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dGhQLjRSQk5RSlE= コメント履歴 No: 100050
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[近代史3] 櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか? 中川隆
33. 中川隆[-9667] koaQ7Jey 2019年6月11日 14:16:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2793]

17. 2019年6月11日 12:16:56 : 9TAL1ik83g : NXc4dGlvR2J6YzI=[2]

先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c33

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
9. 中川隆[-9666] koaQ7Jey 2019年6月11日 14:50:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2794]

2019年06月11日
全米一高収入のサンフランシスコで急増するホームレス


テレビに出てくるサンフランシスコ、シリコンバレーとは全く違う


画像引用:https://fm.cnbc.com/applications/cnbc.com/resources/img/editorial/2018/11/07/105559459-4ED5-BL-HomelessTaxV2-110718.1910x1000.jpg

高収入なのにホームレス急増

全米一高所得なのにホームレスが激増している都市があり、それがサンフランシスコ市です。

市の郊外にあるシリコンバレーでは平均年収が4000万円とも、3000万円以下は低収入だとも言われている。

サンフランシスコ市では4人家族で年収11万7400ドル(約1300万円)以下だと「低所得者」に集計されている。



2016年には年収の中央値が6万3000ドル(約710万円)で全米一高収入になり、カリフォルニア州のGDPが世界第5位の「国」になった。

一方でインフレーションもすさまじく、特に住居費の高騰は日本から想像を絶するものがある。

2人分のベッドが置ける1ベッドルームの家賃は平均3,500ドル(38万円)、2ベッドルームだと4,700ドル(52万円)もする。


つまりサンフランシスコで4人家族がアパートを借りると、家賃だけで年624万円かかる。

サンフランシスコの世帯収入中央値は9万8700ドル(約1085万円)だが、もし家庭が4人家族だと家賃で624万円が消える。

部屋を借りるより買う方が得かというと、SFの不動産平均価格は130万ドル(約1億4000万円)もする。


サンフランシスコは医者も高収入なので医療費がべらぼうに高く、1泊入院したらまず100万円以上はかかる。

なので手術をしても車に乗って帰る人が多く、多くの場合SFで入院は破産を意味している。

医療費が高いので保険料も高額で、家族で加入する医療保険は月額1100ドル(12万円)、年間140万円を支払う。


アメリカにも公的年金があり所得の10%を払い、他に所得税や各種税金も支払う。

すると驚くことにサンフランシスコでは、一人暮らしの人が食べて寝る最低限の生活をするのに750万円ほどかかるという。

実際には食事をカップ麺(アメリカでは安い)にしたり、自転車やウーバーで交通費を節約してやっと生きている人が多い。


最近増えているのはホームレスで、年収700万円以上なのに家がなく、テントや車中生活する人が居る。

高収入ホームレスと低収入ホームレス

富裕層の中にも港に豪華ヨットを停泊させて船中生活をする「ホームレス」が100人ほど存在している。

むろん全員が富裕層ではなく、小型の普通のボートの中で生活している人たちも存在する。

サンフランシスコ市では1万人近くがテント生活や車中生活をしていて、社会問題化している。


貧困者のテント村周辺は、ゴミや未処理の汚物、犯罪がらみの廃棄物などが投棄されている。

サンフランシスコ周辺で1万6千人、もう一つの大都市ロサンゼルスでも6万人のホームレスが確認されている。

カリフォルニア州全体では8万人のホームレスが暮らしていると推測されている。


低収入ホームレスはスラム街やダウンタウンにテントを建てたりマンホームの中、駅の構内や廃屋に住んでいる。

高収入ホームレスは大型キャンピングカーなどを購入し、会社や大型スーパーの駐車場、公園などに止めている。

低収入は低収入同士、高収入は高収入同士が集まる傾向があり、それぞれのテント村を形成している。


NYやLA、SFなどのダウンタウンの小学校では、生徒の1割がホームレスの地区が存在する。

もっとも貧しい地域の高校では、生徒の半数近くがホームレスという例もあったとされている。
http://www.thutmosev.com/archives/80082004.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c9

[政治・選挙・NHK261] 北方領土での共同経済活動 日本がつかまされた“残りカス”(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
9. 中川隆[-9665] koaQ7Jey 2019年6月11日 16:11:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2795]
ロシアに投資してアメリカを縁を切れば日本も独立国になれるだろ

そもそも日本人はヘミングウェイよりトルストイやドストエフスキーの方が遥かに上だと思ってるだろ

ウィンウィンの関係だ
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/757.html#c9

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
153. 中川隆[-9664] koaQ7Jey 2019年6月11日 16:15:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2796]
ロシアとの戦争をでっちあげる
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-162c80.html
2019年6月11日 マスコミに載らない海外記事


2019年6月3日
Chris Hedges
truthdig

 ドナルド・トランプと彼の選挙運動は、2016年大統領選挙戦の際にロシアと共謀していないというロバート・マラー報告の結論にもかかわらず、モスクワとの新冷戦は和らぐ兆しをほとんど示していない。それはアメリカ武器製造業者にとって、何十億ドルもの利益となる、NATOのロシア国境までの拡大を正当化するのに使われている。それは外国大国の手先だとして、国内の批判者や代替メディアを悪者にするのに使われている。それは民主党の労働者階級に対する卑屈な裏切りと、大企業権力への屈伏を取り繕うために使われている。それは世界の二大核保有国間の緊張緩和をくつがえすために使われている。それは − 含みアメリカ国内での市民的自由の削減や、海外で、シリアやベネズエラのような国でアメリカの介入を正当化するために使われている。この新冷戦はトランプ大統領選挙運動に先行している。それは10年以上前、ロシアとの対立に拍車をかけることにより、自分たちの権力を強固にし、利益を増やすことができるのを理解した軍需産業と諜報関係界に作り出されたものだ。(諜報活動の70パーセントが世界の最も利益があるスパイ工作と呼ばれているブーズ・アレン・ハミルトンのような私企業に行なわれている。)

 「これはトランプと「ロシアゲート」のずっと前に始まったのです」と私のテレビ番組「On Contact」でインタビューした際、スティーヴン・F・コーエンが言った。コーエンはロシア研究プログラムの部長をつとめたプリンストン大学政治学名誉教授で、ニューヨーク大学のロシア研究と歴史の名誉教授だ。「人々は、なぜワシントンが、ソビエト共産主義指導者と生産的外交をするのに何の問題もなかったのか自問しなければなりません。リチャード・ニクソンとレオニード・ブレジネフを覚えていますか? もう、いちゃつきでした。彼らは一緒に[ソ連で]狩りに行きました。ところが共産主義者でないのみならず、反共産主義者を公言するソ連後の指導者ウラジーミル・プーチンが登場したのです。ワシントンは2003年、2004年からずっと彼に憎しみを抱いています。それは若干説明が必要です。我々はなぜロシアの反共産主義指導者よりも、ロシアの共産主義指導者の方が好きなのでしょうか? それはなぞです。」

 新刊書“War With Russia? From Putin & Ukraine to Trump & Russiagate.”「ロシアとの戦争? プーチン&ウクライナからトランプ&ロシアゲートまで」の著者コーエンが「もしワシントンの支配層が、どのように憎悪を抱き、悪者にして、プーチンを扱ってきたか説明しようと思うならば、プーチン以前の1990年代に遡らなければなりません」と言った。ソ連後の最初の指導者はボリス・エリツィンでした。アメリカではクリントンが大統領でした。そして本質的にクリントン政権は、ロシアが崩壊していた事実につけこみながら、彼らはニセの擬似協力と友情のふりをしたのです。ロシアはほとんど主権を失いました。私は90年代、そこに住んでいました。中産階級の人々は仕事を失いました。高齢者は年金を失いました。私はロシアの1990年代の工業生産が、アメリカの「大恐慌」時期より一層落ちたと言って正しいと思います。それは平和時で、これまで最悪の経済、社会の不況でした。それはロシアにとって大惨事でした。」

 1993年9月、国営企業が豊富なリベートと賄賂と引き換えに、ロシアのオリガルヒや外国企業に二束三文で売られる見境ない腐敗や、国内総生産が50%に下がり、ハイパーインフレで国が激しく揺れ動かされた経済崩壊に抗議するためロシア人は街頭に出た。食品と燃料欠乏。賃金と年金の不払い。医療を含めた基本的サービスの欠如。平均寿命の短縮。暴力犯罪の爆発。そしてエリツィンの激化する独裁主義とチェチェン共和国との彼の不人気な戦争。

 1993年10月、エリツィンは議会を解散した後、民主的な抗議者に占拠されていたロシア議会ビルを砲撃するため軍戦車の出動を命じた。攻撃で2,000人が死んだ。それでも、彼の大統領任期中、エリツィンはワシントンに溢れんばかりに称賛され支援された。これには、彼の1996年再選運動の際、ロシアへの102億ドルの国際通貨基金融資に対するアメリカの支援も含まれる。融資は、往々にして小切手が選挙直前に届くという形で、エリツィン政権が何百万というロシア人の未払い賃金や年金に莫大な金額を支払うことを可能にした。また融資のうち推計15億ドルがエリツィン大統領選挙運動に直接資金供給するため使われた。だがエリツィンが、1999年12月大統領の座から無理やり追い出された時までに彼の支持率は、2%に下がっていた。ワシントンはエリツィンを失い、別の御しやすいロシア指導者を探し求め、最初そういう人物としてプーチンを見いだしたと考えたのだ。

 「プーチンはテキサスに行きました」とコーエンは言った。「彼はブッシュ、息子ブッシュと一緒にバーベキューを食べました。ブッシュは「彼の目を見つめて、善人とわかった」と言いました。そういう新婚旅行があったのです。彼らはなぜプーチンに敵対したのでしょう? 彼はエリツィンではないことが分かったからです。ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフが、これについて非常に興味深い発言をしています。2003年だと思いますが「プーチンに幻滅したのは、彼が「しらふのエリツィン」ではないことが分かったためだった。ワシントンが望んでいたのは、従順で、嘆願するソ連後のロシア指導者で、ただし、より若く、より健康で、飲兵衛ではない人物だ。彼らは、プーチンがそういう人物だと思ったのだ。エリツィン、あるいは少なくともエリツィン周囲の連中が、プーチンを権力の座につけたのだ。」と彼が書いたのです。

 「プーチンが、ロシアの主権、世界情勢におけるロシア独自の進路について語り始めた時、彼らは仰天しました」とコーエンは、ワシントン・エリートについて言った。「これは彼らが予想したことではありません。当時は最悪の競争相手が出番を待っていたのですから、1990年代の後に我々がプーチンを得たのは、かなり運がよかったというのが私自身の考えです。私は彼らの何人かを知っていました。私は名前をあげたいとは思いません。けれどもこれら連中の一部は本当に厳しい人々でした。プーチンは、ロシアにとっても、ロシア国際関係にとっても、適時の適材でした。」

 「我々は、これまで3年間これを続けています」とコーエンはロシアゲートについて言った。「我々はこの主張の本質を見失っています。ロシアゲートを作った人々は、アメリカ大統領がロシアの手先だとか、彼はクレムリンに屈したと文字通りに言い、ほぼ3年言い続けています。それが余りに現実離れしているので、我々はニヤリと笑います。ところがワシントン支配層、主に民主党は、彼らだけではありませんが、これを本気で受けとめています。」

 「アメリカ史で今までこのようなことがあったかどうか私は知りません」とコーエンは言った。「このような非難は、アメリカ自身の制度に、大統領職に、アメリカ選挙制度に、議会に、アメリカ主流メディアに、アメリカ-ロシア関係に与えた損害は言うまでもなく、現在エリート・ロシア人と若いロシア人両方のロシア人のアメリカに対する見方に損害を与えています。このロシアゲート丸ごと単に不正なだけでなく、大災厄でした。」

 「20世紀の緊張緩和では、三つの主要エピソードがありました」とコーエンは言った。 「最初のものは、冷戦が非常に危険だった時期、スターリンの死後でした。それは共和党大統領ドワイト・アイゼンハワーに実行されました。二番目は、ヘンリー・キッシンジャーの助言で、リチャード・ニクソンによるもので、それは「ブレジネフとのニクソン緊張緩和」と呼ばれました。三番目は我々が最も成功したと考えたミハイル・ゴルバチョフとロナルド・レーガンによるものでした。レーガンとゴルバチョフによる緊張緩和は実に成功したので、レーガン後継者父親ブッシュは冷戦は永久に終わったと言いました。」

 「壁は崩れていました」と1989年の東ドイツ崩壊とベルリンの壁崩壊についてコーエンは言った。「ドイツは再統一しつつありました。問題は「統一したドイツがどこに行くか?」でした。欧米はNATOでドイツを必要としていました。ゴルバチョフにとって、これはとうてい乗れない話でした。第二次世界大戦時、対ドイツ戦争の東部戦線で、2750万人のソ連国民が死んだのです。我々が聞かされている、たわごととは逆で、アメリカがノルマンディーに上陸してナチスドイツを倒したのではありません。ナチス・ドイツの敗北は、主にソビエト軍によるものなのです。ゴルバチョフが国に帰って、どうしてこう言えたでしょう。「ドイツは統一する。素晴らしい。そしてドイツはNATOに入る。」 それは不可能でした。彼らはゴルバチョフに言いました「我々はもしあなたが統一ドイツがNATOに入ることに同意するなら、NATOは1インチたりとも東に拡大しないと約束すると、ジェームズ・ベーカー国務長官が言ったのです。言い換えれば、NATOはドイツからロシアに向かって近寄らないと言ったのです。ところがNATOはそうしたのです。」

 「私がお話している今、NATOはロシア国境にあります」とコーエンは言った。「バルトからウクライナから、旧ソ連共和国のジョージアまで。一体何が起きたのでしょう? 後に、彼らはゴルバチョフが嘘をついたか、誤解したと言いました。決して約束はされなかったと。けれどもワシントンの国家安全保障アーカイブは、1990年の議論のあらゆる文書を作成しました。ブッシュ[ジョージ・H.W.大統領]だけではなく、フランス大統領フランソワ・ミッテラン、イギリスのマーガレット・サッチャーもでした。欧米の全ての指導者が、ゴルバチョフに、NATOが東方に拡大しないことを約束したのです。」

 「今はどういう状況でしょう?」と彼が尋ねた。「裏切りです。今日、どのようなロシア-アメリカ関係についての議論でも、情報に通じたロシア人は「我々はあなたが再び我々を裏切ることが心配です。」と言うでしょう、…プーチンは、彼が権力の座についた時、自分は欧米について幻想を持っていたと言いました。」

 「トランプは2016年に降って湧いたように現れて「私はアメリカはロシアに協力するべきだと思う」と言いました」とコーエンは言った。「これは緊張緩和の声明です。それで私は彼に注目したのです。トランプがクレムリンの手先だという話が始まったのは、その時です。私には証明することができませんが、人は疑い、論理的に考えなければなりません。この[主張]は緊張緩和志向の大統領を必要としない人々によって、どこかアメリカの上層部で始まったのでしょうか? [彼ら]は、どれほどちっぽけに見えようとも、トランプが勝利しかねず、彼らは本当にこのロシアとの協力の話が好きではなかったのです。そこで、我々がロシアゲートと呼ぶ、これらのことを開始したのです。」

 「緊張緩和の先祖は共和党でした」とコーエンは言った。「緊張緩和時期の民主党の振る舞い方は矛盾していました。ヘンリー・ジャクソン派と呼ばれるものがありました。これは非常に強硬路線で、緊張緩和を信じない民主党イデオロギーの一派でした。一部の民主党員は信じていました。私は、ソ連とソ連後の両方で、長年モスクワで暮らしていました。ロシアやソ連の政策立案者と話をすれば、彼らは概して共和党大統領候補の方が好きです。」

 民主党員はよりイデオロギー的だとロシア支配者から見られているとコーエンは言った。

 「共和党員はロシアで事業することを望む実業家の傾向があります」と彼は言った。「1970年代に作られた最も重要な緊張緩和志向の圧力団体は、American Committee for East-West Accordと呼ばれていました。ソ連で事業をすることを望むアメリカのCEOに作られました。」

 「アメリカが持っている唯一最重要な関係はロシアとのものです」とコーエンは続けた。「核兵器だけのためではありません。ロシアは世界最大領土の国です。ロシアは我々が懸念しているすべての地域と隣接しています。ロシアとのパートナーシップではなく、友情ではなく、同盟ではなく、緊張緩和で対立を減少させることが不可欠です。それでも2016年に、何かが起きたのです。」

 クレムリンがトランプを支配しているとされることや、ロシアがアメリカの選挙で不正を働いたという、元国家安全保障局局長ジェームズ・クラッパーと元CIA長官ジョン・ブレナンが繰り返す非難は、実に気掛かりだとコーエンは言った。クラッパーとブレナンはトランプをクレムリンの「手先」と言った。フィンランドでのロシア大統領との共同記者会見におけるトランプの行為を、ブレナンは「反逆罪以外の何ものでもない」と言った。

 彼の自叙伝Facts and Fears: Hard Truths From a Life in Intelligence”「事実と恐怖:諜報機関での人生で得た受け入れ難い真実」でクラッパーは、2016年大統領選挙に対するトランプのためのプーチンの干渉は「驚異的だった」と主張している。

 「もちろんロシアの取り組みは結果に影響を与えた」とクラッパーは書いている。「彼ら自身さえ驚いたことに、彼らは選挙の流れをトランプの勝利に変えた。そうでないと結論するのは、論理と常識と信じたい気持ちを極限まで誇張することになる。3つの重要な州での8万未満の票が選挙を変えた。ロシアによるこの大規模な取り組みによって、それより多くの票が影響を与えられたことに私は疑いを持っていない。」

 ブレナンとクラッパーは、大衆に嘘をつくのが何度もばれている。例えば、ブレナンは、上院職員が拷問についての報告書を準備するために使っていたコンピュータを、CIAが監視していたのを偽って、否定した。上院諜報委員会委員長ダイアン・ファインスタインが、彼女の委員会による政府機関の拷問の使用に関する調査を、秘密に調べ、妨害しようとする試みで、ブレナンとCIAが、アメリカ憲法に違反している可能性と、犯罪行動を告発するため、上院で発言した。彼女は政治的監督にとって、この状況は「決定的瞬間」だと説明した。ブレナンはドローン暗殺プログラムで「巻き添え殺害は一件も」なかったと主張し、パキスタンでアメリカの急襲で撃ち倒される前、オサマ・ビンラディンが、妻を人間の盾として使ったと主張し、拷問、あるいは婉曲的に「強化された尋問」と呼ばれるものが貴重な情報をもたらしたと主張した。これらの陳述のいずれも本当ではない。

 アメリカによるイラク侵略の時点で、クラッパーは、スパイ衛星写真や空中粒子や土壌サンプルのような諜報情報の解釈を担当し、サダム・フセインのありもしない大量虐殺兵器物語をでっちあげ、その計画を実証する書類を侵略直前、シリアに運んだ国防総省部隊、国家地球空間情報局の局長だった。彼は上院で、アメリカ国民の国内監視プログラムについて質問されると、見えすいた偽証罪を犯した。「NSA[国家安全保障局]は、何百万人もの、あるいは何億人ものアメリカ人の何らかの形のデータを集めているか?」と彼は尋ねられた。クラッパーが「いいえ、故意にではありません」と答えた。それは、クラッパー自身がよく知っている通り、嘘だった。

 闇の国家が奉じる狙いを押し通すための情報を捏造する諜報関係高官や彼らの機関を監督したり、制御したりする能力が我々にないことが、民主主義の死を示している。嘘をつく権限を与えられたかに見える諜報機関の高官ブレナンとクラッパーは、とりわけ不吉なことに、彼らを批判する人々を効果的に沈黙させられる、監視、脅迫、強要の手段を握っており、政府内でさえ、批判する人々の活動を無遠慮に調査し、連中と連中の機関が責任を負わずにすむようにしていることだ。

 「アメリカ・メディアに気味悪く漂っているスティール文書があります」とコーエンが、クリストファー・スティールが編集した報告書について言った。

 報告書はフュージョンGPSに依頼され、ヒラリー・クリントン大統領選挙運動と民主党全国委員会に支払われた。ロシア選挙干渉の諜報機関評価に、スティール調査書類を含めるよう、ブレナンが圧力をかけたとボブ・ウッドワードは報じた。

 「彼[スティール]は新聞からそれを得たのです」とコーエンは言った。「私は彼がロシアに一つも情報源があったとは思いません。スティールはこの調査書類を持って現れ「私はレベルが高い情報源からの情報を持っている。」と言ったのです。クリントン選挙運動はこの工作に資金を供給していました。だがスティールは非常に重要です。彼は元イギリス諜報局員だ。もし彼が本当に前にロシアで働き、ロシアの案件を扱っていたなら。彼は、トランプが売春婦とはしゃいでいることについて、調査書類でこの情報があると言うのです。トランプについて何十年も前に堕落していた情報。彼は「レベルが高い」クレムリン源からそれを得た。これは不合理です。それは非論理的です。」

 「プーチンがトランプを大統領にするのを死物狂いで望んでいたというのです」とコーエンは言った。「プーチン周辺のクレムリンの連中がスティールと呼ばれる男にトランプのゴシップを与えていた。たとえボスが望んでいたにせよ、全く意味不明でしょう?」

 「なぜこれが重要なのでしょうか?」コーエンは尋ねた。「現在、右翼のアメリカ・メディア、特にフォックス・ニュースが、このロシアゲート全体をロシアのせいにしています。彼らはアメリカ体制にそれを注ぎ込み、ロシアゲートをもたらしたスティールに、ロシアがこの誤った情報を提供したと言っています。これは本当ではありません。」

