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[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
12. 中川隆[-12849] koaQ7Jey 2019年1月20日 12:33:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2016.08.20
ハッキングされたメールからヒラリー・クリントンがジョージ・ソロスの助言に従っていることが判明、侵略やTPPに執着か

電子メールのハッキングが続いている。今回は投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスだ。彼がターゲット国の体制を転覆させるために使っているオープン・ソサエティ基金もハッキングされたという。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスするものがある。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。

 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、マデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いているが、その背後にソロスがいたということだろう。国務長官に就任したオルブライトが主導する形で1999年3月にNATO軍は偽情報で環境作りをしながらユーゴスラビアを先制攻撃、ひとつの国を破壊した。

 2003年11月にはジョージア(グルジア)で「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、新自由主義体制になった。当然、一部のグループが不正な手段で国民の財産を奪って莫大な富を築き、その後ろ盾になっていた西側の巨大資本も利益や利権を手にした。こうした「革命」でもソロスはスポンサーとしての役割を果たしていた。

 言うまでもなく両国の庶民は貧困化、そうした状況への怒りからソロスたち西側の富豪や巨大資本にとって好ましくない方向へ動いた。そこで仕掛けられたのがキエフのクーデター。2014年2月22日、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とするグループがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除している。そのクーデターを現場で指揮していたのがヌランド国務次官補だった。クリントンは2013年2月に国務長官を辞めているが、ヌランドは彼女の同志だ。

 クリントンが長官に就任したのはバラク・オバマが大統領に就任した2009年1月のことだが、その年の6月にホンジュラスで実行されたクーデターでクリントンは黒幕的な役割を果たしたと言われている。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、マヌエル・セラヤ大統領を拉致され、コスタ・リカへ連れ去られている。

 現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言した。このクーデター政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したとも報告されている。そのクーデターの背後にクリントン長官がいたということだ。

 2011年にアメリカはサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国やイスラエルと新たな侵略戦争を始める。2月からはリビア、3月からはシリアだ。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、その時にカダフィが惨殺されている。その事実をCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンは「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいる。

 カダフィ体制が倒された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされた。その事実をイギリスのデイリー・メイル紙でさえ、伝えている。リビアを侵略した軍隊は空がNATO軍、地上はアル・カイダ系のLIFGだった。

 リビアを破壊した後、侵略軍はリビア軍の倉庫から武器/兵器を持ち出してトルコへ運んでいる。勿論、戦闘員も同じように移動した。

 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、シリアへ軍事介入する口実にしようとしたと言われている。

 そうした武器や戦闘員の輸送をアメリカ国務省は黙認した。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたヒラリー・クリントンもこの工作を知っていたはず。しかも、クリントンの部下にあたるクリストファー・スティーブンス大使は2012年9月10日、CIAの武器輸送担当者と会談、その翌日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。勿論、武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。

 その9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてスティーブンス大使が殺されている。議会が首相を指名する前日だ。その2カ月後にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。

 クリントンは戦争犯罪人と言われても仕方のないようなことをしてきたわけだが、欧米の支配層はクリントンを支持してきた。ソロスも支援者のひとり。この支配層は軍事的に世界制覇を進めるだけでなく、巨大資本が国や国際機関を支配する仕組みを作り上げようとしている。それがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、そしてTiSA(新サービス貿易協定)の3点セットだ。

 世界的に見ると、その実態を多くの人が知るようになり、抵抗が強まっている。アメリカ大統領選では共和党の候補者であるドナルド・トランプや民主党の候補者選びに参加していたバーニー・サンダースもこうした協定に反対している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、これらはファシズム化を目指すものだ。

 そうした中、クリントンは若干の手直しをするだけで協定を実現しようと目論んできたのだが、サンダース支持者の民主党幹部やクリントンに対する反発が強く、自分も反対だと言わざるをえなくなっている。

 しかし、クリントンは弁護士である。契約や法律に違反することなく約束を破る方法を考えることを商売にしている人物だ。先送りと言うことはありえるだろうが、ファシズム化という方針をアメリカの支配層が放棄するとは思えない。ソロスもクリントンに何らかの悪知恵を授けているのだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608200000/  


▲△▽▼


ヒラリーの戦争犯罪 Paul Craig Roberts 2016年10月20日

2016年10月20日の今日は、アメリカのオバマ大統領と、ヒラリー・クリントン国務長官が組織し、解き放った勢力によるムアマル・カダフィ虐殺五周年だ。 CBS“ニュース”での大喜びで笑いながらの殺人女の振る舞いを思い出して頂きたい。“来た、見た、彼は死んだ。”
https://www.youtube.com/watch?v=Fgcd1ghag5Y


ムアマル・カダフィは、世界で最も進歩的な指導者だった。カダフィは、リビアの石油の富を、リビア国民のために使っていた。彼は、宮殿ではなく、立派なテントではあるが、テントで暮らしており、アメリカ政府の中東同盟国である、サウジアラビアや、産油首長国支配者一族につきもののヨーロッパ高級車や他のあらゆる身の回り品のコレクションを持っていなかった。

リビアでは、教育、医療と、電力は無料だった。ガソリンは事実上無料で、一リットル、14セントで売られていた。子どもを産んだ女性は、現金の助成金を貰い、カップルが結婚すると現金の助成金が貰えた。リビアの国営銀行は、無利子で融資し、農民には無償で開業資金を供与した。http://www.globalresearch.ca/libya-ten-things-about-gaddafi-they-dont-want-you-to-know/5414289 連中が、人々に知って欲しくないカダフィに関する10のことがら(英文)

カダフィがアメリカ政府から自立していたことが彼の没落をもたらしたのだ。若い頃のカダフィの目標は、アラブを、欧米の略奪に抵抗できる一つの圏に組織することだった。いらだった彼は、汎アフリカ主義に向かい、アメリカのアフリカ軍に参加するのを拒否した。彼は、アフリカ人をアメリカの金融覇権から解放するはずの、金本位のアフリカ通貨を導入したがっていた。

カダフィは、中国のエネルギー企業に、リビアのエネルギー資源を開発させており。、地中海でのロシアの存在で、既に腹を立てているアメリカ政府は、今や中国の存在にまで直面することになったのだ。アメリカ政府は、カダフィは、まずい連中と付き合っているので、退陣させるべきだと結論を出した。

アメリカ政府は、傭兵を編成し、連中を、シリアでと同様“反政府派”と名付け、リビア政府にけしかけた。カダフィ軍が勝っていることが明らかになると、アメリカ政府は、うぶでだまされやすいロシアと中国の政府を騙し、国連で、NATOによって、リビア領空に飛行禁止空域を設定することを認めさせた。飛行禁止空域の建前の目的は、やってもいなかった、カダフィによる民間人攻撃を防ぐためということだった。本当の理由は、主権国家のリビア空軍が、地上の軍隊を支援するため、自分の領空を使えなくするためだった。Onceだまされやすいロシアと中国が、安全保障理事会の議決で拒否権を行使そこねると、アメリカとNATO自身が決議に違反して、カダフィの軍隊を攻撃するために欧米の空軍力を用いて、紛争を、CIAが組織した傭兵に有利にした。カダフィは捕らわれ、残虐に殺害された。かつて繁栄し、成功していた社会だったリビアが、それ以来、混乱状態にあるが、それは、オバマ政権が望んでいたものだ。

サダム・フセインについて語られ、現在、シリアとロシアについて語られているウソと同様に、カダフィとリビアについては、あらゆるウソが語られた。イギリス議会報告は、欧米の人々は、リビア破壊に対する支持を得るためのウソを各国政府から吹き込まれ、リビアは、カダフィが欧米の覇権にとっての障害と見なされていたがゆえに破壊されたと、明白に結論付けている。
http://www.globalresearch.ca/libya-war-was-based-on-lies-bogus-intelligence-nato-supported-and-armed-the-rebels-british-parliamentary-report/5547356?utm_campaign=magnet&utm_source=article_page&utm_medium=related_articles

彼女の監督下で準備されたこの戦争犯罪のかどで、ニュルンベルク裁判時の法律において、彼女が有罪であることについて、殺人女に質問した売女マスコミは皆無だ。殺人女を支配している巨大な政治力を持ったひと握りの集団と、連中の手先の売女マスコミは、この戦犯を次期アメリカ大統領にするつもりなのだ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-5564.html

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一枚の写真から分かる悪魔の手先ヒラリーの本性 自身は脳血栓で自滅 溺愛のリビア米大使も報復で死亡 アベノミクスにも陰り 
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/167.html


上の写真は、アメリカ軍の兵隊と一緒にピースサインを出す、最高の笑顔を浮かべたヒラリーという印象である。
しかし、事実を知るヒラリーの本性が分かる。


実は、写真は、カダフィが惨殺される2日前の2011年10月18日に撮影された。
彼女の周りの男たちは、アメリカ軍の兵隊はひとりもいない。マフィアのような男たちは、リビア人やアラブ人ではない。彼らは、アフガニスタン人であり、アメリカの特殊部隊に雇われている傭兵(マーシナリー)である。この男たちが首にかけている認識カードは、背後の米軍輸送機に乗れる資格証である。


当日ヒラリーは、カダフィー暗殺部隊最高司令官として着任した。まるでマッカサーのように、思いのままに、防諜作戦を遂行し、その成果如何で次期大統領の椅子が約束されていることを確信しての満願の笑顔だったのだ。


しかし、ヒラリーと一緒に映っている彼らは、カダフィを殺した後、処分された。
彼らは、故郷のアフガニスタンに凱旋(がいせん)しようとして、首都カブールの空港に着陸しようとしたとき、タリバーンの反政府ゲリラ(笑)のロケット弾で撃墜され、全員、死亡。アメリカによる実行犯たちのáÄ口封じ”である。


その“巨大なワル女”のヒラリー・クリントンが、ついに脳血栓(のうけっせん)で倒れた。
失神してゲロを吐いて倒れて(始めはウイルス性腹痛と発表。安倍晋三も近いかな?)、緊急入院後に、脳血栓が見つかった。それは、日本では総選挙の当日の12月16日(アメリカでは15日)のことだった。 これでヒラリーはおしまいだ。 彼女が、次の米大統領になる可能性は突然、消えたのだった。


その前に、ヒラリー(の脳)を死ぬほど苦しめる大事件が、リビアで起きていた。


事件はアメリカ政界を揺さぶる巨大な事件になる可能性があった。その後、10月22日の第3回のオバマと、ロムニー共和党候補者のディベートの確か、前日に、ヒラリーが、 “ I am responsible for Libya .” 「私にリビアで起きた事件について(大きな)責任がある」 記者会見で発言した。


このことで、リビア米大使館襲撃(された)事件の責任が、オバマにはない、ということになって、外交問題を巡る共和党系国民からの、オバマへの激しい非難を、オバマは回避することができた。出来た、ということにアメリカ国内の国論として決まったのである。


(転載貼り付け始め)


●「駐リビア米大使死亡か 領事館襲撃事件」
2012年9月12日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120912/mds12091219240002-n1.htm

ロイター通信などは9月12日、リビア当局者の話として、同国北東部ベンガジの米領事館が11日に群衆に襲撃された事件で、米国のクリストファー・ スティーブンズ駐リビア大使を含む計4人が死亡したと伝えた。

米国務省は襲撃で職員1人が死亡したとしているが、詳細は明らかにしていない。中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、大使は出張でベンガ ジを訪れていたという。ほかの3人も大使館職員としている。

群衆はロケット砲も使用、領事館は放火され、略奪もあったという。リビアでは、昨年8月にカダフィ政権が崩壊したが、内戦時に大量に出回った武 器の回収が進まず、貧弱な治安体制が浮き彫りとなった。(共同通信)

(転載貼り付け終わり)


一体、どういう大事件がこの時、起きていたのか。今に至るも、日本国民は、指導者層を含めて、この「9月11日、リビア米領事館襲撃、そして、米大使以下4人の死亡」という事件の真実と大きな波紋のことを誰も知らない。この私でさえ、11月に入ってからようよくその全体像を知った。


それは、ヒラリーが、その前年の2011年10月20日に、リビアの最高指導者のカダフィを、ヒラリーが送り込んだ殺し屋部隊に惨殺させたからである。 その報復、仕返し、復讐の事件が、だから、その翌年の9月11日に、リビア第二都市であるベンガジ(首都トリポリに次ぐ)で起きたからだ。


相手を殺してやる、というほどの、復讐の気持ちほど、恐ろしいものはない。自分の身はどうなってもいいから、自分の体に爆弾を巻きつけて、敵の陣地にまで、自殺攻撃(スーサイダル・ボミング)を仕掛けるほどの 深い憎しみ、憎悪、怨念こそは、 私たち人間(人類)を突き動かす本当の、時代の変化のモーメンタム(動因)である。決心して人を殺しにゆくほどの深い憎しみを双方が持つことが日常的にならなければ戦争にはならない。


ここに、殺されて、その死体を地面に引き釣り回される、リビア駐在米大使であった、アメリカの国務省キャリア外交官で、人殺し部隊の司令官であった クリストファー・スティーブンスの 画像写真を貼り付ける。 謀略国家 アメリカ の手先を今もやり続ける者たちは、人にあまりにもひどいことをしたら、自分もこういう目に遭うのだ、という戒めの為にまざまざと見つめるがいい。


↑ 駐リビア米大使クリストファー・ スティーブンス の死体。民衆にひきづり回されている。

この アメリカの人殺し部隊の司令官であった クリス・スティーブンスに哀悼の気持ちなど抱かない。リビアや中東の人々にあまりにも残虐なことばかりしてきた人間の末路だと、自業自得なのだ。


今でも、虐殺されて血だらけで横たわっているカダフィの死体の写真を、自分の家の通路の壁に飾って、時々、拝んでいる人間だ。リビア国民はカダフィ政権が、無理やり、フランス・ユーロファイターの爆撃隊とアメリカのグローバル・ホーク(無人偵察殺人機。プレデター)と 「アルカイーダ」や反政府勢力と称するイスラエルとアメリカの特殊軍が育てた人殺し専門のならず者たちによって計画的に打ち倒されたことを知っている。


1994年のソマリアのモガデシオで起きた米海兵隊のブラック・ホーク撃墜と、ソマリア民衆による米兵士の死体引き釣り回し(裸にして縄にかけて地面をひきづる)の事件とは少し違うのだ。なぜなら襲撃されて殺されて死体を引き釣り回されたのは、今回は軍人ではないアメリカのキャリア外交官で大使(アンバサダー)だったからだ。大使はその国家を対外的に代表する。


大使というのは、元々は王様(国王)のお友達のような人間で、白い手袋を脱いで相手国に投げつけたら、それは宣戦布告を意味する。日本でも大使は今は認証官(にんしょうかん)というが、昔は、天皇の勅任官(ちょくにんかん)である。


そして、このクリストファー・スティーブンス J. Christopher Stevens は、ヒラリー国務長官の信頼の厚い、直属の家来だった。スティーブンスは、自分たちのカダフィ殺しの一周年記念のパーティをベンガジの米領事館で開こうと有頂天になって準備していたのだ。


そして、ヒラリーが大統領になるだろうから、その時は、自分もホワイトハウスの別室をもらって、ネオコン派としての凶暴な世界軍事制圧計画のプランナー、戦略家になれる、と本当に信じ込んでいたようだ。


このクリストファー・スティーブンスの横にいて、「日本食い尽くし極悪人」のアーミテージとそっくりのタコ入道の男が、情報管理担当官のショーン・スミスSean Smithである。死んだあとのふたりは、米海軍の特殊部隊のアザラシ部隊 Seals の隊員だった者たちだ。自分たちが人殺し、暗殺部隊だから、自分たちも同じように殺されたのだ。


このことが、ヒラリーにとっての痛恨の事態となった。 この 死体ひきづり回しの画像がネット上に公開された9月11日から、アメリカ政界は大騒ぎになった。そして、それが今も「リビア米領事館襲撃(された)事件の責任問題」として、日本の新聞記事にもチラチラ、前後の真実の説明もなく 書かれているのである。 


以下は、このアメリカ大使殺しのことを記したものある。


(転載貼り付け始め)


ここでひとつ重要な事件が起きた。 オバマが11 月4日の大統領選挙で再選される、その2週間前の対論(ディベート)で、オバマが共和党のロムニーの追撃をかわして逃げきったとされるシーンがあった。


日本人にはほんの瞬間のことだったのでよくわからなかった。外交問題を巡る議論の最中でのことだ。アメリカ政治分析の専門家であるこの私にも、この瞬間の重要性がはっきりと理解できるのにその後1ヵ月かかった。どうやらアメリカ国民の間で、大統領選挙戦の最中のこの9月、10 月にひとつの大きな山場があったのだ。


それはアメリカの金融・経済や雇用や景気回復の話ではなかった。
問題は、リビアのベンガジ(首都トリポリに次ぐ都市)で、2012年9月11日に起きていてた駐リビア・アメリカ大使が殺された事件である。この時に殺されたアメリカ国務省の外交官は駐リビア大使だったクリス・スティーブンスである。・・・・


2012年9月11日に、リビアのベンガジで、アメリカ領事のクリス・スティーブンスが、リビアの民衆に殺され、遺体が引きずり回された。この事件は、前年2011年2月からの「アラブの春」で、カダフィ大佐が、アメリカ主導の「仕組まれた民主化運動」によって、悲惨な殺され方をしたことへの、リビア民衆の報復であった。
スティーブンスは、エリート外交官である。アメリカ領事館が民衆に襲撃されて殺されて、なんとその死体は路上で引きずり回されたのである。そのときの写真がインターネット上に流れてしまった。これでアメリカ国民の多くの顔がひきつったのである。
 何故なら、リビアで米外交官が殺されたのは、一年前の2011年10 月20 日にリビア中部の町で殺された指導者カダフィの惨殺に対する報復、復讐劇だったからだ。


多くのアメリカ国民がこのことをすぐに悟った。「ヒラリーに忠実なテロ対策特殊部隊を指揮している外交官を、リビア人のカダフィ派の残党たちが、命がけで襲撃して殺したのだ。このクリス・スティーブンスはカダフィ惨殺の現地の責任者だ」と。
アメリカ国内の新聞記事には、どこにもあからさまにこの真実は書かれていない。しかしアメリカ国民ならこのことが空気 でわかる。だから、この直後からこの事件の責任問題が議会で騒がれた。


前述したスーザン・ライス(米国連大使)が早々と、「リビアの米領事館襲撃は、突発的な民衆の暴動によるものだ」とウソの発表をしてしまった。これで更に大騒ぎとなり、議会で、スーザン・ライスとヒラリー・クリントン国務長官を非難する声が大きくなった。
だから12 月中旬の今の今でもまだ、「次の国務長官はスーザン・ライスにする」とオバマ大統領が言っている。しかしオバマがいくら言っても、議会の共和党(筆頭 ジョン・マケイン議員)が「ウソつきの就任を認めない」と強固に反対している。


だからこの事件についてヒラリーが、ついに「私に責任がある。私は国務長官を辞める」と10月21日に 発言した。これで、オバマ自身に事件の責任が及ぶことがなくなった。これで、オバマはロムニーとの大統領戦のディベイト論戦で、この苦境から逃げきったのだ。
ヒラリーにしてみれば、「アラブの春」という凶悪で「安上がり」のテロ攻撃路線( アメリカとアラブ過激派の、一体どっちがテロリストなのか分からない)で、正規の米軍を使わないで、中小国の政権転覆をやってきたことへのしっぺ返しが起きたのだ。人にひどいことをした者は必ず自分もひどい目に合うのだ。

(転載貼り付け終わり)


以上の経緯である。3年前から、オバマの次は、オバマが病気で倒れて次は、狂暴なヒラリーが大統領になる、と予測(予言)してきた。しかし、ゲロを吐いて脳震盪を起こして先に倒れたのはヒラリーの方であった。これで“ワル女“(中国人は皆、ヒラリーが嫌いである。中国に戦争を、アメリカの属国群を使って仕掛けてくるからだ)は終わった。 だから、あとはオバマが倒れて、副大統領のバイデン(CFR派)が後をやる、ということだ。


その時、凶暴なネオコン派が誰を副大統領に送り込むか、である。 それでも、 アメリカの 軍人たちと 教員たち、公務員たちすべての給料を払う原資ががないので、日本の安倍晋三に、「50兆円分の 米国債を買います。それで日本を更に円安と 株高にしてください」 この2月はじめの訪米で言わせるのだ。


それでも この秋から、スペインで再び金融危機が起きる。ユーロは暴落する(今は、1ユーロ=114円まで上がった。今のうちに、ユーロ建てのファンドなどは解約するように) 。 ヨーロッパの国家債務危機が再発して、それはアメリカの財政危機と連動する。その時に、日本国債の暴落の危機が、この秋から生まれる。


この年末12月23日に放映されたNHKの 「日本国債がやがて暴落する」(利回り1%から3・8%への金利暴騰を、米ヘッジファンドどもが仕組んでいる、とする。投資家のジム・ロジャーズを最期の場面で利用していた) の 日本国民を恐怖に陥(おとしい)れ、脅迫している番組は、あれは日本財務省が仕組んで、NHKに作らせた“やらせ番組“である。
 
このことを私たちは鋭い警戒心と共に見抜かなければならない。あの番組に出てきた 幸田真音(こうだまいん)という性悪女(しょうわるおんな)は、日本の国税庁のキャリア上がりの謀略評論家である。私たち日本国民を脅して、財務省に屈服させようとするのだ。
 
軍産複合体企業の取り巻きたちは、こんな瀕死のヒラリーを、2016年の大統領選に担ぎ出そうと躍起だ。日本でのボケ老人「石原」をヨイショする輩と似ている気がする。
●Rested-looking Hillary Clinton dodges 2016 talk and says she just wants to relax at first paid speech since leaving office


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c12

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
22. 2019年1月20日 14:04:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 20
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c22
[近代史3] 音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も 中川隆
1. 中川隆[-12848] koaQ7Jey 2019年1月20日 14:08:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

ヴァイオリン(Vn)教師の四方山話ーヴァイオリンを教えるとは


名指導者とは

 さる音楽談話例会における話題の中で、「名選手必ずしも名指導者にあらず」と言っていたが、 同じ事が音楽にも言えるのではないかと思う。

 ヴァイオリン(以下、Vn)の世界では、レオポルド・アウアー、エネスコやエルマン等は、一世を風靡した 歴史に残る超一流のソリストであったが、その弟子も一流のソリストに育てている。

   特にレオポルド・アウアーに至っては、弟子にジンバリスト、エルマン、ミルステイン、 ハイフェッツとくれば、これはもう驚きである。・・・歴史的な名ヴァイオリニストがずらりと並んでいる。日本では江藤俊哉がその範疇に入る様に思われる。

 しかしVn界全体を通して眺めて見た場合、自分自身はソリストとして前者ほど華々しく 脚光を浴びていない人物が、指導者として、超一流のソリストを育てている場合が、意外と多い様に 思われる。

 日本では鈴木鎮一や鷲見三郎がその範疇に入るのではないだろうか!

ジュリアードのガラミアンとディレイ

 アメリカではジュリアード音楽院のイワン・ガラミアンやドロシイ・ディレイであるが、共に 素晴らしい名ソリストを数多く育てている。ざっとあげてみると次のようになる。


イワン・ガラミアン
ズーカーマン。渡辺茂人。マイケル・レビン。
パールマン。チョンキョンファ。・・・Etc


ドロシー・ディレイ
パールマン。原田孝一郎。竹澤恭子。五嶋みどり。
諏訪内晶子。ギル・シャハム。アン・アキコマイヤーズ。
シュロモ・ミンツ。漆原朝子。チョーリヤン・リン。
チー・ユン。サラチャン。神尾真由子。数住岸子。
前橋汀子。加藤知子。ナイジェル・ケネディ。奥村智弘。・・Etc

(年長の生徒はドロシーがガラミアンの助手をしていたために共通の生徒がいる。)


 このようにして、Vnの指導を受けるのはジュリアードに限る、それもガラミアンや ドロシー・ディレイの指導を受けることが、ヴァイオリニストとしてのステイタスにもなっている ばかりでなく、実際に世界を席巻するソリストが、続々と送り出されている。

 ガラミアンの教育法は古い権威主義と呼ばれていた様に独自の指導法で、誰に対しても同じ方法で 徹底して指導したが、生徒は細部まで、正確に徹底した練習を求められ、テクニックの習得に重点が 置かれていたと言う。

 先生の指示する弓使い、指使いに従わない生徒には容赦をすることがなかった。

 特にガラミアンは運弓の名手と言われたカペーの弟子であっただけに運弓にはうるさく、後に ガラミアンのトレードマークになるが、大きく弓を使いいい音を出すことを徹底して訓練した。

   後にガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。

 これに対してドロシー・ディレイには固執する教授法はない。

 機械的に反復練習ばかりをさせる事はなく、この生徒のどこに問題があるのかを並み外れた洞察力で もって見い出す事に重点を置き、その生徒に必要なものは何かを的確に指摘した。

 そして生徒と徹底的に話し合い、やがては生徒自身が問題点を見つけ出せるところまで指導すると 言ったものである。

 また生徒の良い点は徹底して褒めて褒めて伸ばしていくと言う教育法をとった。従って生徒は気が付かない間に問題点を克服し、その子が知らない間に弾けなかったところが、いつの間にか弾けている と言う具合であった。

 従ってドロシイの生徒は画一的な教育法でないため、自分に合った様に、自由に成長していった。


 話はそれるが、かつて渋谷天外が藤山寛美を育てるとき、欠点はさておき褒めて、褒めて一流の 芸人に育て上げた教育法に似た感じがするが、しかしその生徒の数、レヴェルを考えるとき、 ドロシー・ディレイは実に天才的な指導者であったと言わざるを得ない。

 ただこれだけ優れた有名な指導者になると、教えを乞う生徒も莫大な数になり、そのいずれもを 平等にレッスンをすることは難しく、やはり才能のある生徒に重点を置かざるを得ないと言う悩みは あったようである。

 そのためか、単に一度か二度レッスンを受けたとか、公開レッスンに参加をしただけで、 ドロシー・ディレイに師事をしたと言う人がいるそうである。

 これはドロシーもよく知っていたが、その生徒がマネージャーとの交渉とか、後々の仕事がうまく行くのならばと言うことで、苦笑いしながらも黙認する事があったと言う。

ヴァイオリン(Vn)教師の逸話二題

 その一つは、地下鉄の駅の入り口でいつもVnを弾く、いわばホームレスがいた。足下には 「投げ銭」をもらうためにVnのケースを開けたままで置いてある。その傍をラヴエルが 通りかかり、

「こんな下手な演奏は今まで聞いたことがない、全くひどくて話にならん」

と通り過ぎた。

 次の日またラヴェルが通りかかったら、今度はVnケースの横に「ラヴェルに師事」と 書いてあったと言う。


   もう一つは、ある時ドロシー・ディレイが飛行機に乗っているとき、Vnを抱えた学生が 乗り込んでディレイの席のそばを通った。

 「まあVnを習ってらっしゃるの、すてきね〜、先生はどなた?」

と尋ねたところ、その学生は困った顔をしてディレイ先生です、と答えたという。


 これらは笑い話であるが、事実このような話はいくらでもあるようだ。

 日本でも、よくある事と考えられる。単に一度公開講座を受けただけで、誰々先生に師事と演奏会の パンフレットに書いてある。百歩譲ってそれでもよかろうと思うが、聡明な聴衆は決して騙される事は ない。聴衆は良い演奏とそうでないものはちゃんと聞き分けているものである。  演奏家はそのことを肝に銘ずるべきである。
http://chauchaw.web.fc2.com/hafuna-48-4.html

イヴァーン・ガラミアン(Ivan Galamian, 1903年1月23日 – 1981年4月14日)

1903年1月23日アルメニア人の両親の下に、ペルシア(現イラン)のタブリッツで生まれた。

1905年2歳のとき家族でモスクワに移転。彼は早くからVnに興味を抱き、両親はそれを伸ばした。

1916年13歳のときモスクワ・フィルハーモニック・スクールに入学し、アウアーの弟子であるコンスタンティン・モストラに師事した。

1917年ロシア革命後、父が実業家として成功していたため、ガラミアンは投獄された。しかし、当時ボリショイ劇場管弦楽団の団員であったことから、釈放された。

1922年パリに移住し、運弓法の権威であったパリ・コンセルヴァトワール教授ルシアン・カペーに師事した。

1924年パリでリサイタルを開いてデビューした。

このころからパリのロシア音楽院でヴァイオリンを教え始めた。

1937年ニューヨークに移住し、ヴァイオリンを教えた。

1944年にジンバリストの招きでカーチス音楽院の教授となる。

1946年ジュリアード音楽院の教授となり、1948年からドロシー・ディレイが助手となった。

ガラミアンの指導は、技術の習得を最優先した厳しいものだった。特に「弓使い」が専門で優れていた。

1970年にはディレイと仲違いをしたと言われている。

マイケル・レビン、パールマン、チョン・キョンファ、ズッカーマン等を輩出。
http://blogs.yahoo.co.jp/senninnehan/15169841.html

ガラミアンのスケールブックについて
http://www.youtube.com/watch?v=O6r0f7_JFo4

ヴァイオリン奏法と指導の原理 イヴァン ガラミアン (著)

・真面目にヴァイオリンを習得しようとした場合
・真面目にヴァイオリンを教えなければならない場合

きちんとした理論が欲しくなりますが、この本はそうしたきちんとした理論の代表格のようなものです。

値段は大変高く、訳も古く、本の体裁もとてもお堅いですが、ヴァイオリン教育業界では知らぬ者のないイヴァン・ガラミアンの著作とあれば、当てはまる人は参照して研究するべきでしょう。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%A5%8F%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%8C%87%E5%B0%8E%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86-%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3-%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%B3/dp/4276144523

アイザック・スターン曰く、

「ガラミアンは教師としてずば抜けた才能を持っていました。
ガラミアンは、まず初めは楽器を弾きこなすことが先決であり、そのために全てのテクニックの練習曲をさらうこと、
次に、テクニックを付けるための曲を弾くことが大切だと感じていました。」


ピーター・ウンジン曰く、

「人は、ガラミアン先生は石ころからでもヴァイオリニストを作ることが出来ると、いつも噂しました。

ガラミアン先生は右腕の移動の方法を知り尽くしていました。
ヴァイオリンの構造をよく理解していたのです。

生徒達は、数週間ごとに新しいコンチェルトを勉強するように言われました。
全ての指使いとボウイングを教え、それを生徒が間違いなく弾けば、その曲の学習が終わったことになります。もし、スピッカートが下手ならば、スピッカートのたくさん入った曲を練習させるのです。」


パールマン曰く、
「完璧に弾かねばなりませんでした。
さもなければ、先生の目がギラギラと睨みつけ、この世の終わりという感じでした。」


スタインハート曰く、
「私がもう学生ではなくなった時、先生は親しく口をきいて下さいました。
時々チェスをご一緒しました。ゲームの時はいつもウォッカのグラスを持ち、
『一杯目はおいしい。二杯目はもっとおいしい。三杯では足りないね。』
と言うのが口癖でした。」
http://blogs.yahoo.co.jp/senninnehan/15169841.html

天才少年ヴァイオリニスト 渡辺茂夫の喜劇(悲劇?)

渡辺茂夫(1941年6月26日 - 1999年8月15日)


Shigeo Watanabe plays the violin
http://www.youtube.com/watch?v=6uMdz9HeREI

Schubert's Ave Maria Violin and Piano - Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=qzaQJuVmJlI

Tchaikovsky Violin Concerto in D, Op.35 - Violin: Shigeo Watanabe - Japan - Miyajima
http://www.youtube.com/watch?v=UxEuFi6RpSo

Niccolò Paganini - Le streghe Op.8, MS19 - Violin - Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=9kdSBAhki40

Felix Mendelssohn - Auf Flügeln des Gesanges ( On Wings of Song ) - Violin: Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=HdLo_OUj6lo

Frédéric Chopin - Nocturne No.20 in C-sharp minor - Violin: Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=XbEp4W5Z-dE

戦後日本に彗星のごとく現れた天才少年ヴァイオリニスト渡辺茂夫。

4歳半よりアウアー流派の教授法を研究した父季彦氏より薫陶を受け、13歳で来日していたハイフェッツに才能を高く評価される。

その後ハイフェッツによる熱心な推薦で無試験でジュリアード音楽院へ入学し、ガラミアンに師事。

アメリカでもその才能は高く評価されるも、ガラミアンとの意見の不一致や戦後間もない日米間の微妙な空気などから精神不安となり1957年自殺未遂、演奏活動の続行は不可能となった。

この悲劇的かつ伝説的な神童の演奏は渡米前、渡米中の録音がいくつか残されており、その類稀な音楽性を窺い知ることができる。演奏活動を続けていれば間違いなく世界的なヴァイオリニストに成長したと思われ、残念この上ないことである。
http://www.fstrings.com/player/detail.asp?id=68

渡辺 茂夫は少年時代に戦後復興期の日本で活躍したヴァイオリニスト。いわゆる伝説的な音楽的神童のひとり。

音楽家一家に生まれ、茂夫の生母・鈴木満枝はヴァイオリニストだった。4歳より、母方の叔父の渡辺季彦が経営する音楽教室(渡辺ヴァイオリン・スタジオ)でヴァイオリンを学び始める。その翌年、両親の離婚にともない、そのまま渡辺家の養子となった。


天才少年の誕生
1948年(7歳)に芝白金小学校に入学するが、早くもこの年に、巌本真理より音楽的才能を絶賛され、12月に最初のリサイタルを、翌年以降も毎年1回の定例コンサートを行う。また、1949年にはヴァイオリンを弾く少年役として映画「異国の丘」に出演している。早くも創作面にも関心を示し、音楽理論を石桁真礼生に師事しながら作曲活動や詩作にも着手し、小学校の最終年次にヴァイオリン協奏曲、オペラ、ヴァイオリン・ソナタを作曲。その作品はクラウス・プリングスハイムによって高く評価された。


渡米
1954年(13歳)に暁星中学校に進学。同年、イギリスの名指揮者マルコム・サージェントの指揮により、東京交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を演奏。来日したダヴィッド・オイストラフを訪ねて演奏を行う。5月、渡辺季彦の奔走により、帝国ホテルにおいて、来日中のヤッシャ・ハイフェッツに面会し、演奏を披露、ハイフェッツに深い感銘を与え「百年に一人の天才」と評される。

6月にハイフェッツからの招待を得て、両親に促されて渡米が決まる。1955年3月、ジュリアード音楽院院長より、「ハイフェッツ氏の熱心な推薦により」無試験入学が許可される。各方面の支援者(アメリカ軍属、朝日新聞社、その他の個人)から経済的援助を受け、期限は2年間、演奏旅行には連れ出さないとの条件により、7月に飛行機で渡米。


輝かしい未来
(14歳)カリフォルニア州で語学研修を受けるかたわら、奨学金を得て地元の夏季音楽講習会にも参加する。早くも天才ぶりと品のよい物腰から脚光を浴び、とりわけハンガリー人ピアニストのジェルジ・シャンドールに目をかけられた。

8月末にはモーリス・アブラヴァネルの指揮でベートーヴェンの協奏曲を演奏して、サンタバーバラ市の地元紙で絶賛される。講習会の告別演奏会にも出席して、自作のヴァイオリン・ソナタを披露する。9月にニューヨークに到着し、ジュリアード音楽院でペルシャ出身のヴァイオリニストイワン・ガラミアン(アイヴァン・ガラミアン)に師事することが決定。日系人の家庭にホームステイを始めるが、後にガラミアン宅に同居する。


最後の栄光
1956年(15歳)からニューリンカーンのハイスクールに通学。この頃から日本への連絡が途絶えがちになる(一説には、日本や日本語に対する嫌悪感があらわれたと言われる)。職業音楽家を集めたプライベートの演奏会において、ハイフェッツの伴奏者として知られるエマヌエル・ベイのピアノにより、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ、ヴィエニャエフスキの≪協奏曲 第1番≫を演奏。出席者には、レナード・バーンスタイン、ピアティゴルスキー、レナード・ローズらの顔ぶれがあり、ハイフェッツのお気に入りの指揮者アルフレッド・ウォーレンスタインからは、世界一の演奏家になるとのお墨付きを得た。

新学期の9月には、ジュリアード音楽院で史上最年少の奨学生に選ばれ、さらに半額と規定されていた奨学金も全額支給される。秋にガラミアン教授宅を出て、ホームステイ先を変更。すでにガラミアンと折り合いが合わなくなっていた。

青春の終わり・悲劇の幕切れ
1957年2月、情緒不安定を訴え精神科に通院。春にふたたびホームステイ先を変更する。4月より助手としてジュリアード音楽院に残り、研究のかたわら治療を続ける。夏のヴァカンスでカリフォルニア州に行き、恩人ハイフェッツを訪ね、激賞された。9月にジュリアード音楽院に再入学するが、乏しい報酬と心もとない支援金により耐久生活を余儀なくされており、劣悪な住環境しか見つからなかった(身元引受先のジャパン・ソサエティによる配給額が適切でなかったためとされる)。

異国の地で人間嫌いと疎外感がつのるようになり、自殺願望をほのめかすようにもなると、両親は茂夫の急変を察知。ジャパン・ソサエティに緊急帰国を要請するも、同協会は茂夫の治療優先の方針を崩さなかった。ついに11月2日、茂夫は未成年が購入禁止とされているはずの睡眠薬を大量に服用する。11月5日に日本の家族に危篤を告げる電報が届いた。一命はとりとめたものの、不幸にも脳障害が残り、意識を回復する見込みはなかった。翌年1月、家族の要請により日本に送還され、その後四十年以上に渡って在宅療養を続けた。

演奏の特徴
茂夫の演奏は、ガラミアンにつく前にすでにある程度の完成の域に入っていた、と養父・季彦はいう。アウアー奏法を基本として技術的にも優れた才を示していたにもかかわらず、ガラミアンがそれに理解を示さず、独自の厳しい指導でもって自身の奏法へ転換させようとした重圧に茂夫は苦しみ続けたといえる。

茂夫の養父、渡辺季彦 (1909年 - 2012年6月10日[2]) はヴァイオリン教師であり、門下生の多くが国内の各地や海外で、ソリストや楽団員として活動している。渡辺季彦は、カール・フレッシュの理論書やレオポルト・アウアーの著作をひも解きながら、独自のメソッドを編み出しており、小野アンナと同様、早期教育の重要性を説いていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E8%8C%82%E5%A4%AB

渡辺茂夫は10代に満たない頃すでに国内では神童として名が通っていた。その評価が決定的になったのは、来日したハイフェッツに高く評価され、ジュリアード音楽院への留学を強く推薦されたことだった。

茂夫にヴァイオリンの手ほどきを施した父季彦氏はハイフェッツの師アウアーの教授法の熱心な研究者で、その最も偉大な門下生、ハイフェッツの推薦は決定を意味していた。しかしこのことが悲劇の幕開けとなるとはこの時、誰も思わなかった。

ジュリアードで茂夫が師事したガラミアンは、近代的合理奏法を推し進めた教育者である。そのため、アウアー流派を強く信奉し、既に完成したスタイルを確立していた茂夫とは奏法上の意見が折り合わなかった。

次第に茂夫はアメリカに来た意味を見失い始める。折りしも戦後間もない微妙な時期で、敗戦国からやってきたこの少年に対する周囲の目も相当に冷たいものであったともいう。こうして彼は演奏ができない体になって日本に戻った。時代と巡り合わせによる悲劇という他ない。

 彼は10代に満たない頃から既に深い音楽的洞察を行っている。これは残された録音からも明らかである。この天才を授かったわずか10歳そこそこの少年は、メニューインの来日時の演奏を日記中に評して「深みのない演奏だった」と述べている。実演がどうだったかはひとまずおいて、彼がこの感想を抱くだけの確立した音楽を自身の中に持っていたことは間違いない。

彼の音色は私の知るすべての日本のヴァイオリニストの中でもっとも個性的で、そして最も美しい。その上、天性に他ならない自然で優雅なフレージングを持っている。もし、演奏活動を続けていれば、と思わずにはいられない。
http://www.fstrings.com/player/

神童 渡辺茂夫

音楽の世界では、しばしば神童が現れます。古典的にはモーツァルトやメンデルスゾーン、現代では、ヴァイオリン奏者のヤッシャ・ハイフェッツや五嶋みどりが有名です。ところが、日本にもう1人まだ音楽活動を続けていたならば、演奏面のみならず作曲面でも歴史に留められたであろう神童がいました。

昭和20年代後半に若干10歳を少し越えて国内の演奏家として確固たる評価を受け、14歳で世界を睨んで、米国のジュリアード音楽院に留学した渡辺茂夫です。

残念ながら彼は留学中の昭和32年に自殺未遂をおこしその輝ける才能は16歳にして終焉をむかえます。両親をはじめ多くの関係者から世界の音楽家として一身に期待を受けていた茂夫でしたが、すでに音楽家としての「渡辺茂夫」は完成されていました。それでも彼が留学したのは、当時の日本では彼と共演できるレベルの音楽家が少なかったこと、それに最高を目指すにはやはり世界の舞台に立つ必要があったからです。

しかし、茂夫の音楽性を理解していた人たちは、それでもなぜまだ幼い時期に留学の必要があったのかと顧みます。今回は、神童の出現、渡米、そして自殺未遂まで、なぜ日本の偉大な才能が失われるに至ったかを考察します。

神童が生まれるまで

神童には2つのパターンがあります。生まれながらにしての天才、そして努力を重ねた結果の天才。モーツァルトを前者とすれば、茂夫は明らかに後者です。

養父の渡辺季彦はオーケストラのヴァイオリン奏者としても、また音楽教育者としても一流の人でした。自らの経験から音楽教育は幼いうちから徹底して行うべきだと、茂夫にも5歳のころからスパルタ式でヴァイオリンを教え込んでいきました。

毎日7〜8時間、幼い子供には地獄ともいえる特訓を施したのです。彼の完ぺきなまでのテクニックは父の指導のもと完成していき、そして彼の天賦の才能が加味して、後に「天上の音楽」とも呼ばれた、他にはまねの出来ない演奏を行うようになりました。7歳の小品の初リサイタルから、小学6年生の時にはすでにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の共演まで神童にふさわしい音楽活動を続けました。

神童は神童を知る

ヤッシャ・ハイフェッツ茂夫がジュリアードへ留学するきっかけとなったのは、世界的なヴァイオリニスト、ハイフェッツとの出会いでした。茂夫の才能に惚れ込んだ彼は、最年少でジュリアード音楽院のスカラシップに推薦します。

ハイフェッツ自身、15歳の時ベルリンフィルと共演して、「100年に1人の天才」と呼ばれた人物です。非常にプライドの高い彼は、茂夫をして「25年に1人の天才」と称賛しました。これはハイフェッツにとっては最大の賛辞なのです。

また一方、茂夫は作曲の方面でも非凡な才能を発揮しました。茂夫が試作するソナタやオペラを見て、彼を指導した武蔵野音大教授プリングスハイムは最大級の賛辞を惜しみませんでした。もし、彼が作曲を続けていたならば、演奏家としてだけではなく、作曲面でもクライスラー以上の成功が約束されていたでしょう。茂夫の音楽にはそれほどの美しさが宿っていたのです。

ガラミアン学校
イワン・ガラミアン教授茂夫を推薦したハイフェッツには大きな誤算がありました。

父、季彦が茂夫に伝授した奏法はかつてハイフェッツも師事したレオポルド・アウアーの流れを含むものです。一方、ハイフェッツが推薦したガラミアン(Ivan Galamian 1903-1981)は当代最高の音楽教師でしたが、茂夫の演奏法には否定的でした。

ガラミアン学校では後にパールマンやズッカーマンなど今日では巨匠と呼ばれている演奏者を輩出します。しかしながら、厳格な彼の教育法はすでに完成されたスタイルを持つ茂夫には不適切で、才能を伸ばすよりむしろ混乱を与えたようです。感受性の高い思春期の子供への教育としてよく見られる傾向ですが、褒めることよりも厳格な指示による教え方は、かえって反発を買い、本人の才能を縮める結果となります。

特に感受性の高い茂夫にとっては、ガラミアンのレッスンは、本人の人格まで否定しかねなく、彼は徐々に情緒不安定に陥っていきます。彼の変化は単に反抗的になっただけではなく、人間嫌いになり、また自分自身を否定するような日本語拒否反応を示すようになります。この結果、周りからも疎外されていき、ますます孤独に陥るようになっていきます。さらにひどいことに、本来援助されるべき茂夫の生活費が、当時身元引受先であったジャパン・ソサエティから生活に必要な半分も支給されず、生活は惨めなものでした。


神童の悲劇
茂夫は未成年者が買えない睡眠薬をどこからか買って、それを大量に飲んで、自殺を図ります。それ以前に自殺を匂わす言動がしばしば見られましたが、残念ながら誰も真摯になって彼を顧みるひとはいなかったのです。一命を取りとめましたが、彼の脳細胞は薬の影響で破壊され、音楽家としての偉大な才能も失われました。
http://www.mozartant.com/Jordan/Classic/Shigeo_watanabe.htm

渡辺茂夫(天才バイオリニスト)の晩年の40年間の介護 2012/08/27

2012年6月10日、驚異のバイオリン教師、渡辺季彦氏が103才で亡くなられた。

 昭和21年(1946年)渡辺季彦、美枝夫妻にもとに美枝の妹、鈴木満枝の妹と長男の茂夫が同居を始めた。

 茂夫の実母の満枝もバイオリニストだったため、養父の季彦は5才から茂夫にレッスンをほどこしたが、

「最初は他の生徒と比べ、ダントツの下手さで馬鹿じゃないか、と思った」

という不器用さだったが、季彦の猛特訓に耐え、

「一年ほどたって、上達してきた」。


 それが7才で交響楽団と共演のリサイタル、だから驚くしかない。

 8才での名古屋交響楽団との共演では、日記に「交響楽団が全くついてこれないので苦労した」と書くほどだった。

 渡辺茂夫はジュリアード音楽院(NY)に授業料全額免除の破格の待遇でハイフェッツの推薦で入学。

 バイオリンは人の声に最も近い音を出す楽器という。

茂夫の演奏は門外漢が聞いても、まさに天上からの情感に満ちた、もしや人の声?
ではとさえ思わせる音色、演奏。

 8歳頃か、名古屋交響楽団と共演の際、楽団メンバーだった後述の若井一朗氏は

「いざ、本番、真剣勝負となると、まるで天から神様が降り立ったようだった」

と述べている。

  渡辺茂夫の天才ぶりは米国ジュリアード音楽学院時代の在学女性(米国人)も

「シゲオは現代のモーツァルトだった」

と感歎をこめて(番組で)語っていた。


 さて、渡辺茂夫は当時としては夢のまた夢の渡米してのジュリアード音楽院入学。だが、この渡米が天才バイオリニスト渡辺茂夫を潰してしまった。

ジュリアードの帝王、イワン・ガラミアンに惚れ込まれ、ガラミアン邸(ウェストサイドのマンション)に一室に住まわされた。だが、養父の季彦に教えられて完成の域の奏法を変えられてしまい、迷路に彷徨うハメになってしまった、のが最大の不運だった。

この点について、渡辺季彦氏は

 「ガラミアンのように、全て分かっているはずの人が自分の流儀に強引に変えさせるなんて、彼は結局、本当の芸術家じゃなかったんですね」

と憤懣やるかたない、のである。

 なおジュリアードでガラミアンにバイオリン奏法を変えさせられた被害者!に桐朋学園大教授のバイオリニストの小林健次氏もいて、番組でコメントされている。

 米国留学の必要は(あの時点で)、全くなかった。
来日した(1954年)ハイフェッツとの前での演奏が結果として命を奪った。

 クラシックの留学先としてアメリカは何か不適な面がある。
ヨーロッパが当然ベストだが第二次大戦での疲弊が激しかった。

 すでに完成していた奏法を強引に変えられ、生活面でも葛藤が多かったようだ。ガラミアン亭を出て一人暮らし、を始めてからは金欠の傾向が出てきた。

それはまさに経済的な困窮だった。留学に際して渡辺家は三条件の一つに「アルバイトはしない」を挙げていた。しかしあまりの茂夫の窮状をみかねたガラミアンは「週三回のオーケストラでのバイト」を提示した。
ギャラは月収75ドルでこれは当時の水準でも安い。

 ガラミアンの紹介したオーケストラは「National Orchestra association」で全米の演奏家の登竜門だった。 同時期にジュリアードにいた小林健次もこのバイトをしていたが、この中では小林、渡辺は抜群の実力だった。

 だが、このオーケストラにJudieという茂夫より年長の可憐な白人の少女がいた。16才になっていた茂夫はジュディにぞっこんになった。 茂夫は英文日記で

 「今、ジュディに電話しようかと迷っている。彼女は忙しく、僕のことなどに構ってくれないだろう。この夏は彼女によく逢えた。そして心を乱された。ジュリアードでは同じクラスを僕は繰り返し、幸福ではなかった。言葉も十分でなく、意思の疎通の出来ず、トラブルが多かった。生活も混乱した。他人の感情に悩まされてはいけな(ジュディを除いて)」

 小林健次によれば

「確かジュディという少女はいたように記憶しています。
まだ彼女も十代でした。派手でなく可愛い人でした。オーボエだったか、バ
イオリンだったか、」

 ともあれ、この頃の多感な茂夫が他生年上の少女に恋した、のも無理からぬことだった。だがしょせん、友情としか思っていないジュディは茂夫の苦しみの原因になった。

 日記「ああ、今すぐ、ジュディに逢えたら、と思う。彼女を忘れられない。
彼女のことで頭が一杯だ。この二日間、誰とも話していない。
ジュディがいないと寂しくなる。生きる希望を失っていた僕に希望を与えてくれたのだ」

 「この夏、ジュディに逢ったとき、人生で初めての幸せを感じた。だが、今
はそうではない」

 ジュディを知って逆に週三回のバイトが楽しみになった。

米国でも「二十世紀のモーツァルト」、「比べる者もない演奏」と評されても、・・・・・16才で終わりました、では悔やんでも悔やみきれない損失と言うしかない。

 「今の僕の考えは危険なものになりつつある。誰も親身になって気づか
ってくれないのだ。
 僕は一つの結論に達した。ジュディはもう僕などに関心はない。だが僕
は変われない。ジュディに聞きたい。僕をどう思っているのか。はっきりさせ
てほしい。もう逃げるしかない。全てが終れば何も感じないだろうから」

 「ああ、僕は間違っていた。僕を助けてほしい。ジュディだけが僕を助けてくれる。僕は疲れてしまった。今の僕は何も出来ない。もう数週間したら、・・・」

 十月下旬、茂夫はジュディへの手紙をオーケストラノメンバーに託した。
だが、返事はなかった。いくら待っても返事がないことに茂夫は絶望した。

 ・・・・実は手紙を託されたメンバーが忘れてジュディに渡さなかったのだ。
これが運命を決めてしまった。

 「僕はジュディに声をかけた。だが返事はなかった。もうジュディに頼らな
いことにする。僕はもう疲れてしまった。」

 「僕を本当に思ってくれる方へ
 策や彼女に別れを言って、全てが決まった。この夏、全く希望などなか った。僕自身、すべてを忘れようとして、いろんなことをやった。ただ幸福になりたくて友人をたくさん持ちたいと思った。しかし、心の中のどこかでこの世から逃げ出すことを決めていた。(中略)
NYに戻ったとき、人生が恐ろしかった。しかし再びジュディと逢った。気持が戻った。その後、いつもジュディに惹かれていた。彼女こそ僕を幸せに出来るただ一人の存在だ。核心は、僕は全てをジュディに捧げた。が彼女は僕を見ようともしない。もう何も考えないことにしよう」

 茂夫の悲劇が起こって手紙を託されて忘れたメンバーは後悔に苛まれ
た。

 下宿先の女性には自画像「鎖でベッドに足をつながれて演奏している自らの姿」を書いて見せていた。

 1957年11月1日、茂夫は日米協会を訪れた。いあわせたオーバートン事務局長に
「僕はたいへんなご負担になっている、と思います、日本に帰ろうと思うんです」

 日ごろの茂夫の日本嫌いを知っていた事務局長は驚いた。だから
「 無理に帰国させたら自殺のおそれもある」
と精神科の医師も言っていたのだ。それが突然の翻意だ。

 「今帰国したら皆、おかしいと思うよ」

 「そうでしょうか」茂夫は首をかしげた。

 翌、二日後もまた茂夫が現れた。
「もう身許保証人になっていただかなくていいです。すぐ日本に帰らせてください」

 翌日の三日は茂夫は終日、部屋にこもっていた。

 この日の午後、2階の小林健次の部屋を米国人がノックした。

 「建次、ちょっと心配なんだ。いま廊下で茂夫は私に錠剤を見せて
『これを飲んで死んでやる』
なんて言ってるんだ。大丈夫かな。私は仕事があるので見ていてやれないが」

 小林健次は茂夫の茶目っ気と思った。本気で死ぬ人間がそんなものを人に見せるだろうか。小林は、どうすべきか、思案していた。

 その夜、12時近く、うとうとしていた小林健次は誰かが激しくノックする音で目が覚めた。

 「建次、起きろ!茂夫が大変だ!」

 「何があった?」

 「茂夫が自殺したんだ」

 小林ははねおきて4階の茂夫の部屋に走っていったがすでに茂夫は運びだされていた。

 ニューヨーク市警に報告が入ったのは午後11時45分。パトカーが到着した時は既に誰かがセント・ルークス病院に運んでいた。

 市警の報告書

 「男性、16才、黄色人種。シゲオ・ワタナベは特定できない睡眠薬を飲んで明らかに自殺を計った。個人的にセントルークス病院に運ばれた。
 ジャパンソサイアティによれば本人は重体で面会謝絶。医師はスコポラミンとメサフィリンを服用したのが原因としている。この大量摂取は危険である。失恋で精神がめいっていた、との証言もある。要望で捜査は打ち切る」

 ただちに全力を挙げての茂夫の治療が始まった。意識不明で瞳孔散大 。
自律神経失調で発汗しない。そのため体温は急上昇して40度を超えていた。全身は反り返っていた。胃の洗浄したが薬物は既に吸収されていた。
呼吸困難が始まった。痙攣が顕著。服毒から治療開始まで7時間経過。

 小林健次も病院に来たが、
「口も利けず私が誰かもわからない。言葉も話せない」


 外務省にNY総領事館からの報告

 「目下、当地でバイオリン研修中の渡辺シゲオは米国人娘に失恋し、それを苦にして、昨日3日夜m多量の睡眠薬で自殺を企て、重体になっているところを発見され、直ちにセント・ルークス病院に搬送された。あらゆる治療がなされたが、午後にいたっても危篤状態は変わらず、担当医師の話では、回復の見込みはなく、命は取りとめても脳が破壊されているため通常の生活はおろか、寝たきりになって精神機能もないであろう、ということである」

 渡辺季彦はこれを信じることはなく、終始一貫、自殺など責任逃れであって、何者かの陰謀によるものだ、と信じて疑がわなかった。

 茂夫の治療費は莫大になっていった。協会の茂夫のためのお金はすぐに枯渇した。若井一朗は米国が責任を持って面倒見るべき、と主張した。

 結局、それは無理と分かり、茂夫を帰国させる、こととしたが、この重体の半死半生の患者をどうやって遠路はるばる帰国させるか、が問題になった。

 若井は協会会長に掛け合って渡辺茂夫基金を創設することを認めさせた。茂夫が生涯に得る金額は想像を絶する大金だろう。それだけの金があれば茂夫を帰国させても療養生活を余裕を持って送れる、と踏んで若井は自ら付きそって帰国させることとした。

 日本航空は断った。ノースウェストが受諾した。コクピットの後ろの特等席にある四つのベッドの一つに茂夫を固定した。若井が付き添っていた。 鼻にはvチューブ尿を取るカテーテル、他の乗客は何事か、と怪訝な顔をしていた。

 機内で茂夫は暴れ、わめき、他の客は必死で耐えた。

 昭和33年1月16日、羽田に到着した。そして渡辺季彦などの待つ自宅に到着した。・・・・・・

 テレビ朝日の番組では

 若井氏いわく「脳の表面が壊れてしまっていて、喜怒哀楽はかろうじてあるようだったが、四肢も動かせず全く動けなくなっていた.全身は硬直し、けいれんが続いていた」

 ・・・・脳の表面が壊れていた、・・・とは開頭したのだろうか。・・・・
睡眠薬多量服用のためとされる。

 だが養父の渡辺季彦氏は生涯、その死の原因を追究し続け、
「茂夫が自殺なんかするはずないじゃないですか。NYの新聞記者によれば茂夫はギャングの陰謀に巻き込まれたんですよ.。これは、はっきりしていることなんですよ」
(89才のとき、テレビ朝日放送番組で)

 ・・・・・渡辺季彦氏は鎌倉でバイオリン教師(レッスン)の傍ら91才まで茂夫が58才で亡くなるまで40年間、必死の介護、リハビリを行い、最後は何とか支えたら歩けるていどにまで回復させた。しかし帰国後、言葉を発したことは一度もなかった。

 TV]で放送されたその時の茂夫と風呂に入れて食事もさせる季彦氏(当時89才)のそのに気丈な姿。あまりに愛情に満ちて献身的な季彦氏である。

 なおこの時、番組スタッフが茂夫氏に何度かコンタクトを計り、最初は茂夫氏も警戒心を示していたが、徐々に完全に打ち解けてくれたそうである。

テレビ朝日で放送された茂夫死去2年まえの番組のゲストとして出演されていた服部克久先生が

 「さらに経験を積んで上達し、彼が最高の名器で、そして現在の録音技術の中で演奏していたら、どれほど素晴しいものが出来ていたことか。日本はまさに宝を失った、ということなんです」

 は、まさに至言と思われます。

 それにしても半生半死の状態で帰国、動けず、言葉もなく、感情も失せた茂夫を必死の介護で支えた養父の季彦は茂夫が1999年8月15日、58才で亡くなるまで二人で41年間、肩を寄り添って鎌倉で生きたのである。
http://madonna-elegance.at.webry.info/201208/article_28.html

まあ、これだけ気が小さくて意気地無しだったら大成できる筈も無いんですけどね。

ガラミアンには何ら責任は有りません。

欧米では か弱い女性でもこの自己主張の強さですからね:


ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグ。

Nadja Salerno-Sonnenberg Plays Mendelssohn's Violin Concerto on the Tonight Show
http://www.youtube.com/watch?v=ROWnNIVgVyA


知っている人は知っている。私と同い年らしい。

1960年生まれのアメリカのヴァイオリニストで聴いて頂きますが、この人とんでもない「じゃじゃ馬」だったようです。

ヴァイオリン教師の神様のような伝説的存在、カーティス音楽院の故・イワン・ガラミアンに習ったのですが、全然、言うことをきかなかった。ガラミアンはおっかない先生で「イワン雷帝」というニックネームで呼ばれる厳しい人でした。とにかく基礎から徹底的に絞る。おかげでパールマンとかものすごく優秀な弟子が才能を伸ばしました。

ガラミアンの

Cry now. Play later.(今、泣いて、後で弾け)

という有名な言葉があります。今はとにかくテクニックを身につけろ。上手くなれるだけ、なれ。

音楽的にどうだとか、そう言うのは後で良い。と、まあ乱暴に言うと、そのような意味です。

以前、日記に書いたので、お読み下さい。

2004年01月07日(水) Cry now. Play later."―今、泣いて、後で弾け。― イワン・ガラミアン=ヴァイオリン教師

さて、今日お聴き頂くメンデルスゾーンのソリスト、ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグという人。前述のとおり、並の変わり者ではないようです。

イワン・ガラミアンの生徒は大抵、先生に逆らうことなど恐ろしくて出来ませんが、ナージャは、言っちゃうんですね。ガラミアンがナージャの弓の持ち方がなっていない、と指導すると、

「どうして?他の子にはそれでいいかもしれないけど、私は嫌だわ」

一時が万事で、とうとう、ガラミアンは匙を投げたそうです。


その後、我流で練習していたらしいのですが、14歳の時に、やはりヴァイオリン教師の神様みたいな、ジュリアード音楽院のドロシー・ディレイという先生の門下生となるのですが、ディレイ先生も最初はひっくり返ったそうです。

ブルッフという作曲家のヴァイオリン協奏曲の一部を弾いて見せたら、ディレイ先生、ナージャの完全に我流のボーイング、楽器の構え方を見て、

「あんな弾き方でどうしてこんな演奏ができるのか、全く信じられない」

唖然としたらしい。それでも弟子にしたのは、音楽的な才能の片鱗をナージャに見出したのでしょう。

しかしながら、ナージャはディレイ先生のレッスンでも大変だったそうで・・・。

ディレイ先生、基礎からやり直させようとしたら、ナージャは、私には前のやり方が合っているし、第一、ちゃんと弾けています。教えなきゃいけないことだけ教えて下さい!

と反論したそうな。相当なもんだね。普通破門だけど、ドロシー・ディレイ先生、辛抱強く説得したんです。すると、ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグはもともとバカじゃないから、先生の言うことの合理性が次第に理解出来て、教えに従うようになったと。

それで落ちつくかと思ったら、また大変でした。1981年にあるコンクールに出てナージャは優勝するのですが、その前、何がどう気に入らないのか、何と7ヶ月もの間、レッスンに楽器を持たずに現れては、ディレイ先生と話をするだけ、という「レッスン」が続いたそうな。ディレイ先生、半年は何とか我慢したが、ついにキレて、

7ヶ月目、
来週楽器を持ってこなかったら、破門にする。更にジュリアードも退学にする。
と、激怒して宣言したのです。それでやっとナージャ・ソレルノ・ソネンバーグは目が覚めて、コンクールまで1日13時間練習したそうです。で二ヶ月でコンクールに優勝したのだから、やはり才能あるんでしょうね。

芸術家に変わり者が多いのは、世間にも知られていることですが、最近の音楽家でこれほど、異端児は珍しい。演奏にも現れてます。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20090313

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
23. 2019年1月20日 14:14:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
まともな人間は音楽家になれない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c23
[近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
142. 中川隆[-12847] koaQ7Jey 2019年1月20日 14:18:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

集団無視、ごみ出し禁止…「村八分で転居」提訴へ 大分の家族「自治区側 人権侵害」
1/20 西日本新聞

 大分県中部の山間部にある集落に移住した男性(73)ら家族3人が、集団無視や生活用水の取水妨害など「村八分」扱いを受け、転居を余儀なくされたとして、自治区の2人やため池を管理する地元土地改良区に約3千万円の損害賠償を求める訴訟を21日、大分地裁に起こすことが分かった。

 訴状などによると、男性は2008年2月、集落に新居を建て大分市から転居。障害のある長男(46)を施設から呼び寄せて親子3人で暮らし始めた。16年8月、自治区費の決定方法などに疑問を抱き、自治区から退会。この後、自治区からごみ集積所への搬入を禁止され、行政広報誌の配布もなくなり、集団無視が始まったという。

 男性は洗濯などの生活用水のため、自治区の同意や土地改良区の許可を受け、農業用ため池から取水していたが、自治区は17年1月、同意取り下げ書を提出。男性は「同年7〜8月、池の水が抜かれ取水できなくなった。土地改良区も適切な管理を怠った」と主張する。男性の代理人弁護士は「家族を締め出す自治区側の意図は明白。重大な人権侵害だ」と訴えている。

 男性は現在、妻(72)と県内のアパートに住み、長男は施設に入所している。

 自治区の男性(70)は「村八分などしていない。(池の水を抜いたのは)雨が少なく農業用水として使ったため」と主張。土地改良区は「取水できなくても異議を申し立てないという誓約書を男性は提出している。法的責任はない」と反論している。

 同県では宇佐市にUターンした男性(70)に「村八分」のような扱いをしたとして、県弁護士会が17年、自治区に是正を勧告。男性は昨年11月、歴代自治区長らに330万円の損害賠償を求める訴訟を大分地裁中津支部に起こした。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c142

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
509. 中川隆[-12846] koaQ7Jey 2019年1月20日 14:18:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

集団無視、ごみ出し禁止…「村八分で転居」提訴へ 大分の家族「自治区側 人権侵害」
1/20 西日本新聞

 大分県中部の山間部にある集落に移住した男性(73)ら家族3人が、集団無視や生活用水の取水妨害など「村八分」扱いを受け、転居を余儀なくされたとして、自治区の2人やため池を管理する地元土地改良区に約3千万円の損害賠償を求める訴訟を21日、大分地裁に起こすことが分かった。

 訴状などによると、男性は2008年2月、集落に新居を建て大分市から転居。障害のある長男(46)を施設から呼び寄せて親子3人で暮らし始めた。16年8月、自治区費の決定方法などに疑問を抱き、自治区から退会。この後、自治区からごみ集積所への搬入を禁止され、行政広報誌の配布もなくなり、集団無視が始まったという。

 男性は洗濯などの生活用水のため、自治区の同意や土地改良区の許可を受け、農業用ため池から取水していたが、自治区は17年1月、同意取り下げ書を提出。男性は「同年7〜8月、池の水が抜かれ取水できなくなった。土地改良区も適切な管理を怠った」と主張する。男性の代理人弁護士は「家族を締め出す自治区側の意図は明白。重大な人権侵害だ」と訴えている。

 男性は現在、妻(72)と県内のアパートに住み、長男は施設に入所している。

 自治区の男性(70)は「村八分などしていない。(池の水を抜いたのは)雨が少なく農業用水として使ったため」と主張。土地改良区は「取水できなくても異議を申し立てないという誓約書を男性は提出している。法的責任はない」と反論している。

 同県では宇佐市にUターンした男性(70)に「村八分」のような扱いをしたとして、県弁護士会が17年、自治区に是正を勧告。男性は昨年11月、歴代自治区長らに330万円の損害賠償を求める訴訟を大分地裁中津支部に起こした。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c509

[近代史3] 音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も 中川隆
2. 中川隆[-12845] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:07:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

641: 名無しの笛の踊り [sage] 2012/04/22(日) 13:55:58.48ID:6VuIaPoj

有名な外来オケやソリストでもない限り、ホールを聴衆で一杯にするなんて不可能です。 それこそ音大の学生は、先輩のジョイントコンサートのチケットを1人30枚とか強制的に買わされて、それを、絶対ホールに足を運んでくれる人に配らないといけない、という過酷な日常があるんです。

だから、(言い方は悪いですが)、評論家でも何でも、利用できる人はできるだけ利用してホールを満席にする→あわよくばCDの売り上げにも貢献して貰えたら、どんなお世辞でも言っちゃいますよ、くらい厚顔な人で無いと、クラシックなんてマイナー音楽の世界で生き残るのは難しいんです。

まあ、音大出た女子だとお金持ちの伴侶を得て、そのスポンサー兼配偶者の懐に頼って年に1回のコンサートを開ければ良いかなってレベルの人が大半。

642 : 名無しの笛の踊り [] 2012/04/22(日) 14:19:46.90ID:wl6A03VC

ホテルのラウンジとかでピアノを弾いたりしているのを見ると憐れに思う。

643 : 名無しの笛の踊り [sage] 2012/04/22(日) 15:01:23.51ID:6VuIaPoj
>>642
音大出るまでに何千万円も掛けた結果がそれじゃ辛いっすよね
地方に住んでる音大志望の高校生だと、東京の大先生のところへ毎週末飛行機で習いに行ってホテルに1泊。女子だと母親同伴でしょ。その経費が月謝も含めて月40万円、年間480万円也。

並のサラリーマンの子供ではとても無理。日本のクラシック音楽教育界の悪しき伝統だね。
http://archive.2ch-ranking.net/classical/1320727400.html
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1342928242/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html#c2

[近代史3] 音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も 中川隆
3. 中川隆[-12844] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:15:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

鈴木と北川の二人組 その4 2015/08/22


Phile-webコミュニティでの二人組の「釣果」について、次のような追加情報が入ってきました。


Phile-webコミュニティ
GRFのある部屋 - お気に入りユーザー一覧
http://community.phileweb.com/mypage/f_user/3735/0/


(もうひとつは、「K&K」さん。)
ここは二度目の訪問でした。

オーディオ部屋の横にグランドピアノ(STEINWAY)が置いてあります。
奥さんがピアノを弾くと言っても単に「ピアノが弾ける」程度でへたくそです。

自分の家でほんもののピアノの音を聴いているのにもかかわらず、ご本人はその音の深さというものがいまだに分かっていないんです。

システムから出てくるピアノの音はおもちゃの音です。
しかも定位が悪いので鍵盤の位置が床上30pのところにあります。

サラウンド再生ですので、後方からも音楽が鳴るのには本当に参ります。
それにセンター・ウーファ(サーロジック製)が左SPの横にあり、低音域が左からのみ出る不自然さ、それもボワーン、ボワーンですよ。

今回は延々と夜6時までつきあわされましたが、最悪でした。
http://27415664.at.webry.info/201509/article_2.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html#c3

[近代史3] 音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も 中川隆
4. 中川隆[-12843] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:21:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

シャンソンのピアニストといえば、先日亡くなられた菅野沖彦さんが録音された「La Vie」という名アルバムがあります。

帝国ホテルのレストランで弾いていたピエール・ブゾンというフランスのピアニストと一緒作ったアルバムで、そのピアニストが気になった菅野さんが、ピアニストの宮沢明子さんを伴っていって、確認したというエピソードが語られています。

その時弾いていたピアノがスタインウェイといわれたのですが、
彼は、ベーゼンドルファーからその響きを出していたのです。

このアルバムもピアノはベーゼンドルファーで、陰りはあるけど、秋の日に輝く枯葉の陽の当たる部分も引き出しています。

評論家の菅野さんより、このような名アルバムを作る彼のセンスに想いをはせるべきでしょう。
東京では、本格的な秋になる11月に似合うアルバムです。

そういえば、このアルバムの裏側の写真は菅野さんが撮られたモンマルトルの道でした。
私も、それを思い出して撮ったのが、この写真でした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/


PIERRE BUZON - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PIERRE+BUZON+


「La Vie」PIERRE BUZON
レーベル: オーディオ・ラボ

ピエール・ブゾンの映画音楽集。

ハリウッドの銀幕から流れていたヒット曲の数々がピエール・ブゾンの手にかかると宝石をちりばめたような世界に変貌してしまう。
フランスのボルドー生まれの彼のエレガントな感性は日本の聴衆のそれとフィットする。(雑誌「CDジャーナル」データベースより)      

*トラックリスト:
01私の心はヴァイオリン,02ララのテーマ,03クロパン・クロパン,04バラ色の人生,
05セ・シ・ボン,06愛の讃歌,07聞かせてよ愛の言葉を,08ラ・メール,
09ムーラン・ルージュの歌,10さらば夏の日,11君の輝,12シラキュース,
13そして今は,14マリー・マリー,15マイ・ウエイ. 
     
*演奏:ピエール・ビュゾン(p).
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89VOl-2-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BE%E3%83%B3/dp/B00FO0601E


シャンソンのピアニストといえば、先日亡くなられた菅野沖彦さんが録音された「La Vie」という名アルバムがあります。

帝国ホテルのレストランで弾いていたピエール・ブゾンというフランスのピアニストと一緒作ったアルバムで、そのピアニストが気になった菅野さんが、ピアニストの宮沢明子さんを伴っていって、確認したというエピソードが語られています。

その時弾いていたピアノがスタインウェイといわれたのですが、
彼は、ベーゼンドルファーからその響きを出していたのです。

このアルバムもピアノはベーゼンドルファーで、陰りはあるけど、秋の日に輝く枯葉の陽の当たる部分も引き出しています。
評論家の菅野さんより、このような名アルバムを作る彼のセンスに想いをはせるべきでしょう。
東京では、本格的な秋になる11月に似合うアルバムです。

そういえば、このアルバムの裏側の写真は菅野さんが撮られたモンマルトルの道でした。
私も、それを思い出して撮ったのが、この写真でした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/


PIERRE BUZON - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PIERRE+BUZON+


ある音楽プロデューサーの軌跡 #46「録音プロデューサー菅野沖彦さんの思い出」 – JazzTokyo
http://jazztokyo.org/column/inaoka/post-32958/


昔は、アコースティック楽器を録音するだけですので、録音エンジニアとミキサーが音のほとんどを決めて、それをレコードのカッティングエンジニアが忠実に再現できるように努力していました。

ですから、音楽家は、アルバムの音作りに無関係でした。
この時代は、音楽家でアルバムの音の質を気に留める人は皆無でした。
それでも、アルバムの質を大切にした人はいます。そうした場合には、録音エンジニアを指名していました。

そうした人で、忘れられないのは、宮沢明子と菅野沖彦の関係です。


若き日の宮沢明子
今では、アルバム数が100を超えます

菅野沖彦 1998年に撮影録音したアルバムは
今も販売されています

今では、それぞれ、音楽界の重鎮と、オーディオ界の重鎮ですが、今から30年ほど前は、どちらも新進気鋭でした。

当時の宮沢明子は、アルバムをちょっと出してはレコード会社を変えてしまうことで有名だったのですが、
菅野沖彦のオーディオ・ラボでアルバムを作ってからは、ずっとオーディオ・ラボでアルバムを作っていました。
宮沢明子は、納得できるアルバムを作れる人を探していたのです。

菅野沖彦はジャズのアルバムが多く、クラシックは宮沢明子が中心でした。
菅野沖彦も、納得できるアーティストのものしかアルバムを作る気はなかったのでした。
オーディオ・ラボは菅野沖彦が好きでやっていた会社で、やがて閉じてしまい、
また宮沢明子はさまざまなアルバムを各社から出すようになるのですが、
菅野沖彦との親交は続いていると思います。

だって、宮沢明子のコンサートに行くと、ちゃんといい席に菅野沖彦がいて、
舞台に握手に行ったりしますから・・・。
宮沢明子の繊細で大胆な演奏は、菅野沖彦の録音により残され、今も素晴らしいアルバムとして、再発売が続けられています。


当時の宮沢明子は。音に厳しい人でした。

日本に2台しかなかったboesendorfer Imperial/ベーゼンドルファー・インペリアル
(世界最大級のグランドピアノで雄大な低音とppppまで演奏できる繊細さで有名、
ベーゼンドルファーは創立以来180年弱でピアノを4万台しか製造していません)
のオーナーであり、自宅ではステレオにjblのスタジオモニターを使用しているという、
音に妥協が無い、当時としては信じがたい、時代を超えた音楽家でした。

その感性は、菅野沖彦を選ぶことで、アルバムのもつ「芸術性」という問題を解決したのでした。

宮沢明子の当時の演奏スタイルは正確さよりも音楽性を重視するもので、
そうした点では、今の浜崎あゆみに通じるものを感じますね。

菅野沖彦は演奏ミスを修正することはしませんでした。それは、アコースティック録音の基本でもあります。
でも、今では考えられないことでもあります。


当時の宮沢明子と菅野沖彦の収録風景

現代の収録ではピアノにマイクを突っ込む録音エンジニアが多いそうです(アルバムを多く出しているピアニストが言っていました)。
ピアノの音がどのように楽器から作られるかを、今はもう、理解していないからですね。

音楽も、楽器もわからない録音エンジニアも、今はいます。
音がわからない音楽家と好対照を成しているわけですね。
https://www.calvadoshof.com/Advocate/2004No07.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html#c4

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
1. 中川隆[-12842] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:24:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

ピアニストにはゲイが多いと聞きます。なぜですか?

ホロヴィッツは、

「世の中には3種類のピアニストがいる。

ユダヤのピアニスト、ゲイのピアニスト、下手くそなピアニストだ。」

と言ったくらいです。

ゲイのどういった感性がピアノ演奏に活きるのでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答


menuettmillieさん

確かにクラシックのピアニストにはゲイが多いですよね。私の昔のピアノの先生もゲイでしたし、学校でもかなりの確率で男子生徒はゲイでした(今思えば)。別にそれが変だとか思っていなかったから不思議ですよね。

私の勝手な想像ですが、ピアニスト(学生も含める)のゲイの人たちって最近でいう「萌える」という感覚を作曲家やピアノに対して持っているような気がしています。

ショパンを練習しながらショパン自身に想いを寄せていて、私などがショパンを練習する感覚とはまた違う次元で「萌える」想いを込めて演奏しているように思います。

そしてそれに陶酔しているとやはり女などは生臭いだけで魅力など感じないのではないでしょうか。男子の方がよほど綺麗で、彼らの恍惚の表情を見たくてセックスしたいと思うようになるのかな・・・と。

彼らがチャイコフスキーやバッハについて語り合っているような時に気分的に「好きなんだよね」って感じではなくて本当に尊敬を抱いて「萌え」ているように思います。

クラシックマニアとも違った感じです。うまく表現できませんが彼らは独特の美意識を持っているように思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1434836444


ホロヴィッツは

「女と東洋人にはピアノは弾けない」

とも言ったそうです。(もちろん黒人は考えに入っていない。)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c1

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
2. 中川隆[-12841] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:29:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

アンニュイな魅力のエレーヌ・グリモー 
http://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2016-02-04


エレーヌ・グリモーというピアニストは、昔からCDをずっと聴いていて馴染みのあるピアニストではあった。

今年2月に久しぶりの新作を発表し、「ウォーター」というタイトルでDGから発売される。それに伴い、じつに5年振りの日本でのリサイタルも開いてくれるようで、楽しみ。

彼女の容貌や、その全体像から香りでるような、なんともいえないアンニュイなフンイキ......
(以下掲載する写真は、FBでの彼女の公式ページからお借りしております。)

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彼女の生い立ち、そして彼女の人となり、人生観・価値観みたいなものが、いわゆる普通の可愛い女性とは少し違うというか、一線を画した、少し表現が悪いけれど、「ちょっと変わった女性」的な摩訶不思議なところに妙に惹かれるものがある。

そういう意味も含めて、彼女の生い立ち、人となりを本で読んでみたいと、ずっと捜していた。

去年、フィルハーモニー・ド・パリでのCDショップで購入したグリモーの本。


もちろんフランス語で書かれているので読めないので、記念として買った意味合いが多かった。

でも彼女のことをもっと知りたい.....そんなことから日本での書籍がないか調べた。


野生のしらべ
エレーヌ・グリモー
北代美代子 訳
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


内容はグリモーが自分の人生を振り返るもので2003年に書き上げた自叙伝、それを北代美代子さんが和訳されてランダムハウス社から和書として発売されている。彼女の生い立ち、人生観が書かれていて、とても自分にはタイムリーな本に思えた。

これを読了して、彼女の人生を知ったとき、なぜあのような独特のフンイキがあるのかが、理解できたように思えた。偶然ではないのだ。やはり、それ相応の試練の人生を歩んできているからこそ醸し出されるオーラなのだ、ということがわかった。

だが、和訳本にありがちなのだが、1冊丸々読んでみたところ、正直大変読みづらく、わかりにくい。日本語の文章がスムーズでなくて頭に入ってこないのだ。何回も読み返さないと全体が掴めなかった。

彼女のことをもっと、もっと知ってほしい、という一念から、この本の所々の抜粋をして、自分のコメントを少々入れて、パブリックドメインにするにはギリギリいいかな、というレベルの自己判断の元、日記にしてみることにした。


目的は、全体の流れがわかりやすいように、彼女の人生がキャプチャーできるようにまとめること。
そして、この本に興味を持ってもらって一人でも多くの方に読んでもらいたいように誘うこと。

(読んでみて問題あるようでしたらコメント示唆ください。)

彼女のCDも昔から、いろいろ持っていたが、今回のこの日記を書く上でさらに買い増して、このような布陣で臨む。

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グリモーは、フランスのエクス=アン=プロヴァンスの生まれ。

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小さいころから、言うことを聞かない、「ひとりの友達もつくらず」「人と違って」いた。左右対称性に異常にこだわる、という病気でもあって、自傷行為まで見せるようになって、心配した母親がその有り余るエネルギーをピアノに向かわせたところから、彼女とピアノとの出会いが始まる。

左右対称性の異常は、体の一部に傷がついた場合は、必ずその反対側にも傷をつけたいという欲望を感じるようになるし、自分の領土も同じように左右対称に整理されている必要があった。

勉強机の上では本の両側に同じ数の鉛筆がなければならず、本はノートの周りに同じ距離をとって並べなければならなかった。片方の靴ひもが反対側ときっちり同じになるまで結んでは、ほどきを繰り返したり.....

この対称性への強迫観念は自傷行為にまで到り、両親を悲しませ、音楽学校、ピアノに向かわせようとする。

もうこの頃からふつうではない、彼女独自の「人と違った」世界が広がっていた。

「人と違う」ことを生きることは、たとえばグリモーにとって小学校に通うこと自体、耐えがたい苦痛であって、それを救ったのが彼女が音楽的才能に恵まれていたということ。

ピアノを通じて、自己実現の手段、自分のありうる場所を見つけるようになれた、ということだった。

1982年13歳でパリ国立高等音楽院に入学して、その才能を開花させるものの、必ずしも順調ではなかったようだ。

入学試験はショパンのピアノソナタ第2番&第3番の第1楽章。この頃からグリモーは、ショパンに対して自然と通じ合うものを感じていたようだ。大いなるエレガンスと究極の洗練を持つ、そしてなによりも自分の感性に溶け込んでくる、と言っている。

そうして、もう一人尊敬している音楽家、ピアニストとして彼女が挙げているのがコルトー。その創意と音楽性、そしてある意味での完璧さの欠如。〜ダンディの襟元でほどけたネクタイのように〜とつねに称賛していた。コルトー版での指使いとペダルがきわめて錯誤的とも......

15歳になったときに録音、つまりCDを出すチャンスに恵まれる。彼女自身が望み選んだ作曲家がラフマニノフ。


グリモーは、もともとラフマニノフの音楽が、そしてそのピアノ協奏曲のなかではとりわけ一番身近に感じた「第二番」が好きだったようだ。たとえば、初めのフレーズですべてが語られてしまう「第三番」とは正反対に、「第二番」には冗長さという欠点がまったくない、と言い切っている。

自分は「第二番」より圧倒的に「第三番」派なので(笑)、そういう嗜好、考え方もあるんだな、と考えさせられた。自分は、第三番のあの初めのフレーズが全体を貫く共通主題になっていて、全体の統一感・様式美を決めている......そういう部分が特に好きなので、グリモーの考え方とは全く逆なのである。


ラフマニノフの音楽は当時の音楽語法に逆行していて、さまざまな分野で「革命」そのものが時代の流れであったとき、同時代のラヴェルやバルトークが組み込まれることになる動きが誕生していた、まさに、そういうご時世に、ラフマニノフは変わることなくロシア・ロマン主義に執着し、チャイコフスキーがその名を高らしめた音楽形式に忠実だった。

彼女は、このピアノ協奏曲「第二番」について、もう巷では有名なラフマニノフが交響曲第1番で大失敗してノイローゼになって、この曲で復活するまでの経緯を事細かく説明して、その感動をこの本で我々に伝えようとしていた。彼女のこの曲に対する情熱と言うのがひしひしと伝わってくる。

彼女の最初のCDはアムステルダムで録音された。

16歳以降になってから、ブラームスに傾倒。周囲からはイメージに似合わないと随分反対されたみたいだが、彼女のブラームス愛は相当のもので、どうしてもレパートリーとして加えたいと願うようになる。


ブラームスのどのような作品を聴いても、彼女にとって「知っている」という感覚を持つらしく、なにか自分のために書かれているように感じる....自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚.....そういう信じられないような親近感を持つらしい。

この本に書いてあるグリモーの「ブラームス讃」は、もう本当にとりとめもないくらい、何ページも費やして、そして限りなく熱く語れているのだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番もすばらしい作品としてCDとして完成させている。こうしてみると彼女は、15歳にしてはじめてCD録音をしてからおよそ20作品ほどの録音を世に送ってきているのだが、自分の想いのたけの作品を着実に録音という形で世に送ってきているのだということが実感できる。(このあたりの作品の解析は、次回の日記で試みます。)

このように自分の存在感、自己表現として音楽、ピアノの道を歩むものの、「自分の音を見つけ出す」ために悩み、フランスの伝統的な音楽界が自分に課してくるステレオタイプのイメージに随分苦しめられたようで、このままここにいても、という閉塞感から、パリ音楽院を離脱して、アメリカ移住を決心する。

でもその前に、1980年代の終わりごろに、マネージャーとの出会いも含め、国外でリサイタルを開けるようになったころの話を書かないといけない。ドイツ、スイス、日本、ロンドンなどなど。グリモーは空港が持つあの独特の雰囲気が大好きのようだった。

これは私もそう。毎年、海外音楽鑑賞旅行に出かけるときの、出発するときの羽田や成田のあの雰囲気、とてつもなくワクワクして、これから始まるちょっとした冒険に心踊るような子供のような感覚....とりとめもなく大好きである。

グリモーは、この時期に人生を決定する大事な出会いをする。

マルタ・アルゲリッチ。

マルタは、その通り道ですべてを押しつぶして進む力であり、絶対的に君臨する生の躍動である。
内面のできごとを全的に感じ取る。風のような女性だ。

彼女とのパートナーでもあったギドン・クレーメルとも大きなパートナーになってもらい、彼女がパリを離れるときにマンションを貸してくれたりしている。

マルタは、まわりに集まる若い音楽家の群れを、考えられないような寛大さで養っていたという。(笑)

そういう中間の過渡期を経て、グリモーはアメリカでのコンサート・ツアーの話を持ちかけられる。
このときは彼女は英語はまだ話せなかったようだ。

このアメリカツアーのときに、もう自分は帰らない、という決心をする。

パリで扉に鍵をかけ、ジーンズを二本ばかりと洗面用具入れ、旅費の代わりに数冊の本をスーツケースに投げ込み、そうしたあと、すぐにフロリダ州の州都タラハシーの住民になっていた。

森林におおわれた平らな田園地帯にある恐ろしく退屈な町。

そこでグリモーが引っ越してきたことに町の人は気づき、自然の外でホームパーティを開いてくれた。

そのとき、「気をつけたほうがいい。あそこには男が住んでいる。ベトナムの帰還兵だ。頭がちょっとおかしい。危険なやつだと思われている。」と言われる。

そして数日後に深夜に眠れなくて譜読みとかするとますます目が冴える、そして深夜の闇の中に散歩に出かける。

その瞬間、グリモーは、初めてそれを見た。

犬の姿をしている。でも瞬間的に犬ではないとわかる。
闇の中でその動物は鋭い眼光で、グリモーを見た。彼女の全身に震えが走った。

その後方に男が立っていた。町の人に教えてもらっていた危険な男、ベトナムの帰還兵だった。

2人は立ち話をして、その男はおもむろに自己紹介をする。グリモーがクラシックの音楽家であることを告白すると、自分もクラシック音楽が大好きで、レコードをたくさん持っている。好きな時に聴きにこればいい。

グリモーは、この誘いをちょっと荒っぽいと思ったらしいが(笑)、その動物は?と聞き返す。

これは狼だ。これがグリモーの狼とのはじめての対面。

狼は、柔らかな足取りで、彼女に近づいてきて、左手の臭いを嗅ぐ。
すると狼は、自分のほうからグリモーの手のひらに頭を、そのあと、肩をこすりつけた。
その瞬間は彼女は全身に電流が走る、電光のような火花を感じる。

そうすると狼は、仰向けになって横たわると、グリモーにお腹を見せた。

男は、「こんなのははじめて見た。自分に対してもこんな姿を見せることは滅多にない。」

最初の初対面で、グリモーは狼との運命の結びつきを感じ取る。

狼の社会〜群れ〜は人間社会と奇妙に似ている。それは体育会系の民主主義で、他の個体からリーダーと認められたものは、力、速さ、狩りの腕前だけで支配するのでなく、大きな部分を心理的影響力に依存している、と言われている。

この男との出会いから、グリモーはこの狼と恋に落ちてしまった。
この狼と会いたいがために、何回も訪れて、何時間もいっしょに過ごした。
狼からの愛情の交換は強烈で豊かだった。

不意に襲い掛かってくることもある。

狼のほうから愛情表現をされ通じるものを、狼は彼女の中に見出したのだ、と思う。双方にとって運命の出会いですね。

狼といっしょに過ごすことで、お互いどんどん相通じるものを感じ合う。
それからというもののグリモーは、狼に会いたいがためにしょっちゅうその男の家を訪ねる。

愛情という点について、狼はグリモーの人生の中でもっとも重要な存在になる。

これをきっかけにグリモーは動物行動学の勉強を始める。
さまざまな講演に出席する。アメリカ国内を歩き回り、専門家が狼の生態と行動を研究している保護区を訪ねたりした。

音楽、ピアノの割く時間は当然減らすことになる。レパートリーの幅を広げず、同じ曲の追及。注意を室内楽に集中した。

グリモーは、狼の行動学、研究そして自然復帰とだけを目的とする財団と公園を創設したかった。
狼の群れを住まわせる土地を買うために、コンサート出演料のすべてを貯金した。

そこでまず目的を達するために、いったんこの男と狼と分かれ、ひとりニューヨークに出る。ひとりゼロからの出発。五番街にバッグを下ろす。

目的の資本金に手をつけないがために、厳しい食生活、貧困の生活の一途。
電話帳を片手に政府機関を訪ね、コンサート用のステージ衣装のほかは、たった一枚しかなかった着替えを洗濯をするためのコインランドリーを探したりした。

3年。ようやく落ち着いてきたのが1997年。

自ら望んだ不安定な生活を両親に知らせることもなく、極秘に暮らした。
まさにバヴァロッティとヨーヨーマくらいしかクラシックの音楽家は知られていないクラシック不毛の土地。

ピアノの練習の条件がこれほど厳しいことはなかった。
まず、自分のピアノがなかった。


練習したいときは、五十七番街のスタンウェイ社にいくか、お金を払って2,3時間ピアノを借りた。

ようやく2001年にはじめてコンサート・ピアノ、スタインウェイDの所有者となった。

でもグリモーには狼たちがいて、音楽があった。

来る日も来る日も狼の囲い用の土地を探すために懸命になった。そんなある日、不動産屋から連絡があって、ついにグリモーにとっての天国の土地を見つけてくれた。

地元当局との果てしない交渉の結果、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。

30名ほどの従業員を雇用。(現在はわかりませんが。)最初の狼数匹を収容した。
センター設立後は、1999年に750名の子供が、2002年には8500人が訪れるようになった。

グリモーの最大の楽しみにしていることのひとつは、夜、囲いの狼たちのそばで音楽の研究をすること。

そして、コンサートの出演料はすべて、この施設の運営費、狼の養育費に充てられ、それが尽きてくると、またコンサート遠征に出かける、という毎日。


なんと野性的なんだろう!彼女の野性的で摩訶不思議なオーラがいっぱいなのは、このような人生を歩んできているからなのだ。

表面的な生き方をするだけでは絶対得られない、修羅場の人生を歩んできたからこそ得られる”本物”の凄み。

この彼女の人生を書き綴った(彼女自身の独白本)、この「野生のしらべ」という本は、もっともっと詳しく内省的に彼女の心情描写を綿密に描いています。


自分は、それを何回も読んで全体のシナリオが見えるレベルで掻い摘んでいるに過ぎなくて(パブリックにできるギリギリのレベルという自己判断ですが.....)、5月の彼女のリサイタルの前に、ぜひ読んでもらいたい本と思ってこの日記にしました。この本を読み終わったとき、ほんとうに感動してしまい、ぜひこの感動を伝えたいとただそれだけを思っただけ。

またこういう人生の変遷の歴史を知りつつ、一連の彼女のCDを聴き込むと、よりエレーヌ・グリモーというピアニストの真髄がわかるような気がしました。

自分もグリモーのことは、プロフィール欄に書かれている表向きのことくらいしか見識がなかったので、この本を読んで、彼女の数奇な人生に本当に感動した次第なのです。

海外への音楽鑑賞旅行も、なにもヨーロッパだけに限ったことではなくて、アメリカもぜひ訪問したい夢があります。(ヨーロッパには、数えきれないくらい、何回も行っているのだが、アメリカには、なぜか縁がなく、生涯にかけて1回も訪れたことがないのです。)

そのときコンサートホールやオペラハウスだけでなく、番外編として、このグリモーの「ニューヨーク・ウルフ・センター」をぜひ訪問してみたい!

次回の日記では、彼女のディスコグラフィーを聴きこんでの試聴記を予定しています。ここで説明してきた彼女の作曲家の嗜好をそのまま録音として作品化してきた、その変遷の歴史、彼女の音楽観を理解しつつ聴き込む訳です。

つくづく思うのは、クラシック録音の王道のDGレーベルのピアノの録音がじつに美しいと感じることです!!!


コメント

ま〜さん
グリモーの稿、じっくりと読みたいと思います。話は変わりますが、児玉麻里さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をこのところ聴きこんでいますが、まあ素晴らしい演奏であり高品位な録音ですね。いつも聴き終わって感じるのは、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさです。壮大な交響曲の世界もいいですが、もっと身近に置いておきたい世界、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにはそんな魅力が満ちています。このディスクを紹介していただいたノンノンさんに改めて感謝!

by ま〜さん (2016-02-07 08:53)

ノンノン
ま〜さん、

まさにおっしゃる通りですね。自分も大編成ものも好きなのですが、室内楽も音楽的、そしてオーディオ的の両方において好きです。室内楽というと隙間の美学というか、演奏者の息遣いやフレージングの生々しい表現が、目の前で展開される感覚が、とてつもなく好きだったりします。生演奏だけでなく、オーディオ的にも。またお恥ずかしい限りですが、オーディオの再生環境からすると深夜の時間帯や騒音を考えると、大音量のオケよりも室内楽のほうが、より接しやすいメリットもありますね。

児玉麻里さんのSACD、気に入っていただいて光栄です。今年の11月には、児玉麻里・児玉桃姉妹によるPENTATONEからの新譜もあるようで、期待しています。もちろん日記で取り上げますよ!(笑)
by ノンノン (2016-02-07 18:58)

Judy
野生の調べは確かに読みにくくて、私も何度か読み返しました。訳が悪いというよりHeleneの思考がとても深くてしかも超スピードで動くので、平均的な人にとっては一度読みでは理解し難いのでしょう。私はカリフォルニアに住んでいる上、彼女の弾いたBeethovenのTempestによって救われたことがご縁で、もう狼センターには3回、Helene自身との晩餐会というのにも2回行く機会に恵まれました。実物はさらに優雅で美しく、どんな人の話もあの目でじーっと相手を見ながら熱心に聞くので誰もが惹かれてしまいます。もしものんのんさんが狼センター並びにHeleneとのFound Raising Dinnerに興味がお有りなら、3回目が2017年の4月から6月にはあると思いますのでお知らせすることが出来ます。

Heleneがきっかけでしたが、のんのんさんのBlogは「親切」に満ち満ちていてとても読み甲斐があります。人のためにこれだけの時間を割いて写真も満載してBlogを書いてくださってありがとう。
by Judy (2016-10-28 15:33)

ノンノン
Judyさん、コメントありがとうございました。そして、とても暖かいメッセージありがとうございました。いたく感動いたしました。(笑)この自叙伝の複雑さというのが、グリモーさんの思考回路にある、というコメントは鋭いと思いました。確かにその通りですね。なんか俗的なものとは距離感があって、すごいピュアで、生き物の本能と通じ合うような、そんな才能の持ち主ですよね、彼女は。Judyさんが人生経験において、グリモーさんと深い関わりを持っていらっしゃたことに驚き、うらやましいのと、グリモーさんに関する私の拙文を読んでいただき、光栄だと思いました。ありがとうございます。

じつは、来年の海外旅行は、どこに行くのか決まっているので、グリモーさんのウルフセンターの創立祝賀ディナー(?)、ぜひぜひ参加してみたいのですが、なかなか日程が取れそうにありません。

その反面、その翌年の2018年に、生まれてはじめてアメリカに渡航する予定で、そのときの他人と違う旅行という位置づけで、最大のイヴェントとして捉えているのが、グリモーさんのウルフセンターへの訪問なのです。

旅行前になりましたら、自分のネットワークでウルフセンターへの住所、行き方など調査しようと思っていたのですが、もしよろしければ、ご教示願えると大変光栄なのですが、いかがでしょうか?
自分でも思ってもいない展開でした。(笑)

このコメント欄で公開など不都合がありましたら考慮します。

まだまだ先だなぁと思いながらも、早く行きたい、という気持ちも交差して、複雑だったんですが、Judyさんのコメントで、一気の気持ちがそちらに加速してしまいました。(笑)

私の拙ブログも読んでいただき、ありがとうございます。もともと海外旅行の現地情報を、お世話になっている旅行会社スタッフと共有したいと思い、始めたブログでしたが、どんどんテーマの枝葉が広がっていきました。今後とも、よろしくお付き合いいただけると光栄です。ありがとうございました。
by ノンノン (2016-10-29 01:49)

Judy
http://nywolf.org/
忘れない内にこのページを載せておきます。ここに行けばWolf Conservation Centerのことはほとんどわかりますし、Heleneがピアノと同等のPassionを持ってこのNYWCCを維持しているのがわかります。晩餐会もその寄付を募るためのものでした。私は犬は飼っていても、野生の動物とそれほど通じるものを持ち合わせていないので、HeleneやBartokのように特殊な感覚を持っている人は凄いな〜と感心するのみです。去年の4月に一度目のFund raising dinnerのお知らせを受けて一晩考えて決めたのですが、行って良かったです。

14人のゲストのうち私だけが帰る宿が別方向ということでなんとHeleneとボーイフレンドのMatが送ってくれるという幸運にも恵まれました。その日のお昼はBrhams Piano Concerto #1を弾いて、夜からの晩餐は知らないゲストたちと3時間もおしゃべりして、Heleneは相当疲れていたはずです。でも、私を完全にゲスト扱いで自分は車の後ろの席に座って私にどうしても助手席に座るようにいって譲らなかったのです。お陰様で宿につくまでの20分位3人で話が弾んで、「またね〜。」という感じでお別れしました。遅かったので宿の玄関の電気がついていなかったらHeleneは心配して車から降りて私が無事に中に入れるまで見ていてくれたのですよ。今年の6月の二度目の晩餐会で会った折にMatもHeleneもこちらのことを実によく記憶していてくれたので驚きました。だって、ゴマンといるファンの中のひとりですよ。それほど誠心誠意の人たちなので、あんなに世界中を回ってコンサートして、体は大丈夫かな、長生きしてほしいな、と祈るのみです。コンサートの後のリラックスの秘訣はなんとかなり緊張を強いられるTVドラマを観ることなんだそうです。そのことでは一年目に隣の席に座ったMatと意気投合して、お互いに好きなドラマ名を交換し合ったのでした:The Americans, Hannibal Lechter, The Fall, Happy Valley,
スパイ物、残酷な殺人、人間の奥底に隠された秘密が暴かれた時、、、などというトピックばかりです。日本でも見る機会があったら是非見てみて下さい。Heleneの音楽鑑賞にまた深みを与えてくれることでしょう。

長い間生きてきて、誰かのファンとしてこういうことに参加したのは初めてだったので、偉大なアーティストと生で触れ合う価値の凄さがわかりました。

のんのんさんもきめが細かく愛情深い人であることはBlogから疑う余地もありません。どうか忙しいときには休むことも考えて長生きしてくださいね。
by Judy (2016-10-30 12:27)

ノンノン
Judyさん、ありがとうございました!

なんと素敵なグリモーさんとの想い出なんでしょう!
詳細な描写まで教えていただき、なんかその場が頭の中に浮かんできそうです。

教えていただいたHPの中に、Donationがありましたので、自分の出来る範囲で、ぜひ寄付させていただこうと思います。自分の個人情報も送れるようなので、なにかグリモーさんと繋がるような感じで嬉しいですね。

NYWCCは、偶然なのかFBのほうで、登録していたりしました。(笑)じつはそこだったというのを知って驚きです。
FBのほうからの寄付できるようになっているんですね。

ぜひ2018年の旅では、NYWCC訪問を実現して、自分のブログにその報告をしたいと思っておりますので、そのときはぜひご覧になってください。

どうもありがとうございました。
by ノンノン (2016-11-01 22:41)

Haru maro goro
ノンノン様、初めまして。

グリモーがデビューした時は、演奏より長髪の美少女だった印象ばかりが強くて、でもどこか気になるピアニストでした。それからかなりの年月が経ち、テレビ放送で髪型が変わって大人になったグリモーの演奏会を聴きました。少女期のイメージが変わってびっくりしたのを覚えています。それから、彼女の演奏を聴いています。
先日、彼女の弾くバルトークのコンチェルトのCDを聴いて、グリモーの検索をしてこちらのブログに辿り着いたのです。
ノンノン様の素晴らしい文章のおかげでグリモーの歩んできた道を知りることができて嬉しく思いました。彼女の演奏に惹きこまれた理由の一部はこの事に関係していたかもしれません。ご紹介くださりどうもありがとうございました。
私はコンサートからかなり足が遠のいています。東京文化会館のバックヤードの記事、とても興味深く拝読しました。20年位前に行ったのが最後です。


by Haru maro goro (2016-11-24 19:23)

ノンノン
Haru maro goroさん

コメントありがとうございました。
グリモーさんは、ピアノ作品はさることながら、その容貌もなんか吸い込まれるような純粋なものを感じるので、とても魅力的で人を惹きつけるなにかをもったピアニストだと思います。

ボクもこの野生の調べを読んで、ずいぶんと、そのピュアな瞳に隠されている本能みたいなものの原因がわかり感動しました。

生演奏からずいぶん離れているとのことですが、ぜひ足を運んでみてください。生演奏独特のよさは、その感動、演奏家の息遣いが直に感じられることだと思っています。

ボクもオーディオで聴く良さもわかりつつ、生演奏のよさも認めるという両刀派だったりします。(笑)
by ノンノン (2016-11-27 08:39)
http://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2016-02-04

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c2

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
3. 中川隆[-12840] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:30:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

野生のしらべ – 2004/5/11 エレーヌ グリモー (著)
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


2007年06月28日 狼女=エレーヌ・グリモー


・性別: 女性。
・姓名: エレーヌ・グリモー Helene Grimaud。
・何人?: フランス人。
・何者?: クラシックのピアニスト。
・生年月日: 1969年11月7日生。
・備考: 美人ドキドキ


対称性の強迫


・子供の頃は奇行と奇癖の目立つ問題児。集団生活に馴染めず、いじめられっ子で友達もできなかった。


・幼少時からの対称性の強迫行為。勉強机の上で本の両側に同数の鉛筆が配され、本はノートから等距離に並べられなければならない。靴紐は両足とも同じようになるまで結んでは解いてを何時間も繰り返した(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』p.59)。


・コンサート・ピアニストになってからも強迫行為は暫く続いた。演奏旅行中に投宿したホテルの家具や備品を左右対称に並べ替えないと気が済まない。コンサート後は疲れているにもかかわらず、気を利かせたメイドが凝りに凝った強迫的ディスプレイを元に戻してしまったと確信して、恐れつつ電気も点けずに、ベッドルーム、バスルーム、洗面台と巡り、全てを並べ直して回った(同上。p.59-60)。


・しかし日本を演奏旅行中のある日、ホテルに帰り疲労の極致にあって猶、イルカのプリントされたセーターをその柄が上下左右対称になるよう物差し(!)を使って折り畳んでいた時に、発作的にセーターを窓から投げ捨て、以後強迫症状は止んだ(同上。p.60)。


・楽器の演奏やスポーツ等、完璧の追及が要求される営みには生得的な強迫的性格が必要、とエレーヌ・グリモーは主張する(同上。p.65)。


就眠の儀式


・眠る前にベッドの中で、教理問答で習った祈りを一定の規則で繰り返し声に出して唱える。そうして漸く眠りに就くことができた。言い間違えたり、発音やイントネーションが気に入らないと最初から唱え直し、満足するまで何時間でも続け、時には明け方に疲れ切って眠り込む、ということもあった(同上。p.51-52)。


・後、この儀式は音楽で役立つことになる。音楽学校の試験前夜、課題のシャルパンティエがどうにも退屈で憶える気が起こらず、諦めて床に就いたが、突然祈りの習慣が甦り、無意識的にスキャンされていたシャルパンティエの譜面を全て、かつて祈りを反復したようにリズムとアクセントに満足が行くまで飽くことなく繰り返してイメージ・トレーニングし、翌日試験ではその曲を完璧に弾きこなした(同上。p.52-53)。


自傷行為或いはエンドルフィン嗜癖(?)


・自傷行為が対称強迫の対象となる。6歳の時、母の故郷コルシカの海岸でかかとに傷を負い、麻酔無しで縫合の手術を受けたのだが、その最中に思わず笑みがこぼれるほどの至福感を体験する。たぶんエンドルフィン(*)が大量に分泌されたんだと思う。しかし心配する両親を尻目にめくるめく快感に浸っている自分に対して後ろめたさを感じてしまい、苦痛と涙を装ってことがこじれる。数分後に全ては忘却されたが、これを契機に全ての障害が始まった、とグリモー自身は記している(それが隠蔽記憶でなければね)(同上。p.40-44)。

(*)エンドルフィンについては ↓

「報酬系・ドーパミン・渇望:コルトレーン、ヘロインを断つ その16」
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10017910374.html

「練習による依存の適正な代替:コルトレーン、ヘロインを断つ その28」 参照。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10025913975.html


・数年後、砂利道で偶然転んで膝に傷を負い、生を強く実感、エンドルフィン体験が甦る。自傷行為が勃発し、しまいには対称強迫と連動して右手に傷をつけると左手にも傷をつけないではいられなくなる。両手・両膝・両肘に絆創膏を貼った以前にも増して奇妙な子供とグリモーはなってしまう。(同上。p.57-59)。


[覚書: エンドルフィンは自傷行為が習慣化する理由の一つであるかもしれないが、事後的に(或いは発端として)生ずる自罰衝動はエンドルフィンでは説明できない? やはりエンドルフィンだけではタナトスを説明できない? そりゃそうか。]


・7歳の時、情操教育のため(まあ、問題児だったから)両親に音楽教室へ連れて行かれ、女性ピアノ教師が弾くシューマンを聴き、深く魅惑される。

自身の内奥から生ずる魔力、とグリモーは表現するが、それってやっぱエンドルフィンじゃないだろうか(音楽に感動するとエンドルフィンが出ます)。明らかに音楽はグリモーの性に合っていた。以後ピアノにのめり込み、自ら進んで練習する。両親はさらに偏った性格になるのではないかと心配するがもう遅い(*)。音楽という全く別種の刺激に触れて報酬系は新たに賦活され、グリモーを猛烈に駆り立てる。それかあらぬかパリ音楽院に入学した13歳の頃に自傷行為は自然に消えた(**)(強迫性プラス報酬系駆動、というのはコルトレーンの生涯を理解する上でもかなり参考になる)。


(*)この辺はグレン・グールドとちょっと似ている。手袋おやじも子供の頃はむちゃくちゃ練習大好きで、変人になることを危惧した両親から練習時間を日に4時間と制限されていた。そしてグールドもまたグリモー同様友達のできないいじめられっ子だった。しかし性格はちょっと(いやかなり)違う。グールドの場合は強迫じゃなくって分裂病質だとかアスペルガー症候群だとか言われたりしている。ミシェル・シュネデール『孤独のアリア』、宮澤淳一「グールドと精神医学」(KAWADE夢ムック文藝別冊『グレン・グールド』)参照。
(**)『野生のしらべ』p.64, p.59


・エンドルフィン仮説(ドーパミンでもいいけど)をさらに裏付けるのは、くたくたになるまで運動することを好んだ、というエピソード。延々と続く歩行や階段の駆け上り、バーベルや鉄アレイ、ランニング・マシーンを通じての肉体の酷使。この女、疲労を超越した快楽の味を占めているのが見え見えですぜ、ニセ医者の旦那(ちなみに歩行やジョギングといった反復運動はセロトニン神経を活性化する。セロトニンについては後で触れるかも)(同上。p.256-257)。


狼大好き


狼マニア。「狼女」たる由縁の症状。

アメリカ移住後、狼と運命的な出会いを経験、強く嵌り込む。

狼について大学で勉強し、果ては土地を買い込み放し飼いにして狼保護センターを設立するに至る。狼についての生物学的・博物学的な知識は『野生のしらべ』にも惜しみなく投入され、自伝的エピソードのカウンター・メロディを成す。気に入るととことん強迫的(いちず、とルビを振りたい)になるタイプみたいです。狼のために恋人も捨ててしまいました。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10038082588.html


youtube エレーヌ・グリモー 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/150.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c3

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
4. 中川隆[-12839] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:35:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

音に色が見える共感覚

色聴と呼ばれ、日本にも専門の研究者が存在する。


共感覚者であると確証される現在の海外の人物

共感覚者であることを第三者が確証できるほどの極めて具体的な自らの共感覚の例を掲げた著作・芸術作品などの活動が確認できるほか、大学などの研究機関において被験者として検証実験を受けたり、研究者の著作・学術論文中にて引用・言及されており、共感覚者であると確証するに足る人物を挙げる。


エレーヌ・グリモー (ピアニスト)

アメリカ公共放送PBSとのインタビューで本人が語っている。


Helene Grimaud interviewed by Alexis Bloom for Quick Hits
https://www.youtube.com/watch?v=N_dw9-Bt_sM


いつもCは黒、Bは青、Fは赤、リストの曲は金色がかった色調に感じる。


また、11歳の時にバッハの平均律クラヴィーア曲集Fシャープメイジャー(嬰ヘ長調)のプレリュードを弾いている時に明るい暖かな赤とオレンジの間の色調を感じた。

数字にも色を感じる。2は黄色、4は赤、5は緑。

曲によってはいつも特殊な色の世界を感じる。時によって調性に影響される。

Cマイナー(ハ短調)は黒、Dマイナー(ニ短調)は青。

ベートーヴェンのテンペストソナタは黒、合唱幻想曲は黒、緑、赤、黄色のらせんを感じる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A
http://eye-media.jp/entertainment/%e5%85%b1%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%81%ae%e4%b8%8d%e6%80%9d%e8%ad%b0/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c4

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
5. 中川隆[-12838] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:46:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

前代未聞・空前絶後の大指揮者フルトヴェングラーが三流作曲家にもなれなかった訳


芸術というものは、「切れ目」があるもの。音はつながっていても、その流れの中に明確な「切れ目」がある。だって、そもそも芸術作品というものは、創作する人間に神の言葉が降り降りたから、永遠に残る作品になったわけでしょ?

