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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100529
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[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
21. 中川隆[-14759] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:13:38 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[69]
2017-04-29
小林よしのり徹底批判【目次】
https://vergil.hateblo.jp/entry/2016/10/31/194530

大東亜戦争とか言ってる時点で既にダメ
 
偽りの「アジア解放」「大東亜共栄圏」
 
ガンディーには見抜かれていた
 
戦争が政策なら植民地主義だって政策
 
続・ガンディーには見抜かれていた
 
ワラン・ヒヤ(恥知らず)
 
噂を根拠に中国軍を悪魔化
 
家族や故郷を守るために死んだ日本兵など一人もいない
 
浅薄な聞き取り

南京には便衣兵などいなかった

卑怯な便衣兵ならここにいる

新千歳空港騒動で本性を露呈した差別排外主義者

この少年たちをも殺せというのか?

【番外編】なぜ小林を許してはならないか

(準備中)
https://vergil.hateblo.jp/entry/2016/10/31/194530
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c21

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
22. 中川隆[-14758] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:15:15 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[70]
2018-05-19
責任逃れの詭弁「自衛発砲説」に止めを刺したNNNドキュメント「南京事件II 歴史修正を検証せよ」
https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/19/220701

今回のテーマは歴史修正主義との対決

前回番組への唯一の「反論」だった自衛発砲説
自衛発砲説のルーツを追跡し、戦犯逃れのために言い出された詭弁であることを立証
卑怯な弁明は被害者を二度殺す行為
今回のテーマは歴史修正主義との対決
前回の『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年10月4日放送)に続き、南京大虐殺の実証に正面から取り組んだNNNドキュメント『南京事件II 歴史修正を検証せよ』が、5月13日に放送された。(5月20日、BS日テレにて再放送予定。)


www.ntv.co.jp

前回の番組も、従軍兵士たちの陣中日記や現場に居合わせた元兵士たちの証言、さらには各種の公的記録を突き合わせ、南京を占領した日本軍が行った大量虐殺の事実を否定し難い形で立証した優れたドキュメンタリーだったが、今回はそこから更に踏み込んで、日本中にはびこる歴史修正主義(=史実の改ざん・捏造)の検証を行った、すばらしい番組だった。

前回番組への唯一の「反論」だった自衛発砲説
前回と今回の番組で共通して扱われているのは、南京陥落(1937年12月13日)後の16・17日に揚子江岸で連続して行われた中国軍捕虜(一部一般市民も含む)の大量虐殺事件である。実行部隊は山田支隊(第13師団の一部)歩兵第103旅団歩兵第65連隊ほか、被虐殺者数は推定約1万5千から1万8千名。これは、南京大虐殺を構成する大小無数の虐殺事件の中でも、一度に行われたものとしては最大級の虐殺と言っていい。

番組でも紹介された、この虐殺に参加した日本兵の従軍日記にはこう書かれている。(文中のカタカナ書き部分はひらがなに変更。)

黒須忠信(仮名・山砲兵第19連隊第3大隊・上等兵)日記[1]:

拾二月拾六日 晴
 午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯〔蕩〕の目的にて馬風〔幕府〕山方面 に向ふ 、二三日前捕慮〔虜〕せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、其の后銃剣にて思う存分に突刺す、自分も此の時ばが〔か〕りと憎き支那兵を三十人も突刺した事であろう。
 山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひヽ〔し〕がん勇気が出て力一ぱいに突刺したり、うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も居る、一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、(略)帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。

他にもこの事件を記録した従軍日記がいくつも残っており、それぞれ独立して書かれた日記の内容がよく一致していることから、この虐殺事件の存在と、これが軍命令による殺戮だったことを疑う余地はまったくない。

近藤栄四郎(仮名・山砲兵第19連隊第8中隊・伍長)日記[2]:

〔十二月〕十六日
(略)
 午后南京城見学の許しが出たので勇躍して行馬で行く、そして食料品店で洋酒各種を徴発して帰る、丁度見本の様だ、お陰で随分酩酊した。
 夕方二万の捕慮〔虜〕が火災を起し警戒に行った中隊の兵の交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
 月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、一生忘るる事の出来ざる光影〔景〕であった。

宮本省吾(仮名・歩兵第65連隊第4中隊・少尉)日記[3]:

〔十二月〕十四日
 午前五時出発、南京近くの敵の残兵を掃揚〔蕩〕すべく出発す、攻撃せざるに凡て敵は戦意なく投降して来る、次々と一兵に血ぬらずして武装を解除し何千に達す、夕方南京に捕虜を引率し来り城外の兵舎に入る無慮万以上に達す、直ちに警備につく、(略)捕虜中には空腹にて途中菜を食ふ者もあり、中には二、三日中食を採らぬ者もあり喝〔渇〕を訴へる者あり全く可愛想なるも戦争の上なればある程度迄断乎たる処置をとらねばならぬ 、(略)通訳より「日本軍は皆に対し危害を与へず唯逃ぐる事暴れる様なる事あれば直ちに射殺する」との事を通じ支那捕虜全員に対し言達せし為一般に平穏であった、唯水と食料の不足で、全く平公〔閉口〕した様である。

〔十二月〕十五日
(略)
 夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて捕慮〔虜〕兵の給食は勿論容易なるものでない。

〔十二月〕十六日
 警戒の厳重は益々加はりそれでも〔午〕前十時に第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも疎〔束〕の間で午食事中俄に火災起り非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮〔虜〕兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す、戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。

〔十二月〕十七日(小雪)
 本日は一部は南京入場式に参加、大部は捕慮〔虜〕兵の処分に任ず、小官は八時半出発南京に行軍、午后晴れの南京入場式に参加、壮〔荘〕厳なる史的光景を見〔目〕のあたり見ることが出来た。
 夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会い友軍にも多数死傷者を出してしまった。
 中隊死者一傷者二に達す。

〔十二月〕十八日 曇
 昨日来の出来事にて暁方漸く寝に付〔就〕く、起床する間もなく昼食をとる様である。
 午后敵死体の片付けをなす、暗くなるも終わらず、明日又なす事にして引上ぐ、風寒し。

遠藤高明(仮名・歩兵第65連隊第8中隊・少尉)日記[4]:

十二月十六日 晴
(略)午後零時三十分捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ同三時帰還す、(略)捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出し1(第1大隊)に於て射殺す。
 一日二合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養し居る今日到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるものヽの如し。

十二月十七日 晴
 幕府山頂警備の為午前七時兵九名を差し出す、南京入場式参加の為十三Dを代表Rより兵を堵列せしめらる、午前八時より小隊より兵十名と共に出発和平門より入城、中央軍官学校前国民政府道路上にて軍司令官松井閣下の閲兵を受く、(略)帰舎午後五時三十分、宿舎より式場迄三里あり疲労す、夜捕虜残余一万余処刑の為兵五名差出す、(略)風出て寒し。

十二月十八日
 午前一時処刑不完全の為生存捕虜あり整理の為出動を命ぜられ刑場に赴く、寒風吹き募り同三時頃より吹雪となり骨まで凍え夜明けの待遠しさ言語に絶す、同八時三十分完了、(略)午後二時より同七時三十分まで処刑場死体壱万有余取片付けの為兵二十五名出動せしむ。

十二月十九日 晴
 前日に引続き死体取片付けの為午前八時より兵十五名差出す、(略)

これに対し、前回番組が放送された約1年後、産経新聞が反論を試みている。その際に持ち出したのが、日本軍はこれらの捕虜を解放する目的で揚子江岸に連れ出したのに、殺されると誤認した捕虜が暴動を起こしたためやむを得ず射殺したという「自衛発砲説」だ。

産経新聞(2016/10/19):

◆暴れる捕虜にやむなく発砲

 番組は昭和12年12月16、17日に南京城外の揚子江岸で、大量の捕虜が旧日本軍によって殺害されたと伝えた。この捕虜は南京郊外の幕府山を占領した歩兵第103旅団の下に同年12月14日に投降してきた大量の中国兵を指す。東中野は前掲の著書で、おおよそ当時の状況を次のように再現した。

 16日の揚子江岸での処刑対象は宿舎への計画的な放火に関与した捕虜だった。17日は第65連隊長、両角業作(もろずみ・ぎょうさく)の指示で、揚子江南岸から対岸に舟で渡して解放しようとしたところ、北岸の中国兵が発砲。これを日本軍が自分たちを殺害するための銃声だと勘違いして混乱した約2千人の捕虜が暴れ始めたため日本側もやむなく銃を用いた。

 17日には日本軍側にも犠牲者が出た。このことは捕虜殺害が計画的でなかったことを物語るが、番組はこうした具体的状況やその下での国際法の解釈には踏み込まなかった。

自衛発砲説のルーツを追跡し、戦犯逃れのために言い出された詭弁であることを立証
事件の体験者によってリアルタイムに書かれた一次史料である従軍日記には、捕虜が放火したという話も、中国側からの発砲も、捕虜の暴動も一切現れないことから、この自衛発砲説が成立し得ないことは明らかだ。しかし、今回の「南京事件II」ではそのレベルにとどまることなく、この説のそもそもの始まりにまで遡って、その正否を追求している。

ナレーション「ネットを中心に広がる自衛発砲説は、そのほとんどが、近年発行された本からの引用でした。」

ナレーション「それらの情報を遡ると、1970年から80年代に発行された本からの引用なのです。」

ナレーション「さらに年代を遡っていくと、1964年に出された一冊の本にたどり着きます。郷土部隊戦記。それは、南京に派兵された、あの65連隊の地元、福島県で出版された本でした。」

番組は第65連隊の地元、福島県会津若松市を訪ねる。そして、『郷土部隊戦記』出版のさらに2年前、1962年に地元紙「福島民友新聞」に連載された記事にたどり着く。

ナレーション「12月17日に捕虜を解放しようとして、思わぬ事態が発生、たちまち大混乱が起こった。いくら制止しても聞かず、恐怖を感じた兵は発砲するほかはない。部隊でも将校一人、兵六人が捕虜の群れに引きずり込まれて死亡した、と書かれていました。」

ナレーション「取材に応じていたのは、やはり両角連隊長、つまり、部隊の責任者が、自衛のための発砲だったと主張しているのです。」

さらに番組は取材を進め、両角連隊長の残したメモには17日の記事として「捕虜解放」の記載があるが、前日の16日に海軍倉庫で行われた数千人の銃殺については何の記載もないこと、また17日には連隊長自身は現場に行っておらず、現場で銃殺作業を指揮した第1大隊田山大隊長からは、戦後、戦犯訴追を恐れて「あれだけはしゃべらないでくれ」と箝口令が布かれていたことが明らかになる。

現場にいた兵士たちの証言:

さらに番組は、この連載記事を書いた阿部輝雄氏(両角連隊長から直接この話を聞いて記事にした唯一の記者)を訪ね、両角メモは戦後になって書かれたものであり、事件当時の一次史料ではないことを確かめている。

そして阿部氏自身も、今は、あの状況は「虐殺と言われても仕方がない」ものだったと述べている。

ナレーション「自衛発砲説。その根拠を遡っていけば、軍の責任者たちが、戦後に言い出した弁明でした。そして、戦犯になることを恐れた幹部たちの弁明を、一部の本やネットが引き写していたのです。」

卑怯な弁明は被害者を二度殺す行為
自衛発砲説は、抵抗の意志もその手段もない人々を一方的に虐殺しておいて、「お前たちが反抗したから射たざるを得なかったのだ」と、加害者が被害者に責任を転嫁する卑劣極まりない言説である。このような言説の横行を、決して許してはならない。

「自衛発砲説」に止めを刺したこの番組の意義は極めて大きい。前回の番組も含め、4年もの歳月をかけて旧日本軍の歴史的犯罪行為の実証に取り組んでこられた番組スタッフの皆さんに、改めて敬意を表したい。

[1] 小野賢二・藤原彰・本多勝一 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 大月書店 1996年 P.350-351
[2] 同 P.325-326
[3] 同 P.133-134
[4] 同 P.219-220

https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/19/220701
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c22

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
23. 中川隆[-14757] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:16:44 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[71]
2017-10-29
日本兵は赤ん坊を串刺しにしたか?
https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/10/29/095521


日中戦争やアジア太平洋戦争において、日本兵が何の罪もない赤ん坊を銃剣で串刺しにした、という話が、日本軍の残虐性を象徴するエピソードとして語られることがある。

これは本当のことなのだろうか?

試しに「日本兵 赤ん坊 銃剣」といったキーワードでウェブを検索してみると、これは嘘だ、中国側のプロパガンダだ、と(例によって何ら根拠を示すことなく)主張するウヨサイトが続々と引っかかる。

だが、ネットde真実の皆さんには残念だろうが、どの程度一般的な行為だったかはともかく、日本兵がこのようなことを行った事例がいくつも存在したことは間違いないのだ。

被害証言(中国)
まずは、1932年9月16日に中国遼寧省北部で起きた平頂山事件の際の事例。これは、前日に起きた抗日ゲリラによる撫順炭鉱襲撃事件との関係を疑った日本軍守備隊が、炭鉱に隣接する平頂山集落の住民約3000名をほぼ皆殺しにした大虐殺事件である。日本軍は、まず住民を近くの崖下に集めておいて、包囲した部隊が機関銃で銃撃を加え、生き残った住民は銃剣で刺殺し、さらに遺体を焼いた上、崖を爆破して事件の隠蔽を図った。

この事件で奇跡的に生き残ったうちの一人、韓樹林さん(事件当時12歳)が次のような体験を語っている[1]。

 二度目の掃射が終わると、兵隊たちは銃剣をかざして死体の山に近づいた。思い思いに、死体を蹴とばしたり、銃剣で刺したりしながら、折り重なった死者たちの上を歩いてくる。生存者がいるかどうか調べているのだ。韓さんはこのとき、上半身は表面に出ていたが、下半身は誰かの死体の下に埋まっていた。父親は頭と両足先が表面で、胴と大腿部あたりはやはり誰かの死体の下だった。

 「動くな」と、父が韓さんに小声で、鋭く言った。兵隊たちが近づいてきた。薄目をあけてみると、生き残りの女子供たちが、次々と刺されたり銃口をあてて撃たれたりしている。韓さんから数メートル離れて、一人の赤ん坊が、死んだその母の乳房に抱きついて泣いていた。兵隊はこの乳児を銃剣で突き刺すと、そのまま空中に放り上げて捨てた。そのすぐ近くに妊婦が死んでいた。別の兵隊が銃剣でお腹を切開し、何かをとりだした。他の兵隊たちの笑い声がきこえた。

 とうとう韓さんと父親のところへも来た。二人はじっと死んだふりをしていた。兵隊は父の上になっていた誰かの死体を銃剣で突き刺した。剣は死体を貫通し、さらに父の大腿部まで突き通った。父は激痛を耐えて黙っていた。兵隊は通りすぎた。小柄な子の韓さんは、幸い“テスト”の目こぼしになった。

次は日中全面戦争が始まった1937年秋、上海近郊の農村で起こった事件を、生き残った弟(事件当時11歳)から聞いた姉が語った内容[2]。

 目的(注:強姦)を達した日本兵たちは、全員に向かって「ここを離れるな。逃げたりすると命はないぞ」と言い残し、その日は引き揚げた。しかし隣家の逃げおくれていた人びとは、強姦された娘も含めてその夜のうちに逃亡した。あくる日、またしても同じ顔ぶれの日本軍が現れた。娘が逃げたことを知ると、金さん一家全員を外庭へ出した。一列に並べた。銃剣をつけ、弾丸を装填した。

(略)

 このとき弟は、列の一番端にいた。(略)隣りに母がいた。十数人の兵隊たちは、一部は家の中を略奪しており、他の家族らを取り調べるなどうろうろしていて、一瞬の盲点があった。母が小声で、しかし鋭く「早く逃げて」といった。弟は走った。100メートルほど離れて川があり、その手前に池がある。池をかこむ草むらにとびこんだ。小柄な子供の脱出は、さいわい兵隊たちの目にとまらなかった。弟は草むらの中から様子を見守っていた。

 殺人の用意を終えた兵隊十数人は、一列に並べた16人に対して一斉に襲いかかった。ある者は剣で突き、ある者は発砲した。(略)女子供のほとんどは銃剣で刺し殺された。とくに前日強姦された従兄の嫁は、あとで見ると衣服を全部はぎとられ、腹をたち割られていた。

 皆殺しが終わると、兵隊たちは家に放火した。引き揚げる前に、一人の兵隊は死体を調べて、生存者がないかと確かめた。生後4ヵ月の赤ん坊はオムツにくるまっていたが、蹴とばすと泣きだした。兵隊は片手でつかみあげた。ひも一本で結ばれている赤ん坊の着物は、ぱらりと落ちて裸になった。兵隊は泣きさけぶ子を地面にたたきつけると、銃剣で突き刺した。背中から腹に貫通した。そのまま、銃剣の先に赤ん坊を串刺しした形で、肩にかついだ。日本軍の一行は、号令とともに整列し、号令とともに出発した。赤ん坊をかついだ兵隊は、隊列の最後尾に加わった。赤ん坊はまだ生きていて、串刺しにされたまま動いている。軍歌をうたいながら、隊列は去った。

証言者の金月妹さんは、この事件で父母を含め、家族・親戚17人を殺されている。

被害証言(フィリピン)
フィリピンでも、日本軍による同様な残虐行為についての証言がある。こちらは大戦末期の1945年2月、バタンガス州アンチポロでの事例[3]。

 その夜は、朝めしを食べに行く食堂の夫婦に、夕食に呼ばれた。(略)

 この家の夫人は、パミンタハンの虐殺当時、アンチポロの集落に住んでいた。1945年2月27日、男たちがカルメルの神学校に行った後の午前10時頃、日本兵はバランガイ(注:村)に男たちが残っていないかどうか、家々を回って捜しにやって来た。

 「私たちは日本兵が恐いんで、30人位の女や子どもたちが一つの家に集まって震えていたのよ。そこに二人の兵隊がやって来て、戸を開けたの。恐くって子どもたちが泣き出した。私も泣いたわ。特に一人の赤子が烈しく泣き続けたのよ。すると日本兵が怒り出し、母親から赤ん坊をひったくると上に投げたの。それを別な兵隊が銃剣で突き刺したのよ」

 「それ、ほんとうに目撃したの?」

 私は思わず聞き返した。

 「見たわよ、ほんとうに。そして、深井戸に投げ込んだの。私も母親と一緒だったけど、泣きやまなかったので、深い傷ではなかったけど、ここを突かれたの」

 彼女は、左胸の上をブラウスの上から指先で示した。

 「痛いよりも恐かったわ。後で痛みを感じたけど、あの時は恐くて恐くて。日本兵が来るとすぐ逃げて、物陰からそっとのぞき見したものよ。全部で十人は突かれて傷ついたはずよ」

こちらは同年3月、同州ブリハンで起きた集団虐殺事件の中での事例[4]。

 マリシリーノ・マガリンさんは、7歳で戦争孤児になった。1945年3月4日で、パミンタハンの大虐殺から数日後のことだ。

(略)

 「家族は、両親と兄弟姉妹の11人だった。ルンバンのバランガイに住んでいたけど、アメリカと日本の戦争が激しくなってきたんで、ブリハンに疎開していた。そこに日本兵が来て500人位の人たちを、夜の8時頃に谷川の近くの広場に連れて行った。最初に、赤ん坊が放り上げられて殺されたんだ」

 「ほんとうに目撃したんですか?」

 よく耳にすることなので、思わず聞き返した。

 「ほんとうですよ。その夜は月夜だったんです。日本軍はみんなに列を作るように、大声で言った。でも、子どもたちは異様な雰囲気におびえて泣きだした。私も泣きましたよ。兵隊は目をつり上げて恐い顔をしていたが、激しく泣く赤ん坊を母親からひったくると、突き殺して川の方に投げてしまった。

 子どもが泣き、大人たちが悲鳴を上げる中で、5人位ずつ殺し始めた。私は兄や姉たちと一緒に銃剣でやられた。その前に私はジュウドウで倒されて、後ろから突かれた。

 日本兵はみんなを殺してしまうと、死体の上に枯れたココナツの葉をかけたんで、火をつけられやしないかと思った。

 気がついたら、朝だった。日本兵がやって来て、まだ生きている人がいると、銃剣で殺していった。

 私は死んだふりをしていたけど、すぐ上の姉は日本兵を恐がって逃げ出そうとしたんで、本当に殺されてしまった。

 日本兵が行ってから、ゆっくりゆっくり這い出した。疎開して誰もいない小さな家にたどりついた。(略)

 その後で、知り合いの人に助けられた。医者も薬もないから、ココナツオイルとからしを傷につけておくだけだった。元気になったのは一年後だった。ヤシ油とからしだけでは、背中から胸に突き抜けた銃剣の傷が治らないので、アメリカ軍はマニラのジェネラルホスピタルに運んで治療してくれた。病院に6ヵ月入院してましたよ。

こちらは同年4月から5月にかけて、マニラ東方インファンタ地区一帯で「ゲリラ討伐」と称して行われた住民虐殺の中での事例[5]。

 バランガイ・キャプテン(注:村長)の家の近くで、油気のないぼさぼさ髪の主婦のソンニャ・ポハルテさんに会った。

 「私が7歳の時でしたよ、日本兵がここで虐殺したのは……。うちでは、母と妹三人に弟一人が殺されたんです。母は妊娠していたから、もう一人殺され、残ったのは父と私だけでした。

 日本軍はココナツの枯葉を燃やし、明かりの代わりにして家に来ると、眠っていた一歳の弟を足でけり、上に放り上げて銃剣で突き殺した。驚いて、父と私は飛び出して逃げたけど、後の者はみんな殺されてしまった。私は父とばらばらになって湿地に逃げ込んで震えていましたよ。父と会ったのは一週間後でした。その後で、ポレリオにボートで疎開したの。

 母や妹たちが急にいなくなったから、ときおり、思い出して泣きましたよ。妹と口げんかをよくしたけど、にぎやかな家が急に寂しくなってしまったの」

 「近所の人から日本人のあんたが来たと知らされた時は、また殺しに来たんじゃないかと思って、びっくりしたわ。昔の日本兵は残酷だったから恐くって恐くって。長い間恨みました。なぜ母を殺したんだと……」

加害証言
「赤ん坊の串刺し」を証言しているのは被害者側だけではない。加害者である日本軍側の証言もある。これは1937年12月、南京攻略戦途上の行軍中に起きた事件についての、陸軍第6師団輜重兵小隊長による証言だ[6]。

 約二十日ほど航海して、やがて杭州湾沖に停泊、杭州湾上陸作戦の開始となった。第一線部隊は上陸後、上海を占領。輸送部隊は上海へ迂回して上陸した。軍需物資、その他の装蹄準備に約一週間を費し、昭和12年11月30日に、南京へ向けて不眠不休の強行軍を開始した。

(略)

 約二十日間、輸送船の中で過ごし、消耗した直後の行軍であったため、兵も倒れんばかりであり、乗馬もことごとく輓馬に転用のやむなきにいたるほどの状態であった。

 まったく、兵と馬の疲労はその極に達していたのだ。将校の乗馬も、落伍者のために使われ、徒歩を強要されることもあった。

 兵は、過労と病気でつぎつぎと倒れていく。そして、兵が少なくなっても補充兵もなく、輸送は過重を強いられ、困難をきわめた。

 南京までの途中、通過する部落は、そのほとんどの家々が破壊され、焼き払われ、道路には敵兵の死体だけでなく、民間人の死体も数えきれないほどころがっていた。

(略)

 途中にころがる無数の死体の中でも、とくに婦女子の死体には、下腹部に丸太棒をつき刺してあり、目をそむけたくなるような光景であった。

 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。

 赤子は、声を出す間もなく、即死した。

 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに……。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。

 つねに、最前線をゆく兵士としてみれば、戦友の戦死等により、毎日が、生と死の間に身を置く状態である。自然と気も荒くなり、また、敵慌心も増すのであろう、死骸に対して、あるいは無抵抗の民間人に対して、さらには赤ん坊にまで目をそむけたくなるような仕打ちをしていく。

 だが、注意しても聞くような兵たちではなかったし、そのような状況ではなかったのだと思う。このように、行軍中あらゆる場所で、悲惨な状況が繰り広げられていた。

ちなみに、この証言が載っている『揚子江が哭いている』では「赤ん坊の串刺し」以外にも様々な残虐行為が告白されているが、同書のあとがきによれば、「これ以上は話せない」とか、「これが本になるのなら、やはり私は退かせて頂きたい」と取材を拒否されることも多かったという。加害証言が表に出るのは極めて稀有なことであって、語られないままに墓場に消えていった残虐事件が無数にあったことを忘れてはならない。

[1] 本多勝一 『中国の旅』 朝日文庫 1981年 P.105-106
[2] 同 P.199-202
[3] 石田甚太郎 『ワラン・ヒヤ 日本軍によるフィリピン住民虐殺の記録』 現代書館 1990年 P.240-241
[4] 同 P.274-276
[5] 同 P.384-385
[6] 創価学会青年部反戦出版委員会 『揚子江が哭いている ― 熊本第六師団大陸出兵の記録』 第三文明社 1979年 P.92-94

https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/10/29/095521
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c23

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
24. 中川隆[-14756] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:18:19 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[72]
2018-11-03
歴史学者を唸らせた素人
https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/03/122428

東中野修道の史料批判が立派?

自分はこんなに専門家の書籍や歴史資料を読んでいるし、厳密な史料批判のもとでマンガを描いているのだと小林よしのりは自慢する(BLOGOS 10/24)。確かに、歴史は歴史学者だけの専有物ではないし、史料批判で専門家の鼻を明かす素人がいてもおかしくはない。

ただし、小林よしのりにそれができるかと言えば、こんなことを書いていることからしてまあ無理だろう。[1]

 わしが今のところ東中野修道氏の『南京虐殺の徹底検証』を最も支持する理由は、何も個人的心証を元にしているわけではない。あくまでもこの歴史学的な見地における「史料批判」の文脈からなのである。(略)

東中野はこの著書『「南京虐殺」の徹底検証』で、一家九人のうち自分と妹一人を除く七人を惨殺された(自らも銃剣で刺され負傷した)夏淑琴さんを「ニセ被害者」呼ばわりしたあげく、名誉毀損で告訴され敗訴している。(2009年2月5日、最高裁が被告側の上告を棄却し敗訴確定。)

この裁判の東京地裁判決では、東中野の学問研究の姿勢について、次のような厳しい指摘がなされた。[2]

(略)判決では、東中野が書いた結論について、「通常の研究者であれば上記の不合理性や矛盾を認識し、再検討して他の解釈の可能性に思い至るはずであるが、被告東中野はこれらには一切言及しておらず、被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとはいえない」と指摘し『「南京虐殺」の徹底検証』を「学問研究の成果というに値しない」とまで明言している。つまり、南京事件の否定派の中心的論客である東中野は「通常の研究者」が行うような当たり前の検証をおこたっており、彼の著作は「学問研究の成果」とはいえないと断罪されたわけである。

裁判の判決に、わざわざ「学問研究の成果というに値しない」などと書かれる歴史学者というのも珍しいだろう。そんな東中野を高く評価するというのだから、小林の「史料批判」理解の程度も分かろうというものだ。

ちなみに、東中野の方法論のどこがダメかについては、笠原十九司氏が次のように明確に指摘している。[3]

 東中野の方法は、「大虐殺派」が根拠にしている史料に「一点でも不明瞭さ、不合理さ」が発見できれば、「大虐殺派」のつかっているのが四等史料、五等史料にすぎないことが「検証」できるというのが「徹底検証」の論理なのである。そこで「南京大虐殺派」の歴史書に使われた史料や証言を「一つ一つしらみつぶしに調べ」それが「一点の不明瞭さも不合理さもないと確認されないかぎり、(南京虐殺があった)と言えなくなる」、つまり「(南京虐殺はなかった)という間接的ながらも唯一の証明方法になる」としているのである。
 史料の一つ一つには不明瞭、不合理なものがあっても、他の史料と照合しながら史料批判をおこない、それでもこの史料からこのことは証明できる、とするのが歴史学の方法であるが、東中野にはわかっていない。というより、「南京大虐殺派」の研究を正面から批判できないので、膨大な引用史料の一つでも批判できれば全体の信憑性が批判できるという否定のための否定の方法をつかっているのである。

歴史学者を唸らせ反省させた小野賢二氏の業績
ところで、近現代史の専門家たちを唸らせ、反省させた素人は実在する。NNNドキュメント『南京事件 兵士たちの遺言』『南京事件II 歴史修正を検証せよ』でも紹介された「化学労働者」小野賢二氏である。吉田裕一橋大学助教授(当時)が次のように書いている。[4]

 このような現実(注:公的記録の組織的廃棄・隠蔽・表現の歪曲等)があるため、戦争犯罪を立証するためには、その犯罪の直接の実行者であった人々の記録を調査することがきわめて重要なこととなる。南京事件に即していえば、第一線の小・中隊長クラスの下級将校、下士官や兵士の陣中日記や回想録などの諸記録である。ところがこのような記録類は基本的には個人の記録であるため、国会図書館・公文書館・防衛庁戦史部などの公的史料館に保存されている例はほとんどない。その多くは個人の手に残されたままで、いわば「死蔵」されているか、本人や遺族の手で処分されている可能性が高いのである。
 各種の史料館に保存されている公文書などの文献史料だけに基づいて研究をすすめるというスタイルが体質と化してしまった私たち「職業的」訓練をうけた「専門研究者」の場合、このような現実に直面した時点で、まるで金しばりにあったように足がとまってしまう。個々人の、それも誰とも特定できない人々が所持している資料を探し歩くなどという気が遠くなるほどの労力と気力を要する非効率的な作業を想像しただけで足がすくんでしまうからである。
 小野賢二さんは、私たちが跳びこえることもせず跳びこえようともしなかった大きな溝を実に淡々と踏みこえていった。戦友会の名簿をほとんど唯一の手ががりにしながら、二◯◯名近い元兵士の人々を次々に訪ね歩き、その中から第六五連隊による捕虜の虐殺を確実に立証する陣中日記などの重要資料を発掘していったのである。
 小野さんの仕事は、南京事件の実態解明に大きな貢献をしただけでなく、ともすれば文献史料至上主義におちいりがちな私たち研究者のあり方をも鋭く問うものになっているように思う。

小野氏の業績とその意義については、いくら強調しても強調し足りないほどだ。

消えていく記録と記憶
その小野賢二氏が、南京大虐殺関連の陣中日記を探し求める過程で遭遇した、こんなエピソードを書いている。[5]

 こんなことがあった。ある資料で陣中日記の存在は分かっていた。だが住所や存命しているかどうか、所属中隊も分からなかった。諦めていた頃、偶然ある当事者から名前が飛び出した。住居を探し出し、生存していることも分かった。
 そのS氏は快く受けいてくれたが、捕虜虐殺の事実は最初から否定した。行き場をなくした俺は仕方なく陣中日記の件を切り出してみた。自分で書いた陣中日記の存在すら忘れていたようだ。本人は何を言っているのだという顔をした。俺は再度関係者の名前を出してみた。S氏ははっと気がついたらしく奥の部屋に引きこもったままなかなか出てこない。ようやく出てきたS氏が持ち出してきた大きな段ボール箱には戦争中の資料がびっしり詰まっていた。その中に陣中日記が三冊含まれていた。
 ところがである。関連部分を読んでいたS氏は突然、陣中日記をぱたっと閉じてしまい、「俺は絶対だれが何と言おうとこれは見せられない。絶対みせられないんだ」と自分に言い聞かせるように言って、再び段ボール箱にその陣中日記をしまい込んでしまった。その後、何度か交渉を試みたが、拒否され続けている。
 自分の書いた陣中日記で虐殺情景を蘇らえせたS氏の表情に、見てはならないものを見てしまったと俺は思った。

80年の時を経て、体験者のほとんどは既に亡くなっており、彼らの死とともにその記憶も消えている。小野氏のような人々が探し出した記録も、当時書かれたもののほんの一部でしかなく、また書かれたものをすべて合わせても、当時実際に起きたことのほんの一部でしかないことを忘れてはならない。

[1] 小林よしのり 『歴史を歪めるのは誰か 学者・知識人へのわが一撃!』 正論 2000年6月号 P.72
[2] 俵義文 「政治家・メディアと南京事件」 戦争責任研究 2007年冬季号 P.57
[3] 笠原十九司 『南京事件論争史』 平凡社新書 2007年 P.247
[4] 吉田裕 「兵士たちの陣中日記――小野賢二さんの仕事」 週刊金曜日 1993年12月10日号 P.7
[5] 小野賢二 「南京事件の光景――歩兵第六五連隊兵士の『陣中日記』を追って」 週刊金曜日 1993年12月10日号 P.12-13

https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/03/122428
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[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
25. 中川隆[-14755] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:20:51 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[73]
2017-01-28
ヘイト番組『ニュース女子』でも使われた「取材もどき」は史実否定派の伝統芸
https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/01/28/132750

放送法違反のヘイト番組「ニュース女子」
井上和彦による沖縄現地「取材もどき」
南京大虐殺否定本の「取材もどき」
放送法違反のヘイト番組「ニュース女子」
年明け早々の1月2日に流された、TOKYO MXテレビ『ニュース女子』はひどかった。

番組冒頭から沖縄の基地反対運動を誹謗中傷するデマの連続。そのひどさは、このパートの終りまで1分たりともデマのない部分はなかったと言っていいほどだ。明らかに放送法第4条3項「報道は事実をまげないですること」に違反している。こんなヘイト番組が公共の電波を使ったテレビで流されるなど、到底許されることではない。

番組内で垂れ流されたデタラメを逐一指摘していったらきりがないので、それは以下のようなまとめを見ていただくことにして、ここではこの番組で行われた「取材」を取り上げることにする。

togetter DHCが提供する最凶ネトウヨ番組「ニュース女子」、地上波で沖縄ヘイト:前編
togetter DHCが提供する最凶ネトウヨ番組「ニュース女子」、地上波で沖縄ヘイト:後編
togetter DHCが提供する沖縄ヘイトの最凶ネトウヨ番組「ニュース女子」が「検証」でデマ隠し
NAVERまとめ TOKYO MX「ニュース女子」が沖縄ヘイトデマを垂れ流すなどひどかった模様
NAVERまとめ TOKYO MX「ニュース女子」が沖縄ヘイトデマ垂れ流しで炎上した件のその後
NAVERまとめ のりこえねっとがニュース女子への抗議文公表。この機会に沖縄ヘイトの一つである日当デマについて解説
井上和彦による沖縄現地「取材もどき」
この回で沖縄を「取材」してみせたのは自称「ジャーナリスト」の井上和彦だ。しかし、井上の「取材」はまったく信用に値しない。たとえば井上は、シンガポールを取材し、現地で見たという山下泰文大将の銅像や戦跡記念碑を根拠に、シンガポールなどアジア各国は日本が「アジア独立のために戦ってくれた」ことに感謝している、と主張している[1]。しかし、これがデタラメであることは現地を確認した山崎雅弘氏やシンガポール在住のうにうに氏の検証[2][3]を見れば一目瞭然だ。(この件については私も以前関連記事を書いた。)

今回の『ニュース女子』でも、井上は東村高江のヘリパッド建設現場から約40Kmも離れた二見杉田トンネル(名護市)手前で車を停め、反対派の暴力が危険だから現場に入れないという、虚偽のアピールをしている。

井上:えー、二見杉田トンネルの手前までやってきたんですけれども、ここはですね、辺野古よりさらに北のほうにに来たところなんですけれども、実はですね、このトンネルをくぐっていきますと、米軍基地の高江、ヘリパッドの建設現場ということになります。

ニュース女子

井上:実は、ここに来る前に、ほうぼうからですね、今ここは、ちょっと我慢してほしいと…

ナレーション:高江に向かっているロケの途中、地元関係者から、高江ヘリパッド建設現場が緊迫してトラブルに巻き込む可能性があるので、今回の撮影を中止すべきだ、との要請があり、残念だが井上さんにはロケを断念してもらうことに。

井上:このトンネルの手前で、私は、はるばる羽田から飛んできたんですけど、足止めをくっているという状況なんですよ。

ニュース女子

二見杉田トンネルから高江の現場までは、車で普通に走っても1時間かかる。取材と言いつつ実際には現場に近寄りもせず、虚偽の情報を流して印象操作をする。井上の「取材」は、視聴者にリアリティを感じさせて説得力を増すための手段でしかない。ちなみに、ロケ断念の映像を撮る場所としてここを選んだのは、暗く長いトンネルが「異界への入口」的な印象を与えることを計算した上でのことだろう。

南京大虐殺否定本の「取材もどき」
しかし、自称「ジャーナリスト」によるこの手の「取材」は、井上の発明品ではない。たとえば40年以上も前の『「南京大虐殺」のまぼろし』で、鈴木明が同じようなことをしている。

南京攻略戦の途上で百人斬り殺人競争を行った向井・野田両少尉は、戦後、国民党政府により戦犯として裁かれ、処刑された。『「南京大虐殺」のまぼろし』は、この百人斬り競争が新聞記者によるでっち上げだったかのように印象づけることでこれを否定し、そうすることで南京大虐殺自体をも「まぼろし化」しようとした否定本である。



鈴木は、台湾の現地取材を行って両少尉に死刑判決を下した南京軍事法廷の石美瑜裁判長(当時)にインタビューし、次のように書いている[4]。

 目ざす石裁判長を訪問することのできたのは、帰国する日の昼頃であった。わずか四日間の滞在中に、台湾人のインテリであるSさんが、実に物凄い熱心さで石氏と推氏の消息をたずね、そしてツテからツテを求めて紹介状をもらってきてくれたのである。(略)

 石氏は、想像していたような尊大な人物では決してなかったが、「南京事件」ときくと、やはり一瞬顔をこわばらせた。しかし、僕が、「向井少尉ゆかりの者である」という説明をすると、彼は直ちに「おお向井、よく憶えている。大きな軍人、いつも堂々としていた」と日本式の敬礼のジェスチュアをし、それから北京語でペラペラと話しはじめた。

 通訳のRさんは、石氏の北京語について行こうと必死だった。(略)

 残念ながら、わからないのである。しかし、僕は「わかりません」とはいえなかった。それをいえば、全然話が進まないのである。石氏は食事を交えて、二時間余りも、僕の為に時間を割いた。「ミスター向井の息子なら大きいだろう」というところはわかった。だが、こと裁判のことになると、全く細かいことは理解できないのである。(略)

 僕の唯一の武器は、小型のテープレコーダーであった。東京に持ち帰ったテープを解読するのに、実はまた時間がかかった。北京に二十年居たという中国語の先生も、このテープをきいて「この、ひどい上海訛は私にはわかりません」と匙を投げたのである。結局、これを解読してくれたのは、上海生れの日本語のできる在日華僑であった。

        「国のために死んだのです」

 テープの中で、石氏はこういっていた。

 「終戦のとき、中国には百万位の日本軍がいたが、約二千人の戦争犯罪人を残して、すべて帰国させた。しかも、その二千人の中で実際に処罰されたのは数百人で、死刑になったのは、数十人である。(略)この百人斬り事件は南京虐殺事件の代表的なもので、南京事件によって処罰されたのは、谷中将とこの三人しかいない。南京事件は大きな事件であり、彼等を処罰することによって、この事件を皆にわかってもらおうという意図はあった。無論、私たちの間にも、この三人は銃殺にしなくてもいいという意見はあった。しかし、五人の判事のうち三人が賛成すれば刑は決定されたし、何応欽将軍と蒋介石総統の直接の意見も入っていた。私個人の意見は言えないが、私は向井少尉が日本軍人として終始堂々たる態度を少しも変えず、中国側のすべての裁判官に深い感銘を与えたことだけはいっておこう。彼は自分では無実を信じていたかも知れない。彼はサムライであり、天皇の命令によりハラキリ精神で南京まで来たのであろう。先日の横井さんのニュースをきいた時、私はこれら戦犯の表情を思い出した。

(略)

 昔中国は日本と戦ったが、今はわれわれは兄弟だ。われわれは憶えていなければならないこともあるし、忘れなければならないこともある。最後に、もし向井少尉の息子さんに会うことがあったら、これだけいって下さい。向井少尉は、国のために死んだのです、と――」

鈴木が台湾「取材」をした翌年(1973年)、ジャーナリストの和多田進が同じく台湾に渡って石氏にインタビューし、検証取材を行っている[5]。同じ人物へのインタビューなのに、そこから受ける印象はまったく違う。

 私は『「南京大虐殺」のまぼろし』が単行本になって発売された1973年、台湾に行って鈴木氏の本にも出てくる石美瑜氏(南京裁判の判事のひとり)にインタビューしました。石氏のほか、『還俗記』という著書をもつ元軍人、鈕先銘氏にも会って、南京陥落当時の話を聞きました。

(略)

 私の通訳には、台湾政府の新聞司の人が当たってくれました。台湾生まれの人でしたが、上海なまりがひどいと鈴木氏がいう石氏との会話に、なんの不自由もありませんでした。石氏の話によって、鈴木氏が身元をごまかし、取材目的も告げずに会っていることがわかりました。これではインタビューは成立しないはずです。石氏の事務所での小一時間ほどのインタビューにおける石氏の発言を要約して書けば以下のようになります。

 (略)

 (3)――南京裁判は、裁かれる人間の地位・階級に関係なく、事実によって処理されました。確証に重点をおき、証拠があって逃れようのない者だけを有罪にしました。

 (略)

 (5)――鈴木明という日本人を私は知りません。『「南京大虐殺」のまぼろし』という本も私は読んでいません。

 (6)――昨年(1972)、向井か野田の息子の友人だという人物か、息子本人か、詳しいことは忘れたが、そういう日本人が私を訪ねてきたことは記憶しています。

 (略)

 (10)――殺人については彼ら(注:向井・野田両少尉)は否定しました。戦争だから人を殺すのは仕方ないのだと二人は主張しました。

 (11)――二人は夫子廟までの間に「百人斬り」競争をしたと記憶するが、これは明らかに戦争の範囲を逸脱していました。

 (12)――裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、二人はブランデーを賭けていたということです。

 (13)――二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそらく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義はとらなかったということです。

 (略)

 もうこのくらいでよいだろうと思います。通訳もきちんと用意せずに台湾まで出かけ、南京事件を「まぼろし」にしようというのですから、大変な度胸というほかはないと思います。(略)

 実は、台湾には南京事件当時を語ることができる元軍人がまだ何人も生存しているのです。鈴木氏は、台湾に四日間も滞在して石裁判官にしか会っていないのでしょうか。もし本当に南京事件の真相、「百人斬り」の真相を究明したかったのなら、そうした元軍人たちに対する取材こそ不可欠だったのではないかと思うのです。「過去現在のマスコミのあり方に対」して怒る(あとがき)のは結構ですが、ごく普通のマスコミやジャーナリストならばこの程度の取材は常識なのです。

 とにかく、鈴木氏の台湾取材はズサンのそしりをまぬかれぬものだと思います。私程度のジャーナリストでも、この程度のことはやっています。

主張にリアリティを与えるためだけに行う恣意的な「取材もどき」は、昔からの史実否定派の伝統芸なのだ。もっとも、鈴木明と井上和彦を比べてみれば明らかなように、この分野でも彼らの質の劣化は激しい。
 
[1] 『「アジアの日本評価を知るべし」シンガポールに山下大将像 比では特攻隊式典も ジャーナリスト井上和彦氏』 産経West 2016.2.17
[2] togetter シンガポールと「大東亜戦争」と「昭南島」について 《山崎雅弘》
[3] 今日もシンガポールまみれ 井上和彦氏「日本が戦ってくれて感謝しています」をシンガポールで検証する
[4] 鈴木明 『「南京大虐殺」のまぼろし』 文藝春秋 1973年 P.103-106
[5] 和多田進 『鈴木明氏の「取材」を取材する』/藤原彰・本多勝一・洞富雄編 『南京事件を考える』 大月書店 1987年 P.194-197

https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/01/28/132750
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c25

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
26. 中川隆[-14754] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:22:34 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[74]
2018-05-27
「南京大虐殺」への脊髄反射で飛んできたクソリプを観察する
https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/27/102619


南京大虐殺の最中にも日本兵が赤ん坊を串刺しにした事例があったよ、という記事を書いてTwitterでつぶやいたところ、さっそくクソリプが飛んできた。

半年ほど前、もっと多くの事例について書いたこちらの記事には反応がなかったので、恐らく記事タイトルに入っている「南京大虐殺」に脊髄反射して飛ばしてきたのだろう。


面白いので、果たしてどんな文句をつけてきたのか観察してみた。

呆れたねぇ。バトルオブチャイナの空飛ぶ赤子を串刺しするシーンを本当に信じてるのかねぇ。このような【証言】が【根拠】にならない事は、【当時儂は南京戦で戦っていた】と書いて居ることと均しいのだがねぇ。やれやれ。 https://t.co/NAbZyJHcPI

— sibuta (@subutano) 2018年5月23日
バトルオブチャイナ?なんて見たこともないし、日本兵側の証言もあれば中国以外の事例もあるのでそんなもの関係ないのだが、恐らくこれしかケチをつけるネタが見つけられなかったのだろう。

ところで、実は下のように「昔見た映画のシーン」を根拠に「便衣兵ガー」とわめいている人が実際にいるのだが[1]、こちらには抗議しなくていいのだろうか?

昔見た映画のシーンに こんなのがあった

日本兵が大陸の田畑の中の道を歩いていると……

むこうから来る農民とすれ違う

気軽にあいさつを交わし たわむれに作物をかじる

すれ違ってしばらく経った時…

後ろから農民たちが撃ってくるのだ!

彼らは農民に化けた便衣兵だったのだ!


他にはこんなリプも。


撫順や太原での抑留を経て戦争犯罪の認罪に至った中帰連の人たちは南京戦など経験していない(ので告白もしていない)のだが、この人は何を言っているのか?


日本兵が赤ん坊を殺した事例が一つあったと指摘すると、南京では赤ん坊を皆殺しにした(と主張している)ことになるらしい。

「呆れたねぇ」はこちらのセリフである。ネトウヨというのは、本当に教育の失敗事例としか言いようがない。

[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.118-119

https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/27/102619
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c26

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
27. 中川隆[-14753] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:24:26 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[75]
2016-12-30
小林よしのり徹底批判(10)南京には便衣兵などいなかった
https://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/30/113911

南京に便衣兵がいないと都合が悪い右派たち
小林が言う「便衣兵」は単なる敗残兵
【卑劣】助命すると言って投降させた捕虜を殺した日本軍


南京に便衣兵がいないと都合が悪い右派たち
「便衣(biànyī)」とは、中国語で軍服ではない民間人の服装を指す。つまり「便衣兵」とは、平服を着たまま戦闘行動を行うゲリラ兵を意味する。

しかし、当時の南京にゲリラなどいなかったことは、南京大虐殺について多少なりとも調べたことのある人にとっては常識と言っていいだろう[1]。

(略)「便衣兵」とは民間人の平服を着用して、単独または小グループでゲリラ的な戦闘行動をおこなう戦闘者のことで、民兵や義勇隊もこれに属した。上海戦においては市民や学生も抗日戦に参加し、そのような「便衣兵」や「便衣隊」が存在したが、南京においては、そうした民衆の側の武装組織はなかった。南京で日本軍が「便衣兵」とみなしたのは、戦闘意欲を失って武器と軍服を捨てて市民や難民のあいだに逃げこんだ敗残兵であって、本来の「便衣兵」ではなかった。

ところが小林ら右派は、何とかして南京にも便衣兵がいたことにしようとする。それはそうだろう。南京における虐殺被害者の大きな部分を「便衣兵狩り」で狩り出された敗残兵や兵士と誤認された民間人が占めている以上、南京にも便衣兵がいた(そして日本軍に脅威を与えていた)ことにしなければ、大虐殺の存在とその犯罪性を否定しようがなくなるからだ。

小林が言う「便衣兵」は単なる敗残兵
では、どうやって南京における「便衣兵狩り」被害者の殺戮を正当化するのか、『戦争論』における小林の手法を見てみよう。これがなかなか傑作なのである。

まず小林は、徹底的にゲリラを卑怯者扱いする[2]。

この戦いは 近代戦の歴史の中でも 日本が初めて経験した 便衣兵との戦いであった

便衣兵――つまりゲリラである

軍服を着ていない 民間人との区別がつかない兵である

国際法では ゲリラは殺してもよい

ゲリラは 掟破りの卑怯な手段だからである

もちろん国際法はゲリラは卑怯だから殺してよいなどとは言っていないのでこれだけでも噴飯モノなのだが、次はもっとすごい。

昔見た映画のシーンに こんなのがあった

日本兵が大陸の田畑の中の道を歩いていると……

むこうから来る農民とすれ違う

気軽にあいさつを交わし たわむれに作物をかじる

すれ違ってしばらく経った時…

後ろから農民たちが撃ってくるのだ!

彼らは農民に化けた便衣兵だったのだ!

それって、映画だろう…(呆

だったら逆に、中国の抗日映画に出てくるシーンを根拠に日本軍の残虐性を主張したら小林が何と言うか、聞いてみたいものだ。

そして、これもデタラメな呉淞桟橋での襲撃事件などでさらにゲリラへの憎悪を煽っておいて、南京での「便衣兵」をこう描写する[3]。

あの南京事件の時 国民党軍の兵がどんな有様だったのか 「ニューヨーク・タイムズ」のダーディン記者が記事にしている 次のように…
 
 一部隊は銃を捨て軍服を脱ぎ 便衣を身につけた。
 記者が十二日の夕方、市内を車で回ったところ、一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。
 多くの兵士は下関シャーカンに向かって進む途中で軍服を脱いだ。
 小路に走りこんで便衣に着替えてくる者もあった。
 中には素っ裸となって 一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた。
 軍服とともに武器も遺棄されて 街路は小銃・手榴弾・剣・背囊・軍服・ヘルメットでうずまるほどであった。
 
兵が同胞の一般市民の服をはぎ取って化ける!
なんという卑劣さ…!

「卑劣」もなにも、引用されている記事の中身を見れば、兵たちは軍服だけでなく武器まで洗いざらい捨てているではないか。戦闘意欲を失い、武器を捨て、ただ逃げ隠れしているだけの元兵士たちはゲリラなどではあり得ない。単なる敗残兵・逃亡兵である。引用部分にこう書いてあるのに、小林が描く無根拠な絵面と断定的な論調に引きずられて南京にも便衣兵がいたと思い込んでしまうような人は、読解力にかなり問題のある「純粋まっすぐ君」だろう。

【卑劣】助命すると言って投降させた捕虜を殺した日本軍
ちなみに、普通に考えれば、国民党軍の兵士たちは逃げ隠れなどせず投降すればよかったはずである。しかし、当時の日本軍は、投降すれば命を助けてくれるような「普通の」軍隊ではなかった。第114師団歩兵第66連隊第1大隊の戦闘詳報にはこうある[4]。

[12月12日午後]

 第三中隊方面は大なる抵抗を受くることなく予定の通り進捗せり
 午後七時頃手榴弾の爆音も断続的となり概ね掃蕩を終り我が損害極めて軽微なるに反し敵七〇〇名を殪たおし捕虜一、五〇〇余名及多数の兵器弾薬を歯獲し該方面に遁入南門城扉を鎖され退路を失いし敵を城壁南側「クリーク」の線に圧迫し殆んど殲滅し其策動を封ずるを得たり
 最初の捕虜を得たる際隊長は其の三名を伝令として抵抗断念して投降せば助命する旨を含めて派遣するに其の効果大にして其の結果我が軍の犠牲を尠すくななからしめたるものなり
 捕虜は鉄道線路上に集結せしめ服装検査をなし負傷者は労はり又日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ更に伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり
 一般に観念し監視兵の言を厳守せり

(略)

[12月13日午後]

 午後二時零分聯隊長より左の命令を受く

   左 記

 イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
   其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何

(略)

 午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換をなしたる結果 各中隊(第一第三第四中隊)に等分に分配し監禁室より五十名宛連れ出し、第一中隊は路営地南方谷地 第三中隊は路営地西南方凹地 第四中隊は露営地東南谷地附近に於て刺殺せしむることとせり

 但し監察室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知されざる如く注意す

 各隊共に午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り 聯隊に報告す

 第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり

 捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首を差し伸ぶるもの 銃剣の前に乗り出し従容とし居るもありたるも 中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり 特に隊長巡視の際は各所に其の声起れり

「投降すれば殺さない」と宣伝して多数の捕虜を得たのに、翌日にはこの捕虜たちを有無を言わさず皆殺しにしてしまったわけだ。これでは、たとえ民間人から略奪してでも便衣に着替えて隠れようとするだろう。

「卑劣」とは、こういう行為のことを言うのではないのか?
 
[1] 笠原十九司 『南京事件』 岩波新書 1997年 P.170-171
[2] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.118-119
[3] 同 P.128-129
[4] 南京戦史編集委員会編 『南京戦史資料集』 偕行社 1989年 P.667-674
https://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/30/113911

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c27

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
28. 中川隆[-14752] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:27:03 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[76]
2018-05-23
南京大虐殺の最中にも赤ん坊を串刺しにしていた日本兵
https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/23/213213


ネットではもっぱら「反日」中国のプロパガンダだ、でっち上げだと主張されている「日本兵が赤ん坊を銃剣で串刺しにした話」だが、中国でもフィリピンでも、実際にそういうことが行われた、という証言がいくつもある。

先日、そうした事例を集めて上の記事にまとめたのだが、もう一事例見つかったのでメモ。

こちらは、南京大虐殺の真っ最中に行われた事例についての目撃証言である。目撃したのは張秀紅さん(女性・当時11歳)、時期は1938年2月頃、場所は南京城の西南郊外である[1]。

 趙家苑に逃げるとき、ふとんや米を持っていきました。冬なのでクリークの中は水が少なく、そこに隠れていました。夜になるとごはんを作り、布の袋に入れておき昼にお腹がすくとその袋の中から出して食べ、のどが渇くとクリークの水を手ですくって飲みました。クリークの中で十日間以上いました。その期間中に二〜三回日本兵が若い娘を強姦するのをこの目で見ました。クリークから出て見ると大きな広場に、鍋底の墨を顔に塗り、古い綿入れの服を着た数十人の若い娘を並べ、日本兵がきれいな顔をした娘数人を選んで顔を洗わせ別の場所に連れていきました。残った娘はその場で機関銃で撃ち殺されました。
 もうひとつクリークから見た日本兵の暴行があります。三〜四人の一歳にも満たない赤ちゃんを日本兵が面白がってお尻から銃剣をさしこんで持ち上げました。空中で振り回し赤ちゃんが泣き叫ぶと別の見学していた十数人の日本兵たちが笑い、拍手していました。赤ちゃんが(死んで)泣き止むと、放り投げて捨てました。また、他の赤ちゃんを刺し貫き持ち上げて遊んでいました。こういうことを三〜四人の赤ちゃんにつづけてやりました。

張秀紅さんは、数々の残虐場面を目撃させられただけでなく、まだ11歳だったのに日本兵に強姦された性暴力被害者でもある[2]。

 しばらくすると村のみんなから沙州圩の方が安全になったと聞いて、村の人たちと一緒に戻りました。ある日突然日本兵が家にやってきました。私はまだ子供ですからおじいさんが私を守るために私を抱きしめ日本兵に渡すまいと抵抗しました。日本兵はおじいさんの背中を銃剣で突付きました。「もう離して、離さないと二人とも殺される」。私は子供だからおじいさんが殺されたら私も生きていけない、助かるわけがない、ふたりとも殺されるなら一人のほうがまだましだから……と思い、私は日本兵にとなりの空き家になっている部屋に連れて行かれました。日本兵は私をベッドに倒すと服を脱がせました。日本兵は無理やり股(性器)を強く開きました。苦痛でした。私は気絶し強姦されました。日本兵が去って行ったのも知りませんでした。とおじいさんは血がいっぱい出ている私の足を閉じて縄で股をしっかりしばり、お腹をさすって揉んでいてくれました。意識が戻ってくるとおじいさんは、私を抱きしめてこんな被害を受けて、と泣きながら一生懸命言ってくれました。長い間足は全然動けない状態でした。七十年も経っても天気の悪い日には後遺症が出て痛みます。座っていると立ち上がれません。まだあの時は十一歳でしたから、あまりにも傷が大きかったのです。

張秀紅さんは事件から70年後の2007年、ようやく南京大虐殺の生存者として名乗り出た[3]。日本での証言集会でも話をしているが、最初は「日本に行ったら殺される」と固辞していたという。そして2016年、90歳で亡くなられた。

70年もの間語り得なかった、日本軍によって強いられた少女時代の過酷な体験が彼女の人生をどれほど辛いものにしたか、「普通の日本人」には想像もつかないだろう。

[1] 松岡環 「南京 引き裂かれた記憶」 社会評論社 2016年 P.156
[2] 同 P.156-157
[3] 「南京大虐殺70周年記念会議開催 生存者の証言も」 人民網日本語版 2007/11/24

https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/23/213213
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c28

[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
29. 中川隆[-14751] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:29:37 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[77]
2017-08-17
中国人は日本軍を歓迎した? そりゃするだろう。逆らえば命がないんだから。
https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/08/17/203943

【卑劣】学び舎教科書採択校に右派が集団攻撃
侵略軍を現地住民が「歓迎」するのは当然の生存戦略
しかし、相手が悪ければいくら「歓迎」しても無駄


【卑劣】学び舎教科書採択校に右派が集団攻撃
難関校として有名な私立灘中(神戸市)をはじめ、学び舎の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」を採用した中学校に、右派からの抗議・恫喝が殺到しているという。

毎日新聞(8/8):

教科書 慰安婦言及 灘中など採択学校に大量の抗議はがき

 慰安婦問題に言及する歴史教科書を採択した全国の国立、私立中学校のうち判明しただけで11校に昨年、内容が「反日極左」だとして採択中止を求める抗議のはがきが大量に送られていた。「執拗(しつよう)な電話もあり脅迫のようで怖かった」と語る教諭もいる。(略)

 慰安婦問題を取り上げたのは、出版社「学び舎」(東京都)発行の検定教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。この教科書について、産経新聞は昨年3月19日朝刊で「中学校の歴史教科書のうち唯一、慰安婦に関する記述を採用」「最難関校を含む30以上の国立と私立中が採択」と報じ、神戸市の私立灘中学校などの名前を挙げた。

(略)

 和田校長によると職員の話し合いで採択を決めて間もない2015年12月、自民党の兵庫県議から「なぜ採択したのか」と聞かれた。「OB」や「親」を名乗る匿名の抗議はがきが舞い込み始めたのは16年3月ごろ。大部分は、中国での旧日本軍進駐を人々が歓迎する場面とみられる写真を載せた絵はがきに抗議文をあしらった同一のスタイルだった。

 さらに、差出人の住所や氏名を明記し抗議文をワープロ印刷したはがきが大量に届き始めた。やはり大部分が同一の文面で、組織的な抗議活動をうかがわせた。地方議員や自治体の首長を名乗るはがきもあり、抗議は半年間で200通を超えた。和田校長は取材に「検定を通った教科書なのに政治家を名乗ってはがきを送ってきたり、採択した学校の名前を挙げて問題視する新聞報道があったりして政治的圧力を感じた」と振り返る。

(略)

抗議はがきの主な内容

 学び舎の歴史教科書は中学生用に唯一、慰安婦問題(事実と異なる)を記した「反日極左」の教科書だとの情報が入りました。将来の日本を担う若者を養成する有名エリート校がなぜ採択したのでしょうか。反日教育をする目的はなんなのでしょうか。今からでも遅くはありません。採用を即刻中止することを望みます。

灘中のような難関校で学び舎の教科書が選ばれたのは、単純にその内容が優れていたからだ。


その教科書の内容が気に食わないからといって、親やOBと称して匿名で採択校に集団的・組織的攻撃を行う。いつもながら卑怯なやり口だ。

侵略軍を現地住民が「歓迎」するのは当然の生存戦略
ところでこの人たちは、中国で日本軍が歓迎されていた「証拠写真」があるから日本軍による残虐行為は嘘だと言いたいらしい。妄想力だけは十分以上にあるのにまともな想像力がないからそんな写真に飛びつくのだろう。

考えてもみればいい。自国軍は既に後退し、丸裸となった街や村に侵略軍が進軍してくる。身を守るために無力な住民にできることは何か? 全財産を失い難民となることを覚悟の上で逃げ出すか、侵略軍に迎合して被害の最小化を図るか、選択肢はこの二つしかないだろう。実際、南京攻略戦の途上で日本軍の進撃路にあたった不幸な街や村の多くは後者の戦略をとった。



一口に日本軍と言っても、部隊によってその資質は様々だったから、やってきた部隊が比較的まともな部類であれば、大事な食糧をごっそり「徴発」される程度で済む場合もあった。

黒須忠信(上等兵・仮名)日記[1]:

[11月22日](略)陳家鎮に午后五時到着、米味噌醤油等の取集めで多忙な位である、或は濡もち米を徴発或る者は小豆をもって来て戦地にてぼた餅を作っておいしく食べる事が出来た、味は此の上もなし、後に入浴をする事が出来て漸ようやく我にかへる、戦争も今日の様では実に面白いものである、(略)

[11月23日] 午前四時起床、出発準備を整ひ食事をすます、陳家鎮の支那家屋では日の丸国旗を揚げて日本に好意を表し我が軍の行軍通路には藁等をす[し]きて援助をする処さへあった(略)

[11月25日](略)午后四時祝塘郷に着して宿営す、(略)我等五分隊二十四名は宿舎に着く毎ごと大きな豚二頭位宛あて殺して食って居る、実に戦争なんて面白い、酒の好きなもの思ふ存分濁酒も呑む事が出来る、漸く秋の天候も此の頃は恵まれて一天の雲もなく晴れ渡り我等の心持も明朗となった。

とはいえ、反抗などしたら命はない。

近藤栄四郎(伍長・仮名)日記[2]:

[11月16日] 五時起床にて朝食の準備して六中隊段列を誘へ[ひ]たるも出発の時間ある様なるに就き一足先に出発する、(略)此先どの位行進なすやら見当つかぬ為某町らしき処にて宿る。

 途中敗残兵の屍体等参見する、(略)支那民を使って荷物を負はせ服従しなければ直ちに射殺であるから仕方なくついて来る、でも処々に屍体あり、また行軍中も射殺実況を見た事も数度、戦敗国の惨。

 団子等して食ふ、途中食物や砂糖等徴発しての行軍等今日も八里位か。

 隣りに支那人の男六十位と女一人と女病人一人がゐる、火などたかせる、彼等の恐怖心や如何程ならん。(略)

しかし、相手が悪ければいくら「歓迎」しても無駄
しかし、相手が悪ければ、もちろんこんな程度では済まない。以下は南京市から東へバスで30分ほどのところに位置する村での事例[3]。

 (略)山へ避難した光秀さんら女性たちが村へもどったのは14日だが、あくる15日、村人たちは集まって、日本軍が村に現れたときの対応の方法を相談した。「歓迎大日本」と書いた旗をたてて迎えれば、家を焼かれないし虐殺もされないという噂をきいていたので、その準備をした。

 許巷村は200戸ちかくあって、その多くは道路ぞいに東西に細長い街村状に並んでいた。16日の午後、村はずれで見張りに出ていた親戚のおじが「日本軍が来た!」と叫んで村に知らせた。かねて打ち合わせておいたとおり、村の男たちは「歓迎大日本」の旗を何本もかかげ、村の道の両側に並んで出むかえた。光秀さんは寝台の下にかくれ、その前に木の肥たご(糞尿を運ぶ桶)を置いた。(略)外は騒然となっていたが、かくれているので何が起きているのか分からない。(略)

(略)

 村人たちが「歓迎大日本」の旗とともに出むかえたところへ到着した日本軍は、歓迎に応ずるどころか、その旗を奪って近くの積み草にさすと、男たちを並べていろいろ検査した。帽子のあとなどをみて兵隊かどうかを調べたらしいのだが、結局は兵役年齢に相当すると勝手に判定された若者が全部選ばれて100人くらいになり、そのなかに弟の陳光東(16)もいた。細長い村の中では比較的西の方の家の者が多かった。

(略)

 田んぼに連行された青年たちは、たがいに向きあってひざまずく格好で二列に並ばされた。この田んぼは陳家のもので、約0.8畝ムー(50平方メートル弱)のせまい面積だった。青年たちの列の一部は、L字状に道路ぎわの土手ぞいに並ばされた。そのまわりをとりかこんだ日本軍は、銃剣で一斉に刺殺した。死にきれず何度も刺され、「助けて!」と叫ぶ青年もいた。

(略)

 集団虐殺が行なわれたのは午後4時ごろだった。女たちは家で寝台の下などへかくれていたが、午後5時ころになって「沈」の妻(35,6歳)は夫のことが心配になり、様子を見るため虐殺現場のそばの「史」家へ行き、そこで惨劇を知らされた。夫もその弟も殺されて、彼女は声をあげて泣きながら外へ出た。まだいた日本兵がこれを見つけ、虐殺現場に近い池のそばへ連行し、強姦してから殺した。

(略)

 光秀さんの母は9人の子供を産んでいたが、男の子ばかり4人が死に、育った5人のうち光東は最後の男の子だったので特にかわいがっていた。その光東も夫も殺されたため、悲しみのあまり発狂状態になり、深夜に外へ出て大声で叫んだり、疲れると道ばたで寝てしまったりするようになった。頭にはれものもでき、翌年の春死んだ。

 集団虐殺や強姦などで地獄絵と化した許巷村は、これでは今後もどうなるか見当もつかないので、若い女性はみんな避難することになった。あくる12月17日、光秀さんも妹をつれて、棲霞というところにアメリカ人がつくった避難所へ、ほかの200人ほどの女性たちとともに行った。この日は光秀さんの誕生日(満19歳)であった。

日本軍を「歓迎」すればひどい目に遭わされずに済むという「成功例」を信じて劣悪な部隊を迎え入れてしまった村が、最も凄惨な地獄を味合わされたわけである。

[1] 小野賢二・藤原彰・本多勝一編 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 大月書店 1996年 P.346
[2] 同 P.320
[3] 本多勝一 『南京への道』 朝日文庫 1989年 P.260-264

https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/08/17/203943
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c29

[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
11. 中川隆[-14750] koaQ7Jey 2021年12月07日 09:31:14 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[79]
男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c11
[近代史6] 太陽系の幻の第9惑星−プラネット・ナインとは?
太陽系の幻の第9惑星−プラネット・ナインとは?【ゆっくり解説】
2021/12/06



太陽系に幻の9番目の惑星があるかもしれないって、知っていますか?


実は太陽系には、まだ見ぬ惑星の存在が示唆されているのです。
太陽系の第9惑星−プラネット・ナインとは何なのか?


幻の天体、プラネット・ナインについて見ていきましょう!

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1017.html

[近代史7] 超お買い得真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ 185,000円 (高能率スピーカー向け)
超お買い得
真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ (高能率スピーカー向け)
価 格 185,000円


出力が2Wと少ないですが音質が素直でとても綺麗な音が聞けます少ないパワーで透明感と繊細な音を求めている人へお薦めです。但しスピーカーの能率が95db以上有るのが理想的です。
45はグリットチョークを使用し、ロングライフ設計で動作させています。良い球はシンプルに作るのが最高の音が聞けます。ごまかしの無い素直な音を是非聞いてみて下さい。


サイズ W335 x D235
回路構成 CR結合(グリットチョークによる)ドライブ
入力感度 1V  100kΩ
出 力 2W + 2W
使用真空管 6SL7  45  5Y3
シャーシー カリン
B電源回路 一回路
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月

http://www.cattlea.jp/product/?no=3

▲△▽▼

ペンションすももの木 _ 「カトレア」の交流点火の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/488.html

真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html  

45 シングルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html

My Audio Life (趣味のオーディオ) 45 シングルアンプの製作
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/154.html


▲△▽▼

45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80 が理想の音

良く知られているように故瀬川冬樹氏は45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80を生涯理想の音とされておられたようです。このスピーカの設計者がその後作ったスピーカは多々ありますがそのどれもが一聴して柔らかな音を出しますから本来の方向はリアル派とは異なるのでしょう。低域共振点は20ヘルツ台で大変に低く、エッジ、ダンパのコンプライアンスが高い割には最大振幅に制限があるためにアナログ時代は極めて使いにくいユニットでした。ピックアップ系の共振が問題にならないデジタル時代の環境では大変使いやすくなっています。
https://www.audio-maestro.com/about.html

フルレンジ好きの人ならば、一度は憧れたであろう「GOODMANS AXIOM80」という英国製の特異なスピーカーが手元にございます。愛好者には古くは 故瀬川冬樹氏や是枝重治氏などが有名でしょう。私も数年前より80年代に発売された復刻版を数セット取り扱いました。旧タイプとは、コーン紙の形状や厚さが大きく異なっています。

旧タイプのコーン紙は、薄くて張りがあり、外周部分に折り返しを付けてコーン紙全体の強度を上げる構造でした。それに対して復刻版はポテッと厚めで、その外周部分は切りっ放しでありました。

カンチレバーも、旧タイプでは薄くしなやかなモノでしたが、厚めのものに変わっていました。旧タイプより耐入力が増している事から想像するとそれらと関係があるのかも知れません。復刻版は現在手元にはありませんが、オークションなどで手に入れることが出来る様です。価格は上がっていますが・・。

旧タイプも稀に目にしますが入手は絶望的かもしれません。


AXIOM80は、コーン紙が「フラフラ」して扱い難いと云う定説が昔からありました。アナログ時代には確かにレコードの反りなどの理由によりコーン紙が揺さぶられ、ボイスコイルが底打ちする可能性があり、狭帯域のシングルエンドの真空管アンプが有利でした。故瀬川冬樹氏は無帰還でトランス結合の「UX-45シングル」で鳴らしていたようです。能率が高く、2W程度の出力でも充分に楽しめました。

メーカー製の専用箱は私の知る限りは昔から存在せず、付属の図面を元に家具屋へ注文するか自作でした。通称「ヤマハ箱(ヤマハで製作されたもの)」も見たことが有ります。何れにしろ「専用 ARU」との組み合わせが一般的でした。

現在 AXIOM80 を駆動するアンプは「6BM8/ECL82 超3極菅接続」を私は使用しています。小型の出力トランスを持つエレキット製品の改造品です。見た目は非力なのですが、音の広がりや奥行き感などに優れ、安価で簡単に改造出来て、とても満足しています。
http://rmuk.exblog.jp/

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。
お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、

今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、

そのために80は8本用意しているんだが、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。

Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/638.html

[リバイバル3] 超お買い得 真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ (高能率スピーカー向け) 185,000円
超お買い得
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出力が2Wと少ないですが音質が素直でとても綺麗な音が聞けます少ないパワーで透明感と繊細な音を求めている人へお薦めです。但しスピーカーの能率が95db以上有るのが理想的です。
45はグリットチョークを使用し、ロングライフ設計で動作させています。良い球はシンプルに作るのが最高の音が聞けます。ごまかしの無い素直な音を是非聞いてみて下さい。


サイズ W335 x D235
回路構成 CR結合(グリットチョークによる)ドライブ
入力感度 1V  100kΩ
出 力 2W + 2W
使用真空管 6SL7  45  5Y3
シャーシー カリン
B電源回路 一回路
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月

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ペンションすももの木 _ 「カトレア」の交流点火の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/488.html

真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html  

45 シングルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html

My Audio Life (趣味のオーディオ) 45 シングルアンプの製作
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/154.html


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45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80 が理想の音

良く知られているように故瀬川冬樹氏は45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80を生涯理想の音とされておられたようです。このスピーカの設計者がその後作ったスピーカは多々ありますがそのどれもが一聴して柔らかな音を出しますから本来の方向はリアル派とは異なるのでしょう。低域共振点は20ヘルツ台で大変に低く、エッジ、ダンパのコンプライアンスが高い割には最大振幅に制限があるためにアナログ時代は極めて使いにくいユニットでした。ピックアップ系の共振が問題にならないデジタル時代の環境では大変使いやすくなっています。
https://www.audio-maestro.com/about.html

フルレンジ好きの人ならば、一度は憧れたであろう「GOODMANS AXIOM80」という英国製の特異なスピーカーが手元にございます。愛好者には古くは 故瀬川冬樹氏や是枝重治氏などが有名でしょう。私も数年前より80年代に発売された復刻版を数セット取り扱いました。旧タイプとは、コーン紙の形状や厚さが大きく異なっています。

旧タイプのコーン紙は、薄くて張りがあり、外周部分に折り返しを付けてコーン紙全体の強度を上げる構造でした。それに対して復刻版はポテッと厚めで、その外周部分は切りっ放しでありました。

カンチレバーも、旧タイプでは薄くしなやかなモノでしたが、厚めのものに変わっていました。旧タイプより耐入力が増している事から想像するとそれらと関係があるのかも知れません。復刻版は現在手元にはありませんが、オークションなどで手に入れることが出来る様です。価格は上がっていますが・・。

旧タイプも稀に目にしますが入手は絶望的かもしれません。


AXIOM80は、コーン紙が「フラフラ」して扱い難いと云う定説が昔からありました。アナログ時代には確かにレコードの反りなどの理由によりコーン紙が揺さぶられ、ボイスコイルが底打ちする可能性があり、狭帯域のシングルエンドの真空管アンプが有利でした。故瀬川冬樹氏は無帰還でトランス結合の「UX-45シングル」で鳴らしていたようです。能率が高く、2W程度の出力でも充分に楽しめました。

メーカー製の専用箱は私の知る限りは昔から存在せず、付属の図面を元に家具屋へ注文するか自作でした。通称「ヤマハ箱(ヤマハで製作されたもの)」も見たことが有ります。何れにしろ「専用 ARU」との組み合わせが一般的でした。

現在 AXIOM80 を駆動するアンプは「6BM8/ECL82 超3極菅接続」を私は使用しています。小型の出力トランスを持つエレキット製品の改造品です。見た目は非力なのですが、音の広がりや奥行き感などに優れ、安価で簡単に改造出来て、とても満足しています。
http://rmuk.exblog.jp/

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。
お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、

今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、

そのために80は8本用意しているんだが、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。

Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
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[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
40. 中川隆[-14749] koaQ7Jey 2021年12月07日 12:06:05 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[80]
サマーズ氏: 市場を急落させても4回の利上げが必要
2021年12月5日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17915


アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏がBloombergのインタビューでアメリカの来年の利上げについて語っている。

パウエル議長への注文

Fed(連邦準備制度)のパウエル議長は長らくインフレを一時的だと言い張っていたが、先日の議会証言でそれを撤回するとようやく宣言した。

パウエル議長、ついに「一時的」を撤回しテーパリング加速を示唆
筆者を含め多くの金融家はパウエル氏の主張には根拠がないと指摘していたが、経済学の世界からパウエル氏を批判していた急先鋒がサマーズ氏である。ようやく起こったパウエル氏の心変わりにサマーズ氏は次のようにコメントしている。

パウエル氏が議会証言でインフレの議論から「一時的」という言葉を引退させると主張したのは良いことだと思う。そもそもそんな主張が必要なければ一番良かったが、インフレの現実を考えると議長の発言を喜ばしく思う。

去年現金給付を目の当たりにした時からインフレを警告していた多くの人々が同じように思っているだろう。

さて、問題は中央銀行の次の動きである。間違いを1つ認めたパウエル氏に対して、サマーズ氏は次の注文を付けている。

パウエル氏が次に認識する必要があるのは、様々な意味で金融政策のもっとも単純な指標である、市場で織り込まれている今後1年の金利から市場の期待インフレ率を引いた実質金利が史上最低水準だということだ。この数字はいまや-3%を大きく下回り、-4%に近づいている。

経済に対する影響を見る上でもっとも大事なのは実質金利である。

例えばトルコの政策金利は15%だが、金利が高いから金融政策が引き締め的なのかと言えば、インフレ率20%よりも大幅に低いため全然引き締め的ではない。金利はインフレ率との関係で見なければならないのである。

この意味では、インフレ率が先進国としてはかなり高くなっているにもかかわらず低金利が保たれているアメリカの金融政策は、トルコとそれほど変わらない水準で緩和的だということになる。

サマーズ氏は次のように続ける。

この状況では緩和的な金融政策はふさわしくない。だから量的緩和やモーゲージ債の買い入れを続ける理由はまったく無いこと、量的緩和をすぐに止めるべきではない理由はないこと、インフレが目標より十分高いときに始めるべきことを始める必要があるということを、パウエル氏は表明すべきだろう。

アメリカはようやくテーパリング(量的緩和縮小)を開始したが、逆に言えば物価が高騰する中でいまだに量的緩和を終了していないということである。

何故緩和を止められないのか? リーマンショック以来緩和の薬漬けになってしまった市場経済は、緩和がなければ空中分解するからである。

しかし緩和を続けても結局株価も経済も空中分解するだろう。その結果が株価暴落か、物価高騰かというだけの違いであって、量的緩和と現金給付で作り上げた砂上の楼閣はせいぜい10年か15年しか保たないのである。

債券投資家のスコット・マイナード氏はこの状況について次のように述べていた。

マイナード氏: 利上げ強化でアメリカ経済は墜落するがそれまでは株高継続へ
ここでは何かが起こっている。わたしが自分のキャリアで見たこともなく、歴史上に例も見つからないような何かだ。実質金利がこれほど低いにもかかわらず、それでせいぜい経済成長を何とか維持することしか出来ない。

明らかにサマーズ氏と同じものを見ている。

それでも利上げが必要になる

来年の金融政策はどうなるだろうか。サマーズ氏は次のように述べている。

わたしが議長なら、インフレが今後どう推移するかにもよるが、来年に4回の利上げを示唆するだろう。

インフレが一時的でないことをようやく認めたパウエル氏は、次にインフレ圧力がかなり強力であることを認めなければならなくなるだろうということである。

しかし市場や実体経済は4回の利上げに耐えられるだろうか? サマーズ氏は次のように続ける。

それは衝撃になるだろうが、金融政策が作用するまでのタイムラグを考えると、信任を取り戻すためには衝撃が必要なのだ。

結論

先進国の人々は今、金融緩和を繰り返して通貨下落が止まらなくなったトルコのエルドアン大統領を笑っているが、はっきり言うが遠くない将来多くの先進国も同じことになるだろう。アメリカもヨーロッパも日本も同じことをしているのである。

物価高騰と金融緩和でトルコリラが暴落中
利上げについては筆者は金利だけ考えれば株式市場は5回以上の利上げには耐えられないと以前説明した。

世界的インフレで株価暴落が起きるのはいつか
一方で、中国の不動産バブル崩壊など他の要因によってそれが早められる可能性があるとした。総合すると利上げ3〜5回で株価崩壊となり、サマーズ氏も含め皆大体同じくらいの利上げ回数を考えていることになる。

著名投資家は既に株式市場から撤退を始めているようだ。あと1年にも満たない株式市場の上昇の可能性を追うよりは、他の市場で儲ける方が良いだろう。

ジョージ・ソロス氏、インフレトレードを継続 ハイテク株は一部利益確定
ドラッケンミラー氏、やはりインフレ懸念でハイテク株を利益確定


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17915
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c40

[近代史6] 金融緩和・財政出動するとハイパーインフレになる 中川隆
8. 中川隆[-14748] koaQ7Jey 2021年12月07日 12:07:23 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[81]
サマーズ氏: 市場を急落させても4回の利上げが必要
2021年12月5日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17915


アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏がBloombergのインタビューでアメリカの来年の利上げについて語っている。

パウエル議長への注文

Fed(連邦準備制度)のパウエル議長は長らくインフレを一時的だと言い張っていたが、先日の議会証言でそれを撤回するとようやく宣言した。

パウエル議長、ついに「一時的」を撤回しテーパリング加速を示唆
筆者を含め多くの金融家はパウエル氏の主張には根拠がないと指摘していたが、経済学の世界からパウエル氏を批判していた急先鋒がサマーズ氏である。ようやく起こったパウエル氏の心変わりにサマーズ氏は次のようにコメントしている。

パウエル氏が議会証言でインフレの議論から「一時的」という言葉を引退させると主張したのは良いことだと思う。そもそもそんな主張が必要なければ一番良かったが、インフレの現実を考えると議長の発言を喜ばしく思う。

去年現金給付を目の当たりにした時からインフレを警告していた多くの人々が同じように思っているだろう。

さて、問題は中央銀行の次の動きである。間違いを1つ認めたパウエル氏に対して、サマーズ氏は次の注文を付けている。

パウエル氏が次に認識する必要があるのは、様々な意味で金融政策のもっとも単純な指標である、市場で織り込まれている今後1年の金利から市場の期待インフレ率を引いた実質金利が史上最低水準だということだ。この数字はいまや-3%を大きく下回り、-4%に近づいている。

経済に対する影響を見る上でもっとも大事なのは実質金利である。

例えばトルコの政策金利は15%だが、金利が高いから金融政策が引き締め的なのかと言えば、インフレ率20%よりも大幅に低いため全然引き締め的ではない。金利はインフレ率との関係で見なければならないのである。

この意味では、インフレ率が先進国としてはかなり高くなっているにもかかわらず低金利が保たれているアメリカの金融政策は、トルコとそれほど変わらない水準で緩和的だということになる。

サマーズ氏は次のように続ける。

この状況では緩和的な金融政策はふさわしくない。だから量的緩和やモーゲージ債の買い入れを続ける理由はまったく無いこと、量的緩和をすぐに止めるべきではない理由はないこと、インフレが目標より十分高いときに始めるべきことを始める必要があるということを、パウエル氏は表明すべきだろう。

アメリカはようやくテーパリング(量的緩和縮小)を開始したが、逆に言えば物価が高騰する中でいまだに量的緩和を終了していないということである。

何故緩和を止められないのか? リーマンショック以来緩和の薬漬けになってしまった市場経済は、緩和がなければ空中分解するからである。

しかし緩和を続けても結局株価も経済も空中分解するだろう。その結果が株価暴落か、物価高騰かというだけの違いであって、量的緩和と現金給付で作り上げた砂上の楼閣はせいぜい10年か15年しか保たないのである。

債券投資家のスコット・マイナード氏はこの状況について次のように述べていた。

マイナード氏: 利上げ強化でアメリカ経済は墜落するがそれまでは株高継続へ
ここでは何かが起こっている。わたしが自分のキャリアで見たこともなく、歴史上に例も見つからないような何かだ。実質金利がこれほど低いにもかかわらず、それでせいぜい経済成長を何とか維持することしか出来ない。

明らかにサマーズ氏と同じものを見ている。

それでも利上げが必要になる

来年の金融政策はどうなるだろうか。サマーズ氏は次のように述べている。

わたしが議長なら、インフレが今後どう推移するかにもよるが、来年に4回の利上げを示唆するだろう。

インフレが一時的でないことをようやく認めたパウエル氏は、次にインフレ圧力がかなり強力であることを認めなければならなくなるだろうということである。

しかし市場や実体経済は4回の利上げに耐えられるだろうか? サマーズ氏は次のように続ける。

それは衝撃になるだろうが、金融政策が作用するまでのタイムラグを考えると、信任を取り戻すためには衝撃が必要なのだ。

結論

先進国の人々は今、金融緩和を繰り返して通貨下落が止まらなくなったトルコのエルドアン大統領を笑っているが、はっきり言うが遠くない将来多くの先進国も同じことになるだろう。アメリカもヨーロッパも日本も同じことをしているのである。

物価高騰と金融緩和でトルコリラが暴落中
利上げについては筆者は金利だけ考えれば株式市場は5回以上の利上げには耐えられないと以前説明した。

世界的インフレで株価暴落が起きるのはいつか
一方で、中国の不動産バブル崩壊など他の要因によってそれが早められる可能性があるとした。総合すると利上げ3〜5回で株価崩壊となり、サマーズ氏も含め皆大体同じくらいの利上げ回数を考えていることになる。

著名投資家は既に株式市場から撤退を始めているようだ。あと1年にも満たない株式市場の上昇の可能性を追うよりは、他の市場で儲ける方が良いだろう。

ジョージ・ソロス氏、インフレトレードを継続 ハイテク株は一部利益確定
ドラッケンミラー氏、やはりインフレ懸念でハイテク株を利益確定


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17915
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/531.html#c8

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
42. 中川隆[-14747] koaQ7Jey 2021年12月07日 12:08:23 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[82]
サマーズ氏: 市場を急落させても4回の利上げが必要
2021年12月5日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17915


アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏がBloombergのインタビューでアメリカの来年の利上げについて語っている。

パウエル議長への注文

Fed(連邦準備制度)のパウエル議長は長らくインフレを一時的だと言い張っていたが、先日の議会証言でそれを撤回するとようやく宣言した。

パウエル議長、ついに「一時的」を撤回しテーパリング加速を示唆
筆者を含め多くの金融家はパウエル氏の主張には根拠がないと指摘していたが、経済学の世界からパウエル氏を批判していた急先鋒がサマーズ氏である。ようやく起こったパウエル氏の心変わりにサマーズ氏は次のようにコメントしている。

パウエル氏が議会証言でインフレの議論から「一時的」という言葉を引退させると主張したのは良いことだと思う。そもそもそんな主張が必要なければ一番良かったが、インフレの現実を考えると議長の発言を喜ばしく思う。

去年現金給付を目の当たりにした時からインフレを警告していた多くの人々が同じように思っているだろう。

さて、問題は中央銀行の次の動きである。間違いを1つ認めたパウエル氏に対して、サマーズ氏は次の注文を付けている。

パウエル氏が次に認識する必要があるのは、様々な意味で金融政策のもっとも単純な指標である、市場で織り込まれている今後1年の金利から市場の期待インフレ率を引いた実質金利が史上最低水準だということだ。この数字はいまや-3%を大きく下回り、-4%に近づいている。

経済に対する影響を見る上でもっとも大事なのは実質金利である。

例えばトルコの政策金利は15%だが、金利が高いから金融政策が引き締め的なのかと言えば、インフレ率20%よりも大幅に低いため全然引き締め的ではない。金利はインフレ率との関係で見なければならないのである。

この意味では、インフレ率が先進国としてはかなり高くなっているにもかかわらず低金利が保たれているアメリカの金融政策は、トルコとそれほど変わらない水準で緩和的だということになる。

サマーズ氏は次のように続ける。

この状況では緩和的な金融政策はふさわしくない。だから量的緩和やモーゲージ債の買い入れを続ける理由はまったく無いこと、量的緩和をすぐに止めるべきではない理由はないこと、インフレが目標より十分高いときに始めるべきことを始める必要があるということを、パウエル氏は表明すべきだろう。

アメリカはようやくテーパリング(量的緩和縮小)を開始したが、逆に言えば物価が高騰する中でいまだに量的緩和を終了していないということである。

何故緩和を止められないのか? リーマンショック以来緩和の薬漬けになってしまった市場経済は、緩和がなければ空中分解するからである。

しかし緩和を続けても結局株価も経済も空中分解するだろう。その結果が株価暴落か、物価高騰かというだけの違いであって、量的緩和と現金給付で作り上げた砂上の楼閣はせいぜい10年か15年しか保たないのである。

債券投資家のスコット・マイナード氏はこの状況について次のように述べていた。

マイナード氏: 利上げ強化でアメリカ経済は墜落するがそれまでは株高継続へ
ここでは何かが起こっている。わたしが自分のキャリアで見たこともなく、歴史上に例も見つからないような何かだ。実質金利がこれほど低いにもかかわらず、それでせいぜい経済成長を何とか維持することしか出来ない。

明らかにサマーズ氏と同じものを見ている。

それでも利上げが必要になる

来年の金融政策はどうなるだろうか。サマーズ氏は次のように述べている。

わたしが議長なら、インフレが今後どう推移するかにもよるが、来年に4回の利上げを示唆するだろう。

インフレが一時的でないことをようやく認めたパウエル氏は、次にインフレ圧力がかなり強力であることを認めなければならなくなるだろうということである。

しかし市場や実体経済は4回の利上げに耐えられるだろうか? サマーズ氏は次のように続ける。

それは衝撃になるだろうが、金融政策が作用するまでのタイムラグを考えると、信任を取り戻すためには衝撃が必要なのだ。

結論

先進国の人々は今、金融緩和を繰り返して通貨下落が止まらなくなったトルコのエルドアン大統領を笑っているが、はっきり言うが遠くない将来多くの先進国も同じことになるだろう。アメリカもヨーロッパも日本も同じことをしているのである。

物価高騰と金融緩和でトルコリラが暴落中
利上げについては筆者は金利だけ考えれば株式市場は5回以上の利上げには耐えられないと以前説明した。

世界的インフレで株価暴落が起きるのはいつか
一方で、中国の不動産バブル崩壊など他の要因によってそれが早められる可能性があるとした。総合すると利上げ3〜5回で株価崩壊となり、サマーズ氏も含め皆大体同じくらいの利上げ回数を考えていることになる。

著名投資家は既に株式市場から撤退を始めているようだ。あと1年にも満たない株式市場の上昇の可能性を追うよりは、他の市場で儲ける方が良いだろう。

ジョージ・ソロス氏、インフレトレードを継続 ハイテク株は一部利益確定
ドラッケンミラー氏、やはりインフレ懸念でハイテク株を利益確定


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17915
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c42

[近代史6] 液体と大気が存在する土星の衛星「タイタン」とは?
【ゆっくり解説】液体と大気が存在する土星の衛星「タイタン」とは?【宇宙】
2021/12/06



今回は土星の衛星である「タイタン」についてゆっくり解説しました。


タイタンはなんと、表面に安定した液体が見つかっています!


もしタイタンに住んだら、綺麗な土星をずっと眺められるのかぁ


・最も美しい惑星「土星」とは?
https://youtu.be/3_EVIKt-UZw

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1018.html

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
28. 中川隆[-14746] koaQ7Jey 2021年12月07日 16:47:17 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[85]
ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=36068


デレク・ヒューズの名に期待したい理由は、もうひとつある。
別項で書いているD40の存在がそれである。

スペンドールの唯一のプリメインアンプD40は、1977年に登場した。
ステレオサウンド 44号の新製品の紹介記事で取り上げられている。
1977年暮の「コンポーネントステレオの世界 ’78」にもD40は登場している。

D40というプリメインアンプは、優秀なプリメインアンプとは呼べないだろう。
どんなスピーカーからもいい音を出してくれるわけではないからだ。

スペンドールのBCIIを接いだときにおいて、
どちら(BCIIとD40)も真価を発揮する、といえるほどの鳴り方を示してくれる。

このD40を設計開発したのが、デレク・ヒューズである。
ほんとうのところはなんともいえないのだが、
デレク・ヒューズは、BCIIの良さも欠点もよくわかっている男なのだろう。
そうでなければ、あんな造りのアンプで、BCIIから、
D40よりも立派な構成のアンプではどうやっても鳴らせなかった音は出せないだろう。

グラハムオーディオのLS8/1には、HF1300は搭載されていない。
けれど、もしかするとではあるが、
D40で鳴らしたBCIIの音を、LS8/1から聴けるのではないだろうか──、
そんな期待を、つい持ちたくなってしまう。

1 Comment
Hiroshi Noguchi
11月 29th, 2021
REPLY))
1979年頃に購入したBCIIを今も使っています。元々友人が手作りしてくれた、真空管のアンプで、それが壊れてからはカウンターポイントのSA3をアメリカで安く買ったのと、ラックスのキットを3結で自作して鳴らしていました。その後仕事で実家にそれらを放置して、21世紀になってアキュフェーズのプリメインアンプを買えるようになって、ディナウディオの小さなスピーカーとつないで官舎で聞いて結構満足していました。定年で空き家になった実家に戻り、アキュフェーズをBCIIにつないで鳴らすと、古くてもちゃんと音を出してくれるのですが、どこかもう一つで。BCIIの昔感じていたバッハの無伴奏や、室内楽での弦の高域がしなやかでスーッと伸びていく美しかったことを懐かしんでいます。昔はLPでしたし。
http://audiosharing.com/blog/?p=36068


Date: 12月 3rd, 2021
ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=36129


グラハムオーディオのLS8/1のページには、
いままで以上のパワーハンドリングを可能にした、とある。

BCIIは、確かにパワーハンドリングの面では弱かった。
大音量で聴くスピーカーではなかった。

それでもD40で鳴らすBCIIは、さほど大きくない音量においてでも、
他のアンプで鳴らすよりも、不思議とエネルギー感のある音だった。

BCIIと同世代のイギリスのスピーカー、
BBCモニター系列のスピーカーは、ほとんどがパワーということでは弱かった。
アメリカのスピーカーと同じような感覚では、
ボリュウムをあげていったら、スピーカーの破損にすぐにつながるし、
こわさないまでも、そこまで音量をあげると、良さが失われがちでもあった。

けれど小音量で聴いている時の量感の豊かさが、
これらのスピーカーに共通する良さと、私は感じていた。

簡単にいえば、小音量でも音が痩せない。
クラシックを小音量で聴いていると、その良さをひしひしと実感できる。

この量感の豊かさを、私はいまMQAに感じている。
MQAがイギリスから生れたのは当然だ、とも思っている。

グラハムオーディオのLS8/1の音の量感はどうなのだろうか。
とても気になるところだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=36129

Date: 12月 6th, 2021
ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=36150

(その7)で書いているように、
LS8/1の存在に気づいたのは、LS5/1の復刻版について、
何か知りたくて、グラハムオーディオのウェブサイトを見たからだった。

そこにはLS5/1の文字はなかった。
なのに、今日ふと輸入元の横浜サウンドトレードのウェブサイトを見たら、
LS5/1のページが公開されている。

今年の6月21日に入荷した、とある。
知らなかった。半年ほど前に日本に来ていたのか。

LS5/1の復刻とはいえ、エンクロージュアのプロポーションは違う。
LS5/1はスタンド付きのフロアー型だったのに対し、
復刻版はセレッションのDitton 66を思わせる、ややトールボーイのフロアー型である。

LS5/1(及びLS5/1A)は、二つのトゥイーターを単純に並列接続しているわけではなく、
上側に配置されているトゥイーターに関しては、3.5kHz以上でロールオフさせている。
そのため専用アンプで高域補整を行っている。

復刻版もトゥイーター二基搭載だが、オリジナルのような仕組みは採用していない。
専用アンプなしで使えるようにするためである。

その変更による音の変化、
というよりも私が気になるのは、LS5/1の定位の良さがどの程度再現されているのかだ。

LS5/1が変則的ともいえるトゥイーターの使い方をしているのは、
トゥイーターの複数使用による定位の不明瞭になっていくことを抑えるためである。

音は聴いてみないとなんともいえないのだから、
この点に関しては、これ以上書くことはない。

ただ私が驚いたのは、その価格である。
3,000,000円(税抜き、ペア)となっている。

正直、高い、と思ってしまった。
http://audiosharing.com/blog/?p=36150
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c28

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
173. 中川隆[-14745] koaQ7Jey 2021年12月07日 16:57:07 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[87]
晴耕雨聴
2021年12月07日
超巨大システムを聴かせて頂きました
https://91683924.at.webry.info/202112/article_3.html

 一昨日の日曜日、午前中の合同防災訓練の後はお知り合いになったオーディオマニア、G氏のお宅に友人4名と一緒にお邪魔し、巨大システムを聴かせて頂きました。その後は串カツ屋さんで忘年会でした。
A4.JPG
 アルテックA4システムです。いやA4は左右に210エンクロージャー各1台ですが、これは各2台。つまりA2システムです !!
 4本の210のうち内側の2本は京都会館が改修されるときに出た210箱8個のうちの二つだそうです。白く塗装してあったものをアルテックグレーに塗り直されたそうです。

 サブウーファーはエレクトロボイスの30Wですが、なんと6本も使用されています !!
 天井にはBOSEのAWCS-1が。音楽はエレボイ、映画はBOSEと使い分けておられる様です。
a4アンプ.JPG
 A2システムのドライブアンプ群です。チャンデバはアナログ式のUREI、パワーアンプはクラウンなどの業務用トランジスタアンプでした。
 聴かせて頂きましたが、静かで豊かな音でした。G氏のシステムはどれもうるさい音、邪魔な音、歪んだ音を排除されています。
WE15A.JPG
 A2システムの対面にあるのはWE15a+WE555、アルテック211+515B、エレボイT-350のシステムです。
 こちらのアンプ群の写真を撮り忘れてしまいました。タンテはRCAギアドライブ、ゲイツ、レコカットのアイドラーでした。
 アンプはWE91aのレプリカ、アルテック業務用真空管アンプ。
 ドレスデン、ケーゲルの幻想交響曲を聴かせて頂きましたが、深々とした音です。とても良いので聴かせて頂いたケーゲルのSACDをその場でアマゾンからポチッてしまいました。
JBL.JPG
 部屋を移動し、次のシステムです。JBLのユニット、ホーンを用いたオリジナルシステムです。
 これはパワフルでモダンな音でした。ウーファーは2220Bで明るい音です。
パラゴン.JPG
 対面はJBLパラゴンとアルテックA5です。
 このA5はウーファーの515Bを励磁改造したものです。軽やかでリリックな美音でした。A5は少し乱暴な所があるのはずですが、その様な音は微塵もありません。
 パラゴンは凄くバランスの良い音で驚きました。パラゴンは何か所かで聴いた事がありますが、一番良く聴こえました。
 オーディオをやるのではなく、音楽を聴くのならこれだけで充分ですね。
JBLアンプ.JPG
 パラゴン、A5、JBLシステムを鳴らすアンプ群です。アルテックの真空管式ミキサーがカッコイイですね。よく整備された個体のようで、S/Nも大変良かったです。
オリンパス.JPG
 JBLオリンパスは部屋にあったのですが聴くのを忘れていました。これだけ凄いシステムが揃っていますと…
陣がさ.JPG
 WEの陣笠スピーカーやその他のラッパ型スピーカーです。ナローレンジではありますが、なかなか美しい音でした。お宝ですね。

 凄いシステムをたくさん聴かせて頂いて有難う御座いました。その後の串カツ屋では来年の「悪の計画」もまとまりました。
 今後とも宜しくお願い致します。

https://91683924.at.webry.info/202112/article_3.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c173

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
618. 中川隆[-14744] koaQ7Jey 2021年12月07日 17:31:19 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[88]

2021年12月07日
若者の田舎志向、沖縄や群馬、東北で20代就労者が『激増』

あの群馬県で若者の就労者が激増していた

田舎の就労者が増加

田舎移住ブームと言われていて新型コロナ以降は特に、都会を脱出して田舎に引っ越す人が増えたとされている。

実際はどうかというと増え続けた東京の人口が減少したり、確かに脱都会の傾向がある。

一方で都心では一戸1億円超の高級タワーマンションが続々と建設され、どれも売れているそうです。

都心では新たに10億円マンションが建設されたりし、都心回帰と都会離れが同時に起きている。

都心には富裕層が集まり、彼らは電車ではなくタクシーや自転車で通勤し、あるいはテレワークする。

憶ションを買うような人はホワイトカラーなので現場に出ず、テレワークが可能な事が多い。


高級タワマンはどれも最高のネット環境を売りにしていて、食事や食材は配達してもらえばいい。

若者にはそうした金はないので、東京から出て田舎への移住を希望す人が多い。

移住と言っても現実の統計では、東京からの移住先の殆どは首都圏で次は関東近隣となっている。

同じように大阪など関西の大都市からの転出先は、同じ関西の近隣県がほとんどです。

マスコミやネットは北海道や長野移住を褒め称えるが、現実にそうする人は少ない。

空き家がいくらでもあると言うが、それを新築同様にするには新築と同じ費用がかかるので、全然お得ではない。

群馬や沖縄移住が若者に人気

そんな中で20代から30台若者が群馬や沖縄などへの移住が増えています。

沖縄県や群馬県では29歳以下の新規就労者が5年で3倍になった。

どうせ誤差だろうと思ったが、2015年比で沖縄は3倍の5万4000人、群馬は2.9倍の9万人なのでさすがにこれは誤差ではない、


理由は自治体による就労支援やIターンUターン支援、キャンペーンなどが功を奏したとされている。

2020年の群馬県への県外からの移住は1075人で、先ほどの5年間で6万人とは合わない。

これは5年前は群馬県の若者の多くが県外で就労していたのが、今は群馬県内で働いていると思われる。


都会から過疎県への移住は、成功者もいれば失敗者もいて「移住して失敗した」体験談もネットで溢れている。

地方都市ではない村にそもそも部外者を受け入れる職場も仕組みも無く、村びと全員が子供の頃から知り合いという前提です。

そこに知人もいないよそ者が入っても、馴染めないしうまくいかないと思います。


田舎でもアパートやマンションが多い地方都市なら、よそ者が入ってくる前提の街なので溶け込みやすいでしょう。

過疎の村はその土地で生まれた人でさえ出て行っているので、そこでの生活は相当きついと考えるべきです。

https://www.thutmosev.com/archives/87296543.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c618

[近代史6] 金融緩和・財政出動するとハイパーインフレになる 中川隆
9. 中川隆[-14743] koaQ7Jey 2021年12月07日 17:36:34 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[90]

現在のアメリカの物価高騰はインフレ第1波に過ぎない
2021年12月6日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17958


金融市場がアメリカの物価上昇を懸念し始めてから数ヶ月が経つが、実際今後のインフレ率はどう推移してゆくだろうか。筆者がここで議論したいのは、恐らくインフレ率は一方的に上昇を続けてゆくわけでもなければ、中央銀行の引き締めで一方的に下がってゆくわけでもないだろうということである。

今後のアメリカのインフレ見通し

リーマンショック以来の紙幣印刷が現金給付によって臨界点を超え、世界経済は風前の灯となってしまった。そして風前の灯となった経済がどう振る舞うかということは、それほど単純ではないだろう。

アメリカでは明らかに物価が上がっており、投資家ではない普通の人々さえもインフレを懸念している。このインフレの勢いは来年には輸入物価を通して日本にも入ってくるだろう。

10月の米インフレは年率12%近い高騰、来年は物資不足か
今後の推移は2パターンしかないように見える。Fed(連邦準備制度)が金融引き締めを強めて株価と経済を墜落させ、物価はデフレに向かうのか、金融政策を十分引き締めることが出来ずに物価高騰が止まらなくなるかである。

しかし実際のところ、今後の物価見通しはそれほど単純ではない。それを示唆するのが米国債の金利である。


まず、2年物国債の金利はこのように上がっている。短期金利である2年物国債の金利は、今後の政策金利の見通しに影響される。Fedのパウエル議長はようやくインフレ抑制にやる気を見せ、今後利上げが行われるとの観測をそのまま反映しているのである。

一方で長期金利と呼ばれる10年物国債の金利はそれほど上がっていないどころか、やや下がり気味である。


この差はここでは何度も取り上げている通りである。

長短金利差の実体

しかしこの差は何を表しているのだろうか? もう少し詳しく見るために、市場の期待インフレ率のチャートも並べてみたい。

以下は10年物国債の金利(名目金利)から10年物のインフレ調整済み国債の金利(実質金利)を引くことで導出した、市場の期待インフレ率である。


これは10年物国債の金利から割り出した期待インフレ率なので、今後10年のインフレ率が年率で2.4%になると市場が予想しているということである。

ではこれを5年物国債について同じ計算をした期待インフレ率と比べてみるとどうなるだろうか?


5年の期待インフレ率は2.7%であり、10年のものよりも高く、しかもチャートの上がり方も激しいことが分かる。市場は今後10年のインフレよりも今後5年のインフレの方が酷くなると考えている。

今後の中長期的なインフレ率

この事実は、これから何年かインフレは上昇するが、今後必要となる金融引き締め政策のお陰で10年以内には沈静化する、つまりインフレ率はこれから上がって下がるという予想を市場がしていることが分かる。

そして恐らくそれは事実だろう。そして経済成長率も同じようになると想定される。恐らくは株価もである。

だが状況はそれで終わりというわけでもないというのが本稿の趣旨である。何故かと言えば、まずは前回アメリカがインフレに苦しんだ1970年代のインフレ率と、それにアメリカの政策金利を並べたチャートを見てもらいたい。


波が3回来ているのが分かる。もうお分かりだと思うが、コロナと同じように今のアメリカのインフレは第1波に過ぎないのである。

まずチャートの第1波の部分に注目してもらいたい。インフレ率は6%付近まで上がっており、この数字は今の前年同月比のインフレ率にほぼ等しい。

チャートを見て分かるように、この時はFedは9%近くまで利上げをし、結果としてインフレは沈静化された。

しかしそれでは終わらなかったのである。チャートの影がかかっている部分はアメリカ経済が景気後退に陥った部分であり、利上げをする度に経済が景気後退に陥っているのが分かる。

インフレでやむなく利上げをし、インフレはようやく落ち着いたが経済は死んでいる。人々が何を望むかお分かりだろうか? 緩和である。

それでもう一度金利は下がり、結果としてインフレ率は再び上がることになる。経済はコロナのために今でも十分疲弊しているが、今後利上げによる景気後退を経験すれば更に疲弊した状態になるだろう。

経済成長を維持するためには更に強力な緩和が必要になる。それでインフレの第2波は第1波より高いものになる。これが何度も続いて経済が壊滅的な物価高騰を経験するところまで行ってしまうというのが1970年代の教訓であり、恐らくこれから同じようになる可能性は高い。

結論

これまではインフレ第1波のことだけを書いてきたが、市場がようやく第1波を警戒し始めたので、ここではそろそろ第2波について考え始めても良い頃だろう。他人より早く先を読むことが投資家の仕事だからである。

しかし世界経済は本当に気の滅入る先行きになってきたようだ。リフレ派の人々は果たして責任を取るだろうか。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17958
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/531.html#c9

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
43. 中川隆[-14742] koaQ7Jey 2021年12月07日 17:37:07 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[91]

現在のアメリカの物価高騰はインフレ第1波に過ぎない
2021年12月6日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17958


金融市場がアメリカの物価上昇を懸念し始めてから数ヶ月が経つが、実際今後のインフレ率はどう推移してゆくだろうか。筆者がここで議論したいのは、恐らくインフレ率は一方的に上昇を続けてゆくわけでもなければ、中央銀行の引き締めで一方的に下がってゆくわけでもないだろうということである。

今後のアメリカのインフレ見通し

リーマンショック以来の紙幣印刷が現金給付によって臨界点を超え、世界経済は風前の灯となってしまった。そして風前の灯となった経済がどう振る舞うかということは、それほど単純ではないだろう。

アメリカでは明らかに物価が上がっており、投資家ではない普通の人々さえもインフレを懸念している。このインフレの勢いは来年には輸入物価を通して日本にも入ってくるだろう。

10月の米インフレは年率12%近い高騰、来年は物資不足か
今後の推移は2パターンしかないように見える。Fed(連邦準備制度)が金融引き締めを強めて株価と経済を墜落させ、物価はデフレに向かうのか、金融政策を十分引き締めることが出来ずに物価高騰が止まらなくなるかである。

しかし実際のところ、今後の物価見通しはそれほど単純ではない。それを示唆するのが米国債の金利である。


まず、2年物国債の金利はこのように上がっている。短期金利である2年物国債の金利は、今後の政策金利の見通しに影響される。Fedのパウエル議長はようやくインフレ抑制にやる気を見せ、今後利上げが行われるとの観測をそのまま反映しているのである。

一方で長期金利と呼ばれる10年物国債の金利はそれほど上がっていないどころか、やや下がり気味である。


この差はここでは何度も取り上げている通りである。

長短金利差の実体

しかしこの差は何を表しているのだろうか? もう少し詳しく見るために、市場の期待インフレ率のチャートも並べてみたい。

以下は10年物国債の金利(名目金利)から10年物のインフレ調整済み国債の金利(実質金利)を引くことで導出した、市場の期待インフレ率である。


これは10年物国債の金利から割り出した期待インフレ率なので、今後10年のインフレ率が年率で2.4%になると市場が予想しているということである。

ではこれを5年物国債について同じ計算をした期待インフレ率と比べてみるとどうなるだろうか?


5年の期待インフレ率は2.7%であり、10年のものよりも高く、しかもチャートの上がり方も激しいことが分かる。市場は今後10年のインフレよりも今後5年のインフレの方が酷くなると考えている。

今後の中長期的なインフレ率

この事実は、これから何年かインフレは上昇するが、今後必要となる金融引き締め政策のお陰で10年以内には沈静化する、つまりインフレ率はこれから上がって下がるという予想を市場がしていることが分かる。

そして恐らくそれは事実だろう。そして経済成長率も同じようになると想定される。恐らくは株価もである。

だが状況はそれで終わりというわけでもないというのが本稿の趣旨である。何故かと言えば、まずは前回アメリカがインフレに苦しんだ1970年代のインフレ率と、それにアメリカの政策金利を並べたチャートを見てもらいたい。


波が3回来ているのが分かる。もうお分かりだと思うが、コロナと同じように今のアメリカのインフレは第1波に過ぎないのである。

まずチャートの第1波の部分に注目してもらいたい。インフレ率は6%付近まで上がっており、この数字は今の前年同月比のインフレ率にほぼ等しい。

チャートを見て分かるように、この時はFedは9%近くまで利上げをし、結果としてインフレは沈静化された。

しかしそれでは終わらなかったのである。チャートの影がかかっている部分はアメリカ経済が景気後退に陥った部分であり、利上げをする度に経済が景気後退に陥っているのが分かる。

インフレでやむなく利上げをし、インフレはようやく落ち着いたが経済は死んでいる。人々が何を望むかお分かりだろうか? 緩和である。

それでもう一度金利は下がり、結果としてインフレ率は再び上がることになる。経済はコロナのために今でも十分疲弊しているが、今後利上げによる景気後退を経験すれば更に疲弊した状態になるだろう。

経済成長を維持するためには更に強力な緩和が必要になる。それでインフレの第2波は第1波より高いものになる。これが何度も続いて経済が壊滅的な物価高騰を経験するところまで行ってしまうというのが1970年代の教訓であり、恐らくこれから同じようになる可能性は高い。

結論

これまではインフレ第1波のことだけを書いてきたが、市場がようやく第1波を警戒し始めたので、ここではそろそろ第2波について考え始めても良い頃だろう。他人より早く先を読むことが投資家の仕事だからである。

しかし世界経済は本当に気の滅入る先行きになってきたようだ。リフレ派の人々は果たして責任を取るだろうか。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17958
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c43

[近代史5] にっぽんぽん(ゆっくり日本史解説) - YouTube動画
にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/channel/UCq0Gl-isKhYg3nLkTatD6Rg/videos

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1362.html
[近代史02] この人を見よ _ 人間の屑 福沢諭吉のした事 中川隆
22. 中川隆[-14741] koaQ7Jey 2021年12月07日 18:19:57 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[93]
【ゆっくり解説】日本史の闇!?からゆきさんとは!