 「スティール工作を含めて?一体誰がこの全ての背後にいるのでしょう? 」 コーエンは尋ねた。「私は正統な答えより、良い質問が好きです。私は教条的ではありません。私は証拠を持っていません。けれども全ての表面的情報は、ブレナンとCIAから、これが発したことを示唆しています。アメリカでおきる、おそらくずっと前、早ければ2015年末に。今のアメリカの問題の一つは、皆がFBIを叩いていることです。電子メールを送った恋人たち。けれどもFBIはだらしない組織で、誰もFBIを恐れていません。それは、かつてJ・エドガー・フーバーの指揮下にあったものとは違います。ジェームズ・コミーをご覧ください。彼はカモです。ブレナンとクラッパーがコミーを手玉にとったのです。彼らは彼に色々押しつけたのです。コミーはクリントン夫人電子メールを取り扱うことさえできませんでした。彼は全てを混乱状態にしました。狡猾な男たちは誰だったでしょう? ブレナンとクラッパーでした。CIA長官[ブレナン]。これらの政府機関を監督するはずの国家情報[長官]クラッパーです。」

 「トランプとプーチンに対するこれらロシアゲートの主張に何らかの現実があるでしょうか?」彼が尋ねた。「これはアメリカの諜報局が思いついたものでしょうか? 現在、アメリカ司法長官によるものを含め、捜査が約束されています。彼ら全員、FBIを調査することを望んでいます。しかし、彼らは、ブレナンとCIAがしたことを捜査する必要があります。これはアメリカ史上で最悪のスキャンダルです。それは少なくとも、南北戦争以来最悪です。我々はこれが一体どのように始まったか知る必要があります。もし、彼らが最初に大統領候補を、次に、大統領を破滅させることができるほどまで、アメリカ諜報機関がすっかり赦免されるのであれば、私はそれがトランプかどうかは気にしませんが、次はハリー・スミスかも、女性かも知れませんから。彼らがそれをすることができるかどうか、我々はそれを知る必要があります。」

 「息子ブッシュは2002年に対弾道弾ミサイル条約を離脱しました」とコーエンが言った。「それは非常に重要な条約でした。それはミサイル防衛の発展を阻止していました。もし誰かが、しっかり機能するミサイル防衛を手に入れたら、彼らは自分には先制攻撃[オプション]があると思いかねません。ロシアやアメリカが相手からの報復なし、相手を攻撃できるのです。ブッシュが条約を離脱した途端、アメリカはロシア周辺にミサイル防衛を配備し始めました。それは非常に危険でした。」

 「我々が去年知った新ミサイル計画をロシアは開始しました」と彼は言った。極超音速ミサイルだ。ロシアは今あらゆるミサイル防衛システムでも切り抜け、避けて通ることができる核弾頭ミサイルを持っています。我々は50年の核軍備競争における新たな、一層危険な場にいます。プーチンは言っています。「我々はあなた方がしたことゆえに、これを開発したのだ。我々はお互いを破滅させることができる。」 今や本格的な新しい軍備管理協定の時期です。我々は何を得たでしょう? ロシアゲートです。ロシアゲートは国家安全保障に対する最も大きい脅威の一つです。私は著書の中で五つ列挙しました。ロシアと中国はそこにありません。ロシアゲートがナンバー1です。」

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c153

[政治・選挙・NHK261] 自民党が日本最大の政党だからというだけで漫然と安倍自民候補に1票入れる国民こそが、日本をダメにしている:みんな脱ビロンガ… 赤かぶ
1. 2019年6月11日 18:32:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2797]
底辺の人間は全員安部先生の味方だ
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/763.html#c1
[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
37. 中川隆[-9663] koaQ7Jey 2019年6月11日 19:59:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2798]

ISバングラ指導者のモハメド・サイフラ・オザキはどうして帰化したのに二重国籍なの?剥奪したら? 2019年06月11日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12463622725.html

日本国籍を持つバングラデシュ移民が、ISの幹部としてシリアで拘束されたという報道があまり騒がれていないのはとても不思議です。

あまりにも深刻過ぎて騒げないのでしょう。ドクロ


立命大元准教授を米軍が拘束 IS危険人物テロ容疑
2019.6.7(産経)

 

【写真右:立命館アジア太平洋大学HPより】

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)に参加するため中東へ渡航し、2016年に日本人7人を含む20人が犠牲となったバングラデシュ首都ダッカのテロ事件にも関与したとみられる同国出身の立命館大元准教授、モハマド・サイフラ・オザキ容疑者が、イラク北部で米軍に拘束されていることが6日、分かった。複数の情報筋が明らかにした。IS戦闘員の中でも、組織中枢やテロ情報にアクセス可能だった「重要かつ危険な人物」の一人として尋問を受けている可能性がある。

 同容疑者は日本とバングラの二重国籍で、今後は、両国が身柄の送還を求めるのかや、その場合は司法での裁きが可能なのかなどが焦点となる。

 オザキ容疑者は立命館大准教授だった16年初め、日本人の妻や子供3人とともに消息を絶った。複数の国を経由して当時IS支配下にあったシリア北部に渡ったとみられる。ISではバングラ出身者らのグループを統率。南アジアにおけるテロ・ネットワークの構築で中心的な役割を果たしたとされる。

この報道だけだと深刻さがわからないかもしれませんので箇条書きにします。
•モハマド・サイフラ・オザキは、バングラデシュのヒンドゥー教の家庭に生まれ
•2002年に日本政府の奨学金で立命館アジア太平洋大学に留学
•日本でイスラム教に改宗した後
•日本人女性と結婚
•日本国籍を取得しモハメド・サイフラ・オザキを名乗るようになった
•その後オザキは立命館大学に就職
•2015年ブルガリアに出国した当時は同大学の准教授であった(大学が長期欠勤で解雇した)
•ISバングラデシュ支部指導者アブーイブラヒーム・ハニーフとはオザキのこと
•オザキのISバングラデシュ支部指導者就任に関与した一人は日本人イスラム教徒
•2015年9月にはダッカでイタリア人を殺害するという最初のテロ作戦を実行
•2016年10月にはロングプールで日本人の星邦男さんを殺害
•2016年のダッカでのテロ事件の実行組織はオザキのグループ(オザキのインタビューでは不信仰者に対する怒りと憎しみがにじみ出ており、ダッカのテロでも、イスラム教の聖典『コーラン』の第1章を暗唱できた人間は殺さずに逃がし、不信仰者だけを狙い撃ちした)


オザキは日本政府の奨学金で日本に来て、日本の大学で学び、日本でイスラム教に改宗し、日本で過激化し、日本を拠点にイスラム国へのリクルート活動を行い、日本にいるときにイスラム国バングラデシュ支部の指導者に任命され、日本で同支部のテロ実行グループを立ち上げる指示をし、日本の大学で給与として得た金などをテロの資金として提供していた。

日本人は『コーラン』に立脚したイスラム教の論理からすると、不信仰者とカテゴライズされる。日本という異国の地で、日本人に囲まれて暮らし、学び、働いたオザキは、日本の文化や価値観に同化することはなかった。それどころか彼は日本でイスラム教に改宗し、日本人を敵視する思想を強め、テロ部隊を作り上げ、彼らにバングラデシュで日本人を殺害させた。

前例のない深刻な事案と受け止めるべきであろう。

クリップ日本国籍のテロ首謀者を拘束 日本が「イスラム国」組織拡大の温床になったワケ前例のない深刻な事態と受け止めよ【執筆:イスラム思想研究者 飯山陽】

英国では、バングラデシュ系のISメンバーであるシャミマ・ベガムの英国籍を剥奪しましたが、―彼女は19歳の未成年者ですが、氏名と顔写真を公表され英国の国籍を剥奪されました―日本政府は、愚かな日本人女性が結婚したことで日本国籍を容易に取得したバングラデシュ人のIS幹部、モハメド・サイフラ・オザキ容疑者の国籍を剥奪もせず、子供3人も日本人だからと入国させたようです。

モハメド・サイフラ・オザキ容疑者はシャミア・ベガムどころではなく、2016年、イスラム教徒でない人を選別して多数の日本人を残虐に殺害したダッカ・テロの首謀者です。

日本政府もさっさと国籍を剥奪すべきだと思います。

日本が帰化する外国人に二重国籍を認めているとは知りませんでしたが、間違いだったと言って無効にしたらいいのにと思います。プンプン

それと、母親とその他2人の子供が空爆で死んだあと、誰がこのムスリム3人を日本で育てるのでしょうか?このイスラム過激派一家を日本に置くことのリスクはとても大きいと思います。

ダイヤグリーン

オザキについては5月14日付のBLiTZという記事に次のようなことが書かれていました。

イスラム国への出資者でありカリフ制推進団体 ‘Astha’ (faith)のリーダーShahid Uddin Khanとその妻や娘たちが今年1月バングラデシュ警察の急襲を受け逮捕されました。

そのShahid Uddin KhanはISの中心人物にインドとバングラデシュの8カ所でテロを行うよう要請していました。そのISの中心人物がSaifullah Ozaki 別名 Abu Muhammed al-Bengali、

あの日本国籍を持ったISテロリスト、サイフラ・オザキだったのです。

テロの標的8ヶ所は次の通りです。

(上から6つはインド国内、下2つはバングラデシュ国内です)

・コルカタにあるヒンドゥー教のジャガンナート寺院

・コルカタにあるヒンドゥー教のカリガート・カリ寺院

・コルカタにあるヒンドゥー教のビルラー寺院

・コルカタにあるヒンドゥー教のタラクナート寺院

・コルカタにあるヒンダスタン インターナショナルホテル

・コルカタにあるザ オベロイ グランドホテル

・ダッカにあるヒンドゥー教のダケーシュワリー寺院

・キショルゴンジ県ショラキア祈祷所※のイード(イスラム教徒のラマダン明け祭り)

(※ここは2016年7月7日にテロが発生しています)

イスラム国の機関誌ダービクはベンガルでイスラムの首長を宣言していますが、その人物がISのハンドルネームAbu Muhammed al-Bengali、本当の名は元立命館大学准教授で日本国籍を持つバングラデシュ人のSajit Debnath aka Muhammad Saifullah Ozakiだということです。

彼は2016年4月のダービク第14号でインタビューを受けています。

Sheikh Abu Ibrahim al-Hanifという別名も持つオザキは、インドの情報機関から上手くすり抜けていました。

上層部からの情報によると、元日本の教師だったサイフラ・オザキはインドにいるロヒンギャの若者をリクルートする中心人物でした。脆弱な立場の難民を洗脳して百戦錬磨のテロリスト要員を育成する計画を持っていました。しかし、9月のある日、重要指名手配のISメンバーがエージェントに密告されて、この数か月に及ぶロヒンギャ難民テロリスト育成プロジェクトは終わりとなりました。

ISIS同様アルカイダもインドのフランチャイズを使ってロヒンギャをリクルートしています。

インドには4万人のロヒンギャがいるとみられていて、イスラム過激派はデリー、西ベンガル、アッサム、ジャム カシミールなどで洗脳工作をしています。

〜後略

https://www.weeklyblitz.net/news/astha-isis-target-eight-places-in-india-and-bangladesh/

ダイヤグリーン

この事件を単独で見るだけではダメです。地域を不安定にしているイスラムテロと日本は無関係ではないという見方をしなければいけません。

警察を襲撃などしてミャンマーを追い出されたロヒンギャは主にバングラデシュに行きましたが、上記のようにインドにも行き、またマレーシアにも多く行っています。

どういうわけか遠く日本にもたくさんいます。ショック!

インドではロヒンギャを脅威と見ています。左下矢印

インド:ロヒンギャ排斥へ!アルカイダがインドとバングラデシュを宗教戦争の拠点にしようとしている

バングラデシュではこの有様です。左下矢印

“バングラデシュのロヒンギャ収容所は不法地帯 殺人、暴行、誘拐を行う難民内の犯罪者集団(ニューズウィーク2019/06/10)”

マレーシアはどうでしょうか?

先月マレーシア政府が、ラマダン中にテロを計画していたテロリスト4人を逮捕しました。彼らはミャンマー大使館や重要人物へのテロを企てていました。その中の2人はミャンマーから来たロヒンギャです。1人(20歳)はウェイターでテロ集団ARSAの支持者であり、UNHCRから発行された難民身分証を持っていて、もう1人(25歳)は出稼ぎ労働者でした。

日本政府が国民の声も聞かず他国の失敗例も見ず、難民の第三国定住受け入れ数を大幅に増加するということを勝手に決めましたが、この難民になる前提条件はUNHCRに難民と認めてもらうことなのです。

マレーシアで逮捕されたようなテロリストは、UNHCRが認めた難民であり、自分で調査する能力がゼロの日本はUNHCRが身分証を出せば簡単に認めてしまいそうです。

おまけに、第三国定住の難民向け出国前研修は国際移住機関(IOM)、来日後の定住支援プログラムと定住後のフォローアップは(公財)アジア福祉教育財団難民事業本部に政府が委託して実施、どちらも地球市民脳で頭がはちきれんばかりの集団です。移民がいてこそ存在意義があり、飯の種となっているわけで、移民利権集団なのです。

これまで何度も書いてきましたが・・・

イスラム過激派はイスラムコミュニティーのあるところでないと出現しません。

イスラムコミュニティーが無ければイスラム過激派は生まれないのです。

オザキは日本でイスラム教に改宗しています。そして過激化しました。

日本でこのような人間が生まれることを10年前に想像できた人はいたでしょうか?

日本はこの事件を過小評価していますが、欧州も最初は過小評価、矮小化していました。

信じたくない時、事実を指摘する人を攻撃することで安心感に浸っていたのです。

(年金だけでは2千万円足りないという事実報告を、見せるな、撤回しろと怒っているのと似てますねうーん)

最近こんな記事がありました。バングラデシュ人がついにモスクを開設したという記事です。

クリップ念願のモスク、京都・八幡に開設 ムスリム集う貴重な交流の場に印刷用画面を

寛容な宗教は非寛容な宗教に征服されます。歴史が教えてくれています。そしてイスラムは宗教に留まらないのです。生活全般を支配します。そのような場所が日本にできてよいのでしょうか?

日本が未知の領域に放り込まれているのに、情報が制限され事実が見えず、悪い点はひた隠しにされ、気づいた時には日本を敵視する移民の排除が出来ない状態、欧州が嵌った蟻地獄に、日本は周回遅れで突き進んでいます。

異教徒を見下し時代錯誤の教義を振りかざす同化する気もない集団が、私たちを恐怖で委縮させる前に、失敗が証明された多文化共生という狂気を、日本は止めなくてはいけません。

https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12463622725.html
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c37

[リバイバル3] 起業するより多国籍企業に投資する(現物株を買う)方がギャンブル度は遥かに低い 中川隆
18. 中川隆[-9662] koaQ7Jey 2019年6月11日 20:44:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2799]

チェーン店だらけの日本は不幸まっしぐら。「町の食堂」が消えた4つの事情=冷泉彰彦 2019年6月6日
https://www.mag2.com/p/money/702459


日本の外食産業の問題点をするどく指摘している米国在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、古き良き個人経営の飲食店が事業として成り立っているアメリカの現状を紹介した上で、日本から「自営の食堂」が消えてしまった理由と、激増するチェーン店の現場に希望がまったく見えなくなってしまった原因を記しています。


なぜ、日本の外食産業には希望がないのか?解決困難な4つの背景

ソルトレイク・シティの美味しいダイナー

大陸横断鉄道の150周年記念式典、そして史上最強の蒸気機関車「UP4000型」復活運転の取材でユタ州に行ってきました。ユタ州といっても、今回は州都のソルトレイク・シティーとその北部にある州第3の都市オグデンが中心だったのですが、驚いたのは「食」のレベルが高いということです。

そうは言っても、完全な山国ですから、そんなに各国料理が豊富なわけではありません。日本食も数はないし、イタリアン、中華、インドといった東海岸では多数派の食べ物も少数でした。レベルが高かったのは、アメリカ料理で、いわゆる「ダイナー」です。

何だかんだ言って、短期間に5店を制覇したのですが、どの店も料理やメニューに工夫があり、サービスもアットホームな感じで大満足という感じでした。そのくせ、価格の方は東海岸と比べると2割から3割は安いのです。


メニューだけをお話しするとファーストフードやファミレスっぽいわけで、健康にも悪そうだし、クオリティ的にもB級グルメ的な印象になります。ですが、ちょっと違うのです。ダイナーというのは、完全に個人店です。一軒一軒が独立しており、ちょっと成功したからといって2号店を出したりはしません。

とにかくファミリービジネスであり、大きくなると人手は地元の人を雇ってしのぐことはあっても、基本は自営というわけです。何が良いのかというと、外食というのは経営のコツがわかれば、固定費と変動費をうまくマネージすることができ、そうすると3割とか4割の粗利益を稼げるのです。

例えば、今回訪問したソルトレイク・シティーから、5分ほど東の山中に入ったところにある “Ruth’s”(「ルースおばさんのダイナー」という感じです)という店は、創業が1930年ですから、もう90年近く営業していて、大変な人気店になっています。アメリカ版の「ぐるナビ」とでも言っていい “yelp”でも高評価になっていますから、経営は安定していると思われます。

この種のダイナーは全国にあるわけですが、東海岸の場合は、どういうわけかギリシャ系の人たちが市場を相当に抑えていたりします。ワシントン州などコーヒー文化の異常に発達したところでは、名前はカフェとなって、内装やメニューが「オシャレ」になる感じもあります。東からちょっと内陸に入ったペンシルベニアあたりだと、当たり外れが結構あったりします。

その一方で、このユタ州の場合は、とにかく素朴だが、レベルが高く本当にビックリしました。価格で言えば、この「ルースおばさん」は一番高い方で、もっと安い店もたくさんありました。


よく考えると、日本でも昔はこういう「自営の食堂」というのは、どこにでもあったように思います。

なぜ日本の「町の食堂」は消えたか

まず、関東の場合はソバ屋というのがあり、別に手打ち麺とか凝ったことはしない一方で、出汁と「かえし」はちゃんと手間暇かけてプロの味にする、メニューはソバとウドンが選べて、それこそかけソバから天ぷらそばまで色々なチョイスがある、加えて天丼、親子にカツ丼といった丼物、異色なところではカレーライスやカレー丼に、妙に魚系の出汁の利いた「ソバ屋のラーメン」も出す、そんな感じの店です。

大体が、「ナントカ庵」とかいう名前で、恐らくは若い時は大きな店で修行して、金を貯めて独立したという感じの風情でしたし、ですからチェーン化というのはありませんでした。関西のうどん屋さんというのも同じように個人店が多かったと思います。

また、一膳めし屋というのもありました。とにかくデカイ炊飯器で大量の白米が炊いてあり、オカズは多くの場合は皿に盛り付けた「作り置き」。それを1つか2つ選んで、飯の大きさを注文して盛ってもらうというスタイルです。電子レンジとかでチンするという発想はなく、冷えたオカズで熱々のご飯を食べるというのですが、よく考えるとあのオカズは冷めても旨いということは、やはり、ちゃんとした味付けがしてあったのだと思います。

そう言えば、町の洋食屋さんというのもありました。必ず楕円形のステンレス皿に、エビフライとかハンバーグ、それに千切りキャベツが添えられて…みたいな店です。この種の業態も、チェーンに押されて淘汰された感じです。

後は、町の中華屋さんというやつでしょうか。天津飯とかレバニラとかを看板メニューに、ラーメンとか餃子もという店です。この業態はそれこそ、全国的に数社のチェーンに完全にやられてしまっています。

変則なものでは屋台というのもありました。おでんにしても、ラーメンにしても屋台を「引く」という職業があって、深夜にお世話になりながら親父さんの話を聞くと、「10年が限界かな、冬場はキツイしね」という愚痴とともに、「でも、まあ頑張って屋台引けば、最後はアパート建てて家賃で左うちわも夢じゃないですよ」みたいな人生設計もあったようです。


この「屋台のラーメン」ですが、仮に売価(当時)400円で、原価率25%とすると粗利が一杯300円。一晩に100杯出せば3万円。年に300日で900万。キツイ商売かもしれませんが、悪い数字ではありません。


ですが、ソバ屋、中華屋、洋食屋、そして屋台と、家族営業で成立するような自営の食堂というビジネスが、どうも日本では成立しなくなっているのです。


チェーン店に希望が感じられぬワケ

その反対に増殖しているのがチェーン店です。いかにもデジタルのプリンターから吐き出された「キャンペーンのノボリ」を立て、メニューはプラスチックのパウチのされた大量印刷、マニュアルにバカみたいに厳格な接客、セントラルキッチンで下処理された画一メニュー…そんな店と、それこそワンオペで回すような牛丼やカレー中心のスタンドのチェーン店…全国どこでも金太郎飴のように、チェーン店ばかりです。

そうした、チェーン店の現場には、なかなか希望が感じられません。

どうしてなのでしょう?

