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[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
256. 中川隆[-8685] koaQ7Jey 2019年8月25日 07:57:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4064]
諏訪春雄通信 15
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa15.htm


長江流域の少数民族社会にひろまっている太陽神信仰以外の信仰をみてゆきます。今回のテーマは「稲魂信仰」です。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには、学習院大学内外の多くの研究者が「プロジェクト参加者」としてくわわっておられます。これまでなんらかの形で私たちの活動に関わりをもたれた方々です。その参加者の一人に曽紅さんという中国の女性がおられます。この方は、現在は学習院大学の中国語講師をつとめていますが、本来は中国雲南省のハニ族の稲作について調査研究をかさね、すでに多くの論文も発表している比較民俗学者です。私の中国調査にもよく同行され、各地の民俗をいっしょに見てまわった方です。

 曽紅さんの研究の核心は雲南省ハニ族の稲作儀礼と日本の稲作儀礼との比較研究です。彼女はそこに多くの共通性を発見しましたが、しかし、なぜ遠く離れた雲南のハニ族と日本とのあいだに稲作にかかわる共通の信仰や儀礼が存在するのかという問いについては判断を保留しています。というよりも、明確なことはわからないというのが曽紅さんの本音のようです。

 彼女の研究の一端を紹介します。
 ハニ族の年中行事のうち、稲作に関係する行事にはつぎのようなものがあります。

1月 五穀祭(穀物神に豊作を祈願する)
2月 ガマツ祭(稲魂の降臨をむかえる) 
3月 苗床祭(稲の苗を祭る) 稲娘の聖婚式(稲魂を水田におろす儀礼) 穀物神と田の神を祭るハォへへ
6月 夏の松明祭(松明の火に照らして稲の多産を祈願する) 水口祭(水田の水口に供物をささげる)
7月 虫送り(稲の害虫駆除の祭り) 稲花酒を飲む(初穂を神棚にそなえ稲籾をいれた酒を飲む)
8月 新米節(ホスザ 稲刈に先立ちあたらしい稲魂と家の神棚にまつってある昨年の稲魂との新旧交代をおこなう)
9月 田の神への感謝祭(主婦は水田の真中で田の神に供物をささげ感謝の歌をうたい稲刈をする) 倉入れ(新旧稲魂の交替の儀礼)
10月 松の飾りと団子飾り(松の枝と稲の籾や若草を入れた竹筒、栗の枝を玄関にかざる。団子飾りは餅花) 年取り(団子をたべる)
    曽紅「ハニ族の年中行事」(諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)

 ハニ族の古い暦法は一年を十ヶ月とします。この年中行事はその暦法によっています。このかんたんな叙述からも、(1)農家の一年の行事が稲作の作業過程とむすびついて進行する、(2)稲の祭りの中心に稲魂信仰がある、(3)稲魂は家の神棚と倉に祭られる、(4)稲魂は新旧交代する、(5)稲は人々の生命力の根源である、など、日本の稲作の祭りと共通の信仰が存在することがあきらかになります。

 家庭の主婦となった曽紅さんは、最近、中国調査を一時休止しています。曽紅さんのあとをうけて、雲南省の少数民族の稲作儀礼調査に目覚しい成果をあげているのが、麗澤大学教授の欠端実氏です。欠端氏とは国際日本文化研究センターのプロジェクトでご一緒し、しばしばお話を聞く機会がありました。
 氏の説の核心部分を引用してみます。

 現在の雲南省においても、穀物が発芽し成長し開花し結実するのは、穀霊の働きによると考え、そのための儀礼を執り行なっている小数民族は多い。アチャン族の穀霊祭は典型的なものとされる。アチャンは、稲には稲魂があって、稲魂を離れると稲は育たず、実も入らないと信じている。したがって、ぜひとも稲魂を祀らなければならないと考えている……ハニにおいても稲魂信仰は強く残され、日本の稲作儀礼と同じ儀礼が今日に至っても守られている。
 「雲南少数民族における新嘗祭」(『新嘗の研究4−稲作文化と祭祀―』第一書房・1999年)

 ハニは現在でも新穀を供える新嘗祭(フォシージャー)を行なっている。期日は一定していないが、おおむね七、八月の龍の日に行なわれる。稲魂(新穀の女神)はとても恥ずかしがりやなので、新穀を刈り取るときにはめでたい詞を唱えて、穀物を収穫する目的と新穀の女神をお迎えする誠意を表明しなければならない。穂がびっしりとつまっていて虫に食われていないものを選ぶ。刈り取った穀物は三本一くくりとし、三束に分けて先祖の位牌の所に掛け、一年中そのままにしておく。ただしお年寄りが亡くなったときにだけ持ち出して焼く。
 新米節のときにはまず先祖に供える。主な供え物としてはご飯である。(同上論文)

 氏はまたハニ族の新嘗祭の特徴をつぎのようにまとめています。

1.家の祭である。
 新嘗の時には家族全員で新穀を食べる。その際、客を招かず、家族以外の人には食べさせない例が多い。また新穀を収めた穀倉は他人 に見せようとはしない。

2.女性が主宰する祭である。
 調査した60余の村の内、11の村が「新嘗」は女性家長が主宰すると答えた。男性が主宰すると答えた村は2例であった。

3.新嘗儀礼の中心にあるのは穀霊(稲魂)信仰である。
 田畑にいる穀霊を家の中に迎え入れ祖先棚あるいは穀物蔵で休息してもらう。新穀を祖霊、穀霊および天神に供え共食する。新穀を食することは穀霊を食べることに他ならないという観念が今日も残されている。

4.穀霊信仰と祖霊信仰とが結合している。
 田畑から迎え入れられた穀霊は祖先棚に安置される。この祖先棚の移動や新設は新嘗の日に行わなければならない。

5.穀霊を保護しているのは聖樹である。穀霊信仰と聖樹崇拝とは結合している。
 ハニ族最大の祭は、田植前に行なわれる聖樹祭(アマトゥ)である。稲魂を庇護する天神が聖樹を伝わって降臨すると考えられている。聖樹は村建ての時、村のセンターとして選ばれるものであるが、西双版納(シーサバンナ)では各家で聖樹をもつ村があった。

欠端実「ハニ族の新嘗―アジア稲作の古層―」(アジア民族文化学会秋季大会発表要旨・平成13年11月11日・共立女子短期大学)


 ここでのべられている雲南省のハニ族の新嘗祭はそのままに日本の新嘗祭です。しかものちに変質してしまった日本の新嘗祭の古代の原型を推定する手がかかりさえのこされています。なぜそのような酷似性がみとめられるのでしょうか。これまでの本通信の注意ぶかい受信者ならば、その理由を容易にかんがえつくことができるはずです。

 欠端氏もまた曽紅さんと同様に、日本との類似性は指摘するがその理由についてはふれられません。雲南省は長江中流域にひろがる湖南省、湖北省などよりもさらに西南に位置し、日本からは遠くはなれた山岳地帯です。ここの稲作が、間にはさまる巨大な空間を超えて注目されるようになったのは、いまから三十年以上もむかしに、照葉樹林文化論(上山春平ら編『照葉樹林文化論』中央公論社・1969年初版)が流行したころからです。雲南省のハニ族の稲作が中国の他の土地に先んじて調査対象になったのは、じつはこの照葉樹林文化論の影響でもあったのです。

 1980年代、アジアの稲作の起源地としては、インドのアッサム州から中国の雲南省・貴州省にかけての高原地帯が有力でした。いわゆるアッサム・雲貴起源説です。この説をささえる重要な根拠は、この高原地帯で日本の農学者渡部忠世博士によって野性の稲が発見され、さらに、3、4000年まえにさかのぼる栽培稲が見出されたことでした。渡部博士の説は、1977年に『稲の道』(日本放送出版協会)として発表され大きな影響を学界にあたえました。

 このアッサム・雲貴稲作起源論のうえに華麗な照葉樹林文化論が強化され、日本の学界をにぎわしたことはご記憶の方も多いとおもいます。照葉樹林文化というのは、西ネパール付近からヒマラヤの南山麓を通り、中国南西部を経て西日本にいたる帯状の地帯にひろがっていた照葉樹林地帯(照葉樹林は、クスノキ、シイ、ツバキなどの、葉は革質で光沢のある常緑広葉樹の林で、日本では九州、四国、関東までの沿岸部に分布します)に生まれそだった文化で、焼畑農耕にもとづく雑穀栽培、ナットウやなれずしなどの醗酵保存食の利用、高床式住居の住居形式などなどの文化複合を形成しています。稲作もまたこのルートをたどって日本に到達したと主張されました。

 しかし、湖南省が稲作の源産地として確定した今日、照葉樹林文化論の骨格はくずれました。ほぼ4000年前の雲南省の稲作は、それよりもさらに4000年以上さかのぼる長江中流域から伝来したものと推定されます。したがって雲南の地にひろまった稲作の祭りや信仰もじつは長江中流域が起源地であったということになります。

 日本の稲魂信仰と雲南省ハニ族の稲魂信仰の共通性は、長江中流域の稲作民の稲魂信仰が東西に伝播したためであるといいきることができます。そして、私たちはすでに、湖南、湖北、貴州などの少数民族社会にその原型となる稲魂信仰を見出しています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa15.htm
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c256

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
83. 中川隆[-8684] koaQ7Jey 2019年8月25日 09:09:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4065]

「愛子天皇」を封印した安倍政権と、上皇陛下の重い「おことば」
週刊新潮 2019年8月15・22日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08250801/?all=1

女性天皇、すなわち「愛子天皇」の誕生は、平成天皇の“ご意向”
『平成天皇は“将来は愛子に天皇になってほしい。そのための議論を早く進めてほしい”と仰っている』

13年秋に明かされた『皇族の葬儀は火葬で』というのも平成天皇の意向

愛子さまに関係する穏やかならざる記事が「読売新聞」朝刊1面に載ったのは7月27日。週刊新潮8月8日号でもお伝えしたが、かねて懸案だった「皇位継承の安定」を確保すべく、秋以降に安倍政権が有識者会議を設置するものの、現在の皇位継承順位は変更しないとの「方針」を決めて臨むという内容であった。すなわち「皇統に属する男系男子が皇位を継承する」と定めた皇室典範には、手を付けないというわけだ。

 読売が報じた後、各社の後追いもあって政権の「意向」は広く世に知られることとなったのだが、その一方で現在、報道機関の世論調査では「女性天皇に賛成」が軒並み80%に迫る勢いで、世間の動向に敏感な政権にとって大きな“脅威”となっている。

 宮内庁関係者が言う。

「有識者会議を設けて議論する前に、最初から男系男子維持で決まっているのだから、庁内では『順番が逆ではないか』との声が出ています。それでは筋が通らないからと政権は“愛子さまと悠仁さまで世論が二分されるといけない”などと、取って付けたような理由を持ち出しているのでしょう。第一、8割の民意を無視して進められるのかという疑問があります。現時点で宮内庁は何も言う立場にありませんが、今後、政府からの問い合わせなどあれば、何らかの意見表明はせざるを得ないでしょう」

 何となれば女性天皇、すなわち「愛子天皇」の誕生は、他ならぬ上皇さまの“ご意向”であるからだという。『天皇の憂鬱』(新潮新書)の著者であるノンフィクション作家の奥野修司氏が明かす。

「3年前、ある宮内庁の関係者から『陛下(当時)は“将来は愛子に天皇になってほしい。そのための議論を早く進めてほしい”と仰っている』と聞かされました。迷われている時は決して周囲に漏らさず、熟考され決意なさった上で上皇陛下はお話しになったはずで、現在もそのお気持ちに変わりはないと思います」


上皇陛下の重いひとこと

 かつて野田政権時代、「女性宮家」構想が現実味を帯びたことがあった。が、2012年末に政権交代が起こり、議論は立ち消えに。先の宮内庁関係者は、

「そもそも女性宮家の創設自体も、他ならぬ上皇陛下と上皇后さまの強いご意向でした。そのお考えにもとづき、すでに皇室内では“範囲は内親王(愛子さま、眞子さま、佳子さま)までとする”といったコンセンサスも得られていたのですが、それも政権交代で誕生した安倍内閣によって“無”とされたのです」

 安倍政権においては“女性宮家は将来の女性・女系天皇容認に繋がる”との危機感が根強く、その入り口とされる構想が先に進むはずはなかったのだが、

「上皇ご夫妻が確立された二人三脚での“平成流”ご公務は、ご在位中から多くの国民の共感を得て現在に至ります。これまで上皇陛下と上皇后さまは、大事なことはじっくりとお話し合いになり、結論が出たのちはご意思の共有を密にしてこられました。それはご公務に限らず、例えば13年秋に明かされた『葬儀は火葬で』というご意向ひとつとっても明らか。愛子さまを天皇に、という上皇陛下のお気持ちを、上皇后さまがともにされているのは疑うべくもありません」(同)

 皇室の行く末をひたすら案じ、熟慮を重ねた末にお考えを漏らされた上皇ご夫妻。その思いは今、政権によって「封印」されつつあるのだが、

「皇位継承順位1位と2位の男性皇族を擁する秋篠宮家は目下、ご難続きであられます。上皇陛下は眞子さまと小室さんとの一連の騒動について『教育というのは、やはり大事ですね』と漏らされていました」

 とは、侍従職関係者。

「眞子さまのみならず、大学ご卒業の際に“公より私を優先されている”と疑問の声が上がった佳子さま、そして何より、そのような環境でお育ちになる悠仁さまの帝王教育は如何なるのか、そうした思いが全て込められているかのような、重い『おことば』でした」

 そうしたご憂慮が広く国民にも伝播し、「愛子天皇」を待ち望む人が8割にも達するのか――。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08250801/?all=1&page=2


要するに、平成天皇は秋篠宮家から天皇を出すのをどうしても阻止したいのですね。

『皇族の葬儀は火葬で』というのは遺体を死後 DNA鑑定されると困るという事ですね。

平成天皇は秋篠宮が自分の子供でないと思っているのかな?


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c83

[近代史3] 知恵遅れの皇太子の嫁にされた上に、皇族全員から陰湿な苛めに遭った美智子妃殿下は復讐の鬼と化した 中川隆
41. 中川隆[-8683] koaQ7Jey 2019年8月25日 09:10:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4066]
「愛子天皇」を封印した安倍政権と、上皇陛下の重い「おことば」
週刊新潮 2019年8月15・22日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08250801/?all=1
女性天皇、すなわち「愛子天皇」の誕生は、平成天皇の“ご意向”
『平成天皇は“将来は愛子に天皇になってほしい。そのための議論を早く進めてほしい”と仰っている』

13年秋に明かされた『皇族の葬儀は火葬で』というのも平成天皇の意向

愛子さまに関係する穏やかならざる記事が「読売新聞」朝刊1面に載ったのは7月27日。週刊新潮8月8日号でもお伝えしたが、かねて懸案だった「皇位継承の安定」を確保すべく、秋以降に安倍政権が有識者会議を設置するものの、現在の皇位継承順位は変更しないとの「方針」を決めて臨むという内容であった。すなわち「皇統に属する男系男子が皇位を継承する」と定めた皇室典範には、手を付けないというわけだ。

 読売が報じた後、各社の後追いもあって政権の「意向」は広く世に知られることとなったのだが、その一方で現在、報道機関の世論調査では「女性天皇に賛成」が軒並み80%に迫る勢いで、世間の動向に敏感な政権にとって大きな“脅威”となっている。

 宮内庁関係者が言う。

「有識者会議を設けて議論する前に、最初から男系男子維持で決まっているのだから、庁内では『順番が逆ではないか』との声が出ています。それでは筋が通らないからと政権は“愛子さまと悠仁さまで世論が二分されるといけない”などと、取って付けたような理由を持ち出しているのでしょう。第一、8割の民意を無視して進められるのかという疑問があります。現時点で宮内庁は何も言う立場にありませんが、今後、政府からの問い合わせなどあれば、何らかの意見表明はせざるを得ないでしょう」

 何となれば女性天皇、すなわち「愛子天皇」の誕生は、他ならぬ上皇さまの“ご意向”であるからだという。『天皇の憂鬱』(新潮新書)の著者であるノンフィクション作家の奥野修司氏が明かす。

「3年前、ある宮内庁の関係者から『陛下(当時)は“将来は愛子に天皇になってほしい。そのための議論を早く進めてほしい”と仰っている』と聞かされました。迷われている時は決して周囲に漏らさず、熟考され決意なさった上で上皇陛下はお話しになったはずで、現在もそのお気持ちに変わりはないと思います」

上皇陛下の重いひとこと

 かつて野田政権時代、「女性宮家」構想が現実味を帯びたことがあった。が、2012年末に政権交代が起こり、議論は立ち消えに。先の宮内庁関係者は、

「そもそも女性宮家の創設自体も、他ならぬ上皇陛下と上皇后さまの強いご意向でした。そのお考えにもとづき、すでに皇室内では“範囲は内親王(愛子さま、眞子さま、佳子さま)までとする”といったコンセンサスも得られていたのですが、それも政権交代で誕生した安倍内閣によって“無”とされたのです」

 安倍政権においては“女性宮家は将来の女性・女系天皇容認に繋がる”との危機感が根強く、その入り口とされる構想が先に進むはずはなかったのだが、

「上皇ご夫妻が確立された二人三脚での“平成流”ご公務は、ご在位中から多くの国民の共感を得て現在に至ります。これまで上皇陛下と上皇后さまは、大事なことはじっくりとお話し合いになり、結論が出たのちはご意思の共有を密にしてこられました。それはご公務に限らず、例えば13年秋に明かされた『葬儀は火葬で』というご意向ひとつとっても明らか。愛子さまを天皇に、という上皇陛下のお気持ちを、上皇后さまがともにされているのは疑うべくもありません」(同)

 皇室の行く末をひたすら案じ、熟慮を重ねた末にお考えを漏らされた上皇ご夫妻。その思いは今、政権によって「封印」されつつあるのだが、

「皇位継承順位1位と2位の男性皇族を擁する秋篠宮家は目下、ご難続きであられます。上皇陛下は眞子さまと小室さんとの一連の騒動について『教育というのは、やはり大事ですね』と漏らされていました」

 とは、侍従職関係者。

「眞子さまのみならず、大学ご卒業の際に“公より私を優先されている”と疑問の声が上がった佳子さま、そして何より、そのような環境でお育ちになる悠仁さまの帝王教育は如何なるのか、そうした思いが全て込められているかのような、重い『おことば』でした」

 そうしたご憂慮が広く国民にも伝播し、「愛子天皇」を待ち望む人が8割にも達するのか――。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08250801/?all=1&page=2


要するに、平成天皇は秋篠宮家から天皇を出すのをどうしても阻止したいのですね。

『皇族の葬儀は火葬で』というのは遺体を死後 DNA鑑定されると困るという事ですね。

平成天皇は秋篠宮が自分の子供でないと思っているのかな?

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/118.html#c41

[政治・選挙・NHK264] 国民国家が終わりかけ国境を無くして愚劣な愛国主義を克服する時代の夜明けと日本の現状 フランクリン
2. 中川隆[-8682] koaQ7Jey 2019年8月25日 09:51:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4067]

グローバリズムを放置すると日本は中国に乗っ取られる


中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html

▲△▽▼


外来生物は早く駆除絶滅させないと国を乗っ取られる

2019年05月12日
移民受け入れた先進国は出生率が高い傾向、ドイツは1年で急上昇


難民を受け入れた翌年にドイツの出生率が跳ね上がった


画像引用:https://s4.reutersmedia.net/resources/r/?m=02&d=20150902&t=2&i=1076323849&r=LYNXNPEB810BV&w=1280

移民拒否なら人口減、増やせば乗っ取り

日本は連続人口減少と出生数低下が止まらず、このままでは21世紀半ばに若者は半減する。

その後若者が急に子供を産み出生率が2.0を上回っても、21世紀末に今の半数程度の人口になる。

先進国のほとんどは出生率2.0を下回り、欧州全体では半数ほどの国が日本より出生率が低い。


欧州の中でもフランスや北欧は出生率が高く(それでも2.0以下だが)、日本は出生率が高い理由を知りたがっている。

2016年に欧州1位はフランスの1.92、2位はスウェーデンの1.85だったが、何か共通点があるでしょうか。

日本ではピンと来ないがどちらも移民受け入れに積極的で、パリやストックホルムの人口の過半数は移民とその子孫です。


というよりロンドンでもベルリンでも、今や欧州のすべての国の首都では、移民系人口が従来の住民を上回っています。

この傾向は世界中で見られ、移民を拒否している日本では、東京都で暮らす外国人は2019年1月1日時点で約55万人でした。

東京都の総人口は1385万人なので外国人比率は約4%、ですが若者に限ると20代の1割が外国人だった。


この外国人の若者が日本に定住してずっと移民が続くと、やがて東京都の1割以上が外国人になるでしょう。

新宿区は4万3068人で総人口の12.4%が外国人、おそらく20代の外国人比率は20%を上回っているでしょう。

日本全体で暮らす外国人は249万人で、日本の総人口の約2%、若者に限ると既に5%が外国人になっている可能性があります。


移民受け入れ国で出生率が急上昇していた

先進国で見ると移民が少ない国ほど出生率が低く人口減少が早く始まり、移民が多い国ほど出生率は高い傾向があった。

米国勢調査局は2017年(2017年7月1日-2018年6月30日)の、人口増加の48%が移民によるものだったと発表した。

移民が定住した後の出産や世代交代を考慮すると、アメリカの人口増加の100%が移民によるものだった可能性が高い。


移民による国外からの流入が無い場合、今後米国の半数の都市で人口減少が始まると予想されている。

欧州の出生率トップであるフランスも移民が多く、移民人口は約800万人で人口約6700万人の約12%を占めている。

これは移民1世だけであり、移民の子孫を含む総数はこの数倍、総人口の20%は超えているのではと推測されます。


デンマーク578万人のうち外国人をルーツに持つ人が77万人で、欧州4位の出生率だった。

欧州2位のスウェーデンは総人口1017万人のうち183万人が外国生まれで、1世だけで18%に達している。

3位のアイルランドも移民比率が高く、ドイツは今まで低かったが2015年以降100万人以上の難民を受け入れた。


するとドイツの出生率は2016年に前年の1.5から1.59まで跳ね上がり、移民受け入れによる効果だと言われている。

通常出生率は1年でそんなに上がらないものだが、出生数も1年で7%増加している。

移民を受け入れた国では、もともと住んでいた人々の出生率も上昇するのが知られている。


一種の競争原理が働くのかも知れないし、社会的な出産ブームが起きるのかも知れない。
http://www.thutmosev.com/archives/79803422.html

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/795.html#c2

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
10. 中川隆[-8684] koaQ7Jey 2019年8月25日 10:19:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4065]



2019年8月25日
【三橋貴明】邪馬台国はどこにあったのか?
https://38news.jp/economy/14445#comment-25770


【近況】
経世史論で長浜浩明先生のコンテンツ
「邪馬台国はどこにあったのか?」が
公開になりました。
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

長浜先生のコンテンツを視聴した上で、
魏志倭人伝を読むと、むしろ、

「何で、こんな明らかな問題
(邪馬台国の位置)で、日本の考古学者や
 歴史学者は揉め続けたんだろう・・・」

と、呆れかえること必至です。

怖いのは、例えば「日本人の遺伝子」や
「稲作の始まり」等、文献(史書)とは
無関係な研究をしている、
真面目な日本人学者であっても、
何らかの「古代史の嘘」に
囚われてしまっている点です。

例えば、日本で稲作が始まったのは、
陸稲方式では6千年前で、
水田稲作にしても3000年前(菜畑遺跡)
の水田跡が発見されています。

紀元前200年前後に、
渡来人とやらが稲作を日本に伝え、
弥生時代が始まった、という俗説は
完全なる嘘なのです。

それにも関わらず、多くの学者が

「紀元前200年前後に
 渡来人が稲作を伝えた」

という嘘に思考を縛られてしまっており、
菜畑などで、渡来人説を否定する遺跡が
次々に発見されても、

「いや、それは○○○○というわけで、
 渡来人が2300年前に
 稲作を伝えたのは間違いないから」

と、いわゆる認知的不協和に陥り、
目の前の「事実」を否定し、
持論を守る屁理屈を
考えようとするのです。

お分かりでしょうが、
いわゆる財政破綻論者と
そっくりなのでございます。

この手の連中を「改心」させることは、
財政破綻論者との長き
(といっても、十二年ほどですが)
戦いを経て、無理であることを
理解しています。

というわけで、三橋も長浜先生同様に、
「古代史の嘘」を暴き、
多くの国民で共有することを目的とした
「言論活動」に参入せざるを得ないと、
最近、考えるようになりました。

◆【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※特別コンテンツ「邪馬台国はどこにあったのか?(長浜浩明先生)」が、リリースになりました! 超絶的に面白いです。是非、ご入会下さい。


【三橋貴明】邪馬台国はどこにあったのか?への1件のコメント


長浜浩明先生がパラノイアだというのに気付けよ より 2019年8月25日 10:16 AM


>例えば、日本で稲作が始まったのは、陸稲方式では6千年前で、
水田稲作にしても3000年前(菜畑遺跡)の水田跡が発見されています。

>紀元前200年前後に、渡来人とやらが稲作を日本に伝え、弥生時代が始まった、という俗説は完全なる嘘なのです。

長浜浩明先生は弥生人は縄文人だと思いたいんだろうけど、
そもそも弥生人も現代日本人も縄文人の子孫じゃないよ。

青谷上寺地遺跡の弥生時代後期人骨に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では32人中31人が「渡来系」で、1人が「縄文系」と推定されています。一方、核DNA解析では、父系(YHg)の多数が「縄文系に近い」と分類されたそうです。
おそらく、現代日本人のYHgにおいて30〜40%と高い割合を占めているD1bなのでしょう。

しかし、現時点で確認されている「縄文人」およびゲノム解析で「縄文人」の変異内に収まる東北地方の弥生時代の男性は全員YHg-Dに分類されるものの、より詳細に分類できる個体は全員、YHg-D1b2aです。

一方、現代日本人で多いのはYHg-D1b1です。

YHg-D1bは、D1b1 とD1b2に分岐し、D1b2からD1b2aが派生します。つまり現時点では、現代日本人のYHgにおいて多数派のD1b1は「縄文人」では確認されていないので、弥生時代以降にアジア東部から到来した可能性が高いのです。

もし現代日本人のYHg-D1b1の多くが弥生時代以降の「渡来系」由来で、青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団の男性もYHg-D1b1だとしたら、 青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団は、母系では「渡来系」で父系では「縄文系」ではなく、どちらでも「渡来系」が圧倒的に優勢だったと考えられます。

おそらく

縄文人・アイヌ人は D1b2b でアイヌ語を話していた

四川省の涼山に住むイ族・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人は D1b1 で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた

____

イ族の鳥居は柱二本を縄で繋いで鳥の木像を載せたもので、日本の弥生遺跡でも沢山出ている

九州縄文時代の焼畑農耕もイ族と全く同じ農耕様式

イ族の太鼓を使った祭りも弥生時代の銅鐸の祭りと同じ
琉球のシャーマンもイ族のシャーマンと全く同じ

イ族の言葉は日本語に近い
イ族のY-DNAは九州縄文人や現代日本人と同じD1

中国には、なんと日本語を聞き取れる民族がいる!?=中国メディア  2018-08-30
http://news.searchina.net/id/1666373?page=1

四川省の涼山に住むイ族は三星堆文明の生き残り

近年脚光を浴びた三星堆文明は、これまでの中国文明と違って、誰が造り出した文明か今のところ断定が下されていないが、彝族の祖先が造った文明ではないかという説がある。

中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。

欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。

そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。

このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

____

長浜浩明先生は

天皇は縄文人の子孫であって欲しい
しかし、学会では天皇は朝鮮人だというのが定説

それで朝鮮人が縄文人の子孫だという新説をでっち上げる

しかし、それではアイヌ人が縄文人の子孫だという学会の定説と矛盾する

それで今度は

アイヌ人は13世紀に北海道に移住してきた外来民族だという新説をでっち上げる

チャンネル桜に出る自称専門家は全部このパターンなんだよ

https://38news.jp/economy/14445#comment-25770

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c10

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
11. 中川隆[-8683] koaQ7Jey 2019年8月25日 12:06:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4066]

長浜浩明先生がパラノイアだというのに気付けよ より
2019年8月25日 12:03 PM


ここにも見当外れの学会批判が書いてあったので、どこがおかしいのか指摘しておくね:

縦軸のナショナリズム、横軸のナショナリズム(後編)2019-08-24 07:47:16
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12510968420.html

>究極の「古代史の妄説」は、文句なしで江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」です。
>騎馬民族征服王朝説では、崇神天皇(崇神大王)が朝鮮半島南部から九州に渡り、応神天皇が九州から畿内を征服したということになっています。
> 「日本における統一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系(ふよけい)騎馬民族の辰王朝(しんおうちょう)によって、4世紀末ないし5世紀前半ごろに達成された」  
>と、江上は自著の「騎馬民族国家」で書いているのですが、これはもはや奇想天外なファンタジーとしか言いようがないのです。

江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」や「アイヌ起源説」自体は発表されるとすぐに批判が続出して認めた研究者は一人も居なかったけど、

江上波夫が言おうとしたのはそういう表面的な事ではないのですね。

1970年代までの学会の定説は

1. 日本人には縄文人と弥生人の二種類いて、現代人は弥生人の子孫である

2. アイヌ人と琉球人は縄文人の子孫である

そういう定説に対する批判として江上波夫は

1) 日本には縄文人と弥生人の二種類の他に、古墳時代に朝鮮から大陸系の別の民族が入って来て、古墳時代以降の支配者は弥生人ではなく朝鮮から入って来た民族だ。

2) アイヌ文化は縄文文化と全く違う、むしろアムール川流域のツングースの文化に酷似している。

の二つを主張したのです。

その後、江上波の主張の半分は正しかったのが明らかになりました:

@ 日本には縄文人と弥生人の二種類の他に、古墳時代に朝鮮から漢民族系の渡来人が入って来て、古墳時代以降の支配者は弥生人ではなく漢民族系の渡来人だ。

A アイヌ人には縄文人だけでなくツングース系のオホーツク人の遺伝子も少し入っている。
アイヌ文化はオホーツク文化の影響が非常に強い。

https://38news.jp/economy/14445#comment-25772
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c11

[政治・選挙・NHK264] 「れいわ」政党支持率倍増の背景 浮かび上がった支持層の特徴とは…?(TOKYO MX+) 赤かぶ
6. 中川隆[-8682] koaQ7Jey 2019年8月25日 13:17:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4067]
山本太郎はドイツ経済を復活させた演説の天才ヒトラーの再来
在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

「山本太郎」女性支持率がすごいことに!

「ずっと小泉進次郎押しだったのですが、いまはがぜん山本太郎。顔が好き。声が好き。これまでの経験上、顔と声そろって好みの人に悪い人はいません」(商社・26歳)


「この間、夕食のときに"山本太郎ってかっこよくない?"と言ったら、両親が"昔はパンツ一枚で踊ってたけどな"とか"あのままお笑い芸人になると思ったら化けたね〜"と昭和の逸話で盛り上がっていました」(損害保険・26歳)

「参院選のとき、会社のそばの駅で演説をしていたのですが、あまりのオーラに私たち(同僚ともども)立ち止まってしまいました。思わず手を振ったら、振り返してくれて、それだけで、私たちの票は山本太郎に(笑)」(IT・26歳)

「会社の先輩女子の押しメンは山本太郎。先日、宴会でいかに山本太郎が素晴らしいかを熱弁していて、それを聞くのが面倒になった新人クンが『でも、あの人、高校中退ですよね』とつぶやいたら、『それがなんなのよ!』と先輩のボルテージは上がりまくり、『じゃあ、学歴ある政治家で誰が仕事してる?』と問い詰め、山本太郎高校中退とつぶやいただけの新人クンに『あなたの出身校(T大)は立派だけど、うちの社のT大卒業生は仕事できないヤツばっか』と言いきって、そちらの大学出身の上司たちにも睨(にら)まれていました(失笑)。あの人たち、学歴だけが自慢なのに」(都市銀行・26歳)


「会社からの帰り道に偶然、山本太郎の演説に出くわして、同僚と共に聞き入ってしまいました。だって、分かりやすくて面白いのです。特に『死にたくなる社会から生きていたい社会へ』という言葉につかまれました。具体的なことは分からなかったのですが、そうだ、それが大事だなって。1000円募金して、記念写真も撮ってもらいました。いい思い出〜」(コンピューター・25歳)

「友達に勧められて演説の動画を見たら一瞬で引き込まれました。分かりやすい。政治家っていつも言っていることがよく分からない人が多い中で、こういう人を待っていました! という印象です」(通信・27歳)

   ◇   ◇   ◇

「山本太郎が好き」と答えたOLは77%。高支持率ですね〜。


▲△▽▼


ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。
彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html


▲△▽▼


山本太郎はドイツ経済を復活させた演説の天才ヒトラーの再来、在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

れいわ が障害2議員を入れたのは山本太郎を介護者として代弁させて国会に出ずっぱりで演説させる為だよ


山本太郎=演説だけでドイツを変えた名優ヒトラーの再来、斎藤まさし =ゲッペルス


▲△▽▼


れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。

森氏の父親は連合赤軍派最高幹部田宮高麿。
母親は森順子、ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。

森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。

斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?


国会に難病議員2人入れて介護者という名目で山本太郎が二人の代わりに代弁してれいわの名を売るんだろ

すべて斎藤まさしのアイデアさ

素人の山本太郎が4億円も寄付を集めたり、わざわざ難病議員を立候補させる訳がないというのがわからないアホが多過ぎるんだな

山本太郎は世界同時革命を目指すキチガイ斎藤まさし(酒井剛)の書いた台本通りに演技してるだけだよ


____


斉藤まさし(2018、8最高裁にて公職選挙法違反で有罪)が山本太郎の街宣に現れた!

やはり山本太郎は操り人形だったのね。


山本太郎の選挙を指揮していると言われてる斉藤まさしが新宿西口で行われた「山本太郎の街頭演説」の場に現れた。

元俳優の山本太郎を使って革命を目指す斉藤まさしの姿が良くお分かりになったでしょう。

監督の指示に従って演技をする、山本太郎は未だに役を演じているように見えますね。

しかし、その俳優は色々問題のある人物だった。

週刊新潮に強姦魔だと書かれても、名誉棄損で訴えることが出来ない。法廷で争う事が出来ない山本太郎という男を担いでしまった。

ME TOO のプラカード持ってパフォーマンスしていた議員達は山本太郎に強姦されたと勇気をもって告発した女性にはダンマリか!

未成年の女の子を強姦しても、革命家斉藤まさしの書いたシナリオ通りを演じておけば、参議院議員にもなれるか。

もし、事実じゃなないのなら、何故週刊新潮を訴えないのか?

____


無知な一般大衆が知らない山本太郎・斉藤まさしやヒトラー、レーニンを操っていた黒幕


ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
重信房子、田宮高麿、山本太郎・斉藤まさし、北朝鮮、オウム真理教の深い関係

2011年4月に行われた第17回統一地方選挙の三鷹市議会議員選挙に、代表を務める市民の党からよど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男、森大志が立候補しているが斉藤まさしは市議選に擁立した背景について取材で

「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」
「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」
「そうした縁もあって、長男が帰国してきてからつながりがあった」

と述べている。 北朝鮮や田宮との関係について「救う会」会長の西岡力は「酒井(斎藤まさし)代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と批判している


山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。


よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが
重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。


重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?

ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。


 あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。


http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/797.html#c6

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
15. 中川隆[-8681] koaQ7Jey 2019年8月25日 13:26:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4068]

2019年08月25日
中国脱出ゲーム 沈む船から逃げる人々

中国の繁栄はディズニーランドのようなもので、閉園時間が近づいた


画像引用:http://p1.img.cctvpic.com/photoAlbum/photo/2017/04/24/PHOT9MBmQ1lUldp2szMIPhNH170424_920x700.jpg

「中国崩壊」を予感し逃げ出す外資

ほんの半年前まで「中国経済は崩壊する」と書くと嘘つき呼ばわりされたが、今では誰も疑問に思っていない。

熱心な中国経済信仰者だったビジネスマンや企業経営者ですら、我先にと中国から逃げ出している。

上海や北京では空室率を上げないため、郊外の会社を強制的に移転させたり、数字の操作をしている。



北京など主要都市オフィスビルの空室率が上昇し、過剰供給なのに新規建設を続けている。

ビル建設を止めるとGDPが下がってしまうからで、需要の有るなしと無関係に新しいビルが建てられてGDPに計上されている。

最近中国に進出する外国企業が減少し、逆に中国から脱出する外国企業が増加している。


日本企業の撤退が始まったのは2010年頃からで、2008年の北京五輪をピークに店を畳んだり撤退する個人業者が多かった。

2000年代にはすでに北京や上海の人件費が90年代の10倍にもなっていて、賃料などの経費も同様に上昇した。

年収10万円以下だった都市部の賃金は今や100万円以上に跳ね上がり、工場労働者の賃金も上昇した。


ベトナムの一人当たりGDPは2000ドルだが中国は6000ドル、都市部ではその2倍に達している。

その中国のGDPが実は、先ほど書いた空室マンションを建てまくって一棟いくらでGDPに算入するような事が行われている。

中国では土地が国有なので所有者はおらず、国が住民を立ち退かせて販売すると、かかった費用の100倍で売れた。

沈む船から逃げる中国人

このGDPマジックが通用したのは2008年の北京五輪頃までで、リーマンショックでマイナス成長になった。

だが中国は計画経済の目標を達成するため50兆円の公共投資をし、水増ししたGDPを発表したとみられている。

公共投資つまり土木工事や不動産買い支えでGDPを増やすと、公共事業費を減らしたらGDPも減ってしまいます。


2008年は50兆円だった公共投資は100兆円、200兆円、300兆円と増えていき、現在は年間300兆円以上の公共投資で成長率6%を維持している。

公共投資でGDPを増やすと増えたGDPの何倍もの公的債務が残ってしまい、現在はGDP比300%以上の公的債務がある。

一時期国連やマスコミが「日本は世界最悪の公的債務」と連呼していたが、最近言わなくなったのは中国の方が何倍も多いと分かったからです。


中国は公的債務によって経済成長不可能になり、やがて成長が止まり国家破産するのを、誰もが理解し始めました。

するとずる賢いトランプ大統領は、ここぞとばかり中国叩きを始め、中国の破産を早めようとしている。

多くの外国企業は中国の事業で利益が出なくなり撤退しているが、中国企業までも国外脱出を始めている。


中国企業はアメリカの制裁や中国のコスト上昇、中国市場の縮小から、東南アジアに生産拠点を移している。

ベトナムやミャンマーに引っ越してしまい「中国企業」でなくなれば制裁されても米国に輸出できる。

香港の反中国デモもこうした中国脱出のひとつで、10年前の中国全盛期には「中国人になろう」という香港人が大勢居ました。


だが落ち目の中国が今後没落するのが決定的になり、沈む船から逃げろとばかり中国から「独立」を望んでいる。

香港人にとって中国は金を持っていたから魅力的だったが、金がない中国よりは貧乏になったイギリスの方がましでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80780298.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c15

[近代史3] 中国は何時崩壊するのか? 中川隆
20. 中川隆[-8680] koaQ7Jey 2019年8月25日 13:28:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4069]

2019年08月25日
中国脱出ゲーム 沈む船から逃げる人々

中国の繁栄はディズニーランドのようなもので、閉園時間が近づいた


画像引用:http://p1.img.cctvpic.com/photoAlbum/photo/2017/04/24/PHOT9MBmQ1lUldp2szMIPhNH170424_920x700.jpg

「中国崩壊」を予感し逃げ出す外資

ほんの半年前まで「中国経済は崩壊する」と書くと嘘つき呼ばわりされたが、今では誰も疑問に思っていない。

熱心な中国経済信仰者だったビジネスマンや企業経営者ですら、我先にと中国から逃げ出している。

上海や北京では空室率を上げないため、郊外の会社を強制的に移転させたり、数字の操作をしている。



北京など主要都市オフィスビルの空室率が上昇し、過剰供給なのに新規建設を続けている。

ビル建設を止めるとGDPが下がってしまうからで、需要の有るなしと無関係に新しいビルが建てられてGDPに計上されている。

最近中国に進出する外国企業が減少し、逆に中国から脱出する外国企業が増加している。


日本企業の撤退が始まったのは2010年頃からで、2008年の北京五輪をピークに店を畳んだり撤退する個人業者が多かった。

2000年代にはすでに北京や上海の人件費が90年代の10倍にもなっていて、賃料などの経費も同様に上昇した。

年収10万円以下だった都市部の賃金は今や100万円以上に跳ね上がり、工場労働者の賃金も上昇した。


ベトナムの一人当たりGDPは2000ドルだが中国は6000ドル、都市部ではその2倍に達している。

その中国のGDPが実は、先ほど書いた空室マンションを建てまくって一棟いくらでGDPに算入するような事が行われている。

中国では土地が国有なので所有者はおらず、国が住民を立ち退かせて販売すると、かかった費用の100倍で売れた。

沈む船から逃げる中国人

このGDPマジックが通用したのは2008年の北京五輪頃までで、リーマンショックでマイナス成長になった。

だが中国は計画経済の目標を達成するため50兆円の公共投資をし、水増ししたGDPを発表したとみられている。

公共投資つまり土木工事や不動産買い支えでGDPを増やすと、公共事業費を減らしたらGDPも減ってしまいます。


2008年は50兆円だった公共投資は100兆円、200兆円、300兆円と増えていき、現在は年間300兆円以上の公共投資で成長率6%を維持している。

公共投資でGDPを増やすと増えたGDPの何倍もの公的債務が残ってしまい、現在はGDP比300%以上の公的債務がある。

一時期国連やマスコミが「日本は世界最悪の公的債務」と連呼していたが、最近言わなくなったのは中国の方が何倍も多いと分かったからです。


中国は公的債務によって経済成長不可能になり、やがて成長が止まり国家破産するのを、誰もが理解し始めました。

するとずる賢いトランプ大統領は、ここぞとばかり中国叩きを始め、中国の破産を早めようとしている。

多くの外国企業は中国の事業で利益が出なくなり撤退しているが、中国企業までも国外脱出を始めている。


中国企業はアメリカの制裁や中国のコスト上昇、中国市場の縮小から、東南アジアに生産拠点を移している。

ベトナムやミャンマーに引っ越してしまい「中国企業」でなくなれば制裁されても米国に輸出できる。

香港の反中国デモもこうした中国脱出のひとつで、10年前の中国全盛期には「中国人になろう」という香港人が大勢居ました。


だが落ち目の中国が今後没落するのが決定的になり、沈む船から逃げろとばかり中国から「独立」を望んでいる。

香港人にとって中国は金を持っていたから魅力的だったが、金がない中国よりは貧乏になったイギリスの方がましでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80780298.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/112.html#c20

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
127. 中川隆[-8682] koaQ7Jey 2019年8月25日 13:33:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4067]

キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態8/25 北海道ニュースUHB
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190825-00010000-hokkaibunv-hok



 車中泊人気で、夏の観光シーズンには駐車場がいっぱいになる北海道の「道の駅」。しかし、一部の利用者によるマナー違反が問題となり、中には駐車場の一部を有料化する動きも出てきています。

 いったいどんなマナー違反があるのか。その実態と対策を探りました。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


多機能トイレをホテルのように利用… “マナー向上“を掲示し意識改革を図る

 世界自然遺産・知床。手つかずの大自然や、野生動物の姿を求めて、国内外から多くの観光客が訪れます。

 その知床の玄関口にある道の駅「うとろ・シリエトク」は、利用者からの評価が高く、観光情報や道路情報が親切だったと、2018年の北海道「道の駅」ランキングで1位に輝きました。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 8月中旬に利用者のピークを迎え、夜になると車中泊をするドライバーなどで、100台以上ある駐車場は連日満車になると言います。

 そんな知床の玄関口「うとろ・シリエトク」ですが、「駐車場でテントを張る」「ゴミの不法投棄」「数週間にわたって車を止めっぱなし」にするなど、これまで一部の利用者によるマナー違反があり、問題視されていました。さらに、こんな事例も…。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 林典幸管理課長:「身体障がい者用のベッドを使って宿泊行為をしていた人や、人工肛門を洗うシャワーで髪を洗ったりしていました」

 車いすなどでも使用できる多機能トイレ。そのベッドを使って寝ていた人がいたというのです。

 さらに、鍵がかかる多機能トイレの個室をまるでホテルのように我が物顔で使う人もいたといいます。

 このようなマナー違反に対して、どのような対策をとってきたのでしょうか?
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 林典幸管理課長:「2019年から壁新聞を作って“マナー向上“を掲示しています」

 マナー向上を訴えるポスターを貼ったところ、利用の仕方がだいぶ改善してきたと言います。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 また、トイレの入り口には3台の防犯カメラを設置。対策を講じたことによって、利用者のマナーは向上してきました。

 さらに、ごみの量に応じて、20〜30円ほどで引き取ってくれる「ごみの有料回収」も行っており、大変便利と好評だそうです。

 しかし、取材当日にも駐車場には寝ている人がいたり、クーラーボックスや自転車が置いてありました。改善されてきたとはいえ、未だにマナー違反の事例もあり、利用者の意識改革が必要なようです。

車を駐車し自転車で海へ釣りに…問われる利用者のモラル

 林典幸管理課長:「道の駅はキャンプ場ではなく、24時間使える駐車場で、誰しもが利用できることになっているので、迷惑行為はやめてほしい」

 林さんによると、今年はマナーがよく、イスを出したりテントを張っていることもないので非常にありがたいとのことでした。

 林典幸管理課長:「一部マナーが伝わっていないのは、伝え方が甘かったのかなと思います。より分かりやすくルールを掲示しなければならないですね」
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 そんな中気になったのは、道の駅に止められた多くの自転車。実は、道の駅の駐車場に車を止め、そこから自転車で海まで釣りに出かける人たちが大勢いるというのです。

 今の時期から秋にかけて、カラフトマスなど大きな魚が釣れる知床。もちろん釣りをすることも、車の中で魚をさばくことも問題はありません。しかし、中には数週間にわたって車を止め、駐車場で魚をさばいたり、洗濯物を干したりするなど、ルールを守らず不適切な使い方をする人もいるんです。

 多くの人に北海道に楽しく遊びに来てもらえるよう、利用する側のモラルが問われています。

 (UHB「みんテレ」内「ほぼ日刊八木タイムス」より)
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UHB北海道文化放送


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c127

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
208. 中川隆[-8681] koaQ7Jey 2019年8月25日 13:34:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4068]

キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態8/25 北海道ニュースUHB
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190825-00010000-hokkaibunv-hok



 車中泊人気で、夏の観光シーズンには駐車場がいっぱいになる北海道の「道の駅」。しかし、一部の利用者によるマナー違反が問題となり、中には駐車場の一部を有料化する動きも出てきています。

 いったいどんなマナー違反があるのか。その実態と対策を探りました。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


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多機能トイレをホテルのように利用… “マナー向上“を掲示し意識改革を図る

 世界自然遺産・知床。手つかずの大自然や、野生動物の姿を求めて、国内外から多くの観光客が訪れます。

 その知床の玄関口にある道の駅「うとろ・シリエトク」は、利用者からの評価が高く、観光情報や道路情報が親切だったと、2018年の北海道「道の駅」ランキングで1位に輝きました。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


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 8月中旬に利用者のピークを迎え、夜になると車中泊をするドライバーなどで、100台以上ある駐車場は連日満車になると言います。

 そんな知床の玄関口「うとろ・シリエトク」ですが、「駐車場でテントを張る」「ゴミの不法投棄」「数週間にわたって車を止めっぱなし」にするなど、これまで一部の利用者によるマナー違反があり、問題視されていました。さらに、こんな事例も…。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


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 林典幸管理課長:「身体障がい者用のベッドを使って宿泊行為をしていた人や、人工肛門を洗うシャワーで髪を洗ったりしていました」

 車いすなどでも使用できる多機能トイレ。そのベッドを使って寝ていた人がいたというのです。

 さらに、鍵がかかる多機能トイレの個室をまるでホテルのように我が物顔で使う人もいたといいます。

 このようなマナー違反に対して、どのような対策をとってきたのでしょうか?
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


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 林典幸管理課長:「2019年から壁新聞を作って“マナー向上“を掲示しています」

 マナー向上を訴えるポスターを貼ったところ、利用の仕方がだいぶ改善してきたと言います。
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 また、トイレの入り口には3台の防犯カメラを設置。対策を講じたことによって、利用者のマナーは向上してきました。

 さらに、ごみの量に応じて、20〜30円ほどで引き取ってくれる「ごみの有料回収」も行っており、大変便利と好評だそうです。

 しかし、取材当日にも駐車場には寝ている人がいたり、クーラーボックスや自転車が置いてありました。改善されてきたとはいえ、未だにマナー違反の事例もあり、利用者の意識改革が必要なようです。

車を駐車し自転車で海へ釣りに…問われる利用者のモラル

 林典幸管理課長:「道の駅はキャンプ場ではなく、24時間使える駐車場で、誰しもが利用できることになっているので、迷惑行為はやめてほしい」

 林さんによると、今年はマナーがよく、イスを出したりテントを張っていることもないので非常にありがたいとのことでした。

 林典幸管理課長:「一部マナーが伝わっていないのは、伝え方が甘かったのかなと思います。より分かりやすくルールを掲示しなければならないですね」
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キャンプ場ではなく駐車場なのに…「道の駅」車中泊 迷惑行為・マナー違反の実態 北海道


UHB北海道文化放送


 そんな中気になったのは、道の駅に止められた多くの自転車。実は、道の駅の駐車場に車を止め、そこから自転車で海まで釣りに出かける人たちが大勢いるというのです。

 今の時期から秋にかけて、カラフトマスなど大きな魚が釣れる知床。もちろん釣りをすることも、車の中で魚をさばくことも問題はありません。しかし、中には数週間にわたって車を止め、駐車場で魚をさばいたり、洗濯物を干したりするなど、ルールを守らず不適切な使い方をする人もいるんです。

 多くの人に北海道に楽しく遊びに来てもらえるよう、利用する側のモラルが問われています。

 (UHB「みんテレ」内「ほぼ日刊八木タイムス」より)
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c208

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
222. 中川隆[-8680] koaQ7Jey 2019年8月25日 15:23:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4069]

平野憲一の株のお話

相場というものはきっかけがなくても、買い方と売り方のエネルギーのバランスで動くことが多々あります。

三井住友DSアセットの市川さんのレポートによると1959年以来60年間の月間騰落率では、10、11、12月と高くなる傾向がはっきりしています。この傾向はNYダウでは更に際立っています。

 但し、日米とも9月が年間で1番下げています。

従って日柄から相場観を言えば、この9月を降り切れば(場合によっては9月に更に売りが溜まり)、弱気から強気への相場観転換で一気の水準訂正も考えられます。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c222

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
44. 中川隆[-8679] koaQ7Jey 2019年8月25日 15:35:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4070]


あおり運転・宮崎容疑者 コンビニでの奇行と高級車で眠り続ける女
8/24(土) 8:01配信 FRIDAY
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190824-00000001-friday-soci


「接客をしていたらいきなりお前の本名、住所、電話番号を全て俺の名刺の裏に書けと、30分ほどクレームと理由がわからない説教を受けたんです。今にも殴りかかりそうなすごい剣幕でした。そんな宮崎容疑者が後日、全身黒ずくめにサングラス姿で再び来店した時は、冗談ではなく僕をボコボコにしに来たんだ、と思いましたよ」

全国のドライバーを震撼させた、常磐自動車道での「あおり運転暴行」事件。宮崎文夫容疑者は、8月18日に茨城県警に傷害容疑で逮捕されている。犯人隠避の疑いで逮捕された恋人の喜本奈津子容疑者(51)も、宮崎容疑者の暴行をガラケーで撮影するという理解しがたい奇行から関心を集めた。

宮崎容疑者の”あおり人生”には、これまでも多くの女性達が関わっている。

近隣住民によれば、約10年前にも女性監禁で警察沙汰を起こしており、以前の勤務先でも年上女性へのストーカー騒動で同様にトラブルとなっていた。元勤務先の上司が語る。

「彼が22、23歳の頃。事務職の年上の女性を気に入り、定時で仕事が終わったあと、女性の帰り道で待ち伏せしてしつこくつきまとっていたんです。女性は精神的に参ってしまって、彼女から『もう限界で、これ以上は無理です。ただただ怖い』という相談を受けていました。それで私が宮崎を注意すると、突然逆ギレしだして、『俺は悪くない、生野署へ行く』と声を荒げて本当に生野署へ行ったんですね。どういうわけか私も生野署で取り調べを受けましたよ。生野署のカウンターで、無言で鋭い眼光をしながらこちらを睨みつけていました。仕事も全くする気がないし、女性トラブルを起こす。ほとんど職場放棄状態です。人からの紹介なので多少は我慢していましたが、さすがに半年でクビを言い渡しました」

三重県の飲食店でも、「彼女(喜本奈津子容疑者)がやけどをした」と執拗なクレームをつけていたが、更に別の女性を連れて起こした驚愕の奇行が、本誌の取材により明らかになった。冒頭の発言は、宮崎容疑者を接客したスタッフの訴えだ。

昨年10月、場所は、愛知県名古屋市西区の某コンビニ。早朝5時頃、金髪にジャケット姿で立ち寄った宮崎容疑者は、店内を物色した後、突然店員に話しかけてきたという。

「よく話しかけてくるお客さんだな、と思っていたら急に名刺を渡してきたんです。『俺はこういうもんや』と。名刺には、宮崎プロパティマネジメントという会社名が書かれていました。社長なんですね、すごいですねー、というような世間話をしていたら、急に『ふざけるなよ!』とブチ切れ始めたんです。こちらが何か怒らせるようなことをしたわけでもなく、本当に突然です。そしてお前には責任を取らせると言って、名刺の裏に本名、住所、電話番号を書けと脅し口調で言われたんです。個人情報なので無理です、とこちらが断っても全然引かない。目も血走っていましたし、その時間は僕1人だったので、怖くてどうしようもなくてパニック状態に陥ってしまって……。こちらに非がない状態で、こういう解決策がないタイプのクレームを受けたのも初めてだったので」

その後もそんな押し問答が30分ほど続いた。結局、スタッフが折れ、住所以外の情報を半ば強制的に書かされた。気を良くした宮崎容疑者は、自身が保有するシルバーの高級車に戻っていった。応対したスタッフは恐怖のあまり、勤務終了後すぐに携帯電話の番号変更手続きをとったという。

だが、悲劇は再び訪れる。2ヵ月後の12月、ポルシェのカイエンで宮崎容疑者がコンビニに再訪してきたのだ。全身黒ずくめにサングラスにニット帽。時間は図ったかのように同じ時間帯だった。

「入ってきた瞬間に、ザ・犯罪者のような服装なのでこちらも強盗だと思い警戒したんです。そして、背格好から2ヶ月前クレームをつけてきた人だ、と気づきました。一回目に応対した内容の支離滅裂具合から、『今度は、僕を殺しにきたんだ』と本気で思いました。その時は店長がいたので、店長に対応してもらったんです。彼は車の雑誌を1冊買い、新しいポイントカードを作って古いポイントカードとポイントを統合したいと話していました。そんなリクエストはほとんどないので、店長も少し時間がかかっていたんですが、彼は『なんでそんな遅いんや!ダメ店長が』とキレて罵倒しまくっていました」

ポイントカードの統合が終わると、スタッフを名指しで指定して領収書を車の中に持ってきて欲しいというオーダーがあった。車の中で何をされるのかわからない、と恐れていたというが車中には就寝中の女性の姿があった。黒髪ショートカットの20代半ばと思われる女性で、清楚系の整った顔立ちが印象に残った。

一通りのクレームをつけ終わり、気を良くしていたのか、宮崎容疑者はスマホのフォルダ内の写真を見せて、滑らかな口調で車自慢を始めたという。

「『この間の車と今回も違うやろ。(写真を見せながら)ほれ、他にもこれだけ持っとるんや、俺はすごいやろ』と話しながら高級車の写真を僕に見せてきました。それよりも僕が気になったのは一緒にいた女性の存在でした。車中では結構な大声で数分間話していたにも関わらず女性は全く起きる気配がないんです。怖くなった僕は、『女性は大丈夫ですか?』と聞いたんです。すると彼は、『こいつ寝とって起きへんけど、決して俺が睡眠薬を飲まして眠らせてるわけじゃないから。ちゃうからな』と話していました。その言動で、この人はクスリをやってる人だと思い、凄いですね、とだけ言って車から出て急いで店内に戻りました。警察に通報するか迷ったんですが、これ以上嫌がらせを受けるのがホントに怖くて……。店長と相談した結果、警察沙汰は避けることにしました。今思えばですが、あの時の様子と今回の事件の立ち振舞いは重なる部分が多く、本当に怖かった」

すでに東京〜大阪間で多数の目撃情報が出ている宮崎容疑者。更なる余罪や、新たな奇行が明るみになるのも時間の問題なのかもしれない。

取材・文:栗田シメイ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190824-00000001-friday-soci
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c44

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
191. 中川隆[-8678] koaQ7Jey 2019年8月25日 16:14:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4071]


イールドカーブ逆転は何が問題なのかと、銀行株が暴落している理由
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2019年8月25日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8345


金融業界で最近話題になっているのがイールドカーブの逆転である。イールドカーブの逆転とは長短金利の逆転であり、つまり短期金利が長期金利を上回っている状態のことを指す。しかしイールドカーブの逆転はそもそも何が問題なのだろうか? この記事で一度纏めてみたい。

短期金利、長期金利

先ずそもそも長期金利や短期金利とは何かということだが、国債などの債券とはお金を貸した証拠となるものであり、債券の保有者は債券が満期になるまで金利を受け取り続け、満期になれば貸し付けた元のお金が返ってくることになる。この満期までの期間は1年であったり2年であったり10年であったりする。この期間の長さによって債券は短期であったり長期であったりするのである。

さて、では期間の長さによって債券の金利がどう変わってくるのかだが、金利とは貸付のリスクによって決まってくる。破産してお金が返ってこない可能性の高い借り手には高金利で貸し付けることになり、逆に破産する可能性の低い借り手には低金利で貸し付けられることになる。借り手が同じである場合、期間が長いほどその間に破産する可能性が高くなるため、基本的には長期の債券ほど金利が高くなるのが普通なのである。

長短金利逆転

さて、問題になっているのはその長短の金利が普通とは違って逆になる、つまり短期の金利の方が高くなる場合のことである。現在問題となっているのはアメリカの長短金利逆転なので、先ずはアメリカの各種金利を並べてみよう。

•政策金利: 2.00%-2.25%
•1年物国債: 1.73%
•2年物国債: 1.51%
•5年物国債: 1.40%
•7年物国債: 1.46%
•10年物国債: 1.52%

先ず一番高いのは一番短期の政策金利である。そこから徐々に低くなってゆき、一番低いのが5年物であり、そこから再び上昇している。

では、長短金利の逆転とはどれとどれの逆転かということだが、一般的には2年物国債(短期金利)と10年物国債(長期金利)を比べたもののことを言う。現時点ではかろうじて長期の方が高いが、これがひっくり返ったタイミングが最近あり、それが話題になっているのである。

長短金利が逆転すると金融関係者が慌て始める第一の理由は、逆転の後に実体経済が景気後退に陥ることが多いからである。長期金利は実体経済の成長率やインフレ率に左右されやすいが、短期金利は政策金利の今後の見通しを物語っているため、長期が低いのに短期が高いとは、経済の見通しが悪いのに中央銀行の設定する金利が高すぎることを意味している。

長短金利逆転の過去の例

過去の例ではどうなっているのだろうか。10年物国債の金利から2年物国債の金利を引いたものをチャートにすると、以下のようになる。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8345

ゼロ以下になった部分が長短金利が逆転した箇所であり、灰色の部分はアメリカ経済が景気後退になった期間である。

これを見ると、長短金利が逆転した直後にはほとんど毎回景気後退に陥っていることが分かる。1998年と2006年にはほんの少しの間長短金利が逆転した後、一度持ち直してから再び長短金利が大きく逆転しており、今回の逆転を「少しの間逆転しただけでは景気後退のサインとならない」と主張した当局関係者が居たのも頷ける。ただ、そうした場合もその後もう一度逆転した後に景気後退に陥っているのである。

やはり、このチャートを見ると長短金利逆転は景気後退の前触れとして大きな意味を持っているようである。しかし、それは来年かもしれないし、3年後かもしれない。最初に逆転してからどれくらいで景気後退になるかには差があるようである。

長短金利逆転は景気後退の原因か

ただ、長短金利逆転は景気後退の直接的原因というわけではない。長期金利が低いこと自体は経済にとって好条件である。短期金利が高くとも、実体経済に影響するような住宅ローン金利や自動車ローン金利などは長期金利をもとに決定される。

ただし、長短金利が逆転すると立ち行かない業界が一つある。銀行業である。銀行は消費者から預かった預金を企業などに貸し付ける商売であり、一般的に預金は短期の預かりで、企業向けの貸し付けは長期の貸し付けである。長期より短期の方が高いと、企業から受け取る金利より預金者に支払う金利の方が高くなってしまい、商売をするだけ赤字になってしまう。

銀行株が世界的に大暴落しているのはそういう理由である。例えば以下はアメリカの大手銀行Wells Fargoの株価チャートである。

2018年初頭がピークで、そこから大暴落している。アメリカの株価指数S&P 500は2018年の下落から持ち直していることを考えれば、銀行株が特に下落していることが分かる。

銀行株の下落トレンドは世界的なものであり、日本株でも銀行株はかなり不調である。UFJや三井住友などは株価収益率が7前後にまで落ち込んでいる。

結論

こうして見ると、2018年は銀行株の絶好の売り時だったと言える。筆者は株の空売りを2018年の秋前に始めたため、2018年初頭に天井を迎えた銀行株を売るタイミングを逃してしまったが、リスクオフによって金利が低下し、しかも中央銀行の対応が遅れることが予想されるとき、それがもたらす結果は長短金利差の縮小であるため、銀行株の空売りはかなり旨味のあるトレードである。

今から思えばそれを逃してしまったわけだが、自分のトレードにあまり不満は言わないでおこう。予想はほとんどすべて当たり、株とドル円の空売りで充分利益が出ているからである。これで文句を言えば罰が当たるというものだろう。

•日経平均の空売りを利益確定、ドル円の空売りへ完全移行 (2019/6/5)
•ドル円下落の原因と世界同時株安の今後の見通し (2019/8/14)

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8345

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c191

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
329. 中川隆[-8677] koaQ7Jey 2019年8月25日 19:10:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4072]
2019年03月22日
ホテルの宿泊客1600人がこっそり盗撮されライブストリーミングされていたことが韓国で発覚
https://gigazine.net/news/20190322-south-korea-spycam-live-streamed/

近年は小型で高性能なカメラによる盗撮被害が多発しており、「民泊サービスのAirbnbを利用したら部屋に隠しカメラが仕掛けられていた」といった事例も報告されています。特に韓国では隠しカメラによる盗撮が社会問題化しており、「宿泊施設に仕掛けられたカメラで撮影された1600人もの映像がライブストリーミングで配信されていた」という事件が発生したと報じられました。

South Korea spycam: hundreds of motel guests secretly filmed and live-streamed online - CNN
https://edition.cnn.com/2019/03/20/asia/south-korea-hotel-spy-cam-intl/index.html

韓国では隠しカメラによる盗撮被害が年間6000件以上も届けられており、「盗撮先進国」ともいえる状態だそうです。盗撮された映像はポルノサイトなどで共有されることもあるため、公共施設の利用時には隠しカメラが仕掛けられていないかのチェックが欠かせないとのこと。

盗撮先進国の韓国では公共施設利用時に隠しカメラのチェックが欠かせない - GIGAZINE



そんな中、韓国にある30の宿泊施設のうち42部屋に隠しカメラを仕掛け、合計1600人もの宿泊客を盗撮していたとして2人の男が逮捕されました。警察はほかにも事件に関係した人物がいるとして捜査を進めていますが、宿泊施設の運営者が直接盗撮に関わっていたとは考えられないとのこと。

警察によると隠しカメラはテレビや壁に設置されたコンセント、ヘアドライヤーのホルダーなどに仕掛けられており、撮影した映像はインターネット上にライブストリーミング配信されていました。配信サイトには4000人もの会員が登録しており、そのうち97人は特定のライブストリーミングをもう一度再生できるオプションなどをゲットするため、月額44ドル95セント(約5000円)を支払っていたそうです。2018年11月から2019年3月までの間に、サイト運営者は6000ドル(約67万円)もの売り上げを得ていたとみられています。



隠し撮りの被害に苦しむ韓国の女性たちは2018年にソウル中心部で大規模なデモを行い、「私たちの人生はあなたのポルノではない」と抗議の声を上げました。韓国政府もこの事態を重く見ており、警察の特別チームが市内の公衆トイレを定期的に検査したり、盗撮に対する刑の厳格化を検討したりといった動きも出ているそうです。2018年には盗撮映像が多くアップロードされていたポルノサイト「Soranet」が閉鎖され、運営者が4年の懲役刑を宣告されています。

その一方で、盗撮映像をインターネット上にアップされた女性は心に大きなダメージを負ってしまうと、女性の盗撮映像をインターネット上から削除する専門家であるLee Ji-soo氏は述べています。「私のクライアントの多くが、『死んでしまいたい』『家から出られない』といった悲痛な叫びを訴えています。盗撮映像の被害者らは、道行く人々がどこかのポルノサイト上で自分のことを見たのではないかと感じているのです」と、Ji-soo氏は語りました。
https://gigazine.net/news/20190322-south-korea-spycam-live-streamed/
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c329

[近代史3] 朝鮮人は頭がおかしい _ あるのはウソだけのめんどくさい国 中川隆
12. 中川隆[-8676] koaQ7Jey 2019年8月25日 19:11:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4073]
2019年03月22日
ホテルの宿泊客1600人がこっそり盗撮されライブストリーミングされていたことが韓国で発覚
https://gigazine.net/news/20190322-south-korea-spycam-live-streamed/

近年は小型で高性能なカメラによる盗撮被害が多発しており、「民泊サービスのAirbnbを利用したら部屋に隠しカメラが仕掛けられていた」といった事例も報告されています。特に韓国では隠しカメラによる盗撮が社会問題化しており、「宿泊施設に仕掛けられたカメラで撮影された1600人もの映像がライブストリーミングで配信されていた」という事件が発生したと報じられました。

South Korea spycam: hundreds of motel guests secretly filmed and live-streamed online - CNN
https://edition.cnn.com/2019/03/20/asia/south-korea-hotel-spy-cam-intl/index.html

韓国では隠しカメラによる盗撮被害が年間6000件以上も届けられており、「盗撮先進国」ともいえる状態だそうです。盗撮された映像はポルノサイトなどで共有されることもあるため、公共施設の利用時には隠しカメラが仕掛けられていないかのチェックが欠かせないとのこと。

盗撮先進国の韓国では公共施設利用時に隠しカメラのチェックが欠かせない - GIGAZINE



そんな中、韓国にある30の宿泊施設のうち42部屋に隠しカメラを仕掛け、合計1600人もの宿泊客を盗撮していたとして2人の男が逮捕されました。警察はほかにも事件に関係した人物がいるとして捜査を進めていますが、宿泊施設の運営者が直接盗撮に関わっていたとは考えられないとのこと。

警察によると隠しカメラはテレビや壁に設置されたコンセント、ヘアドライヤーのホルダーなどに仕掛けられており、撮影した映像はインターネット上にライブストリーミング配信されていました。配信サイトには4000人もの会員が登録しており、そのうち97人は特定のライブストリーミングをもう一度再生できるオプションなどをゲットするため、月額44ドル95セント(約5000円)を支払っていたそうです。2018年11月から2019年3月までの間に、サイト運営者は6000ドル(約67万円)もの売り上げを得ていたとみられています。



隠し撮りの被害に苦しむ韓国の女性たちは2018年にソウル中心部で大規模なデモを行い、「私たちの人生はあなたのポルノではない」と抗議の声を上げました。韓国政府もこの事態を重く見ており、警察の特別チームが市内の公衆トイレを定期的に検査したり、盗撮に対する刑の厳格化を検討したりといった動きも出ているそうです。2018年には盗撮映像が多くアップロードされていたポルノサイト「Soranet」が閉鎖され、運営者が4年の懲役刑を宣告されています。

その一方で、盗撮映像をインターネット上にアップされた女性は心に大きなダメージを負ってしまうと、女性の盗撮映像をインターネット上から削除する専門家であるLee Ji-soo氏は述べています。「私のクライアントの多くが、『死んでしまいたい』『家から出られない』といった悲痛な叫びを訴えています。盗撮映像の被害者らは、道行く人々がどこかのポルノサイト上で自分のことを見たのではないかと感じているのです」と、Ji-soo氏は語りました。
https://gigazine.net/news/20190322-south-korea-spycam-live-streamed/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/193.html#c12

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
257. 中川隆[-8675] koaQ7Jey 2019年8月26日 02:44:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4074]

◆日本神話の源流 2016年10月28日
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru/e/00c1636e1c904cfe1241e6c4017993ad


 さて、書紀における海幸山幸の説話は本編のほかに一書が第1から第4まである。それぞれに内容がしっかりと書かれていて全部合わせるとかなりのボリュームになり、神代巻の中では出雲神話に次ぐ文量である。このことは海幸山幸神話が神代巻の中でも特に重要な意味を含んでいるということだ。

 文化人類学者の後藤明氏によると、海幸山幸神話には釣針喪失譚、異境探訪譚、大鰐に乗る話、異類婚のモチーフなどが見られ、これらのモチーフは東南アジアや南太平洋にその源流が認められるという。後藤氏が雑誌「Seven Seas」に投稿された記事をもとに少し確認しておきたい。

 海幸山幸神話は弟の山幸彦が兄の海幸彦の釣針を失くしてしまうことが発端になる。これと同じような発端を持つ神話はスラウェン(旧セレベス島)の北端のミナハッサ地方に伝わる話など、インドネシア付近に多く、さらに釣針を失くして探しに行く話は同じくインドネシアのチモール島、ケイ島、メラネシアのソロモン諸島、あるいはミクロネシアのパラウ諸島など南太平洋に連綿と見いだせるという。

 次に大鰐に乗る話。海幸山幸神話の一書(第1)や一書(第3)では山幸彦が海神の宮から戻るときに鰐に乗って戻ったとあり、また一書(第4)では海神の宮に行くときに鰐に乗っている。鰐は古事記の因幡の白兎にも登場する。この鰐は鮫であると言われているが、中国の揚子江流域には淡水性の鰐がおり、東南アジアのマレー鰐もかつては中国南部海岸にまで棲息していた可能性があるらしい。鰐が日本に棲息していたかどうかはわからないが、中国から鰐の知識が持ち込まれて鮫のイメージと融合して定着した可能性があるという。そして鰐のような大きな水棲動物に乗って海上を移動する話はマレー半島をはじめとする東南アジアに多く見つけられる。

 山幸彦は海神の娘の豊玉姫と結婚したが、この豊玉姫は鰐であった。このように人間と動物との結婚は異類婚と呼ばれる。ベトナム、ミャンマー、カンボジアなど東南アジアの王権起源の神話にはこの異類婚が多く、人間の男が動物の女と結婚して息子を作り、その子が新たな王国をつくるというストーリーが一般的だという。

 これに対して、学習院大学の名誉教授で芸能史学者の諏訪春雄氏の説を見てみたい。諏訪氏によると、記紀の天孫降臨神話は朝鮮半島から内陸アジア地域にかけて広く分布する祖神の天降り神話に由来するという定説に対して、南方の長江流域の少数民族社会にも祖先が穀物を持って天から下ったという神話や伝説が流布していることから、天孫降臨神話は北方諸民族の山上降臨型神話によってその骨格が形成され、これに天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる南方農耕民族の神話が融合して誕生した、と唱えた。出雲の根の国神話についてもその由来を長江流域の少数民族の神話や伝説に求めることができるという。さらに諏訪氏は、東南アジアの兄妹始祖洪水伝説の系列に属するとされていた記紀の国生み神話が、実は長江流域に数多く発見される洪水神話に基づくことを論証し、東南アジアで発見される洪水神話もその分布状況から判断して中国から伝播したものである、つまり洪水神話はその源流は長江流域であるとしている。そしてこれと同じ理屈で、海幸山幸神話の原型も長江流域の伝承が取り込まれたのだと主張する。

 諏訪氏によると、海幸山幸神話のみならず日本神話の源流を東南アジアに求める傾向があり、その理由を2つ挙げている。第1の理由は、中国神話の調査が不十分だったということ。中国は幾度も王朝が交替したが、そのたびに新しい歴史が作り直され、前王朝の遺制が破壊されて体系的な神話や伝承が後世に残されなかったということ。第二の理由は、それに比べて東南アジアの研究がはるかに進んでいたということ。しかもその研究のほとんどは欧米の学者によるものだという。欧米の研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くために著しく立ち遅れていた。これによって日本神話の原型を東南アジアに求める傾向が強くなったという。
 
 海幸山幸神話は東南アジアから来たものか、それとも中国長江流域からのものか。東南アジアに由来するとする考えが通説のようであるが、私は諏訪氏の主張に一票を投じたい。神話の源流地とはその神話を書かせた当事者の源流地に他ならないと考えるからである。これまで何度も書いてきたように、記紀編纂を命じた天武天皇の源流は中国江南の地である、とするのが私の考えであるから。
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru/e/00c1636e1c904cfe1241e6c4017993ad

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c257

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
28. 中川隆[-8674] koaQ7Jey 2019年8月26日 02:45:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4075]

◆日本神話の源流 2016年10月28日
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru/e/00c1636e1c904cfe1241e6c4017993ad


 さて、書紀における海幸山幸の説話は本編のほかに一書が第1から第4まである。それぞれに内容がしっかりと書かれていて全部合わせるとかなりのボリュームになり、神代巻の中では出雲神話に次ぐ文量である。このことは海幸山幸神話が神代巻の中でも特に重要な意味を含んでいるということだ。

 文化人類学者の後藤明氏によると、海幸山幸神話には釣針喪失譚、異境探訪譚、大鰐に乗る話、異類婚のモチーフなどが見られ、これらのモチーフは東南アジアや南太平洋にその源流が認められるという。後藤氏が雑誌「Seven Seas」に投稿された記事をもとに少し確認しておきたい。

 海幸山幸神話は弟の山幸彦が兄の海幸彦の釣針を失くしてしまうことが発端になる。これと同じような発端を持つ神話はスラウェン(旧セレベス島)の北端のミナハッサ地方に伝わる話など、インドネシア付近に多く、さらに釣針を失くして探しに行く話は同じくインドネシアのチモール島、ケイ島、メラネシアのソロモン諸島、あるいはミクロネシアのパラウ諸島など南太平洋に連綿と見いだせるという。

 次に大鰐に乗る話。海幸山幸神話の一書(第1)や一書(第3)では山幸彦が海神の宮から戻るときに鰐に乗って戻ったとあり、また一書(第4)では海神の宮に行くときに鰐に乗っている。鰐は古事記の因幡の白兎にも登場する。この鰐は鮫であると言われているが、中国の揚子江流域には淡水性の鰐がおり、東南アジアのマレー鰐もかつては中国南部海岸にまで棲息していた可能性があるらしい。鰐が日本に棲息していたかどうかはわからないが、中国から鰐の知識が持ち込まれて鮫のイメージと融合して定着した可能性があるという。そして鰐のような大きな水棲動物に乗って海上を移動する話はマレー半島をはじめとする東南アジアに多く見つけられる。

 山幸彦は海神の娘の豊玉姫と結婚したが、この豊玉姫は鰐であった。このように人間と動物との結婚は異類婚と呼ばれる。ベトナム、ミャンマー、カンボジアなど東南アジアの王権起源の神話にはこの異類婚が多く、人間の男が動物の女と結婚して息子を作り、その子が新たな王国をつくるというストーリーが一般的だという。

 これに対して、学習院大学の名誉教授で芸能史学者の諏訪春雄氏の説を見てみたい。諏訪氏によると、記紀の天孫降臨神話は朝鮮半島から内陸アジア地域にかけて広く分布する祖神の天降り神話に由来するという定説に対して、南方の長江流域の少数民族社会にも祖先が穀物を持って天から下ったという神話や伝説が流布していることから、天孫降臨神話は北方諸民族の山上降臨型神話によってその骨格が形成され、これに天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる南方農耕民族の神話が融合して誕生した、と唱えた。出雲の根の国神話についてもその由来を長江流域の少数民族の神話や伝説に求めることができるという。さらに諏訪氏は、東南アジアの兄妹始祖洪水伝説の系列に属するとされていた記紀の国生み神話が、実は長江流域に数多く発見される洪水神話に基づくことを論証し、東南アジアで発見される洪水神話もその分布状況から判断して中国から伝播したものである、つまり洪水神話はその源流は長江流域であるとしている。そしてこれと同じ理屈で、海幸山幸神話の原型も長江流域の伝承が取り込まれたのだと主張する。

 諏訪氏によると、海幸山幸神話のみならず日本神話の源流を東南アジアに求める傾向があり、その理由を2つ挙げている。第1の理由は、中国神話の調査が不十分だったということ。中国は幾度も王朝が交替したが、そのたびに新しい歴史が作り直され、前王朝の遺制が破壊されて体系的な神話や伝承が後世に残されなかったということ。第二の理由は、それに比べて東南アジアの研究がはるかに進んでいたということ。しかもその研究のほとんどは欧米の学者によるものだという。欧米の研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くために著しく立ち遅れていた。これによって日本神話の原型を東南アジアに求める傾向が強くなったという。
 
 海幸山幸神話は東南アジアから来たものか、それとも中国長江流域からのものか。東南アジアに由来するとする考えが通説のようであるが、私は諏訪氏の主張に一票を投じたい。神話の源流地とはその神話を書かせた当事者の源流地に他ならないと考えるからである。これまで何度も書いてきたように、記紀編纂を命じた天武天皇の源流は中国江南の地である、とするのが私の考えであるから。
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru/e/00c1636e1c904cfe1241e6c4017993ad

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c28

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
258. 中川隆[-8673] koaQ7Jey 2019年8月26日 02:58:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4076]
第109回 二宮報徳会 A-2宮脇淳子先生講演
中編「かわいそうな歴史の国の中国人」2015.7.26 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jyAe4tRrue4

に出て来ますが


華南では川を江と書く

華北では川を河と書く

朝鮮では川を江と書く

つまり、朝鮮の稲作文化は長江の稲作民の文化が山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの

弥生文化も朝鮮から伝わったものではなく、山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c258

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
29. 中川隆[-8672] koaQ7Jey 2019年8月26日 02:59:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4077]

第109回 二宮報徳会 A-2宮脇淳子先生講演
中編「かわいそうな歴史の国の中国人」2015.7.26 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jyAe4tRrue4

に出て来ますが


華南では川を江と書く

華北では川を河と書く

朝鮮では川を江と書く

つまり、朝鮮の稲作文化は長江の稲作民の文化が山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの

弥生文化も朝鮮から伝わったものではなく、山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c29

[リバイバル4] WE350B _ ウエスタン・エレクトリックの真空管の中でも特に濃厚な音がするビーム管の最高傑作 中川隆
4. 中川隆[-8671] koaQ7Jey 2019年8月26日 06:56:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4078]

最初から6L6で設計されたアンプに350Bを使うと合わないそうです。
試された方は拡声器の様にうるさくなってしまったとか。

350Bで設計されたアンプは6L6に差し替えても大丈夫だけれど。

6L6は民生RCAが開発、350BはWesternが開発したけれどスペックでは350Bが圧倒している。


http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/132.html#c4

[外国人参政権・外国人住民基本法01] トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか? 中川隆
112. 中川隆[-8670] koaQ7Jey 2019年8月26日 08:07:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4079]

余剰トウモロコシは安倍首相が買ってくれるとさ 2019-08-26
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12511970889.html


 ブルームバーグ紙の上級国際政治レポーター、Jennifer Jacobs氏が、
「トランプ大統領は、中国が買わないので、余ったトウモロコシを安倍首相に買ってもらう」
 と、発言したとツイートしました。

https://twitter.com/JenniferJJacobs/status/1165620704710156292
Jennifer Jacobs@JenniferJJacobs
Breaking: Trump says US has excess corn because China has failed to follow through on agreements so Abe is going to be buying all that corn.
“We just agreed to that on the other side of the door,” Trump reveals.
Abe says, well, Japan’s private sector will be buying the corn.』

(約:トランプ大統領は、中国が協定を順守しないため、アメリカは過剰なトウモロコシを保有しており、安倍首相はその全てを買うと発言。我々はドアの向こう側で合意したばかりだ。安倍首相が言うには、日本の民間セクターがトウモロコシを買うとのことだ。)、
 
 「民間セクター」で膨大なトウモロコシを購入することができるのは、全農くらいしか思いつきませんが、農協改革(全農株式会社化)を利用した圧力か何かで、トウモロコシ購入を「要求」するのでしょうか。


 カーギルという穀物メジャーのために、全農の株式会社化を図り、同時にトランプ大統領の「指示」を受け、強引に全農にトウモロコシを買い取らせる、くらいのことは、平気でやりそうです、今の安倍政権は。


 一応、書いておきますが、アメリカ産トウモロコシは、100%近くが遺伝子組み換えです。


 バイエル(モンサント)のグリホサートの発癌性の問題で、世界各国(アメリカ含む)がラウンドアップを拒否し始めたならば、


1.日本にグリホサートの残留基準値を大幅に緩和する(2017年12月)
2.「ご家庭で使える安心な除草剤」としてラウンドアップを日本に広める(本当にこのキャッチフレーズでプロモーションしている)

 中国との覇権戦争でトウモロコシの在庫が過剰になれば、日本に引き取らせる。
 

 日本国民のためではなく、アメリカ様のビジネスのために動く。これが、安倍政権というわけです。


『日米首脳、貿易交渉で基本合意 9月下旬に署名へ 農産品関税はTPP並み

 安倍晋三首相とトランプ米大統領は25日、主要7カ国首脳会議(G7サミット)にあわせてフランスのビアリッツで2度会談し、日米貿易交渉で基本合意した。トランプ氏は2度目の会談で「(9月下旬にニューヨークで開く)国連総会をメドに署名できるようにしたい」と語った。

 首相も「9月に首脳会談し(貿易協定案に)調印することを目標にしたい」と表明した。両首脳は9月下旬に交渉を決着させることで一致した。トランプ氏が1回目の会談後に「非常にいい話なので、一緒に会見したい」と提案し、2回目の会談になった。

 貿易交渉は閣僚級協議で23日、重要品目の扱いに関して大枠で合意した。トランプ氏は25日「基本合意できた」と述べた。会談に同席した茂木敏充経済財政・再生相は記者会見で、農産品と工業品、デジタル経済の3つの分野で「意見の一致をみた」と説明した。

 ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表は25日、70億ドル以上の市場開放につながるとの考えを示した。首相は首脳会談で、貿易協定とは別に、米産の飼料用のトウモロコシを購入する考えをトランプ氏に伝えた。(後略)』

 飼料用トウモロコシとなれば、ますます全農に押し付けそうです。(全農は日本最大の配合飼料の輸入業者)


 日経の記事では、あたかも日米FTAが「TPP並」で終わりそうな印象を受けますが、そんなことはありません。何しろ、TPPで合意されていたはずの自動車の関税撤廃について、アメリカ側は拒否したのです。


 TPP交渉では、アメリカは、「25年間で、自動車関税を撤廃する」と約束しました。


 今回は、その約束は「なかったこと」になっており、日本側はTPPと同じ条件の譲歩を強いられ、かつ余剰トウモロコシを押し付けられる、

 トランプ大統領としては、満足のいくDeal(取引)でしょう。何しろ、日本側に何も譲らず、TPP+αの成果を出したわけですから。


 結局のところ、「政治」と「主権」が無いも同然の我が国は、世界各国の草刈り場、あるいはゴミ捨て場にならざるを得ないという話です。

 何故に、世界中がグリホサートの使用禁止に動いているときに、残留基準値の「引き上げ」をしなければならないのでしょうか(逆ならば分かりますが)。

 何故に、アメリカと中国の問題のツケを、押し付けられなければならないのでしょうか。


 もっとも、最大の問題は、上記が「現実」であるにも関わらず、
「内政はダメかも知れないけど、安倍政権の外交は素晴らしい!」
「トランプが中国を何とかしてくれる!」
 と、認●知的不●協和や現実逃避に閉じこもった国民が少なくないという点です。


 安倍政権は内政もダメですが、外交もダメです。というか、取り返しがつきにくい外交で次々に失策を続けているというのが、安倍政権の「外交成果」とやらです。もはや外交文書から「北方領土は日本に帰属」が消え、韓国が竹島で軍事演習に踏み切ったところで、「遺憾」「抗議する」で終わりでしょ。


 今回、日米FTAが結ばれますが、「枠組み」が作られてしまったため、今後も日本は市場開放を迫られていきます。最終的には、コメの関税撤廃まで行くでしょう。


 さらには、アメリカと中国が対立すると、そのツケは日本に押し付けられることになるのです。


 政治を、取り戻さなければなりません。

 日本国が「主権」に基づき、日本国民のための政治を行う。主語を「日本国民」とする政治を取り戻す。

 そのためには、まずは国民が「事実」を知らなければなりません。


 今回のJennifer Jacobs氏のツイートは、その「事実」をまざまざと見せつけてくれました。是非、拡散して下さい。

 絶望するためではなく、事実を知り、問題を解決するために。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12511970889.html
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html#c112

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
12. 中川隆[-8672] koaQ7Jey 2019年8月26日 08:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4077]
2013/6/18
三橋貴明には気をつけろ・・・「日本はこんなもんじゃない」という幻想
https://green.ap.teacup.com/pekepon/1155.html

 

■ 経済論では無く、「日本は韓国や中国より優れている」と証明したいだけ ■

三橋氏は、「韓国経済崩壊論」でネットから登場した人物です。

彼は経済学者では無く、中小企業診断士が本業の様ですが、
実は「三橋貴明」というのはペンネームなんだそです。

彼の「経済論」の目的は、「日本は韓国や中国より優れている」と証明する事の様に思えます。
それが、長引く景気低迷で悲観的になっている若者の心に希望を植え付けるのでしょう。
同時に、ネトウヨ的な現在の風潮にシンクロして支持を拡大します。

経済学者や経済を専門に学んだ人達は、議論がかみ合わないので無視していますが、
安倍総理に影響を与えている事などを考えると、彼の影響力は小さくはありません。
むしろ、ネットでの支持は高く、政治に興味の無かった若者を自民党支持者にしています。

■ 経済学の美味しい所をツマミ食いする合成経済学 ■

彼の「経済学?」は、現存の経済学の美味しい所を合成して出来上がっていますが、
都合の悪い所は、あえて無視する事によって独特の体系を作り上げています。

その最たる物が、「自国通貨建ての内国債は破綻しない」というものですが、
高率のインフレを「破綻では無い」とする事のスリカエでしかありあません。

国家や中央銀行は国民に対して責任を負う立場にあるので、
通貨や国債の信用を失う政策は普通は取りません。

しかし、政治家や政党は人気取りの為に、大衆迎合の政策に陥りがちで、
国債を増発したり、通貨を大量に発行して古来より財政破綻を繰り返しています。

その反省の元に、現在の中央銀行制度は成り立っており、
政府から独立して通貨を管理する事で、通貨の信用が損なわれる事を防いでいます。

現在の世界の経済は密接に絡み合っているので、
ドルかユーロか円のいずれかが崩壊しても、
世界経済はパニックに陥り、通貨が紙でしか無い事が急激に意識されます。

ですから、IMFは各国の財政状況や債務残高に口出ししますし、
通貨の信用を軽視する国は、徹底的に糾弾され、市場ではその国の通貨が暴落します。

■ ケインズが天国で嘆いている ■

三橋氏に限らず、リーマンショック以降、クルーグマンなどケインズ派が復活しています。

ケインズは「不況に際しては国家が財政出動して景気を下支えするべきだ」と主張し、
実際に世界恐慌の時には、アメリカではニューディール政策が実行されました。

ケインズ経済学は戦後も主流派でしたが、
各国の財政赤字が拡大した事で、だんだんと新古典派に主流の座を明け渡して行きます。

新古典派、特にシカゴ学派は、「市場原理を重んじる事で、経済は自律的に成長して行く」と主張し、
アメリカやイギリスでは金融革命という名の下に、様々な規制が撤廃されて行きます。
その結果、市場は不必要なまでに拡大し、自己崩壊を起します。
これが、リーマンショックです。

シカゴ学派の生み出した金融革命が失敗に終わると、
ケインズ派が再び台頭してきます。
「中央銀行に大量の通過を供給させて崩壊を防げ」と主張します。
さらに「政府は需要創出の為に財政を拡大しろ」という主張も高まります。

しかし、ケインズ政策の行き着く先にケインズは自覚的です。
結局破綻する事を彼は知っています。

だから彼は「アニマルスピリット」に期待し、
野心によるイノベーションが経済を活性化させると述べたのでしょう。
ですから、規制緩和や構造改革の元祖もケインズだと言えます。

■ アニマルスピリットをあえて無視する三橋経済論 ■

三橋貴明氏の経済論の不自然な所は、市場原理を軽視しているところです。

1) 日本国債の保有者は日本の金融機関だから、
   日本国債の金利が上昇しても日本国債の投売りは発生しない。

2) 世界経済の危機が深刻化したら、安全資産として日本国債が買われる

3) 金融危機が発生したら、景気が後退するのだから国債金利は低下する

三橋氏の主張は、ある意味において常識的です。
しかし、一方で想定外の危機を無視しています。

ケインズの言う所のアニマルスピリットは、人の欲望が経済の不安定化の要因で、
アニマルスピリットによって、非合理激な決断が為される事がるというものです。

アニマルスピリットが無ければ、経済は縮小し活力を失いますが、
アニマルスピリットが時として経済に回復不能なダメージを生み出します。

市場参加者は、普段は「日本国債は安全だ」と判断しています。
しかし、異次元緩和で混乱が発生した様に、
需給バランスが崩れる様な事態が発生すれば「日本国債は危険だ」と判断するはずです。

国債市場で巨額の資金を運用する担当者は、
金利が上昇し始めれば、損失が拡大するので、どこかの時点で国債を売却せざるを得ません。
本当は皆が売らなければ、金利上昇も抑制されますが、
市場を恐怖が支配すると、個人の合理性が優先され、合成の誤謬が発生します。

「誰かが売り抜けたら、自分が損失を被る」・・・これが市場原理です。

三橋氏が「日本国債は破綻しない」と主張する背景には、
危機に際しても、日本国債の市場参加者達は、市場にとっての合理的判断を下し、
個人の合理性を抑制出来ると信じているのです。

はたして「自国通貨建ての内国債」は崩壊しないのか、
私は日本国債市場で実際に運用を担当されている方に伺ってみたいと思います。

尤も、実際の運用は、もっとテクニカルな理論に基づいていて、
現状は「暴落」などというリスクは想定外なのでしょうが・・・。


■ いざとなったら日銀が日本国債を全部買えば良い ■

三橋氏は「日本国債が暴落したら日銀が全量買い取れば良い」と言っています。

1) 日銀の金利収入は国庫に返納される
2) 政府が国債を発行して、日銀が引き受ければ事実上国債金利は発生しない
3) 財政が拡大したら、その分日銀が引き受ければ良い

確かにその通りなのですが、これは政府通貨と同じ事になり、
政府が経済規模に応じて通貨を直接発行する事と何ら変わりありません。

「実は政府通貨が何故いけないのか?」という疑問に、誰も正しい解答は出来ないと思います。
政府が十分に自制的であるならば、通貨の不必要な増刷も避けられるはずです。
もし、政府通貨が許されるのであれば、政府は財政赤字を気にせずに、
必要と思われる量の通貨を自分で発行して、公共事業を推進する事も出来ます。

しかし、実際の世の中では、政府通貨は通貨システム最大のタブーとされています。
政府が勝手に通貨を発行したら、民主主義の元では人気取りの為に
政府は財政を拡大してばら撒きを続け、結局はインフレを招くとされています。

同時に、国内の通過量がどんどん増えて行くので、為替が下落します。
これも輸入価格の高騰を招き、結局はインフレを助長します。

実際にジンバブエなどはこのケースに近く、
自国通貨建ての内国債を大量に発行してそれを中央銀行がファイナンスしています。
その結果がどうなったかと言えば、ハイパーインフレが発生しています。

三橋氏は日本は供給力が有り余っているのだからインフレは発生しないと主張します。
しかし、日銀が国債を直接引き受けたと市場が判断すれば、
将来的なインフレを予測して、金融機関は手持ちの国債を手放そうと必死になります。
金利が極端に低い国債を保有し続けていては、金利上昇局面で損失が拡大するからです。

かくして、日銀が銀行などが保有する国債も市場から買い上げる事になり、
市場に一気に円があふれ帰ります。

この状況を見て国民は判断するでしょう?
私なら、預金を引き出して、現物で価値を保存しようとします。
皆が同じ行動に出ると思われるので、銀行はシャッターを開ける事が出来なくなります。
所謂、「取り付け騒ぎ」が発生し、預金封鎖が実行されるでしょう。

「日本国債が暴落したら日銀が全量買い取れば良い」などという発言は、
責任ある大人の発言とは思えません・・・。

これを口に出来るのは、「中央銀行制度はロスチャのシステムだから破壊しろ」と主張する
ちょっと頭のネジの緩んだ、私の様な陰謀論者だけです・・・。
あるいは、ロン・ポールの様な、過激なリバタリアンでしょう。

■ 高橋是清の政策を理解していない三橋貴明 ■

「昭和恐慌の際には高橋是清が日銀に日本国債を直接買い取らせたがハイパーインフレは起きていない」

これも三橋氏がよく使う言葉です。

1) 当時の国際市場は未発達だった
2) 日銀は買い取った国債を、再び売却してインフレを抑制していた。

この事実は無視です。

現在の日本国債市場は規模も大きく、取引も活発です。
日銀が日本国債を直接買い取ったら、
日本国債市場は瞬時に反応して暴落します。

尤も、国債市場が暴落した後に日銀の全量買取に進むので、
既に、この時点で、日本国債市場は存在意義を失っています。


■ 少子高齢化は低迷の原因では無いのか? ■


三橋氏は日本のデフレの原因は、緊縮財政に原因があると声高に叫びます。
少子高齢化で経済は縮小しないと主張します。

日本国債はどんなに発行しても暴落しないと主張しているので、
財政だって、必要なだけ拡大しても構わないというのが彼の主張です。

しかし、少子高齢化の日本では、労働者が減少し、高齢者が増加するのですから、
財政負担は何もしなくても拡大し、プライマリーバランスは悪化します。
納税者が減り、年金需給者や福祉の対象者が増えるのですから当然です。

三橋氏が良く引き合いに出すクルーグマンですら、
「日本の人口動態は酷い」と言っていま。

三橋氏の主張は、財政を拡大して、日本経済を成長軌道に乗せれば
税収も増加して、プライマリーバランスは改善するというものです。

間違ってはないなのですが、費用対効果の認識が欠落しています。
国土強靭化などで公共事業が増発された場合、
一度動き出した巨大事業は10年くらいは継続されます。

もし、財政を拡大しても名目GDPが拡大分しか増加しなければ、
その効果は一過性で、後には財政赤字と、
メンテナンスコストが掛かる不要なインフラが残されます。

高齢化の進行する日本で、これ以上のインフラは不要です。
むしろ、財政的には既存のインフラのメンテナンスで手一杯になります。

■ ストックがある内に作っておこう ■

一方、考え様によっては、財政拡大余力がある内に、将来の為のインフラを整備しておこう・・
こういう考え方も正しいと思います。

しかし、これは財政破綻を前提にした考え方です。
今の内に作っちゃって、財政破綻の高インフレで支払いはチャラ・・・・。

しかし、それにしたって、作るべきものは、将来の日本の発展に寄与する
都市部のインフラの強化が主体であるべきで、
海岸線を津波防止の高い防波堤で固めて、日本の景観を損なう事業であるはずがありません。

そんな物を作るくらいなら、津波襲来時の非難訓練を徹底したり、
非常用備蓄に予算を回す方が効果的です。
防波堤が整備される前に津波が襲う可能性もあり、
あるいは、防波堤が一部だけ整備された時点で、財政破綻を迎えるかも知れません。

スーパー堤防と同じ運命を歩むのは明確です。

■ 「国民の為」という欺瞞 ■

三橋氏は「国民の為」という表現も良く使います。
だいたい、こういう事を言う人物は、政治家同様に信用がなりません。

「国民の為」と軽がるしく口にする人物の主張は、
メリットだけが強調され、デメリットやリスクが過小に評価されています。

政府が財政を拡大しても、将来的な税収の増加でバランスする・・・・。

財政拡大に現在の私達の懐は痛みません。
しかし、将来の税金は誰が払うのでしょう?
思った様に税収が伸びない場合は、増税が待ち受けています。

「今の君たちに利益があるのだから」というタダ乗りの理論は、大衆受けします。

■ 「日本の実力はこんなもんじゃない」という洗脳 ■

三橋氏が若者の支持を集める最大のポイントは、
「日本の実力はこんなものでは無い」という若者の自尊心をくすぐる言葉です。

製造業で韓国や中国に押され、20年以上も不景気の底に沈む日本で、
若者は失望の内に暮らしています。

そこに救世主が現れ「おまえ達はもっと出来る子だよ」と甘言を弄しているのです。
「中国や韓国は見かけだけで、本当にすごいのは日本人だよ」と囁きます。

最近のネトウヨの深層心理に見事に迎合する事で、三橋氏の支持は拡大しています。

■ 日露戦争前や第二次大戦前と似ている ■

現代の「経済宗教」である三橋教の雰囲気は、
日露戦争や第二次体制前の一部の言論に良く似ています。

そして、朝日新聞などが国民を煽った様に、三橋氏も若者を煽ります。
この雰囲気は非常に危険なものを感じます。

安倍総理は、彼に参議院選挙に立候補する様に要請したそうです。
三橋氏は断った様ですが・・・。

■ 個人のブログで個人を攻撃するのは好ましく無いが・・・ ■

基本的に個人のブログで個人の実名を挙げて攻撃する事は好ましくありません。
特に、匿名ブログであるだけに、卑怯とも言えます。

しかし、三橋氏は一種の「言論人」ですから、批判を受けるのは当然とも言えます。
批判に対して「抗弁」で対抗するのが「言論」であり、
本来、彼が「経済学」を批判するならば、それなりの「経済学者」が相手をすべきなのです。

しかし、あまりにも意見がかみ合わないのと、狂犬に触れると噛み付かれるので、
多くの経済学者は三橋氏を無視しています。

しかし、彼が多くの若者の支持を集め、安倍総理の信頼を得ているのなら、
その影響力を過小評価するのは危険だと思います。

池田信夫氏は、三橋氏を批判し始めましたが、
そろそろ、きちんとした経済学者が、批判を展開しても良い頃かと思います。

尤も、狂信者達は、それをも糧として信仰を深めてしまうのでしょう。


ケインズがあの世であきれています・・・。


最後に三橋貴明批判をブログで展開されている「meguのブログ」さんが痛快です。
三橋氏がリフレ論の根拠とする高橋是清についても詳しく調べていらっしゃいます。

http://megu777.blogspot.jp/2013/01/vs.html

少々、市場を妄信しすぎている感じもありますが、
まあ、経済を専門に勉強されている方からすると、
三橋氏の言説は相当頭に来るのかも知れません。


私はトンデモ論が好きですから、三橋氏の隠れファンではありますが・・・・。
この間、本も買っちゃたし・・・
でも直ぐにブックオフで売ったら100円にしかならなかった・・。

コメント

2019/6/18 14:24

投稿者:人力


ガリトン さん

最近のエントリーでMMTを議論しています。宜しければご覧になって下さい。

現在の経済はリアルな経済と資産市場というバーチャルな経済が重なり合っており、バーチャル経済は貪欲に資金を飲み込みます。これが金融政策のバッファーとなっているのでリフレ政策drもインフレ達成は容易ではありませんでした。そこで直接お金を国民にばら撒けば強引にインフレを達成し経済が活性化するというのがMMT支持者の本音ですが、既にアベノミクスの初期にクラウディングアウトが発生した様に、建設業を筆頭に限られた労働資源を政府と民間で奪い合う結果を生み出します。

そして、一旦は国民に配布された資金も、金利に引っ張られて資産市場でリスク運用されるので、国内景気の回復効果は限定的です。一方で、フリーランチは存在しないので、危機が一度発生して悪い金利上昇が始まると、金融政策も財政政策もこれをコントロールする術を持ちません。

テールリスクは見えにくく、時間的にも未来に押し込められているので、近視眼的な方々はこれを軽視し、いざ危機が発生すると「予測し得ない危機でブラックスワンだった」などと誤魔化します。

MMTは、劇薬ですが遅効性なので注意が必要です。

2019/6/18 11:40

投稿者:ガリトン


MMTが米国からやってきて物議を醸しだしていますが
が、どうでしょう。足元の国内の人物には見向きもしない
日本人も、海外、とくに欧米の情報には弱く、信用してし
まいやすくないですか。これまでの貨幣という常識の裏が
透けてみえてきました。

2018/8/21 20:33

投稿者:日本男児は文句を言わない


30歳以下の健康保険免除、所得税・住民税減税あるいは定期的に地域振興券を配布したほうが良いと思います。三橋何某や藤井何某の説明ですと、キャッシュフローが大きくなって終わりです。
三橋の話を一般家庭に置き換えると、消費者ローンから借りた100万円を、政府が0円にしてくれると言っているようにきこえます。日本人は皆、日本政府の連結子会社の従業員ですから、その従業員の負債を0円にするのは親会社である政府の役目となりますね。
交通関係と堤防や防衛の予算は、だいぶ無理に捻出しているのがわかります。
これでも不足していると感じている人がいるならば億単位のふるさと納税を実施して用途を「公共土木」に限定するしかありません。
三橋氏や藤井氏など国を思う気持ちは大事だと思いますしとても立派ですが、公共事業ではデフレ脱却や経済成長は難しいのが現実です。
三橋信者の人たちはまず、たとえ低賃金であっても地道に働いて汗を流してしっかり納税することがもっとも経済成長につながることを自覚してほしいです。
日本人が中国韓国より、素晴らしい民族であるならば、文句や不満をネット上であっても言わずにまじめに働くのではないでしょうか?日本男児ならできるはずです。

返信のコメントはしないでください。

2018/2/21 12:18

投稿者:人力


インフラ研究者 さん

最新の記事でちょっと妄想してみました。防災インフラの重要性は充分に理解しておりますが、インフラ整備の費用対効果が地方においては益々低下しる時代に、従来のシステムはいつか破綻し、「強制的な選択と集中」が発動する気がしてなりません。

欧米人は合理的思考で社会を改革しますが、日本は切り捨てる事が苦手で、結局は「どうにもならない事態」が問題を解決するのかな・・と。

2018/2/20 8:28

投稿者:人力


インフラ研究者 さん


感情的なコメントが多い当エントリーに、冷静で丁寧な書き込みを頂いた事、驚いています。じっくりご返答させて頂きたいので、先ずはお礼まで。


2018/2/20 4:43

投稿者:インフラ研究者


続き

>防波堤が整備される前に津波が襲う可能性もあり、あ
るいは、防波堤が一部だけ整備された時点で、財政破綻
を迎えるかも知れません。

近視眼過ぎるのではないかと思います.完工前に災害が
発生したら無駄だと言うのであれば,これまで整備して
きた防災インフラはどのような論理で整備されてきたの
でしょうか?いずれの防災インフラも完工前に災害が発
生するというリスクの中で実施されてきたのではないで
しょうか?完工前に災害が発生しても次の災害を防ぐ事
が出来ます.また,しっかりとした防災投資がなされて
いるという安心感がその地域における投資を活性化する
のではないでしょうか?
財政破綻が整備期間中に発生するという点,防災インフ
ラ投資のための起債が財政を圧迫することを念頭に置か
れているかと思います.しかし,防災インフラが災害時
に効果を発揮し,投資額以上の減災効果を生めば,防災
インフラを整備していないケースと比較してむしろ債務
を減らす効果があるのではないでしょうか.災害が起こ
る前に財政破綻が起こるというのであれば,数十年に渡
って発生するストック効果に主な意義を持つ防災・更
新・新設いずれのインフラ投資なんか無視し,債務返済
に当てたほうが良いことになります.しかし,年度の金
額で見ると,建設国債の発行額は6兆程度.それに対し
て日本の社会保障費は30兆円程度,プライマリバランス
赤字は20兆円.そして,債務残高は1200兆円.インフラ
が債務問題の本質とは思えません.

>高齢化の進行する日本で、これ以上のインフラは不要
です。
高齢化社会になると何故インフラが不要になるのでしょ
うか?高齢化は働き手不足の継続的な悪化を意味します
から,将来に向けて早めにインフラの質を高め,一人あ
たりの生産効率を高めるおくことが必要ではないでしょ
うか.正に■ストックがある内に作っておこう■に相当
するかと思いますがいかかでしょうか.

是非再考を期待したい所です.


2018/2/20 4:42

投稿者:インフラ研究者


三橋氏がどんな方かは存じませんが,インフラ投資に関
しては,以下の点もどうぞご検討頂け
ればと思います.

>海岸線を津波防止の高い防波堤で固めて、日本の景観
を損なう事業であるはずがありません。

十分な高さの防波堤を作らなかった結果として,海岸部
の景観どころか街そのものが台無しになった311の現実
があります.日本は世界でも最大級の津波が押し寄せる
国であり,津波を敵と考えれば世界最大規模の大きな城
壁(防波堤)があっても何らおかしなことではないかと
思います.投資によって防げる災害被害はどのようなも
のかという冷静な費用対効果の視点が重要です.「進撃
の巨人」が流行していますが,あの世界で景観が大事だ
から城壁を低くするという発想には至らないかと思いま
す.国防のような観点からの考察も必要ではないでしょ
うか.

>そんな物を作るくらいなら、津波襲来時の非難訓練を
徹底したり、非常用備蓄に予算を回す方が効果的です。

ソフト面の充実は大事なのですが,それによって防げる
ものは人命のみなのです.津波が生産施設を破壊するこ
とで日本の供給能力≒GDP≒税収源を毀損します.ある
いは供給力不足によるインフレもあるでしょう.当然,
人々の居住地も破壊されますから,その人々の保証や生
産設備の復旧などの財政支出が増大してしまいます.ハ
ードな防災は人命と広義な生活施設双方を災害から保護
します.是非,インフラのストック面にも着目した批評
をお願いしたい所です.

続く


2017/9/29 3:47

投稿者:人力


総入れ歯 さん

私の主張を短い文章でまとめている方が居ます。

「自国通貨で借り入れている安定した政府を持つ先進国は、危機がなければ、非常に高いレベルの借金を上げ続けることができることを私たちは知っている」 – ポール・クルーグマン


キーポイントは「危機が無ければ」です。そして、「危機」とは日本のおいては「金利上昇」。少子高齢化の日本では潜在成長率が既にマイナスに足を突っ込んでいるので金利上昇は起こり難い、さらに日銀が指値オペまで導入して金利を固定し、景気回復局面で消費税増税をぶつける・・・実に良く出来ています。

私は、次なる世界的な金融危機は必ず債権危機になると妄想していますが、これが国債に波及すると日本も他人事では居られないのはと想像しています。


2017/9/28 19:36

投稿者:総入れ歯


随分と長い文章ですが、三橋氏の主張は結局正しいのが分かりました。
三橋氏主張の対して正しいと思うとか正解ですばっかり。

2017/7/24 12:04

投稿者:人力


学者 さん

下の返答にも書いたのですが、日本の成長率が財政拡大で改善するのか・・・多分、労働力の不足がネックになって民間事業を圧迫するので、これ以上の公共事業の拡大は現在の日本では無理が在ります。これ、建築業界に携わっている人には常識かと。

単純労働を移民で受け入れる手段も在りますが、既に日本は研修生制度によって世界で4番目の移民大国になっていたと記憶しています。これ以上の外国時に労働者の受け入れは、三橋氏らが嫌う事では無かったでしょうか?

