウィーンは見る人のことがよく考えられており、とくにトラは最高! ガラス張りの檻だが、傍に近づいて写真をとろうとするとトラがわっと立上がって威嚇するので、思わず逃げてしまう。 我ながらだらしがないが、体が反応してしまうので仕方がない。ライオンも目の前、パンダも目の前、狼も実に見やすいし、しかも彼らは実にのびのびと広い場所を動きまわっている。ウィーンという町には飽きたが、動物園だけは何回でも行きたい。

 日本では神戸がすばらしい。やはりトラとパンダが見ものだ。他国ではロンドンが最低、ベルリンもあまり感動しない。アントワープ、ベルンは素朴でまあまあ。それよりはブザンソン、フランクフルト、ミュンヘンが豊かで好きだ。スイスのバーゼルは水族館がことによるとベストかも知れない。

 ではパリは、というと、これがひどい。動物園のはしりだが、見にくい上に、園自体にやる気がまったくなく、荒れ果てたまま。だからパリでは植物園の中にある小動物園に必ず行く。動物の数は少ないが、猛獣類も居るし、ダニの館もある。 いろいろな種類のダニがうようよいるのを顕微鏡でのぞくわけだが、フランス人たちが悲鳴をあげながら見ている。そのダニの気味の悪いこと!

 ぼくは動物園ではトラやヒョウも好きだが(パンダはもちろん!)、オオカミ、タヌキ、キツネ、モモンガ、コウモリなどの小動物、そして水族館が好きだ。ヘビやワニはあまり好まない。面白くないのはナマケモノだ。なにしろ動かないのだから話にならない。ご面相も珍妙で、決して味があるという代物ではない。このナマケモノがそのパリの小動物園に居る。相変らず木につかまったまま微動だにしない。何が面白くて生きているのか。馬鹿にしながら通りすぎようとして、ふと名前を見た。いや、びっくりした。なんと"unau"と書いてあるではないか。ナマケモノはフランス語ではunauというのだ! フランス人はもちろんユノーと発音するが、われわれにはウノーとしか読めない。オレは怠け者なのか。一瞬シュンとしたが、考えてみればかなり当っている。それからは署名にunauと書くようになってしまったのである!

2007年1月
unau 記
2018年4月 4日

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c51

[文化2] ベートーヴェンの真実−−彼の手紙が語らない事    西岡昌紀 西岡昌紀
7. 中川隆[-11485] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:04:21 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[14]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記 A
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000017.shtml
 あーあ、怠け者(unau)は辛い。こんな原稿書くのも面倒くさくて仕方がないんだけど......。キングインターナショナルの社長はおっかないからな。読み終ったばかりの青木やよひ著「ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の探究」(平凡社ライブラリー)のことでも書いてお茶をにごそうか。

 青木やよひさんはもう80歳という高齢だが、20代の頃からベートーヴェンの《不滅の恋人》への手紙の研究を始め、ほとんど全生涯を恋人の特定のために費やしたといってもよい。その努力には本当に頭が下る。

 ベートーヴェンぐらい楽聖という言葉に相応わしい人もあるまい。ぼくはモーツァルトもブルックナーも大好きだが、畏敬の気持はベートーヴェンがいちばん強い。ロマン・ロランが書いた伝記を夢中になって読んだ若い日。トスカニーニとフルトヴェングラーの《第五》を友人たちと聴き比べながら論争をした高校生時代。いずれもなつかしい思い出だ。


 ベートーヴェンの死後、彼自身が書いた宛名不明のラヴ・レターが3通、秘密の引き出しから発見された。年号はなく、「7月6日 朝」「7月6日 月曜日 夜」「おはよう 7月7日」だけ記され、その第1信は「私の天使、私のすべて、私自身よ」という熱烈な呼びかけで始まっている。そして第3信の最初に書かれた"わが不滅の恋人よ"という文章によって、《不滅の恋人への手紙》と呼ばれるようになった。


 ロマン・ロランは恋人を伯爵令嬢テレーゼ・ブルンスウィックと断定し、二人はひそかに婚約した、と書いているので、ぼくなどはすっかりその気になり、若い頃、講師をしていた高校の音楽の授業でもそのように教えていた。


 しかし、ロランは後にこれを否定し、その後は「月光の曲」を捧げたジュリエッタ説、「エリーゼのために」を捧げたテレーゼ・マルファッティ説などが入り乱れていたが、20世紀も半ばをすぎた1957年、ベートーヴェンが前記テレーゼ・ブルンスウィックの妹ヨゼフィーネに宛てた13通の恋文がファクシミリとして公表されたのである。
書かれた年代は1804年から07年末までの4年間にわたっており、俄然ヨゼフィーネ説が有力になった。彼女は1799年にダイム伯爵と結婚、4人の子供を産んだが、夫は1804年に急死、1810年、今度はシュタッケルベルク男爵と再婚した。ベートーヴェンと恋愛関係にあったのはその間ということになるが、ヨゼフィーネは男爵との間にも3人の女の子をもうけた。ショッキングなのは、1813年4月8日生まれの3女ミーナがベートーヴェンの子である、という青木やよひ説である。


 では不滅の恋人がヨゼフィーネか、といえばそうではない。恋人探索の決め手は、ラヴ・レターに書かれた「7月6日 月曜日」という日付である。
ベートーヴェンの生涯で7月7日が月曜日に当るのは1795年、1801年、1807年、1812年、1818年であり、その年の夏の彼の滞在地を調べれば年月日を特定できる。ベートーヴェンはウィーンからかなり遠い湯治場でこの手紙を書き、その宿泊地から定期的に郵便馬車が出ている湯治場Kに居る恋人に出した。ベートーヴェンは大雨によるぬかるみの中を馬車に乗ってやって来たことが手紙の内容から分る。


 青木やよひさんはベートーヴェンが手紙を書いたのはボヘミアのテプリッツであると推測、そこから程近いカールスバート(K)に出したのだという。青木さんは何度も現地に足を運び、ホテルを探し、宿帳にベートーヴェンの名前を発見、カールスバートでも恋人の名前を発見、さらに当時同地に居たゲーテの日記に、同地方が豪雨だったことが記されていたことも知った。

 まことに推理小説を読むように面白い。はたして青木さんが推測した《不滅の恋人》とは?

 ベートーヴェンが1812年9月末か10月初めに書いた日記に、「おお神よ! 私に自分に打ちかつ力をあたえたまえ。......このようにして、Aとのことはすべて崩壊にいたる......」とあるが、このAこそ恋人のイニシャルであり、その名前はアントーニア・ブレンターノ。銀行家フランツ・ブレンターノ夫人で、当時32歳(ベートーヴェンは42歳)、二人はひそかに愛し合い、イギリスに永住する約束を交わしていた。アントーニアの名前が今までまったく無視されていたのは、それだけ慎重に二人が秘密をかくし通していたからだという。そういわれればその通りだ。


 だが運命はベートーヴェンにとって、あまりにも過酷だった。ほとんど別居状態だったアントーニアと夫フランツの間には別れ話が進み、その最後の話し合いのとき(5月28日のアントーニアの誕生日)、別れの契りで子供を宿してしまった。そのことを告白されたベートーヴェンが、動転している恋人に書いたのが、例の3通の手紙であるが、ベートーヴェンの方にも思いもかけぬ事態が起こってしまったのだ。

 同じ年の6月、前記ヨゼフィーネの夫シュタッケルベルクが家出し、6人の子供たちとともにウィーンに取り残された彼女は、生活費にもこと欠いてベートーヴェンに助けを求めに行ったが、同情した彼がヨゼフィーネと一夜をともにし、できた子がミーナだったと青木さんは考えたのだ。
それは彼女の姉テレーゼが「子供に備わる神性」という言葉を使っていることからも明らかで、この事実をベートーヴェンは9月末か10月初めに知り、運命の過酷さに絶望し、次に自らを断罪し、アントーニアとのこと、いっさいをあきらめたのだという。

 なんという皮肉な現実!《Aとのことはすべて崩壊にいたる》。あまりの精神的打撃によって病気がちとなり、創作力も衰えてしまったベートーヴェン。そして数年後、見事に立ち直り、ピアノ・ソナタ「作品109」「作品110」「作品111」、歌曲集「遙かなる恋人に寄す」をはじめとして、曲の随所にアントーニアへの想いを昇華した形で封じこめたわれらがベートーヴェン。

 若しも彼が愛する人とイギリスに渡り、幸せな家庭を築いたとしたら、われわれには果たして「第九」や「ミサ・ソレムニス」や後期の弦楽四重奏曲の数々が遺されたかどうか。おそらくは作曲されなかったのではないだろうか。

unau 記
2018年4月11日

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[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
75. 中川隆[-11484] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:29:16 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[15]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記C
嵐の中のブルーノ・ワルター

 戦前EMIのプロデューサーだったガイスベルクは「ワルターは嵐の中心となるような運命を背負っている」と述べた。彼の生涯は、凡人ならとても耐え切れないような苦難に満ちていたが、今月はそのことを書いてみたい。

 少年時代、どなり声ひとつ聞いたことのない、温かく教養豊かな家庭に育ち、ピアニストへの道を進み、途中で指揮者になりたいと切望するようになる。やがてハンブルク歌劇場で名指揮者マーラーと出会い、彼の演奏、作品、人柄に魅かれ、師として仰ぎ、マーラーのせかせかした歩き方や爪をかむ癖まで真似をしたというワルターの前途は希望にあふれていた。人生で最も幸せだったのは1913年から10年間にわたるバイエルン国立歌劇場(ミュンヘン)の総監督時代であろう(37歳から46歳まで)。良き妻エルザとロッテ、グレーテルという2人の娘を得、指揮者としての評判も非常に高かった。その幸福が暗転したのは1922年である。

 名門ベルリン・フィルの常任指揮者ニキシュが世を去ったのだ。当然次の指揮者の本命はベルリン生まれで、オーストリア、ドイツを中心に活躍するブルーノ・ワルターであった。新聞辞令も出た。彼はベルリン・フィルの団員からも「多くの者があなたを支持している」という連絡を受け、すっかりその気になっていた。

 しかし、そこに登場したのが10歳も年下のフルトヴェングラーである。ワルターは知人への手紙に書いている。「フルトヴェングラーはニキシュが死んでからベルリンに根を下ろし、天国から地獄までのありとあらゆる手段を総動員して、この地位を得ようと躍起になっています。私の方は主義として何もしていないし、これまでの人生でも、ただ音楽的な業績によってのみ道を開こうとして来ました」。

 結局ベルリン・フィルが選んだのは36歳の若手フルトヴェングラーであった。あまつさえ、ワルターがミュンヘンを去ったのは、12歳年下のクナッパーツブッシュがナチスと手を組み、ユダヤ人のワルターを追い出したという説がある。これは往年の指揮者でヨーロッパにもしばしば出かけていた近衛秀麿が語っていたことだが、当時ナチスはまだ勢力をのばしておらず、ワルター自身も自伝に他の理由を書いているので噂の域を出ないが、火のないところに煙は立たない。
なんらかの動きはあったかも知れない。クナッパーツブッシュは海千山千、ワルターは最後までお人好しであった。

 1933年、そのナチスがついに政権を取り、ユダヤ人の追放にのり出した。ワルターはフルトヴェングラーが常任になった後もベルリン・フィルとは親密な関係をつづけ、長年にわたって「ブルーノ・ワルター・コンサート」を開いて来たが、それも中止、1934年にはウィーンに追われ、オーストリア国籍となった。しかし名門ウィーン・フィルとワルターとの相性は抜群で、彼の人気は世界中にとどろき、ベルリンのフルトヴェングラーと二分、革命後のソヴィエトに招かれた初めての外国人となった。ベルリン・フィルも結果としてフルトヴェングラーを選んだのが成功だったといえる。

 だがワルターの幸せは長くはつづかない。このあと、筆舌に尽くせぬ苦難がつぎつぎと彼をおそう。1938年3月13日、ナチス・ドイツはオーストリアを併合、ユダヤ人を追放した。ちょうどアムステルダムに演奏旅行中だったワルターはウィーンに帰れず、地位も財産も国籍も剥奪された。
家族も逮捕されたが4月にオーストリアを脱出、一家は9月にモナコ国籍を得ようとするが失敗、フランス政府が救いの手を差しのべ、フランス国籍を取得する。

 翌1939年8月、ルツェルン音楽祭でマーラーの「第二」を指揮する予定だったワルターに届いたのは、チューリヒ在住の最愛の娘、次女のグレーテルが夫に射殺されたという報であった。
茫然自失のワルターに代わってトスカニーニが指揮をとった。翌月の9月にナチスはポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まる。ヨーロッパに居場所を失ったワルターはついにアメリカへの亡命を決意、10月31日にニューヨークに向かい、ロサンジェルス郊外のビヴァリー・ヒルズに居を構えるとともにアメリカ国籍となった。本当に苦難の連続とはこのことであろう。しかも1945年3月には長い間の心労がたたったのだろう、エルザ夫人が脳卒中のため他界してしまう。

アメリカのオーケストラの楽員にはヨーロッパでのワルターの名声を知らない人も多く、最初のうちは戸惑いをかくせなかったが、やがてニューヨーク・フィルの音楽監督をつとめるなど、徐々にアメリカの生活になじみ、1962年2月17日、心臓病のため、85歳の生涯を閉じたのであった。

 《愛と善意の音楽家》ワルター。それゆえに彼は自分をあんなにも苦しめたナチスに対しても、そこそこの悪意しか持っていなかったというが、ワルターの良さも弱さもそのあたりにあったのかも知れない。戦後、1949年、シカゴ交響楽団がフルトヴェングラーに客演指揮を依頼したが、全米の音楽家たちがナチスに協力したという理由で猛反対をした。しかしワルターとメニューインだけが反対声明に名前を書かなかったのである。

 ワルターに代わってベルリン・フィルの常任の地位についたフルトヴェングラーは、晩年カラヤンの台頭におびえ、自分がワルターに対してやったようなことをカラヤンにされるのではないかと絶えず猜疑心に悩まされた。そして1954年、ワルターよりも早く、68歳で他界したあと、ベルリン・フィルの常任の地位についたのはそのカラヤンであった。運命はめぐる。人の世の面白さであろう。

2007年6月
[宇野功芳]
2018年4月25日
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c75

[リバイバル3] 世界的にも美食の街として知られるようになった東京 _ こんなに食の多様性に優れた都市は世界にはありません 中川隆
1. 中川隆[-11486] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:54:04 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[13]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記D
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000020.shtml
 今月は美食の話。和、洋、中、おいしいものなら何でも好きなぼくだが、トップは当然フランス料理である。ぼくぐらいの年齢になると、もう和食の方がいい、という人も多いが、生涯現役の体には魚よりも肉の方がぴったりくる。

 それにぼくはあの懐石料理というものがピンと来ないのだ。もちろん若い頃は美しい彩りに魅せられて京都は祗園丸山などによく通ったものだし、今でも有名店に招待されることがある。でも、2日つづけて食べたいとは思わない。それにどの料理もいろいろこねくりまわして、なんの食材を使っているのか分からないものが多い。有名店の懐石料理でもそうなのだから、旅館で出てくる食事には正直まいってしまう。初日はまだ良いとしても2日目には同じ味に飽き飽き、3日目はかなり辛い。ぼくには行きつけの温泉旅館があるのだが、残念ながら3泊が限度だ。フランス料理には(もちろん一流の)そういうことがないので、1ヶ月でも2ヶ月でもフランスに滞在できるのである。

 ところが和食で、たった2軒だけ、いつ行っても、今までのどれよりも今日がいちばんおいしかった、と思わせてくれる店がある。銀座のすしの名店[ほかけ]と、原宿の割烹料理、[重よし]である。
最近東京のフレンチ・レストランの味の向上は著しく、本場のフランスを凌ぐ店も多くなったが、行くたびに今日が今までの最高と思わせてくれる店はさすがにない。だから、ほかけと重よしは別格なのだ。とんでもないことを肩に力を入れず、やすやすとやってのけているのである。

 ほかけについては改めて書くことにして、まずは重よし。この店は遠藤周作が通いつめたことで知られ、ぼくも彼のエッセイを読んで通うようになったのだが、ご主人の佐藤憲三さんとはもう20年以上のおつき合いということになる。重よしはいわゆる懐石料理ではない。無上の食材をこねまわさず、出来得るかぎりシンプルな形で供してくれる。料理を出す順番にもこだわりはなく、思いがけないときに思いがけない一皿が出る。佐藤さんはお客の食べ方をそれとなく見ていて、その日の食欲や体調を瞬時に見ぬき、ぴったりの品を出してくれる。だから、十数人しかすわれないカウンターのお客一人ひとりに出すものがみな違う。順番も違う。

 最近行ったのは4月18日だが、その日の献立を書いてみよう。

メニュー
1. グリーンピース、生ユバ、山椒の花を素材にした3種の突出し
2. 葉タマネギのゆでもの
3. カツオのタタキ。ノリ、ミョウガ、アサヅキをたっぷり散らす
4. キスとウドの芽
5. アサリとフキノトウを揚げたもの。
ウニとトリ貝(ウドとワケギを巻き、スミソをかけてある)。
シメサバの卯の花まぶし。
ホタルイカのモロミ漬け。 以上、4種が一皿に
6. 吸物。シイタケ、シラガネギ、ニンジン、ミツバ、ゴボウとブタの背脂
7. タイの刺身
8. ふり酒をした甘鯛
9. カニ
10. 板屋貝のミソまぶしと天然浜防風
11. 竹の子とフキの土佐まぶし
12. 親子丼。シジミのミソ汁。香の物
13. 小夏ミカンのゼリー

 その一つひとつの滋味について、素人のぼくが書くのは控えよう。とにかく店に足を運ぶたびに目からウロコが落ち、新発見のおどろきがある。しかし、どの一品もシンプルそのもの。

 佐藤憲三さんは1944年生まれ。原宿に店を出したのは1972年、27歳のときであった。朝起きると外に出て気温や湿度を肌で確かめる。
コーヒーを一杯飲み、午後2時まで何も食べない。その空腹感の中で、今日は自分が何を食べたいかを考え、それがその日の献立の基礎になる。
お客は定連がほとんどで、誰が、いつ、何を食べたかを、その日のうちに記録する。

 本当に食を愛し、重よしを愛する人が佐藤さんの大切なお客さんなのだ。だから会社の接待で食事などそっちのけ、話に夢中になっているような客には冷たくしてしまう、と語っていたが、人を見る眼は鋭くとも、温顔を絶やすことはない。 ぼくは佐藤さんが大好きで、料理ももちろんだが、佐藤さんの顔を見たいから行く面もある。料理の話も興味が尽きない。他のお客さんもみな同じではないだろうか。
(内容は執筆当時のものです)

2007年7月記
[宇野功芳]
2018年5月 2日

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[リバイバル3] フランス人はバゲット(フランスパン)が一番好き 中川隆
44. 中川隆[-11485] koaQ7Jey 2020年9月06日 08:14:25 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[15]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記F
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今月はフランス音楽なのでフランス料理の話を。 この世の中にフランス料理ぐらいおいしいものはない。ということは、やはり魚よりも肉の方がおいしいということだ。もっとも、フランス料理の場合、白身魚などは日本料理に敵わないが、貝、イカ、ウニなどを使ったオードヴルは日本の懐石を大きく上まわる。まさに至福の世界だ。eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。

フレンチのもう一つの、重要な楽しみはワインである。これあるからこそフレンチの味はいっそう(何倍も何十倍も)引立ち、料理とワインがマッチしたときのすばらしさは筆舌に尽くしがたく、陶酔境に誘われる。 唯一の欠点はそのワインが高価なこと。ユーロが高くなり、今までは1本1万6千円ぐらいで満足できた赤ワインが、やがて2万円になり、今や2万5千円ぐらい出さないと良いものに出会えない。料理を二人で2万円とすれば、ワイン1本がそれより高く、食前酒などを加えればアルコール類の比率は大変なものになる。でも、それこそがフランス料理なのだ。

17e4d79bccd2ce873c7c0feb8fd0c83a_s※画像はイメージです。

だからワインが飲めない人はフランス料理のすばらしさの一割か二割しか分からないことになる。安いワインですませるのも、かえってもったいない。ぼくの友人で、お酒はビールでさえ一滴も飲めない人がフランス料理にはまり、努力の結果、なんとワインだけはボトルの半分以上飲めるようになった。今ではソムリエではないがフランスのワインの資格を持っている。人間の一念というのはおそろしい。

しかしお酒はすべておいしい。日本酒、ビールはもちろん、ウィスキー、焼酎、なんでもすばらしいが、ベストはワイン、次いでウィスキーだろうか。ウィスキーはシーバスリーガルの21年物を好むが、年代物の方が味の良いウィスキーでさえ寿命は50年、ワインは100年といわれる。100年物など飲んだことはないが、先日リシュブール、'58年をご馳走になった。ブルゴーニュ特有の酸味がすべて甘味に変り、その濃厚、複雑な味わいと香りは今までの最高といって良かった。ブルゴーニュは寿命が短いし、旅に弱いと聞いているが、これならボルドーの古酒以上である。因みにぼくが飲んだ最古のワインはシャトー・ポンテ・カネ'50年だが、'58年のリシュブールの方がはるかに上だった。

古酒といえば本場ボルドー市のル・シャポー・ファンで飲んだシャトー・カロン・セギュールの'75年が今もって忘れられない芳醇さだった。赤坂のシュマンで味わったシャトー・グラン・ピュイ・デュカスの'60年、グラン・エシェゾーの'78年もすごかった。とにかく古酒の魅力に一度とりつかれたら、もう終りなのである。

シュマンはワインの値段も良心的、料理も最高の一つだが、すでに他誌に書いたので、今回はぼくの行きつけのもう1軒、ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブションについて書いてみたい。フレンチではシュマンとロブションの2軒を交互に訪れている。

ジョエル・ロブションがフランス人随一の天才シェフであることはよく知られている。パリの三つ星店にも何回か通ったが、50歳のとき引退を表明、がっかりしていたところ、やはり天職から離れることが出来ず、カウンター形式の気楽なラトリエを世界各地に作りつつあり、恵比寿にはもっと高級なジョエル・ロブションもある。しかし今のぼくにはそういう店は量が多すぎ、もっぱらラトリエに通うのだが、ここはロブションの粋ともいうべき究極の洗練された料理が、毎回ほとんど変らずにメニューに並んでおり、何よりも2分の1のお皿を用意しているのが嬉しい。形式ばらず、たった一品だけ食べて帰るのも自由、お酒もビールだけでOK。

今年の6月に行ったときは、@冷たいトマトのガスパチョ、Aホワイト・アスパラガスのソテー、Bフォアグラのラヴィオリと5種類のハーブ入りブイヨン・スープ、C和牛のタルタル・ステーキを注文したが、ブイヨン・スープ以外はすべて2分の1量。そのほかにサービスで、最初にイベリコ豚の生ハムが供された。ここのイベリコ豚を食べたら、よそのものは食べられない。料理はすべて今までに何回も食べたものばかりだが、心からの満足感は毎回変らない。タルタル・ステーキのなんというおいしさ!当日は選ばなかったが、イワシも、温野菜の盛合せも、手長海老のパピヨットも。仔羊もすべて最高。とくに仔羊は他のどの店よりもおいしいと思う。シュマンのようにカエル、仔牛の腎臓、ウサギなどはないし、冬のジビエも置いてないが、値段を抑えているので仕方があるまい。だからこそシュマンと両方に足を運ぶのだ。

デザートの「日向夏を蜂蜜でマリネに、ソルベを詰めたクリスタルのチューブとヴェルヴェーヌのジュレ」も目がさめるような美味だったが、この日飲んだ赤ワインにどうしても触れなければならない。シュマンのような古酒がないのが残念だし、値段も概して高いが、この夜はソムリエがすすめてくれたブルゴーニュのニュイ・サン・ジョルジュ・プルミエ・クリュ、'98年が大当り。この店では以前エシェゾーの新酒をすすめられ、その華やかさにおどろいた経験があるが、ニュイ・サン・ジョルジュにはたくさんの造り手があり、味のムラが多い。このところ、はずれてばかりで、酸味ばかり強く、こくのないものを飲みつづけていたが、この日の造り手はドメーヌ・デ・ペルドリ、久しぶりにバランスの良いブルゴーニュの一級を堪能した。'98年といえば9年物、ブルゴーニュとしてはまさに飲み頃を迎えたところであろう。

パリにもラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブションがほとんど同じ作りであるが、東京の方が断然おいしい。これは両方の店を体験した人が異口同音にいうことである。シュマンもパリの二つ星クラス。だから、だんだんとフランスに行く足が鈍ってしまうのだ。ともかく店を出たあと、連れの家人や友人と、「本当にフランス料理はおいしいね、最高だね、また来たいね」と口々に言いながら帰途に着くのである。