まず、時給が安そうだということがミエミエです。本当に幸福そうに働いている人は少なく、もちろん良心的な経営をしている会社もあるわけですが、基本的に安い店の場合はやはり、違うと思います。

もう一つは、キャリアパスを閉ざされていることです。外食の現場で何年やっても、それは専門スキルとして個人の価値を高めることにはならないのです。まず、サービスにしても画一的で、マニュアルの逸脱は許されません。調理もそうで、下処理した食材をマニュアル通りに加熱したり盛り付けるだけです。

ですから、調理や接客について「独立できる」レベルの修行には全くならないのです。つまりチェーン店で長年働くということは、本当に労働力を切り売りしているだけであって、「その先」は見えないのです。


同じようにワンオペで調理して接客していても、自営なら利益は全部自分のキャッシュフローになりますが、非正規労働だと時給で終わりです。仮にオーナーになるとしても、チェーンのフランチャイズに入ると、店から見たコストの構造は全く異なります。先ほどの昭和の屋台ラーメンとは全く違って、材料は全部指定のもので、既に本部が自分の利益を乗せています。利益からはフランチャイズ料を取られます。

では、チャーン店の場合は何に金がかかっているのかと言うと、本部の間接部門のコストです。つまり本部にいる「正規労働のホワイトカラー」を養うためにカネが流れているわけです。本部は何に対して対価を得ているのかと言うと、工場のように標準化されたメニュー開発と、食材の調達、下処理、店舗設計、サービスマニュアルの実施などといった「ビジネス」をやり、その代わりに現場の非正規労働者よりは高い給料をもらっているわけです。

ユタ州で感じた一軒一軒に個性があり、それぞれ働く人は同時にオーナーとその家族であって、楽しそうに何十年もビジネスを続け、それなりのキャッシュフローを得ている、そんなビジネスモデルとは大きな違いがあります。


私は、どう考えてもこの種の小規模でも完結性があり、しっかり粗利の取れるビジネスは個人経営である方が、働く人もそして利用客にしても「幸せ」になれるし、希望が持てると思います。


日本でチェーン化が進んだ理由

では、どうして日本の場合はチェーン化が進んだのでしょうか?

大量発注による材料費の圧縮、セントラルキッチンによる高品質で低コストの下処理、規模の経済によるマーケティングの効果、ブランドイメージを高めることでの安全性への信頼…確かにそういった要素はあると思います。

ですが、それでも、誰も幸福にならない現状というのは、そのような自然の流れでそうなったわけではないと思います。

個人経営の食堂ビジネスが淘汰され、難しくなっていった根本の原因は、そうしたビジネスの自然な流れでは「ない」のです。

そうではなくて、「お金」の問題です。4つの要素があると思います。

1つは、80年代にバブル経済が膨張する中で、銀行が土地を担保にカネを貸す事ばかりに集中してしまい、地道な自営業の将来性などを判定して「与信」を行うノウハウを捨ててしまったということがあります。


2つ目は、日本の中に「リスクの取れるマネー」が枯渇しているという問題です。個人金融資産というのは、今でも巨大な国家債務を引き受けるだけのボリュームはあるわけです。ですが、新規に個人のビジネスを始めるようなリスクのあるビジネスに貸せるような金は非常に細いのです。

3つ目は、では海外から資金を持ってくるということになると、これはノウハウがありません。

4つ目は、特に地方では地場の金融機関がどんどん体力を失っているという問題があります。

そうした金融面での構造的な問題がある中で、食堂という小規模でも完結性があり、やり甲斐もあるし、地域の活性化になるビジネスに「事業資金を供給できない」のです。

これは大きな問題だと思います。日銀や財務省、経産省といった機関が、キチンとこの問題に向き合って行くべきと思います。だからと言って、素人的にハイリスクなカネを貸してすぐに潰れるような半官半民の金融機関を作ってもダメです。まして、補助金的なものをバラまいてもダメです。

そうではなくて、日本の経済社会の構造をしっかり立て直す中で、この問題に取り組んでいかねばなりません。とにかく、本部の間接部門の経費が何十%も入っている食事を画一的な店で食べる、それが一番コスパがいいという構造は誰も幸せにしないと思います。
https://www.mag2.com/p/money/702459
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/826.html#c18

[リバイバル3] アメリカ人には食べ物の味がわからない 中川隆
34. 中川隆[-9661] koaQ7Jey 2019年6月11日 20:46:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2800]

冷泉彰彦 2019年6月6日


日本の外食産業の問題点をするどく指摘している米国在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、古き良き個人経営の飲食店が事業として成り立っているアメリカの現状を紹介した上で、日本から「自営の食堂」が消えてしまった理由と、激増するチェーン店の現場に希望がまったく見えなくなってしまった原因を記しています。


ソルトレイク・シティの美味しいダイナー

大陸横断鉄道の150周年記念式典、そして史上最強の蒸気機関車「UP4000型」復活運転の取材でユタ州に行ってきました。ユタ州といっても、今回は州都のソルトレイク・シティーとその北部にある州第3の都市オグデンが中心だったのですが、驚いたのは「食」のレベルが高いということです。

そうは言っても、完全な山国ですから、そんなに各国料理が豊富なわけではありません。日本食も数はないし、イタリアン、中華、インドといった東海岸では多数派の食べ物も少数でした。レベルが高かったのは、アメリカ料理で、いわゆる「ダイナー」です。

何だかんだ言って、短期間に5店を制覇したのですが、どの店も料理やメニューに工夫があり、サービスもアットホームな感じで大満足という感じでした。そのくせ、価格の方は東海岸と比べると2割から3割は安いのです。


メニューだけをお話しするとファーストフードやファミレスっぽいわけで、健康にも悪そうだし、クオリティ的にもB級グルメ的な印象になります。ですが、ちょっと違うのです。ダイナーというのは、完全に個人店です。一軒一軒が独立しており、ちょっと成功したからといって2号店を出したりはしません。

とにかくファミリービジネスであり、大きくなると人手は地元の人を雇ってしのぐことはあっても、基本は自営というわけです。何が良いのかというと、外食というのは経営のコツがわかれば、固定費と変動費をうまくマネージすることができ、そうすると3割とか4割の粗利益を稼げるのです。

例えば、今回訪問したソルトレイク・シティーから、5分ほど東の山中に入ったところにある “Ruth’s”(「ルースおばさんのダイナー」という感じです)という店は、創業が1930年ですから、もう90年近く営業していて、大変な人気店になっています。アメリカ版の「ぐるナビ」とでも言っていい “yelp”でも高評価になっていますから、経営は安定していると思われます。

この種のダイナーは全国にあるわけですが、東海岸の場合は、どういうわけかギリシャ系の人たちが市場を相当に抑えていたりします。ワシントン州などコーヒー文化の異常に発達したところでは、名前はカフェとなって、内装やメニューが「オシャレ」になる感じもあります。東からちょっと内陸に入ったペンシルベニアあたりだと、当たり外れが結構あったりします。

その一方で、このユタ州の場合は、とにかく素朴だが、レベルが高く本当にビックリしました。価格で言えば、この「ルースおばさん」は一番高い方で、もっと安い店もたくさんありました。
https://www.mag2.com/p/money/702459
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/765.html#c34

[政治・選挙・NHK261] もっと怒れ 無策・搾取の末に「2000万円稼げ」の責任転嫁(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2019年6月11日 21:26:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2801]
底辺の若者は全員安部先生を支持してるんだから、これでいいんじゃね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/769.html#c7
[国際26] アメリカへの信頼を失った中国が金の購入量を増やしている(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
4. 中川隆[-9660] koaQ7Jey 2019年6月12日 07:15:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2802]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。

▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ



http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/582.html#c4

[経世済民132] アメリカへの信頼を失った中国が金の購入量を増やしている(櫻井ジャーナル) :国際板リンク  赤かぶ
1. 中川隆[-9662] koaQ7Jey 2019年6月12日 07:22:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2800]
櫻井ジャーナルに騙されるな

櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/593.html#c1

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
10. 中川隆[-9664] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:18:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2798]

趣味の極道
http://www.gokudo.co.jp/Vanguard/index/
http://www.gokudo.co.jp/index2.htm


横須賀に三上さんと言うオーディオマニアがいます。

私も相当な病人ですが、この方も相当な病気です。

某オーディオ雑誌の対談で私と三上さんが話すと言う事になって、ご自宅に行って来ました。

私と違って三上さんはお持ちのスピーカーを全部鳴らされているそうです。倉庫に入れてお蔵入りさせている私より偉いと言うか、凄いと言うか、立派です。甲斐性があるのですね。

聴かせて頂いたのは、WEの555系とJBLのハーツ・フィールド、C31、4350改造、ランシング・シャラーホーン、ロンドンウエストレックス等です。


素晴らしい音でした。

ちなみに私のシステムは

居間 JBLパラゴン初期

オーディオルームはJBLハーツ・フィールド、WE594&4181、タンノイコーナーヨーク モニターゴールド

かがり火ではメトロゴン、WE16A、ローサー、クオード

別荘ではアルテック830(802C&803Cダブル)です。
https://plaza.rakuten.co.jp/romantei1925/diary/201003210000/


▲△▽▼


キット屋コラム「私のオーディオ人生」第28回 オーディオのパラレルワールド
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


 今回はオーディオのパラレルワールドになります。テレビで大人気であったドラマ「仁」の中で南方医師が江戸にタイムスリップして現代に戻って来た時にパラレルワールドと云うセリフが出てきました、パラレルワールドとは今の世界と平行したもう一つの世界をパラレルワールドと云います。

オーディオで云うならば皆さんが使っているアルテック、タンノイ、JBLや現代の代表的なスピーカーは一般的な(A)の世界の音ですが(B)の世界はこのようなスピーカーとは隔絶したもう一つの世界の音である。


 私が聴いた限り上手く鳴らされていたウェスタンエレクトリックのカールホーンを使ったホーンシステム、オイロダインやロンドンウェスタン及び直系の音こそ現代のサウンドとは異なる次元の違う(B)の世界と云えよう、

では私が体験したもう一つのパラレルワールドの音の世界をご紹介します。


 

ウェスタン13B 隣りにあるのはウェスタンの25Aホーンシステム
ウェスタン15Bシステムと25Aホーンシステム
正面に設置してあるのが有名なシーメンスオイロダインシステム、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


このサウンドもWEやロンドンウェスタンとは少し系統が違うが見事なサウンドを聴かせて頂いた、


三上先生宅のウェスタン15Bサウンド

 今迄沢山のウェスタンシステムを拝聴させて頂きましたがすべてウェスタンだから良い音とは云えない酷い音も沢山ありますが三上先生宅で聴くウェスタンのシステムは石川県小松市にお住まいの中さんと双璧のお見事としか云いようの無いパラレルワールドの音がしている。

勿論スピーカーだけでこのようなサウンドが出るのではない、15Bを鳴らすアンプはWE−300BPPウェスタンの86Bのオリジナルと昇圧トランスは618Bがこの音作りに寄与しているのは云うまでも無い、

 私は人様のシステムの音を褒めるタイプではないが三上先生宅で聴かせて頂いたチェロの響きと音色は実態感を伴った電気臭くなく木の香りが漂う素晴らしいの一言に尽きる、このサウンドをじっくり聴くと低域がどうだとか高域がどうだとか講釈を垂れる音ではない、また大型のホーンシステムなのに音像は大きくならずホーン臭さも無い、最近のテカテカした派手な喧しいサウンドとは違いこれぞ大人のサウンドと云える。多分低域用のユニットがエルタスの4181を使用しているからこそこのようなバランスの取れたサウンドになるのではないか、

 ウェスタンを上手く鳴らすにはやはり4181を使わないとその良さが出てこないのではないだろうか、このウェスタンを試聴すると現代のサウンドは電気臭い音が蔓延していて何となく人工サウンドに聞こえてくる。

 三上先生宅へは沢山のオーディオ評論家が訪れたり雑誌の取材で紹介されたりもしているがこの音作りこそ三上先生のご自身の「自分の音」と思うがただ高価な機器を接続しただけではこのような音にはならない、暗中模索で大変苦労をされたのではないだろうか、
 
 

正面に鎮座しているWE−15Bホーン
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で聴くチェロは現代のサウンドとは全く異なるこれこそパラレルワールドのサウンドであった、


ウェスタン25Aホーン+4181スピーカー

 二つ目のウェスタンは25Aホーンシステムで低域用は4181になります。先程の15Bとは多少音が異なるのがわかる。音は勿論ウェスタンサウンドであるが音の抜けを比較すると好みとしては15Bのが好きかも、このホーンシステムは福井県の万月氏や石川県小松市の中さん宅でいつも聴いていますからそれ程ビックリしないがパラレルワールドのAの世界の音しか知らないマニアが聴けばおそらく言葉が出なく度肝を抜かれびっくりするだろう、25Aホーンを聴くと大変浸透力のある心地よいサウンドだ、

 特に素晴らしかったのは女性ボーカルの歌声が目の前で歌っているような錯覚に捉われた、この25Aの音は小松の中さんと良い音での双璧であるがこのシステムも低域用の4181が寄与している、

 贅沢な注文であるが私の好みからすると後ほど聴かせて頂いたロンドンウェスタンが好みに合うのとこのようなシステムは一般家庭では置けないのが残念だがこの25Aのサウンドもパラレルワールドの音である。


 
タンノイブラック

 今迄沢山のタンノイシステムを聴いてきましたがこのモニターブラックこそ本来のタンノイサウンドと痛切に感じた、三上先生がおっしゃるにはタンノイはブラックとシルバーがタンノイの音であると云っていましたが私も同感です。シルバーは他で聴くことがありましたがブラックになるとまず聴くことも見ることもできない超が付くレアなユニットになる。

 最近のタンノイのサウンドはこのモニターブラックと比較するとドンシャリ傾向の音になっているのが多い、タンノイのブラック、シルバーのユニットは低域も高域も欲張らず中域から音作りをしているのではないだろうか、特にあの中域の厚みのある心地よい響きと特徴のある音色は最近のタンノイでは聴いたことがない特筆すべき音であった、タンノイブラックを試聴すると現代のタンノイは低域も高域も伸ばしたため中域の薄い(中抜け)不自然な音に感じるがこの音が好みだと云われれば返す言葉も無いが一度でもよいからブラックやシルバーを聴いてみれば私の云っていることが理解できると思う、

 又このモニターブラックも私が愛用しているロンドンウェスタン直系の音と非常に似通った音色が印象に残った、ボックスは多分オリジナルボックスのランカスターを流用されたと思うがユニットとボックスが大変マッチしているからこそ本来のタンノイの響きが出ているのではないだろうか、
 
 

手前に見えるのがタンノイのモニターブラック
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で後方のシステムは珍しいテレフンケンの085aモニタースピーカーでこのシステムは私も始めて見るシステムで音質、音色はカチッと締まった大変心地よいサウンドであった、
 

 

タンノイブラックのボックス内部の写真
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でユニット自体も大変状態の良いもので強力なアルニコマグネットを採用した初代ディアルコンセットリックスピーカーになる。タンノイファンなら一度は聴く価値はある。


 

家庭用のシステムに収めたロンドンウェスタン2080A、2090Aの2Wayシステム
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でこの音を聴くと米国ウェスタンとはベクトルが若干異なるが貴賓と渋さがプラスされた品位の高い音である。音質は一言で云うならば巷でよく耳にする枯れたサウンドとはこの音である。
 

 

ロンドンウェスタンの2080A、2090Aボックス内部の写真でスピーカーは強力なアルニコマグネットが使われている。ボックス内部と可愛いワンちゃんのツーショット写真
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ロンドンウェスタン2080A、2090A

 最後に拝聴させて頂いたのは幻のスピーカーシステムでロンドンウェスタンだ、私が持参したいつもリファレンスで聴いているビバルディのヴァイオリンソナタのレコードが果たして私のシステムの音とどう違うのか本家の音とはどのような音なのだろうか、不安と期待が入り混じっていたのは間違いない、

 自分のシステムと比較した場合まったく異質な音であれば私のユニットはニセモノになってしまうか上手く鳴らせない力量不足になってしまう、

 早速聴かせて頂くと先程聴いたウェスタンの音とは多少音色も異なるのとスケール感も違う、目を瞑ってビバルディのヴァイオリンソナタをじっくりと聴くと音質、音色が同じイメージに重なり自分の家で聴いているような錯覚を覚えた、このロンドンウェスタンの音は言葉では云えない一種独特のサウンドで現代の一般的なHiFiサウンドとは異なりこれこそパラレルワールドの音だ、

 ヴァイオリンの響きは電気臭くない木の香りすら漂ってくるのがわかる。オーディオを追求していくと最後はこの音に魅了されるのは私だけではないはず、

    このロンドンウェスタンのサウンドを聴くと現代のHiFiサウンドは申し訳ないが長く聴いていると時間の経過と共につまらなくなり飽きが来てしまうがロンドンウェスタン系はオーディオマニア、音楽マニアを引き付ける魅力たっぷりのスピーカーと云えよう、ただこのような音を出すには相当レベルの高いアンプと高度なテクニックと肥えた耳を持っていないと上手く鳴らないのではないか、
 


三上先生に想う

 今回はオーディオのパラレルワールドをご紹介しましたが現代のシステムは駄目とは云わないが(B)の世界の音を聴くとオーディオ観も音楽観も変わるような気がする。私もヴィンテージ愛好家ですから先生とは大変意気投合出来たのではと思う、

 三上先生はもうお亡くなりになりました伊藤喜多男先生や池田圭先生と長年交流があったと云われています。またステレオサウンド誌、管球王国などに先生のシステムが紹介されオーディオ評論家も先生宅へ訪問されている。

 三上先生は私より三つ年が上ですが大変(懐の深い)方で私はこの方こそオーディオの師匠、先生、教授と云える「器」を兼ね添えている方だと思う、

 よくネットなどを拝見すると達人とか師匠、教授、先生と呼び名がついているコラム、ブログを時々見ますがこの方たちは本当に音がわかってそのような呼び名でやり取りしているのだろうか疑問に思うこともある。オーディオに関してはレベルの高い方が沢山いますからそのような方が読まれたら馬鹿にされるか笑い者になるだけですからその辺を弁えないと恥ずかしい思いをするのではないだろうか、

 また真空管アンプ等は自由自在に設計製作が出来てオーディオのすべてを知り尽くしてその呼び名が付いているのなら納得する。

 私は小さな「器」しか持ち合わせていないマニアです。先生、師匠、達人、教授と云われている方達がどれ程の「器」なのか見せて頂きたいものである。
 


あとがき

 三上先生宅で特に良かったのは可愛い3匹のワンちゃんが私になつき傍で音楽を聴きながら居眠りをしていたのが音よりも印象に残りました、ワンちゃんも良い音はわかるんですね、

 今回はオーディオのパラレルワールドを題材にしましたが皆さんも是非このパラレルワールドのサウンドを体験されると面白い、

 ヴィンテージショップなどでウェスタンやその他ヴィンテージスピーカーを鳴らして店主は能書きばかりでまともに良い音で鳴っていないのが多いのとすべてヴィンテージスピーカーだからパラレルワールドのサウンドと思ったら大間違いである。やはりマニア宅で上手く鳴らされているのを聴くのがベスト、「百聞は一聴にしかず!」

 確かにオーディオは進歩しているが最終的に判断するのは聴く人の感性と鳴らし方ではなかろうか、またパラレルワールドのサウンドは装置を忘れてじっくりと音楽が聴ける。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028


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キット屋コラム「私のオーディオ人生」第27回 ロンドンウェスタンの試聴
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027


 今回は幻のスピーカーと云われるロンドンウェスタンを題材に取り上げます。  


ロンドンウェスタン

 米国がウェスタンエレクトリックなら英国はロンドンウェストレックス、ドイツはクラングフィルムになります。

一口に云ってロンドンウェストレックス(ロンドンウェスタン)はアメリカのウェスタンエレクトリックとは多少異なります。

初期のロンドンウェスタンはアメリカ本国よりシステムを持ちこんでスタートでしたが英国の国策として海外からの輸入に制限を設けたためこのシアターシステムも対象になりロンドンウェスタンのシステムは自国での設計生産になったと思われる。
 

私が聴いた三上先生のロンドンウェスタンオリジナル
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027


ロンドンウェスタン直系スピーカー

 初期のロンドンウェスタンは多分米国ウェスタンの改良型を使用したシステムでしたが私の憶測と情報ではその後ウェスタンエレクトリックからのシステムの供給はやめてイギリス本国での製品開発が行われたと推測されます。英国はアメリカと違って大変保守的なお国柄で海外から輸入するよりも自国で開発して販売する方法を取っていた、

 日本や米国と違ってロンドンウェスタンの立ち上げに当たってイギリス国内のスピーカーメーカーの第一線級のエンジニアが集まってロンドンウェスタンをスタートさせたと思われる。当時のスピーカーメーカーと云えばシアター専門のヴァイタボックス、民生用のグッドマン、ローラ、タンノイ、パルメコ等メーカーのエンジニアが共同開発に当たったのではないだろうか、この辺が米国のメーカーや日本のメーカーとは事情が異なる。

 開発終了に伴い英国本土のすべてのシアターに供給するには生産量が問題になってくる。当時はヴァイタボックス社やタンノイ社では絶対数の生産ラインの供給システムがまだ確立されていなかった、

 当時のスピーカーメーカーではグッドマン社が大掛かりな生産ラインを有していたから多分ユニットはグッドマン社が中心となって製造していたのではないだろうか、

 当時の技術集団が開発した初期モデル(1950年代)のスピーカーユニットはすべてロンドンウェスタン直系のスピーカーになるので音質音色は同じである。またロンドンウェスタンのシステムには低域用にグッドマン、高域用はタンノイ、ケリー、ヴァイタボックスなどでの組み合わせによる混成システムが多かったのでは、

 実際ロンドンウェスタンの2080,2090Aのシステムとパルメコ、私が所有しているユニット等は音質や音色は良く似ており私が聴かさせて頂いた三上先生宅のロンドンウェスタンと瓜二つの音に安堵感を覚えた、

 また米国のウェスタンエレクトリックはすべて業務用でしか販売されなかったがロンドンウェスタンは家庭用のシステムも販売されていたがほとんど日本には入って来なかったからロンドンウェスタンを含めてロンドンウェスタン直系のスピーカーは幻のユニットと云える。

 ロンドンウェスタンのスピーカーのサウンドは皆さんご存知のアルテック、JBL、タンノイ等のスピーカーと比較してまったく異なる音質、音色を持っているのがロンドンウェスタンの特徴でもある。私も沢山の英国ヴィンテージユニットを聴いてきたが今回手に入れたロンドンウェスタン直系のユニットはこれらの音とは違っていた、