その瞬間は、人間の発想の「流れ」は、切れますよ。

逆に言うと、だら〜とつながっている「流れ」を持つ作品は、たとえ音に切れ目があっても、人間の思考の範疇にあるわけ。

以前にマルグリット・デュラスの「インディア・ソング」を考えた際に触れましたが、「最適化とまり」の作品と言えるわけ。そんな作品は、「夜明け」に到達できないnormalな量産品ですよ。


最適化の作業を超えた神の声。そんな瞬間には、時間の流れが止まってしまうもの。

だから、「切れ目」が発生することになる。音がつながっていても、「流れ」が切れるわけ。


もちろん、音楽作品において、そんな「切れ目」があれば、音が一端切れることもありますし、音楽の音色の変化となるケースもありますし、テンポが変わるパターンもある。音楽の表情の変化には色々なパターンがあるもの。

しかし、音楽を聞いていて「ああ!この箇所で、単に音が変化したのではなく、世界が変わったなぁ・・・」と思うこともあるでしょ?

表現された「世界の切れ目」は、現実的には、音楽の流れにおいても切れ目となる。だから、音楽の切れ目に注目すれば、表現された「世界の変化」あるいは、その作品に現れた創造者の声も、見えてくる。日頃から創造的な日々を送っていれば、そんな「切れ目」に対する反応が鋭くなるわけですし、ルーティーンな日々を送っていれば、明確な切れ目があっても、見過ごしてしまう。


今回取り上げるのは、音楽映画「フルトヴェングラー その生涯の秘密」と言うもの。
芸術的な映画と言うより、記録映画に近い映画です。この映画を元に、フルトヴェングラーという人を考えて見たいと思っているわけ。

フルトヴェングラーと言う人は、第2次大戦を挟んでベルリン・フィルの指揮者だった人でした。1954年にお亡くなりになっています。没後50年以上経っているのに、今でも崇拝者はいたりしますよね?

フルトヴェングラーは当代随一の大指揮者であったとともに、作曲も、しました。

第2次大戦という困難な時代に、よりにもよって、ベルリン・フィルの指揮者だったため、ナチとの関係が色々と指摘されることになる。その映画でも、そんなシーンが出てきます。ナチとの関係は、後で考えてみます。とりあえず、ここで考えてみるのは、切れ目の問題です。


実は、このDVDの解説が、結構面白い。日本の音楽関係者さんが解説をなさっておられるようですが・・・

「切れ目」への反応が・・・何と言うか・・・うーん・・・と言わざるを得ないもの。

実は、このDVDの終わりの方に、第2次大戦の終結前にフルトヴェングラーがワーグナーの「マイスタージンガー」の前奏曲を指揮するシーンがあります。フルトヴェングラーとオーケストラはコンサート会場(と言っても体育館かな?)で演奏している。そこにはナチのカギ十字の旗が掛かっている。軍需工場の慰問の意味もあるのかな?

そして映画では聴衆が映っているわけです。フルトヴェングラーとオーケストラの演奏シーンがあって、聴衆が真剣に聞いている映像が流れて、そしてまた演奏シーンがあって、そして、聴衆のシーン・・・と繰り返される。映っている聴衆は、実に、真剣な、表情。

DVDの解説では、「スゴイ演奏だ!だから、聴衆がこんなにも真剣に聞いている!」なんて書かれていますが、読んだ私はその言葉にビックリ。

映像を見れば疑問に思うはずですが、フルトヴェングラーとオーケストラによる演奏シーンと、真剣に聞く聴衆のシーンって、同時に収録したものなの?

聴衆のシーンは別撮りじゃないの?
そして、後で編集したのでは?

同時収録の聴衆もいるでしょうが、全部が全部同時収録なの?

映っている聴衆に当たっている光の具合って、実際のコンサート会場ではありえない場合がある。それに聴衆と演奏家が一緒に映っているシーンがほとんどない。聴衆の映像に、音楽が流れるだけ。それに、フルトヴェングラーのコンサートなのに、それに特に正装している服装ではないのに、まあ、映っている聴衆の周囲がスカスカで、一人しか映っていない場合もある。安い席なら、もっと聴衆を詰め込むでしょ?ただでさえ希望者が多いんだから・・・


真剣な表情で音楽に聞き入っている聴衆の姿って・・・まあ、演技のプロなら当然ですよ。そもそも当時のドイツは純然たる独裁国家。そのイベントを収録した映像に映っている人物が、まるっきりのカタギと言うわけには行かないでしょ?

それこそ今だったら、北朝鮮政府が映した映像で映っている「一般国民」が、どんな素性の「一般国民」なのか?ちょっと考えればわかるはず。それに当然のこととして、当時のカメラは巨大なもの。ゴダールの「勝手にしやがれ」のように手持ちカメラでの撮影と言うわけにはいかない。自分の目の前にそんな巨大なカメラがあったら、落ち着いて演奏を聞くどころではないでしょ?

そして、当然のこととして、相当の光を当てないと、当時の感度の低いフィルムには収められませんよ。映っている「聴衆」にも、相当の光が当たっていたはず。それに、当時の政治体制を考えれば、聴衆だって「ミスは許されない」状態。こりゃ、「真剣」にもなりますよ。命が掛かっているもん。


「一般の聴衆が、こんなに真剣な表情で!」
・・・なんて・・・素直ないい子だねぇ・・・


何も私はその「解説」を失笑しているわけではありませんヨ。シーンの切れ目に対する反応の鈍さについて考えているだけです。

演奏シーンがあって、聴衆のシーンへと続く・・・

その「切れ目」に何があり、どんな意図があったのか?

日頃から創造的なことをやっている人だったら、そんな切れ目を見逃すはずはないんですね。逆に言うとルーティーンな日々を送っている人は、そのような「切れ目」に反応することは難しいんでしょう。これはしょうがない。日本の音楽現場と言うものは創造現場とは距離があるんでしょうね。

創造的な瞬間、人間の思考が途切れる絶対的な瞬間・・・

そんな瞬間とは無縁なんでしょう。申し分のない立派な市民と言えるんでしょうが、芸術家とは言えませんね。まあ、その「解説」は切れ目への反応の鈍さの実例。逆に、切れ目への反応の鋭さの実例というと、実は、このDVDで典型的な箇所があります。

映画に登場しているドイツの音楽研究者さんがフルトヴェングラーが演奏したバッハのブランデンブルク協奏曲の第5番について考えている箇所。その演奏が持つ切れ目がすばらしい。

フルトヴェングラー指揮による、バッハのブランデンブルク協奏曲・・・そんな組み合わせの方に、21世紀に生きる我々は失笑してしまう・・・そんなものでは?

フルトヴェングラーが活動していた時代から、バッハの演奏スタイルは大きく変わってしまいましたからね。実際に、この演奏でもチェンバロではなくピアノが鳴り響く。現代的と言うか、古いというか・・・

しかし、これがまたビックリするくらいに面白い。単に、古楽器による演奏に馴れた我々の耳に、逆に新鮮に響く、と言うものではなく、音楽の「切れ目」が生きている。

音楽の切れ目から、神からの霊感そのものが、鮮やかに浮かび上がる。

「ああ!ここでバッハに、神から霊感があったんだなぁ・・・」って、誰だってわかるのでは?

私はその「切れ目」の部分で、魂が身体からスーと抜けて行く感じがしたくらい。演奏スタイルが古いとか正統的とかの議論よりも、創作者に降り降りた神の言葉を再現することの方が重要でしょ?

フルトヴェングラーの演奏を聞いていると、その切れ目から、まさに「神の言葉」が聞こえてくる。創造的な音楽は、音楽の流れの中に、たまたま切れ目があるのではなく、切れ目をつなぐために、メロディーがある、むしろそっちのスタイルに近いもの。

それこそフルトヴェングラー指揮の有名なバイロイトでのベートーヴェンの第9交響曲の演奏ですが、あの「歓喜に寄す」のメロディーが、「入ってくる」その切れ目のすばらしさ・・・

それは誰だって認めるでしょ?全体が問題ではなく、切れ目が問題と言えるのでは?

神は切れ目に宿るわけ。切れ目への鋭い反応。そしてそれを再現する技量。フルトヴェングラーが、確かに、当代随一の指揮者であったのも、よくわかりますよ。

さて、前にも書きましたが、このフルトヴェングラーは、ナチとの関係が色々と指摘されたりします。多くの芸術家がドイツを後にしたのに、ドイツ国内に留まった。もちろん、彼もナチに対して抗議の声を上げたのだけど、どうも「あいまい」な態度。あるいは、このDVDに登場する画家のココシュカの言い方をすると、「とまどう」態度。

駆け出しの演奏家ならいざ知らず、指揮者としては当代随一の人だったんだから、生活の問題はないはず。心情的にはナチにシンパシーを持っていたのでは?

そんな指摘が、ナチの蛮行が本格化する前から、フルトヴェングラーに寄せられていたわけ。それに対し、

「音楽は政治とは関係ない!」

「私はドイツ音楽に忠誠を誓っているのであって、ナチに忠誠を誓っているのではないんだ!」

「ドイツ音楽を守るためにも、ドイツに残る。」


彼はそのような発言をしたわけ。「芸術と政治は関係ない!」という主張は、別の言い方をすると、「政治と芸術の間には切れ目がある。」と言う主張とも言えるでしょう。

その主張はともかく、もっと明確な態度でもよかっただろうし、取ることもできたのでは?

政治と関係ないと積極的に思うのなら、政治的な場所から切れて、積極的に距離を置けばいいだけ。ただ、その動乱の時代の当事者でない部外者が、もっともらしくコメントしても意味がない。

ただ、ナチとの関係が「あいまい」であったとは言えるでしょう。だって、他の多くの音楽家は、もっと明確な態度で臨んだわけですし、そのような断固とした態度をフルトヴェングラーに勧めた人も大勢いた。つまりフルトヴェングラーには他の選択肢を知っていて、その選択の可能性もあったわけ。

いっそのこと、ナチに忠誠を誓っても、それは個人の政治信条の問題。ナチに反対して、さっさと亡命して、他の国から「ナチからの解放」を呼びかけるのも、立派な態度。フルトヴェングラーは、「あいまい」なんですね。

しかし、フルトヴェングラーの「あいまいさ」って、ナチとの関係だけではない。音楽家にとって、もっと重要な問題においても、実にあいまい。

音楽家であることはいいとして、演奏家なのか?作曲家なのか?

その問題と真摯に向き合ったりはしない。

「ボクは本当は作曲家なんだ!」

なんて言うのはいいとして、実際に作曲をするわけではない。作曲する時間があっても、何とかして逃げ出そうとする。第1次大戦において、それこそ若いフルトヴェングラーは率先して兵役に付こうとしたらしい・・・

せっかく、徴兵検査で不合格になったのに・・・志願するなんて・・・

愛するドイツのため・・・は、いいとして、そのドイツの芸術を発展させることの方が、創作活動をする者の重要な仕事でしょ?

「ベートーヴェンやブラームスを産んだ祖国を守る!」

なんてお題目はいいとして、だったら、なおのこと自分が作曲することでベートーヴェンやブラームス以上の作品を残した方が祖国ドイツにとっても価値があるのでは?


フルトヴェングラーは、作曲の時間ができると、何かに首を突っ込んで、その作曲できる時間をつぶしてしまう。そんなことの繰り返し。その点は、ナチとの「あいまい」な関係で非難された作曲家のR.シュトラウスとは全然違っている。

シュトラウスは、要は自分が作曲できて、自分の作品が上演されれば、それでいい・・・と、割り切っている。ナチに対しても、いつの時代にも存在する、単なる「よくある障害物」くらいの認識。気に入らないヤツらだけど、明確には敵にする必要はない・・・それよりも、アイツらを、うまく使ってやれ!

シュトラウスはナチとはあいまいであっても、音楽活動に対しては、実に明確なんですね。シュトラウスが取ったこのような態度は、分野は違っていますが、ロケット開発のフォン・ブラウンとも共通しています。

自分が本当にやりたいことがわかっているものの発想。これこそが天才というものですよ。それに対しフルトヴェングラーは、「あいまい」な態度ということでは首尾一貫している。ナチともあいまい。作曲活動もあいまい。

あるいは、フルトヴェングラーのライヴァル関係であったトスカニーニとの関係もあいまい。トスカニーニを嫌いなら嫌いでいいわけですが、「敵にしたくない!」「嫌われたくない!」あるいは、「嫌ってはいけない!」なんて心情が見えてくる。

いつだって誰に対してだって判断保留の状態。

トスカニーニにして見れば、フルトヴェングラーは、指揮者としては偉大。政治的には無能。友人とはいえない。と明確。トスカニーニだって他の指揮者についての評価や関係についてウジウジ考えているヒマなんてありませんよ。どうせ共演するわけでもないし・・・割り切って前に進むしかないでしょ?

フルトヴェングラーの行動なり発言を読んでいると、「で、アンタ・・・いったいどうしたいの?」なんて思ってしまう。

フルトヴェングラーに対するトスカニーニなり、F.ブッシュの怒りも、そのあたりなのでは?

もちろん、「芸術と政治は関係ない!」という正論は正論。現実は、そんなものじゃないけど・・・

しかし、「芸術は政治とは関係ない」と言う理屈はいいとして、そうなると、芸術作品に対する理解ってどうなるの?

そう思いませんか?

だって、ナチの活動なんて、共感できないのはいいとして、考える価値のあるものですよ。たとえば、ナチの活動を見ながら、「愛を断念することによって、世界の支配をもくろむ」アルベリヒを連想しなかったのかな?

復讐だけがそのアイデンティティとなったハーゲンを連想しないのかな?

好人物であるがゆえに利用されたグンターと、ヒンデンブルク大統領の相似性を考えなかったのかな?

というか、悪企みの「弾除け」にされた好人物グンターの役回りを、フルトヴェングラーはどう思ったのだろう?

ヒンデンブルク大統領とは別に、この役回りを見事に演じた人が、まさに、いたわけでしょ?

フルトヴェングラーはグンターのことを「自分の背景で悪企みが進行しているのに気がつかないなんて・・・バッカだなぁ・・・コイツ!」なんて思ったのかな?

ナチは自分たちのことをジークフリートに例えていたのでしょうが、むしろアルベリヒやハーゲンにそっくりですよ。そして、最後のカタストロフも、オペラのまま。


ヒトラーと初めて会って話をしたフルトヴェングラーは、ヒトラーのことを「取るに足らない人物」と評したそう。そんな単純な見解って、人に対する洞察力が、いちじるしく劣ると言うことでしょ?

だって、その直前に、フルトヴェングラーは、ジークフリート・ワーグナーの未亡人でありバイロイトでの覇権を目指すヴィニフレート・ワーグナーと衝突しました。

ヴィニフレートは音楽について、明確な知識もない人間なのに、指揮者に色々と指図して、フルトヴェングラーは「もう、やっとれんわいっ!」とブチ切れたわけ。

バイロイトの主人として、バイロイトを盛り立てる・・・その意欲は意欲としていいのですが、音楽面でフルトヴェングラーに指図してもしょうがないでしょ?


しかし、コンプレックスの強い人間ほど、そんな無用な指図をやりたがるもの。それだけ自分を実態以上に「大きく」みせようとするわけ。そして自分自身から逃避したいわけ。そんなヴィニフレードとの衝突の後で、ヒトラーと会談して、ヒトラーとヴィニフレートとのメンタル的な共通性を感じなかったのかな?


芸術の分野も、政治の分野も、その主体は人間でしょ?

その間には明確な「切れ目」なんて無いんですね。芸術作品に登場する人物の心理を理解できても、実際の人間のキャラクターはまったく理解できないって、やっぱりヘン。
実際の人間も、オペラなどでの描かれている人間も、似たキャラクターの場合って多いものでしょ?


この点について、実に笑える話があります。第2次大戦の終結の後、ナチとの関係を理由に裁判にかけられるフルトヴェングラー。その証人として、とあるオペラ歌手が出てきたそう。そのオペラ歌手は、フルトヴェングラーとナチとの関係について、ウソ八百ならべて、フルトヴェングラーを陥れようとしたらしい・・・

しかし、そのオペラ歌手には、フルトヴェングラーとの間に過去に個人的な「いさかい」があり、その個人的な感情で、フルトヴェングラーに嫌がらせをしたんだそう。それは「マイスタージンガー」のベックメッサーの役をやりたくて応募したけど、フルトヴェングラーがその歌手を採用しなかったので、その「恨み」を持っていて、それを裁判という場違いな場でぶつけたわけ。

いやぁ!ベックメッサーになれなかった歌手の、見事なベックメッサー振り。芸術作品を理解するのに、最良の資料は、自分たちの目の前にあるものなんですね。

あるいは、教養人とされるフルトヴェングラーですが、ヒトラー,ゲッペルス,ゲーリングのナチの3巨頭のキャラを、フランス革命のロベルピエール,マラー,ダントンの3巨頭とのキャラとの関連で、見るようなことはなかったのかな?

禁欲主義者,マスコミ対応,享楽家と、組み合わせもちょうど合っている。教養人フルトヴェングラーの教養って何だろう?


書かれた楽譜なり、本での記述は理解していても、実際の人間を洞察するのには、何もできない。フルトヴェングラーって「ブンカジン」だなぁ・・・と思ってしまう。

まあ、そんな実際の人間に対する洞察力が著しく劣っていても、演奏家としては何とかなるんでしょう。それこそブルッックナーのような作品を演奏するのだったら、それでもいいのかも?

しかし、そんな人が、作曲などの新しい作品を作ることができるの?

ゼロから創作することができるの?

現実を見る目がそんなにない状態から、ゼロから創作するインスピレーションなんて、沸き起こって来るの?

フルトヴェングラーは、楽譜から「神の言葉」を読む取る能力はすばらしいけど、神の言葉を直接聞ける人間なのかな?

R.シュトラウスが要領よく立ち回ったのは、それだけ「人を見る目」があったからでしょ?

逆に言うと、そんな目がないとオペラなんて書けませんよ。フルトヴェングラーが言う


「時間がなくて、作曲できない・・・」

は、理由としてポピュラーですが、作曲なんて基本的にはアタマの中でやるものでしょ?

電車で移動している最中にもできるじゃないの?

あるいは、アルキメデスのようにお風呂に入った時にすばらしいアイデアなんて浮かばなかったの?

そのようなアイデアをしっかりコンポーズするには、まとまった時間も必要でしょうが、アタマの中でラフスケッチくらいはできますよ。それなのに、どうして20年以上も作曲に手をつけないの?

それって、「どうしても曲にまとめ上げたい!」という霊感やアイデアがなかったからでしょ?

だって、目の前にいる実際の人間に対する洞察力が、これだけ劣る人なんだから、霊感なんて来ませんよ。もし霊感があったら、とりあえずは、小さな作品からでも、作曲するでしょ?

まずは小さい規模の作品を制作しながら、自分自身の本当の霊感なり、作品にする問題点を自覚できるわけでしょ?

その後、大規模な作品に進んでいけばいいじゃないの?

作曲活動それ自体が、そして自分が作った「小さな作品」それ自体が、自分自身がやりたい作曲活動の方向性を教えてくれることがあるわけ。いきなり大規模な作品を制作って、ヘンですよ。


彼の作曲した作品ですが・・・

DVDの映像では、カイルベルトとバレンボイムが、肯定的な評価をしています。しかし、どうしてコメントがカイルベルトとバレンボイムによるものなの?
実は、この映画には、もっと適役が登場しています。それは、テオドール・アドルノ。

シェーンベルクに作曲を習い、マーラー以降のドイツ音楽について一家言以上のものを持つフランクフルト学派の哲学者アドルノが、フルトヴェングラーが作曲した音楽を、「理詰め」で絶賛すれば、この私などは「ははぁ!わかりました!わかりました!もうわかったから勘弁してよ!」って泣きを入れますよ。


ところがアドルノは、フルトヴェングラーの指揮を絶賛しても、作曲した作品には何も語らない。当然のこととして、この映画を制作した人は、アドルノに対して、作曲家としてのフルトヴェングラーについて聞いたはずです。カイルベルトやバレンボイムにも聞いたくらいなんですから、当然でしょ?

アドルノは、まあ、その話題を避けたんでしょうね。ウソは言えないし、故人を冒涜するようなことはしたくないし・・・

まあ、アドルノが言いたくないレヴェルの作品というわけなんでしょう。技術的な問題はともかく、「どうしてもこれを表現したい!」という気持ちが入っていないと、それ以前の問題ですよ。彼の作曲した音楽からは「どうしてもこれを表現したい!」「これだけでもわかってほしい!」という強い意志が感じ取れない。

しかし、彼の「指揮した」演奏を聞いて、「どうしてもこれを表現したい!」という強い意志が聞きとれない人はいないでしょう?

そして、演奏には、明確な「切れ目」もある。その切れ目が、人間の発想から、神の発想への「切れ目」となっている。そして、その「切れ目」を通ることによって、音楽の高みが、「より」高みへと通じ、深みが「より」深みへとなっていく。彼が指揮した音楽が作り出す「切れ目」を、彼と一緒にくぐることによって、我々聞き手も「より」深淵へと、到達できる。


『ここで作曲者に神の言葉が降り降りたんだ!』

って、フルトヴェングラーの指揮した音楽からは明確にわかる。彼は演奏家としては、あいまいさからは無縁。彼としては、演奏している時だけが、自分になれた・・・というより、完全なオコチャマになれた・・・のでは?

それ以外の時は、周囲に配慮しすぎですよ。


完全なオコチャマになり、幼児のように心を虚しくしているので、まさに天国の門は開かれる。


「オレは本当は指揮者ではなく作曲家なんだ!」

「本当は指揮などをしている場合じゃないんだ!」

「作曲をしないと行けない!」


と思っているので、指揮そのものは一期一会になる。フルトヴェングラーにしてみれば指揮は禁忌のものなんですね。禁忌のものだからこそ、なおのこと惹かれるって、人間誰しもそんなもの。おまけにそっちの才能は人並み外れているんだし・・・やってはいけないものだからこそ、火事場のバカ力も出たりする。

だからますますやっていて楽しい。火事場のバカ力なので、精神的に落ち着くと、周囲に配慮した「いい子」になってしまう。自分に自信がない人は人から誉められることを渇望するもの。それだけ自分自身が本当にしたいことがわからないので、人からの評価に依存してしまうわけ。

しかし、「いい子」では、逆に神の言葉は聞けないでしょ?

だって、「心を虚しくしている」幼児は、決して「いい子」ではないでしょ?

「いい子」って、それだけ外面的なことにこだわっているということ。人の評価に依存しているということ。それだけ神からは遠いわけ。


フルトヴェングラーの父親は、なんとアドルフという名前らしい・・・考古学の教授をなさっておられました。そのアドルフさんは、息子の才能を認め、サポートした・・・のはいいとして、息子の意見を聞いたの?フランクな会話があったの?

どうも、そのアドルフさんは厳格な人だったらしい。厳格と言っても様々なヴァリエーションがあります。自分に厳しいというパターンから、問答無用で強圧的というパターンまで。息子のウィルヘルム・フルトヴェングラーが極端なまでに「いい子」でいようとしたことからみて、まあ、問答無用の父親のパターンでしょうね。

そうなると、一般的に子供は抑圧的になってしまう。自分で自分を抑圧するようになるわけ。まさに「いい子」でいなきゃ!って強迫的に思ってしまう。

彼も、自分の父親アドルフの問題を真剣に考えればいいのでしょうが、どうもそこから逃げている。父親アドルフの問題から逃げていれば、総統アドルフの問題を考えることからも逃げるようになりますよ。だから眼前にどんな事件があっても、鈍い反応しか示せない。

自分が一番よく知っている人物の問題から逃避する人は、眼前にある具体的な人物や事例から考えることを逃避してしまうものなんですね。それこそ、フェミニズム運動をなさっておられる女性たちは、自分の父親の問題については絶対に言及しないものでしょ?

一番よく知っている男性の問題を考えなくて、男女の問題云々もないじゃないの?


同じように、フルトヴェングラーは、一番よく知っている人間の問題から逃避して、具体的な現実の人間の問題から次々と逃避しだす。そして、最後には指揮台に追い込まれ、もう逃げようがないとなると、爆発してトランス状態になり火事場のバカ力が出る・・・


普段は逃げ回っている作曲家フルトヴェングラーなり、人間フルトヴェングラーも、指揮台に上るという「切れ目」を経ると、「あいまいさ」から解き放たれ、神懸かりとなって、神の言葉が聞けてしまう。指揮台に上るという「切れ目」を経ることによって、「切れ目」を作り出すことができる芸術家になる。

指揮台に上る前は、アドルフから逃げ、アドルフの言葉を聞く状態。

指揮台に上ったら、神の言葉が聞こえる。


そういう意味で、作曲から逃げ出すこと自体が、神懸かり的な演奏をするエネルギーになる。しかし、そんな彼は、本当に、「作曲をしなくてはならない。」という状況になったら、どこに逃げるんだろう?

フルトヴェングラーにとっては、演奏は、仕事でもなく使命でもなく、いわば治療とか療法に近いもの。しかし、だからこそ、彼にとっては必然でもある。作曲では彼は救済されないわけ。

個人的なことですが、私が彼の演奏のレコードを聞いたのはシューベルトの長いハ長調の交響曲の録音。オケはベルリン・フィル。その演奏を聞いて、まずは最初のホルンにビックリしたものです。

「これが20年後に、パリのオーケストラよりもラヴェルらしいラヴェルがやれると自慢されてしまうオケの姿なのか?」

最初もビックリですが、第1楽章の最後の部分にもビックリ。オケのメンバーが、気が狂ったように演奏しているのがよくわかる。


オーケストラのメンバーや聴衆に「感動」を与えられる指揮者は結構いるでしょうが、オーケストラのメンバーや聴衆を「発狂」させるのは、ハンパじゃありませんよ。とてもじゃないけど、人間業ではできないこと。


そして、そのシューベルトの演奏を聞いていると、この演奏家が、死に場所を探して暴走していることがスグにわかる。彼は逃げて、逃げて、死に場所を探して暴走し、その暴走がオーケストラや聴衆に伝わる・・・


死に場所を探すエネルギーが、演奏のエネルギーになり、生きるエネルギーになる・・・って、矛盾しているようですが、まあ、芸術・・・特にドイツ芸術って、そんな傾向があったりするでしょ?


ドイツ精神主義なんて言葉もありますが、フルトヴェングラーの音楽を聞いていると、そんな主義主張よりも、彼岸にあこがれる心情の方が強いのでは?

しかし、彼岸に憧れ続ける心情が何をもたらすか?

そんな一期一会の絶妙な均衡が、彼の音楽をかけがえのないものにしている・・・

演奏専従だったら、演奏だってルーティーンなものになってしまって、一期一会にはならないわけですからね。この点は、他の演奏家にはないこと。彼は演奏家になりきれなかったから、偉大な演奏家になった・・・

あるいは、職業としての演奏家としては不十分であったために、一期一会の演奏は達成できた。相変わらずの、反語的な言い回しですが、偉大な表現者って、反語的な存在なんですね。

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-11/07-11-01.htm

「作曲家としてのフルトヴェングラー」


彼は、ある意味において、実に面白い人物。私ごときが指揮者としての彼の能力を語ることはできるわけがない。天才の発想なんて読めませんよ。

しかし、指揮台に上がっていない彼の、普段の行動なり作曲家としての彼のスタイルは、意外なほどに「読みやすい」もの。よく、彼の行動を評して

「どうしてナチに対してあいまいであったのか?」とか

「どうして大した才能もないのに、作曲家であることにこだわったのか?

そもそも大作曲家の作品に親しんでいる彼なんだから、自分の作品のデキについてわからないわけがなかろう?」


どうしてなんだろう?そんな疑問が提示されたりするものでしょ?


ナチや自分の作品の価値についても、ちょっとでも自分で判断すれば、結論を出すことは難しくはない。しかし、世の中には判断することから逃避するような人間もいたりするもの。フルトヴェングラーがその典型だとすると、彼の行動も、簡単に理解できてしまう。

判断を間違ったのではなく、判断することから逃避する人間のタイプなんですね。


以前にエルフリーデ・イェリネクさん原作の「ピアニスト」と言う作品を考えた際に、抑圧と言う言葉を多く用いました。表現者としては、「自分がやりたいこと」、あるいは「表現者として人々に伝えたいことは何だろうか?」その問題意識が重要でしょ?


自分自身を抑圧すると、そのようなことを考えることから逃避するようになってしまう。そんな人は、「何を伝えるのか?」と言う問題から逃避して、「どうやって伝えるのか?」と言う問題にすり替えてしまうんですね。

自分がどうしてもやりたいこと、あるいは自分がどうしても伝えたいこと・・・それはいわばWHATの問題。

どうやって伝えるのかの問題は、いわばHOWの問題。

自分自身に抑圧を課す、それなりに知性のある人間は、自分自身のWHATの問題から逃避して、あらゆることをHOWの問題にしてしまう。なまじっか、それなりに知識があり、HOWの問題について語ることができるので、WHATの問題から逃避していることが、自分でも気が付かない。自分からの逃避と言う状態においても、それなりに洗練されてしまうわけ。

さて、フルトヴェングラーの逃避の問題ですが、この映画で実に典型的なシーンが出てきます。青年時代のフルトヴェングラーが、家庭教師と一緒にイタリアのフィレンツェに旅行をした。ミケランジェロの作品に圧倒的な印象を受けた青年フルトヴェングラーは、その場から離れ、一人でその印象を楽譜にしたためていたらしい・・・

映画においても、その「圧倒的な印象から逃げて・・・」なんて言われちゃっています。もうこの頃から、逃避傾向があるわけです。と言っても、皆さんは思うかもしれません。

「せっかく、ミケランジェロの彫刻からすばらしい印象を受けたのだから、それを音楽作品にまとめようとするのは、作曲家志望の青年としては当然のことではないのか?」

その感想は、ある意味において、正しいでしょう。しかし、圧倒的な印象を受けたのなら、それをその場で楽譜に残す必要はないんですね。だって、圧倒的な印象だったら、いつまで経っても忘れませんよ。何もその場で音楽作品にする必要なんてない。むしろ、アタマの中で寝かせておいて、その印象が充実してくるようにした方が、適切な方法。アタマの中でその時の印象と別の機会での体験を組み合わせたり、他の経験と共通性を考えたり、当然のこととして、その表現方法だって色々と考えられる。

素材をどう広げるのか?
あるいはまとめるのか?
どのようにコンポーズするのか?

それを考えるのが作曲家でしょ?

その時点で音楽にして楽譜に書いてしまうと、もう考えなくてもよくなってしまう。ただ、アタマの中での試行錯誤は、結構シンドイもの。常に考えなくてはならないわけですから、精神的に負担になるんですね。

それこそ、コンピュターのメモリーで常にアクセスできる状態のようなもの。引き出しやすいけど、電力は常に使う状態なのでスウィッチは切れない。

それに比べて、ハードディスクに保存すると、保存性はよくなるけど、アクセスは出来にくい。だから加工は難しい。これが紙にプリントアウトしてしまうと、もういじれない。しかし、だからこそ精神的にはラクと言える。


フルトヴェングラーだって、本当に作品を作れる人間だったら、そんな強い印象を受けたのなら、スグに楽譜にまとめることなんてしないはず。スグに楽譜にメモしなくてはならないのは、むしろ小ネタの方。だってちょっとしたネタだったら、それこそスグにメモならないと忘れちゃうでしょ?


「あの部分の切り返しのところは、このような方法にしよう!」とか、「ちょっとしたエピソードとして、こんなネタを挟もう!」なんて、ちょっとしたアイデアも、作品を作る上では必要ですよ。そんな小ネタだったら忘れないようにメモらないとね。

よく「引き出し」なんて言い方がありますが、そんな小ネタもやっぱり必要なもの。
それこそ引き出しにしまっておかないと。しかし、自分にとって最重要な問題、いわば大ネタは、忘れるわけがないから、メモる必要もない。

スグにまとめちゃうということは、アタマの中で寝かして試行錯誤し続ける精神的な負担に耐え切れない心の弱さを表しているものなんですね。ミケランジェロからの印象を、さっさと楽譜にまとめてしまう態度では、「強い」作品にはならないわけ。

こんなことを書くと、いまだに現存するフルトヴェングラーの崇拝者の方はご立腹なさるでしょうが、今ここで私が考えているのは、作曲家としてのフルトヴェングラーであって、指揮者としてのフルトヴェングラーではありません。


指揮者としては、あれほど圧倒的な音楽を作れるのに、どうして作曲家としては「いい子」、あるいは規格品とまりなの?と言うか、それこそ、作曲なんて止めてしまって指揮者専業でも何も問題ないはず。作曲をすること自体を楽しむことができる人間だったら、それこそミケランジェロから受けた強い印象をアタマの中で色々といじって、長く検討して行くものでしょ?

スグに作品にまとめるって、「イヤなことは、早く忘れたい!」「つらいことから、早く逃げ出したい!」そんな心情が、無意識的にあるということ。

自己への抑圧と言うものは、そのような自己からの逃避というスタイルになることが多いんですね。自分自身のWHATから逃避するわけ。

自分が何をしたいのか?

何を人に伝えたいのか?

それについて考えないようになってしまう。

そのような傾向は、強圧的な父親の元で育ったアダルトチルドレンに典型的なもの。問答無用の環境だったので、自分がしたいことを抑圧するようになるわけ。

実は、フルトヴェングラーの行動も、抑圧的なアダルトチルドレンの習性がわかっていると、簡単に予想できてしまう。発想が常に減点法。人から嫌われてはいけない。よい子でいないといけない。もちろん、親に迷惑が掛かってはいけない。そんなことを常に考えている。減点を意識しているので、自分で判断できない。

彼の場合は、それが特に深刻で、共依存状態にある。「共依存」とは、相手に依存「させる関係」に依存すると言うもの。「共依存」と言う考え方は、夫婦間でドメスティック・ヴァイオレンスに陥ったり、あるいは若い人たちがボランティアに入れ込むようになる心理を説明する際におなじみのものです。

あるいは、「ウチの子はいつまでも経っても甘えんぼうで・・・ずっと、ワタシがついていないとダメだわ!」なんて言うバカ親の心理もこれですよね。

あるいは、もっと深刻だとストーカーの心理もこれです。ストーカーは「オレにはアイツが必要だ!」と自分で『認識』しているのではなく、「アイツにはオレが必要だ!」と勝手に『認定』しているわけ。

自分自身の精神状況の自覚ではなく、相手の幸福のスタイルを勝手に認定しているわけ。だからタチが悪い。当人としては善意で相手に付きまとっている。だから周囲が何を言ってもダメ。バカ親の心理もそうですが、基本的にはアダルトチルドレンに典型的な症状です。それだけ、自分自身が何をしたいのか?自分でもわかっていない。そしてわかろうとしないし、自分から逃避しようとする。精神的に自立していない。だから他者との関係性に依存せざるを得ない。

こんな心理を持っていたら、たとえナチスに共感がなくても、ドイツから離れられませんよ。だって、共依存症状にある人にしてみれば、ナチス支配下のドイツなんて天国ですよ。だって、自分を頼ってくる人がいっぱいいるわけですからね。

つまり自分の役割について自分で考えなくてもいいわけ。簡単に自己逃避できるわけでしょ?

何もフルトヴェングラーの人格に対し攻撃しようなんて思っているわけではありませんよ。芸術家なんて、その作品がすべてですよ。それこそ画家のカラヴァッジョや作曲家のジェズアルドや劇作家カルデロンのように人殺しまで居るのがアーティストの業界。

たかがアダルトチルドレンくらい・・・まだまだ甘いよ。いや!「あいまい」ですよ。


前回でフルトヴェングラーは首尾一貫して「あいまい」という点を書きました。「あいまい」であると言うことについては、実に「あいまい」ではないわけ。

この点は、彼の作曲した音楽にも明確に見えてくるでしょ?

彼の交響曲第2番はCDになっていて、まさしく彼の演奏で聞くことができます。
これが、また、「あいまい」な音楽。

何も、時代に合わせてモダンな12音技法でないとダメとか、ショスタコーヴィッチばりのポストモダンな引用技法が展開されていないといけないとか・・・そう言うことを申し上げているわけではありません。

「これだけはどうしてもわかってほしい!」とか、

「消しようがないほどに明確な音響イメージがあって、それを表現したい!」

なんて強い意志なり、覚悟がある音楽なの?

と言うことなんですね。

自己表現が目的と言うより、自己弁護の音楽。

えーとぉ・・・ボクはこんな事情があって・・・

色々と面倒なことがあったから、作曲できなくて・・・

まあ、ちゃんと作曲もやっているでしょ?

サボっているわけじゃあないよ。そんな弁解がましい表情が延々と続く音楽。


音響的にはフランクやショーソンの交響曲のような感じで、ブルックナーの交響曲から「聞いたことがある」音響が出てくる。なんともまぁ・・・

フルトヴェングラーが作曲した作品は聞き手に真摯な緊張を要求する・・・
そんな音楽なんだから、だからオマエはその価値や内容がわからないんだよ!
そうとも言えるでしょうが・・・

どんな小難しい音楽でも、後世まで残る作品には「これっ!」という瞬間があって、その決定的な瞬間から、全体の理解もだんだんと深まっていくモノ。

ところが、フルトヴェングラーの交響曲には、「これっ!」と言う「切れ目」がない。これは楽章の切れ目云々ではなく、音楽の流れに切れ目がないため、神の言葉が降り降りた瞬間が出てこないんですね。

演奏においてなら、「切れ目」の大家と言えるフルトヴェングラーなのに、作曲した作品には「切れ目」がない。つまり神の言葉ではなく、人間の言葉が支配している「音楽」といえるわけ。自分の存在証明ではなく、自分の正当性の証明に近い。

しかし、正当性を証明しようとするほど、芸術家としての存在証明から遠くなる。なぜなら人間の言葉で正当性を証明するほど、神の言葉から遠くなるもの。

幼児のように、心を虚しくして、神の言葉を受け入れたときに、芸術家としての存在証明になる・・・芸術作品とはそんなものでしょ?

神の言葉を伝えるのが、芸術家の使命でしょ?

天才は自分の正当性などと言った弁解のための仕事などはしないもの。

弁解が通用しない世界・・・それが修羅場でしょ?

フルトヴェングラーにとって指揮台こそが、その修羅場。だから指揮においては、弁解のための仕事はせずに、神の言葉を直接聞くことができて、それを伝えることができる。しかし、作曲をしている時には、精神的に余裕があって、修羅場ではない・・・だから弁解ばかり。


フルトヴェングラーが作曲した作品は、実に人間的な音楽とも言えますが、逆に言うと人間とまり。あるいは、まさしく最適化止まり。これでは作曲していても、面白くないでしょう。たしかに、25年以上も作曲から遠ざかることを、事実上選択するわけですよ。


しかし、作曲の才能がなくても、創作の霊感が訪れなくても、何も問題はないはずでしょ?

当代随一の指揮者と言う称号があるんだから、それでいいんじゃないの?

そもそも、フルトヴェングラーさんよ!アンタは作曲が好きなの?

そんな根本的な疑問をもってしまう。

作曲を好きなのに才能がないのか?

そもそも好きでないのに、自分を押し殺して作曲したのか?

「ボクは本当は作曲家なんだ!」と言うのはいいとして、25年以上も作曲から遠ざかり、やっと作曲したら、自己弁護に終始。使命感を持って作曲している人がやることではありませんし、そんな音楽ではありませんよ。

逆に言うと、特に才能があるわけでもないし、使命感があるわけでもないし、好きでもないし、実際の作曲活動はしないのに、どうして「ボクは本当は作曲家なんだ!」なんて言うの?

フルトヴェングラーは、子供の頃から音楽の才能を発揮して、周囲から、「将来は偉大な作曲家に!」なんて言われたそう。これはDVDに出てきます。家族も、その才能に惜しみない援助を与え、教育の機会を与えた・・・


そう言う点では、「作曲家」フルトヴェングラーは実に恵まれている。作曲家になるに当たって、こんなに周囲から物心両面からのサポートを受けることなんて滅多にありませんよ。一般的には、「ボクは作曲家になりたいんだ!」なんて言おうとしたら、「何を、夢みたいなことを言っているんだ!カタギの仕事をしろ!」と言われるのがオチ。

しかし、少年フルトヴェングラーは家族から励まされる環境。それこそ、父親との間にこんなシーンがあったのでは?


少年フルトヴェングラーと、父親アドルフが、冬の夜に空を見上げる。


「おい!ウィルヘルム!
北の空にひときわ大きく輝く星があるだろう!
あの星はドイツ作曲家の星だ!
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー・・・

オマエも将来、あの星になるんだ!」


「父さん!わかったよ!
ボクはドイツ音楽の星になるんだ!ボクはやるよ!」

・ ・・拳を握りしめ、瞳から炎がメラメラと・・・このシーンのBGMは当然・・・


輝くドイツ音楽の星。それもバッハやベートーヴェンやワーグナーなどに並ぶ地位に。


「さあ!これが、ドイツ音楽作曲家養成ギブスだ!」

「これをつけて親子一緒にガンバロウ!」


そんな感じで言われちゃったら、子供の頃はともかく、実際に作曲するにあたってはプレッシャーになるんじゃないの?

しかし、フルトヴェングラーが音楽活動を始めた頃は、その星々につながる意志を持っていたのは明白。彼が1906年の指揮者としてのデビューで取り上げた曲は、後に交響曲第1番の第1楽章となった自作の「ラルゴ ロ短調」と、ブルックナーの第9交響曲の組み合わせでした。ブルックナー最後の未完の交響曲なんて・・・デビューの曲目にしては荷が重いだろう・・・と思うのは誰でもでしょうが、この「組み合わせ」・・・あるいは、以前書いた言い方でモンタージュは、簡単にその意図が読めますよね?


それはこれ。

「ブルックナーが完成させられなかったドイツ音楽の系譜を、このボクが完成させるんだ!」

まあ、その心意気や良し!・・・なんですが・・・

系譜につながることは結果であって、目的ではないでしょ?

それこそブルックナーだって、先輩作曲家ベートーヴェンを尊敬していたでしょうが、その列につながるために作曲をしたわけではないでしょ?

自分自身の霊感を永遠に残すために作曲したわけでしょ?

曲のまとめ方などに当たって、当然のこととして先輩の方法を参考にする・・・
だから、結果としてドイツ音楽の作曲家の系譜になる。

そんなものでしょ?

まずは、自分がどうしても表現したいものは何なのか?
その自問自答の方が先でしょ?

しかし、フルトヴェングラーは、ドイツ音楽の作曲家の系譜が強く意識されてしまっているので、

「ボクもそのレヴェルでないと行けない!」
「巨匠たちの名誉を汚さぬように!」
「あんな音楽を書かなきゃ!」

なんて強迫的に思ってしまう。いわば、形から入る状態。形から入っているので、フルトヴェングラーが作曲した作品って、交響曲とかの立派なジャンルばかりですよね?

そして長さも結構ある。まさに立派な外観をもっている。しかし、外観はいいとして、中身はどうなの?

そもそも芸術作品にとってジャンルとか外観は、二の次でしょ?

マーラーの交響曲が、交響曲なのか?歌曲でしかないのか?そんなことを議論する人もいますが、それ以前に中身の問題が重要でしょ?

マーラーの音楽は中身で勝負できる。しかし、フルトヴェングラーの作品の中身っていったい何?

逆に言うと、中身で勝負できないから、ますます外観にこだわらざるをえない。それでは自分なりの作曲なんてできないでしょ?

作曲家フルトヴェングラーは伝統的な芸術の系譜を意識するあまり、芸術の伝統の系譜からは外れてしまった。「伝統的な芸術の系譜」と「芸術の伝統の系譜」なんて、言葉としては似ていますが、中身は全然違うモノ。

それこそベートーヴェンだって、彼自身は「伝統的な芸術の系譜」ではなく、「芸術の伝統の系譜」の一員と言えるでしょ?

まあ、作曲の才能が「全く」ないのなら、まだ、「しょうがない」で済みますが、フルトヴェングラーの場合は、最初は神童扱いだったわけですし、周囲からのサポートを受け期待もされた。作曲から逃げる理由がないわけ。しかし、逃げる理由がないからこそ、懸命になって逃げざるをえない。


そもそも、やっぱり作曲家という存在は、音楽家の中では最高位でしょ?

だからこそ、作曲家であることをあきらめることは、序列的に下に安住することを意味しますよね?

「父さん!ボクは作曲なんてしたくはないんだ!指揮の方が好きなんだ!」

なんて言っても、心の中にいる父親がこう言うでしょう。


「どうしてオマエは、そんなに自分に甘いんだ!

自分は才能が無いなんて言葉は、努力放棄の言い訳に過ぎない!バカモノ!」

そして「北の空を見よ!ひときわ輝く星がオマエの目指すべきドイツ音楽の星だ!」

とお説教の声。そんな父親の言葉が心の中で響いてしまう。だから周囲には「ボクは本当は作曲家なんだ!」と、言い訳をしなくてはいけない。

フルトヴェングラーはなまじ指揮者なんだから、タチが悪い。彼がピアニストとかヴァイオリニストだったら、作曲活動にも、距離を取りやすい。作曲をしなくても、誰も不思議に思わない。しかし、指揮なんて、そもそもが作曲家の仕事の一部だったわけでしょ?

しかし、才能はないし・・・それだけでなく、ドイツ音楽の星としての要求される「基準」もある。あのレヴェルの曲を書かないといけない!

これでは、自分なりに作曲するなんてことはできないわけ。

さあ!どうする?

と言うことで、作曲しなくてもいいように、余計なことに首を突っ込むわけ。

「あそこに困っている人がいるから・・・」
「ボクが助けないとダメだ!」
「あの人たちを助けられるのはボクだけ・・・」

と言うことで、ますます共依存症状が進行することになる。そもそも指揮者フルトヴェングラーが作品に向き合う際には、「作曲された音楽が作曲される前の状態まで考え、それを再構成する」のがフルトヴェングラー。

そんな発想は、まあ、私には実に親近感がある。だからそんな態度を、フルトヴェングラーの「作品」に適用しているだけです。創作者の発想を読みながら演奏したフルトヴェングラー自身の発想を、この私が読んでいるだけです。

重要なことは作品を評価することではなく、その前の霊感を考えることでしょ?


逆に、ナチスは「芸術家にとって作品などは、どうでもいい!人格が問題なんだ!」と言ったそう。

その人格と言ってもナチスに対する忠誠となるんでしょう。人格で作品を否定するなんて、それこそがナチスですよ。しかし、その人格重視のナチスがワーグナーを賞賛ってのも、また矛盾なんですが。そもそもアーティストなんてオコチャマなのがデフォルト。その瞬間に充足し、次には、その充足を破壊していく・・・

「わあ!これって、おもしろいなぁ!」それがすべて。そんなオコチャマこそが芸術家のメンタリティ。

逆に言うと、フルトヴェングラーは、アダルトチルドレンだけあって、ある意味オトナ。この面でもあいまい。あまりに周囲に配慮しすぎ。発想が減点法。


別の言い方をすると、「いい子」。彼の行動も、作曲した作品も、まさに「いい子」がやりそうなものですよ。

自己の確立していないアダルトチルドレンは、往々にして権威主義。その価値を自分自身で説明することができないので、人々が「権威ある」と認めるものに乗っかろうとするわけ。

実は、このような点で、フルトヴェングラーとゲッペルスは、腹の底では共感しあっていたようです。フルトヴェングラーは何か相談事があると、まずゲッペルスを訪ねたようです。ゲッペルスもフルトヴェングラーのことは、気にかけていたそう。いわばカウンターパートナーの間柄。フルトヴェングラーもゲッペルスも、「何を言うのか?」と言うWHATの問題よりも、「どう伝えるのか?」つまりHOWの問題の大家ですよね?

それに、権威ある思想に乗りかかって自己を表現するスタイルも共通。序列思考が強く、族長的な存在に盲目的に従おうとする。彼らは、いわば隷従することが好きなタイプ。以前に取り上げたエルフリーデ・イェリネクさんの「ピアニスト」を考えた際に用いた言い方をすると、「犬」のタイプ。

ゲッペルスに対して、

「アナタはヒトラーの犬じゃないか?」なんて言っても、

「ああ!そうだよ!何か文句でもあるかい?」

なんて言われるだけでしょ?

ゲッペルスは、ヒトラーに最後まで付き従いましたよね?

その点ではゲーリングやヒムラーよりも忠犬。たぶん、ゲッペルスの父親も強圧的な人だったのでは?

同じように、フルトヴェングラーに対して「アンタはベートーヴェンの犬じゃないか?」なんて言ったらフルトヴェングラーはどう答えるのでしょうか?

やっぱりゲッペルスと同じじゃないの?「ああ!そうだよ!何か文句でもあるかい?」

ゲッペルスは、信念を持って、アドルフに隷従していたわけ。フルトヴェングラーも深層心理的にアドルフに隷従していたわけですが、彼の場合はアドルフと言っても、ヒトラーではありませんが。ベート−ヴェンの犬なんて言葉はともかく、フルトヴェングラーはそれでいいと思っていたでしょう。立派なベートーヴェンの音楽を人々に伝えるのが、自分の使命だ!

そう考えることは、立派なこと。しかし、作曲家志望だったら、そんな崇め奉るだけではダメでしょ?

立派な権威としてベートーヴェンを見るのではなく、すばらしい業績を残した先輩として見る必要もあるのでは?

第2次大戦が終結した後で、フルトヴェングラーはR.シュトラウスを訪ねた。R.シュトラウスは、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の楽譜を見ながら、「ファゴットの使い方がすばらしいねぇ!」と言ったそう。

こんな言葉から、R.シュトラウスは、ワーグナーをすばらしい業績を上げた先輩と見ていることがわかりますよね?

作品を受けてのリアクションにおいて、意味ある細部を指摘できるのは、全体がわかっている証拠。そして自分自身についてもわかっているからできること。シュトラウスとしては同じ作曲家仲間として、ワーグナーの作品を参考にする・・・そんな態度が見えてくるわけ。他の人の作品を見るにあたっても、普段からの自分の問題意識が反映されることになる。だから具体的な細部の各論を中心に見ることになる。

「自分だったら、どうするのか?」

「今、自分は、ちょっと壁にぶち当たっているけど、この人はどんな解決をしたんだろう?」

そんな発想が常に存在しているわけ。フルトヴェングラーの場合は、尊敬すべき先輩というより、ひれ伏さざるを得ない権威としてベートーヴェンやワーグナーを見ているのでは?

あるいは、規範として見ている。そうとも言えるでしょう。つまり作曲家としての問題意識がない状態で、他の作曲家の作品を見ている。そのような見方は、指揮者としては問題なくても、作曲家としては問題でしょ?

規範として見るような発想は、「それ以外を認めない」と言うことになり、ある意味、自分で考えることから逃避できる。これはエルフリーデ・イェリネクさんの「ピアニスト」でのエリカもそうでした。音楽を聞く際においても、ベートーヴェンを規範としてみたり、あるいは演奏家としてのフルトヴェングラーを規範として見ることは、聞き手の自己逃避の一種なんですね。規範を重視と言うか、形から入る・・・いわば、「形と中身の乖離」となると、ブラームスがいます。

フルトヴェングラーも、そのような観点において、ブラームスを同類と認識していた面もあるようです。しかし、ブラームスは、中身と形式の乖離の問題はありますが、逆に言うと中身がある。しかし、フルトヴェングラーの作品には中身があるの?

乖離云々以前に中身がないのでは?

伝えたいと思う中身と、伝えるに際し用いた形式の間に乖離があると言うより、彼が伝えたいという中身って何?

抑圧状況に陥ると、まさにその問題を自問自答することから逃避するようになってしまう。以前取り上げたギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」の冒頭に掲げられたプラトンの言葉は

「魂でさえ、自らを知るために、魂を覗き込む。」と言うもの。

「魂を覗き込む」ことから逃避している人間が、創造なんてできるわけがない。

そのようなアンゲロプロスの問題意識が、あの作品にあったわけですし、そのもっとも典型的な実例が作曲家フルトヴェングラーなのでは?

自分自身を見つめることができる人だからこそ、自分の魂を覗き込むことができる人だからこそ、そんな人には「世界の声」「神の声」が集まってくる。つまり自分自身の魂の声を聞くことによって、結果的に世界の声が聞ける。ユングの言う「元型」に近いものが見えるわけ。

自分から逃避している人には、世界の声も降り降りてこない・・・
だから、結局は「世界の声」も表現できない

フルトヴェングラーは「他人の魂は覗きこめるけど、自分の魂は覗きこめない。」

これでは創作なんてできませんよ。

「ベートーヴェンの気持ちが理解できるのはオレだけ!
ブルックナーの創造性が理解できるのは自分だけ!」

そう思うのはいいとして、じゃあ、自分自身の気持ちや創造性をどのように理解していたの?

自らの魂の中にあるWHATから逃避していくので、どんどんと「どのように伝えるのか?」というHOWの問題に逃げ込んでしまうわけ。しかし、「何を伝えるのか?」という問題意識から逃避してしまっているので、作曲することで作品を制作しても「じゃあ、結果として伝わったのか?」と聞かれると返答ができない。だって受け手は何をわかればいいの?

そもそも伝えたいものが、自分でもわかっていないから、結局は伝わらない。本来なら、「この点は誤解されたけど、最重要なこの点は伝わったようだから、まあ、とりあえずよしとしようか・・・」なんて考えることができるはずですよね?

あるいは伝わらなくても「まっ、そもそもアイツにはどうせわからないよ!」なんて言えるでしょ?

それは、自分が伝えたいWHATがわかっているからできること。しかし、そのWHATが自分でもわかっていなくて、発想が加点法ではなく減点法なんだから、そのようには考えられない。結果的に思うような結果が得られないので、そんな抑圧傾向の人は、「上手く行かない理由」「減点の原因となったもの」としての犯人を捜すようになるわけ。それに抑圧傾向の人は、日頃から発想が加点法ではなく減点法なので、減点への反応はそれなりに鋭いものがある。だからスグに逆上する傾向が強い。

「アイツのせいで、ダメだったんだ!」

あるいは

「あの施設がないせいで、上手く行かなかったんだ!」
「これが足りないせいで、失敗した!」
「政治が悪い!時代が悪い!」

そんな言葉を聞かされると、「じゃあ、何をわかればいいの?」「そもそもアンタは何をしたいの?」と思ってしまうものでしょ?

アンゲロプロス監督の描くギリシャの人たちもそんな感じでしたよね?

というか、そもそも当時のドイツがそんな感じでしょ?

あるいは実に顕著に見られるのが、韓国人の発言ですよね?
韓国人の発言は、自分で自分を抑圧しているものの典型なんですね。日本人の我々としては、韓国人の言動を聞いても「で、アンタたちは結局は何をしたいの?何を言いたいの?」そう思うことって多いでしょ?

あるいは、上記の言い訳と犯人探しのスタイルは、音楽関係者の発言にも典型的に見られるでしょ?

「どう伝えるのか?」の問題に拘ることは、「何を伝えるのか?」という問題からの逃避のケースが多いわけ。「何を伝えるのか?」が自分でも明確ではないので、そんな人はコミュニケーション能力がヘタ。だからコミュニケーションが対等の会話ではなく、命令と服従の上下関係しかなくなってしまう。だから常に「どっちが上か?下か?」という序列を基に考えるようになる。韓国人がまさにそうですし、いわゆる音楽批評の世界でもおなじみの文言でしょ?

本来なら表現と言うものは、対象となるもの、と言うか、表現したいWHATに、「どこから光を当てるのか?」そして「どのような視点から表現するのか?」そのような問題が重要でしょ?

しかし、抑圧が進んでしまうと、個々の多彩な思考を理解する意欲もなくなるので、「どっちが上か?下か?」の序列問題ですべて解決しようとするわけ。ベストワンとか、最高傑作などの文言が登場してしまう。表現におけるWHATが消失してしまうわけ。そして減点部分だけに目が行って、反論されると逆上。

他人による様々な表現を通じて自分自身の問題を考えていく・・・表現を受けても、そんな発想にならないわけ。他者の作品から自分自身を逆照射することはできない。むしろ様々な作品を順番にならべて、「どっちが上か?下か?」と決定してオシマイとなる。他者の順番だけの問題にしてしまうことは、要は自己逃避なんですね。


以前に、イェリネクさんの「ピアニスト」という作品を考えるに当たって、演奏家という存在と精神的抑圧の強い相関関係について考えて見ました。特に中間領域の演奏家からは抑圧された精神が明確に見えて取れることが多い。人々に伝えたいものが明確に自覚できているのなら、何も演奏というスタイルではなくても、作曲という手段で伝えてもいいわけですし、素人的でも文章を書いたり、美術作品を制作すると言う方法だってあるでしょ?

伝えたいこと、やりたいことが自覚できないがゆえに、権威あるものに隷従し、HOWの問題だけに逃避する。そして上手く行かなくなると犯人さがし。抑圧的な人間はそんな行動をするものです。ナチスがそうですし、韓国人もそんなパターンですし、音楽批評もそんなパターンでしょ?

いわば抑圧状況の典型なんですね。ナチスが台頭する背景として、ドイツ全体のそんな精神状況もあったわけ。ナチスはいいところを突いているんですね。その抑圧的な状況の中での知的エリートがゲッペルスであり、フルトヴェングラーなのでは?

フルトヴェングラーだって、自分自身の抑圧を客体化することができれば、それを作品にすることもできたでしょう。それこそイェリネクさんが小説としてまとめあげたように。あるいは、共依存症状によるストーカー行為だって、それを客体化できれば、ベルリオーズのように交響曲にできる。しかし彼は抑圧された人間そのものとして生きた。

「自分は何をしたいのか?」と言う問題から逃避しているので、自分の目の前の状況が判断できない。常に『いい子』願望があって、人から否定されることを極端に怖がる。

「いい子」って、要は減点法でしょ?

いい子が成し得た成果って、歴史上ないでしょ?


フルトヴェングラーに関する本などを読んでいると、私などは忸怩たる思いに陥ってしまいます。

「どうしてゲシュタボの連中はフルトヴェングラーを追い込まなかったのだろう?」

「私に任してくれたら1年以内に必ず自殺させることができるのに・・・」

まあ、ゲシュタボも真正面からは追い込んだようですが、フルトヴェングラーのような共依存症状の人間に、真正面からプレッシャーを掛けて、困難な状況を作っても、むしろ「生きる張合い」になるだけ。それこそ人助けがいっぱいできるわけだから、喜んでそっちに逃避してしまう。ストーカーに対して、正面から力による解決を図ってもますます善意を持ってストーキングするだけでしょ?

「こんな困難な状況の中でアイツを救ってやれるのはオレだけ!」そのように、より強く思い込むだけ。そして当人の『善意』が、より熱くなるだけ。

まあ、ゲシュタボも所詮はドイツ人なんでしょうね。素朴で人がいいよ。人を精神的に追い込むことに関しては、むしろフランス人の方が上でしょう。あるいはロシア人とか・・・

まあ、ゲシュタボがフランス人の著作から拷問のノウハウを学ぶ必要があったのもよくわかりますよ。フルトヴェングラーを追い込むのは実に簡単なんですね。

彼のような頭がよくて、プライドがある人は言葉で追い込めるから、追い込むのもラク。オバカさんのように逆上することもできないのだから、あっという間に追い込めますよ。たとえば作品を委嘱すれば、それでOK。

「ドイツ音楽の栄光を表現する立派な交響曲を作曲してくれ!」

「時間は十分に上げるから・・・」

「キミは本当は、それをしたかったんだろう?」

なんて言えば、自分で勝手に追い込まれていきますよ。何と言っても作曲は自分自身と真摯に向き合わないとできないことでしょ?

フルトヴェングラーはそれが出来ない人なんですからね。もし、それこそ交響曲第2番のような作品が出てきたとしたら、

「ふんっ、なにこれ?」

「アンタは、本当にこれをドイツ音楽の栄光だと思ってるの?」

「へぇ・・・これがドイツ音楽の栄光の成れの果てなんだねぇ・・・」

なんて薄目を開けて鼻の先で笑えば済む話。あるいは、

「アナタのおかげで、アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺すことができました!ありがとう!」

なんて感謝してみなさいな。アウシュビッツの写真などを一枚一枚見せながらね。そして、最後に決めセリフ。

「君の父上もさぞよろこんでいるだろうよ!」。

もうこうなると、ドイツ芸術の守護者としての彼のアイデンティティが崩壊して、あっという間にドッカーンですよ。まあ、1週間以内でことが終了するでしょうね。

あるいは、前回言及した「ニーベルングの指環」のグンターのバカぶりを、描写してもいいわけでしょ?

「グンターってバカだよな!
だって、こんなこともわからないだからさっ。
君もそう思うだろ?グンター君!」

といって、指で額でもつついて上げればどうなるかな?

いずれにせよ、1週間あれば十分ですよ。相手の一番弱いところはどこなのか?

そこを瞬時に見つけ出し、そこをチクチクとニヤニヤと突いていく楽しみをドイツ人はわかっていないねぇ・・・

「いい子」と言う存在は、一番追い込みやすいもの。結局は、「人から自分はどう見られるのか?」という面にこだわってしまって、自分自身が本当にしたいことが自分でもわかっていないわけ。と言うか、そこから逃避している。

前も書きましたが、そんな精神状況では、作曲はできませんよ。それこそR.シュトラウスはナチとの関係で、戦争終結後になってモメましたが、シュトラウス自身は実に明確。自分がやりたいことが自分でもわかっている。

ナチから頼まれると、ナチの役職には就いたり、あるいは手紙にも「ハイル!ヒトラー!」なんて平気で書いたりしていますが、彼自身はナチに対して協力的ではない。

というか、戦争が終結する直前に、負傷した人たちがシュトラウスの山荘に逃げてきたそう。そんな命からがら逃げてきた人たちに対しシュトラウスは、

「おい!アンタたち、作曲のジャマだから出て行ってくれよ!」

なんて言ったそう。そんな対応をナチから怒られたシュトラウスは、

「いやぁ・・・オレが戦争を始めたわけじゃないんだから・・・そんなこと知るかよ!」

なんて言ったらしい。いやぁ・・・外道だねぇ・・・

シュトラウスの発想は、ナチを支持するしない以前に、人間的に外れていますよね?

まあ、「猫」的と言えるのかも?「アンタはアンタ、ワタシはワタシ」の精神。しかし、そんなシュトラウスだからこそ、あの混じり気なしのオーボエ協奏曲が書けるわけでしょ?

傲岸不遜で周囲の人間の犠牲を踏み越えて、自分の創作を推し進めるR.シュトラウスと、人助けに逃げ込んで、自分では創作しないフルトヴェングラーの関係は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ルードヴィッヒ」におけるリヒャルト・ワーグナーとルードヴィッヒの関係と同じ。


ルードヴィッヒだって、芸術家をサポートして喜んでいるよりも、ヘタはヘタなりにオペラの台本でも書けばいいじゃないの?

彼も、「立派な作品でないといけない!」なんて思っていたのでしょうね。だからとりあえず手をつけてみると言うことができない。しかし、だからこそ、自分を表現することができず、ますます自分から逃避してしまう。ルードヴィッヒもフルトヴェングラーもプライドが高い人ですが、逆に言うと、腰を曲げても実現したいものがないと言うことでしょ?

その点、リヒャルトは、手段を選ばず、周囲のことなどお構いなしに、どんどんと創作活動。フルトヴェングラーだったら逆立ちしても出来ませんよ。共依存症状のフルトヴェングラーだったら、シュトラウスのような事態になったら、喜んで人助けしますよ。

他者から依存される関係に依存する、この共依存状態では、自分単独で作曲することなんて出来ませんよ。しかし、この症状は、作曲には不適でも、演奏にはフィットしていますよね?

「アイツにはオレが必要なんだ!」「アイツのことを理解できるのはオレだけ!」なんて勝手に思ってストーキングするのは大迷惑ですが、

「ブルックナーにはオレが必要なんだ!」
「ベートーヴェンのことを理解できるのは、このオレだけ!」

そう思うくらいの思い込みはいいのでは?

それが演奏することの使命感につながるわけでしょ?

そんな使命感があるのなら、本来なら、指揮者専業で行けばよかったのでしょうが、そんな判断から逃げるのが抑圧的なアダルトチルドレン。だから自分が何をしたいのかわからずに、他者との関係性に依存するようになる。こんな態度ではプロの演奏家というか、職業としての演奏家としては失格ですよ。

しかし、逆に言うと、それくらいの「思い込み」がないと、芸術的な演奏にはならないでしょ?

そんな依存があるがゆえに、他人である作曲家との緊密な関係が築けたともいえるんでしょうね。抑圧が創造性につながった稀有な例と言えるのかも?

抑圧も極限まで進行し、ブレークスルーを経ることによって、ある種、突き抜けた境地になってしまう。この点は、フルトヴェングラーだけでなく、ゲッペルスもそのパターンなのでは?

自己を徹底的に抑圧することによって、自己解放を実現する。それが、フルトヴェングラーにとっての演奏。それは幸運な成果なの?

確かにその「成果」を、聴衆である我々は楽しむことができた。しかし、それって、まさにホフマンスタールの言う「私のこの苦しみから甘い汁を、吸おうとしたっただめだよ!」そのものでしょ?

もしかしたら、フルトヴェングラーは、そのセリフの意味を、R.シュトラウス以上にわかっていたのかも?

しかし、「だったら、それを作品にしなよ!」ってやっぱり思ってしまうのは無理なことなのかな?
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-11/07-11-08.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c5

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
162. 中川隆[-12837] koaQ7Jey 2019年1月20日 20:42:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
秋元康は芸能界を引退せよ 少女たちの人権を蹂躙する元凶 
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/474.html



 最近、NGTの問題が大騒動となり、海外メディア(ビルボード、米誌TIME、米国CNN、英紙ガーディアンなど)で大々的に報道された。NGTのメンバーが襲われたことも大きな問題だが、このことが起こった原因とその後の運営の対応が大きな問題で、日本の芸能界の闇が落としたものとも言える。一アイドルグループの問題で終わらせてはいけない問題であり、国際問題でもある。

 まず、事件を起こした人物が不起処分となったために、正確な情報の把握には困難となっている。インターネット上では虚偽の情報が入り交ざっているが、正しいと思われる情報も暴露されている。このところは極めて慎重に扱わなければ冤罪を生んでしまうが以下の点ははっきりとしている。

 被害に遭われた山口真帆さんが1月8日にライブ配信アプリ「SHOWROOM」で涙ながらに「悪いことしているヤツを解雇すると言ったくせに何も対処してくれない」と運営側を批判し、翌日早朝に自身のツイッターから「私は先月公演終わり帰宅時に男2人に襲われました」と告発したことからはじまる。

 人気アイドルが襲われるということは、本来ならすぐさまニュース報道される案件であり、本人の言から犯行グループの行動は命の危険を感じさせる凶暴なものであった。このような、レイプ未遂あるいは暴行殺人未遂事件の告白ということは、その後のタレント活動に影響を及ぼすため、非常に勇気がいる告発であった。しかし、運営側は事件から1か月以上も何も手を打たず、また対処しようとすらしなかった。事件が明るみに出てはじめて、グループを統括していた劇場支配人・今村悦朗の異動が決まった。

 運営側の説明やマスコミの報道がところどころ山口真帆さんとの告白証言と矛盾しており、これがかえって女性タレントの人権と生命を第一に考えておらず、自分たちの金儲けのための商品としてしか見ていないことが明らかになった。不幸なのは、勇気を振り絞って告発した山口真帆さんであろう。

今回の事件は、山口真帆さんのような若い女性が勇気ある行動を取って明るみに出たが、実際にはこのような類の事件は相当な数が闇から闇に葬られていると推定される。全ては秋元康を代表人、番頭とした芸能界の仕組みに原因がある。

 おニャン子クラブ以来、落ち目になっていた秋元康が、AKBをプロデュースしてから破竹の勢いで芸能界を席巻した。タレントたちは歌やダンスが抜群に上手いわけでもない。歌のメロディーは特に感動するようなものはなく、歌詞にいたっては児戯にも等しい。しかし、日本のギネス記録級のミリオンセラーを連発したのは驚異的である。その商法の特徴は次の通りだ。

 
@ タレントをテレビ局、出版社、広告代理店、スポンサーとなりえる企業、官界、政界、裏社会に売り飛ばして巨大な利権を手にする。そして、日本のマスコミを手中に収める。

A 商品価値のなくなったタレントは卒業させ、タレントの応募を常にして、日本中から少女を集める。研修生として従順な少女を選りすぐり、正規グループに採用する。そして、@に枕営業を行わせ、猛烈にプッシュさせる。

B マスコミの猛烈なプッシュにより、Aのタレントが日本中に存在が知れ渡り、多くのファンを獲得する。そして、巨大コンサート会場でのライブや握手会などのイベントにより、リピーターを作り出し、金を貢がせる。

@→A→B→@の繰り返しにより、現在巨大な売春組織が誕生してしまった。

 NGTの問題で、ともすればBの問題が批判されるが、オタクどもは無知で騙されて金をむしり取られる存在でしかない。タレントへのファンの暴走は美空ひばりや岡田奈々の頃から無数にあり、また、コンサートや握手会を実施している無数の他のアイドルグループがAKB系のように巨大になりえず、次々と解散していることを考えるとBに問題を帰すのは責任転嫁である。問題の本質をそらさせないように私たちは注意すべき必要がある。

 最大の問題は@である。そして今回の問題は@とBが癒着して、Aが犠牲になったという問題である。犯行者たちがグループを形成しているのは間違いないが、例えば、「週刊文春」2019年1月24日号で犯行グループの無職であるファンの一人が、一回のイベントで数十万円の金を使い込むことが書かれている。無職であるにもかかわらず、自身の生活費をはじめこれらの莫大な遊興費がどこからでてくるのか。資金源については全く追及されていないが、間違いなく半グレ・裏社会、もしくは相当な資産家の息子であることには間違いない。

(許平和氏によれば、支配人の今村悦朗はこの犯行者グループと繋がっており、犯行者グループの中心人物がバーニング事務所の幹部の息子であるという 
https://www.youtube.com/watch?v=3ZkqJtKQWA0 )

 このような人物が@と結託すると、Aのタレントたちの性や人権は蹂躙され放題となる。

 今、ネットユーザーなどから大きな批判が出ているのは、@を巧みに利用している裏社会勢力のことである。このことについては、近年では「大日本新政會」の総裁である笠岡和雄が、芸能界のドンである周防郁雄・バーニング事務所社長の悪事を次々に暴露したことで有名である。ブログは現在見ることができないが下に簡潔にまとめてある。

http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/203.html

 真偽のほどは分からないが、インターネットの掲示板に関係者と思われるタレコミには、東京オリンピックが開催中には世界中の国の主要人物が来日するが、その時の性接待に口の堅いAKB系を総動員するとの噂がある。これには、確たるソースがない。しかし、全くの虚偽とも思えない。なぜなら、これまでこのようなことを積み重ねてきて、これだけ巨大になったからである。世界の大富豪・権力者の弱みを握れば、莫大な富と権力を易々と手にできるのは自明であり、そのようなことを計画していても不思議ではなかろう。

 「週刊新潮」は秋元康、窪田康志と一緒にAKB48立ち上げた芝幸太郎(「office48」の代表取締役)が山口組幹部と親密な仲である証拠写真をスクープした。

 何かと批判も多く、改善すべき点も多々ある「週刊文春」だが、AKB系の@のゴシップを明らかにしてきた一面もある。(エステート24ホールディングス株式会社社長、集英社編集者、AKS窪田社長、電通AKB担当、ソニーミュージックエンタテインメント取締役など)

 芸能なんて昔からそんなものと考えている人がいるとしたら、それは時代錯誤も甚だしく、人権侵害(セクハラやパワハラ)を容認している非市民、非民主主義的人権迫害主義者である。Me Tooなどの女性の人権擁護運動によりアメリカではハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインが追放された。世界の流れに反している人権のない国が日本であり、後進国なのだ。

 秋元康はこれらの悪徳商法の代表者であり、番頭人である。しかしながらマスメディアを手中に収めており、このカリスマ的な存在に、日本中の多くの少女たちが騙される。日常生活で目に触れることの多い華やかな芸能界という道に憧れる少女たちにとって、秋元康は絶対的な存在であり、芸能界で活躍させてくれるプロデューサーだ。しかし、一皮むけば人間の欲望を一所に集めた人物である。その人物が、東京オリンピックの理事である。日本人の誰が望んだ?安倍総理は、口とは裏腹に、自身の権力を保つために、利用している。汚い国、日本はいらない。

 秋元康は即刻、東京オリンピックの理事を辞任し、多くの若者を地獄に突き落としてきた罪で芸能界を引退するように弾劾する。この勢力をこのままのさばらせれば、権力者たちの下の乱れによって国民生活が困窮することは、歴史上明らかである。私たち市民はこれからの新しい時代に、このような芸能界のあり方に批判の声をあげるべきである
 

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c162

[リバイバル3] 苗場スキー場 中川隆
64. 中川隆[-12836] koaQ7Jey 2019年1月20日 22:04:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

687名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/20(日) 21:40:42.40>>688

苗場は子供無料な上に、大人のリフト券が安く手に入るのもいい。
とある方法を使えば1日券が1600〜1700円だからね。

688名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/20(日) 21:43:29.73>
>>687
どうやるの?


689名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/20(日) 21:47:24.23
>>688
みんながやりだすと道がふさがれるから教えないが、
苗場かぐら共通1日券が3000円ならヤフオクで買える。

少なくとも早割を買うよりこっちのほうがお得。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html#c64

[リバイバル3] 幽玄の世界 _ モナリザは何故書き換えられたのか? 中川隆
8. 中川隆[-12835] koaQ7Jey 2019年1月20日 22:20:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

モナリザの下に3つの肖像画あった、モデルの真の姿か
2015.12.09 Wed posted at 12:06 JST
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35074669.html


「モナリザ」をフランスの科学者が分析


(CNN) レオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」を研究していたフランスの科学者が、モナリザの微笑の下に3つの肖像画が隠されていたことが分かったと発表した。

この研究を行ったのはフランスの科学者パスカル・コット氏。モナリザの下に描かれていた3つの肖像画のうち1つは、モナリザのモデルになったと言われる女性リザ・デル・ジョコンドの実際の姿と思われるという。

この女性は遠くに視線を向けていて、モナリザのような微笑は浮かべていない。コット氏はこれこそがジョコンドの真の姿だと確信したといい、この発見について「多くの神話を打ち砕き、ダビンチの名作に対する私たちの見方を一変させかねない」と位置付ける。

リザの別名はリザ・ゲラルディーニ。フィレンツェの商人の妻だった。

コット氏は多重スペクトルカメラでモナリザの表面に強い光を当てて反射を測定し、絵の具の層と層の間に描かれた内容を浮かび上がらせることに成功した。

美術史の専門家マーティン・ケンプ氏によると、モナリザも含めてダビンチの作品は、制作の過程で何度も手を入れているのが特徴だという。同氏はコット氏の説に疑問を投げかけながらも、研究に用いた技術は高く評価した。

BBCのドキュメンタリー番組を制作した美術史専門家のアンドルー・グレアムディクソン氏は、歴史を一変させる驚くべき発見だと評価している。





http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/199.html#c8

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
112. 2019年1月21日 00:59:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

怪異伝承 鬼殻村 _ ホラー映画を作っている人間の頭の中はどうなっているのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/178.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c112
[昼休み54] ユダヤ人は悪い 中川隆
28. 中川隆[-12834] koaQ7Jey 2019年1月21日 09:29:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2019年01月20日
ユダヤ人からの献金 / 政治家に金銭を渡す人々(後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68750064.html


気前の良いユダヤ人
Jews 2Fagin (Ron Moody)


  普通の日本人あがリカの民衆党と聞けば、庶民の味方をする政党と勘違いしてしまうが、その実態を探ってみると、大富豪が代議士を買収し、愚劣な平民を利用する連中と判る。確かに、個々の法案ではマイノリティーを助けたりするが、そんなのはチョコレートの“おまけ”みたいなもので、取るに足らぬ「ご褒美」である。低賃金に甘んじる黒人やヒスパニックの有権者にとって、複雑怪奇な金融とか外政は木星の嵐と同じで、彼らの日常生活には関係無い。というより、理解の範囲を超えているので、議会で何が討論されているのかさえ分からないのだ。たとえ教えてもらっても専門用語がズラリとならんでいるからチンプンカンプン。まさしく馬の耳に念仏といったところだ。1分もすれば飽きてしまう。

  デモクラシーでは「数が力」となっているが、その前に「金銭は実弾」となっている。どんなに固い「理想」を纏っていても、黄金の銃弾はその鎧(よろい)を貫く。でも、大抵の政治家は発射前に平伏すから、無傷のまま大喜び。額に値札を附けた議員なんて本当に情けない。ところで、献金額もさることながら、「誰がお金を渡しているのか?」ということも重要だ。淫乱キャバレー(sleazy joint)の踊り子になら20ドルや30ドルくらい投げ与えても大した意味は無いが、政治家に100万ドル単位の寄付となれば話は違ってくる。(ただし、表に出せない「袖の下」もある。まさか、裏金を証拠が残る小切手で払う馬鹿はいないだろう。でも、これは「いくら」なのか判らないから、ここでは除外するしかない。) ということで、誰が“なんぼ”渡したのかを知ることは、アメリカ政治を理解するうえで役に立つはずだ。

  2018年を振り返って、その献金者リストに目を通すと、「えっ!」と驚くような事実があった。なんと、上位リストの中に多くのユダヤ人が含まれていたからだ。(Open Secretsが掲載したリストを参考にしてみる。)

  まづ、第1位となったのは、共和党にジャブジャブと資金を流し込むカジノ王シェルドン・アデルソン(Sheldon Adelson)とミリアム(Miriam)夫人だ。「ラスヴェガス・サンズ」を運営するアデルソンについては、以前、当ブログでも紹介したので、ここでは詳しく述べない。(記事1と記事2を参照。) このユダヤ人大富豪は、大統領候補にもなったミット・ロムニー元知事などを支援していたが、共和党の保守派を支持している訳じゃない。アデルソンが最も大切にしているのはイスラエルで、彼は「心の祖国」が安全になるようアメリカ兵を活用しろ、と述べていたのだ。

Sheldon Adelson 0001Tom Steyer 001Richard Uihlein 1


(左: シェルドン・アデルソン / 中央: トマス・スタイヤー / 右: リチャード・ユーライン)

  第2位は、これまたユダヤ人のトマス・スタイヤー(Thomas Steyer)である。日本ではほとんど知られていないが、彼は投資会社「ファラロン・キャピタル・マネイジメント(Farallon Capital Management)」の創業者で、大統領選に出馬したいとの願望を抱いている。彼の母親はエピスコパル教会のキリスト信徒だが、父親は非宗教的なユダヤ人であるという。彼の経歴は眩しく、幼い頃はニューヨークの名門校「バックリー(Buckley)」に通っていた。かつて、この学校にはデイヴィッド・ロックフェラー・ジュニアやフランクリン・D・ローズヴェルトが通っており、トランプ大統領の長男、ドナルド・ジュニアも卒業生だ。そして、ジュニアの子供達、つまり大統領の孫になるドナルド3世、トリスタン、スペンサーも通ったそうだ。「バックリー」を卒業したスタイヤーは、これまた名門私立の寄宿学校「フィリップス・エクスター・アカデミー」に進学し、そこからイェール大学に入り、卒業後は二年間ほど「モルガン・スタンレー」に勤めた。彼は更に学歴を積むため、ハーヴァード大学ならびにスタンフォード大学のビジネス・スクールに入ったというから何とも凄い。

Robert Rubin 1(左 / ロバート・ルービン元財務長官)
  スタイヤーはスタンフォードに在籍していたものの、並立して「ゴールドマン・サツクス」に勤め、後に財務長官となるロバート・ルービン(Robert Rubin)のもとで働いたという。(ユダヤ人はユダヤ人と馬が合う、という典型例だ。) 1983年、スタイヤーはルービンの紹介で、大統領選に出馬したウォルター・モンデールを手伝ったそうだ。そして、二年間の勤務でゴールドマン・サックスを去ったスタイヤーは、自分の投資会社をカルフォルニアに設立する。充分な資産を築いたスタイヤーは徐々に政治的野心に目覚め、大統領を目指すようになった。スタイヤーは民衆党のリベラル派らしく、気候変動とか地球温暖化を看板にして環境左翼の票を当てにしているが、その過去はドス黒い油に塗れていた。このユダヤ人左翼は、排出ガスによる環境破壊を危惧する善人を装っているが、個人的にはカナダのエネルギー会社に多大な投資をしていた。つまり、「オイル・サンド」に目を附けたスタイヤーは、黒い砂で大儲けしようと企んでいたのだ。

Al Gore 2Al Gore house in Montecito

(左: アル・ゴア元副大統領 / 右: モンテチトにあるゴア氏の豪邸)

  お金持ちのリベラル派というのは、「やること」と「言うこと」が違っている。こうした矛盾を「矛盾」と感じないのはスタイヤーだけではなく、アル・ゴア元副大統領も同じで、他人に対しては二酸化炭素の大量排出を警告しながら、自分の邸宅では“たっぷり”と電気を使っていた。アメリカの一般有権者はゴア氏の月額使用料を見てびっくり。一般家庭の何倍もの電気を消費しており、その言動と行動の違いに呆れてしまったそうだ。まぁ、彼の豪邸(マンション)を見れば、六畳二間のアパート暮らしじゃないことくらい直ぐ分かる。だいたい、上院議員のを父に持つお坊ちゃんが、日本人のように「節約グッズ」なんて使うのか?

Al Gore house in MalibuAl Gore mansion $9 Millon in CA


(左: マリブにあるゴア氏の別荘 / 右: ゴア氏がカルフォルニアで購入した邸宅 )

  アメリカには偽善的環境保護派が多く、有名俳優にも「意識の高い」人物が多いらしい。例えば、メリル・ストリープとかロバート・レッドフォード、レオナルド・ディカプリオ、ベン・アフレック、オリヴィア・ワイルド、アレック・ボールドウィン、ナタリー・ポートマン、ベット・ミドラーなどが挙げられる。でも、彼らは映画撮影で散々エネルギーを浪費し、豪華なリムジンで移動していたじゃないか。そんなに排出ガスが嫌なら、走って撮影所まで行くべきだ。そう言えば、“ナチュラル”派のロバート・レッドフォードは昔、目を見張るようなプライベート・ジェット機で日本にやって来たが、どれくらい燃料を使っていたのか、ぜひ教えてもらいたい。

  話しを戻す。第3位は前回紹介したリチャード・ユーランイ。第4位は、ニューヨーク市長を務めたマイケル・ブルーンバーグ(Michael Bloomberg)で、彼は言わずと知れたユダヤ人ビジネスマン。第5位も、これまた裕福なユダヤ人ビジネスマンのドナルド・サスマン(Selwyn Donald Sussman)ときている。彼は投資顧問会社「パロマ・パートナーズ(Paloma Parters)」の会長で、最初の妻ローリー・ティッシュ(Laurie Tisch)と離婚したあと、メイン州選出の下院議員シェリー・ピングリー(Chellie Pingree)と再婚した。(ローリーはレーガン政権で郵政長官を務めたプレストン・ロバート・ティッシュの娘。) しかし、この結婚も長続きせず、二人は2016年に別れている。

Michael Bloomberg 1Donald Sussman 1James Simons 2George Soros 7


(左: マイケル・ブルームバーグ / ドナルド・サスマン / ジェイムズ・シモンズ / 右: ジョージ・ソロス )


  第6位はヘッジ・ファンドの「ルネサンス・テクノロジー」を率いるジェイムズ・シモンズ(James Harris Simons)で、ヒラリー・クリントンの支持者である。金融業界でのし上がったシモンズではあるが、元々はマネー・ゲームとは程遠い数学者であった。大学で数学の博士号を取得したシモンズは、研究員として防衛分析所(Institute for Defense Analysis)のリサーチ部門に勤め、MITやハーヴァード大学で数学を教えたこともあるそうだ。こうした経歴を経た後、彼は自分のヘッジ・ファンド会社を創設し、現在では現役を退き名誉会長に納まっている。第7位は紹介する必要も無い、ヘッジファンド業界の巨人、ジョージ・ソロス。第8位も、これまたユダヤ人。スティーヴン・シュワルツマン(Stephen A. Schwarzman)は共和党の大口献金者。彼は元「リーマン・ブラザース」のCEOで商務長官を務めたピーター・ピータソン(Peter George Peterson)と一緒に、かの有名な投資会社「ブラックストーン・グループ(The Blackstone Group)」を創設した。

Stephen Schwarzman 2Fred Eychaner 1Kenneth Griffin 1Anne Dias Griffin 2


(左: スティーヴン・シュワルツマン / フレッド・アイチュナー / ケネス・グリフィン / 右: アン・ディアス・グリフィン )

 第9位は「ニューズウェッブ社(Newsweb Corp.)」の会長を務めるフレッド・アイチュナー(Fred Eychaner)で、これまた民衆党を支持するユダヤ人。創設者のアイチュナーは新聞、ラジオ、テレビ局を傘下に納めるメディア業界の大御所。第10位はケネス・グリフィン(Kenneth C. Griffin)で、彼はレーガン大統領に共感し共和党の支持者になった。グリフィンは「シタデル投資グループ(Citadel Investment Group)」というヘッジファンドを設立し、若手の投資家として知られている。彼の妻アン・ディアス(Anne Dias-Griffin)も投資家で、「タイガー・マネージメント社(Tiger Management Corp.)」のジュリアン・ロバートソン(Julian Hart Robertson, Jr.)と共に「アラゴン・グローバル・マネージメント(Aragon Global Management)」社を設立した凄腕だ。大学の頃から優秀だったアンは、「ゴールドマン・サックス」や「フィデリティー・インヴェストメント」のアナリストを務めていた。いつまでも他人の会社に勤めていないで、さっさと自分のヘッジファンド会社を設立するくらいだから、相当な遣り手だ。

   支持政党         献金総額

1 シェルドン・アデルソン (ユダヤ人)       共和党 $113,036,500 
2 トマス・スタイヤー (ユダヤ人)           民衆党  $50,773,518
3 リチャード・ユーライン         共和党 $39,095,229
4 マイケル・ブルームバーグ (ユダヤ人)        民衆党 $38,229,487
5 ドナルド・サスマン(ユダヤ人)            民衆党 $22,876,300
6 ジェイムズ・シモンズ(ユダヤ人)          民衆党 $18,918,210
7 ジョージ・ソロス(ユダヤ人)             民衆党 $17,365,586
8 スティーヴン・シュワルツマン(ユダヤ人)     共和党 $12,814,000
9 フレッド・アイチュナー(ユダヤ人)          民衆党 $12,173,500
10 ケネス・グリフィン           共和党 $11,070,100

  こうして献金者リストのトップを見てみると、10人中8名がユダヤ人と判る。まともな精神を持つ西歐系アメリカ人なら、何となく嫌な気分になって眉を顰めるはずだ。もし、日本で献金者の上位10名が朝鮮系だったら、一般の日本人はどう思うのか? 政治に関心の無い国民でも、一瞬「えっ!」と言葉を詰まらせ、率直な感想を述べてはならないと察知するだろう。本当に呆れるくらい、アメリカの政界はユダヤ・マネーで溢れている。例えば、46歳の若さで亡くなったスティーヴ・モスティン(Steve Mostyn)は、ユダヤ人弁護士で、民衆党の資金管理団体「プライオリティーズ(Priorities) USA」に何百万ドルも注ぎ込んでいた。通信技術の設計・開発で有名な「クアルコム(Qualcomm)」の会長アーウィン・ジェイコブス(Irwin Mark Jacobs)も民衆党支持のユダヤ人。ハリウッドの大物プロデューサー、ジェフリー・カッツェンバーグ(Jeffrey Katzenberg)も民衆党を支援するユダヤ人なんだから、「アメリカは一体どうなっているんだ?」と言いたくなる。ちなみに、ジェイコブズもカッツェンバーグも、民衆党のドル箱たる「プライオリティーズUSA」に献金する常連であった。

Steve Mostyn 1Irwin Jacobs 2Jeffrey Katzenberg 2

(左: スティーヴ・モスティン / 中央: アーウィン・ジェイコブス / 右: ジェフリー・カッツェンバーグ)

  一般の日本人は歐米の歴史や政治を学んでも、不思議とユダヤ人については調べない。日本の出版界は儲け主義を優先しているので、ユダヤ人に関する書籍は宗教を絡めた陰謀論や荒唐無稽なオカルト本が主流となっている。確かに、太田龍や宇野正美、赤間剛の本は娯楽的要素が多いから面白い。でも、真面目な日本人には耐えられない程の俗論である。日本の知識人はもっと現実的な視点からユダヤ人を研究すべきだ。イルミナティーとかユダヤ教徒の陰謀といったものではなく、政治家を買収する億万長者とか、国境を破壊するグローバリスト、経済の枠組みや社会のルールを変える者、金融制度を“合法的”にいじくる者などに焦点を当て、現実主義で論じるべきだ。訳の解らぬ宗教的黙示録よりも、100万ドル献金して1億ドル儲けようとするユダヤ人の方が、よっぽどリアルじゃないか。(アメリカ議会は向こう10年間で330億ドルの支援をイスラエルに与えようと画策しているそうだ。ユダヤ人のポケットにはいっているのかどうか知らないけど、マルコ・ルビオ上院議員たちは、「どんな」目的で国民の税金をイスラエルのユダヤ人に“献上”しようとしているのか? ちなみに、一般のアメリカ国民はこの「贈与」については全く知らない。それも当然で、主流メディアが一切触れないからだ。)

  そもそも、「中東でのハルマゲドン」を妄想するくらいなら、ワシントンで暗躍するイスラエルの工作員やアメリカ国籍を持つユダヤ人協力者を洗う方が遙かに有益である。彼らはムスリム・テロリストよりも遙かに危険だ。爆弾を抱えたアラブ人なら直ぐ「敵」と分かるが、高級なスーツを着てウォール街を闊歩する金融業者とか、連邦議会で財政・軍事政策を決めてしまう上院・下院議員だと、“いかがわしい”ユダヤ人と判っていても排除することはできない。歐米の保守派は「内なる敵(Enemies Within)」に敏感だが、国内にタカる異人種を攻撃するにしても人数的に劣勢だし、肝心のお金にも困っているから、場外で吠えるだけの負け犬となっている。これじゃあ、保険屋の謳い文句じゃないけど、「お金は大事だよぉ〜」と唄いたくなるよねぇ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68750064.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/102.html#c28

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
13. 中川隆[-12833] koaQ7Jey 2019年1月21日 09:39:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
2019.01.21
不正行為で潤う支配層は内部告発を嫌い、報復する


 CIAによるクーデター、要人暗殺、住民皆殺し作戦、電子情報機関の存在などがアメリカ議会で明らかにされたのは1970年代だった。政府機関による犯罪的な行為が明るみに出る過程で内部告発が果たした役割は小さくない。そこで1970年代の後半から内部告発を難しくするようにシステムは変更され、「民営化」も進められた。そして、メディアの内部からは気骨あるジャーナリストが排除されていく。

 それでも抵抗は消えず、内部告発を支援するウィキリークスも作られた。創設者のひとりであるジュリアン・アッサンジはアメリカの支配層に狙われ、2010年にスウェーデン当局が逮捕令状を発行したことからロンドンにあるエクアドル大使館から外へ出られなくなった。

 話はふたりの女性がスウェーデンの警察でアッサンジにHIVの検査を受けさせられるかと相談したことから始まる。この訴えで逮捕令状が出され、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道して騒動が始まるのだが、翌日には主任検事が令状を取り消す。レイプした疑いがあるとは認めなかったからだ。

 しかし、その決定を検事局長が翻して捜査の再開を決める。その直後にアッサンジはスウェーデンを離れた。逮捕令状の請求はその2カ月後のこと。

 2017年にスウェーデン当局は捜査を中止、逮捕令状を取り消すのだが、​11年にアメリカは秘密裏にアッサンジを起訴していた​。これは裁判所へ提出された文書の中に記載されている。

 アッサンジに逮捕令状が出る半年ほど前、ウィキリークスはブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵から提供された映像を公開している。

 その中には2007年7月、バグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍のヘリコプターが銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていた。ヘリコプターの兵士は口頭で戦闘員を攻撃しているように報告しているが、映像を見れば非武装の人間だとわかる。

 だからこそマニングは内部告発したのだろうが、彼は2010年5月、アメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、17年5月まで収監された。

 マニング以外にも政府機関の不正行為を告発した人たちはいる。例えば電磁情報機関NSAの不正を明らかにしたウィリアム・ビーニーやエドワード・スノーデン、イランへ核兵器に関する資料を渡してイラン侵略の口実を作るというCIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアクだ。

 カルピンスキーはイラクのアブ・グレイブ刑務所で所長を務めていたが、所内での拷問が明らかになった後、2004年1月に停職となる。それに対して彼女はその年の6月、BBCに対して刑務所内で拷問が行われていたセクションを管理していたのは軍の情報部であり、彼女は実態を把握していなかったと主張した。

 刑務所内で撮影された写真については、兵士が独断で撮影することはありえないとも指摘した。カルピンスキー本人も命令していない。

 彼女によると、グアンタナモから来ていたジェオフリー・ミラー少将は拘束されている人々を犬のようなものだと表現、そうした人々が自分を犬以下の存在だと信じさせることでコントロールが容易になると主張していたという。2004年7月には、刑務所にイスラエル人の尋問官がいたとも話している。

 後にカルピンスキーは准将から大佐へ降格になった。

 キリアクはCIAの元分析官。2007年12月にABCニュースのインタビューで、CIAの同僚から聞いた話として、ウォーターボーディングと呼ばれる拷問が行われていると語っている。それが問題になり、結局、2013年に懲役30カ月の判決を受けた。

 スノーデンはロシアへ逃げ込む形になった。

 権力者は庶民に知られたくない情報を隠す。その口実として安全保障がしばしば使われるが、実態は犯罪的な行為の隠蔽。日本で成立した特定秘密保護法の目的もそこにある。権力者が内部告発を厳しく取り締まるのは自らの悪事が露見することを防ぐためにほかならない。そこで、「一罰百戒」ということで内部告発者を痛い目に遭わせるわけだ。

 かつて雪印食品の牛肉偽装を内部告発した西宮冷蔵の社長は事業の継続が困難な状況になったというが、その理由は不正を告発するような会社とは取り引きできないという会社が多かったからだ。AKSだけでなく、マスコミ、警察、検察の闇に光を当てることになった女性も厳しい状況に陥っている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901200000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c13

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
67. 中川隆[-12832] koaQ7Jey 2019年1月21日 10:35:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
フランス音楽の世界 GRFのある部屋 2019年 01月 20日
https://tannoy.exblog.jp/30371863/



長い間、クラシック音楽を聞いてきたつもりですが、やはりドイツ・オーストリアの音楽を中心に聞いてきたのだと思います。ここに来て、パグ太郎さんとOrisukeさんの影響で、フランス音楽やフランスの演奏家の盤が増えてきました。


レコードの世界では、ドイツ盤や英国盤のレコードと比べると、フランス盤は、レコード自体の盤質も硬く、総じて硬い音の印象があります。ヨーロッパを旅するとき、その国の空港でレンタカーを良く借ります。


運転中は、ライトクラシックの番組ををよく聞いています。音楽の時はそれほど感じないのですが、アナウンスの声や宣伝の時になると、音質が国によって随分違うのに気がつきます。そうじてドンシャリなのですが、それでも高域の明確なカーブと、子音が良く聞こえる音と、低域中心の音に別れます。


これはオーディオでもいえるようで、ドイツ人の好む音と、フランス人の好む音はまるで違っています。日本人お好みは、英国の放送に似ていると思います。フランスの車は、サスペンションも椅子のクッションもゆったり柔らか目なのですが、流れてくる音は、カチカチの音なのに驚かされます。

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今回のKenYoshida氏の録音問題も、きわめてフランス的な音だと思うと、凄く納得するのですが、問題のアルファレコードではなく、たとえば、ディリカのピアノ曲や同じくアーベンと演奏しているベートーヴェンのチェロソナタなどは、とても落ち着いた録音です。MIRAREというレーベルで、ジャケットもとても凝っていて、一枚一枚が美術品のようなつくりです。


Ken Yoshida氏の革新的な音作りとは違って、MIRAREレーベルの音は、ジャケットのように落ち着いて聞いていられます。そこで、MIRAREのカタログを見ていたら美しいジャケットばかりで、知らない曲が多いので、ひさしぶりにジャケット買いをしました。そして、そのCDが昨日、ヨーロッパから届きました。美しいジャケットばかりで、見ているだけで楽しくなります。


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中でも、ピアノの前で憂い顔で首を傾げている女性と、パリのカフェで、誰かを待っているような女性の姿のジャケットです。よく見ると、ドイツ兵の軍服姿もあり、どうやら占領下のパリの絵のようです。そして、雨に煙るセーヌの橋と、アルプスの山間の風景でしょうか?ジャケットを見ているだけで、中の音楽が聞こえてくるようです。

この演奏をしているのが、フランスの女流ピアニストのアンヌ・ケフェッレックです。ベテランのピアニストで、調べてみたら、同期生でした。非常に味わい深い演奏を行っています。バッハやフランスのサティなどを得意にしています。滋味深い音にとても落ち着きます。


Anne Queffélec - Bach & Händel - Live Concert - HD - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZTRdbqxTa6M

同じフランスのレーベルでも、arufaレーベルとは正反対の音作りで面白いと思いました。
https://tannoy.exblog.jp/30371863/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c67

[リバイバル3] フランスの音を聴く 中川隆
4. 中川隆[-12831] koaQ7Jey 2019年1月21日 10:36:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

フランス音楽の世界 GRFのある部屋 2019年 01月 20日
https://tannoy.exblog.jp/30371863/



長い間、クラシック音楽を聞いてきたつもりですが、やはりドイツ・オーストリアの音楽を中心に聞いてきたのだと思います。ここに来て、パグ太郎さんとOrisukeさんの影響で、フランス音楽やフランスの演奏家の盤が増えてきました。


レコードの世界では、ドイツ盤や英国盤のレコードと比べると、フランス盤は、レコード自体の盤質も硬く、総じて硬い音の印象があります。ヨーロッパを旅するとき、その国の空港でレンタカーを良く借ります。


運転中は、ライトクラシックの番組ををよく聞いています。音楽の時はそれほど感じないのですが、アナウンスの声や宣伝の時になると、音質が国によって随分違うのに気がつきます。そうじてドンシャリなのですが、それでも高域の明確なカーブと、子音が良く聞こえる音と、低域中心の音に別れます。


これはオーディオでもいえるようで、ドイツ人の好む音と、フランス人の好む音はまるで違っています。日本人お好みは、英国の放送に似ていると思います。フランスの車は、サスペンションも椅子のクッションもゆったり柔らか目なのですが、流れてくる音は、カチカチの音なのに驚かされます。

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今回のKenYoshida氏の録音問題も、きわめてフランス的な音だと思うと、凄く納得するのですが、問題のアルファレコードではなく、たとえば、ディリカのピアノ曲や同じくアーベンと演奏しているベートーヴェンのチェロソナタなどは、とても落ち着いた録音です。MIRAREというレーベルで、ジャケットもとても凝っていて、一枚一枚が美術品のようなつくりです。


Ken Yoshida氏の革新的な音作りとは違って、MIRAREレーベルの音は、ジャケットのように落ち着いて聞いていられます。そこで、MIRAREのカタログを見ていたら美しいジャケットばかりで、知らない曲が多いので、ひさしぶりにジャケット買いをしました。そして、そのCDが昨日、ヨーロッパから届きました。美しいジャケットばかりで、見ているだけで楽しくなります。


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中でも、ピアノの前で憂い顔で首を傾げている女性と、パリのカフェで、誰かを待っているような女性の姿のジャケットです。よく見ると、ドイツ兵の軍服姿もあり、どうやら占領下のパリの絵のようです。そして、雨に煙るセーヌの橋と、アルプスの山間の風景でしょうか?ジャケットを見ているだけで、中の音楽が聞こえてくるようです。

この演奏をしているのが、フランスの女流ピアニストのアンヌ・ケフェッレックです。ベテランのピアニストで、調べてみたら、同期生でした。非常に味わい深い演奏を行っています。バッハやフランスのサティなどを得意にしています。滋味深い音にとても落ち着きます。


Anne Queffélec - Bach & Händel - Live Concert - HD - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZTRdbqxTa6M

同じフランスのレーベルでも、arufaレーベルとは正反対の音作りで面白いと思いました。
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[昼休み54] 中野剛志 「没落について」 グローバル資本主義を超えてII 中川隆
6. 中川隆[-12830] koaQ7Jey 2019年1月21日 11:18:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

【中野剛志】橋下徹、小池百合子が推める道州制がヤバい理由【JPN保守チャンネル】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8W0nCVC3pvY

2019/01/09 に公開
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/338.html#c6

[昼休み54] 日本のリベラル派政治家は悪い 中川隆
35. 中川隆[-12829] koaQ7Jey 2019年1月21日 11:21:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
 



ゴーン事件が特捜部にとって組織の存亡をかけた戦いになる理由
https://diamond.jp/articles/-/191338
2019.1.21 村山 治:司法ジャーナリスト ダイヤモンド・オンライン


写真:ユニフォトプレス

 カルロス・ゴーン日産自動車前会長をめぐる一連の捜査で東京地検特捜部は11日までに、これまでの逮捕容疑をすべて起訴した。事件の舞台は今後は法廷に移る。

 著名な「カリスマ経営者」摘発は世界的にも反響を呼んだが、同時に、検察自身の大きな転換をも象徴する事件となった。

 ひとつは政官界の汚職摘発を最高の勲章とする「贈収賄」中心主義から、政治資金規正法や金融商品取引法の「情報開示義務違反」摘発を強化する事件モデルへの転換。

 もうひとつは、密室での脅しすかしで被疑者から自白を得るスタイルから「司法取引」で核心の供述を得る捜査手法への転換だ。

 平成の終わりにその2つを体現したのが、ゴーン事件だった。

政策買収型事件の摘発が始まり
贈収賄はぴったりの犯罪だった

 特捜検察は、国家や経済社会の基本構造にかかわる不正の摘発を国民から期待されてきた。その不正の中身は時代によって変わる。

 特捜検察が誕生した敗戦後のどさくさ時代は、政策買収の摘発が時代の要請だった。

 占領軍統治下での昭電疑獄(1948年)や、自民党一党支配の55年体制が完成する前夜に起きた造船疑獄(1954年)が代表的な事件だ。

 政官業もたれ合いによる護送船団型・利益配分型のシステムが完成した高度成長期には、業界の依頼を受けて船団の中核を占める大蔵省など官僚システムにちょっかいを出す「金権政治家」の監視と摘発が検察の主要な仕事になった。

 言い方を換えれば、護送船団体制を守るためのガス抜きが特捜検察の重要な役割だったともいえる。

 鉄道の路線認可をめぐり運輸相らが収賄罪に問われた武州鉄道事件(1961年)や共和製糖事件(1967年)、日通事件(1968年)などだ。そして、それらの事件にぴったりの摘発モデルが贈収賄だった。

 贈収賄事件は、事件の構造が単純で関係者も背任や粉飾決算などの経済事件に比べて少ない。小世帯の特捜検察にはもってこいの犯罪類型だった。

 当時は、贈賄側から金品の提供と賄賂の趣旨について供述をがっちり固め、一定の裏付けがあれば、収賄側が否認しても、裁判所はほぼ検察に軍配を上げてくれる、ありがたい環境もあった。

 このころには、検察の捜査も緻密になった。政策買収摘発の時代に多発した、職務権限の立証が不十分などの理由で、政治家被告らが無罪になるというような事態はほとんどなくなった。

金字塔のロッキード事件
政治家収賄摘発が“呪縛”にも

 そして、特捜部の摘発モデルの金字塔とされたのが、ロッキード事件(1976年)だった。

「日本の政府高官」が米大手航空機メーカーに買収され、航空機選定で便宜を図った疑いがあるとする国際的大スキャンダル。田中角栄元首相の盟友とされた政商や右翼の大物の存在も浮かび、世論は沸騰した。

 検察は国民から真相解明を求められ、苦労の末に、米司法省などから核心の資料を入手。田中元首相を、ロ社の代理店の丸紅側から、全日空の旅客機選定をめぐる請託を受け、5億円を受領したとする受託収賄罪で訴追するのに成功した。

 訴追容疑は、米国の調査で判明した事実を贈賄側の丸紅関係者の供述などでなぞり、がっちり固めたものだった。田中元首相は無実を訴えたが、裁判所は一、二審とも実刑判決を言い渡した。それに国民は喝采した。

 その「成功体験」が、検察をして、政治家に対する収賄罪摘発が、脱税、背任、横領などの経済事件より価値がある、と位置付けさせることになった。

 だがそれは、逆に特捜検察の呪縛にもなった。

政治家側の「進化」で形骸化
「収賄立件の壁」に苦しむ

 一方、度重なる検察の政界汚職摘発に、政治家側も学習する。

 有力議員は、贈収賄摘発モデルに対応して、職務権限の立証が容易な大臣ポストに就いている間はまず、業者からカネをもらわなくなった。その代わり、職務権限のない政党幹部として業者側の意に沿う政策決定にかかわり、また公共事業の個所付けなどで権力を振るって献金を受けるようになった。

 贈収賄での摘発は次第に困難になった。それでも、特捜部は「贈収賄」摘発にこだわった。ロッキード事件摘発の余韻が残っていた70年代後半に特捜部入りした検事(現弁護士)から、こんな話を聞いたこともあった。

 この検事が、有力国会議員に業界から莫大な裏金が流れていることをつかんで、「すごい事件です」と副部長に報告すると、「(賄賂の)趣旨はつくのか。つかないカネは捨てろ」と一蹴されたという。

 この議員は大臣ポストに就いておらず、国会質問などもしていなかった。カネの授受は明白だったが、収賄摘発に必須の職務権限がなかったのだ。

 結果的に自民党一党支配を終わらせることになった東京佐川急便事件(1992年)の捜査でも特捜部は、「収賄摘発の壁」に苦しんだ。

 政界のドンと呼ばれた金丸信自民党元副総裁が同社社長から5億円の闇献金を受けていたが、カネの受領当時、金丸氏は職務権限のある公職に就いていなかった。

 職務権限の壁を破り、金権政治に迫るもうひとつの武器として、政治資金規正法が用意されていたが、検察にとって当時の同法は「使えないザル法」だった。

 検察の予想に反して金丸氏は、マスコミ報道を受けた会見で「自らが5億円を受領した」とあっさり認めたため、検察は同法違反を適用した。最高刑は罰金20万円という軽罪ゆえ正式起訴にはいたらず、金丸氏は20万円を支払って事件は終結した。

 5億円もらって罰金20万円。法律の不備が生んだ処罰のアンバランスだったが、世論の怒りは検察に向かった。検察庁の看板には黄色いペンキがぶっかけられた。

 特捜部は、その後、国税当局の協力で金丸氏をゼネコンからの定期献金などを蓄財したとする脱税容疑で逮捕。ようやく世論の検察不信は収まった。

護送船団にとどめを刺した大蔵汚職
検察も市場化対応へ転換

 話は前後するが、バブル景気に浮かれた平成の最初の頃からは、市場を舞台にした企業の不正が目立ち始める。

 平成の最初の特捜事件であるリクルート事件(1989年)は、未公開株が政官業界に幅広くばらまかれ、利益提供の趣旨の特定が難しい事件だった。

 未公開株譲渡自体は合法だったが、マスコミの「濡れ手にアワ」とのキャンペーンで世論に火がついた。特捜部は渋々、重い腰を上げ、リクルートと取引があり賄賂の趣旨を立証しやすいNTT幹部や、就職協定に関する職務権限があると見込んだ藤波孝生元官房長官らを収賄罪で摘発した。

 NTTが米国から購入したスーパーコンピューターのリクルート社への転売に、中曽根康弘元首相の疑惑も取りざたされたが、摘発にはいたらなかった。

 リクルート事件と金丸事件を受けて政治資金規正法は強化改正され、さらに政党助成法の施行に伴い、政治家個人向けの企業・団体献金は廃止された。

 やがてバブル崩壊。その後始末が山場を迎えた90年代後半、住宅金融専門会社から都銀、長信銀まで金融機関の不良債権処理に税金が投入される事態に、国民の怒りはピークに達した。

 特捜部は、借り手貸し手の刑事責任追及に駆り出される。いわゆる「国策捜査」である。

 その最中、証券取引等監視委員会が掘り起こした証券大手や第一勧銀の総会屋への利益供与事件(1997年)の捜査で、大蔵官僚に対する金融機関の過剰接待が発覚する。

 バブルに浮かれた時代だった。「民・官」から「官・官」まで日本中で接待が蔓延していた。

 法務省は、金品でなく接待を賄賂とする収賄容疑での大蔵官僚摘発に消極的だったが、特捜部は、突き進んだ。

 この大蔵汚職事件(1998年)は、護送船団の中核を担った大蔵省に対する国民の信頼を失墜させ、名実ともに護送船団にとどめを刺すことになった。

 冷戦後の米国の市場開放圧力と経済社会の成熟で、日本は、「護送船団型」から「市場化対応型」へと変わることを余儀なくされた。

 それに伴い、検察に対する摘発ニーズは変わった。そして、それが検察の摘発モデルを変える転機にもなった。

 護送船団システムのミソは、官僚の情報独占と行政裁量権だった。それを解消すれば、業界が政治家に賄賂を贈って官僚から情報をとってもらったり、許認可に口をきいてもらったりする必要はなくなる――と考えられた。

 事実、このころから、政官業の利権を調整するフィクサーや、それと結んだ大物政治家は姿を消した。

政治資金規正法を積極活用
コンプライアンス強化を側面支援

 その潮流を強く意識していた法務省は、バブル崩壊後の企業再生のため「使いやすい司法制度」を求めた経済界の要望を受け、90年代末から2000年代初めにかけ、裁判員裁判や法科大学院設置などを柱とする司法制度改革を進めるとともに、検察運営でも大きくかじを切った。

 法務・検察当局は、市場経済がうまく回るよう、企業のガバナンス、コンプライアンス強化を側面支援するのも特捜検察の重要な仕事と位置付け、企業がからむ経済事件の摘発に力を入れ始めたのだ。

 柱は、産業界の自由競争を促進する独占禁止法と証券・金融市場の透明化と公正さを担保する証券取引法(その後金融商品取引法)に抵触する事件の摘発だった。

 そのため、それぞれの法律を所管する公正取引委員会、金融庁・証券取引等監視委員会との連携を強化した。

 鋼鉄製橋梁工事をめぐる道路公団の官製談合事件(2005年)や、ライブドアの風説の流布、粉飾決算事件、村上ファンドのインサイダー取引事件(いずれも2006年)は、その流れに沿って摘発された事件だった。

 もちろん、経済事件の摘発強化を打ち出したとしても、法務・検察が政官界の贈収賄事件を捨てたわけではない。ただこのころには、検察に寄せられる贈収賄の端緒情報も枯渇していた。

 検察幹部らは、大企業がからむ経済事件に対する行政の調査、検察の捜査で、企業の裏金やその支出先を解明し、政官界の腐敗に切り込む端緒とすることを期待したのだ。

 さらに政治とカネをめぐる不正に直接、切り込む武器として、政治資金規正法を積極活用する方向へと転換を図った。

 収支報告書への寄付金の過少記載を問われた坂井隆憲代議士の事件(2003年)などがそれにあたる。

 政治資金収支報告書への虚偽記入の罰則が「5年以下の禁錮または100万円以下の罰金」であるのに対して、収賄罪は「5年以下の懲役(受託収賄は7年以下)」。禁固と懲役の違いはあっても、刑務所で服役する期間は同じだ。

「腐敗政治家を政界から退場させる現実的効果と予防的効果、その両面から見て、贈収賄と政治資金規正法違反での摘発効力は変わらない」(当時の特捜幹部)という考え方が、転換の背景にあった。

 西松建設からの献金を同社が設立したダミーの政治団体からの寄付と偽って収支報告書に記載した容疑で、小沢一郎元民主党代表の秘書を逮捕した事件(2009年)の摘発もその発想の延長線上にあった。

固執した自白獲得捜査モデル
裁判所の「仲間意識」は助長

 こうして検察の「事件摘発モデル」は転換したが、一方で犯罪の証拠を収拾する検察の捜査の手法はまったく変わらなかった。

検察には、裁判所とのコラボで成立した「供述調書」という強力な武器があったからだ。

 先にも触れたが、戦後長い間、裁判所は、検事が作成した自白調書と、それを裏付ける一定の証拠があれば、有罪判決をほぼ言い渡してくれた。

 裁判所、検察庁は、戦前はともに司法省の傘下にあった官僚法曹(法曹資格を持つ公務員)だ。その「仲間内での信頼」が、「最強の捜査手法」を支えてきたともいえる。

「割ってなんぼ」が、特捜検事に対する評価基準になった。「割る」とは、捜査当局のストーリーに合う自白を得ることをいう。検察では、次第に、自白をとるためには手段を選ばない、供述調書至上主義ともいうべき状況が生まれた。

 被疑者らに対する利益誘導や恫喝が横行した。ゼネコン事件では、検察のストーリーに同意しない参考人を取り調べ検事が暴行して大けがをさせ、逮捕される事件まで起きたが、検察幹部らは「個人の資質の問題」と矮小(わいしょう)化し、抜本的な捜査手法の改革には取り組まなかった。

裁判員裁判導入で裁判官が豹変
供述に頼る捜査モデルは限界に

 だが、この「捜査モデル」も2000年代以降になると、転換を余儀なくされる。

 司法制度改革の目玉として2004年に成立し、2009年から施行された裁判員裁判の導入が状況を一変させたのだ。

 もともと裁判所は、検察と被告側を対等に扱うのが本来の姿だ。それまで検察と仲間内の意識が強かった裁判官たちの多くが、国民から選ばれた裁判員と一緒に事件を審理することになるのを機に、弁護側の主張に熱心に耳を傾け、検察の供述調書を疑いの目で見始めたのだ。

 検事と同じ川岸にいた裁判官が川の中州に移動し、そこから検察をじっくり観察する形だ。すると、それまで見えなかった検察側のアラがよく見えてきた。検察側が証拠採用を求めた供述調書などを裁判所が袖にするケースが目立ち始めた。

 しかし、検察の幹部らは相変わらず、取り調べ検事に対し、検察のストーリーを「裁判官が事実と認定しやすい」調書の作成を求めた。その行き着いた先が、大阪地検による村木厚子元厚労省局長の無罪事件であり、主任検事が無理筋の調書に沿うよう押収証拠に手を加えた証拠改ざん事件(ともに2010年)だった。

 改ざん事件では、主任検事だけでなく特捜部長らも逮捕され、検察に対する国民の信頼は吹き飛んだ。供述調書に頼る検察の捜査モデルは完全に壊れた。

 小沢一郎議員が政治資金規正法違反で強制起訴された事件(2011年)の公判で明らかになった東京地検特捜部の検事の事実に反する捜査報告書も、同じ構造で生み出されたものだった。

シュリンクした検察
日本版の司法取引導入に動く

 弁護士会はかねて、被疑者の取り調べを録音録画の下で行うよう求めていた。検察はそれを受け入れ、特捜事件で逮捕した容疑者の取り調べは、原則として、録音録画の下で行うことになった。

 十分な物証があれば、誘導、恫喝まがいの取り調べで無理筋の供述を得る必要はなく、犯罪立証はできる。しかし、従来の捜査手法に慣れ親しんだ検事たちは、カメラを意識して萎縮した。

 明らかに過剰反応だった。政界事件や大企業の背任など構造的な犯罪摘発は姿を消した。

 監視委、公取委、国税当局が金融商品取引法、税法、独禁法違反での告発を求めても、特捜部は受理に消極的になった。特捜検事から「どうしても起訴してほしいなら、割って(供述させて)持ってきてよ」と言われた、という話も一時流れた。

 法務・検察は、組織を挙げて捜査手続きの改革=新たな捜査手法の構築に向けて動きだす。

 目指したのは、検察に対し他人の犯罪を供述する代わりに、刑事責任の追及を免れたり、裁判で通常より軽い求刑を受けられたりする日本版の司法取引の導入だった。

 この時、法務・検察のリーダーになっていたのは、90年代初めに特捜部に在籍して調書中心の捜査の限界を自覚した検事たちだった。司法取引導入は彼らの悲願だった。

 2016年5月、録音録画と司法取引導入を柱とする刑事改革法が成立。司法取引は2018年6月から施行された。

 ゴーン事件は、こうして法務・検察が平成の時代に転換した検察の「事件摘発モデル」と「捜査手法モデル」にぴたりとはまる事件だった。

そして、「ゴーン事件」
組織の存亡をかけた戦いに

 特捜部は、ゴーン氏をまず、金融商品取引法違反で逮捕・起訴したが、有価証券報告書の報酬の過少記載を問うのは初めてだった。これまで、大企業の粉飾は、財務諸表の虚偽記載で摘発することが多かった。

 法曹界の一部からは、「形式犯」での逮捕であり、やり過ぎではないか、との声も出ているが、検察は、役員報酬の適時開示は企業のガバナンスにゆがみがないか、投資家が判断する上で重要なポイントであり、これこそが市場の公正を実現する本丸との位置付けだ。

 そしてその摘発の切り札になったのが、ゴーン氏の側近で経理実務を担当した秘書室幹部ら2人と特捜部が結んだ司法取引だった。

 2人は、虚偽記載の罪を減免してもらう代わりに、関係資料を提出しゴーン氏の容疑を裏付ける詳細な供述を行った。特捜部は、ゴーン氏側が気づかない間に、圧倒的な情報量で内偵捜査を進めることが可能となった。

 特捜部は、ゴーン氏による会社の私物化疑惑について会社法違反(特別背任)でもメスを入れた。

 日産と同様、経営トップの「闇」を抱えた企業はゼロではないだろう。ゴーン事件を機に、企業から検察に対し司法取引希望が続出する可能性もある。

 ただ、それは、あくまでゴーン氏らが裁判で有罪になった場合だ。

 無罪になれば、検察は内外から厳しい批判を受ける。特に、司法取引で供述を得た金商法違反が無罪になると、日本版司法取引は、事実上、「使えない捜査手法」としてお蔵入りになる恐れもある。

 ゴーン氏側は、起訴事実をすべて否認し、無罪を主張して徹底的に争う方針とみられる。公判での検察側の犯罪立証は容易ではない。特に、特別背任事件の成否は、特捜部の手が及びにくい海外での証拠収集がカギを握る。検察の捜査は今後も続くとみられる。

 検察の新たな武器となった司法取引についても、導入前から、罪のない共犯者を仕立てて検察と取引する「巻き込み」の危険が指摘されてきた。

「司法取引先進国」の米国では、有罪確定後のDNA鑑定によって冤罪(えんざい)が判明した250人について冤罪の理由を調べたところ、情報提供者が無実の人に対して不利な証言をしたケースが52件あり、うち28件が囚人の情報提供者だったとの調査結果もある。

 同調査では、「被告人が(同房の囚人に対して)罪を認める供述をした」と供述する検察への協力型証人証言が15件。検察官は証言と引き換えに囚人を軽い刑にしていたという。

 ゴーン事件でも、検察と司法取引した秘書室幹部らの供述の信用性、取引の動機などが公判の争点となることが予想される。

 捜査モデルチェンジをした特捜部にとっては、組織の存亡をかけた戦いになるのは必至だ。

(司法ジャーナリスト 村山 治)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/107.html#c35

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
61. 2019年1月21日 12:53:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c61
[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
1. 中川隆[-12828] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2015年9月7日
じつは日本でもロシアのものでもなかった?江戸期の北方領土
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:whiqw9WQ9-4J:www.kigyoujitsumu.jp/business/topics/8287/+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

水産資源に恵まれ、豊かな自然が残る千島列島。日本とロシアが互いに領有権を主張して譲らないこの島々に、いちばん最初に暮らしていたのは誰だったのか。北方領土問題をその原点の江戸時代にまでさかのぼってみると…。

じつは日本でもロシアのものでもなかった?江戸期の北方領土
画像提供:「露天風呂マニアの温泉探索記」

最初に暮らしていたのはアイヌ民族

 1643年、オランダのド・フリーズを船長とする東インド会社探検船が国後島、択捉島、得撫(うるっぷ)島を発見した。ときに徳川3代将軍家光の時代。このときフリースは得撫島に上陸して領有を宣言し、コンパニーランド(会社の島)と命名した。

 この歴史的事実を尊重すれば、オランダ人も「返せ!北方領土」である。

 その6年後、ロシアのコサック太平洋遠征隊が、千島を発見した。

 日本人も千島列島を知らなかったわけではない。それは松前藩が幕府に差し出した地図に、「くなしり(国後)」、「えとろほ(択捉)」、「うるふ(得撫)」など千島列島の名が記されていたことからもわかる。

 北方領土はもともとオランダのものなのか、ロシアか、それとも日本のものなのか?