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/485.html#c22
[番外地9] 低体温症の角度から見た「体感温度」について
低体温症の角度から見た「体感温度」について、書いておきます。
 登山者の体の熱の奪われ方には、大きく分けて、「乾性寒冷」(冬山)と、「湿性寒冷」(3季の風雨)とがあります。
 風速が1m増すごとに1度ずつ体感温度が下がる、という「算出法」でいえば、冬山では、「体感温度マイナス30度」は、ごく普通の条件。

 それよりも「体感温度」がはるかに高い春や秋山などで、低体温症の遭難事故が起こるのか、数字のうえでの疑問が出るところです。

 トムラウシ遭難調査報告書で、調査チームの医師は、「乾性寒冷」よりも「湿性寒冷」の方が、実は熱を奪われやすいと述べています。

 これは、水の気化熱が1ccあたり約350カロリーもあることから、濡れた衣類と体からは大量の熱が逃げていくため。

 さらに

「風が強ければ、体温の下がる速度は加速度的で、低体温症の悪化が早い。」、

「体温の放射を防ぐには、乾いた衣服を重ね着して、肌との間に空気層をつくることが重要。」

としています。

 また、この報告書では、従来言われてきた「体感温度」は、裸の人体の条件でのもので、保温衣料を用いることで大きく条件は緩和されるとしています。

 低体温症の危険がありうる条件では、保温用の衣類をタイムリーに用いることが、死活的になってきます。自分は、この衣類で保温するということで、しっかり用意し、臨機に使う。

 この際に、セーターやフリースとともに、肌に接する下着がかなり肝心であることを強調したいです。


体温の低下と、症状の現れ

 もう1つ、低体温症による体温の低下と、症状の段階的な進展についての目安を上げておきます。

 「IKAR (国際山岳救助協議会)による低体温症の現場での治療勧告 1998, 2001編」によると、低体温症の症状は、体温の低下と症状の進行ごとに、次のように規定されています。
(一部訳文あり。http://www.sangakui.jp/medical/ikar/

段階
HT1 35−32度。 震えあり。意識清明。
HT2 32−28度。 震えなし。意識障害。
HT3 28−24度。 意識なし。
HT4 24−15度。 生命兆候なし。
HT5 15度以下。  死亡。

 それから、トムラウシの遭難事故調査報告書でも、体温と症状を、次のように示しています。

36 ℃
 寒さを感じる。寒けがする。

35 ℃
 手の細かい動きができない。皮膚感覚が麻痺したようになる。しだいに震えが始まってくる。歩行が遅れがちになる。

35 〜 34 ℃
 歩行は遅く、よろめくようになる。筋力の低下を感じる。震えが激しくなる。
 口ごもるような会話になり、時に意味不明の言葉を発する。無関心な表情をする。眠そうにする。軽度の錯乱状態になることがある。判断力が鈍る。

 *山ではここまで。これ以前に回復処置を取らなければ死に至ることあり。

 * 34 ℃近くで判断力がなくなり、自分が低体温症
になっているかどうか、分からなくなっていること
が多い。この判断力の低下は致命的。


34 〜 32 ℃
 手が使えない。転倒するようになる。
 まっすぐに歩けない。感情がなくなる。
 しどろもどろな会話。意識が薄れる。
 歩けない。心房細動を起こす。

32 〜 30 ℃
 起立不能。思考ができない。錯乱状態になる。震えが止まる。筋肉が硬直する。不整脈が現れる。意識を失う。

30 〜 28 ℃
 半昏睡状態。瞳孔が大きくなる。脈が弱い。呼吸数が半減。筋肉の硬直が著しくなる。

28 〜 26 ℃
 昏睡状態。心臓が停止することが多い。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 低体温症による遭難事故の経過を見ていて、こんなことを思っています。

 そう思う根拠は、単純なことです。

 体温低下は、低体温症の症状を一段一段、時間的余裕をもってゆっくり下がっていくわけではない。

 とくに薄い防備で強風にさらされた場合は、症状の各段階を短時間で駆け抜けてしまうからです。

 だから、自分や周囲が「危うい」と自覚できる瞬間は、実際にはしばしば見逃されてしまう。


 例えば、体温の低下が進みだしたとき、低体温症の危険を本人が察知できるのは、激しい寒さの感覚と猛烈な震えです。

 この猛烈な震えは、自分で低体温症におちいりかけていることに気づく、最初で、そして最後の関門になっています。

 ここを過ぎると、寒さの感覚や震えによる熱の産生という自己防衛反応はなくなる。

 救助にあたっても、

 「活発な震えは熱産生に最も重要な手段である。糖分を含む飲物でカロリーを補給し、震えを促進する(糖分を含む事は温かい飲料より重要)」(アラスカ州寒冷障害へのガイドライン2003(2005改訂))

 とされるほど、大事な指標になっています。

 ところが、その大切な局面で、保温が不備だったり、パーティーの事情があって行動を停止・あるいは制限するなどして、熱の産生が負けていると、体温の降下は、「激しい寒さの感覚と猛烈な震え」の体温水準を、短時間で通り過ぎて、より下がってしまう。

 トムラウシ山遭難事故では、15分当たりコア体温1度低下という、猛烈な体温低下も検証されています。

 その体温降下の途中の段階で、「激しい寒さの感覚と猛烈な震え」という段階は短時間で突破され、寒さを感じなくなり、危険に無関心になる無防備な段階にいたってしまう。

 こうして、登山者は、本人らは大丈夫だと思っているうちに、もはや自分一人では後戻りできない感覚や意識障害の段階に入って行ってしまう。

 つまり、低体温症の一連の症状の中には、ここが、地獄の三丁目! という「震え」のフェイズが多くの場合にあるのですが、

 ところが、防寒が不備で気象条件が激烈なときは、そこを本人が自覚しないうちに通りすぎてしまうのではないか、ということです。

 「震え」のフェイズがかならずあるかといえば、これには個人差があります。ない場合もある。


体温の急激な低下についてのデータ

◇体温の急激な低下のデータとしては、トムラウシの事故調査報告書に記述があります。

 「低体温症が始まると、前述したとおり、体温を上げるために「全身的な震え」が 35 ℃台で始まるのが特徴的であるが、今回の症例ではこの症状期間が短く、一気に意識障害に移行した例もある。あまりにも早い体温の下降で人間の防御反応が抑制され、30 ℃以下に下がっていったと思われる。」
 
 「マイクル・ウォードは『高所医学』という本の中で、

「低体温症になると 2 時間以内に死を来すことがある」

と述べている。この遭難事故でも、発症から死亡まで 2 時間と思われる症例がある。条件が揃えば、人体の核心温が一気に下がり、死に至る温度の 30 ℃以下に、急激に下がるのに 2 時間とかからない、ということになる。

 なぜ急激な体温低下を来したのかは、体力、気象条件、服装を含めた装備、エネルギー源としての食料摂取などを、総合的に検討してみる必要がある。」
 
 「体温の下降は 1 時間に約 1 ℃ の割合で下がった計算になるが、本人によるとストーンと下がるような状況で意識を失った、と証言している。」

 「小屋を出発した時の体温が 37 ℃に近い温度だとして、心停止の温度が 28 ℃以下だとすれば、体温が 9 ℃下がるのに 2 時間と要していなかったことになる。これは単純に計算すると 15 分で 1 ℃下がったことになり、この急激な下がり方であれば、「震え」で体温を上げることはとても間に合わないことになる。」
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/914.html

[近代史7] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
3. 中川隆[-14740] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:19:06 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[1]
超お買い得
真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45 シングルアンプ (高能率スピーカー向け)
価 格 185,000円


出力が2Wと少ないですが音質が素直でとても綺麗な音が聞けます少ないパワーで透明感と繊細な音を求めている人へお薦めです。但しスピーカーの能率が95db以上有るのが理想的です。
45はグリットチョークを使用し、ロングライフ設計で動作させています。良い球はシンプルに作るのが最高の音が聞けます。ごまかしの無い素直な音を是非聞いてみて下さい。


サイズ W335 x D235
回路構成 CR結合(グリットチョークによる)ドライブ
入力感度 1V  100kΩ
出 力 2W + 2W
使用真空管 6SL7  45  5Y3
シャーシー カリン
B電源回路 一回路
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月

http://www.cattlea.jp/product/?no=3

▲△▽▼

ペンションすももの木 _ 「カトレア」の交流点火の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/488.html

真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html  

45 シングルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html

My Audio Life (趣味のオーディオ) 45 シングルアンプの製作
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/154.html


▲△▽▼

45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80 が理想の音

良く知られているように故瀬川冬樹氏は45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80を生涯理想の音とされておられたようです。このスピーカの設計者がその後作ったスピーカは多々ありますがそのどれもが一聴して柔らかな音を出しますから本来の方向はリアル派とは異なるのでしょう。低域共振点は20ヘルツ台で大変に低く、エッジ、ダンパのコンプライアンスが高い割には最大振幅に制限があるためにアナログ時代は極めて使いにくいユニットでした。ピックアップ系の共振が問題にならないデジタル時代の環境では大変使いやすくなっています。
https://www.audio-maestro.com/about.html

フルレンジ好きの人ならば、一度は憧れたであろう「GOODMANS AXIOM80」という英国製の特異なスピーカーが手元にございます。愛好者には古くは 故瀬川冬樹氏や是枝重治氏などが有名でしょう。私も数年前より80年代に発売された復刻版を数セット取り扱いました。旧タイプとは、コーン紙の形状や厚さが大きく異なっています。

旧タイプのコーン紙は、薄くて張りがあり、外周部分に折り返しを付けてコーン紙全体の強度を上げる構造でした。それに対して復刻版はポテッと厚めで、その外周部分は切りっ放しでありました。

カンチレバーも、旧タイプでは薄くしなやかなモノでしたが、厚めのものに変わっていました。旧タイプより耐入力が増している事から想像するとそれらと関係があるのかも知れません。復刻版は現在手元にはありませんが、オークションなどで手に入れることが出来る様です。価格は上がっていますが・・。

旧タイプも稀に目にしますが入手は絶望的かもしれません。


AXIOM80は、コーン紙が「フラフラ」して扱い難いと云う定説が昔からありました。アナログ時代には確かにレコードの反りなどの理由によりコーン紙が揺さぶられ、ボイスコイルが底打ちする可能性があり、狭帯域のシングルエンドの真空管アンプが有利でした。故瀬川冬樹氏は無帰還でトランス結合の「UX-45シングル」で鳴らしていたようです。能率が高く、2W程度の出力でも充分に楽しめました。

メーカー製の専用箱は私の知る限りは昔から存在せず、付属の図面を元に家具屋へ注文するか自作でした。通称「ヤマハ箱(ヤマハで製作されたもの)」も見たことが有ります。何れにしろ「専用 ARU」との組み合わせが一般的でした。

現在 AXIOM80 を駆動するアンプは「6BM8/ECL82 超3極菅接続」を私は使用しています。小型の出力トランスを持つエレキット製品の改造品です。見た目は非力なのですが、音の広がりや奥行き感などに優れ、安価で簡単に改造出来て、とても満足しています。
http://rmuk.exblog.jp/

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。
お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、

今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、

そのために80は8本用意しているんだが、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。

Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html  


▲△▽▼


45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。


1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/340.html#c3

[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
138. 中川隆[-14739] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:20:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[2]
超お買い得
真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45 シングルアンプ (高能率スピーカー向け)
価 格 185,000円

出力が2Wと少ないですが音質が素直でとても綺麗な音が聞けます少ないパワーで透明感と繊細な音を求めている人へお薦めです。但しスピーカーの能率が95db以上有るのが理想的です。
45はグリットチョークを使用し、ロングライフ設計で動作させています。良い球はシンプルに作るのが最高の音が聞けます。ごまかしの無い素直な音を是非聞いてみて下さい。


サイズ W335 x D235
回路構成 CR結合(グリットチョークによる)ドライブ
入力感度 1V  100kΩ
出 力 2W + 2W
使用真空管 6SL7  45  5Y3
シャーシー カリン
B電源回路 一回路
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月

http://www.cattlea.jp/product/?no=3

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ペンションすももの木 _ 「カトレア」の交流点火の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/488.html

真空管アンプ「カトレア」 _ 交流点火の 300B ・ PP5-400 コンパチブル モノラルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/113.html  

45 シングルアンプ
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html

My Audio Life (趣味のオーディオ) 45 シングルアンプの製作
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/154.html


▲△▽▼

45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80 が理想の音

良く知られているように故瀬川冬樹氏は45シングルで鳴らされた Goodmans Axiom80を生涯理想の音とされておられたようです。このスピーカの設計者がその後作ったスピーカは多々ありますがそのどれもが一聴して柔らかな音を出しますから本来の方向はリアル派とは異なるのでしょう。低域共振点は20ヘルツ台で大変に低く、エッジ、ダンパのコンプライアンスが高い割には最大振幅に制限があるためにアナログ時代は極めて使いにくいユニットでした。ピックアップ系の共振が問題にならないデジタル時代の環境では大変使いやすくなっています。
https://www.audio-maestro.com/about.html

フルレンジ好きの人ならば、一度は憧れたであろう「GOODMANS AXIOM80」という英国製の特異なスピーカーが手元にございます。愛好者には古くは 故瀬川冬樹氏や是枝重治氏などが有名でしょう。私も数年前より80年代に発売された復刻版を数セット取り扱いました。旧タイプとは、コーン紙の形状や厚さが大きく異なっています。

旧タイプのコーン紙は、薄くて張りがあり、外周部分に折り返しを付けてコーン紙全体の強度を上げる構造でした。それに対して復刻版はポテッと厚めで、その外周部分は切りっ放しでありました。

カンチレバーも、旧タイプでは薄くしなやかなモノでしたが、厚めのものに変わっていました。旧タイプより耐入力が増している事から想像するとそれらと関係があるのかも知れません。復刻版は現在手元にはありませんが、オークションなどで手に入れることが出来る様です。価格は上がっていますが・・。

旧タイプも稀に目にしますが入手は絶望的かもしれません。


AXIOM80は、コーン紙が「フラフラ」して扱い難いと云う定説が昔からありました。アナログ時代には確かにレコードの反りなどの理由によりコーン紙が揺さぶられ、ボイスコイルが底打ちする可能性があり、狭帯域のシングルエンドの真空管アンプが有利でした。故瀬川冬樹氏は無帰還でトランス結合の「UX-45シングル」で鳴らしていたようです。能率が高く、2W程度の出力でも充分に楽しめました。

メーカー製の専用箱は私の知る限りは昔から存在せず、付属の図面を元に家具屋へ注文するか自作でした。通称「ヤマハ箱(ヤマハで製作されたもの)」も見たことが有ります。何れにしろ「専用 ARU」との組み合わせが一般的でした。

現在 AXIOM80 を駆動するアンプは「6BM8/ECL82 超3極菅接続」を私は使用しています。小型の出力トランスを持つエレキット製品の改造品です。見た目は非力なのですが、音の広がりや奥行き感などに優れ、安価で簡単に改造出来て、とても満足しています。
http://rmuk.exblog.jp/

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。
お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、

今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、

そのために80は8本用意しているんだが、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。

Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html  


▲△▽▼


45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c138

[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 45 中川隆
2. 中川隆[-14738] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:21:45 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[3]
45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/547.html#c2

[近代史7] 超お買い得真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ 185,000円 (高能率スピーカー向け) 中川隆
1. 中川隆[-14737] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:22:53 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[4]
45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/638.html#c1

[リバイバル3] 超お買い得 真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ (高能率スピーカー向け) 185,000円 中川隆
1. 中川隆[-14736] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:23:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[5]
45 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1204.html#c1

[リバイバル3] 超お買い得 真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ (高能率スピーカー向け) 185,000円 中川隆
2. 中川隆[-14735] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:29:56 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[6]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:


1. 平面バッフル
平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
https://otoyas.exblog.jp/22515940/


竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
材木商店【無垢材・積層材・化粧貼り・白ポリの木材メーカー通販サイト】
https://zaimoku-shouten.jp/works/%E7%AB%B9%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E6%9D%BF%E3%80%80201452/
http://www.mokuzaikako.com/


ヤフオク! -「平面バッフル」の落札相場・落札価格
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=50


3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
http://www.hasehiro.co.jp/

スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html


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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
https://ameblo.jp/iserim/

オーディオ空間 幸せ日記:SSブログ
https://801a-4242a.blog.ss-blog.jp/archive/c2304761631-1  
 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1204.html#c2

[近代史7] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
4. 中川隆[-14734] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:31:02 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[7]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:


1. 平面バッフル
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/340.html#c4

[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 45 中川隆
3. 中川隆[-14733] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:32:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[8]
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

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Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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平面バッフル実験工房
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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/547.html#c3

[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 VT-52 中川隆
1. 中川隆[-14732] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:34:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[9]
VT-52 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html

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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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[近代史7] 電圧増幅用直熱三極管 WE101D 中川隆
1. 中川隆[-14731] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:35:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[10]
WE101D アンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html

▲△▽▼

昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
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竹集成材のスピーカー平面バッフル板 
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
ヨーロッパ製の軽く反応の良いスピーカーユニット用に設計したフロントホーンスピーカーボックス
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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

Hasehiro Audio (ハセヒロオーディオ) 奇跡の音質「バックロードホーンスピーカー」の製造・販売
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スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
http://www.utopianet.co.jp/product/enclosure.html

Lowtherの正規エンクロジュア ユートピア輸入製品一覧 
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/385.html

平面バッフル実験工房
平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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オーディオ空間 幸せ日記:SSブログ
https://801a-4242a.blog.ss-blog.jp/archive/c2304761631-1  
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/549.html#c1

[近代史7] 電力増幅用直熱三極管 PX4 中川隆
1. 中川隆[-14730] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:36:41 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[11]
PX4 シングルアンプは昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカー向けです。

1W(ワット)アンプで 38pウーハーは無理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/968.html

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昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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[近代史7] 超お買い得真空管アンプ「カトレア」 ささやき 45アンプ 185,000円 (高能率スピーカー向け) 中川隆
2. 中川隆[-14729] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:40:04 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[12]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

1. 平面バッフル
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2. 後面解放箱

真空管アンプ「カトレア」
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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平面バッフルとフルレンジスピーカーが大好き。いい音めざして試行錯誤。
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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/638.html#c2

[近代史7] アシダボックス 中川隆
2. 中川隆[-14728] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:43:42 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[13]
アシダボックス 6P-HF1 や昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

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2. 後面解放箱

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http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=50


3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/573.html#c2

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
56. 中川隆[-14727] koaQ7Jey 2021年12月08日 06:44:31 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[14]
アシダボックス 6P-HF1 や昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

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平面バッフル 製作いたします 五加音響研究所のオーディオ修理と製作
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2. 後面解放箱

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3. スピーカーのエンクロージャー製造メーカー

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スピーカーエンクロジュア(BOX) ユートピア製品一覧 
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スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い
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[近代史5] 衝撃!日本のカルピスにとんでもない過去が発覚!カルピス誕生に隠されたヒミツとは 中川隆
3. 中川隆[-14726] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:00:18 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[15]
2019年10月06日
カルピスは本当にからだにいいのか
http://sukusukusekai.blog.jp/archives/3732065.html


カルピスは乳酸菌が入っているから、
からだにいいと思っている人がほとんどでしょう
しかし乳酸菌だけで判断はできません。原材料によってからだによくないものが
含まれているのもあります。


まずは乳酸菌の説明から
乳酸菌は19世紀中頃に発見され、20世紀初めに乳酸菌と健康や老化との関係が
ロシアのメチニコフによって提唱された。更に研究が進み今日では、

整腸作用の他、免疫増強作用、中性脂肪・コレステロール抑制作用、虫歯菌や歯周病菌の
抑制作用があるとわかっている。整腸作用で栄養の吸収率がよくなり肌荒れ
しづらく、美肌効果も期待ができる大変素晴らしい菌である。


俗に言われるカルピス菌とは乳酸菌と酵母菌を合わさってできたもの
原材料にそのカルピス菌を混ぜたのがカルピスだ。


カルピスの原材料は

生乳と砂糖
そして添加物として香料、大豆多糖類

添加物はカルシウムの吸収を阻害する恐れがあるらしいですが
この2つの添加物は有害性はあまり報告されていません
これが原液のカルピスの成分です。


カルピスウォーター、カロリーオフ、フレーバーつきのカルピスは更に添加物が含まれます


カルピスウォーター
砂糖類(果糖ぶどう糖液糖、砂糖)
脱脂粉乳、乳酸菌飲料/酸味料、香料、安定剤(大豆多糖類)
カルピスカロリー60%オフ
乳、砂糖/酸味料、香料、安定剤(ペクチン)、甘味料(アスパルテーム・L‐フェニルアラニン化合物、アセスルファムK、スクラロース)
アサヒ飲料サイトより引用


多くなりましたね。特に問題なのが『果糖ぶどう糖液糖』と『甘味料』です。

果糖ぶどう糖液糖はカルピスウォーターやカルピスソーダなどペットボトルで販売されているものに多くあります。果糖ぶどう糖液糖はトウモロコシを原材料にしてつくられるのですが
そのほとんどが遺伝子組み換えでつくられた輸入品だと言われています。
この遺伝子組み換えがみそで遺伝子組み換えのものを人が食べると
アレルギーの原因になると言われています。更に砂糖よりも肥満になるリスクは
大きいとされています。

次に甘味料ですが甘味料自体が悪いのではなく人工的につくられた甘味料が問題です。
この()にかかれている甘味料はすべて人工的につくられたもので
カロリーがほとんどないのですが鬱や不眠などの精神疾患を引き起こす恐れが
大きく、腎機能が低下や脳卒中や心筋梗塞などの血管系疾患の発症リスクが
高まったりするという恐ろしいデータがあるそうです。

特に安全性が疑問視され、アメリカでも長らく認可されなかった
アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物は新生児が摂取すると
脳に障害が起こるに可能性があるという恐ろしいデータが…

これらのものはカルピスだけでなくほとんどの清涼飲料水に含まれています。
なぜこんな危険性のあるもの添加するのか?
それは砂糖よりも甘みが強く、コスト安いから。


儲けに走らなければ、どの企業としてもやっていけないからです。


結論からいうと、からだにいいと思うカルピスは原液のカルピス(白)です
あの健康志向謳ったカラダカルピスですらも人工甘味料が含まれています
他のカルピスは乳酸菌があれどもマイナス要因が多すぎる…

しかしこれらの果糖ぶどう糖液糖や人工甘味料はたくさん摂取すること
が問題なのであって、たまに500mlくらいのものを気分転換に
飲むのは全然問題ないかと思います。むしろ色んなものを飲んで勉強していく
ことが大事です。そうすることで誰かと会話するときに奥が深い話ができて
面白い人と思われるからです。結果的にそれが長生きに繋がるのかもしれません。

http://sukusukusekai.blog.jp/archives/3732065.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1262.html#c3

[近代史4] 別府温泉 50年で温度9度低下
別府温泉 50年で温度9度低下


ぬるむ別府温泉ほっとけん 50年で温度9度低下も 大分県、掘削規制を拡大
2021/12/8 6:00
吉村 次郎、井中 恵仁


別府温泉地図
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/843544/


 全国有数の温泉地・大分県別府市で、温泉の温度低下が懸念されている。この50年間で9度近く温度が下がった地域もある。県は来年4月から温泉上流部の山側にある2地域を、温泉の新規掘削を認めない「特別保護地域」に指定し、温泉県・大分を守るための取り組みを強化する。 (吉村次郎、井中恵仁)

 同市には現在3カ所の特別保護地域があり、新たな地域の指定は54年ぶり。県などによると、別府の温泉では1960年代から温度低下が確認されている。観光客にも人気の竹瓦温泉の源泉は、62年の59度が2017年には50・5度まで低下。関連は不明だが、19年には観光施設「地獄蒸し工房鉄輪」で、食材を蒸す蒸気が減ったため臨時休業した事例もあった。

 市内の温泉は山側の上流域の方が熱く、地下を通って海側の下流に行くほど雨水と混ざり温度が下がる。このため、学識者らでつくる「県環境審議会温泉部会」は、JR別府駅前や亀川温泉などを含む下流の温泉街に影響を及ぼす「西部」「南立石」の2地域、計約400ヘクタールで、掘削制限を行うことを決めた。「西部」には鉄輪温泉の一部が含まれ、「南立石」は「杉乃井ホテル」などが立つ観海寺温泉や堀田温泉がある。

 県は温度低下の一因に、近年進む地熱発電の開発があると見ている。県と市が実施したシミュレーションによると、「南立石」で地熱発電を新たに500キロワット行った場合、下流域の市中心部では100年間で約50度から13度ほど低下し、高温泉とされる42度を下回るとの結果が出た。現状維持なら約5度の低下にとどまるという。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/843544/


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1735.html

[近代史7] ドイツ・オーストリアの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14724] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:51:35 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[17]
ドイツ・オーストリア(1859年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281859%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29


ドイツ・オーストリア。オランダもここに含む。


ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562 - 1621)
ドイツというよりオランダの鍵盤楽器作曲家。古い時代の異世界音楽の良さがあり、しかも鍵盤楽器の音楽らしい楽しみ方もできる。

ミヒャエル・プレトリウス(Michael Praetorius、1571 - 1621)
ドイツ初の大作曲家らしい。何曲か聴いてみたが、ごく普通の曲という印象しかなく大作曲家のオーラは感じなかった。

ハインリヒ・シュッツ(Heinrich Schütz, 1585 - 1672)
ドイツ3Sの一人。バッハ以前の最大の作曲家。宗教音楽は、バッハに似た峻厳さを前期バロックらしいシンプルで平易な音楽で表現しており素晴らしい。バッハの音楽は複雑すぎるという同時代の評価を実感できる。

白鳥の歌 Schwanengesang
3.0点
ドイツ人敬虔さとバロック中期の音楽の美しさが見事な完成形になっており素晴らしい。

ヨハン・ヘルマン・シャイン(Johann Hermann Schein, 1586 - 1630)
ドイツ3Sの一人。

ザムエル・シャイト(Samuel Scheidt, 1587 - 1653)
ドイツ3Sの一人。

ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616 - 1667)
ドイツの鍵盤楽器作曲家。チェンバロ用の組曲を聴いてみたが、音楽が地味でシンプルだし、特に特徴的な味のよさがあるわけでもなく、心の琴線に触れなかった。

ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel, 1653 - 1706)
この時代の大作曲家の一人であるが、現代はもっぱら「カノン」の作曲家として有名。カノン以外の曲も聴いたことはあるが記憶に残ってない。

カノン
6.0点
「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」の第1曲なのだそうだ。クラシックの器楽曲の中でも最古にして最大の人気曲のひとつだろう。何百回聴いても魅力は尽きない。

ヨハン・カスパール・ケルル(Johann Caspar [von] Kerll, 1627 - 1693
チェンバロ曲やオルガン曲を聴いてみたが、現代に通用するような特別に優れている何かは特に感じなかった。

ディートリヒ・ブクステフーデ(Dieterich Buxtehude, 1637頃-1707)
バッハのオルガン音楽における師匠の一人。オルガン曲の柔軟で柔らかい音使いと発想は素晴らしい。自分はあまりに重くて堅すぎるバッハのオルガン曲より好きだ。

ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681 - 1767)
史上最高の多作家にして当時のナンバーワン人気作曲家。しかし、現代の耳にとっては彼の音楽は、耳に優しく快いけれども薄味であり、そよ風のようだ。聴いた後に何も残らない。そのような軽さを求める気分の時ならばよいが、普段は自分には物足りない音楽だ。

ターフェルムジーク
3.0点
沢山のジャンルを組み合わせた音楽の百科辞典のような構成。テレマンらしい魅力を感じるための入門には良いが、長いので全編を聴くのはかなり大変。

パリ四重奏
3.0点
テレマンにしては力を入れて書いた作品の感がある。

水上の音楽
3.0点
ヘンデルとは違う、序曲の形式の水上の音楽。なかなか楽しいオーケストラ音楽である。

ヴィオラ協奏曲

蛙の協奏曲
3.0点
本当に蛙の合唱みたいで笑ってしまう。

無伴奏ヴァイオリンファンタジー
3.0点
バッハ無伴奏のガチ本気の音楽とはだいぶ違い気楽に聴ける。テクニック的にもシンプルなように聞こえるが、それなりに雰囲気と味がある曲は多いので案外楽しい。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach, 1710 - 1784)
大バッハの長男。かなり才能ある音楽家であり、聴いてみる価値がある。評判通りバッハの息子たちの中では最高の才能を持っている人だと思った。他の息子たちに感じる才能不足をこの人にはあまり感じない。

シンフォニアニ単調F65
4.0点

シンフォニア二長調F64
3.0点

ハープシコードソナタ
3.0点

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 - 1788)
バッハの息子の一人。私はとても苦手な作曲家。多感様式というらしいのだが、フレーズの音の飛び方が不自然で違和感を感じる瞬間が多々あり、不快に感じてしまう。

ヨハン・ヴェンツェル・シュターミッツ(Johann Wenzel Stamitz 1717 - 1757)
マンハイム楽派の創設者。まだ未聴。モーツァルトへの影響の観点で名前が出てくる。

クリスティアン・カンナビヒ(Christian Cannabich, 1731 - 1798)
カール・シュターミッツ(Carl Stamitz, 1745 - 1801)
ヨハンの息子。マンハイム楽派。まだ未聴。やはりモーツァルトへの影響の観点で名前が出てくる。

ヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach, 1735 - 1782)
バッハの末子。流麗さなど、モーツァルトに大きな影響を与えた。古典派とバロックの過渡期を感じるシンプルさではあるが、それなりにいい曲もある。しかし、基本的にぎこちなさなど違和感を感じてしまう。モーツァルトには、まだ10代のうちに実力で追い抜かれたと感じる。

レオポルト・アントニーン・コジェルフ(Leopold Antonín Koželuh, 1747 - 1818)
ヨハン・ショーベルト(Johann Schobert、? - 1767)
ミヒャエル・ハイドン(Johann Michael Haydn, 1737 - 1806)
ハイドンの弟。レクイエムで有名。

レクイエム
3.5点
モーツァルトがレクイエム作曲で大いに参考にした作品なのは聴いてすぐに納得。力感に溢れていて悲痛の劇的な表現が優れており、スケールが大きく感動的。音楽的な内容の充実は大作曲家レベル。古典派の宗教音楽の傑作。

カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ(Carl(Karl) Ditters Baron von Dittersdorf, 1739 - 1799)
アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri、1750 - 1825)
映画「アマデウス」で有名になった作曲家。当時の大作曲家であり、弟子に有名人も多い。しかし彼の書いた音楽は物足りない。

交響曲ニ長調
2.0点
爽やかで明るく活発な雰囲気は楽しいので、一度聴いてみるのは悪くない。音楽に詳しくない当時の素人には受けただろうと想像できる。現代はみんな耳が肥えているので、モーツァルトと比較してあまりに単純素朴で裏表が無く、複雑な技術が使われていない音楽は物足りない。まさに映画アマデウスで馬鹿にされているままの音楽だった。

アントン・エーベルル(Anton Eberl, 1765 ‐ 1807)
アントニーン・レイハ(Antonín Rejcha, 1770 - 1836)(アントン・ライヒャ)
ヨハン・ネポムク・フンメル(Johan Nepomuk Hummel, 1778 - 1837)
鍵盤楽器に関しては、ベートーヴェンのライバルの作曲家。

協奏曲(ピアノとオーケストラ)
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 Op.44(Op.36)*c1811

ピアノ協奏曲 第2番 イ短調 Op.85*c1821(1816)

ピアノ協奏曲 第3番 ロ短調 Op.89*c1821(1819)

ピアノ協奏曲 第4番 ホ長調『告別』Op.110*1826(c1814年)

ピアノ協奏曲 第5番 変イ長調Op.113*1830(1825)

室内楽
ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調Op.3a*1792

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調Op.12*c1803

ピアノ三重奏曲 第3番 ヘ長調Op.22*c1807(1799)

ピアノ三重奏曲 第4番 ト長調Op.35*c1811(1808)

ピアノ三重奏曲 第5番 ト長調Op.65*c1814-15

ピアノ三重奏曲 第6番 ホ長調Op.83*1819

ピアノ三重奏曲 第7番 変ホ長調Op.93*c1822

ピアノ三重奏曲 第8番 変ホ長調Op.96*c1822

ルイ・シュポーア(Louis Spohr, 1784 - 1859)
フェルディナント・リース(Ferdinand Ries, 1784 - 1838)
ベートーヴェンの弟子。マイナー交響曲作曲家の中では有名。

カール・ツェルニー(Carl Czerny , 1791‐1857)
教則本の作曲家として有名なベートーヴェンの弟子。ピアノソナタには中々いい曲もある。

交響曲5番
2点
雰囲気はいいのだがメロディー不足。いかにもマイナーどまりの曲。

カール・マリア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber, 1786 - 1826)
「魔弾の射手」のオペラで有名だが、器楽曲もそれなりに優秀である。

交響曲1番
3.5点
モーツァルトの一部の交響曲ような、オペラの序曲風の元気のよい音楽。シンプルな音楽なのだが、モーツァルトやハイドン以上に快活で爽やかであり、今にも目の前で幕が開きそうなほどに舞台音楽的で聴いていて気持ちいい。しかし、飽きる感じは無く、コミカルな人間ドラマ的な愉悦を感じられる。個人的にはとても新鮮に感じられた。しかもそれが、4つの楽章全てで感じられるのがよい。

交響曲2番
3.0点
1番と同時期の作品であり、よく似た同じような作品なのだが、なぜか新鮮さを感じない。1番と違い作曲者にとって初物でないからなのかわからないが、不思議だ。3楽章は短すぎて、つまらなくはないのだが、バランスが悪い。ある意味で、音楽の感動は非常に微妙なよく分からない何かに大きく左右されるものという教訓を得られた。本当に、1番と同じくらい爽やかで舞台音楽的な楽しさはあるのだけれど。

ホルン小協奏曲
3.0点
聴いているだけで、独奏が技術的に恐ろしく難しそうに聴こえる。本当に大作曲家がホルン用に書いたのか疑いたくなるレベル。メロディーなどの点ではそれほど優れた曲という印象はない。とはいえ、歌劇のような自由度の高さと活動的で伸び伸びした音の躍動感や明朗さは、個性が生かされていて悪い印象はない。協奏曲としてなかなかユニークな作品と思う。


フランツ・パウル・ラハナー(Franz Paul Lachner, 1803 - 1890)
交響曲5番
1.5点
8番よりも若さを感じて聴きやすいが、いい作曲家とは思えない。1時間もあるので1楽章の途中で挫折。

交響曲8番
1.5点
1楽章は序奏長いwシューベルトっぽいけどいい曲じゃない。2楽章は工夫と美しさが若干みられる。3楽章またシューベルトっぽい?4楽章は少しロマン派的ないい瞬間はあるけど凡庸。全体に長大さに見合う内容が無い凡作。

イグナーツ・ラハナー(Ignaz Lachner, 1807-1895)
ピアノ三重曲1番
2.5点
チェロでなくビオラとヴァイオリンとピアノの編成。
低音は少ないが軽やかな響きでよいし、天才を感じるほどではないが割と楽しく聴ける。
1851年の曲だがベートーヴェンと同時代に聴こえる。


ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauß I(Vater)、1804 - 1849)
ラデツキー行進曲
5点
1世は息子より有名曲が少ないとはいえ、このような楽しい有名曲を1曲残しただけで十分凄い。


カール・ライネッケ(Carl Heinrich Carsten Reinecke, 1824 - 1910)
交響曲
交響曲第1番 イ長調 Op.79 (1858年)
3.5点
1楽章は平凡なよくあるロマン派ドイツ交響曲の域を出ていない。2楽章はしなやかな感傷的な叙情で感情のうねりを重ねて徐々に大波を作っていくような音楽でかなりよい。慈愛の音楽はベートーヴェンの傑作緩徐楽章の出来に迫っており、深く音楽の感動的世界に入り込める。3楽章はベートーヴェンを引き継いだ正統派であり悪くない。最後の終わり方は気に入った。4楽章は軽妙で控え目であり、もっと愉しませて欲しいという欲求不満が残った。全体に2楽章の素晴らしさ以外は、あともう一息の感があるものの、なかなかの作品である。

交響曲第2番 ハ短調 Op.134 (1874年)
3.5点
柔らかさと詩情に裏打ちされた骨組みのきちんとした音楽であり、シューマンやブラームスのように癖があってゴテゴテしておらず、スマートでベートーヴェンを受け継ぐ正統派のドイツのロマン派交響曲という点で存在価値が高いと思う。メンデルスゾーンのような標題音楽的に感じるところもない。成熟したよい曲であるが、旋律などやはり少し地味である。そして1番の2楽章のような強い魅力のある楽章がない。地味に感じるのは精神の健常なバランス感覚を保っている正常性からのような気がする。稠密に念入りに構築された音楽は何度も聴くと良さがよく見えてくる。どの場面もよく考えて効果をきちんと計算して書かれている。魂の破天荒さはない。

交響曲第3番 ト短調 Op.227 (1895年)
3.5点
どの楽章もなかなか立派で充実しており、感心して聴ける。しかし、どこかに才能の輝きが足らない地味さがある。その中で最終楽章の高揚感はなかなか心が躍る。ドイツ交響曲らしい音の作りによる盛り上がりは、畳み掛けて新しいパッセージを次々に産む音楽の奔流を作り出せている。正統派で成熟した交響曲として、骨格の立派さと丁寧に書かれた充実を楽しむ曲としてはよく出来ている。一つ一つの場面がしっかりと描かれている。ただ、隔絶した天才の輝きが足らないだけである。

協奏曲
ハープ協奏曲 ホ短調 Op.182 (1884年)

ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.72 (1860年)
3.3点
ショパンやシューマンといかにも同時代の協奏曲であり、まだ形式感がしっかりとある。かなりお上品な曲と思う。その柔らかくて上品なところと、形式的な安心感を楽しむ曲と思う。なかなか楽しめるのだが、やはりこの後の歴史により切り開かれた音楽の可能性の世界と比べると、いかにも世界が狭い。しかしベートーヴェンを少しロマン派にしたような安心感に包まれながら協奏曲を聴く楽しみは、これがかなりおつなものであり、思いの外幸せな時間を過ごせたのは発見であった。

ピアノ協奏曲第2番 ホ短調 Op.120 (1872年)
3.3点
しなやかで柔らかくて優美。刺々しいとか爆発的のようなものはない。悪魔的だったり激しい熱情もない。壮大さもない。しかし、とても瑞々しい感情の表現をするピアノとそれをサポートするオケの素敵さには、なかなか心に染み渡るものがある。メロディーなどに決定的な名作性はないものの、メジャーどころの押しの強さは無いながらもなかなかいい世界を味わえる。

ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.144 (1877年)

ピアノ協奏曲第4番 ロ短調 Op.254 (1901年)
3.0点
きちんと丁寧に書かれた正統派の曲である。20世紀の作品としてはかなり古臭い。巨匠的な品格の高さは楽しい。教科書的なお行儀の良さがあり独自の価値には乏しいものの、ちゃんとした曲が好きな人には聴く価値が充分にあるとお勧めできる。

チェロ協奏曲 ニ短調 Op.82 (1864年)

ヴァイオリン協奏曲 ト短調 Op.141 (1876年)
3.3点
1楽章はいまいち志が感じられない、職人的に作られているだけで訴えかけるものが足りない曲である。2楽章はかなりの美旋律を切々と歌い続ける感動的な楽章。名曲と呼ぶに足る作品である。ブラームスの協奏曲の2楽章を上回るかもしれない。3楽章はおおいなるエンディングに向けて爆発しそうな力を貯めたまま延々とエネルギーを解放しないというテンションをキープし続ける曲。このようなキープの仕方は特殊だと思う。爆発しなすぎて欲求不満がたまってしまう。この曲は2楽章だけがずば抜けて素晴らしいといえよう。

フルート協奏曲 ニ長調 Op.283 (1908年)
3.8点
貴重なフルート協奏曲。1楽章はライネッケによくある形式の枠の制約が強すぎて心に訴えるものの少ない曲。この楽章は我慢が必要。一転して2楽章はロマンの限りを尽くしており、切々と訴える憂愁のメロディーは最高に美しい。モーツァルトが書いたうちの最高級の緩徐楽章に勝るとも劣らない。3楽章もなかなか優雅で移ろうニュアンスの変化も常に美しい。力を貯めて爆発させないライネッケ流がフルート協奏曲の場合は非常にマッチしている。1楽章はいまいちだが2楽章と3楽章はとても優れていると思う。

室内楽曲、器楽曲
フルートソナタ ホ短調 「ウンディーネ」 Op.167(1881年)

弦楽三重奏曲 ハ短調 Op.249

左手のためのピアノソナタ
3.0点
かなり本格志向のソナタである。美しい旋律はなくてそれほど面白くはないが、ピアニスティックで効果的なパッセージを積み重ねてソナタを作っている。感動するほどではないが、きちんと本格的に書かれている左手のためのソナタとしてロマン派ソナタらしさをしっかりと持っている本作は重要な価値がありそうだ。ただ、低音が薄すぎる気はする。もう少し重さもバランスとしてほしかった。

ヨーゼフ・ヨアヒム・ラフ(Joseph Joachim Raff, 1822 - 1882)
交響曲
大交響曲 イ短調 WoO.18 (1854)

第1番 ニ長調 Op.96, "祖国に寄せる An das Vaterland" (1859-61)
2.8点
前半の楽章群は音の作りがシンプルすぎて、何を想っているのか伝わらないし、全然面白くない。習作レベルだろう。全然ダメかとおもったが、後半はワーグナー的もしくはブルックナー的な広がり感とドラマ性を持った享楽的な音楽になる。後半だけならばそれなりに聴いて愉しむことが出来る曲になる。全部で1時間以上の5楽章は実力と比較して無駄に頑張りすぎだろう。他では聴けない独自の天才性も弱いため、努力して書いたように聴こえてしまう。

第2番 ハ長調 Op.140 (1869)
3.5点
1番とは全く違う巨匠的な響きに満たされたベートーヴェン交響曲に似た交響曲らしい愉しみに満たされた音楽である。有名作曲家ほどの強烈な確立された個性の輝きこそ弱いものの、一流の音楽であることは一聴すれば分かる。堂々とした力強さと4つの楽章のバランスと音に込められた力感と音を豊かになり響かせる感じは、中期のベートーヴェンを彷彿とさせる。生命感の漲る感じがとにかく素敵だ。
-第3番 ヘ長調 Op.153 "森にて Im Walde" (1869)
3.3点
1楽章は曖昧な雰囲気であり好みが分かれるところであり、個人的にはあまり良くないと思った。後半はチャイコフスキーやドヴォルザークを彷彿とさせる躍動感の強い音楽であり面白い。2番とはかなり違う音楽であり、芸の広さを感じさせる。個人的には2番の方が好みだが、3番の後半の特に巨大な最終楽章のスリリングさはまさかスイスの作曲家で聴けると思わなかったものであり、なかなかゾクゾクするものだ。
-第4番 ト短調 Op.167 (1871)
3.3点
この曲は再びベートーヴェンのようなシンプルでロマン派のネチっこさを抑えた曲である。約30分と短く、冗長さがないのはよい。最終楽章では対位法を取り入れて素敵な高揚感を演出している。過去の大作に似ないようにしつつ、巨匠的な品位を保ったオリジナルな作品を作ろうとする努力が見える。はっとするよい場面も多くあるのだが、マイナー曲らしいパッとしない地味さも残念ながら全体としては多い。個人的には好感度は高いのだが名作とまでは言えない。

第5番 ホ長調 Op.177 "レノーレ Lenore" (1872)
3.8点
この曲はラフの代表作とされていて、交響曲5番らしい力のある入った作品である。1時間近い巨大さであり、ワーグナーにも匹敵するようなロマン派の壮大なスケール感を持った世界の広がりの世界のとたっぷりと、夢のような豪華な時間をロマンに浸って過ごす楽しみを味わえる。しかし、肥大化してバランスを崩した感じではなく、あくまでドイツ系交響曲の正統派の範囲内で音楽世界を拡張しているのが素晴らしい。類例が少ない非常に存在感と希少価値のある作品である。劇的な展開を備えており、最後の場面はニーベルングの指環にも匹敵するほど圧倒的に作者の力の限りを尽くして世界を構築しきって限界にたどり着いた充実した作品という満足感を与えられる。あえて言えば、さすがに作者の底や限界も同時に見えてしまうのが逆に欠点かもしれない。
-第6番 ニ短調 Op.189 (1873)
3.5点
リズムや音の使い方が単調で素朴すぎる。あと短調の響かせ方が平凡と感じるのは欠点。素朴さについては、もしかしたらロマンの限りを尽くした5番のあとなので古典派の交響曲の世界で意図的に勝負してみた曲なのではと想像する。5番のあとに聴いた時はひどく劣るように聴こえてしまったが、聴き直すと独自の明朗な良さや快活さがありなかなか愉しめる曲であることが分かった。ただ勝負の結果はラフが音感やリズムのセンスのようなもので微妙にトップレベルの天才からは落ちるのが如実になるものになった気がする。どこかに滲む地味さにそれが現れている。

第7番 変ロ短調 Op.201 "アルプスにて In den Alpen" (1875)
3.3点
副題も似ているが、実際リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を連想した。なめらかな音の流れと、自然の巨大さを連想する開放感と、自然の持つ底知れないパワーを力強く表現している。描写的ではない。後期ロマン派のようち端的さを失った感じが個人的にはラフの良さをスポイルしている気がするのと、後期ロマン派と比較すると過渡期のような未熟さと中途半端さを感じてしまう。特色があって面白いが、全体に「いい!」といえる瞬間には乏しく物足りないのが正直なところである。快活な最終楽章はなかなかの魅力がある。

第8番 イ長調 Op.205 "春の響き Frühlingsklänge" (1876)
3.5点
自分の感性の問題かもしれないし、日本との気候の違いのためかもしれないが、それほど春らしい気分が強いとは思わなかった。曲としては相変わらずの卓越した交響曲作曲技法であり、何よりここまでの各曲の強い特色に比べてこの曲は非常に正統派でノーマルなのが特色になっている。最初は物足りなく思ったが、聴き直すと正統派の聴き応えがかなり心地よい。メンデルスゾーンやシューマンやブラームスよりも、古典派の交響曲を受け継いだ正統派を堪能できる。といいつつ2楽章は遊び心があり、3楽章は春の気分を愉しめる。残念ながら最終楽章はあまり面白くない。

第9番 ホ短調 Op.208 "夏に Im Sommer" (1878)
3.0点
8番に続く正統派。しかし、なぜか8番よりも地味に感じる。聴いていてテンションが上がらず輝くものがなく、全体的に地味な印象が強い。交響曲であるからには旋律もフレーズも、作曲者がいつでも繰り出せる以上のものがほしいのだが、それがない。ダメな曲とまでは言わないが、他の交響曲よりも価値が低いと思う。

第10番 ヘ短調 Op.213 "秋の時に Zur Herbstzeit" (1879)
3.5点
1楽章は地味。3楽章は珍しくスラブ的な憂愁を感じさせるのが心をとらえる。薄明のような雰囲気を醸しながら控えめながらも心に染み入る憂愁はかなり感動する。じわじわと気分を盛り上げていくところなど、別の作曲家のようだ。4楽章もかなりセンスの良い軽快さと運動性と味わいを兼ね備えた良い曲である。変化も面白く、珍しく天才的と呼べる楽章である。

第11番 イ短調 Op.214 "冬 Der Winter" (1876)
3.3点
どの楽章も10番に続いて、絶妙な柔らかさと芳醇さを持ち合わせている。ラフが新たな境地に到達したことを感じさせる。しかし、順番に聴いてそう感じただけであり、前提なしに単品で聴いたらどう聴こえるかは分からないが。密かに潜ませる陰影の味があって、さっぱりした正統派の交響曲との取り合わせは良い。まさに良質の佳作という感じ。この曲で終わりなのが残念で、さらに晩年風の交響曲をぜひ聴きたかった。

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
ヴァイオリン協奏曲 第1番 ロ短調 Op.161 (1870-71)

ヴァイオリン協奏曲 第2番 イ短調 Op.206 (1877)

ピアノ協奏曲 ハ短調 Op.185 (1873)
2.5点
交響曲作家が試しに書いてみた協奏曲という印象。ピアノはもちろん前面に立ってはいるが、音数の多い派手さ華やかさに欠けている。交響曲らしいわけでもなく、特に作曲者ならではの協奏曲らしい「ピアノ協奏曲でこれがやりたかった」という独自の表現の境地に達している感じがしない。自分の中で音世界を試行錯誤しながら練って十分に構築しきれたという確信のないうちに書いてしまった曲という印象である。

チェロ協奏曲 第1番 ニ短調 Op.193 (1874)

チェロ協奏曲 第2番 ト長調 WoO.45 (1876)

組曲(ヴァイオリンと管弦楽のための) Op.180 (1873)

ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauß II), 1825 - 1899)
カール・ゴルトマルク(Karl Goldmark, 1830 - 1915)
交響曲2番
2点
部分ごとは悪くなく、作曲家に実力があることは分かるが、全体の印象はかなり散漫

ピアノ三重奏曲1番
1点
内容が薄く響きも薄い

ピアノ三重奏曲2番
2点
1番よりあらゆる面でだいぶ進歩していている。

ユリウス・ロイプケ(Julius Reubke, 1834 - 1858)
ピアノ・ソナタ(1857年)

『詩篇94番によるオルガンソナタ』(1857年)


フェリクス・ドレーゼケ(Felix August Bernhard Draeseke, 1835 - 1913)
マックス・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838 - 1920)
交響曲
交響曲第1番変ホ長調 作品28

交響曲第2番ヘ短調 作品36

交響曲第3番ホ長調 作品51

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
クラリネット、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲ホ短調 作品88

2台のピアノと管弦楽のための協奏曲変イ長調 作品88a

ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 作品26
3.5点
4大協奏曲に迫るロマン派協奏曲の優秀作の一つ。ドイツらしい重厚さと叙情性を兼ね備えた作品でヴァイオリンの甘さと美しさを存分に味わえるが、優等生すぎるもどかしさがある。

ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調 作品44

スコットランド幻想曲 作品46(1880年)
3.8点
メロディーが良く、ヴァイオリンのソロによって張りがあり、楽しんで聞ける。ロマン派の三大ヴァイオリン協奏曲のような深みは無いのだが、聞く楽しさでは同じ位のレベルかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲第3番ニ短調 作品58

『コル・ニドライ』 作品47
2.8点
チェロの協奏曲。甘い思い出を切なく歌うような曲だが、狙いが分かりやす過ぎていまいち。一歩引いて聞いてしまう。


ヨーゼフ・ラインベルガー(Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901)
フリードリヒ・ゲルンスハイム(Friedrich Gernsheim, 1839 - 1916)
ヘルマン・グスタフ・ゲッツ(Hermann Gustav Goetz, 1840 - 1876)
フリードリヒ・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844 - 1900)
あの有名な哲学者ニーチェは、アマチュア作曲家としてもなかなかの腕前である。鋭い感受性、世紀末的な感覚は音楽でも発揮されている。世紀末的なドロドロした感性は聴いていてスクリャービンを連想することが多々あり、スクリャービンのファンなら一聴してみることを大いにお勧めする。ドイツの後期ロマン派はオーケストラ曲が中心なので、ニーチェのピアノ曲はユニークな存在感があると思う。

マンフレッド瞑想曲(1972)
3.0点
自信をもってハンス・フォン・ビューローに送付するも酷評を受けたそうだ。小品ではなく割と長い曲で、ダークな感性とピアノ書法の良さは一聴に値すると思う。

ローベルト・フックス(Robert Fuchs, 1847 - 1927)
オーストリア


ユリウス・レントゲンまたはレントヘン(Julius Röntgen, 1855 – 1932)
ドイツ

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281859%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/630.html#c1

[近代史7] ドイツ・オーストリアの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14723] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:54:25 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[18]
ドイツ・オーストリア(1860年以降)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


エミール・フォン・ザウアー(Emil von Sauer, 1862 - 1942)
フェリックス・ワインガルトナー(Edler Felix Paul Weingartner von Münzberg, 1863 - 1942)
オイゲン・ダルベール(Eugen Francis Charles d'Albert 1864 - 1932)
ハンス・エーリヒ・プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner, 1869 – 1949)
パウル・ビュットナーもしくはビュトナー(Paul Büttner, 1870 – 1943)
アレクサンダー・ツェムリンスキー(Alexander (von) Zemlinsky, 1871 - 1942)
マックス・レーガー(Johann Baptist Joseph Maximilian Reger, 1873 - 1916)
非常に晦渋な作風であり、実力者とはされているものの聴きにくい。

フランツ・シュミット(Franz Schmidt, 1874 - 1939)
交響曲4番
3.3点
連続して演奏される4楽章は、蠢く動機の繋がりで構成された闇の中を徘徊するような音楽でかなりマニアックである。アラン・ペッタションに近いのだが、味わいは異なる。癖になりそうな不安定な難解さはしかしながら後期ロマン派の枠組みの音楽のようにも聴こえる。濃厚すぎる灰色の世界は雨の日に泥の中に潜り込んでいくような感覚を覚える。気分によってはかなり気にいるかもしれない曲。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)
いわずと知れた大指揮者。なぜか曲がどれも長い。一流とはいえない才能に加えて曲の長さが、無駄に敷居を上げているのだが、逆に挑戦心を駆り立てているところもある。

交響曲
交響曲第1番ロ短調 (1941年)

交響曲第2番ホ短調 (1945〜47年)
3.5点
感動的な巨編として一聴の価値がある。一流作曲家では聴かないようないまいちなフレーズも多いのだが。

交響曲第3番嬰ハ短調 (1947年〜54年)

その他の作品
ヴァイオリン・ソナタ1番

ヴァイオリン・ソナタ2番

ピアノ五重奏曲

ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲


エルヴィン・シュルホフ( Erwin Schulhoff,1894 - 1942)(シュールホフ)
第二次大戦で強制収容所で命を落とした人。この人の交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲はかなりよいと思う。ぜひ大戦を生き延びてほしかった。

ピアノ協奏曲「ジャズ風に」Op.43
3.5点
20世紀の隠れ名作ピアノ協奏曲のひとつ。ジャズ風と悲劇性をおびたユダヤ的な感情が驚きの結合を見せている成功作。美しい場面が多く出てくる。

パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895 - 1963)
20世紀ドイツを代表する作曲家ではあるが、現代美術をそのまま音にしたような即物主義のとてもキモい音楽である。感覚的に理解しがたいというか、私の許容範囲を超えている。しかし弦楽四重奏は素晴らしさが分かる。

管弦楽曲
おどけたシンフォニエッタ (Lustige sinfonietta )op.4 (1916年) 室内管弦楽のための作品

交響曲「画家マティス」 (Symphonie "Mathis der Maler" ) (1934年)

交響的舞曲(Symphonische Tänze ) (1937年)

交響曲変ホ調 (Symphonie in Es ) (1940年)

ウェーバーの主題による交響的変容(Symphonische Metamorphosen über Themen von C.M. von Weber ) (1943年)

交響曲「世界の調和」 (Die Harmonie der Welt ) (1950年 - 1951年)

ピッツバーグ交響曲 (Pittsburgh Symphony ) (1958年)


協奏曲
チェロ協奏曲 op.3 (1915年 - 1916)

室内音楽第2番 op.36-1 (ピアノ協奏曲) (1924年)

室内音楽第3番 op.36-2 (チェロ協奏曲) (1925年)

室内音楽第4番 op.36-3 (ヴァイオリン協奏曲) (1925年)

室内音楽第5番 op.36-4 (ヴィオラ協奏曲) (1927年)

室内音楽第6番 op.46-1 (ヴィオラ・ダモーレ協奏曲) (1927年)

室内音楽第7番 op.46-2 (オルガン協奏曲) (1927年)

ヴィオラと大室内管弦楽のための協奏音楽 op.48 (1930年)

ヴァイオリン協奏曲 (1939年)

チェロ協奏曲 (1940年)

ピアノ協奏曲 (1945年)

クラリネット協奏曲 (1947年 - 1949年)

ホルン協奏曲 (1949年)


室内楽曲
室内音楽 第1番 op24-1 (12の独奏楽器のための)

ピアノ五重奏曲 op.7

クラリネット五重奏曲変ロ調・変ホ調 op.30 (1923年)


弦楽四重奏曲第1番ハ長調 op.2 (1915年)

弦楽四重奏曲第2番ヘ短調 op.10 (1918年)


弦楽四重奏曲第3番 op.16 (1920年)

弦楽四重奏曲第4番 op.22 (1921年)

弦楽四重奏曲第5番 op.32 (1923年)

弦楽四重奏曲第6番変ホ調 (1943年)

弦楽四重奏曲第7番変ホ調 (1945年)


弦楽三重奏曲第1番 op.34 (1924年)

弦楽三重奏曲第2番 (1933年)

ピアノ曲
ピアノソナタ第1番 イ調「マイン川」(1936年)

ピアノソナタ第2番 (1936年)

ピアノソナタ第3番 変ロ調(1936年)

ピアノソナタ op.17(1917年)

ルードゥス・トナリス(対位法・調性およびピアノ奏法の練習)(1942年)

カール・オルフ(Carl Orff, 1895 - 1982)
カルミナ・ブラーナ
3.5点
やはり有名な1曲目のインパクトが絶大なものがある。しかし、その後もシンプルさと野蛮さが合わさった魅力的な音楽が続く。小難しく考えずに素直に楽しめる。リズムの複雑さを伴った野蛮さは20世紀のクラシックのテーマの一つのだが、これほど爽やかで気持ちよく愉しめる曲は少ないだろう。楽曲は多彩で、長くて多くの曲を聴いていても飽きない。初心者でも愉しめて専門知識が不要。でも時代のエッセンスは盛り込んでいる。その点では、大衆性を持ちうる貴重な20世紀のクラシック音楽の財産の一つといえる。


エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897 - 1957)
映画音楽の分野で大貢献した人。ヴァイオリン協奏曲が素晴らしい。

ヴァイオリン協奏曲
4.0点
自作の映画音楽の主題を引用して書いた曲。ドリーミーな雰囲気に浸れて楽しい。主題が美しく映画音楽が好きな人ならこの曲も好きになるに違いない。


クルト・ヴァイル(Kurt Julian Weill, 1900 - 1950)
カール・アマデウス・ハルトマン(Karl Amadeus Hartmann, 1905 - 1963)
交響曲
第1番「レクィエムの試み」(1935 - 36年)

第4番(弦楽合奏のために、1947年)

第2番「アダージョ」(単一楽章、1948年)

第3番(1948 - 49年)
3点
ショスタコーヴィチみたいに、不協和音や異常な響きで深刻さや現代の悲劇を表す曲。叙事が先にあってそれが叙情を生んでいる。硬くて成熟している作風は交響曲向きだと思う。

第5番「協奏交響曲 Symphonie Concertante 」

第6番(1952 - 53年)

第7番(1956 - 58年)

第8番(1960 - 62年)

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(Hans Werner Henze, 1926 - 2012)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/630.html#c2

[近代史7] 東ヨーロッパの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14722] koaQ7Jey 2021年12月08日 07:56:56 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[19]
東欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7


「アントニオ・ロセッティ」(Antonio Rosetti, 1750 - 1792)[#ld2b0b91]
ボヘミアの作曲家・コントラバス奏者。アントニーン・レスレル(Frantisek Antonin Rössler)とも。

レクイエム
3点
モーツァルトが亡くなった時にチェコで演奏されたそうだ。
技術的にはモーツァルトに及ばないのかもしれないが、個人を悼み、冥福を祈るすがすがしさを感じるいいレクイエムだった。
イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles, 1794 - 1870)
チェコ


ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana, 1824-1884)
連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)(6曲)(1874-79年)
第1曲:ヴィシェフラド
3.8点
ワーグナーをすぐに連想するような、古代的なおとぎ話のような雰囲気を持っている。ヴィシェフラド城という城を題材にしているのはよく伝わってくる。心地よいファンタジー感で楽しい。かなり良いのだが、ワーグナーほど情熱的で地が湧く感じでないところに彼との差を感じる。

第2曲:モルダウ
4.5点
主要なメロディーをはじめとして、どの場面も旋律、雰囲気、音による描写の的確さなどいずれも非常に優れている。甘く劇的で描写的なロマン派の美点を見事に代表する曲の一つと言えるだろう。大地を流れる大河の自然の壮大さ、川の水のエネルギーなどをこれ以上なく表現できている。

第3曲:シャールカ
3.3点
やや和声や旋律に凡庸さを感じる場面が多くあるが、次々と移り変わる場面に身を任せることができるため、いちおう問題の解決になっている。ボヘミア的な民族的な旋律が楽しい。劇的ではあるが、激しさはそれほどでなく、おとなしい激しさとも呼ぶべき程度である。

第4曲:ボヘミアの森と草原から
3.3点
前半の森林浴やハイキングをしているかのようや自然の気持ちよさを満喫できる音楽。実際にハイキングに出かけたくなる。後半はポルカで楽しい踊りの音楽。ドヴォルザークのような躍動感があるが、同時に軽さもある。

第5曲:ターボル
3.0点
鋭角的な音楽。戦いを表現しているようだ。他と同様に正統派な交響詩らしい交響詩だが、インスピレーションは他と比べて強くない気がする。さらっと聴けて印象にあまり残らなかった。

第6曲:ブラニーク
2.8点
密度がオペラの音楽並みに感じでしまい、あまり楽しくない。正統派の交響詩として悪い曲ではないのだが、なんだか感動できる要素がかなり少ない。ここが良い、という部分がない。あと、5曲目と同じ旋律が多用されているのもマイナス。フス教徒の賛美歌とのことだが。

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876年)

弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83年)

ヘンリク・ヴィエニャフスキ(Henryk Wieniawski, 1835 - 1880)
ヴァイオリン協奏曲第1番嬰ヘ短調 Violin concerto No.1 Op.14

ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調  Violin concerto No.2 Op.22

ジグムント・ノスコフスキ(Zygmunt Noskowski, 1846 - 1909)
ポーランド


交響曲 第1番 イ長調 作品番号なし (1874年-1875年)

交響曲 第2番 "Elegiac"

交響曲 第3番 ヘ長調 《春から翌春まで》作品番号なし (1903年)


フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカ(Franz Xaver Scharwenka, 1850 - 1924)(ポーランド系ドイツ人)
大作ピアノ協奏曲を書いた人。大作ぶりには驚くが、音楽の内容としては二流だと思う。

協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.32 1876年

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.56 1881年
2点
安定してそこそこ雰囲気が続く。長い。

ピアノ協奏曲第3番 嬰ハ短調 Op.80 1889年
2点
壮大感があって最初の部分はなかなかよい。しかし全体としては他のピアノ協奏曲と同様に安定していてそこそこという印象。

ピアノ協奏曲第4番 ヘ短調 Op.82 1908年


ズデニェク・フィビフ(Zdeněk Fibich, 1850 - 1900)
管弦楽
交響曲1
2.5点
ドヴォルザークの影響を感じる。才能は感じるがまだ原石であり、若書きの感が強い。

交響曲2番

交響曲3番

レオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček,1854-1928)
シンフォニエッタ
3.5点
最初は盛大ながらも異質な何かをもつファンファーレで始まる。独特のおとぎ話的なフワフワとした夢の中のような幻想性があり、現実的な質感とか重みに乏しい感じがある。場面転換の仕方も、現実から精神的な自然さではなく、急に別世界に移行するような突発的でふわっとしたものを感じる。ディズニーのような幻想的な仮想世界を空を飛びながら旅するような楽しさがある曲。とてもオリジナリティのある独自の世界がある。

弦楽四重奏曲第1番『クロイツェル・ソナタ』
3.5点
物語性の明確さが楽しい。主人公の苦悩の表現と思われるものや悲劇性を、原作を知らなくても追体験できる。曲が短いのも良い。こんな悲劇的で歪んだ精神の悲劇を長時間聴かされたら、いたたまれない気持ちが続いてたまったものではない。音の絡み方など弦楽四重奏として充実している。文豪による19世紀の小説らしい雰囲気の音楽による再現としては圧巻と言ってもよい。

弦楽四重奏曲第2番『ないしょの手紙』
3.5点
歪みひしゃげた音は、とても女性への思慕を表現していると知識なしには理解できない。しかし、もはや老人だったヤナーチェクの苦悩や罪の意識を表現していると考えれば、腑に落ちる感じはある。力強い表現力の音楽は胸に迫るものがあり、聴く者を強く音楽に入り込ませるものがある。最後の救いのある場面には、ほっとすると共に、作曲者の心情をどう解釈すればよいか悩んでしまう。1番と共に、20世紀の重要な弦楽四重奏曲だろう。

ヴァイオリンソナタ
2.5点
東欧的なエキゾチックさと、現代的な荒廃した精神の表現は悪くない。短い3楽章の印象が強い。全体に散漫であり、緊密さに欠ける印象である。特に前半はあまり良い曲だと思わなかった。後半はヤナーチェクらしい味があり狂気を楽しめるが、やや物足りない。

ピアノ曲
『草かげの小径にて』
3.0点
聴いたのは生前に出版された第1集。2集は死後の出版で補遺の2曲のみ。ピアノ小品集として、それなりのバラエティはある。

ピアノソナタ 変ホ短調『1905年10月1日 街頭にて』
3.3点
こなれたピアニスティックな書法ではないし、特別に高い完成度まで磨かれた感じでもないものの、強く印象に残るものがある曲。1楽章は変ホ短調の暗くドロドロした調性感そのままの曲調でもある。社会的な情勢の雰囲気を感じる1楽章と、浮遊感と孤独感が心の隙間を表現している気がする2楽章。2楽章の中間での音の歪んだ盛り上がりの作り方は弦楽四重奏の世界に似た心に強く迫るものを感じる。どちらも良い。

霧の中で
2.8点
全体に雰囲気重視であり、ピアノソナタのような有機的な音楽には感じられない。音楽的な濃さとか、心に迫る感じはない。雰囲気は悪くはないため最初は楽しめるが、内容が浅いため後半は飽きてくる。ドビュッシーに似たところは感じる。

イェネー・フバイ(Jenő Hubay, 1858 - 1937)
ハンガリー

ヴァイオリン協奏曲


イグナツィ・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860 - 1941)
ピアノ協奏曲 イ短調 Op.17

ピアノソナタ 変ホ短調(3楽章)Op.21


ヨセフ・スク(Josef Suk, 1874 - 1935)(ヨゼフ・スーク)
あまり聴けていないが、バランスが良く内容の詰まった、しっかりとした曲が多いようだ。飛びぬけた個性がなくやや地味だからか知名度は低いが、地力が高い実力派の作曲家である。

交響曲
交響曲 第1番 ホ長調 作品14
アスラエル交響曲 作品27(1906年)
3.3点
深遠さのある巨大な交響曲。多くの想いが詰め込まれており、マーラーあたりと比較しても場面展開が複雑に聴こえる。私は聴き込みが足らない。おそらく聴きこまなければスクの想いを掴んだつもりになれないだろう。メジャー曲になりきれない地味な分かりにくさはあるものの、聞き応え十分な20世紀初頭の交響曲を聴きたいなら、お勧めできる。プライベートの相次ぐ不幸をプライベート感のある曲でなく壮大な芸術に昇華させたものとして、感無量に近い感情を抱いた。

交響詩
交響詩《エピローグ》作品37(1929年)
交響詩《プラハ》作品26
交響詩《夏物語》作品29(1909年)
2.8点
大作の交響詩。後期ロマン派の響きの範疇であり、ドヴォルザークのような運動性を持ちつつも、地味であり明快さの足りない音楽が続く。夏の熱気や汗の感じをそこはかと響きから感じさせる力量は良いと思う。しかし交響曲のような長さを充実感で埋めるだけのものがなく、いろいろやってはいるが薄い印章が否めない。

交響詩《人生の実り》作品34(1917年)

管弦楽曲
弦楽セレナード 作品6(1892年)
管弦楽組曲《おとぎ話》作品16(1900年)
管弦楽組曲《りんごの木の下で》作品20
ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲 ト短調 作品24

室内楽
ピアノ四重奏曲 イ短調 作品1
ピアノ三重奏曲 ハ短調 作品2
ピアノ三重奏のための《悲歌》 作品23
弦楽四重奏曲 第2番 作品31

ピアノ曲
ピアノ小曲集 作品7
ピアノ曲集《春》作品22a
ピアノ曲集《夏の印象》作品22a
ピアノ曲集「母について」作品28(1909年)
ピアノ曲集《命と夢》作品30(1909年)
ピアノ曲集《子守唄》作品33

ミェチスワフ・カルウォーヴィチ(Mieczysław Karłowicz, 1876 - 1909)
ドホナーニ・エルネー(Dohnányi Ernő, 1877 - 1960)
交響曲
交響曲1番
3点
作品番号1にしてはすでに非常に完成度が高い曲。なかなかよい。作曲者が「優秀」だと感じる。

交響曲2番
2.5点
50分の大作であり力作である。技量は高いのだが、これはと思わせるような印象がない。

協奏曲
ピアノ協奏曲
2点
ブラームスの2番のような重厚なオーケストラでありピアノ書法が重ための曲。交響曲と同様に、充実しているのに印象が薄い。

室内楽
弦楽四重奏曲1番

弦楽四重奏曲2番
3.5点
どの楽章もかなり素晴らしい充実した内容を持っていて驚いた。作曲技術の高さと充実感を楽しめる曲。20世紀の室内楽の中でも傑作の部類ではないだろうか。

ジョルジェ・エネスク(George Enescu [ˈd͡ʒe̯ord͡ʒe eˈnesku], 1881 - 1955)
交響曲
第1番 変ホ長調 作品13 (1905年)

第2番 イ長調 作品17 (1912-14年)

第3番 ハ長調 作品21 (1916-1918年、1921年改訂)


カロル・シマノフスキ(Karol Maciej Szymanowski, 1882 - 1937)
ポーランド

交響曲
交響曲第1番 ヘ短調 op.15 (1906年)
2.5点
ぐちゃぐちゃな和音や音の動きのうねりを延々と続ける曲。楽譜がどうなっているのか少し興味は湧く複雑さだが、鑑賞するには向いておらず楽しめない。はっきりしない不明確な音の動きばかりであり、いわば実験的な音楽だと思う。

交響曲第2番 変ロ長調 op.19 (1910年)
2.8点
1番をもっと成長させた音楽という印象である。明確な構築性に乏しくぐちゃぐちゃであり、過去の音楽と被らないように書かれており。マイナー音楽らしい華のなさと私は感じた。後期ロマン派をさらに腐る程に熟させたらこうなると言えるだろうか。リヒャルト・シュトラウスの方向性をさらに進めた音楽なのは分かる。豪華な管弦楽の使い方も含めて影響を感じるが、私の好きでない部分まで受け継いでいる。過渡期の音楽であり、この時代だけしかシマノフスキが音楽を残さなかったならば、現在はかなり知名度の低い作曲家だっただろう。

交響曲第3番『夜の歌』 op.27 (1914-16年)
3.0点
カンタータ的様式の神秘主義の音楽。社会派のようなスケール感や闇を抉り出す感じ、野蛮で野太い感じもある。管弦楽の使い方もそうだし、意欲的でありさまざまな要素が渾然となっていて、ポーランドというクラシック音楽の中では中立的であることによる色のなさが、目新しい価値を産んでいる。聴く価値はある曲である。

交響曲第4番 (協奏交響曲) op.60 (1932年)
3.0点
ピアノ協奏曲のような形式。独奏ピアノは大活躍するが、華やかな活躍そのものは目的化されておらずあくまで本格性を求める交響曲の音楽的な目的を果たすために使われているように聴こえる。音楽的な楽想の豊富さと適度なシリアスさは楽しい気分にさせられる。そのため軽い協奏曲よりも聞き応えのある曲になっている。とはいえ、一流作曲家の割り切りの良さが足らず器用貧乏のようになっている気もする。

管弦楽曲
演奏会用序曲 op.12 (1905年)

バレエ音楽「ハルナシェ」op.55 (1923-31年)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 op.35 (1916年)

ヴァイオリン協奏曲第2番 op.61 (1932-33年)

室内楽曲
ヴァイオリン・ソナタ ニ短調 op.9 (1904年)

神話−3つの詩 op.30 (1915年)

弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 op.37 (1917年)

弦楽四重奏曲第2番 op.56 (1927年)

ピアノ曲
ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 op.8 (1903-04年)
3.0点
後期ロマン派らしい豪華さをもったピアノソナタである。4つの楽章は巨大な立派な規模をもっており、それがちゃんとピアノソナタ的発想で構築されており、この時代ならではのソナタとして一定の価値と存在感がある。和声は半音階的でやや複雑だが後期ロマン派的で明確であり後年の作品と比較して非常に聴きやすい。個性の確立した一流作曲家の作品と呼ぶにはまだ物足りない発展途上さはある。

ピアノ・ソナタ第2番 op.21 (1911年)
2.5点
非常に音数が多くて技巧的な作品。グロテスクで割り切れない音の動きが多くて、その音の生理的な感覚が個人的には全然に精神のツボを突いてくれない。気持ちよくないまま漫然と音の塊を聴き続けるような気分になる。スクリャービンのようなグロテスクさなのだが、こちらはどうにも理解困難である。場面が変わっても楽章が変わってもその分からなさが続く。技巧的な音数であることしか理解できない。

ピアノ・ソナタ第3番 op.36 (1917年)
3.5点
スクリャービンの影響が顕著である。浮遊感や神秘的な雰囲気とグロテスクさなどを継承しつつも、スクリャービンよりも構築的であり、バランスと構成をきちんと計算して作られたより本格的な作品という印象が強い。私としてはスクリャービンのクレイジーすぎて断片的で物足らないのを補う完成作品として、長年求めていたものを見つけた気分になった。20世紀のピアノソナタとして重要作品だと思われる。

4つの練習曲 op.4 (1900-02年)

コダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán,1882-1967)
ガランタ舞曲 Galántai táncok

交響曲ハ長調
3点
民族的な味付けが面白い。交響曲らしいシリアスさと総合性があり楽しめる。しかし、79歳の作品ということで少し枯れている感があるのと、時代にしては古臭い音楽なのは残念なところ。

無伴奏チェロソナタ 作品8(1915年)
4点


ボフスラフ・マルティヌー(マルチヌー)(Bohuslav Martinů Cs-Bohuslav Martinu、1890 - 1959)
あらゆる分野の曲を沢山書いた多作家。

交響曲
交響曲第1番 (1942年)

交響曲第2番 (1943年)

交響曲第3番 (1944年)

交響曲第4番 (1945年)

交響曲第5番 (1946年)

交響曲第6番「交響的幻想曲」 (1953年)

ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 (1925年)

ピアノ協奏曲第2番 (1934年、1944年に改訂)

ピアノ協奏曲第3番 (1937年、1942年に改訂)

ピアノ協奏曲第4番「呪文」 (1955〜1956年)

ピアノ協奏曲第5番「協奏的幻想曲」 (1957年)

弦楽器用協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1933年)

ヴァイオリン協奏曲第2番 (1943年)

協奏的組曲 ニ長調(ヴァイオリン独奏) (1939年)

ラプソディ・コンチェルト(ヴィオラ独奏) (1952年)

チェロ協奏曲第1番 (1930年)

チェロ協奏曲第2番 (1945年)

その他の協奏曲
ヴァイオリンとピアノ、打楽器を伴う弦楽オーケストラのためのコンチェルト・ダ・カメラ (1941年)

協奏的交響曲第2番 変ロ長調(ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴット独奏) (1949年)

二つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための複協奏曲 (ピアノ、ティンパニ独奏) (1938年)

オーボエと小オーケストラのための協奏曲 (1955年)


室内楽曲
九重奏曲第1番 (Fl, Ob, Cl, Hr, Fg, Vn, Va, Vc, Pf) (1924〜1925年)
九重奏曲第2番 (Fl, Ob, Cl, Hr, Fg, Vn, Va, Vc, Cb) (1959年)
弦楽六重奏曲 (1932年)
木管アンサンブルとピアノのための六重奏曲 (Fl, Ob, Cl, 2Fg, Pf) (1929年)
ピアノ五重奏曲第2番 (1944年)
弦楽四重奏曲第1番 (1918年)
弦楽四重奏曲第2番 (1925年)
弦楽四重奏曲第3番 (1929年)
弦楽四重奏曲第4番 (1937年)
弦楽四重奏曲第5番 (1938年)
弦楽四重奏曲第6番 (1946年)
弦楽四重奏曲第7番 (1947年)
ピアノ三重奏曲第1番「5つの小品」 (1930年)
ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 (1950年)
ピアノ三重奏曲第3番 ハ長調 (1951年)
ヴァイオリンソナタ第1番 (1929年)
ヴァイオリンソナタ第2番 (1931年)
ヴァイオリンソナタ第3番 (1944年)
ヴィオラソナタ (1955年)
チェロソナタ第1番 (1939年)
チェロソナタ第2番 (1941年)
チェロソナタ第3番 (1952年)
ヴァイオリンとチェロの二重奏曲第1番 (1927年)
ヴァイオリンとチェロの二重奏曲第2番 (1957年)
フルートソナタ (1945年)

アレクサンドル・タンスマン(Alexandre Tansman, 1897 – 1986)
ポーランド出身のフランス

交響曲
第1番 (1917年)

第2番 (1926年)

第3番「協奏交響曲 Symphonie concertante」 (1931年)

第4番 (1939年)
2点
悲痛さを表現する音世界の造形には成功しているが、ただそれだけ。それ以上の何かがない。

第5番 (1942年)

第6番「イン・メモリアム In memoriam」 (1944年)

第7番「抒情的 Lyrique」(1944年)

第8番「管弦楽のための音楽 Musique pour orchestre」 (1948年)

第9番 (1957〜58年)

協奏曲
ピアノ協奏曲 第2番 (1927年)

パヴェル・ハース(Pavel Haas, 1899 - 1944)
リゲティ・ジェルジュ(Ligeti György Sándor 1923 - 2006)
アトモスフェール(1961年)

ピアノ協奏曲 (1985-88年)

ヴァイオリン協奏曲 (1992年)

弦楽四重奏曲第1番(1953-54年)

弦楽四重奏曲第2番(1968年)

ピアノのための練習曲 第一巻(1985年)、第二巻(1988-94年)、第三巻(1995-2001年)
3.5点
第3集まである。現代のピアノ曲においてとても著名なもの。現代作曲家らしい感受性の強さ、音響やリズムや旋律における斬新な響きや音使いによる現代性など、古いピアノ曲にないものがたくさんあって愉しめる。曲が短くて各曲の個性の色付けが明確で調性感があるため、1985年以降の新しい音楽といっても誰でも即時に曲の良さを理解できて価値も分かると思う。作曲者にとっては気楽に書いた小品集のようにも聴こえるが、その肩肘張らない親しみやすさが魅力。練習曲らしいピアニスティックさと音数が産む複雑さももちろん良い。第3集は若々しさが無くなってしまい少し物足りない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7
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[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
46. 中川隆[-14721] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:19:21 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[20]
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2. 後面解放箱

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[近代史7] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
5. 中川隆[-14720] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:21:00 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[21]
昔のイギリスやドイツの高能率フルレンジスピーカーはバッフル板か後面解放箱に取り付けるのが基本です:

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47. 中川隆[-14719] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:22:25 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[22]
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[近代史7] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
5. 中川隆[-14718] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:23:06 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[23]
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[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
139. 中川隆[-14717] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:24:59 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[24]
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2. 後面解放箱

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[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 45 中川隆
4. 中川隆[-14716] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:26:12 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[25]

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[近代史7] 電力増幅用直熱3極管 VT-52 中川隆
2. 中川隆[-14715] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:27:12 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[26]

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2. 中川隆[-14714] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:27:36 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[27]

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[近代史7] 電力増幅用直熱三極管 PX4 中川隆
2. 中川隆[-14713] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:28:21 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[28]

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[近代史7] イタリアの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14712] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:31:03 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[29]
イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2


ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525?-1594)
ルネサンス後期を代表する宗教音楽の超大物。技術的に非常に高く、パレストリーナ様式を確立したらしい。しかし、楽曲があまりに超然としている。感情主体で音楽を聴く現代人にとって、彼の音楽に素直に感動することが難しいと思う。

スターバト・マーテル
3.3点
悲しみに溢れており神秘的な輝きもあり、超然としたパレストリーナの曲の中では分かりやすい。

ジョヴァンニ・ガブリエーリ(Giovanni Gabrieli, 1554または1557? - 1612)
この時代にしては聴きやすく分かりやすい。いくつか聴いた印象はどれも非常に素晴らしい。

カンツォーナとソナタ集(1615年出版。器楽曲)
3.5点
これはよい。古い音楽だが聴きやすく、暖色系のオーラに包まれるかのような包容力がある。


カルロ・ジェズアルド(Carlo Gesualdo 、1566? - 1613)
クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567 - 1643)
ルネサンスからバロックへの、西洋音楽至上最大の変革の両方の時代に生きた、前期バロック最大の作曲家。彼の時代はまだ異世界音楽という感じであり聞きやすくないが、その中でも強く感情をほとばしらせる力は心に訴えかけるものがある。

聖母マリアの夕べの祈り(1610年)
3.5点
さまざまなバラエティ豊かで充実感がみなぎり滋味もある音楽が続く大作。まだバロック音楽というよりルネッサンス時代の音楽に近く、通常耳にするような音楽と仕組みが違うので、分かりやすくはない。

倫理的、宗教的な森
3.5点
長い曲なので、パロットの抜粋版で聴いた。「聖母マリアの夕べの祈り」同様に古い音楽ではあるが、通奏低音がより明確なラインとなっていて聞きやすいと思うし、敬虔な癒しの音楽という全体的な印象があるとともに、曲集としての総合性を感じる。自分はこちらの方が好みかもしれない。

ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583 - 1643)
鍵盤音楽作家として有名。

Il primo libro di Capricci
3.5点
ルネサンス的な素朴な美しさを残しており、素朴な対位法も活用している大変美しく魅力的な曲集。シンプルな曲の中にチェンバロの楽器の魅力が大変よく生かされている。個人的には非常にツボにはまる音楽である。

アルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli, 1653 - 1713)
ヴァイオリン・ソナタ 作品5

12番「ラ・フォリア」
3.8点
有名な主題であり、ラフマニノフにも変奏曲にされている。南欧的な情熱のほとばしりに圧倒される主題だけでなくさらに情熱をかきたてる変奏技術の見事さにより、一度聴いたら忘れられない曲に仕上がっている。

合奏協奏曲集 作品6
1番
3.0点
どの楽章もがっちりとした構築感があり、例えばヴィヴァルディのようにさらっと短時間で書いた趣はない。音の響きや音使いのバロックらしい美しさが基調なのだが、そのうえで楽章の連結の考慮や高度な計算されたバランスを構築している。ただ、正統派の曲であるが、その分固苦しくて面白くない気がした。あまり心が踊らない。

2番
3.3点
1番よりもダイナミックで楽しい。特に最後の楽章の手際の良い切れ味もある締めくくりの音楽はなかなかの出来栄えだと思う。音楽の密度が濃い。

3番
3.3点
短調であり、激情の表出がある。中間でエレジーのような悲しみの詠唱から、堰を切ったように激情の曲になる箇所がとくに極端である。とはいえ、情に流されすぎず場面を手際よく作っていく音楽という印象である。

4番
3.3点
ザクザクとした鋭い切れ味と豊穣さを両立した1楽章は見事。他の楽章もそれなりに良い。最後の楽章が見事に気持ちよく締めくくる感じが爽快で気持ち良い。

5番
3.0点
変ロ長調らしい柔らかさがある。伸びやかな解放へ向かう感じもある。一方で音楽の密度が濃すぎる堅苦しさもデメリットとしてより気になる気がする。

6番
3.3点
前半は性急さや詰め込みすぎがなくて、田園的な楽天的気分でゆったりした所があるのが心地よい。2楽章の旋律美も心の琴線に触れるものがあって良い。とはいえ緊密に書かれているのと、最後の楽章では短調で緊張感を高めていくため、最後まで続くわけではない。

7番
3.3点
軽快かつ機敏でありきたりでない音楽になっている。ソロの使い方の面白さが耳をつく。最後の終わり方も面白い。ふわっとした機知とでも呼びたい面白い仕掛けの工夫の楽しみが多くて楽しい曲。構成もひねりが効いている。

8番
3.5点
コレッリ合奏協奏曲の中で有名であるとともに規模が大きい。この時代からクリスマスの音楽の雰囲気が現代に似ているのに驚く。多くの楽章が様々な表情を見せながら、聖なる夜の音楽を演出してくれるのに浸れる。その曲調の分かりやすさと統一感が、他の曲よりもおすすめしやすい点といえるだろう。

9番
3.0点
手際の良いところが気持ちいいし、諧謔的な軽い面白さも良い。しかし、心を強く捉えるほどの曲ではないと思う。

10番
3.0点
様々な曲がある正統派の曲。しかし、旋律の魅力が全般に乏しい。悪く言えば、ただ音が鳴っているだけに聴こえる場面が多い。

11番
3.0点
小ぶりな曲。全体的に終焉の雰囲気が流れており曲想に統一がある。分かりやすい一方で一本調子にも聴こえる。聴き終わった後にあまり満足感を多く残してくれない。

12番
3.3点
平均的な楽章が続く曲に思える。コレッリらしい音使いの美しさと緊密さは楽しめるが、この曲ならではのものはないと思う。しかし、やはり改めて冷静に聴くとおとぎ話の世界のようでもあり、バロック音楽屈指の美しい音世界のようにも思える。

ジュゼッペ・トレッリ(またはトレルリ)(Giuseppe Torelli, 1658 - 1709)
合奏協奏曲作品8
2点
それなりのクオリティではあるが合奏協奏曲の一流作品と比較すると底が浅くて面白くない。


アレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660 - 1725)
聖セシリアのミサ曲 St Cecilia Mass(1721年)
4点
非常にすばらしい。合唱とオーケストラによる編成のミサ曲の最初期の作品だが、すでに驚くべき完成度と精神的・音楽的な高みに達している。

トマゾ・アルビノーニ(Tomaso Giovanni Albinoni, 1671 - 1751)
ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685 - 1757)
大量のソナタで有名。ソナタは南国らしいシンプルな快活さで、ハープシコードらしい魅力を楽しめる。ただしシンプルすぎて同じような曲が多いため、スコット・ロスの全曲録音を聴きとおすことは一生ないだろうとも思う。

アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678 - 1741)
大バッハも大いに研究したイタリア・バロックの大作曲家。他の同時代のイタリア作曲家と比較すると、輝かしくも複雑で陰影を秘めており、曲の放つ魅力は断然優れている。メロディーセンスもある。

ヴァイオリン協奏曲
作品3 12曲の合奏協奏曲集『調和の霊感』
第1曲
3.0点
素朴でオーソドックスな中に瑞々しい感受性が感じられて素敵。特に2楽章はロマン派の音楽のように感情的である。

第2曲
2.5点
短調で劇的な雰囲気を一応楽しめるが、あまり面白い曲と思わなかった。

第3曲
2.8点
長調と短調を混ぜた構成で工夫は感じるが、曲の良さにはいまいち繋がっていないと思う。

第4曲
3.5点
短調の曲。バロック的な感情的でなくシンプルな短調の響きの美しさをおおいに発揮している。活気があり、バランスが良いため楽しめる。

第5曲
3.5点
1楽章の単純明解な楽しさと、2楽章の大変美しい叙情性の対比が聞き物。3楽章も悪くない。

第6曲
3.3点
短調の魅力を発揮しているが、単純さの中に神がかり的なものを見せるヴィヴァルディの天才が今ひとつきれいに発揮されていない気がする。中間楽章の叙情性は美しい。

第7曲
3.5点
5つの楽章からなり、それぞれ大きく異なる雰囲気のため、バラエティと起伏に富む感じが楽しい。それぞれは素朴ながらも全体として豊かな音楽という印象が強い。

第8曲
3.5点
2楽章が魅力的。同じフレーズの繰り返しが産む美と憂愁の世界が素晴らしい。1楽章や3楽章も短調の美と躍動感を両立して素晴らしい。

第9曲
2.8点
全部の楽章において、雰囲気は悪くないのだが単純すぎて情報量が少なく、物足りなさが残る。

第10曲
3.3点
2楽章は単調だがなぜか楽しめる。3楽章は分厚い音の積み重ねが聴いていて楽しいし、変化もあって楽しめる。

第11曲
3.0点
3楽章のフーガはもの珍しい気分で聴ける。フーガでもヴィヴァルディは華やかなである。4楽章は訴えかけるようなソロが楽しい。

第12曲
3.3点
伸びやかな雰囲気が印象的。後年の協奏曲に通じるものをそれとなく感じる。密度は平均より高いが、もう一つ突き抜けないものがある。

作品8 12曲の協奏曲集『和声と創意への試み』(『四季』を含む)
1曲目「春」
5.0点
一楽章は大変有名な曲だが、やはり主題が大変に魅力的で素晴らしい。中間の嵐を描写した部分もよい対比になっている。3楽章の伸びやかな主題も魅力的。

2曲目「夏」
3.5点
3楽章の嵐の描写が楽しい。1、2楽章は描写的で楽しいものの、ノリが良くない。

3曲目「秋」
3.5点
3楽章のウキウキする感じが楽しい。1楽章も夏の後に続けて聴くとノリと普通のメロディーの曲に戻って楽しい気分になる。

4曲目「冬」
4.0点
2楽章の有名な雪景色のような甘く美しい旋律が素敵。1楽章はノリノリで楽しい。3楽章のレティタティーボのようなフレーズから始まる美しい短調のソロも楽しい。

その他
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 『ピゼンデル氏のために』 RV.242

フルート協奏曲
作品10の6曲のフルート協奏曲集は史上初のフルートのための協奏曲とのことである。6作中5作は旧作の転用である。

第1番 ヘ長調『海の嵐』 RV.433
2.5点
音階を多用し活発な印象。これが海の嵐を表しているのだろうか。かなりのスピードで演奏が大変そう。

第2番 ト短調『夜』 RV.439
3.3点
6つの楽章がある特殊な楽章構成。3つのラルゴ楽章の夜の雰囲気が素敵。それに挟まっている快速の楽章も効果的。短調が美しい。

第3番 ニ長調『ごしきひわ』 RV.428
3.5点
1楽章や3楽章の活発で伸びやかな中に懐の深さを感じさせる曲や、2楽章の清新で美しく柔らかい曲など、ヴィヴァルディの協奏曲の魅力に溢れている曲。1楽章の鳥の鳴き声の模倣も楽しい。

第4番 ト長調 RV.435
2.8点
活発なヴィヴァルディらしいコンパクトな曲。しかし、ありきたりすぎる。

第5番 ヘ長調 RV.434
3.0点
優美で柔らかく穏やかな曲調。特に2楽章は珍しくドイツ系のよう堅いが哀愁漂う美しさ。どの楽章もフルートのもつ美しさを堪能出来る。

第6番 ト長調 RV.437
3.0点
1楽章のオクターブをトビハネルユニゾンのダイナミックな主題の魅力はなかなか。3楽章の大活躍するフルートがまたダイナミックで楽しい。

フランチェスコ・ジェミニアーニ(Francesco Geminiani, 1687 - 1762)
ジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini, 1692 - 1770)
ヴァイオリンソナタ 悪魔のトリル
3.5点
バロックらしい弦楽器がずっと出ずっぱりで弾きまくる楽しさ、技術的な難易度の高さゆえの複雑さ、デモーニッシュな音楽的刺激で楽しめる曲。バロック音楽におけるヴァイオリン曲の魅力があるが、もっと後の時代の音楽のような内容の豊富さと強烈さがある。

ピエトロ・ロカテッリ(Pietro Antonio Locatelli, 1695 - 1764)
典型的イタリアバロックの作曲家。音楽性はヴィヴァルディとコレッリを足して3で割った感じ。書いたのは快活で爽やかあり耳障りがよいが単純な曲である。ヴァイオリンはテクニカルなようだ。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710 - 1736)
古典派様式の初期の様式を示した天才作曲家。夭折が惜しまれる。

スターバト・マーテル

ルイジ・ボッケリーニ(Luigi Rodolfo Boccherini、1743 - 1805)
ハイドンのライバルの一人。有名なメヌエットに限らずなかなか高いクオリティの曲を書く良い作曲家であり、古典派の魅力を楽しめる。

交響曲ニ短調Op.12-4 G.506『悪魔の家』

交響曲ハ短調Op.41 G.519(1788/1797出版)
3.0点
古典派の短調の交響曲として、どの楽章もなかなか完成度が高く内容的にも充実している。ハイドンやモーツァルトを聴いた後に次に手を出すにはよいと思う。

チェロ協奏曲第9番変ロ長調G.482
2.5点
チェロの技巧的な難易度が高そうでチェリストの意欲をそそるのかもしれない。しかしながら観賞用の曲としてはいい曲とまではいかない。

弦楽五重奏曲ホ長調Op.11-5 G.275[4楽章](第3楽章は『ボッケリーニのメヌエット』として有名)

3つの弦楽五重奏曲Op.39 G.337〜339(1787)[2vn,va,vc,cb]
3.5点
コントラバスが入っているとオーケストラのような重厚感が出る。音楽的にもなかなかの充実感で楽しく聴き終えて満足できる。

弦楽五重奏曲集 作品27
3.0点
すごい特徴や素晴らしさがあるというわけではないが、安心のハイクオリティである。

フルートとハープのためのソナタ集 作品5
3.0点
編成のせいでホテルのロビーにかかっているような音楽になっているが、割とちゃんと書かれているように聞こえるので楽しい。決してただの機会音楽ではないように感じる。


マウロ・ジュリアーニ(Mauro Giuseppe Sergio Pantaleo Giuliani, 1781 – 1829)
ギター協奏曲1番
3.0点
ジュリアーニの協奏曲は1番が有名だそうだが、1聴した限りでは3番が好み。1番はギター協奏曲としての良さは十分だが、割とノーマルな音楽に感じた。

ギター協奏曲2番
2.5点
いい曲認定は出来ないが、古典派音楽のギター協奏曲というだけでも素敵で、ギターが好きな人は聴く価値がある。

ギター協奏曲3番
4.0点
この曲は好み。かなり良い。ギターの美しさに満ちており、古典派音楽の良い部分とうまく結合している。3つの楽章すべてがよい。穏やかで愛らしく気品がある。


ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini, 1792 - 1868)
ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813 - 1901)
19世紀イタリアオペラを代表する大作曲家。重厚な中にドラマを音で見事に形作り、観る者を引き込む力は天下一品。

ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858 - 1924)
甘く流麗なメロディーが魅力の20世紀を代表するオペラ作曲家。
蝶々婦人以外は断片しか知らないのだが、蝶々婦人の1幕最後の二重唱に関しては甘く切なくとろけそうな時間が延々と続いて最高に楽しくて大好きである。

ジュゼッペ・マルトゥッチ(Giuseppe Martucci 1856 – 1909)
イタリアといえばオペラであるが、この人は珍しい器楽曲中心の人。イタリアらしい魅力はちゃんとある。交響曲はかなりの魅力作である。

交響曲 第1番 ニ短調 作品75

交響曲 第2番 ヘ長調 作品81

ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品番号なし

ピアノ協奏曲 第2番 変ロ短調 作品66

ピアノ五重奏曲 ハ長調 作品45

ピアノ三重奏曲 第1番 ハ長調 作品59

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 作品62

ヴァイオリン・ソナタ 作品22

チェロ・ソナタ 嬰ヘ短調 作品52


ピエトロ・マスカーニ(Pietro Mascagni, 1863 - 1945)
カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲
5.0点
イタリア美しい自然と、その中に息づく人間達の悲喜を見事に描く、珠玉のように美しい名曲である。

フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866 - 1924)
ピアノ協奏曲(1904年)
1.5点
一番長く合唱付きのピアノ協奏曲ということでマニアの中では存在は有名な曲。しかし、内容的はあまりみるべきものはない。合唱も効果的とはいえない。

対位法的幻想曲(1910年)
3.0点
長い曲。フーガの技法を活用した部分はなかなかよかった。

バッハの無伴奏ヴァイルリンのためのパルティータ第2番ニ短調からシャコンヌのピアノ編曲
2.5点
大仰であり、あまり好きな編曲ではない。

オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879 – 1936)
ローマの噴水 Fontane di Roma (1915 – 16年)

ローマの松 Pini di Roma (1923 – 24年)

ローマの祭り Feste Romane (1928年)

ピアノ協奏曲
2.5点
まるでグリーグの協奏曲のように、やたらとロマンティックな曲である。オケが薄い気がするし、音楽のつくりの線が細くて断片の集合のように聞こえる。おおっと思う部分もあるが、全体的にはいまいち。

ヴァイオリンソナタ
3.3点
ブラームスの重厚で濃厚な雰囲気と、リヒャルト・シュトラウスの爛熟感をベースに、もう少し近代的な音感覚で書いた作品というイメージ。巨匠的な名作感とか、完成度に驚くようなものはないのだが、曲の存在感があるため記憶には残る作品になっている。曲の幻想的で儚い憧れを秘めた濃密な感情に強く揺さぶられる楽しみがある。

イルデブランド・ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti, 1880 - 1968)
夏の協奏曲
2.0点
イタリアらしい活気あふれた音楽。夏らしいとは言えるが、日本のような猛暑という感じではない。ロマン派的で聴きやすいが、映画音楽のように軽く、部分は悪くないのだが、聴き終えてみると魅力が残らない。

ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 1882 - 1973)
交響曲は近代らしく様々な曲があり、かなり面白い。マイナー交響曲の作曲家の中では屈指の大作曲家である。

交響曲
第1番「四季のような四つのテンポで」(1933年)
2.8点
強烈な色彩のコントラストがとにかく面白い曲。しかし、1枚もしくは4枚の抽象画のようであり、時間という音楽の強力な要素を使ったストーリーがない。軽く聴くだけだと楽章ごとの色合いも単調であり差異が分かりにくい。音の面白さだけで終わった曲と感じた。

第2番「悲歌」(1936年)
3.0点
1番と同様に色彩的な多彩さの面白さがメインの曲であるが、ダイナミックなロマン性も持っておりだいぶ聴き応えが増えている。抽象的な世界ではあるが、音が踊って跳ねたり、心に訴えかけたりもするようになった。ドビュッシーやラヴェルを近代化したような印象はやはり受けるが、作曲者の個性が発露して、交響曲と呼べるだけの充実感を一応備えている。

第3番「鐘」(1944年)
3.0点
より夢幻的な世界になった。また、バレエ音楽のように音の活気のある音楽になった。場面展開にメリハリがあり、ダイナミックに聴き手を翻弄するようになった。交響曲という感じはあまりしないかもしれない。

第4番「イン・メモリアム」(1946年)
3.0点
様々な身体を動かさせる音の動きのバレエっぽさと、音の鳴り方が簡素になって簡単に割り切れるようになったことから、ストラヴィンスキーに似てきており新古典主義に近付いているように聴こえる。難しいことを考えなくても耳を楽しませてくれる音楽ではあるが、後に残るものはあまりない。とりとめのないような場面展開もバレエ音楽か組曲のようで、精神性に乏しく構築感も少なくて交響曲という感じはしない。最後は精神性な盛り上がりを少し作るが。

第5番「エコーによるコンチェルタント」(1947年)
3.0点
ピアノ協奏曲の要素のある曲。バレエ音楽風なのは変わらず。野性的な趣もある新鮮味のある強烈さが面白い。ピアノの使い方が効果音的であり、そこそこ活躍するもののあまり前面には出ていない。しかし、ピアノの刺激がマリピエロの音楽の面白さをより明確にしてくれている。

第6番「弦楽のための」(1948年)
2.8点
弦楽合奏のための交響曲。しかし、単に色彩感がない残念さが際立ってしまったように思う。それを代替する良いところが自分には見つからなかった。やや単調なようにも思う。

第7番「カンツォーネ風」(1948年)
3.3点
他と同様の多彩な面白さと色彩感の強いバレエ音楽のような曲。変化し続ける雰囲気の面白さに熟練の磨きがかかっている気がする。中世的な神秘性が時折顔を覗かせる効果もはっとさせられる度合いが強くなっているかも。

第8番「小交響曲」(1964年)
3.0
月日が経過し調性感が薄くて浮遊感があり、不安やモヤモヤをそのまま音楽にしたような曲になった。7番までの交響曲が基本線は同じであることを思うと、ここで急に全くの別世界の音楽になって驚く。ショスタコーヴィチの交響曲に登場する不安を表現する音楽にかなり違いが、あれほど根暗ではなく、もう少し色彩感は付与されている。独特だが、これはこれで楽しめる。しかし、心を強くえぐるような感じではない。

第9番「ため息」(1966年)

第10番「アトロポ」(1966-1967年)

第11番「バグパイプ」(1969年)

協奏曲・協奏的作品
ヴァイオリン協奏曲 第1番(1932年)

ヴァイオリン協奏曲 第2番

フルート協奏曲

チェロ協奏曲

ピアノ協奏曲 6曲

室内楽
弦楽四重奏曲


アルフレード・カゼッラ(Alfredo Casella, 1883 - 1947)
ピアノ、ティンパニ、パーカッションと弦楽のための協奏曲
2.5点
面白い編成を生かして、バランスが良くて効果的なパンチの聴いた音楽になっている。


マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895 - 1968)
ギター協奏曲1番
1.5点
ギター協奏曲の中では有名な部類だそうだが、全体を通していい曲とは思えなかった。

ニーノ・ロータ(Nino Rota、1911 - 1979)
映画音楽の作曲家として著名の人だが、本人はクラシック音楽が本業と思っていたようだ。しかしながら、残念ながら映画音楽ほどの魅力はクラシック音楽からは感じられないと思う。

交響曲第1番ト長調(1935年 - 1939年)
2.5点
最後の楽章が本格的。クラシック専門の大物作曲家と比較すると、交響曲としてはアマチュア感があり平凡。とはいえ所々楽しめるところはある。

交響曲2番
3.0点
ニーノロータの交響曲の中で一番気に入った。描写力がすごいので楽しめる。一番映画音楽っぽく感じる。結局、それが音楽性を生き生きとさせていると感じられた点なのだろう。

交響曲3番
2.5点
映画音楽の描写力と絶対的な音楽の形式や精神の融合がうまくいっている。初期と比べると実力が上がっているのが分かる。

弦楽のための協奏曲(1964年 - 1965年)
2.5点
遅い曲がしなやかが柔らかい。緩急のつけ方、早い曲の心情的な切迫感もニーノ・ロータらしさが出ている。最後の楽章が頑張っている。

フルート、ヴァイオリンとピアノのためのトリオ
1.5点
あまりたいした曲ではなかった。

イルデブランド・ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti, 1880 - 1968)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/628.html#c1

[近代史7] フランスの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14711] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:33:20 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[30]
フランス(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

フランス。ベルギー、スイスもここに含む。

ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, 1300年頃 - 1377)
ノートルダム・ミサの作曲者として有名。

ノートルダム・ミサ曲
3.0点
史上初めての通作ミサ。この時代の音楽の初心者である自分が聞いても、14世紀という大変古い音楽にしては素直にいい曲と思えた。

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay 1400年頃 - 1474)
中世からルネサンスへの転換を図った音楽史上における非常に偉大な作曲家。曲はシンプルで聞きやすく分かりやすく、初めて聴いてすぐに気に入ったほどである。

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, 1410年頃 - 1497)
デュファイの次世代の超大物。デュファイの音楽を発展させたかのような新しさを響きから感じる。デュファイ同様に分かりやすくてすぐに気に入った。

ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez 1440年? - 1521)
当時のあらゆる音楽の技法を総合した音楽を創作した当時の音楽の父の存在であり、西洋音楽史上の最大の天才の一人。曲はオケゲムと比較して随分と複雑である。もっと後の時代の作品のように感じる。

「ミゼレレ・メイ・デウス」 "Miserere mei Deus"
4.0点
あまりに悲しくも美しい音楽に心を奪われて、最後まで聞きほれてしまった。ジョスカンの天才ぶりを痛感。

ミサ「フェラーラ公エルコレ」Missa Hercules dux Ferrariae
3.5点
パンジェリンガのような晩年の曲と比較するとシンプルで人間的な響きと感じられて分かりやすい。

ミサ「パンジェリンガ」Missa Pange lingua
3.5点
最晩年の高い完成度で代表作とされているミサ曲。超然としていて複雑で感情的な共感は難しいものの、理屈抜きで究極的にバランスが取れていて美しいと感じる。

オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso:イタリア語形)、1532 - 1594)(オルランドゥス・ラッススとも)
宗教曲や通俗曲を何曲か聴いてみた。曲によってはビクトリアのような輝かしさを秘めた美しさがあったが、ノーマルで典型的なルネサンス的な曲も多かった。

ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste [de] Lully, 1632 - 1687)
リュリの音楽を知った時は驚いた。華やかさと発想力の強さ、もう一度聴きたいと思わせる魅力。ルイ14世の治世で権勢を振るっただけのことはあると思った。

美術 (Les Arts) (1663年)
特に代表作というわけではなさそうだが聴いてみたバレ。オーケストラ:歌唱が2:1くらいだろうか。オケは躍動感を感じる付点リズムが非常に目立つが、歌唱のときでは必ずしもそうではなく、非常に繊細な音楽になる。ストーリーが分からなくても音楽だけで楽しめるのはシンプルなようで内容が充実しているのだろう。とはいえ長いので一気に聴いたら後半になるとさすがに飽きてきた。

マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)
すごく好き。発想力とセンスと音感の良さがすごい。現代になって重要性が再認識されたそうだ。自分は17世紀を代表する大作曲家の一人と思っている。

降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲)Messe de Minuit pour Noël (H. 9, c. 1690)
4点
とてもいい曲。どの曲も美しくて華があり辛気臭さが少ない。

テ・デウム ニ長調Te Deum (H. 146, c. 1690)
4点
なんという華やかさだろう。本当に明るく楽しくウキウキした気分になる。

マラン・マレー(マレ、Marin Marais、1656 - 1728)
アンドレ・カンプラ(André Campra, 1660 - 1744)
ジャン・ジル(Jean Gilles, 1668 - 1705)
レクイエムが有名。バロック時代のレクイエムとして文句なしに素晴らしい。

レクイエム
4.5点
この曲は素晴らしい。非常に秀逸なレクイエムである。葬祭的な感情、個人を悼み、安らかな眠りを願い、過去を思い返し、全てが終わった事の清算をし、人の世の儚さを思い巡らせる音楽。激烈な悲しみは表に出てこないが、死者を弔う音楽としての現実を見事に音楽化していて、非常に感動的である。バロックのさっぱりした音楽の良さが生きている。

フランソワ・クープラン(François Couperin, 1668 - 1733)
鍵盤楽器の作曲家として有名。

ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683 - 1764)
エティエンヌ・メユール(Etienne Henri Méhul / Etienne Nicolas Méhul, 1763 - 1817)
フランソワ=ジョセフ・ゴセック(François-Joseph Gossec,1734 - 1829)
ガボット
4.0点
CMなどでよく使われており誰でも聞いたことがある曲。軽快で楽しい。

アンドレ・ジョルジュ・オンスロウ (Andre George Louis Onslow 1784 - 1853)
ルイーズ・ファランク(Louise Farrenc, 1804 - 1875)
シャルル・グノー(Charles François Gounod,1818 - 1893)
交響曲
交響曲第1番 ニ長調(1854)
2点
オペラ作曲家らしいはつらつとした快活さが印象的。しかし、あまりに古典的すぎるし、かといってハイドンのような霊感に満ちている感はなく、聴いていて心地よいのだが物足りない。

交響曲第2番 変ホ長調(1856)
3.5点
1番の2年後の作品で、音楽的には似ているのだが、モーツァルトのようなシンプルな中にロマン的な情緒を篭める技術を体得したのか、はるかに深みがありいい音楽になっている。

小交響曲 変ホ長調(1888)

シャルル・ヴァランタン・アルカン (Charles Valentin Alkan ,1813 - 1888)
ショパンやリストやシューマンといったピアノ音楽の大天才と同時代のフランス代表のピアノ音楽作曲家。肥大化した超難曲を沢山書いていて、技工派ピアニストに好かれている。総合的にはショパン達には一歩劣るものの、スケールの大きさや雰囲気の構築力や独特のピアノの器を限界まで引き出すような作品を作った、十分大きな価値のある作曲家。

Op.27b エチュード「鉄道」
3.5点
ガンガン突き進む高速の金属的な無機的なフレーズのたたみかけは、よく表題を表している。超絶技巧の圧倒は聴き映えがする。手が疲れそう。後半には大きなうねりもみせるのも楽しい。アイデアが楽しい曲。

Op.33 グランドソナタ
3.5点
かなり大規模なピアノソナタ。まずは大規模さそれ自体を楽しめる曲としては、ばっちりだと思う。技工的な部分だけでなく、広大さを基調とした幅広い曲調で音楽を構成されている。多くを詰め込んだ、芸術性の高い本格的な曲を書こうとしたであろう本人の高い志を感じる。それはある程度成功していて、例えばシューマンのソナタならライバルとも言えそうなほどである。トップレベルとは言わないまでも、ロマン派の大規模ピアノ曲の重要作品の一つとは言えそうだ。巨匠的な響きに到達している。後の短調のための練習曲と比較すると、作曲技術にまだ若さやこなれていない印象はすこしあるが、芸術的な真摯さでは上回っている気がする。ちなみに、いきなりスケルツォで始まるのが驚く。

Op.35 全ての長調による12の練習曲

Op.39 全ての短調による12の練習曲
第1番 イ短調 あたかも風のように(Comme le vent)プレスティッシマメンテ
3.3点
超絶技巧のたたみかける感じ。ショパンの作品10−4のような焦燥感も演出する。かなり密度が濃く、多くのアイデアが詰め込まれた密度の濃い曲。敷き詰められたものすごい音の多さにびっくりする。

第2番 ニ短調 モロッソのリズムで(En rythme molossique)リゾルート

第3番 ト短調 悪魔のスケルツォ(Scherzo-diabolico)プレスティッシモ
3.8点
この曲は巨匠的な発想の良さを感じる。部分同士の対比が非常に効果的で、陳腐さが無い。リストのスケルツォとマーチを思い起こすゴリゴリとして少し悪魔的で情熱的なスケルツォも、分厚い重音の長調の部分も良い曲。

第4番 ハ短調 ピアノ独奏による交響曲(Symphonie pour piano seul)第1楽章 アレグロ・モデラート
第5番 ヘ短調 ピアノ独奏による交響曲 第2楽章 アンダンティーノ
第6番 変ロ短調 ピアノ独奏による交響曲 第3楽章 メヌエットのテンポで
第7番 変ホ短調 ピアノ独奏による交響曲 第4楽章 プレスト
3.3点
ピアノ独奏による交響曲4楽章をまとめて感想を書く。オケ曲の編曲にありがちな非ピア二スティックな音楽ではなく、ばっちりピアノ曲である。しかし、メロディーやパッセージには管弦楽曲のような印象を多くの場面で持つ。だから、交響曲という命名にはあまり違和感はない。シューマンの交響曲のような、19世紀半ばらしい音楽である。なかなかの力作であり、交響曲という発想ならではの強弱や陰陽の幅が大きくて、展開の豊富な音楽を楽しめるし、感心する。しかし、メロディーなどの純粋な楽曲としての魅力の点では、印象に強く残るほどではないとも思う。

第8番 嬰ト短調 ピアノ独奏による協奏曲(Concerto pour piano seul)第1楽章 アレグロ・アッサイ
3.5点
リストのソナタ同様の30分ぶっ通し1本勝負の曲。これがなかなか素晴らしい。テーマは分かりやすくて良く、テーマを活用した技巧的な様々な雰囲気の移り変わりや興奮と鎮静の展開が楽しいので、長い曲を全然飽きずに聴き通す事ができる。むしろあっという間の30分という感じ。
リストのソナタの全てを注ぎ込んだような迫力には及ばないにしても、エンターテイメント作品として出来が良くて素晴らしいし、芸術性も決して低く無い。ピアノ曲マニアは要チェック。

第9番 嬰ハ短調 ピアノ独奏による協奏曲 第2楽章 アダージョ
3.0点
瞑想的で夜想曲に近い部分や、暗い行進曲的雰囲気などを組み合わせている。わりと良いメロディーを使って、大人っぽい雰囲気を出している。また、曲の規模の大きさを有効活用して構成的に書かれており、聞き応えのある音楽を作り上げており、なかなか良い。

第10番 嬰ヘ短調 ピアノ独奏による協奏曲 第3楽章 蛮族風のアレグレット
3.0点
典型的な19世紀の協奏曲の終楽章という感じの、技巧を派手に見せつけるが内容が軽い音楽。華麗ではあり、3つの楽章の中でもっとも協奏曲らしい曲だ。テクニックを楽しむ曲であり、面白い曲という感じではない。

第11番 ロ短調 序曲(Ouverture)マエストーゾ―レンテメンテ―アレグロ

第12番 ホ短調 イソップの饗宴(Le festin d'Ésope)アレグレット
3.8点
変奏曲としてかなり優れている部類だろう。短いが優れたテーマを使って非常に豊かな展開を見せており、その展開の幅広さや高低差は屈指のものがある。超絶技巧も効果的に必要な場面で使われて聴き手の期待を満たしている。変奏の繋げ方も良い。芸術性は十分に高い。

アンリ・ヴュータン(Henri François Joseph Vieuxtemps, 1820 - 1881)
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調 op.31 (1850年頃)

ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調「ル・グレトリ」 op.37 (1858年)

エドゥアール・ラロ(Victor Antoine Édouard Lalo, 1823 - 1892)
管弦楽作品
交響曲 ト短調

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
ヴァイオリン協奏曲第1番 ヘ長調 作品20

『スペイン交響曲』 ニ短調 作品21(ヴァイオリン協奏曲第2番)
3.5点
独奏ヴァイオリンがずっと大活躍であり、協奏曲の一種であまり交響曲に近くないと思うが、技巧的要素を強調していないしカデンツァも無い所が普通の協奏曲と違う。しなやかで情感豊かなヴァイオリンの歌わせ方と随所に現れるスペインの民族的な旋律が魅力的。長い曲でないが5楽章もあり、1つの楽章が短くて聴きやすい。最終楽章が楽しい。

『ロシア協奏曲』 ト短調 作品29(ヴァイオリン協奏曲)

『ノルウェー幻想曲』 イ長調(ヴァイオリン協奏曲)

チェロ協奏曲 ニ短調

ピアノ協奏曲 ヘ短調

ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet, 1838 - 1875)
管弦楽曲
交響曲ハ長調(1855年)


ヴァンサン・ダンディ(Paul Marie Théodore Vincent d'Indy, 1851 – 1931)
フランスの山人の歌による交響曲(1886)
4.5点
この曲は個人的にかなり好きだ。親しみやすく、優雅では華やかで、フランスらしい詩情や洗練された上品さを高度に備えている。ピアノは協奏曲に近い程に大活躍するが、オーケストラと対地されておらず、一緒に盛り上げるパーツとして活用されている。至福の時を過ごせる曲であり、フランスの19世紀の管弦楽としてかなりの傑作であると思う。

ハンス・フーバー(Hans Huber、1852 - 1921)
エルネスト・ショーソン(ショソン、Ernest Chausson, 1855 - 1899)
交響曲 変ロ長調 (作品20)

詩曲 (作品25) ヴァイオリンと管弦楽

ピアノ三重奏曲
3.5点
初期の作品。情緒的な濃厚さがなんとも言えない精妙な奥ゆかしい味付けで響いている。奥ゆかしさは、裏を返せばはっきりしないもどかしさも感じるものだ。20世紀の洒脱なフランス音楽や、19世紀ドイツの構築的な世界も違う、19世紀フランスの濃厚さを室内楽で体現した名作。

ジョゼフ=ギィ・ロパルツ(Joseph-Guy Ropartz, 1864 - 1955)
交響曲
交響曲第1番イ短調(1894)

交響曲第2番ヘ短調(1900)

交響曲第3番(1905)

交響曲第4番(1910)

交響曲第5番(1944-45)

アルベリク・マニャール(Lucien Denis Gabriel Albéric Magnard, 1865 - 1914)
精妙な和声を駆使したよい雰囲気がありながら、古典的な規模の作品を書いている。

交響曲第1番 Op.4

交響曲第2番  Op.6

交響曲第3番 Op.11

交響曲第4番 Op.21

ヴァイオリン・ソナタ  Op.13

弦楽四重奏曲 Op.16

ピアノと弦楽のための三重奏曲 Op.18

チェロ・ソナタ Op.20

エリック・サティ(Erik Alfred Leslie Satie、1866 - 1925)
いま聴いても新鮮な独自世界を築いた人。浮遊感とか浮世離れした神秘性など、21世紀っぽい感性を持っていると思う。

3つのジムノペディ - 1888年

グノシエンヌ(6曲) - 1890年

ヴェクサシオン(嫌がらせ) - 1893-1895年

ジュ・トゥ・ヴー

シャルル・ケクラン (Charles-Louis-Eugène Koechlin、1867 - 1950)
アルベール・ルーセル(Albert Charles Paul Marie Roussel, 1869 - 1937)
音の密度が高くて評価されている作曲家だが、個人的には刺々しくて理屈っぽいような音楽が肌に合わない。聴きたくないと生理的に思ってしまう作曲家。

管弦楽曲
交響曲第1番ニ短調 Op.7「森の詩」(Le poème de la foret)(1904年 - 1906年)

交響曲第2番変ロ長調 Op.23(1919年 - 1921年)

交響曲第3番ト短調 Op.42(1929年 - 1930年)

交響曲第4番イ長調 Op.53(1934年)

管弦楽組曲ヘ長調(Suite en fa) Op.33(1926年)

シンフォニエッタ(Sinfonietta pour orchestre à cordes) Op.52(1934年)

ピアノ協奏曲ト長調 Op.36(1927年)

チェロと管弦楽のためのコンチェルティーノ(Concertino) Op.57(1936年)


室内楽曲
フルート、弦楽三重奏、ハープのためのセレナード(Sérénade) Op.30(1925年)

弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.45(1931 - 1932年)

弦楽三重奏曲(Trio à cordes) Op.58(1937年)

フルート、ヴィオラとチェロのための三重奏曲(Trio) Op.40(1929年)

ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.28(1924年)


フローラン・シュミット(Florent Schmitt, 1870 - 1958)
管弦楽曲
管弦楽曲《夜曲集 Soirs》

管弦楽曲《オリアーヌと愛の王子 Oriane et le Prince d'Amour》

管弦楽曲《イン・メモリアム In Memoriam》

ヴァイオリンと管弦楽のための《アベッセ Habeyssée》

ピアノと管弦楽のための《協奏交響曲 Symphonie concertante》

ジャニアナ交響曲 Symphonie 'Janiana'

交響曲 第2番 Symphonie No.2

交響詩《夢 Rêves》


吹奏楽曲
《酒神祭(ディオニソスの祭り) Les Dionysiaques》

器楽曲
ピアノ五重奏曲 ロ短調 Quintette pour piano et quatuor à cordes


シャルル・トゥルヌミール(Charles Tournemire, 1870 - 1939)
交響曲
交響曲第1番「ロマンティック」

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番

交響曲第5番

交響曲第6番

交響曲第7番「命の踊り」

交響曲第8番


ルイ・ヴィクトル・ジュール・ヴィエルヌ(Louis Victor Jules Vierne, 1870 – 1937)
6つのオルガン交響曲

(名高い「ウェストミンスターの鐘」を含む)《24の幻想的小品集(24 Pièces de fantaisie)》(作品51〜55)

交響曲イ短調

ヴァイオリン・ソナタ

チェロ・ソナタ

ピアノ五重奏曲

弦楽四重奏曲


ギヨーム・ルクー(Guillaume Lekeu, 1870 - 1894)
非常に早世してしまった作曲家。室内楽はかなり評価が高い。もったいなかった。

ヴァイオリンソナタ

弦楽四重奏曲

ピアノ三重奏曲

チェロソナタ


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/627.html#c1

[近代史7] フランスの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14710] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:35:00 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[31]
フランス(1890年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893 - 1918)
20世紀の作曲家で、ここまで心に強く訴えるもののある作曲家を私は知らない。私の知る限り女性作曲家の中でももっとも優れているし、それどころか20世紀になってから活躍した作曲家の中でももっとも優れた作曲家の一人だと思う。

カンタータ<ファウストとエレーヌ>Faust et Hélène(1913年)
3.5点
前半はオーケストレーションが簡素すぎるきらいはあるものの、ゆったりとした美しい叙情に身をひたす楽しみがある。ワーグナーのようであり広大で空気感のある甘美な音楽である。後半はプッチーニのように情熱的でロマンティックを突き詰めた甘美さの音楽になる。このようにオペラ的な劇的さを30分に詰め込んだ作品であり、どちらもエンターテイメント的な楽しみを感じさせる。長く生きればフランスを代表するオペラ作曲家になれただろうと思わせる。

交響詩<哀しみの夜にD'un soir triste>(1917年〜18年)
2.8点
間奏的な曲。大きく盛り上がらず、重厚で重たい夜の雰囲気だけをずっと奏でて終わる。先を期待させるも、大きな変化や天才的な閃きを見せずに終わる。雰囲気は好きだがこれだけで10分は長い。

ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための<春の朝にD'un matin de printemps>(1917年〜18年)
3.0点
ドビュッシーの作品のようだ。印象派的な音の使い方の美しさが魅力の小品。4分とは思えないほど、みっちりと展開が詰まっている。巨匠的とまでは若書き感の残る作品だが、その新鮮で溌剌としたところが魅力である。

(ヴァイオリンと)ピアノのための<夜想曲 ヘ長調><行列 ホ長調>
3.5点
伴奏のピアノもヴァイオリンの旋律も非常に美しい。特別なことをしていないようであるが、小品として強く引き込まれる。色彩感と夜の雰囲気と楽器を豊かに歌わせる展開力が優れているからだろう。何度も聴きたくなってしまう。

ピアノ曲<暗い庭から>

詩篇 第24番(1916年)

詩篇 第130番(1910年〜17年)
4.0点
ブルックナーのように重厚で力強く、熱い信心の心を圧倒的な質量の音の重さでもって表現している。展開力、世界観の 圧倒性には感服するしかない。女性か男性かという次元でなく、20代前半とは到底信じられない恐るべき深さをもった楽曲である。不安げな冒頭、後半の感情の盛り上がり、はるか深い闇の中からうごめくように這い出てくる魂たち。人類の悲しみの歴史と業をも背負ったかのようだ。この次元に若くして到達したのは病弱な身体に宿った精神ゆえとしか説明がつかない。

古い仏陀の祈り
3.3点
同じ動機を繰り返すため、途中からしつこく感じてしまった。とはいえ古い仏陀の祈りという題名の表象する音世界を非常に絶妙に表現できていて、驚くべき表現力と思う。神秘的だが、東洋的な柔らかさと世界をオーラのように包み込むような感じと、何千年も昔の世界から時空を超えて伝わってくる感じがよい。

ピエ・イエズ(1918年)
3.8点
天才作曲家の24歳にして病床で口述筆記された絶筆という前提知識を持って聴くと、あまりにも天国的に美しくて、心臓が止まりそうになる。冒頭の歌が始まった瞬間に時が止まったかのようになり、この音楽の世界に入り込む。なんという美しい音楽だろうか。半音階的な伴奏の進行や絶妙な転調を繰り返して、祈りながら天の彼方へと飛び去って行く魂のような音楽を聴かせてくれる。

ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre、1892 - 1983)
ピアノ協奏曲
3.3点
ミヨー的な推進力として活力と風向明媚という表現を連想させる明るさが楽しめる佳作。内容豊富なのかよく分からないが、とにかく音が生み出すパワーで押し切るから、何も考えずに楽しいのは間違いない。そしてミヨーとかとは少し音の感覚が違うが故の新鮮さがある。何度も楽しめる深さはなさそうだが、聴いてみる価値はある曲。

弦楽四重奏曲(1917-19)

ハープ・ソナタ(1953)
3.3点
フランス的で深刻さのない軽さがあり、オシャレさと浮遊感がある音楽がハープとマッチして、一つの楽しめる音楽を作っている。凄みはないが、神秘的なハープの音の世界が一つの小宇宙となっている。個性と音楽形態がマッチして成功している曲。コンパクトで聴きやすい。

クラリネットのためのソナタ(1957)

ヴァイオリンソナタ1番
3.0点
わたしには、全体を覆っている陰鬱さとねちっこい感傷性が鼻について楽しめなかった。まだ作曲家として音が十分にこなれておらず、ドビュッシーを悪くしたような感じであるのも物足りない。とはいえ、それなりの音世界の規模と広がり深みをもった力作としての楽しみはあるかもしれない。こじんまりと小さく収まり良くまとめられた作品ではなく、野心的な作品である。

ヴァイオリンソナタ2番
3.0点
時に平凡な場面を混ぜながら即興的に進む。深刻さはないが感傷も混ざったりするし、様々な変化を気楽に聴ける。フランス6人組の中でも自分の音楽が凝り固まっておらず新鮮さを失っていない音を聴ける良さがある。


ジョルジュ・オーリック(Georges Auric, 1899 - 1983)
ルイ・デュレ(Louis Durey、1888 - 1979)
アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905 - 1974)
交響曲
交響曲第1番 (1953年)
3.0点
冒頭はおおっと楽しみを楽しみを感じさせる。しかし、休む間のない刺激の連続に疲れて集中力が途切れて来る。交響曲らしい構成の魅力がなくて、単に長くて多楽章の管弦楽曲というだけになっている。ジョリヴェの個性的な音楽の魅力はここでも楽しめるが、作品としてベストな次元に到達しているとは思えない。個々の場面には、なかなかのゾクゾク感を感じるため、勿体無いと思う。

交響曲第2番 (1959年)

交響曲第3番 (1964年)
2.5点
単なる無茶苦茶で無調的なカオスの音楽であるようにしか聴こえない。ジョリヴェらしい音楽ではあるとは思ったが、あまり魅力を感じず楽しめなかった。

協奏曲
ピアノ協奏曲 (1950年)
3.5点
野性味あふれるはちゃめちゃな作風が、ピアノ協奏曲によくマッチしている。自由奔放な音楽の変遷は、あまり組織的な構成感がないのだが、かといって無茶苦茶でもないような妙な納得感がある。そして予想もつかない展開に次は何が起こる?という予想の出来なさにワクワクしながら曲の最後まで聞き通せるのがよい。

ハープと室内オーケストラのための協奏曲 (1952年)

チェロ協奏曲第1番 (1962年)

チェロ協奏曲第2番 (1966年)

フルートと弦楽合奏のための協奏曲(フルート協奏曲第1番) (1949年)

フルートと打楽器のための協奏組曲(フルート協奏曲第2番) (1965年)

オンド・マルトノ協奏曲 (1947年)
3.8点
自分はものすごく面白い曲だと思う。とにかく奇想天外なソロの動きが繰り出す今まで聞いたことのない音の世界が楽しくてたまらない。野蛮さを孕む破茶滅茶なジョリヴェの音楽との相性はバッチリ。ここまで意外性に満ち溢れた曲は少ないだろう。ソロの圧倒的な表情の豊かさと魅力は、単音にもかかわらず、ほぼすべてのピアノ協奏曲のソロが負けているかもしれない。とにかく面白い曲。中間部分のフリージャズのように音を隙間なく埋めてカオスにゴリゴリと勢いで繰り出されるスリリングな音の洪水の圧倒感が最高である。その場面の印象が強いが他は静かな場面が多い。静かな場面もオンデ・マルトノの独特の表現を印象的に活用して斬新な雰囲気を演出して聞き手を没入させる。難しいことを考えなくとも、とにかく耳が離せない面白さのまま最後まで新しい音楽を聴かせてくれる。作曲者のセンスとよくマッチしている楽器だからこそ、ここまで成功したし、現れる楽想がピッタリとオーケストラと独奏の協奏ならではの創造世界としてはまっているのだろう。一聴を強くお勧めしたい。

ファゴット協奏曲
2.5点
のだめに登場した曲とのこと。コンパクトで聴きやすいが、巨匠らしさがほぼ感じられない。ありがちなフランスの管楽器協奏曲であり、いくつかのパーツをなんとなく並べて1曲を構成した以上の表現者としての意思を感じなかった。ファゴットの音と音色と表現力を楽しむには悪くはない曲であり、深刻さのない聴きやすさがある。

トランペット協奏曲第2番
3.5点
純粋なクラシック音楽にカテゴライズしてよいか微妙な音楽だと思う。ジャズや映画音楽や民族音楽やバンドミュージックなど、様々なものが混合されている斬新な音楽である。そして非常にセンスが良くておしゃれで面白い。パーカッションやサクソフォーンが独奏パートのように大活躍して、それらの絡み合いが盛り上がりを作っていく。ピアノの使い方も面白い。トランペットはその分、普通の協奏曲ほど圧倒的な主役ではなくなっているが、そのこと自体も新鮮である。