 ロンドンウェスタンのパルメコは初代BBC放送局のモニタースピーカーに採用されていたが有名なアルテックの604Eと外観的に非常によく似ているが音質音色は全く違う、パルメコはもっと浸透力があり音味は大変美味しいエレガントな音ですがアルテックの604Eは残念ながら上手く調教された音を一度も聴いた経験がありませんので比較するのは無理かも知れません。

 またアルテックやJBLなどアメリカのスピーカーはジャズ向きと云われているがスピーカー開発者にとってこれはジャズ向きこれはクラシック向きとして設計はしていないはずですからやはり鳴らし方に問題がありそう、私の個人的な意見としてジャズが鳴ればクラシックも必ず鳴るはず、クラシックが上手く鳴らないのならジャズも鳴らない、ジャズが本当に上手く鳴れば大人のジャズサウンドになるはずだ、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c10

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
11. 中川隆[-9663] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:24:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2799]

私のオーディオ人生 第30回パルメコスピーカーとウェスタン13A
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-030


 今回はロンドンウェスタン系パルメコスピーカーと米国ウェスタンの13Aの試聴と超ド級アンプ845PPとの鳴き比べのコラムになります。

また比較したメインアンプはメーカーのプライドがあるため○○○製としか書いていませんのでご了承していただきたい、


奥様が経営されている美容院の一角にウェスタン13Aが鎮座されている。
長いスロートの先にウェスタンの555ドライバーが付いている。


この13Aレプリカはオリジナルとは音質、音色ともまったく遜色がない、
ホーンの造りと仕上げのブラック塗装は素晴らしく美容室のインテリアとしても大変マッチしている。


メインのシステムの部屋にはアンティークなデザインのスピーカーボックスが置いてありこの中に幻のユニットのパルメコが入っている。ニッパー君が上から覗いて見ているのが今回持ち込んだPP5/400シングルアンプ


パルメコスピーカー

 パルメコスピーカーはBBC放送局の検聴用に使用されたスピーカーで製作本数は数百本しか作られなかったと云われる数の少ない幻のユニットになる。ほとんどの方は音も勿論だがパルメコスピーカーの存在すら知らない方が多いのではないだろうか、ウェスタン系をやっている方やオーディオを長くやっている方はパルメコスピーカーを知っているはずだがこのユニットは巷には出てこないのでほとんど聴く機会は少ないと思う、

 私が知る限りでは名古屋では西山氏、関西では今田氏と今回ご紹介する笹本氏の三人がこのユニットを所有していますが全国を探せばまだ使っている方は沢山いると思う、

 本来このスピーカーにロレンツのツィーターとリークのアンプを内蔵したシステムでBBC放送局に納入されていたらしい、パルメコスピーカーは写真でもおわかりですがコアキシャルタイプですが外観はアルテック604Eのホーン部分が大変似ておりますが振動板はウェスタンと同じものを使用しています。

 このユニットのホーン部分の形状が似ているのは皆さんご存知のアルテック604Eですが音味はまったく異なります。604Eは上手く鳴らされていない方が多いので残念ながら比較はできません。アルテックの604Eは38cmのコアキシャルですがパルメコはもう一回り大きい40cmのコアキシャルになります。またマグネットは強力なアルニコマグネットを使いクロスオーバーは多分1KHZぐらいと思われる。このパルメコのエンジニアもロンドン・ウェストレックスの開発に協力したと思われそのサウンドは本家のロンドンウェスタンと瓜二つの音色、音質を持っている。

正面から見たパルメコスピーカーで中音はマルチセラホーン


ウェスタン13A

 笹本氏はパルメコ以外にウェスタンの13Aのホーンシステムもお持ちでこのホーンはオリジナルを真似たレプリカですが本人の説明によりますとオリジナルとはほとんど変わらない音と云っていました、事実この13Aを聴きますと神奈川の三上先生宅で聴かして頂いたウェスタンと同じ音色でドライバーは勿論WE−555にタンガーバルブを使ったものです。

 音は木の香りが漂うシットリ感を伴った音作りでホーン臭さはまったくありません。ロンドンウェスタンと比較しますと若干音が煌びやかと云うか明るいサウンドになる。振動板がアルミ系にも拘らず冷たさもありません。ウェスタンサウンドのよさをたっぷり味合うことができる。


笹本氏の人柄

 笹本氏は大阪府にお住まいで関西では笹本氏を知らない方はいないほどオーディオに関しては知名度と面倒見のある方で以前のコラムでご紹介した神奈川の三上先生とも交流があります。オーディオ以外では素敵な奥様とのジャズライブ演奏を趣味として楽しまれています。

 笹本氏はオーディオに関しては長い遍歴があり人並み以上に苦労をされて最後は現在のシステムに落ち着いて装置を忘れて音楽を楽しまれている。聴く音楽はジャズ、ボーカル、クラシックでアナログとデジタルCDになりますが特に録音に関しての機器には人一倍拘りを持っている。

 録音時のテープデッキはスチューダーよりもアンペックスのが音が良いとか、事実私が小松の中さん宅で聴かせていただいたアンペックスのプロ用デッキと2トラ38のオリジナルマスターテープのジャズはアナログやデジタルとは違う恐ろしい音であった、

 スピーカーシステムは勿論ウェスタン555とウェストレックスのアンプだ、アンペックスのプロ用テープデッキで再生された音は国産のテープデッキで満足されている方がアンペックスのデッキで再生された音を聴くと哀れな物になってしまう程その差は歴然、このマスターテープの所有者が笹本氏とは相当恐ろしい耳の持ち主で今までのマニアの中では音に対して厳しいが人当たりの良い紳士で技術レベルも高く手強い相手である。

笹本氏の現有システム

 メインシステム

CDプレーヤー CEC TL−0
コンバーター LAVRY

アナログプレーヤー ガラード 301
トンアーム オルトフォン RF−297
カートリッジ オルトフォン SPU−A

プリアンプ マッキントッシュ MX−110

メインアンプ ○○○製 845PP 100W
球は多分RCAかセトロンと思われる

スピーカー ロンドン・ウェストレックス系パルメコ
ツィーターのみエレボイのT−350

以上がメインシステムになります。


CEC製CDプレーヤーTL−0


ガラードとオルトフォンのアーム


プリアンプはマッキントッシュのMX−110
このアンプはチューナー付きですがアメリカではC−22より人気があるそうです。


笹本宅への訪問

 笹本宅には1年前に一度訪問しています。この時は小松から中氏と同じ関西にお住まいの今田氏と私の4人でのOFF会になりました。この時初めて笹本氏のサウンドを聴かせていただいた、中氏は時々コラムに登場して頂いている石川県のオールウェスタン愛用のスーパーマニア、今田氏は笹本氏と同じパルメコスピーカーの愛用者です。


ジャズライブで歌っているのが笹本氏の奥様、左側でウッドベースを弾いているおじさんが 笹本氏です。

奥様の録音されたCDを聴かせて頂きましたが大変魅力的なジャズシンガーで甘い歌声はアマチュアとは思えないです。主人と一緒にライブを楽しまれているのは羨ましいですね、


笹本氏がライブ演奏に使っている愛用のウッドベース


笹本宅への訪問

 パルメコスピーカーは西山宅で聴いていましたからそれ程の驚きはなかったのですが此処で鳴らされているパルメコはお見事しか云いようがない不満点のない音で鳴っていた、

多分スピーカーのエンクロージャーと使用している○○○製のアンプがこの音を決めているのか、あまり褒めると笹本節が始まるのでここは控え目に、

ボックスはアメリカ製の立派な作りで箱の響きが大変心地よく浸透力のあるサウンドだ、ただ残念な事にこのボックスは1本しかなく(現在探しているとのこと、)

ツィーターはエレクトロボイスのT−350を使い繋がりは不自然ではなくフルレンジ一発で鳴っているように感じ大変コクがあり中域の押し出し感は見事で大人のサウンドだ、

 オールウェスタンで統一されている中氏もこの音には少なからずショックを隠しきれないのと私もこの音のまとめ方が上手いと感じた、早く名古屋に帰って私の音の違いを比較したい衝動に駆られてくるのは当然である。

 オーディオマニアがよく云う低域、高域どうだとかピアノがハンマーで叩く音がどうのと講釈をたれる方がいるがこの音を聴くと馬鹿馬鹿しくなるぐらい音楽を楽しく聞かせてくれる。勿論ジャズ、ボーカル、クラシックも不満がないオールマイティーでパルメコスピーカーは上手く鳴らせば本当に恐ろしいスピーカーの一つでもある。

 笹本氏はこの音を出すまでは長い年月をかけて大変苦労されて今に落ち着いてオーディオを忘れて楽しんでいますが音と云うものには必ず不満点や悩みが出てくるはずだが今の状況では大きな不満点がないが現在ユニットは2本あるがボックスがないためモノラル再生のみであるがこれがステレオ再生になればもっと苦労するのではないだろうか、


笹本氏、中氏、今田氏と私を囲んでのパルメコの試聴とオーディオ談義、

笹本氏は今田氏にスピーカーボックスの重要性を説明していた、


二度目の訪問(道場破り)


 前回の訪問では笹本節をたっぷり聞かされた、笹本氏曰く「この845PPは今まで使った中では最高のアンプでこれ以上のものは無い!価格も2台セットで○○○万円はする海外製の品物だから自作アンプならいつでも相手になる!」と豪語していた、

 また笹本氏は「今まで沢山の自作アンプを持ち込んで鳴らしたがどれ一つ良い音のアンプはなかった、今度のアンプも音が悪ければ一刀両断で評価してやるぜ」と名古屋から来る私たちを待ち受けていた、

 今回は同じパルメコ愛用の鋭い耳の持ち主でもある西山氏を連れての道場破りだ!音源はCDとアナログで特に録音の悪いのを選んで持ち込んだ、録音の良いのは良い音で鳴って当たり前、悪い録音をいかに上手く鳴らすかがポイントだ!

 本来はアンプ同士の鳴き比べ対決はしたくないが世界の一流アンプが相手では負けて当然かも?しかもオーディオ雑誌ではこのアンプを評論家が力強くエネルギー感のある最高の真空管アンプと評価していたがこちらも英国の名出力管PP5/400の直熱三極管でしかも交流点火を採用、パーツ類は拘りを持って製作、出力は845の10分の1しかないがアンプは出力や価格がすべてではない!出てきた時の音の勝負だ!相手がメーカー製なら負けても苦にならないがもし負ければ後ろに御大将のもう一台のアンプWE−300Bの91Bタイプで交流点火が控えているから何時でも受けて立つ!今度こそはギャフンと言わせたいなぁ〜
大阪春の陣


 今年の四月にPP5/400アンプを持参して西山氏と再度笹本邸の訪問であるが私はアンプを持ち込むのは正直良い気持ちではないがあの素晴らしいサウンドを聴けるのであればアンプの他流試合や道場破りなどはどうでもよいのだが・・・・・・

 早速、笹本氏自慢の超ド級の845PPアンプでの試聴になった、聴くソースは私が持参したバッハの無伴奏パルティータで演奏はチョン・キョンファである。前回お邪魔したときよりもパルメコの良さが前面に出ているのがわかるが若干ではあるがヴァイオリンの胴鳴りが少し物足りない部分があるのと少しではあるが中域が薄い感じがしないでもない、多分トリタンの845アンプの特徴かコアキシャルの宿命かもしれない、

 でもこのサウンドを聴くと他のマニア宅ではここまで鳴らしきっている方は少ない、ネットなどのコラムでジャズ喫茶、マニア宅の訪問を読むことがあるがよく読むとすべて誉め言葉ばかりか社交辞令なのか本当に音がわかっているのか疑問に思う、昔はジャズ喫茶と言えばアルテック、ジムランが多いが今はマニアのがもっと良いスピーカーで鳴らしているので魅力がなくなっているのとジャズ喫茶のオーナーもただシステムを置いて鳴らしているだけの所が多すぎる。

 今回の大阪(春の陣)は誉め言葉だけでなく音の不満点を探して指摘したい、(どうせ俺は嫌われ者)笹本氏は常々「俺はオーディオを忘れて音楽を聴きたい」と口癖に云っていたが果たして?どうだろうか、

845PPの音をじっくり聴いた後いよいよPP5/400の出番である。接続終了後先ほどのチョンキョンファのパルティータを聴く、出てきた音は中域が大変膨らみを持った豊かな響きで音楽のエキスが前面に出てくる。先程のバイオリンの胴鳴りもふくよかに再現され高域も透明感のある聴き疲れしない、しかも重心が下がったためパルメコが生き返ったように躍動感に満ちた説得力を持って鳴り出した、笹本氏、西山氏もこの違いに驚いた、笹本氏もたかが5Wのアンプがこれだけ鳴るとはショックを隠せない、

笹本氏の言った言葉「オーディオはエンドレスだ!」

自分のアンプを自画自賛してしまったが私だけの評価ではなく笹本氏、西山氏の共通の評価は私と同じである。私の好みは91Bタイプの300Bのがより音楽の聴かせ所が優れているのだがこれはあくまで好み・・・・・

 オーディオは一流メーカーの高額なアンプを使えば音が良いと思いがちだが現実は違う、その辺を弁えないと高い買い物になるから目利き、耳利きが重要である。

あとがき


 今回はWE−13Aとパルメコの試聴と道場破りがメインでしたが欲を云えばパルメコをステレオで聴いてみたかった、モノラルの場合はどうしても広がりに少し不満が残るがボーカル、ピアノ、バイオリンなどはモノラルの 方のが定位が良く奥行き感もリアル感も出ていたような気がします。

パルメコも素晴らしいがこれを収納しているスピーカーボックスを笹本氏が自慢するだけあって見事にマッチしているからこれだけの素晴らしい音が出てるのではないだろうか、笹本さん今度は名古屋でお会いしましょう

※写真の一部分は笹本氏のブログから拝借させていただきました。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-030

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c11

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
12. 中川隆[-9662] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:26:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2800]

ヴァイタボックスのサウンドはロンドンウェスタン系の渋い枯れた音でバッハを聴くならこの音しかない、それだけ素晴らしいサウンドで欠点が中々見当たらない、
ウェスタンエレクトリックの555ドライバーを使ったシステムはどちらかと云えばクレデンザの蓄音機の延長線上にある音だが、ヴァイタボックスはロンドンウェスタンの流れを組むHMV蓄音機に近い独特な響きで素晴らしい、

タンノイが英国サウンドと云われるが、本当の英国サウンドはタンノイではなくこのヴァイタボックスとグッドマンではなかろうか、

英国の1930年代のHMV蓄音機は電気臭くなく、ヴァイタボックスによく似たサウンドで、蓄音機なのに音圧レベルが高く遠くまで音の浸透力には脅威に感じる。

_____


私のオーディオ人生 第39回 VITAVOX CN−191で鳴らす喫茶「フィガロ」
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-039


 今回のコラムはオーディオマニア、音楽マニアも一目置く英国VITAVOX社のCN−191コーナーホーンシステムを使ったクラシックがメインのミュージックカフェ「フィガロ」を紹介します。

(中川隆 註 : ミュージックカフェ「フィガロ」は既に廃業しています)


この階段を上に上がりますと2階がお店になります。


ミュージックカフェ「フィガロ」

 今まで沢山のジャズ喫茶、音楽喫茶、ヴィンテージショップやマニア宅で色んなシステムを聴かせて頂きました、遠い昔京都の「ヤマトヤ」で聴いたVITAVOXのCN-191コーナーホーンまた東京は吉祥寺にもありますクラシック専門の音楽喫茶「バロック」でもこのCN−191コーナーホーンを聴きましたが本来のVITAVOXサウンドとは程遠く中々このスピーカーを上手く鳴らすのは難しい、

真空管アンプなら何でもなると思ったら大違い、このスピーカーはアンプを選びトランス、球まで選ぶ大変気難しいスピーカーシステムだ、


店内の全体の様子


スピーカーはヴァイタボックスCN−191コーナーホーンが左右に鎮座しています。
ヴァイタの横にあるのが珍しいRCAの電蓄で1930年代

男の隠れ家「ミュージックカフェ・フィガロ」

 中部地方にも沢山のジャズ喫茶、音楽喫茶がありますが今回ご紹介する音楽喫茶「ミュージックカフェ・フィガロ」はオーナー自らオーディオマニアでもありレコードマニアでレコードは3000枚所有とのこと、また此処のオーナーで夏目店主は音楽も好きでオーディオも大好きな気さくな店主ですから是非行かれてオーディオ談義、音楽談義をされることをお薦めしたい、フィガロの場所は名古屋市千種区の東山公園の近くにあります。


ここのシステムは凄い

 メインシステムがヴァイタボックスCN191コーナーホーンでここで鳴らされているヴァイタサウンドはおそらく日本ではトップクラスのサウンドでこのようなシステムが名古屋にあるとは気が付きませんでした、

以前のコラムでご紹介したジャズ喫茶DAYSもヴァイタボックスのコーナーホーンでしたが同じヴァイタでもこんなにも違うサウンドでフィガロは特にクラシックがメインですがお客様のご要望で歌謡曲ありジャズあり勿論自慢のアナログレコード及びCDを持ち込んで聴かせてくれます。

プリアンプはマッキントッシュ20とマランツ#7を使っている。
モノラルはマッキントッシュでステレオが#7を使い分けている。
下側にマランツ#9が2台あります。

プレーヤーはガラードの301が2台でモノラル用とステレオ用


フィガロのシステム

 メインシステムはヴァイタボックス191コーナーホーンですが
この隣に設置してある1930年代のHMV蓄音機と、
同じ1930年代のRCAの電蓄、

 プレーヤーはガラードの301が2台、

モノラル用はSMEのアームにオルトフォンのモノラルカートリッジと
オルトフォンのアームに同じオルトフォンのSPU−Aが実装されている。

 アンプはすべて真空管アンプで

プリアンプはマランツ#7と
メインアンプは同じマランツの#9が2台
すべてオリジナルとのこと、

MCカートリッジの昇圧トランスは、夏目マスターは秘密と云っていましたが
私が見たところ一般のアナログマニアでは聴けない WE製618B を使って昇圧しているが

このようなシステムを揃えたレベルの高い喫茶店を私は見たことも聞いたこともない、


フィガロのサウンド

私が訪問した時ヴァイタボックスからシゲティのバッハ無伴奏が流れていました、

一聴してこのサウンドはロンドンウェスタン系の渋い枯れた音でバッハを聴くならこの音しかない、それだけ素晴らしいサウンドで欠点が中々見当たらない、

またこのお店の雰囲気がヴィンテージシステムにピッタリで壁には色んなアナログレコードのジャケットが並べられている。

トータルで考えるとマランツ#7と#9の実力が発揮されているようだ、

ヴァイタボックスのサウンドこそ英国を代表するサウンド、

タンノイが英国サウンドと云われるが本当の英国サウンドはタンノイではなくこのヴァイタボックスとグッドマンではなかろうか、

私の所有しているヴァイタボックスDU−120と比較しますと低域の量感は38センチのウーファを使っているためスケール感には差が出るが家庭で使うには30cmのDU−120で十分である。

ウェスタンエレクトリックの555ドライバーを使ったシステムはどちらかと云えばクレデンザの蓄音機の延長線上にある音だがヴァイタボックスはロンドンウェスタンの流れを組むHMV蓄音機に近い独特な響きは素晴らしい、

次に聴かせて頂いたのは英国の1930年代のHMV蓄音機、

レコード盤はすべてSP盤であるが、この音は電気臭くなく先ほど聴かせて頂いたヴァイタボックスによく似たサウンドで蓄音機なのに音圧レベルが高く遠くまで音の浸透力には脅威に感じる。

このようなサウンドを聴かされると現代のハイエンドオーディオは歪み感のない綺麗なサウンドだが必ず飽きが来るはずだ、特に現代のハイエンドは上も下も伸ばしたため中域が薄くなりがちで不自然に思う、

HMV蓄音機を聴かせて頂いた後は1930年代のRCAの電蓄だ、また特に良かったのは美空ひばりの子供の頃のSPレコードでこの歌声を聴くとタイムスリップしたような錯覚にとらわれる。


男の隠れ家ミュージックカフェフィガロの場所

車で行かれるのなら広小路線を東に向かって東山動物園の近くになります。 動物園の近くまで来ますと道路の反対側にスーパー「コノミヤ」がありますからこれを目印にして行けばすぐにわかります。コノミヤの隣の2階がフィガロです。駐車場は確か2台ぐらいあると云っていましたができれば近くのコインパーキングに置かれた方のがよいかも 遠方から電車で行かれる方は名古屋駅から地下鉄東山線に乗って東山公園で下車して徒歩で少し戻ればすぐにわかります。

是非仲間やご夫婦で訪問してください。店内は広いですから時間をかけてヴァイタボックスサウンドやHMV蓄音機の音楽性豊かなサウンドを満喫できます。

フィガロは日本でもトップクラスのサウンドを聴かせてくれますからY下のブログを読んだと云っていただければすぐに打ち解けると思います。

またフィガロから車で10分ぐらいの所に本山の交差点を北に行きますとジャズ喫茶DAYSもあります。

同じヴァイタボックスでも音の系統は違います。

二つのヴァイタボックスが聴けますからこちらも訪問すると面白いかも


あとがき

 今回はミュージックカフェフィガロをご紹介しましたが、今まで色んなシステムをマニア宅、ジャズ喫茶などで聴かせて頂きましたが、マニアなら一度は聴きに行くべきです。

マランツ#7とマランツ#9の組み合わせは極上でまったくもって不満は感じないがメインアンプは西部電気の300Bより英国製の直熱3極管を使って良質のアンプで鳴らしたらより英国サウンドが満喫できるように思える。勿論出力トランスはパートリッジならグットだ、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-039

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c12

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
13. 中川隆[-9661] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:27:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2801]

私のオーディオ人生 第22回 20pフルレンジスピーカーを鳴らす!
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-022

今回のコラムは私が最近購入した英国の名門スピーカーで20pダブルコーンスピーカーWharfedaleのSuper8−RS/DDをご紹介します。


私の友人で究極のオールウェスタンとウェストレックスのアンプで楽しんでおられる石川県の小松市に住むスーパーマニアの中さんが久しぶりに名古屋に来られて早速このスピーカーを厳しいウェスタンの耳で評価をして頂いた、

 中さん曰く

「20pのダブルコーンとは思えない豊な響きと枯れた音色が魅力的だ、
特にピアノと声楽が素晴らしく他のスピーカーではこの音は出ない、

同じイギリスのタンノイとは音色的な傾向と出音は随分違うけどこれこそが紛れもない英国サウンドの音ではないだろうか」

また

「自分が使っているウェスタンに近い音色を持ち合わせているから今後はワーフェデールを見習ってウェスタンも同じようにしっとりとした(いぶし銀)のサウンドを出したい」

とウェスタンレベルの目線で評価して頂いたがやはり当時のワーフェデールもHMV蓄音機やロンドンウェスタンの流れを汲む音色の一端が見え隠れするような気がする。


 スピーカーに関しては今迄色んな英国ヴィンテージスピーカーを購入して聴いてきましたが

現代のハーベスやスペンドール等の同じ英国スピーカーのブックシェルフタイプはどちらかと言えばフロアータイプと比べるとこじんまり纏めた鳴り方で能率も低く個性のない無色透明なスタジオのモニター的な音が特徴ですが

同じ英国のヴィンテージスピーカーは一応に能率が高くメーカーのサウンドポリシーが前面に出て個性が主張されているのが面白い、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-022

▲△▽▼


私のオーディオ人生 第41回 懐かしのスピーカー VOL.1
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-041


西方より二人の強者来たる!