2007年9月記
[宇野功芳]
2018年5月16日

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/766.html#c44

[近代史4] 松浦寿輝の世界
松浦寿輝の世界

宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記G
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 2007年7月、松浦寿輝著「川の光」(中央公論新社)が出版されたときはおどろいた。どこの本屋に行っても品切れだという。この小説は2006年7月から2007年4月まで読売新聞の夕刊に連載されたものだが、連載中からものすごい評判で、読者からの投書が新聞社に殺到したとのこと。もちろん、ぼくも夢中になって読んだ。最近こんなに面白い小説はないと思い、連載終結を待ち切れず、読売日響の機関誌「オーケストラ」にエッセイを書いたものだ。著者は単行本化するに当り、書き切れなかったことをずいぶん加えたそうで、ますますすばらしい一冊に仕上がっている。

 松浦寿輝さんは小説家よりも詩人や批評家として著名であり、エッセイも書いておられる。この「川の光」もキラキラと輝くような名文で、しかも読みやすい。

 小説の主人公は3匹のクマネズミ一家。お父さんと息子のタータ、チッチである。お母さんはハシバミ色の目をした美女だが、若くして亡くなり、物語には登場しない。いちばん最後、吹雪に埋もれて凍死寸前のお父さんの回想の中に出てくるだけだ。体毛の色は白に近く、それはチッチに受けつがれているクマネズミはドブネズミより一まわり小さく、この一家は川のほとりの公園に住んでいたのだが、人間川を暗渠化する工事を始めたので、やむなく川の上流に引越そうとする。途中には凶暴なドブネズミ帝国があり、捕われて殺されそうになる。やっと逃げ出すが、タータは一人だけはぐれ、ネコのブルーに助けられる。彼女はエメラルド・グリーンの瞳をした美しい牝ネコで、タータが「おばちゃん」と呼ぶとすごくおこる。

 別れ別れになった3匹は命がけの大冒険をする。それを助けてくれるのが牝犬のくせになぜか自分のことを「ぼく」というタミーや、モグラのお母さんや、スズメの夫婦や、爺さんネズミや、優しい人間の子供、圭一君や、田中動物病院の院長先生たち。ついに3匹は川の上流に新居を見つけるのである。

 物語のクライマックスは、川の上流に行くのにどうしても電車の駅ビルを通らなければならず、3匹がバスにこっそり乗車して駅の向う側にたどりつく場面と、もう一つはケガをして田中動物病院に運びこまれたタータに会うため、お父さんとチッチが今にも死にそうな様子で病院の玄関前に倒れ、タータと再会する場面であろう。彼らは知恵を働かせて病院を抜け出すのだが、そのお礼に院長の奥さんがなくした黒真珠のピアスの片方を見つけ、診療台の真中に置いて去る。院長夫妻のびっくりした様子、「まさかねえ」と疑いながらも、ことによったらネズミの恩返しかしらと考える二人の微笑ましさ。本当にここは名場面だと思う。

 夕刊の挿画は島津和子さんが担当したが、単行本にも多数収録されている。なによりも本を手に取ったときのカバーの美しいこと! たくさんの動物、植物、そして川が色刷で描かれ、本の最初の2ページと最後の2ページには見開きで3匹が移動した地域の地図が載っている。犬のタミーもいる。ネコのブルーもいる。モグラ一家もいる。田中動物病院もある。

 松浦寿輝は詩人だ。だからネズミたちの思索にも詩がある。プロローグにすでにタータの次のような言葉が出てくる。

 ――夏の終わり......。でも終わるっていうのは、いったいどういうことなんだろうとタータはふと思った。いつかぼくも「終わる」んだろうか。今まで考えたこともないそんな思いが不意に心をよぎって、急にタータは何だかとても淋しい気持ちになった――

 お父さんやチッチと離ればなれになったタータは図書館に落着き、ドブネズミ軍団を逃れたグレンに話しかける。

――どうして人間たちはこんな巨大な図書館なんてものを作ったのかな――。

グレンは答える。

――死ぬのが怖いんじゃないのかな――

 そのグレンが詩を口ずさんでいる。"生きるとは戻ってゆくこと/生誕のみなもとへ還ってゆくこと"。そしてタータに語りかける。

――なあ、タータ、『書く』ことも『読む』こともできないのは、われわれネズミ族の幸福なんじゃないのかな――

 物語の最後で松浦寿輝は人間に怒りをぶつける。少し長いが引用してみたい。

 三匹のネズミが死にかけている。銀河系の辺境の、とある恒星の回りを公転する、地球というちっぽけな惑星のうえでの出来事だ。百数十億年前のビッグバンで生誕し、それ以来、光の速さで膨張しつづけているこの宇宙の途方もない大きさを考えれば、地球などけし粒みたいなものにすぎない。ただ、そのけし粒のうえにも、一応は海があり大陸があり、山がそびえ川が流れ、そこにはアメーバや粘菌から象やクジラまで、無数の生物がひしめき合って暮らしている。今のところそのなかでいちばん威張って、驕り高ぶって、わが世の春を謳歌しているのは、ニンゲンという名の野蛮な哺乳類の一種族だ。自分たちの安逸のことしか考えないニンゲンの好き勝手のしほうだいのせいで、あんなに美しかった緑の星は、今どんどん荒れつつある。衰えつつある。その一方、ニンゲン自身もお互い同士、何やらわけのわからぬ理由で戦い合い、殺し合っているのだから、馬鹿々々しい話ではある。しかし、放っておこうではないか。どうせ長くは続くはずのないニンゲンの、地球上での繁栄など、無限の宇宙のなかに置いてみれば、一瞬のエピソードでしかないのだから。

 中略。そして結論が書かれている。

 ――ネズミであろうと何であろうと、生命というものはそれ自体、一つの奇蹟だからだ。ある特殊で複雑な仕方で組み合わさったたんぱく質の分子の複合体に、あるとき突如として、生命が宿った。生まれて、生きて、番って、死ぬという不思議なサイクルが生じ、生命の輝きが、温もりが、歓びが、世代から世代へと受け継がれるようになった。これが神秘でなくて何だろう。奇蹟でなくて何だろう。――

 小説は次の言葉で終わりを告げる。

 ――だが、わからないものである。やがてタータたちは、三匹で力を合わせてやり遂げた川を遡る移住の旅など比べものにならないような、もっともっと凄い、胸躍らせる大冒険に身を投じることになるのだから。それはしかし、また別の物語だ。――

 松浦さん、ぜひ書いて下さい。他の多くの愛読者たちといっしょに、楽しみに待っていますからね。
2007年10月記
[宇野功芳]
2018年5月23日
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000023.shtml
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[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
119. 中川隆[-11484] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:16:32 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[16]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記H
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml

 2006年7月、キングインターナショナルから、ぼくの唯一の弟子である有山麻衣子の「幻のコンサート」(KDC6001)が発売されたが、この無名のソプラノ歌手のCDが売れに売れ、2007年3月には4000枚を超えたとの報が入った。4000枚。これはおどろくべき数字である。CDの帯には《女神が導いたかのような天使の歌声》というキャッチ・フレーズが書かれているが、今の世にヴィブラートのないピュアな声が受けたのかもしれないし、昔の文部省唱歌やなつかしい童謡の数々が心を癒したのかもしれない。もう一つ、インフラノイズによる超高音質録音も大きな力になったのであろう。

 あまりのフィーバーぶりに2007年には2枚目のCDが企画された。有山麻衣子はぼくが跡見学園女子大学合唱団の常任指揮者をつとめていた頃の学生で、4年間指導したが、類稀れな美声の持主なので、卒業後はぼくが歌謡曲シリーズをつづけているプロの女声アンサンブル、フィオレッティに賛助出演させることにした。そして2度目の「幻のコンサート」録音ではフィオレッティの若手メンバー2人を加え、トレフォリーネという女声三重唱団を結成、それをメインに有山のソロ8曲を入れて1枚のCDに仕上げようと考えたのである。インフラノイズの録音も有山の独唱も前回以上にすばらしく、トレフォリーネもなかなかの出来ばえだったので発売できると喜んでいたのだが、三重唱のCD化は時期尚早という強い意見がメンバーから出てボツになってしまった。トリオはともかく、そのことによって有山麻衣子の名唱「さくら」「嬉しい雛まつり」「かもめの水兵さん」「みかんの花咲く丘」「めんこい仔馬」「夜のルムバ」「森の水車」「想兄譜」が日の目を見ずに消え去ってしまったのは実に心残りの極みである。

 ところで前回の「幻のコンサート」がCD化されたとき、有山はまともな再生装置を持っていなかった。自分のCDが出るというのにそれでは仕方がない、というので、ぼくはオーディオに詳しい友人と秋葉原を歩きまわり、彼女のためのスピーカーとアンプを探し求めた。値段が手頃で音質の良い品というのはなかなか見つからなかったが、その友人がすすめてくれたデンマークのダリというメ−カーの超小型スピーカー「Menuet」と、マランツのプリ・メイン・アンプPM6100を求めることにした。ぼくはもともとマランツのアンプの音がクラシック向きで好きだし、ダリは初めて耳にしたが、手のひらに乗るような小型スピーカーなのに、ヴォリュームを上げても音が割れず、中音が充実、低音も大きく張り出し、高音の透明感も十分に満足できる。すごい世の中になったものだ、と感心した。しかし友人がいうには、こういう小型で安価なスピーカーのグレードは驚異的に進歩したが、自分のようにもっと高級な品を求めようとすると、昔に比べてずいぶん音質が悪く、スピーカーが買えなくて困っているという。
eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。
 それはともかく、秋葉原で選んだアンプと2台のスピーカーは全部で15万円ぐらいだったと思う。有山の部屋で鳴らしたが、「第九」のコーラスのフォルティッシモがオーケストラを伴って部屋全体を満たしたときは本当にびっくりした。ピアノのソロもすばらしい。彼女もすごいですね、と大満足。もちろん「幻のコンサート」も上々。これで1、2ヶ月エイジングをすればスピーカーも柔軟性を増していっそう良くなるはずだ。ちなみに、プレーヤーはぼくが予備に持っていたラックスマンのD500X'sを貸すことにした。ぼくが必要になったときは、前記マランツのアンプと対になったCDM1を買えばよい。この組み合わせは安価なわりに音質が優秀で、大いにおすすめしたい。もっともラックスマンは高級品なので音はやや落ちるだろうが、なんといっても再生装置の音を決めるのはスピーカーである。

 ぼくは1990年前後にオーディオ誌『サウンド・トップス』にオーディオの試聴記を連載していた。曰く、「音楽家が聴く最新オーディオ製品」。毎月、同社の試聴室に足を運び、新製品の聴き比べをするのだが、ラックスマンのプレーヤーもその試聴時、いちばん気に入ったので購入したのだ(その後、このD500X'sはD7に改良され、今はそれを使っているが、現在ではもう手に入らない)。

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。彼は仕方がないからB&WかJBLの高級機にしようか、といっているが、ぼくは懸命になって、あわてるなと説得しているのである。

2007年11月記 [宇野功芳]
2018年5月30日

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[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
29. 中川隆[-11483] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:19:01 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[17]

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。

音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。

今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。


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 2006年7月、キングインターナショナルから、ぼくの唯一の弟子である有山麻衣子の「幻のコンサート」(KDC6001)が発売されたが、この無名のソプラノ歌手のCDが売れに売れ、2007年3月には4000枚を超えたとの報が入った。4000枚。これはおどろくべき数字である。CDの帯には《女神が導いたかのような天使の歌声》というキャッチ・フレーズが書かれているが、今の世にヴィブラートのないピュアな声が受けたのかもしれないし、昔の文部省唱歌やなつかしい童謡の数々が心を癒したのかもしれない。もう一つ、インフラノイズによる超高音質録音も大きな力になったのであろう。

 あまりのフィーバーぶりに2007年には2枚目のCDが企画された。有山麻衣子はぼくが跡見学園女子大学合唱団の常任指揮者をつとめていた頃の学生で、4年間指導したが、類稀れな美声の持主なので、卒業後はぼくが歌謡曲シリーズをつづけているプロの女声アンサンブル、フィオレッティに賛助出演させることにした。そして2度目の「幻のコンサート」録音ではフィオレッティの若手メンバー2人を加え、トレフォリーネという女声三重唱団を結成、それをメインに有山のソロ8曲を入れて1枚のCDに仕上げようと考えたのである。インフラノイズの録音も有山の独唱も前回以上にすばらしく、トレフォリーネもなかなかの出来ばえだったので発売できると喜んでいたのだが、三重唱のCD化は時期尚早という強い意見がメンバーから出てボツになってしまった。トリオはともかく、そのことによって有山麻衣子の名唱「さくら」「嬉しい雛まつり」「かもめの水兵さん」「みかんの花咲く丘」「めんこい仔馬」「夜のルムバ」「森の水車」「想兄譜」が日の目を見ずに消え去ってしまったのは実に心残りの極みである。

 ところで前回の「幻のコンサート」がCD化されたとき、有山はまともな再生装置を持っていなかった。自分のCDが出るというのにそれでは仕方がない、というので、ぼくはオーディオに詳しい友人と秋葉原を歩きまわり、彼女のためのスピーカーとアンプを探し求めた。値段が手頃で音質の良い品というのはなかなか見つからなかったが、その友人がすすめてくれたデンマークのダリというメ−カーの超小型スピーカー「Menuet」と、マランツのプリ・メイン・アンプPM6100を求めることにした。ぼくはもともとマランツのアンプの音がクラシック向きで好きだし、ダリは初めて耳にしたが、手のひらに乗るような小型スピーカーなのに、ヴォリュームを上げても音が割れず、中音が充実、低音も大きく張り出し、高音の透明感も十分に満足できる。すごい世の中になったものだ、と感心した。しかし友人がいうには、こういう小型で安価なスピーカーのグレードは驚異的に進歩したが、自分のようにもっと高級な品を求めようとすると、昔に比べてずいぶん音質が悪く、スピーカーが買えなくて困っているという。
eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。
 それはともかく、秋葉原で選んだアンプと2台のスピーカーは全部で15万円ぐらいだったと思う。有山の部屋で鳴らしたが、「第九」のコーラスのフォルティッシモがオーケストラを伴って部屋全体を満たしたときは本当にびっくりした。ピアノのソロもすばらしい。彼女もすごいですね、と大満足。もちろん「幻のコンサート」も上々。これで1、2ヶ月エイジングをすればスピーカーも柔軟性を増していっそう良くなるはずだ。ちなみに、プレーヤーはぼくが予備に持っていたラックスマンのD500X'sを貸すことにした。ぼくが必要になったときは、前記マランツのアンプと対になったCDM1を買えばよい。この組み合わせは安価なわりに音質が優秀で、大いにおすすめしたい。もっともラックスマンは高級品なので音はやや落ちるだろうが、なんといっても再生装置の音を決めるのはスピーカーである。

 ぼくは1990年前後にオーディオ誌『サウンド・トップス』にオーディオの試聴記を連載していた。曰く、「音楽家が聴く最新オーディオ製品」。毎月、同社の試聴室に足を運び、新製品の聴き比べをするのだが、ラックスマンのプレーヤーもその試聴時、いちばん気に入ったので購入したのだ(その後、このD500X'sはD7に改良され、今はそれを使っているが、現在ではもう手に入らない)。

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。彼は仕方がないからB&WかJBLの高級機にしようか、といっているが、ぼくは懸命になって、あわてるなと説得しているのである。

2007年11月記 [宇野功芳]
2018年5月30日

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[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
120. 中川隆[-11482] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:28:25 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[18]
スピーカーは中古でも良いなら 次の機種が超お買い得です:

グッドマン MAXIMスピーカーシステム
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1076.html


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セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 _ CELESTION の DITTON 15, 25, 66
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ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音 _ テレフンケン RB46スピーカー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html#c41

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB45 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12563851449.html

TELEFUNKEN Hi-Fi Klangbox RB70 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12558550343.html

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[リバイバル3] 音楽家とオーディオマニアは音楽の聴き方が違うか? 中川隆
18. 中川隆[-11481] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:34:55 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[19]
宇野功芳の音盤棚
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 2006年7月、キングインターナショナルから、ぼくの唯一の弟子である有山麻衣子の「幻のコンサート」(KDC6001)が発売されたが、この無名のソプラノ歌手のCDが売れに売れ、2007年3月には4000枚を超えたとの報が入った。4000枚。これはおどろくべき数字である。CDの帯には《女神が導いたかのような天使の歌声》というキャッチ・フレーズが書かれているが、今の世にヴィブラートのないピュアな声が受けたのかもしれないし、昔の文部省唱歌やなつかしい童謡の数々が心を癒したのかもしれない。もう一つ、インフラノイズによる超高音質録音も大きな力になったのであろう。

 あまりのフィーバーぶりに2007年には2枚目のCDが企画された。有山麻衣子はぼくが跡見学園女子大学合唱団の常任指揮者をつとめていた頃の学生で、4年間指導したが、類稀れな美声の持主なので、卒業後はぼくが歌謡曲シリーズをつづけているプロの女声アンサンブル、フィオレッティに賛助出演させることにした。そして2度目の「幻のコンサート」録音ではフィオレッティの若手メンバー2人を加え、トレフォリーネという女声三重唱団を結成、それをメインに有山のソロ8曲を入れて1枚のCDに仕上げようと考えたのである。インフラノイズの録音も有山の独唱も前回以上にすばらしく、トレフォリーネもなかなかの出来ばえだったので発売できると喜んでいたのだが、三重唱のCD化は時期尚早という強い意見がメンバーから出てボツになってしまった。トリオはともかく、そのことによって有山麻衣子の名唱「さくら」「嬉しい雛まつり」「かもめの水兵さん」「みかんの花咲く丘」「めんこい仔馬」「夜のルムバ」「森の水車」「想兄譜」が日の目を見ずに消え去ってしまったのは実に心残りの極みである。

 ところで前回の「幻のコンサート」がCD化されたとき、有山はまともな再生装置を持っていなかった。自分のCDが出るというのにそれでは仕方がない、というので、ぼくはオーディオに詳しい友人と秋葉原を歩きまわり、彼女のためのスピーカーとアンプを探し求めた。値段が手頃で音質の良い品というのはなかなか見つからなかったが、その友人がすすめてくれたデンマークのダリというメ−カーの超小型スピーカー「Menuet」と、マランツのプリ・メイン・アンプPM6100を求めることにした。ぼくはもともとマランツのアンプの音がクラシック向きで好きだし、ダリは初めて耳にしたが、手のひらに乗るような小型スピーカーなのに、ヴォリュームを上げても音が割れず、中音が充実、低音も大きく張り出し、高音の透明感も十分に満足できる。すごい世の中になったものだ、と感心した。しかし友人がいうには、こういう小型で安価なスピーカーのグレードは驚異的に進歩したが、自分のようにもっと高級な品を求めようとすると、昔に比べてずいぶん音質が悪く、スピーカーが買えなくて困っているという。
eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。
 それはともかく、秋葉原で選んだアンプと2台のスピーカーは全部で15万円ぐらいだったと思う。有山の部屋で鳴らしたが、「第九」のコーラスのフォルティッシモがオーケストラを伴って部屋全体を満たしたときは本当にびっくりした。ピアノのソロもすばらしい。彼女もすごいですね、と大満足。もちろん「幻のコンサート」も上々。これで1、2ヶ月エイジングをすればスピーカーも柔軟性を増していっそう良くなるはずだ。ちなみに、プレーヤーはぼくが予備に持っていたラックスマンのD500X'sを貸すことにした。ぼくが必要になったときは、前記マランツのアンプと対になったCDM1を買えばよい。この組み合わせは安価なわりに音質が優秀で、大いにおすすめしたい。もっともラックスマンは高級品なので音はやや落ちるだろうが、なんといっても再生装置の音を決めるのはスピーカーである。

 ぼくは1990年前後にオーディオ誌『サウンド・トップス』にオーディオの試聴記を連載していた。曰く、「音楽家が聴く最新オーディオ製品」。毎月、同社の試聴室に足を運び、新製品の聴き比べをするのだが、ラックスマンのプレーヤーもその試聴時、いちばん気に入ったので購入したのだ(その後、このD500X'sはD7に改良され、今はそれを使っているが、現在ではもう手に入らない)。

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。彼は仕方がないからB&WかJBLの高級機にしようか、といっているが、ぼくは懸命になって、あわてるなと説得しているのである。

2007年11月記 [宇野功芳]
2018年5月30日

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[昼休み52] 「恥の文化」の力 富山誠
28. 中川隆[-11480] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:37:28 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[20]
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 大日本雄辯會講談社。ぼくは昭和5年の生まれだから、小学生時代は「講談社の繪本」「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少年講談」さては「のらくろ」「怪人二十面相」などの本で育った。その発行元が大日本雄辯會講談社なのだが、この名前を見ると子供心にも誇らしかったものだ。そのくらい講談社の本は充実していたのである。

 たとえば現在やっと一部が復刻された「講談社の繪本」の豪華さといったら! ぜひ本屋で直接手に取っていただきたい。昭和11年から17年まで、実に203冊が発行され、復刻されたのはわずか20冊にすぎないが、とくに「浦島太郎」「かぐや姫」「猿蟹合戦」などの美しさ、面白さは目がくらむほどだし、「童謡画集」に描かれた戦前の日本の風景、風俗は懐かしさに涙が出る。日本という国はこんなにもすばらしかったのだ。

 なにしろこの絵本、当時の錚々たる日本画家たちが精魂をこめて画き、講談社は子供が読む本だからこそ最高のものを創ろうと志し、最上質の紙を使い、極めて贅沢な多色刷にし、心をこめて仕上げたのだ。採算を考えたらこんな絵本が出来るはずはない。戦前の日本の文化のすばらしさはとても筆舌には尽くし得ないものがある。だからぼくたちは講談社に誇りを持っていたのだ。


eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_mclear="all" />※画像はイメージです。


 当時の子供は小学校3、4年までは「幼年倶楽部」、4、5年になると「少年倶楽部」「少女倶楽部」を購読していたが、ことに「少年倶楽部」の内容の濃さは群を抜いていた。今の子供は活字離れだそうだが、そうなるとわれわれが普通に読んでいた「少年倶楽部」など、大人が読んでも面白いのだから、文章がむずかしくて歯が立たないだろう。なんと憂うべき現状であることか。ぼくの感じでは、昔の中学生(義務教育ではない)は今の大学生よりよほど大人で、しっかりしていた。凛としていた。親も先生もこわいからだが、親や先生の子供を愛する心は現在よりもずっと深く、だからこそ子供もいうことを聞いたのである。

 講談社を創立したのは野間清治で、実に立派な顔をしている。彼が提唱したのは朗読のすすめである。曰く。

 大きい声を出して本を読むと、気分が爽快になる。姿勢がよくなり、度胸ができる。内緒話をしなくなる。いかがわしい本を開かなくなる。明朗になる。舌が滑らかになる。演説上手になる。人に好かれて出世する。偉くなるのに一番必要なものは何か。学問でも、才智でもない。その人の品性である。真面目に、真剣に、親に事つかえ、兄弟仲よくし、人々に深切に、辛抱強く、自己の仕事に奮励するならば、それだけでその人は必ず立派な人になれる事を私は確證する。

 こんな人が初代社長になり、大人の雑誌「雄辯」や「キング」を出し、子供を大切にする本を毎月出しつづけたのだから、ぼくらの少年時代はバラ色だった。「少年倶楽部」には名作が競い合って載せられた。たとえば佐藤紅緑の長編小説「あゝ玉ぎょく杯はいに花うけて」は昭和2年5月号から3年4月号にかけて連載されたが、少年たちを熱狂させ、連載前の発行部数30万部が、昭和3年新年号には45万部にはね上がったことでもわかる。筋はチビ公と呼ばれていた小学生・青木十三が、貧困にも負けず、志を抱いて生きぬく話で、その刻苦勉励に熱い友情がからむ。

 佐藤紅緑(サトウハチローの父)は最初、「ハナたれ小僧の読むような小説は書けん」と断ったのだが、当時の編集長が「子供は国の宝だ」といってついに執筆させることに成功したのだという。

 山中峯太郎は「幼年倶楽部」に「見えない飛行機」を書いて大ヒットしたが、彼はこの小説の心を、「どんなことがあっても、正しいことをきっとやりとげる、という力を、子供のときから十分につくってゆくことが大切だ。子供のときにつくった心は一生つづく。心もからだも強い子供になってほしい」と書いている。

 「少年倶楽部」には毎号あっとおどろくような豪華無類な付録がついていた。それがまた大人気を呼んだのである。たとえば昭和6年10月号の、6基のプロペラをつけた翼70センチの「大飛行艇ドックス号模型」、同年8月号の「名古屋城の発光大模型」、7年新年号の「軍艦三み笠かさの大模型」などがすばらしく、軍艦三笠では黄海海戦や日本海海戦のときの被弾の跡や、東郷司令長官が全艦隊を指揮した場所まで明示されていた。