打楽器のための協奏曲
3.0点
昔から気になっていた、のだめの真澄ちゃんが演奏していた曲。 思ったほど技巧的に凄みを感じるものではなかった。しかし、管弦楽と打楽器が対等になり、場面によっては管弦楽を伴奏にする感じは、快感のようなスリリングさを味わえる。なかなかカッコ良い。各楽章ごとに独奏楽器が違うのも楽しめる点。3楽章がドラムの独奏で1番好きだが、これをポピュラーのスーパードラマーに数倍難しくして演奏してほしいと思ったりした。

アンリ・コンスタン・ガブリエル・ピエルネ(Henri Constant Gabriel Pierné, 1863 - 1937)
ウジェーヌ・ジョゼフ・ボザ(Eugène Joseph Bozza, 1905 - 1991)
ポール・ル・フレムまたはポール・ルフレム(仏: Paul Le Flem、1881 - 1984)
ジャック・イベール(Jacques François Antoine Ibert,1890 - 1962)
交響組曲『寄港地』(Escales)(1922)
3.5点
南国的な開放感や活気が楽しい。旅行気分になって聴ける楽しい娯楽作品。

海の交響曲(Symphonie marine)(1931)

交響組曲『パリ』(Paris, Suite symphonique)(1931)

フルート協奏曲(1934)

アルト・サクソフォーンと11の楽器のための室内小協奏曲(1935)

木管五重奏のための3つの小品(1930)

弦楽四重奏曲(1942)

ヴァイオリン、チェロとハープのための三重奏曲(1944)


ピエール=オクターヴ・フェルー(Pierre-Octave Ferroud, 1900 - 1936)
イ調の交響曲 Symphonie en la (1930)

アンリ・トマジ(Henri Tomasi、1901 - 1971)
アンリ・ソーゲ(Henri Sauguet, 1901 - 1989)
交響曲
山の交響曲

交響曲第1番

寓話交響曲「四季」(交響曲第2番)

交響曲第3番「I.N.R」

交響曲第4番「第3世代」


ジャン・フランセ(Jean René Désiré Françaix , 1912 - 1997)
プーランクと被るのだが、愉しい曲専門という感じである。19世紀ロマン派にはあまり居ない、むしろモーツァルトのディベルティメントに近い世界。

弦楽三重奏曲 (1933年)

木管四重奏曲 (1933年)

フルート、ハープ、弦楽器のための四重奏曲 (1934年)

サクソフォン四重奏のための「小四重奏曲」 "Petit quatour" (1935年)

ピアノ協奏曲 (1936年)

木管五重奏曲 (1948年)

無伴奏フルートのための組曲 (1962年)

弦楽合奏のための「6つの前奏曲 Six preludes 」(1963年)

2台ピアノのための協奏曲 (1965年)

フルート協奏曲 (1967年)

クラリネット協奏曲 (1968年)

3群のオーケストラのための「カッサシオン Cassazione 」(1975年)

クラリネット五重奏曲 (1977年)

ギターのためのセレナータ (1978)

フルートとクラリネット、管弦楽のための二重協奏曲 (1991年)

アコーディオン協奏曲 (1993年)

オーボエ、ファゴット、ピアノのための三重奏曲 (1994年)

モーリス・オアナ(Maurice Ohana、1913 - 1992)
オリヴィエ・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen、1908 - 1992)
現代の最重要作曲家の一人。独自の音世界を築いて、大きな実績を残した。でも自分は生理的すぎる彼の音感覚を身体がなかなか受け付けない。

管弦楽曲
トゥーランガリラ交響曲(1949)
2.0点
おそろしくキモい曲。生理的な感覚が生々しく露にされすぎている。ちっともいい曲とは思えなかった。

室内楽曲
世の終わりのための四重奏曲(1941)
3.5点

ピアノ曲
幼子イエスに注ぐ20の眼差し(1944)
3点

鳥のカタログ(1956-58)(全13曲)
2.5点

アンリ・デュティユー(Henri Dutilleux, 1916 - 2013)
夢の樹
3.3点
かなり現代音楽的でありながらも、流麗で華麗で聴きやすい協奏曲。夢の樹というタイトルが恐ろしく適切であり、まさに夢の世界にある世界一巨大な樹木を連想させる。ヴァイオリンはギコギコと現代音楽らしいキツい音を出しつつも聴いていて不快感がなく楽しんで派手な活躍を聴ける。これはお勧めできる。

メタボール
2.8点
現代的な音の作りで音の変容を楽しむ音楽と思われる。聴きやすく流麗な雰囲気は悪くないが、長さのわりに内容の多さを感じられず、代表作らしい凄みを感じなかった。これならば夢の樹の方がはるかにお勧めできる。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/627.html#c2

[近代史7] ロシアの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14709] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:37:12 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[32]
ロシア(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

ミハイル・グリンカ(Mikhail Ivanovich Glinka、1804 - 1857)
歌劇 ルスランとリュドミラ(1842年)序曲

ツェーザリ・キュイ(César Cui, 1835 - 1918)

アレクサンドル・ボロディン(Alexander Porfir'evich Borodin, 1833 - 1887)
管弦楽曲
交響曲第1番 変ホ長調
2.5点
作曲技術は十分に成熟している感じがあり、未熟な習作という感じではない。しかしながら、どの楽章もインスピレーションに乏しくて地味。印象に残る場面がないまま型にはまった音楽が流れて、時間が過ぎていく。ボロディンの個性も感じられなかった。

交響曲第2番 ロ短調
3.8点
1楽章はとにかくイントロのエキゾチックな強烈な主題のインパクトが大。一度聴いたら忘れられない。その主題を有効活用しながらチャイコフスキーに匹敵するほどダイナミックに展開する楽しめる楽章。2楽章は佳曲だが、1楽章のようなインパクトは無い。3楽章は漆黒を感じさせる雰囲気のなかで、うねるように表情を変える情景描写が素敵。4楽章は軽く感じられて、この曲の弱点に思われた。

交響曲第3番 イ短調(未完)
3.3点
1楽章の孤独感のようにも感じられる陰りが印象的。しかし、2楽章はそのようなものはなく、活発で密度の高い曲である。2つの楽章はともにロマン派の交響曲として十分な完成度と魅力がある。したがって、未完成のまま亡くなってしまったのが残念だ。まとまりがある状態で終わっておらず、完全に中途半端であり、非常にもの足りない。

交響詩 中央アジアの草原にて
3.5点
ボロディンらしいエキゾチックな旋律を活用した佳曲。広々とした草原、草や生き物の匂い、風の吹く草原と人々をよく表現しており、本当にコーカサスに旅行したような気分になれる。

小組曲
3.5点
オリジナルはピアノ曲。クラズノフ編曲の管弦楽版で聴いた。チャイコフスキーのような愛らしさと躍動感にあふれた良作。強い印象にこそのこらないが、かなり楽しめる作品。小曲7曲。これは掘り出し物だと思った。

イゴーリ公からの組曲
3.8点
有名な韃靼人の踊りを含む3曲を組曲風にした作品。オリジナリティと強い創意を感じる説得力の強い音楽である。舞台音楽らしい華やかさを基本に据えながら、メロディーの面白さ、アジア風味の楽しさ、ダイナミックさのあるオーケストラの使い方などの要素も入れており、ボロディンの才能の豊さに感心する作品となっている。

室内楽曲
スペイン風セレナード

弦楽四重奏曲第1番 イ長調

弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

モデスト・ムソルグスキー( Modest Petrovich Mussorgsky, 1839 - 1881)
管弦楽曲
交響詩「禿山の一夜」

ピアノ曲
組曲「展覧会の絵」
5.5点
どの曲も強靭な発想力と独特の土臭さと色彩感が両立していて大変面白い。組曲としてのまとまりやプロムナードの変奏など曲集としての全体の構成感も大変素晴らしい。捨て曲なしであり、間奏的な作品はあるものの、名作揃いである。最後のキエフの大門の圧倒的なフィナーレには感動してしまう。ロマン派のピアノ用組曲としては圧倒的な出来だと思う。ラヴェルの華麗な編曲も素晴らしいが、より土着的でグロテスクさもあるピアノ版が自分は好みである。

ニコライ・リムスキー=コルサコフ(Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908)
交響曲
交響曲第1番 Op.1(1861年-1865年/1884年) ― 第1版は変ホ短調、改訂版はホ短調
3.3点
シューマンの音楽の進め方の手際の良さや硬めの響きにロマン的香りを封じ込める点が似ていて、手本にしたのがよく分かる。しかし、ロシア的な開放感と大地の広さとスラブ的な音像はあり、オリジナリティを感じる。作曲年代をみると元は若書きだが、円熟してから改作されておりオーケストラの充実感などは壮年らしいものになっている。まだロシア音楽が完全に確立していない折衷の感じがなんとも微笑ましい。形式的すぎて深みに乏しいが、なかなか良い曲である。

交響曲第2番「アンタール」Op.9(1868年/1875年/1897年) ― 1897年版で交響組曲に改められる。
3.3点
中東的な旋律、華やかで開放感がある雰囲気など、シェヘラザードと強く類似する曲。交響曲的でなく、交響詩の連作に近い。物語性が少ないのと、旋律に強く心をとらえて離さないほどのものはないため、シェヘラザードより1.5ランク落ちるとは思う。しかし、それでも娯楽性が高くて充分に楽しめる曲になっている。

交響曲第3番 ハ長調 Op.32(1866年/1873年/1886年)
3.3点
シリアスで構築的な交響曲。がっちりとした骨格の太さが印象的だが、一方で伸びやかさには欠ける。それでもリムスキー=コルサコフらしい華があるのが良いところだが、あまり焦点が当たらない。かなりドイツ的であり、ドイツ音楽が好きな人だと感激するかもしれない。正統派ともいえる。ただし、メロディーは印象に残らない。

協奏曲
ピアノ協奏曲 嬰ハ短調 Op.30(1882年-1883年)
4点
期待せずに聞いたらかなりいい曲で驚いた。ピアノも効果的に使われている。

管弦楽曲
スペイン奇想曲 Op.34 (1887年)

交響組曲「シェヘラザード」 Op.35 (1888年)
5.0点
千夜一夜物語に基づく作品であり代表作である。華麗な管弦楽法を駆使した、まさに壮大な物語絵巻を見るような色彩感の豊かさと幻想的な華かさと物語性をもった作品であり、楽しい時間を過ごせる。何度聴いても心が躍り、少年のような気分になって冒険気分を味わえる。エキゾチック感も満載で、まだ見ぬ新世界を旅する物語を見ているかのようだ。

アントン・ルビンシテイン(Anton Grigoryevich Rubinstein, 1829 - 1894)
交響曲
第1番 ヘ長調 Op.40

第2番 ハ長調 Op.42「大洋」(1855)

第3番イ長調 Op.56

第4番 ニ短調 Op.95「劇的」

第5番ト短調 Op.107「ロシア的」(1880)

第6番 イ短調 Op.111(1886)

協奏曲
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.25(1850)

ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 Op.35 (1851)

ピアノ協奏曲第3番ト長調 Op.45(1853 - 54)

ヴァイオリン協奏曲 ト長調 op.46(1857)

ピアノ協奏曲第4番ニ短調 Op.70 (1864)
2点
2楽章にやや美しいと思う箇所はあるが、全体的にはかなり凡庸な音楽。

ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.94 (1874)

ロシア奇想曲 op.102

コンツェルトシュテュック 変イ長調 op.113(1889)

ミリイ・バラキレフ(Mily Alekseyevich Balakirev, 1837 - 1910)
管弦楽曲・協奏曲
交響曲第1番 ハ長調 (1864-66年、再開1893-97年)

交響曲第2番 ニ短調 (1900-08年)

ピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調 作品1 (1855/56年)

ピアノ協奏曲第2番 変ホ長調 (1861/62年, 再開1909/10年、セルゲイ・リャプノフにより完成)

ピアノ曲
ピアノソナタ第2番変ロ短調 (1900-05年)

イスラメイ(東洋風幻想曲)(1869年、改訂1902年)
4.0点
19世紀で最も難しいピアノ曲として有名。音楽的にはいまいちと言う人も多いが同意できない。楽想としても、各フレーズやパッセージの面白さはかなりのレベルであり、中間部の民族的なメロディーは素敵。ロシアのピアノ曲の中では、音楽的にもかなりの傑作だと思う。

アナトーリィ・リャードフ (Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855 - 1914)
ピアノ曲「舟歌 嬰ヘ長調」Op. 44 (1898年)

交響詩「バーバ・ヤガー – ロシア民話に寄せる音画」Op. 56 (1905年)

交響詩「魔法にかけられた湖」Op. 62 (1909年)

交響詩「キキーモラ – 民話」Op. 63 (1909年)

管弦楽曲「アマゾン女族の踊り」Op. 65 (1910年)

交響詩「ヨハネの黙示録より」Op. 66 (1912年)

管弦楽曲「挽歌 Nénie」Op. 67 (1914年刊行)

セルゲイ・タネーエフ( Sergei Ivanovich Taneyev、1856 - 1915)
交響曲
交響曲第1番ホ短調

交響曲第2番変ロ長調:3楽章までの未完成。

交響曲第3番ニ短調
3.3点
かなり本格志向で硬い感じがする。ロシア風の場面は他の作曲家と比較してかなり少ないと思うが、少ないなかに時々顔をみせるのがむしろ愛嬌のようなものを感じさせる。響きや音使いの本格性や絶対音楽の志向は、人によってはなかなか好ましいと感じるだろう。ドイツ的だが、ドイツ臭はなく硬い絶対音楽志向だけを抜き出している。秀逸なはっとさせる霊感を楽しめる場面も時々あって、一流作曲家ほどに「音を楽しませる」「自分だけの音世界を持っている」感じの天才性やセンスはなくて、マイナー交響曲なのは当然ではあるが、案外曲に没入できて「いいなあ」と感動できる場面も多いから、聴いて損のない音楽と思う。

交響曲第4番ハ短調
4.0点
1楽章は旋律がやや陳腐なのが気になるが、ドイツ的なゴツい劇的な作りにブラームス的な渋みのあるロマンを盛り込んだ正統派。ロマン派では他にないほどの正統派感とアツい感じはかなり良い。2楽章は非常に叙情的であり、永遠の時間を音楽に浸していたくなるような美しさがある。しかし、正統派はここでも後期ロマン派ほどに構築感を崩していないため、さらに作り物としての完成度を感じさせる。とはいえ中間はもっともっと浸っていたいという気持ちをあっさり壊される感もあり、場面展開は一長一短である。最終的にはかなり長い時間をじっくりと余韻をもたせて満足とともに終わってくれる。3楽章も前の楽章からうまく気分を適切な塩梅で切り替えさせてくれている。素材の展開が素晴らしくて、この楽章もかなり良い。4楽章は力のこもった迫力のある力作であり、エルガーの1番を思い出させる1楽章の旋律の堂々たる再現も文句なしに感動的で素晴らしい。全体に素晴らしい力作であり、一流作曲家ほどのオリジナルな音世界は無いにしても、ロマン派交響曲を代表する作品の一つと言えるだろう。

アントーン・アレーンスキー(Anton Stepanovich Arensky, 1861 - 1906)
交響曲
交響曲第1番ロ短調 op.4

交響曲第2番イ長調 op.22

室内楽曲
ピアノ三重奏曲第1番ニ短調 op.32

ピアノ三重奏曲第2番ヘ短調 op.73
3.0点
音が薄いし素人くさいベタな内容ではあるが、悲しげで感傷的なメロディーはそこそこよい。

ジョルジュ・カトワール(Georges Catoire, 1861 - 1926)
管絃楽曲
交響曲 作品7

ピアノ協奏曲 作品21

室内楽曲
ピアノ三重奏曲ヘ短調 作品14

ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品15

ピアノ五重奏曲 ハ短調 作品16

ヴァイオリン・ソナタ第2番「詩曲」 作品20

弦楽四重奏曲 作品23

ヴァイオリンとピアノのための「エレジー」 作品26

ピアノ四重奏曲 イ短調 作品31

フェリックス・ブルメンフェリト(Felix Mikhailovich Blumenfel[']d , 1863 - 1931)
アレクサンドル・グレチャニノフ (Alexander Grechaninov 1864 - 1956)
ヴァシーリー・カリンニコフ(Vasily Sergeyevich Kalinnikov, 1866 - 1901)
交響曲第1番ト短調 (1894-95)
3.5点
1楽章は素朴で田舎臭く、メロディーは印象的で秀逸なのだが、むしろこの芋っぽさに惹かれてしまう。やたらと快活で歯切れがいいのも良い。2楽章も続けて芋臭いのだが、家庭的な暖かさが素敵。3楽章は急に中東風?の異国情緒で楽しい。4楽章はカーニバル的な楽しさ。歯切れが良すぎて性急な印象。この交響曲は、とにかく全編が歌謡曲のような田舎臭さで素人臭いが、メロディーが良く発想豊かな力作であり、聴いて損はない独特の魅力がある。この魅力はメジャー作曲家には無い。

交響曲第2番イ長調 (1895-97)
1.5点
1番でみせた魅力のほとんどが悲しいほどスポイルされてしまい、実力不足が目立ち耳に残らないB級作品になってしまっている。4楽章が少し魅力があるかと思うが、耳に入ってきやすい音楽というだけだ。田舎臭さ、素人臭さ、歯切れのよさ、メロディーの魅力が無くなってつまらない。こうしてみると、1番はやはり奇跡のホームランなのだろうか。

セルゲイ・ボルトキエヴィチ(Sergei Bortkiewicz ) (1877 - 1952)
管弦楽曲
交響曲 第1番《わが故郷より》 Op.52 /1935

交響曲 第2番 Op.55 /1937

ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op.16 /1912

ピアノ協奏曲 第2番(左手のための協奏曲) Op.28 /1924

ピアノ協奏曲 第3番《苦難を通って栄光へ》 per aspera ad astra Op.32 /1927

レインゴリト・グリエール(Reinhold Glière、1875 - 1956)
交響曲
交響曲第1番変ホ長調 op.8(1899-1900年)

交響曲第2番ハ短調 op.25(1907年)

交響曲第3番ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」 op.42(1911年〜12年)

ニコライ・メトネル(Nikolai Karlovich Medtner、1880 - 1951)
ラフマニノフと同時代のピアノ音楽作曲家。大衆性に傾いておらず、テクニカルを極めている点では、ラフマニノフ以上だろう。

ピアノソナタ
ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調作品5
3.3点
全4楽章31分。1楽章は雄大で格好いい曲であり、いきなり本格的。全体に若書きらしいまとまりの悪さや粗さ、密度の低さはある。しかし、ピアノを雄大に使ってスケール大きく響かせて巨大な音楽を作る能力、ピアノに適合した書法の良さや音楽の作り方にかけては既に相当な高レベルに達している。4つの楽章は全てそれなりに良くて、聞き応えがある。

第2番、第3番、第4番はそれぞれ単一楽章の作品で別々に演奏可。3曲でソナタ三部作を形成。 作品11
3.0点
独立した単一楽章ソナタ3作品全24分。2曲目がやや穏やかなので全部をまとめて1作品のように聴いてもよいと思う。若気の至りのような作品5よりも大人っぽくて艶がある音楽になった。所々に光る場面があるし、聞き応えはあるのだが、やはり10分以内というキャンバスの小ささのせいか、広がりが足らず印象はまあまあという感じである。

ピアノ・ソナタ第5番 ト短調作品22(1909年 - 10年作曲)《お伽話ソナタSonata-Skazka》
3.3点
単一楽章15分。メトネルの一番有名なソナタ。複数主題を絡ませるて演出す複雑さと、洗練されたピアニズムが存分に発揮されている。激しさよりもリリシズムの比重が高いと感じる。15分の長さはスケール感と精神世界を冒険するようなドラマの構築と考え抜かれた構成を満たすのに良い長さであり、それを見事に活かしている。

おとぎ話ソナタ 作品25-1
全3楽章11分。5分以上の楽章が無いのはこの曲のみ。夢のような幻想的雰囲気が支配していて割と詩的。短い曲の割にはスケール感があり、聞き応えがある。ソナチネのような長さに聞こえない。

ピアノ・ソナタ第7番 ホ短調《夜の風」作品25-2
4.0点
全2楽章33分。メトネル最大のソナタであり長大で複雑な曲。1楽章は8分の15拍子。奔流のようなロマンティシズムの横溢が凄い。自由な幻想曲のように聞こえる場面も多い。艶のある美しい楽章。2楽章は前の楽章の素材を使いながらエネルギーを増して、巨大な流れを作る。これほど大規模で技巧的かつ作品としてのまとまりと巨匠性があり、20世紀に到達したピアノの器としての限界を引き出したピアノ独奏作品を自分は知らない。

バラード風ソナタ嬰ヘ長調 作品27
3.5点
全3楽章22分。古い物語を語るような1楽章はバラード風という副題がしっくりくる。割と明るいし、雰囲気と話の展開はなかなか楽しい。2楽章のゴツゴツとした和音の作る雰囲気もいいし、3楽章は詩情があり、雄弁に物語を構築していく。全体に成熟しており統一感があるし、内容が濃くて分かりやすい。

ピアノ・ソナタ第9番 イ短調作品30
2.5点
単一楽章12分。友人に戦争ソナタと呼ばれていたという攻撃的な内容である。しかし、面白い場面やはっとするようなメロディーが少なくて、霊感がやや足りない気がする。あまり印象に残らない。

ピアノ・ソナタ第10番 イ短調《回想のソナタ Sonata-Reminiscenza》作品38-1
3.0点
16分。メトネルのソナタにしては例外的に音数が少なく、しっとりとしていて、しんみりとする音楽がずっと続く。多少の盛り上がりはあるものの、激しくならない。メロディーは秀逸という程ではない。だが、切ない歌は心にそれなりに迫るものがあり、通俗的な分かりやすいメロディーに頼らないで、ピアノを繊細にたっぷり歌わせる事で情感を表現出来ている。長いが飽きる事はなかった。

ピアノ・ソナタ第11番 ハ短調 《悲劇的Sonata-Tragica》 op. 39 no. 5 作品 39-5
2.8点
発想が若干陳腐に感じられる。だが、ピアノの激しい音使いや高速やパッセージが格好よくて楽しめる。

ピアノ・ソナタ第12番 変ロ短調《ロマンティック》Romantica作品 53-1
2.3点
全4楽章。1楽章は確かに多少ロマンチックかもしれない。全体にかなり物足りないというのが正直なところ。特に最後の楽章はメロディーが面白くなくてセンスの無さやまとまりの悪さが目立つので、割と長い曲なだけに嫌になってきてしまう。2楽章の高速パッセージは楽しいが。

ピアノ・ソナタ第13番 ヘ短調《嵐 Minacciosa》作品 53-2
2.5点
単一楽章16分。全体としては取り留めのない茫洋とした雰囲気。その中で印象に残ったのは中間の高速の対位法的部分。非常にテクニカルで格好よくて痺れた。

ピアノ・ソナタ《牧歌ソナタ Sonate-Idylle》ト長調 作品56 1937年
3.0点
全2楽章。最後を締めくくるに相応しい感動的なソナタ。1楽章はほのぼのとした牧歌風の曲であり、2楽章は感動的に盛り上がっていく。メロディーは地味だがテクニカルでバランスのよいピアノの書法はここでも素晴らしい。

その他ピアノ曲
2つのおとぎ話 作品8 (1904-5年)
3.8点
2曲とも非常にキレがよい。不協和音や妥協のない先鋭的な音の使い方、不安定でせき立てるような雰囲気と前衛的な和音の進行、20世紀的への道を切り開いたかのような驚異的な作品である。若き日のプロコフィエフが絶賛した作品というのも納得。

組曲『忘れられた調べ I』 作品38 1918-20
3.3点
超テクニカルな曲から、メロディーをおおらかに聴かせる曲まで色々な曲が集まっている。名曲というほどではないが、ピアノの扱いの自由さと巧みさをいかしたバラエティーの豊さとスケールの大きさのため、楽しんで聴くことが出来る。この自由さは素晴らしい。多くのソナタと同様かそれ以上に楽しめる。

組曲『忘れられた調べ II』作品39 1919-20
3.3点
最初の二曲は内向的で瞑想的な曲。3曲目はテクニカルだが、夜想曲のような雰囲気がある。4曲目も夜想曲のようで、エピローグのような雰囲気であり、メロディーが珍しくとても良い曲。全体に1集ほどの自由さがないため、曲の良さとしては同じくらいか上かもしれないのだが、面白さの点では劣る。

ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品33 (1914年 - 18年>

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品50(1920年 - 27年

ピアノ協奏曲第3番 ホ短調作品60(1940年 - 43年)

ニコライ・ミャスコフスキー( Nikolai Yakovlevich Myaskovsky,1881 - 1950)
交響曲を27曲残したことで有名な作曲家。超一流と比較すると発想の弱さが二流感を漂わせる。しかし、交響曲は結構楽しめる。特に27番は大作曲家らしい作品と言ってよい。

交響曲
交響曲第1番ハ短調作品3 (1908年 3楽章)

交響曲第2番嬰ハ短調作品11(1911年 3楽章)

交響曲第3番イ短調作品15(1914年 2楽章)

交響曲第4番ホ短調作品17(1918年 3楽章)

交響曲第5番ニ長調作品18(1918年 4楽章)
2.5点
後年の作品に比べると、音に重みがなくて、音楽的な密度も薄い。それゆえに軽い気分で楽しめる部分はあるものの、やはり根暗で変化が大きすぎないことによる重みと民謡的な軽い楽しさの取り合わせと旋律の楽しみは足らない。音に対するセンスそのものが物足らず、大作曲家の交響曲に相応しいレベルには到達していないように聞こえてしまう。

交響曲第6番変ホ短調作品23(「革命」)(1923年 4楽章)-声楽つき

交響曲第7番ロ短調作品24(1922年 2楽章)

交響曲第8番イ長調作品26(1925年 4楽章)

交響曲第9番ホ短調作品28(1927年 4楽章)

交響曲第10番ヘ短調作品30(1927年 単一楽章)

交響曲第11番変ロ短調作品34(1932年 3楽章)

交響曲第12番ト短調作品35「十月」(1932年 3楽章)

交響曲第13番変ロ短調作品36(1933年 単一楽章)
2.8点
盛り上がりのないひたすらダークな1楽章制の曲。この音楽はだれでもアラン・ペッテションとの類似と比較を考えるだろう。しかし、ペッテションほどの深さに到達して徹底的に重みに精神を浸すような満足を得られず、なんとなく物足りないまま終わってしまう。比較対象が無ければ感動できたのかもしれないが、私としてはあまり聴く価値を感じなかった。

交響曲第14番ハ長調作品37(1933年 5楽章)

交響曲第15番ニ短調作品38(1935年 4楽章)

交響曲第16番ヘ長調作品39 (1936年 4楽章)

交響曲第17番嬰ト短調作品41(1937年 4楽章)

交響曲第18番ハ長調作品42(1937年 3楽章)
3.0点
1楽章と3楽章は短くて少し祝典的な雰囲気がある音楽で特にどうということはない曲だと思う。2楽章がこの曲この価値の大半を占めている。1回聴いた時は素朴な民謡的な味の中に歴史的な悲しみとか孤独を忍ばせて非常によい曲に聴こえたが、すぐにもう一度聴いたらその良さの多くが消えてしまい、あまり感動できなかった。

交響曲第19番変ホ長調作品46(1939年 4楽章)

交響曲第20番ホ長調作品50(1940年 3楽章)

交響曲第21番嬰ヘ短調作品51(「交響幻想曲」)(1940年 単一楽章)
2.5点
幻想曲と銘打たれているのだが、本当にとりとめもなく音楽が進み、何をしたいのか理解が出来ない。暗かったりするだけでストーリーが構成されないと、クラシック音楽がは面白くないという例だと思った。特にステキな場面もないし。

交響曲第22番ロ短調作品54「大祖国戦争についての交響バラード」(1941年 3楽章)
2.8点
バラードというだけあってある程度の物語的な説得のある音楽なのは良いところ。しかし長すぎる。特に中間は緩徐楽章の場面のつなぎの経過みたいな音を延々と続けていて、これが本気の作曲的思考の結果なのだとしたら酷すぎる笑。キワモノの類の音楽といえよう。

交響曲第23番イ短調作品56「北コーカサスの歌と踊りの主題による交響組曲」(1941年 3楽章)
3.5点
1楽章はミャスコフスキーらしい暗すぎない陰鬱さの場面が土臭い民族音楽ふうのウキウキするようや楽しい場面を挟んでいる構成。やや長い楽章だが、中間がとにかく楽しいのと強烈なコントラストが楽しくて飽きない。2楽章の丁度よい暗さとモヤモヤした気分の表現は、長さの適切さもあって個人的にはツボである。ただひたすら気分に浸って満足したところで終わってくれる音楽。3楽章は再び土臭くて能天気で、前の楽章と気分的にイマイチ繋がらないのだが、そのまま高揚感を演出してフィニッシュまでもっていかれる。これは間奏にして後ろに4楽章がほしかった。

交響曲第24番ヘ短調作品63(1943年 3楽章)

交響曲第25番変ニ長調作品69(1946年 3楽章)

交響曲第26番ハ長調作品79「ロシアの主題による」(1948年 3楽章)
3.3点
1楽章は軽快さがあり聴きやすいが、展開が弱くて変化が少なく長すぎるため飽きてくる。2楽章は変奏曲でなかなか秀逸で、途中に挟まれるロマンティックなパートも楽しめて、いい曲だったと聴き終わって満足できる楽章である。3楽章は最終楽章らしい高揚感とゆったりした感じを両立している点では好きだが、明らかに冗長で間延びする。各楽章を2割カットするとよい曲になると思う。

交響曲第27番ハ短調作品85(1949年 3楽章)
4.0点
何曲か聴いた中ではこの曲が圧倒的に素晴らしいと思った。重々しい響きは雄渾なロシアの大地を感じさせる。厳しい中に温かみがあり、そして感動的な名曲。旋律の良さも素晴らしく、一つ一つの部分が真実味を伴っていて聴き応えがある。ロシアの広大な大地とそこに脈々と息づく人間達の営みを連想させる。1楽章と2楽章はチャイコフスキーの3大交響曲にも匹敵するほどの名作に聞こえる。この作曲家は最後まで完全に後期ロマン派の枠の中の作品であったというのがまた感慨深い。

協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品66 (1944年)

室内楽曲
弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲 ヘ長調(1907年)

弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 作品33-1(1930年)

弦楽四重奏曲 第2番 ハ短調 作品33-2(1930年)

弦楽四重奏曲 第3番 ニ短調 作品33-3(1930年)

弦楽四重奏曲 第4番 ヘ短調 作品33-4(1937年)

弦楽四重奏曲 第5番 ホ短調 作品47(1938〜39年)

弦楽四重奏曲 第6番 ト短調 作品49(1939〜40年)

弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 作品55(1941年)

弦楽四重奏曲 第8番 嬰ヘ短調 作品59(1942年)

弦楽四重奏曲 第9番 ニ短調 作品62(1943年)

弦楽四重奏曲 第10番 ヘ長調「古いノートから」作品67-1(1945年)

弦楽四重奏曲 第11番 変ホ長調「思い出」作品67-2(1945年)

弦楽四重奏曲 第12番 ト長調 作品77(1947年)

弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 作品86(1949年)

チェロ・ソナタ
第1番 (1911年)

第2番 (1948年)

ピアノ・ソナタ
第1番ニ短調作品6(1909年)

第2番 嬰ヘ短調作 品13(1912年)

第3番 ハ短調 作品19(1920年)

第4番 ハ短調 作品27(1925年)

第5番 ロ長調「古いノートから」作品64-1(1944年)

第6番 変イ長調「古いノートから」作品64-2(1944年)

第7番 ハ長調 作品82(1949年)

第8番 ハ長調 作品83(1949年)

第9番 ハ長調 作品84(1949年)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/625.html#c1

[近代史7] ロシアの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14708] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:38:26 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[33]
ロシア(1890年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


サムイル・フェインベルク(Samuil Evgenyevich Feinberg, 1890 - 1962)
彼のピアノソナタはスクリャービンのようなドロドロ感を持ちつつも、洗練感も失っていない気がする。ラフマノニフやスクリャービンにおいて技術的に限界に達したピアノ書法を駆使して、ピアノ音楽の限界点で書かれた作品群という点で、ピアノ音楽ファンなら必聴だと思う。

ピアノソナタ1番
3.5点
20世紀の名作ピアノ曲のひとつ。後年の作品と違い、この曲は非常に純度が高い感動的な美しさを持っている。高音でゆらめく宝石のようにキラキラと輝くような美しいフレーズの連続に聞きほれているうちに、最後まであっという間に聞き終わるような曲。ドビュッシーのような音の使い方でイメージ重視の曲であり、スクリャービン初期の端正さも兼ね備えている。メロディーは明確でなく構成も頭について入らないにも関わらず、忘れがたい強い印象を与えられる。また大ピアニストの作品らしい洗練されたピアニズムも見事。

ピアノソナタ2番
3.0点
1番の路線であるが、キラキラした美しさが減少して魅力が落ちた。そして、そこはかとないグロテスクさが追加されてしまった。メロディーがはっきりしない、ピアニスティックさ、8分の単一楽章など1番に似ていて、1番という短い曲のボリューム的な物足りなさを補完してくれるが、それ以上の価値はない。

ピアノソナタ3番
2.8点
3楽章制。しかし、音の詰め込みぶりがどの楽章もあまりかわらないため、あまり変化がない。ただ、3楽章のスケール感ではかなり恩恵を受けているかも。2番と雰囲気は近い。長い分だけ、テクニカルな音数重視ピアノ曲マニアの心を強く捉えてくれていると感じる。一方で作曲家としては完全にマイナーな幅の狭い人になってしまった。

ピアノソナタ4番
3.3点
単一楽章。連発さらる低音の和音が禍々しさを演出し、さらにドロドロしてきて後期スクリャービンに近付いてきた。むしろ影響を強く感じて近付きすぎの感もある。所々、まだまだ過去のキラキラ世界の残り香も感じられる。後半が演出的に盛り上がるし、短い曲なのに非常に長く感じられる。スクリャービン後期以上に聴き映えがする。

ピアノソナタ5番
3.3点
単一楽章。スクリャービン後期を彷彿とさせるドロドロとした音楽世界が、それまでと似たような音使いながらも独自の新境地到達を感じさせてなかなか良い。極端に煮詰めたスープのような粘着とドロドロ感と神秘性や超越性は、好きな人には強くツボにはまるだろう。演出が少ないせいか、2番からの方向性が一つの壁を越えた世界に到達した感じ。

ピアノソナタ6番
3.0点
単一楽章だが14分とやや長い。そして後半は静寂の世界が長く続くというのが、それまでにはない。新しい雰囲気であり、その後も神秘的な人類滅亡後のような世界観。このような世界が非常にツボる人もいるだろう。音の鳴らし方のセンスはなかなか良いと思う。自分の好みとしては、わりと好き、という程度だが。

ピアノソナタ7番
2.5点
もともとフェチ系音楽ではあるが、もはや完全に別世界に行ってしまった。暗黒世界。世界の終わりのような終末の音楽。楽章が3つに分かれていて、副題もあるので構成のガイドがあるのは分かりやすい。

ピアノソナタ8番
3.0点
それまでのドロドロした作風から変わり、明るさが支配する部分が増える。1楽章は曖昧な雰囲気のままだが、2楽章はかなり調性が明確であり、静寂感がある。とはいえ、古臭い感じは全くないので良い。後半は地鳴りのような暗黒世界に降りていくが、それでも短い時間のため、染まりきらない領域で終わる。楽章構成が価値のあるものになっている。作風の転換を感じる。

ピアノソナタ9番
2.5点
前半は驚くほど平明になってしまった。これではあまり価値がない。彼らしさは残っているとはいえ。中間で激しい音数になり、収まってからは曖昧模糊としたいつもの雰囲気になる。前半はカモフラージュか?とも思ってしまったが、いずれにせよ大半の場面では調性が明確になってしまい、最後は堂々と和音で終わるという古典回帰。残念感がある。

ピアノソナタ10番
2.8点
轟音が響き渡る、重戦車系の曲。今までと雰囲気が違う。調性の観点ではわりと平明なのだが、音楽の方向性が違うので気にならない。これはこれで、メジャー作曲者がやらない極端を突き詰めた曲としての価値があると思う。楽想の変化のさせ方など、作曲技術の高さを感じた。

ピアノソナタ11番
2.5点
前半はかなりロマン派に近い調性の非常に明確な音楽。意志的でなく、構築的な方向感がないので、かろうじて現代的なだけ。途中に高速なパッセージで爆発してから、一度収まりまた締めに入る構成は分かりやすいし、よく出来ている。9番からの社会主義リアリズム的平明さをさらに進めた曲。9番からそうなのだがこの曲は特に、穏やかな平明さの中に新奇さを混ぜ込む手法にプロコフィエフを連想する。

ピアノソナタ12番
3.3点
驚くべき平明な透明感と叙情的の世界。このようなセンスのある人はその気になれば美しい曲が書けるという例である。他では必ずあった爆発はごく控えめになっている。一番ロマン派に近く、ショパンあたりを連想する瞬間すらある。公平にみてフェインベルクのソナタの中で高く評価してよいかは分からないが、12曲順番に聴いていった場合に最後のこの曲想で格別の感慨を抱かせられたのは確かだ。

ボリス・リャトシンスキー( Boris Lyatoshynsky, 1895 - 1968)
交響曲
交響曲1番

交響曲2番

交響曲3番

交響曲4番

交響曲5番

ヴィッサリオーン・シェバリーン(Vissarion Yakovlevich Shebalin, 1902 - 1963)
アラム・ハチャトゥリアン((Aram Il'ich Khachaturian), 1903 - 1978)
はっちゃけた野蛮性が魅力の作曲家だと思う。ショスタコーヴィチとプロコフィエフと並び称されるほどの大物扱いだったようだが、現代からみるとやはりワンランク以上落ちると思う。

交響曲第1番 ホ短調

ピアノ協奏曲 変ニ長調
3.5点
はっちゃけた野蛮性の持ち味が十分発揮されたよい曲。個性とピアノ協奏曲というジャンルの相性は抜群。内容が濃いし多くの素材を使っていて、巨匠的な充実感と天才性の発揮がみられる。ピアノは前面に出て大活躍する。ピアノ独奏のエグくて激しい野蛮さは、向いているピアニストの演奏で聴くと予想と期待を超えたものを見せてくれて、満足させてくれる。快感だけでなく違和感が常につきまとう所がやや個人的に苦手であり、それがメジャーになりきれない要因だろうかと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

『仮面舞踏会』(ミハイル・レールモントフの劇のための音楽)

組曲『ガヤネー(ガイーヌ)』第1番・第2番・第3番(管弦楽曲)

交響曲第2番 ホ短調「鐘」

チェロ協奏曲 ホ短調

交響曲第3番 ハ長調「交響詩曲」

ピアノソナタ
3点
力強くて熱い。なかなかの曲。


ディミートリイ・カバレーフスキイ(Dmitri Borisovich Kabalevsky)(1904 - 1987)
交響曲
第1番 嬰ハ短調(1932年)

第2番ハ短調(1934年)

第3番 変ロ短調「レクイエム」(1933年)

第4番 嬰ハ短調(1956年)


ピアノ協奏曲
第1番 イ短調 Op.9(1929年)

第2番 ト短調 Op.23(1936年)

第3番 ニ長調 Op.50 (1952年)

第4番「プラハ」 Op.99(1975年)

組曲「道化師」 Op.26(1939年)

第2曲「ギャロップ(道化師のギャロップ)」は、日本の運動会でよく使われる

ガヴリイル・ポポーフ(Gavriil Nikolayevich Popov, 1904 – 1972)
交響曲
交響曲第1番 作品7 (1935)

交響曲第2番「祖国」 作品39 (1943)

交響曲第3番「英雄」(または「スペイン」) 作品45

交響曲第4番「わが祖国の栄光」 作品47 (1949)

交響曲第5番「田園」 作品77 (1956)
3.0点
音の響きは20世紀の前衛的な音のぶつかりは非常に少ないが、一方で古典趣味的な陳腐さもない。近代的な機能的な管弦楽の達者な使い方であり、チャイコフスキーのように音が躍動して素材の詰め込んで豪華に聴かせる。オーケストレーションの実力の確かさを感じさせる。スケールの大きい叙景的な場面展開の面白さがあり、充実感と内容的なボリューム感はかなりのもので驚いた。ただし、交響曲というよりバレエ音楽のようだ。また、素人に印象を残すような個性の濃厚さがないかもしれない。構成も複雑で聴きながら場面の解釈がうまく出来ない。後半の茫洋とした雰囲気を延々と引っ張る感じは好きだ。

交響曲第6番「祝祭」 作品99 (1969)
3.3点
5番より鋭角的であり、さまざまな音楽のるつぼが続いていく。交響曲というよりバレエ音楽のような場面展開と音の躍動感なのは同じであるが、より音の変化が激しいために、飽きずに展開を楽しめる。なんとも言えない不思議な音の動きが大半を占めており、前衛に近い音の世界になっている。グロテスクになりそうでならない、バランスが破壊されそうでされない、独特の音感覚である。5番と6番は好みだろうが、私はより隙間のない6番が気に入った。前衛的とされる1番にかなり近い曲。

交響曲第7番(未完)

ヤニス・イヴァノフス(Jānis Ivanovs、1906 - 1983)
ラトビアを代表する作曲家のようだが、感想に書いたとおりマイナーレベルの粋を全然出られていないと思う。

交響曲5
1点
なんかいろいろな思わせぶりな旋律や和声が聴こえるけれどちっとも心に響いてこない。わけわからん。

交響曲6
2.5点
これは分かりやすい。迷走していない。典型的な弦の嘆き節とか、大河ドラマのテーマ曲みたいな部分とかもあるけれど、なかなか聴かせる部分が多い。

交響曲20
1.5点
所々美しい部分もあるけど…

ティホン・フレンニコフ(Tikhon Nikolayevich Khrennikov, 1913 - 2007)
ガリーナ・ウストヴォ(ー)リスカヤ(Galina Ivanovna Ustvolskaya、1919 - 2006)
モイセイ・ヴァインベルク(Moisey Samuilovich Vainberg、苗字はWeinbergとも表記 1919 - 1996)
ショスタコーヴィチから高く評価されていた作曲家。何曲か聴いた限りでは、職人的な音作りの総合的な出来の良さや繰り返し鑑賞することに耐えるようなバランスではショスタコーヴィチに一歩譲るものの、鬼気迫る心を強くえぐり取る感じは、同等以上といってもよいくらいだった。

交響曲
交響曲第1番 作品10 (1942)

交響曲第2番 弦楽合奏のための 作品30 (1946)

シンフォニエッタ第1番 作品41 (1948)

交響曲第3番 作品45 (1949、1959改訂)

交響曲第4番イ短調 作品61 (1957、1961改訂)

シンフォニエッタ第2番 作品70 (1960)

シンフォニエッタ第2番 イ短調 弦楽とティンパニのための 作品74 (1960)

交響曲第5番 ヘ短調 作品76 (1962)
3.5点
デモーニッシュに音を鋭角的にカオスのように盛り上がって行く1楽章の迫力はなかなかである。ダンス的になったり、様々に変化する展開の面白さがよい。ショスタコーヴィッチによく似ているのは多くの人が感じるだろうが、意外性が高くて予想できず、世界の外から突発的に新しい要素が現れる感じがよい。2楽章のアダージョは2声部を基本とする不安さの表現で、最初は雰囲気に既視感を感じるが、行き場のない音の徘徊により精神の深奥に潜っていく感じになって、かなり没入できた。3楽章はショスタコーヴィッチの交響曲5番の4楽章にかなり近い。スピードと切迫感のある楽章。その後に、4楽章で力を溜めたまま推移する楽章を入れるのがヴァインベルクらしさだろう。不思議な均衡を崩さずにじわじわと時間をかけていつのまにか盛り上げて、圧倒的なテンションに持って行っている。分かりやすくない玄人的な音楽で個人的にはセンスの良さに感心した。

交響曲第6番 少年合唱と管弦楽のための 作品79 (1963)
3.5点
1楽章は、ショスタコーヴィッチ風の深く不安な深夜を遠くの光を頼りに徘徊するかのような音楽。昔の数10万人の街の中心部という感じの世界の大きさを感じる。刺激を定期的に感じられるため12分を長く感じない。2楽章は少年合唱入りで、独特の節回しで不思議感や浮遊感を見せてとてもよい。3楽章はファンファーレとともに力強く始まる。じわじわと汗が出そうな焦燥感と常に前へ前へと加速度が付いている感じが楽しい。4楽章はラルゴの少年合唱による楽章。息を潜めて不安を語り、現実を告白するかのようだ。5楽章はやや速度を速めるが遅いままの少年合唱で、達観したかのようにしめくくる。現実主義的な嬉しくない終わり方だが、感慨をうける。1回目でストーリーをとても分かりやすく把握できる。

交響曲第7番 ハ長調 弦楽合奏とチェンバロのための 作品81 (1964)

交響曲第8番「ポーランドの花々」 テノールと混声合唱と管弦楽のための 作品83 (1964)

交響曲第9番「永遠の時」 ナレーターと合唱と管弦楽のための 作品93 (1967)

交響曲第10番イ短調 作品98 (1968)

交響曲第11番「祝典交響曲」 合唱と管弦楽のための 作品101 (1969)

交響曲第12番 ショスタコーヴィチの思い出に 作品114 (1976)
2.8点
シリアスで大河的な大きさをもつ曲。声部は多くなく、薄めの音で静寂を常に裏に持ちながらも緊張感を作り上げている。室内楽のような音の重ね方だが、とはいえ交響曲の音の迫力あっての音楽ではある。5番6番の意外性の面白さは消えてしまっているが、鋭角さもあるシリアスさゆえにそれなりに聴かせるものがある。しかし内容のボリュームと比較して少し長すぎるし、明確に割り切れないまま次の場面に進行していくため、ストーリーもいまいち追えない。

交響曲第13番 作品115(1976)

交響曲第14番 作品117 (1977)
2.5点
十分に深く練って思考して書いた曲という感じがしない。重みがなく即興的で、雰囲気だけの音楽と思ってしまう。ショスタコーヴィッチの類似性からはだいぶ脱しているが、単に簡素になって面白みが減ってしまっている。意外性や場面転換の複雑さが足らない。個別の部分は悪くないが通して聴いたあとの何も残らない残念さにがっかりである。

交響曲第15番「私はこの地球を信じる」 ソプラノ、バリトン、女性合唱と管弦楽のための 作品119 (1977)

交響曲第16番 作品131 (1981)

交響曲第17番「記憶」 作品137 (1984)

交響曲第18番「戦争、これより惨い言葉はない」 合唱と管弦楽のための 作品138(1986)
2.5点
1楽章は前奏であり、不安げな気分を盛り上げていく。その後からは合唱である。私はまだヴァインベルクの作風の変遷を終えていないでのだが、作品として簡素になっているうえに、合唱曲の不自由さがマイナスになって、単なるよくある平凡な20世紀の合唱曲に聴こえてしまう。それなりの長さだが、光る部分は少ないと思ったし、若い頃の意外性や展開の突発的な感じがなくて面白くない。戦争の悲しみを交響曲ならではの強靭で圧倒的な創作性で表現していないと思う。

交響曲第19番「輝かしき五月」 作品142 (1986)

室内交響曲第1番 作品145 (1987)

室内交響曲第2番 作品147 (1987)

室内交響曲第3番 作品151 (1991)

室内交響曲第4番 作品153 (1992)

交響曲「カディッシュ」 作品154 (1992)


管弦楽曲
小管弦楽のための組曲 作品26 (1939-1945)

2つのバレエ組曲 作品40 (1947)

協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品43 (1948)

ヴァイオリン協奏曲ト短調 作品67 (1959)

フルートと弦楽のための協奏曲 (フルート協奏曲第1番) 作品75 (1961)

トランペット協奏曲変ロ長調 作品94 (1967)

フルート協奏曲第2番 作品148 (1987)

室内楽曲
弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲第1番 作品2 (1937)

弦楽四重奏曲第2番 作品3 (1940)

弦楽四重奏曲第3番 作品14 (1944)

弦楽四重奏曲第4番 作品20 (1945)

弦楽四重奏曲第5番 作品27 (1945)

弦楽四重奏曲第6番 作品35 (1946)

弦楽四重奏曲第7番 作品59 (1957)

弦楽四重奏曲第8番 作品66 (1959)

弦楽四重奏曲第9番 作品80 (1963)

弦楽四重奏曲第10番 作品85 (1964)

弦楽四重奏曲第11番 作品89 (1966)

弦楽四重奏曲第12番 作品103 (1970)

弦楽四重奏曲第13番 作品118 (1977)

弦楽四重奏曲第14番 作品122 (1978)

弦楽四重奏曲第15番 作品124 (1979)

弦楽四重奏曲第16番 作品130 (1981)

弦楽四重奏曲第17番 作品146 (1987)

ヴァイオリンソナタ
ヴァイオリンソナタ第1番 作品12 (1943)

ヴァイオリンソナタ第2番 作品15 (1944)

ヴァイオリンソナタ第3番 作品37 (1947)

ヴァイオリンソナタ第4番 作品39 (1947)

ヴァイオリンソナタ第5番 作品53 (1953)

2つのヴァイオリンのためのソナタ 作品69 (1959)

その他の室内楽曲
ピアノ五重奏曲 作品18 (1944)

チェロソナタ第1番 ハ長調 作品21 (1945)

クラリネットソナタ 作品28 (1945)

チェロソナタ第2番 ハ長調 作品63 (1959)

ピアノ三重奏曲 作品24 (1945)

弦楽三重奏曲 作品48 (1950)

ピアノ・ソナタ
ピアノソナタ第1番 作品5 (1953)

ピアノソナタ第2番 作品8 (1942)

ピアノソナタ第3番 作品31 (1946)

ピアノソナタ第4番ロ短調 作品56 (1955)

ピアノソナタ第5番 作品58 (1956)

ピアノソナタ第6番 作品73 (1960)

ボリス・チャイコフスキー(Boris Tchaikovsky、1925 - 1996)
交響曲第1番(オランダ語版)(1947年)

交響詩「シベリアの風」(1984年)

交響詩「未成年」(Juvenile)(1984年)

チェロ協奏曲(1964年)

アンドレイ・ヤコブレヴィチ・エシュパイ(Andrei Yakovlevich Eshpai, 1925 - )
交響曲
交響曲1番

交響曲2番

交響曲3番

交響曲4番

交響曲5番

交響曲6番

交響曲7番

交響曲8番

交響曲9番

協奏曲
ヴィオラ協奏曲 (1987)

チェロ協奏曲

フルート協奏曲 (1992)

オーボエ協奏曲

ピアノ協奏曲1番

ピアノ協奏曲2番

合奏協奏曲 (1966-67)


ソフィア・グバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina, 1931 - )
アルフレット・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998)
現代音楽的な重くダークな音空間と後期ロマン派のような聴きやすさを両立させたことで、普通のクラシック音楽ファンでも楽しめる音楽を書いた作曲家だと思っている。

交響曲
交響曲第0番 

交響曲第1番  
3.3点
支離滅裂な場面展開が1時間以上も続いていく珍曲。突拍子もなく有名曲の引用が多発されるのが面白い。個人的にはこのごった煮のようなカオスに身を任せるのは嫌いじゃない。どこに向かっているのか分からないまま、作曲者に連れられて面白い幻想世界をランダムにワープしながら巡っているような感覚になる。個別の場面は面白いものが多いと思うし、調性感は明確で難解さは少なくて分かりやすい時が多い。調性感がないときも、心地よいカオスであり難解感は少なくて、無茶苦茶な曲だけれど自分は楽しんじゃいました、すいません、という感想。

交響曲第2番 《聖フローリアン》 
3.5点
声楽入りの大作。聖なる神秘性に包まれている。1番とはうってかわってやりたい事が明確でシリアスな曲。心の旅に連れて行ってくれるような、引き込まれる場面は多い。現代らしいが同時に中世に精神だけタイムスリップしたようにも感じる精神世界の表現だと思う。クラシック音楽が現代に獲得した表現力を駆使していて、映画音楽のような通俗性にもほぼ堕ちていない。物質的な巨大さと精神的なトリップの重複した感覚が独特だと思う。

交響曲第3番  
3.0点
後期ロマン派の時間と内容が肥大されつつもロマン派の形式を辛うじて保っているのを、さらに極端に推し進めたように感じる場面が多い。夜の自然を徘徊するような雰囲気もあるが、どちらかというと自然界の物質や動物がエネルギーをえて蠢めくような感じのほうが近いかも。リヒャルト・シュトラウスを連想することが多い。精神面の深堀りを感じないため、「この曲はキテる」という感覚がない。折衷的な様式とあいまって、自分はいろいろ少し物足りなく感じた。特に後半はショスタコーヴィチみたいな沈んでゆっくり蠢めく曲だが、かなり冗長に感じた。

交響曲第4番  
2.8点
ピアノの独奏が多く、薄い音の場面がとても多い。意味深な面白い響きのフレーズは散りばめられている。しかし、それだけになってしまっており、抑揚がないし大きな仕掛けもない。つまり交響曲としての作りが不足している。そうなると冗長であり、前半のうちは響きを楽しめるが後半になると飽きてしまう。高級ムード音楽もしくはドキュメンタリー番組のバックミュージックになってしまっている。合唱は活躍が少なすぎるが、特に最後の場面の音の使い方に鋭さを感じる。

交響曲第5番 (合奏協奏曲第4番)  
3.5点
合奏協奏曲とも呼ばれるだけあって、線を絡ませて作られている曲である。音響の面で作っている音楽ではない。しかし、あまりソロが活躍するようには聞こえない。起伏がとにかく激しくて、刺々しい不穏な波を作っては、違うところからまた波が起こりを積み重ねていく。それが延々と積み重なって巨大な交響曲を形成するさまは圧巻である。不安定なマグマを常に地下に感じながら、空中に異世界の渦が形を変えていくようなイメージである。最初はマーラーに通じる下品さが嫌だと思ったが、聴き続けるうちに作られた世界観の凄さの感動が上回った。

交響曲第6番  
2.3点
新古典主義を連想する素朴な音の使い方。同時に1音から3音しか鳴っておらず室内楽よりも音が薄い程のスカスカな音の重なり。5番までと比べると別の作曲家になったかのようだ。そして、音楽がごく一部の箇所以外はちっとも心に迫らないところから、この変化は成功したとは思えない。単なる健康の衰えに伴う気力不足に思える。しかも全曲がアダージョのような雰囲気のまま変化もなく、これでは聴く価値が低い。

交響曲第7番 
2.5点
6番と1年しか変わらず同じような作品である。しかし、多少の進歩が感じられて、聞いたあとの後悔は少なかった。少しは音も厚くなった気はする。6番と続けて聴いたことで慣れてくると、変に時間の進み方と音の薄さが心地よく感じられるようにはなった。しかし他の人にオススメはしにくい。短いのはよいが。

交響曲第8番
2.5点
7番と同じような雰囲気。そして長い。ショスタコーヴィチを彷彿とさせる場面が多い。似た雰囲気でも彼ほど狙いか分かりやすすぎるために浅くて飽きやすくはなりがちにはなっていないが、代わりに何処に向かって何をしようとしているのか理解に苦しむ。あえて言えば、内容がないために単に何も考えずに音に浸って心を空っぽに出来る良さがあるかもしれない。そこが気に入ってまた聴きたいと個人的には思っているが、他の人にはオススメはしにくい。

交響曲第9番


管弦楽曲
合奏協奏曲第1番 (1977)

合奏協奏曲第2番 (1982)

合奏協奏曲第3番 (1985)

合奏協奏曲第4番 (1988)

合奏協奏曲第5番 (1991)

合奏協奏曲第6番 (1993)


協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1993)

ヴァイオリン協奏曲第2番 (1966)

ヴァイオリン協奏曲第3番 (1978)

ヴァイオリン協奏曲第4番 (1984)

チェロ協奏曲第1番 (1986)

チェロ協奏曲第2番 (1990)

ヴィオラ協奏曲 (1985)

ヴィオラと弦楽のためのモノローグ (1989)


室内楽曲
ヴァイオリンソナタ第1番 (1979)

弦楽四重奏曲第1番 (1966)

弦楽四重奏曲第2番

弦楽四重奏曲第3番

弦楽四重奏曲第4番


ニコライ・カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin、1937 - )
ピアノソナタ第1番 Op.39 1984

8つの演奏会用練習曲 Op.40 1984
4点
ジャズ風の和音やフレーズを使用しているが、テクニカルで音楽的にもコンパクトで聴きやすく楽しい。

ピアノソナタ第2番 Op.54 1989

ピアノソナタ第3番 Op.55 1990

ピアノソナタ第4番 Op.60 1991

ピアノソナタ第5番 Op.61 1991

ピアノソナタ第6番 Op.62 1991

ピアノソナタ第7番 Op.64 1991

ピアノソナタ第8番 Op.77 1995

ピアノソナタ第9番 Op.78 1995

ピアノソナタ第10番 Op.81 1996

ピアノソナタ第11番 Op.101 2000

ピアノソナタ第12番 Op.102 2001

ピアノソナタ第13番 Op.110 2003


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/625.html#c2

[近代史7] イギリスの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14707] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:41:22 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[34]
イギリス - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9


イギリスおよびアイルランド。


ジョン・ダンスタブル(John Dunstable またはDunstaple, 1390年ごろ - 1453)

トマス・タリス(Thomas Tallis 、1505年頃 - 1585)
主要作品
「エレミアの哀歌」 The Lamentations of Jeremiah
「4声のためのミサ曲」 Mass for Four Voices
「40声のモテット『我、汝の他に望みなし』」Spem in alium

ウィリアム・バード(William Byrd, 1543? – 1623)
ジョン・ダウランド(John Dowland, 1563 - 1626)
オーランド・ギボンズ(Orlando Gibbons, 1583 - 1625)
ヘンリー・ローズ(Henry Lawes, 1595 - 1662)
ヘンリー・パーセル(Henry Purcell、1659 - 1695)
イギリス最高の天才クラシック作曲家は、エルガーやブリテンではなく、パーセルなのだそうだ(ヘンデルは帰化人だから除く)。劇音楽作曲家として非常に評価が高い。自分も確かに天才性は感じられる。

ディド(ダイドー)とアエネアス(エネアス)
4.0点
オペラではなく音楽として聴いただけだが、後半は素晴らしい効果をあげていた。

4声のソナタ集
3.5点
バラエティ豊かで、華やかだったりうら悲しかったり、いろいろな表情を見せてくれる。形式も各国のものを取り入れて豊かなように聞こえた。


ウィリアム・ベネット(Sir William Sterndale Bennett, 1816 - 1875)
ピアノ協奏曲1番(1832)
3点
シューマンにかなり近い前期ロマン派らしい曲だがベートーヴェンらしさも残っている。シューマンより先に書かれているのだから二番煎じではないのが驚き。シューマンと比較すると単純ではある、なかなか良い曲。

ピアノ協奏曲2番(1833)
2.5点
1番に近いのだが、比較すると少し霊感が劣っている気がする。

ピアノ協奏曲3番(1834)
2点
1番2番よりピアノが技巧的なのは驚くが、曲としてはランクが落ちる。あまり面白くない。

チャールズ・スタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford, 1852 - 1924)
マイナー交響曲の有名作曲家の一人。

交響曲
交響曲第1番変ロ長調

交響曲第2番ニ短調

交響曲第3番ヘ短調 op.28『アイリッシュ』

交響曲第4番ヘ長調 op.31

交響曲第5番ニ長調 op.56

交響曲第6番変ホ長調 op.94

交響曲第7番ニ短調 op.124


協奏曲・協奏的作品
ヴァイオリンと管弦楽のための組曲 ニ長調 op.32

ピアノ協奏曲第1番ト長調 op.59

ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 op.74

クラリネット協奏曲イ短調 op.80

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.126


チャールズ・ヒューバート・パリー(Sir Charles Hubert Hastings Parry, 1848 - 1918)
マイナー交響曲の世界では有名作曲家の一人。

交響曲
交響曲第1番ト長調

交響曲第2番ヘ長調『ケンブリッジ』

交響曲第3番ハ長調『イングリッシュ』

交響曲第4番ホ短調

交響曲第5番ロ短調『交響的幻想曲1912年』

エドワード・エルガー(Sir Edward William Elgar、1857 - 1934)
交響曲
交響曲第1番 変イ長調 作品55
4.0点
イギリスを代表する交響曲。最後に第一主題が戻ってくるところは感動してしまう。

交響曲第2番 変ホ長調 作品63

交響曲第3番 ハ短調 作品88(未完成。A.ペインによる完成稿あり。)

管弦楽曲
独創主題による変奏曲(「エニグマ(謎)」変奏曲)(Variations on an Original Theme("Enigma")) 作品36

行進曲「威風堂々」第1 - 6番(Military Marches "Pomp and Circumstance") 作品39-1 - 6(第6番は未完成。A.ペインによる完成稿あり。)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61
2点
雰囲気はいいのだが、メロディーがぜんぜん印象に残らず、大曲なのになんとなく聴き流していたら終わってしまった。

チェロ協奏曲 ホ短調 作品85

室内楽曲
「愛の挨拶」("Salut d'Amour" ("Liebesgruss")) 作品12
5点
愛らしくていい小品。個人的な思い入れもあり5点。

ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品82

弦楽四重奏曲 ホ短調 作品83

ピアノ五重奏曲 イ短調 作品84

声楽曲
オラトリオ「ゲロンティアスの夢」("The Dream of Gerontius") 作品38

フレデリック・ディーリアス(Frederick Theodore Albert Delius CH 1862 - 1934)
交響曲・協奏的作品
チェロ協奏曲(1921年)


管弦楽曲
管弦楽組曲『フロリダ』(Suite "Florida", 1886年 - 1887年)

夜想曲『パリ』(管弦楽曲)(Paris: The Song of a Great City, 1898年)

古い黒人奴隷の歌による変奏曲『アパラチア』(合唱つき)(Appalachia: Variations on an old slave song, 1902年)

イギリス狂詩曲『ブリッグの定期市』(Brigg Fair, 1907年)
3.3点
凡庸でない独特の美しさのある田園的な序奏と主題の変奏。息の長い変容と、少しの違和感をうまく使いこなす音使いと、しなやかで流麗なオーケストレーションのディーリアスの特長が端的に楽しめる。民謡的でありながら浮遊感と密かな陰影を持つ主題がよく作風とマッチしているし、変奏曲の聴きやすさもあって楽しめる。

幻想曲『夏の庭で』(In a summer garden, 1908年)

高い丘の歌(ヴォカリーズの合唱つき)(The Song of the High Hills, 1911年)
3.0点
大作であるがゆえに密度がうすくなり、スケールの大きさがプラスに働いていないと感じた。時間の流れの悠然としたのが物足りなく感じる。時間の流れは違うものの、小品を引き伸ばしたようなイメージである。ただし聴き込めばもっとよい曲と感じられる予感はある。

小オーケストラのための2つの小品 (2 Pieces for small orchestra)

春初めてのカッコウの声を聴いて (On hearing the first cuckoo in spring, 1911年 - 1912年)
3.5点
カッコーの鳴き声が何度も出てくるところが聴きやすい。4分の小品で独特の息の長い音楽を紡ぎ出す明るい光に包まれたような流麗さと自然の美しさの表現や音の使い方を堪能できる。ディーリアス入門にちょうど良い。なかなかの名品だと思う。

楽園への道 (The walk to the paradise garden, 1911年 - 1912年)(歌劇『村のロメオとジュリエット』 の中の間奏曲)
3.0点
美しいが、重さがなくて軽いバックミュージックの映画音楽のようである。クラシック音楽としてはあまり楽しめなかった。

(管弦楽組曲)『北国のスケッチ』(North Country Sketches, 1913年 - 1914年)

夏の歌(A Song of Summer, 1931年)
3.5点
かなり美しい交響詩。独特の幻想的な風景が、空気感と光彩と匂いを伴って、ヒースの生い茂る崖に腰掛けて海を見渡している場に本当にいるかのように感じさせるほど見事に表現している。没入感を感じさせる管弦楽の音色と使い方のうまさに感心する。音の流れを重ねていきながら積み重ねて息の長い大きな時間の流れを作るのに身を委ねるのが楽しい。

グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst, 1874 - 1934)
組曲『惑星』 (1914-17)
火星、戦争をもたらす者
4.5点
5拍子の叩きつけるようなワイルドなリズムや、メロディーも和声もすごくかっこいい。軍神マーズをまさに想起する。

金星、平和をもたらす者
3.5点
優しく美しい。いい曲だが、他の曲と比較しても金星というタイトルのかもし出すイメージがプラスに働いていると思う。

水星、翼のある使者
4.0点
複調の生み出す絶妙の響きと小気味よいリズムとフレーズはかなりセンスが良くて楽しい。

木星、快楽をもたらす者
5点
第一主題も叙情的で有名な中間部のメロディーも、まさに宇宙のように壮大であり、その異次元の巨大さに想いを馳せてしまう。

土星、老いをもたらす者
3.0点
ホルスト本人は一番気に入っていたらしいが、「惑星」に豪快で華やかなものを求める自分としては、長いわりに地味とどうしても思ってしまう。

天王星、魔術師
3.0点
魔術師が魔法を見せるような雰囲気が動機の繰り返しでうまく表現されていて、面白い。

海王星、神秘主義者
3.5点
静かで神秘的な、異世界で白くて冷たい霧に包まれたよう感覚になるような曲。

宗教曲
讃歌『イエス讃歌』
3.3点
惑星と音楽はそっくり。キラキラした宇宙的スケールと神秘的な叙情の融合を見せており、それが宗教曲として活用されて独特の雰囲気を作っている。惑星が好きな人が次に聞いても全く違和感なく、期待通りのものを得られるだろう。

ハヴァーガル・ブライアン(William (Havergal) Brian, 1876 - 1972)
大作の交響曲を32曲も書いた人。ネットで評判を見る限り、作品はあまり面白く無いようだ。しかし私の聴いた1番に関しては、それなりに楽しめるものだった。

交響曲1番「ゴシック」
3.0点
大変長く大編成であることで有名な曲。深く考えずとも派手な管弦楽を楽しむことが出来るので、駄作ではないと思う。

シリル・メイヤー・スコット(Cyril Meir Scott, 1879 – 1970)
交響曲第1番 ダルムシュタット初演(1900年)
3点
独特のフワフワした不思議世界。

交響曲第2番 ロンドン初演(1903年)

交響曲第3番「ムーサ The Muses 」マンチェスター初演(2003年)
2.5点
ハリーポッターのようなファンタジー映画のサントラみたいな音楽として楽しめた。最後の楽章に謎の合唱が入っていたが意味不明。

交響曲第4番 マンチェスター初演(2005年)
2点
3番と同じくファンタジー映画風だが、茫洋としていて不明瞭な雰囲気が強くいまいちだった。

Early One Morning
1.5点
早朝の黎明を連想させるような音楽。印象派的な音の使い方である。しかしムードミュージックのようなレベルの音楽であり、芸術作品としてはレベルが低い。

交響詩「ネプチューン」
1.5点
海の恐ろしさを表現する音楽にはなっているが、うねうねしているだけと悪口を言いたくなる。7分くらいなら楽しめるだろうが25分はあまりに長すぎ。

ピアノ協奏曲1番
1.5点
部分を抜粋して聴いたが、変わったサウンドだなという感想しかない。何がしたいのか理解できなかった。

Lotus Land
2.5点
サティにかなり似た虚無の不思議空間を漂うような雰囲気の小品。面白い。
ハミルトン・ハーティ(Sir Hamilton Harty, 1879 - 1941)
アイルランドの作曲家

ピアノ協奏曲
1.5点
ラフマニノフ風のピアノの活躍と響きであるが、作曲の才能を感じない。完全に二流と思ってしまった。

フランク・ブリッジ(Frank Bridge, 1879 - 1941)
ピアノ五重奏曲
2点
最初の10分くらいはひどく退屈たったが、その後は「おっ」と思わせる美しい場面が何度もあった。19世紀ロマン派の強い残照と20世紀の新しい音楽が混在し、かき混ぜていない液体のようにまだらになっている。いい場面を渋くて惜しい方向にもっていってしまう。

エドガー・ベイントン(Edgar Bainton、1880 - 1956)
交響曲2番
2.5点
観念的で、はっきりとしないまとまりの無さがいかにもマイナー交響曲。しかし暗い気分で聴くと、人間の不条理に悩む情念や、一条の光に希望を感じる様などに共感できる。精神的な表に出ない闇の部分の音楽化に取り組んでいるところに好感が持てる。

交響曲3番
2点
2番に似ているが、あれほど観念的で内面的ではなく、少し外面的な空間性も現れている。バレエ音楽のように場面がはっきりと移り変わる。だから変化を楽しむことは出来るのだが、2番のような深さを目指しておらず中途半端になっている。

アーノルド・バックス(Sir Arnold Edward Trevor Bax, KCVO, 1883 - 1953)
一次大戦と二次大戦の間に沢山の交響曲を書いた人。渋めの作風が個人的には好みである。

交響曲
交響曲第1番 (1922)
3.3点
マイナー曲らしい地味な渋さを持ちつつも、SFの映画音楽のようなキラキラした壮大さと展開の大仰さを持っていてなかなか愉しい宇宙的な冒険心をそそる音楽になっている。このため次の展開を楽しみにしながら聴いていける。イギリスらしい端正さと田舎くささももちろんあり、一方でブリテンに似たイギリスらしい独特の音の感覚をバックスも強く感じさせる。とはいえ派手さや旋律に頼らないで地道に音楽を作っていくような感じもあるのが個人的にツボである。

交響曲第2番 (1926)
3.3点
SF映画のようなスペーシーな壮大な派手さが愉しい。基本的に叙景的で想像世界を描く楽しみの音楽であり、精神的な深堀りは感じない。精神的な場面展開に心を委ねて想像世界を彷徨する楽しみが好きな人ならば、一定の満足感を得られると思う。耳を強く捉えるメロディーがないためメジャーになる日が来るとは思えないのだが、マイナー交響曲の愉しみを満喫できる作曲家の1人だと感じる。

交響曲第3番 (1929)
3.3点
空間的な描写的な要素が非常に大きい2番までと違い、もっと心理的な内面的部分の描写が多くなっている。そして、響きに浮かない気分や渋さが増加している。2番までと好みは分かれるかもしれない。とはいえ、エンターテイメント音楽の方向性ではあり、楽しみながら聴くもので思想的な何かは感じない。最後の楽章はかなり華やかでSF音楽的である。あと一押しの何かがあったらなかなかの名作になり得た曲。

交響曲第4番 (1931)
2.8点
なんだか地味でうだつの上がらない感じの曲である。イマイチ冴えない印象が強く、ある程度感じられた才能の輝きがなくなってしまっている。特に前半は面白くなくてがっかりしながら聴いた。最後の盛り上げ方も、まるで素人が書いたような曲と思ってしまった。

交響曲第5番 (1932)
3.3点
しなやかな夜の幻想性の世界の音楽。壮大さを取り戻しており、描写的なだけでない雰囲気の幻想性と変容を楽しめる。内面的な深堀りは相変わらずないが、輝かしさと渋さを併せ持つために一定の奥深さはある。とはいえ、音を楽しむ音楽であり、音の変容の流れに身を委ねるのが愉しい。まるでラフマニノフのように心の欲求に音楽の緩急を合わせるのが上手くなっている気がする。最終楽章はバックスらしい豪華な盛り上がりを魅せるが、旋律が渋目で表面的な盛り上がりにならないように抑制しているように聴こえる。

交響曲第6番 (1935)
3.0点
随分と幻想的な世界観の曲である。現実的な感触に乏しく、ずっと夢の中の自由に変容していく世界にいるように感じる。とりとめのない雰囲気自体は悪くないが、前半は発想の天才性が足りず地味で光るもののない音楽という気もしてしまう。しかし、2楽章の後半になると音楽が心を捉えて沁みてきて感動する場面が増えていく。そこから切れ目なしに続く次の楽章も良い。ダイナミックな動きと揺れ動く幻想性のバランスがツボにはまる。

交響曲第7番 (1939)
2.5点
1楽章は派手に音を鳴らしながら場面を次々と移していく音楽。しかし盛り上げるような音にはなったりするが全体的な方向性が定まらないため気分的にもやもやしてしまい、あまり面白くない。2楽章も似たような印象がある。雰囲気は悪くないが冗長すぎて繰り返しが多く、その中での方向性が把握しにくくてあまり楽しめない。その印象は引き続き最後の楽章まで続いてしまう。

管弦楽曲
交響詩「ティンタジェル」(1919)
3.3点
バックスの良さが典型的に現れた華やかで空間的な描写を楽しめる曲。交響曲の広大さはない物足りなさはあるのだが、コンパクトに作られており聴きやすくて良い。ブルックナーの8番最終楽章の壮大さを連想させるとともにエネルギーを持った高揚感もあるのだが、もっとぶっとんだような突き抜けた地点に到達してほしかった感じがする。そうすればもっと有名になれたと思うのだが。

カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ(Kaikhosru Shapurji Sorabji, 1892 - 1988)
どう考えても頭がおかしかったとしか思えない、無茶苦茶が延々と続くような肥大化したピアノ曲を書いた人。

オプス・クラビチェンバリスティクム
2.0
誇大妄想が膨らみに膨らんだ無茶苦茶なカオスのピアノ音楽。わけわからない、狂気のまま即興で鍵盤を叩きまくったような音の塊が4時間45分も続く音楽。よくこんな音楽を練習して生演奏できるものだ。聴くというより体験する音楽。

ハーバート・ノーマン・ハウエルズ(Herbert Norman Howells、1892 - 1983)
アーネスト・モーラン(Ernest John Moeran, 1894 - 1950)
管弦楽曲
交響的印象『山の国にて』(1921年)

狂詩曲 第1番 ヘ長調(1922年)

狂詩曲 第2番 ホ長調(1924年、1941年改訂)

小管弦楽のための二つの小品(1931年)

『ファッラーゴ』組曲(1932年)

交響曲 ト短調(1934年-1937年)ハミルトン・ハーティに献呈。

ある祝典のための序曲(1930年-1935年、未完成)2011年にマーティン・イェーツにより補筆完成・初演。

シンフォニエッタ(1944年)アーサー・ブリスに献呈。

仮面劇のための序曲(1944年)ウォルター・レッグに献呈。

セレナーデ ト長調(1948年)

交響曲第2番 変ホ長調(1939年-1950年、未完成)2011年にマーティン・イェーツにより補筆完成・初演。


協奏曲
ヴァイオリン協奏曲(1938年)

狂詩曲 第3番 嬰ヘ短調 -ピアノと管弦楽のための-(1943年)

チェロ協奏曲(1945年)

室内楽
弦楽三重奏曲(1931年)
2点
よく分からなかった。書かれた年代にしては古い響きが大半。

ジョージ・バターワース(George Sainton Kaye Butterworth, 1885 - 1916)
ジェラルド・フィンジ(Gerald Raphael Finzi, 1901 - 1956)
クラリネットと弦楽のための協奏曲
3点
ドイツ系とはまったく違う独特の美しさに彩られたクラリネット協奏曲であり、面白い。

ピアノと弦楽のためのエクローグ
3点
フィンジ独特の美学が発揮されていて、ピアノの響きも弦楽との絡みも美しい。なかなかよい。

レノックス・バークリー(Lennox Berkeley、1903 - 1989)
交響曲 1 (1936–40)

交響曲. 2 (1958, revised 1976)

交響曲 3, in one movement (1968–9)

交響曲 4 (1977–8)

エドマンド・ラッブラ(Edmund Rubbra、1901 - 1986)
交響曲
第1番 作品44

第2番 ニ長調 作品45

第3番 作品49

第4番 作品53

第5番 変ホ長調 作品63

第6番 作品80

第7番 ハ長調 作品88

第8番「テイヤール・ド・シャルダンを称えて」作品132

第9番「復活」作品140

第10番「室内交響曲 Sinfonia da Camera」作品145

第11番「コレットに捧ぐ à Colette」作品153

協奏的作品
ピアノ協奏曲 作品30(撤回)

ピアノと管弦楽のための協奏交響曲 ハ長調 作品38

ヴィオラ協奏曲 イ長調 作品75

ピアノ協奏曲 ト長調 作品85

ヴァイオリンと管弦楽のための即興曲 作品89

ヴァイオリン協奏曲 イ長調 作品103

チェロと管弦楽のための「独白 Soliloquy」


ウィリアム・ウォルトン(Sir William Turner Walton OM, 1902 - 1983)
20世紀のイギリスを代表する作曲家の一人のようだが、個人的にはこのひとの響きの感覚が苦手であり、ぜんぜん楽しめない。

管弦楽作品
交響曲 第1番 変ロ短調 (1935年)

交響曲 第2番 (1960年)

交響曲 第3番(未完成)

戴冠式行進曲『王冠』 (ジョージ6世の戴冠式のために作曲)(1937年)

協奏曲
協奏交響曲 "Sinfonia concertante" (1927年/1943年改訂)

ヴァイオリン協奏曲 (1939年/1943年改訂)

ヴィオラ協奏曲 (1929年/1961年改訂)

チェロ協奏曲 (1956年/1975改訂)

ファンタジア・コンチェルタンテ "Fantasia concertante, for two pianos, jazz band, and orchestra" (1924年)

合唱作品
オラトリオ『ベルシャザールの饗宴』

ウィリアム・オルウィン CBE(William Alwyn CBE、1905 - 1985)
交響曲第1番

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番

交響曲第5番「壷葬論」

ハープ協奏曲「リラ・アンジェリカ」

ピアノ協奏曲第1番

ピアノ協奏曲第2番

ヴァイオリン協奏曲

オーボエ協奏曲

マイケル・ティペット(Michael Tippett,1905年 - 1998)
声楽曲
オラトリオ「われらの時代の子」(A Child of Our Time) 1939年-1941年


管弦楽曲
交響曲第1番(英語版)(全四楽章)

交響曲第2番 1956年 - 1957年(全四楽章。)

交響曲第3番(英語版) 1970年 - 1972年(二部四楽章)

交響曲第4番 1977年(単一楽章)

2つの弦楽合奏のための協奏曲(英語版)

ピアノ協奏曲

マルコム・アーノルド(Sir Malcolm (Henry) Arnold、1921 - 2006)
交響曲
交響曲第1番

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番

交響曲第5番
3点
オーケストラのキレがよく表情豊か。おどけたり、叙情にあふれたり。なんかいいな、と思わせる部分が多い。

交響曲第6番

交響曲第7番

交響曲第8番

交響曲第9番

管弦楽曲
「タム・オ・シャンター」序曲(Tam O'Shanter Overture)

協奏曲
2台三手のためのピアノ協奏曲(Concerto for Piano 3hands)

ホルン協奏曲第1番、第2番

トランペット協奏曲

クラリネット協奏曲第1番、第2番

フルート協奏曲第1番、第2番

オルガン協奏曲

リコーダー協奏曲

オーボエ協奏曲

ヴィオラ協奏曲

ギター協奏曲

28奏者のための協奏曲(Concerto for 28 Players)

ハーモニカ協奏曲

ギターと弦楽のためのセレナーデ
2点
印象に残るものは特になかった。


ピーター・マクスウェル・デイビス(Sir Peter Maxwell Davie, 1934 - )
現代音楽を使って交響曲を書いている人。存命者の中では最大の作曲家の一人である。残念ながら私には現代音楽すぎて楽しめるものではなかった。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/624.html#c1

[近代史7] 北欧の作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14706] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:43:18 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[35]
北欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8C%97%E6%AC%A7

ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク

ヨーゼフ・マルティン・クラウス(Joseph Martin Kraus, 1756 - 1792)
モーツァルトと同年生まれで1年後に亡くなった人。才能に関しても、あの天才に少し落ちる程度であり、かなりのレベルにあると感じる。古典派でモーツァルトとハイドン以外を聴くなら、真っ先に手を出すべき作曲家の一人。

交響曲ハ短調VB142
4.0点
1楽章のロマンチックな激情と知性はモーツァルトに匹敵と言えるほどの素晴らしさ。2楽章も時代を考えるとロマンチックであるとともに、モーツァルトに近い。最後の3楽章はもっと激しくやってほしいし、霊感があと少し足りないと感じるが、十分に頑張っている。モーツァルトの2曲の短調の交響曲の天才性にはかなわないが、ハイドンの大半の短調の交響曲よりも優れていると思う。

フランツ・アドルフ・ベルワルド(Franz Adolf Berwald, 1796 - 1868)
交響曲第1番ト短調「まじめな交響曲」(Sinfonie sérieuse)
2点
僕にはただの凡庸なマイナー交響曲にしか聴こえなかった。

交響曲第2番ニ長調「気まぐれな交響曲」(Sinfonie capricieuse)

交響曲第3ハ長調「風変わりな交響曲」(Sinfonie singulière)

交響曲第4番変ホ長調「素朴な交響曲」(Sinfonie naïve、スコアには標題の表示は無い)


ニルス・ゲーゼ(Niels Wilhelm Gade, 1817 - 1890)
デンマークの作曲家。マイナー交響曲作曲家の中の大物の一人。

交響曲
交響曲第1番ハ短調Op.5

交響曲第2番ホ長調Op.10

交響曲第3番イ短調Op.15

交響曲第4番変ロ長調Op.20

交響曲第5番ニ短調Op.25

交響曲第6番ト短調Op.32

交響曲第7番ヘ長調Op.45

交響曲第8番ロ短調Op.47


トマス・テレフセン(Thomas Dyke Acland Tellefsen, 1823 - 1874)
ノルウェー


アスガー・ハメリク(Asger Hamerik, 1843 – 1923)(またはハンメリク)
デンマーク


ペーター・アルノール・ハイセ (Peter Arnold Heise, 1830 - 1879)
ヨハン・(セヴェリン・)スヴェンセン(Johan [Severin] Svendsen, 1840 - 1911)
ヴィルヘルム・ステーンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar, 1871 - 1927)
北欧の作曲家として、グリーグとシベリウスに次ぐ存在だそうだ。自分はまだほとんど聞けていないが、イメージはバランスの良い実力派という感じである。

管弦楽曲
交響曲 第1番 ヘ長調 (1902年 - 1903年)
4.0点
馥郁とした豊かで柔らかい響きの巨匠的な品格ただよう1楽章はなかなかの名品。3楽章もロマン派交響曲の屈指の中間楽章と呼びたいほどの美旋律と自然を感じさせる豊穣な音楽世界が大変に秀逸である。オーケストレーションがかなり良いように聴こえる。ロマン派の発見した良さを交響曲の楽章として最高度に結晶させている。他の楽章もなかなかの力作で十分に曲の価値をキープして楽しませてくれる。感動的なフィナーレは見事な盛り上げ方であり、いいものを聴いたと胸が一杯になる。作曲家の独自性は2番の方があるが、1番も大変な傑作である。

交響曲 第2番 ト短調 作品34(1911年 - 1915年)
4.0点
北欧の厳しさを伴った大自然を感じさせるところはシベリウスに似ていて、ゾクゾクする素晴らしさがある。音使いが室内楽のように簡素でポリフォニックな印象が強いが、それでもオケとしての十分な演奏効果を上げている。壮大な世界の広がりと凍てつく空気と氷の大地を感じさせる1楽章はかなり良い。他の楽章も素晴らしい。没入感があり良い音楽を堪能させてもらえて幸せな時間を過ごせる名作である。時々音の密度感の不足に物足りなさを感じるときがあるものの、全体としてはこれは難解で晦渋なシベリウスの交響曲よりも優れているかもしれない。マイナーなのが驚きの名曲。

交響曲 第3番 ハ長調(1918年か1919年、断片的なスケッチ)

セレナード ヘ長調 作品31(1908年 - 1913年、1919年 改訂)
4.0点
見事な管弦楽法でセレナーデらしい愉しませつつ、高度で密度が高く品位も高い音楽を実現している。この曲にはマイナー曲に何かしらある物足りなさがほとんど感じられない。まさに大作曲家の作品らしい隙のなさと磨き上げられた完成度である。完成度で比較するなら交響曲よりも上であろう。もし人口に膾炙するようなメロディーを一つでも産み出して取り込めていたら、有名曲になれた作品である。北欧らしさがありつつも交響曲より色は薄めであり、かなりドイツ的である。ドイツならではの重厚などっしりとした手ごたえ感があるが、しかし北欧らしい情景の要素や、品のよい遊び心のあるセンスとふわっとした軽やかさがあるのが楽しい。

演奏会序曲「高みを目ざして(Excelsior!)」作品13(1896年)

ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品1(1893年)
2.8点
1楽章はたいした特徴もなく地味で面白くない。2楽章は軽やかな詩情が楽しめる。楽しい気分で最後まで聴ける。3楽章は天才的な場面がごく短い間だけ存在するが他は凡庸である。4楽章も凡庸である。全体として2楽章だけがオススメできるが他はあまり面白くないのと、4楽章通すと長すぎるため我慢の時間が長すぎてあまり評価できない。作曲者がピアノ協奏曲に向いていない印象である。

ピアノ協奏曲 第2番 ニ短調 作品23(1904年 - 1907年)
3.0点
それなりに立派に書かれた曲である。しかし、ピアノ協奏曲というフォーマットを使って独自の表現世界を作ろうとするアイデアが足りないように思えてしまう。なんともしっくりこない。独奏の場面が多いのは特徴と思う。オケにピアノの伴奏をさせて、ピアノを活躍させて、逆にピアノにオケの伴奏をさせることによって産まれる美や情感や情景に入り込めない。しかしこの不満が2楽章の後半から改善して良くなる。3楽章と華やかで高揚感があり愉しませるものがある。

(ヴァイオリンと管弦楽のための)2つの感傷的なロマンス 作品28(1910年)


室内楽曲
弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 作品2(1894年)
3.5点
音が薄めの管弦楽曲で個人的に想像していたとおり、とても弦楽四重奏はマッチしているようだ。この曲は多くの素材により複雑に作り込まれた充実感が素晴らしい。巨匠的な響きや音使いの品格と隙のない充実感がある。これで、パッと分かるよいメロディーや雰囲気作りがあれば完璧なのだが、4楽章はそれに近いものがある耳に残る憂いのあるメロディーを持っている。達人ドヴォルザークのセンスには負けるかもしれないが、かなりのレベルで弦楽四重奏をマスターしている。

弦楽四重奏曲 第2番 ハ短調 作品14(1896年)

弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調 作品18(1900年)

弦楽四重奏曲 第4番 イ短調 作品25(1909年)
3.3点
短調の曲である。特に陰鬱さが強調されているわけでもないのに、全体にやたらと浮かない気分にさせられるのは何故だろう。密度感や構成や素材の充実感はあるのだが、聴いていて暗い気分になるせいでなんだか楽しめない。おそらくは非力になり重力に負けて身体を横たえながら魂が抜けながら脱力していく感じが気力の喪失を感じさせて、それが精神にダメージを与えるのだろう。あまり記憶のない不思議な感覚だと思った。また、充実感があるにも関わらず「これは良い」とすぐ分かる明快なメロディーやフレーズの良さに欠けるのも欠点である。

弦楽四重奏曲 第5番 ハ長調 作品29(1910年)
3.5点
わりと短い曲なのだが、非常に多くのものを内包した作品である。深淵にして自由闊達なところは、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲をかなり連想させる。あれほどの高みと深淵は全然ないにしても、通常では到底到達しないかなりの独自の境地に居る音楽と感じる。達観したような感じだろうか。音が薄いのだが、不思議なバランスと自由さで駆け回っていき、それが妙に多くのものを限界も自由さの臨界点も裏も表も全て見切ったか心境に感じるのだ。不思議な作品である。

弦楽四重奏曲 第6番 ニ短調 作品35(1916年)
3.5点
人生の終焉に向かって総決算をしていくような心境がやりすぎな位に赤裸々に描かれている。晩年らしい作品に作品である。祈りの気持ちが前面に出たり感傷的になる場面もある。かなり感動的な曲なのだが、それまでの作品と比較して、あまりに曲のトーンが一面的に偏っている気はする。感動的な場面が多数の赤裸々なこの曲は、ベートーヴェンやブラームス後期に匹敵すると感激する人も居るだろう。

ヴァイオリン・ソナタ イ短調 作品19(1899年または1900年)

ピアノ曲
ピアノ・ソナタ ハ長調(第1番)(1880年)

ピアノ・ソナタ ハ短調(第2番)(1881年)

ピアノ・ソナタ 変イ長調(第3番)(1885年)

ピアノ・ソナタ ト短調(第4番)(1890年)

ピアノ・ソナタ 変イ長調 作品12 (1895年)


オット・マリング(Otto Valdemar Malling, 1848 – 1915)
デンマーク

ピーター・エラスムス・ランゲ=ミュラー(Peter Erasmus Lange-Müller, 1850-1926)
デンマーク


クリスティアン・シンディング(Christian August Sinding, 1856 - 1941)
交響曲
交響曲第1番ニ短調op.21

交響曲第2番ニ長調op.83

交響曲第3番ヘ長調op.121

交響曲第4番『冬と春』op.129

ヨハン・ハルヴォシェン(Johan Halvorsen, 1864 - 1935)
ノルウェー

交響曲1番
3.5点
ドヴォルザークやチャイコフスキーあたりに近いロマン派音楽。かなり聴きやすくていい曲で驚いた。

クット・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887 - 1974)
マイナー交響曲作曲家の有名人の一人。個人的には、もうツボにドンピシャであり、メジャー曲にはない独特な個性と世界観を楽しむマイナー交響曲の楽しさを最大限に享受できる作曲家である。。ブルックナーを近代化して映画音楽的なエンタメの要素も取り入れた趣味的な交響曲と言えるだろうか。趣味で書いた作品とのことで、どこかアマチュアらしい凝りすぎない書きたいものを書いた感じがある。

交響曲
交響曲第1番 ロ短調 (op.3)
3.5点
近代的な華やかな管弦楽法と響きの華麗さが良い。2楽章はブルックナー的な広大さの中で漂うような旋律で素晴らしい。陽光の中で音楽に身を浸すように聴ける。現代の映画音楽の大自然の場面のようでもある。人によっては好みにズバッとはまるだろう。3楽章はブルックナーのような骨太さに現代の映画音楽のような運動神経と近代的な管弦楽法のキレの良い輝かしさを合わせたもの。しかし音の密度感はアマチュアらしい物足りなさもある。最後の楽章は高揚感が大作でありながら全体に横溢していて、やはり密度感の問題はあるものの、かなりアドレナリンを放出させる愉しい音楽になっている。全体にブルックナーを分かりやすくエンターテイメント的にした印象。演奏が良いためかなり楽しめる。

交響曲第2番 ヘ長調 (op.6, 1911-13)
3.8点
1楽章は明るく叙情性すら感じる優美さと陽気さを持ちつつも大自然のようなスケールの大きさを持つ、とても素敵な曲。かなり気に入った。2楽章以降も、密度が上がり雰囲気だけでない充実感とともに、全体的な明るさとスケールと楽しませる工夫と没入感のバランスが自分にとってはとても好みで絶妙さを感じる音楽になっていて、聴き終わった後の満足感はかなりのものだ。楽しくてまた聴きたい気持ちになる。最終楽章はやや安っぽく感じるきらいもあるが、見事な締めくくりであっぱれと言いたくなる。

交響曲第3番 ニ長調『西海岸の光景』 (op.10)
3.5点
1番と2番はいわば同工異曲と言っても良い類似した曲だが、3番は趣向を変えている。薄明のような光の弱さの中で動く音楽の1楽章は短調も使われて新しい境地になっている。なかなか面白い。ロマン的な情緒に浸りきる場面もあったり、かなり自分のツボをついている。最後まで激しくならずに終わるが満足度は高い。

交響曲第4番 ト短調 (op.14, 1918)

交響曲第5番 ニ短調 (op.20, 1922)
3.5点
かなり分かりやすいチャイコフスキーのような派手な冒頭である。なかなかカッコよくてしびれる。エンターテイメント的で分かりやすいのだがそれだけでなく、音の作り方のセンスがなかなかだし、宇宙のようになったり様々に変遷していきダイナミックに展開していく各場面がいちいちツボを突いてくる。長さに身を任せて心を揺らされる楽しさはなかなかである。前半は最高なのだが、最後の10分は少し派手すぎて単純さが生まれてしまい、やや物足らなくなった。

交響曲第6番 ハ長調 (op.31, 1928)
3.3点
まとまりがよい代わりに、独特の壮大で自由なところが失われている。ブルックナー的な際限のないようなスケールの大きさがなく、曲の世界に没入する感覚を得られないため、かなり物足りなく感じる。十分に満足感を得られるのは2楽章だけである。3楽章は通俗的で軽薄でありかなり不満である。1楽章も分かりす過ぎる不満はあるが悪くない。コンクールの優勝作品とのことだが、その事実がネガティヴに感じる作品である。

交響曲第7番 (op.45, 1942)
3.0点
アッテルベリのマジックが消えてしまい、ただの映画音楽的な交響曲になってしまっている。ラディカルさとか独特の世界に没入できる感覚がない。かなりがっかりである。とはいえ、じゃあ完全に二流の音楽かというと、よく聞くとそうではないと思う。ロマン派に退化してしまった完全に時代遅れな作曲家という感じではあるが、1楽章や最後の楽章はエンターテイメント性のある派手な音楽としてそれなりに楽しめる。2楽章も純ロマン的な楽しさがあったりする。

交響曲第8番 (op.48, 1944)
3.3点
非常に土臭くて、ロシアの作曲家かと思うような曲である。7番と似たような通俗的でロマン派の雰囲気の曲だが、3楽章制でなく4楽章あることで、楽章の間が極端すぎずにがっちりした構成感が出ている。始めからこのような音楽の作曲家なのだと思って聴くと、やや通俗的ながらもなかなか楽しんで聴ける。曲が長くないのも良い。最初は地味かと思ったが、通して聞くと後悔せずに楽しい音楽を愉しい気分で聴けるものだった。旋律がなかなか秀逸で耳に残るものばかりである。

交響曲第9番 (op.54, 1957)
3.5点
カンタータ風である。壮大さ純美や独唱の孤独感などカンタータらしい魅力が詰まっている。アッテルベリならでは独自の魅力を交響曲ほどは感じられないとは思うが、分かりやすく聴き手に寄り添ったロマン的な音楽はやはり素直に楽しめるものである。つまり、カンタータのある種のフォーマットとしての幅の狭さは気になるし、冗長で次の場面を待っているだけの時もあるが、各場面はなかなか聴いていて世界に没入できる旋律の美しさと華麗でエモーショナルな雰囲気を持っている。

協奏曲
ピアノ協奏曲 (op.37)
3.0点
1楽章は平凡な曲と思う。2楽章は近代的なロマンティシズムと硬くて透徹した音の作り方とピアノの歌わせ方がラヴェルを連想させるものであり、なかなか楽しめた。3楽章は民族的な旋律を混ぜていく進んでいく曲で、ピアノは派手なパッセージを織り交ぜながら活躍するものの協奏曲らしい圧倒的な高揚感がないため少し物足りなさを感じてしまう。

カール・ニールセン( Carl August Nielsen, 1865 - 1931)
交響曲作曲家としてはかなりメジャーな存在。一般的には知らない人のほうが遥かに多いにも関わらず、あまり大きくないお店にもたいていCDが置いてあるという微妙な知名度の交響曲作曲家は彼しかいない。彼の音楽が独特の論理に基づいており、聞きやすそうでいて決して分かりやすくはないと思う。自分はまだコツを掴めておらず、楽しめていない。

交響曲
交響曲第1番 ト短調 (1891-92,op.7,FS.16)

交響曲第2番 ロ短調 『四つの気質』 (1901-02,op.16,FS.29)

交響曲第3番 ニ短調 『広がりの交響曲』 (1910-11,op.27,FS.60)

交響曲第4番 『滅ぼし得ざるもの(不滅)』 (1914-16,op.29,FS.76)

交響曲第5番 (1921-22,op.50,FS.97)

交響曲第6番 『素朴な交響曲(シンフォニア・センプリーチェ)』 (1924-25,FS.116)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 (1911,op.33,FS.61)

フルート協奏曲 (1926/27改訂,FS.119)

クラリネット協奏曲 (1928,op.57,FS.129)


ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(Wilhelm Olof Peterson-Berger, 1867 - 1942)
スウェーデン

ヒューゴ・アルヴェーン( Hugo Emil Alfvén, 1872 - 1960)
交響曲1
2.5点
後期ロマン派らしい音楽だが、精神的にも技術的にもまだ熟している感がない。


ボアセン(Borresen , Hakon,1876-1954)
チャイコフスキーとシベリウスを足して2で割ったような曲。なかなかよい。

ルーズ・ランゴー(Rued Langgaard, 1893 - 1952)
デンマーク

交響曲
交響曲 No. 1 "Kippepastoraler" (Mountain Pastorals)’’ (1908-09/1910-11), BVN. 32
3.0点
ゴージャスで壮大。広大で雄大な舞台を1時間以上かけてたっぷりと描写している。後期ロマン派のような世界だが、近代的な垢抜けた部分もある。好きな人にはわりとツボにハマると思われる。人間的な温かみのようなものは乏しく、現実世界か精神的仮想世界か謎だが、とにかく世界の風雨の中に居て大きく息を吸い込んで世界を見回しているような雰囲気が続く。コンセプトを楽しむ曲として、お腹いっぱいになるまで楽しませてくれる。しかし、音のセンスが天才的とは思わなかった。

交響曲 No. 2 "Vårbrud" (Awakening of Spring)’’ (1st version 1912-14)
3.0点
1番ほどゴージャスではなく、すっきりとして見通しが良い。初夏のような眩しさと無意識の心の壁がなくなり前向きになり積極的になるような解放感が心地よくて楽しい気分になる。音使いのセンスは言えば1番と似たようなものであり、一流作曲家の域には到達できていないと思うが、聴いていて清々しい気分になるため聴後感は悪くない。3楽章はマーラーのような女声の独唱であり、滑らかな雰囲気の移り変わりにおける場面の繋ぎ方やふわふわとオーケストラの上に漂うようなメロディーがよく似ていて、聴きやすい。聴いていて疲れない曲なのが良いところで、聞く行為の心理的な楽さがもう一度聴きたいと思わせてくれる。

交響曲 No. 3 "Ungdomsbrus (La Melodia)" (The flush of youth (La Melodia)’’ (effectively a piano concerto in one movement of about 30 minutes, 1915-16/1925-33), BVN. 96

交響曲 No. 4 "Løvfald" (Leaf-fall) (1916/1920), BVN. 124

交響曲 No. 5 (1st version, 1917-18/1926), BVN. 191*

交響曲 No. 5 "Steppenatur" (Nature of the Steppe) (2nd version, 1917-18/1920/1931), BVN. 216*

交響曲 No. 6 "Det Himmelrivende" (The Stormy Sky) (1919-20/1928-30), BVN. 165

交響曲 No. 7 (1st version, 1925-26), BVN. 188

交響曲 No. 7 "Ved Tordenskjold i Holmens Kirke" (By Tordenskjold in Holmen's Church (2nd version, 1925-26/1930-32), BVN. 212

交響曲 No. 8 "Minder ved Amalienborg" (Memories at Amalienborg) (with mixed chorus, 1926--28/1929-1934), BVN. 193

交響曲 No. 9 "Fra Dronning Dagmars By" (From Queen Dagmar's City) (1942), BVN. 282

交響曲 No. 10 "Hin Tordenbolig" (Yon Hall of Thunder) (1944-45), BVN. 298

交響曲 No. 11 "Ixion" (1944-45), BVN. 303

交響曲 No. 12 "Helsingeborg" (1946), BVN. 318

交響曲 No. 13 "Undertro" (Belief in Wonders) (1946-47), BVN. 319

交響曲 No. 14 (Suite) "Morgenen" (Morning) (with mixed chorus, 1947-48/1951), BVN. 336

交響曲 No. 15 "Sørstormen" (Storm at Sea) (with bass-baritone solo and male chorus,
1937/1949), BVN. 375

交響曲 No. 16 "Synflod af Sol" (Deluge of the Sun) (1951), BVN. 417


レーヴィ・マデトヤ(Leevi Antti Madetoja, 1887 - 1947)
フィンランド

ルドルフ・ニールセン (Ludolf Nielsen、1876 – 1939)
デンマーク

テューレ・ラングストレム(Ture Rangström、1884 - 1947)
スウェーデン


ウーノ・クラミ(Uuno Klami、1900 - 1961)
フィンランド

フランスの影響を受けているらしく、北欧的な硬さ厳しさの中に、色彩感とやわらかさがあるのが特徴。

交響曲2番
3点


ラーシュ=エリク・ラーション(Lars-Erik Larsson、1908 - 1986)
スウェーデン


ヴァン・ホルンボー(Vagn Holmboe, 1909 - 1996)
デンマーク


アラン・ペッタション(またはペッテション)(Gustav Allan Pettersson, 1911 - 1980)
ワンアンドオンリーの独自に深められた精神世界を彷徨するような長大で重厚な交響曲を沢山書いた作曲家。その点では20世紀のブルックナーと呼びたいような存在。

交響曲
第1番 (1951年)※破棄され、断片のみが現存。

第2番 (1953年)

第3番 (1955年)

第4番 (1959年)
3.0点
純粋な精神世界の音楽である。叙景をほぼ感じさせない。ドロドロとした暗黒世界の中で現実的精神とも妄想か生み出した虚構ともつかないような純美の世界が展開される。調性はかなり明確な場面が多いが、場面展開は旋律的でなく動機を重ねたり音響的だったりする。もやもやとした黒い霧と渦巻く暗黒オーラが常に世界を覆っている。少しずつ押したり引いたりしながら場面は展開していくから十分に堪能出来る。しかし、まだまだこれからの深化の序章としての楽しみという感じで浅さと未成熟さが残っている。やりたい方向性は既に明確だが、明確に世界を確立しきっていない。

第5番 (1962年)
3.3点
4番よりもはるかに暗黒度合いが高く、曲への没入度合いも高い。音像の完成度が段違いであり、一段階の深みに達している。魂の底にへばりついて動かしていくような力がある。単なる精神世界ではなく、もっと異次元の何かの亜空間の世界の音楽である。現代音楽風ではあるものの、調性はだいたいあるにもかかわらず、ここまでの世界に到達しているのはすごい。ここからがペッテションの本領発揮であろう。

第6番 (1967年)
3.0点
エモーショナルなパワーが増強して、それとともに暗黒的な魔界の世界観もさらに濃密度を上げている。うんざりするような暗黒度合いである。劇的なパワーは楽しめる部分もあるのだが、後半の同じ和声の上で延々と音楽を続けるのはさすがにやりすぎではないだろうか。息抜きがないためいい加減ウンザリしてしまった。

第7番 (1967年)
3.0点
ネオクラシック的な明快すぎる線が気になる。亜空間のような異世界の中を目に見えないオーラが覆うようなオリジナリティーが薄れたことにより、独自の魅力が薄れたように感じてしまった。音楽が明快になったことで、楽章がないものの構成自体はかなりシンプルなことも分かりやすくなり過ぎたように思う。とはいえ、個別の場面がそれなりに魅力ある音楽だとは思うが。

第8番 (1969年)
3.0点
7番の単純さとは全然違う、割り切りができない音の様相が続く。そして暗黒的なオーラがかなり弱い。光が常に差し込んでおり、拡散して曖昧になりながらも光の力が強いため、そこに暗黒は登場しない。どうしたのか?と突っ込みたいくらいだ。その目新しさを楽しみ、雰囲気の複雑で少しずつ移り変わる様を楽しめる。そしてスクリャービン後期を連想するような神聖なる神秘的な秘蹟の音楽という感じは強くあるのが面白い。得意の執拗なコーダも不思議な浮遊感があり、重力に引っ張られるような重さが少ない。

第9番 (1970年)
3.3点
長尺の曲らしいゆったりした時間の流れの中で不思議な音楽が続く。執拗な繰り返しの中で、マーラーの6番のような過剰に劇的で起伏の激しい内面エネルギーのドラマが演出される。しかし、これはとても抽象的で独自の超越的な亜空間の中でエネルギーの粒子を主人公として産まれるドラマである。なかなか面白い音楽であり、8番を拡張して独自のものに仕立て上げている。しかし現代音楽のようなものではなく、効果音により書かれているものの調性的で聴きやすい。長いコーダが最後に平安と安息で美しく終わるのにドキッとする。

第10番 (1972年)
3.0点
順番に聴いていくと突如としてカオスの音響のるつぼの別の作曲家になったかのような音楽になって面喰らう。この曲まではシンプルで統制が取れていたが、急に各楽器がバラバラに自分の出したい音を自由に奏でているかのような不統一な世界になっている。ひたすら圧倒されるだけで終わるのだが、飽きる前に短く終わるので、まあいいかと思える。凄い曲という感想はないが。

第11番 (1973年)
3.3点
前半はペッタションにしてはあまりにも生ぬるい。えぐりがなく、ゆったりとした時間をフリージャズのように自由に声部が登場してやりたい事をやっては去っていく感じだ。しかし後半はボルテージか上がっていく。ユニゾンの強奏から浮遊感の中に浮かび上がる姿の見えない強大なラスボスのようなものが存在している感は、独特の楽しさである。斬新なとても新しくて楽しい音楽を聴いた満足感はなかなかだ。

第12番「広場の死者」 (1974年) 合唱付き
3.0点
カンタータ風の声楽中心の曲。独特の浮遊感の中での雲を掴むような感じの合唱が延々と続いていく。しかし、あまり面白くないというか、強く感じるものがない。曖昧さが合唱によりパンチが効かなくなりさらに曖昧になってしまっている。謎の音楽という感想は最後まで消えなかった。また、あまりに長すぎる。全く芯のようなものがつかめず歌唱の不思議な音の繋がりと異様なテンションに圧倒されっぱなしなのはよいのだが、それだけが永遠に続く感じだ。しかし最後の最後に綺麗に伸ばした音で終わった時は、一気に気分がスッキリして達成感も感じて急に良いものを聴いたような気持ちになって点を上げてしまった。

第13番 (1976年)
3.5点
これは最初の数10秒を聴けばすぐ分かることだが、総合性を備えた素晴らしい力作である。重厚感のある重さと異次元のような浮遊感を備えており、カオス性とフリージャズのような自由さとコントロールされた統一性を全て兼ね備えている。聴きごたえが非常にあり、濃密な時間が流れていく。深くえぐるようなダークな精神性を持ちながら、発想豊かで変化に富んだ面白さもある。エモーショナルな場面もある。大変な覚悟で臨んだ代表作なのが音だけでもよくわかるし、その挑戦は成功したように思われる。

第14番 (1978年)
3.5点
ペッタション流の交響曲による晩年らしい枯れた味わいのある曲。妙に人生の終焉の予感で感傷的になったり薄い音の枯れた雰囲気の場面が見え隠れするのだが、それほど単純化されているわけではなく、カオス性は存続していて面白い。晩年の音楽が好きという人は多いと思うのだが、そういう人にはぜひ試しに聴いてみてもらいたい。音の濃密さや変化の多彩さや壮大なスケール感などは13番を継承しており、聴きごたえも13番ほどではないがかなりある。泣けるほどに心を震わせてくれる場面もある。割り切れない無限の変容の繋がりは相変わらずだが、場面を切り出すと普通の交響曲のような時が増えているようにも思える。

第15番 (1978年)
3.3点
14番と同系統の音ではあるが、この曲はなんとも言えないバランスの良さである。14番の終焉感のような特徴の明確さはなく薄められていて、平衡感覚を保った作品になっている。時間が短くてコンパクトであるが、これにはどちらかというと深い深い底の部分までは到達されない物足りなさを感じる。音楽に翻弄されきった完了感がない。出来は良い気がするが、いろいろとインパクトが弱い曲と思った。

第16番 (1979年) アルト・サクソフォン独奏付き
3.5点
サクロフォーン協奏曲のような作品であり、ひたすら独奏を吹きまくる。これがペッタションの晩年の作品に奇跡的な相性の良さを見せており、何度も聴きたくなるような素晴らしさである。無限の変容と感傷的な雰囲気のなかで、サックスはまさに魂とは単一のものであることを表象しているかのように吹かれる。そして吹きすさぶ嵐の中を人生を回想しながらも強く自分を保持し、それでもナイーブな気分にもなったり、揺れ動く。独自の作風と晩年であることとサックスの奇跡の結合で、少なくともクラシック音楽の中で他では見つけられそうもないオンリーワンの魅力を放っている。

第17番 (1980年)※破棄され、断片のみが現存。


エイナル・エングルンド(Einar Englund、1916 - 1999)
エイノユハニ・ラウタヴァーラ(Einojuhani Rautavaara 1928 - )
交響曲
交響曲第1番

交響曲第2番「シンフォニア・インティマ」

交響曲第3番

交響曲第4番「アラベスカータ」

交響曲第5番

交響曲第6番「ヴィンセンティアーナ」

交響曲第7番「光の天使」

交響曲第8番「旅」

カレヴィ・アホ(Kalevi Aho, 1949 - )
フィンランド


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8C%97%E6%AC%A7
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/623.html#c1

[近代史7] スペイン・ポルトガルの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14705] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:45:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[36]
スペイン - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria, 1548 - 1611)
1600年頃の大改革以前のヨーロッパ音楽は、無伴奏の合唱が主体で正直言って初心者には違いがよく分からない。
しかし、ビクトリアははっきり違うことがすぐに分かる。神秘的で輝かしく、強い祈りの気持ちが現代人の耳にもよく伝わる。

死者のためのミサ曲
4.5点
ビクトリアの代表作。作曲家のところの説明で書いたとおり、神秘的で輝かしく、強烈な祈りの感情に圧倒される。

フアン・クリソストモ・アリアーガ(Juan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola, 1806 - 1826)
交響曲
2.5点
1楽章はモーツァルトの影響が濃く、2楽章以降はベートーヴェン以降のロマン派黎明期という感じの音楽。国が違うことによる新鮮さがある。しかしキャリアとしてまだまだこれからだっただろうと思う内容。

弦楽四重奏曲
2点
民族的なフレーズなど楽しめる要素は多少あるものの、全体的にカルテットを扱う作曲技術の不足を感じてしまう。最終楽章のアレグロは頑張っていると感じたが。

パブロ・サラサーテ(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz, 1844 - 1908)
大ヴァイオリニストとして有名であり、作曲家としてもあのツィゴイネルワイゼンの作者として有名。

ツィゴイネルワイゼン Op.20(1878年)
4.5点
技巧系ヴァイオリン音楽の代表作の一つ。粘っこくてタメがたっぷりの民族的なフレーズも早弾きも、めちゃくちゃカッコ良い。

イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual, 1860 - 1909)
ピアノ音楽の大家。ピアノに適合したピアノ曲を書いたという点では、かなり上位の作曲家だと思う。
最初は親しみやすく難易度の低い作品を書いており、晩年になって難易度の高い傑作を書いた。

スペイン狂詩曲
3.3点
ピアノ協奏曲形式。かなり通俗的。わかりやすいメロディーはよいが18分もあるとさすがに気になる。ありきたりのメロディーの連続にも聞こえる。とはいえ、スペインらしさとピアノ協奏曲の華やかさを楽しめる。

ピアノ曲
古風な組曲

マズルカ

スペイン舞曲

舟歌

組曲「スペイン」
全6曲。第2曲「タンゴ」が有名。「タンゴ」は熱気を含んだいかにもスペインらしい気だるさが心地よい曲。非常にいい曲である。

組曲「イベリア」全12曲
4.0点
晩年の名作。派手なパッセージはないのだが、演奏が難しいそうだ。たしかに楽譜をみると音だらけである。音楽はイメージの奔流であり内容が豊富で霊感にあふれている名作揃いである。ただし、曲の個性はあまり強くない。そのため統一感はあるが。ピアノ的な書法が素晴らしい。分かりやすい曲が多いアルベニスだが、この曲は成熟した大人っぽい雰囲気で不協和音も多くて渋い。明快な多くの作品と違い、複雑であり、何度も聞いても主なメロディーと構成が頭に入らず、すっきりと理解出来ない。20世紀のピアノ曲の名作のひとつ。霞の中のような感じで、幻想的で抽象的な場面が主である中に、スペインらしい現実感がたまに顔を覗かせる。そのさじ加減がよい。

ピアノソナタ5番
3.8
隠れた名曲。1楽章や3楽章のしなやかな叙情性の美しさが大変素晴らしい。ショパンと同様にピアノの機能と完全に結びつき同化した音楽であり、書法が見事である。ドイツ的なソナタらしい構築性や対比はそれほど見られないが、それを補ってあまりある詩情である。スペインとはどれだけ美しい国なのだろうか、と想像が膨らむほどである。早い2楽章と4楽章は短いので、主要ではない。落ち着きと旋律のよさが耳につく素晴らしいソナタである。後期ロマン派時代の屈指のピアノソナタであり、なぜマイナーなのか分からないほどだ。

ラ・ベーガ
3.0点
15分の大曲。変奏曲のように同じ動機を細かく変容させながら繰り返す部分を、いくつか組み合わせて作っている曲。伝説のような幻想的な雰囲気を漂わせる。ピアニスティックな場面も多い。内面的に情熱を持ちつつも、あまり全面に押し出さず奥ゆかしい。幻想曲のようであり、構成は弱いと思う。


スペインの歌

アストゥリアス(伝説)
4.0点
ずっとギター曲だと思ってた。ピアノ版もギターを模して書かれている。渋くてカッコいい。髭の濃いイケメンのスペイン人をイメージしてしまう。

エンリケ・グラナドス(スペイン語Enrique Granados y Campiña, 1867 - 1916)
アルベニスと並ぶピアノ音楽の大家。

ゴイェスカス(1911)(全7曲)
2.3点
アルベニスの名作群と並び、スペインのピアノ音楽の名作として評価の高いゴイェスカスだが、自分はラローチャ大先生で何度も聴いても良さがほとんど理解出来なかった。心に引っかかるモノがほとんど無いまま曲が終わってしまった。将来いつかまた再挑戦しようと思うが、現時点の評価はとても低い。

マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu, 1876 - 1946)
管弦楽曲が有名。しかし秀逸なピアノ曲もあり、バランスと総合性があるという点でスペイン近代の最高峰の作曲家である。

管弦楽曲
『三角帽子』 第1組曲 G.58、第2組曲 G.59

『恋は魔術師』組曲 G.69(7曲?)