 正解はどれでもない。千島列島の千島という名はアイヌ語のチェプカに由来する。ロシア語の呼び名クリルもアイヌ語の「人間」から派生している。
 その地には数千年前から千島アイヌが、漁撈をしながら、毛皮を周辺民族と交易して生活していた。

 北方領土を発見したのはアイヌ民族で、領有権は彼らのものだったのである。

ロシア人の南下を警戒し、田沼意次が北方に調査隊を派遣

 千島列島や樺太の領有権争いが日露の間で始まるのは、江戸時代も後期。ロシア人が毛皮を求めてカムチャツカ半島から千島列島を南下してからである。

 1761(宝暦3)年、ロシアのチョヌルイは、アイヌ人が捕獲したラッコなどの毛皮を武力で奪い、得撫島の女性たちを掠奪してハレムまで作った。毛皮を求めてロシア人が進出したカムチャツカ周辺では、19 世紀の間に原住民が 2 万人から 1,500 人に激減したというから、その激減ぶりは想像を絶する。

 こうしたロシア人の千島列島南下を深刻に受け止めたのは老中・田沼意次である。1784(天明5)年、初の調査隊を北方に送り込んだ。

 賄賂の問屋などといわれ評判の悪い田沼だが、外交問題には先見の明のある有能な政治家だった。

 調査隊の使命は、ロシア人の占領している島に最も近い島まで行くことで、一行中の最上徳内は国後島、択捉島を経て得撫島に渡り、そこにロシア人居住地を発見。これを皮切りに日本の北方領土への進出が始まる。

日本とロシアの領土争いの狭間で

 1800(寛政12)年、近藤重蔵の一行が小舟で択捉に渡り、その地に「大日本恵登呂府」と書いた柱を建てた。隣の得撫島にはロシア人が住んでいたので、択捉島を日本の最北端の領土としたのである。

 その前年には、国後島に南部藩の警備部隊が詰め、択捉島には南部藩と津軽藩の勤番所が設置されている。
 駐屯費用は南部藩だけで年間 1 万 4,000 両。米価換算で12億円以上になる。それに酷寒で病死者も続出したという。

 この多大な犠牲を払って、これより択捉島以南、樺太南部が日本の領土とされた。

 一帯は日本の商人によって漁場が開かれ、地元のアイヌと交易しながらの生活が始まったが、その地の生活ぶりはどうだったか?

 幕末に北方一帯を旅した松浦武四郎の『近世蝦夷人物誌』は択捉島について、こう証言する。

「日本の悪徳商人によってアイヌたちは昼夜の別なく酷使された。夫たちが仕事に出た後は、妻や娘たちが乱暴された。これを嫌がる者があれば氷雪の山に追いやるか、荒れ狂う海に船を出させて殺した。女は妊娠しても流産し、男は病にかかるとすぐ死んだ」

 日本の商人もロシアの毛皮商人と変わらず暴虐だった。わずか30年で択捉島のアイヌ人口は 2,000 人から 439 人に激減したという。

 領土争いでいつも被害者となるのは、そこに生活する人々である。

恐露病のもとを作った間宮林蔵

 最初の北方領土紛争は 1806(文化3)年、ロシアの樺太南部襲撃で始まった。ロシアの海軍士官フヴォストフ中尉率いる船が、樺太のクシュンコタンを襲い、放火と掠奪をし、その翌年の4月には択捉島に来襲した。

 このときの交戦の模様は南部藩士木村治五平が『私残記』に詳細に記録している。

 択捉島のシャナに2隻の船でやってきたフヴォストフの部隊は、まず艦砲射撃を加えた。迎え撃つのは幕吏戸田又太夫以下の南部・津軽両藩の部隊。すでに樺太襲撃の報を受けているので、南部・津軽両藩士は、さっそく攻撃をしようとするが、その場に居合わせた間宮林蔵がおしとどめた。
 ご存知、樺太を単独で探検し、間宮海峡を発見したあの間宮林蔵である。

 間宮によれば、

「ロシア側の大砲は上陸する際の礼法でござる」

 で、間宮の指示で白旗を揚げた使者が海岸に向かって歩いたが、使者はロシア兵の銃弾に内股を射抜かれてもんどりうった。それを見た日本の武士は蜘蛛の子を散らすように逃げた。完敗である。

「間宮殿が知ったかぶりの無駄口をいわなければ、水際でロシア人を攻撃して、追い返せたのに!」

 と木村治五平は悔しそうに書く。

 上陸してきたロシア人は20名程度、迎え撃つ日本側は 100 人以上だったから、間宮林蔵の知ったかぶりで出端を挫かれなければ撃退も可能だったかも知れない。以後、フヴォストフの一隊は1か月半も周辺を遊弋(ゆうよく)して、掠奪の限りを尽くした。

 歴史家は、この敗退が日本人の恐露病形成に大きな影響を与えたという。すると英雄・間宮林蔵は、その軽口で恐露病を生み出した人ということになるのである。

*本記事に掲載している択捉島の画像は、

「露天風呂マニアの温泉探索記」さま
https://blog.goo.ne.jp/akkii83/c/b6e7470b37abca10256ee6706b20ac22


のご厚意により使用させていただいております。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c1

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
2. 中川隆[-12827] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:27:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

アイヌが北方領土の先住民
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Senjuuminn.htm

 アイヌのガラス玉

 ガラス玉はアイヌ女性のネックレス(タマサイ)に使用された。樺太経由で伝来したもの、日本経由で伝来したものがある。大正時代に日本でアイヌブームが起こると、観光土産用に作られるなど、近年に作られた参考品も多い。
 


北海道ウタリ協会(アイヌの団体)

 アイヌは北方領土の先住民です。アイヌの団体である北海道ウタリ協会は、アイヌが千島・北海道の先住民であることを、日本政府は明確にすべきであるとしています。北海道ウタリ協会の決議を記載します。


「北方領土」問題に関する基本方針 (1983年総会において決議)       

 北海道ウタリ協会は、昭和57年度総会において、千島列島における先住民族としてのアイヌの権利を留保する旨決議したが、本日の総会において同問題に関する次の基本方針を確認する。

1.政府及び道は、徳川幕府による開発以前の全千島における先住者であるアイヌ民族の地位を再確認すること。

2.政府及び道は、「北方領土」に関連し、北海道についても先住者がアイヌであったという厳然たる歴史的事実を明確にすべきこと。

 北海道ウタリ協会は、アイヌが千島列島の先住者たることを、ここに資料を持って立証する。

日本政府の説明

 日本政府は、北方領土問題に於いて、アイヌの存在を無視する傾向が強い。たとえば、日本政府外務省発行「われらの北方領土」では、アイヌの言及は無い。また、アイヌの代表が北方領土交渉にはいることを容認していない。


(日本政府外務省発行 われらの北方領土 2005年版から)

 択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、我が国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土です。

 我が国はロシアより早く、北方四島、樺太及び千島列島の存在を知り、既に一六四四年には、「クナシリ(国後)」島、「エトホロ(択捉)」島等の地名を明記した地図(正保御国絵図)が編纂され、幾多の日本人がこの地域に渡航していました。我が国の松前藩は、十七世紀初頭より北方四島を自藩領と認識し、徐々に統治を確立していきました。


 政治家も、アイヌの存在を無視した発言をしている。


中曽根康弘首相「日本は単一民族だから高い教育水準を保つことが出来る(1986年10月)」

伊吹文明文部科学相「日本は大和民族が歴史的に統治してきた(2007年2月25日)」

麻生太郎総務大臣「(日本は)一国家、一文明、一言語、 一文化、一民族。ほかの国を探してもない(2005年10月15日)」

平沼赳夫経済産業相「小さな国土に、一億2600万人のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日本が世界に冠たるもの(2001年7月2日)」

鈴木宗男衆議院議員「北海道にはアイヌ民族というのがおりまして、・・・、今はまったく同化されている(2001年7月2日)」

(肩書きは発言当時のもの)

ロシアの博物館展示

 現在、ロシアでは、北方四島の先住民について、博物館等で展示している。ロシアは多民族国家なので、先住民族の評価が日本と全く異なります。



択捉島 クリリスクの博物館展示 択捉島 クリリスクの博物館展示 国後島 ユジノクリリスクの博物館展示


サンクトペテルブルグのロシア民族博物館は、22コレクション2600点のアイヌ資料を収蔵している。この多くは、V.N.ヴァシーリエフが1912年に北海道や樺太で収集したもので、多くは収集地が判明している。

 平成17年これらの収蔵品の一部が札幌(4月22日〜6月19日)、川崎(7月2日〜8月28日)で展示された。左図は、このときの図録です。(クリックすると拡大します。)

 ロシアでは、北海道・樺太・千島の先住民は、日本民族とは異なるアイヌ民族であることが知られています。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Senjuuminn.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c2

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
3. 中川隆[-12826] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:32:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

アイヌ民族は「ロシアの先住民族」 プーチン大統領が認定方針 2018/12/19
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/259605


 【モスクワ小林宏彰】ロシアのプーチン大統領は、クリール諸島(北方領土を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示した。11日にモスクワで開かれた人権評議会で参加者から提案があり、プーチン氏は「同意する。正しいことだ」と述べた。

 評議会では、人権活動家のアンドレイ・バブシキン氏が「ロシアは多民族国家だが、国が認めていない民族もいる。その一つが極東の島々の最も古い民族であるアイヌ民族だ」と指摘。ロシアの先住民族として認めるよう提案し、プーチン氏は支持を表明した。バブシキン氏は、現在のロシアのアイヌ民族について「カムチャツカ地方に105人しかいない」と説明した。

 ロシアは旧ソ連時代を含め、アイヌ民族の存在を公式には認めてこなかった。一方、日本国内には、日本の先住民族であるアイヌ民族が北方四島に住んでいたことから、四島は歴史的にも日本固有の領土だとする考え方もある。

 プーチン氏がアイヌ民族をロシアの先住民族として認める考えを示した背景には、日本側のこうした主張をけん制する狙いがある可能性もある。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/259605
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c3

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
4. 中川隆[-12825] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:44:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

佐々木史郎「アイヌ文化と北方世界」
開催日:平成24年 10 月 6 日(日)/開催場所:東京国際フォーラムホール
https://www.frpac.or.jp/about/files/H24%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%80%80%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%8C%B2%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8F%B2%E9%83%8E%EF%BC%88%E5%9B%B3%E7%89%88%E7%84%A1%EF%BC%89.pdf

みなさん、こんにちは。国立民族学博物館の佐々木と申します。これから一時間ほど宜しくお願い致します。私の今日のお話は「アイヌ文化と北方世界」とタイトルを付けました。内容的には、アイヌ文化がどの程度北の世界に適応したものであるのか、それから、アイヌの人々が暮らした北の世界にはどういう歴史があったのかということを中心にお話していきたいと思います。私の専門はシベリアあるいは極北地方ですので、私の専門としている地域からみますと、アイヌの人々が暮らしている北海道というのは南の世界になってしまいます。ですから、アイヌの人たちの生活がどこまで北方的だったのかという疑問を抱いて研究してまいりました。そこで、今回のお話は次の三つの点についてお話していきたいと思います。


1)アイヌ民族文化のうち、北方的な要素に焦点を当てて、彼らの文化がどのように寒冷地に適応していったのかを明らかにする。

2)アイヌ民族が暮らしてきた地域と同じ気候帯(亜寒帯)にあり、同様の生態系の中で暮らしてきた周辺民族との交流を明らかにする。

3)近世以降アイヌの地に進出(侵略)した、日本、中国、ロシアの3国の動向をアイヌ民族の視点から見直してみる。


1つめのアイヌの人たちの文化がどういう面で北方的なのか、どういう面で北方的ではないのかということをお話ししたいと思います。アイヌの人たちは、孤立してアイヌの人たちだけで暮らしてきたわけではないし、南にいる日本人とだけ接触していたわけではありません。アイヌの人たちよりも北に住んでいる人たちとも、密接な接触関係を持ってきておりました。さらに、現在アイヌの人たちの大半がこの日本という国に住んでいますけれども、実は面積的には彼らが住んでいた土地の半分近くが、現在ロシア領になっています。そのために日本人と並んで、ロシア人とも頻繁に接触しています。また以前には中国とも関係を持っていました。そのような、我々日本人があまり知らない歴史についても触れていきたいと思います。

まず、アイヌの人たちの本来の居住地、つまり、日本、ロシア、中国などといった国が北海道の周りの土地を国境という線で切り刻んでいく前、具体的にいえば江戸時代より前の時代にアイヌの人たちはどういうところに住んでいたのでしょうか。今の研究では、アイヌ語でアイヌモシリとよばれたアイヌの人たちの住んでいた地域というのは、南は東北地方の一番北の端、つまり津軽・下北半島の先端が含まれます。そして北は、現在のサハリン、昔日本では樺太と呼ばれた大きな島の中ほどまで。西は北海道の渡島半島から東はカムチャツカ半島の先端まで。この範囲にアイヌの人々が暮らしていたというふうに考えられています。いつの時代からこれだけの範囲に住み始めたのかというのははっきりしませんが、少なくとも日本の江戸時代、1603年に徳川家康が征夷大将軍になってから1868年に江戸幕府が崩壊するまでの間、この範囲にアイヌの人々が住んでいたというのは確実視されています。

それで、みなさんすぐ気付かれたと思いますが、北海道アイヌの範囲がエトロフ島まで入っています。ここはいわゆる北方領土ですよね。何かの政治的な判断かと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、歴史的事実としてエトロフ島あるいはウルップ島もちょっと入っていたかもしれませんが、その辺りまでは北海道アイヌの人たちが住んでいたのです。もっと詳しくいえば、彼らは道東アイヌ、つまり北海道の東側、現在の釧路とか根室を中心とした道東のアイヌの人たちと同じグループに属する人たちでした。それに対して、いわゆる千島アイヌと呼ばれます、千島列島にいたアイヌの人々の本当の中心というのははるか北の、シュムシュ島、パラムシル島、オンネコタン島、そしてもう少し南のラショワ島、こういった島々にありました。エトロフ、ウルップというのは、大きい割には人が住みづらい島だったようで、住み着く人は少なく、道東のアイヌと北千島にいたアイヌのちょうど境目といいますか、狩りや漁労をする時の勢力圏の境目にあたっていたようです。それが大体今から200年から前、つまり18世紀末から19世紀初め頃の状況といわれています。1855年の日本とロシアとの間の国境交渉の時にウルップ島と択捉島の間で国境線がひかれますが、その国境線の背景にこういったアイヌの人たちの間の地域集団間の勢力分布が実は裏側にはあったようです(実はすでに18世紀末に幕府がクナシリ、エトロフのアイヌにウルップへの渡航を禁止していたために、このような住み分けが成立したという事情があります)。
ではアイヌモシリの周りにはどういう人たちが住んでいたのでしょうか。100年から150年位前の状況を想定していますが、まず、ツングース語とよばれる日本語に非常に近い言葉を話す人々が多数いました。現在彼らはウイルタ、ウリチ、ナーナイ、オロチ、ウデヘ、ネギダール、エヴェンキなどの諸民族に分類されています。また、樺太の北とアムール川の河口周辺にはニヴフ(旧称ギリヤーク)、カムチャツカ半島にはイテリメン(またはカムチャダール)と呼ばれる、言語系統がよくわからない独自の言葉を話す人々もいました。そして、多数派の民族、例えばロシア人、中国人、朝鮮人、それから日本人等が取り巻いていました。現在はこのような多数派民族の勢力争いの結果、かつてのアイヌモシリとその周辺地域は日本、ロシア、中国、韓国・朝鮮と国境で切られていますけれど、国境が確定する以前はこういった人たちが棲み分けをしたり共存したりしながら暮らしていたのです。つまり、アイヌモシリの北の地域にたくさんの多様な言語や文化をもつ人たちが住んでいた。そしてこの人たちはアイヌの人たちと直接接していましたし、文化的に大きな影響を与えあっていました。
第一点目のお話しに入りたいと思います。アイヌ文化とは本当に北方文化であったのか。北方文化であったということはどういうことかといいますと、北の寒い環境にどの程度適応していたのかということになります。この点に関しまして、二つの大きなポイントからお話したいと思います。一つは、一番寒い厳冬期での寒さへの対応。それは衣服の問題であるとか住居の問題になります。それからもう一点は北方の寒い地域では独特の生態系への適応。北方の生態系には比較的広い範囲で共通した特徴があります。そういった生態系にどこまでアイヌの文化が適応していたのかという点についてお話ししていきたいと思います。


まず、文化的な問題として、衣服の問題を考えていきたいと思います。こちらの会場でも二人の女性がアイヌ衣装の紹介をしていたと思いますけれども、みなさんどういう印象を持たれましたか。私などは「あれ、こんなに薄い布の服で北海道みたいな寒いところで暮らしていけるのかな」と思います。実はアイヌの人たちというのは、この東アジアにおいては糸から布を織りだす最北の民族です。アイヌモシリの周りには数々の民族が住んでいますが、この中で糸から布を織りだして衣服を作る人々というのは実はアイヌが最北です。それより北、例えばニヴフとかウリチと呼ばれる民族、イテリメンとかエヴェンキと呼ばれる民族がおりますが、彼らには布を織る文化、布を織る技術はありません。一方、南隣の日本、韓国・朝鮮、中国には布を織る技術があります。したがって、この点ではアイヌの人たちの文化というのは南方的であるといえます。ただし、使っている布に織る糸は、いわゆる樹皮の裏側の薄皮を細く裂いて作ったものです。これは靱皮(じんぴ)といいますが、この靱皮を割いて細い糸にします。それをつないで作った糸で織ります。そのような布で作られた衣服のことをアイヌ語でアットゥシといいます。それを織るための道具も入口に展示してありますので後でご覧になってください。このアットゥシという服は実はアイヌの人たちだけに愛用されたのではなくて、明治時代まで日本の船乗りや漁師たちにも愛用されていました。なぜかというと、靱皮は脂分を多く含んでいて水を弾くので、水をかぶるような仕事をしている人達にとっては非常に都合の良い防水衣になったからです。しかも織物ですから通気性があります。いわば自然素材のゴアテックスという感じの衣服として使えるのです。ということで、明治時代の初めには、アイヌの人たちが盛んに日本人用にアットゥシの着物を作っていた時代が、ほんの短い期間ではありました。その後、別の素材が開発されてアットゥシは日本人の防水着から廃れてしまうのですが、そうした時代があったくらい優れた性質を持った衣服だったのです。それから他には、草の繊維で作ったテタラペであるとか、日本や中国から輸入した木綿で作られたルウンペ、チカララカラペなどの衣服が着られてきました。

しかし、寒い冬はどうだったのでしょうか。これらの布製の衣服で十分寒さをしのげたのでしょうか。寒い季節にはやはり動物の皮で作られた衣服を着ました。
小さい島での海辺の生活に適応した千島アイヌの人々はアットゥシや木綿衣とともに、鳥の毛皮をつなぎ合わせて作った外套を着ました。素材はエトピリカのような海鳥で、それ海鳥の毛皮は防寒性と防水性に優れていたようです。

樺太に住んでいたアイヌの人たちは陸上の動物の毛皮(犬やアザラシなど)で作られた衣服を多用しました。また樺太アイヌの間では、アムール川流域の人たちの文化の影響なのですけれども、鮭の皮を乾かしてなめして作った衣服もよく使われました。樺太アイヌの人たちが鮭皮の衣服を使っていたことは、200年前にここを探検した間宮林蔵の記録に残されており、間宮林蔵が村上貞助という絵の上手い学者に頼んで描いてもらった絵が残っております(『北夷分界余話』国立公文書館所蔵)。その絵に描かれている子どもが鮭皮の衣服を着ています。また、アットゥシを着る男性が描かれており、ほかにはテタラペと呼ばれる、イラクサという植物の繊維を割いて作った糸をつなげて作った衣服を着た女性が描かれた絵もあります。

テタラペというのは「白い着物」という意味で「白くて美しいもの」と思われていたのですね。それから青い服も描かれています。これはおそらく中国から輸入された青色木綿で作られた服でしょう。アイヌの人たちの衣文化は実はこのように非常に多彩だったのです。樺太では厳冬期になると犬の毛皮で作られた外套を着ます。樺太は北海道よりもさらに冬が厳しいので。犬の毛皮の外套というのはアイヌの文化というより北樺太に住んでいたニヴフの文化なのですが、その文化を借用して厳しい樺太の冬をやり過ごしていたと考えられます。それから寒い季節には足元の防寒が大事になりますが、樺太アイヌはアザラシの毛皮を胴に使い、おそらく下の方は鮭の皮か鹿の皮を縫い合わせて作った長靴を履いていました。ちなみに、北方の民族は大体そうなのですが、乾燥させた草や苔をよく揉んで長靴の中に詰めて、靴下を着けずに裸足のまま履いていました。それで十分寒さをしのげたのです。
アイヌの人たちの衣服には特徴が三点あります。一つが「一部形式」といいまして、ワンピース状の衣服です。男性の衣服も日本の着物と同じ、つまり、上衣とズボンに分かれていません。こういった点は日本の伝統的な衣服と似ております。北の世界に入りますと「二部形式」といいまして、ズボンと上衣が分かれる傾向が強くなります。一部形式は寒さ暑さ双方に対応できる。つまり、冬の寒さだけでなく、夏の暑さを凌ぐためにも一部形式は使えるわけですけれども、アイヌの人たちの世界もおそらく夏は結構気温が上がっていたと考えられるので、それにも対応できるよう一部形式になっているのです。第二点は「もじり袖」です。これは袖が三角形になっていて袖口のところが、キューっとしまっていて、ある程度防寒性が高まります。日本の和服の場合には「袂」といって四角く開いていまして、通気性を良くしておりますが、アイヌの人たちの着物はここを絞って防寒性を高めています。第三点は「前開き」です。つまり、魚皮の着物も前が開いていますし、博物館に展示されているアットゥシやテタラペも前が開いています。当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、本当に寒いところ、例えば、イヌイットやエスキモーが住んでいるような極北地域あるいはシベリアでも北極海に面しているような地域の人たちは「かぶり式」の外套を身に付けます。なぜかというと、彼らは寒風吹きすさぶブリザードの中をトナカイソリや犬ゾリで何時間もじっとしていなければなりません。そういう人たちにとっては前が開いていたら風が入って寒くてしょうがない。そのために風が入らないようにかぶる形式の外套を着ます。しかし、アイヌの人たちの間にはそういった外套はありません。厳冬期であっても獲物を追って山の中を走ると暑くなります。私にも経験がありますが、ダウンコートを着て山の中を走っていると暑くなって脱ぎたくなります。そういう時に前を開くことで体の熱を開放できる。そしてさっと閉めて体が冷えすぎないようにする。そういう体の熱の放出と遮断を手軽にできるようにするために前開きの方が有利なのです。ということで、アイヌの服というのは前開きなのですね。実はシベリアの中でも本当に寒い、北海道よりももっともっと寒い地域の猟師たちも前開きのコートを着ています。やはり狩りで活動的になる人たちはどうしても、熱をある程度放散する対策が大事になってくるのです。なぜかというと、中で汗をかいてしまうと活動を終えて冷えてきた時に汗が凍って体温を奪われて凍死する恐れがあるからです。ですから、本当に寒い所に行ったらなるべく汗をかかないというのが鉄則なのです。それをきちんと守るためにこういった衣服が必要になるのです。

それからこれは付け足しですが、絵にでてくる男性は裸足で、衣服をいわゆる左前で着用する姿、すなわち左衽(着用者に向かって左側が前になるように襟を合わせる着用の仕方、逆に右側が前になるように襟を合わせる着方を右衽という)で描かれています。その典型的な例は『夷酋列像』といいまして、松前藩の家老で絵師でもあった蠣崎波響が、クナシリ・メナシ戦いがあった翌年の寛政2年(1790年)に描いたアイヌの有力者たちの絵にあります。たとえば、そこに描かれているマウタラケ(麻烏太蠟潔)という人物はウリヤスベツというコタンの「総部酋長」と書かれていますからとても偉い人なのですが、裸足のうえに蝦夷錦の服を左衽で着用するように描かれています。このような描き方は『夷酋列像』に描かれた12人全員に共通です。左衽という着方は中国や東アジアでは死人この世の人ではない者、あるいは野蛮人のものとされています。アイヌの服は、魚皮衣、アットゥシ、テタラペともに左右対称ですから左衽でも右衽でも着用することはできます。しかし、ではなぜあえてこういう描き方をするのでしょうか。これをもってアイヌが左衽だったという人もおりますが、それは一般化することはできません。なぜならば、蝦夷錦の服は左衽で着用することができないように作られているからです。それは本来中国の官僚たちが着る制服でして、中国ではご存じのとおり必ず右衽になるように、つまり、左側の襟が前に出るようなスタイルで作られます。しかも、この蝦夷錦の服はモンゴル、満洲に共通のスタイルでして、着用者から見て右側の半身が短く、左側の半身で前を覆うように作られています。このようなスタイルの服を左衽で着ることは絶対に不可能なのです。それにもかかわらずあえてこういうふうに着せて描かせている。これには作為があると見なければなりません。ですからアイヌの服が写真や絵では左衽で描かれているものが多いのですが、実際にそう着ている人もいたのかもしれませんが、そのほとんどは「野蛮人」あるいは「異界の人」であることを示すための当時の絵画上の技法と考える方がよいと思います。写真の場合には左衽かと思ってよく見てみると裏焼きだったということもあります。絵画や写真であっても色々と手を加えることができますので、十分注意する必要があります。おそらくアイヌの人たちもこんな着方はしていなかったでしょう。

ちょっと衣服の話が長くなりましたけれども、アイヌの人たちにも防寒着があり、毛皮で作った靴やアザラシの毛皮で作った靴、防水着として魚皮の上衣がありましたけれども、アイヌ衣装の基本は繊維製品です。繊維製品といっても、靱皮の糸で作られたアットゥシやテタラペは防水性と通気性を兼ね備えた優れものでした。
次は同じ防寒性として家の話の方に移ります。アイヌの家は、間宮林蔵と村上貞助が編集した蝦夷生計図説に描かれているのが典型的なものです。現在、博物館で復元されている家はほとんどこのタイプになると思います。これは茅葺の住居で屋根や壁を茅で葺いたものです。

この姿で復元されているものが多いのですが、この蝦夷生計図説を見て驚いたのは、葦を使った家、クマザサで葺いた家、白樺の樹皮で葺いた家などがあることです。それぞれに特徴がありますが、これは地方による違いだともいわれています。このクマザサや白樺の樹皮で雨風を防げるのか。あるいは寒いのではないかと思われるのかもしれませんが、これらは非常に優れた素材で、クマザサも一本や二本飾っているわけではなくぎっしり束にして壁に埋め込んでいきます。ぎっちり縛って隙間なくつめていきますので、実際にとても断熱性の高い優れた壁材です。クマザサ葺きの家は旭川の「川村カ子ト記念館」に一軒建っています。それから樹皮葺きの住居。この家は現在見ることはできませんが、この白樺の樹皮も非常に優れた防水性、防寒性をもった素材で、白樺の樹皮はボートが作れるくらい防水性の高いものです。主に道東地方に多かったようですが、どういう場面で作られたのかについて林蔵は書いていないので、地域差によるものなのか住む場所や場面に応じて作られたのかは分りません。

そして、アイヌの家にはその骨組に大きな特徴があります。それは主に棟の支え方です。アイヌの家の棟は柱で支えているのではなく三脚構造で支えられています。日本の、特に神社建築に多いのは棟持柱のある住居です。今はこの棟持柱の代わりに束(つか)といいまして、梁の上に柱を一本乗せるように作ってしまうので、この棟持柱を床から立てるということはまずないのですが、日本の古代、古墳時代であるとか弥生時代にはこういった住居が登場しますし、これは日本だけではなく東南アジアからアムール川流域まで、非常に広い範囲で広がっています。それに対してアイヌの家は根本的に棟の構造が違う。だからこういうところは日本とは違います。実はこの三脚構造というのは北方的だといわれています。なぜかというと、北の狩猟民たち、エヴェンキであるとかエヴェンといった北の狩猟民たちは円錐形のテントで暮らします。円錐形のテントというのは文字通り柱を円錐形にぐるっと立て並べて、毛皮とか白樺の樹皮で覆ったような、本当に円錐形をしたテントですが、その骨組の基本が三脚構造です。すなわち、まず三脚を立て、その頂点に寄りかかるように、柱を立て並べていくのです。

この三脚構造を使って棟を支える、その棟によって屋根全体を支える構造は、もしかすると北方の影響ではないかといわれています。国立民族学博物館には、明治時代に作られたアイヌの家の模型が保管されています。この屋根をよく見ますと三脚構造が浮かび上がってきます。ちゃんと二つの三脚によって棟を支えているのです。この三脚で棟を支えることによって、その下にドームと同じで比較的大きな空間を、柱を立てずに確保することができます。棟持柱になってしまうと部屋のど真ん中に柱が立ってしまうのですが、三脚構造にするとそれを避けることができるので、なるべく広い空間を確保することができます。ではアイヌのこういった人たちの住居がどれだけ寒さに耐えられたのでしょうか。私は本当に寒い地域で−50°まで経験しましたが、さすがに真冬に−50°になるような地域では、こういった茅や笹で葺いたような住居はありません。そういったところにいくと固定家屋は必ず丸太小屋になっています。あるいは、基礎の周囲に土を盛ったり、壁に土を塗ったりして、土壁にしています。

やはり、木や土の断熱性能を使わないと−50°の寒さはしのげないようです。あるいはテントに住んでいる人達、円錐テントに住んでいる人達も冬になると白樺の樹皮ではなく分厚いトナカイの毛皮を巻きます。ですから、そういった面から考えるとアイヌの家というのは極寒に耐えられる構造ではなさそうです。ですが日本の冬を考えてみても、東北地方などでは雪囲いと称して藁や茅で壁を作り、雪を防ぎます。それを家全体にやっていると考えれば良いわけで、かなりの断熱効果はあったのではないかと考えられます。ですから、北海道の寒さであればこれで十分暮らしていける。じゃあそれより寒かった樺太はどうかといいますと、樺太は寒さをしのぐために比較的新しい時代まで竪穴住居を使っています。風が強く圧倒的に寒い、天候が悪い千島列島や樺太では竪穴住居を作って寒さをしのぎました。ですから、アイヌの住居はほどほどの寒さには十分対応できますが、シベリアの奥地のような極寒の地域では対応できなくなるくらいの耐寒性を持った住居だったといえるのではないかと思います。

それから、北方適応の三点目として、北の生態系にどの程度対応していたのかについて触れておきます。日本は春夏秋冬が非常にはっきりした気候条件だといわれています。東京などは温帯の中でも比較的暖かい暖温帯にあるといわれております。植生的には照葉樹林(ツバキ、お茶、シイなど葉の表面がてかてかした樹木が典型的)が卓越しています。ただし、ナラの木、クリの木など秋に葉が落ちてしまう樹木を落葉広葉樹といいますが、東京は落葉広葉樹と照葉樹の両方混ざった境界地域になるのではないかと思います。これが大阪や京都へ行きますと落葉樹が少なくなる。ドングリの木(ナラ)などもないことはないのですが、少なくなって逆に照葉樹が増えてきます。照葉樹林というのは年中青くて落葉せず、葉が常に茂っているので暗いです。対して落葉広葉樹というのは冬になると葉が落ちますから森が明るくなります。そういった大きな違いが、東の森と西の森にはあります。北海道はどうかといいますと、北海道の南半分、南西側は、東北地方からの続きで落葉広葉樹と針葉樹の混合といわれる林層になります。そして東北側は逆にシベリアに近く、針葉樹を中心としたタイガに近い森になっていきます。北海道やそれより北の地域、すなわちアイヌの人たちが住んでいる地域も春夏秋冬がはっきりしています。はっきりしているけれども全体的に気温が低い地域です。

春夏秋冬がはっきりしているということは、得られる食料資源に季節性が表れるということになります。ある資源が特定の季節にたくさん捕れるのですが他の季節になるとぱたっと捕れなくなる。例えば、アイヌの人たちの食料資源の基本だったサケやマスですね。特に秋鮭というのは遡上期間が8月の終わりから10月が最盛期です。その季節を外してしまうと、例えば冬の2月から5月あたりの季節になると、まったく捕れなくなる。こうした季節性のはっきりとした資源が食料資源の基本となっているわけです。これは北海道に限った話ではありません。実はシベリアから北アメリカまで、同じような亜寒帯、冷温帯地域の森林層を持った地域にはすべてに共通する生態系なのです。そういう中でアイヌの人たちは暮らしてきた。アイヌの人たちもしっかり捕れるものは捕れるだけ捕って、後はそれを保存食にして一年間食べつないでいくという食生活だったわけです。

ですから、アイヌの人たちの間では鮭を保存するための技術が発達しています。基本的には乾燥です。「鮭とば」ですね。水気をとばして腐らなくなるので乾燥させます。ただし、乾燥させただけで日持ちはしますけれども、さらに風味を良くするために囲炉裏の上に吊るして燻製にする。そうするとさらに美味しくなるし、日持ちがさらに延びる。そういったサケ類をいっぱい作って家の倉庫に保管して一年間食べつないだのです。こういった生活はシベリアから北アメリカまで共通にみられる、北の世界の人たちの生活です。それから肉類もそうです。シカは年中ある程度獲れるのですけれども獲りやすい期間があります。それは交尾期、発情期で、なぜなら雄は雌を追いかけて夢中になっていますから、他に注意が払えなくなってしまうのです。そういう雄を狙うわけです。シカ笛には色々なパターンがありますが、私が調査したのは大陸にいるアカシカというエゾジカよりもひとまわり大きなシカの例です。アカシカの場合は雄の鳴き声を出す笛を使います。白樺の樹皮を帯状に切って、くるくると丸め、中の方から引っ張り出してラッパ状の筒にして、形が崩れないように外側を留めます。音を鳴らすには細くなった部分を口の端に当てて、息を吸いながら唇を鳴らします。ラッパと同じ原理ですが、息を吸って唇をふるわす点が異なります。ちょうど発情した雄の鳴き声に近い音になります。猟師がこのシカ笛で雄の鳴き声をたてると、ライバルが現れたと思って本当の雄ジカが猟師の方に近づいてくるので、そこを仕留めるのです。そうやって獲るので発情期の今頃がシカ猟の真っ盛りになります。今頃(10月)私の友人のロシアの猟師たちはアカシカを探して森の中を走り回っているはずです。アイヌの世界でもおそらくそういった猟が行われて、シカ笛なども発達しています。ただ、アイヌの人々のシカ笛は、雌の鳴き声をまねて雄をおびき出すように使われたようです。

こうした具合なのでシカ肉のシーズンも限られています。それからクマですが、年中獲れないこともないのですが冬から春にかけての冬眠中に獲るのが一番良いのです。というのは冬眠中のクマは餌を食べていないので、肉に臭みがなくて美味しいのです。さらに、春先に穴から出てきたばかりの熊というのは胆嚢に胆汁が溜まっています。大きなクマの胆が手に入るということで、本当は春先に獲れる熊が一番良いのです。つまり、クマ猟にも季節性があるのです。こういった季節性のあるものを頻繁に使うわけですから、狩猟採集も年中獲物を求めて追いかけ回すのではなく、季節にあわせた獲物を追いかけていくのです。そういった、いつ、どこで何が獲れるかということは、知識がないとできませんから、アイヌの人たちを始め北方の人たちは動物、植物に関しては、動物学者や植物学者よりもはるかに詳しい知識を持っていたのです。そういったことも、アイヌの人たちが北の世界に適応している証拠になるわけです。ですからアイヌ文化に自然を学べということはよくいわれますけれども、そうした伝統をアイヌの人たちが積み上げてきたという背景があるからこその話なのですね。

それからもう一点、北方的なのは農業です。「アイヌって狩猟民族じゃないの」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は農耕をやっていたのです。その証拠に間宮林蔵と村上禎助が編集した『蝦夷生計図説』という本には、狩猟や漁労の話がなくて農耕の巻があるのです。

何を作ったのかといいますと、粟や稷といった雑穀やカブなどの野菜類です。収穫風景の絵がありますが、日本のように根本を刈るのではなくて、弥生時代さながらに穂刈りです。貝で作った鎌で穂を刈っていくやり方で粟や稷を収穫していたのです。その伝統は決して新しいものではなく、今から1500年ほど前から始まる擦文時代からの伝統として農耕がありました。ですから、アイヌ文化を現代のイメージだけでとらえてはいけません。どういうところが北に適応しているのか、どういうところが北に適応していないのか丹念に見ていきますと、今まで見落とされていた文化が見えてきますので、今後みなさんアイヌ文化に興味を持たれたら、細かいところまでよく観察してみてください。そうすると、思わぬところに新しい発見が出てくるのではないかと思います。

あと、北方的といわれる要素の中で言及しておかなければならないのが世界観です。アイヌの世界観を説明するとそれだけで何時間もかかってしまうので、詳しい説明はちょっとできませんけれども、一点だけ強調しておきますとクマに対する崇拝が特徴だといわれております。いわゆる「イオマンテ」とよばれるクマ送り儀礼です。これがアイヌの人たちのアイヌたる、アイヌ文化をアイヌ文化にしている一番重要な儀礼だといわれています。20世紀初めに樺太や北海道でアイヌの調査を行ったポーランドの民族学者B・ピウスツキという人が撮影した樺太アイヌのクマ送りの写真と昭和の初めに木下清三という写真家が撮影した白老でのクマ送りの写真があります。両者とも今日では見ることが難しくなった(樺太アイヌのものは見ることが不可能になった)貴重な儀式の写真です。樺太アイヌの場合は、巨大なイナウを立てるのが特徴的です。なんだか諏訪の御柱のようなとてつもない高さです。クマ送り儀礼が北方的だというのはどうしてかといいますと、こちらもシベリアから北アメリカまでの、いわゆる亜寒帯針葉樹林帯に広く帯状に分布しているからです。この地域の人々は、クマを崇拝しクマを獲ってその肉を食べる時には、それを森の特別な人や森の精霊と考え、敬いながらその肉をいただいて、そしてその魂には人間からのお土産(クマ以外の肉や魚、衣服、アイヌの場合にはイナウ)をたくさん持たせてあの世に帰ってもらう。そして、あの世に帰ったらまたそこからクマの服を着て人間世界にやってきて、肉を人間たちにプレゼントしてくださいと願う。この儀礼は実に北半球の北方の亜寒帯針葉樹林帯に広く分布しています。アイヌ文化はその中の一つになるわけです。

ただ、このクマ送り儀礼がアイヌ精神文化の中心を成しているといわれていますけれども、それがアイヌ文化の一部になった時代、アイヌ文化に入った時代というのは、それほど古くはないと推測されます。考古学的にはクマを崇拝する習慣はオホーツク文化にあったといわれています。オホーツク文化というのは、今から1500年ぐらい前、日本でいうと古墳時代の頃、ちょうど北海道の縄文文化が古墳文化の影響を受けて擦文文化へと変わっていく時期に北の樺太の方から南下して道北からオホーツク海沿岸、そして千島列島まで広がった文化だといわれています。担っていたのも縄文人とは形質的、遺伝的に違う人たちでした。

その人たちが熊を崇拝する習慣を持っていた。彼らの竪穴住居には、ある一定の場所から大量のクマの頭骨が出てくるのです。それは、今のアイヌの人たちがクマ送り儀礼が終わった後、頭骨を特別な場所に安置するのと同じようなものではないかといわれています。対して同じ時代にあった擦文文化には(擦文文化の遺跡、住居跡もたくさんあるのですが)その住居跡からはクマの骨は一切出てこない。クマ送り儀礼をやった跡が見つからないのです。それどころか、オホーツク文化の遺跡(礼文島の事例)から出土したクマの骨のDNA分析から、擦文文化人がオホーツク文化人にクマを提供していたのではないかと思われるような結果が、わずかではありますが、出ているのだそうです。おそらく前者が後者に、儀礼用にクマを売るなりプレゼントするなりしたのではないかと想像されています。アイヌ文化に直接つながって行くのは擦文文化の方です。アイヌ文化が成立する以前に、擦文文化がオホーツク文化を吸収していくのですけれども、その過程でクマ崇拝とクマ送り儀礼を取り込み、それからアイヌ文化に変貌していったのではないかという流れが、有力な仮説になりつつあります。オホーツク文化にはシャチのような大型海獣に対する崇拝などの習俗もあり、それもアイヌ文化に取り込まれています。したがって、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に非常に大きな役割を果たしたということはいえるでしょう。このオホーツク文化と擦文文化の融合からアイヌ文化が生まれたという話から発展しまして、さらに近隣諸民族との関係、その近隣諸民族を超えて国家がどのようにこの北方世界に関わってきて、アイヌの人たちとどういう関係を結んだのかという話を最後にしたいと思います。

アイヌの周りにはたくさんの民族がひしめいていました。といっても実は人口密度が一平方キロメートル当たり0.1人以下の世界ですから、そんなにぎっしり人がひしめいていたわけではありません。ただ、多様な文化を持つ人々がアイヌの人々をとりまいていたということは事実です。実はアイヌの人たちと周辺民族との関係は、決して平和な関係だったわけではありません。それをちょっと紹介しますと、まず、擦文人とオホーツク文化人。先ほどいいましたように、アイヌ文化が成立する時にオホーツク文化を柱の一つに据えているという話をしましたけれども、この擦文文化人とオホーツク文化人との関係もいろいろ微妙なことがいわれています。結果からいいますと、結局オホーツク文化は擦文文化に吸収されてしまいます。時代的には9世紀から10世紀には、オホーツク文化は擦文文化に吸収されてしまったといわれています。その後、各地にオホーツク文化と擦文文化が融合した文化が生まれています。例えば、今の釧路、根室を中心とした地域にはトビニタイ文化という両方を折衷したような土器が出てきたりもしています。そうした融合文化もあるのですが、大勢としては、オホーツク文化は擦文文化に吸収されてしまうとされています。そこからどういう過程を経てアイヌ文化に至ったのか。
明らかにアイヌ文化であることがわかるような遺跡は、現在発見されているものでは15世紀くらいのものが最も古いようです。そして擦文文化の最も新しい時代の遺跡は12世紀ぐらいに相当します。そして、その間の時代の遺跡がなかなか見つからない。

12世紀から14世紀、日本でいうと平安末期から鎌倉時代、平清盛や源頼朝が活躍し、武家の世となり、鎌倉に幕府が成立し、その一方でモンゴルが西から攻め寄せてくる。そのような時代が、北海道以北では、考古学や歴史学の分野の空白時代となっています。しかし、その間が擦文文化からアイヌ文化へ移っていく一番大事な時代なのですから、まさに隔靴掻痒という感じです。

考古学的にこの時代が空白になってしまう最大の理由は、土器の製作が衰退することと、住居が竪穴住居から平地式住居(掘立柱住居)に変わることにあるようです。土器片は遺跡を見つけるときの一つの目印ですから、それが減ると、遺跡は見つけにくくなります。また、平地式住居は竪穴住居のように明確な痕跡を残しません。土器の衰退は鉄鍋の普及、鉄製の刃物の普及に伴う木器の普及、本州産、中国朝鮮産の陶磁器の普及などが関係しているようです。住居形式の変化も本州や大陸から影響による生活スタイルの変化を示しているのでしょう。この12世紀から14世紀という考古学上の空白時代は、北海道以北の地域、すなわち樺太、アムール川流域でも共通しているようです。ただし、現在ロシア領となっているこれらの地域の場合には、単に研究者に知識と関心がなく、出土している遺物や遺跡を見逃しているだけなのかもしれませんが。

この謎の時代の後半、すなわち13世紀の後半に中国の文献にアイヌと思しき人たちの姿が登場してきます。それが、クギとギレミという人たちの話なのです。この時代になると、東洋史学や考古学の研究で、骨嵬と書いてクギと呼ばれる人たちと、吉烈迷と書いてギレミと呼ばれる人が文献に登場し始めます。クギというのは、樺太の北に住んでいたニヴフがアイヌを指していう呼び名だといわれています。ですから、この骨嵬と書かれた人たちはアイヌの祖先を指すのだろうといわれています。それからこの吉烈迷というのは、ツングース系の人たちがニヴフに対して付けた名称だといわれています。ですから、この吉烈迷というのは今のニヴフの祖先だといわれています。このアイヌの祖先とニヴフの祖先が、樺太を舞台にして紛争を起こました。そして劣勢に立たされた吉烈迷が、当時中国を支配していたモンゴル(元王朝、元寇を起こした王朝です)に救いを求めたのです。それで元軍が松花江からアムール川を下って樺太まで渡り、南から押し寄せてきたアイヌの祖先たちを打ち破ったという記録が「元史」という元王朝の正史(次の明時代に編集)に出てきます。最初の紛争が1264年で、それから1300年代初頭まで軍を派遣した記録が散発的に残っています。元寇の文永の役が1274年、弘安の役が1281年ですから、ちょうど同じ時期にモンゴル軍は樺太でアイヌの祖先たちと干戈を交えていたわけです。元寇の時代に日蓮宗を作った日蓮上人が、北から蒙古(モンゴル)が来るぞということを著作で書いて警告しています。その解釈をめぐっては、歴史学者の間で論争があるのですけれども、北からの元寇というほど大げさなものではないだろうとはいわれています。どうやって日蓮上人が樺太におけるアイヌの祖先と元軍との直接接触に関する情報を得たのか謎は多いのですが、彼は当時の蝦夷地(北海道から東北北部の地域)についての情報をかなり持っていて、北からモンゴルが来ているということを知っていたようなのです。そして彼のいう北からの蒙古襲来というのが、実はアイヌの祖先とモンゴルの間の接触だったわけです。

これが尾を引いているのかどうか分かりませんが、江戸時代の文献によると、アイヌとニヴフ(江戸時代にはスメレンクルやニクブンと呼ばれていました)は仲が悪いということになっています。間宮林蔵が樺太を探検した時、彼はアイヌを先導役にするのですが、その先導役にされたアイヌの人たちが北に行くのをものすごく嫌がるのです。なぜかというと、北にはスメレンクルとか何とかという野蛮な連中がいて、「俺たちが行くと殺される」といって非常に怖がるのです。それを間宮林蔵が「俺がいるから大丈夫だ」とかいってなだめすかして行って、結果的には先導役のアイヌの人たちはみんな無事に帰ってはくるのですが、そんなに樺太の南にいたアイヌの人たちが北にいる住民を嫌がったという歴史があります。考古学者はこれをさらに敷衍しまして、実は骨嵬と吉烈迷の紛争は、擦文人がオホーツク文化を吸収して成立したアイヌの人たちが、その吸収した力を使って北へ進出していったための紛争ではないか、あるいは、擦文人対オホーツク人の対立が樺太にまで持ち越されたのが、この吉烈迷と骨嵬の対立だったのではないかというふうにいう人もいます。そこまでいえるかどうかはわかりませんけれども、13世紀、日本の鎌倉時代にアイヌの人たちが一定のパワーを持って自分たちの居住域を北に広げていったというのは事実だったようです。このアイヌの祖先とモンゴル軍との接触の顛末はどうなったかといいますと、結局アイヌの祖先はモンゴル軍の圧倒的な武力の前に一応恭順の意を示します。初めから戦争というような大げさなものではなかったという話もあるのですけれども、一応恭順の意を示して、元の支配下に入って、毎年毛皮を貢納しますということをいって収まるのです。それが1302年ですから、14世紀の初め、それ以降、このアイヌの祖先たちの話は元史から消えてしまいます。消えたということは平和になって、いつもどおりの話になってしまったので、あえて記録に登場させる必要がなくなったということなのです。おそらく従ったのは樺太に住みついたアイヌだけで、北海道のアイヌが含まれていたかどうかというのは分かりませんが、アイヌの一部が一時期モンゴルの支配下に伏したというのは事実です。

しかし、アイヌの人たちと大陸の人たち、北方の人たちというのは微妙な関係にありました。たとえば、アイヌの人たちと婚姻関係を結ぶような密接なつながりを持った民族というのがほとんどないのです。「サンタン」(山丹、山旦、山靼などとも記される)と呼ばれた人々がいます。現在のウリチと呼ばれる人々の祖先で、ツングース系の民族なのですが、このサンタン人との間にはアイヌ女性との結婚話というのがたくさんあります。それからウリチの中には「実は我々は樺太アイヌだった」という人たちが数多くいます。ですから、サンタンとアイヌとは一定の緊密な関係があったといわれています。ですが、それがいつも友好的であったかというと微妙です。江戸時代の文献には「サンタン人の横暴」という有名な話がしばしば見られます。サンタン人たちは江戸時代、サンタン交易といわれるアムール川と樺太から北海道をつなぐ交易路の中で主導権を握っていました。そのような状況の下で、彼らは樺太アイヌを借金で縛りつけて、傍若無人な振る舞いをしていたという話が最上徳内や松田伝十郎や間宮林蔵など当時の樺太探検者たちの著作の中に出てきます。

それに対して江戸幕府はアイヌの人たちに代わって借金をサンタン人に払って、彼らを借金から解放して、サンタン交易を幕府の公認交易にしてしまうのです。一応日本側の記録はアイヌの人たちを借金から解放したということになっているのですが、実はちょっといじわるな見方をすれば、アイヌの人たちは今まで続けてきた自分たちの独自の交易網から弾き飛ばされてしまったということにもなります。つまり、幕府がやってきて「サンタン人との交易は政府が直接やるからお前らは引っ込んでいろ」といわれて交易からのけものにされてしまったといえなくもないのです。そういう感じで、サンタンとアイヌとの間にはある程度の友好関係と緊張関係がありました。しかし、婚姻関係まであるのはこの人たちだけで、あとその周りの人たち、とくにニヴフの祖先、それから江戸時代にオロツコといわれた今のウイルタと呼ばれる、トナカイ飼育民の祖先とは戦争までしていまして、江戸時代の文献には「婚姻関係はない」とはっきり書かれています。ですから、かなり対立した関係になっていたようです。ただ江戸時代頃になると、こういった世界をロシアや日本や中国といった国がどんどん侵略していくようになります。江戸幕府や松前藩の「蝦夷地支配」はその支配体制が商場知行制から場所請負制に変わって、結果的にアイヌの人たちを不当に搾取していくようになります。明治政府はアイヌの人たちを商人の搾取から解放しますが、同時に、北海道と命名した土地を日本の植民地、つまり開拓地と定めて、農耕できる土地に日本人を植民させて、アイヌの人たちから土地を奪っていきます。そして文化を同化していくという政策がとられていきます。ただ、目を外に向けてみると、この時代には日本以外の国(つまりロシア)もアイヌモシリを植民地化しようとしていたとしていたことは事実です。

アイヌモシリ(アイヌの土地)と国家との関係に話を移しますと、このアイヌモシリの一部、特に樺太にまず領土権を主張したのは中国でした。中国というと現在の中華人民共和国と誤解する恐れがあるので、より正確を期せば、モンゴル人が作った元王朝が樺太のニヴフの祖先、アイヌの祖先を支配下に入れることで、樺太の領有権を得ます。領有といっても、現代的な意味の領有とは異なります。当時の中華王朝にとっては支配下にある住民が住んでいる土地がその勢力下にある領土となるので、現在の近代国家の領土とは一緒にしないでください(その住民が別の国に従えば、一瞬にしてその土地は失われてしまいます。無人の土地はそこに被支配民を入植させてはじめて領土とすることができます)。アイヌを含む樺太の住民に対する支配は、その後漢民族が作った明王朝、満洲人が作った清王朝に受け継がれていきます。しかしそれでも、樺太の南端までは支配が及んでいませんでした。そのために清の時代、中国の人々は樺太と北海道が狭い海峡を挟んで向かい合っているという事実を知らなかったのです。

元王朝と明王朝が樺太を支配する時に役所を置いたのがヌルガンというところで、明の時代にはそこに永寧寺というお寺が建立されました。そのことを記した石碑があります。樺太の住民に対して一番長期的で徹底した支配を行ったのは清王朝で、こちらは間宮林蔵がデレンというところに置かれた清王朝の出先機関を絵に残しています。しかし、清の支配も19世紀初頭には陰りを見せ、その隙を突いて江戸幕府がその支配圏を北上させ、19世紀半ばまでに樺太アイヌのほぼすべてを支配下に収めます。1858年には人口調査(人別)を行い、人口も割り出されています。

その後は1849年からこの地域に勢力を伸ばしてきたロシア(ロシアは17世紀に一度アムール川流域に進出したが、清王朝に敗れて排除されてしまった)と日本との間で国境交渉が行われます。その結果、住んでいるアイヌの人たちの意向を全く無視した状態でアイヌモシリが切り刻まれました。当初はエトロフ島とウルップ島の間に設けられた道東アイヌと千島アイヌの境界に沿って日ロの境界が設けられましたが(1855年の日魯通交条約)、1875年の樺太千島交換条約(サンクト・ペテルブルク条約)では宗谷海峡と千島海峡(カムチャツカ半島とシュムシュ島の間の海峡)に国境がひかれ、日本文化に親しんでいた樺太アイヌがロシア側に取り込まれました。そして逆にロシア文化に同化されつつあった千島アイヌが日本の支配下に入れられ、シコタン島に移住させられてしまいました。そして1905年に一度樺太アイヌの居住地も日本領に編入されましたが、第2世界大戦で日本が敗戦となった結果、樺太南部だけでなく、クナシリ島までの千島列島からシコタン島、ハボマイ諸島までソ連軍に占領され、そのままソ連、ロシアの実効支配が続いています。そして、ソ連に占領された土地からアイヌの人々の大半が脱出ないし追放されてしまいました。

この状況をアイヌモシリという観点に立ってみれば、江戸時代までのアイヌモシリのうち北海道以外の部分が事実上ロシア領になり、そこからアイヌの人々が消えてしまったことになります。つまり、近代国家である日本とロシアがアイヌモシリを舞台に争っている間に北海道以外からアイヌの人たちが消えてしまった。しかも、本来の住民であるアイヌの人々の意向とはまったく関係なく国境や占領地が定められ、本来の住民がその土地を離れざるをえなくなってしまったのです。

これは非常に大きな、深刻な問題ではないかと思います。では消えてしまったアイヌの人はどこへ行ったのか。実は樺太にいたアイヌの人たちと北方四島にいたアイヌの人たちは、ほとんどが北海道に移住しました。そしてその子孫の方々も北海道にいます。千島列島、とくに北千島のアイヌの人たちは、前述のように樺太千島交換条約の後にシコタン島に強制移住させられ、そこで環境不適応をおこして多くの方が命を落とし、独自の文化を持つ文化集団(アイヌの下位集団)としては事実上消滅してしまいます。しかし、その血を引く方々は戦後シコタン島から北海道に移住し、道東方面を中心に暮らしているようです。

ここまでアイヌ文化がどこまで北方世界に適応しているかを中心にお話してきましたが、彼らは北方世界の自然環境には見事に適応しました。

さらに江戸幕府や清王朝、あるいはロマノフ王朝のような前近代的な国家との関係においても見事に適応し、自分たち独自の文化を守り、育ててきました。彼らは前近代国家の支配に甘んじるだけではなく、国家にとって必要不可欠な物資を供給することで、逆にその支配体制に影響さえ及ぼしたのです。歴史研究や歴史小説などでは、江戸時代のアイヌの人々は一方的に収奪される惨めな人々と描かれることがしばしばありますが、それはアイヌの歴史の一面に過ぎません。衣服のところでも触れたように、オヒョウの樹皮の繊維で作られたアットゥシは、その撥水性と通気性がかわれて和人の船乗りや漁師の上着として重宝され、幕末明治期には手仕事でしたが、大量に生産され、本州以南にさかんに販売された時代がありました。アイヌの猟師が北海度や樺太で捕獲したクロテンやギンギツネなどの毛皮は、樺太アイヌやサンタン商人の手で中国に運ばれ、北京の宮廷文化を彩りました。千島でもアイヌたちが捕るラッコの毛皮が帝政ロシアの経済を支えた時代があったのです。アイヌ社会は決して悪徳商人たちの搾取のために崩壊の一途をたどったわけではなく、厳しい状況の中でもそれなりに適応しようとしたのです。

確かに近代国家との関係においては、強力な文化同化政策によって言語は消滅寸前に追い込まれ、狩猟や漁撈、雑穀栽培といった生産活動も自由にできなくなり、非常に厳しい状況におかれるようになったのは事実です。しかし、だからといってアイヌの伝統文化が消滅し、大正時代以後の調査研究は「落ち穂拾い」状況だったという認識は間違っていると思います。21世紀の今日、アイヌの人々の中には生活面で苦しい状況にある人々もいますが、それでも現代の自然環境と社会、経済的な環境に順応しつつ、祖先たちから受け継いできた文化を継承し、発展させています。ただ、今日の社会において、アイヌ文化の継承、発展の問題をアイヌの人々だけのものとして、それ以外の人々が無関心でいるという状況はよくありません。近代以後のアイヌ文化の状況は、実は日本文化の状況と共通する部分もあるのです。自分たちの日常生活を見回してください。「日本文化」なるもの、例えば自分たちの祖父や祖母の世代まで受け継がれてきたものを、私たちはどの程度きちんと保持しているでしょうか。明治以後の近代化の中で、日本文化もその多くが失われたのです。同じ現象は世界中で起きています。つまり、アイヌ伝統文化の継承、発展という課題は日本国民に共通の課題であり、さらにはちょっと大げさに言えば、全人類に共通の課題でもあるのです。自分たちの伝統文化を継承、発展させていくためのアイヌの人たちの活動について、北海道を領有している日本という国家の国民は、自分たちの問題として真剣に考えていかなければいけないと思います。

最後に一言触れておきますが、「北方領土問題」というものは日本とロシアだけの問題ではありません。国家間の問題ではあるのだけれど、その背後にはもう一つ、この地域の本来の住民だった先住民族アイヌという存在を忘れてはいけない。これだけはしっかり頭に入れておいていただければと思います。私の話はこれで終わりにしたいと思います。どうも長時間ありがとうございました。
https://www.frpac.or.jp/about/files/H24%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%80%80%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%8C%B2%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8F%B2%E9%83%8E%EF%BC%88%E5%9B%B3%E7%89%88%E7%84%A1%EF%BC%89.pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c4

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
5. 中川隆[-12824] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:46:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

1789年クナシリ・メナシの戦い 更新日:2018年03月01日
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/tatakai/4719.html

1912(明治45)年5月、納沙布岬に近い珸瑤瑁(ごようまい)の浜で、 砂に埋まっている石が発見されました。掘ってみると「横死七十一人之墓」と彫られていました。


■横死七十一人之墓

現在、この「横死七十一人の墓」は納沙布岬の傍らに建てられています。この碑の横面には「文化九年歳在壬申四月建之」と刻まれ、文化九年は西暦の1812年ですので、この年の4月に造られたことがわかります。裏には漢文で難しい文章が書かれていますが、現代語訳にすると

「寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍(さむらい)や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は役所にある。あわせて供養し、石を建てる」

という意味になります。これだけ読むと「凶悪」なアイヌが、この地の侍や漁民を虐殺(殺害)したということだけしかわかりません。真実の歴史はどうであったのでしょうか。

横死71人の墓表   横死71の墓裏面

寛政の蜂起和人殉難墓碑(根室市指定史跡)

■ ノッカマップイチャルバ
1974年から毎年9月末に、根室半島のノッカマップというところで「イチ ャルパ」(アイヌ語で供養祭という意味)という催しが行われています。寛政元 (1789年)のクナシリ・メナシの戦いの犠牲者(アイヌ37人、和人71人 )の供養のために、アイヌの人たちが中心になって祭事が催されています。

イチャルパの様子

ノツカマップイチャルパの様子

■松前藩
江戸時代の北海道は、蝦夷地と呼ばれていました。蝦夷地は松前の殿様に植民のように支配されていました。当時の蝦夷地は米が獲れなく、本州のように年貢をとることができませんでした。しかし、松前は蝦夷地の交易による利益で、藩が成立していました。最初は、松前藩主や家臣が直接蝦夷地でアイヌの人々と交 易していましたが、しだいに商人にまかせるようになりました。交易品には、和人側からは米・酒・鉄製品、ガラス玉などの食糧や生活物資が、アイヌ側からは・毛皮・ワシの尾羽(矢の羽に使う)などの産物がありました。

鷲の羽 納沙布岬のラッコ

ワシ類の羽     納沙布岬のラッコ

コタンケシ遺跡出土のガラス玉

コタンケシ遺跡出土のガラス玉

■根室と飛騨屋
根室や厚岸、クナシリ島の交易を最初に行った商人は、飛騨国増田郡湯之島村(岐阜県下呂町)の飛騨屋の武川久兵衛(たけがわきゅうべえ)という人でした。飛騨屋はもともと材木商でしたが、松前藩に多額のお金を貸し、松前藩はこのお金を返す代わりに、根室などの交易の権利を飛騨屋に与えたのでした。しかし、根室やクナシリ地方には、強力なアイヌの勢力があって、飛騨屋の交易は順調に進みませんでした。

武川家の墓所

武川家の墓所(岐阜県下呂市)

■ロシアとの関係

このころ、ロシア人は高価な黒テンやラッコの毛皮をもとめて、シベリヤから アリューシャン列島・千島列島に進出していました。1778年にはロシア人が クナシリアイヌのツキノエの案内で、根室のノッカマップに交易をもてめて来航しました。ロシア人は千島列島のアイヌとも交易を行っていて、ツキノエは、ロ シア人商人との結びつきを松前藩や飛騨屋に誇示しました。

■老中田沼意次と蝦夷地
江戸時代の日本は、長崎での中国・朝鮮・オランダ、対馬での中国、琉球での中国貿易、そして松前での中国・ロシア貿易の他は、外国とは交易していませんでした。
当時の江戸幕府は財政的にいきずまっており、蝦夷地での交易の莫大な利益に目を付けたのが、老中田沼意次でした。幕府は蝦夷地に調査隊を派遣しました。ただこの調査で、飛騨屋の経営も調査され、帳簿にも記入しないどんぶり勘定であることがわかり、交易だけでなく、現地でアイヌを使ってかなり強制的に働かせていることも明らかになりました。しかし、途中で田沼が失脚していまい、幕府は蝦夷地に対して何の政策も行いませんでした。


■最初の蜂起
1789年(寛政元)5月はじめ、クナシリ島のアイヌが一斉に蜂起し、松前藩の足軽竹田勘平をはじめ、飛騨屋の現地支配人・通辞(アイヌ語と日本語の通訳)・番人らを次々に殺害しました。さらにチュウルイ(標津町忠類)沖にいた飛騨屋の大通丸を襲い、標津付近のアイヌも加わり、海岸沿いにいた支配人、番人らをも殺害しました。

クナシリ島で蜂起にしたのは、マメキリ、ホニシアイヌら5人が中心となって、合わせて41人が番人らを襲撃しました。彼らはクナシリ島の若きアイヌリー ダーたちで、フルカマップで4人、トウフツで2人、トマリで5人、チフカルベツで8人、ヘトカで3人の合計22人を殺害しました。さらにメナシ地方(標津 ・羅臼付近)では、49人を殺しました。結局クナシリ・メナシ地方合わせて130人が蜂起し、71人の和人を殺しました。このあたりにいた和人で生き残ったものは4人おりましたが、ほとんど全てが殺されました。

クナシリ・メナシの戦い関係地名図

クナシリ・メナシの戦い関係地名図


■蜂起の原因

この蜂起の後、松前藩はすぐに鎮圧隊260人をノッカマップに派遣し、なぜ蜂起が起きたのか取り調べることになりました。取り調べの結果、飛騨屋の支配人、番人らの非道(暴力・脅迫・性的暴力・だまし・ツグナイ要求)の実態が明らかになりました。これらは、飛騨屋がアイヌを強制的に働かせるために行われました。また、アイヌの人々は非常に安い賃金(品物)で、自分たちが冬に食べ る食糧を確保する暇もないほど働かされ、餓死するものが出る状態でした。次第にアイヌたちは「このままでは生きていけない」と意識するようになり、飛騨屋の番人らが「アイヌを根絶やしにして、和人を連れて来る」という脅しが、現実味を帯びてきました。さらに、女性に対する性的暴力が続出し、それに対する抗議をしても認めるどころか、さらにひどい暴力を受けるという始末でした。


■直接の原因

このようにクナシリ・メナシ地方のアイヌたちは、過酷で強制的に働かされ続け、いつ何が起こっても不思議でない状況となっていました。

1789(寛政元)年になって、クナシリ島の惣長人(そうおとな=総首長)サンキチが病気になり、メナシ領ウェンベツの支配人勘兵衛がクナシリ島にきて持ってきた酒をサンキチが呑んだところ、そのまま死んでしまいました。また、同じくクナシリの長人(おとな=首長)マメキリの妻が和人からもらった飯を食べたところ、まもなく死んでしまいました。このような不審な死に方をしたサンキチやマメキリの妻は、普段から毒殺するといって脅かし続けた和人によって、本当に毒殺されたに違いないということになったのです。本当に毒殺であったかどうかは、今となっては真相は分かりませんが、たとえ偶然であったとしても、蜂起に至るのは時間の問題であったのです。


■鎮圧隊の松前出発

この蜂起の事実が松前城下に伝わったのは6月1日でした。すぐに260人の鎮圧隊が組織されました。鉄砲85丁・大砲3挺・馬20頭も準備され、6月11日から19日にかけて、根室のノッカマップに向けて出発しました。


■ノッカマップでの取リ調べ
鎮圧軍は7月8日にノッカマップに到着しました(この年は閏年で、6月が2 カ月ある)。蜂起に関係したアイヌたちをノッカマップに集め取り調べが始まり ました。最初は捕まって殺されるかもしれないという疑いからなかなか集まりま せんでしたが、7月16日までにメナシの183人とクナシリの131人のアイ ヌがノッカマップに到着しました。

アイヌに対する取り調べは、アッケシの首長イコトイ、ノッカマップの首長ションコ、クナシリの首長ツキノエに行わせました。その結果、クナシリでは41人が、メナシでは89人が、合わせて130人が蜂起し、殺害に加わったことが 判明しました。さらに、なぜ蜂起したかについても詳細に取り調べられました。この内、直接の加害者である37人が牢に入れられました。さらに彼らが持っていた弓などの武器が全て没収されました。

■37人の処刑

7月20日に取り調べが行われ、その日に直ちに37人に対して、重罪であるという理由で死罪が決定しました。

翌21日、本人たちに死罪が申し渡され、指導者であったマメキリから順番に牢から引きだし、首をはねていきました。次々と首をはね、5人目が終わり、6人目の時、牢内が騒がしくなり、大勢がペウタンケと呼ばれる呪いの叫びをあげ、牢を壊そうとしたので、鎮圧軍は牢に鉄砲を撃ち込み、逃げる者は槍で突き刺し、大半を殺した後、牢を引き倒し37人全てを処刑しました。その後、処刑した者全員の首をはね、洗って箱に塩詰めにし、胴体は一つずつむしろで包んで大きな穴を掘って埋めたのでした。

ノツカマップイチャルパのヌサ

ノツカマップイチャルパのヌサ(幣)場


7月24日には37人に胴体を埋めた塚に、太さ30センチメートル、長さ3.6メートルの角材の四面を赤く、四角を黒く塗り、ノッカマップ岬の四方から 見渡せるところに建てました。現在はこの場所がどこか不明です。7月27日 には、長老のアイヌたちに、今後二度とこのようなことがないように申し渡して、鎮圧軍はノッカマップを出発しました。37個の首は松前郊外の立石野で首あらためが行われました。

ノッカマップ岬

ノツカマップ岬(ノツカマフ1・2号チャシ跡が所在)

■アイヌと松前藩
この戦いの後、飛騨屋は交易の権利を没収されましたが、松前藩には何のお咎めもありませんでした。結局、幕府は特にこの戦いに後、新しい政策を打ち出せなく、蝦夷地を黙認したのでした。しかし、蝦夷地の経済的な価値やロシアの南下に対しては、再度強い関心を示し、幕府の目が北に向くきっかけになったのでした。

■アイヌの勢力
この戦いに敗北した、アイヌ社会は松前藩との力の差を知ることになり、さらに、本州から持ち込まれる生活物資無しには、生活できなくなっていて、アイヌ自身による独自の政治勢力が育つ可能性が、非常に弱くなるという道をたどることになります。

アイヌにとっては、蜂起前のように武力で立ち上がる力をつみ取られ、政治的にも経済的にも従属関係となり、和人支配下で働かされるということが、日常的になっていきました。


■おわりに

1789年はフランス革命が起こった年でもありました。蝦夷地でこのような戦いが起こったことも偶然ではなく、世界史の流れの中でとらえようとする考え方もあります。
この戦いは、決して楽しい歴史ではありませんが、北海道にとっても日本にとっても、そしてアイヌ民族の歴史にとっても、大変重要な出来事でした。そして根室市にとっても忘れてはならない歴史ですので、ここに掲載いたしました。

https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/tatakai/4719.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c5

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
6. 中川隆[-12823] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:48:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

北方領土を考える その一 北方諸島とアイヌ語の地名 2016年12月16日
http://naritas.jp/wp1/?p=4634


ウラジミール・プーチン (Vladimir Putin)大統領が来日しています。山口と東京における安倍総理との会談がどんな成果を生むかが注目されます。会談の一つに北方問題を取り上げられるようです。日ロの平和条約に関して安倍総理は「新しいアプローチに基づく交渉」とか「特別制度による共同経済活動」とやらで臨んでいるようです。経済協力先行を主張するロシアは領土問題を棚上げしたいのは目に見えています。

国家の主権の大事な要素は領土、そしてそこに住む民族です。領土の帰属を主張する根拠とは、誰が見つけて占有を宣言するかではなく、誰が先住していたかということが20世紀以降の国際通念です。北方領土問題は占有と先住を巡る解釈、そして力関係です。そうたやすく解決する問題ではなさそうです。100年はかかるかもしれません。樺太生まれの北海道育ちの私も日ロの平和条約と北方問題の解決には大いに関心を持っています。

北方領土における千島や樺太、そして北海道にはアイヌ語を語源とする地名などが沢山あります。私が生まれた樺太の真岡は、アイヌ語の「マオカ」で静かな場所、「マ・オカ」という呼び名もあり、これは「川口が入江になっている海岸」という意味だそうです。小さいとき育った美幌はアイヌ語の水多く、大いなる所を意味する、「ピ・ポロ」、稚内はアイヌ語の「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナイ」、名寄はアイヌ語の渓流に注ぐ口という意味の「ナイオロプト」、旭川はアイヌ語で忠別川を指す「チュプ・ペッ」と呼ばれていました。「チュプ」は「日」、「ペッ」は川の意味でやがて「旭川」となったという説です。
http://naritas.jp/wp1/?p=4634
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c6

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
7. 中川隆[-12822] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:52:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
北方領土の読み方は4島すべて何と言う?四島の語源も!
https://takenori.info/blog/northern-territories/


北方領土4島すべての読み方は何と言うか?

以下に一覧で。↓

•色丹島:Остров Шикотан:シコタン
•歯舞群島:諸島:Острова Хабомаи:ハボマイ
•国後島:Курильские острова:クナシリ
•択捉島:Итуруп:エトロフ

1956年の日ソ共同宣言から言われている
色丹( しこたん )島と、歯舞( はぼまい )
群島・諸島の2島と、国後( くなしり )島と
択捉( えとろふ )島が北方領土の四島である。

各島の語源は次章以降で詳しく解説する。


色丹島の語源はアイヌ語で「 大きな村 」

 ウィキペディアの記述に拠れば、色丹( シコタン )島
は、アイヌ民族が強制的に移住させられた歴史が有るという。

「 色丹島 」より引用↓


1884年( 明治17年 )に占守島や
幌筵島、及び中部千島の羅処和島に
居住していた千島アイヌの人々が
色丹島に強制移住させられた。

【 引用ここまで↑出典:Wikipedia 】

アイヌ語は北海道アイヌ語が消滅の危機に
瀕して居るとされるが、色丹島を含まない
千島列島アイヌ語は、すでに絶滅している。

そのアイヌ語で「 大きな村 」という
意味の語源がシ・コタンとなる。

Малокурильское, o.Шикотан.png


歯舞群島の語源は「 流氷が退くと現れる 」

 歯舞群島もしくは諸島の、ハボマイの由来は
アイヌ語の「 ハ・アプ・オマ・イ 」から来ている。

日本語に翻訳すると、「 流氷が退くと小島が現れる場所 」となる。


Часовня на острове Танфильева.png

ウィキ情報に拠れば、1956年の日ソ共同宣言で締結され
2018年11月14日の日露首脳会談で返還が
検討されている、色丹島と歯舞群島の
2島は千島列島には入らないとしながらも
便宜上、一部として記述するとしている。

ちなみに、歯舞島は群島もしくは諸島なので
その名の通り、大小13の島々で攻勢されている。


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国後島の語源は「 黒い草の島 」が有力?

 2島返還の対象に入っていない北方領土が
択捉( エトロフ )島と国後( クナシリ )島
の2島で、地理的には千島列島に属する。

しかしながら、国後島の語源に付いては
いくつかの諸説があり、明確な由来は不明だ。

「 国後島 」より引用↓


島の名前の由来は、アイヌ語の「クンネ・シリ
( 黒い・島→黒い島 )」または「キナ・シリ/
キナ・シル( 草の・島→草の島 )」からであるが、
どちらが本当の由来かは、はっきりとしていない。

この島に先住していたアイヌ人はアイヌ語で
「 クナシル 」と呼んでおり、日本語名も
ロシア語名も国際標記も、これに起源を持つ。

【 引用ここまで↑出典:Wikipedia 】

つまり、国後島の語源は「 黒い 」か
「 草 」の、どちらかであるという説である。

つまり両者を、かけ合わせると「 黒い草の島 」
か「 草の黒い島 」の、どちらかになる。

Tomari Village in Kunashiri Island.JPG


択捉島の語源はアイヌ語で「 岬の有る所 」

 北方領土の千島列島に属する択捉( エトロフ )島も、
2島返還には含まれていない島である。

択捉島の語源は、アイヌ語で「 エトゥ・ヲロ・プ 」
と発音し、意味は「 岬の有る場所 」だ。

では、その岬とは何か?と言えば択捉島の
最北端の岬である「 カモイワッカ岬 」を指す。↓


カモイワッカ岬.JPG


つまり、カモイワッカ岬の有る島が択捉島だ。

以上が、北方領土4島の「 読み方と語源 」になる。

北方領土の地図を4島すべての場所がどこ?かをGoogleマップで表示

 ロシア側からの色丹島および歯舞群島の2島返還が加速したと報じられている「 北方領土4島 」の場所と位置をGoogl...


つまり北方四島、全ての名前は先住民族である
アイヌ人が命名した、ということになる。

プーチン大統領は今回の2島返還に際し、
日本語で「 引き分け 」だと語った。

シコタン色丹島の人口と居住者数は2018年現在で何人いるのか?

 速報で2018年11月14日、シンガポールにて日露首脳会談が行われ、ロシアのウラジーミルプーチン大統領【 66 】は...


自身が柔道8段を有するプーチン大統領
らしい発言だが今後は、どうなっていくのか?

対する安倍首相は自身が、お得意の
アーチェリー( 洋弓 )で、狙い通りの的に
見事、命中させる事が出来るのかー!?
https://takenori.info/blog/northern-territories/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c7

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
8. 中川隆[-12821] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:58:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

0-0. 日本人の源流考 _ アイヌ人の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」と「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級として ネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)
  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。 その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。 どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」が そのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような 移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。 最も頻度が高いのはTanana族である、約40%もの頻度を持つ。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、 大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c8

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
9. 中川隆[-12820] koaQ7Jey 2019年1月21日 14:04:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

千島アイヌ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

千島アイヌ(ちしまアイヌ、アイヌ語: Ruru-tom-un-kuru、英語: Kuril Ainu)とは、かつてウルップ島以北の北千島に居住していたアイヌ系民族である。北海道アイヌや樺太アイヌとは異なる文化・伝統を有することで知られていたが、千島・樺太交換条約締結後の日露両国による強制移住政策によって人口が激減し、現在では千島アイヌの文化は断絶してしまっている。

欧米ではクリルアイヌ、あるいは単にクリル人とも呼称される。


千島列島

「千島アイヌ」あるいは「クリルアイヌ」の名前で知られているものの、厳密に言うと南千島(エトロフ島・クナシリ島等)のアイヌは北海道本島のアイヌと同系統とされ、通常「千島アイヌ」は、ウルップ島以北の北千島の島々にルーツを持つアイヌを指していることが多い。

エトロフ島–ウルップ島間の択捉水道(ロシア語: Пролив Фриза)を境にしてアイヌ民族の文化伝統が異なる事は古くから知られており、近藤重蔵は『辺要分界図考』(1804年)で以下のように述べている。


東海ウルップ島より前路、シモシリ島(新知島)よりカムサスカ(カムチャツカ)地方に至る迄凡十余島、世の所謂千島にして蝦夷人之を称してチュプカと云。チュプカとは日出処の義也。蛮書に之をクリル諸島と云。その島大なる者十六、小なる者無数……。
— 近藤重蔵『辺要分界図考』巻四

同様に、蝦夷通辞の上原熊次郎は以下のような記述を残している。


扠又、当所(静内)よりポロイヅミ(襟裳)辺までの蝦夷をまとめてメナシウンクルといふ。則、東のものといふ事。……ビロウ(広尾)より子モロ(根室)領辺迄の蝦夷をシメナシュンクルといふ。則、奥東のものといふ事。エトロフより奥の嶋のものをチウブカンクルといふ。則、日の方のものといふ事……。
— 上原熊次郎『蝦夷地名考并里程記』[1]

以上の記述をあわせると、北海道アイヌの間ではエトロフ島・シコタン島といった南千島のアイヌは道東一帯のアイヌと同じグループに分類されており、それ以北のグループがチュプカウンクル(アイヌ語:cupka-un-kur)と呼ばれていたという。ここで言う「チュプカ」とは、「日・の上(=太陽の上がる方向、東)」を意味するアイヌ語cup-kaのことである[2]。

また、1899年の鳥居龍蔵の調査によると、千島アイヌは自身のことを「ルートンモングル(ruton-mon-guru,「西に住まえる人」の意)」、北海道アイヌのことを「ヤムグル(yamu-guru,「南方の人」の意)」、カムチャダールのことを「チュプカウングル(cupka-an-guru,「東方の人」の意)」と呼称しており、ここでも「ルートン(ruton)」はウルップ島〜シュムシュ島の北千島のみを指すものとされている[3]。これらの呼称はより正確には「ルルトムンクル(アイヌ語: ruru-tom-un-kuru,「海中の人」の意)」あるいは「ルットムンクル(アイヌ語: ruttom-un-kuru,「島嶼の住人」の意)」、「ヤウンクル(アイヌ語: ya-un-kuru,「本土の人」の意)」を聞き取ったものと見られている[4]。

なお、カムチャツカ半島南部(ロパートカ岬一帯)にはアイヌ語地名がいくつか残っており、カムチャツカ半島南部も千島アイヌの居住圏であったと見られている[5]。

歴史

「アイヌの歴史」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2


千島アイヌの成立は北海道アイヌ・樺太アイヌと比較して遅く、15世紀以後のことと考えられている。これはアイヌ民族以前に千島列島に居住していたオホーツク文化人を漸次同化・征服していったためである。

千島アイヌの産出するラッコ皮は他の地域では得られない稀少品であり、古くから交易によって日本社会に輸入されていた。

一方、千島アイヌが直接和人と交易を行わなかったこともあって、江戸時代末期に至るまで千島アイヌに関して日本ではほとんど知られていなかった。16-17世紀頃の日本では千島方面を漠然と「クルミセ」あるいは「ラッコ島」と呼ぶのみで、千島に関する知識は主に北海道アイヌを介した伝聞に拠っていた。

17世紀末、カムチャッカ半島にまで進出していたロシア人は、18世紀初頭より千島列島に足を踏み入れるようになった。1711年、アンツィフェーロフ率いるコサックは始めて千島列島に進出し、これ以後千島アイヌはロシア人より毛皮税(ヤサーク)を取り立てられるようになった。

19世紀に入ると、蝦夷地の経営を強化していた日本とロシアの間で、千島方面における国境画定が問題化してきた。両国の国境確定は明治維新を経た後、1875年の千島・樺太交換条約によって一応の決着を見た。この結果、千島アイヌは3年以内に日露どちらかの国籍を選択することを迫られた。

日本政府は国策として、国防を理由に千島アイヌをシコタン島に強制移住させた。慣れない生活と風土のため、千島アイヌの人口は激減してしまった。更に、第二次世界大戦でソ連が南千島(北方領土)を占領すると、千島アイヌ及びその血縁者は日本各地に移住したため、千島アイヌ文化の伝統は途絶えてしまった。現在、千島アイヌとしての文化的アイデンティティを保持する者は既に存在しないと考えられている[6]。


千島アイヌの竪穴住居

千島アイヌ文化が北海道アイヌ文化と異なる点としてよく挙げられるのが、竪穴住居での生活である。竪穴住居を作る際には、まず長方形の穴を掘った後に柱を立て、板で囲い、急勾配の屋根をつくる。その後、煙出し用の穴を残して干し草・土・泥炭などで蔽い、窓や入り口を整えて完成させた。窓ガラス代わりに海獣の膀胱を広げたものを窓に貼っていたため、室内はとても暗かったという。

ロシア人の進出後、千島アイヌの住居で最も大きく変わったのは風呂を作るようになったことであった。この風呂はロシアの蒸し風呂(バーニャ)をまねたもので、熱した石に水をかけることで蒸気を出す、というものであった[7]。

衣服

作業中の千島アイヌ

近藤重蔵の記録によると、千島アイヌには羽毛(アイヌ語: rap-ur)、犬の皮(アイヌ語: seta-ur)、草を編んだもの(アイヌ語: kera)などを材料とした衣服が存在したという。また、ウシシルのアイヌは雁の羽にアザラシの皮で縁取った筒袖仕立ての衣服を着ていたという。keraはキナという草を用いて作るが、北海道アイヌの作るアットゥシ(attus)は材料となるオヒョウが北千島で育たないため、作られない[8]。

靴としては耐水性の高いトドあるいはアザラシの皮を用いて作った長靴を使っており、冬期には柳で作った樏をつけていたという。以上のような千島アイヌの衣服は18世紀以後かなりロシア化し、ロシア製のシャツや帽子、用いるようになったという[9]。


生活用具

北海道アイヌ・樺太アイヌには見られない千島アイヌ独自の特徴として、遅くとも19世紀前半まで土器作りの文化を保持していたことが挙げられる。しかし、このような文化はロシア人の進出とともに少しずつ廃れてゆき、ロシア製の用具を用いるようになっていった。

千島アイヌを代表する物質文化として、「テンキ」と呼ばれるバスケットが存在する。これはテンキ草(ハマニンニク)を材料に巻き上げ技法(コイリング技法)を用いて作成したもので、アメリカ北西海岸のネイティブアメリカンとも共通する文化である。また、千島アイヌは木製仮面を有していたことが知られているが、これもまたアラスカ・アリューシャン・カムチャッカの北方民族の影響を受けた文化であると考えられている[10]。

言語

「千島アイヌ語」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E


千島アイヌ語についての資料は断片的なものしか残されておらず、その実態には未だ謎が多い。

しかし、クラシェニンニコフは「クナシリ[島]住民の言語は第2島ポロムシル島(幌筵島)で話される言語とほとんど何らの相違もない」というクリル人(アイヌ)の発言を記録しており、国後島を含むをアイヌ語南千島方言と類似した言語であった可能性がある[11]。

コロポックル伝説と千島アイヌ

コロポックルの木彫り人形

詳細は「コロポックル」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB


アイヌ民族伝承の一つとして知られるコロポックル伝説のモチーフが千島アイヌであった、とする説が存在する。

一般的に「アイヌ民族の小人伝承」と言うと「蕗の葉の下の人(korpokkur)」が想像されるが、実は前近代の記録にはアイヌ民族の伝える小人を「トイチセコッチャカムイ(トイコイカムイ、トイチセウンクルとも。竪穴住居に住む人、の意)」或いは「クルムセ(千島の人、の意)」という名称でも記録していた[12]。

例えば、17世紀の『勢州船北海漂着記』には以下のように記録されている。


蝦夷人物語申し候は、小人島より蝦夷へたびたび土を盗み参り候、おどし候へば、そのまま隠れ、船共々見え申さず候由、蝦夷より小人島まで、船路百里も御座候由、右の土を盗みて鍋にいたし候由、もつともせいちいさくして、小人島には鷲多く御座候て、……。
— 松阪七郎兵衛ほか『勢州船北海漂着記』(1662年)[13]

この記述に見られるような、古い時代に記録された小人の特徴を列挙すると、

1.小人と北海道アイヌはコミュニケーションを欠く(=両者は沈黙交易を行う)
2.小人は土鍋製作用の土を取って帰る(=小人は土器製作を行う)
3.小人の島にはオオワシが多い
4.小人は島に住む、船でやってくる

となり、これらの特徴は全て千島アイヌの特徴と一致する[14]。

更に注目されるのは、樺太アイヌ・北海道アイヌ・南千島アイヌといったほぼ全ての地域で伝承される「小人伝説」が、唯一千島アイヌの間でのみ知られていないという点である[15]。

以上の点を踏まえて、瀬川拓郎はアイヌの小人伝説について「……十五世紀に北千島へ進出したアイヌは、その奇妙な習俗によって異人され、15〜16世紀には道東アイヌのあいだで小人として語られることになった」のであり、「19世紀ころには、様々なモティーフを取り込み、他の伝説とも融合して、もはや北千島アイヌの現実の習俗を反映した伝説であったとは思われないほど、小人伝説はアイヌ世界の物語として『成長』を遂げていた」と纏めている[16]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c9

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
10. 中川隆[-12819] koaQ7Jey 2019年1月21日 14:09:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

ロシアにおけるアイヌ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

樺太アイヌ(ブロニスワフ・ピウスツキによる撮影)
ロシアにおけるアイヌではロシア連邦の領内における先住民族としてのアイヌ民族の歴史及び現状について記す。

サハリン州、ハバロフスク地方、カムチャツカ地方に居住している。ロシア語ではアイヌ(Айны)、クリル(Куриль)、カムチャツカ・クリル(Камчатские Куриль)、カムチャツカ・アイヌ(Камчадальские Айны)、エイン(Ейны)などと呼ばれ、6つの集団に分けられる。2010年の国勢調査ではロシア国内で自らがアイヌであると回答した人数は100人程度であるが、少なくとも1,000人はアイヌを祖先に持つと考えられている。アイヌを名乗る人数が少ないのは、連邦政府に「現存する」民族集団としての承認を受けられていない結果であると考えられる。アイヌを祖先に持つ人が最も多いのはサハリン州であるにも関わらず、自らをアイヌと定義する人の大多数はカムチャツカ地方に居住している。

集団

ロシア領内に居住するアイヌは6つの集団に分けられ、うち4つは民族集団としては消滅している。

カムチャツカアイヌ

「カムチャツカ・クリル」として知られる。1706年にロシア帝国に敗北したことに加えて天然痘が流行した事により、現在では民族集団としては消滅している。現在では後述の北千島アイヌ、もしくはイテリメン族に同化している。18世紀のロシアの探検家の記録が最後である[1]。

北千島アイヌ


「クリル」として知られる。千島列島は1875年に樺太・千島交換条約が締結されるまではロシア帝国の統治下であった。大多数は占守島に、他は幌筵島に少数居住し、1860年段階で人口は221人であった。彼らはロシア式の名前を名乗り、流暢なロシア語を話し、ロシア正教を信仰していた。日本領になってからは100人以上のアイヌがロシア人と共にカムチャツカに移住した[2]。最近では100人近くがウスチ・ボリシェレツキー地区(英語版)に居住している。日本の統治下に留まった集団は第二次世界大戦後、最後の生存者だった田中キヌが1973年に北海道で亡くなり絶滅した[3]。

南千島アイヌ

詳細は「メナシクル」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%AF%E3%83%AB


18世紀時点では国後島、択捉島、得撫島を中心に約2,000人が居住していたが1884年には500人前後まで減少した。1941年には太平洋戦争開戦に伴い50人(大部分が混血)が北海道に避難した。現在は6人がロシアに居住している。

アムールアイヌ

ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、20世紀初頭に数人がロシア人もしくはウリチ人と結婚していた[4]。1926年のソ連の国勢調査ではニコラエフスキー地区に純血は26人しかおらず、多くはスラブ系民族の中に同化したと考えられる[5]。今日ではハバロフスク地方で自らをアイヌを定義する者は殆どいないが、ウリチ人の相当数がアイヌの血を引き継いでいる[6]。

北樺太アイヌ

1926年の国勢調査では北サハリン州に純血は5人だけであった。ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、大部分の樺太アイヌは1875年に北海道に移住させられ、樺太に留まったごく少数のアイヌはロシア人と結婚したものと考えられる。民族集団としては消滅したが、アイヌの血を引き継いだ人は現在もいると考えられる[7]。

南樺太アイヌ

詳細は「樺太アイヌ」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C


大部分の樺太アイヌがソ連対日参戦後に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていた。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力を掛けた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住している。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識は殆どない。

歴史

カムチャツカ半島のアイヌが最初にロシア人と接触したのは17世紀末である。18世紀にはアムールと北クリルのアイヌが制圧された。アイヌはモンゴロイドの日本人と異なるロシア人を友好関係の対象とみなし、18世紀半ばには1,500人以上のアイヌがロシアへの帰属を選んだ。アイヌ人はコーカソイド的な特徴も持ち合わせていることから、日本人にとってアイヌ人とロシア人の区別は困難であり、日本人が初めてロシア人と接触した時にはロシア人の事を「赤蝦夷」と呼んでいた。19世紀初頭にようやくロシア人はアイヌ人と異なる民族集団であることを認識したのである。その一方でロシア人はアイヌ人の事を「毛深い」「浅黒い」「髪と目が黒い」と記録していた。初期のロシア人探検家はアイヌ人の事を顎髭のあるロシアの貧農、もしくはロマに似ていると記していた。

アイヌ人、特に北千島のアイヌは19世紀の日露間の対立でロシア側を支持した。しかしながら、1905年に日露戦争でロシアが敗北してからは、ロシア人の間でアイヌ人との同盟意識は薄れていった。更に数百人のアイヌが処刑されたり、強制的に北海道に移住させられた。その結果、ロシア人は第二次世界大戦においてアイヌを味方に付ける事が出来ず、ソ連への残留を選択したアイヌは極少数に留まった。90%以上のアイヌは日本への帰属を受け入れた。

カムチャツカへの移住

樺太・千島交換条約の結果、千島列島は日本領となり、そこで暮らすアイヌ人も日本に帰属した。しかしながら、83人の北千島アイヌは1877年9月18日にペトロパブロフスク・カムチャツキーに渡り、ロシアの統治下で生活することを決断した。彼らはロシア当局によるコマンドル諸島への移住の提案は拒絶した。最終的には1881年にヤヴィン村に移ることになった。1881年3月にはペトロパブロフスクを離れ、ヤヴィンまでの徒歩で渡った。4ヶ月後になってようやく新たな居住地にたどり着いた。もう一つの村であるゴリヴィノ村は後から形成された。1884年には9人のアイヌが日本から移住した。1897年の調査では、ゴリヴィノに57人、ヤヴィンに33人のアイヌが居住していた[8]。ソ連体制下では両集落は再整理され、ロシア人が居住するウスト・ボルシェレツキー地区のザポロージエ集落に移住させられた[9]。異民族との通婚の結果、3つの部族はカムチャダールと同化した。

帝政ロシア時代のアイヌは自らを「アイヌ」と名乗ることは禁じられていた。大日本帝国側はアイヌ民族が居住している、もしくは過去に居住していた全ての地域は日本領であると主張していたためである。代わりに「クリル」や「カムチャツカ・クリル」などの表現が用いられた。ソ連時代にはアイヌの姓を名乗る者はしばしば日本人と間違われてグラグや労働キャンプに送られた。その結果、アイヌの大多数はスラブ式の姓に改姓した。 第二次世界大戦後の1953年2月7日には当局によりソ連国内に居住するアイヌに関するあらゆる情報を出版することを禁じられた。この指令は20年後になって取り消された。

最近の動向

北千島アイヌが居住するカムチャツカのザポロージエ集落は現在のロシアにおけるアイヌの部族では最大規模である。父方が南千島アイヌのナカムラ一族は6人であり、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに住んでいる。サハリン島では数十人が自らをアイヌと名乗るが、大部分は片親が他民族であり、アイヌの伝統文化を習得していない。2010年調査では888人の「日本人」が居住しており、その大多数がアイヌとの混血であるが、彼らもまたアイヌの伝統文化を習得していない[10]。同様に、ハバロフスクには片親がアイヌの子孫が居住しているが、アムールアイヌは誰も自らをアイヌと名乗ることはない。なお、カムチャツカアイヌの生存者はいないと言われている。1979年にはソ連政府はロシアの領域から民族集団としてのアイヌが消滅したとして、現存する民族集団から「アイヌ」の項目を削除した。ソ連崩壊後の2002年の国勢調査では調査票に「アイヌ」と記載する者はいなかった[11][12][13]。

アイヌ民族自身は自らは千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張してきた[14]。2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体がウラジミール・プーチン大統領に日本との間での北方領土における一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。その手紙では日本、帝政ロシア、ソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と同化政策を行なったとして糾弾していた[15]。しかしながら、その要請はプーチン大統領に拒否された。その団体はアイヌ民族をめぐる悲劇の規模と激しさはアメリカ先住民が直面したジェノサイドに匹敵すると主張している。2010年の国勢調査ではその集落の100人近くがアイヌ民族と申告したが、カムチャツカ地方議会はそれを拒否してイテリメン族として取り扱った[16]。2011年にはカムチャツカのアイヌ民族団体のリーダー、アレクセイ・ウラジミロヴィッチ・ナカムラがウラジミール・イリューヒン(カムチャツカ地方知事)とボリス・ネフゾロフ(連邦下院議員)に政府の北方・シベリア・極東地方少数先住民族のリストに加えるように要求した。 しかしながらこの提案も拒否された[17]。

サハリン州とハバロフスク地方のアイヌ人は政治的主張を行う団体を結成していない。アレクセイ・ナカムラは2012年時点でロシア領内にアイヌ人は205人しかいない、そのうち2008年段階で自らがアイヌ人であると主張していたのは12人であり、「千島列島のカムチャダール族」と共に少数民族としての認定のために活動していると主張している[18]。アイヌがロシア政府の少数民族の公式リストから外されて以来、彼らは無国籍人、ロシア人、カムチャダール人のいずれかに定義されている[19]。なお、2012年時点では北千島アイヌと千島列島のカムチャダールは共にロシア政府から北方少数先住民族としての漁業権・狩猟権は認められていない[20]。最近になってボリス・ヤラヴォイによってロシア極東アイヌ協会(RADA)が設立された[21]。

人口

2010年のロシア国勢調査では109人のアイヌ人が存在するとしている。このうち94人はカムチャツカ地方、 4人は沿海地方、3人はサハリン州、1人はハバロフスク地方、4人はモスクワ市、1人はサンクトペテルブルク市、1人はスヴェルドロフスク州、1人はロストフ州という内訳である。実際のアイヌ人口は更に多いと考えられるが、サハリンの数百人のアイヌは自らをアイヌと定義する事を否定している。

ロシア政府の見解

ロシア連邦当局の国勢調査ではアイヌ民族はロシア国内では既に絶滅した民族集団とされている。アイヌ民族を名乗る人もアイヌ語を話すことは出来ず、生活における民族の伝統文化の要素も失われている。社会的・風習的には古くから居住するカムチャツカのロシア人と殆ど同一である。それゆえ、イテリメン族に与えられているような少数民族としての権利はカムチャツカのアイヌ人には認められていない。アイヌ語はロシア国内では話し言葉としては既に消滅している。カムチャツカのアイヌは20世紀初頭にはアイヌ語を用いなくなった。1979年時点でわずか3人の流暢なアイヌ語話者がサハリン州にいたのみであり、1980年代には消滅した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c10

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
11. 中川隆[-12818] koaQ7Jey 2019年1月21日 14:12:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
第一章 ロシアの東方進出と千島アイヌ
第1節 クリル列島とクリル人
http://www.orthodox-jp.com/kushiro/bef/1_1.htm


 露領時代の千島列島はクリル列島と呼ばれ、カムチャツカの南端から蝦夷(北海道)の北岬に延長約1200q、小島を除いて弓状に22の島からなっている。クリルの語源は露語のクーリイチ(燻る)からなまったもので、これは露人が初めてカムチャツカの南端から遙かに千島最北のアライト島を望んだとき、その山頂から火焔が上がるのを見て名付けたためと言われている。しかし、クリルの名称はアイヌ語のクル(人間)に由来する説が今日有力である。日本でも古くは千島のことを「くるみせ」と呼んでいたと言うが、名称については、その地に住んでいた先住民をクリル人、または千島アイヌと呼ぶことにする。

 カムチャツカ・千島が露人の版図となる以前のクリル人については『千島アイヌ』の著者鳥居龍蔵氏、自ら占守島へ渡って千島アイヌを調査した我が正教会の伝教者フェオドル斎藤東吉師によれば次の通りである。

 クリル人は、露人が北千島へ進入する相当以前から首長制の一大部族(一時は300名以上もいた)を形成し、各島を移動する活動的な狩猟民族であった。占守(シュムシュ)・幌莚(パラムシル)・羅處和(ラショワ。現地ではラサワ)島を定住地としながらも、北千島列島間を南は新知(シンシリ)島辺まで移転往来して狩猟をしていたが、古くはカムチャツカ東岸ではほぼアワチンスカヤ湾、西岸ボルシャヤ河を結ぶ一線より南の地帯まで拡がっていたと言われる。

 クリル人は古くから蝦夷アイヌと交易して木綿・鍋釜・刀剣等の鉄器も手に入れて交易的な経済生活をしていた。松前から蝦夷アイヌを通して日本文化の片鱗に触れていたわけである。即ち、蝦夷のアイヌは日本人と交易したこれらの品物をラサワ島まで運び、クリル人の捕獲した物資である鷲の羽やラッコの毛皮などと交換していた。

 『新羅の記録』には、1615年(元和元年)にメナシ地方(今日の根室・目梨地方を中心とする道東の広い地域を指す)からアイヌが数十艘の舟で松前に来てラッコの皮を松前藩主に貢物として持参し、藩主はこれを徳川家康に献上したという記録もある。

 また、1623年(元和9年)、江戸で他の切支丹信徒とともに火刑にされたイエズス会のデ・アンジェリス(イタリア人で再度蝦夷に渡っている)神父の書いた『蝦夷国報告書』(千島列島に関する文献の最古のものである)について、北大教授児玉作左衛門氏は千島先住民に触れて興味ある解説をしている。

 「その当時の藩主は松前志摩守公廣であるが、デ・アンジェリスに語ったことは次のことであった。即ち<ラッコ>は蝦夷地には産しないので、先住民はその皮を買うために、蝦夷の近くにある三つの島へ行く。これらの島の先住民には髭が無く蝦夷人とは全く異なった言語を持っている《 中略 》蝦夷の近くにある三つの島とは、さしあたり国後(クナシリ)・択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)の三島が考えられるが、或いは国後・択捉は蝦夷地の一部と見なし、その先にある得撫・新知及び他の一島の三つを意味したのであるかも知れない《 後略 》」

氏が述べているように、蝦夷アイヌと異なった民族が既に千島列島の中・南部に進出し、それらの地が彼らの生活圏となっていたのであろう。

 クリル人はいずれの地方から渡来したか、その起源については、アイヌ民族の系統に属することは間違いないが、蝦夷アイヌとは形質上やや異なる千島独特の民族が古くから蝦夷アイヌと交易し、独自な生活環境を築いていたことがうかがわれる。

   