 社長・野間清治のモットーは「面白くてためになる」だった。なかでも「少年倶楽部」には、少年の理想主義、正義、熱血、情熱などが散りばめられ、友情、勇気、正直、精神的な徳育などが最も大切にされていたのである。

 文京区関口には講談社野間記念館がある。2ヶ月ごとに展示物が変わるので、前記の付録などが今度いつ見られるのかはっきりしないが、一応ご紹介しておきたい。
2007年12月記 [宇野功芳]
2018年6月 6日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000025.shtml
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/778.html#c28

[昼休み52] 海外「日本は水の国だったんだ」 日本の大自然の映像集に外国人感動 富山誠
5. 中川隆[-11479] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:37:46 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[21]
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unauの無能日記I
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 大日本雄辯會講談社。ぼくは昭和5年の生まれだから、小学生時代は「講談社の繪本」「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少年講談」さては「のらくろ」「怪人二十面相」などの本で育った。その発行元が大日本雄辯會講談社なのだが、この名前を見ると子供心にも誇らしかったものだ。そのくらい講談社の本は充実していたのである。

 たとえば現在やっと一部が復刻された「講談社の繪本」の豪華さといったら! ぜひ本屋で直接手に取っていただきたい。昭和11年から17年まで、実に203冊が発行され、復刻されたのはわずか20冊にすぎないが、とくに「浦島太郎」「かぐや姫」「猿蟹合戦」などの美しさ、面白さは目がくらむほどだし、「童謡画集」に描かれた戦前の日本の風景、風俗は懐かしさに涙が出る。日本という国はこんなにもすばらしかったのだ。

 なにしろこの絵本、当時の錚々たる日本画家たちが精魂をこめて画き、講談社は子供が読む本だからこそ最高のものを創ろうと志し、最上質の紙を使い、極めて贅沢な多色刷にし、心をこめて仕上げたのだ。採算を考えたらこんな絵本が出来るはずはない。戦前の日本の文化のすばらしさはとても筆舌には尽くし得ないものがある。だからぼくたちは講談社に誇りを持っていたのだ。


eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_mclear="all" />※画像はイメージです。


 当時の子供は小学校3、4年までは「幼年倶楽部」、4、5年になると「少年倶楽部」「少女倶楽部」を購読していたが、ことに「少年倶楽部」の内容の濃さは群を抜いていた。今の子供は活字離れだそうだが、そうなるとわれわれが普通に読んでいた「少年倶楽部」など、大人が読んでも面白いのだから、文章がむずかしくて歯が立たないだろう。なんと憂うべき現状であることか。ぼくの感じでは、昔の中学生(義務教育ではない)は今の大学生よりよほど大人で、しっかりしていた。凛としていた。親も先生もこわいからだが、親や先生の子供を愛する心は現在よりもずっと深く、だからこそ子供もいうことを聞いたのである。

 講談社を創立したのは野間清治で、実に立派な顔をしている。彼が提唱したのは朗読のすすめである。曰く。

 大きい声を出して本を読むと、気分が爽快になる。姿勢がよくなり、度胸ができる。内緒話をしなくなる。いかがわしい本を開かなくなる。明朗になる。舌が滑らかになる。演説上手になる。人に好かれて出世する。偉くなるのに一番必要なものは何か。学問でも、才智でもない。その人の品性である。真面目に、真剣に、親に事つかえ、兄弟仲よくし、人々に深切に、辛抱強く、自己の仕事に奮励するならば、それだけでその人は必ず立派な人になれる事を私は確證する。

 こんな人が初代社長になり、大人の雑誌「雄辯」や「キング」を出し、子供を大切にする本を毎月出しつづけたのだから、ぼくらの少年時代はバラ色だった。「少年倶楽部」には名作が競い合って載せられた。たとえば佐藤紅緑の長編小説「あゝ玉ぎょく杯はいに花うけて」は昭和2年5月号から3年4月号にかけて連載されたが、少年たちを熱狂させ、連載前の発行部数30万部が、昭和3年新年号には45万部にはね上がったことでもわかる。筋はチビ公と呼ばれていた小学生・青木十三が、貧困にも負けず、志を抱いて生きぬく話で、その刻苦勉励に熱い友情がからむ。

 佐藤紅緑(サトウハチローの父)は最初、「ハナたれ小僧の読むような小説は書けん」と断ったのだが、当時の編集長が「子供は国の宝だ」といってついに執筆させることに成功したのだという。

 山中峯太郎は「幼年倶楽部」に「見えない飛行機」を書いて大ヒットしたが、彼はこの小説の心を、「どんなことがあっても、正しいことをきっとやりとげる、という力を、子供のときから十分につくってゆくことが大切だ。子供のときにつくった心は一生つづく。心もからだも強い子供になってほしい」と書いている。

 「少年倶楽部」には毎号あっとおどろくような豪華無類な付録がついていた。それがまた大人気を呼んだのである。たとえば昭和6年10月号の、6基のプロペラをつけた翼70センチの「大飛行艇ドックス号模型」、同年8月号の「名古屋城の発光大模型」、7年新年号の「軍艦三み笠かさの大模型」などがすばらしく、軍艦三笠では黄海海戦や日本海海戦のときの被弾の跡や、東郷司令長官が全艦隊を指揮した場所まで明示されていた。

 社長・野間清治のモットーは「面白くてためになる」だった。なかでも「少年倶楽部」には、少年の理想主義、正義、熱血、情熱などが散りばめられ、友情、勇気、正直、精神的な徳育などが最も大切にされていたのである。

 文京区関口には講談社野間記念館がある。2ヶ月ごとに展示物が変わるので、前記の付録などが今度いつ見られるのかはっきりしないが、一応ご紹介しておきたい。
2007年12月記 [宇野功芳]
2018年6月 6日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000025.shtml
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/774.html#c5

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
57. 中川隆[-11478] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:39:32 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[22]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記I
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000025.shtml

 大日本雄辯會講談社。ぼくは昭和5年の生まれだから、小学生時代は「講談社の繪本」「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少年講談」さては「のらくろ」「怪人二十面相」などの本で育った。その発行元が大日本雄辯會講談社なのだが、この名前を見ると子供心にも誇らしかったものだ。そのくらい講談社の本は充実していたのである。

 たとえば現在やっと一部が復刻された「講談社の繪本」の豪華さといったら! ぜひ本屋で直接手に取っていただきたい。昭和11年から17年まで、実に203冊が発行され、復刻されたのはわずか20冊にすぎないが、とくに「浦島太郎」「かぐや姫」「猿蟹合戦」などの美しさ、面白さは目がくらむほどだし、「童謡画集」に描かれた戦前の日本の風景、風俗は懐かしさに涙が出る。日本という国はこんなにもすばらしかったのだ。

 なにしろこの絵本、当時の錚々たる日本画家たちが精魂をこめて画き、講談社は子供が読む本だからこそ最高のものを創ろうと志し、最上質の紙を使い、極めて贅沢な多色刷にし、心をこめて仕上げたのだ。採算を考えたらこんな絵本が出来るはずはない。戦前の日本の文化のすばらしさはとても筆舌には尽くし得ないものがある。だからぼくたちは講談社に誇りを持っていたのだ。


eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_mclear="all" />※画像はイメージです。


 当時の子供は小学校3、4年までは「幼年倶楽部」、4、5年になると「少年倶楽部」「少女倶楽部」を購読していたが、ことに「少年倶楽部」の内容の濃さは群を抜いていた。今の子供は活字離れだそうだが、そうなるとわれわれが普通に読んでいた「少年倶楽部」など、大人が読んでも面白いのだから、文章がむずかしくて歯が立たないだろう。なんと憂うべき現状であることか。ぼくの感じでは、昔の中学生(義務教育ではない)は今の大学生よりよほど大人で、しっかりしていた。凛としていた。親も先生もこわいからだが、親や先生の子供を愛する心は現在よりもずっと深く、だからこそ子供もいうことを聞いたのである。

 講談社を創立したのは野間清治で、実に立派な顔をしている。彼が提唱したのは朗読のすすめである。曰く。

 大きい声を出して本を読むと、気分が爽快になる。姿勢がよくなり、度胸ができる。内緒話をしなくなる。いかがわしい本を開かなくなる。明朗になる。舌が滑らかになる。演説上手になる。人に好かれて出世する。偉くなるのに一番必要なものは何か。学問でも、才智でもない。その人の品性である。真面目に、真剣に、親に事つかえ、兄弟仲よくし、人々に深切に、辛抱強く、自己の仕事に奮励するならば、それだけでその人は必ず立派な人になれる事を私は確證する。

 こんな人が初代社長になり、大人の雑誌「雄辯」や「キング」を出し、子供を大切にする本を毎月出しつづけたのだから、ぼくらの少年時代はバラ色だった。「少年倶楽部」には名作が競い合って載せられた。たとえば佐藤紅緑の長編小説「あゝ玉ぎょく杯はいに花うけて」は昭和2年5月号から3年4月号にかけて連載されたが、少年たちを熱狂させ、連載前の発行部数30万部が、昭和3年新年号には45万部にはね上がったことでもわかる。筋はチビ公と呼ばれていた小学生・青木十三が、貧困にも負けず、志を抱いて生きぬく話で、その刻苦勉励に熱い友情がからむ。

 佐藤紅緑(サトウハチローの父)は最初、「ハナたれ小僧の読むような小説は書けん」と断ったのだが、当時の編集長が「子供は国の宝だ」といってついに執筆させることに成功したのだという。

 山中峯太郎は「幼年倶楽部」に「見えない飛行機」を書いて大ヒットしたが、彼はこの小説の心を、「どんなことがあっても、正しいことをきっとやりとげる、という力を、子供のときから十分につくってゆくことが大切だ。子供のときにつくった心は一生つづく。心もからだも強い子供になってほしい」と書いている。

 「少年倶楽部」には毎号あっとおどろくような豪華無類な付録がついていた。それがまた大人気を呼んだのである。たとえば昭和6年10月号の、6基のプロペラをつけた翼70センチの「大飛行艇ドックス号模型」、同年8月号の「名古屋城の発光大模型」、7年新年号の「軍艦三み笠かさの大模型」などがすばらしく、軍艦三笠では黄海海戦や日本海海戦のときの被弾の跡や、東郷司令長官が全艦隊を指揮した場所まで明示されていた。

 社長・野間清治のモットーは「面白くてためになる」だった。なかでも「少年倶楽部」には、少年の理想主義、正義、熱血、情熱などが散りばめられ、友情、勇気、正直、精神的な徳育などが最も大切にされていたのである。

 文京区関口には講談社野間記念館がある。2ヶ月ごとに展示物が変わるので、前記の付録などが今度いつ見られるのかはっきりしないが、一応ご紹介しておきたい。
2007年12月記 [宇野功芳]
2018年6月 6日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000025.shtml
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c57

[リバイバル3] フランス人はバゲット(フランスパン)が一番好き 中川隆
45. 中川隆[-11477] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:42:04 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[23]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記J
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000026.shtml
 6月下旬から7月末にかけて、3年ぶりにパリに行くことが出来た。昨年、一昨年は体調が今ひとつだったからだが、今年は好調に旅をつづけられた。しかし帰国後の時差の後遺症はひどく、やはりこれが最後のような気がする。

 今回はパリを起点にして、ローザンヌ、ブダペスト、ウィーン、プラハをまわったが、メインをローザンヌとし、10泊滞在した。フランスが好きなあまり、同国はすみずみまで出かけたが、スイスのフランス語圏を忘れていたのだ。すばらしかった。なによりもレマン湖のほとりのこの町は景色が最高だ。毎日、美しい湖とアルプスを眺めながらの生活は、たとえば南フランスに行くよりもずっとおすすめである。料理は当然フレンチ主体で、食材こそフランスに比べて限られているが、味は一級だ。西洋ワサビをふんだんに効かせたタルタル・ステーキなど、フランス本国よりもおいしいくらいだった。

 パリに戻ろう。ブダペストとプラハが良くなかったせいか、いっそうパリの空気がぴったりと体になじんだ。建物の美しさ、芸術性も比較にならない(その点、今回はウィーンが大いに気に入った。この町はたしかに以前に比べてきれいになった気がするし、ホテルなどの対応も向上した)。

 パリに着いて真先に行きたかったのはオランジュリー美術館。なにしろ改装に5年もかかり、再開を待ちかねていたからだが、いささかがっかり。この美術館、本来はモネの「睡蓮」が0階(日本の1階)にあったのだが、それを地下に移したため効果が半減、その批判に応えるために元の階に戻したのだ。たしかに「睡蓮」は生き返った。しかし、そのためにぼくの大好きなルノワールがせまい廊下に移され、光も弱いし、他の画家の作品とごちゃまぜになって窮屈なことこの上ない。以前はルノワールだけでゆったりと一部屋とり、その美しい色彩に恍惚、毎日のようにオランジュリー、オランジュリーと通ったのだが、もう駄目だ。モネは地下でもそれなりに良かったので、ものすごく残念! 結局パリ滞在中、一度しか行かなかった。
※画像はイメージです。

 絵では日帰りで出かけたデン・ハーグのフェルメール2点がやはり最高だった。いま日本にダブリン(アイルランド)の「手紙を書く婦人と召使い」が来ており、これをフェルメールの第1位に推すファンが多い。ぼくもさっそく見に行ったが、第1位は「デルフトの眺望」、第2位は「手紙を書く婦人と召使い」「真珠の耳飾りの女」が並ぶ。この第1位と第2位がともにデン・ハーグの同じ部屋に向き合って掛けられているのである。だからパリに行くと必ず日帰りで往復するのだが、見れば見るほどすばらしく、とくに「デルフトの眺望」は見る度に涙が出、新しい発見がある。今回は修復したらしく、絵の下半分がすごく鮮明になり、感動の極に達した。

 話は料理に移る。以前この欄でけなした"ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション"。同じ作りの店が東京にあり、味は問題なくパリより上だった。その東京の店がまずミシュランの二つ星をとったのに、パリの店は星一つ。ロブションの怒り狂う顔が目に見えるようだ。おそらくシェフも交代させられたのだろう。今回おそるおそる行ってみたが、ほとんど東京店に比肩する(ということは、やはり東京の方が良い)。ミシュランの星も今年二つになった。こんなカウンターだけで、一皿だけでもOKというような気楽な店が二つ星を取るなど、よほど料理が絶品でなければ不可能なこと。まさに天才ロブションならではだ。二度も足を運んだが、何を食べてもおいしく、ワインは一度目が珍しいムルソー(ブルゴーニュ)の赤2006年、二度目はやはりブルゴーニュのマゾワイエール・シャンベルタン2001年、ともに大正解であった。

 それにしても両方の店を訪れた日本人はみな東京の方が上だという。日本人の味覚は世界一だと思う。いや、味覚だけではない。ぼくの友人にこの夏まで3年間、横須賀の米海軍基地司令官をつとめていた大佐がいるが、退職したら日本に住みたいといっている。日本人の繊細さ、親切さ、心遣い、その他エレベーター、エスカレーター、新幹線などのスムーズさ(技術力)は世界一だという。われわれはもっともっと自信を持って良いし、そのことを若者にも伝えてゆかなければなるまい。

 料理といえばウィーンの一流ホテルで食べた牛フィレ・ステーキがこちこちの最悪だったので、これもパリから日帰りでボーヌに行き、ブルゴーニュ特産のシャローレ牛(白い牛)のステーキを口直しに食べたが、いや、そのおいしいのなんの。ウィーンはたしかにホイリゲなど、昔より良くなったが、本格的な料理は相変わらずだった。

 今夏のヨーロッパは寒い日が多く、良く晴れた日にパリの公園のベンチにすわっていると、日射しが暑すぎ、そうかといって日影に移ると今度は北風が寒く、セーターを着ずにはいられない。とにかく着たりぬいだり、実にせわしない。でも、それだけ空気が乾いて清涼だということだ。フランスはファッションの国で、パリジェンヌは美しさの代表のようにいわれているが、ぼくはそうは思わない。意外に美形は少ない。むしろドイツ、オーストリアの少女、そしてイタリア、スペインなどにすばらしい美人がいる。インドのお姫様の美しさなど、形容し難いほどだが、それでもぼくはフランス人がいちばん好きだ。フランス人は冷たいという人が多いが、親しくつきあってごらんなさい。もうしつこいほど情が深い。そうなるのがいやで、わざと冷たくしているようにしかぼくには思えないのである。

2008年1月記 [宇野功芳]
2018年6月13日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000026.shtml
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/766.html#c45

[リバイバル3] 世界的にも美食の街として知られるようになった東京 _ こんなに食の多様性に優れた都市は世界にはありません 中川隆
3. 中川隆[-11476] koaQ7Jey 2020年9月06日 10:57:35 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[24]
以前この欄でけなした"ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション"。
同じ作りの店が東京にあり、味は問題なくパリより上だった。

その東京の店がまずミシュランの二つ星をとったのに、パリの店は星一つ。
ロブションの怒り狂う顔が目に見えるようだ。おそらくシェフも交代させられたのだろう。今回おそるおそる行ってみたが、ほとんど東京店に比肩する(ということは、やはり東京の方が良い)。

宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記J
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000026.shtml

 6月下旬から7月末にかけて、3年ぶりにパリに行くことが出来た。昨年、一昨年は体調が今ひとつだったからだが、今年は好調に旅をつづけられた。しかし帰国後の時差の後遺症はひどく、やはりこれが最後のような気がする。

 今回はパリを起点にして、ローザンヌ、ブダペスト、ウィーン、プラハをまわったが、メインをローザンヌとし、10泊滞在した。フランスが好きなあまり、同国はすみずみまで出かけたが、スイスのフランス語圏を忘れていたのだ。すばらしかった。なによりもレマン湖のほとりのこの町は景色が最高だ。毎日、美しい湖とアルプスを眺めながらの生活は、たとえば南フランスに行くよりもずっとおすすめである。料理は当然フレンチ主体で、食材こそフランスに比べて限られているが、味は一級だ。西洋ワサビをふんだんに効かせたタルタル・ステーキなど、フランス本国よりもおいしいくらいだった。

 パリに戻ろう。ブダペストとプラハが良くなかったせいか、いっそうパリの空気がぴったりと体になじんだ。建物の美しさ、芸術性も比較にならない(その点、今回はウィーンが大いに気に入った。この町はたしかに以前に比べてきれいになった気がするし、ホテルなどの対応も向上した)。

 パリに着いて真先に行きたかったのはオランジュリー美術館。なにしろ改装に5年もかかり、再開を待ちかねていたからだが、いささかがっかり。この美術館、本来はモネの「睡蓮」が0階(日本の1階)にあったのだが、それを地下に移したため効果が半減、その批判に応えるために元の階に戻したのだ。たしかに「睡蓮」は生き返った。しかし、そのためにぼくの大好きなルノワールがせまい廊下に移され、光も弱いし、他の画家の作品とごちゃまぜになって窮屈なことこの上ない。以前はルノワールだけでゆったりと一部屋とり、その美しい色彩に恍惚、毎日のようにオランジュリー、オランジュリーと通ったのだが、もう駄目だ。モネは地下でもそれなりに良かったので、ものすごく残念! 結局パリ滞在中、一度しか行かなかった。
※画像はイメージです。

 絵では日帰りで出かけたデン・ハーグのフェルメール2点がやはり最高だった。いま日本にダブリン(アイルランド)の「手紙を書く婦人と召使い」が来ており、これをフェルメールの第1位に推すファンが多い。ぼくもさっそく見に行ったが、第1位は「デルフトの眺望」、第2位は「手紙を書く婦人と召使い」「真珠の耳飾りの女」が並ぶ。この第1位と第2位がともにデン・ハーグの同じ部屋に向き合って掛けられているのである。だからパリに行くと必ず日帰りで往復するのだが、見れば見るほどすばらしく、とくに「デルフトの眺望」は見る度に涙が出、新しい発見がある。今回は修復したらしく、絵の下半分がすごく鮮明になり、感動の極に達した。

 話は料理に移る。以前この欄でけなした"ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション"。同じ作りの店が東京にあり、味は問題なくパリより上だった。その東京の店がまずミシュランの二つ星をとったのに、パリの店は星一つ。ロブションの怒り狂う顔が目に見えるようだ。おそらくシェフも交代させられたのだろう。今回おそるおそる行ってみたが、ほとんど東京店に比肩する(ということは、やはり東京の方が良い)。ミシュランの星も今年二つになった。こんなカウンターだけで、一皿だけでもOKというような気楽な店が二つ星を取るなど、よほど料理が絶品でなければ不可能なこと。まさに天才ロブションならではだ。二度も足を運んだが、何を食べてもおいしく、ワインは一度目が珍しいムルソー(ブルゴーニュ)の赤2006年、二度目はやはりブルゴーニュのマゾワイエール・シャンベルタン2001年、ともに大正解であった。

 それにしても両方の店を訪れた日本人はみな東京の方が上だという。日本人の味覚は世界一だと思う。いや、味覚だけではない。ぼくの友人にこの夏まで3年間、横須賀の米海軍基地司令官をつとめていた大佐がいるが、退職したら日本に住みたいといっている。日本人の繊細さ、親切さ、心遣い、その他エレベーター、エスカレーター、新幹線などのスムーズさ(技術力)は世界一だという。われわれはもっともっと自信を持って良いし、そのことを若者にも伝えてゆかなければなるまい。

 料理といえばウィーンの一流ホテルで食べた牛フィレ・ステーキがこちこちの最悪だったので、これもパリから日帰りでボーヌに行き、ブルゴーニュ特産のシャローレ牛(白い牛)のステーキを口直しに食べたが、いや、そのおいしいのなんの。ウィーンはたしかにホイリゲなど、昔より良くなったが、本格的な料理は相変わらずだった。

 今夏のヨーロッパは寒い日が多く、良く晴れた日にパリの公園のベンチにすわっていると、日射しが暑すぎ、そうかといって日影に移ると今度は北風が寒く、セーターを着ずにはいられない。とにかく着たりぬいだり、実にせわしない。でも、それだけ空気が乾いて清涼だということだ。フランスはファッションの国で、パリジェンヌは美しさの代表のようにいわれているが、ぼくはそうは思わない。意外に美形は少ない。むしろドイツ、オーストリアの少女、そしてイタリア、スペインなどにすばらしい美人がいる。インドのお姫様の美しさなど、形容し難いほどだが、それでもぼくはフランス人がいちばん好きだ。フランス人は冷たいという人が多いが、親しくつきあってごらんなさい。もうしつこいほど情が深い。そうなるのがいやで、わざと冷たくしているようにしかぼくには思えないのである。

2008年1月記 [宇野功芳]
2018年6月13日

https://www.kinginternational.co.jp/uno/000026.shtml
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1034.html#c3

[番外地8] 今は資本主義自体が限界になっているのに チャンネル桜の三橋なんとかいうアホ評論家は財政出動 すればいいとか、投資を増やせばいいとか見当外れな事 ばっかり言っている
今は資本主義自体が限界になっているのに
チャンネル桜の三橋なんとかいうアホ評論家は財政出動
すればいいとか、投資を増やせばいいとか見当外れな事
ばっかり言っているからね。

そもそもMMTはアメリカ金融資本が政府に金を出させる
為に推進してるだけなのに、それで経済が変わるとか信
じているのが滑稽だよね

政府が不景気で貨幣をばらまくのは江戸時代からやって
る事なのに、何か新しい経済理論だと勘違いしてるんだ
ね。

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/331.html

[番外地8] コロナは空気感染するエイズだというのが確定しました

remote 教育はどうしても必要なんだよ、チャンネル桜のアホ評論家より官僚の方があらゆる点でまともなんだな:
コロナは空気感染するエイズだというのが確定しました:
新型コロナと HIV は「ほぼ完全な兄弟」であることが判明。双方のウイルスが「人間の免疫細胞を破壊するメカニズム」において同じであることが見出される
https://indeep.jp/coronavirus-uses-same-strategy-hiv-to-attack-immune-response/

「Covid-19 は HIV」:米ペンシルバニア大学の研究で新型コロナウイルスが人間の重要な免疫細胞を「エイズ同様に消滅させている」と結論付けられる
https://indeep.jp/how-novel-coronavirus-destruct-humsn-immune-system/

[衝撃] 新型コロナウイルスは「人間の免疫機能の中心であるT細胞を攻撃」し、免疫系を完全に破壊する「HIV / エイズウイルスと同じ特徴を持っている」ことが米中の研究者により確認される
https://indeep.jp/novel-coronavirus-is-determined-to-be-the-same-as-hiv-virus/