 7月の23日私のコラムをお読みになった方が一度お会いして音を聴かせてほしいと連絡がありました。倉敷にお住まいのK原氏と兵庫県はたつの市のM田氏のお二人が新幹線に乗らず外来線を乗り継いでわざわざ電車でお越しになりました、

 K原氏、M田氏とも百戦錬磨のオーディオ歴をお持ちでK原氏の現在はアメリカのボザークを使いクラシックがメインで聴いておられます。

昔は五味氏と同じタンノイのオートグラフのモニターレッド、マッキントッシュC−22とMC275を使ってこられたオーディオに関しての西方の強者である。

 もう一人の強者は兵庫県たつの市にお住まいのM田氏でK原氏とは大変仲が良くお互いオーディオ理論をお持ちでこの方もオーディオに関しては恐ろしいほどの感性とスキルがありスピーカーはアルテック、JBLのダブルウーファ―と蜂の巣ホーン、アメリカタンノイを使っている歴戦の強者でリスニングルームは50畳の部屋とのこと、

 私のシステムはお二人の方に比較して大変お粗末なシステムでお聴かせするには恥ずかしいですがわざわざ遠方より来られる以上がっかりされないように大切なお客様用に再度システムの変更をしました、

PCオーディオは昇圧トランスWE−618Cを使いアンプは最近製作したウェスタンのパーツを使ったアンプと前回紹介したWEの真空管でVT52刻印武蔵アンプ、

 スピーカーは来客用のヴァイタボックス、DU−120コアキシャルをゲンコツから外してユニット交換した、(DU−120はお客様用)

早速、自宅に招いてシステムのラインナップを説明した後に音出し開始である。こちらとしては遠路遥々来ていただいて聴いて頂く以上戦々恐々だがCDをトレーに入れてPCオーディオの開始である。

 最初にバイオリンとチェロをお聴かせすると百戦錬磨の耳で一言「こんな音」は聴いた事がない、CDが奥行を伴って空気感のあるサウンド、その後バッハのピアノでG線上のアリア、バッハのチェロを聴いて頂いた、

音を聴いている間はお二人の方は終始無言であったが曲が終わると一言「参った!奥行を伴った空気感のあるサウンド」は初めて聴いた、このような音なら生の演奏会に行かなくても自宅で味わえる素晴らしいとお褒めの言葉を頂いた、

 最後にキースジャレットのケルンコンサートのPCオーディオとアナログレコードの比較試聴はキースジャレットではアナログに軍配が上がったが私が聴いてほしかったのは一般的なCDPで聴くデジタルとは違いWE−618Cを介したPCオーディオはアナログに負けない素晴らしさを納得して頂けたと思う、

 帰りがけにK原氏が今まで有名なマニア宅を沢山聴いてきたがこの音は日本でもトップクラスと絶賛して頂いたのとこの音を聴いていたら演奏会にお金を払って足を運ぶ必要がないとも言って頂いたが社交辞令かも?遠方からわざわざ名古屋まで来ていただき有難うございました。私も秋になったらご訪問させて頂く予定です。


 今まで沢山のユニットを使ってきました、

フルレンジで特に印象が残るのは

GOODMANSのAxiom80、
ヴァイタボックスDU−120、
パイオニアPAX−30B、
ワーフェデールのスーパー8RS/DD、
コーラルのべーター10

と大変個性のあるユニットばかりだがその中でAxiom80は超が付く名器ですが私の好みとは多少違っていた記憶が残っている、

オーディオで一番難しいのはスピーカーです。
これが上手く鳴らなければいくらWE−300Bアンプを繋いでも良い音は望めない、

今までスピーカー遊びをしてきてわかったのはスピーカーこそボックスとボックスに使われる木の材質が決め手と痛切に感じた、

スピーカーボックスはユニット以上にコストがかかるから安く済ませるには平面バッフルが一般的、

私も色々やってきたが

平面バッフルの場合は16〜20cmクラスのユニットだと効果があるが

30cm以上を平面バッフルで使う場合は相当大きな板が必要になる。最低でも2m×2mぐらいのバッフル板を使わないとユニットの裏側から音が前に回り込んで低域が減少して中高域が喧しくなる。

低音が出ているように聞こえるだけで本当に出ているならピラミッドバランスになるはずだが残念ながら本当の低音は出ていない、

平面バッフルで聴くのなら16〜20cmクラスだと大きなバッフル板も必要なく楽しめるはずだ、

勿論バッフルも振動していますから良い素材の板を使いたいものだ、


ネットのユーチューブでスピーカーを検索してみると色んな方が見える。例えばユニットをボックスに入れずに単体で鳴らしているがこんなのまったくもって意味を持たない、裸で鳴らして何を聴かせたいのかこんな鳴らし方なら5球スーパーのスピーカーのが良い音で鳴る。

たかが20cmされど20cm

海外製ユニットでもこのクラスはコンパクトで大変人気がある。

アルテックの755EパンケーキやJBLのLE8T、ラウザのPM−6辺りは人気の的だがこのレベルに匹敵するのが「マネシタデンキ」の8PW1である。

このユニットもアメリカへ沢山輸出され好評だったらしい、アメリカには755EやLE8Tなど有名なユニットがあるのにゲンコツスピーカーが沢山売れたとはひょっとしてアメリカのユニットよりゲンコツのが音が良かったのかも知れない、

果たしてゲンコツスピーカーの実力はどの程度なのか大変興味が出てくるのだがゲンコツクラスだとボックスは適当、アンプは何でもよい考えで聴いているはず、例えは悪いが美人にボロボロの服を着せるのと同じでゲンコツは哀れだ、

アルテック、JBL、タンノイ、ハーベスなら拘りを持って楽しんでいるがましてや国産の20cmのゲンコツスピーカーなどメインスピーカーにはなれずサブシステムのスピーカーでしかないから多分出番は回ってこないのではなかろうか、

ゲンコツスピーカーをトランジスターアンプで鳴らすと5球スーパーや並4ラジオのスピーカーの音になってしまう、ここは是非良質な真空管アンプで聴かないとゲンコツが可哀想だ、

このサウンドを聴くとゲンコツスピーカーは十分世界に通用できる名ユニットの一つに加えてもおかしくないがゲンコツに限らずフルレンジはどうしても高域がやや不足する部分があるがそこはフルレンジの良さで音楽を聴かせるのが魅力だ、

次に聴いたのは流行歌で春日八郎の別れの一本杉、春日八郎は以前千葉県に所要で行ったときブログで有名なこばさん宅に寄って聴かされた名曲中の名曲だ、

GOODMANSのAXIOM22とWE−101アンプも素晴らしかったが、ゲンコツの場合は違った意味での良さもある。ゲンコツで昭和の歌謡曲を聴くと時代の雰囲気が良く出てレトロなサウンドになるが最近雑誌に載っている名ばかりの海外スピーカーではHi−Fi調になってこの哀愁に満ちた春日八郎の歌声はなかなか出てこない、

ゲンコツスピーカーを使っている方は多分50〜60リッターのボックスでサブスピーカーやセカンドスピーカーとして聴いていると思うがマランツ#7やWEのVT52、WE−618Cを使って300リッターで聴くゲンコツは一般的なゲンコツとは違う評価になる。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-041  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c13

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
14. 中川隆[-9660] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:28:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2802]

私のオーディオ人生 第6回ウェスタンサウンドの真髄と魅力を聴く by Y下
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-006

オーディオを趣味としてやっていらっしゃる、みなさんが非常に関心のあるウェスタンサウンドの真髄と魅力をご報告させて頂きます。
 

私の友人のM月氏より部屋をリフォームしたのでウェスタンサウンドの真髄の音を聴きに来ないかとお誘いがありました、

 私も過去には沢山のウェスタンスピーカーを聴いて来ましたがアンプからスピーカーまでオールウェスタンの音など一度も聴いた経験はありません。

果たしてウェスタンはどんな音なのか、聴かせていただく以上は検事の耳で聴くためには比較対照は私が使用していますマランツ#7、サンバレーのSV−91B(C−タイプ)とD/AコンバーターはModel−2を持参してウェスタンアンプとの違いを自分の目と耳で美化した建前論でなく本音で皆さんにお伝えしたい、

当日は私の友人であるN氏が同席して実況見分していただきました。N氏は大橋様の店主日記に一度登場しています。彼はSV−2(2007)でタンノイのオートグラフを鳴らされている方でご本人も同じウェスタンのシステムをお持ちですから大変参考になるのではないかと思います。


ウェスタンエレクトリックを知らなければオーディオを語るなかれ

 この文句はすべてのオーディオマニアについて言える言葉であるがウェスタンマニアやウェスタンを扱うビンテージショップ等は(ウェスタン以外はオーディオではない!)とウェスタン以外のオーディオを(小バカ)にしていますが、本当にウェスタンサウンドは別世界の音なのか、

 オーディオ雑誌の管球王国やMJ誌には必ずと言ってよいぐらい記事で取り上げられている、特に管球王国は諸先生方のウェスタン試聴記が載せられて誌面を楽しませてくれていますが、SUNVALLEY AUDIOの皆さんも実際にウェスタンサウンドを聴かれた方は少ないと思います。

 雑誌などの記事での文章だけでは音はわからないし自分のアンプを使用してなら比較対照できます。このような試聴ならある程度の音がつかめますが、一度も見たことも無い、聴いたことも無いビンテージアンプを接続しての試聴記事では残念ながら想像力すら沸いてきません、その答えを出すため今回は私が愛用していますサンバレーのSV−91Bとマランツ#7とでウェスタンアンプを比較すればその違いと全貌があきらかにはっきりと結論が出ます。ただし音の優劣を競うのではなくウェスタンアンプとSV−91Bアンプの違いがどの程度なのかSUNVALLEY AUDIOさんの皆さんも私も興味がそそるものがあります。

今回は「泣く子も黙る」ウェスタンサウンドの真髄と魅力をコラムをお借りして迫りたいと思います。


オーディオの源流

 ウェスタンと言えばスピーカー、真空管の300Bが巷では最高峰と言われていますが、オーディオシステムの中でスピーカーシステムは自分の個性が特に主張されます、

高いスピーカーは良い、安いスピーカーは悪い、とは誰も断言は出来ません。自分の好みに合えばそのスピーカーこそが最良の友であり伴侶でもあります。

ウェスタンサウンドを考えるとそれ以前のサウンドは蓄音機のサウンドであり、かの有名なビクトローラ・クレデンザがウェスタンの原点ではなかろうか、実際クレデンザのホーン構造を見ますとウェスタンの12A、15A、のカールホーンに良く似た構造をしています。(蓄音機の音等は良い音ではない)と思われがちですが、本当に良い音とは電気臭くない音ではないだろうか、生の音を良く聴きますと電気の音はしません、(エレキギター、シンセサイザーは別物)


生の音こそ自然な音です。音はすべてに生が基準になります。

 クレデンザのサウンドボックスを外してウェスタンの555ドライバーを実装して試聴した経験から不思議とクレデンザの音に非常に近い音になります。その時の印象ではアコースティクな響で現代の音とはかけ離れた音に脅威を感じました、これこそ電気臭くない自然な音なのかも知れません。

 アルテック、JBLはウェスタンから分かれた会社ですが、ウェスタンサウンドを聴きますと両者ともあきらかに音の違いが認められます。永い間アルテックやJBLでオーディオを楽しんでこられた方は最終的にはウェスタンに(はまる)方が沢山お見えでそれだけの魅力があるのがウェスタンかも、

過去のビンテージスピーカーでアルテック、JBLに限らずタンノイ、グッドマン、ヴァイタボックス、などの初期型のスピーカーはウェスタンの音色と音作りに一脈通じる気がします。皆さんもタンノイのスピーカーをお持ちの方が沢山お見えですがこのスピーカーも原点はウェスタンになります。タンノイでもモニターシルバー実装のオートグラフを私の友人宅で聴きますとウェスタンの香りが漂ってきます。このように書きますとウェスタンこそがオーディオの源流かも知れません。


ウェスタンシステムの概略説明

写真の左側がウェスタンのスピーカーシステムになります。

右側のホーン付きのドライバーがかの有名な555Wです。
このドライバーは励磁型と呼ばれています。

ホーンは12A,15Aとは違うストレートホーンの25Aです。


555Wのドライバーユニットのアップ写真でウェスタンエレクトリックとシールが貼ってあります。右側のスロートは15個の口がありこの部分へアタッチメントを取り付けて555Wドライバーを実装します。


ウェスタンとの比較試聴に使用しました我がサンバレーのSV−91B(C−TYPE)とマランツ#7、Model2です。SV−91Bアンプはサンバレー主催のペンションウィンズで行なわれたアンプ持ち寄りの会に持参したものです。

右側の写真は新藤ラボラトリー製の特注のネットワークでコンデンサーはすべてウェスタンを使用している。


使用アンプは Westrex の RA−1574パワーアンプの内部写真です。

使用している球は807パラプッシュで出力は150W×2の300Wの大出力アンプです。

頭にRAが付くのがレコーディング用でTAが付く場合はシアター用になります。

内部は私に言わせるなら「たまには掃除しろと言いたい」ぐらいのほこりだらけの汚いアンプです。

このアンプの価格はモノラール2台で¥250万以上もするそうです。


アンプ内部の使用トランスは不明ですがアンプのカップリングコンデンサーは私の大好きなスプラーグのブラックビューティータイプのカラーコードの入ったバンブルビーコンデンサーが使われています。


RA−1574アンプの正面よりの写真でメーターが付いているのがパワーアンプで下側が電源装置になります。

写真の右側がウェスタンの25Aマルチセラーホーンです。材質は鉄かダイキャストで出来ていると思います。ホーンの長さは約1mでこのスピーカーが劇場で使用されていたと思うと凄い


低音はウェスタンのTA−4181ウーファでサイズは46cmの巨大スピーカーです。

クロスオーバーは500Hzで使用しています。

右側の写真はこのシステムの所有者でM月氏です。これを見ますとウェスタン25Aのホーンの巨大さが理解できると思います。スピーカーボックスは米松合板の特注ボックスを使用、TA−4181と555WのタンガーバルブはSPボックス内に収容されています。

今回の試聴用CDプレーヤーはLINのNMIMIKを使用して試聴しました。


サンバレーSV−91Bで鳴らすウェスタンサウンド


 システムのラインナップ

CDP LINN MIMIK
D/A サンバレー Model2

プリアンプ マランツ#7

メインアンプ サンバレーSV−91B(C)

試聴CD アールヒーブ コジェーナのヘンデルの歌曲


すべての接続が完了して早速の音出しになった、

チェロの独奏が鳴り出した瞬間、素晴らしいの一言です。
チェロの胴鳴りと弦をこする震えが聞こえる大変心地よい響きでコジェーナの歌声がしびれるぐらい魅力的です。

音のバランスはピラミッドバランスになって押しの強いしかも奥行き感を伴った音である。試聴に立ち会ったN氏もただ唸るばかりだ、

このSV−91Bでウェスタンを鳴らすと今までの違う顔が見えてくる、例えを言えば水を得た魚のように生き生きと音楽が迫ってくる。

私も今まで沢山のウェスタンを聴かせて頂いたがこの音こそ紛れも無いウェスタンの音で私が聴いた限りでは自他ともに認める日本でもトップクラスの音だ、

このSV−91Bアンプは後世に残る名機の一つと言っても過言ではない、
SV−91Bをお持ちの皆さん自信を持って頂いてもよい、


勿論メインアンプばかりでなくマランツ#7、Model2 のすべてが良いのでこのような音が出ると思う、「良い音を出すには良いアンプを繋げば必ず良い音が出る」が私の自論でもある。


 持ち主のM月氏も言葉が出ないぐらいだ、M月氏いわく

「この音は木の香りがする電気臭くない音だ、私が以前に持っていたウェスタンの91Bアンプよりこのアンプの方のが低域が伸びて来る。」

と絶賛している。

木の香り?
音をお風呂で言うならポリのユニットバスとヒノキ風呂を例えにした違いなのか、


 確かにこのサウンドは枯れた音であるが、この音色はアルテックやJBLとは違う味のある独特な音を持っている、間髪を入れずに友人のN氏が

「このウェスタン555Wの音はY下氏のグッドマンの3Wayと非常によく似た音ではないか、グッドマンはもう少しスケールダウンした感じだ、」

確かに目を閉じてウェスタンスピーカーをじっくりと試聴していくとこの音は私の愛用しているグッドマンの 3Wayと非常に良く似た音色になっている、

イギリスのグッドマンはどちらかと言うと薄曇的な多少暗い音になるがウェスタンは多少明るい開放的な浸透力のある感じがした、

そう思うとウェスタンのスピーカーが無くてもグッドマンのスピーカーで十分である。

グッドマンと言えばAXIOM−80,AXIOM−301が巷では有名であるが、私の使用しているホーンタイプのグッドマンは多少音の抜けや音色がAXIOMタイプとは異なる。

 この点をM月氏に問いただすと

「グッドマンこそウェスタンサウンドに近い、ウェスタンのツィーターは594よりグッドマンのトレバックス100の方のが相性がある」

と指摘していた、

ウェスタンのレベルを上げて行くとグッドマンと変わらない音になるのか、グッドマンのレベルを上げて行くとウェスタンサウンドになるのか、グッドマンはウェスタンを意識した音作りのように思える。

M月氏はこのウェスタンスピーカーとは別に名古屋の日劇で使用されていたグッドマンのスピーカーを持っている。将来このウェスタンをすべて売却して最後はグッドマンで聴きたいと洩らしていたのが印象に残った、


私が想像していたウェスタンサウンドはもう少しアコースティクな音を期待していたが現実は多少違っていた、しかしこのサウンドこそ紛れも無いシアターサウンドで俗に言うコマーシャル的なサウンドだ、

こんな雄大な素晴らしいサウンドならもっと広い部屋で鳴らせば恐らく感動ものであろう、しかし現実的に日本の家屋では無理だと思う、


Westrex、RA1574 と SV−91B の比較

 いよいよ我がサンバレーのSV−91BとRA−1574との鳴き比べになった、

今までSV−91Bをじっくりと試聴してこの音色を頭で記憶するのではなく身体に記憶させた、音の違いを比較するには頭で覚えるとすぐに忘れてしまうが耳から入った音は身体で記憶するとすぐには忘れることはない、

 よく皆さんが仲間の音を聴きに行くとき玄関を入った時、音が出て無くてもその音がわかるのは身体が覚えているからだと思う、

 早速Westrex RA−1574を接続、プリアンプはマランツ#7を使用、果たしてどのように音が変化するのか三人とも固唾を呑んで見守った、CDは先程試聴したコジェーナのヘンデルの歌曲集である。CDをトラック4にしてボリュームを同じレベルに合わせた、

 先程のチェロの独奏から音出しでコジェーナの歌声が流れた瞬間、さすがにWestrex は違うと言いたいが残念ながら微妙な音の変化しかつかめない、多少高域がナローな音であるがSV−91Bとは差がでないがRA−1574は出力管がUY−807にもかかわらずWE−300Bと遜色のない音で鳴るのは立派としか言いようがない、

ただWestrexの方のがシアターサウンドらしい音の出音だけれども緻密さはSV−91Bのが良い、これにはN氏、M月氏も同感であった、

一番的確な違いを言うならRA−1574とSV−91Bとは音作りの方向性が若干ではあるが違うのが感じられる、その違いとはRA−1574は倍音の量が少なく感じるがSV−91Bのが倍音の量が多く感じる、その差ぐらいで音の広がり、ホールトーンの効いた奥行き感は変わらない、

RA−1574アンプは遥か昔の映画が全盛の時代のアンプである、これは好みの問題であり優劣の問題ではない、ただ一つ言えることは年代物のアンプなどは故障等のトラブルが発生しやすいがSV−91Bアンプは現代のパーツを使用しているのでこの点は安心感がある。

 本来ならここへSV−501SEを接続して違うサウンドを聴いて見たかったが、私個人として持ち合わせていないのが残念である、もう一台手持ちのSV−2(2007)を持って来たかったが、なんせ重量があり過ぎる、いずれこの組み合わせはN氏も同じウェスタン555Wと25Aホーンを持っているから楽しみは先送りにしよう、

管球王国などやオーディオ雑誌でのウェスタン試聴記の記事などを読むとウェスタンサウンドは別格の存在に見られるが、私個人としては別格な存在とは思えない、

ウェスタンのスピーカーシステムを鳴らすにはSV−91Bでも十分過ぎる位、素晴らしいサウンドを聴かせてくれるのがわかり大変勉強になった一日であった、


ウェスタンに思う

 私のオーディオ人生第6回のコラムはウェスタンサウンドの真髄と魅力を書かせて頂きましたが皆さんにウェスタンのシステムを写真付きで紹介しましたので多少なりと理解されたと思います。

 今回登場しましたM月氏ご本人は多少目が不自由なためアナログはやっていませんが耳は非常に良い持ち主でここまでウェスタンサウンドをまとめられたのは立派としか言いようがありません。勿論M月氏の人柄は大変良く「俺の装置はウェスタンだぞ」と王様になるタイプではありません。

世のウェスタン所有者はとかく王様になるタイプが多い、

「俺の装置はウェスタンだ、下々のマニアとは違う、」

と見下げた感覚で簡単には聴かせてくれないウェスタンマニアが多い、このようなマニアこそ私に言わせれば「猫に小判、豚に真珠」と言いたい、

ウェスタンマニアになるとケーブルからパーツ迄何でもウェスタンでないと気にいらない、(これは一種の病気としか思えない)

このようなマニアこそ良い音を出す術を知らない、また音さえわからないから音作りは他人まかせ、

ウェスタンだから良い音が出るだろうと思ったら考えが甘い!、

確かに上手く鳴らせば素晴らしい音になるのだろうが、本当に良い音で鳴らされているウェスタンマニアは極少数だと思う、これだけの大がかりなシステムになれば至難のワザだと感じる、

私はウェスタンサウンドが最高の音とは思っていない、

ウェスタンの10分の1いや20分の1の費用でウェスタンと同等の音は出るはず、それがオーディオの面白さだ!          