財政的には既存インフラの整備維持で手一杯であり、さらに無駄な公共事業に振り向ける予算は在りません。公共事業が無駄を生み出す事は東北の復興を見れば明らかで、既に多くの住民が津波の被災地域から高台などに転居する中で、高い防波堤が着々と整備され守るべき街は最早そこには無い地域も在ります。

復興に結び付けた補助金のばら撒きもヒドイイ状態で、それが将来的に地域の発展に結びつく物は少ないでしょう。

人口が減少する国家でGDPがマイナス成長する事が当たり前ですが、構造改革や規制緩和は嫌だ、財政拡大や金融緩和は賛成だ・・・これで国が将来的に維持出来るのなら見てみたい。

問題とすべきは少子化対策ですが、これは既に遅すぎて手遅れ。後は移民の受け入れしかありませんが・・・世界が隠れ移民大国の日本の現状をいつまでも容認するとも思えません。

イギリスなどはシタタカですから、EUに加盟して、EUの圧力で移民受け入れを国民に納得させ、移民が足りた所でEU離脱を選択しています。

先進国はどこの国も人口動態が悪化していますから、国内に移民という途上国を取り込んで搾取する事で経済成長を達成しています。これがイヤならば、低成長を受け入れるしか無いのでは?

https://green.ap.teacup.com/pekepon/1155.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c12

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
13. 中川隆[-8671] koaQ7Jey 2019年8月26日 09:01:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4078]
「三橋貴明」とか 山本太郎 の経済論は要するに、経済学の美味しい所をツマミ食いする合成経済学で
本質を理解している訳じゃないんですね。

そもそも数学もできない「三橋貴明」や 山本太郎に経済理論が理解できる筈もないしね。

「三橋貴明」の歴史の話はすべて長浜浩明の受け売りで、「三橋貴明」自身は歴史学も考古学も遺伝学も民族学も知識は完全にゼロ

チャンネル桜の番組に出ている自称専門家の意見をそのまま鵜呑みにしているだけなんですね。

「三橋貴明」とか 山本太郎 の経済論もすべて他人の受け売りでしょう。
信じると豪い目に遭います
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c13

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
29. 中川隆[-8670] koaQ7Jey 2019年8月26日 09:42:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4079]
2019年8月25日
【三橋貴明】邪馬台国はどこにあったのか?
https://38news.jp/economy/14445#comment-25770

【近況】
経世史論で長浜浩明先生のコンテンツ
「邪馬台国はどこにあったのか?」が
公開になりました。
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

長浜先生のコンテンツを視聴した上で、
魏志倭人伝を読むと、むしろ、

「何で、こんな明らかな問題
(邪馬台国の位置)で、日本の考古学者や
 歴史学者は揉め続けたんだろう・・・」

と、呆れかえること必至です。

怖いのは、例えば「日本人の遺伝子」や
「稲作の始まり」等、文献(史書)とは
無関係な研究をしている、
真面目な日本人学者であっても、
何らかの「古代史の嘘」に
囚われてしまっている点です。

例えば、日本で稲作が始まったのは、
陸稲方式では6千年前で、
水田稲作にしても3000年前(菜畑遺跡)
の水田跡が発見されています。

紀元前200年前後に、
渡来人とやらが稲作を日本に伝え、
弥生時代が始まった、という俗説は
完全なる嘘なのです。

それにも関わらず、多くの学者が

「紀元前200年前後に
 渡来人が稲作を伝えた」

という嘘に思考を縛られてしまっており、
菜畑などで、渡来人説を否定する遺跡が
次々に発見されても、

「いや、それは○○○○というわけで、
 渡来人が2300年前に
 稲作を伝えたのは間違いないから」

と、いわゆる認知的不協和に陥り、
目の前の「事実」を否定し、
持論を守る屁理屈を
考えようとするのです。

お分かりでしょうが、
いわゆる財政破綻論者と
そっくりなのでございます。

この手の連中を「改心」させることは、
財政破綻論者との長き
(といっても、十二年ほどですが)
戦いを経て、無理であることを
理解しています。

というわけで、三橋も長浜先生同様に、
「古代史の嘘」を暴き、
多くの国民で共有することを目的とした
「言論活動」に参入せざるを得ないと、
最近、考えるようになりました。

◆【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※特別コンテンツ「邪馬台国はどこにあったのか?(長浜浩明先生)」が、リリースになりました! 超絶的に面白いです。是非、ご入会下さい。

【三橋貴明】邪馬台国はどこにあったのか?への1件のコメント


長浜浩明先生がパラノイアだというのに気付けよ より 2019年8月25日 10:16 AM


>例えば、日本で稲作が始まったのは、陸稲方式では6千年前で、
水田稲作にしても3000年前(菜畑遺跡)の水田跡が発見されています。

>紀元前200年前後に、渡来人とやらが稲作を日本に伝え、弥生時代が始まった、という俗説は完全なる嘘なのです。


長浜浩明先生は弥生人は縄文人だと思いたいんだろうけど、
そもそも弥生人も現代日本人も縄文人の子孫じゃないよ。

青谷上寺地遺跡の弥生時代後期人骨に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では32人中31人が「渡来系」で、1人が「縄文系」と推定されています。一方、核DNA解析では、父系(YHg)の多数が「縄文系に近い」と分類されたそうです。
おそらく、現代日本人のYHgにおいて30〜40%と高い割合を占めているD1bなのでしょう。

しかし、現時点で確認されている「縄文人」およびゲノム解析で「縄文人」の変異内に収まる東北地方の弥生時代の男性は全員YHg-Dに分類されるものの、より詳細に分類できる個体は全員、YHg-D1b2aです。

一方、現代日本人で多いのはYHg-D1b1です。

YHg-D1bは、D1b1 とD1b2に分岐し、D1b2からD1b2aが派生します。つまり現時点では、現代日本人のYHgにおいて多数派のD1b1は「縄文人」では確認されていないので、弥生時代以降にアジア東部から到来した可能性が高いのです。

もし現代日本人のYHg-D1b1の多くが弥生時代以降の「渡来系」由来で、青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団の男性もYHg-D1b1だとしたら、 青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団は、母系では「渡来系」で父系では「縄文系」ではなく、どちらでも「渡来系」が圧倒的に優勢だったと考えられます。

おそらく

縄文人・アイヌ人は D1b2b でアイヌ語を話していた

四川省の涼山に住むイ族・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人は D1b1 で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた

____

イ族の鳥居は柱二本を縄で繋いで鳥の木像を載せたもので、日本の弥生遺跡でも沢山出ている

九州縄文時代の焼畑農耕もイ族と全く同じ農耕様式

イ族の太鼓を使った祭りも弥生時代の銅鐸の祭りと同じ
琉球のシャーマンもイ族のシャーマンと全く同じ

イ族の言葉は日本語に近い
イ族のY-DNAは九州縄文人や現代日本人と同じD1

中国には、なんと日本語を聞き取れる民族がいる!?=中国メディア  2018-08-30
http://news.searchina.net/id/1666373?page=1

四川省の涼山に住むイ族は三星堆文明の生き残り

近年脚光を浴びた三星堆文明は、これまでの中国文明と違って、誰が造り出した文明か今のところ断定が下されていないが、彝族の祖先が造った文明ではないかという説がある。

中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。

欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。

そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。

このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

____

長浜浩明先生は

天皇は縄文人の子孫であって欲しい
しかし、学会では天皇は朝鮮人だというのが定説

それで朝鮮人が縄文人の子孫だという新説をでっち上げる

しかし、それではアイヌ人が縄文人の子孫だという学会の定説と矛盾する

それで今度は

アイヌ人は13世紀に北海道に移住してきた外来民族だという新説をでっち上げる

チャンネル桜に出る自称専門家は全部このパターンなんだよ

https://38news.jp/economy/14445#comment-25770



▲△▽▼

長浜浩明先生がパラノイアだというのに気付けよ より
2019年8月25日 12:03 PM


ここにも見当外れの学会批判が書いてあったので、どこがおかしいのか指摘しておくね:

縦軸のナショナリズム、横軸のナショナリズム(後編)2019-08-24 07:47:16
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12510968420.html

>究極の「古代史の妄説」は、文句なしで江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」です。
>騎馬民族征服王朝説では、崇神天皇(崇神大王)が朝鮮半島南部から九州に渡り、応神天皇が九州から畿内を征服したということになっています。
> 「日本における統一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系(ふよけい)騎馬民族の辰王朝(しんおうちょう)によって、4世紀末ないし5世紀前半ごろに達成された」  
>と、江上は自著の「騎馬民族国家」で書いているのですが、これはもはや奇想天外なファンタジーとしか言いようがないのです。

江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」や「アイヌ起源説」自体は発表されるとすぐに批判が続出して認めた研究者は一人も居なかったけど、

江上波夫が言おうとしたのはそういう表面的な事ではないのですね。

1970年代までの学会の定説は

1. 日本人には縄文人と弥生人の二種類いて、現代人は弥生人の子孫である

2. アイヌ人と琉球人は縄文人の子孫である

そういう定説に対する批判として江上波夫は

1) 日本には縄文人と弥生人の二種類の他に、古墳時代に朝鮮から大陸系の別の民族が入って来て、古墳時代以降の支配者は弥生人ではなく朝鮮から入って来た民族だ。

2) アイヌ文化は縄文文化と全く違う、むしろアムール川流域のツングースの文化に酷似している。

の二つを主張したのです。

その後、江上波の主張の半分は正しかったのが明らかになりました:

@ 日本には縄文人と弥生人の二種類の他に、古墳時代に朝鮮から漢民族系の渡来人が入って来て、古墳時代以降の支配者は弥生人ではなく漢民族系の渡来人だ。

A アイヌ人には縄文人だけでなくツングース系のオホーツク人の遺伝子も少し入っている。
アイヌ文化はオホーツク文化の影響が非常に強い。

https://38news.jp/economy/14445#comment-25772


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c29

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
145. 中川隆[-8669] koaQ7Jey 2019年8月26日 10:09:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4080]


メインスピーカーをどう選択したか? その1 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年08月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a9f6db52125e3c4fed314fe301d9a0b8


50歳当時、メインスピーカーとしてJBL#4343を使っていました。4343は26歳の時に購入しました。ですので24年間ほど使っていたことになります。その間にアンプやCDPのグレードアップやケーブル類も揃えてきました。


JBL#4343は最後のSPとして購入したのですが、長く使っていると色々と気になる部分が出てきます。そのまま使っていても良かったのですが、2インチドライバー(JBL#375)を使ったシステムのサウンドを聴くと、#4343では「スケール感」が縮小版に聴こえてしまいます。


新たなメインスピーカーを作ろうと思い、どんなSPが良いだろうかと考えた時に、自分でアセンブルしいて「成長できるSP」にしようと考えました。成長させるSPのベース機として、和室でも洋室でもモダンなデザインで合う菱目格子の「JBL:オリンパス」を選択しました。


JBL:オリンパスシステムも調べてみると幾つかのユニットの組み合わせがあったのです。一般的にはS8Rシステムが有名ですが、S1やS6,S7、S8、S7R等のユニットの組み合わせがありました。S8とS8Rの違いは「ドロンコーン」が有るか無いかの違い、Rが付いているのは「ドロンコーン有」になります。


個人的には「ドロンコーン」が好きではないのでシングルウーハータイプの箱を探しました。D130と175DLHの組み合わせ(S6仕様)の箱を探して、たまたまその箱にはLE15Aが付いていました。前オーナーがLE15A+ガウスHF-3000に交換してありました。


自分で「アセンブル」してSPシステムを作る・・・と考えていましたので、他のユニット(#375・075・2405・LE85)やLX5や3105のネットワークも買い揃えました。一番悩んだのが「#375用のホーン」です。HL88(蜂の巣)、HL89(ゴールドウィング)、HL90(お化けホーン)のどれにするか?・・・非常に悩みました。最後の結論は「3つとも揃えてしまえ」でした。・・・結局その3つのホーンを使った3つのメインシステムが出来ました。・・・長くなるので今日はこの辺で・・・
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a9f6db52125e3c4fed314fe301d9a0b8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c145

[リバイバル3] 三瓶温泉で泉質断然 No.1 の「湯元旅館」が塩素消毒・濾過・加熱・循環湯の国民宿舎さんべ荘に絶対に敵わない理由 中川隆
19. 中川隆[-8668] koaQ7Jey 2019年8月26日 12:16:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4081]

2018年05月18日
石東ぬる湯ツーリング2018初夏:1日目その1
https://minkara.carview.co.jp/userid/2299163/blog/41496498/


頼んでもいないのに勤務表に3連休がついてた(またかよ)んで、どこ行くべぇと考えたとき、まず浮かんだのが三瓶温泉(島根県大田市)でした。去年の初秋にも行ったばかりなんですが、この4月にあった震度5強の島根県西部地震で三瓶の温泉街も被災したと知り、はやく様子を見にいきたいと思っていました。

そんなこんなで5月14日。高速深夜割引ねらいで朝4時前に大阪を出発。2、3日前まで午前中は雨の予報で、そのとおり前日の日曜は激しい雨に見舞われていました。スバル・レヴォーグでいくことも視野に入れていたんですが、日付が変わるころには何とかやんでくれました。


近畿道から中国道へ。雨はやんだとはいえ路面はウエットで気を遣います。西宮名塩SAで NC の給油がてらいきなりモーニングコーシー休憩に。夜が明けてきました。
alt


神戸JCTから山陽道へ。何も食べずに出てきたんで人間系も給油てことで三木SAで朝餉をいただきます。

alt


早朝の山陽道は雨あがりのところを太陽に照らされたせいなのか、あるいは寒冷前線が通りすぎたせいなのか、ともかくものすごい霧に包まれました。しかもツアラージャケットの下に長袖シャツだけでは震えるような寒さです。ひたすら山ん中を走る中国道から行っていたら軽く死ねそうな気がしました。


ともあれ西へ西へと進み尾道JCTから尾道道(無料区間)を北上。三次東ICで降りて三次市街を抜け、R375をさらに北へと向かいます。


江の川の流れを眺めながらの快走路です。
alt

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油断してると1車線狭路のワナにはまりますがw
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対岸には3月末で廃線になったばかりのJR三江線の軌道が続いています。
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全長 3,233m の長い長い両国トンネルのなかで県境を越えて島根に入ります。
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ここまで来たんならついでにと、天空の駅もとい旧JR宇都井駅(島根県邑南町)に立ち寄ってみました。ここに列車が着くことは、もうないんですね。
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ちなみに、国道からこんな細道を分け入っていかねばなりませんので、レヴォーグだったら途中でプチ後悔したでしょうw
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国道に戻ってしばらく走り、10時半すぎに潮温泉大和荘(島根県美郷町)に着きました。
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内湯は笹濁りの重曹食塩泉40.0℃〜41.3℃。湯温に幅があるのは20.3℃の源泉を投入しつつ、その付近の浴槽内から加温した湯を噴射している模様ですので。なんか聞いてたほどにはぬるくありませんでした。
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ともあれ独泉状態w
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大和荘は今月いっぱいで休業し、2年かけて建て直すそうです。新しい施設の仕様がどうなるのかは取材しそびれたんですが、湯遣いがもっとよくなるといいなあ、と期待しています。力のある源泉なのに現状の使い方はもったいなさすぎです。


敷地内では源泉が無料で提供されています。飲んでみると薄い塩味と鉄味のほかに炭酸味を感じました。
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湯あがりの休憩ついでに大和荘の食堂でランチをいただいていきます。鶏唐揚げとかかぼちゃの天ぷらとか冷や奴とか家庭料理ばかりではありますが、バイキングが \870 と格安なのです。

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とりあえず一巡目。白メシが旨い。
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隣の爺さんたちは、いきなり生中を飲んでいます。あっ、いまおかわりしたぞ(爆)
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2018年05月19日
石東ぬる湯ツーリング2018初夏:1日目その2
https://minkara.carview.co.jp/userid/2299163/blog/41498106/

13時前に潮温泉大和荘をあとにして再び江の川沿いを北上、同じ町内にある絶品ぬる湯へ向かいます。
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こんな鋭角を曲がって細道を下り、
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いつもの千原温泉 千原湯谷湯治場(島根県美郷町)にやって来ました。昨秋は雨で断念したのでリヴェンジを果たせました。
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足元湧出の食塩重曹泉34.5℃。
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極楽極楽♪
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ただただ快楽です。湯船では車中泊の下道ドライブで神戸まで帰る途中たらゆう爺さんと世間話を小一時間ほど。なんか「北朝鮮が−−−」たら「トランプは−−−」たらゆう話題ばかり振られて、相槌をうちながらもやや困っていましたw


このあと、三瓶山のまわりをちょっとうろうろしてひとり撮影会(寒)
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16時前にこの日の宿、三瓶温泉 国民宿舎さんべ荘(島根県大田市)に到着。
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おひとりさまなんですが何でか洋室ツインに案内されましたw
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お約束w
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ひと息ついたところで、さっそくお風呂をいただきにいきましょう。食塩泉の露天風呂にいくつもある湯船の中、酒樽30.8℃で1時間半近く放心していました。
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極楽極楽♪
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さて宿は素泊まりで予約したので、暗くならないうちに温泉街まで歩いて夕餉をいただきにいくことにします。お目当ては前回もおじゃました霧の海食堂 きっ川(島根県大田市)ですが、こちらも4月の島根県西部地震で被災したと聞き心配していました。


ド定番のジンギスカンは健在でした。
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ーーーーーーーーーーっw
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ただ、被災した店舗から鶴の湯の斜め向かいに仮移転しての営業です。もとはカフェだった空き店舗で、2週間ちょっとで営業再開にこぎ着けたそうです。
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被災した店舗は見た目、それほど壊れていないように思えましたが、厨房が壊滅状態とのこと。入り口には「危険 倒壊のおそれ」との判定が貼り出されていて、取り壊して再建をめざすということでした。
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大変な被害で再建への道のりは長く困難なものになりそうですが、必ず乗り越えてほしいと願っています。

島根県西部地震による被災ということで云うと、三瓶温泉では湯元旅館(島根県大田市)も大きな被害を受けて休業を余儀なくされています。
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客室が損壊した、という話を聞いていたので、宿泊はともかく立ち寄りだけでも再開してないかなと思ってダメモトで電話してみると、大女将がお出になりました。曰く「温泉は元気なんですが(途中の)廊下が危険で、見合わせてるんです」と。


「入れるようになったら、ぜひいらしてください」という大女将の言葉に、携帯を強く握りしめながら「はい」とお伝えしました。


夜も1時間ちょっと酒樽を漂い、風呂あがりに水分補給。この日ジョッキ1杯+3本目。
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この日の走行距離は 443.8km でした。
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2018年05月20日
石東ぬる湯ツーリング2018初夏:2日目その1
https://minkara.carview.co.jp/userid/2299163/blog/41502303/


明けて5月15日は宿の三瓶温泉 国民宿舎さんべ荘(島根県大田市)で朝湯から。男女入れ替えで向かって右側が男湯になります。


露天風呂の酒樽29.5℃。
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極楽極楽♪


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宝船30.0℃。極楽極楽♪

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独泉状態につきやりたい放題w


10時前にチェックアウト。今回もお世話になりました。
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さあ、近くの絶品ぬる湯からハシゴしていきましょう。K30を西の原のほうへ向かいます(コピペ)
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※前回とまったく同じ行動パターンやなwww


K286に折れてしばらく、レヴォーグでは通りたくないこんな細道を分け入ると(コピペ)
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小屋原温泉熊谷旅館(島根県大田市)に着きました。去年9月以来の再訪です(ほぼコピペ)
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こちらには3つの小さな浴室が並んでいて、日帰り客はこのうちひとつを1時間貸し切りにすることができます。勝手に二の湯と呼んでいる手前から2つめの、いちばん小さな浴槽を独泉(コピペ)
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含二酸化炭素・ナトリウム・マグネシウムー塩化物・炭酸水素塩泉37.8℃。


極楽極楽♪
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至福のひととき(はあと) 見よこの泡つきを。
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萌えポイント多数。
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湯あがりに身体を拭いたらタオルに小屋原の洗礼が。
https://minkara.carview.co.jp/userid/2299163/blog/41502303/



2018年05月22日
石東ぬる湯ツーリング2018初夏:2日目その2
https://minkara.carview.co.jp/userid/2299163/blog/41511900/


小屋原温泉 熊谷旅館(島根県大田市)の絶品ぬる湯を堪能し終えると、お昼前になりました。そろそろランチにしましょうか。ということで前回の忘れ物を取りにいくことにします。
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K40を東に戻って、やってきたのはうぐいす茶屋(島根県飯南町)です。昨秋のリヴェンジを果たしましたw
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割子そば旨し。やっぱりリピート確定です。
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この日も青空の広がるいいお天気に恵まれました。食後は腹ごなしに気持ちのいい三瓶山高原道路をぐるっとふたまわり(汗)
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次のお目当てまでにはまだちょっと時間があります。休憩がてら西の原の木陰で読書しながら待つことにしましょう。
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14時半になったので三瓶の温泉街に戻って、亀の湯(島根県大田市)に突撃です。お向かいの児玉商店のおばあちゃんに声をかけると「もうお湯は張ってあるころ」ということなので、ウキウキ気分で男湯の引き戸に手をかけました。


が。


カギかかかっていて開きません。店に戻っておばあちゃんに「カギかかってますけど」と云うと、「あ、4月から火曜は定休日になったんです。ごめんなさい、言うの忘れてて」と orz


きのう買い出しにきて「お風呂はあした入りにきますから」て云うたときに教えてほしかった.... orz


絶品ぬる湯で今回の湯めぐりを締めるつもりが、突然ハシゴを外された気分です。とにかく、やってないものは仕方がありません。時間は15時前でしたが今回はこれで切り上げて、下道をゆっくりゆっくり帰ることに。さんべ荘の売店でお土産を調達して失意のうちに帰路につきました。
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またK40を東へ戻ってR54を南下します。5kmちょっと走ったところで道沿いに日帰り温泉施設の看板が目に入りました。以前から存在は知っていたんですが、「どうせ沸かし湯やろ」て食指が伸びなかったので、いつも湯めぐりリストには入っていませんでした。ですが今回は時間をもてあまし気味ですので、ちょっと様子をのぞいてみることにしました。


交差点で県道に折れて少し走ると、頓原温泉 ラムネ銀泉(島根県飯南町)に着きました。玄関のプレートは改称前の「頓原温泉リフレッシュセンター」のままですね。
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内湯のみ含炭酸重曹食塩冷鉱泉の加温38.5℃。
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ぬる湯なのに汗がだらだら出てきます。ただ、含炭酸泉て云うわりに泡つきは2、30分も浸かってるとうっすらつくかなあ、て程度。1時間弱ほど入ってたら、最終的に独泉状態に。


極楽極楽♪
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湯あがりに体を拭くと、こちらでもタオルが鉄錆色の洗礼を受けました。
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17時半前に頓原をあとにして、再びR54をひたすら南下します。多くの車が松江道無料区間に流れるせいか平日の夕方、前にも後ろにもほぼ車がいません。対向車は2、3分に1台ペース。しかも県境を越えて広島・三次市街に入るまで一度も赤信号に引っかかりませんでした。巨費を投じて松江道を整備する必要があったのかどうか。


三次からも尾道道無料区間は使わずR184を南へと。「三良坂」「世羅」「御調」と、仕事では守備範囲内で知ってはいるものの実際に訪れたことはなかった備後の町々を自分の目で見ることができました。


尾道の市街に入るころには、すっかり暗くなってしまいました。ここまできたらラーメンいっとかなあかんやろ、てことで。


東珍康(とんちんかん、広島県尾道市)でド定番の尾道ラーメンをいただきました。国道を走りながら心引かれるものがあったんで、いったんは通りすぎたんですが空き地にバイクをとめて、50mほど歩いて戻って飛び込みました(爆) その場でググってみたんですが、ここ有名店やったん?(大汗)
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細麺にコクのある鶏ガラ醤油スープがよく絡み、満足なお味でした。
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店を出てR184を再び走り始めると、すぐにR2BPのランプが見えました。バイパスにあがる前に尾道ラーメンにありつけてラッキーでした。


さて、ここから行けるところまでR2を東進して大阪をめざします。しかしまあ、尾道−福山らへんと倉敷−岡山らへんのR2BPの流れの速いこと速いこと。とりわけ夜中のトラックは殺気立っている気さえします。


岡山・備前のコンビニでお茶休憩したあと、備前ICから山陽道へ。

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神戸JCTでちょっと大ボケかまして、できたばかりの新名神に迷い込むというハプニングがあり、予定より30分ほど遠回りして1時半前に帰宅。

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この日の走行距離は 511.8km でした。
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※備前で休憩してからハイドラを再開させたあとアプリが固まっていたらしく、淡河PAまでの位置情報が欠落 (--#


2日間の総走行距離は 955.6km。無事故無検挙 v(^^;


■おこづかいちょう

通行料:\7,840
燃料費:\3,477
宿泊料:\5,050
飲食費:\6,600
入湯料:\1,820
土産代:\1,600

計:\26,387


あーーーーー楽しかった!


おしまい。
https://minkara.carview.co.jp/userid/2299163/blog/41511900/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/528.html#c19

[リバイバル4] WE350B _ ウエスタン・エレクトリックの真空管の中でも特に濃厚な音がするビーム管の最高傑作 中川隆
5. 中川隆[-8667] koaQ7Jey 2019年8月26日 13:25:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4082]

「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年05月21日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/43b58b64fb161c8ef7ffab7309a31641

「北国の真空管博士」に電話して「何か目新しい情報はありませんか」とお訊ねすると、

「はい、このところ古典管が品薄になって高騰しているので、比較的手に入りやすい球で代用できるものがないか、もっぱらチェックしています。

アッ、そうそう、チューブ・オーディオ・ラボさんが新しいアンプを作られたそうですよ。出力管は6AR6です。


チューブオーディオラボ 6AR6シングルアンプタイプU   8/12 
http://shinkuukan2.web.fc2.com/2019/13/6AR6.html


〇〇さんにはなじみの薄い球でしょうが、3極管接続にすると「PP3/250=PX4」そっくりの特性になります。あなたが大好きなブリティッシュサウンドに変身しますよ。」

「ほう、それはぜひ試聴してみたいですね!」「それなら連絡をとってみましょう」

そして、すぐに博士から出力管「6AR6」についてメールが届いた。

「6AR6は1945年にベル研究所(WE)によってWE350Bの後継管として開発されたようです。 当時WE350Bはその信頼性の高さからレーダーの掃引用として使われていました。

しかしWE350Bは大型のため機器の小型化には問題が有りバルブを小型化した特殊なWE350B互換球を使用していたようです。

そこでレーダーに最適なコンパクトかつ信頼性の高い球として6AR6が開発されたわけです。 6AR6は極初期にWEが少量生産したのみでその後はTungsolに引き継がれました。

数社が製造したようですが圧倒的にTungsol製が多いです。 ビーム管として極めて優秀な6AR6ですが、私が検証したところ三極管接続にすると英国を代表する古典管の銘管PP3/250とほぼ同じ動作をするのです。

今回のチューブ・オーディオ・ラボさんによる6AR6シングルアンプは6FD7アンプ同様極力シンプルな構成として6AR6の素顔を存分に堪能できる内容となっています。

良質なインターステージトランスを使用して古典に倣った回路構成とすれば米系出力管でありながらブリティッシュ・サウンドが聴けるかもしれませんので今後の発展が楽しみです。」

とのことだった。

文中の「PP3/250」(英国マツダ)だが、めったにオークションに出てくることも無く古典管マニア垂涎の球としてつとに知られている希少管である。

我が家では英国系の出力管として「PX25=PP5/400」を愛用しているが、人によっては「PP3/250=PX4」の方が好きという方もいるほどで実力伯仲といったところだろう。

古典管の泰山北斗「博士」折り紙付きの「6AR6」アンプなので期待に胸を膨らませていたところ、昨日(20日)になって新アンプが我が家に到着した。

   

構成は初段管が「6SL7」、出力管が「6AR6」、整流管が「6BY5GA」。出力トランスは今どき珍しい「手巻き」で知られる「TSM Products」製。

さっそくスピーカーをJBLの「D123+075」で聴いてみたところ、ウ〜ン、これは素晴らしい!(笑)

パワー感、情報量、透明感、分解能など何ら不足を感じない。欠点のないアンプとはこういうアンプを指すのだろうか。

取り分け「PP3/250」と同じ動作をするという「6AR6」の中高音域の艶は流石で、アメリカ球なのにイギリス系のほのかな色香を感じさせるのが不思議。

これまで「PP3/250」アンプを聴いたことがないが、おそらく同等か、いやもしかしてそれ以上ではなかろうかと思わず夢が膨らんだ。

次にスピーカーを「AXIOM80」にして聴いてみた。

すると中高音域の情報量が多いせいかやや暴れ気味の感じがしたので取り付けている「AXIOM80」(復刻版)から「最初期版」への変更の必要性を感じたが、念のためにと前段管(6SL7)を「シルヴァニア」から手持ちの「STC」の「CV569=ECC35=6SL7」に代えてみたところ見事に暴れが収まって心地よい響きになったのには驚いた。

   

左がシルヴァニア(アメリカ)、右がSTC(英国)。

いずれにしても、JBLシステムもAXIOM80も気が遠くなるほどうまく鳴ってくれる!(我が家の試聴環境ではという条件付きです)

さあ、あとは購入するかどうか大いに心が揺れ動くが決め手は「懐」次第といったところですね。とりあえず「予約1号」として登録しておくことにしよう(笑)。

最後に、出来るだけ多くの方に聴いていただきたい(製作者)とのことなので、貸出しOKのようですよ。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/43b58b64fb161c8ef7ffab7309a31641
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/132.html#c5

[国際27] 米中経済覇権争いの余波がニッポンに来た ・・ 中国が輸入拒否の米のトウモロコシ 250万トン、同盟国の日本が購入 怪傑
1. 中川隆[-8666] koaQ7Jey 2019年8月26日 13:43:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4083]
すべて遺伝子組み換えで、牛馬の肥料にすると肉が毒性を持つ

もう日本の肉も食べられなくなる
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/275.html#c1

[近代史3] 平和よりも、もっと大切なものがある 中川隆
11. 中川隆[-8668] koaQ7Jey 2019年8月26日 14:04:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4081]

2019年08月26日
各国の「自国優先主義」中身は合理性よりプライドやメンツ優先


自国優先と言いながら自国の国益を犠牲にし、自分の体面を優先している人が多い


画像引用:https://static.blogos.com/media/img/233287/free_l.jpg

合理性のない世界

2019年になって世界の主要国ほとんどの首相や大統領が「自国優先主義」を打ち出し敵対する国を排除する政策を取っている。

米中、日韓、英仏独、インドやフィリピンやブラジルやミャンマーですら排外的な政策を取っている。

この自国優先主義だが、果たして外国を排除して自分の都合を押し付けるのが自国の利益なのか、大いに疑問がある。

例えば韓国は「北朝鮮への密輸をやめろ」という日本に反発し、事実上の断交のような態度を取っている。

北朝鮮への密輸での利益と日韓貿易の利益を比べれば、北朝鮮への密輸など辞めて日本との貿易を拡大するのが国家利益になる。

だが韓国の大統領府は国益に反して日本と断交し、経済的にも軍事的にも不利になる北朝鮮への接近を選んだ。


米中対立ではアメリカが「不公正貿易をやめて貿易黒字を減らせ」というもっともな要求をしたが、習近平は拒否している。

これも中国の国益を考えれば、アメリカの要求に少しずつ譲歩して、なるべく制裁を回避したほうが良い。

だが習近平はカッコよくアメリカの要求を跳ね除け、「超大国中国」の威厳を保つのを選んだ。


トランプは中国を制裁しているが、世界の貿易額が減ることでアメリカ自身も打撃を受け、少なくとも制裁しない場合より経済が停滞する。

本当にアメリカ優先主義ならば、米経済に打撃を与えない範囲で、もっと穏やかに事を運んだ方が良かった。

このように各国が言っている自国優先主義は、実際には自国優先でもなんでもなく、大統領や首相の腹いせとかプライドを保つために過ぎない。


北朝鮮に至っては、やることなす事すべて国益を損なっていて、自国破壊主義でしかない。

米中対立で合理的判断ができない中国

中国は19年8月23日、9月1日に対米追加報復関税を発動すると発表しました。

米国からの輸入車に25%、米国産の大豆と原油に5%など、トランプが不公正貿易と批判していたものが含まれている。

これにトランプ米大統領は8月23日同日、中国への報復として対中制裁関税第4弾を実施すると発表した。


大統領はツイッターで、中国が報復するなら第4弾の制裁を科すと以前から警告していた。

追加関税は10月1日から今まで25%だった品目は30%に、さらに3000億ドル分の輸入製品に15%の関税を課す。

こうした第4弾対中制裁はブルームバーグのエコノミスト調査によると、中国のGDPを6%未満まで引き下げる。

制裁なしの場合と比較して中国のGDPを0.5%低下させることになるが、アメリカのGDPも低下せざるを得ない。


だが貿易依存度はアメリカが低く、GDPはアメリカが大きいので、制裁合戦で受けるダメージは中国よりも少なく済む。

こうした制裁合戦でアメリカ側に合理性があるとすれば、それは中国を潰すことで将来も超大国の座を守れる点でしょう。

今までのペースで中国が経済成長するといずれアメリカと並ぶが、実際の中国はGDPを偽装したり債務を増やして公共投資している。


中国の公的債務だけでGDPの3倍以上で、家計債務や金融債務、企業債務を含めると、資本主義国なら破産している高水準です。

トランプ政権は今が中国を潰しアメリカの超大国の座を守る、絶好の機会と捉えているのかもしれない、

中国はアメリカに頭を下げてでも貿易を続けた方が良いが、習近平のメンツを損なうのでそれができない。


このように「自国優先主義」は政治家個人のメンツやプライド、ライバル国を蹴落とす目的で行われている。
http://www.thutmosev.com/archives/80785535.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/339.html#c11

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
259. 中川隆[-8667] koaQ7Jey 2019年8月26日 14:23:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4082]
15-31. 新石器時代後期の中国北部がシナ‐チベット語族の起源らしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm


  Natureの2019年4月25日付けの論文で、シナ−チベット語族の起源が中国北部との「中国北部起源説」を支持する旨の系統発生学的な証拠がそろったとの 内容が発表されました。シナーチベット語族の分岐は5900年前頃で黄河域で生じた、と説明している。

しかもシナ語族とチベット−ビルマ語族の分離は西方のチベットと南方のミャンマーに移動した集団と、 東方と南方に移動して漢民族となった集団に分岐した時だったと考えられるらしい。 これは縄文系の兄Y-DNA遺伝子集団であるチベット民族の起源にも触れるため、記事にしました。

  これとY-DNA調査によるガラパゴス史観を当てはめると、


1.揚子江流域で発展した稲作農耕の長江文明集団(Y-DNA「O1」)が、陸稲文化だった
  黄河文明系集団(Y-DNA「O2」)に敗れ、中原から追い出され、北方と南方に逃げた
  ことと一致する。南方に逃げた集団(オーストロアジア語系/越系:Y-DNA「O1b1」
  となった)は現代のベトナムからインドに分布し、稲作農耕民として生活している。
  一方北方に逃げた集団(オーストロアジア語系/呉系:Y-DNA「O1b2」となった)は
  満州あたりまで逃げそこから稲作適地を求め南下し朝鮮半島を経由し日本列島に入り
  弥生系文化集団となり、現代に続く日本人と朝鮮人の稲作農耕民の祖先となっている。
  東方に逃げ台湾に入った集団(オーストロネシア語系/楚系:Y-DNA「O1a」になっ
  た)も存在するが、同時代かどうかはまだわかっていません。

2.この時、西方のチベットに逃げ込んだ集団がチベット語族となったようですが、
  そうすると縄文系日本人Y-DNA「D1b」の兄遺伝子Y-DNA「D1a」を持つチベット人
  (後代に移住してきた漢族は除く)はその当時まで中原付近に居住していたことになり
  ます。
  ところが人類学の最新の研究では現代チベット人やシェルパ族の高地適応はデニソワ人
  から受け継いだと説明しています。そうするとその当時までデニソワ人はチベット
  高原に生き延びていたことになりますが.......?
  もしくは、四川文明は蜀の先祖/古蜀の古代文化と考えられますが、チベット系は中国
  大陸の中部から西部チベット高原に古代から既に広く拡大していたのかもしれません。
  日本語とチベット語の関係はまだ解明されていませんが、民話は、姑娘民話とかぐや
  姫民話など、一部共通するものがありますので、言語学者が古代チベット語を系統発生
  学で研究すると縄文語との近縁性が解明されるかもしれません。
  過去に学習院大学の大野教授が日本語の祖先はドラヴィダ人のタミール語であると発表
  し、今は死説となりましたが、Y-DNA「O1b1」のモンゴロイド系稲作農耕民が現代
  でも70%以上を占める部族がドライダ人集団内にいるため、この死説は弥生人が使っ
  ていた長江系稲作農耕関連の語彙が、遠くドラヴィダ人内に今でも残っていることを
  証明した事になるため、結果として極めて貴重な学説となりました。

3.この時に東方と南方に拡大したのが後の漢民族の母体となるY-DNA「O2」遺伝子集団
  と考えられます。この遺伝子集団は周辺の他の遺伝子集団と積極的に混じり合ったらし
  く、極東アジアのみならず、インドネシアなどのスンダ列島やニューギニアまで、
  東南アジアからオセアニアまで広く分布しています。これぞ極めつけの極東アジア人
  遺伝子のY-DNA「O」は、古代ではかなり活動的な集団だったのではないかと推測でき
  ます。

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それでは、Nature論文のabstructを転記します。興味のある方は原著を是非お読みください。

Nature Letter | Published: 24 April 2019

Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic

 The study of language origin and divergence is important for understanding the history of human populations and their cultures.

 The Sino-Tibetan language family is the second largest in the world after Indo-European, and there is a long-running debate about its phylogeny and the time depth of its original divergence.

 Here we perform a Bayesian phylogenetic analysis to examine two competing hypotheses of the origin of the Sino-Tibetan language family: the ‘northern-origin hypothesis’ and the ‘southwestern-origin hypothesis’.

 The northern-origin hypothesis states that the initial expansion of Sino-Tibetan languages occurred approximately 4,000?6,000?years before present(bp; taken as ad 1950) in the Yellow River basin of northern China and that this expansion is associated with the development of the Yangshao and/or Majiayao Neolithic cultures.

 The southwestern-origin hypothesis states that an early expansion of Sino-Tibetan languages occurred before 9,000?years bp from a region in southwest Sichuan province in China or in northeast India, where a high diversity of Tibeto-Burman languages exists today.

 Consistent with the northern-origin hypothesis, our Bayesian phylogenetic analysis of 109 languages with 949 lexical root-meanings produced an estimated time depth for the divergence of Sino-Tibetan languages of approximately 4,200?7,800?years bp, with an average value of approximately 5,900?years bp.

 In addition, the phylogeny supported a dichotomy between Sinitic and Tibeto-Burman languages.
 Our results are compatible with the archaeological records, and with the farming and language dispersal hypothesis of agricultural expansion in China.

 Our findings provide a linguistic foothold for further interdisciplinary studies of prehistoric human activity in East Asia.
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和訳です。

新石器時代後期の中国北部にシナ‐チベット語族の起源があることの系統発生の証拠。

 "言語起源と相違の研究は、人間の集団と彼らの文化の歴史を理解することにとって重要です。 "

 シナ‐チベット語族の言語族はインド‐ヨーロッパ語族の後で世界で2番目に大きいです、そして、 その系統発生とその最初の拡散の時期についての長い年月にわたる議論があります。

 "ここでは、シナ‐チベット語族の言語族の起源の2つの拮抗している仮説、すなわち『北部起源仮説』と『南西部起源仮説』、 を調べるために、我々はベイズ的な系統発生の分析を行います。
"
 北部起源説は、シナ‐チベット語族の最初の拡大が中国北部の黄河流域で、4000〜6000年前に生じ、 そしてこの拡散は新石器時代文化の仰韶(ヤンシャオ)文化 and/or 馬家窯(マジャヤオ)文化の開発と関連している、と説明しています。

 南西部起源説は、シナ‐チベット語族の初期の拡大は、今日でも高い多様性のチベット-ビルマ語族が居住している 中国四川省の南西部もしくはインド北東部で9000年前頃に生じたと説明しています。

 949の語彙の根源的な意味の統計解析による109の言語に対する我々のベイズ的な系統発生の分析は、 シナ‐チベット語族の分岐はおよそほぼ4,200〜7,800年前で平均は、北部起源仮説と一致しておよそ5900年前であった。

 "これに加えて系統発生は、シナ-チベット語族が、シナ語とチベット-ビルマ語族に二分されることを支持しました。 "

 我々の結果は、考古学的な記録と、そして、中国における農業と言語による農業の分散仮説と一致しています。

 我々の調査結果は、東アジアでの有史以前の人間の活動のより学際的な研究に、言語学的な足掛かりを提供します。
 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c259

[近代史02] 中国大好き 中川隆
84. 中川隆[-8666] koaQ7Jey 2019年8月26日 14:28:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4083]
15-31. 新石器時代後期の中国北部がシナ‐チベット語族の起源らしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm

  Natureの2019年4月25日付けの論文で、シナ−チベット語族の起源が中国北部との「中国北部起源説」を支持する旨の系統発生学的な証拠がそろったとの 内容が発表されました。シナーチベット語族の分岐は5900年前頃で黄河域で生じた、と説明している。

しかもシナ語族とチベット−ビルマ語族の分離は西方のチベットと南方のミャンマーに移動した集団と、 東方と南方に移動して漢民族となった集団に分岐した時だったと考えられるらしい。 これは縄文系の兄Y-DNA遺伝子集団であるチベット民族の起源にも触れるため、記事にしました。

  これとY-DNA調査によるガラパゴス史観を当てはめると、


1.揚子江流域で発展した稲作農耕の長江文明集団(Y-DNA「O1」)が、陸稲文化だった
  黄河文明系集団(Y-DNA「O2」)に敗れ、中原から追い出され、北方と南方に逃げた
  ことと一致する。

南方に逃げた集団(オーストロアジア語系/越系:Y-DNA「O1b1」
  となった)は現代のベトナムからインドに分布し、稲作農耕民として生活している。

  一方北方に逃げた集団(オーストロアジア語系/呉系:Y-DNA「O1b2」となった)は
  満州あたりまで逃げそこから稲作適地を求め南下し朝鮮半島を経由し日本列島に入り
  弥生系文化集団となり、現代に続く日本人と朝鮮人の稲作農耕民の祖先となっている。

  東方に逃げ台湾に入った集団(オーストロネシア語系/楚系:Y-DNA「O1a」になっ
  た)も存在するが、同時代かどうかはまだわかっていません。


2.この時、西方のチベットに逃げ込んだ集団がチベット語族となったようですが、
  そうすると縄文系日本人Y-DNA「D1b」の兄遺伝子Y-DNA「D1a」を持つチベット人
  (後代に移住してきた漢族は除く)はその当時まで中原付近に居住していたことになり
  ます。

  ところが人類学の最新の研究では現代チベット人やシェルパ族の高地適応はデニソワ人
  から受け継いだと説明しています。そうするとその当時までデニソワ人はチベット
  高原に生き延びていたことになりますが.......?

  もしくは、四川文明は蜀の先祖/古蜀の古代文化と考えられますが、チベット系は中国
  大陸の中部から西部チベット高原に古代から既に広く拡大していたのかもしれません。
  日本語とチベット語の関係はまだ解明されていませんが、民話は、姑娘民話とかぐや
  姫民話など、一部共通するものがありますので、言語学者が古代チベット語を系統発生
  学で研究すると縄文語との近縁性が解明されるかもしれません。

  過去に学習院大学の大野教授が日本語の祖先はドラヴィダ人のタミール語であると発表
  し、今は死説となりましたが、Y-DNA「O1b1」のモンゴロイド系稲作農耕民が現代
  でも70%以上を占める部族がドライダ人集団内にいるため、この死説は弥生人が使っ
  ていた長江系稲作農耕関連の語彙が、遠くドラヴィダ人内に今でも残っていることを
  証明した事になるため、結果として極めて貴重な学説となりました。


3.この時に東方と南方に拡大したのが後の漢民族の母体となるY-DNA「O2」遺伝子集団
  と考えられます。この遺伝子集団は周辺の他の遺伝子集団と積極的に混じり合ったらし
  く、極東アジアのみならず、インドネシアなどのスンダ列島やニューギニアまで、
  東南アジアからオセアニアまで広く分布しています。これぞ極めつけの極東アジア人
  遺伝子のY-DNA「O」は、古代ではかなり活動的な集団だったのではないかと推測でき
  ます。

=======================
それでは、Nature論文のabstructを転記します。興味のある方は原著を是非お読みください。

Nature Letter | Published: 24 April 2019

Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic

 The study of language origin and divergence is important for understanding the history of human populations and their cultures.

 The Sino-Tibetan language family is the second largest in the world after Indo-European, and there is a long-running debate about its phylogeny and the time depth of its original divergence.

 Here we perform a Bayesian phylogenetic analysis to examine two competing hypotheses of the origin of the Sino-Tibetan language family: the ‘northern-origin hypothesis’ and the ‘southwestern-origin hypothesis’.

 The northern-origin hypothesis states that the initial expansion of Sino-Tibetan languages occurred approximately 4,000?6,000?years before present(bp; taken as ad 1950) in the Yellow River basin of northern China and that this expansion is associated with the development of the Yangshao and/or Majiayao Neolithic cultures.

 The southwestern-origin hypothesis states that an early expansion of Sino-Tibetan languages occurred before 9,000?years bp from a region in southwest Sichuan province in China or in northeast India, where a high diversity of Tibeto-Burman languages exists today.

 Consistent with the northern-origin hypothesis, our Bayesian phylogenetic analysis of 109 languages with 949 lexical root-meanings produced an estimated time depth for the divergence of Sino-Tibetan languages of approximately 4,200?7,800?years bp, with an average value of approximately 5,900?years bp.

 In addition, the phylogeny supported a dichotomy between Sinitic and Tibeto-Burman languages.
 Our results are compatible with the archaeological records, and with the farming and language dispersal hypothesis of agricultural expansion in China.

 Our findings provide a linguistic foothold for further interdisciplinary studies of prehistoric human activity in East Asia.
========================
和訳です。

新石器時代後期の中国北部にシナ‐チベット語族の起源があることの系統発生の証拠。

 "言語起源と相違の研究は、人間の集団と彼らの文化の歴史を理解することにとって重要です。 "

 シナ‐チベット語族の言語族はインド‐ヨーロッパ語族の後で世界で2番目に大きいです、そして、 その系統発生とその最初の拡散の時期についての長い年月にわたる議論があります。

 "ここでは、シナ‐チベット語族の言語族の起源の2つの拮抗している仮説、すなわち『北部起源仮説』と『南西部起源仮説』、 を調べるために、我々はベイズ的な系統発生の分析を行います。
"
 北部起源説は、シナ‐チベット語族の最初の拡大が中国北部の黄河流域で、4000〜6000年前に生じ、 そしてこの拡散は新石器時代文化の仰韶(ヤンシャオ)文化 and/or 馬家窯(マジャヤオ)文化の開発と関連している、と説明しています。

 南西部起源説は、シナ‐チベット語族の初期の拡大は、今日でも高い多様性のチベット-ビルマ語族が居住している 中国四川省の南西部もしくはインド北東部で9000年前頃に生じたと説明しています。

 949の語彙の根源的な意味の統計解析による109の言語に対する我々のベイズ的な系統発生の分析は、 シナ‐チベット語族の分岐はおよそほぼ4,200〜7,800年前で平均は、北部起源仮説と一致しておよそ5900年前であった。

 "これに加えて系統発生は、シナ-チベット語族が、シナ語とチベット-ビルマ語族に二分されることを支持しました。 "

 我々の結果は、考古学的な記録と、そして、中国における農業と言語による農業の分散仮説と一致しています。

 我々の調査結果は、東アジアでの有史以前の人間の活動のより学際的な研究に、言語学的な足掛かりを提供します。
 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html#c84

[近代史3] 弥生人の鳥信仰と太陽信仰 中川隆
4. 中川隆[-8665] koaQ7Jey 2019年8月26日 14:31:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4084]

15-31. 新石器時代後期の中国北部がシナ‐チベット語族の起源らしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm
  Natureの2019年4月25日付けの論文で、シナ−チベット語族の起源が中国北部との「中国北部起源説」を支持する旨の系統発生学的な証拠がそろったとの 内容が発表されました。シナーチベット語族の分岐は5900年前頃で黄河域で生じた、と説明している。

しかもシナ語族とチベット−ビルマ語族の分離は西方のチベットと南方のミャンマーに移動した集団と、 東方と南方に移動して漢民族となった集団に分岐した時だったと考えられるらしい。 これは縄文系の兄Y-DNA遺伝子集団であるチベット民族の起源にも触れるため、記事にしました。

  これとY-DNA調査によるガラパゴス史観を当てはめると、


1.揚子江流域で発展した稲作農耕の長江文明集団(Y-DNA「O1」)が、陸稲文化だった
  黄河文明系集団(Y-DNA「O2」)に敗れ、中原から追い出され、北方と南方に逃げた
  ことと一致する。

南方に逃げた集団(オーストロアジア語系/越系:Y-DNA「O1b1」
  となった)は現代のベトナムからインドに分布し、稲作農耕民として生活している。

  一方北方に逃げた集団(オーストロアジア語系/呉系:Y-DNA「O1b2」となった)は
  満州あたりまで逃げそこから稲作適地を求め南下し朝鮮半島を経由し日本列島に入り
  弥生系文化集団となり、現代に続く日本人と朝鮮人の稲作農耕民の祖先となっている。

  東方に逃げ台湾に入った集団(オーストロネシア語系/楚系:Y-DNA「O1a」になっ
  た)も存在するが、同時代かどうかはまだわかっていません。


2.この時、西方のチベットに逃げ込んだ集団がチベット語族となったようですが、
  そうすると縄文系日本人Y-DNA「D1b」の兄遺伝子Y-DNA「D1a」を持つチベット人
  (後代に移住してきた漢族は除く)はその当時まで中原付近に居住していたことになり
  ます。

  ところが人類学の最新の研究では現代チベット人やシェルパ族の高地適応はデニソワ人
  から受け継いだと説明しています。そうするとその当時までデニソワ人はチベット
  高原に生き延びていたことになりますが.......?

  もしくは、四川文明は蜀の先祖/古蜀の古代文化と考えられますが、チベット系は中国
  大陸の中部から西部チベット高原に古代から既に広く拡大していたのかもしれません。
  日本語とチベット語の関係はまだ解明されていませんが、民話は、姑娘民話とかぐや
  姫民話など、一部共通するものがありますので、言語学者が古代チベット語を系統発生
  学で研究すると縄文語との近縁性が解明されるかもしれません。

  過去に学習院大学の大野教授が日本語の祖先はドラヴィダ人のタミール語であると発表
  し、今は死説となりましたが、Y-DNA「O1b1」のモンゴロイド系稲作農耕民が現代
  でも70%以上を占める部族がドライダ人集団内にいるため、この死説は弥生人が使っ
  ていた長江系稲作農耕関連の語彙が、遠くドラヴィダ人内に今でも残っていることを
  証明した事になるため、結果として極めて貴重な学説となりました。


3.この時に東方と南方に拡大したのが後の漢民族の母体となるY-DNA「O2」遺伝子集団
  と考えられます。この遺伝子集団は周辺の他の遺伝子集団と積極的に混じり合ったらし
  く、極東アジアのみならず、インドネシアなどのスンダ列島やニューギニアまで、
  東南アジアからオセアニアまで広く分布しています。これぞ極めつけの極東アジア人
  遺伝子のY-DNA「O」は、古代ではかなり活動的な集団だったのではないかと推測でき
  ます。

=======================
それでは、Nature論文のabstructを転記します。興味のある方は原著を是非お読みください。

Nature Letter | Published: 24 April 2019

Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic

 The study of language origin and divergence is important for understanding the history of human populations and their cultures.

 The Sino-Tibetan language family is the second largest in the world after Indo-European, and there is a long-running debate about its phylogeny and the time depth of its original divergence.

 Here we perform a Bayesian phylogenetic analysis to examine two competing hypotheses of the origin of the Sino-Tibetan language family: the ‘northern-origin hypothesis’ and the ‘southwestern-origin hypothesis’.

 The northern-origin hypothesis states that the initial expansion of Sino-Tibetan languages occurred approximately 4,000?6,000?years before present(bp; taken as ad 1950) in the Yellow River basin of northern China and that this expansion is associated with the development of the Yangshao and/or Majiayao Neolithic cultures.

 The southwestern-origin hypothesis states that an early expansion of Sino-Tibetan languages occurred before 9,000?years bp from a region in southwest Sichuan province in China or in northeast India, where a high diversity of Tibeto-Burman languages exists today.

 Consistent with the northern-origin hypothesis, our Bayesian phylogenetic analysis of 109 languages with 949 lexical root-meanings produced an estimated time depth for the divergence of Sino-Tibetan languages of approximately 4,200?7,800?years bp, with an average value of approximately 5,900?years bp.

 In addition, the phylogeny supported a dichotomy between Sinitic and Tibeto-Burman languages.
 Our results are compatible with the archaeological records, and with the farming and language dispersal hypothesis of agricultural expansion in China.

 Our findings provide a linguistic foothold for further interdisciplinary studies of prehistoric human activity in East Asia.
========================
和訳です。

新石器時代後期の中国北部にシナ‐チベット語族の起源があることの系統発生の証拠。

 "言語起源と相違の研究は、人間の集団と彼らの文化の歴史を理解することにとって重要です。 "

 シナ‐チベット語族の言語族はインド‐ヨーロッパ語族の後で世界で2番目に大きいです、そして、 その系統発生とその最初の拡散の時期についての長い年月にわたる議論があります。

 "ここでは、シナ‐チベット語族の言語族の起源の2つの拮抗している仮説、すなわち『北部起源仮説』と『南西部起源仮説』、 を調べるために、我々はベイズ的な系統発生の分析を行います。
"
 北部起源説は、シナ‐チベット語族の最初の拡大が中国北部の黄河流域で、4000〜6000年前に生じ、 そしてこの拡散は新石器時代文化の仰韶(ヤンシャオ)文化 and/or 馬家窯(マジャヤオ)文化の開発と関連している、と説明しています。

 南西部起源説は、シナ‐チベット語族の初期の拡大は、今日でも高い多様性のチベット-ビルマ語族が居住している 中国四川省の南西部もしくはインド北東部で9000年前頃に生じたと説明しています。

 949の語彙の根源的な意味の統計解析による109の言語に対する我々のベイズ的な系統発生の分析は、 シナ‐チベット語族の分岐はおよそほぼ4,200〜7,800年前で平均は、北部起源仮説と一致しておよそ5900年前であった。

 "これに加えて系統発生は、シナ-チベット語族が、シナ語とチベット-ビルマ語族に二分されることを支持しました。 "

 我々の結果は、考古学的な記録と、そして、中国における農業と言語による農業の分散仮説と一致しています。

 我々の調査結果は、東アジアでの有史以前の人間の活動のより学際的な研究に、言語学的な足掛かりを提供します。
 
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/208.html#c4

[近代史3] 天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない 中川隆
22. 中川隆[-8664] koaQ7Jey 2019年8月26日 14:31:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4085]

15-31. 新石器時代後期の中国北部がシナ‐チベット語族の起源らしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-31.htm


  Natureの2019年4月25日付けの論文で、シナ−チベット語族の起源が中国北部との「中国北部起源説」を支持する旨の系統発生学的な証拠がそろったとの 内容が発表されました。シナーチベット語族の分岐は5900年前頃で黄河域で生じた、と説明している。

しかもシナ語族とチベット−ビルマ語族の分離は西方のチベットと南方のミャンマーに移動した集団と、 東方と南方に移動して漢民族となった集団に分岐した時だったと考えられるらしい。 これは縄文系の兄Y-DNA遺伝子集団であるチベット民族の起源にも触れるため、記事にしました。

  これとY-DNA調査によるガラパゴス史観を当てはめると、


1.揚子江流域で発展した稲作農耕の長江文明集団(Y-DNA「O1」)が、陸稲文化だった
  黄河文明系集団(Y-DNA「O2」)に敗れ、中原から追い出され、北方と南方に逃げた
  ことと一致する。

南方に逃げた集団(オーストロアジア語系/越系:Y-DNA「O1b1」
  となった)は現代のベトナムからインドに分布し、稲作農耕民として生活している。

  一方北方に逃げた集団(オーストロアジア語系/呉系:Y-DNA「O1b2」となった)は
  満州あたりまで逃げそこから稲作適地を求め南下し朝鮮半島を経由し日本列島に入り
  弥生系文化集団となり、現代に続く日本人と朝鮮人の稲作農耕民の祖先となっている。

  東方に逃げ台湾に入った集団(オーストロネシア語系/楚系:Y-DNA「O1a」になっ
  た)も存在するが、同時代かどうかはまだわかっていません。


2.この時、西方のチベットに逃げ込んだ集団がチベット語族となったようですが、
  そうすると縄文系日本人Y-DNA「D1b」の兄遺伝子Y-DNA「D1a」を持つチベット人
  (後代に移住してきた漢族は除く)はその当時まで中原付近に居住していたことになり
  ます。

  ところが人類学の最新の研究では現代チベット人やシェルパ族の高地適応はデニソワ人
  から受け継いだと説明しています。そうするとその当時までデニソワ人はチベット
  高原に生き延びていたことになりますが.......?

  もしくは、四川文明は蜀の先祖/古蜀の古代文化と考えられますが、チベット系は中国
  大陸の中部から西部チベット高原に古代から既に広く拡大していたのかもしれません。
  日本語とチベット語の関係はまだ解明されていませんが、民話は、姑娘民話とかぐや
  姫民話など、一部共通するものがありますので、言語学者が古代チベット語を系統発生
  学で研究すると縄文語との近縁性が解明されるかもしれません。

  過去に学習院大学の大野教授が日本語の祖先はドラヴィダ人のタミール語であると発表
  し、今は死説となりましたが、Y-DNA「O1b1」のモンゴロイド系稲作農耕民が現代
  でも70%以上を占める部族がドライダ人集団内にいるため、この死説は弥生人が使っ
  ていた長江系稲作農耕関連の語彙が、遠くドラヴィダ人内に今でも残っていることを
  証明した事になるため、結果として極めて貴重な学説となりました。


3.この時に東方と南方に拡大したのが後の漢民族の母体となるY-DNA「O2」遺伝子集団
  と考えられます。この遺伝子集団は周辺の他の遺伝子集団と積極的に混じり合ったらし
  く、極東アジアのみならず、インドネシアなどのスンダ列島やニューギニアまで、
  東南アジアからオセアニアまで広く分布しています。これぞ極めつけの極東アジア人
  遺伝子のY-DNA「O」は、古代ではかなり活動的な集団だったのではないかと推測でき
  ます。

=======================
それでは、Nature論文のabstructを転記します。興味のある方は原著を是非お読みください。

Nature Letter | Published: 24 April 2019

Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic

 The study of language origin and divergence is important for understanding the history of human populations and their cultures.

 The Sino-Tibetan language family is the second largest in the world after Indo-European, and there is a long-running debate about its phylogeny and the time depth of its original divergence.

 Here we perform a Bayesian phylogenetic analysis to examine two competing hypotheses of the origin of the Sino-Tibetan language family: the ‘northern-origin hypothesis’ and the ‘southwestern-origin hypothesis’.

 The northern-origin hypothesis states that the initial expansion of Sino-Tibetan languages occurred approximately 4,000?6,000?years before present(bp; taken as ad 1950) in the Yellow River basin of northern China and that this expansion is associated with the development of the Yangshao and/or Majiayao Neolithic cultures.

 The southwestern-origin hypothesis states that an early expansion of Sino-Tibetan languages occurred before 9,000?years bp from a region in southwest Sichuan province in China or in northeast India, where a high diversity of Tibeto-Burman languages exists today.

 Consistent with the northern-origin hypothesis, our Bayesian phylogenetic analysis of 109 languages with 949 lexical root-meanings produced an estimated time depth for the divergence of Sino-Tibetan languages of approximately 4,200?7,800?years bp, with an average value of approximately 5,900?years bp.

 In addition, the phylogeny supported a dichotomy between Sinitic and Tibeto-Burman languages.
 Our results are compatible with the archaeological records, and with the farming and language dispersal hypothesis of agricultural expansion in China.

 Our findings provide a linguistic foothold for further interdisciplinary studies of prehistoric human activity in East Asia.
========================
和訳です。

新石器時代後期の中国北部にシナ‐チベット語族の起源があることの系統発生の証拠。

 "言語起源と相違の研究は、人間の集団と彼らの文化の歴史を理解することにとって重要です。 "

 シナ‐チベット語族の言語族はインド‐ヨーロッパ語族の後で世界で2番目に大きいです、そして、 その系統発生とその最初の拡散の時期についての長い年月にわたる議論があります。

 "ここでは、シナ‐チベット語族の言語族の起源の2つの拮抗している仮説、すなわち『北部起源仮説』と『南西部起源仮説』、 を調べるために、我々はベイズ的な系統発生の分析を行います。
"
 北部起源説は、シナ‐チベット語族の最初の拡大が中国北部の黄河流域で、4000〜6000年前に生じ、 そしてこの拡散は新石器時代文化の仰韶(ヤンシャオ)文化 and/or 馬家窯(マジャヤオ)文化の開発と関連している、と説明しています。

 南西部起源説は、シナ‐チベット語族の初期の拡大は、今日でも高い多様性のチベット-ビルマ語族が居住している 中国四川省の南西部もしくはインド北東部で9000年前頃に生じたと説明しています。

 949の語彙の根源的な意味の統計解析による109の言語に対する我々のベイズ的な系統発生の分析は、 シナ‐チベット語族の分岐はおよそほぼ4,200〜7,800年前で平均は、北部起源仮説と一致しておよそ5900年前であった。

 "これに加えて系統発生は、シナ-チベット語族が、シナ語とチベット-ビルマ語族に二分されることを支持しました。 "

 我々の結果は、考古学的な記録と、そして、中国における農業と言語による農業の分散仮説と一致しています。

 我々の調査結果は、東アジアでの有史以前の人間の活動のより学際的な研究に、言語学的な足掛かりを提供します。
 
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/103.html#c22

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
14. 中川隆[-8663] koaQ7Jey 2019年8月26日 16:14:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4086]
2013年1月3日
meguのブログ 三橋貴明・中野剛志 vs 高橋是清
https://megu777.blogspot.com/2013/01/vs.html


三橋貴明や中野剛志、その他チャンネル桜に巣食うアホな評論家もどきの詐術を、今回は高橋是清・元大蔵大臣に暴いてもらいましょう。


まず、三橋貴明のトンデモ論から

〈三橋貴明「高校生でも分かる日本経済の凄さ!」彩図社より〉

『日本を見ますと、国債の全ては日本円建て、つまり自国通貨建てで す。国債を販売した相手は、ほとんどが日本の金融機関、もしくは日本の個人投資家です。外国人の日本国債ホルダーは、わずかに6・4% (2009年3月末)でしかありません(こんな超低金利の日本国債を買うなど、奇特な外国の方がいるものです)。その上、日本国債の金利は、すでに十年以 上もの長期に渡り、世界最低水準を維持し続けています。

すなわち、日本は「政府が財政破綻するための条件」を、 一つたりとも満たすことができていないのです。マスメディアの皆さんにはお気の毒ですが、日本政府の財政破綻など、今後千年間くらいは起きないでしょう。

同時に、日本政府の借金を日本国民の税金で返す必要など、全くありません。そもそも借金の残高を減らす必要がないのに、なぜわぎわぎ返済しなければならないのでしょうか。しかも、国民の血税を使って。』(38頁〜39頁)

日本国内で、「財政再建― 財政再建!」と叫んでいる人たちの、経済オンチぶりは凄いものがあります。(42〜43頁)


〈中野剛志「国力とは何か」講談社現代新書より〉


『ケインズ主義的な財政政策は、政府による積極的な支出のことであるが、その費用も使益も、国民国家全体によって共有される。また、金融政策は、国民通貨の操作を通じ、国民生活全体に影響を及ぼす。ケインズ主義政策の発動は、階級差を越えてネイション全体に影響を及ぼすことで、需要のみならず、国民意識をも刺激するのである』(144頁)

『内国債の場合、政府が財政破綻する国債の債務不履行に陥る)ことはありえない。仮に将来の課税によって公的債務を返済しない場合ですらも、政府は借り換えを続けていけばよいのであって、全額返済して債務をなくす必要はないのである。なぜなら、政府(国家)は、民間企業や個人とは異なり、永続してなくならないと想定されているからだ。

(中略)

この内国債と外国債の違いをもたらしているものこそ、「国民」の概念にはかならない。民間企業や個人の負債や(外貨建ての)外国債とは違って、財政破綻のリスクから自由であるという特権を内国債に与えているのは、国民なのだ』(187頁〜189頁)

『政府債務が内国債である場合は、財政破綻はあり得ない。それゆえ、健全財政論者のように、累積債務残高の大きさそれ自体を問題視することは無意味である』(190頁)

この売文業者(三橋貴明)、税金泥棒(中野剛志)の話と、高橋是清の話を比較してみましょう。


以下、神戸新聞 1935.7.27(昭和10)より
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00811764&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

(転載はじめ)
-----


高橋蔵相の公債政策声明

放漫な公債増発は財政経済破綻の導因

全国民の研究協力に俟って円滑なる運行を期待

高橋蔵相は二十六日午前十一時三十分葉山御用邸に伺候、天機奉伺を終え一色の別邸に赴き八月末まで引続き同地に静養することとなったが右に際し蔵相は公債政策に関して左の如く談話の形式を以って声明を発した。

昭和十一年予算編成方針については曩に閣議の決定を経て公表した通りであるが之に対しては世間でも大体政府の意の存する所を諒として居られることと考える。
当時も述べた通り予算編成ということは単り大蔵省の力だけで解決すべきでなく各省の協力に俟たねばならぬ次第であるが更に進んで考える上財政の問題は国勢全般の解決の鍵であるから単り政府当局の手にのみ委すべきでなく国民全般の考究と協力に依らねばならぬ大問題と考える。

この見地からすると最近財政の問題殊に公債の問題が著しく世人の注意を惹くに至ったことは洵に結構なことであると考える。

我国財政の現状は今後或る期間に亘って毎年相当額の歳入補填公債発行のやむを得ざる状勢にある。

もし公債の発行が茲一両年でその必要がなくなるというようなことであるならば一時多額の公債の増発も或は差支えないと考え得らるるも若しこの先き何年となく歳入補填公債の発行を継続せねばならぬこととすると今年、来年という如き目前のことばかり考えず長きに亘って公債政策の行詰りを来す如きことなきような計画の下に進まねばならぬ理である。

若し今後に於て公債が一般金融機関などに消化されず発行公債が日本銀行背負い込みとなるようなことがあってはこれは明かに公債政策の行詰りであってその結果としては所謂悪性インフレーションの弊害が現われ国民の生産力は消費力と共に減退し生活不安の事態を生ずるに至る虞れがある。

故に今後継続し軍事、産業その他重要なる国家施設の実行を保証し又同時に産業の発展並に国民生活の安定を確保するがためには先ず以て公債政策の円滑なる運行を図ることが絶対の要件となるのである。

然るに昭和七年度以来毎年巨額の公債の発行にも拘らず今日までのところ幸いにその運用は理想的に行われ未だ公債に伴う実害を発生して居らぬ、却って金利の低下や景気回復に資せるところが少くない。世間の一部にはこの効果に着目し公債は何程発行しても差支えなきものであるかの如く漠然たる楽観説を抱いているものもあり又今日政府の執っている公債政策の如きは未だ不充分であってどしどし公債を増発して国家の経費を大いに膨脹せしむべしと説くものもあるようである。然し乍ら公債の過剰発行に依る財政経済の破綻に就てはヨーロッパ大戦後多数の国にその実例を存するところであって公債は何程発行しても差支えなしと論ずるが如きはこの最近の各国の高価なる経験を無視する議論である。

抑々昭和七年度以来の公債政策が円滑に運行されたことについては重大なる原因がある。即ちその発行につき手段方法を改めたることもその一因と目すべきであるが公債の発行額が民間産業資金等との関係上金融機関の消化能力の範囲内に止まるを得たること及び昭和八年度以来歳入補填公債は年々幾分ずつ減少し財政に対する国民の信用の維持されたること並に通貨統制が理想的に行われ物価及び外国為替相場は安定し延いては我国近時の産業貿易の異常なる進展に資したること等を以て根本原因と見なければならぬ。

今迄公債に関する政府の考え方と著しく異なる意見が世間に流布されているようである。その一例を挙げてみると国債は国民の債務なると共にその債権なるを以て国債の増発も国民全体としては『財』に増減がない故に内国債の増加も国民負担の増加にあらず何等恐るるに足らずとの論である。是は国債を通じ債権と債務が併存すると云う事実だけはその通りであるが、然るが故に国債が増加しても財政上並に国民経済上差支えないという結論が簡単に出て来るものではない。国家の財政もその機能に於て国民経済活動の一部を構成すると共に独自の存在を有するものであって財政としての組織が保持せられなければ軍事、外交、産業そのほか国家特有の活動を継続保障することが出来ない、また常識より考えても国家その他の公共団体の経済たると個人経済たるとを問わず借金政策の永続すべからざることは当然である。
公債増発に伴って利払い費は漸増し租税その他の収入もその利払いに追われる結果となるであろう。

斯の如き事態が生ずると国費中公債に依る部分が益々多くなり財政の機能わ行詰りに陥らざるを得ない。斯の如き状態になると国家財政の信用を維持し難く公債の消化は行詰り結局印刷機械の働きに依り財源の調達を図らざるを得ざるに至るのであって、かくの所謂悪性インフレの弊は必至の勢となるであろう。故に公債の問題は単なる国内の債権、債務の均衡というが如き狭い見地から是非を論断することが出来ないのである。

その他の異説についても事物としては一面のみを見て国家社会全般に対する影響を忘れたる議論が多いようである、前にも述べたる如く研究は大いによろしい、斯くて国民全体の協力によって永続性ある国家の発展策を確立したいと考える。

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(転載終わり)

売文業者の詐術に騙されている人は、頭を冷やして欲しいです。

特に、安倍晋三氏は、日本国総理大臣という立場にあるだけに、あとから「ごめんなさい」で済まされる問題ではありません。
民主党や維新の会よりマシだとはいえ、あまりにも脇が甘すぎます。

『NHKのコメンテーターレベルお粗末すぎ。藻谷氏といい藤原氏といい今まで言ってきた事もう一度検証したら恥ずかしくて人前にでれないでしょう。藻谷氏はデフレの原因は人口減少とか本に書いてましたが、人口減ってもデフレに陥っていない国はいくらでもあります。この前フジテレビで完全論破しましたが、恥を知れといいたいですね。香山リカしは論外』


香山リカは論外として、藻谷浩介氏はエリート中のエリート、その道(財政・金融・経済問題)の専門家で、その学識と経験は成蹊大学卒の安倍晋三氏の及ぶところではありません。安倍氏率いる自民党は昨年末の選挙で大勝したとはいえ、民主党と維新の会の自滅で漁夫の利を得たに過ぎないことへの自覚がないのでしょうか?


当ブログの読者様の次のご意見に傾聴すべきでしょう。


http://megu777.blogspot.jp/2011/10/blog-post_22.html#comment-form


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はじめまして。私も三橋にだまされていたものです。

彼の正体はあなたが想像されているとおりでしょう。

三橋ブログの正体はただの怪しげな情報商材サイトや催眠商法と変わりません。
彼は早くつぶさないといけません。




17 件のコメント:

ムギ2013年1月9日 0:07

このブログで言われていることが大多数のマスメディアで言われていることとほぼ等しいことからmegumiさんのブログの内容が正しいことがよくわかります。


匿名2013年1月14日 5:31

三橋のような連中はすぐ高橋是清を持ち出し、トンデモ理論に利用しますが、都合の悪い情報は切り捨てますね。


匿名2013年1月19日 17:07

こういう定性的な事はいいから、経済を語るなら具体的な
数字を出して語ってくれないかな?

三橋氏も中野氏も日銀が1000兆円通貨を発行して国債を買い取れとか、
政府が1京円国債を刷れとか言ってる訳じゃないだろ?


蓮薄2013年1月21日 1:07

デフレ下では政府が金を刷って借りて使う
政策は当たり前です

昭和6年、世界恐慌下の日本は当然デフレで
国債発行による財源調達と積極的な財政支出政策により
いち早く経済を回復させます
それは放漫財政ではないですよ?

その記事、昭和十一年ですね
軍費が一般会計予算の50%を占めていたころです
当然これは放漫財政で
高橋是清はこれに反対し、昭和11年の二・二六事件で
殺害されます
あまりいい加減な事を書かない方がいいですよ

通行人兼ブログ読者2013年1月22日 9:58

megumi様、こんにちは。
コメント欄をお借りします。

経済論は取りあえず横に置いて、三橋支持者の皆さんにお尋ねします。

支持者の皆さんは、三橋氏の経歴を本当に信じていますか?

1、三橋氏は、1969年生まれで1994年大学卒業。24歳(かな?)で卒業。
  浪人か留年か分かりませんが、転職の際、履歴書で少し不利になります。

2、14〜15年間で、転職回数10回に成功。
  この短期間で、この転職回数は、一般的に転職活動には、非常に不利となります。
  採用担当者からは、堪え性の無い性格または単なるトラブルメーカーと冷たく判断されます。
  
3、しかも全て正社員。
  

4、持っている目ぼしい資格は中小企業診断士。しかも2004年に資格取得。
  大学卒業以来10年の間は、目ぼしい資格無し。
  この状態で転職10回、しかも正社員で転職成功できるんでしょうか?

以上、私にはどうしても信じられません。
例えば、英語堪能、かつ、公認会計士の資格を併せて有していたら、多少は信じられるんですが・・・

  
また、経歴とは別に、次の点も尋ねたいです。
三橋氏の著作を読んでも、大学時代の話、会社員時代の失敗、同僚や友人達との会話、
中小企業診断士としての成功談など、こうしたエピソードが見当たりません。
したがって、どうもリアリティを感じないんです、三橋氏の話には。
この点は、私の認識不足かもしれませんので、適当な著作なりサイトなりがありましたら、
ご紹介ください。

megu2013年1月29日 21:42

確かに、仰るとおり、三橋貴明は本でもブログでも、実際の実務の話は一切しませんね。しないというより、できないのでしょう。

知人に経営コンサルタントがいますが、その道のプロは、忙しくて、本業と関係無い話を2ちゃんねるに書き込んでいる暇も、毎日ブログを更新する暇もありません。

三橋貴明に限らず、廣宮孝信や渡邉哲也など三橋貴明のコピーも同様に、単なるニート崩れとしか思えないのですが、信者には神様のように見えるようですね。

バカの二つ覚え2013年1月25日 21:22

megumi様お久しぶりです。こちらのコメントさせていただくのは久しぶりですね。今更ながら、最近三橋理論と平和主義者の論法の共通点を発見しました。それは利率が上がったらどうするか、と聞いても現状は上がっていないからどうやったら上がるのか、と答えるし、他国が攻めてきたらどうすると聞いているのに、攻めてこないように外交するという。この人たちは話の論点がズレていて話にならないということです。例えは悪いですが、もし交通事故で人をはねてしまったらどうするか、という質問に、安全運転で対処すると言っているようなものです。現実目の前に怪我をしている人がいてもこういったこと言えるでしょうか、この人ら。とにかく事前段階の対処しか考えず、事故が起きることも想定していない浅はかな人たちということですね。その上、財政問題はない、他国は攻めてこないと理屈をつけて、現実を見ないところまで共通しています。

megu2013年1月29日 21:46

まるで、戦時中に早期講和を唱える人を「非国民」扱いして一億火の玉だとか神州不滅と叫んでいた連中と同じですね。

共産党も社民党も「子供手当の財源はある」と豪語していた民主党も三橋貴明も、根は同じですね。


匿名2013年1月29日 12:17

平和主義は思想のはなしであって、三橋貴明氏は国民経済を発展させる経済理論を展開しています。
政治思想と経済理論は比較対象できない内容をこじつけて変な文章を書いていますね。
ノーベル経済学賞を獲得したクルーグマン教授も三橋貴明氏と同様に財政出動と金融緩和のセットパッケージを現在のデフレの対策として実行すべきだといっていますし、トンデモ議論をされているのはこちらのブログの主ではないかと考える次第です。


匿名2013年2月4日 21:20

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/


匿名2013年2月6日 2:40

中立の立場から見て中野、三橋の完勝です。書いていることが勉強不足なのか意図的な嘘なのか(失礼ですが疑ってしまいます)?。これだけの資料を集められるのであればもう少し発言の年代や意味、その時の社会事情を整理してから再度このお題でリベンジしてみてください。頑張れ


匿名2013年2月16日 21:13

>藻谷浩介氏はエリート中のエリート、その道(財政・金融・経済問題)の専門家で、その学識と経験は成蹊大学卒の安倍晋三氏の及ぶところではありません。

???


dabesita2013年2月27日 20:13

三橋さんの過去の経歴とかどうでも良くないですか?

中野さんも三橋さんも言ってることはまともです。

文句があるなら、経歴がどうとかじゃなくて、内容で議論しましょう。

匿名2014年3月31日 1:09

> 三橋さんの過去の経歴とかどうでも良くないですか?

興味深かったです。

> 中野さんも三橋さんも言ってることはまともです。

発言のすべてがまともとはとても思えません。

TPP反対において、ISD条項が毒素条項だという主張は論理的飛躍があり、あまりにいい加減すぎると思います。

これに気づいてからの発言がすべて信用できなくなりました。


匿名2015年1月1日 0:02

マクロ経済に関してのそれは、総じて仮定や
推論の域を出ていない。
高尚な経済論もちまたの経済評論も50歩100歩
であることは歴史が語っている。
三橋氏の主張も、所詮有限内の数字や統計を
区間的に分析しているに過ぎず、彼が主張し
ていること実施してみなければ、その真偽も
また誰にもわからないだろう。

匿名2016年11月2日 12:50

なんだ単なる三橋嫌いじゃねーか。期待したのに
インフレとデフレで同じ政策するわけねーじゃん

Unknown2017年1月9日 2:05

私は、きちんと働いて裕福な生活がしたいです。
周囲の人であっても同じです。

そのためには、適度に経済成長する日本であってほしいです。

https://megu777.blogspot.com/2013/01/vs.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c14

[近代史3] (三橋貴明×山本太郎) 絶対にTVでカットされる国債の真実 中川隆
28. 中川隆[-8662] koaQ7Jey 2019年8月26日 16:34:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4087]
2013/6/18
三橋貴明には気をつけろ・・・「日本はこんなもんじゃない」という幻想
https://green.ap.teacup.com/pekepon/1155.html
 

■ 経済論では無く、「日本は韓国や中国より優れている」と証明したいだけ ■

三橋氏は、「韓国経済崩壊論」でネットから登場した人物です。

彼は経済学者では無く、中小企業診断士が本業の様ですが、
実は「三橋貴明」というのはペンネームなんだそです。

彼の「経済論」の目的は、「日本は韓国や中国より優れている」と証明する事の様に思えます。
それが、長引く景気低迷で悲観的になっている若者の心に希望を植え付けるのでしょう。
同時に、ネトウヨ的な現在の風潮にシンクロして支持を拡大します。

経済学者や経済を専門に学んだ人達は、議論がかみ合わないので無視していますが、
安倍総理に影響を与えている事などを考えると、彼の影響力は小さくはありません。
むしろ、ネットでの支持は高く、政治に興味の無かった若者を自民党支持者にしています。

■ 経済学の美味しい所をツマミ食いする合成経済学 ■

彼の「経済学?」は、現存の経済学の美味しい所を合成して出来上がっていますが、
都合の悪い所は、あえて無視する事によって独特の体系を作り上げています。

その最たる物が、「自国通貨建ての内国債は破綻しない」というものですが、
高率のインフレを「破綻では無い」とする事のスリカエでしかありあません。

国家や中央銀行は国民に対して責任を負う立場にあるので、
通貨や国債の信用を失う政策は普通は取りません。

しかし、政治家や政党は人気取りの為に、大衆迎合の政策に陥りがちで、
国債を増発したり、通貨を大量に発行して古来より財政破綻を繰り返しています。

その反省の元に、現在の中央銀行制度は成り立っており、
政府から独立して通貨を管理する事で、通貨の信用が損なわれる事を防いでいます。

現在の世界の経済は密接に絡み合っているので、
ドルかユーロか円のいずれかが崩壊しても、
世界経済はパニックに陥り、通貨が紙でしか無い事が急激に意識されます。

ですから、IMFは各国の財政状況や債務残高に口出ししますし、
通貨の信用を軽視する国は、徹底的に糾弾され、市場ではその国の通貨が暴落します。

■ ケインズが天国で嘆いている ■

三橋氏に限らず、リーマンショック以降、クルーグマンなどケインズ派が復活しています。

ケインズは「不況に際しては国家が財政出動して景気を下支えするべきだ」と主張し、
実際に世界恐慌の時には、アメリカではニューディール政策が実行されました。

ケインズ経済学は戦後も主流派でしたが、
各国の財政赤字が拡大した事で、だんだんと新古典派に主流の座を明け渡して行きます。

新古典派、特にシカゴ学派は、「市場原理を重んじる事で、経済は自律的に成長して行く」と主張し、
アメリカやイギリスでは金融革命という名の下に、様々な規制が撤廃されて行きます。
その結果、市場は不必要なまでに拡大し、自己崩壊を起します。
これが、リーマンショックです。

シカゴ学派の生み出した金融革命が失敗に終わると、
ケインズ派が再び台頭してきます。
「中央銀行に大量の通過を供給させて崩壊を防げ」と主張します。
さらに「政府は需要創出の為に財政を拡大しろ」という主張も高まります。

しかし、ケインズ政策の行き着く先にケインズは自覚的です。
結局破綻する事を彼は知っています。

だから彼は「アニマルスピリット」に期待し、
野心によるイノベーションが経済を活性化させると述べたのでしょう。
ですから、規制緩和や構造改革の元祖もケインズだと言えます。

■ アニマルスピリットをあえて無視する三橋経済論 ■

三橋貴明氏の経済論の不自然な所は、市場原理を軽視しているところです。

1) 日本国債の保有者は日本の金融機関だから、
   日本国債の金利が上昇しても日本国債の投売りは発生しない。

2) 世界経済の危機が深刻化したら、安全資産として日本国債が買われる

3) 金融危機が発生したら、景気が後退するのだから国債金利は低下する

三橋氏の主張は、ある意味において常識的です。
しかし、一方で想定外の危機を無視しています。

ケインズの言う所のアニマルスピリットは、人の欲望が経済の不安定化の要因で、
アニマルスピリットによって、非合理激な決断が為される事がるというものです。

アニマルスピリットが無ければ、経済は縮小し活力を失いますが、
アニマルスピリットが時として経済に回復不能なダメージを生み出します。

市場参加者は、普段は「日本国債は安全だ」と判断しています。
しかし、異次元緩和で混乱が発生した様に、
需給バランスが崩れる様な事態が発生すれば「日本国債は危険だ」と判断するはずです。

国債市場で巨額の資金を運用する担当者は、
金利が上昇し始めれば、損失が拡大するので、どこかの時点で国債を売却せざるを得ません。
本当は皆が売らなければ、金利上昇も抑制されますが、
市場を恐怖が支配すると、個人の合理性が優先され、合成の誤謬が発生します。

「誰かが売り抜けたら、自分が損失を被る」・・・これが市場原理です。

三橋氏が「日本国債は破綻しない」と主張する背景には、
危機に際しても、日本国債の市場参加者達は、市場にとっての合理的判断を下し、
個人の合理性を抑制出来ると信じているのです。

はたして「自国通貨建ての内国債」は崩壊しないのか、
私は日本国債市場で実際に運用を担当されている方に伺ってみたいと思います。

尤も、実際の運用は、もっとテクニカルな理論に基づいていて、
現状は「暴落」などというリスクは想定外なのでしょうが・・・。


■ いざとなったら日銀が日本国債を全部買えば良い ■

三橋氏は「日本国債が暴落したら日銀が全量買い取れば良い」と言っています。

1) 日銀の金利収入は国庫に返納される
2) 政府が国債を発行して、日銀が引き受ければ事実上国債金利は発生しない
3) 財政が拡大したら、その分日銀が引き受ければ良い

確かにその通りなのですが、これは政府通貨と同じ事になり、
政府が経済規模に応じて通貨を直接発行する事と何ら変わりありません。

「実は政府通貨が何故いけないのか?」という疑問に、誰も正しい解答は出来ないと思います。
政府が十分に自制的であるならば、通貨の不必要な増刷も避けられるはずです。
もし、政府通貨が許されるのであれば、政府は財政赤字を気にせずに、
必要と思われる量の通貨を自分で発行して、公共事業を推進する事も出来ます。

しかし、実際の世の中では、政府通貨は通貨システム最大のタブーとされています。
政府が勝手に通貨を発行したら、民主主義の元では人気取りの為に
政府は財政を拡大してばら撒きを続け、結局はインフレを招くとされています。

同時に、国内の通過量がどんどん増えて行くので、為替が下落します。
これも輸入価格の高騰を招き、結局はインフレを助長します。

実際にジンバブエなどはこのケースに近く、
自国通貨建ての内国債を大量に発行してそれを中央銀行がファイナンスしています。
その結果がどうなったかと言えば、ハイパーインフレが発生しています。

三橋氏は日本は供給力が有り余っているのだからインフレは発生しないと主張します。
しかし、日銀が国債を直接引き受けたと市場が判断すれば、
将来的なインフレを予測して、金融機関は手持ちの国債を手放そうと必死になります。
金利が極端に低い国債を保有し続けていては、金利上昇局面で損失が拡大するからです。

かくして、日銀が銀行などが保有する国債も市場から買い上げる事になり、
市場に一気に円があふれ帰ります。

この状況を見て国民は判断するでしょう?
私なら、預金を引き出して、現物で価値を保存しようとします。
皆が同じ行動に出ると思われるので、銀行はシャッターを開ける事が出来なくなります。
所謂、「取り付け騒ぎ」が発生し、預金封鎖が実行されるでしょう。

「日本国債が暴落したら日銀が全量買い取れば良い」などという発言は、
責任ある大人の発言とは思えません・・・。

これを口に出来るのは、「中央銀行制度はロスチャのシステムだから破壊しろ」と主張する
ちょっと頭のネジの緩んだ、私の様な陰謀論者だけです・・・。
あるいは、ロン・ポールの様な、過激なリバタリアンでしょう。

■ 高橋是清の政策を理解していない三橋貴明 ■

「昭和恐慌の際には高橋是清が日銀に日本国債を直接買い取らせたがハイパーインフレは起きていない」

これも三橋氏がよく使う言葉です。

1) 当時の国際市場は未発達だった
2) 日銀は買い取った国債を、再び売却してインフレを抑制していた。

この事実は無視です。

現在の日本国債市場は規模も大きく、取引も活発です。
日銀が日本国債を直接買い取ったら、
日本国債市場は瞬時に反応して暴落します。

尤も、国債市場が暴落した後に日銀の全量買取に進むので、
既に、この時点で、日本国債市場は存在意義を失っています。


■ 少子高齢化は低迷の原因では無いのか? ■


三橋氏は日本のデフレの原因は、緊縮財政に原因があると声高に叫びます。
少子高齢化で経済は縮小しないと主張します。

日本国債はどんなに発行しても暴落しないと主張しているので、
財政だって、必要なだけ拡大しても構わないというのが彼の主張です。

しかし、少子高齢化の日本では、労働者が減少し、高齢者が増加するのですから、
財政負担は何もしなくても拡大し、プライマリーバランスは悪化します。
納税者が減り、年金需給者や福祉の対象者が増えるのですから当然です。

三橋氏が良く引き合いに出すクルーグマンですら、
「日本の人口動態は酷い」と言っていま。

三橋氏の主張は、財政を拡大して、日本経済を成長軌道に乗せれば
税収も増加して、プライマリーバランスは改善するというものです。

間違ってはないなのですが、費用対効果の認識が欠落しています。
国土強靭化などで公共事業が増発された場合、
一度動き出した巨大事業は10年くらいは継続されます。

もし、財政を拡大しても名目GDPが拡大分しか増加しなければ、
その効果は一過性で、後には財政赤字と、
メンテナンスコストが掛かる不要なインフラが残されます。

高齢化の進行する日本で、これ以上のインフラは不要です。
むしろ、財政的には既存のインフラのメンテナンスで手一杯になります。

■ ストックがある内に作っておこう ■

一方、考え様によっては、財政拡大余力がある内に、将来の為のインフラを整備しておこう・・
こういう考え方も正しいと思います。

しかし、これは財政破綻を前提にした考え方です。
今の内に作っちゃって、財政破綻の高インフレで支払いはチャラ・・・・。

しかし、それにしたって、作るべきものは、将来の日本の発展に寄与する
都市部のインフラの強化が主体であるべきで、
海岸線を津波防止の高い防波堤で固めて、日本の景観を損なう事業であるはずがありません。

そんな物を作るくらいなら、津波襲来時の非難訓練を徹底したり、
非常用備蓄に予算を回す方が効果的です。
防波堤が整備される前に津波が襲う可能性もあり、
あるいは、防波堤が一部だけ整備された時点で、財政破綻を迎えるかも知れません。

スーパー堤防と同じ運命を歩むのは明確です。

■ 「国民の為」という欺瞞 ■

三橋氏は「国民の為」という表現も良く使います。
だいたい、こういう事を言う人物は、政治家同様に信用がなりません。

「国民の為」と軽がるしく口にする人物の主張は、
メリットだけが強調され、デメリットやリスクが過小に評価されています。

政府が財政を拡大しても、将来的な税収の増加でバランスする・・・・。

財政拡大に現在の私達の懐は痛みません。
しかし、将来の税金は誰が払うのでしょう?
思った様に税収が伸びない場合は、増税が待ち受けています。

「今の君たちに利益があるのだから」というタダ乗りの理論は、大衆受けします。

■ 「日本の実力はこんなもんじゃない」という洗脳 ■

三橋氏が若者の支持を集める最大のポイントは、
「日本の実力はこんなものでは無い」という若者の自尊心をくすぐる言葉です。

製造業で韓国や中国に押され、20年以上も不景気の底に沈む日本で、
若者は失望の内に暮らしています。

そこに救世主が現れ「おまえ達はもっと出来る子だよ」と甘言を弄しているのです。
「中国や韓国は見かけだけで、本当にすごいのは日本人だよ」と囁きます。

最近のネトウヨの深層心理に見事に迎合する事で、三橋氏の支持は拡大しています。

■ 日露戦争前や第二次大戦前と似ている ■

現代の「経済宗教」である三橋教の雰囲気は、
日露戦争や第二次体制前の一部の言論に良く似ています。

そして、朝日新聞などが国民を煽った様に、三橋氏も若者を煽ります。
この雰囲気は非常に危険なものを感じます。

安倍総理は、彼に参議院選挙に立候補する様に要請したそうです。
三橋氏は断った様ですが・・・。

■ 個人のブログで個人を攻撃するのは好ましく無いが・・・ ■

基本的に個人のブログで個人の実名を挙げて攻撃する事は好ましくありません。
特に、匿名ブログであるだけに、卑怯とも言えます。

しかし、三橋氏は一種の「言論人」ですから、批判を受けるのは当然とも言えます。
批判に対して「抗弁」で対抗するのが「言論」であり、
本来、彼が「経済学」を批判するならば、それなりの「経済学者」が相手をすべきなのです。

しかし、あまりにも意見がかみ合わないのと、狂犬に触れると噛み付かれるので、
多くの経済学者は三橋氏を無視しています。

しかし、彼が多くの若者の支持を集め、安倍総理の信頼を得ているのなら、
その影響力を過小評価するのは危険だと思います。

池田信夫氏は、三橋氏を批判し始めましたが、
そろそろ、きちんとした経済学者が、批判を展開しても良い頃かと思います。

尤も、狂信者達は、それをも糧として信仰を深めてしまうのでしょう。


ケインズがあの世であきれています・・・。

最後に三橋貴明批判をブログで展開されている「meguのブログ」さんが痛快です。
三橋氏がリフレ論の根拠とする高橋是清についても詳しく調べていらっしゃいます。

http://megu777.blogspot.jp/2013/01/vs.html

少々、市場を妄信しすぎている感じもありますが、
まあ、経済を専門に勉強されている方からすると、
三橋氏の言説は相当頭に来るのかも知れません。


私はトンデモ論が好きですから、三橋氏の隠れファンではありますが・・・・。
この間、本も買っちゃたし・・・
でも直ぐにブックオフで売ったら100円にしかならなかった・・。

コメント

2019/6/18 14:24
投稿者:人力


ガリトン さん

最近のエントリーでMMTを議論しています。宜しければご覧になって下さい。

現在の経済はリアルな経済と資産市場というバーチャルな経済が重なり合っており、バーチャル経済は貪欲に資金を飲み込みます。これが金融政策のバッファーとなっているのでリフレ政策drもインフレ達成は容易ではありませんでした。そこで直接お金を国民にばら撒けば強引にインフレを達成し経済が活性化するというのがMMT支持者の本音ですが、既にアベノミクスの初期にクラウディングアウトが発生した様に、建設業を筆頭に限られた労働資源を政府と民間で奪い合う結果を生み出します。

そして、一旦は国民に配布された資金も、金利に引っ張られて資産市場でリスク運用されるので、国内景気の回復効果は限定的です。一方で、フリーランチは存在しないので、危機が一度発生して悪い金利上昇が始まると、金融政策も財政政策もこれをコントロールする術を持ちません。

テールリスクは見えにくく、時間的にも未来に押し込められているので、近視眼的な方々はこれを軽視し、いざ危機が発生すると「予測し得ない危機でブラックスワンだった」などと誤魔化します。

MMTは、劇薬ですが遅効性なので注意が必要です。

2019/6/18 11:40
投稿者:ガリトン

MMTが米国からやってきて物議を醸しだしていますが
が、どうでしょう。足元の国内の人物には見向きもしない
日本人も、海外、とくに欧米の情報には弱く、信用してし
まいやすくないですか。これまでの貨幣という常識の裏が
透けてみえてきました。

2018/8/21 20:33
投稿者:日本男児は文句を言わない

30歳以下の健康保険免除、所得税・住民税減税あるいは定期的に地域振興券を配布したほうが良いと思います。三橋何某や藤井何某の説明ですと、キャッシュフローが大きくなって終わりです。

三橋の話を一般家庭に置き換えると、消費者ローンから借りた100万円を、政府が0円にしてくれると言っているようにきこえます。日本人は皆、日本政府の連結子会社の従業員ですから、その従業員の負債を0円にするのは親会社である政府の役目となりますね。

交通関係と堤防や防衛の予算は、だいぶ無理に捻出しているのがわかります。
これでも不足していると感じている人がいるならば億単位のふるさと納税を実施して用途を「公共土木」に限定するしかありません。

三橋氏や藤井氏など国を思う気持ちは大事だと思いますしとても立派ですが、公共事業ではデフレ脱却や経済成長は難しいのが現実です。

三橋信者の人たちはまず、たとえ低賃金であっても地道に働いて汗を流してしっかり納税することがもっとも経済成長につながることを自覚してほしいです。

日本人が中国韓国より、素晴らしい民族であるならば、文句や不満をネット上であっても言わずにまじめに働くのではないでしょうか?日本男児ならできるはずです。


2018/2/21 12:18
投稿者:人力

インフラ研究者 さん

最新の記事でちょっと妄想してみました。防災インフラの重要性は充分に理解しておりますが、インフラ整備の費用対効果が地方においては益々低下しる時代に、従来のシステムはいつか破綻し、「強制的な選択と集中」が発動する気がしてなりません。

欧米人は合理的思考で社会を改革しますが、日本は切り捨てる事が苦手で、結局は「どうにもならない事態」が問題を解決するのかな・・と。

2018/2/20 8:28
投稿者:人力

インフラ研究者 さん

感情的なコメントが多い当エントリーに、冷静で丁寧な書き込みを頂いた事、驚いています。じっくりご返答させて頂きたいので、先ずはお礼まで。


2018/2/20 4:43
投稿者:インフラ研究者


続き

>防波堤が整備される前に津波が襲う可能性もあり、あ
るいは、防波堤が一部だけ整備された時点で、財政破綻
を迎えるかも知れません。

近視眼過ぎるのではないかと思います.完工前に災害が
発生したら無駄だと言うのであれば,これまで整備して
きた防災インフラはどのような論理で整備されてきたの
でしょうか?いずれの防災インフラも完工前に災害が発
生するというリスクの中で実施されてきたのではないで
しょうか?完工前に災害が発生しても次の災害を防ぐ事
が出来ます.また,しっかりとした防災投資がなされて
いるという安心感がその地域における投資を活性化する
のではないでしょうか?

財政破綻が整備期間中に発生するという点,防災インフ
ラ投資のための起債が財政を圧迫することを念頭に置か
れているかと思います.しかし,防災インフラが災害時
に効果を発揮し,投資額以上の減災効果を生めば,防災
インフラを整備していないケースと比較してむしろ債務
を減らす効果があるのではないでしょうか.災害が起こ
る前に財政破綻が起こるというのであれば,数十年に渡
って発生するストック効果に主な意義を持つ防災・更
新・新設いずれのインフラ投資なんか無視し,債務返済
に当てたほうが良いことになります.しかし,年度の金
額で見ると,建設国債の発行額は6兆程度.それに対し
て日本の社会保障費は30兆円程度,プライマリバランス
赤字は20兆円.そして,債務残高は1200兆円.インフラ
が債務問題の本質とは思えません.

>高齢化の進行する日本で、これ以上のインフラは不要
です。

高齢化社会になると何故インフラが不要になるのでしょ
うか?高齢化は働き手不足の継続的な悪化を意味します
から,将来に向けて早めにインフラの質を高め,一人あ
たりの生産効率を高めるおくことが必要ではないでしょ
うか.正に■ストックがある内に作っておこう■に相当
するかと思いますがいかかでしょうか.

是非再考を期待したい所です.


2018/2/20 4:42
投稿者:インフラ研究者

三橋氏がどんな方かは存じませんが,インフラ投資に関
しては,以下の点もどうぞご検討頂け
ればと思います.

>海岸線を津波防止の高い防波堤で固めて、日本の景観
を損なう事業であるはずがありません。

十分な高さの防波堤を作らなかった結果として,海岸部
の景観どころか街そのものが台無しになった311の現実
があります.日本は世界でも最大級の津波が押し寄せる
国であり,津波を敵と考えれば世界最大規模の大きな城
壁(防波堤)があっても何らおかしなことではないかと
思います.投資によって防げる災害被害はどのようなも
のかという冷静な費用対効果の視点が重要です.「進撃
の巨人」が流行していますが,あの世界で景観が大事だ
から城壁を低くするという発想には至らないかと思いま
す.国防のような観点からの考察も必要ではないでしょ
うか.

>そんな物を作るくらいなら、津波襲来時の非難訓練を
徹底したり、非常用備蓄に予算を回す方が効果的です。

ソフト面の充実は大事なのですが,それによって防げる
ものは人命のみなのです.津波が生産施設を破壊するこ
とで日本の供給能力≒GDP≒税収源を毀損します.ある
いは供給力不足によるインフレもあるでしょう.当然,
人々の居住地も破壊されますから,その人々の保証や生
産設備の復旧などの財政支出が増大してしまいます.ハ
ードな防災は人命と広義な生活施設双方を災害から保護
します.是非,インフラのストック面にも着目した批評
をお願いしたい所です.

続く


2017/9/29 3:47
投稿者:人力


総入れ歯 さん

私の主張を短い文章でまとめている方が居ます。

「自国通貨で借り入れている安定した政府を持つ先進国は、危機がなければ、非常に高いレベルの借金を上げ続けることができることを私たちは知っている」 – ポール・クルーグマン


キーポイントは「危機が無ければ」です。そして、「危機」とは日本のおいては「金利上昇」。少子高齢化の日本では潜在成長率が既にマイナスに足を突っ込んでいるので金利上昇は起こり難い、さらに日銀が指値オペまで導入して金利を固定し、景気回復局面で消費税増税をぶつける・・・実に良く出来ています。

私は、次なる世界的な金融危機は必ず債権危機になると妄想していますが、これが国債に波及すると日本も他人事では居られないのはと想像しています。


2017/9/28 19:36
投稿者:総入れ歯

随分と長い文章ですが、三橋氏の主張は結局正しいのが分かりました。
三橋氏主張の対して正しいと思うとか正解ですばっかり。

2017/7/24 12:04
投稿者:人力

学者 さん

下の返答にも書いたのですが、日本の成長率が財政拡大で改善するのか・・・多分、労働力の不足がネックになって民間事業を圧迫するので、これ以上の公共事業の拡大は現在の日本では無理が在ります。これ、建築業界に携わっている人には常識かと。

単純労働を移民で受け入れる手段も在りますが、既に日本は研修生制度によって世界で4番目の移民大国になっていたと記憶しています。これ以上の外国時に労働者の受け入れは、三橋氏らが嫌う事では無かったでしょうか?

財政的には既存インフラの整備維持で手一杯であり、さらに無駄な公共事業に振り向ける予算は在りません。公共事業が無駄を生み出す事は東北の復興を見れば明らかで、既に多くの住民が津波の被災地域から高台などに転居する中で、高い防波堤が着々と整備され守るべき街は最早そこには無い地域も在ります。

復興に結び付けた補助金のばら撒きもヒドイイ状態で、それが将来的に地域の発展に結びつく物は少ないでしょう。

人口が減少する国家でGDPがマイナス成長する事が当たり前ですが、構造改革や規制緩和は嫌だ、財政拡大や金融緩和は賛成だ・・・これで国が将来的に維持出来るのなら見てみたい。

問題とすべきは少子化対策ですが、これは既に遅すぎて手遅れ。後は移民の受け入れしかありませんが・・・世界が隠れ移民大国の日本の現状をいつまでも容認するとも思えません。

イギリスなどはシタタカですから、EUに加盟して、EUの圧力で移民受け入れを国民に納得させ、移民が足りた所でEU離脱を選択しています。

先進国はどこの国も人口動態が悪化していますから、国内に移民という途上国を取り込んで搾取する事で経済成長を達成しています。これがイヤならば、低成長を受け入れるしか無いのでは?
https://green.ap.teacup.com/pekepon/1155.html





▲△▽▼



2013年1月3日
meguのブログ 三橋貴明・中野剛志 vs 高橋是清
https://megu777.blogspot.com/2013/01/vs.html


三橋貴明や中野剛志、その他チャンネル桜に巣食うアホな評論家もどきの詐術を、今回は高橋是清・元大蔵大臣に暴いてもらいましょう。


まず、三橋貴明のトンデモ論から

〈三橋貴明「高校生でも分かる日本経済の凄さ!」彩図社より〉

『日本を見ますと、国債の全ては日本円建て、つまり自国通貨建てで す。国債を販売した相手は、ほとんどが日本の金融機関、もしくは日本の個人投資家です。外国人の日本国債ホルダーは、わずかに6・4% (2009年3月末)でしかありません(こんな超低金利の日本国債を買うなど、奇特な外国の方がいるものです)。その上、日本国債の金利は、すでに十年以 上もの長期に渡り、世界最低水準を維持し続けています。

すなわち、日本は「政府が財政破綻するための条件」を、 一つたりとも満たすことができていないのです。マスメディアの皆さんにはお気の毒ですが、日本政府の財政破綻など、今後千年間くらいは起きないでしょう。

同時に、日本政府の借金を日本国民の税金で返す必要など、全くありません。そもそも借金の残高を減らす必要がないのに、なぜわぎわぎ返済しなければならないのでしょうか。しかも、国民の血税を使って。』(38頁〜39頁)

日本国内で、「財政再建― 財政再建!」と叫んでいる人たちの、経済オンチぶりは凄いものがあります。(42〜43頁)


〈中野剛志「国力とは何か」講談社現代新書より〉


『ケインズ主義的な財政政策は、政府による積極的な支出のことであるが、その費用も使益も、国民国家全体によって共有される。また、金融政策は、国民通貨の操作を通じ、国民生活全体に影響を及ぼす。ケインズ主義政策の発動は、階級差を越えてネイション全体に影響を及ぼすことで、需要のみならず、国民意識をも刺激するのである』(144頁)

『内国債の場合、政府が財政破綻する国債の債務不履行に陥る)ことはありえない。仮に将来の課税によって公的債務を返済しない場合ですらも、政府は借り換えを続けていけばよいのであって、全額返済して債務をなくす必要はないのである。なぜなら、政府(国家)は、民間企業や個人とは異なり、永続してなくならないと想定されているからだ。

(中略)

この内国債と外国債の違いをもたらしているものこそ、「国民」の概念にはかならない。民間企業や個人の負債や(外貨建ての)外国債とは違って、財政破綻のリスクから自由であるという特権を内国債に与えているのは、国民なのだ』(187頁〜189頁)

『政府債務が内国債である場合は、財政破綻はあり得ない。それゆえ、健全財政論者のように、累積債務残高の大きさそれ自体を問題視することは無意味である』(190頁)


この売文業者(三橋貴明)、税金泥棒(中野剛志)の話と、高橋是清の話を比較してみましょう。


以下、神戸新聞 1935.7.27(昭和10)より
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00811764&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

(転載はじめ)
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高橋蔵相の公債政策声明

放漫な公債増発は財政経済破綻の導因

全国民の研究協力に俟って円滑なる運行を期待


高橋蔵相は二十六日午前十一時三十分葉山御用邸に伺候、天機奉伺を終え一色の別邸に赴き八月末まで引続き同地に静養することとなったが右に際し蔵相は公債政策に関して左の如く談話の形式を以って声明を発した。

昭和十一年予算編成方針については曩に閣議の決定を経て公表した通りであるが之に対しては世間でも大体政府の意の存する所を諒として居られることと考える。
当時も述べた通り予算編成ということは単り大蔵省の力だけで解決すべきでなく各省の協力に俟たねばならぬ次第であるが更に進んで考える上財政の問題は国勢全般の解決の鍵であるから単り政府当局の手にのみ委すべきでなく国民全般の考究と協力に依らねばならぬ大問題と考える。

この見地からすると最近財政の問題殊に公債の問題が著しく世人の注意を惹くに至ったことは洵に結構なことであると考える。

我国財政の現状は今後或る期間に亘って毎年相当額の歳入補填公債発行のやむを得ざる状勢にある。

もし公債の発行が茲一両年でその必要がなくなるというようなことであるならば一時多額の公債の増発も或は差支えないと考え得らるるも若しこの先き何年となく歳入補填公債の発行を継続せねばならぬこととすると今年、来年という如き目前のことばかり考えず長きに亘って公債政策の行詰りを来す如きことなきような計画の下に進まねばならぬ理である。

若し今後に於て公債が一般金融機関などに消化されず発行公債が日本銀行背負い込みとなるようなことがあってはこれは明かに公債政策の行詰りであってその結果としては所謂悪性インフレーションの弊害が現われ国民の生産力は消費力と共に減退し生活不安の事態を生ずるに至る虞れがある。

故に今後継続し軍事、産業その他重要なる国家施設の実行を保証し又同時に産業の発展並に国民生活の安定を確保するがためには先ず以て公債政策の円滑なる運行を図ることが絶対の要件となるのである。

然るに昭和七年度以来毎年巨額の公債の発行にも拘らず今日までのところ幸いにその運用は理想的に行われ未だ公債に伴う実害を発生して居らぬ、却って金利の低下や景気回復に資せるところが少くない。世間の一部にはこの効果に着目し公債は何程発行しても差支えなきものであるかの如く漠然たる楽観説を抱いているものもあり又今日政府の執っている公債政策の如きは未だ不充分であってどしどし公債を増発して国家の経費を大いに膨脹せしむべしと説くものもあるようである。然し乍ら公債の過剰発行に依る財政経済の破綻に就てはヨーロッパ大戦後多数の国にその実例を存するところであって公債は何程発行しても差支えなしと論ずるが如きはこの最近の各国の高価なる経験を無視する議論である。

抑々昭和七年度以来の公債政策が円滑に運行されたことについては重大なる原因がある。即ちその発行につき手段方法を改めたることもその一因と目すべきであるが公債の発行額が民間産業資金等との関係上金融機関の消化能力の範囲内に止まるを得たること及び昭和八年度以来歳入補填公債は年々幾分ずつ減少し財政に対する国民の信用の維持されたること並に通貨統制が理想的に行われ物価及び外国為替相場は安定し延いては我国近時の産業貿易の異常なる進展に資したること等を以て根本原因と見なければならぬ。

今迄公債に関する政府の考え方と著しく異なる意見が世間に流布されているようである。その一例を挙げてみると国債は国民の債務なると共にその債権なるを以て国債の増発も国民全体としては『財』に増減がない故に内国債の増加も国民負担の増加にあらず何等恐るるに足らずとの論である。是は国債を通じ債権と債務が併存すると云う事実だけはその通りであるが、然るが故に国債が増加しても財政上並に国民経済上差支えないという結論が簡単に出て来るものではない。国家の財政もその機能に於て国民経済活動の一部を構成すると共に独自の存在を有するものであって財政としての組織が保持せられなければ軍事、外交、産業そのほか国家特有の活動を継続保障することが出来ない、また常識より考えても国家その他の公共団体の経済たると個人経済たるとを問わず借金政策の永続すべからざることは当然である。
公債増発に伴って利払い費は漸増し租税その他の収入もその利払いに追われる結果となるであろう。

斯の如き事態が生ずると国費中公債に依る部分が益々多くなり財政の機能わ行詰りに陥らざるを得ない。斯の如き状態になると国家財政の信用を維持し難く公債の消化は行詰り結局印刷機械の働きに依り財源の調達を図らざるを得ざるに至るのであって、かくの所謂悪性インフレの弊は必至の勢となるであろう。故に公債の問題は単なる国内の債権、債務の均衡というが如き狭い見地から是非を論断することが出来ないのである。

その他の異説についても事物としては一面のみを見て国家社会全般に対する影響を忘れたる議論が多いようである、前にも述べたる如く研究は大いによろしい、斯くて国民全体の協力によって永続性ある国家の発展策を確立したいと考える。


-----
(転載終わり)


売文業者の詐術に騙されている人は、頭を冷やして欲しいです。

特に、安倍晋三氏は、日本国総理大臣という立場にあるだけに、あとから「ごめんなさい」で済まされる問題ではありません。
民主党や維新の会よりマシだとはいえ、あまりにも脇が甘すぎます。

『NHKのコメンテーターレベルお粗末すぎ。藻谷氏といい藤原氏といい今まで言ってきた事もう一度検証したら恥ずかしくて人前にでれないでしょう。藻谷氏はデフレの原因は人口減少とか本に書いてましたが、人口減ってもデフレに陥っていない国はいくらでもあります。この前フジテレビで完全論破しましたが、恥を知れといいたいですね。香山リカしは論外』


香山リカは論外として、藻谷浩介氏はエリート中のエリート、その道(財政・金融・経済問題)の専門家で、その学識と経験は成蹊大学卒の安倍晋三氏の及ぶところではありません。安倍氏率いる自民党は昨年末の選挙で大勝したとはいえ、民主党と維新の会の自滅で漁夫の利を得たに過ぎないことへの自覚がないのでしょうか?


当ブログの読者様の次のご意見に傾聴すべきでしょう。


http://megu777.blogspot.jp/2011/10/blog-post_22.html#comment-form


-----

はじめまして。私も三橋にだまされていたものです。

彼の正体はあなたが想像されているとおりでしょう。

三橋ブログの正体はただの怪しげな情報商材サイトや催眠商法と変わりません。
彼は早くつぶさないといけません。


17 件のコメント:

ムギ2013年1月9日 0:07

このブログで言われていることが大多数のマスメディアで言われていることとほぼ等しいことからmegumiさんのブログの内容が正しいことがよくわかります。

匿名2013年1月14日 5:31

三橋のような連中はすぐ高橋是清を持ち出し、トンデモ理論に利用しますが、都合の悪い情報は切り捨てますね。

匿名2013年1月19日 17:07

こういう定性的な事はいいから、経済を語るなら具体的な
数字を出して語ってくれないかな?

三橋氏も中野氏も日銀が1000兆円通貨を発行して国債を買い取れとか、
政府が1京円国債を刷れとか言ってる訳じゃないだろ?

蓮薄2013年1月21日 1:07

デフレ下では政府が金を刷って借りて使う
政策は当たり前です

昭和6年、世界恐慌下の日本は当然デフレで
国債発行による財源調達と積極的な財政支出政策により
いち早く経済を回復させます
それは放漫財政ではないですよ?

その記事、昭和十一年ですね
軍費が一般会計予算の50%を占めていたころです
当然これは放漫財政で
高橋是清はこれに反対し、昭和11年の二・二六事件で
殺害されます
あまりいい加減な事を書かない方がいいですよ


通行人兼ブログ読者2013年1月22日 9:58

megumi様、こんにちは。
コメント欄をお借りします。

経済論は取りあえず横に置いて、三橋支持者の皆さんにお尋ねします。

支持者の皆さんは、三橋氏の経歴を本当に信じていますか?

1、三橋氏は、1969年生まれで1994年大学卒業。24歳(かな?)で卒業。
  浪人か留年か分かりませんが、転職の際、履歴書で少し不利になります。

2、14〜15年間で、転職回数10回に成功。
  この短期間で、この転職回数は、一般的に転職活動には、非常に不利となります。
  採用担当者からは、堪え性の無い性格または単なるトラブルメーカーと冷たく判断されます。
  
3、しかも全て正社員。
  

4、持っている目ぼしい資格は中小企業診断士。しかも2004年に資格取得。
  大学卒業以来10年の間は、目ぼしい資格無し。
  この状態で転職10回、しかも正社員で転職成功できるんでしょうか?

以上、私にはどうしても信じられません。
例えば、英語堪能、かつ、公認会計士の資格を併せて有していたら、多少は信じられるんですが・・・

  
また、経歴とは別に、次の点も尋ねたいです。
三橋氏の著作を読んでも、大学時代の話、会社員時代の失敗、同僚や友人達との会話、
中小企業診断士としての成功談など、こうしたエピソードが見当たりません。
したがって、どうもリアリティを感じないんです、三橋氏の話には。
この点は、私の認識不足かもしれませんので、適当な著作なりサイトなりがありましたら、
ご紹介ください。


megu2013年1月29日 21:42

確かに、仰るとおり、三橋貴明は本でもブログでも、実際の実務の話は一切しませんね。しないというより、できないのでしょう。

知人に経営コンサルタントがいますが、その道のプロは、忙しくて、本業と関係無い話を2ちゃんねるに書き込んでいる暇も、毎日ブログを更新する暇もありません。

三橋貴明に限らず、廣宮孝信や渡邉哲也など三橋貴明のコピーも同様に、単なるニート崩れとしか思えないのですが、信者には神様のように見えるようですね。

バカの二つ覚え2013年1月25日 21:22

megumi様お久しぶりです。こちらのコメントさせていただくのは久しぶりですね。今更ながら、最近三橋理論と平和主義者の論法の共通点を発見しました。それは利率が上がったらどうするか、と聞いても現状は上がっていないからどうやったら上がるのか、と答えるし、他国が攻めてきたらどうすると聞いているのに、攻めてこないように外交するという。この人たちは話の論点がズレていて話にならないということです。例えは悪いですが、もし交通事故で人をはねてしまったらどうするか、という質問に、安全運転で対処すると言っているようなものです。現実目の前に怪我をしている人がいてもこういったこと言えるでしょうか、この人ら。とにかく事前段階の対処しか考えず、事故が起きることも想定していない浅はかな人たちということですね。その上、財政問題はない、他国は攻めてこないと理屈をつけて、現実を見ないところまで共通しています。


megu2013年1月29日 21:46

まるで、戦時中に早期講和を唱える人を「非国民」扱いして一億火の玉だとか神州不滅と叫んでいた連中と同じですね。

共産党も社民党も「子供手当の財源はある」と豪語していた民主党も三橋貴明も、根は同じですね。


匿名2013年1月29日 12:17

平和主義は思想のはなしであって、三橋貴明氏は国民経済を発展させる経済理論を展開しています。
政治思想と経済理論は比較対象できない内容をこじつけて変な文章を書いていますね。
ノーベル経済学賞を獲得したクルーグマン教授も三橋貴明氏と同様に財政出動と金融緩和のセットパッケージを現在のデフレの対策として実行すべきだといっていますし、トンデモ議論をされているのはこちらのブログの主ではないかと考える次第です。


匿名2013年2月4日 21:20

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

匿名2013年2月6日 2:40

中立の立場から見て中野、三橋の完勝です。書いていることが勉強不足なのか意図的な嘘なのか(失礼ですが疑ってしまいます)?。これだけの資料を集められるのであればもう少し発言の年代や意味、その時の社会事情を整理してから再度このお題でリベンジしてみてください。頑張れ

匿名2013年2月16日 21:13

>藻谷浩介氏はエリート中のエリート、その道(財政・金融・経済問題)の専門家で、その学識と経験は成蹊大学卒の安倍晋三氏の及ぶところではありません。

???


dabesita2013年2月27日 20:13

三橋さんの過去の経歴とかどうでも良くないですか?

中野さんも三橋さんも言ってることはまともです。

文句があるなら、経歴がどうとかじゃなくて、内容で議論しましょう。

匿名2014年3月31日 1:09

> 三橋さんの過去の経歴とかどうでも良くないですか?