▲△▽▼

新型コロナウィルスは免疫を破壊し血管を破壊するウイルス
エイズとエボラ出血熱とサーズの遺伝子を人工的に組み込んだ生物兵器

感染した人の症状と経過
 
若い人でも
・脳に重大な損傷を受ける
・免疫細胞を破壊される(エイズと同じ)
・倦怠感や風邪の症状が一生続き、元気を失う
・無症状でも10年以内に100人中80人死ぬ
・一生、味や香りを感じなくなる
・100人中87人後遺症が残る
・無症状でも他人にうつす
・100人中15人が死に、100人中50人は無症状
・血管をズタズタに壊し最後は血管が破れて死ぬ(エボラ出血熱と同じ)
・息、鼻水、汗、糞、尿からウィルスを放出、感染させる
・血管内に入り全身でウィルスが増殖する

新型コロナウィルスの特徴
・致死率はインフルエンザの110倍
・インフルエンザ並みの感染力
・1年中感染し、物の表面上でも2週間生存する
・動物にも感染する
・紫外線に弱く、エタノール、アルカリ、オゾンで殺菌出来る

感染を予防する行動について
・外に出ない(空気感染、飛沫感染、接触感染防止)
・手洗い、手の消毒(接触感染防止)
・目を触らない、顔を舐めない(接触感染防止)
・体調が悪い場合は外に出ない(空気感染、飛沫感染、接触感染防止)
・服を洗濯(接触感染防止) ・シャワー(接触感染防止)
・外出先でトイレを使わない(粉塵感染防止)
・3密 集まらない、近寄らない、密閉しない
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/332.html

[番外地8] コロナは空気感染するエイズだというのが確定しました 中川隆
1. 中川隆[-11475] koaQ7Jey 2020年9月06日 12:58:12 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[25]
remote 教育はどうしても必要なんだよ、チャンネル桜のアホ評論家より官僚の方があらゆる分野でまともなんだな:
コロナは空気感染するエイズだというのが確定しました。新型コロナは、感染・発症したが最後、永遠に完治はしない!
肺や心臓や脳に重い後遺症が残って死ぬまで苦しむ!!!!!!!!:
新型コロナと HIV は「ほぼ完全な兄弟」であることが判明。双方のウイルスが「人間の免疫細胞を破壊するメカニズム」において同じであることが見出される
https://indeep.jp/coronavirus-uses-same-strategy-hiv-to-attack-immune-response/

「Covid-19 は HIV」:米ペンシルバニア大学の研究で新型コロナウイルスが人間の重要な免疫細胞を「エイズ同様に消滅させている」と結論付けられる
https://indeep.jp/how-novel-coronavirus-destruct-humsn-immune-system/

[衝撃] 新型コロナウイルスは「人間の免疫機能の中心であるT細胞を攻撃」し、免疫系を完全に破壊する「HIV / エイズウイルスと同じ特徴を持っている」ことが米中の研究者により確認される
https://indeep.jp/novel-coronavirus-is-determined-to-be-the-same-as-hiv-virus/

▲△▽▼

新型コロナウィルスは免疫を破壊し血管を破壊するウイルス
エイズとエボラ出血熱とサーズの遺伝子を人工的に組み込んだ生物兵器

感染した人の症状と経過
 
若い人でも
・脳に重大な損傷を受ける
・免疫細胞を破壊される(エイズと同じ)
・倦怠感や風邪の症状が一生続き、元気を失う
・無症状でも10年以内に100人中80人死ぬ
・一生、味や香りを感じなくなる
・100人中87人後遺症が残る
・無症状でも他人にうつす
・100人中15人が死に、100人中50人は無症状
・血管をズタズタに壊し最後は血管が破れて死ぬ(エボラ出血熱と同じ)
・息、鼻水、汗、糞、尿からウィルスを放出、感染させる
・血管内に入り全身でウィルスが増殖する

新型コロナウィルスの特徴
・致死率はインフルエンザの110倍
・インフルエンザ並みの感染力
・1年中感染し、物の表面上でも2週間生存する
・動物にも感染する
・紫外線に弱く、エタノール、アルカリ、オゾンで殺菌出来る

感染を予防する行動について
・外に出ない(空気感染、飛沫感染、接触感染防止)
・手洗い、手の消毒(接触感染防止)
・目を触らない、顔を舐めない(接触感染防止)
・体調が悪い場合は外に出ない(空気感染、飛沫感染、接触感染防止)
・服を洗濯(接触感染防止) ・シャワー(接触感染防止)
・外出先でトイレを使わない(粉塵感染防止)
・3密 集まらない、近寄らない、密閉しない
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/332.html#c1

[番外地8] そもそも台湾は中国じゃない、台湾は台湾 sennjyuu民の国だよ
そもそも台湾は中国じゃない、台湾は台湾 sennjyuu民の国だよ
漢民族は後から入って来てsennjyuu民の土地を乗っ取ったsinryaku 者だ
漢民族は中国本土に帰ればいいんだよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/333.html
[近代史4] 正しいコーヒーの入れ方 中川隆
3. 中川隆[-11477] koaQ7Jey 2020年9月06日 22:02:29 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[25]

カフェイン「知らずに過剰摂取」で中毒も、紅茶や緑茶が落とし穴
ますだポム子 2020/09/06
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%ab%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%83%b3-%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9a%e3%81%ab%e9%81%8e%e5%89%b0%e6%91%82%e5%8f%96-%e3%81%a7%e4%b8%ad%e6%af%92%e3%82%82-%e7%b4%85%e8%8c%b6%e3%82%84%e7%b7%91%e8%8c%b6%e3%81%8c%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%97%e7%a9%b4/ar-BB18Khae?ocid=ientp


われわれの生活に深く浸透している「カフェイン」。「朝はコーヒーを飲まないと始まらない」という人も多いだろうし、リフレッシュや眠気覚まし、集中力アップなどの効果を期待して、エナジードリンクや栄養ドリンクを手に取る人も多いことだろう。しかし近年、カフェインの摂りすぎが健康を害する原因になるとして、危険視されている。(清談社 ますだポム子)

慢性的な片頭痛や耳鳴りは

カフェインが原因かも?

 近年、カフェインの過剰摂取が原因で起きる「カフェイン中毒」が話題だ。カフェイン中毒者の救急搬送や死亡例は、国内外問わず報告されている。重症化すれば、精神錯乱や幻覚、パニック発作、不整脈、消化器症状、循環器症状など心身に影響を及ぼし、最悪の場合、命まで落としかねない。

 こうした病状はかなり深刻な中毒状態に陥っている場合に起こるもの。常日頃カフェイン入りの飲料を愛飲していても、重度のトラブルに見舞われたことがなければ、さして注意する必要はないと思いがちだが、実は油断はできないのだという。


「カフェイン中毒とまではいかなくても、知らず知らずのうちに軽度の依存状態になっている人は多くいます。実は、すでに症状が出ているという人も少なくないのです」

 そう話すのは、豊田こころのクリニックの院長を務める、精神科医の大和行男氏だ。大和氏は、カフェインが引き起こしている可能性がある病状を、こう説明する。

「カフェインは血管を収縮する作用があるので、過剰に摂取すると、片頭痛や耳鳴りを引き起こします。胃酸の分泌を促す作用もあるので、胃痛がするという人もいますね。また、動悸や過呼吸、ふるえといった交感神経刺激症状が出ることもあります」

 慢性的な片頭痛や耳鳴りといった症状に悩まされている人は、実はカフェインの過剰摂取が原因かもしれないのだ。だが、現状ではこうした症状を病院で診てもらっても「ストレス性の症状」で片付けられてしまう場合がほとんどだという。

「症状によって内科や耳鼻科にかかると思いますが、アルコールやタバコの摂取量を聞かれることはあっても、カフェインの摂取量を気にする先生はあまり多くありません。そのため、検査しても原因が判然とせず、『恐らくストレスが原因』と診断され、心療内科や精神科を紹介されます。『精神科で初めて、カフェインの摂取量を指摘された』という患者さんもいるのです。それくらい、カフェインによる体調不良は見過ごされやすく、重症化するまで本人も自覚が持てないケースが多いのです」

中高生もカフェイン依存に…

紅茶や緑茶も要注意

 軽度の依存症状が出ていても、まさかそれがカフェインによって引き起こされているとは認識しづらいもの。こうして無自覚のうちに重症化してしまうというわけだ。なぜカフェイン依存はこれほどに症状の進行を自覚しづらいのだろうか。

「コーヒーやエナジードリンク、栄養ドリンクに多くのカフェインが含まれていることは周知の事実でしょう。しかし、これら以外にも、紅茶や緑茶、烏龍茶などにもカフェインが多量に入っているのです。『お茶なら問題ないだろう』と勘違いし、カフェインを過剰に摂取する人も少なくありません」

 食事の度にお茶を飲み、仕事中にはコーヒーを常飲、夕方になって疲れが出たらエナジードリンクで気合を入れ、翌朝は栄養ドリンクでエネルギー補給……。こうして、知らぬ間に複数の飲料からカフェインを大量に摂取してしまうというわけだ。こうしたカフェイン依存のケースはビジネスパーソンに限らず、若者にも増えているという。

「特に多いのが、受験を終えた中高生です。親が『コーヒーだとカフェインが多いから』と、受験勉強の差し入れに紅茶や緑茶を与えることが多く、注意せずに毎晩飲み続け、受験を終えた頃にはすっかり依存してしまっているというお子さんはとても多いですね」

 また、カフェインが持つ依存性の高さも、依存者を増やす理由の1つだ。

「カフェインは依存性薬物と同様に、身体依存、精神依存の両方をもたらすほど強い依存性を持っています。精神依存は、とにかくその薬物が欲しくなる渇望感が生じること。身体依存は、身体に耐性がついて効き目が悪くなり、どんどん摂取量が増えていくことです。心身が依存すると、少量では満足できず、大量のカフェインが欲しくてたまらなくなります」

 カフェインはこれほどの依存性を持ちながら、アルコールやタバコのように購入に際しての年齢制限もなく、大麻や覚せい剤のように法で取り締まられているわけでもない。コンビニや自動販売機で手に入るアクセシビリティーの良さも、依存者の増加を後押ししている。

「カフェイン依存の人は、カフェインが効いている間は元気に働けますが、切れたときの反動が恐ろしく大きい。やる気の前借りをしているようなものですから、切れた後に負債がドッとやってくるのです」

 そして、疲れている身体を無理に動かそうと再びカフェインを摂り、切れたら反動で疲労がやってきて、そこにむち打つようにまたカフェインを摂る……。こうした悪循環から抜け出せず、カフェインに依存してしまうわけだ。

カフェイン中毒予防のためには

少しずつ減量していくべし

 とはいえ、適量のカフェインが眠気覚ましや集中力アップといった効果を発揮するのは事実。欧州食品安全機関が2015年に発表した「カフェインの安全性に関する科学的意見書」によると、体重60kgの成人が1日に摂取して健康を害さないカフェイン量は、342mgといわれている。玉露のカフェイン含有量は100mlあたり約160mg。同量のコーヒーには約60mg入っているというから、1日のうちに玉露とコーヒーを2杯ずつ飲めば、それだけで安全量オーバーとなるのだ。

 しかし大和氏は、「数値はあくまでも目安であり、体質によっては安全量以下でも危険な場合もあります」と警鐘を鳴らす。

「アルコールのように、カフェインも効きが強い人と弱い人がいます。個人差があるため、『体重が何kgの人なら、1日何mgまでカフェインを摂っても大丈夫』という数値は、すべての人に適用できるわけではありません。中には少量のカフェインで救急搬送されるくらい、カフェインに敏感に反応してしまう人もいるので、『安全量を守れば絶対安心』と過信することはリスキーです」

 体質のほか、年齢や、数時間以内に摂取したカフェインの体内残留量など、さまざまな要素によっても効き方は変化するという。安全量以下しか摂取していなくても、体調に異変を感じた場合は、摂取を控えるべきなのだ。

「カフェインはいわば山椒のようなもの。少量でも大きな力を発揮しますから、それこそ調味料のように少しだけ摂取するべきなのです。山椒を主食として食べれば、健康を害することは想像がつきますよね。カフェインも同様です。適量を守れば、カフェインを毒ではなく薬として摂取することができます」

 カフェイン中毒にならないためには、少量のカフェインとうまく付き合っていくことがベストだ。しかし、すでにカフェイン摂取が日常化している人は耐性がついてしまい、少量では効き目を感じにくくなっている。そして、こうした状態の人が急にカフェインを一切摂らなくなると、かえって危険なのだという。

「カフェイン依存の人が急にカフェインを全て断ってしまうと、『離脱症状』に襲われます。頭痛、著しい疲労感または眠気、抑うつ気分、集中困難などがその症状です。ですから、いきなりカフェインの摂取量をゼロにするのではなく、少しずつ減らしていくことで身体の耐性を弱めていくべきです。量を減らすことが難しい場合は、デカフェ飲料などに切り替えることもおすすめです」

 また、自分ではどうしてもカフェイン摂取量を減らせないという人は、医師に相談して減量に取り組むという手もある。

「粉末状のカフェインを処方し、『1日の規定量はこれだけ』と、薬のように管理するケースがあります。そうして、少量でも効果が感じられるように身体の依存度を下げていくのです」

 今は、ペットボトル飲料やインスタント形式はもちろんのこと、コンビニ店内で淹れるタイプのコーヒーにも、デカフェやノンカフェインのコーヒーが用意されている。もし、頻繁にカフェインを摂取していて、慢性的な頭痛などの体調不良を感じるようであれば、中毒になる前触れかもしれない。自分に合った方法でカフェイン摂取量を減らし、良い効果だけを受けられるようにしてほしい。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%ab%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%83%b3-%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9a%e3%81%ab%e9%81%8e%e5%89%b0%e6%91%82%e5%8f%96-%e3%81%a7%e4%b8%ad%e6%af%92%e3%82%82-%e7%b4%85%e8%8c%b6%e3%82%84%e7%b7%91%e8%8c%b6%e3%81%8c%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%97%e7%a9%b4/ar-BB18Khae?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/857.html#c3

[リバイバル3] 1日に3杯以上コーヒーを飲むと失明する 中川隆
15. 中川隆[-11476] koaQ7Jey 2020年9月06日 22:03:30 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[26]
カフェイン「知らずに過剰摂取」で中毒も、紅茶や緑茶が落とし穴
ますだポム子 2020/09/06
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%ab%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%83%b3-%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9a%e3%81%ab%e9%81%8e%e5%89%b0%e6%91%82%e5%8f%96-%e3%81%a7%e4%b8%ad%e6%af%92%e3%82%82-%e7%b4%85%e8%8c%b6%e3%82%84%e7%b7%91%e8%8c%b6%e3%81%8c%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%97%e7%a9%b4/ar-BB18Khae?ocid=ientp

われわれの生活に深く浸透している「カフェイン」。「朝はコーヒーを飲まないと始まらない」という人も多いだろうし、リフレッシュや眠気覚まし、集中力アップなどの効果を期待して、エナジードリンクや栄養ドリンクを手に取る人も多いことだろう。しかし近年、カフェインの摂りすぎが健康を害する原因になるとして、危険視されている。(清談社 ますだポム子)

慢性的な片頭痛や耳鳴りは

カフェインが原因かも?

 近年、カフェインの過剰摂取が原因で起きる「カフェイン中毒」が話題だ。カフェイン中毒者の救急搬送や死亡例は、国内外問わず報告されている。重症化すれば、精神錯乱や幻覚、パニック発作、不整脈、消化器症状、循環器症状など心身に影響を及ぼし、最悪の場合、命まで落としかねない。

 こうした病状はかなり深刻な中毒状態に陥っている場合に起こるもの。常日頃カフェイン入りの飲料を愛飲していても、重度のトラブルに見舞われたことがなければ、さして注意する必要はないと思いがちだが、実は油断はできないのだという。


「カフェイン中毒とまではいかなくても、知らず知らずのうちに軽度の依存状態になっている人は多くいます。実は、すでに症状が出ているという人も少なくないのです」

 そう話すのは、豊田こころのクリニックの院長を務める、精神科医の大和行男氏だ。大和氏は、カフェインが引き起こしている可能性がある病状を、こう説明する。

「カフェインは血管を収縮する作用があるので、過剰に摂取すると、片頭痛や耳鳴りを引き起こします。胃酸の分泌を促す作用もあるので、胃痛がするという人もいますね。また、動悸や過呼吸、ふるえといった交感神経刺激症状が出ることもあります」

 慢性的な片頭痛や耳鳴りといった症状に悩まされている人は、実はカフェインの過剰摂取が原因かもしれないのだ。だが、現状ではこうした症状を病院で診てもらっても「ストレス性の症状」で片付けられてしまう場合がほとんどだという。

「症状によって内科や耳鼻科にかかると思いますが、アルコールやタバコの摂取量を聞かれることはあっても、カフェインの摂取量を気にする先生はあまり多くありません。そのため、検査しても原因が判然とせず、『恐らくストレスが原因』と診断され、心療内科や精神科を紹介されます。『精神科で初めて、カフェインの摂取量を指摘された』という患者さんもいるのです。それくらい、カフェインによる体調不良は見過ごされやすく、重症化するまで本人も自覚が持てないケースが多いのです」

中高生もカフェイン依存に…

紅茶や緑茶も要注意

 軽度の依存症状が出ていても、まさかそれがカフェインによって引き起こされているとは認識しづらいもの。こうして無自覚のうちに重症化してしまうというわけだ。なぜカフェイン依存はこれほどに症状の進行を自覚しづらいのだろうか。

「コーヒーやエナジードリンク、栄養ドリンクに多くのカフェインが含まれていることは周知の事実でしょう。しかし、これら以外にも、紅茶や緑茶、烏龍茶などにもカフェインが多量に入っているのです。『お茶なら問題ないだろう』と勘違いし、カフェインを過剰に摂取する人も少なくありません」

 食事の度にお茶を飲み、仕事中にはコーヒーを常飲、夕方になって疲れが出たらエナジードリンクで気合を入れ、翌朝は栄養ドリンクでエネルギー補給……。こうして、知らぬ間に複数の飲料からカフェインを大量に摂取してしまうというわけだ。こうしたカフェイン依存のケースはビジネスパーソンに限らず、若者にも増えているという。

「特に多いのが、受験を終えた中高生です。親が『コーヒーだとカフェインが多いから』と、受験勉強の差し入れに紅茶や緑茶を与えることが多く、注意せずに毎晩飲み続け、受験を終えた頃にはすっかり依存してしまっているというお子さんはとても多いですね」

 また、カフェインが持つ依存性の高さも、依存者を増やす理由の1つだ。

「カフェインは依存性薬物と同様に、身体依存、精神依存の両方をもたらすほど強い依存性を持っています。精神依存は、とにかくその薬物が欲しくなる渇望感が生じること。身体依存は、身体に耐性がついて効き目が悪くなり、どんどん摂取量が増えていくことです。心身が依存すると、少量では満足できず、大量のカフェインが欲しくてたまらなくなります」

 カフェインはこれほどの依存性を持ちながら、アルコールやタバコのように購入に際しての年齢制限もなく、大麻や覚せい剤のように法で取り締まられているわけでもない。コンビニや自動販売機で手に入るアクセシビリティーの良さも、依存者の増加を後押ししている。

「カフェイン依存の人は、カフェインが効いている間は元気に働けますが、切れたときの反動が恐ろしく大きい。やる気の前借りをしているようなものですから、切れた後に負債がドッとやってくるのです」

 そして、疲れている身体を無理に動かそうと再びカフェインを摂り、切れたら反動で疲労がやってきて、そこにむち打つようにまたカフェインを摂る……。こうした悪循環から抜け出せず、カフェインに依存してしまうわけだ。

カフェイン中毒予防のためには

少しずつ減量していくべし

 とはいえ、適量のカフェインが眠気覚ましや集中力アップといった効果を発揮するのは事実。欧州食品安全機関が2015年に発表した「カフェインの安全性に関する科学的意見書」によると、体重60kgの成人が1日に摂取して健康を害さないカフェイン量は、342mgといわれている。玉露のカフェイン含有量は100mlあたり約160mg。同量のコーヒーには約60mg入っているというから、1日のうちに玉露とコーヒーを2杯ずつ飲めば、それだけで安全量オーバーとなるのだ。

 しかし大和氏は、「数値はあくまでも目安であり、体質によっては安全量以下でも危険な場合もあります」と警鐘を鳴らす。

「アルコールのように、カフェインも効きが強い人と弱い人がいます。個人差があるため、『体重が何kgの人なら、1日何mgまでカフェインを摂っても大丈夫』という数値は、すべての人に適用できるわけではありません。中には少量のカフェインで救急搬送されるくらい、カフェインに敏感に反応してしまう人もいるので、『安全量を守れば絶対安心』と過信することはリスキーです」

 体質のほか、年齢や、数時間以内に摂取したカフェインの体内残留量など、さまざまな要素によっても効き方は変化するという。安全量以下しか摂取していなくても、体調に異変を感じた場合は、摂取を控えるべきなのだ。

「カフェインはいわば山椒のようなもの。少量でも大きな力を発揮しますから、それこそ調味料のように少しだけ摂取するべきなのです。山椒を主食として食べれば、健康を害することは想像がつきますよね。カフェインも同様です。適量を守れば、カフェインを毒ではなく薬として摂取することができます」

 カフェイン中毒にならないためには、少量のカフェインとうまく付き合っていくことがベストだ。しかし、すでにカフェイン摂取が日常化している人は耐性がついてしまい、少量では効き目を感じにくくなっている。そして、こうした状態の人が急にカフェインを一切摂らなくなると、かえって危険なのだという。

「カフェイン依存の人が急にカフェインを全て断ってしまうと、『離脱症状』に襲われます。頭痛、著しい疲労感または眠気、抑うつ気分、集中困難などがその症状です。ですから、いきなりカフェインの摂取量をゼロにするのではなく、少しずつ減らしていくことで身体の耐性を弱めていくべきです。量を減らすことが難しい場合は、デカフェ飲料などに切り替えることもおすすめです」

 また、自分ではどうしてもカフェイン摂取量を減らせないという人は、医師に相談して減量に取り組むという手もある。

「粉末状のカフェインを処方し、『1日の規定量はこれだけ』と、薬のように管理するケースがあります。そうして、少量でも効果が感じられるように身体の依存度を下げていくのです」

 今は、ペットボトル飲料やインスタント形式はもちろんのこと、コンビニ店内で淹れるタイプのコーヒーにも、デカフェやノンカフェインのコーヒーが用意されている。もし、頻繁にカフェインを摂取していて、慢性的な頭痛などの体調不良を感じるようであれば、中毒になる前触れかもしれない。自分に合った方法でカフェイン摂取量を減らし、良い効果だけを受けられるようにしてほしい。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%ab%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%83%b3-%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9a%e3%81%ab%e9%81%8e%e5%89%b0%e6%91%82%e5%8f%96-%e3%81%a7%e4%b8%ad%e6%af%92%e3%82%82-%e7%b4%85%e8%8c%b6%e3%82%84%e7%b7%91%e8%8c%b6%e3%81%8c%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%97%e7%a9%b4/ar-BB18Khae?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html#c15

[番外地8] 企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。
通貨は基本的にはバブルで、大規模投資・財政出動をしてお金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。

貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
日本では技能実習生を大量に受け入れたり、女性や定年になった老人の就労を進めて、名目賃金が上がらない様にしているのです。大卒の初任給も30年間変わっていません。従って(消費物価上昇率ではなく実際の円価値をベースにした)実質賃金は30年前から下がり続けています。

商品価格の大半は人件費なので、消費者物価はあまり上がりません。
これがいくら金融緩和してもインフレにならない、何時まで経ってもデフレを脱却できない理由ですね。
従って、企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/334.html

[番外地8] 企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。 中川隆
1. 中川隆[-11475] koaQ7Jey 2020年9月07日 03:47:24 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[1]
​ @アントンコイノキ
通貨は基本的にはバブルで、大規模投資・財政出動をしてお金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
日本では技能実習生を大量に受け入れたり、女性や定年になった老人の就労を進めて、名目賃金が上がらない様にしているのです。大卒の初任給も30年間変わっていません。従って(消費者物価上昇率ではなく実際の円価値をベースにした)実質賃金は30年前から下がり続けています。
商品価格の大半は人件費なので、消費者物価の名目値はあまり上がりません。
これがいくら金融緩和してもインフレにならない、何時まで経ってもデフレを脱却できない理由ですね。
従って、企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。

これは GDP や政府の財政出動の問題ではなく、資本家が投資して国債・ファンドの利子や株式配当で不労所得を稼いでいる資本主義システム自体の欠陥なのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/334.html#c1

[近代史4] 卵サンドの作り方
【卵サンドのレシピ】サンドイッチ専門家がこだわりの技を徹底解説!2019.9.26
https://www.nichireifoods.co.jp/media/10421/


パンのレシピ卵食パン

卵サンドの完成写真

サンドイッチ専門家・ナガタユイさんによるこだわりの卵サンドレシピをご紹介。ナガタさんは、卵とパンの組み合わせだけを追求するレシピ本を出すほどの卵サンドマニアです。卵のベストなゆで時間から、食パンを潰さないカット方法まで、ナガタさんが研究を重ねたどり着いた、家庭でできるテクニックを徹底解説!