今回は高価なケーブルなど一切使用せずホームセンターで売られているケーブル類での試聴だがそれで十分である、

世にある高価なゴムホースのようなケーブルで音が良くなるのなら誰も苦労はいらない、そんな所に投資するならもう一台アンプを買うか好きな音源を集めたほうのが利口である。

 M月氏は沢山のウェスタンのアンプをとっかえひっかえして使ってきた豊富な経験の持ち主である、

苦労に苦労を重ねて最後はこのシステムこそ自分が求める音であると強い眼差しがヒシヒシと伝わってくる、彼にとってはこの音こそオーディオの桃源郷もしくは極楽浄土なのかも、

 もしウェスタンを聴いてみたいと思われる SUNVALLEY AUDIO の仲間がお見えでしたらいつでもご紹介します。その時は自分で製作したサンバレーさんのキットアンプを持ち込んでウェスタンサウンドを聴かれるのも一つは勉強ではないでしょうか、M月氏は心からみなさんを歓迎していただけると思います。お住まいは福井県の永平寺町に在住しています。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-006

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c14

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
15. 中川隆[-9659] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:28:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2803]

私のオーディオ人生 第3回懐かしきオーディオ仲間、コンコルド訪問記
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-003


同世代のO本氏のウェスタンエレクトリックの音

オーディオをやっていますとすべてが年上とは限りません、私の同世代の方も沢山いました。その同世代のオーディオ仲間の一人であるO本氏とオーディオショップで知り合いました。

彼は店舗などの構想図案を書いている方で彼とは大変意気投合してお互いに行ったり来たりの間柄であった。

彼のシステムはプレーヤーが松下製でカートリッジがデンオンのDL−103、メインアンプは自作でWE−205Dシングルアンプ、プリアンプも自作です。

スピーカーはウェスタンエレクトリックのドライバー、555を特注の12Aのカールホーンで音楽を聴いていました。

このウェスタンだけは家庭で聴く気が起こらない。

部屋の中に排気口のダクトのようなものを2つ設置して、かぶりつきでスピーカーの前で聴く、こんな不自然な聴き方がウェスタンなのか?本来はウェスタンのスピーカーは劇場の銀幕の後ろに置いて鳴らすスピーカーなのに、一般家庭に持ち込んで聴くスピーカーとは思えない。

ウェスタンのスピーカーを聴かせるときは決まってドリス・ディーのレコードが定番になっている。

クラッシックのバイオリンなどの弦楽器を鳴らすと振動板がアルミのせいなのか高い音が冷たい響きになる。

どうもコスル音は苦手なのかも、ただし映画のサウンドトラックのレコードをかけると確かにその魅力に惹かれるものはある。

ウェスタンの555の音は中域が少し喧しく聞こえる、このスピーカーを上手く鳴らすのは至難の業だと思う。

それより音を聴く前にあの排気口のようなダクトが気になって音楽どころではなかった記憶がある。

O本氏のウェスタンを聴くと世間で大騒ぎするような特別な音ではなかった、鳴らし方が悪いと言えばそれまでだけど、ウェスタンはもっと大きな部屋で鳴らさないとその良さが出ない、劇場のスピーカーを家庭に持ち込んで聴くのは、どだい無理のような気がした。

コンコルド訪問記

 真空管アンプを製作されている方で、千葉県の館山にありますコンコルドの佐久間駿氏をご存知ない方はあまりいないと思います。

 雑誌のMJ誌やラジオなどでエッセイを披露されている方です。

 佐久間駿氏は真空管アンプ界では国内はもとより海外でもその知名度をお持ちの66歳になられる方で直熱3極管アンプのオーソリティーで、佐久間トーンの愛好家が全国に沢山お見えです。

 レストラン・コンコルドで佐久間氏製作のアンプ試聴会もたびたび行なわれているようで、このコラムをお読みの方で実際に行かれた方もいると思いますが、写真も沢山撮らせて頂きましたので、今一度写真を見ながらこの訪問記を読んでいただければ幸いです。

 6月の後半に所用で千葉県に行ったおり館山のコンコルドに寄る機会が出来ましたので皆様にはコンコルドのすべてとはいきませんが、私が訪問して佐久間トーンの音を聴かせて頂きましたから、その報告と内容をコラムでご紹介します。

 佐久間氏は初対面にも関わらず、にこやかに私を向かい入れて下さいました、私は名古屋から来ましたY下と自己紹介しましたら大変嬉しそうな顔をして「遠方から来ていただける方は本当に嬉しい、今日はゆっくりとコンコルドの音を聴いてください。」と人柄の良さを感じる佐久間氏です。

 佐久間氏の愛用のスピーカーは、アルテックのA−5、クリプッシュホーン、ローサ、ウェスタンエレクトリックの4つのスピーカーがあり、この中で佐久間氏のお気に入りのローサとウェスタンを音量を上げて試聴させて頂いた。

 ウェスタンの555から奏でる音は芳醇な密度のある音質でこれがウェスタンとは思えない大人しくて優しい音です。

 レンジはナローレンジですが音のまとめ方は素晴らしいの一言で、これぞ匠のワザです。このウェスタンで聴いたチェンバロの音はウェスタンらしからぬ音で、今まで沢山のウェスタンを聴いて来ましたが、ここのウェスタンだけは他には無い、シットリ感のある癒し系の音です。

 次に聴かせて頂いたのは、一つのボックスに入った英国のローサの4発入りのスピーカーです。

 このローサのユニットはすべてビンテージ物で、私も初めて見るユニットです。
この4つのユニットは大変ユニークな取り付けになっています。

 アンプ側のスイッチの設定で同時に4つを鳴らすことも出来、個々でも鳴らすことの出来る面白い発想のシステムです。同じローサでも年代が違えば音も違う大変遊び心のあるスピーカーで、私も始めて体験した。

 私個人も英国のスピーカー党ですが、このローサも魅力のある音で大変捨てがたい渋みのある音色です。

 私も現在、グッドマン、ヴァイタボックス、ステントリアンの3種類を愛用していますが、やはり英国のスピーカーは音質より音楽を聴かせてくれる音楽性のあるスピーカーと思います。

 先程のウェスタンとローサを比較しますと不思議と同じような音になっています。

 オーディオは不思議なものでスピーカーを変えれば音は変わるはずですが、その人の感性でチューニングしますと同じような音になってしまう。

 佐久間氏にはオーディオマニアのファンもいれば、演奏家の方も沢山支持している方もいると聞かされましたが、この音を聴きますとうなずける部分もあります。

 佐久間氏のウェスタン、ローサを845のアンプでじっくりと聴かせて頂くと、現代のスピーカーとは一線を引いた音ですがこの音には好みが分かれると思う、私のビンテージスピーカーとウェスタン、ローサと比較しますと共通点のある部分があります。その共通点は中域の響きを大事にして音楽を美味しく聴かせてくれるです。

 コンコルドには2時間程いましたが大変勉強になりました。

 帰り際に佐久間氏が「Y下さん車で名古屋に帰るなら綺麗なネェちゃんばかり見ていると事故になるから」この一言だけがコンコルドの音やアンプより印象に残りました。(笑)


レストラン・コンコルドの店内の様子
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-003


アルテックの低音用とウェスタンのSPウェスタンは上向きに付いている テーブルの上には製作されたアンプ郡がいっぱい置いてある

コンコルドに入って右側に佐久間アンプが山ほど置いてある 後方にはアルテックのA−5右側にはクリプッシュが設置してある

電蓄に似たウェスタン555のドライバ―とアルテックのホーン 非常にユニークなローサの4発入りスピーカー

ローサのPM−6角フレームタイプが見える
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-003

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c15

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
16. 中川隆[-9658] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:31:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2804]

私のオーディオ人生 - SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) 第36回 最後の真空管自作アンプ

ウェスタンサウンドは人の声が良い


 今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、

ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、

聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ、

また劇場用のサウンドは観客席に攻めてくるサウンドが特徴ですが、以前有名な方がウェスタンの594を持ち込んで試聴会を開いたことがありましたが、ウェスタン特有の音の浸透力に乏しくこのサウンドには魅力を感じなかったのが残念であったが人の声だけは良かった、

 ウェスタンのシステムを採用した劇場を調べますとピンク映画館が多いのがわかった、

なぜならピンク映画館の女性の声は生々しく聞こえないとしらけますね、

特に人気のあった日活ロマンポルノあれは良かった!

 ウェスタンで聴かされる大事な場面での彼女達の声に色気があった、

今思うとウェスタンサウンドは人の声は素晴らしい!
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-036

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c16

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
17. 中川隆[-9657] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:36:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2805]

クレデンザは HMV に敵わない
ウェスタンエレクトリックはロンドンウェスタンに敵わない
JBL はグッドマンに敵わない


NHKの「美の壺」というテレビ番組で紹介されていましたから HMVロイヤルという機械式蓄音機を御存知の方も居られるでしょう。

クレデンザなどは下々のものでいわば大衆機、
HMV202や203こそがSP再生の極致である

とは某エンスージャストの言ですがロイヤルは203や202とは全く比較にならない名器だそうです。

英王室に一台、EMIに一台の世界にたった二つの品です。
そのどちらかが20年以上前に銀座某社経由で日本にもたらされ、五十嵐所蔵品になりました。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html


▲△▽▼


HMV203 Plays Jacques Thibaud - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ttzTw2OvhXg

株式会社シェルマン アートワークス HMV203
http://www.shellman-aw.co.jp/Site/HMV203.html


英グラモフォン社

サイズ W×D×H : 71×56×127 cm 


価格:お問い合わせください 1年保証*


名器クレデンザの基本設計をベースにさらなる改良を加えた、名実ともに世界最高の蓄音機。ビクターのオルソフォニック・サウンドボックスを英国流に改良したNo.5Aサウンドボックス、クレデンザより開口面積で20%程も大きいリ・エントラント・ホーン、優雅なマホガニー製キャビネット、上品な艶消し金メッキ仕上げの金属部など、一切の妥協を排した最高級モデルの名に恥じない逸品。


まさに「蓄音機のロールスロイス」です。


シェルマン編の取扱説明書、鉄針200本、ストロボスコープが付属します

http://www.shellman-aw.co.jp/Site/HMV203.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c17

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
18. 中川隆[-9656] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:41:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2806]

僕の好きなコンポーネント(スピーカー達)
Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)2010/02/03
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-139.html


先日バレエ「白鳥の湖」を見てきた事を記事にしました。


原音再生は戯言だけど、演奏会のイメージを追及する
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-132.html

ホールがオペラハウス形式でもあり、2階のバルコニー先端で、オケピットから10mほどの近距離という貴重な体験をしました。

そのときに聴きながら、ボーっと「この音はA-5の音だなあ」と思っていました。
ALTEC A-5は実に演奏会のソノリティの味を持ったスピーカーだと思います。


スピーカー (振り返って2)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-67.html


ALTECはA-5しか使ったことはありませんが、A-7(これは近所の喫茶店、シルバービートさんで逢ったKさんが使っていました)も家庭用のカーメル(友人のHさんが使用していた)も、本当に音楽をよく知っている人が作ったスピーカーだと感心させられます。


お宅訪問記 1
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-46.html

訪問記 2
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-48.html


後半には席を後方へ移動し約30m程の距離を置いて聴きました。
よりハーモニーは融合し、ホールトーンに包まれる感じが強くなります。
このときは、流石にEurodyn(パーマネント)は良くできたスピーカーだったと思い起されました。

スピーカー (振り返って2)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-67.html


この2機種に共通なものは何か?

そうです。どちらも15インチウーハーとコンプレッションドライバーの2Wayであることです。
なるほど、改めて演奏会を聴きながら考えると、自分はこの式のスピーカーが好きなんだなと確認できました。

これらの他には、A-5と同じ設計図で作ったような Westrex London .Ltdの2080&2090型があり、Vitavoxのバイトーン型があります。この2機種は使った事がありません。


Westrex London.Ltd 2090ドライバーと独特の形状をした10セルホーン。
http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/1020cell3.jpg


買っちゃおうかなー。置くとこ無いな

Westrexは何度か購入のチャンスがあったのですが、バフル(フロントホーン)が入手難でついぞ縁がありませんでした。そんな訳で、これは憧れのスピーカーですね。
まあ、ドライバーはALTEC-288ですし、ウーハーも見た目515(フレームの隙間に羊毛綿みたいのが詰まってますが)です。A-5を手放してしまってこれを買うのが申し訳ないっていうのが、心の底にあるかも知れません。

A-5やEyrodynは全てにおいてバランスがいいですね。
帯域は広すぎず、狭すぎず。直接音と間接音のブレンドも絶妙!
本当に劇場に居合わせた雰囲気で音楽を聴かせてくれると思います。
一般に広い部屋が必要だ!みたいな言われ方をしますが、専用室なら8畳もあればちょっと吸音に気をつければ充分です。

「言われ方」で思い出しましたが、日本の雑誌を読むと、これらのような構成のホール用スピーカーは
「広い場所で多くの観客に聞かせる為に、パワーの入る設計がされており、迫力のある音を出すが家庭用としては音が荒いのが難点」

なーんて評ばかりでしたし、その頃に話を聞いた販売店のお兄さん達も揃って同じようなことを言っていました。
イタイケな少年だった僕はそれを真に受けて仲間と話す時には、受け売りの業務用スピーカー評を展開していたのでしょう。

A-5を購入した時に、ハタと気付いちゃいましたよ。
ひょっとして、世の中の評価ってほとんどが受け売りなんじゃないだろうか! ってね。

それ以来 「てめーの身銭で買って使ったモノ意外、その製品について語らないぞ」とココロに念じました。


コメント

写真にある2090ドライバーはアルテックの288と外見はそっくりですが、重さは1、5倍で音色もまったく異なります。2090ドライバーは後期になると角型からカボチャ型になります。ウーファーの2080もアルテックの515と似ていますがコーン紙が随分異なります。とても重いです。この組み合わせは2040アンプや2042アンプなどで鳴らされていましたが、低域に特徴があります。

2010/04/05(月) 19:22 | URL | かめきち #

Re: タイトルなし

かめきちさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

2080、2090お使いなんですか、いいスピーカーですね。
僕も数回すれ違ったんですが、撫で回しただけで結局我が家に来て貰う縁がありませんでした。

音については、きちんと鳴らせば同じ音楽が聴こえる。という程度の駄耳なものですから、出りゃーもうけもの!ですね。
これらの優秀な機械が、正確に動作してえらい違う音になるのは、多分別の原因でしょうから。

2010/04/06(火) 02:31 | URL | kaorin27 #


http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-139.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c18

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
19. 中川隆[-9655] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:42:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2807]

Western Electric Sound System
Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽) 2010/05/03
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-179.html
連休の混雑が始まる前にと思い、北関東にあるショップへお邪魔してきました。

こちらは、20年来のお付き合いでNeumannのDSTを初めて購入したお店です。
僕が横浜にいる間に買い物をしたとき、お盆休に係わらず社長一人で長野まで配達(の常識を超えてます)して頂いた思い出があります。


お店に入り、相変わらずRockな社長さんと挨拶を済ませると「WEを聴いていってよ」と別棟へ案内されました。

http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03080.jpg


部屋の広さは40畳近いでしょうか、以前はバーカウンターがありましたが現在は溢れんばかりの在庫と、正面のWEのシステムを聞けるようになっています。

この装置の主役はなんといっても・・・

http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03081.jpg


17-A Hornですね、シングルの7-Aアタッチメントが付いています。
こんなに間近で見るのは初めてで、何よりその威容に圧倒されます。  つまり、デカイ!

低域はTA-4181+TA-7395(かな?)のバッフルが組み合わされています。

アンプは正面の41+42+43では無く、ALTECの1570(91型のリプレイスメントで使われた?)です。

社長は母屋の方へ戻られたので勝手にレコードをかけさせて頂きました。
D・デイ with A・プレヴィンのJazzヴォーカルです。

低域から高域まで揃った響きが充分に乗ったWEらしい実体感のある音です。
スピーカー群のある範囲に定位し、グランドピアノも実物大をイメージさせる音像が出現します。

最新の装置が(私には)音像にクマドリを付ける事で分解能とメリハリを獲得しているように聴こえる場合があるのに対して、この時代の装置は空間に音像がポッと立ち上がって聴こえるように感じます。

「こりゃあ、女性ヴォーカルを中心に聴く人には堪らないだろうな」と思いました。

http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03089.jpg


こちらは、母屋にあるWE-91アンプ


これは、後日談ですが、帰宅してからEuropaで(クラシックの)女声リートを何枚か聴いてみました。
まー、家の音はステージが遠いし、音像に響きが乗るというよりは会場の響きが感じられる音で全く正反対と言っても過言ではないプレゼンスを示します。
(録音をする人のイメージの違いが影響大ですが、我が家にはJazzのレコードが無いし、聴かないのでこれでよいのでしょう)


母屋には、別に41+42と43アンプが聳え立っていました。


http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03078.jpg


この写真の左下の黒いのは、すこぶる状態の良いWE-4194です。
思わず、「これ下さい」と言いそうになりましたが、勿論置く場所もお金もありませんので、「空耳」でしたね。


でも、こんな世界が手元にあったらと思う気持ちには変わりません。
チャンスが訪れたら(そうする努力は続けますが)、Westernの示してくれる音楽の世界を楽しみたいと思います。


有限会社 ウエスタンラボ
埼玉県所沢市荒幡513-5
04-2925-5550
水曜休
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-179.html


Westrex co. London LTD.
Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)2010/05/04
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-180.html


前回のWesternを聴いたお店での続報です。

以前に、Westrex Londonの2080、2090スピーカーが憧れであると記事を書きました。


僕の好きなコンポーネント  (スピーカー達)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-180.html

2090は中高音用ドライバーの型名ですが、今回お店の在庫の中に不思議な物を見つけてしまいました。

http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03070.jpg


これがその現物です。

どうです、ちょっと変でしょう?
銘板の部分をアップで撮りました。

http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03087.jpg

「20/80」と明記されています!!

最初はウーハー用の銘板を間違えて貼っちゃったんだろうなあ。と呑気に考えていましたが、よく見ると確かに「H.F.UNIT」と書かれています。
中高音ドライバーに間違いありません。

それで、ムムムム・・・となってしまったのです。

Londonのユニットにお約束の出荷タグもオリジナルのようですし、どうらや間違いではなさそうです。

ヴィンテージのオーディオ機器を長年に渡り見ていると、結構な数の「例外品」や特注品と見られる「規格違い品」に出会うことがあります。
しかし、同時期に同一名で違う機種というのはあまり記憶にありません。

Londonのスピーカーの資料にも2090は2090として記載されています。

銘板の上にシリアルが刻印されていますので、幾つかのサンプルがあればせめて、製造の時期くらいはアタリを付けられるのですが、持ち合わせは当然のこと使用中の方もそれ程は存じませんから、謎は闇の中です。

拙ブログをお読み頂いている方の中には、当該機種をお持ちの方もいらっしゃるようですから、ご教授いただければ幸いです。
シリアルと型名だけでも是非ご連絡下さい。


さて、現時点でテキトーに考えると、Westerex Londonで家庭用に木目仕上げのBOXに入れたスピーカーシステムを販売していたことがあったようです。
その型式が正に「20/80」であったことと関係があるのかな。と思ったりしています。

多分違うでしょうが・・・

未知のモノに出会った時には、現物の検証が大切ですが、この検証の為に「20/80」システムが欲しくなった事は言うまでもありません。

http://blog-imgs-29.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC03085.jpg

こちらが、ふつーに言われる「2080」L.F.UNIT うつくしー! 