第2節 露人のカムチャツカ進出


 ロシア人の東方進出は天正9年(西暦1581年、以下西暦とする)イェルマークに率いられたコサック兵800人がウラル山脈を越えてシベリアに進出し、1632年にはヤクーツクに城塞を築き、政庁を置き、1646年にはオホーツク海に達し、僅々60余年間でシベリアの大平原を大西洋岸まで横断したのである。また、カムチャツカは1697年から99年にかけてアトラソフ(シベリア大陸の東端ベーリング海のアナジリ湾頭のアナジリ城塞の司令官)によって征服されている。

 当時、この地方には、千島から渡ってきた人々とカムチャダール(カムチャツカの先住民・イテルメン)が混血・雑居していた。アトラソフ自身はカムチャツカ半島の南端をきわめなかったが、南の遠くない会場に島々があることを先住民から聞いている。

 アトラソフは、この地で先住民の捕虜になっている一人の日本人を保護した。この男はアトラソフやコサックと2年間カムチャツカで生活を共にした後、ペテルブルク(現サンクト・ペテルブルク)に送られ、ピョートル大帝の命令でロシア語を習得すると共にロシア人の若者に日本語を教えることになった。彼の名は伝兵衛で、ロシア国籍を取得し、ガウリイルの聖名で洗礼を受け、帰国することなく彼の地で永眠している。彼こそ日本人として最初のハリストス正教信徒であろう。
ピョートル大帝は伝兵衛を招いて自ら彼の話を聞いている。大帝は1702年、勅令を発して日本との通商の可能性を探ることを命じている。その後、ロシア人によりカムチャツカへの航路が開拓され、北千島への進出、更に日本への接近となる。

  


第3節 露人の千島進出


 ロシア人が最初に千島列島に進出したのは、1711年(正徳元年)のことであると言われている。この年、ロシア人のアンツィフョーロフ、コズィレフスキーの両人が反乱を起こし上官を殺害した。彼らはその罪を償うために多くのコサック兵を率い、千島列島伝いに日本に接近することを計画した。カムチャツカのロバトカ岬からカムチャダールの首長を案内役として、小舟と革舟に乗って遂に危険な海峡を突破し、千島第一島の占守島に上陸、有力な火器によって千島アイヌを制圧し、次いで1712年、第二回探検で幌莚島も支配下においた。茲に、これらの島を根拠地として、北はカムチャダール、南方択捉、国後の蝦夷アイヌを制圧した千島アイヌは露国政府の支配下に置かれることになったのである。だが、首長制度は存続し、後には正教会の司祭によってその就任式が挙げられるようになった。

 この時、先にカムチャツカに漂着した日本人捕虜のなかの「サニマ」(三右衛門の訛りか)と名乗る若者を、案内兼通訳として連れてきている。たまたまこの島には、シャタノイという名のアイヌが択捉島から日本の物品を持って交易に来ており、彼からマツマエ島(北海道)に至る14の島とその順番を知ることが出来た。

 サニマはその後、ペテルブルクに送られ、この地で帰化し、ロシア婦人と結婚して男子をもうけた。彼は伝兵衛の助手として日本語を教えたと言われるが、これには確たる証拠がない。ロシア婦人と結婚した事は、当時のロシアでは敬虔な正教徒になった事になる。

 その後、第二次ベーリングの北方大探検隊で日本沿岸の調査を命じられたシュパンベルグは、1738年(元文3年)千島列島を南下し、得撫島まで31の島を数えてこれを海図に記入したが、これは霧のため実際より多い島数であった。この航海では一人の日本人にも出会わなかった。更に、彼は先住民から日本の支配はマツマエ島(北海道)だけであって、他の島々は日本に従属していない事も聞いている。また、彼は1739年の探検では日本の安房、伊豆下田附近にまで入っている。

 ロシアの東方経略の目的は、国家組織による貴重海獣猟であり、また先住民と獣皮等を交易することを基盤として殖民地を獲得することにあった。一方、日本は徳川幕府の鎖国政策下にあり、当時、未開の北の宝庫、蝦夷も南端の小藩松前に委ねられていたに過ぎない。

 ベーリングやシュパンベルグの探検が行なわれていた頃、特にシュパンベルグの第一回探検で、千島列島に日本の主権が及んでいない事実を知ったロシア人は、占守島を根拠地として幌莚島以南、中千島から南千島にも進出した。コサックの百人長イワン・チョールヌイはヤサーク(毛皮貢税)徴収のため1768年に択捉島まで南下した記録がある。

 当時、ロシア人の多くは目前の利益のみ追い、永遠の大計をはからず先住民を虐待し、ために先住民の反感を高め、1770年、1772年、得撫島に出稼したロシア人が千島アイヌや蝦夷アイヌの襲撃を受けて、一時一掃されるような事件も起きている。

 その後、ロシア側は態度を改め、再び来航した時以来、千島アイヌに物品を与えて隔意のないことを示し、ロシア人と彼らとの間に交易が開始され、着々と経営を進め、得撫島に基地の建設を始めた。1820年から30年にかけて露米会社(産業家シェリコフが1798年にロシア=アメリカ会社をシットカを根拠地として設立し、毛皮貿易に大きな役割を果たし、1830年には北・中千島の権益をロシア政府が露米会社に渡した)が新知島と得撫島にアレウト人(アリューシャン列島先住民)を送り込んでラッコの狩猟に当たらせた。

 その後、この北辺で日本とロシア両国間に種々と紆余曲折が生じたが、1855年(安政元年)に伊豆下田に於いて日露通好条約が締結され、択捉・得撫間を両国の国境と定めた。得撫島に露米会社が進出する以前は、古くから得撫島が千島・蝦夷アイヌの自然の境界地であり、共通の狩猟場であったようである。

  


第4節 クリル人と正教


 1747年、カムチャツカの掌院ホコウンチェウスキー師は、修道司祭イオアサフを千島に派遣し、先住民教化に当たらせたと、鳥居龍蔵氏の『千島アイヌ』にある。それによると当時、占守・幌莚島に住んでいた千島アイヌは253名であり、その内、56人に洗礼を授けている。その時、イオアサフ師の持参した金装の聖書は、後の斜古丹聖三者教会の宝物として保管されたと伝えられている。その後、少年子女の為に学校を開設して彼らを教化し、正教の布教も着々と進められていく。

 イオアサフ師はその後、1794年、シノド(聖務会院)からアラスカ正教団の責任者として派遣され、大いに布教効果をあげ、カジャク島(アラスカ、アリューシャンの布教基地)の主教に叙聖されたが(1799年4月、於イルクーツク)、同年5月帰任のためオホーツク海を航行中、その乗船フエニクス号と共に行方不明になった。イオアサフ主教はロシア領時代のアラスカの初代主教となったが、現在、アメリカ正教会ではアメリカの初代主教として記憶されている。

 古来、千島アイヌは各島を移動する活動的な狩猟民族であり、占守・幌莚・羅處和の三島を定住地としていたのであるが、彼らは、この島より彼の島へと妻子と共に海獣を求めて移り歩いていたので、神父もまた彼らの後を追って転々として散在する島々を巡回しなければならず、決して容易な事ではなかったであろう。初期の伝道では言葉の違いをどう克服したのであろうか。神父達が千島アイヌの教化に努力した熱心さには驚かざるを得ない。『千島アイヌ』より引用すると

「1766年(明和3年)ツヱイ氏の調査によれば、一番島(占守)・二番島(幌莚)・十四番島(宇志知。ウシシリ)には男子(男女の誤りであろう)262人の千島アイヌが居り(内121名は貢納す)、1800年には正教を信仰する者は男77名、女87名、合計164人を数えた」

とあり、1800年代には千島アイヌ全員が正教徒となり、尚、択捉島の蝦夷アイヌにも正教を信仰する者が出たと思われる。それは、幕府が1799年、北辺の防備を痛感して千島の直轄に着手した時、島民の持っていた聖像を取り上げ、蝦夷地に施行された最初の成文である三条の法の第一に、

「一 邪宗門にしたがうもの、外国人にしたがうもの、其の罪重かるべし」

と規定したことを見ても、その辺の事情を窺い知る事が出来る。

 かくして、千島アイヌ固有の風俗が失われて、言語・姓名・生活様式も著しくスラブニック化し、深く正教を信仰する北辺の「ハリスティアニン」と変貌していく。1801年、占守島のモヨロップ(片岡)湾頭のコタンヌイの丘に正教の聖堂が完成する。

 明治27年の『正教新報』に1867年、大主教に昇叙され、モスクワの府主教に選立されたインノケンティ師が主教に叙聖される以前、司祭イオアン・ヴェニアミンノフとしてアリューシャン列島・アラスカ・カムチャツカを巡回していた頃、幌莚・占守島に千島アイヌを訪ねた記事が載っている。北川氏寄稿となっている。1830年前後の事であろうが、千島アイヌの性格、篤い信仰をよく表しているので紹介する。

 「イ師が、シベリヤ、アリューシャン列島、アラスカの地方を管轄していた頃、しばしば千島を巡回されたことがあった。《 中略 》千島の土民は夏期に至れば海辺に繁茂する青草の上に天幕を張って住居とし、冬期になれば其の天幕は不潔悪臭に満たされ、イ師が大祭日に諸部落を巡回した時、その悪臭不潔には大いに閉口なさったそうである。島民は殊に信仰厚く、会堂(祈祷所)に参拝して欠席すること無く、又よく家業に励んでいる。土民は一般に外国人に対して何事も隠し立てする。これは生まれつきの卑怯によるものか、また野蛮的な恐怖心によるものか、また狡猾心より出ているものか分からぬが、イ師の語るところによると、生まれつきの臆病から生ずるものであると言う。そのために彼らは痛悔の時にも罪を打ち明けず、神父らもこれにはほとほと困り果てたようである。しかしながら、彼らは朝夕の祈祷・スボタ(土曜日)・日曜日・大祭日の祈祷は欠かしたことが無い。大斎の初週及び終週には魚油を使用しないで、ただ海草或は野菜のみを食べて精進し、仕事に出る時は必ず祝福を受け、また夏期は毎朝夕一箇所に集まって祝福を受け《 中略 》。イ師は或る年に幌莚に行った際、冬期を其処で過ごした。大祭日には雪と雪との中間の凹所に布を張って、雪の上で潔白なツェレラ(千島に産する草の名)及び柏の枝を敷いて奉神礼を執行した。ハリストス復活祭後の一週間は、島民は順番に各自の家に他人を招いて供応するのであった。《 中略 》イ師はその年の5月中旬、土人用のバイダルカ(海獣の皮で作った舟)に乗って占守島へ渡った。この島の土民は巧みに露語を語り、露語を読み、彼らは魚の多く繁殖する川辺に住み、夏期になると隣邦のカムチャツカに行き交易を行なっていた。」


鋳銅製十字架

これは、斜古丹聖三者教会秘蔵の縦26.5p、横12pの鋳銅製の聖十字架である。イグナティ加藤神父がそれに次のような注釈を加えている。
「今を去ること凡そ250年前、現首長ヤコフ師の祖先イオアン・ストロゾフ氏の妻ペラギヤ姉が、偶々ラサワ島山中で発見したもので、累代相伝え秘蔵してきたが、会堂新築の際に聖三者教会に献納し、永く救贖を祈願するものである」

イグナティ加藤神父が根室に在住したのは、西暦1897年(明治30年)から1901年までである。鋳銅製十字架が発見されたのは、1898年を起点とするとそれより250年前、即ち1630年頃となるが、露人の北千島進出は18世紀初期である。正教の弘布の年代から推測すれば、聖十字架は18世紀中期以後のものであろう。聖十字架は推測の域を出ないが、奉神礼用の神父の携帯品でなかろうか。神父がそれを落とすとは考えられない。或は、神父が巡回中に不慮の災難に遭い、十字架を手放す羽目に遭遇したのかも知れない。とすれば、それ自体に宣教の苦闘の汗と血が滲み出ていると思われる。

 近世の植民史上、その初期には目先の利益のみに走り、先住民を酷使虐待し、彼らからすべてを収奪してやまなかった山師や、いかがわしい者が出没、暗躍したことは明らかである。そのために、大きな人類愛によって彼らを庇い、神の恩寵に浴させて彼らを抱擁し、それが為、身の危険を顧みず、殉教致命さえ厭わなかったハリストス正教の神父達の存在も忘れることは出来ない。

 かの鋳銅製の十字架には、これら正教の神父らの熾烈なまでの宣教の歴史が秘められているのではなかろうか。

 これらの正教の神父は、フェオドル、ロマン、アレクセイ、イーゴリ、フィルス、ニコライ、グリゴリイ、セルギイ、マクシム、チレフワシリイ、フェオクティリスト、パウエル、ハララムピイ等の諸神父の方々である。

 以上の神父名は、明治18年にティト小松神父に随行して先住民との通訳に当たったアレクセイ澤邊師の記録で、氏名でなく聖名の呼称である。明治17年にヤコフ首長の住宅(仮会堂であった)が焼失しているので、おそらく先住民からの口碑によるものであろう。

 これらの神父名は、明治39年、40年に色丹に在島した我が正教会の伝教者である斎藤東吉師著の『日本最古の正教島』に詳細に記されているが、前記の神父名とは大分異なっている。


  


第5節 クリル人の色丹島移住


 1875年(明治8年)日本とロシア間に樺太・千島交換条約が締結された。この条約によって日本が樺太の領有権をロシアに譲る代わりに、ロシアは占守島から得撫島に至る18の島を日本に引き渡すことが明記され、日露の国境をカムチャツカのロバトカ岬と占守島間の海峡に画定された。この条約の附属公文には、この地域に住む先住民は、三カ年以内に日露何れかの“臣民”になることを選定しなければならぬと規定されている。そこで、条約の結ばれた年の8月、明治政府は五等出仕時任為基を北千島へ派遣し、この旨を先住民に伝えた。

 当時、北千島には100人を越す先住民が住んでいたが、彼らは既に一世紀以上にわたってロシアの支配下にあり、言語・衣服・宗教などの面でもかなりロシア化されており、その去就とともに数奇な運命に弄ばれることになる。

 ロシア人並びに得撫・新知島に居住していたアレウト人は、条約に定められた期間、即ち3年後の11月までには悉くロシアに引き揚げた。千島アイヌも風俗・宗教等から、ロシアにと願いながらも、丁度、明治9年に出猟した半数の者が帰島しないためその態度を決することが出来ず、やむなく我が国に属することになった。

 占守島にいた首長キプリアンは、条約成立の年、島司インノケンティ・カララウィッチと12人の同族と共に9月15日、当時、他島への出猟中であったアレキサンドル以下22人の同族を置き去りにしてカムチャツカに向かった。日本国籍に入ったのは、このアレキサンドル組と副首長ヤコフ組のラサワ島の千島アイヌである。

 奇しくも、平成4年5月21日付北海道新聞に、ポーランドに子孫がいた!!という見出しで、首長キプリアンと共にカムチャツカにわたった同族の末裔が、現在ポーランドに住んでいる事が報じられている。シャールド・クリルチク氏他三家族である。シャールド氏によると、

「祖先はシュムシュ島に住んでおり、そこが日本領になるとロシア側に行く事を選んだ。大祖父のアドルフ・クリルチクさんら12人は、カムチャツカのシエログラツキに移され《 後略 》。」

とある。アドルフ氏は数奇な運命をたどり、二代、三代目の祖父、父はそれぞれポーランド婦人と結婚し、父は第二次大戦直後、リトアニアよりポーランドに脱出、現在、ポーランドのスープスク市に在住している。

 『フェオドル斎藤東吉自伝』によれば、首長キプリアンとカムチャツカに逃れた同族12人は、ペトロパブロフスク(首都)より「ヤウイン」に移住させられている。明治10年の春、首長アレキサンドルは日用品欠乏のため、獣皮を携え、交換の目的をもって露領「ヤウイン」に渡り、偶然にも前首長キプリアン氏に奇遇し、故山を慕うキプリアン氏ら7名の同族をシュムシュ島に連れ帰っている。フェオドル師は、「キプリアン氏の組は、露領に移りてより殆ど半数は不帰の客となり、残れるは僅々7名のみ」と自伝の中で記している。ロシア国籍を選んで露領へ渡ったクリル人の数は、北海道新聞とフェオドル斎藤師の記事で共に12人と符節を合わせたように一致している。そうであれば、東吉師の言う「殆ど半数は不帰の客となり」「キプリアン氏ら7名の同族をシュムシュ島に連れ帰っている」の点については疑問が生ずる。翌日の北海道新聞には「……だが、当時の日本政府の公文書ではシュムシュ島に戻ったのは二家族だけとされており、数家族がロシア側の国籍をとり、残った可能性が大きい」という記事が載っている。

 我が国では明治9年、更に官吏を派遣してその状態を調査し、救育費として三カ年に一回、5000円の政府別途交付金を給付、食料品等の生活必需品の購入に充て、汽船に搭載、彼らにこれを提供し、生活を保障するとともに捕獲した毛皮を集めた。

 しかし、毛皮は年とともに少なくなり、したがって著しい失費を伴い、その上、根室から1200qも離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与えるおそれもあった。また、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、同化が困難であるばかりでなく、国境を正すことにならないばかりか、むしろ危険にさえ感じられ、日本政府としてもクリル人に対して早急な処置を講じる必要があった。

 彼らをより交通の便利な箇所に移そうとする計画は、既に明治9年以来の計画であり、その度ごとに移住を勧誘してきたが、彼らは永年住み慣れた地を離れ難く、口実を作っては日本政府の勧誘に応じようともしなかった。

 明治15年に開拓使が廃止され、函館・札幌・根室に三県が置かれる。千島は根室県に属し、湯地定基が根室県令に任ぜられた。明治17年、三年ごとの撫育船を派遣する年にあたり、湯地県令は千島アイヌを色丹島に移す計画のもとに、要路の大官と共に占守島に向かい島状を調査した。丁度、その年に出稼に行っていた仲間も悉く同島に集まっていたので一同を諭し、男女97人をその船に乗せ、ただちに色丹島に移住させた。

 同道した参事院議官安場保和の『北海道巡回日記』に往時の状況が詳細に記述されている。

「五日晴。県令着島より船に還らず、懸々接待遂に全島移住の運びとなる。開拓使以来再三の説諭にも頑として服さず、今日此の挙ある時至れるものなりと雖も、県令懇諭(こんゆ)の誠(まこと)切なるを感ずる所ありと言うべし。全村移住に決し家財をまとめ、牛・犬を殺し、日没に至り全員乗船せり」

 即ち、湯地県令は7月1日の占守島に上陸してから約5日間、本船には一度も帰らず、彼らと起居を共にして懇々と移住を勧告したのである。勿論、彼らのうちには絶海の孤島とは言え、長い間住み慣れた故郷を離れ難く幾多の逡巡をみせた者もいたが、日本領になってからは、日本政府に頼るより外に生活の途がたたず、遂に意を決し、20戸97人、そろって移住することに決したのである。一行は7月6日に全員乗船して11日朝、色丹島に到着した。

 ここに、色丹島の北方オホーツク海に面した斜古丹湾頭に斜古丹村が出現し、信仰篤い彼らによって斜古丹聖三者教会が創設され、この後、永く日本正教の一肢体となるのである。首長は、斎藤東吉師によるとアレキサンドル・プリチンとなっているが、明治17年8月の旧戸籍(鳥居龍蔵氏の『千島アイヌ』)によればアレキサンドル・チェルヌイでなかろうか。副首長はヤコフ・ストロゾフである。

 色丹島は根室半島ノサップ岬より73.3qの地点に在り、東南は太平洋に面し、西北は国後島に相対し、南西より北東に至る長さ28キロメートル、幅およそ9qの長方形をなし、面積は約255平方qの島で、当時、色丹島は文化5年以来居住する者が無く、その後、しばしば出稼漁なども試みられたが長続きせず、空しく千島で活躍する外国密猟船の寄港地となっていた。


  


第6節 色丹島移住後のクリル人


 移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。

 この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。


強制移住による人口の減少

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、

「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
http://www.orthodox-jp.com/kushiro/bef/1_1.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c11

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
231. 中川隆[-12817] koaQ7Jey 2019年1月21日 15:47:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占
2019年1月21日 14:19 発信地:ダボス/スイス
  

【1月21日 AFP】世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を、国際NGO「オックスファム(Oxfam)」が21日に発表した。拡大する一方の貧富の差を是正するため、裕福層への増税が必要だと各国政府に強く求めている。

 スイス・ダボス(Davos)で開かれる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)を前に発表された最新報告によると、資産額10億ドル(約1100億円)以上の裕福層の人々が世界各地に保有する資産の総額は2018年、毎日25億ドル(約2700億円)ずつ増加した。

 世界一の富豪である米アマゾン・ドットコム(Amazon.com)の創業者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)氏の資産は昨年、1120億ドル(約12兆2800億円)に増えた。オックスファムによればベゾス氏の総資産のわずか1%が、人口1億500万人のエチオピアの保健医療予算全額に匹敵するという。

 一方、世界人口のうち経済的に恵まれない半数に相当する38億人の資産総額は昨年、11%減少した。

 オックスファムは、拡大する格差によって貧困対策の効果が損なわれ、経済は打撃を受け、人々の怒りをあおる結果になっていると強調。各国政府が保健医療や教育といった公共サービスに割く予算を削減する一方で、富裕層に対する税制優遇を続け、経済格差をさらに深刻化させていると警告した。

 報告書は、富裕層や大企業に課税して「底辺への競争」をやめるよう各国に強く要求。最富裕層がたった0.5%多く税金を払えば、「現在教育を受けられずにいる子どもたち2億6200万人に教育を授け、330万人の命を救えるだけの保健医療を提供しても、余りある資金を確保できる」と指摘している。(c)AFP

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c231

[リバイバル3] 西山温泉 慶雲館は悪い 中川隆
1. 中川隆[-12816] koaQ7Jey 2019年1月21日 19:02:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

(株)湯島(旧:(株)西山温泉慶雲館)


〜ギネス認定の世界最古の温泉旅館〜

 (株)湯島(旧:(株)西山温泉慶雲館、TSR企業コード:340107081、法人番号:5090002015009、山梨県南巨摩郡早川町湯島825、登記上:東京都中央区八重洲2−8−7、設立昭和26年1月8日、資本金1000万円、代表清算人:深沢雄二氏)は1月8日、東京地裁から特別清算開始決定を受けた。

 負債は現在調査中。


 ギネスブックに世界最古の宿と認定されている飛鳥時代の慶雲2年(西暦705年)創業の山梨県西山温泉の「慶雲館」の元運営会社。甲斐国主の武田信玄や日本統一のさなかに徳川家康も二度にわたり入湯したと伝えられ、705年の開湯から源泉は一度も枯れていないとされる。高級温泉旅館としての地盤を固め、平成12年3月期の売上高は約9億9600万円をあげていた。

 平成17年には全室掛け流しの露天風呂を設置したが、ここ数年は消費低迷や価格競争などで売上が伸び悩み、過去の投資負担が利益を圧迫。28年3月期の売上高は5億9600万円にとどまり、赤字に転落していた。

 このため29年6月1日、会社分割で新設した(株)西山温泉慶雲館(TSR企業コード:023826657、法人番号:4090001015027、山梨県南巨摩郡)に旅館事業を譲渡。当社は、29年12月7日、東京都に本社登記を移転し同月7日、(株)西山温泉慶雲館から現商号に変更。30年6月30日、株主総会の決議により解散した。
 なお、世界最古の宿「慶雲館」は譲り受けた西山温泉慶雲館が事業を継続。第53代目の当主、川野健治郎社長は「世の中の動向にまどわされず、温泉一本で経営を続けていくという教えを守り、歴史を継承していきたい」とコメントした。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/598.html#c1

[リバイバル3] 西山温泉 慶雲館は悪い 中川隆
2. 中川隆[-12815] koaQ7Jey 2019年1月21日 19:06:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

消費低迷や価格競争の激化により売上が低迷したことに加え過去に行った設備投資の負担などが重荷となり、

2017年(平成29年)6月に旅館の運営を会社分割にて新設の新会社「(株)西山温泉慶雲館」へ譲渡し、

旧会社の(株)西山温泉慶雲館は「(株)湯島」へ商号を変更した後、東京地裁より2019年(平成31年)1月8日付で特別清算の開始決定を受けた。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/598.html#c2

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
63. 中川隆[-12814] koaQ7Jey 2019年1月21日 22:46:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
古賀茂明「安倍政権の屋台骨を揺るがす毎勤統計不正 二度目の予算案修正か?」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190120-00000011-sasahi-pol
AERA dot. 1/21(月) 7:00配信


著者:古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者...


 厚生労働省による「毎月勤労統計」(毎勤統計)の不正調査問題が安倍政権の屋台骨を揺るがす騒ぎになってきた。

 毎勤統計は統計法という法律で、政府の「基幹統計」に位置付けられ、賃金や労働時間などの動きを示す重要な指標だ。中でも、国民の暮らしが豊かになったかどうかという観点から、労働者1人当たりの現金給与総額や前年同月と比べた変化率の指標は注目度が高く、発表されるとすぐに大きく報道されている。

 対象は全国で約3万超の事業所だが、このうち、比較的小規模な従業員5〜499人の事業所は約2万4千人と数が非常に多いので、一部の事業所を抽出して実施するが、従業員500人以上の事業所約6千については全数調査を行うことに決まっている。

 今回問題になったのは、東京都の調査分だ。都内には、全数調査の対象となる大規模事業所は約1400あるのだが、実際には、このうちの約3分の1しか調査していなかった。しかも、その際、数値の補正をせず、残りの3分の2の大規模事業所が存在しないかのような処理をしてしまったため、その分賃金の水準が低くなってしまった。この不正が始まったのは2004年で、17年まで続いていたが、厚労省は、その事実を昨年末まで公表していなかった。

 毎勤統計の数字は、雇用保険、労災保険、船員保険などの各種給付金の算定の前提として用いられる。ところが、この統計が、実態よりも低い給与水準となっていたため、給付金の額も、本来あるべき水準よりも低くなってしまった。

 1月18日の政府の発表によれば、この不正により、給付金の給付額が少なくなってしまった人は、のべ2015万人、過少給付分は、総額約600億円に上る。そして、これを支払うための事務的コストは195億円だ。このため、19年度予算案をそれに合わせて修正して閣議決定し直すという事態になった。もちろん、前代未聞のことだ。

■組織的不正・隠ぺいだけでなく、今も証拠隠滅が行われている可能性大

 今、一番問題とされているのは、まず、この不正が組織的なものだったのかどうか、もしそうであれば、どのレベルまで(大臣も関与したのか、次官までか、局長までかという話)関与したのか、いつから幹部はこの話を知っていたのかという点だ。

 結論から言えば、最初の段階から組織的な不正だった疑いが極めて高い。

 例えば、当時、全数調査に近く見せかけるための事務的処理の自動化ソフトが作成されたというが、何故、それが必要なのかを詳しく説明しない限り、予算担当部局の了承は取れない。その過程で、幹部にもこの話が報告された可能性は極めて高いと考えられる。

 また、04年時点では、東京都では全数調査ではなく抽出調査にしても良いというマニュアルが作成されていたこと、そのマニュアルの表記が、15年からは削除されていたこと、さらに、それとは逆に19年から抽出調査を神奈川、愛知、大阪の3府県に対して認める通知を管理職レベルで出していたことなどがわかっているが、これらは、単に一部職員のミスというようなものではなく、組織的な手続きを経たうえでの措置だったと言わざるを得ない。

 したがって、この不正が組織的な不正であり、しかも、組織的に隠ぺいされたことは確実だと言って良いだろう。

 あとは、それがいつ、どのレベルまで認識されていたかの問題になるが、これは、関係者のヒアリングやメールのやり取りの調査などで明らかにする必要がある。そのための証拠保全の措置が取られているのかどうか。おそらく、関係者は今頃、必死にメールや文書などを廃棄しているに違いない。安倍晋三総理は、全てのメールなどの保存を指示すべきだ。

■安倍政権忖度で「賃金上昇」を演出した幹部は内心「ドキドキ」

 この問題では、もう一つ論点がある。18年から調査結果に補正(事業所数を約3倍に膨らませる作業)を加えて発表し始めた時に、その旨を公表していなかったということだ。17年までの統計が実態よりも低く出ていたのに対して、18年からは実態に近い数字が発表されるようになったことから、当然の帰結として、18年の前年同月比伸び率が高くなった。

 実際、18年6月には、名目賃金の指数が前年比3.3%増という驚異的な伸びを示し、安倍政権を忖度するメディアもこれを大きく報じていた。実際には、18年から行われたサンプル替えの影響も大きく、その影響を除くと伸び率は1.3%に過ぎないが、さらに、統計不正の影響を加味すると、もしかすると「驚異的な賃金増」は全くの嘘で、ほぼ横ばいだった可能性が出て来る。

 この点から、野党などは、アベノミクスの成果を強調したいという安倍総理の意向を忖度して、不正の事実とその不正の補正を始めたことを組織的に隠したのではないかという疑惑を指摘しているわけだ。

 おそらく、幹部たちは、不正を言い出す勇気がなく、結果的に安倍政権をよいしょすることになったというのが実態のような気がするが、彼らは、内心ドキドキだったのではないか。何とか自分たちの任期が無事過ぎてくれればいいなと祈っていたが、残念ながら捕まってしまったというところだろう。

■「第二の消えた年金」はオーバーではない

 以上がこれまでの経緯だが、実は、この問題は時間、地域、省庁、三つの側面から拡大する可能性が高い。

 まず、「時間」軸について考えてみよう。

 大規模事業所の方が平均的に見れば、中小規模の事業所に比べて給与は高い。04年に大規模事業所の数を3分の1に減らして、何も補正せずに計算すれば、大規模事業所の数字がその分反映されなくなり、平均の数字は下がる。誰でもわかる簡単な話だ。それにもかかわらず、厚労省は、補正を行わないで、低めに出た数字を公表し続けた。

 これについては、数字を低くすれば、失業保険などの給付額を少なくして歳出を抑制することができると考えたのではないかという指摘がある。しかし、31年間官僚をやった経験から言うと、厚労省の役人にとって、そんなことをやっても何の意味もない。不正をしていたとわかれば、自分が捕まる可能性がある。予算を削減したと言っても、その理由が不正なのだから、与党政治家に自慢することはできないし、財政当局を喜ばせることもできない。もちろん、天下り先が増えるわけでもない。したがって、犯罪者となるリスクを冒してまで不正を行うことは考えられない。

 ここで、03年以前の調査でも、実は3分の1程度の大規模事業者の調査しかできていなかったと考えると、この疑問は氷解する。つまり、04年から不正が始まったのではなく、03年以前も事実上の不正状態だったということだ。

 私の官僚時代、直接統計を担当したことはなかったが、経済政策を担当していたので、統計については、ずいぶん悩まされることが多かった。一番困ったのは、統計の数値に不自然なことを発見した時に、それについて各省庁の統計部局に問い合わせても、徹底的な秘密主義で、ほとんどまともに答えてもらえなかったことだ。その理由は、実は、多くの統計が、実態は「ボロボロ」で、答えるとそれがバレるからだった。

 今も同じだが、まず、総理はもちろん経済担当の大臣たちに統計のことがわかる人はいない。官僚も似たようなもので、次官や局長クラスで統計を重視している人は滅多にいない。そんな中で、行政改革という号令のもとに、役所の人員や予算を削れと言われると、統計部局の予算や人員がどんどん削減されることになった。

 一方、お上の言うことに民間企業は黙って協力するという時代はとっくの昔に終わっていた。役所以上に効率化を求められる民間企業にとって、統計調査には協力したくないという雰囲気が広がった。統計の調査票が回収できないケースが年々増えたのは当然だ。

 本来は、IT化を進めて企業の負担を減らしたり、より新しい手法を開発したりすれば良いのだが、そんなことをやる予算も認められず、また、優秀な人材も配置してもらえずということで、統計部局はボロボロになっていったのである。

 それは、国だけに限ったことではない。都道府県でも同じことが起きていた。その結果、東京都では全数調査すれば1400もある大規模事業所に調査票を配っても、03年までには、回収できる数は500くらいまで減っていた可能性が高い。もしそうだとすると、04年から500事業所の抽出調査に正式に切り替えても、何も変わらないということになる。現に、04年前後の賃金指数の伸び率を見ると、02年 −1.7、03年 −0.4 、04年 −0.4、05年 +0.3、06年 0.0と、04年前後で特に不自然な動きは見えない。もし、04年から補正を行ったなら、04年の数字が本来の水準に戻って、急に跳ね上がるように見えたはずだ。その説明を求められたら、03年までいい加減な調査をやっていたと認めざるを得なくなり、事実上の不正ではないかと怒られるので、補正は行わないことにした。

 そう考えると、辻褄が合う。これは役人の心理から見ても自然な行動だ。なぜなら、役人は新しいことをするのは苦手だが、逆に、前例踏襲は得意。03年までと同じだと自分に言い聞かせれば、心の平安が得られるのである。

 つまり、03年以前も毎勤統計の賃金の数値は、実態よりも小さくなっていた可能性が高く、そうであれば、03年以前の雇用保険などの給付金は過少だったということになる。しかし、既に厚労省は、11年以前のデータは紛失・廃棄してしまって残っていないと言っている。そうなると、「消えた年金」と全く同じ構図になる。「過少給付分を取り戻すために失われたデータを何とかして探せ」ということが04年以降だけでなく、03年以前についても政治のテーマとなってくるのだ。

■日本中で不正が横行 予算修正は必至

 次の視点、「地域」を加えると、さらに新たな問題が出てくる。

 それは、厚労省が、18年6月に、神奈川、愛知、大阪3府県に対し、19年から抽出調査に切り替えると連絡していたことに関連する。厚労省は、抽出調査は法律違反だということを十分認識していたはずだ。

 それにもかかわらず、3府県に抽出調査を認めるとしたのはなぜかと言えば、これらの府県でも、実際には、大規模事業所調査でかなりの調査漏れが生じていたからだと考えた方が良いだろう。もし、全数調査が行われていたのに、わざわざそれを抽出調査にするというのは、役人としてはハードルが高すぎる。自分の責任で法律違反を行うというリスクを負うからである。

 一方、元々調査漏れが多く、事実上の法律違反の状況になっていたのであれば、その実態を追認するだけだから、心理的ハードルはかなり下がる。例えば、実際には4分の1しか回答が得られなくなっていたのに、それが放置されていたような場合、抽出調査にするから、何とか半分の事業所の調査を実施してくれと府県に頼むということであれば、以前よりも事態は改善する。さらに、過去には抽出調査とされていなかったので補正もできなかったが、抽出調査と正式に決めれば、補正も実施できて、統計の精度は上がるから、その意味でも前進だ。したがって、この通知を出した担当管理職は、事態を改善しようと考えていたと主張するだろう。

 しかし、これは大きな問題になる。3府県で抽出調査に切り替えざるを得ないくらい調査漏れがあったのだとすれば、ここでも、賃金の統計が実態よりも低くなっていたということになるからだ。現時点では東京都の分だけで保険給付金が過少だったという話になっているが、3府県の分を入れると、もっと給付額が増えるということになる。さらに、3府県以外でも程度は小さくてもやはり、調査漏れがかなりあるとすれば、その分の統計の上方修正が必要となり、さらに過少給付額は拡大する。東京都以外の大規模事業所は4500程度あると見られるから、もしかすると今わかっているのと同規模かそれ以上の過少給付につながる可能性もある。

 そうなれば、再度の予算案の修正が必要になるということになり、国民の怒りはさらに高まり、国会でも大問題となるだろう。

 第3の視点、「省庁」についてはどうか。厚労省は、昨年来、いくつものデータ不祥事を起こしているので、厚労省という特にダメな役所だからこんな問題が起きたという印象が広まっているかもしれない。

 しかし、似たような事例は他にもたくさんあるはずだ。

 例えば、2016年末に発覚した経済産業省の事例は、今回の厚労省の不正とほとんど同じかそれ以上と言っても良いものだった。繊維製品の在庫量などを調べる「繊維流通統計調査」で、40超の品目ほぼ全てで改ざんを行い、「10年以上前の数値がそのまま記載され続け」、「実際の数値と最大で10倍程度の差が生じた」(16年12月26日日本経済新聞電子版)というのだ。厚労省よりもひどいのではないだろうか。これもやはり、回答数が減り続けたのが原因だった。16年9月分は有効回答数258社だったのに、調査票を配った733社の95%以上が回答したことにし、各項目の数値も昔の数値を"横置き"してそのまま使い続けていた。結局この不正を受けて、同省はこの統計を廃止した。

 さらに、これとは少し性格は違うが、今年1月18日、やはり経産省が「貴金属流通統計調査」で、08年以降、金地金などの「年末在庫数量」の数値を担当者が誤って計算していたことを発表した。「間違い」が10年以上継続していたそうだ。昨年11月には事業者に指摘されていたのに、今まで隠していた。おそらく毎勤統計不正問題が大きく取り上げられたので慌てて公表し、厚労省たたきが盛り上がっている陰で批判を逃れようと考えているのではないかと思われる。

 これらの事例は、安倍政権を支える最強官庁として、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの経産省でも、その統計については、全く信用できないということを示している。厚労省だけが「ドジな」役所というわけではないのだ。前に解説したとおり、政府の統計部門はどの役所でも疲弊しきっていて、とてもまともな調査などできないというのが、霞が関のエコノミストの間ではもはや常識となっていると言っても良い。

 安倍政権は、現在56指定されている「基幹統計」だけについて、各省庁に点検を指示したそうだが、それは、何とか問題の拡大を最小限にしたいという思惑があってのことだろう。政府の統計は、基幹統計以外の統計の方が圧倒的に多い。政府の統計の総合窓口である「e‐Stat」で検索すると600近いファイルが見つかる。それらすべてを調べると大変なことになりそうだから、その部分には蓋をしておこうということだ。

 しかし、今後は、国会での追及で、全ての統計について、調査手法の開示を求められ、特に調査票の回収状況などについて質問されると、立ち往生したり、思わぬ不正が発覚する可能性はかなり高いと見ておいた方が良いだろう。場合によっては、予算や政策の見直しにつながるものが出てくる可能性もある。

■18年の賃金伸び率の下方修正で「アベノミクス失敗」の烙印か

 今後は、上述の問題以外にも、今回の不正発覚を受けて、17年までの賃金水準を上方修正する結果、18年の賃金の伸び率がどの程度下方修正されるのかが焦点となる。例年なら、2月上旬には18年の暦年の統計速報が発表される。賃金水準と伸び率の下方修正の幅によっては、アベノミクスが「失敗」の烙印を押されるかもしれない。予算委員会の最中だから、当然大きな論争を生むことになるだろう。それを心配して、厚労省が安倍政権忖度で、またおかしなことをしないか。しっかりと監視しなければならない。

 いずれにしても、この問題は国会で徹底的に議論されることになるだろう。その際、単に党利党略で政府と与野党が入り乱れて叩き合いを行うというのではなく、どうしてこんな問題が起きたのか、それは単に厚労省、あるいは官僚だけの問題なのか、もっと構造的問題があるのではないかという点にまで遡って議論してもらいたい。

 統計がデタラメでは政府は政策目標を定められない。国民も、安倍政権の政策評価をしようにも、間違ったデータで誤った判断に誘導され、正しい投票の選択ができない。つまり、民主主義の基盤が崩れてしまうということだ。

 最近は、ビッグデータ利用の国家間競争という視点で、「統計の整備を」という議論がなされることが多いが、より深い問題意識での議論が求められている。

 ちなみに、私がちょっと考えてみただけでも、いくつかの改善法が思いつく。

 まず、経済担当の大臣には経済のことが本当にわかる人を置くこと。省庁の統計部門をより高いレベルに位置付けること。もちろん、そのトップと幹部には民間人などの統計のプロを置くこと。そして、極めて重要なのが、統計手法について全面的な情報公開を行い、世界中の専門家からの批判やアドバイスをオープンに受ける体制を作ること。デジタル化など世界の最新の潮流に合わせた改革を行うために必要な予算と人員を確保すること、などだ。

 今回の不祥事を機に、「統計ルネッサンス」と言うべき大改革を推進することが求められている。安倍総理は、それをよくよく肝に銘じ、間違っても、自分に都合の良い統計を作るのが優秀な官僚だという考えを持ち続けることだけは止めてもらいたい。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c63

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
140. 中川隆[-12813] koaQ7Jey 2019年1月22日 09:12:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

ゴーン前会長は「ウソばかり」 日産側、13億円送金に
1/22(火) 5:06配信 朝日新聞デジタル

ゴーン前会長と中東日産関係者の主張


 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告(64)がサウジアラビアの実業家に約13億円を不正送金したとされる特別背任事件で、前会長が送金の正当性を裏づける実業家の「業務」として挙げた「地元代理店との紛争解決」や「サウジ当局との面談設定」について、日産関係者が東京地検特捜部の調べに対し、「いずれも事実ではない」と証言していることが、関係者への取材でわかった。

 前会長の2回目の保釈請求に対し、東京地裁は実業家らと口裏を合わせて証拠隠滅する恐れを改めて考慮して判断するとみられる。

 前会長は今月8日に開かれた勾留理由の開示手続きで、実業家ハリド・ジュファリ氏との関係を説明。日産子会社「中東日産」(アラブ首長国連邦)からジュファリ氏の会社に2009〜12年に送金した約13億円は「極めて重要な業務を推進してくれた相応の対価」だと正当性を主張した。具体的な業務として、サウジの販売代理店との紛争解決の支援▽サウジ当局との面談の設定▽サウジに自動車工場を建設する支援――などを挙げた。

 一方、中東日産の関係者らは特捜部の調べに「ウソばかりだ」と反論しているという。サウジの販売代理店は、経営不振を理由に契約解除されたことを不服とし、損害賠償を求めて日産を訴え、シンガポールで係争中だという。中東日産関係者は「解決していないし、ジュファリ氏は何もしていない」と証言。代理店は2万台以上の在庫を抱え、「解決どころか大被害を被った」とも訴えているという。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c140

[お知らせ・管理21] 2019年01月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
56. 中川隆[-12812] koaQ7Jey 2019年1月22日 09:58:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

地域板の昔のスレが上手く表示されませんがどうなっているのでしょうか?


アイヌ儀式:「イヨマンテ」禁止通達を52年ぶりに撤廃(毎日新聞) 茶々 - 阿修羅掲示板
www.asyura2.com/0601/ishihara10/msg/478.html



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/544.html#c56

[お知らせ・管理21] 2019年01月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
57. 中川隆[-12811] koaQ7Jey 2019年1月22日 10:00:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
>>56
すいません、表示されました。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/544.html#c57
[近代史3] アイヌのシャーマニズム 中川隆
1. 中川隆[-12810] koaQ7Jey 2019年1月22日 10:04:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

アイヌの宗教

アイヌの人々が考える宇宙は、この世とあの世とからなる。人間は死ぬとあの世へ旅立つが、そこではあの世での新しい生活がある。そこで一生を終えるのと、またこの世に戻ってくる。この世とあの世とは、同じ生活が営まれているが、季節や昼夜は反対である。

 霊魂 この行き来するものが霊魂であるが、この世にあるすべてのものに霊魂が宿っているとされている。

 アイヌにとってのカミ観念 そうした霊魂のうち、火や雷、地震、津波などの自然現象、クマやオオカミ、トリカブトなどの強い力を持った動植物など人間の意のままにならないもの、力を持ったもの、不思議もの、役に立つもの、あるいは恐ろしいものが、神として崇められ、畏れられた。神は崇められるだけではない。神として崇められた霊魂は、人間世界へなんらかの恩恵をもたらすことで、返礼する。


__________


アイヌとカムイ

アイヌ民族の伝統的な世界観では、カムイは動植物や自然現象、あるいは人工物など、あらゆるものにカムイが宿っているとされる。一般にカムイと呼ばれる条件としては、「ある固有の能力を有しているもの」、特に人間のできない事を行い様々な恩恵や災厄をもたらすものである事が挙げられる。そして、そういった能力の保持者或いは付与者としてそのものに内在する霊的知性体がカムイであると考えられている。

カムイは、本来神々の世界であるカムイ・モシリ (kamuy mosir) に所属しており、その本来の姿は人間と同じだという。例えば下記のアペ・フチ・カムイ (ape huci kamuy, 火の老婆のカムイ) なら赤い小袖を着たおばあさんなど、そのものを連想させる姿と考えられている。そしてある一定の使命を帯びて人間の世界であるアイヌ・モシリ (aynu mosir) にやってくる際、その使命に応じた衣服を身にまとうという。例えばキムン・カムイ (kim un kamuy, 山にいるカムイ)が人間の世界にやってくる時にはヒグマの衣服(肉体)をまとってくる。言い換えれば我々が目にするヒグマはすべて、人間の世界におけるカムイの仮の姿ということになる。

名称ではキムン・カムイ、コタン・コロ・カムイ (kotan kor kamuy, 集落を護るカムイ、シマフクロウ) 、レプン・カムイ (rep un kamuy, 沖にいるカムイ、シャチ) のように、「ーカムイ」などのように用いられる。

また、カムイの有する「固有の能力」は人間に都合の良い物ばかりとは限らない。例えば熱病をもたらす疫病神なども、人智の及ばぬ力を振るう存在としてカムイと呼ばれる。このように、人間に災厄をもたらすカムイはウェン・カムイ (wen kamuy, 悪しきカムイ) と呼ばれ、人間に恩恵をもたらすピリカ・カムイ (pirka kamuy, 善きカムイ) と同様に畏怖される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4


原始宗教


1) アニミズムとアニマティズム


山崎
「アニミズムとは、動植物から、山や川や海といった無生物、 雨や風や雷などといった自然現象に至る万物に、霊的存在〔霊魂・神霊・精霊・妖精など〕を認める信仰だ」。


ルナ
「つまり自然の万物、万象を生命化するのがアニミズムなのね」。


山崎
「そうだね。もっとも原始的な宗教で、神の観念はこのアニミズムから生じたとされるよ」。


ルナ
「やがて、太陽、山、海、風などが が神格化されて多神教の神になったのね」。


山崎
『アニミズムより以前に、アニマティズム(プレ・アニミズム)が存在したという説もある。

アニマティズムとは、万物に内在する生命力や活力に対する信仰で、ここから神の観念が生じたとも言われている。山や海や太陽などといった人間の力を超える存在に対し、おそれかしこむ心情を抱くこと。火や水の浄化力を信じて禊(みそぎ)したり火祭を行うこと。鏡や剣に霊力がそなわるという考え。これらはアニマティズムに通じていると言えるんじゃないかな。

なお、呪術さらには宗教そのものが、超自然的存在を動かすことを目的としていて、アニマティズムの発展と考えられるよ』。


ルナ
「いずれにしても、かつて人間は、人智を超えた自然神秘や驚異を神と見なしたということね」。
「最初にアニミズム説を唱えた人は?」。


山崎
『エドワード・バーネット・タイラー(1832〜1917・オックスホード大学初代人類学教授)というイギリスの人類学者だ。タイラーは主著「原始文化」で、神や霊魂の観念、呪術、祖霊崇拝などといった宗教現象となっている人間の意識をアニミズム〔ラテン語のアニマ(霊魂・生命・気息の意)から〕と定義し、これこそが最も原始的な宗教の形で、ここから死霊崇拝などを経て多神教へと発展し、さらに一神教へと進化したと述べたそうだ』。


ルナ
「当然、一神教の立場の人たちから激しい批判を受けたでしょうね」。山崎「そのとおりだ」。


山崎
『なお、タイラーは最初に「文化」の概念を明らかにした人としても知られている。彼は、文化や文明は、人間が獲得した知識、信仰、芸術、慣わしなどといった能力や習慣の複合体であるとしている。また、世界各地に同じような神話が見られることから、文化は伝播すると主張したようだね。のちには、世界の諸文化を、野蛮、未開、文明の3つに分け、文化の進化主義をとったというよ』。


ルナ
「アニマティズムを主張した人は?」。


山崎
『タイラーの弟子の マット〔1866〜1943・イギリスの人類学者。オックスフォード大学学長〕だ。彼によると、人類が霊魂や精霊の観念をもったのは、智恵がかなり発達してからだという。例えば「雨よ。やんでくれ」と雨に呼びかけるのは、雨に霊魂が存在していると見ているのではなく、雨を生命そのものとみなしているというのがマットの主張だ』


ルナ
「なるほど」。


山崎
『それからマットは、メラネシアやポリネシアといったオセアニアの島々の原住民が持つ「マナ」の観念を自説の裏付けとしていて、アニマティズムは、マナイズムともいうよね』。


B、マ ナ

ルナ
「マナって?」。

山崎
「自然、人工物、人間、神、祖霊、死霊などあらゆる存在が持つと考えられている超自然的な力だ。広く太平洋諸島にみられる観念だという」。


山崎
『例えば「彼が勇士なのは、マナを有する槍を持っているからだ」とか「彼の土地に作物がよく育つのは、マナを有する石を持っているからだ」とか「マナを持てば家畜が増える」とか「酋長は多くのマナを所有している」などと言われるものだね。

マナの特徴は、その人やそのものに固有な力ではなく、付け加えたり、取り除くことができるということ、また勝手に他のものに伝わっていくということにある。だから、槍や網などの道具類、また病人や疲労した人に、マナを注入することで、望ましい状態にすることができると考えられている。

マナを得ることが利益ももたらすので、人々は強力なマナを得ようと様々な努力をするというよ。
マナの観念は、イギリスの人類学者・カトリックの宣教師 コドリントン(1830〜1922)の著書「メラネシア人」によって世界に紹介されている。彼は、マナとは“転移性を有する超自然力”と定義している。このマナが学会の注目を集めたのは、マナのような超自然力こそが、宗教の原初であり、あらゆる宗教の本質であると考えられたことからなんだ』。


ルナ
「“超自然力を獲得するための努力”なら、修験道では、山岳を霊力が強い場所とみなし、そこで修行すれば霊験(れいげん)を得るとしている。この霊験という超自然力を得て、加持祈祷を行なう人が修験者だわ」。


山崎
『修験道には“転移性を有する超自然力”の観念もみられるよね。
密教では、宇宙の根本仏の大日如来と合一することで即身成仏を目指す。これも超自然力を手にするための努力だ。
護摩木や供物を火の中に投じ、煩悩を焼き尽くす「護摩」という修法には、火を超自然的な浄化力とみなす観念がみられるね。
また日蓮系においては、日蓮の著した曼荼羅にはすごい功力(くりき)があるとされていて、これを拝み題目(南無妙法蓮華経)を唱えることで、自己の仏性が顕現され、大変な功徳が得られると信じられている。

古神道では「禊」(みそぎ)は、身削ぎ(心身の浄化)だけでなく、霊注ぎ(みそぎ)の意味もあるなんて言われる。水の持つ超自然的な浄化力やエネルギーを信じるものだね。
「神籬」(ひもろぎ・巨木)や「磐座」(いわくら・巨岩石)に、神が依りつくという考えは、超自然力の転移だ。
神道では、巫女(みこ)や神輿(みこし)に神霊が宿ったり(転移)するし、お祓(はら)いなんていうのは、まさに超自然的な力で災いを除く呪術だよ』。


ルナ
「一神教の神も超自然力をそなえた全知全能の神だわ」。


山崎
『一神教においては、人間が神の力を獲得することは説かれないけど、生前に奇跡をなした人を「聖人」という称号を与えて崇めるカトリックの「聖人崇拝」なんてのは、特定な人間に超自然的な力を認めるものだし、
「教会には神より聖霊が与えられていて、秘蹟(サクラメント)の効果は、聖職者に聖霊が宿るから可能である」なんていうカトリックの教義にもマナ的観念がみられる』。


ルナ「カリスマ(ギリシャ語。神の賜物の意)という語も、本来、キリスト教の言葉で、神から与えられた奇跡、呪術、予言などを行なう力をさすというわ」。


山崎『イスラム教神秘主義のスーフィズムでは、すぐれたスーフィー(神秘主義者)は、人々の願望をかなえるバラカという特別な呪力を得ていて、聖者として崇拝の対象となる。


バラカは死後も存続し、ムハンマドや聖者たちの遺体、遺品、墓石などにバラカがあり、これらを拝んだりすると様々な功徳があるとされている』。


ルナ『スーフィズムの聖者崇拝は、カトリックの「守護聖人」(特定の職業や地域などを守護すると崇められる聖人や天使)に対する信仰と近いわね』。


山崎『こうした宗教の源となったアニマティズムというのは、おそらく人類が超自然的な力を恐れ、危害を避けたいと願うと同時に「その力を味方にしたい」と考えたことから生まれたのかもしれないよね』。ルナ「はい」。


C、呪 術


ルナ『「呪術」も超自然的な力を動かすことで目的を達成しようとするものでしょ』。


山崎『呪術は、雨乞いのように人や社会に有益なことを目的とする「白呪術」と、人や社会に災いが起きることを目的とする「黒呪術」に分けられ、黒呪術には、密教の「調伏」〔ちょうぶく・明王などを本尊として、怨敵や魔障を降伏(ごうぶく)させる修法〕や「丑(うし)の時参り」なんかがよく知られている』。


ルナ『丑三つの刻(午前2時半頃)、社寺の樹に、呪う相手のわら人形を取り付けて、呪文を唱えながら五寸釘を打ち込むのが「丑の時参り」ね。よく白衣に身をまとった女性が、わら人形に釘を打つ姿が漫画に描かれたりするわ。


釘を人形の頭に打てば、相手の頭を痛めつけ、手足に打てば手足を痛めつけられる。満願の日までに人に見られると効果がないとか、目撃されたらその者を殺さないと自分が死ぬとか言われているわよね』。


山崎「黒呪術には、この他、写真に針を刺したり、相手の名前を書いた板に釘を打って海に流したり、足跡に釘を打ったり、相手の髪の毛を手に入れて呪うなどの方法があるようだね」。


ルナ『「お百度参り」は、白呪術になるのかしら?』。


山崎『そうだね。百度参りは、平安時代にはじまり、中世以降に一般に浸透したそうだ。特定の社寺に100回参詣し祈願するものが、のちに1日に100度参詣する形式となったそうだよ。


拝殿で祈願すると、そこからお百度石に戻り、そこからまた拝殿に行き祈願することを100回繰り返す。これを、お百度を踏むと言うんだけど、数を間違えないように、小石や小枝や竹べらが用意されていたり、お百度石の壁面にそろばんのようなものが備え付けられていたりするよね』。


ルナ「宗教がどちらかというと、超自然的な存在への帰依や服従であるのに対して、呪術は人間の力によって超自然的な力を動かそうという意識が強いようね」。


D、シャーマニズム T


ルナ「シャーマンが、トランス(恍惚)状態、神がかり状態となって、神や霊といった超自然的存在の言葉を語るシャーマニズムも古いタイプの宗教でしょ。邪馬台国の女王 卑弥呼もシャーマンだったというし」。


山崎『シャーマンは、ツングース語(シベリア東部・中国東北部に住むツングース系諸民族の言語)のシャマン(霊媒師)に由来するという。


日本のシャーマンの代表が、民間巫女(みこ)の「イタコ」(東北)と「ユタ」(沖縄)だね。巫女は、神社で神に仕える神社巫女〔かつては処女をあてた〕と、民間巫女に大別されるんだけど、民間巫女は、口寄せをするところに特徴がある』。


ルナ「巫女の語源は?」。山崎「不明だが、神の子を意味するみかんこの転、貴人の子を敬って称したものなどと言われているよね」。


ルナ「口寄せって、死霊を招いて神がかり状態となり霊の意志を語るのよね」。


山崎『口寄せには、ルナの言った「死口」(しにくち)の他、神霊を寄せる「神口」(かみくち)、生霊を寄せる「生口」(いきくち)があるそうだ。個人によってどれを得意とするかがあるみたいだね』。


ルナ『神や死者・さらには未来人・宇宙人など交信する「チャネリング」は、現代版の口寄せといったところね』。


山崎『シャーマンは、口寄せ(霊との交信)ばかりでなく、とり憑いた悪い霊を除く「除霊」。さまよっている霊を浄化(成仏)させる「浄霊」。またそれらにより、病気を治したり、災いを除くこと。


さらには、予言、占い、前世や過去世をいいあてること。悩み事相談なんかもするよね。悩み事相談の答えは「現在の不幸は、○代目前の先祖への供養が足りないために、その先祖が苦しんでいるのが原因です」とかいうものだ』。


ルナ「最近では、スピリチュアルカウンセラーなんていう連中が登場したど、彼らのしていることは、民間巫女と基本変わらないわね」。


山崎『それから未開社会では、青年期に夢や幻覚で見た鷲や熊などの動物霊を、個人の精霊(守護霊)としたり、日本のように祖霊信仰を持つ社会では、先祖の霊が子孫を加護するという思想があるようだけど、シャーマンは、守護霊と関係が深いようだ。


世界的に見てシャーマンになるには三つの型があるとされるよ。1つは、代々シャーマンの家系で守護霊が継承される世襲型。


1つは、召命型。これは、守護霊に選ばれた者が、巫病(ふびょう)にかかり、夢や幻覚で守護霊を見たり、幻聴で守護霊の声を聞くなど心身に異常をきたす。選ばれてしまったら本人の意志で拒絶することは困難で、拒否すると異常が激しくなり死ぬこともある。先輩シャーマンの指導によりシャーマンになると異常は消え、守護霊に守られるというもの。


もう一つは、修行型といって自分の意志や親族などのすすめにより師のシャーマンのもと修行し、呪文やトランス状態になることなどを学び、最後に守護霊を依り憑かせる儀式をうけてシャーマンになるというもので、このとき陶酔や幻覚のなかに現れた霊体が守護霊となるというものだ。


守護霊は、神霊であったり、先祖の霊であったり、精霊(鷲や熊などの動物霊)であったりするらしい。シャーマンと守護霊が夫婦や主従の関係とされたり、守護霊に眷属(けんぞく・家来)がいて、シャーマンは守護霊の力により眷属を使うことができるとされている場合もあるというよね』。


E、シャーマニズムU〔イタコ〕


山崎「イタコは、東北の津軽、南部〔岩手県と青森県下北半島と北秋田にまたがる地域。狭義には盛岡をさす〕の民間巫女だ。語源は、アイヌ語のイタク(語る)に愛称のコが付いたという説や、戒名を板に書いて祀るので板コである等の説がある。下北半島の恐山〔おそれざん・879mの火山。宇曾利山(うそりざん)ともいう〕を聖地とするよね」。


ルナ「恐山?」。


山崎『恐山は、862年に 慈覚大師 円仁(延暦寺3代座主。天台宗山門派の祖)が地蔵尊を祀ったことに始まると伝承される。菩提寺(円通寺地蔵堂)があり、比叡山、高野山とともに日本三大霊場とされるよ。


菩提寺は1536年に 聚覚(じゅかく)が再建して以来、山腹の円通寺〔曹洞宗。1522年、宏智聚覚(こうちじゅかく)の開山。南部氏の開基(資金的な開山)。本尊 釈迦如来〕の管理となっている。


宇曾利湖というカルデラ湖を中心に、周囲に朝比奈岳、円山、大尽山、釜臥山などの山々がある。周囲の山々は、八葉(はちよう・8つの花弁)蓮華の花弁をあらわしているとされる。いたるところに硫気孔があり、音を立てて硫気を吹き出していて、三途の川、賽の河原、八大地獄などもあり、死霊信仰と地蔵信仰が習合した霊場だ。


死者の集まる山として7/20〜24日の大祭には、参詣や観光でにぎわい、数珠を手にしたイタコによる口寄せが境内のいたるところで行われる。こ2恐山の大祭や、津軽半島 金木町川倉の地蔵盆には、沢山のいたこが集まるという』。


ルナ「イタコには盲目の女性が多いと聞くけど?」。


山崎『天台宗の寺院でも養成しているところがあるそうだが、普通、盲目の女性が少女のときに師のもとに弟子入りし、経文、祈祷、筮竹(ぜいちく)による占いなどを学ぶことが多いというよね。


独立のときにカミ憑(つ)けという神婚式を行い自分を守護する神や仏をもらうらしい。彼岸や盆に死者の供養として口寄せをする他、病気治しのオッパライ(お祓い。猫や馬や蛇などが描かれているイタコ絵馬を用いて病気の原因を占ってオッパライの祈祷を行う)をしたり、オシラサマを祀ったりするというよ』。


【 オシラサマ… 東北地方の民間信仰の神様。多くは30pほどの桑の木2本に男女や馬の顔などを彫ったり書いたりして、おせんたくと呼ぶ布を着せ、家の神、農耕神、養蚕神としたもの。神棚の祠におさめる。春秋の祭の日には祠から出しておせんたくを着せ替えたり、本家の老婆が祭文(さいもん・祭のときに神にささげる祈願や賛嘆の心を表したことば)を唱えるという。


イタコが行う土地も多くオシラサマを両手で持って舞わせながら祭文を唱える。イタコがオシラサマを舞わせたり、少女がオシラサマを背負って遊ばせることをオシラアソバセという。】


F、シャーマニズム V〔ユタ・御杖代〕


ルナ「ユタというのは、聞いたことがないけど…」。


山崎『ユタは、沖縄本島を中心に南西諸島で活動する民間巫女で、女性がほとんどだが男性もいるというよ。語源は不明だが、左右にゆためくことからとか、あらぬことを口ばしるので、ゆた口やゆたゆん(よくしゃべる意)からきたなどと考えられている。


ノロ〔祝女。地域の祭祀を取りしきり、御嶽(うたき)を管理する女性神官。世襲制で、かつては琉球王国より任命された〕が神官であるのに対し、ユタはシャーマン(霊媒師)だ』。


ルナ「沖縄では、女性が祭祀の中心なのね」。山崎「そうだ」。


山崎「ユタは、多くは幼少から病弱で霊能力を持つ者がなる。宿命によってなるのであり一般人はなれないとされるよ」。


ルナ「イタコが修行型であるのに対し、ユタは召命型なのね」。


山崎『幼児期に不思議な精神体験をし、その後、神ダーリ(巫病・神よりユタになるよう与えられる病気)にかかり、精神的に不安定な状態となり、死者と交信したり、予言を語ったり、異常な行動をするという。神の指示に従うことで精神が安定し、異常行動はなくなり、ユタとしての能力が現れてくるというよ。


その後、御嶽(うたき)を巡り、自分の守護神を見つけこれをのり移りさせて、最終的には弟子入りして学ぶという』。


【 御嶽… うたき・おたけ・沖縄県において、神社および鎮守の森に相当する聖地。多くは森の空間。山そのものや島そのものであることもある。


宮古(宮古島など)や八重山地方(石垣島・西表島・竹富島など)では、過去に実在したノロの墓が御嶽となっているものも多く。そのノロは地域の守護神として祀られているという。


社殿はなく、本殿にあたる最も神聖な場所をイベ、イビ、ウブ等と呼び、イベ石という自然石を祀る。イベ石は、古神道の磐座(いわくら)にあたり、神が降臨する場である。


イベには、香炉、線香、ロウソクなどが置かれ、酒や供物が供えられる。琉球王国時代、御嶽は完全に男子禁制で、現在でも、イベには、ノロ(祝女)・ニーガン(根神)・ツカサ(司)等の女性神役しか近づくことはできないという御嶽も多い。


≪ ニーガン… 村の草分け的な家を ニーヤ(根屋)と呼び、その主人(村の長)が ニーンチュ(根人)、主人の姉妹が ニーガン(根神)である。ニーガンは ノロの支配下にあり、村の祭祀を行った。


ツカサ… 宮古、八重山地域には ノロの名称はなく、ノロに代わって村落の祭祀を司る神女。≫


また、大きな御嶽では、人々が御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための「神あしゃぎ」(神が足をあげる場=腰を下ろす場の意味という)と呼ばれる四方が吹き抜けの建物が設けられていることもある。


鳥居がある御嶽も見られるが、これは明治の「皇民化政策」による結果。明治初期には、宗教政策の一環として御嶽を神社化する動きもあったが、影響は一部にとどまっている。


御嶽に祀る神は、村落共同体の祖霊神、太陽神、土地神、水神、火の神、農耕神、鍛冶の神、航海神、竜宮神、英雄神など様々。普通、それぞれの御嶽には、これを崇拝する集団がいて、代表者の女性神役を中心に定期的に豊作祈願や悪霊払い等がなされている。


現在でも新しい御嶽が出来たり、逆に統合されたり、放置されるなどしているという。なお、村落や地域の人々が、加護や繁栄を祈願する場所を「うがんじゅ」(拝所)と総称する。うがんじゅの多くは御嶽であるが、他に霊石や洞穴などの場合もある。】


ユタを守護する神(守護霊)は、多くは何代か前の先祖が多いが、観音菩薩などとする者もいるらしい。ユタは、自分の守護神が他人のそれより霊力が強いことを誇りとするそうだ。


ユタによる死霊の口寄せを「マブイワカシ」(マブは霊魂の意。本来は守護する意)という。人により、琉球王朝時代の死霊を呼び出すのを得意としたり、死んで間もない者の霊を得意とするなどの違いがあるらしい。この他、身体から抜け出した生霊を戻して病気を治す「マブイグミ」なんかを行うそうだ。


また、教義も戒律もないことから、ユタの祭壇には、仏教、神道、キリスト教などの偶像なんかが一緒に並べられているそうだ。また、副業としてユタを行なっている者も多いというよね。


また沖縄には、沖縄県には「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、ユタが千〜2千人(5千人とも)いて、多くの人たちがユタと関わりを持ち、結婚相手、結婚の日取り、運勢、転居、ノロなどの神役の選定、家庭の不和などの悩み事について占ってもらうそうだ。


さらに明治以後、移民によりブラジル、アルゼンチン、ペルーなどにも広がり、当地のユタの判示(占いの答え)を受け、沖縄に祈願にくる人もいるというよ。


しかし、不安を煽るような事を言っては、お金を騙し取るユタも多く、社会問題になることも多い。


また、中央集権化や近代化を目指す支配者層は、ユタの存在は、脅威や障害とみなされ、琉球王国以来「世間を惑わす」として、幾度も弾圧、摘発を受けている。近代以降も、明治期のユタの禁止令、大正期のユタ征伐運動、昭和10年代(戦時体制下)のユタ弾圧といった迫害を受けている』。


ルナ「日本初の統一王朝とされる邪馬台国〔初代神武天皇が創始した大和朝廷以前に存在。3世紀半ば頃〕の女王 卑弥呼(ひみこ)は、鬼道(幻術、妖術)に通じた巫女(シャーマン)であったとされるでしょ」。


山崎「飲食を給し、用件を伝えるただ一人の男子と婢(ひ・女の奴隷)千人が仕えていたとされ、弟が卑弥呼の神託に従って政治や軍事を担当していたというよ」。


ルナ「古代の祭祀って女性が中心だったのかしら?」。


山崎『古代の祭祀では、未婚の女性(処女)を神聖視したそうだ。神の妻とされた女性が神がかりして、神の言葉を伝えてきたようだね。例えば、斎宮〔さいぐう・斎王(さいおう・いつきのみこ)〕は、天皇の代わりに伊勢神宮に入り、天照大神に仕えた内親王(未婚の皇女)や 女王(じょおう・天皇の2世(孫)以下の女子)で、天皇即位のさいに選ばれたという。10代 崇神(すじん)天皇のときにはじまり96代 後醍醐天皇(在位・1318〜1339)のときまで続いたとされる。


〔崇神の年代についてはよく分かっていない。3〜4世紀とする説もある。また、崇神天皇を初代天皇とする説や、神武(初代)=崇神とする説、神武=応神(10代)=崇神とする説もある〕


皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ・太陽の女神)の御神体である「八咫鏡」〔やたのかがみ・「天の岩戸開き」の神話に由来する鏡〕は、天皇のもとにあったが、崇神天皇のとき、恐れ多いとして、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に移して、皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が仕えた。


しかし、その後も天照の霊魂(みたま)が荒ぶったことから、姫が「御杖代」(みつえしろ・自らが天照の霊魂が宿る者)となり、丹波(京都中部)、大和(奈良)、木乃国(和歌山)、吉備国(岡山)を21年間巡っている。


さらに11代垂仁天皇のとき、年老いた豊鍬入姫命に代わり、垂仁の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)が、御杖代となり、新たな鎮座の地を求め、伊賀、淡海(おうみ)、美濃、尾張を巡り、伊勢の五十鈴(いすず)川のほとりに来たとき、天照が「常世(とこよ)の浪(なみ)が重浪(しきなみ)帰(き)する国なり」といたく気に入ったとして神殿が建てられた。これが伊勢神宮だよ。


天照の霊魂が皇居を出て、最終的に伊勢神宮に鎮座するまでに、25ヶ所もの社(宮)に祀られたとされ、これらの場所は「元伊勢」と呼ばれているよ。〔1つの元伊勢に、現在あるいくつかの神社が候補地としてあげられていたりする〕


また、日本武尊〔やまとたけるのみこと・12代景行天皇の第3皇子。14代仲哀天皇の父。小碓命(おうすのみこと)〕は、東北征討の途中、伊勢神宮に立ち寄り、おばで斎宮の倭姫命より、草薙剣を授かっているよ』。


【 草薙剣… 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)ともいう。八咫鏡、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)とともに、歴代天皇の三種の神器、皇位継承の証とされる。天照の弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに、大蛇のしっぽから出てきた剣。】


このような女性中心の祭祀形態は、神の言葉を伝えるという巫女の役割が形骸化されてゆき、巫女が男性神職の補助的存在になって失われていったと考えられているよね。だから沖縄の祭祀は、古代日本の宗教形態を最もとどめていると言えるかもしれないね』。


G、フェチニズム


山崎『マナの観念と似るものに「フェチニズム」というのがある。アニミズムやアニマティズムとともに宗教の原初形態の1つとされている。現在では、自然崇拝やアニミズムが宗教の原初であるという説が有力だが、かつては、フェチニズムから、アニミズム、多神教へと発展したという説も唱えられたそうだよ』。


ルナ『「フェチ」と言うと、異性全体ではなく、髪の毛とか、足とか、耳とかいった身体の一部や、靴下とか、下着とかといった所持品に、愛着を示すことでしょ』。山崎「そうだね。下着どろぼうや、毛皮(異性の象徴となるモノ)を着ていない女性とは、性交できないなんてのがいい例だ」。


山崎「フェチニズムは、もともとは特定の自然物や人工物に神秘的な力、超自然的な力が内在すると信じ、崇拝するものだよ。アフリカの未開社会をはじめ各地でみられるというよ。物神(フェティシュ)崇拝とか、呪物崇拝と訳される。


語源は、フェチコに由来する。15世紀後半、西アフリカと交易をしたポルトガルの航海者たちが、西アフリカの海岸地域で、原住民が、歯や爪、木片や貝殻や石などを、髪の毛に包んでお守りにして身に付けていたり、剣や鏡や玉、首飾り、臼などを崇拝しているのを見て、


カトリック信者が、聖者たちの遺物や護符をフェチコ(呪符や護符の意)として崇拝しているのと同じとみたところからきているそうだ。


フェチニズムの語を最初に使ったのは、フランスの比較民俗学者で思想家(ヒューマニスト)の シャルル・ド・ブロス(1709〜77)の著書「フェティシュ諸神の崇拝」だとされるよ』。


ルナ「偶像(仏像やキリストの画像)や十字架、曼荼羅、御札やお守り…。これらは広い意味で、フェチニズムと言えるわね」。


H、トーテミズム


山崎「ルナは、トーテムポールを知っているかな?」。ルナ「学校の校庭にあったわ。公園にもみられるわよね。鳥とか動物とか、人間の顔などが彫刻されている柱でしょ」。


山崎『トーテムポールは、カナダ西海岸部から北西アメリカのネイティブ(インディアン)諸族が製作するもので、トーテム〔家系をあらわす紋章。動植物など〕や、彼らのもつ伝説や物語の登場人物を表現したものというよ。


家屋から独立して建てられる独立柱、家屋の正面に建てられる入り口柱、家を支える柱また家の内部の飾りとして建てられる家柱、墓地に特定の個人を記念するために建てる墓標柱、特別な出来事(戦いなど)を記念して建てられる記念柱などがあるようだ。但し、これらは、崇拝の対象ではないというね』。


ルナ「トーテムって何?」。


山崎『氏族の先祖として崇拝する特定の動植物だね。動植物ばかりでなく、自然物、人工物、自然現象などの場合もあるようだ。


トーテムという語は、オジブワ族〔アメリカおよびカナダのネイティブの部族。アメリカでは3番、北米全体でも4番の人口〕の「彼は私の一族の者だ」という言葉に由来する アルバート・ギャラティン〔1761〜1849・アメリカの民俗学者。言語学者。政治家(財務長官を務めた)。アメリカ民族学会の設立者〕の造語だと言われているよ。


トーテミズムは、トーテムを崇拝する信仰だ。この信仰は、はじめネイティブアメリカン(アメリカインディアン)で発見され、のちに世界各地、とくにオーストラリア、オセアニア諸島、アフリカ、インドなどにも見られることが明らかになったそうだ。


オーストラリアには、各氏族のトーテムをあわせると、その数4千にもなる部族があったり、日、月、雲、雪、雨、火、水、季節などもトーテムとなっている部族があったり、安眠、下痢、嘔吐、性交などがトーテムとなっている部族があったり、男がコウモリで、女がキツツキというように、氏族でなく性によるトーテムを持つ例がみられたりするそうだ。


また、メラネシアには、各氏族が、鳥1種、樹木1種、動物1種というように複数のトーテムを持つ部族があったり、インドには、短刀、割れた瓶、トゲの付いた棒、腕輪、パン切れなどもトーテムとなっている部族があったり、


アフリカには、トーテムは牛だけで、各氏族のそれは、赤牛とか乳牛といった牛の種類や、舌、腸、心臓といった身体の部位で区別する部族があったり、アメリカ北西部には、個人が特定のトーテムを持つ例(但しこれは守護霊であるとする考えもある)もみられるというよ。


ほとんどの場合、トーテムとトーテム集団との結びつきの由来を物語る神話が存在するそうだ。また、トーテムは部族や氏族の先祖として畏敬され、殺したり食べたりしてはいけないとされていて、触れたり、見たりすることもタブー(禁忌)とする例もあるという。


一方で、禁忌をともなわない例も多く、トーテム動物は、トーテム集団の者に好意を持っていて、撃たれて食べられることを望んでいるとする例もあるそうだ。トーテム集団の人たちの姿や性格は、トーテム動物に似ているなどとも言われるらしい。


また、同じトーテムを持つ氏族の者同士の結婚は許されないというよね』。


I、アニミズムと神道


ルナ「日本の神道って、アニミズム的要素を割合と濃くとどめていると言えるような気がするけど…」。


山崎『そうだね。経済先進国において、純粋にアニミズム的要素を濃く残している宗教は、日本の神道以外にないかもしれないよ。


アニミズムとは自然の万物に、精霊や霊魂(みたま)が宿るという信仰だね。巨樹、森、山、太陽、月、あるいは、雨や風などの自然現象に精霊が宿るといった信仰だ。


前述したとおり、山、太陽、月、雨、風、雷などが神格化されて、神道のような多神教の神になったとされる。


インドのヒンズー教も多神教ではあるけど、仏教同様、輪廻や解脱を説き哲学性が強いうえ、カースト制度をも包含し、社会への影響は計り知れない。また中国の道教も多神教であるけど、まじない的要素が強いし、人間神も多いからね』。


山崎「ルナはどんなところに、神道にアニミズム的要素が色濃く残っていると感じたのかな?」。


ルナ「そうね-。仏教では仏像が本尊とされたりするけど、神道では神像がほとんど見らないわ。もちろんこれは一神教のような偶像崇拝の禁止とは違うでしょ…」 。


山崎「そこに、神道が自然崇拝を残している感じを持たせるわけだね。ルナにそう感じさせるのは、おそらく社(やしろ)が、本尊を拝む場ではなく、万物、自然を対象とする拝殿って感じがするからかもしれないね」。ルナ「確かにそうね」。


ルナ「鏡や玉や剣が御神体とされるところにもアニミズムの要素が感じるけど…」。


山崎『なるほど。おじさんが、神道がアニミズム的要素を色濃く残すと思うのには、神道がタマ(魂)とカミ(神)の観念が結びついた信仰だからというのもある。


古代の日本人は、言葉には言霊(ことだま)、木には木霊(こだま)、人には人霊(ひとだま)、稲には稲霊(いなだま)、船には船霊(ふなだま)が存在すると考えたそうけど、


天照大神の御神体(ごしんたい・神霊を象徴するもの)=御霊(みたま)を「八咫鏡」(やたのかがみ)とするのなんかは、まさにタマとカミの結びつきを示していよね。


さらに、神道の神、つまり日本神話の神には、ギリシア神話でみられる理念神〔勝利、自由、秩序、愛などの理念を神格化した神。日本神話ではこれといった理念神は登場しない〕がみられず、自然神が多いことも、神道にアニミズム的要素が色濃く残っている根拠の1つになると思うよ』。


ルナ『秩序の神という理念神がみられないのは、古代の日本人が、天体の運行から、花の一生に至るまでの全ての自然現象に、規則性や秩序性を感じ、


自然の摂理こそが、全ての秩序であり、理念であるとみていたからかもしれないわね』。山崎「なるほど」。


山崎「それから、例えば、八幡神社の祭神の八幡神は、応神天皇(15代天皇。5世紀頃)のことだとされている。このように神社の祭神はみな自然神なわけではない。でも、一般の人は、地域の神社は、その祭神に関わりなく、そこの地域や住民を守る 産土(うぶすな)神、鎮守神、氏神であると認識しているよね。ここにもアニミズム的要素がみられるだろうね」。


J、多神教と一神教


山崎『アニミズムやアニマティズムの信仰の対象が、やがて神格化されて、自然神が誕生した。自然神の誕生は、多神教の誕生でもある。


自然神とは、山や川、太陽や月、雷や風といった自然、天体、気象現象を神格化したものだ。アイヌの熊など神聖視される動物も自然神の一種と言える。


その後、人間神や文化神や理念神も誕生する。人間神とは、民族や氏族の統合の象徴で、祖先神や氏神といったものだ。


例えば、奈良の春日大社の祭神 天児屋根命〔あねのこやねのみこと・天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩屋にかくれたとき、祝詞(のりと)を奏して出現を祈った。のちに邇々芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨につきしたがった神の1人。祝詞の神。子孫は大和朝廷の祭祀を司った〕は、


朝廷の祭祀を司った中臣(なかとみ)氏と、中臣氏から分れた藤原氏〔中臣鎌足が大化の改新の功により藤原姓を賜ったことにはじまる〕の氏神だ。


【 春日大社… 710年の平城京への遷都後まもなく、藤原不比等が、武神の建御雷神(たけみかづちのかみ)を春日山の浮雲峰に祀ったのにはじまり、786年に、称徳女帝の命で、藤原永手(ながて・不比等の孫。左大臣)が山麓に移し、建御雷神とともに、祖神の天児屋根命をあわせて祀った。この他、祭神は、武神の経津主神(ふつぬしのかみ)、比売神(ひめがみ)。】


祖先神や氏神は、子孫に律法をさずけたり、子孫を守護する神だね。


歴史や伝説の英雄なども神格化されている。家康は、日光東照宮に、東照大権現〔権現とは、権(かり)に現れた神の意。神仏習合思想で、インドの仏・菩薩が、日本の衆生を教化するために、仮に神の姿をとって現れたという意味〕として祀られている。


この他、人間神の例として、明治神宮は、明治天皇を祭神としている。天満宮の祭神の天神さんは、菅原道真だね。


文化神は、屋敷神、かまどの神、音楽神、学芸神といった生活や文化を司る神だ。


理念神は、勝利、秩序、自由、愛などの理念が、神格化されたものだ。アメリカの自由の女神。ギリシア神話の秩序と正義の女神 テミスや、運命の3女神 モイライ。


最高神のゼウスも雷神であると同時に、人間社会の秩序を支配している。また、バラモン教の宇宙の根本原理ブラフマン(梵)を神格化した ブラフマー(梵天)は、自然神と理念神の性格をもっていると言えるよね。


多神教では、時代がすすむにつれ、神の間に上下関係や支配被支配関係が生まれ、多くの神のなかから最高神が誕生したり、主要な神がトリオで最高神の位置を占めるようになってくる。


3神トリオの例としては、ギリシア神話で世界を3分する ゼウス(天)、ポセイドン(海)、ハデス(冥府)の兄弟。ヒンズー教の ブラフマー(創造)、ビシュヌ(維持)、シバ(破壊)。


古事記の最初に登場する造化3神〔天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神御産巣日神(かみむすひのかみ)〕。


黄泉(よみ)の国から帰った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が海で禊(みそぎ)して生まれた三貴子〔天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)〕などがあげられる。


多神教には、特定の最高神は存在せず、祭儀の目的(福徳・病気平癒・長寿・悪霊退散・和合・祈雨など)にかなった神を最高神とするものもある。


つまり、その場に適した神を、交替で最高神とする信仰で、これを交替神教というそうだ。


リグ・ヴェーダ(バラモン教の聖典ヴェーダの最初部)時代のバラモン教はこれにあたる。密教の別尊曼荼羅〔 密教U 曼荼羅T 分類 〕もこれに属すると言えるよ。


また、多神教でも特定の一神をとりわけ強く信仰するもの、多神教と一神教の中間に位置するものもあるらしい。


一神教の成立については、多神教より発展したという説や、一神教こそ宗教の原初の形態で、多神教は一神教が退化して誕生したという説もあけど、これらはほとんどかえりみられない。


最も支持されているのが、創唱者によって創造されたという説だ。一神教にも、他の集団が崇拝する神を容認するが、自分たちは特定の神しか拝まないというものと、他の神は一切認めないという立場があり、古代イスラエルのヤーウェへの信仰は、前者だね』。


K、汎神論。理神論


ルナ『アニミズムって、一切が神、宇宙や自然すべてが神という「汎神(はんしんろん)論」に通じているわよね』。


山崎「そうだね。ただ汎神論に2種類あるんだよ」。ルナ「2種類?」。


山崎「一切が神というのと、神が一切というやつだ」。ルナ「同じように思えるけど…」。


山崎「一切が神となると、ルナもおじさんも、そこに転がっている石も、あそこに立っている木も神ということだね。すると神という言葉は飾りものにすぎない。形容詞にすぎないってことになる。これは神がいないのと同じだというので“無神論”というんだよ」。ルナ「なるほど」。


山崎「これに対して、神が一切というと、ルナも私も、そこの石も木も、宇宙のすべてが、じつは神の影のような存在で、実際は、本体の神しか存在しないことになるね。だからこっちは“無宇宙論”というのさ」。


ルナ『無神論は多元論。無宇宙論は一元論ね。一神教は「神」と「神の創造物の宇宙」の二元論にあるから、一切が神という多元論や、神が一切という一元論は否定されるでしょ』。


山崎「そうだね。汎神論を、無神論、無宇宙論と立て分けて論じるようになったのも、一神教の立場から、汎神論を否定するためになされたことと想像できる」。


ルナ「いつ頃から汎神論について色々論じられるようになったの?」。


山崎『スピノザが“神即自然”(即はそのままの意)という「理神論」を説いてからだというよね』。


ルナ「理神論?」。


山崎『17〜18世紀のヨーロッパに登場した神学だ。世界の根源としての神の存在は認めるが、これを人格的な神とは考えない立場さ。理神論者たちは、イギリス国教会(聖公会)の説く、神の啓示(おつげ)、神の奇跡、秘儀(サクラメント)などの神秘的要素、超自然的要素を否定し、


神による天地創造以後の世界においては、自然に内在する法則を把握することは可能であり、宗教的真理は自然から理性によって把握できると主張したんだよ。このため、理神論は、自然宗教や理性宗教と呼ばれているんだ』。


ルナ「理性宗教と自然宗教って反対のような感じだけど、キリスト教の世界観では同じなのね」。


山崎『イギリスの思想家 トーランド〔1670〜1722・論争をまきおこす多くの著書のため、迫害され諸国を放浪。貧困のうち死去。「キリスト教は神秘ならず」は処女作〕が「キリスト教は神秘ならず」(1696)を公刊すると、それに反論する国教会側とのあいだに論争が起きたというよ。


トーランドは、信仰が理性に反してはならず、キリスト教の教義は理性に反しないと主張し、教会の伝統的な秘儀を厳しく攻撃したそうだ」。


ルナ「でも、キリスト教の教義を、理性で把握できるという主張もおかしいわよね」。山崎「結局そこが一神教の世界で育った思想家の限界ということなんだろうね」。


L、スピノザ。必然と偶然


山崎「理神論者で最も有名なのが、オランダの哲学者・神学者の スピノザ(1632〜77)だ」。ルナ「スピノザ?」。


山崎『スピノサの両親はポーランドからオランダに移住した裕福なユダヤ商人で、スピノザは、ユダヤ人学校でヘブライ語や聖書を学び、その後、ユダヤ教の神学を研究したそうだ。


しかし批判的な見解をもつに至り、ユダヤ教会から永久的に破門され、学問の研究に生涯を終えたようだね』。ルナ「そうなんですか」。


山崎『スピノザは、まず神を万物の内在的原因と考え、超越的原因ではないとして“神即自然”と主張したんだ」。ルナ「汎神論ね」。


山崎『そして、神は唯一無限の実体である。精神界、物質界の全ての事物、事象は、神の諸様態である。


神の本性は、絶対・無限で、属性を無限に持つ。精神も身体も神の属性の1つにすぎない。と考えたんだ』。


ルナ「これは汎神論の無宇宙論ですね」。


山崎『そうだね。神による一元論さ。さらに、一切は神に内在する必然性(必ずそうなる)によって生成されるので、人間の自由意志や偶然(たまたまそうなる)は全く存在しないとしているよ。


スピノザによると、自由意志と理解されている心像や言語は、じつは単なる身体の運動にすぎないというよね』。


ルナ「決定論、運命論ね」。


山崎「但し、彼は、個の本質に、自己保存の衝動(コナトゥス)を認めている。その上でこのコナトゥスを乗り越えるには、神による必然性を理性によって認識し、この認識を他者と共有する必要があると唱えているよ」。


ルナ「ここに理神論的な思想があるのね」。


山崎『スピノザの真の自由とは、理性を通して、自己を含む全ての存在が、神の必然性の中にあることを洞察し、人間が神を通して思考できていることを知ることだという。


そして、これが最高の善であり道徳あるというのが、彼最大の主張で、これを「神への知的愛」と呼んでいるよ』。


ルナ『デカルト(1596〜1650)の「我思う、ゆえに我あり」を、根拠のない宗教的信念から否定しているわね』。


山崎『さらに「神への知的愛」とは、神が、神の一様態である人間を介して、自分(神)自身を愛することであり、人間は神の一様態であるから、神への愛は人間への愛でもある。


人間は、神が、自分自身を認識し、愛し、満足する行為に参与することで、最高の満足を得ることができると主張するよね』。


ルナ「感情については?」。


山崎『感情には、感覚的な受動感情と、理性的な能動感情があり、欲望の決定が、不完全な受動感情でなされたとき、人間は自らの環境にふりまわされ支配されている状態にある。能動感情により決定されているとき、人間は自由であるとしているよ』。ルナ「なるほど」。


山崎「そして、以上のような理神論の立場から、聖書はあくまで民衆を導く信仰の書であり、科学や哲学の書ではない。聖書にある奇跡を現実の出来事として教えるのは、信仰を迷信におとしめる行為であると主張したそうだ」。


ルナ「スピノザも色々と考えたようだけど、結局、センスのない服をおかしくアレンジしたみたいになっちゃってるわね」。


山崎「もともとオカルトにすぎないものに、色々と理屈をつけたからおかしなものになってしまったということだね」。ルナ「はい」。


山崎「無宇宙論や唯心論〔全ての事物、事象は、心という本体よりあらわれた影であり、本来 心の他に存在しない〕は、神あるいは心を唯一の真理とする一元論だ。一元論の場合、1つの存在だけが真理なんだから、その1つがよほどしっかりとした根拠を持たないと、スピノザみたいに哲学ではなく神学みたいになっちゃうよね」。


ルナ「全てに仏性があるという仏教の立場は、一切が神という無神論と同じだと思うけど…」。山崎「そうだね。仏教は無神論的宗教と言えるね」。


ルナ『スピノザが「全ては必然」という運命論の立場にあるのに対して、仏教はそうではないですよね。すると、仏教って全ては偶然だというの?」。


山崎「仏教でも偶然はあり得ないとみるよ。但し、それは全てを必然とみるからではなく、全ての結果に原因があるという因果の法則の立場からだ」。


ルナ「なるほど。まず因果の法則によって偶然は否定されるわけね」。


山崎『それから一神教では、宇宙は唯一絶対の神によって創造されたとするけど、これに対して仏教では、全ては、因(結果を生じさせる直接的な因。原因)と縁(因を助けて果を生じさせる間接的な因。助因)が、一瞬一瞬 和合して成り立っているという「縁起」を説く』。


ルナ「全てが関係性によって成り立っている。全てが相互依存の関係にあるということね。全ては神の御心という運命論とは違うわ」。


山崎『仏教における、森羅万象の本質は変化だよ。変化しないものはないという「空」だ。空は、縁起と表裏一体の関係にあり、あらわれた果にまた新たな因と縁が加わると、たちまち変化するので、新たな因や縁をつくってゆくことで、未来はいくらでも変えてゆけるという可能性の哲学でもあるんだよ』。


ルナ「空は可能性の哲学なのね。運命論や決定論、つまり全ては必然で決まっているというのとは逆の立場ね。すると、偶然でもなく必然でもないというのが仏教の立場になるわ」。山崎「そういうことだ。 全てが関係性によって成り立っているというのが仏教だ」。


M、アイヌの信仰 T〔アイヌ人〕


ルナ「アイヌの意味は?」。山崎「アイヌ語で人間を意味するそうだ」。


ルナ「そもそもアイヌ人とは?」。山崎「東アジアの古種族で、歴史的には、北海道を中心に、樺太南部、千島列島、本州の東北部を生活圏にしていた人たちだ」。


山崎『現在では、日本とロシアという2つの国に分断されて生活する少数民族で、日本では北海道を中心に、東京他の都市部でも生活しているというよ。その数3万人を超えるとも、北海道内には2万3千人がいるともいうが実際のところ正確な数はよく分かっていないようだ。


これはアイヌと名乗ることができない人がいるからだというよね。またこれらの人たちのほとんどが、日本人との混血によって人種的な特質は薄れているらしい。


なお、アイヌは、他のモンゴロイドに比べて、彫りが深かったり、体毛が濃かったりといった身体的特徴から、コーカソイドに近いという説が広かった時期があったそうだ。のちに、アイヌ=縄文人近似説が主流となっている』。


ルナ「縄文人近似説?」


山崎『この説によると、≪縄文時代、日本列島を含む東アジア一帯には、南方系の人々が住んでいた。およそ5千年前、シベリアの北方系の人々が東アジアに拡大をはじめた。2300年前には、九州北部から日本列島に侵入してきた。彼らが弥生人である。本土の大部分は弥生人によって占められ、わずかに北海道に残った縄文人がアイヌの人々になった。現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7〜8割、南方縄文系2〜3割の比率で混血している≫ということらしい。


〔縄文時代… 今から約1万6500年前(前145世紀)〜約3千年前(前10世紀)。弥生時代… 前10世紀中頃(異論もある)〜3世紀中頃〕


室町中期から江戸後期にかけては、和人(アイヌの立場から日本人を指す語)の抑圧に対して、しばしばアイヌの武装蜂起が起きている。秀吉、家康から松前氏が蝦夷の支配権を認められた後にも、大規模な蜂起が起き、これを収拾することで、松前氏は実質的な支配権を確立したそうだ。


アイヌ人は、食糧や生活に必要な素材のほとんどを狩猟〔エゾシカ・ヒグマ・アザラシ・トド・オットセイなど〕、漁労〔サケ、マス、ニシン、シシャモなど〕、植物採集により得ていたんだ』。


【 シシャモという言葉はアイヌ語のスサム(柳の葉の意)に由来する。神の国の柳の葉が人間の世界に落ちて魚になったとされる。サケは、カムイ・チップ(神の魚)と呼ばれ、サケの回帰性を神が与えてくれたものとみなした。】


ルナ「木の皮の繊維で織った和服に似たアイヌの民族衣装をアツシ(アットゥシ)というわよね」。山崎「アツシには、オヒョウあるいはシナノキの内皮を使うそうだ」。


山崎『しかし明治政府が成立し、多くの和人が移住してくると、森林は伐採され、原野は耕作地となり、狩猟や漁労の権利も奪われてしまったという。これにより彼らは、採集民としての生活が維持できなくなったという。


明治政府は、アイヌの農民化とともに、皇国臣民化を図ったというよ。以来、政策によって日本文化への同化を強いられ、固有の文化を失っていったそうだ。とくにアイヌ語は、日常の会話で全く使われなくなったそうだ。


近年までアイヌに対する根強い差別や偏見があったが、現在では、物質的、精神的ともに、日本人と全く同じ生活を営んでいて、民族としてのアイヌはすでになく、せいぜいアイヌ系日本人となっているともいう人もいるよね』。


ルナ「北海道や東北を、蝦夷地(えぞち)と言うでしょ」。山崎「蝦夷とは、大和朝廷によって異族視されていた北方に住む土着民に対する呼称で、蝦夷地は、時代によりその地域は変化しているよね」。


山崎『アイヌも、近世には、蝦夷(えぞ)と呼ばれたそうだ。アイヌという言葉が一般化したのは明治以降だという。蝦夷は、古代には「えみし」と読み「毛人」とも書かれたらしい。また「えみし」の転訛から「えびす」とも読まれたそうだ。えぞと読むようになったのは平安中期以降だというよ。


えみし、えぞの語源については様々な説があるが、一説によると、アイヌ語の雅語(日常語に対して文章語をいう)の「エンチュ」(人間の意)に由来するという。他には、本来の意味は「田舎(辺境)の勇者」であったという説などがあるようだ』。


N、アイヌの信仰 U〔カムイ〕


ルナ「アイヌの信仰ってどのようなものなの?」。


山崎『まず、ユーカラという神話的叙事詩がある。ユーカラは吟唱するもので、「カムイ・ユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄叙事詩)の2つに大別される。また、鳥獣、植物、火、風などの神々が自らの身の上を語るカムイ・ユーカラ(神謡)、人間の祖先神が自らの功績を語るオイナ(聖伝)、人間の英雄(主にポンヤウンペという少年)の戦闘や愛などの体験記であるユーカラ(英雄詞曲)、主人公が女性のマト・ユーカラ(婦女詞曲)の4つに分けられたりする。


カムイ・ユーカラやオイナによれば、アイヌ神話の国造りの神は、コタン・コル・カムイ〔コタンは村や里や集落。カムイは神や神霊の意〕で、この神は巨人神で鯨を串刺しにしてあぶったりする。妹神とともに、大海に陸地をつくり、山や川、人間、動物、植物などを創造し、天上界に帰ったとあるそうだ。


天上界は神々の生活の場〔カムイ・モシリ〕で、ここの支配者は、カント・コル・カムイ〔雷神カンナカムイと同一とする説もある〕で、この神の指示によって、地上世界の創造されたという。


アイヌの世界観には、神々の世界(カムイ・モシリ)、人間の世界(アイヌ・モシリ)、死後に行く(ポクナ・モシリ)があり、死後に行く世界は、地上と同じ様相をしていると考えられていて、主神的な存在は見られないそうだ。


天上界から人間界〔アイヌ・モシリ〕に、生活の知恵や文化を授けた神は、アイヌラックル(人間的な神の意)という始祖神(アイヌ人の祖)で、オキクルミ、アエオイナカムイ、オイナカムイ、オキキリムイの別名を持つ。


この神は、脛(すね)の中に、稗(ひえ)の種を隠して、地上に降り、人間に穀物を授け、狩猟、漁労、耕作、薬草につていの知識、家や舟の作り方、彫り物、機織り、刺繍、神の祀り方や祈りの詞(ことば)などの信仰の儀礼、争いごとの解決法など生活の全てを教えたという。また地上の悪神を退治している』。


ルナ「日本語の神とカムイ〔神威や神居と当て字する〕は関係あるの?」。山崎「共通の祖先語から生まれたという説もあるようだよ」。


山崎「そのカムイ(神霊)が、動植物や自然現象、さらには人工物など、あらゆるものに宿っているというのがアイヌの世界観だね」。ルナ「アニミズムね」。


ルナ「他はどのような神がいるの?」。


山崎『太陽(チュプカムイ)、雨乞い(ホイヌサバカムイ)、雷(カンナカムイ)、狩猟(ハシナウックカムイ)、幣柵(ヌサコルカムイ)、月、風、雪、山、川、湖、草木、鳥獣、魚、虫、火、舟、疱瘡などの神々が祀られるという。


カムイ・ユーカラでは、これらの神々が、自分の来歴や体験などを語り、人間に対する位置づけや祀られるゆえんなどを明らかにしているそうだ。


水の神(ワッカ・ワシ・カムイ)や、魚(チェプコルカムイ)を与えてくれる川の神(ペトルンカムイ)はとくに重要で、また多くの祭儀では、火の神(アぺ・カムイ)がとくに尊ばれるというよ。火の神は人間の言葉を神の言葉に変えて、諸神に伝えてくれるため、どんなカムイに祈りを捧げる場合でも、原則としてアペ・カムイへの礼拝がともなうそうだ。


舟や家をつくる材料となるシランパ・カムイ〔樹木の神霊。樹木の集合である山をも意味した〕には、材料となる良い樹木には良いカムイが、ならない樹木には悪いカムイがいるとみなしたそうだ。


家にも、家の守護霊(チセコロカムイ・家の東北角に存在)、囲炉裏の霊〔アペ・フチ・カムイ。アペは火、フチは老婆の意味で、老婆の姿をした神〕、夫婦の霊(エチリリクマッ・家に入って入口すぐ右の柱に存在)などがいるとされたという。


また、陸、海、空のそれぞれに、最も重要な動物神がいる。陸ではキムン・カムイ(山にいる神)であるヒグマ、海ではレプン・カムイ(沖にいる神)であるシャチ、空ではコタン・コル・カムイ(集落を護る神)であるシマフクロウだ。他には、鹿の霊(ユッコルカムイ)、狐の霊(キムンシラッキ)なども信仰されたようだ。


さらに、人間に幸をもたらすピリカ・カムイ(善きカムイ)と、人間に災をもたらすウェン・カムイ(悪しきカムイ)がいる。流行病や天災は、悪しきカムイとされる。疱瘡(天然痘)や流行病を司る神は、パヨカカムイまたはパイカイカムイといい、この神の射た矢の音を聞いた者が疱瘡になるそうだ』。


O、アイヌの信仰 V〔イオマンテ〕


ルナ「イオマンテ(熊神送りの祭儀)ってよく聞くけど…」。


山崎『イは「それ(神霊)を」、オマンテは「行かしめる」の意味で、飼育した子熊(ヒグマ)を殺し、その霊魂であるカムイを神々の世界(カムイ・モシリ)に送り届ける祭儀だというよ。なお、親熊を狩りで殺した場合、その場で解体し、霊を送るけど、これはカムイ・ポプニレ(カムイを発動させる意)というそうだ。


カムイ・ポプニレは、祭壇を設えてヒグマの頭部を祀る。これは、殺された直後の獣(熊以外の動物も)のカムイ(霊魂)は、両耳の間に留まっているので、これを神々の世界に送り返すからだというよ。


但し、人間を傷つけたり殺したりした熊は、細かく刻んで大地にまいたり、ゴミと一緒に燃やしてしまい、ポプニレを行わないため、こうした熊の霊魂は神の世界に帰れないそうだ。


春先、まだ冬眠から目覚めない熊を狩ると、冬ごもりの間に生まれた子熊がいる場合がある。この子熊を集落に連れ帰って飼育する。はじめは、人間の子供と同じように家の中で育てるそうだ。1、2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な祭儀(イオマンテ)を行う。


花矢(木を装飾的に削ってつくった矢)を射かけ、最後に本物の矢を心臓に打ち込み、さらに丸太の間に首を挟んで屠殺するそうだ。遺骸は一定の様式に従い、頭だけを残して解体される。頭部はポプニレ同様、イナウ(木幣)や酒を供え、祈りを捧げて、霊魂を神々の世界に送り返す。肉は人々にふるまわれるそうだ。


アイヌの人たちは、イオマンテを行うことにより、再び熊神が、自然の恵み(毛皮や肉)をもって、人間の世界に訪れてくれると考えたらしい。


なお、熊神の他、主要な動物神〔シマフクロウ・キツネ・タヌキ・カラスなど〕を送る場合もイオマンテと呼ばれ、クジラやシャチを対象とするイオマンテもあるそうだ。一部の地域では、シマフクロウ〔北海道には130羽しかいない。日本では1971年に国の天然記念物。93年に希少野生動植物種に指定〕のイオマンテが重視されるという』。


翔「イオマンテは、生贄(いけにえ)を神に捧げて守護を願うというものや、人間の罪を動物に着せてあながわせるといった贖罪信仰とも違うみたいだね」。


山崎『アイヌの信仰は、アニミズム的な側面が強い。自然物、人工物、人間に関わるものであれば全てに神霊(カムイ)が存在すると信じられていた。神と霊との関係は、樹を切るときには、その霊を森の神に送り返すといったもので、同様に、使わなくなった食器は、捨てずに特定の場所にもっていき、器や皿の霊を神の世界へ送り返す。葬式では、死者の霊とともに副葬品の霊が他界へ行くように、副葬品を壊したり破ったりするそうだ。イオマンテもこうしたところからきていることが分るよね。


カムイは、カムイ・モシリという神々の世界からやってくる。このカムイ・モシリは、天上界にあると考える場合と、山の獣であれは山の奥に、鳥であれば天界にあるといったように生活の場から想定される場合とがあるようだ。


カムイ・シモリでは、カムイは、人間と同じ姿で、人間と同じように、料理をしたり、彫り物をしたり暮らしているが、人間には見ることができないという。カムイが人間界になにかの理由(シマフクロウなら村を護るため)でやってくる場合、人間に見える衣装を身に付ける。火のカムイなら赤い衣装を、クマなら黒い衣装を身に付ける。これが人間には炎に見えたり、毛皮に見えたりするそうだ。


クマは毛皮と肉という土産をもって、気に入った人間の家を訪れる。狩猟はこれを迎える行為だというよ。本人が心が美しいと熊が好意をもって訪問してくる。猟運とはこれをいうそうだ。


なお、熊やキツネを先祖とする家も多いそうだけど、これをトーテムの残存とするかどうかについては考えが分かれているらしい』。


P、アイヌの信仰 W


翔「偶像は作られたの?」。


山崎『アイヌの信仰は、神殿やら神の像やらは作らない。祭儀では、イナウを用いる。例えばイオマンテでは、熊神の祭壇を中心に、森の神、水の神、狩猟の神、氏神、農業神、祖霊などの祭壇が設けられるそうだけど、祭壇とは、イナウを立てる並べる柵だというよ。

また祭壇は、家の脇にも設けられていて、祭儀ごとに酒を供え、祈りを捧げるそうだ。


【 イナウ… 木幣(もくへい)。通常は、ヤナギを使用。ミズキや、キハダ(ミカン科)で作られたものは上等とされ、肌が白いミズキのイナウは天界で銀に、黄色いキハダのイナウは金に変るとされる。捧げる神によって種々の形がある。

一例をあげると、直径が3センチほどのヤナギやミズキの枝を採集し、70センチほどの長さに切り、皮を剥ぎ、乾燥させる。乾燥したら、表面を削り、先端部あたりにふさふさと飾りたらす。イナウ作りはアイヌの男性の大切な仕事とされ、イオマンテなど重要な祭儀には、泊りがけで集い、イナウを作成したという。】


また、アイヌには神官のような人は存在せず、成人男性であれば誰でもカムイへの儀礼ができなければならないという。一方、女性はふつう火の神以外には祈りを捧げられないそうだ。参加できない祭儀も多いようだ』。


Q、アイヌの信仰 X〔コロボックルと日本人の起源〕


翔『「コロボックル」ってアイヌの説話に登場する小人だよね』。


山崎『地面を50センチくらい掘って屋根をかけた竪穴住居に住むというよね。また、コロボックルとはフキの葉の下に住む人の意味で、フキの葉の下に2〜3人(10人とも)入れる大きさだそうだ。


漁が得意で、笹の葉を合わせて作った舟で漁に出て、多くの舟が力を合わせてニシンなどを捕り、クジラも捕るそうだ。北海道の原住民で、アイヌの家にやってきて物品を交換したりするという。


人類学者の 坪井正五郎〔1863〜1913・東大理学部教授。日本人類学会の創設者〕が、1887年(明治20)に「コロボックルは日本列島の先住民で、アイヌに追われた」と主張し、「日本人の先住民はアイヌである」(当時の主流の説)と主張した 小金井良精〔よしきよ。1858〜1944・東大解剖学部教授。日本解剖学会の創設者〕と激しい論争を展開したそうだ。


これを「コロボックル論争」「アイヌ・コロボックル論争」という。この論争によって、日本人の起源の研究が飛躍的に進歩したというよ。


小金井は、人骨の実証的研究から坪井の間違えを証明し、彼の「アイヌ先住民説」は、修正をなされながらも現在に至っている。つまり、アイヌは縄文人の血を最も直接的に引き継いでいるとみられている。沖縄の人たちも、縄文人の血を濃く受け継ぐ民族だといわれている。


しかし小金井は、縄文時代の先住民のアイヌは、弥生人(日本人)が海外から渡来したことによって、北へと追いやられたと考えたが、これはその後の研究によって、弥生人も基本的には縄文人に由来することが分り、間違えのようだ。


縄文人は、本州では、大陸から農耕文化が入ることによる生活の変化や、西からの遺伝的影響によって体質を大きく変えて弥生人となったが、北日本では、北からの遺伝的影響を受けながらも、漁猟採集を中心とした生活が続き、本州ほど体質を変化することなくアイヌとなったというのが現在の見方のようだね。


なお、縄文人は、2〜3万年前(後期旧石器時代)に、アジア大陸から陸橋を渡ってやってきたモンゴロイド系の集団が、海面が上昇したことで、日本列島に長期に亘って閉じ込められ、その結果、特殊化したものだというよ』。
http://shinri809.com/sono13.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/181.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
43. 2019年1月22日 10:05:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
アイヌのシャーマニズム
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/181.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c43
[近代史3] アイヌのシャーマニズム 中川隆
2. 中川隆[-12809] koaQ7Jey 2019年1月22日 10:07:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

アイヌの医療


癌に効くアイヌの薬草

アイヌ民族の薬草

@原因不明の病気に冒された人(中川註 長井博さん)がいた。

その人は色々な方法での治療を受けたが効果が見られなかった。

そこでからはアイヌの産婆で治療も上手な不思議な霊能力のあるおばあさん(中川註 青木愛子さん)の治療を受けることにした。


その治療とは自然のリズムと一体になる生活を送るというものだった。

日の出前に起床、徒歩一分程の沢の湧き水で顔を洗い、散策する。

家に戻るとおばあさんが処方した煎じ薬を飲む。


それに用いられた薬草はキハダの実(シケレペ)と、フッキソウ(ユクトパキナ)が主であった。そして甚だしい苦痛が訪れた時にはおばあさんの先祖に当たる紙や水野神に祈りながら手当を行う。すると不思議にも苦痛は去るのだという。そのようにして彼は徐々に回復した。

彼の回復はすべての薬草のお陰とは言えないが、おばあさんのところへ来なかったら彼は死んでしまっていただろう。


Aアイヌ民族伝承の薬草で抗ガン剤を作ろうとのことで研究が進められている。

131種の植物のエキスを抽出し、培養した人の肺ガン細胞3種で抗ガン活性を検査した。3種類のガン細胞すべてに強い抗ガン活性を示したのは、ナナカマドやチシマアザミなど4試料。2種類に効いたのはオニシモシケなど2試料。1種類にも43試料が有効だった。しかし、植物の部位や獲る時期、場所によって効き目は全く異なるため、まだまだ研究が必要である。

※抗ガン活性=ガン細胞を殺す働き
http://www.hokuyo-h.kushiro.ed.jp/j/08/04/pair%20project/ainu.html


アイヌの薬草治療は、同じように風邪の症状を発症していても、その方達の身体を観て、薬草も同じものを与えなかった。 つまり、ほとんど同じ症状であるにも関わらず、使用する薬草は、それぞれにほとんど異なっていたそうです。

しかも、それほど時間をかけずに回復し、症状の部分の回復だけではなく、身体全体の体力が上がっていくのも同時進行だったそうです。
http://yumikosan.biz/column/column001.html


アイヌ民族の知恵 薬草に抗がん作用 道立衛生研と北大が共同研究班

北海道新聞 2004/03/24


★アイヌ民族の知恵 薬草に抗がん作用 道立衛生研と北大が共同研究班

 アイヌ民族が食料や薬などに用いてきた植物のうち、四十七種類に、がん細胞を殺す(抗がん活性)作用があることを二十三日までに、道立衛生研究所(札幌)と北大の共同研究班が突き止めた。

特に高い抗がん活性を示したチシマアザミとナナカマドについて活性物質を特定する分析作業を進めており、がん治療の新薬開発につながる可能性もあるという。

 抗がん剤開発では、植物などから抗がん活性のある物質を探す試みも盛んで、共同研究班は、アイヌ民族が薬などに利用してきた植物ならば、有益な物質を見つけられる確率も高いとみて二年前、研究を始めた。

 文献などからアイヌ民族が薬などに用いた百八十三種類の植物を選び、葉や根などの部位に分けてエキスを抽出。これを培養したヒトの肺がん細胞三種類にそれぞれを加え、がん細胞を死滅させるかどうかで、抗がん活性の有無を判断した。

 三種類のがん細胞すべてに抗がん活性を示したのは、アイヌ民族が薬に使ったというチシマアザミの葉と茎、解熱剤として使われたナナカマドの若葉、それにエゾノサワアザミの根とシャクの根。このうち抗がん活性物質がほかの研究者によって突き止められているシャクと、希少種のエゾノサワアザミの二種類を除いた二種類について、今夏ごろまでに活性物質の特定を終える予定だ。


アイヌの薬草で抗がん剤を 49種に効き目確認

 アイヌ民族伝承の薬草で抗がん剤をと、札幌市の北海道立衛生研究所と北海道大が、研究を進めている。既に49種の薬用・食用植物に抗がん活性(がん細胞を殺す働き)を確認。来年3月末までに物質を特定するが、新抗がん剤の誕生につながる可能性もある  

3種類の肺がん細胞すべてに強い抗がん活性を示したのはナナカマドの若葉、チシマアザミの茎など4試料。
 
アイヌは、ナナカマドをかゆや茶に入れて解熱剤に、チシマアザミはかっけ治療薬として服用した。ほかは下痢やせき止め、止血など幅広いが、植物を採る時期や場所で効き目は全く異なる。  

北大大学院の井上勝一助教授は「高齢者向けに穏やかで有効なものを開発したい」と話している。
2004/04/02 19:20 【共同通信】


薬草として知られるオニシモツケとクサノオウは二種類のがん細胞に、ハマナスなどは一種類のがん細胞に効き目があったといい、研究班は、これらのなかにも有望な活性物質が含まれている可能性があるとみて、今後、分析を行いたいとしている。
http://www.ikkando.com/saisin-jyoho/saisin-jyoho1.html
http://www.iph.pref.hokkaido.jp/Kankobutsu/Shoho/annual55/n02.pdf


幸霊 奇霊 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ
幸はへ給へ 照らし給へ 導き給へ

掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神  ◇       ミ ◇     祓へ給ひ清め給へと
筑紫の日向の橘の          ◇◇   / ̄| ◇◇.   まをすことを聞こし召せと
小戸の阿波岐原に        ◇◇ \  |__| ◇ ◇    恐み恐みもまをす。
禊ぎ祓へ給ひし時に           彡 O(,,゚Д゚) /.       
なりませる祓へ戸の大神たち       (  P `O      
諸々の禍事・罪・穢れあらむをば    /彡#_|ミ\    
                           


春からの贈り物 -行者ニンニクを採りに-
http://www.youtube.com/watch?v=pQFSAATJDAU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=qMMmyG5H81Q&feature=related

奥深い源流に生えるギョウジャニンニク
http://www.youtube.com/watch?v=KomsIsmJh6M&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=cpZGklBhz6g&feature=related


「行者ニンニクは生活習慣病の予防効果が高い」2009年2月18日(水) 10:40

先日とはまた別に農学博士 西村弘行教授よりいただきましたレジュメをここで紹介させていただきます。

今回も行者ニンニクの薬効のすばらしさが研究報告されています。

報告の中には、

•インフルエンザなどへの抗菌作用
•胃潰瘍や十二指腸潰瘍、ガンの予防・改善
•脳梗塞や心筋梗塞など動脈硬化症の予防効果
•血糖値を低下させる作用
•ダイエット効果
•高脂血症や動脈硬化、糖尿病、また脳梗塞から回復
•発ガン予防効果や各種のアレルギー症状の解消

など数多くの効能が報告されています。


北海道は薬効高い野草の宝庫
「行者ニンニクは生活習慣病の予防効果が高い」

北海道東海大学工学部教授 西村弘行


清冽な水と寒暖の差の大きい北海道は薬効高い野草の宝庫 

 春(といっても、北海道では三月の末ごろからですが)、山野で雪が融け始め、春の陽光がさんさんと地面を照りつけるようになると、これまで眠っていた野草が一斉に目を覚まします。北海道の冬は厳しいですが、北方系の植物たちにとっては事情が違います。冬の間は植物たちの多くが眠っていますから、雪の下の大地も眠っています。植物たちが眠り、大地も休息している間に土の中では微生物たちが活躍します。微生物たちは、秋に落ちた枯れ葉や枝を分解して土にかえします。この分解物こそが植物たちにとって最高の栄養源になります。

 雪の下のほぼ半年間、微生物たちによってこの作業が繰り返され、春の陽光で目覚めるころの大地は、たっぷりの栄養源とたっぷりの雪解け水とで大きくふくらんでいます。そこへ暖かな春の陽光が降り注げば、その温度で雪解け水が水蒸気化し、水蒸気の上昇とともに土がほぐされ軟らかくふっくらしてきます。これが微生物や陽光によって作られた滋養豊富な大地なのです。

 北海道は自然に恵まれ、植物の種類も多く、食べられる山菜がたくさんあります。私たちが食べるフキノトウ、カタクリ、ウド、モミジガサ、タランボ、行者ニンニクなどの山菜は香りが高く、各種の健康機能を持っています。

 牛肉や豚肉、卵、牛乳、お茶、野菜、果物…これらの食物は、人間が改良して作ったもので、本来ある野生の原種ではありません。山菜は数億年の昔から命をつないできた生命力あふれる気の強い食物です。「春の味覚」、山菜を食すことは健康を維持するばかりではなく、季節の食生活にうるおいを与えてくれます。

 北海道は野草の宝庫ですが、その中でも、人気度、味、薬理効果などの面からみても北海道を代表する野草で、まさに「健康野草の王様」行者ニンニクについてお話しましょう。


行者ニンニクの血液浄化、代謝改善作用はすごい!