【卵サンドのレシピ】プロ直伝!
材料(2人分)
卵サンドの材料写真

食パン(8枚切り)…4枚
卵…3個
塩・こしょう…各少々
マヨネーズ…大さじ2
1 卵に軽くヒビを入れる
生卵にヒビを入れる写真

卵のお尻部分を調理台などに軽く当て、割れない程度のヒビを入れる。冷蔵庫から出したての卵を使うとよい。

POINT
「卵に軽くひびを入れることで、ゆでている間にヒビから水が浸透し、殻がむきやすくなります」(ナガタさん)

2 卵は水から12分20秒ゆでる
卵をゆでているところ

鍋に卵とかぶるくらいの水を入れ、タイマーを12分20秒にセットし、強火でゆで始める。沸騰後、1分間程度強火でゆで、弱火にしてタイマーが切れるまでゆでる。

POINT
「研究の末、たどり着いたのがこのゆで時間。白身がぷるっとやわらかく、黄身はしっとりした、卵サンドに最適なゆで卵を作ることができます」(ナガタさん)

※鍋のサイズ、水の量、熱源によってベストなタイミングは若干異なるため、この時間を参考に、各ご家庭で調整してください。写真は、容量1.3ℓの小鍋と水500㎖でゆでています。このときは、水から入れて、強火で4分弱、沸騰してからも強火で1分、弱火にして7分でゆで上がりました。

3 ゆで卵を水に浸けながら殻をむく
ゆで卵の殻をむいている写真

卵を取り出し、水を張ったボウルに入れて冷やす。殻全体に細かなヒビを入れ、水に浸しながら殻をむく。流水に当てながらでもむきやすい。

4 黄身と白身を分けて刻む
黄身を潰し、白身を切っている写真

黄身と白身を分ける。黄身はフォークで潰し、白身は包丁で5〜6mm角に刻む。

POINT
「黄身はかたまりが少し残る程度にラフに潰します。白身のプリッとした食感が好みの場合は、大きめに切ってもOK」(ナガタさん)

●エッグスライサーを使うのもおすすめ!
エッグスライサーでゆで卵をダイス状にする

エッグスライサーを使えば、黄身と白身を分けずに、簡単に卵を切ることができます。@ゆで卵を横にしてスライスし、A縦に置き換えてスライス。B90度横に回転させてさらにカットするとダイス状になります。

5 塩・こしょうで下味を付け、マヨネーズで和える
卵に塩・こしょう・マヨネーズで味付けしている写真

調味料は一度にすべて入れず、先に塩・こしょうで下味を付けた後にマヨネーズで和える。

マヨネーズは、ゆで卵1個につき小さじ2が目安。

POINT
「卵そのものの味を活かすため、マヨネーズはやや控えめに。1個につき小さじ2が目安です。好みで増やしてもいいですが、大さじ1くらいまで。味をみながら少しずつ加えましょう」(ナガタさん)

6 さっくりと混ぜ合わせる
卵サンドを混ぜている写真

ゴムベラやスプーンで卵と調味料をさっくりと混ぜ合わせる。黄身の粒が少し残る程度でOK。

7 食パンに卵サラダをのせる
食パンに卵サラダをのせている写真

卵サラダを2等分にし、食パン2枚の上にのせる。

8 卵サラダを四隅に向かって軽くのばす
食パンに卵サラダをのせている写真

手のひらを軽く丸めるようにして食パンを持ち、スプーンの背で卵サラダを四隅に向かってのばす。卵は均一にするのではなく、中央がこんもりと高くなるようにする。

POINT
食パンに卵サラダをのせた写真

卵サラダをのばすときは、耳から1cm程度余白を残しましょう。ふちまでのばすと、卵サラダがはみ出しやすく、また耳が切り落としづらくなってしまいます。

9 上からもう1枚の食パンをのせ、包丁で耳を切り落とす
食パンの耳を切り落としている写真

食パンがずれないように、パンのふちを軽く押さえ、耳を切り落とす。

POINT
「上から一気に力を加えず、包丁を前後に動かしながら切りましょう。そうすることでパンが潰れず、卵サラダもはみ出しにくくなります」(ナガタさん)

10 対角線状に包丁を入れ、三角形に切る
卵サンドを4等分に切っている写真

食パンの四隅を指先で軽く押さえ、包丁を前後に動かしながら切る。

POINT
サンドイッチは均等に切るのが難しいもの。対角線に包丁を入れると、美しい三角形のサンドイッチになります。

ボリュームたっぷりの卵サンドができあがり!
卵サンドの完成写真

ナガタユイさん直伝の卵サンドが完成! 工程8でこんもり盛ることで、ボリュームたっぷりでごちそう感満点のサンドに仕上がりました。これぞ「萌え断」です。

*お弁当には、具がこぼれにくいポケットサンドがおすすめ
卵サラダのポケットサンドの完成写真

お弁当用の卵サンドなら、四角いお弁当箱にもぴったりで、卵サラダがこぼれにくい「ポケットサンド」がおすすめ。4枚切りの食パンを耳つきのまま半分に切り、ポケット状の切れ目を入れて、卵サラダを詰めるだけ!

https://www.nichireifoods.co.jp/media/10421/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1020.html

[番外地8] 企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。 中川隆
2. 中川隆[-11474] koaQ7Jey 2020年9月07日 04:25:48 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[2]
​ @アントンコイノキ
通貨は基本的にはバブルで、大規模投資・財政出動をしてお金の総量を増やすと貨幣価値が減っていっていずれ紙屑になります。お金が増えれば貨幣価値がその分下がるので、要するに、紙幣に書かれている10,000円という数値を100,000円に書き換えたという様に貨幣単位が変わったというだけの話です。

国内で流通する貨幣の価値の総額は国の工業製品、農作物、サービス価格、輸出量等の供給能力で決まっているので、貨幣が増えても減っても貨幣価値の総額は変わりません。 貨幣の名目数値が増減するだけです。

マネーサプライが毎年増えている国は毎年貨幣価値が小さくなっているので、 GDP、政府支出、地価と株価は、実質価値が減らない様に、毎年上がり続けています。

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

マネーフローが10倍になれば貨幣価値が1/10になり、不動産価格と株価も本来の適正価格である10倍になる。
別に金融緩和で増えた金で不動産価格や株価が上がるのではなく、不動産価格や株価が本来の適正値に戻るだけです。
貨幣価値が1/10になっても、給料はそれ程上がらないので、実質賃金も1/10になります。
日本では技能実習生を大量に受け入れたり、女性や定年になった老人の就労を進めて、名目賃金が上がらない様にしているのです。大卒の初任給も30年間変わっていません。従って(消費者物価上昇率ではなく実際の円価値をベースにした)実質賃金は30年前から下がり続けています。
商品価格の大半は人件費なので、消費者物価の名目値はあまり上がりません。
これがいくら金融緩和してもインフレにならない、何時まで経ってもデフレを脱却できない理由ですね。
従って、企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。

これは GDP や政府の財政出動の問題ではなく、資本家が投資して国債・ファンドの利子や株式配当で不労所得を稼いでいる資本主義システム自体の欠陥なのです。

日本の場合は現時点でも

消費者物価が極端に安い
医療費が極端に安い
大学の授業料が安い
不動産価格が安い
交通費が安い
年金・生活保護制度が優れている

という世界で最も優れた経済体制です。
(共産主義化ができないなら)今の日本の経済体制が世界中で断然 No.1 でしょう。
日本の GDP を増やす経済政策とかMMTポリティクス・政府の大規模財政出動なんかやると最悪の結果になります。

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/334.html#c2

[近代史4] オリーブオイル・マヨネーズの作り方
オリーブオイル・マヨネーズの作り方


2回も失敗して判った!!オリーブオイルマヨネーズを美味しく作るコツ3カ条
投稿日: 2014年7月21日 作成者: ビオイッシモ
http://www.bioissimo.jp/blog/3853/

ずっと作りたかったオリーブオイルマヨネーズを休日に早速作ってみました。
基本的に混ぜて終わりの筈なのですぐ終わるかなと思いきや・・・
自分の失敗を棚に上げて言うのもなんですが、クックパッド見ながら作って2回も失敗してしまいました。
失敗の教訓も含めて今日はレポートしてみたいと思います。

用意する材料&作り方

クックパッドを参考に少し変えてうまくいったレシピはこんな感じになりました。

1. 用意する材料
・卵黄:1個
・塩:少々
・酢:約5ml
・オリーブオイル:80ml

2. 作り方
・卵黄、塩、酢(半分)をボウルに入れてミルクフォーマーでよく撹拌する。
・オリーブオイルを少しずつ様子を見ながら何回かに分けて投入する。
・酢の半分を入れて撹拌する。

私はこうして2回失敗した!!

1回目

たまたま見たクックパッドの参考ページには混ぜ方まで細かく描写していませんでした。なので1回目は一気に混ぜて失敗。卵に一気にオリーブオイルを入れたのが原因ではないかと思われます。そのため一体化しないで分離したままになったと。ミルクフォームでしばらくかき混ぜ続けるもクリーミーになる気配が全くない。そうだ!!これは常温だからクリーミーにならないのであって冷蔵庫に入れればマヨネーズらしくなる筈と考え10時間位冷蔵したが、オリーブオイルは分離したままだった。

olive_mayo1_convert_20140722013105

2回目

1回目の教訓を活かし、オリーブオイルを少しづつ加えていくやり方に変更。一旦はクリーミーなマヨネーズが出来てきた矢先にレシピを通りに決められた量のオリーブオイルを入れようと必要量の最後の数ミリリットルを入れたのがアダになったのか、或いは最後に気が緩んで投入量が多かったのか、最後にオリーブオイルを入れた途端にオリーブオイルが分離してしまいスープ状になってしまいました。
olive_mayo2_convert_20140722015205

美味しく作るコツ&試食結果

正直、ここまで難航するとは思いませんでした。1回目、2回目の教訓を生かして美味しく作るコツを見つけました!!

olive_mayo3_convert_20140722015353

<オリーブオイルマヨネーズを美味しく作るコツ3カ条>

1. オリーブオイルは数滴単位で少しづつ投下、最後に気を抜いてドカッと入れない。
2. 充分過ぎるほど撹拌すること。
3. オリーブオイル投入量にこだわらず、これ以上は危険と思ったらやめておく。

<試食結果>

コクとオリーブオイルの苦味があって凄く美味しいです。マヨネーズの色は使ったオリーブオイルより、黄緑掛かっています。スティック状にしたセロリにつけて食べたら美味しかったです。


http://www.bioissimo.jp/blog/3853/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1021.html

[番外地8] 企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。 中川隆
3. 中川隆[-11473] koaQ7Jey 2020年9月07日 04:56:41 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[4]
>実質賃金=名目賃金−消費者物価指数ですが?
>貴方の言う、「実質賃金が低下しているから物価が上がらない」は、意味不明です。

だから、そういう実質賃金の定義を使っているから本質がわからなくなるのです。
僕が言っている貨幣価格というのはゴールド、ダイヤモンドとか穀物価格、マクドナルド価格の様な実体の有る物の値段と比較した信用通貨の価値です。日本の消費者物価を基準にするからわからなくなるのですね。

今の日本の消費者物価は海外からの安い輸入品の価格が大きく反映されたものです。
安い輸入品が入っていなければ日本は既にハイパーインフレーションになっています。
因みに僕がハイパーインフレーションと言っているのは

日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

日本がインフレになっていないというのは海外からの安い輸入品が物価を押し下げているのが原因です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/334.html#c3

[番外地8] 企業の投資が増えても、政府がいくら財政出動しても物価は上がりませんが労働者はますます貧しくなります。 中川隆
4. 中川隆[-11472] koaQ7Jey 2020年9月07日 05:06:51 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[5]
@アントンコイノキ
>実質賃金=名目賃金−消費者物価指数ですが?
>貴方の言う、「実質賃金が低下しているから物価が上がらない」は、意味不明です。

だから、そういう実質賃金の定義を使っているから本質がわからなくなるのです。
僕が言っている貨幣価格というのはゴールド、ダイヤモンドとか穀物価格、マクドナルド価格の様な実体の有る物の値段と比較した信用通貨の価値です。日本の消費者物価を基準にするからわからなくなるのですね。

今の日本の消費者物価は海外からの安い輸入品の価格が大きく反映されたものです。
安い輸入品が入っていなければ日本が既にハイパーインフレーションになっているのがはっきりと認識できた筈です。
因みに僕がハイパーインフレーションと言っているのは

日本国民が日本で生産された野菜やミカンが高くて食べられなくなる事
日本国民が日本で生産された雨傘や衣類や日用品が高くて買えなくなる事
日本人が使うものが年収10万円の中国の農民と同じになる事

日銀が大規模金融緩和したのにハイパーインフレーションになっていない、というのは海外からの安い輸入品が物価を押し下げているから、そう錯覚しただけです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/334.html#c4

[番外地8] 売春婦でも徴用工でも個人賠償権は残っています 中川隆
2. 中川隆[-11469] koaQ7Jey 2020年9月07日 08:54:21 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[9]
売春婦でも徴用工でも個人賠償請求権は残っています。
日本政府がそういう日韓基本条約 を結んでしまったのが原因です。
そもそも日本政府は賠償金という言葉を避けたからこういう事態になったのですね。
▲△▽▼
正論・チャンネル桜関係者の悪質な嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった
西岡力氏は、
@終戦時の在日XX人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていたこと、
A植民地時代のxxで人口が増加したことや、
Bxxからの不法渡航者が強制送還されていたこと

などを根拠に「強制連行」を否定していますが、この主張には問題があります。まず、

@「終戦時の在日xx人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていた」ですが、これは明らかにオカシナ主張です。というのも「在日xx人の全てが徴用工として来たわけないこと」は当然の前提です。そして、西岡氏自らが、終戦時の日本内地xx人人口うち二割が動員現場(徴用先)にいたことを統計的に指摘しています。

つまり、その二割の人々が今回の徴用工問題の焦点となっているのであり、その他の八割が焦点になっているわけではないのです。このオカシナ主張は、従軍慰安婦問題を論じるときに、「自らの意志で売春婦になった」論にも共通するものです。そして、

A「植民地時代のxxで人口が増加した」、B「xxからの不法渡航者が強制送還されていた」

の問題も同様に、徴用された方々の人権とは全く無関係の話です。いくらそうだったからと言って、徴用された人がいるという事実には全く関係のないことです。こういうのを議論のすり替えというのです。日本なxx半島に投資していたから、日本に侵略意思は無かった論とよく似ています。まとめこのように西岡氏の徴用工問題否定論は、従軍慰安婦問題否定論と非常に論旨がよく似ています。

1徴用工問題の裏に「朝日新聞」の存在を勝手に錯綜。(⇒慰安婦問題は「朝日新聞」の報道によって生まれた)

2「徴用」であるにも関わらず、言葉遊びで「強制連行」性を否定。(⇒慰安婦は売春婦のこと、性奴隷じゃないから「強制連行」性はない。)

3「在日xx人の八割が出稼ぎで日本に来た」「不法渡航者は強制送還した」と言って話をすり替えて、残り二割の徴用工問題を矮小化。(⇒「あいつらは売春婦で金儲けのために慰安婦になった」「ルール違反で呼び寄せられた慰安婦を親元に返した」)

というようにまとめられるでしょう。また別の論文・記事では、徴用工の待遇について「貯金もできた!」「幸せだった!」という論調も他で見られますが、それもまた「慰安婦は高給取りだった!」と同じ理論です。恐るべき理論の一致と見るべきか。徴用工がどれだけ悲惨であったのかは「花岡事件」を調べればよく解りますし、中国人徴用工四万人のうち七千人が亡くなった事実からも明らかでしょう。
(野添憲治『企業の戦争責任』社会評論社, 2009を参照)
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/229.html#c2

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
10. 中川隆[-11468] koaQ7Jey 2020年9月07日 09:38:20 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[10]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
Celestion DITTON 15 のセッティング 2020年09月07日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2af92981a4c468b82512d44e71efeed0


Celestion DITTON 15 がやって来たので「専用ライン」でセッティングしました。サイズは見ての通り、非常に小型で軽量です。

SPのセッティングはφ40oH70oのブロックの上に、φ25oH12oのインシュレーターを置いて、ピンポイント受けをしています。これで箱は自然な響き方をしてくれます。

プリアンプはTA-2000を使用。ちょっと贅沢です。

パワーアンプはTA-3130F(50W/ch)を使用。ソースはCDP-D500のRCAライン。

全体的な配置は上の写真の様になります。まだケーブル類が「一般品」の為、前の2セット(#4425andD208システム)にはサウンド的に遠く及びません。ただ素性の良さは分かりますのでこれからですね。見ての通り、3セットのSPを最適セッティングは出来ません。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2af92981a4c468b82512d44e71efeed0

ソニー プリアンプ TA-2000・TA-2000F
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1066.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c10

[番外地8] デヴィ夫人のデヴィって何だ?

1 :質問君 :1999/10/15(金) 16:01
デヴィ夫人のデヴィって何だ?
スカルノ(第3)夫人じゃーやっぱりまずいのか?

3 :お答え君 :1999/10/15(金) 16:35
日本名は根本七保子とかいうんだって。
で、本名(インドネシア名)がなんとかかんとかデヴィ・スカルノ
って言うらしい。
ジャカルタに大豪邸、NYに高級アパートメント、日本はホテル?

4 :お答え君 :1999/10/15(金) 16:36

第3夫人ってのは、一夫多妻制だからじゃないの?

6 :名無しさん :1999/10/15(金) 17:27

ハイ 3番の方が正解です。
インドネシアはイスラム教だから、確か奥さんは4人まで持ってもOKなのです。

彼女は元々麻布の大工の娘で、中学を卒業後に水商売の世界に入り、銀座の超売れっ子ホステスになりました。

そしてそんな彼女に目をつけた、インドネシアに強い商社(東日貿易?)が、インドネシアでのビジネスを有利に展開させる為、彼女を「愛玩用の夜のオモチャ兼ちょっとした貢ぎ物」として、当時のスカルノ大統領に献上したそうです。

この貢ぎ物の役割は、インドネシアでのビジネスが自社に有利に働くように、直接スカルノ大統領に彼女が会社の意向を伝えるのが重要な役割だったようです。

当時ライバル会社も同じ目的の日本人女性を献上したのですが、彼女は謀略が渦巻くインドネシア政界をうまく乗り切れなくて自殺したらしいです。

9 :根性男 :1999/10/15(金) 18:54

ご奉仕するために歯を全部抜いてるぞ(実話)

歯茎フェラっていいのか?

11 :名無しさん :1999/10/15(金) 20:48

故スカルノ元大統領が不正蓄財した巨額な資産が、スイスの銀行にあるらしいけど、デビ夫人もスカルノ一族も、どうしてもそのヤバいお金は引き出せないらしい(笑)。

しかし不正蓄財の金額はせいぜい数十億円なので、スハルト前大統領一族の数千億円?の不正蓄財には負けるけどね。

昔からデビ夫人は大富豪に取り入って、

入れ歯外し必殺フェラで男をメロメロにして虜にして、

貴族・大富豪・実業家・銀行家からお金をむしり取っていましたが、最近はさすがにお年を召してババァになってきたせいか、昔のように金持ちオヤジをゲットするのも困難になってきたので、仕方なくバラエティにマメに出て、小金を稼いでいるのです。

なんか色香が失せてしまって、最近のデビ夫人って哀れだね。きっと現在お金持ちの恋人ナシなんでしょう。

12 :この人は :1999/10/15(金) 22:28

人の人生に口だすくせに
自分のことは語らないね。

13 :マリアンも :1999/10/15(金) 22:29

言えばいいのに。
「あなた娼*だったんでしょ?」って

14 :>13 :1999/10/16(土) 00:33

フィリピンのマルコスの娘がパーティーの席で「売春婦」と言った

それで激怒したデビ夫人は娘の顔に10針縫うきず負わせて
逮捕され、10ヶ月服役した。超豪華特別待遇のとこだったが。

口だけじゃない、本物の武闘派。マリアンやカイヤがたちうちできる
相手じゃない。

15 :うぅ〜ん :1999/10/16(土) 01:11
はがゆいねぇ
もう芸能レポーターもワイドショーのコメンテーターも
こういう事実全てわかってて言いたいのに言えないのが

今日のお昼の「ワイドスクランブル」のスポーツ新聞解説のアナが
「インドネシアが大変なのに・・・」みたいな事を言いかけて司会の
大和田獏に振ったら、顔をしかめて何かいいたげだった。

16 :名無しさん :1999/10/16(土) 04:34

現時点で芸能界最強でしょう。

17 :野村沙知代 :1999/10/16(土) 05:01

 なによ、売春婦あがりのくせして!
 あの女の貞操観念はどうなっているのかしら。

18 :初めて知った・・・・ :1999/10/16(土) 05:46

すごい偉そうなこといって人生語ってるのにね〜・・・
ところで、彼女はハーフとかですか?顔やしゃべりは
日本人離れしてるけど。


20 :>18 :1999/10/16(土) 08:55

目、鼻を整形しているからハーフに見えるだけです。

21 :>14 :1999/10/16(土) 10:12

なんだ、デヴィ夫人て前科持ちなんだ(爆笑
犯罪者じゃん。TVで流したいね〜このネタ。
偽善者ぶって正論吐いてるつもりみたいだけど
前科持ちの売春婦(且つ淫売)に言われちゃおしまいだあな(ゲラ

23 :名無しさん :1999/10/16(土) 10:50
>21
言われてもしょうがないドキュン家庭育ちのドキュン夫婦・・・

25 :所詮、下賎の出の :1999/10/16(土) 11:42

ホステスあがりの淫売婦

26 :名無しさん :1999/10/16(土) 12:53

デヴィの実弟って姉のこと恥じて自殺したんだよね。

28 :14 :1999/10/16(土) 13:04
>21

野村さちよと違って罪の清算は終わってるから
いいんじゃない。そんなことパーティーの席で言う
マルコすの娘もどうかと思うよ。


34 :イメルダ :1999/10/17(日) 12:41

何年か前の週刊誌かなんかでデビとイメルダの対談が載っていた
のだけど。 「大親友」なのだそうです。
スカルノが聞いたら泣くぞ。

35 :>22 :1999/10/17(日) 15:37

娘がいるよ、ずっと前にテレビに出てた。
パリに住んでいて「日本の街並は本当に汚い」と言っていた。
同じアジア人なのに、なんだこいつはと思ったよ。
母親ゆずりの品の悪さでした。
今は20代だと思うけど。

36 :6番&11番です :1999/10/17(日) 18:37


訂正その1 デビ夫人は銀座でなく赤坂のホステスでした。

訂正その2 スハルト前大統領の不正蓄財は、数百億円でした(数千億円というのは、一族の総資産でした)


どうも失礼しました。
ついでにデビ夫人がパ−ティの席でケガをさせた、フィリピンの元大統領の娘は、マルコスではありません。

たしか1950年代にフィリピンの大統領をやっていた人の娘です。(名字は忘れましたが、通称ミニ−とかいう名前だった女の人)

このようにデビ夫人は酒癖が大変悪く、パ−ティの席上ですぐ狼藉をはたらくので、パリの社交界に居ることが出来なくなり、仕方なくニュ−ヨ−クへ引っ越ししたそうです。(実質パリの社交界から追放されてしまった)

37 :桜庭に好感 :1999/10/18(月) 04:21

持てちゃうくらいにデヴィは醜かった。
愛人を語ってくれても文化圏が違うしね。
そもそも芸能界に関して意見するのが間違ってるよ。
ご意見は風俗や社交界に対してだけにしろって。

38 :デビ・デビ :1999/10/18(月) 04:56

デビが「あーたのやった事で、その男性の今まで築いてきた地位なり名誉
なりをボロボロに傷つけてしまうのよ・・・・・」って言うのは、自分の
半生を正当化したいから

(ホステス・人質(?)としての第三婦人で、日陰でいつづけた)でしょうね。

でも、それは明治・大正・昭和初期の話!
現在は、不倫するなら・二股かけるなら、”今まで築いてきた地位なり名
誉なりをボロボロに傷つけてしまう”覚悟で男もやれ!って言う時代なん
だよ!って事を分かっていない<浅香光代もね!。


44 :生贄 :1999/10/18(月) 19:40

この、罰当たりどもめ!