興味深かったです。

> 中野さんも三橋さんも言ってることはまともです。

発言のすべてがまともとはとても思えません。

TPP反対において、ISD条項が毒素条項だという主張は論理的飛躍があり、あまりにいい加減すぎると思います。

これに気づいてからの発言がすべて信用できなくなりました。

匿名2015年1月1日 0:02

マクロ経済に関してのそれは、総じて仮定や
推論の域を出ていない。
高尚な経済論もちまたの経済評論も50歩100歩
であることは歴史が語っている。
三橋氏の主張も、所詮有限内の数字や統計を
区間的に分析しているに過ぎず、彼が主張し
ていること実施してみなければ、その真偽も
また誰にもわからないだろう。


匿名2016年11月2日 12:50

なんだ単なる三橋嫌いじゃねーか。期待したのに
インフレとデフレで同じ政策するわけねーじゃん


Unknown2017年1月9日 2:05

私は、きちんと働いて裕福な生活がしたいです。
周囲の人であっても同じです。

そのためには、適度に経済成長する日本であってほしいです。
https://megu777.blogspot.com/2013/01/vs.html


▲△▽▼

「三橋貴明」とか 山本太郎 の経済論は要するに、経済学の美味しい所をツマミ食いする合成経済学で
本質を理解している訳じゃないんですね。
そもそも数学もできない「三橋貴明」や 山本太郎に経済理論が理解できる筈もないしね。

「三橋貴明」の歴史の話はすべて長浜浩明の受け売りで、「三橋貴明」自身は歴史学も考古学も遺伝学も民族学も知識は完全にゼロ

チャンネル桜の番組に出ている自称専門家の意見をそのまま鵜呑みにしているだけなんですね。

「三橋貴明」とか 山本太郎 の経済論もすべて他人の受け売りでしょう。
信じると豪い目に遭います



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/298.html#c28

[近代史3] 山本太郎に「1人で国会変えられるんか?」と聴衆! 中川隆
3. 中川隆[-8661] koaQ7Jey 2019年8月26日 16:36:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4088]

山本太郎の正体については

馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/412.html#c3

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
28. 中川隆[-8660] koaQ7Jey 2019年8月26日 19:27:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4089]

ケーブルの差は、電源ケーブルとSPケーブルに一番大きな差が生まれます。
電源ケーブルは、そこまでどのような経緯を経て電源が供給されていようと、一番最後のケーブルに音は支配されると言うことです。

GRFのある部屋 2019年 08月 26日
https://tannoy.exblog.jp/30756863/

田舎に里帰りしていたのびーさんが、日曜の夕方寄ってくれました。前回来られたのは、5月の末でしたからその間も、お仕事では来られているのでしょうが、拙宅にはほぼ三ヶ月ぶりですね。相変わらずのフルスケージュールの間を縫ってきていただきました。

今回は、よく効く空調のほかは、銀端子ぐらいしか差はありませんが、早速お聞きいただくと、音が全く違っているとすぐに言われました。今回は、比較のために何時ものMITのSPケーブルも外して、全部銀コーティング線と銀コーティング端子にして聞いていただきました。


私自身は、後方の40は最初は外して比較していただくつもりでしたが、後方のSPもなっているのに気がつかず、比較試聴していたぐらい、後ろのSPもなじんでいました。怪我の功名的ですが、後方のSPの自然さが証明されたようです。


しかし、四本全部を銀ケーブルにすると、音がなめらかすぎて、何かが物足らなくなります。そこで、アンプからDDDのネットワークまでの線を何時ものMITに戻しました。その変化にはのびーさんも驚き、型番を写真に撮ると、猛然と世界中のサイトにアクセスして探し始めました。すると似たようなケーブルとか後継機種のケーブルは見つかりますが、私が使っている初期のMITはやはり見つかりません。のびーさんは今更のようにMITケーブルの根強い人気に驚かれていました。


Oさんも、そうして粘り強く探されて見つけているので、そのうち見つかると励ましました(笑)。気をつけなければ行けないのは、後継機種と同じ番号ででている事もあります。初期のタイプでないと、このマジックは生まれません。また、その前のインターコネクトケーブルも同じレベルのグレードにしないと音の品位が揃わないのです。


ようやく見つけたと、写真も見せてくれましたが、やはり型番はまったく同じの後期の製品です。気をつけなければなりませんね。初期型は、型番の表示が地味なのです。後期になるほど、ブランドを強調するロゴになりますが、その分、音が変わっていきます。スペクトラルのアンプ類には、MITが純正ケーブルに指定されていますが、それさえも初期型で無ければなりません。


返還前の香港にそのMITケーブルを買いに出かけた話は、以前もしましたが。そういえば、電源の違いを比較するときも、最後はケーブルの差の方が大きいということになりました。ケーブルの差は、電源ケーブルとSPケーブルに一番おきな差が生まれます。電源ケーブルは、そこまでどのような経緯を経て電源が供給されていようと、一番最後のケーブルに音は支配されると言うことです。また、SPからのフィードバックの影響を最小にしたMITのケーブルは、先日実験したSA回路などと同じ効果が認められます。すなわち音のバランスを整えるのですね。

f0108399_12035511.jpg


MITに戻したので、ケーブルが一つ空き、それは後方のTroubadour40用に使ったところ、その差も大きく、コンサートホールの響きの一体感がましました。音の整合性が合ったのでしょう。面白い物です。


そのあたりまで、進んだところで、パグ太郎さんも参戦。後方SPの実験はパグ太郎さん邸でも行っているので、同じ実験効果が得られたそうです。また、HRS-130のDDDとウーファーの別の端子を結ぶ、ジャンパー線も銀ケーブル、銀端子に変えたところ、めざましい進展が合ったそうです。バイワイアーも試されたそうですが、こちらの短い線の効果の方が大きいと言われました。


家のT4も同じ結果です。HRS-130のジャンパー線は、線ではなくWBTのプレートせいが付いていてのですが、それを銀線・銀ケーブルに変えたら、うれしくなるほど音楽性が増したそうです。揃ったところで、よく冷えたPoully Fuisseを出してきました。最近は、開けると飲みきらなければいけないワインを控えて、ひとりでちびりちびりやれる日本酒を氷で割って飲んでいるので、こうしてお酒を飲まれる方が来られないとワインが開けられません。


f0108399_10445782.png

ジャンパー線の効果を確かめていただくため、先日もパグ太郎さんに聴いていただいた、アバド・ルツェルンのマーラーとクリス・ボッティーのボストン、RIOのダイアナ・クラール等々を見てから、桑田佳祐の一人紅白のBlurayを見始めました。前回とは全く違う音にパグ太郎さんもご機嫌です。


のびーさんとは前回はブルゴーニュの赤ワインを開けましたが、今日の二本目は、その日本酒、「七田 純米吟醸 雄町50」の一升瓶を開けました。このフランスでグランプリを取ったフランス人好みの酒は、淡麗辛口の反対ですので、夏には美味しい氷でロックで飲むと凄く飲みやすくお薦めです。


一人紅白の迫力ある音も、T4は軽々と再生します。ケーブルと端子、ジャンパー線でこれほど変わると驚きますね。一連の銀端子騒動は、大変良い結果をもたたらしてくれました。残っていたワンペアーの銀端子は、そのままロンドンにお持ち帰りになりました(笑)。


今年の夏の最後の会はこうして楽しく終わり、お二人を表まで見送ると、空気は乾燥して秋の気配を感じることが出来ました。美味しいお酒と楽しい音楽、これが出来るオーディオは本当に楽しいですね。
https://tannoy.exblog.jp/30756863/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c28

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
96. 中川隆[-8659] koaQ7Jey 2019年8月26日 19:27:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4090]

ケーブルの差は、電源ケーブルとSPケーブルに一番大きな差が生まれます。
電源ケーブルは、そこまでどのような経緯を経て電源が供給されていようと、一番最後のケーブルに音は支配されると言うことです。

GRFのある部屋 2019年 08月 26日
https://tannoy.exblog.jp/30756863/

田舎に里帰りしていたのびーさんが、日曜の夕方寄ってくれました。前回来られたのは、5月の末でしたからその間も、お仕事では来られているのでしょうが、拙宅にはほぼ三ヶ月ぶりですね。相変わらずのフルスケージュールの間を縫ってきていただきました。

今回は、よく効く空調のほかは、銀端子ぐらいしか差はありませんが、早速お聞きいただくと、音が全く違っているとすぐに言われました。今回は、比較のために何時ものMITのSPケーブルも外して、全部銀コーティング線と銀コーティング端子にして聞いていただきました。


私自身は、後方の40は最初は外して比較していただくつもりでしたが、後方のSPもなっているのに気がつかず、比較試聴していたぐらい、後ろのSPもなじんでいました。怪我の功名的ですが、後方のSPの自然さが証明されたようです。


しかし、四本全部を銀ケーブルにすると、音がなめらかすぎて、何かが物足らなくなります。そこで、アンプからDDDのネットワークまでの線を何時ものMITに戻しました。その変化にはのびーさんも驚き、型番を写真に撮ると、猛然と世界中のサイトにアクセスして探し始めました。すると似たようなケーブルとか後継機種のケーブルは見つかりますが、私が使っている初期のMITはやはり見つかりません。のびーさんは今更のようにMITケーブルの根強い人気に驚かれていました。


Oさんも、そうして粘り強く探されて見つけているので、そのうち見つかると励ましました(笑)。気をつけなければ行けないのは、後継機種と同じ番号ででている事もあります。初期のタイプでないと、このマジックは生まれません。また、その前のインターコネクトケーブルも同じレベルのグレードにしないと音の品位が揃わないのです。


ようやく見つけたと、写真も見せてくれましたが、やはり型番はまったく同じの後期の製品です。気をつけなければなりませんね。初期型は、型番の表示が地味なのです。後期になるほど、ブランドを強調するロゴになりますが、その分、音が変わっていきます。スペクトラルのアンプ類には、MITが純正ケーブルに指定されていますが、それさえも初期型で無ければなりません。


返還前の香港にそのMITケーブルを買いに出かけた話は、以前もしましたが。そういえば、電源の違いを比較するときも、最後はケーブルの差の方が大きいということになりました。ケーブルの差は、電源ケーブルとSPケーブルに一番おきな差が生まれます。電源ケーブルは、そこまでどのような経緯を経て電源が供給されていようと、一番最後のケーブルに音は支配されると言うことです。また、SPからのフィードバックの影響を最小にしたMITのケーブルは、先日実験したSA回路などと同じ効果が認められます。すなわち音のバランスを整えるのですね。

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MITに戻したので、ケーブルが一つ空き、それは後方のTroubadour40用に使ったところ、その差も大きく、コンサートホールの響きの一体感がましました。音の整合性が合ったのでしょう。面白い物です。


そのあたりまで、進んだところで、パグ太郎さんも参戦。後方SPの実験はパグ太郎さん邸でも行っているので、同じ実験効果が得られたそうです。また、HRS-130のDDDとウーファーの別の端子を結ぶ、ジャンパー線も銀ケーブル、銀端子に変えたところ、めざましい進展が合ったそうです。バイワイアーも試されたそうですが、こちらの短い線の効果の方が大きいと言われました。


家のT4も同じ結果です。HRS-130のジャンパー線は、線ではなくWBTのプレートせいが付いていてのですが、それを銀線・銀ケーブルに変えたら、うれしくなるほど音楽性が増したそうです。揃ったところで、よく冷えたPoully Fuisseを出してきました。最近は、開けると飲みきらなければいけないワインを控えて、ひとりでちびりちびりやれる日本酒を氷で割って飲んでいるので、こうしてお酒を飲まれる方が来られないとワインが開けられません。


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ジャンパー線の効果を確かめていただくため、先日もパグ太郎さんに聴いていただいた、アバド・ルツェルンのマーラーとクリス・ボッティーのボストン、RIOのダイアナ・クラール等々を見てから、桑田佳祐の一人紅白のBlurayを見始めました。前回とは全く違う音にパグ太郎さんもご機嫌です。


のびーさんとは前回はブルゴーニュの赤ワインを開けましたが、今日の二本目は、その日本酒、「七田 純米吟醸 雄町50」の一升瓶を開けました。このフランスでグランプリを取ったフランス人好みの酒は、淡麗辛口の反対ですので、夏には美味しい氷でロックで飲むと凄く飲みやすくお薦めです。


一人紅白の迫力ある音も、T4は軽々と再生します。ケーブルと端子、ジャンパー線でこれほど変わると驚きますね。一連の銀端子騒動は、大変良い結果をもたたらしてくれました。残っていたワンペアーの銀端子は、そのままロンドンにお持ち帰りになりました(笑)。


今年の夏の最後の会はこうして楽しく終わり、お二人を表まで見送ると、空気は乾燥して秋の気配を感じることが出来ました。美味しいお酒と楽しい音楽、これが出来るオーディオは本当に楽しいですね。
https://tannoy.exblog.jp/30756863/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c96

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
49. 2019年8月26日 20:25:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4091]
藤圭子 圭子の夢は夜ひらく(1970年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/587.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c49
[近代史3] 藤圭子 圭子の夢は夜ひらく(1970年) 中川隆
1. 中川隆[-8658] koaQ7Jey 2019年8月26日 20:34:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4092]

夢は夜ひらく 園まり 1966
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A2%E3%81%AF%E5%A4%9C%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F+%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%82%8A&sp=mAEB


1966.09.05 共作詞:中村泰士・富田清吾 補曲(採譜):中村泰士
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/587.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
165. 2019年8月26日 23:22:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4093]
フランク・ダラボン ミスト(The Mist, MGM 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/588.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c165
[近代史02] 中国大好き 中川隆
85. 中川隆[-8657] koaQ7Jey 2019年8月27日 06:46:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4094]

2019年08月27日
中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html


 画期という観点から、一度短く中国史を整理してみます。そもそも、「中国」とはどの範囲を指すのか、どのように範囲は変遷してきたのか、という大きな問題があります。また、この記事では更新世における人類の出現以降を扱いますが、もちろん、更新世に「中国」という地域区分を設定することは妥当ではありません。考えていくと大きな問題を多数抱えているわけですが、以前から一度整理しようと考えていたので、とりあえず、ダイチン・グルン(大清帝国)の本部18省を基本にします。更新世から叙述の始まる日本通史が珍しくないように、一国史の呪縛は未だに根強く、凡人の私では適切な区分は困難です。今後は少しずつ、より妥当な地域区分や名称を考えていきたいものです。紀元後に関しては、おもに『近代中国史』(関連記事)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(関連記事)、『中国経済史』(関連記事)を参照しました。なお、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。

●人類の出現(212万年以上前)

 中国における現時点での人類最古の痕跡は212万年前頃までさかのぼり、陝西省で石器が発見されています(関連記事)。これは現時点では地理年代的にほぼ完全に孤立した事例で、どのように人類がアフリカから中国北西部まで到達したのか、まったく明らかになっていません。また、この石器をもたらした人類系統も不明です。おそらく、アフリカからユーラシア南岸を東進してきた、ホモ・ハビリス(Homo habilis)のような最初期ホモ属が、中国に到達して北上したと思われるので、今後、中国南部で220万年前頃の石器や人類遺骸が見つかる可能性は高い、と予想しています。

●「真の」ホモ属の拡散(170万年以上前)

 雲南省では、170万年前頃の初期ホモ属遺骸(元謀人)が発見されています。(関連記事)。陝西省では、上記の212万年前頃の石器が発見された近くの遺跡でホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類されている藍田人が発見されており、その年代は165万〜163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省では170万〜160万年前頃の石器が発見されていますが、その製作者は不明です(関連記事)。212万年前頃の石器を製作した人類が、これら170万〜160万年前頃の中国の人類集団の祖先なのか、現時点では不明ですが、そうではなく、180万年前頃以降に新たにアフリカからおそらくはユーラシア南岸を東進してきた「真の(アウストラロピテクス属的ではない)」ホモ属だった、と私は考えています。人類史において、アフリカからユーラシアへの拡散は珍しくなかっただろう、というわけです(関連記事)。

●後期ホモ属の拡散(60万年前頃以降?)

 現生人類(Homo sapiens)が拡散してくる前まで、中期〜後期更新世のアジア東部には多様な系統のホモ属が存在した、と考えられます(関連記事)。中国各地では中期〜後期更新世のホモ属遺骸が発見されていますが、その分類については議論が続いています。最近、チベット高原東部で発見された16万年以上前となる下顎骨が、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と確認されました(関連記事)。この下顎骨と中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸の一部とが類似しているため、中国には広くデニソワ人が存在したのではないか、とも指摘されています。しかし、デニソワ人の形態はまだほとんど明らかになっていないので(関連記事)、中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸がすべてデニソワ人系統に分類されるのか、現時点では不明です。デニソワ人系統と現生人類系統との分岐年代に関しては諸説ありますが、早ければ80万年以上前と推定されています(関連記事)。したがって、上述の170万〜160万年前頃の中国のホモ属とは異なる系統が、中期更新世に中国へと拡散してきた可能性はきわめて高そうです。ただ中国では、170万〜160万年前頃のホモ属系統が中期更新世まで存続し、アフリカから新たに拡散してきたホモ属と共存し、交雑していた可能性もあると思います。

●現生人類の拡散(5万〜4万年前頃?)

 中国における現生人類の拡散には、不明なところが多分にあります。中国における石器技術の画期は、35000年前頃となる、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群の出現との見解もあります(関連記事)。しかし、中国北部に関して、石器技術では様式1(Mode 1)が100万年以上前〜2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化は少なく、中国では現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、とも指摘されています(関連記事)。じっさい、4万年前頃となる現生人類遺骸(田园男性)が、北京の近くで発見されており、DNAが解析されています(関連記事)。アジア東部におけるデニソワ人と現生人類との交雑の可能性も指摘されており(関連記事)、中国における現生人類拡散の様相には不明なところが多分に残っています。

●農耕・牧畜の開始(10000〜8000年前頃)

 中国の現生人類集団は、農耕・牧畜開始の前後で南方系から北方系へと大きく変わった可能性が指摘されています(関連記事)。これは頭蓋データに基づくものですが、4万年前頃の田园男性に関しては、現代人には遺伝的影響を残していない可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、この南方系集団と北方系集団がいつどの経路で中国に到来したのか、現時点では不明です。これと整合的かもしれないのは、現代漢人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究です(関連記事)。その研究では、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と推測されています。もちろん、核DNAやY染色体DNA、とくに後者ではまた違った遺伝的構成が見られるかもしれませんし、この問題の解明には古代DNA研究の進展が必須となりますが。

●青銅器時代〜鉄器時代(紀元前1700〜紀元前220年頃)

 この間、ユーラシア西方から家畜や金属器などが導入され、中国社会は複雑化していきます。その具体的指標として、性差の拡大が指摘されています(関連記事)。都市国家から領域国家、さらには巨大帝国の出現には、そうした社会的背景があるのでしょう。

●集住から散居(紀元後3〜4世紀)

 それまで、中国の聚落形態は集住(都市国家)が主流でしたが、散居(村の誕生)へと変化し、商業も一時的に衰退します。城郭都市は、それ以前とは異なり行政・軍事に特化していました。またこれ以降、「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。

●唐宋変革(10世紀)

 温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、無城郭商業都市である「市鎮」が出現します。中国では南部の発展が著しく、経済・人口で北部を逆転して優位に立ちます。

●伝統社会の形成(14世紀)

 中国における伝統社会は、14世紀以降に形成されていきます。モンゴルによる中国も含むユーラシア規模の広範な統合は、14世紀の寒冷化により崩壊します。これ以降、「士」と「庶」の間の中間的階層も台頭し、社会はますます複雑化していきます。そのため、中央権力の支配は社会の基層にまで及びませんでした。またこれ以降、南北の格差は前代よりも縮まり、東西の格差が拡大していきます(西部に対する東部の優位)。これは、物流において海路が重要になっていったことと関連しています。また、ダイチン・グルン後期には、沿岸部各地域がそれぞれ外国と結びつくなど、経済の多元化がさらに強くなっていきました。

●中華人民共和国の成立(1949年)

 1840〜1842年のアヘン戦争と1894〜1895年の日清戦争は、ともに中国にとって大きな転機となりました。とくにアヘン戦争は中国近代史の起点として重視されてきましたが、アヘン戦争以後も中国の伝統的な社会経済構造は堅牢で、直ちに大きく変わったわけではありませんでした。中央権力の支配が社会の基層まで届かず、多元的な社会経済構造は、一元化への志向にも関わらず、容易に解消しませんでした。この牢乎として存続する中国伝統社会を大きく変えたのが、共産党政権の中華人民共和国でした。土地革命と管理通貨の実現により、基層社会へと中央権力が浸透し、経済は一体化していき、統合的な国民経済の枠組みが生まれました。中国共産党政権は、まさに革命的でした。


 以上、中国史の画期についてざっと見てきました。現在の私の関心・見識から、更新世の比重が高くなってしまいました。農耕・牧畜開始以降については近年ほとんど勉強が進んでいないので、かなり的外れなことを述べているかもしれず、少しずつ調べていきたいものです。なお、中国共産党政権は革命的と評価しましたが、もはや現在は、「革命的」が直ちに肯定的に評価される時代ではありません。冷戦構造の進展という時代背景はあったにしても、中華人民共和国と「西側」との経済関係はきわめて希薄となり、対外貿易から得られるはずだった先進技術や外国資本を失うことにより経済の活力が衰えた、とも言えます。一方で、そうした事情が、中華人民共和国における強力な金融管理体制と通貨統一を実現させました。「西側」との経済関係が希薄化するなか、共産党政権は物質的な統制を進め、大衆動員型政治運動により反対意見を抑え込んでいきました。物質・思想両面の統制が厳しくなるなかで、逃げ場を失った多くの中国人には、共産党による統治を受け入れるしか選択肢は残されていませんでした。

 そう考えると、統合的な国民経済の枠組みが多くの中国人にとって本当に幸福だったのか、大いに疑問が残ります。購買力平価ベースのGDPでは、第二次世界大戦前はもちろん、その後の1950年でも、中国が日本を上回っていました(関連記事)。本来ならば、購買力平価ベースのGDPで中国が日本を下回るようなことはほとんどあり得なかったはずです。それが、20世紀後半の一時期とはいえ日本に逆転されてしまったのは、明らかに共産党政権の失政だと思います。中国共産党の側に立つ人に言わせれば、「西側」の「敵視政策」が原因となるのでしょう。しかし、政治においては結果責任が厳しく問われるべきで、冷戦が進行していく中だったとはいえ、共産党政権の責任は重大だと思います。

 共産党政権が、中国近現代史において最悪もしくはそれに近い選択肢だったとは思いません。選択を誤れば、中国は今でも内戦に近い状態が続き、経済の発展が妨げられていたかもしれません。当然、現在よりも生活・技術・学術の水準は随分と見劣りしたでしょう。しかし、だからといって、共産党政権が中国近現代史において最良に近い選択肢だったかというと、かなり疑問が残ります。1980年代以降の中国の経済発展には目覚ましいものがあります。これを根拠に中国共産党の統治の正当性を称揚する見解は珍しくないかもしれませんが、現実的な別の選択肢では中国は現在もっと発展していたのではないか、との疑問は残ります。大躍進に代表される中国共産党政権の大失策がなければ、少なくとも、購買力平価ベースのGDPで比較的短期間とはいえ中国が日本を下回るようなことはなかっただろう、というわけです。その意味で、中国共産党、とくに毛沢東の責任は重大だと思います。毛沢東こそ、一時的とはいえ、中国を決定的に没落させた最大の責任者だろう、と私は以前から考えています。率直に言って、共産党政権は近現代中国において、むしろ悪い方の選択だったのではないか、と私は考えています。

 もちろん、中国近現代史において、史実よりも都合のよい選択肢はほとんどなく、中国は一度どん底を経験し、社会・経済を統合する必要があり、毛沢東の功績は大きかった、との見解もあるとは思います。私の見解はしょせん素人の思いつきにすぎないわけですが、大躍進や文化大革命などのような大惨事は本当に不可避だったのだろうか、との疑問はどうしても残ります。1980年代以降の中国の経済発展は確かに目覚ましいのですが、もともと経済規模で日本に劣るようなことはほとんどあり得ない中国が、比較的短期間だったとはいえ、共産党政権下で日本を下回ったという事実は、やはり無視できないように思います。こうした疑問は、中国共産党政権の評価、さらにはその公的歴史認識(体制教義)の検証にも関わってくる問題だと思います。最後に、以下に中国の土地改革について、日本での近年の見解を取り上げます(関連記事)。

 まず、中華人民共和国における土地改革の必然性とされてきた帝国主義および地主からの搾取という認識にたいしては、中華民国期の農家経営について、商品経済化や小農による集約的経営を通じて土地生産性が向上した、との見解が提示されています。また、世界恐慌下の地主による土地の兼併は、全国的かつ長期的にわたる趨勢として確認できるわけではない、とされています。共産党が土地の分配により農民の支持を獲得して内戦に勝利した、との見解も見直されつつあるそうです。1920年代末〜1930年代前半、共産党は土地改革により勢力拡大を図りましたが、当時の共産党組織の脆弱さにより、国民党の反撃や在地の武装勢力の抵抗に遭って根拠地は短期間に崩壊しました。また、土地の分配を受けた農民が必ずしも積極的に共産党軍に加わったわけではなく、既存の雑多な武装人員が傭兵的に編入され、共産党の軍事力を担ったそうです。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が再発すると、共産党は土地改革を強く打ち出すようになります。この土地改革で地主・富農からの収奪だけではなく、中農の財産の侵犯が発生し、農業生産は大打撃を受けたそうです。共産党が短期間で多数の兵の徴募に成功した東北地区にしても、土地の分配により農民の自発的な支持を獲得したこと以上に、「階級敵」からの食糧・財産の没収を通じて、新兵の募集や雇用に必要な財を共産党が独占したことを重視する見解が提示されているそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html#c85

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
260. 中川隆[-8656] koaQ7Jey 2019年8月27日 06:47:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4095]

2019年08月27日
中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html


 画期という観点から、一度短く中国史を整理してみます。そもそも、「中国」とはどの範囲を指すのか、どのように範囲は変遷してきたのか、という大きな問題があります。また、この記事では更新世における人類の出現以降を扱いますが、もちろん、更新世に「中国」という地域区分を設定することは妥当ではありません。考えていくと大きな問題を多数抱えているわけですが、以前から一度整理しようと考えていたので、とりあえず、ダイチン・グルン(大清帝国)の本部18省を基本にします。更新世から叙述の始まる日本通史が珍しくないように、一国史の呪縛は未だに根強く、凡人の私では適切な区分は困難です。今後は少しずつ、より妥当な地域区分や名称を考えていきたいものです。紀元後に関しては、おもに『近代中国史』(関連記事)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(関連記事)、『中国経済史』(関連記事)を参照しました。なお、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。

●人類の出現(212万年以上前)

 中国における現時点での人類最古の痕跡は212万年前頃までさかのぼり、陝西省で石器が発見されています(関連記事)。これは現時点では地理年代的にほぼ完全に孤立した事例で、どのように人類がアフリカから中国北西部まで到達したのか、まったく明らかになっていません。また、この石器をもたらした人類系統も不明です。おそらく、アフリカからユーラシア南岸を東進してきた、ホモ・ハビリス(Homo habilis)のような最初期ホモ属が、中国に到達して北上したと思われるので、今後、中国南部で220万年前頃の石器や人類遺骸が見つかる可能性は高い、と予想しています。

●「真の」ホモ属の拡散(170万年以上前)

 雲南省では、170万年前頃の初期ホモ属遺骸(元謀人)が発見されています。(関連記事)。陝西省では、上記の212万年前頃の石器が発見された近くの遺跡でホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類されている藍田人が発見されており、その年代は165万〜163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省では170万〜160万年前頃の石器が発見されていますが、その製作者は不明です(関連記事)。212万年前頃の石器を製作した人類が、これら170万〜160万年前頃の中国の人類集団の祖先なのか、現時点では不明ですが、そうではなく、180万年前頃以降に新たにアフリカからおそらくはユーラシア南岸を東進してきた「真の(アウストラロピテクス属的ではない)」ホモ属だった、と私は考えています。人類史において、アフリカからユーラシアへの拡散は珍しくなかっただろう、というわけです(関連記事)。

●後期ホモ属の拡散(60万年前頃以降?)

 現生人類(Homo sapiens)が拡散してくる前まで、中期〜後期更新世のアジア東部には多様な系統のホモ属が存在した、と考えられます(関連記事)。中国各地では中期〜後期更新世のホモ属遺骸が発見されていますが、その分類については議論が続いています。最近、チベット高原東部で発見された16万年以上前となる下顎骨が、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と確認されました(関連記事)。この下顎骨と中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸の一部とが類似しているため、中国には広くデニソワ人が存在したのではないか、とも指摘されています。しかし、デニソワ人の形態はまだほとんど明らかになっていないので(関連記事)、中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸がすべてデニソワ人系統に分類されるのか、現時点では不明です。デニソワ人系統と現生人類系統との分岐年代に関しては諸説ありますが、早ければ80万年以上前と推定されています(関連記事)。したがって、上述の170万〜160万年前頃の中国のホモ属とは異なる系統が、中期更新世に中国へと拡散してきた可能性はきわめて高そうです。ただ中国では、170万〜160万年前頃のホモ属系統が中期更新世まで存続し、アフリカから新たに拡散してきたホモ属と共存し、交雑していた可能性もあると思います。

●現生人類の拡散(5万〜4万年前頃?)

 中国における現生人類の拡散には、不明なところが多分にあります。中国における石器技術の画期は、35000年前頃となる、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群の出現との見解もあります(関連記事)。しかし、中国北部に関して、石器技術では様式1(Mode 1)が100万年以上前〜2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化は少なく、中国では現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、とも指摘されています(関連記事)。じっさい、4万年前頃となる現生人類遺骸(田园男性)が、北京の近くで発見されており、DNAが解析されています(関連記事)。アジア東部におけるデニソワ人と現生人類との交雑の可能性も指摘されており(関連記事)、中国における現生人類拡散の様相には不明なところが多分に残っています。

●農耕・牧畜の開始(10000〜8000年前頃)

 中国の現生人類集団は、農耕・牧畜開始の前後で南方系から北方系へと大きく変わった可能性が指摘されています(関連記事)。これは頭蓋データに基づくものですが、4万年前頃の田园男性に関しては、現代人には遺伝的影響を残していない可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、この南方系集団と北方系集団がいつどの経路で中国に到来したのか、現時点では不明です。これと整合的かもしれないのは、現代漢人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究です(関連記事)。その研究では、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と推測されています。もちろん、核DNAやY染色体DNA、とくに後者ではまた違った遺伝的構成が見られるかもしれませんし、この問題の解明には古代DNA研究の進展が必須となりますが。

●青銅器時代〜鉄器時代(紀元前1700〜紀元前220年頃)

 この間、ユーラシア西方から家畜や金属器などが導入され、中国社会は複雑化していきます。その具体的指標として、性差の拡大が指摘されています(関連記事)。都市国家から領域国家、さらには巨大帝国の出現には、そうした社会的背景があるのでしょう。

●集住から散居(紀元後3〜4世紀)

 それまで、中国の聚落形態は集住(都市国家)が主流でしたが、散居(村の誕生)へと変化し、商業も一時的に衰退します。城郭都市は、それ以前とは異なり行政・軍事に特化していました。またこれ以降、「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。

●唐宋変革(10世紀)

 温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、無城郭商業都市である「市鎮」が出現します。中国では南部の発展が著しく、経済・人口で北部を逆転して優位に立ちます。

●伝統社会の形成(14世紀)

 中国における伝統社会は、14世紀以降に形成されていきます。モンゴルによる中国も含むユーラシア規模の広範な統合は、14世紀の寒冷化により崩壊します。これ以降、「士」と「庶」の間の中間的階層も台頭し、社会はますます複雑化していきます。そのため、中央権力の支配は社会の基層にまで及びませんでした。またこれ以降、南北の格差は前代よりも縮まり、東西の格差が拡大していきます(西部に対する東部の優位)。これは、物流において海路が重要になっていったことと関連しています。また、ダイチン・グルン後期には、沿岸部各地域がそれぞれ外国と結びつくなど、経済の多元化がさらに強くなっていきました。

●中華人民共和国の成立(1949年)

 1840〜1842年のアヘン戦争と1894〜1895年の日清戦争は、ともに中国にとって大きな転機となりました。とくにアヘン戦争は中国近代史の起点として重視されてきましたが、アヘン戦争以後も中国の伝統的な社会経済構造は堅牢で、直ちに大きく変わったわけではありませんでした。中央権力の支配が社会の基層まで届かず、多元的な社会経済構造は、一元化への志向にも関わらず、容易に解消しませんでした。この牢乎として存続する中国伝統社会を大きく変えたのが、共産党政権の中華人民共和国でした。土地革命と管理通貨の実現により、基層社会へと中央権力が浸透し、経済は一体化していき、統合的な国民経済の枠組みが生まれました。中国共産党政権は、まさに革命的でした。


 以上、中国史の画期についてざっと見てきました。現在の私の関心・見識から、更新世の比重が高くなってしまいました。農耕・牧畜開始以降については近年ほとんど勉強が進んでいないので、かなり的外れなことを述べているかもしれず、少しずつ調べていきたいものです。なお、中国共産党政権は革命的と評価しましたが、もはや現在は、「革命的」が直ちに肯定的に評価される時代ではありません。冷戦構造の進展という時代背景はあったにしても、中華人民共和国と「西側」との経済関係はきわめて希薄となり、対外貿易から得られるはずだった先進技術や外国資本を失うことにより経済の活力が衰えた、とも言えます。一方で、そうした事情が、中華人民共和国における強力な金融管理体制と通貨統一を実現させました。「西側」との経済関係が希薄化するなか、共産党政権は物質的な統制を進め、大衆動員型政治運動により反対意見を抑え込んでいきました。物質・思想両面の統制が厳しくなるなかで、逃げ場を失った多くの中国人には、共産党による統治を受け入れるしか選択肢は残されていませんでした。

 そう考えると、統合的な国民経済の枠組みが多くの中国人にとって本当に幸福だったのか、大いに疑問が残ります。購買力平価ベースのGDPでは、第二次世界大戦前はもちろん、その後の1950年でも、中国が日本を上回っていました(関連記事)。本来ならば、購買力平価ベースのGDPで中国が日本を下回るようなことはほとんどあり得なかったはずです。それが、20世紀後半の一時期とはいえ日本に逆転されてしまったのは、明らかに共産党政権の失政だと思います。中国共産党の側に立つ人に言わせれば、「西側」の「敵視政策」が原因となるのでしょう。しかし、政治においては結果責任が厳しく問われるべきで、冷戦が進行していく中だったとはいえ、共産党政権の責任は重大だと思います。

 共産党政権が、中国近現代史において最悪もしくはそれに近い選択肢だったとは思いません。選択を誤れば、中国は今でも内戦に近い状態が続き、経済の発展が妨げられていたかもしれません。当然、現在よりも生活・技術・学術の水準は随分と見劣りしたでしょう。しかし、だからといって、共産党政権が中国近現代史において最良に近い選択肢だったかというと、かなり疑問が残ります。1980年代以降の中国の経済発展には目覚ましいものがあります。これを根拠に中国共産党の統治の正当性を称揚する見解は珍しくないかもしれませんが、現実的な別の選択肢では中国は現在もっと発展していたのではないか、との疑問は残ります。大躍進に代表される中国共産党政権の大失策がなければ、少なくとも、購買力平価ベースのGDPで比較的短期間とはいえ中国が日本を下回るようなことはなかっただろう、というわけです。その意味で、中国共産党、とくに毛沢東の責任は重大だと思います。毛沢東こそ、一時的とはいえ、中国を決定的に没落させた最大の責任者だろう、と私は以前から考えています。率直に言って、共産党政権は近現代中国において、むしろ悪い方の選択だったのではないか、と私は考えています。

 もちろん、中国近現代史において、史実よりも都合のよい選択肢はほとんどなく、中国は一度どん底を経験し、社会・経済を統合する必要があり、毛沢東の功績は大きかった、との見解もあるとは思います。私の見解はしょせん素人の思いつきにすぎないわけですが、大躍進や文化大革命などのような大惨事は本当に不可避だったのだろうか、との疑問はどうしても残ります。1980年代以降の中国の経済発展は確かに目覚ましいのですが、もともと経済規模で日本に劣るようなことはほとんどあり得ない中国が、比較的短期間だったとはいえ、共産党政権下で日本を下回ったという事実は、やはり無視できないように思います。こうした疑問は、中国共産党政権の評価、さらにはその公的歴史認識(体制教義)の検証にも関わってくる問題だと思います。最後に、以下に中国の土地改革について、日本での近年の見解を取り上げます(関連記事)。

 まず、中華人民共和国における土地改革の必然性とされてきた帝国主義および地主からの搾取という認識にたいしては、中華民国期の農家経営について、商品経済化や小農による集約的経営を通じて土地生産性が向上した、との見解が提示されています。また、世界恐慌下の地主による土地の兼併は、全国的かつ長期的にわたる趨勢として確認できるわけではない、とされています。共産党が土地の分配により農民の支持を獲得して内戦に勝利した、との見解も見直されつつあるそうです。1920年代末〜1930年代前半、共産党は土地改革により勢力拡大を図りましたが、当時の共産党組織の脆弱さにより、国民党の反撃や在地の武装勢力の抵抗に遭って根拠地は短期間に崩壊しました。また、土地の分配を受けた農民が必ずしも積極的に共産党軍に加わったわけではなく、既存の雑多な武装人員が傭兵的に編入され、共産党の軍事力を担ったそうです。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が再発すると、共産党は土地改革を強く打ち出すようになります。この土地改革で地主・富農からの収奪だけではなく、中農の財産の侵犯が発生し、農業生産は大打撃を受けたそうです。共産党が短期間で多数の兵の徴募に成功した東北地区にしても、土地の分配により農民の自発的な支持を獲得したこと以上に、「階級敵」からの食糧・財産の没収を通じて、新兵の募集や雇用に必要な財を共産党が独占したことを重視する見解が提示されているそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c260

[近代史3] 人類進化史 中川隆
5. 中川隆[-8655] koaQ7Jey 2019年8月27日 06:53:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4096]

2019年08月27日
中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html


 画期という観点から、一度短く中国史を整理してみます。そもそも、「中国」とはどの範囲を指すのか、どのように範囲は変遷してきたのか、という大きな問題があります。また、この記事では更新世における人類の出現以降を扱いますが、もちろん、更新世に「中国」という地域区分を設定することは妥当ではありません。考えていくと大きな問題を多数抱えているわけですが、以前から一度整理しようと考えていたので、とりあえず、ダイチン・グルン(大清帝国)の本部18省を基本にします。更新世から叙述の始まる日本通史が珍しくないように、一国史の呪縛は未だに根強く、凡人の私では適切な区分は困難です。今後は少しずつ、より妥当な地域区分や名称を考えていきたいものです。紀元後に関しては、おもに『近代中国史』(関連記事)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(関連記事)、『中国経済史』(関連記事)を参照しました。なお、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。

●人類の出現(212万年以上前)

 中国における現時点での人類最古の痕跡は212万年前頃までさかのぼり、陝西省で石器が発見されています(関連記事)。これは現時点では地理年代的にほぼ完全に孤立した事例で、どのように人類がアフリカから中国北西部まで到達したのか、まったく明らかになっていません。また、この石器をもたらした人類系統も不明です。おそらく、アフリカからユーラシア南岸を東進してきた、ホモ・ハビリス(Homo habilis)のような最初期ホモ属が、中国に到達して北上したと思われるので、今後、中国南部で220万年前頃の石器や人類遺骸が見つかる可能性は高い、と予想しています。

●「真の」ホモ属の拡散(170万年以上前)

 雲南省では、170万年前頃の初期ホモ属遺骸(元謀人)が発見されています。(関連記事)。陝西省では、上記の212万年前頃の石器が発見された近くの遺跡でホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類されている藍田人が発見されており、その年代は165万〜163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省では170万〜160万年前頃の石器が発見されていますが、その製作者は不明です(関連記事)。212万年前頃の石器を製作した人類が、これら170万〜160万年前頃の中国の人類集団の祖先なのか、現時点では不明ですが、そうではなく、180万年前頃以降に新たにアフリカからおそらくはユーラシア南岸を東進してきた「真の(アウストラロピテクス属的ではない)」ホモ属だった、と私は考えています。人類史において、アフリカからユーラシアへの拡散は珍しくなかっただろう、というわけです(関連記事)。

●後期ホモ属の拡散(60万年前頃以降?)

 現生人類(Homo sapiens)が拡散してくる前まで、中期〜後期更新世のアジア東部には多様な系統のホモ属が存在した、と考えられます(関連記事)。中国各地では中期〜後期更新世のホモ属遺骸が発見されていますが、その分類については議論が続いています。最近、チベット高原東部で発見された16万年以上前となる下顎骨が、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と確認されました(関連記事)。この下顎骨と中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸の一部とが類似しているため、中国には広くデニソワ人が存在したのではないか、とも指摘されています。しかし、デニソワ人の形態はまだほとんど明らかになっていないので(関連記事)、中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸がすべてデニソワ人系統に分類されるのか、現時点では不明です。デニソワ人系統と現生人類系統との分岐年代に関しては諸説ありますが、早ければ80万年以上前と推定されています(関連記事)。したがって、上述の170万〜160万年前頃の中国のホモ属とは異なる系統が、中期更新世に中国へと拡散してきた可能性はきわめて高そうです。ただ中国では、170万〜160万年前頃のホモ属系統が中期更新世まで存続し、アフリカから新たに拡散してきたホモ属と共存し、交雑していた可能性もあると思います。

●現生人類の拡散(5万〜4万年前頃?)

 中国における現生人類の拡散には、不明なところが多分にあります。中国における石器技術の画期は、35000年前頃となる、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群の出現との見解もあります(関連記事)。しかし、中国北部に関して、石器技術では様式1(Mode 1)が100万年以上前〜2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化は少なく、中国では現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、とも指摘されています(関連記事)。じっさい、4万年前頃となる現生人類遺骸(田园男性)が、北京の近くで発見されており、DNAが解析されています(関連記事)。アジア東部におけるデニソワ人と現生人類との交雑の可能性も指摘されており(関連記事)、中国における現生人類拡散の様相には不明なところが多分に残っています。

●農耕・牧畜の開始(10000〜8000年前頃)

 中国の現生人類集団は、農耕・牧畜開始の前後で南方系から北方系へと大きく変わった可能性が指摘されています(関連記事)。これは頭蓋データに基づくものですが、4万年前頃の田园男性に関しては、現代人には遺伝的影響を残していない可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、この南方系集団と北方系集団がいつどの経路で中国に到来したのか、現時点では不明です。これと整合的かもしれないのは、現代漢人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究です(関連記事)。その研究では、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と推測されています。もちろん、核DNAやY染色体DNA、とくに後者ではまた違った遺伝的構成が見られるかもしれませんし、この問題の解明には古代DNA研究の進展が必須となりますが。

●青銅器時代〜鉄器時代(紀元前1700〜紀元前220年頃)

 この間、ユーラシア西方から家畜や金属器などが導入され、中国社会は複雑化していきます。その具体的指標として、性差の拡大が指摘されています(関連記事)。都市国家から領域国家、さらには巨大帝国の出現には、そうした社会的背景があるのでしょう。

●集住から散居(紀元後3〜4世紀)

 それまで、中国の聚落形態は集住(都市国家)が主流でしたが、散居(村の誕生)へと変化し、商業も一時的に衰退します。城郭都市は、それ以前とは異なり行政・軍事に特化していました。またこれ以降、「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。

●唐宋変革(10世紀)

 温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、無城郭商業都市である「市鎮」が出現します。中国では南部の発展が著しく、経済・人口で北部を逆転して優位に立ちます。

●伝統社会の形成(14世紀)

 中国における伝統社会は、14世紀以降に形成されていきます。モンゴルによる中国も含むユーラシア規模の広範な統合は、14世紀の寒冷化により崩壊します。これ以降、「士」と「庶」の間の中間的階層も台頭し、社会はますます複雑化していきます。そのため、中央権力の支配は社会の基層にまで及びませんでした。またこれ以降、南北の格差は前代よりも縮まり、東西の格差が拡大していきます(西部に対する東部の優位)。これは、物流において海路が重要になっていったことと関連しています。また、ダイチン・グルン後期には、沿岸部各地域がそれぞれ外国と結びつくなど、経済の多元化がさらに強くなっていきました。

●中華人民共和国の成立(1949年)

 1840〜1842年のアヘン戦争と1894〜1895年の日清戦争は、ともに中国にとって大きな転機となりました。とくにアヘン戦争は中国近代史の起点として重視されてきましたが、アヘン戦争以後も中国の伝統的な社会経済構造は堅牢で、直ちに大きく変わったわけではありませんでした。中央権力の支配が社会の基層まで届かず、多元的な社会経済構造は、一元化への志向にも関わらず、容易に解消しませんでした。この牢乎として存続する中国伝統社会を大きく変えたのが、共産党政権の中華人民共和国でした。土地革命と管理通貨の実現により、基層社会へと中央権力が浸透し、経済は一体化していき、統合的な国民経済の枠組みが生まれました。中国共産党政権は、まさに革命的でした。


 以上、中国史の画期についてざっと見てきました。現在の私の関心・見識から、更新世の比重が高くなってしまいました。農耕・牧畜開始以降については近年ほとんど勉強が進んでいないので、かなり的外れなことを述べているかもしれず、少しずつ調べていきたいものです。なお、中国共産党政権は革命的と評価しましたが、もはや現在は、「革命的」が直ちに肯定的に評価される時代ではありません。冷戦構造の進展という時代背景はあったにしても、中華人民共和国と「西側」との経済関係はきわめて希薄となり、対外貿易から得られるはずだった先進技術や外国資本を失うことにより経済の活力が衰えた、とも言えます。一方で、そうした事情が、中華人民共和国における強力な金融管理体制と通貨統一を実現させました。「西側」との経済関係が希薄化するなか、共産党政権は物質的な統制を進め、大衆動員型政治運動により反対意見を抑え込んでいきました。物質・思想両面の統制が厳しくなるなかで、逃げ場を失った多くの中国人には、共産党による統治を受け入れるしか選択肢は残されていませんでした。

 そう考えると、統合的な国民経済の枠組みが多くの中国人にとって本当に幸福だったのか、大いに疑問が残ります。購買力平価ベースのGDPでは、第二次世界大戦前はもちろん、その後の1950年でも、中国が日本を上回っていました(関連記事)。本来ならば、購買力平価ベースのGDPで中国が日本を下回るようなことはほとんどあり得なかったはずです。それが、20世紀後半の一時期とはいえ日本に逆転されてしまったのは、明らかに共産党政権の失政だと思います。中国共産党の側に立つ人に言わせれば、「西側」の「敵視政策」が原因となるのでしょう。しかし、政治においては結果責任が厳しく問われるべきで、冷戦が進行していく中だったとはいえ、共産党政権の責任は重大だと思います。

 共産党政権が、中国近現代史において最悪もしくはそれに近い選択肢だったとは思いません。選択を誤れば、中国は今でも内戦に近い状態が続き、経済の発展が妨げられていたかもしれません。当然、現在よりも生活・技術・学術の水準は随分と見劣りしたでしょう。しかし、だからといって、共産党政権が中国近現代史において最良に近い選択肢だったかというと、かなり疑問が残ります。1980年代以降の中国の経済発展には目覚ましいものがあります。これを根拠に中国共産党の統治の正当性を称揚する見解は珍しくないかもしれませんが、現実的な別の選択肢では中国は現在もっと発展していたのではないか、との疑問は残ります。大躍進に代表される中国共産党政権の大失策がなければ、少なくとも、購買力平価ベースのGDPで比較的短期間とはいえ中国が日本を下回るようなことはなかっただろう、というわけです。その意味で、中国共産党、とくに毛沢東の責任は重大だと思います。毛沢東こそ、一時的とはいえ、中国を決定的に没落させた最大の責任者だろう、と私は以前から考えています。率直に言って、共産党政権は近現代中国において、むしろ悪い方の選択だったのではないか、と私は考えています。

 もちろん、中国近現代史において、史実よりも都合のよい選択肢はほとんどなく、中国は一度どん底を経験し、社会・経済を統合する必要があり、毛沢東の功績は大きかった、との見解もあるとは思います。私の見解はしょせん素人の思いつきにすぎないわけですが、大躍進や文化大革命などのような大惨事は本当に不可避だったのだろうか、との疑問はどうしても残ります。1980年代以降の中国の経済発展は確かに目覚ましいのですが、もともと経済規模で日本に劣るようなことはほとんどあり得ない中国が、比較的短期間だったとはいえ、共産党政権下で日本を下回ったという事実は、やはり無視できないように思います。こうした疑問は、中国共産党政権の評価、さらにはその公的歴史認識(体制教義)の検証にも関わってくる問題だと思います。最後に、以下に中国の土地改革について、日本での近年の見解を取り上げます(関連記事)。

 まず、中華人民共和国における土地改革の必然性とされてきた帝国主義および地主からの搾取という認識にたいしては、中華民国期の農家経営について、商品経済化や小農による集約的経営を通じて土地生産性が向上した、との見解が提示されています。また、世界恐慌下の地主による土地の兼併は、全国的かつ長期的にわたる趨勢として確認できるわけではない、とされています。共産党が土地の分配により農民の支持を獲得して内戦に勝利した、との見解も見直されつつあるそうです。1920年代末〜1930年代前半、共産党は土地改革により勢力拡大を図りましたが、当時の共産党組織の脆弱さにより、国民党の反撃や在地の武装勢力の抵抗に遭って根拠地は短期間に崩壊しました。また、土地の分配を受けた農民が必ずしも積極的に共産党軍に加わったわけではなく、既存の雑多な武装人員が傭兵的に編入され、共産党の軍事力を担ったそうです。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が再発すると、共産党は土地改革を強く打ち出すようになります。この土地改革で地主・富農からの収奪だけではなく、中農の財産の侵犯が発生し、農業生産は大打撃を受けたそうです。共産党が短期間で多数の兵の徴募に成功した東北地区にしても、土地の分配により農民の自発的な支持を獲得したこと以上に、「階級敵」からの食糧・財産の没収を通じて、新兵の募集や雇用に必要な財を共産党が独占したことを重視する見解が提示されているそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c5

[近代史3] フランク・ダラボン ミスト(The Mist, MGM 2007年) 中川隆
1. 中川隆[-8654] koaQ7Jey 2019年8月27日 06:56:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4097]

ハリウッド・エンディングに挑戦した男 〜フランク・ダラボンとスティーヴン・キング『ミスト』の問題〜
紀平照幸 2013/12/13
https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20131213-00026150/



この文章では2007年の映画『ミスト』および原作小説「霧」のラストについて触れています。

スティーヴン・キングの小説の映画化と言えば、数少ない例外(『キャリー』『スタンド・バイ・ミー』)を除いては改変・改悪が当たり前で(なにしろ、ご本人が自ら監督した『地獄のデビル・トラック』にしてからにトホホな出来でしたから)、もはや誰も期待していなかった頃に登場したのがフランク・ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』でした。原作(「刑務所のリタ・ヘイワース」)に忠実でありながら、映画的ダイナミズムも併せ持った佳品は批評家や観客に愛され、「EMPIRE」誌が選んだ映画オールタイム・ベストではなんと数多の名作を抑えて1位を獲得しています。続く『グリーンマイル』もヒットし、キング原作=ダラボン監督のコンビは映画ファン安心のブランドとなっていた、そんなダラボンが満を持して発表したのが『ミスト』でした。

まずはいつものように映画の解説から。激しい嵐が町を襲った翌朝、主人公デヴィッドは8歳の息子を連れてスーパーマーケットへ買い物に行きます。しばらくすると周囲に不穏な雰囲気が立ち込め、白い霧がマーケットを覆い尽くしてしまいます。「霧の中に何かがいる!」そう絶叫しながら店に駆け込んでくる血まみれの男も。やがて、本当に霧の中から不気味な化け物が次々と出現し、店の中に立てこもった人々を次々に襲ってくるのでした…。

恐怖のポイントは2点。まずは霧の中から出現する怪物たちです。あるものは軟体動物風、あるものは昆虫風と、まるで悪夢の中に出てくるような奇怪なデザインの、生理的に嫌悪感を催すような怪物が次から次へと出てくるのですから。ちなみに原作者のスティーヴン・キングは大の蜘蛛嫌い。したがって蜘蛛のようなモンスターはひときわ不気味に描写されています。もうひとつは、閉じ込められた人間たちの心理描写。一団の中には狂信的な女性ミセス・カーモディがいて、これがハルマゲドンの始まりだ、と唱えます。最初は冷ややかな目で見ていた生存者たちが、追いつめられるにつれて彼女に同調していき、ついには幼い子供を生け贄に捧げようとさえしてしまう展開にはぞっとしました。あえてスター俳優を使わず、デヴィッドにトーマス・ジェーン、カーモディにマーシャ・ゲイ・ハーデンと、地味ながら実力派のキャストを起用しているのも、物語に迫真性を与えています。

さて、問題はラストです(ここからネタバレです。注意!)。原作版では、デヴィッドが息子や彼に同調したわずかな者たちとマーケットを脱出し、車で走り去るところで終わっています。霧は一向に晴れる様子もなく、どこまで広がっているのかもわからない。世界は終わってしまったのか? という含みを残しながらも、一片の希望を残した終わり方でした。

しかし、映画版は「その先」に踏み込んでいます。車の燃料は尽き、周囲からは異様な物音が迫る中、デヴィッドたちは決断を迫られます。「このまま奴らに食われるよりは…」彼らが下した結論は、自決。デヴィッドは息子や仲間を射殺、弾がなくなったため、死を覚悟して外に飛び出しました。その時彼が見たものは…? なんと火炎放射器や自走砲で怪物たちを退治している軍隊、そして次第に晴れゆく霧の彼方には、最初の方で彼の制止も聞かずに店の外に飛び出した人々が避難民と共にいる姿も見えました。デヴィッドにできるのは、ただ絶叫することだけ…。

どうです? 見事なまでのバッド・エンドでしょう? この変更は脚本も担当したダラボン監督のアイディア。これを聞かされたキングは「衝撃的な結末」と絶賛しましたが、あまりと言えばあんまりな展開に一般のファンの間では賛否両論。「真のホラー映画」と褒める人がいれば、「後味が悪すぎる」と否定する人も存在します。

ではなぜ、このエンディングが人々の拒絶反応を呼び起こすのでしょうか? ここで他の映画の場合を考えてみましょう。例えば『ダイ・ハード』や『007』シリーズなどのアクション映画を。追いつめられた主人公は、とっさの判断で手近にあったものを使って反撃したり、目の前の穴に飛び込んだりします。そしてその選択は大抵の場合正しく、主人公を救い、悪を倒してくれます。しかしこの『ミスト』で行なわれたことは、その真逆なのです。デヴィッドが良かれと思い、自分の家族や友人を救おうとして下した決断は、すべて間違っています。彼に従った者たちは例外なく悲惨な末路を迎えてしまうのです。さらに、撮影スケジュールが理由で実現しませんでしたが、ダラボンはラストでデヴィッドが見る生存者の中に、彼と喧嘩別れした隣人や、マーケットに残った人々なども登場させたかったそうです。つまり「デヴィッドを信じた者は死に、信じなかった者だけが生き残った」と言いたかったのですね。この徹底ぶり! 『ミスト』こそは、「主人公の行動は常に正しい」というハリウッドの公式に真っ向から「NO!」を突きつけた映画だったのです。

原作が大変よくできた小説ですから、そのまま映画化してもそれなりの傑作になったはずの『ミスト』。しかしこの付け加えられたラストのおかげで、心に刺さったトゲのように一種忘れられない強い印象を残した作品になったではないでしょうか。それこそが、反対意見が多数出ることも覚悟の上でダラボンが目指したものなのだと思います。

(付記)

この映画の発表後、ダラボンは劇場用の映画を撮っていません。彼は2010年からTVシリーズの「ウォーキング・デッド」を製作。ゾンビがうろつきまわる世界でのサバイバルを描き、今までのTVの常識を超えた物語を展開中です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20131213-00026150/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/588.html#c1

[近代史3] フランク・ダラボン ミスト(The Mist, MGM 2007年) 中川隆
2. 中川隆[-8653] koaQ7Jey 2019年8月27日 07:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4098]

2015-02
衝撃のラストをネタバレ解説!観た人全てが鬱になる映画『ミスト』はここが凄い!
https://type-r.hatenablog.com/entry/20150205

■あらすじ

『嵐の翌日、デヴィッドは異様な霧に懸念を抱きながら息子と共にスーパーマーケットへ買い出しに出掛けた。すると、その濃い霧は間もなく買い物客でごった返すマーケットに迫り、ついには町全体を飲み込むように覆っていく。人々がマーケットに缶詰状態となる中、霧の中に不気味な怪物を発見したデヴィッド。一方、骨董品店の女主人カーモディは狂信めいた発言で人々の不安を煽っていく。その夜、突如として霧の中のモンスターたちが襲撃を開始、店内は大混乱に陥った!原作者スティーヴン・キングとフランク・ダラボン監督が「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続いて再びコンビを組んだ驚愕のホラー・ミステリー。霧(ミスト)の中に待っていたものは何か?映画史上かつてない、震撼のラスト15分!』


「後味の悪い映画」、「バッドエンド」、「最悪の結末」、「鬱映画」などで検索すると、かなりの高確率でヒットする作品、それがスティーヴン・キング原作・フランク・ダラボン監督の『ミスト』です。

本日の午後のロードショーでは、そんな『ミスト』が放送されるので、観る際はそれなりに覚悟してご覧ください(笑)。ちなみに、他のバッドエンド映画の代表格としては、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と『セブン』がツートップと言われています(^.^)


「観ると鬱になる映画」の代表格。ただし作品の評価は「最高!」と「最低!」が見事に真っ二つに分かれています。

この『ミスト』、僕は映画館で観たんですよ。『ショーシャンクの空に』の原作者スティーヴン・キングとフランク・ダラボン監督が再びタッグを組んで新作を撮った!という触れ込みに釣られてノコノコ観に行ったわけです。で、観終わった直後の感想は、皆さんの予想通り「うわあああ、こ、これはヒドい…!」って感じでしたねえ(笑)。

いや、映画がヒドいんじゃなくて、物語の結末がヒドいんです。映画自体はとても良く出来ていると思いました。クリーチャーの造形や恐ろしい雰囲気、極限状態に追い詰められた人間達の愚かな行動など、キャラクターの描き方やドラマ展開、映像表現の数々は実に見事です。ただ、ラストがヒドい…

ストーリー的には物凄くシンプルなんですよ。ある日、街に霧が発生した → やがてその霧はどんどん大きくなり、街全体を覆い尽くす → たまたまスーパーマーケットに買い物に来ていた主人公 → すると突然お爺さんが「霧の中に何かいる!」と叫びながら飛び込んで来た → 霧の中から”見た事も無い不気味な生物”が出現 → 全員、スーパーマーケットに閉じ込められてしまう……と、ここまでが序盤の展開。

この後はひたすらスーパー内部での描写が続き、「出て行こう!」、「いや、ここにいるべきだ!」など異常な事態に直面した”人間同士の醜悪な言い争い”に終始します。

そして徐々に精神的に追い詰められた人々は、「神の裁きが下されたのよ!」と煽る宗教かぶれのオバサンの言う事に耳を傾け始める。この辺の展開がちょっとダルいんですよね。特にオバサンの”演説”が長くて苦痛(このオバサンが撃ち殺された瞬間、アメリカの劇場では盛大な拍手が湧き起こったそうなw)。

まあ、スーパーのガラスを破って”でかい昆虫”みたいなものが飛び込んでくるハラハラドキドキシーンもあるんですが、『スターシップ・トゥルーパーズ』のバグズの大群に比べたら全然大した事なかったり。

”霧の中のもの”を描くのではなく、”得体の知れない何かに翻弄される人間の姿”を描くことがメインなので当然なんですが、これだけなら「ふ〜ん、まあ割と普通のパニック・ホラーだよね」という評価で終わっていたでしょう。

だがしかし!この映画の真価は、キャッチコピー通り「ラスト15分の衝撃的な展開」によって初めて発揮されるのです!徹底的に追い詰められた主人公のデヴィッドたちは、スーパーからの脱出を決意。車へ乗るまでの僅か数十メートルで数人が化け物に食い殺され、残ったのはデヴィッドと息子を含め5人だけ。

一行はデヴィッドの家へ向かうも、既に化け物の巣窟と化しており、奥さんも死亡していました。あてもなく彷徨ううちにガソリンも底を尽き、救援の道を断たれた彼らが最後に選んだ道は…

拳銃には弾が4発しか残っていなかったため、デヴィッドは息子を含めた仲間4人を射殺。そして半狂乱となったデヴィッドは車を飛び出し、化け物に喰い殺されようと大声で叫び続けます。

ところが、あれほど大量に発生していたモンスターの姿がどこにも見当たりません。いったいどういうこと…?その数分後、急に霧が晴れ、辺りが鮮明になっていきました。そこでデヴィッドが目にしたものは…

おびただしい数の難民と兵隊、アメリカ陸軍のジープ、戦車の姿でした。陸軍は火炎放射器で怪物を焼き払い、スーパーも無事に解放されていたのです。茫然と立ち尽くすデヴィッド。

そんな彼の前をトラックが横切ります。その荷台にはスーパーを飛び出した子供とその母親が乗っていました。あともう少し耐えていれば、デヴィッドと彼の息子も助かっていたのに…。結局、デヴィッドは無事に救助されましたが、彼はいつまでも絶叫し続けたという…

とまあ、こんな映画を観たら気分が落ち込むのも当然ですよねえ(苦笑)。物語の中で息子がデヴィッドに対し、「僕を化け物に殺させないで」と語りかけるシーンがあるんですけど、普通に解釈すれば「化け物から守って」になるところを、「化け物ではなく、デヴィッド自身の手で殺させる」という感じに歪めて描いているところが凄い皮肉(^_^;)

このラストシーンに対する意見としては、「ふざけんな!」とか「思ってたのと違う!」とか、様々な感想が出ていたようですが、概ね「嫌な気分になった」という評価が大勢を占めていると思われます。

こういった反応は『セブン』と同様に「後味の悪さを追求したエンターテイメント」としては完全に正しく、作り手側にしてみればまさに「してやったり!」という感じなのでしょう。すなわち、怒ったり鬱な気持ちになった時点で監督の思うつぼなんですよ、トホホ。

この物語のポイントって何かと言うと、「あともう少しだけ待っていれば助かったのに!」と観客に思わせているところなんですね。でもそれは”結果”を知っているからであって、登場人物が置かれた状況を考えた場合、もう少し待てば助かるかどうかなんて分かるはずもありません。そういう状況をわざと作った上で、主人公に最悪の選択を実行させるという、シナリオの意地の悪さが秀逸すぎるでしょコレ(苦笑)。

つまり、映画『ミスト』の凄いところは、何が正しくて何が間違っていたのか、明確な正解を提示していないところなんですよ。トラックに乗った親子を見ると「あ〜、すぐにスーパーを出ていれば助かったのか〜」と一瞬思ってしまいますが、それはあくまでも結果論であって、正解は誰にも分からない。そういう曖昧さを残しているところがミソなのです。

曖昧な点と言えば、この映画って事態がどうなっているのかもさっぱり分からないんですよね。そもそも霧の中から出てきた化け物は何なのかと。米軍が秘かに実験していた「アローヘッド計画」って何やねん?実験中に異次元の世界と繋がってしまい、霧と共に化け物が穴から溢れ出した…みたいな噂話が漏れ伝わってくるだけで状況が一切わからず、ラストも軍が穴を塞いだのか、問題は解決したのかしていないのか、その辺の事情が全く不明なままで終了してしまうのです。

そういう、モヤモヤした幕切れまで含めて「後味の悪い映画」と評されているのだとは思いますが、それにしてもこのラストはなあ…。原作小説はここまで悲惨な終わり方ではなく、主人公たちは無人のガソリンスタンドで燃料と食料を補給した後、車に乗って再び走り去る…という結末になっていました(助かったかどうかは分からないまま)。


スティーヴン・キングの原作
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150410968/ichineneiga-22/ref=nosim/

はもう少し救いがある

これはこれでいいと思うんですけど、フランク・ダラボン監督は「もう少しインパクトが欲しい」と考え、映画版オリジナルのラストを思い付き、原作者のスティーヴン・キングに電話で内容を伝えたところ、「素晴らしい!僕が思い付いていたら、絶対にそのアイデアを採用してたよ!」と絶賛したそうです。ダラボン監督によると、この結末は「どんなに絶望的な状況になっても最後まで希望を捨てるな」という前向きなメッセージだったらしい(う〜む……本当だろうか?)。

ちなみに、本作は当初、ダラボン監督の意向でモノクロ版での製作・上映が検討されていました。「原作の不気味な雰囲気を再現するには、カラーよりもモノクロの方が相応しい」と考えた監督は映画会社に提案するものの、「今の時代にモノクロ映画なんて作っても客が来ないだろ!」と却下されてしまったそうです。

しかし、どうしてもモノクロ版を諦め切れなかった監督は、公開後にカラーからモノクロへと再編集しました。そしてDVD化の際に本編はカラー版、特典映像としてモノクロ版が収録されることになったのです。つまり、モノクロ版こそが監督が本来作りたかった『ミスト』であり、真のディレクターズカットなのですよ。残念ながらブルーレイには入っていませんが、DVDの『コレクターズ・エディション』には特典ディスクとしてモノクロ版『ミスト』が付属しています。興味がある方はぜひどうぞ(^.^)
https://type-r.hatenablog.com/entry/20150205
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/588.html#c2

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
16. 中川隆[-8652] koaQ7Jey 2019年8月27日 07:51:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4099]
2019年08月27日
中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html

 画期という観点から、一度短く中国史を整理してみます。そもそも、「中国」とはどの範囲を指すのか、どのように範囲は変遷してきたのか、という大きな問題があります。また、この記事では更新世における人類の出現以降を扱いますが、もちろん、更新世に「中国」という地域区分を設定することは妥当ではありません。考えていくと大きな問題を多数抱えているわけですが、以前から一度整理しようと考えていたので、とりあえず、ダイチン・グルン(大清帝国)の本部18省を基本にします。更新世から叙述の始まる日本通史が珍しくないように、一国史の呪縛は未だに根強く、凡人の私では適切な区分は困難です。今後は少しずつ、より妥当な地域区分や名称を考えていきたいものです。紀元後に関しては、おもに『近代中国史』(関連記事)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(関連記事)、『中国経済史』(関連記事)を参照しました。なお、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。


●人類の出現(212万年以上前)

 中国における現時点での人類最古の痕跡は212万年前頃までさかのぼり、陝西省で石器が発見されています(関連記事)。これは現時点では地理年代的にほぼ完全に孤立した事例で、どのように人類がアフリカから中国北西部まで到達したのか、まったく明らかになっていません。また、この石器をもたらした人類系統も不明です。おそらく、アフリカからユーラシア南岸を東進してきた、ホモ・ハビリス(Homo habilis)のような最初期ホモ属が、中国に到達して北上したと思われるので、今後、中国南部で220万年前頃の石器や人類遺骸が見つかる可能性は高い、と予想しています。


●「真の」ホモ属の拡散(170万年以上前)

 雲南省では、170万年前頃の初期ホモ属遺骸(元謀人)が発見されています。(関連記事)。陝西省では、上記の212万年前頃の石器が発見された近くの遺跡でホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類されている藍田人が発見されており、その年代は165万〜163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省では170万〜160万年前頃の石器が発見されていますが、その製作者は不明です(関連記事)。212万年前頃の石器を製作した人類が、これら170万〜160万年前頃の中国の人類集団の祖先なのか、現時点では不明ですが、そうではなく、180万年前頃以降に新たにアフリカからおそらくはユーラシア南岸を東進してきた「真の(アウストラロピテクス属的ではない)」ホモ属だった、と私は考えています。人類史において、アフリカからユーラシアへの拡散は珍しくなかっただろう、というわけです(関連記事)。


●後期ホモ属の拡散(60万年前頃以降?)

 現生人類(Homo sapiens)が拡散してくる前まで、中期〜後期更新世のアジア東部には多様な系統のホモ属が存在した、と考えられます(関連記事)。中国各地では中期〜後期更新世のホモ属遺骸が発見されていますが、その分類については議論が続いています。最近、チベット高原東部で発見された16万年以上前となる下顎骨が、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と確認されました(関連記事)。この下顎骨と中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸の一部とが類似しているため、中国には広くデニソワ人が存在したのではないか、とも指摘されています。しかし、デニソワ人の形態はまだほとんど明らかになっていないので(関連記事)、中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸がすべてデニソワ人系統に分類されるのか、現時点では不明です。デニソワ人系統と現生人類系統との分岐年代に関しては諸説ありますが、早ければ80万年以上前と推定されています(関連記事)。したがって、上述の170万〜160万年前頃の中国のホモ属とは異なる系統が、中期更新世に中国へと拡散してきた可能性はきわめて高そうです。ただ中国では、170万〜160万年前頃のホモ属系統が中期更新世まで存続し、アフリカから新たに拡散してきたホモ属と共存し、交雑していた可能性もあると思います。


●現生人類の拡散(5万〜4万年前頃?)

 中国における現生人類の拡散には、不明なところが多分にあります。中国における石器技術の画期は、35000年前頃となる、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群の出現との見解もあります(関連記事)。しかし、中国北部に関して、石器技術では様式1(Mode 1)が100万年以上前〜2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化は少なく、中国では現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、とも指摘されています(関連記事)。じっさい、4万年前頃となる現生人類遺骸(田园男性)が、北京の近くで発見されており、DNAが解析されています(関連記事)。アジア東部におけるデニソワ人と現生人類との交雑の可能性も指摘されており(関連記事)、中国における現生人類拡散の様相には不明なところが多分に残っています。


●農耕・牧畜の開始(10000〜8000年前頃)

 中国の現生人類集団は、農耕・牧畜開始の前後で南方系から北方系へと大きく変わった可能性が指摘されています(関連記事)。これは頭蓋データに基づくものですが、4万年前頃の田园男性に関しては、現代人には遺伝的影響を残していない可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、この南方系集団と北方系集団がいつどの経路で中国に到来したのか、現時点では不明です。これと整合的かもしれないのは、現代漢人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究です(関連記事)。その研究では、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と推測されています。もちろん、核DNAやY染色体DNA、とくに後者ではまた違った遺伝的構成が見られるかもしれませんし、この問題の解明には古代DNA研究の進展が必須となりますが。


●青銅器時代〜鉄器時代(紀元前1700〜紀元前220年頃)

 この間、ユーラシア西方から家畜や金属器などが導入され、中国社会は複雑化していきます。その具体的指標として、性差の拡大が指摘されています(関連記事)。都市国家から領域国家、さらには巨大帝国の出現には、そうした社会的背景があるのでしょう。


●集住から散居(紀元後3〜4世紀)

 それまで、中国の聚落形態は集住(都市国家)が主流でしたが、散居(村の誕生)へと変化し、商業も一時的に衰退します。城郭都市は、それ以前とは異なり行政・軍事に特化していました。またこれ以降、「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。


●唐宋変革(10世紀)

 温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、無城郭商業都市である「市鎮」が出現します。中国では南部の発展が著しく、経済・人口で北部を逆転して優位に立ちます。


●伝統社会の形成(14世紀)

 中国における伝統社会は、14世紀以降に形成されていきます。モンゴルによる中国も含むユーラシア規模の広範な統合は、14世紀の寒冷化により崩壊します。これ以降、「士」と「庶」の間の中間的階層も台頭し、社会はますます複雑化していきます。そのため、中央権力の支配は社会の基層にまで及びませんでした。またこれ以降、南北の格差は前代よりも縮まり、東西の格差が拡大していきます(西部に対する東部の優位)。これは、物流において海路が重要になっていったことと関連しています。また、ダイチン・グルン後期には、沿岸部各地域がそれぞれ外国と結びつくなど、経済の多元化がさらに強くなっていきました。


●中華人民共和国の成立(1949年)

 1840〜1842年のアヘン戦争と1894〜1895年の日清戦争は、ともに中国にとって大きな転機となりました。とくにアヘン戦争は中国近代史の起点として重視されてきましたが、アヘン戦争以後も中国の伝統的な社会経済構造は堅牢で、直ちに大きく変わったわけではありませんでした。中央権力の支配が社会の基層まで届かず、多元的な社会経済構造は、一元化への志向にも関わらず、容易に解消しませんでした。この牢乎として存続する中国伝統社会を大きく変えたのが、共産党政権の中華人民共和国でした。土地革命と管理通貨の実現により、基層社会へと中央権力が浸透し、経済は一体化していき、統合的な国民経済の枠組みが生まれました。中国共産党政権は、まさに革命的でした。


 以上、中国史の画期についてざっと見てきました。現在の私の関心・見識から、更新世の比重が高くなってしまいました。農耕・牧畜開始以降については近年ほとんど勉強が進んでいないので、かなり的外れなことを述べているかもしれず、少しずつ調べていきたいものです。なお、中国共産党政権は革命的と評価しましたが、もはや現在は、「革命的」が直ちに肯定的に評価される時代ではありません。冷戦構造の進展という時代背景はあったにしても、中華人民共和国と「西側」との経済関係はきわめて希薄となり、対外貿易から得られるはずだった先進技術や外国資本を失うことにより経済の活力が衰えた、とも言えます。一方で、そうした事情が、中華人民共和国における強力な金融管理体制と通貨統一を実現させました。「西側」との経済関係が希薄化するなか、共産党政権は物質的な統制を進め、大衆動員型政治運動により反対意見を抑え込んでいきました。物質・思想両面の統制が厳しくなるなかで、逃げ場を失った多くの中国人には、共産党による統治を受け入れるしか選択肢は残されていませんでした。

 そう考えると、統合的な国民経済の枠組みが多くの中国人にとって本当に幸福だったのか、大いに疑問が残ります。購買力平価ベースのGDPでは、第二次世界大戦前はもちろん、その後の1950年でも、中国が日本を上回っていました(関連記事)。本来ならば、購買力平価ベースのGDPで中国が日本を下回るようなことはほとんどあり得なかったはずです。それが、20世紀後半の一時期とはいえ日本に逆転されてしまったのは、明らかに共産党政権の失政だと思います。中国共産党の側に立つ人に言わせれば、「西側」の「敵視政策」が原因となるのでしょう。しかし、政治においては結果責任が厳しく問われるべきで、冷戦が進行していく中だったとはいえ、共産党政権の責任は重大だと思います。

 共産党政権が、中国近現代史において最悪もしくはそれに近い選択肢だったとは思いません。選択を誤れば、中国は今でも内戦に近い状態が続き、経済の発展が妨げられていたかもしれません。当然、現在よりも生活・技術・学術の水準は随分と見劣りしたでしょう。しかし、だからといって、共産党政権が中国近現代史において最良に近い選択肢だったかというと、かなり疑問が残ります。1980年代以降の中国の経済発展には目覚ましいものがあります。これを根拠に中国共産党の統治の正当性を称揚する見解は珍しくないかもしれませんが、現実的な別の選択肢では中国は現在もっと発展していたのではないか、との疑問は残ります。大躍進に代表される中国共産党政権の大失策がなければ、少なくとも、購買力平価ベースのGDPで比較的短期間とはいえ中国が日本を下回るようなことはなかっただろう、というわけです。その意味で、中国共産党、とくに毛沢東の責任は重大だと思います。毛沢東こそ、一時的とはいえ、中国を決定的に没落させた最大の責任者だろう、と私は以前から考えています。率直に言って、共産党政権は近現代中国において、むしろ悪い方の選択だったのではないか、と私は考えています。

 もちろん、中国近現代史において、史実よりも都合のよい選択肢はほとんどなく、中国は一度どん底を経験し、社会・経済を統合する必要があり、毛沢東の功績は大きかった、との見解もあるとは思います。私の見解はしょせん素人の思いつきにすぎないわけですが、大躍進や文化大革命などのような大惨事は本当に不可避だったのだろうか、との疑問はどうしても残ります。1980年代以降の中国の経済発展は確かに目覚ましいのですが、もともと経済規模で日本に劣るようなことはほとんどあり得ない中国が、比較的短期間だったとはいえ、共産党政権下で日本を下回ったという事実は、やはり無視できないように思います。こうした疑問は、中国共産党政権の評価、さらにはその公的歴史認識(体制教義)の検証にも関わってくる問題だと思います。最後に、以下に中国の土地改革について、日本での近年の見解を取り上げます(関連記事)。

 まず、中華人民共和国における土地改革の必然性とされてきた帝国主義および地主からの搾取という認識にたいしては、中華民国期の農家経営について、商品経済化や小農による集約的経営を通じて土地生産性が向上した、との見解が提示されています。また、世界恐慌下の地主による土地の兼併は、全国的かつ長期的にわたる趨勢として確認できるわけではない、とされています。共産党が土地の分配により農民の支持を獲得して内戦に勝利した、との見解も見直されつつあるそうです。1920年代末〜1930年代前半、共産党は土地改革により勢力拡大を図りましたが、当時の共産党組織の脆弱さにより、国民党の反撃や在地の武装勢力の抵抗に遭って根拠地は短期間に崩壊しました。また、土地の分配を受けた農民が必ずしも積極的に共産党軍に加わったわけではなく、既存の雑多な武装人員が傭兵的に編入され、共産党の軍事力を担ったそうです。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が再発すると、共産党は土地改革を強く打ち出すようになります。この土地改革で地主・富農からの収奪だけではなく、中農の財産の侵犯が発生し、農業生産は大打撃を受けたそうです。共産党が短期間で多数の兵の徴募に成功した東北地区にしても、土地の分配により農民の自発的な支持を獲得したこと以上に、「階級敵」からの食糧・財産の没収を通じて、新兵の募集や雇用に必要な財を共産党が独占したことを重視する見解が提示されているそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c16

[近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
24. 中川隆[-8651] koaQ7Jey 2019年8月27日 07:59:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4100]
2019年08月27日
中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html

 画期という観点から、一度短く中国史を整理してみます。そもそも、「中国」とはどの範囲を指すのか、どのように範囲は変遷してきたのか、という大きな問題があります。また、この記事では更新世における人類の出現以降を扱いますが、もちろん、更新世に「中国」という地域区分を設定することは妥当ではありません。考えていくと大きな問題を多数抱えているわけですが、以前から一度整理しようと考えていたので、とりあえず、ダイチン・グルン(大清帝国)の本部18省を基本にします。更新世から叙述の始まる日本通史が珍しくないように、一国史の呪縛は未だに根強く、凡人の私では適切な区分は困難です。今後は少しずつ、より妥当な地域区分や名称を考えていきたいものです。紀元後に関しては、おもに『近代中国史』(関連記事)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(関連記事)、『中国経済史』(関連記事)を参照しました。なお、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。


●人類の出現(212万年以上前)

 中国における現時点での人類最古の痕跡は212万年前頃までさかのぼり、陝西省で石器が発見されています(関連記事)。これは現時点では地理年代的にほぼ完全に孤立した事例で、どのように人類がアフリカから中国北西部まで到達したのか、まったく明らかになっていません。また、この石器をもたらした人類系統も不明です。おそらく、アフリカからユーラシア南岸を東進してきた、ホモ・ハビリス(Homo habilis)のような最初期ホモ属が、中国に到達して北上したと思われるので、今後、中国南部で220万年前頃の石器や人類遺骸が見つかる可能性は高い、と予想しています。


●「真の」ホモ属の拡散(170万年以上前)

 雲南省では、170万年前頃の初期ホモ属遺骸(元謀人)が発見されています。(関連記事)。陝西省では、上記の212万年前頃の石器が発見された近くの遺跡でホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類されている藍田人が発見されており、その年代は165万〜163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省では170万〜160万年前頃の石器が発見されていますが、その製作者は不明です(関連記事)。212万年前頃の石器を製作した人類が、これら170万〜160万年前頃の中国の人類集団の祖先なのか、現時点では不明ですが、そうではなく、180万年前頃以降に新たにアフリカからおそらくはユーラシア南岸を東進してきた「真の(アウストラロピテクス属的ではない)」ホモ属だった、と私は考えています。人類史において、アフリカからユーラシアへの拡散は珍しくなかっただろう、というわけです(関連記事)。


●後期ホモ属の拡散(60万年前頃以降?)

 現生人類(Homo sapiens)が拡散してくる前まで、中期〜後期更新世のアジア東部には多様な系統のホモ属が存在した、と考えられます(関連記事)。中国各地では中期〜後期更新世のホモ属遺骸が発見されていますが、その分類については議論が続いています。最近、チベット高原東部で発見された16万年以上前となる下顎骨が、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と確認されました(関連記事)。この下顎骨と中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸の一部とが類似しているため、中国には広くデニソワ人が存在したのではないか、とも指摘されています。しかし、デニソワ人の形態はまだほとんど明らかになっていないので(関連記事)、中期〜後期更新世の中国のホモ属遺骸がすべてデニソワ人系統に分類されるのか、現時点では不明です。デニソワ人系統と現生人類系統との分岐年代に関しては諸説ありますが、早ければ80万年以上前と推定されています(関連記事)。したがって、上述の170万〜160万年前頃の中国のホモ属とは異なる系統が、中期更新世に中国へと拡散してきた可能性はきわめて高そうです。ただ中国では、170万〜160万年前頃のホモ属系統が中期更新世まで存続し、アフリカから新たに拡散してきたホモ属と共存し、交雑していた可能性もあると思います。


●現生人類の拡散(5万〜4万年前頃?)

 中国における現生人類の拡散には、不明なところが多分にあります。中国における石器技術の画期は、35000年前頃となる、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群の出現との見解もあります(関連記事)。しかし、中国北部に関して、石器技術では様式1(Mode 1)が100万年以上前〜2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化は少なく、中国では現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、とも指摘されています(関連記事)。じっさい、4万年前頃となる現生人類遺骸(田园男性)が、北京の近くで発見されており、DNAが解析されています(関連記事)。アジア東部におけるデニソワ人と現生人類との交雑の可能性も指摘されており(関連記事)、中国における現生人類拡散の様相には不明なところが多分に残っています。


●農耕・牧畜の開始(10000〜8000年前頃)

 中国の現生人類集団は、農耕・牧畜開始の前後で南方系から北方系へと大きく変わった可能性が指摘されています(関連記事)。これは頭蓋データに基づくものですが、4万年前頃の田园男性に関しては、現代人には遺伝的影響を残していない可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、この南方系集団と北方系集団がいつどの経路で中国に到来したのか、現時点では不明です。これと整合的かもしれないのは、現代漢人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究です(関連記事)。その研究では、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と推測されています。もちろん、核DNAやY染色体DNA、とくに後者ではまた違った遺伝的構成が見られるかもしれませんし、この問題の解明には古代DNA研究の進展が必須となりますが。


●青銅器時代〜鉄器時代(紀元前1700〜紀元前220年頃)

 この間、ユーラシア西方から家畜や金属器などが導入され、中国社会は複雑化していきます。その具体的指標として、性差の拡大が指摘されています(関連記事)。都市国家から領域国家、さらには巨大帝国の出現には、そうした社会的背景があるのでしょう。


●集住から散居(紀元後3〜4世紀)

 それまで、中国の聚落形態は集住(都市国家)が主流でしたが、散居(村の誕生)へと変化し、商業も一時的に衰退します。城郭都市は、それ以前とは異なり行政・軍事に特化していました。またこれ以降、「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。


●唐宋変革(10世紀)

 温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、無城郭商業都市である「市鎮」が出現します。中国では南部の発展が著しく、経済・人口で北部を逆転して優位に立ちます。


●伝統社会の形成(14世紀)

 中国における伝統社会は、14世紀以降に形成されていきます。モンゴルによる中国も含むユーラシア規模の広範な統合は、14世紀の寒冷化により崩壊します。これ以降、「士」と「庶」の間の中間的階層も台頭し、社会はますます複雑化していきます。そのため、中央権力の支配は社会の基層にまで及びませんでした。またこれ以降、南北の格差は前代よりも縮まり、東西の格差が拡大していきます(西部に対する東部の優位)。これは、物流において海路が重要になっていったことと関連しています。また、ダイチン・グルン後期には、沿岸部各地域がそれぞれ外国と結びつくなど、経済の多元化がさらに強くなっていきました。


●中華人民共和国の成立(1949年)

 1840〜1842年のアヘン戦争と1894〜1895年の日清戦争は、ともに中国にとって大きな転機となりました。とくにアヘン戦争は中国近代史の起点として重視されてきましたが、アヘン戦争以後も中国の伝統的な社会経済構造は堅牢で、直ちに大きく変わったわけではありませんでした。中央権力の支配が社会の基層まで届かず、多元的な社会経済構造は、一元化への志向にも関わらず、容易に解消しませんでした。この牢乎として存続する中国伝統社会を大きく変えたのが、共産党政権の中華人民共和国でした。土地革命と管理通貨の実現により、基層社会へと中央権力が浸透し、経済は一体化していき、統合的な国民経済の枠組みが生まれました。中国共産党政権は、まさに革命的でした。


 以上、中国史の画期についてざっと見てきました。現在の私の関心・見識から、更新世の比重が高くなってしまいました。農耕・牧畜開始以降については近年ほとんど勉強が進んでいないので、かなり的外れなことを述べているかもしれず、少しずつ調べていきたいものです。なお、中国共産党政権は革命的と評価しましたが、もはや現在は、「革命的」が直ちに肯定的に評価される時代ではありません。冷戦構造の進展という時代背景はあったにしても、中華人民共和国と「西側」との経済関係はきわめて希薄となり、対外貿易から得られるはずだった先進技術や外国資本を失うことにより経済の活力が衰えた、とも言えます。一方で、そうした事情が、中華人民共和国における強力な金融管理体制と通貨統一を実現させました。「西側」との経済関係が希薄化するなか、共産党政権は物質的な統制を進め、大衆動員型政治運動により反対意見を抑え込んでいきました。物質・思想両面の統制が厳しくなるなかで、逃げ場を失った多くの中国人には、共産党による統治を受け入れるしか選択肢は残されていませんでした。

 そう考えると、統合的な国民経済の枠組みが多くの中国人にとって本当に幸福だったのか、大いに疑問が残ります。購買力平価ベースのGDPでは、第二次世界大戦前はもちろん、その後の1950年でも、中国が日本を上回っていました(関連記事)。本来ならば、購買力平価ベースのGDPで中国が日本を下回るようなことはほとんどあり得なかったはずです。それが、20世紀後半の一時期とはいえ日本に逆転されてしまったのは、明らかに共産党政権の失政だと思います。中国共産党の側に立つ人に言わせれば、「西側」の「敵視政策」が原因となるのでしょう。しかし、政治においては結果責任が厳しく問われるべきで、冷戦が進行していく中だったとはいえ、共産党政権の責任は重大だと思います。

 共産党政権が、中国近現代史において最悪もしくはそれに近い選択肢だったとは思いません。選択を誤れば、中国は今でも内戦に近い状態が続き、経済の発展が妨げられていたかもしれません。当然、現在よりも生活・技術・学術の水準は随分と見劣りしたでしょう。しかし、だからといって、共産党政権が中国近現代史において最良に近い選択肢だったかというと、かなり疑問が残ります。1980年代以降の中国の経済発展には目覚ましいものがあります。これを根拠に中国共産党の統治の正当性を称揚する見解は珍しくないかもしれませんが、現実的な別の選択肢では中国は現在もっと発展していたのではないか、との疑問は残ります。大躍進に代表される中国共産党政権の大失策がなければ、少なくとも、購買力平価ベースのGDPで比較的短期間とはいえ中国が日本を下回るようなことはなかっただろう、というわけです。その意味で、中国共産党、とくに毛沢東の責任は重大だと思います。毛沢東こそ、一時的とはいえ、中国を決定的に没落させた最大の責任者だろう、と私は以前から考えています。率直に言って、共産党政権は近現代中国において、むしろ悪い方の選択だったのではないか、と私は考えています。

 もちろん、中国近現代史において、史実よりも都合のよい選択肢はほとんどなく、中国は一度どん底を経験し、社会・経済を統合する必要があり、毛沢東の功績は大きかった、との見解もあるとは思います。私の見解はしょせん素人の思いつきにすぎないわけですが、大躍進や文化大革命などのような大惨事は本当に不可避だったのだろうか、との疑問はどうしても残ります。1980年代以降の中国の経済発展は確かに目覚ましいのですが、もともと経済規模で日本に劣るようなことはほとんどあり得ない中国が、比較的短期間だったとはいえ、共産党政権下で日本を下回ったという事実は、やはり無視できないように思います。こうした疑問は、中国共産党政権の評価、さらにはその公的歴史認識(体制教義)の検証にも関わってくる問題だと思います。最後に、以下に中国の土地改革について、日本での近年の見解を取り上げます(関連記事)。

 まず、中華人民共和国における土地改革の必然性とされてきた帝国主義および地主からの搾取という認識にたいしては、中華民国期の農家経営について、商品経済化や小農による集約的経営を通じて土地生産性が向上した、との見解が提示されています。また、世界恐慌下の地主による土地の兼併は、全国的かつ長期的にわたる趨勢として確認できるわけではない、とされています。共産党が土地の分配により農民の支持を獲得して内戦に勝利した、との見解も見直されつつあるそうです。1920年代末〜1930年代前半、共産党は土地改革により勢力拡大を図りましたが、当時の共産党組織の脆弱さにより、国民党の反撃や在地の武装勢力の抵抗に遭って根拠地は短期間に崩壊しました。また、土地の分配を受けた農民が必ずしも積極的に共産党軍に加わったわけではなく、既存の雑多な武装人員が傭兵的に編入され、共産党の軍事力を担ったそうです。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が再発すると、共産党は土地改革を強く打ち出すようになります。この土地改革で地主・富農からの収奪だけではなく、中農の財産の侵犯が発生し、農業生産は大打撃を受けたそうです。共産党が短期間で多数の兵の徴募に成功した東北地区にしても、土地の分配により農民の自発的な支持を獲得したこと以上に、「階級敵」からの食糧・財産の没収を通じて、新兵の募集や雇用に必要な財を共産党が独占したことを重視する見解が提示されているそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c24

[近代史3] 人類進化史 中川隆
6. 中川隆[-8650] koaQ7Jey 2019年8月27日 09:00:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4101]

2019年06月30日
mtDNAに基づく漢人の地域的な違い
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく漢人の地域的な違いを報告した研究(Li et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。漢人は現代中国人の約91.6%を占める巨大な人類集団です。以前の研究では、漢人の遺伝的多様性の高さが観察されています。mtDNAとY染色体DNAと核ゲノムのデータに基づくと、漢人の間では南北の遺伝的違いが観察されます。しかし、とくにmtDNA研究は、部分的な配列もしくは限定された地域の標本に基づいており、広範な漢人の間で同様のパターンが観察されるのか不明だ、と本論文は指摘します。そこで本論文は、中国のほぼすべての省および同水準の行政区の21668人の漢人のmtDNAの、4004ヶ所の多様体を解析しました。

 漢人のmtDNAハプログループ(mtHg)では、D4が16.46%と最多で、11.19%のB4、9.46%のF1、8.13%のM7、7.12%のA 、6.49%のD5、4.95%のB5、4.29%のN9と続きます。この頻度は中国およびその周辺でも地域により異なります。mtHg-D4は北部および北東部で高頻度となり、B4はおもに南部に分布しています。F1は南部および南西部において比較的高頻度で、北部の一部地域でも高頻度です。M7はおもに南部で見られ、そのうちM7bがおもに広西チワン族自治区と広東省で見られるのにたいして、M7cは台湾で比較的高頻度で見られます。Aは北部と北西部において最も頻度が高く、南部の一部地域でも比較的高頻度です。

 興味深いことに、北部で優勢なmtHgのサブクレードのいくつか、たとえばD4a・D4e・A5は、南部においてより高頻度です。一方、南部で優勢なmtHgのサブクレードのいくつか、たとえばM7aやB4bなどは北部において高頻度で見られ、南北の漢人集団の遺伝的混合を表しているようです。他の比較的稀なmtHgの分布でも、地域差が見られます。M8・Z・Yは寧夏回族自治区において高頻度で見られ、F4は江蘇省と雲南省に分布しています。ユーラシア西部で一般的なmtHg- N2・R1・R0・Uは、中国ではおもに北西部で見られ、ユーラシア東西の遺伝的混合との見解と一致します。方言とmtHgとの強い相関は検出されませんでした。しかし本論文は、Y染色体DNAハプログループ(YHg)と方言の間で、より強い相関が見られる可能性を指摘しています。

 mtDNAデータからは、漢人の遺伝的構成が中国の南北で異なる、との以前からの見解が改めて確認されました。しかし、常染色体のDNAデータに基づく地理的分布とはやや異なり、これは女性の特定の移動に起因するかもしれない、と本論文は指摘します。また、中国中部地域の南方漢人は、北方漢人とより密接に関連しています。一方、南方漢人でも、珠江流域の集団は一つのまとまりに分類されます。これは、漢人を遺伝地理的に区分する場合、南北で二分するよりも、黄河(北部)・長江(中部)・珠江(南部)という3河川流域の集団として三分する方が適していることを示唆します。具体的に漢人のmtHgと中国における地理的分布との相関では、D4は北部、B4は中部、M7は南部において高頻度で確認され、それぞれ黄河・長江・珠江流域の一とよく一致しています。

 本論文は、こうした大河により異なる分布がいつ確立されたのか調べるため、D4・M7・B4に分類される4859人のmtDNAの全配列データを集め、各mtHgの合着年代を推定しました。その結果、D4は41760〜20160年前頃、B4は61490〜29790年前頃、M7は54110〜37560年前頃と推定されました。一方、それらのmtHgのサブハプログループの推定合着年代は、46950〜220年前頃となり、後期旧石器時代から歴史時代への継続的な人口拡大を示唆します。これらのサブハプログループの推定合着年代は、約6割が11500〜5500年前頃となる早期完新世で、2000年前頃以降では4.24%でした。本論文は、とくに黄河・長江・珠江という主要3河川流域の漢人集団の母系の遺伝的構成は、早期完新世には確立していた、と推測しています。

 また本論文は、mtDNAの全配列データセットに基づき、漢人の人口史を推定しました。漢人は全体的に、18870年前頃以降に増加しました。これは、最終氷期極大期(LGM)後の気候改善に伴うと推測されています。その後、漢人で最も急速な増加は9430年前頃に見られます。これは早期完新世における第二の人口増加を反映し、漢人を南北に二分した場合でも、黄河・長江・珠江という主要3河川流域に三分した場合でも同様です。本論文はこれを、黄河・長江・珠江流域における初期農耕の3タイプを反映している、と認識しています。中国の初期農耕では、長江流域のコメや黄河流域のキビがよく知られていますが、6000年前頃となる稲作導入前の、珠江流域を含む中国南部の温帯湿潤地域農耕も近年確認されるようになっています。中国におけるこれら3タイプの初期農耕はそれぞれ、1万年前頃の3河川(黄河・長江・珠江)流域に起源があり、12800〜11600年前頃となるヤンガードライアス期後の気候改善が契機になった、と本論文は推測します。本論文の推定では、この期間に3河川流域で急速な人口増加が見られます。農耕の潜在的な人口増加力は普遍的なのでしょう。本論文は、3河川流域の遺伝的相違は古代農耕の拡大の結果と推測しています。本論文で観察された黄河流域と他の河川流域との遺伝的類似性は、黄河流域からのキビ農耕の北方拡大により説明されています。

 本論文はこれらの結果から、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と指摘します。本論文はこれに関して、中国における初期農耕との関連を指摘しています。また本論文はこれらの結果から、河川が人類集団の移住の障壁となった可能性を示唆します。現代漢人は母系では、黄河・長江・珠江という主要3河川流域における早期新石器時代農耕民の遺伝的痕跡を基本的に保持しており、本論文は主要3河川流域それぞれの古代農耕の重要性を強調しています。しかし、これは母系遺伝のmtDNAデータに基づいているので、父系遺伝のY染色体DNAデータにより、たとえば中国の初期農耕民の拡大が性的に偏った過程だったのかどうかなど、より詳細な人口史が明らかになるだろう、との見通しを本論文は提示しています。

 本論文は現代人のmtDNAデータに依拠しているので、さらに詳細な人口史を明らかにするには、古代DNAデータが必要となります。しかし、ユーラシア東部の古代DNA研究はユーラシア西部と比較して大きく遅れており、現時点では、大規模データを扱う場合、現代人が対象となるのは仕方のないところだと思います。本論文は、これまでの漢人のmtDNAデータの、部分的な配列や地理的に限定されていたという制約を超えたという意味で、たいへん意義深いと思います。今後、中国をはじめとしてユーラシア東部でも古代DNA研究が進展していくでしょうが、人口史の推測には、古代人のDNAだけではなく現代人のDNAデータも重要となります。本論文は、漢人のmtDNAデータに関して、今後長く基準となりそうな重要な成果を提供したと思います。

 もちろん、本論文が指摘しているように、あくまでも現代人を対象とした母系遺伝のmtDNAデータに基づいた漢人の人口史推定なので、Y染色体DNAデータやゲノムデータ、とくに前者では、また違った人口史が見えてくる可能性が高いと思います。まだ確定的とはとても言えませんが、人類史において、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなかったのではないか、と私は考えています(関連記事)。ヨーロッパに関しては、最初に農耕をもたらしたアナトリア半島起源の集団では大きな性差がなかったものの、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてのポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの移住集団は男性主体だった、と推測されています(関連記事)。中国でも、初期農耕集団の拡大では大きな性差がなく、後の魏晋南北朝時代や五代十国時代などでは、男性に偏った大規模な移住があったのかもしれません。

 本論文は、母系における漢人の遺伝地理的相違が、すでに早期完新世に成立していた、と推測しています。これは、漢人系統においての短くとも1万年近くとなる、一定以上の遺伝的継続性を示唆します。今後、現代人と古代人のゲノムデータの蓄積により、漢人系統が早期完新世集団の遺伝的影響をどれだけ保持しているのか、といった問題も解明されていくでしょう。もちろんこれは、早期完新世に漢民族が成立していたことを意味するわけではありません。そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではありません。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。

 その意味で、漢民族に限らずどの民族でも、現代に近い遺伝的構成の集団の確立時期をもって、民族の形成期と判断することはできない、と思います。前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。ただ、漢民族のような巨大な集団ほど、前近代における民族の存在を前提とすることには慎重であるべきとは思います。それは、民族成立の指標として、高い比率での構成員の自認が必要と考えているからです。これは、漢民族ほどの規模ではなくとも、「ヤマト(日本)民族」も同様でしょう。漢民族の成立を本格的に論じられるのは精々近代になってからで、「ヤマト(日本)民族」に関しても、どう古く見積もっても江戸時代後期までしかさかのぼらないだろう、と私は考えています。ただ、この問題を本格的に勉強したわけではないので、とても断定的に主張できるわけではありませんし、優先度はさほど高くないので、今後も自信をもって主張できそうにはありませんが。


参考文献:
Li YC. et al.(2019): River Valleys Shaped the Maternal Genetic Landscape of Han Chinese. Molecular Biology and Evolution.
https://doi.org/10.1093/molbev/msz072

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c6

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
261. 中川隆[-8649] koaQ7Jey 2019年8月27日 09:01:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4102]

2019年06月30日
mtDNAに基づく漢人の地域的な違い
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく漢人の地域的な違いを報告した研究(Li et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。漢人は現代中国人の約91.6%を占める巨大な人類集団です。以前の研究では、漢人の遺伝的多様性の高さが観察されています。mtDNAとY染色体DNAと核ゲノムのデータに基づくと、漢人の間では南北の遺伝的違いが観察されます。しかし、とくにmtDNA研究は、部分的な配列もしくは限定された地域の標本に基づいており、広範な漢人の間で同様のパターンが観察されるのか不明だ、と本論文は指摘します。そこで本論文は、中国のほぼすべての省および同水準の行政区の21668人の漢人のmtDNAの、4004ヶ所の多様体を解析しました。

 漢人のmtDNAハプログループ(mtHg)では、D4が16.46%と最多で、11.19%のB4、9.46%のF1、8.13%のM7、7.12%のA 、6.49%のD5、4.95%のB5、4.29%のN9と続きます。この頻度は中国およびその周辺でも地域により異なります。mtHg-D4は北部および北東部で高頻度となり、B4はおもに南部に分布しています。F1は南部および南西部において比較的高頻度で、北部の一部地域でも高頻度です。M7はおもに南部で見られ、そのうちM7bがおもに広西チワン族自治区と広東省で見られるのにたいして、M7cは台湾で比較的高頻度で見られます。Aは北部と北西部において最も頻度が高く、南部の一部地域でも比較的高頻度です。

 興味深いことに、北部で優勢なmtHgのサブクレードのいくつか、たとえばD4a・D4e・A5は、南部においてより高頻度です。一方、南部で優勢なmtHgのサブクレードのいくつか、たとえばM7aやB4bなどは北部において高頻度で見られ、南北の漢人集団の遺伝的混合を表しているようです。他の比較的稀なmtHgの分布でも、地域差が見られます。M8・Z・Yは寧夏回族自治区において高頻度で見られ、F4は江蘇省と雲南省に分布しています。ユーラシア西部で一般的なmtHg- N2・R1・R0・Uは、中国ではおもに北西部で見られ、ユーラシア東西の遺伝的混合との見解と一致します。方言とmtHgとの強い相関は検出されませんでした。しかし本論文は、Y染色体DNAハプログループ(YHg)と方言の間で、より強い相関が見られる可能性を指摘しています。

 mtDNAデータからは、漢人の遺伝的構成が中国の南北で異なる、との以前からの見解が改めて確認されました。しかし、常染色体のDNAデータに基づく地理的分布とはやや異なり、これは女性の特定の移動に起因するかもしれない、と本論文は指摘します。また、中国中部地域の南方漢人は、北方漢人とより密接に関連しています。一方、南方漢人でも、珠江流域の集団は一つのまとまりに分類されます。これは、漢人を遺伝地理的に区分する場合、南北で二分するよりも、黄河(北部)・長江(中部)・珠江(南部)という3河川流域の集団として三分する方が適していることを示唆します。具体的に漢人のmtHgと中国における地理的分布との相関では、D4は北部、B4は中部、M7は南部において高頻度で確認され、それぞれ黄河・長江・珠江流域の一とよく一致しています。

 本論文は、こうした大河により異なる分布がいつ確立されたのか調べるため、D4・M7・B4に分類される4859人のmtDNAの全配列データを集め、各mtHgの合着年代を推定しました。その結果、D4は41760〜20160年前頃、B4は61490〜29790年前頃、M7は54110〜37560年前頃と推定されました。一方、それらのmtHgのサブハプログループの推定合着年代は、46950〜220年前頃となり、後期旧石器時代から歴史時代への継続的な人口拡大を示唆します。これらのサブハプログループの推定合着年代は、約6割が11500〜5500年前頃となる早期完新世で、2000年前頃以降では4.24%でした。本論文は、とくに黄河・長江・珠江という主要3河川流域の漢人集団の母系の遺伝的構成は、早期完新世には確立していた、と推測しています。

 また本論文は、mtDNAの全配列データセットに基づき、漢人の人口史を推定しました。漢人は全体的に、18870年前頃以降に増加しました。これは、最終氷期極大期(LGM)後の気候改善に伴うと推測されています。その後、漢人で最も急速な増加は9430年前頃に見られます。これは早期完新世における第二の人口増加を反映し、漢人を南北に二分した場合でも、黄河・長江・珠江という主要3河川流域に三分した場合でも同様です。本論文はこれを、黄河・長江・珠江流域における初期農耕の3タイプを反映している、と認識しています。中国の初期農耕では、長江流域のコメや黄河流域のキビがよく知られていますが、6000年前頃となる稲作導入前の、珠江流域を含む中国南部の温帯湿潤地域農耕も近年確認されるようになっています。中国におけるこれら3タイプの初期農耕はそれぞれ、1万年前頃の3河川(黄河・長江・珠江)流域に起源があり、12800〜11600年前頃となるヤンガードライアス期後の気候改善が契機になった、と本論文は推測します。本論文の推定では、この期間に3河川流域で急速な人口増加が見られます。農耕の潜在的な人口増加力は普遍的なのでしょう。本論文は、3河川流域の遺伝的相違は古代農耕の拡大の結果と推測しています。本論文で観察された黄河流域と他の河川流域との遺伝的類似性は、黄河流域からのキビ農耕の北方拡大により説明されています。

 本論文はこれらの結果から、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と指摘します。本論文はこれに関して、中国における初期農耕との関連を指摘しています。また本論文はこれらの結果から、河川が人類集団の移住の障壁となった可能性を示唆します。現代漢人は母系では、黄河・長江・珠江という主要3河川流域における早期新石器時代農耕民の遺伝的痕跡を基本的に保持しており、本論文は主要3河川流域それぞれの古代農耕の重要性を強調しています。しかし、これは母系遺伝のmtDNAデータに基づいているので、父系遺伝のY染色体DNAデータにより、たとえば中国の初期農耕民の拡大が性的に偏った過程だったのかどうかなど、より詳細な人口史が明らかになるだろう、との見通しを本論文は提示しています。

 本論文は現代人のmtDNAデータに依拠しているので、さらに詳細な人口史を明らかにするには、古代DNAデータが必要となります。しかし、ユーラシア東部の古代DNA研究はユーラシア西部と比較して大きく遅れており、現時点では、大規模データを扱う場合、現代人が対象となるのは仕方のないところだと思います。本論文は、これまでの漢人のmtDNAデータの、部分的な配列や地理的に限定されていたという制約を超えたという意味で、たいへん意義深いと思います。今後、中国をはじめとしてユーラシア東部でも古代DNA研究が進展していくでしょうが、人口史の推測には、古代人のDNAだけではなく現代人のDNAデータも重要となります。本論文は、漢人のmtDNAデータに関して、今後長く基準となりそうな重要な成果を提供したと思います。

 もちろん、本論文が指摘しているように、あくまでも現代人を対象とした母系遺伝のmtDNAデータに基づいた漢人の人口史推定なので、Y染色体DNAデータやゲノムデータ、とくに前者では、また違った人口史が見えてくる可能性が高いと思います。まだ確定的とはとても言えませんが、人類史において、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなかったのではないか、と私は考えています(関連記事)。ヨーロッパに関しては、最初に農耕をもたらしたアナトリア半島起源の集団では大きな性差がなかったものの、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてのポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの移住集団は男性主体だった、と推測されています(関連記事)。中国でも、初期農耕集団の拡大では大きな性差がなく、後の魏晋南北朝時代や五代十国時代などでは、男性に偏った大規模な移住があったのかもしれません。

 本論文は、母系における漢人の遺伝地理的相違が、すでに早期完新世に成立していた、と推測しています。これは、漢人系統においての短くとも1万年近くとなる、一定以上の遺伝的継続性を示唆します。今後、現代人と古代人のゲノムデータの蓄積により、漢人系統が早期完新世集団の遺伝的影響をどれだけ保持しているのか、といった問題も解明されていくでしょう。もちろんこれは、早期完新世に漢民族が成立していたことを意味するわけではありません。そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではありません。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。

 その意味で、漢民族に限らずどの民族でも、現代に近い遺伝的構成の集団の確立時期をもって、民族の形成期と判断することはできない、と思います。前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。ただ、漢民族のような巨大な集団ほど、前近代における民族の存在を前提とすることには慎重であるべきとは思います。それは、民族成立の指標として、高い比率での構成員の自認が必要と考えているからです。これは、漢民族ほどの規模ではなくとも、「ヤマト(日本)民族」も同様でしょう。漢民族の成立を本格的に論じられるのは精々近代になってからで、「ヤマト(日本)民族」に関しても、どう古く見積もっても江戸時代後期までしかさかのぼらないだろう、と私は考えています。ただ、この問題を本格的に勉強したわけではないので、とても断定的に主張できるわけではありませんし、優先度はさほど高くないので、今後も自信をもって主張できそうにはありませんが。


参考文献:
Li YC. et al.(2019): River Valleys Shaped the Maternal Genetic Landscape of Han Chinese. Molecular Biology and Evolution.
https://doi.org/10.1093/molbev/msz072

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c261

[近代史02] 中国大好き 中川隆
86. 中川隆[-8648] koaQ7Jey 2019年8月27日 09:01:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4103]

2019年06月30日
mtDNAに基づく漢人の地域的な違い
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく漢人の地域的な違いを報告した研究(Li et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。漢人は現代中国人の約91.6%を占める巨大な人類集団です。以前の研究では、漢人の遺伝的多様性の高さが観察されています。mtDNAとY染色体DNAと核ゲノムのデータに基づくと、漢人の間では南北の遺伝的違いが観察されます。しかし、とくにmtDNA研究は、部分的な配列もしくは限定された地域の標本に基づいており、広範な漢人の間で同様のパターンが観察されるのか不明だ、と本論文は指摘します。そこで本論文は、中国のほぼすべての省および同水準の行政区の21668人の漢人のmtDNAの、4004ヶ所の多様体を解析しました。

 漢人のmtDNAハプログループ(mtHg)では、D4が16.46%と最多で、11.19%のB4、9.46%のF1、8.13%のM7、7.12%のA 、6.49%のD5、4.95%のB5、4.29%のN9と続きます。この頻度は中国およびその周辺でも地域により異なります。mtHg-D4は北部および北東部で高頻度となり、B4はおもに南部に分布しています。F1は南部および南西部において比較的高頻度で、北部の一部地域でも高頻度です。M7はおもに南部で見られ、そのうちM7bがおもに広西チワン族自治区と広東省で見られるのにたいして、M7cは台湾で比較的高頻度で見られます。Aは北部と北西部において最も頻度が高く、南部の一部地域でも比較的高頻度です。

 興味深いことに、北部で優勢なmtHgのサブクレードのいくつか、たとえばD4a・D4e・A5は、南部においてより高頻度です。一方、南部で優勢なmtHgのサブクレードのいくつか、たとえばM7aやB4bなどは北部において高頻度で見られ、南北の漢人集団の遺伝的混合を表しているようです。他の比較的稀なmtHgの分布でも、地域差が見られます。M8・Z・Yは寧夏回族自治区において高頻度で見られ、F4は江蘇省と雲南省に分布しています。ユーラシア西部で一般的なmtHg- N2・R1・R0・Uは、中国ではおもに北西部で見られ、ユーラシア東西の遺伝的混合との見解と一致します。方言とmtHgとの強い相関は検出されませんでした。しかし本論文は、Y染色体DNAハプログループ(YHg)と方言の間で、より強い相関が見られる可能性を指摘しています。

 mtDNAデータからは、漢人の遺伝的構成が中国の南北で異なる、との以前からの見解が改めて確認されました。しかし、常染色体のDNAデータに基づく地理的分布とはやや異なり、これは女性の特定の移動に起因するかもしれない、と本論文は指摘します。また、中国中部地域の南方漢人は、北方漢人とより密接に関連しています。一方、南方漢人でも、珠江流域の集団は一つのまとまりに分類されます。これは、漢人を遺伝地理的に区分する場合、南北で二分するよりも、黄河(北部)・長江(中部)・珠江(南部)という3河川流域の集団として三分する方が適していることを示唆します。具体的に漢人のmtHgと中国における地理的分布との相関では、D4は北部、B4は中部、M7は南部において高頻度で確認され、それぞれ黄河・長江・珠江流域の一とよく一致しています。

 本論文は、こうした大河により異なる分布がいつ確立されたのか調べるため、D4・M7・B4に分類される4859人のmtDNAの全配列データを集め、各mtHgの合着年代を推定しました。その結果、D4は41760〜20160年前頃、B4は61490〜29790年前頃、M7は54110〜37560年前頃と推定されました。一方、それらのmtHgのサブハプログループの推定合着年代は、46950〜220年前頃となり、後期旧石器時代から歴史時代への継続的な人口拡大を示唆します。これらのサブハプログループの推定合着年代は、約6割が11500〜5500年前頃となる早期完新世で、2000年前頃以降では4.24%でした。本論文は、とくに黄河・長江・珠江という主要3河川流域の漢人集団の母系の遺伝的構成は、早期完新世には確立していた、と推測しています。

 また本論文は、mtDNAの全配列データセットに基づき、漢人の人口史を推定しました。漢人は全体的に、18870年前頃以降に増加しました。これは、最終氷期極大期(LGM)後の気候改善に伴うと推測されています。その後、漢人で最も急速な増加は9430年前頃に見られます。これは早期完新世における第二の人口増加を反映し、漢人を南北に二分した場合でも、黄河・長江・珠江という主要3河川流域に三分した場合でも同様です。本論文はこれを、黄河・長江・珠江流域における初期農耕の3タイプを反映している、と認識しています。中国の初期農耕では、長江流域のコメや黄河流域のキビがよく知られていますが、6000年前頃となる稲作導入前の、珠江流域を含む中国南部の温帯湿潤地域農耕も近年確認されるようになっています。中国におけるこれら3タイプの初期農耕はそれぞれ、1万年前頃の3河川(黄河・長江・珠江)流域に起源があり、12800〜11600年前頃となるヤンガードライアス期後の気候改善が契機になった、と本論文は推測します。本論文の推定では、この期間に3河川流域で急速な人口増加が見られます。農耕の潜在的な人口増加力は普遍的なのでしょう。本論文は、3河川流域の遺伝的相違は古代農耕の拡大の結果と推測しています。本論文で観察された黄河流域と他の河川流域との遺伝的類似性は、黄河流域からのキビ農耕の北方拡大により説明されています。

 本論文はこれらの結果から、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と指摘します。本論文はこれに関して、中国における初期農耕との関連を指摘しています。また本論文はこれらの結果から、河川が人類集団の移住の障壁となった可能性を示唆します。現代漢人は母系では、黄河・長江・珠江という主要3河川流域における早期新石器時代農耕民の遺伝的痕跡を基本的に保持しており、本論文は主要3河川流域それぞれの古代農耕の重要性を強調しています。しかし、これは母系遺伝のmtDNAデータに基づいているので、父系遺伝のY染色体DNAデータにより、たとえば中国の初期農耕民の拡大が性的に偏った過程だったのかどうかなど、より詳細な人口史が明らかになるだろう、との見通しを本論文は提示しています。

 本論文は現代人のmtDNAデータに依拠しているので、さらに詳細な人口史を明らかにするには、古代DNAデータが必要となります。しかし、ユーラシア東部の古代DNA研究はユーラシア西部と比較して大きく遅れており、現時点では、大規模データを扱う場合、現代人が対象となるのは仕方のないところだと思います。本論文は、これまでの漢人のmtDNAデータの、部分的な配列や地理的に限定されていたという制約を超えたという意味で、たいへん意義深いと思います。今後、中国をはじめとしてユーラシア東部でも古代DNA研究が進展していくでしょうが、人口史の推測には、古代人のDNAだけではなく現代人のDNAデータも重要となります。本論文は、漢人のmtDNAデータに関して、今後長く基準となりそうな重要な成果を提供したと思います。

 もちろん、本論文が指摘しているように、あくまでも現代人を対象とした母系遺伝のmtDNAデータに基づいた漢人の人口史推定なので、Y染色体DNAデータやゲノムデータ、とくに前者では、また違った人口史が見えてくる可能性が高いと思います。まだ確定的とはとても言えませんが、人類史において、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなかったのではないか、と私は考えています(関連記事)。ヨーロッパに関しては、最初に農耕をもたらしたアナトリア半島起源の集団では大きな性差がなかったものの、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてのポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの移住集団は男性主体だった、と推測されています(関連記事)。中国でも、初期農耕集団の拡大では大きな性差がなく、後の魏晋南北朝時代や五代十国時代などでは、男性に偏った大規模な移住があったのかもしれません。

 本論文は、母系における漢人の遺伝地理的相違が、すでに早期完新世に成立していた、と推測しています。これは、漢人系統においての短くとも1万年近くとなる、一定以上の遺伝的継続性を示唆します。今後、現代人と古代人のゲノムデータの蓄積により、漢人系統が早期完新世集団の遺伝的影響をどれだけ保持しているのか、といった問題も解明されていくでしょう。もちろんこれは、早期完新世に漢民族が成立していたことを意味するわけではありません。そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではありません。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。

 その意味で、漢民族に限らずどの民族でも、現代に近い遺伝的構成の集団の確立時期をもって、民族の形成期と判断することはできない、と思います。前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。ただ、漢民族のような巨大な集団ほど、前近代における民族の存在を前提とすることには慎重であるべきとは思います。それは、民族成立の指標として、高い比率での構成員の自認が必要と考えているからです。これは、漢民族ほどの規模ではなくとも、「ヤマト(日本)民族」も同様でしょう。漢民族の成立を本格的に論じられるのは精々近代になってからで、「ヤマト(日本)民族」に関しても、どう古く見積もっても江戸時代後期までしかさかのぼらないだろう、と私は考えています。ただ、この問題を本格的に勉強したわけではないので、とても断定的に主張できるわけではありませんし、優先度はさほど高くないので、今後も自信をもって主張できそうにはありませんが。


参考文献:
Li YC. et al.(2019): River Valleys Shaped the Maternal Genetic Landscape of Han Chinese. Molecular Biology and Evolution.
https://doi.org/10.1093/molbev/msz072

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html#c86

[近代史3] 欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録 中川隆
2. 中川隆[-8647] koaQ7Jey 2019年8月27日 09:16:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4104]
フランク・ダラボン ミスト(The Mist, MGM 2007年)

動画
https://www.youtube.com/watch?v=Cey5i6C9apM


監督 フランク・ダラボン
脚本 フランク・ダラボン
原作 スティーヴン・キング『霧』
音楽 マーク・アイシャム
撮影 ロン・シュミット
配給 MGM/ワインスタイン・カンパニー
公開 2007年11月21日

キャスト

記載は「役名、俳優(日本語吹替)」。

デヴィッド・ドレイトン
演 - トーマス・ジェーン(堀内賢雄)主人公の画家。
息子ビリーとスーパーマーケットに閉じ込められてしまう。

アマンダ・ダンフリー
演 - ローリー・ホールデン(日野由利加)最近町に越してきた新任の女教師。
ドレイトン家とも顔馴染みでビリーの面倒を見てくれている。婚約者から自衛用に拳銃を渡されている。

ビリー・ドレイトン
演 - ネイサン・ギャンブル(佐藤利奈)デヴィッドの息子。8歳。

オリー・ウィークス
演 - トビー・ジョーンズ(茶風林)スーパーマーケットの副店長。
特技は射撃。デヴィッドの話をよく理解してくれる。

ミセス・カーモディ
演 - マーシャ・ゲイ・ハーデン(宮寺智子)狂信的なキリスト教信者の中年女性。
極端な言動ゆえ、当初は客たちから避けられていたが、徐々に信者を増やしていく。

ジム・グロンディン
演 - ウィリアム・サドラー(辻親八)機械工の作業員。
ミセス・カーモディの信者になっていく。

ブレント・ノートン
演 - アンドレ・ブラウアー(古澤徹)ドレイトン家の隣に住む著名な弁護士。
妻帯者。過去にデヴィッドと境界線についてのトラブルを起こした。
デヴィッドたちが外にいる謎の生物の話をするも一向に信じようとしない。何人か仲間を連れて外へ助けを呼びに出て行ってしまう。

ダン・ミラー
演 - ジェフリー・デマン(佐々木敏)
序盤に霧の中にいる何かに襲われ、鼻血を出しながらスーパーに逃げてきた年配の男性。多くの人間がミセス・カーモディに洗脳される中、デヴィッド側に同調した考えを持つ。

アイリーン・レプラー
演 - フランシス・スターンハーゲン(羽鳥靖子)
ビリーが通う小学校で教師をしている白髪の老女。同じくデヴィッドらに同調。

バド・ブラウン
演 - ロバート・トレヴァイラー(小室正幸)スーパーマーケットの店長。
デヴィッドから怪物の話を聞いた時は嘲笑っていたが、切り落とした触手の先を見て事態を把握。

サリー
演 - アレクサ・ダヴァロス(うえだ星子)スーパーの若い女店員。
ジェサップとは恋仲。

ウェイン・ジェサップ
演 - サム・ウィットワー休暇中の軍人。階級は二等兵。サリーとは恋仲

アンブローズ・コーネル
演 - バック・テイラー髭が特徴的な老男。

マイロン
演 - デヴィッド・ジェンセン(ふくまつ進紗)機械工の作業員でジムの同僚。
デヴィッドたちとシャッターを確認しに行った一人。

ノーム
演 - クリス・オーウェン(中野光貴)スーパーの若い店員。
デヴィッドの言葉を聞かずに、外の機械を調べにシャッターを開けてしまい、生物の触手に捕まり霧の中に引きずり込まれる。

MP
演 - アミン・ジョセフ(魚建)軍の憲兵。

バイカー
演 - ブライアン・リビーバンダナを巻いた初老男性。
ノートンが外へ出るタイミングでアンブローズの車に置いてある銃を取りに出て行く。

家に子供を残してきた女性
演 - メリッサ・マクブライド店が霧に覆われた直後、二人の子供が待つ自宅まで車で送ってくれる人を探すが誰も呼応せず、皆が止めるなか一人で店を出て行く。

ハティ
演 - スーザン・ワトキンス(新田万紀子)レプラーの友人でビリーの世話をしてくれる短髪の初老女性。

ステファニー・ドレイトン
演 - ケリー・コリンズ・リンツ(加納千秋)デヴィッドの妻でビリーの母。家で留守番をしている。


怪物

霧に覆われた後、突如現れた怪物達。霧が立ち込める場所に入り込み人々を襲う。そのため霧が入らない密室であれば比較的安全は保障される。 斧で切れたり、火炎スプレーで対処は出来る程度の耐久力だが、大きさや数の多さが厄介。ムカデやハチ、蜘蛛や蟹のような多足類から翼竜のような種など様々。

アラクニ・ロブスター(Arachni-Lobster)

体長50フィートにもなる、クモとカニとカマキリをミックスさせたような肉食生物。

上から見た姿はクモにそっくりである。 リンチを受けて外にいけにえとして摘み出されたジェザップ二等兵を襲って食い殺した。また、終盤にも再登場し、副店長を食い殺している。

テンタクルズ・フロム・プラネットX(Tentacles from Planet X)

イカの触手に似た肉食の生物で、腹側に吸着カップ状の口がある。

店員のノームを包み込んで肉をはぎ取って致命傷を負わせ、最終的には霧の中に引きずり込んで食い殺した。なお、本体からちぎられた肉片は霧となって消滅する。

グレイ・ウィドワーズ(Gray Widowers)

犬ほどの大きさのクモによく似た肉食生物。

尻から出る強酸を伴った糸も厄介だが、それ以上に怖ろしいのは人間を苗床にして繁殖するというその生態である。人間の体に数百個以上卵を産み付け、一日後に孵化した幼体は人間の体を食べながら成長する。しかも苗床にされてしまった人間は意識があるようで、主人公の妻はこれの被害にあったらしく窓際に繭にされた状態で発見された。

スコーピオン・フライズ(Scorpion-Flies)

サソリとスズメバチを合わせたような紫がかった甲殻を持つ飛行生物。夜になってからスーパーの照明に引き寄せられてきた。

尻尾には人間を一撃で殺すほどの強力な神経毒を持っており、それでレジ係だったサリーを殺した。なお後述するプテロ・バザードが天敵の模様。

プテロ・バザード(Ptero-buzzard)

スコーピオン・フライズを狙って現れた翼竜とタカを合わせたような容姿の四枚羽の飛行生物。

肉食で、人間も普通に襲う。ただ、拳銃弾数発で殺せるほどなので、落ち着いて対処すれば問題ないだろう。

ベヒーモス(Behemoth)

甲殻類のような六本足を持つ巨大生物。大きさは240フィート(約73メートル)で、

原作小説では「シロナガスクジラが鱒ほどの大きさに見えるほど」と形容されるほどの威容である。スコーピオン・フライズを引き連れた状態で終盤に突如出現した。主人公たちに目もくれず霧の中に去っていったが、その後どうなったかは不明。

キラー・カイト(Killer Kite )