4つの讃歌 G.86

協奏曲
交響的印象『スペインの庭の夜』 G.49
3.3点
ほぼピアノ協奏曲である。スペインらしい熱気をはらんだ空気が感じられる名作。

ピアノ曲
夜想曲/Nocturno [1899-1900年]

マズルカ/Mazurka [1900年]

アンダルシアのセレナータ/Serenata andaluza [1899-1900年]

歌/Canción [1900年]

ヴァルス・カプリッチョ/Vals-capricho [1899-1900年]

バレエ音楽《三角帽子》より 3つの踊り

小人の行列/Cortejo de gnomos [1901年]

セレナータ/Serenata

演奏会用アレグロ/Allegro de concierto [1903年]

4つのスペイン小品/4 Piezas espanolas [1907-08年]

ベティカ幻想曲(アンダルシア幻想曲)/Fantasia bética [1919年]
4.0点
スペイン音楽史上で最高峰のピアノ曲。他のファリャの作品はそうでもないのだが、この曲は非常にピアニスティックであり、ショパンのスケルツォやリストの大作などと同格の出来である。近代的なピアノな華やかさ、スペインの風情に彩られた表情の豊かさ、緊密でスケールの大きさを併せ持ち、大変レベルの高いピアノ曲である。

クロード・ドビュッシーの墓碑銘のための讃歌/Homenaje, pour le tonbeau de Claude Debussy [1920年]

ヴォルガの舟歌/Canto de los Remeros del Volga

ポール・デュカースの墓碑銘のための賛歌/Homenaje, pour le tombeau de Paul Dukas [1935年]

火祭りの踊り/Danza ritual del fuego [1914-1916年]

ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina, 1882 - 1949)
ファリャに次ぐスペインの大作曲家。音楽は魅力的で、とても楽しませてくれる。

交響的狂詩曲
4.0点
弦楽が入っていないのに驚くほど色彩感が豊か。印象派のような音使いやスペインらしい情緒の豊かさ華麗さ濃さが、素晴らしいピアノにオーケストラにより描かれている。短いのに内容豊かな佳曲。


フェデリコ・モンポウ(カタルーニャ語:Frederic Mompou i Dencausse, 1893 - 1987)
大作曲家という感じではないが、イージーリスニング寸前のまったりピアノ曲は、そういう気分の時には使える。

内なる印象(Impresiones intimas - Planys)1911年〜1914年

ひそやかな音楽(Musica callada)

歌と踊り(Cançons i danses)全15巻 1921年〜1979年

ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo Vidre, 1901 - 1999)
ギターと管弦楽のための《アランフェス協奏曲》
5点
この人の他の曲は知らないが、この曲は素晴らしすぎる。有名な2楽章だけでなく、他の楽章も十分に素晴らしい。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3

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[近代史7] アメリカの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14704] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:46:46 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[37]
アメリカ - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB


エイミー・ビーチ(Amy Marcy Beach, 1867 - 1944)
19世紀の女性作曲家。

交響曲
2.0点
立派で聴き応えがあって驚く。フランス風で構築感があるという点ではフランクに近いし、きびきびと次の場面に移行する音自体の充実感はブラームス的か。しかし、音楽として立派なのに聴後の印象が残らない。印象的なメロディーが欠けているせいだろうか。

ピアノ協奏曲
2.0点
ピアノが華やかで効果的であり、優れたピアニストだったのがよく分かる。しかし曲としては交響曲同様に立派なのに印象に残らない。
チャールズ・アイヴズ Charles Edward Ives (1874 - 1954)
交響曲第1番 ニ短調(1896年〜98年)

交響曲第2番(1897年〜01年)

交響曲第3番「キャンプ・ミーティングThe Camp Meeting」(1901年〜04年)(マーラーが注目したことでも有名)

交響曲第4番(1910年〜16年)

ピアノソナタ第2番「マサチューセッツ州コンコード、1840年〜60年」(コンコード・ソナタ) (1909年〜15年)

アグスティン・ピオ・バリオス( Agustín Pío Barrios, 1885 - 1944)
ウォルター・ピストン(Walter (Hamor) Piston (Jr.) 、1894 - 1976)
交響曲
第1番(1938年)

第2番(1943年)

第3番(1948年)

第4番(1950年)

第5番(1954年)

第6番(1955年)

第7番(1960年)

第8番(1965年)

ハワード・ハンソン (Howard Harold Hanson, 1896 - 1981)
交響曲
第1番 ホ短調《北欧風》(1922年)

第2番(1930年)

第3番(1936〜38年)

第4番 《レクィエム》作品34(1943年)

第5番 《神聖なる交響曲 Sinfonia Sacra》作品43(1954年)

第6番(1967〜68年)

第7番 《海の交響曲 A Sea Symphony》(1977年)

ロイ・ハリス(Roy Harris, 1898 – 1979)
交響曲、管弦楽曲
交響曲「1933年」(交響曲第1番)

交響曲第2番

交響曲第3番

交響曲第4番「民謡交響曲」

交響曲第5番

交響曲第6番「ゲティスバーグの演説」

交響曲第7番

交響曲第8番「サンフランシスコ」

交響曲第9番

交響曲第10番「アブラハム・リンカーン」

交響曲第11番

交響曲第12番

シルベストレ・レブエルタス(Silvestre Revueltas, 1899 - 1940)
マヤ族の夜


カルロス・アントニオ・チャペス(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez, 1899 - 1978)
ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898 - 1937)
管弦楽曲・協奏曲
ラプソディ・イン・ブルー

アイ・ガット・リズム変奏曲

パリのアメリカ人

ラプソディ第2番

キューバ序曲

交響組曲「キャットフィッシュ・ロウ」(『ポーギーとべス』の音楽を演奏会用組曲に編曲した作品)

ピアノ協奏曲ヘ調

ピアノ曲
3つの前奏曲

ソング・ブック

アーロン・コープランド(Aaron Copland, 1900 - 1990)
交響曲・管弦楽作品
交響曲第1番(1928年)

交響曲第2番『短い交響曲』(1934年)

交響曲第3番(1946年)
3点
グローフェと似たアメリカらしいおおらかな開放感、圧倒的な壮大な国土と大自然を感じさせる曲想が交響曲の形でそれなりに構築的に造形されている力作。

エル・サロン・メヒコ(1936年)
3.5点

静かな都会(クワイエット・シティ)(1941年、劇音楽1939年)
4点

アパラチアの春
3.5点
叙景音楽。コープランドでこの表題となれば期待するとおりの音楽であり、出来の良さである。

市民のためのファンファーレ(庶民のためのファンファーレ)(1942年)


協奏曲
ピアノ協奏曲(1926年)

クラリネット協奏曲(1950年) ベニー・グッドマンの依頼による。

ポール・クレストン(Paul Creston、1906 - 1985)
交響曲1番

交響曲2番
2.5点
いい曲とまではいかないが、所々魅力的な部分はある。しかし、様式がなんだか中途半端。都会的なところはさすがアメリカと感じる。

交響曲3番

交響曲4番

交響曲5番

交響曲6番

ウィリアム・シューマン(William Howard Schuman, 1910 – 1992)
交響曲
交響曲第3番 (1941年)
3.3点
温かみよりも鋭角的な切れ味を楽しむ曲。とはいえ、現代音楽的な音の不協和音のきつさとか、即物主義の気持ち悪さは少なく、あくまで包み込むような温もりを徹底的に排除して作った感じなのが良い。難解な音楽であると感じるが理解不能ではない落とし所も好きだ。なかなか洗練されていて都会的でカッコいい曲であり、新しい音楽を聴いた衝撃を得られる。しかし、衝撃だけで終わってしまい良い音楽を聴いたというような感想も残らないとも思った。30分とコンパクトで良いが、刺激ばかりで深い追求が足りない感じである。作者の中では他の交響曲と比較して本格的な構成でバランスが良く濃密であり、おそらく代表作だろう。

交響曲第4番(1942年)

弦楽のための交響曲 (交響曲第5番)(1943年)
3.3点
弦楽のための交響曲。ナイフで石を切り刻んで形を作っていくかのような鋭利な音使いが印象的な1楽章。2楽章はしなやかそうでありながらも、切れ味を感じさせる電子楽器的ともいえるデジタルな音の動きを重ねていく。中間のカオス感を作っていく感じと、そのあとの不思議な異次元空間に存在するかのような感じは面白い。3楽章のピチカートを活用した動きの感じは、かなり斬新な音の世界と感じて楽しめた。都会的な斬新さを弦楽の曲だけに純粋に楽しみやすい。

交響曲第6番(1948年)

交響曲第7番(1960年)
3.3点
3楽章までは暗いエレジーのような曲調で驚く。4楽章が面白い。プロコフィエフのピアノソナタ7番3楽章を思い起こすような変則リズムの組み合わせ。あれよりはマッタリであるが。2つのモールス信号の打鍵が組み合わされたようにも聞こえる。ある意味でポップな雰囲気に浸って楽しい気分のまま最後まで聞ける。

交響曲第8番(1962年)

交響曲第9番『アルデアティーネの洞窟』(1968年)
3.0点
戦争をテーマにした副題がついているだけに、抽象的で空気感や映像性に乏しい作曲者の曲の中では、ある程度テーマの明確さを感じて聴きやすい。とはいえ音の動きはらしいものがあり、基本的に抽象性は高い。銃撃を模しているような場面から、犠牲者を鎮魂する音楽への大きなストーリーは分かりやすい。細かいストーリーが分かりにくくて淡々と場面が進んでいるように感じるのが難点。しかし、作者の強い思いと衝動がわかる曲。

交響曲第10番『アメリカのミューズ』(1976年)

管弦楽曲・吹奏楽曲
アメリカ祝典序曲(American Festival Overture, 1939年)

協奏曲
ピアノ協奏曲(1943年)

ヴァイオリン協奏曲(1947年/1959年改訂)


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[近代史7] 日本の作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14703] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:48:34 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[38]
日本 - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC


山田 耕筰(やまだ こうさく、1886 - 1965)
日本クラシック音楽のパイオニア。後の作曲家達の音空間に共通するある種の日本人作曲家の共通点を既に見せている。

交響曲ヘ長調『かちどきと平和』
2.0点
日本最初の交響曲として名前は有名。ドイツロマン派のようであり、20世紀に書かれた交響曲としては非常に保守的な内容である。管弦楽の扱いはぎこちなくて、平板。曲として面白い場面はない。ドイツロマン派のよくある場面を真似しながらつなぎ合わせたかのような、学生の練習作品のような習作レベルであり、個人的にはガッカリした。しかし、パイオニアというのはこのような所から出発して、高みを目指して研鑽していくもの。日本人クラシック作曲者の原点の記録としてはやはり感慨深い。

長唄交響曲「鶴亀」
1点
長唄が好きな人なら面白いかもしれないが、そうではない自分にはオケと競演して何かが産み出されたように聞こえなかったし、何も楽しくなかった。

橋本 國彦(はしもと くにひこ、1904 - 1949)
交響曲第1番ニ調(1940年)
2.5点
2楽章が面白い。うーんと引き込まれる。他の楽章もわかりやすさの中に凡庸を拒否しており、はしばしにセンスの良さを感じる。

交響曲第2番ヘ調(1947年)
3.3点
2楽章制。1楽章はかなり気に入った。淀みなく進行する音楽がなんとも気持ちいい。品格があり、シベリウスのような豊かな自然と戦争が終わった人類の過去の歴史と未来を思料するような大いなる気分が混ざっていて、胸がいっぱいになるものがある。旋律の一つ一つは平凡だが、交響曲として複雑に組み上げられた結果として意味のあるパーツになっている。20分の大曲だが、もっと聴いていたいくらいだ。2楽章は残念ながらあまりいい曲とは思えない。ピンとこないまま曲が終わってしまう。1楽章がリバイバルするような最後の場面だけ気に入った。

3つの和讃
2.8点
和の心と祈りを多分に含みつつ、マーラー的なしなやかな情感を持った曲。切れ味がよくないのは気になるものの、真摯さと明確な作曲意図があり好意的に聴ける。しかし、一流の音楽というには平凡であることも否めない。

諸井 三郎(もろい さぶろう、1903 - 1977)
交響曲
交響曲第1番ハ短調Op.8(1934年)

交響曲第2番Op.16(1938年)

交響曲第3番Op.25(1944年)
3.0点
1楽章は骨太でドイツ的な堅い音楽。突き抜ける感じはないが、音の感じややろうとしていることはとても好みだ。2楽章は息抜き。3楽章が一番良い。何箇所か非常に感動する場面がある。ブルックナーのようにこころが膨らむ壮大さと心がどっぷりと音楽に包まれて魂を音楽に委ねる感じは、あまり日本人の曲では経験がない。全体的によいのだがしかし、常に最高に素晴らしいわけではなく、著名作品のような隙のない天才性の横溢という感じが残念ながら無い。感動を思い出しつつ、物足りなさが消えないもどかしさも感じながら聞き終わった。

交響曲第4番Op.27(1951年)
2.5点
ドイツ的な構築性とロシア的な大河性を具有している本格派の作曲家ならではの大作。ピアノが活躍する。しかし、何かショスタコはじめ何人かの作曲家が突破できた壁の手前にいるようなもどかしさを感じてしまうのである。

交響曲第5番「大学祝典交響曲」Op.29(1970年)

シンフォニエッタ
2.5点
頑張っているのは感じるが発想にそれほど輝きを感じなかった。

大澤 壽人(おおさわ ひさと、1906 - 1953)
交響曲
交響曲第1番 イ調

交響曲第2番 変ロ調
2.8点
日本人らしい芋くささがない。ロマン派の残骸の響きがなく、完全に現代的な音の世界を作っている。その点では天才的である。しかし、音の感覚の鋭さを活かして、もう一つ高い次元の構築物として昇華できている感じではない。その意味では平板でありドラマがなさ過ぎる。部分を聴くと内容に不足感はあまりないのだが、やはり物足りない。最後にちゃんと終わらない不満もある。

交響曲第3番
3.0点
2番よりもオーケストラの扱いがこなれている印象である。ここまで見事に管弦楽法で非凡なプロフェッショナルさを感じる日本人作曲家はあまりない気がする。完全に近代的な作品だ。欧米のどこかの国に似ている印象はなく、かなり中立的で無国籍である。それらは良いのだが、交響曲として盛り上がりが欠けており、熱くなれない物足りなさは大きい。規模は大きいが、あまり交響曲らしくない。とはいえ4楽章は最終楽章らしいダイナミックさがあり、全体としては満足感をもって締めくくられる。

交響曲第4番

交響曲第5番

交響曲第6番「HIROSHIMA」(エドマンド・チャールズ・ブランデン)

交響曲第7番「邪宗門」(未完)

協奏曲
ピアノ協奏曲2番
3.0点
ピアノの使い方のセンスの良さには驚愕する。これが戦前の作品とは。同年の作品として、音楽の芯がどこか分かりにくい交響曲2番より、こちらの方が良いと思う。近代的で知性を感じさせながらも、新鮮な感性の輝きもみせる音楽である。ピアノの使い方は垢抜けていて音に対するセンスの高さが素晴らしい。ピアニステイツクさも、この時代の日本としては十分な高レベルに感じる。とはいえ、捉えどころが分かりにくい欠点はやはりある。予兆なしに突然終わるのもダメ。

ピアノ協奏曲3番
3.0点
1楽章は明確な躍動感があるが、分かりやすすぎるゆえに映画音楽のようになってじったきらいもある。2楽章のサックスの登場は驚いた。そして2番も3番も2楽章はラヴェルのピアノ協奏曲を連想する。お洒落さと叙情性が合わさった不思議な楽章。3楽章も近代的だが、ラヴェル的なお洒落さ強い気がする。前進する推進力や飛行機の登場する宮崎駿アニメのような躍動感はなかなか楽しい。日本人らしからぬ海外のどこに出しても恥ずかしくないセンスの塊の音楽はすごい。

伊福部 昭(いふくべ あきら、1914 - 2006)
リズムや節回しが独特で分かりやすい音楽を書いた作曲家。エンターテイント作品として楽しめる。

シンフォニア・タプカーラ (1954年 / 1979年)
3.0点
わかりやすい個性とフレーズで楽しく聞ける曲。交響曲らしい総合性はあるし、聴いて損はない。

ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ (1961年、2台ピアノ版あり)

別宮 貞雄(べっく さだお、1922 - 2012)
交響曲
交響曲第1番(1961年)

交響曲第2番(1975年 - 1977年、1978年・2004年改訂)

交響曲第3番「春」(1981年 - 1984年)
2.5点
作曲者の感性を個性として楽しめる曲。しかし、ブルックナーとマーラーの間くらいのような時代を感じてしまう和声やフレーズは古臭すぎると感じてしまう。ただしゲルマン的な暑苦しさはあまりなく、フランス的な優雅で軽い印象を受けた。

交響曲第4番「夏1945年」(1986年 - 1989年)

交響曲第5番「人間」(1997年 - 1999年、2001年改訂)

團 伊玖磨(だん いくま、1924 - 2001)
交響曲1番
2.5点
23分の単一楽章。聴きやすくて、様々な音の印象の移り変わりをそれなりに楽しめる。しかし、多くの作曲家の影響が見え隠れするし、大胆に自分ならではのオリジナリティの世界に踏み込みきれていない感じを受けるので、聴後感が物足りない。

交響曲2番
2.5点
3楽章構成の力作であり、交響曲らしさを目指して努力していることが伝わってくる。様々な所に作意や意志を感じる。音楽としてはスケール感もあり聴きやすい。しかし、いかにも20世紀のマイナー交響曲といいたくなってしまう、オケの表現能力に頼っただけの精神的な密度の薄さが気になる。自然界を表現したとすれば、いささか矮小だ。1番より進歩しているが、努力された跡が分かるという程度と思う。

交響曲3番
2.8点
前衛を取り入れた音作りにより、作曲者が自分の芸術に確信を持っているのがわかる。聴き映えの良さが上がっている。二楽章形式のためもあり、鋭くある断片を切り取ったような印象がある。芸術的な深みを指向している点では交響曲として受け止められる。しかし、素材の数が少なすぎて繰り返しばかりであり、聴いているうちに飽きてきてしまう。突いている所は良いのだが、広がりが足りない。

交響曲4番
2.8点
3番と作曲時期が近いため音楽は似ている。4楽章あるため、3番よりも総合性を持っている。音の聴き映えはよい。しかしながら、作り上げた音の世界が主張や精神性を持つに至らず、音のまま終わってしまう。終わった後にもう一度聴きたい何かを生み出せていないと思う。楽章の長さが短いためなおさらそう感じる。

交響曲5番
3.3点
非常に進歩しており、巨匠らしい音楽的な説得力と精神性を持った充実した交響曲となっている。聴いていて魅力に引き込まれる場面がかなりある。前衛的ではあるが、無理なく聴ける分かりやすさとバランスがあることが良い。日本を代表する作曲家のひとりと呼ぶに相応しい作品。

交響曲6番
3.0点
長尺を生かした時間の使い方で書かれている。前衛性が後退し、密度がやや薄いためもあり、歳をとったことを感じてしまう。内容的には「達筆」という言葉を連想する。音のぶつかり合いや雅楽的な要素を柔軟に活用しつつ、機能和声の音楽の範囲で書かれている。刹那的な流れは縦横無尽で優れているが、全体的な構築感が薄くて物足りない。歌は短い時間であり、あくまで一時的な効果に留まっている。

芥川 也寸志(あくたがわ やすし、1925 - 1989)
エローラ交響曲
2.0点
作曲の経緯を知ってから聴いたのでその部分は楽しめたが、音楽の内容は、ある一つの雰囲気を音楽で作ったという以上のものを感じなかった。


松村 禎三(まつむら ていぞう、1929 - 2007)
交響曲
交響曲1番
2点
なかなか内容がある現代音楽の交響曲。厳しく鋭く意味を持った音楽性がありいい演奏に出会ったら感動する可能性があると感じた。

黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929 - 1997)
2曲の交響曲は、現代音楽を利用した強靭な創造性が心を打つ傑作。聴いている間、天才的な作品という賛辞が頭を離れなかった。

涅槃交響曲(1958)
3.3点
仏教をテーマにし、読経のような男性ボーカルを使った見事な音空間を造詣している。鐘の音を分析したそうで、どのように生かされているのか興味深く聴いた。この造形力はかなりのもので、天才的と言っていいと思う。

曼荼羅交響曲(1960)
3.5点
涅槃交響曲の半分の長さの姉妹編であるが、自分にはずっと深化した強烈な世界を造形することに成功した驚くべき傑作に聞こえた。超常的なエネルギーが渦巻く彼方の世界を圧倒的な量感で描いている。現代音楽でありメロディーは無いが、これなら問題なし。なお余談だが、スクリャービンがあと20年生きたらこんな音楽を書いていたかもしれないと感じた。法悦の詩に似ている。

矢代 秋雄(やしろ あきお、1929 - 1976)
寡作の天才であり、日本を代表する作品を多く作った作曲家とされている。確かに切れ味が鋭く、精神性が高く、時間をかけて磨き上げられた感じがする。そして、日本人にありがちな、音楽的なある種の平板さや予想の範囲内という感じがこの人にはあまりない。自分は以前は寡作の作曲家の悪い面を持っていると思っていたが、今は日本を代表する素晴らしい作曲家と考えている。

弦楽四重奏曲(1955年)

交響曲(1958年)
3.3点
4楽章作品であるだけでなく、主張の感じられる音の使い方であることが、交響曲らしさをみせている。しかしながら、基本的に音が薄く、楽器を分厚く重ねていなくてオーケストラの能力をフル活用していない点ではあまり一般的な交響曲のイメージと合わない。場面は刻々と移っていき、その推移を愉しめるが、構築的とかストーリー展開の印象ではない。3楽章の和風な打楽器の使い方の醸し出す虚無感とか空白の利用による日本的な美の表現にはしびれた。安易に勢いに頼らないで、調性音楽でありながら武満徹のような音空間を構築し、音感センスで表現する彼ならではの作品。だが、交響曲としては少しパワーが無さすぎで期待値に届いておらず、物足りない。一応最終楽章ではショスタコーヴィチのようなテンションを見せるけれども。

チェロ協奏曲(1960年)

ピアノ・ソナタ(1961年)

ピアノ協奏曲(1967年)
3.5点
日本人の作曲した曲においていつも気になる、ある種の平板さがこの曲にはない。ピアノパートは超絶技巧が要求されているとともに非常に音感が優れており、あるべき場所に音がある納得感がある。アイデア豊富で、立体的である。音の厚みではなく、センスで音の世界を作っている。通俗的ではないし、音の主義主張がはっきりしているわけではないが、聞きやすさはある。これは世界にも通用するレベルの協奏曲だと思う。
武満 徹(たけみつ とおる、1930 - 1996)
日本人作曲家の中ではダントツに有名。現代音楽だが、聴きやすいため普通のクラシックファンでも良さはすぐに分かると思う。海外の現代音楽よりも日本人の感性によく合っていて、音からイメージされるものが明確というのもあり、すぐに入り込めると思う。

管弦楽曲
弦楽のためのレクイエム 1957 弦楽

黒い絵画 レオノーレ・フィニによせて 1958 Orch

樹の曲 1961 Orch

環礁 1962 S,Orch

弦楽器のためのコロナII 1962 弦楽

地平線のドーリア 1964 Orch

グリーン 1967 Orch

冬 1971 Orch

マージナリア 1976 Orch

鳥は星形の庭に降りる 1977 Orch

ア・ウェイ・ア・ローンII 1981 弦楽

夢の時 1981 Orch

雨ぞふる 1982 Orch

星・島(スター・アイル) 1982 Orch

夢窓 1985 Orch

トゥイル・バイ・トワイライト ―モートン・フェルドマンの追憶に― 1988 Orch

トゥリー・ライン 1988 Orch

ヴィジョンズ(I神秘 II閉じた眼) 1990 Orch

マイ・ウェイ・オブ・ライフ ―マイケル・ヴァイナーの追憶に― 1990 Br,cho,Orch

ハウ・スロー・ザ・ウィンド 1991 Orch

系図 ―若い人たちのための音楽詩― 1992 ナレーター,Orch

群島S. 1993 Orch

精霊の庭 1994 Orch


協奏的作品
シーン 1959 vc,弦楽

弧(アーク) 1963-76 pf,Orch

テクスチュアズ 1964 pf,Orch

ノヴェンバー・ステップス 1967 琵琶,尺八,Orch

アステリズム 1968 pf,Orch

クロッシング 1969 cho,gt,hp,vib,pf,Orch

ユーカリプスI 1970 fl,ob,hp,弦楽

カシオペア 1971 perc,Orch

ジェモー 1971-86 ob,tbe,Orch

秋 1973 琵琶,尺八,Orch

ジティマルヤ 1974 mar,Orch

カトレーン 1975 cl,vn,vc,pf,Orch

遠い呼び声の彼方へ! 1980 vn,Orch

海へII 1981 fl,hp,弦楽

夢の縁へ 1983 gt,Orch

虹へ向かって、パルマ 1984 ob-d'amore,gt,Orch

オリオンとプレアデス(犂と昴) 1984 vc,Orch

リヴァラン 1984 pf,Orch

ウォーター・ドリーミング 1987 fl,Orch

ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に― 1987 vn,弦楽

ア・ストリング・アラウンド・オータム 1989 va,Orch

フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム 1990 perc,Orch

ファンタズマ/カントス 1991 cl,Orch

夢の引用 ―Say sea,take me!― 1991 2pf,Orch

セレモニアル ―An Autumn Ode― 1992 笙,Orch

ファンタズマ/カントスII 1994 tbe,Orch

スペクトラル・カンティクル 1995 vn,gt,Orch


邦楽曲
蝕(エクリプス) 琵琶,尺八 1966


室内楽曲
弦楽四重奏のための作品
ランドスケープ 1960 SQ

ア・ウェイ・ア・ローン 1980 SQ

その他
オリオン(犂) 1984 vc,pf

そして、それが風であることを知った 1992 fl,hp,va


一柳 慧(いちやなぎ とし、1933- )
どうも日本人作曲家の第一集団から半歩後ろの扱いのようだが、ベルリン連詩を聴く限りではなかなか優れた作曲家だと思う。オノ・ヨーコの元夫というのはそれだけでポイント高い。ジョン・レノンに間接的に大きな影響を与えたことになる。

交響曲 ベルリン連詩
3.0
調性感は薄いがかなり聴きやすい。マーラー的な悠久的時間をキャンバスに、水彩画のような淡さを基調に音楽が展開。曲想の展開が面白い。内容が充実していて満足できる。


原 博(はら ひろし、1933 - 2002)
交響曲
3点
シリアスな調性音楽である。20世紀後半らしさをきちんと持ちつつ、19世紀的ながっちりとした総合性を交響曲として作り上げている点がかなり好感が持てる。精神力の強さに感服させられ、素晴らしい音楽だと思える場面は多い。


池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう 1943 - )
池辺さんの語りは面白いし、本も面白い。独眼流正宗のテーマ曲も良かった。しかし、彼が本気で書いた現代音楽は自分には今のところまったく理解できない。

交響曲第1番

交響曲第2番「トライアス」(日本フィルハーモニー交響楽団委嘱作品)

交響曲第3番「エゴ・パノ」
1点
ところどころの運動性の高まる雰囲気に「おっいいかも」となることはあったが、現代音楽だし全体的に何がしたかったのかさっぱり理解できなかった。

交響曲第4番

交響曲第5番「シンプレックス」
1点
分かりやすさを重視したらしく、現代音楽的でないフレーズは多いものの、やはり何をしたいのか、何を感じればいいのか分からないところばかり。

交響曲第6番「個の座標の上で」

交響曲第7番「一滴の共感へ」

交響曲第8番「大地/祈り」

吉松 隆(よしまつ たかし、1953 - )
交響曲
どの曲も壮大、変幻自在、幻想的、叙情的、奇想天外な吉松ワールド全開の力作。
前提知識無しで一回聴いて、「そんな気がした」程度の感想を書いておく。

カムイチカプ交響曲(交響曲第1番) Op.40(1990年)
3点
長いしちょっと支離滅裂過ぎるなような

交響曲第2番「地球にて」 Op.43(1991年)
3点
暗いが感動的

交響曲第3番 Op.75(1998年)
3点
形式的になっていて少し冒険が足らないというか完成されてしまった残念さを感じた

交響曲第4番 Op.82(オランダ語版) Op.82(2000年)
3点
印象が薄い。5番と大きくは変わらないのだが。

交響曲第5番 Op.87(2001年)
3点
良く出来ている力作と感じた

その他作品
朱鷺に寄せる哀歌
3点
吉松流の弦楽主体のエレジーはなかなか感動的だった。

佐村河内守(さむらごうち まもる、1963 - )
私は彼の曲はゴーストの新垣氏による作曲であることが発覚してから聴いた。このため、全て新垣氏が実際の作曲者である前提で感想を書いている。曲はやはり全体的に二流であり、音が聴こえない作曲家という前提でなければ魅力が半減であると言わざるをえない。

交響曲1番 HIROSHIMA
2.3点
1楽章は起伏があり使い古された語法とはいえ聴きやすく楽しめる。2楽章は長くて平板でありかなり苦行である。どちらも長い曲にも関わらず構成感が希薄で、語法は古くて過去の遺産を繋げた感じ。深刻さと、時々見せる美しさがいいセンをいっている瞬間は多くあるのだが、それが積み重ならない。3楽章は派手で聞きやすいが、そのぶん二流さが表面に出てしまう。ただ、最後の締め括りの場面は素直に聴けばそれなりに感動出来るものがある。この巨大で壮大なコンセプトの曲を発表出来たこと自体は素晴らしい。しかし全聾の作曲家の世界苦を頭の中で鳴り響く音を書き留めることで表現したという設定があるからこそ、所々の瞬間的な魅力が意味を持って胸を打つものに聞こえるのは否めない。それなしに新垣氏の作品として客観的に聴くと、現代日本人の作曲家の作品の中においても、一流とまでは言えないだろう。50分に纏まっていたらもう少し評価出来るかもしれない。80分は長すぎる。

ピアノソナタ1番
2.5点
スクリャービン的な洗練されたピアニズムと、プロコフィエフ的な即物的なモダニズムとピアノの表現の幅が基本線。
長い曲だが、結構聴かせる場面は多い。とはいえ、全体としてはやはりまとまりが悪い点で天才性に欠けており、長さを十分に使えておらず二流の感がある。とはいえ、交響曲のような長さであり、秀逸な現代的なピアノ書法でたっぷり楽しめるし、前衛的な刺激はあるため、わりと楽しめる曲である。新垣氏もけっこうなやりがいを感じて楽しんで書いたに違いない。

ピアノソナタ2番
2.5点
1楽章は、シューマンやショパンのような19世紀前半のロマン派の世界であり、これでもかという程に甘いロマンチックなメロディーを17分にわたり積み重ねる曲である。
わざと素人くさく書いたのかもしれないが、非常にわかりやすくて雰囲気にゆっくりと浸ることが出来る。名作とは言うつもりは無いが、一定の需要があり、鑑賞の楽しみを感じられる曲だろう。
2楽章と3楽章はムソルグスキーのような間を活用した渋い曲であり、あまり印象に残らない。

ドレンテ
2.8点
アニメ映画の挿入曲のような雰囲気である。芸術音楽としてのクラシック音楽の範囲には入らないと思う。しかし、映画音楽やヒーリング音楽としては、ピアノ書法の良さもあって、透明感や回想的な雰囲気はなかなか素敵な、秀逸な曲である。何度も聴いてしまった。

シャコンヌ
2.8点
無伴奏ヴァイオリンのための悲劇的な短調の大作シャコンヌ。バッハの作品の現代風パロディーといってもよかろう。前半は、変奏が面白くないし、サスペンスドラマの音楽のような野暮さがところどころに現れるなど、発想が貧弱な三流の音楽である。しかしながら、後半は無伴奏ヴァイオリン曲らしい自由な思索の冒険となり、迫力のある音楽となっていく。後半だけならばなかなかの聴き応えであり、満足感があった。

ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ
2.3点
モダンさはほとんどなく、明確な調性に基づいている。小さくまとまった中に、若干のスケール感と展開と、そこそこ分かり易いメロディーがある点で、大河ドラマの主題曲を連想してしまった。完全な駄作とはいえないまでも、この人は「曲が長い」という特徴がないとつまらないな、と思った。

弦楽四重奏曲1番
2.3点
バルトークやショスタコーヴィチ程度に調性感が薄く、不協和音満載の音楽。雰囲気はもう少し現代音楽に近いだろうか。響きは刺激的であるが、あまりストーリーを感じず、内容豊富な感じがしない。悪い意味でも現代音楽風になってしまっている。

弦楽四重奏曲2番
2.5点
1番よりも調性的な曲。2楽章や3楽章のお涙頂戴的な悲歌の部分が印象に残った。根暗さにショスタコーヴィチを感じる。とはいえ、全体のインパクトが足らず、後に残る感激がない。1流の真似をしている2.5流の曲という感じが否めない。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC



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[近代史7] スペイン・ポルトガルの作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14702] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:50:38 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[39]
ジョリ・ブラガ・サントス(Joly Braga Santos、1924 - 1988)
ポルトガルの作曲家。

交響曲1番
2.5点
骨太さやポルトガルということで他の欧州の音楽ではあまり聞けない情熱やエキゾチックな音の使い方を後期ロマン派の範疇で聴けるのが面白い。欧州より南米の音楽にやはり似ている。しかし、密度の薄さや構成の弱さやオーケストレーションの貧弱さは、一流作曲家とは呼べないレベルと言わざるを得ない。

交響曲2番
3.0点
1番よりも濃厚で壮大で充実しており、作曲家として成長して内容は良くなっている。まだマイナー交響曲らしい密度ではあるものの、それなりに聴きごたえを感じる。特に最後の楽章は結構なスケール感であり、楽しんで聴くことが出来た。骨太さは楽しいのだが、刺激が足らず細かいところが地味というのは否めない。

交響曲3番
2.8点
1楽章は面白くない。2楽章以降はブルックナー的な広大さを基調にして、それぞれ個性のある楽章であり、それなりに聴かせるものがある。しかし、全体にシンプルすぎて、工夫はあっても細部の密度が物足りない欠点は変わっていない。

交響曲4番
交響曲5番
交響曲6番


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
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[近代史7] ギリシャの作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14701] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:51:45 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[40]
ミキス・テオドラキス (Mikis Theodorakis、 1925 -)
ギリシャの作曲家。

交響曲
交響曲第1番(1953)

交響曲第2番「大地の歌」(1981)

交響曲第3番(1981)

交響曲第4番「合唱」(1987)

交響曲第7番「春の交響曲」(1983)

ニコス・スカルコッタス(Nikos Skalkottas、1904 - 1949)
ギリシャの作曲家。

ラルゴ・シンフォニコ

妖精劇「五月祭りの呪文」組曲

交響曲「オデュッセウスの帰還」

ヴァイオリン協奏曲

コントラバス協奏曲

ピアノ協奏曲(1〜3番)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
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[近代史7] 北欧の作曲家 中川隆
2. 中川隆[-14700] koaQ7Jey 2021年12月08日 08:52:51 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[41]
エドゥアルド・トゥビン (Eduard Tubin, 1905-1982)
エストニアの作曲家。マイナー交響曲の世界では有名でファンも多いようだ。


交響曲
交響曲1番(1931–1934)

交響曲2番"Legendary" (1937)
3.3点
全部の楽章が1つに繋がっている。1楽章の茫洋とし世界が曖昧に見えたり消えたりしながら、野蛮さとなんとも言えない広大さを持って姿を表して行くのが心地いい。3楽章では、力強い軍隊的な闘争的な楽章になって、これは文句なしに気持ちいい。後半のピアノソロからのヴァイオリンの不思議な力強い嘆きとも叫びとも付かないソロはなかなか痺れた。独自の我が道を行く、適度に変態でありながらとてもカッコ良い音楽は、ツボに入る人ならかなり気にいるだろう。

交響曲3番"Heroic" (1940–1942, revised 1968)
3.3点
闘争的な1楽章はかなりカッコいい。2楽章はかなりいい塩梅を突いた浮遊感と不思議さのある楽章で、夢幻的で楽しい。3楽章はかなり軽快で明るくて聴きやすい楽章。もちろんトゥビンらしさはキープされており新鮮さはある。2楽章と3楽章が続けて明るい楽しい楽章なため、全体としてそういう印象が強い曲になっている。

交響曲4番"Lyrical" (1943, revised 1978)
3.3点
1楽章も2楽章も、力を溜めながら進展する音楽である。もったいぶりながら進む、現代的な音感覚を持ちながらも聴きやすい音楽はなかなか楽しい。しなやかな叙情性もあり、スケールは大きいし、大いなるモノの周りを巡っているワクワク感がある。3楽章はその延長で盛り上げて行く。統一感がかなりあり、後で改定されているからか成熟した曲である。

交響曲5番(1946)
3.3点
ひねりのある音使いで浮遊感のある雰囲気が支配している。かっこよさをやや強調している。魂よりもやや技巧的な作曲技法の披露に偏っている気もして物足りなく聞いていたが、3楽章中間で突然止まった場面の衝撃にやられた。その後の勢いの復活の仕方も非常に痺れさせられるもの。

交響曲6番1953–1954, revised 1956)
3.3点
1楽章はファイナルファンタジーのラスボスの音楽のような異世界の巨大な異生物を表現しているかのような不思議な音楽。同じリズムを執拗に繰り返して、野生的な音楽を鳴らす2楽章。20世紀にはよくある音楽かもしれないが、打楽器の活躍などかっこよさで満足させてくれる。

交響曲7番(1955–1958)

交響曲8番(1965–1966)

交響曲9番"Sinfonia semplice" (1969)

交響曲10番(1973)

交響曲11番(incomplete)

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[近代史7] 南米の作曲家 中川隆
1. 中川隆[-14699] koaQ7Jey 2021年12月08日 09:17:42 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[42]
ヒナステラ - クラシック音楽 一口感想メモ

アルベルト・ヒナステラ(Alberto Evaristo Ginastera,1916 - 1983)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9


アルゼンチンの大作曲家。どの分野にも、独自のエキゾチックな魅力をクラシックに融合させつつ、一つの作品としての存在感を備えた名作を書いている。南米にとどまらない世界における20世紀の大作曲家の一人だと思っている。

バレエ
バレエ『パナンビ(Panambi)』 作品1 (1934年及び1936年、組曲版あり)
3.8点
18歳や20歳の作品としては非常に完成度が高いと思う。後年のエスタンシアに通じる、ダイナミックで精神を下から突き動かすような衝動に満ちており、血が湧くような感覚になる。年齢を考えると天才的な作品だと思う。シンプルさはあるが、決して古臭いクラシック音楽の真似事はない。アルゼンチンらしさも含めて、オリジナリティを十分に感じる。もっとバレエ音楽を描いて欲しかった。なんというエンターテイメント性だろう。エスタンシアには完成度が若干及ばないが。

バレエ『エスタンシア(Estancia)』 作品8 (1941年、組曲版あり)
4.0点
ヒナステラの代表作。聴き始めると、冒頭のノリのよさに一瞬にして魅了されてしまう。その後も農村の生活の活力にあふれた豊富なニュアンスに彩られた描写は大変に楽しめる。息もつかせぬ展開をみせて最後は大円団で終わり、聞き終わってお腹一杯になり、本当に愉しい時間を過ごせたという満足感に浸れる。ミュージカル音楽のようでもあり、明るくてエンターテインメント性が高い。

管弦楽曲
クリオールのファウスト序曲 Obertura para el "Fausto" Criollo 作品9 (1943年)
2.3点
とても普通で切れ味が鈍く、全然面白くない。こんな曲も書いたのかと思った。ヒナステラである価値を感じられない。

交響的三部作「オジャンタイ(またはオランタイ)」 Ollantay 作品17(1947年)
3.3点
映画音楽のようだ。イギリス音楽のような端正さとかドリーミーさがあるのが魅力。その中にも打楽器の活躍などダイナミックさがある。前衛性はほぼない。軽い娯楽曲として気軽に楽しめる。

交響的変奏曲 Variaciones Concertantes 作品23(1953年)
2.8点
おおらかな交響詩のような音楽であり、壮大さが売りのようである。そして、ソロが活躍して長時間旋律を演奏する場面が多いのが特徴。ソロが何かの動物の個別の生と生涯を表象しているように聴こえたのが面白い。しかし、音楽の密度が薄くて芸術性があまり高い感じもしないため、あまりお勧めはできない。

パンペアーナ(Pampeana) 第3番「交響的パストラール」 作品24 (1954年)
3.3点
交響詩のような曲。大自然の森の匂いや太陽を浴びて水蒸気を含んだ大気を感じさせるゆったりとした場面が多くて、その場面もそれはそれで南米的要素が目新しくて魅力はある。しかし、やはり間に何回か登場するダイナミックなアップテンポの部分の心躍る躍動の素晴らしさがあってこそ価値が高まっているとも思う。20世紀にしては画期的なものがないが、個性の力で陳腐さを回避することには成功していると思うため、スケールの大きさに心を委ねて愉しめる曲だと思う。

協奏曲
ハープ協奏曲 作品25 (1956年)
3.8点
曲の全体とはいわないが、部分的にはかなりいい曲と感じた。エキゾチックさをうまく活用している。

アルゼンチン風協奏曲 Concierto argentinos(ピアノと管弦楽のための) 作品番号なし (1937年)

ピアノ協奏曲 第1番 作品28 (1961年)
3.0点
2番と同様に、自由な交響詩のような曲想でピアノを含む音楽が展開されている。ピアノの書法は洗練されているように聴こえる。芸術的な創発性を重視して、衝動的なものを音にしている感がある。クラスター的な音の塊や不思議な謎のモヤモヤした和音は出てこない。そのため、緊密で鋭角な印象がある。高みに昇った感はないが、一つの20世紀的な協奏曲のあり方として、アルゼンチン風味の面白さも含めて、自由さを楽しめる。3楽章はイマイチで4楽章の野蛮さが楽しい。

ピアノ協奏曲 第2番 作品39 (1972年)
3.3点
現代音楽的な音の塊をぶつけるピアノや、モヤモヤとした伴奏などが使われているものの、調性は多くの場面で明確であり、作曲者のやりたい音楽の雰囲気も明確であるため分かりやすく聴きやすい。一流らしい高みに昇ったものは感じないのだが聞いていて楽しい。急にラヴェルのようになったり、アジア的な土俗の神秘的音楽になったり、雰囲気が自由にコロコロと変わる。その中でピアノは明確に効果的に活躍している。暗さがなく、斬新で面白い協奏曲。ありきたりさが全然ない別世界であり、一聴の価値がある。

ヴァイオリン協奏曲 作品30 (1963年)
3.0点
冒頭が激烈で長いカデンツァで始まり驚く。そのまま刺激が強めの音楽が続いていく。ヴァイオリンを厳しい音として使っている。音感の良さを活かしており悪くない。2楽章は雰囲気が1楽章に似たところがあるせいで、よい音世界を作れているのに心にグッとくるものが少ないのが、他の曲でも感じるの弱点だと個人的には思う。3楽章はパガニーニの引用で耳を惹きつつ、打楽器の多用でバレエ音楽のようなダイナミックさを作り上げつつ、そのなかでヴァイオリンが盛り上げていくように弾かれる。ここはヒナステラならではの魅力的な場面である。

チェロ協奏曲 第1番 作品36 (1968年)
2.8点
チェロ協奏曲らしい面白さがない。まず、ソロの活躍度合いが地味。チェロらしい渋いかっこよさが足りない。自由な音楽の展開がヒナステラの持ち味だが、チェロの運動能力の低さが足を引っ張っているのか、雰囲気の変化が足りない。似た感じの場面ばかりである。旋律のバラエティにも限界を感じてしまう。ヒナステラらしい音世界の楽しさはこの曲にもあって楽しむことはできる。

チェロ協奏曲 第2番 作品50 (1980年)
2.8点
1番と同じ運動能力の弱点は感じるが、低くて渋い音色の産みだす独自の詠唱や唸りの魅力が活用されている。バレエ的な楽しみにオブリガード的に味付けしながら協奏するのも楽しい。しかし、やはりチェロ協奏曲としての楽しみや、ヒナステラの他の曲との比較の観点で、あまり上位にくる感じではない。物足りなさやもどかしさ、弾けない寂しさを常に感じながら聴いてしまった。

ピアノ独奏曲
アルゼンチン舞曲集 Danzas argentinas 作品2 (1937年)
4.0点
1曲目はアルゼンチン風ラヴェルとも呼びたいキレのよい格好いい曲。2曲目は憂愁のメロディーが素敵な曲。そして3曲目が白眉である。複雑なリズムと音使いが生み出すパッションと格好良さは相当な高レベルである。ピアノ書法が素晴らしい。見事な小品であり、生で聴いた事はないが非常に演奏効果が高いだろうと思うのでいつか聴いてみたい。

ミロンガ Milonga (『2つの歌曲』 作品3の第1曲目を作者自身が編曲。1938年)
3.8点
短い小品である。南米的な旋律もピアノ編曲も完璧で、磨かれた玉のように美しい名曲であり、曲が始まった最初から息を止めて聴きたくなるような音楽である。

3つの小品 Tres piezas 作品6 (1940年)
3.3点
ヒナステラの後の作品と比べると、かなりシンプルで個性が十分に現れていない。ドビュッシーのような3曲で、彼のルーツを垣間見える。よいピアノ曲である。特に3曲目が場面展開もあって楽しいなかなかの佳作。

マランボ Malambo 作品7 (1940年)
3.3点
最初は同じフレーズを繰り返してつまらないが、それが驚くような野生的な変容をみせていくのがとても面白い。

12のアメリカ大陸風前奏曲集 Doce Preludios americanos 作品12 (1944年)
3.5点
ヒナステラ一流のピアノ作曲センスがいかんなく発揮された作品だろう。短時間でコロコロと変わっていく曲は、曲に浸ることを許さない代わりに、センスの塊のような音世界が次々と登場することの驚異に打ちのめされる。

組曲『クレオール舞曲集』 Suite de danzas criollas 作品15 (1946年)
3.5点
短い作品が集まっている。シンプルな書法で技巧的にも難易度が低そうだ。それでも、心をとらえるものがある佳作が集まっていて、なかなか魅力がある。とても素敵だなあと何度も関心した。郷愁をさそうような雰囲気など。よいピアノ曲作者は音が少なくてもいい曲を書くものだと関心した。

アルゼンチン童謡の主題による『ロンド』 Rondo sobre temas infantiles argentinos 作品19 (1947年)

ピアノ・ソナタ 第1番 作品22 (1952年)
4.3点
20世紀のピアノソナタの中でも発想の豊かさと強烈さで屈指の曲。民族性あふれる強烈で野蛮なリズムと和声で一度聴いたら忘れられない強い印象を残す1楽章。高音と低音を対比させて、身体の内側からゾクゾクするような艶めかしい情熱を出す2楽章。プロコフィエフのような即物的な少しニヒルな響きの音が少ない緩徐楽章の3楽章。音を敷き詰めて、アクセントで民族的な強烈さと野蛮さを演出する格好いい4楽章。どの楽章も本当に素晴らしい。

ピアノ・ソナタ 第2番 作品53 (1981年)
3.3点
1番の古典性を備えているほどの名作感はない。1楽章も3楽章も非常にごつごつした音の塊が野蛮に鳴らされる曲で、激しさは楽しめるが、うるさいほどである。この2つの楽章が似ているのも欠点である。1楽章の方がソナタの総合性はあるが、激しい場面のゴツゴツ感が似てる。2楽章はかなりセンスが良い緩徐楽章で、音のつくる空気感の良さを楽しめる。印象派のような繊細さが素敵だ。

ピアノ・ソナタ 第3番 作品54 (1982年)
3.3点
激しい音が、岩がぶつかり合うかのように鳴り響く曲。休憩のない単一楽章。ガツンとぶつかり砕けるような音の轟音がこれでもかというくらいに響き渡る。やりすぎと思うほど。短い曲だが、これに「ピアノソナタ」を名付けたのはやはり作曲者の自身の現れだろう。違和感はない。

器楽曲、室内楽作品
パンペアーナ 第1番(ヴァイオリンとピアノ) 作品16 (1947年)
2.8点
即興的でワイルドさのある曲。それなりにカッコいいのだが、あまりに即興的すぎて曲としての統一感や構成感を感じられないため感動できない。曲想も散漫で巨匠らしい集中がない。

パンペアーナ 第2番(チェロとピアノ) 作品21 (1950年)
3.5点
約9分。全体に渋くて格好いい。いくつかの部分を繋げて書かれており、どの場面も聴き映えがする。民族的な和声やメロディーやリズムの効果が、チェロやピアノの低音の渋さに見事にフィットしており、聴いていてゾクゾクする仕上がりになっている。

二重奏曲 (フルートとオーボエ) (1945年)
2.8点
編成の限界があるにしても、あまり面白いとは思えなかった。2楽章の記憶の彼方を呼ぶような郷愁は少し心を捉えた。

ピアノ五重奏曲 作品29 (1963年)
2.5点
前衛的でリズム感に乏しくて音が薄い。中間に曲の半分くらいの長さの全くピアノが登場しないで弦がシニカルな音を奏で続ける場面がある。全くの個人的思いとして、ヒナステラのピアノ五重奏曲に求めたいのはコレジャナイという感が半端なかった。あまりいい曲とは思えない。

ギター・ソナタ 作品47 (1976年)
2.8点
あまりギター曲として偉大な感じがしなかった。大作曲家が書いた貴重なギターソナタのはずではあり、音感の鋭さは随所に見せているが、ギターらしい良さが少し足りないのと、音楽的にもいまいち共感を得られずに終わった。最後の楽章の野蛮さは素敵だが、その他の3つの楽章のバランスが悪い。

チェロ・ソナタ(チェロとピアノ) 作品49 (1979年)
2.8点
チェロ協奏曲と同様の物足りなさを感じる。ピアノのキレは良い。チェロもカッコいい瞬間はよくあるのだが、ダイナミックさがヒナステラの一番の売りだとよく分かる。渋くて独特のエキゾチックな味がある現代的な音の動きの魅力は良いのだが、片手落ちである。

弦楽四重奏曲 第1番 作品20(1948年)
3.3点
ヒナステラの音楽性の良さがよく出ている曲。緊密で無駄が少なく、各楽章が対等の完成度。弦楽四重奏の一丸となった活発さとか自由さを活用しており、アルゼンチンらしい南米の郷土的な音世界も現代性や芸術性と融合させながら見事に表現されている。南米の弦楽四重奏の名手のヴィラ=ロボスに一歩も引けを取らない。

弦楽四重奏曲 第2番 作品26(1958年)
3.5点
1番に続きよい作品。ほんのわずかだけ切れ味が鈍くなった気もしたが、規模が大きくてスケールが大きく、鬼気迫るものもある。活発で自由な弦楽四重奏のメリットを活かしている。リズミカルになったり、不安を煽ったり、いろいろな表現の可能性を掘り出していて、ヒナステラの個性がよい方向に発露している。芸術性もなかなか高い。すごい力作。

弦楽四重奏曲 第3番 作品40(1973年)
2.5点
女声ボーカル入り。歌詞が分からないから、正直にいって音楽の幅を著しく狭めており、変化も乏しく他の弦楽四重奏の力作ぶりと比べて面白くない。雰囲気は悪くなくて、シェーンベルクの月に憑かれたピエロを連想した。でも、それだけという印象。内容の充実感もない。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/618.html#c1

[近代史7] ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten) 1913 - 1976)
ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten) 1913 - 1976)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3


主要曲はどの曲も独自の世界感をもった力作である。独特の音世界を持ちつつも、シリアスで深みがあり芸術性が高い。オペラが得意だったようだが、器楽曲作曲家としても20世紀を代表する大作曲家である。

歌劇
「ピーター・グライムズ」作品33 Peter Grimes(1944〜45)
3.5点
前半だけ聴いたが、なかなかファンタジックで現代的な曲。音だけでも強く主張があるのでそこそこ楽しめる。

合唱曲
キャロルの典礼 作品 28「A Ceremony of Carols」(1942)
3.0点
美しい合唱曲。独特のブリテンらしい音使いと感動的な合唱の編曲の融合は効果的。

春の交響曲 作品44 Spring Symphony(1949)
3.0点
12の歌曲からなる作品。オラトリオに近いが構成としてまとまりと展開があり交響曲という命名に違和感はない。やや晦渋であるが、スケールに巨大感があり、厳かで不思議な大いなる雰囲気を充満させて、独特の世界を強靭なイマジネーション力で展開しており、合唱曲作家としての力量をみせている。とはいえ、天才的な発想の妙というレベルには達していないと思う。

戦争レクイエム 作品66 War Requiem(1960〜61)
3.8点
声楽の大作曲家であるブリテンの全霊を傾けた作品だけあり、かなりの凄みをもった作品になっている。暗くて重いだけのレクイエムではなく、独特の音空間の美の中で、場面により鎮魂的な雰囲気に沈み、歴史性や社会性をみせることもある。大作であり、多くのインスピレーションを注ぎ込んだ多くの場面は、映画のような移り変わりを見せる。戦争の悲劇性を芸術家として芸術に昇華させつつも、生々しさももたせて強く訴えている。世界の闇と悲劇のモニュメントを作ろうという意思を感じる。

管弦楽曲、協奏曲
シンフォニエッタ 作品1(1932)
2.8点
18歳の作品とのことだが、すでに完全にブリテンらしい音の使い方が全体を支配している。まとまりを産む音楽のコントロール力とか表現の奥深さは欠けているように思われて、作曲者が何をしたいのか掴めない。最後まで理解できないまま曲が終わってしまった。だからあまり感動するものではないが、とにかく18歳でこの世界を産み出したことには驚かされる。

シンプル・シンフォニー 作品4 Simple Symphony(1933〜34)
3.3点
弦楽合奏か弦楽四重奏の曲。シンプルで明快で爽やかだが、単なる単純な曲ではない。分かりやすい捻りではなくブリテンらしい独特の新鮮な感覚が発露していることにより、未聴感を感じさせる。この曲の感性そのものを刺激するような新鮮な感覚は面白い。作曲者の感覚の鋭さが為せる技だろうか。とはいえ、若書きであり深みはないため物足りないところはあるし、全体的にみて感動するほどの名作ではない。

ソワレ・ミュージカル 作品9(1936)
3.0点
ロッシーニの曲を使って書いた軽妙で明るい娯楽的な音楽。ブリテンらしからぬ底抜けの明るさで爽やかで聞いていて気分は良いが、単にそれだけであり他の作曲家でも書けそうなレベルである。

フランク・ブリッジの主題による変奏曲 作品10 Variations on a Theme by Frank Bridge(1937)
3.3点
弦楽合奏。26分。10の変奏曲は工夫が凝らされてバラエティーに富んでおり、弦楽合奏によるブリテンの語法での曲として可能な限りの全力を注いでいるのが分かる。主題はあまり印象深くないが、この曲の場合は関係ない。音楽のバラエティーと複雑さに感心するとともに、シニカルな陰影を持っていて精神的深みもそれなりにあり聴いていて飽きない。弦楽合奏の自由さがよい方向の結果に繋がっている。

ピアノ協奏曲 作品13(1938/45)
3.9点
1楽章は色彩的で機動性の高いオーケストラと、軽快にパラパラとフレーズを弾く雰囲気がラヴェルを連想する。2楽章も明確な個性がある曲。3楽章は3番に似ている場面があり曲の雰囲気もプロコフィエフを連想した。4楽章は再びラヴェル風ブリテンという感じ。全体的な作品としての大きなレベルでのまとまりに欠けているので聴き終わるとがっかりするのだが、個別の部分においてはピアノも華やかだし、はっとするような耳を捉える部分は多い曲。

ヴァイオリン協奏曲 作品15(1939/58)
2.8点
あまり面白くない。運動性に難のあるブリテンの音楽性が明らかにマイナスに働いている。協奏曲らしい醍醐味がなく、ソロが有効に機能していない場面が多い。音楽性の観点でもブリテンにしてはあまり高くないと感じた。2楽章だけはそれなりに楽しめたが、他は残念に感じた。チェロ交響曲をさらに物足りなくしたイメージ。

シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20 Sinfonia da requiem(1940)
3.8点
全3楽章。声楽はなし20分。1楽章は沈鬱な鎮魂の雰囲気でまさにレクイエムのような曲。2楽章の怒りの日は、音の乱舞の仕方がなかなか秀逸である。激しくてもやりすぎにならず、落ち着いた間の取り方があるのがブリテン。3楽章は平和の祈りだが、地に足の着いた霊が天上に舞い上がっていくような音楽で、非現実的な理想ではなく妙な実在感のある世界平和が表現されていると思う。素晴らしい。オネゲルと比較したくなる20世紀的な交響曲であり内容充実の名作である。ただ、皇紀2600年奉祝曲として日本から委嘱された曲だが演奏されなかったそうだが、確かに全くそぐわないのは笑える。

左手のためのディヴァージョンズ(主題と変奏) 作品21 Diversions on a Theme for Piano (Left Hand) and Orchestra(1940/54)
3.5点
左手だけのピアノというのがブリテンによく合っている。片手ゆえに音が厚ぼったくならず、美的センスで聴かせる音楽性がよく出ている。軽快で心地よいピアノとバリエーション豊かで多彩な音楽は、次を聴きたい衝動を最後まで引っ張って続けることに成功している。ラヴェルのような旋律の美しさやエモーショナルさは無いのと変奏曲ゆえの軽さがあるが、楽しんで聴ける。

4つの海の間奏曲 作品33a 4 Sea Interludes(「ピーター・グライムズ」より 1944)
3.8点
4曲とも近代的な管弦楽らしい豊富な表現力を活用した音楽的なイメージ表出力が素晴らしい。SF的もしくはファンタジー的な超常的世界をイメージする。優れたインスピレーションが4曲とも発揮されており楽しめる。

パッサカリア 作品33b Passacaglia(「ピーター・グライムズ」より 1944)
3.0点
ブリテン流の不思議さとブライトな響きでパッサカリアを料理するとこうなる、という音楽。同じ低音の継続とその他の楽器の音の流れの違和感の落ち着かなさを愉しむ音楽だが、期待以上ではなく予想の範囲内である。

青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ) 作品34 The Young Person's Guide to the Orchestra - Variations and Fugue on a Theme of Henry Purcell(1946)
3.0点
パーセルによる主題は印象的なのだが、その後の変奏は、コミカルでファンタジックではあるが、幻想的で変幻自在すぎてついていくのが大変である。その点で、典型的な入門曲という感じより、ブリテン独特の世界の中の楽器入門になっている。決して分かりやすくないし、とり立てて音楽が優れている感じはしない。

チェロ交響曲 作品68 Symphony for Cello and Orchestra(1963)
3.0点
分厚い管弦楽で交響曲の名にふさわしい堂々たる大曲である。だが、全体を分厚い雲のように覆う陰鬱な気分には滅入りそうになる。最後の楽章で少し雲の隙間から光が差す瞬間があるだけである。チェロは活躍するが管弦楽は溶け込んで、ブラームスの協奏曲以上に一緒に音楽を作る。空間は壮大さはあるのだが、そのごく一部に存在する自分がテーマになっているようでもあり、その狭さと雰囲気の変化の少なさが物足りなさになっている。

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ニ長調 作品25(1941年)
3.8点
室内楽というより弦楽合奏のような音の使い方である。だが、そんな細かい事はどうでもよいと思うくらい素晴らしい内容である。精神的な深み、瞑想的な雰囲気、ダイナミックな音の使い方と場面転換は、強い力で精神のドラマの世界に誘ってくれる。精神世界でたゆたう自分の魂が心地いい。しかし、美音的な良さもあり、鋭角的なバルトークやショスタコーヴィチとは別の切り口で同じくらい深い世界に到達している。素晴らしい。

弦楽四重奏曲第2番ハ長調 作品36(1945年)
3.5点
1番ほど分かりやすくない。何しろ3楽章は長大で静謐な世界で、自己疎外された魂の浮遊した遍歴を楽しめる。聴くのは少し大変だが、重すぎるわけでないのでウンザリしないため辛くはない。他の楽章もはじけるほどにはならず、曖昧な靄の中の音楽である。1楽章も2楽章も表面は全然違うが根底の精神性は3楽章と近いと思う。ある意味で一貫性がありすぎるように思われるのが欠点か。ブリテンらしい美しさは全開で、かなりの聞き応えはあるのだが。室内楽らしさが少ないのは1番と同じ。

弦楽四重奏曲第3番 作品94(1976年)
3.5点
老人の人生懐古の曲ということで良いのだろうか。老人になった自分、という存在を強く意識した孤独の独白の曲に聞こえる。もちろんブリテンらしさの中での表現である。もっとも亡くなる年の作品とはいえ63歳だから老人というほどではないか。おそらく評価の分かれる作品だろう。自分は最初は精気の無さがイマイチと思ったが、聞いているうちに強く惹かれるようになった。死の予感の虚無感と、絶対的な無に至る感覚が感じられて、感動してしまった。

チェロソナタ ハ長調 作品65 (1960年)
2.8点
一言でいうと少し変な曲だと思う。通俗的なサービス精神はない。やりたい音を好きに作った音楽である。モノクロームな色彩感の薄い音楽であり、地味だが渋くてかっこいいところがある。自由に精神的な彷徨をするような印象でありわなかなか趣味的である。たまたま気にいる人はいるだろうが、ツボにハマらない人にとってはあまり楽しめない音楽だろう。

ラクリメ―ダウランドの歌曲の投影 作品48 (1950年)
2.5点
ヴィオラとピアノのための作品。14分あり規模が割と大きい。複数の部分をつなげて書かれており、古い時代のものと思われる旋律が静かで不思議な雰囲気を醸し出している。しかしながら、音楽が心にすっと入り込まない。曲の長さに見合うものがない。

器楽曲
無伴奏チェロ組曲第1番 作品72(1964)
3.3点
詠唱のような場面が多いが、それ以外も様々な場面がある。神秘的であるとともに退廃的。孤独の精神的探索を楽しめる深さがある。チェロ1本であり短い曲ではないが充分に豊富さが取り入れられており、飽きずに楽しめる。リズミカルさが少ないのが難点と思う。全体に暗い陰があるが、そこにブリテンらしい美が添えられており、うんざりすることはない。

無伴奏チェロ組曲第2番 作品80(1967)
3.3点
1番ほど根暗ではない。代わりに無機質で疎外された違和感がコンセプトになっているように聴こえる。リズムがある程度ある曲が多いところが良い。心に染みる感じは少ないが、なんとなく日常のふとした瞬間に無意識に感じているであろう間隙と裏側の違和感が音楽化されているように思う。

無伴奏チェロ組曲第3番 作品87(1972)
2.8点
短い曲が連続で繋がっている構成。一つずつが断片的すぎて、内容が浅い。感動ポイントが少なく、イマイチだと感じたまま次の曲になり、それもイマイチというのが続く。他の2曲よりワンランク落ちると思う。


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[近代史7] サミュエル・バーバー(Samuel Barber、1910 - 1981)
サミュエル・バーバー(Samuel Barber、1910 - 1981)
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交響曲
交響曲 第1番 ホ短調 Op.9 (1935〜36/1943改訂)
3.0点
明確な和声と構築感は19世紀的だが、それに安住するわけではなく、ロマン派的な感性にプラスして20世紀的な新鮮な叙情性がある。初期の作品なのでまだ個性の確立が足りない感じがあり、素晴らしいという程の場面は少ない。単一楽章といっても、楽章の区切りは割と明確に感じられるので、聞きやすい。

交響曲 第2番 Op.19 (1944/1947改訂)
3.0点
複雑で前衛的な響き、バーバリズム、オスティナートなど、意欲的な作品。激しさに圧倒される場面もある。しかし、まとまりと交響曲らしい総合性にどうにも欠けるので、聞き終わった後に物足りなさが残る。バーバーらしい洗練された知性は楽しめる。

管弦楽曲
序曲『悪口学校』 Op.5 (1932)
3.0点
バーバーらしい切れ味の良さと現代的な管弦楽の機能のさせ方を楽しむ曲だと思う。旋律に魅力はないし、強く印象に残る場面もないが、管弦楽でここまでできるのかという20世紀のスピード感に合わせた音楽の機動力には驚く。

弦楽のためのアダージョ Op.11 (1937)
3.8点
悲劇的なドキュメンタリー番組のバックグラウンド音楽のような曲。これが一番有名というのも作曲者には可哀想な話だ。とはいえ、非常に分かりやすいメロディーの流れの中に、純音楽としての和声等の工夫が忍ばせてあり、決してつまらない曲ではない。たまに聴きたくなる。

オーケストラのためのエッセイ第1番 Op.12
3.0点
2番や3番と違い、悲劇的で重厚な曲。断片的な切り取り方の感じは共通だが、この重さはエッセイという響きには合わない気もする。

オーケストラのためのエッセイ第2番 Op.17 (1937)
2.5点
ライトな音楽であり、映画音楽に聴こえる。軽快で、電車から見る自然の風景のような感じの雰囲気は悪くないが、心にぐっとくるものはない。

夜間飛行 Op.19a (1964)
3.0点
テーマが明確な音楽で、夜間飛行の小説のことは知らないが、場面とシチュエーションが目に浮かぶようである。この場面の作り方はカッコいいし、徹底的であるとともにキレが良いと思う。音楽としては渋いのだが、渋さが目的になっていないのがよい。渋いのにワクワクゾクゾクするような所がある。

オーケストラのためのエッセイ第3番 Op.47 (1942)
2.8点
映画音楽のような軽さのある曲。軽いテーマで書いた、断片的な情景の描写の曲と考えると、エッセイという命名はなるほどと思う。2番よりは内容がある。

クリスマスに Op.37 (1960)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 Op.14 (1939〜40)
3.3点
抒情的であるとともに、アメリカ的なすっきりとした開放感と現代性があり楽しめる。技術をひけらかさず、高音も少なく耳に優しくて、歌わせる場面が多いのも好感度が高い。凡庸さはほぼなく、突き抜けた感じを楽しめる。2楽章の冒頭の旋律はなかなか良い。洗練された垢抜けた感じと抒情というバーバーの美点が活かされた好作。

カプリコーン協奏曲 Op.21 (1944)
2.5点
カプリコーンという楽器があるわけではなく、曲の愛称のようなものである。フルート、オーボエ、トランペットと弦楽合奏。全3楽章14分。協奏曲という感じは少ない。即物的で新古典主義のような音であり、ストラビンスキーを連想する。音としては面白いものが続くが、よく理解出来ないまま次々と雰囲気を変える。他のバーバーの曲と大きく異なる雰囲気。

チェロ協奏曲 イ短調 Op.22 (1945)
2.3点
1楽章はかなり難易度が高そうなのは分かるが、曲が全然頭に入ってこない。前衛的ではないのに理解できない。2楽章も3楽章も同様であり、凡庸を拒否していることは分かるが、あまりに心に刺さるものが少なくて、まとまりのようなものも表現したい対象に対する意思も感じられず、楽しめない。

ピアノ協奏曲 Op.38 (1961〜1962)
3.5点
1楽章はプロコフィエフを彷彿とさせる切れ味鋭いモダニズムを混ぜた技巧的な楽章。2楽章はラヴェルのピアノ協奏曲を思い出す素朴で透明感のある曲。切ない後半部分には強く胸を締め付けられる。3楽章は野蛮な速いテンポの5拍子の曲で凄くカッコイい。

オーボエと弦楽のためのカンツォネッタ Op.48 (1977〜78)(オーボエ協奏曲の緩徐楽章として計画。未完。オーケストレーションはチャールズ・ターナーが補筆。)

室内楽曲・器楽曲
弦楽のためのセレナード Op.1 (1929/1944弦楽オーケストラ編)
2.5点
やけに悲劇的なセレナーデである。何をしたいのか掴みどころがなく、なんとなく曲が進んで終わる。新奇性も感じられず、習作の感が強い。

弦楽四重奏曲第1番 ロ短調 Op.11(1936/後に第2楽章を編曲(弦楽のためのアダージョOp.11))
3.3点
1楽章はなかなか切れ味があって、そこそこ楽しめる。2楽章は弦楽のためのアダージョ。各楽器が1台だと音の厚みが足りないから、合奏版の方が良いと思う。孤独感のあるチェロの旋律部分はいいかもしれない。3楽章は静と動の対比がすごい。締めもかっこよくてなかなかしびれる。2楽章と3楽章は優秀。

弦楽四重奏曲第2番 (1948)

夏の音楽 Op.31 (1956)
3.0点
管楽器の自由な音の絡みの幻想性が楽しい。思ったより長く続く。各楽器がバラバラに動くようでいて、統一されて、またバラバラになるのを繰り返す。それに翻弄されながら変化についていくのを楽しむ曲とも思った。

ヴァイオリン・ソナタ (1931)

チェロ・ソナタ Op.6 (1932)
3.0点
チェロの響きの活かし方のバランスが良い。曲は1楽章に関してはかなりロマン派に近く聞きやすく、なかなかのチェロ作品。ところが3楽章はモダンな響きが強くなり、なんだか掴み所のないよく分からない変な曲になってしまう。

ピアノ曲
ピアノ・ソナタ 変ホ短調 Op.26 (1949)
4.0点
ラフマニノフやスクリャービンを消化した現代的な洗練されたピアニズムと超絶技巧。無調的なモダニズム的な感覚と、その基盤となるバーバー的なロマンチシズム。どの楽章もカッコ良くてキレが良くて、センスも良い。1楽章と4楽章のかっこよさは特に凄い。間違いなく第二次大戦後を代表するピアノ曲。

バラード Op.46
2.5点
スクリャービンの影響で書いたのは一聴で明らか。より知的で都会的だが、ドロドロしたものが無く、何より単純に音数が足りない。


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[近代史7] ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)
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20世紀生まれの唯一のメジャーな大作曲家。

戦中戦後のロシアの悲劇を連想させる現代的な社会性を音楽芸術として昇華させつつ、古典的な形式であり、和声も歪んではいるがとっつき易いのが人気の所以か。
スケールが大きく深刻でシリアスな本格的なところが魅力である。一方で軽妙でシニカルさが魅力の曲も多い。
ただ個人的には、頭の中だけで書いたような機械的な書法に感じたり、わざとらしい作り物の盛り上げ方が気になる時がある。

交響曲
交響曲第1番 ヘ短調 作品10 (1925年)
3.5点
19歳の作品で、音に純朴さはあるがセンス抜群で非常によい。後年のひねくれたセンスや国家的なものとの戦いの要素がまだなく、精神的深さは無いものの彼の音感が原石として現れており、それが素晴らしい。

交響曲第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」 (1927年)
3.5点
前衛的な一楽章もの。短くて聴きやすい。ウルトラ対位法の部分はもの凄く面白い。だが最後の暑苦しい合唱はいやになる。1番ほどの感動は無いが、音楽としての充実と楽しさは上である。

交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」 (1929年)
3.5点
後年のショスタコらしさがかなり現れている。後年に見られる同じ音型を一定時間繰り返すことをせず、きびきびと次に展開していくのが非常に好印象でかなり良い。内容が濃い。

交響曲第4番 ハ短調 作品43 (1936年)
3.5点
1楽章はマーラー的なスケールの巨大な音楽。展開部の超高速のフーガは狂気にも程がある。マーラーのようなオーケストラの酷使と、ゴツゴツした荒さと、素材の乱暴な扱いによる取っつきにくさが魅力。2楽章もスケルツォも3楽章も同様の印象である。5番以降のように器用に整理されておらず、生々しい、未整理の"音のるつぼ"であるのが大きな魅力であると同時に、聞きにくく分かりにくい欠点にもなっている。

交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年)
5.5点
純音楽的に優れているという点ではショスタコーヴィチの最高傑作だと思う。特に1楽章と3楽章は非常に出来がよい。他の交響曲の深い精神世界を知ってしまったファンは、この曲を浅く感じるので最高傑作と呼ばないかもしれないが、初心者にはやはり真っ先にお勧めしたい。

交響曲第6番 ロ短調 作品54 (1939年)
4.0点
1楽章はマーラーのようなゆったりした時間の流れで、大河的な巨大なスケールで叙情的に沈鬱な表情で世界の悲劇を嘆くような、非常に秀逸な楽章。2楽章は1楽章を受けた軽くて気分転換できる良い曲。3楽章は表面的な音楽でいまいちなように感じられるが、裏に皮肉や偽善を隠しているのに着目すると天才的と感じる曲。

交響曲第7番 ハ長調 作品60 (1941年)
4.5点
派手にドンチャン騒ぎする曲。確かに浅いから「壮大な愚作」という評価はしっくりくるものであるが、とはいえ大河的、国家的な壮大さを表現できており、やはりよい曲といえると思う。特に1楽章の中間の部分や3楽章は優れていると思う。

交響曲第8番 ハ短調 作品65 (1943年)
4.0点
純音楽的にはすこし冗長さが感じられたり響きの多様性や発想力が5番より劣る気がするが、精神的な深さとドラマ性では上回る。

交響曲第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)
3.0点
この曲は第九なのにスケールが小さく肩すかしを食わせた曲として有名だ。自分は率直に言ってどう聴いたら良いのかよく判らない。いつもの精神的重さが無いが、それを代替する何かがあるかというと、センスが特別に良いとは思わないし、思い当たらない。交響曲と呼ぶのに必要なものが足りない気がする。交響的な組曲を聴く位の気分で気軽に接するのが正解だろうか。一応後半は何故かいつもの交響曲らしさを少しみせたりするが。

交響曲第10番 ホ短調 作品93 (1953年)
4.0点
古典的な均整の取れた4楽章制であり、内容も正統派の力作。古典性を備えた交響曲としては最後の作品集。8年経ち久しぶりの交響曲として気分一新で書いた事が伺える。スターリン時代の人々の苦悩や暴力が国家的なスケール感をもって見事に描かれているし、表面的な表情の裏では別のことを考えていそうな多義性もある。ただ、ショスタコーヴィチが狙っているその通りに音楽が進みすぎるような、作り物っぽさをどこかに感じる。

交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」 (1957年)
3.5点
キリキリと音楽のテンションを高めたり沈鬱な音を鳴らして精神的なものを表現する感じが薄い、描写的な音楽。映画に使えそう。描写的なので音楽として楽しく聴ける。異常なテンションの高さが現れないので長い曲だが聴いていて疲れずまったり楽しめてよい。

交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」 (1961年)
2.5点
13番と共通するエグい音が散見される。あまり精神的な深い世界を描いていない描写的な交響曲だが、同じように扱われる11番ほど音の密度が濃くなく説得力がない。音だけではよく分からず曲の世界にのめり込めない。

交響曲第13番 変ロ短調 作品113 (1962年)
3.8点
全5楽章。バスの独唱と合唱のみであり、特に読経しているかのような単一声部の男声が暑苦しくも凄い迫力で印象的。大河的で圧倒的に巨大で骨太な音楽であり、歴史の闇を生々しく描き真正面から告発するような内容である。オーケストラは低音を使いドーンとかグワーンと鳴らされるのが、読経のような合唱とあいまって東洋的に感じる。異様な迫力と生々しさと巨大さは4番と並ぶ。最大限に深刻な1時間の音楽を緩みなく作りきった精神力は感服するが、純粋に音楽として評価すると、曲の雰囲気があまり変わらず、楽想のバラエティーの豊さはショスタコービチの交響曲の中で一番少ないと思うため、力作だが名曲というには少し足りない。

交響曲第14番 ト短調 作品135 (1969年)
3.5点
全11楽章の歌曲の交響曲。晩年の不思議な美しさが顔を見せている。13番同様に力作である。マーラーの大地の歌同様に体裁は交響曲ではないが内容の充実と有機的なテーマの関連性とつながりがあるので交響曲と呼ばれることに違和感は無い。久しぶりに歴史や国家から離れて個人の世界がテーマになった曲。バラエティーと変化に富むので聴きやすい。

交響曲第15番 イ長調 作品141 (1971年)
3.0点
様々な楽曲の引用で彩られたショスタコ流の人生回顧曲。ここでも歴史や国家のテーマは感じられない。曲の不思議な明るさと無邪気さには童心回帰を感じる。後半は音が薄く虚無感がある。謎めいた夢の中に帰るような終わり方は素晴らしい。しかし全体としては名曲とかの類ではないと思う。
弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49 (1938年)
3.0点
明朗で爽やかな印象が強く分かりやすい。とはいえ諧謔などショスタコらしい要素は詰まっている。ちゃんとした音楽を充実した内容で書くという自信を感じる。

弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68 (1944年)
2.5点
2次大戦中の曲で、大作。一楽章は少し変わった雰囲気でショスタコじゃないみたい。二楽章以降はなかなか本格的で重い。精神的にもなかなか深いものを表現している。ただ音楽の素材は彼の中の一級品は使ってないと思う。

弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73 (1946年)
3.5点
交響曲8番と共通する悲劇的で深い世界を表現している。中期の交響曲群に匹敵する重さと響きの質の高さを持った作品。

弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83 (1949年)
2.5点
悪くはなく所々いい場面があるのだが強い印象は無く地味。曲の素材が一級品でなく二軍を使ってる。

弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92 (1952年)
3.0点
アダージヨが美しい名作で心惹かれた。その流れで三楽章も楽しめた。最後の場面はショスタコ得意のパターンとはいえ美しい。

弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101 (1956年)
2.5点
ショスタコの四重奏にしては全体が快活な雰囲気でまとめられており聴きやすい。

弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108 (1960年)
2.5点
短い作品で、ショスタコ節を鳴らして終わる普通の曲。

弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110 (1960年)
3.5点
激情にかられて一気に書いたという逸話に納得の内容。彼の熱い思いがみなぎるテンションに圧倒される。

弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117 (1964年)
3.0点
ショシタコらしい音がして、バラエティー豊かで内容は豊富でバランスが取れているという点で聴きやすい。

弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118 (1964年)
3.0点
交響曲のような発想が所々あり、力強い楽章などそれなりに聞き応えがある。

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122 (1966年)
3.0点
ダークで殺伐とした静かな後期の世界が展開される。複雑怪奇なフレーズは少ない。夜の闇の静けさの中で事象が発生しはるか遠くに消えていくかのようである。

弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133 (1968年)
3.5点
歯止めの利かないクレイジーさはベートーベン後期のようだ。二楽章はしつこく繰り返される動機が妙に印象に残り、その間を自由で即興的で異様な内容の音楽がつないでいく。やけに即物的な音楽であるが、それがいい。後期四重奏の魅力を強く感じられる。

弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138 (1970年)
3点
リズムがなく、もはや観客の視点も無い。暗闇の中で何かが唸っているような、自然の中の何かの現象が発生しているような曲。構成感も希薄で現代音楽のよう。雅楽のような虚無の使い方。ショスタコにしてはやり過ぎではないかとも思うが、割り切って聴けば悪くない気もする。
弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142 (1973年)
3点
1楽章はヘンテコで正直どう感じればいいのか分からない。二楽章はやたら分かりやすい、そして分かり易いと自然と感情移入できるというのを実感する。三楽章も自由だが割と音楽になっており理解は可能。

弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144 (1974年)
3点
全編アダージョの長い曲だが、音楽的に充実していて飽きることなく最後まで聴ける。後期の四重奏の中で一番聴きやすい。ヴィオラソナタのように最晩年らしい特別な感情や世界が展開されてる感じではなく、ただただ叙情の世界である。

弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)


管弦楽曲・吹奏楽曲
タヒチ・トロット (1928年)
3.5点
ヒットソングの編曲で、45分でオーケストレーションしたらしい。なかなか洒落ていて色彩的で愉しい編曲で面白い。何しろ原曲が秀逸である。

ジャズ・オーケストラのための第1組曲 (1934年)
3.5点
いわゆるジャズに分類される音楽ではないが、今でも耳にする事があるようか古いバンド向けお洒落音楽ではある。線を繋げて構成するショスタコーヴィチの柔軟さが生かされている。洗練度は微妙だが、クラシック専門作曲家にしてはセンスがよい。奔放な発想力が凄い。

ジャズ・オーケストラのための第2組曲 (1938年)
2.5点
ブラスバンド用もしくはディズニーランドで流れているような音楽のよう。ごくありきたりの音楽であり、悪い曲ではないがショスタコーヴィチ作曲である附加価値は何も無い。なお、いわゆるジャズ的な音楽ではない。この曲の本来の題名は舞台管弦楽のための組曲であり、誤って「第2番」として知られてしまっているのだそうだ。

荘厳な行進曲 (1941年)

バレエ組曲第1番 (1949)
3.5点
非常に軽妙な舞台音楽の再編集による組曲。よくある音楽にショスタコーヴィチらしい味付けがされており、作曲者の個性がちゃんと発揮されている。センスがかなり良いし表情豊かで1曲ごとにちゃんと個性があるので、心底楽しい気分で聴ける。いつもの深刻なショスタコーヴィチとは全然違う一面がみれる。この曲集は1曲が非常に短いので聴きやすい。

バレエ組曲第2番 (1951)
3.8点
2曲目に独奏チェロを使用した7分程度のアダージョがあるのが特徴。アダージョといっても軽くて楽しい気分で聴けるものである。そのような楽しい曲を書けたショスタコーヴィチのセンスに驚く。その他の曲は1番と基本的に似ていて、同様に楽しめる。4曲目のトランペットの独奏によるロマンスは昭和の歌謡曲のようで面白い。そして非常にいい曲。

バレエ組曲第3番 (1952)
3.0点
この曲集もやはり個性豊かで聴いていて楽しい曲の集合である。しかしながら、曲にありきたりな感が増している印象をうけた。はっとするような感動や感心してしまうような場面が少なくて、よくある音楽にわずかな一捻りを入れただけの曲ばかりと思ってしまった。

バレエ組曲第4番 (1953)
2.8点
3曲しかなくて1曲が3から5分程度と長いのが特徴。どれも普通の曲であり、あまり特徴が無いので面白いと感じなかった。他のバレエ組曲同様に軽快ではあるが、軽やかさが少ない。

祝典序曲 (1954年)
2.5点
ファンファーレ吹きまくりのノリノリの曲である。生で聴いたら楽しそうだが、CDで鑑賞する場合にはそれほどいい曲ではない。

交響詩「十月革命」 (1967年)
2.0点
耳に残るものがなくつまらない。交響曲の中の一つの楽章だと評価が変わるかもしれないが、単品の曲としては評価できない。

交響的哀悼前奏曲 (1967年)

「緑の工場」のための序曲

ソヴィエト民警の行進曲(1970年)
2.0
吹奏楽曲。普通のマーチ。少しだけショスタコ風ひねりがある程度。

ロマンス『春よ、春よ』Op128
2.0
断片的な歌曲。歌詞も分からないのにわざわざ聞くほどのものでない。


協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35 (1933年)
3.5点
弦楽合奏のピアノ協奏曲だけでなく、所々にトランペットの効果的な彩りが入っているのが楽しい。重音が少なく軽快に駆け巡るピアノ書法と伴奏が良くマッチしている。軽くて楽しい曲だが適度にシニカルさが混入して表情豊かになり、聴き映えのある仕上がりになっている。

ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102 (1957年)
3.0点
1番以上に軽快な曲であまり深い内容はありそうにない。聴く側も気楽に娯楽音楽を聴く気分で接すると良さそう。駆け巡るようなピアノ書法や2楽章の叙情性は楽しい。

ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99) (1948年)
3点
交響曲以上に暗くて分厚くずっしりと重たい感じのする曲。本格派だが、暗すぎて気分が乗らないと聞いていて滅入ってしまう。しかも一楽章と三楽章が両方そう。カデンツァ長すぎ。アップテンポの楽章も耳に心地よくない。

ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129 (1967年)
2.0点
どの楽章も魅力や光るものが無いと思う。美しさや感動もなく、耳に痛いギシギシとしたヴァイオリンが続く。

チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 (1959年)
3.0点
1楽章は同じ音型を繰り返すだけの行進曲で前奏曲のようなイメージ。二楽章は長くて叙情的でなかなか美しい音楽。三楽章は二楽章の続きでまるまる楽章全部がカデンツァ。四楽章はコンパクトな締めの楽章で悪くない。早い楽章は小品で、緩徐楽章がメインの曲。

チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 (1966年)
3.0点
アダージョで始まる。長大で内省的にせつなく歌い続けるのはチェロの魅力を生かしてる。二楽章は短く活動的で、三楽章は長大で中庸なスピードや内容だが、重くないサウンドで飽きずに楽しめる。最後が交響曲15番と似たような終わり方なのが面白い。

室内楽曲
弦楽八重奏のための2つの小品 作品11 (1927年)
3.5点
二曲とも豊富な声部を面白く活用して興味深い音楽を作っている。聞き応えあり。

チェロ・ソナタ ニ短調 作品40 (1934年)
2.5点
静かで叙情的な1楽章と3楽章が長大で曲の中心になっている。分かりやすい歌うような部分は多いが、すぐに皮肉な捻りが入り落ち着かない。暗いような明るいようなはっきりしない場面が続く。2楽章と4楽章は割とはっきりしており聞きやすい。全体に心への響きが弱い。

ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57 (1940年)
4.5点
交響曲5番と同様に、観念的な精神性にも娯楽性にも偏らず、正統的で純粋な音楽的内容の豊富さとレベルの高さと密度の濃さが特徴。交響曲以上の内容の豊富さであり、大変に聴き応えがある。しかも真実味に溢れ、交響曲のように余計なエンターテイメント性に気を使う必要も無く内容に注力出来ている。ショスタコーヴィチの最高傑作候補の一つ。

ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8 (1923年)

ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67 (1944年)
3.0点
1楽章と3楽章の追悼音楽の雰囲気が印象的。全体にとっつきにくく、心地よさを拒絶しているような内容で、メロディーがはっきりせず耳に残らない。4楽章は夜の墓場のようなおどろおどろしい雰囲気は悪くないが、曲が長すぎる。

ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 (1968年)
3.0点
1楽章は4度を主体にした虚無的な音楽がひたすら続きよく分からない。2楽章はかなり激しいピアノとヴァイオリンの絡み合いで、分かりやすさはある。3楽章は無調に近い響きでバルトーク的な狂気の世界の変奏曲。この曲はいろいろとやり過ぎで、力作ではあるが聴くのがしんどい。

ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 (1975年)
4点
最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある

弦楽四重奏のための2つの小品 (1931年)
3.0点
1曲目はなかなかいいけど2曲目はいまいち。

ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)
4.5点
最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある。催眠にかけられて深遠の暗闇に引き込まれるような不思議な感覚を覚える。そんな両端楽章にあって、2楽章のスケルツォも骸骨の踊りのようであり、刺激の点で効果的に機能している。3楽章の月光ソナタのオマージュ部分はあまりにも儚く美しく、最後はベートーヴェンを使ったという事実に想いを馳せると胸を打たれる。

3つのヴァイオリン二重奏曲
2.5点
自分で演奏したら楽しそうなオーソドックスで分かりやすい小品。

合唱曲
オラトリオ「森の歌」 (1949年)
3.0点
ショスタコーヴィチにしては単純で分かりやすすぎると共に、演出が豪華で派手な合唱曲である。骨太で大地のような巨大なスケールであり聴き映えはする。本人の意図に反した保身目的の曲という歴史的興味を引く曲であるが、内容が表面的でありいつものエグさがないので物足りない。

カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』
3.5点
少年合唱は使い方をはじめ、いかにもという感じのコテコテのプロパガンダ曲で、そういう音楽としては楽しめる。

バラード「ステパン・ラージンの処刑」(1964年)
3.5点
迫力満点。目の前で歴史的な事件が起きているかのような臨場感である。ショスタコがこのような政治や国家の関係する劇的な叙事曲を書かせたら圧倒的に凄いと再認識。交響曲に匹敵する重量感。

バレエ音楽
黄金時代 (1930年)
3.5点
黄金時代の組曲で聴いた。ショスタコ節がすでに確立しかかっている。

ボルト (1931年)

明るい小川 (1935年)

お嬢さんとならず者 (1962年)


ピアノ曲
5つの前奏曲(1921年)

3つの幻想的な舞曲(1925年)
3.0点
1分程度の小曲が3曲。すぐにサティーを思い出すような、フワフワしてアンニュイで幻想的な曲。

2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)
3.0点
初期の曲であり、まだロシア的なロマン派の香りが漂い和声に歪みが少ないが、新しい20世紀らしい音楽へと踏み出してもいる。輝かしい神秘的な響きが多いのが目新しく感じる。スケール感があり音が分厚く発想は豊かであり、2台のピアノ用組曲としては聴き応えのあるものである。

箴言
3.0点
古代からの不思議な伝承物を連想させるような謎めいた音楽。何かの暗号のようだ。即物的に聞こえる瞬間も多い。嫌いではないが、どちらかというと実験音楽のたぐいだろう。

ピアノ・ソナタ第1番(1926年)
3点
前衛的であり2番とは大きく異なる世界の曲である。

ピアノ・ソナタ第2番(1943年)
3点
多楽章のピアノ・ソナタとしては唯一の作品である。ソナタ形式の得意なショスタコーヴィチにしては残念である。この曲はショスタコーヴィチならばこれ位書けそうという予想の範囲を超えるものが無く、曲としてはまとまっていて規模も大きいのだが、形式にはまりすぎであり驚きの無い作品である。

24の前奏曲(1933年)
2.0点
1曲の長さは短い。24の前奏曲とフーガと同様の24曲の曲集ではあるが、こちらはかなり地味で各々の曲の特徴も薄く、聴いているとどんな曲か把握出来ないままに次の曲に移ってしまう感じである。よく聴くとショスタコーヴィチらしい風味がある音楽ではあるのが分かるものの、地味すぎて楽しめないというのが率直な感想である。

24の前奏曲とフーガ(1952年)
4.5点
1曲目が大変素晴らしくて、一般化された精神の深みをバッハのように音楽で体現し、心をノックアウトする音楽。
2曲目はパラパラとしたバッハの影響が強い雰囲気
3曲目はフーガがかなりバッハっぽく、前奏曲はショスタコーヴィチによくある雰囲気。
4曲目は悲しくエモーショナルで心を動かされる。
5曲目は前奏曲はエモーショナルでフーガは個性的な主題と、どちらも面白くて良い曲。
6曲目は暗い情熱が素敵。フーガはやや長すぎる。
7曲目は分散和音をテーマにしているのが面白い。
8曲目は虚空をさ迷うような前奏曲はいいが、長すぎるテーマのフーガはアイデア倒れ。
9曲目はユニゾンの曲でショスタコーヴィチ節全開すぎるし、フーガの押せ押せは面白いが刹那的すぎる。
10曲目は前奏曲も悪くないし、ロマンチック的情緒のフーガが割と良い。
11曲目は間奏的な軽いスケルツォの前奏曲と、軽くてあまり印象に残らないフーガ。
12曲目は、オクターブの重厚な低音が悲劇的な前奏曲も、耳を突き刺すようなフーガもともに力作。
13曲目は前の曲の流れをうけて静寂と平和を静かに望むような雰囲気が良い。
14曲目は前奏曲はムソルグスキーを彷彿とさせるグロテスクさ。フーガは普通。
15曲目はシニカルな前奏曲も良いが、前衛的で複雑な押しのフーガが圧倒的。
16曲目は黙示録のようなフーガがすごい。捕らえ所のないテーマが延々と薄い音とボソボソとした独白で続けられる。
17曲目は様々な色の絵の具を混ぜたような、複雑で何にも帰属できない雰囲気が面白い。
18曲目は普通だが、フーガのテーマに泣きが少し入ってる。
19曲目は謎めいたフーガが印象に残る。前奏曲も捉えにくさがある。
20曲目は静謐な曲で特にフーガの途中からは印象が弱い。
21曲目は軽快で気分転換できるが、だんだんひねくれてしまう。
22曲目は曙光のような薄暗さの中にいるような曲で雰囲気は好き。
23曲目は曲集の終わりに近付いた清々しさを表現した曲で心地よい。
24曲目は壮大に曲集を締めていて、十分な出来になっている。

全体にショスタコーヴィチにマッチした形式であり、ピアノ作品の代表作である。彼の音楽の類い希な普遍性が非常に良い形で現れている良作。24曲の表情は様々であり、多様な表現を見せている。

2台のピアノのための小協奏曲(1954年)
3.3点
多くの部分が伴奏とソロに別れており、協奏曲として楽しめる。ピアノ協奏曲としては他の曲と同様に軽い駆け巡るピアノが楽しめる曲になっている。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/641.html

[近代史5] 民主社会党(民社党)は CIA が野党分断の為に作った 中川隆
6. 中川隆[-14698] koaQ7Jey 2021年12月08日 09:30:28 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[43]
民主党凋落の足跡を振り返る
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-a7d5dd.html
2021年12月 7日 植草一秀の『知られざる真実』


日本政治の今後を考えるためには、これまでの経過を正確に振り返ることが必要。

現在は過去の延長線上に位置し、未来もその延長線上に位置するからだ。

小選挙区制度の下で政権交代は生じないと述べる者がいるが、これは事実に反する。

2009年、日本の主権者は自らの意思で政権の刷新を選択した。

鳩山民主党は2009年8月総選挙に大勝した。

この選挙では投票率が約7割にまで上昇した。

政権交代が生じないのは政権交代を生じさせる状況が生まれていないことが原因であって、政権交代は起こり得ないと考えるのは事実誤認。

2009年の政権交代は画期的な意味を有していた。

敗戦後日本の政治構造を根底から刷新する壮大な構想が描かれていた。

鳩山内閣は三つの重要な公約を提示した。

第一は辺野古での米軍基地建設を中止すること。

第二は官僚の天下りを根絶すること。

第三は企業団体献金を全面禁止すること。

米国による日本支配、官僚による日本支配、大資本による日本支配の基本構造を打破しようとした。

それだけに、日本の既得権勢力の反発はすさまじかった。

日本既得権勢力の本尊は言うまでもない。

米国の支配者である。

米国の支配者が基軸になって鳩山内閣に対する総攻撃が展開された。

鳩山由紀夫氏、小沢一郎氏に対する人物破壊工作が遂行された。

目的のためには手段を選ばぬ卑劣で不正な攻撃だった。

そして、重要なことは鳩山内閣を破壊するために、民主党内に潜む既得権勢力が工作者として活用されたこと。

辺野古移設見直しを阻止したのは民主党内の閣僚だった。

菅直人、岡田克也、北澤俊美、前原誠司、平野博文の各氏は面従腹背だった。

彼らが忠誠を尽くしたのは内閣総理大臣ではなく日米合同委員会、米国の支配者=ディープ・ステートだったと考えられる。

最重要課題の辺野古移設見直しを妨害された鳩山首相は、そのことで退陣に追い込まれた。

鳩山内閣は米国、官僚機構、大資本という日本の既得権勢力の中核をなす米官業トライアングル支配の構造を打破しようとした。

そのために、これらの勢力から総攻撃を受けた。

既得権勢力が刑事司法とマスメディアを支配していることが大きい。

鳩山首相が総攻撃を受ける様子を間近に観察した菅直人氏は既得権勢力の側に寝返った。

寝返ることにより権力を奪取したのである。

この意味で2010年7月に重要な断絶がある。

日本政治刷新を目指す革新政権は2009年9月から2010年7月までの9ヵ月で終焉した。

2010年7月に発足した菅直人内閣は既得権勢力による傀儡政権に転落していた。

菅内閣は発足すると直ちに辺野古米軍基地建設を容認するとともに、党の公約を破棄するかたちで消費税率を10%に引き上げることを2010年7月参院選公約として提示した。

この菅直人内閣が参院選で惨敗したのは当然の帰結だった。

菅直人氏は参院選を菅内閣に対する信任選挙だと位置づけた。

毎日新聞インタビューで、このことを明言したのは枝野幸男幹事長。

選挙に惨敗した菅直人氏は、この瞬間に辞職するべきだったが、そこから1年も首相の座に居座った。

後継首相に就任するべきは当然、小沢一郎氏だったが、9月14日に実施された民主党代表選は歴史的な不正選挙だったと考えられる。

茨城県の筑波学園郵便局に郵送された党員・サポーター投票の集計を委託されたのが株式会社ムサシ。

投票用はがきにはプライバシー・シールが貼られていなかった。

大量の小沢一郎氏票が廃棄された疑いが濃厚である。

菅直人氏は続投し、翌年には野田佳彦氏が後継首相に就任した。

野田佳彦氏こそ、「シロアリを退治しないで消費税を上げるのはおかしい」と絶叫した中心人物だった。

https://bit.ly/3xT4mP7

菅直人氏と野田佳彦氏が傀儡政権トップに立ったため、民主党に対する評価は地に堕ちた。

私たちは歴史事実を詳細に検証し、事実誤認を正すことが必要だ。

鳩山友紀夫元首相との対談(アジア共同体研究所主宰YouTube動画「UIチャンネル」)
https://bit.ly/39BTgmd

10月5日発売の鳩山友紀夫元首相、孫崎享氏、前川喜平氏との共著『出る杭の世直し白書(ビジネス社)
https://amzn.to/3hSer8a

のご高覧も賜りたい。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1169.html#c6

[近代史4] 昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした 中川隆
18. 中川隆[-14697] koaQ7Jey 2021年12月08日 10:05:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[45]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

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[近代史5] 天皇一族は反日売国奴でアメリカ金融資本のエージェントだった 中川隆
7. 中川隆[-14696] koaQ7Jey 2021年12月08日 10:05:41 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[46]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/105.html#c7

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
244. 中川隆[-14695] koaQ7Jey 2021年12月08日 10:06:20 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[47]

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c244

[番外地10] 明治維新、日清・日露戦争、朝鮮併合はすべて英米の指示で行われた
日清・日露戦争、朝鮮併合はすべて英米の指示で行われた

2021.12.08
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112080000/


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したのは今から80年前、1941年の12月7日(現地時間)のことだった。真珠湾に対する攻撃によって日本はアメリカと戦争を始めることになるが、その直前に日本軍はマレーシア北端の港町コタバルを奇襲攻撃している。UTC(協定世界時)に直すとハワイを攻撃したのは7日の18時、コタバルは7日の17時だ。

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。

 この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろうが、第2次世界大戦が終わった後ならウォール街とファシストとの関係が追及される可能性があった。そうならなかったのはルーズベルトが1945年4月に急死、ホワイトハウスでニューディール派が主導権を奪われ、大戦後にレッド・パージで反ファシスト勢力が弾圧されたからだろう。

 この問題でバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。この話をフレンチは議会で証言している。

 大戦後、アメリカ政府はナチスの幹部や協力者を保護、南アメリカなどへ逃亡させ、雇い入れた人物も少なくない。アメリカの情報機関が戦後に行った秘密工作にファシストの幹部だった人物が参加している。

 日本でもアメリカのハリー・トルーマン政権は民主主義勢力を弾圧している。そうした政策の最前線に立っていたのが「ジャパン・ロビー」と呼ばれるグループ。その中心だったACJ(アメリカ対日協議会)が創設されたのは1948年6月のことだった。その中心にいたのはジョセフ・グルーで、背後にはウォール街の大物がいた。

 アメリカ政府が慌てて作った憲法では天皇制の維持が宣言され、思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も生き残った。軍の一部幹部はアメリカの手先として活動することになる。中でも「KATO(H)機関」は有名だ。その後、警察や自衛隊をアメリカの軍や情報機関が教育するシステムが作られた。

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[近代史7] ロシア民謡・ジプシー民謡
ロシア民謡・ジプシー民謡


ジプシー歌謡 『黒い瞳』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/471.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/389.html

ロシア民謡 「Дорогой длинною 長い道を」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/390.html

メリー・ホプキン 悲しき天使 Those Were the Days
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/391.html

ロシア民謡 『カチューシャ』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/546.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/393.html

ロシア民謡 「カリンカ」 (Калинка)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/394.html

ロシア民謡 「ともしび」 ( Огонёк )
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/395.html  

ロシア民謡 『トロイカ』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/547.html

最美の音楽は何か? _ ロシア・ジプシー民謡『二つのギター』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/195.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/472.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/137.html

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/642.html

[近代史7] アメリカ民謡
アメリカ民謡


アメリカ民謡 「シェナンドー」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/928.html  

My Darling Clementine - いとしのクレメインタイン (ジョン・フォード 荒野の決闘 1946)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/929.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/643.html

[近代史7] 森田童子
森田童子


最美の音楽は何か? _ 森田童子『ラストワルツ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/589.html

森田童子 ぼくたちの失敗
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1022.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html

森田童子の世界(全曲のコメント)
https://11146484morita.blog.fc2.com/

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html

野島伸司 脚本のドラマ『高校教師』が再放送できない理由をゆっくり解説 - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/354.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/644.html

[近代史7] 森田童子 中川隆
1. 中川隆[-14694] koaQ7Jey 2021年12月08日 11:14:20 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[49]
森田童子の世界(全曲のコメント)
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森田童子の曲についてコメントしていきます。

2020/08/10
森田童子のアルバム
オリジナルアルバム
1.グッドバイ
2.マザースカイ
3.ア・ボーイ
4.ラスト・ワルツ
5.夜想曲
6.狼少年

ライブアルバム
1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤

ベスト
1.森田童子自選集「友への手紙」
2.ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション

オリジナルアルバム6枚、ライブアルバム1枚、ベストアルバム2枚 計9枚のアルバムを発表している。
活動期間は22歳から30歳までの約8年。
作詞・作曲能力はもちろん、稀有な歌声はファンを魅了した。
そういう森田童子に魅かれる人へ、「聴くべき順番」を参考に書く。

1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤
  まずは、何といってもこれ。最初に聞くべきアルバムだ。
  ライブなので、森田の魅力がすぐそこにある。
  森田の歌声が素晴らしい。語りもいい。
  もちろん選曲も良い。
  加えて、弦楽四重奏とコーラスが見事。
  教会の録音のせいか、音も素晴らしい。

2.グッドバイ
  森田のデビューアルバム。2番目はこれ。
  この1枚だけでも森田の魅力が十分溢れている。
  どの曲もいい。名曲がそろっている。
  森田童子ってどんな人?と思ったら、この1枚。

3.マザースカイ
  森田を有名にした「ぼくたちの失敗」が入っている。
  この頃の森田は湧き出る泉のように名曲を作っていた感がある。
  3番目はこれ。

4.狼少年
  森田最後のアルバム。
  そのせいか、森田も力を入れて作ったような感がある。
  最後に森田はどんなアルバムを作ったか、4番目はこれ。

5.ラストワルツ
  森田の様々の才能がわかる。「みんな夢でありました」「ラストワルツ」
  といった曲は、森田でないと書けないと思う。

6.夜想曲、ア・ボーイ
  この2枚は森田の様々な面を知りたい状況になってからでも遅くない。
  多くの才能があったことを知ることができる。

7.自選集、ベストコレクション
  この2枚は一番最後で良いと思う。

2020/08/10
ひとり遊び
アルバムは森田のベスト盤。
ただ、おそらくは森田の意向はあまり入っていないと推測される。
ファンが望む曲を並べ、既に発表済の「自選集」とは曲が重ならぬように配慮した感がある。

このベスト盤の最後の1曲が「ひとり遊び」だ。
森田が活動停止してから20年後の、森田50歳の歌声だ。
ピアノ、ギター、ハーモニカも森田である。

「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変え、題名も「ひとり遊び」に変えている。

ただ、歌詞の変更はごく一部である。

・2番と3番を逆にしている。
・4番は「海が死んでもいいヨって鳴いてます」を
    「海が僕と死んでもいいヨって鳴いてます」にしている。

どうだろうか?まず歌詞だが、
2番と3番の交換は、意図してやったことだろうか?
4番の歌詞に「僕と」を入れる意味はあったのだろうか?
おそらくは、
「できるかわからないけど、とりあえず遊びのようにやってみる」
として録音したのではないか?
(ここで題名を「ひとり遊び」と思いついたのではないか?)

あまり書きたくないことを書く。

森田も残念ながら年をとってしまったのだ。
ずっと音楽活動をしなかったであろうから、
声も50歳の声になってしまったのだ。
自分の曲とはいえ、20年以上前に作った曲だ。
同じに歌えというのは無理がある。
20年間、おそらく曲づくりも停止していたであろうから、
おそらくこの曲1曲、不完全なままでしか録音できなかったのだ。
録りなおす気にもなれなかったと推測される。

森田に音楽活動再開を期待していた音楽関係者も
「これ以上は勧めてはいけない」と、この1曲で判断できたであろう。

人は年老いて、そしていつか死ぬ。
キラキラ輝いている期間はほんのわずかだ。
悲しいがそれが現実だ。

それでも言いたい。

「ひとり遊び」は50歳の森田童子がピアノを弾き、ギターを弾き、ハーモニカまで吹いて
そして50歳の等身大の自分で歌ったのだ。
森田はファンに最後、ひとつだけプレゼントしてくれたのだ。
これ以上、欲張ってはいけない。
むしろ、歌うこともなかなかできない状況で、録音に挑戦してくれたことに
感謝したい。

森田童子さん、ありがとう。
私がいつか、あちらの世界に行ったら、
また歌ってくださいね。


2020/08/10
ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション(2003年3月5日発売)森田50歳
森田童子が音楽活動を停止後、1993年1月(森田40歳)に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌として、
森田の「ぼくたちの失敗」が使われ、シングルCDは100万枚を超える大ヒットとなった。

最初は大物若手のデビューと勘違いする人もいたが、既に活動停止して10年になる森田の曲だった。
当然、マスコミは黙っていなかったが、森田はあくまでも沈黙を守った。

ところが、それから更に10年後の2003年1月(森田50歳)に、ドラマ「高校教師」の新作が放送され、
主題歌は再び「ぼくたちの失敗」が使用された。

森田が活動停止してから20年が経過していた。

ここからは想像だ。

音楽関係者の中には、森田に再度「歌うこと」を熱心に勧める人も当然いた。
森田はずっと拒み続けていたが、中には仕事だからではなく、
どうしても世の中に再度、50歳になった森田の音楽を聴かせたいと願う音楽関係者もいた。
その人の熱意に折れ、森田は1曲だけ歌ってみようという気持ちになった。
音楽関係者も、新曲ではなくとも、1曲だけでも森田に新たに歌ってもらえれば、
それが呼び水となって音楽活動再開も期待できると考えた。

歌う1曲を何にするのか?録音はどこで、どのように?いずれも森田に任せた。
森田は自分の曲「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変更して、
「ひとり遊び」というタイトルで、自宅にてピアノ、ギターを自ら弾き、ハーモニカも吹いて
歌った。20年ぶりの森田童子の演奏・歌声は、2003年に発売された森田のベスト盤
「ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション」の最後に収録された。

私は「ひとり遊び」1曲のためにアルバムCD1枚購入する気にはなれなかった。
しかし、森田のオリジナルアルバムを全部入手して聴いていくと、「ひとり遊び」が
聴きたくて結局購入した。


2020/08/10
狼少年・ウルフボーイ
ラストの8曲目は「狼少年・ウルフボーイ」である。

聴いた瞬間、あれ?「地平線」じゃないか?と思った。
ただ、4番の歌詞が入れ替えされて
「狼に育てられたぼくは涙も 笑うことも知りません」として歌っている。

森田はどんな意図で8曲目にこの曲を入れたのか?

まずはこれで音楽活動を辞めようと決心していた。
最後の曲は、これまでの曲の中から1曲、「地平線」を選んで
歌うことにしたのではないか?
「地平線」は、ライブ「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」でも
オープニングを飾る素晴らしい出来栄えだったこともあり、
「地平線」で決まった。

しかし、ここでひとつ問題があった。
前アルバム「夜想曲」も、
最後にその前のアルバムでも収録した「ラストワルツ」を再度入れて、
おそらくあまり評判が良くなかったのではないか?

今回もそういうことが起きないようにひと工夫が必要だった。
そこで、歌詞の一部を入れ替え、タイトルも「地平線」でなく、
「狼少年・ウルフボーイ」にしたのではないか?


2020/08/10
憂鬱デス
7曲目は「憂鬱デス」だ。

気のせいか、6曲目にメドレーで続く歌のような感じがする。

間奏の森田の語りがいい。
「ひとりさくさくと柿を食らう」がいい。

6枚目のアルバムは、ここまで、ほぼ森田の思惑どおりに進み、
また、石川鷹彦との息も合い、上々の出来だったと思う。

2020/08/10
ぼくのせいですか
6曲目は「ぼくのせいですか」だ。

なんだかせつない歌だ。
短い歌だが、「去年の夏にあなたが海で死んだ」ときて、
それが「ぼくのせいですか?」「海のせいですか?」と問うている。

森田の実体験だとすると、これは森田が歌い始めたきっかけかもしれない。


2020/08/10
球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)
5曲目は「球根栽培の唄」だ。

曲は森田得意のパターンに思う。もちろん悪くない。
「ガリ版刷り」「アジビラ」「赤ヘルメット」などという言葉は、
今の若い人には何のことかわからないだろう。

「ときわ荘」というのは、当時、森田が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートの名前のようだ。
マンガ家が住んでいたアパートとは異なる。(笑)

なぜ、わざわざ「ときわ荘にて録音」と入れたのか?
音が悪いから?そんなことはない。スタジオ録音と思うような音だ。
あ、いや、まてよ?
エンディングで変な笛の音がするぞ?
体育の先生が吹く、首から下げた笛。あの笛の音が何度か聞こえてくる。
「ときわ荘」の外で誰かが吹いていた笛の音が入ってしまったのだ。
だからもう一度録音しなおしも考えたが、
聴いてみると不自然ではないので、そのままにした。
でも、一応(ときわ荘にて録音)と入れたのではないか?

この曲も間奏で森田が語る内容が今ひとつわからない。
「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし ぼくがぼくで ぼくであろうとし」

2020/08/10
151680時間の夢
4曲目は「151680時間の夢」だ。

まず、「151680時間」って、どこから来ているのだ?と思った。
もしかして?と思ったのは、
森田が思春期を迎え、創作を初めてからの期間を言っているのではないか?ということ。
森田の思春期が12歳として、今回のアルバム発売が30歳。
それまで18年間となる。
1日24時間として、
24時間×365日×18年=157,680時間だ。近い。
森田は理系が得意だったのではないか?

前置きが長くなったが、ちょっと不思議な歌だ。
エンディングで語る森田の話もちょっとよくわからない。

ただ、この曲で、自分の思春期以降の期間を「ぼくの夢」として
「もうやりなおせないほど いつの間にか ぼくは
夢の中で 生きてしまったのです」と振り返っているような気がする。

2020/08/10
ぼくは流星になる
3曲目が「ぼくは流星になる」だ。

これはいい。
何しろ「キーラキーラキーラララ」で始まる。
森田、一生懸命歌っている姿が見えるようだ。
曲もいいが、歌詞もいい。

満員電車の中で ぼくは左耳をおさえて
去年の夏の海鳴りを聞いてる

これが詩人森田だ。

2020/08/10
ぼくを見つけてくれないかなァ
2曲目は「ぼくを見つけてくれないかなァ」だ。

素敵なタイトルだ。
しかも3番の最後は「君がぼくを見つけてくれないかなァ」と言う。
とてもシンプルでいい曲だ。
素直に今の気持ちを歌う森田の心が感じられる。
いい。


愛情練習(ロシアン・ルーレット)
1曲目は「愛情練習(ロシアン・ルーレット)」である。
石川鷹彦の編曲が見事で、おしゃれな曲調に仕上がっている。

森田の「ステップ」の歌声が舌足らずな感じでかわいらしい。
森田の素顔を知る人は身内のごくわずかな人たちだったようだが、
このような歌声を聴く限りでは、美人だったと思う。

森田は作詞の才能はもちろんだが、作曲のセンスも優れていたことが
この曲を聴いただけでもわかる。
どんな曲でも書けた。

それにしてもだ。「愛情練習」ってすごいタイトルだ。

2020/08/10
「狼少年wolf boy」6枚目のアルバム(1983年11月30日発売)森田30歳
森田のオリジナルアルバム6枚目「狼少年wolf boy」は、森田の最後のオリジナルアルバムとなる。
この後、森田は音楽活動を辞め、表舞台から姿を消す。

編曲は全曲石川鷹彦である。
森田はおそらくこのアルバムを最後に音楽活動を辞める決心をしていたのだろう。
最後は一番相性の良かった石川鷹彦に全曲の編曲をお願いしようと思ったのではないか?
最後は気持ちよく終わりたかったのではないか?

22歳でデビューした森田も30歳になっていた。
区切りとしても良いと考えたのではないか?

私生活はほとんどわからないままだが、
イラストレーターでもあり、マネージャーだった人と結婚したようである。
しかしその夫も2010年に没しているとWikipediaには書かれている。
それから8年後の2018年4月24日に森田も亡くなる。

2020/08/10
ラストワルツ
9曲目は「ラストワルツ」である。

よくわからない。森田はどういう意向でこの曲を最後に入れたのか?
前作アルバム「ラストワルツ」の最後の曲も「ラストワルツ」だったではないか?
どこが違う?
前作では、最後に古いラジオから流れるような雑音の入ったラストワルツが続く。
今回はそれをカットした少し短いバージョンである。

うーん。わからない。
そこまでして再度、最後に入れないといけなかったのか?
曲の出来が良いのはわかるが、何故なんだ?

森田が8曲目の「哀悼夜曲」でアルバムを終わらせたくなかったのか?
8曲だと曲が少ないということになり、もう1曲となったが、
森田の手持ちにその1曲が無かった?いや、そんなことはないだろう。
未発表の作品はたくさんあったはずだ。
前作に入れていた曲を再度入れなくても良かったではないか?
ファンとしては、森田の別の曲を聴きたかった。
少し残念に思う。
森田に何かあったのか?と心配になる。

2020/08/09
哀悼夜曲
8曲目は「哀悼夜曲」だ。

これも宗教音楽だろう。
森田でないと書けない曲だ。

ちょっとついていけない感じになってきた。


2020/08/09
孤立無援の唄
7曲目は「孤立無援の唄」だ。

このけだるさは何だ。
高橋和巳って誰だ?
小説家で、「孤立無援の思想」という著書がある。
この本をヒントにして書いたのか?

それにしても「プロレス」とか「でんぐり返って地獄固めだね」などと
森田が使う言葉とは縁遠い歌詞が出てくる。


2020/08/09
船がくるぞ
6曲目は「船がくるぞ」だ。

個人的にこの曲が好きだ。
最後の「クロール クロール」がとても良い。

間奏で森田が語る。
「まるで夏休みの臨海学校の新しいシーツをかぶった時みたいだ」
うーん。わからないなあ。

2020/08/09
サナトリウム
5曲目は「サナトリウム」だ。

いきなり「漱石の本」と来る。本来の森田の世界だ。
曲の最後に森田の語りが入る。

「もうすぐ ぼくの左の肺の中に 真赤な花が咲くはずです」

森田だ。


2020/08/09
麗子像
4曲目は「麗子像」だ。

何だかようやく本来の森田の歌を聴くようで少しホッとする。
歌詞に「ショパンのワルツを踊ります」とある。
この歌詞とこの曲からヒントを得て「夜想曲」というアルバムタイトルを
つけたのではないか?

この曲は日本ではない国の歌のようだ。
「四頭引きの馬車が走ります」なんて日本じゃない。
森田の頭の中にある風景なのだろう。

2020/08/09
ぼくは16角形
3曲目は「ぼくは16角形」

さっぱりわからない題名だ。
しかも歌詞も何だかわからない。

2020/08/09
淋しい猫
2曲目が「淋しい猫」

力を抜いて、サラっと歌っている。
そういう曲なのだろうが、どうすればこのような曲を書けるのか?

森田が手の届かない所へ行ってしまいそうな感じだ。


2020/08/09
蒸留反応
1曲目が「蒸留反応」だ。

そもそもどうやったらこのような題名を思いつくのか?
普通は絶対に思いつかないのではないか?

サビの「雪よ降れ んーん」のメロディーが良い。

2020/08/09
夜想曲 5枚目のアルバム(1982年11月20日発売)森田29歳
5枚目のアルバムが「夜想曲」である。

ノクターンを訳したのが「夜想曲(やそうきょく)」。夜の情緒を表す、抒情的な楽曲・・・ということか?
4枚目のアルバム「ラスト・ワルツ」の流れはあるが、少し違う方向も感じる。
森田も間もなく30歳。いろいろな変化もあったことだろう。

2020/08/09
友への手紙 森田童子自選集(1981年9月発売)28歳
森田自身が自分の曲から選んだアルバムだ。
よって、ベスト盤というわけでもない。

しかし、最初から通して聴くと、何となくわかってくる。
このアルバムは、森田のリアルな実体験を曲にしたものを選んだのではないか?

「さよならぼくのともだち」「赤いダウンパーカーぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」「早春にて」
は、強い影響を受けた友人のことを歌っている。

「菜の花あかり」「まぶしい夏」「逆光線」「蒼き夜は」
は、死の影が漂う。

ラストの4曲はライブアルバムからの選曲だ。
私がライブアルバムから選曲するとすれば、
「風さわぐ原地の中に」ではなく、「センチメンタル通り」とか
「地平線」だと思うのだが、おそらくこの2曲は森田のリアルな実体験とは
少し違うのではなかったか?

2020/08/09
ラストワルツ
8曲目が「ラストワルツ」このアルバム最後の曲である。

名曲である。森田のアルバムの最後に入れる曲は傑作だ。
1枚目のアルバムのラストは「さよならぼくのともだち」
2枚目が「今日は奇蹟の朝です」
3枚目が「G線上にひとり」
(3枚目のラストは「組曲のために第3番「友への手紙」だが、これは詞の朗読なので外す)
そして
4枚目が「ラストワルツ」
いずれも名曲である。

一体、どうすればこのような詞を書けるのか?
森田はもっと曲を書くべきだった。
自分で歌わないまでも他人に提供することはできなかったのか?
森田は拒んだのだろう。そんなことはできないと。
きっとそうだ。


2020/08/09
たとえばぼくが死んだら
7曲目は「たとえばぼくが死んだら」である。

ちょっと怖い題名だが、佳作である。
前奏もギターで短く、すぐに歌に入るところが良い。

短い歌詞で4番まである。
とにかく森田はあまり長い歌詞を書かない。
ところが曲を聴くと短いと感じない。
不思議な感覚である。

2020/08/09
きれいに咲いた
6曲目が「きれいに咲いた」である。

歌詞が私にはよくわからない。
森田の曲にはそういう詞が時々ある。

しかも間奏の森田の語りがまた難しい。

「幻燈会」などという言葉を使う。
チャップリンのかなり古い映画にこの題名の作品があるという。

この曲だけ、このアルバムではちょっと異質である。

2020/08/09
みんな夢でありました
5曲目は「みんな夢でありました」である。

学生運動を曲にする試みは、何人かのアーティストが挑戦している。
しかし、森田のこの曲こそ本当の学生運動の姿を歌っているように思う。

あんなに燃え上がっていた学生運動を振り返り、
「みんな夢でありました」と言ってしまう。
かなり勇気のいる表現だったのではないか?

歌詞も曲もいいが、森田の歌声が抜群に良い。
これが男性ボーカルとか、普通に歌が上手い人の声だと
こうはいかなかっただろう。
何回聴いても「いい」と思う。

2020/08/09
グリーン大佐答えて下さい
4曲目は「グリーン大佐答えて下さい」だ。

そもそもグリーン大佐って誰なんだ?
調べてみると、どうやらスタートレックに登場し、
21世紀に地球全滅を計画した人物のようだ。

しかし、森田に直接聞いたわけではないので
正確にはわからない。
しかし、そういうような(地球全滅を考えるような)人を
森田は「グリーン大佐」としたのではないか?

この曲も宗教めいたものを感じる。

エンディングで原子爆弾でも爆発したかのような
音が聞こえる。

2020/08/09
海が死んでもいいヨって鳴いている
3曲目は「海が死んでもいいヨって鳴いている」だ。

やっぱり4枚目のアルバムは本来の森田に戻っている。
この曲なんかも本来の森田だ。

孤独を感じながらも必死に前を向いて
どうにかなりそうだけれども懸命に生きていこうとしている
そんな歌のように思う。

暗い歌ではないと私は思う。


2020/08/09
菜の花あかり
2曲目は「菜の花あかり」である。

こういう曲を森田はおそらくササっと書くような気がする。
ウーンなどと唸ったりはしない。
サラサラと書いていくように思う。

そして美しい光景が目に見えるように歌い上げる。
こういうのを才能と言うんだろう。


2020/08/09
赤いダウンパーカーぼくのともだち
1曲目は「赤いダウンパーカーぼくのともだち」だ。

ここで言う「赤いダウンパーカー」は、おそらくジェームズディーンが
映画「理由なき反抗」で着ていたものを言っているのではないか?

ジェームズディーンといえば、「エデンの東」が有名だが、
私は「理由なき反抗」のジェームズディーンが好きだ。
彼の本来の性格がそのまま出ているように感じるからだ。

映画「理由なき反抗」で印象的だったのは
ジェームズディーンが着ていた赤いダウンパーカーで、
森田はおそらくそこからこの題名を考えたのではないか?

この曲は「さよならぼくのともだち」の兄弟のような曲だ。
間奏で「さよならぼくのともだち」の歌詞を一部語っていることからも、
間違いないと思う。出来もなかなかのものだ。

最後の歌詞に「何もなかった ぼくたちの終わりに」という表現に唸ったし、
続く「君と冷たい牛乳飲んで 声を出さずに笑った」にもまいった。
君との最後に飲んだのは「酒」ではなく「冷たい牛乳」だったのだ。
そして「声を出さずに笑った」のだ。
何ともすごい表現だと私は思う。


2020/08/09
ラストワルツ 4枚目のアルバム(1980年11月20日発売)森田27歳
オリジナル4枚目のアルバム(ライブ盤を除いて4枚目)

このアルバムからそれまでのポリドール・レコードではなく、
ワーナー・パイオニアとなる。

3枚目のアルバムが、どこか違う感があったが、
この4枚目のアルバムで軌道修正されたみたいで、
元の森田に戻った感があると思うのは私だけだろうか?

22歳でデビューした森田も27歳となった。

2020/08/09
風さわぐ原地の中に
10曲目はアンコールで「風さわぐ原地の中に」だ。

まず、この曲も「友よ泣かないのか」と同じで、他のアルバムに入っていない。
森田には珍しく、激しい曲だ。アンコールにふさわしいと考えたのではないか?

歌い出しの「風」が聞こえない。「・・・さわぐ!」と聞こえる。
でもかまわないのだ。

「原地(はらち)」って、あまり使わない言葉だけど、そういう言葉を森田は使う。

前奏で森田ではないギタリストのリードギターの間に、おそらくそのギタリストが
「イェー」と言うところがあるが、
どうも気になる。「イェー」と言ってほしくなかった。
森田のコンサートに「イェー」はふさわしくないように感じる。
私だけだろうか?小さなことだけど。

2020/08/09
さよならぼくのともだち
9曲目が「さよならぼくのともだち」だ。

当時の森田は、コンサートのラストでこの曲を歌うことが多かったようだ。
それにしても歌う前の森田の語りはどうだ!

「君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。
君と二人して、夜明けの町の荒々しい空気に酔いしれて二人は彷徨った。」

ここまでも良いが続きも良い。

「いつか、君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。
さよなら、ぼくの友達」

2020/08/09
センチメンタル通り
8曲目は「センチメンタル通り」である。

歌う前に森田は3年前にライブハウスで歌い始めたことを語る。
3年前といえば森田が22歳の時だ。
ライブハウスで歌い始めてから、わずか3年でこのようなライブができた。
やはり森田は只者ではないと思う。

「センチメンタル通り」も私のお気に入りだ。
というか、この曲も初めて聴いてからしばらくの間、
私の頭の中で鳴りやまなかった。

2020/08/09
海を見たいと思った
7曲目は「海を見たいと思った」である。

森田は夜汽車が好きだったようだ。
それにしてもどうだ。
このライブを聴いていると会場は「森田童子ワールド」になっている。

あまりの森田ワールドの素晴らしさのせいか、
強い拍手が邪魔に聞こえるのは私だけだろうか?

2020/08/09
友よ泣かないのか
6曲目は「友よ泣かないのか」である。

この曲は、他のアルバムに収録されておらず、このライブ盤にだけ収録されている。
曲を始める前に、森田は「友人の土門とその彼女モンちゃん」の話をする。
二人は阿佐ヶ谷のアパートに住んでいるということで、
当時、高円寺に住んでいた私は、森田に親近感を覚えた。

私も数年前に「友よ」という曲を作ったが、
森田の詞を読んでいると、その差に愕然とする。

2020/08/09
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
5曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。

森田がラジオで「東京のはとバスに乗ったことがあって・・・」といった話をしていたと
記憶しているが、「はとバス」をヒントにして作った曲なのだろうか?