梶山李之著「生贄」読んでないな。

デヴィさんは日本人の偉大な恩人です。

瀬島隆三、岸信介、という偉大なる利権屋を知らないな。
インドネシア賠償金を日本国民の税金で支払い、それの一部を再度、
日本に還流させるという、偉大なるカラクリを作り上げた、
自民党の伝統を「生贄」によって学びなさい。
この赤ん坊どもが。

デヴィ夫人は今は日本で何をしても良いんです。
自民党政権によって日本国民の税金が好き勝手に使われまくる、
という先鞭をつけたインドネシア賠償、その犠牲となった、
偉大なるデヴィ様、
ひれ伏しなさい、奴隷臣民どもが!

630 : 可愛い奥様: 2011/05/22(日)


伊藤忠の瀬島龍三が、

「根本七保子にインドネシア行きを納得してもらうために、500万円と麻布の土地で話をつけた」

と言ってたんだって。 伊藤忠はインドネシア賠償ビジネスにどうしても参入したかったのでスカルノを落とすためなら、どんなことでもやったから。 デヴィはその支度金で親の借金を清算して、もらった土地に母親と弟の家を立てたそうだからシンデレラストーリーというよりは、

「家族が食べていくために吉原に売られた貧しい娘」に近いのでは。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/335.html

[近代史5] ローマ人の起源 中川隆
10. 中川隆[-11467] koaQ7Jey 2020年9月07日 14:21:16 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[11]
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2020年09月06日
ローマ化する現代の帝国 / 変質する米国 (後編)
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68823851.html


異民族が流入した古代帝国

  アメリカ合衆国は現代のローマ帝国と言われるくらい、よく古代ローマと比較される。確かに、最強の軍事力を誇る点で両者は共通しているが、様々な民族が混在することでも注目を引く。ローマは共和政時代でも多種多様であったが、ビザンツ時代、すなわち東ローマ帝国になると、ギリシア人やオリエントの民族を抱えてしまったので、コンスタンチヌス大帝の都(コンスタンティノポリス / 現在のイスタンブール)は、まさしく無国籍のコスモポリタンになってしまった。

  高校時代にローマ史を習った人なら判るけど、ビザイツ帝国の軍人や官僚には非ローマ人が少なくなく、属州生まれの“外人”が結構多く登庸されている。というのも、「幸福者」と呼ばれたコーネリウス・スッラ(Lucius Cornelius Sulla Felix)やユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar)の時代でも、内乱で多くのローマ貴族が殺されたし、後のユリウス・クラウディウス朝時代になると、共和政以来の名門貴族がほとんど姿を消してしまったのだ。ある者は政界から去り、別の者は処刑されるか暗殺、自殺で命を絶っていた。また、自然な出生率低下も主な要因である。長く続いた貴族の子孫でも断絶する場合もあったし、たとえ存続しても先細りになってしまうから、遅かれ早かれ消滅だ。それゆえ、元老院はおろか、高級政務官にも異民族の人物が現れ、皇帝ネロの時代になると、属州出身者の数が42名ほど居たらしい。

Seneca 1(左 / セネカ)

  もっとも、これらのニュー・タイプは第1世代の外人ではなく、何世代か前にイタリアかローマに移ってきた異民族の子孫で、西部の属州、すなわちイスパニア諸州やガリア・ナルボネンシス州の出身者が多かった。スペインのコルドヴァ出身の著名人と言えば、ストア派の哲学者として知られるセネカ(Lucius Annaeus Seneca)とその兄、ガリオ(Gallio / Lucius Annaeus Novatus)であろう。ルキウスという名を持つガリオは、ローマに移住してから元老議員ユニウス・ガリオの養子になったので、「ユニウス・ガリオ(Junius Gallio)」と改名したそうだ。

  このガリオが有名なのは、アカイア州の地方総督を務めた時、使徒パウロを助けたからである。当時、聖パウロはコリントで宣教活動をしていたが、彼を憎むユダヤ人の集団に襲われ、法廷に引きずり出された。何しろ、ユダヤ教徒にとって律法を守ることは絶対である。それなのに、このパウロときたら「イエズス」とかいう大工の小倅(こせがれ)に従い、律法(天主の戒律)を蔑ろにして神様を崇めるよう説いていたのだ。しかも、畏れ多いことに、この教祖を「天主の子」と呼んでいたのだから、パリサイ派やゼロテ派に殺されても不思議じゃない。敬虔なユダヤ教徒が激怒したのも当然だ。ということで、ユダヤ人はパウロをローマ人の法廷で仕置きに掛けることにした。でも、ガリオはパウロの宣教を不正行為とは見なしていなかったので、「私はそんな事の審判者になるつもりはない!」と言い放ち、訴訟を却下。これで、聖パウロは晴れて釈放となった。(使徒行伝18章12節〜16節を参照)

  弟のセネカは日本でも有名人だから、筆者の説明は不要だろう。でも、この哲学者の人生を調べると気の毒になってくる。彼はカリグラ帝からその才能を妬まれ、もう少しで処刑されるところであったし、クラウディウス帝の妻メッサリーナ(Messalina / 3番目の夫人)に「ユリア・リウィラ(Julia Livilla)と不義を結んだんじゃないか?」と疑われる始末。これにより元老院から死刑宣告を受けるが、クラウディス帝が助け船を出し、コルシカ島への追放で事を収めた。しかし、クラウディス帝が小アグリッピナ(Julia Agrippina / Agrippina the Younger)を4番目の妻として迎えると、彼女がセネカを呼び戻し、追放されていた哲学者を息子の教育係にした。この息子は後にローマ皇帝となるネロ。

  一方、リウィアは伯父によって死刑を宣告され、餓死で亡くなったそうだ。彼女は結構“したたか”で、以前、カリグラを打倒する計画に関与して、義理の兄弟であるマーカス・アメリウス・レピドゥスを帝位に就けようと謀ったが、失敗に終わったので、ポンツィア島へ逃げることになったという。カリグラ帝が亡くなったことで逃亡先から帰ってきたものの、今度はセネカとの一見で窮地に陥り、命を失う破目になってしまった。ちなみに、彼女はカリキュラ帝と小アグリッピーナの妹である。1979年に公開された映画『カリグラ』を観た人なら覚えていると思うが、リウィア役を演じていたのはミレラ・ダンジェロ(Mirella D'Angelo)だ。この映画は淫乱場面が凄くて、たいへん印象深い作品であった。(筆者はこのDVDが出ているのかどうか分からない。)

Caligula 2Julia LiVilla 01Agrippina the Younger 1Mirella D'Angelo 2


(左 : カリキュラ帝 / ユリア・リウィラ / 小アグリッピーナ / 右 : ミレラ・ダンジェロ )

  第21世紀のアメリカでは黒人が初めて合衆国大統領になったけど、第1世紀末のローマでも浅黒い外人が出世したたようで、北アフリカ出身のパクトメイウス・フロントー(Quintus Aurelius Pactumeius Fronto)が執政官(Consul)になった。彼は有名なウェスパニス帝(Vespasianus)によって騎士階級から元老院議員になった人物である。マウリタニア人(ベルベル人)のルシウス・クィエトゥス(Lucius Quietus)は、ダキア戦争で騎兵隊の指揮官を務め、戦後、その功績を認められて元老院議員となった。さらに、トラヤヌス帝のパルティア戦争で重要な指揮官となるや、ニシビスやイデッサを攻略し、バビロニアでの暴動も鎮圧したから、その恩賞としてユダヤの総督職を授けられたという。しかし、トラヤヌス帝が崩御すると、クィエントゥスの運命に翳りが差してきた。後継者のハドリアヌス帝は軍隊におけるクィエトゥスの人気を懸念し、その才能を自分にとっての危険と見なしたから、「将来のライヴァルを暗殺したのでは!?」と推測されている。

  ローマ帝国が東方に拡大するれば、政務官や軍人にオリエント出身者が増えるのも当然だ。特に、軍隊では血筋よりも実力が重視されるからシリア人とかスキタイ人が抜擢されても意外じゃない。クラウディス・バルビルス(Tiberius Claudius Balbillus Modestus)は、エジプトのアレクサンドリアに生まれたギリシア・アルメニア系エジプト人で、クラウディス帝によってローマ市民権を与えられたという。彼は皇帝ネロの時代にエジプト州の長官に就任した。ティベリウス帝によってローマ市民権を与えられたユリウス・アレクサンデル(Tiberius Julius Alexander)もエジプト出身者で、彼はユダヤ人の家庭に生まれ異例の出世を遂げた人物として有名だ。ただし、アレクサンデルはユダヤ人として育ったが、家族の信仰を棄てて世俗的な「ローマ人」になった。クラウディウス帝からユダヤの地を委託されると、プロコンスルの身分で管理者になったという。ちなみに、彼は哲学(神学)者として有名なアレクサンドリアのフィロン(Philo of Alexandria)の甥である。このフィロンはヘブライ語よりもギリシア語が得意なヘレニズム学者で、旧約聖書の研究では「七十人訳聖書(Septuagint)」を用い、ヘブライ思想とギリシア哲学を融合して研究に勤しんでいた。

  ちなみに、ユリウスの父親はアレクサンドリアの裕福な商人であった。たぶん、使徒パウロと同じ類いのユダヤ人なんだろう。新約聖書に書かれているけど、ローマ軍の千人隊長が連行された聖パウロを尋問した時、彼が「私は生まれながらのローマ市民です」と答えたから、この千人隊長は驚いた。なぜなら、当時、ローマ市民権は容易に取得することは出来なかったので、千人隊長は多額の金を払って市民権を得ていたのだ。(使徒行伝22章27節〜29節) 西歐系アメリカ人は不機嫌な顔になるけど、現在のアメリカも古代ローマと同じで、金銭を払えば公民権を取得できる。例えば、トランプ大統領の娘婿、ジャレッド・クシュナーは裕福な支那人にアメリカ国籍を販売していたし、図々しい支那人になると、妊娠を伏せて入国し、カルフォルニアとかで赤ん坊を産んでしまうのだ。つまり、我が子を「産まれながらのアメリカ国民」にして、自分は赤ん坊の保護者となり、アメリカに永住できる、という訳だ。ユダヤ人はもっと悪質で、「避難民」という口実で入国したのに、いつの間にか国籍を取って「アメリカ国民」になっている。そして、こうした難民の2世、3世となれば「生まれながらのアメリカ国民」だから、まるで生粋のイギリス系アメリカ人のように振る舞い、「自分の国」と豪語する。まったく、骨の髄まで厚かましい !

  脱線したので話を戻す。有色移民が流入した歐米諸国と同じく、ローマ帝国の官僚機構は外人を多く雇っていた。特に、皇帝の官房に属する行政官にはギリシア人が多く、中には相当な「悪党(ワル)」も居たらしい。例えば、クラウディス帝が以前「奴隷」として抱えていたクラウディス・ナルキッスス(Tiberius Claudius Narcissus)だ。ナルキッススは主人の皇帝から解放され、文書管理を担当する皇帝直属の秘書官になっていた。クラウディウスはナルキッススをよほど信頼していたのか、この解放奴隷を暴徒鎮圧軍の指揮官に任命したし、後に法務官(執政官に準ずる役職 / praetor)の職すら与えていたのだ。(軍の兵卒達は、解放奴隷が指揮官となって現れたから、呆れるというか驚いたそうである。) ただし、この解放奴隷は性悪で、クラウディス帝の第三夫人たるメッサリーナ(Valeria Messalina)を抹殺しようと考えたのだ。なぜなら、夫人が自分に対して恨みを抱いているので、先手を打つことが急務であったからだ。ナルキッススはメッサリーナの不義密通を皇帝に伝え、躊躇う皇帝に囁いて夫人の処刑を決心させたという。

  それにしても、このメッサリーナ夫人というのは大胆というか、奸婦の性格を持っているのか、皇帝の妃なのに、既婚者である元老院議員のガイウス・シリウス(Gaius Silius)と恋仲になってしまったのだ。メッサリーナは彼にベタ惚れで、女房のユリアと別れるよう求めたらしい。以前、女優のアンジェリーナ・ジョリーが既婚者のブラッド・ピットを誘惑したけど、人間の行動は二千年経っても変わらぬようだ。野心家の女は恐ろしいもので、アンジーはブラットに対し、妻のジェニファー・アニストンと別れるよう囁き、彼女の魅力に負けたブラッドはジェニファーを棄ててアンジーと結婚。しかし、略奪婚というのは幸福のチケットにはならず、二人は実子をもうけたが、次第に関係は冷え込み、2016年に離婚が成立したという。

   亭主を寝取った皇妃も不幸な結末を迎えることになった。彼女はクラウディウス帝がオスティアに出張したのをいいことに、亭主の留守を見計らってガイウスと結婚してしまったのだ。オスティアへの視察から帰ってきた皇帝は、この重婚を知って激怒し、ナルキッススの勧め通り、メッサリーナを処刑することに決めたという。もちろん、姦通相手のシリウスにも極刑が下され、三途の川を渡る破目に。ナルキッススは皇帝の命令を受けたかのように振る舞い、近衛兵を皇妃のもとに遣わし、自殺するよう促した。しかし、メッサリーナは自殺することができず、近衛兵の刃で殺してもらったそうだ。皇帝の寵愛を受けた解放奴隷も、その権勢は長く続かず、4番目の皇妃になった小アグリッピナと反目したことで処刑されてしまった。彼女はナルキッススを公金横領で非難したが、本当はナルキッススが彼女の不貞を暴こうとしたから、「口封じ」となった次第である。アグリッピナは解放奴隷のパラスと肉体関係を持ち、この不倫がバレることを恐れたため、ナルキッススを逮捕して抹殺したのである。

  アグリッピナの愛人となったパラス(Marcus Antonius Pallas)は、アナトリア出身の解放奴隷で、クラウディス帝と後継者のネロに仕えて異例の出世を果たした。(元々、パラスは小アントニアが所有する奴隷であった。この小アントニアはユリウス・カエサルと覇権を競ったマーカス・アントニウスの娘である。) パラスは財務畑を歩み、その辣腕を振るったことで、3億セステルティウスの財産を築いたそうだ。(「セステルティウスsestertius」はローマ時代に使われた銀貨である。) ところが、彼は政争に巻き込まれ、皇帝を亡き者にしようとする転覆計画に係わったのでは、と疑われてしまう。しかし、セネカが弁護してくれたので、疑惑を解かれ無罪放免となった。しかし、皇帝ネロに仕えることは剃刀の上を歩くようなもので、絶えず命の危険に晒されている。案の定、パラスはネロの怒りを買ってしまい、あえなく処刑されてしまった。

  東ローマ帝国には異邦人の官僚が目立っていたけど、皇帝にも外人が現れるようになった。有名なのはセプティミウス・セウェルス(Lucius Septimius Severus)帝で、彼の母親はフルウィウス(Fulvius)氏族のローマ貴族であったが、父親はカルタゴのフェニキア人であった。現在のリビアにあるレプティス・マグナ(Leptis Magna)で育ったせいか、セウェルス帝は北アフリカで話されたポエニ語の方が得意で、カルタゴ訛りのラテン語を話していたそうだ。この混血皇帝は最初、レプティス・マグナ出身のパッキア(Paccia Marciana)と結婚したが、彼女が病死すると再婚相手を求めるようになった。鰥(やもめ)となった皇帝は、シリア人女性のユリア・ドムナ(Julia Domna)と出逢い、彼女と再婚して二人の息子をもうけた。これが後に共同皇帝となるカラカラ(Lucius Septimius Bassianus / Caracalla)とゲタ(Publius Septimius Geta)である。しかし、弟のゲタは支配欲に駆られたカラカラ帝によって殺されてしまう。

Severus 1Caracalla 01North African 4Obama ring 15


(左 : セプティミウス・セウェルス / カラカラ帝 / 北アフリカのベルベル人 / 右 : バラク・フセイン・オバマ )

  実際、カラカラ帝がどんな容姿の「ローマ人」なのか分からないが、たぶんエトルリア人やサビーニ人とは異なった外見の持ち主だろう。何しろ、血統的に見れば、ほぼフェニキア人とシリア人の混血児であるからだ。肉体が変化すれば、その精神が違ってきても不思議じゃない。シリア人の血を引くカラカラ帝は、ローマ人としての愛国心が希薄だったのか、帝国領土内に住む外人にローマ市民権を大盤振る舞い。アフリカ系大統領のバラク・フセイン・オバマを思い出せば分かるけど、外人みたいな支配者が君臨すると、国境や民族の壁が無くなってしまうようだ。オバマは南米からの不法移民に対し非常に優しかった。この大統領は侵入者を排除するどころか、逆に帰化への道を整えてやったくらいだ。それにしても、高利貸しの社員が配るポケット・ティッシュじゃあるまいし、誰にでも気軽に公民権を与えるなんて言語道断。馬鹿げている。

  コンスタンティノポリスに都を移したローマ帝国を調べてみると、現代のアメリカ合衆国が抱える問題の本質が分かってくる。なるほど、非ローマ人でも実力があれば立身出世ができるというのは素晴らしいことだ。しかし、その副作用として、共和政時代にローマ人が持っていた“一体感”は消え失せる。共和政の権化とも言えるキンキナートゥスやマーカス・カトーに呼応するローマ人と、皇帝に仕えるだけの新ローマ人とは根本的に違っているのだ。もし、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソン、ジョン・ジェイ、ベンジャミン・フランクリンといった建国の父祖が現在のアメリカ社会を見たら、どんな感想を持つことか。今世紀に入ると、黒人のバラク・オバマが上院議員を経て大統領となったし、最近では茶色の上院議員であるカマラ・ハリスが副大統領候補だ。しかも、彼らを支援するのが、西歐人とは南米のメスティーソ(混血児)や黒人奴隷の子孫、中東アジアからやって来たムスリム移民ときている。国民の倫理・道徳も相当酷い。都市部では兇悪な有色人種がうろつき、髭面のゲイや赤いレズビアンが赤ん坊を養子に迎えている。ピューリタンの入植者が目にしたら、「ソドムかゴモラに来てしまったのか !」と勘違いするだろう。

Marcus Cato 1george Washington 2John Jay 21Thomas Jefferson 1

(左 : マーカス・カトー / 「キンキナートゥス」のイメージで作られたジョージ・ワシントンの彫像 / ジョン・ジェイ / 右 : トマス・ジェファーソン )

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68823851.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/277.html#c10

[番外地8] 安倍首相とトランプ大統領が画策していた欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り 中川隆
2. 中川隆[-11466] koaQ7Jey 2020年9月07日 18:38:58 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[14]
藤井聡さんも強力に尽力した欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り
安倍首相もトランプ大統領も反グローバリストではなく欧米資本のエージェント。
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。
アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/303.html#c2

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 中山美穂 ・柳葉敏郎 すてきな片想い (フジテレビ 1990年)
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 中山美穂 ・柳葉敏郎 すてきな片想い (フジテレビ 1990年)


脚本 - 野島伸司
音楽 - 鴨宮諒(マンナ)
主題歌 - 中山美穂「愛してるっていわない!」(キングレコード)
挿入曲 - Bill LaBounty「This Night Won't Last Forever」(邦題:『涙は今夜だけ』)
製作著作 - フジテレビ





『すてきな片想い』1990年10月15日より12月17日まで毎週月曜日21:00 - 21:54に、フジテレビ系列の「月9」枠で放送されていた日本のテレビドラマ。全10回が放送された。


このドラマのテーマは、「切ない恋」。海苔問屋「大黒海苔店 代々木営業所」に勤務する地味なOL・与田圭子が、小さなおもちゃメーカー「BANBI」勤務のサラリーマン野茂俊平と相思相愛になるまでを描く、コメディタッチのせつない純愛ストーリー。


脚本家・野島伸司の初期の作品としても知られている。


フジテレビはこの時期の月9ドラマ「すてきな片想い」、1991年1月 - 3月の「東京ラブストーリー」(脚本:坂元裕二)、1991年7月1日 - 1991年9月16日の「101回目のプロポーズ」(脚本:野島伸司)を「純愛三部作」と名付けた。


後の二作に比べて爆発的にヒットしたわけではないが、平均視聴率21.8%、最高視聴率26.0%を記録し、この年の民放の連続ドラマの最高視聴率ランキングでは水戸黄門・第19部に次いで2位となった。


キャスト


主要人物


与田 圭子/林 ナナ〈21〉
演 - 中山美穂


大黒海苔 代々木営業所に勤めるちょっと地味で平凡なOL。12月24日生まれ。少しノンビリ屋で寂しがり屋な性格。駅で派手に転んでカバンの中身(生理用品もあった)を散らかしてしまったり、スカートのファスナーを閉め忘れたり、おっちょこちょいなところが多い。通勤途中の電車内でその醜態現場に偶然居合わせたのが野茂俊平だった。その直後、異動してきたばかりの仁科友美からの紹介で、とある男性の電話番号を託される。気が進まぬまま電話で話したところ意気投合。この顔も知らない電話の相手とほどなくして会うことになったのが運の付き。待ち合わせ場所で待っていたのは、電車内で派手に醜態をさらした現場を見ていた野茂と同一人物であることをここで初めて知る。その恥ずかしさから野茂の前に行く勇気が持てず、結局、会わずに帰ることとなってしまった。後日、待ち合わせ場所に来なかった理由を野茂から電話で聞かれ、親族の法事があったとはぐらかす。また、野茂が圭子の名前を聞き忘れていたため、改めて聞かれた時に与田圭子とは言えずに、とっさに偽名・「林なな」と答えてしまった。由来はたまたま桂子の部屋の本棚にあった文庫本林真理子と吉本ばななの名前を合わせたものだった。とっさにカタカナのナナと答えてしまう。この小さなウソや、優しく平和主義な性格が災いし、後々に複数のドタバタに発展していくことは圭子自身も想像もつかないのであった。得意料理はエビチリ。恋愛は戦国武将で言うところの「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康タイプ。


野茂 俊平〈28〉
演 - 柳葉敏郎


外資系一流商社・東電プラントを辞めて小さなおもちゃ会社・BANBIに転職。実はかつて婚約者がいたが、野茂自身のことが好きなのではなく、一流企業に勤める男が好きだったと言われ、婚約破棄となった哀しい過去がある。そのため恋愛には臆病であるが、一本気で、男気溢れる性格の持ち主である。好きなテレビ番組は「プロ野球ニュース」。好きな数字は7(なな)。


大黒海苔


潮崎 豊〈27〉
演 - 石黒賢


大黒海苔 本社営業部勤務。野茂俊平の親友。偶然、圭子と同じ会社であるが、東京・日本橋にある本社勤務であるため、出会うまでお互いの存在は知らなかった。野茂とは正反対の性格で、軽いノリと得意なダジャレで女性を楽しませることがうまい。が、軽さゆえに中身が薄いととられがちで、結果が残せないタイプ。ひと目惚れした圭子とは紆余曲折あって後に付き合うこととなるが、女心が痛いほど分かり過ぎるため、圭子が他の誰かに気持ちがあることを始めから見抜いていた。そのジェラシーをクリスマスローズの花言葉に願をかけて毎回プレゼントを続けるなど、軽いが繊細なタイプでもある。中目黒在住(忘れた定期で判明)で両親と同居。愛車はトヨタ・クラウンハードトップ(ハーフシートカバー付き)。


仁科 友美〈20〉
演 - 和久井映見


異動時期でもない時に大黒海苔本社から、圭子の勤務先である代々木営業所へ転属となった。社内では「人事部長との不倫が原因」と噂されていたが、真相は食事に行った程度で単なるデマに過ぎなかった。異動初日に周囲から陰口を叩かれる中、唯一優しく接してくれた圭子と親しくなり、野茂を紹介する。その後、圭子の高校時代の同級生、瀬戸に好意を持ち、知り合ってすぐに関係を持つが付き合った上での行為ではない。しかし、ダメ男に尽くしてしまうようで、やさぐれている瀬戸を見かね、不倫の噂の元となった人事部長に頼み込み、就職先を斡旋してもらうなど世話女房タイプである。恋愛は戦国武将で言うところの「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の信長タイプであるが、それは自分の気持ちを押し殺す…とは本人談。


村瀬 真美〈23〉
演 - とよた真帆


圭子の会社の先輩OL。長身の美人で、後輩たちにいつも恋愛指南をしているが、自信過剰で場の空気が読めないタイプ。大黒海苔のお歳暮商戦では、各地のデパ地下に応援要員として配属される際、割り当てられた場所が千葉だったことから強烈に拒み、部長に頼み込んで圭子や友美と同じ日本橋・三越に変えてもらうなど、プライドはかなり高い。プライベートでは乙女チックなところもあり、プラネタリウムを見に行くなどロマンティストでもある。


栗田 知佳〈20〉
演 - 船田幸


圭子の会社の同僚OL。先輩の真美にくっついて行動する取り巻き3人組の一人。おだてられると調子に乗るタイプ。話に夢中のあまり、職場のサンダルのまま帰ろうとするなど、そそっかしい。