原作小説に登場する「生きた凧」。クライマックスに森を車で通るシーンに登場した。

容姿はつるつるした被膜と黒目が複数ある、イカによく似た巨大生物。映画には登場しなかったが、上記の特徴を含んだコンセプトアートは執筆された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
 

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ハリウッド・エンディングに挑戦した男 〜フランク・ダラボンとスティーヴン・キング『ミスト』の問題〜
紀平照幸 2013/12/13
https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20131213-00026150/

スティーヴン・キングの小説の映画化と言えば、数少ない例外(『キャリー』『スタンド・バイ・ミー』)を除いては改変・改悪が当たり前で(なにしろ、ご本人が自ら監督した『地獄のデビル・トラック』にしてからにトホホな出来でしたから)、もはや誰も期待していなかった頃に登場したのがフランク・ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』でした。原作(「刑務所のリタ・ヘイワース」)に忠実でありながら、映画的ダイナミズムも併せ持った佳品は批評家や観客に愛され、「EMPIRE」誌が選んだ映画オールタイム・ベストではなんと数多の名作を抑えて1位を獲得しています。続く『グリーンマイル』もヒットし、キング原作=ダラボン監督のコンビは映画ファン安心のブランドとなっていた、そんなダラボンが満を持して発表したのが『ミスト』でした。

まずはいつものように映画の解説から。激しい嵐が町を襲った翌朝、主人公デヴィッドは8歳の息子を連れてスーパーマーケットへ買い物に行きます。しばらくすると周囲に不穏な雰囲気が立ち込め、白い霧がマーケットを覆い尽くしてしまいます。「霧の中に何かがいる!」そう絶叫しながら店に駆け込んでくる血まみれの男も。やがて、本当に霧の中から不気味な化け物が次々と出現し、店の中に立てこもった人々を次々に襲ってくるのでした…。

恐怖のポイントは2点。まずは霧の中から出現する怪物たちです。あるものは軟体動物風、あるものは昆虫風と、まるで悪夢の中に出てくるような奇怪なデザインの、生理的に嫌悪感を催すような怪物が次から次へと出てくるのですから。ちなみに原作者のスティーヴン・キングは大の蜘蛛嫌い。したがって蜘蛛のようなモンスターはひときわ不気味に描写されています。

もうひとつは、閉じ込められた人間たちの心理描写。一団の中には狂信的な女性ミセス・カーモディがいて、これがハルマゲドンの始まりだ、と唱えます。最初は冷ややかな目で見ていた生存者たちが、追いつめられるにつれて彼女に同調していき、ついには幼い子供を生け贄に捧げようとさえしてしまう展開にはぞっとしました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20131213-00026150/


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2015-02
衝撃のラストをネタバレ解説!観た人全てが鬱になる映画『ミスト』はここが凄い!
https://type-r.hatenablog.com/entry/20150205

■あらすじ

『嵐の翌日、デヴィッドは異様な霧に懸念を抱きながら息子と共にスーパーマーケットへ買い出しに出掛けた。すると、その濃い霧は間もなく買い物客でごった返すマーケットに迫り、ついには町全体を飲み込むように覆っていく。人々がマーケットに缶詰状態となる中、霧の中に不気味な怪物を発見したデヴィッド。

一方、骨董品店の女主人カーモディは狂信めいた発言で人々の不安を煽っていく。

その夜、突如として霧の中のモンスターたちが襲撃を開始、店内は大混乱に陥った!原作者スティーヴン・キングとフランク・ダラボン監督が「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続いて再びコンビを組んだ驚愕のホラー・ミステリー。霧(ミスト)の中に待っていたものは何か?映画史上かつてない、震撼のラスト15分!』


「観ると鬱になる映画」の代表格。ただし作品の評価は「最高!」と「最低!」が見事に真っ二つに分かれています。

この『ミスト』、僕は映画館で観たんですよ。『ショーシャンクの空に』の原作者スティーヴン・キングとフランク・ダラボン監督が再びタッグを組んで新作を撮った!という触れ込みに釣られてノコノコ観に行ったわけです。で、観終わった直後の感想は、皆さんの予想通り「うわあああ、こ、これはヒドい…!」って感じでしたねえ(笑)。

いや、映画がヒドいんじゃなくて、物語の結末がヒドいんです。映画自体はとても良く出来ていると思いました。クリーチャーの造形や恐ろしい雰囲気、極限状態に追い詰められた人間達の愚かな行動など、キャラクターの描き方やドラマ展開、映像表現の数々は実に見事です。ただ、ラストがヒドい…

ストーリー的には物凄くシンプルなんですよ。ある日、街に霧が発生した → やがてその霧はどんどん大きくなり、街全体を覆い尽くす → たまたまスーパーマーケットに買い物に来ていた主人公 → すると突然お爺さんが「霧の中に何かいる!」と叫びながら飛び込んで来た → 霧の中から”見た事も無い不気味な生物”が出現 → 全員、スーパーマーケットに閉じ込められてしまう……と、ここまでが序盤の展開。

この後はひたすらスーパー内部での描写が続き、「出て行こう!」、「いや、ここにいるべきだ!」など異常な事態に直面した”人間同士の醜悪な言い争い”に終始します。

そして徐々に精神的に追い詰められた人々は、「神の裁きが下されたのよ!」と煽る宗教かぶれのオバサンの言う事に耳を傾け始める。この辺の展開がちょっとダルいんですよね。特にオバサンの”演説”が長くて苦痛(このオバサンが撃ち殺された瞬間、アメリカの劇場では盛大な拍手が湧き起こったそうなw)。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html#c2

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
199. 中川隆[-8646] koaQ7Jey 2019年8月27日 10:14:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4105]

2018年06月17日
人類史における移住・配偶の性的非対称
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html

 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万〜170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5〜14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c199

[近代史3] 人類進化史 中川隆
7. 中川隆[-8645] koaQ7Jey 2019年8月27日 10:14:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4106]

2018年06月17日
人類史における移住・配偶の性的非対称
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html

 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万〜170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5〜14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c7

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
262. 中川隆[-8644] koaQ7Jey 2019年8月27日 11:25:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4107]

2019年02月17日
ユーラシア東部の現生人類集団の2層構造
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html


 ユーラシア東部の現生人類(Homo sapiens)集団の起源に関する研究(Matsumura et al., 2019)が公表されました。現生人類(解剖学的現代人)のユーラシア東部への拡散は65000〜50000年前よりもさかのぼる可能性があり、本論文もその見解を基本的には支持していますが、提示されている複数の証拠については、それぞれ疑問も呈されています(関連記事)。本論文は、ユーラシア東部への現生人類拡散の様相を、ユーラシア東部およびオセアニアの合計89集団からの現生人類の頭蓋計測データに基づき頭蓋データから検証しています。対象となったのは、現代人および後期更新世〜1700年前頃の古代人で、後期更新世の現生人類頭蓋は、47000〜16000年前頃のものです。

 本論文はその結果、オセアニアも含むユーラシア東部の現生人類集団が、北方系と南方系に明確に二分されることを見出しました。北方系には寒冷適応の可能性も指摘されています。現代人との比較では、北方系はシベリア集団と強い類似性を示し、南方系はアンダマン諸島・オーストラリア先住民・パプア人と密接に関連しています。モンゴルや中国北部の現代人は北方系に分類されます。ユーラシア東部の現生人類集団の形成過程の検証において重要となるのは、古代人の頭蓋ですが、後期更新世に関しては、中国北部の周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡および南部の柳江(Liujiang)遺跡からインドネシアのワジャク(Wajak)遺跡まで、現生人類頭蓋は南方系の範囲に収まりました。本論文は、後期更新世のユーラシア東部には、まず南方系現生人類集団が拡散してきたと推測し、これを「第1層」と呼んでいます。中国南部でもやがて農耕が始まりますが、5000年前頃までは、狩猟採集民集団が広範に存在していたようです。これら中国南部の14000〜5000年前の狩猟採集民集団は、依然として「第1層」の特徴を保持していました。日本列島の「縄文人」も南方系に区分されます。

 北方系が中国北部以南のユーラシア東部に出現するのは、農耕開始以降です。新石器時代・青銅器時代・鉄器時代のユーラシア東部集団では、「第1層」たる南方系から北方系への置換が確認されます。本論文はこの北方系集団を「第2層」と呼んでいます。「第2層」の拡大に関しては、農耕開始による人口増大が大きな役割を果たしていたのではないか、と推測されています。中国の黄河および長江流域では、9000年前頃に農耕が始まり、キビなどの「雑穀」やコメが栽培されるようになり、やがて複雑な社会構造を形成していき、ついには「国家」が出現します。中国の初期農耕集団は南北ともに、北方系との頭蓋の類似性を示します。黄河および長江流域の最初期の農耕に関して、本論文は「第2層」集団との関連を推測しています。

 アジア南東部において4500〜4000年前頃に顕著な文化的変化が生じた、とされてきました。この見解は、本論文の頭蓋データで改めて補強されます。国南部の5000〜4000年前の新石器時代集団と、アジア南東部の4000年前頃以降の集団と、もっと後のオセアニア(オーストラリア先住民系はパプア系を除いた、ポリネシア系など)集団は、北方系たる「第2層」との類似性が見られます。中国南部の農耕民集団がアジア東南部へと拡散し、やがてはアジア南東部の本土と島嶼部を経て、ついにはポリネシアまで拡散した、という有力説と整合的と言えるでしょう。ただ、アジア南東部の状況は複雑だったようで、「第2層」の拡散が遅れたことと、頭蓋形態に関しては地域差があり、それは「第1層」と「第2層」の混合比率の違いを反映している可能性がある、と指摘されています。日本列島の「弥生人」も「第2層」である北方系に分類されていますが、分析対象となったのは、土井ヶ浜(Doigahama)遺跡など「渡来系」とされる遺跡の頭蓋なので、「縄文系」要素が強いとされる弥生時代の人類遺骸も対象とすれば、また評価も変わってくるでしょう。また、この北方系はアメリカ大陸先住民との類似性も指摘されています。

 本論文は、広範な地域における「第2層」集団の強い類似性から、気候・食性などに起因する収斂ではなく、共通の遺伝的基盤がある、と推測します。つまり、「第1層」と「第2層」は遺伝的に明確に区分でき、早い時期に分岐したのではないか、というわけです。本論文はこれに関して、二つの仮説を提示しています。一方は、「第1層」集団が南方からシベリアへと拡散して寒冷地に適応して「第2層」が形成された、というものです。もう一方は、「第2層」の起源はアジア西部またはヨーロッパにあり、ユーラシア北部を東進してきた、というものです。本論文は、現時点では人類遺骸の少なさのためにアジア北東部の古代人の形態が不明確なので、どちらの仮説が有効なのか、解決できない、と慎重な姿勢を示しています。

 ただ本論文は、さまざまな証拠を考慮に入れて、北方系の「第1層」と南方系の「第2層」は早期に分岐し、前者はヒマラヤ山脈の北を、後者は南を東進してきた可能性が高い、と推測しています。北方経路はあまり明確ではありませんが、「第2層」は45000年前頃にユーラシア西部からシベリアを経由してユーラシア東部へと移住してきて、その考古学的指標は細石刃伝統ではないか、と本論文は想定しています。つまり単純化すると、(中国北部以南の)ユーラシア東部においては、元々は南方系の「第1層」が拡散しており、農耕開始とともに北方系の「第2層」が南下していき、ついにはポリネシアにまで拡散した、というわけです。日本列島も、このユーラシア東部の大きな流れの中に位置づけられます。同じく頭蓋計測データに基づいた研究では、現生人類の出アフリカは複数回で、ユーラシア東部へは、オーストラリア先住民系が最初に拡散した後、ユーラシア東部の多くの現代人の祖先集団が拡散してきた、と推測されており(関連記事)、本論文の見解と大きくは矛盾しないと思います。

 本論文は、これらの見解が遺伝学的研究とも整合的である、と指摘します。アジア南東部に関しては、狩猟採集民集団を基層に、中国南部から、まず農耕をもたらした集団が、次に青銅器文化をもたらした集団が南下してきた、と遺伝学的研究では推測されています(関連記事)。これは、アジア南東部では、南方系を基層に北方系が南下してきて現代人が成立した、とする本論文の大まかな見通しとおおむね整合的です。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア南東部の状況は複雑で、後期更新世の中国北部以南のユーラシア東部の現生人類集団は、「第2層」集団による「第1層」集団の置換とはいっても融合が多く、その比率は各地で異なっていたのでしょう。遺伝学的研究では、本論文が南方系の「第1層」とするホアビン文化(Hòabìnhian)集団と、北方系の「第2層」とする中国南部から南下してきた農耕集団との混合比率はほぼ半々だった、と推測されています(関連記事)。本論文でも、アジア南東部本土のオーストロアジア語族集団と、オセアニアにまで拡散したオーストロネシア語族集団は、それぞれ北方系と南方系の中間に位置づけられています。

 私は日本人なので、日本列島における人類集団の形成過程も気になります。本論文は、「縄文人」を「第1層」の南方系、「弥生人」を「第2層」の北方系と位置づけており、有力説である「二重構造モデル」と整合的です。「二重構造モデル」とは、更新世にアジア南東部方面から日本列島に移住してきた人々が「縄文人」となり、弥生時代にアジア北東部起源の集団が日本列島に移住してきて先住の「縄文系」と混血し、現代日本人が形成されていった、とする仮説です。ただ、「縄文人」に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(関連記事)でもゲノム解析(関連記事)でも北方系と南方系との混合が指摘されており、単純に南方系とは言えないでしょう。日本列島も含めてユーラシア東部の現生人類集団の形成過程をより詳しく解明するには、やはり古代DNA研究の進展が必要で、この分野の進展は目覚ましいだけに、今後の研究成果が大いに期待されます。


参考文献:
Matsumura H. et al.(2019): Craniometrics Reveal “Two Layers” of Prehistoric Human Dispersal in Eastern Eurasia. Scientific Reports, 9, 1451.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-35426-z

https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c262

[近代史3] 人類進化史 中川隆
8. 中川隆[-8643] koaQ7Jey 2019年8月27日 11:25:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4108]

2019年02月17日
ユーラシア東部の現生人類集団の2層構造
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html


 ユーラシア東部の現生人類(Homo sapiens)集団の起源に関する研究(Matsumura et al., 2019)が公表されました。現生人類(解剖学的現代人)のユーラシア東部への拡散は65000〜50000年前よりもさかのぼる可能性があり、本論文もその見解を基本的には支持していますが、提示されている複数の証拠については、それぞれ疑問も呈されています(関連記事)。本論文は、ユーラシア東部への現生人類拡散の様相を、ユーラシア東部およびオセアニアの合計89集団からの現生人類の頭蓋計測データに基づき頭蓋データから検証しています。対象となったのは、現代人および後期更新世〜1700年前頃の古代人で、後期更新世の現生人類頭蓋は、47000〜16000年前頃のものです。

 本論文はその結果、オセアニアも含むユーラシア東部の現生人類集団が、北方系と南方系に明確に二分されることを見出しました。北方系には寒冷適応の可能性も指摘されています。現代人との比較では、北方系はシベリア集団と強い類似性を示し、南方系はアンダマン諸島・オーストラリア先住民・パプア人と密接に関連しています。モンゴルや中国北部の現代人は北方系に分類されます。ユーラシア東部の現生人類集団の形成過程の検証において重要となるのは、古代人の頭蓋ですが、後期更新世に関しては、中国北部の周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡および南部の柳江(Liujiang)遺跡からインドネシアのワジャク(Wajak)遺跡まで、現生人類頭蓋は南方系の範囲に収まりました。本論文は、後期更新世のユーラシア東部には、まず南方系現生人類集団が拡散してきたと推測し、これを「第1層」と呼んでいます。中国南部でもやがて農耕が始まりますが、5000年前頃までは、狩猟採集民集団が広範に存在していたようです。これら中国南部の14000〜5000年前の狩猟採集民集団は、依然として「第1層」の特徴を保持していました。日本列島の「縄文人」も南方系に区分されます。

 北方系が中国北部以南のユーラシア東部に出現するのは、農耕開始以降です。新石器時代・青銅器時代・鉄器時代のユーラシア東部集団では、「第1層」たる南方系から北方系への置換が確認されます。本論文はこの北方系集団を「第2層」と呼んでいます。「第2層」の拡大に関しては、農耕開始による人口増大が大きな役割を果たしていたのではないか、と推測されています。中国の黄河および長江流域では、9000年前頃に農耕が始まり、キビなどの「雑穀」やコメが栽培されるようになり、やがて複雑な社会構造を形成していき、ついには「国家」が出現します。中国の初期農耕集団は南北ともに、北方系との頭蓋の類似性を示します。黄河および長江流域の最初期の農耕に関して、本論文は「第2層」集団との関連を推測しています。

 アジア南東部において4500〜4000年前頃に顕著な文化的変化が生じた、とされてきました。この見解は、本論文の頭蓋データで改めて補強されます。国南部の5000〜4000年前の新石器時代集団と、アジア南東部の4000年前頃以降の集団と、もっと後のオセアニア(オーストラリア先住民系はパプア系を除いた、ポリネシア系など)集団は、北方系たる「第2層」との類似性が見られます。中国南部の農耕民集団がアジア東南部へと拡散し、やがてはアジア南東部の本土と島嶼部を経て、ついにはポリネシアまで拡散した、という有力説と整合的と言えるでしょう。ただ、アジア南東部の状況は複雑だったようで、「第2層」の拡散が遅れたことと、頭蓋形態に関しては地域差があり、それは「第1層」と「第2層」の混合比率の違いを反映している可能性がある、と指摘されています。日本列島の「弥生人」も「第2層」である北方系に分類されていますが、分析対象となったのは、土井ヶ浜(Doigahama)遺跡など「渡来系」とされる遺跡の頭蓋なので、「縄文系」要素が強いとされる弥生時代の人類遺骸も対象とすれば、また評価も変わってくるでしょう。また、この北方系はアメリカ大陸先住民との類似性も指摘されています。

 本論文は、広範な地域における「第2層」集団の強い類似性から、気候・食性などに起因する収斂ではなく、共通の遺伝的基盤がある、と推測します。つまり、「第1層」と「第2層」は遺伝的に明確に区分でき、早い時期に分岐したのではないか、というわけです。本論文はこれに関して、二つの仮説を提示しています。一方は、「第1層」集団が南方からシベリアへと拡散して寒冷地に適応して「第2層」が形成された、というものです。もう一方は、「第2層」の起源はアジア西部またはヨーロッパにあり、ユーラシア北部を東進してきた、というものです。本論文は、現時点では人類遺骸の少なさのためにアジア北東部の古代人の形態が不明確なので、どちらの仮説が有効なのか、解決できない、と慎重な姿勢を示しています。

 ただ本論文は、さまざまな証拠を考慮に入れて、北方系の「第1層」と南方系の「第2層」は早期に分岐し、前者はヒマラヤ山脈の北を、後者は南を東進してきた可能性が高い、と推測しています。北方経路はあまり明確ではありませんが、「第2層」は45000年前頃にユーラシア西部からシベリアを経由してユーラシア東部へと移住してきて、その考古学的指標は細石刃伝統ではないか、と本論文は想定しています。つまり単純化すると、(中国北部以南の)ユーラシア東部においては、元々は南方系の「第1層」が拡散しており、農耕開始とともに北方系の「第2層」が南下していき、ついにはポリネシアにまで拡散した、というわけです。日本列島も、このユーラシア東部の大きな流れの中に位置づけられます。同じく頭蓋計測データに基づいた研究では、現生人類の出アフリカは複数回で、ユーラシア東部へは、オーストラリア先住民系が最初に拡散した後、ユーラシア東部の多くの現代人の祖先集団が拡散してきた、と推測されており(関連記事)、本論文の見解と大きくは矛盾しないと思います。

 本論文は、これらの見解が遺伝学的研究とも整合的である、と指摘します。アジア南東部に関しては、狩猟採集民集団を基層に、中国南部から、まず農耕をもたらした集団が、次に青銅器文化をもたらした集団が南下してきた、と遺伝学的研究では推測されています(関連記事)。これは、アジア南東部では、南方系を基層に北方系が南下してきて現代人が成立した、とする本論文の大まかな見通しとおおむね整合的です。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア南東部の状況は複雑で、後期更新世の中国北部以南のユーラシア東部の現生人類集団は、「第2層」集団による「第1層」集団の置換とはいっても融合が多く、その比率は各地で異なっていたのでしょう。遺伝学的研究では、本論文が南方系の「第1層」とするホアビン文化(Hòabìnhian)集団と、北方系の「第2層」とする中国南部から南下してきた農耕集団との混合比率はほぼ半々だった、と推測されています(関連記事)。本論文でも、アジア南東部本土のオーストロアジア語族集団と、オセアニアにまで拡散したオーストロネシア語族集団は、それぞれ北方系と南方系の中間に位置づけられています。

 私は日本人なので、日本列島における人類集団の形成過程も気になります。本論文は、「縄文人」を「第1層」の南方系、「弥生人」を「第2層」の北方系と位置づけており、有力説である「二重構造モデル」と整合的です。「二重構造モデル」とは、更新世にアジア南東部方面から日本列島に移住してきた人々が「縄文人」となり、弥生時代にアジア北東部起源の集団が日本列島に移住してきて先住の「縄文系」と混血し、現代日本人が形成されていった、とする仮説です。ただ、「縄文人」に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(関連記事)でもゲノム解析(関連記事)でも北方系と南方系との混合が指摘されており、単純に南方系とは言えないでしょう。日本列島も含めてユーラシア東部の現生人類集団の形成過程をより詳しく解明するには、やはり古代DNA研究の進展が必要で、この分野の進展は目覚ましいだけに、今後の研究成果が大いに期待されます。


参考文献:
Matsumura H. et al.(2019): Craniometrics Reveal “Two Layers” of Prehistoric Human Dispersal in Eastern Eurasia. Scientific Reports, 9, 1451.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-35426-z

https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c8

[近代史02] 中国大好き 中川隆
87. 中川隆[-8642] koaQ7Jey 2019年8月27日 11:26:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4109]

2019年02月17日
ユーラシア東部の現生人類集団の2層構造
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html


 ユーラシア東部の現生人類(Homo sapiens)集団の起源に関する研究(Matsumura et al., 2019)が公表されました。現生人類(解剖学的現代人)のユーラシア東部への拡散は65000〜50000年前よりもさかのぼる可能性があり、本論文もその見解を基本的には支持していますが、提示されている複数の証拠については、それぞれ疑問も呈されています(関連記事)。本論文は、ユーラシア東部への現生人類拡散の様相を、ユーラシア東部およびオセアニアの合計89集団からの現生人類の頭蓋計測データに基づき頭蓋データから検証しています。対象となったのは、現代人および後期更新世〜1700年前頃の古代人で、後期更新世の現生人類頭蓋は、47000〜16000年前頃のものです。

 本論文はその結果、オセアニアも含むユーラシア東部の現生人類集団が、北方系と南方系に明確に二分されることを見出しました。北方系には寒冷適応の可能性も指摘されています。現代人との比較では、北方系はシベリア集団と強い類似性を示し、南方系はアンダマン諸島・オーストラリア先住民・パプア人と密接に関連しています。モンゴルや中国北部の現代人は北方系に分類されます。ユーラシア東部の現生人類集団の形成過程の検証において重要となるのは、古代人の頭蓋ですが、後期更新世に関しては、中国北部の周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡および南部の柳江(Liujiang)遺跡からインドネシアのワジャク(Wajak)遺跡まで、現生人類頭蓋は南方系の範囲に収まりました。本論文は、後期更新世のユーラシア東部には、まず南方系現生人類集団が拡散してきたと推測し、これを「第1層」と呼んでいます。中国南部でもやがて農耕が始まりますが、5000年前頃までは、狩猟採集民集団が広範に存在していたようです。これら中国南部の14000〜5000年前の狩猟採集民集団は、依然として「第1層」の特徴を保持していました。日本列島の「縄文人」も南方系に区分されます。

 北方系が中国北部以南のユーラシア東部に出現するのは、農耕開始以降です。新石器時代・青銅器時代・鉄器時代のユーラシア東部集団では、「第1層」たる南方系から北方系への置換が確認されます。本論文はこの北方系集団を「第2層」と呼んでいます。「第2層」の拡大に関しては、農耕開始による人口増大が大きな役割を果たしていたのではないか、と推測されています。中国の黄河および長江流域では、9000年前頃に農耕が始まり、キビなどの「雑穀」やコメが栽培されるようになり、やがて複雑な社会構造を形成していき、ついには「国家」が出現します。中国の初期農耕集団は南北ともに、北方系との頭蓋の類似性を示します。黄河および長江流域の最初期の農耕に関して、本論文は「第2層」集団との関連を推測しています。

 アジア南東部において4500〜4000年前頃に顕著な文化的変化が生じた、とされてきました。この見解は、本論文の頭蓋データで改めて補強されます。国南部の5000〜4000年前の新石器時代集団と、アジア南東部の4000年前頃以降の集団と、もっと後のオセアニア(オーストラリア先住民系はパプア系を除いた、ポリネシア系など)集団は、北方系たる「第2層」との類似性が見られます。中国南部の農耕民集団がアジア東南部へと拡散し、やがてはアジア南東部の本土と島嶼部を経て、ついにはポリネシアまで拡散した、という有力説と整合的と言えるでしょう。ただ、アジア南東部の状況は複雑だったようで、「第2層」の拡散が遅れたことと、頭蓋形態に関しては地域差があり、それは「第1層」と「第2層」の混合比率の違いを反映している可能性がある、と指摘されています。日本列島の「弥生人」も「第2層」である北方系に分類されていますが、分析対象となったのは、土井ヶ浜(Doigahama)遺跡など「渡来系」とされる遺跡の頭蓋なので、「縄文系」要素が強いとされる弥生時代の人類遺骸も対象とすれば、また評価も変わってくるでしょう。また、この北方系はアメリカ大陸先住民との類似性も指摘されています。

 本論文は、広範な地域における「第2層」集団の強い類似性から、気候・食性などに起因する収斂ではなく、共通の遺伝的基盤がある、と推測します。つまり、「第1層」と「第2層」は遺伝的に明確に区分でき、早い時期に分岐したのではないか、というわけです。本論文はこれに関して、二つの仮説を提示しています。一方は、「第1層」集団が南方からシベリアへと拡散して寒冷地に適応して「第2層」が形成された、というものです。もう一方は、「第2層」の起源はアジア西部またはヨーロッパにあり、ユーラシア北部を東進してきた、というものです。本論文は、現時点では人類遺骸の少なさのためにアジア北東部の古代人の形態が不明確なので、どちらの仮説が有効なのか、解決できない、と慎重な姿勢を示しています。

 ただ本論文は、さまざまな証拠を考慮に入れて、北方系の「第1層」と南方系の「第2層」は早期に分岐し、前者はヒマラヤ山脈の北を、後者は南を東進してきた可能性が高い、と推測しています。北方経路はあまり明確ではありませんが、「第2層」は45000年前頃にユーラシア西部からシベリアを経由してユーラシア東部へと移住してきて、その考古学的指標は細石刃伝統ではないか、と本論文は想定しています。つまり単純化すると、(中国北部以南の)ユーラシア東部においては、元々は南方系の「第1層」が拡散しており、農耕開始とともに北方系の「第2層」が南下していき、ついにはポリネシアにまで拡散した、というわけです。日本列島も、このユーラシア東部の大きな流れの中に位置づけられます。同じく頭蓋計測データに基づいた研究では、現生人類の出アフリカは複数回で、ユーラシア東部へは、オーストラリア先住民系が最初に拡散した後、ユーラシア東部の多くの現代人の祖先集団が拡散してきた、と推測されており(関連記事)、本論文の見解と大きくは矛盾しないと思います。

 本論文は、これらの見解が遺伝学的研究とも整合的である、と指摘します。アジア南東部に関しては、狩猟採集民集団を基層に、中国南部から、まず農耕をもたらした集団が、次に青銅器文化をもたらした集団が南下してきた、と遺伝学的研究では推測されています(関連記事)。これは、アジア南東部では、南方系を基層に北方系が南下してきて現代人が成立した、とする本論文の大まかな見通しとおおむね整合的です。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア南東部の状況は複雑で、後期更新世の中国北部以南のユーラシア東部の現生人類集団は、「第2層」集団による「第1層」集団の置換とはいっても融合が多く、その比率は各地で異なっていたのでしょう。遺伝学的研究では、本論文が南方系の「第1層」とするホアビン文化(Hòabìnhian)集団と、北方系の「第2層」とする中国南部から南下してきた農耕集団との混合比率はほぼ半々だった、と推測されています(関連記事)。本論文でも、アジア南東部本土のオーストロアジア語族集団と、オセアニアにまで拡散したオーストロネシア語族集団は、それぞれ北方系と南方系の中間に位置づけられています。

 私は日本人なので、日本列島における人類集団の形成過程も気になります。本論文は、「縄文人」を「第1層」の南方系、「弥生人」を「第2層」の北方系と位置づけており、有力説である「二重構造モデル」と整合的です。「二重構造モデル」とは、更新世にアジア南東部方面から日本列島に移住してきた人々が「縄文人」となり、弥生時代にアジア北東部起源の集団が日本列島に移住してきて先住の「縄文系」と混血し、現代日本人が形成されていった、とする仮説です。ただ、「縄文人」に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(関連記事)でもゲノム解析(関連記事)でも北方系と南方系との混合が指摘されており、単純に南方系とは言えないでしょう。日本列島も含めてユーラシア東部の現生人類集団の形成過程をより詳しく解明するには、やはり古代DNA研究の進展が必要で、この分野の進展は目覚ましいだけに、今後の研究成果が大いに期待されます。


参考文献:
Matsumura H. et al.(2019): Craniometrics Reveal “Two Layers” of Prehistoric Human Dispersal in Eastern Eurasia. Scientific Reports, 9, 1451.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-35426-z

https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html#c87

[近代史3] 日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇 中川隆
1. 中川隆[-8641] koaQ7Jey 2019年8月27日 14:14:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4110]

私の父が朝鮮の方々に迷惑をかけたのは十分承知しております。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ._,___
        ./   __`ヾ),_          ,,. --――、_、_
        /〃 (⌒゛`ヾv"ヽミ、     / : : : : : : : : ::)ノ: : ヽ
       i / /´ _ニ=-=ニ .i l|    / : : : : : : ソ⌒゙ヾ"ヾ、 : :ヽ
       | 彳  〃_.   _ヾ!/    ! : : : : : : ) ⌒   ⌒ヾ :(_,
       | _ !"  ´゚`冫く´゚`l     | : : : : :(,  _ )  __ )!:_ノ 
       (^ゝ "  ,r_、_.)、 |     ヽ :(aイ  ´゚   i | . ゚`〈
        ヽ_j   、 /,.ー=-、i リ      \:_|  " . ノ 、_)、 ゙.ノ
       __/\_ "ヽ  ^ )ソ__       (_ソ人   l ー=‐;! ノ
      |ヽ. |  |` ー--ィ´i |          /\ヽ__,ノ
      |   > |、/□、/| < |    /⌒l─‐(_/_/‐⌒ヽ
      |  i \|   / |  |o/i |   ..{  |   \ノ §i ノ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/580.html#c1
[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
90. 中川隆[-8640] koaQ7Jey 2019年8月27日 16:12:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4111]
2011/10/16
日曜の午後は優雅にJAZZなど聞きながら・・・最新技術でレトロを再現する https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive

 

■ デジタルオーディオの薦め ■

80年代、90年代に青春時代を過ごした男子ならば、
オーディオセットに大枚を叩いた経験があるでしょう。
かつて日本のオーディオ機器は、世界を席捲しました。

AKAI
AIWA
Aurex(東芝)
DENON
DIATONE(三菱)
KENWOOD
Lo−D(日立)
MARANTZ
Nakamichi
ONKYO
PIONEER
SANSUI
SONY
TEAC
Technics(松下)
YAMAHA
Victor

さらに
OTTO(サンヨー)
OPTONICA(シャープ)


こんな小さな国に、結構規模の大きなオーディオ・ブランドが
ひしめいていたのです。

■ プラザ合意と日本製品 ■

日本のオーディオーメーカーが世界ブランドになったのは
1970年代後半からではないかと思いますが、
これは、日本車が世界市場に受け入れられていく時期と重なるかと思います。

かつて1ドル360円だった為替レートは、
1971年のニクソンショック以来円高になり、
1985年プラザ合意で、240円から一気に120円となりました。
そして、現在は1ドル80円代が当たり前の時代となりました。

1) 360円時代・・・戦後、繊維産業が輸出産業として外貨を稼ぐ
2) 240円時代・・・1970年代前半までは、鉄鋼・造船・化学が輸出産業として成長
3) 120円時代・・・自動車、電機産業が輸出を延ばす
4)  80円時代・・・材料・部品 (円建て輸出も多い)

これはイギリスやアメリカの経済成長の歴史ともリンクしますし、
現在のアジアの経済成長の姿とも被ります。

■ 戦後は米英、その後は日本、そしてアジアへ・・ ■

プラザ合意後で日本のオーディオと自動車は明暗を分けます。
自動車は実用品的価値を持つので、ある意味、
コストバリューが適当であれば、売れます。

アメリカではプラザ合意後の日本車は、決して安い車ではありませんでした。
サニーやカローラーだって、アメリカでは外車です。
それでも故障の少ない日本車は、アメリカで人気がありました。

大柄のアメリカ人が、体を畳む様にして、
ちょっと年代物の日本車に乗っている光景を良く目にしました。


一方、オーディオは嗜好品でありステータスシンボルです。
ライフスタイルの変化と共に、オーディオの需要は変化をします。
かつては大型のオーディオセットを所有する事は男のロマンでしたが、
現在はiPodやiPhonにその座を奪われてしまいました。
或いは、大型TVとホームシアターに変化したとも言えます。

戦後の経済成長で、最初にオーディオを楽しむ余裕が生まれたのは米欧でした。
アメリカにもヨーロッパにも色々なオーディオメーカーが誕生しましたが、
ガレージメーカーが多いので、新旧のメーカーが目まぐるしく入れ替わりながら、
全体のパイとしては、どんどん縮小しています。

日本はさらに衰退が激しく、80年代に全盛を極めた大手メーカーは、
今ではラジカセかホームシアターシステムをメインに生産しています。
(一部高級オーディオも残っていますが、趣味みたいな規模です)

一方、新興国では、ちょっとしたオーディオブームが発生している様です。
シンガポールでちょっとオーディオ店を覗いてみましたが、
BOSEと並んで、アジアの名前は知らないけれども、
デザインも造りも悪く無いシステムが販売されていました。
(もしかすると、欧米でデザインしてアジアで生産かも知れません)

■ 「質より量」が生きている新興国市場 ■

SONYはアフリカやインドなどの市場に力を入れている様で、
それらの国では圧倒的なブランド力を維持しています。

それらの国では未だに「質より量」の文化レベルなので、
スピーカーユニットが沢山付いていて、低音がガンガン出るシステムが売れる様です。
ちょっと大型のミニコンポを想像すると良いかも知れません。

■ オーディオ機器からPCへ ■

一昔前なら、コンピューターのデータを再生するデジタルオーディオは
オーディオファンからは冷たい目で見られていました。
デジタルノイズだらけのPCからは、良い音は得られないと思われていたのです。

ところが、1千万円もする高級オーディオに
iPodを繋いでみた人が現れました(外人)
マークレビンソンというメーカーの数百万円するCDシステムと聞き比べると・・・
何と、iPodの方が音が良いように感じてしまったのです。

このオーディオ記者のレポートがサイトに載ってから、
ジワリ、ジワリと、PCを音源にするデジタルオーディオが浸透し始めました。

■ 高音質を再現できなかったCDプレーヤー ■

CDは1980年代のオーディオ全盛期に、
高音質を売り物に、華々しくデビューします。

それまでレコードしか聞いた事が無かった人々は、
針音のしない「無音の曲間」や、「クッキリした音」にビックリしました。
「これがデジタルの音なんだ・・・」と。

ところが、アナログレコードのマニアは根強く残りました。
彼らは「CDの音は何か変だ」と主張します。
「サンプリングレートが44KHzなので、
20KHz以上の可聴域以上の音が再生出来ないのが原因だろう」
そうオーディオメーカーの開発者も考えました。

ところが、サンプリングレートを高くした高音質CDも
やはり「何かが違った」のです。

アナログレコードの音を追い求めて、
CDの読み取り部分ーとDAコンバータ部分を別々の機材に分けたり、
CD読み取り部を鉄の塊で固めて防振を徹底するなど、
だんだんとアナロぐレコードの様なアプローチが試みられるようになり、
最後には100万を軽々と越える鉄の塊の様なCDプレーヤーまで出現しました。

■ ジッターというデジタル揺らぎ ■

一方で「ジッターと呼ばれるデジタル特有の時間的な揺らぎが音を濁す」と主張する人も居ました。

CDプレーヤーのピックアップ(光学読み取り部)は、
振動などの外乱に抗してサーボ(調整)を掛けながら、
微細な音楽信号(ピット)を読み取るっていきます。
この時、サーボによる電圧変動がCDのクロック信号を乱す為に、
クロックのタイミングに微細な時間変動が生じる事が確認されています。
クロックのタイミングの揺らぎは、ジッターと呼ばれ、
音質に影響を与えると考えられています。

現在でも、測定すらも難しい微細なデジタルの時間変動が、
どうして音質に影響するのかは、正確には解明されていません。

■ ローテクでジッターを減らしていたフィリップス ■

CDの開発者はフィリップスとソニーです。

直系12cmのCDを東京ドームのグラウンドの大きさにすると、
CDのピックアップがデジタル信号の溝(ピット)をトレースするスピードは、
マッハ4の速度で砂粒を数え上げる事に等しいと言われています。

ちょっとの揺れでも、ピックアップは砂粒の列を見失ってしまいます。
その為にCDプレーヤーは絶えず溝の真ん中にピックアップが来る様に、
ピックアップを制御し続けています。

SONYなど日本のメーカーは技術力が高かったので、
ピットの真ん中と左右をトレースする3本のレーザービームの反射光の出力差を
サーボ回路に瞬時にフィードバックしてモターを駆動し、
ピックアップが絶えずピットの中心をトレースするという技術を生み出しました。

一方、フィリップスは3ビームの技術が開発出来なかったので、
何とレコードプレーヤーのアームの様なスイングする機構の先端に、
ちょっと「おもり」を付けたピックアップを搭載しました。
何と、外的振動を重さで吸収してしまおうというローテク作戦だったのです。

さらに初期のフィリップスのDAコンバーターは、
CDの16Bitのうち14Bitしか処理で出来ませんでした。

ところが明らかに技術的に劣るフィリップスのCDプレーヤーは音が良かったのです。
日本のメーカーがデンドン、シャリシャリと今思えば拷問の様な音を出していたのに対して、
フィリップスのCDプレーヤーの音は「まろやか」で「弾力に富み」
それでいて「絹の様な肌合い」の音を出していました。

永年アナログレコードに慣れ親しんだ、耳の肥えたファン達は、
フィリップスのメカニズムが搭載されたCDを買いました。

日本のメーカーはスペック重視ですから、
エラーの発生率をピックアップの優劣と考えていました。
ですから強力にサーボを効かせてトレース精度を高めていましたが、
その結果、サーボによる電圧変化が電源からクロック信号に周り込んで、
悲惨な音を作り出していたのです。

一方フリップスはレコードメーカーでもあったので、
徹底した視聴でCDプレーヤーを作り上げたのでしょう。
その結果、トレース制度が落ちてもサーボが弱い方が音が良い事に気付いたのでしょう。
そこで彼らは「重り」という慣性重量をサーボの変わりに用いたのでしょう。

■ iPodは音が良かった ■

CDの音を汚すのは「ジッター」の存在では無いかと気付いた海外の技術者達は、
実にスマートな方法でジッタを解決していきました。

元々、レコーディングスタジオでは、デジタル機器間のクロックの同期を取る為に
精度の高い外部クロックを使用していました。
正確なクロックが機器の誤動作を防ぎ、音質向上に繋がる事は常識でした。

これらの事実を知る技術者達が、クロックとバッファーメモリーを搭載した
小さなDAコンバーターを開発し始めました。

CDからのデジタル信号を、一旦バッファーメモリーに貯め、
メモリーの読みだ出しと、DACのチップを同じクロックで動作させたのです。

2000年頃、日本の若いオーディオファンは住宅事情もあって、
高級ヘッドホンで音楽を楽しんでいました。
DAコンバーターとヘッドホンアンプを合体させたヘッドホンアンプは、
「音が良い」と評判になり、若者達に浸透して行きます。


■ 光ケーブルこそが音質を損なっていた ■

ところが、私はどうもこれらの製品の音も馴染めませんでした。
なんだか、音がクッキリし過ぎてウソクサイ・・・。

これらの機器の音楽信号はPCから取り出す場合が多かったので、
多くの機器では同軸ケーブルか、光ケーブルでDACとPCを繋いでいました。

光ゲーブルは、PCとオーディオ機器との間のアースを切り離せるので、
PCのデジタルノイズがアース経由でオーディオに混入する事を防げる為、
オーディオ的には最適と考えられていました。
・・・しかし、「光ケーブルは音が悪い」と言うオーディオマニアは沢山いました。

これは光ケーブルの内部の乱反射によって、クロックのタイミングがズレル事が原因とも、
「電気 - 光」、「光 - 電気」という複雑な変換が原因とも言われています。
「電気 - 光」、「光 - 電気」でデータにエーラーが生じては、光通信は成り立ちませんので、
私は原因は前者のクロックの揺らぎにあると思っています。
光ファイバーの内部反射で、デジタル信号のエッジが鈍るので
ちょっとした電圧の変動でも、時間的揺らぎは大きくなってしまうのでしょう。
要は、光ケーブル接続は「ジッター」が大量に発生するのです。

■ さらにUSBケーブルでも音質は劣化していた ■

最近のデジタルオーディオ機器にはUSBケーブルを用いる物が多いのですが、
実は最近になってUSBケーブルは70cmを超える長さになるとエラーが増える事が分かって来ました。
ハードディスクやプリンターの接続に便利なUSBケーブルですが、
コンピューターの接続では、エラーチェックを常時しながら、
信号がやり取りされますので、
ケーブルの長さによるエラーの増大は、通信時間の差となって表れますが、
データーに損傷は起こりません。

ところが、オーディオフォーマットのUSBケーブル転送では、
PCはデータを送りっぱなしという方式を取られています。
USBケーブルは70cm程度まではエラーが少ないそうですが、
それを過ぎると、エラーの発生率が増大します。

CDの書き込みデータは、非常にエラーに強い変換方法が採用されていますが、
PCから出力される音楽データは時系列のデータですから、
エラーには弱くなっています。
当然、補完によるエラー訂正が頻発する事が予想されます。

■ ジッター解決の最適解であった、iPod ■

ここで先に紹介した「iPodは数百万のCDプレーヤーよりも音が良かった」に戻ります。

iPodはPCからデータ通信で、内臓HDか内蔵メモリーにデータを転送します。
この転送は当然コンピューター間のデータ転送ですからエラー訂正され、
iPodには正確なデジタルデータが転送されます。

次にiPodは携帯プレーヤーですからHDのデータは随時メモリーに記憶され、
そこから再生する事で、振動などによるHDの読み込みエラーを防止します。

バッファーメモリーの吸い上げられたデータは、DAコンバーターに送られますが、
メモリー駆動用のクロックと、DAコンバーター動作用のクロックは同一です。
さらに、iPodは小さいので、クロックとメモリーやDAC間の配線は最短の長さです。
ですから、外的要因による時間揺らぎは、ほぼ発生しません。

この様な理由から、何とiPodは理想的なCDPの要件を満たしていたので音が良かったのです。

■ 昔のAppleには音の分かるエンジニアが居た ■

しかしiPodの素晴らしいのはそれだけではありません。

ヘッドホン出力用のアナログ回路の音が良いのです。

国産のMP3プレーヤーはドンドン・シャリシャリという音がしていましたが、
iPodの音は「ふくよか」で「弾力に富」、「なめらか」な音でした。
専用イヤホンも、帯域を欲張らずに、中域を厚く再生します。

これは生演奏の音を良く知っている技術者が開発に携わっていたからだと言われています。

■ iTunesこそが最高のプレーヤーだった ■

iPodは音が良くないと言われる方の多くは、
iTunesにCDなどの音源を録音する際に、データを圧縮して取り込んでいます。
その方が、iPodに大量の音楽が入るからです。

ところが、iPodに取り込む時、非圧縮のWAVデータやACCデータで取り込むと、
iPodから聞こえる音は激変します。
特にクラシックなどでは情報量が圧倒的に増えて、弦が滑らかに再生されます。
(ロックやポップスでは圧縮音源の方が、低音の輪郭がはっきりしてノリが良いです)

しかし非圧縮データはデータサイズが大きいので、
iPodに大量のデータを格納する事が出来ません。

そこで、PCのiTunesから、直接音楽信号を取り出そうとする試みが為されました。
PCのサウンドボードかUSB音楽プレーヤーを使用するのが一般的です。

Appleから「Airmac exples」という小型の無線LANのターミナルが発売されています。
何と、このAirmacにはDAコンバーターが内臓されるのです。
PCから無線LANで音楽信号を飛ばし、Airmacで受信した部屋で好きなように音楽が聴ける
そんな目的で造られた商品ですが、これが思いの他、便利だったのです。

AirmacにはUSB入力とLANケーブルの入力もあります。
さらに、ヘッドホンジャック(ミニピンジャック)と光デジタル出力まで付いています。

始めにAirmacに注目した人達は、無線LANと光出力で、
PCとオーディオの間のアース回路を完全に分離出来る事に着目しました。
PCからのデジタルノイズを、オーディオ機器と分離する手段としたのです。
彼らはAirmacの光出力を、高額なDACのデジタル入力として活用しました。

ところが、Airmacのミニピンジャックの出力を、直接オーディオに繋いで見ると、
iPodよりも、厚い音がして、アナログファンを唸らせてしまった。

さらに、無線LNAでは無く、LANケーブルでPCと繋いで、
接続の設定をちょっと細工してあげると、
データ転送エラーは発生しない事が分かってきました。

(Airmacの表示LEDを緑色点灯さる事がミソ。

 1) AirmacとPCをLANケーブルd接続する
 2) Airmacの管理ソフトを立ち上げる
 3) 無線LNAをオフにする
 4) AirmacのIPアドレスを手動で入力する
    IPアドレスは、管理ソフト立ち上げ時に表示しあれたアドレス。
 5) IPアドレスの自動取得をオフにする。 
 この手順で、Airmacの「緑色点灯」が確立出来ます。)


■ Airmac Expres は高音質なのでは無く、低音質だから良い ■

ここまで読むと、Airmac Expres は高音質だと思われるでしょう。

実は逆です。
Airmac Expresは実は音質が悪いのです。
先ず、上限のレンジが狭い。
さらに、左右のチャンネルのクロストーク(音の混入)が多いのです。

「なんだ、全然ダメダメじゃん」とお思いでしょう・・・。

いえいえ、これこそがアナログの音なのです。
アナログレコードは1本の溝に左右の信号を刻んでいます。
当然、左右のチャンルは音が混ざり合います。(これをクロストークと呼びます)

さらに、レコード針が樹脂のレコードに溝を引っかきながら音を再生するので、
歪みを低減する事は、根本的に困難です。
ところが、レコードの音は、人の耳には自然に聞こえます。
これは「生音」と同じ肌合いの音・・・そう言い変える事も出来ます。
ですから生のコンサートに足を運ぶ人程、レコードファンが多いのです。
(1/f揺らぎが自然な歪みだとか、
 偶数次の歪みは、人間を心地よくさせるという説があります)

私も経験的に、イギリスの小型アンプなど、クロストークの多いアンプは、
充実した音がする事を知っています。
さらに、左右のスピーカーを重ねて設置すると、
ステレオの音場こそ消失しますが、
生の演奏会に近い音の勢いが得られる事も経験していました。

ですから、Airmac Expresの音の良さは、
アナログ的な歪みの多さと、クロストークによるものでは無いかと思っています。

さらにはジッターという、人間の聴覚ではどうしても不自然に感じる
ノイズ元が無い事も大きいでしょう。

■ 崩壊する録音環境 ■

オーディオマニアはイコライザーの使用を嫌います。

「レコードやCDには生の音源が入っているのだから、手を加えるのは言語同断」という
原音至上主義の方達が多くいらっしゃいます。
最高の録音であれば、良い音源は優れた再生音を生み出してくれます。

ところが実際には「録音」は千差万別です。
クラシックでも酷い録音は存在しますが、それでもバランスは取れています。

これが、80年代以降のロックやポップスやJ-POPSでは悲惨な録音状態です。
CDの登場によってオーディオ機器は小型化し、ラジカセ全盛の時代になりました。

CDを購入する多くの人々が、ラジカセで音楽を聴くので、
当然、録音スタジオではラジカセで格好良く聞こえる様な録音をする様になります。

ミキシングスタジオから大型スピーカーが消え、
YAMAHAの10Mという、白いウーファーの小型スピーカーが大増殖して行きました。
ラジカセは大型スピーカーの様には低音が出ませんので、
ミキシング時に低音を思い切り持ち上げて録音される様になりました。
さらには、小型スピーカーではあまり聞こえない重低音は、
管理されていないような録音も現れ始めました。

80年代前半のアナログレコードに時代までは、
それでも多くの人が大型のオーディオスピーカーを使用していたので、
録音はそれを考慮して、まともなバランスを保っています。

しかし、90年代以降はPOPSやROCKはそれこそ「悲惨」な状況です。

■ 曲毎、アルバム毎にイコライザーカーブをプリセットできるiTunse ■

イコライザーを使用すれば、部屋の音響特性と録音バランスを補正できるのですが、
録音バランスの違うCDにあわせてその都度イコライザーを操作するのは面倒です。

しかし、iTunseには、曲毎にイコライザーを設定する機能が付いています。
iTunesにプリセットされているイコライザーは、派手な演出でクソですが、
iTunseはバンド数が少ないながらも、自分で複数のイコライザーカーブを作って登録できます。

もう、これを使ってしまったら、病み付きになります。
古いジャズも、最新のロックも、最適なバランスに調整する事が出来ます。

■ ルームアコースティックを機材で調整する愚 ■

私は先日、コンクリートにクロス直貼りのマンションから、
ボード貼りのマンションに引越しました。

コンクリートにクロス直貼りの部屋では、低音がだぶ付いて始末に負えませんでした。
iTunseのイコライザーが無ければ、大型スピーカーは絶対に使えません。
ところが、ボード貼りの部屋では、ボードが丁度良いアンバイに低音を吸収してくれます。

これが、木造の和室では、今度は低音が不足するかも知れません。

このようなルーム・アコースティックの違いを機材で調整する事は至難の業ですが、
イコライザーでは比較的容易に調整できます。

■ 大型スピーカーの衰退 ■

AMラジオの様なフルレンジの小型スピーカーは
高音も低音も出ませんが、ストレスの無い聞きやすい音がします。

今な無き長岡鉄夫というオーディオ評論家は、
小さなフルレンジユニットを使って、高効率の自作スピーカーを発表し続け、
一部のオーディオマニアから神的な扱いを受けていました。

長岡鉄夫のファンはらはオーディオマニアと言うよりは、音楽マニアが多く、
高効率のスピーカーからは、生きた音楽が聞こえる来る事を知っていました。

一方、所謂オーディオマニアはJBLのマルチユニットのモニタースピーカーなどに嵌りますが、
これは上手く鳴らす事が非常に難しいシステムで、まともに鳴らした人は少ないでしょう。

大型のマルチユニットではユニット間の繋がりで、周波数特性が乱れ、
さらには日本人はタンスの様な巨大スピーカーを6畳間に押し込んだりしていましたから、
ユニット間の音が混じる事も無く、音場再生などという概念もハナから無視していました。

一時期、録音のワイドレンジ化に伴って導入されたJBLのマルチモニターは、
その後、UREIの同軸2ウェイユニットにその座を奪われます。
ホーン先端の青色のスポンジも鮮やかなUREIのモニターは、
同軸2ウェイ故に、音の繋がりも良く、大型ながら音場再現にも優れていました。

JBLはその後、2ウェイのモニターシステムに移行すると同時に、
UREIを買収して、UREIモニターを市場から消し去りました。(アメリカ人の発想ですね)

ところが、時代はラジカセの時代になり、
大型モニターは少なくなり(当然、楽器個々の録音確認には使用されますが)、
YAMAHAの10Mが大増殖し行きます。

■ 小型スピーカーブーム ■

1985年頃だと思いますが、イギリスのセレッションというメーカーが
SL600という小型密閉方スピーカーを発売します。
(マーシャルのギーターアンプのスピーカはセレッション製です)

SL6という、中級スピーカーのユニットはそのままに、
箱の共振を抑える為に、航空機に用いられていたアルミのハニカム材を
エンクロージャーに用い、レーザー解析で振動を最適化するという
現代的スピーカー設計の原型とも言える製品でした。

SL600は鳴らし難いスピーカーとして名を馳せました。
非力なアンプでは全く鳴らないのです。
ところが、マークレビンソンなどアメリカの純A級のパワーのあるアンプで鳴らすと豹変しました。

スピーカーの存在が消え、そこであたかも演奏していうかの様な空間が生まれたのです。

■ 地獄の一丁目、小型低能率ワイドレンジ・スピーカー ■

SL600の登場までは、スピーカーの効率は90dB以上はありました。
ところがSL600以降は、80dB程度の効率しか無いスピーカーが続々と登場します。

低音が出難い小型のスピーカーなので、
低音の効率に、システムの効率を揃える事で、帯域のバランスを確保したのです。

さらに小型スピーカーで低音を得る為に、ウーファーのユニットは重くなり、
さらに強力な磁気回路の中に設置されました。

これでは、非力なアンプでは、ウーファーから逆流する電流に押されて
まともな再生が出来ません。

さらに、ハイパワーでウーァーを叩き出さなければ、音に勢いが生まれません。

NFBを最小に抑えながらも、出力インピーダンスを小さくして駆動力を稼ぐ為に、
現代の高級アンプは、出力段のトランシスターを多数並列にして、
スピーカーの駆動力を確保しながら、低インピーダンスに対応しました。

小型低能率スピーカーの登場は、アンプの巨大化と高価格化をもたらしましたが、
住宅事情から、大音量の出せない日本のオーディオマニアの多くは、
結局、スピーカーとアンプの実力を出す事なく、買い替えを繰り返していきました。

(この時代のパワーアンプの最高傑作が、初期型KRELLのKSA50やKSA100でしょう。
 2Ωまでを楽々と駆動しながら、繊細で力強く、さらにマッタリとクリーミーな味わい。
 しかしながら、陽炎が立つ程の発熱と、月の電気代が3000円アップに耐えなければなりません。
 エコを目指し、クラーの無い我が家では、半年で売りに出されました。

 でも、人生で最後に聞きたい音を挙げろと言われたら、
 私は間違い無く「初期型のKSA50の音を聞きたい」と答えます。
 スピーカーは・・・SL600・・・いや、APOGEEのフルリボンか・・・)

■ 小型スピーカーが悪いわけでは無い ■

小型スピーカーの先鞭を付けたセレッションですが、
SL3という非常に鳴らしやすい小型スピーカーを発売していました。
今でも実家で使っていますが、FMラジオを聞き流すには最適なスピーカーです。

SL3の上位機種の、SL600の原型であるSL6も素晴らしいスピーカーでした。
小型密閉型のスピーカーですが、低音も結構出たので、
これをどう料理するかが、鳴らす人の腕の見せ所でもありあました。
LINNの黒箱に繋いで鳴らすと、弦楽器は張りがあって、艶やか、躍動感一杯に鳴ります。
又、この組み合わせの、ビートルズは絶品でした。
アメリカのスピーカーでは鳴らし難いビートルズですが、
イギリスのスピーカーとアンプの組み合わせでは、生き生きと鳴ります。

最近ではKEFFのiQ3などは、とても良く出来たスピーカーです。
DALLIのロイヤル・メヌエットも、音楽がとても楽しく聞こえるスピーカーです。

これらの小型スピーカーを使っている内は、オーディオマニアも幸せで居られます。
高音がどうの、低音がどうのと、細かい事も気になりません。

■ 38cm小型2ウェイという選択肢 ■

ご存知の方も多いと思いますが、名古屋のProcableという通販ショップが、
iPodやiTuneのオーディオ活用に一役買いました。

ホームページが強烈なので、アンチ・プロケーブルを量産しましたが、
そこに書かれている事は、技術的には間違いも多いのですが、
結構、従来の常識を外れると、楽しいオーディオライフが返って来る事を証明しています。

先ず、高効率スピーカーを使う事。
問題はほとんどコレで解決します。
生き生きとした音楽が聞こえてきます。

38cmのPAスピーカーを推奨しているので、
私もエレクトロボイスの「Foce i」という比較的小さなPAスピーカーと、
クラウンの25Wの小型アンプD45を購入してみました。

これが意外と素性が良いのですが、
38cmと言えども箱が小さいので低音が出ない。
小型スピーカーよりも低音は少ないのでは無いでしょうか?

ただ、103dBという高効率スピーカーなので、
25Wのアンプで軽快に鳴ります。
とにかく、ドラムなどの音の立下りは早い。
ロックのドラムが、パッシっと決まるのは快感です。

低音を出す秘訣は・・・
私はスピーカーケーブルをステージ用の端子を用いずに
スピーカーのネットワークに直接半田付けしたら、低音のバランスが取れました。

ネットワークとユニットの間も、スピーカーケーブルと同じケーブルで半田付け。
多分、半田の適度な抵抗が、スピーカーに丁度良い負荷になったのではと考えています。
(某サイトでは、電線(Fケーブル)を何百メートルも使ってバランスを取る人も居ましたが、
 単に、それって抵抗じゃなイカ?)
昔からJBLなどの大型SPに抵抗を繋ぐと鳴らしやすいというウワサは聞きます。

因みにスピーカーケーブルはウェスタンエレクトリック社の14Gという錫メッキ線です。
高域が適度にシャラシャラして、ホーンのキツサを抑えてくれます。
クラシックまで聞こうとするならば、錫メッキ線は便利です。

ALLEN&HEATHというイギリスのDJミキサーをプリアンプ変わりに使うと、
帯域を程よく真ん中に集めてくれて、さらにALLENマジックとも言える
独特の艶と響きが加わって、ちょっと手放せなくなります。

使いこなしのミソは、とにかくミキサーで音を絞らずに、
パワーアンプのボリュームで絞る事。
ミキサーのLEDインジケーターはオレンジがチョコチョコ点滅するくらいが、
音が生き生きします。

結局、一般のオーディオでは、パワーアンプに入力する前で
音楽信号を絞ってしまうので、SN比も落ちてしまいますし、
微小信号を扱うプリアンプが、理想的な動作範囲で再生出来ていない事が良く分かります。

■ iTunseはVer7.6 , Windows Xp はSp2 がベスト ■

さて、なんでオーディオの話を長々と書いたかと言うと、
一昨日、出来心で、iTunseのバーションを10.3に上げてしまったのです。

色々なバージョンを試した結果、Ver7.6以降は、中域が薄く、
CDプレーヤーの様なすっきりした音になるのは分かっていましたが、
Appleがあまりに執拗にバージョンアップを薦め、
とうとうiTunseストアーにも入れななくなり、
iTunseの操作画面の下半分もバージョンアップの広告に占拠されるという
Appleのイヤガラセに、とうとう根負けしてのバージョンアップでした。

ところが、何と今度はXPのサービスパック2ではiTunesの10.3は外部スピーカーに音だし出来ない。
XPのサービスパック3は、やはりスカスカの音になるので、
オーディオ用のPCは、苦労してSP3をSP2に戻していました。

結局、HDを一台買い足して、オーディオ用にXPのSP2環境とiTunseのver7.6を再構築する事に。
これが、バックアップファイルを流すだけでは上手く行かず、
結局一晩かけて、ようやく先程、アナログの様なふくよかな音が戻って来ました。

その感動が、ここまで長文を書かせる原動力でしたが・・・そろそろ指が痛いです。
では、秋の夜長を、ビルエバンスの枯葉でも聞きながら・・・。


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投稿者: 人力
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2009/10/21

i-Podオーディオの決定版  オーディオ

■ オーディオの夢の時代 ■

私達が中学、高校の頃は、オーディオのフルセットを揃える事が夢でした。
80年代日本は、オーディオ天国でした。

\79,800のプリメインアンプは激戦区でした。
サンスイのAU−607シリーズを筆頭に、
各社がこの価格帯に利益度外視の様な物量を投入していました。

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\59,800のスピーカーも熾烈な争いでした。
30cmのウーファーをベースにした3ウェイが基本でしたが、
大体、前述の\79,800のプリメインアンプで鳴らしていました。
ONKYOのD-77が分野の先駆者でしょうか。

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CDというデジタルソースの出現で、
ひたすら広帯域、低歪という測定データ重視、
「物量=価値」という単純な時代でした。

■ BOSEという選択肢 ■

その頃、カフェバーのスピーカーと言えばコレ。

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BOSE 301。
白いカフェバーに、白いBOSE。
何となく軟派なイメージがしてヘビーデュティー嗜好の私などは、
あまりBOSEが欲しいとは思えませんでしたが、
友人達の部屋で聞くBOSEは、101も、301も、楽しい音で鳴っていました。

「この高音が」とか、「コンバスの弦の解像度が」などという点ではダメなのですが、
音楽を聴いていて楽しいスピーカーでした。
音楽の「うねり」の様な物を良く表現し、
ボーカルの表情が良く伝わる。

当時を振り返ると、
音楽好きはBOSEや自作フルレンジ(長岡式)を選択し、
機械好きは、国産をカタログスペック重視で選んでいた様に思います。

さて、時代が30年経ち、どちらが優れていたかは自ずと結論が付いていると思います。
国産オーディオはほぼ絶滅の状況にあり、
ミニコンポと一部愛好家向けの高級機だけの市場になってしまいました。

一方、BOSEはホームシアターというフィールドにも進出し、
今でも楽しい音を鳴らし続けています。

■ ハイファイは疲れる ■

私もオーディオに随分と散財しました。
しかし、結局行き着く先はラジオの音。

先日までは、仕事用のデスクトップシステムに、
カナダのスタジオ用のアンプ(BRYSTON B−60)と
イギリスのMONITOR AUDIOの小型スピーカーを組み合わせていましたが、
結局、殆ど使用しませでした。
何故か・・・眼前にミニチュアの音像が並ぶと、煩わしいのです。

そもそも、ステレオ自体が擬似音場でしかありません。
脳は多分、その擬似的な音場を補正して尤もらしく聞かせる為に、
結構な労力を使うのでしょう。

低音も高音も、現実のものとは違います。
すると、脳は又イコライジングでこれに対応しようとします。

ですから、仕事中になまじなハイファイ(死語ですが)を聞くと、
仕事に集中出来ません。

■ yahooオークションで間違って落札したギターアンプ ■

クリックすると元のサイズで表示します

いきなりギターアンプです。
yahooオクでオーディオのアンプのコーナーに間違って出展されていました。

何の気無しに\3,000で入札したら、落札してしまいまいした。
息子にでもあげようと思い、送金したら、商品が届きました・・・。
日本フェンダーの小型のギターアンプです。
5インチのスピーカーが2個搭載されています。
何と、これがセレッションです。

かつて、マーシャルのギターアンプはセレッションを使用していました。
セレッションはイギリスの老舗のスピーカーメーカです。
レーザーによる振動解析を駆使して開発されたSL−600は、
現代スピーカーの原点と言っても過言ではありません。

私もセレッションの音は大好きです。
今でもSL−3を所有していますし、
SL−6とLINNの黒箱で鳴らすビートルズは最高です。

決して鳴りすぎる事が無く、されど聞きたい音は聞こえて来る。
それがセレッションです。

現在は台湾当たりのメーカーに商標を売却してしまって、
名ばかりセレッションですが・・・何となく嬉しい。

さらに、このアンプ、RCAのライン入力が付いている。
スピーカーが2発だから、ステレオ入力に対応する様です。

さらに、ディストーション回路を搭載している。
早速、息子のエレキギターを拝借して、ギュイイイーーンとやったら、
超気持イイ(ギター、弾けません・・・。)
ギュイーーンとアメリカ国家を下手ながら弾けば、気分はジミヘンです。

■ 最高のi-Pod用オーディオ ■

さて、せっかくRCA入力が付いているのでi-Podを繋いでみました。
コードは自作のベルデンのマイクケーブルと、ノイトリックの端子の物です。
ギターアンプでは音量調整出来ないので、i-Pod側で音量調整をします。

・・・イイ・・・凄くイイ・・・。
楽器の音も、ボーカルも自然で聞きやすい。
レンジが狭いので、最近のJ−POPSも破綻無く再生できる。
ボーカルと演奏とのバランスも絶妙。
何と言っても、ギターの音が艶っぽくてGOOD。(そりゃーギターアンプですから)

という事で、フェンダーのギターアンプは私の愛用品となってしまいました。



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タグ: i-Pod オーディオ


投稿者: 人力
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2009/6/6

iPodを侮るなかれ  オーディオ

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最近は秋葉原はアニメオタクの街になってしまいましたが、
私が学生の頃は、オーディオの専門店が沢山ありました。
大学生になるとオーディオセットを揃えるのが夢でした。

そんな青春時代を過ごしたオヤジの現在のオーディオがこれ。
サブシステムですが、PC用としては結構良い音がします。

■iPodを侮るなかれ■

ソースは何とiPodです。
iPodって実は侮れないんです。
同じ音をCDプレーヤーで再生しようとすると、
もしかすると100万円を越えてしまうかも知れません。

ウッソーとお思いかも知れませんが、
私はWADIAのDAコンバーターを使用していましたが、
iPodをオーディオに繋いだ瞬間売り払いました。

バッファーから読み出される信号を、最短距離でDAコンバーターに送り込み、
それぞれが同じクロックで作動するメリットは絶大です。

デジタル信号の最大の敵はジッターという時間的揺らぎです。
高価なCDプレーヤーやDAコンバーターはジッターをいかに抑えるかが技術の鍵です。

ところが、iPodはモーターの様な駆動部がありません。
ハードディスクモデルも殆どメモリーから再生していて、
モーターが回転している時間は一瞬です。
電力消費を低減させるアイデアがジッターの低減に寄与しています。

さらに、ピックアップやモーターの回転をサーボで制御する必要もありません。
これも電源を揺さぶる要因から開放されています。

そして、最大のメリットはバッテリー駆動である事。
オーディオの電源は電源の揺らぎの無いバッテリー駆動が理想です。
バッテリー駆動は、電源からのノイズの混入とも無縁です。

高級CDプレーヤーが100万以上を費す対策を、
iPodは1万円くらいで出来てしまっています。

■WADIAが認めたiPodの高性能■

日本のオーディオ屋さんは、「iPodなんてオモチャですよ」って切り捨てていましたが、
アメリカ人は合理的で、良いものは良いと認めるようです。
高級CDPの専門メーカーのWADIAがiPodをトランスポートとするシステムを発売してしまいました。

DACはWADIA製で高価ですが、
従来50万以上していたトランスポートをiPodで代用してしまいました・・・。
WADIAの魅力は、輪郭の明確な揺ぎ無い低音ですが、
CDトランスポートよりもiPodの方がジッターが無いのでWADIAの理想とする音になるのでしょう。

これには、専業オーディオメーカーは参ってしまいます。
しかし、将来的に音楽ソースがネット配信に置き換わって行く事を考えると、
CDというフォーマットがかつてのアナログレコードのような立場になります。
WADIAの選択は、実は将来を考えれば、正しい判断です。

■非圧縮ファイルの実力■

iPodに音楽を転送する時、あるいはiTunesに音楽を取り込む時、
ファイルサイズを節約する為にMP3など圧縮ファイルを選択する事が一般的です。

しかし、iPodの実力を発揮する為には、
ファイル形式は非圧縮のWAVファイルが必須条件です。
CD一枚で1Mくらいのファイルサイズになってしまうので、
ハードディスクの容量を浪費しますが、現在の大容量のハードディスクなら、
1000枚程度のCDも入ってしまいます。

非圧縮ファイルで、質の良いヘッドホンでクラシックを聞いてみて下さい。
iPodの高性能に驚愕する事必至です。


■高音質の為のケーブル■


さて、こうして高音質の再生環境が簡単に手に入りました。
ネットでは、「iPod内蔵のアンプは低音質だから、
音楽信号はiPodのヘッドホン端子からオーディオに繋いでも低音質」という人も居ます。

騙されたと思って、BELDENの88760というマイクケーブル使用してみて下さい。
密度の高い、素晴らしい音がします。
私は秋葉原でケーブルを購入して、ノイトリックの端子で自作しましたが、
ネットで評判(賛否両論ですが)の、プロケーブルのネット通販で、
5000円くらいで手に入ります。
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c90

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
119. 中川隆[-8639] koaQ7Jey 2019年8月27日 16:13:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4112]
2011/10/16
日曜の午後は優雅にJAZZなど聞きながら・・・最新技術でレトロを再現する https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive

 

■ デジタルオーディオの薦め ■

80年代、90年代に青春時代を過ごした男子ならば、
オーディオセットに大枚を叩いた経験があるでしょう。
かつて日本のオーディオ機器は、世界を席捲しました。

AKAI
AIWA
Aurex(東芝)
DENON
DIATONE(三菱)
KENWOOD
Lo−D(日立)
MARANTZ
Nakamichi
ONKYO
PIONEER
SANSUI
SONY
TEAC
Technics(松下)
YAMAHA
Victor

さらに
OTTO(サンヨー)
OPTONICA(シャープ)


こんな小さな国に、結構規模の大きなオーディオ・ブランドが
ひしめいていたのです。

■ プラザ合意と日本製品 ■

日本のオーディオーメーカーが世界ブランドになったのは
1970年代後半からではないかと思いますが、
これは、日本車が世界市場に受け入れられていく時期と重なるかと思います。

かつて1ドル360円だった為替レートは、
1971年のニクソンショック以来円高になり、
1985年プラザ合意で、240円から一気に120円となりました。
そして、現在は1ドル80円代が当たり前の時代となりました。

1) 360円時代・・・戦後、繊維産業が輸出産業として外貨を稼ぐ
2) 240円時代・・・1970年代前半までは、鉄鋼・造船・化学が輸出産業として成長
3) 120円時代・・・自動車、電機産業が輸出を延ばす
4)  80円時代・・・材料・部品 (円建て輸出も多い)

これはイギリスやアメリカの経済成長の歴史ともリンクしますし、
現在のアジアの経済成長の姿とも被ります。

■ 戦後は米英、その後は日本、そしてアジアへ・・ ■

プラザ合意後で日本のオーディオと自動車は明暗を分けます。
自動車は実用品的価値を持つので、ある意味、
コストバリューが適当であれば、売れます。

アメリカではプラザ合意後の日本車は、決して安い車ではありませんでした。
サニーやカローラーだって、アメリカでは外車です。
それでも故障の少ない日本車は、アメリカで人気がありました。

大柄のアメリカ人が、体を畳む様にして、
ちょっと年代物の日本車に乗っている光景を良く目にしました。


一方、オーディオは嗜好品でありステータスシンボルです。
ライフスタイルの変化と共に、オーディオの需要は変化をします。
かつては大型のオーディオセットを所有する事は男のロマンでしたが、
現在はiPodやiPhonにその座を奪われてしまいました。
或いは、大型TVとホームシアターに変化したとも言えます。

戦後の経済成長で、最初にオーディオを楽しむ余裕が生まれたのは米欧でした。
アメリカにもヨーロッパにも色々なオーディオメーカーが誕生しましたが、
ガレージメーカーが多いので、新旧のメーカーが目まぐるしく入れ替わりながら、
全体のパイとしては、どんどん縮小しています。

日本はさらに衰退が激しく、80年代に全盛を極めた大手メーカーは、
今ではラジカセかホームシアターシステムをメインに生産しています。
(一部高級オーディオも残っていますが、趣味みたいな規模です)

一方、新興国では、ちょっとしたオーディオブームが発生している様です。
シンガポールでちょっとオーディオ店を覗いてみましたが、
BOSEと並んで、アジアの名前は知らないけれども、
デザインも造りも悪く無いシステムが販売されていました。
(もしかすると、欧米でデザインしてアジアで生産かも知れません)

■ 「質より量」が生きている新興国市場 ■

SONYはアフリカやインドなどの市場に力を入れている様で、
それらの国では圧倒的なブランド力を維持しています。

それらの国では未だに「質より量」の文化レベルなので、
スピーカーユニットが沢山付いていて、低音がガンガン出るシステムが売れる様です。
ちょっと大型のミニコンポを想像すると良いかも知れません。

■ オーディオ機器からPCへ ■

一昔前なら、コンピューターのデータを再生するデジタルオーディオは
オーディオファンからは冷たい目で見られていました。
デジタルノイズだらけのPCからは、良い音は得られないと思われていたのです。

ところが、1千万円もする高級オーディオに
iPodを繋いでみた人が現れました(外人)
マークレビンソンというメーカーの数百万円するCDシステムと聞き比べると・・・
何と、iPodの方が音が良いように感じてしまったのです。

このオーディオ記者のレポートがサイトに載ってから、
ジワリ、ジワリと、PCを音源にするデジタルオーディオが浸透し始めました。

■ 高音質を再現できなかったCDプレーヤー ■

CDは1980年代のオーディオ全盛期に、
高音質を売り物に、華々しくデビューします。

それまでレコードしか聞いた事が無かった人々は、
針音のしない「無音の曲間」や、「クッキリした音」にビックリしました。
「これがデジタルの音なんだ・・・」と。

ところが、アナログレコードのマニアは根強く残りました。
彼らは「CDの音は何か変だ」と主張します。
「サンプリングレートが44KHzなので、
20KHz以上の可聴域以上の音が再生出来ないのが原因だろう」
そうオーディオメーカーの開発者も考えました。

ところが、サンプリングレートを高くした高音質CDも
やはり「何かが違った」のです。

アナログレコードの音を追い求めて、
CDの読み取り部分ーとDAコンバータ部分を別々の機材に分けたり、
CD読み取り部を鉄の塊で固めて防振を徹底するなど、
だんだんとアナロぐレコードの様なアプローチが試みられるようになり、
最後には100万を軽々と越える鉄の塊の様なCDプレーヤーまで出現しました。

■ ジッターというデジタル揺らぎ ■

一方で「ジッターと呼ばれるデジタル特有の時間的な揺らぎが音を濁す」と主張する人も居ました。

CDプレーヤーのピックアップ(光学読み取り部)は、
振動などの外乱に抗してサーボ(調整)を掛けながら、
微細な音楽信号(ピット)を読み取るっていきます。
この時、サーボによる電圧変動がCDのクロック信号を乱す為に、
クロックのタイミングに微細な時間変動が生じる事が確認されています。
クロックのタイミングの揺らぎは、ジッターと呼ばれ、
音質に影響を与えると考えられています。

現在でも、測定すらも難しい微細なデジタルの時間変動が、
どうして音質に影響するのかは、正確には解明されていません。

■ ローテクでジッターを減らしていたフィリップス ■

CDの開発者はフィリップスとソニーです。

直系12cmのCDを東京ドームのグラウンドの大きさにすると、
CDのピックアップがデジタル信号の溝(ピット)をトレースするスピードは、
マッハ4の速度で砂粒を数え上げる事に等しいと言われています。

ちょっとの揺れでも、ピックアップは砂粒の列を見失ってしまいます。
その為にCDプレーヤーは絶えず溝の真ん中にピックアップが来る様に、
ピックアップを制御し続けています。

SONYなど日本のメーカーは技術力が高かったので、
ピットの真ん中と左右をトレースする3本のレーザービームの反射光の出力差を
サーボ回路に瞬時にフィードバックしてモターを駆動し、
ピックアップが絶えずピットの中心をトレースするという技術を生み出しました。

一方、フィリップスは3ビームの技術が開発出来なかったので、
何とレコードプレーヤーのアームの様なスイングする機構の先端に、
ちょっと「おもり」を付けたピックアップを搭載しました。
何と、外的振動を重さで吸収してしまおうというローテク作戦だったのです。

さらに初期のフィリップスのDAコンバーターは、
CDの16Bitのうち14Bitしか処理で出来ませんでした。

ところが明らかに技術的に劣るフィリップスのCDプレーヤーは音が良かったのです。
日本のメーカーがデンドン、シャリシャリと今思えば拷問の様な音を出していたのに対して、
フィリップスのCDプレーヤーの音は「まろやか」で「弾力に富み」
それでいて「絹の様な肌合い」の音を出していました。

永年アナログレコードに慣れ親しんだ、耳の肥えたファン達は、
フィリップスのメカニズムが搭載されたCDを買いました。

日本のメーカーはスペック重視ですから、
エラーの発生率をピックアップの優劣と考えていました。
ですから強力にサーボを効かせてトレース精度を高めていましたが、
その結果、サーボによる電圧変化が電源からクロック信号に周り込んで、
悲惨な音を作り出していたのです。

一方フリップスはレコードメーカーでもあったので、
徹底した視聴でCDプレーヤーを作り上げたのでしょう。
その結果、トレース制度が落ちてもサーボが弱い方が音が良い事に気付いたのでしょう。
そこで彼らは「重り」という慣性重量をサーボの変わりに用いたのでしょう。

■ iPodは音が良かった ■

CDの音を汚すのは「ジッター」の存在では無いかと気付いた海外の技術者達は、
実にスマートな方法でジッタを解決していきました。

元々、レコーディングスタジオでは、デジタル機器間のクロックの同期を取る為に
精度の高い外部クロックを使用していました。
正確なクロックが機器の誤動作を防ぎ、音質向上に繋がる事は常識でした。

これらの事実を知る技術者達が、クロックとバッファーメモリーを搭載した
小さなDAコンバーターを開発し始めました。

CDからのデジタル信号を、一旦バッファーメモリーに貯め、
メモリーの読みだ出しと、DACのチップを同じクロックで動作させたのです。

2000年頃、日本の若いオーディオファンは住宅事情もあって、
高級ヘッドホンで音楽を楽しんでいました。
DAコンバーターとヘッドホンアンプを合体させたヘッドホンアンプは、
「音が良い」と評判になり、若者達に浸透して行きます。


■ 光ケーブルこそが音質を損なっていた ■

ところが、私はどうもこれらの製品の音も馴染めませんでした。
なんだか、音がクッキリし過ぎてウソクサイ・・・。

これらの機器の音楽信号はPCから取り出す場合が多かったので、
多くの機器では同軸ケーブルか、光ケーブルでDACとPCを繋いでいました。

光ゲーブルは、PCとオーディオ機器との間のアースを切り離せるので、
PCのデジタルノイズがアース経由でオーディオに混入する事を防げる為、
オーディオ的には最適と考えられていました。
・・・しかし、「光ケーブルは音が悪い」と言うオーディオマニアは沢山いました。

これは光ケーブルの内部の乱反射によって、クロックのタイミングがズレル事が原因とも、
「電気 - 光」、「光 - 電気」という複雑な変換が原因とも言われています。
「電気 - 光」、「光 - 電気」でデータにエーラーが生じては、光通信は成り立ちませんので、
私は原因は前者のクロックの揺らぎにあると思っています。
光ファイバーの内部反射で、デジタル信号のエッジが鈍るので
ちょっとした電圧の変動でも、時間的揺らぎは大きくなってしまうのでしょう。
要は、光ケーブル接続は「ジッター」が大量に発生するのです。

■ さらにUSBケーブルでも音質は劣化していた ■

最近のデジタルオーディオ機器にはUSBケーブルを用いる物が多いのですが、
実は最近になってUSBケーブルは70cmを超える長さになるとエラーが増える事が分かって来ました。
ハードディスクやプリンターの接続に便利なUSBケーブルですが、
コンピューターの接続では、エラーチェックを常時しながら、
信号がやり取りされますので、
ケーブルの長さによるエラーの増大は、通信時間の差となって表れますが、
データーに損傷は起こりません。

ところが、オーディオフォーマットのUSBケーブル転送では、
PCはデータを送りっぱなしという方式を取られています。
USBケーブルは70cm程度まではエラーが少ないそうですが、
それを過ぎると、エラーの発生率が増大します。

CDの書き込みデータは、非常にエラーに強い変換方法が採用されていますが、
PCから出力される音楽データは時系列のデータですから、
エラーには弱くなっています。
当然、補完によるエラー訂正が頻発する事が予想されます。

■ ジッター解決の最適解であった、iPod ■

ここで先に紹介した「iPodは数百万のCDプレーヤーよりも音が良かった」に戻ります。

iPodはPCからデータ通信で、内臓HDか内蔵メモリーにデータを転送します。
この転送は当然コンピューター間のデータ転送ですからエラー訂正され、
iPodには正確なデジタルデータが転送されます。

次にiPodは携帯プレーヤーですからHDのデータは随時メモリーに記憶され、
そこから再生する事で、振動などによるHDの読み込みエラーを防止します。

バッファーメモリーの吸い上げられたデータは、DAコンバーターに送られますが、
メモリー駆動用のクロックと、DAコンバーター動作用のクロックは同一です。
さらに、iPodは小さいので、クロックとメモリーやDAC間の配線は最短の長さです。
ですから、外的要因による時間揺らぎは、ほぼ発生しません。

この様な理由から、何とiPodは理想的なCDPの要件を満たしていたので音が良かったのです。

■ 昔のAppleには音の分かるエンジニアが居た ■

しかしiPodの素晴らしいのはそれだけではありません。

ヘッドホン出力用のアナログ回路の音が良いのです。

国産のMP3プレーヤーはドンドン・シャリシャリという音がしていましたが、
iPodの音は「ふくよか」で「弾力に富」、「なめらか」な音でした。
専用イヤホンも、帯域を欲張らずに、中域を厚く再生します。

これは生演奏の音を良く知っている技術者が開発に携わっていたからだと言われています。

■ iTunesこそが最高のプレーヤーだった ■

iPodは音が良くないと言われる方の多くは、
iTunesにCDなどの音源を録音する際に、データを圧縮して取り込んでいます。
その方が、iPodに大量の音楽が入るからです。

ところが、iPodに取り込む時、非圧縮のWAVデータやACCデータで取り込むと、
iPodから聞こえる音は激変します。
特にクラシックなどでは情報量が圧倒的に増えて、弦が滑らかに再生されます。
(ロックやポップスでは圧縮音源の方が、低音の輪郭がはっきりしてノリが良いです)

しかし非圧縮データはデータサイズが大きいので、
iPodに大量のデータを格納する事が出来ません。

そこで、PCのiTunesから、直接音楽信号を取り出そうとする試みが為されました。
PCのサウンドボードかUSB音楽プレーヤーを使用するのが一般的です。

Appleから「Airmac exples」という小型の無線LANのターミナルが発売されています。
何と、このAirmacにはDAコンバーターが内臓されるのです。
PCから無線LANで音楽信号を飛ばし、Airmacで受信した部屋で好きなように音楽が聴ける
そんな目的で造られた商品ですが、これが思いの他、便利だったのです。

AirmacにはUSB入力とLANケーブルの入力もあります。
さらに、ヘッドホンジャック(ミニピンジャック)と光デジタル出力まで付いています。

始めにAirmacに注目した人達は、無線LANと光出力で、
PCとオーディオの間のアース回路を完全に分離出来る事に着目しました。
PCからのデジタルノイズを、オーディオ機器と分離する手段としたのです。
彼らはAirmacの光出力を、高額なDACのデジタル入力として活用しました。

ところが、Airmacのミニピンジャックの出力を、直接オーディオに繋いで見ると、
iPodよりも、厚い音がして、アナログファンを唸らせてしまった。

さらに、無線LNAでは無く、LANケーブルでPCと繋いで、
接続の設定をちょっと細工してあげると、
データ転送エラーは発生しない事が分かってきました。

(Airmacの表示LEDを緑色点灯さる事がミソ。

 1) AirmacとPCをLANケーブルd接続する
 2) Airmacの管理ソフトを立ち上げる
 3) 無線LNAをオフにする
 4) AirmacのIPアドレスを手動で入力する
    IPアドレスは、管理ソフト立ち上げ時に表示しあれたアドレス。
 5) IPアドレスの自動取得をオフにする。 
 この手順で、Airmacの「緑色点灯」が確立出来ます。)


■ Airmac Expres は高音質なのでは無く、低音質だから良い ■

ここまで読むと、Airmac Expres は高音質だと思われるでしょう。

実は逆です。
Airmac Expresは実は音質が悪いのです。
先ず、上限のレンジが狭い。
さらに、左右のチャンネルのクロストーク(音の混入)が多いのです。

「なんだ、全然ダメダメじゃん」とお思いでしょう・・・。

いえいえ、これこそがアナログの音なのです。
アナログレコードは1本の溝に左右の信号を刻んでいます。
当然、左右のチャンルは音が混ざり合います。(これをクロストークと呼びます)

さらに、レコード針が樹脂のレコードに溝を引っかきながら音を再生するので、
歪みを低減する事は、根本的に困難です。
ところが、レコードの音は、人の耳には自然に聞こえます。
これは「生音」と同じ肌合いの音・・・そう言い変える事も出来ます。
ですから生のコンサートに足を運ぶ人程、レコードファンが多いのです。
(1/f揺らぎが自然な歪みだとか、
 偶数次の歪みは、人間を心地よくさせるという説があります)

私も経験的に、イギリスの小型アンプなど、クロストークの多いアンプは、
充実した音がする事を知っています。
さらに、左右のスピーカーを重ねて設置すると、
ステレオの音場こそ消失しますが、
生の演奏会に近い音の勢いが得られる事も経験していました。

ですから、Airmac Expresの音の良さは、
アナログ的な歪みの多さと、クロストークによるものでは無いかと思っています。

さらにはジッターという、人間の聴覚ではどうしても不自然に感じる
ノイズ元が無い事も大きいでしょう。

■ 崩壊する録音環境 ■

オーディオマニアはイコライザーの使用を嫌います。

「レコードやCDには生の音源が入っているのだから、手を加えるのは言語同断」という
原音至上主義の方達が多くいらっしゃいます。
最高の録音であれば、良い音源は優れた再生音を生み出してくれます。

ところが実際には「録音」は千差万別です。
クラシックでも酷い録音は存在しますが、それでもバランスは取れています。

これが、80年代以降のロックやポップスやJ-POPSでは悲惨な録音状態です。
CDの登場によってオーディオ機器は小型化し、ラジカセ全盛の時代になりました。

CDを購入する多くの人々が、ラジカセで音楽を聴くので、
当然、録音スタジオではラジカセで格好良く聞こえる様な録音をする様になります。

ミキシングスタジオから大型スピーカーが消え、
YAMAHAの10Mという、白いウーファーの小型スピーカーが大増殖して行きました。
ラジカセは大型スピーカーの様には低音が出ませんので、
ミキシング時に低音を思い切り持ち上げて録音される様になりました。
さらには、小型スピーカーではあまり聞こえない重低音は、
管理されていないような録音も現れ始めました。

80年代前半のアナログレコードに時代までは、
それでも多くの人が大型のオーディオスピーカーを使用していたので、
録音はそれを考慮して、まともなバランスを保っています。

しかし、90年代以降はPOPSやROCKはそれこそ「悲惨」な状況です。

■ 曲毎、アルバム毎にイコライザーカーブをプリセットできるiTunse ■

イコライザーを使用すれば、部屋の音響特性と録音バランスを補正できるのですが、
録音バランスの違うCDにあわせてその都度イコライザーを操作するのは面倒です。

しかし、iTunseには、曲毎にイコライザーを設定する機能が付いています。
iTunesにプリセットされているイコライザーは、派手な演出でクソですが、
iTunseはバンド数が少ないながらも、自分で複数のイコライザーカーブを作って登録できます。

もう、これを使ってしまったら、病み付きになります。
古いジャズも、最新のロックも、最適なバランスに調整する事が出来ます。

■ ルームアコースティックを機材で調整する愚 ■

私は先日、コンクリートにクロス直貼りのマンションから、
ボード貼りのマンションに引越しました。

コンクリートにクロス直貼りの部屋では、低音がだぶ付いて始末に負えませんでした。
iTunseのイコライザーが無ければ、大型スピーカーは絶対に使えません。
ところが、ボード貼りの部屋では、ボードが丁度良いアンバイに低音を吸収してくれます。

これが、木造の和室では、今度は低音が不足するかも知れません。

このようなルーム・アコースティックの違いを機材で調整する事は至難の業ですが、
イコライザーでは比較的容易に調整できます。

■ 大型スピーカーの衰退 ■

AMラジオの様なフルレンジの小型スピーカーは
高音も低音も出ませんが、ストレスの無い聞きやすい音がします。

今な無き長岡鉄夫というオーディオ評論家は、
小さなフルレンジユニットを使って、高効率の自作スピーカーを発表し続け、
一部のオーディオマニアから神的な扱いを受けていました。

長岡鉄夫のファンはらはオーディオマニアと言うよりは、音楽マニアが多く、
高効率のスピーカーからは、生きた音楽が聞こえる来る事を知っていました。

一方、所謂オーディオマニアはJBLのマルチユニットのモニタースピーカーなどに嵌りますが、
これは上手く鳴らす事が非常に難しいシステムで、まともに鳴らした人は少ないでしょう。

大型のマルチユニットではユニット間の繋がりで、周波数特性が乱れ、
さらには日本人はタンスの様な巨大スピーカーを6畳間に押し込んだりしていましたから、
ユニット間の音が混じる事も無く、音場再生などという概念もハナから無視していました。

一時期、録音のワイドレンジ化に伴って導入されたJBLのマルチモニターは、
その後、UREIの同軸2ウェイユニットにその座を奪われます。
ホーン先端の青色のスポンジも鮮やかなUREIのモニターは、
同軸2ウェイ故に、音の繋がりも良く、大型ながら音場再現にも優れていました。

JBLはその後、2ウェイのモニターシステムに移行すると同時に、
UREIを買収して、UREIモニターを市場から消し去りました。(アメリカ人の発想ですね)

ところが、時代はラジカセの時代になり、
大型モニターは少なくなり(当然、楽器個々の録音確認には使用されますが)、
YAMAHAの10Mが大増殖し行きます。

■ 小型スピーカーブーム ■

1985年頃だと思いますが、イギリスのセレッションというメーカーが
SL600という小型密閉方スピーカーを発売します。
(マーシャルのギーターアンプのスピーカはセレッション製です)

SL6という、中級スピーカーのユニットはそのままに、
箱の共振を抑える為に、航空機に用いられていたアルミのハニカム材を
エンクロージャーに用い、レーザー解析で振動を最適化するという
現代的スピーカー設計の原型とも言える製品でした。

SL600は鳴らし難いスピーカーとして名を馳せました。
非力なアンプでは全く鳴らないのです。
ところが、マークレビンソンなどアメリカの純A級のパワーのあるアンプで鳴らすと豹変しました。

スピーカーの存在が消え、そこであたかも演奏していうかの様な空間が生まれたのです。

■ 地獄の一丁目、小型低能率ワイドレンジ・スピーカー ■

SL600の登場までは、スピーカーの効率は90dB以上はありました。
ところがSL600以降は、80dB程度の効率しか無いスピーカーが続々と登場します。

低音が出難い小型のスピーカーなので、
低音の効率に、システムの効率を揃える事で、帯域のバランスを確保したのです。

さらに小型スピーカーで低音を得る為に、ウーファーのユニットは重くなり、
さらに強力な磁気回路の中に設置されました。

これでは、非力なアンプでは、ウーファーから逆流する電流に押されて
まともな再生が出来ません。

さらに、ハイパワーでウーァーを叩き出さなければ、音に勢いが生まれません。

NFBを最小に抑えながらも、出力インピーダンスを小さくして駆動力を稼ぐ為に、
現代の高級アンプは、出力段のトランシスターを多数並列にして、
スピーカーの駆動力を確保しながら、低インピーダンスに対応しました。

小型低能率スピーカーの登場は、アンプの巨大化と高価格化をもたらしましたが、
住宅事情から、大音量の出せない日本のオーディオマニアの多くは、
結局、スピーカーとアンプの実力を出す事なく、買い替えを繰り返していきました。

(この時代のパワーアンプの最高傑作が、初期型KRELLのKSA50やKSA100でしょう。
 2Ωまでを楽々と駆動しながら、繊細で力強く、さらにマッタリとクリーミーな味わい。
 しかしながら、陽炎が立つ程の発熱と、月の電気代が3000円アップに耐えなければなりません。
 エコを目指し、クラーの無い我が家では、半年で売りに出されました。

 でも、人生で最後に聞きたい音を挙げろと言われたら、
 私は間違い無く「初期型のKSA50の音を聞きたい」と答えます。
 スピーカーは・・・SL600・・・いや、APOGEEのフルリボンか・・・)

■ 小型スピーカーが悪いわけでは無い ■

小型スピーカーの先鞭を付けたセレッションですが、
SL3という非常に鳴らしやすい小型スピーカーを発売していました。
今でも実家で使っていますが、FMラジオを聞き流すには最適なスピーカーです。

SL3の上位機種の、SL600の原型であるSL6も素晴らしいスピーカーでした。
小型密閉型のスピーカーですが、低音も結構出たので、
これをどう料理するかが、鳴らす人の腕の見せ所でもありあました。
LINNの黒箱に繋いで鳴らすと、弦楽器は張りがあって、艶やか、躍動感一杯に鳴ります。
又、この組み合わせの、ビートルズは絶品でした。
アメリカのスピーカーでは鳴らし難いビートルズですが、
イギリスのスピーカーとアンプの組み合わせでは、生き生きと鳴ります。

最近ではKEFFのiQ3などは、とても良く出来たスピーカーです。
DALLIのロイヤル・メヌエットも、音楽がとても楽しく聞こえるスピーカーです。

これらの小型スピーカーを使っている内は、オーディオマニアも幸せで居られます。
高音がどうの、低音がどうのと、細かい事も気になりません。

■ 38cm小型2ウェイという選択肢 ■

ご存知の方も多いと思いますが、名古屋のProcableという通販ショップが、
iPodやiTuneのオーディオ活用に一役買いました。

ホームページが強烈なので、アンチ・プロケーブルを量産しましたが、
そこに書かれている事は、技術的には間違いも多いのですが、
結構、従来の常識を外れると、楽しいオーディオライフが返って来る事を証明しています。

先ず、高効率スピーカーを使う事。
問題はほとんどコレで解決します。
生き生きとした音楽が聞こえてきます。

38cmのPAスピーカーを推奨しているので、
私もエレクトロボイスの「Foce i」という比較的小さなPAスピーカーと、
クラウンの25Wの小型アンプD45を購入してみました。

これが意外と素性が良いのですが、
38cmと言えども箱が小さいので低音が出ない。
小型スピーカーよりも低音は少ないのでは無いでしょうか?

ただ、103dBという高効率スピーカーなので、
25Wのアンプで軽快に鳴ります。
とにかく、ドラムなどの音の立下りは早い。
ロックのドラムが、パッシっと決まるのは快感です。

低音を出す秘訣は・・・
私はスピーカーケーブルをステージ用の端子を用いずに
スピーカーのネットワークに直接半田付けしたら、低音のバランスが取れました。

ネットワークとユニットの間も、スピーカーケーブルと同じケーブルで半田付け。
多分、半田の適度な抵抗が、スピーカーに丁度良い負荷になったのではと考えています。
(某サイトでは、電線(Fケーブル)を何百メートルも使ってバランスを取る人も居ましたが、
 単に、それって抵抗じゃなイカ?)
昔からJBLなどの大型SPに抵抗を繋ぐと鳴らしやすいというウワサは聞きます。

因みにスピーカーケーブルはウェスタンエレクトリック社の14Gという錫メッキ線です。
高域が適度にシャラシャラして、ホーンのキツサを抑えてくれます。
クラシックまで聞こうとするならば、錫メッキ線は便利です。

ALLEN&HEATHというイギリスのDJミキサーをプリアンプ変わりに使うと、
帯域を程よく真ん中に集めてくれて、さらにALLENマジックとも言える
独特の艶と響きが加わって、ちょっと手放せなくなります。

使いこなしのミソは、とにかくミキサーで音を絞らずに、
パワーアンプのボリュームで絞る事。
ミキサーのLEDインジケーターはオレンジがチョコチョコ点滅するくらいが、
音が生き生きします。

結局、一般のオーディオでは、パワーアンプに入力する前で
音楽信号を絞ってしまうので、SN比も落ちてしまいますし、
微小信号を扱うプリアンプが、理想的な動作範囲で再生出来ていない事が良く分かります。

■ iTunseはVer7.6 , Windows Xp はSp2 がベスト ■

さて、なんでオーディオの話を長々と書いたかと言うと、
一昨日、出来心で、iTunseのバーションを10.3に上げてしまったのです。

色々なバージョンを試した結果、Ver7.6以降は、中域が薄く、
CDプレーヤーの様なすっきりした音になるのは分かっていましたが、
Appleがあまりに執拗にバージョンアップを薦め、
とうとうiTunseストアーにも入れななくなり、
iTunseの操作画面の下半分もバージョンアップの広告に占拠されるという
Appleのイヤガラセに、とうとう根負けしてのバージョンアップでした。

ところが、何と今度はXPのサービスパック2ではiTunesの10.3は外部スピーカーに音だし出来ない。
XPのサービスパック3は、やはりスカスカの音になるので、
オーディオ用のPCは、苦労してSP3をSP2に戻していました。

結局、HDを一台買い足して、オーディオ用にXPのSP2環境とiTunseのver7.6を再構築する事に。
これが、バックアップファイルを流すだけでは上手く行かず、
結局一晩かけて、ようやく先程、アナログの様なふくよかな音が戻って来ました。

その感動が、ここまで長文を書かせる原動力でしたが・・・そろそろ指が痛いです。
では、秋の夜長を、ビルエバンスの枯葉でも聞きながら・・・。


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投稿者: 人力
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2009/10/21

i-Podオーディオの決定版  オーディオ

■ オーディオの夢の時代 ■

私達が中学、高校の頃は、オーディオのフルセットを揃える事が夢でした。
80年代日本は、オーディオ天国でした。

\79,800のプリメインアンプは激戦区でした。
サンスイのAU−607シリーズを筆頭に、
各社がこの価格帯に利益度外視の様な物量を投入していました。

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\59,800のスピーカーも熾烈な争いでした。
30cmのウーファーをベースにした3ウェイが基本でしたが、
大体、前述の\79,800のプリメインアンプで鳴らしていました。
ONKYOのD-77が分野の先駆者でしょうか。

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CDというデジタルソースの出現で、
ひたすら広帯域、低歪という測定データ重視、
「物量=価値」という単純な時代でした。

■ BOSEという選択肢 ■

その頃、カフェバーのスピーカーと言えばコレ。

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BOSE 301。
白いカフェバーに、白いBOSE。
何となく軟派なイメージがしてヘビーデュティー嗜好の私などは、
あまりBOSEが欲しいとは思えませんでしたが、
友人達の部屋で聞くBOSEは、101も、301も、楽しい音で鳴っていました。

「この高音が」とか、「コンバスの弦の解像度が」などという点ではダメなのですが、
音楽を聴いていて楽しいスピーカーでした。
音楽の「うねり」の様な物を良く表現し、
ボーカルの表情が良く伝わる。

当時を振り返ると、
音楽好きはBOSEや自作フルレンジ(長岡式)を選択し、
機械好きは、国産をカタログスペック重視で選んでいた様に思います。

さて、時代が30年経ち、どちらが優れていたかは自ずと結論が付いていると思います。
国産オーディオはほぼ絶滅の状況にあり、
ミニコンポと一部愛好家向けの高級機だけの市場になってしまいました。

一方、BOSEはホームシアターというフィールドにも進出し、
今でも楽しい音を鳴らし続けています。

■ ハイファイは疲れる ■

私もオーディオに随分と散財しました。
しかし、結局行き着く先はラジオの音。

先日までは、仕事用のデスクトップシステムに、
カナダのスタジオ用のアンプ(BRYSTON B−60)と
イギリスのMONITOR AUDIOの小型スピーカーを組み合わせていましたが、
結局、殆ど使用しませでした。
何故か・・・眼前にミニチュアの音像が並ぶと、煩わしいのです。

そもそも、ステレオ自体が擬似音場でしかありません。
脳は多分、その擬似的な音場を補正して尤もらしく聞かせる為に、
結構な労力を使うのでしょう。

低音も高音も、現実のものとは違います。
すると、脳は又イコライジングでこれに対応しようとします。

ですから、仕事中になまじなハイファイ(死語ですが)を聞くと、
仕事に集中出来ません。

■ yahooオークションで間違って落札したギターアンプ ■

クリックすると元のサイズで表示します

いきなりギターアンプです。
yahooオクでオーディオのアンプのコーナーに間違って出展されていました。

何の気無しに\3,000で入札したら、落札してしまいまいした。
息子にでもあげようと思い、送金したら、商品が届きました・・・。
日本フェンダーの小型のギターアンプです。
5インチのスピーカーが2個搭載されています。
何と、これがセレッションです。

かつて、マーシャルのギターアンプはセレッションを使用していました。
セレッションはイギリスの老舗のスピーカーメーカです。
レーザーによる振動解析を駆使して開発されたSL−600は、
現代スピーカーの原点と言っても過言ではありません。

私もセレッションの音は大好きです。
今でもSL−3を所有していますし、
SL−6とLINNの黒箱で鳴らすビートルズは最高です。

決して鳴りすぎる事が無く、されど聞きたい音は聞こえて来る。
それがセレッションです。

現在は台湾当たりのメーカーに商標を売却してしまって、
名ばかりセレッションですが・・・何となく嬉しい。

さらに、このアンプ、RCAのライン入力が付いている。
スピーカーが2発だから、ステレオ入力に対応する様です。

さらに、ディストーション回路を搭載している。
早速、息子のエレキギターを拝借して、ギュイイイーーンとやったら、
超気持イイ(ギター、弾けません・・・。)
ギュイーーンとアメリカ国家を下手ながら弾けば、気分はジミヘンです。

■ 最高のi-Pod用オーディオ ■

さて、せっかくRCA入力が付いているのでi-Podを繋いでみました。
コードは自作のベルデンのマイクケーブルと、ノイトリックの端子の物です。
ギターアンプでは音量調整出来ないので、i-Pod側で音量調整をします。

・・・イイ・・・凄くイイ・・・。
楽器の音も、ボーカルも自然で聞きやすい。
レンジが狭いので、最近のJ−POPSも破綻無く再生できる。
ボーカルと演奏とのバランスも絶妙。
何と言っても、ギターの音が艶っぽくてGOOD。(そりゃーギターアンプですから)

という事で、フェンダーのギターアンプは私の愛用品となってしまいました。



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タグ: i-Pod オーディオ


投稿者: 人力
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2009/6/6

iPodを侮るなかれ  オーディオ

画像が削除されました

最近は秋葉原はアニメオタクの街になってしまいましたが、
私が学生の頃は、オーディオの専門店が沢山ありました。
大学生になるとオーディオセットを揃えるのが夢でした。

そんな青春時代を過ごしたオヤジの現在のオーディオがこれ。
サブシステムですが、PC用としては結構良い音がします。

■iPodを侮るなかれ■

ソースは何とiPodです。
iPodって実は侮れないんです。
同じ音をCDプレーヤーで再生しようとすると、
もしかすると100万円を越えてしまうかも知れません。

ウッソーとお思いかも知れませんが、
私はWADIAのDAコンバーターを使用していましたが、
iPodをオーディオに繋いだ瞬間売り払いました。

バッファーから読み出される信号を、最短距離でDAコンバーターに送り込み、
それぞれが同じクロックで作動するメリットは絶大です。

デジタル信号の最大の敵はジッターという時間的揺らぎです。
高価なCDプレーヤーやDAコンバーターはジッターをいかに抑えるかが技術の鍵です。

ところが、iPodはモーターの様な駆動部がありません。
ハードディスクモデルも殆どメモリーから再生していて、
モーターが回転している時間は一瞬です。
電力消費を低減させるアイデアがジッターの低減に寄与しています。

さらに、ピックアップやモーターの回転をサーボで制御する必要もありません。
これも電源を揺さぶる要因から開放されています。

そして、最大のメリットはバッテリー駆動である事。
オーディオの電源は電源の揺らぎの無いバッテリー駆動が理想です。
バッテリー駆動は、電源からのノイズの混入とも無縁です。

高級CDプレーヤーが100万以上を費す対策を、
iPodは1万円くらいで出来てしまっています。

■WADIAが認めたiPodの高性能■

日本のオーディオ屋さんは、「iPodなんてオモチャですよ」って切り捨てていましたが、
アメリカ人は合理的で、良いものは良いと認めるようです。
高級CDPの専門メーカーのWADIAがiPodをトランスポートとするシステムを発売してしまいました。

DACはWADIA製で高価ですが、
従来50万以上していたトランスポートをiPodで代用してしまいました・・・。
WADIAの魅力は、輪郭の明確な揺ぎ無い低音ですが、
CDトランスポートよりもiPodの方がジッターが無いのでWADIAの理想とする音になるのでしょう。

これには、専業オーディオメーカーは参ってしまいます。
しかし、将来的に音楽ソースがネット配信に置き換わって行く事を考えると、
CDというフォーマットがかつてのアナログレコードのような立場になります。
WADIAの選択は、実は将来を考えれば、正しい判断です。

■非圧縮ファイルの実力■

iPodに音楽を転送する時、あるいはiTunesに音楽を取り込む時、
ファイルサイズを節約する為にMP3など圧縮ファイルを選択する事が一般的です。

しかし、iPodの実力を発揮する為には、
ファイル形式は非圧縮のWAVファイルが必須条件です。
CD一枚で1Mくらいのファイルサイズになってしまうので、
ハードディスクの容量を浪費しますが、現在の大容量のハードディスクなら、
1000枚程度のCDも入ってしまいます。

非圧縮ファイルで、質の良いヘッドホンでクラシックを聞いてみて下さい。
iPodの高性能に驚愕する事必至です。


■高音質の為のケーブル■


さて、こうして高音質の再生環境が簡単に手に入りました。
ネットでは、「iPod内蔵のアンプは低音質だから、
音楽信号はiPodのヘッドホン端子からオーディオに繋いでも低音質」という人も居ます。

騙されたと思って、BELDENの88760というマイクケーブル使用してみて下さい。
密度の高い、素晴らしい音がします。
私は秋葉原でケーブルを購入して、ノイトリックの端子で自作しましたが、
ネットで評判(賛否両論ですが)の、プロケーブルのネット通販で、
5000円くらいで手に入ります。
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c119

[リバイバル3] EAR の真空管アンプ 中川隆
25. 中川隆[-8638] koaQ7Jey 2019年8月27日 16:23:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4113]
E.A.RアンプもKT-90を搭載したEAR890の音は迫力があり太く逞しい音がするし、EL-34が搭載されたEAR534は切れのある洗練された聴き味で透明感がある。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html#c25
[リバイバル3] マッキントッシュ 中川隆
43. 中川隆[-8637] koaQ7Jey 2019年8月27日 17:21:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4114]
6L6族は穏やかで優しい音。MC240なんて完全にそんな音です。
MC240はMC275にない繊細さや瑞々しさや麗しい美音があるのです。本当にそんな音がします。

MC240は音の弱点が少なく平均点も高い、MC275は低域の迫力満点(!!!) のドスの効いた図太い低音だが、惚けたような低音で、どうしても細部が甘くなる。

MC240はとにかく素晴らしいアンプで、褒めているけれど、自分では買っていない理由は @駆動力がない A温度感がやや低い。という二点に尽きる。

Mcintosh C22ならMC240が相性が良くて、C20ならMC30とかMC60とマッチするそうです。


Mcintosh MC240はすっきりしたフォルムで全高が低めの6L6GCで設計されているので横に出っ張って背が高い6L6Gは使えない。

WE124はWE350Bで設計されていて6L6族はどれでも使えるけど、6L6Gで設計されたアンプは350Bは使えない。

MC240に大きな6L6Gを差してる光景を見ない訳。MC240はRCAとGE 6L6GCが指定管


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/627.html#c43

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
202. 中川隆[-8636] koaQ7Jey 2019年8月27日 17:54:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4115]
2019.08.27
社会が崩壊した米国には自国の企業を受け入れる能力がなくなっている


 カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカの7カ国とEUの首脳がフランスのヌーベル・アキテーヌにあるビアリッツで8月24日から26日にかけて会議を開いた。経済、外交、軍事などあらゆる分野で影響力が低下しつつあるアメリカとそのアメリカに従属する国々の集まりにしか見えない。

 親分とも言えるアメリカの大統領、ドナルド・トランプはアメリカ企業に対して中国から出るように訴えたというが、似たことをバラク・オバマは2011年2月に言っている。当時、オバマは大統領だった。

 オバマはサンフランシスコを拠点とするエレクトロ産業、いわゆるシリコン・バレーの幹部たちと食事をともにしていたのだが、その際、アップルのスティーブン・ジョブスに対して同社のiPhoneをアメリカで生産しないかともちかけたのである。同社はiPhoneだけでなく、iPadやほかの製品の大半を中国など国外で作っている。

 しかし、ジョブスの返事はつれないものだった。​アメリカへ戻ることはない​と言われたのだ。アジアでは生産規模を柔軟に変更でき、供給ラインが充実、そして労働者の技術水準が高いという理由からだという。

 新自由主義に支配されるようになった1970年代の後半からアメリカでは投機家が目先の私的な利益を増やすために製造業を解体して売り飛ばし、仕事は国外へ移動した。1980年に中国が新自由主義へ舵を切り、その中国を支配できると考えたのかもしれない。エリートの子どもがアメリカの大学へ留学するようになったこともアメリカの支配者を安心させたかもしれない。

 アメリカの支配層はターゲット国に手先を作り上げるため、エリートの子どもを留学させてきた。アメリカに従えば地位とカネと快楽が約束されるとすり込むわけだ。そうした快楽には違法行為も含まれ、その行為は記録され、後に脅しの材料に使われる。

 留学先になる大学の水準は維持されているかもしれないが、アメリカでは庶民が通う公的な学校は崩壊状態にある。思考力のある庶民は危険であり、忠誠心だけを養っておけば良いということ。そのための「道徳」である。

 アメリカと同じように日本でも公教育が破壊されているが、その結果、生産現場で必要な中間レベルの技術を持つ人が消滅した。いや、日本でトップクラスと言われる大学を卒業した学生の水準低下もかなり前から指摘されている。

 アメリカ企業が自国へ引き上げても企業を支える基盤が崩壊している。中国から高度な製品を生産する工場を移転させられる国は思い当たらない。教育システムが崩壊しただけでなく、職人の技術が継承されずに韓国や中国などへ流出した日本も無理だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908270000/

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c202

[近代史3] 日本の官僚やアメリカへの留学生はこういう手口でアメリカのエージェントにされる 中川隆
5. 中川隆[-8635] koaQ7Jey 2019年8月27日 17:56:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4116]
2019.08.27
社会が崩壊した米国には自国の企業を受け入れる能力がなくなっている

 カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカの7カ国とEUの首脳がフランスのヌーベル・アキテーヌにあるビアリッツで8月24日から26日にかけて会議を開いた。経済、外交、軍事などあらゆる分野で影響力が低下しつつあるアメリカとそのアメリカに従属する国々の集まりにしか見えない。


 親分とも言えるアメリカの大統領、ドナルド・トランプはアメリカ企業に対して中国から出るように訴えたというが、似たことをバラク・オバマは2011年2月に言っている。当時、オバマは大統領だった。


 オバマはサンフランシスコを拠点とするエレクトロ産業、いわゆるシリコン・バレーの幹部たちと食事をともにしていたのだが、その際、アップルのスティーブン・ジョブスに対して同社のiPhoneをアメリカで生産しないかともちかけたのである。同社はiPhoneだけでなく、iPadやほかの製品の大半を中国など国外で作っている。


 しかし、ジョブスの返事はつれないものだった。​アメリカへ戻ることはない​と言われたのだ。アジアでは生産規模を柔軟に変更でき、供給ラインが充実、そして労働者の技術水準が高いという理由からだという。


 新自由主義に支配されるようになった1970年代の後半からアメリカでは投機家が目先の私的な利益を増やすために製造業を解体して売り飛ばし、仕事は国外へ移動した。1980年に中国が新自由主義へ舵を切り、その中国を支配できると考えたのかもしれない。エリートの子どもがアメリカの大学へ留学するようになったこともアメリカの支配者を安心させたかもしれない。


 アメリカの支配層はターゲット国に手先を作り上げるため、エリートの子どもを留学させてきた。アメリカに従えば地位とカネと快楽が約束されるとすり込むわけだ。そうした快楽には違法行為も含まれ、その行為は記録され、後に脅しの材料に使われる。


 留学先になる大学の水準は維持されているかもしれないが、アメリカでは庶民が通う公的な学校は崩壊状態にある。思考力のある庶民は危険であり、忠誠心だけを養っておけば良いということ。そのための「道徳」である。


 アメリカと同じように日本でも公教育が破壊されているが、その結果、生産現場で必要な中間レベルの技術を持つ人が消滅した。いや、日本でトップクラスと言われる大学を卒業した学生の水準低下もかなり前から指摘されている。


 アメリカ企業が自国へ引き上げても企業を支える基盤が崩壊している。中国から高度な製品を生産する工場を移転させられる国は思い当たらない。教育システムが崩壊しただけでなく、職人の技術が継承されずに韓国や中国などへ流出した日本も無理だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908270000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/322.html#c5

[近代史3] 情けない植民地 日本 _ 日本が世界に誇れないワースト1位の事象 中川隆
7. 中川隆[-8634] koaQ7Jey 2019年8月27日 17:58:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4117]
2019.08.27
社会が崩壊した米国には自国の企業を受け入れる能力がなくなっている

 カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカの7カ国とEUの首脳がフランスのヌーベル・アキテーヌにあるビアリッツで8月24日から26日にかけて会議を開いた。経済、外交、軍事などあらゆる分野で影響力が低下しつつあるアメリカとそのアメリカに従属する国々の集まりにしか見えない。


 親分とも言えるアメリカの大統領、ドナルド・トランプはアメリカ企業に対して中国から出るように訴えたというが、似たことをバラク・オバマは2011年2月に言っている。当時、オバマは大統領だった。


 オバマはサンフランシスコを拠点とするエレクトロ産業、いわゆるシリコン・バレーの幹部たちと食事をともにしていたのだが、その際、アップルのスティーブン・ジョブスに対して同社のiPhoneをアメリカで生産しないかともちかけたのである。同社はiPhoneだけでなく、iPadやほかの製品の大半を中国など国外で作っている。


 しかし、ジョブスの返事はつれないものだった。​アメリカへ戻ることはない​と言われたのだ。アジアでは生産規模を柔軟に変更でき、供給ラインが充実、そして労働者の技術水準が高いという理由からだという。


 新自由主義に支配されるようになった1970年代の後半からアメリカでは投機家が目先の私的な利益を増やすために製造業を解体して売り飛ばし、仕事は国外へ移動した。1980年に中国が新自由主義へ舵を切り、その中国を支配できると考えたのかもしれない。エリートの子どもがアメリカの大学へ留学するようになったこともアメリカの支配者を安心させたかもしれない。


 アメリカの支配層はターゲット国に手先を作り上げるため、エリートの子どもを留学させてきた。アメリカに従えば地位とカネと快楽が約束されるとすり込むわけだ。そうした快楽には違法行為も含まれ、その行為は記録され、後に脅しの材料に使われる。


 留学先になる大学の水準は維持されているかもしれないが、アメリカでは庶民が通う公的な学校は崩壊状態にある。思考力のある庶民は危険であり、忠誠心だけを養っておけば良いということ。そのための「道徳」である。


 アメリカと同じように日本でも公教育が破壊されているが、その結果、生産現場で必要な中間レベルの技術を持つ人が消滅した。いや、日本でトップクラスと言われる大学を卒業した学生の水準低下もかなり前から指摘されている。


 アメリカ企業が自国へ引き上げても企業を支える基盤が崩壊している。中国から高度な製品を生産する工場を移転させられる国は思い当たらない。教育システムが崩壊しただけでなく、職人の技術が継承されずに韓国や中国などへ流出した日本も無理だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908270000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/325.html#c7

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
23. 中川隆[-8633] koaQ7Jey 2019年8月27日 17:58:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4118]
2019.08.27
社会が崩壊した米国には自国の企業を受け入れる能力がなくなっている

 カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカの7カ国とEUの首脳がフランスのヌーベル・アキテーヌにあるビアリッツで8月24日から26日にかけて会議を開いた。経済、外交、軍事などあらゆる分野で影響力が低下しつつあるアメリカとそのアメリカに従属する国々の集まりにしか見えない。


 親分とも言えるアメリカの大統領、ドナルド・トランプはアメリカ企業に対して中国から出るように訴えたというが、似たことをバラク・オバマは2011年2月に言っている。当時、オバマは大統領だった。