 行者ニンニクはユリ科ネギ属の多年草で、その仲間にはタマネギ、ニンニク、ニラ、長ネギ、ラッキョウなどがあります。見るとスズランのような茎葉部の形をしており、根はノビルやアサツキの根に似ています。日本では北海道に多く自生し、修行僧、すなわち行者が隠れて食べては体力をつけていた…という逸話と、匂いがニンニクに近いことから「行者ニンニク」の名が付けられたといわれています。

 主要成分は各種の硫黄を含んだ化合物(含硫化合物)で、二次代謝産物として薬効が豊富です。まず、非常に強力な抗菌作用が判明しており、インフルエンザ、膣炎などの炎症を抑制あるいは防止する効果があるとされています。さらにアリシン及びアリシン由来の関連物質には、腫瘍細胞の増殖を抑制したり、アルコールによる胃粘膜の損傷を予防したりする効果があることが明らかになっています。

つまり、アリシンは細胞の再生に寄与し代謝を活性。胃潰瘍や十二指腸潰瘍、ガンの予防・改善に有効と認められています。アリシンから由来する成分、トルスルフィド類やビジルジチイン類も注目の生理活性物質でしょう。これら含硫化合物は、血液を濁らせる酸化型悪玉コレステロールや血栓の生成を抑制するなど血液の浄化作用に優れています。すなわち脳梗塞や心筋梗塞など動脈硬化症の予防効果が高いと考えられます。

 また、行者ニンニクの匂い成分である含硫化合物のなかには血糖値を低下させる作用を持っています。同じ薬効は行者ニンニク中に元々含まれる含硫アミノ酸にもあることが確認されています。

 さらにこれら含硫化合物には脂質代謝改善効果があり、行者ニンニクを食べることにより体脂肪の燃焼効果によって、運動持続性を増したり、ダイエット効果も期待されます。

 これは行者ニンニクの強力な血液浄化力を裏づけるエピソードなのですが、あるとき少年が行者ニンニクを十五本食べて鼻血をだしてしまいました。なぜかといえば、血液がサラサラとなり勢いよく流れすぎたため。そのときは、いや、さすがに行者ニンニク、もの凄い血液浄化力だと感心したものです。

 行者ニンニクは生でよし、煮てよし、焼いてよしの山菜です。お花見のジンギスカンに入れると最高ですが、食べる量は五本以下が最適です。これだけでも、かなりの効果が期待できるでしょう。事実、行者ニンニクをよく食べるようになったことで、高脂血症や動脈硬化、糖尿病、また脳梗塞から回復した例があると聞きます。また、免疫賦活活性や抗アレルギー活性が高いため、行者ニンニクを食べると発ガン予防効果や各種のアレルギー症状の解消に役立つケースも多いそうです。

 こうした薬効も二次代謝産物という北の大地からの贈り物があればこそ。「北海道の野草には薬となる成分がぎゅーっと詰まっている」との評判から、近年、行者ニンニクを筆頭に北の野草の病理学的研究や機能性食品の開発が盛んです。新たな「薬食同源」の供給地として、今後、北海道への関心、注目が高まることは間違いありません。
http://www.mytokachi.jp/ktpr/entry/8


西村弘行

 私とギョウジャニンニクとの出会いは、1969(昭和44)年4月に北海道大学農学部農芸化学科の助手として札幌に赴任して以来でした。

 私には、神奈川県で寺の住職をしている叔父がいまして、その叔父は俳人でもあり全国の文学者とお付き合いがありました。その叔父から、北海道へ行くならと、今は亡き詩人・アイヌ民族研究家の更科源藏氏を紹介いただいたのです。

 更科先生は、私が植物学を勉強していることを聞き、アイヌ民族の植物に対する考え方などを詳しく話してくださいました。

 私は感動し拝聴しましたが、アイヌ民族が食用にする珍しい野草にひかれました。「アイヌネギ」と言っていましたが、どんな野草なのかわかりませんでした。さっそく大学の図書館へ行って牧野富太郎先生の植物図鑑で調べました。しかしその時は、その野草の実態がわかりませんでした。

 結局、山菜の本で調べたところ、正式な名称を「ギョウジャニンニク」ということがわかりました。その名の由来は、昔、修行僧である行者たちが雪解けの頃、山野で修行中にこっそり食べて体力をつけたといわれており、行者が食べるニンニクに近い匂いのする植物にちなんで、牧野富太郎先生が付けられたのだそうです。

 このようにしてギョウジャニンニクと出会った私は、その後もギョウジャニンニクを中心に、北海道に自生する薬効性のある植物について研究を続けてきました。1986(昭和41)年には、北大農学部の八鍬利郎名誉教授を会長に、私と北大付属農場の中嶋博教授が事務局を担当し、「ギョウジャニンニク研究会」を発足しました。その二年後に、広く北海道内に自生する薬効性のある野草、あるいは北方冷涼地域に適した外来作物についても扱うことにして、名称を「北方系機能性植物研究会」に変更しました。

 この「北方系機能性植物研究会」は、超高齢化社会を迎える今日的状況から、一般消費者が望む「安くて」「安全で」「おいしい」健康維持食品の開発が大きな課題になるという視点で、産学官が総合的に取り組んでいるものです。北海道の一次産業にどう付加価値をつけるか、生産者と加工業者が一体となった一・五次産業の確立に貢献することを目的としています。

 さて、北海道は自然に恵まれ、植物の種類も多く、食べられる山菜がたくさんあります。一説によると、その種類は600種以上あるだろうと言われ、現在はそのうちの一割弱40〜50種類ぐらいは食べているようです。

 このように豊富な野草の中で、北海道を代表する山菜はどれかと問いますと、北海道の人たちなら、ためらうことなく「ギョウジャニンニク」と答えます。

 ギョウジャニンニクは数ある野草の中でも、人気度、味、薬理効果などの面からみても、北海道を代表する健康野草で、まさに「健康野草の王様」といっても過言ではありません。

 ギョウジャニンニクの薬効をあげていけば、まず脳梗塞・心筋梗塞などの動脈硬化症の予防です。血液をサラサラにしたり、血管を丈夫にする働きがあります。中性脂肪・コレステロールの低下、血糖値の上昇を抑制する効果も明らかになっています。

 これは、臨床実験でも明らかで、毎日100gのギョウジャニンニクを食べさせて3日おきに採血して検査したところ、抗酸化力が高まっていました。動脈硬化症の予防だけでなく、一度こうした病気になった人の病後食としてもいいでしょう。

 ギョウジャニンニクの主要成分は、におい成分のもとになっている含硫アミノ酸で、特に量的に多いのが、エネルギー代謝に重要なアリインです。含硫アミノ酸のアイリンは、酵素アリナーゼの作用でアリシンが作られ薬理活性物質に変化していきます。アリシンは強い抗菌作用があり、その抗菌性によって肺結核、インフルエンザなどを防止する効果があるとされています。

 さらにニンニクやギョウジャニンニクのがん予防効果が注目されています。新鮮なニンニクには、胃がんに対する予防あるいは胃のがん細胞の増殖を阻害することが科学的に明らかにされています。アリシンをはじめとした硫化アリル類が、発がんを予防したり、がん細胞の増殖を抑えることは、さまざまな研究によって報告されています。

 昔から言われている疲労回復・滋養強壮作用は、ビタミンB1と結合することによってさらに効果が高まるので、肉や卵と合わせるとさらに効果を持続させます。
 滋養強壮はもちろん、がんの予防・抑制にも効果があるギョウジャニンニクは、まさに驚異の野草といえるでしょう。
http://www.genki-e.jp/prevention/prevention03.html


行者にんにく(キト、プ草)

『キトは食糧、背骨といってトゥレプと共にアイヌにとって大事な食べ物です。

体にとにかく様々な効能効果があります。
虚弱体質の方にはたくさん食べさせます。
また風邪薬にもなるし、便秘、脚気、肺病、なでも効ききます。

山のものは神さんが人間のために地上に降ろされた食べものであり、薬なんです。だから神様に感謝して、食べる分だけいただき、 また来年もここに授けてくださいってお祈りして、根は必ず残して撮るんですよ。』

日当たりのよい斜面のキトは、太くておいしいのです
生で食べたり子のみの長さに切って おハウ(お汁)にいれ、塩味で食べます
青葉のない冬の保存食としても最高です。

クキが少し固くなった五月の下旬〜六月にかけて花も葉も根元から一緒に大量にとり、洗わずにザクザクと1.5cmくらいに刻みます
1.5cmぐらいに切ったキトを乾燥させてサラニャにいれてブに蓄えておきます
起用するときはざるにいれて一晩水につけて戻し、おハウに放つのです

またご飯を炊いたとき後に上にのせ、まぜるときに熊の油をいれるのはイオマンテに欠かせない大御馳走なのです

キトは別名プ草と呼びますが、キト、キトビロは北海道北部および樺太でのことですが、日本語でいう『祈祷びる』からきているともいわれています

また、和名を『行者にんにく』となづけたのは植物学者牧野富太郎博士で、行者が荒行に耐えるため食べたと解するのかもしれません

キトの別名フラルイキナ(烈しい匂い)とは独特のにおいのあるところから来ています。実際のこれを食すると2日間はニンニク臭の強烈版の匂いで周囲の方を圧倒してしまいます。

アイヌの人々は、キトの強くて烈しい刺激臭に病魔も近づけぬと信じ、伝染病が流行したときに、必ず戸口や窓につるしたのです

癌予防、冷え、感染症予防にとても効果があると言われています。

今回のアイヌ薬草採りで、死ぬ思いをしたのは、このキトの群生がほとんど断崖絶壁にあるためだったのです
http://wagoiryou.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/11-a586.html
http://wagoiryou.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/12-7d9b-1.html
http://wagoiryou.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/13-df85.html
http://wagoiryou.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/14-fad7.html
http://wagoiryou.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/15-5023.html


行者にんにくのレシピ 210品
http://cookpad.com/search/%E8%A1%8C%E8%80%85%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%AB%E3%81%8F

ギョウジャニンニクの選び方と保存方法や料理
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/Gyoujyaninnniku2.htm


行者にんにく ネット販売


【楽天市場】 行者にんにく
http://search.rakuten.co.jp/search/mall/-/%E8%A1%8C%E8%80%85%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%AB%E3%81%8F-304653/p.1-s.1-sf.0-st.A-v.2


北海道下川町近郊産天然行者にんにく のーすもーる北海道の森
天然行者にんにく(アイヌネギ)
500g入 3,080円(税込・配送料無料)
http://www.northmall.jp/ainunegi/index.htm

行者にんにく  300g
2,400円 消費税込・送料別
http://www.sansaiya.com/sansai/gyouja.html

単価 4000円/1kg
http://www.sansaikinoko.com/ninniku-index.html


ぷくさ 行者にんにく焼酎 標茶町 By酒匠&北海道ソムリエ 鎌田孝
http://www.youtube.com/watch?v=KkKyZxQ9QUs


乙類焼酎 ぷくさ
原材料:米、米麹、行者にんにく
内容量:720ml
定 価:1,575円税込(送料別)


北海道標茶町産
行者にんにく(冷凍)
1パック(250g入真空パック)
定価:1,400円税込(送料別)
※時期により商品の無い場合がありますので、ご注文の際にご確認ください。


ご購入方法は電話・ファックスにてお問い合せ下さい。

(株)小野商店
〒088-2301 北海道川上郡標茶町旭2丁目2番5号
TEL 015-485-1345
FAX 015-485-1346
http://www9.plala.or.jp/pukusa/pukusa.html
http://www9.plala.or.jp/pukusa/gyoujya.html


強烈!行者にんにく焼酎「ぷくさ」

標茶特産美容と健康にTVでお馴染みの「行者にんにく」を原材料中10%以上も使用!

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 5%でかなり素材が強く感じます!
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白麹で仕込まれたすっきりでしかもいい感じで仕上がっている本格焼酎。
行者にんにくの独特な風味とどことなく甘く感じる呑み口はなかなかの出来栄え!

個性的で美味い!しかも強烈!道産指折りの変り種焼酎!
「行者にんにく」は臭くて苦手と言っても我慢!(笑)
これは思わずにやにや笑えるほど

しっかりちゃんと行者にんにくの風味か利いています。

昔風に言うなら「パンチが効いてる!」
そんな表現がぴったり!
あなたも一度挑戦してみる価値はあります!
道東方面にお越しの際はお土産にお勧め!

最近では小樽や道内観光各地にこのクサーーーイ焼酎が勢力拡大中!

あなたも「行者人にんにく」に魅せられてはみませんか!?

発売元:北海道観光物産興社 
札幌市白石区南郷通15丁目北6-18 TEL 011-864-3131
製造元:落合酒造 宮崎県宮崎市大字田吉348 TEL 0985-51-6636
http://dosyocyu.exblog.jp/7554728


エント茶 ネット販売 宮本酋長売店

アイヌの人たちが日常お茶のように飲んでいた薬草茶です。

日常のお茶や粥の香り付けにも使われていた薬草で、解熱や発汗、利尿作用があるとされ、風邪や二日酔いの薬としても効果があると言われています。

アイヌの人たちは山猟や沖漁に行く時、徳利の栓をこの茎ですると何日たっても水の味が変わらないということで利用していました。


エント茶 540円
原材料 シソ科のナギナタコウジュ(アイヌ語で”エント”)
内 容 ティーパッグ10個入り(説明書付)
http://www.shiraoi.net/net-shop/91_161.html


アイヌ伝統食研究グループ・ポロトの母さんの会 代表 大須賀るえ子さん(北海道食づくり名人)により、”キハダの実のクッキー”と”エントのミルクティー”づくり、また、昔話風にアイヌの食文化について語られました。


”キハダ”は、落葉広葉樹の高木です。

黄色い内皮は黄柏と呼ばれ、苦味のある健胃整腸薬として古くから有名ですが、アイヌも多く利用してきた重要な植物の一つです。

写真上がエント、下の黒い実がキハダの実

”エント”はナギナタコウジュ(シソ科の植物)のことで、解熱や発汗、利尿の効果があることから、風邪や二日酔いの薬として全草を煎じて飲むほか粥に炊いても食べたという。また、強い臭いが病魔を遠ざけると考えられていました。


エント茶はハーブティーのようでとても香りがよく、美味しいお茶で、来会されるお客様にも好評です。

昨年の我々の観光商品モニターツアー時にも、ポロトの母さんの会のエント茶とおにぎりが振る舞われましたが、おにぎりもエントで炊いたもので、絶品でした。
http://ameblo.jp/shokokai-shiraoi/entry-10057856143.html


詳細は


『アイヌの食事・アイヌの自然療法』

食物によし悪しなし! 柴田流健康長寿の14か条  健康リスクを回避する、食肉生活のススメ (PRESIDENT )へのコメント  
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/550.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/181.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ 食べ物、農業関係投稿リンク 中川隆
11. 2019年1月22日 10:24:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
アイヌの食文化
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/182.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/812.html#c11
[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
44. 2019年1月22日 10:33:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
シベリアの狩猟文化 _ 黒澤明 「デルス・ウザーラ」 から見た”精霊信仰”
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/183.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c44
[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
81. 中川隆[-12808] koaQ7Jey 2019年1月22日 11:57:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

548sage2019/01/16(水) 11:01:36.79ID:e4m0/4fE>>549>>554

100Hz - 4000Hz で十分とか言ってるアホは碌に演奏会行ったこと無いのバレバレだな

549名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 12:12:17.20ID:Q4In6jtS
>>548
ピアノの音域がどこからどこまでで、それが何Hzなのか、全く理解出来てないんだろうなぁ
ピアノの低域が凄まじく鳴って欲しいと言ってるが、100Hz程度じゃ足りないのを理解してないんかな?

550名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 12:27:35.68ID:MVrFLGtV

100Hz - 4000Hz というのはフラットな領域で、低域と高域はそこからなだらかに下降するという話だよ

そもそも倍音成分の入り方で印象が決まるから、基音まで正確に出る必要は無いんだ


CDのスペクトラム(周波数帯域)
http://web1.kcn.jp/oshikuma_lab/theatertopics4.html

ピアノ曲
測定した3曲のスペクトラムは、非常によく似ており、帯域は70Hz-数kHzとなっている。
紫: リスト 超絶技巧練習曲/UCCG-1440/Track13(ラ・カンパネラ)/アリス=紗良オット
緑: 献呈/TOCE55880/Track3(ショパン 幻想即興曲)/蔵島由貴
橙: Stereo Sound Best Sound Selection柳沢功力/SSRR1/Track7(シューベルト 楽興の時)/内田光子

552名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 12:48:18.68ID:MVrFLGtV

手廻し蓄音機のフラットな周波数レンジは 200-2000Hz だけど低音は十分聞こえるよ:

研究レポート;横浜蓄音器ミュージアム
http://emgmark7.com/dish.html

554名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 12:58:06.97ID:cXz8LBGe
>>548
空間は周波数特性を持っているという常識を知っている人で
生のコンサートが好きな人はそれほど高域に拘らない。
https://i.imgur.com/rclvef3.jpg


聴く位置にもよるが、LPFをかけて聴いている場合が多い。

いっぽう、CDなどから音楽に入った人で生を聴く場合
どちらかというと前席の方を好む傾向があるように思う。

ただしPAを使ったコンサートは除く。

560名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 16:47:35.92ID:RCdE/Epb
>>545
>周波数レンジは 100Hz - 4000Hz で十分なんだ 。

んなこたーない。
4000Hzで頭打ち バッサリ切れてると、楽譜上は再現できてるはずのものが
全く聞こえない。 何やってるのかさっぱりわからない。
高い音が聞こえないだけでなく、低い音も判別不能になる。
100〜16000Hzだと ちゃんと低い音も聞こえる。物足りないけど。(ラジカセでFM聞く感じ
100〜20000Hzだと 高音の細かい音も聞こえてくる。
しかし100〜っていう低音再生能力の低さだと ギターすら再現不可能。
40Hz以上だと4弦ベースのルート音が聞き取れる。
35Hz以上だと、ほぼすべての楽器がちゃんと聞き取れる。
30Hzは 人により聞き分け不能なので ぶっちゃけ空気の振動だけでOK

ってことで下限は35〜40くらい、上は自称20000は欲しい。

561名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 17:22:37.38ID:Q4In6jtS
>>560
一般的なピアノの最低音は27.5Hz(A0)
ベーゼンドルファーなどの中には16Hz(C0)まで出る特殊なモデルはあるけどね
ただ、あまり使われない帯域だし、一般的な家庭で出せる実用的な音量で、この周波数の純音が聴こえる人は余りいないから、仰る通り35Hzくらいまでフラットだと大抵なんとかなるのよね

個人的には5弦コントラバスの最低音である32Hz(C1)まではキチンと鳴って欲しい
音程が定められていないグランカッサもこの辺りでチューニングしているものもあるしね。

562名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 17:25:39.49ID:irlFKxhJ

下は30Hzからはまったく同感。30以下はストンと落ちてもいい。無駄にあると聴こえないのに悪さをする。
だけど単体で30Hzが-3dBとか最大譲って-6dBとか、実測したらほとんど無いだろ。

563名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 19:35:37.65ID:RCdE/Epb

人間の可視聴範囲が20-20000って言われてるけど、
辺実的に大人になるとモスキート音が聞こえなくなり 16000くらいまでになる。
下は生まれつき下限が決まっちゃってて
20聞こえる人はほぼいない。30聞こえない人が多数。

普通のアップライトピアノの一番左端が ちゃんと聞き取れない人が多いんだよ。
ルート音がきこえず 倍音ばっかり聞こえて気持ち悪いの。
一番低い音に感じず それより少し右の鍵盤のほうが低い音に感じるの。


565名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:09:41.99ID:MVrFLGtV

今時数万円のスピーカーだって人間の可聴範囲20Hz〜20,000Hz付近をカバーしている。
そこで、スピーカーの再生周波数に付いて一寸調べてみたら、どうやらこういう事らしい。
スペックがどの様な数字であるかは兎も角、

「実際にスピーカーから出る低音の60Hz以下は音というよりも風圧として肌で感じるもので、
強烈なドラムやベースの唸りの様な低音は大概80Hz〜100Hzくらいである」という。

だから、60Hzが出れば通常僕らが聴いているオーディオの低音に何ら不足を感じるものではなく
まして50Hzが出るなら映画館などの大鉄桟を巨大な大砲の発射音や炸裂音で揺るがすに
実は充分な低音が出る事をオイロダインのスペックから読み取る事が出来るのだそうだ。

そして高音は「4KHz〜6KHz以上の純音の音色を判別する事は非常に難しく」
この辺りで音程に対する判断は鈍って来るものらしい。

僕らが聴く「スピーカーの音(無論録音前の原音も)を決定づけるのは純音ではなく倍音であって、
倍音は整数倍で膨らんで、大体13〜14KHzほど先からは殆ど聴こえてこない」ものらしい。
だから、オイロダインの50Hz〜15KHzという周波数帯域はこれらの条件を
低音で10Hz、高音で1KHzばかり其々上回っており、従ってオイロダインで聴けない音は無いといってもよいという事になるらしい。
だから、2〜3万ながら矢鱈に周波数帯域の優秀なスピーカーが量販店などに出回っているのは、要するに僕ら消費者が悪いという事になるようだ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34


566名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:13:16.60ID:MVrFLGtV

要するに、80Hz以下の低音は音ではなく体を揺らす振動としてしか感じられない

6000Hz以上の高音は視覚的な音色として捉えられるので音としては聞こえない

80-6000Hz さえ出ていれば聞こえない音は無いんだよ

567名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:17:01.37ID:MVrFLGtV

Western Electric Amplifier の周波数帯域

WE86 : 40〜10000 Hz
WE91 : 50〜 8000 Hz

なにせ入力トランスも出力トランスも100〜6000 Hz ですから。
http://n-nobo.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/1-eeb8.html

ウェスタンはちゃんと研究して必要十分な周波数レンジを出すアンプを開発したんだよ

568名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:23:45.28ID:MVrFLGtV

という事で、

フルトヴェングラーのティンパニの轟きやホロヴィッツの凄まじい低音を聴くには
100Hz出てれば十分なんだ

レンジを広げると響きが薄くなって、彫りが浅い醤油味になってしまうんだ

マークレヴィンソンのアンプは意識的にレンジを狭くしている

569名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:29:25.12ID:e4m0/4fE

80Hzで切ってもベース、コントラバスの音が普通にすっぽ抜けるんだが
おじいちゃんだからわかんないかな

数万円のスピーカーだと精々公称42Hz-だが
バスレフで膨らませてるからウッドベースのアーティキュレーションとか狂ってるぞ


570名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:34:45.75ID:MVrFLGtV>>578

手廻し蓄音機は 200Hzまでしか出ないけど、ベース、コントラバスの音が普通に聞こえる。

倍音成分がちゃんと出る装置なら、基音も出ている様に感じるんだ

安物のスピーカーだから不自然な音になるんだよ


571名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 20:44:55.20ID:e4m0/4fE

誰もおじいちゃんの低レベルな音は求めてないから巣に帰ってどうぞ

572名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 21:12:07.41ID:l7AgVfrs

40Hzがキッチリ出ると、コントラバス(編成によってはチューバ、コントラファゴット)がしっかり鳴り、オーケストラ全体の基礎となり全体を支える。
その上にピラミッド状の和声が形成され、主旋律が美しく、時に荒々しく、堂々と奏でられる。

勿論バスレフポートに頼らずに密閉型等でこの帯域が綺麗に鳴ることが望ましいが、かなりハードルは高いのでバスレフ型でも構わないと思う

573名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 21:30:37.75ID:MVrFLGtV

ジャズ用でこれよりいいスピーカーは無いだろ

Western Electric 755A
再生周波数帯域70〜13,000Hz 

Western Electric 755A が搭載された米松エンクロージャーシステムです。

8inchシングルコーン・ダイレクトラジエーター型、パーマネントマグネット採用、
今まで聴いたフルレンジユニットの中でも味わい深さは別格です。
特に50年代のJAZZやジャズボーカルは絶品です。

主な仕様:
8inchシングルコーン・ダイレクトラジエーター型フルレンジ インピーダンス4Ω(実測DCR2.9Ω/2.8Ω)最大入力8
再生周波数帯域70〜13,000Hz 
サイズW330×H533×D305mm 重量9.6kg
http://www.hifido.co.jp/sold/?KW=WESTERN+ELECTRIC&G=0201&LNG=J&O=0&L=20&C=14-83658-24178-00


やっぱり755は嫌味なスピーカー

ALTEC288も励磁にして、タンガー整流515も励磁に改良してダブルウーハーで
817には羽までつけて ネットワークも完璧なWEオイルコンで製作して
金も時間も労力も涙も友情も詰まったこの817励磁システムを嘲笑うかのようなWE-SOUND

バカヤロー!、と叫びたくなるいい音
何でこのスピーカーはこうなの?
まずなんといっても音がリアル、 この生々しさはいったい何なの?
まるで楽器がそこにある、 そこに演奏者がいるようの鳴り方
嫌味だねー きらいだね
今までの苦労は何だったの?
オーディオマニアを嘲笑うかのような嫌味なスピーカー
https://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/3f20b82ea3defe549749b6671ce0305c

574名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 21:32:19.53ID:MVrFLGtV

ジャズ用でこれよりいいスピーカーは無いだろ _ 2

Western Electric 755A
再生周波数帯域70〜13,000Hz 

私の書斎にWestern Electric 755A がやってきた日のことは、忘れられない。
システムに繋いで、そろそろと音出しをしてみる。
  聴きなれたレコードを何枚かかけてみると、愕然としてしまった。
当然のことではあるが、愛聴盤というものは、どこにどんな音が入っているかを暗記しているものであるが、
このスピーカーで聴くそれは、まったく別物であった。今迄聴こえていなかった音が、豪華絢爛に再現されてくるのであった。  

それはあたかも、澱んだ東京の空に浮かぶ見慣れた星空から、一転して空気の澄み切った山の頂きから仰ぎ観る天空の星星の情景そのままに、
天空一面、星、星、星のショーの大星夜を目の当たりにしたようなものだった。


  星星が煌く音となり、その微粒子が壮大な音楽を構築しているかのようであった。
今迄、自分は一体、何を聴いてきたのだろうという悔しさと、
まだレコードにもCDにもいくらでも秘められた音が入っているのだという嬉しさが頭の中を過ぎった。
http://mikami.a.la9.jp/audio/we755a/we755a.htm

575名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 21:36:48.94ID:MVrFLGtV

アンプでもスピーカーでもウェスタンやクラングフィルムの周波数レンジが狭い装置を超える音は絶対に出せないんだ

Western Electric Amplifier の周波数帯域

WE86 : 40〜10000 Hz
WE91 : 50〜 8000 Hz

なにせ入力トランスも出力トランスも100〜6000 Hz ですから。
http://n-nobo.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/1-eeb8.html

ウェスタンはちゃんと研究して必要十分な周波数レンジを出すアンプを開発したんだよ

576名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/16(水) 21:44:54.94ID:2SYAN9rV

低能率のゴミシステムの音しか聴いてない連中がはじめてウェスタンに触れると愕然とするだろう
もちろん万能ではないが


578名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 04:50:16.31ID:1kbcgfmR
>>570
>>倍音成分がちゃんと出る装置なら、基音も出ている様に感じるんだ

正しい
実用品としては「基音も出ている様に感じる」をクリアすれば良い
そこで満足せず基音まで再生しようとするのが趣味の世界

なのだか、50Hzよりも50kHz の優先度が高いというオーディオ業界の共通認識
だから、ずっと落ち目なんだと思う
まともに取り組んでいない

579名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 07:26:35.83ID:hnMus0Ip

みんな簡単に測定できないから勝手な事言ってる。データー無けりゃ安心して何でも言えるねww

580 名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 08:19:45.53ID:xg4cOQCi
>>578
をいをい、イマドキのツイーターは50Kを再生したいんじゃなくて
20Kを正確にピストンモーションさせようとすると、イヤでも高域が伸びるってだけだぞ
あと素材の共振周波数を可聴帯域に影響を与えない様にすると、これまた伸びる
情弱がしたり顔するのはやめてね╰( ̄▽ ̄)╯♡


582 名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 08:45:50.73ID:1kbcgfmR
>>580
情弱からすると、20Hzをいくらかでも再生するために50Hzフラットが必要
馬鹿でも分かる理屈


584名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 09:24:32.89ID:29fFzp7m

>をいをい、イマドキのツイーターは50Kを再生したいんじゃなくて
>20Kを正確にピストンモーションさせようとすると、イヤでも高域が伸びるってだけだぞ

嘘つけ
ハイレゾ対応だぞ

581名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 08:25:18.36ID:xg4cOQCi>>583

それにしてもf特でしかスピーカーを語れないってのもどうなのよ?
昔のピエガなんてf特は鬼フラットだが、音の方は・・・(´Д` )
それに比べてVOTのf特は・・・
だがVOTで聞くちあきなおみは泣けるで!
それからラッシュモアはテャンデバのクロスが繋がってないし
ビクターのSX-V1もネットワークはちゃんと繋がってない
どちらも聴感で最終的に音決めしてるのが特徴な


583名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 08:55:59.04ID:1kbcgfmR
>>581
そりゃそうだ。ピエガは高音が得意だからな。バランスが悪い
アホでもわかる
個人差が大きい聴感で開き直るまえにちゃんと測定しろっていうところは賛成
ツイーターにだけこだわりの小細工をしたって
低音不足なのは聴感で分かる(のに、聴感でチューニングしました!)
この間抜さが凋落のもと

585名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 09:25:33.76ID:Vv0VDGYt
>>583
ちょっと何言ってるのか分からないw
ツイーターに小細工ってピエガのコトか?
リボンツイーターなんて小細工でもなんでもないじゃん?
またピエガはあのアルミウーハーがダメな子だったので
スキャンスピークぅ、なんとかして〜
と言って音が良くなった(音楽的になった)のは有名だろ?

586名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 09:26:18.67ID:vFOrWUp/

量感と音が出ていることは別だと思うんだが

587名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 09:34:23.62ID:Vv0VDGYt

ピエガといえばTIASで聞いたANLS3は音が良かってデ
補水
しかし定価500万・・・

588名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 10:56:01.69ID:qMuelrEv>>592

3極管シングルアンプみたいな中音域しか出ないアンプが一番いい音だというのが定説だ

トランジスタアンプは周波数レンジが広いだけで、音がきつく響きが薄いからクラシックには向かないというのが常識

トランジスタアンプは女性ヴォーカルやエロビデオ以外には需要が無いよ


589名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 11:00:52.66ID:qMuelrEv

因みに、女性ヴォーカルやポルノの再生にはウェスタンの映画館用システムが一番いいというのが定説だけどね

YG + FMアコーステックスではそれだけの雰囲気は出ない

590名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 11:03:51.65ID:qMuelrEv

女性ヴォーカルやエロビデオの再生には YG + FMアコーステックスではなく、ウェスタンを使おう:


・ G.I.P.Laboratory GIP-555 - 555W : WE555 ドライバーのレプリカ
http://www.gip-laboratory.com/seihin555.html

・G.I.P.Laboratory Western Electric WE555 のレプリカ・ドライバーを使ったスピーカーシステム

@) G.I.P.Laboratory GIP-12A horn system : Western Electric WE555 のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1143 × H:1715 × D:1194, 片チャンネル重量 92kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin12system.html


A) G.I.P.Laboratory GIP-30154 horn system : Western Electric WE555W のレプリカ・ドライバー使用
片チャンネル寸法: W:1735 × H:1336 × D:660, 片チャンネル重量 280kg
http://www.gip-laboratory.com/seihin30154hornsystem.html

591名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 11:57:51.77ID:LFnKcnEi

虚言壁の人は「定説」「常識」を用いる
誰にとっても有害・無益なことをなぜそんなに熱心に続けられるのか

592名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 12:08:19.72ID:kpZ7rleG
>>588
こういうやつがいなくならない限り、ピュアオーディオの未来は暗い。

まず、CDなどのデジタルデータが正確にスピーカ端子まで実現できているのは
客観的に実証されている。

したがって、君の言うことが正しければ録音が悪いということになる。
それをこういうアンプならと断定すること自体間違っていると気がつかねば。

594名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 12:25:24.60ID:5WKTEnmr

まあ世の中の定説常識から逸脱してるから
オーオタなんだろ

595名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 12:40:44.81ID:onHX254+>>598

オーオタはロレックスとかの機械式じゃなきゃ腕時計とは認められないって威張ってる人みたいだね。
カシオの1000円の腕時計を尊敬すべきだ。


597名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 16:31:47.79ID:qMuelrEv

おおざっぱに言って25歳以下の若者は17,000ヘルツ、中年は14,000ヘルツ、高齢者は10,000ヘルツくらいまでしか聞き取れない。

一般的なCD音源は20,000ヘルツまで記録できるが、ハイレゾは40,000ヘルツまで記録再生が可能と言われています。

20代の人ですらCDの高音域が聞こえないのだが、「ハイレゾで音が良くなった」はほとんど錯覚の可能性が高い。


1万円のスピーカーを5万円のハイレゾに買い替えたら、ハイレゾに関係なくスピーカーの通常音域が改善され、結果的に「ハイレゾで音が良くなった」ことになる。

ハイレゾの恩恵を多少でも感じることができるのは30代までで、40代以降の人は低中音域が優れた高級スピーカーを買う方が良いです。

いわゆる歌謡曲の多くは誰でも聞き取れる10,000ヘルツ以下が中心なので、誰も楽しめるようになっています。


599名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 16:42:16.40ID:qMuelrEv

WE(ウェスタンエレクトリック)の、最高峰の真空管アンプにつきまして

60年から70年前の、WEの真空管アンプが、今でも、どのような民生用アンプをも越えていることは事実です。
なぜそうなのかは、それが往年のプロ用のアンプだったからに他なりませんが、
その後トランジスタアンプが出現し、最初にそれを使ったプロのかたがたは、トランジスタのものは使えないと、結論づけてしまいました。
https://procable.jp/crown/s_75.html

600名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 17:01:48.81ID:btWSUvjD

初期のトランジスターには色々アレコレ問題があったから
それなら馴れている球の方がいいとなるのはプロなら当然
車でもプジョーはグリースレスジョイントの時代になってもグリースを使っていたが
かっての植民地であるアフリカや中近東でつかうには
グリース式の方が良いとの判断だった
陛下の御料車プリンスロイヤルも旧式のアクリル塗料にグリースアップを必要とするジョイントを使用していたが
これも今まで使い馴れている方式でやってくれとの、宮内庁のご要望に沿ってだ


601名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/17(木) 17:07:55.88ID:btWSUvjD

そういやマッキンもインピーダンス変動に強いからとの理由で
バッファーとしてトランスを石にも採用したんだよな
今となってはロールスのパルテノングリルや911のリアエンジン同様
止めようったってお客が許してくれないw
しかし、あのトランスをかますおかげで低インピーダンスのスピーカーをBTL接続で鳴らしても
不安定になるコトなくガンガン鳴らせる
てかモノアンは内部でBTL接続になってるはずだ

602名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 05:54:43.12ID:wAAqmNqF

ウェスタンが生々しい音を出すのは事実だけど音に腰がない
ふらふらへにょへにょの音で良いかというとそれもまた違う訳で

物量投入は物量投入で良さがある
どの選択も一長一短があるの解らないのは痛い

603名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 10:19:52.96ID:6kW4mwv0

クラングフィルムは音に腰が有るよ

専門家の音質評価では

クラングフィルム > ロンドン・ウェスタン >> ウェスタン

604名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 10:22:11.54ID:6kW4mwv0

YG + FMアコーステックスを使っているアホが大好きな女性ヴォーカルやポルノ・ビデオの再生には
ウェスタンが一番いいというのが定説だけどね

605名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 10:40:09.47ID:6kW4mwv0

ウェスタンサウンドは人の声が良い

 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、

ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、

聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ、

また劇場用のサウンドは観客席に攻めてくるサウンドが特徴ですが、以前有名な方がウェスタンの594を持ち込んで試聴会を開いたことがありましたが、ウェスタン特有の音の浸透力に乏しくこのサウンドには魅力を感じなかったのが残念であったが人の声だけは良かった、

 ウェスタンのシステムを採用した劇場を調べますとピンク映画館が多いのがわかった、

なぜならピンク映画館の女性の声は生々しく聞こえないとしらけますね、

特に人気のあった日活ロマンポルノあれは良かった!

 ウェスタンで聴かされる大事な場面での彼女達の声に色気があった、

今思うとウェスタンサウンドは人の声は素晴らしい!
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-036.html

606名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 11:53:09.34ID:wAAqmNqF

金持ちで人の声を聴くのにウェスタン選択しない奴は金をドブに捨ててるのと同じだな
いずれ俺何やってたんだろう・・・になるだろうけど

610名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 12:45:44.26ID:wAAqmNqF

聴けばわかるが聴く機会が無い
呼ばれるためには相応の環境を持ってないと相手にされない

ここらへんがネックなんだろうけど

611名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 13:16:37.78ID:qlH13WR+>>616

昭和末期辺りだと地元の家電販売店の話だが
当時のナカミチ、サンスイ他の協賛で展示会とか
結構やってたな。全部で100万越えするような高価なシステムではなく
せいぜい5〜60万とかだがそれでも違いははっきりしてたし
で当時の店員さんもメーカーから来てた人も人を見て対応とかはなかったし
音源もクラシックかけてたのもあるがそうでないのもあった。
ところが今はどうだ。40代後半だけどクラシックやジャズ以外の音源だと
露骨に渋い顔するのが多い。好きな機材で何聞こうと買う自分の勝手だろと思う。

612名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 14:25:34.96ID:y7S/Gqqi
>>611
音源の事だけど、クラシックやジャズ以外の音源というのはいわゆるマルチモノの録音ということで敬遠されている。
Aの音源用に使うマイクa、Bの音源用に使うマイクb,C--c,D--dとマイクをセットしよう。
Aの音源はマイクb,c,dでも、Bの音源はマイクa,c,dでも、C--a,b,d D--b,c,d でも録られいる。
A,B,C,Dの音源が十分に離れていればお互いに影響は少ないが、ドラムセットに何本もセットされたマイクをみると
Aの音をほんの少し遅延し、やや高域減衰した音をbが、さらに遅延減衰をcが、以下dが
B(同上)
C(同上)
D(同上)
それをミキサーで混ぜて、エコーをかけ、リミッターを通し出来上がったものはぐちゃぐちゃだ。
ほとんどの商売音源はゼネラルオーディオ向けに音源の音量バランスに重きを置いているので
その音源を高級オーディオで聴くと頭が痛くなってしまう。
ポピュラー音楽ファンの人は超オフマイク2本で録られた音を聴いたことがないので何を言っているのかわからないと思うが。
とにかく昭和末期より聴衆のレベルは向上している結果だ。

618名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 17:52:40.25ID:bO049exr>>620

元々録音のいい曲より、コンプかけまくりの濁った音色の曲を滑らかな音が分離した音色に変えてこそ価値がある

620名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 21:29:51.95ID:NltAh+Ry
>>618
それは最早オーディオではなく魔法だw

621名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 21:32:54.94ID:EIM1Envy
>>620
魔法じゃないよ
実際できるし
ハイレゾ化だけでは無理だけどねー

622名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 21:57:23.93ID:NltAh+Ry
>>621
ぜってーならねえ
もしそうなったら、それはソフトの情報を忠実に再生していない器機だというコトになる
ある特定のソフトを聞く分にはいいかもしれないが、それ以外のソフトでは皆その器機特有の音色で聞かされるコトになる
実際に、そのようなスピーカーは実在する
ベーゼンは最高なのだが、スタンウェイを聞いてもベーゼンの音で表現する

624名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 23:41:03.01ID:
>>622
CD自体濁ってるからその濁りを取る事はできるよ

625名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 00:15:00.96ID:HEJmcKfQ
>>622
とりよw
>ベーゼンは最高なのだが、スタンウェイを聞いてもベーゼンの音で表現する

おいおいw
「ぜってーならねえ」どころか自らなると認めてるだろw

なぜなら、「スタンウェイを聞いてもベーゼンの音で表現する」ならその逆の
ベーゼンを聞いてもスタンウェイの音で表現することも不可能と言えないどころか

「コンプかけまくりの濁った音色の曲を滑らかな音が分離した音色に変える」ことが
できないことを否定するどころか、その可能性を示唆してるだろwお前w

>ある特定のソフトを聞く分にはいいかもしれないが、それ以外のソフトでは皆その器機特有の音色で聞かされるコトになる

だからよw
それは再生側の話で、今の時代、デジタル時代、製作者も含め音源をいじれまくれるだろw

626名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 01:00:42.39ID:ds5IN0Ud

ハードロックが好きな人は、演歌は嫌い。

627名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 08:08:46.09ID:94Yt//EG

クラシックが好きな人は、それ以外のアホ音楽はすべて大嫌い。

女性ボーカル聴くより風俗で生声聞いた方が絶対にいい


629名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 09:18:02.81ID:W6vLJj/X

クラシック至上主義者がスメタナもコダーイもドヴォルザークもガーシュインもバルトークも否定って
どんだけ痴呆だよ

630名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 09:23:25.82ID:T/dXbzvc

現代曲の怒涛のサウンドを楽しんでいる身からすると、なまぬるい平均律の調性音楽はへなちょこだ‼

631名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 09:27:04.44ID:ZysLtoRZ

SP盤のフルトヴェングラーよりゴリゴリ出たらたいしたもんだけど

632名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 10:00:14.79ID:ZlsWIvBK

CDとかいうノイズメディアをありがたがっている時点で終わってる
いくらそれをハイレゾ化して高級機械で聞いたところで同じ
賢い人は自分で整形して普通の機械で聴く


636名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 17:02:10.27ID:T/dXbzvc>>639

好きな音楽、歌手、ミュージシャンはテレビ、ラジオのようなスピーカーから聞こえてきて初めて知った。
憧れの人に近づこうとコンサートに出かけても、聞こえてくるのはPAからの音でテレビ、ラジオで聞いたあの音だ。
音楽を産業にできたのは多くの人間に買ってもらうことができるように単純な楽曲、低廉な再生機械、それを活かす録音技術などの製作、普及の結果だ。
ほとんどの人間の音楽の原体験がこれなのだ。

普段聴いている音楽を目の玉が飛び出るような値段のオーディオ機器で聴いても何も変わらないと言う人がいる。
ラジカセ、ポータブルオーディオで聴いた方が楽しいと言う人がいる。
当たり前だよ そうゆう風に楽曲、音を作っているのだから。

日本のある高級オーディオ機器メーカーの記事で読んだことがある。(ソース明示できないが、確かに記憶にある)
”ユーザー数は全世界で2000人ぐらいなので生産量は増やす考えはない。
この数の大切なお客様を大事にしてゆく。”

ピュアオーディオなんて70数憶人の内の分別のつく大人、数千人のもので構わないと思う。
”庭のコンサートホールで音楽学校の生徒を集めチャリティー半分パトロン半分でコンサートを開こう。
政界財界の人間も呼んで人脈も広めよう。”
”今度の旅行は未開の地へ行って、西洋音楽に毒されてい民族音楽を楽しもう。
音楽学者も連れていけば喜ぶかな?”
”娘の音楽学校の作曲科の彼に新しい手法の楽曲を委託しよう。
作品を気に入れば、演奏、録音の費用も工面しよう。”
数千人の中にはこんな人間もいることだろう。
音源を含め質の低下を起こさないようにメーカーは脇目を振らず高級、高性能路線を突っ走れ!

637名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 17:18:07.37ID:94Yt//EG>>646

ごちゃごちゃ言う必要はない

今すぐに、

タンノイ モニター・シルバー

グッドマン Axiom80

QUAD ESL57

ハーベス HLコンパクト オリジナル

スペンドール BCU

ソナスファーベル ガルネリ・オマージュ

の完璧なレプリカを出せば、それ以外のオーディオは売れなくなる


646名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 08:47:23.55ID:y3Ike97f
>>637
馬鹿だな!そんな物出せば余計死期が早まる。首括りの足を引っ張るに等しい。

638名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 17:27:56.73ID:oU2je5iL

残念ながらハイエンドオーディオはマニアの為じゃなくて金持ちがテキトーに買うものになるでしょ
豪邸に弾きもしないグランドピアノ置くのと同じようなポジションを狙っていく流れ
見た目、スペック、素材はブランドストーリー作りの為に使うだけ。極論を言えば


641名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 20:32:07.36ID:94Yt//EG

クラシックファン以外にはオーディオの需要なんか無いんだよ

流行歌ならパソコン付属の1500円のスピーカーで十分だ

642名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 22:21:18.59ID:ZNCIwp4L

というかそれ用にチューンされてるから
オーディオ専用機だと逆に劣化に聞こえるw

643名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 22:39:15.63ID:Td8DlhXq

おまいらなんでピュア板いるの?
音の悪いアイドルでもマジコで聞くと新たな発見があるぞ?

644名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 22:54:24.42ID:ZNCIwp4L>>645

そんな発見なんてーどーでもいいんだよ
クオリティが上がると違和感とモーレツな嫌悪感が最悪聞いてられなくなう


645名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 23:43:17.70ID:Td8DlhXq
>>644
>クオリティが上がると違和感とモーレツな嫌悪感が最悪聞いてられなくなう

なこたあねえ
ウソだと思うんなら、手持ちのソフトをTIASに持って行って聞いてみな
アブサートロンならかけてくれる可能性が高いぞ

647名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 08:51:54.19ID:pd87HVGp

マジコでは低音パートの楽器が鈍い音しか出ないようですが

648名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 08:58:10.81ID:pd87HVGp

装置の性能が拙いとちゃんと分離できないからごちゃごちゃになって気持ち悪い音になる
レコードのスクラッチノイズと同じ

あれも楽器の音と分離するぐらいの装置になると気にならなくなる

649名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 09:09:24.18ID:zXD2YsMg>>652

クラシックはすべての音が完全に混じり合わないとホールトーンにならないんだよ

音が分離していたら嘘っぱちの音だ

オートグラフが一番本当の音に近い


650名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 09:13:22.72ID:zXD2YsMg>>653

マイクで捉えた音は原音じゃない

二階席正面で聴くのが原音だ

静電型スピーカーならは細かい音まですべて出るのに、QUAD ESL63 はわざわざ小さな穴が無数に開いたアルミカバーを付けて
残響音を入れ、ロイヤルアルバートホール二階席正面で聴くのと同じ音にしている


653名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 09:56:39.11ID:pd87HVGp
>>650
全部出るってお前さんは現場のミキサーの音聞いたことあるのw

652名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 09:55:25.74ID:pd87HVGp
>>649
ソースに入ってる音がそうなんだから仕方がない


654名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 10:13:45.19ID:uv7tEpS2>>656

ここで言ってるピュアオーディオって、ソースに忠実に再生することでしょ?
(本来は違うけど)
ノイズまみれのCDを忠実に再生して何が楽しいの?
最先端はそのノイズを如何にソフトウェアで取り除いて整形して本来の音を再現するかに移行してる
それができれば 44.1khz 16-bitで充分なの


656名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 10:45:57.90ID:d6B4Hof5
>>654
>ノイズまみれのCD
今時のCDでノイズなんて全く聴こえない、脳内で発生しているノイズのこと?

> 最先端はそのノイズを如何にソフトウェアで取り除いて整形して本来の音を再現するかに移行してる

それにはオカルトの力が必要で、結果バカにされるオカルト宗教となり
将来が絶望となった。
オカルト連中がいなくなれば、少しは将来が出てくる可能性もあるが・・・・・。


658名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 11:27:09.44ID:uxd/LTM3
>>656
44.1khz 16-bit化する際に波形がぐちゃぐちゃになってるよ
いくらでも整形できる


657名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 11:16:17.57ID:zXD2YsMg

デジタルテープに忠実に再生したら聴くに堪えない音になるんだ

コンサートホールはそのまま聞いて一番いい音になる様に音響設計してるんだよ

ソースを正確に再現する事に意味は無い


659名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 11:28:41.02ID:zXD2YsMg

手廻し蓄音機でも真空管アンプでも。input より output の方が遥かにいい音になってるよ

ソースをそのまま再現する過去の名器なんか存在しない


661名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 11:40:28.11ID:zXD2YsMg>>663

クラシックファンは 1960, 70, 80年代のオーディオが一番好きなんだよ

WE124 や リーク、ローサーの真空管アンプを完璧に復刻したらベストセラーになるよ

662名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 12:12:51.13ID:O75SIilQ

今のデジタルオーディオはクラシックファンには全然合わないね
クリアにはなるけど

663名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 12:16:31.99ID:zAighD97
>>661
クラシック言うても種類が多すぎてなぁ……


665名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 12:58:39.05ID:7LcldXFN

クラシックはほぼ全くと言っていいほど聴かない俺だが、とりあえずピュアオーディオやってヴァイオリンの音色の良さには目覚めた


667名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 13:48:27.73ID:zXD2YsMg>>668

>ピュアオーディオやってヴァイオリンの音色の良さには目覚めた


クラシックファンはこの演奏をいい音で再生したいんだよ:


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(クライスラー、旧録音) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NNu_sV5PVoo

Kreisler & Zimbalist - Bach Concerto for 2 Violins - 1st Mvt. (1915) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mXgwb4ri3jw


671名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 16:00:15.04ID:zXD2YsMg

メンデルスゾーンやバッハの協奏曲でクライスラーに匹敵する演奏は100年経っても遂に一つも現れなかったんだよ

クラシックファンはそういう世紀の名盤をいい音で聴きたいんだ

クラシックファンは最近のヴァイオリニストのどうしようもないアホ演奏には関心ないんだ

672名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 16:11:27.67ID:zXD2YsMg>>674

演奏による音の違い >>>>> オーディオによる音の違い


だから、いくらいい装置で最新録音を聴いても、100年前の伝説の演奏には絶対に敵わないんだ

677名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 19:53:39.10ID:zXD2YsMg>>678

クラシックの伝説の名盤はその殆どが1920年代から1950年代に集中しているから

クラシックファンが好きなオーディオは SP や モノラル録音を上手く再生できるものに限られる

グッドマン、ワーフデール、ローサーや QUAD が今でも人気があるのは、その時代の音源の再生に一番合っているからだ


678名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 20:01:11.21ID:VPxmafEV
>>677
クラフアンだがバッハ派だし古楽器派だから
そんなもの聞かんから要らんわ

679名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 20:04:27.94ID:S6BK59k2

ちょっと古い録音にぼわぼわの低音が入っていることがある
200Hzぐらいのローカットかける

680名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 20:24:26.17ID:zXD2YsMg

>クラフアンだがバッハ派だし古楽器派だから
そんなもの聞かんから要らんわ


バッハの演奏で一番人気有るのは

メンゲルベルクのマタイ受難曲
シゲティの無伴奏バイオリン
カザルスの無伴奏チェロ
ブッシュ合奏団のブランデンブルグ協奏曲

すべてSP とモノラルだ

681名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 20:27:07.86ID:zXD2YsMg

これ以上の演奏はできないと言われているのは


Adolf Busch plays Bach's Chaconne - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_ii7aPCQgHE

682名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 20:58:59.03ID:ZNxVy3FS

一番しか聴かないってわけじゃないしなぁ

演奏家が曲をどう解釈したかも聴き所だろ
曲のベストプレイが一つしかないなんて音楽好きとは思えない

単なる権威主義じゃね?

683名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:03:23.81ID:zXD2YsMg

天才は100年に一人しか出ないからなあ

クライスラーやブッシュに匹敵する才能は現在の教育システムでは潰されるんだ

684名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:08:05.86ID:zXD2YsMg

1960年以降は天才が全く出なくなった理由 : ジュリアードのガラミアンとディレイ

 アメリカではジュリアード音楽院のイワン・ガラミアンやドロシイ・ディレイであるが、共に 素晴らしい名ソリストを数多く育てている。ざっとあげてみると次のようになる。


イワン・ガラミアン
ズーカーマン。渡辺茂人。マイケル・レビン。
パールマン。チョンキョンファ。・・・Etc


ドロシー・ディレイ
パールマン。原田孝一郎。竹澤恭子。五嶋みどり。
諏訪内晶子。ギル・シャハム。アン・アキコマイヤーズ。
シュロモ・ミンツ。漆原朝子。チョーリヤン・リン。
チー・ユン。サラチャン。神尾真由子。数住岸子。
前橋汀子。加藤知子。ナイジェル・ケネディ。奥村智弘。・・Etc

(年長の生徒はドロシーがガラミアンの助手をしていたために共通の生徒がいる。)


 このようにして、Vnの指導を受けるのはジュリアードに限る、それもガラミアンや ドロシー・ディレイの指導を受けることが、ヴァイオリニストとしてのステイタスにもなっている ばかりでなく、実際に世界を席巻するソリストが、続々と送り出されている。

 ガラミアンの教育法は古い権威主義と呼ばれていた様に独自の指導法で、誰に対しても同じ方法で 徹底して指導したが、生徒は細部まで、正確に徹底した練習を求められ、テクニックの習得に重点が 置かれていたと言う。

 先生の指示する弓使い、指使いに従わない生徒には容赦をすることがなかった。

 特にガラミアンは運弓の名手と言われたカペーの弟子であっただけに運弓にはうるさく、後に ガラミアンのトレードマークになるが、大きく弓を使いいい音を出すことを徹底して訓練した。

   後にガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。
http://chauchaw.web.fc2.com/hafuna-48-4.html

685名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:10:39.99ID:ZNxVy3FS>>689

じゃあカザルスに匹敵する名手はそろそろ出てる頃だな

つーか100年単位で定期的に出てくるもんでもなし
現代に存在しうる名手を否定とかあり得んわ


686名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:11:15.36ID:zXD2YsMg

ガラミアンの指導法ではクライスラーやブッシュの様な100年に一人の天才は真っ先に潰される

残るのは器用だけど音楽がわからないアホ・ヴァイオリニストだけなんだ


688名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:13:43.29ID:zXD2YsMg

クライスラーやブッシュは蚊の鳴く様な小さな音だから、大ホールでは演奏できなかったんだ

今のヴァイオリニストは全員大音量で弾くから細かなニュアンスが出せないんだ

689名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:13:52.77ID:zAighD97
>>685
ボケ始めたクソジジイだから、新しいものが認められないだけなんだよ。


690名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:29:48.42ID:zXD2YsMg

フルトヴェングラーやニキッシュやマーラーに匹敵する指揮者が今後出て来ると思ってる音楽関係者は一人もいない

バックハウスやコルトーやホロヴィッツに匹敵するピアニストが今後出て来ると思ってる音楽関係者は一人もいない

昔とは環境が変わってしまったんだ

691名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 21:36:49.66ID:zXD2YsMg

クラシックファンには100年前の伝説の名盤が上手く再生できない

YGアコーステックス, マジコ、B&W, FMアコーステックス, ゴールドムント なんか用無しなんだ

692名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 22:16:44.18ID:igsifIMl

ヒストリカル録音をやたら持ち上げるのは音楽が分からない糞耳と相場が決まっている

693名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 22:20:43.52ID:ZNxVy3FS

ある楽器が「良い鳴り」をする時の音圧は昔も今も変わらんだろ
ストラドが100年前200年前より爆音を出すようになってるのかよ

やっぱアホやなこいつ

>>689
だな
人生終末期って感じ

694名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 22:42:01.29ID:zXD2YsMg

>ある楽器が「良い鳴り」をする時の音圧は昔も今も変わらんだろ

ほんとに何も知らない知恵遅ればかりだな
金属弦になってから大きな音は出るがポルタメント奏法ができなくなったんだよ


バイオリンなどに使われる弦は、現在では一般にスチールを素材としたスチール弦(最近ではナイロン弦も)が使用されます。
しかし、スチール弦が使用されるようになったのは20世紀も半ば近くになってからでした。
それまでは、羊の腸の筋をよって作ったガット弦が広く用いられていたのです。
スチール弦は19世紀の末から知られていましたが、広く普及するまでに多くの時間が必要でした。
特に1920年代前後には、演奏家の間でスチール弦か、ガット弦かという優劣論争が繰り広げられました。
ガット弦特有の柔らかい響きを重視する演奏家がいる一方で、より力強い音が可能で
しかも耐久性の面で特性を発揮するスチール弦の優位を主張して止まない演奏家もいたのです。

しかし、音量と耐久性の面で特性を発揮するスチール弦に軍配が挙がったのはその後の歴史に見る通りです。
ところが、作品の作られたものと同様な楽器で演奏する、いわゆるオリジナル楽器の演奏家が増えてきた現在では、
ガット弦の復権にも目覚ましいものがあります。古き良き時代の音を髣髴とさせるガット弦の良さが再び注目されてきたのです。
https://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10


695名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 22:51:05.04ID:zXD2YsMg

1920年代まではノンヴィブラート ポルタメント奏法でテンポが速く音量が小さかったんだ

1940年代以降はヴィブラート奏法でテンポが遅く音量が大きくなった

昔の奏法でないと世紀の名演は出ない

696名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 22:52:39.39ID:ZNxVy3FS

ルノー・カビュソン(1976-)はポルタメント奏法をマスターしてるようだが?

出来なくなったなんて嘘だな
アホらしいからもう構わんとこ

697名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:00:18.16ID:zXD2YsMg>>743

>ルノー・カビュソン(1976-)はポルタメント奏法をマスターしてるようだが?


昔のポルタメントと今のポルタメントは全然違うのも知らないのか

カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。
カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。
そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQ
の各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、
カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。

クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。
云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。
第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。
この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。

このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。

これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、
何よりも移行過程の速度が均一である。
カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html


698名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:04:50.93ID:ZNxVy3FS

クライスラーに反して、カペーは旧式、なんだな

じゃあクライスラーは新式じゃねえか
解散解散

699名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:07:16.97ID:zXD2YsMg

これが旧式のポルタメント

Capet Quartet_ Beethoven String Quartet No.15 op.132 - 1st mvt. - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AYjgV5Nklr4


クライスラーのはヴィブラートとポルタメント両方かけてる新式の下品な音だ

700名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:14:45.50ID:igsifIMl

ヒストリカル信者はどんなに薀蓄を垂れても永遠に音楽が理解できない悲しい生き物なんだな
わかるよ

701名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:14:56.20ID:zXD2YsMg

クライスラーはヴィブラートかけていて下品だというのでウイーンフィルの採用試験で落とされているんだ

ウイーンフィルは戦前はノンヴィブラートだった

702名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:16:32.51ID:zXD2YsMg

音楽がわかる人間なら 95dB以下の低能率スピーカーとかトランジスタアンプなんか絶対に使わないけどね

703名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:18:34.58ID:3eSsxjNf

100年に一人の天才クライスラーの名演は
新式の下品な音だそうです

冒涜も甚だしい

704名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:22:12.17ID:zXD2YsMg

当時の人間は女性ボーカルやポルノビデオの代わりにクライスラーやレナーを聴いていたのさ

705名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/20(日) 23:41:08.11ID:zXD2YsMg

因みに、当時は梅毒が大流行りだったから、金持ちは風俗に行けなかったんだ


708名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 02:40:50.22ID:JUWXJcHN

ID:zXD2YsMgは単なる音楽への冒涜にしかなってないな

710名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 08:48:37.44ID:geCmiS1L

収録時間の短いSPに無理に詰め込もうと省略し放題、テンポも速めたデタラメ解釈を「これが
本物」と有難がり他を否定するバカは後を絶たない。この悪習はLPになっても続きCDになって
漸く改められ始めた。提示部の繰り返しもしっかりやる者が増えてきたが、昔の悪習に染まった
バカ評論家には「繰り返しは不要無駄だ!」と決めつける奴も出る始末。悪習はまだまだ続く
だろうが時代は確実に進歩している。

711名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 09:14:47.16ID:SWgfKodx>>712

提示部の繰り返しは観客へのサービスなんだよ

ビューローが演奏会で第九を演奏する時は全曲を二回繰り返していた。

しかし、録音時に第九を二回分録音したのは聞いた事ない

712名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 09:19:28.41ID:geCmiS1L
>>711
繰り返しの意味も分かってないアホー

713名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 09:29:27.95ID:geCmiS1L

コンサートであれレコード、CDであれ、聴いていて省略したり、いい加減な勝手な演奏に気づく
奴は極めて稀。こんな輩が分かったツラこいて生意気な事をホザクのでありまする。

714名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 09:56:51.62ID:SWgfKodx>>721

エロイカの第一楽章提示部を繰り返すアホ指揮者は聞いた事が無い

長過ぎて観客サービスにならないからな

715名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 10:02:27.63ID:SWgfKodx>>478

提示部は、なぜ繰り返すのか?

私の大好きな、ベートーヴェンの交響曲第2番の第一楽章をやっていた時のこと。カッコイイ提示部をリピートして、2回目に入った時、
マエストロが「みなさん、繰り返し後も、1回目と同じテンションで弾いてくださいね。決して、疲れただの、また〜だの思ってはいけませんよ。
ところで皆さん、提示部って何で繰り返すのかわかりますか?」

みんな遠慮したのかもしれないが、誰も答えられなかった。私も、わからなかった。
マエストロの答えは「テーマを印象づけたいから」だ。ベートーヴェンの時代はCDもレコードもないし、
予習をしてコンサートに聴きに来る人なんていないのだから、みんなその場で初めて曲を聴くようなものである。

だからソナタ形式の提示部は2度演奏して、第一主題と第二主題がどんなテーマであるか、聴く人に印象付ける必要があるのだと。

あ〜なるほど・・。ここで第一主題と第二主題が脳裏に刻み込まれるから、その後の展開部で、何を展開しているのかが分かり、
再現部が登場した時に、あっと気づくんだろうな。
https://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/cbdf22ba5911fe92b570086d4cf91762

716名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 10:08:25.53ID:SWgfKodx

提示部は演奏会でも繰り返さないのが普通だ、録音時間の短縮とは関係無い

私は子供の頃、モーツァルトの交響曲というと、ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の演奏が好きでした。
「第40番ト短調」と「第41番“ジュピター”」が裏表になったLPレコードは、針ですり減るほど聞きました。
この2つの曲は、第1楽章と第4楽章がソナタ形式で、提示部にリピート記号がついていますが、
ワルターの演奏は繰り返しを省略していました。

このころ(1960年代から1970年代あたり)の演奏と言うのは、演奏会にしろ、レコードにしろ、
ソナタ形式の曲は、よほど短い曲でない限りリピートを省略するのが普通でした。
「運命」や「田園」などの名曲も、提示部の繰り返しは、大抵省略されていました。


モーツアルト交響曲40番。ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏は、繰り返しを省いているのですか?

第1楽章は、多くの指揮者はセッション録音では提示部のリピートを行いますが、
ワルターの場合はこのセッション録音でも省略していますね。
(1952年ウィーンフィルとのライブでも省いています。
私の手持ちでは、パイヤール指揮イギリス室内管のものが省略派ですね。)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1393710943

717名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 10:53:42.16ID:SWgfKodx

そもそも楽譜通りに音化したらとても聴ける音にならないから、マーラーもフルトヴェングラーもメンゲルベルクは
自分で大幅に編曲したスコアしか使ってないよ

楽譜と違うのは当たり前だ

718名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 10:56:55.41ID:SWgfKodx

楽譜に書いてある通りに演奏したらまともな音楽にならないし

マイクで捉えた音を正確に再現したらまともな音にならない

だから、クラシクファンは YG やマジコや B&W を使わないんだ
トランジスタアンプもすべて NG

719名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 11:03:44.68ID:SWgfKodx

まあ、女性ヴォーカルやポルノなら かぶりつきで録音したのを再生するのが一番真に迫ってるからな。

だから、女性ヴォーカルやポルノビデオを毎日聴いてる人は YG やマジコや B&W を欲しがるんだ


>楽譜と違うのは当たり前だ

だからオマエは楽譜に書かれていない繰り返しを勝手に付け加え、それを自ら省くのか?

>楽譜に書いてある通りに演奏したらまともな音楽にならないし

真の楽譜を求めて今も世界中で研究が続けられている。古くばブルックナー、現在ではマーラーも。
つい最近ではマラ6の楽章配列、ハンマーの回数等問題になり改訂版が出された。クック版マラ
10のスコアーの改訂報告書、作曲者の真の意図を執拗に追い求める態度を見ろ!ブラームス
すら Hans Galによる改訂版が出版されている。
>楽譜に書いてある通りに演奏したらまともな音楽にならないし
何たるバカ!!

722名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 12:16:05.30ID:SWgfKodx

シューマンとみんな大幅に変更したスコアを使ってるよ

ベートーヴェンのメトロノーム表示も完全に無視されている

ブルックナーも響きがいい改訂版しか使わない指揮者がいる

723名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 12:23:18.46ID:SWgfKodx

どちらにしろ作曲家は演奏家としては三流だから、楽器法とかは素人と変わらない

良く知ってる人が教えるか編曲してやらないととても聴けた音にならないんだ

724名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 12:29:16.08ID:bz61nXtw

作曲家は演奏家としては三流って、偏屈な子沢山のオルガン弾きのおじさんは・・・
ちっちゃい子供の時からピアノ演奏のドサ回りしていたヴォルフくんは・・・
バイオリン弾けば猫も杓子もあまつさえネズミさんすら、その後を付いていった悪魔のバイオリニストは・・・(´Д` )

725名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 12:31:22.60ID:SWgfKodx>>727

ベートーヴェンやモーツアルトはピアノは弾けるけど打楽器とか金管楽器は弾けないだろ

オーケストラで使う楽器すべて弾ける作曲家なんか存在しない


728名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 15:09:02.82ID:geCmiS1L

収録時間に大きな制限のあるSPレコード時代故、省略やテンポアップが平気で行われ、当時の
「評論家」などが、初めて聴いた素人感覚から「これだけ」が本物と感激有難がり、宣伝したのが、
今日のバカが湧く元となったのだ。SP時代からの演奏家はこういう悪習に馴染んでおり、聴衆も
ドーセ分かりっこないからと、バカにして勝手な真似をして来たのだ。こういう古い演奏家が死に
絶え時間制限の少ないCD時代の演奏者が出て来てから漸く誤魔化しのない真面な演奏が
聴けるようになってきた。出鱈目な演奏をした古い奴等や、第九1楽章に繰り返しがあるなんて
バカな嘘、決め付けを偉そうに平気でヌカスバカがピュアオーディオをダメにした一因でもあるのだ。

729名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 15:32:27.33ID:SWgfKodx>>731

1960年以降にはまともな演奏家は一人も出てないだろ

730名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 15:45:10.63ID:SWgfKodx>>732

名演かどうかは 1分も聴けば音楽ファンなら誰にでもすぐにわかるからな

それがわからないというのは音楽がわからないという事だ

まあ、YG やマジコ買うアホは音楽がわからないからそういうのを買うんだけどね


734名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 16:07:25.18ID:SWgfKodx>>736

何れにしろ、YG やマジコ買うのはポルノをかぶりつきで見たい人間だけさ

二階正面席からポルノ見ても面白くないからな

735名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 16:19:17.97ID:jUD782qH

昔富野がロボット出してプロレスやっときゃ、後は好き勝手にしていーだろw
とザンボット3やガンダムを作った様に
ピンク映画も濡れ場入れときゃ、話しは好き勝手やらしてもらうぜ
つーことで、新たな表現者が現れた
ポルノを小バカにするやつあ、ホントーに芸術が分かっているわけではなく
芸術が分かるオレ、カッケー(*´ω`*)
と思ってるだけなwww

738名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 16:29:05.45ID:SWgfKodx>>739

結論を纏めておくと

女性ヴォーカルは音楽ではなくポルノの一種だ

ポルノは二階正面席で見るより、かぶりつきで見た方がいいから
女性ヴォーカルもかぶりつきで聴きたい

それで女性ヴォーカルやポルノが好きな人間は臨場感が出る YG やマジコを欲しがるんだな

本当は風俗で生の声聴いた方がもっといいんだけど、世間体が有るから女性ヴォーカルやポルノで我慢してるんだ


740名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 16:49:28.27ID:SWgfKodx

女性ヴォーカルは音楽がわからない色キチガイしか聴かないだろ

741名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 16:53:55.89ID:gNdqIgRI

まともな演奏家がいてもメディア化する時に腐った音に劣化させてるから何の意味もない
俺は整形出来るから本来の音に近づけて聴けるけどw

742名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 17:05:10.22ID:1KHgngxv

カワイの自動演奏もオリジナルに忠実に微妙なタッチも表現出来れば
プログラム修正して名ピアニストより遥かに感動出来るものに昇華出来そう


744名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 17:42:48.82ID:geCmiS1L

負けが明らかになっても、その事実を認めず、虚勢を張ってれば「原爆」が落とされる。その後
「人道違反」だとか「人道」「「人類に対する犯罪」等とバカな論理をを振り回すバカf共の存在は
全く変わってない!同じ愚をまた繰り返しそう。>>ID:SWgfKodxを見ているとホントそう思う。

745名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 18:17:55.04ID:SWgfKodx

ヴァイオリンもピアノもコンサートホールも演奏技術もオーディオもすべて完成してしまって、昔よりいい音はもう出せない
プレイエルやエラールよりいい音のピアノなんか絶対に作れない
ムジークフェラインザールよりいいホールなんか絶対に作れない

フルトヴェングラーに匹敵する指揮者はもう永遠に現れない

ウェスタンやローサーよりいい音のアンプはもう永遠に作れない
グッドマン Axiom80 や QUAD ESL57 よりいい音のスピーカーはもう永遠に作れない


それが結論

746名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 18:25:51.14ID:geCmiS1L

愈々「脳梅」決定、救いようない!スピロヘータ―耐性菌猖獗極める!!

747名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 18:34:41.12ID:sgOIkB07

まぁグッドマン Axiom80 も QUAD ESL57 も歴代の名器も
結局費用対効果で商売になれば作られるしもっと進歩すると思うよ
今のオーディオ機器なんて商売のために妥協してるのばっかりだし

748名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 18:38:49.13ID:SWgfKodx>>749

トランスでも真空管でも1920年代のが一番良くて、今ではもうそのレベルのは作れなくなっているんだ

Axiom80 も1930年代のが断然良くて、新しくなると音質がどんどん劣化している

749名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/21(月) 18:44:25.65ID:sgOIkB07
>>748
うん。まぁなんでもそうだよね。
初期は勝負かけないといけないからモノは良いんだけど
結局売って商売していかないといけないから経済性優先で
品質後回しになっていくからね結局

と、ここまで言ってあれだが>>738の結論はいったん保留しといて良いと思うよ(´・ω・`)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1497707977/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c81

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
105. 中川隆[-12807] koaQ7Jey 2019年1月22日 12:18:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

745名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 07:45:13.89

すげえ降ってる


747名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 08:32:56.68

かぐら2便がらがら
みつまたも結構降ってて軽め

田代にみないったかな

751名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 09:48:09.81>>753

腿パウや
つーかそれ以上ありそうだけど埋まって入れない

753名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 10:59:52.71
>>751
ジャイアン入り口ツボで腰あったわ
なかなか地獄

5ロマ運休
田代落ち絶対深い
ボードはシューが御守りかもな

754名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:18:51.58

今日は腰パウやで
転んだら最後や
さっきパトロールにスコップで掘られてるスキーヤーいたで

755名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:25:13.36

ドローンにロープぶらさげて救助費用もらおうかな

756名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:49:55.14

窒息死がありそうだな

757名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:00:07.24


いつもの
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https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1546499506/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c105

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
106. 中川隆[-12806] koaQ7Jey 2019年1月22日 13:05:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

757名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:00:07.24


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758名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:19:31.49

アライでそれで死んだ人のニュースのスレ立ってた

759名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:26:29.25

スコップで掘られるのか、、、

ロッテアライリゾートでスノーボーダーの54歳男性が死亡 雪に上半身突っ込み窒息

2019年1月21日 (月) 19:50 – 17時間前

_____


2019年1月21日午後3時15分頃、新潟県妙高市両善寺のスキー場「ロッテアライリゾート」のゲレンデ脇で、東京都練馬区高松の会社員、大谷孝一さん(54)が倒れているのを、30代のスノーボーダーの男性が発見した。大谷さんは心肺停止の状態で妙高市内の病院に搬送されたが、同8時58分、死亡が確認された。

妙高警察署によると、大谷さんは友人と4人で同スキー場を訪れ、スノーボードを滑走していた。同日、午後1時過ぎ、仲間から大谷さんが行方不明になっているとの連絡が同スキー場にあり、関係者が捜索を開始。さらに同3時過ぎには、仲間から、「一緒にスノーボードに来ている友人とはぐれて連絡が取れなくなっている」と110番通報があった。

同署によると、大谷さんは、中級レベルのコース「ウマノセ」(1460m)沿いの「山麓第2リフト」の乗り場から約100m上のコース脇で、杉の木の周りに積もった雪に上半身を突っ込んだ状態で発見された。死因は転倒した事故による窒息死。現場付近は当時、雪が降っており、視界が悪い状態だった。約160cmの積雪があったという。

同署は、事故の原因などについて調べている。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c106

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
158. 中川隆[-12805] koaQ7Jey 2019年1月22日 13:07:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

745名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 07:45:13.89

すげえ降ってる


747名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 08:32:56.68

かぐら2便がらがら
みつまたも結構降ってて軽め

田代にみないったかな


751名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 09:48:09.81>>753

腿パウや
つーかそれ以上ありそうだけど埋まって入れない


753名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 10:59:52.71
>>751
ジャイアン入り口ツボで腰あったわ
なかなか地獄

5ロマ運休
田代落ち絶対深い
ボードはシューが御守りかもな


754名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:18:51.58

今日は腰パウやで
転んだら最後や
さっきパトロールにスコップで掘られてるスキーヤーいたで


755名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:25:13.36

ドローンにロープぶらさげて救助費用もらおうかな


756名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:49:55.14

窒息死がありそうだな

757名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:00:07.24


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758名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:19:31.49

アライでそれで死んだ人のニュースのスレ立ってた


759名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:26:29.25

スコップで掘られるのか、、、
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1546499506/l50


ロッテアライリゾートでスノーボーダーの54歳男性が死亡 雪に上半身突っ込み窒息

2019年1月21日 (月) 19:50 – 17時間前


_____


2019年1月21日午後3時15分頃、新潟県妙高市両善寺のスキー場「ロッテアライリゾート」のゲレンデ脇で、東京都練馬区高松の会社員、大谷孝一さん(54)が倒れているのを、30代のスノーボーダーの男性が発見した。大谷さんは心肺停止の状態で妙高市内の病院に搬送されたが、同8時58分、死亡が確認された。

妙高警察署によると、大谷さんは友人と4人で同スキー場を訪れ、スノーボードを滑走していた。同日、午後1時過ぎ、仲間から大谷さんが行方不明になっているとの連絡が同スキー場にあり、関係者が捜索を開始。さらに同3時過ぎには、仲間から、「一緒にスノーボードに来ている友人とはぐれて連絡が取れなくなっている」と110番通報があった。

同署によると、大谷さんは、中級レベルのコース「ウマノセ」(1460m)沿いの「山麓第2リフト」の乗り場から約100m上のコース脇で、杉の木の周りに積もった雪に上半身を突っ込んだ状態で発見された。死因は転倒した事故による窒息死。現場付近は当時、雪が降っており、視界が悪い状態だった。約160cmの積雪があったという。

同署は、事故の原因などについて調べている。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c158

[リバイバル3] スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ 中川隆
75. 中川隆[-12804] koaQ7Jey 2019年1月22日 13:08:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]


745名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 07:45:13.89

すげえ降ってる


747名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 08:32:56.68

かぐら2便がらがら
みつまたも結構降ってて軽め

田代にみないったかな


751名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 09:48:09.81>>753

腿パウや
つーかそれ以上ありそうだけど埋まって入れない


753名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 10:59:52.71
>>751
ジャイアン入り口ツボで腰あったわ
なかなか地獄

5ロマ運休
田代落ち絶対深い
ボードはシューが御守りかもな


754名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:18:51.58

今日は腰パウやで
転んだら最後や
さっきパトロールにスコップで掘られてるスキーヤーいたで


755名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:25:13.36

ドローンにロープぶらさげて救助費用もらおうかな


756名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:49:55.14

窒息死がありそうだな

757名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:00:07.24


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758名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:19:31.49

アライでそれで死んだ人のニュースのスレ立ってた


759名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:26:29.25

スコップで掘られるのか、、、
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1546499506/l50


ロッテアライリゾートでスノーボーダーの54歳男性が死亡 雪に上半身突っ込み窒息

2019年1月21日 (月) 19:50 – 17時間前


_____


2019年1月21日午後3時15分頃、新潟県妙高市両善寺のスキー場「ロッテアライリゾート」のゲレンデ脇で、東京都練馬区高松の会社員、大谷孝一さん(54)が倒れているのを、30代のスノーボーダーの男性が発見した。大谷さんは心肺停止の状態で妙高市内の病院に搬送されたが、同8時58分、死亡が確認された。

妙高警察署によると、大谷さんは友人と4人で同スキー場を訪れ、スノーボードを滑走していた。同日、午後1時過ぎ、仲間から大谷さんが行方不明になっているとの連絡が同スキー場にあり、関係者が捜索を開始。さらに同3時過ぎには、仲間から、「一緒にスノーボードに来ている友人とはぐれて連絡が取れなくなっている」と110番通報があった。

同署によると、大谷さんは、中級レベルのコース「ウマノセ」(1460m)沿いの「山麓第2リフト」の乗り場から約100m上のコース脇で、杉の木の周りに積もった雪に上半身を突っ込んだ状態で発見された。死因は転倒した事故による窒息死。現場付近は当時、雪が降っており、視界が悪い状態だった。約160cmの積雪があったという。

同署は、事故の原因などについて調べている。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html#c75

[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
22. 中川隆[-12803] koaQ7Jey 2019年1月22日 13:09:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]


745名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 07:45:13.89

すげえ降ってる


747名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 08:32:56.68

かぐら2便がらがら
みつまたも結構降ってて軽め

田代にみないったかな


751名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 09:48:09.81>>753

腿パウや
つーかそれ以上ありそうだけど埋まって入れない


753名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 10:59:52.71
>>751
ジャイアン入り口ツボで腰あったわ
なかなか地獄

5ロマ運休
田代落ち絶対深い
ボードはシューが御守りかもな


754名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:18:51.58

今日は腰パウやで
転んだら最後や
さっきパトロールにスコップで掘られてるスキーヤーいたで


755名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:25:13.36

ドローンにロープぶらさげて救助費用もらおうかな


756名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:49:55.14

窒息死がありそうだな

757名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:00:07.24


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758名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:19:31.49

アライでそれで死んだ人のニュースのスレ立ってた


759名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:26:29.25

スコップで掘られるのか、、、
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1546499506/l50


ロッテアライリゾートでスノーボーダーの54歳男性が死亡 雪に上半身突っ込み窒息

2019年1月21日 (月) 19:50 – 17時間前


_____


2019年1月21日午後3時15分頃、新潟県妙高市両善寺のスキー場「ロッテアライリゾート」のゲレンデ脇で、東京都練馬区高松の会社員、大谷孝一さん(54)が倒れているのを、30代のスノーボーダーの男性が発見した。大谷さんは心肺停止の状態で妙高市内の病院に搬送されたが、同8時58分、死亡が確認された。

妙高警察署によると、大谷さんは友人と4人で同スキー場を訪れ、スノーボードを滑走していた。同日、午後1時過ぎ、仲間から大谷さんが行方不明になっているとの連絡が同スキー場にあり、関係者が捜索を開始。さらに同3時過ぎには、仲間から、「一緒にスノーボードに来ている友人とはぐれて連絡が取れなくなっている」と110番通報があった。

同署によると、大谷さんは、中級レベルのコース「ウマノセ」(1460m)沿いの「山麓第2リフト」の乗り場から約100m上のコース脇で、杉の木の周りに積もった雪に上半身を突っ込んだ状態で発見された。死因は転倒した事故による窒息死。現場付近は当時、雪が降っており、視界が悪い状態だった。約160cmの積雪があったという。

同署は、事故の原因などについて調べている。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c22

[番外地6] スキー場で遭難した時の対処方法 中川隆
3. 中川隆[-12802] koaQ7Jey 2019年1月22日 13:09:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

745名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 07:45:13.89

すげえ降ってる


747名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 08:32:56.68

かぐら2便がらがら
みつまたも結構降ってて軽め

田代にみないったかな


751名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 09:48:09.81>>753

腿パウや
つーかそれ以上ありそうだけど埋まって入れない


753名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 10:59:52.71
>>751
ジャイアン入り口ツボで腰あったわ
なかなか地獄

5ロマ運休
田代落ち絶対深い
ボードはシューが御守りかもな


754名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:18:51.58

今日は腰パウやで
転んだら最後や
さっきパトロールにスコップで掘られてるスキーヤーいたで


755名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:25:13.36

ドローンにロープぶらさげて救助費用もらおうかな


756名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:49:55.14

窒息死がありそうだな

757名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:00:07.24


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758名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:19:31.49

アライでそれで死んだ人のニュースのスレ立ってた


759名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:26:29.25

スコップで掘られるのか、、、
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1546499506/l50


ロッテアライリゾートでスノーボーダーの54歳男性が死亡 雪に上半身突っ込み窒息

2019年1月21日 (月) 19:50 – 17時間前


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2019年1月21日午後3時15分頃、新潟県妙高市両善寺のスキー場「ロッテアライリゾート」のゲレンデ脇で、東京都練馬区高松の会社員、大谷孝一さん(54)が倒れているのを、30代のスノーボーダーの男性が発見した。大谷さんは心肺停止の状態で妙高市内の病院に搬送されたが、同8時58分、死亡が確認された。

妙高警察署によると、大谷さんは友人と4人で同スキー場を訪れ、スノーボードを滑走していた。同日、午後1時過ぎ、仲間から大谷さんが行方不明になっているとの連絡が同スキー場にあり、関係者が捜索を開始。さらに同3時過ぎには、仲間から、「一緒にスノーボードに来ている友人とはぐれて連絡が取れなくなっている」と110番通報があった。

同署によると、大谷さんは、中級レベルのコース「ウマノセ」(1460m)沿いの「山麓第2リフト」の乗り場から約100m上のコース脇で、杉の木の周りに積もった雪に上半身を突っ込んだ状態で発見された。死因は転倒した事故による窒息死。現場付近は当時、雪が降っており、視界が悪い状態だった。約160cmの積雪があったという。

同署は、事故の原因などについて調べている。


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/586.html#c3

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
141. 中川隆[-12801] koaQ7Jey 2019年1月22日 13:28:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
したたか仏政府 ルノーとの経営統合要求で日産“強奪”狙い
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/245896
2019/01/22 日刊ゲンダイ


仏政府は何としても日産が欲しい(マクロン仏大統領、右は西川日産社長)/(C)ロイター=共同

 日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン被告の長期勾留が続く中、フランス政府が攻勢を強めている。先週、仏自動車大手ルノーのマルタン・ビアル取締役や、ルメール経済・財務相の側近が訪日。マクロン大統領の意向を受け、日産とルノーの経営統合を経産省に要求したという。日仏連合の緩衝材だったゴーン被告不在の今、日産の「フランス企業化」が現実味を帯びてきた。

 フランス政府が突きつけた統合構想は、ルノーと日産の持ち株会社を設立し、その傘下に両社をぶら下げるもの。この方式だと、ルノーの筆頭株主である仏政府が持ち株会社の大株主になる。仏政府が経営統合をゴリ押しする理由は、日産の工場を仏国内に造り、日産のカネで雇用を創出したいからだ。

 減税や大統領辞任などを求める抗議デモは、10週目に突入。マクロンにすれば日産は、市民の怒りを抑えるのに必要な雇用創出の“金ヅル”なのだろう。

「仏政府は2014年、株式を2年以上持つ株主に2倍の議決権を与える『フロランジェ法』を制定。翌年には当時、経済産業デジタル相だったマクロン氏が、一時的に政府所有のルノー株を買い増し。議決権を高め、『フロランジェ法』の導入を決めた。仏政府のルノーへの議決権を従来の15%から28%まで引き上げ、ルノーを通じて日産の経営に介入しようとしたのです。以来、仏政府は経営統合を日産側に強く求めてきたが、当時ルノーの会長兼CEOだったゴーン氏が反発。しかし、ゴーン氏は昨年6月のルノー取締役改選で退任圧力を受け、経営統合を進める方針に変わりました」(経済担当記者)

■ゴーン被告追い出しで拍車

 ゴーン被告は任期満了を迎える22年までに、経営統合に乗り出すとささやかれていた。

 ルノーは日産株を40%以上保有し議決権を持っている。これ以上、影響力を行使されたくないため、日産は何としても経営統合を避けたい。西川広人社長らが、司法取引までして検察と組み、ゴーン被告を排除、事実上のクーデターを起こしたといわれるゆえんだ。

 ところが、ゴーン被告がシャバにいなくなった今、仏政府は日産を“強奪”する気マンマンである。経済ジャーナリストの井上学氏がこう言う。

「ゴーン氏の不在により、仏政府の思惑通りに事が進んでいると思います。ゴーン氏は早期の経営統合に反対でしたからね。つまり、日産はゴーン氏を切ったことで、自らの首を絞めたことになる。恐らく日産は、ゴーン氏の悪事が明らかになれば、ルノーが何らか譲歩するとの見通しを立てていたのでしょう。ところが、ルメール経済・財務相がルノーの会長兼CEOからのゴーン氏の解任を求めた理由について、『(勾留によって)職務遂行できないから』と言っていた通り、仏政府には、ゴーン氏の不祥事を理由に譲歩する気などありません」

 ルメールは実際、20日付の仏紙のインタビューで、日産側が求めている「(ルノーとの)資本構成の均衡回復や両社相互の資本参加の変更は、議論の対象ではない」と断じた。

 見通しを誤った日産の“頼みの綱”である日本政府も、当てにできない。

「日産車の国内シェアが高いわけではないし、政治とのつながりが強いわけでもない。つまり、日本政府にとって日産を守る義理がないのです。今後、日産はルノーの株を買い増して議決権を消滅させようとするかもしれませんが、ルノーに反撃されて終わりでしょう。遅かれ早かれ、日産がフランス企業になるのは避けられないと思います」(井上学氏)

 国際世論は、日本の検察がゴーン被告を不当に長期勾留しているとして、猛反発している。

 仏政府のシタタカさに一杯食わされ、世論を味方にできず、日産経営陣はいつ“瞬殺”されてもおかしくない。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c141

[リバイバル3] 生活をダウングレードするというのは激しい苦痛を伴うこと 中川隆
5. 中川隆[-12800] koaQ7Jey 2019年1月22日 16:12:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

なぜ年収数億円の有名人が破産する?私たち庶民にも参考になるたった1つの防衛策=鈴木傾城
https://www.mag2.com/p/money/624967



年俸10億円以上も稼ぐスポーツ選手が引退後に自己破産するケースは珍しくない。それはなぜか。それを理解すれば、私たちがお金持ちになる方法も見えてくる。

米国のスタースポーツ選手は引退後、70%以上の確率で破産する

誰もが憧れるスーパーヒーローが自己破産

アメリカの調査機関やスポーツ誌の独自調査によると、アメリカのフットボール選手やバスケットボール選手が引退後に自己破産(ブローク)に追い込まれるケースは70%から80%になると報じて大騒ぎになったことがある。

アメリカのこうした華々しいスポーツ選手たちの年俸は1億円や2億円レベルではない。10億円、20億円、スーパースターでは100億円以上もの収入を得ている。にもかかわらず、彼らは一文無しどころか莫大な借金を抱えて「自己破産」してしまう。

メジャーリーグのスター選手であったカート・シリングは、現役時代に日本円にすると約125億円を稼いだが、現役を引退して10年後には財産をすべて使い切り、自宅も記念品も何もかも失った。

ナショナル・フットボール・リーグのスターだったキース・マッキャンツも、ヨットに高級マンションに高級車を買いまくって、あっという間に破産に追いやられていった。

キース・マッキャンツのさらに上をいったのがアントワン・ウォーカーだった。現役時代に122億円を稼いだのに、やはり贅沢と浪費に明け暮れて、結局は有り金をすべて使い果たした。

北朝鮮と関わりが深いデニス・ロッドマンも、現役を引退すると一挙に破産寸前にまで追い込まれている。

100億円以上を使い果たせるというのは尋常ではないと思うが、贅沢に明け暮れればすぐにカネは消えていく。

次々と破綻していった著名人

ボクシングの元ヘビー級王者マイク・タイソンも、20年の現役時代で230億円以上稼いだ。しかし、宮殿のような豪邸に高価なスポーツカー、放蕩、離婚、訴訟とトラブルが続き、2003年には21億円もの借金を抱えて自己破産に追い込まれている。

ボクシングで言えば、かつてモハメッド・アリと戦ったジョージ・フォアマンは、45歳で再度ボクシングの世界にカムバックしている。「老いても戦えることを見せてやる」という意地があったと言われ、勝利を収めたときは世界中で新聞の一面を飾った。

しかし、実はフォアマンがリングに戻ったのは「老いても戦える」ことを見せつけるためではなかった。このとき、フォアマンは現役時代で稼いだ大金をすべて使い果たしていてホームレス寸前になっており、もはや老いてリングに戻るしか稼ぐ方法がなかったからである。

日本で最近になって有名になったフロイド・メイウェザーも、あだ名が「マネー」と言われるだけあってガツガツとカネを稼ぐことで有名なのだが、稼いだカネをやはり贅沢に蕩尽して税金滞納や債権の未払いなどカネのトラブルがついて回っている。



ミュージシャンで言えば、マイケル・ジャクソンも全身麻酔薬プロポフォールで死ぬ数年前からほぼ破産寸前になっていて、資産が莫大にあるどころか、負債額は400億円以上にものぼっていた。

エルトン・ジョンも総資産は200億円以上もあったが、2001年に破産の憂き目を見た。ビリージョエルも稼いでは破産し、破産しては稼ぎ、そうかと思ったらまた破産するという破天荒な人生を送っている。

マービン・ゲイも現役時代から浪費や離婚で財産が吹き飛び、ドラッグに溺れて咽頭生活を余儀なくされて、最後は父親に撃ち殺された。ジャズの巨星チャーリー・パーカーもドラッグとセックスに溺れ、稼いだカネはすべて蕩尽して一文無しになった挙げ句、34歳で死んだ。

白人のジャズ・トランペッターだったチェット・ベイカーも、ドラッグに大金を注ぎ込んで晩年は生活保護だった。スタイリッシュなR&Bを歌うトニ・ブラクストンも、高級ホテル連泊、カジノ、ブランド、大金をかけたバケーションなどで2度も破産に追い込まれている。

浪費に歯止めがかからない

俳優で言えば、2018年9月6日に死んだバート・レイノルズは晩年は破産寸前になっていた。ニコラス・ケイジも破産寸前に追い込まれ、ジョニー・デップも生活費が月に2億円超えの「利己的で無謀かつ無責任なライフスタイル」で破産に追い込まれる確率が高まっている。

ドン・ジョンソンも、キム・ベイシンガーも途方もないカネの使い方で破産、最近ではケリー・ラザフォードが自己破産した。こうしたセレブの巨額浪費と破産は毎年のように報道され、そしてこれからも新たなセレブが新たな破産を発表する。

言うまでもないが、莫大な金を稼ぐ人が破産してしまうのは、稼ぐ以上に使うからでもある。

抜群の知名度と実力のために、少し働けば莫大なカネが転がり込んでくる。まるで触ったものがすべて黄金に変わるギリシャ神話のミダス王のように、自分が関わったらそれがすべてカネになる。だから、このような考え方になる。

「欲望を制御する必要はない。いくらでもカネが使える。なくなっても構わない。また稼げばいい」

しかし、人間の実力は永遠ではない。能力は年齢と共に失われていく。しかし、人気や実力が落ちたり、年齢のせいで技能や容姿が衰えてしまって明らかに収入が減っているにも関わらず、彼らは生活を格下げすることができない。

生活を戻すというのは、贅沢と浪費に慣れきった人間にはドラッグを断つ以上に難しいものなのである。

実業家でも資産家でも、いったん成功すると必ず生活をアップグレードさせる。豪邸を買い、良い車を買い、美しい女性を囲い、着ているものに金をかけ、趣味に大金を使い、他人に気前良く金をばらまく。

そうした栄華に染まってしまうと、全盛期が終わっても浪費に歯止めがかからない。

絶対に破産しないための生き方

いくら莫大なカネを稼ぐ能力があったとしても、自分自身の欲望をコントロールできないと、カネは底の抜けたバケツに水を注ぐのと同じで一滴も残らない。

カネが入ったからと言って、それを高級マンションに高級車に高級料理に注ぎ込んでいると、1億円あっても2億円あっても足りない。いや、10億円あっても20億円あっても足りないだろう。

生活は常に「収入>支出」という単純な公式によって成り立つかどうかが決まる。資本主義社会において、この公式から逃れられる人はいない。

年収が10億円あっても、年間20億円を使っていたら自己破産するしかない。逆に、年収が300万円であっても、年間100万円しか使わなかったら200万円が残る。

自分の欲望をコントロールすることができて、年間100万円で生活できる人は年間300万円の収入で十分にやっていけるし、地道にしていればカネも貯まるし、淡々と末永く暮らしていける。



「収入>支出」

たった、これだけのシンプルな「たった1つのルール」を守って生きるだけで、私たちは資本主義の中で破産せずに暮らしていくことができる。このルールを守っていると、常にカネが手元に残るので破産したくてもできない。

自制が効くお金持ちがやっていること

さらに精神的余裕のある人は、節約して貯まったカネを運用に回して利息を稼ぎ、その利息もまた貯めて運用に回すので、ゆっくりだが確実に資産を膨らませていくことができる。

頭の良い人は「収入>支出」のルールを1つの公式であると気付き、それを強化した公式を持っている。それは以下のものである。

(収入−支出)+ 資産 × 運用利回り

この公式こそが、現代の資本主義で「絶対に破産しないための生き方」を示すものなのだ。言ってみれば「生き残りのための公式」とも言うべきか。

ただ、一部の人は頭でこの公式を知っていても、自分の人生で実際に使いこなすことができない。

なぜなら、本能のまま、欲望のまま、気の向くままにカネを使ってしまうからだ。自分を律することができないからだ。一定の歯止め、コントロール、自制が効かないからだ。

長い人生の中で、自制が効く人と効かない人は、真逆の結末を迎えることになる。果たして、あなたはどちらのタイプだろうか。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/605.html#c5

[近代史3] 中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている 中川隆
1. 中川隆[-12799] koaQ7Jey 2019年1月22日 16:30:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

特別番組「宗族を目の敵にした共産革命〜中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム」
石平 倉山満【チャンネルくらら・1月6日配信】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=Oyg1XmBqWRw
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html#c1
[近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
22. 中川隆[-12798] koaQ7Jey 2019年1月22日 16:40:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

大躍進政策と文化大革命は宗族を潰して中国を国民国家にする為に行った


中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は自分が属する宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている

特別番組「中国人の善と悪はなぜ逆さまか〜宗族と一族イズム」
石平 倉山満【チャンネルくらら・12月30日配信】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=OIKKE71Xp-s

特別番組「宗族を目の敵にした共産革命〜中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム」
石平 倉山満【チャンネルくらら・1月6日配信】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=Oyg1XmBqWRw


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宗族
古代中国での父系同族集団。

中国の殷から周の時代の社会の基本的な集団となった、父系(男系)の同族集団。本家と多くの分家(小家族)から成り、本家の家父長(族長)が統率し、祖先崇拝という信仰で結びついている。このような宗族の守るべき規範が宗法である。
実際には擬制的(みせかけ)であったらしいが、宗族の結びつきの原理は血縁関係であった。
このような氏族社会の上に周の封建制が形成される。そして、春秋から戦国にかけて、鉄製農具の普及などによって生産力が向上したことが、個々の小家族の自立を可能にし、宗族という氏族社会が解体し、地縁的な村落機構を通して統一国家が農民を支配する形態に移行していく。しかし、中国では現代に至るまで、一族意識は強固に残っている。
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-027_0.html


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中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム – 2018/12/5 石平 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/481911350X/ref

内容紹介

戦争も腐敗も善となる恐ろしい論理を明らかにする。中国史を支配する組織の正体。

戦争も腐敗も善となる
恐ろしい論理を明らかにする

石平氏渾身の書き下ろし。
これを知らずして中国人は理解できない!

やっと私も中国人が分かったと言える

中国史を支配する組織の正体

易姓革命も、対外拡張も、腐敗も
共産党政権の命運も!