ところで、
「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」という題名で曲を書け、と言われたら、
このような曲を書けるだろうか?
とても無理である。
森田の才能を感じる1曲である。

2020/08/09
雨のクロール
4曲目は「雨のクロール」だ。

私が完全に森田童子のファンになったのは、おそらくこの「雨のクロール」を聴いてからだろう。
何て美しくもはかない名曲なんだろうと思った。
このライブでは、女性コーラスがこの名曲を更に盛り上げている。
初めて聴いた時から、毎日のように頭の中で「雨のクロール」が鳴り響いていた。

2020/08/09
君は変わっちゃったネ
3曲目は「君は変わっちゃったネ」だ。

曲の前に、親しかった「松本さん」という先輩の話をする。
3曲目の「君は変わっちゃったネ」にスムーズに続くような話で味わい深い。

よくあるテーマだが、森田の手にかかると傑作に仕上げられる。
そんな見事な出来栄えである。

間奏に森田が言う。
「あの頃、井の頭線の線路沿いのアパートに、君と暮らし始めた。
何もない無力なぼくは、ただ君を愛すことしか知らなかった」

クー!いいね。
井の頭線には通学で毎日乗っていたので、リアルだった。
彼女がいない私にはうらやましくもあり、別世界のこととしか思えなかった。
私より5歳しか年上ではない森田が、10歳以上年上に感じた。


2020/08/09
逆光線
2曲目は「逆光線」である。

1曲目が終わると、森田は「今日のコンサートの弦楽四重奏は武蔵野音大の友達です。」
と紹介する。それに呼応するように弦楽四重奏が奏でられ、2曲目の「逆光線」を
森田が歌い始める。

勝手な想像だが、1曲目を「地平線」にすることはすんなり決まったのではないか?
続いての2曲目を何にするか?
「地平線」に続く曲・・・と繰り返しているうちに、同じ「線」つながりの「逆光線」はどうだろう?
と、遊び心から、「それじゃあやってみましょうか?」となって、
武蔵野音大の友達の紹介から、弦楽四重奏の呼応、「逆光線」を歌い出すアイディアが
生まれたのではないか?
(もちろん、すべて想像である。)
とにかく1曲目〜2曲目までは最高のすべり出しである。

私はこのアルバムから森田を聴き始めたので、「逆光線」の歌詞は少々ショッキングだった。
森田が「只者ではない」ことを実感していた。

2020/08/09
地平線
1曲目は「地平線」である。

いきなり教会の鐘の音が聞こえ、続いて雷鳴がして海猫が鳴いている。
再度雷鳴がして、静かに森田が歌い始める。素晴らしい。

重なり合って女性コーラスがずっと続き、弦楽四重奏と共に
曲を美しく盛り上げる。

間奏で森田が言う。
「ぬけるように青い六月の空は、限りないぼくたちの失敗の空です。」
なんて素敵なんだろうと、聴き入ってしまう。
もし、その会場にいたら、泣いていたかもしれない。

2020/08/09
東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(1978年11月1日発売)森田25歳
森田童子唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」である。

1枚目と2枚目のアルバムからの選曲に、
「友よ泣かないのか」「風さわぐ原地の中に」の2曲を加えた10曲の構成である。

まずは、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で歌ったことが特筆される。
こういう会場は、フォークソングのコンサートには貸出しない傾向にあるのだが、
森田の場合、バックの演奏に弦楽四重奏が入ったり、美しいコーラスが入る。
そういう面を前面に出して使用許可をもらったらしい。

次に選曲だが、当時の森田の曲で評判の良かった選曲と言っていい。
バックの演奏・コーラスもしっかりしているだけでなく、
森田の歌声が実に素晴らしい。魅力あふれるライブが楽しめる。
大聖堂のせいか、音も良く、ライブであるが、ベスト盤といってもいい。
また、曲間の森田のモノローグも味わい深いものがあり、聴き飽きることなく、
あっという間にコンサートが終了する。

私が森田のレコードを最初に買ったのが、シングル「さよならぼくのともだち」。
次にアルバムが欲しくなって、迷った末、このライブ盤を購入した。
森田入門編にはピッタリのアルバムだった。うれしかった。
(当時はインターネットも無く、よって、You tubeも無い時代だった。)


2020/08/08
終曲のために第3楽章「友への手紙」
9曲目は「終曲のために第3楽章「友への手紙」」だ。

とはいえ、これは演奏だけで森田は歌わない。
だから物足りない・・・が、森田が作った詞の朗読がある。

うーん。この詞の良さが、私には今ひとつよくわからない。
「さよなら ぼくを愛さなかった友達よ」とは?

「さよなら ぼくのともだち」との関係は?

やっぱりこの3枚目のアルバムは「何か違う」感が漂っている。

2020/08/08
G線上にひとり
8曲目は「G線上にひとり」である。

まずは「G線上」って何なのだ?
バッハの「G線上のアリア」からきているらしい。
バイオリンの一番低い音がソ(G)で、このG線だけで
演奏できることから「G線上の・・・」と呼ばれているらしい。

その「G線上にひとり」ということは何を意味しているんだろう?
・・・・わからない・・・・しかしそれがどうした。

名曲である。

心地よいメロディー、森田の魅力的な歌声。
素晴らしいのは「あくびして涙ふいた」の「あくびして」を
本当にあくびしながら歌っているように聞こえることだ。
しかも、本当にあくびして歌ったら、きっと「ダメ、もう一度」と
なっていただろうが、そのギリギリの線で歌っている。
森田の歌声は天才的なものを感じる。

2020/08/08
ぼくが君の思い出になってあげよう
7曲目は「ぼくが君の思い出になってあげよう」だ。

これは思いっきりプライベートソングのように思う。
出来は悪くない。(悪いわけがない)
ただ、あまりに素直すぎて何となく通り過ぎていく感じがする。

アルバムの中では、最後の少し前あたりに置くべき曲だ。

2020/08/08
淋しい素描
6曲目は「淋しい素描」だ。

「素描(そびょう)」は、いわゆる「デッサン」だ。
いきなり「浅き夢みし 人の世は」ときた。
まるで百人一首のようだ。

森田はどんな詞でも書けるような、そんな才能を感じる。

2020/08/08
セルロイドの少女
5曲目が「セルロイドの少女」だ。

この曲は森田の新たな挑戦と感じた。
何と!テーマは「サーカス」だ。

サーカスといえば、ビートルズの「ミスターカイトのために」を思い出すが、
こっちは17歳のミドリちゃんだ。

曲調、歌詞、歌い方も全部、これまでの森田ではない。
しかも題名が「セルロイドの少女」ときた。

歌の最後に「家族合わせ」という歌詞が来るが、
カルタの一種の遊びらしい。
森田は「家族合わせ」という言葉の響きからこの詞を書いたのだろうか?

サーカスの雰囲気が見事に出ている。
なかなかの曲だし、森田も気に入っていたのではないか?

森田のシングルは「さよならぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」ときて、
3枚目がこの「セルロイドの少女」なのだ。

おそらく、森田の意向でこの曲を3枚目のシングルにしたのではないか?
面白い曲で魅力はあるが、シングルで発売する曲ではないように思う。
でも、そういう挑戦をした(推測だが)森田がいいと思う。

ラジオか何かで、「この曲は1枚目のアルバムの時に一度録音してボツになり、
2枚目のアルバムでも候補だったがボツになって、三度目の正直で収録された」
と話していた。

1枚目と2枚目のアルバムでボツになった理由は明白だ。
アルバムのトーンに合わなかったのだ。

1〜2枚目のアルバム成功により、
3枚目は(おそらく)かなり自由に作れたのではないか?
だからある程度の実験も可能だった。挑戦も可能だった。
「セルロイドの少女」はこうして世に出せた(と思う)。

2020/08/08
ぼくを見かけませんでしたか
4曲目は「ぼくを見かけませんでしたか」である。

間奏で森田が言う。
「ぼくは いまひとり 北上川にほとり 旅の途上にいる」
森田はコンサートで全国を回っていたのだろうか?

その旅の途中で書いた曲なのだろう。
割と素直な詞なので、わかりやすい。

しかし、最後の詞が森田らしい。

ゆきかう電車の窓越しに 真新しいセビロの ぼくを見かけませんでしたか

うーん。森田の世界に引きずり込まれた。

2020/08/08
ふるえているネ
3曲目は「ふるえているネ」である。

何と短い詞なのだろう。
これで1曲にするという発想が森田にはあった。
私には無い。(そりゃそうだ)

たぶん私小説的な内容なのだろう。
よって、なかなか入り込めない世界である。

やっぱりエンディングの演奏は長い。


2020/08/08
君と淋しい風になる
2曲目は「君と淋しい風になる」である。

編曲がいいなと思ったら石川鷹彦だった。

それにしてもやはり森田の歌声は素晴らしい。
「形のない愛は・・・」からグッときて、
「いつかふたりは」の「ふたりは」が森田でないと歌えない魅力的な歌い方だ。


2020/08/08
蒼き夜は
1曲目は「蒼き夜は」である。

「蒼」は、「青」と違い、「草の青さ」「草が青く茂る様子」を言うのだそうだ。
アルバムジャケットの森田は夜の芝生の上にうつぶせ寝している。
1曲目のイメージからだったのだろうか?

それにしてもいきなり「春はまぼろし」という歌詞から始まって
森田の世界に引きずり込まれる。
森田の歌声がとてもいい。


2020/08/08
A BOY 3枚目のアルバム(1977年12月10日発売)森田24歳
森田童子3枚目のアルバムは「A BOY」である。

このアルバムだけ、私はいまだに「よくわからない」のである。
曲は悪くはない。森田の曲なのだから、悪いはずもない。
しかし、ほかのアルバムと比べてしまうと、どこか「何か違う」感がある。

森田唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」は、
1978年7月29日のライブである。
「A BOY」の発売は、1977年12月10日なのであるが、
この「A BOY」からは1曲もライブ盤に入っていない。
基本的に1枚目と2枚目のアルバムからの選曲である。
これは何を意味するのか?たまたまか?そんなことはないだろう。

森田は2枚のアルバムを出し、評判も良かったわけで、
3枚目のアルバムは何か新しい挑戦をしたかったのではないか?
前の2枚のアルバムとは少し違うものを創りたかったのではないか?

それが「どこか、何か違う」感を出しているような気がする。
「G線上にひとり」は間違いなく森田の傑作のひとつである。
「セルロイドの少女」は、これまで見せたことのなかった森田の新たな一面である。

個人的にどうしても気になるのが、曲のエンディングの演奏の長い曲があること。
「ふるえているネ」「淋しい素描」
「終曲のために 第3番「友への手紙」」は、演奏だけで、後半は手紙を読む。
これは編曲者のアイディアだったのか?森田の意向だったのか?
「ふるえているネ」「淋しい素描」は、エンディングの演奏が長すぎるように思う。

正直に言うなら、これらの曲のエンディングの演奏をもう少し短くして、
もう1曲、短くても「歌う森田」の曲を入れてほしかった。

ただ、全体を通して「孤独」を感じること。
アルバムタイトルが「A BOY」である。
少年の孤独な心をアルバム全体のトーンにしたかったのではないか?

森田は女性(だと思う)ので、少年の孤独な心を表現するという
新たな挑戦をしたのではなかったか?

謎である。

2020/08/02
今日は奇蹟の朝です
10曲目、ラストは「今日は奇蹟の朝です」だ。

これは素晴らしい。森田童子でないと書けない曲だ。
森田童子ワールド全開といった感じ。

これこそ森田がキリスト教信者と思われる理由のひとつだ。
そういう人でなければ書けないだろう。

まるで砂浜にいる森田が海に向かってひざまづいて祈っているようだ。

最後のフレーズが「いま聖母マリアが浮上する」で見事に歌い終わる。

アルバムのタイトル「マザー・スカイ」は、この曲から出て来たように思う。

2020/08/02
春爛漫
9曲目は「春爛漫」である。

ファーストアルバムも最後から2番目に「たんごの節句」が入っているが、
セカンドアルバムも最後から2番目に似たような曲調の「春爛漫」が入っている。
偶然か?いや、そんなことはないだろう。
おそらく、実験的な試みをしてみたかったのではないか?
自分はこういう曲も歌いたいんです・・・みたいな。

ただ、やっぱりちょっとどうかと思ってしまう。
もちろん一定のレベルは越えているが・・・。


2020/08/02
ニューヨークからの手紙
8曲目は「ニューヨークからの手紙」である。

森田はニューヨークへ行ったのだろう。
何となく違和感もあるが、そう理解しないと進まない気がする。
何もかも嫌になって、ニューヨークへ行き、「私を忘れてほしい」と、
そうして旅立ったのだろうか?

メロディーはとても良い。
ただ、森田の気持ちがなぜこのような詞を書かせたのか、わからない。


2020/08/02
男のくせに泣いてくれた
7曲目は「男のくせに泣いてくれた」である。

これは森田の実体験だそうで、高校生だった頃、自分の苦しみを先生に打ち明けたところ、
男の先生だったのに泣いてくれたそうで、感激したようだ。

ただ、そういう体験をこんなふうに曲にできるだろうか?
なかなかできるものではない。
しかもドラマ「高校教師」でも挿入歌として使われたほどの曲に仕上げている。
ドラマヒット時、森田は活動停止していたが、ドラマのヒットにより、シングルCDが発売された。
「ぼくたちの失敗」「男のくせに泣いてくれた」である。オリコン5位までになったそうだ。

2020/08/02
海を見たいと思った
6曲目は「海を見たいと思った」だ。

森田は「夜汽車」が好きだと何かで話していた。
そうだ。夜汽車が好きでない人に「暗い電燈」だとか、
「窓ガラスに もう若くはない ぼくの顔を見た」なんて書けない。

間奏で語る。
「飲めない酒を飲んだ 泣いてみようとしたが 泣けなかった」
クー!詩人だなあ。

2020/08/02
ピラビタール
5曲目は「ピラビタール」だ。

ピラビタールとは、鎮痛剤・鎮静剤の中に入っている
少しだけ気持ちよく眠くなる作用のある薬だそうだ。

こういうのを題名にするって、なかなかできない。
「悲しいときは頬をよせて 淋しい時は 胸を合わせて」
と言ってるけど、そうだったかな?と、考え込んでしまう。

2020/08/02
逆光線
4曲目は「逆光線」だ。
これは昔で言うところの「問題作」だろう。
今、発表していたら「放送禁止」扱いされていたかもしれない。

「安全カミソリがやさしく ぼくの手首を走る」
「静かに ぼくの命は ふきだして」

「手首を切る」ではなく、「手首を走る」として、
「ぼくの血液は ふきだして」ではなく、
「ぼくの命は ふきだして」としている。

しかも切るのは「安全カミソリ」である。「カッター」ではない。
こういうちょっとした表現の違いが、ギリギリ芸術作品にとどめている。

それでも「やさしく発狂する」のは怖い。


2020/08/02
伝書鳩
3曲目は「伝書鳩」だ。

子供が複数で「青い空」「白い雲」と歌っているようだ。
結構ピッタリはまっている。
アレンジャーを調べたら石川鷹彦だった。

「朝の街にぼくの カイキンシャツが飛ぶ」なんて書けない。
「母よぼくの 鳩を撃て」ってどういう意味なんだろう。

でもそんなことはどうでもいい。
気づいたらセカンドアルバムでも、完全に森田童子の世界に引き込まれていた。

2020/08/02
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
2曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。

この曲も森田自身、よくライブで歌っていたようだ。
しかし、「観光バス」に乗ってみませんか?というのが森田らしい。
「ぼくとドライブしてみませんか」ではないのだ。
しかも「トランジスターラジオ」まで出てくる。
あの「ドゥーユーワナダンス」を持ってくるのもいい。

そして、森田お得意の間奏のモノローグ。
「君も一度 気が向いたら たずねて下さい 雅兄」
「雅兄」って何だかわからなかった。
男か男の友人に出す手紙で、敬愛しているというような意味だそうだ。
森田はかなりの文学少女だったと推測される。
それと、「遊びにきて下さい」ではなく「たずねて下さい」なのだ。
ちょっとした違いだが、曲を格調高くしていると思う。

2020/08/02
ぼくたちの失敗
1曲目が「ぼくたちの失敗」だ。
森田の活動停止後の1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われ、大ヒットした。
テレビで「高校教師」の予告編を何気なく見ていたら、森田童子の曲だったので驚いた記憶がある。
このテレビドラマは大ヒットし、この主題歌を聞いて森田童子を知った若い人がたくさんいたと聞く。

何ともすごい題名だ。「ぼくたちの失敗」なのだ。普通、こんな題名をつけない。
マイナスのイメージが強すぎるからだ。でも、いいのだ。

1曲目に森田が持ってきただけあって、おそらく自信作だったと思う。ピアノもとてもいい。
ファーストシングルは「さよならぼくのともだち」だったが、
セカンドシングルには「ぼくたちの失敗」を持ってきている。

「君のやさしさに 埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ」ときた。
こういうフレーズに人は弱い。「弱虫だったんだヨネ」と認めているのだ。
「だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう」にもやられた。
こんな詞は胸に迫ってくる。

チャーリーパーカーは、アメリカのジャズ アルトサックスの名プレーヤーだそうだが、
残念ながらジャズをあまり聴かない私にはよくわからない。失礼。
森田の彼氏はジャズが好きで、森田も影響を受けたのだろうか?

それにしても「電熱器」って何だかわからない若い人は多いのではないか?
しかもそれをストーブ代わりに使っていたなんて、イメージがつかないかもしれない。

しかし、それがどうした。そんなことはおかまいなしに、ドラマ「高校教師」の主題歌として、
大ヒットしたのだ。
このドラマの脚本家の推薦に、プロデューサーが応じて主題歌として採用されたらしい。

何かふわふわしてどこかに飛んでいきそうな歌い方がこの曲にマッチして絶妙である。
こういう歌い方は森田でないとなかなかできないだろう。

2020/08/02
マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=2枚目 1976年11月21日 森田23歳
森田童子 セカンドアルバムは、ファーストアルバム発売のぴったり1年後に発売された。

レコードジャケットがドキッとする。十字架が砕け散る写真なのだ。
森田の音楽には宗教(キリスト教)を感じさせるところがある。
しかし、宗教ドップリではないことは、このジャケット写真でわかると思う。

ファーストアルバムは素晴らしかったが、セカンドアルバムもなかなかのものだ。
この頃(森田23歳)は湧き出る泉のように名曲が出来上がっていたのではないか?

それにしてもジャケット写真は衝撃だった。

2020/07/31
さよならぼくのともだち
ラスト10曲目が「さよならぼくのともだち」だ。

森田童子の代表曲。
まだ22歳というのになんて大人びた詞を書くのだろうと驚く。
「行ったこともないメキシコの話を 君はクスリが回ってくると」
などという詞を書けるだろうか?

「仲間がパクられた日曜の朝 雨の中をゆがんで走る」
などという詞を若い女性が書けるだろうか?
男でも無理だ。

私はこの曲がずっと頭から離れなかった。


2020/07/31
にわか雨
9曲目は「にわか雨」。
(タイトルの「にわか」は難しい字を使っている。)

さりげない、目立たない曲である。
静かにひとりでいる時に聞くと良さそうなおとなしい曲だ。

しかし、メロディーはなかなかだ。

2020/07/31
たんごの節句
8曲目は「たんごの節句」。

正直に言えば、この曲はこのアルバムのトーンに少し合わないような気がする。
曲は悪くないし、歌声ももちろん良い。(特に最後の「たんごの節句!」がすごい。)
ただ、幼い姉と弟がいっしょにお風呂や川に入るというのが、
ちょっとだけこのアルバムのトーンに合わないと感じてしまう。
(ぜいたくだろうか?そうだ。きっとレベルの高いアルバムを聴いていると更に上を望んでしまうのだろう。)

2020/07/31
淋しい雲
7曲目は「淋しい雲」。

タイトルと曲がなかなか結びつかない。
それよりも驚くのは、アグネスチャンが歌っているように聞こえることだ。
この曲に限って言えば、歌い方が森田らしくない。
・・・といえば批判的に聞こえるかもしれないが、批判しているのではない。
もしろ、森田はこういう歌い方もできたのかと驚かされる。
ひと言で言えば「とてもかわいらしい声」なのだ。
森田はこの歌い方をこの1曲でやめたようだ。
自分の曲のイメージに合わないと判断したのだろうか?
少し残念だ。

ところで、「ミセス・カーマイケル」って誰なのかと思ったら、
昔の海外ドラマの「ルーシーショー」の「ルーシー」のことだそうだ。
そういう名前をさりげなく歌詞に入れるのが森田だ。


2020/07/31
センチメンタル通り
6曲目はセンチメンタル通り。

映画「ジャイアンツ」と言えば「ジェームズディーン」だと思っていたら「ロックハドソン」ときた。
やっぱり森田はただものではない。
そもそも題名が「センチメンタル通り」である。
この時代を見事に描いている。

「みんな夕方になると集まった」の次にまさか「映画館」が来るとは思わなかった。

森田は22歳だが、本物の大人だった。そう思う。そうでなければこんな詞書けない。

個人的に、ひとつ残念に思うのは、冒頭のオートバイの音だ。
この時代のこの曲に合うと思って入れた効果音と思うが、私は不要だったと思う。
5曲目までの雰囲気がちょっと壊されるような気がするからだ。
あくまでも個人的な感想だ。曲そのものの素晴らしさは変わることがない。

2020/07/31
地平線
5曲目は「地平線」。

一体、どうすればこのような歌詞が書けるのだろうか?
素晴らしいのひと言に尽きる。

この曲もライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)に入っており、
オープニングを飾っている。このライブアルバムでの「地平線」でもコーラスが良い。
コーラスを聴いているだけでも満足しそうな曲である。
しかもモノローグも良い。森田は詩人だ。


2020/07/31
雨のクロール
4曲目は「雨のクロール」。

美しい名曲である。
このアルバムの「雨のクロール」もいいが、
私は森田のライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)の「雨のクロール」が一番好きである。
前奏・間奏でのコーラスが美しく、耳から離れない。

この歌詞は素直に「僕」が男性で、「君」は女性で良いようだ。
「君は花柄のワンピース置いて」と来るものだから、少しドキッとした。
森田は「ワンピース脱いで」とせず、「置いて」としたところが見事だ。
曲の品を落とさず、名曲に仕上げた。

森田は「泳ぐ」=「クロール」と決まっているようだ。
アルバム夜想曲の「船が来るぞ」でも「クロール クロール」と歌っている。

短い曲だが、本当に素晴らしい。森田の代表曲のひとつである。

2020/07/31
まぶしい夏
3曲目は「まぶしい夏」。

タイトルだけではわからないが、曲を聴くと森田は「太宰治」が好きだったと推測される。
いきなり「玉川上水」が出てきて、「太宰の好きな君」が出てくる。
「君から借りた太宰の本は、寂しい形見になりました」とダメ押しが来る。
(アルバムのタイトルが「GOOD BYE」である!)

森田20歳のときの友人の死がきっかけで歌を歌い始めたようだが、これはその友人のことかと想像する。
仮にそうだとすれば、そんな衝撃的な出来事をこんな美しくもはかない曲に仕上げる森田。
唸るしかない。

森田は「汗をかく」「汗ばんだ」といった「汗」を歌詞にすることが好きなようである。
(「さよならぼくのともだち」にも汗が出てくる)

2020/07/31
君は変わっちゃったネ
2曲目は「君は変わっちゃったネ」。

森田はこの曲を気に入っていた模様で、ライブでよく歌っていたようだ。
もちろん私もお気に入りの曲だ。

歌詞は素直に自分が子供っぽいのに、君は大人になったと書いている。
後に森田唯一のライブアルバムでは、間奏のモノローグが効果的である。

素直な詞であるが、メロディーが良いものだから、忘れられない曲になる。
そう。森田は言うまでもないが才能豊かなシンガーソングライターだった。

2020/07/31
早春にて
1曲目の「早春にて」は、森田童子の魅力満載である。
歌声、メロディー、歌詞、なかなかのものである。

森田は女性(だろう)と思っていたが、歌詞を聴いていると、
「君」が女性のようで違うようで、「僕」は男性のようでそうでない。
後日、わかったことだが、森田は自分を「僕」と表現しているようなのだ。
女性が「僕」と言うと不思議な魅力を感じる。

間奏でモノローグが入るが、これが何とも言えずいい。
「もうすぐそこに夏が来ています」なんて、いい。

森田の歌詞は比較的短いのだが、不思議なことに短く感じない。

エンディングの効果音は飛行機の離陸する音のようだが、
最初、何で飛行機の離陸音なのかわからなかった。
しばらくして、彼は飛行機で故郷へ帰ったのだろうと推測できた。
あの頃、飛行機は高額であまり利用できなかったから、ピンとこなかった。
「飛行機の離陸する音を入れてください」と森田は言ったのだろうか?
いや、私にはそんなことを言うとは思えない。任せたのではないかと思う。

2020/07/31
GOOD BYE 1枚目のオリジナルアルバム1975年11月21日発売(森田22歳)
森田童子のファーストアルバム「GOOD BYE」は、森田22歳の時に発売された。
私は森田よりも5歳年下だから、私が17歳の時にラジオの深夜放送で「さよならぼくのともだち」を聴いたと思う。
このファーストアルバムが素晴らしい。名曲ぞろいである。
わずか22歳でこれだけの曲を書けるのだから、相当な才能である。

私は東京で4年間、大学生をやっていた。「いつか森田童子のコンサートに行こう」と思っていたが、
結局、行かないまま卒業し、故郷に戻ってしまった。後悔している。
あの4年間で、何としてでも行くべきだった。おそらく一生後悔して生きていくと思う。

2020/07/29
森田童子の世界

もう40年以上前のことです。東京の大学進学に向けての受験勉強中、ラジオの深夜放送を聴いておりました。
そこで流れてきたのが「さよならぼくのともだち」でした。とにかく引き込まれたことを覚えています。
魅力的な歌声でしたし、繰り返す「さよならぼくのともだち」が良かったし、まだ見ぬ大学生の生活が
ぼんやり浮かんだような気がしました。

「弱虫でやさしい静かな君」というのは「つまらないダメな人間」と思っていましたが、「ぼくはとっても好きだった」
と歌われ、「この人、誰なんだ?いいな!」と思いました。

これが私の森田童子との出会いです。当時は、どんな人が歌っているのか、情報もありませんでした。
https://11146484morita.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/644.html#c1

[近代史7] 中島みゆき
中島みゆき


中島みゆき名曲集
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/482.html

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


▲△▽▼


中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html
 
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/645.html

[近代史7] 鬼束ちひろ
鬼束ちひろ


鬼束ちひろをキレさせた通行人の“強烈な嫌味”
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1733.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/646.html

[近代史7] 柴田淳
柴田 淳(しばた じゅん、1976年11月19日 - )


柴田淳 月光浴 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E6%B7%B3%E3%80%80%E6%9C%88%E5%85%89%E6%B5%B4


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/647.html

[近代史5] 中国の人権弾圧と米国の人権弾圧とどちらが酷いか?
中国の人権弾圧と米国の人権弾圧とどちらが酷いか?


レイ・ダリオ氏、中国擁護発言で西洋社会から糾弾される
2021年12月7日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17988

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏がFox Businessのインタビューでこれまでの中国擁護の発言を弁明させられている。

ダリオ氏の中国擁護発言

このインタビューの背景にあるのは恐らく以下の記事で取り上げたインタビューである。

世界最大のヘッジファンド: 中国さえもリベラルほど左翼ではない
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17811


このインタビューでダリオ氏は、アメリカやヨーロッパで見られる中国批判の姿勢をバイアスに基づくものとして批判していた。これが多くの西洋人の癇に障ったらしい。

それでもう一度インタビューに引きずり出されて非難の的になっているわけである。Fox Businessはこの状況を次のように紹介している。

億万長者で中国投資家のレイ・ダリオ氏は先日、中国政府の行いに対して「米国は米国で人権問題を抱えている」「中国共産党の振る舞いは厳格な親のようなもの」などの物議を醸すコメントをして非難を浴びている。

彼をBridgewater創業者ではなく「億万長者で中国投資家」と呼ぶのは悪意があるが、米国では米国が人権問題を抱えていると主張するのは物議を醸す非難に値するコメントらしい。

インタビューでは更に「あなたは中国の人権問題を米国の人権問題と同一視していると考える人もいるがどういう意味でコメントしたのか」と聞かれており、要するに中国がチベットを弾圧しているのとアメリカが中東を侵略しているのとでは比較にならないほど後者の罪は軽く、それを疑問視する人間は人でなしだとアメリカ人は考えているらしい。

このインタビューではダリオ氏はいつになく憔悴した様子で、何度も言葉につまり、見ているのが可哀想なほどだった。彼は次のように述べている。

まず明確にしたいのは、あの時自分は自分の意見を十分に明確にできなかったということだ。人権問題はもちろん大きな問題で、中国とアメリカは同じことをしていると言いたかったわけではなく、これらを同一視するつもりはなかった。

厳格な親について意見を言いたかったのではなく、専制政治と民主政治という2つのやり方の違いを指摘したかった。人生すべてをアメリカで過ごし、人生の半分を中国に通いながら過ごした、中国とアメリカの違いを知るアメリカ人として、2つの国の間に立ち、2つの国の間で戦争が起きることを本当に心配している。

そうした立場にいる人間として相互理解の形成を助けたかったが、伝え方が酷かったと思う。

また、このFox Businessによるインタビューでは、続いて司会者がダリオ氏に「あなたは長らく中国に投資しているが、リスクとリターンについて教えてほしい」と聞かれ、ダリオ氏が中国の経済成長と、アメリカだけでなく世界中に分散投資することの必要性を説明すると、司会者は次のように発言した。

わたしは大金を投資する相手国として中国政府は信頼できるかどうか聞きたかったのだが、あなたは分散について、金をあちこちに散らして身の安全を図ることについて説明しているようだ。

これにはダリオ氏も言葉に詰まりながら笑顔で返すしかなかったが、その姿は痛ましかったと言う他ない。リスクとリターン、つまり金について質問をしたのは司会者の方だ。そしてダリオ氏が金について語っているとすれば、司会者はダリオ氏が中国政府を信頼するのか、つまり自分たちが敵と見なしている相手をダリオ氏も敵とみなすのか、そうではないのか問い詰めたのが透けて見える。

これが大衆と異なる意見を持った人間の欧米における末路である。同調圧力は日本の悪徳で欧米はもっと自由だと日本人は勘違いしているが、実際には欧米の方が酷い。中国政府がSNSを検閲することで人を黙らせるとすれば、欧米はSNSの検閲に加えて更に自分と意見の違うものを非国民と見なすことによって黙らせるのである。

このインタビューについてこれ以上訳す気が失せてしまったが、奇しくもこのインタビュー自体がアメリカと中国における人権侵害が実質同じものであることを証明している。トランプ元大統領の美点の1つは、それに向き合おうとしたことだった。

トランプ次期大統領: アメリカは他国の政権転覆をやめる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4936

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17988
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1363.html

[近代史5] 中国の人権弾圧と米国の人権弾圧とどちらが酷いか? 中川隆
1. 中川隆[-14693] koaQ7Jey 2021年12月08日 12:00:09 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[50]
世界最大のヘッジファンド: 中国さえもリベラルほど左翼ではない
2021年12月2日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17811


世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏がCNBCのインタビューに答えているので紹介したい。

親中ダリオ氏

ダリオ氏の親中ぶりは有名であり、ここで報じている通り中国に大きく投資もしている。恒大集団のデフォルト危機に端を発する中国の不動産バブル崩壊懸念についても「対処可能」だと主張し、しかもその後実際に中国株を買い増している様子が確認されている。

世界最大のヘッジファンド: 中国恒大集団の2兆元債務は対処可能
世界最大のヘッジファンド、恒大集団危機でも中国株を大幅買い増し

今回のインタビューでもダリオ氏は中国を擁護しており、北京五輪などを通じて米中の対立が高まる(理由はよく分からないが)なか、中国を擁護した。

中国は非常に成功している場所だ。1984年にわたしが最初に中国を訪れて以来、中国の1人当たりGDPは26倍になった。だから中国を理解しないこと、中国に偏見を持ったまま中国と接することには大きな害がある。

また、不動産業界やゲーム業界などへの規制強化に見られるように、中国共産党が自国の経済界を標的にしたような政策を行なっていることについては次のように述べた。

富の移転や共存共栄と呼ばれる政策について言えば、共存共栄的政策への動きは世界中で見られる。

そしてダリオ氏は同じような動きは西洋においても見られると主張した。ダリオ氏が以前述べていたように、増税と財政支出によって経済における政府の介入を増加させることはほとんど共産主義の定義そのものであり、世界中の先進国がその方向に向かっている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる


それに耐えられなくなったのだろうか、面白いことにいつも客観的に経済の動きを分析し、政治的には公平であろうとするダリオ氏には珍しく、リベラル派へのあてこすりが見られた。彼は次のように述べている。

アメリカでリベラル(原文:progressives)と呼ばれている人々は中国の政策よりもよほど左翼的だ。

これはダリオ氏にはとても珍しいことである。アメリカ民主党が資産税にまで言及したことでリベラル派に対してダリオ氏も堪忍袋の緒が切れかけているのではないか。

リベラル派とは他人から税金を巻き上げて政治家に献上する奴隷のようなもので、政治家が脱炭素に莫大な予算を投じて世界に類を見ない巨大な利権を作り上げても何も言わないが、自分自身の努力と事業によって利益を上げた人が金を持っているのは我慢ならないのである。

中国になびくアメリカの成功者たち

ダリオ氏のように自国の政治を嫌うようになり、相対的に中国に甘くなるアメリカの成功者は多い。典型的なのはジム・ロジャーズ氏である。

ジム・ロジャーズ氏: アメリカの市民権を得るべきでない理由

しかしダリオ氏まで米国の政治を嫌ってシンガポールに移住したロジャーズ氏に似てきたというのは面白いことである。

アメリカ民主党が資産税を行なって得た資金で何を行おうとしているかと言えば、例えば脱炭素政策である。この脱炭素政策は化石燃料を無理矢理減らし、いわゆる再生可能エネルギーに強制的に移行させるもので、結果としてどうなったかと言えば、原油と天然ガスの価格が高騰して貧困層が冬を越せなくなっている。

サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
フランス、インフレ対策で現金給付へ

馬鹿ではないのかと思う。脱炭素のような政策は共存共栄どころか集団自殺である。

結論

ダリオ氏やロジャーズ氏の中国好きに同調するわけではないが、中国を批判する西洋人が完全に見落としているのは、自分も同じことをやっているということである。

ジム・ロジャーズ氏: 米国のロシア嫌いはオバマ政権によるウクライナ政権転覆が露呈して決まりが悪くなったから
チベットや香港について批判されている中国人にしても、植民地政策で世界中で侵略行為を行なった西洋人に他国への態度や倫理について何も言われたくはないだろう。

一般の西洋人であればこのような詭弁で自分を騙せるかもしれないが、彼らのように馬鹿になることの出来ないダリオ氏やロジャーズ氏は、こうした西洋人の偽善が当然に嫌になるのである。だからダリオ氏は繰り返し、「偏見なく中国を見る」ことを推奨している。

こうした態度の一部はトランプ元大統領にも受け継がれた。元々一部の層にしか受けないと言われていたトランプ氏が2016年の大統領選で勝利したのにはそういう事情もある。

トランプ次期大統領: アメリカは他国の政権転覆をやめる


多くの西洋人が中国を批判する中、西洋の政治もなかなかに空中分解している。まともな国は世界に存在しないのだろうか。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/17811
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1363.html#c1

[近代史7] ゴダイゴ タケカワユキヒデ
ゴダイゴ タケカワユキヒデ


西遊記エンディング 「ガンダーラ」 演奏:ゴダイゴ - YouTube



ゴダイゴ ガンダーラ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B4++++%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A9

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/649.html

[近代史7] ゴダイゴ タケカワユキヒデ 中川隆
1. 中川隆[-14692] koaQ7Jey 2021年12月08日 12:38:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[51]
西遊記 -1978年- ドラマ無料動画
http://rain2008.blog36.fc2.com/blog-entry-231.html


1978年10月~1979年4月、日本テレビ系で放映され、一世を風靡した堺正章主演の伝奇ドラマ。

堺が中国のスーパーヒーロー・孫悟空に扮し、猪八戒に西田敏行、沙悟浄に岸部シロー、そして今は亡き美貌の女優・夏目雅子が三蔵法師役を務めるなど斬新なキャスティングが話題を呼び、お茶の間を大いに沸かせた。

当時としては稀有だった中国ロケや雄大な富士の裾野でのロケも敢行し、常識を打ち破ったスケール感に視聴者は度肝を抜かれた。  1978年10月1日〜1979年4月1日 全26話


_____


ゴダイゴ

活動期間
1975年 - 1985年
1999年 - 2000年
2006年 -


メンバー

ミッキー吉野(キーボード)
タケカワユキヒデ(リードボーカル)
浅野孝已(ギター)
スティーヴ・フォックス(ベース)
トミー・スナイダー(ドラムス)
吉沢洋治(ベース、ギター)
 
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[近代史7] 南こうせつ・伊勢正三
南こうせつ・伊勢正三


南こうせつとかぐや姫
かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/650.html

[近代史7] 南こうせつ・伊勢正三 中川隆
1. 中川隆[-14690] koaQ7Jey 2021年12月08日 12:47:37 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[53]
「22才の別れ」 作詞・作曲:伊勢正三 リリース 1975年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=22%E6%89%8D%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/650.html#c1
[近代史7] 雅夢 三浦和人
雅夢 三浦和人


「愛はかげろう」 作詞・作曲 三浦和人 リリース 1980年9月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9B%85%E5%A4%A2+++%E6%84%9B%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%92%E3%82%8D%E3%81%86+1980%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/651.html

[近代史7] 寺尾聡
寺尾聡


「ルビーの指環」 松本隆(作詞) 寺尾聡(作曲)リリース 1981年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%8C%87%E7%92%B0+1981%E5%B9%B4


「出航 SASURAI」有川正沙子(作詞) 寺尾聡(作曲)リリース 1980年10月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AF%BA%E5%B0%BE%E8%81%A1++%E5%87%BA%E8%88%AA++1980%E5%B9%B4


「シャドー・シティ」有川正沙子(作詞) 寺尾聡(作曲) リリース 1980年8月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AF%BA%E5%B0%BE%E8%81%A1++%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3++1980%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/652.html

[近代史7] もんた&ブラザーズ もんたよしのり
もんた&ブラザーズ もんたよしのり


「ダンシング・オールナイト」作詞:水谷啓二 作曲:もんたよしのり リリース 1980年4月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88++1980%E5%B9%B4


「赤いアンブレラ」作曲:もんたよしのり リリース 1980年10月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B5%A4%E3%81%84%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A9+++%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%9F+++1980%E5%B9%B4


「DESIRE」作曲:もんたよしのり リリース 1981年10月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=DESIRE+++%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%9F+++1981%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/653.html

[近代史7] サザンオールスターズ 桑田佳祐
サザンオールスターズ 桑田佳祐


「私はピアノ」 作詞・作曲 桑田佳祐 リリース 1980年3月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A7%81%E3%81%AF%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E++1980%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/654.html

[近代史7] 八神純子
八神純子


「みずいろの雨」 作詞:三浦徳子/作曲:八神純子 リリース 1978年9月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E7%A5%9E%E7%B4%94%E5%AD%90++%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AE%E9%9B%A8+1978
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/655.html

[近代史7] 松任谷(荒井) 由実
松任谷由実(荒井由実)


「まちぶせ」 作詞・作曲 荒井由実 リリース 1981年4月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF++%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%B6%E3%81%9B++1981%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/656.html

[近代史7] 中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日)
中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日)


「ゴンドラの唄」吉井勇作詞 中山晋平作曲 1915年(大正4年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%94%84

『カチューシャの唄』作詞 島村抱月・相馬御風 作曲 中山晋平 1914年(大正3年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE%E5%94%84

「さすらいの唄」 北原白秋作詞 中山晋平作曲 大正6年(1917)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%95%E3%81%99%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%94%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/660.html

[近代史7] 中田 章(1886年 7月8日 - 1931年11月27日)
中田 章(1886年 7月8日 - 1931年11月27日)

「早春賦」 吉丸一昌作詞 中田章作曲 1913年(大正2年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A9%E6%98%A5%E8%B3%A6
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/662.html

[近代史7] 佐々木 すぐる(1892年4月16日 - 1966年1月13日)
佐々木 すぐる(1892年4月16日 - 1966年1月13日)


「月の沙漠」 作詞 加藤まさを 作曲 佐々木すぐる 1923年(大正12年)3月発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%B2%99%E6%BC%A0
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/663.html

[近代史7] 山田耕筰(1886年 6月9日 - 1965年12月29日)
山田耕筰(1886年 6月9日 - 1965年12月29日)


「赤とんぼ」 三木露風作詞 山田耕筰作曲 1927年(昭和2年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B5%A4%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BC
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/664.html

[近代史7] 中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日) 中川隆
1. 中川隆[-14689] koaQ7Jey 2021年12月08日 14:23:07 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[54]
『船頭小唄』 野口雨情 作詞 中山晋平 作曲 1922年(大正11年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%88%B9%E9%A0%AD%E5%B0%8F%E5%94%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/660.html#c1
[近代史7] 瀧廉太郎(1879年 8月24日 - 1903年 6月29日)
瀧廉太郎(1879年 8月24日 - 1903年 6月29日)


『荒城の月』 土井晩翠作詞 瀧廉太郎作曲 1917年(大正6年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%8D%92%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%9C%88
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/665.html

[近代史7] 梁田 貞(1885年7月3日 - 1959年5月9日)
梁田 貞(1885年7月3日 - 1959年5月9日)


『城ヶ島の雨』 作詞 北原白秋 作曲 梁田貞 1913年10月30日発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%9F%8E%E3%83%B6%E5%B3%B6%E3%81%AE%E9%9B%A8
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/666.html

[近代史7] 大中寅二(1896年 6月29日 - 1982年 4月19日 )
大中寅二(1896年 6月29日 - 1982年 4月19日 )


「椰子の実」 詩:島崎藤村 作曲:大中寅二 1936年(昭和11年)7月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%A4%B0%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%AE%9F
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/667.html

[近代史7] 冨田 勲(1932年4月22日 - 2016年5月5日)
冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - 2016年5月5日)


冨田勲 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%86%A8%E7%94%B0%E5%8B%B2
https://www.youtube.com/results?search_query=Isao+Tomita+
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/668.html

[近代史7] 中田 喜直(1923年 8月1日 - 2000年 5月3日)
中田 喜直(1923年 8月1日 - 2000年 5月3日)


「夏の思い出」 江間章子作詞 中田喜直作曲 1949年(昭和24年) 6月13日発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%80%8D%E8%B3%9E%E5%8D%83%E6%81%B5%E5%AD%90++++%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/670.html

[近代史7] 成田為三(1893年12月15日 - 1945年10月29日)
成田為三(1893年12月15日 - 1945年10月29日)


『浜辺の歌』 作詩:林古渓 作曲:成田為三 大正5年(1916年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B5%9C%E8%BE%BA%E3%81%AE%E6%AD%8C
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/671.html

[近代史7] 中村八大(1931年1月20日 - 1992年6月10日)
中村八大(1931年1月20日 - 1992年6月10日)

「遠くへ行きたい」 永六輔作詞 中村八大作曲 1962年6月発売
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%81%A0%E3%81%8F%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84++
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/672.html

[近代史7] 岡野貞一(1878年2月16日 - 1941年12月29日)
岡野貞一(1878年2月16日 - 1941年12月29日)


『朧月夜』 作詞 高野辰之、作曲 岡野貞一 1914年(大正3年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%A7%E6%9C%88%E5%A4%9C
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[近代史7] 岡野貞一(1878年2月16日 - 1941年12月29日)
岡野貞一(1878年2月16日 - 1941年12月29日)


『朧月夜』 作詞 高野辰之、作曲 岡野貞一 1914年(大正3年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%A7%E6%9C%88%E5%A4%9C  
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[近代史7] 冨田 勲(1932年4月22日 - 2016年5月5日)
冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - 2016年5月5日)


冨田勲 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%86%A8%E7%94%B0%E5%8B%B2
https://www.youtube.com/results?search_query=Isao+Tomita+  
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[近代史7] 杉山長谷夫(1889年 8月5日 - 1952年 8月25日)
杉山長谷夫(1889年 8月5日 - 1952年 8月25日)

『花嫁人形』 蕗谷虹児作詞 杉山長谷夫作曲 大正13年(1924年)2月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%8A%B1%E5%AB%81%E4%BA%BA%E5%BD%A2
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[近代史7] 平岡精二(1931年8月13日 - 1990年3月22日)
平岡精二(1931年8月13日 - 1990年3月22日)


「学生時代」 作詞・作曲 平岡精二 リリース 1964年
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[近代史7] 佐藤 勝 (1928年 5月29日 - 1999年 12月5日)
佐藤 勝 (さとう まさる 、 1928年 5月29日 - 1999年 12月5日)


「若者たち −空にまた陽が昇るとき」 作詞:藤田敏雄 作曲:佐藤勝 リリース 1966年8月1日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1
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[近代史7] 海沼 實(1909年1月31日 - 1971年6月13日)
海沼 實(かいぬま みのる、1909年1月31日 - 1971年6月13日)

『里の秋』 作詞 斎藤信夫 作曲 海沼實 1945年(昭和20年)12月24日発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%87%8C%E3%81%AE%E7%A7%8B
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[近代史7] 万城目 正(1905年1月31日 - 1968年4月25日)
万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - 1968年4月25日)

「旅の夜風」(映画愛染かつら主題歌) 作詞 西條八十 作曲 万城目正 1938年(昭和13年)9月10日発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%85%E3%81%AE%E5%A4%9C%E9%A2%A8
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[近代史7] 荒木 とよひさ(1943年[1]9月19日 - )
荒木 とよひさ(1943年[1]9月19日 - )


「四季の歌」 作詞・作曲 荒木とよひさ 1976年発売
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E3%81%AE%E6%AD%8C
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[近代史7] 八洲 秀章(1915年 6月2日 - 1985年12月30日)
八洲 秀章(1915年 6月2日 - 1985年12月30日)


「さくら貝の歌」 作詞 土屋花情 作曲 八洲秀章 昭和25年(1950年)1月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E8%B2%9D%E3%81%AE%E6%AD%8C
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/682.html

[近代史7] 「同期の桜」 大村能章(1893年12月13日 - 1962年 1月23日)
大村能章(おおむら のうしょう、1893年12月13日 - 1962年 1月23日)


「同期の桜」 原詞 西條八十 作曲 大村能章 昭和13年(1938年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%90%8C%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%A1%9C
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[近代史7] 『海行かば』 信時 潔(1887年12月29日 - 1965年 8月1日)
信時 潔(1887年12月29日 - 1965年 8月1日)


『海行かば』 歌詞 大伴家持 作曲 信時潔 1937年(昭和12年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0
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[近代史7] 「ラバウル小唄」 島口駒夫 (1911年4月10日 - 1945年3月17日)
島口駒夫 (1911年4月10日 - 1945年3月17日)


「ラバウル小唄」 若杉雄三郎 作詞 島口駒夫 作曲 1945年発売
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[近代史7] 「人を恋ふる歌」 作詞 与謝野鉄幹 作曲 不詳 明治38年(1905年)
「人を恋ふる歌」 作詞 与謝野鉄幹 作曲 不詳 明治38年(1905年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BA%BA%E3%82%92%E6%81%8B%E3%81%86%E3%82%8B%E6%AD%8C+
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[近代史7] 「圭子の夢は夜ひらく」 曽根幸明(1933年12月28日 - 2017年4月20日)
曽根幸明(1933年12月28日 - 2017年4月20日)

「圭子の夢は夜ひらく」 石坂まさを(作詞)曽根幸明(作曲) リリース 1970年4月25日
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[近代史7] 『別れても好きな人』 佐々木 勉(1938年12月26日 - 1985年3月11日 )
佐々木 勉(ささき べん 、1938年12月26日 - 1985年3月11日 )


『別れても好きな人』 作詞・作曲 佐々木勉 リリース 1979年9月21日
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[近代史7] 「聖母たちのララバイ」 木森 敏之(1947年7月24日 - 1988年4月11日)
木森 敏之(きもり としゆき、 1947年7月24日 - 1988年4月11日)


「聖母たちのララバイ」作詞:山川啓介 作曲:木森敏之、John Scott リリース 1982年5月21日
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http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/689.html

[近代史7] 「知床旅情」 森繁久彌 (1913年 5月4日 - 2009年11月10日)
森繁久彌 (1913年 5月4日 - 2009年11月10日)


「知床旅情」 作詞・作曲 森繁久彌 1960年発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9F%A5%E5%BA%8A%E6%97%85%E6%83%85%E3%80%80%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%99%BB%E7%B4%80%E5%AD%90+  
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[近代史7] 「風」 はしだ のりひこ(1945年1月7日 - 2017年12月2日)
はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - 2017年12月2日)


「風」 作詞:北山修 作曲:端田宣彦 リリース 1969年1月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%81%B2%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%84+++%E9%A2%A8++1969%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/691.html

[近代史7] 「高校三年生」 遠藤 実(1932年7月6日 - 2008年12月6日)
遠藤 実(1932年7月6日 - 2008年12月6日)


「高校三年生」 作詞:丘灯至夫 作曲:遠藤実 リリース 1963年6月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%88%9F%E6%9C%A8%E4%B8%80%E5%A4%AB+++%E9%AB%98%E6%A0%A1%E4%B8%89%E5%B9%B4%E7%94%9F++1963%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/692.html

[近代史7] 服部良一(1907年10月1日 - 1993年1月30日)
服部良一(1907年10月1日 - 1993年1月30日)


「青い山脈」西條八十(作詞)服部良一(作曲)リリース 1949年
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%97%A4%E5%B1%B1+%E4%B8%80%E9%83%8E++++%E9%9D%92%E3%81%84%E5%B1%B1%E8%84%88+++1949%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/693.html

[近代史7] 服部良一(1907年10月1日 - 1993年1月30日) 中川隆
1. 中川隆[-14688] koaQ7Jey 2021年12月08日 16:40:08 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[55]
池部良・原節子主演 映画『青い山脈』(昭和24年) - YouTube



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[近代史7] 万城目 正(1905年1月31日 - 1968年4月25日) 中川隆
1. 中川隆[-14687] koaQ7Jey 2021年12月08日 16:41:33 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[56]
「リンゴの唄」 サトウハチロー(作詞)万城目正(作曲)リリース 1946年1月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%A6%E6%9C%A8%E8%B7%AF%E5%AD%90++%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E6%98%87++%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%81%AE%E5%94%84++1946%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/680.html#c1
[近代史7] 「翼をください」 村井邦彦(1945年3月4日 - )
村井邦彦(1945年3月4日 - )


「翼をください」作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦 リリース 1971年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BF%BC%E3%82%92%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84++1971%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/694.html

[近代史7] 「セカンド・ラブ」 来生 たかお(1950年11月16日 - )
来生 たかお(きすぎ たかお、1950年11月16日 - )


「セカンド・ラブ」 作詞 来生えつこ 作曲 来生たかお リリース 1982年11月10日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E6%A3%AE%E6%98%8E%E8%8F%9C+++%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96+++1982%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/695.html

[近代史7] 「フィーリング」 日本語詞:なかにし礼 、作曲:Morris Albert
「フィーリング」 日本語詞:なかにし礼 作曲:Morris Albert リリース 1976年12月1日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88+++%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0++1976%E5%B9%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/696.html
[近代史7] 「桃色吐息」佐藤 隆(1951年3月11日 - )
「桃色吐息」康珍化(作詞)佐藤隆(作曲 #1)岡本朗(作曲 #2) リリース 1984年5月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9C%9F%E6%A2%A8%E5%AD%90+%E6%A1%83%E8%89%B2%E5%90%90%E6%81%AF++1984%E5%B9%B4
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[近代史7] 「津軽海峡・冬景色」三木 たかし (1945年 1月12日 - 2009年 5月11日 )
三木 たかし(1945年 1月12日 - 2009年 5月11日 )


「津軽海峡・冬景色」 作詞 阿久悠、作曲 三木たかし リリース 1977年 1月1日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E6%B5%B7%E5%B3%A1+%E5%86%AC%E6%99%AF%E8%89%B2++1977%E5%B9%B4
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[近代史7] 「魅せられて」筒美 京平(1940年 5月28日 - 2020年10月7日)
筒美 京平(1940年 5月28日 - 2020年10月7日)


「魅せられて」 阿木燿子(作詞), 筒美京平(作曲・編曲)リリース 1979年2月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AD%85%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6+1979%E5%B9%B4
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[近代史7] 「山男の歌」 作詞 神保信雄 軍歌 巡航節
「山男の歌」 作詞 神保信雄 軍歌 巡航節 1966年2月1日発売
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9+++%E5%B1%B1%E7%94%B7%E3%81%AE%E6%AD%8C
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[近代史7] 「雪山讃歌」 作詞 西堀栄三郎 アメリカ民謡 Oh My Darling, Clementine
「雪山讃歌」 作詞 西堀栄三郎 アメリカ民謡 Oh My Darling, Clementine リリース 1958年9月
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9+++%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E8%AE%83%E6%AD%8C+
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[近代史7] 「雪山讃歌」 作詞 西堀栄三郎 アメリカ民謡 Oh My Darling, Clementine 中川隆
1. 中川隆[-14685] koaQ7Jey 2021年12月08日 17:34:55 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[58]
My Darling Clementine '46-selection- 荒野の決闘 /HD_日本語字幕






My Darling Clementine - いとしのクレメインタイン (ジョン・フォード 荒野の決闘 1946)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/929.html



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[近代史7] 悲しい酒 古賀政男(1904年11月18日 - 1978年 7月25日)
古賀政男(1904年11月18日 - 1978年 7月25日)


美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
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[近代史7] 人生一路 かとう 哲也(1941年1月15日 - 1983年10月24日)
人生一路 かとう 哲也(1941年1月15日 - 1983年10月24日)


美空ひばり 人生一路 - YouTube
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[近代史7] 人生一路 かとう 哲也(1941年1月15日 - 1983年10月24日) 中川隆
1. 中川隆[-14684] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:00:57 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[59]
美空ひばり あの丘越えて - YouTube
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美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc

日本の女性歌手で、だれが記憶の底に残っているかといえば、それはやはり「美空ひばり」なのであります。うまいとか、声がいいとか、そんなことは、あたしには関係ない。

人に歴史あり、我々の世代が思春期のころよりヒバリを聴いていたかといえばとんでもない。

ヤクザと仲がいいと、朝日新聞にさんざん叩かれていたころ、アタシは美空ひばりは極道の情婦だと思っていた。つまらないオンナだと思っていたわけだ。
21歳で自宅に戻り、アタシは黒衣を着て生きていくことにした。
詩をやめて大学にいき、就職をし、両親を安堵させようと決めたのだ。
観音様のもとに還るのは50過ぎてだから、それまでは、異星の地球で生きていくと。

人生を巡航するには楽しみごとが必要だから、それは、思索・車・囲碁・音楽・絵画・セックスとした。

アタシは凝り性だから、その道をいくと決めたら、けっこうコダワル。
そして、ひとの話を聞くのは大嫌いだから、ほとんど、ひとりで始める。
時間もかかるし、遠回りもする。
こーゆう人間は社会から受け入れられないから大成しない、せいぜい、大家業で「お山の大将」となるだけだ。

音楽も、全部聴かないといけないと、思った。
16歳で高校入学のお祝いに買ってもらったステレオ、うれしくてレコードを買ってきた。
最初に聴いたのはペレス・プラードのラテン音楽。
そしてジャズ・クラシック・邦楽・歌謡曲・カンツオーネ・シャンソン・南米やアフリカの音楽。

で、ひばりが体調を崩しはじめたころ、死ぬ前にいちどきちんと聴かないといかんと思って、全集を買ってきた。

いや、あなた、ヒバリの裏声を聴いたときには驚いた。
当時はALTECの416ってスピーカーにホーンをのせて聴いていたんですが、地声から裏声にのせていくところで、声の太さ、肉感が衰えないどころか、自在に強弱、響きを変化させていく。
天童よしみのような、太いだけの腑抜けな声質じゃなく、魂のコアが粒子となって詰まっている。

じっと耳を澄ませて聴いていると、たとえようもない寂しさをたたえて歌っている曲が多い。

あの丘越えて、っていう唄があります。
この歌詞は、ひばりが天才であるが故に生涯背負うであろう孤独を、万城目正+菊池一夫が見抜いて創り上げた名作なのですが、多くの国民は単なる恋愛歌だと思っている。

この歌を、ひばりは生涯に何百回も歌っているのでしょうが、40過ぎに歌っているのを聴くと、寂しさの通低感に驚く。

30代のころの熱い歌い方とまったくちがう。
後楽園コンサートの放映をみて、おそらくヒバリは私のなかで確固としたものになった。

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

激痛の中で歌うヒバリをみて、ファン層が根本的に入れ替わったといわれた時です。
ピカソと同じで芸が進化かつ深化していく、天才。
悲しい酒は、なんど、装置の調整に使ったかわからない。


美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc


ベースが低くテンポを刻むなかで、彼女の細からず・太からず・消え入りそうで消えない声を再現しようと。。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/703.html#c1

[近代史7] 悲しい酒 古賀政男(1904年11月18日 - 1978年 7月25日) 中川隆
1. 中川隆[-14683] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:01:45 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[60]
美空ひばり あの丘越えて - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A++%E3%81%82%E3%81%AE%E4%B8%98%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc

日本の女性歌手で、だれが記憶の底に残っているかといえば、それはやはり「美空ひばり」なのであります。うまいとか、声がいいとか、そんなことは、あたしには関係ない。

人に歴史あり、我々の世代が思春期のころよりヒバリを聴いていたかといえばとんでもない。

ヤクザと仲がいいと、朝日新聞にさんざん叩かれていたころ、アタシは美空ひばりは極道の情婦だと思っていた。つまらないオンナだと思っていたわけだ。
21歳で自宅に戻り、アタシは黒衣を着て生きていくことにした。
詩をやめて大学にいき、就職をし、両親を安堵させようと決めたのだ。
観音様のもとに還るのは50過ぎてだから、それまでは、異星の地球で生きていくと。

人生を巡航するには楽しみごとが必要だから、それは、思索・車・囲碁・音楽・絵画・セックスとした。

アタシは凝り性だから、その道をいくと決めたら、けっこうコダワル。
そして、ひとの話を聞くのは大嫌いだから、ほとんど、ひとりで始める。
時間もかかるし、遠回りもする。
こーゆう人間は社会から受け入れられないから大成しない、せいぜい、大家業で「お山の大将」となるだけだ。

音楽も、全部聴かないといけないと、思った。
16歳で高校入学のお祝いに買ってもらったステレオ、うれしくてレコードを買ってきた。
最初に聴いたのはペレス・プラードのラテン音楽。
そしてジャズ・クラシック・邦楽・歌謡曲・カンツオーネ・シャンソン・南米やアフリカの音楽。

で、ひばりが体調を崩しはじめたころ、死ぬ前にいちどきちんと聴かないといかんと思って、全集を買ってきた。

いや、あなた、ヒバリの裏声を聴いたときには驚いた。
当時はALTECの416ってスピーカーにホーンをのせて聴いていたんですが、地声から裏声にのせていくところで、声の太さ、肉感が衰えないどころか、自在に強弱、響きを変化させていく。
天童よしみのような、太いだけの腑抜けな声質じゃなく、魂のコアが粒子となって詰まっている。

じっと耳を澄ませて聴いていると、たとえようもない寂しさをたたえて歌っている曲が多い。

あの丘越えて、っていう唄があります。
この歌詞は、ひばりが天才であるが故に生涯背負うであろう孤独を、万城目正+菊池一夫が見抜いて創り上げた名作なのですが、多くの国民は単なる恋愛歌だと思っている。

この歌を、ひばりは生涯に何百回も歌っているのでしょうが、40過ぎに歌っているのを聴くと、寂しさの通低感に驚く。

30代のころの熱い歌い方とまったくちがう。
後楽園コンサートの放映をみて、おそらくヒバリは私のなかで確固としたものになった。

美空ひばり  人生一路 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cl6HNmFTOkI

激痛の中で歌うヒバリをみて、ファン層が根本的に入れ替わったといわれた時です。
ピカソと同じで芸が進化かつ深化していく、天才。
悲しい酒は、なんど、装置の調整に使ったかわからない。


美空ひばり・悲しい酒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZHDRClbBqKc


ベースが低くテンポを刻むなかで、彼女の細からず・太からず・消え入りそうで消えない声を再現しようと。。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/702.html#c1

[近代史7] 「圭子の夢は夜ひらく」 曽根幸明(1933年12月28日 - 2017年4月20日) 中川隆
1. 中川隆[-14682] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:43:17 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[61]
夢は夜ひらく 園まり 1966
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A2%E3%81%AF%E5%A4%9C%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F+%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%82%8A&sp=mAEB

1966.09.05 共作詞:中村泰士・富田清吾 補曲(採譜):中村泰士
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/687.html#c1

[近代史7] 日本のミュージシャン 中川隆
1. 中川隆[-14681] koaQ7Jey 2021年12月08日 18:58:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[62]
昭和の流行歌の世界


倍賞千恵子 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/271.html

フォレスタ 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/274.html

鮫島有美子 名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/273.html

島田祐子名唱集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/330.html


▲△▽▼

なかにし礼の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html

安井かずみの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1235.html

いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは… _ 能の幽玄について
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html

かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html

中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html

ジャニー喜多川は、CIA工作員だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/521.html

表では知られていないアイドル業の闇
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/142.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

中森明菜“自殺未遂事件”から30年、封印されていた真相に迫る
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1169.html

中森明菜の実家は肉屋(部落民)、だから、自殺未遂までした。
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/143.html

柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html

皇太子妃候補 No.1 だった部落出身の柏原芳恵はバイブレーター騒動で芸能界から消えた
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/145.html

懐かしの 70年代アイドル あべ静江 「コーヒーショップで」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/285.html

部落出身の あべ静江 _ 絶世の美女で性格も良く料理上手なのに何故か独身
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/144.html

鬼束ちひろをキレさせた通行人の“強烈な嫌味”
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1733.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/635.html#c1

[近代史7] 日本のミュージシャン 中川隆
2. 中川隆[-14680] koaQ7Jey 2021年12月08日 19:12:40 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[63]
木村好夫(きむら よしお、1934年 - 1996年7月5日)ギター名演集


木村好夫 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%A5%BD%E5%A4%AB

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/635.html#c2

[近代史7] ロシア軍歌「カチューシャ」_ マトヴェイ・ブランテル (1903-1990) 作曲
ロシア軍歌「カチューシャ」_ マトヴェイ・ブランテル (1903-1990) 作曲


ガールズ & パンツァー 第8話 ロシア民謡カチューシャ
カチューシャ(CV.金元寿子),ノンナ(CV.上坂すみれ)



咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に
.
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙


おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ


彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に  
 


▲△▽▼


ロシア民謡 『カチューシャ』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/546.html

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/705.html

[近代史7] ロシア軍歌「カチューシャ」_ マトヴェイ・ブランテル (1903-1990) 作曲 中川隆
1. 中川隆[-14677] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:43:49 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[66]
「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(ロシア語版)(Матвей Блантер)である。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。

カチューシャという娘が川の岸辺で出征し国境警備につく恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。

この歌の制作は、イサコフスキーとブランテルが1938年に出版社の仲介で引き合わされたことに端を発する。2人は依頼された新刊雑誌のための歌曲を完成させると、帰りの車中で早くも次の作品への構想を立てた。ブランテルが自らの率いる国立ジャズ・オーケストラのための曲作りを持ちかけると、イサコフスキーはその場で自作の詩を暗誦した。ブランテルは歌詞を書きとめながら、その時すでにリズムと旋律が頭の中に浮かんでいたという。

当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容はなかった。しかし当時の不穏な世界情勢を反映して、国境警備に当たる若い兵士を故郷の恋人が思って歌うという設定で3番と4番の歌詞が書き足された。こうして完成した「カチューシャ」は、1938年11月27日にワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によってヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)の率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演された。この初演は好評を博し、アンコールに応じて3度も演奏された。

やがて1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。

ソ連以外での受容
戦後の東西対立期には同じ東側諸国にも広まり、現地語に翻訳されたドイツ語版、中国語版、ベトナム語版などが現在でも親しまれている。

当初、枢軸国であったイタリアでは、1943年9月の連合国への無条件降伏後、「カチューシャ」のメロディに独自の歌詞をつけ、パルチザン蜂起を呼び掛ける歌として歌われている。イタリア語の歌詞は、共産主義者の医師で自身もパルチザンであったフェリーチェ・カッショーネによって書かれ、冒頭の句から「風は鳴る Fischia il vento」と呼ばれた。この曲は「さらば恋人よ Bella ciao」とともに最も有名なパルチザン愛唱歌となり、その後、ミルバ、バンダ・バソッティなどが自身のアルバムに収録している。

日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。1956年7月にはダークダックスがシングル「ともしび」のB面として発売した。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では初出場の森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で一般に知られている日本語詞は関鑑子による訳詞であるが原詩の軍事色は一切省かれている。

1988年発売のファミリーコンピュータ版『テトリス』では、各ラウンドのフィナーレでBGMに使用されている。また同年発売のファミリーコンピュータソフト『熱血高校ドッジボール部』でも、対ソ連戦のBGMとして使用されている。

近年では千葉ロッテマリーンズの松本尚樹や西岡剛の応援歌としても使用されていた。また、サッカー日本代表の応援歌としても使用されている。

なお、『復活』の劇中歌として歌われ、戦前に流行した「カチューシャの唄」はこの歌よりも昔に作られたもので、全く関係ない。

1986年にユンケル黄帝液のCMでタレントのタモリが60年代風のセットでツイストを踊ってた曲として替え歌で「疲れがタモレば、タモリのユンケルだ」とイタリアン・ポップス調(太陽はひとりぼっち風)のアレンジ風で使用された。

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』の8話では「カチューシャ Sung by カチューシャ&ノンナ」という形でカチューシャ役の金元寿子とノンナ役の上坂すみれが歌っている。ただし海外吹き替え版では著作権の問題から当該部分は削除されている。

日本エレキテル連合の感電パラレルの三好ナイトにおいて、興行師・天然トウジロウが拡声器で歌う三好のテーマ曲に使用されている。

また、近鉄特急の近鉄奈良駅到着前放送の予告チャイムとしても使われていた。

さらにユーロビートアーティストのMad Cowは「Rasputin, Pasternak and Molotov」というリミックス曲を出している。なお、この曲はSUPER EUROBEAT VOL.147に収録されている。

恋のカザチョック
1968年、フランスでイスラエル人のリカ・ザライ(Rika Zaraï)が、イタリアでドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)がカチューシャをアレンジした「Casatschok」として歌を出し、日本では「恋のカザチョック」と言う邦題で1969年に日本ビクターから発売された[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/705.html#c1

[近代史4] ロシア民謡 『カチューシャ』 中川隆
1. 中川隆[-14676] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:44:24 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[67]
1. 中川隆[-14677] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:43:49 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[66] 報告
▲△▽▼
「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(ロシア語版)(Матвей Блантер)である。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。
カチューシャという娘が川の岸辺で出征し国境警備につく恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。

この歌の制作は、イサコフスキーとブランテルが1938年に出版社の仲介で引き合わされたことに端を発する。2人は依頼された新刊雑誌のための歌曲を完成させると、帰りの車中で早くも次の作品への構想を立てた。ブランテルが自らの率いる国立ジャズ・オーケストラのための曲作りを持ちかけると、イサコフスキーはその場で自作の詩を暗誦した。ブランテルは歌詞を書きとめながら、その時すでにリズムと旋律が頭の中に浮かんでいたという。

当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容はなかった。しかし当時の不穏な世界情勢を反映して、国境警備に当たる若い兵士を故郷の恋人が思って歌うという設定で3番と4番の歌詞が書き足された。こうして完成した「カチューシャ」は、1938年11月27日にワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によってヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)の率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演された。この初演は好評を博し、アンコールに応じて3度も演奏された。

やがて1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。

ソ連以外での受容
戦後の東西対立期には同じ東側諸国にも広まり、現地語に翻訳されたドイツ語版、中国語版、ベトナム語版などが現在でも親しまれている。

当初、枢軸国であったイタリアでは、1943年9月の連合国への無条件降伏後、「カチューシャ」のメロディに独自の歌詞をつけ、パルチザン蜂起を呼び掛ける歌として歌われている。イタリア語の歌詞は、共産主義者の医師で自身もパルチザンであったフェリーチェ・カッショーネによって書かれ、冒頭の句から「風は鳴る Fischia il vento」と呼ばれた。この曲は「さらば恋人よ Bella ciao」とともに最も有名なパルチザン愛唱歌となり、その後、ミルバ、バンダ・バソッティなどが自身のアルバムに収録している。

日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。1956年7月にはダークダックスがシングル「ともしび」のB面として発売した。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では初出場の森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で一般に知られている日本語詞は関鑑子による訳詞であるが原詩の軍事色は一切省かれている。

1988年発売のファミリーコンピュータ版『テトリス』では、各ラウンドのフィナーレでBGMに使用されている。また同年発売のファミリーコンピュータソフト『熱血高校ドッジボール部』でも、対ソ連戦のBGMとして使用されている。

近年では千葉ロッテマリーンズの松本尚樹や西岡剛の応援歌としても使用されていた。また、サッカー日本代表の応援歌としても使用されている。

なお、『復活』の劇中歌として歌われ、戦前に流行した「カチューシャの唄」はこの歌よりも昔に作られたもので、全く関係ない。

1986年にユンケル黄帝液のCMでタレントのタモリが60年代風のセットでツイストを踊ってた曲として替え歌で「疲れがタモレば、タモリのユンケルだ」とイタリアン・ポップス調(太陽はひとりぼっち風)のアレンジ風で使用された。

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』の8話では「カチューシャ Sung by カチューシャ&ノンナ」という形でカチューシャ役の金元寿子とノンナ役の上坂すみれが歌っている。ただし海外吹き替え版では著作権の問題から当該部分は削除されている。

日本エレキテル連合の感電パラレルの三好ナイトにおいて、興行師・天然トウジロウが拡声器で歌う三好のテーマ曲に使用されている。

また、近鉄特急の近鉄奈良駅到着前放送の予告チャイムとしても使われていた。

さらにユーロビートアーティストのMad Cowは「Rasputin, Pasternak and Molotov」というリミックス曲を出している。なお、この曲はSUPER EUROBEAT VOL.147に収録されている。

恋のカザチョック
1968年、フランスでイスラエル人のリカ・ザライ(Rika Zaraï)が、イタリアでドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)がカチューシャをアレンジした「Casatschok」として歌を出し、日本では「恋のカザチョック」と言う邦題で1969年に日本ビクターから発売された[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/546.html#c1

[近代史7] Foster Beautiful Dreamer _ スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)
スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)


Foster Beautiful Dreamer - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=+Foster++Beautiful+Dreamer

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/706.html

[近代史7] Foster Beautiful Dreamer _ スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日) 中川隆
1. 中川隆[-14675] koaQ7Jey 2021年12月08日 21:54:03 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[68]
スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)は、ヘンリ・クレイ・ワークと並んで、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する歌曲作曲家。

20年間に約200曲を作曲し、その内訳は135曲のパーラーソングと28曲のミンストレルソングである。多くはメロディの親しみやすい黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌である。「アメリカ音楽の父」とも称される。

生涯

青年期まで
ペンシルベニア州ピッツバーグの隣町ローレンスビルで、アイルランド移民の曽祖父の家系を引く比較的裕福な家庭に10人兄弟の末っ子として育つ。彼の生まれた家は「白壁の家」(White Cottage)と呼ばれていた。父のウィリアムは、ヴァイオリンを演奏するほどの音楽趣味を持ち、母のエリーザ・トムリンスンも詩情豊かな教養に富む女性であった。フォスター自身も幼児期より並ならぬ音楽的才能を見せ、7歳からは横笛を、9歳からはギターを独学で習得し、後にはクラリネットも修め、1841年、15歳の時にはアゼンス・アカデミー卒業式の際に自作の「ティオガ円舞曲」をアテネ・アカデミーの教会でフルートで奏した(この作品はピアノ独奏曲として現存する)。作曲に興味を持ったフォスターはモーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの作品を寝る間も惜しみ研究していたという。このようにアカデミックな音楽教育はほとんど受けなかったにもかかわらず、二十歳になるまでにすでにいくつか歌曲を出版していた。姉2人もピアノをよく演奏したという。

作曲家
最初の歌曲は1844年に出版された「窓を開け、恋人よ」(Open Thy Lattice, Love)で16歳のときの作品である。翌1845年には弟と友人からなるセーヴル・ハーモニスツ重唱団のために「ルイジアナの美人」、「ネッド叔父さん」などを作曲する。1845年4月にピッツバーグは大火に見舞われ、町の3分の1にもあたる約1000棟の建物を焼失する。

1846年にオハイオ州シンシナティに転居し、兄の蒸気船海運会社・アーウィン・フォスター商会(Irwin & Foster)で簿記係を務める。当時のシンシナティは、ピッツバーグをしのぐ勢いの多文化社会であり、彼の働く会社の窓の外にはオハイオ川に蒸気船がひっきりなしに行き交い、南部の黒人音楽や荷揚げ作業人夫の労働歌に満ち溢れていた。このシンシナティ在住中に、当時独立戦争後の新大陸で流行した黒人霊歌風である最初のヒット曲「おおスザンナ」を発表。これは1848年〜1849年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの賛歌となった。当時、白人が顔を黒く塗り大げさに歌うミンストレル・ショーやエチオピア風の喜劇役者の魅力に強く引きつけられていたが、その結果が1849年に出版された曲集『フォスターのミンストレル・ソング集』(Foster's Ethiopian Melodies)に結実し、クリスティ・ミンストレルズによってヒットした「やさしいネリー」(Nelly Was A Lady)が収録されている。

貧困
同年フォスターはペンシルベニアに戻ってコンサートを開き、クリスティ・ミンストレルズと共演、最も有名な歌曲が書かれる時代の始まりとなった。1850年に、ピッツバーグの名医の長女であるジェーン・マクダウェルと結婚、翌年には娘マリオンをもうけるが、この後に音楽的円熟を見せ「ケンタッキーの我が家」、「主人は冷たい土の中に」、「故郷の人々」(「スワニー河」)の傑作を次々に生む。1853年にフォスターはニューヨークに出てファース・ポンド社と契約を結び、自作・他者の歌曲などをアンサンブル用に編曲した「ソーシャル・オーケストラ」(The Social Orchestra)を発表。翌1854年には「金髪のジェニー」を発表。この年に妻子もニューヨークに移り住む。が、翌年にはフォスターは単身ピッツバーグに戻り、続いて妻子も追うが、1855年の両親の死と翌1856年の兄ダニングの死はフォスター一家に打撃を与え、借金暮らしに陥る。1857年、ファース・ポンド社との先払い契約によって辛うじて金銭を得るが困窮生活は続く。1860年にニューヨーク市に再び転出し「オールド・ブラック・ジョー」を発表。

死去
1864年1月10日、マンハッタンのノース・アメリカン・ホテルに滞在中であったフォスターは、粉々に割れた洗面台のそばで頭部および頚部から大量に出血した状態で倒れているところを作詞家ジョージ・クーパーによって発見され、ベレビュー病院に搬送されたものの3日後の13日に発熱と出血多量で死亡した。数日前から発熱しており、意識朦朧の状態でベッドから起き出し、洗面所に入ったところで平衡感覚を失って転倒、その際に頭部を洗面台にぶつけて割ってしまい、その破片で頚動脈を切断されたことが致命傷になったものと推測されている。37歳没。この時のフォスターの所持品はわずか38セントの小銭と、「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであった。フォスターの死を知らされた妻ジェニーは遺体と対面するやその場で泣き崩れたと伝えられている。1862年の作品「夢見る人」(「夢路より」)が発表されたのは死後2か月後のことである。亡骸はペンシルベニア州ピッツバーグのアレゲーニー墓地に埋葬されている。

特徴

スティーブン・フォスターの彫像(Carnegie Museum of Natural History)
フォスター歌曲の多くは、ミンストレル・ショーの伝統に則り、時流に乗ったが、アフロ・アメリカンの音楽を単にカリカチュアしてみせたというよりも、白人向けに書かれた当時の楽曲には珍しく、黒人奴隷の苦しみに共感を示している。白人作曲家として最初に、睦み合う黒人夫婦を描き出したのがフォスターである。これにより、活動家・フレデリック・ダグラスの称賛を得ることとなる。フォスターの歌曲の多くが南部における日常を扱っているにもかかわらず、フォスター自身は1852年に新婚旅行でニューオーリンズを訪れたのを別とすれば、南部で直接的な経験をしていない。

フォスターはプロの歌曲作家として生計を立てようとしており、実際にプロの作曲家と見なしてよいのだが、当時のアメリカでは現代的な意味で「作曲家」という職業分野は確立されてはいなかった。その結果、音楽著作権や作曲家の印税に対する配給の乏しさのため、フォスターは自分の出版譜がもたらした利潤をほとんど受け取ることができなかった。複数の出版社がしばしば競合してフォスター作品の独自の版を出しながら、フォスターにはろくに報酬を与えなかったのである。例えば「おおスザンナ」は、1848年〜1851年の3年間で16もの出版社が30種以上の楽譜を出版し、当時、最高販売部数がせいぜい5000部という時代に10万部の大ヒットとなったにもかかわらず、フォスターの収入はわずか100ドルに過ぎなかったといわれる。1862年初頭にフォスターの活動は下降線をたどり始め、新作曲の質も落ち始めた。作詞家クーパーとのチームワークもうまくいかず、折からの南北戦争による戦時経済も災いした。

後世への影響
フォスター自身はクラシックの器楽曲をほとんど作曲していないが、後にフォスターの歌曲は、ドヴォルザークによって編曲されたり、チャドウィックやアイヴズ、NHK室内管弦楽団らの管弦楽曲に引用されるなど、クラシック音楽の作曲家にも影響を及ぼした。

生家「白壁の家」は今でも解体されずに残っている。

1966年11月2日に合衆国法典第36編(英語版)§ 140としてスティーブンフォスターメモリアルデー(英: Stephen Foster Memorial Day)が制定され、翌1967年1月13日より毎年1月13日が記念日となっている。

主な作品

「老犬トレイ」(Old Dog Tray)
「おおスザンナ」(Oh, Susanna、1848年)
「草競馬」(Camptown Races、1850年)[1]
「ネリー・ブライ」(Nelly Bly、1850年)
「故郷の人々」(「スワニー河」、Old Folks at Home(Swanee River)、1851年)[2]
「主人は冷たい土の中に」(Massa's in De Cold Ground、1852年)
「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home、1853年)[3]
「金髪のジェニー」(Jeannie With the Light Brown Hair、1854年)
「すべては終わりぬ」(「厳しい時代はもうやって来ない」、Hard Times Come Again No More、1854年)
「オールド・ブラック・ジョー」(Old Black Joe、1860年)[4]
「夢見る人」(「夢路より」、Beautiful Dreamer、1862年)[5]
「恋人よ窓を開け」(「君の窓を開けて 恋人よ」、Open Thy Lattice,Love)
「お眠りなさい いとしい子」(Slumber My Darling)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/706.html#c1

[近代史7] 「アカシアの雨がやむとき」藤原秀行(1923年1月1日 - 1986年5月21日)
藤原秀行(1923年1月1日 - 1986年5月21日)


アカシアの雨がやむとき - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%9B%A8%E3%81%8C%E3%82%84%E3%82%80%E3%81%A8%E3%81%8D
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/707.html

[番外地10] 旭川での児童売春・ハニートxップの総元締めはマカオ犯罪集団「14k」だった
旭川での児童売春・ハニートxップの総元締めはマカオ犯罪集団「14k」だった
2020年12月9日、米国財務省はマカオ犯罪集団「14k」の親分、尹国駒(ワン・コクコイ)の在米資産を凍結したと発表した
 一帯一路プロジェクトは中国共産党の利権でもある。べったりと、この国家プロジェクトに張り付いて利権をむさぼり、麻薬・売xからカジノ経営、はては不動産投資に仮想通貨取引でも暗躍したのは「洪門会」と総称されるヤクザである。
 カンボジアを拠点としてのオレオレ詐欺の上部組織ではないか、という疑念もある。
 中国系のヤクザは日本の仁義深いヤクザとは雲泥の差があり、約束は守らず仁義なんて何のことか、裏切りは日常の風景。すぐに殺人事件に発展する。
 中国大陸、マカオ、香港、そして一帯一路プロジェクトの拡充にともなって犯罪組織「14k」はカンボジア、ミャンマー、パラオ諸島にも進出し、裏社会に深く浸透している。拠点はカジノである。
 この「14k」を率いるのが尹国駒。通称は「歯列破壊」(ブロークンテース=崩牙駒)。1955年生まれの65歳。八年前にマカオの刑務所をでてから杳として行方知れず。それでいて闇世界に君臨し、一説には中国共産党のメンバーであり、党内幹部に顔が利くという。
 「14k」はマカオが拠点、「新義安」などのマフィア集団と並び、カジノにまつわる裏ビジネスで肥った。この文脈からカンボジア、ミャンマーでもカジノを拠点に、さらに一帯一路では各地の中国人施設、宿舎のガードマンを引き受ける利権を持つという。
 中国共産党とヤクザとの隠れた癒着関係の氷山の一角である
アメリカ財務省は尹氏の制裁リスト入りについて、14Kの活動を巡り麻薬密売、違法賭博、恐喝、人身売買などの違法行為に従事していたと説明。また、尹氏が所有・管理している事業がマレーシアやカンボジアで違法な犯罪行為の隠蔽などに関与しているとした。

三木慎一郎 2021年6月6日
昨年12月にアメリカ政府が三合会系組織「14K」を率いるマフィア尹国駒(マカオのボス)を制裁対象に指定したことをお忘れなく。北海道ニセコに近づくサンシティ周焯华との関係はここに書けないのでお察しください。
https://tr.twipple.jp/p/3d/207864.html

中国のマカオ犯罪集団「14k」が旭川の女子 小中学生を使って北海道の政治家や役人・教育者にハニートxップをかけていた理由

マカオ大手、ニセコ進出 リゾート開発に400億円 2021/6/4
 【倶知安】マカオなどでカジノを運営する大手企業サンシティグループ(太陽城集団)が、後志管内倶知安町に大規模リゾートを開発することが3日分かった。同町ひらふ地区に取得した20ヘクタールの用地に、ホテル棟と70戸以上の別荘を2025年末までに建設する。総投資額は約400億円でニセコ地域でも有数の規模のリゾートになる見通し。国内外で新型コロナウイルスの感染拡大が続く中でも、ニセコ地域では中華系資本主体の開発が加速している。

 サンシティグループは東京に設立した子会社を通じて、1月にリゾート建設用地を取得。9月までに着工する。ホテル棟は全65室の規模で、敷地内に物販や複数のレジャー施設を置く計画だが、カジノの関連施設は設けない。

 進出先にニセコ地域を選んだ理由として「世界でも有数のスキーリゾートである」としたうえで、「新幹線および高速道路により、訪問時間が大幅に短縮される」とし、交通の利便性が高まる点もあげた。

 サンシティグループはニセコ地域のほか沖縄県宮古島市でもリゾート開発を進めるなど、カジノ以外の施設の拡大を進めている。同社幹部のアルビン・チャウ氏が立ち上げた別の日本法人が和歌山県でカジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)の事業者選定に参加していたが、5月に入札を取り下げた。

 ひらふ地区ではこのほか、香港系の不動産投資会社の卓越国際が、大型宿泊施設の開発を今月下旬から開始。「ニセコマウンテンビレッジ」開発事業として、ひらふ坂近くの約1ヘクタールの用地に6〜7階建てのコンドミニアム3棟と別荘15棟を建設する。

旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 
今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です。

旭川 児童 売春・ハニートxップ帝国!
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇2021/3/26
旭川市東光の中学校教師・畔柳(くろやなぎ)健容疑者(46) 女子高生(17)こどもの日に買春
◇2020/12/2
旭川市立 東鷹栖中学校の教師、丸田文則容疑者(50) ツイッターで知り合った女性(17)買春
◇2020/1/15-
旭川市立永山南中学校の男性教諭(44)が7月に児童買春の容疑で逮捕されたのに続いて、この9月には東鷹栖中学校の男性教諭(50)も同様の容疑で逮捕。
◇2018/4/23
旭川市立北鎮小教諭進藤隆英容疑者(43)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕
◇2021/3/18
児童売春で懲戒免職など道教委4件処分】
【再犯】
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇買春に中3を派遣 鈴商=暴力団員を逮捕
旭川中央署は児童福祉法違反などの疑いで松本豊容疑者(43)と内縁の妻の北野恵美容疑者(29)暴力団員、無職石川斤三容疑者(62)同豊岡五ノ三、同、塗装工荒井孝司容疑者の四人を逮捕した


#173 2021/05/21 02:13
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です

#52 2021/05/19 03:09
産業のない旭川では児童売春は重要な資金稼ぎ。
誰かが児童売春をすれば、その上がりで町全体にお金が回る。

旭川で生まれ育った低所得者の子は、中学入学後売春をするものだと思っていた。
旭川以外で育った子は、親を含めてそんなことは知らない。

被害者が9歳の頃から、お母さんの悪い噂を流し、被害者が中1になると同時に
性奴隷にすべく魔法が近づく。旭川の地元民は、如何によそ者から搾取するかが
重要な収入手段。被害者が自閉症であるから、おごらせるのも当然。

学校でいじめて、追い込んで、性的画像を手に入れて、売春を強要。
校長も教頭も担任も、旭川の人が生きていくための性奴隷を学校で
捕獲調教する必要があるので被害者を助けない。

警察も市役所もみんな性奴隷が必要。旭川全体で隠蔽した。おそらく
被害者以外にも、自殺した子はもともと旭川以外の人ではないだろうか。

つまり旭川の地元の人にとっては、地元で生まれ育った人以外は、搾取する相手。
よそ者いじめがきつい、とネット情報にある。よそ者いじめではなく追い込んで
痛めつけて性奴隷にしたり地元民のために搾取する相手がよそ者。

#27 2021/05/12 10:40
子どもの頃から自分を売って稼ぐのが当たり前だとして育ってたら
周囲もそうだったら何の疑問も持たずできてしまうでしょ
そういう環境が異常だという教育をしないといけないのに、教育者が率先してやってるというのがな

#31 2021/05/20 09:41
今回の旭川でクラス一番かわいい女の子を『自分たちの性の便所』ミッションの成功を物凄く喜ぶ人々多過ぎて怖いくらいです。

旭川では、クラスで一番かわいい女の子を集団で性的玩具にして遊ぶというのは『伝統』です
今はスマホが小学生から持ち歩いているのて
学校カースト上位の児童はカースト下位の女子児童を性的玩具にして みんなで共有して遊んでいます。

そして、一切罪として立憲されないという『成功体験』を旭川の住民は与えてしまいました。
これから街を歩く少しかわいい女子児童すべてターゲット

ワイセツ画像をとり
脅し、集団で暴行
性の奴隷として
動画をみんなで共有

かわいい女の子も
自分は汚れた
将来の楽しい夢や希望は無くなり
加害者の奴隷としてしか生きていけない
自覚し、将来を嘆き
あボーンする

旭川という女子児童を性の奴隷化するという『伝統』は日本のレジェンドとなっていきます。旭川は、児童 rape の『聖地』  
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/203.html

[番外地10] 明治維新、日清・日露戦争、朝鮮併合はすべて英米の指示で行われた 中川隆
1. 中川隆[-14674] koaQ7Jey 2021年12月09日 10:00:50 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[1]
日清・日露戦争、朝鮮併合はすべて英米の指示で行われた
琉球併合から真珠湾攻撃への道を先導した米英の金融資本は今も日本を操る
 言うまでもなく、アメリカとの戦争を始める背景には中国における戦争が泥沼化していたことにある。

 日本の大陸侵略は1894年に勃発した日清戦争から始まったと言えるだろうが、そこへ到達する道を作ったのはイギリスとアメリカだった。イギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、あるいはアメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルたちは日本政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。

 ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して帰国する途中、日本に立ち寄ったが、そのルジャンドルをデロングは日本の外務省に対し、顧問として雇うように推薦する。そして外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。

 1874年に日本は台湾へ派兵、続いて75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始めたわけである。

 朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃と対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃し、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたとされている。その中心にいた三浦梧楼公使はその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 閔妃惨殺の4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。その翌年には事件を処理するために北京議定書が結ばれ、列強は北京郊外に軍隊を駐留させることができるようになった。

 イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本海軍に敗北する。

 そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。

 一連の動きの中で金子堅太郎の果たした役割は大きい。金子は小村と同じようにハーバード大学で法律を学んでいるが、彼らの2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。

 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びつくわけだ。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 当然のことながら、朝鮮側では独立運動が起こる。その拠点になったのが中国吉林省の間島地方だった。そうした事情もあり、日本では中国東北部への支配願望が強まり、1932年の「満州国」樹立につながる。この傀儡国家の矛先はソ連にも向けられていただろうが、それはイギリスやアメリカの金融資本の思惑とも合致していた。

 ところが、その金融資本を震撼させる出来事が1932年にアメリカであった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれたと言われている。大統領として大企業/富裕層を優遇する政策を続け、庶民の怒りを買っていた。その怒りが選挙結果に表れたわけだ。そのフーバーが大統領の任期を終える直前に駐日大使として日本へ送り込んだのがジョセフ・グルー。

 この人物は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 グルーのいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。しかもグルーが結婚していたアリスの曾祖父オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 大統領就任式は1933年3月に予定されていたが、その直前、2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会でルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれる。イタリア系のレンガ職人、ジュゼッペ・ザンガラが32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射したのだ。誰を狙ったか不明だが、当時の状況から次期大統領を狙っていた可能性が高い。

 フランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派の政権が誕生した後、ウォール街の巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。この事実を明らかにしたのは名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたりが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会の改革に協力して欲しいということだったが、訪問の目的を図りかねたバトラーは明確に答えず、口を濁している。

 そのふたりは1カ月後に再びバトラーの家を訪れ、シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請する。必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿に金本位制への復帰を求める文言が含まれていたという。

 後にふたりはバトラーから急かされる形でスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。マーフィは在郷軍人会を創設したメンバーのひとりで、ウォール街で証券会社を経営するほか、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者は、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧し、「スーパー長官」のようなポストを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。

 クーデターの計画を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると宣言する。内戦を覚悟するようにバトラーは警告したのだ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/202.html#c1

[近代史7] この広い野原いっぱい 森山良子(1948年 1月18日 - )
森山良子(1948年 1月18日 - )

この広い野原いっぱい 1967年 1月2日
作詩:小薗江圭子、作曲:森山良子、編曲:服部克久

この広い野原いっぱい - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%93%E3%81%AE%E5%BA%83%E3%81%84%E9%87%8E%E5%8E%9F%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/708.html

[近代史7] 中村泰士(1939年 5月21日 - 2020年12月20日)
中村泰士(1939年 5月21日 - 2020年12月20日)

「喝采」1972年9月10日発売 作詞 吉田旺、作曲 中村泰士

喝采 ちあきなおみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%96%9D%E9%87%87+%E3%81%A1%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%BF


「夜間飛行」1973年6月25日発売 作詞 吉田旺、作曲 中村泰士

夜間飛行 ちあきなおみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%9C%E9%96%93%E9%A3%9B%E8%A1%8C+%E3%81%A1%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%BF



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/709.html

[近代史5] 山へ行こう 中川隆
23. 中川隆[-14672] koaQ7Jey 2021年12月09日 10:25:58 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[3]
【ゆっくり解説】富士登山をなめてしまったF1レーサー。テントごと200メートル落下し...



【ゆっくり解説】今回は元F1レーサーさん、富士山で遭難。同行の男性2人がなくなってしまった事件についてお話ししました。

体力に自信のあるプロアスリートにも山の脅威は降りかかります😫

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/422.html#c23
[近代史7] 浜 圭介(1946年4月8日 - )
浜 圭介(1946年4月8日 - )


「雨の慕情」1980年4月25日発売 阿久悠(作詞)浜圭介(作曲)

雨の慕情 八代亜紀 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9B%A8%E3%81%AE%E6%85%95%E6%83%85+%E5%85%AB%E4%BB%A3%E4%BA%9C%E7%B4%80


『舟唄』 1979年5月25日発売 阿久悠(作詞)浜圭介(作曲)

舟唄 八代亜紀 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%88%9F%E5%94%84+%E5%85%AB%E4%BB%A3%E4%BA%9C%E7%B4%80
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/710.html

[近代史7] 市川昭介(1933年 1月4日 - 2006年 9月26日)
市川昭介(いちかわ しょうすけ、1933年 1月4日 - 2006年 9月26日)

「アンコ椿は恋の花」1964年10月5日発売 星野哲郎(作詞)市川昭介(作曲)

アンコ椿は恋の花 都はるみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E6%A4%BF%E3%81%AF%E6%81%8B%E3%81%AE%E8%8A%B1+%E9%83%BD%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%BF

「涙の連絡船」1965年10月5日発売 関沢新一(作詞)市川昭介(作曲)

涙の連絡船 都はるみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B6%99%E3%81%AE%E9%80%A3%E7%B5%A1%E8%88%B9+%E9%83%BD%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%BF

「好きになった人」1968年9月1日発売 白鳥朝詠(作詞)市川昭介(作曲)

好きになった人 都はるみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA+++%E9%83%BD%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%BF

「大阪しぐれ」1980年2月1日発売 吉岡治(作詞)市川昭介(作曲)斉藤恒夫(編曲)

大阪しぐれ 都はるみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%81%97%E3%81%90%E3%82%8C+++%E9%83%BD%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%BF

「夫婦坂」 1984年9月30日発売 星野哲郎(作詞)市川昭介(作曲)斉藤恒夫(編曲)

夫婦坂 都はるみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%9D%82+++%E9%83%BD%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%BF
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/711.html

[近代史7] 浜 圭介(1946年4月8日 - ) 中川隆
1. 中川隆[-14671] koaQ7Jey 2021年12月09日 11:10:59 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[4]
「終着駅」1971年12月25日発売 千家和也(作詞)浜圭介(作曲)


終着駅 奥村チヨ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%B5%82%E7%9D%80%E9%A7%85+%E5%A5%A5%E6%9D%91%E3%83%81%E3%83%A8
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/710.html#c1

[近代史7] 鈴木邦彦(1938年3月1日 - )
鈴木邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )


『恋の奴隷』1969年6月1日発売 なかにし礼(作詞)鈴木邦彦(作曲)

恋の奴隷 奥村チヨ - YouTube
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『恋泥棒』 なかにし礼(作詞)鈴木邦彦(作曲)

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『恋狂い』 なかにし礼(作詞)鈴木邦彦(作曲)

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[近代史7] 宮川 泰(1931年3月18日 - 2006年3月21日)
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)


「逢いたくて逢いたくて」 リリース 1966年1月 作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰 編曲:森岡賢一郎

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何も云わないで 作詞:安井かずみ 作曲編曲:宮川泰

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愛は惜しみなく 川内康範作詞 宮川泰作曲 森岡賢一郎編曲

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[近代史7] 日本民謡
日本民謡
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[近代史7] 五木の子守唄

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五木の子守唄(いつきのこもりうた)は、熊本県球磨郡五木村に伝わる子守唄である。熊本県球磨(くま)郡五木村一帯に伝わった子守唄。子守唄には子守女がみずからの貧しく恵まれない薄幸な境遇(年貢代わりに働かされる)を嘆き、悲しい日々の生活心情を基盤に,この種の子守唄は伝承されてきている。第2次大戦後レコードに吹き込まれてから大流行したが,地元のものとはやや曲節の違ったものになっている。現在では熊本県を代表する民謡としても知られる。

子守唄と守り子歌
日本の民謡や童歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の子守唄(子供を寝かしつけるための歌)と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあるといわれており、五木の子守唄は、守り子唄のひとつである。

守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌である。かつて子守の少女たちは、家が貧しいために、「口減らし」のために、預けられることが多かったという。

歌詞には「おどま勧進勧進」という言葉が出てくる。

「おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ よかしゃ よかおび よかきもん 」
ここに出てくる「かんじん」とは、「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」となる。

伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。娘たちも10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである。

正調とお座敷唄
現在一般に「五木の子守唄」として知られているメロディーは、戦後に古関裕而が採譜し、民謡歌手の音丸によって初めてレコーディングされたものである。1953年にキングレコードの日本調歌手照菊が吹き込み大ヒットさせたことで、一般的に知られることとなった。この曲調は、お座敷唄と呼ばれる、芸妓が酒席などで歌っているものである。

正調の歌は、五木村在住の堂坂よし子歌唱のものが、CDとして発売されており、五木村公式ホームページ内でも聴くことができるが、子供の背中を軽くたたきながら、語りかけるように唄うもので、楽譜ではとても書き表せない。

お座敷唄・正調の歌の他にも、五木村ではいろいろな歌詞の子守唄が古老らによって伝承されている。村などがそれらの唄の採集に力を入れており、外部リンクの「五木の子守唄の歌詞いろいろその2」は人吉高等学校五木分校の高校生たちが聞き取り調査を行ったものである。

歌詞

お座敷唄

おどま盆ぎり盆ぎり

盆から先きゃおらんと 

盆が早よ来るりゃ 早よもどる


おどま勧進勧進[1] 

あん人たちゃよか衆

よか衆ゃよか帯 よか着物


おどんがうっ死んだちゅうて   

誰が泣いてくりょか   

うらの松山 蝉が鳴く


おどんがうっ死んだら   

道端ちゃいけろ   

通る人ごち 花あぎゅう


花は何んの花  

つんつん椿

水は天から もらい水


正調・五木の子守唄

おどまいやいや

泣く子の守りにゃ

泣くといわれて憎まれる

泣くといわれて憎まれる


ねんねした子の

かわいさむぞさ

起きて泣く子の面憎さ

起きて泣く子の面憎さ


ねんねいっぺんゆうて

眠らぬ奴は

頭たたいて尻ねずむ

頭たたいて尻ねずむ


おどんがお父つぁんな

あん山ゃおらす

おらすともえば行こごたる

おらすともえば行こごたる

前述の通り、これらの歌詞以外にも様々な歌詞が現代まで伝わっているが、節回しや音階等は共通したものである。
いくつかの謎
この子守唄には、いくつかの謎が提起されている。

発見者
この歌が日本を代表する子守唄になる前に、この歌は1930年に、田辺隆太郎(人吉市の小学校教師)によってはじめて発見されて、採譜、編集されたといわれている。 しかし、この歌は当時すでに五木村では歌われなくなっており、どのようにして発見されたかは謎とされる。


元歌
五木の子守唄は伝承者により様々な歌詞が伝えられており、どの歌詞が元歌かはっきりしていない。 似た内容の歌詞が、五木だけではなく熊本県の他地域にも散見されている。


その他
デュオ歌手、ザ・ピーナッツがこの歌を歌唱した。1970年に発表され、ザ・ピーナッツのレコード「お国自慢だ!ピーナッツ」に収録された。
本作は差別を奨励しているわけではなく被差別側の苦悩する生を主題としている。しかし、歌詞にある「勧進」という言葉は「流浪の被差別民」という意味を持つため[3]、被差別部落を扱った歌としてテレビ放送を禁止された竹田の子守唄と同様の扱いとされていた[4]。1983年に最後の改訂が行われた要注意歌謡曲指定制度では指定されていない。具体的な指定状況は不明である[5][6]。


関連作品
福連木の子守唄 - 天草郡天草町福連木(ふくれぎ・現天草市)に伝わる子守唄。五木の子守唄と発生の由来や歌詞などがよく似ており、こちらの方が最初に発生したという説もある。
美空ひばりの『哀愁波止場』に、この歌の一部が使われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%9C%A8%E3%81%AE%E5%AD%90%E5%AE%88%E5%94%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/715.html

[近代史7] 五木の子守唄 中川隆
1. 中川隆[-14670] koaQ7Jey 2021年12月09日 12:02:10 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[5]
五木の子守唄 山口淑子(李香蘭)




(1)おどま盆ぎり盆ぎり
  盆から先ゃおらんと
  盆がはよくりゃはよもどる
 
(2)おどまかんじんかんじん
  あん人たちゃよか衆
  よか衆よか帯 よか着物
 
(3)おどんがうっ死んだちゅうて
  誰が泣てくりゅうか
  うらの松山蝉が鳴く
 
(4)おどんがうっ死んだら
  道ばちゃいけろ
  通る人ごち花あぎゅう

(5)花はなんの花
  つんつん椿
水は天からもらい水

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/715.html#c1
[近代史7] 五木の子守唄 中川隆
2. 中川隆[-14669] koaQ7Jey 2021年12月09日 12:03:24 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[6]
五木の子守唄 (歌詞つき) 鮫島有美子




熊本県民謡、採譜・編曲:古関裕而
1 おどま盆ぎり盆ぎり
  盆から先ゃおらんと
  盆が早(はよ)くりゃ早もどる
2 おどまかんじんかんじん
  あん人たちゃよか衆(し)
  よか衆よか帯 よか着物(きもん)
3 おどんがうっ死(ち)んちゅうて
  誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか
  裏の松山蝉が鳴く
4 蝉じゃごんせぬ
  妹(いもと)でござる
  妹泣くなよ 気にかかる
5 おどんがうっ死んだら
  道ばちゃいけろ
  通る人ごち花あぎゅう
6 花はなんの花
  つんつん椿
  水は天からもらい水

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/715.html#c2
[近代史7] 五木の子守唄 中川隆
3. 中川隆[-14668] koaQ7Jey 2021年12月09日 12:05:57 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[7]
石川さゆり  五木の子守唄



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/715.html#c3
[近代史7] 五木の子守唄 中川隆
4. 中川隆[-14667] koaQ7Jey 2021年12月09日 12:25:37 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[8]
森山良子 五木の子守唄



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/715.html#c4
[近代史7] 竹田の子守唄
竹田の子守唄 - YouTube
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▲△▽▼


竹田の子守唄とは、京都府の民謡、およびそれを基にしたポピュラー音楽の歌曲である。赤い鳥をはじめ、日本のフォーク、ロック歌手たちによって数多く演奏されている。

複数の被差別部落に伝わる子供の労働歌であり、題名に「子守唄」とあるが正しくは「守り子唄」であり、子供を寝かしつけるのではなく、部落出身で子守として奉公に出され、学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われている[1]。

明治時代中期の発祥とされるが、題名にある京都市伏見区竹田地区の住民が実際に唄っていたのは、昭和初期に10代だった世代までであった[2]。

唄が広まる経緯
1964年12月[3][4](または1965年1月)、東京芸術座が公演した労演主催の舞台作品である住井すゑ原作の『橋のない川』で、尾上和彦が多泉和人(おおいずみ かずと)のペンネームで音楽を手掛けることになり、主題に即した曲を使おうとしたが[5]、尾上は部落問題を肌で感じることができておらず、実感を得るため、別の仕事で訪れたことのあった被差別部落の一つの京都市伏見区竹田地区にある部落解放同盟の合唱団「はだしの子」メンバーの1人の母親から、情緒たっぷりどころかカラっと明るく唄って教えてもらった民謡を編曲して使ったものである[6][7]。

尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったため『竹田の子守唄』とされたが、それ以前は題名が付いていなかった[8]。きちんとした楽譜もなく、1番と2番でテンポも違った唄は、子守り奉公で苦労する中にも強く暖かい人間性を内在させ、『赤いサラファン』に共通する部分も感じられ、聞かせてもらった女性の唄を尾上が解体してつくったのが今日に知られる旋律である[9]。唄の後半に『ロンドンデリーの歌』のような、非常に豊かな音の広がりも加えた4分の2拍子で書き上げたが、発表後に複数の関西の研究者が「この唄は自分で採譜した」と主張、これについて尾上は、唄を聞かせた女性はその後は人前で披露することはなく、彼女の唄は発表されたものよりテンポが速い16分音符でなければならないと否定している[10]。

それが合唱団のレパートリーとなったことで、当時のフォークソングの歌手たちにも広まり、その一人が後の赤い鳥の後藤悦治郎であった[11]。後藤は、関西フォークの定例コンサート「大阪労音例会」で、大塚孝彦と高田恭子のデュエットが歌唱しているのを聴き、本作を初めて知って感銘を受ける[12]。

後藤はフーツエミールというグループのリーダーだったが、レパートリーが英語の歌ばかりなことに不満を抱いており、後藤はこの曲に触れたことでフーツエミールを解散し[12]、赤い鳥を新結成するに至る[13]。赤い鳥の結成時は持ち歌が他に『カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー』しかなかったが、後藤は本作の練習には力を入れるほど心から惚れ込み、デビュー作としてシングルレコードを発売、結成7か月後の1969年11月の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで本作を歌唱してグランプリを飾った[13]。

フォークシンガーたちに広まる前に歌唱していた合唱団「麦」では、唄が被差別部落のものであると紹介していたが、フォーク界に広まるにつれて「竹田」の正しい読み方や唄の出所はわからなくなっていった[14]。赤い鳥も当初は唄の由来や意味も理解しておらず、題名の地名も大分県竹田市のことだと思っていた[15]。

替え歌『人生』
赤い鳥のメジャーデビュー曲『人生』(山上路夫作詞、大野雄二編曲、アルバム版では『JINSEI』)は『竹田の子守唄』の替え歌であった[16]。旋律や新居潤子の声もよくコーラスも素朴だったが、元唄の歌詞では時代に関係なく意味がわかりにくいという判断から、山上に作詞を依頼して替え歌とされた[17]。

『人生』のシングルについては「赤い花白い花#赤い鳥版」を参照
後藤は『人生』の歌詞で歌うことに拒否感があった上、結局それで発売したもののヒットしなかったため「自分のやりたいことをやらせてほしい」と強く要望し、シングル『竹田の子守唄』と『翼をください』を制作した[18]。東芝レコードのディレクター新田和長の判断で、元唄の歌詞のまま発売したところヒットした[19]。

藤田正は「『人生』の歌詞は、私には人生の見方が多少わかっているという驕りを後半に漂わせ、当時のフォークシンガーたちの青臭さや説教臭さを見抜いて批判した、山上によるフォークパロディだが[17]、『人生』にはオーラがなく『竹田の子守唄』は歌詞の意味はわからなくても圧倒的迫力があるのは明白で、旋律と歌詞は切っても切り離せない関係の唄だ」と指摘している[20]。

1997年発売のCD再発版には『人生』は「制作上の都合」とあるだけで理由不明のまま未収録となった[21]。オリジナル版の制作に携わった村井邦彦は「1997年版の制作に関わっていないため事情は知らないが、過去にも複数回収録していて抗議を受けたことはない」と話した[21]。

唄を取り巻く状況
『人生』をJASRACに登録する際には、作者不詳として申請するように言われたが、すでに他の人も唄っているのに無視することはできず、後藤は「作者がいるはずだ」と、高校時代のクラスメイトの橋本正樹とともに唄の「起源」を探ることにした[18]。

赤い鳥が本作を唄うたびに「竹田」とはどこかと尋ねられても濁していたこともあり、後藤と橋本は1971年4月から唄の発祥を探し始めた[22]。歌詞に「雪」があるため大分県竹田市ではなく、「よう泣く」の「よう」があるのは関西ではないかと考え、伏見か兵庫県氷上郡市島町の竹田かもしれないと見当をつけた[22]。探し続けて2か月が経った後、ある女性から歌詞の「在所」は京都では未解放部落を指すと教えられ、橋本は「大きな楔を打ち込まれたように言動が止まった」と感じ、それから1970年出版の『京都の民謡』(音楽之友社)に本作が京都市伏見区竹田の唄だと明記されていることを知って確信した[23]。

橋本が探し当てた事実を知らされた後藤は、今まで知らなかった「久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし またも竹田のもんば飯」の歌詞を入れて唄うことを決意し、最初に歌唱したのは1971年9月の毎日放送の深夜番組だった[24]。1971年12月発売のアルバム『スタジオ・ライブ』で「久世の大根めし…」の歌詞を入れた本作を赤い鳥としては初めて収録した[25]。

1971年2月5日にシングル・カット、A面に本作、B面に『翼をください』を収録し、3年間でミリオンセラーとなったが、歌詞の「在所」が被差別部落を意味し、それ絡みの楽曲と知った放送局は慌てて自主規制をかけた[26][27][28]。人気だった赤い鳥に対し、放送局から理由を告げずに「歌唱曲から外してほしい」と複数回の要請がなされた[29]。またレコード会社も動揺し、採譜者が編曲著作権を主張したこともあってレコーディングが避けられるようになり、長い間いわゆる「放送禁止歌」として聴く機会が減少した[30]。

背景には1970年の映画『橋のない川』第二部上映をめぐる騒動や[31]、1974年の八鹿高校事件[32]などもあり、1975年5月開催の「用語と差別を考えるシンポジウム」では、マスコミだけでなくドラマや落語などで「これでは物が言えなくなる」と指摘されるようになった[33]。同年11月には部落地名総鑑事件が発生し、被差別部落の地名がどのような理由で使われようとも、部落解放同盟朝田派が差別だと言えばそう断定される状況が生まれたとして、本作にも部落の地名や「在所」の語があることから放送禁止になったことは否定できず、こうした出来事が同和タブーを形成した社会構造を浮かび上がらせるものであろうと、全国地域人権運動総連合竹田深草支部執行委員は批判している[33]。

要注意歌謡曲指定制度には指定されてはいなかったとされ[34]、2002年に大阪で開催された人権集会ではNHKの人権問題に熱心なベテラン局員は、過去に同局で放送禁止に指定されたことはなく、後藤もNHKからそういった扱いは受けなかったとしている[35]。森達也が入手した1986年のフジテレビ番組考査部の議事録とみられる文書には「部落解放同盟の見解として『唄が作られ唄われた理由や背景をよく理解してくれるなら放送可能』とされたが、実際に理解することは不可能なので現実的には放送できない」旨が書かれており[36]、放送禁止歌であるとの認識を既成事実としたメディアもあった[37]。森は「唄の意味を理解することはそう難しくないはずだが、あっさりと不可能と結論付け、理解することとは何なのかすら思考していないことが文からは汲み取れ、『理解する』の主語を視聴者に置き換えても結論としてはあまりにも早計だ」と批判した[38]。

また森は、かつて教科書に本作を掲載していた複数の出版社に取材したところ、各社とも対応は慎重で匿名を条件に取材に応じ「部落問題も理由の一つだが、他にも掲載されなくなった作品は多数あるため、断定するのは差別をまた生み出してしまう」「とにかく非常にナイーブな問題だ」と捉えていることが共通しており、旋律のみを掲載している一社からは、歌詞がない理由を何度尋ねても「旋律だけでも十分に素晴らしい曲だと判断した」と要領を得ない答えしか返ってこなかったという[39]。

「部落解放同盟から抗議があったため放送しなくなった」とも噂されたがそのような事実はなく、部落解放同盟京都府連や竹田地区の解放同盟の者は、長らく放送禁止になったことすら知らず、中には竹田地区の唄であることさえ知らない者もいた[40]。だが、元の旋律と歌詞とは大きく違う唄として広まったことに竹田地区の住民はかなり困惑し、赤い鳥のメンバーもヒットしてから被差別部落の唄という事実を知ったことで動揺した[27]。

元唄には「もんば飯」という歌詞があり、もんばはおから、飯は精米の際に出る破片をかき集めた小米で、それを部落内で食べていることを意味する歌詞であり、尾上の前で唄った女性は鹿の子絞り仲間から「寝た子を起こすようなことをして」と責められ、女性は「竹田の恥をさらした」と後悔していた[41][42]。

1972年1月に京都勤労会館で開催したフォークコンサートに赤い鳥が出演した際、橋本は先述の『京都の民謡』を編纂した日本音楽研究会メンバーでもあった尾上と知り合い、彼に唄を教えた女性を息子経由で連れてきてもらった[43]。しかし彼女からは「久世の大根めし…」の箇所は唄わないでほしいと懇願され、周りで「あの唄は誰が教えたのか」と言う人がいることや、「昔もいつもそういう食事をしていたわけではない。どうして今になって部落の食生活を唄う必要があるのか。歌詞で竹田だけでなく他の部落の場所もわかってしまう」と、唄ったことを後悔していると告げ、自分の生まれを晒すことをはばかる世代の人間であった[43]。後藤は唄を伝承している女性の名前でJASRACに登録したかったが、それも断られた[43]。

女性の言葉により腰が引けた他の赤い鳥メンバーから後藤は非難され、女性を苦しめるわけにはいかず、彼女の息子たちと話し合った結果「勇気をもって唄っていってほしい。自分も応援する」と言われたため今後も唄い続けることにしたものの、「若さゆえに突っ張って生きていたことで人を苦しめてしまった」と後藤は半分後悔した[44]。尾上も問題とされた箇所の歌詞の削除を求められたことがあり、また元唄と旋律が違うとしてJASRACに本作の補作者として登録してもらおうと申請したが却下された[45]。当時のJASRACは民謡を十把一絡げにしており、著作者として登録する考えがまだなかった[45]。

しかし一方で、1971年の赤い鳥の京都公演で本作の歌唱を聴いたその伝承者の女性は「ええかったがナァ」と感想を述べている[42]。

1974年に赤い鳥は解散するが、本作だけが理由でないにしろ、若いメンバーたちに「歌うとは何か」という大きな問題を突きつけた[29]。その後、放送局やレコード会社による自主規制は1990年代に緩和され、多くの歌手によってカバーされている[30]。

伏見区で定期的に開催されている「ふしみ人権の集い」で、2001年に竹田地区の住民が本作を初めて歌唱し、以降も集いでは唄われている[46]。これが報道されることに対し、「現代ではほぼ解決状態の部落問題を、今も残る深刻な差別としてマスメディアで宣伝し[47]、唄を政治的に利用している」という批判も上がっている[48]。

旋律
通常、日本の民謡のほとんどは旋律の頂点が前半にあり、子守唄は子供を寝かせるために大半が前半に頂点が存在する[49]。本作の元唄も同じだが、尾上による旋律は後半頂点型であるため、子供は興奮して寝ることができない[49]。尾上は自らの辛さを心に押し止めておかず、外に向けて主張できるように前向きなものを音として上げ、歌唱した若者たちの中にも同じ主張があったろうとしている[42]。

尾上による旋律は、元唄の四度音程が有する力強さを意識し、後半部の処理にも「ソ・レ」という四度上昇が使われた結果、低い方の旋律から「ラ・レ・ソ」の完全四度を二重にした核音配置になっている[50]。それに対して主に京都のフォークグループは、耳から聴いた赤い鳥のような変唱のように歌唱したことで、四度音程が短三度に短縮されたり半拍遅れたことで力強さはなくなったが滑らかな旋律になり、より関西民謡らしくなったと右田伊佐雄は指摘した[50]。フォークグループでは無意識にそう唄ったとされるが、右田は聴いた四度音程をアウトプットした際に自然と短三度にならざるを得なかったのは、強調された四度の上昇下降は関西民謡では少なく、元唄は数少ない四度飛躍の一作で、関西出身の尾上は希少価値を評したが、同じ関西出身でも他のフォークループはよくある関西民謡に近付けてしまったためとしている[51]。

歌詞
各地に様々な歌詞が伝わるが、大きく分けて、広く唄われる歌詞と、元唄の歌詞がある。広く知られた歌詞の「盆がきたとて なにうれしかろ 帷子はなし 帯はなし」は愛知県の子守唄からとられ、高石ともやが『日本の子守唄』(松永伍一、紀伊國屋書店)で見つけた歌詞を入れて唄ったものである[52][53]。藤田正は、愛知県の歌詞を入れたことで本作の特異性は際立ったが、唄の多様性を見えにくくしてしまった面もあると指摘している[54]。


解釈
「はよもいきたや この在所越えて むこうに見えるは 親のうち」の歌詞は、少女が早く「在所」を越えて、向こうに見える親の家に帰りたいという意味になり、つまり一般地区に少女の自宅があり、一般民である彼女が部落内で子守の奉公をしているという、時代背景的に不自然な歌詞に見える[55]。他地域の部落にも同様の歌詞が伝わっているが、「在所」は一般地区を指すこともあり意味が逆転するという説[35][56]、部落内の富裕層が貧しい家に守り子を頼む習慣があり、そういった少女が赤子をあやしながら部落外に出て振り返ったときの心情とする説もあるが[57]、それでは唄の持つ広がりや望郷の思いが狭まる上、元唄にある病に臥せった父親を案じるニュアンスも変わってしまう[58]。それに対し、歌詞の整合性を気にすることに大きな意味はなく、それよりも浮かんでくる情景にそれぞれの心情風景を重ねることで十分だとする意見もある[59]。

なお、今井正版の映画『橋のない川』(1969年公開) では「穢多とちがう在所者」という台詞があり、明治天皇崩御の時期の奈良県の小森部落での用法という前提ではあるが、明確に被差別部落に対置する「良民」の居住地区として「在所」の語を用いている。

先述のように、被差別部落を意味する言葉があるため放送されなくなったものの、森達也はそれだけでも短絡的で論外であり、在所が部落でも部落外を意味していてもかまわないが、仮に部落外を指すなら放送禁止の根拠の論外さすら意味を失うとして、文法的矛盾に気付くことは誰でも可能で難しい理屈でもなく、誰も考察したり見つめ直すこともなく、メディアも何をやってきたのかと批判している[60]。

藤田正は「(唄が)愛情をもって温かく検証されることなくメディアから締め出された」と言い[61]、1970年代に毎日放送ラジオの若手ディレクターで後に同局幹部となった社員は「個人的には大好きな唄だった。あのとき情報を鵜呑みにしないでちゃんと検証していれば、教科書に載るような名曲として今も歌い継がれていただろう」と後悔の発言をしている[62]。

元唄で繰り返しある「どうしたいこりゃ、きこえたか」は竹田でしか見られない言葉遣いで、暑さ寒さ関係なく子の世話をしなくてはならない守り子たちの、社会や親に対する批判を表すとされる[63]。

広く唄われているもの
守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし

盆がきたとて なにうれしかろ
帷子はなし 帯はなし

この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら

はよもいきたや この在所越えて
むこうに見えるは 親のうち

1番
子守も自分が子供の頃は、楽しいお盆休みがあったけど、それもない。
お盆が過ぎると秋が深まり、雪がちらつき寒くなって、子供が泣きます。

2番
子供の頃楽しかったお盆休みが来ても、何もうれしくはない。
きれいに着飾る服もない。

3番
この子はよく泣いて、子守の私をいじめます。
奉公先の親から叱られないかと心配で、やせる思いです。

4番
早く奉公の期間を終えて、奉公しているこの場所から、親の住む家に帰りたい。
向こうに見えるのは親の家なのに、こんなに近くても帰れない。
元唄
出典は森達也『放送禁止歌』光文社知恵の森文庫、2003年 198-199頁

この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
どしたいこりゃ きこえたか

ねんねしてくれ 背中の上で
守りも楽なし 子も楽な
どうしたいこりゃ きこえたか

ねんねしてくれ おやすみなされ
親の御飯が すむまでは
どうしたいこりゃ きこえたか

ないてくれよな 背中の上で
守りがどんなと 思われる
どうしたいこりゃ きこえたか

この子ようなく 守りしょというたか
泣かぬ子でさえ 守りやいやや
どうしたいこりゃ きこえたか

寺の坊さん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる
どうしたいこりゃ きこえたか

守りが憎いとて 破れ傘きせて
かわいがる子に 雨やかかる
どうしたいこりゃ きこえたか

来いよ来いよと こま物売りに
来たら見もする 買いもする
どうしたいこりゃ きこえたか

久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし
またも竹田の もんば飯
どうしたいこりゃ きこえたか

足が冷たい 足袋買うておくれ
お父さん帰ったら 買うてはかす
どうしたいこりゃ きこえたか

カラス鳴く声 わしゃ気にかかる
お父さん病気で 寝てござる
どうしたいこりゃ きこえたか

盆が来たかて 正月が来たて
難儀な親もちゃ うれしない
どうしたいこりゃ きこえたか

見ても見飽きぬ お月とお日と
立てた鏡と わが親と
どうしたいこりゃ きこえたか

早よもいにたい あの在所こえて
向こうに見えるは 親のうち
どうしたいこりゃ きこえたか

録音した歌手、音楽家
1974年12月 - 1975年1月には、NHKの『みんなのうた』でペドロ&カプリシャスによって唄われたこともある(編曲はヘンリー広瀬)[65]。唄は大幅にアレンジされ、2番の歌詞とコーダ部分が省略された。同時期放送の『北風小僧の寒太郎』が何度も再放送され、また他の楽曲[注釈 1]も再放送されたが、本曲の再放送は1981年9月23日にNHK総合テレビで放送された特別番組『みんなのうた20年』で放送された(4番以外)のみで、定時番組での放送は長期にわたって行われなかったものの、2015年10月-11月にラジオのみで41年振りに再放送された。

高田恭子 - デビュー前の1967年、「大塚孝彦と彼のグループ」名義の自主製作盤でこの曲の最初の録音を残した。
オフコース - 『秋ゆく街で』に収録[66]。
ジローズ - 『ジローズ登場 戦争を知らない子供たち』に収録[67]。
あべ静江 - 『突然の愛』に収録。
デューク・エイセス
橋真梨子
江利チエミ
吉岡忍 - 『BREITH』に収録。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット - ロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」の別動チンドン楽団震災被災地慰問ライヴの中、同曲をカバーしているが(アルバム『アジール・チンドン』に収録[68])、のちに彼らは、竹田地区の人々との交流により二つの元唄ヴァージョン(『竹田こいこい節』『竹田の子守唄(元唄)』)をレコーディング、アルバム『デラシネ・チンドン』に収録した[69]。また、ソウル・フラワー・ウィズ・ドーナル・ラニー・バンドとして『マージナル・ムーン』にも収録[70]。
犬神サアカス團 - 『フォーエバー・ヤング〜トリビュート・トゥ・グレート・フォーク・ソングス〜』に収録[71]。
勝田友彰 - 『ウチュウノウサギ』に収録。
花*花 - 『コモリウタ』に収録[72]。
諌山実生 - 『ハナコトバ〜花心詩〜』に収録[73]。
天童よしみ - 『美しい昔』に収録[74]。
鈴木早智子(Winkのメンバー)- 『零〜re-generation〜』に収録。
新垣勉 - 『日本を歌う』に収録[75]。
宇崎竜童 - 『ブルースで死にな』に収録[76]。
友納真緒 - 『LIBRA』にインストゥルメンタルとして収録。
INSPi - 『日本のココロ歌』に収録[77]。
伊藤咲子
梅若晶子 - 『心から歌へ 梅若梅朝・晶子の民謡』に収録。
rain book
朝崎郁恵 - 『おぼくり』[78]、『かなしゃ 愛の歌』[79]に収録。
平林龍
一青窈 - 『歌窈曲』に収録[80]。
由紀さおり
民謡ガールズ - 『民謡ガールズ』に収録[81]。
井上あずみ
研ナオコ - 阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の『弥生』で曲中に引用。
五十嵐はるみ - 『ユー・メイク・ヒストリー』の題名でゴスペルジャズにアレンジ[82]。
EPO - 『UVA〜MADURA Side』に収録。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E3%81%AE%E5%AD%90%E5%AE%88%E5%94%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/716.html

[近代史7] ジーン・ラスキン (September 5, 1909 – June 7, 2004) 悲しき天使 Those Were the Days
Gene Raskin (Bronx, New York, September 5, 1909 – Manhattan, New York, June 7, 2004)


THOSE WERE THE DAYS MARY HOPKIN



THOSE WERE THE DAYS MARY HOPKIN


Once upon a time, there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours,
Think of all the great things we would do


Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way


Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di


Then, the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If, by chance, I'd see you in the tavern,
We'd smile at one another and we'd say


Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days


Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di


Just tonight, I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass, I saw a strange reflection
Was that lonely woman really me?


Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days


Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di


Through the door, there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh, my friend, we're older but no wiser
For in our hearts, the dreams are still the same


Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days


Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di


La la la la la la
La la la la la la
La la la la la la



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/717.html

[近代史7] ジーン・ラスキン (September 5, 1909 – June 7, 2004) 悲しき天使 Those Were the Days 中川隆
1. 中川隆[-14666] koaQ7Jey 2021年12月09日 12:53:52 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[9]
Those Were The Days _ リリアン・ギッシュが独身を通した理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/487.html

メリー・ホプキン 悲しき天使 Those Were the Days
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/391.html

天上の歌声 _ メリー・ホプキン
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/488.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/717.html#c1

[近代史7] 「津軽海峡・冬景色」三木 たかし (1945年 1月12日 - 2009年 5月11日 ) 中川隆
1. 中川隆[-14665] koaQ7Jey 2021年12月09日 13:27:16 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[10]
「みずいろの手紙」1973年9月25日発売 阿久悠(作詞)三木たかし(作曲)

あべ静江 みずいろの手紙 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%82%E3%81%B9%E9%9D%99%E6%B1%9F+%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/698.html#c1

[近代史7] 「津軽海峡・冬景色」三木 たかし (1945年 1月12日 - 2009年 5月11日 ) 中川隆
2. 中川隆[-14664] koaQ7Jey 2021年12月09日 13:30:58 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[11]
「コーヒーショップで」 1973年5月25日発売 阿久悠(作詞)三木たかし(作曲)馬飼野俊一(編曲)


コーヒーショップで あべ静江 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%A7+++%E3%81%82%E3%81%B9%E9%9D%99%E6%B1%9F
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/698.html#c2

[近代史7] 「魅せられて」筒美 京平(1940年 5月28日 - 2020年10月7日) 中川隆
1. 中川隆[-14663] koaQ7Jey 2021年12月09日 14:23:53 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[12]
「ブルー・ライト・ヨコハマ」1968年12月25日リリース 橋本淳(作詞)筒美京平(作曲)

ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%B3%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%80%80%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%A0%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/699.html#c1

[近代史7] 中島みゆき 中川隆
1. 中川隆[-14662] koaQ7Jey 2021年12月09日 15:01:45 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[13]
「春なのに」1983年1月11日発売 中島みゆき(作詞・作曲)


春なのに 柏原芳恵 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%98%A5%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AB++%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/645.html#c1

[近代史7] 谷村新司 中川隆
2. 中川隆[-14660] koaQ7Jey 2021年12月09日 15:10:22 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[15]
美空ひばり - 昴(すばる) LIVE (中/日歌詞字幕)




美空雲雀 40周年紀念(1987年)
※可選擇日文歌詞/中文翻譯/無字幕觀賞※

昴(すばる) 詞曲:谷村新司

目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕け散る 宿命の星たちよ 
せめて密やかに この身を照らせよ

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
ああ さんざめく 名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

ああ いつの日か 誰かがこの道を
ああ いつの日か 誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/648.html#c2
[近代史7] 「王将」 船村 徹(1932年 6月12日 - 2017年 2月16日)
船村 徹(1932年 6月12日 - 2017年 2月16日)


「王将」1961年11月リリース 西條八十作詞・船村徹作曲


王将 村田英雄 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%8E%8B%E5%B0%86++%E6%9D%91%E7%94%B0%E8%8B%B1%E9%9B%84


王将 美空ひばり - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%8E%8B%E5%B0%86++%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/718.html

[近代史7] 悲しい酒 古賀政男(1904年11月18日 - 1978年 7月25日) 中川隆
2. 中川隆[-14659] koaQ7Jey 2021年12月09日 15:22:23 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[16]
「柔」(やわら)1964年11月20日 関沢新一(作詞)古賀政男(作曲)


柔 美空ひばり - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9F%94++%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/702.html#c2

[近代史7] 悲しい酒 古賀政男(1904年11月18日 - 1978年 7月25日) 中川隆
3. 中川隆[-14658] koaQ7Jey 2021年12月09日 15:31:28 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[17]
「無法松の一生」1958年7月 吉野夫二郎(作詞) 古賀政男(作曲)


無法松の一生 村田英雄 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%84%A1%E6%B3%95%E6%9D%BE%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F++%E6%9D%91%E7%94%B0%E8%8B%B1%E9%9B%84

無法松の一生 美空ひばり - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%84%A1%E6%B3%95%E6%9D%BE%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F++%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/702.html#c3

[近代史7] 軍歌 露営の唄 古関裕而(1909年 8月11日 - 1989年 8月18日)
古関裕而(こせき ゆうじ、 1909年 8月11日 - 1989年 8月18日)


露営の唄 1937年 9月発売 作詞 籔内喜一郎 作曲 古関裕而 編曲 奥山貞吉


露営の唄 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9C%B2%E5%96%B6%E3%81%AE%E5%94%84
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/719.html

[近代史7] 軍歌 露営の唄 古関裕而(1909年 8月11日 - 1989年 8月18日) 中川隆
1. 中川隆[-14657] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:16:15 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[18]
古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年〈明治42年〉8月11日 - 1989年〈平成元年〉8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治(読み同じ)。妻は声楽家で詩人の古関金子。

気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。生涯で5千に及ぶ曲を作曲したとされる。


福島に生まれ、幼少期より音楽と作曲活動に親しみ、青年期には金須嘉之進に師事。1929年に国際現代音楽協会主催現代音楽祭作品公募のイギリス支部推薦作品として、自身の作品がノミネート。これを日本の新聞で「チェスター社主催作品公募入選二等」と報道されてしまったことをきっかけとし、それを機会に山田耕筰の推挙で東京の楽壇に進出。クラシック畑からポピュラー畑に転身、数多くの流行歌・歌謡曲や映画音楽、軍歌の作曲を手掛け、音丸の「船頭可愛や」、中野忠晴・伊藤久男らの「露営の歌[2]」、伊藤久男の「暁に祈る」、霧島昇・波平暁男の「若鷲の歌」などを発表した。戦後は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」や、二葉あき子の「フランチェスカの鐘」、藤山一郎の「長崎の鐘」、伊藤久男の「イヨマンテの夜」、織井茂子の「君の名は」、岡本敦郎の「高原列車は行く」ほか、数多くの大ヒット曲を生み出した。

他方で、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」、東京農業大学応援歌「カレッジソング」、名城大学応援歌「真澄の空に」、三重県立四日市高等学校応援歌「希望の門」、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)」、読売ジャイアンツの球団歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」、中日ドラゴンズの初代球団歌「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」、東京五輪の選手団入場行進曲「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」など、応援歌、行進曲の分野でも数多の作曲を手がけ、和製スーザと呼ばれた。巨人、阪神は試合が伝統の一戦と呼ばれる間柄だが、古関本人はスポーツが苦手で、プロ野球にもあまり興味がなかったため、球団関係を気にすることなく作曲を引き受けた[3]。

また、母校である福島商業高等学校の校歌「若きこころ」を始め、北海道から九州に渡る多数の学校で校歌を作曲している[4]。

楽器を一切使わずに頭の中だけで作曲を行い、繁忙期には同時に3つの曲を作っていたといわれる[5][6]。


生涯

幼少期
福島県福島市大町にあった老舗呉服店「喜多三(きたさん)」の8代目当主だった父・古関三郎次[7]と母・ヒサの長男として誕生。なかなか子供ができず養子をもらおうかと思っていたところに誕生したため、両親から溺愛された[8]。父親が音楽好きで、大正時代ではまだ珍しかった蓄音機を購入し、いつもレコードをかけていた。古関は幼少の頃から音楽の中で育ち、ほとんど独学で作曲の道を志していく。同じ大町の近所に鈴木喜八という5歳年上の少年が住んでおり、のちに野村俊夫(作詞家)となって古関とともに数々の曲を世に送り出すこととなる[9]。

1916年(大正5年)、古関は7歳のときに福島県師範学校附属小学校(現福島大学附属小学校)へ入学した。担任の遠藤喜美治が音楽好きで、音楽の指導に力を入れていた。古関は10歳の頃には楽譜が読めるようになり、授業だけでは物足りなくなり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになった。ますます作曲に夢中になり、次第にクラスメイトが詩を作って古関に作曲を依頼してくるようになる。こうして子供の頃から作曲に親しむこととなった。

青少年期
1922年(大正11年)、旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学した。同校に進学したのは家業を継ぐためであったが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中だったという。妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学での作曲法の勉強を続けていた。年に2回行われていた校内弁論大会にハーモニカで音楽をつけることになり、古関が書き溜めていた曲を合奏用に編曲して大勢で演奏することになった。初めて自分の作品が披露された出来事であった[10]。しかし、在学中には家業の呉服店が倒産する事態にも遭った。

1923年、当時の日本では有数のハーモニカバンドであった福島ハーモニカーソサエティーに入団する。古関は作曲・編曲・指揮を担当し、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていた。ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い、衝撃を受ける。傾倒したのは、リムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』とストラヴィンスキーの『火の鳥』、ドビュッシー、ムソルグスキーなどである。このレコードコンサートには頻繁に通っていたという[10]。

1928年、福島商業学校を卒業後、母方の伯父に誘われ、伯父が頭取を務める川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務した。町内の寄宿先である、母の生家(いとこの実家)から通勤する一方で、作曲の勉強を続けていた[11]。この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰の事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りを行っている[10]。古関は、当時発行される山田の楽譜はほとんど空で覚えていたという。福島ハーモニカーソサエティーとともに仙台中央放送局(現NHK仙台放送局)の記念番組に出演する。この頃、リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に和声法を師事することになった[12]。金須は正教徒で、正教の聖歌を学ぶため革命前のペテルブルクの聖歌学校に留学し、そのときリムスキー=コルサコフから管弦楽法を学んでいた。

コロムビア専属へ
1929年(昭和4年)、イギリスロンドン市のチェスター社が発行する音楽雑誌『ザ・チェスターリアン』第10巻第77号[13]に掲載された管弦楽作品の懸賞募集を見て、同年7月に管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』を含む5つの作品を応募した。同年12月に福島商業学校の恩師、丹治嘉市に「2等に5曲共入賞致しました。協会からは既に旅費、及びその他の費用として、£400の金が送金されて来ました。」と手紙で報告し[14]、1930年(昭和5年)1月23日の福島民報新聞、福島民友新聞など各紙で入賞を大々的に報道された[15]。これらを典拠として『竹取物語』を日本人初の国際的作曲コンクール入賞作品とする文献があるが[11]、この作品が二等に入賞したとされる作曲懸賞募集の詳細は明らかになっていない。これは国際現代音楽協会主催現代音楽祭作品公募へのイギリス支部推薦を、古関が入賞と勘違いしたという説もある[16][17]。日本人の国際作曲コンクールあるいは国際作品公募において、現在も日本初であることが記録されているのは外山道子の「やまとの声[18]」である。

『竹取物語』は、色彩的で斬新なオーケストレーションがなされており、また、打楽器のみで演奏される楽章なども含まれていたといわれる。

この入賞の報道を読んだ、声楽家志望で愛知県豊橋市在住[※ 1]の内山金子(きんこ)が古関にファンレターを送り、その後も100通を超える熱烈な文通を経て1931年2月9日、古関21歳、金子18歳で入籍し、同年5月19日に結婚式を挙げた[19]。古関はたいへんな愛妻家で、晩年までおしどり夫婦であったという。

この頃、古関は複数の交響曲やピアノ協奏曲、交響詩『ダイナミック・モーター』、弦楽四重奏曲など、膨大な作品群を完成させていたが、それらの楽譜は遺族が管理を怠り現在ほとんど行方不明になっている。『竹取物語』の所在も知れないという[※ 2]。

1930年9月、コロムビアの顧問山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京した[11]。東京では菅原明朗に師事した。菅原とは同年9月から11月頃に出会い、童謡歌手の古筆愛子の自宅で開かれた勉強会で菅原からリムスキー=コルサコフ著『実用和声法』を教科書として学んだのち、1933年から1934年頃までの2年間、菅原から個人教授を受けた[20]。菅原は『竹取物語』のスコアを読んで驚き、古関には深井史郎よりも才能があったと、後年まで称賛している。師と仰いだ菅原明朗のほかに、橋本國彦とも親交が厚かった。

しかし、古関は実家が経済的に破綻してからは一族を養わなくてはならず、次第にクラシックの作曲から離れざるをえなくなった。コロムビア入社も主に生活費のためであったと考えられる。古関本人は作曲の勉強のための洋行を希望していたが、自身の内気な性格と当時の不況などが重なりそれは叶わなかった[21]。東京に移ってからのオーケストラ作品には、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があり[22]、これはストラヴィンスキー的な音楽であるといわれている。また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲している。

1934年(昭和9年)、古関が25歳の頃、「利根の舟唄」(詩:高橋掬太郎、唄:松平晃)が自身初のヒット曲となり、作曲家としての地位を確立[23]。翌年の1935年(昭和10年)には新民謡調の「船頭可愛や」(詩:高橋掬太郎、唄:音丸)が26万枚を売り上げる大ヒットを記録し、人気作曲家の仲間入りを果たす[24]。「船頭可愛や」は瀬戸内海をイメージした長調の曲[※ 3][25]で、1939年(昭和14年)には世界の舞台でも活躍したオペラ歌手・三浦環もレコードに吹き込んでいる[26]。

この頃、声楽家志望だった妻の金子は帝国音楽学校へ進んでいた。金子は後に声楽家のベルトラメリ能子(よしこ)及びその師のディーナ・ノタルジャコモの教えを受けた[27]。また同時期に古関は伊藤久男と交流を持ち、伊藤久男も帝国音楽学校へ入学することになる。作曲家の古関と作詞家の野村俊夫(福島市出身)、歌手の伊藤久男(本宮市出身)の三人はいずれも福島県出身で「コロムビア三羽ガラス」と呼ばれた[9]。

太平洋戦争中
太平洋戦争中の古関は数々の名作軍歌、戦時歌謡を発表した。1944年4月、古関は、作家の火野葦平や洋画家の向井潤吉と共に特別報道班員に選ばれ、インパール作戦が行われているビルマに派遣された。ビルマ首都のラングーンに到着後、火野から歌詞を託され、ペストが蔓延する状況の中で「ビルマ派遣軍の歌」を完成させた[28][29]。

古関メロディーのベースであったクラシックと融合した作品は、哀愁をおびたせつない旋律のもの(「愛国の花」「暁に祈る」など)が多かったが、それが戦争で傷ついた大衆の心の奥底に響き、支持された。戦時歌謡を作るかたわら、ヴァイオリン協奏曲のスケッチを重ねていたが、完成に至らぬうちに譜面が散逸したという。古関自身、前線での悲惨な体験や目撃が「暁に祈る」や「露営の歌[2]」に結びついたと証言している。また自らの作品で戦地に送られ、戦死した人への自責の念を持ち続けていた。

終戦後

戦後は、暗く不安な日本を音楽によって明るくするための活動に力を注ぎ、クラシックの香り溢れる流行歌や、勇壮で清潔感のあるスポーツ音楽が大衆の心をとらえた。長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌「長崎の鐘」をはじめ、毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」や戦後日本の発展の象徴でもある1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた「オリンピック・マーチ」といったスポーツ音楽、現在も日曜以外のほぼ毎日放送されている『ひるのいこい』や『日曜名作座』といったラジオ番組のテーマ曲、その他にも「フランチェスカの鐘」「高原列車は行く」などの格調高い曲を数多く創作した。

テノールの美しい音色と格調のあるドイツ歌曲の唱法を基礎にした「クルーン唱法」で歌唱する藤山一郎、叙情溢れるリリックなバリトンで熱唱する伊藤久男など、古関の曲は実力派歌手にも恵まれた。

戦後は劇作家の菊田一夫と出会い、菊田脚本の戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」を皮切りに、菊田と名コンビを組み、『君の名は』などのラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカルの数々のヒット作品を世に送り出した。1961年に菊田と手がけた森光子主演の『放浪記』は長期公演舞台となった。また、戦後の古関は、クラシック音楽の作曲を完全に諦めていたわけではなく、菊田と共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいる。

古関は、NHKテレビラジオを通じて各音楽番組にも出演。ラジオドラマ『君の名は』では放送中に、スタジオにハモンドオルガンを持ち込み、生演奏をして劇中伴奏を務め、他の番組でも時折生演奏を行った。

晩年と死後
フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を、1972年10月の放送開始から初代司会者の萩本欽一とともに1984年6月24日に降板するまで務めていた。

1977年、「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待された。大会旗掲揚に当たり大会歌の大合唱が起こり、その光景に感激したという。また、この大会では古関の母校である福島商業高校が甲子園初勝利を挙げ、自らが作曲した校歌を聴くことが出来た。

1979年には最初の福島市名誉市民に選ばれ[30]、同地には1988年11月12日に「福島市古関裕而記念館」も建てられている。しかし古関はこの頃すでに入院生活を送っていたため、足を運ぶことは出来なかった。

傘寿の誕生日を迎えて1週間足らずの1989年(平成元年)8月18日午後9時30分、古関は脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で没した(享年80)[31]。墓所は妻・金子(1980年没、享年68)と同じ神奈川県川崎市の春秋苑。古関家の墓がある福島市信夫山にも分骨された[32]。同年の秋ごろ、古関への国民栄誉賞の授与が遺族に打診されるも古関の遺族はこれを辞退した。その理由について、古関の長男は「元気に活動している時ならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と没後追贈に疑問を持ったためとしている[33]。このタイミングでの国民栄誉賞受賞をしていれば、作曲家としては1978年(昭和53年)の古賀政男に次いで史上二人目となる予定であった[※ 4]。

2009年4月11日に生誕100年を記念し、JR福島駅の発車メロディーに古関の作品が採用されることになった。在来線ホームに「高原列車は行く」、新幹線ホームに「栄冠は君に輝く」が採用され、発車メロディー用に30秒間にアレンジされた曲が流れている[35]。

同年8月11日、同じく生誕100年を記念しモニュメントが古関の地元・福島市の福島駅東口駅前広場に設置された[36]。制作・施工費は約1500万円。30歳代後半の古関が、自身が愛用したオルガンを奏でる姿をかたどったデザインで、午前8時から午後8時までの1時間おきに「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」などの古関が作曲したメロディーが流れる仕組みになっている。

2017年夏以降、出生地などで「野球殿堂」入りを応援する動きが活発になっている[37]。

2020年3月30日から同年11月27日にかけて、古関をモデルとした「古山裕一」を主人公とするNHK連続テレビ小説『エール』が、窪田正孝の主演(子供時代・石田星空)で放送された[38]。

2020年6月30日、「高原列車は行く」のモデルとなった磐梯急行電鉄(出典原文では「沼尻軽便鉄道」記載)の歴史をたどり猪苗代町住民有志が作製したDVDが古関の出身地・福島市に寄贈された[39]。


家族
妻・金子との間に2女1男。
娘2人は戦前の生まれ。終戦間際に娘2人と妻を福島県福島市および信夫郡飯坂町の知人宅に疎開させ、裕而も一時同居している[40]。
長男・正裕は戦後生まれ。アマチュア時代のヴィレッジ・シンガーズのキーボード担当だったが脱退。会社員を退職後、祖父の屋号に因んだ女性2人との音楽ユニット「喜多三」を主宰して、伴奏を担当[41]。父母を回想する新聞雑誌や音楽番組にも協力している。
裕而の5歳下の弟・弘之ひろしは、戦前に東京で就職後、戦中に福島県に戻って県職員となり、退職後再び上京してデザイン会社に勤務した[42]。


主な作品

太平洋戦争前 - 戦中期
1931年「福島行進曲」(作詞:野村俊夫、歌:天野喜久代)
1931年「福島夜曲(セレナーデ)」(作詞:竹久夢二、歌:阿部秀子)[※ 5]
1931年「日米野球行進曲」(作詞:久米正雄、歌:コロムビア合唱団)
1932年「恋の哀愁(エレジー)」(作詞:西岡水郎、歌:天野喜久代)
1932年「我等の満洲」(作詞:西岡水郎、歌:内田栄一)
1932年「皇軍行進曲」(作詞:西岡水郎、歌:長谷川堅二)
1933年「国立公園日本アルプス行進曲」(作詞:本山卓、歌:関種子、中野忠晴)
1933年「国立公園麗しの瀬戸内海」(作詞:佐藤惣之助、歌:中野忠晴、淡谷のり子)
1933年「青森市民歌」(作詞:岩村芳麿、歌:中野忠晴、コロムビア男声合唱団)
1934年「宮崎県民歌(初代)」(作詞:桑原節次、歌:中野忠晴、伊藤久男)[※ 6]
1934年「利根の舟唄」(作詞:高橋掬太郎、歌:松平晃)
1934年「河原すすき」(作詞:高橋掬太郎、歌:ミス・コロムビア)
1935年「船頭可愛や」(作詞:高橋掬太郎、歌:音丸)[※ 7]
1936年「ミス仙台(仙台小唄)」(作詞:西條八十、歌:二葉あき子)[※ 8]
1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」(作詞:佐藤惣之助、歌:中野忠晴)
1936年「慰問袋を」(作詞:高橋掬太郎、歌:コロムビア合唱団)
1936年「大島くづし」(作詞:西條八十、歌:音丸)
1936年「串本そだち」(作詞:西岡水郎、歌:音丸)
1936年「米山三里」(作詞:高橋掬太郎、歌:音丸)
1936年「浜は九十九里」(作詞:高橋掬太郎、歌:音丸)
1937年「釜石市民歌」(作詞:広瀬喜志、歌:霧島昇)
1937年「田家の雪」(作詞:西條八十、歌:音丸)
1937年「峠の馬子唄」(作詞:久保田宵二、歌:霧島昇)
1937年「彈雨を衝いて」(作詞:高橋掬太郎、歌:伊藤久男)[※ 9]
1937年「露営の歌[2]」(作詞:薮内喜一郎、歌:中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章)
1937年「続 露営の歌」(作詞:佐藤惣之助、歌:霧島昇、伊藤久男、二葉あき子)
1938年「愛國の花」(作詞:福田正夫、歌:渡辺はま子)
1938年「婦人愛國の歌」(作詞:仁科春子、歌:霧島昇、松原操、コロムビア女声合唱団)[※ 10]
1938年「憧れの荒鷲」(作詞:西條八十、歌:ミス・コロムビア、二葉あき子、松平晃)
1939年「巨人軍の歌(野球の王者)」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤久男)[※ 11]
1939年「よくぞ送って下さった 斎藤大使遺骨礼送に対し米国へ寄せる感謝の歌」(作詞:西條八十、歌:瀬川伸)[※ 12]
1939年「荒鷲慕いて」(作詞:西條八十、歌:松平晃、松原操、二葉あき子、香取みほ子、渡辺はま子)
1939年「月のバルカローラ」(作詞:服部竜太郎、歌:三浦環)
1940年「暁に祈る」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1940年「嗚呼北白川宮殿下」(作詞:二荒芳徳、歌:伊藤武雄、二葉あき子)
1940年「満州鉄道唱歌」(作詞:藤晃太郎、歌:霧島昇、松原操)
1941年「海の進軍」(作詞:海老名正男、歌:伊藤久男、藤山一郎、二葉あき子)[※ 13]
1941年「宣戦布告」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男、霧島昇)
1941年「英國東洋艦隊潰滅」(作詞:高橋掬太郎、歌:藤山一郎)[※ 14]
1941年「みんな揃って翼賛だ」(作詞:西條八十、歌:霧島昇、松原操、高橋祐子)
1941年「国民皆労の歌〜若い戦士〜」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤武雄、二葉あき子)
1941年「花と乙女」(作詞:高橋掬太郎、歌:二葉あき子、コロムビア女声合唱団)
1941年「野口英世」(作詞:土井晩翠、歌:不明)[※ 15]
1942年「元気で皆勤」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤久男、真木あや子)
1942年「斷じて勝つぞ」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)[※ 16]
1942年「皇軍の戦果輝く」(作詞:野村俊夫、歌:霧島昇)
1942年「防空監視の歌」(作詞:相馬御風、歌:藤山一郎、二葉あき子)
1942年「大東亞戰争陸軍の歌」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤久男、黒田進(楠木繁夫)、酒井弘)
1942年「シンガポール晴れの入城」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1942年「アメリカ爆撃」(作詞:野村俊夫、歌:コロムビア合唱団)
1942年「空の軍神」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎)
1943年「みなみのつわもの」(南方軍報道部選定、歌:伊藤久男)
1943年「大南方軍の歌」(南方軍制定歌、歌:霧島昇)
1943年「海を征く歌」(作詞:大木惇夫、歌:伊藤久男)
1943年「戰ふ東條首相」(作詞:小田俊與、歌:伊藤武雄)[※ 17]
1943年「あの旗を撃て」(作詞:大木惇夫、歌:伊藤久男)
1943年「かちどき音頭」(作詞:野村俊夫、歌:佐々木章、松原操、近江俊郎)
1943年「決戦の大空へ」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎、日蓄男声合唱団)
1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西條八十、歌:霧島昇、波平暁男)
1943年「撃ちてし止まん」(作詞:小田俊與、歌:霧島昇)
1944年「ビルマ派遣軍の歌」(作詞:火野葦平、歌:コロムビア男声合唱団)
1944年「ラバウル海軍航空隊」(作詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦)[※ 18]
1944年「制空戰士」(作詞:大木惇夫、歌:波平暁男、酒井弘、奈良光枝)
1944年「雷撃隊出動の歌」(作詞:米山忠雄、歌:霧島昇、波平暁男)
1944年「臺灣沖の凱歌」(作詞:サトウハチロー、歌:近江俊郎、朝倉春子)
1944年「フィリピン沖の決戦」(作詞:藤浦洸、歌:伊藤武雄)
1944年「嗚呼神風特別攻撃隊」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤武雄、安西愛子、伊藤久男)[※ 19]
1944年「比島決戦の歌」(作詞:西條八十、歌:酒井弘、朝倉春子)[※ 20]
1944年「女子挺身隊の歌(輝く黒髪)」(作詞:西條八十、歌:千葉静子)
1944年「アイウエオの歌」(作詞:サトウハチロー、歌:日蓄合唱団、演奏:大東亜交響楽団、松竹軽音楽団)
1945年「特別攻撃隊(斬込隊)」(作詞:勝承夫、歌:藍川由美)[※ 21]


太平洋戦争後
1946年「竹田病院々歌」(作詞:土井晩翠)
1947年「夢淡き東京」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1947年「白鳥の歌」(作詞:若山牧水、歌:藤山一郎、松田トシ)
1947年「雨のオランダ坂」(作詞:菊田一夫、歌:渡辺はま子)
1947年「三日月娘」(作詞:薮田義雄、歌:藤山一郎)
1947年「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、歌:川田正子、コロムビアゆりかご会)
1947年「夜更けの街」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1948年「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大介、歌:伊藤久男)
1948年「フランチェスカの鐘」(作詞:菊田一夫、歌:二葉あき子)
1948年「国境の灯」(作詞:西條八十、歌:霧島昇)
1948年「スポーツ県民歌」(作詞:西條八十)
1948年「若き日のエレジー」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団)
1949年「都市対抗を讃える野球の歌」(作詞:青木薫、補作詞:サトウハチロー)
1950年「別れのワルツ」(スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(日本では蛍の光として知られる)の編曲)
なお、レコードに表示されている「ユージン・コスマン(編曲)」「ユージン・コスマン管弦楽団(演奏)」は本名(古関裕而)をもじって命名された[43]。
1950年「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」(作詞:小島情、補作詞:サトウハチロー、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団)
1950年「私のドラゴンズ」(作詞:田中順二、補作詞:藤浦洸、歌:安西愛子)
1950年「東急フライヤーズの唄 / 東映フライヤーズの歌」(作詞:藤浦洸)
東急フライヤーズが1954年に東映フライヤーズに改称した際は、曲名・歌詞に最小限の改訂を加えて継続使用された。1967年に古関が旋律を大幅に改訂している。
1950年「薔薇と蜜蜂」(作詞:野村俊夫、歌:二葉あき子)
1950年「福島県スポーツの歌」(作詞:小林金次郎、歌:藤山一郎)
1950年「われらが愛知」(作詞:若葉清成、補作詞:西條八十、歌:藤山一郎、安西愛子)
1951年「恋を呼ぶ歌」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1951年「さくらんぼ大将」(作詞:菊田一夫、歌:川田孝子、コロムビアゆりかご会)
1951年「さくらんぼ道中」(作詞:菊田一夫、歌:古川ロッパ、土屋忠一)
1951年「あこがれの郵便馬車」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
1951年「ニコライの鐘」(作詞:門田ゆたか、歌:藤山一郎)
1951年「薄紫の山脈(島根県民の歌)」(作詞:米山治、歌:藤山一郎、立川清登)
1951年「白いランプの灯る道」(作詞:丘灯至夫、歌:奈良光枝)
1951年「長崎の雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎)
1952年「黒百合の歌」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1952年「夜船の灯り」(作詞:野村俊夫、歌:久保幸江)
1952年「いつだったかな」(作詞:菊田一夫、歌:越路吹雪)
1952年「ジロリンタンのうた」(作詞:サトウハチロー、歌:安西愛子、杉の子こども会)
1953年「君の名は」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1953年「君いとしき人よ」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1953年「ひめゆりの塔」(作詞:西條八十、歌:伊藤久男)
1953年「みどりの雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎)
1953年「みどりの馬車」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
1953年「岬の灯り」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
1954年「サロマ湖の歌」(作詞:中山正男、歌:伊藤久男)
1954年「滋賀県民の歌」(作詞:蓼沢猟(五味道茂)、補作詞:西條八十、歌:岡本敦郎、奈良光枝、コロムビア合唱団)
1954年「数寄屋橋エレジー」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1954年「チャンドラムの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1954年「花のいのちを」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、奈良光枝)
1954年「秋草の歌」(作詞:西條八十、歌:奈良光枝)
1954年「綾の歌」(作詞:菊田一夫、歌:淡島千景)
1954年「百万石音頭」(作詞:丘十四夫、歌:伊藤久男、永田とよこ)
1954年「福島音頭」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男、神楽坂はん子)
1954年「郡山市民の歌」福島県郡山市(作詞:内海久二)
1954年「君は遙かな」(作詞:菊田一夫、歌:佐田啓二、織井茂子)
1954年「忘れ得ぬ人」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1955年「花売馬車」(作詞:西條八十、歌:美空ひばり)
1955年「我が家の灯」(作詞:西條八十、歌:美空ひばり)
1955年「あゝ藤原湖」(作詞:西條八十、歌:伊藤久男、奈良光枝)
1956年「メコンの舟歌」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)[※ 22]
1957年「忘却の花びら」(作詞:菊田一夫、歌:草笛光子)
1957年「荷物片手に」(作詞:野口雨情、歌:森繁久彌)
1957年「二本松少年隊」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1958年「オリンピック賛歌」(作詞:コスティス・パラマス、作曲:スピロ・サマラス。第1回アテネ大会時の紛失ピアノ楽譜を発見、採譜・オーケストラ編曲。古関のオーケストラ譜は現在に至るまで用いられる)
1959年「城南信用金庫の歌」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎、安西愛子)
1960年 陸上自衛隊隊歌「この国は」(作詞:大関民雄、補作詞:西沢爽)
1960年 陸上自衛隊隊歌「君のその手で」(作詞:西沢爽)
1960年 陸上自衛隊行進歌「聞け堂々の足音を」(作詞:梅津統秋、補作詞:サトウハチロー)
1960年「スカイラインの歌」(作詞:野村俊夫、歌:守屋浩)
1960年「花のスカイライン」(作詞:内海久二、補作詞:野村俊夫、歌:守屋浩)
1961年「モスラの歌」(作詞:本多猪四郎、田中友幸、関沢新一、歌:ザ・ピーナッツ)
1961年「夕月」(作詞:菊田一夫、歌:島倉千代子)[※ 23]
1961年「ハーモニカ小僧」(作詞:菊田一夫、歌:中山千夏)
1963年「あの橋の畔で」(作詞:菊田一夫、歌:島倉千代子)
1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」(作詞:椿三平、歌:守屋浩、三鷹淳、若山彰)
1964年「オリンピック・マーチ」(演奏:陸上自衛隊中央音楽隊)
1964年「故郷はいつも瞼に」(作詞:野村俊夫、歌:不明)
1966年「スカーレット・オハラ」(作詞:菊田一夫、歌:那智わたる)
1968年 青年海外協力隊隊歌「若い力の歌」(作詞:山田哲、補作詞:藤田まさと、歌:藤山一郎)
1968年「若鷲の歌」(作詞:西條八十、歌:西郷輝彦)[※ 24]
1969年「青春の鐘」(作詞:丘灯至夫、歌:舟木一夫)
1970年「アニメンタリー 決断」テーマソング「決断」(作詞:丘灯至夫、歌:幹和之)
1970年 陸上自衛隊隊歌「栄光の旗の下に」(作詞:赤堀達郎、補作詞:藤田正人)
1971年「純白の大地(札幌冬季オリンピックの歌)」(歌:日本合唱協会)
1977年「ドカベン」挿入歌「ああ甲子園」(作詞:保富康午、編曲:菊池俊輔、歌:日唱)
1978年「わがまち春日井」(作詞:岡本淳三、補作詞:春日井市民の歌作成委員会、歌:ダークダックス)
1979年「若さと英知〜日本ビジネスコンサルタント社歌」(原案:社内公募、作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳)
1985年「日立物流社歌」(作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳)


映画音楽
主題歌のみのものは除く。

1939年「戦ふ兵隊」(亀井文夫監督)
1944年「桃太郎 海の神兵」(瀬尾光世演出)
1948年 - 1949年「鐘の鳴る丘」3部作(佐々木啓祐監督)
1950年「長崎の鐘」(大庭秀雄監督)
1952年「安宅家の人々」(久松静児監督)
1953年「ひめゆりの塔」(今井正監督)
1953年「太平洋の鷲」(本多猪四郎監督)
1953年 - 1954年「君の名は」3部作(大庭秀雄監督)
1955年「赤いカンナの花咲けば」(小田基義監督)
1957年「永すぎた春」(田中重雄監督)
1957年「大学の侍たち」(青柳信雄監督)
1958年「共犯者」(田中重雄監督)
1959年「鉄腕投手 稲尾物語」(本多猪四郎監督)[44]
1960年「がめつい奴」(千葉泰樹監督)
1961年「社長道中記」(松林宗恵監督)
1961年「モスラ」(本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)
1962年「放浪記」(成瀬巳喜男監督)


クラシック音楽

交響曲(第1番から第3番の3曲)
ヴァイオリン・チェロのための協奏曲
五台のピアノのための協奏曲
一茶の句による小品童曲
和歌を主題とせる交響楽短詩
舞踊組曲「竹取物語」
舞踊詩「線香花火」
交響詩「大地の反逆」
管弦楽組曲「戦場の印象」
室内管弦楽曲「亡き愛児に捧ぐる歌」


校歌・学校歌・応援歌

早稲田大学応援歌「紺碧の空」(作詞:住治男)1931年
早稲田大学応援歌「ひかる青雲」1947年
慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」(作詞:藤浦洸)1946年
早慶讃歌 〜花の早慶戦〜(作詞:藤浦洸)1968年
中央大学応援歌「ああ中央の若き日に」(中央大学学友会選定歌詞)1948年
東京農業大学応援歌「カレッジソング」(作詞:吉田精一)1935年
明治大学応援歌「紫紺の旗の下に」(作詞:明治大学応援団、補作詞:野村俊夫)1955年
日本大学水上応援歌「水の覇者日大」(作詞:サトウハチロー)
日本大学工学部学部歌
日本大学松戸歯学部学生歌(作詞:神保光太郎)
奥羽大学(旧:東北歯科大学)校歌
名城大学応援歌「真澄の空に」
明治薬科大学学歌(作詞:林柳波)
横浜市立大学校歌(作詞:西條八十)
聖マリアンナ医科大学校歌(作詞:藤浦洸)1973年
杏林大学校歌(作詞:池田文雄)
崇城大学校歌(作詞:山口白陽)
青森山田学園学園歌「意気と熱(まこと)に」(作詞:北畠八穂)
宮城県築館高等学校校歌(作詞:白鳥省吾)1950年
福島県立福島商業高等学校校歌「若きこころ」(作詞:野村俊夫)1957年
福島県立福島工業高等学校校歌
福島県立会津高等学校校歌(作詞:柳澤健)
福島県立原町高等学校校歌(作詞:多田利男)
福島県立平工業高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
茨城県立取手第二高等学校校歌(作詞:西條八十)
埼玉県立八潮南高等学校校歌
千葉県立国府台高等学校校歌(作詞:サトウハチロー)
千葉県立白井高等学校校歌
富山県立伏木高等学校校歌(作詞:中山輝)
名古屋中学校・高等学校校歌 「希望羽ばたく」(作詞:門田ゆたか)1959年
滋賀県立彦根東高等学校校歌(作詞:吉田精一)1952年
大阪市立扇町第二商業高等学校校歌(作詞:廣橋一男)
國學院大學久我山中学校・高等学校創立三十五周年記念歌
早稲田中学校・高等学校第2校歌(作詞:西條八十)1964年
早稲田実業高等学校応援歌
東京都立工業高等専門学校校歌(作詞:野村俊夫)
日本航空高等学校校歌(作詞:米山愛紫)
静岡学園高等学校校歌
愛知啓成高等学校校歌(作詞:高女十二回生)
福井工業高等専門学校校歌(作詞:内藤敏夫)
三重県立四日市高等学校応援歌「希望の門」
三重県立いなべ総合学園高等学校校歌
広島県立呉三津田高等学校校歌(作詞:藤浦洸)
香川県立善通寺第一高等学校校歌(作詞:中河与一)
大牟田中学校・高等学校校歌(作詞:頓田元穂)
東福岡高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立戸畑高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立戸畑高等学校応援歌(作詞:火野葦平)
福岡県立若松高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立八幡工業高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立直方高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立香椎高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立香椎工業高等学校校歌(作詞: 清水みのる)
福岡県立福岡工業高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立西田川高等学校校歌(作詞:火野葦平)
長崎県立島原工業高等学校校歌(作詞:宮崎康平)
長崎県立国見高等学校校歌(作詞:宮崎康平)
長崎県立小浜高等学校校歌(作詞:宮崎康平)
鹿児島県立大口高等学校校歌(作詞:海音寺潮五郎)
福島県二本松市立二本松第三中学校校歌
福島県保原町立保原中学校校歌[45]→伊達市立松陽中学校校歌・伊達市立桃稜中学校校歌
福島県本宮市立本宮第一中学校校歌(作詞:小林金次郎)
栃木県日光市立日光中学校校歌(作詞:西條八十)
茨城県阿見町立朝日中学校校歌(作詞:丘灯至夫)[46][47]
茨城県阿見町立阿見第二小学校校歌(作詞:丘灯至夫)
東京都葛飾区立新宿中学校校歌(作詞:西條八十)
埼玉県さいたま市立東浦和中学校校歌(作詞:下山つとむ)
埼玉県八潮市立八潮中学校校歌(作詞:下山つとむ)
埼玉県鶴ヶ島市立鶴ヶ島中学校校歌(作詞:野村俊夫)
静岡県静岡市立安東中学校校歌(作詞:藤浦洸)
愛知県西尾市立吉良中学校校歌(作詞:中村素堂)1970年
京都府京都市立加茂川中学校校歌(作詞:吉井勇)
京都府宮津市立宮津中学校校歌(作詞:能勢佐十郎)
広島県府中市立第二中学校校歌(作詞:木下夕爾)
広島県府中市立第二中学校生徒歌
広島県府中市立第二中学校応援歌
広島県府中市立第三中学校校歌
福島県福島市立福島第二小学校校歌「風だ光りだ」
福島県福島市立福島第三小学校校歌
福島県福島市立福島第四小学校校歌
新潟県見附市立見附小学校校歌(作詞:西條八十)
茨城県大子町立袋田小学校校歌(作詞:野村俊夫)1958年
東京都世田谷区立経堂小学校校歌(作詞:西條八十)(作品名:みどりあかるい)1951年
東京都大田区立徳持小学校校歌(作詞:野村俊夫)1955年
東京都板橋区立成増小学校校歌(作詞:和田隆夫)
東京都町田市立町田第一小学校校歌(作詞:西條八十)
神奈川県藤沢市立藤沢小学校校歌(作詞:西條八十)
神奈川県愛川町立半原小学校校歌(作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳)
千葉県大多喜町立大多喜小学校校歌(作詞:西條八十)
静岡県焼津市立大井川南小学校校歌(作詞:藤田正人)
愛知県小牧市立小木小学校校歌(作詞:船橋久男)
京都府京都市立紫竹小学校校歌(作詞:吉井勇)[48]
広島県広島市立牛田小学校校歌(作詞:葛原しげる)
広島県府中市立明郷小学校校歌
福岡県福岡市立高宮小学校校歌(作詞:西條八十)
福岡県北九州市立熊西小学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県北九州市立修多羅小学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県北九州市立浜町小学校校歌(作詞:火野葦平)
鹿児島県肝付町立内之浦小学校校歌
その他
1937年 ラジオドラマ「当世五人男」
1945年 NHKラジオドラマ「山から来た男」
1949年 NHKスポーツ中継テーマ曲「スポーツショー行進曲」(演奏:コロムビア・ブラスバンド)
1950年 NHK「今週の明星」テーマ曲(作詞:藤浦洸)
1954年 ニッポン放送「ニッポン放送行進曲」(演奏:ニッポン放送管弦楽団)
1956年 NHKテレビ「歌の広場」テーマ曲(作詞:丘灯至夫)
1956年「豊橋市歌」(作詞:辰己利郎、補作詞:丸山薫)[49]
1959年 日本ライオンズクラブ会員歌「日本ライオンズの歌」(作詞:藤浦洸)
1959年 舞台劇「がめつい奴」
1960年 舞台劇「がしんたれ 青春篇」
1961年 舞台劇「放浪記」
1961年 舞台劇「香港」主題歌「われ君を愛す」(作詞:菊田一夫、歌:浜木綿子)
1966年 舞台劇「風と共に去りぬ」
1966年「焼津市民歌」(作詞:服部順市)[50]
1966年「阿武隈の歌」(作詞:若山牧水)
1970年 福島わらじまつりテーマソング「わらじ音頭」(作詞:茂木宏哉、補作詞:丘灯至夫、歌:舟木一夫)
1970年 NHK「日曜名作座」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)
1970年 NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)
1970年「スポーツ日本の歌」(演奏:コロムビア吹奏楽団)
1970年 NHKラジオ「早起き鳥」テーマ曲(作詞:佐藤竜太、歌:三鷹淳、真理ヨシコ)
1973年 舞台劇「道頓堀」
1973年 世田谷ロータリークラブ会員歌「日も風も星も」(作詞:楠本憲吉)
1980年「川俣町民の歌」
NHK「教育テレビ放送開始・終了」テーマ曲
緑の羽根募金主題歌「みどりの歌」(作詞:中村利春、歌:藤山一郎、安西愛子)1948年
日本PTA全国協議会制定歌「PTAの歌」(作詞:春日紅路、補作詞:西條八十、歌:藤山一郎、松田トシ)1951年
日本火災海上保険株式会社社歌(作詞:藤浦洸)1961年
西武鉄道社歌(作詞:門田ゆたか)1953年[51]
城南信用金庫の歌(作詞:西條八十)1959年
山一證券株式会社社歌(作詞:西條八十、歌:伊藤久男)
山崎製パン社歌(作詞:藤浦洸)
川崎信用金庫社歌
日本生命社歌(作詞:鈴木義輝、歌:岡本敦郎)
十八銀行行友の歌「旺んなるかな」(作詞:藤浦洸)
株式会社島屋社歌(作詞:藤浦洸)
小松製作所社歌(作詞:河合良成)
日本電装株式会社社歌(作詞:西條八十)
日本製鋼所社歌(作詞:鈴木肇、歌:友岡幹生)
三重交通社歌(作詞:奥山幸一)
不二家社歌(作詞:布谷真須枝)[52]
第一興商社歌「明日をつくる」(作詞:石本美由起)
パイオニア初代社歌「パイオニアわれら」[53]
関西電力社歌「呼ぼうよ雲を」(作詞:竹中郁、歌:伊藤久男、安西愛子)
東北電力株式会社社歌(作詞:伊沢清)
鈴木自動車工業株式会社社歌(作詞:藤浦洸)
三越社歌
日本住宅公団の歌(作詞:サトウハチロー)
松下電器行進曲「月日とともに」(作詞:山田博夫)1951年
山喜社歌「清くけだかき白鳥の」(作詞:西條八十)1961年
東宝株式会社社歌(作詞:佐原文吾(撮影所製作課)、補作詞:岩谷時子、歌:草笛光子、高島忠夫)1962年
常磐炭礦(現・常磐興産)礦歌(社歌)「我等の力」(作詞:野村俊夫)[54]
常磐炭礦(現・常磐興産)野球部応援歌「若きいのち」(作詞:野村俊夫)[54]
TDK社歌(作詞:藤浦洸)
海上自衛隊隊歌「海をゆく」(作詞:旧版 - 佐久間正門 現行版 - 松瀬節夫)
守口市歌(作詞:安西冬衛)
山形県北村山郡大石田町町民歌(斎藤茂吉歌集「白き山」より)
古川小唄[55]
西山浄土宗宗歌「念仏讃」(作詞:西山国師証空)

著書
『鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝』、主婦の友社、1980年
『古関裕而―鐘よ鳴り響け』、日本図書センター〈人間の記録〉、1997年、ISBN 4820542575
『鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝』、集英社文庫、2019年、ISBN 978-4087440591
(長男・古関正裕との共著) 『風景の調べ―古関裕而スケッチ集』、古関裕而(私刊)、1988年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E9%96%A2%E8%A3%95%E8%80%8C
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/719.html#c1

[近代史7] 中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日) 中川隆
2. 中川隆[-14656] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:26:11 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[19]
中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 - 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。

一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。

経歴

長野県下高井郡新野村(現・中野市)に生まれる。生家は名主、村長を出した旧家であったが父親の急死により落魄し、養蚕をする母親に女手一つで育てられ、長野師範学校講習科を修了後、1903年(明治36年)に尋常高等小学校の代用教員となる。唱歌が好きで生徒からも唱歌先生と呼ばれた。1905年(明治38年)、故郷での代用教員の職を辞し上京。島村抱月の弟の縁により抱月の書生となる。1908年(明治41年)、東京音楽学校予科入学。1909年(明治42年)、本科のピアノ科に入る。1912年(明治45年)、梁田貞らとともに東京音楽学校本科を卒業。東京都浅草の千束小学校音楽専科教員を務める傍ら作曲活動を行う。

島村抱月が松井須磨子らとともに旗揚げした「芸術座」に参加。1914年(大正3年)、トルストイの『復活』公演の劇中歌『カチューシャの唄』を作曲。『カチューシャの唄』は松井須磨子の歌唱によって大流行となり、一躍有名になった。翌年公演したツルゲーネフの『その前夜』の劇中歌『ゴンドラの唄』も大人気であった。

1917年(大正6年)には北原白秋の詞を得て、トルストイの『贖罪』を戯曲化した『生ける屍』の劇中歌として『さすらいの唄』、『今度生まれたら』(日本における出版法でのレコードの発禁第1号。歌手は松井須磨子。歌詞中の「かわい女子と寢て暮らそ。」の部分がわいせつとみなされた[1])を発表した。

1919年(大正8年)、前年の島村抱月の死去により「芸術座」が解散。同じく1919年、斎藤佐次郎による児童雑誌『金の船』に童謡を発表するが、当時はまだ童謡の認知度が低く、教員として唱歌を教えるべき立場をはばかって「萱間三平」との変名による発表であった[2]。その後暫く童謡の作曲からは遠ざかるが、代わりに斎藤佐次郎に恩師の本居長世を紹介している。1920年(大正9年)からは野口雨情と組んで『金の船』から多くの童謡を発表した。他方、「新民謡」(創作民謡)にも力を注ぎ、野口雨情や西條八十、北原白秋等の作詞による多くの曲を作った。その数は全国で141曲にのぼる[3]。

1922年(大正11年)、千束小学校の教員を退職。1928年(昭和3年)からは日本ビクターの専属となり、世界的なオペラ歌手・藤原義江、佐藤千夜子の歌唱で『波浮の港』『出船の港』等々の多くのヒット曲を生んだ。1929年(昭和4年)、西條八十とのコンビで作った『東京行進曲』は佐藤千夜子の歌唱で25万枚のレコード売り上げを記録した。この頃(昭和4-5年)ラジオ文化の発展に伴い、作曲した流行歌の楽譜集が「中山晋平作曲全集」として銀座・山野楽器店から順次発刊され、竹久夢二の表紙画の人気も手伝い大いに売れる。その後、アルト歌手・四家文子、バリトン歌手・徳山l、藤山一郎(バリトン歌手・増永丈夫)ら東京音楽学校出身の声楽家らがビクターに入社し、中山晋平の作品を歌った。洋楽の手法で日本人の情緒感と原始的郷愁を踏まえた作品を多く残した。

1937年(昭和12年)、前妻である敏子夫人の存命中から愛人関係にあった鹿児島県出身の元芸妓で歌手の新橋喜代三と再婚。1942年(昭和17年)、日本音楽文化協会理事長に就任。1944年(昭和19年)、戦局の悪化に伴い熱海の西山町に疎開。同年、日本音楽著作権協会理事長に就任し、1948年(昭和23年)に同会長となる。戦後はほとんど曲を作ることがなかった。1952年(昭和27年)1月3日、第2回NHK紅白歌合戦の審査委員長を務める。

同年12月2日に自らが作った『ゴンドラの唄』が使われた『生きる』を映画館で観たが、その翌日に倒れ、30日3時30分、入院先の熱海国立病院で死去。死因は膵臓炎であった。65歳没。死去の際、自ら作曲した「あの町この町」を口ずさんでいたという[4]。

告別式は翌年1月16日に築地本願寺にて、日本ビクターの社葬として行われ、作曲家・佐々木俊一の指揮するオーケストラによる「哀悼歌」、児童合唱団による「てるてる坊主」、最後には「カチューシャの唄」が歌われた。

「鹿児島小原良節」や「酋長の娘」のヒットで知られる芸者歌手・新橋喜代三(中山嘉子)は後妻。

2007年(平成19年)7月、生誕120年を記念して出身地である長野県内の有志が中心となり晋平の数奇な人生を忠実に再現した映画「ララ、歌は流れる-中山晋平物語」(長野映研製作)が作られ、長野市権堂町の映画館「長野松竹相生座」にて約2週間一般公開され、同月、文部科学省選定作品に選ばれた。

作品

童謡

『シャボン玉』
『てるてる坊主』
『あめふり』
『雨降りお月』
『証城寺の狸囃子』
『こがね虫』
『あの町この町』
『背くらべ』
『鞠と殿様』
『砂山』
『肩たたき』
『赤ちゃん』
『あがり目さがり目』
『あひるのせんたく』
『うぐいすの夢』
『兎のダンス』
『おみやげ三つ』
『蛙の夜廻り』
『かくれんぼ』
『かじかみ坊主』
『かっこどり』
『からくり』
『蛙の夜まわり』
『キューピー・ピーちゃん』
『雲のかげ』
『げんげ草』
『恋の鳥』
『木の葉のお舟』
『すずめ』
『田植』
『茶の樹』
『手の鳴る方ヘ』
『遠眼鏡』
『鳥かご』
『猫の嫁入り』
『ねむの木』
『風鈴』
『迷い子の小猿』
『鞠と殿さま』
『夕立』
『路地の細路』

流行歌

『カチューシャの唄』
『ゴンドラの唄』
『さすらいの唄』
『にくいあん畜生』
『船頭小唄』
『波浮の港』
『酒場の唄』
『出船の港』
『当世銀座節』
『この太陽』
『東京行進曲』
『銀座の柳』
『燃える御神火』
『神風だから』
『建国音頭』
『瑞穂踊り』
『紅屋の娘』
『鉾をおさめて』
『煙草のめのめ』
『流れ星』
『花園の恋』
『あの尾根越えて』
『恋は海辺で』

新民謡

『須坂小唄』
『野沢温泉小唄』
『望月小唄』
『千曲小唄』
『大町小唄』
『三朝小唄』
『東京音頭』
『山の唄 守れ権現』
『大島おけさ』
『天龍下れば』
『龍峡小唄』
『浅間節』
『お諏訪節』
『さくら音頭』
『下館音頭』

など。およそ3000曲。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%99%8B%E5%B9%B3
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/660.html#c2

[近代史7] 露営の唄 古関裕而(1909年 8月11日 - 1989年 8月18日)
古関裕而(こせき ゆうじ、 1909年 8月11日 - 1989年 8月18日)


露営の唄 1937年 9月発売 作詞 籔内喜一郎 作曲 古関裕而 編曲 奥山貞吉


露営の唄 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9C%B2%E5%96%B6%E3%81%AE%E5%94%84  
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/720.html

[近代史7] 「同期の桜」 大村能章(1893年12月13日 - 1962年 1月23日) 中川隆
1. 中川隆[-14655] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:41:12 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[20]
同期の桜 美空ひばり



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/683.html#c1
[近代史7] 「ラバウル小唄」 島口駒夫 (1911年4月10日 - 1945年3月17日) 中川隆
1. 中川隆[-14654] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:44:29 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[21]
ラバウル小唄 / 美空ひばり



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/685.html#c1
[近代史7] 「ラバウル小唄」 島口駒夫 (1911年4月10日 - 1945年3月17日) 中川隆
2. 中川隆[-14653] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:45:47 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[22]
ラバウル小唄 鶴田浩二



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/685.html#c2
[近代史7] 「同期の桜」 大村能章(1893年12月13日 - 1962年 1月23日) 中川隆
2. 中川隆[-14652] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:47:33 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[23]
同期の桜 鶴田浩二



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/683.html#c2
[近代史7] 「同期の桜」 大村能章(1893年12月13日 - 1962年 1月23日) 中川隆
3. 中川隆[-14651] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:51:39 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[24]
軍歌 同期の桜 鶴田浩二



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/683.html#c3
[近代史7] 露営の唄 古関裕而(1909年 8月11日 - 1989年 8月18日) 中川隆
1. 中川隆[-14650] koaQ7Jey 2021年12月09日 17:28:54 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[27]
露営の歌 美空ひばり





露営の歌 中野忠晴・霧島昇・伊藤久男・松平晃・佐々木章



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/720.html#c1
[近代史6] 古関 裕而(1909年 8月11日 - 1989年 8月18日)
古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年〈明治42年〉8月11日 - 1989年〈平成元年〉8月18日)


古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年〈明治42年〉8月11日 - 1989年〈平成元年〉8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治(読み同じ)。妻は声楽家で詩人の古関金子。
気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。生涯で5千に及ぶ曲を作曲したとされる。


福島に生まれ、幼少期より音楽と作曲活動に親しみ、青年期には金須嘉之進に師事。1929年に国際現代音楽協会主催現代音楽祭作品公募のイギリス支部推薦作品として、自身の作品がノミネート。これを日本の新聞で「チェスター社主催作品公募入選二等」と報道されてしまったことをきっかけとし、それを機会に山田耕筰の推挙で東京の楽壇に進出。クラシック畑からポピュラー畑に転身、数多くの流行歌・歌謡曲や映画音楽、軍歌の作曲を手掛け、音丸の「船頭可愛や」、中野忠晴・伊藤久男らの「露営の歌[2]」、伊藤久男の「暁に祈る」、霧島昇・波平暁男の「若鷲の歌」などを発表した。戦後は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」や、二葉あき子の「フランチェスカの鐘」、藤山一郎の「長崎の鐘」、伊藤久男の「イヨマンテの夜」、織井茂子の「君の名は」、岡本敦郎の「高原列車は行く」ほか、数多くの大ヒット曲を生み出した。

他方で、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」、東京農業大学応援歌「カレッジソング」、名城大学応援歌「真澄の空に」、三重県立四日市高等学校応援歌「希望の門」、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)」、読売ジャイアンツの球団歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」、中日ドラゴンズの初代球団歌「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」、東京五輪の選手団入場行進曲「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」など、応援歌、行進曲の分野でも数多の作曲を手がけ、和製スーザと呼ばれた。巨人、阪神は試合が伝統の一戦と呼ばれる間柄だが、古関本人はスポーツが苦手で、プロ野球にもあまり興味がなかったため、球団関係を気にすることなく作曲を引き受けた[3]。

また、母校である福島商業高等学校の校歌「若きこころ」を始め、北海道から九州に渡る多数の学校で校歌を作曲している[4]。

楽器を一切使わずに頭の中だけで作曲を行い、繁忙期には同時に3つの曲を作っていたといわれる[5][6]。


生涯

幼少期
福島県福島市大町にあった老舗呉服店「喜多三(きたさん)」の8代目当主だった父・古関三郎次[7]と母・ヒサの長男として誕生。なかなか子供ができず養子をもらおうかと思っていたところに誕生したため、両親から溺愛された[8]。父親が音楽好きで、大正時代ではまだ珍しかった蓄音機を購入し、いつもレコードをかけていた。古関は幼少の頃から音楽の中で育ち、ほとんど独学で作曲の道を志していく。同じ大町の近所に鈴木喜八という5歳年上の少年が住んでおり、のちに野村俊夫(作詞家)となって古関とともに数々の曲を世に送り出すこととなる[9]。

1916年(大正5年)、古関は7歳のときに福島県師範学校附属小学校(現福島大学附属小学校)へ入学した。担任の遠藤喜美治が音楽好きで、音楽の指導に力を入れていた。古関は10歳の頃には楽譜が読めるようになり、授業だけでは物足りなくなり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになった。ますます作曲に夢中になり、次第にクラスメイトが詩を作って古関に作曲を依頼してくるようになる。こうして子供の頃から作曲に親しむこととなった。

青少年期
1922年(大正11年)、旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学した。同校に進学したのは家業を継ぐためであったが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中だったという。妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学での作曲法の勉強を続けていた。年に2回行われていた校内弁論大会にハーモニカで音楽をつけることになり、古関が書き溜めていた曲を合奏用に編曲して大勢で演奏することになった。初めて自分の作品が披露された出来事であった[10]。しかし、在学中には家業の呉服店が倒産する事態にも遭った。

1923年、当時の日本では有数のハーモニカバンドであった福島ハーモニカーソサエティーに入団する。古関は作曲・編曲・指揮を担当し、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていた。ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い、衝撃を受ける。傾倒したのは、リムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』とストラヴィンスキーの『火の鳥』、ドビュッシー、ムソルグスキーなどである。このレコードコンサートには頻繁に通っていたという[10]。

1928年、福島商業学校を卒業後、母方の伯父に誘われ、伯父が頭取を務める川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務した。町内の寄宿先である、母の生家(いとこの実家)から通勤する一方で、作曲の勉強を続けていた[11]。この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰の事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りを行っている[10]。古関は、当時発行される山田の楽譜はほとんど空で覚えていたという。福島ハーモニカーソサエティーとともに仙台中央放送局(現NHK仙台放送局)の記念番組に出演する。この頃、リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に和声法を師事することになった[12]。金須は正教徒で、正教の聖歌を学ぶため革命前のペテルブルクの聖歌学校に留学し、そのときリムスキー=コルサコフから管弦楽法を学んでいた。

コロムビア専属へ
1929年(昭和4年)、イギリスロンドン市のチェスター社が発行する音楽雑誌『ザ・チェスターリアン』第10巻第77号[13]に掲載された管弦楽作品の懸賞募集を見て、同年7月に管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』を含む5つの作品を応募した。同年12月に福島商業学校の恩師、丹治嘉市に「2等に5曲共入賞致しました。協会からは既に旅費、及びその他の費用として、£400の金が送金されて来ました。」と手紙で報告し[14]、1930年(昭和5年)1月23日の福島民報新聞、福島民友新聞など各紙で入賞を大々的に報道された[15]。これらを典拠として『竹取物語』を日本人初の国際的作曲コンクール入賞作品とする文献があるが[11]、この作品が二等に入賞したとされる作曲懸賞募集の詳細は明らかになっていない。これは国際現代音楽協会主催現代音楽祭作品公募へのイギリス支部推薦を、古関が入賞と勘違いしたという説もある[16][17]。日本人の国際作曲コンクールあるいは国際作品公募において、現在も日本初であることが記録されているのは外山道子の「やまとの声[18]」である。

『竹取物語』は、色彩的で斬新なオーケストレーションがなされており、また、打楽器のみで演奏される楽章なども含まれていたといわれる。

この入賞の報道を読んだ、声楽家志望で愛知県豊橋市在住[※ 1]の内山金子(きんこ)が古関にファンレターを送り、その後も100通を超える熱烈な文通を経て1931年2月9日、古関21歳、金子18歳で入籍し、同年5月19日に結婚式を挙げた[19]。古関はたいへんな愛妻家で、晩年までおしどり夫婦であったという。

この頃、古関は複数の交響曲やピアノ協奏曲、交響詩『ダイナミック・モーター』、弦楽四重奏曲など、膨大な作品群を完成させていたが、それらの楽譜は遺族が管理を怠り現在ほとんど行方不明になっている。『竹取物語』の所在も知れないという[※ 2]。

1930年9月、コロムビアの顧問山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京した[11]。東京では菅原明朗に師事した。菅原とは同年9月から11月頃に出会い、童謡歌手の古筆愛子の自宅で開かれた勉強会で菅原からリムスキー=コルサコフ著『実用和声法』を教科書として学んだのち、1933年から1934年頃までの2年間、菅原から個人教授を受けた[20]。菅原は『竹取物語』のスコアを読んで驚き、古関には深井史郎よりも才能があったと、後年まで称賛している。師と仰いだ菅原明朗のほかに、橋本國彦とも親交が厚かった。

しかし、古関は実家が経済的に破綻してからは一族を養わなくてはならず、次第にクラシックの作曲から離れざるをえなくなった。コロムビア入社も主に生活費のためであったと考えられる。古関本人は作曲の勉強のための洋行を希望していたが、自身の内気な性格と当時の不況などが重なりそれは叶わなかった[21]。東京に移ってからのオーケストラ作品には、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があり[22]、これはストラヴィンスキー的な音楽であるといわれている。また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲している。

1934年(昭和9年)、古関が25歳の頃、「利根の舟唄」(詩:高橋掬太郎、唄:松平晃)が自身初のヒット曲となり、作曲家としての地位を確立[23]。翌年の1935年(昭和10年)には新民謡調の「船頭可愛や」(詩:高橋掬太郎、唄:音丸)が26万枚を売り上げる大ヒットを記録し、人気作曲家の仲間入りを果たす[24]。「船頭可愛や」は瀬戸内海をイメージした長調の曲[※ 3][25]で、1939年(昭和14年)には世界の舞台でも活躍したオペラ歌手・三浦環もレコードに吹き込んでいる[26]。

この頃、声楽家志望だった妻の金子は帝国音楽学校へ進んでいた。金子は後に声楽家のベルトラメリ能子(よしこ)及びその師のディーナ・ノタルジャコモの教えを受けた[27]。また同時期に古関は伊藤久男と交流を持ち、伊藤久男も帝国音楽学校へ入学することになる。作曲家の古関と作詞家の野村俊夫(福島市出身)、歌手の伊藤久男(本宮市出身)の三人はいずれも福島県出身で「コロムビア三羽ガラス」と呼ばれた[9]。

太平洋戦争中
太平洋戦争中の古関は数々の名作軍歌、戦時歌謡を発表した。1944年4月、古関は、作家の火野葦平や洋画家の向井潤吉と共に特別報道班員に選ばれ、インパール作戦が行われているビルマに派遣された。ビルマ首都のラングーンに到着後、火野から歌詞を託され、ペストが蔓延する状況の中で「ビルマ派遣軍の歌」を完成させた[28][29]。

古関メロディーのベースであったクラシックと融合した作品は、哀愁をおびたせつない旋律のもの(「愛国の花」「暁に祈る」など)が多かったが、それが戦争で傷ついた大衆の心の奥底に響き、支持された。戦時歌謡を作るかたわら、ヴァイオリン協奏曲のスケッチを重ねていたが、完成に至らぬうちに譜面が散逸したという。古関自身、前線での悲惨な体験や目撃が「暁に祈る」や「露営の歌[2]」に結びついたと証言している。また自らの作品で戦地に送られ、戦死した人への自責の念を持ち続けていた。

終戦後

戦後は、暗く不安な日本を音楽によって明るくするための活動に力を注ぎ、クラシックの香り溢れる流行歌や、勇壮で清潔感のあるスポーツ音楽が大衆の心をとらえた。長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌「長崎の鐘」をはじめ、毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」や戦後日本の発展の象徴でもある1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた「オリンピック・マーチ」といったスポーツ音楽、現在も日曜以外のほぼ毎日放送されている『ひるのいこい』や『日曜名作座』といったラジオ番組のテーマ曲、その他にも「フランチェスカの鐘」「高原列車は行く」などの格調高い曲を数多く創作した。

テノールの美しい音色と格調のあるドイツ歌曲の唱法を基礎にした「クルーン唱法」で歌唱する藤山一郎、叙情溢れるリリックなバリトンで熱唱する伊藤久男など、古関の曲は実力派歌手にも恵まれた。

戦後は劇作家の菊田一夫と出会い、菊田脚本の戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」を皮切りに、菊田と名コンビを組み、『君の名は』などのラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカルの数々のヒット作品を世に送り出した。1961年に菊田と手がけた森光子主演の『放浪記』は長期公演舞台となった。また、戦後の古関は、クラシック音楽の作曲を完全に諦めていたわけではなく、菊田と共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいる。

古関は、NHKテレビラジオを通じて各音楽番組にも出演。ラジオドラマ『君の名は』では放送中に、スタジオにハモンドオルガンを持ち込み、生演奏をして劇中伴奏を務め、他の番組でも時折生演奏を行った。

晩年と死後
フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を、1972年10月の放送開始から初代司会者の萩本欽一とともに1984年6月24日に降板するまで務めていた。

1977年、「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待された。大会旗掲揚に当たり大会歌の大合唱が起こり、その光景に感激したという。また、この大会では古関の母校である福島商業高校が甲子園初勝利を挙げ、自らが作曲した校歌を聴くことが出来た。

1979年には最初の福島市名誉市民に選ばれ[30]、同地には1988年11月12日に「福島市古関裕而記念館」も建てられている。しかし古関はこの頃すでに入院生活を送っていたため、足を運ぶことは出来なかった。

傘寿の誕生日を迎えて1週間足らずの1989年(平成元年)8月18日午後9時30分、古関は脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で没した(享年80)[31]。墓所は妻・金子(1980年没、享年68)と同じ神奈川県川崎市の春秋苑。古関家の墓がある福島市信夫山にも分骨された[32]。同年の秋ごろ、古関への国民栄誉賞の授与が遺族に打診されるも古関の遺族はこれを辞退した。その理由について、古関の長男は「元気に活動している時ならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と没後追贈に疑問を持ったためとしている[33]。このタイミングでの国民栄誉賞受賞をしていれば、作曲家としては1978年(昭和53年)の古賀政男に次いで史上二人目となる予定であった[※ 4]。

2009年4月11日に生誕100年を記念し、JR福島駅の発車メロディーに古関の作品が採用されることになった。在来線ホームに「高原列車は行く」、新幹線ホームに「栄冠は君に輝く」が採用され、発車メロディー用に30秒間にアレンジされた曲が流れている[35]。

同年8月11日、同じく生誕100年を記念しモニュメントが古関の地元・福島市の福島駅東口駅前広場に設置された[36]。制作・施工費は約1500万円。30歳代後半の古関が、自身が愛用したオルガンを奏でる姿をかたどったデザインで、午前8時から午後8時までの1時間おきに「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」などの古関が作曲したメロディーが流れる仕組みになっている。

2017年夏以降、出生地などで「野球殿堂」入りを応援する動きが活発になっている[37]。

2020年3月30日から同年11月27日にかけて、古関をモデルとした「古山裕一」を主人公とするNHK連続テレビ小説『エール』が、窪田正孝の主演(子供時代・石田星空)で放送された[38]。

2020年6月30日、「高原列車は行く」のモデルとなった磐梯急行電鉄(出典原文では「沼尻軽便鉄道」記載)の歴史をたどり猪苗代町住民有志が作製したDVDが古関の出身地・福島市に寄贈された[39]。


家族
妻・金子との間に2女1男。
娘2人は戦前の生まれ。終戦間際に娘2人と妻を福島県福島市および信夫郡飯坂町の知人宅に疎開させ、裕而も一時同居している[40]。
長男・正裕は戦後生まれ。アマチュア時代のヴィレッジ・シンガーズのキーボード担当だったが脱退。会社員を退職後、祖父の屋号に因んだ女性2人との音楽ユニット「喜多三」を主宰して、伴奏を担当[41]。父母を回想する新聞雑誌や音楽番組にも協力している。
裕而の5歳下の弟・弘之ひろしは、戦前に東京で就職後、戦中に福島県に戻って県職員となり、退職後再び上京してデザイン会社に勤務した[42]。


主な作品

太平洋戦争前 - 戦中期
1931年「福島行進曲」(作詞:野村俊夫、歌:天野喜久代)
1931年「福島夜曲(セレナーデ)」(作詞:竹久夢二、歌:阿部秀子)[※ 5]
1931年「日米野球行進曲」(作詞:久米正雄、歌:コロムビア合唱団)
1932年「恋の哀愁(エレジー)」(作詞:西岡水郎、歌:天野喜久代)
1932年「我等の満洲」(作詞:西岡水郎、歌:内田栄一)
1932年「皇軍行進曲」(作詞:西岡水郎、歌:長谷川堅二)
1933年「国立公園日本アルプス行進曲」(作詞:本山卓、歌:関種子、中野忠晴)
1933年「国立公園麗しの瀬戸内海」(作詞:佐藤惣之助、歌:中野忠晴、淡谷のり子)
1933年「青森市民歌」(作詞:岩村芳麿、歌:中野忠晴、コロムビア男声合唱団)
1934年「宮崎県民歌(初代)」(作詞:桑原節次、歌:中野忠晴、伊藤久男)[※ 6]
1934年「利根の舟唄」(作詞:高橋掬太郎、歌:松平晃)
1934年「河原すすき」(作詞:高橋掬太郎、歌:ミス・コロムビア)
1935年「船頭可愛や」(作詞:高橋掬太郎、歌:音丸)[※ 7]
1936年「ミス仙台(仙台小唄)」(作詞:西條八十、歌:二葉あき子)[※ 8]
1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」(作詞:佐藤惣之助、歌:中野忠晴)
1936年「慰問袋を」(作詞:高橋掬太郎、歌:コロムビア合唱団)
1936年「大島くづし」(作詞:西條八十、歌:音丸)
1936年「串本そだち」(作詞:西岡水郎、歌:音丸)
1936年「米山三里」(作詞:高橋掬太郎、歌:音丸)
1936年「浜は九十九里」(作詞:高橋掬太郎、歌:音丸)
1937年「釜石市民歌」(作詞:広瀬喜志、歌:霧島昇)
1937年「田家の雪」(作詞:西條八十、歌:音丸)
1937年「峠の馬子唄」(作詞:久保田宵二、歌:霧島昇)
1937年「彈雨を衝いて」(作詞:高橋掬太郎、歌:伊藤久男)[※ 9]
1937年「露営の歌[2]」(作詞:薮内喜一郎、歌:中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章)
1937年「続 露営の歌」(作詞:佐藤惣之助、歌:霧島昇、伊藤久男、二葉あき子)
1938年「愛國の花」(作詞:福田正夫、歌:渡辺はま子)
1938年「婦人愛國の歌」(作詞:仁科春子、歌:霧島昇、松原操、コロムビア女声合唱団)[※ 10]
1938年「憧れの荒鷲」(作詞:西條八十、歌:ミス・コロムビア、二葉あき子、松平晃)
1939年「巨人軍の歌(野球の王者)」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤久男)[※ 11]
1939年「よくぞ送って下さった 斎藤大使遺骨礼送に対し米国へ寄せる感謝の歌」(作詞:西條八十、歌:瀬川伸)[※ 12]
1939年「荒鷲慕いて」(作詞:西條八十、歌:松平晃、松原操、二葉あき子、香取みほ子、渡辺はま子)
1939年「月のバルカローラ」(作詞:服部竜太郎、歌:三浦環)
1940年「暁に祈る」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1940年「嗚呼北白川宮殿下」(作詞:二荒芳徳、歌:伊藤武雄、二葉あき子)
1940年「満州鉄道唱歌」(作詞:藤晃太郎、歌:霧島昇、松原操)
1941年「海の進軍」(作詞:海老名正男、歌:伊藤久男、藤山一郎、二葉あき子)[※ 13]
1941年「宣戦布告」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男、霧島昇)
1941年「英國東洋艦隊潰滅」(作詞:高橋掬太郎、歌:藤山一郎)[※ 14]
1941年「みんな揃って翼賛だ」(作詞:西條八十、歌:霧島昇、松原操、高橋祐子)
1941年「国民皆労の歌〜若い戦士〜」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤武雄、二葉あき子)
1941年「花と乙女」(作詞:高橋掬太郎、歌:二葉あき子、コロムビア女声合唱団)
1941年「野口英世」(作詞:土井晩翠、歌:不明)[※ 15]
1942年「元気で皆勤」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤久男、真木あや子)
1942年「斷じて勝つぞ」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)[※ 16]
1942年「皇軍の戦果輝く」(作詞:野村俊夫、歌:霧島昇)
1942年「防空監視の歌」(作詞:相馬御風、歌:藤山一郎、二葉あき子)
1942年「大東亞戰争陸軍の歌」(作詞:佐藤惣之助、歌:伊藤久男、黒田進(楠木繁夫)、酒井弘)
1942年「シンガポール晴れの入城」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1942年「アメリカ爆撃」(作詞:野村俊夫、歌:コロムビア合唱団)
1942年「空の軍神」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎)
1943年「みなみのつわもの」(南方軍報道部選定、歌:伊藤久男)
1943年「大南方軍の歌」(南方軍制定歌、歌:霧島昇)
1943年「海を征く歌」(作詞:大木惇夫、歌:伊藤久男)
1943年「戰ふ東條首相」(作詞:小田俊與、歌:伊藤武雄)[※ 17]
1943年「あの旗を撃て」(作詞:大木惇夫、歌:伊藤久男)
1943年「かちどき音頭」(作詞:野村俊夫、歌:佐々木章、松原操、近江俊郎)
1943年「決戦の大空へ」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎、日蓄男声合唱団)
1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西條八十、歌:霧島昇、波平暁男)
1943年「撃ちてし止まん」(作詞:小田俊與、歌:霧島昇)
1944年「ビルマ派遣軍の歌」(作詞:火野葦平、歌:コロムビア男声合唱団)
1944年「ラバウル海軍航空隊」(作詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦)[※ 18]
1944年「制空戰士」(作詞:大木惇夫、歌:波平暁男、酒井弘、奈良光枝)
1944年「雷撃隊出動の歌」(作詞:米山忠雄、歌:霧島昇、波平暁男)
1944年「臺灣沖の凱歌」(作詞:サトウハチロー、歌:近江俊郎、朝倉春子)
1944年「フィリピン沖の決戦」(作詞:藤浦洸、歌:伊藤武雄)
1944年「嗚呼神風特別攻撃隊」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤武雄、安西愛子、伊藤久男)[※ 19]
1944年「比島決戦の歌」(作詞:西條八十、歌:酒井弘、朝倉春子)[※ 20]
1944年「女子挺身隊の歌(輝く黒髪)」(作詞:西條八十、歌:千葉静子)
1944年「アイウエオの歌」(作詞:サトウハチロー、歌:日蓄合唱団、演奏:大東亜交響楽団、松竹軽音楽団)
1945年「特別攻撃隊(斬込隊)」(作詞:勝承夫、歌:藍川由美)[※ 21]


太平洋戦争後
1946年「竹田病院々歌」(作詞:土井晩翠)
1947年「夢淡き東京」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1947年「白鳥の歌」(作詞:若山牧水、歌:藤山一郎、松田トシ)
1947年「雨のオランダ坂」(作詞:菊田一夫、歌:渡辺はま子)
1947年「三日月娘」(作詞:薮田義雄、歌:藤山一郎)
1947年「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、歌:川田正子、コロムビアゆりかご会)
1947年「夜更けの街」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1948年「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大介、歌:伊藤久男)
1948年「フランチェスカの鐘」(作詞:菊田一夫、歌:二葉あき子)
1948年「国境の灯」(作詞:西條八十、歌:霧島昇)
1948年「スポーツ県民歌」(作詞:西條八十)
1948年「若き日のエレジー」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団)
1949年「都市対抗を讃える野球の歌」(作詞:青木薫、補作詞:サトウハチロー)
1950年「別れのワルツ」(スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(日本では蛍の光として知られる)の編曲)
なお、レコードに表示されている「ユージン・コスマン(編曲)」「ユージン・コスマン管弦楽団(演奏)」は本名(古関裕而)をもじって命名された[43]。
1950年「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」(作詞:小島情、補作詞:サトウハチロー、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団)
1950年「私のドラゴンズ」(作詞:田中順二、補作詞:藤浦洸、歌:安西愛子)
1950年「東急フライヤーズの唄 / 東映フライヤーズの歌」(作詞:藤浦洸)
東急フライヤーズが1954年に東映フライヤーズに改称した際は、曲名・歌詞に最小限の改訂を加えて継続使用された。1967年に古関が旋律を大幅に改訂している。
1950年「薔薇と蜜蜂」(作詞:野村俊夫、歌:二葉あき子)
1950年「福島県スポーツの歌」(作詞:小林金次郎、歌:藤山一郎)
1950年「われらが愛知」(作詞:若葉清成、補作詞:西條八十、歌:藤山一郎、安西愛子)
1951年「恋を呼ぶ歌」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1951年「さくらんぼ大将」(作詞:菊田一夫、歌:川田孝子、コロムビアゆりかご会)
1951年「さくらんぼ道中」(作詞:菊田一夫、歌:古川ロッパ、土屋忠一)
1951年「あこがれの郵便馬車」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
1951年「ニコライの鐘」(作詞:門田ゆたか、歌:藤山一郎)
1951年「薄紫の山脈(島根県民の歌)」(作詞:米山治、歌:藤山一郎、立川清登)
1951年「白いランプの灯る道」(作詞:丘灯至夫、歌:奈良光枝)
1951年「長崎の雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎)
1952年「黒百合の歌」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1952年「夜船の灯り」(作詞:野村俊夫、歌:久保幸江)
1952年「いつだったかな」(作詞:菊田一夫、歌:越路吹雪)
1952年「ジロリンタンのうた」(作詞:サトウハチロー、歌:安西愛子、杉の子こども会)
1953年「君の名は」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1953年「君いとしき人よ」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1953年「ひめゆりの塔」(作詞:西條八十、歌:伊藤久男)
1953年「みどりの雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎)
1953年「みどりの馬車」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
1953年「岬の灯り」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
1954年「サロマ湖の歌」(作詞:中山正男、歌:伊藤久男)
1954年「滋賀県民の歌」(作詞:蓼沢猟(五味道茂)、補作詞:西條八十、歌:岡本敦郎、奈良光枝、コロムビア合唱団)
1954年「数寄屋橋エレジー」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1954年「チャンドラムの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1954年「花のいのちを」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、奈良光枝)
1954年「秋草の歌」(作詞:西條八十、歌:奈良光枝)
1954年「綾の歌」(作詞:菊田一夫、歌:淡島千景)
1954年「百万石音頭」(作詞:丘十四夫、歌:伊藤久男、永田とよこ)
1954年「福島音頭」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男、神楽坂はん子)
1954年「郡山市民の歌」福島県郡山市(作詞:内海久二)
1954年「君は遙かな」(作詞:菊田一夫、歌:佐田啓二、織井茂子)
1954年「忘れ得ぬ人」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1955年「花売馬車」(作詞:西條八十、歌:美空ひばり)
1955年「我が家の灯」(作詞:西條八十、歌:美空ひばり)
1955年「あゝ藤原湖」(作詞:西條八十、歌:伊藤久男、奈良光枝)
1956年「メコンの舟歌」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)[※ 22]
1957年「忘却の花びら」(作詞:菊田一夫、歌:草笛光子)
1957年「荷物片手に」(作詞:野口雨情、歌:森繁久彌)
1957年「二本松少年隊」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男)
1958年「オリンピック賛歌」(作詞:コスティス・パラマス、作曲:スピロ・サマラス。第1回アテネ大会時の紛失ピアノ楽譜を発見、採譜・オーケストラ編曲。古関のオーケストラ譜は現在に至るまで用いられる)
1959年「城南信用金庫の歌」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎、安西愛子)
1960年 陸上自衛隊隊歌「この国は」(作詞:大関民雄、補作詞:西沢爽)
1960年 陸上自衛隊隊歌「君のその手で」(作詞:西沢爽)
1960年 陸上自衛隊行進歌「聞け堂々の足音を」(作詞:梅津統秋、補作詞:サトウハチロー)
1960年「スカイラインの歌」(作詞:野村俊夫、歌:守屋浩)
1960年「花のスカイライン」(作詞:内海久二、補作詞:野村俊夫、歌:守屋浩)
1961年「モスラの歌」(作詞:本多猪四郎、田中友幸、関沢新一、歌:ザ・ピーナッツ)
1961年「夕月」(作詞:菊田一夫、歌:島倉千代子)[※ 23]
1961年「ハーモニカ小僧」(作詞:菊田一夫、歌:中山千夏)
1963年「あの橋の畔で」(作詞:菊田一夫、歌:島倉千代子)
1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」(作詞:椿三平、歌:守屋浩、三鷹淳、若山彰)
1964年「オリンピック・マーチ」(演奏:陸上自衛隊中央音楽隊)
1964年「故郷はいつも瞼に」(作詞:野村俊夫、歌:不明)
1966年「スカーレット・オハラ」(作詞:菊田一夫、歌:那智わたる)
1968年 青年海外協力隊隊歌「若い力の歌」(作詞:山田哲、補作詞:藤田まさと、歌:藤山一郎)
1968年「若鷲の歌」(作詞:西條八十、歌:西郷輝彦)[※ 24]
1969年「青春の鐘」(作詞:丘灯至夫、歌:舟木一夫)
1970年「アニメンタリー 決断」テーマソング「決断」(作詞:丘灯至夫、歌:幹和之)
1970年 陸上自衛隊隊歌「栄光の旗の下に」(作詞:赤堀達郎、補作詞:藤田正人)
1971年「純白の大地(札幌冬季オリンピックの歌)」(歌:日本合唱協会)
1977年「ドカベン」挿入歌「ああ甲子園」(作詞:保富康午、編曲:菊池俊輔、歌:日唱)
1978年「わがまち春日井」(作詞:岡本淳三、補作詞:春日井市民の歌作成委員会、歌:ダークダックス)
1979年「若さと英知〜日本ビジネスコンサルタント社歌」(原案:社内公募、作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳)
1985年「日立物流社歌」(作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳)


映画音楽
主題歌のみのものは除く。

1939年「戦ふ兵隊」(亀井文夫監督)
1944年「桃太郎 海の神兵」(瀬尾光世演出)
1948年 - 1949年「鐘の鳴る丘」3部作(佐々木啓祐監督)
1950年「長崎の鐘」(大庭秀雄監督)
1952年「安宅家の人々」(久松静児監督)
1953年「ひめゆりの塔」(今井正監督)
1953年「太平洋の鷲」(本多猪四郎監督)
1953年 - 1954年「君の名は」3部作(大庭秀雄監督)
1955年「赤いカンナの花咲けば」(小田基義監督)
1957年「永すぎた春」(田中重雄監督)
1957年「大学の侍たち」(青柳信雄監督)
1958年「共犯者」(田中重雄監督)
1959年「鉄腕投手 稲尾物語」(本多猪四郎監督)[44]
1960年「がめつい奴」(千葉泰樹監督)
1961年「社長道中記」(松林宗恵監督)
1961年「モスラ」(本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)
1962年「放浪記」(成瀬巳喜男監督)


クラシック音楽

交響曲(第1番から第3番の3曲)
ヴァイオリン・チェロのための協奏曲
五台のピアノのための協奏曲
一茶の句による小品童曲
和歌を主題とせる交響楽短詩
舞踊組曲「竹取物語」
舞踊詩「線香花火」
交響詩「大地の反逆」
管弦楽組曲「戦場の印象」
室内管弦楽曲「亡き愛児に捧ぐる歌」


校歌・学校歌・応援歌

早稲田大学応援歌「紺碧の空」(作詞:住治男)1931年
早稲田大学応援歌「ひかる青雲」1947年
慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」(作詞:藤浦洸)1946年
早慶讃歌 〜花の早慶戦〜(作詞:藤浦洸)1968年
中央大学応援歌「ああ中央の若き日に」(中央大学学友会選定歌詞)1948年
東京農業大学応援歌「カレッジソング」(作詞:吉田精一)1935年
明治大学応援歌「紫紺の旗の下に」(作詞:明治大学応援団、補作詞:野村俊夫)1955年
日本大学水上応援歌「水の覇者日大」(作詞:サトウハチロー)
日本大学工学部学部歌
日本大学松戸歯学部学生歌(作詞:神保光太郎)
奥羽大学(旧:東北歯科大学)校歌
名城大学応援歌「真澄の空に」
明治薬科大学学歌(作詞:林柳波)
横浜市立大学校歌(作詞:西條八十)
聖マリアンナ医科大学校歌(作詞:藤浦洸)1973年
杏林大学校歌(作詞:池田文雄)
崇城大学校歌(作詞:山口白陽)
青森山田学園学園歌「意気と熱(まこと)に」(作詞:北畠八穂)
宮城県築館高等学校校歌(作詞:白鳥省吾)1950年
福島県立福島商業高等学校校歌「若きこころ」(作詞:野村俊夫)1957年
福島県立福島工業高等学校校歌
福島県立会津高等学校校歌(作詞:柳澤健)
福島県立原町高等学校校歌(作詞:多田利男)
福島県立平工業高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
茨城県立取手第二高等学校校歌(作詞:西條八十)
埼玉県立八潮南高等学校校歌
千葉県立国府台高等学校校歌(作詞:サトウハチロー)
千葉県立白井高等学校校歌
富山県立伏木高等学校校歌(作詞:中山輝)
名古屋中学校・高等学校校歌 「希望羽ばたく」(作詞:門田ゆたか)1959年
滋賀県立彦根東高等学校校歌(作詞:吉田精一)1952年
大阪市立扇町第二商業高等学校校歌(作詞:廣橋一男)
國學院大學久我山中学校・高等学校創立三十五周年記念歌
早稲田中学校・高等学校第2校歌(作詞:西條八十)1964年
早稲田実業高等学校応援歌
東京都立工業高等専門学校校歌(作詞:野村俊夫)
日本航空高等学校校歌(作詞:米山愛紫)
静岡学園高等学校校歌
愛知啓成高等学校校歌(作詞:高女十二回生)
福井工業高等専門学校校歌(作詞:内藤敏夫)
三重県立四日市高等学校応援歌「希望の門」
三重県立いなべ総合学園高等学校校歌
広島県立呉三津田高等学校校歌(作詞:藤浦洸)
香川県立善通寺第一高等学校校歌(作詞:中河与一)
大牟田中学校・高等学校校歌(作詞:頓田元穂)
東福岡高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立戸畑高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立戸畑高等学校応援歌(作詞:火野葦平)
福岡県立若松高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立八幡工業高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立直方高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立香椎高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立香椎工業高等学校校歌(作詞: 清水みのる)
福岡県立福岡工業高等学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県立西田川高等学校校歌(作詞:火野葦平)
長崎県立島原工業高等学校校歌(作詞:宮崎康平)
長崎県立国見高等学校校歌(作詞:宮崎康平)
長崎県立小浜高等学校校歌(作詞:宮崎康平)
鹿児島県立大口高等学校校歌(作詞:海音寺潮五郎)
福島県二本松市立二本松第三中学校校歌
福島県保原町立保原中学校校歌[45]→伊達市立松陽中学校校歌・伊達市立桃稜中学校校歌
福島県本宮市立本宮第一中学校校歌(作詞:小林金次郎)
栃木県日光市立日光中学校校歌(作詞:西條八十)
茨城県阿見町立朝日中学校校歌(作詞:丘灯至夫)[46][47]
茨城県阿見町立阿見第二小学校校歌(作詞:丘灯至夫)
東京都葛飾区立新宿中学校校歌(作詞:西條八十)
埼玉県さいたま市立東浦和中学校校歌(作詞:下山つとむ)
埼玉県八潮市立八潮中学校校歌(作詞:下山つとむ)
埼玉県鶴ヶ島市立鶴ヶ島中学校校歌(作詞:野村俊夫)
静岡県静岡市立安東中学校校歌(作詞:藤浦洸)
愛知県西尾市立吉良中学校校歌(作詞:中村素堂)1970年
京都府京都市立加茂川中学校校歌(作詞:吉井勇)
京都府宮津市立宮津中学校校歌(作詞:能勢佐十郎)
広島県府中市立第二中学校校歌(作詞:木下夕爾)
広島県府中市立第二中学校生徒歌
広島県府中市立第二中学校応援歌
広島県府中市立第三中学校校歌
福島県福島市立福島第二小学校校歌「風だ光りだ」
福島県福島市立福島第三小学校校歌
福島県福島市立福島第四小学校校歌
新潟県見附市立見附小学校校歌(作詞:西條八十)
茨城県大子町立袋田小学校校歌(作詞:野村俊夫)1958年
東京都世田谷区立経堂小学校校歌(作詞:西條八十)(作品名:みどりあかるい)1951年
東京都大田区立徳持小学校校歌(作詞:野村俊夫)1955年
東京都板橋区立成増小学校校歌(作詞:和田隆夫)
東京都町田市立町田第一小学校校歌(作詞:西條八十)
神奈川県藤沢市立藤沢小学校校歌(作詞:西條八十)
神奈川県愛川町立半原小学校校歌(作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳)
千葉県大多喜町立大多喜小学校校歌(作詞:西條八十)
静岡県焼津市立大井川南小学校校歌(作詞:藤田正人)
愛知県小牧市立小木小学校校歌(作詞:船橋久男)
京都府京都市立紫竹小学校校歌(作詞:吉井勇)[48]
広島県広島市立牛田小学校校歌(作詞:葛原しげる)
広島県府中市立明郷小学校校歌
福岡県福岡市立高宮小学校校歌(作詞:西條八十)
福岡県北九州市立熊西小学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県北九州市立修多羅小学校校歌(作詞:火野葦平)
福岡県北九州市立浜町小学校校歌(作詞:火野葦平)
鹿児島県肝付町立内之浦小学校校歌
その他
1937年 ラジオドラマ「当世五人男」
1945年 NHKラジオドラマ「山から来た男」
1949年 NHKスポーツ中継テーマ曲「スポーツショー行進曲」(演奏:コロムビア・ブラスバンド)
1950年 NHK「今週の明星」テーマ曲(作詞:藤浦洸)
1954年 ニッポン放送「ニッポン放送行進曲」(演奏:ニッポン放送管弦楽団)
1956年 NHKテレビ「歌の広場」テーマ曲(作詞:丘灯至夫)
1956年「豊橋市歌」(作詞:辰己利郎、補作詞:丸山薫)[49]
1959年 日本ライオンズクラブ会員歌「日本ライオンズの歌」(作詞:藤浦洸)
1959年 舞台劇「がめつい奴」
1960年 舞台劇「がしんたれ 青春篇」
1961年 舞台劇「放浪記」
1961年 舞台劇「香港」主題歌「われ君を愛す」(作詞:菊田一夫、歌:浜木綿子)
1966年 舞台劇「風と共に去りぬ」
1966年「焼津市民歌」(作詞:服部順市)[50]
1966年「阿武隈の歌」(作詞:若山牧水)
1970年 福島わらじまつりテーマソング「わらじ音頭」(作詞:茂木宏哉、補作詞:丘灯至夫、歌:舟木一夫)
1970年 NHK「日曜名作座」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)
1970年 NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ曲(演奏:コロムビア・オーケストラ)
1970年「スポーツ日本の歌」(演奏:コロムビア吹奏楽団)
1970年 NHKラジオ「早起き鳥」テーマ曲(作詞:佐藤竜太、歌:三鷹淳、真理ヨシコ)
1973年 舞台劇「道頓堀」
1973年 世田谷ロータリークラブ会員歌「日も風も星も」(作詞:楠本憲吉)
1980年「川俣町民の歌」
NHK「教育テレビ放送開始・終了」テーマ曲
緑の羽根募金主題歌「みどりの歌」(作詞:中村利春、歌:藤山一郎、安西愛子)1948年
日本PTA全国協議会制定歌「PTAの歌」(作詞:春日紅路、補作詞:西條八十、歌:藤山一郎、松田トシ)1951年
日本火災海上保険株式会社社歌(作詞:藤浦洸)1961年
西武鉄道社歌(作詞:門田ゆたか)1953年[51]
城南信用金庫の歌(作詞:西條八十)1959年
山一證券株式会社社歌(作詞:西條八十、歌:伊藤久男)
山崎製パン社歌(作詞:藤浦洸)
川崎信用金庫社歌
日本生命社歌(作詞:鈴木義輝、歌:岡本敦郎)
十八銀行行友の歌「旺んなるかな」(作詞:藤浦洸)
株式会社島屋社歌(作詞:藤浦洸)
小松製作所社歌(作詞:河合良成)
日本電装株式会社社歌(作詞:西條八十)
日本製鋼所社歌(作詞:鈴木肇、歌:友岡幹生)
三重交通社歌(作詞:奥山幸一)
不二家社歌(作詞:布谷真須枝)[52]
第一興商社歌「明日をつくる」(作詞:石本美由起)
パイオニア初代社歌「パイオニアわれら」[53]
関西電力社歌「呼ぼうよ雲を」(作詞:竹中郁、歌:伊藤久男、安西愛子)
東北電力株式会社社歌(作詞:伊沢清)
鈴木自動車工業株式会社社歌(作詞:藤浦洸)
三越社歌
日本住宅公団の歌(作詞:サトウハチロー)
松下電器行進曲「月日とともに」(作詞:山田博夫)1951年
山喜社歌「清くけだかき白鳥の」(作詞:西條八十)1961年
東宝株式会社社歌(作詞:佐原文吾(撮影所製作課)、補作詞:岩谷時子、歌:草笛光子、高島忠夫)1962年
常磐炭礦(現・常磐興産)礦歌(社歌)「我等の力」(作詞:野村俊夫)[54]
常磐炭礦(現・常磐興産)野球部応援歌「若きいのち」(作詞:野村俊夫)[54]
TDK社歌(作詞:藤浦洸)
海上自衛隊隊歌「海をゆく」(作詞:旧版 - 佐久間正門 現行版 - 松瀬節夫)
守口市歌(作詞:安西冬衛)
山形県北村山郡大石田町町民歌(斎藤茂吉歌集「白き山」より)
古川小唄[55]
西山浄土宗宗歌「念仏讃」(作詞:西山国師証空)

著書
『鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝』、主婦の友社、1980年
『古関裕而―鐘よ鳴り響け』、日本図書センター〈人間の記録〉、1997年、ISBN 4820542575
『鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝』、集英社文庫、2019年、ISBN 978-4087440591
(長男・古関正裕との共著) 『風景の調べ―古関裕而スケッチ集』、古関裕而(私刊)、1988年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E9%96%A2%E8%A3%95%E8%80%8C
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1019.html

[近代史6] 古関 裕而 露営の唄
露営の唄 1937年 9月発売 作詞 籔内喜一郎 作曲 古関裕而 編曲 奥山貞吉


露営の歌 中野忠晴・霧島昇・伊藤久男・松平晃・佐々木章


露営の唄 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9C%B2%E5%96%B6%E3%81%AE%E5%94%84

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1020.html

[近代史4] 電源・電源ケーブルの世界 中川隆
15. 中川隆[-14648] koaQ7Jey 2021年12月09日 21:00:01 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[30]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
玉石混合のシステムの場合
2021年12月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d2ff8452a35938038d56979bd88f0eb1


以前プリアンプの内部配線を必要箇所交換して、「音出し確認」したら全くダメで、テープのINとOUTの配線のみ未交換でした。(テープは使わない予定だった)そこで、テープのINとOUTの配線も同じ配線に交換したら、狙っていた音質・質感になった。

同じ事がシステム全体にも言える。何処か1ヶ所でもグレードの低い機器やケーブルが有ると、その低いグレードに音質は引っ張られる。結局「グランドライン」でシステム全部が繋がっている。関係ない部分と思っても、結局は「見えない部分で繋がっている」訳で、すべてのケーブルのグレードと機器のグレードを合わせないと、低いグレードの機器やケーブルの音質・質感になって行く。

玉石混合の何処か1ヶ所良くしても、全体のレベルはそう簡単には上がらない。音質を追及して行くと、その辺の処まで追求する事になる。

「出ているサウンド」はシステム全体の「総合力」なのです。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d2ff8452a35938038d56979bd88f0eb1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/121.html#c15

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
142. 中川隆[-14647] koaQ7Jey 2021年12月09日 21:00:44 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[31]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
玉石混合のシステムの場合
2021年12月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d2ff8452a35938038d56979bd88f0eb1


以前プリアンプの内部配線を必要箇所交換して、「音出し確認」したら全くダメで、テープのINとOUTの配線のみ未交換でした。(テープは使わない予定だった)そこで、テープのINとOUTの配線も同じ配線に交換したら、狙っていた音質・質感になった。

同じ事がシステム全体にも言える。何処か1ヶ所でもグレードの低い機器やケーブルが有ると、その低いグレードに音質は引っ張られる。結局「グランドライン」でシステム全部が繋がっている。関係ない部分と思っても、結局は「見えない部分で繋がっている」訳で、すべてのケーブルのグレードと機器のグレードを合わせないと、低いグレードの機器やケーブルの音質・質感になって行く。

玉石混合の何処か1ヶ所良くしても、全体のレベルはそう簡単には上がらない。音質を追及して行くと、その辺の処まで追求する事になる。

「出ているサウンド」はシステム全体の「総合力」なのです。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d2ff8452a35938038d56979bd88f0eb1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c142

[近代史4] ケーブルで音は変わらない? _ オーディオ・マニアのバイブル「オーディオの科学」の何処がおかしいか 中川隆
7. 中川隆[-14646] koaQ7Jey 2021年12月09日 21:01:08 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[32]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
玉石混合のシステムの場合
2021年12月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d2ff8452a35938038d56979bd88f0eb1


以前プリアンプの内部配線を必要箇所交換して、「音出し確認」したら全くダメで、テープのINとOUTの配線のみ未交換でした。(テープは使わない予定だった)そこで、テープのINとOUTの配線も同じ配線に交換したら、狙っていた音質・質感になった。

同じ事がシステム全体にも言える。何処か1ヶ所でもグレードの低い機器やケーブルが有ると、その低いグレードに音質は引っ張られる。結局「グランドライン」でシステム全部が繋がっている。関係ない部分と思っても、結局は「見えない部分で繋がっている」訳で、すべてのケーブルのグレードと機器のグレードを合わせないと、低いグレードの機器やケーブルの音質・質感になって行く。

玉石混合の何処か1ヶ所良くしても、全体のレベルはそう簡単には上がらない。音質を追及して行くと、その辺の処まで追求する事になる。

「出ているサウンド」はシステム全体の「総合力」なのです。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d2ff8452a35938038d56979bd88f0eb1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/543.html#c7

[近代史7] 山田耕筰(1886年 6月9日 - 1965年12月29日) 中川隆
1. 中川隆[-14645] koaQ7Jey 2021年12月09日 21:38:10 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[33]
山田 耕筰(やまだ こうさく、1886 - 1965)

日本クラシック音楽のパイオニア。後の作曲家達の音空間に共通するある種の日本人作曲家の共通点を既に見せている。

交響曲ヘ長調『かちどきと平和』
2.0点
日本最初の交響曲として名前は有名。ドイツロマン派のようであり、20世紀に書かれた交響曲としては非常に保守的な内容である。管弦楽の扱いはぎこちなくて、平板。曲として面白い場面はない。ドイツロマン派のよくある場面を真似しながらつなぎ合わせたかのような、学生の練習作品のような習作レベルであり、個人的にはガッカリした。しかし、パイオニアというのはこのような所から出発して、高みを目指して研鑽していくもの。日本人クラシック作曲者の原点の記録としてはやはり感慨深い。

長唄交響曲「鶴亀」
1点
長唄が好きな人なら面白いかもしれないが、そうではない自分にはオケと競演して何かが産み出されたように聞こえなかったし、何も楽しくなかった。

橋本 國彦(はしもと くにひこ、1904 - 1949)
交響曲第1番ニ調(1940年)
2.5点
2楽章が面白い。うーんと引き込まれる。他の楽章もわかりやすさの中に凡庸を拒否しており、はしばしにセンスの良さを感じる。

交響曲第2番ヘ調(1947年)
3.3点
2楽章制。1楽章はかなり気に入った。淀みなく進行する音楽がなんとも気持ちいい。品格があり、シベリウスのような豊かな自然と戦争が終わった人類の過去の歴史と未来を思料するような大いなる気分が混ざっていて、胸がいっぱいになるものがある。旋律の一つ一つは平凡だが、交響曲として複雑に組み上げられた結果として意味のあるパーツになっている。20分の大曲だが、もっと聴いていたいくらいだ。2楽章は残念ながらあまりいい曲とは思えない。ピンとこないまま曲が終わってしまう。1楽章がリバイバルするような最後の場面だけ気に入った。

3つの和讃
2.8点
和の心と祈りを多分に含みつつ、マーラー的なしなやかな情感を持った曲。切れ味がよくないのは気になるものの、真摯さと明確な作曲意図があり好意的に聴ける。しかし、一流の音楽というには平凡であることも否めない。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/664.html#c1

[近代史7] 山田耕筰(1886年 6月9日 - 1965年12月29日) 中川隆
2. 中川隆[-14644] koaQ7Jey 2021年12月09日 21:44:57 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[34]
山田 耕筰(やまだ こうさく、1886年〈明治19年〉6月9日 - 1965年〈昭和40年〉12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。

日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動し、欧米諸国でも名前が知られている。


生涯

関西学院生時代(17歳)
旧福島藩士で医者、キリスト教伝道師の山田謙造の子として生まれる。1896年、10歳の時に実父を亡くす。実父の遺言で、巣鴨宮下(現在の南大塚)にあった自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、13歳まで施設で苦学する。1899年、13歳のとき、姉のガントレット恒を頼り岡山の養忠学校に入学[1]。姉の夫のエドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきを受ける。14歳のとき、関西学院中学部に転校。在学中の16歳秋に初めての作品「MY TRUE HEART」を作曲[2][3]。同本科中退を経て1904年、東京音楽学校予科入学、1908年、東京音楽学校(後の東京芸術大学)声楽科を卒業[4]。

1910年(明治43年)から3年間、三菱財閥の総帥岩崎小弥太の援助を受けてドイツのベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学し、マックス・ブルッフなどに学ぶ。ベルリン時代の1912年(大正元年)には日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲した。


マンハッタンにて(1918年)
帰国後の1914年(大正3年)に、岩崎が1910年に組織した東京フィルハーモニー会の管弦楽部首席指揮者を任されるが、自身の恋愛問題により岩崎が激怒し、資金源を断たれて翌年解散する羽目となる。1917年には渡米し、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開く。1920年(大正9年)12月には帝国劇場においてリヒャルト・ワーグナーの「タンホイザー」の一部などを日本初演。

1924年(大正13年)には近衛秀麿と共にハルビンのオーケストラ楽員と日本人楽員を交えたオーケストラの演奏会「日露交歓交響管弦楽演奏会」を主宰、これを母体に近衛と日本交響楽協会を設立。これは現在のNHK交響楽団の前身であるが、不明朗経理を理由に内紛が勃発。黒柳徹子の父・黒柳守綱ら4名を残し大部分の楽員は近衛と行動を共にしたため、山田派は崩壊した。弟子には内田元らがいる。

1921年、文化学院音楽科主任となる。1926年、40歳の頃、湘南の茅ヶ崎町(現:神奈川県茅ケ崎市)に居を構える(同町に約6年間暮らす)。オーケストラ楽団の失敗により多額の借金を抱えていたが、同地で再起。「赤とんぼ」などの童謡名曲が数々生まれる[5]。

1930年(昭和5年)、耕作から耕筰へと改名(後述)。1936年(昭和11年)にはレジオンドヌール勲章受章。1937年(昭和12年)には相愛女子専門学校(現:相愛大学)教授に就任。戦時体制が色濃くなった1940年(昭和15年)には演奏家協会を発足させ、自ら会長に就任する。同年11月にオペラ「黒船」(当初の題名は「夜明け」)を初演。また皇紀2600年奉祝演奏会ではジャック・イベールの新作「祝典序曲」を指揮する。1941年(昭和16年)、情報局管轄下の「日本音楽文化協会」発足、副会長に就任、また音楽挺身隊を結成してしばしば占領地での音楽指導にも携わる。将官待遇となりしばしば軍服姿で行動したため、後の「戦犯論争」の槍玉に挙げられることとなる。1942年(昭和17年)に帝国芸術院会員に選出。1944年(昭和19年)には日本音楽文化協会会長。

終戦後、自身の戦時中の行動に関して、東京新聞で音楽評論家・山根銀二との間に戦犯論争が勃発[6]。論争が収まった頃の1948年(昭和23年)に脳溢血で倒れ、以後体が不自由となる。1950年(昭和25年)、日本指揮者協会会長に就任し、また放送文化賞を受賞。1956年(昭和31年)、文化勲章を受章。離婚・再婚を機に戸籍上の名前も「耕筰」と改める。なお、サインには“Kósçak Yamada”という綴りを使っていた。


1956年
1965年(昭和40年)11月上旬、耕筰は聖路加国際病院に入院していたが、家族が東京都世田谷区成城5丁目に広壮な洋館風の邸宅を借りる。同年12月4日、耕筰は成城の自宅に退院してくる。そして12月29日、自宅2階の南向き10畳間で耕筰は心筋梗塞により死去した。享年80(満79歳没)。墓所は東京都あきる野市の西多摩霊園[7]。

山田のオーケストラ運営
東京フィルハーモニー会
山田は積年の悲願として「日本での本格的なオペラの上演」と「常設オーケストラの設立」を掲げていた。しかし、山田一人ではさすがにどうしようもなかった。そこに現れたのが三菱財閥総帥であり、かなりの音楽愛好家でもあった岩崎小弥太であった。

山田と岩崎の接点は、東京音楽学校のチェロ教師ハインリヒ・ヴェルクマイスターであり、チェロの指導で親交のあった岩崎に、自分が見た中で一番才能がある山田を引き合わせた。山田は岩崎の知遇を得てドイツ留学を果たす一方、岩崎自身も音楽鑑賞のサークルとして「東京フィルハーモニー会」を自ら設立し、スポンサーとなった。最初の頃は軍楽隊や当時人気のあった三越少年音楽隊などが一時的にまとまっての「合同オーケストラ」の形をとっていたが、やがて小規模ながら常設のオーケストラを作り、1915年(大正4年)から帝国劇場で公演を開始した。

ところが、この頃最初の結婚をした山田が程なく別の女性(後にこの女性と再婚)に手を出し、それを聞いた岩崎が激怒。岩崎からの出資が止められた東京フィルハーモニー会は金銭的に困窮することになり、1916年(大正5年)2月にはあっけなく瓦解、山田の悲願は頓挫してしまった。

日本交響楽協会
東京フィルハーモニー会瓦解後、訪米やオペラ上演を経て再び常設オーケストラを作ることを夢見た山田は、「まず本場のオーケストラを呼んで世間の注目をオーケストラに集めよう」と、当時東洋一の実力を謳われていたハルビンの東支鉄道交響楽団を招くことを考えた。招聘話はかなりの部分まで進んだようだが、関東大震災であえなく挫折。翌1924年(大正13年)4月に日本交響楽協会をとりあえず設立したものの、山田は自身のパートナーを探していたし、楽譜などのインフラ整備はまだまだだった。そこに、ヨーロッパ留学から大量の楽譜とともに帰国したばかりの近衛秀麿が山田と面会。山田に助力する旨を伝えた。山田は近衛の参加と原善一郎というロシア語が堪能な敏腕マネージャーを手中にしたことにより、「悲願達成の機は熟した」と判断。大震災で断念した東支鉄道交響楽団の招聘に再び着手する。1925年(大正14年)4月に開催された「日露交歓交響管弦楽演奏会」は成功裏に終わり、それを助走として協会は1926年(大正15年)1月に最初の定期演奏会を開いた。6月まで12回の演奏会を開いたが、思わぬところから協会は崩壊する。

1926年9月8日、近衛が原のリストラを不服として突如協会退会を宣言。近衛を支持する楽員が44名に達して近衛派は新交響楽団(新響)を設立。一方の山田は事情聴取までされた上に黒柳守綱と「モンパルナス・トリオ」(松原与輔、岡村雅雄、郡司昌雄)しか手元に残らなかった(黒柳と岡村は、山田が溺愛していたがゆえに渾身の思いで引き止めたともいわれている)。分裂の原因は使途不明の金銭にまつわる経理の不正が理由とされる。後に関東軍の情報担当にもなった策士の原が一枚絡んでいるという説があるが、もともと山田自身が金銭にルーズな性格だったことも一因として挙げられており、100円(当時)の儲けを山田が50円、残りの楽員全員で50円(平均で1人1円ちょっとの計算となる)としていたことに楽員が不満で、そういう楽員の心境を近衛と原が巧みに掴んで分裂に至らしめたとも言われている。分裂の後、山田と近衛は1931年(昭和6年)ごろに和解し、黒柳らも新響に合流したが、その近衛と原が新響を追い出されるのは4年後であった。このときも原が原因だったという。

山田は金銭面の問題はさておき、指揮者としての実力や情熱は他の指揮者と比べても全く引けは取らなかったようであるが、実力や情熱を以ってしてもオーケストラの運営者として抱くには、どうしても乗り越えられないような壁があったのではないかという指摘もある。例えば井上道義は、「楽員は山田と近衛の性格を比較して、山田からカリスマ性を見出せなかったのではないか」と述べている。

山田は戦後に脳溢血で倒れて体が不自由(左半身不随)になっても、しばしば指揮をした[8]。しかし、そのほとんどは別の指揮者に実際の指揮を任せていたという(ベートーヴェンが第九の初演指揮を、実質ミヒャエル・ウムラウフに委ねていたのと同じ感覚)。「黒船」を大阪で指揮した際も、実際の指揮を朝比奈隆が執っている。

エピソード
1930年12月、「耕作」を「耕筰」に改名すると発表した。戸籍上は長らく「耕作」のままであったが、1956年に再婚したのをきっかけに「耕筰」に改めている。1948年に発表したエッセイ「竹かんむりの由来」(『山田耕筰著作全集 3』岩波書店に所収)によると、「山田耕作」と同姓同名の人物が多く(全国に100人以上いたという)、それゆえのトラブルが頻発していたのが、改名の理由の一つである。もう一つは、山田の指揮姿を見た颯田琴次から、後頭部の髪の乱れを指摘され、カツラをつけろと言われた後である。カツラを嫌った山田は丸坊主にしたものの、その姿を気に入っておらず、それで名前の上にカツラをかぶせることを考えた。竹かんむり=ケケ(毛毛)というわけである。「筰」の字は『康煕字典』から見つけたものである。
山田は、1913年(大正2年)以降、自分の名前のアルファベット表記を「Kósçak Yamada」としている。エッセイ「竹かんむりの由来」によると、ベルリンの出版社から山田の歌曲集を出版することになった際、出版社の人間から「Kosaku」という名前を笑われたのだという。「コーザクーというとコーザ(イタリア語で「物」「何」)の牝牛(クー)だというのだ」そうである。
「カルピス」の商品名・社名は、同社創業者・三島海雲から相談を受けた山田が「最も響きがよく、大いに繁盛するだろう」とアドバイスしたことで決まったものであるとされる[9]。
代表作の題名にもなっている「ペチカ」とはロシア風の暖炉のことで、後にロシア人の実際の発音を聞いた山田は、歌うときには「ペイチカ」と発音されることを望んだという。
1955年に公開された映画「ここに泉あり」(監督:今井正)に本人役で出演している。また、劇中で「赤とんぼ」の演奏と、子供たちによる歌唱が行われている。
関東大震災による都市の火災被害に衝撃を受け、本業の楽団運営問題に悩まされていた時期にもかかわらず、1924年から翌年にかけて実弟の山田鐵雄と共に日本の狭い街路に適応する、輸入オートバイをベースとした小型消防車の開発を推進。オート三輪型の試作車を完成させて、1925年8月には上野恩賜公園不忍池で自ら公開放水実験、百尺以上の放水距離を実現させた。同年12月7日付で、鐵雄の名義で実用新案公告(第21738号)に至っている[10]。しかし当時の日本では輸入品の大型消防自動車がようやく主要都市で導入され始めたばかりで時期尚早であり、事業化などのそれ以上の発展はないままに終わった。日本におけるこの種の小型消防ポンプ車の本格普及は、太平洋戦争後のことになる。
昭和26年(1951年)の雑誌『主婦の友』8月号付録「夏の西洋料理」で山田独自のすき焼きが紹介されている。合い挽き肉とみじん切りにしたタマネギと卵黄をすり合わせて皿に平にのばし、とりやすいように筋目を入れる。たっぷりのバターで炒めた野菜の下に敷き、砂糖を加え野菜で蓋をしたように煮る。肉の色が変わったら肉と野菜を混ぜてビールをひたひたに注ぎ、煮立ったら醤油を加えて食べる。山田がドイツに留学(1910年から3年間)していた頃にドイツ料理のハンバーグから発想を得て考案したと思われる料理であり、「肉の下拵えが長崎風なので、お蝶夫人になぞらえて、スキヤキ・アラ・バタフライと紹介するのだが、一度食べるとその味が忘れられないらしく、会うたびに、またあのバタフライを……と頻繁な御注文なんですよ」と外国人にも好評だったという。
一方で女性関係にルーズで、色めいた噂にも事欠かず、宴席での猥談や猥歌も有名だったと言われている。弟子の高木東六は「宴席では三分の二以上が猥談だったと聞いた」と、同じく弟子の團伊玖磨は「現代ならセクハラで社会から葬られてる」とそれぞれ話している。しかし山田の話術が巧みだったこともあり、その話の中にあまり卑猥な感じは与えられなかったという[11]。
また、團が犬好きの遠藤周作と『週間読売』1972年7月の「ペルシャ犬を連れ歩く」で対談したところによれば、團と同じく大の犬嫌いだった。

代表的な作品

北原白秋と共同して数多くの国民的歌謡、校歌等を創作した。

なお、山田の管弦楽曲・室内楽曲などの作品は未出版のものが多く、しかも自筆譜のほとんどが戦災により焼失してしまったため筆写譜としてしか保存されていないなどの事情があり、出版・演奏の機会がほとんどないものが多い。楽譜の大多数は日本近代音楽館に所蔵されており、日本楽劇協会が管理している。1997年に春秋社から作品全集(既刊12巻)の第1巻として初めて管弦楽曲のスコアが出版されたがパート譜は製作されなかった。近年になって日本楽劇協会監修の下、株式会社クラフトーンにより一部の楽譜の校訂およびレンタル譜の製作が行われている。

歌曲

『我が家の唄』セノオ楽譜(1926年)
からたちの花(作詞:北原白秋)
この道(作詞:北原白秋)
中国地方の子守唄(編曲)

童謡
赤とんぼ(作詞:三木露風)
砂山(作詞:北原白秋)
ペチカ(作詞:北原白秋)
待ちぼうけ(作詞:北原白秋)
あわて床屋(作詞:北原白秋)


オペラ
あやめ
黒船(初演当初は「夜明け」)
堕ちたる天女
香妃(未完。弟子の團伊玖磨が補筆完成)


交響曲・交響詩
交響曲ヘ長調『かちどきと平和』 (1912)
交響曲『明治頌歌』(1921)
長唄交響曲第3番『鶴亀』(1934)
舞踏交響曲『マグダラのマリア』(1916)
交響詩『暗い扉』(1913)
交響詩『曼陀羅の華』(1913)


その他の管弦楽曲
序曲ニ長調
『君が代』による御大典奉祝前奏曲
劇音楽『星の世界へ』(木下杢太郎の戯曲による)
劇音楽『わしも知らない』(武者小路実篤の戯曲による)
舞踊詩曲『青い焔』
舞踊詩曲『明暗』
舞踊詩曲『盲鳥』
満州国建国十周年慶祝曲