サユリ
演 - 斉藤満喜子


圭子の会社の同僚OL。真美と知佳といつもつるんでいる仲良し3人組の一人。それなりに登場回数はあるのだが、なぜか役名はロールテロップには表記が見られないばかりか、初回に真美が更衣室で呼んだ「サユリ」と、最終回に友美が大黒海苔代々木営業所前で呼んだ「サユリ」の2回のみだった。


秋山
演 - 平泉成(第8回 - 9回)


人事部長。大黒海苔社内で友美と不倫関係にあるとの噂が社員同士の間で広がっていたが、当の本人はまったく気付いていなかった。そのお詫びを兼ねて、友美から哲雄の就職斡旋のお願いを聞き入れ協力した。


与田圭子の関係者


落合 妙子〈21〉
演 - 相原勇


圭子の高校時代からの親友。高校卒業と同時に上京。仕事は消費者金融業の窓口であり、本人によると「客は借金ハマってる奴ばかりで出会いがなく、こんな仕事を紹介した高校の進路課のジジィ!! 末代まで祟ってやる」と圭子に愚痴っている。その妙子の職場シーンは実在するプロミス(現在のSMBCコンシューマーファイナンス)の店舗(支店名は不明)で行われていたが、ドラマ上では特に表記がされなかった。ボーイッシュな風貌やガサツな性格で男に惚れやすく、場の空気が読めない直球勝負をするタイプ。野茂の誕生日には1万円もしたという派手な柄のネクタイをプレゼント。しかし「宴会用だな」と言われてしまい男心の読みはまったく出来ない。見た目や性格に反してメンタル面では非常に女性らしい。また、潮崎が圭子にいつもプレゼントしていたクリスマスローズのせつない花言葉にいち早く気付いたのが妙子だった。圭子との誓いの言葉は神父の言葉を真似た「健やかなる時も、病める時も、恋人作る時も素早くその友達を紹介して、共に幸せを分かち合えること」である。恋愛は戦国武将で言うところの「鳴かぬなら鳴かせてみよう野茂俊平(ホトトギス)」の秀吉タイプ。



瀬戸 哲雄〈21〉
演 - 東幹久


圭子と妙子の高校時代の同級生。高校時代は野球部のエースピッチャーであり人気があった。高校卒業後、東京の大学野球に進むが大学2年の時に肩を壊して大学を中退。クラブの店員としてバイトし女遊びの日々を過ごすなど、やさぐれた生活を送っていた。そんな時に東京で圭子と妙子の行きつけの飲み屋で、他の女とデート中に偶然再会したことをきっかけに圭子に急接近。高校時代、妙子が瀬戸のことが好きだったことを圭子は知っていたため、片思いのまま終わったが、実は瀬戸も圭子のことが好きだったことをこの時告げられる。また、圭子が高校時代にモテなかったのは哲雄が同級生の男に自分が圭子の恋人だと勝手に言いふらしていたからだとも告白された。圭子の同僚、友美が瀬戸に惚れ込みすぐに関係を持つが、プレイボーイながら圭子への想いが捨てきれない一途な面もある。愛車はセリカ コンバーチブル。


BANBI


園部 育美〈26〉
演 - 原田貴和子


BANBI勤務のキャリアウーマン。会社ではチーフを務めており、野茂より年下ながら、上司の立場にある。クールな雰囲気が漂う『大人の女』であり、野茂に好意を寄せているものの素直になれず、付かず離れずの微妙な関係が続く。本人曰く「可愛げのない女」。BANBIの親会社の専務の愛娘でもある。



佐々岡 ケン〈25〉
演 - 中野英雄


野茂俊平の会社の同僚。通称ケンちゃんと呼ばれる。育美に惚れており、飲みに誘ったり果敢にアタックするが、まったく相手にされない。野茂と育美の微妙な空気を察するのが早く、仕事中に二人がお互いを見た回数を数えて、その心理をズバリと見抜く鋭さがある。



演 - 佐戸井けん太
部長。野茂が勤める会社BANBIの上司。仕事中にツメを切って深爪したり、部下に嫌味を言ったり、仕事をさぼっていると「仕事しろ」と言ったりするが、そういう自分はあまり仕事をしている様子がない。最終回ではクリスマスイブの夜にもかかわらず一人会社に残り、野茂が企画したメッセンジャードール・パパ大好きの返品を小売店から先伸ばしをしてもらうよう、電話でお願いしていたのが唯一仕事らしい仕事をしていたシーンだった。また、そのパパ大好きを娘のためにもらって帰る良き父親の一面もある。


その他


星の王子様
演 - 酒井敏也(最終回のみ)


真美の恋人。最終話にのみ登場した。真美がプライベートで行ったプラネタリウムがきっかけで知り合い、付き合うようになったため「星の王子様」と称していた。愛車は横浜ナンバーの白のカローラセダン。



放送日程


各話 放送日 サブタイトル 演出 視聴率
第1話 1990年10月15日 本当のスキはうまく言えない 河毛俊作 18.0%
第2話 1990年10月22日 彼が私の親友を好きになった 20.4%
第3話 1990年10月29日 世界で一番悲しいキスを見た 本間欧彦 18.8%
第4話 1990年11月5日 親友を裏切れば彼に告白できる 石坂理江子 21.8%
第5話 1990年11月12日 淋しい夜は別の人の胸で泣く! 河毛俊作 21.8%
第6話 1990年11月19日 今夜ズバリ告白しちゃいます 21.1%
第7話 1990年11月26日 好きな人の親友に告白された 本間欧彦 20.0%
第8話 1990年12月3日 今さら好きなんて泣いちゃうよ 石坂理江子 15.0%
第9話 1990年12月10日 あなたをずっと愛していました 河毛俊作 24.6%
最終話 1990年12月17日 クリスマスは愛と涙でいっぱい 26.0%



主要キャスト(中山美穂、柳葉敏郎、石黒賢)の役名の名字は、1990年のプロ野球の新人投手(与田剛:中日、野茂英雄:近鉄、潮崎哲也:西武)から取られている。その他のキャストも当時現役だったプロ野球選手の名字から付けられている。


電車、バス、ホームの撮影は京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の全面協力によって行われていた。また撮影時は臨時列車を走らせて行われていた。


与田桂子と野茂俊平の自宅最寄り駅の設定は京王線府中駅 (東京都)(最終回にて与田の定期から判明)であった。しかし、実際に撮影に使われた駅舎は府中駅から近い京王 競馬場線府中競馬正門前駅で行われていた。


野茂俊平の自宅の設定は府中市 (東京都)だが、ドラマ中に出た電話番号では国分寺市であった。


主人公が住む自宅の設定は府中市に実在する建物で外観の撮影のみ行われていたが、2016年頃に与田圭子が住んでいたアパートの方は取り壊され現在その姿はない。
ドラマ中に登場する自動車はタクシーにいたる全てが、当時最新のトヨタ車に統一されていた。これはフジテレビ月曜9時枠がトヨタ自動車のスポンサーのためである。


なお、登場人物が乗る車両は以下の通り。


潮崎 豊 →トヨタ・クラウン4ドアハードトップ(S130型)
瀬戸哲雄→トヨタ・セリカコンバーチブル(ST162C型)
星の王子様→トヨタ・カローラセダン(E90型)
BANBI営業車→トヨタ・ハイエース(H100型)
タクシー→トヨタ・クラウンセダン(S130型)


ドラマオープニングに登場する、おもちゃ屋は東京都中央区銀座の博品館TOY PARKで行われた。


第4回で瀬戸が圭子を連れ込もうとしたラブホテルは横浜市保土ケ谷区の「ホテル・ニュー京浜」であった。


野茂俊平が勤める「BANBI」が扱うおもちゃはバンダイが全面協力していた。
ドラマの小道具として使用された「ポパイとオリーブのフェイスマグカップ」は、実際にキデイランド等の雑貨店で販売されてヒット商品になった。また劇中で「キデイランドは返品が多いから」という、野茂俊平のセリフもあった。
DVD発売にあたって洋楽の挿入曲の大部分が他の曲に差し替えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%AA%E7%89%87%E6%83%B3%E3%81%84_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1008.html

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 中山美穂 ・柳葉敏郎 すてきな片想い (フジテレビ 1990年) 中川隆
1. 中川隆[-11465] koaQ7Jey 2020年9月07日 20:04:59 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[16]

すてきな片想い - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%AA%E7%89%87%E6%83%B3%E3%81%84+%E7%AC%AC+%E8%A9%B1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1008.html#c1
[近代史4] 野島 伸司(1963年3月4日 - ) 中川隆
3. 中川隆[-11464] koaQ7Jey 2020年9月07日 20:07:15 : 3yQuJBsenC : MjE0bmRMZ3lickU=[18]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 中山美穂 ・柳葉敏郎 すてきな片想い (フジテレビ 1990年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1008.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/998.html#c3
[番外地8] 安倍首相とトランプ大統領が画策していた欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り 中川隆
3. 中川隆[-11463] koaQ7Jey 2020年9月08日 01:59:57 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[1]
チャンネル桜も強力に尽力した欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り
安倍首相もトランプ大統領も反グローバリストではなく欧米資本のエージェント。
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。
アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow
2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/303.html#c3

[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗
森田童子☆ぼくたちの失敗






春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ


君と話し疲れて いつか 黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた


地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく


ぼくがひとりになった 部屋にきみの好きな
チャーリー・パーカー 見つけたヨ
ぼくを忘れたカナ


だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう
あのこはまだ元気かい 昔の話だネ


春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ


▲△▽▼


「ぼくたちの失敗」は、日本のシンガーソングライター・森田童子のシングル。レコード盤は1976年発売。1993年にドラマ『高校教師』主題歌に起用され、CDが約90万枚[1]を売り上げる大ヒットを記録した。


森田童子は、1970年代を中心に活動していた女性シンガーソングライターである。その時代のライブハウスや小劇場などのアングラ文化のフィールドで活動していたアーティストであったため、一部には熱烈なファンを持っていたが、一般的・商業的には大ヒットを飛ばすこともなく、1983年に引退した。


もともとこの曲は、1976年にLPレコードとして発表された2ndアルバム『マザー・スカイ』に収録されていたものであり、同年にシングルカットされてEPレコードでも発売されている。


この曲が、1993年の野島伸司脚本によるテレビドラマ『高校教師』の主題歌に使用されたことで、一躍脚光を浴びることとなった。引退して10年後に、そのテーマによって物議を醸したドラマの主題歌となったことで、すでに引退していた森田本人も予想しない形でリバイバルヒットとなった。


このヒットをきっかけにベスト盤の発売が企画され、またオリジナルアルバムもすべてCD化された。1988年に初期の作品4枚は既にCD化されていたが、1993年にはすでに廃盤となっていたため、改めて全作品が再発売された。


1993年のヒットを受けて復帰の要望もあったと言われるが、森田本人にはすでにその意思はなく、取材にもほとんど応じなかったため、結局何の音沙汰もないままヒットしたことが独り歩きした状態となる。


2003年には再び「高校教師」がリメイクされ、同ドラマの主題歌に同じ曲が使われた。ただしその際は東芝EMIにレコード会社を移し、コピーコントロールCDで発売された。


収録曲
全作詞・作曲:森田童子


EPレコード盤
ぼくたちの失敗(編曲:石川鷹彦)
2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』よりシングルカット
ぼくと観光バスに乗ってみませんか(編曲:石川鷹彦)
同じく2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』よりシングルカット
ジャケットイラストは上原徹。


1993年盤
ぼくたちの失敗(編曲:石川鷹彦)
アルバム『マザー・スカイ』収録曲。TBS系ドラマ「高校教師」主題歌。
男のくせに泣いてくれた(編曲:石川鷹彦)
こちらもアルバム『マザー・スカイ』収録曲。同ドラマ挿入歌。
ジャケットイラストは風間完。


2003年盤
ぼくたちの失敗(編曲:石川鷹彦)
TBS系ドラマ「高校教師」主題歌。
蒸留反応(編曲:千代正行)
こちらはアルバム『夜想曲』収録曲。
ジャケットイラストは宇野亜喜良。


プロモーションビデオ
この曲「ぼくたちの失敗」にはライブ映像やオフショットなどで編集されたビデオクリップ(モノクロ映像)が存在している。


これは1980年に東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送された森田童子の特集番組の映像を素材として、2003年に東芝EMIが作成したものである。この番組内では「ぼくたちの失敗」は演奏されていないため、ライブシーンに使われた映像は、実は「ラスト・ワルツ」を演奏している映像である。


2003年当時は東芝EMIのホームページで公開されていたが、現在は公開されておらず、DVDなどの発売も無い。 このビデオクリップの素材の一部が、2003年にフジテレビ系「爆笑おすピー問題」で紹介されたことがある。ビデオクリップはモノクロ処理されてしまったが、「爆笑おすピー問題」ではカラーのまま放送された。この映像が流れた際、「映像提供:スポニチクリエイツ」と表示されたため、現在この映像はスポニチクリエイツが所有しているものと思われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html

[近代史4] 森田童子 ぼくたちの失敗

森田童子 ぼくたちの失敗
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1022.html
[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
1. 中川隆[-11462] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:11:54 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[2]

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html


▲△▽▼

2020年08月19日
夏休みの個人的ドラマ三昧
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1976656596

で、ダラダラと昔のドラマをみていた。
ひとつは、「やまとなでしこ」の総集編が最近やってた録画。これは押尾学が事件を起こして逮捕されてから再放送がピタッと止まった。
貧乏出身のスッチーが合コンで金持ちと結婚するのを目指すが、誤解から研究者崩れの魚屋と出会う話。

押尾登場部をカットする目的もあって総集編で復活。
昔ほどの感動がないのは、ぶつ切りのせいもあるだろう。

「ビーチボーイズ」、海の民宿に、エリート会社員と元オリンピック代表になりかけた男が迷い込んで働く。大人の夏休み、という話。

で、いまiPadで寝ころびながらみてるのが(画質音質クオリティのこだわりはどうした、流される俺)、「高校教師」、これは自分の青春ど真ん中のヒット作だが、みてなかった。

リメイク版の10年ちかく後のは好きでみてたけれど、オリジナルが好きな大学生が、いかによくなくなったか熱く語っていた。生物学の研究者崩れと、女子高生の恋愛話。

脚本の野島伸司は、自分の文学青年的な資質にはストライクすぎて、悪口しか言いたくない。
作中の同性愛の女子高生が、主人公の少女に不吉な予言をする。
「いつかあなたも、男に幻滅するよ」みたいな。
これはある意味で、野島伸司的な主人公の男性がたどった道のようにも思える。

自己愛的で内向的で、幼児的な母親的理想像を女性に求め、狂気にまで至る。心象は都市に魅せられながらも根本は農村や村落共同体へ帰る願望がある。

こうした男性は、都市化の完成や女性の台頭によって、ただのコミュ障なオタクやひきこもりに転落した。

野島作品も、スランプに次ぐスランプで、やたら刺したり放火したり殴ったりの不自然さしか残らない。

この作品では、家庭環境の複雑さゆえだが、冒頭から一目惚れの女子高生が、一貫して主人公の男の絶対的な味方であり続ける。なんとも都合よく心地よい設定。
しかし旬のよさというべきか、素直な人物たちの心の動きに感情移入できて、とても応援してしまう。

森田童子の、どこまでも暗闇を、ただ暗闇のままに歩いていくような不思議な音楽が、よく似合っている。
変な教訓や、ポジティブへの変容などは要らないのだ。
一般社会的な価値観からは、ただ破滅に向かうだけの姿が潔く、どこか癒される。

考えてみたら、自分の20代は、鬱屈やら不遇感があって、こうしたドラマと自身を重ねてみていたのだ。だからとても個人的な感想だけども、これだけ長く生き残ってまたみることができているのは、普遍的でもあるのだなと。
たいへんな名作たちだと思う。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1976656596


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高校教师 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%95%99%E5%B8%88+%E7%AC%AC+%E9%9B%86



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c1
[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
2. 中川隆[-11461] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:19:28 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[3]
森田童子 / 小室等の音楽夜話





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c2
[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
3. 中川隆[-11460] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:28:45 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[4]
追悼:森田童子に思うこと。2018/6/20
https://muuseo.com/muuseo_staff/diaries/61


こんにちは、あゆとみです。

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グッドバイ (Good Bye) Front Jacket [森田童子のLP盤] | みんなのアナログレコードコレクション by Muuseo


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わたしが森田童子を知ったのは、多くの人がそうであるようにドラマ「高校教師」だった。



春のこもれ日の中で
君のやさしさに
うもれていたぼくは
弱虫だったんだヨネ

https://www.youtube.com/watch?v=iER-NZ7GoM8&t=78s





物悲しい声、装飾のないシンプルな音色。

ぼくたちの失敗は、屋根裏部屋から不意にみつけたオルゴールの音色みたいに、ノスタルジックで、同時に妙に新しさもあって、はっとさせられた。

1970年代の曲だったと後で知ることになるのだが、とてもその当時で20年も前の曲とは思えない新しさを感じたのを覚えている。



森田童子の声は可憐な高音で、折れそうに華奢に響く。歌詞はいつもとびきり悲しくて孤独、それでいて不思議な包容力を感じさせる。

どん底まで悲しみを経験した人が到達できる悟りを含んだ優しさというのか。

人が人であるがゆえの弱さ、醜さを受け入れ、それを糾弾せずにそのまま抱きしめてくれるような母性。

清濁飲み込んで浄化するような光。

まるで聖母のごとく・・・

と、ここまで書いて思い出したが、そういえば彼女の唯一のライブアルバムは「東京カテドラル大聖堂録音盤」だそうだ。

まるで聖母のような慈愛を感じさせる彼女の歌を聖マリア大聖堂で聴く体験はさぞや格別なものだったのではないだろうか。

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東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 (Front Jacket) [森田童子のLP盤] | みんなのアナログレコードコレクション by Muuseo


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多くの人が言っていることだが、森田童子ほどミステリアスな歌手は珍しい。

素顔を隠してデビューする歌手は少なからずいるが、大抵は数年後に「実はこんな顔をしていました」とカミングアウトしたり、時が経つと気分が変わって別人のような出で立ちになるものだ。それに人は一度スポットライトを浴びると戻りたくなるというのはよく聞く話だろう。

彼女は違った。

当時熱狂的なファンが数多く存在したにもかかわらず、メジャーデビューを拒んだこと。

常にサングラスにカーリーヘアのまま、素顔を隠し通したこと。(チラ見せ一切なし)

引退して10年経った後に、ぼくたちの失敗の大ヒットで再脚光を浴びても、一切メディアに登場しなかったこと。(大抵は再ブレイクのタイミングでベールを脱いで登場するケースが多い)

ここから感じるのは、彼女のブレない強烈な自我と意思の強さだ。

最後の最後まで素顔を隠し通したことで浮かび上がってくるのは、素顔を隠したのは、ミステリアスを演出するためのパフォーマンスとかイメージ戦略などではなく、ただ本当に世間から顔を隠していたかった、プライバシーを守りたかったからなのだとわかるのだ。

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グッドバイ (Good Bye) Back Jacket [森田童子のLP盤] | みんなのアナログレコードコレクション by Muuseo


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彼女が世に残した数少ないヒントからどうやってあの独自の世界観が生まれたのかについて考えてみた。

すると、学園闘争、「きみ」として登場する友達、持病との戦い。

この3つが思い浮かぶ。



森田童子が高校を辞めたきっかけは学生運動をしていた友人が警察に「パクられた」からで、歌い始めたきっかけは友人の死だったらしい。

「ぼく」は彼女自身だ。

なぜ「ぼく」になったのかというと、

「女系家族に育ち、女の嫌な部分、ドロドロした部分を見過ぎてしまって、女を感じさせる女性は苦手になってしまった」

(1983年ラジオインタビューより)

のだという。



学園闘争は当時の若者を揺り動かした一大ムーブメントだ。

彼女の「球根栽培の唄」や「みんな夢でありました」は学園闘争を色濃く反映した歌だとされている。

https://www.youtube.com/watch?v=uiXDF4jcZXM




次は「きみ」として登場する人物だ。

これが誰だったかを考えてみると、彼女が高校をやめるきっかけになったとされている警察に逮捕された友人、そして歌を始めるきっかけになったとされている亡くなった友人が同時に候補として思い浮かぶ。それが一人なのか二人なのかはわからない。(同一人物なのかなあ?とは思っている。)

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さよならぼくのともだち(森田童子) [昭和歌謡ジャケ&レーベル(昭和50年)] | みんなのアナログレコードコレクション by Muuseo


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持病との戦いについてだが、彼女は高校を中退して3年間、北海道で療養生活を送っている。のちのラジオで胸を患っていたと話していたらしい。

人は病気になると健康がいかに幸福なことかを思い知らされる。

ただでさえ普通の人よりずっと鋭い感性を持った彼女のような人が、長い療養生活でありとあらゆることを突き詰めて考えていたのは想像に難くない。

ああ、苦しい。

いっそ死んだほうが楽になるんじゃないかな。

死んだらどうなるだろう。

・・・なんて考えが浮かぶのもわかる気がするのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=HjwiEFmwyis





当時のことをラジオで彼女はこう語った。

「わたしは何もできない。動けなかった。わたしの歌は、周囲を見ていた自分の意識の投影なんです。人も風景もどんどん変わって行く。だけど自分だけが同じところにいるような気がして。何もしていなかった時間をどうやって経験してきたか。こうなって欲しかった。多分こうだったんじゃないかという想いがわたしの1つのエネルギーになっているんです。」
さぞや苦しく、もどかしく、やるせない時期だっただろう。

ただ、この時期に動けなかったからこその森田童子なのだとは思う。

彼女はよく「儚い」と形容されるが、今にもこの世から消えてしまいそうなほどの彼女の雰囲気や、歌詞からにじむ孤独と世の中に対する諦観は、この闘病生活から生まれたもののような気がしてならない。



当時の森田童子が映る貴重な映像を見つけた。

1980年の自主フィルムで、彼女が「夜行」という屋外のライブと仲間達と実現する過程を描いたドキュメンタリーだ。

東京のど真ん中の空き地にテントを立ててライブをする。

これは、革命的な挑戦だったに違いない。

動画の中で、バックコーラスの入ってくるタイミングを指示する彼女は、普段のアンニュイなイメージとは別人のように、仕事人としての「生」のエネルギーを放っており、新鮮だった。

https://www.youtube.com/watch?v=tyS0CkPMPxo&t=415s







また、東京が大都会への発展を遂げる過程で失われていくもの、例えば、子供の頃に遊び場だった空き地や路地がどんどん国に管理されて奪われていくことについて彼女がカメラの前で語るシーンには驚かされた。

儚げな声はそのままなのだが、つっかえることなくとつとつと語る彼女は極めて雄弁だ。すごく頭のいい人なのだと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=bTyra-hhNlc&t=2s






彼女の世界観が現れている思ったのは次の言葉だ。

「あと何年か後には東京にテントを立てるということはほとんど不可能になるでしょう。私たちのコンサートが不可能になっていく様を見て欲しいと思います。そして私たちの歌が消えていく様を見て欲しいと思います。(中略)1つの終わりの時代に向けて、私たちの切ない夢を見て欲しいと思います。」
移ろっていくもの。なくなるもの。消えるもの。変わっていくもの。終わるもの。

そうしたものに目をそらすのではなく、なくなるまで見続ける。

線香花火が燃え尽きて黒い塊になるまでをじいっと見つめるように。



https://muuseo.com/analogrecordfan/items/460




マザー・スカイ =きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか= (Front Jacket) [森田童子のLP盤] | みんなのアナログレコードコレクション by Muuseo


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マザー・スカイに収録されている曲「男のくせに泣いてくれた」も大好きな曲だ。

ドラマ「高校教師」でも主題歌に次いで重要なシーンで流れていた。







森田童子さん、かずかずの素晴らしい歌をどうもありがとうございました。

R.I.P.

https://muuseo.com/muuseo_staff/diaries/61

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c3
[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
4. 中川隆[-11459] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:48:31 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[5]
森田 童子(もりた どうじ、1953年1月15日[1] - 2018年4月24日[2])は、日本の女性シンガーソングライター。本名は非公開[2]。芸名は笛吹童子に由来[3]。


東京都出身[2]
(札幌のコンサート会場で配布されたチラシ「森田童子ラフスケッチ」によると、1952年に青森で生まれたとなっている[4])。

全共闘などの学園闘争が吹き荒れる時代に友人が逮捕されたことをきっかけに、1970年に高校を中退[3][5]。

気ままな生活を送っていたが、20歳のとき友人の死をきっかけに歌い始める[2][5](この亡くなった友人をモチーフにした曲が、デビュー曲となる「さよなら ぼくの ともだち」である)。

ライブハウスデビューは1973年の西荻窪ロフトであった[6]。

1975年10月、シングルレコード『さよなら ぼくの ともだち』で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)よりデビュー。