■正義派知識人のA教授はなぜ、親族の腐敗を喜んだのか――まえがきに代えて
■第1章 一族のためであれば腐敗は善になる
■第2章 宗族という巨大組織の実態
■第3章 「械闘」に見る一族イズムの恐ろしい本性
■第4章 「共産党VS.宗族」の勝者
■第5章 中国史を動かす一族イズム

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カスタマーレビュー


hij
「収賄汚職は人民にとっては罪悪であるが、家族にとっては美徳である」2018年12月11日

習近平の腐敗摘出によって共産党幹部の収賄の恐るべき実態が明らかになった。元
政治局常務委員周永康の場合、差し押さえられた資産総額は何と900億元(1兆4900
億円相当)というからすさまじい。本人だけでなく、妻、息子など親族、腹心の部下
もグルになって収賄三昧の日々を送るのが中国の流儀である。これを「全家福」を
もじって「全家腐」という。(習近平自身も同じ穴の狢である。)

周永康ら腐敗幹部にとって掌中の政治権力を家族の収賄に使わせるのは家長として
の当然の義務であり、この義務を果たすのは美徳である。家族の利益より公の利益
を優先する者は、中国社会では変人、馬鹿者呼ばわりされる。家族や一族のために
公益を損なってもよいという異質な家族観を著者は「一族イズム」と呼ぶ。

中国には家族のほかに腐敗の共同戦線ともいうべき「圏子」(チェンツ)という利益
共同体がある。もし圏子の誰か一人が摘発されると同罪の幹部が芋蔓式に摘発され
ることになる。

一族イズム、圏子文化の源流は中国独特の「宗族」である。宗族とは先祖を共有す
る父系同族集団である。何世代も続くうちに世帯数は数百、数千になり人口は数千
になり、万を超えることもある。宗族は族会を組織し、族長を選び、祠堂をつくり、
祭祀をおこない、族譜を編纂し、族産をつくって子弟の教育、弱者の援助、救済を
おこなう村における小国家なのである。

共産党が政権を取ったとき、毛沢東は宗族を「諸悪の根源」とみなし、方々の村で
村のゴロツキを使って地主を殺し、土地を貧農に分配し、財産を奪った(「一村一
焼一殺」)。地主、郷紳が消えて宗族組織は分解した。宗族に代わる組織として共
産党が編みだしたのが人民公社であったが、人民公社の時代に伝統の宗族がひそか
に復活してきた。宗族勢力は、祠堂をつくり、族譜を編纂した。一族イズムはケ小
平以後の中国において中国人の共通した行動原理となったのである。共産党が潰し
たはずの宗族の行動原理がいまや共産党幹部までを支配するようになった。宗族は
永遠不滅なのである。

本書は中国出身の著者ならではの観察がたいへん参考になる。共産党幹部の収賄の
手口などもいろいろ書いてあって興味深い。

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じゃぐぁ
あの大陸で近代国家が生まれない理由 2018年12月31日

近代国家とは、法が支配し、嘘をつかない国民が、必要に応じて公のために力を尽くすものであろう。
正式な定義は知らなくて良い。この本で書いてあるような内容を否定すれば、すなわち近代国家である。
敵を知り己を知るための一冊として、是非若い方に読んでいただきたい。
「宗族」と呼ばれる一族の論理が最優先で、「械闘」と呼ばれる一族間の争いには全員参加、一族以外は皆殺しにしても罪悪感を感じることのなメンタリティを知ることができる。
一度は共産党が潰した宗族が、人民公社を通して生き残り、現在も変わらず影響を及ぼすに至る過程を詳細に書き表した本書を、是非読むべき。

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アキレスの踵
5つ星のうち5.0
福沢諭吉の遺言 中韓には関わるな2018年12月25日

イギリスはヨーロッパ大陸に領地を持っていた時代がありました。しかし当時のヨーロッパ大陸は動乱の嵐が吹き荒れていて、その影響がイギリス国内にも及んだため、イギリスの国内政治も安定することはありませんでした。しかし無能な国王が何代か続いた時期に、イギリスはヨーロッパ大陸から撃退されて領地を失い、島国に閉じこもる羽目になってしまいました。そうしたら初めて国内の政治が安定するようになり、国内にエネルギーが蓄積され始め、後世の大発展の基盤を作ったのです。

日本の歴史を見ても、大陸諸国との関係にのめり込んでいって、うまくいった試しは一度もありません。ただの一度もです。これは大陸と島国とでは、地政学的な立場がまるで異なるからでしょう。大陸の文化は重厚ですから、惹かれる気持ちはよくわかります。しかし惹かれるのは当人の勝手です。明治以来、中国に心酔してそこで生涯を全うした人は何人も出ました。当人はそれで満足でしょうが、母国で生きる同胞を巻き込んではいけません。母国が島国であるという地政学的立場を忘れて、大陸諸国との関係にのめり込んでいくと、戦前、ドイツとの関係に深入りし過ぎた失敗をまた繰り返すことになるでしょう。

そもそも島国に政権をつくるのは、大陸から独立するためです。サハリンを考えてみればわかるように、大陸から独立しないのなら独自の政権などつくる必要はありません。つまり島国の政権は、出発時からすでに反大陸という基本的性格を備えています。この体質に反するようなことをやれば、当然そのツケは廻ってきます。

日本と相性がいいのは同じ島国の海洋型国家で、イギリス・台湾・東南アジア諸国です。相性が悪いのは重厚長大型の大陸諸国で、中国・ロシア・ドイツです。「同じアジア」というスローガンにだまされてはいけません。戦前の日本軍が中国大陸に軍事的にのめり込んだのも、現代の日本企業が中国に深入りし過ぎているのも、後世の歴史家たちから見れば、本質的に同じことだと判定するかもしれません。もちろん大陸諸国と全くつきあうなという意味ではありませんが、どれだけ深入りするかは、自国の国益から判断しないといけません。歴史から学ぶべき教訓とは「日中友好」ではありません。「大陸諸国との関係に深入りするな」ということです。

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アマゾネス
日本人とは永遠に分かり合えない理由はここにある。2018年12月30日

石平さんの様々な解説のおかげで、大陸の連中の脳内がどうなっているのかよく分かるようになりました。今回は彼らの国家観です。中華人民共和国という国としての組織の事はぶっちゃけどうでもよくて、身内親戚さえ良ければ何してもいいという、未だに部族社会だという衝撃です。アメリカも州毎に別の国だという認識で、ニューヨーカーがカリフォルニアに海外旅行してきたぜと語る、なんて小話もあります。それよりもっと細かく一族単位でチャイナ人は考えます。なるほどだから北京料理と四川料理は全く別の国の料理だと騒ぐわけです。更に身内の利益になる事だけ考えるから、中央政府や日本などの外国企業から賄賂を抜き取る工作に腐心するわけです。外部から奪い取った賄賂を身内にばら撒くことで身内が潤うんですから。そこに公の利益とか人様に迷惑をかけない道徳とか全く考慮にありません。この視点でチャイナを眺めると項羽と劉邦も、三国志も、全く同じ考え方で貫かれてます。驚くべきは21世紀の現代も未だにやっているということ。国家レベルでも皇帝習近平と他の宗族との勢力争いです。

こんな人達ですから全く話が通じるわけがありません。また言い切りますが民主主義体制というのも彼らには適用できません。民主主義を運用するには、国民の高い民度、国家としての合意が必要だからです。一族単位で固まってるような考えでは、民主的な国家運営なんかできるわけがありません。だから、皇帝を頂点とした独裁国家でないとチャイナは統治できないんです。アメリカはよく独善的に民主化を進める〜なんてやってますが、民主主義はすごく運用が難しいので、世界の大半の国では無理です。チャイナはそんな感じなので、経済的に取引してる方などはその辺を理解した上で対応した方がいいでしょう。独特な部族社会の考えを利用して利益を得るなどの狡猾さが必要だと思います。

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fms
習近平の「民族の偉大なる復興」の真の意味が理解できる一冊。これを実現させてはならない!2018年12月13日

中国における”宗族”の発生・解体から、”人民公社”までの成り立ちの仕組み・歴史を丁寧に説明してある。
そして、実質的な”宗族”の復活については、ケーススタディとして、2例を取り上げて、詳しく解説している。
最後は、”人民公社”の廃止まで解説してあります。

私は、いままで全く理解できなかった中国人の思考回路が、やっと理解でき、納得できるようになりました。
この中国シナ人独特の思考を理解せず、彼らと商売をすると、たぶん、大変なことになります(実は私もひどい目にあった一人です)。

本書に書かれているのは、中国ですが、私には朝鮮も同様のメンタリティを持っているような気がします。

すばらしい力作と思います。

中国人を相手に、交渉をする方には、読んでおいたほうがいい一冊です。

https://www.amazon.co.jp/dp/481911350X/ref


▲△▽▼

中国とは何者か?〜宗族と幇〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/05/001252.html

中国人の特徴として、『自己中心、ご都合主義、独善、責任転嫁、人間不信、土匪国家、危険な「友好」』などが挙げられている

そしてそれらの特徴を解明する切り口のひとつとして『中国人は同族集団(身内)には寛容で、外部に対しては何でもあり』という甚だしい二重性があることが指摘されている。
それらの中国人の気質を形成してきた大きな要因は、中国特有の社会構造にある。今回のエントリーでは、中国固有の社会的結合と言われる、宗族(そうぞく)と幇(パン)という集団に焦点を当て、その中から中国特有の社会構造や意識構造を見ていきたい。


<宗族とは何か?>
中国では姓を同じくする父系の相続集団を『宗族』と呼ぶ。宗族は長子相続と同姓不婚を原理とし、本家を大宗、次男以下の分家を小宗という。宗族は大宗の強力な統制の元で共通の祖先への祭祀を通じて、常に一族集団の団結に努めていた。このような宗族内の上下関係や秩序を定めたものが「宗法」であり、これに基づく道徳的規範が「礼」である(ちなみに儒教はこの宗族の規範を土台としてそれを体系化したものである)。
この宗族という集団は、概ね周の時代に確立する(BC1000〜BC750年頃)。宗族の起源は元々は母系の氏族共同体であったと思われるが、それが歴史のある段階で、父系の宗族(大宗)へと転換していったと思われる。そして小宗の登場は支配階級における「姓氏制度」の確立と密接に連関している。姓氏制度のうち「姓」は母系の血縁集団を基礎としている。これが大宗にあたる。それに対して「氏」とは同じ姓の成人男子に、所領や地位が与えられることによって発生する。つまり氏とは成人男子の社会的身分を表しており、これが小宗を形成している。

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祖先を祀る宗族の会合 写真はこちらからお借りしました。td>

ただし後述するように宗族は周の時代には「宗法」や「礼」という観念規範を強固に定めているということ、あるいは氏の出現によって氏族の共有制が崩れ父系制家族による私有制が制度化されていったということ、これらのことは制度としての宗族や姓氏制度の確立と戸同時に、氏族の規範が解体され、宗族の解体へのベクトルがすでに開始されていたことも意味する。
事実、周の後の春秋戦国時代に生じた群雄割拠を通じて旧支配階級は所領や地位を失い、支配階級において氏は無意味化していく。
そして、そればかりではなく宗族の結集軸である祖霊信仰も春秋戦国時代以降弱体化していく。このことは宗族そのものの持つ集団私権力が弱体化すれば、血縁集団さえも容易に解体されていくことを示している。
中国の歴史上、庶民(農村)においては確かに宗族が社会構造の基底部を形成していることは一面の事実である。例えばよく用いられる例として、同じ宗族から科挙合格者などのエリートを輩出すれば一族郎党にその恩恵が及ぶため、宗族の期待を一身に集めるという話はごく一般的な話である(村落ではなく宗族であることに注意)。
しかし支配階級においては、この宗族は祖霊信仰とともに権力闘争の基盤上、二義的なものに転落して言ったという事実も同時に押さえておかなければならない。
このことが、中国人は集団的であると同時に個人主義的であるといわれる、社会構造的な基盤を形成している。
<幇(的な結合)とは何か?>
他方『幇(パンもしくは、ほう)』とは何か?それは、一言で言って利益集団である。
幇には秘密結社的あるいは紅幇(ホウパン)・青幇(チンパン)などのマフィア的な組織である「幇会」(パンフェ)から、公然組織的な「幇派」(華僑社会における地縁・血縁を土台とした組織や業界団体・職能団体に至るまで)などさまざまな「幇」が存在する。
そして現在の「幇」組織の起源は清の時代である18世紀が起源といわれている。
しかし、この幇(的な組織)は中国の歴史上何度も登場したり消滅したりしてきたので、必ずしもそれが幇(的な組織)の起源とはいえない。
例えば遡れば、華僑そのもの(一種の利益集団)も南北朝時代の3世紀ごろの移民(おそらく戦乱に追われた亡命者や難民)を起源とするといわれているし、秘密結社的なものという意味では、歴史上判明している範囲でも182年の黄巾の乱において宗教的秘密結社が既に猛威を振るっている。黄巾の乱は秦朝の時代に兵役で農村から駆り出され、除隊してからも帰るべき家や耕すべき田畑を持たない兵士上がりの貧民たちの相互扶助組織が基盤となったといわれる。
この黄巾の乱を始め、中国の歴史は地域豪族、有力商人、知識人が農民を巻き込んで起こす全国的反乱が際立って多いことが、その特徴である。そしてそれらの多くは宗教的な秘密結社の形をとっており、それがそれらはしばしば時の王朝を揺るがし、転覆に至らしめている。

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太平天国の乱を主導した洪秀全 紅幇と青幇

写真はこちらとこちらからお借りしました
その意味では客家(ハッカ)もそのような利益集団(あるいは半秘密結社)の代表的なものの一つと言える。
黄巾の乱から始まる400年間の争乱によって中国の人口は1/10以下に激減する。そしてそれ以前に中原地帯を制覇していたもともとの漢民族は、ほぼ滅亡する。そしてその際各地に逃げのびた旧支配階級の末裔たちは中原発祥の「正当中華文明」の再興を目的として再結集を計る。これが客家の起源といわれている。
この客家に属するといわれる、主だった具体的人名を挙げてみよう。
清代における太平天国の乱を主導した洪秀全、孫文、朱徳、ケ小平、李登輝(台湾総裁)、タクシン(もとタイ首相)、リーファンユー(シンガポール初代首相)等々、中国及び華人社会において国の変革(ないし政権転覆)を主導した人物の名前が綺羅星の如く並ぶ(リンク)。

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ケ小平氏 元台湾総裁 李登輝氏

それぞれ写真はこちらとこちらからお借りしました。
この客家の起こした反乱も含め、中国史の特色は、農民が武装解除されず古代より農民を戦闘員として組織していること、(秘密)結社=人工的利益集団の力が以上に強く、それがしばしば中国の歴史を動かしてきたことにある。その意味では中国史は正規軍の戦いだけではなく総力ゲリラ戦の歴史であり、それらの争乱によって歴史の1/3は非統合状態にあったというところにある(毛沢東率いる共産革命もその一つの典型に過ぎないという見方は十分に可能である)。
しかし、問題は、中国ではなぜこのように秘密結社や人工集団が、異常に繁殖し力を持つてきたのかということにあり、農民側の宋族がなぜここまでに戦闘的(他集団と敵対的)であるのかという点にある。
その理由のひとつが、異民族支配(モンゴル系やツングース系等)の歴史が長く、農民が治水灌漑等の理由で強制移住を繰り返させられてきたこと。それによって地縁的結合はバラバラに解体され、解体されないまでも異郷の地で周辺農民からよそ者として孤立状態を強いられてきたことがあげられよう。争いが絶えずいわば根無し草になった人々は、血縁である宗族や利益集団である幇へと結集するしかない。このことが中国人が身内(宗族や幇)に対して寛容で他集団に対して敵対的(ないしは利用対象でしかない)中国人の二重性の基礎を形成している。
しかしそれらも含めてもっと根深い理由があるように思われる。利益集団の強さは盗賊や海賊が形成したといわれる古代ギリシャやローマと共通したものがある。また中国の中原は東西南北の交通(後の草原の道、シルクロード、海の道)の交わる要所にあり、その制覇をめぐって諸勢力が激突を繰り返してきたという歴史的構図も見て取れる。
最後の問題は、各集団が相互に敵対的でありかつ著しく攻撃的な民族体質の源泉は何によって形成されたかにある。その要因を更に中国の歴史を紐解く事で解明していきたい。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/05/001252.html

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【中国】中国人の特徴@ 〜自己中心、ご都合主義、独善〜 11/04/05

白人(欧米人)の意識構造の解明に引き続き、今後、中国人(漢人?)の意識構造の解明に入る前提として、中国人の特徴を固定してみます。

以下、『中国が嫌われる七つの理由リンク』より抜粋
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hitori050501.htm

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1.自己中心

「自己中心的である」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、こういう人間が好かれることはまずない。中国人はまさにジコチューが国民性といってよい。そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。「中国」という自称がその最たる証拠である。

中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。その優越意識はアパルトヘイト以上である。その証拠に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。

西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられなかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。それでも中国が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明Lとみなし、初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。


2.ご都合主義

ジコチューは自分の都合に従って行動する。したがってご都合主義が普遍化されるのである。他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出した中国は、七〇年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。

このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人はどれほど困惑したことだろうか。日本にかぎらない。文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、文化大革命そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、中国人の敵として振り落とされていく。中国人のご都合主義についていくのはたいへんなことである。

戦後、日本の世論は「中国人とは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。それは中国政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。実は、これは原則ではなかった。偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。ジコチューの中国は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。
人治国家の中国では、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。したがって、朝令暮改、契約反故などが頻繁に起こり、たいていの日本人は中国人の独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。


3.独善

仏教と儒教は中国から朝鮮を経由して日本に伝えられた。宗教が共通なのだから、精神文化も共有しているように思えるが、根本となる死生観がまったく異なっている。日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。だが、中国人には強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、自分の敵は死後もその墓を暴き、屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。人は死しても安らかに眠ることができないのである。しかも信仰の自由はなく、国内で邪教とされた宗教は徹底弾圧し、日本の総理の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。

中国の内政干渉は靖国問題にとどまらない。歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日本の生存権問題に属する日米安保、憲法改正論議、ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、ありとあらゆることに干渉し、外交問題にしようとする。

かつてテレピ朝日の二ュースステーションで、キャスターの久米宏がチベットに関して発言した内容に中国が圧力を加え、翌日の放送で中国に対して謝罪した事件があった。同じように、テレピ各社の中国特番で、中国政府と協力して制作されたものであるにもかかわらず、放送後、中国の一方的な抗議を受け、公開謝罪させられたケースが何度もある。中国の独善的な思惑の押しつけは、日本に対してだけではない。世界のいたるところにおよんでいるのである。

たとえば、旧西ドイツやデンマークなどでチベットの人権侵害問題をとりあげる議会に圧力をかけ、決議をしたら報復すると恫喝した。また江沢民主席はかつてスイスでデモ隊に遭遇したときに、迎えに出たスイスの首相に対し、自国の管理もできないのかなどと、いちじるしく礼を失する発言をしたことがある。アメリカに対しでも同様の干渉を加える。李登輝が総統の座にあったとき、卒業したコーネル大学の訪問のために訪米を申し入れたことがあった。アメリカの上下両院が李氏の訪米を受け入れる決定をしたにもかかわらず、中国はこの決議に関しても「誤った決議」だとして反省を求めたのである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=248775

4.責任転嫁

「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。

私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代中国が貧困・落後したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。

また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、中国人の破廉恥な無責任意識のなせるわざである。改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。これはある意味で当然の結果である。こうした無秩序は中国本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。ところが中国はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。

西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの中国人の不幸、落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。近代中国の没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、中国自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。こうした責任転嫁は、中国文明の優越性に対する固執の表れともいえる。自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、中国人についてこう指摘している。「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。最近、中国駐在の日本人商社関係者が中国人気質について調査をし、以下のような中国人像がまとめられたという。

「絶対自分の非を認めない。それは中国人が責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。もともと、中国は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ」


5.人間不信

中国人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が流行り、当時は中国社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することさえ頻発した。劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。

中国のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。孫子は「兵は脆道なり」と言った。つまり戦争は詐欺の道だというわけである。中国人気質の最大の特色も「詐」にある。中国人は「詐の民」だという人もいる。親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。

戦後、日本人は中国人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカード……。自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造するし、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。

世界中で今大きな問題になっているのは、中国の偽ブランド品である。知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、どんどんコピーをつくってしまうク中国政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。現在の中国は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。今日も中国のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。

嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、中国人は上から下までだましあっている。政府はマスコミを通じて民衆をだまし、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。中国人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=248776

6.土匪国家

この数年来の日本における中国人犯罪の急増はいまや常識といえる。実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人犯罪者で、新手のピッキング強盗となるとほとんどが中国人の手によるものである。石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。

日本ばかりではない。世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。シベリアヘの中国人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。

中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、代わりに二百万の中国人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。台湾では「中国人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。

九四年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。台湾では有名な事件である。当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。

中国が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。そうでなければ安全が確保できないのである。現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の中国を特色づけている。九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。


7.危険な「友好」

親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。だが、中国人との「友好」だけは別である。新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。

戦前、戦後を通して、日本と中国は「友好」と「非友好」に二分されていた。一時、中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。一九七二年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。

しかし、中国を相手にする側にとって、中国が強調する「友好」ほど不安なものはない。なぜなのか。その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国の側にあり、中国の規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。

「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。実は中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。それは歴史を振り返ればわかる。たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。

だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。中国との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=248779


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広東省農民「オラの村が隣の村との戦争で焼き打ちされたんだが…」 
2010-05-16 11:52:14 |

広東省・福建省ネタ2003年ごろ、大学で上海人の学生と知り合った。
当時、卒論で中国の農村を調べようかと思っていた俺が
彼に何か面白い話はないかと聞くと、こんな答えが返ってきた。


上「中国の農村はヤバい。俺たち都会の人間は、
  農村で人を轢いても現場で車を止めるなってことになってる。
  すぐに現場を離れて隣の村まで行ってから、警察に電話するんだ」

俺「なんですぐに助けないの?」

上「助けたいのはやまやまだけど、後が怖いんだよ。
  村人がワラワラ寄ってきて、轢いた人間をリンチして車をボコボコにするんだ。
  その場を離れないと自分の命が危ない」

俺「……そう」


話を聞いた当初、上海人はここまで農民への偏見を持っているのか、と
ちょっと不愉快になった。

だが、後にいろいろと調べてみると、どうやら彼の話はネタではなくマジなのだ。
中国南方の農村(特に広東と福建)は、非常にバイオレンスな顔を持つのである


事件の舞台は中国のディープサウス、広東省最西部。

東山鎮の脚踏村(あしぶみ村)という、名前からして田舎テイスト溢れる村だ。
場所は下記であり、瀬戸内海に浮かぶ旧水軍根拠地の村のような地域をイメージすればいいと思う。  


ちなみに、事件に関わる地名は「広東省湛江市東山鎮脚踏村」及び同「調文村」だが、
これは日本の地名に置き換えると、それぞれ

広東省 湛江市 東山鎮 脚踏村
     ↓
●●県 ××郡 △△町 大字○○

こういう感じになる。


今回の事件は脚踏村と調文村の戦いだが、
つまり大字の町内会レベルで焼き打ちとリンチを繰り返している訳なのだ。

さらにすごいことに、両村の村人がネット上にも事件を持ちこんで
互いに荒らしと叩きに明け暮れている模様である。


械闘が盛行する18世紀と、ネットを駆使する21世紀が同居。
あまりにもカオスすぎる現代中国の農村。
それではご覧ください。


―――――――――――――――――――――――――――――――

【湛江市東海島東山鎮脚踏村、1.28事件の真相告発!】
原題:「湛江市東海島東山鎮脚踏村1.28事件真相!」湛江板
http://tieba.baidu.com/f?kz=709201131

  ※スレ内では、脚踏村の行為やその側の人間の発言をピンク、調文村の好意や発言を緑で表示することにした。


湛江市東海島東山鎮脚踏村で発生した1.28事件は、
更なる暴力事件である2.3事件を引き起こし、
脚踏村の村人の家庭59戸の家屋と家産が悲惨な破壊を被った。

なかでも村人の家5戸は屋内の現金がすべて持ち去られ、
一部の家屋は白昼堂々と焼き打ちにあった。
売店1軒は略奪し尽くされ、無辜の村人3人が殴られて重傷だ。


事件の詳細:

1月28日早朝、
脚踏村の村人が車列を組んで新婚の花嫁を迎えに行って村に戻る際、
東山鎮の調文村出身の新郎・唐某という人物と一悶着があり、
婚姻の車列に参加していた数人の脚踏村の村人が
唐某を殴りつけて重傷を負わせた。


1月29日、
脚踏村の無関係の村人が用事で村の外に出た際に、
事故があった調文村の村人が三叉路まで彼を追跡し、
調文村へと拉致して殴りつけて重傷を負わせた。


2月1日、
(先日、脚踏村の村人に殴られた)調文村の村人・唐某が病院で死亡。
村の不良分子が他の村人を扇動し、白昼堂々と
東山鎮の中心部にある脚踏村民が経営する薬局を襲撃して破壊した。店はほぼ全壊。


2月3日午前、
調文村の数百人の暴徒が組織的に2隊に分かれ、
暴徒の1隊は東山鎮中心部の脚踏村民が経営する店舗をすべて破壊(計3店)。

もう1隊(約200人)は脚踏村へと攻め込み、
罪もない村人を殴りつけ、用意したガソリンに火をつけ民家数軒を焼き打ち、
無数の家屋を打ち壊した。

現地の派出所には飾り物のような警官が十数名しかおらず、
暴徒が村に攻め込んで悪行を働いているのを知るまで1時間もかかった。


現在、調文村の暴徒は尚も現地の主要交通路をバスで封鎖し、
外に出ようとする脚踏村の村人と思われる人間を殴りつけている。
政府と天に対して敵対行為をおこなっているのだ!

1.28事件から2.3事件にかけての負のスパイラルの結果、
現地の警官が村人の安全と財産が残酷にも破壊されるのを
現場で目の当たりにし(つつも何もできず)、
政府の関係部門は社会の秩序を守るという威信を失うこととなった。
現地の治安は大地震の後のごとき無政府状態だ!


1月28日にはリンチ事件から被害者が死亡し、
さらに続いて脚踏村の無辜の村人が暴力を受けて重傷を受け、
村人が経営する店舗が破壊と強奪を受け、
2月3日には暴徒が村に攻め込んで悪行の限りを尽くす。
現地の警察は解決能力が無く、片目をつむって見逃して暴徒のなすがままだ。


正義はどこにある!
政府はどこにあるんだ!!


5 名前:名無し人民@ヒャッハー!
野蛮すぎるだろ。


9 名前:名無し人民@ヒャッハー!
無辜の村人たちの為に、政府が(この混乱を)正しい道に戻してくれるよう願う。

  ※前時代的な暴力のカオスに対して何らかの対応を示せるのは、やはり前時代的王朝たる「お上」なのかもしれない。
   中国の農民の認識として、この発想はあり得るところかと思う。


10 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>6
政府が正しい道に戻したとして、死者はどうなるよ?


13 名前:名無し人民@ヒャッハー!
これは貴様ら脚踏村の村人が報いを受けたのだ。
天知る地知る、って知っているか?

  ※対立する調文村の村人による書き込みと思われる。


14 名前:名無し人民@ヒャッハー!
死者は無辜の被害者だぞ…。
なんで法律で解決しないんだよ…。

まさか脚踏村の無関係の村人まで責任があるって言うのか…?
今度は脚踏村の村人が調文村の村人を襲撃することだってあるかも…。


15 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>14
カマトトぶるんじゃねえよ


17 名前:名無し人民@ヒャッハー!
みんなダメだろ。
村人は無辜の被害者だが、全ては起こってしまった。
人も死んだ。
村も荒らされた。

どうしようもない。


19 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>用意したガソリンに火をつけ民家数軒を焼き打ち、
>無数の家屋を打ち壊した。
>現地の派出所には飾り物のような警官が十数名しかおらず、
>暴徒が村に攻め込んで悪行を働いているのを知るまで1時間もかかった。
これは道理が許さない。
政府が罰してくれることを望む!

  ※脚踏村の村人による書き込みかもしれない。


20 名前:名無し人民@ヒャッハー!
当時の状況を知らない人間が、何の権限があってこの事件を批判するんだ。

死んだ唐某は幼い頃に父を亡くして
兄妹数人とともに女手ひとつで育てられた。
彼の母さんは大変な思いで育てたんだぞ。


唐某だって結婚をしたかったんだ。
家は貧乏だったかが、家族がみんな一緒なら幸せだと言って暮らしていた。
なのに、まさか恋人を家に送った帰りに、恋人の村(脚踏村)の
騒ぎ好きの不良どもから殴り殺されるとは。

唐某はなにも悪いことをしていない。無実だ。
彼が半死半生の目に遭うまでリンチされた件、こちらにこそ道理があるのか?


唐某の死は無念だったと思わないか?
もちろん、唐某の村の人間がとった行動は間違っている。
これでは更に多くの無辜の人間を傷つけることになる。

とにかく、感情的にならずに正しい方法で解決してほしいと思う。

  ※最初に殴り殺された唐某について、>>1とやや異なる情報が載せられている。
   おそらくは調文村の村人の書き込みだろう。

   おそらく、調文村の唐某は脚踏村の女の子と付き合っており結婚。
   だが、もともと村同士の仲が悪かったかして、唐君は結婚当日に脚踏村の村人により撲殺されたのだ。

   (中国では結婚式の際に、知り合いが新郎新婦にいたずらをする「鬧房」という習慣があり、
    その悪ふざけの過程で誤って新郎を殺した可能性もある)

   そして、新郎側の村はリベンジのために脚踏村を襲撃した…、というわけである。


22 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>19
>これは道理が許さない。
お前たち脚踏村の娘は、これから外の村に嫁に行けると思うなよ!
お前らの村の娘を嫁にしようとしたら、新郎が村人に殴り殺されたんだ!

野蛮な村人どもめ!
こんな村には、今後は誰も行きやしないさ!!

  ※調文村の村人による書き込みだろう。


25 名前:名無し人民@ヒャッハー!
(脚踏村と調文村がある)東海島の島人はヤクザみたいに言われているけれど、
どうやら噂は間違いないようだな。

こんなに常識の通じない地域は、
放置して勝手に殺し合いさせておけばいいと思う。


27 名前:名無し人民@ヒャッハー!
法治社会ではこういう事件は法律によって解決される。
だが、調文村の村人は集団で脚踏村に攻め込んで
(日本軍のような)「三光作戦」を実行した。

これは旧社会的で野蛮な行為だ!!


29 名前:名無し人民@ヒャッハー!
犯罪を犯したんだ。
お前らの子どもに至るまで略奪し尽くしてやるぞ。

唐姓の人間を許さない!!

  ※脚踏村の村人による書き込みだろう。
   中国南方の農村では、村が丸ごと同じ一族…という場合がある。
   (そのため、1人の体面を傷つけると「一族の恥」ということになり、こういう復讐が行われる)。

   最初の死者・唐某の出身地である調文村は、おそらく唐氏一族の村。
   ゆえに、脚踏村の村人は唐氏の一族郎党を憎むに至るのである。


47 名前:名無し人民@ヒャッハー!
君子はたとえ10年がかかっても仇討ちをおこなうものだ。
調文村をこのままにはしておけん!

  ※脚踏村の村人による書き込みだろう。


56 名前:名無し人民@ヒャッハー!
お前ら、戦いを続けて楽しいか?
それで家族や愛する人が巻き添えになって死んだらどうするんだ?

それでもまだ戦うのか?


69 名前:名無し人民@ヒャッハー!
唐一族は恐ろしすぎる!
脚踏村の1万人の村人が、数千人の唐氏一族に踏み荒らされたのだ。
(略)


82 名前:名無し人民@ヒャッハー!
脚踏村はもともと良くないことばかりしてきた。
二十数年前にも(似たような械闘で)大事件を起こしているしな。

しかし調文村も野蛮だ。
村の勢力を頼みにする大人が多すぎる。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


この後もスレは荒れ続け、両村の村人による

「お前の村を滅ぼしてやる!」
「貴様らこそ滅亡しろ!!」

という物騒な書き込みがたびたび見られた。


…ところで、ちょっと話を変える。

中国において、農民が役所を襲撃するといった暴動(官民衝突)はしばしば発生しており、大紀元(法輪功のニュースサイト)なんかで報じられることが多いのもご存知の通り。

そして、中国崩壊論者の人がこれらに対してホルホルして
「共産党独裁政治への庶民の不満が高まっているのだ!」という
根拠として引用したりする。


だが、暴動を起こす農民というのは、このスレで見ればわかるがごとく、
リミットブレイクを非常に容易に起こす人たちなのである。
大した理由じゃなくても暴れるのだ。


一見すると識者ホルホル系の官民衝突のようでも、役所への反乱に見えて
実は単なる村同士の(どうでもいい理由での)戦争が
飛び火しただけというケースも多いのではないか。

また、実際に地方の役所が無道な場合(これも多いのだ)でも、
抗議に立ちあがった農民が知らん間に目的と手段を逆にしてしまい、
「とりあえず暴れたからそんでいいやw」となって
問題の解決を求めないケースもあるのではないか。

良くも悪くも彼らの単純さと不条理さを舐めてはいけないと思う。


暴動といっても、即・反政府や反共産党につながる性質のものとは限らない。
党と軍がひとまず綻びを見せずに存在する限りは、
農民による村レベルでの暴動は、中央から見れば中学生のニキビ程度の日常茶飯事の小事件だ。

「中国にはよくあること」で流せる話なのである。

普通は現場レベルで放っておくし、
ちょっと目立ったら(大規模化したら)、クレアラシル(武装警察)を塗ればいい。
この程度では、脳味噌や人体(共産党や国家)に影響を与えるには及ばない。


…なので、「どこどこで農民が反乱!」というニュースを聞いた際、
すぐに「中国崩壊への第一歩だフハハ」と大喜びしても
只のヌカ喜びだと思うのだ。

「反乱」の背景とか経緯をよく調べた方がいいし、
それが大規模化しかけたところで鎮圧されているようなら、
むしろ「中国の体制は(現時点では)盤石だ」という根拠にすらなり得る。

ニキビは、もちろん疾病要因もあるものの生理体質的な理由でできることも多い。
当たり前のように生まれる赤ニキビに、すぐにクレアラシルを塗れるのは、
共産党が最低限はお肌のケアをしているということである。


もっとも、ニキビの現場にいる人はたまったものじゃなかろうが…。
これが中国の農村だからしょうがない。


http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/a370aaaca87869d375aa1d5ce930e919
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広東省農民「オラの村が隣の村と戦争をはじめるらしいんだが…」

2009-11-08

広東省・福建省ネタ今回取り上げるのは、広東省の「械闘」である。


…と言っても何のことやらわからない読者が大部分だと思うので、
ここはひとつYahoo辞書先生に語句解説をしてもらうことにしよう。


 かい‐とう【械闘】
 革命前の中国で、水利や地境などの争いなどを原因として起きた
 部落や労働者集団間の武力闘争。清代には華中・華南に多かった。


中国南部の械闘には、「宗族」と呼ばれる父系血族の集団同士で争われる例が多い。
(→要するに、陳さん一族VS張さん一族みたいな感じでのガチバトル)


一族と言っても、勢力は数百人以上。一村以上の単位での総動員である。

外部から傭兵を連れてきた場合は数千人以上が激突する大合戦となり、
海外に渡った華僑の親戚たちが銃や火砲まで援助してくるのでタチが悪い。
村は、平時から堀や砦が築かれて完全武装だったりする。

械闘は清代の康煕雍正年間(18世紀初頭)から盛んに発生するようになり、
なんと20世紀前半の中華民国時代まで普通に続いていた。
広東省や福建省で特に多く、台湾でも日本統治時代の直前まで盛んにやり合っていたらしい。


…宗族の械闘の原因は、当初は

「うちの一族の村の水を取るな」とか「うちの一族の風水を切る場所に墓を作るな」
という相応の理屈に基づいたものだったようだが、
何百年も対立しているうちに当事者たちも理由を忘れてしまい、
なぜ戦っているのか不明のままドンパチやっていることも多かったようだ。

民国初期に福建省の統治を担当させられた役人が、上司の袁世凱に
「こいつらマジで洒落ならん。勘弁」
と報告していたりするから余程の事なのである。


そして「新中国」の成立後。

農村の宗族組織や封建的な支配関係は共産党様によって解体され、治安も向上。
械闘の風潮はおさまった、とされている。

だが、どうやら実際のところは全然おさまっていなかったようなのだ。


百度の「広東」板より、ディープすぎるスレをご覧ください。


原題「械闘」 広東板
http://tieba.baidu.com/f?kz=269824098


俺たちの村は広東省汕頭市潮南区、司馬浦仙港郷の辺りにあるんだが、
隣の村との関係がずっと良くないのだ。
歴史上、たびたび武力衝突をしていたのだが、
20年前からは特に大規模な闘争は起こっていなかった。

しかし、先月30日に俺の村の共産党支部書記が
(奴は十年以上この職にあり、偽造タバコを作って儲けている地方皇帝だ)
隣の村に行って先方の代表と話をして、帰ってくるや隣村と戦うと言うんだ。

少なくとも鉄パイプ300本以上、ライフル十数本を準備した。
村の老人たちの大部分は開戦を支持している。

派出所の警官がやってきたが、
あれやこれやとタライ回しをされるだけで、解決できないままに去っていった。

地方皇帝いわく、
各戸ごとに少なくとも1人を動員せよ。
出さない家は敵を攻撃するついでに打ち壊す。
各戸ごとに100元を拠出せよ。
戦死した場合は10万元の見舞金を保証する。

昨夜、俺はさまざまな奇怪な声を耳にしながら寝た。
今日、戦いを始めるらしい。
すべての準備は完了して掛け声を待つばかりのようだ。

これは何時代だよ?
なんで俺の村はこんなことやってるんだ?

みんなすまない。
この事を拡散して多くの人に知らせてくれ。


広東の海陸豊地域では、俺が小学生のころまで烏旗軍と紅旗軍が戦っていたぞ。
なにか事があって紛糾すると、烏旗勢力に属する村と紅旗勢力に属する村とが棍棒を持って村境に集まるんだ。

中学に上がってからは似たような事件はもう無くなった。

烏旗軍と紅旗軍は政治とは関係ない。
宗族と関係があるんだ。


  ※海陸豊地域…現在の広東省東部・汕尾市に位置する海豊市と陸豊市のこと。
         民国時代には、軍閥革命家の彭湃という人物が「海陸豊ソヴィエト」という
         カオスな名前の政権を樹立したりもしている地域である。
           


  ※烏旗と紅旗…もともと、福建省や広東省は「宗族」という父系血族の団結がめちゃくちゃ強い地域。
           村ひとつがまるごと「李」さんや「陳」さんの宗族だったりする。
           (→中国でよく見る「李家鎮」とか「陳家囲」なんかの村名を想像するとわかりやすい)

           で、宗族同士が械闘(=武力衝突)をやってるうちに、
           戦国時代のように宗族や村が合従連衡して連合軍を作る場合がある。烏旗と紅旗もそのひとつ。
           この手のケースは清代中期から盛んになり、福建省仙游県の「烏旗軍と白旗軍」の対立とか
           福建省晋江市の「東佛軍と西佛軍」の対立とか、類似例は数多くある。

           現在はさすがに正面切っての大戦争はやらないようだが、
           暗黙の了解で隣の村が敵対派閥に属していたりする。現地に工場なんかを作る場合は注意が必要。


…清代の中国(特に南部)の農村部では、
科挙に合格したが官僚にならずに地元に残った
「郷紳」という半官半民の実力者が村や宗族を牛耳る事例が多かったという。

悪徳郷紳(=土豪劣紳)のなかには、
密輸や汚職で私腹を肥やしたり、械闘を扇動するような手合いもいたらしい。


いっぽう現代の中国の農村では、地域に土着して土皇帝と呼ばれるようになった
下級共産党幹部が過去の劣紳にかわって村を牛耳っているようである。


儒教イデオロギーが「中国の特色ある社会主義」に変わっただけで、
結局は現代の中華人民共和国も、下層部では歴代中華王朝とそっくり。
そんなことを今回の事例から感じる次第。


…おらこんな村いやだ。
http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/dbd9f05454ebcc6ef12699aaaeaba4e8



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c22

[リバイバル3] 北海道民が教える「雪道の歩き方」5カ条 中川隆
5. 中川隆[-12797] koaQ7Jey 2019年1月22日 17:36:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

視界ゼロ 北海道を襲う"ホワイトアウト"の恐怖…直面したときの対処法は
1/22(火) 10:45配信 北海道ニュースUHB



 北海道各地は連日激しい風雪に見舞われ、1月17日には当別町で66歳の男性が自宅まであと一歩の玄関前で亡くなりました。

 男性はホワイトアウトの視界の悪さからか、車で雪山に突っ込み、そこから120メートル離れた自宅まで歩いて戻るうちに力尽きて倒れたとみられています。低体温症での死亡が確認されました。

 視界のすべてを奪う「ホワイトアウト」。冬の北海道では視界不良を原因とする事故が増えます。

 ホワイトアウトに直面したら、どのような対応をしたらいいのでしょうか。

 JAF札幌支部 鈴木健二郎氏によりますと…

 【走行中】
1:ハザードランプ、リアフォグランプを点灯させる
2:徐々にスピードを落とす
3:なるべく左側に寄せてとめる

 【停車中】
1:ハザードランプとブレーキランプの両方を点灯させる (ブレーキを踏み続けて点灯させる)
2:クラクションを鳴らして存在を示す

 また、気温が低いほど危険性が増すホワイトアウト。同じ風速でも気温が高いか低いかによって雪質は変わります。

 目安になるのは、氷点下8℃。

 氷点下8℃以下になると、雪質が軽くなり、そよ風でも舞うようになります。地吹雪も起きやすくなるので注意が必要です。
.
UHB 北海道文化放送


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/679.html#c5

[近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
143. 中川隆[-12796] koaQ7Jey 2019年1月22日 17:42:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

「村八分訴訟」衝突はなぜ起きた? 「Uターン者のトラブル少なくない」専門家は警告
1/22(火) 9:48配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00010003-nishinpc-soci

起きた? 「Uターン者のトラブル少なくない」専門家は警告


訴状を持って大分地裁に入る原告側の代理人弁護士


 大分県中部の集落に移住した男性(73)の家族3人が21日、「村八分」の扱いを受け転居せざるを得なくなったとして損害賠償を求めて大分地裁に提訴した。近年、UターンやIターンなどが一部の都市生活者に人気となっているが、専門家は「元々の住民と価値観の相違などからトラブルになるケースは少なくない」と警告する。なぜ衝突は起こったのか。男性、訴えられた元区長(70)や土地改良区、専門家に意見を聞いた。
.

元区長主導の仕返しだ 移住者の原告男性(73)

 −なぜこの集落に移住したのか。

 集落に住んでいた故人の男性に歓迎するからと強く勧められたことが大きかった。池に近い静かな環境は障害のある長男(46)と同居するには最適だと思った。元区長男性(70)も「よく来てくれた」と、池から取水するための同意書作りにも汗を流してくれた。当時は本当に感謝していた。

 ただ自治区の運営方法などで元区長の身勝手な振る舞いが多く、ついていけないとの思いが徐々に募り退会した。元区長はメンツをつぶされたと思ったのか、元区長主導による集落の「村八分」が始まった。
.

 −池の水が減ったのは農業用水として使用されたからだと元区長は主張する。

 約10年暮らし、雨が少ない年もあったが、取水ができないほど水位が低下する年は一度もなかった。池の水位が異常に下がりだした17年7月は、日田などで人的被害も出た九州豪雨のあった月だ。一方で、昨夏は耶馬渓ダム(中津市)が干上がるほど少雨だったが、池には満々と水があった。元区長らの嫌がらせ以外に考えられない。
.

 −現在の生活は。

 県内の賃貸アパートに妻(72)と2人で暮らしている。長男は施設に預け、家族がバラバラに暮らさざるを得ない状態だ。家賃や施設利用料も新たに発生し経済的負担は重い。年金生活だから貯蓄を取り崩さざるをえず、人生設計が狂った。なにより一緒に暮らせなくなった長男に申し訳ない。盾突いたからといって、他人の生活まで脅かし、人生も狂わせるほどの仕返しをする必要があるのか。

説得にも聞く耳持たず 集落の元区長男性(70)

 −なぜ、ごみ出し禁止や行政広報誌の配布を中止したのか。

 集落のごみステーションは、自治区構成員の土地に自治区が金を出して作った。男性は退会したのだからごみを置く権利はない。行政広報誌は役員が構成員に配布するものであり、男性に配る義務はない。
.

 −2017年7、8月に、原告の家が取水できなくなったのは、元区長ら集落の男性2人が農業用ため池の水位を故意に低下させたからだと主張している。

 まったくの的外れだ。その時期は水田に水を供給しなければならない。雨が降らなければ池の水は減り、水位が下がるのは当然。池に流れ込む水を途中でせき止める権利もわれわれにはなく、流入量をわざと減らすこともできない。それは男性も知っているはずだ。男性は「池に水が入ってこない」と勝手に水路の堰(せき)板を調整し周辺集落から頻繁にクレームが来た。そのたびに頭を下げたのは私たちだ。どちらが被害者か。
.

 −対立がここまで先鋭化した理由は。

 10戸ほどの小さな集落に来てくれるからと最初は歓迎し、池の使用が認められるよう集落全世帯の同意も取りまとめた。男性より数年早く移住した別の6人家族は集落に溶け込んでいる。移住者が住みにくいわけでは決してない。強調したいのは、彼ら家族が勝手に出ていったということ。彼には「われわれもいたらない部分はある。でも慣例やしきたりがあり、すぐには変えられない。徐々に変えていけばいいじゃないか」と説得した。自分が正しいと聞く耳を持たなかったのは彼だ。
.

取水保護の責任はない 池管理の地元土地改良区

 −男性は、土地改良区が池から取水できるよう維持管理する義務を怠ったと訴えている。

 まず確認しておきたいのはため池は農業利水用だということ。2006年11月、集落側から全世帯の同意書を提出されたため、同年12月、「特別の配慮」で池からの取水を許可した。同時に男性には、池の水位が下がったり、池干しなどのため取水ができなくなったりしても、改良区に異議を申し立てないという誓約書を出してもらっている。農業利水が最優先で、改良区には、男性が取水できるようにため池を管理する法的責任はないと考える。

−集落側から2017年1月、改良区に取水同意についての取り下げ書が提出された。男性への取水許可は無効になっているのか。

 保留と考えている。家族の生活権もあるため、集落から同意取り下げ書が提出されたからといって、一方的に許可を取り消すわけにもいかない。ただ、改良区の構成員でもある集落側の意向を無視するわけにもいかない。非常に難しい立場だということを男性には理解してほしい。
.

 −改良区は集落寄りだと男性は指摘している。

 過去、農業用ため池なのに、飲料用以外の生活雑用水として男性に取水させていることに、県から疑義が指摘されたこともあった。だが、集落の同意もあるからと男性の取水権を守った。集落と男性の仲介役として話し合いの場も設定したが、男性は姿を現さなかった。改良区には法的責任はなく、集落のもめ事をこれ以上調整することも困難だと考えている。
.

先鋭化させないシステム急務 大東文化大・島田恵司教授(自治体政策論)

 人口減少で移住者の受け入れに積極的な自治体は多いが、各地で元々の住民との摩擦が問題となっている。解決が困難なケースもあり、行政は問題が起こることを前提に、対立を先鋭化させないシステム作りを行う必要がある。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c143

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
510. 中川隆[-12795] koaQ7Jey 2019年1月22日 17:43:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]


「村八分訴訟」衝突はなぜ起きた? 「Uターン者のトラブル少なくない」専門家は警告
1/22(火) 9:48配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00010003-nishinpc-soci

起きた? 「Uターン者のトラブル少なくない」専門家は警告


訴状を持って大分地裁に入る原告側の代理人弁護士


 大分県中部の集落に移住した男性(73)の家族3人が21日、「村八分」の扱いを受け転居せざるを得なくなったとして損害賠償を求めて大分地裁に提訴した。近年、UターンやIターンなどが一部の都市生活者に人気となっているが、専門家は「元々の住民と価値観の相違などからトラブルになるケースは少なくない」と警告する。なぜ衝突は起こったのか。男性、訴えられた元区長(70)や土地改良区、専門家に意見を聞いた。
.

元区長主導の仕返しだ 移住者の原告男性(73)

 −なぜこの集落に移住したのか。

 集落に住んでいた故人の男性に歓迎するからと強く勧められたことが大きかった。池に近い静かな環境は障害のある長男(46)と同居するには最適だと思った。元区長男性(70)も「よく来てくれた」と、池から取水するための同意書作りにも汗を流してくれた。当時は本当に感謝していた。

 ただ自治区の運営方法などで元区長の身勝手な振る舞いが多く、ついていけないとの思いが徐々に募り退会した。元区長はメンツをつぶされたと思ったのか、元区長主導による集落の「村八分」が始まった。
.

 −池の水が減ったのは農業用水として使用されたからだと元区長は主張する。

 約10年暮らし、雨が少ない年もあったが、取水ができないほど水位が低下する年は一度もなかった。池の水位が異常に下がりだした17年7月は、日田などで人的被害も出た九州豪雨のあった月だ。一方で、昨夏は耶馬渓ダム(中津市)が干上がるほど少雨だったが、池には満々と水があった。元区長らの嫌がらせ以外に考えられない。
.

 −現在の生活は。

 県内の賃貸アパートに妻(72)と2人で暮らしている。長男は施設に預け、家族がバラバラに暮らさざるを得ない状態だ。家賃や施設利用料も新たに発生し経済的負担は重い。年金生活だから貯蓄を取り崩さざるをえず、人生設計が狂った。なにより一緒に暮らせなくなった長男に申し訳ない。盾突いたからといって、他人の生活まで脅かし、人生も狂わせるほどの仕返しをする必要があるのか。

説得にも聞く耳持たず 集落の元区長男性(70)

 −なぜ、ごみ出し禁止や行政広報誌の配布を中止したのか。

 集落のごみステーションは、自治区構成員の土地に自治区が金を出して作った。男性は退会したのだからごみを置く権利はない。行政広報誌は役員が構成員に配布するものであり、男性に配る義務はない。
.

 −2017年7、8月に、原告の家が取水できなくなったのは、元区長ら集落の男性2人が農業用ため池の水位を故意に低下させたからだと主張している。

 まったくの的外れだ。その時期は水田に水を供給しなければならない。雨が降らなければ池の水は減り、水位が下がるのは当然。池に流れ込む水を途中でせき止める権利もわれわれにはなく、流入量をわざと減らすこともできない。それは男性も知っているはずだ。男性は「池に水が入ってこない」と勝手に水路の堰(せき)板を調整し周辺集落から頻繁にクレームが来た。そのたびに頭を下げたのは私たちだ。どちらが被害者か。
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 −対立がここまで先鋭化した理由は。

 10戸ほどの小さな集落に来てくれるからと最初は歓迎し、池の使用が認められるよう集落全世帯の同意も取りまとめた。男性より数年早く移住した別の6人家族は集落に溶け込んでいる。移住者が住みにくいわけでは決してない。強調したいのは、彼ら家族が勝手に出ていったということ。彼には「われわれもいたらない部分はある。でも慣例やしきたりがあり、すぐには変えられない。徐々に変えていけばいいじゃないか」と説得した。自分が正しいと聞く耳を持たなかったのは彼だ。
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取水保護の責任はない 池管理の地元土地改良区

 −男性は、土地改良区が池から取水できるよう維持管理する義務を怠ったと訴えている。

 まず確認しておきたいのはため池は農業利水用だということ。2006年11月、集落側から全世帯の同意書を提出されたため、同年12月、「特別の配慮」で池からの取水を許可した。同時に男性には、池の水位が下がったり、池干しなどのため取水ができなくなったりしても、改良区に異議を申し立てないという誓約書を出してもらっている。農業利水が最優先で、改良区には、男性が取水できるようにため池を管理する法的責任はないと考える。

−集落側から2017年1月、改良区に取水同意についての取り下げ書が提出された。男性への取水許可は無効になっているのか。

 保留と考えている。家族の生活権もあるため、集落から同意取り下げ書が提出されたからといって、一方的に許可を取り消すわけにもいかない。ただ、改良区の構成員でもある集落側の意向を無視するわけにもいかない。非常に難しい立場だということを男性には理解してほしい。
.

 −改良区は集落寄りだと男性は指摘している。

 過去、農業用ため池なのに、飲料用以外の生活雑用水として男性に取水させていることに、県から疑義が指摘されたこともあった。だが、集落の同意もあるからと男性の取水権を守った。集落と男性の仲介役として話し合いの場も設定したが、男性は姿を現さなかった。改良区には法的責任はなく、集落のもめ事をこれ以上調整することも困難だと考えている。
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先鋭化させないシステム急務 大東文化大・島田恵司教授(自治体政策論)

 人口減少で移住者の受け入れに積極的な自治体は多いが、各地で元々の住民との摩擦が問題となっている。解決が困難なケースもあり、行政は問題が起こることを前提に、対立を先鋭化させないシステム作りを行う必要がある。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c510

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
165. 中川隆[-12794] koaQ7Jey 2019年1月22日 19:24:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

日本人のルーツをさぐる旅 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%92%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8B%E6%97%85&sp=mAEB


2018/08/29 に公開
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c165

[近代史3] 宮脇淳子 皇帝たちの中国  中川隆
3. 中川隆[-12792] koaQ7Jey 2019年1月22日 19:54:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

「番外編:皇帝たちの中国 その後の皇帝たち「アヘン戦争から日本の近代が始まった〜第八代道光帝」
宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Pn6mzjLpiLA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html#c3
[政治・選挙・NHK256] 音を立てて崩れ始めた「南京大虐殺」の嘘 虚構が生き残る道は中国の政治的主張のみに  うまき
1. 中川隆[-12791] koaQ7Jey 2019年1月22日 22:43:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html

南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/559.html#c1

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
14. 中川隆[-12790] koaQ7Jey 2019年1月23日 09:30:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
2019.01.23
イギリスの軍と情報機関によるロシアを悪魔化して描く極秘の心理作戦が発覚

 ​アノニマス(匿名)を名乗るハッカー集団​が昨年(2018年)11月、あるNGOに関する文書を公開した。そのNGOはインテグリティ・イニシアティブ。イギリスの軍と情報機関による極秘の心理作戦を実行、その活動範囲はアメリカにも拡大し、同国の国務省、FBI、DHS(国土安全保障省)、あるいは有力シンクタンクに強力な同盟者を育成していることが明らかになった。原資の200万ドルはイギリスの外務省が出したという。

 プロジェクトの内容は第2次世界大戦が終わって間もない頃にアメリカで始まった情報操作プロジェクト、モッキンバードに似ていると言われている。

 モッキンバードで中心的な役割を果たしたのは4名。ウォール街の弁護士でOSSやCIAに君臨していたアレン・ダレス、やはりウォール街の弁護士でアレンの側近として破壊工作を指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で国際決済銀行初代頭取の孫であるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。

 フィリップ・グラハムの妻、キャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。フィリップはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺している。キャサリンの父は世界銀行の初代総裁だ。ニクソン辞任で副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領時代、政府内からデタント派が粛清されてネオコンが台頭したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。

 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近い。事実上、取材はバーンスタインが行ったようだ。

 そのバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 当然のことながら、CIAの工作は国境を越える。​フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテ​は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。

 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。出版されたはずの英語版は市場に出てこなかった。

 インテグリティ・イニシアティブも人びとがロシアに敵意を持つように誘導する。そのネットワーク内に含まれるウィリアム・ブラウダーはアメリカ支配層の対ロシア戦争で重要な役割を果たしている。

 この人物はボリス・エリツィン時代のロシアでクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築いたひとり。不正な手段で手に入れた資産をロシアから持ち出すために使われた銀行のひとつ、リパブリック・ナショナル銀行ニューヨークを創設した人物とヘルミテージ・キャピタル・マネージメントなる会社を共同で創設したのがプラウダーだ。

 この金融ネットワークでマネーロンダリングしていたとロシア当局はにらみ、ブラウダーが雇っていたセルゲイ・マグニツキーが2008年に逮捕される。マグニツキーを弁護士だとする人もいるが、実際は会計士。経済犯罪の鍵を握る人物だったと言われている。

 そのマグニツキーは取調中に死亡、西側では拷問で殺されたと宣伝されてきた。この人物は心臓病を抱えていたことから病死だと考える人が少なくないが、口封じされたと疑っている人もいる。ブラウダーは2013年に欠席裁判で懲役9年の判決を受けているが、ロシアの逮捕令状要請はインターポールが拒否している。

 インテグリティ・イニシアティブが重要視しているのはドイツだが、その矛先はイギリス労働党のジェレミー・コービン党首やドナルド・トランプ米大統領にも向けられている。西側の有力メディアやアメリカの民主党が盛んに宣伝しているロシアゲートの発端になった根拠薄弱で信頼度の低い報告書を作った元MI6オフィサーのクリストファー・スティールはブラウダーにも雇われていた。

 日本のマスコミが権力者の走狗にすぎないことは言うまでもないが、日本で崇拝者が少なくないアメリカやイギリスをはじめとする西側の有力メディアも同類だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901230000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c14

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
139. 中川隆[-12789] koaQ7Jey 2019年1月23日 09:30:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
2019.01.23
イギリスの軍と情報機関によるロシアを悪魔化して描く極秘の心理作戦が発覚

 ​アノニマス(匿名)を名乗るハッカー集団​が昨年(2018年)11月、あるNGOに関する文書を公開した。そのNGOはインテグリティ・イニシアティブ。イギリスの軍と情報機関による極秘の心理作戦を実行、その活動範囲はアメリカにも拡大し、同国の国務省、FBI、DHS(国土安全保障省)、あるいは有力シンクタンクに強力な同盟者を育成していることが明らかになった。原資の200万ドルはイギリスの外務省が出したという。

 プロジェクトの内容は第2次世界大戦が終わって間もない頃にアメリカで始まった情報操作プロジェクト、モッキンバードに似ていると言われている。

 モッキンバードで中心的な役割を果たしたのは4名。ウォール街の弁護士でOSSやCIAに君臨していたアレン・ダレス、やはりウォール街の弁護士でアレンの側近として破壊工作を指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で国際決済銀行初代頭取の孫であるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。

 フィリップ・グラハムの妻、キャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。フィリップはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺している。キャサリンの父は世界銀行の初代総裁だ。ニクソン辞任で副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領時代、政府内からデタント派が粛清されてネオコンが台頭したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。

 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近い。事実上、取材はバーンスタインが行ったようだ。

 そのバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 当然のことながら、CIAの工作は国境を越える。​フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテ​は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。

 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。出版されたはずの英語版は市場に出てこなかった。

 インテグリティ・イニシアティブも人びとがロシアに敵意を持つように誘導する。そのネットワーク内に含まれるウィリアム・ブラウダーはアメリカ支配層の対ロシア戦争で重要な役割を果たしている。

 この人物はボリス・エリツィン時代のロシアでクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築いたひとり。不正な手段で手に入れた資産をロシアから持ち出すために使われた銀行のひとつ、リパブリック・ナショナル銀行ニューヨークを創設した人物とヘルミテージ・キャピタル・マネージメントなる会社を共同で創設したのがプラウダーだ。

 この金融ネットワークでマネーロンダリングしていたとロシア当局はにらみ、ブラウダーが雇っていたセルゲイ・マグニツキーが2008年に逮捕される。マグニツキーを弁護士だとする人もいるが、実際は会計士。経済犯罪の鍵を握る人物だったと言われている。

 そのマグニツキーは取調中に死亡、西側では拷問で殺されたと宣伝されてきた。この人物は心臓病を抱えていたことから病死だと考える人が少なくないが、口封じされたと疑っている人もいる。ブラウダーは2013年に欠席裁判で懲役9年の判決を受けているが、ロシアの逮捕令状要請はインターポールが拒否している。

 インテグリティ・イニシアティブが重要視しているのはドイツだが、その矛先はイギリス労働党のジェレミー・コービン党首やドナルド・トランプ米大統領にも向けられている。西側の有力メディアやアメリカの民主党が盛んに宣伝しているロシアゲートの発端になった根拠薄弱で信頼度の低い報告書を作った元MI6オフィサーのクリストファー・スティールはブラウダーにも雇われていた。

 日本のマスコミが権力者の走狗にすぎないことは言うまでもないが、日本で崇拝者が少なくないアメリカやイギリスをはじめとする西側の有力メディアも同類だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901230000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c139

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
21. 中川隆[-12788] koaQ7Jey 2019年1月23日 09:32:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

ゴーン容疑者、課税逃れか=税務上居住地オランダに−仏報道
2019年01月11日01時20分


 【パリ時事】10日付のフランス紙リベラシオンは、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン容疑者が、2012年に税務上の居住地をフランスからオランダに移していたと報じた。フランス居住者を対象とした富裕税の課税逃れを企てた可能性がある。


 リベラシオンによれば、税務上の居住地として登録するには少なくとも年間183日の居住実績が必要。同紙は、主にパリと日本を行き来する生活のゴーン容疑者がこの要件を満たしていた可能性は低いと指摘した。
 リベラシオンは、ゴーン容疑者の納税回避額は伝えていない。富裕税は12年の制度改正で高額所得者への課税が強化され、マクロン大統領が昨年1月に廃止した。(2019/01/11-01:20)

_______

「公共心欠ける」と批判=ゴーン容疑者の課税逃れ−仏
2019年01月11日07時39分

 【パリ時事】日産自動車の前会長カルロス・ゴーン容疑者が、フランスの富裕税課税を逃れるためオランダに税務上の居住地を移していたとされる問題で、仏ラジオ・ヨーロッパ1は10日、「公共心に欠け、違法性が無くても大問題だ」と指摘した。同容疑者が会長兼最高経営責任者(CEO)を務める仏自動車大手ルノーの労組幹部は仏テレビに対し「我慢できない」と反発した。


 ヨーロッパ1は、ゴーン容疑者の逮捕直後の昨年11月、ルメール仏経済・財務相が同容疑者の仏国内での納税状況に関し「報告すべき特別な点はない」と説明したことについて「うそだったのではないか」と批判した。

 税務上の居住者となるには、オランダではフランスと同様、原則年間183日以上の滞在が必要。仏紙リベラシオンは、主にパリと日本を行き来するゴーン容疑者がこの要件を満たす可能性は低いと指摘した。(2019/01/11-07:39)


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c21

[お知らせ・管理21] 2019年01月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
61. 中川隆[-12787] koaQ7Jey 2019年1月23日 09:39:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
>新共産主義クラブはあちこちの板で荒らしをしている工作員ですよ。

どこの組織の工作員ともいえないから、工作員では有り得ないよ。

阿修羅で工作員だと確認されているのは中国工作員の赤かぶだけだよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/544.html#c61

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
3. 中川隆[-12786] koaQ7Jey 2019年1月23日 10:17:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
“増税、入管法反対”で官邸を追われた「藤井聡」官房参与語る「日本の未来は最悪に…」
政治週刊新潮 2019年1月17日号掲載


藤井聡
“イエスマン”以外は去って行く



 多くの会社で仕事納めとなった先月28日。この日、日本の中枢、安倍官邸でも、一人の男がその仕事を終えようとしていた。

「2012年以来、内閣官房参与として、安倍政権の国土強靭化政策の旗振り役をしていた藤井聡京大教授が、28日付で辞任を発表したのです」(政治部記者)

 任期を全うしての辞任であれば、ことさら注目を集めることもなかったであろう今回の人事。しかし、

「藤井さんが消費増税反対の急先鋒だったことから、更迭されたのではないかとの憶測が飛び交ったんです。彼は昨年11月、『しんぶん赤旗』にまで登場して増税批判を展開。これに菅官房長官が激怒し、半ば追われる形で官邸を去ったのでは、と囁かれているのです」(同)

 真相やいかに。藤井氏ご当人に話を聞いてみると、

「昨年12月に閣議決定された国土強靭化の5カ年計画を一区切りとして、これからは、本分である学究の分野で、自分の考えを主張していこうと思ったんです。総理とも相談の上、辞任を決めました」

 今後は安倍政権に対しても是々非々の立場で言論活動を行っていくという。

「安倍政権は、5%であった消費税を8%に増税し、今秋には10%に引き上げようとしています。こうして経済に圧力をかけ続ければ、デフレ脱却や経済再生は不可能。経済再生なき財政再建などあり得ませんし、今度の消費増税でデフレ脱却に失敗すれば、日本の未来は最悪なものとなるでしょう」

 さらに藤井氏が異を唱えるのは増税だけでない。

「入管法改正という名の“移民政策”など、経済、社会を混乱させるグローバリズムを加速させた。このような政策は本来、保守とは対極にある考え方で、一線を越えたと考える国民が保守層含めて急速に増えています」

 手枷足枷の取れた藤井氏に官邸もヒヤヒヤ?
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01210558/?all=1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c3

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
58. 2019年1月23日 11:46:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c58
[リバイバル3] 中川隆 _ 中国関係投稿リンク 中川隆
7. 中川隆[-12785] koaQ7Jey 2019年1月23日 12:04:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

日本はもうすぐ中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/186.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/925.html#c7
[近代史3] 日本はもうすぐ中国小日本省になる 中川隆
1. 中川隆[-12784] koaQ7Jey 2019年1月23日 12:07:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
中国人移民を入れると日本人は絶滅する


1. 沖縄や北海道で中国系住民が過半数になったら独立宣言して中国小日本省になる

2. 中国軍が自国民保護という名目で沖縄や北海道を占領

3. 日本人浄化にとりかかる

4. 日本政府は遺憾の意を表するが、これは中国の内政問題だとして相手にされない


ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html

▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


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「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html

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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/186.html#c1

[近代史3] 外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている 中川隆
1. 中川隆[-12783] koaQ7Jey 2019年1月23日 15:44:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入 2018年04月30日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html


なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!

日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!

日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。

文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。

マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。

公道カートなんて、

日本人が馬鹿にされているんですよ。

わかりますか?

貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。

対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)

公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28

やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。

私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。


外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)


未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。

一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。


外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?

ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?

それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。

金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。

それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。

(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)

こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。

日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。

例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。

もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。

でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?

日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。

これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。

外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。

外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。

今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。

これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。

外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る


「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。

この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。


https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html

https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html

日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。

安倍首相が人為的に操作しているのです。

日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。

グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。

貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。

観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。

押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)

私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。

パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。


世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。

「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html

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世界でバカにされる日本人 - 今すぐ知っておきたい本当のこと - (ワニブックスPLUS新書)
谷本 真由美 ワニブックス 2018-08-22
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GDB23F7?tag=cakespoc-22

海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698


日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。

かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。

特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。

ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。

相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」

ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。

子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。

ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。

生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。

さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。

彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。

ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。

これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。

東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。

そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。

また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。

東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。

ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。

日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。

言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。

魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。

そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。

もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。

しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。

アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。

そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。

こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。

日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。

日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。


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地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html


落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)


 東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)


 地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。

 「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。

 「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」

 壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。

 2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。

 日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。

 ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。

 ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。

 昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。

 前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。

 日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html



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自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html


以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印

海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。

こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。

ところで、こんなニュースがひっそりとありました。


9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。

 小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
 下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。

ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ

以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。

欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。


日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜

今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。

今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*

インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。


【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」


ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。


日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。

とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?

日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。

<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。

この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。


 現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。

 私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。

仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。

このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。

だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。

それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?

大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。

中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?

南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。

外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。

日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。


よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。

そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。


私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。

むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。

外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。

その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。

日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。

海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。

元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応

プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。

国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。

EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。

それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。

だからといって野党を応援しているわけではありません。

「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」

このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。

工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?

内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る

ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。

「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及

自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。

移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。

日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。

携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。

そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。

余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。

人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。

それをやるのが政治です。

それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る

日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。

外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。

日本人 大丈夫?

日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html#c1

[近代史3] 外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている 中川隆
2. 中川隆[-12782] koaQ7Jey 2019年1月23日 15:54:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

日本に来る外人観光客が増えたのは日本の物価が先進国で一番安いからだった


外国人観光客が、なぜ日本に殺到するのか。
それは、良い品質やサービスが異様に安いからです。

はっきり言いますが、一部のサービスについて、日本はすでに東南アジアよりも安いのです(しかも、品質は良い)。


 日本国は、デフレにより貧国化しました。ところが、確かに「日本人の優秀性」というものは存在し、低価格の製品やサービスであっても、相対的に品質は高いのです。それはまあ、外国人観光客が、 「安く良いものが手に入る」と、日本国に殺到するわけです。


我が国は97年の橋本緊縮財政により経済がデフレ化し、「ヒトが買い叩かれる時代」が始まりました。


 経営者は設備投資をせず、資本装備率はだだ下がり。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「ヒトの根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至ります。


 とはいえ、少子高齢化、生産年齢人口比率の低下を受け、すでに「優秀で真面目な日本人を安く買い叩ける」時代は終了しました。


 ところが、経営者は未だにデフレマインドのままで、「ヒトを安く買い叩く」ことのみを求め、資本主義に必須の「リスクを伴う生産性向上のための投資」に乗り出そうとしません。


 とはいえ、生産年齢人口の縮小という「巨大な圧力」は、企業経営者に否応なしに「生産性向上のための投資」を迫ります。つまりは、政府が人手不足の問題を「放置」しておけば、企業は生産性向上のための投資に乗り出さざるを得なかったはずなのです(実際には、始まっていますが)。


 それにも関わらず、安倍政権はどう動いたか。
「人手不足ならば、移民(外国人労働者)を入れよう」
 と、日本人の生産性向上ではなく、移民受入で人手不足を埋めようと図る。


 これ以上、最悪の選択は、思いつきません。


 こんな国は、普通に亡びます。むしろ、亡ばない理由を教えて欲しいです。


 何しろ、少子化で日本人が少なくなっていく反対側で、出生率が高い移民受入を拡大しようとしているわけです。半世紀後には、日本列島に住む日本人は少数派になっていることでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12410850852.html



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「東京」が初のトップに!英国人にとってお得な長距離旅行先―英メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年9月21日(木) 15時50分


英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

この「長距離旅行報告」という名の年度調査はコーヒー1杯、ドリンク1本、コーラ1缶、ワイン1杯、カクテル1杯、板チョコレート1枚、ミネラルウォーター1本、日焼け止めクリーム、虫よけスプレー及びペアのコース料理の10項目のコストにより調査を行っている。

英「デイリーテレグラフ」による調査結果の報道では、東京は10項目の合計が48.9英ポンド(1英ポンドは約151円)で、旅行先30都市のうちトップだった。同調査が開始されてから10年目になるが、東京は初のトップで10項目の費用は去年より23%安くなっており、2012年と比べると60%安くなっている。

トップ10は東京に続き、南アフリカのケープタウン、ケニアのモンバサ、スリランカのコロンボ、ベトナムのハノイ、インドネシアのバリ島、コスタリカのタマリンド、米国のオーランド、マレーシアのペナン島、ドミニカのプンタカナの順となっている。

一方で最も高い旅行先はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで10項目合計160英ポンドという結果になった。ペアのコース料理が1食につき107.85英ポンドかかり、ドリンクは1本は平均で4.07英ポンドとなっている。(提供/人民網日本語版・編集TK)

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世界各国のビックマック価格

購買力平価という考え方がある。

世界各国の物価水準は摩擦が無く貿易されれば同じ物なら同じ価格になるように為替水準は調整されるはず、という理論だ。

そして世界中で売られているマクドナルドのビックマックを基準に購買力平価を計算したものが「ビックマック指数」だ。

以下の一覧は2015年1月時点で円換算した際の価格だ(1ドル117.77円 56か国)。

1位 スイス      888円 2.4倍
2位 ノルウェー    742円 2.01倍
6位 アメリカ     564円 1.52倍
15位 オーストラリア 509円 1.38倍
18位 ドイツ      501円 1.35倍
38位 日本       370円 

※ルクセンブルクは調査対象外
(世界のビッグマック価格ランキング 世界経済のネタ帳)
http://blogos.com/article/110634/


500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。

私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。

私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。

しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
http://blogos.com/article/187248/


食事も旅の楽しみの1つですが、スイスでは持ち帰り用のデリでも2,000〜3,000円かかります。

レストランでの食事は、場所にもよりますが、ファミレスのような場所で約2,500円、

雰囲気のよい店舗では最低6,000円は見積もらないといけないでしょう。

さらに良いサービスを受けたときは、10%ほどのチップを支払うのがマナーですので、それも勘定にプラスしなければなりません。

スイスのビックマックセットは12スイスフラン(1,440円)。

ポテトチップスは1袋700円以上します。


物価の高い理由、それはずばり人件費が高いからです。

スイスではファーストフード店でアルバイトした場合でも、時給は2,500円ももらえます。人件費がかかる分、商品の価格が高くなってしまうのです。
http://www.spintheearth.net/travel_switzerland_price/


スイスのチューリッヒは、世界の中でも物価の高い都市として知られる。

駅でミネラルウォーターを買えば4フラン、トイレの使用料に2フラン、つまり水を飲んで用を足すだけで6フラン(約600円)もかかる計算になる。

一説には、高技能職の移民以外は受け入れないために、あえて物価を高くしているとの説もあるほどだ。

一方、スイスの最低賃金は、毎月3500フラン(約35万円)にも上る。

これほどの高賃金だから物価が高くても生活できるわけだが、一般的な経済原則に反して、高賃金にも関わらず失業率も低い。
http://media.yucasee.jp/offshore-news/posts/index/646



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マカオ転職で給料4倍! このままでは日本の賃金が危ない! 2018年10月23日
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/23/news046.html#utm_source=yahoo_v3&utm_medium=feed&utm_campaign=20181112-013&utm_term=zdn_mkt-bus_all&utm_content=rel1-1


 日本で働いていた料理人がマカオのレストランに転職が決まり、年収が4倍になったという話がネットで話題となっている。

 中国の都市圏における経済発展は日本の想像をはるかに超えており、日本はアジアの中でも賃金が安い国となりつつある。日本人が仕送りなどを目的にアジアに出稼ぎに行くようになる日はそう遠くないのかもしれない。

アジアと日本の賃金の差が浮き彫りに。写真はマカオの繁華街(写真提供:ゲッティイメージズ)
アジアと日本の賃金の差が浮き彫りに。写真はマカオの繁華街(写真提供:ゲッティイメージズ)

アジアの賃金は想像以上に上がっている

 Twitterで情報発信している和食の料理人が、マカオのレストランへの転職が決まったとつぶやいたところ、日本とのあまりの待遇差にネット上でちょっとした話題となった。年収が4倍になり、医療費(歯科通院含む)も会社が100%負担してくれるという。

 現地レストランでのポストは副料理長ということなので、能力が高い人物の話ではあるが、同じスキルの人物でここまで年収に差が付くというのは少々驚きである。

 2017年における日本の1人あたりGDP(国内総生産)は3万8000ドル(430万円)だったが、マカオは7万7000ドル(約870万円)と日本の2倍以上もある。1人あたりのGDPは、その国の平均賃金と考えて差し支えないので、マカオでは平均的なビジネスマンが800万円以上の年収を稼ぐことは特に不思議なことではない。

 マカオは大規模なカジノが軒を連ねており、世界でも有数の豊かな地域として知られている。一方、日本ではサービス業に従事する人の賃金が異様に低いという事情もある。今回のケースはやや特殊な部類に入るかもしれないが、アジア全域で人件費が高騰しているのは事実である。

 マカオのお隣、香港の1人当たりGDPは4万6000ドル、シンガポールの1人あたりGDPは5万7000ドルといずれも日本より多い。中国は国土が広く、内陸部には貧しい地域もあるので全体の平均値は低いが、上海や深センなど沿岸都市部におけるホワイトカラー層の収入は、マカオや香港、シンガポールに近づきつつある。

 こうした地域でちょっとしたお店で夕食を食べると、料金が1万円近くになるのはごく普通のことなので、日本が相対的に貧しくなっているのは間違いない。


日本で携帯電話の料金が高く感じるのは経済力低下が原因

 こうした傾向は大卒の初任給にも如実に表われている。17年、中国の通信機器メーカー・華為技術(ファーウェイ)の日本法人が大卒初任給として40万円以上を提示したことが大きな話題となった。同社が就職情報誌で提示した新卒の初任給は、学部卒が約40万円、修士修了で約43万円。日本企業の大卒初任給は20万円程度、比較的給料が高い企業でも25万円程度なので、ファーウェイが圧倒的に高給であることは明らかだ。

大卒の初任給が高いと話題になったファーウェイだが……
大卒の初任給が高いと話題になったファーウェイだが……

 しかしファーウェイは日本人向けに特に高い年収を提示しているわけではない。

 近年はグローバル化の進展で、企業活動の標準化が全世界レベルで進んでおり、一定水準以上の企業の場合、社員の待遇についても、地域間での格差が縮小している。欧米企業における技術系社員の初任給は50万円台というところが多いので、ファーウェイ日本法人の初任給が特別高いというわけではない。

 日本では携帯電話の料金引き下げが政治問題となっている。携帯料金が高すぎるという政府の見解は半分間違っているが、半分は当たっている。

 携帯電話は典型的な設備産業であり、どの企業も同じような設備投資を行っている。規制料金が設定されていない限り、地域によって極端に通信料金に差が出ることはなく、総務省の比較調査でも日本だけが突出して料金が高いという結果にはなっていない。

 だが日本人の所得が相対的に下がっている現状では、同じ通信料金でも生活に与えるインパクトは違ってくる。通信料金が月1万円だったとして、大卒初任給が40万円の国と20万円の国では、料金に対する印象が異なるのは当然の結果といってよいだろう。

「中抜き」のビジネス慣習を見直すだけでも効果あり

 こうした事態を根本的に打開するためには、日本がもっと経済成長するしか方法はないのだが、ビジネスの慣習を見直すだけでもそれなりの効果がある。

 日本は現在、深刻な人手不足に陥っているが、その理由は人口減少だけではない。企業が過剰に人員を抱え込んでおり、本来は1人でできる仕事を1.5人あるいは2人で行っているというケースが多いのだ。業務をスリム化すれば、人手不足の一部は解消できる。

 例えば、日本で住宅設備の取り付けや修理といった各種作業を依頼した場合、顧客が支払った料金に対して、実際に作業をしている労働者が受け取る賃金はかなり少ない。仕事を仲介する事務的な作業に過剰なホワイトカラーが従事しており、これが全体の生産性を著しく下げている。

 欧米に行くと、それほど単価が高くない仕事をしている労働者が、大きなマイホームを購入していて驚かされることがある。こうした生活が実現できているのは、日本のような「中抜き」が少なく、労働者に代金の多くが渡っているからである。

 肥大化した事務部門が中間搾取する事業構造を見直さないと、賃金は上昇しないし、人手不足はますます深刻になるばかりだ。高いスキルを持った人ほど、海外で就労するチャンスを見出す結果となってしまうだろう。日本人がアジアに出稼ぎに行く時代の到来を懸念する前に、やるべきことはたくさんあるはずだ。




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日本を選んで"貧困"に落ちた中国人の後悔 上海のお手伝いさんより月給が安い
https://president.jp/articles/-/26878
2018.12.10  フリージャーナリスト 姫田 小夏 PRESIDENT Online

「中国は日本よりも生活水準が低い」というのは過去の話だ。都内の大手メーカーに勤務する永住者の中国人女性は「上海の友人のお手伝いさんは、自分よりも月給が高い」と嘆く。また埼玉県に住む50代の中国人男性は「“全身エルメス尽くし”の知人を満足にもてなす余裕がない」と話す。日本で働く中国人たちの本音とは――。


日本のパスポートは憧れ“だった”

10年ほど前、上海である商談に臨席したときのことだ。同行させてもらった男性が、日本の名前を刷り込んだ名刺を渡そうとした瞬間、客先の中国人女性からこんな言葉が口をついてでた。

「あなた本当に日本人なの?」

その質問に対し、「いえ、帰化したんです」と男性が答えると、中国人女性はすかさずこう言ったのだ。

「なーんだ、ニセの日本人か」

その物言いは確かに皮肉たっぷりだった。だが、名刺を渡した男性も、そして筆者も彼女がその言葉を発した根底に嫉妬心があることを知っていた。当時、「日本のパスポート」を持つことは中国の人々の憧れでもあったからだ。

日本の暮らしを選んだ中国人は満足しているか

日本で生計を営む中国出身の人々は少なくない。法務省によれば、2017年末の在留外国人数は約256万人、そのうち中国を祖国に持つ人たちは全体の3割を占め73万人にものぼる。永住者や留学生、日本人を配偶者にした人たちなどがこの日本で生活しているのだ。他方、日本には中国籍を捨て日本に帰化した人たちもいる。1952年〜2017年の統計(法務省民事局)を累計すると、その数は14万1668人を数える。だが、日本での暮らしを選んだ彼らは今、その生活に本当に満足しているのだろうか。

朱麗さん(仮名)は永住者として都内の大手メーカーに勤務する20代の女性だ。筆者はこの中国人の朱さんと池袋の喫茶店でお茶をした。よもやま話が続いた後、朱さんはおもむろにスマホの画像を差し出してこう切り出した。

「これね、すごく高級な茶葉なの。誰からもらったと思います? 幼なじみの家のアーイーからもらったんです」

アーイー(阿姨)とはお手伝いさんを意味する中国語だ。聞けば、朱さんが上海に一時帰国した際に訪れた幼なじみの家で、お手伝いさんからお土産として高級茶葉を渡されたのだという。

筆者からすれば耳を疑う話だ。お手伝いさんは主(あるじ)に雇われる低賃金労働者であり、「低賃金でこき使われている」というのがその典型だからだ。たまに理解のある雇用主が、気を遣って便宜を図ることがあっても、外省出身のお手伝いさんが「(上海人の)主の友人にお土産を直接渡す」なんて考えられない。

お手伝いさんの月給は32万円

朱さんはこのお手伝いさんについてこう語り始めた。

「幼なじみの友人はそのアーイーに2万元(約32万円)の月給を渡しているそうなんです。最近、上海ではアーイーの需要がすごくて、まれに1万元(約16万円)を超える月給をもらう人も出てきました。確かにこのアーイーは学歴があるようなんですが、だからと言って2万元はあり得ない。私の日本の月給を超えているんですよ!」

“お手伝いさんからもらった高級茶葉”は、「あなたより私のほうが上」という無言のメッセージだったのか。茶葉は朱さんに大きなショックを与えた。さらに朱さんのショックは、「2万元」をポンと払える幼なじみ夫婦にも向けられていた。

幼なじみ夫婦はともに上海の外資系勤務。その暮らしぶりのよさは、自宅マンションの立地や室内の家具からも伝わってきた。朱さんによれば、「早晩子どもが生まれる予定の幼なじみは、この学歴あるアーイーを家庭教師にさせるつもりで、今から高給で囲い込んでいるのではないか」と語る。

一方の朱さんは、新卒採用で都内の有名大手企業に入社した上海出身者だ。今の職場には不満はない。人間関係もいいし、仕事の内容も充実している。だが、ひとつだけ気に食わない点があった。それは「日本企業の給料の低さ」だった。

「上海に帰ってお手伝いさんでもやろうかな」

「私は家族と同居だから家賃や光熱費は考えなくてもいいけど、そうでない場合は大変です。母国との往復もしなければならない外国人にとって、手取り十数万円なんかじゃ生きていけないのです」

そしてこう本音を訴えた。

「日本って本当に魅力ある国なんでしょうか。魅力があるのは、日本の風景や日本の製品だけなのでは? 生活するにしても働くにしても、この国で生きていくのは結構キツイです」

確かに、今の上海の生活は日本以上に便利かもしれない。スマホのアプリをダウンロードすれば、ありとあらゆるサービスを享受できる。上海の街の至る所に掲げられるのは「共産党スローガン」であっても、それを見れば、なぜか「明るい未来」が到来するかのような錯覚に陥る。少子高齢化で先細る日本のような悲壮感はない。朱さんは別れ際に、冗談交じりにこう言った。

「私も上海に帰ってお手伝いさんでもやろうかなー」

日本と中国の生活水準は逆転していた

気が付けば、日中の生活水準は逆転していた。もちろん、中国から貧困問題が消えたわけではないが、とりわけ沿海部の大都市・上海と日本の生活水準を比べれば、その差は決して小さいものではない。

そもそも、なぜ彼らはそんなにカネを持っているのか。その答えは簡単だ。彼らは“事業用不動産”を持っているからだ。上海では多くの人が、住宅の転売や賃料収入で富裕になった。かつての国営工場(上海は工場の街だった)の“労働者階級”ですら、払い下げてもらった住宅を事業用不動産として運用し、不労所得に浴している。

税金面においては、個人所得税や事業税なども、その課税は日本ほど厳密なものではなく、固定資産税や相続税などは本格的な制度整備には至っていない。また、株式をはじめとする各種の理財(投資)商品は、乱高下がありながらも、経済成長を背景に確実に上昇した。激しい物価上昇といっても、農産物の値段は都市部の割には低く据え置かれている。

全身エルメス尽くしの友人に「敵わない」

こうした状況下で、彼らの貯蓄はあっという間に膨れ上がった。持てる中国人と持たざる日本人――この差が広がる今、日本に帰化した中国人は複雑な思いを抱えている。

埼玉県在住で日本名を持つ東島勇さん(仮名、50歳代)にとって、「大陸の中国人とどう向き合うか」は切実な問題だ。

「大陸の友人は貯蓄もたっぷりあって、年金もいい。そんな友人が私に同情してくれるんです。『支払いはいいよ、俺が払うから』と。しかも、豪華なレストランでの支払いです。今度は私がお返しをする番ですが、正直、このクラスの飲食店で彼を招待することなど、私のような“小さな貿易会社社長”の経済力なんかではできません」

エルメスが好みで“全身エルメス尽くし”。そのブランド品すら飽きが来れば使い捨て。移動は常にビジネスクラスで、この10年で世界各国隅々まで旅行した――そんな中国の友人は「もはや敵わない相手」(同)だという。東島さんは心中をこう吐露した。

「今の中国では、カネで地位が決まります。“成金中国人”はカネのない人間を軽視し、それを言葉や態度に表します。どんなに優秀でも、どんなにすばらしい思想の持ち主でも、カネがなければ発言権はないも同然なのです」

“中国よりも貧しい”中間層

貧乏人に発言権なし――それが現代中国の流儀だと東島さんは嘆くが、翻せば、これは国家間にも当てはめることができるだろう。日本という国家に経済力がなければ、あるいは国民一人ひとりに十分な資金力がなければ、いずれ中国から見下されてしまうのだ。

東島さんは一時期、悶々としていた。15年前、中国から日本に飛び出したまではよかったが、まさかこの短期間で中国経済が日本経済を凌駕しようとは、想像もしなかったからだ。中間層の生活を比べれば、日本は“中国よりも貧しい国”になってしまい、自分自身もまた中国の友人たちより質素な生活を送るようになってしまった。

東島さんは“金持ち中国人”とどう付き合うか、二者択一を真剣に悩んだと打ち明けた。ひとつは「まったく関わらないようにすること」、そしてもうひとつは「それでも付き合う」ということだった。東島さんの出した結論は後者だった。「中国から仕事をもらう身だから」というのがその理由だった。

「一生の幸せ」を考えると日本

ある日、その東島さんの表情はすがすがしいものになっていた。

「富を得るために私が今の中国に戻りたいかと問われれば、答えは『ノー』です。出版規制や情報コントロールなど、表現の自由があまりにひどい。政府にとって都合の悪い情報はホームページからすぐ消され、たかが通信アプリでのチャットでも国民は発言に気を遣う。私は思想をコントロールされてまで中国でカネ儲けをしたいとは思いません」

振り返れば、東島さんにとって中国籍を手放すのは乾坤一擲(けんこんいってき)の一大決断でもあっただろう。ひとたび、これを喪失すれば、中国での財産の相続権を失うことになる。また、彼は外国人になるわけだから、不動産投資含む中国での財テクが難しくなる。中国籍の喪失は、すなわち「富」から遠ざかることを覚悟しなければできない決断だったのだ。だが祖国中国に、人間が人間らしくあるための「自由」はない。東島さんはこの反目する2つの価値にようやくケリをつけたのだった。

日本を選び、日本企業で働くことが果たして正しい選択だったといえるのか――これを反芻する在日の中国人は少なくない。お金をためる、お金を儲けるという側面のみで見るならば、確かに日本は精彩を欠いているとも言えるだろう。

だが、その一方で、今の中国に見切りをつけて日本に住みたいと思う中国人もいる。友人が上海の街の画像を送ってきて、「今日も空気が悪い」とつぶやくように、日本には中国にない価値がある。「人の一生の幸せ」を考えたとき、やはり日本を選択してよかったと思う中国人も存在するのだ。

姫田 小夏(ひめだ・こなつ)
フリージャーナリスト
アジア・ビズ・フォーラム主宰。1997年から上海、日本語情報誌を創刊し、日本企業の対中ビジネス動向や中国の不動産事情を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、語学留学を経て上海財経大学公共経済管理学院に入学、修士課程(専攻は土地資源管理)を修了。14年以降は東京を拠点にインバウンドを追う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)、『インバウンドの罠』(時事通信出版局)ほか。



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サンフランシスコでは年収1800万円でも「かろうじて食いつないでいけるレベル」の生活
Melia RobinsonMar. 26, 2017
https://www.businessinsider.jp/post-1135?utm_source=yahoo&utm_medium=news&utm_campaign=201812

サンフランシスコのベイエリアで暮らしていると、年収が1000万円を超えても貧乏と感じてしまうようだ。

Twitterの従業員が、匿名を条件にThe Guardianの取材に応じた。40代前半、サンフランシスコ在住のこの男性は、年収16万ドル(約1800万円)。だが、かろうじて暮らしていけるレベルだと語った。翌月まで「食いつなぐ」ために借金をしたこともある。

「ソフトウェア・エンジニアになったのに、家計に苦労することになるとは」。そう語る男性は、このエリアで家族と暮らしていくためには自分の収入は「かなり低い」と考えている。

家計のもっとも大きな支出は家賃。毎月3000ドル(約34万円)かかる。妻と2人の子ども。場所を考えるとこの家賃でも「ものすごく安い」と彼は言う。

サンフランシスコのベイエリアは、アメリカでもっとも人気が高いエリア。不動産サイト「Trulia」によると、家賃は平均月4200ドル(約48万円)。Google、Uber、Airbnb、Twitterなどに勤める中堅以上のエンジニアは、給料の40%〜50%を勤務先の近くに住居を借りるために使っているという研究結果もある。

サンフランシスコの人口のおよそ30%を占めるミレニアル世代が家賃を高騰させている。節約のために大勢のルームメイトと一緒に暮らしている者も多く、住宅市場の競争を加速させている。

同エリアでフルタイムで働く18歳〜34歳の人々の平均収入は、2013年に5万9000ドル(約671万円)だったと米国勢調査局のデータが伝えている。

[原文:A Twitter employee making $160,000 a year says he's only scraping by in San Francisco]





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もはや先進国ではない。なぜ、日本経済はスカスカになったのか?
https://www.mag2.com/p/news/382054
2019.01.09 冷泉彰彦『冷泉彰彦のプリンストン通信』 まぐまぐニュース


一部報道などでは日本経済の好調さが伝えられていますが、実感として受け止められないというのが正直なところではないでしょうか。なぜこのような事態に陥っているのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんはメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその理由を「日本の産業構造がおかしくなったため」とし、この「負のトレンド」を反転させなければ国の繁栄と個人の成功はありえないと結んでいます。

スカスカになった日本経済、どうしてこうなったのか?

経済新聞や安倍政権の周囲では、日本経済は絶好調だとか、多くの企業が史上空前の利益を上げているという声があります。ですが、そんな好況感は、日本全国を見渡すと全く感じられません。

国全体の「購買力」は弱り切ったままです。観光ブームということもありますが、結局はインバウンド、つまり訪日外国人が支えています。例えば、星野リゾートの場合は、価格帯によってブランドを分けていますが、フラッグシップブランドの「星のや」の場合は、一泊二食で4万とか5万という強気の価格設定ですが、お客の多くはインバウンドです。

同じく北海道のリゾート産業の雄である「鶴雅グループ」は、支笏湖に「碧の座(あおのざ)」という超高級旅館を建設中ですが、同じく価格帯は4万から6万でこれもインバウンドがメインでしょう。

JR九州が「ななつ星」という予約制の豪華寝台列車を走らせて話題になりましたが、もっと豪華なJR西日本の「瑞風」などは、シンガポールからビジネスクラスで往復するパッケージツアーなども組んでいます。

とにかく景気がいい話は、インバウンド向けぐらいで、国内の需要向けについては、相変わらず、オールバイキング形式で一泊二食7,800円とかが主流です。コンビニなどの弁当や牛丼の価格はワンコイン以下の安いままであり、それはそのまま多くの人の「昼食代の予算」を反映しています。

花火大会やパレードなど、「無料のイベント」が行われると、空前の人出になるので、結局は警備費がかさんで大会が中止になったりしますが、では有料化すればどうかというと、いきなりパタンと客足は途絶えるわけです。

購買力の衰えということでは、例えば「若者のお金離れ」などという言い方があって、世代間格差が原因だという声もあります。また「非正規差別」が原因であり、派遣労働の規制緩和をしたのが悪いという論調も相変わらず多いわけです。

多くの専門職が「それだけでは生活できなくなっている」と言われています。例えば、タクシーのドライバーは、ウーバーやリフトがまだ上陸したわけでもないのに、需要低迷と供給過剰のために苦しんでいます。また、バスの運転手の給与も低くなっています。電車の運転手に至っては、自動運転(実際は遠隔操作に近いので心配は要らないのですが)を本格化させる話も出ています。

例えば、安倍総理は毎年春になると財界に対して「もっと給与を上げてくれ」という要求をしていますが、財界サイドは総理に頼まれてもなかなか賃上げに応じようとはしません。

報道では「史上最高の決算」とか「アベノミクス株高」などと言っているのに、どうして各企業は国内での賃上げを渋るのでしょうか?どうして昔はちゃんと生活できていた職が、非正規になったり、給与が極端に安くなっているのでしょうか?

一部にはグローバルな労働市場が発達したからだという意見がありますが、海で囲まれた日本の場合に、モノは出入りしますが、サービス業に関しては、世界の安い賃金に影響されて日本も賃金が下がるというのは、説明として納得感はありません。

何が問題なのでしょうか?

各企業が20世紀や昭和の時代と比べて、著しく強欲になっていて、一部の管理職や重役だけが巨額の報酬を独り占めしていて、給与を切り下げているからなのでしょうか?

そうではない、ということをしっかり理解することがまず必要です。

問題は日本の産業構造が「おかしく」なっているということです。もっといえば「スカスカ」になっているのです。

現在の日本には、昔のように「世界の市場で大きなシェアを持っているエレクトロニクス製品」とか「集中豪雨的輸出だとして怒られるぐらい世界で売れている自動車」などの製造業はほとんど残っていません。

では、何が残っているのかというと具体的には日本の主要産業は3つ、

・部品産業
・日本語による非効率な事務仕事
・観光がらみのサービス産業

があるだけです。勿論「だけ」というのはやや言い過ぎで、日本国内向けの医療や福祉、サービス業はあるし、自動車の場合は一部は完成車も作っています。ですが、主要な産業といえば、この3つになっているのです。

例えばスマホというビジネスがあります。世界の主要なシェアは、アップル、サムソン、LGそして元ノキアのマイクロソフト、元モトローラのグーグルなどがあります。

そして日本は部品産業に転落しています。液晶、半導体、アンテナ周りの複雑でミクロの部品など、日本の製造業がなくては世界のスマホは成立しません。

ですが、どんなに技術力を誇っても、部品産業はしょせん部品産業なのです。最終メーカーが価格も発注量も握っており、部品産業はベンダーとして受け身のビジネス、薄利かつリスクのあるビジネスになってしまいます。

その昔、ソニーがウォークマンで世界の若者文化を席巻したように、パナソニックが「性能の良すぎる」テレビやビデオ機器で世界から怒られたりしながら、物凄い収益を上げていたように、最終製品を作るということはしていないのです。

例外としては、B2Bつまり法人や政府向けがありますし、パナソニックの場合もこちらに逃げていますが、消費者向けの最終製品ということでは、日本のエレクトロニクスの場合は見る影もありません。東芝の場合は、何と言っても半導体やハードディスクですが、それすらも売ってしまいました。

事務ということでは、とにかく「原本」「ハンコ」「ファックス」「稟議書」「ファイリング」などといった昭和の化石のような日本語文書の管理ということが、今でも官庁でも、民間でも行われています。そこで職を得ている人は猛烈な数になり、そのコストも膨大ですが、どういうわけか日本の企業や政府はこれが止められないわけです。

ですが、ここ数年、銀行業務がフィンテック化して、人も紙も支店も不要になって来ています。同じような革命が全業種と行政に波及しなくては、この非効率な作業が日本経済を滅ぼすと思います。

観光業ですが、すでにGDPへの貢献ということでは自動車産業を超えたと言われています。それ自体は結構なことで、プラスアルファの経済として成立するのであれば、それはそれで良いことです。訪日外国人年間3,000万が実現し、政府目標の4,000万が視野に入ったというのも良いことです。

ですが、問題は観光業というのは労働集約型であるし、低付加価値かつ固定費が高いビジネスだということです。それが主要産業だというのは、その国の経済としては決して立派ではありません。

つまり、産業構造として日本は先進国から滑り落ちそうになっているのです。

何がいけなかったのでしょう。理由は次のようなことです。


・自動車の次として宇宙航空に本格進出できなかった

・コンピュータ時代に合わせてOSやアプリなどソフトの分野で負けた、どころかコンピュータ関連の人材をバカにして育成もしなかった

・バイオや製薬で世界のトップを走るだけの人材育成や投資をしなかった

・金融のグローバル化に全く対応しなかった

・英語での事務仕事ができず、香港やシンガポールにアジアのビジネスセンターの座を完全に奪われ、そのことを恥じてすらいない

ということです。つまり全体の戦略が全く違っていたということです。

勿論、企業単位では例えばトヨタやホンダ、ソニー、コマツなど、多国籍企業として優良な企業はたくさんあります。ですが、その多くは、製造販売だけでなく、研究開発や設計も海外でやっているのです。そうした数字は日本のGDPにはなりません。

史上空前の利益というのも、その多くは海外の収益であり、連結決算では円安のおかげで膨張して見えるかもしれませんが、カネ自体は海外で再投資されています。

いやいや、日本企業は好業績で、配当もしているという反論もあるかもしれませんが、そもそも優良な多国籍企業の場合は、外国の株主が多いわけで、配当も海外でグルグル回るだけです。

今でも、経済新聞には「海外の企業を買収」とか「日本製品が某国の交通システムで採用」とか、「某社の車がアメリカで人気ナンバーワン」といった記事が出ると、何となく嬉しいニュースということになります。

ですが、これはマジックであり、日本国内のGDPにも税収にも、そしてトリクルダウンという形での好影響も「全くない」のです。

私は、トランプ流の「経済ナショナリズム」は大嫌いですし、経済というのは国際分業によるグローバリズムが「最適解」になるし、それをねじ曲げると、最終的には経済はダメになると思っています。

ですからこの日本流の空洞化について、税制や規制でなんとかしようとは思いません。ですが、これは明らかに敗北であり、敗北ゆえに貧しくなっているというのは厳然たる事実です。そのことから目を背けるというのは、やはり政治としても財界としても、あるいは世論としても間違っていると思います。

部品製造と、日本語文書による事務文書と、そして観光業が産業の柱などというスカスカな経済はもはや「先進国クオリティ」ではありません。そのこと自体が失敗であり、敗北であり、歯を食いしばって、その負のトレンドを反転させることにしか、国の繁栄と個人の成功はないのではないでしょうか?


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html#c2

[リバイバル3] ネット上の稼げる副業で稼げることは少ない 中川隆
2. 中川隆[-12781] koaQ7Jey 2019年1月23日 16:17:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2019年01月23日
プロYouTuberの収入と生活 食えている人は何人いるか


上位YouTuberは企業と契約して報酬を得ている


画像引用:https://www.sendenkaigi.com/event/uuum_marketing_seminar/


収入を得ているYouTuberは2万人

動画サイトに動画を投稿して収入を得るYouTuberはすっかりおなじみになり、最近はテレビ出演などもしています。

逆にテレビタレントがYouTuberとしても活動したり、互いの垣根が低くなっている。

では日本ではYouTuberだけで生活している人は何人いて、どのように収入を得ているのでしょうか。




数年前に調べたときは、月収20万円以上に達しているYouTuberは日本で500人くらいでした。

その後YouTubeのルールが変わり、報酬も変わるなど大きな変化がありました。

変更は報酬を得るにはチャンネル登録者数が1,000人以上、 過去12ヵ月の総再生時間が4,000時間以上が必須になりました。


2017年のルールでは総再生数が1万再生以上だったが、より厳しくなりユーザーからの評価が低いYouTuberが排除された。

再生回数が再生時間になったことで、誤クリックさせて一瞬で閉じられても収益になるという裏技は通用しなくなった。

YouTuberの収入は以前は1再生で0.1円と言われていたが、再生時間の方が重要になりこれも通用しにくくなった。


プロのYouTuberとタレント契約しているUUUMによると、2017年の時点で日本では2万人、英語圏で20万人と説明している。

ただしこのプロはユーチューブで多少でも収入を得ている人で、「YouTubeでメシを食っている」人ではなかった。

やはりUUUMの社長によるとそれだけで生活できている人は500人くらいで、数年前と変わっていません。

食えているYouTuberは500人

月にいくらあると食えるかは書いていませんが、20万円以上というのが一つの目安かも知れません。

500人の中で有名人が100人くらいで、その中の10人くらいが桁違いの収入を得ている。

UUUMの社長がこう語ってから1年以上が経っていますが、状況はそれほど変わっていません。


YouTubeに投稿している人が何十万人もいる中で、副収入程度の報酬を得ている人は5000人、その中で食えているのは500人だから厳しい世界です。

500人の中で高収入と言えるのは100人で、億単位稼いでいるのは10人から数十人でしょう。


しかも最近は企業によるYouTube投稿が増えているので、個人のチャンスはその分縮小している筈です。

日本のプロ野球選手は840人でプロサッカー選手が約3000人と比較すると、500人がいかに狭き門か分かる。


日本タレント名鑑に載っている芸能人だけで1万人いるので、YouTuberになるのは芸能人になるより難しい。


YouTuberの収入の中でYouTubeそのものの収入は一部であり、有名YouTuberになるほど動画以外の収入が増えます。


UUUMのような事務所に所属すればスポンサーがつき、広告料やタレント料を稼ぐことができる。

動画の中で商品を紹介して報酬を得るようなことを、多くのYouTuberがやっています。

食えないYouTuberに宣伝を依頼したり契約を結ぶ企業はないので、豊かな人は益々高収入になり、稼げない人は一切稼げない。


YouTuberとして成功すれば億単位で稼げるのだが、彼らの身分はYouTubeという一つのサイトに依存しています。

最近動画をめぐるトラブルが多いが、どれだけ稼いでいてもYouTubeに投稿できなくなったら「ただの無職」になります。

これがサイトやブログ運営との違いで、投稿するサイトや動画は自分のものではない。


YouTuberは成功率は非常に低い上に、成功後の身分も不安定だと言えます。
http://www.thutmosev.com/archives/78802820.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/921.html#c2

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
4. 中川隆[-12780] koaQ7Jey 2019年1月23日 16:27:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2019年1月23日
【藤井聡】<拡散希望>Q&A「増税やむなし」と言われたら、こう言い返せ―10の想定問答(前編)
https://38news.jp/economy/13105

From 藤井聡@京都大学大学院教授

先日、経済学者の松尾匡先生と
参議院議員の山本太郎先生とご一緒して、
消費増税の深刻な問題についての
シンポジウムを開催いたしました。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/440034

当日の議論は大いに盛り上がり、
これからはやはり、
「反緊縮」運動の、
国民的展開が必要だということを
改めて認識する機会となりました。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190121/

そんな中で、

「自分の周りに、消費増税の問題を伝えようとしても、
なかなか、伝わらない。
どうしたらいいでしょう?」

という切実なご質問を、
いくつかいただきました。

その折りには、やはり、

「デフレの時の増税は、大変なダメージをもたらす。

過去の97年増税、14年増税も共にデフレだったから、

やはり、激しく消費が減って、経済が成長できなくなった。

今はまだ、デフレだし、特に今は、世界経済の先行きも不透明。

こんな時に増税をすると、経済はさらに低迷し、

挙げ句に97年の時にそうであったように、


総税収自体が縮小し、財政を悪化させます」

と話をするのが、第一だと思います。

ですが、増税が必要だと思っている人は、
この程度の説明ではなかなか引き下がりません。

あれやこれやと、
質問をぶつけてくるものと思います。

その時に、的確に応えていくことが、
増税問題をしっかりと世論で広めていく上で、
とても大切だと思います。

こうした認識にて、
「別冊クライテリオン:消費増税を凍結せよ」
https://the-criterion.jp/backnumber/s01_201812/
の中には

Q&A
「増税やむなし」と言われたら、こう言い返せ
10の想定問答

というページを設けております。

この「10の想定問答」をご覧いただくと、
消費増税問題の全体像をご理解頂くこともできますし、
「別冊」の各論考の概要や関係もよく分かる―――
ということで、ここで改めて、ご紹介します。

ついては今回はまず、「前編」ということで、
Q1〜Q5をご紹介します。

――――――――――――――――――――――
Q1.「戦後二番目の景気拡大期」

などと言われている今が、増税のチャンスではないのか。


A. 今の増税は最悪のタイミングです。

今、増税してしまえば、日本は再び


激しいデフレ不況に舞い戻ってしまいます。

「戦後二番目の景気拡大期」と言われているのは、

ただ単に、景気が上向いてきている期間が「長い」、

というだけで、その成長の勢いが二番目に強い、という話とは全く違います。


現下の状況は、全く勢いのない

経済成長がダラダラと続いているにすぎません。

しかも、そのダラダラと続く成長がもたらされているのは、

単に、世界経済の好景気を背景とした「輸出の増加」がメインの要因。


日本経済の勢いそれ自身は極めて脆弱。

こんな状況で増税をしても、それを乗り越えることはできません。

それ以前に、増税をする予定の2019年というタイミングは、

文字通り「最悪」のタイミングです。

「オリンピック特需」が終わり、「世界経済」が不景気になっていき、

しかも、働き方改革で残業代が5〜8兆円程、私たちの給料が減っていく時期でもあります。

だからそもそも、増税などしなくても「大型の景気対策」が必要なくらいに、

最悪の状況になっていくのが、来年という年なのです。


そんな状況で、日本経済の6割を占める消費に

「増税」なんてしてしまえば、

最悪の経済状況となるのは明らかです。


 このあたりの状況についての詳しい議論は、

『なぜ今、「消費増税を凍結せよ!」、なのか?』

――以下、巻頭企画と呼称します――や、

本誌に寄稿された数々の経済学者、エコノミスト達の記事を参照ください。


各寄稿者がそれぞれの立場で、

それぞれの視点で、如何に来年の消費増税が


「危険」極まりないものであるのかを、冷静かつ客観的に議論しています。

――――――――――――――――――――――
Q2. 政府は「軽減税率」とかいろいろ対策するから、増税しても大丈夫じゃない?
A. 全く大丈夫ではありません。最悪の帰結をもたらします。

そもそも軽減税率が適用されるのはごく一部。
ポイント還元なども検討されていますが、それも、ごく一部。

しかも、短期間で終了してしまいますが、

10%の消費税は、来年以降、ずっと払い続けなければならないもの。

だから、軽減税率やポイント還元等の効果は、「限定的」なのです。


しかも、「10%」になるということで、

そのインパクトはさらに拡大することも、心理学の視点から指摘されています。

(巻頭企画、および、川端祐一郎助教の本誌記事を参照ください)


さらには、先にQ1.への回答にもあるように、

来年の消費増税は「最悪のタイミング」でもあり、

その増税インパクトは恐ろしい水準に達することが真剣に危惧されます。

もちろん、消費増税のインパクトをはるかに上回る対策を行えば、

その被害を回避することはできます。

しかしその水準は、年間10兆円〜15兆円の

追加的な補正予算を経済対策として

五カ年程度継続するというものでなければなりません

(例えば、『10%消費税が日本経済を破壊する』(藤井聡著)を参照ください。

そもそも増税をしなくても、「現下のデフレ」や「オリンピック不況」等の対策だけにでも

年間10兆円規模の対策を「2年程度」続けなければならないのですから)。

もしも、政府の対策が、その水準に到達しないのなら、


「増税しても大丈夫」とは絶対に言うことは出来ないのです。

――――――――――――――――――――――
Q3.2014年に増税したけど、

今でも成長してる。やっぱり増税の影響は軽いんじゃないの?


A.全く、軽くありません。

増税後、消費も賃金も激しく下落し、庶民は確実に貧困化しています。

にも関わらず「輸出」が15兆円も伸びたから、

その被害が見えにくくなっているだけです。
そもそも、14年以後「成長している」といっても

その成長率は極めて低い水準です。

『巻頭企画』でも紹介しましたが、

増税によって物価も賃金も、消費も激しく下落しています。

それにも関わらず、僅かなりとも成長しているのは、

誠に「ラッキー」な事に、世界経済の好景気を受けて「輸出」が伸びているからです。

図1に示したように、増税直後から、輸出が15兆円も伸びたのです。


そもそも消費税の総額は8兆円程度ですから、

その約「二倍」もの水準で輸出が伸びたわけで、

これが、消費税増税の被害を埋め合わせています。


例えば、本誌記事の中で元日銀副総裁の岩田規久男教授が

「最近2年弱に渡って低飛行ながらもプラス成長が続いているのは、

ひとえに輸出の増加のため」と指摘している他、


経済学者の松尾匡教授や経済ジャーナリストの田村秀男氏も本誌で論じている通りです。


図1 輸出額(実質値)の推移

――――――――――――――――――――――
Q4.「成長させて税金増やす」って言うけど、

これから人口も減るし、増えなかったらどうするの。無責任じゃない!?


A.断じて無責任ではありません。

そもそも人口が減少している国も含めた、日本以外のすべての国が成長しています。

日本が成長しないなんて、あり得ません。

そして、成長しなければ、貧困や格差は広がり、財政も悪化します。

だから「成長させる」と言わない政治こそ、無責任なのです。
図2をご覧ください。この図は、過去20年間の経済成長率のランキングです。

ご覧のように一つの例外を除いて、全ての国が「成長」しています。

ところが、一つだけがマイナス成長している国があります。

その国こそ、我が国日本。
成長率は、実にマイナス20%。

世界中には人口が減っている国もたくさんありますし、

いくつもの先進国がありますが、それらの国は全て成長しています。

にも関わらず日本だけ衰退しているのです。

これはつまり、日本が衰退しているのは

「人口が減っているから」でも「先進国だから」でもない、ということです。

日本だけが異常な状況にあるのです。

ではなぜ、日本だけが成長できない異常状況なのかと言えば、

それは、日本だけがデフレという「病気」にかかっているからです。

こんな「マイナス成長」の病理的なデフレを放置しておく政治こそ、

無責任政治だと言わねばなりません。
ちなみに、本誌に寄稿されたほとんど全ての経済学者、

エコノミストの皆さんが共通して指摘しているように、


財政政策と金融政策を適切に組み合わせれば、経済は成長します。

そして逆に、今このタイミングで消費増税をしてしまえば、

この「衰退」から脱却することができなくなります。

消費増税の悪影響を無視し、

日本だけが成長していないという

「真実」を無視し続ける学者やエコノミスト、


政治家の皆さん達こそが、「無責任」なのです。


図2 世界各国の過去20年間の経済成長率のランキング

――――――――――――――――――――――
Q5.今、増税して少しでも借金を減らしておかないと、

将来にツケを残すんじゃないの?


A.消費増税すると、かえって「ツケ」が拡大しまいます。「消費増税」をすると、景気が悪くなり、税収それ自体が減ってしまいます。

例えば経済学者の飯田泰之准教授が本誌で指摘しているように、

「消費増税は消費の減少を通じて景況を悪化させ,

本来得られたであろう税収を失う」ことになります。

そうなると借金がかえって増え、「ツケ」が拡大します。

それどころか、本誌座談会でも議論されているように、

消費増税をすれば「成長」できなくなって、

今日よりもさらに貧困や格差が広がると同時に、

経済力、科学技術力や防災力、国防力といったあらゆる側面で国力が弱体化し、

アジアの貧国、さらには最貧国の一つになる―――


という悪夢のような未来が、


私たちの子や孫に「ツケ回される」ことになります。

〜以上の続き(Q5〜Q10)は、次週、公開いたします〜
https://38news.jp/economy/13105
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c4

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
179. 中川隆[-12779] koaQ7Jey 2019年1月23日 17:29:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
AIが奪った株式市場の主役、無人トレードは2,000兆円規模へ。個人はどう裏をかく?=武田甲州 2019年1月21日
https://www.mag2.com/p/money/624844


株式市場の主役はAIや機械に取られ、無人トレードの残高は2018年には2,000兆円規模になったと推測されています。個人投資家はどう立ち向かうべきでしょうか

投資家は用心しつつもアクセルを踏むべきタイミングに来ている?

「上げ過ぎ」「下げ過ぎ」が頻発する

株式市場の主役は、人ではなく、AIや機械を使った取引に移行しています。

その残高は2017年に1,800兆円、2018年には2,000兆円規模になったと推測されています。

多くの運用会社がAIや機械取引を採用していますが、そのプログラムは似通ったものになっています。そのため売買が一方向に偏りがちになります。

運用残高が増えるにつれて、AIや機械取引の影響は高まって値動きは増幅されています。

上昇相場は上げ過ぎて、下げ相場は下げ過ぎるという局面が多くなってきています。

クリスマス・ショックは「超・特異日」だった

一般の個人投資家としては、どうしたらよいのか?

結局、AIや機械取引に勝つには、そのような「上げ過ぎ、下げ過ぎの癖」を見抜いて、裏をかくようなことをするしかないように思います。

昨年12月25日には日経平均が1,000円安となりましたが、この日の騰落レシオは、
25日ベース:65.64
15日ベース:35.27
という数値でした。

65.64は2018年の最低で、
35.27はこの10年間で最低というものでした。

また、日経平均のPERは10.71倍、PBRは0.99倍という数値でした。

12月25日はテクニカルでもバリューでも、超の付くような「スペシャルな日」というものでもあったのです。

このように「無人トレード全盛」で行きすぎた相場が多くなってきています。また、日中の値動きも大きくなってきています。

特段の材料はなくても、個別銘柄の値動きは増幅されやすくなっているのです。多くのAIや機械取引は、そのような値動きを加速するプログラムが仕込まれているのです。


個人投資家はどう立ち向かうべきか?

個人が負けないようにするには、その裏をかくしかありません。

日々の取引では「売り」「買い」だけでなく、「休む」ことも重要です。指値を思い切り高くしたり安くしたりすることもよいでしょう。

またAIや機械取引といっても、そのプログラムの大半は、順張り(=相場の勢いの流れに乗る「モメンタム」)のプログラムとなっています。

したがって、その流れに乗ることも良い方策の1つです。かんたんに言えば、無理に逆張りをしないで、順張りをすればいいのです。

個人投資家はアクセルを踏むべきタイミングに来ている?