 オバマはサンフランシスコを拠点とするエレクトロ産業、いわゆるシリコン・バレーの幹部たちと食事をともにしていたのだが、その際、アップルのスティーブン・ジョブスに対して同社のiPhoneをアメリカで生産しないかともちかけたのである。同社はiPhoneだけでなく、iPadやほかの製品の大半を中国など国外で作っている。


 しかし、ジョブスの返事はつれないものだった。​アメリカへ戻ることはない​と言われたのだ。アジアでは生産規模を柔軟に変更でき、供給ラインが充実、そして労働者の技術水準が高いという理由からだという。


 新自由主義に支配されるようになった1970年代の後半からアメリカでは投機家が目先の私的な利益を増やすために製造業を解体して売り飛ばし、仕事は国外へ移動した。1980年に中国が新自由主義へ舵を切り、その中国を支配できると考えたのかもしれない。エリートの子どもがアメリカの大学へ留学するようになったこともアメリカの支配者を安心させたかもしれない。


 アメリカの支配層はターゲット国に手先を作り上げるため、エリートの子どもを留学させてきた。アメリカに従えば地位とカネと快楽が約束されるとすり込むわけだ。そうした快楽には違法行為も含まれ、その行為は記録され、後に脅しの材料に使われる。


 留学先になる大学の水準は維持されているかもしれないが、アメリカでは庶民が通う公的な学校は崩壊状態にある。思考力のある庶民は危険であり、忠誠心だけを養っておけば良いということ。そのための「道徳」である。


 アメリカと同じように日本でも公教育が破壊されているが、その結果、生産現場で必要な中間レベルの技術を持つ人が消滅した。いや、日本でトップクラスと言われる大学を卒業した学生の水準低下もかなり前から指摘されている。


 アメリカ企業が自国へ引き上げても企業を支える基盤が崩壊している。中国から高度な製品を生産する工場を移転させられる国は思い当たらない。教育システムが崩壊しただけでなく、職人の技術が継承されずに韓国や中国などへ流出した日本も無理だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908270000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c23

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
263. 中川隆[-8632] koaQ7Jey 2019年8月27日 18:57:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4119]
縄文人・アイヌ人は 「第1層」D1b2b でアイヌ語を話していた

四川省の涼山に住むイ族・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人は「第1層」 D1b1 で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は「第2層」 O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた

四川省の涼山に住むイ族=九州縄文人 は「第1層」で Y-DNA は D1 だけど、農耕を取り入れていたからややこしく見えるのですね

埴原和郎の「二重構造モデル」 では

「縄文人」=「第1層」の南方系で寒冷地適応していない古モンゴロイド、狩猟民
「弥生人」=「第2層」の北方系で寒冷地適応した新モンゴロイド、農耕民

としている。

しかし、九州の縄文人=四川省のイ族 は「第1層」の南方系で寒冷地適応していない古モンゴロイドだけど焼畑農耕をやっていたので「3重構造モデル」が正しい
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c263

[リバイバル3] 卵の白身を生で食べるとハゲになる 中川隆
1. 中川隆[-8631] koaQ7Jey 2019年8月28日 07:56:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4120]
【業務用】 18-0 黄身 取り 器 C-9613
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https://www.amazon.co.jp/gp/product/B003BVJQPK/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/986.html#c1
[リバイバル3] 音がわからないアホ・オーディオマニアが良く引用する「オーディオの科学」の何処がおかしいか 中川隆
34. 中川隆[-8630] koaQ7Jey 2019年8月28日 08:01:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4121]
ケーブルの差は、電源ケーブルとSPケーブルに一番大きな差が生まれます。
電源ケーブルは、そこまでどのような経緯を経て電源が供給されていようと、一番最後のケーブルに音は支配されると言うことです。

GRFのある部屋 2019年 08月 26日
https://tannoy.exblog.jp/30756863/

田舎に里帰りしていたのびーさんが、日曜の夕方寄ってくれました。前回来られたのは、5月の末でしたからその間も、お仕事では来られているのでしょうが、拙宅にはほぼ三ヶ月ぶりですね。相変わらずのフルスケージュールの間を縫ってきていただきました。


今回は、よく効く空調のほかは、銀端子ぐらいしか差はありませんが、早速お聞きいただくと、音が全く違っているとすぐに言われました。今回は、比較のために何時ものMITのSPケーブルも外して、全部銀コーティング線と銀コーティング端子にして聞いていただきました。

私自身は、後方の40は最初は外して比較していただくつもりでしたが、後方のSPもなっているのに気がつかず、比較試聴していたぐらい、後ろのSPもなじんでいました。怪我の功名的ですが、後方のSPの自然さが証明されたようです。

しかし、四本全部を銀ケーブルにすると、音がなめらかすぎて、何かが物足らなくなります。そこで、アンプからDDDのネットワークまでの線を何時ものMITに戻しました。その変化にはのびーさんも驚き、型番を写真に撮ると、猛然と世界中のサイトにアクセスして探し始めました。すると似たようなケーブルとか後継機種のケーブルは見つかりますが、私が使っている初期のMITはやはり見つかりません。のびーさんは今更のようにMITケーブルの根強い人気に驚かれていました。

Oさんも、そうして粘り強く探されて見つけているので、そのうち見つかると励ましました(笑)。気をつけなければ行けないのは、後継機種と同じ番号ででている事もあります。初期のタイプでないと、このマジックは生まれません。また、その前のインターコネクトケーブルも同じレベルのグレードにしないと音の品位が揃わないのです。

ようやく見つけたと、写真も見せてくれましたが、やはり型番はまったく同じの後期の製品です。気をつけなければなりませんね。初期型は、型番の表示が地味なのです。後期になるほど、ブランドを強調するロゴになりますが、その分、音が変わっていきます。スペクトラルのアンプ類には、MITが純正ケーブルに指定されていますが、それさえも初期型で無ければなりません。

返還前の香港にそのMITケーブルを買いに出かけた話は、以前もしましたが。そういえば、電源の違いを比較するときも、最後はケーブルの差の方が大きいということになりました。ケーブルの差は、電源ケーブルとSPケーブルに一番おきな差が生まれます。電源ケーブルは、そこまでどのような経緯を経て電源が供給されていようと、一番最後のケーブルに音は支配されると言うことです。また、SPからのフィードバックの影響を最小にしたMITのケーブルは、先日実験したSA回路などと同じ効果が認められます。すなわち音のバランスを整えるのですね。

f0108399_12035511.jpg

MITに戻したので、ケーブルが一つ空き、それは後方のTroubadour40用に使ったところ、その差も大きく、コンサートホールの響きの一体感がましました。音の整合性が合ったのでしょう。面白い物です。

そのあたりまで、進んだところで、パグ太郎さんも参戦。後方SPの実験はパグ太郎さん邸でも行っているので、同じ実験効果が得られたそうです。また、HRS-130のDDDとウーファーの別の端子を結ぶ、ジャンパー線も銀ケーブル、銀端子に変えたところ、めざましい進展が合ったそうです。バイワイアーも試されたそうですが、こちらの短い線の効果の方が大きいと言われました。

家のT4も同じ結果です。HRS-130のジャンパー線は、線ではなくWBTのプレートせいが付いていてのですが、それを銀線・銀ケーブルに変えたら、うれしくなるほど音楽性が増したそうです。揃ったところで、よく冷えたPoully Fuisseを出してきました。最近は、開けると飲みきらなければいけないワインを控えて、ひとりでちびりちびりやれる日本酒を氷で割って飲んでいるので、こうしてお酒を飲まれる方が来られないとワインが開けられません。


f0108399_10445782.png


ジャンパー線の効果を確かめていただくため、先日もパグ太郎さんに聴いていただいた、アバド・ルツェルンのマーラーとクリス・ボッティーのボストン、RIOのダイアナ・クラール等々を見てから、桑田佳祐の一人紅白のBlurayを見始めました。前回とは全く違う音にパグ太郎さんもご機嫌です。

のびーさんとは前回はブルゴーニュの赤ワインを開けましたが、今日の二本目は、その日本酒、「七田 純米吟醸 雄町50」の一升瓶を開けました。このフランスでグランプリを取ったフランス人好みの酒は、淡麗辛口の反対ですので、夏には美味しい氷でロックで飲むと凄く飲みやすくお薦めです。

一人紅白の迫力ある音も、T4は軽々と再生します。ケーブルと端子、ジャンパー線でこれほど変わると驚きますね。一連の銀端子騒動は、大変良い結果をもたたらしてくれました。残っていたワンペアーの銀端子は、そのままロンドンにお持ち帰りになりました(笑)。

今年の夏の最後の会はこうして楽しく終わり、お二人を表まで見送ると、空気は乾燥して秋の気配を感じることが出来ました。美味しいお酒と楽しい音楽、これが出来るオーディオは本当に楽しいですね。
https://tannoy.exblog.jp/30756863/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/881.html#c34

[経世済民133] 画期的「折りたたみ洗濯機」が話題に…8千円台、持ち運びも楽チン(Business Journal ) 赤かぶ
4. 中川隆[-8629] koaQ7Jey 2019年8月28日 08:12:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4122]

コンパクト 洗濯機 小型 脱水 自動 容量1.8kg
[クツも洗える小型洗濯機
価格: ¥7,780
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88-%E5%AE%B9%E9%87%8F1-8kg-%E3%82%AF%E3%83%84%E3%82%82%E6%B4%97%E3%81%88%E3%82%8B%E5%B0%8F%E5%9E%8B%E6%B4%97%E6%BF%AF%E6%A9%9F-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97-%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%80%90%E5%9B%BD%E5%86%85%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC12%E3%82%AB%E6%9C%88%E4%BF%9D%E8%A8%BC%E3%80%91/dp/B07VV7N72D/ref=pd_lpo_sbs_265_t_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=NVRFWGH66YJ21GV8TXQK

■コンパクトなのにしっかり機能
コンパクトサイズながら、通常の洗濯機と同じく「洗う」「すすぐ」「脱水」が可能です。
付属のホースで水道に繋いで、後は排水可能なバケツなどを用意すればどこでも洗濯をする事ができます。

機能
・洗う
・すすぐ
・脱水

洗濯時容量:最大 (約)1.8 kg
脱水時容量:最大 (約)1.0 k


http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/106.html#c4

[リバイバル3] 電子レンジで油やタンパク質を加熱してはいけない 中川隆
5. 中川隆[-8631] koaQ7Jey 2019年8月28日 09:10:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4120]
ヘルシオ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA


ヘルシオ(Healsio)は、2004年(平成16年)にシャープが大阪府立大学と共同開発した家庭向けウォーターオーブンの名称。同社の登録商標(日本第4880212号ほか)である。2005年(平成17年)、産学官連携功労者表彰を受賞。2012年(平成24年)に「ヘルシオ炊飯器」を発売したことでキッチン家電(調理家電)のブランド名称に発展している。

電子レンジのようにマイクロ波で調理するのではなく、300度以上に加熱した過熱水蒸気で調理するのを特徴とし(シャープは「水で焼く」と表現[1])、ぱさつかず、しっとり仕上がると同時に脂が落ちて減塩ができるというのが売りである。名前の由来も「ヘルシー」と「減る塩」からネーミングされた[2]。

当製品の発売前までは、過熱水蒸気オーブン(ウォーターオーブン)は、ホテルなどの業務用でしか使用されていなかったが、100V電源(商用電源)での使用に成功した当製品の発売と同時に、家電業界に大きな反響を呼んだ。発売直後の売れ行きは好調で、後に各社からスチーム機能搭載のオーブンレンジが発売されるようになり、スチームオーブン市場を広げるきっかけとなった。

初代は、電子レンジ機能がついていなかったため温める機能が弱く、冷めたご飯を温めるのにも15分以上が必要だった。ユーザーからの電子レンジ機能に対する要望は強く、また調理時間についても、もっと短縮してほしいという声が強かった。そのため、第2世代以降は電子レンジ機能が搭載され、水蒸気を加熱するヘルシオエンジンも改良されて調理時間が短縮された。2代目、3代目に付属していた過熱水蒸気調理用の皿(第5世代以降は廃止された)を電子レンジ機能で使うと、本体の破損の恐れがあったため注意が必要だった。

「暮しの手帖」誌の商品テストでは、焼き物ではガス器具での調理より風味の点で劣り、蒸し物はおいしく出来るが、健康面での効果は余り期待できないなど、「調理器具としては完成度は低い」という結果が掲載されたこともある。しかし、使い手の感想はおおむね蒸し物や肉料理、魚料理に対して良好である。ただ、魚を調理した場合、匂いが庫内に残ることが気になる点として挙げられているが、脱臭スプレーを使った拭き掃除により除去は可能である[3]。

なお、脱油・減塩・ビタミンC保存・栄養素保持・細胞破壊抑制・酸化抑制効果は第三者機関によって証明されており、油の付着やニオイを防ぐ「脱臭クリーンコート」を採用し清潔面も強化されている。また、蒸気の力で汚れを溶かし、サッとふき取るだけの「庫内クリーン機能」を搭載している。

世代ごとの特徴

発売時期は#機種参照。

第5世代

フラッグシップモデルのAX-X1に3.5型のカラー液晶を搭載すると共に、従来別売りだった蒸気排気ダクトを本体に内蔵したことで上部10cm以上のスペースがあれば設置が可能に。また、大量の蒸気を生かし、食器類やキッチン類を手軽に除菌できる「除菌機能」が追加された。また、この代より名称を再び「ヘルシオ」に統一すると共に、スタンダードモデルのAX-S1と普及モデルのAX-L1の3機種をラインナップする。

第6世代

前世代同様の3機種のラインナップだがAX-X1の後継モデルのAX-X2では業界最多の288の自動メニューをもち、健康状態から5つの項目から料理を選べる「健康サポートメニュー」を追加。豊富なメニューから素早く選べるように検索機能も加わった。また、前世代では上級モデルのみであった内蔵型蒸気排気ダクトを全機種に拡大。また、ホワイトバックライト液晶と118の自動メニューを搭載するスタンダードモデルのAX-G1と容量26Lのコンパクト設計と厳選した42種類の自動メニュー、野菜をイメージした3色のボディカラーを設定したシンプルモデルのAX-M1をそろえた。


第7世代

ラインナップを刷新。上級モデルのAX-PX1ではさらに大きくなった4.3型ASVカラー液晶をタッチパネル式とし、直感操作ができる「ヘルシオタッチ」を可能にした上、基本的な操作方法や入門メニューの調理方法などを画面で解説する「ヘルシオ教室」も搭載した。また、家庭では調理が難しかった70~95℃の温度帯で蒸気を自動コントロールする「ソフト蒸し」調理機能を搭載し、自家製ハムや温泉卵も簡単に調理できるようになった。さらに、調理時間の短縮を図るため、庫内上面と左右側面から蒸気を噴射するトリプル噴射方式を採用した。普及モデルのAX-GX1は庫内奥面と右側面から蒸気を噴射するダブル噴射方式にすると共に、液晶サイズを3.0型に大型化。シンプルモデルのAX-MX1も液晶サイズを3.0型に大型化すると共にホワイトバックライト液晶になった。なお、AX-PX1とAX-MX1には最近のキッチンのトレンドに合わせた新色「ステラホワイト」をラインナップした(AX-GX1にもホワイト系を設定)。さらに、2011年1月には追加モデルとして、小型冷蔵庫のトップテーブルにも設置できる奥行40cmのコンパクトモデルAX-CX1を発売。AX-CX1にもレッド系のほかに、ホワイト系の「ステラホワイト」が設定される。この世代以降、電子レンジ機能では出力1000Wに設定した場合、加熱時間の上限が3分に制限され、また庫内灯は点灯しない。

第8世代

第7世代と同じラインナップ(PX・GX・MX・CX)としているが、フラッグシップモデルのAX-PX2では携帯電話やスマートフォンで撮影した写真を赤外線通信を利用して本体へ送信した後、手書きのメニュータイトルや加熱条件と共に最大25件までオリジナルメニューを登録できる「マイヘルシオ」を搭載し、魚を骨まで柔らかく調理し、丸ごとカルシウムを摂取できる「骨まで柔らか」機能を追加。さらに、トリプル噴射エンジンはエンジンそのものを薄型化し、過熱水蒸気の発生効率を高めたことで過熱水蒸気の熱量をPX1比10%アップし、調理時間の短縮を実現。普及モデルのAX-GX2にはPX系に搭載されていた「ソフト蒸し」機能を新搭載し、ダブル噴射エンジンはダブルヒーターエンジンと新型ファンの搭載により調理時間の短縮を実現。1段調理タイプのAX-MX2には新たに除菌機能を搭載。一人暮らしに最適な18LコンパクトモデルのAX-CX2は液晶部をホワイトバックライト液晶に変更し、本体色にはピンク系の「スウィートピンク」を追加した。

第9世代

第7・8世代と同じラインナップ(PX・GX・MX・CX)としているが、全機種共通で、食材を角皿にのせ、ボタンを押すだけで手早く同時調理できる「カンタン焼き/カンタン蒸し」を搭載。フラッグシップモデルのAX-PX3はタニタ食堂の「500kcal定食」10メニューと美容に効果があるとされる栄養素を多く含む「美容サポートメニュー」51メニューを追加。「500kcal定食」は1食分のメニューを簡単に同時調理ができ、さらに、過熱水蒸気を用いるためメニューによっては通常調理よりも更なるカロリーダウンが可能となっている。また、スマートフォン専用に開設した「ヘルシオサイト」から、本体には搭載されていない旬の食材を使ったメニューや歳時メニューをダウンロードし、赤外線通信を利用して送信することで最大25メニューを追加で登録でき、一度登録すれば、次回からはメニューから選んで調理をスタートすることができる。さらに、エンジン部分に「スイングダンパー方式」を採用した「ターボ直噴エンジン」を搭載。上段だけの一段調理時にダンパーを閉めることで上段の空間に過熱水蒸気を集中噴射することが可能になったことで調理時間の短縮が可能となった。普及モデルのAX-GX3は断熱構造エンジンの採用により過熱水蒸気の発生効率をアップし、庫内温度の上昇を早めたことで調理時間を短縮。自動メニューに「美容サポートメニュー」17メニューを追加した(「美容サポートメニュー」17メニューは1段調理タイプのAX-MX3、コンパクトタイプのAX-CX3にも搭載)。コンパクトモデルのAX-CX3はディスプレイを2.6インチに大型化した。


第10世代

ラインナップを刷新。PX3後継のプレミアム・ファミリータイプであるSP1は大量の水蒸気を発生させる「パワーアップ1,350Wエンジン」とPX3との体積比で約28%小さくすることで過熱水蒸気の発生効率を高めた「薄型過熱水蒸気ダクト」からなる「エコ技ターボ噴射エンジン」の採用により、過熱水蒸気をすばやく集中噴射させることで調理時間をPX3に比べて最大約40%短縮。例えば、鶏の照り焼き(4人分)の場合、第1世代のHC1で約29分かかっていたのが、第10世代のSP1では半分以下の約12分で調理ができるようになった。さらに、「ココロエンジン」も搭載され、癒しの言葉を話したり、タイミングよく操作のアシストを行ううえ、自動メニューの対象メニューに「聞いて」ボタンも配置し、料理にあわせた役立つ提案を音声で知らせてくれる。この他、GX3後継のスタンダードタイプGA1は「カンタンお菓子メニュー」を新たに搭載し、ディスプレイを3.5インチに大型化。プレミアム・アクティブシニアタイプの位置づけとなったMX3後継のSA1はディスプレイを4.3インチに大型化してタッチパネルを搭載。さらに、トップ画面はボタンや文字を大きめにして操作しやすくし、SP1同様、癒しの言葉を発したり調理終了を知らせる「ココロエンジン」も搭載。魚を骨まで柔らかく調理し、丸ごとカルシウムを摂取できる「骨まで柔らか煮」機能も追加し、ボディカラーも新たにブラウン系を追加した。CX3後継のコンパクトタイプCA1はメニュー数(クックブック・自動)を増やしたマイナーチェンジ程度である。

第11世代

SP1後継のプレミアムモデルXP100において、大量の水蒸気を発生させる「パワースチームジェネレーター」、天板と背面にある3つのヒーターで過熱水蒸気を発生させる「トリプルウォーターヒートシステム」、回転数や回転方向をきめ細かく制御できる「回転ファン」、上下段の気流を仕切る「スウィングダンパー」で構成された「3ドライブハイパワーエンジン」を搭載。これにより、「2段均一加熱」、第9世代以降で可能となった「上段集中加熱」に加え、下段はスチームを満たして蒸し調理、上段は過熱水蒸気を噴射した焼き調理の「上下2段別加熱」が可能となった。さらに、庫内幅をSP1に比べて5cm長くしてワイド庫内にする一方、SP1に比べて設置面積を約22%縮小してコンパクト化した。さらに、液晶ディスプレイは「でかボタン」への切り替えが可能なほか、「でかボタン」設定時のみ、背景色を黒に変更できるうえ、ボタンの並び替えも可能となった。また、ファンデリーの管理栄養士との共同開発による「ヘルシー食メニュー」を新たに搭載した。この「ヘルシー食メニュー」はXP100のみならず、GA100・SA100・CA100にも搭載される(機種によりメニュー数が異なり、XP100は30メニュー、SA100は15メニュー、GA100は10メニュー、CA100は6メニューを搭載する)。これにより、全機種で自動メニュー数・クックブック掲載メニュー数ともに増加した。2015年2月には、プレミアムモデルのXP100をベースに、本体のドアを開ける又はスマートフォンアプリ「ココロボ〜ド」からメニューを提案し、選択したメニューの食材リストから必要な食材を選択して自動作成する「買い物リスト」、「ヘルシオレシピ」に掲載の新着メニューや特集メニューをスマートフォンから本体へダウンロードし、トップ画面に「新着メニュー」を表示して、すぐに調理を開始できるクラウド機能「ともだち家電」に対応したXP1WFを追加発売した(本機種は受注生産で、「ともだち家電」を利用するには、プッシュボタン方式を採用した無線LANルーターなどの無線LANアクセスポイントとスマートフォン又はタブレット端末(Android/iOSどちらでも可能)を用意し、常時接続のブロードバンド回線(光回線を推奨、インターネットに接続する度にID認証が行われる方式では不可)が必要。また、スマートフォンアプリ「ココロボ〜ド」のダウンロードと「SHARP i CLUB」の会員登録も必要である。必要な準備が整ったら宅内無線LANでスマートフォン又はタブレット端末と接続し、ダウンロードした「ココロボ〜ド」を起動して「SHARP i CLUB」のシャープIDとパスワードでログインし、ともだち家電として登録し、「ココロボ〜ド」のボードに招待することで利用可能となる)。

第12世代

最上位モデルのXP200において、「ウォーターヒート技術」・「温度センサー」に加えて、庫内天面に配置した「赤外線ムーブセンサー」を組み合わせた自動調理機能「まかせて調理」を日本国内の家庭用100Vオーブンレンジで初めて搭載。この機能は温度が低い食材により多くの熱を与える加熱水蒸気の特性、「赤外線ムーブセンサー」による食材の温度検知(右・中央・左のエリア別検知)、「温度センサー」による食材の量検知により、好みの食材や分量を角皿に並べて、4つの調理方法(網焼き・揚げる、焼く、炒める、蒸す・ゆでる)から選択するだけで、温度(冷凍・冷蔵・常温)が異なる食材が混在しても、分量の多少があっても関係なく自動調理ができるようになった。また、予熱温度まで一気に素早く加熱することによってウォーターオーブンと熱風コンベクションオーブンの2種類の手動オーブン機能で300℃のハイパワー設定が可能となり、上段集中加熱により8〜10分で調理できる「スピードメニュー」は100種類に増やし、上段を過熱水蒸気加熱、下段をパワースチーム加熱で調理する「焼き・蒸し同時メニュー」には「カンタンスイーツ」やファンデリーの管理栄養士との共同開発メニューを追加。GA100後継のSP200は噴射方式が庫内天面と奥面2箇所のトリプル噴射方式となり、「焼き・蒸し同時メニュー」、「スピード100メニュー」、最高300℃まで設定できる2種類の手動オーブン(熱風コンベクションオーブン/ウォーターオーブン)機能を搭載。さらに、「せいろ蒸し」・「骨までやわらか煮」・「サックリ解凍/全解凍」も追加され、「蒸し物セットメニュー」と「自動モーニングセット」が2段調理に対応した。SA100後継のMP200はディスプレイをタッチパネル式カラー液晶から大型ドット文字を採用したホワイトバックライト液晶に変更し、「サックリ解凍/全解凍」を搭載した。なお、XP200/SP200/MP200の3機種は横幅49cm・奥行43cm(MP200は43.5cm)のコンパクト設計ながら庫内幅41cmのワイド庫内を実現した。高さ34.5cmのコンパクトモデルCA200には全解凍機能を搭載した。2015年10月には、XP1WF後継の「ともだち家電」対応モデルXP2WFを追加発売した(XP1WF同様に受注生産となっており、「ともだち家電」を利用するための必要環境もXP1WFと同じである)。

第13世代

XP200の後継機種となる最上位モデルのXW300には、音声認識機能と無線LANモジュールが搭載されており、対話形式で献立の相談をすると、AI(人工知能)が季節や天気の情報と調理履歴などを考慮しながら、クラウド上に保存されているメニューから提案するクラウドサービス「COCORO KITCHEN(ココロキッチン)」に対応(なお、利用の際は、プッシュボタン方式の無線LANアクセスポイント機器を用いた無線LAN接続が必要)。また、クラウドサービスと同名のスマートフォン専用アプリから調理データのダウンロードが可能で、ヤフーのスマートフォンアプリ「myThings」との連携にも対応している(連携利用の際は事前に「Yahoo! JAPAN ID」が必要)。また、AIが献立の相談内容や利用状況によって家族の嗜好を自動的に学習し、一定のルールに従った対話を行えば、食材の異なる表現なども対話をしながら学習し、次回からその表現も用いてその食材の入ったメニューの提案も可能である。また、自動メニューに関してはXP200ではメニューごとに都度設定していた分量や仕上がり具合を、2回目に使用するときに前回設定した内容を自動反映して音声で知らせることで、設定作業を簡素化した。「まかせて調理」も改良され、上段でのおかず調理に加えて、「網焼き・揚げる」又は「焼く」を選択した場合に限り、下段で炊飯(最大2カップ分まで)の同時調理が可能となった。2016年10月には、家電向けに開発したクラウドシステムを介し、管理栄養士によるワンポイントアドバイスや食品メーカーの広告(広告を視聴するとポイントが付与され、貯まったポイントを景品に交換できるサービス「ポイント家電」も開始される)などを受けることが可能なキッチン向け情報配信サービスを開始した。本サービスを受けるには、XW300を無線LANでインターネットに接続する必要がある。

本世代では、MP300の上位機種にあたる庫内容積26Lのアクティブシニア向けモデルAP300を追加。AP300は第12世代の最上位モデルXP200に搭載されていた「ココロエンジン」や「まかせて調理」を搭載するほか、角皿にアルミ素材を用いて軽量化した「ラクラク軽量角皿」を採用した。

さらに、全機種においてドライフードが作れる機能が追加され、油で揚げない「チップス」(MP300/CA300は手動メニューで搭載)が作れるほか、SP300とXW300は「セミドライ」や「おつまみ」も可能な3モード仕様である。

また、CA200後継のコンパクトモデルCA300はカラーバリエーションが変わり、CA200のレッド系に替わり、ブラック系が新たにラインナップされた。


第14世代

XW300の後継機種であるXW400は、高火力ヒーターで強力に加熱した過熱水蒸気を庫内天板から食材に直噴射することで食材の表面に短時間で焦げ目をつけることが可能なあぶり焼き機能を日本国内の家庭用100Vオーブンレンジで初めて搭載した。

AP300の後継機種であるAW400は、第13世代の最上位機(XW300)で搭載した「まかせて調理」、音声認識機能、無線LANモジュールを搭載し、「COCORO KITCHEN」にも対応。ディスプレイは4.3型に大型化・カラー化し、タッチパネルも搭載した。XW400とAW400には、ドアを閉める際の衝撃を少なくし、静かにやさしく閉まるソフトダンパーを採用した。

第15世代

XW400・AW400の後継機種となるXW500・AW500は既対応の「COCORO KITCHEN」においてスマートスピーカーによる音声対話に対応(第13世代のXW300、第14世代のXW400/AW400でも対応している)。

XW500は「まかせて調理」が改良され、上段で「まかせて調理」を行いながら下段で惣菜のあたためを行うことが可能となり、上段が「網焼き・揚げる」、「焼く」、「炒める」の場合は揚げ物惣菜のあたため、上段が「蒸す・ゆでる」の場合は蒸し物惣菜のあたためが可能である。また、高温と低温を組み合わせた「あぶり芳醇焼き」が搭載され、まず、過熱水蒸気で一気にあぶって表面を焼き固め、その後庫内を蒸気で満たして温度を下げ、低温でじっくり加熱。これにより、大きさにバラつきがあるかたまり肉(350g〜800g)の自動調理が可能となった。

AS400の後継機種となるAS500は新たに「まかせて調理」が搭載された(なお、AS500では、調理法の選択に加え、冷凍食材の有無を手動で選択する必要がある)。

8月には、13世代のSP300以来となる2段調理対応の普及モデルXS500を追加設定。XS500は「ヘルシオ」では初となる手動のウォーターオーブンやウォーターグリル調理での過熱水蒸気量調節機能が新たに搭載され、加熱前と調理中で3段階に調節可能となった。また、XW500同様に「まかせて調理」が搭載されており、下段で惣菜のあたためを同時に行うことが可能だが、XS500ではAS500同様に冷凍食材の有無を手動で選択する必要があり、下段の惣菜のあたためは「冷凍なし」で、上段が「網焼き・揚げる」、「焼く」、「炒める」のいずれかを選択した場合に、揚げ物惣菜のみ可能である。

また、CA400の後継機種となるコンパクトモデルのCA450も同時に設定された。

第16世代

XWとAWをモデルチェンジ。AIoTクラウドサービス「COCORO KITCHEN」の進化により、食材と手段を声で伝えると調理方法が、調理履歴や使い方に応じて話しかけなくても「ヘルシオ」側から使いこなしのワザが音声でアドバイスする機能が搭載された。また、大量の蒸気を用いて80℃前後の低温で包み込むように青野菜類やキノコ類を蒸し、100g〜300gまでの自動調理に対応した「低温蒸し青野菜」機能と、絶対湿度センサーによって食材の蒸気から食材の仕上がり状態を見極めることで耐熱容器に食材と調味料を入れてスタートするだけで自動調理が可能なレンジ機能「レンジで1品」を搭載。副菜向けの「5分おかず」、煮物向けの「かんたん煮物」、乾麺の状態から調理可能な「カンタンパスタ」など15種類のメニューが用意されている。

機種

第1世代(2004年発売) ヘルシオ AX-HC1 ... 26L、自動126メニュー

第2世代(2005年発売) ... 酸素濃度1%、電子レンジ機能追加 ヘルシオ AX-HC2 ... 26L、カラー液晶
ヘルシオ AX-HT2 ... 20L

第3世代(2006年発売) ... 酸素濃度0.5% ヘルシオプロ AX-1000 ... 30L、2段調理
ヘルシオ AX-HC3 ... 26L
ヘルシオ AX-HT3 ... 20L

第4世代(2007年9月発売) ... 酸素濃度0.1% ヘルシオプロ AX-2000 ... 30L、自動245メニュー、クックブック345メニュー、2段調理
ヘルシオ AX-HC4 ... 26L、自動210メニュー、クックブック257メニュー
ヘルシオ AX-HT4 ... 20L、自動165メニュー、クックブック203メニュー

第5世代 (2008年9月発売) ... 全機種 2段調理 ヘルシオ AX-X1 ... 30L、自動275メニュー、クックブック369メニュー、除菌機能、蒸気ダクト内蔵、カラー液晶
ヘルシオ AX-S1 ... 30L、自動126メニュー、クックブック247メニュー
ヘルシオ AX-L1 ... 30L、自動82メニュー、クックブック189メニュー

第6世代(2009年発売) ... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-X2 ... 30L、自動288メニュー、クックブック381メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶
ヘルシオ AX-G1 ... 30L、自動118メニュー、クックブック223メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-M1 ... 26L、自動42メニュー、クックブック78メニュー

第7世代(2010年8月発売、CX1は2011年1月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-PX1 ... 30L、自動293メニュー、クックブック372メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶
ヘルシオ AX-GX1 ... 30L、自動136メニュー、クックブック232メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-MX1 ... 26L、自動71メニュー、クックブック97メニュー
ヘルシオ AX-CX1 ... 18L、自動49メニュー、クックブック82メニュー

第8世代(2011年8月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-PX2 ... 30L、自動299メニュー、クックブック351メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶
ヘルシオ AX-GX2 ... 30L、自動145メニュー、クックブック229メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-MX2 ... 26L、自動76メニュー、クックブック103メニュー、除菌機能
ヘルシオ AX-CX2 ... 18L、自動51メニュー、クックブック82メニュー

第9世代(2012年8月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-PX3 ... 30L、自動352メニュー、クックブック429メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶
ヘルシオ AX-GX3 ... 30L、自動145メニュー、クックブック254メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-MX3 ... 26L、自動94メニュー、クックブック143メニュー、除菌機能
ヘルシオ AX-CX3 ... 18L、自動75メニュー、クックブック122メニュー

第10世代(2013年8月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-SP1 ... 30L、自動381メニュー、クックブック431メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン、エコ技ターボ噴射エンジン
ヘルシオ AX-GA1 ... 30L、自動195メニュー、クックブック276メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-SA1 ... 26L、自動124メニュー、クックブック161メニュー、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン
ヘルシオ AX-CA1 ... 18L、自動88メニュー、クックブック135メニュー

第11世代(2014年8月〜9月、2015年2月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-XP1WF ... 30L、自動403メニュー、クックブック446メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン、ともだち家電
ヘルシオ AX-XP100 ... 30L、自動403メニュー、クックブック446メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン
ヘルシオ AX-GA100 ... 30L、自動209メニュー、クックブック307メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-SA100 ... 26L、自動156メニュー、クックブック213メニュー、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン
ヘルシオ AX-CA100 ... 18L、自動102メニュー、クックブック165メニュー

第12世代(2015年7月、同年10月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-XP2WF ... 30L、自動430メニュー、クックブック488メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン、ともだち家電
ヘルシオ AX-XP200 ... 30L、自動430メニュー、クックブック488メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶、ココロエンジン、まかせて調理
ヘルシオ AX-SP200 ... 30L、自動246メニュー、クックブック350メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-MP200 ... 26L、自動122メニュー、クックブック206メニュー、除菌機能
ヘルシオ AX-CA200 ... 18L、自動102メニュー、クックブック166メニュー

第13世代(2016年7月〜9月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-XW300 ... 30L、自動421メニュー、クックブック464メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理
ヘルシオ AX-AP300 ... 26L、自動166メニュー、クックブック249メニュー、除菌機能、ココロエンジン、まかせて調理
ヘルシオ AX-SP300 ... 30L、自動245メニュー、クックブック348メニュー、2段調理、除菌機能
ヘルシオ AX-MP300 ... 26L、自動139メニュー、クックブック212メニュー、除菌機能
ヘルシオ AX-CA300 ... 18L、自動108メニュー、クックブック171メニュー

第14世代(2017年8月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-XW400 ... 30L、自動442メニュー、クックブック478メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶(タッチパネル)、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理
ヘルシオ AX-AW400 ... 26L、自動219メニュー、クックブック263メニュー、除菌機能、カラー液晶(タッチパネル)、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理
ヘルシオ AX-AS400 ... 26L、自動140メニュー、クックブック214メニュー、除菌機能
ヘルシオ AX-CA400 ... 18L、自動111メニュー、クックブック173メニュー

第15世代(2018年6月、同年8月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-XW500 ... 30L、自動431メニュー、クックブック466メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶(タッチパネル)、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理
ヘルシオ AX-XS500 ... 30L、自動87メニュー、クックブック175メニュー、2段調理、除菌機能、まかせて調理
ヘルシオ AX-AW500 ... 26L、自動227メニュー、クックブック264メニュー、除菌機能、カラー液晶(タッチパネル)、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理
ヘルシオ AX-AS500 ... 26L、自動144メニュー、クックブック182メニュー、除菌機能、まかせて調理
ヘルシオ AX-CA450 ... 18L、自動115メニュー、クックブック160メニュー

第16世代(2019年6月発売)... 全機種 蒸気ダクト内蔵 ヘルシオ AX-XW600 ... 30L、自動382メニュー、クックブック378メニュー、2段調理、除菌機能、カラー液晶(タッチパネル)、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理
ヘルシオ AX-AW600 ... 26L、自動202メニュー、クックブック207メニュー、除菌機能、カラー液晶(タッチパネル)、無線LAN、COCORO KITCHEN、まかせて調理

関連製品

ヘルシオIHセンター

※現在は生産を終了している。

KH-AX6B/AX6W/AX7B/AX7W
2009年8月発売。グリル部にウォーターヒート技術を搭載したビルトインタイプのIHクッキングヒーター。60cmトップタイプと75cmワイドトップタイプの2タイプ、それぞれにトッププレートと前面部が異なる3パターン(トッププレート部がブラック系・グリル部がレッド系、トッププレート部がブラック系・グリル部がシルバー系、トッププレート部がホワイト系・グリル部がシルバー系)がラインナップされる。


ヘルシオグリル

※現在は生産を終了し、後述する「ヘルシオ グリエ」へ継承されている。

KF-AX1
2009年10月発売。焼き魚を中心としたグリル用途に特化したモデル。フラット庫内によりお手入れが容易な上、過熱水蒸気調理で発生した蒸気を冷却して水へ還元し、つゆ受けに排出される「蒸気カットシステム」と「背面ピタ置き設計」を採用したことで、当製品よりも設置性を高めている。


ヘルシオ(ビルトイン型)

※現在は生産を終了している。

RSR-30HO(取付部材 RSR-30HO-BXとのセット品)
こちらはシャープと技術供与契約を結んだうえで主要部品の供給を受け、ガス機器メーカーのリンナイが生産・販売するビルトイン型タイプ。「ヘルシオ」の商標使用許可も得ている(カタログ等には"「ヘルシオ」はシャープ(株)の登録商標です"の記述がある)。ビルトイン型ガスオーブンの取替需要に応えて開発されたモデルである。なお、既設のビルトイン型ガスコンロを残して新たにビルトイン型「ヘルシオ」を設置する(取替える)場合、ガスコンロの機種によっては取付不可の場合があるので注意が必要である。


ヘルシオ炊飯器

※現在は全機種生産を終了している。


KS-GX10A/PX10A
2012年10月発売。水の抵抗を低減するペンギンの後退翼と衝突を抑制する魚群の習性を応用し、日本国内の家庭用IHジャー炊飯器として初めて「かいてんユニット」を搭載。先端を内側後方にカーブし、内側に30度の傾斜を設けて攪拌することで、内側の周囲(回転水流)、中心部(上昇水流)、水面と底面(湧き出し・吸い込み水流)で異なる3つの水流を生み、吸水工程では米一粒一粒をしっかり引き離すことで米粒に触れる表面積が増え、吸水を促進する「匠の浸し技」、加熱工程では水面と底面の温度差をなくし、デンプンを糖分に変える糖化酵素が最も活性化する温度帯(約60℃)をキープしたまま加熱することで甘み成分をアップさせる「匠の加熱技」、沸騰行程ではユニットのウイングが収納し、沸騰によって大量に吹き上がるおねばを切り、吹きこぼさずに釜内に戻すことで高火力の連続沸騰を実現する「匠の連続沸騰技」の3つの技の相乗効果でごはん表面の呈味成分(旨みや甘みなど味を感じさせる成分)を向上させた。なお、通常の炊飯だけでなく、おかゆ(「極美(きわみ)がゆ」コース使用時)や炊き込みご飯(「炊きこみ(かいてん有り)」コース使用時)でも攪拌を加えることが可能である。また、洗米機能「匠の洗米技」も搭載されており、「かいてんユニット」の攪拌が作り出す水流で洗うことで白米表面のサブアリューロン層の削れを抑制し、手洗い洗米時に比べて栄養素の残存率を向上するとともに、水温と抵抗の2つのセンサーによってユニットの回転時間や回転数をコントロールし、手洗い洗米では難しい微妙な調整も自動制御で行う。さらに、肉じゃがやカスタードクリーム、クリームシチューなどこまめなかき混ぜや焦げ付きを気にしながら微妙な火加減が必要な料理に、自動で攪拌する「混ぜ技クッキングメニュー」も搭載されている。GX10Aは内釜に厚さ2mmの「ハードガラス鉄釜」を採用し、3.7インチ高反射型液晶を搭載したスタンダードモデル。PX10Aは外側に中空ビーズを追加して3mmに厚くした「ハードガラス鉄釜」を採用し、4.3インチホワイトバックライト液晶に触れると文字が光る静電タッチキーを追加し、蒸し板を追加同梱したプレミアムモデルである。

KS-MX10B/MX18B/PX10B
2014年4月〜5月発売。既存の3つの技(匠の浸し技・匠の過熱技・匠の連続沸騰技)に加えて、沸騰したタイミングで重なり合った米を「かいてんユニット」で大きく混ぜることで一粒一粒に沸騰水を一気に吸い込ませてふっくらとした大粒のご飯に炊き上げる「匠の米粒返し技」を追加。また、プレミアムモデルのPX10Bは内釜を改良し、底面にダイヤカット状の凹凸を加え、発熱面積を広げることで火力を向上し、内面にガラス片でコーティングすることでフッ素を剥がれにくくするハードフッ素コートを加えた「極美ダイヤカット鉄釜」を採用。さらに、当製品第10世代の一部機種に搭載されている「ココロエンジン」が本機種にも搭載され、旬の食材・祭事のおすすめ・健康サポートといったメニューの提案や使いこなしのコツなどを音声で知らせてくれる。一方、GX10Aの後継機種となるスタンダードモデルのMX10BはGX10Aに搭載されていた「混ぜ技クッキングメニュー」を省いて炊飯器の基本性能に特化した仕様となり、内釜は材質をステンレスに変更し、厚さを3mmに厚くして底面にダイヤカット状の凹凸を加え、内面にハードフッ素コートを施した「極美ダイヤカット釜」に改良。また、これまでは5.5合炊き(1.0L)のみだった「ヘルシオ炊飯器」では初となる大容量1升炊き(1.8L)モデルのMX18Bが新設された。

ヘルシオジュースプレッソ/グリーンプレッソ

EJ-CP10B
2013年4月発売。樹脂製のスクリューで低速回転し、石臼のようにゆっくりと食材を押しつぶす「低速圧縮絞り(コールドプレス)」方式を採用することで、一般のジューサーミキサーでは不向きな桃やキウイなどの果肉が多い果物、コーンや大豆の水煮などの粒状の食材、生姜などの固い食材といった幅広い食材に使うことができるスロージューサー。2012年6月に発売した初代モデル(EJ-CP10A)では「ジュースプレッソ」の愛称だったが、2代目発売時に「ヘルシオ」を冠した愛称に改称された。初代「ジュースプレッソ」からの改良点として、フィルター・スクリュー・タンククリーナーの3点を一体化し、フィルター外搾り方式に変更したフィルター 一体型スクリューを採用し、運転音が抑えられた。


EJ-ST1/CF10A
2015年4月発売。2年ぶりにモデルチェンジした3代目(「ヘルシオ」を冠してからは2代目)のEJ-CF10Aでは、スクリューを分離型に変更してフィルターの取り外しができるようになり、新たに付属したフローズン用アタッチメントに付け替えることで冷凍した野菜や果物を使用したフローズンデザートやフローズンサラダをつくることができるようになった。なお、フローズン用アタッチメントなしのスタンダードモデルEJ-ST1を新たにラインナップして2機種となり、カラーラインナップはビタミンカラーをイメージした5色(CF10A:3色、ST1:2色)展開となった。


EJ-CP1/GP1
2016年6月発売。「ヘルシオジュースプレッソ」の新機種となるCP1はモーターの低騒音化によりCF10Aに比べて運転音が低減された。また、上位機種となるGP1も設定されたが、本機種では「ヘルシオグリーンプレッソ」の愛称を名乗る。切り替えダイヤルの搭載で絞りかす出口のパッキンの圧力を変えることが可能で、葉物野菜の場合に圧力を低くすることで繊維かすの詰まりが軽減され、絞りかす出口の大きさをCF10A比約2.2倍とし、絞りかすを出しやすくしたことで、細かく刻まずにそのまま投入することが可能となった。予備洗浄機能も搭載されており、ジュース出口を付属のストッパーで塞ぎ、食材投入口から水を入れて運転することでタンク内部についた搾りかすを洗い流すことが可能である。


ヘルシオ真空ブレンダー

EM-SB1/SB1A
2019年4月発売。真空ポンプを搭載したブレンダー。ブレンダー容器から空気を抜き食材を空気に触れさせずに攪拌することで、栄養成分の酸化や泡立ちを抑えることが可能である。また、ブレンダー容器や付属のドリンクボトルには哺乳瓶などに用いられている「トライタン」素材が採用されており、ドリンクボトルでそのまま飲用するためのドリンクフタも同梱している。EM-SB1Aでは「トライタン」素材を採用した3サイズ(S/M/L)の保存容器が付属しており、食材の真空保存や真空調理も可能である。

ヘルシオお茶プレッソ

TE-GS10A
2014年4月発売。茶道で使われる道具を手本に、挽く・沸かす・点てる行程を1台で再現したお茶メーカー。挽く工程では抹茶を作る際に使われる石臼に倣い、セラミック製の小型臼を低速回転することで摩擦熱を抑え、約20μmの粉末に挽くことができる「お茶うす」を採用。沸かす工程では本体背面の水タンクで一度沸騰させてカルキ成分を取り除いた後、粉末茶に適した温度(約80℃〜90℃)に調整。点てる行程では茶筅を参考に挽いた粉末茶とお湯を丁寧にかき混ぜる「回転はね」を搭載した。「お茶うす」で引いた粉末茶はクロロフィルや食物繊維も摂取でき、茶殻も出ない。また、日本茶(煎茶・碾茶(抹茶の原料)・玉露・ほうじ茶など)はもちろん、紅茶(ダージリン・セイロン・アッサムなど)、中国茶(烏龍茶・ジャスミン茶など)、ルイボスティーも挽くことが可能(「お茶うす」に入らない長い茶葉はあらかじめ短くしてから使う必要がある)。また、水タンクを使わず、お茶容器でかき混ぜる「ラテ」モードにすることで冷たいお茶やお茶ラテも作ることができるほか、市販のインスタントコーヒーや粉末ココアを用いてカフェラテやココアラテを作ることも可能。また、挽き方の調節も可能で、挽き方調節ダイヤルを「粗」にすることで料理や菓子にも活用することができる。発売当初はブラック系とホワイト系の2色展開だったが、2014年9月に当製品のフラッグシップカラーであるレッド系を追加発売。さらに、茶葉に合わせて使い分けができるように、専用ケース付きのお茶うす単品(TH-GU1)も同時発売された。


TE-GS10B/TS56V
2015年4月発売。「お茶うす」を改良し、臼の溝(紋様)に粉末を留める「ふくみ」部分を設けたことで粒度を約15〜20μmに細かくなり、新たに設けた茶葉引掛け突起により不揃いの茶葉を引き込むことで挽き時間がGS10A比20%短縮。また、前面パネルと「お茶うす」のセット箇所に帯電防止樹脂を採用したことで茶葉の飛散や粉末の付着を抑制。「お茶うす」とお茶容器の投入口も大きくなった。新たにラインナップされた上位機種のTS56Vは、沸かす工程でカルキ分を取り除いた後、空冷方式で約70℃まで下げてから点てる「湯冷まし機能」を新搭載し、置き台とつゆ受けトレイは取り外して丸洗いができるようになった。なお、別売りの「お茶うす」単品も2015年モデルに対応した新型のTH-GU2となり、同時発売された。専用茶葉(XZ-TNB01A)の発売

2015年11月にはお茶メーカー専用茶葉「ヘルシオお茶プレッソで飲む抹茶(XZ-TNB01A)」が発売された。都度必要な分だけ茶葉を挽けるお茶メーカーの特性を生かし、粉末状の抹茶にする前の碾茶の状態となっているため、空気の酸化などによる風味や香りの劣化を抑え、必要な分だけ挽きたての抹茶にすることができる。茶葉は日光を遮りながら栽培された京都府・宇治産地の一番茶(宇治茶)を使用している。パッケージは黒を基調としたシンプルデザインで、贈答用にも対応できるように、外箱には「SHARP」のコーポレートロゴを表示しない代わりに、縦書きで「シャープ株式会社」と記されている。

ヘルシオホットクック

KN-HT99A
2015年11月発売。日本国内の家庭用電気鍋において初めて無水調理(水を使わずに野菜などの食材に含まれる水分を活用した調理方法)が可能な電気無水鍋。蓋の内側には円盤状の突起「旨味ドリップ加工」を施しており、食材から出た蒸気を水滴にして鍋の中を循環させることで、調味料を味付けなどの必要最低限にとどめて食材本来の旨みを活かした調理が可能である。また、メニューに合わせて最適なタイミングでかき混ぜる「まぜ技ユニット」を搭載するほか、温度と蒸気のダブルセンサーで火加減も自動調整するため、メニューを選択して食材をセットしておくだけで良く、料理の際にかき混ぜや火加減調整のためにそばにいる必要もない。さらに、空いた時間に食材をセットして設定時間に合わせて仕上げるタイマー予約機能「食べごろ予約調理」を搭載しており、ワンキー操作で一旦冷めた料理の温め直しも可能。残ってしまった場合でも付属の保存専用ふたをすることで内鍋ごと冷蔵庫に保存することが可能で、保存専用ふたがフラットなため、上に密閉容器などの小物も載せることができる。「まぜ技ユニット」や内ぶたは取り外して水洗いが可能である。内鍋は単品(TJ-KN1)でも発売されており、用途に応じて使い分けることも可能である(なお、内鍋は当初、本体との同時発売が予定されていたが、事情により発売日が約1ヶ月延期となり、同年12月発売となった)。


KN-HT24B
2016年12月発売。直径216mm・深さ147mm・容量2.4Lの広口深鍋となっており、魚1匹を切らずにそのまま投入するなど、食材を丸ごと投入して調理することが可能となり、最大6人分まで一度に調理可能な大容量サイズとなった。また、付属のメニュー集に掲載のメニュー数を143種類(HT99A比43種類増)、自動調理メニュー数を119種類(HT99A比34種類増)、「食べごろ予約調理」対応メニュー数を35種類(HT99A比19種類増)とメニュー数を拡充。「温め直し機能」はメニューにより「まぜる」機能の選択が可能となった。HT99A同様、HT24B専用の内鍋単品(TJ-KN2)も同時発売される(ただし、内鍋単品には保存専用ふたが同梱されない)。


KN-HW24C
2017年10月発売。前述のHT24Bの上位機種にあたるもので、無線LAN機能が搭載され、AIoTクラウドサービス「COCORO KITCHEN」に対応。これにより、本体と無線LAN接続を行うことでメニュー集の内容をディスプレイ表示と音声読み上げで行うほか、本体の「聞いて」キーを押すことでメニュー提案を行ったり、ダウンロードによる自動調理メニューの追加も可能となった。ディスプレイは3インチに大型化するともに、メニュー表示が番号表示から文字表示となり、メニューの検索も可能となった。そのほか、自動の「お手入れ」メニューが新たに搭載され、予約調理可能時間を15時間に延ばした。

KN-HW16D/HT99B
HW16Dは2018年7月、HT99Bは同年9月発売。初代となる1.6Lタイプが約3年ぶりにモデルチェンジされ、無線LAN機能搭載・「COCORO KITCHEN」対応モデルのHW16Dが追加設定された。HW16Dでは、液晶がHW24C同様にフルドット液晶となるほか、新たに3種類の火加減(強火・中火・弱火)、4種類のまぜかた(まぜない・たまにまぜる・よくまぜる・高速にまぜる)、時間が設定可能な「好みの設定加熱」やふたを開けたままでの加熱が可能な「煮詰め」機能が搭載された。なお、HT99Bは従来のHT99Aでは付属されていたふたが付属されなくなった。


ヘルシオ グリエ/グリエレンジ

AX-H1
2016年10月発売。当製品と同じ過熱水蒸気エンジンを搭載しつつ、コンパクトサイズとし、過熱水蒸気のパワーを弱・中・強の3段階で切り替える「過熱切替」ボタンとダイヤル式タイマーのみのシンプル操作としたウォーターオーブン専用機。当初はレッド系のみだったが、2017年5月にホワイト系とブラック系を2万台の限定生産で追加発売した。また、同年4月には、トレイにシリコンコーティングを施した「ヘルシオ グリエ」専用の別売部品「コーティングトレイ(YX-H1CT)」も発売された。

AX-H2
2017年11月発売。庫内の清掃性向上のため、AX-H1では別売部品での対応だったシリコンコーティング仕様のトレイが付属品となり、扉の内側にもガラスが装着された。また、カラーバリエーションもAX-H1では限定生産だったホワイト系が追加され、2色展開となった。


AX-HR2
2017年12月発売。AX-H2にレンジ機能が搭載されたウォーターオーブンレンジで「ヘルシオ グリルレンジ」の愛称を名乗る。レンジ機能の搭載に伴って庫内容量が8Lに拡大され、直径24cm未満のお皿や高さ13cm未満のマグカップも入れられるようになった。付属品のトレイは過熱水蒸気・レンジ機能兼用のセラミックに、過熱水蒸気専用の焼き網はホーローになった。レンジ機能は、オート・600W・500W・解凍(200W相当)の切り替えが可能で、絶対湿度と温度の2つのセンサーが搭載されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/919.html#c5

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
264. 中川隆[-8630] koaQ7Jey 2019年8月28日 10:03:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4121]

2018年03月07日
縄文時代と現代日本
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_7.html


一つ前の記事で取り上げた、バヌアツにおける人類集団の形成史に関する研究は、日本列島における人類集団の遺伝的構成の変遷と言語の形成過程に関する議論にも参考になりそうだという点でも、大いに注目されます(

関連記事
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_6.html


日本列島の人類史における縄文時代の位置づけについては、まだ不明なところが多分にある、と言わざるを得ないでしょう。現代日本社会の「愛国的な見解」においては、縄文時代から現代まで継続する一貫した「日本」が措定され、現代日本社会の「確たる基盤・源流」として縄文時代が賞賛される傾向にあるように思います。現代日本社会の「愛国的な見解」は、皇国史観とも共通する要素を有しているものの、皇国史観において縄文時代はほとんど視野に入っていなかったことを考えると、縄文時代の評価は現代日本社会の「愛国的な見解」と皇国史観との大きな違いと言えるでしょう。そもそも、山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』によると、縄文時代という時代区分が定着したのは第二次世界大戦後で、その前には縄文時代と弥生時代は石器時代として一括して区分されることが多かったそうです(関連記事)。

 現代日本社会の「愛国的な見解」における縄文時代像は、たんなる妄想というよりは、「一国史」的枠組みを前提とした近代歴史学から生じた、偏った一つの方向性を表している、とも言えそうです。この「一国史」的枠組みを前提とした日本史像への反省として、とくに1980年代以降、「開かれた日本列島」という歴史像が提示されてきました。そうした歴史像では、たとえば、朝鮮半島と縄文時代の九州北部との交流が強調されたこともありました。しかし、『つくられた縄文時代』では、両者の交流が一部で想定されたよりも少なく、その理由として言語の違いがあったかもしれない、と指摘されています。東野治之『遣唐使』では、「開かれていた日本」という発想は、常識化した鎖国史観への批判として有効であり、傾聴すべきではあるものの、それに偏ると、日本の潜在的鎖国体質を無視してしまうことになる、と指摘されています(関連記事)。「開かれていた日本(列島)」の強調に、開かれた日本であるべきだ、との願望・思い込みが過剰に投影されていないか、慎重に検証すべきでしょう。

 「開かれていた」縄文時代の日本列島(の一部)という歴史像に行きすぎもあったかもしれないとはいえ、とくに弥生時代以降、日本列島がユーラシア東部の影響を大きく受けてきたことは否定できないでしょう。その具体的な様相は、狩猟採集社会から農耕社会への移行において、人間の移動が大きな役割を果たしたのか、それとも人間の移動をあまり伴わないような文化伝播が重要だったのか、という世界史において普遍的な議論の一部と言えるでしょう。漠然とした印象にすぎませんが、「愛国的な見解」では人間の移動をあまり伴わないような文化伝播が、「愛国的な見解」や「一国史」的枠組みに批判的な「(進歩的で)良心的な見解」では人間の移動が、それぞれ支持される傾向にあるように思います。

 20世紀後半には、弥生時代以降におもに朝鮮半島から多数の人間が日本列島に渡来してきた、との見解も提示され、「(進歩的で)良心的な見解」の側では支持されてきたように思われます。この問題の解決にたいへん有効になるのが、古代DNA研究です。古代DNA研究は、DNAの保存に適した環境であることからも、ヨーロッパが中心地となってきました(近代化がヨーロッパで始まった結果としてのヨーロッパ中心主義という社会的要因もありますが)。古代DNA研究によると、ヨーロッパにおける狩猟採集社会から農耕社会への移行はアナトリア半島の農耕民のヨーロッパへの拡散によるもので、全体的には先住の狩猟採集民集団との交雑・同化がゆっくりと進行していったものの、地域によっては交雑・同化が早期に進行した、とされています(関連記事)。西アジアでは、少なくとも一部地域において、人間の移動をあまり伴わないような文化伝播が農耕の拡大に重要な役割を果たしたのではないか、と示唆されています(関連記事)。狩猟採集社会から農耕社会への移行の具体的様相は、各地域により異なっていた可能性が高そうです。

 本格的な水稲耕作など弥生時代の新規要素の多くがユーラシア東部起源であることは否定できないでしょうが、では、縄文時代〜弥生時代への移行の具体的様相はどうだったのでしょうか。重要な手がかりとなる古代DNA研究では、日本列島の縄文時代の住民は遺伝的には現代日本人に大きな影響を与えていない(アイヌ人と沖縄の人々を除く現代の「本土日本人」に継承された縄文人ゲノムの割合は推定で15%程度)、と推測されています(関連記事)。もちろん、現時点では縄文時代の日本列島の人類の古代DNA解析数は少なく、縄文時代とはいっても、地域・時代による違いはあったでしょうが、縄文時代の日本列島の人類集団よりも、弥生時代以降に日本列島に渡来した人類集団の方が、現代日本人に及ぼした遺伝的影響はずっと大きい、という可能性が高そうです。

 これは、上述した、弥生時代以降におもに朝鮮半島から多数の人間が日本列島に渡来してきた、という20世紀後半に提示された見解と整合的と言えそうです。弥生時代以降に日本列島に渡来してきた人類集団が、縄文時代の先住民をおおむね遺伝的に置換したとなると、縄文時代に現代日本社会の「確たる基盤・源流」を想定する「愛国的な見解」にたいして、「(進歩的で)良心的な見解」の側からの、時として嘲笑や冷笑も伴うような否定論が提示されるかもしれません。

 しかし、上述したバヌアツにおける人類集団の形成史に関する研究は、縄文時代の日本列島の人類集団の遺伝的影響が現代日本社会において小さくとも、言語に代表される文化的影響は小さくない可能性が想定され得ることを示唆しています。バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人は遺伝的にはパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなく、オーストロネシア諸語のままです。バヌアツにおいては、遺伝的にはオーストロネシア系からパプア系への置換が起きたものの、言語では置換が起きなかったのではないか、というわけです。バヌアツにおける遺伝的置換がある時期の急激なものだったのか、それとも漸進的なものだったのか、まだ確定的ではありませんし、言語の転換が起きなかった理由については不明です。しかし、これは、日本列島における人類集団の遺伝的構成の変遷と言語の形成過程に関する議論にも参考になるのではないか、と思います。

 上述したように、現時点での古代DNA研究からは、弥生時代以降におもに朝鮮半島から多数の人間が日本列島に渡来してきた、という見解が支持されそうです。しかし、別の解釈もじゅうぶん可能だと思います。弥生時代以降におもに朝鮮半島から渡来してきた集団は日本列島の縄文時代以来の先住民集団よりも小規模で、交易などの必要性から先住民集団の言語が大きな影響力を維持したものの、弥生時代以降の渡来集団は、自分たちが新たに導入した本格的な水稲耕作や戦争文化などにより縄文時代以来の先住民集団よりも人口増加率が高かったため、後に日本列島における遺伝的影響力で縄文時代以来の先住民集団を圧倒した、とも考えられます。弥生時代の開始年代に関する議論は決着がついていないようですが(関連記事)、紀元前300年前頃という一昔前(二昔前?)の有力説よりもさかのぼる可能性は高そうです。そうすると、弥生時代の期間はじゅうらいの想定よりも長くなるわけで、短期間で区切った場合の日本列島への移住者数はさらに少なく推定することも可能ですから、小規模集団の言語が在来の先住民集団の言語を置換する可能性は低いだろう、とも考えられます。

 この想定は現時点では思いつきにすぎず、検証するには、縄文時代および弥生時代以降の日本列島の人類集団のみならず、朝鮮半島も含めてユーラシア東部の人類集団の古代DNA解析数を蓄積していくしかないわけですが、少なくとも現時点では、無視してよいほど低い可能性ではない、と確信しています。もちろん、現代日本語の形成において縄文時代の日本列島(の一部地域?)の言語が大きな影響力を有しているとしても、その言語と現代日本語とは大きく違うでしょうし、弥生時代以降に漢文などから大きな影響を受けた可能性はじゅうぶん想定されます。

 なお、日本語が「系統不明」とされるのは、現代人(Homo sapiens)が現生種のなかで特別な存在とも言えるところがあることと多分に共通しているのではないか、と思います。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などの他のホモ属各種や、それ以前に存在したアウストラロピテクス属各種など、現代人の近縁種がことごとく絶滅してしまったので、現代人は現生種のなかで特異的なところのある存在になったのではないか、というわけです(関連記事)。現在、消滅しつつある言語が少なくないようですが(関連記事)、過去にも絶滅した言語は多数あったのでしょう。日本語と近縁な言語はユーラシア東部に少なからず存在したかもしれませんが、それらが絶滅してしまったため、日本語は「系統不明」とされているのかもしれません。
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_7.html


2018年03月06日
バヌアツの人類集団の形成史
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_6.html

バヌアツの人類集団の形成に関する二つの研究が公表され、報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。これら二つの研究は、バヌアツやその周辺地域の人類の古代および現代のDNAを解析し、ゲノム規模のデータを得て、バヌアツの人類集団の変遷を検証しています。両方の新研究の間で共通認識もあるものの、相違も見られます。

 バヌアツで最初の人類はオーストロネシア諸語を話していたと推測されているラピタ(Lapita)文化集団で、最初の移住の年代は3000年前頃と推定されています。これは、5500年前頃に台湾から始まったと考えられるオーストロネシア諸語集団の拡大の一部となります。現代バヌアツ人は遺伝的には、4万年以上前にニューギニア島やその周辺地域に拡散してきたパプア人集団の強い影響を受けていますが、言語はパプア諸語ではなく、オーストロネシア諸語のままです。この遺伝子構成と言語の「不一致」について、言語学や考古学や遺伝学などさまざまな分野で推測されており、今回取り上げる両方の新研究でも検証されています。

 リモートオセアニアの最初の人類集団とされるラピタ文化集団は、台湾から東南アジア諸島を経由してオセアニアへと拡散してきた、と考えられており、両方の新研究においても改めてその見解が支持されています。現代人の遺伝的構成から推測すると、ラピタ文化集団はニューギニア島を経由したさいにパプア系集団の遺伝的影響を受けた、と考えられます。しかし、バヌアツとトンガの古代DNA解析の結果、初期のバヌアツ人とトンガ人には、パプア系集団との交雑の痕跡がほとんどまったくない、と明らかになりました(関連記事)。

 両方の新研究は、新たなDNA解析やすでに刊行されているデータの高品質化により、バヌアツにおける人類集団の遺伝的構成の変遷を改めて検証しています。一方の研究(Posth et al., 2018)は、バヌアツ・トンガ・フランス領ポリネシア・ソロモン諸島から19人のゲノム規模のデータを得ることに成功し、気候条件から古代DNAの解析が困難な熱帯地域でのデータだけに、意義は大きいと言えるでしょう。

 Posth et al., 2018でも改めて、3000年前頃となる最初期のバヌアツ人集団はパプア系集団の遺伝的影響をほとんど受けていない、と明らかになりました。一方で、早くも2500年前頃には、バヌアツにおいてパプア系集団の遺伝的影響を強く受けた個体が確認されています。しかし、パプア系集団の遺伝的影響の強化は唐突というよりも漸進的でした。2500〜2000年前頃には、バヌアツ人集団においてパプア人の遺伝的影響が大きくなりますが、現代人よりは小さく、1500〜1000年前頃にはさらにパプア人の遺伝的影響が強くなり、現代では多少ながらもそれ以上にパプア人の遺伝的影響が強くなっています。これらパプア系集団は、バヌアツにより近いソロモン諸島ではなく、ビスマルク諸島からバヌアツに到来したのではないか、と推測されています。

 Posth et al., 2018では、バヌアツにおけるオーストロネシア諸語集団からパプア系集団への遺伝的置換は、1回の大規模移住でによるものはなく継続的なものであり、ニアオセアニアとリモートオセアニアにおける集団間長距離ネットワークが持続していたのではないか、と指摘されています。また、バヌアツへのパプア系集団の移住には性的偏りがあり、南太平洋の現代人のDNA解析に基づいて推測されていたように、パプア人男性がオーストロネシア諸語集団女性と交雑する傾向にあった、と指摘されています。

 もう一方の研究(Lipson et al., 2018A)は、バヌアツのエファテ(Efate)島とエピ(Epi)島の14人の古代DNAが解析され、ゲノム規模のデータが得られました。このうち、11人分のデータは新たに報告されるもので、3人分は以前に刊行されていたデータのより高品質なものとなります。年代別では、2900年前頃が4人、2300年前頃が1人、1300年前頃が2人、500年前頃が1人、150年前頃が6人となります。これら古代のゲノム規模のデータは、185人の現代バヌアツ人のゲノム規模のデータと比較されました。

 Lipson et al., 2018でも、2900年前頃となる初期には、パプア系集団の遺伝的影響がたいへん小さい(4人のうち最大でも3.9±3.5%)、と明らかになりました。しかし、2300年前頃の1人では、パプア系集団の遺伝的影響は95.8±1.1%となります。バヌアツにおいては、オーストロネシア諸語集団による最初の人類の定着の後、少なくとも一部の島では、急速にパプア系集団への遺伝的置換が生じたのではないか、というわけです。このパプア系集団の直接的な起源地は、地理的にバヌアツにより近いソロモン諸島ではなく、ビスマルク諸島だと推測されています。パプア系集団の遺伝的影響は、1300〜500年前頃の3人ではおおむね90%前後、150年前頃の6人ではそれよりやや低くなり、70〜90%程度です。これは、ポリネシアからメラネシアへ「戻って来た」集団との交雑により、パプア系集団の遺伝的影響がやや低くなったことを表しているのではないか、と推測されています。

 Lipson et al., 2018では、これらの解析結果を踏まえて、バヌアツとその周辺地域では少なくとも4回の大きな移住があったのではないか、と推測されています。第一は、この地域最初の人類であるラピタ文化集団です。第二は、2300年前頃までにこの地域に拡散してきて、先住集団を遺伝的にはほぼ置換した、ビスマルク諸島起源のパプア系集団です。第三は、ポリネシアへと拡散した、第二のパプア系集団とは異なるパプア系集団です。第四は、ポリネシアからバヌアツに「戻って来た」集団です。

 これら両研究には、共通認識も見られます。まず、バヌアツの最初の人類集団は、台湾を直接的な起源地(その前にはおそらく華南、もちろん、究極的にはアフリカにまでさかのぼるわけですが)とする、パプア系集団の遺伝的影響をほとんど受けていないオーストロネシア諸語集団で、バヌアツにラピタ文化をもたらした、ということです。次に、このオーストロネシア諸語集団は、遺伝的にはビスマルク諸島起源のパプア系集団にほとんど置換されたものの、言語的には現代バヌアツ諸語もオーストロネシア諸語集団に区分される、ということです。

 両研究の相違点は、バヌアツにおけるパプア系集団による遺伝的置換の過程です。 Posth et al., 2018では、1回の大規模な移住ではなく、持続的な交流による交雑の結果、パプア系集団の遺伝的影響がバヌアツで漸進的に増加したのではないか、と推測されています。一方、 Lipson et al., 2018では、バヌアツに最初の人類であるオーストロネシア諸語系のラピタ文化集団が3000年前頃に到来し、その後に遅くとも2300年前頃までには、少なくとも一部の島ではほぼ全面的な遺伝的置換が生じるほどに、パプア系集団の大規模な到来があった、と推測されています。

 この食い違いは、この地域の古代DNA解析数の増加により、将来解決されるかもしれません。また両研究では、最初期のバヌアツ人はパプア系集団の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推測されていますが、そうだと推測するにはまだデータが少なすぎる、とストーンキング(Mark Stoneking)氏は指摘しています。さらにストーンキング氏は、バヌアツなど熱帯地域における古代DNA解析の成功は貴重な事例なので、過剰解釈される傾向にあるのではないか、と注意を喚起しています。

 バヌアツにおける遺伝子構成と言語との「不一致」については、議論が続いているようです。バヌアツの現代の諸言語にはパプア諸語の影響が見られる、との見解も提示されています。しかし、この見解に否定的な言語学者もいるようです。バヌアツの最初期の人類集団は、バヌアツへの拡散前の相互作用の結果、オーストロネシア諸語と非オーストロネシア諸語の双方を話していたかもしれない、との見解も提示されています。また、オーストロネシア諸語集団の後にバヌアツへと到来したパプア系集団にとって、当時はまだ未分化なところのあったオーストロネシア諸語は、交流の持続していた多様な人類集団間にあって共通語として生き残ったのではないか、との見解も提示されています。

 これら二つの研究は、遺伝学のみならず、考古学・言語学などとの学際的研究の重要性を改めて浮き彫りにした、と言えるでしょう。また、日本列島における人類集団の遺伝的構成の変遷と言語の形成過程に関する議論にも参考になりそうな研究成果という点でも、大いに注目されます。つまり、縄文時代までに日本列島に到来した集団は、遺伝的には現代日本人に大きな影響を与えていないものの(関連記事)、言語では、弥生時代以降に到来した集団よりも現代日本語に大きな影響を及ぼしたかもしれない、ということです。

 これは、弥生時代以降に朝鮮半島などユーラシア大陸東部から日本列島に到来した集団の直接的人数はさほど多くなく、先住集団の言語が大きな影響力を維持したものの、本格的な水稲耕作や戦争文化などにより弥生時代以降の到来集団の方が人口増加率は高かったため、現在では縄文時代までに到来した集団をかなり高い割合で遺伝的に置換した、という想定です。もちろん、縄文時代の日本列島の(おそらくはかなり多様な)言語と、現代日本語とでは、大きく違うのでしょうが。


参考文献:
Lipson M. et al.(2018A): Population Turnover in Remote Oceania Shortly after Initial Settlement. Current Biology, 28, 7, 1157–1165.e7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2018.02.051

Posth C. et al.(2018): Language continuity despite population replacement in Remote Oceania. Nature Ecology & Evolution, 2, 731–740.
http://dx.doi.org/10.1038/s41559-018-0498-2

https://sicambre.at.webry.info/201803/article_6.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c264

[近代史3] 人類進化史 中川隆
9. 中川隆[-8629] koaQ7Jey 2019年8月28日 10:26:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4122]

2018年03月06日
バヌアツの人類集団の形成史
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_6.html

バヌアツの人類集団の形成に関する二つの研究が公表され、報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。これら二つの研究は、バヌアツやその周辺地域の人類の古代および現代のDNAを解析し、ゲノム規模のデータを得て、バヌアツの人類集団の変遷を検証しています。両方の新研究の間で共通認識もあるものの、相違も見られます。

 バヌアツで最初の人類はオーストロネシア諸語を話していたと推測されているラピタ(Lapita)文化集団で、最初の移住の年代は3000年前頃と推定されています。これは、5500年前頃に台湾から始まったと考えられるオーストロネシア諸語集団の拡大の一部となります。現代バヌアツ人は遺伝的には、4万年以上前にニューギニア島やその周辺地域に拡散してきたパプア人集団の強い影響を受けていますが、言語はパプア諸語ではなく、オーストロネシア諸語のままです。この遺伝子構成と言語の「不一致」について、言語学や考古学や遺伝学などさまざまな分野で推測されており、今回取り上げる両方の新研究でも検証されています。

 リモートオセアニアの最初の人類集団とされるラピタ文化集団は、台湾から東南アジア諸島を経由してオセアニアへと拡散してきた、と考えられており、両方の新研究においても改めてその見解が支持されています。現代人の遺伝的構成から推測すると、ラピタ文化集団はニューギニア島を経由したさいにパプア系集団の遺伝的影響を受けた、と考えられます。しかし、バヌアツとトンガの古代DNA解析の結果、初期のバヌアツ人とトンガ人には、パプア系集団との交雑の痕跡がほとんどまったくない、と明らかになりました(関連記事)。

 両方の新研究は、新たなDNA解析やすでに刊行されているデータの高品質化により、バヌアツにおける人類集団の遺伝的構成の変遷を改めて検証しています。一方の研究(Posth et al., 2018)は、バヌアツ・トンガ・フランス領ポリネシア・ソロモン諸島から19人のゲノム規模のデータを得ることに成功し、気候条件から古代DNAの解析が困難な熱帯地域でのデータだけに、意義は大きいと言えるでしょう。

 Posth et al., 2018でも改めて、3000年前頃となる最初期のバヌアツ人集団はパプア系集団の遺伝的影響をほとんど受けていない、と明らかになりました。一方で、早くも2500年前頃には、バヌアツにおいてパプア系集団の遺伝的影響を強く受けた個体が確認されています。しかし、パプア系集団の遺伝的影響の強化は唐突というよりも漸進的でした。2500〜2000年前頃には、バヌアツ人集団においてパプア人の遺伝的影響が大きくなりますが、現代人よりは小さく、1500〜1000年前頃にはさらにパプア人の遺伝的影響が強くなり、現代では多少ながらもそれ以上にパプア人の遺伝的影響が強くなっています。これらパプア系集団は、バヌアツにより近いソロモン諸島ではなく、ビスマルク諸島からバヌアツに到来したのではないか、と推測されています。

 Posth et al., 2018では、バヌアツにおけるオーストロネシア諸語集団からパプア系集団への遺伝的置換は、1回の大規模移住でによるものはなく継続的なものであり、ニアオセアニアとリモートオセアニアにおける集団間長距離ネットワークが持続していたのではないか、と指摘されています。また、バヌアツへのパプア系集団の移住には性的偏りがあり、南太平洋の現代人のDNA解析に基づいて推測されていたように、パプア人男性がオーストロネシア諸語集団女性と交雑する傾向にあった、と指摘されています。

 もう一方の研究(Lipson et al., 2018A)は、バヌアツのエファテ(Efate)島とエピ(Epi)島の14人の古代DNAが解析され、ゲノム規模のデータが得られました。このうち、11人分のデータは新たに報告されるもので、3人分は以前に刊行されていたデータのより高品質なものとなります。年代別では、2900年前頃が4人、2300年前頃が1人、1300年前頃が2人、500年前頃が1人、150年前頃が6人となります。これら古代のゲノム規模のデータは、185人の現代バヌアツ人のゲノム規模のデータと比較されました。

 Lipson et al., 2018でも、2900年前頃となる初期には、パプア系集団の遺伝的影響がたいへん小さい(4人のうち最大でも3.9±3.5%)、と明らかになりました。しかし、2300年前頃の1人では、パプア系集団の遺伝的影響は95.8±1.1%となります。バヌアツにおいては、オーストロネシア諸語集団による最初の人類の定着の後、少なくとも一部の島では、急速にパプア系集団への遺伝的置換が生じたのではないか、というわけです。このパプア系集団の直接的な起源地は、地理的にバヌアツにより近いソロモン諸島ではなく、ビスマルク諸島だと推測されています。パプア系集団の遺伝的影響は、1300〜500年前頃の3人ではおおむね90%前後、150年前頃の6人ではそれよりやや低くなり、70〜90%程度です。これは、ポリネシアからメラネシアへ「戻って来た」集団との交雑により、パプア系集団の遺伝的影響がやや低くなったことを表しているのではないか、と推測されています。

 Lipson et al., 2018では、これらの解析結果を踏まえて、バヌアツとその周辺地域では少なくとも4回の大きな移住があったのではないか、と推測されています。第一は、この地域最初の人類であるラピタ文化集団です。第二は、2300年前頃までにこの地域に拡散してきて、先住集団を遺伝的にはほぼ置換した、ビスマルク諸島起源のパプア系集団です。第三は、ポリネシアへと拡散した、第二のパプア系集団とは異なるパプア系集団です。第四は、ポリネシアからバヌアツに「戻って来た」集団です。

 これら両研究には、共通認識も見られます。まず、バヌアツの最初の人類集団は、台湾を直接的な起源地(その前にはおそらく華南、もちろん、究極的にはアフリカにまでさかのぼるわけですが)とする、パプア系集団の遺伝的影響をほとんど受けていないオーストロネシア諸語集団で、バヌアツにラピタ文化をもたらした、ということです。次に、このオーストロネシア諸語集団は、遺伝的にはビスマルク諸島起源のパプア系集団にほとんど置換されたものの、言語的には現代バヌアツ諸語もオーストロネシア諸語集団に区分される、ということです。

 両研究の相違点は、バヌアツにおけるパプア系集団による遺伝的置換の過程です。 Posth et al., 2018では、1回の大規模な移住ではなく、持続的な交流による交雑の結果、パプア系集団の遺伝的影響がバヌアツで漸進的に増加したのではないか、と推測されています。一方、 Lipson et al., 2018では、バヌアツに最初の人類であるオーストロネシア諸語系のラピタ文化集団が3000年前頃に到来し、その後に遅くとも2300年前頃までには、少なくとも一部の島ではほぼ全面的な遺伝的置換が生じるほどに、パプア系集団の大規模な到来があった、と推測されています。

 この食い違いは、この地域の古代DNA解析数の増加により、将来解決されるかもしれません。また両研究では、最初期のバヌアツ人はパプア系集団の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推測されていますが、そうだと推測するにはまだデータが少なすぎる、とストーンキング(Mark Stoneking)氏は指摘しています。さらにストーンキング氏は、バヌアツなど熱帯地域における古代DNA解析の成功は貴重な事例なので、過剰解釈される傾向にあるのではないか、と注意を喚起しています。

 バヌアツにおける遺伝子構成と言語との「不一致」については、議論が続いているようです。バヌアツの現代の諸言語にはパプア諸語の影響が見られる、との見解も提示されています。しかし、この見解に否定的な言語学者もいるようです。バヌアツの最初期の人類集団は、バヌアツへの拡散前の相互作用の結果、オーストロネシア諸語と非オーストロネシア諸語の双方を話していたかもしれない、との見解も提示されています。また、オーストロネシア諸語集団の後にバヌアツへと到来したパプア系集団にとって、当時はまだ未分化なところのあったオーストロネシア諸語は、交流の持続していた多様な人類集団間にあって共通語として生き残ったのではないか、との見解も提示されています。

 これら二つの研究は、遺伝学のみならず、考古学・言語学などとの学際的研究の重要性を改めて浮き彫りにした、と言えるでしょう。また、日本列島における人類集団の遺伝的構成の変遷と言語の形成過程に関する議論にも参考になりそうな研究成果という点でも、大いに注目されます。つまり、縄文時代までに日本列島に到来した集団は、遺伝的には現代日本人に大きな影響を与えていないものの(関連記事)、言語では、弥生時代以降に到来した集団よりも現代日本語に大きな影響を及ぼしたかもしれない、ということです。

 これは、弥生時代以降に朝鮮半島などユーラシア大陸東部から日本列島に到来した集団の直接的人数はさほど多くなく、先住集団の言語が大きな影響力を維持したものの、本格的な水稲耕作や戦争文化などにより弥生時代以降の到来集団の方が人口増加率は高かったため、現在では縄文時代までに到来した集団をかなり高い割合で遺伝的に置換した、という想定です。もちろん、縄文時代の日本列島の(おそらくはかなり多様な)言語と、現代日本語とでは、大きく違うのでしょうが。


参考文献:
Lipson M. et al.(2018A): Population Turnover in Remote Oceania Shortly after Initial Settlement. Current Biology, 28, 7, 1157–1165.e7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2018.02.051

Posth C. et al.(2018): Language continuity despite population replacement in Remote Oceania. Nature Ecology & Evolution, 2, 731–740.
http://dx.doi.org/10.1038/s41559-018-0498-2

https://sicambre.at.webry.info/201803/article_6.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c9

[近代史3] 人類進化史 中川隆
10. 中川隆[-8628] koaQ7Jey 2019年8月28日 10:51:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4123]

2018年03月28日
農耕の起源と拡散
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_43.html


 農耕の起源と拡散については当ブログでも度々取り上げてきましたが、一度それらを短くまとめてみます。本当は、当ブログで取り上げた記事を網羅し、整理したうえで、新たに本・論文を読まなければならないところですが、今はそこまでの気力はないので、まずはさほど時間を要さずにできることからやっていき、気力を高めていこう、と考えています。

 現在では、農耕・牧畜(植物の栽培化・動物の家畜化)は、年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まり、周辺地域に拡散していった、と考えられていて、この問題に関しては4年近く前の総説的論文が有益だと思います(関連記事)。なお、英語では植物の栽培化・動物の家畜化ともに「domestication」とされていますが、新石器革命論で想定されていたような、動物の家畜化と植物の栽培化とを単一の概念で把握するような認識は根本的に間違っており、家畜化と栽培化は異なる認知能力に依拠している、との指摘もあります(関連記事)。

 上記の総説的論文では、完新世の農耕や牧畜につながるような植物や動物の利用は12000年前頃まで、明確な植物の栽培化・動物の家畜化は11000〜10000年前頃までさかのぼる、とされています。これは南西アジアの事例で、他地域ではもっと年代がくだってから植物の栽培化・動物の家畜化が始まるわけですが、南西アジアは近代以降、とくに考古学的発掘の進んだ地域なので、今後の他地域での発掘の増加により、この差が縮まったり、逆転したりする可能性も考えられます。

 農耕というか植物の栽培化には、植物資源の管理という発想があるのではないか、と私は考えています(関連記事)。植物を「栽培する」と言われているアリも存在しますが(関連記事)、人類系統に限って言うと、現時点で植物の栽培・農耕が確認されているのは現生人類(Homo sapiens)だけです。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)も現生人類と同様に雑食性で(関連記事)、穀類も含めて(関連記事)植物も食べており、薬用植物の効用をよく理解して治療のために使用していたのではないか、とさえ推測されていますが(関連記事)、現時点ではネアンデルタール人による植物の栽培または植物資源の管理の証拠は確認されていません。

 上述したように、現代の農耕へとつながるような植物の栽培化の萌芽は12000年前頃までさかのぼりますが、植物資源の管理の痕跡はもっと前までさかのぼります。農耕が、年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まったとすると、現生人類にとって植物資源の管理は容易な発想であり、どんなに遅くとも非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカ(6万〜5万年前頃?)の頃までには、そうした発想を可能とする認知能力を有していたことになりそうです。

 具体的には、65000〜60000年前頃のアフリカ南部において低木地の草木を計画的に焼くことによって根菜類の収穫量を5〜10倍増加させた可能性(関連記事)と、49000〜36000年前頃のニューギニア島高地において、初期の住人が有用な植物の成長を促すために森林の一部を切り開いた可能性(関連記事)とが指摘されています。もっと強い証拠としては、年代が下りますが、レヴァントにおいて23000年前頃の穀物の耕作の痕跡が確認されています(関連記事)。更新世において植物資源を管理して収穫するという行為は、おそらくそれなりの頻度で存在したのではないか、と思います。

 ただ、本格的な栽培化ではなく、おそらくは狩猟採集への高い依存度を伴う小規模な耕作・資源管理であり、更新世の不安定な気候では長期間持続しなかったため、現在では考古学的に検出しにくいのではないか、と思います。現代に続くような植物栽培というか農耕は、完新世になってからのことなのでしょう。もっとも、完新世になってからの農耕も、地域により違いはあったでしょうが、とくに最初期の農耕は、当初から生計依存度の高い本格的なものではなく、狩猟採集への高い依存度を伴いつつの小規模な試行錯誤で、近隣地域で農耕が始まっても、狩猟採集生活を続けた地域も少なくなかったのではないか、と考えられます(関連記事)。

 農耕の拡散が人間の大規模な移動(およびその後の先住民集団の置換もしくは先住民集団との交雑)を伴うようなものだったのか、それともおもに文化伝播だったのか、という人類史における普遍的な問題については、現時点では、地域により具体的な様相は異なる、と考えるのが妥当でしょう。古代DNA研究によると、ヨーロッパにおける狩猟採集社会から農耕社会への移行はアナトリア半島の農耕民のヨーロッパへの拡散によるもので、全体的には先住の狩猟採集民集団との交雑・同化がゆっくりと進行していったものの、地域によっては交雑・同化が早期に進行した、とされています(関連記事)。西アジアでは、少なくとも一部地域において、人間の移動をあまり伴わないような文化伝播が農耕の拡大に重要な役割を果たしたのではないか、と示唆されています(関連記事)。

 日本列島においては、すでに縄文時代に植物栽培は始まっていたものの(関連記事)、本格的な農耕社会への移行は弥生時代になってからだと思われます。縄文時代から弥生時代への移行において、「縄文人」の現代日本社会における遺伝的影響は小さい(アイヌ人と沖縄の人々を除く現代の「本土日本人」に継承された縄文人ゲノムの割合は推定で15%程度)と推定されていることから(関連記事)、本格的な農耕社会への移行において、先住民集団は渡来系集団におおむね置換されてしまった、とも考えられます。

 しかし、弥生文化の伝播はゆっくりとしたものであり、「縄文の壁」がその前に立ちはだかったという指摘もあるように(関連記事)、近年では、本格的な農耕の受容に関して、「縄文人」の主体性を強調する傾向が強くなっています(関連記事)。こうした本格的な農耕をもたらした集団に関しては、困窮のあまり日本列島へと移住してきたのではなく、ある程度以上の社会的地位、たとえば親から領域を継承できないような首長の子供たちを含んでいた可能性も指摘されています(関連記事)。

 それでも、現代日本社会における「縄文人」の遺伝的影響は2割にも満たないのだから、縄文時代の文化はその後の日本列島において大きな影響を及ぼさなかった、との見解もあるかもしれません。しかし、他地域の事例からも、日本列島において、遺伝的構成の劇的な変化があったとしても、言語をはじめとして先住民集団の文化が後世に少なからぬ影響を及ぼした可能性はじゅうぶん想定される得ると思います(関連記事)。もちろん、「縄文人」とはいっても、地域・年代によりかなり多様だった可能性があり、それは「縄文人」の言語も同様なのでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_43.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c10

[近代史3] 人類進化史 中川隆
11. 中川隆[-8627] koaQ7Jey 2019年8月28日 12:24:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4124]

2018年11月25日
文化変容・継続と遺伝的構成の関係
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_49.html

 古代DNA解析が飛躍的に発展していくなか、次第に明らかになってきたのは、文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではない、ということです。この問題については、以前にも農耕の起源と拡散との関連で述べました(関連記事)。文化変容が、時には置換とも言えるような、その担い手である人類集団の遺伝的構成の大きな変化を反映している場合もあれば、文化変容はおもに文化のみの伝播で、その担い手はさほど変わらない場合もあります。逆に文化的継続は、その担い手の遺伝的構成の継続を反映している場合が多いのでしょうが、そうとは限らないかもしれません。たとえば、ユーラシア東部における中部旧石器時代〜上部旧石器時代にかけての考古学的連続性は、人類集団の遺伝的連続性を反映しているのではなく、外来の人類集団による置換でも起きることかもしれません(関連記事)。まあこれは、種の水準で異なる可能性の高い人類集団間のことなので、以下に述べていく事例とは異なる、と言えるかもしれませんが。

●担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容
 ヨーロッパにおける農耕の拡散はアナトリア半島からの移住民によるものですが、全面的な置換ではなく、在来の狩猟採集民集団と外来の農耕民との交雑が進展していき、全体的には先住の狩猟採集民集団との交雑・同化がゆっくりと進行していったものの、地域によっては交雑・同化が早期に進行した、とされています(関連記事)。ヨーロッパにおいては、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団が大きな文化的・遺伝的変容をもたらした、とされていますが、その度合いは地域により異なり、イベリア半島と中央ヨーロッパでは遺伝的影響が限定的だったのにたいして、ブリテン島ではほぼ全面的な置換が生じたようです(関連記事)。レヴァント南部では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代へと至る過程で、文化の変容が住民の遺伝的構成の大きな変化を伴っている、と明らかになっています(関連記事)。

●担い手の遺伝的継続を伴う文化変容
 西アジアにおいては、少なくともレヴァント南部・ザグロス・アナトリアの3地域では、農耕社会への移行の担い手は在来の狩猟採集民集団と推測されています(関連記事)。アフリカ北西部でも、少なくとも一部の地域では、狩猟採集社会から農耕社会への移行にさいして担い手の遺伝的構成は大きく変わらなかった、と推測されています(関連記事)。ユーラシア東方草原地帯の牧畜の始まりも、おもに在来集団による文化受容と推測されています(関連記事)。現代日本人であれば、日本の近代化における大きな文化変容と遺伝的継続性の事例をすぐ想起するでしょうか。

●担い手の遺伝的変容・置換と文化の継続
 想定しにくい事例ですが、担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容の事例でも、外来集団による先住民集団の文化の一部の継承は、珍しくなかったと思われます。ここでは、そうした一部の要素ではなく、最重要とも言える言語の継続性を想定しています。バヌアツの現代人の遺伝的構成ではパプア人集団の強い影響が見られますが、言語はオーストロネシア諸語です。最初期のバヌアツ人は遺伝的にはオーストロネシア諸語集団で、パプア人集団の遺伝的影響がほとんど見られません。つまり、バヌアツでは、遺伝的には全面的な置換に近いことが起きたにも関わらず、言語は最初期の住民のものである可能性が高い、というわけです(関連記事)。その理由については不明ですが、他の地域でも同様の事例は想定されます。たとえば縄文時代の日本列島の住民の遺伝的影響は、現代日本人では15%程度と大きくなく、弥生時代以降に置換に近いことが起きた、と言えるかもしれません。しかし、弥生時代以降に日本列島に渡来してきた集団は、一度に大量に移住してきたのではなく、何度かの大きな波はあったとしても、長期にわたる少数の集団で、後に人口増加率で遺伝的影響力を高めていった、と考えられますから、バヌアツの事例からも、言語も含めて縄文時代の文化が、後の時代に強く継承されていった可能性は低くないと思います(関連記事)。もちろん、現代日本語は弥生時代以降に渡来してきた集団の言語が主要な起源となっており、ユーラシア東部では日本語と近縁な言語が消失した、という可能性もじゅうぶん考えられます。文字資料が期待できない以上、この問題の重要な手がかりとなるのは古代DNA解析で、日本列島も含めてユーラシア東部における古代DNA研究の進展が期待されます。またそれにより、中国、とくに華北において、文字文化の継続性と大きな遺伝的変容が明らかになるのではないか、とも予想しています。
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_49.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c11

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
265. 中川隆[-8626] koaQ7Jey 2019年8月28日 13:08:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4125]

2015年05月17日
松本直子「縄文から弥生への文化変化」
https://sicambre.at.webry.info/201505/article_20.html

 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は縄文時代から弥生時代への移行の様相とその要因について検証しています。近年の一般向け書籍でも強調されているので、すでに広く知られつつあるかもしれませんが、弥生文化は縄文的要素と外来要素との融合により成立しました。本論文でもその点は強調されており、さらに、その前提として縄文時代において九州北部と朝鮮半島との間で継続的な交流があり、九州北部をはじめとして西日本側が朝鮮半島の文化要素を選択的に受容していたことが指摘されています。

 狩猟採集社会と農耕社会とでは世界観に大きな違いがあるので、狩猟採集社会が農耕を受容するのは容易ではない、と本論文は指摘します。そこで、なぜ九州北部を先頭に日本列島において水稲耕作という本格的な農耕(縄文時代においてすでに、豆類などの栽培は行なわれていました)が受容されたのか、ということが問題となります。この問題に関しては、まだ明快な解答ができるという段階ではないようですが、本論文では気候の寒冷化が指摘されています。

 弥生時代の始まりには、それ以前の選択的受容と違い、農耕文化の要素が一揃いで出現する劇的な変化が生じたので、朝鮮半島から北部九州への人々の移住があっただろう、と本論文は推測しています。ただ、朝鮮半島からの移住者のみで構成されていると確認できる弥生集落はないので、移住者が縄文集落に入り込む形で本格的な農耕へと移行していったのではないか、とも指摘されています。人骨の分析・比較からも、日本列島の在来の住民が農耕文化を受容していった様相が推測されています。

 朝鮮半島においては、九州北部で弥生時代の始まる前の青銅器時代後期の前半に稲作が普及していき、集落の大規模化や階層化が進行していった、と推測されています。そこに寒冷化が進行したことで、すでに交流もあり情報もある程度以上得ていた九州北部へと新天地を求めて朝鮮半島から人々が移住した、という可能性を本論文は提示しています。さらに本論文は、そうした移住者たちは困窮のあまり九州北部へと移住したのではなく、ある程度以上の社会的地位、たとえば親から領域を継承できないような首長の息子たちを含んでいた可能性もある、と指摘しています。


参考文献:
松本直子(2015A)「縄文から弥生への文化変化」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』(六一書房)P110-123

https://sicambre.at.webry.info/201505/article_20.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c265

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
166. 2019年8月28日 14:27:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4126]
哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/589.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c166
[近代史3] 哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
1. 中川隆[-8625] koaQ7Jey 2019年8月28日 14:33:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4127]

西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家。


東京府に生まれる。東京都立小石川高等学校を経て、1958年(昭和33年)東京大学文学部独文科卒。

1961年(昭和36年)同大学院修士課程を修了。
指導教官は手塚富雄であった。


1961年静岡大学人文学部講師、1964年電気通信大学助教授、1975年教授。

1979年に「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士を授与された

1994年正論大賞受賞。1999年電通大を定年退官、名誉教授。2015年春、瑞宝中綬章受勲。


文化人としての軌跡


論壇・文壇への登場

「ニイチェと学問」(静岡大学『人文論集』13号)、「ニイチェの言語観 ―― 初期の作品をめぐって」(『ドイツ文学』28号)、「論争と言語 ――ニイチェをめぐって」(『Neue Stimme』創刊号)により、1963年(昭和38年)第3回ドイツ語学文学振興会賞を受賞[2]。また、1965年(昭和40年)には論文「私の『戦後』観」(『自由』1965年2月号)にて雑誌『自由』の新人賞を受賞。

1965年から67年(昭和40年から42年)にかけ、ミュンヘン大学近代文学科のヘルマン・クー二ッシュ教授研究室の客員助手として西ドイツに留学し[3]、この経験をもとに執筆した論考が、三島由紀夫など論壇に注目された[4][5]。論考集は処女作『ヨーロッパ像の転換』として刊行され、三島由紀夫の推薦文が付された[5]。ついで発表した『ヨーロッパの個人主義』も、梅原猛が「一人の思想家の登場をみた」と同著のカバーで推薦文を寄せている。

ほぼ同時期、文芸評論家として文壇にもデビューする。論壇・文壇への登場は、西尾の才覚を早くから認めていた三島由紀夫や福田恆存の推挙による面も大きく、2人が関与していた楯の会関連雑誌『論争ジャーナル』にも寄稿していた[6]。西尾は福田恆存の思想にも影響を受け、福田が没するまで深い交流があった(「西尾幹二のインターネット日録」参照[いつ?])。批評家として小林秀雄論をはじめ様々な作家論を発表、また三島由紀夫の自決(三島事件)に際し、三島論「不自由への情熱」を月刊文芸誌『新潮』に掲載した[7]。後述するが生前の三島と西尾は交友があった。晩年の小林秀雄と会った際、西尾はブルクハルトについて小林と議論している[8][注釈 1]。


ドイツ哲学・ドイツ思想の専門家から独自の哲学者・思想家へ

アカデミズムの世界にはニーチェの研究と翻訳で登場する。『悲劇の誕生』、『偶像の黄昏』、『アンチ・クリスト』、『この人を見よ』などのニーチェの書の翻訳や、『ニーチェとの対話』をはじめとする様々なニーチェ論を発表。ニーチェ以外のドイツ哲学者については、中央公論社「世界の名著」シリーズ『ショーペンハウアー 意志と表象としての世界』の翻訳と、ショーペンハウアー論(「ショーペンハウアーの思想と人間像」)などがある。

1990年代後半に至ると、こうしたドイツ哲学研究・ドイツ思想研究の蓄積を、江戸期の日本思想への関心と連関させた独自の思想研究を開始、21世紀に入って開始された数年に渡る雑誌連載の論考を『江戸のダイナミズム』(文藝春秋社)にまとめた。

モラリスト的思索に徹した哲学論考や哲学エッセイも数多く執筆しており、それらを『人生の価値について』(新潮社)、『人生の深淵について』(洋泉社)などにまとめた。小浜逸郎は西尾の哲学論考・哲学エッセイについて、「・・・日常で出会うふとした経験の数々からの一瞬の感知を自ら過たず捕捉し、それを若き日に積んだ読書体験による確乎たる人間観に結合させていく巧みな氏の手法は並大抵のものとは思われない」[12]としている。

マルティン・ハイデッガー研究者の川原栄峰と親交があった。たとえば川原の長男が登山で遭難死したのち、毎月川原が息子の墓参りをする帰路に西尾の自宅に立ち寄り、そこで哲学的議論をするのがお互い楽しみであったというエピソードを述べている[13]。中島義道も西尾の著書『ニーチェとの対話』を、「この本は日本の人文科学の一つの大きな財産である」と評している[14]。


政治的論客として

以上のような論壇・文壇・アカデミズムでの活動とパラレルな形での政治的言論活動を1970年代後半以降、旺盛に展開しはじめる。経済評論家の草柳大蔵は、政治的論客としての西尾の論理回転の早さについて「知的超特急」と形容している(『労働鎖国のすすめ』カッパブックスのカバー推薦より)。

冷戦時代後期では、自身のヨーロッパ文明論を論理的武器に、冷戦最中のソ連を訪問、現地の文学官僚と様々な議論を行う(『ソ連知識人との対話』に所収)。冷戦崩壊後直後には、精神的荒廃に直面している東欧各国を訪れ各国知識人と、自由その他の思想的テーマをめぐり対話・論争を展開し、共産社会の想像を絶する残忍な過去、急激な自由化がもたらした多面にわたる困難の両方を明らかにした(『全体主義の呪い』など所収)また冷戦後の西ヨーロッパについて、行き詰まりにまで至った自由の飽和とそれがもたらす停滞、荒廃を批判している(『自由の悲劇』など所収)。この時期の西尾は、「自由」ということへの深刻な問題認識を前提にして、楽天的なグローバリズムや単純な西側優位論を排する論陣を張っていた[6][15]。

また後述のように、ドイツと日本の戦後責任論が安易に比較されているとして、「ドイツは謝罪したが日本は謝罪していない」という進歩派文化人の戦争責任論に対しては、「ドイツは自国民に謝罪しているが交戦国には謝罪していない」「ドイツはナチスという危険団体を選んだことに謝罪しているだけである」「ナチスの戦争犯罪のスケールは国家そのものが犯罪集団と化した桁違いのものであって、戦時下の日本との比較はそもそも不可能である」等の反論を行い、ナチスの戦争犯罪を「人類そのものへの犯罪」としたドイツの哲学者ヤスパースの分類を紹介しこれを支持している(後述)

さらにこれらの問題論争と前後して外国人労働者受け入れ問題での受け入れ懐疑派の急先鋒として、受け入れ賛成派の石川好などとテレビ番組などで激しい論戦を展開、外国人労働者の受け入れによって日本文化に試練を与えるべきだとする石川の見解を、「安易なセンチメンタリズム」と批判、西ヨーロッパの例をひいて外国人労働者の大量受け入れは国民文化の根幹を瓦解させる危険性があることを指摘した(『労働鎖国のすすめ』など所収)また中教審委員として教育問題にも積極的にコミットし、メディア全体によく知られるようになった(『教育と自由』など所収)。

このような言論活動から政治図式的には保守派論客として取り上げられることが多いが、党派的な保守主義やナショナリズムに対しては警戒心を絶えずもっており、『保守の怒り』などの近著において硬直化した保守派やナショナリストの一部に対し、「カルト右翼」や「神社右翼」などと厳しく罵倒している。一例として、台湾独立運動について保守派の多数が唱えている一面的な台湾賛美とは一線を画す議論を展開している。「台湾も所詮は中国と同根の反日集団の面をもっており、かならずしも擁護に値しない」と雑誌『正論』などで主張し、親台湾派の金美齢や小林よしのりらから非難された。特に小林は、「まるで、後ろから斬りつけるような卑怯な姿勢だ」と西尾を強く非難した。しかし小林はその後まもなくして、著書『台湾論』を台湾内の反日勢力によって問題にされ、台湾政府から一時的に入国禁止になった。

協調・賛同できる面では一般的な保守主義陣営と共同行動している。2007年には南京大虐殺虚構論を唱える映画「南京の真実」に西部邁たち多くの右派・保守系知識人と共に賛同、西尾は製作記者会見に出席し、東京裁判の不当性を訴えた。これはNHK批判運動や人権擁護法批判運動に関しても同様である。


つくる会での活動

新しい歴史教科書をつくる会の設立人の一人である。1996年(平成8年)8月、西尾と藤岡信勝が出会い、各界有志に呼びかけを行ったことで、「つくる会」が発足した。翌1997年(平成9年)1月30日、「つくる会」の初代会長に就任、大著『国民の歴史』を執筆、つくる会運動のオピニオンリーダーの地位を得て教科書運動の前面で活躍した。2001年(平成13年)に会長の座を田中英道に譲り、名誉会長となった後も「つくる会」の中心人物であった。その後2006年(平成18年)1月17日に、「その精神活動をよく知らない新しい理事が多数入ってこられて、立派な方も勿論おられるが、私とは話があわなくなってきた人が増えてもいる。言葉が通じなくなってきた」という言葉を残し「つくる会」を離脱、教科書運動の第一線から退いた。


小泉政権時代の自民党への評価

小泉内閣に関しては、政権中期までは好意的で、2003年(平成15年)9月に小泉が自民党総裁に再選された際には、北朝鮮に対する融和姿勢への懸念を除けば評価していた。1990年代の自民党の左傾化に終止符を打ち派閥政治の象徴だった竹下派支配と派閥順送り人事を小泉が徹底的に破壊しつくし、その直後に安倍晋三を幹事長に据え自身の後継候補として育て上げたと礼賛していた。西尾の小泉への評価は第二次訪朝あたりから批判的なものに転じた。

西尾は自著、雑誌論文、ブログなどを通じ、小泉という人間は首相になる以前は実は、靖国神社公式参拝に何の関心も払っておらず、「面倒くさいのでいかない」という理由で参拝していなかったのに、首相就任後に、中国・韓国に批判を受けたことで意固地になって参拝問題に固執して公式参拝しただけであるという事実を指摘し、小泉の立場は政治的保守主義と何の関係もない小泉の個人的感情の反映だと主張した。また自著『<狂気の首相>で日本は大丈夫か』で、小泉の大学時代の同輩親友で、国会議員時代も一時期交友のあった栗本慎一郎の証言を引用し、小泉自身の信じがたいほどの人間的・知的無能ぶりを暴露指摘している。郵政民営化問題についても批判し、小泉のやっていることは、「民営化」ではなく、「公営のおろかしい強化」であって、郵貯貯金を財務省が悪用することに、小泉自身がよくわからないまま乗っかっているだけだとした。小泉の親米的安全保障政策についても、小泉自身が自分が何をやっているのか認識できていないままアメリカに乗せられているだけだとし、小泉のことを「狂人宰相」、小泉の政策を「国家犯罪」とまで形容するに至った[16]。2005年(平成17年)9月の総選挙では、保守系内の郵政民営化反対派である城内実、衛藤晟一、古川禎久などへの応援演説にて小泉を批判した(「西尾幹二のインターネット日録」参照)。

この一連の小泉批判に関しては自身も反論を受けるが(→小泉訪朝における空白の10分間事件を参照)これについて本人は「小泉政権の陰謀」だと再批判している。安倍晋三については、第一次内閣で真正保守主義的政策を期待されながら、反対勢力に妥協した甘さ、弱さを非難し、以来、安倍の政治的手腕に関しては懐疑的立場を堅持している。


皇室に関する発言

皇室の現状を憂慮しており、皇太子徳仁親王に対して月刊誌『WiLL』2008年5月号から「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」と題して連続的に執筆をおこなった。これらの論考は実質的に皇太子徳仁親王妃雅子についての問題を扱ったものであった。「雅子妃は健康であり、公務を欠席しているのは仮病である」と『WiLL』 (「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」)で主張、さらにこの雅子妃の問題は、皇室の日本的伝統に、安易に欧米的価値観を侵入させてしまうことの是非の問題でもあるとも論じた。

これら一連の論考以外に、「朝まで生テレビ!」(2008年8月30日) 「たかじんのそこまで言って委員会」(2008年8月17日)などのテレビメディアでも繰り返し同様の主張を展開した。西尾のこの雅子妃への批判的な主張に対しては、『WiLL』(久保紘之など)や『正論』に批判的な論考掲載され[いつ?]、またこれが遠因となって(教科書運動・憲法論議で共同活動した)日本会議や日本青年協議会らの国民運動団体とも袂を分かつことになった。なお、女系天皇の是非の問題に関しては、男系天皇論を一貫して強力に主張している。皇室論では、橋本明(明仁上皇同級生)とも対談している。

皇室論をタブー視していた言論界で西尾があえてそれに踏み切った意志の背景には、かつて西尾が私淑していた三島由紀夫が皇室論のタブーに少しも怯まなかったことへの深い敬意が影響している[6][11]。それは三島の提唱していたある意味、天皇にとって最も過酷で徹底していた皇室論のことを指しているもので[11]、三島は、天皇が近代的な快適で便利な生活(電話やテレビを部屋に設置すること)をするのも好ましくないと主張し[17]、一般のセレブのように扱われる皇室(三島曰く“週刊誌天皇制”)を否定していたこと[17][18]に関連するものである[11]。三島は、「天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない」「天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ」「天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは、とにかく“お祭”だ、ということです。天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、――それだけだ」[17] と述べ、天皇にとって最も重要なのは、新嘗祭などの古来からの宗教性や神聖であり[17][18]、日本の「西欧化の宿命」「世俗化の宿命」と闘う最後の悲劇意志の象徴としての皇室(最後のトリデ)というものを理想にしていた皇室論で[17][18]、明治維新や二・二六事件の時のような革命の象徴にもなりえる天皇というものを想定していたものである[18][11]。

なお『WiLL』2008年8月号で「これが最後の皇太子さまへの御忠言」にて、会田雄次が1968年に語った「いまの皇太子(上皇明仁)は、あんな不自由な寒くてしょうがないところはいやだといって、都ホテルへ泊まられるのですよ。この点は、訓練の相違もあるんでしょう。これは大きな問題だと思うのです」を引用しているが、宮内庁報道室から当時の資料からはそのような事実はないとの注意を受けて訂正を求められ[19]、著書「皇太子さまへのご忠言」(84ページ)でその旨を記している。


その他の主張

ドイツ思想・ドイツ哲学の専門家として、同国の文化、社会の現状や言論事情などにも精通しているが、ドイツに対しては批判的な発言もある。『異なる悲劇・日本とドイツ』(文藝春秋)をはじめとする著作や寄稿[要出典]において、ナチス・ドイツへの批判とあわせて、「戦後ドイツが戦後日本よりも大戦を反省している」と言った戦後ドイツの政治的狡猾さを批判している。このことに関して「想像を絶するジェノサイド国家だったナチス・ドイツと、通常の戦争遂行国家であった日本を同一の次元で論じることがそもそも間違いであること」「戦後ドイツ人は、ナチスという団体をドイツ人が選んだことの反省を表明しているだけであって、実は自分たち自身の反省を表明しているのではないこと」などの批判をおこなっている。1995年に起きたマルコポーロ事件においても「ナチスのすさまじい極悪さを少しも理解していない」と言う理由で、旧知の間柄である文藝春秋を批判した[20]。

慰安婦問題に対しては「性奴隷説」に異議を唱える立場であり、2007年7月13日に米国大使館に手渡された米下院121号決議全面撤回を求める日本文化チャンネル桜主導の抗議書[21]にも賛同者として名を連ねている[22]。

現代中国に対しては一貫して批判的立場をとっており、とりわけ2010年に起きた中国漁船の尖閣諸島近海での日本領海侵犯事件後、『尖閣戦争・米中挟み撃ちにあった日本』(青木直人との共著)などの著作で中国の対日侵略計画、対世界侵略計画に注意すべきと主張している。

アメリカの覇権に対しても批判的であり、米中両国の世界戦略の狭間で日本が独立的な政治路線を採れていない現状に対して警鐘を鳴らしている。また、GHQが終戦後の日本占領に際して、緻密かつ広範囲に当時の日本の文献を焚書していたという言論統制の事実があったと主張している[23]。さらに、日米戦争がアメリカ側から仕掛けられたある種の「宗教戦争」であるというという歴史論を著書『天皇と原爆』(新潮社、2012年1月)で展開している。

核武装の推進論者である。一方原子力発電に対しては、かつては肯定派的立場であった[要出典]が、福島原発事故を受けて、段階的に縮小し最終的には全廃するという否定的立場に転じた[24]。原発推進を事故後も唱える保守派言論界を「思慮の欠如、ないし思考の空想性を覚えるだけでなく、ある種の「怪しさ」や「まがまがしさ」を感じている」と批判している。竹田恒泰との近著『女系天皇問題と脱原発』では、原発推進派に潜在している体質的な問題構造を多面にわたり指摘している。例えば「安全保障の面から見ても、原発というのは非常にやっかいな存在なんですよ。単純に言うと原発があるだけでもって、そこに核地雷があるようなものですから。上空からバンカーバスター(地中貫通爆弾)を直撃させれば、そこが核爆発するということです」「日本の原発は、いわゆる海上から迫ってくるテロに対して、まったく無力、無防備なんですな。なんと驚くべきことに、日本は原発の防衛について、民間の警備会社に依存しているんですよ。考えられない話です」「再稼働に関して地震と津波への対策のことは盛んに言われているんだけれども、テロ対策については一言も触れられないんですよ」と述べ、とりわけ国土に原発を置くことに対する国防・安全保障上のリスクに警鐘を鳴らしている[25]。この件について中川八洋から著書など[26]で中傷されたとして、中川本人、当該書籍の出版元である日新報道、文章を『撃論』に載せたオークラ出版を名誉毀損で提訴した[27]。
生前の三島由紀夫は、西尾の才覚に早くから注目し高く評価していた。西尾の処女作である『ヨーロッパ像の転換』について「この書は日本人によってはじめて書かれた「ペルシア人の手紙」である」と帯文で絶賛している。西尾もまた、三島の文学と思想に強く惹かれ、両者には交流があった。交友期間は三島の自決事件により短期間で終わったが、三島の親友であった澁澤龍彦は、三島の死後さまざまな論者によって書かれた三島論の中で、本質を把握した三島への考察は西尾の三島論だけであったと評し、この澁澤の評価がきっかけで西尾と澁澤の間にも、澁澤の死に至るまでの交友が続いた。一方、三島について、侮蔑に近い軽視を三島事件前後に言っていた江藤淳に対しては、西尾は相当な違和感を江藤の死に至るまでもっていたと『三島由紀夫の死と私』で表明している[7]。

2011年より、全22巻・数年にわたる計画で、「西尾幹二全集」の刊行が国書刊行会より開始された。

インターネットの力を高く評価している[28]。自身のブログの執筆に力を入れており、またインターネットで秀逸な論考を発見すると自身のブログで紹介することもある。21世紀は現実的出版とインターネット世界の相互協力、棲み分けの時代になると主張している[29]。


著書


単著

『ヨーロッパ像の転換』新潮選書, 1969
『ヨーロッパの個人主義 人は自由という思想に耐えられるか』講談社現代新書, 1969 増補改題 『個人主義とは何か』 PHP新書, 2007

『悲劇人の姿勢』新潮社, 1971
『情熱を喪った光景』河出書房新社, 1972
『懐疑の精神』中央公論社, 1974
『地図のない時代 反時流的考察』読売新聞社〈読売選書〉, 1976
『ニーチェ』(第1・2部)中央公論社 1977年5月・6月 『ニーチェ』 筑摩書房 全2巻, 2001年4月・5月-初版書評を巻末解説とした。

『ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ私評』講談社現代新書 1978
『新開国のすすめ 日本文化再生の条件』日本経済新聞社 1979
『ヨーロッパの閉鎖性』三修社 1981
『ソ連知識人との対話』文藝春秋 1979、中公文庫, 1986
『鎖国の跫音 現代日本の精神的諸相』PHP研究所 1981
『西欧の無知 日本の怠惰』文藝春秋 1982、PHP文庫, 1990
『日本の教育 ドイツの教育』新潮選書 1982
『日本の教育−智恵と矛盾』中央公論社, 1985
『行為する思索』中央公論社 1987
『戦略的「鎖国」論』講談社 1988、講談社文庫, 1992 増補改題 『中国人に対する「労働鎖国」のすすめ』 飛鳥新社, 2013

『「労働鎖国」のすすめ 外国人労働者が日本を滅ぼす』光文社, 1989、『労働鎖国のすすめ』 PHP文庫, 1992
『智恵の凋落』福武書店 1989
『日本の不安 世界史の転機に考えること』PHP研究所 1990、PHP文庫, 1993
『自由の悲劇 未来に何があるか』講談社現代新書 1990
『日本の孤独 誇りある国家であるために』PHP研究所 1991
『教育と自由 中教審報告から大学改革へ』新潮選書 1992
『全体主義の呪い 東西ヨーロッパの最前線に見る』新潮選書 1993 増補改題 『壁の向うの狂気 東ヨーロッパから北朝鮮へ』 恒文社21, 2003

『確信の喪失』学習研究社 1993 改題 『あなたは何を信じて生きるのか』 PHP文庫, 1996

『立ちすくむ日本』PHP研究所 1994
『異なる悲劇 日本とドイツ』文藝春秋 1994、文春文庫, 1997 改題 『日本はナチスと同罪か 異なる悲劇』 ワック, 2005 ISBN 4898315399

『教育を掴む 論争的討議の中から』洋泉社 1995-対談も含む
『自由の恐怖 宗教から全体主義へ』文藝春秋 1995
『人生の価値について』新潮選書 1996/ワック, 2006
『歴史を裁く愚かさ 新しい歴史教科書のために』PHP研究所 1997、PHP文庫, 2000
『現代について』徳間文庫「教養シリーズ」 1998
『沈黙する歴史』徳間書店 1998、徳間文庫, 2001 改題 『日本人はアメリカを許していない』 ワック, 2007

『わたしの昭和史 少年篇』(1・2)新潮選書 1998
『国民の歴史』(新しい教科書をつくる会編)、産経新聞ニュースサービス 1999 『決定版 国民の歴史』 文春文庫(上・下), 2009

『超然たる人生』PHP研究所 2001 (一章ごとの形式の選文集)
『歴史と科学−日本史を歩く』PHP新書 2001
『国を潰してなるものか−憲法・台湾・教科書問題』徳間書店 2001
『歴史と常識 ものの見方の一元化を排す』扶桑社 2002
『日本の根本問題』新潮社 2003
『私は毎日こんな事を考えている−西尾幹二の公開日誌』徳間書店 2003-ブログ日誌が元
『男子、一生の問題』三笠書房 2004
『日本がアメリカから見捨てられる日』徳間書店 2004
『日本人は何に躓いていたのか 勝つ国家に変わる7つの提言』青春出版社 2004
『人生の深淵について』洋泉社 2005/改題 『人生について』新潮文庫 2015
『で日本は大丈夫か』PHPソフトウェア・グループ 2005
『民族への責任 皇室・領土・企業買収・歴史教科書』徳間書店 2005
『江戸のダイナミズム-古代と近代の架け橋』文藝春秋 2007 ISBN 4163688307
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』徳間書店 2007-ブログ記事を含む
『GHQ焚書図書開封 米占領軍に消された戦前の日本』徳間書店 2008、徳間文庫 2014
『皇太子さまへのご忠言』ワック 2008 / 同・選書判(改訂版) 2012 ISBN 489831659X
『真贋の洞察 保守・思想・情報・経済・政治』文藝春秋 2008 ISBN 4163703705
『三島由紀夫の死と私』PHP研究所 2008
『GHQ焚書図書開封2』徳間書店 2008、徳間文庫 2014。文庫判は副題に「バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画」
『GHQ焚書図書開封3』徳間書店 2009、徳間文庫 2014。文庫判は副題に「戦場の生死と「銃後」の心」
『「権力の不在」は国を滅ぼす 日本の分水嶺』ワック 2009 ISBN 4898311342
『日本をここまで壊したのは誰か』草思社 2010 ISBN 4794217609
『GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代』徳間書店 2010、徳間文庫 2015
『西尾幹二のブログ論壇』総和社 2010−ブログ記事に上記の著作書評などを含む。
『GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満洲、支那の排日』徳間書店 2011、徳間文庫 2015
『GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜』徳間書店 2011、徳間文庫 2016
『平和主義ではない「脱原発」』文藝春秋 2011
『天皇と原爆』新潮社 2012、新潮文庫 2014
『GHQ焚書図書開封7 戦前の日本人が見抜いた中国の本質』徳間書店 2012
『憂国のリアリズム 感傷を排して世界を見よ』ビジネス社 2013 ISBN 4828417168
『GHQ焚書図書開封8 日米100年戦争〜ペリー来航からワシントン会議〜』徳間書店 2013
『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた』ビジネス社 2013
『GHQ焚書図書開封9 アメリカからの「宣戦布告」』徳間書店 2014
『アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか 「第二次大戦」前夜にだんだん似てきている、今』ベストセラーズ 2014
『GHQ焚書図書開封10 地球侵略の主役 イギリス』徳間書店 2014
『GHQ焚書図書開封11 維新の源流としての水戸学』徳間書店 2015
『日本、この決然たる孤独 国際社会を動かす「平和」という名の脅迫』徳間書店 2016.6
『GHQ焚書図書開封12 日本人の生と死』徳間書店 2016.8
『保守の真贋 保守の立場から安倍政権を批判する』徳間書店 2017.9
『あなたは自由か』ちくま新書 2018.10


著作集

『西尾幹二の思想と行動』(全3冊)、扶桑社、2000年 著作選集、1.ヨーロッパとの対話、2.日本人の自画像、3.論争の精神

『西尾幹二全集』[30] 国書刊行会、2011年10月 - (約10年予定) (全22巻予定)、函入で約数ヶ月ごとに刊行予定、一部論考は初書籍化。

翻訳[編集]
『悲劇の誕生』 ニーチェ、初版「世界の名著46」中央公論社, 1966年(第1回配本) / 中公文庫, 1974年 / 中公クラシックス, 2004年
『意志と表象としての世界』 ショーペンハウエル、初版「続 世界の名著10」中央公論社, 1975年 / 中公クラシックス(I・II・III), 2004年 - 鎌田康男解説
『ブルクハルト−歴史の中に立つ人間』 カール・レーヴィット、瀧内槙雄共訳 TBSブリタニカ, 1977年/ちくま学芸文庫, 1994年。※第一部「ブルクハルトとニーチェ」を担当
『ニーチェ全集 1巻(第1期) われわれの教育施設の将来について』(6回の公開講演)、白水社, 1979年 - ※各全集の担当訳・解説は一部
『ニーチェ全集 2巻(第1期) ギリシア人の悲劇時代における哲学』(他に4篇を担当)、 白水社, 1980年
『ニーチェ全集 4巻(第2期) 遺された著作 1888 − 89年』 白水社, 1987年 - 下記の元版 『この人を見よ』 新潮文庫, 1990年、改版2015年
『偶像の黄昏 アンチクリスト』 白水社〈イデー選書〉, 1991年。解説吉本隆明


共著

(宮下啓三)『ドイツの言語文化――思想と文学を中心に』(旺文社, 1980年)
『思想の出現 西尾幹二対談集』 (東洋経済新報社, 1994年)
(藤岡信勝)『国民の油断――歴史教科書が危ない!』(PHP研究所, 1996年)
(小室直樹・市川宏)『韓非子の帝王学』(プレジデント社, 1998年)
(中西輝政)『日本文明の主張――『国民の歴史』の衝撃』(PHP研究所, 2000年)
(長谷川三千子)『あなたも今日から日本人―『国民の歴史』をめぐって』(致知出版社, 2000年)
(池田俊二)『自由と宿命――西尾幹二との対話』(洋泉社新書, 2001年)
(三浦朱門)『犯したアメリカ愛した日本――いまなお敗戦後遺症』(ベストセラーズ, 2002年)
(金完燮)『日韓大討論』(扶桑社, 2003年)
(石破茂)『坐シテ死セズ』(恒文社21, 2003年)
(八木秀次)『新・国民の油断――「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』(PHP研究所, 2005年)
(平田文昭)『保守の怒り 天皇、戦争、国家の行方』(草思社, 2009年)
(青木直人)『尖閣戦争 米中はさみ撃ちにあった日本』(祥伝社新書, 2010年)
(青木直人)『第二次尖閣戦争』(祥伝社新書, 2012年11月)
(竹田恒泰)『皇室問題と脱原発』(飛鳥新社, 2012年12月)
(福井雄三・福地惇・柏原竜一)『自ら歴史を貶める日本人』(徳間書店〈徳間ポケット〉, 2012年12月)
(川口マーン惠美)『膨張するドイツの衝撃 日本は「ドイツ帝国」と中国で対決する』(ビジネス社, 2015年8月)
(呉善花)『日韓 悲劇の深層』(祥伝社新書, 2015年10月)
(中西輝政・柏原竜一)『日本の「世界史的立場」を取り戻す』(祥伝社, 2017年11月)
(渡部昇一)『対話 日本および日本の課題』(ビジネス社, 2018年10月)


編著

『ドイツ文化の基底――思弁と心情のおりなす世界』(有斐閣, 1982年)
『ドイツ語シンフォニー――初級読本』(朝日出版社, 1990年)
『地球日本史』(産経新聞ニュースサービス, 1998年-2005年) 地球日本史〈1〉日本とヨーロッパの同時勃興 産経新聞ニュースサービス、のち扶桑社文庫
地球日本史〈2〉鎖国は本当にあったのか 産業新聞ニュースサービス、のち扶桑社文庫
地球日本史〈3〉江戸時代が可能にした明治維新 産経新聞ニュースサービス、のち扶桑社文庫
新・地球日本史〈1〉明治中期から第二次大戦まで 産経新聞ニュースサービス
新・地球日本史〈2〉明治中期から第二次大戦まで 産経新聞ニュースサービス

『新しい歴史教科書――「つくる会」の主張』(徳間書店, 2001年)
『すべての18歳に「奉仕義務」を――「教育基本法見直し会議」緊急報告』(小学館文庫, 2000年)
『迫りくる「全体主義」の跫音――歴史教科書「12の新提案」』(小学館文庫, 2001年)
『新しい歴史教科書 次なる戦い』(小学館文庫, 2002年)


共編著

(渡邊二郎)『ニーチェ物語――その深淵と多面的世界』(有斐閣, 1980年) 改題 『ニーチェを知る事典』(ちくま学芸文庫, 2013年)

(高松敏男)『ニーチェ全集 別巻(第1期) 日本人のニーチェ研究譜』(白水社, 1982年)−資料文献篇を担当
(藤岡信勝・小林よしのり・高橋史朗) 『歴史教科書との15年戦争―「侵略・進出」から「慰安婦」問題まで』(PHP研究所, 1997年)
(渡部昇一・竹村健一・岡崎久彦・西部邁・堺屋太一・田久保忠衛・石原慎太郎ほか) 『日本の正論―21世紀日本人への伝言』(産経新聞ニュースサービス, 2001年)
(路の会編)『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか』(徳間書店, 2002年)
(青木直人責任編集・佐藤優ほか) 『中国の黒いワナ』(別冊宝島・宝島社, 2007年/宝島社文庫, 2009年)
(大原康男・小林よしのり・小堀桂一郎・高森明勅・中西輝政・長谷川三千子・百地章) 『日本人なら知っておきたい靖國問題』(青林堂, 2007年)
(西村幸祐責任編集)『ぼくらの核武装論』(オークラ出版, 2007年)
(責任編集)『中国人国家、日本 日本人排除の移民政策』(ビジネス社, 2014年)

テレビ
GHQ焚書図書開封(2007年2月5日 - 、日本文化チャンネル桜)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B9%B9%E4%BA%8C
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/589.html#c1

[政治・選挙・NHK264] 神出鬼没!山本太郎はマレーシアで勉強中だった!  赤かぶ
6. 中川隆[-8624] koaQ7Jey 2019年8月28日 14:38:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4128]
山本太郎はドイツ経済を復活させた演説の天才ヒトラーの再来、在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

「山本太郎」支持率がすごいことに!
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2019/09/01/0901-09.html
サンデー毎日 2019年9月 1日号

OL400人は考える・それってどうよ!?/610 

 先の参院選で「投票に行った」と答えたOLさんは46%と半数を割りましたが、れいわ新選組の山本太郎さんが人気です。

   ◇   ◇   ◇

「ずっと小泉進次郎押しだったのですが、いまはがぜん山本太郎。顔が好き。声が好き。これまでの経験上、顔と声そろって好みの人に悪い人はいません」(商社・26歳)

「これまで破天荒な人としか思っていなかったのですが、今回の選挙を経て、とてもクレバーな人なのだなと思い改めました。障害者の方々が議員になる、目からうろこ。いいトコついてくるなぁと思いました」(コンサル・31歳)

「この間、夕食のときに"山本太郎ってかっこよくない?"と言ったら、両親が"昔はパンツ一枚で踊ってたけどな"とか"あのままお笑い芸人になると思ったら化けたね〜"と昭和の逸話で盛り上がっていました」(損害保険・26歳)

「参院選のとき、会社のそばの駅で演説をしていたのですが、あまりのオーラに私たち(同僚ともども)立ち止まってしまいました。思わず手を振ったら、振り返してくれて、それだけで、私たちの票は山本太郎に(笑)」(IT・26歳)

「会社の先輩女子の押しメンは山本太郎。先日、宴会でいかに山本太郎が素晴らしいかを熱弁していて、それを聞くのが面倒になった新人クンが『でも、あの人、高校中退ですよね』とつぶやいたら、『それがなんなのよ!』と先輩のボルテージは上がりまくり、『じゃあ、学歴ある政治家で誰が仕事してる?』と問い詰め、山本太郎高校中退とつぶやいただけの新人クンに『あなたの出身校(T大)は立派だけど、うちの社のT大卒業生は仕事できないヤツばっか』と言いきって、そちらの大学出身の上司たちにも睨(にら)まれていました(失笑)。あの人たち、学歴だけが自慢なのに」(都市銀行・26歳)

「山本太郎って分かりやすくて嫌いじゃないけれど、これからが正念場に感じます。どんな人や政党と組んでいくのか。具体的にどんなことをしていくのか。最初は良くても後でがっかりのパターンも多いから、よ〜く見ていようと思っています」(広告・27歳)

「会社からの帰り道に偶然、山本太郎の演説に出くわして、同僚と共に聞き入ってしまいました。だって、分かりやすくて面白いのです。特に『死にたくなる社会から生きていたい社会へ』という言葉につかまれました。具体的なことは分からなかったのですが、そうだ、それが大事だなって。1000円募金して、記念写真も撮ってもらいました。いい思い出〜」(コンピューター・25歳)

「友達に勧められて演説の動画を見たら一瞬で引き込まれました。分かりやすい。政治家っていつも言っていることがよく分からない人が多い中で、こういう人を待っていました! という印象です」(通信・27歳)

「山本太郎と小泉進次郎とでテレビ対談してほしい。司会は櫻井翔クンで。それを見れば若い人もきっと政治に興味を持つはず」

(自動車・24歳)

   ◇   ◇   ◇

「山本太郎が好き」と答えたOLは77%。高支持率ですね〜。

▲△▽▼

ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。
彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html


▲△▽▼


山本太郎はドイツ経済を復活させた演説の天才ヒトラーの再来、在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

れいわ が障害2議員を入れたのは山本太郎を介護者として代弁させて国会に出ずっぱりで演説させる為だよ


山本太郎=演説だけでドイツを変えた名優ヒトラーの再来、斎藤まさし =ゲッペルス


▲△▽▼


れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。

森氏の父親は連合赤軍派最高幹部田宮高麿。
母親は森順子、ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。

森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。

斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?