あっ、検証の為に欲しいってのはウソです。
ただ物欲で、このスピーカーが欲しいだけです。 
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-180.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c19

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
20. 中川隆[-9654] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:43:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2808]

スピーカー (振り返って)
Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)2009/06/02
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-66.html


小さな取りこぼしはあるにしても一応アンプ関係が終了したところで、スピーカーに移るわけですが、現在は1セットしかスピーカーを使っていませんのでこれまでに使って来たものを振り返ってみたいと思います。

所謂ヴィンテージオーディオとは20歳過ぎに出会いました。当時はまだデジカメの存在すら知りませんでした。

よって、古い写真をさらにデジカメで撮ったデータを使います、画質についてはご容赦下さい。

部屋は6畳、2階のまあ普通の日本建築の子供部屋です。床はふらふら、壁はポコポコ。オーディオの常識では「使ってはいけない部屋の条件」を見事に全て満たしています。

最初に手にしたヴィンテージスピーカーは

Western Erectric WE728Bx2 と WE713C+WE31の2Wayです。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC01998.jpg

モノラル専用でしたので、ドライバーは1本でした。


これで、6dB/Octのネットワークの実験をさせてもらいました。

713Cのアップ
http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC01999.jpg


スピーカーに教えられたことで一番印象深いことは「良いスピーカーは部屋の環境(エアヴォリューム)を学習する」でした。

このスピーカーを、良い音だ。と感じるには7年の歳月を必要としました。
思い返せば最初の4,5年は何も解らなかっただけですが。

L・ボベスコの弾く「フォーレ」の小品がスピーカーの面から7m(冗談でなく7mと確信していました)奥から鳴ったのです。

低音も高音も全く意識の外になり、ただボベスコが家に来てくれた。と実感できた鳴り方でした。

これはよく言われる「天使が降りてきた」状態で、翌日には天使は別の家へ遊びに行ってしまいましたけど。

オーディオを長くされている方は経験ありますよね。アンプの電源をOFFにするまでは居てくれる天使を見たことが。


それまでは728Bで四苦八苦していたので、2台目のスピーカーを買うことは想像だに出来ませんでしたが、やっと、意を決して求めたものが両翼にある

Lowther PW2です。

ユニットPM-6は底板(足で20cmくらいあがっている)に設置され、延長2m近くもある木製の折り返しフロントホーンで上部に見えるテグスのネットの開口から音は放出される優れものです。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02000.jpg


もし、どこかで入手可能であればもう一度使ってみたいスピーカーのNo.1です。
まあ、バフルに遮られ我が家では置き場所はないんですがね・・・

ある日の深夜2時頃、クナのパルジファル(フィリップスの有名なバイロイトライブ)を聴いていたところ「気まぐれ天使」がやって来ました。

目を瞑ると、どう考えてもピットのオケは階下から聴こえますし、歌手はその奥のステージに立っていました。

「やったー!」と叫んだのですが、その内気持ちが悪くなってきました。

寒気が酷く、体温を計ると「38度強!」
やばーと思い明日は会社休もう。と決めて早々に寝ました。
翌朝、嘘のように体はスッキリ。でも、気持ちは決まっていたので、課長さんに電話して欠勤の許しを得ました。

もう、お解かりですね。
会社を休んで、昨夜の続きを聴きたかったのです。

もちろん、そんな不遜者の処に天使は来る筈もありませんでしたが・・・
課長さん、嘘ついてごめんなさい
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-66.html

スピーカー (振り返って2) 2009/06/03
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-67.html

引越しをしてほんのちょっと(7畳半)部屋が大きくなった30代前半はオーディオ迷走時代だったと思います。

「天使」の存在を知ってから狂っちゃったんでしょうか?まさにオーディオの魔力ですね。

使ったスピーカーの全てはとても紹介できません。
その中で写真の残っているものを中心に幾つか記してみます。

ALTEC A-5 (515、288、N500全てオリジナル)
http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02002.jpg

(どこを探してもWE555の写真がないのですが、上の写真左側のホーンが555です。)

箱はH110で通常の828等よりは多少大きめでした。

続いてアメリカ系のJensen H15同軸入り

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02003.jpg


これは一瞬だけで、すぐに友人宅へ嫁いで行ってしまいました。

そして、いよいよEurodyn(Kl-L438 パーマネントの初号機)がやってきました。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02004.jpg


高さ1500mmx幅900mmx奥450mmの後面開放(ラワンで作ったボロイ自作)に入れました。


これまで10数台のスピーカーを買ってきたと思いますが、購入に際して一つだけ共通点があります。

どれ一つとして事前に聴いてから買ったものがありません。まあ、田舎暮らしですから、そんな機会もほぼ無いのですが、このEurodynも当時お世話になっていたお店に遊びに行った時、床に置いてあったのをそのままHonda Todayの荷台へ押し込んで持ち帰ったものです。

深夜に帰宅後、とりあえず裸のままでアンプに結線し音だしだけはしてみようと・・・

その時のアセリ、絶望を何と表現したら良いでしょうか?
間違いなく人生で一番の衝撃でした。

ウーハーが鳴っていない!!! 
世界記録を出しそうな勢いでウーハーに走りより耳を押し当てました。

「・・・・・んーーーー」

わずかハムの音がします。その時の安堵感も表現の方法がありません。
勿論、直ぐに箱に入れて聴き始めしたが、それからの約2年はウーハーの音が殆ど聴こえない、長島先生の名文句「怪鳥の叫び」を聴き続けることになりました。

結局、その時期の苦労が例えようも無いほどの財産になったと思います。

@始めから低音の出るスピーカーは成長の伸び代が少ない。

Aスピーカーの背面の壁は吸音性にする。(後面開放ですから、当然でしたが)

Bインピーダンスマッチングは親の次に大切。


・・・・等など沢山の、今に続く自分の中のフォームを固めていった時期でした。

Eurodynは「大リーグボール養成ギブス」だったんでしょうね。・・・・とうちゃん
それにしては、随分バネの強いギブスでしたが。

現在に至るまでこのときの音は自分の「キャリアハイ」です。
1週間に4、5日も「天使」が遊びに来ていました。まさに蜜月時代でした。

オーケストラは家の外へ飛び出し、隣接する線路(私電)の上に整列し、バイオリンのユニゾンでも奏者が何人か数えられるような精密な再現を見せたのです。

終の棲家を手にして、この蜜月は一生続くと思っていたのですが・・・

コメント

豪華履歴に唖然

パラゴン、オートグラフ、ハーツフィールドと並べる様な人達がいる事は知っていました。今更驚きません。

だとすればこう言う人がいても不思議はないのかも知れません。けれどパラゴンを買う人達とは少しばかり御趣味が違うようです。その履歴に驚きました。今まででも既に十分感心していたのです。現在のラインナップから過去の履歴だってただじゃ済まない事は充分に予測がつきました。

その予測さえ超えるラインナップにただ感心しています。

自作後面開放にいれたパーマネントのオイロダインがあえて言わせて頂ければ現在の私に少し近いかな。私が平面バッフルを着けたのは最近の事でそれまで裸で鳴らしていました。低音が出なくて困るといった経験が私にはありません。怪鳥の叫びを聞いていません。

裸だと低音の量が下がるけれど質は悪く無いのではないか。

箱に入れると量は増えるけれど質は下がるのではないかなどと考えていたのですが、違ったようです。箱に入れた事で量が増える事はありませんでした。コントラバスとオルガンの差が明瞭にベースラインがつかみやすくなりました。むしろ質に変化がありました。やってみないと解らないものですね。自分で経験出来る事には限りがあります。数々のご経験ご披露頂ければ幸いです。
2009/06/04(木) 12:37 | URL | kawa #-[ 編集]

Re: 豪華履歴に唖然

kawaさん、こんにちは。

仰る通りEyrodynのようなスティフィネスの低いスピーカーは箱の力を借りて低音の量感を出すには不向きな性格ですね。だからこそ精密描写が可能なのだと思います。
箱に入れた当初も全く低音感は増えませんでした。
その時も「やっっちまった」事が多々あり、勉強をしながら少しづつ馴染んでいったんだと思います。

バカみたいにスピーカーを買い換えていましたが、思い返すと「これが欲しいから、貯金をしてでも」(仰るところの何時かはクラウン的な)と思いつめて買ったことがありません。
この辺りが、JBLとTannoyにめぐり合っていない理由でしょうか。

偶々出会いがあったからと、有名な登山家みたいな理由付けでローンも組みました。(涙)
おかげで、支離滅裂な過去を晒すことになり大変お恥ずかしい限りです。

2009/06/04(木) 13:15 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-67.html


スピーカー (振り返って3) 2009/06/04
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-68.html

ご覧いただいている皆さんもこんな気持ちになったことはありませんか?

自室の音に不満のある間はしゃかりきになって音を聴き、藁にもすがる思いで調整を繰り返し、オレはオーディオをいじっていたいんじゃないんだ!

オーディオを気にせず好きな音楽を心ゆくまで聴きたいんだー。と念じていたはずなのに、ある瞬間、納得のいった音が出たとたん、レコードに手が伸びなくなる・・・

吉祥寺のJazz喫茶マスターはそれを「倦怠期」のように表現していましたね。

ある日、大恩ある方からおまえの Eurodyn を譲って欲しいと依頼があり、反射的に了解をしていました。100%以上の満足は人を満足させないのかも知れませんね。
それほど、Eurodynは傑出したパフォーマンスを示していました。

以降は、それまで補欠扱いだったA-5も私に仕返しすることなく充分に活躍してくれたのですが、心の壁にポッカリと穴が開いたような虚脱感は拭いきれませんでした。

その後、その方から「もっと凄いEurodyn(フィールドのこと)が入ったから使うか?」と電話を貰い、再度一から挑戦することになったのですが・・・

家も立て部屋も大きくなり、壁一面にスピーカーが並んでいた頃。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02005.jpg

自分の実力じゃ、どれ一つとしてまともに鳴るわけないんですけどね。一人でご満悦でした。

勿論、そこにハッピーエンドはありませんでした。

これこそ、我が家に伝わる「バンビーノの呪い」の伝説です。Red Soxは86年ぶりに見事ワールドチャンピオンになりましたが、我が家は、まだ解けていないのかな?

当然ですが、呪いではありません。下の通り、日本のオーディオシーンでは当たり前のバフル(バフルを床に自立させてスピーカーを中ほどに付ける)で使っていました。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DCP_0160_convert_20090604142735.jpg


ご覧のようにWEばりの梁をバリバリ付けて補強しました。

Klangfilm の資料に範を取り製作したので、当初は無かったもので後付けです。
ご想像の通り、低域の解像度が低く耐えられなかった為です。

誤解を招かぬよう申し添えますが、このバフルの方式が悪いということではありません。
要は、スピーカーとのコンビネーションの問題です。

足るを知らない心の隙に魔の手は忍び込み、更に、哀れな自惚れ者には新築3ヶ月目にしてどん底へと突き落とされる審判が下ったのでした。

 「君、4月1日から、横浜だから。 おめでとう。」 
         
             「うそっ」

http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-68.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c20

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
21. 中川隆[-9653] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:43:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2809]

スピーカー  英国の音
Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)2009/06/16
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-73.html


少し前に Lowther PW-2 について記載し、情けない未練を告白してしまいました。

スピーカー (振り返って)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-66.html


現在は Klangfilm 1本でやってますが、英国への憧憬は未だ絶ちがたく、四十男の未練話にもう少しお付き合い下さい。

Stentorian HF1012  10インチユニットを個性的なキャビネットに収めたシステムです。


http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DCP_0385_convert_20090616135011.jpg


ユニットは中ほどに上向きに設置され、背面の音は下向きに放出され若干の低域補完を致します。

ユニットの取り付けの様子。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DCP_0331_convert_20090616135144.jpg


また、ユニット前面の音はこの「逆円錐型ディフレクター」により360度に拡散されて放出されます。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DCP_0386_convert_20090616135212.jpg


他の英国製ユニットと同様に、通常の箱に入れては高域がチリチリと神経質な音を出しやすいようですが、上手くバランスを取ってやると、正に燻し銀のえも言われぬ上質なプレイバックを見せます。

読書中やアンプを弄っている時のようなシチュエーションには最高のスピーカーでしたね。
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-73.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c21

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
22. 中川隆[-9652] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:46:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2810]
最近疑問に感じる事、タンノイのSPを駆動するのは真空管が勝るが、一番相性の良い真空管は何れか? 2019年05月05日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f9b4c644cda1475c83ae443b59a5eeeb


最近不思議に思うは、何故五味康祐氏は数ある真空管アンプの中よりマッキントッシュを代表する真空管ステレオパワーアンプ MC275定格出力:75W+75W(4/8/16Ω)150W(2/4/8Ω)を選んだか?

TANNOY Monitor 15"は能率悪いSPともおもわないが?TANNOYと言えばやはり、五味康祐氏の話に触れないと、お座なりなの気分になる。

これまで、氏は、原稿料を前借りしては、音に心血を注いできた。その氏が、オートグラフの存在を知ったのは、確か、ヨーロッパ旅行のおり、スイスの音キチ青年にカタログを見せられたのがきっかけであったらしい。帰国後、そのカタログの情報だけを頼りに、タンノイ社にエアメールで注文を出した。注文を受けたタンノイの担当者は、さぞかし驚いたにちがいない。あの敗戦国の日本にそんな御仁がいようとは、と・・・。

1964年(昭和39)のことである。この年の秋から芸術新潮で「西方の音」の連載が始まった。そして氏のオートグラフへの求道は、多くの信者を惹き寄せたのである。


そして購入された物は1964年にユニットには15inchの同軸2ウェイユニットが採用されており、初期はMonitor Silverで、その後Monitor 15"(Monitor Red)、15" Monitor Goldと搭載ユニットが変更されています。オートグラフも改良を加えた15"のMonitor Red第2世代の物のようです。

駆動するアンプはマッキントッシュを選び聴いていた様ですが、QUAD AD-22+U×2またはWE社WE300Bを使用したシングルアンプは WE91B などより何故マッキントッシュを好んだのかが今も不思議に感じます。

タンノイ社の推奨ではアンプはQUADカートリッジはDECCAを推奨している、
何故他のメーカーを選んだのかが疑問である

出力は小さいがWE300BのWE91Bも当然候補に上がると思うのだが、何故かMC275を使用したかが疑問です。


でも一つ納得出来るのはマッキントッシュが一番出力が大きく、オーケストラ演奏にも不満はないが通常自分の部屋で聴くには2〜3Wで十分とおもうがオートグラフにはマッキントッシュが相性が良かったのか不思議に思う。実は私もマッキントッシュのC-29を使用していましたが、私の目指す音質とは違い2年程で終焉を迎えた。現在TANNOYオートグラフを300Bで鳴らしている方も多いようですのでその辺りは解明してみたいですネ♪


因みに筆者ははAXIOM80 TANNOY(VLZ)で300Bのアンプで聴いていますが、粗満足しています

調べるとVLZにはQUAD AD-22+U×2が良いそうだが現在は程度の良い物は少ないようです。

以前音楽の友の社のおまけのプリメインアンプ 2W☓2で聴いたときは音質は問題はないが、流石オケのフォルテの部分は力不足を感じたが普通に聴くには全くストレスは感じなかった、もしKT-66 またKT-88が優れているなら今後の問題として考えていきたい?


先日購入したPSVANE 300B Hifi 真空管もエージングが進み300Bの本領発揮してきたようだ、

例えばピアノ演奏の音は研ぎ澄まされ透明度が増した、以前より数段上手く鳴る様になったBach:

Goldberg Variationsの最後のアリアでGlenn Gouldがゆったりと奏でる音に混じり、なにかつぶ

やきが?ハミングが聴こえ実にライブ感を味わえる、このあたりの表現が真空管の表現が良い。

連休も終盤に近く今回購入のAWA社ブランドの6BM8/PCL82を辛抱して聴き続け多少のエージング効果が出た感じがするようになった、今後エージング効果が進めば益々期待はできそうである。

でもこれだけは言える、・・・・・

我が家のTANNOYは歌曲等人の声を聴くなら断然真空管が勝るようだ、ブラボー!


6 コメント


五味康祐氏 (WE22)2019-05-06 23:10:16

五味さんは 91 を知らなかったと思います。本人の実家は戦前、映画館を経営していてWEの555を使ったホーンシステムは聞いた記憶があるといっておりましたが、アンプ関係はほとんど知識がなかったと思います。

WEのアンプはレコード再生用には作られていないのと、当時はそれらはまったく一般的ではなかったようです。

WEが世に出だしたのは八島誠さんがS55年頃これらの紹介と販売を始め手からです。

「MJの八島誠コレクション」参照。


八島誠コレクション―日本一のヴィンテージオーディオ収集家 – 2006/6
MJ無線と実験編集部
https://www.amazon.co.jp/%E5%85%AB%E5%B3%B6%E8%AA%A0%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E5%8F%8E%E9%9B%86%E5%AE%B6-MJ%E7%84%A1%E7%B7%9A%E3%81%A8%E5%AE%9F%E9%A8%93%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4416105029


内容(「BOOK」データベースより)
ウエスタンエレクトリック555レシーバーから15Aホーン、1086アンプ、技術資料、映画ポスター、アメリカの映画館を丸ごと購入する豪快な買い物、そのコレクションを紹介。


momomo 5つ星のうち5.0
WE研究 2011年11月12日
WE(ウエスタンエレクトリック)等ビンテージオーディオの収集家である矢島誠氏のコレクションを図録を中心に編集した本で、名前だけは、知っているが、実際に見たことのない人には、驚きの本であり、その内部まで見ることの出来る貴重な本であります。永久保存版にふさわしい図録集です。幻のWEサウンドを想像して下さい。究極のオーディオサウンドが、聞こえて来ませんか。WEマニアの方々にお勧めします。

______


ラボにしてもサウンドインクにしても素人でしたのでそれらを家庭用として改造できる技術者の指導で徐々に浸透していきました。現在でもなかなかまともに使えているところは少ないようです。まして五味さんのころはまったく一般には知られてもおりませんし、仮に存在は知っていたとしてもそのままでは使えませんので不可能です。当然の帰結としてマッキンかマランツとなるでしょう。300Bは進駐軍の米人が小遣い稼ぎに持ち出して売っていたので決行早くに知られていました。300Aは戦前の2年足らずで生産停止したので知っている人はまれでした。


ありがとうございました、 (金ちゃん)2019-05-07 08:15:06
五味康祐氏の実家の事は本で知りましたが
300Bの事は知りませんでした。
でもクオードのアンプは当時から
有ったんでしょう、
まあ、当事者以外は解らないことなのでしょう。
参考になりました、今後共ご指導ください。


QUADU (WE22)2019-05-07 11:09:20
言葉足らずで失礼しました。おっしゃるとおり、QUADUは1953年に生産が開始され18年間名声を保ったクオードの主力で歴史的なアンプだったようです。


WE22さんありがとうございます。 (金ちゃん)2019-05-07 11:21:26

TANNOY指定は確かQUADUを提示してようです。

此の問題は本人で無いと解らないようです。
でも私はPSVANE 300Bで聴いていますが、
徐々に音が馴染んで行く様に感じます。


音しかわかりませんが (高井孝祐)2019-05-09 22:18:22
貴殿の仰るように私は音楽の分からない輩です、オリジナル91Bとレッドの入ったオートグラフの組合は知人が行っています。

WE91Bはご存知だと思いますが音を遠くへ飛ばすことを考慮して作られた劇場用アンプです、飛ばすために敢えてか、結果なのか私にはわかりませんがWE91Bではホールトーンと言われているコクのある重低音は出ません、パリンと輪郭のはっきりした音を力強く押し出しますこの辺が86などと大きく違う点だと思います。WEでも劇場用の91Bや86などと、124等のアンプでは音の傾向は全く違うと思います、タンノイのブラックは論外としてレッド以降の反応の鈍いユニットでホール感を出そうと思うと、シングルアンプではなくプッシュ駆動のクオード22やマッキン275やMC30、WEでは124等のアンプが似合うことは貴殿に音楽を知らないと言われた無知な私でも安易に想像できます、五味氏なら感覚でわかっておられたのではないでしょうか?
因みにタンノイモニターブラックとWE91Bの組み合わせが奏でるサウンドは私は素晴らしい音楽を奏でると感じました、

音楽のわからない私はWE91BとALL励磁ユニットで「音」を楽しんでいます。


コメントありがとうございます。 (金ちゃん)2019-05-10 11:03:03
素晴らしい組み合わせですね、

本物のWE91Bの音は未だ聴いたことありませんが、
以前展示されたSV-91Bを聴き確かに良い音で聞こえました。
現在の書斎には大型のSPはスペースの問題で据付られませんので
VLZを改良して聴いています。勿論ジャズも愛聴しましが
これでもオケもオペラも略満足して聴いています。
因みにSV-91Bを聴いたときのSPはアルテックでしたが
気持ちの良い音で鳴っていた記憶があります。
「角を矯めて牛を殺す」の例えのように
音楽を楽しみたいと思っています。
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f9b4c644cda1475c83ae443b59a5eeeb

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c22

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
23. 中川隆[-9651] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:47:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2811]

有名なWE18GA ブラック 単線シングルスズメッキは ビンテージケーブルか・・・?
2018年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp


WesternElectric 18GA単線シングル ビンテージケーブル単線シングルスズメッキの入手である、

ここで再度ウェスタン・エレクトリックWesternElectricについて調べてみた


下記は日本電気株式会社当時のロゴのようです。


このウェスタン・エレクトリックWesternElectric会社を調べるとどうやら1928年、WesternElectric は初めて受話器と送話器が一体化した電話機を開発した(それまでの電話機は本体に送話器がある燭台型だった)。同様此のような電話の音をなるべく良く伝えようとした電話線を製作して製品が今や貴重品になった、WE独特の鏡面は絹巻又は綿巻で被覆しいかにも大切に扱われるケーブルは見た目もビンテージらしい当時の製品が未だ現役で流通しているのですが技術革新とは何であろうと疑問にさえ思うこのモデル「102」は本体底面が丸いのが特徴で、1930に登場した後継の「202」はほとんど同じ形状だが底面が楕円形になっている。


次の大きなアップグレードは1937年の「302」である。工業デザイナーである(ヘンリー・ドレフュスとも、英国: Henry Dreyfuss)の設計によるもので、いわゆる黒電話の原型となった四角い底面が特徴である。なお、「302」より前の電話機は別に回路を収めた箱が必要だったが、「302」ではそれを電話機本体に内蔵している。1949年以降はモデル「500」がリリースされ、適宜更新されていった。

細かい改良として、ダイヤルをより静かによりスムーズにしたり、回路基板をプリント基板にしたりといった更新が行われた。モデル500は1986年に押ボタン式電話機に完全に取って代わられるまで、製造が続いた。世界でも最も多数製造された電話機である。


ウェスタン・エレクトリックは通信関係で発達した会社で通信ケーブルは性能の良いものが多い、

地域ベル電話会社のものであり、AT&Tのものであり、同時にWesternElectric自身のものである。

結果としてWesternElectricの電話機の新機種投入頻度は少なく押さえられた。戦後電話の普及によりWesternElectricは、海外資本として日本で初の合弁事業を立ち上げた会社であった。

1899年、日本電気(NEC)の設立当時、WesternElectricは株式の54%を保有していた。

日本でのWesternElectricの代表としてウォルタ・T・カールトンーが日本電気社内に席を構えた。

当時電電公社の電話のケーブル電話機に関する電電公社との繋がりは深かったであろうと思う


1992年まで使用されていたNECの旧ロゴのデザインは、上記のロゴですがWesternElectricのロ

ゴが由来となっている。書体は実に良く似ている。


最近NECの前身である日本電気株式会社表記のあるプリ管の中からWEの影響の強いロゴのプリ管

のパッケージケースの中に入っていた検査証を見つけた44年と表記があり、昭和44年すなわち19

69年50年前の製品、思わず納得してしまう。当時は真空管の時代でトランジスターはまだ将来の

物だったんですネ!ロゴなどはまだWesternElectricの英文字表記は近く、NEC以前の製品なんで

すね・・・・・50年前の物を今見ると 進駐軍の事が思い出され妙に懐かしくなってしまう。

これは大切に保管しようと思う、このプリ管の音は未だ聴いては無いが思わず期待してしまう。

ロゴはWEの日本版である、此の様に歴史を含め考えると何故か身近に感じるではありませんか?