直近、1月18日の騰落レシオは12月14日以来。久々に80台に乗せてきました。足元では米中通商摩擦の大幅緩和への期待が高まってきています。

今週1月21日以降のマーケットは、18年末の総悲観状態からの完全脱却が期待されます。

無人トレードは、それを一段加速するかもしれません。用心しつつもアクセルを踏むべきタイミングに来ていると思います。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c179

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
274. 中川隆[-12778] koaQ7Jey 2019年1月23日 17:35:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2019年01月23日
韓国が改定要求する日韓基本条約 「永住権」の誤解


韓国側は請求権放棄の合意を破棄したので、日韓基本条約は既に無効になっている


日韓基本条約の常識の間違い

日韓問題に関連して韓国は日韓基本条約を自国に都合か良いように改定しろと要求しています。

1965年の日韓基本条約によって日本は莫大な賠償金を経済支援として支払い、代わりに韓国は「戦前のすべての請求権」を放棄しました。

韓国側は受け取った金は返さずに、新たに慰安婦や徴用工で賠償金をよこせと要求しています。



この日韓基本条約に基づいて日本在住の韓国人に永住権が与えられ「在日韓国人」になったが日本人ですら誤解している人が多い。

まず誤解その1は「永住権が与えられるのは1945年終戦までに、日本政府の許可を得て合法的に来日した人」だけです。

したがって戦後に来日した人全員と、戦前に密航してきた人は「在日韓国人」ではなく、ただの滞在外国人です。


某巨大IT企業の創業者はインタビューで祖母が密航者だったと説明しているが、これが事実なら祖母はもちろん彼自身も永住権はない可能性がある。

別の某パチンコ企業創業者は戦後に密航してきたと公言していたが、これなど日韓基本条約による在留資格はない。

誤解その2は1965年の合意で永住権が与えられたのは在日韓国人1世だけで、後に拡大されたのも2世までです。


1945年終戦までに来日していた人が1世で子供が2世、孫が3世だが孫に永住権はないのです。

これを知ってか知らずか民団や日本の野党は「在日韓国人」と全員を一緒くたにして権利を要求しています。

条約上の「在日韓国人」とは2世までであり、3世や4世は条約の対象ではありません、

この事は1965年の条約締結時に「2世以降は韓国に帰国させる」と合意していました(後に2世まで永住権を与えると変更した)

在日韓国人は韓国が受け入れ拒否して発生した

誤解その3は在日韓国人が発生した原因は韓国政府が帰国を拒否したからで、そもそも日本とは関係ない。

外務省の調査では終戦時点で200万人の朝鮮人が日本にいたが、1948年までに150万人が帰国しました。

だが1948年に朝鮮戦争が勃発すると韓国側は受け入れを拒否し、1953年に朝鮮戦争は終了したが、朝鮮半島は焦土と化しており帰国を望むものはほとんど居ませんでした。


むしろ朝鮮戦争前後に半島を脱出して日本に密航する韓国人が20万人居たと考えられ、1957年の記録では約58万人が日本に滞在していました。

1955年に小泉純一郎元首相の父の純也法務次官が国会で、「在日朝鮮人全員に帰国を促したが帰りたいという者が一人も居なかった。」と国会で証言している。

「それどころか半島から密航などでどんどん日本に渡ってきている」「強制送還するべきだが韓国政府が拒否している」とも証言しました。


朝鮮戦争時に密航して日本に住み着いた人は10万人程度いたと考えられ、戦前戦後の密航者もやはりその程度は居たと考えられる。

すると60万人のうち20万人程度は、日韓基本条約の「在日韓国人」ではなく永住権もないことになります。

さらに1959年から1984年まで続いた北朝鮮への帰国事業で、北朝鮮出身者9万3000人以上が帰国しました。

日本にいた韓国人が約10万人減ったのだが、驚くことにこの間在日韓国人の人口は10万人ほど増えています。

条約上の永住者は1世と2世だけなので増えるはずがないが、明らかに3世と4世も人口に含めているうえに、密航者もひっくるめてしまっています。

これが最大の間違いで、現在現役で活躍している在日韓国人の多くは条約上の永住者ではない。


条約の改定を議論する前に、まず日韓は基本条約で合意した通り、3世以降の韓国人を帰国させる協議をするべきです。

日本側は賠償金を含めて条約合意をすべて履行したが、韓国側は金を受け取っては謝罪要求を繰り返し、なにひとつ条約を守らなかった。

日韓基本条約は韓国側の不履行ですでに無効になっており、無効になっている条約に基づく権利というのも無効です。
http://www.thutmosev.com/archives/78804766.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c274

[昼休み54] 在日朝鮮人を全員殺さないと日本は滅びる 中川隆
18. 中川隆[-12777] koaQ7Jey 2019年1月23日 17:38:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

2019年01月23日
韓国が改定要求する日韓基本条約 「永住権」の誤解


韓国側は請求権放棄の合意を破棄したので、日韓基本条約は既に無効になっている


日韓基本条約の常識の間違い

日韓問題に関連して韓国は日韓基本条約を自国に都合か良いように改定しろと要求しています。

1965年の日韓基本条約によって日本は莫大な賠償金を経済支援として支払い、代わりに韓国は「戦前のすべての請求権」を放棄しました。

韓国側は受け取った金は返さずに、新たに慰安婦や徴用工で賠償金をよこせと要求しています。



この日韓基本条約に基づいて日本在住の韓国人に永住権が与えられ「在日韓国人」になったが日本人ですら誤解している人が多い。

まず誤解その1は「永住権が与えられるのは1945年終戦までに、日本政府の許可を得て合法的に来日した人」だけです。

したがって戦後に来日した人全員と、戦前に密航してきた人は「在日韓国人」ではなく、ただの滞在外国人です。


某巨大IT企業の創業者はインタビューで祖母が密航者だったと説明しているが、これが事実なら祖母はもちろん彼自身も永住権はない可能性がある。

別の某パチンコ企業創業者は戦後に密航してきたと公言していたが、これなど日韓基本条約による在留資格はない。

誤解その2は1965年の合意で永住権が与えられたのは在日韓国人1世だけで、後に拡大されたのも2世までです。


1945年終戦までに来日していた人が1世で子供が2世、孫が3世だが孫に永住権はないのです。

これを知ってか知らずか民団や日本の野党は「在日韓国人」と全員を一緒くたにして権利を要求しています。

条約上の「在日韓国人」とは2世までであり、3世や4世は条約の対象ではありません、

この事は1965年の条約締結時に「2世以降は韓国に帰国させる」と合意していました(後に2世まで永住権を与えると変更した)

在日韓国人は韓国が受け入れ拒否して発生した

誤解その3は在日韓国人が発生した原因は韓国政府が帰国を拒否したからで、そもそも日本とは関係ない。

外務省の調査では終戦時点で200万人の朝鮮人が日本にいたが、1948年までに150万人が帰国しました。

だが1948年に朝鮮戦争が勃発すると韓国側は受け入れを拒否し、1953年に朝鮮戦争は終了したが、朝鮮半島は焦土と化しており帰国を望むものはほとんど居ませんでした。


むしろ朝鮮戦争前後に半島を脱出して日本に密航する韓国人が20万人居たと考えられ、1957年の記録では約58万人が日本に滞在していました。

1955年に小泉純一郎元首相の父の純也法務次官が国会で、「在日朝鮮人全員に帰国を促したが帰りたいという者が一人も居なかった。」と国会で証言している。

「それどころか半島から密航などでどんどん日本に渡ってきている」「強制送還するべきだが韓国政府が拒否している」とも証言しました。


朝鮮戦争時に密航して日本に住み着いた人は10万人程度いたと考えられ、戦前戦後の密航者もやはりその程度は居たと考えられる。

すると60万人のうち20万人程度は、日韓基本条約の「在日韓国人」ではなく永住権もないことになります。

さらに1959年から1984年まで続いた北朝鮮への帰国事業で、北朝鮮出身者9万3000人以上が帰国しました。

日本にいた韓国人が約10万人減ったのだが、驚くことにこの間在日韓国人の人口は10万人ほど増えています。

条約上の永住者は1世と2世だけなので増えるはずがないが、明らかに3世と4世も人口に含めているうえに、密航者もひっくるめてしまっています。

これが最大の間違いで、現在現役で活躍している在日韓国人の多くは条約上の永住者ではない。


条約の改定を議論する前に、まず日韓は基本条約で合意した通り、3世以降の韓国人を帰国させる協議をするべきです。

日本側は賠償金を含めて条約合意をすべて履行したが、韓国側は金を受け取っては謝罪要求を繰り返し、なにひとつ条約を守らなかった。

日韓基本条約は韓国側の不履行ですでに無効になっており、無効になっている条約に基づく権利というのも無効です。
http://www.thutmosev.com/archives/78804766.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/237.html#c18

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
599. 中川隆[-12776] koaQ7Jey 2019年1月23日 18:29:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
西岡力3つの大ウソ - 植村裁判資料室 2018年11月30日

「植村記者の記事は捏造」説が崩れた3つの理由

西岡力氏は1992年以来、慰安婦問題で植村隆さんが書いた記事を「重大な誤り」「捏造」と批判・攻撃してきました。しかし法廷で提出された証言や資料により、記事を「捏造」とする主張の論拠がいずれも誤っていることが明らかになっています。西岡氏による「捏造」説と、その誤りについて、以下にポイントを3つ示して説明します。 <甲につく数字は、証拠番号の略記>

ウソその1


西岡氏の主張@

植村氏は「『女子挺身隊』の名のもとで戦場に連行された」と、韓国人元慰安婦・金学順さん本人が語っていない経歴を加えた。

▽「初めて名乗り出た元慰安婦の女性の経歴について『《女子挺身隊》の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた』と書いたのだ。本人が語っていない経歴を勝手に作って書く、これこそ捏造ではないか」(正論2014年10月号=甲5)

▽「植村記者の記事には『挺身隊の名で戦場に連行され』とありますが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係ありません」(週刊文春2014年2月6日号=甲7)

明らかになった事実@ 

金学順さん本人が「私は女子挺身隊だった」「強制的に引っ張って行かれた」と話している。

▽1991年8月14日の金学順さんインタビューについて伝える北海道新聞91年8月18日記事:「初対面のハルモニが『私は女子挺身隊だった』と切り出した」(甲50)

▽91年8月14日、金学順さんが名乗り出た初めての記者会見での発言:「16歳ちょっとすぎたくらいの(私)を引っ張って行って。強制的に。泣いて。出ていくまいと逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです」(会見を伝える韓国KBSテレビの映像=甲109、発言の日本語訳=甲110)

▽金さんの会見を報じた翌8月15日付の韓国紙報道:東亜日報「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私」(甲20)、中央日報「私は挺身隊だった」(甲21)。ハンギョレ新聞「私を連れて行った養父も当時、日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした」(甲67、西岡氏の翻訳=甲67の2)

ウソその2


西岡氏の主張A

金学順さんは「親に身売りされて慰安婦になった」「四十円でキーセンに売られた」と話したのに、植村氏が記事で触れていない。

▽「このとき名乗り出た女性(金学順さん)は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」(週刊文春2014年2月6日号=甲7)

▽「その女性が日本政府に対して裁判をおこした訴状を見ると、『四十円でキーセンにうられた』と書いてあったのです。その女性は韓国の新聞のインタビューでも、『自分はキーセンに売られた』と言っていたのです」(明日への選択2007年5月号)

▽「金氏がキーセンとして売られたことも書いていない。…あえて『キーセン』のことを書かないことで、強制連行をより強調したかったのか、誤報というよりも、明らかに捏造である」(中央公論2014年10月号=甲6)

明らかになった事実A

「親に身売りされて慰安婦になった」という表現は、金さんの訴状(甲16)にも、韓国紙の記事(甲67、西岡氏の翻訳=甲67の2)にもない。金さんがキーセン学校に入ったことと慰安婦にされたことは関係ない。

金学順氏は「養父は(日本軍)将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかへ連れさられてしまった」(乙10)、「姉さんと私は別の軍人たちに連行されました。…私たちにそのトラックに乗れと言うので乗らないと言いましたが、両側からさっとかつぎ上げられて乗せられてしまいました」(乙19)と明言しており、「日本軍によって戦場に連行されて慰安婦にされた」ことは明白。

西岡氏は、金さんは「親に身売りされて慰安婦になった」、「四十円でキーセンにうられた」と主張。論拠として、月刊『宝石』の臼杵敬子氏論文(1992年2月号=乙10)と『未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集1』に掲載された金学順氏の証言(乙19)を提出した。しかし、キーセン養成学校に通ったのは14歳の時で、慰安婦にされたのは17歳の時。キーセンと慰安婦にさせられたこととは関係ない。

ウソその3


西岡氏の主張B

義母の裁判を有利にするために記事を書いた。

▽「原告は、韓国人である義母の起こした裁判を有利にする目的で、義母から便宜をもらい、金学順がキーセンに身売りされた事実を意図的に隠し、あたかも金学順が吉田清治証言のような強制連行の被害者であるかのごとく、事実を改ざんして意図的な捏造により記事にした」(『よく分かる慰安婦問題』増補版第3刷=甲3)

▽「原告のリーダーが義理の母であったために、金学順さんの単独インタビューがとれたというカラクリです」(「いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト」=甲4)

明らかになった事実B

植村記者が金学順さんの第一報を書いたときの団体は義母の団体(遺族会)とは関係ない別団体。朝日新聞の第三者委員会報告書(甲64)は、「義母を利する目的」や「捏造」との説を否定している。

 まず植村氏が1991年に金学順さんの情報を聞いたのは義母からではなく当時の朝日新聞ソウル支局長からだった(MILE1991年11月号=甲13、小田川興・元ソウル支局長の陳述書=甲57)。金学順さんの第一報を書いたとき聞き取りをしていた団体は「韓国挺身隊問題対策協議会」で、義母の団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)とは関係ない別団体だった(甲9=文芸春秋2015年1月号、義母の梁順任氏の陳述書=甲158)。誤りを指摘され、西岡氏は訂正したとしている(正論15年2月号=甲107、正論15年3月号=甲108)。

朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会は報告書(甲64)で「植村の取材が義母との縁戚関係に頼ったものとは認められないし、同記者が縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」(42ページ)と書き、「義母を利する記事」との説や、植村記者の記事が捏造であるとの説を明快に否定した。
https://sites.google.com/site/uemuraarchives/nishioka201809

http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c599

[近代史3] 従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ 中川隆
1. 中川隆[-12775] koaQ7Jey 2019年1月23日 18:29:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]

西岡力3つの大ウソ - 植村裁判資料室 2018年11月30日

「植村記者の記事は捏造」説が崩れた3つの理由

西岡力氏は1992年以来、慰安婦問題で植村隆さんが書いた記事を「重大な誤り」「捏造」と批判・攻撃してきました。しかし法廷で提出された証言や資料により、記事を「捏造」とする主張の論拠がいずれも誤っていることが明らかになっています。西岡氏による「捏造」説と、その誤りについて、以下にポイントを3つ示して説明します。 <甲につく数字は、証拠番号の略記>

ウソその1


西岡氏の主張@

植村氏は「『女子挺身隊』の名のもとで戦場に連行された」と、韓国人元慰安婦・金学順さん本人が語っていない経歴を加えた。

▽「初めて名乗り出た元慰安婦の女性の経歴について『《女子挺身隊》の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた』と書いたのだ。本人が語っていない経歴を勝手に作って書く、これこそ捏造ではないか」(正論2014年10月号=甲5)

▽「植村記者の記事には『挺身隊の名で戦場に連行され』とありますが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係ありません」(週刊文春2014年2月6日号=甲7)

明らかになった事実@ 

金学順さん本人が「私は女子挺身隊だった」「強制的に引っ張って行かれた」と話している。

▽1991年8月14日の金学順さんインタビューについて伝える北海道新聞91年8月18日記事:「初対面のハルモニが『私は女子挺身隊だった』と切り出した」(甲50)

▽91年8月14日、金学順さんが名乗り出た初めての記者会見での発言:「16歳ちょっとすぎたくらいの(私)を引っ張って行って。強制的に。泣いて。出ていくまいと逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです」(会見を伝える韓国KBSテレビの映像=甲109、発言の日本語訳=甲110)

▽金さんの会見を報じた翌8月15日付の韓国紙報道:東亜日報「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私」(甲20)、中央日報「私は挺身隊だった」(甲21)。ハンギョレ新聞「私を連れて行った養父も当時、日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした」(甲67、西岡氏の翻訳=甲67の2)

ウソその2


西岡氏の主張A

金学順さんは「親に身売りされて慰安婦になった」「四十円でキーセンに売られた」と話したのに、植村氏が記事で触れていない。

▽「このとき名乗り出た女性(金学順さん)は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」(週刊文春2014年2月6日号=甲7)

▽「その女性が日本政府に対して裁判をおこした訴状を見ると、『四十円でキーセンにうられた』と書いてあったのです。その女性は韓国の新聞のインタビューでも、『自分はキーセンに売られた』と言っていたのです」(明日への選択2007年5月号)

▽「金氏がキーセンとして売られたことも書いていない。…あえて『キーセン』のことを書かないことで、強制連行をより強調したかったのか、誤報というよりも、明らかに捏造である」(中央公論2014年10月号=甲6)

明らかになった事実A

「親に身売りされて慰安婦になった」という表現は、金さんの訴状(甲16)にも、韓国紙の記事(甲67、西岡氏の翻訳=甲67の2)にもない。金さんがキーセン学校に入ったことと慰安婦にされたことは関係ない。

金学順氏は「養父は(日本軍)将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかへ連れさられてしまった」(乙10)、「姉さんと私は別の軍人たちに連行されました。…私たちにそのトラックに乗れと言うので乗らないと言いましたが、両側からさっとかつぎ上げられて乗せられてしまいました」(乙19)と明言しており、「日本軍によって戦場に連行されて慰安婦にされた」ことは明白。

西岡氏は、金さんは「親に身売りされて慰安婦になった」、「四十円でキーセンにうられた」と主張。論拠として、月刊『宝石』の臼杵敬子氏論文(1992年2月号=乙10)と『未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集1』に掲載された金学順氏の証言(乙19)を提出した。しかし、キーセン養成学校に通ったのは14歳の時で、慰安婦にされたのは17歳の時。キーセンと慰安婦にさせられたこととは関係ない。

ウソその3


西岡氏の主張B

義母の裁判を有利にするために記事を書いた。

▽「原告は、韓国人である義母の起こした裁判を有利にする目的で、義母から便宜をもらい、金学順がキーセンに身売りされた事実を意図的に隠し、あたかも金学順が吉田清治証言のような強制連行の被害者であるかのごとく、事実を改ざんして意図的な捏造により記事にした」(『よく分かる慰安婦問題』増補版第3刷=甲3)

▽「原告のリーダーが義理の母であったために、金学順さんの単独インタビューがとれたというカラクリです」(「いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト」=甲4)

明らかになった事実B

植村記者が金学順さんの第一報を書いたときの団体は義母の団体(遺族会)とは関係ない別団体。朝日新聞の第三者委員会報告書(甲64)は、「義母を利する目的」や「捏造」との説を否定している。

 まず植村氏が1991年に金学順さんの情報を聞いたのは義母からではなく当時の朝日新聞ソウル支局長からだった(MILE1991年11月号=甲13、小田川興・元ソウル支局長の陳述書=甲57)。金学順さんの第一報を書いたとき聞き取りをしていた団体は「韓国挺身隊問題対策協議会」で、義母の団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)とは関係ない別団体だった(甲9=文芸春秋2015年1月号、義母の梁順任氏の陳述書=甲158)。誤りを指摘され、西岡氏は訂正したとしている(正論15年2月号=甲107、正論15年3月号=甲108)。

朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会は報告書(甲64)で「植村の取材が義母との縁戚関係に頼ったものとは認められないし、同記者が縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」(42ページ)と書き、「義母を利する記事」との説や、植村記者の記事が捏造であるとの説を明快に否定した。
https://sites.google.com/site/uemuraarchives/nishioka201809

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html#c1

[近代史3] 従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ 中川隆
2. 中川隆[-12777] koaQ7Jey 2019年1月23日 18:32:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22228]

2018年9月27日

西岡氏に批判広がる


本人尋問で重要な証拠の改変や誤りを認めた被告西岡力氏への批判がネット上で広がっている。きっかけは、週刊金曜日が26日に「週刊金曜日オンライン」で公開した記事。「西岡力氏が自らの捏造認める」との見出しで、本人尋問の重要なポイントを報じている。この記事はすぐにYahoo!ニュースに転載され、さらにツイッターで拡散が始まった。ツイッターには、本人尋問を終えて東京地裁を出る西岡氏の姿をとらえた写真も貼りつけられていて、「西岡劇場」の様相を呈している。

『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める | 週刊金曜日オンライン

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/09/26/antena-332/

以下は9月26日午後3時現在の#西岡力についてのタイムラインからの抜粋である。このほかに、中島岳志、平野啓一郎氏らの本文なしリツイートも多数ある。

※抜粋にあたっては、ツイート本文の一部を削ったものもある。
https://twitter.com/search?q=%EF%BC%83%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%8A%9B&src=typd

■望月衣塑子

めちゃくちゃである。何の学術的裏付け、根拠もないまま植村氏を批判。結果、植村氏や家族や大学は誹謗中傷、脅迫に晒され続けた。その罪はあまりにも重い
■佐藤 章
この裁判記事によれば西岡力はほとんど捏造じゃないか。自分が捏造しておいて他者を捏造呼ばわりするのは学者として人として失格だろう。恐らくは櫻井よしこもそうだろう。植村隆は捏造などするような人間ではない。西岡と櫻井は、記者会見を開いて謝罪すべきだ。

■masa

慰安婦問題を少しかじったら誰もが知ってる名前だろう。そして、裁判で捏造を認めた、この人物は北朝鮮拉致被害者の「救う会」の会長でもある。では「家族会」は?一緒に多くの集会を開いているだろうから、YouTubeででも確認するとよいかもしれない。

■細かい情報‏

西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。

■まりーべる321

#ヤフコメ が酷いですね。 #ネトウヨ さん達、いい加減にして欲しいです。

■World Peace Productions

#西岡力 本当に学者なのか?恥を知れ嘘つき野郎

■Hiroshi Takahashi

櫻井よしこさんも自分がウソ吐いたのを白状したし、西岡力さんも自分がウソ吐いたの白状したし、阿比留瑠比さんも自分の矛盾をアウェーの植村隆さんに突っ込まれて白旗上げたし、これだけウソ吐きのウソがばれてるのに、ウソを信じたい人たちは目を覚まさないんだよなー。


■佐藤 章‏
植村隆はぼくの昔の同僚だが、捏造などするような人間では決してない。人間である以上細かいミスはあるだろうが、優秀なジャーナリストであることは間違いない。捏造は、櫻井や西岡である。お仲間の杉田や小川のレベル、人間性を見てもよくわかる。
■渡辺輝人
酷いな。歴史修正主義って、日本語だと、修正なんて生易しいものじゃなくて、歴史の意図的改ざんなんだよね。

■ Hiroshi Takahashi

櫻井よし子に続いて右派の連中、ボロボロやんかw。

■想田和弘

シャレにならんな。→『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める

■ソウル・フラワー・ユニオン‏

西岡力。櫻井よしこといい阿比留瑠比といい、嘘をつきまくって結局白旗。汚辱にまみれたカルトの不誠実な人生。

■能川元一

西岡力も櫻井よしこも、実に軽々しく「捏造」という非難を他者に浴びせてきたから、自分たちのミスを「捏造」呼ばわりされても自業自得なんだよね。

■宋 文洲

嘘吐きはウヨの始まり

■m TAKANO‏

植村隆裁判で、事実に基づいた緻密な追求によって櫻井よしこに続いて西岡力も白旗を揚げざるを得ない状況に追い込まれた。いわゆる右派論客こそ捏造だらけであることが、この裁判を通じて明らかにされた。

■北丸雄二

「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力、捏造だったって。

■森達也(映画監督・作家)

ここまでの展開はさすがに予想できなかった。思想信条は違っても尊敬できる人であってほしいのに、下劣すぎる本質がどんどん顕わになる。

■tany

<西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた> って、間違いじゃなくて<嘘をついた>だよね。 櫻井よしこやネトウヨはどうするんだろう。

■hiroshi ono

なんか、最近YuTubeでも歴史改ざんやヘイトまき散らす(自称)保守系ネット番組が相次いで締め出されたり、新潮の雑誌が休刊に追い込まれたり、櫻井よし子や今回の西岡力が裁判で自ら捏造デマ流してたこと認めたり、潮目が変わって来た感じ。日本の自浄作用に期待します。

■西大立目‏

結局「捏造」してるのは朝日叩いてる連中なんですよね。 小川榮太郎とか櫻井よしことか西岡力とか そしてコイツラは未だに「保守論壇誌」だの「産経新聞」だので朝日叩きのお仕事継続中

■デマを生む人信じる人の思考回路研究‏

「慰安婦問題」を否定する人々の拠り所とされてきた西岡力氏の言論。西岡氏は、元朝日新聞記者の植村隆氏の書いた慰安婦記事は捏造だ〜と言い続けてきた。しかし実際は逆で、西岡氏の方が自らの言論に都合よく事実を捏造していたことを東京地裁で認めた。

■you u you

これホントだったら大変なことだと思うんだけど。植村さんを叩いている人達は西岡さんに事実確認したほうがよくない?

■Kawase Takaya

人を嘘つき呼ばわりしていた奴が本当に嘘つきだった。これで事の理非が分からなければ、病膏肓に入るとしか。

■スワローヲタフク

西岡力って、確か「救う会」の会長で、アベのブレーンだよな。まさに、アベ政権に「巣食う会」になりましたとさwww

■河原 淳

櫻井よしこに続いて西岡力もー。 安倍首相を取り巻く右派論客のウソが次々に暴かれている。平然とウソをつき、他人を容赦なく攻撃し排斥する。安倍首相にも通じる。

■akabishi2‏

司会は櫻井よし子。救う会会長は西岡力。植村裁判で実質的に「捏造」を認めた2人が、拉致被害者の運動に深く関わっているのは偶然でもなんでもないことは、普通に考えればわかることなのに、誰もそのことを口にできないし書けないもんなー

■清水 潔‏

おいおい。 西岡氏は、植村氏の記事に対し「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。 しかし尋問で問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。

■T−T‏

櫻井よしこも西岡力も裁判でデマを認めて、いま沖縄知事選でデマが飛び交っていると問題になっているけど与党候補からはデマで困っているという声は出ていないということ。

■藤井 太洋

慰安婦=プロの娼婦説の引き金を引いた西岡力が、発端となった記事の捏造を認めたのか。大きな一歩になるな。 そもそも慰安所にはプロも、騙された人も強制連行された人もいたのだろう。だからといって移動の自由がない戦地の慰安所に収容していいわけがないのだ。

■河信基

この男が横田夫妻を操り、拉致問題を10年間拗らせた張本人。廃刊になった新潮45の常識外に偏った常連寄稿者の一人でもある。

■宿坊の掲示板ほぼbot‏

「慰安婦」問題否定派の旗手である西岡力氏。彼の論考や発言は、櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ

■Veem.atomic‏

朝日新聞の慰安婦問題、結局は捏造ではなくて、捏造だと言ってた西岡力氏が、否定の根拠を捏造(記憶違い)だと裁判で認めた訳だ。 朝日を責めてた人達、これからどうするんだろ? 謝罪するのかな?

■ウツボマン

しかし、安倍応援団、ひどいね。百田尚樹に青山繁晴、櫻井よしこに西岡力。小川榮太郎に山口敬之、竹田恒泰。よくもこれだけのメンバーを集められるもんだ。

■川上 哲夫

元朝日新聞記者・植村隆さんの、元「慰安婦」記事を「捏造」と週刊誌に書いた西岡力の記事こそが【捏造】であったことを本人が認めた。仕方なく認めた

■toriiyoshiki‏

「金曜日」の記事を読んで思うのは、西岡力氏の学者・研究者・言論人としてのモラル崩壊ぶりである。自説を補強するため、新聞記事のありもしない一節をでっち上げるなど、あってはならないこと、人並みの良心さえあればとても考えられないことである。

■toriiyoshiki

朝日新聞の従軍慰安婦についての記事を「捏造」だと非難してきた御本人が、自らの論拠が事実上の「捏造」だったことを認めるに至ったお粗末の顛末。これは裁判記録として残るから、もう言い抜けはできまい。

■ryozanpaku

『植村氏が起こした民事裁判で、西岡力氏は今年9月5日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。』 西岡、謝れ!

■Joshua Martin あたま抱え中‏

2014年当時、西岡力に私もすっかり騙されていた。

「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」→嘘でした!

「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」→加筆捏造でした!

■ウツボマン‏

こんな記事までチェックしてるのに、西岡力と櫻井よしこの嘘がバレたことに対するコメントはまだですか?

■二宮力

西岡力氏が救う会の会長だからな。拉致問題は解決しないよね。させるつもりもないのだろう。

■盛田隆二

「慰安婦」問題否定派の旗手・麗澤大学教授の西岡力氏。氏の論考は櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となってきたが、その西岡氏が『朝日』元記者・植村隆裁判の尋問で、自らの「捏造」を認めた。 ――植村氏の記事を「捏造」呼ばわりした西岡氏が「捏造」していた。

■michi-to‏

西岡力が自らの捏造(従軍慰安婦は日本軍の強制ではなく親に売られたという嘘)を認める。嘘ネタで慰安婦を誹謗した櫻井よしこ、百田。慰安婦に謝れ。

■根村恵介‏

レイプジャーナリスト、捏造記者、ウヨクエンタメ作家、お追従評論家…安倍晋三のまわりはいかがわしい人物だらけ。

■朝守飛阿弥

「「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた」…お粗末。

■名もなき投資家(一般市民)

【「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏。彼の論考や発言は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。(略)西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた】 自称愛国者達の精神的支柱が崩壊

■結城秀二郎‏

慰安婦問題をめぐっては、さきに櫻井よしこ、最近では西岡力。いずれも裁判で敗訴、ねつ造告白。船橋市西図書館は、歴史修正主義の本を、とにかく処分してほしい。差別や偏見まるだしで、公営図書館の歴史書として置くわけにはゆくまいと思われる。

■雪之丞‏

この 西岡力 (拉致被害者救う会会長)とか、杉田水脈(新しい歴史教科書をつくる会理事) を擁護した 藤田信勝(新しい歴史教科書をつくる会副会長) とか、全員歴史歪曲派であることに注目しよう

■双極鑷子‏

「西岡力氏が自らの「捏造」認める」櫻井よし子と同じ、偽証罪の懲役を恐れたんだよね。今の社会なら、デマ屋として今までどおり生きていけるからなあ。

■Tommy‏

「『慰安婦』なんて捏造ダー」系の皆さんが、とても困ったことになってしまった。捏造と主張してきた西岡力が自らの捏造を認めてしまったのだから。とは言え、そういう人達がこれで考え方を変えるとも思えないが

■とも

ダブルスタンダードがダメなのは当たり前、嘘や捏造偽造がダメなのも当たり前、西岡力さんのように自分の主張を有利にするために文章を書き換えるのもダメなのは当たり前、人間を生産性がないなどと切り捨てるのがいけないのも当たり前。意見が違った相手でも思いやりを持つのも当たり前。

■アオイ模型:自宅療養中

「捏造」を主張していた側が「捏造」してたという、ありがちな展開。けど、今後もこれが「事実」として叫ばれ続けるんだろうね

■Noby Lucha Libre‏

西岡力や櫻井よし子や阿比留瑠比などが捏造と主張している内容はそれ自体が捏造。「この人はウソつき」というウソ。だまされた人々は怒りの矛先を不誠実な連中に向けるべきだろう。

■水谷千春

西岡力はあの八木秀次と同じ麗澤大学なのか。知らなかった。

■nitonasuk‏

こんな連中が関与すべき話では無い。繊細な問題だしナショナリズムを背景に解決できる問題でも無い。イデオロギー的に中立な両国の学者が時間をかけ解決すべきだ。

■適菜収。完全bot。

アホくさ。。でも、「捏造」を認めただけ、自称文芸評論家の小川榮太郎よりはマシだよね。

■中野昌宏 Masahiro Nakano‏

こういう結末。当然ですね。

■相原たくや

捏造を認めたということは、詐欺師であることを認めたわけである。全面的な謝罪の上で、筆を折るべきだろう。

■sara-K-HMJ‏

櫻井よしこや西岡力が故意に「親が売った」というデマを吐き被害者を貶めバカウヨがSNS上で蔓延させた。今もそのデマを根拠に被害者攻撃は続いている。安倍晋三や駐米大使もそのデマと同類の発言をしている。コイツラにきっちり責任をとらせろ

■omelette

【「私は40円で売られて,キーセンの修業を何年かして,その後,日本の軍隊のあるところに行きました」という元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると,「間違いです」と小声で認めた。】 元の物に無い文を勝手に作るのは、「間違い」ではなく、「捏造」

■能川元一‏

あの二人はなにか勘違いしたとか筆が滑ったとかであんなこと描いてるわけじゃない。あれは二人の世界観そのものなんだから。櫻井よしこや西岡力があれだけ法廷でド詰めされても「捏造記者」呼ばわりを謝罪もせず撤回もしてないのを見ればわかるじゃん。

■エリン

この 西岡力 って奴のデマに、脊髄反射で共感したのが 櫻井よしこ らであり、加害に加担した罪は大きい。西岡氏は大学教授を辞し、櫻井よしこは物書きとして筆を折るべきだ。

■もぎたてのいとうじん

なんだか、とてもいい加減だね。となると、この人の一部始終、信頼に値しない…と考えるべきじゃないかな。

以下略
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/09/blog-post_27.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html#c2

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
600. 中川隆[-12776] koaQ7Jey 2019年1月23日 18:32:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22228]

2018年9月27日

西岡氏に批判広がる


本人尋問で重要な証拠の改変や誤りを認めた被告西岡力氏への批判がネット上で広がっている。きっかけは、週刊金曜日が26日に「週刊金曜日オンライン」で公開した記事。「西岡力氏が自らの捏造認める」との見出しで、本人尋問の重要なポイントを報じている。この記事はすぐにYahoo!ニュースに転載され、さらにツイッターで拡散が始まった。ツイッターには、本人尋問を終えて東京地裁を出る西岡氏の姿をとらえた写真も貼りつけられていて、「西岡劇場」の様相を呈している。

『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める | 週刊金曜日オンライン

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/09/26/antena-332/

以下は9月26日午後3時現在の#西岡力についてのタイムラインからの抜粋である。このほかに、中島岳志、平野啓一郎氏らの本文なしリツイートも多数ある。

※抜粋にあたっては、ツイート本文の一部を削ったものもある。
https://twitter.com/search?q=%EF%BC%83%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%8A%9B&src=typd

■望月衣塑子

めちゃくちゃである。何の学術的裏付け、根拠もないまま植村氏を批判。結果、植村氏や家族や大学は誹謗中傷、脅迫に晒され続けた。その罪はあまりにも重い
■佐藤 章
この裁判記事によれば西岡力はほとんど捏造じゃないか。自分が捏造しておいて他者を捏造呼ばわりするのは学者として人として失格だろう。恐らくは櫻井よしこもそうだろう。植村隆は捏造などするような人間ではない。西岡と櫻井は、記者会見を開いて謝罪すべきだ。

■masa

慰安婦問題を少しかじったら誰もが知ってる名前だろう。そして、裁判で捏造を認めた、この人物は北朝鮮拉致被害者の「救う会」の会長でもある。では「家族会」は?一緒に多くの集会を開いているだろうから、YouTubeででも確認するとよいかもしれない。

■細かい情報‏

西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。

■まりーべる321

#ヤフコメ が酷いですね。 #ネトウヨ さん達、いい加減にして欲しいです。

■World Peace Productions

#西岡力 本当に学者なのか?恥を知れ嘘つき野郎

■Hiroshi Takahashi

櫻井よしこさんも自分がウソ吐いたのを白状したし、西岡力さんも自分がウソ吐いたの白状したし、阿比留瑠比さんも自分の矛盾をアウェーの植村隆さんに突っ込まれて白旗上げたし、これだけウソ吐きのウソがばれてるのに、ウソを信じたい人たちは目を覚まさないんだよなー。


■佐藤 章‏
植村隆はぼくの昔の同僚だが、捏造などするような人間では決してない。人間である以上細かいミスはあるだろうが、優秀なジャーナリストであることは間違いない。捏造は、櫻井や西岡である。お仲間の杉田や小川のレベル、人間性を見てもよくわかる。
■渡辺輝人
酷いな。歴史修正主義って、日本語だと、修正なんて生易しいものじゃなくて、歴史の意図的改ざんなんだよね。

■ Hiroshi Takahashi

櫻井よし子に続いて右派の連中、ボロボロやんかw。

■想田和弘

シャレにならんな。→『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める

■ソウル・フラワー・ユニオン‏

西岡力。櫻井よしこといい阿比留瑠比といい、嘘をつきまくって結局白旗。汚辱にまみれたカルトの不誠実な人生。

■能川元一

西岡力も櫻井よしこも、実に軽々しく「捏造」という非難を他者に浴びせてきたから、自分たちのミスを「捏造」呼ばわりされても自業自得なんだよね。

■宋 文洲

嘘吐きはウヨの始まり

■m TAKANO‏

植村隆裁判で、事実に基づいた緻密な追求によって櫻井よしこに続いて西岡力も白旗を揚げざるを得ない状況に追い込まれた。いわゆる右派論客こそ捏造だらけであることが、この裁判を通じて明らかにされた。

■北丸雄二

「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力、捏造だったって。

■森達也(映画監督・作家)

ここまでの展開はさすがに予想できなかった。思想信条は違っても尊敬できる人であってほしいのに、下劣すぎる本質がどんどん顕わになる。

■tany

<西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた> って、間違いじゃなくて<嘘をついた>だよね。 櫻井よしこやネトウヨはどうするんだろう。

■hiroshi ono

なんか、最近YuTubeでも歴史改ざんやヘイトまき散らす(自称)保守系ネット番組が相次いで締め出されたり、新潮の雑誌が休刊に追い込まれたり、櫻井よし子や今回の西岡力が裁判で自ら捏造デマ流してたこと認めたり、潮目が変わって来た感じ。日本の自浄作用に期待します。

■西大立目‏

結局「捏造」してるのは朝日叩いてる連中なんですよね。 小川榮太郎とか櫻井よしことか西岡力とか そしてコイツラは未だに「保守論壇誌」だの「産経新聞」だので朝日叩きのお仕事継続中

■デマを生む人信じる人の思考回路研究‏

「慰安婦問題」を否定する人々の拠り所とされてきた西岡力氏の言論。西岡氏は、元朝日新聞記者の植村隆氏の書いた慰安婦記事は捏造だ〜と言い続けてきた。しかし実際は逆で、西岡氏の方が自らの言論に都合よく事実を捏造していたことを東京地裁で認めた。

■you u you

これホントだったら大変なことだと思うんだけど。植村さんを叩いている人達は西岡さんに事実確認したほうがよくない?

■Kawase Takaya

人を嘘つき呼ばわりしていた奴が本当に嘘つきだった。これで事の理非が分からなければ、病膏肓に入るとしか。

■スワローヲタフク

西岡力って、確か「救う会」の会長で、アベのブレーンだよな。まさに、アベ政権に「巣食う会」になりましたとさwww

■河原 淳

櫻井よしこに続いて西岡力もー。 安倍首相を取り巻く右派論客のウソが次々に暴かれている。平然とウソをつき、他人を容赦なく攻撃し排斥する。安倍首相にも通じる。

■akabishi2‏

司会は櫻井よし子。救う会会長は西岡力。植村裁判で実質的に「捏造」を認めた2人が、拉致被害者の運動に深く関わっているのは偶然でもなんでもないことは、普通に考えればわかることなのに、誰もそのことを口にできないし書けないもんなー

■清水 潔‏

おいおい。 西岡氏は、植村氏の記事に対し「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。 しかし尋問で問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。

■T−T‏

櫻井よしこも西岡力も裁判でデマを認めて、いま沖縄知事選でデマが飛び交っていると問題になっているけど与党候補からはデマで困っているという声は出ていないということ。

■藤井 太洋

慰安婦=プロの娼婦説の引き金を引いた西岡力が、発端となった記事の捏造を認めたのか。大きな一歩になるな。 そもそも慰安所にはプロも、騙された人も強制連行された人もいたのだろう。だからといって移動の自由がない戦地の慰安所に収容していいわけがないのだ。

■河信基

この男が横田夫妻を操り、拉致問題を10年間拗らせた張本人。廃刊になった新潮45の常識外に偏った常連寄稿者の一人でもある。

■宿坊の掲示板ほぼbot‏

「慰安婦」問題否定派の旗手である西岡力氏。彼の論考や発言は、櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ

■Veem.atomic‏

朝日新聞の慰安婦問題、結局は捏造ではなくて、捏造だと言ってた西岡力氏が、否定の根拠を捏造(記憶違い)だと裁判で認めた訳だ。 朝日を責めてた人達、これからどうするんだろ? 謝罪するのかな?

■ウツボマン

しかし、安倍応援団、ひどいね。百田尚樹に青山繁晴、櫻井よしこに西岡力。小川榮太郎に山口敬之、竹田恒泰。よくもこれだけのメンバーを集められるもんだ。

■川上 哲夫

元朝日新聞記者・植村隆さんの、元「慰安婦」記事を「捏造」と週刊誌に書いた西岡力の記事こそが【捏造】であったことを本人が認めた。仕方なく認めた

■toriiyoshiki‏

「金曜日」の記事を読んで思うのは、西岡力氏の学者・研究者・言論人としてのモラル崩壊ぶりである。自説を補強するため、新聞記事のありもしない一節をでっち上げるなど、あってはならないこと、人並みの良心さえあればとても考えられないことである。

■toriiyoshiki

朝日新聞の従軍慰安婦についての記事を「捏造」だと非難してきた御本人が、自らの論拠が事実上の「捏造」だったことを認めるに至ったお粗末の顛末。これは裁判記録として残るから、もう言い抜けはできまい。

■ryozanpaku

『植村氏が起こした民事裁判で、西岡力氏は今年9月5日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。』 西岡、謝れ!

■Joshua Martin あたま抱え中‏

2014年当時、西岡力に私もすっかり騙されていた。

「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」→嘘でした!

「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」→加筆捏造でした!

■ウツボマン‏

こんな記事までチェックしてるのに、西岡力と櫻井よしこの嘘がバレたことに対するコメントはまだですか?

■二宮力

西岡力氏が救う会の会長だからな。拉致問題は解決しないよね。させるつもりもないのだろう。

■盛田隆二

「慰安婦」問題否定派の旗手・麗澤大学教授の西岡力氏。氏の論考は櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となってきたが、その西岡氏が『朝日』元記者・植村隆裁判の尋問で、自らの「捏造」を認めた。 ――植村氏の記事を「捏造」呼ばわりした西岡氏が「捏造」していた。

■michi-to‏

西岡力が自らの捏造(従軍慰安婦は日本軍の強制ではなく親に売られたという嘘)を認める。嘘ネタで慰安婦を誹謗した櫻井よしこ、百田。慰安婦に謝れ。

■根村恵介‏

レイプジャーナリスト、捏造記者、ウヨクエンタメ作家、お追従評論家…安倍晋三のまわりはいかがわしい人物だらけ。

■朝守飛阿弥

「「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた」…お粗末。

■名もなき投資家(一般市民)

【「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏。彼の論考や発言は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。(略)西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた】 自称愛国者達の精神的支柱が崩壊

■結城秀二郎‏

慰安婦問題をめぐっては、さきに櫻井よしこ、最近では西岡力。いずれも裁判で敗訴、ねつ造告白。船橋市西図書館は、歴史修正主義の本を、とにかく処分してほしい。差別や偏見まるだしで、公営図書館の歴史書として置くわけにはゆくまいと思われる。

■雪之丞‏

この 西岡力 (拉致被害者救う会会長)とか、杉田水脈(新しい歴史教科書をつくる会理事) を擁護した 藤田信勝(新しい歴史教科書をつくる会副会長) とか、全員歴史歪曲派であることに注目しよう

■双極鑷子‏

「西岡力氏が自らの「捏造」認める」櫻井よし子と同じ、偽証罪の懲役を恐れたんだよね。今の社会なら、デマ屋として今までどおり生きていけるからなあ。

■Tommy‏

「『慰安婦』なんて捏造ダー」系の皆さんが、とても困ったことになってしまった。捏造と主張してきた西岡力が自らの捏造を認めてしまったのだから。とは言え、そういう人達がこれで考え方を変えるとも思えないが

■とも

ダブルスタンダードがダメなのは当たり前、嘘や捏造偽造がダメなのも当たり前、西岡力さんのように自分の主張を有利にするために文章を書き換えるのもダメなのは当たり前、人間を生産性がないなどと切り捨てるのがいけないのも当たり前。意見が違った相手でも思いやりを持つのも当たり前。

■アオイ模型:自宅療養中

「捏造」を主張していた側が「捏造」してたという、ありがちな展開。けど、今後もこれが「事実」として叫ばれ続けるんだろうね

■Noby Lucha Libre‏

西岡力や櫻井よし子や阿比留瑠比などが捏造と主張している内容はそれ自体が捏造。「この人はウソつき」というウソ。だまされた人々は怒りの矛先を不誠実な連中に向けるべきだろう。

■水谷千春

西岡力はあの八木秀次と同じ麗澤大学なのか。知らなかった。

■nitonasuk‏

こんな連中が関与すべき話では無い。繊細な問題だしナショナリズムを背景に解決できる問題でも無い。イデオロギー的に中立な両国の学者が時間をかけ解決すべきだ。

■適菜収。完全bot。

アホくさ。。でも、「捏造」を認めただけ、自称文芸評論家の小川榮太郎よりはマシだよね。

■中野昌宏 Masahiro Nakano‏

こういう結末。当然ですね。

■相原たくや

捏造を認めたということは、詐欺師であることを認めたわけである。全面的な謝罪の上で、筆を折るべきだろう。

■sara-K-HMJ‏

櫻井よしこや西岡力が故意に「親が売った」というデマを吐き被害者を貶めバカウヨがSNS上で蔓延させた。今もそのデマを根拠に被害者攻撃は続いている。安倍晋三や駐米大使もそのデマと同類の発言をしている。コイツラにきっちり責任をとらせろ

■omelette

【「私は40円で売られて,キーセンの修業を何年かして,その後,日本の軍隊のあるところに行きました」という元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると,「間違いです」と小声で認めた。】 元の物に無い文を勝手に作るのは、「間違い」ではなく、「捏造」

■能川元一‏

あの二人はなにか勘違いしたとか筆が滑ったとかであんなこと描いてるわけじゃない。あれは二人の世界観そのものなんだから。櫻井よしこや西岡力があれだけ法廷でド詰めされても「捏造記者」呼ばわりを謝罪もせず撤回もしてないのを見ればわかるじゃん。

■エリン

この 西岡力 って奴のデマに、脊髄反射で共感したのが 櫻井よしこ らであり、加害に加担した罪は大きい。西岡氏は大学教授を辞し、櫻井よしこは物書きとして筆を折るべきだ。

■もぎたてのいとうじん

なんだか、とてもいい加減だね。となると、この人の一部始終、信頼に値しない…と考えるべきじゃないかな。

以下略
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/09/blog-post_27.html
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c600

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
190. 中川隆[-12778] koaQ7Jey 2019年1月23日 19:16:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

水温下げ、外来魚を根絶
北海道オンネトー、全国初
2019/1/22 22:42 ©一般社団法人共同通信社


「オンネトー湯の滝」の池で泳ぐ外来魚のグッピー=2014年7月、北海道足寄町

 環境省は22日、国の天然記念物に指定されている北海道足寄町の「オンネトー湯の滝」の池で、外来魚のグッピーやナイルテラピアの根絶を確認したと発表した。長年繁殖しており、水温を下げて駆除を進めていた。同省によると、野外に定着したグッピーなどを駆除で根絶させた例は全国初。

 オンネトー湯の滝は阿寒摩周国立公園にある景勝地で、湧き出た温泉水が流れ落ちている。滝の下の池は冬でも水温が保たれ、何者かが持ち込んだグッピーなどが30年ほど前から繁殖していた。

 温泉水にはマンガンイオンが含まれ、マンガン鉱物を生成しているが、外来魚の食害で生成に必要な藻類が激減していた。

___


ついでに中国人も絶滅させて欲しいですね
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c190

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
12. 中川隆[-12777] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:21:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

日ロ領土問題と平和条約交渉について

森・プーチン会談と「イルクーツク声明」は何を示したか

2001年4月13日 日本共産党 政策委員会、同 国際局


 森首相とプーチン大統領との日ロ首脳会談は、「イルクーツク声明」(三月二十五日)を発表して終わりましたが、両国間の領土問題について、な んらの具体的な前進がなかったばかりか、いっそうの困難をつくりだすものとなりました。日本の各紙も、「依然隔たり大きい日ロ平和条約交渉」、「かすむ 『領土』 日本苦渋 日露交渉進展せず」などと、きびしい見方を示しています。

 いったい、このゆきづまりを打開する道はどこにあるのでしょう。そのためにも、あらためて、日ロ間の領土問題の原点はどこにあるのか、自民党外交のどこに問題があるのか、日本共産党はどう考えているのか――について明らかにしておくものです。

一、日ロ領土問題の原点と解決の基本方向は

(1)歯舞、色丹と千島列島全体が日本の歴史的な領土

 政府もマスコミも、ロシアとの領土問題というと「北方領土」という言葉を使います。「北方領土」という場合、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の四島のことをさしています。

 しかし、日本の歴史的な領土は、この四島だけではありません。歯舞と色丹は、もともと北海道の一部です。国後と択捉は、千島列島のなかの南千 島部分だけです。本当は、その北にある得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)までの北千島までを含む千島列島全体が、日本の歴史的な領土なのです。

 このことが確定したのは、幕末から明治にかけての十九世紀後半のことでした。

 それまでは、千島列島と樺太(サハリン)島がどの国の領土であるかは確定しておらず、千島列島の南からは日本が、北からはロシアが、それぞれ 進出し、利害が衝突したところでは紛争が起こるという具合でした。それが、千島は日本の領土、樺太はロシアの領土となったのは、二つの条約が結ばれたこと によってでした。

 一つは、徳川幕府と帝政ロシア政府との間に結ばれた、一八五五年(安政元年)の「日魯(にちろ)通好条約」です。伊豆の下田で結ばれたこの条 約によって、択捉島と国後島の南千島は日本領、得撫島から占守島までの北千島はロシア領とし、択捉島と得撫島のあいだの海峡を日ロ間の国境とすることが決 まりました。しかし、樺太島については、両国間の境界を決めず、従来どおり日本人もロシア人も自由に活動できる“雑居の地”とされました。

 もう一つが、その二十年後、一八七五年(明治八年)にロシアの首都サンクトペテルブルクで結ばれた「樺太・千島交換条約」です。この条約に よって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となったのです。この点では、日露戦 争の結果、日本がロシアから奪いとった南樺太とは根本的に異なります。

 このように千島列島は、日本が暴力や戦争で他国から奪った領土ではなく、平和的な外交交渉によって日本への帰属が最終的に確定したものであ り、日本の歴史的な領土を問題にするなら、一八七五年の樺太・千島交換条約で画定した国境が、日本とロシアとのあいだの歴史的な境界線となるべきことは、 日ロ外交史が示す自明の結論です。

(2)日本の歴史的領土を奪ったスターリンの大国主義的誤り

 その千島列島や北海道の一部である歯舞、色丹が、どうして旧ソ連、現在のロシアの領土にされてしまったのでしょう。それは、第二次世界大戦の 最終段階に、ソ連の指導者だったスターリンが、日本の歴史的領土である千島列島の併合を対日参戦の条件として強引に要求し、しかも平和条約の締結もまたず に併合を実行してしまったからです。

 もともと、第二次世界大戦の戦後処理については、ソ連が支持した「大西洋憲章(英米共同宣言)」(一九四一年)でも、ソ連ものちに加盟した 「カイロ宣言」(一九四三年)でも、連合国側は「領土不拡大」を最大の原則として確認していました。「大西洋憲章」には、「両国は領土的その他の増大を求 めず」と明記され、カイロ宣言は「右同盟国は自国のために何等の利得をも欲求するものにあらず。また領土拡張の何等の念をも有するものにあらず」と強調し ていました。

 ところが、第二次世界大戦末期の一九四五年二月、クリミア半島のヤルタでおこなわれた米英ソ三国首脳による秘密会談でスターリンは、対日参戦 の条件に日本の正当な領土である千島のソ連への「引き渡し」を要求し、アメリカ、イギリスともこれを認めてしまったのです(「ヤルタ秘密協定」)。スター リンは、この会談で「ソ連が対日戦争に参戦するためには、ソ連が極東で欲している一定の利権が認められることが肝要である」とのべ、「利権の譲渡」を強く 要求したのです(当時の米国務長官ステティニアス著『ルーズベルトとロシア人』)。スターリンの要求は、「領土不拡大」というソ連も参加していた連合国の 戦後処理の原則を乱暴に踏みにじるもので、なんらの国際的道理ももたないものでした。

 しかもソ連は、千島列島だけでなく、ヤルタ協定で言及されなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、戦後まもない一九四六年に、平和条約も問題にならないあいだに、千島列島と歯舞・色丹のソ連領への「編入」を一方的に強行してしまいました。

 その後、一九五一年にサンフランシスコ平和条約が結ばれた時、日本は、この条約の領土条項で、千島列島にたいする「すべての権利、権原および 請求権を放棄」すること(第二条C項)を強要されました。これは、この条約の起案者であるアメリカが、一九四五年のヤルタ協定の内容を不当にもちこんだも のでした。しかし、日本はヤルタ協定の当事者ではなく、そこでの秘密の取り決めに日本国民が拘束される理由は、どこにもありません。

 日ロ間の領土交渉にあたっては、「領土不拡大」の原則を乱暴にふみにじったスターリンの横暴、大国主義的な領土拡張主義にこそ、今日の日ロ両国間の領土問題の根源があることを、しっかり見定めなければなりません。

 ロシア連邦の政府自身が、旧ソ連の国際的地位を継承したものとして、スターリンのこの重大な誤りを正す責任を負っていることは、当然です。

(3)ロシアに領土返還を要求する日本国民の大義は、
スターリンの大国主義的な誤りの是正にある

 日本国民がロシアに領土返還を要求する根拠は、スターリンの大国主義的な誤りを正して、日本の歴史的な領土の回復を求めるという点にあります。そこに、領土問題の解決にあたっての、日本国民の側の大義名分があるのです。

 領土交渉にあたっては、米英ソ三国のヤルタ協定はもちろん、サンフランシスコ平和条約の「千島放棄条項」にも拘束されないで、歴史的な領土の 回復を要求するという、日本側の大義を明白にすることが、重要です。このことを抜きにしては、日ロ交渉のなかでも、また国際世論の前でも、日本の領土返還 要求の正当な根拠を明らかにすることはできません。

 ところが、歴代自民党政府は、平和条約の「千島放棄条項」を絶対化し、この条項を不動の前提とするという立場で、ソ連およびロシアとの領土交 渉にあたってきました。つまり、スターリンの大国主義の誤りを是正するという根本問題を、自民党政府の対ソ・対ロ外交の内容から、完全に欠落させてしまっ たのです。

 その結果起こったことは、日本が領土交渉において、国際的に通用する大義を失ってしまうという、重大な事態でした。

(4)領土返還要求の大義を失った自民党外交

 自民党政府が、領土返還要求の唯一の国際法的な根拠としたのは、サンフランシスコ条約での「千島放棄条項」を認める、しかし、択捉、国後、歯 舞、色丹の四島は千島列島には含まれないのだから、日本に返還すべきだという主張、すなわち、“南千島は千島にあらず”という主張でした。

 これは、きわめて無理な主張でした。

 歯舞、色丹は、歴史的にいって、北海道の一部であり、千島列島には含まれません。しかし、択捉、国後は千島列島の一部であり、だからこそ、南 千島と呼ばれてきたことは、日本と世界の常識でした。だから、“千島でないから返せ”という主張は、歯舞、色丹の二島については成り立ちますが、択捉、国 後については成り立ちません。

 そして、国後、択捉が南千島であり、したがって千島の一部であることは、その放棄条項を決定したサンフランシスコ会議でも、当然の解釈とされ ていました。アメリカ代表も、その趣旨で発言していました。日本政府代表として出席した吉田首相も、放棄した千島列島には歯舞、色丹が含まれないことを主 張しましたが、択捉、国後については何の異論もとなえず、当時、「千島南部の二島、択捉、国後両島」という発言をしています。また、この条約を批准した一 九五一年の国会での政府の答弁は、「千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含む」(外務省西村条約局長)という答弁で一貫していました。

 日本政府は、その五年後の一九五六年に、にわかにその立場を変更して、“南千島は千島にあらず”と主張しはじめたのです。それが、国際的に通 用しない、あとからのこじつけであったことは、当時、サンフランシスコ会議の参加国として、日本政府から見解を問われたイギリスやフランスの政府が、“南 千島は千島にあらず”という見解に同意することをきっぱり拒否したことにも、明確に示されました。

 自民党政府が、こうして、スターリンの大国主義の誤りを是正するという大義ある立場を投げ捨て、領土返還要求の根拠を、サンフランシスコ平和 条約の勝手な「解釈」論だけに求めるという道を選んだことは、ソ連およびロシアとの領土交渉における日本政府の立場をきわめて脆弱(ぜいじゃく)なものに しました。

 日本政府が“南千島は千島にあらず”と言い出してから、すでに四十五年という月日が経過しました。その間に、形だけの交渉は断続的におこなわ れましたが、交渉の内容――日本側が何を根拠にして領土返還を要求しているのか、ソ連あるいはロシア側がそれを拒否しているとしたら、どんな根拠をもちだ しているのか、そして日本側はそれにどのように反論しているのか等々については、日本国民も日本の国会も、政府から中身のある説明を受けたことは一度もあ りません。それは、日本政府の領土交渉の無力さを示すものです。

 領土交渉のこうした状態の根底には、日本政府が、スターリンの誤った領土拡張主義を正すという国際的な正義の立場を捨て、「千島放棄条項」の 枠内での領土返還要求というごまかしの道を選んだという、外交上の根本問題が横たわっていることを、いま、あらためて指摘せざるをえません。

二、領土問題での一方的譲歩を表明した「イルクーツク声明」

 自民党政府の領土交渉のこうした弱点は、今年三月二十五日、日ロ首脳会談で発表された「イルクーツク声明」のなかに、集中的な形で示されまし た。そこには、領土問題の根本にかかわる、三つの重大な問題点が含まれており、そのすべてが、領土問題での日本側の一方的な譲歩を表しているのです。

(1)北千島は最初から放棄

 「イルクーツク声明」(以下、「声明」)の第一の問題点は、領土交渉の対象を、択捉、国後、色丹、歯舞の四島に限定し、得撫以北の北千島については最初から放棄することを、あらためて確認したことです。

 「声明」は、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属にかんする問題を解決することにより、平和条約を締結」するとしています。この 「四島返還」論は、一九九三年の細川首相とエリツィン大統領との間の「東京宣言」でも明記され、一九九七年の橋本首相とエリツィン大統領との間の「クラス ノヤルスク合意」でも確認されてきたものです。

 「東京宣言」の際、わが党は当時不破哲三委員長の談話で、この立場は「北千島を最初から領土返還交渉の枠外におくと同時に、択捉、国後の南千 島についても領土返還要求の国際法上の根拠を失わせるものである」(「赤旗」一九九三年十月十四日付)と指摘しました。それは、この立場が最初から北千島 を放棄するというだけにとどまらず、“南千島は千島にあらず”という国際的に通用しない立場と一体のものだからです。

 日本が、ロシアに領土返還を要求する最大の論拠は、千島列島全体が日本の歴史的領土であるにもかかわらず、第二次大戦後の不公正な処理によっ てロシアに引き渡されたものだからです。それが、北千島は最初から領土返還交渉の枠外に置くというのでは、南千島の国後、択捉の返還要求も根拠がないとい うことになってしまうからです。

(2)歯舞、色丹の早期返還の道を閉ざす

 「声明」の第二の問題点は、歯舞、色丹の早期返還の道を閉ざしてしまったことです。

 歯舞、色丹は北海道の一部であり、もともと千島放棄条項の対象とはなりえない島々です。この点については、サンフランシスコ条約批准国会で日 本政府自身が、「色丹島および歯舞島が北海道の一部である事実は連合国の絶対多数の承認を得ておるところ」(西村条約局長)、「千島列島の中には歯舞、色 丹はこれは全然含まれない」(草葉外務政務次官)と明言しています。

 ですから、歯舞、色丹は、問題の性格からいって、平和条約の締結を待つことなく、その速やかな返還を要求して当然なのです。現に、日本共産党 は、旧ソ連の時代に、政権党であったソ連共産党と領土交渉をおこなったさい、平和条約の締結にいたる以前に、日ソ間で中間的な条約を結び、歯舞、色丹の二 島をまず返還すべきだと提案し、ソ連側に迫りました(一九七九年)。

 この点で、「声明」が、一九五六年の「日ソ共同宣言」を、「平和条約締結にかんする交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」と確認 したことは、重大です。その「宣言」では、歯舞、色丹の日本への「引き渡し」について、両国間の「平和条約が締結された後」と明記されているからです。こ れを、領土交渉の出発点を設定した「基本的な法的文書」として扱うということは、日本側にとっては、平和条約以前に歯舞、色丹の返還問題を解決する道を閉 ざすという意味をもつものです。それはまた、ロシア側には、歯舞、色丹の返還を領土交渉の終着駅にしようとする思惑に有力な根拠を与えることになります。

 政府は、この部分を含む「宣言」の“有効性”を初めて両国の共同文書に明記したことを今回の首脳会談の大きな“成果”としていますが、成果どころか、平和条約締結以前の二島返還への道を閉ざしてしまったものであり、重大な後退というべきです。

(3)国後、択捉についても施政権の放棄という日本の譲歩だけが残った

 国後、択捉についても今後の交渉への新たな具体的手がかりはなんら得られませんでした。そればかりか、一方的な譲歩だけが残りました。

 日本政府は一九九八年の川奈での日ロ首脳会談のさい、択捉と得撫のあいだを想定した「国境線の画定」だけの合意で平和条約を締結し、国後、択捉の「施政権」はロシア側に残してよいという一方的な譲歩の提案をおこないました(橋本首相の「川奈提案」)。

 しかし、「施政権」問題の解決は先送りするといっても、いったん平和条約を結べば、戦後国境・領土問題は最終的に解決したと見なされ、施政権 の返還の保証はどこにもありません。これは事実上の放棄論に等しいものです。この川奈提案は今なお当時の両国首脳会談の記録に残っています。それどころ か、昨年十一月のブルネイでの日ロ首脳会談のさい、森首相は「川奈提案は今でも最良の案だと考えている」とのべて、それまで非公開の交渉で内々の提案とさ れていたものをみずから公表し、再確認してしまいました。こうして、ロシア側は何らの譲歩もしないのに、日本側が施政権放棄という一方的な譲歩の言明をお こない、その言明だけが日ロ交渉の記録に既定事実として残るという、重大な事態を招いてしまったのです。

 この足元を見すかされたのが、今回のイルクーツク会談です。日本側は、「日ソ共同宣言」を“初めて公式文書で明記したことにより歯舞、色丹の返還は法的に確認された。今後は国後、択捉の帰属問題の交渉をおこなう”などといっています。

 しかし、ロシア側の解釈はそうではありません。対日交渉を担当しているロシュコフ外務次官は四月四日、「宣言」にもとづいて歯舞、色丹を「引 き渡す」場合、残りの国後と択捉の帰属にかんする交渉を継続することは意味がなくなるとの立場を示しました。もし歯舞、色丹を返還したら、もう国後と択捉 の帰属問題は交渉しないというのです。

 このように、ロシアへの日本側の譲歩につぐ譲歩というのが、森・プーチン会談の実質だったのです。

 結論  一方的譲歩や小手先の外交では前進できない

 「イルクーツク声明」にいたる領土交渉の全経過が示しているのは、一方的な譲歩や小手先の対応だけの外交では、領土問題は解決できない、ということです。

 日本政府は近年、対ロ交渉のゆきづまりから抜け出そうとして、国民に真実を隠した密室交渉を進め、北千島放棄を確認するだけでなく、四島につ いても一方的な譲歩を重ねてきました。自民党の内部には、歯舞・色丹の返還だけで平和条約を結んではどうかといった声もあると伝えられています。この点で は、前述のロシュコフ発言と一致します。

 もう一つが、経済援助を領土問題打開の梃子(てこ)にしようとしたり、首脳間の個人的な“友好”関係に頼ったりすることでした。こうした小手先の対応では、積極的な結果をもたらすどころか、問題をいっそう複雑にするだけというのが、この間の教訓です。

 「イルクーツク声明」発表後、森首相は記者会見で、「これまでの交渉の姿を明確な形で総括した」とのべましたが、たしかに国際的大義をもたな い自民党の無原則外交のもとでは、領土返還が前進するどころか、一方的譲歩と後退しかもたらさないことを証明したという点で、自民党外交の破綻(はたん) を「総括」するものといえるでしょう。

 自民党の領土返還交渉がなんらの大義もなしにおこなわれていることは、三月二十七日、衆院本会議でのわが党の山口富男議員の質問でも鮮明にな りました。森首相は、山口議員が「いったいどういう根拠と大義を示してロシアとの領土交渉にあたったのか」と質問したのにたいし、なにひとつ大義を示すこ とができず、北千島を最初から放棄した一九九三年の「東京宣言」など日ロ間の合意事項を交渉指針としていると答えるだけでした。ロシアとの領土交渉にあ たって、そのロシアとの合意事項を指針にするなどとは、外交とは何であるかも知らないものの議論としかいわざるをえないものです。

 結局、自民党外交がもたらしたものは、北千島は完全放棄、国後、択捉が返還される可能性は限りなく小さい、歯舞・色丹の「引き渡し」は前途遼遠(りょうえん)――ということでしかありません。

三、問題解決への道を切り開くために 日本共産党の立場と見解

 では、どうすれば領土問題を解決することができるのでしょうか。

 日ロ間の領土問題は、前述のとおり、第二次世界大戦終結のさいスターリンが「領土不拡大」の原則を破り、千島と歯舞、色丹を一方的にソ連に併 合したことから起こったものです。したがって、問題解決の基本は、この大国主義的、覇権主義的な誤りを是正することにあります。そのためにも、一国の正当 な歴史的領土を他国が併合することは許されないという、二十世紀が到達した国際法の根本原理にたって、今後の交渉にあたることです。この立場から、わが党 は、領土

交渉にあたる基本的な態度として、次のことをあらためて提案するものです。 

(1)ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」や
サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提としないこと

 対ロ領土交渉にかんする日本政府の立場は、サンフランシスコ条約の千島放棄条項の絶対化です。ここから、“南千島は千島にあらず”という国際的に通用しない無力な奇弁も出てくるのです。これを根本から正すべきです。

 ソ連がヤルタ会談で対日参戦の条件の一つとして千島列島のソ連への「引き渡し」を要求したこと、それに米英が応じたことは、ともに「領土不拡 大」という戦後処理の原則に明白に背反する行為でした。その後、サンフランシスコ条約にアメリカの要求で「千島放棄条項」が入れられたことは、ヤルタ協定 での不公正な密約を具体化するものでした

 問題の公正な解決には、戦後処理のこの不公正を国際的な民主主義の道理にたって是正することが欠かせません。そのためには、ヤルタ協定やサンフランシスコ条約の千島関連条項を日ロ交渉の不動の前提としないことです。

 サンフランシスコ条約の個々の条項に明記された内容がその後、条文の公式な取り消しなしに、実際に変更された事例はあります。たとえばアメリ カは沖縄の施政権を確保しましたが、一九七〇年代はじめに、米軍基地の問題は残されたものの、施政権は返還されました。沖縄の祖国復帰が沖縄県民をはじめ とする国民的な強い要求と運動によってかちとられたことは、周知のとおりです。

 日本は、ロシアの世論にたいしても、世界の世論にたいしても、歯舞、色丹と千島列島が日本の歴史的領土であること、そのロシアへの併合が国際 道理に照らして不公正なものであり、それをもたらしたのがスターリンの大国主義的誤りであったことなどを正面にかかげ、訴えることこそ必要です。

(2)基本に十九世紀後半の日ロ両国政府間の
平和的な領土交渉の到達点をおくこと

 日ロ両国が、近代国家形成の過程で、戦争などの手段に訴えることなしに国境を画定しあった十九世紀後半の平和的な領土交渉の到達点を、両国間の国境画定の出発点、基準とすることが、強く求められています。

 この時期の国境画定にかんしては、すでにのべたように、一八五五年の日魯通好条約と一八七五年の樺太・千島交換条約があります。日本共産党 は、領土問題解決の歴史的な基準としては、当時の領土交渉の最終的な到達点である一八七五年の樺太・千島交換条約にもとづくべきだと主張してきました。平 和的な交渉の結果、同条約によって最終的に全千島列島が日本の領土と決められたのですから、全千島を返還の対象として平和条約締結交渉を進めることには、 十分な根拠があります。

(3)必要なら段階的な返還のための交渉をおこない、
平和条約は領土問題が最終的に解決されたときに締結すること

 歯舞、色丹は、サンフランシスコ条約で日本が放棄した千島には含まれていないのですから、日ロ平和条約締結を待たず、早期の返還を要求すべきです。そのさい、必要なら、両国間で中間的な条約を結ぶことも可能です。

 日ロ交渉は国家間の交渉であり、領土返還要求のすべてを一挙に実現できない場合もありうることです。戦後五十六年間の経過や現状を考えれば、なおさらそうです。

 その場合でも、段階的な返還ということで交渉に臨むべきであって、合意できなかった部分の放棄を安易に宣言すべきではありません。ましてや、日本政府が、すでに指摘したような一方的な譲歩を提案することは、絶対に容認できないことです。

 そして平和条約は、領土問題が最終的に解決され、日ロ両国間の境界が最終的に画定されたときに締結するべきです。

 さらに、外交交渉にあたって、日本側が、返還されるべき島々については、非軍事化すること、自然環境を保全すること、現在の住民が返還後もそ こでの定住を希望すれば彼らの生活と権利を保障するための措置をとることを、今から明らかにしておくことは、重要な意味をもつと考えます。

 このような立場を確立してこそ、真剣な領土交渉もできるし、ロシアの世論や国際世論にも訴えることができます。

 日本共産党は、これらの提案の実行をめざし、日ロ領土問題の公正な解決のために、今後も全力を尽くすものです。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2001/04/post-296.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c12

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
13. 中川隆[-12776] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:27:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
共産党だけが北方4島ではなく全千島列島返還を主張中 2016.10.06


【返還を求めるのは北方4島だけでない?(外務省HPより)】


 12月のロシア、プーチン大統領の訪日を控え、北方領土返還交渉に日ロ間で進んでいる。「まず色丹・歯舞の2島を返還させるのか」「まず4島についての日本の主権をロシアに認めさせるのか」に注目が集まるなか、“異色の主張”を掲げているのが日本共産党だ。

 日本の主要政党のなかで唯一、共産党だけはカムチャツカ半島のすぐ南にある占守島以南の「全千島列島」の返還を要求している。同党HPに志位和夫・委員長名で公表された文書には〈全千島列島が返還されるべき正当な根拠をもった日本の領土〉とある。

 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島を放棄しているが、なぜ共産党はそれを丸ごと取り返すという「大きな要求」を掲げるのか。党本部の担当者はこう説明する。

「千島列島は歴史的にも日本の領土で、先の戦争で武力によって奪われた。ロシアと平和条約を締結するのであれば、4島のみならず千島列島の全島返還を求め、戦争前の状態に戻すことが正しい筋道でしょう」

 この話は、前提に微妙な食い違いがある。日本政府の立場は〈そもそも北方四島は千島列島には含まれません〉(外務省HPより)というもの。

 一方の共産党は、放棄した千島列島に択捉・国後が含まれていたとする立場だ(歯舞・色丹は北海道の一部)。

 たしかに1951年の講和条約批准にあたっての国会審議で外務省の担当局長は“千島列島に択捉・国後が含まれる”という旨の答弁をしている。共産党は、政府が1955年からの日ソ国交正常化交渉のなかで、〈突然それまでの立場を変え、「国後、択捉は千島列島ではないから返還せよ」と主張〉(同党HP)したと批判している。いったん放棄したものの一部を“やっぱり放棄していない”と言を翻したりするから、交渉が進まない──というのが共産党の主張である。

 では、今回浮上した「歯舞・色丹の2島引き渡し」については、どうみるか。この2島が千島列島ではなく北海道の一部、という点は、政府も共産党も一致している。

「まだ政府がその通り交渉をするかわからないのでコメントは控えたいが、国境を曖昧にしたまま、“まず2島返還で合意”などというやり方は、後世に火種を残す可能性が高い。そんな交渉で国民は納得するか疑問だ」(前出の党本部担当者)

 共産党は「全千島列島返還」を求め続けるようだが、その実現のハードルが高いことは間違いないだろう。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20161006_453465.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c13

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
14. 中川隆[-12775] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:36:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

党略で樺太を投げ棄てた日本共産党  ロシアを利するおかしな領土解釈

別冊正論25号『「樺太−カラフト」を知る』より
篠原常一郎(元日本共産党国会議員秘書) 
https://ironna.jp/article/2786?p=1

返還要求を「広さ」で競う?


 もう三十年くらい前だ。私が駆け出しの「職業革命家」(日本共産党の専従職員を指す党内用語)だったとき、衆議院議員候補者の秘書をさせられ、党中央委員会の幹部でもあった候補者の会話をごく間近で聞くことができた。中選挙区制度下での解散・総選挙を受けて選挙区内を朝から晩まで共に駆け回り、様々な階層の人たちを集めた小集会や演説会を日に何件もこなしていた。


 ソ連邦が崩壊するより何年も前で、「ソ連に奪われた北方領土の返還にどう道筋をつけるか」という問題について、集会に出席した人からよく質問が出た。そんなとき、党機関紙「赤旗」の外信部記者として海外駐在経験もある候補者氏はうれしそうにこう説明したものだ。

「ソ連から戦争で奪われた領土を取り返すことでは、日本共産党が主張しているやり方が一番筋の通ったものです。『北方領土』の四島返還だけではなく、全千島の返還を主張しています。これは歯舞、色丹、択捉、国後などの四島以外の放棄を決めたサンフランシスコ条約第二条C項の廃棄を通告すれば可能です」

「日本共産党は、日露戦争でロシアから賠償として奪った南サハリン(樺太)を除き、日露間の正常な交渉で平和的に画定した領土である全千島列島の返還を求めます。どの政党よりも一番広い範囲の返還をソ連に求めていることになるのですよ」

 質問者は「へえ、それはすごいね。共産党だからソ連の仲間だと思ったのに、そこまでものをいうんだね」「そんなに大きな広さの返還を求めているなんて、知らなかった」などと驚いていたように思う。

 すると、候補者氏、さらに喜んでこう付け加えたものだ。

「日本共産党は自主独立の党で、ソ連でもアメリカでも中国でも、どんな大国に対してもきっぱりものを言ってきましたから」

 平成初頭までの党最高権力者、宮本顕治が打ち出していた「自主独立路線」と結びつけて、ソ連からの領土返還論を日本共産党は語っていたのだ。この「自主独立」は、不破哲三など党最高指導者が懐柔され、中国共産党政権の海洋覇権追求のような対外膨張主義にも一切もの申さなくなった最近の日本共産党が、口にしなくなって久しい。

 私が候補者氏から「要求面積が最も広い返還」論を聞いた昭和六十年前後から、日本共産党は「四島返還を求める立場にも柔軟に対応する」と称し、毎年二月七日の「北方領土の日」の「北方領土返還要求全国大会」に参加するようになった。

 その一方で、相変わらず「日本政府は、千島の南半分の国後、択捉と、千島に含まれない歯舞、色丹のみ返還を求めています。これは日本政府が、一九五一(昭和二十六)年に各国と結んだサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄するという重大な表明をおこないながら、五六年になって『国後、択捉は千島に含まれない』との見解を出し、歯舞、色丹と合わせ『北方領土』として返還を求め始めたからです。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりと迷走の一因」(平成二十二年一月二十七日付赤旗「千島問題をなぜ『北方領土問題』と呼ぶ?」)など、「全千島返還」論を唱える自党のみの正しさを言い続けている。

選挙目当てのご都合主義


 当時、若さゆえに党の路線と「科学的社会主義」(マルクス・レーニン主義の言い換え)に頭をしばられていた私は、こうした日本共産党のやり方に疑問は持たなかった。しかしその後、国会論戦や政策準備のため、政府側のレクチャー(担当省庁職員による説明)聴取や資料調査を長期にわたって経験し、さらに党から離れるに至る中で見方が変わった。

 自分なりの判断として「全千島返還」論など日本共産党の領土問題への主張と対応は「選挙目当てのご都合主義」にすぎないもの、と考えるようになったのである。

 理由の第一は、平和条約締結へ向けたソ連・ロシアとの領土返還交渉の経過と到達点を全く無視した、非現実的な議論であることだ。

宮本顕治元党中央委員会議長(右)と不破哲三前党中央委員会議長
宮本顕治元党中央委員会議長(右)と不破哲三前党中央委員会議長(左)

 ソ連時代、さらにソ連崩壊後はロシアのエリツィン、プーチン政権との交渉で、ともかくも昭和三十一年の日ソ共同宣言を出発点に領土返還交渉を行うという認識が、日露両国で共有されたのが到達点である。平和条約締結に向けて歯舞、色丹の「二島返還」は最低ラインで、後の問題は協議していくというものだ。

 日本共産党の「全千島返還」論は、この到達点を帳消しにして一から交渉し直せというものに等しい。現段階では北方四島を含め全千島、南樺太を不法占拠ながら実効支配するロシアがこんな議論に応じることは、現実的にまったく考えられない。

 日本政府が旧島民を含む国民世論を背景に交渉してきた到達点(不十分なものにせよ)に冷水をぶっかける議論が「全千島返還」論だ。こんな乱暴な主張は、政治的にどちらの国を利するものか明白である。

 理由の第二は、日露間の領土形成の歴史的事実を覆い隠し歪めた議論が「全千島返還」論の底流にあることだ。まず、「南サハリン(樺太)は戦争でロシアから奪ったもの」とする解釈が、樺太をめぐる我が国とロシアの歴史の事実をまったく無視したデタラメである。

 さらに「千島列島全体が一八五五年に江戸幕府と帝政ロシアが結んだ日魯通好(和親)条約と、七五年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約とにより、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定」(同)という説明は、幕末―明治初期の日露の力関係や帝政ロシアの帝国主義的ふるまいに目をつぶったもので不正確きわまりない。これらについては、後述する。

北方領土をめぐる見解について説明する日本共産党のホームページ
北方領土をめぐる見解について説明する日本共産党のホームページ

 結局、日本共産党の「全千島返還」論は、歴史の事実の中から選挙目当ての自己宣伝に都合のよいものを拾って、単純な理屈になるようつなぎ合わせたものとしかいいようがない。不勉強な候補者や議員でも有権者に説明しやすく加工した子供だましの「日露外交」論なのだ。

 まあ、共産党員の身内で何を信じようが勝手だが、これをデマゴギーよろしく有権者の間へ広範に流布し、国政に影響を与えることは日露交渉に有害な影響を与えかねないし、現実にそうだったのではないかと、私は危惧している。


樺太の開拓に先んじた日本


 樺太という名前は、かつて東北地方から北海道、千島列島、樺太全域、カムチャツカ半島に至るまで分布・居住していたアイヌ民族の言葉でこの地を呼んだ「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ」(神が河口部に作った島)の中の「カラ・プト」が起源だ。

 一方、ロシア側が現在用いている地名「サハリン」は、同地を清王朝時代にツングース系の満洲語で呼んだ「サハリヤン・ウラ・アンガ・ハダ」(黒龍江河口の対岸の島)の最初の部分から来ている。これは、十八世紀に清朝がイエズス会修道士に命じて黒龍江沿岸を測地測量させた際に命名されたもので、「黒龍江(アムール川)河口にある島」という意味では、アイヌ語と共通だ。

 南北約千`にわたり面積は北海道より小さい樺太は、もともと周辺国(大陸や半島の歴代王朝)には地形的つらなりから「倭・日本の一部」として認識されていた。日本による同地の活動で最も古くは、飛鳥時代に斉明天皇(五九四―六六一)が阿倍比羅夫(あべのひらふ)に行わせた蝦夷征伐に続く粛慎(しゆくしん)(黒龍江沿岸から樺太周辺にかけて生活していたツングース系狩猟民族)討伐とする説がある。


https://ironna.jp/article/2786?p=3
「正保御国絵図」には樺太(上)や千島(右)などが書き込まれている

 十三世紀は、モンゴル帝国(元)と樺太の原住民、それに日本(鎌倉幕府が蝦夷(えぞ)管領(かんれい)を配置し対応)が同地を軸に覇権を争った。一二六四年に元が樺太に軍勢を派遣し、彼らが「骨嵬(クギ)」と呼ぶ現地民を征服したが、八四年には「骨嵬」側が反乱。九七年には蝦夷代官(管領)の安藤氏が樺太原住民(アイヌ民族など)に加勢し、彼らを率いて大陸の黒龍江沿岸まで攻め入って元軍と交戦した。

 結局、十四世紀になって「骨嵬」が元に朝貢するようになったが、その後も蝦夷地(北海道)を経由して日本との交流が継続された。

 ロシアでの統一帝国(ロマノフ朝)成立が一六一三年であり、樺太周辺での日本の活動の起点を粛慎討伐に置くなら、これより千年近く先んじている。ロシア帝国がその勢力圏を黒龍江河口周辺に届かせ始めたのは一六四四年、同地に辺境討伐のコサック先遣隊が到達してからだ。

 江戸時代に入っていたこの時期、松前藩が樺太について幕府に蝦夷地の北にある大きな島として地図を提出。これを含め各藩から提出された地図を基に幕府がまとめた日本全図「正保御国絵図」に樺太は描き込まれていた。


 以後、松前藩を軸とした開拓の拠点づくりが進み、一七五二年には樺太での商取引から租税徴収を行う樺太場所(場所請負制度=米を作れない蝦夷地特有の租税徴収システム)が設けられた。一方、北海道太平洋岸と千島は、幕府直轄領とされたので、樺太は松前藩の領地経営の上で、重要な位置づけのものとなった。

 以上の経過を見るなら、ロシアはもとより、周辺国よりも先駆けて日本は樺太の開拓に着手していたことがわかる。


間宮林蔵の功績とロシアの膨張圧力


 ロシア帝国が樺太に対して領土的野心を示し始めたのは、十九世紀に入ってからだ。十八世紀後半にはヨーロッパの大国に数えられるに至ったロシア帝国は、シベリア開発に本腰を入れると共に太平洋岸への進出を図った。

 その中で、鎖国政策をとっていた日本に開国と通商を求めるようになったが、文化三(一八〇六)年から四年にかけて、外交官ニコライ・レザノフ(一七六四―一八〇七)配下のロシア海軍艦船と将兵は、通商を日本から拒絶された報復として幕府直轄領の択捉島や松前藩領内の礼文島、樺太の留加多(るうたか)を武力攻撃した。

 これを受けて、幕府は蝦夷地や千島、樺太(北蝦夷地)全体を直轄領とし(その後、文政四=一八二一=年に一旦すべてを松前藩に返還)、その防備のために秋田藩、弘前藩、仙台藩、会津藩への出兵を命じた。

 一八〇八〜〇九年には、ロシア海軍の礼文島襲撃の際に同地に幕吏として赴任していた間宮林蔵(一七八〇―一八四四)が樺太全域と黒龍江下流域の探検調査を実施。伊能忠敬(一七四五―一八一八)から測量技術を伝授された間宮は、享和三(一八〇三)年から伊能と共に蝦夷の測量・地図作製に参画した。その経験を生かして樺太の探検に取り組み現地の地勢を正確に把握するとともに、最北端までの全域踏破により樺太が完全な島であることを確認した。

 この探検の際、間宮らは樺太最西端のラッカ岬に「大日本国国境」と刻んだ国標を設置している。これらは、本来、樺太に関する日本の領土的主張の歴史的根拠として不足のない事績であり、間宮の歴史的功績というべきものだ。

 また、文化元(一八〇四)年以降、幕府は北蝦夷地のアイヌの住民数を把握(同年で二千百人)。以後明治八年まで、住民数は幕府・明治政府が掌握するに至っている。

 幕末期が近づく十九世紀半ばには、東アジア進出へのロシア帝国の野心がいっそう強まり、引き続き江戸幕府への開国要求の機会を狙うとともに東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフ(一八〇九―八一)は、海軍に樺太調査を命じ、一八四八年に初めて艦船によるタタール海峡(間宮海峡)の通航を実施。ムラヴィヨフは、樺太領有をめざす対日強硬論者で、その後も軍事力をちらつかせながら日本側に譲歩を迫り続けた。

ニコライ・ムラヴィヨフ
ニコライ・ムラヴィヨフ

 安政元(一八五五)年末に日露和親条約が下田で締結された。千島については択捉島と得撫島の間に国境線が引かれ、樺太については「界を分かたず是迄(これまで)仕来(しきたり)の通(とおり)」とした。幕府は「これまでどおり日本領であり、国境を設けるようなことはしない」という認識で、ロシア人の居留も黙認した。このため安政六(一八五九)年にムラヴィヨフ自ら七隻の海軍艦隊を率いて江戸・品川に来航し、幕府との交渉で樺太はロシア領であると強硬に主張した。

 以上のように、ロシア帝国は十九世紀の初めから後半にかけて執拗に日本側に軍事力を背景にした圧力をかけ続け、樺太をわがものとし、さらにそこを足場に日本本体にも進出する野心をあらわにしていた。

 江戸まで押し掛けたムラヴィヨフの横柄な要求を、幕府は退けた。しかしながら、ロシア以外にも中国大陸や東南アジアに西欧列強(英、米、仏など)が帝国主義的に進出し、日本にも開国を迫る中、長い治世を鎖国状態で推移した江戸幕府は、あまりに非力であった。

 こうした圧力下、樺太ではロシアの武力による支配が着実に広がり、日本側との摩擦が強まったので、慶応三(一八六七)年に幕府が国境画定交渉をロシアにもちかけるが、逆にロシアの新規進出を認めてしまう内容の「仮規則」を結ばされてしまう。これでロシアの支配が一層強まり、明治八(一八七五)年、樺太・千島交換条約で日本は樺太を放棄せざるを得なかったのである。

日露講和会議が行われたアメリカ東海岸のポーツマス海軍工廠
日露講和会議が行われたアメリカ東海岸のポーツマス海軍工廠

 当時の日本としては、自分のものである大きな島を、元々は自分のものだった小さな島と引き換えに泣く泣く手放したという感が強かったとされる。明治政府内も「北辺の樺太を手放して、北海道開拓に力を集中することが長期にわたる国益につながる」とする黒田清隆(開拓次官)らの「樺太放棄・北海道防衛」論と「日露が住み分ける国境を樺太に画定すべし」という副島種臣外務卿(外相)らの「住み分け」論に割れていた。加えて「征韓論」を主張する重鎮たちが下野するなど、新政府として基盤が安定しておらず、大国ロシアに屈せざるを得なかった。

 これが、日本共産党の言うところの「戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定」した樺太や千島に関する日露両国の経過だ。「平和的な交渉」が大国ロシアの軍事恫喝を背景にしていたことは、歴史の事実をたどれば誰にでもわかる。


「南樺太割譲」は過小な失地回復


 樺太、千島をめぐる日露間の領土、国境変更がなされる次の機会は、明治三十八(一九〇五)年の日露戦争終結にともなうポーツマス講和条約だ。日本はロシアより北緯五十度を境に樺太南部の引き渡しを受けた。

 日本勝利が確実となった同年六―七月にかけて陸軍第十三師団が樺太全域を占領した。これが八月からアメリカ東海岸のポーツマス海軍工廠で開始された講和会議で日本側有利をもたらす力のひとつとなった。それは元々日本が開拓した土地を取り戻したとして、日本史上初の近代戦に疲弊した国民を一面で喜ばせた。

 ところが、同九月五日に調印された講和条約では「朝鮮での日本の優越権の承認」「ロシアが保有する東清鉄道の南満州支線及び租借地・炭鉱の日本引き渡し」「ロシアが清より与えられた関東州(遼東半島南部、旅順・大連など)の租借権の日本引き継ぎ」「日本による沿海州漁業権獲得」が南樺太回復以外の成果すべてであった。「戦争に勝ったというのに賠償金もとれず、元々日本のものであった土地の一部を返されただけだ」と、多くの日本国民が失望。「日比谷焼き討ち事件」の暴動にも発展した。

覇権国家による戦争や侵略を防ぐための安保法制を「戦争をするための法律」とすり替える日本共産党。樺太を「戦争でロシアから奪った」と歪曲するのと同じだ(同党ホームページ)
覇権国家による戦争や侵略を防ぐための安保法制を「戦争をするための法律」とすり替える日本共産党。樺太を「戦争でロシアから奪った」と歪曲するのと同じだ(同党ホームページ)

 講和による日本の獲得要件が、国民の希望とかけ離れていたのは、陸軍の奉天会戦や旅順攻囲戦、海軍の日本海大海戦など劇的な勝利とは裏腹に、武器弾薬確保や戦費調達に汲々として、これ以上の継戦は難しいというタイミングだったからだ。強気で要求を百%ロシアに呑ませられる状況ではなかった。

 こうした中で樺太回復が南部にとどまったことが、国民に相当なマイナス意識を抱かせたことは、樺太千島交換条約から三十年の時点では間違いないだろう。

歴史歪曲は国民的議論で克服を


 日露戦争の終結と講和まで俯瞰すれば、日本が「樺太の一部をロシアから戦争で奪った」といえる実態がないことは自然な歴史的理解だといえる。日本共産党の言い分は、樺太をめぐる日本とロシアの歴史に目をつぶるデタラメきわまるものだ。

 その後、第二次世界大戦末期にソ連軍が「火事場泥棒」的に南樺太、全千島列島と北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事侵攻して占領した昭和二十年までを見ても、南樺太の 領有が日本と帝政ロシア・ソ連との国家関係を阻害したことは一度もない。一九一七(大正六)年の社会主義革命でソヴィエト・ロシア共和国が成立し、日本は米英仏などと軍事干渉してシベリアに出兵したが、ソ連邦成立後の一九二二年までに撤兵。尼港(虐殺)事件の賠償保障で占領した樺太北部からも大正十四年の日ソ国交樹立に伴い撤退した。

 以後、日本は昭和十年から満洲や朝鮮においてソ連やその衛星国(モンゴル人民共和国)が絡んだ国境紛争に何度か関与したが、樺太国境で武力紛争は生じなかった。それどころか、尼港事件の賠償として日ソ基本条約で取り決めた北樺太石油利権獲得で、日本はオハなど油田開発に資金をつぎ込んで事業を展開した。

 日独伊三国同盟成立時にソ連側サボタージュで石油の積み出しが妨害されるなど紆余曲折があったものの、昭和十六(一九四一)年の日ソ中立条約締結を機に、油田と附帯施設すべてをソ連側に譲渡した。

 以後、ソ連の日ソ中立条約廃棄通告が誤解に基づくと判明しながら、その有効期限内の昭和二十年八月九日に条約違反の対日宣戦を行ったことが決定的だった。日本が降伏条件を定めたポツダム宣言を受諾し、米戦艦ミズーリ号上で日本とソ連を含む連合国の各国代表が降伏文書に調印(九月二日)後も、ソ連は九月五日まで、最高指導者スターリンが宣言した「日露戦争の報復」を掲げた南樺太、千島列島、歯舞・色丹への軍事侵攻を停止しなかった。

 結果として、樺太での真岡郵便通信局での九人の女性交換手自決や三船殉難事件(樺太からの婦女子避難船三隻がソ連潜水艦の攻撃で沈没)などをはじめ、南樺太で生活を営んできたアイヌ民族を含む日本国民は多くの死傷者を出した上に故郷を追い立てられたのである。

 以後、樺太はソ連によってサハリン州とされた。日本政府は、公式にはソ連を引き継ぐロシア連邦との平和条約締結がされない限り、北方四島は日本固有の領土であり、樺太南部や千島列島(北千島)は帰属が画定していない地域としている。ただ、千島列島と南樺太はサンフランシスコ条約で放棄したとして、昭和三十一年の日ソ共同宣言以降、ソ連・ロシアとの返還交渉の対象にしたことはない。

 しかし「南樺太は日本がロシアから戦争で奪った」とする日本共産党の言い分は、樺太開拓に命をかけた先人の事績に泥を塗り、存命者のある南樺太出身者(多くは北海道各地に避難し、再出発した)の心を傷つけるものだ。こんな虚偽の前提に立つ「全千島返還」論は、国民的議論の中で克服されなくてはならない。


 歴史の事実の中での樺太をめぐる経緯、国民生活史の中での位置づけを明確にしてこそ、仮に返還交渉の焦点が北方四島であったにしろ、日本の歴史的主張の正当性を、ロシアを含め国際的に広く知らしめ交渉妥結へ進める道が拓かれるはずだ。

篠原常一郎(元日本共産党国会議員秘書) しのはら・じょういちろう 
昭和三十五年東京生まれ。五十九年立教大学文学部卒業。

臨時教員などを経て六十年日本共産党職員に。平成七年党中央委員会に移り、党政策委員長で参院議員だった筆坂秀世氏ら三人の国会議員公設秘書を務める。KSD(中小企業経営者福祉事業団)事件や国後島「ムネオハウス」事件、川辺川ダムなど公共事業問題、沖縄の米軍射撃演習問題などの調査、論戦準備に従事した。十六年に党の査問を受けて除籍された後、政治評論や共産党批判を展開。主な著作に『いますぐ読みたい 日本共産党の謎』(徳間書店)など。ソ連、中国その他旧社会主義国の政治外交・軍事史や共産主義理論の研究・批判も続けながら国会・地方議員のアドバイザー、海外事業コンサルタントとしても活動している。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c14

[近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
4. 中川隆[-12774] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:49:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

2. 2019年1月22日 23:33:41 : 2gUCC160lA : QiPTdhYLhVI[7]

>安全区に収容された市民20万人に紛れ込んだ約2万といわれた便衣兵(軍服を脱ぎ捨てて市民に成りすまし、兵器を隠し持つ兵士)の掃討・処分、あるいは反乱捕虜の鎮圧などで、多くの中国兵士と市民が巻き込まれた。

>しかし、それは虐殺ではなく通常の戦闘行為で、戦時国際法に悖るものではない。

否定派が繰り返し繰り返しつく嘘のひとつ。

@便衣隊がいたという証拠はない。軍服を脱いで潜伏した中国兵はいたが、彼らがゲリラ活動したという証拠はない。

A軍服を脱いだ正規兵が破壊活動などすれば国際法上の違法行為を構成するが、その場合でも捕まえたら裁判にかけなければ処刑できない。日本軍は捕まえた平服の中国人を裁判しないで片っ端から殺してた。
捕まえたことも裁判しなかったことも日本軍自身の記録に残ってる。これは国際法に悖る行為なのだよ。

>東中野修道

事件の生存者の名誉を毀損した、と訴えられた裁判で、東中野は敗訴、つまり名誉毀損が認められ、第一審ではその著作は「学問研究の成果に値しない」と判決文に書かれるほどの恥を晒したガクシャの名前をありがたがってるとは、さすがは否定派。ふつーああまで言われたら恥ずかしくて一生表には出てこられないと思うんだが。

>南京事件からたった8年しか経っていないのに、中国人がそんなに親切な対応をしてくれるものだろうか

…。東京大空襲や原爆投下から1年も経たないうちに、若い日本人女性を日本人みずから慰安婦として米軍に差し出してたじゃん?

なんか書いててバカバカしくなってきた。





4. 2019年1月23日 01:09:33 : mrlI2OpSis : HM1TbK7kgrY[168]

中国には全28巻、百科辞典のような南京大虐殺の記録がある。
日本のウヨの貧弱な反論とはわけが違う。

http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/559.html#cbtm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html#c4

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
224. 中川隆[-12773] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:54:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
続き

582 匿名さん 5時間前

投稿コメントの中に星のや京都宿泊予約を、インターネット予約した時点で引き落とされびつくりしたと、書かれていたのを見て驚いた。

前払いが有る事を初めて知った。全国のホテル、旅館の宿泊代金の支払いは何時払うのか、大変興味深く調べてみた。

殆どの施設は現地で当日チエックイン時か、チエックアウト時に精算だった。

[そこで星のや京都口コミを見てみた。]

星のや京都の紅葉が見たくて、家族10名で半年前にインターネットの総合予約窓口で予約すると、全額先入金して下さいと言われ、 100万円以上を先入金した。驚いたのはその後予約確認をしたら、予約が入って無いといわれた。

100万円以上を先入金したのに、最低限の仕事ができない。細部も出来ていないと書かれていた。

又別の方は、50万以上を半年前に先入金したが、レストランで大変冷たい扱いをされ、行って見てガッカリした。

50万以上の価値が無かったと書かれているのを見て、世間一般の宿泊代金の支払いは現地が殆どでしたから矢張り現地で現金か、カードで支払うホテル、旅館の方が良心的で安心できるのではないのかな?

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c224

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
107. 中川隆[-12772] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:59:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

雪日記
かぐらゴン降りパウダー祭り。
【18-19シーズン 73日目】 天候:雪
1/22(火) かぐらスキー場でスノーボード。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3496.html

越後湯沢は本日もゴン降りです。
よく降りますね〜
少雪なんて騒いでいたのが遠い昔のよう。

今の所積雪量はほぼ例年並みまで盛り返したのではないでしょうか!?

さぁ、本日はホームかぐらへ。
いつの間にかかぐらステージは冬眠していました。

昨日からの降雪量は30〜40cmくらいとの事。
しかし、
もっとあるぞ!?

朝イチジャイアントやテクはもう直っかるしかない(笑)
和田小屋組がかなりいたようで、面ツルは少な目でしたが、
むしろ本日のような場合はそれがありがたい。

ノートラックだぁ!わぁ〜い!
って飛び込むと大変な事になります。

写真を撮る為に止まると再始動も大変。
こんな日はノンストップで駆け抜けなくてはダメです。

パウダー祭りごちそうさまでした。

無料休憩所も着々と埋まってきましたね。

本日のゴロマは終日運休です。
安全面を考慮したようです。
深雪と視界不良、事故が起こってからでは遅いですからね。

こんな日はゲレンデ内で十分楽しめます。
田代の様子でも…、と思ったら開放が遅れているみたいです。
昨日は運休でしたので2日分のパウダーが眠っていますからね。

それではジャイアントでも…、と思ったら、
今まさにパノラマがオープンされた瞬間!

これは、いただくしかない!

さいこ〜!!

パノラマのノートラックなんてあまり滑った記憶がありません。
いい瞬間に立ち会えました。

田代連絡コースが開いたので突撃してみました。
迂回のショートカットはほとんどノートラック!
いただきま〜す!と突入してみましたが、

腰まで埋まってしまった(笑)
2日分の田代パウダーをナメテおりました。
斜度が無い所は素直に他の方のラインを使うしかない。

斜度がある所なら…!?

みんな大好き6ロマ!!

チャレンジバーンいただきま〜す!

さいこ〜!!

もう結構荒れていましたが、
抵抗をほとんど感じない軽い雪、
深いけどチャレンジの斜度なら埋まる事もない。

1本目はかなり良かったです。
おかわりする毎に段々重くなってきて、
盛大に転倒したので本日はここで終了(笑)

今週も和田小屋に宿泊を狙っていましたが、
明日からK2のディーラー向け試乗会が行われるそうです。
必然的に関係者の宿泊は和田小屋…。
混雑している和田小屋はちょっとね(笑)

予定変更、湯沢の街に下ります。
あたたかい居酒屋でアーライッ!
だが、しかし、
アルコールが進まない!?
体調悪いのかな?
昨年、富良野帰りから1週間寝込んでしまった暗い過去があります(笑)

遠征と夜の部、毎日滑走、
老体には中々キツいハードスケジュールなのです。
パウダー祭りはこれからが本番、無理しないで早めに寝よう。

今夜は早退します…。

スキー場発表積雪量
かぐらエリア:330cm (+30cm)
田代エリア:不明cm
みつまたエリア:不明cm

使用板:GENTEMSTICK / SPEEDMASTER “八甲田” SPECIAL
ビンディング:BURTON / STEP ON
ブーツ:BURTON / PHOTON STEP ON

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3496.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c107

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
159. 中川隆[-12771] koaQ7Jey 2019年1月23日 22:11:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

796名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 14:14:21.96>>797

すみません、明日は風強そうですがどの辺滑りに行ったら幸せですか?

797名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 14:18:43.96
>>796
風強そうなら八海山って決まってる
選択肢はない

798名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 14:28:20.12

明日は舞子でも幸せだと思うよ

799名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 14:30:02.56

中里も仕上がるね
ただしボードは下で動けなくなる
からお勧めしかねる

800名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 14:41:10.37>>804

ありがとうございます!
八海山ですか
明日ファーストトラックなるものがあるそうですね
底つきなさげなら参加してみたいですね
舞子、中里はインターから近いしそれもありですね
今まで10年以上、他のスキー場のシーズン券だったんでよその事が全然分からなく途方にくれてますw
さあ、どうしましょう



806名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 16:29:57.32
>>790
最初から強風が分かってたら八海山
みつまたまで来てダメだったら神立

804名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 16:02:42.68
>>800
オマエには無理だ 
やるかやられるかの殺伐としてるから
下手くそが滑るとキレられる

809名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:04:50.58
>>804
殺すか殺されるか!ですね

807名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 17:20:44.58

八海山に集中する時は午前中でオンコース終わるし
知らないで外出るとかぐらより死ぬ確立高いし微妙だけどね

810名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:10:15.42

かぐら殺伐殺伐いうけど、板並べて順番取るようなゲレンデよりよっぽどいいわ

811名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:20:54.01

裏コルとか混雑も酷い、そしてあっけない
ニセコBCは帰りの林道が長い
栂池岩岳も帰りがしんどい

なんだかんだかぐらBC、苗場サイド、八海山サイドが
最も効率よく遊べる

かぐらはニセコと雪質も変わらないしね

812名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:33:28.52

皆さん、ありがとうございます
八海山は競争率高いですかー
だったら湯沢のスキー場にしようかな
どこも降りそうなんで群馬、福島も含めてもう少し考えてみます
ありがとうございました

813名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:36:00.78

いや、明日の八海山は空いてる

ただし、あそこは人いないと困るんだよ

815名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:54:24.64>>818

苗場のサイドってどこですか?
かぐらはコース外はよく滑りますが
BCはやったことない女でも大丈夫ですか?


818名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 19:07:56.54
>>815 
八海山の両サイド、センターツリーを
ノンストップで行けるくらいじゃないと
厳しいし、間違えると谷もある 三山で
もっとも厳しいよ

819名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 19:39:11.80

今年はまだかぐらで消えた奴は居ないのか
そろそろ出てもいい頃なんだが

820名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 19:39:20.45

ああ、あと装備と届けいるから

821名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 19:47:37.51>>825>>827

八海山コース外やBC言ってる奴はこのブログ読んでからよく考えて行動してよ
ちなみに俺は夏山登山もやるしいろんな山に登るけど、八海山はコース間違うと逃げ道ないよ

http://blog.livedoor.jp/yuki_ita_mono/archives/50926937.html


822名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 19:57:22.20

八海山間違ってる奴いて登り返すようにいったこと何回かあるよ
実際、そのトラック追ってたと想像できる遭難死亡事故もあった

823名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:04:47.35

八海山の夏山登山道はロープウェーでショートカットする方法と麓から登ってくる道とあるが、
麓から来る屏風道ルートは基本登りだけの一方通行ワンウェイ、理由は急すぎて下りに使うのは危険だから
ゲレンデ脇からこの登山道には入らないけど、頂上八つ峰から見下ろす限りは殆ど崖ばかりな地形なので、
調子に乗って滑り降りて間違ってたらほぼアウトなんだわ

824名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:19:53.95

アウトな経験したよ 11番から下は地獄の入口 戻れない

826名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:37:27.44

とまぁ脅かすようなコメントばかり続いているけど、行きたきゃ自己責任で行って派手に死んでこいやと思うよw
でも死んで発見されなかったやつの腐り汁が混じった八海山は飲みたくねぇな


831名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:50:00.66>>835

ここ数年でゲレンデで亡くなってるのって
かぐら コース外で2人くらい?
八海山はコース内クラックに落ちて亡くなった人いたような?
苗場は居ない気がしたな
神立とかは埋まって窒息した人居た様な

832名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:51:04.09

コース内でも危ないクラックなんてあるのか

833名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:58:41.84

八海山は毎年エキスパート上部が割れるの
なんでそこに落ちたかは不明なんだけどね、そんな感じで亡くなった人が居た気がするよ
どこ滑ろうがみんな気をつけてね

835名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 21:03:54.26
>>831
アライはオープンしてから
毎年死んでる
呪われてるよ

836名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 21:04:12.56

あそこ割れてたりするけどそんな危険なんだ

838名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 21:25:36.05

屏風沢なんて45+だしワンミスで滑落死する世界
完全にBKですよ

842名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 22:01:45.04

だから崖ばっかって言ってるのに「屏風沢なんて45+だしワンミスで滑落死する世界」とか言われちゃう
ちょっとゲレンデからは離れるけど登山道付近からのBCはこんな感じですよ

http://hoshino.yukimizake.net/yukiweb/17hp/20170226/0226.htm

これで行けると思うなら行けばいいけど、明らかにかぐらあたりとは険しさ違いますよ
これに比べりゃかぐらBCなんて安全確保されてる管理BCみたいなもんかと
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1546499506/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c159

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
68. 中川隆[-12770] koaQ7Jey 2019年1月24日 10:30:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a69c0a28f83cdaf3c67617d877678ef3

Nさんから4日ほど前にお電話があった。

「あけましておめでとうございます。今年の正月はマランツ7型プリアンプの製作にかかりっきりでした。やっとどうにか完成したので聴きに来ませんか。」

「はい喜んでお伺いします。ついでにPADのSPケーブルが使えるようになりましたので持って行きたいのですがいかがでしょうか。」

「エッ、PAD!それは興味があるねえ。どうぞ持ってきてください。」


結論から言えば「Nさん自作のマランツ7」は素晴らしい音だった。「アルテックA5」が朗々と鳴って何ら不満を感じなかった。

    

よくお話を伺ってみると「マランツ7」型は感度が高いのでコンデンサーや抵抗の材質によって音が豹変するとのこと。

惜しいことに長期保管中だった「バンブルビー」のコンデンサーは容量が抜けたのが多くて2割程度しか使えず、その一方、抵抗の方はアレンブラッドリーが無事ですべて統一出来たとのこと。

当初はノイズが盛大に出て、3日間ほどコンデンサーをとっかえひっかえの調整の連続だったがようやく落ち着いたそうだ。

   

マランツ7型は我が家でも使っているが掛け値なしに「いい音」がすることを実感した。

詳しく伺うと、オーディオ界では「マランツ7党」として独自の世界が築かれており、程度のいいものから悪いものまでレストアされたものが専門店によって販売されていて、オリジナルに近い最高級品は350万円なり!

「マランツ7」じゃないと出ない音があるというのはよくわかります。

かって「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)が個人用に製作したプリアンプが評判を呼び、その後広く普及したわけだが「採算を度外視した性能のいい製品を作り続けると会社が倒産する。」のは、マランツ社も例外ではなかった。

逆に言えばオーディオ業界で長持ちしている会社は「?」かもねえ(笑)。

最後に、本日の目的の一つだったSPケーブルをウェスタン製の単線からPADに切り替えて試聴させてもらった。

   

「凄いなあ!こんな音はアルテックA5から初めて聴いたよ。」と、感心することしきりのNさん。

何よりも低音域の重量感がすごかった。それかといって中高音域もとても澄んだ音が出る。

やっぱりPADのSPケーブルはどんなシステムにも通用する実力を発揮してくれたようだ。

さあ、PADの次の道場破りは「オートグラフ」と「クリプッシュホーン」を愛用されるMさん宅だ。

翌日、Mさんの了解を得てから訪問させてもらった。

以下、続く。
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魅惑のオーディオ実験〜電線病(伝染病)〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bc988d53535cb27359a8dec48249c955


「電線病(伝染病)に感染させて申し訳ないです。」と、先日お見えになったときに苦笑されるオーディオ仲間のYさん。

そういえば、このところのSPケーブルへの「逆上(のぼ)せ」ぶりはYさんが購入した超高級な「純銀製ケーブル」を昨年末に試聴させてもらったことが「きっかけ」だった。

「いいえ〜、ずっと昔のPADのケーブルを加工して活用しているだけですから別に大枚のお金をかけたわけでもないし、むしろ開眼させてもらって感謝しているほどですよ。」と模範解答をしておいた(笑)。

いずれにしても、このSPケーブルが我が家のオーディオ環境を一変させたのは間違いない。たかがSPケーブルごときにそんな資格があるのかと言いたいところだが現実にそうだから否応でも受け止めざるを得ない。

AXIOM80の大変身、「200V → 100V電源の目覚ましい効果」、強力マグネットの「ツィーター」復活、171Aプッシュプルアンプの躍進など枚挙にいとまなし。

これまで日陰にいた連中が堂々と「大手を振ってまかり通る」のだからたまらない(笑)。

        

この「シュトルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)については次回以降でみっちり詳述させてもらうことにして、今回は我が家だけでなく2軒のオーディオ仲間宅での武者修行でも実力をいかんなく発揮してくれた状況を述べておこう。

前々回のブログに述べたようにNさん宅の「アルテックA5」では期待にそぐわぬ活躍ぶりだったが、翌日のMさん宅での「クリプッシュホーン」スピーカーでも見事な活躍ぶりだった。

クラシック好きのMさんが例によって数台のレコードプレイヤーでカートリッジをとっかえひっかえしながらの再生に対してそれぞれの持ち味を十分に発揮させてくれた。

「どんなに気に入った音が出ても、いつも同じ音だと飽きてきますのでそういうときはカートリッジを変えて楽しんでいます。」と、Mさん。

「人間の脳はマンネリを嫌うと本に書いてありましたからね。変化を欲しがるのは基本的な本能だと思いますよ。カートリッジで音に変化をつけるのは手軽で面白そうですね。」と自分。

      

   

片方のスピーカーの「オートグラフ」でも試したかったが、SP端子が「バナナプラグ」仕様になっていなかったので不可能だった。

「端子部分を改造すればいいじゃないですか」とお奨めしたのだが、オリジナルにこだわられるMさんのお気持ちも十分お察しできるところだ(笑)。

これでSPケーブルの武者修行をひととおり終えたが、ただひとつ問題点がある。

画像をご覧のようにあまりにもケーブルが太いものだから鑑賞するときに丸見えになるのがネック。見ただけで興を削がれること間違いなし(笑)。

オーディオは見てくれも大いに影響するが、豪華なスピーカーやアンプだといかにも「いい音」が出そうで否が応でも説得力が増すものの、これがSPケーブルだと逆に嫌悪感が増すのが何だか不思議。もちろん自分だけのイメージかもしれないが。

「ケーブルにオーディオの神は宿らない。主役になってはいけない存在だ。」という気にさせるものが何かあるのだろう。

しかし、実際にこれほどの変化をもたらすとなると認識を改めざるを得ない。ケーブルはシステムの音質を大きく左右する大切な機器の一部だ!