国会に難病議員2人入れて介護者という名目で山本太郎が二人の代わりに代弁してれいわの名を売るんだろ

すべて斎藤まさしのアイデアさ

素人の山本太郎が4億円も寄付を集めたり、わざわざ難病議員を立候補させる訳がないというのがわからないアホが多過ぎるんだな

山本太郎は世界同時革命を目指すキチガイ斎藤まさし(酒井剛)の書いた台本通りに演技してるだけだよ


____


斉藤まさし(2018、8最高裁にて公職選挙法違反で有罪)が山本太郎の街宣に現れた!

やはり山本太郎は操り人形だったのね。


山本太郎の選挙を指揮していると言われてる斉藤まさしが新宿西口で行われた「山本太郎の街頭演説」の場に現れた。

元俳優の山本太郎を使って革命を目指す斉藤まさしの姿が良くお分かりになったでしょう。

監督の指示に従って演技をする、山本太郎は未だに役を演じているように見えますね。

しかし、その俳優は色々問題のある人物だった。

週刊新潮に強姦魔だと書かれても、名誉棄損で訴えることが出来ない。法廷で争う事が出来ない山本太郎という男を担いでしまった。

ME TOO のプラカード持ってパフォーマンスしていた議員達は山本太郎に強姦されたと勇気をもって告発した女性にはダンマリか!

未成年の女の子を強姦しても、革命家斉藤まさしの書いたシナリオ通りを演じておけば、参議院議員にもなれるか。

もし、事実じゃなないのなら、何故週刊新潮を訴えないのか?

____


無知な一般大衆が知らない山本太郎・斉藤まさしやヒトラー、レーニンを操っていた黒幕


ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
重信房子、田宮高麿、山本太郎・斉藤まさし、北朝鮮、オウム真理教の深い関係

2011年4月に行われた第17回統一地方選挙の三鷹市議会議員選挙に、代表を務める市民の党からよど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男、森大志が立候補しているが斉藤まさしは市議選に擁立した背景について取材で

「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」
「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」
「そうした縁もあって、長男が帰国してきてからつながりがあった」

と述べている。 北朝鮮や田宮との関係について「救う会」会長の西岡力は「酒井(斎藤まさし)代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と批判している


山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。


よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが
重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。


重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?

ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。


 あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/873.html#c6

[政治・選挙・NHK264] <山本太郎代表、立憲の若手有志議員>消費税を廃止したマレーシアの経済財政状況を視察!  赤かぶ
50. 中川隆[-8623] koaQ7Jey 2019年8月28日 14:39:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4129]
山本太郎はドイツ経済を復活させた演説の天才ヒトラーの再来、在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

「山本太郎」支持率がすごいことに!
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2019/09/01/0901-09.html
サンデー毎日 2019年9月 1日号

OL400人は考える・それってどうよ!?/610 

 先の参院選で「投票に行った」と答えたOLさんは46%と半数を割りましたが、れいわ新選組の山本太郎さんが人気です。

   ◇   ◇   ◇

「ずっと小泉進次郎押しだったのですが、いまはがぜん山本太郎。顔が好き。声が好き。これまでの経験上、顔と声そろって好みの人に悪い人はいません」(商社・26歳)

「これまで破天荒な人としか思っていなかったのですが、今回の選挙を経て、とてもクレバーな人なのだなと思い改めました。障害者の方々が議員になる、目からうろこ。いいトコついてくるなぁと思いました」(コンサル・31歳)

「この間、夕食のときに"山本太郎ってかっこよくない?"と言ったら、両親が"昔はパンツ一枚で踊ってたけどな"とか"あのままお笑い芸人になると思ったら化けたね〜"と昭和の逸話で盛り上がっていました」(損害保険・26歳)

「参院選のとき、会社のそばの駅で演説をしていたのですが、あまりのオーラに私たち(同僚ともども)立ち止まってしまいました。思わず手を振ったら、振り返してくれて、それだけで、私たちの票は山本太郎に(笑)」(IT・26歳)

「会社の先輩女子の押しメンは山本太郎。先日、宴会でいかに山本太郎が素晴らしいかを熱弁していて、それを聞くのが面倒になった新人クンが『でも、あの人、高校中退ですよね』とつぶやいたら、『それがなんなのよ!』と先輩のボルテージは上がりまくり、『じゃあ、学歴ある政治家で誰が仕事してる?』と問い詰め、山本太郎高校中退とつぶやいただけの新人クンに『あなたの出身校(T大)は立派だけど、うちの社のT大卒業生は仕事できないヤツばっか』と言いきって、そちらの大学出身の上司たちにも睨(にら)まれていました(失笑)。あの人たち、学歴だけが自慢なのに」(都市銀行・26歳)

「山本太郎って分かりやすくて嫌いじゃないけれど、これからが正念場に感じます。どんな人や政党と組んでいくのか。具体的にどんなことをしていくのか。最初は良くても後でがっかりのパターンも多いから、よ〜く見ていようと思っています」(広告・27歳)

「会社からの帰り道に偶然、山本太郎の演説に出くわして、同僚と共に聞き入ってしまいました。だって、分かりやすくて面白いのです。特に『死にたくなる社会から生きていたい社会へ』という言葉につかまれました。具体的なことは分からなかったのですが、そうだ、それが大事だなって。1000円募金して、記念写真も撮ってもらいました。いい思い出〜」(コンピューター・25歳)

「友達に勧められて演説の動画を見たら一瞬で引き込まれました。分かりやすい。政治家っていつも言っていることがよく分からない人が多い中で、こういう人を待っていました! という印象です」(通信・27歳)

「山本太郎と小泉進次郎とでテレビ対談してほしい。司会は櫻井翔クンで。それを見れば若い人もきっと政治に興味を持つはず」

(自動車・24歳)

   ◇   ◇   ◇

「山本太郎が好き」と答えたOLは77%。高支持率ですね〜。

▲△▽▼

ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。
彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html


▲△▽▼


山本太郎はドイツ経済を復活させた演説の天才ヒトラーの再来、在日で北朝鮮のエージェント、世界革命を目指す日本赤軍派後継者

れいわ が障害2議員を入れたのは山本太郎を介護者として代弁させて国会に出ずっぱりで演説させる為だよ


山本太郎=演説だけでドイツを変えた名優ヒトラーの再来、斎藤まさし =ゲッペルス


▲△▽▼


れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。

森氏の父親は連合赤軍派最高幹部田宮高麿。
母親は森順子、ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。

森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。

斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?


国会に難病議員2人入れて介護者という名目で山本太郎が二人の代わりに代弁してれいわの名を売るんだろ

すべて斎藤まさしのアイデアさ

素人の山本太郎が4億円も寄付を集めたり、わざわざ難病議員を立候補させる訳がないというのがわからないアホが多過ぎるんだな

山本太郎は世界同時革命を目指すキチガイ斎藤まさし(酒井剛)の書いた台本通りに演技してるだけだよ


____


斉藤まさし(2018、8最高裁にて公職選挙法違反で有罪)が山本太郎の街宣に現れた!

やはり山本太郎は操り人形だったのね。


山本太郎の選挙を指揮していると言われてる斉藤まさしが新宿西口で行われた「山本太郎の街頭演説」の場に現れた。

元俳優の山本太郎を使って革命を目指す斉藤まさしの姿が良くお分かりになったでしょう。

監督の指示に従って演技をする、山本太郎は未だに役を演じているように見えますね。

しかし、その俳優は色々問題のある人物だった。

週刊新潮に強姦魔だと書かれても、名誉棄損で訴えることが出来ない。法廷で争う事が出来ない山本太郎という男を担いでしまった。

ME TOO のプラカード持ってパフォーマンスしていた議員達は山本太郎に強姦されたと勇気をもって告発した女性にはダンマリか!

未成年の女の子を強姦しても、革命家斉藤まさしの書いたシナリオ通りを演じておけば、参議院議員にもなれるか。

もし、事実じゃなないのなら、何故週刊新潮を訴えないのか?

____


無知な一般大衆が知らない山本太郎・斉藤まさしやヒトラー、レーニンを操っていた黒幕


ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
重信房子、田宮高麿、山本太郎・斉藤まさし、北朝鮮、オウム真理教の深い関係

2011年4月に行われた第17回統一地方選挙の三鷹市議会議員選挙に、代表を務める市民の党からよど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男、森大志が立候補しているが斉藤まさしは市議選に擁立した背景について取材で

「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」
「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」
「そうした縁もあって、長男が帰国してきてからつながりがあった」

と述べている。 北朝鮮や田宮との関係について「救う会」会長の西岡力は「酒井(斎藤まさし)代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と批判している


山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。


よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが
重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする

重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。


重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?

ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。


 あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/860.html#c50

[近代史3] 哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
2. 中川隆[-8622] koaQ7Jey 2019年8月28日 14:54:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4130]

西尾幹二のインターネット日録
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/589.html#c2
[近代史3] 哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
3. 中川隆[-8621] koaQ7Jey 2019年8月28日 14:57:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4131]

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(T)a
2014年02月07日 | 歴史資料
https://blog.goo.ne.jp/maryrose3/e/2ce5edfd159288d8f2931eb1d7423c4f

中川八洋掲示板 @中川八洋
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

のサイトに中川八洋氏の論考が投稿されていました。西尾幹二氏に対する批判ですが、現在の保守論壇で西尾幹二氏の果たされている大きな功績はもちろん否定されるものではありません。が、しかし、この中川八洋氏の批判も全く無意味であるとはいえません。西尾幹二氏といえども、もちろん完全無欠ではないからです。とくに西尾幹二氏の最近の論考に戦前の「国家社会主義」の評価に弱点がないか、検討の余地があるとも考えられるからです。いずれにしても、西尾幹二氏や中川八洋氏らの優れた論考を、個人的な参考資料として引用させていただくものです。著作権上に問題があれば削除いたします。

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(T)   
――「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
 
西 尾幹二氏(以下、敬称略)と言えば、「新しい教科書をつくる会」の会長として、その勇名をとどろかせた老耄評論家である。しかし西尾幹二とは、高校生の時 に生涯の職業として小説家を目指そうとしたように、肩書きだけは「学者」になったが、本人の告白どおり、「世間に目立つことが第一」の売文業者として、そ の生涯を終えようとしている。
 中学生用の西尾版『新しい歴史教科書』(扶桑社刊)を、二〇〇一年、西尾幹二から贈呈されて一読した時、その余りのひどさ、つまり洪水のような歴史事実の歪曲と改竄、そして共産党と変らぬ極左一色の立ち位置に、思わず絶句した。
この西尾版『新しい歴史教科書』は、西尾幹二が“歴史音痴”であるのを広く世間に知らしめるものとなった。西尾幹二とは、ニーチェ哲学が全く理解できないように、典型的な“哲学音痴”だから、歴史と併せると“ダブル音痴”ということになる。
歴史と哲学の知見がかくもハチャメチャだから、「知識人」の範疇に入れることはできない。客観的な評価において、「売文業者」に分類するしかない。
本 稿では、西尾幹二の“歴史音痴”を論う積もりはまったく無い。「西尾幹二の歴史関連の大量の雑文が、一言で表現すれば<西尾史観>が、日本国にとっていか に害毒はなはだしいか」を剔抉して、読者・国民の前に提示したいだけである。西尾の歴史にかかわる記述には、歴史破壊の衝動に生きたニーチェと同様に、日 本人から歴史を剥奪する“歴史の脱構築”が基底に潜んでいる。“紛い物のポスト・モダン”であり、「反人間」「反国家」が、無意識だろうが、西尾史観の核 を形成している。
歴史とは、民族の魂を世代を超えて紡いでいくものである。これなくしては、人間は文明の人間ではありえず、その人格に高貴な倫理 道徳は形成されえない。だが、西尾幹二は、この歴史の本義を根底から破壊して、日本国を腐蝕的に溶解・亡国させようとの強い潜在意識が、その走るような速 筆のエネルギー源となっているようである。

第一節 スターリンの世界共産化を擁護する、西尾流詭弁
                ――西尾幹二の“狂妄”大東亜戦争論T 

西尾幹二と同じく、(人間の動物化・野蛮化につながる)歴史を人間から剥奪することに全力をあげたのは、誰でもが知っているように、まずは「ルソー→マルク ス/エンゲルス→レーニン→スターリン」の系譜上の哲人群。このほかでは、フランスのポスト・モダン思想系のフーコー/デリダ/ドウルーズらの系譜が重要 だろう。
後者のポスト・モダン系の現代思想家(哲学者)に決定的な影響を与えた一人が、(ルソーやハイデッカーとともに)ニーチェである。ニー チェの『善悪の彼岸(=道徳を廃滅する)』や『道徳の系譜』を読むと、人間をボルトナットか何かの金属にでも改造したいのか、「反人間」「反文明」のニー チェの狂気の情念が迸っていて戦慄する。これと同種の怖さを(中学校用)『新しい歴史教科書』と、その主著者である西尾幹二に感じたのは私だけではあるま い。
現に西尾幹二は、ニーチェと同じく、倫理道徳を憎悪する。日本民族から歴史を剥奪したい西尾は、さらに日本人の人格から倫理道徳も剥奪したいと、彼の極限の異常へと繋がっていく。

スターリンの世界征服・共産化戦略を擁護する西尾幹二 

ほんの少しだが、具体的な例を挙げる。西尾の『新しい歴史教科書』の二八六頁に、次のようなデッチアゲ、つまり“偽造の嘘歴史”が記述されている。

「ルーズヴェルトは、ドイツとの戦争が終わってから三ヶ月以内に、ソ連が対日参戦することをスターリンに求めた」
「このような対日戦争の擬制の一部をソ連に負担させる代償として、ルーズヴェルトは、太平洋憲章の領土不拡大方針に違反して、ソ連に日本領の南樺太と千島列島を与え、」(注1)。

(ス ターリンとルーズヴェルトの私的な合意書である)ヤルタ秘密協定(注2)のことを指しているようだが、日本と満洲の「戦争後」にかかわるヤルタ秘密協定に ついては、一九四五年二月四〜十一日の「ヤルタ会談」八日間のうち、二月八日に行なわれ、わずか三十分間で済んだ(午後三時半〜四時)。通訳の時間を除け ば、実質的には数分間であった。
つまり、クリミア半島の保養地ヤルタでの米英ソ三巨頭会談は、その一週間のほとんどを、ヤルタ協定(注3)として 発表される、ポーランドなど東ヨーロッパ問題に費やした。実は、ヤルタ秘密協定の内容は、すでに一九四四年十二月十四日、(対日参戦の代償という名目で) スターリンがハリマン米国大使とのモスクワでの協議で、ルーズヴェルトに公式に要求していた(注4)。ヤルタでは、ルーズヴェルトが、このスターリンの要 求(十二月十四日)に「了解する」の旨を発言しただけと解するのが事実に即している。
しかも、ヤルタ秘密協定の内容は、「(ソ連の植民地になって いた)モンゴルは現状維持」の一項目を除き、実は、すべてテヘラン会談(一九四三年十一月)で、スターリンからルーズベルトに提案されていた。それ以前に 米国がソ連に対日参戦を求めていたのは事実だが、その時期を米国の方が「ドイツ降伏後三ヶ月以内」としたり、米国の方が「南樺太やクリル諸島の割譲」を提 案したなどは、余りにひどい創り話である。それらはすべて、スターリンの口から発せられた。いわんや、この捏造内容を前提としての「米国は太平洋憲章に違 反」に至っては、悪質な米国誹謗のための創り話。まるで共産党が書いたもののようである。
日本の領土を不当かつ不法に奪取したヤルタ秘密協定の罪 のすべてが、“悪のソ連(ロシア)とスターリン”にあるのは、疑問の余地なき事実である。スターリンが、このような要求を(脳腫瘍で歩くこともままならず 痴呆症状すら見せる)ルーズベルトに突きつけなければ、南樺太もクリル諸島も日本領土であり続けており、日本が非難すべき対象はスターリンとソ連のみなの は自明すぎる。
また、ヤルタ密約の主犯がソ連・スターリンである事実を転倒してまで擁護する西尾幹二は、日ソ中立条約を侵犯して、満洲や朝鮮北部 そして南樺太から国後・択捉島にまで侵略してきたソ連を非難することが決してない。マルクス・レーニン主義者でない西尾幹二の、この異様なスターリン擁護 /ソ連一辺倒の思考は、どこから形成されたのか。分裂症的思考の問題はいったん脇におき、もう少し西尾幹二の頭の中を覗き込むことにしよう。

ロシアの樺太侵略を正当化する、“ロシアの犬”西尾幹二 

西 尾幹二は、共産党や土居たか子/福島瑞穂の社会党と同じで、心底に、日本を“ロシアの属国”にしたい熱情を強度に秘めている。そうでなければ、次のような 荒唐無稽な嘘歴史/創り話をデッチアゲルことなどしない。なぜなら、この捏造歴史は、ロシアの樺太侵略を何としてでも無実で無関係な英米に転嫁して、侵略 国ロシアの犯罪を隠蔽し無罪放免しようとの意図なしにはできないからだ。『新しい歴史教科書』で、西尾は、こう嘘記述した。

「アメリカやイギリスは、もし日本がロシアと戦争すれば、樺太はおろか北海道まで奪われるだろうと明治政府に警告してきた。…明治新政府はロシアとの衝突を避けるため、一八七五年、ロシアと樺太・千島交換条約を結んだ」(注1)。

このようなデタラメ歴史は、目を疑う。(基本的にはクリミヤ戦争以来、直接的には一八六一年から、一九〇五年の日露戦争の日本勝利までの)十九世紀後半の英国は、アフガニスタンやチベット防衛と同様、“日本国をロシアから防衛すること”が至上の国策だった。
だから、一八六一年に対馬がロシアに占領された時、英国は支那艦隊(のち東洋艦隊/極東艦隊と名称変更)の軍艦を出動させ、無償でその奪還をしてくれた。
香 港を母港とする英国の支那艦隊。それは、日本にとっての“救国艦隊”で、真正の「第二の神風」だった(注5)。ロシアがウラジヲストック(露語発音は「ウ ラジヴォストーク」で、「日本征服」という意味、注6)を太平洋進出の軍港としたのは、一八六〇年十一月に北京条約で沿海州を獲得したのと同時だった。翌 六一年三月、ロシアは直ちに南下策を決行。対馬(芋崎浦)に侵攻し(上陸し)、この地の割譲を要求した。
一九六二年六月、英国公使オールコックは支那艦隊司令官・ホープ提督に諮り、ホープは軍艦二隻(エンカウンター号とリングダブ号)を対馬に派遣し、ロシア軍艦ポサドニック号の対馬退去強制に成功した(同年九月)。
また、日露戦争にあたり、英国は、日本の戦費の工面に全面協力し、日本が新造軍艦を入手できるよう智慧と情報と援護を無償で提供し(注7)、さらにはバルチック艦隊の戦場(東シナ海&日本海)到達を遅らせるべくスウェーズ運河の利用を拒絶した。
日英同盟なくして、日本の対露勝利はなかった。
こ のような英国が、「ロシアに与して、日本に樺太放棄」など万が一にも進言するはずもなかろう。ただ、英国公使パークスが、樺太や北海道の対露防衛に対する 日本の熱意の低さに唖然として、歯がゆさ故に、一八六九年、「せめて北海道の防衛に日本の国力を集中せよ」と助言したことは事実である(注8)。つまり、 パークスの真意は、“樺太も北海道も全力挙げて守れ”というものだった。
“日本一の国賊”川路聖謨が、日本の固有の領土である樺太をロシアの言いなりに下田条約を締結したばかりに、樺太はロシアに半分貢納された。「日露雑居の地」、すなわち「日露共同主権の地」とすることに川路が合意したからである。
下田条約締結の一八五五年二月時点、樺太の居住者は、アイヌ原住民を除けば、“日本人四千名、ロシア人ゼロ名”であった。ロシア人の初の入植は一八五七年の、下田条約の二年後で、しかも、たったの一家族六名だった。
勘定奉行で次席全権(形式上、実際上は首席全権)の川路聖謨は、プチャーチンとの下田交渉で、樺太の実態も情況などもいっさい調べない、(勝海舟や小栗上野介などの本物の大秀才とは異次元の)“学校秀才型の無能な馬鹿”だった。
で きたてホヤホヤの明治新政府が、間宮林蔵や最上徳内などの働きに代表される十九世紀前半の江戸幕府並みに、樺太防衛を再び真剣に考え出すのは、パークス助 言の翌年一八七〇年からである。だが、ロシアは、国内の政治体制づくりで多忙な新政府の弱みにつけこんで樺太を日本に放棄させるべく、囚人や軍隊を投入し て、樺太居住の日本人へのレイプ/掠奪/放火などの暴虐を計画的に繰り返した。新政府の基盤が確立するまで十年ほどはそのままほっとけばよいものを、日本 側は、次第に、樺太を南北で日露二分割できまいかと思案するに至る。“外交音痴”黒田清隆らであった。
日本が米国と接触したのは、この樺太を南北 二分割する外交仲裁を依頼するためだった。だが、米国公使デロングは、樺太について、川路聖謨と同じくチンプンカンプン。そればかりか、太平洋に海軍力も ない(英国のような大国ではない、新興の)まだ準中級国家の米国に、日露仲介力など存在しないのは初めからわかっていたはずだ。
デロングは、意味 不明な回答をして、この仲裁を断った。パナマ運河の開通は一九一四年、米国が初めて太平洋に海軍基地をハワイ(パール・ハーバー)に造ったのが一九一九 年。それより五十年も昔の一八七〇年とはアメリカが、マゼラン海峡の向こう側の国で“非太平洋国家”だった時代。南北戦争が一八六五年に終わったばかり で、国内の再統一がアメリカ政治のすべてであった時代。そんなアメリカに日露仲介を依頼した、その自体、明治新政府の国際感覚が幼児並みの論外だったこと になる。

ところが、西尾幹二は、小説家クズレの面目躍如と、「日本がロシアと戦争すれば…」の嘘話を創作する。日ロ間の外交交渉で樺太を主権分割することが、どうして樺太争奪をめぐる日ロ間の戦争なのか。
歴 史事実をすべて無視してかかる虚言癖が強く、その上デッチアゲを常習とする“歴史の偽造家”西尾幹二は、『偶像の黄昏(=死滅する真理)』のニーチェと同 じく、真実への憎悪が強度である。真実のない世界を夢遊的に彷徨している西尾幹二は、歴史という学問分野には最も不適合な人物である。
上記の教科書記述は、次に続く。

「樺太在住の日本人とロシア人の間では、紛争がたびたびおこった」(注1)。

  ロシアが背後に軍隊を配置した「ロシア暴民による計画的な日本人襲撃」が、どうして「紛争」なのか。西尾は、殺人をした加害者の犯罪行為とそれに抵抗しな がら殺された被害者のこの抵抗を同列・同等なものに扱う。善悪の区別を破壊し、正義・不正義の区別を破壊する狂人ニーチェと同じである。だから西尾は、糾 弾され加罰されるべき加害者(ロシア人)と同情されるべき被害者(日本人)とを差別ができず、それをルソー的な「平等」に扱い、その闘いを「紛争」だと歪 曲する。狂人的に善悪を区別できない者の日本歴史は、必ず「反日」性が濃縮されている。

初期明治日本の迷走外交が屈した、ロシアの樺太侵略 

話が脱線するが、一八七五年の樺太・千島交換条約にいたる、日本国内の対露政策の大混乱の情況と主因とを少し触れて
おこう。樺太に渡航した日本人の最初は、松前藩の藩士、佐藤加茂左衛門と蠣崎蔵人で、一六三五年である。松前藩の樺太統治は、クシュンコタン(大泊)に陣屋を設けた一六七九年が最初である(注9)。
日 本人の(ロシアに対する)樺太防衛論は早く、工藤平助『赤蝦夷(=ロシア)風説考』(一七八三年刊)、林子平『三国通覧図説』(一七八五年刊)、林子平 『海国兵談』(一七九一年刊)、松前平角ほか『蝦夷唐太(=樺太)島之記』(1791年刊)などは、日本の中学生全員が知っておくべきである。日本人作成 の地図が書かれており、日本で樺太防衛意識が高まったかの時期がよくわかる。
もう一つ、日本国民すべてが未来永劫に知っておくべきは、間宮海峡を発見して(一八〇八年)樺太が島であるのを世界初に確定した間宮林蔵の功績や、樺太探検だけではなく樺太防衛で六百名の会津藩兵クシュンコタン駐兵監察になった
(一八〇八年)、最上徳内の功績も忘れてはなるまい。

さ て、話を川路聖謨が締結した(不平等どころではない)“反日の極み”下田条約によって、その後、ロシア兵が大挙して樺太に進駐するばかりか、同条約の 「(北半分がロシア、南半分が日本という)従来のしきたり遵守」条項に反して、次第に樺太南部に公然と出没し日本人を執拗に襲うようになった。さらには日 本側が被護的に統治していたから、従来どおりの生活と慣習堅持の自由が完全に保障されていたアイヌ原住民に対して、ロシア側は“ロシア人の奴隷”として扱 う暴力が日常となった。日本側に助けを求めるアイヌ原住民の事件数は、年々急増した。
これらロシア側の暴力に対して小競り合い対抗を、あと十年ほ どし続けていれば、「樺太の日本単独領有」で完全解決したものを、逆さにも、交渉すれば平和的な共存ができるとの日本国内の紛争解決の日本人感覚で、江戸 幕府は幕府倒壊前夜の一八六七年三月、二名の全権大使(小出大和守/石川駿河守)をもって、わざわざロシアの首都ペテルブルグまで派遣した。
その 結果、なんと逆にロシアに言いなりの、もっとひどい「樺太の潜在主権はロシア、ただし日本側が認めない場合は、日露の雑居の地」という暫定協定「樺太島仮 規則」に調印する破目になった(注10)。日本は“ロシアの属国です”を合意しに行ったも同然のアホバカ外交の典型。この江戸幕府の不要・不急の逆走外交 は、江戸城の明治新政府への明け渡しが一八六八年四月だったから、その一年前だった。

明治新政府は、日本の国益を破壊した「下田条約→樺 太島仮規則」の延長上に、実効支配を目指すロシアの樺太侵略に直面した。が、樺太・択捉・国後島の実態的な防衛参謀本部の任にあった会津藩が鶴ヶ城の落城 (維新政府への開城、一八六八年九月)とともに消滅した日本では、対露防衛・外交の専門家はゼロとなっていた。
しかも明治新政府は、樺太や国後・ 択捉・得撫島などに関心のない薩摩と長州が牛耳っていた。彼らは、コメ生産のための台湾攻略やトロツキー的な朝鮮への革命輸出などマイナーな問題や転倒外 交と、ロシア侵略に対する国土防衛としての樺太防衛という最重要な国防とを天秤にかける、国策の軽重がわからぬお粗末な連中がほとんどだった。
と りわけ、西郷隆盛は、征台論と征韓論を優先すべく、次元が異なる樺太防衛を「せずに放棄せよ」と、反日の暴論をぶつ狂気を一段と濃くしていた。一八七四年 五月の台湾征伐は、翌一八七五年の日本の樺太放棄とコインの裏表の関係にあるのは、いずれも西郷が推進したからだ。西郷の樺太放棄論は、韓国併合をした山 縣有朋とともに、日本の安全毀損では群を抜いて最凶である。
黒田清隆もまた、西郷隆盛と同罪だろう。薩摩藩出身で樺太に無知・無関心でありなが ら、黒田が開拓次官となったそのこと自体、明治新政府の人事の腐敗がかなりのものだったことを示している。黒田清隆は、早々と樺太放棄論の意見書を政府に 出した(一九七一年二月)。明治天皇への上奏文も提出した(一八七三年二月)。
ロシア駐箚公使の榎本武揚による樺太・千島交換条約の締結は、黒田 の樺太放棄論の延長のものであった。ロシアの罠に落ちた川路聖漠の下田条約が、その二十年後、一直線に樺太喪失へとつながっていったことになる。明治新政 府の中で、樺太死守論を主張し続けた“愛国者”丸山作楽(外務大丞)こそ、われわれ日本人が二十一世紀においても学ぶべき対露外交の鑑である。
明治新政府が、「下田条約」と「樺太島仮規則」を、江戸幕府が調印したものだからを理由に全面破棄してさえいれば、いや、それらをそのまましてただ「樺太は日本の固有の領土であるので、ロシアは一兵残らず撤退せよ」と宣言さえしていれば、すべてが解決していた。
なぜならロシアは、クリミヤ戦争の敗北を取り戻すべく、露土戦争(第二次クリミヤ戦争、一八七七〜八年)の準備に全ての国力を集中させており、(シベリア鉄道がまだないことからも当たり前すぎるが)樺太での紛争(日本人への暴虐な犯罪行為)を戦争にエスカレートする余裕など全くなかった。アラスカを米国に売却せざるを得なかったのも(一八六七年、七百二十万j)、露土戦争のために軍備調達・整備のためだった。
露土戦争の勃発と同時に、樺太からのロシア兵はことごとく消えた。この機を捉えて、(弱小国の米国ではなく、大国の)英仏と共同さえすれば、樺太の日本単独領有を定める新・日露条約なんか容易に締結できた。日英仏の対ロ「逆・三国干渉」である。
し かし、初期明治政府には、一九五六年の鳩山一郎・河野一郎の対ソ叩頭外交を肇とする戦後日本と酷似して、国際情勢やロシア情況を機敏に活用してダイナミッ クに国益擁護する、外交の根幹を堅持できる人材が、政府中枢には不在だった。陸奥宗光や小村寿太郎らは際立つ外交逸材だが、明治中期以降に登場した。
明治維新政府において薩長が要職を独占した弊害が、会津藩の消滅とともに樺太防衛参謀本部も消滅した事態と一緒になって、日本が樺太を喪失していく主因となった。

第二節 「個人の蔵書/図書館の蔵書は、没収してはいけない」が、どうして“焚書”になるのか 

『GHQ焚書』を七巻も出したことにおいて、狂妄の嘘で固める西尾幹二の歴史偽造の「業績」は、他の追随を許さない。歴史偽造では日本最大最凶の量を誇る共産党に対してすら、西尾幹二だけは例外的に優劣を争っている。
まず、本のタイトル『GHQ焚書』からして、極端にキワモノの歴史偽造がわかる。西尾幹二の歴史偽造癖は、確信犯の犯罪のレベルで、万引き犯や放火犯の常習者などに見られる精神医学上の病気と同じだと診てよい。
七年間占領行政を行ったGHQにかかわる歴史において、真実は、GHQは日本において“焚書”など全くしてない。“焚書”を断じてしなかったGHQを虚構「焚書犯」に仕立て上げて執拗な糾弾をするとは、冤罪をでっち上げようとの悪意の“犯意”なしにはできない。
事実や真実を憎悪する西尾幹二はまた、無実の他人や他国を中傷誹謗する病的な常習者であって、その中傷誹謗のレベルは、ならず者ですら足元に及ばない。

「焚書となる爆撃は絶対に禁止する」ーー米軍の東京空襲B29部隊への命令

個人蔵書や教育機関などの蔵書を人類の中でもっとも重視し尊重するアングロサクソンの書籍文化の系譜にある米国は、洋食が日常の食事の過半を占めてもなお日本人が箸でご飯を食べ続ける文化が強固であるように、書籍の焚書など決してできない。
だ から、大東亜戦争の戦争中、東京を焼け野原にするのだから必ず焚書に至るはずの東京空襲において、米軍は、神田の古本街や日比谷図書館など、本があるとい う理由で、それらのある地域を「B29の空襲(ナパーム弾による焼却)の対象から外せ、との爆撃命令」を出した。これは(風向きによっては爆撃しなくとも 延焼が起きるので)爆撃射手としては極めて難しい技術だが、全機・全パイロット全員が、この命令を忠実に履行した。だから、神田の古本屋街は無傷・無焼 だった。高度一万bからの爆撃能力も高いのにも驚くが、「本を焼くな!」のアングロサクソンの書籍文化/米国の書籍文化にも敬意の念をもって驚かざるを得 ない。
だから、GHQが叛乱防止を主眼としての“占領行政として図書没収”という占領検閲行政において、「個人蔵書は対象外」「教育機関・公共図書館の蔵書も対象外」とした。個人と図書館からは、一冊も図書没収をしなかった。占領期の日本人で、戦前・戦時中のいかなる図書であれ読みたくて読めなかった者は、七千万人の中、ゼロであった。

だが、生来の虚言癖がひどい上に、何らかの精神上の錯乱症状が顕著な西尾幹二は、市販本のみを対象としてGHQ(軍事諜報部参謀部民間検閲支隊)が“秘密裏の没収”を命じた、いわゆる「市販本に限る没収指定図書」について、「焚書だ!」「焚書だ!」と大騒ぎをする。「流通機構に乗せてはならない」「販売してはならない」「読みたいならば、日本人は図書館などから借りて読め」との命令が、どうして“焚書”なのか。
粗にして雑もここまで書けないレベルで、この(真赤な嘘ばかり以上に)歴史の巨大偽造を意図した、非学問の低級な嘘宣伝本七冊が、“日本人の恥さらし”西尾幹二著『GHQ焚書図書開封』である。

GHQの市販禁止通達は秘密――「市販禁止」など知らない国民は誰でも、学校の図書館で該当本を読んでいた 

GHQからこの「指定図書の没収」を担当させられた文部省は、一九四八年、「文部次官通達」を各県知事に出した。次のように書かれている。

 「没収は書店、発行所、印刷所等の販売および輸送経路上にあるものについて行なうのであって、個人や図書館のもの(蔵書)は除外されるのは今まで通り」(注1)。

つ まり、戦前・戦中に発行された本のうち数千冊が、この通達によって、“市中の書店での販売が禁止された”。が、もともと一九四五年八月の玉音放送を境に、 これらの本の多くは全く売れないので書店ではすでに販売していなかった。いや、都市や街が空襲のナパーム弾で焼けた以上、本屋の多くは他の商店や住宅とと もに焼けて存在していなかった。
だから、GHQの「市販禁止」で特段困った書店がそもそも存在しなかった。また、日本人は食うことと瓦礫の片付け や復興に忙しく、本を買ってまで読書する、そんな余裕はなかった。この市販禁止で不自由したものは、焼け残った倉庫に在庫を保管していた出版社を除いて、 実は日本中一人もいなかった。

GHQは何という無意味・無駄きわまる占領政策をしたものかと首を傾げざるを得ない。また、上記の「文部次 官通達」を知る国民など、各都道府県の警察幹部と業務命令を受けた県庁・市町村役場の職員から選ばれた「没収官」を除き、誰もいなかった。なぜなら、この 「市販本没収」そのものが、一般国民には知らせてはならない「秘密」に指定されていたからだ。
そもそも、戦前・戦中の八千冊ほどの本を読む/ チェックするものは、現代史を職業とする私のような大学人に限られている。おそらく、全国で、これらの「市販禁止図書」を次から次に読み漁る必要があった (私と同等・同様な研究者の)日本人は、戦後約七十年間を通じて、百名もいまい。
なお私は、これらのGHQ市販禁止図書の多く(ほとんどは荒読み で二千点近く)を読破・チェックした。これら二千点は、三つ四つの図書館と古本屋からすべてを手にすることができ、手にすることのできない本など一冊とし てなかった。日本中の現代史の研究者で不自由したものも一人もいない。
「焚書だ!」と叫ぶ西尾幹二自身、それが真赤な嘘で事実無根の妄想なのは、とくと自覚している。歴史の真実は守られなければならず、焚書でないのに「焚書だ!」との嘘を意識して流言した罪で、西尾幹二の方を焚刑に処す方を検討すべきある。
GHQ による秘密(非公然、covert)の“市販本に限る没収”措置によって、日本人が特定の知見を奪われたなどという事態は、万が一にも発生しなかった。福 島セシウムでだれ一人として発癌しない科学的真理と同じく、これらの本はすべて図書館にあるから、日本人の誰も不都合がなかった。これが現実だったし、歴 史の真実である。
だが、西尾幹二は、次のような、あからさまな嘘と創り話を吼える。

a「図書館でも没収が行なわれていた」「図書館からも消された」「公の場から突如いっせいに消えた」
b「たまに見つかっても、この本は読んではいけない禁書だとお達しによって、厭戦感情と食糧難にあえぐ国民の心に縛りがかけられてしまった」(注2、五四頁)。

aが嘘なのは、図書館の蔵書は容認だから、言わずとも明白。bが創り話なのも、「この本は読んでいけないお達し」そのものを国民全員がいっさい知らないのだから、言わずとも明白。“狂気の売文業者”西尾幹二の狂史は、妄言・暴言の何物でもない。
「市販してはいけない」は、「読んでもよいが売ってはいけない」の意味であるように、「読んではいけないお達し」など、GHQ七年史に存在しない。西尾の創り話は、狂犬の襲われた時の戦慄ほどに怖い。

図書館の没収はゼローー西尾が在籍した東京大学総合図書館は、その好例 

aについて西尾がどんなハチャメチャな大嘘をつくか、西尾幹二が通学していた東京大学を例にとって証明しておこう。
彼 が在学した時期の図書目録をつぶさに調査すると、東京大学総合図書館において、西尾幹二が「焚書!」と叫ぶ本で、廃棄されたり処分されたりした本は一冊も ない。当時の東大の学長も図書館長も、「市販禁止本の没収」というGHQ指令それ自体をおよそ知らなかったし、知ればそれは「図書館の蔵書はいっさい従来 のままでよし」だから、それらを廃棄や書棚から外したりをするわけがない。
だが、事実や真実を憎悪し破壊し尽したい、この世はオレ様の嘘だけが存在すればよいのだの狂気に生きる西尾幹二の創り話は、さらに荒唐無稽な妄想へと膨らむ。こうだ。

「東京大学の総合図書館や文学部の図書館は、一九四五年以来、瓦礫に埋まっていた。が、エジプトの王家のミイラの発掘と同じく、ついに二〇〇五年、オレ様によって<発掘された>」(五五頁をわかり易く再記述)、と。

(僕 が人類で初めて月を発見したよと叫ぶ)「月の発見」と同じ、三歳の童子のはしゃぎである。いや、上記の妄想が三歳の童子の言なら、確かにはしゃぎや興奮だ からでことは済む。だが “民族系の知識人”を自認する七十歳を越えた老耄評論家の言説を、はしゃぎとみなすことはできない。狂人による狂気の創り話だと冷静に正しく判定を下す必 要がある。
そもそも、西尾幹二とは、“学術的な本をいっさい読まない/史料をいっさい研究しない”ナラズモノ評論家。学者などとはほど遠い野卑な人種。西尾のような跳びぬけて愚劣・低級な売文業者がどう形成されたかは、かなり永年の疑問だった。
が、東大文学部在学中に、GHQ指定の市販禁止本が東大の図書館に所狭しと並んでいるのを知らない、西尾が典型的な超劣等生であることがかくも鮮やかに照明されて、なんとはなく氷解した。
二〇〇五年の『正論』誌上で西尾が、「オレ様が、二〇〇五年に発掘した」と豪語して列挙した十五冊のうち、次の十二冊は、西尾が在学中の一九五四〜六一年でも、それ以降の現在にいたるまで、東大総合図書館に書棚に陳列してあった。

・大東亜戦争調査会『米英挑戦の真相』、毎日新聞社、一九四三年。
・岩田省二『アメリカの反撃と戦略』、三協社、一九四二年。
・大川周明『米英東亜侵略史』、第一書房、一九四二年。
・大東亜戦争調査会『米英の東亜撹乱』、毎日新聞社、一九四三年。
・B・クラーク『真珠湾』、鱒書房、一九四三年。
・加藤長雄『印度民族運動史』、東亜研究所、一九四二年。
・櫻井匡『大東亜回教発展史』、三省堂、一九四三年。
・楊井克巳『蒙古資源経済論』、三笠書房、一九四一年。
・清澤洌『第二時欧洲大戦の研究』、東洋経済出版、一九四〇年。
・朝日時局読本『戦時体制下のソ連』、朝日新聞社、一九三七年。
・ペエツ『対英封鎖論』、中央公論社、一九四一年。
・白柳秀湖『日本民族論』、千倉書房、一九三四年。

東大総合図書館になかったのは、次の三冊のみだが、他の図書館に存在していた。

・神田孝一『思想戦と宣伝』、橘書房、一九三七年。国会図書館にもあった。
・一宮房治郎『大東亜海戦論』、昭和刊行会、一九四三年。国会図書館にもあった。
・棟田博『分隊長の手記』、新小説社、一九三九年。国会図書館に、『続・分隊長の手記』(一九四〇年)『続々・分隊長の手記』(一九四二年)とともにあった。
 
西尾幹二が七年間在籍した東大の図書館でこれらを一冊も手にしなかった事実は、次の西尾の述懐が、心にもない真っ赤な嘘なのを暴露する。

「戦時中の数千点の本がそのまま流通に乗っていたら、やっと開かれた本屋の店頭でわれわれはやはりそれを買って読んだだろう」(五四頁)。

超 劣等生だった西尾は、七年間も東大キャンパスをブラブラしていながら、図書館に行かず、行ってもこれらの本を一冊も読まなかった。とすれば、仮に市販され ていても、西尾幹二がそれをわざわざ買ってまで読むことなど万が一にもありえまい。それなのに、「それを買って読んだはずだ」とは、うすら寒い虚言も度が すぎている。

戦時中からの図書館蔵書本は、「西尾幹二が、二〇〇五年に発掘した」???

歴 史破壊の衝動に生きる西尾幹二は、歴史に関心がない。一九九七年の「新しい歴史教科書をつくる会」の立ち上げの時、本人が私(中川八洋)に明瞭な言葉で傲 然と語ったことだが、「教科書の偏向是正が目的ではない。自分の定年後の評論活動の新しいテーマとして選んだ。僕は何かをいつも書いていないと落ち着かな い」であった。
西尾はまた、二〇〇〇年、私にこう語った。「(自分が作った教科書について)採択など僕はまったく関心はないよ!」と。西尾がつ くった扶桑社版教科書が、五万冊ではなく、たった五二一冊(〇・〇三九%、二〇〇一年九月文部省発表)しか採択されなかった。教科書づくりにおける大敗 北、しかし西尾はしらっとして落ち込まなかった。採択などどうでもいいという、西尾の真意・深層意向とは矛盾していなかったからだ。
それはともか く、まったく「焚書」されなかったが故に、戦後日本に捨てるほどの数で今に至るも手にすることのできる書籍群を、「オレが発見した」「オレ様が発掘者だ」 と狂言する西尾幹二の「俄か考古学者」ぶりには、ほとほと絶句する。次の大言壮語の虚偽宣言には、絶句どころか、誰でも嘔吐を催すだろう。

「今回はじめて世に問う七千七百余点の焚書ほど、<閉ざされた言語空間>をはずした外の広さと底深さをありありと示すものはない」(五八頁)。

私 事だが、私が大東亜戦争に本格的に関心をもったのは一九六五年(大学三年生、二十歳)。それ以来、読み慣れてきた数千点の書籍群が、西尾幹二によって「二 〇〇五年、初めて世に問う」書籍だと言われると、私はなんと形容すればよいのか。一九六五年から二〇〇五年までの四十年間に私が手にした約二千冊の 「GHQの市販禁止本」は、幽霊や蜃気楼だと、西尾は主張しているからである。
「オレ様が灰の中から発掘した数千冊の本を初めて世に問う」など、 狂人・西尾幹二の狂言だから、我慢して目を瞑り無視ればよいのだろうか。いや、それでは虚偽歴史が後世に伝染するから、「西尾幹二とは発狂状態の狂言癖者 であって、とてつもなく有害な歴史の偽造に邁進している」との恐ろしい事実を、世間に正しく警告しておくのが、知識人としての私の果たすべき義務であるよ うにも思う。

「GHQが日本人を戦前・戦中の<閉ざされた言語空間>から解放した」
――これが、正しい歴史の真実ではないのか

一 九三二年の五・一五事件以降、日本人の頭は、『朝日新聞』や『改造』『中央公論』その他無数の赤い出版物による洗脳によって「閉ざされた言語空間」(一九 六〇年まで党籍をもつ日本共産党員・江藤淳の「反米」運動スローガン)に監禁されていた。日本人が、それから解放されたのは、一九四五年夏のポツダム宣言 受諾とその後七年間のGHQの占領行政によってであった。これが、歴史の真実で歴史事実であろう。
それなのに西尾は、この歴史事実を逆立ちさせ る。西尾は、マルクス・レーニン主義とスターリン崇拝の「閉ざされた言語空間」に日本人を閉じ込めていた一九三二〜四五年の極左思想全盛時代を「正常」だ と考えている。だから、そこから解放されない方が、「外界の世界の広さと底深さを知ることになる」と、“刑務所に収監されている方が、自由の謳歌である” との、ニーチェ的狂気の倒転した言説を嘯ける。
GHQが市販禁止処分に附した七千七百余点の書籍は、すべてではないが、その多くは、日本の国益を 害する“悪魔の書籍”群である。日本人を外の世界と隔絶させて視野狭窄的にマルクス・レーニン主義に洗脳し、スターリンを崇拝させ、東アジア全体を共産化 して、日本国を領土と国民とともにソ連に貢がんとする、怖ろしい“悪の反日カルト宗教”の教宣本。
惜しむらくは、GHQが、このようなスタンスに 立って、「市販禁止命令」を出さなかったことだ。GHQの「市販禁止本の没収」の目的は、占領行政への何らかの暴力を伴う叛乱防止のためだったが、そのよ うな懸念は一九四八年にはすでに必要がなかった。とりわけ西尾幹二によって、かくも怖ろしい歴史偽造に悪用されるのだから、GHQは、杞憂に過ぎない「市 販禁止本の没収」などすべきでなかった。
GHQの目的がかくもお門違いだったことが、戦後日本で、逆に「市販禁止本」をイデオロギー的に継承する岩波書店ほか無数の極左出版社による洪水のような大量の共産主義系の書籍が出版されるのを放任する状況をつくった。すでに三世代を経た今も日本人が「市販禁止没収本の呪縛」 から洗浄されず、二十一世紀に入ってなお国防を忘れ、日本国の未来への永続と繁栄への努力を弊履のごとく捨て、亡国への道である放蕩的な堕落を享楽し続け ているのは、「市販禁止本」とされた悪書の赤化思想を継承した、その二代目三代目の“悪魔の書籍”群の成果ではないか。
この意味で、GHQが去っ た後、直ちに日本国としては、これら「市販禁止本」の約半分ぐらいは異論なく該当するが、「市販禁止本」の対象とならなかったほぼ同数の「反日」極左本を 新たに追加して、それらの著者と出版社を「国家反逆罪」に類する法律で処罰する法令を立法して断罪しておくべきだった。

•2014-01-31

続く

※ 出典

中川八洋掲示板  @中川八洋

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https://blog.goo.ne.jp/maryrose3/e/2ce5edfd159288d8f2931eb1d7423c4f
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[近代史3] 哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
4. 中川隆[-8620] koaQ7Jey 2019年8月28日 14:59:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4132]

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(T)b
2014年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/maryrose3/e/35d349bcd305e3566635322f5da4294d


第三節 民族系論客はなぜ、スターリン史観の狂信者なのか
――西尾幹二の“狂妄”大東亜戦争論U

二 〇〇五年の『正論』誌発表のエセーにもとづき、その三年後から西尾が出版したのが、シリーズ本『GHQ焚書図書開封』である。『GHQ焚書図書開封』と は、かいつまんで言えば、二十一世紀の日本人にマルクス・レーニン主義への回帰を説き、時代錯誤の「社会主義万歳!」「共産主義万歳!」「東アジア全体を 共産化しよう!」に傾倒する極左イデオロギーの復活への雄たけびである。
西尾幹二は、日本を今でも骨の髄まで汚染しているマルクス・レーニン主義が、まったく理解できない。むろん、それらの本を、識別・判別するのができない。西尾幹二の知性レベルは、自動車と飛行機の識別ができず、「動くもの」として一緒にする野蛮人並みである。
だ から西尾幹二は、GHQが「市販を禁止し市場から没収させた本」の多くが、教条的なマルクス・レーニン主義の書籍群なのが、とんと理解できない。マルク ス・レーニン主義が瞬時に識別できない“哲学超音痴”の西尾は、それなのに感性でマルクス・レーニン主義に傾倒する。小学校の時に共産主義にかぶれた赤い 教師に洗脳されたのだろうか。

反学問・反歴史の“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』をどう焚書するか

それはともあれ、西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』は、“世紀の歴史捏造書”。なぜなら、次のような真赤な嘘を絶対前提に論を立てているからである。
 
「(大東亜戦争の)戦意形成の背後を知るに値する昭和史の文書類は根こそぎアメリカに運び込まれたままになっているのが事実のようです」
「<焚書>されて本がなくなってしまったために、戦後を『自分でなくて』生きている事実にすら気がつかなくなっている」(注1、三八頁、四三頁)。

いかなる本も、数千部が印刷される。そのうち、「市販禁止本」に限り、おそらく五冊づつほどが米国に送付されたようだから、九十九%は日本国内にそのままある。それがどうして「根こそぎアメリカに運び込まれた」となるのか。嘘としても限度を超えていよう。

ま た、日本人の人格を形成する書籍は、万葉集や平安文学や江戸文学あるいは過去千五百年間に出版された無数の古典的な歴史関連書である。一九二八〜四五年間 のわずか十七年間の出版物を読まずとも、日本人の人格形成にはなんら問題はない。しかも、この十七年間ぶんの本は、読もうと思えば、複数の図書館を利用す れば、一冊残らずすべてが読める。それがどうして、「焚書されて本がなくなってしまった」になるのか。事実を愚弄する真赤な嘘話も、ここまでの嘘は聞いた ことがない。
さて、西尾幹二の七冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズは、大東亜戦争とその前夜の歴史をあらん限りに歪曲し恣意的に改竄するのが目的。だが、こんな荒唐無稽な嘘の大掛かりな舞台までつくってまで、なぜ歴史の捏造をする必要があるのだろうか。
答 えの一つとして、人格が分裂的に浮遊する西尾幹二が、七十歳になった二〇〇五年を契機に、自分を大東亜戦争とその前夜の「ゼロ歳から小学校児童」であった 時代に仮構的に回帰し、対英米戦争をパソコン・ゲーム(蜃気楼)で楽しむ妄想に耽ることにした、と考えれば、西尾の真黒い思考の深層とその著の真相を抉る ことができるのではないか。
つまり、大東亜戦争そのものを歴史学的・学問的に考察するのではなく、「読者よ!二〇〇五〜一三年の今も、日本は七十 年前の大東亜戦争をやっているのだ。帝国陸軍・帝国海軍の対英米戦争を、もっと大声でフレー/フレーと応援したらどうだ!」と檄を飛ばしている狂書、それ が“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』である。
紙幅が足りなくなったので、『GHQ焚書図書開封』全七巻の具体的な解剖は、次回に省察する。ここでは、これらがなぜ、『GHQ焚書図書開封』が、反学問で反歴史の有害図書なのかを、少し説明しておきたい。

大衆への教宣本を分別せず読む西尾型の雑想では、歴史は全くの暗闇のまま

大東亜戦争の真相に迫るには、陸海軍を含めた時の政府の意志決定を詳査して正確に再現する作業をすることであり、当然、最低限、内閣/外務省/陸軍省/海軍省の部内資料を渉猟するほかない。だが、驚くことに、西尾幹二は、これら政府部内資料の引用が全くのゼロ。
つまり、西尾は、大東亜戦争を意志決定していった政府の、その史料を一点として読んでいない。西尾幹二とは、歴史に関して“超ズブの素人”であるだけでなく、自分なりに歴史を明らかにしようとする最小限の意思もない。
次 に、渉猟すべきは、これらの政府の意志決定に少なからず影響を与えた、当時の三大メディア媒体の『朝日新聞』『中央公論』『改造』は、一九三二年以降、手 抜きすることなく読破され研究しつくされねばならない。大東亜戦争を決定し推進した、当時の日本の政治家・官僚・軍人は、これら三大紙・誌を欠かさず読ん でいた。
だが、『GHQ焚書図書開封』がとりあげている、一般庶民を洗脳・煽動するための大衆駄本などは、日本国の戦争決定を左右するものではな い。それらは、国益に反する「反日」戦争だった大東亜戦争の政府・軍部の決定に対して、良識ある国民が批判や非難をする思考を麻痺させるプロパガンダ本が 過半である。
つまり西尾幹二は、政府の戦争決定の影響を与えた書籍と戦争遂行への批判封じ込めの洗脳書籍との峻別作業をいっさいしない。そのような学問的な発想が、学者ではない“売文業者”で大衆煽動家の西尾幹二には、欠けて存在しないからだ。
学 問は、方法論で、その成否が決まる。歴史学は、体系的・分類的な史料分析が生命である。私事を明かすのは趣味ではないが、大東亜戦争の考察・分析にあたっ て、徹底的に研究したのは、(対英米戦争を御前会議で最初に決定した総理)近衛文麿の側近であった尾崎秀実の検事・予審判事の尋問調書であった。これを踏 まえて、尾崎秀実の発表した雑誌論考をすべて読破して、この訊問調書との比較検討をおこなった。ついで、尾崎以外の近衛周辺のかなりの数の知識人(学者・ ジャーナリスト)の著作を雑誌論文はもとより(経済学を含めた)学術書にいたるまで、広く深く渉猟した。
これらの作業を通じて、当時の言語「東亜 秩序」とか「大東亜共栄圏」とかの正確な意味を把握した。言葉の意味は、時代、時代で大きく変遷する。だから、大東亜戦争前夜の一九三二〜四一年の時代を 理解するには、自分の頭を“一九三二〜四一年の日本人”に改造するしかない、と考えた。むろん、大衆の日本人ではなく、総理官邸のエリート政治家の頭への 転換、陸軍・海軍の中枢で政策を立案するエリート軍人の頭への転換である。後者のためには、『戦史叢書』全百巻を丸暗記しておくぐらいは最低条件である。
ところが『GHQ焚書図書開封』の西尾幹二ときたら、大東亜戦争の意志決定過程について何ら関心がない。当時の国際政治や国際情勢がどうあったかについても関心がない。日本を地獄へと導いた日ソ中立条約や日独伊三国同盟への批判はおろか言及そのものがない。
この事実は、ソ連(ロシア)やドイツが日本の国防や国益とどう関係していたかなど不在だったとする虚構が、西尾幹二の前提になっているのを示す。すなわち、西尾幹二は、初めから嘘歴史を捏造することを企図し、その手段として『GHQ焚書図書開封』を書いたのである。
つまり、『GHQ焚書図書開封』は、西尾が表向きにいう「一九二八〜四五年の、日本人の歴史再発見」のためではない。意識して「一九二八〜四五年の歴史を日本人から剥奪・抹殺するための偽情報・洗脳工作本」として、“ニーチェ的狂気の人”西尾はそれを書いた。
GHQの「市販本禁止」などより数千倍も数万倍も過激また濃密に、日本人を歴史の真実から隔離・監禁し、日本人から正しい歴史知見を剥奪するためである。西尾幹二著『GHQ焚書図書開封』は、日本人にとって最凶の危険本である。
 

第一節
1、西尾幹二責任編集『新しい歴史教科書』、扶桑社、二八六頁、二〇〇頁。
2、 ルーズヴェルトの署名には米国大統領という「肩書き」がない。また「米国政府を代表して」の語句もない。また、発表されず、秘密だった、副大統領トルーマ ンすら一九四五年四月下旬、ルーズベルトの死去に伴い大統領に昇格し、ルーズヴェルトの個人金庫を開け初めて知った。卒倒するほどの衝撃を受けたという。
3、ステチニアス/モロトフ/イーデンの米英ソの三外相が、その公的立場で署名した協定。調印後、公表。
4、藤村信『ヤルター戦後史の起点』、岩波書店、一八二〜四頁。
5、 支那艦隊の後継である英国の極東艦隊(東洋艦隊)は、一九七一年十月三十一日、母港のシンガポールを去り、その歴史に幕を閉じた。私(中川)は、このと き、日本政府がこの式典に特使を派遣しなかったこと、(東京か対馬かでの)英国極東艦隊への感謝と惜別の式典を日本政府が主催しなかったことに、英国への 非礼を怒るとともに、自国国防を忘失した日本の病のひどさに愕然とした。「日本は、滅ぶ」、と。
6、日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識し て対抗したわけのではないが、胃腸薬「(忠勇)征露丸」が発売され、当時もその後も、「これでやっとウラジヲストック(日本征服)とバランスした」と日本 人は喜んだ。一九四六年に敗戦で、この薬品メーカーは、「正露丸」に商標名を変更した。が、「正しいロシア」など存在しない。「正露丸」の商標はやめても らいたい。
7、アルゼンチンがイタリアに発注し完成したばかりの二隻の新鋭軍艦「日進」「春日」を日本に斡旋したのは英国だった。しかも、回航に あたってロシア海軍に撃沈されないよう、両艦とも艦長を英国海軍大佐にし、かつ英国海軍の一万四千dの当時世界トップの巨大な装甲巡洋艦をセイロン島のコ ロンボまで護衛した。事実上、英国海軍による日本への回航だった。また、ロシアがチリから購入しようとした軍艦二隻は、英国が急いで高額で落札して、ロシ アに売却されるのを寸前に防いだ。
  そればかりか、戦争遂行の財政力がない日本は、日露戦争の戦費の四割を英米二ヶ国での外債によってまかなったが、このとき英国国王はイギリスの資産家を国王晩餐会に招待しては、日本公債の購入を勧誘する営業マンに徹したのである。
8、『日本外交史』第三巻、鹿島研究所出版会、二四九〜五〇頁。
9、西鶴定嘉『樺太史の栞』、樺太庁「樺太叢書」第六巻、二四〜八頁。
10、秋月俊幸『日ロ関係とサハリン島』、筑摩書房、一七三〜八一頁。全国樺太連盟『樺太沿革・行政史』、一四二〜五六頁。 
第二節
1、文部省社会教育局『没収指定図書総目録』、今日の話題社、六頁。
2、西尾幹二「知られざるGHQの焚書と現代の焚書」『正論』、二〇〇五年九月号、引用頁は本文。
第三節
 1、西尾幹二『GHQ焚書図書開封1』、徳間書店、二〇〇八年、頁数は本文。
                                           (つづく)
正誤表

△ 民族の魂を世代を超えて紡いでいくものである
○ 民族の魂を、世代を超えて紡いでいくものである

△ さらに日本人の人格から倫理道徳も剥奪したいと、
○ さらに日本人の人格から倫理道徳も剥奪したいとの、

× 「このような対日戦争の擬制の一部をソ連に負担させる代償として
○ 「このような対日戦争の犠牲の一部をソ連に負担させる代償として

× 太平洋憲章の領土不拡大方針に違反して
○ 大西洋憲章の領土不拡大方針に違反して

△ ルーズベルト
○ ルーズヴェルト
注:他行の表記に統一した

× その時期を米国の方が「ドイツ降伏後三ヶ月以内」としたり、
△ その時期を米国の方が「ドイツ降伏後三ヶ月以内」とした、としたり、

× 米国の方が「南樺太やクリル諸島の割譲」を提案したなどは、
△ 米国の方が「南樺太やクリル諸島の割譲」を提案したなどというのは、

× 「米国は太平洋憲章に違反」に至っては、
○ 「米国は大西洋憲章に違反」に至っては、

× デッチアゲル
○ デッチアゲる

△ 日本の固有の領土である樺太をロシアの言いなりに下田条約を締結したばかりに、樺太はロシアに半分貢納された。
○ ロシアの言いなりに下田条約を締結したばかりに、日本の固有の領土である樺太はロシアに半分貢納された。
注:文意を損なわない程度に文を整えた

△ 米国が初めて太平洋に海軍基地をハワイ(パール・ハーバー)に造ったのが一九一九年。
○ 米国が初めて、太平洋のハワイ(パール・ハーバー)に海軍基地を造ったのが一九一九年。
注:文意を損なわない程度に文を整えた

△ それより五十年も昔の一八七〇年とはアメリカが、マゼラン海峡の向こう側の国で"非太平洋国家"だった時代。
○ それより五十年も昔の一八七〇年とは、アメリカがマゼラン海峡の向こう側の国で"非太平洋国家"だった時代。
注:文意を損なわない程度に文を整えた

× その自体、
○ それ自体、

△ 同情されるべき被害者(日本人)とを差別ができず、
○ 同情されるべき被害者(日本人)とを差別できず、
注:または「同情されるべき被害者(日本人)とを差別することができず、」

× 主因とを少し触れて
おこう。樺太に渡航した日本人の最初は、
○ 主因とを少し触れておこう。
樺太に渡航した日本人の最初は、
注:改行ミス。「樺太に渡航した日本人の最初は、」は文頭となる。

△ 工藤平助『赤蝦夷(=ロシア)風説考』(一七八三年刊)
○ 工藤平助『赤蝦夷風説考』(一七八三年刊、「赤蝦夷」とはロシアのこと)

△ 松前平角ほか『蝦夷唐太(=樺太)島之記』(1791年刊)
○ 松前平角ほか『蝦夷唐太島之記』(1791年刊、「蝦夷唐太」とは樺太のこと)

× クシュンコタン駐兵監察になった
(一八〇八年)、
○ クシュンコタン駐兵監察になった(一八〇八年)、
注:改行ミス

× さて、話を川路聖謨が締結した(不平等どころではない)"反日の極み"下田条約によって、
○ さて、川路聖謨が締結した(不平等どころではない)"反日の極み"下田条約によって、
注:「話を」を削除

× さらには日本側が被護的に統治していたから、
○ さらには日本側が庇護的に統治していたから、
注:“消極的な”統治、の意味に解した

× これらロシア側の暴力に対して小競り合い対抗を、
○ これらロシア側の暴力に対しての小競り合い対抗を、
注:または、
○ これらロシア側の暴力に対する小競り合い対抗を、

× 日本は"ロシアの属国です"を合意しに行ったも同然
○ 日本は"ロシアの属国です"と合意しに行ったも同然

× いや、それらをそのまましてただ
○ いや、それらをそのままにしてただ

× 対ソ叩頭外交を肇とする戦後日本と酷似して
○ 対ソ叩頭外交をはじめとする戦後日本と酷似して

× 『GHQ焚書』を七巻も出したことにおいて
○ 『GHQ焚書図書開封』シリーズを八巻も出したことにおいて
注:『GHQ焚書図書開封8』(徳間書店、2013年)

× まず、本のタイトル『GHQ焚書』からして、
○ まず、本のタイトルの“GHQ焚書”からして、
注:記事後半では、タイトルが正しく『GHQ焚書図書開封』となっている

× 非学問の低級な嘘宣伝本七冊が
○ 非学問の低級な嘘宣伝本八冊が
注:上掲の注を参照のこと

△ 西尾のような跳びぬけて愚劣
○ 西尾のように跳びぬけて愚劣

× 所狭しと並んでいるのを知らない、西尾が典型的な超劣等生であることがかくも鮮やかに照明されて、
○ 所狭しと並んでいるのを知らない西尾が、典型的な超劣等生であることがかくも鮮やかに照明されて、
注:「照明されて」は「証明されて」のあやまりか

△ 心にもない真っ赤な嘘なのを暴露する
○ 心にもない真赤な嘘なのを暴露する
注:「真っ赤」はあやまりではないが、他行の用例に統一した

× それらの本を、識別・判別するのができない。
○ それらの本を、識別・判別することができない。

× おそらく五冊づつほどが
○ おそらく五冊ずつほどが

× この十七年間ぶんの本は、
○ この十七年間分の本は、
注:変換ミスか

× さて、西尾幹二の七冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズ
○ さて、西尾幹二の八冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズ

× 『GHQ焚書図書開封』全七巻の具体的な解剖は
○ 『GHQ焚書図書開封』全八巻の具体的な解剖は


× 日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識して対抗したわけのではないが、
○ 日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識して対抗したわけではないが、


追記:
一部、正誤表というよりは校正/修正に該当する記載がございます。非礼の段、平にご容赦くださいますとさいわいです。

by 「中川八洋文献目録」管理人


[11]
正誤表のうち、一か所訂正いたします。

△ 松前平角ほか『蝦夷唐太(=樺太)島之記』(1791年刊)
○ 松前平角ほか『蝦夷唐太島之記』(1791年刊、「唐太」は樺太のこと)

「蝦夷唐太島」は「蝦夷」(北海道)と「唐太島」(樺太島)のことであり、「蝦夷唐太」を「樺太」とした正誤表の記載は誤りでした。おわびして訂正いたします。

by 「中川八洋文献目録」管理人
2014-01-31


※ 出典


中川八洋掲示板 @中川八洋
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

※追記20140406

上記の

中川八洋掲示板 @中川八洋 は以下の「はてなブログ」に移行されたそうです。

http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/

https://blog.goo.ne.jp/maryrose3/e/35d349bcd305e3566635322f5da4294d
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/589.html#c4

[近代史3] 哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
5. 中川隆[-8619] koaQ7Jey 2019年8月28日 15:01:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4133]

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(U)
2014年02月08日
https://blog.goo.ne.jp/maryrose3/e/aaa285fef1a5958f0a1d0c26f1dbf340


※先の投稿に引き続き、中川八洋氏の論考を記録しておきます。今更言うまでもないことですが、中川八洋氏の見解に同意するかどうかということとは無関係です。様々な観点から検証するための一つの参考意見です。

論考の中で中川氏は西尾幹二氏について、「ソ連は天使、米国は悪魔」として冤罪化を試みているかのように主張されていますが、中川八洋氏の断定は、逆にむしろ「ソ連は悪魔、米国は天使」と主張しているかのような神学論争に堕しかねない感想ももちます。そうであれば愚劣な議論でしょう。知者、知に溺れる。

いずれにしても歴史認識とは神ならぬ利害にとらわれる人間の行うことですから、一筋縄には行かないことはわかります。

「人は心で謀事をするが、物事を決めるのは神である。人の目には自分の行く道はすべて正しいかのように思うが、ただ神のみが真実を裁定される」(箴言16:1、2)

中川八洋掲示板
@中川八洋


“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(U)
――“冤罪捏造”の<西尾史観>と分裂症の妄想・幻覚
                    
筑波大学名誉教授 中 川 八 洋 

西尾幹二の作品はことごとく、妄想性思考と論理障害が顕著である。特に、強度の妄想性思考(幻覚)において、西尾幹二の職業は、サイケデリック・アート(psychedelic art)の画家なら問題はなかっただろうが、史料に基づく歴史事実を積み重ねていく歴史学には最も不向きな人物である。歴史に係わる西尾の大量の雑文すべてが、歴史事実を歪曲した大捏造の噴飯物なのは、西尾の病的な妄想性思考の産物。余りに当然。
『GHQ焚書図書開封』全八巻の分析に入る前に、西尾が昵懇な北朝鮮工作員・金完燮との対談本『日韓大討論』(注1)に、少しばかり脱線する。この対談でデッチアゲに狂奔する西尾流妄想の偽造歴史が、西尾特有の病気である“冤罪づくりの犯罪”という悪意の意図(malicious intent)に発生しているのを端的に明らかにするからだ。
蛇足。一定以上の教養さえあれば、諜報情報など無くとも、誰でもこの対談をすれば「金完燮とは<親日>演技を通じて、日本人を“反・韓国”に誘導洗脳し日韓分断を工作する北朝鮮の対日工作員」だと見破れる。だが西尾は、国際政治や歴史を洞察する知見も能力も欠く、水準以下の低級な売文業者。この程度の判別すらできない。

「北海道を守る代償に、米国は日本男児のシベリア強制労働をスターリンに承認する協定に署名した」だって?????

『日韓大討論』で、西尾は、ここまで嘘だらけの創り話ができるものかと絶句するほど、真赤な嘘をでっち上げる。 

「米国大統領トルーマンが、それ(=ソ連の北海道南北分断と北側占領要求)をさせない交換条件として、シベリアにいた日本人を約八十万人を強制労働につかせることをソ連のスターリンに対して認めてサインをしたのです。日本人の頭越しで行われた協定で、日本には知らされませんでした」
「収容所に入れられ恐怖の強制労働に従事させられた日本人約八十万人のうち、約十万人が亡くなりました。それは北海道が守られた犠牲であるということを、戦後三十年ぐらい経って知らされました。歴史の非情です」(注2)。

スターリンがトルーマンに対し発した(留萌と釧路を結ぶ線で)北海道北半占領要求の通知は、一九四五年八月十六日。日本は前日十五日正午の停戦に合意したが、この時点、降伏はしていない。十六日は、日米はまだ相互に交戦状態の戦争相手国だった。日本の連合国への降伏は、九月二日、東京湾に停泊する戦艦ミズーリー艦上。“戦闘停止”を指す「停戦」は、「降伏」(戦争終結、戦勝国の敗戦国の占領開始)ではない。
だから、九月二日以降の日本軍の降伏相手国&占領地域をめぐる一九四五年八月十六〜二十五日の米ソ間のやり取りを、米国は日本側に連絡する義務などない。それなのに西尾は、「一九四五年八月」時点で、米国は日本側への協議義務が発生する日米同盟を締結していたと主張する。
分裂症の狂気がひどい西尾幹二とは、時間軸が非在の、時間経過の識別ができない。だから、このように、「一九四五年八月」を、七年後の日米安保条約が発効した「一九五二年四月二十九日以降」だと“妄想”する。西尾における「一九四五年八月=一九五二年四月二十九日以降」のような症状を、分裂症患者に特有な“幻覚”ともいう。
産経新聞社やワック社は、西尾幹二が重度の分裂症罹患者だと知ったうえで付き合っているようだ。精神分裂症の文筆家の作品の方が、正常な論客や学者のより、よく売れて商売になるからだ。絵画と同じである。分裂症の画家ゴッホ、ムンク、ゴヤ、ボッシュなどを思い出せばわかるだろう。
画家に限らず文筆家(文学者、哲学者、思想家)もまた、分裂症患者の作品の方が、日本では高い評価を受け読者も多い。ルソー、ヘルダーリン、フーコー、ドウルーズ、コント、保田與重郎、サイード、ハイデカー、ヴィトゲンシュタインなど挙げるときりがない。なお、ニーチェの狂気は、分裂病と酷似した症状を示す脳梅毒であって、分裂病ではない。
話を戻す。トルーマンは、上記スターリン要求をにべもなく拒絶回答した。二日後の八月十八日だった。代りに、国後・択捉島およびその北に位置するクリル諸島へのソ連軍の進駐・占領を認めた。このとき米国は、択捉島に米国のB29爆撃機用の航空基地を設置させる条件を附けた。
八月二十二日、スーターリンは、択捉島のアメリカ軍航空基地建設を拒否した。これは、北海道北半占領を断念する旨の間接的な通知でもあった。二十五日、米国は米軍基地拒絶への抗議文をソ連に発信し、これをもって本件に絡む米ソ間交渉は終了した(注3)。
このソ連の北海道北半占領要求について、日本側(外務省)は、占領開始後の一九四五年九月にGHQ(米国)から詳細に聞かされており、西尾幹二の意味不明な「戦後三十年ぐらい経って」(一九七五年頃)は、妄想上に浮かんだ真赤な嘘話。医学的には“分裂病の幻覚”。西尾幹二のこのような狂気の妄想には、限度がない。
すなわち、「北海道北半のソ連軍への降伏・ソ連の占領地域」という純粋に戦勝国・米ソ間の問題は、日ソ間の問題でポツダム宣言違反のシベリアへの日本男児百五万人強制連行・強制労働事件(四十〜五十万人大量殺戮事件)とは、ひとかけらも関係しない。だのに、世界中でただ一人西尾幹二だけは、上記引用文のように、全く無関係な両問題が結びつき連結してしまう。西尾幹二が幻覚(妄想性思考)に浮遊する重度の分裂症患者でないとすれば、この異常な“連結”が発生する狂気の思考メカニズムを説明できない。
シベリア強制連行は、共産主義者(ソ連工作員)の牙城となっていた帝国陸軍参謀本部や近衛文麿らが、一九四五年四月頃から、ソ連大使館と打ち合わせていたもので、“半ばスターリンの対日要求、半ば日本側の同意”から生まれた世紀の蛮行である。
このことは、近衛の代理としてソ連大使館(の中の、ベリアが直轄するNKGB部局)との間を頻繁に行き来していた酒井鎬次(予備役陸軍中将)が近衛と二人で執筆したと詐称する「近衛文麿の対ソ仲介案」に明記されている(注4)。このところは、「近衛らが、ソ連大使館のNKGB将校と一緒に執筆した」と正しい歴史事実に修正されるべきだ。
また、在満州の関東軍(帝国陸軍の在満洲総軍)のソ連軍への降伏とシベリアへの連行が合意されたジャリコーワでの日ソ間の協議は、一九四五年八月十九日(注5)。
すなわち、北海道北半をめぐる米ソ間の応酬があった八月十六日〜十八日、日本陸軍(関東軍)とソ連軍は、まだ満洲の荒野で最後の戦闘中であった。日本の将兵は誰一人としてシベリアなどにはいない。しかし、西尾幹二は、「シベリアに八十万人いた」という。
重度の分裂症の西尾幹二にとって、「満洲」と「シベリア」が同一だし、「一九一八年のシベリア出兵」と「一九四五年のシベリアへの拉致連行」とが同一である。論理障害で妄想性思考の症状である。なお、引用文の「八十万人」とか「十万人」とかの数字ミスは、西尾が歴史音痴で文献を渉猟しないズブの素人だからであって、西尾の分裂症とは関係しない。

ついでにシベリア拉致強制連行・大量殺戮事件について、その基本概要を述べておこう。八月十九日から武装解除が始まった関東軍の将兵が、鉄格子つきの貨車に載せられシベリアへと北送されていく強制抑留は、九月二日の降伏の日から開始された。八月十八日に事実上終了した北海道北半占領問題から二週間たった後。シベリアへの強制連行の最盛期は一九四五年十月〜十一月で、翌年春まで続いた。
シベリアに拉致・強制連行された日本人男児はおよそ百五万人。帰還した数を差し引けば、四十〜五十万人が殺害された。死亡したのではなく、ホロコーストの大量殺戮である。これが、ほぼ正確な確定数字である。
これに関して多くの資料があるが、最も学術的に高い評価を得ているのは『シベリア強制抑留の実態』(注6)。この本への言及がないシベリア抑留問題の書物など、信用が措けない。
さて、上記の引用文には「トルーマンは、在シベリアの日本人八十万人を強制労働させることをスターリンに同意し協定に署名(サイン)した」との、西尾幹二の真赤な嘘創作がある。そのような「米ソ協定」など、幽霊ですら実態物に思えるほど、むろん存在しない。西尾幹二の分裂症の幻覚は、これほどひどいのである。
西尾幹二が、強度の幻覚症状の中で嘘歴史を綴っていく様は、チェーホフの小説『第六病棟』の主人公さながら。戦慄するほかない。
なお、米国こそは、ソ連に抑留された日本人男児の解放に全力あげてソ連に圧力をかけ続けた最高の偉大な友邦であった。米国の援護なしに、約半数の五十万人帰還は、ありえなかった。

西尾幹二を精神病院に入院させなくて、本当に大丈夫か

『日韓大討論』は、西尾幹二が重度の精神異常者であることを示す多くの嘘歴史の陳列館だが、事例をもう一つ。次の荒唐無稽な嘘話は、馬鹿馬鹿しくて読む気になれないだろうが、我慢して読んでいただきたい。
 
「(米国は、日本の)真珠湾攻撃より前に東京空襲が計画されていました。使用しようとしていた飛行機がドイツの方に必要になったので取りやめになったのですが、いきなり東京を攻撃する計画でした。ですからもし日本が真珠湾をやらなければ、アメリカが日本に先制攻撃していました」(注7)。

幻覚で歴史をデッチアゲル西尾幹二の、上記の嘘歴史は、私立中学を受験する東京の小学生五年生でもわかるもので、わざわざ解説するのは気が重い。が、以下の通り。
一九四一年末までの米国には、政府にも軍にも東京空襲などの計画は全く不在で煙ほどにも無い。そんな渡洋爆撃(空襲)ができる武器=航空機が存在せず、計画検討すら発想する以前だった。
どうやら西尾幹二は、一九四四年秋に実戦配備になったB29爆撃機が、一九四一年に米国に存在していたと“幻覚”している。そして、一九四一年の半ば、米国はB29爆撃機の大部隊で横須賀軍港を先制攻撃することができたと“妄想=幻覚”している。
だが、B29の初飛行は、一九四二年九月二十一日。運用開始は、一九四四年五月八日。シナの成都から九州への爆撃は、一九四四年六月十六日が最初。東京への最初の爆撃は、一九四四年十一月二十九日の二十九機。その発着基地はテニアン島。
要は、西尾幹二は、「一九四一年」と「一九四四年」の相違が、“分裂病の狂人”らしく、識別できない。だから、「一九四四年に初めて戦場に現れた米国のB29の爆撃機は、一九四一年に実戦配備されていた」と妄想し、「この対日用B29が、ドイツ空爆に転用され、一九四一年に使われた」とのもう一つの大妄想(幻覚)を重ねている。

西尾の“妄想”は、一九四二年四月十八日のドーリットル中佐が率いるB25爆撃機十六機と空母「ホーネット」による東京ほかへの対日空襲を、「米国は一九四一年に実行する予定だった」の“妄想”とも考えられるので、不必要かもしれないが、補足しておく。
ルーズベルト大統領は、真珠湾の奇襲攻撃で意気消沈する米軍の士気を昂揚させるべく、東京を含めた日本本土攻撃の研究を命じた。一九四二年一月十六日だった。だが、日本近海に米国の航空基地がなく、また艦載機の爆撃では効果が弱すぎるので、陸軍の双発爆撃機B25十六機を空母から離艦させ(帰還のための着艦はできないので、空襲終了後は)支那大陸に逃避してその沿岸にパラシュートで着地する(爆撃機は全機墜落自壊)というサーカスのような戦術を思いついた。
勇敢さで歴史に名を遺した「ドーリットル空襲」で日本側が蒙った被害は、横須賀の軍港が破壊されたわけではなく、若干の人命喪失と家屋被害が出たのみで、パールハーバーの被害とは比較にならない軽微なレベル。米国が喪失した爆撃機やシナ大陸に不時着した乗員の処刑等による犠牲に比すれば割りの合わない、軍事合理性のまったく無いもの。パールハーバー・ショックから米軍の士気を立ち直らせる目的がなければ考案されることはなかった。
それなのに西尾ときたら、「米国は一九四一年、パール・ハーバーより先に、先制的な横須賀奇襲攻撃/東京空襲をしたはず」と主張する。狂気の幻覚や妄想なくして、とても発想できるものではない。西尾幹二の偽造歴史は、“嘘づくり妄想の連鎖”ででっち上げられている。

日露間の明快な国境(ロシアが侵略している日本国領土)が、はっきりしない???
――「ロシアへの日本の北方領土返還要求の根拠は無い」と主張する西尾幹二 

西尾の歴史偽造には、一貫しているものがある。それは、真偽を越えて何事であれ、「米国が悪魔、ソ連が天使」という構図。これは、虚偽歴史を書きなぐる厖大な数の雑文すべての基本構造となっている。

「アメリカ政府は、ソ連と日本が永久に仲が悪くなるように、アメリカ政府は、サンフランシスコ講和条約において、北方領土の境界をはっきりさせず、あえて国境線を不明確にし、どこまでが日本領なのかをわからないようにしました。これは永遠の争いのタネにするためです」(注7)。
 
これを読んだ時、思わず、西尾幹二はロシアの情報工作員かと思ったが、たまたま彼をよく知るので、それはありえない。つまり、ロシア工作員でないが、西尾とは、過激な親ロ人士で、ロシア一辺倒の“反日の言論ボス”。
日本国にとって、日本固有の領土である樺太を奪い、ニコライエフスク港で日本の一般邦人七百名を虐殺し(一九二〇年三月)、満洲で(一九四五年八月〜四六年四月)日本人婦女子二十万人を殺害した“永遠の敵性国家”ロシアとは、日本は万が一にも仲良くなってはいけない。
ところが、日本の国益が転倒的に見える“狂気の非国民”西尾幹二は、逆さにも「日本はロシアと仲良くすべきだ」を強い信条とする。西尾幹二に“性悪の売国奴”を感じない日本人は、共産党員でないなら、自らが売国奴の資質濃厚だと猛省されたい。
上記の引用文は誤謬満載の放言暴言のたぐいともいえるが、それ以前に、このように、西尾幹二とは、シベリア追放処分が急がれる、祖国叛逆の犯罪者的な思考しかできない人物。
なぜなら、日露間の係争は、樺太や国後・択捉・千島列島の領土問題だけではない。ロシアによる残虐極める日本人大量殺戮問題がある以上、万が一にも、日本はロシアと友好関係をもつことはできない。もし仮に、日本がロシアと友好な関係をもつならば、それこそ人倫の道に違背し祖先を足蹴にする、祖国を冒涜する行為ではないか。日本国の存続のレーゾン・デートルすら瓦解する。

ロシアは、一九四五年八月、日ソ中立条約を蹂躙しての満洲侵略・朝鮮北部侵略・樺太侵略を今なお詫びてはいない。この時、日本人男児百五万をシベリアに拉致して極寒の中での強制労働で四〜五十万人を殺戮したことを今なお詫びてはいない。このとき、満洲や樺太で日本の婦女子に対して言語に絶する陵辱をなし殺戮を縦にしたが、これについてもロシアは一言も詫びてはいない。
満洲で十歳以上の日本人女性はほぼことごとくレイプされた。とりわけ、十代の日本女性に対するレイプは、阿鼻叫喚の地獄絵であった。例えば、一週間で百名から二百五十名のロシア兵に犯され、そのまま死亡した者は数知れず。また多くは、レイプされた後、自殺した。母親や祖母が発狂した日本人の女児・女子を殺してあげた。レイプ殺戮の日本女性の被害者数の総計は、一万人を超える。
ために、満洲から十代の女学生で生きて福岡県博多港に引き揚げてきた者はわずかであった。また、博多港の岸壁では、レイプされて妊娠した日本女性の掻爬が行われたが、この掻爬の順番待ちをして長々と並ぶ光景は、鬼気迫るものがあったという。

ロシアと仲良くするのが良いなどとは、西尾幹二が悪魔すらたじろぐ人間性皆無(ヒューマニズム欠如)の人格の持ち主だからである。西尾が、事の理非や善悪を弁えない無道徳・反倫理の人間以下の犯罪者精神の人格だからである。
米国は、日本の北方領土返還問題では、絶えず日本側を応援した。例えば、「ヤルタ秘密協定は、米国政府はいっさい関与していない、ルーズベルトが大統領ではなく個人としてスターリンと交わした私文書である」との国務省声明(一九五六年九月)まで発出したように、あらゆる手を尽くしてくれた。また、国後・択捉島は日本領土である旨の公文書をロシアに突きつけたり、その奪還にかける情熱は、日本人以上である(注8)。
サンフランシスコ講和会議において、ロシアは、「南樺太とクリル諸島(得撫島以北の千島列島)と国後・択捉・歯舞・色丹の領有を講和条約に明記しろ」「宗谷海峡/根室海峡などに面する北海道側を非武装化する旨を明記しろ」などを要求したが、これをすべて拒絶したのが米国政府であった。
ダレス全権は、サ講和条約をヤルタ秘密協定の無効宣言をかねるものとするぞと意気込んでいたが、日本国へのこの約束を完全に守りぬいた。怒ったソ連の全権グロムイコ外相は退場し、講和条約を調印しなかった。ために、南樺太とクリル諸島は日露間では今なお“日本領土”である。
上記の引用文での西尾幹二の主張は、“北方領土をロシアに譲渡し、海峡に面した北海道の一部の主権をロシアと共同主権とせよ”とのことだから、西尾幹二とは、まさに反日の非国民である。そればかりか「日ロ間の国境の境界は、はっきりしない」との西尾幹二の謂いは、「日本の対ロ北方領土返還要求には、正当な根拠が存在しない」との意味だから、「対ロ領土返還要求をするな!」との西尾の真意が言外に露である。
日本領土をすべてロシアに貢がんとした帝国陸軍参謀本部のコミュニスト種村佐孝大佐の継承者のような西尾幹二は、潜在意識では“スターリン万歳のロシア人”だと断定してよかろう。

「ソ連は天使、米国は悪魔」
――“西尾流偽造の嘘歴史”を貫く米国冤罪化

これまで『日韓大討論』の三ヶ所を引用したわけだが、一番目と三番目は、西尾のもう一つの異常な歴史観を暴いている。それは、ロシアがなした明々白々な対日領土侵略や日本人大量殺戮事件を「米国がなしたもの」と米国に転嫁する、米国に冤罪の濡れ衣を着せる歴史捏造がパターン化していること。換言すれば、「敵国ロシア、友邦アメリカ」を異論なく示す明らかな歴史事実を転倒して、日本人が「ソ連は天使、米国は悪魔」の構図に洗脳されるよう嘘歴史をデッチアゲルのが、西尾流歴史偽造の手口だということだ。
要は、米国を無実の罪で糾弾するための、嘘歴史への歴史事実の転倒である。このような悪意の冤罪づくりは、共産主義者なら当然の行為だろう。だが西尾は、マルクス・レーニン主義者ではない。とすれば、分裂症患者では常態の、善悪を転倒させて入れ替える思考だと考えざるを得ない。西尾幹二は、重度の精神分裂症の狂気によって、善者と悪者のすり替え妄想に遊んでいる。
 

1、『日韓大討論』で、西尾幹二は、私(中川八洋)の著『歴史を偽造する韓国』からかなりの量の知見を“盗用”している。学術論文または学術性のある著作の場合は、引用箇所を明記すれば済むが、一般向きの対談本などでは、他人の作品から一定以上の分量を利用する場合、法律も「許諾が必要」だと定めている。西尾幹二は、著作権法に明白に違反する「許諾なき無断利用」、つまり“盗用”事件を犯している犯罪者である。
また、歴史の偽造のトンデモ本を売りまくる卑しく下劣な売文業者・西尾幹二に、私は、学者としてまた平成日本を代表する知識人として、私の学術的な研究成果を“許諾する”ことは決してしない。そのようなことをすれば、日本国の国益一途の私の学問研究が冒涜的に穢れることになるし、何よりも私個人の名誉と信用が毀損される。すなわち、幻覚と嘘つき常習の“狂気の人”西尾幹二による拙著盗用事件は、私に対する名誉毀損事件でもある。
2、『日韓大討論』扶桑社、三四頁。
3、南方同胞援護会『北方領土の地位』、一三四〜六頁。この他にも多くの文献があるが、皆同じ。
4、江藤淳監修『終戦工作の記録 下』、講談社文庫、二三四〜九頁。近衛文麿がスターリンに提案する予定の『和平交渉にかかわる要綱案』には、「賠償として一部の労力を提供するころには同意す」との一文がある。
戦後、シベリア抑留問題で、“日本側の主犯”近衛文麿が糾弾されないのは、朝日新聞などソ連や共産党に支配された極左マスメディアの情報工作・洗脳工作の成果である。だが、忘れてはならないのは、これに加えて、西尾幹二のような“歴史の偽造家”のトンデモ著作を面白がって読む“民族系の売国奴集団”がソ連側・日本側の極左を支援し擁護するからである。
5、コワレンコ『対日工作の回想』、文藝春秋、三〇頁下段。
6、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態』、彩流社、二〇〇五年刊。
7、上掲『日韓大討論』、一六二頁、一七七頁。
8、中川八洋『尖閣防衛戦争論』、PHP、二一〇〜三三頁を参照のこと。

※出典

中川八洋掲示板
@中川八洋

http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-7.html


https://blog.goo.ne.jp/maryrose3/e/aaa285fef1a5958f0a1d0c26f1dbf340
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/589.html#c5

[近代史3] 哲学者だった西尾幹二は何時から頭がおかしくなったのか? 中川隆
6. 中川隆[-8618] koaQ7Jey 2019年8月28日 15:06:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4134]

2019年7月30日 投稿者: 吉田寿太郎
ニーチェ系の狂気が一段と進む西尾幹二 ──“新皇后テロルの狂書”を未だ焚書しない西尾幹二とワック社
筑波大学名誉教授   中 川 八 洋
http://nakagawayatsuhiro.com/?p=813

【blog再掲の理由】

 本稿は、タイトルは若干変更したが、2017年1月25日に「掲示板」にupしたブログ「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(35)」の再掲。再掲の理由を、以下に簡略に触れる。

 去る5月1日、新天皇陛下が践祚され、同時に、新皇后陛下も立后され、洵に慶賀に堪えず、私は余りの嬉しさに一日中、神棚に「二礼二拍一礼」を何度も繰り返していた。作業室の近辺に著名な神社があればそこに参拝したかったが、あいにくと心当たりが無く、結局、このような一日となった。一ヶ月ほど経って、「やはり5月1日の午後、新幹線に飛び乗り、5月2日早朝に伊勢神宮、その午後に熱田神宮に参詣し、新天皇・皇后両陛下に《神の特段のご加護》を祈るべきだった」と、悔やんだ。

 この5月1日から丸三ヶ月、今日の7月30日まで私はある動きを待っていた。が、未だにそれがない。よって、本稿を再掲することに決めた。何を待っていたか。ワック社が西尾幹二著『皇太子さまへの御忠言』を絶版にし、また古本屋や市中在庫から徹底的に残部を回収し焚書(裁断を含む)して、その後、ワック社が責任をとって閉店する措置(動き)のこと。

 なぜ、ワック社とその社長・鈴木隆一の動きを待ち、西尾幹二の動きには期待しなかったか。それは、このブログ論考を一読すれば氷解する。西尾幹二は、ニーチェと同じ精神分裂病の最終段階で、良心がカラカラに乾き空洞と化し、善悪の区別も混然・朦朧とできなくなり、新皇后陛下の立后に合わせ『皇太子さまへの御忠言』を絶版し、その後に自裁する判断力を既に持ち合わせていない。

 当然、日本史上、空前絶後の“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』の出版の責任は、ワック社社長の鈴木隆一がとるしかない。ついては本ブログ読者諸兄へのお願い。本稿を読破された後、ワック社社長・鈴木隆一に対し、@西尾幹二著『皇太子さまへの御忠言』を直ちに絶版にせよ、A古本屋や市中在庫から徹底的にその残部を回収し焚書(裁断を含む)せよ、とfaxして頂ければ、幸甚至極に存じ上げます。

(2019年7月30日記)

【以下は、2017年1月のblog論文】

 日本人が、断然トップで「世界一」を誇るようになったものがある。残念ながら、自慢する性格のものではなく、その逆。実に憂慮堪えない恥ずべき状態での「世界一」。それは、世界標準において“国民の非国民度”を示すバロメーターに基づく日本人の順位。

 今や日本には、「あるべき理想の国民」が評価基準なら、それとは最もかけ離れた「一億総“国賊”の日本人」「一億総“非国民”の日本人」しかいない。つまり、日本人とは一億総“国賊”/一億総“非国民”だから、二位を大きく引き離して、人類史上“最低・最悪の国民(民族)”に成り果てたのである。そのような国民からなる国家は、究極の腐敗がフル・スピードで進むから、春の残雪のごとくに、遠からず、日本という国家は不可避に地球上から溶けて消えてなくなる。

第一節 精神病院に入院した“末期ニーチェ”に酷似してきた西尾幹二

ルソー/マルクス/ニーチェ──日本国存続の生命源を腐蝕的に根絶する三大“悪魔の思想”

 具体的には、正常な国家なら断じて排除する、国家を溶解的に自壊させていく最強の疫病力をもつ“悪魔の思想”を最高の「知」として崇める、“思想における異常国家”は、世界190ヶ国のうち日本だけである。日本ほど自国損傷/破壊に狂騒乱舞する国家は、世界に他に例を見ない。

 この自国の溶解・崩壊を促す最凶イデオロギーと言えば、世界中、誰しもがルソーを挙げる。日本でも、拙著『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』二冊によってやっと、世界標準の常識である、諸悪の根源ルソーについて理解が広がった。そして、「ルソー→マルクス→レーニン/スターリン」という基幹“悪魔思想の系譜”についても、ようやく常識となった。

 特に、バークやアクトン卿のみならず、ベルジャーエフ/ミーゼス/ハイエク/レプケ/ポパー等を読む、私に刺激されて日本でやっと萌芽した保守主義の傾向を持つごく少数者が、ルソーとマルクスを“悪魔の思想”の元祖だと、(日本国の救済にはむろん余りに遅きに失し、また微力であり過ぎるが)この排除を考えるようになったことは、大正時代にルソーやデューイなどが猖獗して、その後は極左思想のみが支配する日本を正常化するメルクマールとなった。

 だが、ルソー/マルクスに次ぐ、“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家は誰か、と問われて即座に「ニーチェ」だと回答できる者は、僅少しかいない保守主義の日本人のうちでも、まだ限りなくゼロに近い。「“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家」については、『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』に続く、その三部作として出版した『福田和也と〈魔の思想〉』(注1)で、私は間接的にすでに指摘していた。

 『福田和也と〈魔の思想〉』は、フーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール等のポスト・モダンを、ドゥルーズ系の福田和也に焦点を当てて外科解剖的に批判的批評をしたものだが、フーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール等のポスト・モダンの主源流である「ニーチェ思想の解剖」の附章については、纏める時間がなく収録できなかった。いいわけになるが、上掲の拙著では、従的な「ヘルダーリン→ハイデカー→フーコー等のポスト・モダン思想」の系譜を研究し言及したが、それに時間を食ってしまい、主的な「ニーチェ→フーコー等のポスト・モダン思想」(注2)の附章の方を割愛した。ともあれ、「ルソー/マルクスに次ぐ、“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家“とはニーチェ」という常識が日本で共有されていない現況は、日本国の存続にとって由々しい事態といえる。

 なぜなら、日本人がもつべき正常な人間性を破壊し、日本という国家を溶解的に破滅させる、エイズ・ウィルスより猛毒のニーチェ思想の危険性を日本人が知らない無知は、日本国から未来を確実に剥奪するからである。なお、質問「マルクスとニーチェの思想は、何れが強い極左度を持つか」への学的回答は、「ニーチェの方が、マルクスより十倍は左の“スーパー極左思想”」となろう。

ニーチェ精神分裂病の「中度→重度→超重度」への進行こそ、ニーチェ哲学の精髄

 国籍を持たなかったニーチェの精神分裂病について、日本の共産革命家や北朝鮮人アナーキスト達は、ニーチェを美化するために、精神病院に入院した1889年1月(46歳)をもって発症したとする。だが、素人の目でも『ツァアラトゥストラはかく語りき』(1884年、40歳)の作品が正常でない(=狂気)のは明白にわかる。いや、それ以前の作品群の、「神は死んだ」で悪名高い『悦ばしき知識』(1882年)も、さらにその前の『曙光』(1881年)も、充分に正気でないのは明白。

 よって、ニーチェの分裂病の完全発症は『曙光』の執筆時から、と断定できる。だが、それ以前のニーチェが正常であったかといえば、そうではない。『人間的な、余りに人間的な』(1878年、増補1880年)なども、精神分裂病者でない限り書けない著作。とすれば、1881年の年頭に上梓した『曙光』以降は「重度の精神分裂病」で、それ以前が「中度の精神分裂病」だったと見做すほかない。1889年1月から死没(1900年8月)までの十一年間余は、無執筆の精神病院暮らしで“生きた屍”だったから、「超重度」ということ。

 これを、ニーチェと同じ重度の精神分裂病哲学者だったミシェル・フーコーと比較しておく。フーコーの場合は、青年期からエイズで死亡(1984年)するまで、一貫して「重度」で安定していて進行も変化もなかった。ニーチェの方は、「中度→重度→超重度」と進行・悪化し続けた。

36歳で完全発狂のニーチェ精神分裂病は、フーコー級から一気にヘルダーリン級へ

 ニーチェは、著作のほとんどを重度の精神分裂病者の状態で執筆している。万人がニーチェを狂人と見做すに至った1888年末〜1889年年頭に当たる、1889年1月3日付けヴァーグナーの「第二の妻」コージマ宛て手紙(A)と同種の、自分を神だと幻覚する妄想(次のBは、ほんの一例)は、それよりほぼ十年昔からずっと常態だったからだ。

A コージマ・ヴァーグナー宛て手紙(1889年1月、44歳)


「私が人間であるというのは、一つの偏見です(=私は神もしくは準・神です)。・・・私は、インド人の間では仏陀で、ギリシャでは(酒神の)ディオニソスでした。アレクサンダーとシーザーは私の化身・・・。最後にはなお私は(無神論の巨魁)ヴォルテールであったし、ナポレオンであった・・・。・・・私はまた(キリストと同じくor新しいキリストだから)十字架にかかってしまった」(注3、丸カッコ内中川)。

B 『悦ばしき知識』(1882年脱稿、37歳)  


「おれたちが神を殺したのだ・・・おれたちはみな神の殺害者だ。・・・神を埋葬する墓掘人たちのざわめきがまだ何も聞こえてこないか・・・神の腐る臭いがまだ何もしてこないか。…神は死んだ!神は死んだままだ!おれたちが神を殺したのだ!・・・(神を殺害する資格があるとされるために)おれたち自身(=ニーチェ自身)が神々にならなければならない・・・」(注4、丸カッコ内中川)。  

 ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』(1883年執筆、39歳)とは、ニーチェが自分自身をゾロアスター教の開祖ツァラトゥストラ(ザラスシュトラ)に擬え、準・神として人間たちに語りかける形式の書である。つまり、『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ゾロアスター教の根本経典『アヴェスター』に対応させている。このような形式の書は、ニーチェが自分を神だと考えていない限り発想されないから、『ツァラトゥストラはかく語りき』それこそが、ニーチェが重度の精神分裂病者であることの証左となっている。本稿では論及を割愛するが、『ツァラトゥストラはかく語りき』を細部にわたって分析すると、分裂病の幻覚と妄想ばかりで満載の“狂気の書”なのが明確に明白。ニーチェ自身が、『ツァラトゥストラはかく語りき』を、ニーチェ自身を神とする新しい宗教の聖典だと妄想しているのは、『この人を見よ』において、次のように書いているから、異論はあるまい。


「私は『ツァラトゥストラはかく語りき』で、(キリスト教の聖書やイスラム教のコーランを越える)これまで人類に贈られた最大の贈り物をした。(人類の新しい宗教の教典となって、これから)何千年の未来へ響く声を持つこの書は、およそこの世にある最高の書…であるばかりでなく、真理のもっとも内奥の豊かさから生まれた最深の書であり、つるべを降ろせば必ず黄金と善意とがいっぱいに汲みあげられてくる無尽蔵の泉である」(注5、丸カッコ内中川)。

「梅毒による進行性麻痺」と「遺伝性分裂病」の、“ダブル精神分裂病”だったニーチェ

 ニーチェの精神障害に関して、少し古い書籍だが、宮城音弥『天才』は、こう分析している。ニーチェの精神障害は、外因性の「梅毒による進行性麻痺」とともに、(精神分裂病とは言えない)遺伝性(内因性)の「分裂質を土台とした偏執質」がある(注6)。後者の「分裂質を土台とした偏執質」については、他の専門医の多くは、「分裂質」ではなく「分裂病質」としており、そう訂正されるべきだろう。ニーチェは、精神分裂病Schizophreniaの妄想型paranoid type だからである。

 序なので、ニーチェが交友関係をもっていた、同時代のもう一人の重度の精神分裂病で有名な、スウェーデンの作家ストリンドベリ(備考)について、宮城音弥は被害妄想型の精神分裂病だとしている(注6)。ニーチェのストリンドベリ宛て手紙の一部を、以下に紹介する。ニーチェが、被害妄想と誇大妄想の精神分裂病の二症状を炸裂させているのがはっきりわかる。

(備考) アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)の文學作品には、『父』『令嬢ジュリー』『死の舞踏会』などの戯曲や小説『痴人の告白』『チャンダラ』『ゴシックの朝』『黒い旗』など多数。


「私の著作『この人を見よ』は、世界を支配する者の言葉が語られています(=神である私の福音の書です)。この本はドイツを全滅に至らしめるほどの反ドイツ的です。・・・(ドイツがこの書を差し押さえることから)わが身を守るために、私は最初の数冊を、発行以前に、宣戦布告の書面を添えてビスマルク侯と幼帝に送ることでしょう。・・・私は人類の歴史を二分してしまうほども十分に強力なものですから(=私ニーチェを境に、人類は、「キリストを神とする過去の人類史」から「ニーチェを神とする未来の人類史」に転換される)」(1888年12月8日付け、注7)。

 余談だが、本稿を書くに当り、ニーチェのストリンドベリへの手紙を久しぶりに読み直した時、西尾幹二の『正論』連載「戦争史観の転換」をふと思い出した。杜撰と嘘八百と間違いだらけの、西尾幹二の荒唐無稽な“妄想”歴史評論「戦争史観の転換」の実態は、法螺話・つくり話のお粗末雑文に過ぎないものだが、西尾幹二が自らを“「神」級の世界的歴史家”だと自認する狂気がない限り書けないものでもある。すなわち、「戦争史観の転換」は、西尾幹二がニーチェ同様な誇大妄想の精神分裂病を発病している証拠だと鑑定できる。

 もっと正確に言えば、西尾幹二は、十歳の少年期より誇大妄想の精神分裂病を発症していたから、同類のニーチェの作品に共振し、その翻訳家になった。ニーチェがストリンドベリに親近感を懐いたように、精神分裂病は同病者同士が群れることもその顕著な症状の一つ。

保守主義思想と極左思想の対決は、医学的に正常な哲人と精神分裂病者の対決

 ニーチェに関して、日本は異常と非常識の国である。英国でも米国でも、ニーチェをまともな哲学者とはせず、または害虫思想家としてニーチェを排斥するのが一般的。この事実は、ハイエクが、ニーチェを批判の対象にすら値しないとすることで端的に明らか。

 たとえば、保守主義者チェスタトンは、ニーチェの精神分裂病とその作品を次のように評している。これが英米での常識。これとは逆に、極左思想しかない日本では、ニーチェをさも一流哲学者であるかに持て囃す。日本ではニーチェに関して、度の過ぎた非常識が罷り通っている。まず、チェスタトンのニーチェ精神分裂病については、次のごとし。


「ニーチェには生まれながらの嘲笑の才能があったらしい。哄笑することはできなくても、冷笑することはできたのだ。ニーチェは晩年 脳軟化症に憑りつかれた・・・孤立した傲慢な思考は白痴(=精神分裂病のこと)に終わる。柔らかい心を持とうとはせぬ者は、ついには柔らかい脳(=脳梅毒の症状)を持つことに到りつく」(注8、カッコ内中川)。

(備考) 精神分裂病は、昔は「早発性痴呆」が医学界の公式病名。チェスタトンの時代、現在では精神薄弱児などを指す語彙「白痴」には、「精神分裂病患者」の意味もあった。

 次は、チェスタトンのニーチェ思想批評。これが英米における、ごく普通のニーチェ評。


「ニーチェは、(怖れを知らぬアリストテレスやカルヴィンやマルクスとは対極的で)自分の主張の意味するところを比喩の衣をはぎ取った素裸の言葉で定着し直視することができない。いつでも物理的な比喩に頼って問題を避けて通る…この点では気楽な二流詩人と同じことである。…ニーチェは明確な観念を恐ろしくて用いることができず、代わりに『上の人間』『超えた人間』などという。軽業師が登山家から借りてきた物理的な比喩である。ニーチェの実際は極めて臆病な思想家」(注8)。

 英米系保守主義が断固として排斥・排撃するルソー/フランス革命/マルクス/レーニン/ヒトラーにおいて、このヒトラーと同類のニーチェが排斥・排撃されるのは自明だが、実態は、排斥排撃以前のレベルで、無視されるのが通常だった。

 広義の英米系保守主義とは、バークやハイエクをはじめとして、人間の設計主義的な理性を排徐して人間行為の自然的な積み重ねで形成発展してきた「自生的秩序」を政治経済社会の根幹に据えるイデオロギーである。が、英米系保守主義者の間では、マイナーだが、ある特性が共通している。「精神分裂病の思想家/哲学者を徹底排除する」のを無意識の暗黙指針としている特性のこと。

 確かに、バークやハミルトンなど保守主義者には、一人として医学的に分裂質/分裂病質の者がいない。一方、デカルト/ホッブス/ルソーに始まる、彼らを含めマルクス/レーニンなどの全体主義者の多くは分裂病罹患者。ニーチェやヒトラーなど廃墟主義アナーキストは全員がそうだ。保守主義者がなす極左思想家批判は、医学的正常者が精神分裂病の思想家を排撃する構図になっている。

 この事実は、バークの『フランス革命の省察』やハイエクの『自由の条件』『法と立法と自由』を読むだけで、一目瞭然に確認できる。本ブログの読者には、以上の医学的視点において、もう一度『フランス革命の省察』『法と立法と自由』を読んでみたらどうだろう。

第二節 ニーチェ「反・歴史/反・真理(真実)」宗教の狂信徒・西尾幹二

 ところで、日本では、ニーチェ翻訳家でドイツ語屋の西尾幹二について、「ニーチェの専門家」だとの先入観的な誤解が一般的である。西尾幹二の主著『ニーチェ』を読んでみるがいい。どこにもニーチェ哲学やその思想について語っていない。IQが度外れに低い“唯の売文専業評論家”西尾幹二が、哲学を論じることは、どだい無理な話。西尾の大著『ニーチェ』は、『評伝ニーチェ』と改題すべき“ニーチェ伝記”になり下がっている。

“歴史偽造の天才”フーコーも、“矮小な歴史偽造屋”西尾幹二も、ニーチェ教徒

 ニーチェ哲学について論文一つ書けない西尾幹二だが、ニーチェから絶大に影響を受けている。それ以上に西尾幹二は、ニーチェの狂気に深く共振している。「西尾幹二は、ニーチェ崇拝者だ」と見做してよかろう。そのニーチェ崇拝者ぶりは、嘘と歪曲と改竄ばかりの、西尾幹二のトンデモ歴史評論において顕著に表れている。

 ニーチェは“歴史をもたない人間”“真理・真実が一掃され不在となった国家社会”を夢想・妄想した狂人だったし、西尾幹二も同様で、『GHQ焚書図書開封』『戦争史観の転換』(『正論』連載中)ではニーチェ流に、意図的に歴史改竄を旨として執筆している。『国民の歴史』も、この範疇に入る。これらの作品群では、核心部分“歴史の真実”が欠如している。というより、それを剥奪・破壊している。

 歴史改竄を是認し奨励した哲学的思想家はルソーが嚆矢だが、歴史と真理・真実を徹底排撃したニーチェの作品群が、この歴史偽造や反・真実をドグマ化して、後世に決定的な影響を与えた。

 本ブログの読者もそろそろニーチェの言説引用には飽きてきた頃だろうから、具体的な引用はここでやめる。代わりに、「歴史と真理・真実を徹底排撃した」ニーチェ作品群──『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『偶像の黄昏』『権力への意思』の四著──を是非とも読んでほしい。このニーチェ四著に刺激されて、歴史学における“歴史”とは真逆と言える、歴史の真実を排除するに効果覿面の猥雑な歴史事実ばかりを矢鱈目鱈に集めて、近代以降の科学的知と学問一般を、爆撃機から投下する大量の焼夷弾の猛爆撃で焼き尽くしたのがフーコー。

 フーコーの『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』『監獄の誕生』『性の歴史』は、歴史の真実の追求など、一切していない。むしろ、歴史の真実を遠ざけ隠蔽すべく、末梢的で信憑性ゼロの、史実とは言えない「歴史事実」を大量に蒐集して、核心をなす最重要な歴史真実を徹底的に排除し破壊する目的あらわに執筆したもの。“歴史を持たない人間”“真実を喪失した人間”“正常な知を剥奪された人間”(=非人間)に、人類を改造して、人類もろとも人類が構築してきた文明社会を消滅or廃滅するのが、人間死滅教/文明国家廃滅教の開祖ニーチェの嫡弟子フーコーが目指したものであった。フーコーの著作に代表される“新型の極左カルト宗教”思想を、一般に、「ポスト・モダン(反・近代)」思想という。

 ミシェル・フーコーに比すれば、歴史偽造においては同種の犯罪的著作を垂れ流す西尾幹二の作品の、何と哀れに矮小で貧弱すぎることか。ここでいう西尾作品とは、『GHQ焚書図書開封』『戦争史観の転換』『国民の歴史』のこと。ニーチェ哲学を自家薬籠中の物にしたIQ抜群の分裂病狂人フーコーと比較されては、感性でニーチェ思想に洗脳され共振するだけの“醜悪な猿レベルIQ”の分裂病狂人・西尾幹二だから、当然か。

 ところで今、歴史偽造における西尾幹二の精神分裂病を論じるに、紙幅が足りないことに気が付いた。恐縮だが本稿の方針を変更させて頂き、西尾幹二の最近の雑文を俎上に載せることにする。

脳から日本が消えたニーチェ的“無国家”西尾幹二は、地球放浪型?空中浮遊型?  