以後主にライブハウスを中心に活動する。1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年のアルバム『狼少年 wolf boy』と新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する[5][3]。

レコーディングの編曲は、アコースティックギター奏者の石川鷹彦(元六文銭)などが担当した。その後、イラストレーターとしても活躍したマネージャーだった前田亜土と結婚[7]。

カーリーヘアにサングラス、男性的な服装というスタイルが特徴で、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった[5]。

森田童子は芸名であり、本名は非公開。加えて実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に生活感を滲ませることを避けていた[5]。

活動停止以後
1988年、初期アルバム4作『グッド・バイ』から『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』までが初CD化された。

1989年9月、日本の学生運動と青春と恋をテーマにした、ミニシアター系映画『グッドバイ[1]』に楽曲が使用され、映画での使用曲を集めたサウンドトラックCDも発売された。

1993年・ドラマ『高校教師』以後
一部ではカリスマ的な人気を博しつつも、森田のファンは全国的に見れば少数で[5] 、森田本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり[5]、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなかった。

1993年1月、テレビドラマ『高校教師』の主題歌として1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われ、シングルCDは100万枚に迫る大ヒットとなった[8]。このドラマの脚本を書いた野島伸司は、高校時代に同級生に誘われてライブハウスで歌う森田を知り、強い印象を受けたという[9]。プロデューサーの伊藤一尋とともに森田の楽曲の採用を決定した[10]。

これにともない、同年3月にベスト盤『ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション』が発売された。続けて同年4月には、オリジナル・アルバム7枚がCDで再発売(初CD化3枚)され、活動当時を知らない若い世代を含めて、新たに多くのファンを獲得した。

しかし本人はこのリバイバルブームに対し、マスコミの取材には応じず沈黙を守った[8]。

同年11月には、映画版『高校教師』で「たとえばぼくが死んだら」(アルバム『ラスト・ワルツ』収録)が主題歌として使われ、シングルカットされて発売された。

2003年・ドラマ『高校教師』以後
2003年1月、10年ぶりにドラマ『高校教師』の新作が放送され、再び『ぼくたちの失敗』が主題歌として使用された。

これにともない発売された2003年版のベスト盤『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』に、「海が死んでもいいョって鳴いている」(アルバム『ラスト・ワルツ』収録)の歌詞を一部変更して、新規に歌唱・録音された「ひとり遊び」が収録され、それが最後の作品となった。

「ひとり遊び」は森田の自宅で、自らのピアノ、ギター、ハーモニカの演奏で20年ぶりに録音された[11]。

2010年5月に記事が掲載された朝日新聞の取材によれば、近しい人物の死去による精神的ショックと、自身の持病により活動が困難な状況であるとしている[5]。夫の前田亜土は2010年に没している[12]。

2015年9月に公開された映画『GONIN サーガ』で、『ラスト・ワルツ』が挿入歌として使用された。

『高校教師』のリバイバルヒットで再発されたCDアルバムもその後廃盤になり、長らく入手困難な状況が続いていたが、2016年7月20日に23年ぶりにCDが再発売された。オリジナルアルバム7作、ベストアルバム2作(うち『友への手紙 森田童子自選集』は初CD化)の計9タイトルが発売。小澤賢太郎(音楽出版ジュンアンドケイ)の企画・監修で、レーベルはユニバーサルミュージック/USMジャパン。オリジナルマスターテープからデジタルリマスタリングされたSHM-CD仕様となっている[13]。

また現在までに、様々なアーティストによって楽曲がカバーされている。リバイバルヒットで代表曲となった「ぼくたちの失敗」は、YMCK、cheeなどによるカバーがあり、mondialitoによるフランス語カバー曲(曲名は「notre echec」)も存在する。「たとえばぼくが死んだら」はeastern youth、山中さわお、中村中によってカバーされている。変わったところではJOJO広重(非常階段)の「スラップ・ハッピー・ハンフリー」によるノイズ系カバーなどもあり、幅広いジャンルのミュージシャンにカバーされている。

2018年4月24日未明、心不全のため自宅で死去[14][15]。65歳没。同年6月1日発行の日本音楽著作権協会(JASRAC)会報に訃報が掲載されたことで死去が明らかになった[2]。音楽活動休止後は主婦として暮らしていたが[16]、音楽関係者の話として体調を崩して2017年から入退院を繰り返し、退院後間もなくして逝去したという[15]。


音楽作品

シングル
発売日 タイトル c/w 形態 規格品番 オリコン
最高位

ポリドール・レコード
1st 1975年10月21日 さよならぼくのともだち まぶしい夏 EP DR-1989
2nd 1976年11月21日 ぼくたちの失敗 ぼくと観光バスに乗ってみませんか EP DR-6060
3rd 1978年3月1日 セルロイドの少女 蒼き夜は EP DR-6184

ワーナー・パイオニア
4th 1981年1月25日 ラスト・ワルツ 菜の花あかり EP L-382A

ワーナーミュージック・ジャパン
(活動停止以降)
5th 1993年1月25日 ぼくたちの失敗 男のくせに泣いてくれた 8cmCD WPDL-4335 5位
6th 1993年10月10日 たとえばぼくが死んだら ラスト・ワルツ 8cmCD WPDL-4363 27位

東芝EMI
(活動停止以降)
7th 2003年2月5日 ぼくたちの失敗 蒸留反応 CCCD TOCT-4444 24位


アルバム

オリジナル・アルバム
発売日 タイトル 形態 規格品番 オリコン
最高位

ポリドール・レコード
1st 1975年11月21日 GOOD BYEグッドバイ LP MR-5071 44位
CT CR-2071
2nd 1976年11月21日 マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか= LP MR-3030 44位
CT CR-2066
3rd 1977年12月10日 A BOY ボーイ LP MR-3085 52位
CT CRF-5038

ワーナー・パイオニア
4th 1980年11月20日 ラスト・ワルツ LP L-12014A 64位
CT LKF-7016
5th 1982年11月20日 夜想曲 LP L-12530
CT LKF-8039
6th 1983年11月30日 狼少年 wolf boy LP L-12547
CT LKF-8083


ライブ・アルバム
発売日 タイトル 形態 規格品番 オリコン
最高位

ポリドール・レコード
1st 1978年11月1日 東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 LP MR-3145 78位
CT CRF-5071

ベスト・アルバム
発売日 タイトル 形態 規格品番 オリコン
最高位 備考

ポリドール・レコード
1st 1978年 森田童子全曲集 CT CRQ-4036 カセットテープのみのベストとして発売。未CD化。
2nd 1981年9〜10月頃 友への手紙 森田童子自選集 CT LKG-7002 カセットテープのみのベストとして発売。

ワーナー・パイオニア
- 1980年 森田童子の世界 LP LS-110 ポリドール時代の4アルバムの再発に合わせて制作されたプロモーション用非売品LP盤。
『A BOY ボーイ』を除く3アルバムから12曲が収録されている。

ワーナーミュージック・ジャパン
(活動停止以降)
3rd 1993年3月10日 ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション CD WPCL-735 1位
4th 1993年11月10日 たとえばぼくが死んだら 森田童子ベスト・コレクションII CD WPCL-774

東芝EMI
(活動停止以降)
5th 2003年3月5日 ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション CCCD TOCT-24979


サウンドトラック
発売日 タイトル 形態 規格品番 オリコン
最高位

ワーナー・パイオニア
(活動停止以降)
1st 1989年9月10日 映画『グッドバイ』オリジナルサウンドトラック CD 20L2-95
CT

ワーナーミュージック・ジャパン
(活動停止以降)
2nd 1993年10月10日 TBS系全国ネット金曜ドラマ『高校教師 〜禁断の愛と知らずに〜』オリジナル・サウンドトラック CD WPCL-757


タイアップ曲

楽曲 タイアップ 収録作品 時期
さよならぼくのともだち 松竹映画『オレンジロード急行』挿入歌 シングル「さよならぼくのともだち」 1978年
ぼくたちの失敗 TBS系TV『高校教師 〜禁断の愛とは知らずに〜』主題歌 シングル「ぼくたちの失敗」 1993年
TBS系金曜ドラマ『高校教師』主題歌 2003年
東宝映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』挿入歌 2018年
男のくせに泣いてくれた TBS系TV『高校教師 〜禁断の愛とは知らずに〜』挿入歌 アルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』 1993年
たとえばぼくが死んだら 東宝映画『高校教師』主題歌 シングル「たとえばぼくが死んだら」
ラスト・ワルツ 東宝映画『高校教師』挿入歌 アルバム『ラスト・ワルツ』
映画『GONIN サーガ』挿入歌 2015年


未発売曲
ライヴで披露していたが、レコード作品未収録となっている。

曲名 備考
バイバイともだちよ
少年の日
今日は六月一日です
水中花(真夏の夜の夢) 「サナトリウム」(『夜想曲』収録)として歌詞を一部変えて発表。
堕落の春 「自堕落の春」というタイトルで、試聴用サンプル盤LP『昭和57年7月新譜邦楽総合試聴盤』(品番:LS-121/ワーナー・パイオニア発売アーティストの楽曲を全12曲収録)に弾き語り調で収録。
同音源は1982年11月発売のアルバム『夜想曲』には収録されず未発売となり、後に「憂鬱デス」(『狼少年 wolf boy』収録)としてアレンジと歌詞を一部変えて発表。


放送メディアへの出演

テレビ番組
青春の日本列島〜森田童子 ラストワルツ〜 (1980年、東京12チャンネル)

ラジオ番組
若いこだま(1975年、NHKラジオ第1放送)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c4

[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
5. 中川隆[-11458] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:50:16 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[6]
森田童子さん死去 2018-06-12

森田童子さんが4.24に死去。JASRACの会報に掲載された。

ライナーノートを書かせてもらったことがある。私の演劇「少年極光都市」の音楽もつくってくれた。チラシに推薦文も書いてくれた。

最初、雑誌「音楽全書」にレコード評を書いた。それで交流が生まれた。マネージャーの前田さんと親しくなつたのだ。前田さんは月蝕歌劇団も見にきてくれた。イラストレーダーとして活躍した前田亜土さんだ。先に亡くなった。森田童子さんの夫だった。

森田童子さんは、私の「聖ミカエラ学園漂流記」の出版パーティに来てくれた。
「高校教師」でブレイクした。このドラマはもちろん見ていた。第一回は、私の住んでる町がたくさん出てきた。懐かしい。

全集CDが出て私のライナーノートは再録された。

彼女の歌は素晴らしかった。どこにもない才能だ。センチメンタルなとこがよかった。ともすれば、おセンチとばかにされるところで彼女は闘った。
4.24に知り合いから、亡くなったと聞いたが、にわかには、信じられなかった。本当だった。

お世話になりました。悲しい。哀悼。

https://ameblo.jp/obaqda/entry-12383080386.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c5

[近代史4] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
1. 中川隆[-11457] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:53:08 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[7]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html


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2020年08月19日
夏休みの個人的ドラマ三昧
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1976656596

で、ダラダラと昔のドラマをみていた。
ひとつは、「やまとなでしこ」の総集編が最近やってた録画。これは押尾学が事件を起こして逮捕されてから再放送がピタッと止まった。
貧乏出身のスッチーが合コンで金持ちと結婚するのを目指すが、誤解から研究者崩れの魚屋と出会う話。

押尾登場部をカットする目的もあって総集編で復活。
昔ほどの感動がないのは、ぶつ切りのせいもあるだろう。

「ビーチボーイズ」、海の民宿に、エリート会社員と元オリンピック代表になりかけた男が迷い込んで働く。大人の夏休み、という話。

で、いまiPadで寝ころびながらみてるのが(画質音質クオリティのこだわりはどうした、流される俺)、「高校教師」、これは自分の青春ど真ん中のヒット作だが、みてなかった。

リメイク版の10年ちかく後のは好きでみてたけれど、オリジナルが好きな大学生が、いかによくなくなったか熱く語っていた。生物学の研究者崩れと、女子高生の恋愛話。

脚本の野島伸司は、自分の文学青年的な資質にはストライクすぎて、悪口しか言いたくない。
作中の同性愛の女子高生が、主人公の少女に不吉な予言をする。
「いつかあなたも、男に幻滅するよ」みたいな。
これはある意味で、野島伸司的な主人公の男性がたどった道のようにも思える。

自己愛的で内向的で、幼児的な母親的理想像を女性に求め、狂気にまで至る。心象は都市に魅せられながらも根本は農村や村落共同体へ帰る願望がある。

こうした男性は、都市化の完成や女性の台頭によって、ただのコミュ障なオタクやひきこもりに転落した。

野島作品も、スランプに次ぐスランプで、やたら刺したり放火したり殴ったりの不自然さしか残らない。

この作品では、家庭環境の複雑さゆえだが、冒頭から一目惚れの女子高生が、一貫して主人公の男の絶対的な味方であり続ける。なんとも都合よく心地よい設定。
しかし旬のよさというべきか、素直な人物たちの心の動きに感情移入できて、とても応援してしまう。

森田童子の、どこまでも暗闇を、ただ暗闇のままに歩いていくような不思議な音楽が、よく似合っている。
変な教訓や、ポジティブへの変容などは要らないのだ。
一般社会的な価値観からは、ただ破滅に向かうだけの姿が潔く、どこか癒される。

考えてみたら、自分の20代は、鬱屈やら不遇感があって、こうしたドラマと自身を重ねてみていたのだ。だからとても個人的な感想だけども、これだけ長く生き残ってまたみることができているのは、普遍的でもあるのだなと。
たいへんな名作たちだと思う。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1976656596


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高校教师 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%95%99%E5%B8%88+%E7%AC%AC+%E9%9B%86

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1022.html#c1
[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
6. 中川隆[-11456] koaQ7Jey 2020年9月08日 04:08:45 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[8]
1976年の荒涼と森田童子

 1976年、ぼくには食事を共にしてくれるガールフレンドもなく、考えて
いることの出口は見つからず、軽い神経衰弱にしてやられながら、ラスコーリ
ニコフのようにうろちょろしていた。春先の風邪を放置したせいで肺炎になり、
この年の後の半分はベッドの上で過ごさざるを得なかった。森田童子の歌をベ
ッドの上で聞いたりしては、ますます荒涼とした場所に落ちていく自分自身を
どうすることもできなかった。

 2・3日前、どこでなのか判らないが、確かに森田童子の歌を聴いた。
 TVでも、この1週間のうちに聴いたような気がする。信じられないけど。
uploading nifty 93.??.??

「高校教師」のテーマソングを何処かで耳にしていた私が、1976年に貴方は何をしていたか、というネット上の質問に回答している。
「高校教師」をロクに知らなかったのは、せっせと 夜学に通っていた からだ。

詩と決別したランボーは砂漠の商人になり、歌と決別した彼女は家庭に落ち着いた。83年にステージから退いたのだから高校生くらいの子供がいたって不思議ではない。
時には子供にハラハラし、時には "Lady Madonna" を口ずさみ、時にはPCに向かって「森田童子」を検索して、びっくりするほどの量が表示されて苦笑したりする。増えてきた白髪は気にせず、週2回は近くのアスレチッククラブに通い、環境保護運動に熱心に関わっている……
という風に、無名市民として穏やかな日々を送っているのだろうか。恙なしや?

この投稿を、森田童子という不世出の個性の為に、ここに掲載した。

記 01-06-15

【追記 10-07-16】

朝日新聞の記事が彼女に触れていた(5月22日)。山坂いくつもあるのが人生だと、ここでも実感させられる。
記事の中の「病」に拘ってみると、彼女は学齢からして在学中に1年の遅れが生じ、更に高校中退後3年ほど北海道で療養生活を送っている。
『さよなら ぼくの ともだち』は友人の死を契機にここで生まれたのだが、してみると、この時期からの長患いの後遺症のようにも思える。最終部分を引用したい。
『ぼくたちの失敗』が、テレビドラマ「高校教師」の主題歌になってヒットしても、再び歌おうとはしなかった。彼女の消息を知る人を介して、その真意を問う対話がしたいと打診してもらった。だが、とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で、「手紙すら書けないほど憔悴している」という返答があった。危ういバランスでつなぎとめられている世界が、まだそこにはあった。
しかしこの署名記事には、「森田童子」を偽名だとするのが論外だとしても(もちろん戸籍名ではないが、「偽名」とは文章のプロとして気は確かか?)、詰めの甘い箇所が少なくない。例えば「ひとり遊び」のレコーディングとCD制作(2003年)を知らなかったのだろうか。それとも判り易いプロットに当て嵌めるため意図的に無視したのか。後者であれば気持ちは半分だけ判る、といっておこう。

詞の中に飼い馴らしたかの「ぼく」や「きみ」の無数の死も、生身の人生には耐性を育まなかった。あるいは、成熟という名の感受性の劣化をこそ彼女は拒否し続けているのか。


【追記 18-07-02】

古い友人と久しぶりにメールのやりとりをしていたら、彼女の訃報がネットに流れた。私のGメール・アカウントは moritadoji.inochi で、不可思議な符合に驚いたと触れていた。まだ若いのに、と続いていたが、私としては「そうだったのか」と深く寂かに納得するものがあった。

彼女については謎が多い。公表された情報が少ないのだから当然かもしれないが、例えば誕生年や出生地は複数の情報が流れていて、どこからも訂正されず始末が悪い。

私が折に触れて参照したのは次行のサイトで、しかしながら長らく更新されておらず、いわばアーカイブ状態だ。
森田童子研究所:www.gogorocket.jp/doji/h/
また、このサイトで頻繁に登場する「犬のしっぽ」さんのサイトは既に消滅しているが有難い事に次行のミラー・サイトがあって、
「犬のしっぽ」ミラー・サイト:www.minus273.eu/mirrors/douji/
ここから彼女の年表を覘いてみよう。
52年1月15日、東京生まれ
68年、高校入学
なのだが、順当にいけば高校入学は67年だからどちらかが間違っている筈で、そうでなければ入学以前に1年の遅れが生じている。
70年、高校を中退。暇にまかせてふらふらと旅に出る。
とあるが、やはり同じサイトの、雑誌「ラジオマガジン」のインタヴュー記事によると事情は異なる。一部を引用すると、
彼女は高校半ばにして不幸にも胸をやみ,転地治療という形で3年間を北海道で過ごした。その時代,'60年代末期は学園闘争が激しく吹き荒れていた頃だった。
そしてこの記事に従うと、極めてデリケートかつエキセントリックな神経と感受性に言葉を失いそうになるが、自分の過去を捏造するとも、思えない。また、
失われた青春の残像を拾い集めて五線のキャンバスに描き続ける詩織人−森田童子 31歳。
と結ばれていて、83年1月の時点で31歳、つまり誕生年が52年である事を前提にしている。誕生年53年説の元祖は、実は JASRAC 会報に載った訃報(65歳と表示)ではないのかと睨んでいる。
記事の最後にも触れてある80年の黒テント公演はTVドキュメンタリとして放送された。下の静止画はその最終部のものだ。
写真:森田童子(もりたどうじ)、TVドキュメンタリ『夜行』より
私(わたくし)達のコンサートが不可能になってゆくさまを見てほしいと思います。そして、私達の歌が消えてゆくさまを見てほしいと思います。ひとつの時代の終わりに向けて、私達の最後の切ない夢を、見てほしいと思います。
無垢なリリシズムと甘味なセンチメントに包まれた魔法のような世界が、そこには確かにあった。


【追記 18-07-28】

ネット上には、どこからともなく、彼女が著名な作詞家の姪らしいという噂が流布されていた。なかにし礼、という固有名詞を挙げてあるものも最近では少なからず、先日このふたりをキーワードにして検索。その結果から次のふたつに注目してみた。

松風亭日乗:densukedenden.blogspot.com/2013/12/blog-post_18.html
「なかにし礼」のコメントが作家作詞家なかにし礼本人なのかどうか。別人がそんな事をしてどんな意味があるのか私にも謎だが、ネットは何でもありというのも確かな経験則である。とした上で、「自殺誘発ソングの旗手森田童子が平凡に幸せに生きてる」 と断定しているのは、上に紹介した10年の朝日新聞の記事内容を踏まえれば首肯できない。
「自殺誘発ソング」の旗手だったとはいえども、近親者(配偶者であるとは後で判る)との死別、自らの病いに苦しむ有様は、バチが当たったと反省しているのではないか、とでも形容されていい状態だったからだ。

永井均 tweet:twitter.com/hitoshinagai1/status/852547262966243328
永井均はヴィトゲンシュタインを読んでいた時にお世話になった。判り易い説明で核心がストンと腑に落ちたという記憶がある。はるか昔の話だ。
スレッドを辿ると愛憎相半ばする書き込みに意表を衝かれるが、「深く深く納得した。事実は小説より奇なり!」という言葉に導かれて、なかにし礼『兄弟』を読む事に。報告は後日。


【追記 18-08-01】

文学作品として鑑賞しようとは思わなかった。私小説形式の自伝として、童子との関連で目を通した。

登場人物名でいうと、兄の次女、中西美以子が童子に該当する。それ以外に年齢的にマッチする近親者はいない。
兄夫婦は小樽、東京、青森と流れ、再び上京して、すぐ次女が生まれる。
特攻崩れを自称する兄は人格破綻者に近くなり、「事業」を目論んでは失敗して借財を膨らませ、弟の禮三(なかにし礼)が作詞家として成功した後は、「家長」として弟の稼ぎを犯罪的な手法で平然と流用する。
なかにしの2度目の結婚を契機に彼らは暮らしを別にするが、これが71年。童子デビューの2年前になる。
この後も、兄の巨額の尻拭いは6年後の母の死を経て更に2年後の訣別まで続く。ざっといえば童子の活動期間とほぼ一致する時期である。

このような係累を持つ人間なら、誰でも秘匿しようとするだろう。
この事はとてもよく判るが、彼女の父親がこの黄金を生む娘をどのように利用したか、あるいは利用しようとしたかについて、『兄弟』は全く触れていない。というよりもその前に、自分の姪が童子である事は、匂わされてもいない。
また、童子がなかにしの姪であるとすれば、阿久悠と並んで稀代の作詞家たる彼の血を引いたと、つい思いたくもなるが、彼自身の作品であるという可能性はないのか。小説より奇なり、とは、実はこのような、あるいは更に別の、この作品から離れた事情を指摘しているのではないか。


【追記 18-08-07】

この歌もそうか、あの歌もそうか、というミューズの化身のような時代が、作詞家なかにし礼には確実にあった。しかしその初期から中期にかけて、恥部とでもいうべきふたつの事件の中心人物として、彼はマスメディアの集中砲火を浴びた。「芸能界相愛図」事件と風吹ジュンへの拉致監禁事件である。いうまでもなく『兄弟』では片鱗も窺う事ができない。
前者はこの文章と関わりを持たないので省略。後者について、最も詳細に説明された記事を次行に紹介しよう。
デジタル鹿砦社通信:《脱法芸能12》風吹くジュン誘拐事件
ここに登場するアド・プロモーション社長前田亜土の名前が、童子のマネージャ兼配偶者として彼女の死後、私たちの聞き及ぶところとなった。
事件とその後の収束期間を考えれば直後といえるような時期に童子はレコード・デビューしているのだが、何故ここに犯罪的なプロダクションの社長が関わってくる事になるのか。浮世離れしたシンガーソングライターの背景に広がる闇の世界、はたまた汚濁の池に咲く白蓮、とでもいうべきだろうか。いやはや何とも。


【追記 18-08-09】

匿名掲示板の「森田童子について語りませんか Part.4」スレから。
森田童子の夫、前田亜土は
森田童子を手掛ける前に
風吹ジュンの事務所社長(アドプロダクション)だった

安月給などの劣悪条件で風吹ジュンを拘束
風吹ジュンが事務所移籍を画策
移籍先の社長を暴行し風吹ジュンを
ホテルに拉致して脅したのが
例のあの風吹ジュン事件

なかにし礼と兄が前田亜土を業界に引き入れた
アドプロダクションはなかにし兄弟が重役

森田童子の事務所、海底劇場は
アドプロダクションの次に作った事務所
事務所自体も同じマンションの部屋を
そのまま使ってた

風吹ジュンからしたら森田童子は
聴きたくない歌手だったろうね(No 564)
という事のようではあるが、
吹雪(ママ)ジュンの件についてどっちが悪かった誰が悪かったとかは別の話だからどうでもいい
問題は前田亜土の妻であった森田童子が中西正一の娘だというのは事実かどうか
もし事実ならなかにし礼の書いた『兄弟』によって森田童子の背景が少しは明らかになる(No 599)
と、理性的な意見交換がされている。好むと好まざるとに関わらず、事実を特定するような「証言」の登場も、おそらくは時間の問題だろう。

http://www.ne.jp/asahi/cyberpunk/freedom/article/moritadoji.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c6

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