映画音楽
『黎明』
『新しき土』
『戦国群盗伝』
『国民の誓』
『牧場物語』
『川中島合戦』


室内楽曲
ピアノ五重奏曲『婚姻の響』
弦楽四重奏曲第2番ト長調
「この道」を主題とせる変奏曲(フルート、ピアノ)


ピアノ曲
『源氏楽帖』(全7曲)
ピアノのための『からたちの花』
『スクリアビンに捧ぐる曲』


合唱曲
『秋の宴』(作詞:エドゥアルト・メーリケ) - 1912年、ベルリン王立高等音楽学校の卒業制作として作曲。
カンタータ『聖戦讃歌 大陸の黎明』


軍歌・戦時歌謡
森脇佐喜子は自著で、山田耕筰が107の戦争協力の曲を作ったと批判している[12]。

燃ゆる大空
翼の凱歌
米英撃滅の歌
アッツ島決戦勇士顕彰国民歌
サイパン殉国の歌
曙に立つ
小国民決意の歌
なんだ空襲


国民歌
明けゆく空(青年の歌)
空は青雲〜全国青年団民謡〜
全女性進出行進曲
霊峰富士
健康歌


大学校歌
岩手医学専門学校(現:岩手医科大学)校歌(作詞:土井晩翠)
日本大学校歌(作詞:相馬御風)
中央大学第二校歌(作詞:小林一郎)
明治大学校歌「白雲なびく」(作詞:児玉花外)[14][15]
東洋大学校歌「亜細亜の魂」(作詞:林古渓)
東京美術学校(現:東京芸術大学)校歌(作詞:林古渓、川路柳虹)
駒澤大学校歌(作詞:北原白秋)
一橋大学校歌「一つ橋の歌(武蔵野深き)」(作詞:銀杏会同人)[16]
関西大学学歌(1922年/作詞:服部嘉香)[17]
関西学院大学校歌[18][19][20]
松山高等商業学校(現:松山大学)校歌(作詞:沼波武夫)

著作
山田は作曲や指揮だけではなく音楽教育にも力を注ぎ、多数の著書を残している。山田が関わった学校音楽教科書、声楽や作曲を学ぶ者へ書かれた専門書は、現在ではすべて新しく出た類書に取って代わられている。とはいえ、大正から昭和の前半においての日本の音楽教育に少なからぬ影響を与えている。

1925年に出版された『生れ月の神秘』は、占星術に凝っていた彼が残した唯一の占い本である。彼自身は外国の本の翻訳だと主張しているが、原書は不明(1972年版のように訳書と断っていないものもある)。誕生月ごとに「性格」「なすべきこと」「短所」「慎むべきこと」「子どもの運勢」について、丁寧体かつ平易な口調で述べられており、再刊と絶版を繰り返しながら今日まで読み継がれている。

2001年に、岩波書店で『山田耕筰著作全集』(全3巻)が刊行されている。これらに未収録の著書も多い。

『新式音程視唱教本』(大阪開成館/1915)
『簡易作曲法』(大阪開成館/1918)
『近世和声学講話』(大阪開成館/1918)
『独唱法提要』(開成館/1920)
『近代舞踊の烽火』(アルス/1922)
『作曲者の言葉』(アルス/1922)
『音楽の法悦境』(イデア書院/1924)
『私の観た現代の大作曲者』(大阪毎日新聞社/1924)
『生れ月の神秘』(実業之日本社/1925→玄理社/1948→有楽出版社/1950→実業之日本社/1972→有楽出版社/2005)
『歌の唱ひ方講座』(日本交響楽協会出版部/1928)
『声楽入門』(日本放送協会東海支部/1929)
『レコードによる洋楽鑑賞の実際』(日本コロムビア蓄音器/1932)
『歌謡作曲法』(日響出版協会/1932)
『児童のための音楽 童話風に書かれた名曲レコードの鑑賞法』(日本コロムビア蓄音器/1932)
『和声学・作曲法』(文藝春秋社/1933)
『音楽論』(玉川学園出版部/1933) - 『音楽の法悦境』の抜粋
『十二楽聖とその代表曲』(日本コロムビア蓄音器/1933)
『音楽二講 声楽独習法と旋律の作り方』(日響出版協会/1933)
『耕筰楽話』(清和書店/1935)
『音楽読本』(日本評論社/1935→玄理社/1948)
『レコードと楽譜による音楽鑑賞指導の実際』(小学館/1935)
『耕作随筆集』(南光社/1937)
『歌曲の作り方』(雄鶏社/1949)
『若き日の狂詩曲』(大日本雄弁会講談社/1951→中公文庫/1996、新装版2016)
『音楽十二講』(山雅房/1951)
『山田耕筰百言集』(日本書籍/1959)
『山田耕筰著作全集』全3巻(岩波書店/2001)

共著
山田耕筰、園田清秀『子供のピアノ I 音の国への話』(一声社/1934) ※II以降は刊行されなかった。
『作曲の実際』(アルス/1936)
『作曲の技法』(婦人画報社/1949)
旺文社編『若き日の思い出』(旺文社/1955)
『十人百話 第3』(毎日新聞社/1963)
『私の履歴書 第三集』(日本経済新聞社/1963)


教え子
成田為三
宮原禎次
清瀬保二
團伊玖磨
嘉納愛子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%80%95%E7%AD%B0
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/664.html#c2

[近代史6] 山田 耕筰(やまだ こうさく、1886 - 1965)
山田 耕筰(やまだ こうさく、1886 - 1965)

日本クラシック音楽のパイオニア。後の作曲家達の音空間に共通するある種の日本人作曲家の共通点を既に見せている。

交響曲ヘ長調『かちどきと平和』
2.0点
日本最初の交響曲として名前は有名。ドイツロマン派のようであり、20世紀に書かれた交響曲としては非常に保守的な内容である。管弦楽の扱いはぎこちなくて、平板。曲として面白い場面はない。ドイツロマン派のよくある場面を真似しながらつなぎ合わせたかのような、学生の練習作品のような習作レベルであり、個人的にはガッカリした。しかし、パイオニアというのはこのような所から出発して、高みを目指して研鑽していくもの。日本人クラシック作曲者の原点の記録としてはやはり感慨深い。

長唄交響曲「鶴亀」
1点
長唄が好きな人なら面白いかもしれないが、そうではない自分にはオケと競演して何かが産み出されたように聞こえなかったし、何も楽しくなかった。

橋本 國彦(はしもと くにひこ、1904 - 1949)
交響曲第1番ニ調(1940年)
2.5点
2楽章が面白い。うーんと引き込まれる。他の楽章もわかりやすさの中に凡庸を拒否しており、はしばしにセンスの良さを感じる。

交響曲第2番ヘ調(1947年)
3.3点
2楽章制。1楽章はかなり気に入った。淀みなく進行する音楽がなんとも気持ちいい。品格があり、シベリウスのような豊かな自然と戦争が終わった人類の過去の歴史と未来を思料するような大いなる気分が混ざっていて、胸がいっぱいになるものがある。旋律の一つ一つは平凡だが、交響曲として複雑に組み上げられた結果として意味のあるパーツになっている。20分の大曲だが、もっと聴いていたいくらいだ。2楽章は残念ながらあまりいい曲とは思えない。ピンとこないまま曲が終わってしまう。1楽章がリバイバルするような最後の場面だけ気に入った。

3つの和讃
2.8点
和の心と祈りを多分に含みつつ、マーラー的なしなやかな情感を持った曲。切れ味がよくないのは気になるものの、真摯さと明確な作曲意図があり好意的に聴ける。しかし、一流の音楽というには平凡であることも否めない。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC


▲△▽▼


山田 耕筰(やまだ こうさく、1886年〈明治19年〉6月9日 - 1965年〈昭和40年〉12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。
日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動し、欧米諸国でも名前が知られている。


生涯

関西学院生時代(17歳)
旧福島藩士で医者、キリスト教伝道師の山田謙造の子として生まれる。1896年、10歳の時に実父を亡くす。実父の遺言で、巣鴨宮下(現在の南大塚)にあった自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、13歳まで施設で苦学する。1899年、13歳のとき、姉のガントレット恒を頼り岡山の養忠学校に入学[1]。姉の夫のエドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきを受ける。14歳のとき、関西学院中学部に転校。在学中の16歳秋に初めての作品「MY TRUE HEART」を作曲[2][3]。同本科中退を経て1904年、東京音楽学校予科入学、1908年、東京音楽学校(後の東京芸術大学)声楽科を卒業[4]。

1910年(明治43年)から3年間、三菱財閥の総帥岩崎小弥太の援助を受けてドイツのベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学し、マックス・ブルッフなどに学ぶ。ベルリン時代の1912年(大正元年)には日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲した。


マンハッタンにて(1918年)
帰国後の1914年(大正3年)に、岩崎が1910年に組織した東京フィルハーモニー会の管弦楽部首席指揮者を任されるが、自身の恋愛問題により岩崎が激怒し、資金源を断たれて翌年解散する羽目となる。1917年には渡米し、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開く。1920年(大正9年)12月には帝国劇場においてリヒャルト・ワーグナーの「タンホイザー」の一部などを日本初演。

1924年(大正13年)には近衛秀麿と共にハルビンのオーケストラ楽員と日本人楽員を交えたオーケストラの演奏会「日露交歓交響管弦楽演奏会」を主宰、これを母体に近衛と日本交響楽協会を設立。これは現在のNHK交響楽団の前身であるが、不明朗経理を理由に内紛が勃発。黒柳徹子の父・黒柳守綱ら4名を残し大部分の楽員は近衛と行動を共にしたため、山田派は崩壊した。弟子には内田元らがいる。

1921年、文化学院音楽科主任となる。1926年、40歳の頃、湘南の茅ヶ崎町(現:神奈川県茅ケ崎市)に居を構える(同町に約6年間暮らす)。オーケストラ楽団の失敗により多額の借金を抱えていたが、同地で再起。「赤とんぼ」などの童謡名曲が数々生まれる[5]。

1930年(昭和5年)、耕作から耕筰へと改名(後述)。1936年(昭和11年)にはレジオンドヌール勲章受章。1937年(昭和12年)には相愛女子専門学校(現:相愛大学)教授に就任。戦時体制が色濃くなった1940年(昭和15年)には演奏家協会を発足させ、自ら会長に就任する。同年11月にオペラ「黒船」(当初の題名は「夜明け」)を初演。また皇紀2600年奉祝演奏会ではジャック・イベールの新作「祝典序曲」を指揮する。1941年(昭和16年)、情報局管轄下の「日本音楽文化協会」発足、副会長に就任、また音楽挺身隊を結成してしばしば占領地での音楽指導にも携わる。将官待遇となりしばしば軍服姿で行動したため、後の「戦犯論争」の槍玉に挙げられることとなる。1942年(昭和17年)に帝国芸術院会員に選出。1944年(昭和19年)には日本音楽文化協会会長。

終戦後、自身の戦時中の行動に関して、東京新聞で音楽評論家・山根銀二との間に戦犯論争が勃発[6]。論争が収まった頃の1948年(昭和23年)に脳溢血で倒れ、以後体が不自由となる。1950年(昭和25年)、日本指揮者協会会長に就任し、また放送文化賞を受賞。1956年(昭和31年)、文化勲章を受章。離婚・再婚を機に戸籍上の名前も「耕筰」と改める。なお、サインには“Kósçak Yamada”という綴りを使っていた。


1956年
1965年(昭和40年)11月上旬、耕筰は聖路加国際病院に入院していたが、家族が東京都世田谷区成城5丁目に広壮な洋館風の邸宅を借りる。同年12月4日、耕筰は成城の自宅に退院してくる。そして12月29日、自宅2階の南向き10畳間で耕筰は心筋梗塞により死去した。享年80(満79歳没)。墓所は東京都あきる野市の西多摩霊園[7]。

山田のオーケストラ運営
東京フィルハーモニー会
山田は積年の悲願として「日本での本格的なオペラの上演」と「常設オーケストラの設立」を掲げていた。しかし、山田一人ではさすがにどうしようもなかった。そこに現れたのが三菱財閥総帥であり、かなりの音楽愛好家でもあった岩崎小弥太であった。

山田と岩崎の接点は、東京音楽学校のチェロ教師ハインリヒ・ヴェルクマイスターであり、チェロの指導で親交のあった岩崎に、自分が見た中で一番才能がある山田を引き合わせた。山田は岩崎の知遇を得てドイツ留学を果たす一方、岩崎自身も音楽鑑賞のサークルとして「東京フィルハーモニー会」を自ら設立し、スポンサーとなった。最初の頃は軍楽隊や当時人気のあった三越少年音楽隊などが一時的にまとまっての「合同オーケストラ」の形をとっていたが、やがて小規模ながら常設のオーケストラを作り、1915年(大正4年)から帝国劇場で公演を開始した。

ところが、この頃最初の結婚をした山田が程なく別の女性(後にこの女性と再婚)に手を出し、それを聞いた岩崎が激怒。岩崎からの出資が止められた東京フィルハーモニー会は金銭的に困窮することになり、1916年(大正5年)2月にはあっけなく瓦解、山田の悲願は頓挫してしまった。

日本交響楽協会
東京フィルハーモニー会瓦解後、訪米やオペラ上演を経て再び常設オーケストラを作ることを夢見た山田は、「まず本場のオーケストラを呼んで世間の注目をオーケストラに集めよう」と、当時東洋一の実力を謳われていたハルビンの東支鉄道交響楽団を招くことを考えた。招聘話はかなりの部分まで進んだようだが、関東大震災であえなく挫折。翌1924年(大正13年)4月に日本交響楽協会をとりあえず設立したものの、山田は自身のパートナーを探していたし、楽譜などのインフラ整備はまだまだだった。そこに、ヨーロッパ留学から大量の楽譜とともに帰国したばかりの近衛秀麿が山田と面会。山田に助力する旨を伝えた。山田は近衛の参加と原善一郎というロシア語が堪能な敏腕マネージャーを手中にしたことにより、「悲願達成の機は熟した」と判断。大震災で断念した東支鉄道交響楽団の招聘に再び着手する。1925年(大正14年)4月に開催された「日露交歓交響管弦楽演奏会」は成功裏に終わり、それを助走として協会は1926年(大正15年)1月に最初の定期演奏会を開いた。6月まで12回の演奏会を開いたが、思わぬところから協会は崩壊する。

1926年9月8日、近衛が原のリストラを不服として突如協会退会を宣言。近衛を支持する楽員が44名に達して近衛派は新交響楽団(新響)を設立。一方の山田は事情聴取までされた上に黒柳守綱と「モンパルナス・トリオ」(松原与輔、岡村雅雄、郡司昌雄)しか手元に残らなかった(黒柳と岡村は、山田が溺愛していたがゆえに渾身の思いで引き止めたともいわれている)。分裂の原因は使途不明の金銭にまつわる経理の不正が理由とされる。後に関東軍の情報担当にもなった策士の原が一枚絡んでいるという説があるが、もともと山田自身が金銭にルーズな性格だったことも一因として挙げられており、100円(当時)の儲けを山田が50円、残りの楽員全員で50円(平均で1人1円ちょっとの計算となる)としていたことに楽員が不満で、そういう楽員の心境を近衛と原が巧みに掴んで分裂に至らしめたとも言われている。分裂の後、山田と近衛は1931年(昭和6年)ごろに和解し、黒柳らも新響に合流したが、その近衛と原が新響を追い出されるのは4年後であった。このときも原が原因だったという。

山田は金銭面の問題はさておき、指揮者としての実力や情熱は他の指揮者と比べても全く引けは取らなかったようであるが、実力や情熱を以ってしてもオーケストラの運営者として抱くには、どうしても乗り越えられないような壁があったのではないかという指摘もある。例えば井上道義は、「楽員は山田と近衛の性格を比較して、山田からカリスマ性を見出せなかったのではないか」と述べている。

山田は戦後に脳溢血で倒れて体が不自由(左半身不随)になっても、しばしば指揮をした[8]。しかし、そのほとんどは別の指揮者に実際の指揮を任せていたという(ベートーヴェンが第九の初演指揮を、実質ミヒャエル・ウムラウフに委ねていたのと同じ感覚)。「黒船」を大阪で指揮した際も、実際の指揮を朝比奈隆が執っている。

エピソード
1930年12月、「耕作」を「耕筰」に改名すると発表した。戸籍上は長らく「耕作」のままであったが、1956年に再婚したのをきっかけに「耕筰」に改めている。1948年に発表したエッセイ「竹かんむりの由来」(『山田耕筰著作全集 3』岩波書店に所収)によると、「山田耕作」と同姓同名の人物が多く(全国に100人以上いたという)、それゆえのトラブルが頻発していたのが、改名の理由の一つである。もう一つは、山田の指揮姿を見た颯田琴次から、後頭部の髪の乱れを指摘され、カツラをつけろと言われた後である。カツラを嫌った山田は丸坊主にしたものの、その姿を気に入っておらず、それで名前の上にカツラをかぶせることを考えた。竹かんむり=ケケ(毛毛)というわけである。「筰」の字は『康煕字典』から見つけたものである。
山田は、1913年(大正2年)以降、自分の名前のアルファベット表記を「Kósçak Yamada」としている。エッセイ「竹かんむりの由来」によると、ベルリンの出版社から山田の歌曲集を出版することになった際、出版社の人間から「Kosaku」という名前を笑われたのだという。「コーザクーというとコーザ(イタリア語で「物」「何」)の牝牛(クー)だというのだ」そうである。
「カルピス」の商品名・社名は、同社創業者・三島海雲から相談を受けた山田が「最も響きがよく、大いに繁盛するだろう」とアドバイスしたことで決まったものであるとされる[9]。
代表作の題名にもなっている「ペチカ」とはロシア風の暖炉のことで、後にロシア人の実際の発音を聞いた山田は、歌うときには「ペイチカ」と発音されることを望んだという。
1955年に公開された映画「ここに泉あり」(監督:今井正)に本人役で出演している。また、劇中で「赤とんぼ」の演奏と、子供たちによる歌唱が行われている。
関東大震災による都市の火災被害に衝撃を受け、本業の楽団運営問題に悩まされていた時期にもかかわらず、1924年から翌年にかけて実弟の山田鐵雄と共に日本の狭い街路に適応する、輸入オートバイをベースとした小型消防車の開発を推進。オート三輪型の試作車を完成させて、1925年8月には上野恩賜公園不忍池で自ら公開放水実験、百尺以上の放水距離を実現させた。同年12月7日付で、鐵雄の名義で実用新案公告(第21738号)に至っている[10]。しかし当時の日本では輸入品の大型消防自動車がようやく主要都市で導入され始めたばかりで時期尚早であり、事業化などのそれ以上の発展はないままに終わった。日本におけるこの種の小型消防ポンプ車の本格普及は、太平洋戦争後のことになる。
昭和26年(1951年)の雑誌『主婦の友』8月号付録「夏の西洋料理」で山田独自のすき焼きが紹介されている。合い挽き肉とみじん切りにしたタマネギと卵黄をすり合わせて皿に平にのばし、とりやすいように筋目を入れる。たっぷりのバターで炒めた野菜の下に敷き、砂糖を加え野菜で蓋をしたように煮る。肉の色が変わったら肉と野菜を混ぜてビールをひたひたに注ぎ、煮立ったら醤油を加えて食べる。山田がドイツに留学(1910年から3年間)していた頃にドイツ料理のハンバーグから発想を得て考案したと思われる料理であり、「肉の下拵えが長崎風なので、お蝶夫人になぞらえて、スキヤキ・アラ・バタフライと紹介するのだが、一度食べるとその味が忘れられないらしく、会うたびに、またあのバタフライを……と頻繁な御注文なんですよ」と外国人にも好評だったという。
一方で女性関係にルーズで、色めいた噂にも事欠かず、宴席での猥談や猥歌も有名だったと言われている。弟子の高木東六は「宴席では三分の二以上が猥談だったと聞いた」と、同じく弟子の團伊玖磨は「現代ならセクハラで社会から葬られてる」とそれぞれ話している。しかし山田の話術が巧みだったこともあり、その話の中にあまり卑猥な感じは与えられなかったという[11]。
また、團が犬好きの遠藤周作と『週間読売』1972年7月の「ペルシャ犬を連れ歩く」で対談したところによれば、團と同じく大の犬嫌いだった。

代表的な作品

北原白秋と共同して数多くの国民的歌謡、校歌等を創作した。

なお、山田の管弦楽曲・室内楽曲などの作品は未出版のものが多く、しかも自筆譜のほとんどが戦災により焼失してしまったため筆写譜としてしか保存されていないなどの事情があり、出版・演奏の機会がほとんどないものが多い。楽譜の大多数は日本近代音楽館に所蔵されており、日本楽劇協会が管理している。1997年に春秋社から作品全集(既刊12巻)の第1巻として初めて管弦楽曲のスコアが出版されたがパート譜は製作されなかった。近年になって日本楽劇協会監修の下、株式会社クラフトーンにより一部の楽譜の校訂およびレンタル譜の製作が行われている。

歌曲

『我が家の唄』セノオ楽譜(1926年)
からたちの花(作詞:北原白秋)
この道(作詞:北原白秋)
中国地方の子守唄(編曲)

童謡
赤とんぼ(作詞:三木露風)
砂山(作詞:北原白秋)
ペチカ(作詞:北原白秋)
待ちぼうけ(作詞:北原白秋)
あわて床屋(作詞:北原白秋)


オペラ
あやめ
黒船(初演当初は「夜明け」)
堕ちたる天女
香妃(未完。弟子の團伊玖磨が補筆完成)


交響曲・交響詩
交響曲ヘ長調『かちどきと平和』 (1912)
交響曲『明治頌歌』(1921)
長唄交響曲第3番『鶴亀』(1934)
舞踏交響曲『マグダラのマリア』(1916)
交響詩『暗い扉』(1913)
交響詩『曼陀羅の華』(1913)


その他の管弦楽曲
序曲ニ長調
『君が代』による御大典奉祝前奏曲
劇音楽『星の世界へ』(木下杢太郎の戯曲による)
劇音楽『わしも知らない』(武者小路実篤の戯曲による)
舞踊詩曲『青い焔』
舞踊詩曲『明暗』
舞踊詩曲『盲鳥』
満州国建国十周年慶祝曲


映画音楽
『黎明』
『新しき土』
『戦国群盗伝』
『国民の誓』
『牧場物語』
『川中島合戦』


室内楽曲
ピアノ五重奏曲『婚姻の響』
弦楽四重奏曲第2番ト長調
「この道」を主題とせる変奏曲(フルート、ピアノ)


ピアノ曲
『源氏楽帖』(全7曲)
ピアノのための『からたちの花』
『スクリアビンに捧ぐる曲』


合唱曲
『秋の宴』(作詞:エドゥアルト・メーリケ) - 1912年、ベルリン王立高等音楽学校の卒業制作として作曲。
カンタータ『聖戦讃歌 大陸の黎明』


軍歌・戦時歌謡
森脇佐喜子は自著で、山田耕筰が107の戦争協力の曲を作ったと批判している[12]。

燃ゆる大空
翼の凱歌
米英撃滅の歌
アッツ島決戦勇士顕彰国民歌
サイパン殉国の歌
曙に立つ
小国民決意の歌
なんだ空襲


国民歌
明けゆく空(青年の歌)
空は青雲〜全国青年団民謡〜
全女性進出行進曲
霊峰富士
健康歌


大学校歌
岩手医学専門学校(現:岩手医科大学)校歌(作詞:土井晩翠)
日本大学校歌(作詞:相馬御風)
中央大学第二校歌(作詞:小林一郎)
明治大学校歌「白雲なびく」(作詞:児玉花外)[14][15]
東洋大学校歌「亜細亜の魂」(作詞:林古渓)
東京美術学校(現:東京芸術大学)校歌(作詞:林古渓、川路柳虹)
駒澤大学校歌(作詞:北原白秋)
一橋大学校歌「一つ橋の歌(武蔵野深き)」(作詞:銀杏会同人)[16]
関西大学学歌(1922年/作詞:服部嘉香)[17]
関西学院大学校歌[18][19][20]
松山高等商業学校(現:松山大学)校歌(作詞:沼波武夫)

著作
山田は作曲や指揮だけではなく音楽教育にも力を注ぎ、多数の著書を残している。山田が関わった学校音楽教科書、声楽や作曲を学ぶ者へ書かれた専門書は、現在ではすべて新しく出た類書に取って代わられている。とはいえ、大正から昭和の前半においての日本の音楽教育に少なからぬ影響を与えている。

1925年に出版された『生れ月の神秘』は、占星術に凝っていた彼が残した唯一の占い本である。彼自身は外国の本の翻訳だと主張しているが、原書は不明(1972年版のように訳書と断っていないものもある)。誕生月ごとに「性格」「なすべきこと」「短所」「慎むべきこと」「子どもの運勢」について、丁寧体かつ平易な口調で述べられており、再刊と絶版を繰り返しながら今日まで読み継がれている。

2001年に、岩波書店で『山田耕筰著作全集』(全3巻)が刊行されている。これらに未収録の著書も多い。

『新式音程視唱教本』(大阪開成館/1915)
『簡易作曲法』(大阪開成館/1918)
『近世和声学講話』(大阪開成館/1918)
『独唱法提要』(開成館/1920)
『近代舞踊の烽火』(アルス/1922)
『作曲者の言葉』(アルス/1922)
『音楽の法悦境』(イデア書院/1924)
『私の観た現代の大作曲者』(大阪毎日新聞社/1924)
『生れ月の神秘』(実業之日本社/1925→玄理社/1948→有楽出版社/1950→実業之日本社/1972→有楽出版社/2005)
『歌の唱ひ方講座』(日本交響楽協会出版部/1928)
『声楽入門』(日本放送協会東海支部/1929)
『レコードによる洋楽鑑賞の実際』(日本コロムビア蓄音器/1932)
『歌謡作曲法』(日響出版協会/1932)
『児童のための音楽 童話風に書かれた名曲レコードの鑑賞法』(日本コロムビア蓄音器/1932)
『和声学・作曲法』(文藝春秋社/1933)
『音楽論』(玉川学園出版部/1933) - 『音楽の法悦境』の抜粋
『十二楽聖とその代表曲』(日本コロムビア蓄音器/1933)
『音楽二講 声楽独習法と旋律の作り方』(日響出版協会/1933)
『耕筰楽話』(清和書店/1935)
『音楽読本』(日本評論社/1935→玄理社/1948)
『レコードと楽譜による音楽鑑賞指導の実際』(小学館/1935)
『耕作随筆集』(南光社/1937)
『歌曲の作り方』(雄鶏社/1949)
『若き日の狂詩曲』(大日本雄弁会講談社/1951→中公文庫/1996、新装版2016)
『音楽十二講』(山雅房/1951)
『山田耕筰百言集』(日本書籍/1959)
『山田耕筰著作全集』全3巻(岩波書店/2001)

共著
山田耕筰、園田清秀『子供のピアノ I 音の国への話』(一声社/1934) ※II以降は刊行されなかった。
『作曲の実際』(アルス/1936)
『作曲の技法』(婦人画報社/1949)
旺文社編『若き日の思い出』(旺文社/1955)
『十人百話 第3』(毎日新聞社/1963)
『私の履歴書 第三集』(日本経済新聞社/1963)


教え子
成田為三
宮原禎次
清瀬保二
團伊玖磨
嘉納愛子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%80%95%E7%AD%B0
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1021.html

[近代史6] 山田 耕筰 「赤とんぼ」

「赤とんぼ」 三木露風作詞 山田耕筰作曲 1927年(昭和2年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B5%A4%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BC  
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1022.html

[近代史7] 瀧廉太郎(1879年 8月24日 - 1903年 6月29日) 中川隆
1. 中川隆[-14643] koaQ7Jey 2021年12月09日 21:53:35 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[35]
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月24日 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の音楽家、ピアニスト、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。

一般的には「滝 廉太郎」と表記されることの方が多い。


生涯
1879年(明治12年)8月24日、旧日出藩士・瀧吉弘の長男として東京府芝区南佐久間町2丁目18番地(現:東京都港区西新橋2丁目)に生まれる。瀧家は江戸時代に豊後国日出藩の家老職を代々務めた上級武士の家柄である[注釈 1]。

父・吉弘は廃藩置県後に上京、大蔵省から内務省に転じ、大久保利通や伊藤博文らの下で内務官僚として勤めた後、地方官として神奈川県や富山県富山市、大分県竹田市などを移り住んだため、廉太郎も生後間もなくから各地を回ることになった。

1886年(明治19年)5月、神奈川県師範学校附属小学校に入学。同年9月、富山県尋常師範学校附属小学校(現:富山大学人間発達科学部附属小学校)に転校。1888年(明治21年)5月、東京の麹町尋常小学校(現:千代田区立麹町小学校)に転校し、同校を1890年(明治23年)に卒業[2]。卒業時にはピアノを演奏したと伝えられるが曲目は不明である。

その後、故郷の大分県尋常師範学校附属小学校高等科(現:大分大学教育学部附属小学校)に入学したが、父の転勤で同県内直入郡の高等小学校(現:竹田市立竹田小学校)へ転校した。1894年(明治27年)4月に同校を卒業し再度上京。同年9月に東京音楽学校(現:東京芸術大学)に入学し、ピアノを橘糸重、遠山甲子に学ぶ[3]。1898年(明治31年)に本科を卒業し[4]、研究科に進む。こうして瀧は作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていった。

1900年10月7日には東京市麹町区(現:千代田区)にあった聖公会グレース・エピスコパル・チャーチ(博愛教会)で元田作之進より洗礼を受けてクリスチャンになり、10月28日にジョン・マキムから堅信礼を受けた[5][6][7]。

明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができたが、日本語訳詞を無理にはめこんだぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの唱歌を望む声が高まっていた。彼の代表作である「荒城の月」は、「箱根八里」と並んで文部省編纂の「中学唱歌」に掲載された。また、人気の高い曲の一つである「花」は、1900年(明治33年)8月に作曲された4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。「お正月」、「鳩ぽっぽ」(のちに「鳩」)として歌詞が書き直される)、「雪やこんこん」(のちに文部省唱歌「雪」として歌詞が書き直される)などは、日本生まれの最も古い童謡作品として知られるが、これらは1900年(明治33年)に編纂された幼稚園唱歌に収められた。また「荒城の月」は、ベルギーで讃美歌(聖歌)になったことも判明した[7]。またピアニストとしては特にラファエル・フォン・ケーベルに師事し、その影響を大きく受けてドイツ音楽を至上とする奏法を貫いていた。

1901年(明治34年)4月6日、日本人の音楽家では3人目となるヨーロッパ留学生として出国し、5月18日にドイツのベルリンに到着。同地で日本語教師を務めていた文学者の巖谷小波や、ヴァイオリニストの幸田幸、また海軍軍楽隊から派遣されたクラリネット奏者吉本光蔵(後に「君が代行進曲」作曲)などと交友を持ち、共に室内楽を演奏したりした。

さらにライプツィヒに向かい、ライプツィヒ音楽院(設立者:メンデルスゾーン、当時の学院長:カール・ライネッケ)に入学する。文部省外国留学生として入学、ロベルト・タイヒミュラー(英語版)にピアノを、ザーロモン・ヤーダスゾーンに作曲や音楽理論を学ぶ[8][9]。しかしわずか5か月後の11月に肺結核を発病し、現地の病院で入院治療するが病状は改善せず、帰国を余儀なくされる。

1902年(明治35年)7月10日にドイツを発ち、ロンドンを経由して10月17日に横浜に到着く[10][11]。その後は父の故郷である大分県で療養していたが、1903年(明治36年)6月29日午後5時に大分市稲荷町339番地(現:府内町)の自宅で死去した。満23歳没(享年25)。結核に冒されていたことから死後多数の作品が焼却されたという。作曲数が多かったと考える者もいるようだが、現在はっきりとその存在が確認されている作曲作品は34曲と決して多くはない(編曲作品もいくらか現存する)。

瀧家の墓所は日出町の龍泉寺である[12]が、廉太郎は父と親交のあった大分市金池町の万寿寺に葬られた。戒名は直心正廉居士。

2011年(平成23年)3月、廉太郎の墓は、親族らの意向により万寿寺から先祖の眠る龍泉寺へと移設された[13]。龍泉寺には、廉太郎がドイツ留学時に愛用していた火鉢が残されている。

2019年(平成31年)2月、廉太郎が書いたとされる手紙や譜面、写真など200点以上もの史料が竹田市に寄贈された[14][15]。

作品
歌曲に有名な作品が多い瀧だが、1900年には日本人作曲家による初めてのピアノ独奏曲『メヌエット』を作曲している。肺結核が悪化して、死期が近いことを悟った時、死の4か月前に作曲したピアノ曲『憾(うらみ)』が最後の作品として残された。

『メヌエット』『憾』を除いて、全て声楽作品である。


1896年(明治29年)

日本男児(詞・東郊。独唱)


1897年(明治30年)

春の海(詞・東くめ。独唱)
散歩(詞・中村秋香。独唱)
命を捨てて(詞・不詳。独唱)


1899年(明治32年)

我神州(詞・砂沢丙喜治。独唱)
四季の瀧(詞・東くめ。ソプラノ・アルト・ピアノ伴奏)


1900年(明治33年)

卒業式歌(詞・失名氏。独唱)[16]
メヌエット(ピアノ曲)

組歌『四季』
1 花(詞・武島羽衣。ソプラノ・アルト・ピアノ伴奏)
2 納涼(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
3 月(詞・瀧廉太郎。ソプラノ・アルト・テノール・バス)
4 雪(詞・中村秋香。ソプラノ・アルト・テノール・バス・ピアノとオルガン伴奏)

中学唱歌
箱根八里(詞・鳥居忱。独唱)
荒城の月(詞・土井晩翠。独唱)
豊太閤(詞・外山正一。独唱)


1901年(明治34年)

幼稚園唱歌(作曲は1900年から)
ほうほけきょ(詞・瀧廉太郎。独唱・ピアノ伴奏)
ひばりはうたひ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
鯉幟(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
海のうへ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
桃太郎(詞・瀧廉太郎。独唱・ピアノ伴奏)
お池の蛙(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
夕立(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
かちかち山(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
みずあそび(詞・瀧廉太郎。独唱・ピアノ伴奏)
鳩ぽっぽ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
菊(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
軍ごっこ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
雀(詞・佐佐木信綱。独唱・ピアノ伴奏)
雪やこんこん(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
お正月 (詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
さようなら(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)


1902年(明治35年)

別れの歌(詞・不詳。ソプラノ・アルト・テノール・バス)
水のゆくへ(詞・橘糸重[17][18]。2ソプラノ・アルト・ピアノ伴奏)
荒磯の波(詞・徳川光圀。独唱・ピアノ伴奏)
1903年(明治36年)

憾(ピアノ曲・絶筆)
その他に他の作曲家の作品の編曲も存在する。


作品の一部は鉄道に関する音楽にも採用されている。「荒城の月」は九州旅客鉄道の豊後竹田駅の列車到着時に利用客に向けて流され、「箱根八里」は、箱根登山鉄道等の発車メロディに使用されている。また、「花」は、東京メトロ銀座線浅草駅にてご当地メロディーとして使用されている。かつては東北新幹線・上越新幹線の上野駅到着・発車時の車内チャイム(通称「ふるさとチャイム」)として使われていたが、東京駅乗り入れ後は使用されていない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/665.html#c1

[近代史6] 瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年 8月24日 - 1903年 6月29日)
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年 8月24日 - 1903年 6月29日)


瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月24日 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の音楽家、ピアニスト、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。
一般的には「滝 廉太郎」と表記されることの方が多い。


生涯
1879年(明治12年)8月24日、旧日出藩士・瀧吉弘の長男として東京府芝区南佐久間町2丁目18番地(現:東京都港区西新橋2丁目)に生まれる。瀧家は江戸時代に豊後国日出藩の家老職を代々務めた上級武士の家柄である[注釈 1]。

父・吉弘は廃藩置県後に上京、大蔵省から内務省に転じ、大久保利通や伊藤博文らの下で内務官僚として勤めた後、地方官として神奈川県や富山県富山市、大分県竹田市などを移り住んだため、廉太郎も生後間もなくから各地を回ることになった。

1886年(明治19年)5月、神奈川県師範学校附属小学校に入学。同年9月、富山県尋常師範学校附属小学校(現:富山大学人間発達科学部附属小学校)に転校。1888年(明治21年)5月、東京の麹町尋常小学校(現:千代田区立麹町小学校)に転校し、同校を1890年(明治23年)に卒業[2]。卒業時にはピアノを演奏したと伝えられるが曲目は不明である。

その後、故郷の大分県尋常師範学校附属小学校高等科(現:大分大学教育学部附属小学校)に入学したが、父の転勤で同県内直入郡の高等小学校(現:竹田市立竹田小学校)へ転校した。1894年(明治27年)4月に同校を卒業し再度上京。同年9月に東京音楽学校(現:東京芸術大学)に入学し、ピアノを橘糸重、遠山甲子に学ぶ[3]。1898年(明治31年)に本科を卒業し[4]、研究科に進む。こうして瀧は作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていった。

1900年10月7日には東京市麹町区(現:千代田区)にあった聖公会グレース・エピスコパル・チャーチ(博愛教会)で元田作之進より洗礼を受けてクリスチャンになり、10月28日にジョン・マキムから堅信礼を受けた[5][6][7]。

明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができたが、日本語訳詞を無理にはめこんだぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの唱歌を望む声が高まっていた。彼の代表作である「荒城の月」は、「箱根八里」と並んで文部省編纂の「中学唱歌」に掲載された。また、人気の高い曲の一つである「花」は、1900年(明治33年)8月に作曲された4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。「お正月」、「鳩ぽっぽ」(のちに「鳩」)として歌詞が書き直される)、「雪やこんこん」(のちに文部省唱歌「雪」として歌詞が書き直される)などは、日本生まれの最も古い童謡作品として知られるが、これらは1900年(明治33年)に編纂された幼稚園唱歌に収められた。また「荒城の月」は、ベルギーで讃美歌(聖歌)になったことも判明した[7]。またピアニストとしては特にラファエル・フォン・ケーベルに師事し、その影響を大きく受けてドイツ音楽を至上とする奏法を貫いていた。

1901年(明治34年)4月6日、日本人の音楽家では3人目となるヨーロッパ留学生として出国し、5月18日にドイツのベルリンに到着。同地で日本語教師を務めていた文学者の巖谷小波や、ヴァイオリニストの幸田幸、また海軍軍楽隊から派遣されたクラリネット奏者吉本光蔵(後に「君が代行進曲」作曲)などと交友を持ち、共に室内楽を演奏したりした。

さらにライプツィヒに向かい、ライプツィヒ音楽院(設立者:メンデルスゾーン、当時の学院長:カール・ライネッケ)に入学する。文部省外国留学生として入学、ロベルト・タイヒミュラー(英語版)にピアノを、ザーロモン・ヤーダスゾーンに作曲や音楽理論を学ぶ[8][9]。しかしわずか5か月後の11月に肺結核を発病し、現地の病院で入院治療するが病状は改善せず、帰国を余儀なくされる。

1902年(明治35年)7月10日にドイツを発ち、ロンドンを経由して10月17日に横浜に到着く[10][11]。その後は父の故郷である大分県で療養していたが、1903年(明治36年)6月29日午後5時に大分市稲荷町339番地(現:府内町)の自宅で死去した。満23歳没(享年25)。結核に冒されていたことから死後多数の作品が焼却されたという。作曲数が多かったと考える者もいるようだが、現在はっきりとその存在が確認されている作曲作品は34曲と決して多くはない(編曲作品もいくらか現存する)。

瀧家の墓所は日出町の龍泉寺である[12]が、廉太郎は父と親交のあった大分市金池町の万寿寺に葬られた。戒名は直心正廉居士。

2011年(平成23年)3月、廉太郎の墓は、親族らの意向により万寿寺から先祖の眠る龍泉寺へと移設された[13]。龍泉寺には、廉太郎がドイツ留学時に愛用していた火鉢が残されている。

2019年(平成31年)2月、廉太郎が書いたとされる手紙や譜面、写真など200点以上もの史料が竹田市に寄贈された[14][15]。

作品
歌曲に有名な作品が多い瀧だが、1900年には日本人作曲家による初めてのピアノ独奏曲『メヌエット』を作曲している。肺結核が悪化して、死期が近いことを悟った時、死の4か月前に作曲したピアノ曲『憾(うらみ)』が最後の作品として残された。

『メヌエット』『憾』を除いて、全て声楽作品である。


1896年(明治29年)

日本男児(詞・東郊。独唱)


1897年(明治30年)

春の海(詞・東くめ。独唱)
散歩(詞・中村秋香。独唱)
命を捨てて(詞・不詳。独唱)


1899年(明治32年)

我神州(詞・砂沢丙喜治。独唱)
四季の瀧(詞・東くめ。ソプラノ・アルト・ピアノ伴奏)


1900年(明治33年)

卒業式歌(詞・失名氏。独唱)[16]
メヌエット(ピアノ曲)

組歌『四季』
1 花(詞・武島羽衣。ソプラノ・アルト・ピアノ伴奏)
2 納涼(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
3 月(詞・瀧廉太郎。ソプラノ・アルト・テノール・バス)
4 雪(詞・中村秋香。ソプラノ・アルト・テノール・バス・ピアノとオルガン伴奏)

中学唱歌
箱根八里(詞・鳥居忱。独唱)
荒城の月(詞・土井晩翠。独唱)
豊太閤(詞・外山正一。独唱)


1901年(明治34年)

幼稚園唱歌(作曲は1900年から)
ほうほけきょ(詞・瀧廉太郎。独唱・ピアノ伴奏)
ひばりはうたひ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
鯉幟(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
海のうへ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
桃太郎(詞・瀧廉太郎。独唱・ピアノ伴奏)
お池の蛙(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
夕立(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
かちかち山(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
みずあそび(詞・瀧廉太郎。独唱・ピアノ伴奏)
鳩ぽっぽ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
菊(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
軍ごっこ(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
雀(詞・佐佐木信綱。独唱・ピアノ伴奏)
雪やこんこん(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
お正月 (詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)
さようなら(詞・東くめ。独唱・ピアノ伴奏)


1902年(明治35年)

別れの歌(詞・不詳。ソプラノ・アルト・テノール・バス)
水のゆくへ(詞・橘糸重[17][18]。2ソプラノ・アルト・ピアノ伴奏)
荒磯の波(詞・徳川光圀。独唱・ピアノ伴奏)
1903年(明治36年)

憾(ピアノ曲・絶筆)
その他に他の作曲家の作品の編曲も存在する。


作品の一部は鉄道に関する音楽にも採用されている。「荒城の月」は九州旅客鉄道の豊後竹田駅の列車到着時に利用客に向けて流され、「箱根八里」は、箱根登山鉄道等の発車メロディに使用されている。また、「花」は、東京メトロ銀座線浅草駅にてご当地メロディーとして使用されている。かつては東北新幹線・上越新幹線の上野駅到着・発車時の車内チャイム(通称「ふるさとチャイム」)として使われていたが、東京駅乗り入れ後は使用されていない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1023.html

[近代史6] 瀧 廉太郎『荒城の月』

『荒城の月』 土井晩翠作詞 瀧廉太郎作曲 1917年(大正6年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%8D%92%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%9C%88  
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1024.html
[近代史7] 中田 章(1886年 7月8日 - 1931年11月27日) 中川隆
1. 中川隆[-14642] koaQ7Jey 2021年12月09日 22:52:23 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[36]
中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 - 1931年(昭和6年)11月27日)は日本の作曲家、オルガニスト。代表曲は「早春賦」であり、「日本の歌百選」に選ばれている。

東京都出身で高嶺秀夫の奨めによって東京音楽学校に進み[1]、甲種師範科および研究科卒業。東京音楽学校教授として音楽理論、オルガンを教えた。

また、大韓帝国皇太子に唱歌を教授する。1929年、大礼記念章を受章。父は旧会津藩士[2]。妻は奥村土牛の従姉で、作曲家の中田一次は次男、中田喜直は三男[2]。会津会会員。


主な作品

歌曲
早春賦(作詞:吉丸一昌)


校歌
宿毛市立宿毛小学校校歌
函館市立弥生小学校校歌
福井高等工業学校校歌
山形県立山形東高等学校校歌
群馬県立前橋高等学校校歌
福島県立福島高等学校校歌
東京都立園芸高等学校校歌
東京都立墨田工業高等学校校歌
中央大学旧校歌
大分県立日田林工高等学校校歌


その他
大阪市歌


編曲
雨に濡れて


著書
『和声学問題集』共益商社書店1924年 NDLJP:917357
『基本和声学 前編』共益商社書店 1927年 NDLJP:1240871

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E7%AB%A0
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/662.html#c1

[近代史7] 中田 喜直(1923年 8月1日 - 2000年 5月3日) 中川隆
1. 中川隆[-14641] koaQ7Jey 2021年12月09日 22:58:01 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[37]
中田 喜直(なかだ よしなお、1923年(大正12年)8月1日 - 2000年(平成12年)5月3日)は、日本の作曲家、

東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身。「ちいさい秋みつけた」や「めだかの学校」、「夏の思い出」など数々の楽曲を作曲した日本の職業作曲家の一人である。

父は「早春賦」で知られる作曲家の中田章。喜直は三男であり、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。


経歴

年譜
1923年 東京府(現:東京都)生まれ。
1935年 千代田区立番町小学校卒業。
1943年 東京音楽学校(現:東京芸術大学)卒業。
1968年 横浜市保土ケ谷区(翌年区制が改正され「旭区」となる)へ転居。
1979年〜2000年 社団法人日本童謡協会会長。
1986年 11月紫綬褒章受章。
1990年〜2000年 フェリス女学院大学教授ならびに名誉教授。
1995年 NHK放送文化賞受賞。
1999年 日本音楽著作権協会60周年特別賞受賞。
2000年 第42回日本レコード大賞日本作曲家協会功労賞受賞。5月3日、直腸癌のため死去。76歳没。


活動など
物心がついた頃には、父はすでに病床に伏しており、音楽については兄の一次から教わったという。1933年には最初の歌曲を書いている。1935年には、映画『別れの曲』の影響でショパンに心酔しピアニストを志望するようになる。

青山学院中学部を経て1940年、東京音楽学校(現:東京芸術大学)予科に入学、翌年に本科器楽部ピアノ専攻に進学し、田中規矩士と豊増昇にピアノを、橋本國彦に作曲を師事。戦時(太平洋戦争)のため1943年9月に繰り上げ卒業[2]。同年10月に特別操縦見習士官(第1期)となり宇都宮陸軍飛行学校に入校、帝国陸軍航空部隊の戦闘機操縦者となる。陸軍少尉に任官し、四式戦闘機「疾風」を装備する飛行第51戦隊附としてフィリピン戦線やインドネシアに赴き、本土で特攻隊要員として終戦を迎えた。

ジャズピアニスト志望であったが、手が小さいことから断念し、終戦後の1946年には作曲家グループ「新声会」に入会。歌曲の伴奏を務めるかたわら、作曲家としての活動を本格的に開始する。NHK「ラジオ歌謡」や「歌のおばさん」、「えり子とともに」などラジオ番組にも積極的にかかわり、これらの番組において「夏の思い出」や「かわいいかくれんぼ」「雪の降るまちを」などを生み出している。

1953年にはフェリス女学院短期大学音楽科講師に就任し、その後40年にわたって教職を勤め上げた。在職中、教え子であった幸子と出会い結婚。同校とのかかわりの中で生まれたものに、プロ合唱団「フェリス女声合唱団」(のちの日本女声合唱団)のために書いた多くの女声合唱曲や、著書『実用和声学』(音楽之友社)がある。1988年からは神戸山手女子短期大学でも教えた。

1955年に大中恩、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。この会は中田が亡くなる2000年まで活動を続け、数多くの童謡のレコード・楽譜を世に送った。また、1956年には「蜂の会」に参加し、ここで歌曲「サルビア」「おかあさん」などを発表。1969年に設立された日本童謡協会がサトウハチローによって派閥分裂すると、のちに会長となって童謡を排斥。対立ジャンルとして立ち上げた「新しい子どもの歌」を推して、最盛期にあった童謡を衰退に導いた。

一方で、晩年は自らの作品のみならず、古くからの名曲の普及にも尽力するようになった[3]。

2000年5月3日に亡くなるまでに書かれた作品は3000近くといわれている。その全貌はまだ明らかになっていない。校歌や社歌・自治体のための歌も少なくない。


人物
父は「早春賦」が有名で、喜直も日本の四季を題材にした曲を多数作った。春については、「もうすぐ春だ」(内村直也作詞)、「もう春だ」(夢虹二作詞)、「春のむすめ」(立原えりか作詞)、「ああプランタン無理もない」(サトウハチロー作詞)等がある。生前、喜直は、春の歌に関しては、次のように書き残している。
春の歌を色々作ったのだが、どうもヒットしない。そこでなぜか考えていたら、ふと思い当たることがあった。「早春賦」という歌が今でもよく歌われているが、これは私の父(中田章)の作曲した唯一知られている歌曲で、あとは何もない。歌われている曲がたった一つしかないのである。それが春の歌であるから、私はなるべく邪魔をしないで、敬意を表することにした。 などと言って、講演の時に聴衆を笑わせることがある。[4]

中田には社会運動家・提唱者としての側面もあった。とりわけ嫌煙運動家としての顔が知られており、1980年には渡辺文学と『嫌煙の時代』(波書房)を出版している。『随筆集 音楽と人生』(音楽之友社)では、第2章「タバコについて」、第9章「もう一度タバコについて」、第10章「野球のこと、そしてまたタバコのこと」と、全10章中3章がタバコ関連の文章で占められており、これら以外の章にも散見される。熱心な嫌煙家になったきっかけは、父が晩年に結核に倒れてもなおタバコを吸い続けるほどの愛煙家であり、その彼を見ていた母からタバコの害を聞かされていたことだという。「中田はよく音楽にまつわる講演を頼まれたが、普通なら忙しくて断わるときでも、『タバコの話』さえできれば、喜んでどこへでも出かけて行った」[5]。嫌煙の厳しい態度は他者に対しても及び、「木下さんはヘビースモーカーだったから、完全に十年は早く死にましたね。日比谷公会堂のステージの袖に「火気厳禁」と書いてある。そこでタバコを吸ってましたね。」[6]「いつか中田先生がおかあさんコーラスの全国大会の選考委員になられた時、途中で気持わるくなられたでしょう。あの時吉村副理事長が『タバコを吸わなくても、そうなるじゃありませんか』って言ったら『タバコを吸わないからこのくらいで済んだんだ』って(笑)。」[6]。

自分の手が小さく、ピアノを弾くのに苦労したという中田は、ピアノを習う子供たちのために鍵盤の幅を細くすることを提唱した。提案だけでなく実際に作らせ、自身の作曲に使用した。「コンクールなどで手の小さな人が必死になって弾いているのを見ると、かわいそうだなと思いますよ。」[7]「外国から来たピアノという楽器は、日本人の体に全く合っていない。ヴァイオリンなどは小さい楽器で始めるし、大きくなっても8分の7を弾いてる人がいるし、セロなども大型の外人用では弾けないというので、ちょっと小さいので美しく弾けばいいということになっている。ピアノだけはLLサイズ、靴でいえば27とか28サイズぐらい(笑)。それを小さい時から弾くというのは大間違い。」[7]。「細幅鍵盤運動」は嫌煙に次いで力を注いだ分野であったが、「いくら言ってもわからない。もう信じてるんだね。ピアノはこの大きさだって。スポーツだって子どもの時に大人のプロが使う道具でやることはないですよ。」[7]と嫌煙運動ほどの反響を得ることはできなかった。また、政治や社会の問題に対しても積極的に発言し、読売新聞「気流」欄や朝日新聞「声」欄に熱心に投稿した。騒音問題(駅や飛行機のBGMも彼にとっては「騒音」であり、車掌やスチュワーデスに音楽を止めるよう直接要求したことさえある)、反核・反地雷、憲法改正など彼の発言は多岐にわたる。

君が代について、次のように述べ、君が代のメロディによく合った日本国民のみんなが納得するような内容の歌詞をつけ直してはどうか、と提言し、自ら国歌改作者として名乗りを上げたという。

メロディはいいのだが、言葉とメロディが全く合っていないのだ。歌詞が短くて、メロディが長い。それを無理に合わせようとしたので最低の歌曲になってしまった。(中略)歌曲は、言葉(歌詞)とメロディがよく合っていて、自然にきこえなければ駄目です、ということなのだ。
「なつがくーればおもいだす」ならば不自然ではないが、

「なーつがくれーばおーもいだすう」では気持ち悪くて誰も歌わないだろう。(中略)

私はいろいろな会で「君が代」が演奏された時、必ず立上がってきちんとした姿勢をとる。しかし決して歌わない。出来そこないの歌だから歌えない[4]。
憲法改正について、日本国憲法は、「かなり短い時間で作られたもので、あの戦争や日本が負けたことを考えれば、それなりによく出来ており、特に戦争放棄やその後自衛隊が出来てからの海外派遣の禁止等も、日本の運命の重大な不幸を未然に防いだ効果は非常に大きい」としながらも、「世界情勢と日本国憲法を普通に常識的に見てみると、今の憲法が日本と世界の現実と合っていないことがわかる」として、憲法改正を主張した。皇室について、「黛敏郎氏とはまったく違うが、皇室を大切にしたいという気持は十分にある」とし、天皇を日本国および日本国民統合の象徴とする規定は、物体でない人間に国民の精神的な連帯の絆を求められては「天皇はたまったものではない」と述べ、むしろ「『天皇は、日本国の伝統文化の象徴である』という風に直したいと思っている」と述べている[4]。


著書
『実用和声学』(音楽之友社、1957年)
『メロディーの作り方』(音楽之友社、1960年)
『だれでも弾けるやさしい伴奏』(音楽之友社、1986年)
『音楽と人生』(音楽之友社、1994年)


作曲

器楽曲
小さなヴァイオリニスト(ヴァイオリン・ピアノ)
フルートとピアノのための「日本の秋の歌」
2台のピアノのための音楽「無宗教者の讃美歌」
2台のピアノのための「軍艦マーチによるパラフレーズ」
雨の夜に(ピアノ)
ピアノ・ソナタ
ピアノのための組曲「光と影」
ピアノのための組曲「時間」
四手連弾のための組曲「日本の四季」
子どものための8手連弾ピアノ曲「日本ふうのメロディーによる主題と変奏曲」


歌曲・童謡・放送歌謡など
のちに合唱曲に編曲された作品も少なくない。

「六つの子供の歌」〔1.うばぐるま、2.烏、3.たあんき ぽーんき、4.風の子供、5.ねむの木、6.おやすみ〕
歌曲集「海四章」
マチネ・ポエティクによる四つの歌曲〔1.火の鳥、2.さくら横ちょう、3.髪、4.真昼の乙女たち〕
二人のモノローグによる歌曲集「木の匙」
「夏の思い出」
「雪の降るまちを」
「心の窓にともし灯を」
「君よ八月に熱くなれ」
「寒椿、咲いた」唄、薬師丸ひろ子
「かぐやの里」唄、薬師丸ひろ子
「かわいいかくれんぼ」
「あひるの行列」
「めだかの学校」
「バナナのうた」
「夕方のおかあさん」
「わらいかわせみに話すなよ」
「ちいさい秋みつけた」
「さわると秋がさびしがる」
「手をたたきましょう」(編曲)
歌曲集「魚とオレンジ」〔1.はなやぐ朝、2.顔、3.あいつ、4.魔法のリンゴ、5.艶やかなる歌、6.ケッコン、7.祝辞、8.らくだの耳から(魚とオレンジ)〕


合唱曲
混声合唱曲集「午後の庭園」
混声合唱組曲「海の構図」
混声合唱組曲「昇天」
合唱組曲「おかあさんのばか」(混声・男声・女声版あり。磯部俶との共作)
混声合唱とピアノのための組曲「都会」
女声合唱とバリトンソロ・管弦楽のためのカンタータ「新しい山河」
女声合唱組曲「美しい訣れの朝」
女声合唱組曲「蝶」
朝のうた(第17回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
祭りの宵(第19回同小学校の部課題曲)
美しい秋(第33回同中学校の部課題曲)
心の馬(第50回同中学校の部課題曲)

校歌・園歌作曲
閉校の学校含む

あ行
青森県立弘前中央高等学校校歌(作詞:谷川俊太郎)
青森県立八戸南高等学校校歌(作詞:三浦哲郎)
愛知県立丹羽高等学校校歌(作詞:小林純一)
愛知県立岡崎北高等学校校歌(作詞:畔柳稔)
愛知県立明和高等学校校歌(作詞:深尾須磨子)
愛知県立一宮興道高等学校校歌(作詞:小和瀬玉実)
足立区立西新井小学校校歌
岡山県美作高等学校校歌(作詞:大岩徳二)
厚木市立飯山小学校校歌(作詞:堀江和枝)
岩倉市立五条川小学校校歌「五条川の子らの歌」(作詞:田島穂積)
岩手大学教育学部附属小学校校歌
市原市立五所小学校校歌
糸魚川市立糸魚川東小学校校歌
入間市立金子小学校校歌
入間市立藤沢東小学校校歌(作詞:中村千栄子)
茨城大学教育学部附属中学校校歌(作詞:勝承夫)
板橋区立上板橋第三中学校校歌(作詞:勝承夫)
青木村立青木中学校校歌(作詞:宮沢章二、編曲:藤田玄播)
伊那市立東部中学校校歌(作詞:小西謙)
上田市立第六中学校校歌
魚沼市立守門中学校校歌
浦安市立日の出小学校校歌(作詞:岡田喜代子)
愛媛県立宇和島南中等教育学校校歌・愛媛県立宇和島南中等教育学校校歌(作詞:佐伯秀雄)
愛媛県立三島高等学校校歌(作詞:白木豊)
愛媛県立宇和島水産高等学校校歌(作詞:黒田定雄)
大阪教育大学附属天王寺小学校校歌(作詞:竹中郁)
茨木市立大池小学校校歌(作詞:竹中郁)
赤穂市立赤穂西小学校校歌(作詞:小林純一)
大田区立大森第二小学校校歌
大田区立大森東中学校校歌
大町市立八坂中学校校歌(作詞:高橋渡)
大町市立八坂小学校校歌(作詞:高橋渡)
大町市立美麻小中学校校歌
岡山市立岡北中学校校歌(作詞:永瀬清子)
生駒市立生駒台小学校校歌(作詞:石森延男)
宇部市立藤山中学校校歌(作詞:北川冬彦)
岡崎市立城北中学校校歌(作詞:清水孝之)
か行
香川大学教育学部附属幼稚園高松園舎の歌(作詞:まど・みちお)
柏崎市立東中学校校歌(作詞:中村千栄子)
学校法人有明中央学園ひまわり幼稚園園歌(作詞:坂村真民)
葛飾区立南奥戸小学校校歌(作詞:小林純一)
葛飾区立綾南小学校校歌(作詞:小林純一)
葛飾区立西渋江小学校校歌
葛飾区立上千葉小学校校歌(作詞:小林純一)
神奈川県立相模田名高等学校校歌(作詞:こわせたまみ)
神奈川県立横浜立野高等学校校歌(作詞:神保光太郎)
神奈川県立氷取沢高等学校校歌→神奈川県立横浜氷取沢高等学校(作詞:岡野弘彦)
神奈川県立川崎北高等学校校歌(作詞:池田昂二)
刈谷市立亀城小学校校歌(作詞:丸山薫)
刈谷市立住吉小学校校歌
川越市立川越第一小学校校歌(作詞:小林純一)
川越市立広谷小学校校歌(作詞:こわせたまみ)
川越市立霞ヶ関北小学校校歌(作詞:宮澤章二)
川越市立高階南小学校校歌(作詞:小林純一)
川越市立古谷小学校校歌(作詞:小林純一)
川崎市立今井小学校校歌(作詞:小林純一)
川崎市立有馬小学校校歌
川崎市立金程中学校校歌(作詞:高良留美子)
川崎市立井田小学校校歌
川崎市立川崎中学校校歌(作詞:小林純一)
川崎市立西丸子小学校校歌
川崎市立平間中学校校歌(作詞:大井章)
久喜市立青毛小学校校歌
久喜市立太田小学校校歌
気仙沼市立松岩小学校校歌
気仙沼市立松岩中学校校歌(作詞:水上不二)
桐生市立西中学校校歌(作詞:村野四郎)
木更津市立清川中学校校歌(作詞:倉澤栄吉)
共立女子学園歌
川越市立東中学校校歌(作詞:小林純一)
川越市立大東中学校校歌(作詞:石森延男)
川口市立青木中学校校歌(作詞:服部嘉香)
共立女子第二中学校・高等学校旧校歌
岐阜県立池田高等学校校歌(作詞:こわせたまみ)
協同組合短期大学校歌(作詞:小林純一)
越谷市立武蔵野中学校校歌(作詞:山崎一男、監修:神保光太郎)
北区立赤羽台西小学校校歌(作詞:小林純一)
北区立八幡小学校校歌
神戸弘陵学園高等学校校歌
小金井市立東小学校校歌(作詞:水上不二)
狛江市立狛江第四中学校校歌(作詞:こわせたまみ)
小平市立小平第一小学校校歌(作詞:土屋忠司)
小平市立小平第二中学校校歌(作詞:小林純一)
小平市立小平第十小学校校歌(作詞:与田準一)
小平市立小平第十五小学校校歌(作詞:小林純一)
小平市立花小金井小学校校歌(作詞:与田準一)
行田市立東小学校校歌(作詞:山口平八)
江東区立大島中学校校歌(作詞:深尾須磨子)
弘学館中学校・高等学校校歌(作詞:こわせたまみ)
古河市立三和東中学校校歌(作詞:こわせたまみ)
川口市立八幡木中学校校歌(作詞:小林純一)
越谷市立弥栄小学校校歌(作詞:宮中雲子)
川口市立安行小学校校歌(作詞:白鳥省吾)
川口市立根岸小学校校歌(作詞:勝承夫)
川口市立南鳩ヶ谷小学校校歌(作詞:小林純一)
御殿場市立南中学校校歌(作詞:浜野卓也)
さ行
埼玉県立所沢商業高等学校校歌
さいたま市立植竹小学校校歌(作詞:大木実)
さいたま市立植竹中学校校歌(作詞:大木実)
さいたま市立上里小学校校歌
さいたま市立栄小学校校歌(作詞:神保光太郎)
さいたま市立指扇中学校校歌
さいたま市立大東小学校校歌(作詞:勝承夫)
さいたま市立三室小学校校歌(作詞:勝承夫)
さいたま市立与野西中学校校歌(作詞:吉沢光平)
佐賀県立武雄青陵高等学校校歌→佐賀県立武雄青陵中学校(作詞:田坂守人)
坂戸市立坂戸中学校校歌(作詞:小林純一)
坂戸市立坂戸小学校校歌(作詞:小林純一)
相模原市立共和中学校校歌(作詞:こわせたまみ)
狭山市立東中学校校歌(作詞:小林純一)
志木市立志木第二中学校校歌(作詞:石森延男)
四国中央市立東中学校校歌
四條畷市立四條畷西中学校校歌
静岡市立玉川小学校校歌(作詞:野田しげみ)
庄内町立余目中学校校歌
杉並区立永福南小学校校歌(作詞:藤田伸二)
草加市立稲荷小学校校歌(作詞:小林純一)
世田谷区立船橋中学校校歌
世田谷区立多聞小学校校歌(作詞:神川漁史)
た行
高崎市立新町第一小学校校歌(作詞:小林純一)
高崎市立新町第二小学校校歌(作詞:小林純一)
高崎市立新町中学校校歌(作詞:勝承夫)
高崎市立高松中学校校歌
高松市立紫雲中学校校歌(作詞:河西新太郎)
立川市立西砂小学校校歌(作詞:小林純一)
立山町立立山中央小学校校歌
筑後市立下妻小学校校歌
茅野市立永明中学校校歌(作詞:尾崎喜八)
調布市立飛田給小学校校歌(作詞:小海永二)
燕市立燕北中学校校歌
都留市立都留第一中学校校歌(作詞:江間章子)
豊島区立大成小学校校歌
所沢市立清進小学校校歌
所沢市立山口小学校校歌(作詞:小林純一)
富山大学人間発達科学部附属幼稚園園歌(作詞:笹倉修)
所沢市立並木小学校校歌(作詞:こわせたまみ)
所沢市立若狭小学校校歌(作詞:小林純一)
千代田区立番町小学校校歌(作詞:こわせたまみ)
千葉市立千草台小学校校歌
千葉市立花園小学校校歌
千葉大学教育学部附属中学校校歌(作詞:白鳥省吾)
東京電機大学中学・高等学校校歌「風よ光よ」(作詞:宗左近)
東京都立国分寺高等学校校歌(作詞:仁平忠彦)
東京都立神津高等学校校歌(作詞:小林純一)
栃木県立足利高等学校校歌
富山県立高岡南高等学校校歌(作詞:谷川俊太郎)
富山医科薬科大学校歌
学校法人東京聖徳学園学園歌(作詞:サトウハチロー)
取手市立井野小学校校歌(作詞:川上宏昭)
取手市立白山西小学校校歌(作詞:川上宏昭)
登米市立佐沼中学校校歌(作詞:巽聖歌)
豊田市立豊南中学校校歌(作詞:清水孝之)
な行
長浜市立長浜小学校校歌(作詞:石森延男)
長岡市立山本中学校校歌
長野市立東北中学校校歌(作詞:傳田青磁)
長野県梓川高等学校校歌(作詞:佐藤春夫)
長野県伊那弥生ヶ丘高等学校校歌(作詞:宮澤章二)
長野県豊科高等学校校歌(作詞:尾崎喜八)
名古屋市立清水小学校校歌(作詞:巽聖歌)
名古屋市立戸笠小学校校歌「戸笠の子」(作詞:青野静枝、校歌作成委員会補作)
習志野市立秋津小学校校歌「秋津のうた」(作詞:小林純一)
新潟県立新潟中央高等学校校歌(作詞:深尾須磨子)
新潟市立竹尾小学校校歌(作詞:こわせたまみ)
新潟市立牡丹山小学校校歌(作詞:石森延男)
新潟青陵大学・新潟青陵大学短期大学部学園歌(作詞:三好達治)
新潟大学教育学部附属新潟中学校校歌(作詞:金子彦二郎)
日本放送協会学園高等学校旧校歌(作詞:清水繁男)
ニューヨーク日本人学校校歌(作詞:谷口哲)
練馬区立大泉学園小学校校歌(作詞:大泉学園小学校)
練馬区立関町小学校校歌
西尾市立中畑小学校校歌(作詞:サトウハチロー)
沼津市立長井崎中学校校歌→沼津市立長井崎小中一貫学校校歌(作詞:相磯和嘉)
は行
羽村市立羽村第二中学校校歌[8](作詞:小林純一)
半田市立青山中学校校歌(作詞:倉沢栄吉)
東大和市立第四小学校校歌(作詞:小林純一)
広島県立呉商業高等学校校歌
広島県立広島工業高等学校校歌(作詞:葛原滋)
広島市立二葉中学校校歌
広島市立中島小学校校歌
平塚市立金目小学校校歌(作詞:清水みのる)
平塚市立南原小学校校歌(作詞:諸伏靖夫)
福岡県立久留米高等学校校歌(作詞:丸山豊)
富士市立原田小学校校歌(作詞:吉田とし)
富士見市立みずほ台小学校校歌(作詞:山本慎治、補作:吉田瑞穂)
文京区立本郷小学校校歌(作詞:宮中雲子)
東松山市立南中学校校歌(作詞:小林純一)
東久留米市立西中学校校歌(作詞:こわせたまみ)
東久留米市立小山小学校校歌
福山市立鷹取中学校校歌(作詞:木下夕爾)
福井県立福井商業高等学校校歌
福生市立福生第二小学校校歌
北杜市立須玉小学校校歌(作詞:江間章子)
北杜市立須玉中学校校歌(作詞:江間章子)
ま行
舞鶴市立若浦中学校校歌
みその幼稚園園歌
三次市立甲奴中学校校歌
水戸市立新荘小学校校歌(作詞:小林純一)
水戸市立双葉台小学校校歌(作詞:小林純一)
目黒区立宮前小学校校歌(作詞:曾野綾子)
町田市立忠生第五小学校校歌
や行
山形県立鶴岡中央高等学校校歌(作詞:こわせたまみ)
八街市立実住小学校校歌(作詞:小林純一)
八街市立八街中学校校歌(作詞:小林純一)
大和市立上和田中学校校歌(作詞:こわせたまみ)
横須賀市立田戸小学校校歌
横須賀市立追浜中学校校歌(作詞:小林純一)
横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校・横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校 学園の歌「山のすがた」(作詞:深尾須磨子)
横浜市立新井中学校校歌(作詞:和多史雄)
横浜市立いずみ野小学校校歌(作詞:八木橋雄次郎)
横浜市立左近山第二小学校校歌(作詞:江間章子)
横浜市立東希望が丘小学校校歌「マーガレットの花」(作詞:江間章子)
横浜市立南希望が丘中学校校歌(作詞:こわせたまみ)
横浜市立つつじが丘小学校校歌(作詞:こわせたまみ)
横浜市立日野南小学校校歌(作詞:江間章子)
横浜市立峯小学校校歌
横浜市立矢部小学校校歌「わかぎ」(作詞:佐藤さとる)
横浜市立葛野小学校校歌(作詞:石本美由起)
横浜市立万騎が原小学校校歌(作詞:こわせたまみ)
横浜市立秋葉中学校校歌(作詞:椋鳩十)
横浜市立上飯田中学校校歌(作詞:江田祐吉)
横浜市立川和中学校校歌(作詞:江間章子)
横浜市立戸塚中学校校歌(作詞:高橋惇)


市町村歌作曲
浦和市歌
愛媛県歌

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E5%96%9C%E7%9B%B4
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/670.html#c1

[近代史7] 佐々木 すぐる(1892年4月16日 - 1966年1月13日) 中川隆
1. 中川隆[-14640] koaQ7Jey 2021年12月09日 23:01:10 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[38]
佐々木 すぐる(本名:佐々木 英、1892年4月16日 - 1966年1月13日)は、日本の作曲家である。童謡をはじめとする2000曲もの楽曲を作曲し、中でも「月の沙漠」「お山の杉の子」が有名。三男の佐々木行綱は元童謡歌手、声楽家(バス)、音楽評論家、元山形大学教授。


生涯
兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)出身。元は士族であり、父親が郡役所に勤務する家庭に育つ。幼い頃に近所の住人から笛を貸してもらったことで、音楽に興味を抱く。しかし、家庭が貧しかったことから学費のことを考え、音楽学校ではなく姫路師範学校(現在の神戸大学の前身の一つ)へと進学。在学中は生活費を得るためにボイラー技士として働きながら勉学に励む。卒業後しばらく郷里の小学校で教鞭をとるが、後に東京音楽学校に進学し、甲師科を卒業。

東京音楽学校卒業後は、浜松師範学校(現在の静岡大学)で教員として働く傍ら「青い鳥」や「じゃんけんぽん」などの童謡を発表する。1922年(大正11年)に師範学校を退職し、上京。作曲家に専念する。1923年には「月の沙漠」を作曲。1924年(大正13年)には、自分の作品を掲載した「青い鳥楽譜」を発刊し、昭和初期まで自費で出版する。また、青い鳥児童合唱団を主宰し、精力的に全国を回った。1932年(昭和7年)には日本コロムビアの専属作曲家となる。1930年代には唱歌や「兵隊さんよありがとう」のような愛国歌を数多く発表し、当時の子供たちの間に広く知れ渡った。後に音楽の教科書の編纂を行い、日本作曲家協会理事を務めるなど子供のための音楽や歌曲の普及に貢献した。浦和市立(現さいたま市立)針ヶ谷小学校の校歌[1]が最後の作品であると考えられる(1966年2月27日に校歌制定発表会[2])。


主な作曲作品

月の沙漠
七夕(本名の佐々木英名義、高橋掬太郎作詞)
昭和の子供
ひょうたんぽっくりこ(昭和8年、久保田宵二作詞)
軍艦旗の歌(瀬戸口藤吉作曲のものとは別曲。)
航空日本の歌(1940年、中川秀雄作詞。)
兵隊さんよありがとう(橋本善三郎作詞、歌・松原操、飯田ふさ江)
お山の杉の子(1944年、吉田テフ子作詞 / サトウハチロー補作(戦後改作))
赤ちゃんのお耳
日本教職員組合組合歌

校歌
大田区立大森第一中学校校歌(作詞:藤浦洸)
大田区立矢口小学校校歌
大田区立大森第四小学校校歌(作詞:神保光太郎)
さいたま市立東大成小学校
さいたま市立宮原小学校校歌(作詞:神保光太郎)
さいたま市立常盤小学校校歌
さいたま市立針ヶ谷小学校校歌
川越市立山田小学校校歌(作詞:藤浦洸)
練馬区立石神井東小学校校歌(作詞:西條八十)
小金井市立小金井第二小学校校歌
あきる野市立五日市小学校校歌(作詞:神保光太郎)
黒部市立高志野中学校校歌
高岡市立国吉小学校校歌(作詞:西條八十)
静岡県立韮山高等学校校歌
静岡市立東豊田小学校校歌
森町立宮園小学校校歌
浜松市立東小学校校歌
浜松市立元城小学校校歌
新居町立新居中学校校歌
兵庫県立松陽高等学校校歌
神戸市立西灘小学校校歌
神戸市立真野小学校校歌
豊岡市立八条小学校校歌
姫路市立林田中学校校歌
姫路市立姫北小学校校歌
姫路市立飾磨小学校校歌
姫路市立白浜小学校校歌
北九州市立泉台小学校校歌(作詞:阿南哲朗)
北九州市立筒井小学校校歌(作詞:阿南哲朗)
津屋崎町立津屋崎小学校校歌
佐伯市立波当津小学校校歌
愛媛県立松山北高等学校校歌
修文女子高等学校校歌
神河町立粟賀小学校校歌
奥多摩町立氷川小学校校歌
川口市立青木中央小学校校歌
川口市立上青木小学校校歌
川口市立並木小学校校歌
茂原市立五郷小学校校歌
袋井市立袋井中学校校歌
九州工業高等学校校歌(作詞:阿南哲朗)


社歌
大電株式会社社歌

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E3%81%99%E3%81%90%E3%82%8B
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[近代史7] 梁田 貞(1885年7月3日 - 1959年5月9日) 中川隆
1. 中川隆[-14639] koaQ7Jey 2021年12月09日 23:04:04 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[39]
梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - 1959年5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌市出身。

創成小学校[2]、札幌中学校、札幌農学校予科を経て、1905年東京音楽学校(現:東京芸術大学)受験に失敗し、一時早稲田大学商科に在籍。中山晋平らと音楽学校への受験勉強に勤しみ、1909年になって東京音楽学校本科声楽科ピアノ専攻科入学。声楽と作曲を学び、1912年に同校卒業後、研究生の傍ら東京府立第一中学校 - 日比谷高校教諭(1912年〜1949年)。学制改革により港区新星中学校 - 港区立青山中学校教諭に。のち、母校の東京音楽学校や玉川学園[3]、旧制成蹊高校、早稲田大学などでも教える。


代表作に、

『城ヶ島の雨』(作詞北原白秋)、
『どんぐりころころ』(作詞青木存義)、
『昼の夢』(作詞高安月郊)、
『隅田川』(作詞小松耕輔)、
『木の葉』、
『お玉じゃくし』
(以上 作詞吉丸一昌)、

『羽衣』、
『あられ』、
『てふてふ』、
『たんぽぽさいた』、
『鬼が島』
『とんび』
(以上 作詞葛原しげる)

など、多くの作曲を遺している。

その他にも旧制七高寮歌 『楠の葉末』、日本大学二代目校歌、大東文化大学学生歌、秋田高校校歌なども手がける。

その遺した作品は、童謡、唱歌から歌謡曲にまで広がり、現在でも広く親しまれている作品は多い。また東京府立一中在籍当時、その風貌から「ライオン」「ライオン先生」の異名で呼ばれていたが、同居していた府立高等学校では「カバ」の異名であった。梁田自身は前者がお気に入りだった[4]。現在の日比谷高校の合唱祭における賞の一つ『梁田賞』は氏を讃えて制定されたもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E7%94%B0%E8%B2%9E
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[近代史7] 岡野貞一(1878年2月16日 - 1941年12月29日) 中川隆
1. 中川隆[-14638] koaQ7Jey 2021年12月09日 23:15:20 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[42]
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年(明治11年)2月16日 - 1941年(昭和16年)12月29日)は 、日本の作曲家。

人物・来歴
鳥取県邑美郡古市村(現在の鳥取市)に、士族 岡野平也の子として生まれ、幼少期に実父を亡くし、貧困の中で育つ。鳥取高等小学校(現在の鳥取市立久松小学校)へ進学。同校には日本の音楽教育家・作曲家田村虎蔵も学年違いで在校していた。

1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。

東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の第2代校長である同郷の村岡範為馳が1892年に鳥取で行った講演に影響され、1895年には岡山の薇陽学院を中退し、上京して東京音楽学校に入学、1900年に専修部を卒業した[1]。

その後、1906年に東京音楽学校助教授、1923年に教授(声楽)となり、1932年に退官するまで音楽教育の指導者の育成に尽力した。1918年より文部省編纂の尋常小学唱歌の作曲委員であった。約40年にわたり東京の本郷中央教会(明治・大正期には本郷中央会堂と呼ばれた、カナダメソジスト系の教会)の教会オルガニスト(聖歌隊も指導)であった。

1941年、日本大学附属病院で死去。63歳没。

主な作品

学校唱歌
高野辰之の詞によるものは(*)印

故郷(*)
春が来た(*)
春の小川(*)
朧月夜(*)
紅葉(もみじ)(*)
日の丸の旗(*)
水師営の会見
桃太郎
夕やけ
児島高徳
三才女


校歌
岡野は、日本の本土はもとより、樺太、台湾、朝鮮、満州まで、160校を超える校歌を作曲した。小学校、旧制中学、旧高等女学校、旧制専門学校の校歌も多く作曲し、現在も60校におよぶ学校で歌い継がれている。以下の校歌は出典[2][3]を底本とし、各取,間々田が各校へ確認し、出典[4]としてまとめた。

北海道網走南ヶ丘高等学校校歌(作詞 神原克重)
秋田県立秋田北高等学校校歌(作詞 尾上柴舟)
秋田県立金足農業高等学校歌(作詞 近藤忠義)
秋田県立能代高等学校校歌(作詞 藤村作)
山形県立鶴岡工業高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
福島県立白河高等学校校歌(作詞:工藤正勝)
茨城県立結城第一高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
千葉県立千葉女子高等学校校歌(作詞:高野辰之)
群馬県立桐生高等学校校歌(作詞 篠崎与十郎)
群馬県立桐生女子高等学校校歌(作詞 本多亀三)
群馬県立伊勢崎工業高等学校校歌(作詞 河野省三)
埼玉県立川越総合高等学校校歌(作詞 武島羽衣)
筑波大学附属視覚特別支援学校(旧東京盲学校)校歌(作詞 尾上柴舟)
旧千代田区立淡路小学校校歌(作詞:細川潤次郎)
女子学院校歌(作詞 別所梅之助)
中央区立泰明小学校校歌(作詞 武島羽衣)
港区立白金小学校校歌(作詞 武笠 三)
三輪田学園中学校・高等学校校歌(作詞 三輪田元道)
神奈川県立上溝高等学校校歌(作詞 鴇田恵吉)
神奈川県立神奈川工業高等学校校歌(作詞:浦井喜久造)
神奈川県立平塚農業高等学校校歌(作詞 青木存義)
鎌倉市立御成小学校校歌(作詞 佐佐木信綱)
鎌倉市立腰越小学校校歌(作詞 吉丸一昌)
新潟県立加茂農林高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
長野県下高井農林高等学校校歌(作詞 高野辰之)
長野県上田高等学校校歌(作詞 旧制長野県立上田中学校国漢科)
長野県上田東高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
長野県小諸商業高等学校校歌(作詞 児玉花外)
長野県松本深志高等学校校歌(作詞 松原威雄)
岐阜県立武義高等学校校歌(作詞 佐佐木信綱)
滋賀県大津市立平野小学校(作詞 巖谷小波)
大阪府立北野高等学校校歌(作詞:土井晩翠)
梅花学園校歌(作詞:清水千代)
岡山県立津山商業高等学校校歌(作詞 石井眞一)
広島県立福山工業高等学校校歌(作詞 上村貞章)
島根県浜田市立松原小学校校歌(作詞 水黒準六)
熊本県立熊本高等学校校歌(作詞:池辺義象)
山梨県立日川高等学校校歌(作詞:大須賀乙字)
(樺太)樺太泊居尋常高等小学校校歌(作詞 高野辰之)
(台湾)台南州立嘉義農林学校校歌(作詞 高野辰之)
(朝鮮)朝鮮海州西公立中学校校歌(作詞 白鳥省吾)
(満州)南満州鶏冠山尋常高等小学校校歌
変わったところでは、福岡県立門司大翔館高等学校校歌は岡野作曲による旧門司市歌であり、金沢市保育園「さいび園」園歌は石川県立金沢二水高等学校旧校歌(旧石川県立金澤第一高等女学校)である。

その他の曲・歌
我等の生業(ロータリークラブの歌)
古賀連隊長(佐佐木信綱作詞、満州事変関連)1932年
陸軍記念日唱歌
飛行機唱歌
名古屋市歌
岡山市歌

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E9%87%8E%E8%B2%9E%E4%B8%80
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[近代史7] 杉山長谷夫(1889年 8月5日 - 1952年 8月25日) 中川隆
1. 中川隆[-14637] koaQ7Jey 2021年12月09日 23:19:01 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[43]
杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月5日 - 1952年(昭和27年)8月25日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者。本名は杉山 直樹(すぎやま なおき)。別名として杉山 長谷雄、杉山 はせをという表記も見られる。


経歴
愛知県名古屋市出身。1913年(大正2年)東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケル、ハインリヒ・ヴェルクマイスター、アレクサンドル・モギレフスキーらにヴァイオリンや作曲を師事した。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永、高勇吉、芝盂泰、多忠亮らと室内楽運動を展開。暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えた[1]。教え子に近藤柏次郎がいる[2]。

作曲家としては本領であるヴァイオリン曲のほか、軍歌、歌曲、歌謡曲、童謡も手がけ、抒情画家・蕗谷虹児の作詞による、花嫁になる女性の哀感を情緒的に表現した童謡『花嫁人形』は少女たちに広く愛唱された[3]。

歌謡曲では自ら見出した詩人・勝田香月の詩、オペラ歌手・藤原義江の歌唱によって別れの寂しさを表現した『出船』がヒット。

多作であり、SPレコードの録音だけでも百数十曲の作品が確認できる。(杉山長谷夫名義[4]、杉山長谷雄名義[5]、杉山はせを名義[6]合計)。編曲作品も多い。作詞を担当したものもある『花火:杉山長谷夫作詞』[4]。

指揮者としても、録音、演奏会などに出演している。

声楽も嗜んだようで、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー第23回定期演奏会(1916年(大正5年))において男声四部合唱(四重唱)を披露した記録がある。(メンバーは澤崎定之、山崎普立、大塚淳、杉山長谷夫)[7]

戦後は日本作曲家協会理事、日本音楽著作権協会理事などを歴任。酒を好み、貴公子然とした風格を持ち、軽妙洒脱でユーモアをたっぷり含んだ語り口と人柄で“殿下”の愛称で親しまれた。

主な作品

声楽曲
『花嫁人形』(1932年[1]) - 蕗谷虹児作詞。
『出船』(1928年[3]) - 勝田香月作詞。
『つづみ』
『大きな力』
『月と花』
『野の宝庫』
『キャラバンの鈴』
『ねんねのお里』
『もの思い』
『傷める紅薔薇』[3]
『忘れな草』[8]
『苗や苗』[9]


校歌等
早稲田大学応援歌(仰げよ荘厳)長田幹彦作詞[10]
小樽商科大学校歌 時雨音羽作詞[11]
鹿児島玉龍高等学校校歌 前田重行作詞[12]
静岡県立富士高等学校校歌 勝田香月作詞[13]
千葉市立小中台中学校校歌 高橋掬太郎作詞[14]


オーケストラ
『富士箱根の印象』[3]


指揮者としての活動

録音
『独唱:忘れな草』勝田香月(作詞)、杉山長谷夫(作曲)、杉山長谷夫(編曲)、三浦環、杉山長谷夫(指揮)、日本コロムビア交響樂團(コロムビア(戦前)、商品番号 : 35297、1932-06)[8]
『出船』勝田香月(作詞)、杉山長谷夫(作曲)、杉山長谷夫(編曲)、柴田秀子、杉山長谷夫(指揮)、日本コロムビア交響樂團(コロムビア(戦前)、商品番号 : 36841、1932-12)
『行進遊戯:仰げ御陵威』杉山長谷雄(作曲)、杉山長谷雄(編曲)、杉山長谷雄(指揮)、コロムビア管弦楽団 (コロムビア(戦前)、商品番号 : 33585、1938-09)[5]


演奏会
1937年(昭和12年)4月19日 東洋音樂學校春季演奏會 グルック『オリドのイフㇶジェニー』日比谷公会堂 指揮:杉山長谷夫[15]
1939年(昭和14年)11月15日 關屋敏子オペラコムパニー公演 ヴェルディ『椿姫』日比谷公会堂 指揮:杉山長谷雄[16]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%A4%AB
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/676.html#c1

[近代史7] 平岡精二(1931年8月13日 - 1990年3月22日) 中川隆
1. 中川隆[-14636] koaQ7Jey 2021年12月09日 23:44:18 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[46]
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本のジャズミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家である[1][2]。日本作曲家協会会員[1]。


人物
1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[2]。実業家であり木琴奏者、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である[1]。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」[2]とするのは誤り[1]。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる[1]。

幼少期、父から木琴を習い、第二次世界大戦後、青山学院高等部在学中の15歳のころ、村上一徳(1913年 - 1963年)による「村上一徳とサーフライダーズ」に参加、プロとしてデビューする[1]。1951年(昭和26年)、ゲイ・セプテットに加入[1]、1954年(昭和29年)、青山学院大学経済学部を卒業し[1]、ヴィブラフォン奏者として一本立ちする[2]。1956年(昭和31年)6月、「平岡精二カルテット」を結成、その後、「平岡精二シックステット」に発展、「平岡精二クインテット」を結成する[1][2]。渋みのある音色、抑揚の激しい歌で人気を博す。トランペット、アルトサックス、マリンバなども演奏する。

1958年(昭和33年)、ペギー葉山に『爪』を提供(本作は1964年(昭和39年)に再録音された)。1964年(昭和39年)、青山学院を舞台としたペギー葉山の代表曲『学生時代』を作詞・作曲・編曲、「平岡精二クインテット」が演奏した。

山下毅雄の映画音楽等でマリンバを多く演奏したのが、平岡である[1]。山下と出逢うきっかけは、親戚の養一の家の近くに山下が住んでいたことだという[1]。

1990年(平成2年)3月22日、死去[1][2]。満58歳歿。

ディスコグラフィ
旗照夫「あいつ」
ザ・シャデラックス「君についていこう」
ペギー葉山「爪」「学生時代」
曽我町子「謎の女B」
校歌 (青山学院) - 作曲のみ(1974年)

フィルモグラフィ
クレジットは「音楽」である[1]。

『セクシー地帯』(セクシーライン) 監督 : 石井輝男、 1961年1月9日公開
『如何なる星の下に』 監督 : 豊田四郎、1962年4月15日公開
『ハイハイ3人娘』 監督 : 佐伯幸三、1963年1月29日公開
『素敵な今晩わ』 監督 : 野村芳太郎、1965年7月24日公開

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E7%B2%BE%E4%BA%8C
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/677.html#c1

[近代史7] 冨田 勲(1932年4月22日 - 2016年5月5日) 中川隆
1. 中川隆[-14635] koaQ7Jey 2021年12月10日 00:31:15 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[52]
冨田 勲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E7%94%B0%E5%8B%B2

冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - 2016年5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。


1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの昨品がCD等で愛聴されている。

やがて古典的な「アコースティック楽器のオーケストラ」の音に飽きたらなくなり、当時新たに登場してきた電子機器と古典的楽器の音を融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求するようになった。さらにその後1969年に電子楽器モーグ・シンセサイザーに出会ったことが転機となり、これ以降は古典的名曲を現代的な解釈を加えて編曲し、自宅スタジオでシンセサイザーを演奏・多重録音することが活動の中心となる。1974年発表のアルバム『月の光』がビルボード・クラシカルチャートで2位を記録し、続く『展覧会の絵』が同チャート1位を獲得。世界的に名が知られることとなった[注 1]。→#ディスコグラフィー →#ノミネートおよび受賞歴

1980〜1990年代には、シンセサイザー音楽のスタジオ内での制作やアルバム発表にとどまらず、「サウンドクラウド(音の雲)」と銘打って、屋外で大観衆に向かって立体的に聞かせる壮大なライブ・イベントをヨーロッパ、米国、日本、オーストラリアなどで開催した。→#コンサート/イベント


来歴
東京府豊多摩郡(同年に東京市杉並区になり、現:東京都杉並区)にて生誕[1]。祖父は1906年(明治36年)に愛知県額田郡本宿村(現:岡崎市本宿町)で病院を開業した冨田丈次郎[2][3]。父は2代目院長の冨田清。弟に冨田稔がいる(医学博士、冨田病院3代目院長[注 2]、慶應義塾大学客員教授)。

父の清は当時紡績会社鐘紡の嘱託医だったので転勤があり、勲は4歳から中華民国青島、山口県防府市、中国北京で過ごす[1]。この時期に父に連れられて天壇公園に行き「回音壁」の音を聞いたことが、後に音楽家になる原点となった[4]。

1939年(昭和14年)に帰国し、父親の実家の本宿村に住む。本宿村立本宿尋常小学校(現:岡崎市立本宿小学校)に入学。竹を使って手作りの笛を作り、授業で覚えさせられたモールス信号を吹いて遊んでいたという[5]。

1945年(昭和20年)、愛知県岡崎中学校(現:愛知県立岡崎高等学校)に入学。戦争末期は男川地区の軍需工場に学徒動員で駆り出された[6]。1948年(昭和23年)、愛知県立岡崎高等学校に入学[7]。

上京
岡崎高校2年生の1949年(昭和24年)、両親の命により慶應義塾高等学校の編入試験を受け合格。慶應高校時代はWVTR東京(現・AFN)の放送を夢中になって聴いたという[7]。作曲家小森昭宏と同期。作曲は当初、全くの独学ではあったが、平尾貴四男、小船幸次郎にも師事。作曲家の小林亜星、フルート演奏家の峰岸壮一も高校で同じクラス、作曲家の林光は隣りのクラスであった[8]。高校時代、既に歌手本間千代子も所属する「みすず児童合唱団」で指導もしていた。

慶應義塾大学文学部に進学し、美学美術史を専攻、その傍らで弘田龍太郎について音楽理論を学ぶ。大学2年で、朝日新聞社主催、全日本合唱連盟のコンクールの課題曲に応募した作品、合唱曲「風車(ふうしゃ)」が1位となる。これにより作曲家への道を歩む決意を固め、在学中からNHKの音楽番組の仕事を始め、作曲活動に入る。また大学在学中から既にひばり児童合唱団でも演奏、指導、作曲などをしていた[9]。

1955年、慶應義塾大学文学部を卒業。

作曲活動の草創期
1956年メルボルンオリンピックに参加した日本女子体操選手のための伴奏音楽の作曲や、日本コロムビアでの学校教材用のレコード制作、森永製菓などコマーシャル音楽の編曲を手掛け、プロの音楽家として活動を始める。NHKのラジオ番組『立体音楽堂』や、NHKのテレビ番組『新日本紀行』、『きょうの料理』などのテーマ音楽の作曲、NHK大河ドラマ(池辺晋一郎と並んで現在最多の5作品を担当)の音楽の作曲、東映動画の劇場用作品、手塚治虫原作のTVアニメ『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』、『どろろ』、円谷プロダクションや東映の特撮番組など、テレビ番組・ラジオ番組・映画・アニメ・ドキュメンタリー・イベント・舞台・学校教材・コマーシャルソングなど、多くの仕事を並行して進め膨大な数の作品を世に送り出した。

モーグ・シンセサイザーとの出会い
1969年、大阪万博の東芝IHIのパビリオンの音楽を録音するため、大阪に3か月間、滞在した。訪れた輸入レコード店で、モーグ・シンセサイザー (MOOG III-C) を全面的に用いて作成されたウォルター・カーロス(現在はウェンディ・カーロス)の『スウィッチト・オン・バッハ(Switched-On Bach)』と出会う。「このアルバムは、せっかくモーグシンセサイザーを使っていながら音色に趣向をこらしていない」というのが正直な感想であったが、シンセサイザーこそ求めていたものだと直感した[10]。

1971年秋頃、モジュラー式のモーグ・シンセサイザー(モーグIII-P 画像)を日本で初めて個人輸入した。非常に高額な楽器であり、金銭面で苦労したという。

当時、楽器として輸入しようとしたところ、日本ではシンセサイザーがほとんど認知されていなかったので、税関から軍事機器(むしろアナログコンピュータそのものであろう)と疑われ、税関の検査場で1か月以上止められ、しかもその間の保管料を請求されたといったエピソードがある[11]。楽器とは関税率が異なる「精密機器」として扱われそうになったので、楽器であることを証明する必要があったとされる。証明に時間がかかったのは、シンセサイザーの演奏写真を送ってくれと頼んだのにいつまでも来なかったからで、証明に使われたのはキース・エマーソンの演奏写真だった。

モーグには説明書が付属していなかったので使い方が全く分からずに苦戦し、当初は「高いだけの鉄くずを買ってしまった」と後悔した[12]。その後、自宅にマルチトラックレコーダーも備える「電子音楽スタジオ」を構築し、電子音による管弦楽曲の再現を試行錯誤しながら数々の作品を作曲・編曲した。この時期から映像音楽作品にもシンセサウンドを多く用い始めた。

シンセサイザー音楽作家としての活動
シンセサイザーを用いた習作として、TBSブリタニカ発行の世界子供百科付録の2枚組ピクチャーLPアルバム『音楽ってたのしいな』(1972年)の中で発表した「銀河鉄道の夜」が上げられる。「銀河鉄道の夜」はシンセサイザーを入手してから3ヶ月で製作されたものであるという。また1972年にMOOG IIIを使用した『スイッチト・オン・ヒット&ロック』がCBSソニーからSQ-4方式4chステレオ作品として既に出てはいた。

シンセサイザーの導入から1年4ヶ月を費やし[注 3]、シンセサイザー音楽作品として『月の光』のマスターテープを制作。

当時このアルバムを日本の各レコード会社に持ち込んだところ、「クラシックでもポピュラーミュージックでもなく、レコード店の棚に置く場所がない」などの営業的な理由ですべて断られたとされる。そののち当時の日本RCA東京出張所長(後にワーナーパイオニアレコードの社長)山本徳源に頼んで米国RCAのニューヨーク本社にテレックスを打ってもらったところ、直ちに「会おう」という回答を貰った。ハンス・ウールマンによるシンセサイザー音楽作品『革命のエチュード』などをリリースした経験があったRCAレコードに持ち込み、レコード発売の契約締結に成功。

1974年4月、アルバム『Snowflakes Are Dancing』がアメリカで発売[13]。大好評を得て1975年1月18日付けのビルボード全米クラシカル・チャートで第2位にランキングされた。日本ではジャケットを替え、『月の光』のタイトルで1974年8月25日に発売された[14]。

1975年3月開催の第17回グラミー賞において日本人として初めてノミネートされた[注 4]。この快挙はNHKなど国内のマスコミによっても報じられ、米国RCAレーベルのレコードが国内に(『月の光 - ドビッシーによるメルヘンの世界』として)逆輸入されたことなどにより、その作品が知られるようになった。またNARM(National Association Of Record Merchandiserers 全米レコード販売者協会)の1974年最優秀クラシカル・レコードに選ばれた[16]。

1975年2月発表の『展覧会の絵』[17] は、1975年8月16日付けのビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第1位を獲得し、1975年NARM同部門最優秀レコード2年連続受賞、1975年度日本レコード大賞・企画賞を受賞した。

同年9月発表の『火の鳥』[18] は1976年3月20日付けのビルボード全米クラシックチャート第5位を記録した。

1976年12月20日発表の『惑星』[19] も1978年2月19日付けのビルボード全米クラシック部門で第1位にランキングされた[20]。『バミューダ・トライアングル』では発売翌年のグラミー賞で "Best Engineered Recording"に2回目のノミネートを受けた。1983年のアルバム『大峡谷』では3回目のグラミー賞のノミネートを受けた。以降『バッハ・ファンタジー』(1996年)まで、冨田のアルバムはいずれも世界的なヒットを記録している。

1979年に米コンテンポラリー・キーボード誌の読者投票により“ベスト・スタジオ・シンセシスト”に選ばれた。冨田のシンセサイザー作品群は、全ての音色作りはもちろん、全パートの演奏、録音、編集までを含めて冨田自身の一人の手による制作であり、現在のパーソナルスタジオによる音楽制作の先駆けであったといえる。

ここで教えを受けながら助手として働いた松武秀樹は、後にイエロー・マジック・オーケストラのシンセサイザー・マニピュレーターとして役割に就いた。海外では、スティービー・ワンダーが、来日した際に最も尊敬している音楽家として冨田の名前を挙げている(後に長良川でのサウンドクラウドに登場している)。マイケル・ジャクソンも、来日(1987年9月24日)の際に冨田のスタジオを訪問した[21]。また『惑星』の立体音響に深く感銘したフランシス・フォード・コッポラ監督は、映画『地獄の黙示録』の音楽を冨田に要請したが、レコード会社との専属契約の関係で実現には至らなかったとされる。

1979年、日本武道館でピラミッド・サウンドによる立体音響ライブ「エレクトロ・オペラ in 武道館」(小松左京プロデュース)を開催。1980年、ジャパンレコード(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)の社長に就任したが、アーティストとしてはRVC(現:アリオラジャパン)所属のままであった(その後も徳間ジャパンからの作品のリリースはなかった)。

1984年、オーストリアのリンツでドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大な野外イベント「トミタ・サウンドクラウド(音の雲)」と銘打ったコンサートを催す。以後、サウンドクラウドを世界各地で公演してきた。ドナウ川では「宇宙讃歌」、続いて1986年ニューヨークのハドソン川では「地球讃歌」、1988年日本の長良川では「人間讃歌」を成功させ、共感するミュージシャンと共に音楽を通じた世界平和を訴え続けてきた。1990年から1992年まで3回にわたりBunkamuraオーチャード・ホール(東京都渋谷区道玄坂)で「トミタ・サウンドクラウド・オペラ "ヘンゼルとグレーテル"」を上演。1998年、日本の伝統楽器と西洋オーケストラとシンセサイザーによる『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲。東京、ロサンゼルス、ロンドンで初演、自ら指揮棒を振った。1999年、メディア・アーティスト協会創設に参加。

2001年、東映50周年記念作品映画『千年の恋 ひかる源氏物語』の音楽を作曲し、日本アカデミー優秀音楽賞を受賞。また、東京ディズニーシー・アクアスフィアのための3面立体音響シンフォニーを手掛ける。2002年、作曲活動50周年、シンセサイザーでの音楽制作30周年の節目の年を迎えた。2005年3月開催の愛・地球博(愛知万博)の公式催事である前夜祭セレモニーをプロデュースした。

晩年
晩年は、これまでのシンセサイザー・アルバムを5.1チャンネルサラウンドで製作し完結することに注力した[注 5]。

映画では、手塚治虫原作の『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』、山田洋次監督による『学校』シリーズ、『たそがれ清兵衛』、『隠し剣 鬼の爪』、『武士の一分』、『母べえ』、『おとうと』の音楽を手がけた。

また、2006年10月、奥三河の霊山である鳳来寺山の鏡岩の反射音を利用した立体音響による『仏法僧に捧げるシンフォニー』を発表。2007年6・7月、NHKの『みんなのうた』で「鳳来寺山のブッポウソウ」として放送された。

後進の育成にも特に力を注いだ。尚美学園大学で2000年から4年間を音楽メディアコースの主任教授を務めた後も芸術情報学部の大学院教授として「冨田研究室(トミタメソッド)」を開設し、音楽界やメディア界の第一線で1952年以来半世紀余り活躍して得た豊富な知識と経験を若手に伝授した。

2012年11月23日、ボーカル音声を合成するヤマハの合成音声技術「VOCALOID」とクリプトン・フューチャー・メディアの開発した音声ライブラリを用いたシンセサイザーであり、そのシンセサイザーのキャラクターでもあるバーチャル・シンガーの初音ミクを起用して作曲された『イーハトーヴ交響曲』を東京で初演。

2016年5月5日14時51分、慢性心不全のため東京都立広尾病院にて死去[22][23]。84歳没。倒れる1時間前までレコード会社の担当者と同年11月11日初演予定の新作の交響曲『ドクター・コッペリウス』についての打ち合わせを行っていた[24](遺された楽譜と芝居の構想に基づいて完成させたものが上演された)。葬儀は5月7日、8日に近親者だけで執り行われ、6月15日にお別れの会が青山葬儀所で神道の形式にて参列者800人により行われた。諡(おくりな)は冨田勲大人命(うしのみこと)[25]。

没後
2021年5月5日、娘の妹尾理恵が主催する「冨田勲研究会」のウェブサイトが開設される[26]。

同年7月23日に行われた東京オリンピック開会式で、冨田の没後に発表された「日の出 / Rise of The Planet 9」[注 6]が使用された。同年8月8日に行われた閉会式では、聖火台の火が消えていくフィナーレに、アルバム『月の光』収録の「月の光」が使用された[28][29][30]。

家族・親族
妻は歌手の本間千代子の姉、明子。息子の冨田勝は慶應義塾大学医学部および慶應義塾大学環境情報学部の教授。娘の妹尾理恵は日本酒好きの父親の影響で酒ソムリエの肩書を持ち、2007年には日本酒のPR貢献者に与えられる酒サムライを叙任[31]。

またいとこ(はとこ)に、元東北大学総長で半導体素子の研究者の西澤潤一がいる[32]。

主な作品

ラジオ番組
NHKラジオ番組「婦人の時間」の中で「物語りと音楽」というコーナーの音楽の作曲を担当(1953年)※ 出典:花輪一郎著「青春のNHK音楽部」※ 当時はまだ慶大在学中。
音の漫画「倉庫番のケンちゃんの耳の冒険」(1956年8月11日放送)※ 約40分のミュージックコンクレート手法による音楽のラジオドラマ(NHKスタジオ、制作期間:7月16日-8月2日)※ 脚本:吉田直哉 音楽:冨田勲 アシスタントプロデューサ:吉田節子
NHKラジオの「音楽の花束」(大型オーケストラ・ポップ番組、演奏:NHKポップスオーケストラ=東フィル)で1955年(昭和30年)に冨田勲の編曲により5月5日に「セプテンバー・ソング」(クルト・ワイル)、8月11日に「イエスタデイズ」(ジェローム・カーン)、9月15日に「枯葉」(コスマ)、12月25日に「ローラ」(デーヴィッド・ラクシン)を放送 ※ 出典:花輪一郎著「青春のNHK音楽部」
「立体音楽堂」で「ピーターパン」を作曲(1959年)
NHKラジオ「音楽の贈りもの」(195?年頃)※ 詳細調査要
NHKラジオ第2「ピッポ・ピッポ・ボンボン」(1964年4月1日〜1981年度)※ 幼児向けの番組
NHKラジオ第2「わたしの人生」(1970年代)
FM東京「冨田勲のシンセサイザー講座」(1972年頃)望星高校講座の長期休暇中の特別番組。2時間半。シンセサイザーの仕組みと当時の作品を紹介。「銀河鉄道の夜」、アルバム「スイッチト・オン・ヒット&ロック」から「イマジン」「ミセス・ロビンソン」、制作中のアルバム「月の光」から「月の光」「パスピエ」などを放送。
NHKラジオ第1「特集・ミュージックストーリィー〜銀河鉄道999」の音楽(1978年4月30日 - ?)※ 原作:松本零士 脚色:菅沼定憲 音楽:冨田勲 ドラマの声出演:市村正親(哲郎)、倉野章子(メーテル)、中江真司(声)、松本零士(話)

NHK大河ドラマ
大河ドラマ第1作:花の生涯(1963年)
大河ドラマ第7作:天と地と(1969年)※ 初のカラー大河ドラマ
大河ドラマ第10作:新・平家物語(1972年)
大河ドラマ第12作:勝海舟(1974年)
大河ドラマ第21作:徳川家康(1983年)

ドキュメンタリー
「教養特集」(NHK、テレビ番組)
「日本の素顔」(1957年11月 - 1964年、NHK、テレビ番組)
「日本縦断」(1961年4月5日 - ?、NHK、テレビ番組)※ 第1話は横浜の放送ライブラリーに登録あり。
新日本紀行(旧テーマ曲)(1963年10月 - 1969年3月、NHK、テレビ番組)
「現代の映像」(1964年4月 - 1971年、NHK、テレビ番組)
「新日本紀行」(新テーマ曲)(1969年4月 - 1982年3月、NHK、テレビ番組)※ 旧テーマとはメロディーが完全に異なる。
NHK特集 70年代われらの世界(1970年4月 - 1975年11月、NHK)- テーマ曲『青い地球は誰のもの』(作詞:阪田寛夫)
「日本誕生」(1970年6月10日 - 1970年10月24日、30分枠、全5話、日本テレビ)※ テレビアニメーション、ドキュメンタリー
あすへの記録(1971年4月7日 - 1978年3月8日、NHK総合テレビ)※ 科学ドキュメンタリー番組 ※ 詳細要確認(作曲は冨田か?)
「戦艦陸奥 海底よりの帰還」(1971年8月15日、単発、山口放送 (KRY))横浜の放送ライブラリーに登録あり。
「天皇の世紀」第二部(1973年 - 1974年、朝日放送、テレビ番組)※ 第一部は作曲:武満徹
「ほっかいどう7:30」(1973年4月 - 1987年3月、NHK北海道)※ 北海道向けローカル番組
NHK特集「THE DAY その日 1995年・日本」(1985年)
NHK特集「ミツコ・二つの世紀末」(1987年5月4日 - 6月1日、全5話、NHK)※ 横浜の放送ライブラリに全5話登録あり。
NHKスペシャル「太郎の国の物語」(1989年10月11日 - 11月30日、全6話、NHK)※ 横浜の放送ライブラリに全6話登録あり。
NHKスペシャル「大モンゴル」(1992年4月12日 - 8月2日、全6話、NHK総合)※ 番組収録製品(発売元:BMGジャパン、収録時間:295分、型番:BVLF-1/3(LDの3枚組)、BVVF1/5(VHSの5本組))
第一集「幻の王 プレスター・ジョン」(1992年4月12日)
第二集「蒼き狼 チンギス・ハーン」(1992年5月10日)
第三集「世界征服への道」(1992年6月14日)
第四集「大いなる都」(1992年7月12日)
第五集「巨大国家の遺産」(1992年8月2日)
「日中国交回復20周年記念 ザ・スクープスペシャル 決断」(1992年9月26日、単発か?、テレビ朝日)※ ドキュメンタリー、横浜放送ライブラリに登録あり。
NHKスペシャル「アジア古都物語」(2002年1月20日 - 5月19日、全5話、NHK)※ 横浜の放送ライブラリに全5話登録あり。
新日本紀行ふたたび(2005年4月 -、NHK)※ 歌詞を新テーマ曲に付けたバージョン
「復活 〜山田洋次・SLを撮る〜」(2011年7月16日、単発、NHKスペシャル、総合テレビ)

テレビ時代劇
文五捕物絵図(1967年4月 - 1968年10月、NHK)※ NHK金曜ドラマ
柳生十兵衛(1970年、フジテレビ)
大忠臣蔵(1971年1月 - 12月、NETテレビ)
二人の素浪人(1972年9月 - 1973年1月、フジテレビ)
無宿侍(1973年10月 - 12月、フジテレビ)
唖侍鬼一法眼(1973年10月 - 1974年3月、日本テレビ)注:現行の再放送やDVD等では改題されて「鬼一法眼」になっている。
幡随院長兵衛お待ちなせえ(1974年4月 - 10月、毎日放送制作、NETテレビ系列)
座頭市物語(1974年10月 - 1975年4月、フジテレビ)

テレビドラマの音楽
以下のテレビドラマの情報は多くの場合に書籍「テレビドラマ全史 1953 - 1994 テレビガイド増刊」(東京ニュース通信社、1994年5月発行)に典拠がある。地域によっては放送がされていなかったり、放送日等が異なっていることがありうる。

「特ダネを逃がすな!」(1956年10月19日 - 1959年5月29日、金曜、キー局:KR)
番組「名犬ラッシー」の主題歌「名犬ラッシー」(1957年9月3日-1964年3月28日、ラジオ東京テレビジョン(後のTBS))※ 作詞:宮崎博史 歌:ひばり児童合唱団
「おこん(狐)の初恋」(1958年1月10日、単発、NHK)※ テレビミュージカル
「道程」(1958年2月3日、単発、NHK)
「幽霊と宝石と恋」(1958年2月14日金曜、単発、NHK)
「大江戸の鷹」(1960年1月16日 - 1960年12月24日、土曜、KR)※ NEC劇場
「宇宙船シリカ」(1960年9月5日 - 1962年3月27日、最初月曜から金曜で1961年4月3日からは月曜から火曜、NHK、モノクロ)※ 竹田人形座の人形劇
「日本横断」(1961年4月5日 - ?、NHK)※ ドキュメンタリー、第1話が横浜放送ライブリーに登録あり。
松本清張シリーズ・黒い断層 の「草」(第37回から第39回の前中後編)(1961年3月27日 - 1961年4月10日、TBS)
「二つの橋」(1962年4月9日 - 1962年7月2日、月曜、NHK)※ NHKによる初の海外取材ドラマ
「銀河少年隊」(1963年4月7日 - 1965年4月1日、最初日曜で第43回から木曜に、NHK、モノクロ)※ 竹田人形座の人形劇に部分的にアニメーションを挿入。
「花の生涯」(1963年4月7日 - 1963年12月29日、日曜、NHK)※ NHK大河ドラマ第1作
「ジャピンド」(1964年、朝日放送、監督:鈴木昭典)※ 放送日等の詳細不明(短篇映画研究会からの資料による)
「カボス」(1964年6月5日金曜、単発、NHK)
「二十一回目の夏」(1964年6月26日金曜、単発、NHK)
「ビッグX」(1964年8月3日 - 1965年10月4日、月曜、TBS、モノクロ)※アニメーション制作は最初はTBS局内で、後に発展して東京ムービーに。
「青年同心隊」(1964年10月30日 - 1965年1月22日、金曜、TBS)
「新宝島」(1965年1月3日、日曜、単発、フジテレビ、モノクロ)※初の毎月1回放送1時間枠テレビアニメシリーズ「虫プロランド」として企画された第1作目で結局本作だけが製作された。
「宇宙人ピピ」(1965年4月8日 - 1966年3月31日、木曜、NHK、モノクロ)※俳優の実写と宇宙人ピピのアニメの合成
「おれの番だ! 一匹野だいこ」(1965年7月19日 - 1965年8月23日、月曜、TBS)
番組「新・名犬ラッシー」の主題歌「すすめ!ラッシー」(1965年8月7日 - 1966年4月23日、土曜、TBS)※作詞:高杉直也 歌:杉並児童合唱団
「ジャングル大帝(1965年10月6日 - 1966年9月28日、水曜、フジテレビ、カラー)※カラーの30分枠テレビアニメーション
「戦え!オスパー」(1965年12月14日 - 1967年10月31日、火曜、日本テレビ、モノクロ)
「よくみよう」(1966年4月9日から1972年3月17日、NHK教育テレビ)(作詞:中川李枝子、歌:天地総子)
「新ジャングル大帝 進めレオ!」(1966年10月5日から1967年3月29日、水曜、フジテレビ、カラー)※ただしOPは作詞作曲:三木鶏郎で編曲:冨田勲。EDや本編の作曲は冨田勲
「リボンの騎士」(1967年4月2日から1968年4月7日、日曜、フジテレビ、カラー)
「文五捕物絵図」(1967年4月7日 - 1968年10月11日、金曜、NHK)
「キャプテンウルトラ」(1967年4月16日 - 1967年9月24日、日曜、TBS、カラー)※SF特撮のスペースオペラ
「娘たちはいま」(1967年10月23日 - 1968年4月15日、全26回、TBS)※ ナショナル劇場
TBS東芝日曜劇場「鳥が…」(1967年11月26日、日曜、TBS)※ 横浜の放送ライブラリに登録あり。
「マイティジャック」(1968年4月6日 - 1968年6月29日、土曜、フジテレビ、カラー)※SF特撮
「戦え!マイティジャック」(1968年7月6日 - 1968年12月28日、土曜、フジテレビ、カラー)※ SF特撮 ※ 音楽は冨田勲と宮内國郎
「水色の季節」(1968年8月15日 - 1968年10月3日、木曜、日本テレビ)※この夜のグランド劇場の主題歌は「水色の季節」(唄:浅丘ルリ子、作詞:安井かずみ、作曲:三木たかし)であり、EPレコード(テイチク、品番:SN-684、1968年)のA面収録。
「もも・くり三年」(1968年8月22日 - 1968年9月26日、全5回、NET)
「三人の母」(1968年9月30日 - 1969年3月29日、月曜から金曜、TBS)※ ポーラテレビ小説第1作
「一番星」(1968年10月10日 - 1968年11月21日、木曜、日本テレビ)
「男坂界隈」(1968年11月12日、単発、NHK)
プロファイター(1969年1月5日 - 1969年3月30日、日曜、日本テレビ)
「天と地と」(1969年1月5日 - 1969年12月28日、日曜)※ NHK大河ドラマ。第2回テレビ大賞優秀番組賞受賞作品。大河ドラマ初のカラー作品。
「窯ぐれ女」(1969年3月31日 - 1969年6月27日、月曜から金曜、全65回、フジテレビ)※ 東海テレビ制作昼帯ドラマ
「どろろ」(1969年4月6日 - 1969年9月28日、日曜、フジテレビ、モノクロ)※ テレビアニメーション ※ 第14話からは番組タイトルが「どろろと百鬼丸」に変更。
「空中都市008」(1969年4月7日 - 1970年4月3日、月曜-金曜、NHK、カラー)※ 竹田人形座の人形劇
「夫婦の設計」(1969年6月19日 - 1969年7月31日、全26回、NET)※ ナショナルゴールデン劇場
「天と地と 総集編」(1969年12月30日 - 31日、NHK)
「花と龍」(1970年3月19日 - 1970年5月14日、全9回、NET)※ ナショナルゴールデン劇場
「男一番!タメゴロー」(1970年4月6日 - 9月28日、月曜21時枠、全26回、NETテレビ)
NHK長時間ドラマ「鹿鳴館」(1970年4月25日、NHK)※ NHKアーカイブスの検索資料の記述による。
「潮風の女」(1970年6月1日 - 1970年6月12日、月曜から金曜、NHK)※ 銀河ドラマNo.27
ノンフィクション・アワー「日本誕生」(1970年6月10日 - 1970年10月24日、30分枠、全5話、日本テレビ)※ テレビアニメーション、製作虫プロダクション
「魔の季節」(1970年9月14日 - 1970年9月25日、月曜から金曜、NHK)
「柳生十兵衛」(1970年9月26日 - 1971年5月1日、土曜、フジテレビ)
「男は度胸」(1970年10月9日 - 1971年10月1日、NHK)※ 金曜ドラマ。徳川吉宗の成長過程を描く。
だいこんの花(1970年10月22日 - 1970年12月24日、木曜、NET)
「大忠臣蔵」(1971年1月5日 - 1971年12月28日、火曜、NET)※ 民放初の大河ドラマ。制作費が当時の金額で10億円だった超大作。
「魔の季節」(1971年2月21日 - 1971年2月28日、日曜、NHK)※ 1970年の同名銀河ドラマの再編集版
「寒橋」(1971年5月13日木曜、単発、NET)
「ちん・とん・しゃん(ちんとんしゃん)」(1971年7月15日 - 1971年9月30日、木曜、NET)
「戦艦陸奥 海底よりの帰還」(1971年8月15日、単発、山口放送 (KRY))※ ドキュメンタリー、横浜放送ライブラリに登録あり。
「二人の素浪人」(1972年、フジテレビ、原田隆司ほか)
「新・平家物語」(1972年1月2日 - 1972年12月24日、日曜、NHK)※ NHK大河ドラマ。テーマ曲は「源氏物語幻想交響絵巻」(1998年初演)の終曲としても使われた。
「新・だいこんの花」(1972年1月6日 - 1972年6月29日、木曜、NET)
「原生花園 アンラコロの歌」(1972年3月27日 - 1972年9月30日、ポーラテレビ小説 月曜から土曜、TBS)※ TBSテレビドラマ
かあさんの四季(1972年10月4日 - 1973年9月26日、水曜、フジテレビ)
HBC東芝日曜劇場(第829回)「田園交響楽(ジイドの田園交響楽)」(1972年10月29日、PM21:30-22:26、単発)
「だいこんの花(第3作目)」(1972年11月16日 - 1973年5月10日、木曜、NET)
「新・平家物語 総集編」(1972年12月30日 - 31日、NHK)※ NHK大河ドラマ
「恐怖劇場アンバランス(第1回)木乃伊の恋」(1973年1月8日、月曜、フジテレビ)※ 円谷特撮
「恐怖劇場アンバランス(第4回)仮面の墓場」(1973年1月29日、月曜、フジテレビ)
「恐怖劇場アンバランス(第5回)死骸を呼ぶ女」(1973年2月5日、月曜、フジテレビ)
「恐怖劇場アンバランス(第7回)夜が明けたら」(1973年2月19日、月曜、フジテレビ)
「国境のない伝記 クーデンホーフ家の人々」(1973年3月7日 - 3月28日、水曜、NHK)
「恐怖劇場アンバランス(第10回)サラリーマンの勲章」(1973年3月12日、月曜、フジテレビ)
「恐怖劇場アンバランス(第12回)墓場から呪いの手」(1973年3月26日、月曜、フジテレビ)
「恐怖劇場アンバランス(最終回(第13回))蜘蛛の女」(1973年4月2日、月曜、フジテレビ)
銀河テレビ小説No.11「波の塔」(1973年4月2日 - 5月11日、月曜から金曜、NHK)※ テレビドラマでシンセサイザーを初めて使用
HBC東芝日曜劇場「ばんえい」のテーマ曲(1973年9月30日、日曜)横浜の放送ライブラリに登録あり。
「無宿侍」(1973年10月6日 - 1973年12月29日、土曜、フジテレビ)※ 時代劇
「唖侍 鬼一法眼」(1973年10月7日 - 1974年3月31日、日曜、日本テレビ)※ 時代劇
「天皇の世紀(第二部)」(1973年10月7日 - 1974年3月31日、全26話)朝日放送
銀河テレビ小説No.17「つらつら椿」(1973年11月5日 - 11月30日、月曜から金曜、NHK)
HBC東芝日曜劇場「聖夜」(1973年12月16日、日曜)※ 横浜の放送ライブラリに登録あり。
「勝海舟」(1974年1月6日 - 1974年12月29日、日曜、NHK)※ NHK大河ドラマ
「幡随院長兵衛 お待ちなせぇ」(1974年4月5日 - 1974年10月4日、金曜、MBS)※ 時代劇
「だいこんの花(4作目)」(1974年9月5日 - 1975年3月27日、木曜、NET)
HBC東芝日曜劇場「りんりんと」(1974年9月8日、日曜)※ 横浜の放送ライブラリに登録あり。
「座頭市物語」(1974年10月3日 - 1975年4月17日、木曜、フジテレビ)※ 時代劇
ナショナルゴールデン劇場「七色とんがらし」(1976年5月20日 - 1976年10月7日、木曜、NETテレビ)
新・座頭市の第23話(1979年10月29日月曜日放送分)で使用された音楽の一部 ※ 音楽:村井邦彦、冨田勲、喜太郎「天界」
「怪盗鼠小僧といれずみ判官」(1981年4月24日金曜、単発、フジテレビ)
「海峡」(1981年10月11日 - 1981年11月8日、日曜、NHK)
NHK特集「アルビントフラー 第三の波」(1982年4月30日-5月6日、NHK)
NHKドラマスペシャル「ビゴーを知っていますか」(1982年10月9日土曜、単発、NHK)
「徳川家康」(1983年1月9日 - 1983年12月18日、日曜、NHK)
「徳川家康 総集編」(1983年12月25日 - 28日、日曜から水曜、NHK)
NHK特集「ザ・デイ その日〜1995年・日本」(1985年4月1日 - 1986年4月1日、月曜、NHK)
NHKドラマスペシャル「オアシスを求めて」(1985年10月26日土曜、単発、NHK)※ SFドラマ
NHK特集 ミツコ 〜二つの世紀末(1987年5月4日から6月1日まで毎週5回放送、NHK)
「日本・出会い旅 どんこ舟がゆく〜柳川旅情〜」(1989年4月3日、NHK)
「太郎の国の物語」(1989年10月11日 - 11月30日、NHK)※ NHKスペシャル トーク・ドキュメント・シリーズ、司馬遼太郎
NHKスペシャル「大モンゴル」(1992年4月12日 - 1992年8月2日、全5話、NHK総合)
日中国交回復20周年記念 ザ・スクープスペシャル「決断」(1992年9月26日、単発か?、テレビ朝日)※ ドキュメンタリー、横浜放送ライブラリに登録あり。
正月時代劇「風光る剣」(1997年1月1日水曜、単発、NHK-BS)
正月時代劇「風光る剣〜八獄党秘聞」(1997年1月2日水曜、単発、NHK)※ 前日に放送されたハイビジョン映像のNTSC版
「永遠のアトム 手塚治虫物語」(1999年4月15日木曜、単発、TX)※ 1999年日本民間放送連盟賞優秀賞受賞作品。1999年度テレビ東京年間奨励賞受賞作品。横浜放送ライブラリに登録あり。
NHK大型ドラマ 聖徳太子(2001年11月10日土曜、単発、NHK)
NHKスペシャル「アジア古都物語」シリーズ(2002年、NHK)
「徳川家康 総集編」(2003年1月5日日曜、単発、NHK)