 そう思って探したら、近頃はめっきり寡作になった西尾幹二の雑文は、『月刊Hanada』に掲載された意味不明エセー「世界の《韓国化》とトランプの逆襲」(注9)と、『産経新聞』紙上の「世界に渦巻く《恨》の不気味さ」(注10)しかなかった。一読して、西尾幹二の脳内がいつの間にか干乾びて、ぼろぼろと崩れるスポンジになっていたのには、心底から驚愕した。 

(備考) 『産経新聞』紙上の短いエセーは、『月刊Hanada』論稿の要約版だから、ここでは敢えて論及しない。

 西尾の奇々怪々な詭言「世界は《韓国化》している」と聞いて、意味不明と感じたなら正常だが、「そうなのか」と思った者は、無学・無知・無慮ぶりにおける朝鮮人化していると猛省されたい。「ルサンチマン(怨恨)」は、18世紀後半以降に世界に広く拡散・蔓延した(ルソー/フランス革命発祥の)“新奇な創造イデオロギー”の土台となった「感情」のこととするのが思想史である。「朝鮮文化から伝播した」など、摩り替えのこじつけ。

 なぜなら、「ルサンチマン 怨恨」と「ジェラシー 嫉妬」は、ルソー『人間不平等起源論』とそれに基づくフランス革命が、それまで人類は“道徳に悖る”としてきた、そんな恥ずべき非道徳の感情を暴発しても「人間の権利」だと正当化し解放し、さらに、ナポレオンの欧州制覇戦争を通じて世界に伝播した。朝鮮文化から伝播したのではない。また、これら卑しい非道徳感情の、道徳律では否定されることからの解放は、十八世紀後半に起きたから、従軍慰安婦問題が日韓の棘となった「1992年以降」より二百年以上も昔のもの。

 要は、時間の経過や地理空間が認識できない精神分裂病が重い西尾幹二には、「1755〜1815年」が「1992〜2016年」となる。「フランス→ヨーロッパ→世界」が「韓国→世界」に置き換わる。

 序に、ルソー/フランス革命で「人間の権利」となった「王侯貴族に対する庶民のルサンチマン」を、マルクスは「ブルジョアジーに対するプロレタリアートのルサンチマン」に改変した。このマルクス主義の爆発的蔓延で、二十世紀の地球は労働運動や共産革命が席巻する血塗られたものとなった。

 河上肇の弟子で教条的コミュニスト近衛文麿がおっぱじめた大東亜戦争とは、マルクス主義を吸引した日本が、「持てる富裕の英米に対する、持たざる貧しき日本のルサンチマン」の暴発行動であった。西尾幹二とは、このアジア共産革命を目指した大東亜戦争の狂信的な崇拝者だから、対英米ルサンチマンを体現することに人生を賭けた“ルサンチマンのお化け”の何者でもない。

 そればかりか、“醜悪な猿め!”と、二年間の青年期ドイツ滞在中に罵られた復讐なのか、西尾幹二は強度な“白人へのルサンチマン”に生きる人種差別主義者である。“21世紀初頭日本におけるルサンチマン暴発常習の巨頭”西尾幹二が、ルサンチマンを批判するとは笑止も甚だしい。

 体全部がルサンチマンで出来上がっている西尾幹二のルサンチマン批判は、重症の麻薬中毒患者の麻薬批判のようなものだし、他者と自己の間に境界がなく自己が他者に憑りついて同一化する精神分裂病者特有の思考でもある。なお、ルサンチマン狂の西尾幹二が、朝日新聞を指して「ルサンチマンの塊」(60頁)とは、「眼糞、鼻糞を嗤う」の類で、呆れて物が言えない。

対英米ルサンチマンが日本の対外政策であるべきと、歴史を改竄しまくる西尾幹二

 上記の西尾幹二の雑誌論稿は、「ルサンチマン」をキーワードにして、韓国批判と米国批判とドイツ国批判をしている。だが、異様なことに、どこにも日本国への言及が一文字もない。日本擁護のリットン調査団を逆さに罵倒し“日英同盟の代替”国際連盟から脱退した1932〜33年以降、「ルサンチマン」で反英・反米闘争にのみ明け暮れた過去八十五年間にも及ぶ、日本人の対英米ルサンチマンを批判しないどころか言及すらしないのは、西尾幹二に、日本国が存在しないからである。

 西尾幹二の視点も思考も、日本国から浮遊して地球を放浪している。国籍がなかったニーチェの思考ではドイツ国が不在だったし、本人も自認しているように、ニーチェは過激な「反ドイツ」で自国憎悪主義が渦巻いていた。ニーチェは、生まれた祖国をヘイトする、地球放浪/空中遊泳型のアナーキストだった。西尾幹二もまた、ニーチェの忠実な信徒だから、日本をヘイトし、日本国がその脳裏に存在しないのである。  

 西尾幹二は、1960年の日本の安保騒動を思い出させてくれた、韓国の朴槿恵大統領を弾劾するソウルのデモを、次の様に「紅蓮の炎に包んだ」などと大仰しく酷評する。だが、首相の岸信介を退陣に追い込んだ1960年の日本のデモと比較をすれば、韓国の今般の2016年末デモは「大規模」とは程遠い。おとなしく可愛い感じが濃い「小〜中規模」デモだった。蝋燭の灯はあったが、紅蓮の炎などどこにもなかった。   


「朴槿恵を巡る国家と国民を紅蓮の炎に包んだ、2016年末の凄まじい政変は、この国の国民ひとりびとりがルサンチマンの虜になり、しかも韓国と言う国家も、国際世界の中でルサンチマンの自家中毒的情念を持て余し、それに振り回されている半近代国家である」

「自分の力で独立国家をかち得ていない韓国」(60〜1頁、ゴチックは誇大表現以上の事実捏造)。

 そもそも、朴大統領の金銭不正や国政情報の民間人への漏洩は、法治国家なら退陣が責任の取り方としては正しい。盗聴のウォーターゲート事件でニクソン米国大統領は辞任した。退陣しないから、それ相当のデモが起きただけ。法治主義の退陣要求が、どうして「ルサンチマン」なのか。「ルサンチマン」とは全く無関係な話。

 学問的知見が貧困と言うより限りなくゼロである西尾幹二は、朝鮮民族文化の「恨」を呉善花から聞き、翻訳で覚えたニーチェのキーワードの一つ「ルサンチマン」に短絡的に結び付け、さも何か高邁な学的化粧をした積りでいる。従軍慰安婦「少女像」問題には「ルサンチマン」が関係しているが、朴大統領退陣要求デモは、法的正義や政治家の道義的責任問題の追及が基幹になっており、「ルサンチマン」のふわふわ概念で論じてはならない。

朝鮮人以下に劣化した日本人、韓国以下の無能国家に成り下がった日本

 それ以上に西尾幹二には、病的な思考の空洞化(脳内スポンジ化)が進んでいる。自国である日本の外交能力が韓国の百分の一以下の小学生レベルとなった由々しい問題について、僅かにも脳裏をかすめないからだ。西尾幹二の分裂病と不可分の自国不在病は重篤になってきている。

 退陣を迫られる最低大統領・朴槿恵に比してすら、無能を極める日本国の首相・安倍晋三は外交交渉で全く歯が立たず完敗したほど、日本は“世界最低の国家”というより、ニーチェの言葉を借用すれば、“国家もどきの烏合の畜群”になっている。なのに、“無国籍人”だからだろう、西尾の思考には、自国のこの深刻な問題が全く存在しない。

 2015年12月28日、岸田文雄・外務大臣を通じ、安倍晋三が朴大統領に同意した「従軍慰安婦問題」の最終合意談話は、河野洋平・官房長官談話(1993年夏)をそのまま踏襲する、「反日」もここまでひどいものは滅多にない、真赤な嘘歴史(偽造歴史)を世界広くに頒布宣伝するものだった。しかも、A嘘歴史に加え、さらに韓国に、B無実の日本国に賠償させる冤罪捏造および、C現実遊離の妄想というボーナスまで差し出していた(注11)。

 “スーパーお馬鹿”の安倍晋三は、逆効果いちじるしい、韓国に少女像を世界中に建立してよい口実を与える、屈辱的な対韓全面降伏の“嘘歴史+10億円”を提供した。安倍晋三はIQが欠如するから、そうすれば「韓国のヒステリックな日本非難が消え、大使館前の少女像が撤去され、自分の政治家としての名声が残る」と考えたのである。これほど安倍晋三の知的能力は低く、「小学校三年レベル」が実態である。

 だが日本では、従軍慰安婦「嘘歴史」問題で逆走外交を行い日本国の名誉を永遠に毀損した安倍晋三に対する退陣要求のデモは起きていない。朴槿恵に対して退陣要求デモが起きる法治主義が活発な韓国と、安倍晋三に対して退陣要求運動すら起きない、法治主義も正義も逼塞した日本と、何れが健全な国家と言えるのか。

 日本人の質的劣化はひどく、朝鮮人より人材がはるかに劣等化し、世界に冠たる馬鹿民族に成り下がった。当然、そのような民族からなる日本国が、韓国以下の劣等国家になるのは必然。外交で、日本は韓国にすら太刀打ちできないのは、当然なこと。そんな日本だから、吉本興業の滑舌芸人レベルの“スーパーお馬鹿”が、四年以上も総理の座に居続けられる。日本人の頭がアヒルや豚並みの畜群になったから、安倍晋三の“スーパーお馬鹿”が気にならないし気付かない。  

 西尾幹二は、「自分の力で独立国家をかち得ていない韓国」(60〜1頁)と述べ、韓国に対し、もう一つの中傷誹謗をなしている。国防に関し米国に大きく依存する実態では、韓国より日本の方がはるかに度外れにひどい。韓国の対北朝鮮の軍事力と、日本の対ロシアの軍事力とを比較すれば、この事実は一目瞭然。西尾幹二は、他国や他人に罵詈讒謗を加えることの常習性で、ニーチェの生まれ代わり。自国不在や「自国がどうなろうと俺の知った事か」の、自国をヘイトする感情においても、西尾幹二はニーチェのクローンに他ならない。

西尾幹二を刑法・名誉棄損罪で懲役三年に処す法治主義を捨てた“腐敗国家”日本

 稿「“不敬の罪人”西尾幹二と加地伸行は《正論》メンバー」でも指摘したが、ニーチェ系アナーキスト西尾幹二は、クロポトキン系アナーキスト幸徳秋水と同じ天皇制廃止主義者で、北朝鮮人アナーキスト花田紀凱とともに現代日本の急先鋒の一人。彼の著書『皇太子さまへのご忠言』は、その他のエセーを含め、刑法の名誉毀損罪を犯したことは明らか。しかし安倍晋三を始め、日本の首相は西尾幹二を刑事告訴しない。日本は、法治主義の放棄において、韓国にも劣る低級国家である。韓国は、朴槿恵大統領の金権腐敗を、法律に従い粛々と裁いているからだ。

 また、不敬の狂書『皇太子さまへのご忠言』を放置する安倍晋三を糾弾する声がない現実もまた、日本国が国家として末期症状を呈していることの証左だろう。

北朝鮮人が編集長の、“日本憎悪”を日の丸で包み隠す北朝鮮系『月刊Hanada』

 日本人の質は、1972年に田中角栄が首相になった頃から、一気に劣化し始めた。この劣化はそれ以降、留まるところを知らない。日本人劣化は、極左支配のマスメディアと教育界の洗脳による制度悪化の成果だが、誤解しないでほしいことがある。前者の「極左支配のマスメディア」に、朝日新聞やNHK/TBSとともに、産経新聞や『月刊Hanada』が含まれているのであって、朝日新聞やNHK/TBSと対決的に存在する反・左翼の保守系メディア媒体などと誤解すべきではない。

 産経新聞や『月刊Hanada』は、共産党やコミュニストが編集に少ないことで、朝日新聞やNHKなどと多少の色違いをみせる。だが、つぶさに精査すると、後者の「真赤」に比して前者は「赤黒 アナボル」であるだけで、差異はほとんど存在しない。後者は日の丸を嫌悪するが、前者は日の丸を擬装に悪用する。だが、双方とも日の丸を冒涜することで一致している。

 前者は日本の国防力の強化や実体経済の発展の政策については決して報道しないよう/語らないよう自己検閲して、日本国の存続を憎悪し衰退させようとする。結果から見れば、国防反対を声高に叫ぶ後者と全く同一となる。

 なぜこうなるのか。理由は簡単。産経新聞も『月刊Hanada』も、その編集は、北朝鮮人が中核を成しているからだ。例えば、『月刊Hanada』は、表1から明白なように、北朝鮮人アナーキストが編集の全権を握っている。

表1;アナーキストの三類型(血統が北朝鮮人はゴチック)

備考;ヘルダーリン/ニーチェ/ヒトラー系を「プレ・ポストモダン・アナ―キスト」に、1968年以降のフーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール/ボードリアール/ラカン系を「ポストモダン・アナーキスト」に分類する場合がある。 なお、「在日」北朝鮮人のほとんどは、アナーキストではなく、北朝鮮労働党(共産党)に所属するコミュニスト。その一部を注12に掲載。

 話を戻せば、産経新聞が民族系論客を活用・利用するのは、彼らを表向きラベルにしておけば、実際には『週刊金曜日』や朝鮮総連と通じ合っている、本当の産経新聞の正体がバレにくくなるからだ。産経新聞が民族系論客を擬装用の上着に活用しても決して保守主義者を利用しない理由は、二つ。

 第一は、保守主義者は、志操堅固な上に圧倒的に教養が高く、イデオロギー擬装を直ちに見破るからである。第二は、保守主義者は祖国日本の真正の愛国者だから、決して“「在日」北朝鮮人の走狗”にはならないからである。具体的な事例でいえば西尾幹二のように、北朝鮮人アナーキスト花田紀凱に媚びへつらう“準・北朝鮮人”になるようなことを、保守主義者は断固として拒絶するからである。 紙幅が限界。この問題、別の機会にじっくり論及することにしたい。  

(2017年1月25日記)

1、中川八洋『福田和也と魔の思想』、清流出版。

2、ポスト・モダン思想がニーチェを主源流とすることについては多くの論文がある。差し当たり、フーコー著「ニーチェ、フロイト、マルクス」「ニーチェ、系譜学、歴史」『第二次エピステーメー創刊0号』(朝日出版社、1984年)、ドゥルーズ『ニーチェと哲学』(河出文庫)などを読んでみるとよい。  

3、『ニーチェ書簡集U』(ニーチェ全集 別巻2)、ちくま学芸文庫、282〜3頁。

4、『悦ばしき知識』(ニーチェ全集8)、ちくま学芸文庫、219〜221頁。  

5、ニーチェ『この人を見よ』、岩波文庫、11頁。  

6、宮城音弥『天才』、岩波新書、135〜8頁、146〜52頁。

7、上掲『ニーチェ書簡集U』、249〜50頁。  

8、『G.K.チェスタトン著作集』第一巻、春秋社、66頁、188頁。  

9、『月刊Hanada』2017年2月号(2016年11月26日発売)。引用頁は、本文に記載。

10、『産経新聞』2016年12月19日付け。  

11、 A嘘歴史;「慰安婦問題は当時の軍の関与の下に、多数の(コリアン)女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」、

B無実の日本国に賠償させる冤罪捏造;「かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」「安倍内閣総理大臣は、慰安婦として幾多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負わされたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを表明する」、

C現実遊離の妄想;「今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」。

12、略

http://nakagawayatsuhiro.com/?p=813
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/589.html#c6

[リバイバル3] 高温調理したジャガイモを食べると癌になる 中川隆
3. 中川隆[-8617] koaQ7Jey 2019年8月28日 15:44:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4135]
食品の中に「老ける物質」が発生…電子レンジの使いすぎで老化促進?
文春オンライン 2018年10月30日
http://news.livedoor.com/article/detail/15521198/


チンすると老ける物質が発生する? 電子レンジとの上手なつきあい方

 冷凍食品やレトルトをはじめ、ストックしたごはんや作りおきおかず、コンビニで買った弁当などを温める際に欠かせない電子レンジ。しかし、時に”レンジでチン”は食品の中に老ける物質を発生させる。頼りすぎると体の老化を促進する恐れがあるという。

出典:『老けない最強食』(文春MOOK)
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%87%E6%98%A5%E8%80%81%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E6%9C%80%E5%BC%B7%E9%A3%9F-%E6%96%87%E6%98%A5MOOK-%E7%AC%B9%E4%BA%95-%E6%81%B5%E9%87%8C%E5%AD%90/dp/4160086810


 健康検定協会理事長で管理栄養士の望月理恵子氏はこう話す。

「タンパク質が糖と結びついて劣化する反応(糖化)によって、AGEという老ける物質が生まれます。これが体内に蓄積されると、肌の弾力が失われて、シミやシワ、たるみを作ったり、血管を老化させて認知症や動脈硬化の一因になるのです。

 AGEは、唐揚げやステーキなど、こんがりとした焼き色がつく食品に多く含まれるため、かつては焦げ目がつかない食品ならAGEが含まれる可能性は低いと考えられていました。しかし、電子レンジ調理の場合は焼き色がつかなくても、高温になるため同じような化学反応が起こりやすく、AGEが増えてしまうことがわかってきたのです」

老ける要因「糖化」も「酸化」も

 海外には多数の研究報告があり、米ニューヨーク州にあるマウントサイナイ医科大学の研究者が549食品のAGE含有量を調べたものでは、豚肉を7分炒めると100グラムあたり4752kU(キロユニット)のAGE発生量に対し、電子レンジに3分間かけると9023kUと報告されている。

 さらに電子レンジ調理は脂質劣化も進めやすい。電子レンジ加熱と、従来の加熱法(煮る、焼く)でサバを調理し、魚肉脂質の変化を比較した研究では、電子レンジ加熱が短時間で脂質劣化を進めると報告されている(北海道教育大学の研究より)。ソウル大学校農業生命科学研究所が行った肉の再加熱を調理法によって比較する研究でも、電子レンジによる加熱は、ほかの調理法と比較して油脂の酸化を進めやすいとあるのだ。


「AGE発生と脂質劣化のダブルパンチの食品では血管に良くないでしょう」(望月氏)

 もちろん、どんな食品でもAGEが大量発生し、脂質の酸化、劣化を進めるわけではない。まず避けるべきものは、調理済の肉や魚。特に焼く・煮る・揚げたメニューを電子レンジで再加熱するのは避けたい。

 東京大学名誉教授の加藤信介氏は「電子レンジの電磁波は食品中の油分・水分に集中しやすい」と話す。

「電子レンジは、WiFi通信などで用いられるものと同じ周波数帯の電磁波(マイクロ波)を用いて加熱します。マイクロ波は食品中の油分、水分を原子レベルで激しく振動させる。その摩擦で熱が発生し、食品が加熱されるのです」

 そのため、水分を含む食品は蒸発過多になればパサつきやすく、マイクロ波を吸収した油分(脂質)は酸化する。

「マイクロ波加熱によって劣化したタンパク質を食べると、体内であまっている糖と結びついて糖化しやすくなります」(望月氏)

 それでは糖質を含む炭水化物、とりわけ身近なごはんをレンジでチンするのはどうだろうか。日本アンチエイジング・ダイエット協会理事で管理栄養士の伊達友美氏が語る。

「あまり知られていませんが、ごはんにも少量のタンパク質が含まれています。ですから、ごはんのタンパク質を栄養素として活かすなら、電子レンジで加熱をしないほうがいい。炊きたてか、常温で数時間程度なら温め直さずにそのまま食するのがおすすめ」


 温め直さない冷えたごはんには、消化しにくいでんぷん「レジスタントスターチ」が増え、血糖値の上昇をゆるやかにする利点もある。

 朝に弁当箱に詰めたごはんは、昼にレンジでチンしないで常温で食べるのがベスト。

「家庭で冷凍庫にストックするようなごはんは、レトルトごはんと比べると密閉性が低く、水分が多少蒸発しますから、電子レンジ加熱をしたい際は表面がしっとりするぐらい霧吹きで湿らせるといいでしょう。もしくは、鍋やフライパンを使ってリゾットやチャーハンにするとパラパラ感が出ておいしくなります。

 冷凍食品のピラフ類も電子レンジではなくフライパンで炒める、焼きおにぎりもトースターを使うほうが、ゆっくり温められ糖化しにくくなります。しかもお米のおいしさが引き出されるのです」(伊達氏)

 ごはんと同様、糖質を多く含むサツマイモ、トウモロコシも“じっくり加熱”が向いている。「電子レンジで短時間で作ると、麦芽糖という糖質が増えず、甘みが出ない」(望月氏)という。電子レンジで加熱したい場合は、水で濡らしたクッキングペーパーに包み、「弱」の機能で加熱したほうがいい。

 つまり電子レンジのマイクロ波は、「ゆっくり加熱」と対極にある「短時間で高温加熱」が特徴なのだ。AGEは高温で調理することで大きく増える。

揚げ物の温め直しは最もダメ

 そのため、最もレンジでチンが向いていないのは「揚げ物の温め直し」といえるだろう。揚げ物をするとき、そして電子レンジ加熱と、2回にわたって食品中のAGEを増やすことにつながる。


「揚げ物を再加熱するなら、テフロン製のフライパンにクッキングシートを敷き、その上にフライを置いてフタをし、弱火で5分程度温めるといいでしょう。その方法でも糖化は起きますが、低温かつマイクロ波がない分、電子レンジ加熱よりはAGE発生を抑えることができます」(同前)

 出来合いの惣菜も油を含んでいることが多いため、再加熱するなら同じ方法で温めよう。

 油分の多いカレーやシチューを調理翌日に食べたい場合は、電子レンジではなく鍋を使って弱火でコトコト温めるといい。マイクロ波による油の劣化を抑える観点からはもちろん、夏場は食中毒対策を兼ねられる。マイクロ波が油分に集中するということは、加熱ムラができやすくなり、均一に温めるなら鍋のほうが優れている。特に死滅するのに80度20分も要するような赤痢菌の場合は、電子レンジ加熱での滅菌が難しいのだ。

ビタミンが流れ出ないという利点も

 それでは電子レンジが役立つ時はないのかというと、そんなことはない。短時間で高温加熱を利用できるのは、ビタミンを豊富に含む野菜類だ。


「ゆでるなど長時間火にかけると、水溶性ビタミンが流れ出てしまいます。電子レンジ加熱は逃げる水分が少ないため、水溶性ビタミンを保持しやすい。ビタミンが豊富なブロッコリーや葉物などの野菜類は、基本的に電子レンジ調理がいい。

 ただし菓子メーカー、カルビーらの研究で、もやしを電子レンジで加熱調理すると、5分経過後からアクリルアミド(AGEの一つ)の生成が見られるため、やはり電子レンジは“短時間”が原則」(望月氏)

 忙しい現代社会ではもはや電子レンジなしの生活は考えられないが、ちょっと時間があるときは電子レンジの“加熱”ではなく、スイッチをひねって“オーブン”に切り替えよう。

「マイクロ波加熱は内部の細胞から破壊されていくため、特にタンパク質は性質が変わりやすい。オーブンのような焼く加熱なら表面から細胞が徐々に壊れていくため、食品本来の性質を壊しにくい」(伊達氏)

 元厚生労働省健康局栄養・食育指導官で、現在は和洋女子大学教授の古畑公氏は、「食品に対して作用が優しいのは、蒸す、煮る、焼く、揚げる、電子レンジ加熱の順」と話す。

「5つの調理法の中で温め方が集中的でなく、蒸気によって四方八方から平均的に温められ、かつ栄養価も失いにくいのは蒸す方法。ただし、時間がかかる」

 前述した揚げ物や惣菜も、陶器に移して“蒸す”方法での再加熱がおすすめだ。
“手軽にチン”の前に、その必要性と手段をいま一度見直したい。

(笹井 恵里子/文春ムック 老けない最強食)
http://news.livedoor.com/article/detail/15521198/  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/984.html#c3

[近代史3] 我々は「自分の老い」に向き合ってきたか? 中川隆
12. 中川隆[-8616] koaQ7Jey 2019年8月28日 15:48:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4136]

◆女性によってまったく違う膣圧。それはベッドに入るまで分からないこと

整形手術にもいろいろあるのだが、容姿を整える手術の他に「膣縮小手術(膣壁形成術)」というのがあって、少なからずの女性が受けているようだ。

この手術は「膣のゆるみ」を改善するためのものだが、もともと体質的に膣がゆるい女性もいれば、出産が原因で膣がゆるくなってしまった女性もいる。出産によってはゆるんで広がってしまった膣壁が戻らなくなってしまったり、膣壁を構成する筋肉が断絶してしまったりする。

こうした女性たちの悩みを膣縮小手術は改善する。個人差や症状もあるが、日本ではだいたい相場的に60万円くらいかかる手術だ。

驚くほど高い手術代ではないが、決して安いものでもない。そのため、膣のゆるみを意識しながら放置する女性も当然いる。ゆるくても日常生活に支障がなければ、ほとんどの女性は放置するのは想像できる。

膣圧の強さや弱さは個人差もあるし、どこが標準であるかも分からない。そもそも、膣圧の強さや弱さは他人と比較できるものはないので、よほどの「ゆるさ」でない限り自覚症状がなくて当然なのかもしれない。

もし、それに気付くとしたらセックスの相手をした男だが、男もそれを女性に言うことはないだろう。女性を傷つけないためだ。
https://blackasia.net/?p=14388
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/446.html#c12

[リバイバル3] 女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化 中川隆
4. 中川隆[-8615] koaQ7Jey 2019年8月28日 15:50:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4137]
◆女性によってまったく違う膣圧。それはベッドに入るまで分からないこと

整形手術にもいろいろあるのだが、容姿を整える手術の他に「膣縮小手術(膣壁形成術)」というのがあって、少なからずの女性が受けているようだ。


この手術は「膣のゆるみ」を改善するためのものだが、もともと体質的に膣がゆるい女性もいれば、出産が原因で膣がゆるくなってしまった女性もいる。出産によってはゆるんで広がってしまった膣壁が戻らなくなってしまったり、膣壁を構成する筋肉が断絶してしまったりする。

こうした女性たちの悩みを膣縮小手術は改善する。個人差や症状もあるが、日本ではだいたい相場的に60万円くらいかかる手術だ。

驚くほど高い手術代ではないが、決して安いものでもない。そのため、膣のゆるみを意識しながら放置する女性も当然いる。ゆるくても日常生活に支障がなければ、ほとんどの女性は放置するのは想像できる。

膣圧の強さや弱さは個人差もあるし、どこが標準であるかも分からない。そもそも、膣圧の強さや弱さは他人と比較できるものはないので、よほどの「ゆるさ」でない限り自覚症状がなくて当然なのかもしれない。

もし、それに気付くとしたらセックスの相手をした男だが、男もそれを女性に言うことはないだろう。女性を傷つけないためだ。
https://blackasia.net/?p=14388

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/829.html#c4

[昼休み54] 女の停年は35歳 中川隆
12. 中川隆[-8614] koaQ7Jey 2019年8月28日 15:50:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4138]
◆女性によってまったく違う膣圧。それはベッドに入るまで分からないこと

整形手術にもいろいろあるのだが、容姿を整える手術の他に「膣縮小手術(膣壁形成術)」というのがあって、少なからずの女性が受けているようだ。


この手術は「膣のゆるみ」を改善するためのものだが、もともと体質的に膣がゆるい女性もいれば、出産が原因で膣がゆるくなってしまった女性もいる。出産によってはゆるんで広がってしまった膣壁が戻らなくなってしまったり、膣壁を構成する筋肉が断絶してしまったりする。

こうした女性たちの悩みを膣縮小手術は改善する。個人差や症状もあるが、日本ではだいたい相場的に60万円くらいかかる手術だ。

驚くほど高い手術代ではないが、決して安いものでもない。そのため、膣のゆるみを意識しながら放置する女性も当然いる。ゆるくても日常生活に支障がなければ、ほとんどの女性は放置するのは想像できる。

膣圧の強さや弱さは個人差もあるし、どこが標準であるかも分からない。そもそも、膣圧の強さや弱さは他人と比較できるものはないので、よほどの「ゆるさ」でない限り自覚症状がなくて当然なのかもしれない。

もし、それに気付くとしたらセックスの相手をした男だが、男もそれを女性に言うことはないだろう。女性を傷つけないためだ。
https://blackasia.net/?p=14388

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html#c12

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
17. 中川隆[-8613] koaQ7Jey 2019年8月28日 17:06:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4139]
グローバリズムがしたのは、アメリカ経済の中国移転
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-76340c.html
2019年8月28日 マスコミに載らない海外記事


2019年8月21日
Paul Craig Roberts

 アメリカ経済における主な問題は、グローバリズムがそれを破壊してきたことだ。アメリカ雇用の海外移転は、アメリカの製造と産業能力、関連する革新、研究、開発、サプライチェーン、消費者購買力や国家や地方自治体の課税基盤を弱体化した。企業は、これらの長期費用を犠牲にして、短期利益を増やした。その結果、アメリカ経済は第三世界へと押しやられつつある。

 関税は解決策ではない。トランプ政権は関税は中国が支払うと言うが、アップルやナイキ、リーバイや海外移転した企業の全てが関税免除を得なければ、関税は、アメリカ企業に海外生産されアメリカ消費者に売られる製品にかけられる。関税はアメリカ企業の利益を減らすか、より高い価格の製品を購入するアメリカ人が支払うかだ。関税はただ、アメリカ市場向けのアメリカ商品生産のための中国人雇用を減らすことで、中国を傷つけるに過ぎない。

 経済マスコミは、アメリカ/中国「貿易戦争」の結果に関する暗鬱な予言に満ちている。貿易戦争などではない。貿易戦争というのは、ある国が、外国からのより安い製品輸入に対して関税障壁を設定し、自分たちの産業を守ろうとするものだ。だが中国からの輸入の2分の1かそれ以上が、アメリカ企業による輸入だ。トランプの関税、あるいはその大部分は、アメリカ企業か、アメリカ消費者が負担させられる。

 トランプ政権や連邦準備銀行や、ワシントンの他のどこにも、状況を理解し、トランプ大統領に理解したことを伝えることができる経済学者が一人もいないことをいぶかしく思うべきなのだ。

 ワシントンに遍在する経済的無知の結果の一つが、経済マスコミが「トランプ関税」がアメリカのみならず、世界全体を景気後退に陥れたという物語をでっち上げたことだ。どういうわけか、アップルコンピュータとiPhone、ナイキの靴、リーバイ・ジーンズに対する関税は世界を景気後退に陥れるか、もっと悪いことなのだ。これは途方もない経済的結論だが、アメリカでは思考能力は、おおかた消滅してしまったのだ。

 経済マスコミにおける疑問は次のことだ。トランプ関税は、トランプ再選をだめにするアメリカ/世界不況を起こすだろうか? これは実に愚かな疑問だ。アメリカの製造/産業/エンジニアリング能力が外国に移転されるにつれ、アメリカは20年かそれ以上の間、不況なのだ。アメリカの不況は、世界ではアジア地域にとっては非常に良かった。中国が予想以上に早く世界強国になれたのは、労働経費を下げて生産することで、アメリカ人株主がキャピタル・ゲインを受け取れ、アメリカ経営者がボーナス給与を受け取れるようにするためだけに、中国にアメリカの雇用、資本、技術と事業ノウハウを移転したおかげだ。

 どうやら新自由主義経済学者は、これは矛盾する表現だが、アメリカ企業が、アメリカ市場で売る商品やサービスを外国で生産すれば、その経済活動で恩恵を受けるのは、移転先の国であることを理解できないのだ。

 海外生産は、ソ連が崩壊し、インドと中国が欧米に彼らの経済を開放して、本格的に始まった。グローバリズムは、アメリカ企業がアメリカの労働力を放棄することで、より多くの金をもうけられることを意味する。だが個別企業について言えることは、全体にとっても言えるわけではない。なぜだろう? 答えは、多くの企業がアメリカ市場のために、彼らの生産を海外移転する際、失業するか、より低賃金の仕事で雇用されるアメリカ人は、海外生産された商品を購入する力を失うためだ。

 私は何年も、アメリカの雇用は、もはや中産階級の雇用ではないと報じてきた。仕事は付加価値と給料の点で、何年もの間下落している。この下落とともに、総需要も下落する。実際、何年にもわたり、アメリカ企業は、自社株の買い戻し以外、新しい生産設備に対する投資に、利益を使っていなかったという証明があるのだ。企業が投資ではなく、自社株を買い戻している時には、企業が生産増加に対する需要を見ていないことを経済学者の名に値する人物なら誰でも直ちに認識すべきなのだ。そのため、その過程で、彼らはボーナスのために、自社を略奪し、資本を希薄化する。これが実際に起きていることだという完全な認識があるが、それ経済成長とは全く一致しない。

 労働力参加率も同様だ。通常、経済成長は、仕事につこうとして、人々が労働力に加わるから、労働力参加率の上昇をもたらす。だが好況とされている期間を通じて、得られる仕事がないので、労働参加率は低下している。

 21世紀にアメリカは資本が希薄化され、生活水準が低下した。しばらく、この過程は負債拡大により継続したが、消費者収入は維持されず、消費者負債拡大は限度に達した。

 F連邦準備制度理事会/財務省の「株価急落予防チーム」は、S&P先物を購入することで株式市場を維持できる。連邦準備制度理事会は金融資産価格を上げるため、より多くの金を注ぎ込める。だが雇用と雇用による経済活動は外国に移転されているので、お金は生産高を上げない。グローバリズムがしたのは、アメリカ経済の中国移転だった。

 本当の統計分析は、公式宣伝とは対照的に、好景気に沸く経済という幸せな構図は統計上のペテンによってもたらされた錯覚であることを示している。インフレが過小評価され、名目GDPをデフレートすると、結果は、本当の生産増加として、より高い価格を数えることとなり、インフレが本当の経済成長になってしまう。失業は計算されない。もし人がこれまでの四週間で仕事を探さなければ、その人は公式に労働力の一部ではなく、その人の失業は数に入れられないのだ。政府が失業を計算する方法が実にとんでもないものなので、アメリカがゼロ失業率でなくとも、私は驚かない。

 今敵として悪者にしている外国に、その経済を与えてしまっている時、国は一体どのように回復するのだろう? 企業のお仲間が短期的な富を懐に入れられるよう、敵に経済を与え、手足を縛られる以外全く能がない支配階級のこれ以上どんな好例があるだろう?

 我々はこれをトランプのせいにすることはできない。彼は問題を引き継いだのであり、彼には問題を理解するのを手伝い、解決を見いだすことができる顧問はいないのだ。そのような顧問は、新自由主義経済学者中にはいない。私はトランプに手を貸すことができる四人の経済学者を思いつけるだけだが、その一人はロシア人だ。

 結論は、アメリカは、60年前の第三世界に直接向かう道に固定されているということだ。トランプ大統領は、それについてどうすることもできない。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c17

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
120. 中川隆[-8612] koaQ7Jey 2019年8月28日 19:52:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4140]
コメント
https://green.ap.teacup.com/pekepon/551.html#comment


2018/9/14 18:28
投稿者:ロケットサラダ


いえ、自作派といっても何もわかってない初心者のまま全然進歩がないんです。80年代初頭くらいに発売されたBOSE101MMをいまだにパソコンにつないで使ってまして、パソコンとしてはこれで十分なんだけど、ヤフオクとか見てたら、JBL、タンノイ、B&Wなど目についてこれらは一体どんな音がするんだろうと確かめてみたくなるんです。アンプだとスレッショルド、ゴールドムンド、ボンジョルノ、金田式、窪田式、クリスキット、管球アンプ、デジタルアンプ、色んなものが出品されてますよね。人力さんはある程度一通り回って来たんじゃないですか? 私は、まだ入り口辺りをうろうろしてるままなので興味津々です。聴力はかなり悪くなっているはずなのに。ノーチラスって言うのが、スピーカーらしからぬ形をしていて、200万くらいで落札されるのを見たことがありますが、あれ2000円で買えたらなと思います。昔、ヤマダ電機でJBLのバカでかい重量級のスピーカーでエリック・クラプトンをかけていましたが、豊かな低音でした。あんなの家庭で鳴らせませんよね。10年以上前に8センチのフルレンジを大音量で鳴らしてたら、向かいのおばさんが何事かと思って家に来ましたよ。家の中で人が暴れてるのかと思ったらしいです。何をやっても、結局、防音室がなければ思うように鳴らせません。かといって、ヘッドフォンは何だか、抵抗がありますし…。寮に住んでた時、ゼンハイザーのを使ってましたが、あれって、スピーカーのウレタンエッジと同じで経年劣化でボロボロになりますね。音は良かったのですが。スピーカーだと視覚的にああこれから音が出てるのかと思うことができるけど、ヘッドフォンは見えないのが辛いです。それと、私は全然マニアじゃないから、カタログスペック見ても何のことやらわかりません。なので、聴いてみて、この音好きとか、そんな感じです。BOSE101MMの音ですら、さすがと思ってしまうんです。35年くらい使ってるけど、未だに現役なのがすごいし。なんたる耐久力かと感心します。人力さんが仰っていましたが、私もフルレンジ好きなんです。とにかくヤフオクは目に毒で恐ろしいです。見なくなったら全然見ないんだけど、一旦見だしたら次から次へと目移りしてしまって。では、ちょっとヤフオク見に行ってきます。

http://ivory.ap.teacup.com/ikiru/

2018/9/12 8:18

投稿者:人力


ロケットサラダ さん

自作派の方でしたか。尊敬しちゃいます。

色々不要な接点が増えるからプリアンプは要らないというのはCD時代からの流れですが、実はプリアンプって音色を作る役割が有ったりしますよね。歪が増えているだけなのですが、個人的には「心地よい歪」を付加する装置は大歓迎です。偶数次の歪が増えると音が艶やかになるとの説も。ケーブルにしても、電源にしても固有の歪が付加され、それが音質の変化として認識されます。

結局、オーィオ道って、「自分の好きな歪」を作る行為なのだと私は考えています。「原音」なんて、そもそも存在しないのですから。

ドイツのジャーマンフィジックス社のクリスマスの帽子の様な振動版のスピーカーの音を聞くと、ダイナミック型のスピーカーが発する音が如何に偽物かが良く分かります。静電型やアポジーの様なフルリボン型とも違う、異様なリアリティーを持った音に鳥肌が立ちます。

お金に糸目を付けなければ、泥沼に落ちるのも楽しいオーディオですが、「この程度で十分」と線引きする事で、楽しく音楽と付き合う事の方が大事だと私は考えています。


2018/9/8 17:54

投稿者:ロケットサラダ


はい、私が使ってた真空管アンプはエレキットの300Bのアンプで7Wでしたが、それでも、最大音量にできませんでした。昔のなので、検索しても同じやつ出てきませんね。縦長のやつです。プリアンプつないだ方がいいという方もいますね。可変抵抗も仰られてる様にそうだと思います。でも、私はどちらかと言うと排除の方向です。プリアンプまで買うとその分お金が飛びますし。イコライザーもいじったら何が何だかわからなくなるから、使ったことないです。どうにでもなるから、逆に迷路に入りそうで怖い。できるだけシンプルにしないと泥沼でお金がいくらあっても足りなくなるという考えです。でも、人力さんの考え方は勉強になります。そう言えば、私が若い頃使っていた、ヤマハのプリメインアンプは低音が全然出てなくて、薄っぺらい音でした。友達の家に行くとモリモリと力強い音が出ていましたが、実は彼はラウドネス・スイッチを使っていたのです。その方が迫力ある音に聞こえるのですから、それでいいのだと思います。私は長岡鉄男さんの影響を受けているので、今更路線変更できません(;^_^A モアイのインピーダンスは2Ωを切ることがあると言われてるけど、よくアンプが昇天しないものだと感心してます。

http://ivory.ap.teacup.com/ikiru/

2018/9/6 1:20

投稿者:人力


ロケットサラダ さん

可変抵抗には「美味しいゾーン」がある様で、プリとパワーでそれぞれ美味しいゾーンが使用出来るパワーアンプの出力ワット数というのも重要な要素だと思います。一般家庭ではスピーカーの効率にもよりますが100Wなんてパワーは持て余すかと・・。

スピーカーの箱が小さくなって、効率を犠牲にする事で低音を確保する現在のオーディオ技術は根本的に何か間違っている気がします。出力トランジスターを多数並列にして出力抵抗を下げる方法も、個々のトランジスターの特性の微妙な違いで、音楽の鮮度を下げているだけ。

シングルプッシュフルのトランジスターアンプは素直で良い音がする物が多い。ただ、組み合わせるスピーカが低効率のローインピーダンスのタイプだとアンプの良さが全く生かせません。

2018/9/2 13:08

投稿者:ロケットサラダ


なるほど。よくわからないけど、デジタルボリュームはとにかく最大にしていればいいのですね。ビット落ちするって知りませんでした。私は右に回しきって短絡させた状態で、長岡式パッシブアッテネーターをつなげばいいかなと思っているのですが、昔、小さな真空管アンプでしてた時、音が大きすぎて、短絡状態では無理でした。普通の家ですのでお隣さんに怒られちゃいます。固定抵抗の抵抗値を変更すればいいのだろうけど、ちょっと今はめんどくさくて。その時は、なんだか、音が痩せて聴こえました。固定抵抗だとそのような音の傾向になるのですね。

http://ivory.ap.teacup.com/ikiru/

2018/8/25 15:10

投稿者:人力


ロケットサラダ さん

すみません、コメントを見落としてお返事が遅くなりました。

アナログボリューム
1)抵抗によて信号電圧を無段階に変化さる
2)小音量にしてもアナログ波形は微細に見れば滑らか
3)抵抗値が上るとノイズが混入したり、歪が発生する

デジタルボリューム
1)6db信号を減衰させると1bit削る事になる
2)通常の視聴音量では11bitの信号になっている事も
3)但し、アナログボリュームで処理してもデジタルで切り捨てられた小音量の部分はノイズに埋もれて聞こえない信号領域


では、デジタルで音量を調節しても問題無いかと言えば、入力信号を絞った場合、D/A変換以降のアナログ回路でノイズや歪の影響を受け易くなると私は考えています。

パワーアンプに入力ボリュームが付いているスタジオ用の器材が便利なのは、プリアンプやミキサーからの信号出力を最大出力で受けて、パワーアンプ側で音量をコントロールできる点。プリ-パワ−間での信号劣化が少ない事がメリットです。

最近は32bitに返還して処理する器材も在りますから、デジタルボリュームのbit落ちに神経質にならなくても良いのかも知れませんが、やはり、電流の少ない信号は外部ノイズの影響を受けやすいので、デジタルボリュームはMAXにしてプリアンプやパワーアンプでボリュームコントロールする事がベターかと思います。

尤も、デジタルイコライザーなんてものは、周波数毎のデジタルボリュームに過ぎませんから、音質に影響が無いかと言えば大有りなのですが、イコライジングのメリットの方が多きいと判断しています。

2018/8/10 0:42

投稿者:ロケットサラダ


お久し振りです。またまた、初心者的な質問よろしいですか? 私は50代ですので、ボリュームは可変抵抗もしくは固定抵抗のパッシブ・アッテネーターのアナログ人間でした。なのでデジタルの電子ボリュームの是非がわかりません。このことについて何かご教示頂ければありがたいです。あれは私には何がどうなのか全然わからないのです。

http://ivory.ap.teacup.com/ikiru/

2017/10/19 8:10

投稿者:人力


ロケットサラダ さん

長くなってしまったので下から続きます

尤も、ジッタによる歪は本来は人間の認識出来ない程度の微細な揺らぎみたいなものなので、何故、人がこれを音の差として認識できるのかは謎ですが、ジッターを低減すれば音が良くなるというのが最近のデジタルオーディオの常識となっています。

ただ、ノイズや歪というのは不思議なもので、気持ちの良い歪というのも存在します。ここら辺がオーディオの面白い所で、徹底的に歪を低減した音が心地よい音かと聞かれたら答えはNOとなります。

ローファイの時代から、音の良い器材が有るのは、この歪による味付けの上手い下手が大きく影響している様です。

そもそも、音の入り口であるマイクと、出口であるスピーカーは歪の塊であり、原音などというものは存在しない事を考えると、オーディオは所詮は「好みの音」を再生する趣味という事になります。

そして、オーディオ地獄で大金を失わない為には・・・私はフルレンジスピーカーの音から外れない様に気を付けています。下手に低音、高音を伸張すると・・・大金が飛びます。中域を厚くして、低音・高音は脳内補完・・・これで幸せなオーディオライフが送れるハズ。

久しぶりのオーディオの話題に、ついつい長くなってしまいました。


2017/10/19 8:10

投稿者:人力


ロケットサラダ さん

USBケーブルによるデータ転送はエラー時にデータの再送を要求しないアイソクロナス転送という方式ですが、普通のUSBケーブルを用いる限り、エラーの発生頻度はそれ程高く無い様です。

データ転送時にCRCによるエラー検出を行っているので、エラーの発生した箇所は捨てられ、データは何等かの方法で補完されます。

実はCDのデータ規格ではデータはある程度分散して配列される為、ある特定のデータが消失しても、データは問題無く再生される様です。

「70cmを越えるUSBケーブルでエラーが増える」というのはメーカー担当者が語った事の様ですが、多くの人が検証すると、エラーの発生確率は無視できる程低いという事が分かって来ています。

しかし、実際にはUSBケーブルによる音質劣化をほとんどのPCオーディオマニアは経験しており、やはりUSBの質や長さは音に影響を与える様です。

そうなると、原因はやはりジッターという事になります。出始めの頃や安価なのUSB-DACはクロックを外部クロックに頼っていたので、転送によってクロックに揺らぎが生じていてジッタという歪が生じる可能性高い。これは同軸ケーブルや光ファイバーによる転送でも発生します。

昨今のある程度高性能なDACは転送されたデータを一度内部のバッファに溜め込み、正確な内蔵クロックによってデータを読み出すので、ジッタが低減される様です。

2017/10/18 10:13

投稿者:ロケットサラダ


初めまして。記事、大変興味深く読ませていただきました。USBケーブルが70cm以上になるとエラーが多くなるって知らなかったです。それ以下のケーブルを買わないといけないんですね。オーディオは素人なので、これからも参考にさせてもらいます。

http://ivory.ap.teacup.com/ikiru/


2016/6/8 16:23

投稿者:人力


通りすがりの者です さん

高効率のスピーカーシステムって本当に音楽がイキイキ
と鳴りますよね。低能率スピーカー+ハイパワー低イン
ピーダンスアンプの緻密な描写とは真逆。

どちらも凄いのですが、安価に楽しめる点では高効率な
SEスピーカーは半ばオーディオの盲点でした。

尤も、その両方のイイとこ取りをする小型スピーカーも
存在する訳で、箱庭オーディオの世界も盆栽同様に奥が
深いものが有ります。


2016/6/5 0:49

投稿者:通りすがりの者です


能率(感度)が99〜100dBくらいあり、2kHz前後まで出力帯域を持たせられるSR用38cmスピーカーは鳴り方いいですね。コンプレッションドライバーとホーンの組み合わせは本当に良く出来ている。

2011/10/18 0:08

投稿者:人力


mさん

本当は空洞化の例として書き始めた記事だったのですが、書き始めたらオーディオ話になってしまいました。

こんなに拍手を頂くとは思ってみみませんでした。隠れオーディオファンが大勢いらっしゃる様ですね。

昔からBOSEファンには音楽ファンが多いですよね。基本フルレンジで音楽の美味しい所がしっかりと聞こえるからでしょうか。

デジタルオーディオは謎だらけですよね。あるスタジオでは、真夜中に裸電球の光でミックスダウンするとか・・・意外にデジタルは外来ノイズに弱いのかも知れません。

それとPC音源は、PCのOSの構成が変わると音が変わってしまいます。

AirmacはDAコンバートとアンプはAirmac側にあって、音源のデジタル信号をiTunesが加工しないで転送していれば、音が変わるはずが無いので、iTuseは音源を加工して出力しているのでしょう。「原音主義者」は抵抗がありそうですが、CDプレーヤー自体各機種、独自の音色の色付けがありますから、「原音」などというのは、やはり幻想なのでしょう。

2011/10/17 21:25

投稿者:m


人力さん、こんにちは。

昔々は 20kg ぐらいあるアンプと、小型冷蔵庫ほどある中古で買ったスピーカーを使っていました。

iTunse が出る前から、Linux サーバーで CD をリッピングして CD チェンジャー代わりに使い始め、当時のサウンドカードは電源 ON/OFF 時のプッツンノイズ入るので、奮発して(?)デジタル入力のある AV アンプを買いフルデジタル化。その後、501x の頃からあこがれていた bose の AM5-III を買って、そこからはオーディオにお金をつぎ込まなくなってしまいました。

だからどうしたというわけではないのですが、人力さんの話を読んでいたら、つい書きたくなりまして (^^;

http://www.co-mind.info/cgi-bin/mt/mt-search.cgi?tag=VSX-D3&blog_id=4

2011/10/17 16:38

投稿者:人力


鍛冶屋さん

音なんて、気にしない方が何百倍も幸せになれます。
ところが、一度気になり出すと、気になってしまいます・・・。

世の不幸は、きっと、この様にして始まるのでしょう。
オーディオの音質差なんて、掛けたお金にある意味比例しますから、車の優劣を気にする事と差は無いのでしょう。

ただ、科学的な実験としは、非常に楽しい世界でもあります。アナログ時代のオーディオは、「振動制御」が決め手でした。

デジタオーディオの時代は、PCの作動環境や、ソフトの相性などで音が変わる様です。デジタルという再現性の高い技術で音質差が生じる事自体、不思議ではありますが。

XPのSP3はCPU負荷が高いのだろうと、勝手に想像しています。

2011/10/17 15:41

投稿者:鍛冶屋


音の良し悪しなんてさぁ〜っぱり分からない耳音痴な自分には、
まったく理解できないお話でした^^;)。

しかし、最近XPをsp-2→sp-3にアップした所(・・・今頃って)
なんか重いわ不安定だわで・・・やっぱ止めときゃ良かったっと
後悔していました。


https://green.ap.teacup.com/pekepon/551.html#comment
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c120

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
108. 中川隆[-8611] koaQ7Jey 2019年8月28日 20:30:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4141]

2011/10/16
日曜の午後は優雅にJAZZなど聞きながら・・・最新技術でレトロを再現する 
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive


オーディオマニアはイコライザーの使用を嫌います。

「レコードやCDには生の音源が入っているのだから、手を加えるのは言語同断」という
原音至上主義の方達が多くいらっしゃいます。
最高の録音であれば、良い音源は優れた再生音を生み出してくれます。

ところが実際には「録音」は千差万別です。
クラシックでも酷い録音は存在しますが、それでもバランスは取れています。

これが、80年代以降のロックやポップスやJ-POPSでは悲惨な録音状態です。
CDの登場によってオーディオ機器は小型化し、ラジカセ全盛の時代になりました。

CDを購入する多くの人々が、ラジカセで音楽を聴くので、
当然、録音スタジオではラジカセで格好良く聞こえる様な録音をする様になります。

ミキシングスタジオから大型スピーカーが消え、
YAMAHAの10Mという、白いウーファーの小型スピーカーが大増殖して行きました。
ラジカセは大型スピーカーの様には低音が出ませんので、
ミキシング時に低音を思い切り持ち上げて録音される様になりました。
さらには、小型スピーカーではあまり聞こえない重低音は、
管理されていないような録音も現れ始めました。

80年代前半のアナログレコードに時代までは、
それでも多くの人が大型のオーディオスピーカーを使用していたので、
録音はそれを考慮して、まともなバランスを保っています。

しかし、90年代以降はPOPSやROCKはそれこそ「悲惨」な状況です。

■ 曲毎、アルバム毎にイコライザーカーブをプリセットできるiTunse ■

イコライザーを使用すれば、部屋の音響特性と録音バランスを補正できるのですが、
録音バランスの違うCDにあわせてその都度イコライザーを操作するのは面倒です。

しかし、iTunseには、曲毎にイコライザーを設定する機能が付いています。
iTunesにプリセットされているイコライザーは、派手な演出でクソですが、
iTunseはバンド数が少ないながらも、自分で複数のイコライザーカーブを作って登録できます。

もう、これを使ってしまったら、病み付きになります。
古いジャズも、最新のロックも、最適なバランスに調整する事が出来ます。

■ ルームアコースティックを機材で調整する愚 ■

私は先日、コンクリートにクロス直貼りのマンションから、
ボード貼りのマンションに引越しました。

コンクリートにクロス直貼りの部屋では、低音がだぶ付いて始末に負えませんでした。
iTunseのイコライザーが無ければ、大型スピーカーは絶対に使えません。
ところが、ボード貼りの部屋では、ボードが丁度良いアンバイに低音を吸収してくれます。

これが、木造の和室では、今度は低音が不足するかも知れません。

このようなルーム・アコースティックの違いを機材で調整する事は至難の業ですが、
イコライザーでは比較的容易に調整できます。

■ 大型スピーカーの衰退 ■

AMラジオの様なフルレンジの小型スピーカーは
高音も低音も出ませんが、ストレスの無い聞きやすい音がします。

今な無き長岡鉄夫というオーディオ評論家は、
小さなフルレンジユニットを使って、高効率の自作スピーカーを発表し続け、
一部のオーディオマニアから神的な扱いを受けていました。

長岡鉄夫のファンはらはオーディオマニアと言うよりは、音楽マニアが多く、
高効率のスピーカーからは、生きた音楽が聞こえる来る事を知っていました。

一方、所謂オーディオマニアはJBLのマルチユニットのモニタースピーカーなどに嵌りますが、
これは上手く鳴らす事が非常に難しいシステムで、まともに鳴らした人は少ないでしょう。

大型のマルチユニットではユニット間の繋がりで、周波数特性が乱れ、
さらには日本人はタンスの様な巨大スピーカーを6畳間に押し込んだりしていましたから、
ユニット間の音が混じる事も無く、音場再生などという概念もハナから無視していました。

一時期、録音のワイドレンジ化に伴って導入されたJBLのマルチモニターは、
その後、UREIの同軸2ウェイユニットにその座を奪われます。
ホーン先端の青色のスポンジも鮮やかなUREIのモニターは、
同軸2ウェイ故に、音の繋がりも良く、大型ながら音場再現にも優れていました。

JBLはその後、2ウェイのモニターシステムに移行すると同時に、
UREIを買収して、UREIモニターを市場から消し去りました。(アメリカ人の発想ですね)

ところが、時代はラジカセの時代になり、
大型モニターは少なくなり(当然、楽器個々の録音確認には使用されますが)、
YAMAHAの10Mが大増殖し行きます。

■ 小型スピーカーブーム ■

1985年頃だと思いますが、イギリスのセレッションというメーカーが
SL600という小型密閉方スピーカーを発売します。
(マーシャルのギーターアンプのスピーカはセレッション製です)

SL6という、中級スピーカーのユニットはそのままに、
箱の共振を抑える為に、航空機に用いられていたアルミのハニカム材を
エンクロージャーに用い、レーザー解析で振動を最適化するという
現代的スピーカー設計の原型とも言える製品でした。

SL600は鳴らし難いスピーカーとして名を馳せました。
非力なアンプでは全く鳴らないのです。
ところが、マークレビンソンなどアメリカの純A級のパワーのあるアンプで鳴らすと豹変しました。

スピーカーの存在が消え、そこであたかも演奏していうかの様な空間が生まれたのです。

■ 地獄の一丁目、小型低能率ワイドレンジ・スピーカー ■

SL600の登場までは、スピーカーの効率は90dB以上はありました。
ところがSL600以降は、80dB程度の効率しか無いスピーカーが続々と登場します。

低音が出難い小型のスピーカーなので、
低音の効率に、システムの効率を揃える事で、帯域のバランスを確保したのです。

さらに小型スピーカーで低音を得る為に、ウーファーのユニットは重くなり、
さらに強力な磁気回路の中に設置されました。

これでは、非力なアンプでは、ウーファーから逆流する電流に押されて
まともな再生が出来ません。

さらに、ハイパワーでウーァーを叩き出さなければ、音に勢いが生まれません。

NFBを最小に抑えながらも、出力インピーダンスを小さくして駆動力を稼ぐ為に、
現代の高級アンプは、出力段のトランシスターを多数並列にして、
スピーカーの駆動力を確保しながら、低インピーダンスに対応しました。

小型低能率スピーカーの登場は、アンプの巨大化と高価格化をもたらしましたが、
住宅事情から、大音量の出せない日本のオーディオマニアの多くは、
結局、スピーカーとアンプの実力を出す事なく、買い替えを繰り返していきました。

(この時代のパワーアンプの最高傑作が、初期型KRELLのKSA50やKSA100でしょう。
 2Ωまでを楽々と駆動しながら、繊細で力強く、さらにマッタリとクリーミーな味わい。
 しかしながら、陽炎が立つ程の発熱と、月の電気代が3000円アップに耐えなければなりません。
 エコを目指し、クラーの無い我が家では、半年で売りに出されました。

 でも、人生で最後に聞きたい音を挙げろと言われたら、
 私は間違い無く「初期型のKSA50の音を聞きたい」と答えます。
 スピーカーは・・・SL600・・・いや、APOGEEのフルリボンか・・・)

■ 小型スピーカーが悪いわけでは無い ■

小型スピーカーの先鞭を付けたセレッションですが、
SL3という非常に鳴らしやすい小型スピーカーを発売していました。
今でも実家で使っていますが、FMラジオを聞き流すには最適なスピーカーです。

SL3の上位機種の、SL600の原型であるSL6も素晴らしいスピーカーでした。
小型密閉型のスピーカーですが、低音も結構出たので、
これをどう料理するかが、鳴らす人の腕の見せ所でもありあました。
LINNの黒箱に繋いで鳴らすと、弦楽器は張りがあって、艶やか、躍動感一杯に鳴ります。
又、この組み合わせの、ビートルズは絶品でした。
アメリカのスピーカーでは鳴らし難いビートルズですが、
イギリスのスピーカーとアンプの組み合わせでは、生き生きと鳴ります。

最近ではKEFFのiQ3などは、とても良く出来たスピーカーです。
DALLIのロイヤル・メヌエットも、音楽がとても楽しく聞こえるスピーカーです。

これらの小型スピーカーを使っている内は、オーディオマニアも幸せで居られます。
高音がどうの、低音がどうのと、細かい事も気になりません。

■ 38cm小型2ウェイという選択肢 ■

ご存知の方も多いと思いますが、名古屋のProcableという通販ショップが、
iPodやiTuneのオーディオ活用に一役買いました。

ホームページが強烈なので、アンチ・プロケーブルを量産しましたが、
そこに書かれている事は、技術的には間違いも多いのですが、
結構、従来の常識を外れると、楽しいオーディオライフが返って来る事を証明しています。

先ず、高効率スピーカーを使う事。
問題はほとんどコレで解決します。
生き生きとした音楽が聞こえてきます。

38cmのPAスピーカーを推奨しているので、
私もエレクトロボイスの「Foce i」という比較的小さなPAスピーカーと、
クラウンの25Wの小型アンプD45を購入してみました。

これが意外と素性が良いのですが、
38cmと言えども箱が小さいので低音が出ない。
小型スピーカーよりも低音は少ないのでは無いでしょうか?

ただ、103dBという高効率スピーカーなので、
25Wのアンプで軽快に鳴ります。
とにかく、ドラムなどの音の立下りは早い。
ロックのドラムが、パッシっと決まるのは快感です。

低音を出す秘訣は・・・
私はスピーカーケーブルをステージ用の端子を用いずに
スピーカーのネットワークに直接半田付けしたら、低音のバランスが取れました。

ネットワークとユニットの間も、スピーカーケーブルと同じケーブルで半田付け。
多分、半田の適度な抵抗が、スピーカーに丁度良い負荷になったのではと考えています。
(某サイトでは、電線(Fケーブル)を何百メートルも使ってバランスを取る人も居ましたが、
 単に、それって抵抗じゃなイカ?)
昔からJBLなどの大型SPに抵抗を繋ぐと鳴らしやすいというウワサは聞きます。

因みにスピーカーケーブルはウェスタンエレクトリック社の14Gという錫メッキ線です。
高域が適度にシャラシャラして、ホーンのキツサを抑えてくれます。
クラシックまで聞こうとするならば、錫メッキ線は便利です。

■ BOSEという選択肢 ■

その頃、カフェバーのスピーカーと言えばコレ。

クリックすると元のサイズで表示します

BOSE 301。
白いカフェバーに、白いBOSE。
何となく軟派なイメージがしてヘビーデュティー嗜好の私などは、
あまりBOSEが欲しいとは思えませんでしたが、
友人達の部屋で聞くBOSEは、101も、301も、楽しい音で鳴っていました。

「この高音が」とか、「コンバスの弦の解像度が」などという点ではダメなのですが、
音楽を聴いていて楽しいスピーカーでした。
音楽の「うねり」の様な物を良く表現し、
ボーカルの表情が良く伝わる。

当時を振り返ると、
音楽好きはBOSEや自作フルレンジ(長岡式)を選択し、
機械好きは、国産をカタログスペック重視で選んでいた様に思います。

さて、時代が30年経ち、どちらが優れていたかは自ずと結論が付いていると思います。
国産オーディオはほぼ絶滅の状況にあり、
ミニコンポと一部愛好家向けの高級機だけの市場になってしまいました。

一方、BOSEはホームシアターというフィールドにも進出し、
今でも楽しい音を鳴らし続けています。

■ ハイファイは疲れる ■

私もオーディオに随分と散財しました。
しかし、結局行き着く先はラジオの音。

先日までは、仕事用のデスクトップシステムに、
カナダのスタジオ用のアンプ(BRYSTON B−60)と
イギリスのMONITOR AUDIOの小型スピーカーを組み合わせていましたが、
結局、殆ど使用しませでした。
何故か・・・眼前にミニチュアの音像が並ぶと、煩わしいのです。

そもそも、ステレオ自体が擬似音場でしかありません。
脳は多分、その擬似的な音場を補正して尤もらしく聞かせる為に、
結構な労力を使うのでしょう。

低音も高音も、現実のものとは違います。
すると、脳は又イコライジングでこれに対応しようとします。

ですから、仕事中になまじなハイファイ(死語ですが)を聞くと、
仕事に集中出来ません。

■ yahooオークションで間違って落札したギターアンプ ■

クリックすると元のサイズで表示します

いきなりギターアンプです。
yahooオクでオーディオのアンプのコーナーに間違って出展されていました。

何の気無しに\3,000で入札したら、落札してしまいまいした。
息子にでもあげようと思い、送金したら、商品が届きました・・・。
日本フェンダーの小型のギターアンプです。
5インチのスピーカーが2個搭載されています。
何と、これがセレッションです。

かつて、マーシャルのギターアンプはセレッションを使用していました。
セレッションはイギリスの老舗のスピーカーメーカです。
レーザーによる振動解析を駆使して開発されたSL−600は、
現代スピーカーの原点と言っても過言ではありません。

私もセレッションの音は大好きです。
今でもSL−3を所有していますし、
SL−6とLINNの黒箱で鳴らすビートルズは最高です。

決して鳴りすぎる事が無く、されど聞きたい音は聞こえて来る。
それがセレッションです。

現在は台湾当たりのメーカーに商標を売却してしまって、
名ばかりセレッションですが・・・何となく嬉しい。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c108

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
15. 中川隆[-8610] koaQ7Jey 2019年8月29日 04:45:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4142]


自己崩壊=自滅した三橋貴明 2018-01-11
https://ameblo.jp/kinakoworks/entry-12343741164.html


[2255]三橋貴明(みつはしたかあき)の自滅、崩壊の記事。 私は、大丈夫です(笑)
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

北朝鮮のICBMの実験(大陸間弾道弾。去る11月29日に、1万キロ飛ぶことに成功して、アメリカの首都ワシントンを正確に照準にとらえた)の、次の実験のことを含めて、私の最新の 北朝鮮の核ミサイルを、世界(=国際社会)が、どのように取り除くか、の分析と予測(予言)の続きを、もうすぐ書きます。

それと、私は、今もずっと、ユダヤ教(Judaism ジュダイズム。ユダヤ思想とも訳せる)と イスラーム教との、長い歴史での絡(から)まり合い、こんがらがりをずっと研究しています。

最新の新聞記事で、以下に載せるとおり、経済評論家で右翼言論人の三橋貴明(みつはしたかあき、48歳)が、若い奥さん(19歳)に傷害を加えて警察に逮捕された、という事件があった。

今日は、このことについて書きます。

○「 経済評論家、妻の腕にかみつく…傷害容疑で逮捕 」

2018年01月07日 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180107-OYT1T50044.html

私は、三橋貴明という人が書いた本たちのことを、10年前から知っている。 

彼が、経済の本を、見よう見まねで、書き始めたとき(2007年)から知っていた。

なぜなら、彼の初期の本の文の書き方は、私、副島隆彦の本から、たくさんのことを学び、私の金融本に書き方を、徹底的に真似することで、自分の経済評論の本を書くことを、身につけた人だ、と私は、当時、すぐに分った。

「こういう若手がこれからはどんどん現れるだろうなあ。なるほどなあ、私の本から、こんなに上手に盗用、剽窃するとは、器用なものだな 」と、当時(10年前)に、私は思った。 

私の手元に、三橋が、私の本からどのように盗文したかを、私の本と見開きにして並べて、細かく赤いペン入れした彼の本を今も持っている。

そのうち彼、本人に指摘しようと、私は、ずっと考えてきた。

「こんなに私の本を、丁寧に、熱心に読んでいる、ということは、君は、私、副島隆彦の弟子なんだよ」と言ってやろうと思っていた。

他の若手の保守評論家たちも同様だ。

出版社の編集者たちは、書籍編集部は、東京の出版社では、全体では狭い業界だから、「副島先生の本を、(この人も)よく読んでいますよ」、「(副島)先生の本を、書棚の奥に隠すのを私は見ましたから」と、よく話している。

その後、三橋は、「韓国経済は崩壊する。中国も崩壊する」という内容の右翼本を、執念深く書き続けた。

おそらく40冊ぐらい書いただろう。

そして、自分が崩壊した。

彼の脳がすり切れたのだ。

この「脳がすり切れる」という言葉が重要であって、もの書き、言論人(小説家=作家 も) は、いつか、自分の脳がすり切れるのだ。

それは、すべての種類のスポーツ選手が、自分の体を限界まで酷使して、筋肉や筋を痛めて、文字通り、「肉体をすり減らす」ことと似ている。 

この世の、どんな業種も、職業病(しょくぎょうびょう)というのが有って、それで、やられる。

自営業種であっても、上手に80歳まで働くと、「もうオレも終わりにする」と廃業する。

だから、私、副島隆彦も自分の脳(=思考力)が、すり切れることは他人事(ひとごと)ではない。

私は、三橋貴明の脳が崩壊したのは、何よりも、自分が書き続けた、「中国、韓国崩壊論」が、崩壊したからだ、と判断する。

そうではないのか、と、今からでも、本人に聞いてみたいと思う。

自分の脳が、恐慌状態になって、追い詰められて、切迫して、「日本は、このままでは、(もっともっと強大になる)中国の属国民にさせられてしまう・・・」と、悲鳴をあげる、反共右翼(はんきょううよく)特有のヒステリー症状を起こす。

三橋が、ついに48歳で、発狂したのはこの症状だ。

このあと他の若手の右翼言論人たちにも同じような症状が続くだろう。

私、副島隆彦は、冷酷にそのように予測する。

この三橋に起きた、自分の書いてきた本の、大破産の現実の前に、自分の脳が荒廃する、という症状は、病理学(パソロジー)では、パーセキューション・マニアック persecution maniac 被害妄想(ひがいもうそう )という精神病(=頭の病気)である。

この被害妄想 を拗(こじ)らせて、一番、自分の近くにいる家族を痛めつけてしまう。

そして、ついに哀れな状態に到達した。

三橋のこの頭の病気はもう治らないだろう。

私は、昨年、2つの出版社に、「三橋君と何とか対談をしてみたい。中国や韓国の将来について。それから、日本経済のこれからについて、激突対談本が出来ませんか」と、お願いしていたのだが、もう遅かった。

彼の方が先に勝手に崩壊して自滅した。

この他の、反共右翼の若手の言論人たちとも、私は、対等の立場でこれから対談、激論したいと思っている。

そういう機会がいくらでも欲しい。

私はどんな人との対論もいやがらない。

すすんで応じる。

三橋貴明の自滅、崩壊の2つ目の理由とされるのは、最新の彼の『財務省が日本を滅ぼす』(小学館、2017年10月刊)という本だ。 

この本でも、安倍晋三政権の経済政策(エコノミック・ポリシー)への厳しい批判を続けている。

以下に載せる新聞記事の通りだ。
 
「財務省が、プライマリーバランス(副島隆彦割り込み、注記。 基礎的出費と 税収 だけでも均衡させたい。双方45兆円ぐらい。 )の目標にしがみつくから、だから、財政出動(積極財政)が出来ない。だから、日本はデフレのままなのだ。だから、悪いのは財務省だ」

で、安倍総理と三橋たち反共右翼たちの意見(考え)は、合っている、ピタリと一致している。 

彼らは、自己の信念としても、ずっと、自分たちの反共イデオロギーに忠実に、ずっと政治活動家だ。

とても、一国を代表するに相応(ふさわ)しい人間とは思えない。

安倍晋三は、自分の言うことを聞かない財務省と、ずっと闘っているのだ、とするのが、安倍晋三の自己弁護であり自己信念であり(その軽いオツムで)だ。

そしてこの安部の自分勝手な確信は、そのまま、同時に安部を熱烈に応援しているネトウヨや反共右翼たちの考えだ。

この考えは、安倍晋三自身が持っている考えなのだ。

このことは明らかであり、あからさまと言えるほど、はっきりしている。

安倍晋三と三橋貴明 およびその周辺の、右翼言論人たちは、この「財務省、憎し。財務省が、国賊だ 」で、ずっと、自分たちの言論を作ってきている。

それと、朝日新聞が、反日分子、売国奴だ 論だ。

それに対して、私、副島隆彦は、「そうではない」と はっきりと、反撃する。

財務省が、財政出動( 国家の 真水(まみず)である重要な財政資金を、景気対策として、各種の公共事業に投入すること)が、どうしても、できないのは、それは、アメリカ政府に、密かに、強制的に貢がされているからだ。

アメリカに奪われている 日本の資金は、 日本財務省が管轄するだけで、これまでの累積で、1200兆円である。

この40年間に渡って、毎年、30兆円 。

掛ける 40年 で、 = 1200兆円だ。

これらは、財務省の子分の、「7つの政府系金融機関」が、密かに、米国債や、カリフォルニア州債や、NY市債などを、もの凄い量(金額)で、買わされ続けたからだ。

私、副島隆彦は、このことを、自分の金融本で、もう20年間、ずっと書き続けている。

「それは、本当か」と今頃になって、その ボケた頭で、私に問いかける人は、自分が持っている私の金融本を読み返してみなさい。

アメリカに、日本国の国富(こくふ)を、1200兆円も強制的に貢がされているから、だから、日本に景気回復がないのだ。

だから、日本財務省からの、安倍晋三首相への反論(反撃)は、「首相。そんなに言うなら、アメリカから資金を取り返して下さいよ。米国債を売ることを許可して下さい」である。

この 大きな真実を、日本の御用(ごよう)経済学者も、経済評論家も、官庁エコノミストも、財政学者も、誰ひとり言わない。

それで、三橋のような、大きな真実を知らない、で、謎が解けない、若手の低知能のヒョーロンカが、気が狂うのだ。

ただし、財務省がする財政政策(フィスカル・ポリシー)の不全、機能麻痺状態と違って。

今の日銀を握っている、黒田東彦(くろだはるひこ)日銀総裁(以前は、財務省のNo2の財務官という職)は、金融政策(マネタリー・ポリシー)で、まだまだ、お札と国債引き受けのジャブジャブ・マネー(QE キュー・イー。クオンティテイテイヴ・イージング・マネー 量的緩和)をやるぞ、で、「(酒ーけは 飲め飲め、飲ーむならば・・・やーると思えば)どこまで(も)やるぞー、の黒田節(くろだぶし)」状態だ。

それでも、黒田が日銀総裁の任期を延長して、そのときには、周囲にバレないようにこっそりと、政策を逆転させてコソコソ、引き締め(ジャブジャブの停止)を密かに始めるだろう。 

アメリカに奪われている日本の財政資金(国のお金)の合計1200兆円(10年前には、これは800兆円ぐらいだった)日本の財政資金(ざいせいしきん)の、ことは、日本財務省から、獅子身中(しししんちゅう)の虫として放逐(ほうちく)され、今も、財務官僚たちから、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている、高橋洋一(たかはしよういち。私、副島隆彦と同年齢 )が、公然と、ベラベラと、自分の本にずっと書いている。

『今すぐ使える650兆円の国家資金がある』(講談社刊)などだ。

この巨額の、属国・日本から 帝国、アメリカさま への貢ぎガネ(だから、これを朝貢国からも朝貢=ちょうこう=)と言う。 

この一番、大きな裏ガネに 較べたら、一年間に(毎年)、6500億円ぐらい、在日米軍(陸海空の他に海兵隊=マリーン・コー=の 4軍)に払っている 思いやり予算=在日米軍駐留経費の負担などは、目くらましのような少額だ。

今、北朝鮮の核ミサイル対策で、すでに、3基のSAHHD 「サード」高高度迎撃ミサイルが、すでに、「米軍が勝手にやっている」ということで、東北と、長野と、中国地方の山にすでに据え付けられている。

三沢、横田、岩国の米空軍基地を防衛するためだ。

このサードとか、イージス・アショア(地上型イージス)などは、一基2千億円ぐらいのものだから、本当に、安いものなのだ。 

先の米国債買いの1200兆円に較べれば。

こういう重要なことが日本国民には、何も知らさないことになっている。

韓国では、騒ぎになっているだけ、まだ、ましなのだ。

韓国は、敗戦国でない(連合国側の戦勝国と自称している)ので、駐韓米軍が遠慮する。 

日本は、このように韓国よりも、哀れな国だ。

皆さん、分ります? 

ただし高橋洋一は、自分が、アメリカの手先であって、アメリカ(当時の、バーナンキFRB議長)によって、丹念に洗脳され、飼育された人間なのだと、ということに、今も自覚がない。

いや、生来、もっと悪質な人間なのだろう。 

自分が東大の理学部、数学科を出ているものだから、「東大の法学部を出た 財務官僚たちは、数学、経済学が出来ない、馬鹿ばっかり。バカ、バカ、バーカたちだ」と、本当に、高橋洋一は、この「法学部出の、バカ、バカ、バーカ」を日頃、連発している。

この、高橋の決まり文句(自分の古巣への呪詛=じゅそ=の言葉)を目の前で聞いた人は多い。

高橋洋一が、東大で学んだ数学というのは、統計学という数学で、本物の数学者たちからは、「ああ、高橋さんは、統計学だからね」とバカにされているのだ。 

統計学( Statistics , スタティスティックス)というのは、とんでもないインチキ数学だ。 

数学の世界の 邪道で下等 なのだ。

統計学というのは、官僚や御用(ごよう)学者たちが、自分たちに都合のいいように、数式や公式をを弄(いじ)くって、ウソの結論を出すための「高等数学」だ。 

統計学が、インチキ数学であることを、大学で、まじめに数学を勉強した人たちは皆、知っている。

このことで、私、副島隆彦は、今から、高橋洋一を細かく、叩くだろう。

高橋洋一も、安倍晋三のお気に入りのひとりだ。

ということは、麻生太郎副総理・財務大臣が率い財務省とは、憎しみの関係だが、それでも、安部晋三は、自分の政治活動家(ポリティカル・アクティヴィスト )としての信念で、財務省と激しく敵対し続けるのだ。

「財務省よ、お前たち官僚が、国賊だ」と安部たちは、自分の政権担当者としての最高責任を回避して、「人の所為(せい)」にすることで、憂さを晴らして、こういう三橋貴明や高橋洋一のような、手軽な、ペラペラ言論人を、呼び寄せては、ご飯を食べて、「総理は悪くありません」と、宥(なだ)めてもらって、自分の脳のキズを修復する。

その見返りに、内閣官房機密費(領収書が要らない)から、それなりの金額を渡す。

それでも、なぜ、今頃になって、突然、三橋が、「(私は、財務省を批判しているので) もうすぐ、国税(庁。財務省のビルの5階に在る)にやられるー」と、喚(わめ)きだして発狂したのか、である。

去る12月12日に、藤井聡(ふじいさとし)が取り持って安部首相と夕食を食べて、そのときに、当然、安部から、「私も君の考えに同感です( 悪いのは、財務省だ)」と言っただろうに、その直後、翌日から、狂躁(きょうそう)状態になって、以下の産経新聞の記事にあるとおり、「「私にスキャンダルが出るか、痴漢冤罪で捕まる…」とブログに書いたのか、だ。 

ここには、これから判明する、もっと奥の深い、政治の闇の部分がある。

三橋は、何をそれほどに脅されたのか?  

今からもう9年前だ。

高橋洋一が、財務省の裏切り者、内部告発者として、財務省の激しい怒りを買って、東京の豊島区の豊島園(としまえん)の、大衆温泉から出てくるときに、脱衣箱の中に置かれていた、ブルガリの時計と財布を、そのまま持って、温泉から出たら、読売新聞の記者と警察がいて、逮捕された。 

新聞に載ったのは、2009年3月24日のことだ(その後、不起訴処分)。 

この時は、まだ麻生政権で、麻生太郎は、財務省の強力な味方だ、今も。 

そして、このあと、8月30日に、鳩山由起夫、小沢一郎の民主党が選挙で大勝して、政権を作る。

この2009年の、 高橋洋一を、策略で、嵌(は)めた事件は、警察トップにまで影響力を持つ、財務省の命令であることが明らかだ。 

私は、この日の朝、港区のホテルで、原稿書きの泊まり込み(カンヅメという)をしていて、編集長がやってきて、朝食を食べながら、「高橋洋一が、やられたね」と話した。 

ほとんど誰も居ない、朝のホテルのレストランで、私の、向こう側に、大柄の男がひとり、私に背中を向けるように座っていた。 

「ほら、(編集長よ)、こういう風に、私のところにも、こういうのを送ってくるんだよ。もう少し、遠くに座れよ」と、言った。 

私は、この男に聞こえるに言ったのだ。

これが、私、副島隆彦も、何かあったときは、警察に監視されていることの証拠のひとつだ。

携帯電話の 中に、GPSの特殊なチップが入っていて、GPSで、私がどこに居るかが、分るらしい。

これが、今も監視社会の現状だ。 

最近は、 「顔認証(かおにんしょう)」というセンサーの技術が進んで、通りを歩いている人間の 識別(アイデンティフィケイション)の出来るようだ。

だから、高橋洋一が、権力者に「目障(めざわ)りだ」で、痛めつけられたのと、今回、三橋貴明が、やられたのは、共通性がある。 

だから、副島隆彦の読者の人たちが、直感的に、「副島隆彦は大丈夫か」と、反応を示したのだ。

ちなみに、この2009年の2月14日に、中川昭一(なかがわしょういち)財務大臣が、ローマのG7のあとの記者会見で、酩酊(めいてい)事件を引き起こされて、失脚した(そして、不可解な死去)。

読売新聞の越前谷智子(えじぜんやともこ)、お前たちがやったのだ。


愛国者・中川昭一は、「アメリカに預けている 1兆ドル(100兆円)の 外貨準備高(フォーリン・リザーブ)のうちの、1000億ドル(10兆円)をIFMに、渡して、東欧諸国の金融危機の救済資金に、回したい」と、G7で、表明したからだ。

小沢一郎へに激しい、秘書逮捕などの、検察庁からの 攻撃が起きていたのも、この2009年の3月3日だ。

植草一秀氏への、痴漢えん罪攻撃の、2回目が、起きたのは、それよりも早い、2006年の9月13日だ。

安倍晋三の周辺というのは、恐ろしい悪魔が棲(す)み着いている世界だ。

だから、近寄るだけでも危険なのだ。

このことを知らないで、気軽に「総理との夕食」などにのこのこと出掛けてゆくと、どんな、ひどい目に遭うか、この軽率な男は、分らなかったのか。

もっと何か、が隠されている。

「三橋貴明容疑者「近い将来、私にスキャンダルが出るか、痴漢冤罪で捕まるか…」 事件の3週間前、自身のブログで「予言」?」

2018年1月7日 産経新聞

http://www.sankei.com/affairs/news/180107/afr1801070013-n1.html

今日のところは、もう、これぐらいにしましょう。

三橋貴明程度の、頭の軽い 若手評論家(48歳)が、38歳の時の2007年から、10年書き始めて、そして、ついに自己崩壊=自滅した、というだけのことだ。

ただ、私、副島隆彦が、この三橋自滅 のことで、不愉快に思うのは、「副島さんは、大丈夫か。(三橋貴明と)同じようなことにならないのか」と、私の読者の人たちが、心配してくれた、というか、そういう反応を示した(であろう)ことだ。

私は、大丈夫だ。

もう30年も、もの書き、言論人をやってきて、ちっとも恵まれない(それでも商業出版の枠の中で本だけはしぶとく書き続けた)まま、ここまで来た。

私は、我慢に我慢の忍耐力がある。

「人生、我慢だ」で、厳しい状況にずっと堪(た)えることを知っている。

だから、私は大丈夫です。

ご心配なく。

最後に、一貫したリベラル派で、反安部の言論を作り続けている リテラ誌 の この三橋事件への、よく纏(まと)まった記事を載せます。

「安倍首相と会食したネトウヨ経済評論家・三橋貴明が10代妻へのDVで逮捕! 会食が税金による接待だったことも発覚」

2018年1月7日 リテラ
http://lite-ra.com/2018/01/post-3724.html

どうして安倍首相の周りには、こういう事件ばかりが頻発するのか。

山口敬之氏の準強姦事件が海外メディアで改めて大きく取り上げられているさなか、今度は、安倍首相が昨年末、会食したばかりのネトウヨ経済評論家・三橋貴明が妻へのDVで逮捕された。

三橋は5日、自宅で10代の妻を転倒させて腕にかみついたり、顔を平手で殴り、妻が110番通報。

傷害容疑で高輪署に逮捕されたのだという。

三橋は取り調べに容疑を否認しているというが、DVで警察沙汰になったのはこれがはじめてではなく過去に二度、警告を受けていたという情報もある。

周知のように、三橋は経済評論家という肩書きをもっているが、2ちゃんねらー出身で、経済的側面から韓国を攻撃するヘイト本を多数出版。

ネトウヨ読者から熱狂的な支持を得てきた。

政治的にも、財務省批判はともかく、夫婦別姓反対や排外主義、原発推進など、極右丸出しで、安倍首相についても、第一次政権から第二次政権発足当初まで、熱狂的に支持。安倍批判のマスコミを「人権侵害」と攻撃するなど、応援団的役割を果たし、2010年、三橋が参院選に自民党から出馬した際には安倍首相が応援演説を行っている。

もっとも、この三橋氏、当初はあれだけ安倍首相とアベノミクスを支持していたのに、昨年くらいから、なぜか安倍批判に転じ、「安倍政権の経済政策はすべて間違っている」などと攻撃するようになっていた。

そこで、昨年末の12月12日、懐柔のために、会食に同席した西田昌司参院議員、藤井聡内閣官房参与が仲裁に入る形で、安倍首相と会食の席がもたれたということらしい。

ちなみに、三橋はこの安倍首相との会食について自身のオフィシャルブログやメルマガ『三橋貴明の「新」経世済民新聞』で報告。

「そんなことで懐柔されない」と大見得を切りつつ増税政策への批判めいた文章を書いていたが、そのトーンは以前とは比べものにならないくらい弱くなっていた。

しかも、〈何で税金で1回ご飯を食べさせてもらったくらいで〉と、会食が税金による接待であったことを認める始末だった。

今回の逮捕はそんな矢先のことだった。

ちなみに、三橋はやはりブログで、自分がいかに財務省批判をしているかを自慢げに語り、〈近い将来、わたくしに何らかの「スキャンダル」が出るか、痴漢冤罪で捕まるか、弊社に国税が来るのは避けられないでしょう。〉などと警戒心をあらわにしていた。

にもかかわらず、そのすぐ後に10代の妻にDVをはたらいたのだ。

これは、このネトウヨ論客が女性に対していかに抑圧的であるか、という証明だろう。

そして、こんな人間に税金を使って懐柔のために接待をしていた安倍首相。

まったくグロテスクというしかない。

https://ameblo.jp/kinakoworks/entry-12343741164.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c15

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
18. 中川隆[-8609] koaQ7Jey 2019年8月29日 04:59:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4143]
オーディオ用ではないテレビ管なんかでも昔の全盛時代のものはプレートに良い素材使っていたりするから音が良いんですね。今はオーディオが儲からない時代になった上、人間の考え方も進歩するようで、コストの概念が取り入れられてコストダウンで球の製造工程も省略されたり、構造も簡素化されたりする

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c18
[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
59. 中川隆[-8608] koaQ7Jey 2019年8月29日 05:01:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4144]


ヴィンテージアンプは整備が出来ていないと貴重なトランスが断線したりするから、骨董愛好家は神経質だとかそういう話ではないですね。先日も整備済み品を再度見てもらったけど、電源部ブロックコンデンサー 三個中一個容量抜け→交換 Volにガリ→交換 電解C左右違い→交換 などボロボロ出てくる(爆)

有名店でも基本はちゃんとメンテしてるんでしょうけど、商売の効率からすれば仕入れた古物を右から左に流した方がいい訳じゃないですか。フルオリジナルと謳っても絶対にそんなものはないのだから100%ウソになるんだけど、買う方もパーツが新しいものに換えられていると価値が下がると非常に嫌うから


ヴィンテージは本当に痛い目にあった経験則からでしょうけど、販売店ではなく整備した修理工房に問い合わせて詳しく整備内容を聞いたり、整備のやり直しをさせる人はザラにいると聞きました。驚きますよね。奥が深いですよ。それだけメンテ済み品でも必要な整備が出来てないケースが多いってことです。


優良店が『フルオリジナル』と謳って商品化したもの。元論オリジナルな訳がない。『整備済み』と商品化したもの。古物を仕入れて"そのまんま"で出している場合がよくある。マニアも実体をよく分かってて、修理工房にどんな整備をしたか問い合わせたり、やり直しさせたりしてる人が結構いる。


復刻版がオリジナルに勝つ事はほぼ無い。しかし、ヴィンテージスピーカーは大半の個体が多少なりとも劣化して眠い音(ボンヤリした音、ボケた音)を出している。オークションでは安く買えるけど全く違う音というくらい年代物は個体差と整備内容で音が異なる。とは言え、優良店との価格差は二倍強にもなる




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c59

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
200. 中川隆[-8607] koaQ7Jey 2019年8月29日 07:12:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4145]

地方局司会者が謝罪、共演の黒人男性に「ゴリラ似」 米
2019.08.28 Wed posted at 19:12 JST
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35141884.html


ジェイソン・ハケットさんと視聴者に謝罪するアレックス・ハウスデンさん/KOCO


(CNN) 米オクラホマ州のテレビ局が放送する番組で、共同司会者の1人がもう一方の黒人男性についてゴリラに似ていると発言し、翌日の放送で涙ながらに謝罪した。

同州のCNN系列局KOCOテレビで朝の番組の司会を担当する男女2人のうち、白人女性のアレックス・ハウスデンさんが22日の放送中、オクラホマ市動物園のゴリラを取り上げたコーナーの後でもう一方の黒人男性、ジェイソン・ハケットさんに対し、「(ゴリラは)ちょっとあなたに似ている」と発言した。

ハウスデンさんは翌日の番組で「配慮に欠けた不適切な発言で皆さんを傷つけた」と視聴者に謝罪。ハケットさんにも「あなたは大好きな親友の一人。わざと傷付けるようなことは決してしない」と語り掛けた。

ただし、黒人の容姿をゴリラに例える言葉が人種差別的な意味を持つという問題には、直接言及しなかった。

ハケットさんは謝罪を受け入れ、「私も多くの皆さんも深く傷付いた」と率直に語った。ハウスデンさんと手を差し伸べ合い、自分にとっても親友の一人だと話した。

ハケットさんはさらに、この出来事が「言葉の大切さ」を知らせる「学びの機会」になるよう願っていると述べ、「私たちはお互いに相手が傷付く言葉、胸にこたえる言葉を理解し合わなければ」と呼び掛けた。
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35141884.html

サブリミナル実験から、白人の潜在意識では「黒人≒類人猿」であることが判明(米研究)


「Not Yet Human: Implicit Knowledge, Historical Dehumanization and Contemporary Consequences(人間未満:暗黙知、非人間化の歴史、そして現代への影響)」

と題された研究レポートは、スタンフォード大学、ペンシルバニア州立大学、カリフォルニア大学バークレー校の心理学者らによる6年にわたる共同研究の集大成である。

それによると、多くのヨーロッパ系アメリカ人(白人)は意識下でアフリカ系アメリカ人(黒人)を類人猿と結びつけて見ていることが判明した。


サブリミナル実験に参加した被験者のほとんどは、白人の男子学生だ。

実験は、彼等に黒人男性あるいは白人男性の顔をスクリーン上でほんの一瞬見せた後、ぼやけた類人猿のスケッチを見せて、それが何か識別させるというもの。

黒人男性の顔のフラッシュを先行して見せられた場合、白人男性のそれを見せられた場合に比べ、被験者はずっと早くそのスケッチが類人猿のものであることを識別したという。

次セクションで少し詳しく説明するが、米国ではかつて黒人を類人猿になぞらえ、黒人差別を正当化していたのだが、被験者たちはこの黒人ー類人猿アソシエーションを知らない。

にもかかわらず、被験者たちの潜在意識の中にはこのアソシエーションが存在していることが、同実験から判明したわけである。


「黒人はいまだに人間として認められていないのです。

この国では、我々は今でも類人猿と同列に見られているのです。」


同研究では米ローカル紙の一つ『Philadelphia Inquirer』が1979年ー1999年の20年間に掲載した数百のニュースを調べているが、極刑の有罪判決を受けた黒人は、同じく極刑判決を受けた白人に比べて「野蛮な」「けだもの」「凶暴な」「残酷な」「気の荒い」等、類人猿と関連性のある言葉で表現される頻度が4倍もあったという。

また、「これらのニュースで、暗に類人猿であるかのように描写された者たちは、そうでない者たちに比べ、州政府により処刑されやすい傾向にあることも判明している。


「黒人≒類人猿」と本人が考えているというのではなく、無意識にそう捉えているというのは、差別される側にとって、かなり厳しい現実である。

意識下ということは、本人もコントロールしにくい領域であるからだ。
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-177.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c200

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
42. 中川隆[-8606] koaQ7Jey 2019年8月29日 07:39:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4146]
 2019.08.29
不可解なエプスタインが死んだ情況
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908280000/


ジェフリー・エプスタインが8月10日に死亡してから不可解な現場の状況が明らかになってきた。死の前日に同房者はほかへ移動、エプスタインが死んだときに看守は過労で居眠りしていただけでなく、監視カメラの映像は問題の部分が利用できない状態になっているのだとう。しかも房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。

 この事件はエプスタインの個人的に未成年者に犯罪的な行為をしたというだけでなく、未成年の男女を有力者に提供し、その様子を映像などで記録して脅しに使っていたということが問題になっている。ある種の勢力が国、あるいは世界各国の政策を恐喝でコントロールしていた可能性があるということだ。

 エプスタインが今回と同じ容疑で2005年に逮捕されているが、その時に事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、​エプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 エプシュタインの背後に情報機関の影がちらつくは事実で、例えば彼の妻だったギスレイン・マクスウェルの父親であるロバート・マクスウェルはミラー・グループの総帥だったと同時に、1960年代からイスラエルの情報機関モサドのエージェントだったとも言われている。このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。

 エプスタインが親しくしていた「友人」の中にはビル・クリントンやドナルド・トランプも含まれているが、トランプの顧問弁護士だったロイ・コーンもスキャンダルを探り、恐喝に使っていたと言われている。

 コーンはジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問で、ルイス・ローゼンスティールなる人物と親しくしていた。この人物は禁酒法の時代に密造酒で大儲けし、後に大手酒造メーカーを経営している。このローゼンスティールもスキャンダルを使った恐喝をしていたという。ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンも情報機関とつながっている、あるいは動かしていると言われている。

 政治を動かすために恐喝を使っていたと言われている人物はほかにもいた。そうしたひとりが犯罪組織のボスだったミッキー・コーエン。バグジー・シーゲルのボディーガードだったが、1947年6月にシーゲルが殺された際、コーエンは現場から姿を消していた。メイヤー・ランスキーから事前に話を聞いていたと言われている。

 ユダヤ系の地下武装集団だったイルグンの幹部で後にイスラエルの首相になるメナヘム・ベギンとコーエンは親しく、またシーゲルと同じようにコーエンもハリウッドに大きな影響力を持っていた。

 その力を利用して有名俳優を有力者に提供する一方、その事実を利用して脅していたと言われている。コーエンが親しくしていた人物の中にはジェイコブ・ルベンスタイン、通称ジャック・ルビーも含まれている。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の実行犯にされたリー・ハーベイ・オズワルドを警察署で殺したことになっている人物だ。

 ルビーは1964年4月に死刑が宣告されたが、上訴裁判所はそれを取り消している。その年の6月にウォーレン委員会のメンバーとダラスで面談したルビーはテキサスにいては命が危ないという理由でワシントンDCへ移すように強く求めている。

 自分は真実を話す用意があるが、テキサスでは無理だとしていたのだが、結局、ワシントンDCへの移送は認められない。そして1967年1月にパークランド病院でガンのために死亡したとされている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908280000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c42

[日本の事件17] プチエンジェル事件の真相
80. 中川隆[-8605] koaQ7Jey 2019年8月29日 07:40:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4147]
 2019.08.29
不可解なエプスタインが死んだ情況
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908280000/


ジェフリー・エプスタインが8月10日に死亡してから不可解な現場の状況が明らかになってきた。死の前日に同房者はほかへ移動、エプスタインが死んだときに看守は過労で居眠りしていただけでなく、監視カメラの映像は問題の部分が利用できない状態になっているのだとう。しかも房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。

 この事件はエプスタインの個人的に未成年者に犯罪的な行為をしたというだけでなく、未成年の男女を有力者に提供し、その様子を映像などで記録して脅しに使っていたということが問題になっている。ある種の勢力が国、あるいは世界各国の政策を恐喝でコントロールしていた可能性があるということだ。

 エプスタインが今回と同じ容疑で2005年に逮捕されているが、その時に事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、​エプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 エプシュタインの背後に情報機関の影がちらつくは事実で、例えば彼の妻だったギスレイン・マクスウェルの父親であるロバート・マクスウェルはミラー・グループの総帥だったと同時に、1960年代からイスラエルの情報機関モサドのエージェントだったとも言われている。このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。

 エプスタインが親しくしていた「友人」の中にはビル・クリントンやドナルド・トランプも含まれているが、トランプの顧問弁護士だったロイ・コーンもスキャンダルを探り、恐喝に使っていたと言われている。

 コーンはジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問で、ルイス・ローゼンスティールなる人物と親しくしていた。この人物は禁酒法の時代に密造酒で大儲けし、後に大手酒造メーカーを経営している。このローゼンスティールもスキャンダルを使った恐喝をしていたという。ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンも情報機関とつながっている、あるいは動かしていると言われている。

 政治を動かすために恐喝を使っていたと言われている人物はほかにもいた。そうしたひとりが犯罪組織のボスだったミッキー・コーエン。バグジー・シーゲルのボディーガードだったが、1947年6月にシーゲルが殺された際、コーエンは現場から姿を消していた。メイヤー・ランスキーから事前に話を聞いていたと言われている。

 ユダヤ系の地下武装集団だったイルグンの幹部で後にイスラエルの首相になるメナヘム・ベギンとコーエンは親しく、またシーゲルと同じようにコーエンもハリウッドに大きな影響力を持っていた。

 その力を利用して有名俳優を有力者に提供する一方、その事実を利用して脅していたと言われている。コーエンが親しくしていた人物の中にはジェイコブ・ルベンスタイン、通称ジャック・ルビーも含まれている。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の実行犯にされたリー・ハーベイ・オズワルドを警察署で殺したことになっている人物だ。

 ルビーは1964年4月に死刑が宣告されたが、上訴裁判所はそれを取り消している。その年の6月にウォーレン委員会のメンバーとダラスで面談したルビーはテキサスにいては命が危ないという理由でワシントンDCへ移すように強く求めている。

 自分は真実を話す用意があるが、テキサスでは無理だとしていたのだが、結局、ワシントンDCへの移送は認められない。そして1967年1月にパークランド病院でガンのために死亡したとされている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908280000/
http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html#c80

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
56. 中川隆[-8604] koaQ7Jey 2019年8月29日 07:40:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4148]
 2019.08.29
不可解なエプスタインが死んだ情況
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908280000/


ジェフリー・エプスタインが8月10日に死亡してから不可解な現場の状況が明らかになってきた。死の前日に同房者はほかへ移動、エプスタインが死んだときに看守は過労で居眠りしていただけでなく、監視カメラの映像は問題の部分が利用できない状態になっているのだとう。しかも房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。

 この事件はエプスタインの個人的に未成年者に犯罪的な行為をしたというだけでなく、未成年の男女を有力者に提供し、その様子を映像などで記録して脅しに使っていたということが問題になっている。ある種の勢力が国、あるいは世界各国の政策を恐喝でコントロールしていた可能性があるということだ。

 エプスタインが今回と同じ容疑で2005年に逮捕されているが、その時に事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、​エプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 エプシュタインの背後に情報機関の影がちらつくは事実で、例えば彼の妻だったギスレイン・マクスウェルの父親であるロバート・マクスウェルはミラー・グループの総帥だったと同時に、1960年代からイスラエルの情報機関モサドのエージェントだったとも言われている。このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。

 エプスタインが親しくしていた「友人」の中にはビル・クリントンやドナルド・トランプも含まれているが、トランプの顧問弁護士だったロイ・コーンもスキャンダルを探り、恐喝に使っていたと言われている。

 コーンはジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問で、ルイス・ローゼンスティールなる人物と親しくしていた。この人物は禁酒法の時代に密造酒で大儲けし、後に大手酒造メーカーを経営している。このローゼンスティールもスキャンダルを使った恐喝をしていたという。ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンも情報機関とつながっている、あるいは動かしていると言われている。

 政治を動かすために恐喝を使っていたと言われている人物はほかにもいた。そうしたひとりが犯罪組織のボスだったミッキー・コーエン。バグジー・シーゲルのボディーガードだったが、1947年6月にシーゲルが殺された際、コーエンは現場から姿を消していた。メイヤー・ランスキーから事前に話を聞いていたと言われている。

 ユダヤ系の地下武装集団だったイルグンの幹部で後にイスラエルの首相になるメナヘム・ベギンとコーエンは親しく、またシーゲルと同じようにコーエンもハリウッドに大きな影響力を持っていた。

 その力を利用して有名俳優を有力者に提供する一方、その事実を利用して脅していたと言われている。コーエンが親しくしていた人物の中にはジェイコブ・ルベンスタイン、通称ジャック・ルビーも含まれている。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の実行犯にされたリー・ハーベイ・オズワルドを警察署で殺したことになっている人物だ。

 ルビーは1964年4月に死刑が宣告されたが、上訴裁判所はそれを取り消している。その年の6月にウォーレン委員会のメンバーとダラスで面談したルビーはテキサスにいては命が危ないという理由でワシントンDCへ移すように強く求めている。

 自分は真実を話す用意があるが、テキサスでは無理だとしていたのだが、結局、ワシントンDCへの移送は認められない。そして1967年1月にパークランド病院でガンのために死亡したとされている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908280000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c56

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
45. 中川隆[-8606] koaQ7Jey 2019年8月29日 09:03:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4146]

喜本奈津子容疑者を“あおり事件”の凶行に駆り立てた「歪んだ母娘関係」

"あおり運転"宮崎文夫容疑者の交際相手、喜本奈津子容疑者 母とは険悪な仲とも
2019年08月27日 21時35分 週刊女性PRIME
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12283-383941/


あおり運転殴打事件で逮捕された宮崎文夫容疑者の交際相手、喜本奈津子容疑者
小・中学校の同級生は「まじめで曲がったことが嫌いなタイプだった」と語る
事情通によれば、約10年前に父親が肝臓がんで亡くなり、母娘関係が険悪になったとも


「■なっちゃんのお母さんが3年前に施設に入るまで、母娘はよくケンカしていた。家を閉め出されたお母さんをうちに泊めてあげたことも。さすがに迎えに来るだろうと思っていたら、なっちゃんは知らんぷり。でも、まさか、こんな事件で有名になるなんて」

 と近所の女性は話す。

 なっちゃん、とは犯人蔵匿・隠避の疑いで茨城県警に8月18日に逮捕された会社員・喜本奈津子容疑者(51)のこと。

 常磐自動車道であおり運転をし、24歳男性ドライバーを殴って傷害の疑いで同日逮捕された宮崎文夫容疑者(43)の交際相手だ。

 助手席に乗っていた喜本容疑者は高速道路上をつかつかと歩いて被害者の車にガラケーのレンズを向け、宮崎容疑者が暴力をふるっても、制止しようとしなかった。

 冒頭の女性は「なっちゃんはスマホは持っていないのかしら?」と、いぶかしがりながらも、喜本容疑者と母親の関係について話を続ける。

「■お母さんは家に入れてもらえず近所の大型商業施設のベンチによく座っていた。営業時間が終わっても動こうとせず、通報されてパトカーに乗って帰宅したこともある」

■「まじめで曲がったことが嫌いなタイプだった」

 喜本容疑者は神奈川県川崎市出身で2人姉妹の長女。地元関係者らによると、自宅兼店舗でパン・菓子店を営む父親は厳格な性格で、母親はそれに従順だった。

 近所の事情通は、

「■父親は毎朝4時に起床して店の前に水をまき、午後8時には寝る。近所のピアノの音がうるさいといって母親を使って抗議させたことも。喜本容疑者はそんな家庭で育った普通の女の子」

 と振り返る。

 地元の小・中学校で同級生だった男性は、「■むしろ、まじめで曲がったことが嫌いなタイプだった」と記憶の片隅にある人物像をたぐり寄せる。

「■僕らの中学は荒れていて、不良グループが教室で消火器を振り回すなど学級崩壊寸前だった。喜本はそういうグループには近づかなかったし、まじめな女子生徒と仲よくしていた。優等生でもブリっ子でもなかった」(同級生)

 県立高校を卒業後、地元で就職。病院の食堂など長続きしない仕事もあったが、周囲からは意欲的に働いているようにみえた。約10年前、父親が肝臓がんで亡くなり、母娘ふたりで暮らすようになってから母娘関係は険悪に。

「■母親は数年前から軽い認知症を患っており、それも喜本容疑者を苛立たせたのではないか。隣宅の自転車が自宅前にはみ出すのを許さず、直接言わずにすぐ警察を呼ぶことが何度もあった」

 と前出の事情通。

 閉め出しという陰湿な虐待を受けた母親もまた、やられっぱなしではなかった。

「■ある日、なっちゃんがカギをなくして家に入れなくなったことがあった。自宅のお母さんは玄関のドアを開けてくれず、頼まれて別の出入り口のワイヤーを切断してあげたことがありました。翌日、“おかげで助かりました”と本人がわざわざお礼に来ました。基本的には礼儀正しい人なんです」(前出の女性住民)

 母親は、すっかり有名になった娘の悪行をどう思っているだろうか。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12283-383941/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c45

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
46. 中川隆[-8605] koaQ7Jey 2019年8月29日 09:47:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4147]

43歳あおり男、宮崎文夫と喜本カップルは【シャブ中】異様な言動は【覚せい剤だろう】
裏の犯人は【麻薬密売】の元締=安倍晋三一家!
日本成人の40人に1人が覚醒剤、合成麻薬乱用者=13年調査!
2019-08-21
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/96c41bbd9314a066f50e87f6ae8b65d1

43歳あおり男、宮崎文夫と喜本カップルは【シャブ中】異様な言動は【覚せい剤だろう】裏の犯人は【麻薬密売】の元締=安倍晋三一家!日本成人の40人に1人が覚醒剤、合成麻薬乱用者=13年調査!宮崎容疑者には逮捕歴がある!


43歳あおり男の凶暴歴 近隣トラブルや監禁事件での逮捕も|日刊ゲンダイDIGITAL(記事は下記に)

宮崎・喜本カップルのおかげで、世直しが! : richardkoshimizu's blog(記事は下記に)

麻薬密売の元締は【安倍晋三一族】覚せい剤、コカイン、大麻、合成麻薬 !政権危機隠しに著名人を逮捕する!安倍一族は明治維新からブッシュ一族と戦争・麻薬・武器【死の商人】満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!日本成人40人に1人が覚醒剤、合成麻薬乱用者=13年調査!- みんなが知るべき情報/今日の物語

閲覧、現在できずに、真実だからでしょう。
宮崎・喜本カップルのおかげで、世直しが! : richardkoshimizu's blog

宮崎・喜本カップルのおかげで、世直しが!

richardkoshimizu's blog

2019年 08月 20日

「とにかく社会的影響が大きい事件。傷害罪を固めてから、道路交通法違反、暴行罪、代車を返却しなかったことによる横領罪の適用も視野に入れる。挙動不審で薬物摂取疑惑も浮上しており、毛髪からの薬物の簡易鑑定も行われる予定だ」(警察庁関係者)

傷害罪、道交法違反、暴行罪、横領罪、そして、薬物摂取。

希代のお騒がせカップルの奇行には、お薬が起爆剤になっていたと国民が知る。

51歳叔母ちゃん、毛髪鑑定対策で、断髪、毛染めしてた?

いいですね。斜部公への怒りが、国民間に湧き上がる。一気に、斜部公への関心が高まる。

ついでに、宮崎さんが親の資産を相続した経緯にも注目が!親の死に方に不審な点は?HKKNはいくらおりた?

宮崎・喜本変態カップルのおかげで、HKKNSJN団裏社会への包囲網が!

■>保険会社へ HKKSJN団裏社会の手口を 知らせないといけませんね。 保険会社の損出を防止の為に イヒヒヒヒ。 : richardkoshimizu's blog

richardkoshimizu's blog

>保険会社へ HKKSJN団裏社会の手口を 知らせないといけませんね。 保険会社の損出を防止の為に イヒヒヒヒ。

2019年 07月 31日

>保険会社へ HKKSJN団裏社会の手口を 知らせないといけませんね。 保険会社の損出を防止の為に イヒヒヒヒ。

そうですね。保険会社は、疑惑のある契約事案でも、証拠がないとなかなか動けない。

KMR−母のケースでも、旦那の生命保険が下りるのに7年掛かったけれど、結局は、おりている。まあ、ヤクザの圧力もあったのでしょうけれど。

裏社会直属のHKKSJN団の存在と概要を業界が知ることは、「調査」に大きな武器となるでしょうね。保険会社の審査部は、自社の扱う個々の案件には情報を持っていても、横のつながりはなかなか解明できないはず。それが、一気につながれば、業界全体で動き出すかも。

特定の保険外交員、保険会社、保険代理店、医師などが浮かび上がってくる。HKKSJNリングが見えてくる。"(-""-)"

面白いですね。なにか気に入らないことや不穏な動きがあったら、即座に、この業界にアプローチしましょう。どこからはいったらいいかな?諸氏のお知恵拝借。

ま、あんまり、拙速でやると面白くないので、ゆっくり、じわじわね。

43歳あおり暴行犯の“凶暴歴” 近隣トラブルや監禁事件での逮捕も - ネタりか

43歳あおり暴行犯の“凶暴歴” 近隣トラブルや監禁事件での逮捕も

逮捕された時、あおり男は帽子を目深にかぶり、サングラス姿でマスクを着け、スカーフで首元を隠し、背中にはリュックサック、手提げカバンを持っていたが、変装したつもりだったのか――。

  ◇  ◇  ◇

 茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた「あおり運転暴行事件」で茨城県警は18日、指名手配していた住所、職業不詳の宮崎文夫容疑者(43)を傷害の疑いで逮捕。

 車に同乗し、暴行の模様を携帯電話で撮影していた交際相手で会社員の喜本奈津子容疑者(51)も犯人蔵匿と隠避の疑いで逮捕した。

 午前11時前、捜査員が自宅マンションから出てきた宮崎容疑者に声を掛け、本人であることを認めたため、警察車両に乗せようとしたが「出頭させてください」と懇願し、約30分にわたって抵抗を試みた。2人で高飛びするつもりだったのか、「ガラケー女」の喜本容疑者もすぐにスーツケースを持って現場に現れ、「ひど過ぎる」とわめいていた。抵抗むなしく、宮崎容疑者は捜査員によってワンボックスカーに押し込まれ、取手署に移送された。

 宮崎容疑者のあおり運転をめぐっては、これまで数々の目撃情報が寄せられていた。茨城以外にも大阪、神奈川、愛知、静岡で会社名義のポルシェ・カイエンターボと代車のBMWのSUVで少なくとも5回、危険運転を行っていた。さらに6月8日には新東名高速を走行中、カイエンがトラックと追突事故を起こしている。

■タクシー運転手を車内に半日…

 各地であおり運転を繰り返した宮崎容疑者は、いったいどんな男なのか。本人のものとみられるSNSなどによると、大阪市の超難関進学校の天王寺高、関西学院大を経てキーエンスに就職。すぐに退職し、塾の英語教師、自動車販売業などを行っていた。

 その後、祖父所有のマンション一棟を相続してから、生活が一変。2018年2月、東住吉区に不動産会社を設立すると、同8月には大阪市中央区にコンサルタント会社を立ち上げ、派手な生活を送るようになった。それなりの賃貸収入があったようで、カイエンは新車価格で2000万円弱。その他、SNSにはフェラーリやベンツなど高級外国車を乗り回し、高級ブランドを買い漁り、一流ホテルに宿泊して豪華な外食をする様子や、元プロ野球選手とのツーショット写真が投稿されている。

 近隣住民がこう言う。

「今年6月、宮崎容疑者が所有するマンション1階部分の駐輪場が突然、駐車場になり、高級外車を何台も止めるようになったんや。住民からは『何の説明もない』いう不満が挙がったんやが、『オレのマンションや。何しようと勝手やろ』みたいな感じやったそうや。車が道路へはみ出しとったり、通り掛かりの人に『邪魔なんじゃ、このボケが』と悪態をつくこともあった。近所のモンもイチャモンつけられたらかなわんから会うても目を合わさんようにしとった。マンション最上階の7階部分に住んどったんやけど、数年前、2階から隣の家の屋根に飛び降りて、逃げたことがあったそうや。警察かなんかに追われとったみたいや」

 実際、宮崎容疑者には逮捕歴がある。

「昨年3月、朝、大阪市内でタクシーに乗り、そのまま夕方までタクシーに乗り続け、運転手を車から降ろさへんかったんや。タクシー会社から警察に通報があり、京都市内のコンビニにおるところを見つかり、監禁容疑で逮捕されたんや。あんな何をしでかすか分からんようなヤツに狭い密室で半日も閉じ込められたら、そら怖かったはずやで」(捜査事情通)

 相手に恐怖を与える宮崎容疑者のあおり運転は、周到で計画的、手慣れたものだった。相当の余罪が出てくる可能性がある。

43歳あおり男の凶暴歴 近隣トラブルや監禁事件での逮捕も|日刊ゲンダイDIGITAL


麻薬で安倍自民、政治資金を調達!893麻薬資金をカルト創価学会・統一教会が裏社会の麻薬利潤の運用を委任され自民・公明議員に配る!安倍晋三は麻薬密売家系!これが日本の真の構造!トランプ氏を攻撃するのは麻薬密輸業者である!薬物汚染が蝕む米国!薬物業界=1%オリガーキ・ユダヤ人– richardkoshimizu official website - みんなが知るべき情報/今日の物語


売国奴【安倍晋三一族】明治からの死の商人!武器、麻薬密売人!祖父・岸信介は満州でアヘンで巨万の富!悪魔の生体実験【細菌兵器731部隊】の指揮官!東日本大震災、福島原発事故の主犯!人工気象兵器の一味!世襲した暴力団人脈とパチンコ御殿!謀略工作や裏社会との関係を先代から受け継いでいるのだ!オウム真理教サリンテロの黒幕!不正選挙ムサシの株主は父・安倍晋太郎! - みんなが知るべき情報/今日の物語


高齢者交通事故、薬害と麻薬ヤク中も多いのではないか!薬で眠気、意識を失う程の副作用!飲酒運転のように!降圧剤、睡眠導入剤、花粉症薬、風邪薬、鎮痛剤など、麻薬ヤク中!薬好きの日本人、麻薬ヤク経験者は日本成人40人に1人!- みんなが知るべき情報/今日の物語

【睡眠薬の甘い罠】睡眠薬・睡眠導入剤、その一錠が病気をつくる、脳をダメにする!睡眠薬による眠りは麻酔薬と同じ!高齢者交通事故や殺傷事件の一部は薬の副作用か!薬を使わない薬剤師が教える本 /宇多川久美子著- みんなが知るべき情報/今日の物語

https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/96c41bbd9314a066f50e87f6ae8b65d1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c46

[近代史3] 天皇一族だけでなく日本人の大人の幼児化も進行している 中川隆
47. 中川隆[-8604] koaQ7Jey 2019年8月29日 09:50:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4148]
2019-08-22


DS裏社会が、RKブログを必死なって消した理由!
https://plaza.rakuten.co.jp/richardkoshimizu/diary/201908220001/

実は、宮崎・喜本煽り運転カップルに対するRKの分析が、ディープ・ステート裏社会残党にとって非常にまずい事態を呼び起こしているから、緊急避難的に、ブログ抹消に動いたと見ます。
https://ameblo.jp/kinakoworks/entry-12510120440.html

1.宮崎・喜本の夏の盛りの厚着とマフラー:覚醒剤が切れたときに、体温の調整機能が働かずに、非常に寒く感じることがある。(覚せい剤が利いているときは、逆に厚く感じて、薄着になる。新陳代謝が激しくなり、痩せているのに、冬でも発汗する。)


2.高速道路で、追い抜かれると「発病」して、煽り運転:酷い被害妄想。常に、誰かに追われているという妄想。覚せい剤中毒が酷く進んだ患者の典型的症状。タクシーに乗車して、十数時間もあちこち回らせて、逮捕?された時も、追われているという被害妄想。


3.宮崎は、母親の不動産を相続して、マンションのオーナーになったらしい。家賃収入がどれだけあるか?派手な生活には、足りないのでは?母親は、半年前に死亡したというが、死因は?保険金はおりているのか?「保険金殺人」組織の関りは?