たしか「論語」にも「過ちを犯してしまったら、ためらわずにすぐ悔い改めよ。」というのがありましたっけ(笑)。

それにしても、ただでさえ我が家のシステムの風景はどなたかのブログによると「とてもクラシックを聴ける雰囲気ではない」と酷評されている始末だが、それに加えてそれほど広くもないオーディオルーム(5m×6m)に合計8本(長さ3m)の蛇がのたうち回るのだから、できるだけ人目につかないように工夫しなければいけない。

唯一の対策は当面使っていない機器類を倉庫に移管してスペースを確保してうまく隠すしかない。

半日ほど本腰を入れて作業したところ随分すっきりした。

当面これ以上は道具を増やさないことを決意したが、はたしていつまで続くことやら。もちろん小道具は別ですよ〜(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bc988d53535cb27359a8dec48249c955


魅惑のオーディオ実験〜AXIOM80の復権〜 2019年01月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a4c4b867af9c75a1ee0265524decaf9b


オーディオはたしかに理論も大切だけど、実際に実験してみないと分からないことの方が多いような気がする。

オーディオとは言い換えると機器同士をいかに組み合わせるかに尽きると思うが、相互の長所と短所を微妙に絡みあわせるところにこそ妙味があって、似た者同士よりも異質とされるものを組み合わせて良好な結果が得られたりすると心から快哉を叫びたくなる。

したがって、オーディオ機器を単独で良し悪しを判断するのはとても危険なので常に相性実験が必要となる。

まあ、そういう趣旨で昨年12月に発足させた新しいカテゴリーの「魅惑のオーディオ実験シリーズ」だが早くも14件目の登載となった。

今回は、このところ存在感が増すばかりのPADのSPケーブルがもたらした様々な「福音」(ふくいん)について述べてみよう。

まずは、

☆ 神経質なAXIOM80が見事に変身

これまでいろんなスピーカー遍歴を重ねてきたが、とうとう最後はグッドマンとワーフェデールに落ち着いた。この辺がおそらく終着駅かな・・。

やはりクラシックを主体に聴くとなると、どうしても「ブリティッシュサウンド」になる。

そういうわけで愛好しているグッドマンだが、我が家では頼もしい「3兄弟」が常に出番を競っている。

長男の「AXIOM150マークU」(口径30センチ:同軸2ウェイ)は聴き疲れのしない音でクラシック専門に聴くのにはもってこいのスピーカーだが、多少のんびりしているところがある。「総領の甚六」かな(笑)。

次男の「トライアクショム」(口径30センチ:同軸3ウェイ)はなかなかのしっかり者で、あらゆる音楽ソースに柔軟に対応できるが、やや「八方美人」過ぎるところがあり、もう少し専門的に尖ったところが欲しい気もする。

そして問題は三男で末弟の「AXIOM80」(口径25センチ)だ。

三兄弟の中でも「白眉」(出典「三国志」:蜀の馬氏5人兄弟の中でもっとも優れていたのが馬良で、その眉毛に白毛が混じっていたことから同類の中で最も優れているものを白眉という。)ともいえる存在だが、その一方ではもう病的ともいえる繊細な神経の持ち主で、あらゆる変化に敏感に反応するが、ときにはあまりの気難しさにへきへきしたくなるほど(笑)。

このくらい個性的で「じゃじゃ馬」スピーカーも珍しいが、いったんツボにハマると特上の音を出してくれそうな気がするのでその辺が得体のしれない魅力の一つ。

何しろAXIOM80の一番のネックは「低音域」にある。音の姿は「ピラミッド」型にたとえられることが多いが、やはり底辺がしっかりと豊かに鳴ってくれないと全体が神経質かつ不安定になってしまう。

試行錯誤すること、もはや10年以上になって大いに勉強させてもらったが、ようやくこのAXIOM80から「まとも」ともいえる低音域が出てくれるようになったのはうれしい限り。

オーディオ仲間からも「PADのSPケーブルによってAXIOM80の神経質な面がすっかり払拭されましたね。」という「お墨付き」までいただいている。

「な〜んだ、AXIOM80の低音不足を解決するカギはSPケーブルにあったのか」というわけだが「うれしさも 中くらいなり おらが80」。

実はエンクロージャーの工夫やアンプの改善などの正統的な手段で目的を果たしたかったので「うれしさ半分」というわけだ(笑)。

まあ、手段はどうであれ実際に良くなったのだからこれ以上欲を言うと罰が当たりそう。

これでようやく「AXIOM 80」が真価を発揮してくれて名誉挽回。「賢弟愚兄」の状況になりつつあるのかなあ(笑)。

ついでに調子に乗って・・・。

☆ 復刻版のAXIOM80の活用

SPケーブルの重要性にほとほと目覚めさせられたので、このほど調達したのが銀線のケーブルだ。口径は「0.8mm」で銀は銅よりも伝導率が高いというので試してみることにした。

   

使用目的はウェストミンスター(改)の上に載せていた「175+075」コンビを外して復刻版の「AXIOM80」を活用することにある。

もちろん、やってみなくちゃ分からんという実験の一環である。ネットワークもJBLの「LX80」(クロス800ヘルツ)からテクニクス(クロス1200ヘルツ)へ交換。両方ともこのほどSP端子をバナナプラグ仕様に変更してもらったばかりである。

我が家では「LX80」がベストだが、付属の中高音域用のボリュームを最大限に上げてもAXIOM80が鳴ってくれないので仕方がない。

   

そもそも「AXIOM80」のスピードに合う「ウーファー」なんてまず存在しっこないし、ましてや口径38センチなんて反応が鈍くて論外だ。

やっと現用中の「スーパー12」(ワーフェデール)が口径30センチなので辛うじていけそうだし、肝心のマグネットは同じ「赤帯タイプ」である。

     

いずれにしても1200ヘルツ(−12db/oct)から「AXIOM80」を使おうというのだからたいへん珍しい。

たしか先年亡くなられた音楽評論家の「宇野功芳」さんのシステムが3ウェイで、低音域と高音域にワーフェデールのユニットを、中音域にはAXIOM80を使っておられたぐらいだ。

注意すべきは「箱無し」の状態で低域信号を入れたらこのユニットは一発で故障すること請け合い。実に苦い経験を持っている。  

ワクワクしながら聴いてみると、これはっと思わず絶句・・・。

   

「美は人を沈黙させる」(小林秀雄)という言葉はほんとうだねえ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a4c4b867af9c75a1ee0265524decaf9b


魅惑のオーディオ実験〜銀線ケーブルの威力〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3ef91be1af65d7bb4dbd7c0a8d680d6c


このブログに頻繁に登場していただいている近隣のオーディオ仲間のYさん。

フルートの名手なので日頃から生の音に接しておられるせいか、音に対する感度がすこぶる高いし、歯に衣着せぬご指摘にも実に鋭いものがあって我が家のオーディオに大いに貢献してもらっている。

ちなみにモーツァルトの作品だけは演奏するときになぜか心がウキウキしてくるそうでまったく別格とのこと。

まだバリバリの現役なので我が家にお見えになるのは土曜、日曜のいずれかだが、「ちょっと聴いてもらえませんかね。」とお誘いすると気軽に「ハイ、いつもの時間ですね。」

その昔、プロ野球巨人に宮田というリリーフ投手がいたが、決まって8時半ごろに登場するので「8時半の男」と称されていたが、家内に言わせると「1時半のお方」だそうだ(笑)。

実はYさんがお見えになる理由の一つに「AXIOM80」への愛着があるのも事実で、いろんなスピーカーを聴いていただくのだが、最後は「AXIOM80」を所望され「やっぱり最後はこのスピーカーに尽きますね。」といつもウットリされている。

そのYさんが「AXIOM80に半田付けしている銅線を銀線に変えるともっといい音がすると思いますけどねえ。」と、ポツリと洩らされた。

現在のSPケーブルの状況はパワーアンプのSP端子からSPボックスのSP端子まで「PADのSPケーブル〜3m〜」が行き、それから先は銅線が1.2mぐらいの長さでAXIOM80の端子に半田付けしている。

この1.2mの長さの銅線を「ぜひ銀線に変えましょうよ。」というご提案である。

銀線と銅線と音がどう違うのか問われても科学的に証明するのは困難なので、聴感上で判断するしかないが、とてもハイ・センシティブな持ち主のAXIOM80だから、きっとこの小さな変化にも如実に反応を示すことは容易に想像できるところ。

期待度100%のもと「善は急げ」とばかり、さっそく東京のショップに注文した。中高音域なら直径0.8mm1本でいいが、フルレンジとなると2本をより合わせた方が無難だろう。


したがって片チャンネル分のプラス線、マイナス線を合わせて換算すると、1.2m×2×2=4.8mだから両チャンネル分だと9.6mになる。銀線は高価なので結構なお値段になりますよ!(笑)

しかし、乗りかかった船なので初志貫徹といこう。ほどなく代引きで品物が到着。

さっそく所定の1.2mにカットしてAXIOM80に半田付け。「芯剥き」がたいへんな作業だった。端っこを100円ライターで炙って厚手のビニール製手袋で焼けた部分を引っこ抜くこと連続16回。

このAXIOM80は古色蒼然としているが希少な最初期版である。

銀線の被覆には2種類あって「透明」と「青」があるが、芯の剥き具合がよくわかるので「青」の方がGOOD。

作業は1時間ほどで終了した。丁度土曜日の午前中だったので音出しすることなく、Yさんに「AXIOM80に銀線を装着しましたよ。一緒に聴きませんか?」

「ハイ、わかりました。いつもの時間ですね。」(笑)。

結果から言えば「素晴らしい!」の一言だった。

「水も滴るようなヴァイオリンとはこのことですね。完璧です。これまで聴かせていただいた中でベストの音ですよ。」

流石はAXIOM80で、たった1.2mの銀線ケーブルへの変更にも見事に応えてくれた。

メデタシ、メデタシ。

ちなみに使用したアンプは「171Aプッシュプル」だった。これもPADのSPケーブルによって息を吹き返したアンプである。相性が抜群で低音域の力感には「!」だった。ナス管がズラッと8本並ぶ眺めは壮観。

右の片隅に見えるRCAケーブルは「PADのREV.B」を復活させた。

  

このアンプの電源を「100v」から「200Vから100Vへ降圧した」電源へ切り替えたところ、全体的に騒がしさが減って透明感が増したのには驚いた。

「前段管がメッシュプレートの227で出力管がとても素直な171A,出力トランスがピアレスでインターステージトランスがパーマロイコアですから悪い音の出ようはずがありませんよ。」とは、改造していただいた「北国の真空管博士」の弁である。

AXIOM80との組み合わせに限って言えば「WE300Bシングル」や「PX25シングル」よりも明らかにこのアンプの方が上位にランクできる。

しかし、こういう完璧な音を出されると、逆に「失いたくない」という不安が頭をもたげてくるので良し悪しですね〜。

オーディオは、ほどほどがよろし(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3ef91be1af65d7bb4dbd7c0a8d680d6c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c68

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
42. 中川隆[-12769] koaQ7Jey 2019年1月24日 10:33:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月01日

純銀製SPケーブル


DAコンバーターからプリアンプ、あるいはプリアンプからパワーアンプに繋ぐコード類(RCAコード)、次にパワーアンプからスピーカに繋ぐコード(SPコード)などはその線材の種類によって音質が変わることはよく知られています。

しかし、コード類がもたらす効果についてはあまりにも安易なところがあり、邪道のような気がしてこれまであまり興味がなかったのですが、つい最近オーディオ仲間が海外から取り寄せたという「定価47万円の銀線コード」(アメリカ製)を持参してくれましたので聴いてみたところ驚くべき効果がありました。

ヴァイオリンの音色が「まるで濡れたように聴こえる」のです。

これは素晴らしい!

これに関しては次回以降で述べてみましょう。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0cbbc3cc1d1feb64d69d46dcfc86b533

魅惑の「オーディオ実験」〜純銀製SPケーブル〜 2019年01月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ec750452941438c3cebedf413a733107

元旦(2019年)に投稿した「今年の音楽&オーディオの展望」のアクセス数がいまだに落ちない。通常は投稿して2日も経てばガクッと減って見る影もなくなるのだが・・・。

「お米」の評価は「炊いてすぐよりも冷めた時に定まる。」というが、ブログもそうかもしれないなあ(笑)。

いずれにしても、きっと読者の興味を惹くことが書かれていたに違いない。もしかして「純銀製のSPケーブル」のことかな・・・。

やっと遅ればせながら「純銀製のSPケーブル」について記録しておきましょう。

昨年末のこと、「仕事中なのでゆっくり試聴できませんが」と、慌ただしくお見えになりすぐに去っていかれたオーディオ仲間のYさんが置いていかれたのが新品の「純銀製のSPケーブル〜2m〜」だった。

「100時間ほどエージングが必要とのことですが、試聴してみてください。」

      

左側が容れてあった箱で、右側が現物(片チャンネル分だけ撮影)。

アメリカからわざわざ取り寄せたというもので定価47万円を年末セールで2割引きで手に入れられたとのこと。おっと、「2割引き」は言わずもがなかな(笑)。

「へえ〜、ケーブルにそんなに大枚のお金をつぎ込むなんて世の中にはもの好きがいるもんだねえ。」と、本心を押し隠して(笑)、試聴してみると驚いた。

中高音域に独特の艶というのか「あでやかさ」が出てきて、ことにヴァイオリンの音色が瑞々しくて振るいつきたくなるほど色気がある。

こんなに音が良くなるのなら「同じものを絶対買わねばと」思ったほどだが、1週間以上経った今日においてはやや衝撃が和らいできて「もっと安ければ購入するんだが」と、諦念に変わっていった(笑)。

そもそもアンプの出力端子からSPユニットの端子までがすべて銀線コードで統一できればいいのだが、SPユニットの端子(半田付け)から箱に付属したSPターミナルまでは銅の単線を使っているので単に部分的な効果に過ぎないことも一つの理由だ。

逆に言えば、部分的な接続にもかかわらず純銀製ケーブルの効果があったことを認めざるを得ないのも事実。

我が家のSPケーブルについてはこれまでは安物の「銅の単線」(直径0.8mm)を使っており、ついぞ不満を感じなかったものの、今回の純銀線ケーブルによって大いにショックを受けてしまった。

SPケーブルの効果恐るべし!

そこで少しジタバタ騒いでみることにした(笑)。

まずは10年以上も前に購入した「PADのSPケーブル」二組(計8本)を倉庫から引っ張り出した。

当時は結構な「お値段」だったんですよ〜。

このSPケーブルは端子が「Yラグ」になっているので、改造前のウェストミンスターに使っていたのだが、改造後はすっかり縁がなくなりずっと使わずじまいだった。

今回の件でスパっと閃いたねえ!

「Yラグをバナナプラグに換えてくれませんか。」と、真空管工房を開設されているKさん(大分市)に泣きついた。

現物を持ち込んで検分してもらったところ(2日)、「うん、何とかできそうですね。バナナプラグは常備していますから大丈夫です。」

そして、3日後の5日(土)に完了報告を受けて取りに行った。理想的な見事な出来栄えだった。完成品が次の画像。

   

今どきには珍しいプラス線、マイナス線の各1本づつで、これで片チャンネル分だが、見るからに線が太いでしょう!まるで蛇がとぐろを巻いているみたい。

何も線が太いから性能がいいとは限らないが、さっそく自宅で試聴してみた。スピーカーはグッドマンの「トライアクショム」だったが、アッと驚くほどの変わりようで情報量が段違いだし音の粒立ちも見事だった。何よりも音が瑞々しい。

従来の銅の単線(0.8mm)をはるかに凌駕しており、純銀製ケーブルにも負けず劣らずの勢いでまったくうれしい悲鳴(笑)。予想だにしない見事な復活だった。

実を言うと2ペア分のケーブル(8本)だったので1ペア分(4本)はオークションに出そうと思っていたが「こんなにいい音がするケーブルを出すのはもったいない。当面、使う当てはないが持っておくことにしよう。」とアッサリ心変わりして出さないことにした。

それに、まったく縁もゆかりもない赤の他人が「さしたる苦労」もせずにこのケーブルで「いい音」を出すのが癪に障るのも理由の一つ(笑)。

しかし、このいかにも「狭〜い料簡」が後になって功を奏するとは、その時はまったく知る由もなかった。

さて、もう一つ忘れてはならないのが「純銀線」へのこだわりだ。

オークションで物色したところ恰好の獲物が見つかった。

「KIMBER KABLE 8AG 純銀線 スピーカーケーブル 2.0mペア」。

    

ネット画像がこれだが、定価47万円の純銀線ケーブルに比べると月とスッポンほどのお値段の開きがあったが(笑)、これも無事ゲットした(5日に落札)。

さあ、これでいよいよPADのケーブルとの一騎打ちの始まり始まり〜。

と、ここまで書いたところで、本日(7日)現在まだ現物が到着していないので続きは次回へと持ち越し〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ec750452941438c3cebedf413a733107

魅惑のオーディオ実験〜盲点だったSPケーブル〜 2019年01月12日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/eecbf12acc5aa26175abaddab81d7636

新年早々から「嬉しさ半分、口惜しさ半分」といったところかなあ。いきなりの話だが、何しろSPケーブルのことである。

通常、オーディオに対するイメージといえば音響を大きく左右する部屋の形状は別として、まずはスピーカーであり、次にアンプが来て最後に前段機器の出番というところだろう。

これらに比べると各機器を接続するケーブル類は「異質=異端者」のような気がしてこれまでほとんど無関心だった。

なぜなら細かい「工夫の余地」があまり無いし、高級品ともなると法外なお値段で贅沢趣味のイメージが付いて回るから。

ところが、オーディオ仲間が持参した「純銀製SPケーブル」の音に腰を抜かさんばかりに驚いたのが昨年末のこと。

それからはいつものように「のぼせもん」(博多弁)になって、まっしぐら(笑)。

否応なく開眼させてくれたオーディオ仲間には心から感謝している。

10年以上も倉庫に直し込んでいた「PURIST AUDIO DESIGN」(PAD)のSPケーブルがバナナプラグへの変更によって見事に蘇ったのだ。

  

何しろ低音域の力強さに驚いた。ずっと以前のこと、購入先のショップの担当が「PADは何と言っても低音の迫力です。」と言ってたが、そのとおり。それかといって、中高音域の独特の艶にも背筋がゾクゾクっと来るほどでまったく不満なし。

こればかりは実際に聴いてもらわないと実感できそうもないのがもどかしい(笑)。

自分で言うのも何だが、真空管アンプもスピーカーもかなりのハイレベルにあったところ、その能力の発揮を阻害していたのがほかならぬこれまでのSPケーブル(銅の単線)だったということになるのだろう。

逆に言えば、マイナス要素を最小限に食い止めるのが良いケーブルとしての役割かもしれない。

こんな優れものをよくもまあ10年以上も倉庫の中にほったらかしにて「馬鹿だなあ」と「口惜しさ半分」で自分の頭を小突いてやった(笑)。

それにしても「Yラグ端子」から「バナナプラグ端子」への交換作業を快く引き受けていただいたオーディオ仲間のKさん(大分市)には感謝の言葉しかない。

Kさんは現在真空管アンプ工房を開設されており、50年近いベテランだが、そのKさんにまたもや「あつかましい」お願いをした。

「我が家にはウェストミンスター用としてJBLのネットワークを使っていますがSP端子が実に貧弱なものが付いています。これをしっかりしたSPターミナルに交換できませんかね。するともう一組余ったPADのケーブルが使えるようになります。別府方面に来る用事がありましたら寄っていただけるとありがたいです。」

下記の画像がその見るからに古色蒼然としたJBLのネットワークだがご覧のようにまことに貧弱なSP端子が付いている。これらをすべて「ちゃんとしたターミナル」に変えようという算段である。
   
  

スペース的にみてちょっと無理かもしれないが「ダメでもともと」の話である。

とにかく一組余った「PADのSPケーブル」(4本)を使いたい一心で思いついたアイデアである。 

ところが、とても親切なKさんのこと、翌日になってわざわざお見えになっていただいたのでさっそく現物を検分してもらった。

「ああ、これなら出来そうですよ。以前にも取り扱ったことがあります。2日もあれば十分でしょう。」と持ち帰っていただいた。

あなうれし!

そして翌々日の9日(水)のこと、「完成したので持っていきます。」

   

見事な仕上がりで、これでバナナプラグ同士の抜き差しができる!

さっそく、PADのSPケーブルをパワーアンプ端子からネットワークの「INPUT端子」に繋いで試聴に移った。

パワーアンプは相性のいいPX25シングルにしてみた。スピーカーはもちろん「ウェストミンスター」(改)。

   

我が家に限ってのことだろうが、どうもJBL「175」だけだと高音不足を感じてしまうのでJBL「075」ツィーターをマイカコンデンサー(0.075μF×2)でローカットして繋いでいる。

ポイントは「175」をムンドルフの無抵抗コイル(0.15mh:画像の赤バンド)でハイカットしていることで、これがあるのとないのとではかなりの違いがある。

KさんともどもCD盤を数枚聴いてみたが、以前よりも音の密度というのか粒子が細かくなって音響空間が凄く豊かになっている。

これは素晴らしい!

何よりも「費用 対 効果」が抜群なのがビンボー人にはありがたい。

今年は幸先のいいスタートでメチャ運が良さそうだが「好事魔多し」という言葉もあるので用心しなくっちゃ〜(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/eecbf12acc5aa26175abaddab81d7636

「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a69c0a28f83cdaf3c67617d877678ef3

Nさんから4日ほど前にお電話があった。

「あけましておめでとうございます。今年の正月はマランツ7型プリアンプの製作にかかりっきりでした。やっとどうにか完成したので聴きに来ませんか。」

「はい喜んでお伺いします。ついでにPADのSPケーブルが使えるようになりましたので持って行きたいのですがいかがでしょうか。」

「エッ、PAD!それは興味があるねえ。どうぞ持ってきてください。」


結論から言えば「Nさん自作のマランツ7」は素晴らしい音だった。「アルテックA5」が朗々と鳴って何ら不満を感じなかった。

    

よくお話を伺ってみると「マランツ7」型は感度が高いのでコンデンサーや抵抗の材質によって音が豹変するとのこと。

惜しいことに長期保管中だった「バンブルビー」のコンデンサーは容量が抜けたのが多くて2割程度しか使えず、その一方、抵抗の方はアレンブラッドリーが無事ですべて統一出来たとのこと。

当初はノイズが盛大に出て、3日間ほどコンデンサーをとっかえひっかえの調整の連続だったがようやく落ち着いたそうだ。

   

マランツ7型は我が家でも使っているが掛け値なしに「いい音」がすることを実感した。

詳しく伺うと、オーディオ界では「マランツ7党」として独自の世界が築かれており、程度のいいものから悪いものまでレストアされたものが専門店によって販売されていて、オリジナルに近い最高級品は350万円なり!

「マランツ7」じゃないと出ない音があるというのはよくわかります。

かって「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)が個人用に製作したプリアンプが評判を呼び、その後広く普及したわけだが「採算を度外視した性能のいい製品を作り続けると会社が倒産する。」のは、マランツ社も例外ではなかった。

逆に言えばオーディオ業界で長持ちしている会社は「?」かもねえ(笑)。

最後に、本日の目的の一つだったSPケーブルをウェスタン製の単線からPADに切り替えて試聴させてもらった。

   

「凄いなあ!こんな音はアルテックA5から初めて聴いたよ。」と、感心することしきりのNさん。

何よりも低音域の重量感がすごかった。それかといって中高音域もとても澄んだ音が出る。

やっぱりPADのSPケーブルはどんなシステムにも通用する実力を発揮してくれたようだ。

さあ、PADの次の道場破りは「オートグラフ」と「クリプッシュホーン」を愛用されるMさん宅だ。

翌日、Mさんの了解を得てから訪問させてもらった。

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a69c0a28f83cdaf3c67617d877678ef3

魅惑のオーディオ実験〜電線病(伝染病)〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bc988d53535cb27359a8dec48249c955

「電線病(伝染病)に感染させて申し訳ないです。」と、先日お見えになったときに苦笑されるオーディオ仲間のYさん。

そういえば、このところのSPケーブルへの「逆上(のぼ)せ」ぶりはYさんが購入した超高級な「純銀製ケーブル」を昨年末に試聴させてもらったことが「きっかけ」だった。

「いいえ〜、ずっと昔のPADのケーブルを加工して活用しているだけですから別に大枚のお金をかけたわけでもないし、むしろ開眼させてもらって感謝しているほどですよ。」と模範解答をしておいた(笑)。

いずれにしても、このSPケーブルが我が家のオーディオ環境を一変させたのは間違いない。たかがSPケーブルごときにそんな資格があるのかと言いたいところだが現実にそうだから否応でも受け止めざるを得ない。

AXIOM80の大変身、「200V → 100V電源の目覚ましい効果」、強力マグネットの「ツィーター」復活、171Aプッシュプルアンプの躍進など枚挙にいとまなし。

これまで日陰にいた連中が堂々と「大手を振ってまかり通る」のだからたまらない(笑)。

        

この「シュトルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)については次回以降でみっちり詳述させてもらうことにして、今回は我が家だけでなく2軒のオーディオ仲間宅での武者修行でも実力をいかんなく発揮してくれた状況を述べておこう。

前々回のブログに述べたようにNさん宅の「アルテックA5」では期待にそぐわぬ活躍ぶりだったが、翌日のMさん宅での「クリプッシュホーン」スピーカーでも見事な活躍ぶりだった。

クラシック好きのMさんが例によって数台のレコードプレイヤーでカートリッジをとっかえひっかえしながらの再生に対してそれぞれの持ち味を十分に発揮させてくれた。

「どんなに気に入った音が出ても、いつも同じ音だと飽きてきますのでそういうときはカートリッジを変えて楽しんでいます。」と、Mさん。

「人間の脳はマンネリを嫌うと本に書いてありましたからね。変化を欲しがるのは基本的な本能だと思いますよ。カートリッジで音に変化をつけるのは手軽で面白そうですね。」と自分。

      

   

片方のスピーカーの「オートグラフ」でも試したかったが、SP端子が「バナナプラグ」仕様になっていなかったので不可能だった。

「端子部分を改造すればいいじゃないですか」とお奨めしたのだが、オリジナルにこだわられるMさんのお気持ちも十分お察しできるところだ(笑)。

これでSPケーブルの武者修行をひととおり終えたが、ただひとつ問題点がある。

画像をご覧のようにあまりにもケーブルが太いものだから鑑賞するときに丸見えになるのがネック。見ただけで興を削がれること間違いなし(笑)。

オーディオは見てくれも大いに影響するが、豪華なスピーカーやアンプだといかにも「いい音」が出そうで否が応でも説得力が増すものの、これがSPケーブルだと逆に嫌悪感が増すのが何だか不思議。もちろん自分だけのイメージかもしれないが。

「ケーブルにオーディオの神は宿らない。主役になってはいけない存在だ。」という気にさせるものが何かあるのだろう。

しかし、実際にこれほどの変化をもたらすとなると認識を改めざるを得ない。ケーブルはシステムの音質を大きく左右する大切な機器の一部だ!

たしか「論語」にも「過ちを犯してしまったら、ためらわずにすぐ悔い改めよ。」というのがありましたっけ(笑)。

それにしても、ただでさえ我が家のシステムの風景はどなたかのブログによると「とてもクラシックを聴ける雰囲気ではない」と酷評されている始末だが、それに加えてそれほど広くもないオーディオルーム(5m×6m)に合計8本(長さ3m)の蛇がのたうち回るのだから、できるだけ人目につかないように工夫しなければいけない。

唯一の対策は当面使っていない機器類を倉庫に移管してスペースを確保してうまく隠すしかない。

半日ほど本腰を入れて作業したところ随分すっきりした。

当面これ以上は道具を増やさないことを決意したが、はたしていつまで続くことやら。もちろん小道具は別ですよ〜(笑)。
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魅惑のオーディオ実験〜AXIOM80の復権〜 2019年01月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a4c4b867af9c75a1ee0265524decaf9b

オーディオはたしかに理論も大切だけど、実際に実験してみないと分からないことの方が多いような気がする。

オーディオとは言い換えると機器同士をいかに組み合わせるかに尽きると思うが、相互の長所と短所を微妙に絡みあわせるところにこそ妙味があって、似た者同士よりも異質とされるものを組み合わせて良好な結果が得られたりすると心から快哉を叫びたくなる。

したがって、オーディオ機器を単独で良し悪しを判断するのはとても危険なので常に相性実験が必要となる。

まあ、そういう趣旨で昨年12月に発足させた新しいカテゴリーの「魅惑のオーディオ実験シリーズ」だが早くも14件目の登載となった。

今回は、このところ存在感が増すばかりのPADのSPケーブルがもたらした様々な「福音」(ふくいん)について述べてみよう。

まずは、

☆ 神経質なAXIOM80が見事に変身

これまでいろんなスピーカー遍歴を重ねてきたが、とうとう最後はグッドマンとワーフェデールに落ち着いた。この辺がおそらく終着駅かな・・。

やはりクラシックを主体に聴くとなると、どうしても「ブリティッシュサウンド」になる。

そういうわけで愛好しているグッドマンだが、我が家では頼もしい「3兄弟」が常に出番を競っている。

長男の「AXIOM150マークU」(口径30センチ:同軸2ウェイ)は聴き疲れのしない音でクラシック専門に聴くのにはもってこいのスピーカーだが、多少のんびりしているところがある。「総領の甚六」かな(笑)。

次男の「トライアクショム」(口径30センチ:同軸3ウェイ)はなかなかのしっかり者で、あらゆる音楽ソースに柔軟に対応できるが、やや「八方美人」過ぎるところがあり、もう少し専門的に尖ったところが欲しい気もする。

そして問題は三男で末弟の「AXIOM80」(口径25センチ)だ。

三兄弟の中でも「白眉」(出典「三国志」:蜀の馬氏5人兄弟の中でもっとも優れていたのが馬良で、その眉毛に白毛が混じっていたことから同類の中で最も優れているものを白眉という。)ともいえる存在だが、その一方ではもう病的ともいえる繊細な神経の持ち主で、あらゆる変化に敏感に反応するが、ときにはあまりの気難しさにへきへきしたくなるほど(笑)。

このくらい個性的で「じゃじゃ馬」スピーカーも珍しいが、いったんツボにハマると特上の音を出してくれそうな気がするのでその辺が得体のしれない魅力の一つ。

何しろAXIOM80の一番のネックは「低音域」にある。音の姿は「ピラミッド」型にたとえられることが多いが、やはり底辺がしっかりと豊かに鳴ってくれないと全体が神経質かつ不安定になってしまう。

試行錯誤すること、もはや10年以上になって大いに勉強させてもらったが、ようやくこのAXIOM80から「まとも」ともいえる低音域が出てくれるようになったのはうれしい限り。

オーディオ仲間からも「PADのSPケーブルによってAXIOM80の神経質な面がすっかり払拭されましたね。」という「お墨付き」までいただいている。

「な〜んだ、AXIOM80の低音不足を解決するカギはSPケーブルにあったのか」というわけだが「うれしさも 中くらいなり おらが80」。

実はエンクロージャーの工夫やアンプの改善などの正統的な手段で目的を果たしたかったので「うれしさ半分」というわけだ(笑)。

まあ、手段はどうであれ実際に良くなったのだからこれ以上欲を言うと罰が当たりそう。

これでようやく「AXIOM 80」が真価を発揮してくれて名誉挽回。「賢弟愚兄」の状況になりつつあるのかなあ(笑)。

ついでに調子に乗って・・・。

☆ 復刻版のAXIOM80の活用

SPケーブルの重要性にほとほと目覚めさせられたので、このほど調達したのが銀線のケーブルだ。口径は「0.8mm」で銀は銅よりも伝導率が高いというので試してみることにした。

   

使用目的はウェストミンスター(改)の上に載せていた「175+075」コンビを外して復刻版の「AXIOM80」を活用することにある。

もちろん、やってみなくちゃ分からんという実験の一環である。ネットワークもJBLの「LX80」(クロス800ヘルツ)からテクニクス(クロス1200ヘルツ)へ交換。両方ともこのほどSP端子をバナナプラグ仕様に変更してもらったばかりである。

我が家では「LX80」がベストだが、付属の中高音域用のボリュームを最大限に上げてもAXIOM80が鳴ってくれないので仕方がない。

   

そもそも「AXIOM80」のスピードに合う「ウーファー」なんてまず存在しっこないし、ましてや口径38センチなんて反応が鈍くて論外だ。

やっと現用中の「スーパー12」(ワーフェデール)が口径30センチなので辛うじていけそうだし、肝心のマグネットは同じ「赤帯タイプ」である。

     

いずれにしても1200ヘルツ(−12db/oct)から「AXIOM80」を使おうというのだからたいへん珍しい。

たしか先年亡くなられた音楽評論家の「宇野功芳」さんのシステムが3ウェイで、低音域と高音域にワーフェデールのユニットを、中音域にはAXIOM80を使っておられたぐらいだ。

注意すべきは「箱無し」の状態で低域信号を入れたらこのユニットは一発で故障すること請け合い。実に苦い経験を持っている。  

ワクワクしながら聴いてみると、これはっと思わず絶句・・・。

   

「美は人を沈黙させる」(小林秀雄)という言葉はほんとうだねえ(笑)。
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魅惑のオーディオ実験〜銀線ケーブルの威力〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年01月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3ef91be1af65d7bb4dbd7c0a8d680d6c


このブログに頻繁に登場していただいている近隣のオーディオ仲間のYさん。

フルートの名手なので日頃から生の音に接しておられるせいか、音に対する感度がすこぶる高いし、歯に衣着せぬご指摘にも実に鋭いものがあって我が家のオーディオに大いに貢献してもらっている。

ちなみにモーツァルトの作品だけは演奏するときになぜか心がウキウキしてくるそうでまったく別格とのこと。

まだバリバリの現役なので我が家にお見えになるのは土曜、日曜のいずれかだが、「ちょっと聴いてもらえませんかね。」とお誘いすると気軽に「ハイ、いつもの時間ですね。」

その昔、プロ野球巨人に宮田というリリーフ投手がいたが、決まって8時半ごろに登場するので「8時半の男」と称されていたが、家内に言わせると「1時半のお方」だそうだ(笑)。

実はYさんがお見えになる理由の一つに「AXIOM80」への愛着があるのも事実で、いろんなスピーカーを聴いていただくのだが、最後は「AXIOM80」を所望され「やっぱり最後はこのスピーカーに尽きますね。」といつもウットリされている。

そのYさんが「AXIOM80に半田付けしている銅線を銀線に変えるともっといい音がすると思いますけどねえ。」と、ポツリと洩らされた。

現在のSPケーブルの状況はパワーアンプのSP端子からSPボックスのSP端子まで「PADのSPケーブル〜3m〜」が行き、それから先は銅線が1.2mぐらいの長さでAXIOM80の端子に半田付けしている。

この1.2mの長さの銅線を「ぜひ銀線に変えましょうよ。」というご提案である。

銀線と銅線と音がどう違うのか問われても科学的に証明するのは困難なので、聴感上で判断するしかないが、とてもハイ・センシティブな持ち主のAXIOM80だから、きっとこの小さな変化にも如実に反応を示すことは容易に想像できるところ。

期待度100%のもと「善は急げ」とばかり、さっそく東京のショップに注文した。中高音域なら直径0.8mm1本でいいが、フルレンジとなると2本をより合わせた方が無難だろう。


したがって片チャンネル分のプラス線、マイナス線を合わせて換算すると、1.2m×2×2=4.8mだから両チャンネル分だと9.6mになる。銀線は高価なので結構なお値段になりますよ!(笑)

しかし、乗りかかった船なので初志貫徹といこう。ほどなく代引きで品物が到着。

さっそく所定の1.2mにカットしてAXIOM80に半田付け。「芯剥き」がたいへんな作業だった。端っこを100円ライターで炙って厚手のビニール製手袋で焼けた部分を引っこ抜くこと連続16回。


このAXIOM80は古色蒼然としているが希少な最初期版である。

銀線の被覆には2種類あって「透明」と「青」があるが、芯の剥き具合がよくわかるので「青」の方がGOOD。

作業は1時間ほどで終了した。丁度土曜日の午前中だったので音出しすることなく、Yさんに「AXIOM80に銀線を装着しましたよ。一緒に聴きませんか?」

「ハイ、わかりました。いつもの時間ですね。」(笑)。

結果から言えば「素晴らしい!」の一言だった。

「水も滴るようなヴァイオリンとはこのことですね。完璧です。これまで聴かせていただいた中でベストの音ですよ。」

流石はAXIOM80で、たった1.2mの銀線ケーブルへの変更にも見事に応えてくれた。

メデタシ、メデタシ。

ちなみに使用したアンプは「171Aプッシュプル」だった。これもPADのSPケーブルによって息を吹き返したアンプである。相性が抜群で低音域の力感には「!」だった。ナス管がズラッと8本並ぶ眺めは壮観。

右の片隅に見えるRCAケーブルは「PADのREV.B」を復活させた。

  

このアンプの電源を「100v」から「200Vから100Vへ降圧した」電源へ切り替えたところ、全体的に騒がしさが減って透明感が増したのには驚いた。

「前段管がメッシュプレートの227で出力管がとても素直な171A,出力トランスがピアレスでインターステージトランスがパーマロイコアですから悪い音の出ようはずがありませんよ。」とは、改造していただいた「北国の真空管博士」の弁である。

AXIOM80との組み合わせに限って言えば「WE300Bシングル」や「PX25シングル」よりも明らかにこのアンプの方が上位にランクできる。

しかし、こういう完璧な音を出されると、逆に「失いたくない」という不安が頭をもたげてくるので良し悪しですね〜。

オーディオは、ほどほどがよろし(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3ef91be1af65d7bb4dbd7c0a8d680d6c


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c42

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
160. 中川隆[-12768] koaQ7Jey 2019年1月24日 10:59:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
ロッテアライ リゾート(新潟県 妙高市)Part.3


559やらまいか2019/01/21(月) 18:24:01.83

 ARAIがオープンした20年ぐらい前は、別にパウダーを売りにしてたわけじゃないでしょ?
深雪とロングシーズンを売りにしてたような。

558名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/17(木) 18:12:12.77

ここは、気候的に水分の多い雪がたくさん降る。

だからパウダーとは、言いがたい。

560名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/21(月) 18:56:25.04

踏んでない新雪なら重かろうが湿って様がパウダーって言う馬鹿が大勢いる
こいつらは、パラッパラのパウダー粉雪の圧雪斜面をパウダーとは言わないw

561名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/21(月) 19:11:16.78

オフピステとかサイドカントリーと呼ぶべきだろうね

562名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/21(月) 21:26:03.18

ノートラックでいいじゃねぇか

563名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/21(月) 22:04:39.41

今年も犠牲者がでてしまったか、気の毒に。

564名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/21(月) 23:12:45.76

誰か死んだの?

565名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 00:45:03.65

これか

スノーボード客の男性死亡 新潟・妙高、雪に埋もれ
https://www.sankei.com/affairs/news/190122/afr1901220002-n1.html

566名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 09:52:15.68

年始の遭難は何とか無事だったけど、コース外の区分も、はっきり判からなかったみたいだし、続いてしまうね。


https://www.joetsutj.com/articles/14551070

567名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:34:13.52

頭から埋もれて窒息死か

568名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 11:36:02.93

無茶しやがって

569名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 12:43:43.79

怖いスキー場だと思うよ。

570名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 13:37:12.08

気をつけなきゃね...

571名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 20:15:51.96

非圧雪って怖いな

572名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 20:18:15.62

コース内だけ滑ろうね

573名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:06:49.13

前のアライの時は、コース外との境界線は全部ロープが張ってありました!
でもロッテになってから、竹だけの所が多すぎます!

この山の危険性全くわかってないですね!

前のアライの時は、パトロールによって全て管理されている安心感があったのですが、今のパトロールは、この山の事全く分かっていない感じですね!

もう3人も死亡事件起きてます!
パトロールの責任者は責任とるべきかと‼

574名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:13:21.03

ロープ張ってあっても起きた事故だと思うけどな…

575やらまいか2019/01/22(火) 21:22:37.55

 スポーツ用品店に置いてあるパンフレット見たけど、何か落下したら大怪我
しそうなところの真横を滑ってる写真が載ってた気がする。雪庇みたいなとこ。

576名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:27:10.16

実際見に行って下さい。

ホントにロープ張って無いんですよ!

竹に小さい看板でコース外の標識付いてるだけで、吹雪いたら全く分かりませんよ。

577名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:32:07.86

立入り禁止エリアなの?

578名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:33:54.84

報道されんだけでよくあるぞ
昔、スキースクールで働いてた時、年に3人くらいいたわ
新聞沙汰にはならんかった

579名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:38:59.28>>581

平日かつ深い日はひとりで埋まると誰も気付かないからな
シャルマンや野沢でも似たようなのあったろ
吹き溜まりに頭から行くと自分で状況分かってても出られないぞ

580名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 21:59:07.55

アライは「竹の向こう側はまだ大丈夫」「ロープをくぐったらマジシラネ」って感じだよ
他のスキー場と同じ感覚でニヤついた顔でロープくぐって行くと死ぬよ

581名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/22(火) 23:10:20.03
>>579
コルチナのリフト下でも去年あったね
埋ると上下感覚希薄になるとか

582名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 18:53:46.86

YouTubeでココの非圧雪を滑ってる動画あるけど見てるだけでも怖い
ここで転倒しちゃったら…とか

583名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 19:49:33.66

怖いと思うならやめときゃいいだけ
楽しそうな斜面に見えたら滑る
俺は管理されてりゃスキー場内全部楽しそうな斜面にしか見えんが

584名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:12:59.75

管理されてなくても楽しそうな斜面に見えるけど

585名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/23(水) 20:20:45.51

管理されてたらなんにも考えんと思いっきりウェーイ出来るやん

5861032019/01/23(水) 22:04:15.79

前のアライのときドカ雪でマムシコース内で遭難しそうになった

587やらまいか2019/01/23(水) 22:49:29.96>>588

 白馬五竜のウッディコースなんて、初心者も滑る様なとこなのに狭すぎるし崖が迫って
るし。なのに、ネットで保護しているだけなんだよな。あんなん、初心者が暴走してアタック
したらネットごと真っ逆さまだろうに。それでも大事故に至らない不思議。


588名無しさん@ゲレンデいっぱい。2019/01/24(木) 00:12:33.98
>>587
確かに
突き破って真っ逆さまだよな
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ski/1519880227/l50


ロッテ アライ リゾート スキー場 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A4
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c160

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
82. 中川隆[-12767] koaQ7Jey 2019年1月24日 11:39:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

203名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/24(木) 10:48:27.03ID:9DWFWJJR

女性ヴォーカルやポルノビデオしか聴かないアホがオーディオに金掛けるのが逝かれてるんだ

風俗行って生の声聞いた方が臨場感有るだろ

205名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/24(木) 11:30:35.33ID:9DWFWJJR

女性ヴォーカルやポルノビデオしか聴かないのなら、オーディオの音は確かに金額に比例するよ


「風俗とはどんなところなのか」をレクチャーしてくれたある雑誌ライターは、このような主旨のことを私に言った。

『風俗は女性の質と値段は比例している。値段が安くなればなるほど、女性の質は落ちる。だから、風俗で満足したかったら高い方を選ばないといけない』

これは、彼が十年以上もかけて学んだ世知辛いルールでもあった。

『みんな自分を高く売りたいと思ってるのに、それでも激安風俗で働くって要するに売れないからなんですよ。普通じゃ雇ってくれないからなんですよ。激安だけはやめた方がいい』

それを聞いて、私はすぐに激安デリヘルの女性に会ってみたのだが、その時に彼が言っていたことがおおむね間違いないことを確認した。どん底のような環境で働いている女たちは「激安」の風俗店に潜んでいたのだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c82

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
59. 2019年1月24日 11:52:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c59
[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
60. 2019年1月24日 11:59:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
日経平均株価が上がる程 日本人はどんどん貧しくなっていく _ アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/188.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c60
[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
61. 2019年1月24日 12:21:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c61
[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
1. 中川隆[-12766] koaQ7Jey 2019年1月24日 12:24:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

日本円はいくらなんでも安過ぎる (1ドル=50円 程度が適正価格)

2018年02月25日
ドル円相場はいくらが適正か 100円から70円まで

同じ為替レートでも日本のデフレでどんどん円安になっていく
このため日米の物価上昇率分だけ、円高になる
引用:https://moneyzine.jp/static/images/article/212170/01.png


購買力平価では1ドル105円以下

2018年に入って為替市場はドル安円高方向にふれていて、どこまで円高になるかが議論になっています。

この手の議論には正解がないのできりがなく、結果を見てみないと分からない。

将来ドル円がいくらになるか予想するためには、まず「いくらなら適正なのか」を知る必要があります。


大きく分けて為替の適正相場を知る方法は3つほどあり、一つは購買力平価から算出する方法です。

2つ目は日銀が公表している実質実効レートから判断する方法、3つ目はビッグマック価格から判断するビッグマック指数です。

まず購買力平価は各国の物価の違いを調整して、A国とB国の物価が同じになる為替レートを算出する方法です。


例えば日本の物価がアメリカより2割高いなら、ドル円レートを2割円高にすれば「正しいレート」になります。

細かい計算は省略して結論だけを書くと、1ドル95円から110円、その中でも100円から105円程度が適正になります。

2月後半は1ドル107円前後で推移しているので、購買力平価ではもう少し円高になれば適性になります。


実質実効レートでは90円台

実質実効レート(実効為替レート)も日本と外国の物価上昇率の違いを調整して、客観的な数値にしたものです。

日本はデフレで物価下落、アメリカはインフレで物価上昇なので、同じ1ドル100円でも日本の物価はどんどん安くなっていきます。

すると同じ為替レートでは日本では100円で買えるものがアメリカでは110円になってしまい、この分は為替が円高になることで物価が調整されます。


これも計算を省略して結論だけを書くと、現在の1ドル120円は1970年代の1ドル280円に等しい「超円安」になっていました。

日銀は実質実効為替レートは90前後で安定すると見ていて、現在は75前後なので1割か2割は円高になる余地がある。

すると実質実効レートから見たドル円の適正レートは、1ドル90円台という事になる。


ずいぶん円高のように思えるが、日米の物価上昇率の影響で、現在の90円台は20年前の1ドル110円台でしかない。

最後にビッグマック指数だが、これはビッグマック価格を基準に、各国の価格が同じになる為替レートを算出する方法です。

現在日本のビッグマックは390円でアメリカでは5ドルなので、ずばり1ドル78円が適正レートになる。


因みにリーマンショック前のビッグマック指数では1ドル90円台が適正だったが、最終的に1ドル70円台まで下落していました。
http://www.thutmosev.com/archives/75059779.html


▲△▽▼


日本円はいくらなんでも安過ぎる (1ドル=50円 程度が適正価格)

ドル-円は絶対に「黒田シーリング」124円台後半〜125円より円安にはならない


実質実効為替レートについて 2014年1月17日
http://www.central-tanshifx.com/market/market-view/sf-20140117-01.html


2013年のマーケットのキーワードとなっていた【アベノミクス相場】も、ここにきて最大の踊り場局面を迎えており、安部政権発足以来進行していた円安・株高がもたつきはじめてきました。

国策とも言われている【円安・株高】が滞ってしまえば、今まで相場の主役であった円が脇役に押し戻され、マーケットは次の主役探しに走ることも十分に考えられます。

今週に入り、ルー米財務長官は

「日本の長期的経済成長は(内需拡大により成されるべきであり)、為替水準の恩恵に過度に依存すべきではないし、それは不公平である。」

という主旨の発言をしました。15年以上に及ぶデフレから脱却し、世界経済の牽引役として重宝されてきた日本ですが、さすがにここにきて「為替依存症」が目に付いてきたのかもしれません。


果たして、現在の円安は行き過ぎなのか?

過去の円相場と比較して、アメリカなどの諸外国の逆鱗に触れる水準まで来てしまっているのか?

それについて、実効レートを通して考えてみたいと思います。


通貨の実力は実効レートで測る

日本では『実効レート』という物差しでマーケットを見る参加者が、今でも非常に少なく残念に思っています。

私自身も、最初にFXのディーラー・アシスタントとして東京でスタートした時には、この言葉を知らずに仕事をし、何の不都合も生じませんでした。

その後、1989年にFXの本場:ロンドンで仕事をはじめてからというもの、事あるごとに『実効レート』という単語を耳にし、「なんだろう?」と疑問を持ち始めたのです。特に英国中央銀行(BOE)は政策金利決定の判断材料として、実効レートを参考にしていると知ってから、必死で勉強しました。

日本で実効レートを知らずに仕事が出来る理由のひとつとして、日本の中央銀行である日銀が、他の主要国の中央銀行とは違い、レート自体を発表していないことが挙げられると思います。

英国・欧州・米国それぞれの中央銀行は、毎日自国通貨の実効レートを公表していますが、日銀は国際決済銀行(BIS Bank for International Settlements)が毎月一度発表している世界各国別の実効レートをそのまま使用しているに留まっています。


日本銀行 「実効為替レート(名目・実質)」の解説
http://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/exrate02.htm/

日本銀行 円の実効為替レート 月足
http://www.stat-search.boj.or.jp/


日銀はBISのデータをそのまま使用しているため、円実効レートは1ヶ月遅れで月に一度だけ発表されます。


これは1980年から2013年11月末までの円実効レート、月足チャートです。

これを見て、私はハッとしました。というのは、最近の円相場を語る時、ドル円のレベルだけを見て「まだまだここからの円安余地はある」と感じておりましたが、実効レートを見た途端、【究極の円安レベル】に達しているのが、わかったからです。

この円実効レートのチャートは、日本が変動相場制に移行した1973年から数年後の1980年から現在に至るまで、30年以上に渡り全ての数字が載っています。


リーマン・ショックが起きた2008年9月の円実効レートは、85.89。

そして最新の2013年11月のデータを見ると、実効レート: 77.61/東京市場ドル・円 スポット17時時点/月中平均: 100円04銭

と書いてありました。

その後、ドル円は105円をうかがう展開となりましたので、実効レートのレベルは当然11月の77.61よりも低い=円安色の強い数字になっていると想像されます。


過去に80を下回ったのは、いつなのか?と調べてみると、

一番最近では円キャリートレード全盛期の2007年(120円台)となっており、

それより以前では1980年代までさかのぼることになり、その当時のドル円は200〜250円台となっていました。


アベノミクス効果で、「3桁のドル円」に目が慣れてしまったせいか、なんとも思わなくなっていましたが、こうして実効レートで『本当の円の実力』を検証してみると、変動相場制以降、3番目か4番目に円実効レートが低い(=円安)『異常事態』とも言えるようです。


ここではじめて【為替相場をターゲットとしない内需拡大による持続的成長】を要請してきたルー米財務長官の言葉がやっと理解出来た気がします。

アメリカ財務省が年に2回提出する為替政策報告書は、例年5月頃と10〜11月頃の発表となっています。さすがに日本を名指しで非難しないとは思いますが、為替市場に従事する人間としては、「アメリカ政府の堪忍袋の緒が切れた」のかどうかを占う上でも、為替動向とアメリカ側からの発言内容やタイミングをきちんと把握すべきでしょう。
http://www.central-tanshifx.com/market/market-view/sf-20140117-01.html

止まらない円の価値下落… 2016/05/02
1ドル106円でも「超円安」のワケ 実質実効為替レートで読み解く円相場
https://zuuonline.com/archives/105338


4月29日のNY外国為替市場の円相場は、約1年半ぶりの水準となる1ドル106円28銭をつけた。これを聞いたら驚かれるかもしれないが、それでもなお、現在は「超円安圏」にあるのだ。

どういうことなのか、詳しく見ていこう。


続く「超円安」水準

「黒田シーリング」、それは、昨年初夏に市場参加者らにより設定された、ドル円為替での124円台後半〜125円に覆いかぶさり一段の円安進行を阻止せんとした「天井」のことである。

黒田日銀総裁は、衆議院予算委員会で

「実質実効為替レートがここまで来ているということは、ここからさらに円安に振れるということは、普通に考えればありそうにない」

と発言、ある種の「口先介入」とも捉えられ、上記シーリングの根拠となっていた。

中国ショックや原油価格崩落等に端を発した世界同時株安を経たドル円相場は現在110円をも大きく割り込み、振り返ってみると、確かにその天井は重要な節目となった。

わざわざ強調して用いられた「実質実効為替レート」なる表現。

当時、円の実質実効為替レートは、変動相場制移行以降では、なんと「史上最安値(円安)」に達してしていた。

具体的に過去を振り返る前に、実質実効為替レートについて簡単に解説しておこう。


円がドルに対して上昇していても、ユーロに対しては下落しているような時、すぐには円高なのか円安なのか分からない。そこで円の複数の通貨に対する総合的な為替レートとして貿易相手国との貿易取引量で加重平均して算出する値が実効為替レート。

さらにその数値にインフレ等の物価調整を施した後のものが実質実効為替レートである。

つまり、「一国の通貨の対外競争力を総合的に捉えるための単一の指標」と言い換えられよう。


止まらない円の価値下落

下図は、

「ドル円直物為替レート(赤線。 以下、ドル円)と、

円の実質実効為替レート(青線。単位:2010年=100。 以下、R)」

の1971年以降の推移であり、それに歴史上の重要なトピックスを補記したものである。


@1973年2月:変動相場制移行当時のドル円は300円程度。
Rは71.93と、基準値である100対比、約28%の円安水準。

A1985年9月:G5が協調してドル高是正を取り決めたプラザ合意当時のドル円は240円程度。
Rは84.47。

B1995年4月:史上初めて80円割れを示現したドル円。
Rは149.87へと価値急騰。

C1998年8月:日本金融危機・アジア通貨危機等を背景にドル円は145円へと急反発。
Rは95.73へと減価した。

D2008年9月:リーマンショック勃発直前のドル円は107円。
Rは85.84。

E2011年10月:ドル円は史上最安値75円32銭まで暴落。
Rは105.66。

F2015年6月:「黒田シーリング」設定。ドル円は125円手前。
Rは67.80。


水準比較で分析してみると・・・、

BとE時点ではドル円は70円台までの急落をみたが、 Rは149.87vs105.66と、期間も長く深い円高局面となった2011年の方が、逆に円の価値上昇がマイルドであった。

@とF時点の Rは70前後であるが、ドル円は300円vs125円と約58%円高水準となっている。

これは逆の見方をすれば、円の対外競争力としての価値は、1ドル300円当時以上に減価してしまっていることを意味するわけで、黒田総裁はじめ金融当局者らがかなり危機的意識を持ってマーケットを注視していたことも頷ける。


なお、1973年〜1995年までのドル円と Rは共に右肩下がり、つまり円高方向のトレンドを形成している。

ところが、1995年を境にドル円は概ね横ばいである一方で、Rは右肩上がりの軌跡を描き、両者は大きく乖離した状態で現在に至っている。

日本がデフレ状態にあったことなど様々な要因を挙げることができようが、筆者はIT革命によるグローバリゼーション加速の恩恵にあずかった新興国台頭の影響が最も大きかったとみている。

日本が貿易取引量を拡大させるのと時期を同じくして、新興諸国は輸出財において国際競争力をつけ、また資源・原材料価格の継続的な上昇を追い風にした。結果、著しい経済成長を遂げ、それが更に次の投資を呼び込むという好循環に繋がったことでそれらの通貨価値は上昇して行った。


交易条件は芳しくない状態

実質実効為替レートは、一国の通貨の対外競争力を総合的に捉えるための単一の指標であると述べた。それは即ち、国外の財やサービスを購買する力に他ならず、国力の現れのひとつでもある。今、その力が「歴史的にも最弱の領域」に達しているのだ。

また同時に、その様な状況下、日本の貿易収支は2011年06月あたりから頻繁に貿易赤字を記録しており、それはもはや円安をテコに輸出を大きく伸ばすことができないほどに、グローバル型製造販売体制として産業構造が変容してしまっていることをも意味している。


望まれる円の価値安定

現在、円の実質実効為替レートは、75前後となっている。

過去に照らせば、第2次オイルショック後期(1982年)と同程度の超円安水準だ。

円の実質実効為替レートの下落が、交易条件の好転に結び付かない構造となっているのであれば、円安がもたらすメリットをディスカウントして捉える必要があるだろうし、底値圏から反発局面にある原油価格に一段の上昇がみられた場合、交易条件の更なる悪化は免れない。

トリクル・ダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちるという経済理論)が不十分であれば、家計部門は一層痛むことにもなろう。

筆者はそれらをも踏まえ、円の価値を更に「人為的に」減価させ経済成長のテコとして用いるとの戦術を好ましく思わない立場だ。

更に言えば実質実効為替レートを80〜100に安定的に収まるような金融・為替政策を採って行くべきとの見解に立っている。
https://zuuonline.com/archives/105338

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株価が急騰の一方、為替が膠着している理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171020-00193867-shikiho-bus_all
会社四季報オンライン 2017/10/20(金) 18:01配信

 前回は米国長期金利の動きから見た為替レートの短期的な動向を検討したので、今回は長期的な観点から見直してみよう。

 一国の通貨の価値は、長期的には物価動向に沿った形で決まる(短期的には必ずしもそうはならないが)。物価上昇率が低い国の通貨は高くなり、物価上昇率が高い国の通貨は安くなるということだ。

 また、ある通貨が高いのか安いのかを考えるときに、特定の相手通貨ではなくて、貿易額などに応じて様々な相手通貨との関係を見たほうが望ましい場合がある。

 こうした点を踏まえて、通貨の割高さや割安さを長期的に判断するのに適した指標と考えられるのが実質実効為替レートだ。「実効為替レート」とは、貿易相手国通貨との為替レートを貿易額による加重ウェートで平均したもの。「実質」は物価上昇率を調整していることを示す。

 長期的な為替レートの変動要因である物価上昇率を調整した後のレートなので、短期的要因によって一定のレンジ内を上がったり下がったりはするものの、基本的にはそこから大きく外れることはない。そのため、実質実効為替レートを見れば、そのままその通貨の長期的な割高さ・割安さが分かるということになるのである。

■ 現在の円は歴史的な割安水準で推移

 円が変動相場制へ移行した1973年2月以降の円実質実効為替レートの推移を見ると、つい最近までのレンジは概ね70台半ば〜140台くらいである(通常の為替レートと異なり、数字が大きいほど円高、小さいほど円安となる)。

 ところが近年では、2015年に70を割り込み、今年8月末時点でも75.9とかなりの低水準で推移している。時系列で見てみると、デフレ懸念の増大と金融緩和の遅れから急激な円高が進んだ1995年以降、ほぼ一貫して円の実質価値は低下し続けている。つまり、物価変動や特定の通貨の影響を除いた実力ベースで円は売られ続け、現在では変動相場制への移行以後で最も割安な水準にあるといえるのだ。

 円の実質実効為替レートの長期下落傾向が何を意味しているのかは、なかなか答えるのが難しい問題である。もしかすると、貿易上の非価格競争力が落ちてきていることの証かもしれない。もしくは悪化を辿る財政リスクに対するプレミアムが発生しているのかもしれない。ただ、明らかなことは、単に名目的な為替レートで見る以上に、実質的には大幅な円安が進んでいるということである。

 そう考えると、この水準から大幅に円が売られることは、(1)日本の物価水準が大きく上がる、もしくは(2)本格的な“日本売り”が起きる、ということでもなければ考えにくい。だが、現時点ではいずれのシナリオも現実的ではないだろう。2015年半ばにはドル円で一時125円台までの円安が進んだが、インフレ期待は当時から低下してきており、現時点でそのような大幅な円安を見込むことは難しいと考えられる。むしろ、現在総じて堅調な世界経済(とくに米国経済)に陰りが生じるようなことがあれば、大きく円高に振れる余地が生まれる。

 前回見たように、短期的要因である実質長期金利からは、やや力不足ではあるものの円安方向への力がかかっている。そして、今回見た物価上昇率を考慮した長期的観点では、すぐにどうこうというものではないが、潜在的な円高圧力が大きく残っている。このように長短期の要因で相反する構図が、現在の為替相場の膠着を招いているのである。

 ここまで為替相場が現在のもみ合いを脱するかを、短期、長期の視点から検討してきたが、そうなるにはまだもう少しの時間と、何か新しい要因が必要となりそうである。

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1990年代から円の実効レートは下がり続け、実質的な円安が進行している(グレー帯は景気後退期)
http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/7/c/7cab7693.jpg


株価と並ぶもう一つの投資要素である為替(ドル円レート)についても、1ドル100円を大幅に上回り、2015年には125円をつけました。

2000年代の小泉景気の時、2002年の円最安値が135円、2005年に101円の円高なり、2007年に124円をつけました。

小泉景気の最中ですら、ドル円は大きく乱高下していたのが分かります。


現在の1ドル110円は2000年ごろの1ドル140円に匹敵する円安
引用:FP資料館
http://fp-user.com/wp-content/uploads/2017/01/4322195cbcb6251dd4447fd287a5c868.jpg


為替レートの錯覚

2008年にリーマンショックで100円を割り、2009年に90円を割り、2011年に80円を割り込んで9月に1ドル76円をつけました。

ちなみに明治時代は1ドル=1円だったので、まだまだ円高が進行する余裕は100倍くらいあります。

1950年代に1ドル360円だったのが、時間の経過と共に円高になっていて、今後も乱高下しながら円高が進行するでしょう。


すると2015年の1ドル125円はいかにも円安が進みすぎていて、円安だけが一方的に続いた例は最近50年くらいは在りませんでした。

現在の1ドル110円以上はかなりの円安で、日銀によると1ドル100円以下が適正になっています。

日銀が公表しているデータに「実効為替レート」があり、円の価値が現在どの水準か知る事ができます。


現在の実効為替レートは76で、1ドル80円だった2010年が100、小泉景気の2000年代には100を上回っていました。

つまり1ドル110円台は2000年代の1ドル130円よりも円安で、1ドル90円くらいで適正になります。

こうなる理由は日本のデフレと米国のインフレで、米国が日本より物価が上がると、基準点が移動します。


アメリカの物価が10%上がると、同じ1ドル100円のレートなら、10%円安になったのと同じになります。

だから現在の1ドル110円は、昔の130円や150円に匹敵するような円安で、これ以上円安になる可能性が低いのです。

株と為替の両方が高すぎる水準なので、今は投資をするには不向きで、銀行預金にでもしておいた方が良いです。


もし株価が下落して円高が進んだら、土地の値段などあらゆる相場も、連動して下落するでしょう。
http://thutmose.blog.jp/archives/69063967.html.


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c1

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
2. 中川隆[-12765] koaQ7Jey 2019年1月24日 12:27:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]


日本円が常識では有り得ない超円安になった理由

「アベノミクス」の正体
日本食潰す金融投機資本に貢ぐ 2013年5月17日付


安倍政府が発足して以後、「アベノミクス」と呼ばれる異次元の金融緩和や公共投資を中心とする政策が台頭し、急激な円安と株高の局面があらわれている。

昨年11月に民主党・野田政府が解散を表明した時点で8600円台だった日経平均株価は、半年たった今年5月中旬には1万5000円台まで急騰し、為替相場は1j=79円台だったものが102円台まで円安になるなど、世界的に見ても例がないほど大きな変動が起こっている。

海外投資家が時価総額のうち七割を占めている株式市場が熱狂し、さらに円安でトヨタをはじめとした輸出企業が過去最高益を上げるなど、金融緩和と為替マジックで金融資本や一部大企業がバブルに浸っている。

ところが一方で、燃油や穀物を中心に日本国内では生活必需品の価格が急騰し始めるなど、国民生活に深刻な影響が広がっている。「アベノミクス」でいったいなにが起きているのか、どうなっていくのかが重大な関心を集めている。


 
 バブルに群がる海外投資家

 この間、日経平均株価はリーマン・ショック以前と同レベルの価格まで急騰してきた。それほど好景気なわけでもなく、むしろ怒濤の首切りや製造業の海外移転を経て失業や貧困が全国的な範囲で広がり、生活実感としては悪化しているにもかかわらず、「日本株、年初から45%の上昇率」「1万5000円台回復」が叫ばれている。今後はさらに1万6000円台、1万7000円台まで上昇するとエコノミストたちが煽っている。

 しかし株式市場もよく見てみると、東証一部の約6割にあたる1000近くの銘柄が値下がりしている。株価が急騰している4割のなかでは円安効果の恩恵を受けた自動車産業や、ソニー、パナソニック、三菱電機といった企業が年初から倍近い株価をつけている。逆に株価が急落している企業としては不動産関係や、国内小売りのヤマダ電機、イオン、東芝などの企業群だ。

 東証の株式時価総額は昨年10月末には261兆円まで落ち込んでいたのが、今年4月末の段階では411兆円にまで膨れあがっている。わずか半年で150兆円がなだれ込んでいる。この半年の推移を見てみると、11月に14兆円増加し、12月には26兆円増加、1月に29兆円、2月に13兆円、3月に23兆円、4月には46兆円とすさまじい勢いで資金が流入しているのがわかる。

 このなかで投機の中心的なプレイヤーとして振る舞っているのが海外のヘッジファンドや投資家といわれ、時価総額の大半は国内資金ではなくこうした海外資金であることが明らかになっている。

サブプライム危機で行き場を失った膨大な余剰資金がヨーロッパを食い物にし、ギリシャ、スペインなど南欧諸国の国家破綻でボロもうけした後しばらくは中国や新興諸国のバブルに巣くっていたが、それも一段落ついて今度は「アベノミクス」バブルに大集結していることを反映している。


 世界3大投資家の一人であるジョージ・ソロスがわずか3カ月で970億円を稼いで

「黒田はガッツがある」

「緩やかに死に向かっていた日本市場の目が覚めた」

などと褒めちぎり、

「しかし円が雪崩のように下落する恐れがある」

などと発言する状況ができている。こうした抜け目ない守銭奴は、日本経済が低迷しているといわれた時期に底値で株式を買い取るなど仕込みを終え、現在のように素人が「株がもうかる」と思い始めるような段階には見切りをつけて売り抜けている。

カモにされるのはいつも決まって素人で、証券会社にそそのかされた年寄りや、中流世帯が巻き込まれて泣きを見ている。


 加熱する米国債の購入 日銀の金融緩和で


 国債市場は株式市場よりも規模が大きく、世界的には株式市場の3倍にもなるとされている。この間の円安で輸出企業は潤ったといわれているものの、円安そのものが国債暴落で、1j=80円の段階で例えば1万円の日本国債の価値がドルベースで換算すると125jだったのが、いまや1j=100円超えなので、その価値は100jと大幅に下落することになった。

 こんな日本国債を持っているよりは、ドル建ての米国債を購入した方が儲かるという判断が働いて、日銀が金融緩和すればするほど米国債買いが加熱して、海の向こうに資金が流れ出していくことになっている。

円建ての日本国債を売り払って円を調達し、その円を売り払ってドルを買って米国債を購入するのが流れになり、あるいは国債を売り払った資金で株式市場に投機する動きとなった。


 安倍政府、日銀による異次元の金融緩和は、米国債購入という形で吸い上げられ、あるいは国際金融資本の博打の源泉として食い物にされる仕組みになっている。

リーマン・ショック後に、米国ではFRBが気狂いじみた量的緩和を実行し、銀行群の損失処理にあたり、ヨーロッパではECBが負けず劣らずの量的緩和をやり、市場に資金を供給してきた。そうしたマネーに寄生し、バブルを渡り歩いてきたのがヘッジファンドで、熱狂した後に売り浴びせることは、過去に日本市場でも経験済みだ。


 円安でも拠点を戻さず 海外移転の大企業

 日本国内ではこの数年、大企業が円高を理由に海外移転を繰り返してきた。ところが円安になったからといって日本に拠点を戻すわけでもなく、多国籍企業のようになって出ていく。内部留保を散散貯め上げたうえで、そうした過剰な資本は国民生活の水準を引き上げるためには用いられず、より利潤の得られる後進諸国への資本輸出や進出へと向けられている。ベトナム、ミャンマーといった進出先のインフラ整備までODAで日本政府に肩代わりさせるのだから、国民の面倒は見ずにもっぱら寄生するだけの存在というほかない。

 その株式を保有しているのが米国をはじめとした海外の超富裕層や、錬金術に長けた金融資本で、人為的な円安、株高政策にせよ、TPPにせよ、日本の富を米国富裕層の個人資産に移し替えてくれる「アベノミクス」だからこそ大歓迎している。

 グローバリゼーションのもとで、かつてなく世界を股に掛けた投機が横行し、産業集約が進んでいる。金が溢れて投資先に困るほど、生産は社会化して富は増大している。ところがその金は一%にも満たない超富裕層が握りしめて離さないことから、九九%がますます貧困に追いやられ、モノが売れずに経済活動は停滞。金融が破綻すれば損失を国家に転嫁するというデタラメがまかり通っている。

 ヘッジファンドが食い荒らしている日本市場の姿と、その資金をせっせと提供している「アベノミクス」の存在が暴露されている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/enyasukabudakanokagedekyuurakusurukokusai.html


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安倍「官製相場」の正体。国民生活が疲弊し対米従属は加速する=吉田繁治 2016年10月20日
http://www.mag2.com/p/money/24781


2012年12月に発足した安倍内閣はアベノミクスを標榜し、株価上昇をその支持基盤としてきました。あれから約4年、いよいよ「株価政権」の総括検証をすべき時期が来ています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)

※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年10月19日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。本記事で割愛した内容(約5,000文字)もすぐ読めます。

なぜ株価は景気を反映しなくなったのか?官製相場の欺瞞を斬る

安倍首相の「スタートダッシュ」

消費税10%法案を通した野田民主党の自滅により、自民党は2012年12月、3年4ヶ月ぶりに政権に復帰しました。首相自ら「アベノミクス」と呼ぶところの、安倍政権の経済・金融政策の始まりです。

安倍首相は前回の失敗から、「スタートダッシュが肝心」と決めていました。自公政権が確実になった12年10月に明らかになったのは、
◾脱デフレの大きなマネー増発策
◾10年で200兆円の国土強靱化の公共投資

でした。日銀法を改正し、独立権を奪ってでも、マネーを増発させるという強いものだったのです。

【関連】株も不動産も奪われる! 預金封鎖よりも怖い「財産税」の傾向と対策=東条雅彦

国土強靱化は、財政赤字を200兆円分拡大して危険だ、という財務省の反対で消えました。東日本大震災の復興予算として、別途、28兆円の政府支出が必要だったからです。

マネー増発を推進するミッションを持ち、黒田総裁・岩田副総裁体制になった日銀は、異次元緩和(量的・質的金融緩和)を開始します。

量的緩和は、金融機関がもつ国債を買ってマネーを増発する政策です。質的緩和は、日銀が日経平均(株式ETF=上場投信)とREIT(不動産投信)を買いあげて、価格を上げるものです。

日銀による株買い(ETFの購入枠は6兆円/年)、これは普通、中央銀行が禁じられていることです。

恐慌の研究家である前FRB議長のバーナンキは、「日銀がケチッャプを買えば物価上がる」と言っています。あるいはヘリコプターでお金をばらまけばいいとか、ニコリともしないで異常なことを言う。

日銀が増刷した円で店頭商品を買えば、需要の超過になり物価は上がります。車を100万台(3兆円)、住宅を100万戸(30兆円)買ってもいいが、さすがにそれはできない。そこで株を買う。

日銀の株買いは迂回(うかい)して行われた

金融機関は、国債をはじめとする債券と貸付金で預貯金や基金を運用しているので、余分な現金は持ちません。

量的・質的緩和を政策にした日銀が、郵貯、年金基金(GPIF)、かんぽがもつ国債を買う。政府系金融と基金(GPIF)はそこで得た円で、日米の株とドル国債を買う。ワンクッションおいていますが、日銀が直接に日米の株を買い、米国債を買うことと同じです。

日銀は直接買うETF(年6兆円の枠)以外に、迂回路をとり数十兆円の株買いを行ったと言えます。方法はごまかしめいて姑息ですが、マネーの流れとしては露骨です。

日銀は量的・質的緩和として、円を下げ、株を上げ、インフレに誘導する「可能な手段の全部」をとってきたのです。

株価上昇は、株主の資産(東証一部時価総額511兆円 ※16年10月18日時点)を増やします。同時に企業の増資コストを下げます。資産が増えた株主は、資産効果で消費を幾分か増やします(しずくのようにわずかなのでトリクルダウンという)。百貨店で、100万円級の機械式時計が売れたのが、この資産効果です。

株価は理論的には、企業の将来の税引き後の予想純益を、期待金利(リスク率を含む株式益回り:6.6% ※16年10月18日時点)で割ったものと等価です。これが表現するのは、株価は企業の予想純益の結果ということです。

しかし多くの人々には、「株価が上がった→景気がよくなったからだ」と理解されます。下がっていた血圧が輸血で上がったから健康に戻った、と思うような本末転倒ですが、投資家と上場企業は歓迎します。支持率が上がるので、政府与党も喜ぶ。

株価が下落し、支持率も低くなった前回の反省を踏まえた安倍首相は、スタートダッシュで円安の誘導、株価の上昇に躍起になりました。円安の誘導は、輸出を増やし、株価を上げるためでした。

マネーの流れ

ヘッジファンドは保有しているドル国債を日本に売り、得た円で、出遅れていた日本株を買う。そして実は、総資金量が420兆円と日銀よりも巨大な政府系金融(現在名ゆうちょ銀行、かんぽ保険、GPIF:総資金量420兆円)は、日銀に国債を売って得た円で、米国債も買っています。

公的年金の残高139兆円(15年12月)を運用しているGPIFの、15年12月のポートフォリオ(分散投資)は、「円国債38%、国内株23%、外国債券(主は米国債)14%、外国株23%」です。

※日銀がGPIFの国債を買いあげる→GPIFは得た現金で国内株、米国債、米国株を買う→GPIFに米国債を売ったヘッジファンドはそのマネーで日本株を買う

マネー運用には遅滞が許されないので、この迂回路取引がコンピュータの中で、一瞬で起こります。

安倍政権の初年度だった2013年には、外国人(ヘッジファンド)からの15.1兆円もの巨大買い越しがありました。

外国人の売買は、東証一部の年間売買額460兆円のうち320兆円(約70%:16年7月水準)です。国内勢(金融機関と個人投資家)は、1990年のバブル崩壊後の損失の累積で資産を減らしたため売買がとても少ない。国内勢の売買は140兆円です。

他方、多くがオフショア(タックスヘイブン:租税回避地)からであるヘッジファンドの売買が320兆円です。東証はこのヘッジファンドの支配下です。

ヘッジファンドの日本株買いと、円先物売りのマネーの多くは、GPIFにおけるような迂回路をとって日銀が買い続けている、政府系金融の国債の現金化から来ています。

安倍政権前から始まっていた「官製相場」

政治相場(あるいは官製相場)は、14年10月末に発表された「日銀の追加緩和」と「GPIFの運用方針の変更」から始まったように言う人が多い。

しかし、マネーの流れを比較貸借対照表で調べると、安倍政権が始まる前の12年の10月から秘密裏に開始されています。最初は、円安介入のための30兆円の政府系金融マネーでした。

※総資金量420兆円の政府系金融3機関が、日銀に国債を売ったマネーで、米国債を30兆円買った→米国債を売ったヘッジファンドが日本株買い/円の先物売りを行った

安倍政権が確実になる前、12年9月の日経平均の予想PER(加重平均)は、1ドル80円台の円高の中で12倍付近と低かった。米国ダウのPERは15倍と3倍高かった。

上場企業(東証一部2000社)においては、輸出製造業の株価シェアが大きい。円安/ドル高になると、利益が数倍に増えます。このため、円安で日本の株価は上がり、円高で下がる基本性格があります。

通貨の低下は、普通、国力(政治力)と経済力の低下を示します。しかし日本では、ドルでは同じでも円での輸出価格が上がる。このため、上場企業の利益が増える予想がたち、株が買われます。
(注)予想PERは、株価の時価総額を次期予想純益で割った株価/収益倍率であり、株価の高さ、低さを判断するための指標です

PERが15倍なら将来15年分の、未実現の企業純益を株価が含んでいます。16年10月の日経平均の加重平均のPERは、14.3倍付近です。単純平均のPERでは18倍と高い。日経平均は、ユニクロ(ファーストリテイリング)の34倍のような高PER銘柄を含むからです。

2016年10月現在、日経平均は1万7000円付近です。米国ナスダックの予想PER(単純平均)は現在21.9倍で、バブル価格の水準です。他国をあげると、インド18.2倍、英国17倍、米国ダウ16.8倍、上海総合14.4倍、ドイツ13.3倍、ロシア6.8倍です。


円安誘導という名の「米国債買い」を実行

安倍政権誕生の2ヶ月前、1ドル77円(12年9月)だった円は、その2ヶ月前から下がりはじめ、10月に80円、11月に83円、12月には87年円と13%の円安になっています。続く13年1月に92円、2月には93円と下がり、6月には岩盤に見えていた100円も超えたのです。
(注)円安のピークは、15年6月の125.8円です。16年2月のマイナス金利以降は、逆に円高になり16年10月は104円付近です

円安は、世界の外為市場(円の売買が日量120兆円:2016年)での「円売り/ドル買い」が「円買い/ドル売り」を超過することで起きます。なぜ50%(1ドル120円)もの円安になったのか?

ここで、財務省の外貨準備($1.26兆:126兆円:16年10月)は、目立つので使われなかった。かわりに、ゆうちょ銀行、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、かんぽに、推計30兆円の「円売り/ドル買い」を行わせたのです。

前述のように、日銀がゆうちょ、年金基金、かんぽがもつ国債を買い、政府系3機関は、そこで得た円で、円安誘導を目的にしたドル債買いを実行するわけです。

さて、米国政府は、為替介入を行う国を「為替操作国」と強く非難します。しかし、円売り/ドル買いで得たドルで米国債を買うと途端に沈黙します。この理由は何でしょうか?


アメリカ政府の債務は2000兆円

米政府の総債務(自治体と社会保障の債務を含む)は、日本国債の2倍の$20.0兆(2000兆円:16年)に膨らんでいます。米国債も$15兆(1500兆円:同年)に増えています。

財政赤字は毎年、$7000億付近(16年度は$7130億)です。17年には、公的医療費($2.8兆:280兆円:12年)の増加で、赤字は$1兆を超えるでしょう。

米国の人口ピラミッドは、日本の10年遅れです。医療費では診療単価が約2.5倍高く、総額で$2.8兆(280兆円:12年)です。3.2億人の国民の、健康な人を入れた1人あたり年間医療費は$9000(90万円)です。

日本の医療費は、40兆円で1人あたり31万円/年。米国は1人あたりで3倍も多い。米国の医療費は信じられない高さです。盲腸の手術や流産で200万円とか…日本は世界的には医療費は安い。

米国政府は、この高すぎる医療費のため、日本の10年遅れで高齢者が増えるとつぶれます(ほぼ確定でしょう)。

米国は、新規国債のうち50%は、経常収支が黒字の中国と日本に売らねばならない。米国内では50%分しか買い手がない。米国は、海外からマネーを借りる構造を続けています。円でドル国債を買うことは、マネーの流れとしては米国への貸し付けです。

経常収支の赤字国は、感覚では逆ですが、資本収支では黒字になります。資本収支の黒字とは、マネーが流入することであり、現象形は、海外の金融機関が米国債、株、社債、MBS(住宅ローン担保証券)を買って、ドル預金をすることです。

わが国の民間では、国内の運用先がない三菱UFJグループ(総資産281兆円:16年6月)が、米国運用を増やしています。米国経済は、海外資金が大挙して引き揚げるとひとたまりもない。このため、米国はユーロや円より約2ポイントは高い金利を続けねばならない。


米国が利上げしなければならない本当の理由

米国が14年10月に、3回行った量的緩和(QE:$4兆:400兆円)を停止し、2015年12月にFRBが0.25%利上げした本当の理由は、金利が低いままだとドル債が売られ、海外から来たマネーが逃げる恐れがあったからです。逃げはじめてからの利上げでは、間に合わない。

米政府とFRBが、日本に金融緩和を強く勧めるのも、米国債と株を買ってもらうためです。異次元緩和にも米国への資金環流という条件がついていました。リフレ派は亡国のエコノミストに思えます

リーマン危機のあと、400兆円のドルを増発した3度のQE(08年〜2014年)でマスクされていた米国の「大きな対外不均衡」は、今も世界経済における根底の問題であり続けています。

米国の対外総債務は、$20兆(2000兆円)、対外資産を引いた純負債は$8.8兆(880兆円)と巨大です(15年末)。

一方で日本は、官民で948兆円の対外資産をもち、対外債務は609兆円です。339兆円の純資産があります(15年末:財務省)。経常収支が黒字になり、バブル経済で世界ナンバーワンと言われた1980年代以来、企業と金融機関が営々と貯めてきたものが、対外純資産になっています。

関連して言うと、中国は、公式には$2.1兆(210兆円:14年)の対外純債権国とされています。しかし、15年と16年に民間で起こった「元売り/ドル買い」に対抗して、政府が行った「元買い/ドル売り」により、今は、純債務国に転落していると推計できます。

2015年12月で$3.3(330兆円)とされている外貨準備では、銀行の持ち分と政府の持ち分が二重に計上されています。中国の4大銀行は、全部が国有です。選挙と議会制度がない共産党国家・中国の経済統計には、かつてのソ連と同じ問題があります。


ヘッジファンドによる円売り・日本株買いのカラクリ

アベノミクスとは、インフレを目標にした、

1.日銀の国債買いによる通貨増発
2.ドル買い/円売りによる円安誘導
3.政府系金融とGPIFによる日本株買いと米国債買い


です。

2%のインフレを目標にしたのは、年金・医療費・介護費(社会保障費)が年率3%(3兆円)で増え続け、それが国債の増発に繋がって、債務比率(政府総債務1277兆円/名目GDP505兆円=253%)が拡大することを防ぐためです。

分母の名目GDPが年率で3%以上増え続けないと、債務比率が大きくなり、近い将来の財政破綻が確定するからです(名目GDPの下限目標=実質GDP1%+インフレ率2%)。

仮にインフレになっても、企業所得と税収が増える中で世帯の所得が増えない場合、国民の生活は苦しくなっていきます。年金支給額が固定されている年金生活者3100万人(15年:厚労省)と、円安では企業所得が減る多くの中小企業の雇用者4100万人(06年:経産省)、合計で7200万人は、インフレで実質所得が減ります。

しかし、それらは構わない。政府にとっては、差し迫る財政破綻の防止がはるかに大切だとされたのです。


円安と株価上昇には有効だった量的・質的緩和

需要が増えることによる物価上昇に効果がなかった量的・質的緩和は、12年末から15年までの円安と株価上昇には有効でした。13年と14年の物価上昇は、円安での輸入価格上昇が主因です。世帯消費と企業の設備投資は増えていません。

東証では、年間420兆円の売買額の70%が、オフショアからのヘッジファンドによるものです。国内の個人投資家と金融機関は、90年からのバブル崩壊、00年のIT株崩壊、08年9月からのリーマン危機で3回の大きな損失を被ったことから、売買額が30%に減っています。

個人投資家700万人の多くは、上がるときは損失を回復するため売り越す、下がるときは難平(なんぴん)買いで買い越すという行動を取ります。


2012年末以降の日本株式市場の売買構造

このため、わが国の株価を決めているのは、70%のシェアになったヘッジファンドの売買です。


1.ヘッジファンドが買い越せば上がり、売り越せば下がる

2.下がっては、政府と投資家が困る

3.ヘッジファンドが売り超になると、3つの政府系金融(総資金量420兆円)と日銀(同459兆円:16年10月)が買いをいれる

という単純な基本構造が、2012年末から2016年10月まで続いているのです。

しかし2016年は、政府系金融と日銀の買いに対する株価上昇の反応が鈍い。この理由は、

1.アベノミクスによる株価上昇が政治相場(または官製相場)であることを皆が知った

2.このため二番目に大きな売買シェアを持つ個人投資家(700万人)が、政府系金融に追随した買いを入れなくなった

ことにあります。


米国の後追い。2015年から日本でも自社株買いが増加している

1日平均売買額が2.9兆円(15年平均)だったものが、2.3兆円(16年7月)に減った現在の東証一部で、大きく増えているのは自社株買いの4.3兆円です(16年1月〜9月)。

これは、事業法人の買い超に含まれます。年間では5.7兆円の買い超になるでしょう(13年1.5兆円、14年2兆円、15年3兆円)。

自社株買いは、市場で流通する株式数を減らします。会社利益は同じでも、1株あたり利益は上がったようになり、株価も上がります。タコが自分の足を食べることに似たこの自社株買いは、上場大手企業が留保利益で将来投資をせず銀行預金として貯まった、現金100兆円で行われています。

自社株買いでも、買いが増えれば株価は上がるので「株価上昇という形の株主配当」とされています。経営者が株主サービスとして行うのです。問題は、自社株買いは、いつまでも続けることはできないことです。

米国の2012年以来の自社株買いは、とても大きい。16年の第一四半期で$1820億(18.2兆円)です。年間では73兆円という巨額です。米国では、日本よりはるかに個人株主の要求度が高い。株価が1年も下がり続ければ、資産を失った株主により、株主総会で経営者が追放されます。

このため、経営者は米国FRBの量的緩和と、わが国と同じ将来投資の少なさから滞留したキャッシュフローで、年間73兆円もの自社株買いで事実上の減資をしているのです。

時価総額で世界一のアップル($6091億=60兆円:16年9月)は、社債を発行しゼロ金利マネーを得て、それで巨額の自社株買いを行っています。米国のダウやナスダックの大手企業の株価は、大きな自社株買いで20%から30%は高値になっているでしょう。

本稿執筆時点のダウは1万8161ドル、ナスダックは5243ポイントで史上最高値圏です。過去10年の純益を元にしたシラーP/Eレシオ(26.6倍:16年10月)が示すように、数十%のバブル性があると見ることができます。株価維持のために膨らみすぎた自社株買いの減少があれば、下がります。

自社株買いは、政府主導の官製相場と同じく、3年も5年もと続けることはできません。事実、2016年は米国の自社株買いはピークアウトして、今後は減少する傾向も見えます。

米国の自社株買いの傾向に注目してください。これが減ると、米国株は下がります。米国株が下がると、日本と欧州にも即日に波及します


株価が景気を反映しなくなった理由

ポートフォリオ投資とHFT(超高頻度売買)を組み合わせた売買シェアが、60%まで増えています。10年代の国際金融は、ネットワークで、リアルタイムに連結されているからです。

世界中の国債や株の売りも買いも、コンピュータ画面で一瞬です。株と債券の金融市場は、インターネットで変容しています。売買を叫ぶ「場立ち」があった「のどかな市場」ではない。

それでなくても、わが国の日経平均は米国ダウの子供です。米国株を売買しているヘッジファンドがポートフォリオ(分散投資)で、日本株をたとえば12%と一定割合にしているからです。米国株が下がると、ポートフォリオの中の米国株が減少します。かわりに、12%枠と決めている日本株の構成比が上昇します。これでは日本株の下落リスクが大きくなる。

株価罫線を分析するトレンド理論(傾向理論)とは違う、ランダムウォークの理論では、向こう3ヶ月で10%上がる確率があるときは、10%下がる確率も同じです。このため、ポートフォリオでのリスクが、コンピュータが自動計算する数値で大きくなる。

従って、米国株が下がると日本株を売って減額調整するプログラムが組み込まれています。ヘッジファンドのほとんどの売買で行われているHFT(超高頻度売買)がこれです。人間は関与せず、現物・先物・オプションの売買を組み合わせ、瞬時に売買が行われます。

ファンドマネジャーの関与は、ポートフォリオの割合(パラメータ)を変えるときです。以上の売買構造が増えたため、日米の株価の動きは同時化します。日米だけではない。

世界の株式市場(時価総額6000兆円:世界のGDPの1倍)が、ほとんど瞬間連動して動きます。基礎的な経済指標によるファンダメンタル理論(端的に言えば、景気がよくなると株価が上がる)は、ほとんど関係がなくなっているのです。
http://www.mag2.com/p/money/24781


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日銀の量的緩和政策は失敗に終わった…目的を果たせなかったのはなぜか=吉田繁治 2018年12月25日
https://www.mag2.com/p/money/612611


日本には現在、4,099兆円の金融資産があります。この資産はどこでどのように使われているのでしょうか。その内訳の詳細から今後の展望について解説します


日本にある4,099兆円のマネーは、どのように投資されているのか

すべての金融資産は、国内と海外の誰かの負債である

当メルマガでは前回、資金の供給源になる世帯(1,848兆円)、企業(1,176兆円)、政府が管理する金融資産(572兆円)と、日銀の負債(503兆円)の内容を見て行きました。

わが国の合計では、現金、預金、株式、証券の合計で4,099兆円のマネーがあるのです。後編では、この4,099兆円が、どの主体に、どんな理由で貸し付けられているのか(=投資されているのか)を見て行きます。

(注)株式も、企業にとっては返済の順位がもっとも低く、解散のときに純資産から返済される「劣後債の負債」です。株の利益配当は、借り入れの金利に相当します。株主にとっては、持ち株は金融資産ですが、企業にとっては預かり資本になる負債です。国債を含む証券は、返済順位が高い優先債です。株も証券も、その持ち手から発行元への貸付金です。この貸付金は、持ち手にとっては金融資産、借り手にとっては負債です。預金は持ち手の金融資産ですが、銀行にとっては負債です。

「すべての金融資産=国内と海外の誰か負債」という構造をもっています。金融資産が価値をもつには負債が返済できるものであり、利払いもできることが必要です。

返済できない負債は、価値の低い不良債権になります。4,099兆円になった金融資産が価値を保ち続けるには、借り手が、増えた負債の返済ができ、利払いができるという条件がなければならない。

この点で、政府の負債である国債はどうでしょう。国債が増えたため、政府は1%以下の低い金利しか払えない。普通の金利は3%から5%ですが、その金利になると、政府は利払いのための借り入れが増えるという「破産の過程」にはいります。

企業は、1985年からの日銀の金融緩和を起点とした土地バブルの時期、返済できない借り入れを増やして、土地を買いました。担保だった土地は1992年から下落し、銀行の貸し出しが、銀行の自己資本合計を超える不良債権になった(約200兆円)。この不良債権のため、1998年の金融機関が倒産する金融危機に至ったのです。

政府の対抗策は、ゼロ金利と国債を買う量的緩和と、銀行への資本注入でした。2008年の米国のリーマン危機と同じです。


企業はその後、借り入れによる増加設備を抑え、借り入れの返済をしました。一方で、負債がどんどん膨らんだのが、政府部門です。

わが国の負債

(1)世帯の負債は318兆円(2018年6月末)

世帯の負債は、住宅ローンと自動車ローン、カード、消費者ローンなど318兆円です。住宅ローンは、2018年で193兆円と集計されています(住宅金融支援機構)。1年に21兆円(130万件)くらいが貸し出されています。平均残存期間は約10年です。

日本の世帯の負債は少ない。一方で、世帯の金融資産は、1,848兆円ですから、「1,848兆円−318兆円=1,530兆円」が負債を引いた純金融資産。1世帯当たりでは2,886万円です。

(2)企業部門の負債は1,736兆円

世帯の貯蓄を借りる企業部門の負債は、借入金と証券(株式を含む)で1,736兆円です。

借入金    396兆円
証券    1,031兆円(うち上場株式589兆円)
その他負債  307兆円(買掛金など)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
負債合計  1,736兆円

負債総額は1,736兆円です。ただし企業は金融資産を1,176兆円持っているので、純負債は560兆円(平均2.2億円)と少ない。

前述したように、土地バブル崩壊以降、設備投資を抑えて、キャッシュフロー(=減価償却費+利益−税金−配当)で、借入金の返済をしてきたからです。

国の資金循環では、GDPの成長期の正常な姿は、
・世帯の預金の増加分を、
・企業が銀行から借り、
・設備投資をすることです。
1980年年代までの資金循環がこれでした。

【世帯の預金と国債発行】
1990年代からは、世帯の預金は1年に約40兆円も増えているのに、企業は借り入れをしない。

誰が預金増加を吸収したのか?政府の国債です。政府が国債を発行して預金増加を吸収し、資産バブル崩壊後のGDPが減少する経済への対策としての公共投資を行った。90年代の10年で400兆円の公共投資というおおきなものでした。90年代から、政府の国債の増発が1年に40兆円と大きくなっています。

・1990年代の10年は、公共投資のための国債発行
・2000年代からは、増えた社会保障費(特に年金、医療費)の支払いが主目的の国債発行


政府の負債は1,291兆円

1990年代から、企業に代わって30兆円から40兆円/年で増えてきたのが、政府の負債です。

【GDPの原理】
「所得=消費+貯蓄」です。「GDP=消費+投資=需要」です。「貯蓄=投資」にならないと貯蓄に見合う投資がない。ケインズが指摘した需要不足から経済は不況になり、失業が増えます。つまり、貯蓄の増加に見合う借り入れがあり、借り入れが投資にならないと、経済は不況化します。


2000年代は企業の借り入れ増は減り、設備投資が減りました。企業は、資金不足の部門から資金余剰のある貯蓄の主体になったのです。

世帯と企業の貯蓄の増加(30兆円〜40兆円/年)を吸収したのは、正常な経済のときの企業ではなく、財政が赤字の政府部門でした。

政府は、国債という負債証券を発行して余剰貯蓄を吸収し、それを財政支出(政府需要)に使いました。

毎年、30兆円から40兆円も大きくなった政府の負債は、2018年6月時点で以下です。

【政府の負債】
借入金     159兆円(金融機関からの借り入れ)
国債残高   1,087兆円(日銀所有が471兆円:営業毎旬報告)
その他負債    46兆円
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
政府負債合計 1,292兆円

前稿で述べたように、政府は572兆円の金融資産を「管理」しています。この金融資産は、例えば年金基金(残高170兆円:18年9月末)のように、国民が保険として給料から天引きされて納めてきた国民の所有資産です。政府のものではない。政府はそれを管理しているだけです。

政府管理の金融資産572兆円を政府の負債1,292兆円から引いて、政府の純負債は720兆円とするエコノミストがいます。これは、「所有と、管理での専有」を区分できない誤りです。政府の負債は、1,292兆円から自治体と政府の日銀当座預金を引いたものとみるべきでしょう。


税収を上回る財政支出で、政府負債は年30〜40兆円の赤字に

<政府負債の問題は、償還がなく増え続けること>

政府負債の問題は、税収を上回る財政支出のため、構造的な赤字が1年30〜40兆円で続くことです。

政府の借り入れは毎年30兆円から40兆円は増えていきます。1%分が2.2兆円になる消費税に換算すると、財政赤字は16%分に相当します。

現在、日銀のゼロ金利策のため国債の利払いは9兆円と、とても少ない(2018年度)。残高となっている既発国債の、平均の約定金利が0.9%に低下しているからです。

<利払い額はむしろ減ってきた>

1990年から、国債の残高は6倍に増えましたが、日銀の金利の低下策のため利払い費は変わっていないのです。

政府が国債発行の抑制をしないのは、国債の残高が増えても金利低下のため、一般会計からの国債の利払い額が増えないためでもあります。借金を6倍に増やしても金利が下がって利払いが減った企業と同じです。

<日銀の保有国債は43%>

2012年4月からの量的緩和(日銀が金融機関から国債を買って通貨を発行)のため、国債の1087兆円(地方債を含む)のうち、日銀の保有が471兆円に増え、日銀の構成比は、43%に増えています。

日銀は2019年も、国債を40兆円買い増すでしょう。日銀の国債所有は「471+40兆円=511兆円」になる。毎年の新規国債の発行分に相当する国債は、日銀が買い取っているのです。

新発債分の国債は、事実上、市場引き受け(金融機関の買う受け)ではない。日銀が全額を買い取っているため、金融市場の資金収支では、国債が発行されいないことと同じです。

<出口政策は不可能>

リーマン危機のあとの大きかった金融緩和からの出口政策として、利上げをしている米国FRBと、量的緩和を停止したユーロのECBの方針に反して、日銀は国債の買いを停止して「出口政策」に向かうことはできない。

日銀が国債の買い上げ額を順次減らすテーパリング策を採ると、
・マイナス金利(8年債以下)
・0.093%の金利(10年債)
・0.347%の金利(15年債)
・0.953%の金利(40年債)
である国債の金利が高騰します


(注)国債価格は、金利1%の上昇につき8%(80兆円)下落します。


民間金融機関は日銀が買ってくれない限り、マイナス金利、0.1%の金利、0.3%の金利の国債を発行額分、買うことはない。

<ゼロ金利の国債への入札がある理由>

現在、例えば0.1%の約定金利の国債に金融機関が入札しているのは、直後に、日銀がそれより低い金利で(=国債価格は額面より高く)買ってくれる量的緩和を続けているからです。この買いがあるので、低い金利の国債を買っても日銀への売りで利益が出るからです。

日銀が出口政策に転じ、国債を増加買いしなくなれば、利下げによる国債価格上昇の利益はなくなります。逆に、金利上昇による国債価格の下落リスクが、高まります。国債の利益は、発行金利のみになります。マイナス金利の国債は、買った側が利払いをしなければならない。直接に損をする国債を買うことは、ない。

現在のマイナス金利と超低金利の国債は、もっていれば日銀が買ってくれるという期待から売れているのです。試みに、日銀が国債の買いを2019年4月から停止と発表してみて下さい。
市場の金利は、ほぼ1か月で3%に向かって上がり、国債価格は平均で24%下がるでしょう。

<金利の上昇と既発国債の下落:1%で81兆円>

さらに、出口政策で金利が上がると、1,087兆円の既発国債は1%の金利の上昇につき、7.5%(=81兆円)は価格が下がります。

国債の持ち手(儀日銀と金融機関)には、金利1%上昇につき81兆円の国債時価の保有損が生じるのです。

既発国債の価格下落と金利の上昇(借換債と新発債(合計149兆円:2018年)、利払いの増加による政府財政の破産を避けるためには、日銀は国債の買い増し(=量的緩和)を続けねばならない。

<政府の予定>

政府が語らない予定は、物価の上昇と所得の上昇(=税収が増える)、および消費税の増税により、次第に40兆円の財政赤字を減らして年度予算の国債依存を低下させていくことでしょう。

2019年には、円金利の大きな上昇はない。あっても、わずかでしょう。財政破産もない。2020年はどうか、2021年は?となると怪しくなります。政府財政は、金利が3%になるだけで破産に向かうからです。


対外純投資324兆円(2018年6月末)

日本は、
・貿易収支は時々赤字になっても、年間では黒字である(4.0兆円:2017年)
・海外投資の利回りと海外生産からの所得が約20兆円(2017年)ある
・ほぼ、両者を合計した額である、経常収支は22兆円の黒字です(2017年)
※参考:財務省 国際収支の推移

<国の経常収支と、資本収支の関係>

経常収支の黒字分が、資本収支(現金の流れ)では出超になって赤字になります。経常収支+資本収支=国際収支=0、です。海外の国債の買い、証券・株の買い、海外工場へ投資は資本(=マネー)の海外流出であり、国の資金収支では赤字になります。

(注)メディアや評論家が時々、国際収支が黒字というのは、経常収支というべきことの間違いです。

日本は経常収支の黒字のため海外へ資本を流出し、その資金の赤字の結果が対外資産の残高になっています。株を買うと現金が減る(現金収支は赤字)ことと同じです。一方、借り入れは、資金収支ではお金が入って来るので黒字になります。貸付は現金が減るので、資金収支では赤字です。


海外から日本への投資は、日本にとっては対外負債です。以下のような内容です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
対外資産 998兆円   対外負債 674兆円
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
海外証券   574兆円    円証券  392兆円
対外貸付   156兆円    借入金  181兆円
その他    286兆円    その他  101兆円
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
対外純資産  324兆円

この対外純資産の残高324兆円が、資金上では円の海外流出分です。これは対外純貸付といっても同じです。ドル国債を買うことは、米国政府に対する貸付と同じことです。

<円の海外流出>

1995年以降の日本は、世界で一番金利が低い。このため、比較金利(イールドスプレッド)の高いドル国債、ユーロ債を買って来ました。

株も同じです。米国株の値上がりが大きかった。このため、銀行と投資家が米国株を買った。これらの合計が、上表の海外証券574兆円です。

海外貸付の増加も、国内の貸付金利(0.6%)より海外の金利の高いからです(三大メガバンク)。


その他の主なものは、工場の直接投資です(174兆円)。国内の生産コストが高いので、海外生産をするようになってきたのです。

トヨタでは、国内の生産が319台、海外生産が582万台と、1.8倍です。日産はもっと多い。国内生産は102万台、海外生産は4.7倍の474万台です。ホンダも、海外生産が5倍です(2017年)。

これが工場の直接投資です。海外の販売が大きな自動車では、海外工場での生産がはるかに多くなっています。
※参考:自動車産業ポータル 2017年 日系メーカー世界生産台数

2000年以降、国内の設備投資を増やさず、海外に工場投資をしてきたのが日本です。

対外資産998兆円、対外負債674兆円の結果が対外純資産324兆円です。金利の低い円は、海外に324兆円純流出したのです。

長期金利は、「実質GDPの期待成長率+期待物価上昇率」です。1995年以降の23年間、円の金利は世界1低い。これは、日本GDPの成長期待と物価の上昇予想が、主要国で一番低いということです。

(注)タックスヘイブン目的の、海外からの資本流入が多いため、利下げしてスイスフランの買いを抑制しているスイスと並んで低い。スイスの10年債の利回りは-0.159%です。

<海外(特に米国)のための異次元緩和だったのか>

このゼロ金利のため、円は海外に流出しました。日銀の量的緩和の目的は、国内の銀行貸し付けを増やして、企業の投資と世帯の商品需要を増やして、物価を上げることでした。

しかし、国内の貸付の増え方は、異次緩和前の2%〜3%増と同じであり変化がない。異次元と銘打った量的緩和は、2%の物価上昇という政策目的の達成には、完全に失敗しています。

代わりに、経済成長力が日本より高いために、金利のつく海外への貸付と証券購入が増えました。「日銀は海外(特米国)のために量的緩和を行った」と言えるくらいでした。

ここまでは、日本の資金循環の2018年6月時点での残高と、内容の動きです。

次回メルマガでは、金利と国債価格のカギになっている日銀の異次元緩和の先行きを予想します。通貨変動(円高、円安)を含んで、日本経済のカギにもなるものがここにあるからです。米国FRBとECBの金融政策も関連します。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c2

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
1. 中川隆[-12764] koaQ7Jey 2019年1月24日 12:52:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]

貿易赤字にした方が国内景気が良くなりGDPが増える

2018年10月10日
円高と輸出の都市伝説 輸出は日本の「主要産業」ではない


円高になると「大変だ」と騒ぐのは輸出が主要産業だったから


画像引用:円高と円安http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/nichukou/sub/sub_gensya/Economy/Yen_rate_Euro/endaka%20enyasu%204.htm

政府とマスコミの勘違い

以前有名な報道番組の有名な司会者が「日本のGDPの半分は輸出です」と発言し、CMの後に訂正するのかと見ていました。

ところが有名司会者は「GDPの半分は輸出」のまま話を進め、円高になったら日本は大変だという事で締めくくりました。

そのころ日本のGDPに輸出が占める割合は10%程度で現在もあまり変わっていない。

貿易依存度は約27%だが輸出だけだと14%、さらに貿易黒字額ではGDPの0.9%(4.9兆円)に過ぎない。

一方物の輸出入だけでなくサービスや投資など無形財の移転を含むのを経常収支と言い、貿易と同じようにお金が移動するが物質としての物は移動しません。

経常収支(国際収支)の黒字はGDPの4%(21.8兆円)で、所得収支が19.7兆円と大半を占めた。(赤字の項目もあるので合計は一致しない)


所得収支は日本企業などが海外で稼いだ金で、例えば米国トヨタが現地生産で稼いだ金額などが含まれる。

日本企業が外国企業を買収して、利益が上がって日本に還元されたら、それも所得収支になる。

物の輸出ではGDPの1%以下の利益しかなく、輸出額そのものもGDPの14%なので輸出は日本の主要産業なんかではない。


過去の政府は雇用を守るためと称して輸出企業を優遇したが、かえって経済を悪化させ雇用も悪化させてきた。

神話のように語られている円高と不況の関連性も、最近はほとんどなくなってきています。

さすがに1ドル70円では打撃を受けるでしょうが、数円程度ならほぼ関係ありません。


日本の主要産業は「輸入とサービス業」

では現在の日本の主要産業な何かと言えば、政府とマスコミがほとんど見向きもしない「輸入と非製造業」になっています。

大きな誤解は「輸入はGDPを低下させる」という考えで、これはGDPの計算で「輸出はプラス、輸入はマイナス」と計算するからです。

計算上はそうですが輸入した物は日本国内で利用され、差し引いたGDP以上のお金を生み出しています。


例えば輸入したiPhoneは平均7年使用され、人々はビジネスや消費に活用しGDPを増やします。

輸入したベンツやポルシェも日本で走り回る事でお金を循環させ、GDPを増やします。

輸入したコメと肉は牛丼になり、輸入原価の数倍で販売されて、やはりGDPを増やしています。


このように輸入も輸出と同じようにGDPを増やしているので、輸入は悪だから減らせという古い考えではGDPを減らします。(過去には実際に減らしてしまった)

輸入した物を国内で活用するのはサービス業で、「輸入+非製造業」によって輸出マイナスでも経済成長は可能です。

世界のGDP上位国で輸出が大幅黒字なのは日本ドイツ中国加えて韓国くらい、他はほとんどが赤字かトントンです。


先進国のほとんどが貿易赤字で経常赤字だが、輸入した物やサービスを国内で使用するから、いわゆる内需で成長しています。

日本も輸出至上主義ではこれからやっていけず、他の先進国のように「輸入と非製造業」の内需主導になるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/77782794.html


▲△▽▼


2019年01月05日
TPPで貿易赤字になるとGDPが増える仕組み


GDPと貿易黒字・赤字は無関係

この中で大幅黒字は日独中韓くらい


画像引用:https://i1.wp.com/ymizuki.com/wp-content/uploads/2016/08/GDP-all-e1472055287983.png

輸入が増えるとGDPが増える?

TPP11が日本などで発効し、いよいよ環太平洋自由貿易がスタートします。

日欧EPAもすでに批准が終わり18年2月1日に発効される予定で、日米貿易交渉も行われます。

日米交渉は物品貿易協定(TAG)で自由貿易交渉ではないと言っているが、米側はFTA(自由貿易協定)と言っています。


いずれにしても日米間でも貿易障壁を減らすので、日米欧と環太平洋が自由貿易圏になります。

日本政府はこれによってGDPが15%以上拡大するとしているが、どうしてそういう計算になるのでしょうか?

マスコミの報道では自由貿易で日本は「打撃を受け」、メリットは皆無だと言っています。


マスコミに登場する経済人の理解は、輸出=GDPを増やす、輸入=GDPを減らすというものです。

彼らの頭では自由貿易で農産物や医薬品や製品の輸入が増えるので、GDPはマイナスになると考えています。

ここに間違いがあり、輸出=GDPプラス、輸入=GDPマイナスではありません。


輸出すると日本企業の売り上げになるのでGDPがプラスになるのは商店の売り上げと同じですぐ理解できます。

輸入は日本企業や消費者が外国企業にお金を払うので、日本が損をしたように見えます。

だが輸入したものには日本国内で付加価値がつき、2倍から数倍の値段で販売されています。


貿易なんか赤字でいい

輸入牛肉はステーキや料理になり輸入価格の数倍になり、輸入した原油はガソリンや石油製品としてやはり数倍の価格になります。

100円で輸入した牛肉が300円で販売されると、日本国内で200円という価値が生まれてGDPが増えます。

アイフォンのような電気製品は4年から7年使用され、その間国内で仕事をしてお金を生み続けます。


たとえば日本人が時給300円でアイフォンを作るのと、中国人が時給300円で作ったアイフォンを輸入するのでは、どちらが日本の利益かということです。

もちろん国内工場で時給2000円の労働者が作ったスマホが、アイフォンより安くて高性能なら一番ですが、それは不可能です。

中国人やベトナム人が低賃金で働いたものを輸入し、日本人はもっと高収入な仕事をする方が儲かるのが分かると思います。


この30年ほど日本はGDPほぼゼロ成長でしたが、世界は日本より高度成長でした。

ところが輸出や国際収支で見ると、黒字の日本の成長率は貿易赤字や経常赤字の国より低かった。

GDP上位30か国くらいで貿易黒字なのは日本、ドイツ、中国、韓国くらいで他はほとんど赤字です。


貿易赤字国は他国の人が低賃金で生産したものを輸入し、国内で利用することで経済成長します。

赤字国の方が経済的に安定していてリーマンショックでも打撃が小さく済んだ。


黒字国の成長率が赤字国より高いという事実もなく、「貿易黒字で儲かる」は幻想に過ぎません。

貿易赤字のメリットは通貨が安くなることで、円安になれば輸出にもメリットがあります。

貿易黒字を積み重ねるより少し赤字のほうが良く、輸出と輸入がほぼ同額だとメリットが大きい。
http://www.thutmosev.com/archives/78629268.html


▲△▽▼

2018年09月13日
経済好調のアメリカはなぜ焦っているのか

アメリカが公表しているのは連邦の直接債務だけ


引用:http://www.sankei.com/images/news/171004/prm1710040002-p1.jpg

絶好調なアメリカの悩み

アメリカは2010年のリーマンショック明けから9年連続の好景気で、来年も景気拡大が予想されている。

にも拘わらずトランプ大統領は取るに足らない貿易赤字を問題視し、中国や欧州に解消を迫っている。

この動きはいずれ日本にも波及し、輸入拡大と輸出削減を迫ってくるでしょう。


アメリカ経済は絶好調で株価は毎年過去最高を更新し、消費も企業業績もすべて拡大しています。

貿易赤字も好調だから増えてるので、米国の消費が活発過ぎて国内生産だけでは需要を満たせないのです。

反対に日本は貿易黒字ですが、これは国内消費が弱いから外国から輸入しなくても良いというだけです。


つまり貿易赤字こそ繁栄の象徴であり、貿易黒字の国は国内消費が弱いのを示しています。

じゃあなんでトランプは怒っているかというと、経済に弱いのもあるが拡大し続ける債務懸念があります。

経済全て絶好調のアメリカの悩みは増え続ける債務で、公的債務は推定で5500兆円に達していると言われています。


日本の借金は「たった」1000兆円ですがアメリカはその5倍で、GDPの差が3倍あるのを考慮しても多すぎる。

悪いことにアメリカは自国の公的債務を国民に公開しておらず、アメリカ人は「アメリカに借金はない」と信じています。

だから平気な顔で「日本は世界最悪の借金を抱えている」などと他国を批判したりしています。


アメリカの債務爆弾とは

アメリカは家計債務と企業債務、金融債務も膨張していて、その原因は最近の経済好調そのもに求められる。

「資産=債務」というのが経済原則なので、株価が上がって米国の資産が増えれば、同じ金額の負債も増えています。

ここで問題になるのは米国の公的債務がGDPの3倍以上になるなど、稼ぐ金より債務額が遥かに多いことです。


よく日本は「年収500万円の人が1000万円の借金をしている」とたとえられます。

その比率ではアメリカは「年収1500万の人が5500万円の借金をしている」という事になり、どっちもどっちです。

いつか起きるのではないかと言われているのがアメリカの債務危機で、世界的な経済危機を予測する人もいる。


アメリカ政府が公表している公的債務は「連邦債務」だけで日本で言えば中央の借金のみで、地方や特殊法人、公的企業や団体分を除外してある。

いつどんな形で噴き出すのかは分からないが、増え続ける借金を永遠に隠し続けることはできない。

同じことは中国についても、欧州についても当てはまる。


世界各国は経済成長率を遥かに超えるペースで借金を増やし、しかも日本以外は公表していない。

いつどんな形で各国の債務が明らかになるかは分からないが、人々が真相を知ったら混乱するでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/77493099.html

▲△▽▼

アメリカが貿易を制限すると貿易赤字は減るだろうが、国内産業が打撃を受けてトータルでマイナスになる可能性が高い。

例えば日本やアメリカはアジアやメキシコから安い商品を輸入して、自国で経済活動に利用している。


スコップだのゴムのサンダルだのを仮に全て先進国が国内生産したら、生活必需品の生産だけで手いっぱいになる。

高度な製品を製造する余力はなくなってしまい、結局のところGDPが下がってしまうでしょう。

サラリーマンが仕事を辞めて「ゴムのサンダルを自分で作る」を想像するとかなり不合理ななのが分かる。


割に合わない安い仕事は新興国に回して、先進国はもっとも儲かる仕事をすることで「先進国」の地位を保っている。

例えば日本はスマホや電子部品を輸入しているが、中国のスマホ工場の労働者の給料は今も日本よりずっと安い。

もし日本がスマホを国内生産したら、時給300円で働く労働者が大量に必要になり、高収入の労働をやめることになってしまう。


その証拠にアメリカの貿易赤字は年々拡大しているが、「貿易赤字が増えるほど経済成長している」のです。

これは安い仕事をカナダやメキシコに回して、アメリカ人は高収入な仕事をしているからです。
http://www.thutmosev.com/archives/77740021.html#more


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