人形劇・特撮(テレビ番組)
宇宙船シリカ(1960年9月5日 - 1962年3月27日、NHK、モノクロ)※ 竹田人形座のSF人形劇。原作:星新一
銀河少年隊(1963年4月8日 - 1965年3月31日、NHK、モノクロ)※ 竹田人形座のSF人形劇に部分的に虫プロによるアニメーションを挿入した番組。原作:手塚治虫
キャプテンウルトラ(1967年4月16日 - 9月24日、日曜日、TBS、カラー)※ 東映が「宇宙特撮シリーズ」として制作した国産初の本格スペースオペラ作品。
マイティジャック(1968年4月6日 - 6月29日、土曜日、フジテレビ、カラー)※ 円谷プロダクションの特撮実写。番組を収録したDVD-BOXあり。サウンドトラックCD(vapミュージックファイル版は2枚、コロムビア版は1枚。元はLP?)あり。
「戦え!マイティジャック」(1968年7月6日 - 1968年12月28日、土曜、フジテレビ、カラー)※「マイティジャック」の続編(ただし、「戦え!マイティジャック」では音楽は冨田勲と宮内國郎。vapミュージックファイルは前述マイティジャックの続きとしたサントラCDを発売)
空中都市008(1969年4月7日 - 1970年4月3日、月曜 - 金曜、NHK、カラー)※ 竹田人形座のSF人形劇。原作:小松左京
恐怖劇場アンバランス(本編の第1, 4, 5, 7, 10, 12, 13話)(製作されたのは1969年であるが、テレビで放映されたのは1973年、フジテレビ、カラー)※ 円谷プロダクションの特撮を用いたホラードラマ。番組を収録したDVDあり。サウンドトラックCDあり。
NHKドラマスペシャル「オアシスを求めて」(1985年10月26日、土曜、単発、NHK)※ 特撮を用いた宇宙SFドラマ

舞台劇、芝居、歌舞伎の音楽
ひばり児童合唱団の子供オペレッタ「みにくいあひるの子」(米山正夫作/富田勲作曲)於読売ホール、クリスマス公演。指揮:冨田勲 演出:宮武昭夫・川久保潔(1954年(昭和29年))1950年(昭和25年)〜1954年(昭和29年)│ひばり児童合唱団
ひばり児童合唱団の創立10周年記念公演(2日間)於第一生命ホール。子供オペレッタ「魔法の笛」(米山正夫作/冨田勲作曲)、子供オペレッタ「みにくいあひるの子」(1956年(昭和31年))1955年(昭和30年)〜1988年(昭和63年)│ひばり児童合唱団
バレエ「火の鳥」/ 森下洋子(1976年、渋谷公会堂)4チャンネル音響
牧阿佐美バレエ団の創作バレエ「火の鳥」(音楽:冨田勲 台本:小幡章 演出振付:牧阿佐美)(1976年7月、郵便貯金ホール)4チャンネル音響
坂東玉三郎の舞台芝居「天守物語」於日生劇場(1977年(昭和52年)、原作:泉鏡花)※ RCA発売のLP2枚組アルバム「坂東玉三郎 天守物語」(RCA RVL-7103/4) があり(1977年12月16日の日生劇場での公演実況録音)
貝谷バレエ団定期公演、於帝国劇場(1977年10月28日PM6:00からの1回、10月29日はPM2:00からとPM6:00からの2回)で、冨田勲のシンセサイザー版の「惑星」に合わせたバレエが上演(演出・振付:貝谷八百子)。※ 他の演目はチャイコフスキー作曲「オーロラの結婚」。糸川英夫博士も出演。4チャンネル音響。
創作バレエ「スペース・ファンタジー、ダフニスとクロエ」(音楽:冨田勲 台本:小幡章 演出振付:牧阿佐美)牧阿佐美バレエ団(1980年6月、会場新宿文化センター)4チャンネル音響
坂東玉三郎・北大路欣也主演の舞台公演「黒蜥蜴」於新橋演舞場(11月特別公演、1984年11月2日 - 11月27日)(脚本:三島由紀夫 演出:栗山昌良 美術:金井俊一郎、石黒紀夫 照明:沢田祐二 音楽:冨田勲 効果:田村悳 衣裳:緒方規矩子 舞台監督:加藤三季夫 制作:寺川知男 出演:坂東玉三郎、北大路欣也、村上弘明、賀来千香子、菅原謙次、南美江ほか)※ 昭和59年度芸術祭参加
坂東玉三郎、草刈正雄主演の舞台公演「黒蜥蜴」於名古屋・中日劇場(1986年4月3日 - 4月26日)(脚本:三島由紀夫 演出:栗山昌良 美術:石黒紀夫、島川とおる 照明:服部基 音楽:冨田勲 効果:田村悳 衣裳:緒方規矩子 舞台監督:中川寿夫 制作:寺川知男 出演:坂東玉三郎、草刈正雄、村上弘明、賀来千香子、菅原謙次、南美江、ほか)
片岡孝夫・大地真央主演の舞台公演「むかしばなし羅因伝説」於新橋演舞場(1988年5月4日から5月6日までと同年6月3日から6月28日まで)
トミタ・サウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」より、音楽:エンゲル・ベルト・フンパーディンク 台本:アーデルハイト・ウェッテ 企画・音楽監督:冨田勲 訳詞:山川啓介 演出:梶賀千賀子)主催Bunkamura、公演会場オーチャードホール(初演の公演期間1990年12月14日-12月16日、再演が同じ会場で翌年1991年12月13日から15日までと翌々年1992年12月12日から13日まで) ※「フンパーディンク/ヘンゼルとグレーテル」(VHS、発売日:1993年12月16日、発売元:BMG JAPAN、品番:BVVC-32、カラーステレオ、100分)LDもあり。
冨田勲追悼特別公演『冨田勲×初音ミク「ドクター・コッペリウス」』の「ドクター・コッペリウス」於東京・渋谷Bunkamuraオーチャードホール(2016年11月11日夜と12日昼夜の計3回上演)※ 完成前に没したため未完成作品

アニメーション
「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」(1962年)(劇場用長編、制作:東映動画、カラー)
「ビッグX」(1964年8月 - 1965年9月、TBS)(TVアニメーションシリーズ、モノクロ、制作:東京ムービーの前身と東京ムービー)
「人魚」(1964年)(実験アニメーション、制作:虫プロ、カラー)(原曲はドビッシーの「牧神の午後のための前奏曲」。編曲:冨田勲;ところが本人自身は本作品への関与を否定。)
「新宝島」(1965年1月3日、フジテレビ、制作:虫プロ、モノクロ)※ 毎月1時間枠放送を目指したTVアニメーションシリーズの企画「虫プロランド」の最初の作品として、結局本作1本だけが作られた。
「ガリバーの宇宙旅行」(劇場用長編、1965年、東映動画、カラー)
「ジャングル大帝」(1965年10月 - 1966年9月、フジテレビ、制作:虫プロ、カラー)
「戦え!オスパー」(1965年12月 - 1967年10月、日本テレビ、モノクロ)※ OPの映像と、OP、EDのレコードやソノシート媒体を除けば、今日まで本編はビデオ媒体で公開されておらず、再放送もされないため、実態が不明。
「新ジャングル大帝 進めレオ!」(1966年10月 - 1967年3月、フジテレビ、制作:虫プロ、カラー)(ただし、OPは作詞作曲:三木鶏郎で編曲:冨田勲。EDや本編の作曲は冨田勲)※ タイトル表記中の"新"はその後のジャングル大帝作品と紛らわしいためか、最近では省略されることが多い。
「展覧会の絵」(1966年11月11日)(虫プロの実験アニメーション、カラー、編曲:冨田勲)※ 原曲は作曲:ムソルグスキーで後のシンセサイザー演奏版とは別。また現在市販されている版は初版から宗教的対立を風刺したエピソードがカットされている。
「ジャングル大帝」(1966年)(注:劇場版(テレビシリーズの再編集)制作:虫プロ、カラー)
「リボンの騎士(パイロット版)」(制作:虫プロ、カラー)※ 企画「虫プロランド」の1作品となることを想定して作られた1時間枠のパイロットフィルム
「リボンの騎士」(1967年4月 - 1968年4月、フジテレビ、制作:虫プロ、カラー)
「人のくらしの百万年 マニ・マニ・マーチ」(1968年12月19日)(劇場版、短編18分、カラー、製作:東映商事)※ 貯蓄増強中央委員会による企画の貯蓄を推奨する宣伝アニメーション映画。『東映ちびっこまつり』内で公開。
「おかしなおかしな星の国」(1968年、製作:東映商事、監督:芹川有吾 企画:貯蓄増強中央委員会、短篇アニメーション、20分、カラー)※ 短篇映画研究会の資料による。劇場公開はされずに公共施設で巡回上映された。
「どろろ(パイロット版)」(制作:虫プロ、カラー)※ TV版のパイロットフィルム
「どろろ」(放送途中で「どろろと百鬼丸」に改題)(1969年4月 - 9月、フジテレビ、制作:虫プロ、モノクロ)
「千夜一夜物語」(1969年)(劇場用長編アニメーション、制作:虫プロ、カラー)
「日本誕生」(1970年6月10日-1970年10月24日、30分枠、全5話、日本テレビ)※ テレビアニメーション、ドキュメンタリー
「クレオパトラ」(1970年)(劇場用長編アニメーション、制作:虫プロ、カラー)
「寄生虫の一夜 (The Midnight Parasites)」(1972年)(久里洋二の10分間の短編アートアニメーションの音楽(シンセサイザー演奏))※ 本フィルムは1973年オーバーハウゼン国際短編映画祭で銀賞受賞 ※ 日本で初めてBGMがシンセ演奏されたアニメである可能性。
「アニメ交響詩 ジャングル大帝」(1991年4月1日)※ LPレコード「交響詩ジャングル大帝」の音源に後で動画を付けたものでVHS版、DVD版など。製作:手塚プロダクション、販売:日本コロムビア、51分、カラー。
「劇場版 ジャングル大帝」(1997年)(劇場用長編オリジナルアニメーション)
「オサムとムサシ」(1994年4月25日公開、原作・監修:手塚眞 制作:手塚プロダクション、宝塚市立手塚治虫記念館内アトムビジョン映像ホール上映用のオリジナルアニメーション、18分間)※ 注:かつてVHSテープ収録版(品番:TZ-19940425)が同記念館で販売されていた。
「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」(2005年)(劇場用長編オリジナルアニメーション、100分)
「Dr.ピノコの森の冒険」(2005年)(上記本編作品の並映用(本編開始の前)のオリジナル短編アニメーション、7分)
「ジャングル大帝/本能寺の変」(京都手塚治虫ワールド300インチシアター上映用オリジナル短編アニメ作品)※ 作品中の音楽の旋律は冨田勲のものであり、さらに映像への音のシンクロも冨田方式であるが、クレジット表記が不明である。公開日などを含めて要調査。
他にも、パイロットフィルム等。


ニュースのテーマ音楽
ニュースブリッジ (NHK)
ニュースセンター9時(1974年?、NHK)
ニュースワイド(1983年4月 - 1986年4月 NHK)
ニュース解説(1978年頃 NHK)
7時のニュース(1985年4月 - 1988年3月 NHK)
フジテレビ系列
FNNニュースレポート6:00、5:30、23:00、23:30(テーマ曲、1978年10月 - 1984年3月)
FNNニュース(テーマ曲、1978年10月 - 1984年3月)
産経テレニュースFNNテーマ

その他の番組
FM東京 新日鐵アワー 音楽の森 ※ 番組のオープニングは冨田勲編曲・シンセサイザー演奏の「アラベスク第1番」(ドビュッシー)、「鳥」第5曲「郭公」(レスピーギ)。本番組へのゲスト出演もあった。
うたのえほん、おかあさんといっしょ (NHK)
教養特集(1956年 - 1978年、NHK、ラジオ+TV?)※ テーマ音楽
きょうの料理(1957年11月 -、NHK)※ テーマ音楽
幼児の時間(1960年7月 - 9月?、NHK(ラジオ番組かテレビ番組かは要調査))で、「ロケット君の冒険」(作:山中恒 曲:冨田勲)※ NHK放送台本が大阪府立 国際児童文学館(現:大阪府立 中央図書館 国際児童文学館に併合)の蔵書録に記載。
きょうの健康(1967年4月 -、NHK教育)※ テーマ音楽
1968年の西ドイツ・日本 (TBS)・フランス・カナダの4か国合作のテレビシリーズ『Polizeifunk ruft』の第2話
ラジオ番組「日産 なるほどステーション」※ 1980年頃、アルバム月の光からゴリウォーグのケークウォークが使われていたという(要確認)。
みんなのせかい(1972年4月11日 - 1985年3月、NHK教育)※ テーマ音楽。新旧の2バージョンあり。幼稚園児・保育園児向け自然科学分野番組。
NHK-FM番組サウンドオブポップス「日本のトップアーチスト 冨田勲」(1980年7月21日−25日、再放送1980年12月1日 - 5日)※ SF作家小松左京との対談形式でシンセサイザー作品を紹介。毎話45分枠で5日間にわたって放送された。
訪問インタビュー(1982年 - 1985年、NHK、月曜ー木曜のPM21:25--21:45枠)- テーマ音楽は原曲:J.S.バッハ 2声のインヴェンション第13番イ短調 BWV.784のシンセサイザー演奏
NHKスペシャル「太郎の国の物語」(1989年、NHK)
大モンゴル(1992年、NHK)
街道をゆく(1997年 - 2000年、NHK)- NHKスペシャル版・教育テレビ版とも ※ 番組を収録したDVD-BOXあり。
第1シリーズ(1997年10月 - 1998年3月、NHK総合、NHKスペシャル、毎月1回放送、毎回50分枠)
第2シリーズ(1998年10月 - 1999年3月、NHK総合、NHKスペシャル、毎月1回放送、毎回50分枠)
第3シリーズ(1999年 4月 - 2000年3月、NHK教育、毎週放送、毎回30分枠)
「永遠のアトム 手塚治虫物語」(1999年4月15日木曜21:02-23:48、単発、テレビ東京開局35周年記念番組)
NHKスペシャル「アジア古都物語」(2002年、NHK)
第1集「路地裏にいきづく皇都〜中国・北京〜」2002年1月20日(日)AM0:00から。
第2集「生と死を見つめる聖地〜インド・ベナレス〜」2002年2月17日(日)AM0:00から。
第3集「王と民が支える平和の都〜インドネシア・ジョグジャカルタ〜」2002年3月24日(日)AM0:00から。
第4集「女神と生きる天空の都〜ネパール・カトマンズ〜」2002年4月21日(日)AM0:00から。
第5集「楽園を夢みる王都〜イラン イスファハン〜」2002年5月19日(日)AM0:00から。
第6集「千年の水脈たたえる都〜日本 京都〜」2002年6月23日(日)AM0:00から。
あの人に会いたい(2004年 - 2008年、NHK)
NHKスペシャル「復活 〜山田洋次・SLを撮るから」(2011年、NHK)
プレミアムシアターの新テーマ曲(2014年4月14日放送分から)※(作曲:冨田勲 トランペット:本間千也 ハープシコード:中野振一郎 弦楽合奏:東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:大友直人、収録3月31日、東京渋谷NHK、509スタジオ)


追悼の記事や放送番組など
2016年5月8日:日本の新聞、ラジオ、テレビ、各社が逝去を報じる。
「冨田勲氏死去 長男・勝氏がコメント『倒れる1時間前まで打ち合わせを』」(スポニチ2016年5月8日記事)
2016年5月10日:米国Los Angeles Times記事:"The Japanese godfather of synthesizers who influenced Stevie Wonder has died".The Japanese godfather of synthesizers who influenced Stevie Wonder has died - Los Angeles Times
2016年5月11日:米国New York Times記事:"Isao Tomita Dies at 84; Combined Electronic and Classical Music".Isao Tomita Dies at 84; Combined Electronic and Classical Music - The New York Times. ※ 印刷版は2016年5月13日付、ページB14、記事見出"Isao Tomita 84; Combined Classical and Electronic Music".
2016年5月16日:「冨田勲があこがれた3人」週刊誌アエラ(2016年5月23日号、No.22))p.63。
2016年5月27日(金)PM14:00-18:00:NHK-FMで「未来を走り続けた冨田勲の音世界」※ 吉松隆、藤岡幸夫ほか
2016年5月29日(日)AM0:50-1:49:NHK EテレでETV特集「音で描く賢治の宇宙〜冨田勲×初音ミク 異次元コラボ〜」(2013年2月3日放送分の再放送)※ 28日(土)深夜
2016年5月29日(日)PM13:50-14:55:NHK総合でNHKアーカイブス「理想の音を追い求めて〜冨田勲さんを偲ぶ〜」※ 番組内にNHK特集「冨田勲の世界〜ドナウ川・光と星のコンサート」(1984年11月18日放送)を含む。
2016年5月29日(日)PM19:00-20:00:AIR-G'FM北海道で「TOMITA universe」
2016年5月29日(日)PM22:50-24:00:NHK BSプレミアムで「宇宙を奏でた作曲家〜冨田勲 84年の軌跡〜」※ 冨田勲の音楽の軌跡をたどる。※ 絶命3時間前の打ち合わせの音声録音も含む。
2016年6月10日(金):「キーボード・マガジン」2016年7月号 SUMMER キース・エマーソン追悼特集(発行:リットーミュージック)のpp.192-193に見開きで冨田勲の追憶写真。
冨田勝:「追悼 父・冨田勲は親バカでした」文藝春秋 2016年7月号 (2016年6月10日発売)、頁364-369。
2016年6月15日(水)午後2時から午後3時(午後1時受付開始):「冨田勲氏 お別れの会」(東京都青山葬儀場)
2016年7月4日(月)DOMMUNE 冨田勲追悼24時間プログラム「SYMPHONY for ISAO TOMITA 24HOURS」※ 過去のストリーミング配信の再配信他 冨田勲の追悼番組『SYMPHONY for ISAO TOMITA 24HOURS』が本日7/4からDOMMUNEで配信、6日間で計24時間 - amass
第1章:2016年7月4日(月)19:00〜24:00
第2章:2016年7月5日(火)20:00〜24:00
第3章:2016年7月6日(水)21:00〜24:00
第4章:2016年7月11日(月)21:00〜24:00
第5章:2016年7月12日(火)20:00〜24:00
第6章:2016年7月13日(水)20:00〜24:00 ※ 左記の予定であったが、事情により第6章の配信は延期(事実上の中止か?)となる。
「追憶 冨田勳」(文:前島秀国)CD Journal 2016年7月号 pp.28-29。
2016年7月4日(月)PM23:00-23:30:BS Japan (7ch) 番組「エンター・ザ・ミュージック」で『冨田勲・追憶特集』
2016年7月7日(木)PM12:00-12:30:テレビ朝日番組「徹子の部屋」で『追悼特集(1) 野坂昭如さん江戸家猫八さん他』の中で取り上げられる。
2016年7月9日(土)AM05:40-05:50:NHK総合 番組「NHK映像ファイル あの人に会いたい」の第476回で『冨田勲(作曲家・シンセサイザー奏者)』(国際放送はNHKワールドプレミアムで2016年7月14日(木)深夜 27:15〜27:25)
2016年7月24日(日)AM09:00-09:30:テレビ朝日「題名のない音楽会」で『冨田勲の音楽会』※(公開収録は6月30日、於昭和女子大学人見記念講堂)演奏:藤原道山、初音ミク、ことぶき光、本間千也、藤岡幸夫、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 他
2016年8月27日(土)PM21:00-22:00:NHK-FMで「クラシックの迷宮 - 作曲家 冨田勲さんをしのんで -」
「キーボード・マガジン 2016年10月号 AUTUMN」”冨田勲追悼企画、特集:シンセサイザーに魅入られた音の探究者”リットーミュージック(発行:2016年9月10日)
2016年10月26日(水)「ドクター・コッペリウス 制作発表記者会見」(於:東京四谷・JFICホール「さくら」)※ 概要ドクター・コッペリウス 制作発表記者会見 - YouTube
2016年11月4日(金)- 6日(日):「TOMITA MEMORIAL MUSEUM」(東京ビッグサイトに於ける楽器フェア2016内での「SYNTH FEST 16」の特別展示と解説セッション)
2016年11月8日(火):冨田勲の追悼対談 宇川直宏×松山晋也が振り返るその偉大な功績
2016年11月25日(金):「アクアスフィアのメロディは永遠に ― 音楽家・冨田勲のディズニー世界」講談社の雑誌「ディズニーファン」2017年01月号 [ディズニー・アカデミー第68回記事] pp.91-93。
2016年12月17日(土)PM17:30〜18:00:NHK総合の番組「NEXT 未来のために」で冨田勲「ドクターコッペリウス」の公演制作までのドキュメンタリー「ミクとかなでる先生の夢〜冨田勲 ラストコンサート〜」が放映。再放送2016年12月20日(火)AM01:30-02:00。
2016年12月30日(金)PM14:00〜15:50:NHK-FM「3人の作曲家が遺(のこ)したもの〜今年急逝した冨田勲とNHK草創期〜」※ 音楽を担当したラジオ番組「倉庫番のケンちゃんの耳の冒険」をノーカットで放送。
2016年12月31日(土)AM06:25〜06:54:NHK総合の番組「耳をすませば」第3回で「明日のチカラを信じて〜永六輔(放送作家)・冨田勲(作曲家)」を放送。
2017年1月20日(金)PM20:00-20:45 NHK WORLD「NEWSROOM TOKYO」でドクターコッペリウスが紹介された(世界向け英語放送)。※ 左記の放送予定日からずれて前倒しで放送されたと思われる(米国大統領の就任式と重なったためであろうか)。
2017年1月27日(金)PM14:50から(70分間):NHK BSプレミアムで追悼番組「宇宙を奏でた作曲家〜冨田勲 84年の軌跡〜」を再放送。※ 前年の2016年5月29日に放送された番組の再放送。
2017年1月29日(日)PM23:00-24:00:NHK-BS で「ドクター・コッペリウス featuring 初音ミク〜冨田勲 追悼コンサート〜」を放送。初演の収録映像を完全放送。
2017年7月1日(土)- 10月23日(月):宝塚市立手塚治虫記念館第71回企画展、冨田勲生誕85周年・初音ミク10周年記念企画「初音ミク×手塚治虫展 − 冨田勲が繋いだ世界 −」
2018年5月5日(土)AM5:40〜5:50:NHK総合テレビ、NHK映像ファイル あの人に会いたい「冨田勲(作曲家・シンセサイザー奏者)」(2016年7月9日に放送された第476回分を命日に再放送)
2018年9月15日(土)PM15-17:第1回冨田勲研究会開催
2018年9月17日(月祝)開演15:00、終演17:15:「冨田勲メモリアルコンサート〜特撮・アニメ・映画音楽特集〜」東京国際フォーラム ホールC、指揮:藤岡幸夫 監修協力:樋口尚文
2018年11月10日:BSテレビ東京の番組エンター・ザ・ミュージックで「冨田勲特集 第5弾」(2018年11月10日放送)※ 2018年9月17日の冨田勲メモリアルコンサートのダイジェストなど
2019年12月3日(火)〜2019年12月15日(日):国立科学博物館(東京・上野公園)で開催された「電子楽器100年展」において冨田勲の業績等が展示紹介された。電子楽器100年展 | 公演事業 | 事業活動 | 公益財団法人かけはし芸術文化振興財団


映画音楽(劇場用)
以下の劇場用の映画音楽のリストは、概ね一般社団法人日本映画製作者連盟の「映連データベース」(映連データベース|一般社団法人日本映画製作者連盟)を基に作成した。(映画会社名や公開月日等も後ほど追加する予定) 日本映画データベース ([1]) も参照。

「地獄の午前二時」(1958年)
「母と拳銃」(1958年)
警視庁物語シリーズ(1959年 - 1962年)
「顔のない女」(1959年2月18日)、「一〇八号車」(1959年6月9日)、「遺留品なし」(1959年9月15日)、「不在証明」(1961年1月26日)、「十五才の女」(1961年2月1日)、「謎の赤電話」(1962年6月24日)「19号埋立地」(1962年7月29日)
「漂流死体」(1959年5月13日、85分、モノクロ、シネマスコープ、東映、映倫番号:11198)
「黒い指の男」(1959年2月、73分、モノクロ、シネマスコープ、東映)
「激闘」(1959年)
「悪魔の札束」(1960年)
「モーガン警部と謎の男」(1961年)
「男の血潮がこだまする」(1961年)
「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」(1962年)(東映動画の劇場用長編アニメーション映画、カラー)
「狼と豚と人間」(1964年)
「おんな番外地 鎖の牝犬」(1965年)
「ガリバーの宇宙旅行」(1965年)(東映動画の劇場用長編アニメーション映画、カラー)
「飢餓海峡」(1965年)
「脅迫(おどし)」(1966年)
「続 おんな番外地」(1966年)
「北海の暴れ竜」(1966年)※「映連データベース」の記載内容による。しかし、同作品のDVD版(2013年7月12日発売)での音楽は「小杉太一郎」と記載されているとの指摘があり(詳細要調査)。
「ジャングル大帝」(1966年)(虫プロダクションのテレビアニメーションシリーズの映画館での上映用再編集版、カラー)
「解散式」(1967年)
「キャプテンウルトラ」(1967年)(東映のテレビSF特撮シリーズの映画館上映用再編集版)
「不信のとき」(1968年)
「人のくらしの百万年 マニ・マニ・マーチ」(公開1968年12月19日、劇場用短編アニメーション映画、製作:東映動画 企画:貯蓄増強中央委員会、18分、カラー)※ 1968年『東映ちびっこまつり』の中で公開(映画製作は1967年)
「兵隊極道」(1968年)
「怪猫呪いの沼」(1968年)
「帰って来た極道」(1968年)
「黒蜥蜴」(製作・配給:松竹、1968年8月14日封切、カラー1時間26分。監督:深作欣二 原作戯曲:三島由紀夫 脚本:成沢昌茂、深作欣二 音楽:冨田勳)
「極悪坊主 人斬り数え唄」(東映、1968年11月30日公開、カラー、シネマスコープ)
「前科者」(1968年)
「博徒解散式」(1968年)
「前科者 縄張り荒し」(1969年)
「極悪坊主 念仏人斬り旅」(東映、1969年6月14日公開、カラー、シネマスコープ)
「ごろつき部隊」(1969年)(注:音楽は「映連データベース」によれば津島利章だが、「Allchinema Movie & DVD Database」によれば冨田勳である。要解明。)
「旅に出た極道」(1969年)
「日本暗殺秘録」(1969年)
「千夜一夜物語」(1969年)(虫プロダクションの劇場用長編アニメーション映画、カラー)
「喜劇 男売ります」(1970年)
「クレオパトラ」(1970年)(虫プロダクションの劇場用長編アニメーション映画、カラー)
「座頭市あばれ火祭」(1970年)※ 映画ポスター等には「火祭り」と送り仮名"り"が付いている。
「戦後秘話 宝石略奪」(1970年)
「新座頭市・破れ!唐人剣」(1971年)
「初笑いびっくり武士道」(1972年)※ 既にシンセサイザーを使用している。
「御用牙 かみそり半蔵地獄責め」(1973年)
「しなの川」(1973年)
「悪名 縄張荒らし」(1974年)
「ノストラダムスの大予言」(1974年)
「夜叉ヶ池」(1979年)
「サン・ソレイユ」(原題:San Soleil、監督:クリス・マイケル、製作国:フランス、1982年)※ ムソルグスキーの「サンレス」という連作歌曲を冨田勲が演奏。
「風の又三郎 〜ガラスのマント」(1989年)
学校シリーズ(1993年 - 2000年)
「学校」(1993年)、「学校 II」(1996年)、「学校III」(1998年)、「十五才 -学校IV-」(2000年)
「ジャングル大帝 劇場版」(1997年)(注:オリジナル劇場用長編アニメーション映画)
「千年の恋 ひかる源氏物語」(2001年)
「たそがれ清兵衛」(2002年)
「隠し剣 鬼の爪」(2004年)
「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」(2005年)(劇場用長編アニメーション映画)
「Dr.ピノコの森の冒険」(2005年)(上記「ふたりの黒い医者」と並映用のオリジナル短編アニメーション映画)
「武士の一分」(2006年)
「母べえ」(2008年)
「おとうと」(2010年)
「おかえり、はやぶさ」(2012年)※ 最後の劇場用映画音楽の担当作品

映画音楽(劇場用以外の主に短編映画等)
以下のリスト中の多くは、公益社団法人映像文化製作者連盟(映文連)(公益社団法人 映像文化製作者連盟)の「作品登録」データベースから採録。

「人魚」(1964年、虫プロダクションの短編の実験アニメーション映画、カラー作品)※ 手塚治虫ファンクラブの冨田勲へのインタビュー記事(手塚ファンmagazine Vol.152)中では編曲作業への関与を否定している。手塚ファンmagazine Vol.153の記載では、田代敦巳氏に尋ねたところ、手塚治虫の指示で音楽はレコードから録ったものであるという。ただしレコードは特定できずなど、この件に関しては謎が残る。
「展覧会の絵」(1966年、虫プロダクションの実験アニメーション映画、35ミリ、カラー作品、34分)※ 映文連登録番号2971
「シェル70年」(1968年、企画:シェル石油、製作:インターナショナル映画、35ミリ、34分)※ 映文連登録番号3917
「おかしなおかしな星の国」(1968年、企画:貯蓄増強中央委員会 製作:東映商事 監督:芹川有吾、短篇アニメーション、35ミリ、20分、カラー作品)※ 短篇映画研究会の資料による。劇場公開はされずに公共施設で巡回上映された。※ 映文連登録番号3944
「JAPAN ON WHEELS - 日本の姿」(1969年、企画:日本貿易振興会 製作:インターナショナル映画、16ミリ、27分)※ 映文連登録番号4416
「タイムマップ」(1969年、企画:日本航空 製作:日本シネセル 監督:丹生有紀、35ミリ、30分(28分と記載されている資料あり)、カラー)※ 映文連登録番号4551+短篇映画研究会の資料などによる。
「宮殿」(1969年、製作:毎日映画社、35ミリ、25分)※ 映文連登録番号4601
「アルプスにダムができた」(1969年、製作:鹿島映画 監督:池田元嘉、33分、おそらくカラー作品)※ 短篇映画研究会の資料による。株式会社カジマビジョンからDV-CAM ※ 1970年の総集編”アルプスにダムができた”との違いは不明。
「創造の空間 - EXPO´70」(1970年、企画:竹中工務店 製作:日本映画新社、35ミリ、46分)※ 映文連登録番号4764
「海を拓く」(1970年、企画:日本水産 製作:真珠社、16ミリ、42分)※ 映文連登録番号4777
「衣粧美 - ファッションリーダーをめざす」(1970年、企画:鐘淵紡績 製作:東邦シネマプロダクション、16ミリ、32分)※ 映文連登録番号4912
「総集編 ”アルプスにダムができた”」(1970年、企画:鹿島建設 製作:カジマビジョン、35ミリ、35分)※ 映文連登録番号4977
「日本万国博と電通」(1970年、企画:電通 製作:電通映画社、35ミリ、25分)※ 映文連登録番号5046
「ひかりの祭典 - 万国博の照明」(1970年、企画:東京芝浦電気 製作:岩波映画製作所、35ミリ、20分)※ 映文連登録番号5060
「ロープ&ロープ」(1971年、企画:東京製綱 製作:電通映画社、16ミリ、16分)※ 映文連登録番号5180
「リンパを探る - 生命の流れ第3集」(1971年、企画:第一製薬、製作:電通映画社、35ミリ、25分)※ 映文連登録番号5272
「THCHNOLOGY AD INFINITUM - NATIONAL PANASONIC TV」(1971年、企画:松下電器、製作:電通映画社、35ミリ、16分)※ 映文連登録番号5342
「日本の冬」(1971年、企画:国際観光振興会 製作:桜映画社、35ミリ、17分)※ 映文連登録番号5362
「若者の讃歌 - 21世紀への10000日」(1971年、企画:近畿大学 製作:松山善三プロ(メイスン)、35ミリ、31分)※ 映文連登録番号5485
「マイカートヨタ」(1971年、企画:トヨタ自動車工業 製作:日本リクルート映画、35ミリ、26分)※ 映文連登録番号5519
「オーストラリアと日本」(1971年、企画:JETRO 製作:東京中央プロダクション、16ミリ、27分)※ 映文連登録番号5537
「オーストラリア - 東経135度上の隣人」(1971年、製作:東京中央プロダクション、16ミリ、20分)※ 映文連登録番号5538
「ももっ子太郎 - 日本の古い民話から」(1971年、製作:東京中央プロダクション、35ミリ、17分)※ 映文連登録番号5539
「青函の四季 - 青森と函館」(1971年、企画:青森市+函館市 製作:北海道放送映画、35ミリ、30分)※ 映文連登録番号5930
「天皇皇后両陛下 ヨーロッパご訪問の旅」(1972年、企画:宮内庁 製作:毎日映画社、35ミリ、40分)※ 映文連登録番号5693
「健根信」(1972年、企画:電通 製作:電通映画社、35ミリ、58分)※ 映文連登録番号5868
「海と太陽の島 - おきなわ」(1972年、企画:大林組 製作:学習研究社映像・ソフト局、35ミリ、28分)※ 映文連登録番号5896
「聖火燃ゆるかげに - 札幌オリンピック作戦」(1972年、企画:防衛庁 製作:北海道放送映画、35ミリ、40分)※ 映文連登録番号5938
「信頼と責任」(1972年、企画:松下電器 製作:電通映画社、35ミリ、22分)※ 映文連登録番号6080
「クリーンエネルギーLNG」(1972年、企画:大阪ガス 製作:電通映画社、16ミリ、14分)※ 映文連登録番号6088
「水の科学」(1972年、企画:日立製作所 製作:映像プロ、16ミリ、21分、監督:杉山正美)※ 映文連登録番号6118
「開発指令634ホンダ・シビック開発の記録」(1972年、企画:本田技研工業 製作:東映CM、16ミリ、23分)※ 映文連登録番号6159
「大漁ヤマハ漁船」(1972年、企画:ヤマハ発動機 製作:電通映画社、35ミリ、25分)※ 映文連登録番号6327
「躍進ヤマハ」(1972年、企画:ヤマハ発動機 製作:電通映画社、35ミリ、37分)※ 映文連登録番号6329
「玄海にたつ巨塔 - 玄海原子力発電所」(1973年、企画:九州電力 製作:カジマビジョン、35ミリ映画、23分)※ 映文連登録番号6276
「CHALLENGE TO 5, 18」(1973年、企画:松下電器産業海外宣伝部 製作:電通映画社、35ミリ、17分)※ 映文連登録番号6529
「水のある沙漠 イラン」(1973年、企画:鹿島建設 製作:カジマビジョン、16ミリ、監督:岩佐氏寿 補監督:砂川孝夫、37分、カラー)※ 映文連登録番号6660
「新時代の製鉄所」(1973年、企画:川崎製鉄 製作:岩波映画製作所、35ミリ、29分)※ 映文連登録番号7036
「人類の未来を見つめて」(1974年、企画:笹倉機械製作所 製作:電通映画社、16ミリ、21分)※ 映文連登録番号6844
「人間環境を考える」(1974年、企画:笹倉機械製作所 製作:電通映画社、16ミリ、18分)※ 映文連登録番号6880
「オサムとムサシ」(1994年4月25日公開、製作:手塚プロダクション、宝塚市立手塚治虫記念館内での上映用 オリジナルアニメーション、カラー、18分)※ かつてVHSテープ(品番:TZ-19940425)が記念館内で売られていた。映像と音のシンクロ。台詞は文字のみ。


歌謡曲
「雨の砂場」(1955年7月、作詞:南沢純三、NHKラジオ歌謡)
「風の言葉」(1956年、作詞:野村俊夫、NHKラジオ歌謡)
「高原の駅で」大阪ABCラジオ「ABCホームソング」(1957年3月放送)(作詞:安西冬衛、歌:楠トシエ)
「ハイビスカスの花」(1958年5月、作詞:江間章子、NHKラジオ歌謡)
「ゆく秋の唄」(1958年11月、作詞:小出ふみ子、NHKラジオ歌謡)
「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而 唄:藤山一郎の1959年版のレコードの編曲は冨田勲)
「小川の夏」(1959年6月、作詞:若山かほる、NHKラジオ歌謡)
「今は秋」(1959年9月、作詞:若谷和子、NHKラジオ歌謡)
「春になったら」(1960年2月、作詞:若谷和子 唄:荒井恵子、NHKラジオ歌謡)
「雪の山に祈る」(1960年、作詞:小藤田千栄子、NHKラジオ歌謡)
「駆け出した春」(1961年、作詞:堤かおる、NHKラジオ歌謡)
「森から来た娘」(1961年、作詞:横井弘、NHKラジオ歌謡)
「小さな物語」(1961年、作詞:上杉凉子、NHKラジオ歌謡)
「山の椿」(1962年、作詞:宮沢章二、NHKラジオ歌謡)
「ひとりぼっちの姫のうた」(作詞:米山正夫 作曲:冨田勲 唄:真理ヨシコ)※ 東映動画制作劇場用長編アニメーション映画『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(1962年)より
(劇中歌としては「重い積み荷のうた」「いかりを上げろのうた」「行こうよみんなのうた」「トルコの王様のうた」「不思議なギターのうた」も)
「警視303」(1963年、作詞:ふじと‧たかし、唄:若山彰、ザ・エコーズ)※ 日本コロムビアSA-1057、EP※ NETテレビ「特別機動捜査隊」挿入歌
「銀色のバレエ」(作詞:有田めぐむ(星野哲郎)歌:高石かつ枝、1964年)
「白いボール」(1965年5月、作詞:鶴見正夫 唄:王貞治、本間千代子 演奏:コロムビア吹奏楽団)※ 日本コロムビアSC171、EP ※ 当初は長嶋茂雄が歌う予定であったとされる。
「遊園地のうた」(1965年 唄:本間千代子、高橋元太郎)※ 東映動画の劇場用長編アニメーション作品「ガリバーの宇宙旅行」より
「君の夢僕の夢」(作詞:佐藤澄江 歌:山田太郎、1965年2月15日発売、日本クラウン CRMEG-10038)
「戦え!オスパー」(TVアニメーションシリーズ「戦え!オスパー」の主題歌。1965年、作詞:寺山修司 作曲:冨田勲 歌:山田太郎)
「ユミのうた」(「戦え!オスパー」のエンディングテーマ。1965年、作詞:寺山修司 作曲:冨田勲 歌:東山明美)
「レオのうた」(TVアニメーションシリーズ「ジャングル大帝」(虫プロ版)のエンディングテーマ。1965年 作詞:辻真先 唄:弘田三枝子)
「宇宙マーチ」(SF特撮TVシリーズ「キャプテンウルトラ」のエンディングテーマ。1967年 作詞:長田紀生)※ TV放映時に本曲は内閣総理大臣賞受賞
「影を追う男」(1969年 作詞:すぎのりひこ 唄:高城丈二 ※『プロファイター』主題歌)
「クレオパトラの涙」(1970年 作詞:中山千夏 唄:由紀さおり ※ 虫プロ成人用劇場長編アニメーション=アニメラマの作品『クレオパトラ』の主題歌
「坂道の教会」(1971年 作詞:八坂裕子 唄:西郷輝彦)
「晴れてる日に」(作詞:阿久悠 作曲:冨田勲 唄:チェリッシュ)※ フジテレビのホームドラマ番組「かあさんの四季」(1972年10月4日 - 1973年9月26日)の主題歌
「パーティー」(1973年 作詞:八坂裕子 唄:朱里エイコ)
「アフリカ象とインド象」(作曲:冨田勲 唄:朱里エイコ)
「孤独におわれて」(1973年 作詞:安井かずみ 唄:勝新太郎 ※『唖侍 鬼一法眼』主題歌)
「駅 最後の421列車」(作・朗読:石坂浩二 作曲:冨田勲 ワーナーパイオニア 1976年4月発売)
「やめるわけにゃいかないわ」(作詞:矢野顕子、1978年)※ これは「新日本紀行」のテーマ曲を変形したもので、一種の編曲である。
「お嫁さん」(作詞・作曲:冨田勝 編曲:槌田靖識 伴奏:冨田勲 1981年8月)
「20回目の結婚記念日」(作詞・作曲:冨田勝 編曲:槌田靖識 伴奏:冨田勲、1981年8月)
「十羽の烏」(作詞:内村直也)
「おー!岡崎」(作詞:服部洋子)
『海軍特別攻撃隊「遺書」』(特攻隊の遺書朗読、音楽:冨田勲 演奏:クラウン・オーケストラ)
「朝日若の歌」(作詞:中村文子)


童謡
赤ずきん(作詞:武鹿悦子)
雨のうた(詩:薩摩忠)楽譜は薩摩忠著「緑の子守唄:薩摩忠うたの詩集」音楽之友社、1965年9月に収録
いたずらどけい(作詞:大村 主計)
いまは秋(作詞:若谷和子)※「空気がうまい サトウハチローと木曜会・ホームソング集」音楽之友社 (1965) に収録
うさぎさんがきてね(作詞:まど・みちお)※ 日本童謡名歌110曲集2に収録
うたのえほん(オープニング・テーマ)(作詞:サトウ・ハチロー)NHK-TV(キング '66 SKK (H) 263)
えんとつ(神沢利子、冨田勲、せおたろう)小学館刊行の月刊雑誌「よいこ」1959年12月号 p.40に収録 ※ 国会図書館資料検索の情報による。(せおたろうは画家)
おいでよピーターパン(作詞:浅野碧 歌:土屋道典、ゆりかご会)※ 詳細不明、CD「コクミンHits 少年探偵団〜懐かしのラジオ・テレビテーマ」(日本コロムビア、COCP-34855)に収録
おうま(作詞:戸倉ハル 歌:本間千代子)
NHKおかあさんといっしょ(オープニングテーマ)(CDアルバム:「NHKおかあさんといっしょ 40年の300曲」1999年に収録のもの)
お月さまの見た話(作詞:武鹿悦子)楽譜が日本こどもの歌名曲集 松田トシ、長田暁二編 全音楽譜出版社、1962年に収録
おへやの体操
かいものかごさん(作詞:田中ナナ)
駈け出した春(詩:薩摩忠)楽譜は薩摩忠著「緑の子守唄:薩摩忠うたの詩集」音楽之友社、1965年9月に収録
かっこちゃんのうた(作詞:飯沢匡 作曲:冨田勲)※ 月刊「キンダーブック 観察絵本」フレーベル館、1959年11月。国会図書館検索情報による。
木のぼり小僧(作詞:サトウ・ハチロー)※ 木のぼり小僧に収録
草原(くさはら)NHKきょうのうたより(作詞:西條八十 歌:眞理ヨシコ)
くまのこヤッホー(作詞:さとう・よしみ)※ ドレミPhone☆たのしい音楽教室☆4月の教室(ことばから音楽への導入)千趣会 (SENSHUKAI SKS 1104)(1969年4月1日創刊の記載あり)本文に楽譜、レコードB面に曲が収録。※ 最新こどものうた名曲選
こおろぎ(作詞:野田しげみ)
こおろぎ(作詞:阪田寛夫)(上と同じ?)
ごむのわのびろ(作詞:阪田寛夫、NHK「おかあさんといっしょ」より)児童合唱 ※ 最新こどものうた名曲選
ころころ ごろん(作詞:中山知子 作曲:冨田勲)※ ドレミPhone☆たのしい音楽教室☆12月の教室(子どものミュージカル)千趣会 (SENSHUKAI SKS 1112) 本文に楽譜、レコードB面に曲が収録。
「童謡:小熊のポコちゃん」(作詞:西條八十 作曲:冨田勲 唄:安田祥子、ひばり合唱団、日本コロムビアレコード(SP,78rpm,25cm, おそらくA面)、1953年7月、商品番号:C194、3分7秒)※ 国会図書館「れきおん」に登録あり。
さかなとさかな(作詞:鶴見正夫)※ 楽譜は6の会編「すてきな66のうた:ラジオ・テレビ・絵本の」カワイ楽譜、1965年1月に収録
三色すみれ(詩:薩摩忠)楽譜は薩摩忠著「緑の子守唄:薩摩忠うたの詩集」音楽之友社、1965年9月に収録
サンドイッチのうた(作詞:牧野朝子)
ジェット機(詩:薩摩忠)楽譜は薩摩忠著「緑の子守唄:薩摩忠うたの詩集」音楽之友社、1965年9月に収録
「じてんしゃ」(作詞:サトウ・ハチロー 作曲:冨田勲 歌:本間千代子、日本コロムビア、品番:C-402B、1956年9月)
しょうねんとこだぬき
「ぞうの子」(作詞:まど・みちお)※ 現代こどもの歌1000曲シリーズ-1(こどもと動物)
「たにし たんころりん」(作詞:荒沢誠二)※ 曲集「日本童謡全集」に収蔵
たのしい遊園地(作詞:加藤省吾)
たん子たん吉珍道中(作詞:宮崎博史 唱:松島トモ子、吉利公男、ひばり児童合唱団)(1954年8月、EP、コロムビアレコード、品番:C2790)これに対応する同題の映画(1954年9月)は音楽米山正夫となっているが、この曲はレコード面に冨田勲と表記。
ちいさいあかいじどうしゃ(作詞:佐藤義美)※「佐藤義美の詩によるこどものうた50曲集」音楽之友社 (1998.4) に収録あり。
ちゃちゃんとわかる(作詞:サトウ・ハチロー)
ちょうちょうのアンテナ(作詞:中山知子)※ ドレミPhone☆たのしい音楽教室☆4月の教室(ことばから音楽への導入)千趣会 (SENSHUKAI SKS 1104)(1969年4月1日創刊の記載あり)本文に楽譜、レコードB面に曲が収録。
蝶々のバレエ(作詞:結城ふじを)歌唱:安田祥子/内田喜美江/ひばり児童合唱団
チョコレートボンボンのうた(作詞:鶴見正夫)※ 楽譜は6の会編「すてきな66のうた:ラジオ・テレビ・絵本の」カワイ楽譜、1965年1月に収録
チンチラチンチラ ※ 楽譜は「四羽のあひる:サトウ・ハチロー詩ダーク・ダックスの歌による男声合唱曲集」全音楽譜出版社、1965年に収録
てぶくろのマーチ(作詞:武鹿悦子)
でんぐり返し(作詞:小林純一)楽譜が「あひるのぎょうれつ:子どもの歌曲集」小林純一詩、フレーベル館、1964年3月に収録
「トッピンポウとピンピクリン」(作詞:まど・みちお、NHK「おかあさんといっしょ」より)
「どこまでも駆けてゆきたい」(唄:ガロ 作詞:谷川俊太郎、1973年10・11月「みんなのうた」)※ NHKみんなのうた第15集
「どんぐり小僧の大行進」(作曲:冨田勲 演奏:コロムビア・オーケストラ、コロムビアレコード、SP (78rpm, 25cm)、品番:AK268, 1953年)※(運動会向行進曲集第6集)国会図書館資料検索による。チュ-リップマ-チ 佐々木すぐる、曲 コロムビアオ-ケストラ どんぐり小僧の大行進 富田勲、曲コロムビアオ-ケストラ 日本コロムビア、1953.黒、(運動会向行進曲集第6集) (コロムビア) 1953|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
「どんぐりの体操」(構成:戸倉ハル)※ 歌唱のない体操曲であるから童謡とはいえないかもしれない ※ 曲集「リズム体操」p.71
「仲よしポルカ」(作詞:都映二 唄:安田祥子)※ SP盤レコード。朝日新聞1988年3月28日夕刊記事「安田祥子さん 30年前の自分の歌」からの情報
「ながぐつ」(作詞:神沢利子)※「ながくつ」かもしれない ※ 楽譜が日本こどもの歌名曲集 松田トシ、長田暁二編 全音楽譜出版社、1962年に収録。
「ネコのめ」(作詞:香山美子、NHK「おかあさんといっしょ」より)
「のみの唄」(作詞:山本暎一)
「はしろうよ」(作詞:まど・みちお)※「ぞうさん まど・みちお子どもの歌102曲集」フレーベル館(1995年3月)に収録あり。
「花と虫たち コロムビア」AK635 ※ SP盤
「はやおきちゃんのうた」(作詞:まど・みちお)
「春になったら」(作詞:若谷和子)※「空気がうまい サトウハチローと木曜会・ホームソング集」音楽之友社 (1965) に収録
「ひとりきなふたりきな」(作詞:サトウ・ハチロー)※「木のぼり小僧」に収録
「ひばりのうた」(作詞:佐藤義美)※ 千趣会「ドレミフォン4がつのうた」(A-1) に楽譜と共に収録。歌:中川順子
「ひまわりさん」(作詞:間所ひさこ)※ 現代こどもの歌1000曲シリーズー2(こどもと自然)
「ピーターパン」(詳細不明)(1959年、NHKラジオ番組「立体音楽堂」)
「ふうせんはプン」(作詞:香山美子、NHK「おかあさんといっしょ」より)※「日本の童謡150選」
「べるとにならんだ」(神沢利子、冨田勲、鈴木寿雄)※ 小学館の月刊誌「幼稚園」1961年12月 p.8 ※ 国会図書館の検索情報による。
「ポワ ポワーン」(作詞:谷川俊太郎 みんなのうた 唄:高木淑子、1970年2・3月「みんなのうた」)※ NHKみんなのうた第11集
鳳来寺山のブッポウソウ(作詞・作曲・編曲:冨田勲 歌:NHK東京児童合唱団、2007年6・7月 みんなのうた)
「マッチ売りのしょうじょ」(構成:中川正文/きた・ひろし 作編曲:冨田勲 お話と歌:加藤みどり、中川順子、増田睦美)※ ドレミPhoneたのしい音楽教室12月の教室(子どものミュージカル)(千趣会、SENSHUKAI SKS 1112)レコードA面(1970年頃?)、絵本仕立てのアルバムで、音楽と歌による芝居。
「右と左の体操」(作詞:まど・みちお)児童合唱
「むかしはえっさっさ」(作詞:おうち・やすゆき「おかあさんといっしょ」より)児童合唱 ※「日本の童謡200選」
「めがねがくもる」※ 楽譜は「四羽のあひる:サトウ・ハチロー詩ダーク・ダックスの歌による男声合唱曲集」全音楽譜出版社、1965年に収録
「もしもしはいはい」(作詞:名村宏「おかあさんといっしょ」より)児童合唱
「遊園地のうた」(作詞:関沢新一 歌:本間千代子)※ 東映動画「ガリバーの宇宙旅行」より
「愉快な町の風船屋」(作詞:結城ふじを 歌:安田祥子、ひばり合唱団)※ 日本抒情歌全集、ドレミ楽譜出版社(1997年9月)に収録
「よかったよかったタロージロー」(作詞:小林純一 歌:小坂一也・本間千代子、みすず児童合唱団、1960年4月、EP、コロムビアオーケストラ、品番C568)※ 童謡 朝日放送こどもの歌より。
「ロンコンろばさん」(作詞:サトウ・ハチロー 作曲:冨田勲 唄:安田章子、日本コロムビア、品番:C-490、1958年4月)
「私の誕生日」(作詞:丘灯至夫 作曲:冨田勲 唄:松島トモ子)
「わらべうたのメドレー」(構成:中川正文、きた・ひろし 作編曲:冨田勲 お話と歌:辻真人、中川順子、杉並児童合唱団)※ ドレミPhone☆たのしい音楽教室☆4月の教室(ことばから音楽への導入)千趣会 (SENSHUKAI SKS 1104)(1969年4月1日創刊の記載あり)レコードA面に曲が収録。
世界の名作童話と日本のおはなし - 童話の森(CD5枚組セット、ビクターエンタテインメント、VICS-60043/7、発売1999年1月30日)の収録曲:
「マッチうりのしょうじょ」(作曲:冨田勲、ディスク1第2トラック)
「こびとたち」(作曲:冨田勲、ディスク1第4トラック)
「みにくいあひるの子」(作曲:冨田勲、ディスク2第1トラック)
「ピノッキオ」(作曲:冨田勲、ディスク2第2トラック)
「おやゆびひめ」(作曲:冨田勲、ディスク3第1トラック)
「きたかぜとおひさま」(作曲:冨田勲、ディスク3第5トラック)
「しらゆきひめ」(作曲:冨田勲、ディスク4第1トラック)
「さんびきのこぶた」(作曲:冨田勲、ディスク4第2トラック)
「ヘンゼルとグレーテル」(作曲:冨田勲、ディスク4第5トラック)


童謡の「編曲」
「誰かさんと誰かさん」(作詞:サトーハチロー 作曲:二木他喜雄 編曲:冨田勲 唄:安西愛子)(日本コロムビア、品番:C-286A、1954年12月)
「秋の子」(作詞:サトーハチロー 作曲:末広恭雄 編曲:冨田勲)(日本コロムビア、品番:A-2349A、1955年10月)
「あんたとこどこさ」わらべうた(熊本)(編曲:冨田勲、唄:伴久美子、コロムビア杉の子こども会、演奏:コロムビアオーケストラ)、コロムビアレコード C465 (1218520)、演奏時間:2分6秒)
「お誕生日の歌」作詞:丘灯至夫 外国曲、編曲:冨田勲 唄:松島トモ子、コロムビア ひばり児童合唱団 演奏:コロムビア オーケストラ
赤い帽子白い帽子(作詞:武内俊子 作曲:河村光陽 編曲:岩河三郎・旧録音版 編曲:冨田勲・新録音版)
風はみた(作詞:宮沢章二 旋律:佐野量祥 補修編曲:冨田勲)
若い日本(作詞:橋本竹茂 作曲:飯田三郎 編曲:冨田勲 唄:若山彰・眞理ヨシコ・コロムビア合唱団)(日本コロムビア COCX-36737/8)
日本コロムビア「決定版 童謡玉手箱」(3CDセット中の第1枚目の)CDに収録の冨田勲編曲の童謡(歌唱:初代コロムビア・ローズ=松本光世(旧名:斉藤まつ枝))
りんごのひとりごと
おうま
雨降りお月(雲の蔭)
里の秋(ナレーション入り)
夢のお馬車
浜千鳥

かなりや
肩たたき(ナレーション入り)
夕日
エンゼルはいつでも(作詞:サトウハチロー 作曲:芥川也寸志 編曲:冨田勲 唄:川田孝子、コロムビアゆりかご会)※ CD:「コクミンHits 少年探偵団から懐かしのラジオ・テレビテーマ」(日本コロムビア、COCP-34855)に収録。1951年のラジオ番組『森永エンゼルタイム』の中で流れていた。(日本コロムビア、品番:C-203A、発売:1953年11月)
お江戸日本橋(SP盤 COLUMBIA A-2465、発売1956年2月)
さくらさくら(SP盤 COLUMBIA A-2465、発売1956年2月)
かなりや(「日本童謡名曲全集」コロムビアAL3015〜AL3019、発売1960年9月)
赤とんぼ(「日本童謡名曲全集」コロムビアAL3015〜AL3019、発売1960年9月)
「あわて床屋」(作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 編曲:冨田勲)(1961年4・5月「みんなのうた」)
青い小鳥(「日本童謡名曲全集・第2集」コロムビアAL3033〜AL3037、発売1961年6月)
あした(「日本童謡名曲全集・第2集」コロムビアAL3033〜AL3037、発売1961年6月)
雨(「日本童謡名曲全集・第2集」コロムビアAL3033〜AL3037、発売1961年6月)
兎のダンス(「日本童謡名曲全集・第2集」コロムビアAL3033〜AL3037、発売1961年6月)
この道(「日本童謡名曲全集・第2集」コロムビアAL3033〜AL3037、発売1961年6月)
ねんねのお里(「日本童謡名曲全集・第2集」コロムビアAL3033〜AL3037、発売1961年6月)
かもめの水兵さん(作詞:武内俊子 作曲:河村光陽 編曲:草川啓・旧録音版1962〜63年頃 編曲:冨田勲・新録音版1972〜73年頃)※ 軍艦マーチ風
「トンチあそび」(作詞:多摩川学園児童 作曲:追新一郎 編曲:冨田勲)(1963年8・9月「みんなのうた」)
「谷間のキャンプ」(作詞:尾崎忠次 作曲:ピッツ 編曲:冨田勲)(1963年8・9月「みんなのうた」)
「お猿と鏡」(作詞:宮林茂晴 原曲:チェコ民話 編曲:冨田勲)(1963年10・11月「みんなのうた」)
「赤鼻のトナカイ」(訳詞:高田三九三 作曲:マークス 唄:桑名貞子/コロムビア男声合唱団)(「よいこのクリスマスとお正月」コロムビアKKS-20001、発売1966年11月)
「赤鼻のトナカイ」(作詞:高田三九三 作曲:マークス 唱:桑名貞子/コロムビア男声合唱団 伴奏:コロムビア・オーケストラ、コロムビアCPX-132、EP、「楽しいクリスマス シングル・ベル」のA面第2曲、1973年10月)※ 再録か?
七つの子(作詞:野口雨情 作曲:本居長世)(「よいこのゴールデン童謡集 1 ななつのこ」日本コロムビア KX-1、発売1969年4月)
「ひばりのぼうや」(作詩:山本暎一 作編曲:冨田勲 うた:水谷玲子)※ ヨハン・ブルクミュラー作曲「牧歌」より。千趣会発行「ドレミPhone ママといっしょにうたう うた」の4月号(A面-2)に収録。
「ぞうのさんぽ」(作詩:山本暎一 作編曲:冨田勲 うた:長井則文)※ サン・サース「動物の謝肉祭」の「象」の編曲。千趣会発行「ドレミPhone ママといっしょにうたう うた」の6月号(A面-2)に収録。


コマーシャルソング・BGM
ちいさなおよめさん(三洋電機のCMソング)
コロムビアCMソング(1959年、作詞:星野哲郎、日本コロムビアのCMソング)
てっちゃんのうた(1961年 作詞:宮崎博史 唄:松島トモコ ※「カネテツデリカフーズ」のCMソング)
「花王のニュービーズ」※ 1970年4月18日付けの新聞記事(掲載紙要調査)に紹介記述があり(コラム「人間広場」:富(ママ)田勲 白バイの違反の”撮影” 宇宙人を見に?黒部へ)
「日石ゴールド」のウエスタン ※ 同上
「ホンダ1300」(ピーター・グレイブスが登場する)※ 同上
島屋 ローゼンタール(1972年 作曲)
MIZNO BLUE IMPULSE(ミズノ ブルーインパルス)(1982年 作曲、シンセサイザー演奏)※ スキーのブレード
もろこし生茶(出演:松嶋菜々子)※ BGM音楽は「文五捕物絵図」から(放映年代不明)

合唱曲
「風車」(読みは”ふうしゃ”)(1952年 作詞:渡辺阿沙爾)※ 全日本合唱連盟発行1952年(昭和27年)・第5回合唱曲集No.4に収録、女声合唱
「蝶々のバレエ」(結城ふじを・冨田勲、児童3部合唱)※ 児童合唱百曲集、新興楽譜出版社(1956年)に収録。
「風は見た」(昭和33年度全国唱歌ラジオコンクール小学校の部課題曲)作詞:宮沢章二 作曲:佐野 量祥 補修編曲:冨田勲 ※ 1958年度第25回全国唱歌ラジオコンクール小学校の部の課題曲
「青い地球は誰のもの」(1970年、作詞:阪田寛夫)※ NHK特集 70年代われらの世界テーマソング、およびそれを発展させた曲
「ともしびを高くかかげて」(1974年 作詞:岩谷時子)※ 第41回(1974年度)および第54回(1987年度)のNHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲
「鳳来寺山のプッポウソウ」(作曲は2006年か?、作詞作曲、歌:NHK東京児童合唱団など)※ 2007年6・7月NHK「みんなのうた」(歌:NHK東京児童合唱団)
「雨にも負けず」(2012年、「イーハトーヴ」交響曲第6楽章、作詞:宮沢賢治 作曲:冨田勲)
「五箇山の四季」(詳細不明)

校歌、社歌
福井県坂井市坂井市立磯部小学校校歌(作詞:坂本政親)※ 年代要調査
東京都千代田区立麹町小学校校歌(作詞:阪田寛夫)1954年3月
愛知県額田郡額田町町歌(作詞:藤井静)1956年12月
愛知県岡崎市立福岡小学校校歌 1959年
愛知県岡崎市立福岡中学校校歌(作詞:浅岡美徳)1960年 ※ 岡崎市立福岡小学校が校歌を制定したため、隣接していた福岡中学校も校歌を制定した。
愛知県岡崎市立藤川小学校校歌(作詞:浅岡美徳)1968年
福井県丸岡町立磯部小学校校歌(作詞:坂本政親)1974年
愛知県岡崎市立本宿小学校校歌(作詞:本校職員)※ 冨田の母校
埼玉県所沢市立若松小学校校歌(作詞:はら みちを)
愛知県岡崎市立東海中学校応援歌(作詞:浅井森一)応援歌「青い空 白い雲」
慶應義塾塾歌(作曲:信時潔 作詞:富田正文)の冨田勲による編曲版 ※ CD「校歌、寮歌、応援歌」(キング KICW-9552、2012年5月9日発売)に収録
慶應義塾創立150年記念式典ファンファーレ(作曲:冨田勲 演奏:塾生ファンファーレ隊、サラウンド音響:野尻修平)2008年
「住友銀行従業員組合の歌」(作詞:薩摩忠 作曲:冨田勲)

交響詩・交響組曲
『子どものための交響詩 ジャングル大帝』(1966年)- 文部省芸術祭奨励賞受賞 ※ オーケストラ演奏がLPに収録。後にCD、DVDにも収録されている。※ 失われた楽譜を復元し改訂を加えた「2009年改訂版」もある。
『こどものための交響詩 銀河鉄道の夜』(1972年)-「音楽ってたのしいな」(TBSブリタニカ)の2枚組LPの2枚目片面に収録 ※ シンセサイザーを用いた演奏がLPに収録されている。これはシンセサイザーを入手後3ヶ月ぐらいで作られた作品であると語られた。
交響詩『大地に花が歌う』(1990年)
源氏物語幻想交響絵巻(1998年)※ オーケストラ演奏がCDに収録されている。2011年には内容を追加拡大した「完全版」の演奏収録CDがリリースされた。さらに2014年に改訂された。終曲「平家の世へ」は大河ドラマ「新・平家物語」テーマ曲の流用。
仏法僧に捧げるシンフォニー(2006年)※ 2007年4月28日に放送された番組NHK-BSハイビジョン特集「冨田勲 仏法僧に捧げるシンフォニー」(52分)中で演じられた。
「交響詩ジャングル大帝〜白いライオンの物語〜」(2009年改訂版、CD+DVD)[2]
イーハトーヴ交響曲(2012年)※ オーケストラとコーラス、初音ミク(ボーカロイド)による演奏が初演・レコーディングされ、翌2013年1月にCDリリースされた。大友直人指揮、日本フィルハーモニー交響楽団ほかによる演奏。


ディスコグラフィー
発売の月や日が不明な場合は、不明なものを前側に置くことにする。

「野鳥の調べ」(1960年、SP、日本コロムビア)※ A面のBGMを冨田勲が作曲(詳細要調査)
「舞踏曲『海のファンタジー』」(1960年4月、78RPMレコード、日本コロムビア、品番:C571 (1GA74) の片面)※ 作曲冨田勲、演奏コロムビアオーケストラ、小学校高学年向
「生産性向上のためのB.G.音楽 オフィス向」(1962年、LP-BOX、日本コロムビア)※ 冨田勲を含む複数作曲家によるBGMが収録(詳細要調査)
「生産性向上のためのB.G.音楽 工場向」(1962年、LP-BOX、日本コロムビア)※ 冨田勲を含む複数作曲家によるBGMが収録(詳細要調査)
「二つの橋・かわいた夜」(1962年9月、45RPMドーナッツ盤レコード, 日本コロムビア、品番:SA-980)※ A面:NHKドラマ主題歌「二つの橋」B面:フジテレビドラマ「肌色の仮面」主題歌の「かわいた夜」。両曲とも作曲。
王貞治・本間千代子「白いボール」(1965年、EP、制作:朝日放送、発売元:日本コロムビア、品番:SC-171)※ 作詞:鶴見正夫、唄:王貞治、本間千代子
「名犬ラッシーの大冒険」(1965年、フォノシート、コダマプレス)
「ジャングル大帝」(1965年12月2日初版 (?)、朝日ソノプレス、品番:M-28)※ 主題歌、星になったママ、収録ドラマ「レオ誕生」
「ジャングル大帝」(1965年12月10日、日本コロムビア、品番:SCS-1)※ 主題歌シングルレコード。日本コロムビアが初めて発売したアニメソングレコード。
「ジャングル大帝」(1966年2月5日初版 (?)、朝日ソノプレス、品番:M-35)※ レオのうた、ディックとボウのうた、ライヤ、収録ドラマ「急げ!じごく谷へ」
「ジャングル大帝」(1966年6月20日、日本コロムビア、品番:SCS-2)
「ジャングル大帝 ヒット・パレード」(1966年7月、LP、ステレオ、日本コロムビア、品番:KKS-21)※ TVまんが初の25cm(10インチ)LPレコードであるという。
「子どものための交響詩 ジャングル大帝」(ステレオ、1966年11月初版のLP (ELS-3044)、および1976年再版のLP (CS-7015)、2001年のデジタルリマスターCD版、いずれも日本コロムビア)※ 1966年版のLPは第21回(昭和41年度)芸術祭奨励賞を受賞。指揮:石丸寛、演奏:日本フィルハーモニー交響楽団、日本合唱協会。
「リボンの騎士」(1967年5月1日、朝日ソノラマ、品番:M-87)※ OP、EPと収録ドラマ「王子と天使」
「テレビ漫画 リボンの騎士/リボンのマーチ」(1967年6月あるいは7月、EP、日本コロムビア、品番:SCS-30)※ OPEP
「リボンの騎士」(1967年9月2日、朝日ソノラマ、品番:N-3)※ OP、EPと収録ドラマ「悪魔の白鳥」
「千夜一夜物語」オリジナルサウンドトラック盤(1969年、ビクター・ワールド・グループ、LP、品番:SJET-8150)※ 冨田勲とザ・ヘルプフル・ソウル
竹脇無我「だいこんの花」(1970年、EP、フィリップス)
「EXPO'70 東芝IHI館 グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ」(1970年3月、東芝音楽工業、品番:3ERS-260、7インチ、33 1/3 RPM、非売品)※ 1970年の大阪万国博覧会の東芝IHI館の音楽を収録したレコード(後にCD「喫茶ロック〜エキスポ・アンド・ソフトロック編」EMIミュージック・ジャパン、品番:TOCT-10787(2002年6月26日)の第1トラックに全体約12分のうちの冒頭部分の約4分が収録)
由紀さおり「クレオパトラの涙」(1970年8月1日、SEP、東芝音楽工業、品番:EP-1248)※ 虫プロのアニメラマ「クレオパトラ」より
「日本ギターフェスティバル VOL.2」(1971年、LP、日本コロムビア)※ 冨田勲作の約8分間の曲「砂塵」を含む。1971年5月22日東京サンケイ・ホールでの演奏を収録。
「エレキ・ギター・100 アンプの祭典」(1971年(カセットテープ?)、JASS)※ 日本ギターフェスティバルの実況録音であるらしい(詳細要調査)
西郷輝彦「坂道の教会(さよならはいわなかったのに)」(1971年、LP、発売元:クラウンレコード)※ 朗読レコードの劇伴音楽
「海軍特別攻撃隊 遺書」(1972年、LP2枚組、クラウンレコード、品番:GWX-35〜36)
石坂浩二「駅・最後の421列車」(1972年、LP)(ワーナー、LP、品番:L-8006W)※(詩と朗読:石坂浩二 演奏:ブリリアント・ポップス77 協力:慶應義塾大学鉄道研究会)
TBSブリタニカ発行の「世界子供百科」の付録の2枚組ピクチャーLPアルバム「音楽ってたのしいな」(1972年3月、LP、2枚組)※ うつみ宮土理のナレーションと曲の抜粋で、音楽のたのしさを教える企画。シンセサイザーを用いた「こどものための交響詩−銀河鉄道の夜」が2枚目のB面。※ 後にカセットテープ版も作られた。
「スイッチト・オン・ヒット&ロック」(1972年5月、LP、SQ4方式、CBSソニー、品番:SOLL-4)[注 7]
チェリッシュ「春のロマンス」(1973年、LP、日本ビクター)※ 冨田勲作曲「かあさんの四季」(原題:「晴れてる日に」)を収録
勝新太郎「孤独におわれて」(1973年、EP、東芝EMI)※ テレビ番組「唖侍鬼一法眼」の主題歌シングルレコード
「パーティー・朱里エイコ 〜はなやかなる集い」(1973年5月25日発売、LP ステレオ、レーベル:ワーナー・パイオニア、品番:L-8020R)※ 作:八坂祐子、音楽:冨田勲、歌:朱里エイコ ※ 2003年にCD化された。
「行け!宇宙船ジュピター2号」(1973年8月、ソノシート、朝日ソノラマ)※ アメリカTV映画「宇宙家族ロビンソン」(1965年〜1968年)/冨田勲作曲のオリジナル日本語主題歌
「中学・高校・大学及び一般のための「創作ダンス」」(1974年1月、EPの2枚組、日本コロムビア、品番:BKS-110)※ 冨田勲作曲の「習作”愛”コンポジション」が収録されている。※ 1990年にCD化
勝新太郎「おてんとさん」(1974年、EP、東芝EMI)※ テレビシリーズ「座頭市物語」の主題歌シングル
チェイ光星「お若けえのお待ちなせェ」(1974年、EP、東宝レコード)※ テレビ時代劇「幡随院長兵衛お待ちなせえ」の主題歌シングル
月の光−ドビッシーによるメルヘンの世界(1974年9月、LP)シンセサイザー演奏 ※ ビルボード誌クラシックチャート第1位、グラミー賞4部門ノミネート、全米レコード販売者協会1974年度最優秀クラシカル・レコード
「ノストラダムスの大予言〜オリジナル・サウンドトラック」(EP、1974年9月?、東宝レコード、品番:AT-1069)
「ノストラダムスの大予言」(1974年9月25日、LP、東宝レコード、品番:AX-8012)※ 東宝の劇場映画「ノストラダムスの大予言」のサントラ盤
展覧会の絵(1975年2月、LP)※ シンセサイザー演奏。1975年度NARM同部門最優秀レコード2年連続受賞、1975年度日本レコード大賞・企画賞受賞、ビルボード誌クラシックチャート第1位
「サウンドトラックTOMITA」(1975年8月25日、LP、東宝レコード、品番:AX-8804)※「ノストラダムスの大予言」(東宝レコード、品番:AX-8012)の再発売版
火の鳥(1975年9月、LP)シンセサイザー演奏
「子どものための交響詩 ジャングル大帝」(1976年10月、LP、ステレオ、日本コロムビア、品番:CS-7015)※ 1966年11月に発売された初版のLP (ELS-3044) の再発売
「TOMITA'S WORLD〜冨田勲VSオリジナル曲」(1977年、LP、RCA Red Seal、品番:RVC CR-10008、非売品)※ 冨田勲シンセサイザー演奏版とオーケストラ演奏版の聞き比べ
惑星(1976年12月、LP)シンセサイザー演奏 ※ 1977年2月19日付けのビルボード(クラシカル・チャート)および同月28日のキャッシュボックスでそれぞれ1位にランキング。
「冨田勲の世界」(1977年11月、LP、2枚組、RCA (RVC)、品番:RVC-7564〜65)※ シンセサイザーによる組曲『銀河鉄道の夜』を収録
「坂東玉三郎の美の世界 / 天守物語」(1978年、LP、2枚組、RCA、品番:RVL-7103/4)※ 1977年12月16日の日生劇場公演の実況中継録音
宇宙幻想(1978年、LP)※ シンセサイザー演奏
「ジャングル大帝ヒットパレード」(1978年、LP、ステレオ、日本コロムビア、品番:CS-7054)※ 1966年のKKS-21の再発売(LP、12インチ盤)
「リボンの騎士」(1978年、LP1枚、日本コロムビア、品番:CS-7083)※ ドラマ仕立ての豪華アルバム
バミューダ・トライアングル(1978年12月、LP)シンセサイザー演奏 ※ グラミー賞 "Best Engineered Recording"部門ノミネート
「どろろ」(1979年、LP、日本コロムビア)テレビ用パイロット版フィルム、および放送用最終話の音声を収録
「子どものための交響詩ジャングル大帝 英語盤 (KING OF THE JUNGLE- Symphonic Poem for Children)」(1979年2月、LP、日本コロムビア、品番:CZ-7019)※ 日本語と英語による解説パンフレット付き
「夜叉ケ池」映画のサウンドトラック(1979年頃?、LP)(詳細要調査)
ダフニスとクロエ(1979年9月、LP)※ シンセサイザー演奏
1980年に、ストラビンスキーの「春の祭典」を制作したが、権利者からの許諾を得られず発売はされず。※「春の祭典」の一部分はチャリティコンサートということでライブ版「マインドオブユニバース」に特別に許諾を得て収録。
「愛と希望のファンタジア〜森の詩」EPレコード、RCA (RVC)、品番:CR-39(1981年)非売品 ※ 1981年の神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)の住友館で上演されたミュージカル『愛と希望のファンタジア〜森の詩』の音楽を抜粋収録。
「Portopia'81 Suntory Pavilion Theme Waterland」(1981年、EPレコード、RCA、品番:CR-40、非売品)※ 神戸ポート博'81 サントリー館のテーマ曲「ウォーターランド」
「20回目の結婚記念日」(1981年3月、EPレコード、7インチ盤、33(1/3) rpm、M.Y.RECORD、品番:CMA-2009)※ 自主制作盤、作詞作曲:冨田勝、シンセサイザー演奏:冨田勲、編曲:槌田靖識 ※ B面は「お嫁さん」※ 注:冨田勝は冨田勲の長男
大峡谷(1982年2月、LP)シンセサイザー演奏 ※ グラミー賞にノミネートされる。
「デジタルシンセサイザー・ファンタジー」(1984年、LP、45RPM、日本ビクター、品番:PRC-30419)※ '84 AUDIO FAIR SPECIAL RECORD。バイノーラル録音。企画制作:日本オーディオ協会
ドーン・コーラス(1984年6月、LP)※ ドーンコーラスや星からの電波の波形を音に変換し音源として使用。
「スペース・ウォーク」(1984年9月、LP、日本ビクター、品番:RCL-8401)※ シンセサイザー演奏
「スペース・ウォーク」(1984年12月16日、CD、RCA、品番:RCCD-113)※ シンセサイザー演奏
「マインド・オブ・ザ・ユニバース」(ライブアルバム)(1985年7月、LP、RCA、品番:RCL-8418)
科学万博 電力館テーマソング「すてきなラブ・パワー EXPO 85」(Adventures of Electro-Gulliver EXPO'85)、唄:野宮真貴(A面のみ、B面はインスツルメンタル)、作曲:冨田勲(1985年、EPレコード、RCA (RVC)、CR-85)※ 筑波万博記念品、非売品
つくば万博サントリー音楽「Bird Chorus(A面)、Animation Fountain(B面)」(1985年、EPレコード、RVA (RVC)、品番:CR-83(非売品の品番:CR-82もあり))
「バック・トゥー・ジ・アース」(ライブアルバム)(1987年12月、LP)
「TOMITA LIVE IN NEW YORK / BACK TO EARTH」RCA-VICTOR、RCA/BMG/7717-2-RC(USA盤、(C) 1988年)
「風の又三郎 ガラスのマント」(1989年3月1日、CD、レーベル:RCA(BMGビクター)、品番号:R32C-1152、収録:41分)※ 劇場用映画のサウンドトラック
「中学・高校・大学及び一般のための「創作ダンス」〜ダンスイメージと創作過程」(1990年、CD、日本コロムビア、品番:COCG-6542)※ 冨田勲作曲の「習作”愛”コンポジション」が収録されている。※ 1974年のLPをCD化
1991年3月21日にレーベルBV-RCAから再発売されたシンセサイザー演奏によるCD
「惑星」(品番:BVCC-2508)
「宇宙幻想」(品番:BVCC-2509)
「バミューダ・トライアングル」(品番:BVCC-2510)
「ドーン・コーラス」(品番:BVCC-2511)
「マインド・オブ・ユニバース」(品番:BVCC-2512)
「バック・トゥ・ジ・アース」(品番:BVCC-2513)
1991年4月21日にレーベルBV-RCA再発売されたシンセサイザー演奏によるCD
「月の光」(品番:BVCC-2514)
「展覧会の絵」(品番:BVCC-2515)
「火の鳥」(品番:BVCC-2516)
「ダフニスとクロエ」(品番:BVCC-2517)
「大峡谷」(品番:BVCC-2518)
「蒼き狼の伝説」(1992年5月2日、CD、品番:BVCF-2514)※ NHKスペシャル「大モンゴル」[33] TVサウンドトラック
「海軍特別攻撃隊 遺書」(CD、2枚組、クラウンレコード、品番:CRCD-50002-3)特攻隊員遺書の朗読集。音楽:冨田勲 演奏:クラウン・オーケストラ ※ 1972年発売のLPのCD化。小冊子に冨田勲「海軍特別攻撃隊遺書「作曲にあたって」」を含む。
「ヘンゼルとグレーテル」(1994年、LD/VHS、BGMビクター)渋谷Bunkamuraで上演されたトミタ・サウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」の収録映像
「新日本紀行〜冨田勲の音楽」(1994年6月22日、CD、BMGビクター、品番:BVCF-1525)※ NHK「新日本紀行」など著名番組のテーマ音楽のオーケストラ演奏による録音集。指揮:大友直人 演奏:東京交響楽団他
「新日本紀行/ジャングル大帝」(1994年6月22日、CD-Single、ソニー・ミュージック、品番:BVDC-1)※ 新日本紀行とジャングル大帝のオープニングの曲だけを収録
「鼓童with 冨田勲 - ナスカ幻想」(1994年12月1日、CD、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル、品番:SRCL-3103)※「鼓童 with 冨田勲」名義
「暗黒星雲への旅〜ベスト・オブ・トミタ・サウンド I」(1994年6月22日発売、CD、BMGビクター、品番:BVCC-9396、収録:65分13秒)
「森の幻想〜ベスト・オブ・トミタ・サウンド II」(1994年6月22日発売、CD、BGMビクター、品番:BVCC-9397、収録:69分17秒)
NHKスペシャル「始皇帝 THE FIRST EMPEROR」TVサウンドトラック(1994年10月25日発売、CD、ダブリューイーエー・ジャパン、収録:58分)※ 冨田勲は音楽監督で、作曲は水澤有一。
「マイティジャック ミュージックファイル」(1995年、CD、レーベル:バップ)
「マイティジャック ミュージックファイル2」(1995年、CD、レーベル:バップ)
松竹映画サウンドメモリアル「黒蜥蜴 江戸川乱歩の陰獣 RAMPO黛バージョン」サウンドトラックコレクション(1995年8月2日発売、CD、VAP inc.、品番:VPCD-81101)※ 音楽:冨田勲は「黒蜥蜴」で、CDの全20トラック中最初の5トラックまで。
「恐怖劇場アンバランス ミュージックファイル」(1996年、CD、レーベル:バップ)
「ノストラダムスの大予言」(1996年、CD)映画サウンドトラック ※ 先行したLPレコード盤は品番TAM:AX-8804 ※ 映画自体は映像表現・内容の一部に問題があるとされて封印状態である。
「宇宙特撮シリーズ キャプテン・ウルトラ」(1996年、CD二枚組、レーベル:SLC)
「東映動画長編アニメ音楽全集」(1996年、CD-BOX、日本コロムビア)※「アラビアンナイト・シンドバットの冒険」(1962) と「ガリバーの宇宙旅行」(1965) の曲が含まれる。
「ある惑星からのメッセージ」(収録CDのタイトル:「イレーヌ メイヤーの世界 サウンドトラック」の第3トラック、収録:11分43秒)(1996年3月21日、CD、エビックレコードジャパン、品番:ESCB-1726)※ 佐野元春、小田裕一郎、冨田勲、千住明の4人の曲を収めた美術展BGMのサウンドトラックCD ※ 冨田勳のオリジナル作曲によるシンセサイザー演奏作品。後に「オホーツク幻想」と改題されて2016年のCD音楽アルバムに収録された。
「バッハ・ファンタジー」(1996年6月21日、CD、BMGビクター、品番:BVZC-601)※ シンセサイザー演奏
懐かしのミュージッククリップ 22「ビッグX」上高田少年合唱団(1997年6月25日、東芝EMI、品番:TOCT-9892)
「ジャングル大帝 オリジナル・サウンドトラック」指揮:大友直人、演奏:東京交響楽団(1997年7月24日発売、CD、BMGビクター、品番:BVCH-1529、収録:50分)※ 1997年8月1日公開の劇場用アニメーション作品「ジャングル大帝(劇場版)」(カラー、上映時間:99分)の音楽サウンドトラックのクリップ集
懐かしのミュージッククリップ29「リボンの騎士」(1997年9月26日、CD、東芝EMI、TOCT-9935、収録:41分)※ いったん発売されたが店頭から製品が回収されて、後日に懐かしのミュージッククリップ44「リボンの騎士」として改めて発売された。
「「学校」シリーズ」オリジナル・サウンドトラック(1997年10月21日、CD、BMGビクター、品番:BVCF-37001、収録:45分37秒)※ 山田洋次監督の映画「学校」シリーズのサウンドトラック
「座頭市音楽旅 其之参」(1998年、CD、キングレコード)
日本合唱曲全集「混声合唱愛唱曲」(1998年、CD、ビクターエンタテイメント)※ 冨田勲作曲の「ともしびを高くかかげて」を含む
懐かしのミュージッククリップ35「ジャングル大帝」(1998年3月28日、CD、東芝EMI、品番:TOCT-10235)
懐かしのミュージッククリップ44「リボンの騎士」(1998年8月26日、CD、東芝EMI、品番:TOCT-10404)※ テレビアニメーション「リボンの騎士」のハイライトシーンのサウンドトラック
「童謡の森〜世界の名作童話と日本のおはなし」(1999年、CD-BOX、ビクターエンターテインメント)※ 複数の作家による童話の朗読音源をCD−BOXとしてまとめたもの。冨田勲による9曲を含む。
「トミタ・サウンド・クラウド 源氏物語交響絵巻/冨田勲」(1999年3月25日、CD、パイオニアLDC、品番:PICW-1024、収録66分)※ 1998年11月22日のNHKホールでのコンサートの完全収録版CD
「手塚治虫生誕70周年記念特別企画 ジャングル大帝 1965-66 TVオリジナル・サウンドトラック」(1999年7月21日、CD、4枚組、バンダイ・ミュージックエンタテインメント、合計収録:188分、品番:APCM-9011)※ テレビ放送制作用BGM演奏の残存した音源テープを元に加工し収録されたもので、作曲家は販売差し止めを求めたが既に一部が流通した後であった(参考:1999年10月23日朝日新聞朝刊第2面社会面記事「ジャングル大帝CD売らないで 作曲の冨田勲さん、仮処分申し立て」)
「手塚治虫生誕70周年記念特別企画 リボンの騎士 TVオリジナル・サウンドトラック」(1999年8月21日に発売予定であったがキャンセルされた、CD、4枚組、バンダイ・ミュージックエンタテインメント)※ テレビ放送製作用BGM演奏の残存した音源テープを元に加工して収録したもので、作曲家の販売差し止めの請求により発売前にキャンセルされた幻の企画商品で、現物は今のところ存在しない。訴訟の経緯は新聞等でも報道された。
「瀬戸内寂聴 千年文化・源氏物語」(1999年8月25日、DVD、2枚組、パイオニアLDC、品番:PIBW-1024)※ 音楽:冨田勲 出演:瀬戸内寂聴/一之瀬千絵/堀口彩衣子/小峯綾佳 声の出演:岸田今日子 ナレーション:斎藤季夫
「源氏物語幻想交響絵巻」(2000年11月18日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ-83482、収録:70分)※ 演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団他、指揮:冨田勲、録音:ロンドン、ホイットフィールド・ストリート・スタジオ、他、1999年10月25日-26日。
「21世紀への伝説史 長嶋茂雄」サウンドトラック(2000年11月29日、CD、角川メディアファクトリー、品番:ZMCZ-657)
「千年の恋 ひかる源氏物語」映画サウンドトラック(2001年12月8日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ-83572)
「子どものための 交響詩ジャグル大帝」(2001年12月21日、CD、ステレオ、日本コロムビア、品番:COCX-31629、収録:55分)※ 1966年にLPで出ていた音源のデジタル・リマスター化によるCD
「東京ディズニーシー アクアスフィア・テーマミュージック」(2002年、CD、エイベックス)※ 東京ディズニーシーのエントランスにある直径8メートルの球形シンボル{アクアスフィア}の場所で流れるBGM。作曲:冨田勲
「TOMITA: THE PLANETS 2003」(2013年3月29日、DVD-Audio、日本コロムビア、品番:COAQ-15)※ DVD-Audio 4.1ch サラウンド収録
「TOMITA ON NHK」冨田勲 NHKテーマ音楽集(2003年3月29日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ-83613、収録:67分)
「パーティ」(2003年11月15日、CD、ウルトラ・ヴァイヴ、品番:CDSOL-1081)※ 朱理エイコ名義、1973年発売のLPレコードのCD化。
松竹映画「たそがれ清兵衛」山田洋次監督作品サウンドトラック(オリジナル・スコア・バージョン)(2003年5月21日、CD、フォーライフ ミュージックエンタテイメント)
「隠し剣 鬼の爪」(2004年、CD、日本コロムビア)
「源氏物語幻想交響絵巻」DVD版(2004年1月21日、DVD-Audio、日本コロムビア、品番:COAQ-22、収録:71分)※ 演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団他で1999年に収録した音源のDVD-Audio用編集版
「源氏物語幻想交響絵巻」CD版(2004年1月21日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ-83717、収録:70分)※ 演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団他。2000年発売のCOCQ-83482の原版による再発売で、DVD-Audio版とはマスタが別。
「交響絵巻源氏物語十二支」(2005年3月23日、日本コロムビア、CD、品番:COCQ-83927、収録:?)
「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」映画オリジナルサウンドトラック(2005年12月21日、CD、エイベックス・トラックス、品番:AVCA-22474、収録:44分)
「ジャングル大帝ヒット・パレード」(2005年4月27日、CD、ステレオ、日本コロムビア、品番:COCX-33161、収録:34分)※ ANIMEX1300 Song Collection シリーズ No.1
GARO「GARO BOX」(2006年、CD-BOX、日本コロムビア)※ 冨田勲作の曲「どこまでも駆けてゆきたい」が収録。
「恐怖劇場アンバランス オリジナルBGM集」TV番組のサウンドトラック(2006年8月19日、CD、レーベル:ウルトラ・ヴァイヴ、CDSOL-1142)
「冨田勲の世界〜オリジナル紙ジャケットBOX」(2006年11月22日、CD、11枚セット、BMG JAPAN、収録:547分)※ 紙ジャケット仕様
「宇宙特撮シリーズ キャプテン・ウルトラ ミュージックファイル オリジナルBGM集」(2007年5月19日、CD、2枚組、レーベル:ウルトラ・ヴァイヴ、品番:CDSOL-1162〜63)
「マイティジャック」TVサウンドトラック(2007年、CD)
「冨田勲×山田洋次 時代劇三部作ベストセレクション」(2007年5月23日、CD、ユニバーサル ミュージック)※『武士の一分』、『隠し剣 鬼の爪』、『たそがれ清兵衛』
「NHKみんなのうた 鳳来寺山のブッポウソウ/新日本紀行ふたたび」(2007年8月1日、CD(マキシシングル)、レーベル:ユニバーサルミュージック、品番:UICZ-5034)
2007年10月24日に過去にRCAから出したシンセサイザー音楽のアルバムのCDがBMG JAPANから発売。
「月の光」(品番:BVCC-37505、収録:41分13秒)
「展覧会の絵」(品番:BVCC-37506、収録:37分15秒)
「火の鳥」(品番:BVCC-37507、収録:48分41秒)
「惑星 The Planets」(品番:BVCC-37508)
「宇宙幻想」(品番:BVCC-37509、収録:53分1秒)
「バーミューダ・トライアングル」(品番:BVCC-37510、収録:53分36秒)
「ダフニスとクロエ」(品番:BVCC-37511、収録:54分16秒)
「大峡谷 Grand Canyon」(品番:BVCC-37512)
「ドーン・コーラス」(品番:BVCC-37513、収録:42分50秒)
「マインド・オブ・ユニバース」(品番:BVCC-37514)
「バック・トゥ・ジ・アース」(品番:BVCC-37515)
藤原道山x冨田勲「響 kyo」(2008年11月19日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-36)※ 尺八演奏:藤原道山
「交響詩ジャングル大帝〜白いライオンの物語〜」(2009年10月21日、CD+DVD、日本コロムビア、COZX-411〜12)[3]
「街道をゆく」※ TV番組のサウンドトラック
「源氏物語幻想交響絵巻 完全版」(2011年6月1日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-52と53(2枚組)、収録:88分)※ 作曲と指揮:冨田勲 演奏:東京交響楽団 語り:坂田美子
「惑星(プラネッツ)ULTIMATE EDITION」(2011年6月1日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-51)※以前の「惑星」をリメイク、SACDサラウンド化。新制作の「イトカワとはやぶさ」を追加。
「TOMITA PLANET ZERO - FREEDOMMUNE <ZERO> session with Dawn Chorus」(2011年11月23日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-57)
「おかえり、はやぶさ」映画サウンドトラック(2012年2月29日、CD、レーベル:ダブリューイーエー・ジャパン、品番:SOST-1004、収録:42分)
「月の光 ULTIMATE EDITION」(2012年6月20日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-59)※ 以前の「月の光」をリメイク、SACDサラウンド化。新制作の「雲」「アラベスク第2番」を追加。
ホルスト:組曲「惑星」(2012年12月5日、CD、日本コロムビア、品番:COAQ-15)
ホルスト:組曲「惑星」(2012年12月5日、CD、ソニー ミュージック、品番:SICC-30112)
「イーハトーヴ交響曲」(2013年1月23日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、COGQ-62、収録:42分32秒)※ 2012年11月23日に東京オペラシティで行われた「イーハトーヴ」交響曲世界初コンサートの演奏の録音。
「冨田勲イーハトーヴ交響曲 ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV」(2014年3月19日、Blu-ray、日本コロムビア、品番:COXO-1074)※ 2013年9月15日の渋谷Bunkamauraオーチャードホールでの冨田勲「イーハトーヴ交響曲」東京公演を収録、インタビュー映像付き。
「冨田勲 展覧会の絵 アルティメット・エディション ISAO TOMITA Pictures at an Exhibition -Ultimate Edition-」(2014年3月19日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-67)※ 4.0chサラウンド。70年代にNHK-FMでのみオンエアされた幻の作品「シェヘラザード」の一部と「ソラリスの海」をボーナストラックに収録。
「TOMITA ON NHK 冨田勲 NHKテーマ音楽集(新装版)」(2015年3月4日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ-85246)
「Space Fantasy(スペース・ファンタジー)」(2015年3月4日、日本コロムビア、2枚組(SACDハイブリッド+ボーナストラックCD)、品番:COZQ-1023/4)
「月の光〜ドビュッシーによるメルヘンの世界」(2015年4月22日、CD、ソニー・ミュージック、品番:SICC-1835)※“ソニー・クラシカル名盤コレクション1000”第1弾
「オホーツク幻想」(2016年3月23日、SACDハイブリッド、日本コロムビア、品番:COGQ-89)※ 在命中に発売された最後の音楽アルバム
「冨田勲 お別れの会 メモリアルCD」(CD、日本コロムビア、品番:PRCL-10104、非売品)※ 2016年6月15日「冨田勲お別れの会」(青山葬儀場)で関係者に配布(内容等の詳細不明)。
「展覧会の絵」(2016年9月7日、CD、ソニー・ミュージック、品番:SICC-2035)
「火の鳥」(2016年9月7日、CD、ソニー・ミュージック、品番:SICC-2036)
「宇宙幻想」(2016年9月21日、CD、ソニー・ミュージック、品番:SICC-2086)
追悼記念盤『冨田勲 映画音楽の世界』(2016年11月2日、松竹音楽出版、品番:SOST-3025)
「冨田勲 手塚治虫作品 音楽選集」(2016年11月9日、CD5枚組、日本コロムビア、品番:COCX-35885-9)
「冨田勲『ドクター・コッペリウス DR.COPPELIUS』」(2017年3月22日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ-85337)2016年11月初演のライヴ録音。
「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」(2017年9月6日、CD、日本コロムビア、品番UHQ-CD・COCQ-85371(初回限定版)、UHQ‐CD・COCQ-85372(通常版))
「冨田勲 スペース・バレエ・シンフォニー『ドクター・コッペリウス』」(2018年3月21日、映像BR、日本コロムビア、品番:COX0-1150)。2016年11月初演のライブ映像ほか。
「MISSING LINK of TOMITA −冨田勲 秘蔵音源集−」(2018年5月23日、CD、日本コロムビア、品番:COCQ85418)
「マイティジャック 音楽大全」(音楽:冨田勲「マイティジャク」宮内國郎「戦え!マイティジャック」)CD3枚組(発売:スリーシェルズ、品番:3SCD-0039)2018年9月17日。同日開催「冨田勲 映像音楽の世界」のコンサート会場で限定300部として販売。
「ダフニスとクロエ Daphnis et Chloe」(2019年1月25日、ハイブリッドSACD、レーベル:Dutton Laboratories(英国)、品番:CDSML8554)SACDはアナログマルチトラックテープからリマスター(オリジナルのCD-4のLPは4ch再生)
「ノストラダムスの大予言 オリジナル・サウンドトラック」(2019年4月24日、CD2枚組、レーベル:CINEMA-KAN label)
「火の鳥 Firebird」(2019年6月、ハイブリッドSACD、レーベル:Dutton Laboratories(英国)、品番:CDSML8558)(オリジナルのCD-4のLPは4ch再生)
冨田勲/イーハトーヴ交響曲Vinyl Record(LPとアンコール曲を7cmEPに収録の二枚組)、日本コロムビア、2021年3月31日、品番(COJO-9410〜1、刺繍ジャケット豪華盤COJO-9412〜3)。※初演のライブ録音のLP版。
「冨田勲・源氏物語幻想交響絵巻 Orchestra recording version」(2021年5月5日、製造発売:RME Premium Recordings、EAN:4589473710884、時間:1時間31分、Blu-ray Audio1枚とCD+Blu-rayの2枚の計3枚組)※ 2015年4月3日、大阪のいずみホールでの公演の録音。


コンサート/イベント

サウンドクラウド(音の雲)
サウンドクラウドは、トミタ立体サウンド・ライブ『エレクトロ・オペラ in 武道館』(1979年)の屋外への発展形であるといえる。

1984年9月8日:リンツ・ドナウ川(オーストリア)『マインド・オブ・ザ・ユニバース』(ブルックナー音楽祭)※ NHK特集「冨田勲の世界 ドナウ川・光と星のコンサート」(1984年)で制作の過程と当日演奏の概要が紹介された。
1986年9月13日:ニューヨーク・ハドソン川(アメリカ合衆国)『バック・トゥ・ジ・アース』(自由の女神百年祭)
1988年7月22日:岐阜・長良川(ぎふ中部未来博)
1988年11月5日:シドニー(オーストラリア)『オセアニアの夜明け』(オーストラリア建国200年祭)
1989年7月23日:横浜『スペース・ポート横浜』(横浜港開港130周年記念)
1990年:サウンドクラウド・オペラ『ヘンゼルとグレーテル』(初公演が1990年12月14日-12月16日[34] で1992年までの毎年公演)(東京渋谷のBunkamuraオーチャードホール)※ 作曲:エンゲル・ベルト・フンパーディンク 台本:アーデルハイト・ウェッテ 企画・音楽監督:冨田勲 訳詞:山川啓介 演出:梶賀千賀子;公演映像はLDとVHSにも収録。
1994年9月10日:京都『泉涌寺音舞台』(京都遷都1200年記念)
1997年(月日?)オーストリア・リンツで「Ars Electronica」でMini Sound Cloud
1997年12月6日:名古屋『新マインド・オブ・ザ・ユニバース』(ナゴヤドーム落成記念)
1982年9月27日にもオーストリア・リンツで「Ars Electronica」に"The Bermuda Triangle"で参加している。

その他のコンサート
1976年:ヨーロッパ・ツアー(下記を含む可能性)
1976年5月1日:イギリスのロンドンのHammersmith Odeonで1時間弱のテープ録音によるシンセサイザーコンサート、BBCによりFMラジオで放送された(現地)[35]
1977年:坂東玉三郎の舞台『天守物語』日生劇場(原作:泉鏡花)
1978年:エフエム東京『サウンド・カーニヴァル〜シンセサイザー・ランド』公開録音(郵便貯金ホール、YMO初ライブ)
1978年:「宇宙幻想」の発売を記念してアルバム購入者を対象とした4チャンネルでの視聴会を本人参加で開催(神戸農業会館)
1979年11月19日:世界初のトミタ立体サウンド・ライブ『エレクトロ・オペラ in 武道館』(日本武道館)※ 企画・構成:小松左京、週刊ポスト創刊10周年記念企画
1982年:アルス・エレクトロニカ (Ars Electronica) に初参加(於オーストリア・リンツ)
1985年4月24日:第27回大阪国際フェスティバル〜シンセティック・コンサート『冨田勲の世界』
1985年10月18日:CASIO SUPER SOUND '85(日本武道館)
1986年8月4日:光と音の祭典(長岡市制80周年記念事業イベント)※ 長岡市政だよりNo385号(1986年9月1日発行)に紹介記事がある。
1990年から1992年の3回:「トミタ・サウンドクラウド・オペラ "ヘンゼルとグレーテル"」を上演(Bunkamuraオーチャード・ホール(東京都渋谷区道玄坂))
1991年8月24日:府中サマー・フェスティバル'91
1993年:福岡ドーム(現:ヤフードーム)・オープニングイベント
1994年:京都遷都1200年記念イベントとして、御寺'泉涌寺'において五十嵐麻利絵、鼓童等をゲストに迎え、トミタのサウンドスペクタルが展開。
1996年3月:イレーヌメイヤー超幻実美術館
1997年9月13日:アルス・エレクトロニカ (Ars Electronica) ミニ・サウンドクラウド
1998年11月22日(日):交響絵巻、千年文化「源氏物語」初演(オーケストラ:東京シティフィルハーモニック管弦楽団、於NHKホール)
1999年5月11日(火):交響絵巻「源氏物語」ロサンゼルス公演(パサディナ・シビック・オーディトリアム (The Pasadena Civic Auditorium))
1999年6月21日(月)- 22日(火):交響絵巻「源氏物語」ロンドン公演(オーケストラ:ロンドン・フィルハーモニー交響楽団/ロイヤル・フェスティバルホール、ウエストミンスターホール)
1999年8月15日:「アニメ交響詩ジャングル大帝〜手塚治虫アニメとオーケストラ音楽〜」(東京オペラシティタワー開業3周年記念特別チャリティコンサート)、於東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル、指揮:榊原栄
2001年4月15日、16日:高島屋創業170周年記念「京・華舞台」(比叡山延暦寺 根本中堂)
2001年:「源氏物語」比叡山延暦寺 特別奉納演奏(注:上記との同一性不明)
2002年2月2日:「源氏物語」「NHKスペシャル アジア古都物語」フォーラム、オープニングコンサート、於NHK大阪ホール
2005年3月24日(木):「幻想交響コンサート よみがえる源氏物語絵巻〜千年の時空をこえて〜」於愛知県芸術劇場大ホール(開場17:30、開演18:15、終演20:10)※ 演奏曲は「交響絵巻 源氏物語十二支」冨田勲(作曲、指揮)※ 主催「愛・地球博」前夜祭実行委員会 源氏物語交響絵巻 冨田勲 - 篠田元一 MOTO MUSIC TOWN. 「愛・地球博」前夜祭ウィークイベント
2005年:愛知万博オープニングイベントのコンサートで「源氏物語幻想交響絵巻」の続編となるシンフォニーを上演。※ 前夜祭との違いあるいは同一か?
2006年10月5日:「仏法僧に捧げるシンフォニー」愛知県新城市の鳳来寺山で尺八(藤原道山)、琵琶(坂田美子)、ホルン、パッカーション(梯郁夫)、児童コーラスにより悪天候の中で演奏。※ 制作の様子と演奏は2007年4月28日の番組NHK-BSハイビジョン特集「冨田勲 仏法僧に捧げるシンフォニー」(52分)で放送。同番組でNHKは2007年ABU賞 (Asia-Pacific Broadcasting Union) のテレビ・エンターテインメント番組部門最優秀賞を受賞。
2007年12月9日:豊橋交響楽団演奏「子どものための交響詩 ジャングル大帝」(手塚るみ子とのトークの他に、冨田本人が「青い地球は誰のもの」を指揮)、於豊橋市「ライフポート豊橋」
2010年3月:バンド維新2010(浜松市文化振興財団)の中1曲として「交響詩ジャングル大帝〜白いライオンの物語〜」(演奏:浜松市立与進中学校)
2010年4月18日:日本フィルハーモニー交響楽団第338回名曲コンサート「華麗なる冨田サウンドの世界」指揮:藤岡幸夫、「交響詩『ジャングル大帝』(2009年改訂版)」(他に「たそがれ清兵衛」、「武士の一分」、「おとうと」)、於サントリーホール、出演:冨田勲(スペシャルトーク)report20100418
2011年(平成23年)4月2日-3日:岡崎市図書館交流プラザにて冨田氏を迎えて演奏会:「岡崎の子供たちが奏でるトミタ・サウンド」(4月2日)、「サラウンドで楽しむトミタ・サウンド」(4月3日)
2011年8月19日(金):東日本大震災復興支援イベント『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』(神奈川県川崎市東扇島東公園)に出演し、明け方の太陽風によるドーンコーラスを披露する予定であったが、イベント全体が悪天候により中止となった。
2011年12月13日:「源氏物語芸術祭2011」於:横浜みなとみらいホール 大ホール、主催:かけはし芸術文化振興財団 ※ 出演:冨田勲、橘ゆり(オルガニスト)、ホリヒロシ(人形舞い)、林望(作家)
2012年11月23日:「イーハトーヴ」交響曲、世界初演(日本フィルハーモニー交響楽団、東京オペラシティコンサートホール)- 初音ミクとのコラボレーション ※ 指揮者大友直人とのステージトークあり。ライブCD (CD&SACD) がリリース。交響曲の全体と演奏ステージ映像がNHK-Eテレで2013年5月4日放送 【レポ】「イーハトーヴ」交響曲の様子をお写真でお届け! - 初音ミク公式ブログ
2013年7月13日(土):幕張メッセにて開催された東日本大震災被災地支援エベント『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2013』において、翌朝の7月14日明け方(午前4時30分から45分間)にドーンコーラスを披露。feat. Steve Hillage(ギター)、本間千也(トランペット)冨田勲 feat. STEVE HILLAG - LIVE @ FREEDOMMUNE 0<ZERO>ONE THOUSAND 2013 - YouTube
2013年8月29日(木):岩手県の花巻市文化会館にて、「イーハトーヴ交響曲」再演 ※ 指揮者大友直人とのステージトークあり。
2013年9月1日(日):愛知県芸術劇場大ホールにて、「イーハトーヴ交響曲」再演 ※ 指揮者大友直人とのステージトークあり。
2013年9月15日(日)に2回、翌日16日(月)に1回の合計3回、東京Bunkamuraオーチャードホールにて、「イーハトーヴ交響曲」再演 ※ 3回全てに指揮者河合尚市とのステージトークあり。
2013年9月21日(土):大阪・オリックス劇場にて、「イーハトーヴ交響曲」再演 ※ 指揮者河合尚市とのステージトークあり。
2014年8月19日:大阪芸術大学開催の「プロムナードコンサート2014」(於:大阪府・中之島のフェスティバルホール)で、初音ミク×「イーハトーヴ 交響曲」の再演 ※ 指揮者大友直人とのステージトークあり。
2014年10月12日(日):神奈川県・ハーモニーホール座間 大ホールにて、「冨田勲の世界」(源氏物語幻想交響絵巻(完全版)/他)を上演 ※ 指揮:御法川雄矢 演奏:ロイヤルメトロポリタン管弦楽団他 ※ 指揮者御法川雄矢とのステージトークあり。
2014年11月25日(火):岩手県民会館大ホールで「イーハトーヴ交響曲」の吹奏曲盤が演奏。テレビ朝日のTV番組「題名のない音楽会 - 東北から響け!(2) 宮沢賢治のイーハトーヴ交響曲」で2015年3月8日に放送。※ 佐渡裕(指揮)、シエナ・ウインド・オーケストラ 他
2015年4月3日(金):大阪市中央区・いずみホールにて、関西フィルハーモニー管弦楽団、いずみホールシリーズ Vol.36「源氏物語幻想交響絵巻」※ 関西初演。2014年改訂版、指揮:藤岡幸夫 report20150403
2015年5月20日(水):中国の北京世紀劇院にて、「イーハトーヴ交響曲」北京公演 ※ 海外初演。指揮:河合尚市、オーケストラ:EOS交響文献楽団他 [4] 【その他(イベント)】5/20(水)に行われた「イーハトーヴ交響曲」北京公演のレポートをお届け★ - 初音ミク公式ブログ
2015年11月26日(木):岩手県民会館大ホールにて、「イーハトーヴ交響曲」演奏:いわてフィルハーモニー、他 [5] 【その他(イベント)】平成27年度「いわて教育の日」のつどい『イーハトーヴ交響曲』レポ! - 初音ミク公式ブログ
2016年11月11日(金)の夜に1回、翌日12日(土)に昼夜2回の合計3回公演:東京渋谷のBunkamuraオーチャードホールで「冨田勲 追悼特別公演 冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」[6] ※ 最初2016年4月22日(冨田氏の誕生日)に公演の題名を「冨田勲 生誕85周年記念 新作世界初演 冨田勲x初音ミク 交響曲『Dr.Coppelius』ドクター・コッペリウス」として告知されたが、2016年5月5日の冨田氏の急逝に伴い公演の題名を5月12日に変更して上演を行うことにした。その後さらに「イーハトーヴ交響曲」の演奏が第一部として追加された二部構成としてアナウンスがされた。その後さらにエイドリアン・シャーウッドによる冨田勲「惑星 Planets」の Live Dub Mix 演奏が第一部に追加された。
2017年4月19日(水):すみだ・トリフォニーホールにて、「冨田勲作品集 生誕85周年記念 アニメ交響詩『ジャングル大帝』」※ オーケストラ生演奏と映像の上映。18時開場19時開演。並演奏「新日本紀行」「山田洋次作品集メドレー」「勝海舟」。
2017年5月20日(土):かなっくホール(神奈川県JR東神奈川駅付近)にて、Harmony AI 法人設立3周年記念コンサート、「クラシック音楽と冨田勲の世界」。13時開演。
2018年9月17日(月祝):「冨田勲メモリアルコンサート〈冨田勲の映像音楽 SOUNDS OF TOMITA〉〜特撮・アニメ・映画音楽特集〜」東京国際フォーラム ホールC、指揮:藤岡幸夫、監修:樋口尚文。15時開演。
2019年9月6日(金):「冨田勲という宇宙」〜80人のオーケストラ、100人のコーラスによる演奏とサラウンド音響による超立体音楽会〜。於:ウェスタ川越大ホール。出演:河合尚市(指揮)、尚友会管弦楽団(管弦楽)、イーハトーヴシンガーズ(混声合唱)、川越少年少女合唱団(児童合唱)他。19時開演。


博覧会や展覧会のテーマ曲、BGM音楽
1970年3月-9月:日本万国博覧会 東芝IHI館『グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ』(MULTIPLEX SOUNDS FOR GLOBAL VISION EXPO'70) ※(18分間の映画「光と人間たち」;360度の9面マルチスクリーン+12チャンネル・マルチサウンド)※ 曲の音源は博覧会当時の希少LP(非売品)の他に、CD「喫茶ロック〜エキスポ・アンド・ソフトロック編」発売EMIミュージック・ジャパン、品番:TOCT 10787(2002年6月26日)の第1トラック曲として収録された。
1970年:「三人の若者のための歌」(作詞:Alan Bruens、作曲:冨田勲、唄:Chei Kohsei)※ EXPO'70、東芝IHI館パンフレットより
1970年:「鹿児島国体の歌:ひかりあふれる」(作詞:岡本淳三、作曲:冨田勲、編曲:野崎哲)、第27回国民体育大会鹿児島実行委員会(編)※ 国会図書館資料(2つ折り楽譜?)
1972年:第27回鹿児島国民体育大会(太陽国体) 入場行進曲『太陽のマーチ』※ 不滅の日本行進曲傑作集 第2集(ユニバーサルクラシックス、CD、品番UCCS-1058、2004年3月24日発売)に収録(演奏:陸上自衛隊東部方面音楽隊、指揮:古荘浩四郎)
1975年:沖縄海洋博覧会「日本政府館/アクアポリス」全館の音楽 ※(開催時期:1975年7月20日 - 1976年1月18日)
1981年:神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)の住友館で上演されたミュージカル『愛と希望のファンタジア〜森の詩』※ ミュージカルの音楽を抜粋収録した17cm EPレコードが「愛と希望のファンタジア〜森の詩」レーベル:RCA(RVC)、品番:CR-39(1981年)非売品。
1981年:神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)のサントリー館のテーマ曲『ウォーターランド』(Portopia'81 Suntory Pavilion Theme Waterland)
1983年:MOA美術館の円形ホールでレーザー照明と共に流れる『オーロラ・サウンド』の曲 ※ 熱海市の「MOA美術館」の開館1周年頃からある期間までで、その後に曲が差し替えられた可能性。冨田勲による当初の曲はテクノ風であったという。
1985年(開催期間:1985年3月17日-9月16日):科学万博つくば'85 燦鳥館(サントリー館)のテーマ曲 (Tsukuba Expo'85 Suntory Pavilion Sound Bird Chorus) ※ 収録EPレコード、冨田勲「Bird Chorus b/w Animation Fountain」(つくば万博サントリー音楽)、RCA (RVC)、品番:CR-83(CR-82は非売品)(1985年)
1985年:科学万博つくば'85 電力館テーマ・ソング『すてきなラブ・パワー』※ 収録EPレコード「科学万博 電力館テーマソング すてきなラブ・パワー(Adventures of Electro-Gulliver EXPO'85)」RCA、品番:CR-85(1985年)(A面は唄:野宮真貴、B面はインスルメンタル(唄無し))
1985年:科学万博つくば'85 日本政府出展テーマ館の70mm映像「多様な国土」(監督:大林宣彦)の音楽 ※ 後のアルバム「響 (KYO)」の中で編曲されて「お爺さんの里」として収録されている。
1986年8月4日:長岡市制施行80周年記念「音と光の祭典」の音楽 ※ 共演:山口五郎、千住真理子 [7]
1992年2月 - 2003年:ハウステンボス『サウンドギャラクシー(音の銀河)』※ 長崎県佐世保市にあったテーマパーク「ハウステンボス」で開園1992年3月25日よりも前の2月のうちから2003年まで(注:同テーマパークは2003年中にいったん破綻再生処理がなされた)
1996年(平成8年)3月1日(金)- 5月20日(月):超幻実美術館「イレーヌ・メイヤーの世界」有楽町マリオンミュージアム(阪急西武8階)のBGM曲「ある惑星からのメッセージ」
2001年9月4日(開園当初から):東京ディズニーシー の『東京ディズニーシー アクアスフィア・テーマミュージック』(Tokyo DisneySea AQUASPHERE THEME MUSIC) ※ 昼と夜で音楽が切り替わる。三面立体音響のシンフォニーで冨田勲作曲。
2005年3月:愛知万博のオープニングイベントのコンサートで「源氏物語幻想交響絵巻」の続編となるシンフォニーの上演


その他の作曲、編曲など

作曲
「ほらほら町が」(日本交通公社選定「修学旅行の歌」)(作詞:高橋信郎、補作:高田三九三、作曲:冨田勲、全音楽譜出版(楽譜1枚)、1959年)※唄:安西愛子、コロムビア杉の子子供会 みんなの旅 日本交通公社選定「修学旅行の歌」 (全音楽譜出版社) 1959|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
舞踏曲「海のファンタジー」(作曲:冨田勲、演奏:コロムビア オーケストラ、日本コロムビアレコード、品番C571、第2面、1960年4月、78rpm SPレコード)※ 盤面に「小学校高学年向き」とある。
「直線と円のコムポジション」(作曲:冨田勲、演奏:コロムビア オーケストラ、日本コロムビアレコード、商品番号:AX31_255766、4分41秒)※ 国会図書館「れきおん」に登録あり。
「生産性向上のためのBG音楽」※ 企業の労働生産性を高めるための楽曲集で、複数の作曲家が手掛けている。
「砂塵」(作曲、指揮:冨田勲、演奏:日本ギター協会員/他、収録アルバム:「日本ギター・フェスティバル Vol.2」(第7トラック)日本コロムビア、LP、品番:JDX-55、1971年9月10日)※収録は1971年5月22日、於東京サンケイ・ホール(再発、CD(オンデマンド)、日本コロムビア、品番:CORR-11124、2016年3月24日)
「金魚」(録音:1分52秒)※ NHKアーカイブスが保有する放送用のBGM集「バック音楽集」に含まれる(推定制作時期:昭和30年代後半)。2016年8月27日放送のNHK-FM番組「クラシックの迷宮− 作曲家 冨田勲さんをしのんで −」で紹介された。
「通信」(録音:1分49秒)※ NHKのバック音楽集に含まれる。同上。
「夏」(録音:3分15秒)※ NHKのバック音楽集に含まれる。同上。


編曲
「お菓子と娘」(作詞:西條八十、作曲:橋本国彦、編曲:冨田勲、歌唱:伴久美子、ピアノ:川村深雪、コロムビアオーケストラ、日本コロムビアレコード、品番:A3141_1219197、2分3秒)※ 国会図書館「れきおん」に登録あり。
「青年愛唱歌 城ヶ島の雨」(作詞:北原白秋、作曲:梁田貞作、編曲:冨田勲、歌唱:三枝喜美子、演奏:コロムビアオーケストラ、日本コロムビアレコード、品番:A2487_1217223、3分10秒)※ 国会図書館「れきおん」に登録あり。
「NHK国民歌謡 母の歌」(作詞:板谷節子、作曲:橋本国彦、編曲:冨田勲、歌唱:伴久美子、演奏:コロムビアオーケストラ、日本コロムビアレコード、品番:A3141_2219209、2分49秒)※ 国会図書館「れきおん」に登録あり。
「おうち忘れて」(日本コロムビア昭和28年12月発売のレコードに含まれる(品番要調査)、作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田龍太郎、編曲:冨田勲、謡:内田貴美江)。
「夜の調べ(セレナード)」(作曲:C.F.グノー、訳詞:近藤朔風、編曲:冨田勲)、(日本ポリドール、品番:N8007(1954年録音))※ロームミュージックファンデーション SPレコード復刻CD集 第4集(CD7枚組)の第2CD中の第5曲目に収録。
「ルムバ ジャズ・ソング マラシェラ」(作詞:奧山靉、作曲:レデイ、編曲:冨田勲、唱:黒木曜子、コロムビア合唱団、演奏:コロムビアオーケストラ、EPレコード、品番:JL153_2216745、3分7秒、1955年10月)※ イタリア映画「人間魚雷」(1953年)の主題歌。※ 国会図書館「れきおん」に登録あり。
「春の声」(作曲:J・シュトラウス、編曲:冨田勲、コロムビアオーケストラ、日本コロムビア、タイトル「春の声:オーケストラ・トロイメライ:セロ独奏」SP (78rpm,30cm)、A面、品番:AX-26、1956年)※ 国会図書館検索情報による。春の声 オーケストラ・トロイメライ セロ独奏 (Nippon Columbia) 1956|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
「トルコマーチ」(作曲:ベートーベン、編曲:冨田勲、日本コロムビア、タイトル「トルコマーチ・こどものがくたい・てまりうた」SP (78rpm,25cm)、A面、品番:AK-493、1956年)※ 国会図書館検索情報による
「展覧会の絵」(ピアノ・コンチェルト編)(1975年、ロンドン:ハマースミス・ホールにて)

音楽監督
NHKスペシャル「始皇帝〜THE FIRST EMPEROR」オリジナルサウンドトラック(1994年10月25日、ワーナーミュージック・ジャパン、CD、品番:WPC6-8061)※ 音楽監督:冨田勲、作曲編曲演奏:水澤有一、歌:小坂恭子(オープニングテーマ)


指揮
アメリカのディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のシャーマン兄弟作の曲「It's a small world」の日本語版合唱の演奏指揮


著書
冨田勲・武者利光『電子のゆらぎが宇宙を囁く 1/fゆらぎ講義』朝日出版社〈レクチャーブックス〉、1985年9月。ISBN 978-4255850627
冨田勲『シンセサイザーと宇宙』岩波書店〈岩波ブックレット〉1986年4月。ISBN 978-4000049993
冨田勲『音の雲 ずっと音の響きにこだわってきた』日本放送出版協会、2003年11月25日。ISBN 978-4140054437。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E7%94%B0%E5%8B%B2
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/675.html#c1

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