4.喜本は、結婚願望のある女。8歳年下の宮崎と結婚をしたかった?自分よりかなり年上で魅力があるとも思えない喜本を、宮崎はなぜ交際相手に選んだのか?近い将来の「籍を入れて保険金殺人」が視野にあったのではないか?


5.宮崎・喜本は、逮捕前、宮崎所有のマンションの喜本の部屋に潜伏していた。警察は、所在を把握していなかった?一番、注目すべき自分所有マンションにいたのに?覚醒剤は、摂取後、数日間たてば、尿検査では検出されなくなる。警察は、「その筋」の指示で、両名に「シャブ抜き」の機会を与えたのでは?また、喜本が髪を短く切り、染色しているように見える。覚醒剤の毛髪検査の結果が出にくい。


6.当初、警察関係者は、両名が覚せい剤を使用している可能性に言及。だが、、以後は、テレビ報道でも、シャブに一切触れない。強い違和感がある。警察関係者も、過去の経験から「シャブだ!」と分かっているはず。宮崎は、喜本に30万円の高級バッグをプレゼントさせて、すぐに置き忘れてなくしている。シャブ代欲しさに、鞄を現金化したのでは?


以上から、宮崎・喜本が、安倍晋三一味に近い、保険金殺人団・覚醒剤常習リングに属した「正規構成員」であるため、組織を防衛するために、両名の「単純な煽り運転事件」であったと偽る工作が行われていると見ます。政府、警察、メディアが総動員で、真相隠蔽に駆り出されていると。


安倍の周囲には、クズとカスしかいません。

https://ameblo.jp/kinakoworks/entry-12510120440.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c47

[近代史3] 朝鮮人は頭がおかしい _ あるのはウソだけのめんどくさい国 中川隆
13. 中川隆[-8603] koaQ7Jey 2019年8月29日 11:17:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4149]

2019年08月29日
結局、朝鮮を助ける日本 / 自ら貧乏くじを引く日本人(前編)
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68778358.html


南鮮の没落を無邪気に喜ぶ保守派知識人
Moon & Kim 1Moon & Trump 1


  最近、「南鮮がGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を破棄する !」との報道を受けて保守派知識人や雑誌があれこれ騒いでいる。雑誌『正論』の9月号は、「韓国崩壊寸前」という特集を組んでいたし、『Hanada』10月号は「韓国という病」を目玉にしていた。ライバル誌の『WiLL』10月号は『Hanada』に負けまいと奮闘し、「No韓国 絶縁宣言!」というタイトルを以て対抗した。また、それと並行して「さよなら韓国 !」という別冊まで出している。しかし、こうした“保守派”雑誌でも、肝心な争点は避けていた。すなわち、南鮮人の「来日」、あるいは日本への移住・避難である。

  南鮮批判を得意とする保守派国民は、「韓国の反日侮蔑発言」や「韓国経済の低迷」ばかりに目を奪われ、日本がどのような“危機”に曝されるのか、という論点を見逃している。なるほど、南鮮が日本との情報共有を遮断すれば、南鮮軍は偵察衛星からの情報に疎くなり、軍事的窮地に陥るかも知れない。だが、それは文政権の方針であり、ひいては南鮮国民の意思である。南鮮が北鮮に吸収されるのは地政学的な脅威だけど、我々には文在寅を排除することはできないし、南鮮人にクーテータを嗾(けしか)けることもできない。正式な「軍隊」を持たない日本としては、南鮮が既に支那の勢力下に入ったと考え、対馬海峡が新たな38度線になったのだ、と自覚するしかない。言うまでもなく、「自分の身は自分で守る」のが国際政治の常識だし、昔の日本人もそう思っていた。丸腰になれば平和が訪れると考えるのは日本人くらいだ。今回の件について言えば、南鮮の将来は絶望的である。そもそも、米軍が見捨てる南鮮を我々が助ける事はできないし、また無理に助けようとすれば、日本が厄介な泥沼に嵌まってしまうから、ここは賢く最初から傍観した方がいい。

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(左 : 日本文明に浴さない昔の朝鮮人 / 右 : 感情的な朝鮮人の群れ)

  朝鮮人というのは、「馬鹿の10乗」というか、矛盾を矛盾と思わない自己中心的民族で、論理性とか誠実性(integrity)というものが全く無い。というか、それが何なのかすら解らない低級な種族とも考えられる。朝鮮は悲惨な時代があまりにも長すぎた。朝鮮文化と言えば、クズ野菜を利用したキムチくらいしかなく、あとは人糞を使った薬とか、苦痛に堪える処世術くらい。これほど“みすぼらしい”民族も珍しいけど、そんな民族が我々の隣国に住んでいる、という方が問題だ。共産主義に鈍感な朝鮮人が、栄養ドリンク無しでも元気になれるのは、日本に対して恨みをぶつける時だけ。日本人からすると、「他に楽しみはないのか?」と訊きたくなるが、彼らの眼中には我々の姿しかない。まぁ、日本人は何を言っても反論しないし、毎回「そうだよねぇ〜」と愚痴を聞いてくれるから、どうしても我々に対して甘えたくなる。それに、日本への憧れが極端に強いぶん、我々に対する嫉妬心や対抗心も激しい。一方、支那人に対しては別の態度を取る。朝鮮人は支那人の前では至って従順だ。どれほど馬鹿にされても怒らない。もし、支那人に対して生意気な口を利いたら、思いっきり棍棒でぶっ叩かれる。だから口答えは禁物。大昔から朝鮮人は支那人にド突かれてきたから、野蛮人の恐ろしさを身に沁みて分かっている。(支那人の仕置きは容赦ないからねぇ。)

  日本のマスコミや評論家は、何が何でも「朝鮮第一」。徳島に行っても阿波踊りじゃなくてアリラン祭。甲子園で高校野球となれば、通名を持つ朝鮮系選手の応援だ。いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」を聞いても、「釜山の夜景だって綺麗だぞ」と反論する始末。朝鮮人のどこが素晴らしいのか解らないが、井上陽水が名曲『傘がない』を唄えば、あの連中は「朝鮮学校の生徒はどうなんだろう? 傘を寄贈しようかなぁ〜」と考えてしまう。それはともかく、地上波テレビは南鮮側からのGSOMIA破棄に関し、「てえへんだぁ〜、どうしよう?!」と南鮮側を心配しているが、一般国民にしたら「それがどうしたんだ? 自衛隊の方は一向に困らないぞ」と言いたくなる。だいたい、自衛隊が南鮮側から如何なる機密情報、ないし軍事的メリットを得るというのか? 我が国は米軍から情報をもらっているので、三流国の南鮮軍と手を切っても大丈夫。日本人は対馬か竹島に出かけて笑顔を示し、目くじらを立てた朝鮮人に向かって「じゃあね、バイバイ!」と言えばいい。NHKや朝日新聞、フジテレビの連中と違って、一般の日本人は「朝鮮人と係わらなくて済むんだ」と思えば、何となく嬉しくなる。

  TBSとか共同通信の反日左翼は胃が痛くなるほど南鮮人を心配しているが、正常な日本人は晴れ晴れとした気持ちになり、酒やご飯がいつもより美味(おい)しくなる。そもそも、朝鮮人が「困った状態」になるのは、歴史上、別に珍しい事ではない。朝鮮は常に「不幸な状態」にあるのが自然だ。日本統治が朝鮮史上“稀に見る”黄金期であったから、朝鮮人は“つい”日帝時代と比較して、「あぁ〜あ、どうしてこうなっちゃうんだろう?」と嘆く。一度「幸せ」を味わった乞食民族は、それが脳裏に焼き付いてしまい、ちょっとした不景気や軍事的脅威でも大騒ぎする。言っちゃ悪いが、朝鮮人には李朝時代が似合っているんじゃないか。昔は、日本の乞食より貧しい朝鮮人が普通で、支配者に隷属するのが当たり前だった。両班が不正行為をはたらき、庶民から金を巻き上げるのも“恒例行事”で、朝鮮の政治が腐敗するのは自然の法則だ。朝鮮人は否定するが、細部にまで気配りが行き届いた行政とか、厳粛で公平な裁判、希望に満ちた未来、というのは日本人がもたらした文明である。ところが残念なことに、敗戦で日本人が去ってしまったから、朝鮮半島は“昔の朝鮮”に戻ってしまった。今さら批判しても始まらないが、「韓国は大変なことになる!」と騒ぐジャーナリストや大学教授は、朝鮮人の行動様式を理解していない愚者である。どんな肩書きを持っていようが、単に朝鮮の過去を知らないだけ。朝鮮史に詳しい専門家が見れば、「朝鮮人らしい例の愚行かぁ・・・」と呟くはずだ。

日本へ押しかけてくる朝鮮人

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(写真 / 日本にやって来そうな朝鮮人のタイプ)

  とにかく、我々が早急に態度を決めなければならないのは、如何にして朝鮮人の入国を阻むかだ。朝鮮人の頭には、「困った時は日本人に頼るべし」という考えが常にある。普通の日本人からすれば、「何いってんだ、この野郎 ! あれだけ日本人の悪口を世界中にバラ撒き、嘘八百のイチャモンをつけて罵倒したのに、朝鮮が厭になったから、という理由で日本に移住してくるなんて言語道断。冗談じゃない。図々しいにも程がある ! どのツラ下げて日本に来るんだ? テメエらなんか、絶対入国させないからな !」と言いたくなる。気の短い江戸っ子なら「つべこべ抜かすとひっぱたくぞ ! おととい来やがれ ! さぁ、とっととけえれ(帰れ)!」と怒鳴りつけて、門前払いにするだろう。しかし、日本語を理解できないボンクラ鮮人だと、キョトンとした顔で「あなたの言っていること、じぇんじぇん分かりません。ワタシ、二日前にここへ来たことはありませんよぉ〜」と答える。こんな鮮人に会えば、少年ジャンプで頭をひっぱたきたくなる。(UFCのスティーペ・ミアシッチみたいな格闘家消防士がいれば、膝蹴りか右フックを頼むんだけど。堀口恭司や所英男じゃ心が優しすぎる。) 日本人の感覚だと、あれだけ日本人を侮蔑すれば、いくら困っていても日本へ移住するなどできないし、恥ずかしさで足が重くなる。

  ところが、朝鮮人はスキップするほど足が軽く、平気な顔でやって来る。朝鮮人に「恥」という概念は無い。彼らは「韓国の景気が悪いから日本の会社に就職した」とか、「北鮮との併合は嫌だから日本に住むことにした」、あるいは「大阪に親戚がいるので、それを頼りに来日しました」と口にする。こんな言い草を聞けば、大抵の日本人は堪忍袋の緒が切れて、「ふざけんな ! このド阿呆!」と机を叩くだろう。たぶん、「お前らは散々反日を叫び、天皇陛下の御真影や日の丸を燃やしてきたじゃないか ! そして、ありもしない従軍慰安婦を言い立てて、アメリカにまで慰安婦像を設置し、戦後賠償まで求めてきた。条約を結んでもそれを破棄し、政府間の合意を作成しても、時が過ぎればと引っくり返す。もうウンザリだ。お前らとは係わりたくない !」と言うはずだ。しかし、朝鮮人の精神構造は日本人のものとは根本的に違っている。「あれはあれ。これはこれ」というのが朝鮮人や支那人の考え方だ。朝鮮人は自分の都合によって言論と態度を変えてしまうし、過去との一貫性が無くてもいい。「二枚舌じゃないか!」と怒るのは、日本人の倫理観があまりにも高すぎるからで、アジア人に我々の水準を要求するのは端っから無理だ。

  日本人は根が優しいので、冷酷な現実から目を背けてしまうが、世界中の民族が全て平等ということはない。率直に言えば、朝鮮人というのは民族序列の中でも底辺に属する劣等種族だ。こんな民族に国籍や入国を許す方がおかしい。「区別」を「差別」と勘違いしている日本人は結構多く、誰にでも入国を許すのがいいと思っている。だが、現実を見てみよ。差別なんか堂々と罷り通っている。例えば、高級なディスコやナイト・クラブでは、入り口のところに用心棒と審査係がいて、入店するお客を選んでいる。ハンサム青年やセクシーな女性はウェルカムだが、雰囲気を損なうダサイ奴やブスは入店拒否。民間の娯楽施設だって来場者を選ぶのに、日本国は反日分子でも、放火魔、強姦魔、詐欺師、窃盗犯、ヤクの密売人でもOKだ。防諜組織を持たない日本は、移民や難民に紛れて潜入する工作員にも鈍感で、国内に危険分子が増えることに気づかない。たとえ、派遣された破壊工作員じゃなくても、勧誘されてスパイの代理人や協力者になる者だっているだろう。だから、もっと入国条件を厳しくすべきである。

  また、厳しい入国審査を経た者であっても油断はならない。というのも、帰化鮮人の子供や孫が北鮮のエージェントになるケースだってあるからだ。例えば、普通の帰化鮮人三世が国会議員となり、政治献金を集めて行くうちに北鮮や支那の協力者になる場合だってある。それに、帰化鮮人の手引きで北鮮に渡った日系議員が女を斡旋されて、金王朝のエージェントになる虞(おそれ)だってあるはずだ。朝鮮人の味方をする石破茂を見れば分かるじゃないか。「拉致議連」の会長を務めた中山正暉(まさあき)も同類で、彼が平壌訪問から帰ってくると、急に態度を変え、あろうことか拉致事件を疑う態度を示し、すっかり北鮮の擁護者になってしまった。朝鮮人の女にメロメロとなった前原誠司や、朝鮮人の秘書を抱えてニヤついた小沢一郎たって同じ穴のムジナだ。自民党には朝鮮人の犬がウジャウジャいる。例えば、 小泉純一郎首相は北鮮を訪問した時、ありもいない日本の罪を認めて1兆円以上の経済援助を約束してしまった。こんな取決めは決して赦せない。小泉総理は本当に日系の日本人なのか? 彼の父親である鮫島純也(小泉防衛長官)は謎めいた人物で、 どんな家系なのか、彼の両親や祖父母はどんな人物だったのか、さっぱり分からない。これじゃあ、蓮舫と同じだ。公職者は日本の命運を左右するから、三代か四代前の祖先を全て公表すべきである。

Koizumi Junichiro 3Koizumi Junya 1Koizumi Junya 2Bok 1

(左 : 首相になった小泉純一郎 / 新人議員時代の小泉純一郎 / 父親の小泉純也 / 右 : 南鮮大統領の朴正熙 )

  日本人が国防意識を放棄・喪失してから久しい。敗戦後の日本人は軍隊を持たない、核兵器の開発をしない、僻地の国土を守らない、拉致された国民を見殺しにする、など唖然とするほど情けない状態になっているが、もっと恐ろしい病気に冒されている。すなわち、国民の遺伝子を守らないという怠慢病だ。沖縄や対馬、竹島、北方領土などが侵食されても平気な日本人は、民族的遺伝子の変質に気づかない。一部の国民は、出生率の低下には多少の関心があるものの、朝鮮人や支那人との混血で日系人が減っているとは思っていないのだ。敗戦後、朝鮮人は確実に増えている。闇市で儲けた朝鮮人は祖国に帰らず日本に居坐った。さらに、大量の朝鮮人が朝鮮戦争を嫌って日本へ潜り込み、在日鮮人と化して子孫を増やし、結婚や帰化申請で「日本国民」になっている。官報を見れば分かるけど、南北を問わず在日鮮人は次々と日本国籍を所得し、日本名に切り替えて「日本人」のように生きてきた。今では、かなりの国民が朝鮮人の血統に属し、日本人意識を失っている。こうなれば、日本の国土が昔のままでも、そこに暮らす国民の“質”が変わっているのだから、侵略を受けたのと同じである。

  南鮮経済が傾き、北鮮へと靡けば、小賢しい朝鮮人はいち早く国外脱出を図る。移住先は米国が理想なんだけど、トランプ政権で段々と難しくなっているから、直ぐ近くにある「甘っちょろい日本」へ逃れるのがベストだ。なんと言っても、日本には同胞が大量に住んでいる。それに、人種的にも見分けがしにくいから、あからさまな差別に遭わなくてすむ。普段、朝鮮人は鼻水を垂らしながら反日を叫ぶが、心の底では日本文化に憧れており、日本に来ると反日言説は何処へやらで嬉しくなる。まぁ、いくら南鮮のTVドラマや歌謡曲が「ウリジナル(独創)」と称しても、所詮は日本のコピーでしかないんだから当然だ。彼らは中々認めないけど、アメリカと比べれば日本は断然暮らしやすい。建前では「朝鮮人差別がある !」とわめくが、実際はたいしたことがなく、日本企業に勤めれば実力次第で出世できるし、失業したって社会福祉が充実しているからハッピーだ。

Korean baby 1Korea 03

(左 : 朝鮮人の赤ん坊 / 右 : 朝鮮でよく見かける露天商)

  平和ボケの日本人には、民族の存続という意識が無く、「今が楽しければ、それでいい」という考えの人が多い。グローバリスト教育のせいか、「日本語を話せれば誰でも日本人」という考えが各世代に浸透している。「インド系でもアフリカ系でも、日本国籍を持っていれば日本人よ」と思う人が増えてきた。しかし、正常な日本人なら本能的に「日本人の血統でありたい」と望むんじゃないか。心の奥でアジア系混血児に違和感を持つ人は、今でもかなり居ると思う。一般人は口に出さないが、「朝鮮系の子孫は、ちょっと嫌だなぁ」と思う人は結構いるはずだ。

  昭和の頃だと、娘が連れてきた交際相手に不審な点があると、親は興信所に調査を依頼したものである。人権屋の学者は綺麗事ばかり並べているが、我が子の将来と家門の誇りを大切にする人は、大金を払ってでも探偵に相手側の素性を調べさせていた。もし、交際相手が“いかがわしい”奴なら、娘に諦めるよう説得するし、相手方の両親に圧力を掛けて破談に持ち込むことさえ厭わない。ところが、リベラル教育を受けた現在の親は、左翼学者が吹き込む「個人の自由」とやらを鵜呑みにする。子供が紹介する恋人がどんな人間であっても、「本人の意思だから」と諦め、渋々ながらも受け容れようと考えてしまう。本当に悲しい時代となってしまったが、巷の一般人が「血統」を気にするのは、飼っている犬や猫だけで、自分の子孫となる家族の血筋はどうでもいい。でも、自分の娘が産む赤ん坊より、ペットショップで購入する猫ちゃんの方に、厳しい注文があるなんておかしいよねぇ〜。人間の赤ん坊は成長すると、鏡に映った姿を自覚するんだぞ。

  後編に続く。 
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68778358.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/193.html#c13

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
330. 中川隆[-8602] koaQ7Jey 2019年8月29日 11:25:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4150]
2019年08月29日
結局、朝鮮を助ける日本 / 自ら貧乏くじを引く日本人(前編)
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68778358.html

南鮮の没落を無邪気に喜ぶ保守派知識人
Moon & Kim 1Moon & Trump 1

  最近、「南鮮がGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を破棄する !」との報道を受けて保守派知識人や雑誌があれこれ騒いでいる。雑誌『正論』の9月号は、「韓国崩壊寸前」という特集を組んでいたし、『Hanada』10月号は「韓国という病」を目玉にしていた。ライバル誌の『WiLL』10月号は『Hanada』に負けまいと奮闘し、「No韓国 絶縁宣言!」というタイトルを以て対抗した。また、それと並行して「さよなら韓国 !」という別冊まで出している。しかし、こうした“保守派”雑誌でも、肝心な争点は避けていた。すなわち、南鮮人の「来日」、あるいは日本への移住・避難である。

  南鮮批判を得意とする保守派国民は、「韓国の反日侮蔑発言」や「韓国経済の低迷」ばかりに目を奪われ、日本がどのような“危機”に曝されるのか、という論点を見逃している。なるほど、南鮮が日本との情報共有を遮断すれば、南鮮軍は偵察衛星からの情報に疎くなり、軍事的窮地に陥るかも知れない。だが、それは文政権の方針であり、ひいては南鮮国民の意思である。南鮮が北鮮に吸収されるのは地政学的な脅威だけど、我々には文在寅を排除することはできないし、南鮮人にクーテータを嗾(けしか)けることもできない。正式な「軍隊」を持たない日本としては、南鮮が既に支那の勢力下に入ったと考え、対馬海峡が新たな38度線になったのだ、と自覚するしかない。言うまでもなく、「自分の身は自分で守る」のが国際政治の常識だし、昔の日本人もそう思っていた。丸腰になれば平和が訪れると考えるのは日本人くらいだ。今回の件について言えば、南鮮の将来は絶望的である。そもそも、米軍が見捨てる南鮮を我々が助ける事はできないし、また無理に助けようとすれば、日本が厄介な泥沼に嵌まってしまうから、ここは賢く最初から傍観した方がいい。

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(左 : 日本文明に浴さない昔の朝鮮人 / 右 : 感情的な朝鮮人の群れ)

  朝鮮人というのは、「馬鹿の10乗」というか、矛盾を矛盾と思わない自己中心的民族で、論理性とか誠実性(integrity)というものが全く無い。というか、それが何なのかすら解らない低級な種族とも考えられる。朝鮮は悲惨な時代があまりにも長すぎた。朝鮮文化と言えば、クズ野菜を利用したキムチくらいしかなく、あとは人糞を使った薬とか、苦痛に堪える処世術くらい。これほど“みすぼらしい”民族も珍しいけど、そんな民族が我々の隣国に住んでいる、という方が問題だ。共産主義に鈍感な朝鮮人が、栄養ドリンク無しでも元気になれるのは、日本に対して恨みをぶつける時だけ。日本人からすると、「他に楽しみはないのか?」と訊きたくなるが、彼らの眼中には我々の姿しかない。まぁ、日本人は何を言っても反論しないし、毎回「そうだよねぇ〜」と愚痴を聞いてくれるから、どうしても我々に対して甘えたくなる。それに、日本への憧れが極端に強いぶん、我々に対する嫉妬心や対抗心も激しい。一方、支那人に対しては別の態度を取る。朝鮮人は支那人の前では至って従順だ。どれほど馬鹿にされても怒らない。もし、支那人に対して生意気な口を利いたら、思いっきり棍棒でぶっ叩かれる。だから口答えは禁物。大昔から朝鮮人は支那人にド突かれてきたから、野蛮人の恐ろしさを身に沁みて分かっている。(支那人の仕置きは容赦ないからねぇ。)

  日本のマスコミや評論家は、何が何でも「朝鮮第一」。徳島に行っても阿波踊りじゃなくてアリラン祭。甲子園で高校野球となれば、通名を持つ朝鮮系選手の応援だ。いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」を聞いても、「釜山の夜景だって綺麗だぞ」と反論する始末。朝鮮人のどこが素晴らしいのか解らないが、井上陽水が名曲『傘がない』を唄えば、あの連中は「朝鮮学校の生徒はどうなんだろう? 傘を寄贈しようかなぁ〜」と考えてしまう。それはともかく、地上波テレビは南鮮側からのGSOMIA破棄に関し、「てえへんだぁ〜、どうしよう?!」と南鮮側を心配しているが、一般国民にしたら「それがどうしたんだ? 自衛隊の方は一向に困らないぞ」と言いたくなる。だいたい、自衛隊が南鮮側から如何なる機密情報、ないし軍事的メリットを得るというのか? 我が国は米軍から情報をもらっているので、三流国の南鮮軍と手を切っても大丈夫。日本人は対馬か竹島に出かけて笑顔を示し、目くじらを立てた朝鮮人に向かって「じゃあね、バイバイ!」と言えばいい。NHKや朝日新聞、フジテレビの連中と違って、一般の日本人は「朝鮮人と係わらなくて済むんだ」と思えば、何となく嬉しくなる。

  TBSとか共同通信の反日左翼は胃が痛くなるほど南鮮人を心配しているが、正常な日本人は晴れ晴れとした気持ちになり、酒やご飯がいつもより美味(おい)しくなる。そもそも、朝鮮人が「困った状態」になるのは、歴史上、別に珍しい事ではない。朝鮮は常に「不幸な状態」にあるのが自然だ。日本統治が朝鮮史上“稀に見る”黄金期であったから、朝鮮人は“つい”日帝時代と比較して、「あぁ〜あ、どうしてこうなっちゃうんだろう?」と嘆く。一度「幸せ」を味わった乞食民族は、それが脳裏に焼き付いてしまい、ちょっとした不景気や軍事的脅威でも大騒ぎする。言っちゃ悪いが、朝鮮人には李朝時代が似合っているんじゃないか。昔は、日本の乞食より貧しい朝鮮人が普通で、支配者に隷属するのが当たり前だった。両班が不正行為をはたらき、庶民から金を巻き上げるのも“恒例行事”で、朝鮮の政治が腐敗するのは自然の法則だ。朝鮮人は否定するが、細部にまで気配りが行き届いた行政とか、厳粛で公平な裁判、希望に満ちた未来、というのは日本人がもたらした文明である。ところが残念なことに、敗戦で日本人が去ってしまったから、朝鮮半島は“昔の朝鮮”に戻ってしまった。今さら批判しても始まらないが、「韓国は大変なことになる!」と騒ぐジャーナリストや大学教授は、朝鮮人の行動様式を理解していない愚者である。どんな肩書きを持っていようが、単に朝鮮の過去を知らないだけ。朝鮮史に詳しい専門家が見れば、「朝鮮人らしい例の愚行かぁ・・・」と呟くはずだ。

日本へ押しかけてくる朝鮮人

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(写真 / 日本にやって来そうな朝鮮人のタイプ)

  とにかく、我々が早急に態度を決めなければならないのは、如何にして朝鮮人の入国を阻むかだ。朝鮮人の頭には、「困った時は日本人に頼るべし」という考えが常にある。普通の日本人からすれば、「何いってんだ、この野郎 ! あれだけ日本人の悪口を世界中にバラ撒き、嘘八百のイチャモンをつけて罵倒したのに、朝鮮が厭になったから、という理由で日本に移住してくるなんて言語道断。冗談じゃない。図々しいにも程がある ! どのツラ下げて日本に来るんだ? テメエらなんか、絶対入国させないからな !」と言いたくなる。気の短い江戸っ子なら「つべこべ抜かすとひっぱたくぞ ! おととい来やがれ ! さぁ、とっととけえれ(帰れ)!」と怒鳴りつけて、門前払いにするだろう。しかし、日本語を理解できないボンクラ鮮人だと、キョトンとした顔で「あなたの言っていること、じぇんじぇん分かりません。ワタシ、二日前にここへ来たことはありませんよぉ〜」と答える。こんな鮮人に会えば、少年ジャンプで頭をひっぱたきたくなる。(UFCのスティーペ・ミアシッチみたいな格闘家消防士がいれば、膝蹴りか右フックを頼むんだけど。堀口恭司や所英男じゃ心が優しすぎる。) 日本人の感覚だと、あれだけ日本人を侮蔑すれば、いくら困っていても日本へ移住するなどできないし、恥ずかしさで足が重くなる。

  ところが、朝鮮人はスキップするほど足が軽く、平気な顔でやって来る。朝鮮人に「恥」という概念は無い。彼らは「韓国の景気が悪いから日本の会社に就職した」とか、「北鮮との併合は嫌だから日本に住むことにした」、あるいは「大阪に親戚がいるので、それを頼りに来日しました」と口にする。こんな言い草を聞けば、大抵の日本人は堪忍袋の緒が切れて、「ふざけんな ! このド阿呆!」と机を叩くだろう。たぶん、「お前らは散々反日を叫び、天皇陛下の御真影や日の丸を燃やしてきたじゃないか ! そして、ありもしない従軍慰安婦を言い立てて、アメリカにまで慰安婦像を設置し、戦後賠償まで求めてきた。条約を結んでもそれを破棄し、政府間の合意を作成しても、時が過ぎればと引っくり返す。もうウンザリだ。お前らとは係わりたくない !」と言うはずだ。しかし、朝鮮人の精神構造は日本人のものとは根本的に違っている。「あれはあれ。これはこれ」というのが朝鮮人や支那人の考え方だ。朝鮮人は自分の都合によって言論と態度を変えてしまうし、過去との一貫性が無くてもいい。「二枚舌じゃないか!」と怒るのは、日本人の倫理観があまりにも高すぎるからで、アジア人に我々の水準を要求するのは端っから無理だ。

  日本人は根が優しいので、冷酷な現実から目を背けてしまうが、世界中の民族が全て平等ということはない。率直に言えば、朝鮮人というのは民族序列の中でも底辺に属する劣等種族だ。こんな民族に国籍や入国を許す方がおかしい。「区別」を「差別」と勘違いしている日本人は結構多く、誰にでも入国を許すのがいいと思っている。だが、現実を見てみよ。差別なんか堂々と罷り通っている。例えば、高級なディスコやナイト・クラブでは、入り口のところに用心棒と審査係がいて、入店するお客を選んでいる。ハンサム青年やセクシーな女性はウェルカムだが、雰囲気を損なうダサイ奴やブスは入店拒否。民間の娯楽施設だって来場者を選ぶのに、日本国は反日分子でも、放火魔、強姦魔、詐欺師、窃盗犯、ヤクの密売人でもOKだ。防諜組織を持たない日本は、移民や難民に紛れて潜入する工作員にも鈍感で、国内に危険分子が増えることに気づかない。たとえ、派遣された破壊工作員じゃなくても、勧誘されてスパイの代理人や協力者になる者だっているだろう。だから、もっと入国条件を厳しくすべきである。

  また、厳しい入国審査を経た者であっても油断はならない。というのも、帰化鮮人の子供や孫が北鮮のエージェントになるケースだってあるからだ。例えば、普通の帰化鮮人三世が国会議員となり、政治献金を集めて行くうちに北鮮や支那の協力者になる場合だってある。それに、帰化鮮人の手引きで北鮮に渡った日系議員が女を斡旋されて、金王朝のエージェントになる虞(おそれ)だってあるはずだ。朝鮮人の味方をする石破茂を見れば分かるじゃないか。「拉致議連」の会長を務めた中山正暉(まさあき)も同類で、彼が平壌訪問から帰ってくると、急に態度を変え、あろうことか拉致事件を疑う態度を示し、すっかり北鮮の擁護者になってしまった。朝鮮人の女にメロメロとなった前原誠司や、朝鮮人の秘書を抱えてニヤついた小沢一郎たって同じ穴のムジナだ。自民党には朝鮮人の犬がウジャウジャいる。例えば、 小泉純一郎首相は北鮮を訪問した時、ありもいない日本の罪を認めて1兆円以上の経済援助を約束してしまった。こんな取決めは決して赦せない。小泉総理は本当に日系の日本人なのか? 彼の父親である鮫島純也(小泉防衛長官)は謎めいた人物で、 どんな家系なのか、彼の両親や祖父母はどんな人物だったのか、さっぱり分からない。これじゃあ、蓮舫と同じだ。公職者は日本の命運を左右するから、三代か四代前の祖先を全て公表すべきである。

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(左 : 首相になった小泉純一郎 / 新人議員時代の小泉純一郎 / 父親の小泉純也 / 右 : 南鮮大統領の朴正熙 )

  日本人が国防意識を放棄・喪失してから久しい。敗戦後の日本人は軍隊を持たない、核兵器の開発をしない、僻地の国土を守らない、拉致された国民を見殺しにする、など唖然とするほど情けない状態になっているが、もっと恐ろしい病気に冒されている。すなわち、国民の遺伝子を守らないという怠慢病だ。沖縄や対馬、竹島、北方領土などが侵食されても平気な日本人は、民族的遺伝子の変質に気づかない。一部の国民は、出生率の低下には多少の関心があるものの、朝鮮人や支那人との混血で日系人が減っているとは思っていないのだ。敗戦後、朝鮮人は確実に増えている。闇市で儲けた朝鮮人は祖国に帰らず日本に居坐った。さらに、大量の朝鮮人が朝鮮戦争を嫌って日本へ潜り込み、在日鮮人と化して子孫を増やし、結婚や帰化申請で「日本国民」になっている。官報を見れば分かるけど、南北を問わず在日鮮人は次々と日本国籍を所得し、日本名に切り替えて「日本人」のように生きてきた。今では、かなりの国民が朝鮮人の血統に属し、日本人意識を失っている。こうなれば、日本の国土が昔のままでも、そこに暮らす国民の“質”が変わっているのだから、侵略を受けたのと同じである。

  南鮮経済が傾き、北鮮へと靡けば、小賢しい朝鮮人はいち早く国外脱出を図る。移住先は米国が理想なんだけど、トランプ政権で段々と難しくなっているから、直ぐ近くにある「甘っちょろい日本」へ逃れるのがベストだ。なんと言っても、日本には同胞が大量に住んでいる。それに、人種的にも見分けがしにくいから、あからさまな差別に遭わなくてすむ。普段、朝鮮人は鼻水を垂らしながら反日を叫ぶが、心の底では日本文化に憧れており、日本に来ると反日言説は何処へやらで嬉しくなる。まぁ、いくら南鮮のTVドラマや歌謡曲が「ウリジナル(独創)」と称しても、所詮は日本のコピーでしかないんだから当然だ。彼らは中々認めないけど、アメリカと比べれば日本は断然暮らしやすい。建前では「朝鮮人差別がある !」とわめくが、実際はたいしたことがなく、日本企業に勤めれば実力次第で出世できるし、失業したって社会福祉が充実しているからハッピーだ。

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(左 : 朝鮮人の赤ん坊 / 右 : 朝鮮でよく見かける露天商)

  平和ボケの日本人には、民族の存続という意識が無く、「今が楽しければ、それでいい」という考えの人が多い。グローバリスト教育のせいか、「日本語を話せれば誰でも日本人」という考えが各世代に浸透している。「インド系でもアフリカ系でも、日本国籍を持っていれば日本人よ」と思う人が増えてきた。しかし、正常な日本人なら本能的に「日本人の血統でありたい」と望むんじゃないか。心の奥でアジア系混血児に違和感を持つ人は、今でもかなり居ると思う。一般人は口に出さないが、「朝鮮系の子孫は、ちょっと嫌だなぁ」と思う人は結構いるはずだ。

  昭和の頃だと、娘が連れてきた交際相手に不審な点があると、親は興信所に調査を依頼したものである。人権屋の学者は綺麗事ばかり並べているが、我が子の将来と家門の誇りを大切にする人は、大金を払ってでも探偵に相手側の素性を調べさせていた。もし、交際相手が“いかがわしい”奴なら、娘に諦めるよう説得するし、相手方の両親に圧力を掛けて破談に持ち込むことさえ厭わない。ところが、リベラル教育を受けた現在の親は、左翼学者が吹き込む「個人の自由」とやらを鵜呑みにする。子供が紹介する恋人がどんな人間であっても、「本人の意思だから」と諦め、渋々ながらも受け容れようと考えてしまう。本当に悲しい時代となってしまったが、巷の一般人が「血統」を気にするのは、飼っている犬や猫だけで、自分の子孫となる家族の血筋はどうでもいい。でも、自分の娘が産む赤ん坊より、ペットショップで購入する猫ちゃんの方に、厳しい注文があるなんておかしいよねぇ〜。人間の赤ん坊は成長すると、鏡に映った姿を自覚するんだぞ。

  後編に続く。 
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68778358.html

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c330

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
542. 中川隆[-8601] koaQ7Jey 2019年8月29日 13:06:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4151]

日本で急増する「住所を喪失」した人たち〜車上生活、漂流女子、8050問題が行き着く地獄=鈴木傾城 2019年8月29日
https://www.mag2.com/p/money/750924


いま日本で住所を喪失する人が増えている。車上生活者・ネットカフェ難民が溢れている。いったん住所を失うと、不安定な生活から抜け出せない蟻地獄にハマる。

決して他人事ではない住所喪失、社会的に「存在しないも同然」に

住所を失って途方に暮れる人たち

2019年8月20日。群馬県でひとつの事件が起きていた。

58歳の女性から「92歳の母親が車の中で死亡している」という110番通報があったのだが、警察が調べると確かに後部座席には座ったまま死んでいた92歳の母親の遺体があった。すでに死後4日が経っている状態だった。

実はこの58歳の女性は住む家がなく、92歳の母親と27歳の長男と3人で車上生活をしていたのだった。この三世代の一家は住むべき家を失っていた。その車上生活の最中で92歳の母親は寿命が尽きた。


事件が起きた時は、すでに1年近く車上生活をしていた。車上生活と言っても、キャンピングカーのようなものではなく、ごく普通の軽自動車である。

92歳の母親が死んでもすぐに届け出することも病院に駆け込むことがなかったことも衝撃だが、それよりも狭い軽自動車で三世代が1年近くも生活していたということに驚く。

住所を失っても行政の支援や救済を求めない。問題解決の方法が分からず、どうしていいのか分からないまま車で1年暮らす。今の日本で家を失って途方に暮れている人たちが確かに存在する。

車上生活と『死にゆく妻との旅路』

家を失って籠もるように車上生活をする。あるいは、家を捨てて逃げるように車上生活に入る。今、日本の社会の底辺で「誰にも助けを求めずに気が付いたら車上生活に入ってしまった」という人たちが少しずつ増えているというのが分かっている。

道の駅や、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアでは、キャンプ気分で車上泊する人たちとは別に、ひっそりと車上生活をしているのではないかと思われる人や家族がいることを係員が報告している。

あるいは目立たない道路の側道で車を停めて、隠れるように車上生活し続けている人たちもいる。

彼らは様々な事情を抱えて車上生活をしているのだが、その多くは「借金から逃れるための車上生活」だったり、「家賃が払えなくなって家を失って車上生活」だったりする。

通常、そうなった場合は然るべき機関に相談に行って最適な処理をするのが普通なのだが、途方に暮れたまま何もしないで流されるように車上生活に追い込まれる人も存在するのだ。

借金から逃げ、車上生活のあげく癌だった妻を車内で死なせ、保護責任者遺棄致死で逮捕された哀しい事件が1999年にあった。清水久典氏が起こした事件だった。

彼は知人の保証人になって4,000万円の借金を背負い、さらにバブル崩壊で工場の経営も悪化して人生を投げた。彼は自分を慕って離れようとしない11歳年下の妻と共にワゴン車でひたすら日本を回り、9ヶ月に渡って車上生活をしていた。

清水久典氏は車上生活と大腸癌によって急激に弱っていく妻と片時も離れようとせず、最後に車の中で妻を看取る。その経緯と旅路は

『死にゆく妻との旅路』
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AB%E3%82%86%E3%81%8F%E5%A6%BB%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%97%85%E8%B7%AF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B8%85%E6%B0%B4-%E4%B9%85%E5%85%B8/dp/4101186219


という書籍で私たちは読むことができる。

カネもなく未来も失った一組の夫婦が、すぐにやってくる死を予感しながら車上生活を続ける姿は心が張り裂けそうな哀しみに満ちていた。この清水久典氏の哀しい手記は、2011年には映画化もされている。


私たちはこれを「稀少な出来事」のように思っていたのだが、今の日本では必ずしも「稀」とは言えなくなりつつある。経済的に追い込まれ、住所を失い、日本の底辺を這い回っている人たちがいる。

漂流女子〜住所を持たず、大都会を漂流する

2018年5月。新宿歌舞伎町のコインロッカーで赤ん坊が捨てられているのが発覚し、防犯カメラの映像からひとりの女性が逮捕されたことがあった。25歳の女性だったが、彼女はネットカフェに寝泊まりする25歳の「漂流女子」だった。

父親は誰だか分からない子供で、彼女はネットカフェの中で赤ん坊を産み落としていた。その赤ん坊を歌舞伎町の中にあるコインロッカーに捨てた。

すでにネットカフェ難民が忘れられて久しい。しかし、彼らは消えたわけではない。東京を代表する歓楽街である歌舞伎町には十数件ものネットカフェが林立しているのだが、どのネットカフェにも、そこに「住み着いている人たち」が大勢いる。

男性だけでなく女性も多い。そのため、女性専用のフロアを用意しているネットカフェも普通になった。

早朝、歌舞伎町をぼんやりと佇んでいると、ネットカフェから出てきてキャリーバッグを2つほど引きずって疲れた足取りで人気のない雑居ビルの入口に座り込み、暗い顔でスマートフォンの画面をのぞき込んでいる若い女性を見ることもある。

彼女たちも住所がない。仕事は日雇いの派遣などが多いのだが、いつも仕事があるわけでもないので資金が乏しくなる。そのためネットカフェに24時間いることもできず、寝る時だけ入って目が覚めたらチェックアウトしている。そしてキャリーバッグを2つほどを転がして、どうしたらいいのか思案しているのである。


帰るべき家も助けてくれる家族もない

こうした女性たちの一部は性風俗の店で働いているのだが、容姿や精神的な理由で性風俗からも弾かれる女性もいる。そんな女性がラブホテルが林立する区域にある大久保公園の周囲に座り込んでいる。

そこまで経済的に追い込まれているのであれば、実家に戻ればいいという人もいるのだが、彼女たちの多くは実家と折り合いが悪くて家を捨てており、帰るべき家も助けてくれる家族もない。

住所を持たず、大都会のどん底を這い回っている。こうした女性を支援する行政の相談窓口もあれば、NPO団体も存在するが、彼女たちがそこに助けを求めることはない。彼女たちは自ら孤立してさまようだけだ。


今の日本ではネットカフェに泊まり込む人たちは1日約4,000人いるとも言われている。決して少ない数ではない。


8050問題〜増え続ける中年「引きこもり」

2019年5月28日。神奈川県の川崎市登戸でひとりの男が小学生の児童や保護者らを次々と刺すという通り魔事件が起きた。この事件の犯人は中年の「引きこもり」だったのだが、日本には推定200万人近い引きこもりがいることが報道された。

この200万人近い引きこもりは親の家や資産で生きているのだが、貧困と格差が広がっていく今の日本では親もまた困窮し始めている。

そこで起きているのが「8050問題」である。80代の親が50代の引きこもりの子供を抱えてどちらも共倒れする。親が子供を殺したり、子供が親を殺したり、親が死んだまま子供が数ヶ月も何もしないで過ごしたり、8050問題から派生する悲惨な事件が次々と起きている。

社会的には「存在しないも同然」の人間と化す

ところで、この8050問題の行く末に待つものは何か。

引きこもりの子供が親の貯金を食い潰したら、最後に起きるのは「住所の喪失」なのである。親が持ち家でなければ貯金が底をついて年金だけではどうしようもなくなった時、親も子も住所を失う。

行政とうまく連携して生活支援や生活保護が受けられる人もいるのだが、こうした問題を「人に相談するようなものではない」「自業自得」「不徳の致すところ」として一身に抱えて自滅していく。


このように俯瞰して見ると、今の日本で起きている「車上生活」「漂流女子」「8050問題」はそれぞれタイプは違うのだが、その根っこの部分ではつながっている、あるいはつながっていくことが見て取れるはずだ。

日本の貧困と格差の問題は、いよいよ「住所喪失」の問題になっていくのである。

住所喪失が深刻なのは、現代社会のすべての行政サービスや社会システムは住所に紐付いているからだ。住所がなければ行政サービスを受けることができない。住所がなければ企業のサービスを受けることもできない。住所がなければ就職することすらもできない。


住所を失えば、社会的には「存在しないも同然」の人間と化す。貧困の統計からも、その存在が消える。


当たり前さえ維持できないほど不安定な状況に

皮肉なことに、いったん住所を失うと新しい住所を手に入れることが困難になる。なぜなら、新しい住所を手に入れるためには不動産の手続きの中で今の住所を記載する必要があったり、家賃保証会社の契約が必要だからだ。

家賃保証会社はボランティアでやっているわけではないので、きちんと家賃を支払ってくれそうにない人の保証をすることはない。現時点で住所を持たない人は、言うまでもなく信用が著しく欠如しているので契約が難しい。

そう考えると、この時代に生きる私たちはどんな困難に落ちても何が何でも守らなければならないのは、どんなに小さくてみすぼらしい場所でもいいから、「自分の住所を持ち続ける」ことを死守することだと分かる。

住所を持つことによって、行政サービスが受けられ、きちんとした仕事を得ることができ、プライバシーと安心と安眠が得ることができるようになる。

住所がなくなると、そのすべてが吹き飛んでいく。

住所がなければ通常の仕事を得るのは難しい。せいぜい日雇い労働くらいしか得られなくなる。その必要最小限の賃金では、そこから這い上がることすらも難しくなってしまう。


日雇いは不安定な仕事だ。どんな長期契約でも2ヶ月がせいぜいだ。それ以上雇い続けると社会保険を支払う義務が発生するからだ。実態は2ヶ月も雇ってくれることはなく、せいぜい2週間である。

だから、いったん日雇いにまで落ちると、いくら長期で働きたいと思っても向こうから切り捨てられて、不安定な生活から抜け出せない蟻地獄となる。

決まった住所を持つというのは、社会生活を送る人間として当たり前以前のことであると普通は考える。

しかし、「車上生活」や「漂流女子」や「8050問題」の存在を見ても分かる通り、その当たり前さえ維持できないほど不安定な状況に追い込まれている人が増えているのが今の社会の現状である。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c542

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
109. 中川隆[-8600] koaQ7Jey 2019年8月29日 15:32:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4152]
2011/10/18 0:08 投稿者:人力
昔からBOSEファンには音楽ファンが多いですよね。基本フルレンジで音楽の美味しい所がしっかりと聞こえるからでしょうか。


2016/6/5 0:49 投稿者:通りすがりの者です
能率(感度)が99〜100dBくらいあり、2kHz前後まで出力帯域を持たせられるSR用38cmスピーカーは鳴り方いいですね。コンプレッションドライバーとホーンの組み合わせは本当に良く出来ている。


2016/6/8 16:23 投稿者:人力
通りすがりの者です さん
高効率のスピーカーシステムって本当に音楽がイキイキと鳴りますよね
低能率スピーカー+ハイパワー低インピーダンスアンプの緻密な描写とは真逆。

どちらも凄いのですが、安価に楽しめる点では高効率なSEスピーカーは半ばオーディオの盲点でした。

尤も、その両方のイイとこ取りをする小型スピーカーも存在する訳で、箱庭オーディオの世界も盆栽同様に奥が深いものが有ります。

ノイズや歪というのは不思議なもので、気持ちの良い歪というのも存在します。ここら辺がオーディオの面白い所で、徹底的に歪を低減した音が心地よい音かと聞かれたら答えはNOとなります。

ローファイの時代から、音の良い器材が有るのは、この歪による味付けの上手い下手が大きく影響している様です。

そもそも、音の入り口であるマイクと、出口であるスピーカーは歪の塊であり、原音などというものは存在しない事を考えると、オーディオは所詮は「好みの音」を再生する趣味という事になります。

そして、オーディオ地獄で大金を失わない為には・・・私はフルレンジスピーカーの音から外れない様に気を付けています。下手に低音、高音を伸張すると・・・大金が飛びます。中域を厚くして、低音・高音は脳内補完・・・これで幸せなオーディオライフが送れるハズ。

2018/9/6 1:20 投稿者:人力

一般家庭ではスピーカーの効率にもよりますが100Wなんてパワーは持て余すかと・・。

スピーカーの箱が小さくなって、効率を犠牲にする事で低音を確保する現在のオーディオ技術は根本的に何か間違っている気がします。出力トランジスターを多数並列にして出力抵抗を下げる方法も、個々のトランジスターの特性の微妙な違いで、音楽の鮮度を下げているだけ。

シングルプッシュフルのトランジスターアンプは素直で良い音がする物が多い。ただ、組み合わせるスピーカが低効率のローインピーダンスのタイプだとアンプの良さが全く生かせません。


2018/9/12 8:18 投稿者:人力

色々不要な接点が増えるからプリアンプは要らないというのはCD時代からの流れですが、実はプリアンプって音色を作る役割が有ったりしますよね。歪が増えているだけなのですが、個人的には「心地よい歪」を付加する装置は大歓迎です。偶数次の歪が増えると音が艶やかになるとの説も。ケーブルにしても、電源にしても固有の歪が付加され、それが音質の変化として認識されます。

結局、オーィオ道って、「自分の好きな歪」を作る行為なのだと私は考えています。「原音」なんて、そもそも存在しないのですから。

ドイツのジャーマンフィジックス社のクリスマスの帽子の様な振動版のスピーカーの音を聞くと、ダイナミック型のスピーカーが発する音が如何に偽物かが良く分かります。静電型やアポジーの様なフルリボン型とも違う、異様なリアリティーを持った音に鳥肌が立ちます。

お金に糸目を付けなければ、泥沼に落ちるのも楽しいオーディオですが、「この程度で十分」と線引きする事で、楽しく音楽と付き合う事の方が大事だと私は考えています。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/551.html#comment
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c109

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
19. 中川隆[-8599] koaQ7Jey 2019年8月29日 15:34:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4153]
2011/10/16
日曜の午後は優雅にJAZZなど聞きながら・・・最新技術でレトロを再現する 
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive

オーディオマニアはイコライザーの使用を嫌います。

「レコードやCDには生の音源が入っているのだから、手を加えるのは言語同断」という
原音至上主義の方達が多くいらっしゃいます。
最高の録音であれば、良い音源は優れた再生音を生み出してくれます。

ところが実際には「録音」は千差万別です。
クラシックでも酷い録音は存在しますが、それでもバランスは取れています。

これが、80年代以降のロックやポップスやJ-POPSでは悲惨な録音状態です。
CDの登場によってオーディオ機器は小型化し、ラジカセ全盛の時代になりました。

CDを購入する多くの人々が、ラジカセで音楽を聴くので、
当然、録音スタジオではラジカセで格好良く聞こえる様な録音をする様になります。

ミキシングスタジオから大型スピーカーが消え、
YAMAHAの10Mという、白いウーファーの小型スピーカーが大増殖して行きました。
ラジカセは大型スピーカーの様には低音が出ませんので、
ミキシング時に低音を思い切り持ち上げて録音される様になりました。
さらには、小型スピーカーではあまり聞こえない重低音は、
管理されていないような録音も現れ始めました。

80年代前半のアナログレコードに時代までは、
それでも多くの人が大型のオーディオスピーカーを使用していたので、
録音はそれを考慮して、まともなバランスを保っています。

しかし、90年代以降はPOPSやROCKはそれこそ「悲惨」な状況です。

■ 曲毎、アルバム毎にイコライザーカーブをプリセットできるiTunse ■

イコライザーを使用すれば、部屋の音響特性と録音バランスを補正できるのですが、
録音バランスの違うCDにあわせてその都度イコライザーを操作するのは面倒です。

しかし、iTunseには、曲毎にイコライザーを設定する機能が付いています。
iTunesにプリセットされているイコライザーは、派手な演出でクソですが、
iTunseはバンド数が少ないながらも、自分で複数のイコライザーカーブを作って登録できます。

もう、これを使ってしまったら、病み付きになります。
古いジャズも、最新のロックも、最適なバランスに調整する事が出来ます。

■ ルームアコースティックを機材で調整する愚 ■

私は先日、コンクリートにクロス直貼りのマンションから、
ボード貼りのマンションに引越しました。

コンクリートにクロス直貼りの部屋では、低音がだぶ付いて始末に負えませんでした。
iTunseのイコライザーが無ければ、大型スピーカーは絶対に使えません。
ところが、ボード貼りの部屋では、ボードが丁度良いアンバイに低音を吸収してくれます。

これが、木造の和室では、今度は低音が不足するかも知れません。

このようなルーム・アコースティックの違いを機材で調整する事は至難の業ですが、
イコライザーでは比較的容易に調整できます。

■ 大型スピーカーの衰退 ■

AMラジオの様なフルレンジの小型スピーカーは
高音も低音も出ませんが、ストレスの無い聞きやすい音がします。

今な無き長岡鉄夫というオーディオ評論家は、
小さなフルレンジユニットを使って、高効率の自作スピーカーを発表し続け、
一部のオーディオマニアから神的な扱いを受けていました。

長岡鉄夫のファンはらはオーディオマニアと言うよりは、音楽マニアが多く、
高効率のスピーカーからは、生きた音楽が聞こえる来る事を知っていました。

一方、所謂オーディオマニアはJBLのマルチユニットのモニタースピーカーなどに嵌りますが、
これは上手く鳴らす事が非常に難しいシステムで、まともに鳴らした人は少ないでしょう。

大型のマルチユニットではユニット間の繋がりで、周波数特性が乱れ、
さらには日本人はタンスの様な巨大スピーカーを6畳間に押し込んだりしていましたから、
ユニット間の音が混じる事も無く、音場再生などという概念もハナから無視していました。

一時期、録音のワイドレンジ化に伴って導入されたJBLのマルチモニターは、
その後、UREIの同軸2ウェイユニットにその座を奪われます。
ホーン先端の青色のスポンジも鮮やかなUREIのモニターは、
同軸2ウェイ故に、音の繋がりも良く、大型ながら音場再現にも優れていました。

JBLはその後、2ウェイのモニターシステムに移行すると同時に、
UREIを買収して、UREIモニターを市場から消し去りました。(アメリカ人の発想ですね)

ところが、時代はラジカセの時代になり、
大型モニターは少なくなり(当然、楽器個々の録音確認には使用されますが)、
YAMAHAの10Mが大増殖し行きます。

■ 小型スピーカーブーム ■

1985年頃だと思いますが、イギリスのセレッションというメーカーが
SL600という小型密閉方スピーカーを発売します。
(マーシャルのギーターアンプのスピーカはセレッション製です)

SL6という、中級スピーカーのユニットはそのままに、
箱の共振を抑える為に、航空機に用いられていたアルミのハニカム材を
エンクロージャーに用い、レーザー解析で振動を最適化するという
現代的スピーカー設計の原型とも言える製品でした。

SL600は鳴らし難いスピーカーとして名を馳せました。
非力なアンプでは全く鳴らないのです。
ところが、マークレビンソンなどアメリカの純A級のパワーのあるアンプで鳴らすと豹変しました。

スピーカーの存在が消え、そこであたかも演奏していうかの様な空間が生まれたのです。

■ 地獄の一丁目、小型低能率ワイドレンジ・スピーカー ■

SL600の登場までは、スピーカーの効率は90dB以上はありました。
ところがSL600以降は、80dB程度の効率しか無いスピーカーが続々と登場します。

低音が出難い小型のスピーカーなので、
低音の効率に、システムの効率を揃える事で、帯域のバランスを確保したのです。

さらに小型スピーカーで低音を得る為に、ウーファーのユニットは重くなり、
さらに強力な磁気回路の中に設置されました。

これでは、非力なアンプでは、ウーファーから逆流する電流に押されて
まともな再生が出来ません。

さらに、ハイパワーでウーァーを叩き出さなければ、音に勢いが生まれません。

NFBを最小に抑えながらも、出力インピーダンスを小さくして駆動力を稼ぐ為に、
現代の高級アンプは、出力段のトランシスターを多数並列にして、
スピーカーの駆動力を確保しながら、低インピーダンスに対応しました。

小型低能率スピーカーの登場は、アンプの巨大化と高価格化をもたらしましたが、
住宅事情から、大音量の出せない日本のオーディオマニアの多くは、
結局、スピーカーとアンプの実力を出す事なく、買い替えを繰り返していきました。

(この時代のパワーアンプの最高傑作が、初期型KRELLのKSA50やKSA100でしょう。
 2Ωまでを楽々と駆動しながら、繊細で力強く、さらにマッタリとクリーミーな味わい。
 しかしながら、陽炎が立つ程の発熱と、月の電気代が3000円アップに耐えなければなりません。
 エコを目指し、クラーの無い我が家では、半年で売りに出されました。

 でも、人生で最後に聞きたい音を挙げろと言われたら、
 私は間違い無く「初期型のKSA50の音を聞きたい」と答えます。
 スピーカーは・・・SL600・・・いや、APOGEEのフルリボンか・・・)

■ 小型スピーカーが悪いわけでは無い ■

小型スピーカーの先鞭を付けたセレッションですが、
SL3という非常に鳴らしやすい小型スピーカーを発売していました。
今でも実家で使っていますが、FMラジオを聞き流すには最適なスピーカーです。

SL3の上位機種の、SL600の原型であるSL6も素晴らしいスピーカーでした。
小型密閉型のスピーカーですが、低音も結構出たので、
これをどう料理するかが、鳴らす人の腕の見せ所でもありあました。
LINNの黒箱に繋いで鳴らすと、弦楽器は張りがあって、艶やか、躍動感一杯に鳴ります。
又、この組み合わせの、ビートルズは絶品でした。
アメリカのスピーカーでは鳴らし難いビートルズですが、
イギリスのスピーカーとアンプの組み合わせでは、生き生きと鳴ります。

最近ではKEFFのiQ3などは、とても良く出来たスピーカーです。
DALLIのロイヤル・メヌエットも、音楽がとても楽しく聞こえるスピーカーです。

これらの小型スピーカーを使っている内は、オーディオマニアも幸せで居られます。
高音がどうの、低音がどうのと、細かい事も気になりません。

■ 38cm小型2ウェイという選択肢 ■

ご存知の方も多いと思いますが、名古屋のProcableという通販ショップが、
iPodやiTuneのオーディオ活用に一役買いました。

ホームページが強烈なので、アンチ・プロケーブルを量産しましたが、
そこに書かれている事は、技術的には間違いも多いのですが、
結構、従来の常識を外れると、楽しいオーディオライフが返って来る事を証明しています。

先ず、高効率スピーカーを使う事。
問題はほとんどコレで解決します。
生き生きとした音楽が聞こえてきます。

38cmのPAスピーカーを推奨しているので、
私もエレクトロボイスの「Foce i」という比較的小さなPAスピーカーと、
クラウンの25Wの小型アンプD45を購入してみました。

これが意外と素性が良いのですが、
38cmと言えども箱が小さいので低音が出ない。
小型スピーカーよりも低音は少ないのでは無いでしょうか?

ただ、103dBという高効率スピーカーなので、
25Wのアンプで軽快に鳴ります。
とにかく、ドラムなどの音の立下りは早い。
ロックのドラムが、パッシっと決まるのは快感です。

低音を出す秘訣は・・・
私はスピーカーケーブルをステージ用の端子を用いずに
スピーカーのネットワークに直接半田付けしたら、低音のバランスが取れました。

ネットワークとユニットの間も、スピーカーケーブルと同じケーブルで半田付け。
多分、半田の適度な抵抗が、スピーカーに丁度良い負荷になったのではと考えています。
(某サイトでは、電線(Fケーブル)を何百メートルも使ってバランスを取る人も居ましたが、
 単に、それって抵抗じゃなイカ?)
昔からJBLなどの大型SPに抵抗を繋ぐと鳴らしやすいというウワサは聞きます。

因みにスピーカーケーブルはウェスタンエレクトリック社の14Gという錫メッキ線です。
高域が適度にシャラシャラして、ホーンのキツサを抑えてくれます。
クラシックまで聞こうとするならば、錫メッキ線は便利です。

■ BOSEという選択肢 ■

その頃、カフェバーのスピーカーと言えばコレ。

クリックすると元のサイズで表示します

BOSE 301。
白いカフェバーに、白いBOSE。
何となく軟派なイメージがしてヘビーデュティー嗜好の私などは、
あまりBOSEが欲しいとは思えませんでしたが、
友人達の部屋で聞くBOSEは、101も、301も、楽しい音で鳴っていました。

「この高音が」とか、「コンバスの弦の解像度が」などという点ではダメなのですが、
音楽を聴いていて楽しいスピーカーでした。
音楽の「うねり」の様な物を良く表現し、
ボーカルの表情が良く伝わる。

当時を振り返ると、
音楽好きはBOSEや自作フルレンジ(長岡式)を選択し、
機械好きは、国産をカタログスペック重視で選んでいた様に思います。

さて、時代が30年経ち、どちらが優れていたかは自ずと結論が付いていると思います。
国産オーディオはほぼ絶滅の状況にあり、
ミニコンポと一部愛好家向けの高級機だけの市場になってしまいました。

一方、BOSEはホームシアターというフィールドにも進出し、
今でも楽しい音を鳴らし続けています。

■ ハイファイは疲れる ■

私もオーディオに随分と散財しました。
しかし、結局行き着く先はラジオの音。

先日までは、仕事用のデスクトップシステムに、
カナダのスタジオ用のアンプ(BRYSTON B−60)と
イギリスのMONITOR AUDIOの小型スピーカーを組み合わせていましたが、
結局、殆ど使用しませでした。
何故か・・・眼前にミニチュアの音像が並ぶと、煩わしいのです。

そもそも、ステレオ自体が擬似音場でしかありません。
脳は多分、その擬似的な音場を補正して尤もらしく聞かせる為に、
結構な労力を使うのでしょう。

低音も高音も、現実のものとは違います。
すると、脳は又イコライジングでこれに対応しようとします。

ですから、仕事中になまじなハイファイ(死語ですが)を聞くと、
仕事に集中出来ません。

■ yahooオークションで間違って落札したギターアンプ ■

クリックすると元のサイズで表示します

いきなりギターアンプです。
yahooオクでオーディオのアンプのコーナーに間違って出展されていました。

何の気無しに\3,000で入札したら、落札してしまいまいした。
息子にでもあげようと思い、送金したら、商品が届きました・・・。
日本フェンダーの小型のギターアンプです。
5インチのスピーカーが2個搭載されています。
何と、これがセレッションです。

かつて、マーシャルのギターアンプはセレッションを使用していました。
セレッションはイギリスの老舗のスピーカーメーカです。
レーザーによる振動解析を駆使して開発されたSL−600は、
現代スピーカーの原点と言っても過言ではありません。

私もセレッションの音は大好きです。
今でもSL−3を所有していますし、
SL−6とLINNの黒箱で鳴らすビートルズは最高です。

決して鳴りすぎる事が無く、されど聞きたい音は聞こえて来る。
それがセレッションです。

現在は台湾当たりのメーカーに商標を売却してしまって、
名ばかりセレッションですが・・・何となく嬉しい。




コメント

2011/10/18 0:08 投稿者:人力
昔からBOSEファンには音楽ファンが多いですよね。基本フルレンジで音楽の美味しい所がしっかりと聞こえるからでしょうか。

2016/6/5 0:49 投稿者:通りすがりの者です
能率(感度)が99〜100dBくらいあり、2kHz前後まで出力帯域を持たせられるSR用38cmスピーカーは鳴り方いいですね。コンプレッションドライバーとホーンの組み合わせは本当に良く出来ている。


2016/6/8 16:23 投稿者:人力
通りすがりの者です さん
高効率のスピーカーシステムって本当に音楽がイキイキと鳴りますよね
低能率スピーカー+ハイパワー低インピーダンスアンプの緻密な描写とは真逆。

どちらも凄いのですが、安価に楽しめる点では高効率なSEスピーカーは半ばオーディオの盲点でした。

尤も、その両方のイイとこ取りをする小型スピーカーも存在する訳で、箱庭オーディオの世界も盆栽同様に奥が深いものが有ります。

ノイズや歪というのは不思議なもので、気持ちの良い歪というのも存在します。ここら辺がオーディオの面白い所で、徹底的に歪を低減した音が心地よい音かと聞かれたら答えはNOとなります。

ローファイの時代から、音の良い器材が有るのは、この歪による味付けの上手い下手が大きく影響している様です。

そもそも、音の入り口であるマイクと、出口であるスピーカーは歪の塊であり、原音などというものは存在しない事を考えると、オーディオは所詮は「好みの音」を再生する趣味という事になります。

そして、オーディオ地獄で大金を失わない為には・・・私はフルレンジスピーカーの音から外れない様に気を付けています。下手に低音、高音を伸張すると・・・大金が飛びます。中域を厚くして、低音・高音は脳内補完・・・これで幸せなオーディオライフが送れるハズ。


2018/9/6 1:20 投稿者:人力

一般家庭ではスピーカーの効率にもよりますが100Wなんてパワーは持て余すかと・・。

スピーカーの箱が小さくなって、効率を犠牲にする事で低音を確保する現在のオーディオ技術は根本的に何か間違っている気がします。出力トランジスターを多数並列にして出力抵抗を下げる方法も、個々のトランジスターの特性の微妙な違いで、音楽の鮮度を下げているだけ。

シングルプッシュフルのトランジスターアンプは素直で良い音がする物が多い。ただ、組み合わせるスピーカが低効率のローインピーダンスのタイプだとアンプの良さが全く生かせません。


2018/9/12 8:18 投稿者:人力

色々不要な接点が増えるからプリアンプは要らないというのはCD時代からの流れですが、実はプリアンプって音色を作る役割が有ったりしますよね。歪が増えているだけなのですが、個人的には「心地よい歪」を付加する装置は大歓迎です。偶数次の歪が増えると音が艶やかになるとの説も。ケーブルにしても、電源にしても固有の歪が付加され、それが音質の変化として認識されます。

結局、オーィオ道って、「自分の好きな歪」を作る行為なのだと私は考えています。「原音」なんて、そもそも存在しないのですから。

ドイツのジャーマンフィジックス社のクリスマスの帽子の様な振動版のスピーカーの音を聞くと、ダイナミック型のスピーカーが発する音が如何に偽物かが良く分かります。静電型やアポジーの様なフルリボン型とも違う、異様なリアリティーを持った音に鳥肌が立ちます。

お金に糸目を付けなければ、泥沼に落ちるのも楽しいオーディオですが、「この程度で十分」と線引きする事で、楽しく音楽と付き合う事の方が大事だと私は考えています。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/551.html#comment


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c19

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
121. 中川隆[-8598] koaQ7Jey 2019年8月29日 15:49:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4154]
2008/12/6
最強のオーディオ・・・iTunes  オーディオ
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html


■プロケーブルの音

「プロケーブル」というネットショップをご存知でしょうか?
従来のオーディオ理論を覆す方法論で、
一昨年あたりからネットを賑わすオーディオショップです。

実は私もオーディオにずいぶんと散財した挙句に
プロケーブル仕様に落ち着いた一人です。

詳細はプロケーブルさんのサイトに譲るとして、
プロケーブルの面白かった所は、
2チャンネルや個人のブログを巻き込んだ賛否両論の一大実験が、
驚異的なスピードでのトライ&エラーを繰り返して、
プロケーブル・システムを進化させた点です。

サイトの記述内容に技術的な誤謬も多く、
詳しいオーディオマニアの方は、音を聞く前に
その誤りを指摘して、駄システムであると決め付けてしまいますが、
我が家のプロケーブル・システムは総額35万程度で、
以前使用していたカミサンには言えない金額のシステムを軽々と凌駕しています。

この秋、大阪の日本橋にプロケーブルのショップもオープンして、
ようやく実音も聴けるようになり、
プロケーブル論議も、ある結論に至ると思われました・・・。

先日、私も大阪に出かけた折にその音を聴いてきました。
ある程度、予測された事ですが、ジャズ喫茶の音がしていました。
高域のレンジが狭く、ダンゴ状態の音。

私があえてブログでプロケーブルを取り上げたのは、
プロケーブルの機材や方法論がもたらす音が、
あの程度だと認識されたく無いからです。

■オーディオの最大の問題点は録音にある

プロケーブルさんが世の中に知らしめた事の中で、最も重要な事は、
録音される国によってスタンダードなケーブルが異なり、
当然録音バランスが違う・・・という事です。

オーディオマニアは良く原音・原音と言いますが
実は原音なんて、どこにも無いんです。

クラシックを除けば、ポピュラー系のソースは
その時代の最も一般的なシステムで最も良く聞こえるバランスで録音されています。

60年代ジャズは、フルレンジや2ウエイのナローレンジ向け。
70年代、80年代ロックは大型システムが普及しただけに、比較的良いバランス。
90年代以降のはラジカセやミニコンポ向けの音。(ドンシャリ)

これを、なまじ広帯域でフラットバランスのシステムで再生すると、
単なる録音バランスのチェックになってしまいます。
優秀録音以外、まともに聴ける訳がありません。
それをシステムが悪いと思って、調整するから
ますます泥沼にはり、どんどん高価なシステムやケーブルを購入してしまいます。

例えば、アメリカ録音とイギリス録音のロックは
年代が同じでも大分違います。
ベルデンとカナレの違いが音に出てしまうのです。

LPの時代は、カートリッジを交換すれば、
こういった録音の違いを相殺する事が出来ました。

しかし、CDの時代がもたらした、再生環境の均質化が
むしろ、録音の違いを顕にし、
オーディオマニアを無間地獄に突き落としたのです。

■iTunesのイコライザーで全ては解決

本家、プロケーブルはこの問題をケーブルの選択と
マルチ駆動によるドライバーとウーファーの独立した
音量調節で解決しようとしています。

しかし、それはなかなか面倒ですし、システムも複雑になります。
さらに、ユニットの帯域内での微調整が出来ません。
結果的に、過剰気味の高域を抑えようとしてドライバー全体の音量を絞ってしまうので
12KHz辺りから上の倍音成分が不足して、
ジャズ喫茶の音になてしまうのでしょう。
中域が厚いので、一聴するとリアルで迫力がありますが、
音はダンゴ状になて、繊細さや軽やかさを失います。

しかし、iTunesのプリセットイコライザーを活用すれば
録音バランスの問題を簡単に解決する事ができます。

iTunesのプリセットイコライザーをは、
いくつかのイコライジングカーブを自作して名前を付けて記憶する事ができます。
さらに、曲毎、アルバム毎に、プリセットを関連付ける事が出来ます。
この機能を活用すれば、アルバム毎の録音バランスの問題を
簡単にキャンセルする事が出来ます。

さらに、再生システム自身やルームアコースティックの影響も低減できます。

アナログのグラフィックイコライザーは位相の乱れを生じますが、
デジタルでは位相の問題は発生しません。
ビット落ちの懸念もありますが、それも極く高い帯域の問題ではないでしょうか。

例えば、古い録音時代のJAZZをは当時の中域主体のシステム用に録音されています。、
それを、現在のワイドレンジシステムで再生すると逆に中域が薄くなって
迫力が無くなってしまうのです。
又、高域も低域も延びきっていないので、無理に再生すると、
レンジの狭さが強調されて、詰った音に聞こえてしまいます。
そこで、中域を盛り上げ、低域と高域にちょっとスパイスを効かせて
イコライザーカーブを作ります。
すると、あら不思議。
JBLやALTECの世界が現れます。暑く、迸るようなJAZZが再生されます。


TIME盤のソニー・クラーク・トリオは
ブルーノート盤に比べてナローで詰った録音ですが、
上手にイコライジングしてあげると、
途端に生き生きとした迫力ある演奏に豹変します。

「鬼才トリスターノ」は1オクターブ低く録音して、早く再生して録音という
とんでもなくトリッキーな録音で、無機質な音を作り出していますが、
これも、問題無く再生できます。

ビートルズを始めとするブリテッュロックの録音は、
通常胸焼けのするような、まったりとした再生音が特徴ですが、
(LPはクラシック用の高域が伸張したカートリッジでスカ!と決まります)
これもブリティッシュロック用のイコライジングカーブで
切れのある迫力の再生音を実現できます。
ドラムもスカ!!、ドスッ!!と決まりいますし、
ギターもカリ!!とした音を出してくれます。
正に、ライブの音です。

クラシックに関しては、大体良い録音ですが、
38cmの小型のPAスピーカーでは不足する125Hz以下の低音を増強すれば
オーケストラはコンサート会場の迫力で迫ってきます。


■位相制御にも活用

私はiTunesのイコライザーは位相制御にも使えると思っています。
ALLEN & HEATH のDJミキサーには3バンドか4バンドのイコライザーが付属します。
このイコライザーの位置によって、音楽が生き生き聞こえるポイントがあります。
低域をやや絞り、中、高域やや上げてあげます。

これは、スピーカーであるForce-iの各ユニットの
クロス付近の位相特性を整えているのでは無いかと思っております。

当然、再生バランスに影響を与えますので、
この分のバランスの変異も予めiTunesのイコライザーでキャンセルします。

■ラウドネス効果を無視して何が原音か?

さらに我が家はマンションですから、再生音量は小さめです。
当然、耳の生理的特性で低音と高音が低下して聞こえます。

原音再生を目指すオーディオマニアは、イコライザーを嫌いますが、
実用的な音量ではむしろ耳自体にフィルターが掛かっている訳ですから、
むしろイコライザーなりラウドネスを通した音の方が遥かに原音に近い訳です。

iTunesのイコライザーはラウドネスを兼ねる事も当然可能です。

■高価な外付けイコライザーはいらない

AD変換→デジタルでイコライジング→DA変化といった手順を踏む
高価な外付けイコライザーもありますが、
不要なAD変換、DA変換を経由するよりも
デジタル演算だけでイコライジングする方が
音に関する悪影響は少ないはずです。

又、ituneseのイコライザーは曲やアルバム毎に最適にプリセット出来るので、
単なるルームアコースティックの調整だけでは無く、
録音状態による影響もキャンセルできる点だけでも数段優れています。


■プロケーブル・システムの真価

プロケーブル・システムの真価は次の点です

@大口径で高効率のスピーカー
 高効率なスピーカーは微細な音を漏らさず再生します。
 又、音離れが良く、軽やかな音も良く表現します。
 
 38cmウーファーは、イコライザーに良く反応してローエンドが伸びて行きます。
 バスレスポートで無理に作った低音で無いので、
 イコライザーの懸かり方も自然でクセがありません。

A高ダンピングファクターのアンプ
 高いダンピングファクターのアンプは音が窮屈になるとも言われていますが、
 高能率スピーカーとの組み合わせでは生き生きした音を聞かせます

Bスピーカーケーブルは短くして高いダンピングファクターを維持
 結局、ダンピングファクターの高いアンプを使っても、
 スピーカーケーブルを何十mも伸ばしたら、ダンピングファクターは真空管アンプ並み。
 聴きやすくはなりますが、ハイスピードなドラムの音は絶対に聴けません。

 高域の上昇を抑える為には、錫メッキの太いより線が有効。
 私はウエスタン・エレクトリックの14Gを2.5mで使用。
 ウエスタンのケーブルは高域がしなやかで、なんとも言えない音の微粒子感があります

Cパワーアンプに入力ボリューム装備
 ミキサー(プリアンプ)を最適ゲインで使用出来、
 伝送経路での信号ロスを最小限に抑える事が出来ます。
 結局、微弱信号はなるべくレベルを落とさないでパワーアンプ直前の
 ボリュームまで到達させる事がどんなに大事か再認識します。
 (ピュアーネスを追求してプリアンプの代わりにパッシブアッテネーターを用いると
  悲惨な音になるのはこの為)

DALENN & HEATH のDJミキサーをプリアンプとして活用
 プリアンプの名機は数える程しかありません。
 ALLEN &HEATH の音は、フォノイコライザーも含め、
 プリアンプの名機と肩を並べるものがあります。
 ALLEN無くして、プロケーブルシステムは有らず。

EiTunesは是非プリセットイコライザーを活用して
 一度コツを掴んでしまえば、もう手放せません。
 イコライザー無くして音楽再生は有らず。

F200Vとダウントランス
 アース管理された200V電源の安定感は格別です。
 トランスですから、電源のアイソレーション効果があるのでは?

以上が私が考えるプロケーブルシステムのコアです。

さらに、iTunesのバージョンによても、
Windowsのバージョンによっても音はガラリと代わります。

私はiTunesはバージョン7.6.0.29が音がしっかりしていて好きです。
WindowsXPはSP2はまともですが、SP3は悲惨でした。
ここら辺、何が原因か分かりませんが、
安易なバージョンアップは音のバランスを崩します。

さらに、PAスピーカー(EVのFoce-i)のスピコン・プラグは百害あって一利無し。
多分、電力伝達能力が低いのでしょう。
低音が無くなってしまいます。
ネットワークにスピーカーコードを直接半田付けで
全く別のスピーカーに生まれ変わります。

ついでに、ドライバーの保護用ランプは百害あって一利無し。
低い抵抗値のランプが直列でドライバーの直前に入っています。
端子式なので簡単にパスできます。

以上、長々と書いてしまいましたが、
興味の無い方には、何が何だかチンプンカンプン。
それで良いのです。
オーディオの世界は底無沼です。
これを読んで分かってしまう方は、沼に落ちないようにお気をつけ下さい。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c121

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
20. 中川隆[-8597] koaQ7Jey 2019年8月29日 16:21:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4155]
2008/12/6
最強のオーディオ・・・iTunes  オーディオ
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html

■プロケーブルの音

「プロケーブル」というネットショップをご存知でしょうか?
従来のオーディオ理論を覆す方法論で、
一昨年あたりからネットを賑わすオーディオショップです。

実は私もオーディオにずいぶんと散財した挙句に
プロケーブル仕様に落ち着いた一人です。

詳細はプロケーブルさんのサイトに譲るとして、
プロケーブルの面白かった所は、
2チャンネルや個人のブログを巻き込んだ賛否両論の一大実験が、
驚異的なスピードでのトライ&エラーを繰り返して、
プロケーブル・システムを進化させた点です。

サイトの記述内容に技術的な誤謬も多く、
詳しいオーディオマニアの方は、音を聞く前に
その誤りを指摘して、駄システムであると決め付けてしまいますが、
我が家のプロケーブル・システムは総額35万程度で、
以前使用していたカミサンには言えない金額のシステムを軽々と凌駕しています。

この秋、大阪の日本橋にプロケーブルのショップもオープンして、
ようやく実音も聴けるようになり、
プロケーブル論議も、ある結論に至ると思われました・・・。

先日、私も大阪に出かけた折にその音を聴いてきました。
ある程度、予測された事ですが、ジャズ喫茶の音がしていました。
高域のレンジが狭く、ダンゴ状態の音。

私があえてブログでプロケーブルを取り上げたのは、
プロケーブルの機材や方法論がもたらす音が、
あの程度だと認識されたく無いからです。

■オーディオの最大の問題点は録音にある

プロケーブルさんが世の中に知らしめた事の中で、最も重要な事は、
録音される国によってスタンダードなケーブルが異なり、
当然録音バランスが違う・・・という事です。

オーディオマニアは良く原音・原音と言いますが
実は原音なんて、どこにも無いんです。

クラシックを除けば、ポピュラー系のソースは
その時代の最も一般的なシステムで最も良く聞こえるバランスで録音されています。

60年代ジャズは、フルレンジや2ウエイのナローレンジ向け。
70年代、80年代ロックは大型システムが普及しただけに、比較的良いバランス。
90年代以降のはラジカセやミニコンポ向けの音。(ドンシャリ)

これを、なまじ広帯域でフラットバランスのシステムで再生すると、
単なる録音バランスのチェックになってしまいます。
優秀録音以外、まともに聴ける訳がありません。
それをシステムが悪いと思って、調整するから
ますます泥沼にはり、どんどん高価なシステムやケーブルを購入してしまいます。

例えば、アメリカ録音とイギリス録音のロックは
年代が同じでも大分違います。
ベルデンとカナレの違いが音に出てしまうのです。

LPの時代は、カートリッジを交換すれば、
こういった録音の違いを相殺する事が出来ました。

しかし、CDの時代がもたらした、再生環境の均質化が
むしろ、録音の違いを顕にし、
オーディオマニアを無間地獄に突き落としたのです。

■iTunesのイコライザーで全ては解決

本家、プロケーブルはこの問題をケーブルの選択と
マルチ駆動によるドライバーとウーファーの独立した
音量調節で解決しようとしています。

しかし、それはなかなか面倒ですし、システムも複雑になります。
さらに、ユニットの帯域内での微調整が出来ません。
結果的に、過剰気味の高域を抑えようとしてドライバー全体の音量を絞ってしまうので
12KHz辺りから上の倍音成分が不足して、
ジャズ喫茶の音になてしまうのでしょう。
中域が厚いので、一聴するとリアルで迫力がありますが、
音はダンゴ状になて、繊細さや軽やかさを失います。

しかし、iTunesのプリセットイコライザーを活用すれば
録音バランスの問題を簡単に解決する事ができます。

iTunesのプリセットイコライザーをは、
いくつかのイコライジングカーブを自作して名前を付けて記憶する事ができます。
さらに、曲毎、アルバム毎に、プリセットを関連付ける事が出来ます。
この機能を活用すれば、アルバム毎の録音バランスの問題を
簡単にキャンセルする事が出来ます。

さらに、再生システム自身やルームアコースティックの影響も低減できます。

アナログのグラフィックイコライザーは位相の乱れを生じますが、
デジタルでは位相の問題は発生しません。
ビット落ちの懸念もありますが、それも極く高い帯域の問題ではないでしょうか。

例えば、古い録音時代のJAZZをは当時の中域主体のシステム用に録音されています。、
それを、現在のワイドレンジシステムで再生すると逆に中域が薄くなって
迫力が無くなってしまうのです。
又、高域も低域も延びきっていないので、無理に再生すると、
レンジの狭さが強調されて、詰った音に聞こえてしまいます。
そこで、中域を盛り上げ、低域と高域にちょっとスパイスを効かせて
イコライザーカーブを作ります。
すると、あら不思議。
JBLやALTECの世界が現れます。暑く、迸るようなJAZZが再生されます。


TIME盤のソニー・クラーク・トリオは
ブルーノート盤に比べてナローで詰った録音ですが、
上手にイコライジングしてあげると、
途端に生き生きとした迫力ある演奏に豹変します。

「鬼才トリスターノ」は1オクターブ低く録音して、早く再生して録音という
とんでもなくトリッキーな録音で、無機質な音を作り出していますが、
これも、問題無く再生できます。

ビートルズを始めとするブリテッュロックの録音は、
通常胸焼けのするような、まったりとした再生音が特徴ですが、
(LPはクラシック用の高域が伸張したカートリッジでスカ!と決まります)
これもブリティッシュロック用のイコライジングカーブで
切れのある迫力の再生音を実現できます。
ドラムもスカ!!、ドスッ!!と決まりいますし、
ギターもカリ!!とした音を出してくれます。
正に、ライブの音です。

クラシックに関しては、大体良い録音ですが、
38cmの小型のPAスピーカーでは不足する125Hz以下の低音を増強すれば
オーケストラはコンサート会場の迫力で迫ってきます。


■位相制御にも活用

私はiTunesのイコライザーは位相制御にも使えると思っています。
ALLEN & HEATH のDJミキサーには3バンドか4バンドのイコライザーが付属します。
このイコライザーの位置によって、音楽が生き生き聞こえるポイントがあります。
低域をやや絞り、中、高域やや上げてあげます。

これは、スピーカーであるForce-iの各ユニットの
クロス付近の位相特性を整えているのでは無いかと思っております。

当然、再生バランスに影響を与えますので、
この分のバランスの変異も予めiTunesのイコライザーでキャンセルします。

■ラウドネス効果を無視して何が原音か?

さらに我が家はマンションですから、再生音量は小さめです。
当然、耳の生理的特性で低音と高音が低下して聞こえます。

原音再生を目指すオーディオマニアは、イコライザーを嫌いますが、
実用的な音量ではむしろ耳自体にフィルターが掛かっている訳ですから、
むしろイコライザーなりラウドネスを通した音の方が遥かに原音に近い訳です。

iTunesのイコライザーはラウドネスを兼ねる事も当然可能です。

■高価な外付けイコライザーはいらない

AD変換→デジタルでイコライジング→DA変化といった手順を踏む
高価な外付けイコライザーもありますが、
不要なAD変換、DA変換を経由するよりも
デジタル演算だけでイコライジングする方が
音に関する悪影響は少ないはずです。

又、ituneseのイコライザーは曲やアルバム毎に最適にプリセット出来るので、
単なるルームアコースティックの調整だけでは無く、
録音状態による影響もキャンセルできる点だけでも数段優れています。


■プロケーブル・システムの真価

プロケーブル・システムの真価は次の点です

@大口径で高効率のスピーカー
 高効率なスピーカーは微細な音を漏らさず再生します。
 又、音離れが良く、軽やかな音も良く表現します。
 
 38cmウーファーは、イコライザーに良く反応してローエンドが伸びて行きます。
 バスレスポートで無理に作った低音で無いので、
 イコライザーの懸かり方も自然でクセがありません。

A高ダンピングファクターのアンプ
 高いダンピングファクターのアンプは音が窮屈になるとも言われていますが、
 高能率スピーカーとの組み合わせでは生き生きした音を聞かせます

Bスピーカーケーブルは短くして高いダンピングファクターを維持
 結局、ダンピングファクターの高いアンプを使っても、
 スピーカーケーブルを何十mも伸ばしたら、ダンピングファクターは真空管アンプ並み。
 聴きやすくはなりますが、ハイスピードなドラムの音は絶対に聴けません。

 高域の上昇を抑える為には、錫メッキの太いより線が有効。
 私はウエスタン・エレクトリックの14Gを2.5mで使用。
 ウエスタンのケーブルは高域がしなやかで、なんとも言えない音の微粒子感があります

Cパワーアンプに入力ボリューム装備
 ミキサー(プリアンプ)を最適ゲインで使用出来、
 伝送経路での信号ロスを最小限に抑える事が出来ます。
 結局、微弱信号はなるべくレベルを落とさないでパワーアンプ直前の
 ボリュームまで到達させる事がどんなに大事か再認識します。
 (ピュアーネスを追求してプリアンプの代わりにパッシブアッテネーターを用いると
  悲惨な音になるのはこの為)

DALENN & HEATH のDJミキサーをプリアンプとして活用
 プリアンプの名機は数える程しかありません。
 ALLEN &HEATH の音は、フォノイコライザーも含め、
 プリアンプの名機と肩を並べるものがあります。
 ALLEN無くして、プロケーブルシステムは有らず。

EiTunesは是非プリセットイコライザーを活用して
 一度コツを掴んでしまえば、もう手放せません。
 イコライザー無くして音楽再生は有らず。

F200Vとダウントランス
 アース管理された200V電源の安定感は格別です。
 トランスですから、電源のアイソレーション効果があるのでは?

以上が私が考えるプロケーブルシステムのコアです。

さらに、iTunesのバージョンによても、
Windowsのバージョンによっても音はガラリと代わります。

私はiTunesはバージョン7.6.0.29が音がしっかりしていて好きです。
WindowsXPはSP2はまともですが、SP3は悲惨でした。
ここら辺、何が原因か分かりませんが、
安易なバージョンアップは音のバランスを崩します。

さらに、PAスピーカー(EVのFoce-i)のスピコン・プラグは百害あって一利無し。
多分、電力伝達能力が低いのでしょう。
低音が無くなってしまいます。
ネットワークにスピーカーコードを直接半田付けで
全く別のスピーカーに生まれ変わります。

ついでに、ドライバーの保護用ランプは百害あって一利無し。
低い抵抗値のランプが直列でドライバーの直前に入っています。
端子式なので簡単にパスできます。

以上、長々と書いてしまいましたが、
興味の無い方には、何が何だかチンプンカンプン。
それで良いのです。
オーディオの世界は底無沼です。
これを読んで分かってしまう方は、沼に落ちないようにお気をつけ下さい。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c20

[リバイバル3] 原音とは何か? 中川隆
3. 中川隆[-8596] koaQ7Jey 2019年8月29日 16:30:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4156]
■ 崩壊する録音環境 ■

オーディオマニアはイコライザーの使用を嫌います。

「レコードやCDには生の音源が入っているのだから、手を加えるのは言語同断」という
原音至上主義の方達が多くいらっしゃいます。
最高の録音であれば、良い音源は優れた再生音を生み出してくれます。

ところが実際には「録音」は千差万別です。
クラシックでも酷い録音は存在しますが、それでもバランスは取れています。

これが、80年代以降のロックやポップスやJ-POPSでは悲惨な録音状態です。
CDの登場によってオーディオ機器は小型化し、ラジカセ全盛の時代になりました。

CDを購入する多くの人々が、ラジカセで音楽を聴くので、
当然、録音スタジオではラジカセで格好良く聞こえる様な録音をする様になります。

ミキシングスタジオから大型スピーカーが消え、
YAMAHAの10Mという、白いウーファーの小型スピーカーが大増殖して行きました。
ラジカセは大型スピーカーの様には低音が出ませんので、
ミキシング時に低音を思い切り持ち上げて録音される様になりました。
さらには、小型スピーカーではあまり聞こえない重低音は、
管理されていないような録音も現れ始めました。

80年代前半のアナログレコードに時代までは、
それでも多くの人が大型のオーディオスピーカーを使用していたので、
録音はそれを考慮して、まともなバランスを保っています。

しかし、90年代以降はPOPSやROCKはそれこそ「悲惨」な状況です。

■ 曲毎、アルバム毎にイコライザーカーブをプリセットできるiTunse ■

イコライザーを使用すれば、部屋の音響特性と録音バランスを補正できるのですが、
録音バランスの違うCDにあわせてその都度イコライザーを操作するのは面倒です。

しかし、iTunseには、曲毎にイコライザーを設定する機能が付いています。
iTunesにプリセットされているイコライザーは、派手な演出でクソですが、
iTunseはバンド数が少ないながらも、自分で複数のイコライザーカーブを作って登録できます。

もう、これを使ってしまったら、病み付きになります。
古いジャズも、最新のロックも、最適なバランスに調整する事が出来ます。

■ ルームアコースティックを機材で調整する愚 ■

私は先日、コンクリートにクロス直貼りのマンションから、
ボード貼りのマンションに引越しました。

コンクリートにクロス直貼りの部屋では、低音がだぶ付いて始末に負えませんでした。
iTunseのイコライザーが無ければ、大型スピーカーは絶対に使えません。
ところが、ボード貼りの部屋では、ボードが丁度良いアンバイに低音を吸収してくれます。

これが、木造の和室では、今度は低音が不足するかも知れません。

このようなルーム・アコースティックの違いを機材で調整する事は至難の業ですが、
イコライザーでは比較的容易に調整できます。
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive


2008/12/6
最強のオーディオ・・・iTunes  オーディオ
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html

■プロケーブルの音

「プロケーブル」というネットショップをご存知でしょうか?
従来のオーディオ理論を覆す方法論で、
一昨年あたりからネットを賑わすオーディオショップです。

実は私もオーディオにずいぶんと散財した挙句に
プロケーブル仕様に落ち着いた一人です。

詳細はプロケーブルさんのサイトに譲るとして、
プロケーブルの面白かった所は、
2チャンネルや個人のブログを巻き込んだ賛否両論の一大実験が、
驚異的なスピードでのトライ&エラーを繰り返して、
プロケーブル・システムを進化させた点です。

サイトの記述内容に技術的な誤謬も多く、
詳しいオーディオマニアの方は、音を聞く前に
その誤りを指摘して、駄システムであると決め付けてしまいますが、
我が家のプロケーブル・システムは総額35万程度で、
以前使用していたカミサンには言えない金額のシステムを軽々と凌駕しています。

この秋、大阪の日本橋にプロケーブルのショップもオープンして、
ようやく実音も聴けるようになり、
プロケーブル論議も、ある結論に至ると思われました・・・。

先日、私も大阪に出かけた折にその音を聴いてきました。
ある程度、予測された事ですが、ジャズ喫茶の音がしていました。
高域のレンジが狭く、ダンゴ状態の音。

私があえてブログでプロケーブルを取り上げたのは、
プロケーブルの機材や方法論がもたらす音が、
あの程度だと認識されたく無いからです。

■オーディオの最大の問題点は録音にある

プロケーブルさんが世の中に知らしめた事の中で、最も重要な事は、
録音される国によってスタンダードなケーブルが異なり、
当然録音バランスが違う・・・という事です。

オーディオマニアは良く原音・原音と言いますが
実は原音なんて、どこにも無いんです。

クラシックを除けば、ポピュラー系のソースは
その時代の最も一般的なシステムで最も良く聞こえるバランスで録音されています。

60年代ジャズは、フルレンジや2ウエイのナローレンジ向け。
70年代、80年代ロックは大型システムが普及しただけに、比較的良いバランス。
90年代以降のはラジカセやミニコンポ向けの音。(ドンシャリ)

これを、なまじ広帯域でフラットバランスのシステムで再生すると、
単なる録音バランスのチェックになってしまいます。
優秀録音以外、まともに聴ける訳がありません。
それをシステムが悪いと思って、調整するから
ますます泥沼にはり、どんどん高価なシステムやケーブルを購入してしまいます。

例えば、アメリカ録音とイギリス録音のロックは
年代が同じでも大分違います。
ベルデンとカナレの違いが音に出てしまうのです。

LPの時代は、カートリッジを交換すれば、
こういった録音の違いを相殺する事が出来ました。

しかし、CDの時代がもたらした、再生環境の均質化が
むしろ、録音の違いを顕にし、
オーディオマニアを無間地獄に突き落としたのです。

■iTunesのイコライザーで全ては解決

本家、プロケーブルはこの問題をケーブルの選択と
マルチ駆動によるドライバーとウーファーの独立した
音量調節で解決しようとしています。

しかし、それはなかなか面倒ですし、システムも複雑になります。
さらに、ユニットの帯域内での微調整が出来ません。
結果的に、過剰気味の高域を抑えようとしてドライバー全体の音量を絞ってしまうので
12KHz辺りから上の倍音成分が不足して、
ジャズ喫茶の音になてしまうのでしょう。
中域が厚いので、一聴するとリアルで迫力がありますが、
音はダンゴ状になて、繊細さや軽やかさを失います。

しかし、iTunesのプリセットイコライザーを活用すれば
録音バランスの問題を簡単に解決する事ができます。

iTunesのプリセットイコライザーをは、
いくつかのイコライジングカーブを自作して名前を付けて記憶する事ができます。
さらに、曲毎、アルバム毎に、プリセットを関連付ける事が出来ます。
この機能を活用すれば、アルバム毎の録音バランスの問題を
簡単にキャンセルする事が出来ます。

さらに、再生システム自身やルームアコースティックの影響も低減できます。

アナログのグラフィックイコライザーは位相の乱れを生じますが、
デジタルでは位相の問題は発生しません。
ビット落ちの懸念もありますが、それも極く高い帯域の問題ではないでしょうか。

例えば、古い録音時代のJAZZをは当時の中域主体のシステム用に録音されています。、
それを、現在のワイドレンジシステムで再生すると逆に中域が薄くなって
迫力が無くなってしまうのです。
又、高域も低域も延びきっていないので、無理に再生すると、
レンジの狭さが強調されて、詰った音に聞こえてしまいます。
そこで、中域を盛り上げ、低域と高域にちょっとスパイスを効かせて
イコライザーカーブを作ります。
すると、あら不思議。
JBLやALTECの世界が現れます。暑く、迸るようなJAZZが再生されます。


TIME盤のソニー・クラーク・トリオは
ブルーノート盤に比べてナローで詰った録音ですが、
上手にイコライジングしてあげると、
途端に生き生きとした迫力ある演奏に豹変します。

「鬼才トリスターノ」は1オクターブ低く録音して、早く再生して録音という
とんでもなくトリッキーな録音で、無機質な音を作り出していますが、
これも、問題無く再生できます。

ビートルズを始めとするブリテッュロックの録音は、
通常胸焼けのするような、まったりとした再生音が特徴ですが、
(LPはクラシック用の高域が伸張したカートリッジでスカ!と決まります)
これもブリティッシュロック用のイコライジングカーブで
切れのある迫力の再生音を実現できます。
ドラムもスカ!!、ドスッ!!と決まりいますし、
ギターもカリ!!とした音を出してくれます。
正に、ライブの音です。

クラシックに関しては、大体良い録音ですが、
38cmの小型のPAスピーカーでは不足する125Hz以下の低音を増強すれば
オーケストラはコンサート会場の迫力で迫ってきます。


■位相制御にも活用

私はiTunesのイコライザーは位相制御にも使えると思っています。
ALLEN & HEATH のDJミキサーには3バンドか4バンドのイコライザーが付属します。
このイコライザーの位置によって、音楽が生き生き聞こえるポイントがあります。
低域をやや絞り、中、高域やや上げてあげます。

これは、スピーカーであるForce-iの各ユニットの
クロス付近の位相特性を整えているのでは無いかと思っております。

当然、再生バランスに影響を与えますので、
この分のバランスの変異も予めiTunesのイコライザーでキャンセルします。

■ラウドネス効果を無視して何が原音か?

さらに我が家はマンションですから、再生音量は小さめです。
当然、耳の生理的特性で低音と高音が低下して聞こえます。

原音再生を目指すオーディオマニアは、イコライザーを嫌いますが、
実用的な音量ではむしろ耳自体にフィルターが掛かっている訳ですから、
むしろイコライザーなりラウドネスを通した音の方が遥かに原音に近い訳です。

iTunesのイコライザーはラウドネスを兼ねる事も当然可能です。

■高価な外付けイコライザーはいらない

AD変換→デジタルでイコライジング→DA変化といった手順を踏む
高価な外付けイコライザーもありますが、
不要なAD変換、DA変換を経由するよりも
デジタル演算だけでイコライジングする方が
音に関する悪影響は少ないはずです。

又、ituneseのイコライザーは曲やアルバム毎に最適にプリセット出来るので、
単なるルームアコースティックの調整だけでは無く、
録音状態による影響もキャンセルできる点だけでも数段優れています。


■プロケーブル・システムの真価

プロケーブル・システムの真価は次の点です

@大口径で高効率のスピーカー
 高効率なスピーカーは微細な音を漏らさず再生します。
 又、音離れが良く、軽やかな音も良く表現します。
 
 38cmウーファーは、イコライザーに良く反応してローエンドが伸びて行きます。
 バスレスポートで無理に作った低音で無いので、
 イコライザーの懸かり方も自然でクセがありません。

A高ダンピングファクターのアンプ
 高いダンピングファクターのアンプは音が窮屈になるとも言われていますが、
 高能率スピーカーとの組み合わせでは生き生きした音を聞かせます

Bスピーカーケーブルは短くして高いダンピングファクターを維持
 結局、ダンピングファクターの高いアンプを使っても、
 スピーカーケーブルを何十mも伸ばしたら、ダンピングファクターは真空管アンプ並み。
 聴きやすくはなりますが、ハイスピードなドラムの音は絶対に聴けません。

 高域の上昇を抑える為には、錫メッキの太いより線が有効。
 私はウエスタン・エレクトリックの14Gを2.5mで使用。
 ウエスタンのケーブルは高域がしなやかで、なんとも言えない音の微粒子感があります

Cパワーアンプに入力ボリューム装備
 ミキサー(プリアンプ)を最適ゲインで使用出来、
 伝送経路での信号ロスを最小限に抑える事が出来ます。
 結局、微弱信号はなるべくレベルを落とさないでパワーアンプ直前の
 ボリュームまで到達させる事がどんなに大事か再認識します。
 (ピュアーネスを追求してプリアンプの代わりにパッシブアッテネーターを用いると
  悲惨な音になるのはこの為)

DALENN & HEATH のDJミキサーをプリアンプとして活用
 プリアンプの名機は数える程しかありません。
 ALLEN &HEATH の音は、フォノイコライザーも含め、
 プリアンプの名機と肩を並べるものがあります。
 ALLEN無くして、プロケーブルシステムは有らず。

EiTunesは是非プリセットイコライザーを活用して
 一度コツを掴んでしまえば、もう手放せません。
 イコライザー無くして音楽再生は有らず。

F200Vとダウントランス
 アース管理された200V電源の安定感は格別です。
 トランスですから、電源のアイソレーション効果があるのでは?

以上が私が考えるプロケーブルシステムのコアです。

さらに、iTunesのバージョンによても、
Windowsのバージョンによっても音はガラリと代わります。

私はiTunesはバージョン7.6.0.29が音がしっかりしていて好きです。
WindowsXPはSP2はまともですが、SP3は悲惨でした。
ここら辺、何が原因か分かりませんが、
安易なバージョンアップは音のバランスを崩します。

さらに、PAスピーカー(EVのFoce-i)のスピコン・プラグは百害あって一利無し。
多分、電力伝達能力が低いのでしょう。
低音が無くなってしまいます。
ネットワークにスピーカーコードを直接半田付けで
全く別のスピーカーに生まれ変わります。

ついでに、ドライバーの保護用ランプは百害あって一利無し。
低い抵抗値のランプが直列でドライバーの直前に入っています。
端子式なので簡単にパスできます。

以上、長々と書いてしまいましたが、
興味の無い方には、何が何だかチンプンカンプン。
それで良いのです。
オーディオの世界は底無沼です。
これを読んで分かってしまう方は、沼に落ちないようにお気をつけ下さい。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html#c3

[リバイバル3] 原音とは何か? 中川隆
4. 中川隆[-8595] koaQ7Jey 2019年8月29日 16:49:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4157]

最近のモニタースピーカ−はラジカセを対象にしている

モニタースピーカとは何者でしょうか?


40年くらい前にはアルテックやJBLも使われていました.我が国では,三菱電機がNHKと共同開発した「2S305」が有名です.

この時代のモニタースピーカは人の音声や楽器の音を本物らしく聞かせることに重点を置いていたように思います.

三菱のP610 で再生される人の声や,2S305 での楽器の音は実にリヤルです.国内外の有名スピーカでは聞き取れないアンプの欠点も,P610 や 2S305 で聴くと誰でも(多分)分かります.こういったスピーカこそがモニタースピーカではないでしょうか.

このため,モニタースピーカは通常音楽を聴くためには不向きとも言われていました.いわば厳しすぎるのでしょう. そのため,民生用では多少色づけされたタンノイ,グッドマン,ローサー,ヴァイタボックスなどのスピーカが好まれたと思われます.

しかるに,最近のモニターと称せられるスピーカは,聴けば聴くほど疑問が出てきます.楽器の音が聞こえない,演奏が見えない,音が耳障りで「曲」が解らない,

何を「モニター」しているのでしょうか?


ある時,懐かしい歌の復刻版CDを買ってきて,main system で聴くと,中低音(低音ではありません)がボコボコいってまともに聴けない物がありました.このCDをサラウンド用の8cmや10cmのスピーカで聴くと,摩訶不思議,そこそこに良い音として聞こえます.

そこで,ハタと気が付きました.どうもこれら最近のモニターはラジカセを対象にしているのではないかと思われてきました.

これらのモニターを採用している放送局,スタジオは,本来?のモニターすべき楽器や音声が対象ではなく,特定の,いわば,もっとも使用数が多いラジカセやミニコン機器でいかに聞こえるかを確認しているように思われます.

それはそれで音楽を送り出す場合は価値あることと思いますが,どうせまともに再生できない機器のためにモニターすることもないように思います.100Hz以下を切って,いかに低音らしく聴かせるかは技術ですが,よく聴けば,やはり出てないのは解ります.

こんなモニター?スピーカで,と言っても途轍もなく高いのですが,自宅で音楽を聴こうという方が間違っているように思えます.このような音が好みならば,数千円のスピーカで聴いた方が利口です.

有りの儘に録音した音楽,それはほとんど無いし,録音した時点で生とは異なりますが,それに近い音質を求める場合はそれなりのスピーカを使わなければいけません.その様な,新しい,良いスピーカが安く出ることを期待します.

それまでは,やはり,好みに合わせて,タンノイ,グッドマン,ローサー,ヴァイタボックス,アルテック,JBLやクオードなどのスピーカを使うほかなさそうです.

家庭で小編成や人の音声の曲を聴く場合は,我が顧問のM氏推薦の三菱P610Aは外観(相当に見窄らしい)からは想像できないほどの音が出ます.これで十分です.ただし,高音過多のきらびやかな(うるさい)音は出ません.あくまでも,バランスの良い音です!!

http://triodeamp.web5.jp/talk/sp.html

■モニタースピーカーは、いつのまにやら、堕落してしまいました。


優れたモニタースピーカーが製造されなくなって、その代わりが出来るほどの優秀なモニタースピーカーが、その後、たったの一つも出てこなかったというのが、その原因です。

1950年代から60年代の、マイルス・デイビスの時代までさかのぼってみます。マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンが、レコーディング・スタジオでプレイバックされる音を聞いていた、そのモニタースピーカーは、アルテック(altec)612A(通称、銀箱)です。38センチ口径の604という型番のアルテックの同軸ユニットが入ったものです。その612Aモニタースピーカーを設計開発したチームの中には、誰もが知る人物がいました。当時、アルテック(altec)社に勤めていた、JBLさん、James B.Lancingさんです。

アルテック社は、WE社、つまり、ウェスタン・エレクトリック社の技術部門が独立して出来たメーカーです。アルテック社内で往年のウェスタンエレクトリックの技術を勉強したJBLさんが、その後アルテック社を退職してから作ったメーカーがJBL社ですが、この話は本論からはずれます。

アルテックのチームとその一員だったJBLさんは、そのとき一点の曇りもない、完璧なスタジオモニタースピーカーを設計することに成功しました。それが、アルテック612Aという604という型番のユニットの入ったモニタースピーカーです。604ユニットは、38センチ口径です。モニタースピーカーには、38センチ口径のユニットが必要不可欠であったということです。

38センチというと、低音を思い浮かべるかたが多いと思います。それは大きな間違いであって、当時のモニタースピーカー用途の38センチという口径のユニットは、中域をしっかり出して、「生音と等身大の音」を出し、間違いのないミックスダウンをするためのモニタースピーカー、つまりそれが、38センチ口径のモニタースピーカーです。勿論、低周波も出す能力もありますので、低域以下の低周波数帯域のミックスダウンにも失敗はあり得ませんが、中域はそれ以上に重要です。中域再生のため、ウーファー部は1500ヘルツ、ボーカル帯域までをも、しっかり出す能力を持っています。

上記のアルテック612Aスタジオモニタースピーカー(銀箱)は、1940年代から使われはじめ、その後長年に渡って米国スタジオの標準となり、その後、日本国内も、それに習って、アルテック612A(銀箱)が標準となりました。米国のジャズのほとんど、その後のロックなども、アルテック612A(銀箱)をモニタースピーカーにしており、それが基準です。1970年代頃までは、米国では、それが続いていたものと思われます。

日本の音楽の黎明期は、それよりずっと遅れてスタートしています。アルテック612Aとそのユニット604のモニタースピーカーが標準になったのは、1960年代後半くらいからでしょうか。604Eか、604-8Gユニットくらいの時代からでしょう。アルテック612Aモニタースピーカーが使われていたのは、1980年代くらいまででしょう。
実は今でもマスタリングスタジオが使っているモニタースピーカーは、アルテック604ユニットであったりします。最終的には、今でもアルテック604をモニタースピーカーにして音を聞いて、マスターを作る段階で、スタジオの間違ったミックスを修正しているというのは、本当のことです。これはマスタリングスタジオにもよるものと思われますが、東京四ツ谷にある、多くのレコード会社が信頼しているマスタリングスタジオは、今もアルテック604がモニタースピーカーに入っていると、そのオーナーさんと仲の良いエンジニアのかたから聞いています。

その後のスタジオモニタースピーカーは、おそらくJBLに移行したものと思われます。別のメーカーも入っていたのかもしれませんが、そのあたりは、詳しくありません。

重要なことは、メインモニタースピーカーの信頼性が、アルテック612Aに比較して、低くなっていったのと併行して、YAMAHA NS10Mがスタジオに入っていったということです。当時、「ラジカセ」というものが、非常に多く使われるようになり、非常に多くの若者はじめ米国国民がラジカセで音楽を聴くようになっていました。NS10Mの役割は、当時、二つありました。


■YAMAHA NS10Mがモニタースピーカーとして使われた本当の理由


1)ラジカセで聞く人たちがいかなる音で聞くのかを、チェックするためです。

つまり、ラジカセの代表、それに近いものとして、割と素直な性質のYAMAHA NS10Mが、それ専用のモニタースピーカーとして選ばれたということです。これがNS10Mがスタジオに入っていった最たる理由です。


2)おおざっぱな音決めのためです。


卓の上に置いて、至近距離でミックスダウンするわけですから、使いやすいのです。おおざっぱな定位などを最初に決めるため、NS10Mは「簡・易・的・な」モニタースピーカーとして使われました。もちろんNS10Mくらいのモニタースピーカーでは、信頼性が全くありませんので、最後には、ラージモニタースピーカー、ミドルモニタースピーカーなど、いろいろな種類のモニタースピーカーで検証して、音決めしていたものと思われます。

このあたりの時代で、モニタースピーカーを取り巻く環境が、すでに何かがおかしくなってきていることが分かります。というのは、1959年のマイルスやコルトレーンのジャズが、つまり、アルテック612Aモニタースピーカーでミックスダウンされた完璧な録音が、ラジカセでしっかり鳴らないなどということは、あり得ないことだからです。それが鳴らないのであれば、それはラジカセメーカーの責任なのですから、そんなことを、NS10Mなどをモニタースピーカーにしてまでチェックしていること自体、時間の無駄でしかなかったはずです。

メインモニタースピーカーを全面的に信頼できなくなってきていたからこそ、無意味なことでも、せざるを得なかったと言えます。

その後、さらにメインモニタースピーカーの信頼性は、時代とともに低くなっていき、ミドルモニタースピーカーにもろくなものがなくなってしまいました。というより、ミドルサイズには、最初からろくなモニタースピーカーは、一つたりとも、歴史上、登場していないのが実態です。

そして現代に至って、YAMAHA NS10Mだけが、無惨にもスタジオに取り残されてしまいました。役に立というが立つまいが、取り残されてしまった。だからNS10Mなのです。

■ミックスダウンの課程


自宅録音のかたも、プロのかたも、NS10Mをモニタースピーカーにしてのミックスダウン時には、次の課程を経ているはずです。


1)非常に録音の良い、優れたミックスダウンのイメージ、数枚のリファレンスCDの音が、頭の中にあります。理想とする録音です。それはおそらく数枚のCDでしょう。

2)そのリファレンスCDの音に近くなるように、モニタースピーカーの音を「目を凝らすように神経質に聞いて」、ミックスダウンしていきます。

3)プレイバックして、何度も聞き直し、良く分からなくなった時には、リファレンスCDを、そこでプレイバックしてみて、1枚で分からなければ、二枚のCDをプレイバックしてみて、ボロであろうがなかろうが、とにかくそこにあるモニタースピーカーを通して、どこがそれと違うのかを確認して、リファレンスCDの音に、時間をかけて似せていきます。


上記の方法を、NS10Mをモニタースピーカーに使う場合のミックスダウン時には、100%の確率で、取られていることと思います。頭の中は、音の足し算と引き算で埋め尽くされているはずで、そこにエネルギーの大半が吸い取られていきます。
その作業をしていること、しなければならないことこそ、そのモニタースピーカーが信頼できない品質のものである証拠です。

優れた本物のラージモニタースピーカーは、聞いた通りの音に録音されます。最も音楽が素晴らしく聞こえるようになる、まさにそのポイントに向かって録音するだけで、リファレンスの必要などありません。モニタースピーカーで聞いた通りの音が、マスターに刻まれていくからに他なりません。

また、NS10Mのように、爆音でミックスダウンする必要もありません。普通の音でプレイバックしたときにこそ、生音に近い等身大の音が出てきますから、全く無理がありません。等身大の生音という概念は、ミックスダウンには、非常に重要です。モニタースピーカーから「生音」が出ていれば、それイコール、完全に信用できるという、誰にでも分かる非常に単純なことです。ということは、NS10Mくらいのものではモニタースピーカーとは言えないということです。

そこにある音、人の存在、又は楽器の存在、音楽全体の存在が、よりいっそう気持ち悪いほどに生々しくなるように、さらに音楽が最も魅力的になるように、イコライジングしながらミックスダウンしていくだけです。

そして、その通りの生々しい信号が、マスターに刻まれていきます。それを再現しきれるオーディオ装置の有無などは、関係のないことで、間違いのないミックスダウンこそが最重要です。プロはどなたも最良のミックスダウンを望んでおられます。

ミックスダウン時の失敗や後悔、あそこはこうしておいたほうが良かったかな、というような、あとから来る迷いも、優れたモニタースピーカーさえあれば、一カ所もあり得ないミックスダウンになるであろうことは、プロのレコーディングエンジニアのかたならば、即座に理解されますでしょうし、作業が非常に早く、まったく合理的であることも、理解されますでしょう。

優れたラージモニタースピーカーが、早く出現することを願って止みません。プロのレコーディングエンジニアのかたは、集中力、気力等、並はずれて非常に優秀なかたがたばかりなのですが(今まで出会ってきたプロのかたは例外なくそうでした)、いかんせん、モニタースピーカーの環境が悪すぎます。一億五千万円もするニーブやスチューダーの卓(ミキサー)に、YAMAHA NS10Mしか接続されていないなどということは、異常事態です。

例えスタジオの経営側が、ラージモニタースピーカーは、これこれの46センチウーファーのものを壁に埋め込んで、背後からの反射をも防いでいる、これは米国のどこそこのメジャースタジオと同じであるなどと宣伝していたところで、レコーディングエンジニアのかたがた本人が、それらを全く信用できないものとして見限っており、全くあてにもせず、気分転換にしか使われていないようなことでは、それらは、ろくなモニタースピーカーではなく、使い慣れたNS10Mのほうがまだましだということで、今もNS10Mだけがスタジオに取り残されているのです。

■結論

「多くの人がラジカセだから、それにミックスダウンの音を合わせておこう。」

又は、

「多くの若者がiPODでイヤフォンで聞いているから、それに合わせてミックスダウンの音を合わせておこう。」


それは、非常に問題のある、「ムダ」、「ムラ」、「ムリ」、トヨタ生産方式で言えば、仕事の三大悪であり、絶対に許されない考え方です。真のプロフェッショナルのかたは、今まで書いたことから、すでに理解されていることと思います。そのような考え方は、二流の考え方です。プロフェッショナルは、責任を持って、徹底的に正確な信号をマスターに刻み込むこと、それが最高の仕事であり、最高の結果を生みます。皆が使う音源、風潮に合わせるなどということは、どうでも良いことです。プロのかたは、100年後にも、その音源が最高の音源であって欲しいはずです。

そのときに使われているものがラジカセなのかiPodなのか、そんなことは分かりません。完璧なフラットが出るものを誰もが使う時代が来ているのかもしれません。そのような時代は来ていないかもしれませんが、そんなことはどうでも良いことです。最高の録音を再現できないとしたら、それはラジカセ側の責任であい、iPod側の責任、未来の再生機材の責任であるということです。

レコード会社側の、二流の考え方に、プロのかたは妥協してはなりません。それでは二流の録音しかできません。


■さらに、上記の二流録音がもたらす結論を明確にしておきます。

徹底的に正確な信号を録音した一流の音源があるとします。かたや、iPodやラジカセに合わせた録音があるとします。両者をiPod、ラジカセで聞くとします。いづれが良い録音に聞こえるかは、明白なことです。

誰が聞いても前者を選びます。これで、十分でしょう。

http://www.procable.jp/setting/07.html

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html#c4

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