プリ管の音質はWEの音に近いのか全く不明ですが思わず期待してしまいます。(笑)


筆者の従兄弟が昔、電電公社に勤めていた頃、スピーカーケーブルように電話線を頂いた事がある、

当時入手しづらくスピーカーケーブル用に10メートル程頂き、配線したが、単線の銅線であったよ

うに記憶する音質は良くなった記憶があるのは遠い昔の話で、現在はNTTの前進であり公共機関で

あった


涼しい部屋で、安静にしながら音楽は聴く、勿論淹れたての珈琲を頂きながら、香りはいいのですが

今日は残り少なくなったブルーマウンテンのブレンドを淹れたが筆者は余り美味しく感じない、味は

昨日飲んだハワアン・コナが旨く感じる。自宅近くの焙煎店にもコナ・コーヒーは販売しているがこ

れがクソ不味いので此の店での購入はすべて辞めた(笑)

昔従兄弟が電電公社に勤めていたときに頂いたケーブルは今思えばNECの製品だったのかも知れない、

現在使用のインターホンコードと良く似てた。記憶をたどれば間違いなく単線であり、太さもインタ

ーホーンコードとよく似てた記憶がある、今回は現在では実に珍しい、Yさんより紹介され、WEの単

線スズメッキ単線を入手してみました。早いも勝ちのようでスグに完売してしまったようだ。

正式名は「WesternElectric 18GA ブラック 単線シングルスズメッキ」というらしい、ただWEの名

前だけで高額になっている現状は消費者には非常に痛手である。特に真空管のWE300Bなどはプレミ

アム価格100万の話を聴く。

スピーカーケーブルはまだその様な事は無いが将来は不安である、資料によるとALTECのA5やA7等と

いったアメリカンヴィンテージのシステムと相性が良いそうです。此のケーブルはヴィンテージスピー

カーには頗る相性が良いらしい、撚線も良いが、単線が効果的と言われる可なりの癖はあるので、た

だし全てに適合するとは言えないが、古いヴィンテージエンクロージャーには相性は良さそうである

らしくオールドTANNOY駆動には期待は出来る。


同じWE18GAにも撚線もある、こちらは色が黒と赤になっているようです、勿論復刻版のようで、こ

の撚線にも古い物が価値があるようで、新しく低コストのため技術革新は製品の品質が落としたと聞

くWEは現在は閉鎖されて商品在庫も少なくなり、ヴィンテージコードとして取扱してるようです。

WE18GA撚線について調べると「ウエスタンエレクトリック(以下WE)のケーブルも基本的にヴィン

テージスピーカーを使用している場合は単線がお薦めである。特に今回紹介する18GAはとても汎用

性が広く、見つけたら即買いをお薦めする。」などの紹介記事もあった、此のような書き込みも見つ

けたから早速20メートル程注文する、貧困老人にも手が出せる価格送料込みで20メートル約\12,000

考えて見れば高額なケーブルです。

更に注意事項として復刻版についての注意書きがある非常に気になることが書いてありました。

サイズ14GA:低域が力強い

サイズ16GA:低域から高域までバランスが良い

サイズ18GA:広がりがある、ツイーターや内部配線向き

という説明がされていました。

下の写真がWE(Western Electric)の14・16・18GA、A.I.W.社による、より線の「復刻版」だそう

です確かに復刻版は撚線で単線とは違う、単線シングルスズメッキのオリジナルの品物です。


もし、WEの復刻版スピーカーケーブルを購入しようと思った方がおられたら、WEのスピーカーケーブ

ルの正しい使い方はこうです。単線も同様である。

サイズ14GA:5〜6mほどの長さで使うこと

サイズ16GA:3〜4mほどの長さで使うこと

サイズ18GA:2mほどの長さで使うこと

特に1950年代前後のものは希少である。

WE、それは単に古いだけでなく、現代でも追いつけることの出来ないノウハウを持っていた企業なの

です1987年製と、細かい年式が明らかなこのケーブルは、綿巻きに樹脂巻、錫メッキのケーブルであ

る。WEのケーブルは古いほど音は良くなるそうだ、そこはタンノイも同様である新しくなるほど絶縁

にコストダウンが見られ質は落ちたようである。これほど技術が進んでもWEのケーブルが重視される

のも可笑しい話ではある、でも使う素材は確かに良いようだ銅の質は単純なタフピッチ銅(純度99.9

%程度)と見られる。これで十分である。屋内配線はすべてタフピッチ銅だ。これが一番安定してい

るのである。純度と音は関係ない。一番関係するのは絶縁の仕方だ。ビニール系の高分子化合物は静

電気を誘発するのでイケない。「例えばこんな経験はないだろうか。特に汚れた環境では無いのにケ

ーブルの外皮が汚れる。これは電気が流れることで静電気が発生し、細かい汚れを付着させるからで

ある。」

WEのケーブルは1940年代にはそのことが分かっており、この会社のノウハウは素晴らしい静電気が

極力起きない絶縁材を使用していたのである。此のためエナメル皮膜に絹巻、又は綿巻きである。現

在日本でも70年以前に作られた戦艦大和は擬装の部分は今の技術だけではは出来ないそうです、造船

技術以外の分野で例えば46センチの砲身、三連の主砲等、体験を元に技術も向上する、技術とはその

ようなもののようです。


アンプ変更時の簡素化のため、本来ならFURUTECHのバナナプラグを使用したいが、高額なのでオイ

デヤ電気のBP-208CG 金メッキ波形バナナプラグを代用しています。価格も安価で仕上がりも良いの

で筆者はこのプラブは定番にしています。

今回のWE撚線18GA ブラックは昔のヴィンテージ物なので注文すると早速配達された。現在使用して

いるプラグはネジ止めする為シッカリ接続され重宝しています。今回のWE18GA単線シングルスズメ

ッキケーブルと筆者のシステムとは実に良い組み合わせのようだ、丁寧に2メートルにカットして繋ぐ、

この音が出るまでのドキドキする瞬間は何時も興奮を覚える・・・

しかし冷静に考えれば、40年前の機器を聴く為に、このような些細なとこに真剣に取り組んでいるの

が実に馬鹿げた話ではある、接続コードに可なりつぎ込んでしまったようだ、(笑)

最近もフルテック オーディオグレードUSBケーブルを注文してしまった。以前からオーディオインタ

ーフェースに接続ケーブルを交換すると音質が良くなるというコメントが気になった。


どのような音がでるのか?現在アナログケーブルはWEを使用しているが、BELDENに交換した

が今回のスピーカーケーブルの違いは少なかった、現在在庫でBELDEN8428・BELDEN88706

があるがBELDEN88706がいい感じがした、ゆっくりの試聴が必要か?

庭にはホテイアオイが水槽に一杯で片隅に咲く睡蓮の花に癒やされます。


筆者も以前のブログにWE16GA(撚り線)single(緑)を使用したが音は良く気に入ったが

今回のWE18GA単線はそれより細い、早速スピーカーケーブル・コネクター装着し、試聴する、

この細い単線はTANNOYの端子には此の細さは穴に入りやすい細さで大変ありがたい。

交換し改めて試聴する、次はWanda Landowskaのゴルドベルグ変奏曲を聴く、聴きなれている

はずなのに、驚いたことに音質が全体に良く聴こえる特に豊かなまとまるの良い低域に驚く?

今回此のWEの単線スズメッキWE18GA撚線ブラックを繋ぎ視聴する全体的に音の密度が上がっ

た気がするこのたびオリジナルのWE18GA撚線ブラックを購入して、指定のように2メートルの

コードにカットして繋ぎ試聴してみた。結果その差に驚く。

「部屋中にまろやかな音楽が響く・・・」これぞ望んだ音かもしれない・・・・?

以前BELDENのコード?やFOSTEXも良いとされ、種類も色々変えてはみたが、納得は出来WE

16GAに留まる銀メッキが良いと言われ、銀メッキコードにも交換したが、筆者のシステムには

合わず、変更を繰り返すうちに最終的にははWE16GA(撚り線)single(緑)を使用していまし

たが換える前まではもうこれ以上良い音は望めないと思ってましたが、こんなに簡単に上回る製

品があったのだWE18GAは断トツに情報量が多く、音がしっかり聴こえます。

あえて言うならば、少し音源が近づくのが問題箇所ですかネ♪

特にジャズのヴィブラフォンのアタック音はまさに生っぽいの音、低音もさらに低く伸びた感じ

の音、自然な低域まで充実した音、こんなに細いスピーカーケーブルで・・・Western Electric

恐るべし。全く驚くようなケーブルでアッパレである。これはヴィンテージスピーカー専用かも

知れない。

TANNOYのレベルボタンはARU付きAXIOM80箱に移植してからはフラットな状態で聴いている

又今回の18GA撚線ブラックは単線なのでスピーカーのプラグに繋ぎやすいのもありがたい。


しかし流石WE18GA単線スズメッキのケーブルは万能では無いのかもしれない、

筆者のサブSPのKEF Q300に繋ぐにはWE16GA撚線が相性は良く、単線はなにかスッキリしない。

写真のケーブルAE線はインターホーンのケーブルの写真ですがこれも単線コードであります。

此の安価なコードのこのケーブルが意外と良い音を出すのです。此のコードも単線なんです、

やはり単線は古いヴィンテージスピーカーには相性が良いのかアルテックのスピーカーも相性は良い

と聴く以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは

外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレン

で絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。(注)

これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。これが安価で安

定した音質が堪能できるケーブルです。

このケーブルは長く使用していたケーブルです。今は大切に保管しています(笑)


フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団特に筆者お勧め

は余り馴染みのないベートーヴェン交響曲第七番AXIOM80に移植したIIILZ inCabinetである

程度ボリュームを上げて試聴する。

特にベートーヴェン交響曲はオーケストラの爆発のような響きが出ると素晴らしいが低域オーケ

ストラの厚み深さが増し、今回のCDを視聴し、決してスマートではないが、ごつごつした、骨

太のベートーヴェン。しかし、細部もゆるぎなく構築されている確かにオーケストラの演奏など

は情報量が多くなれば再現される音質も上がるようです、第七番の迫力ある演奏は見事である、こ

の先隠れたケーブルが出てくるか楽しみです。


勿論此の後は交響曲第3番変ホ長調「英雄」交響曲続いて筆者の好きな第四番を聴く、

ベートーベン 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 コンヴィチュニー Beethoven Symphony No.4

ロバート・シンプソン曰、「交響曲第4番はギリシアの乙女ではない。

巨人がとても軽快に滑らかに体操をしている。交響曲第4番には、鋼の筋肉が潜んでいる。」と言い

ました。交響曲第4番はベートーヴェンの他の作品と比べると乙女に感じるかもしれませんが、

作品そのものを聴くと力強さに溢れています。

今回のWEのケーブルは筆者のシステムと良くマッチしたケーブルに思える、

サブスピーカーのKEF Q300に接続したが結果は同良好であったが以前の撚線WE16GAが相性は

良い。ケーブル1本の違いは驚きである。

でも相性は現在メインで聴くAXIOM80に移植したIIILZ inCabinetが最も良く聴こえる

前にも紹介したが年々数が減るWesternElectricのケーブルは

「WE18GAはとても汎用性が広く、見つけたら即買いをお薦めする」のコメントは事実である。


又プリ管の話に変わりますが、国産の古い管50本を仕入れたが、相当違う種類の物が混載して

いる時間を掛けて選別したが、不明な管も多く取り敢えず、代表的な日立、NEC、東芝、松下

等購入し試聴したがその中で使用可能なプリ管は1.5割ほどでしたが、各社のプリ管が揃いまし

たが、余分な管が余ってしまった。

筆者の思惑通りに、日本のメーカーは一般的に聴きやすく余り癖の無いのが特徴のようです・・・・・

全体的に平均的な感じで聴きやすい綺麗な感じの音で疲れはい音が特徴かな?

又各社さすが日本製品で作りも非常に丁寧に作ってアルようです。

考えると国産品もヴィンテージ管に分類されるとおもうが、どのメーカーも遜色なく聴けた、実に

穏やかな音がする国産のプリ管は一度じっくり聴き分けるように試聴していきたいと思いますが、

ただしヴィンテージプリ管TelefunkenECC82、SIEMEN E81CCに比べると明らかに違いが分かる

がキラッとする弦のユニゾン、今まで聴きにくかったコントラバスの低音等は再現は違いがあるよ

うですが・・・

一般的に音楽を聴くのには良い、又最新の支那(中華)製、ロシア製より良く聴こえる、ブラボー!


2 コメント

WE SPケーブル (Kontakun)2018-08-07 10:24:23

私も、以前からWEのSPケーブルに興味は持っていますが、今だ購入には至っていません。そこで参考に聞かせて頂けたらと思います。

Belden8470、9497は試しましたが、どちらも、音域が少しカマボコ型でゴツゴツ、ザラザラした音、高音も少し耳障りな感じで、私の好みの音ではありませんでした。ツイストを解けば少しは柔らかくなるかも。

今は普通の国産銅撚線タイプを使って良い感じになっています。
WEはどんな感じでしょうか?Beldenの感じであれば、少し私の好みからズレてしまいます。

因みに、SPはJBL、アンプは真空管KT88 ppで、よく聴く音楽はロック、フュージョン、ジャズボーカルです。

コメントありがとうございます。 (金ちゃん)2018-08-07 11:18:02

ロック、フュージョン、ジャズボーカルをお聴きになっておられ、昔のいわゆるヴィンテージスピーカーをお使いならWE18GAの単線はオススメです、

私もBELDENも使いましたが、インターホーン用のAE線(1.2mm)のが良かったです、でも最高はWE18GA単線錫メッキの音が全体的に音楽の重心が下がり、しかも低音が明瞭に、より好ましく響きます。

WE18GAの単線は品不足なので見つけ次第早くの購入をお薦めします、使用注意は錫メッキは剥がさないでご使用ください。

特にJAZZ関係を聴くと音源が近くなった様に感じました。引き締まっているのでそんな印象になるようです。

https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/f473e42f2ecf06da00f29fbcddc43adb?fm=entry_awp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c23

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
24. 中川隆[-9650] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:51:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2812]


Western electric 伝説

〜単独アンプのメインストリームはそういったアマチュアの世界ではなく、厳しいプロのフィールドにあった。その最たるものが映画用アンプである。

1920年代から一般化したトーキー映画こそが彼らのいう「自由主義思想」のプロパガンダになると確信したアメリカは、その鍵を握る音声装置の開発と整備に全力を傾けた。

彼らはWestern electricという「国策企業」を立ち上げ、世界の半分のトーキー上映館にほぼ独占的に音声設備を納入していたのだった(もう半分はドイツのジーメンスが担当した)子供の頃、映画館の試聴室を見学させてもらい、そのときはそれとは気が付いていなかったが、Western electric のアンプを目撃した経験がある。


アマチュアの分野だとアンプは小電力を扱うコントロールアンプと大電力を扱うパワーアンプの二つに分かれるが Western electric の最も大規模な映画館用のアンプは小電力と中電力と大電力をそれぞれ扱う三段構えの構成になっており、まるで軍事施設のような威容を誇っていた。これが真のプロフェッショナル機器の凄みというやつだ。

日比谷や銀座の映画館で休憩時間中によくレコードを掛けていたが、その音のよさは今でも耳に焼き付いている。いま、Western electric のアンプの音を聞くと、既に半世紀も前に作られたものにも関わらず、これはすごいと思う。

確かに現代のアンプと較べると周波数レンジなどは狭いし、半世紀近くも前に会社が消滅したので補修パーツの供給がなく、多くの部分が変更されているのだが、その音には極限状態で使われる機器のみが持つ極めて強い説得力が感じられる。

それもそのはず、Western electricはプロパガンダの為の国策企業であるから、その製品には、20世紀後半で云う、アポロ宇宙船やスペースシャトルのような国力が投入されてたのだ。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c24

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
25. 中川隆[-9649] koaQ7Jey 2019年6月12日 12:59:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2813]

Western electric124 モノラルパワーアンプ 1940年

凄艶なる美の狂宴

豪華絢爛なWesternの狂宴。
音に溌剌としたハリがあり、堂々たるスケール感の雄大さ。温度感が高く広がりがあり、包みこまれる柔らかい音だが、鮮烈な音楽の波動が放射され、圧倒される!腹に響く底力ある低音。暖気には1〜2時間はかかる。

最初に聴いたMarantz7とMarantz8Bは、訪問時間を伝えておいたので暖気十分、124に繋ぎ変えて貰った途端、なにもかもが一変した。

Marantz8Bから繋ぎ換えた瞬間、一気に華やかになる!

「黄金の組み合わせ」に割って入った124は暖気に時間が掛かるアンプにも関わらず、名機Marantz8Bを一瞬で葬りさった。甚だしい大差で。

明るくとても華やかさがあり、濃い音質でホーン型向きの力強いアメリカンサウンド。美音で薫り高く、艶やかなサウンド。

母性を思わせる非常に情感豊かで優しい音色。

有帰還アンプだが12Wという出力値より余裕が感じられる。

Western electric 124のような年代物のアンプは周波数特性、ノイズフロアー、歪み率、ステレオ・イメージで現代水準と比較すると厳しいと言われる。実際に聴いたところ、ノイズフロアー、聴感上のレンジ感は問題なし。

鳴らすスピーカーが JBL S9800SEという現代モデルだからか?

歪み率はかなり高い、歪みはスピーカーが大きくなるほど粗が目立つようになる。この歪みも音楽性だ。

情報量はやや少なく不満を感じてしまう。ステレオ・イメージも現代との性能差を感じる。元々124はモノラルアンプである。

ステレオ感が少し弱いので、理想を言えばレア球を使って厳密にペア取りしたい。

音の整合が全く違ってくる。プログラムソースを選ぶ傾向が非常に強く、時にローエンドの機器にも大敗するケースは多い。

ハイファイアンプとはとても言えない音質クオリティである。

WEは良い音で鳴らす使いこなしもまた難しい。
WE124は音楽の感情表現を伝える力が一番高い、それと鳴った瞬間から普通の球アンプとは別物の鳴り方をする。一言でいって原音忠実からは遠い。


高域が美しく輝いている。
音場の見通しの悪い非常に濃厚な音ではあるが、「物凄い鮮烈さ」と「高域方向の驚くべき明瞭さ」があるので、透明感の低さというウィークを殆ど意識しないで気持ちよく聴くことが出来る。

600Ω受けの業務用機器なのでプリアンプはそれに対応した製品を組み合わせたい。ALTEC 1567Aミキサープリなら間違いないだろう。

球のプリ以外合わないと思うが、Cello Encore1MΩ(1000Ω)プリは数値的にはマッチする。インピーダンスの整合が取れないと音が重苦しくなる可能性がある。

Marantz Model7は出力インピーダンスこそ低いが大変素晴らしい音を出した。
やはりヴィンテージの球のプリと相性が良い。スピーカーも選ぶアンプである。

スピーカーはWE555、AXIOM80、これは意外だがJBL DD66000などと相性が良い。

ステップアップトランス(昇圧トランス)を使って110Vで運用すると音色がすごくよくなる。

大音量についてはWestern124で94dBのスピーカーを駆動し100dB平均をクリアし、ギリギリで満足できるといったところ。ここからほんの少しでも欲張ると音に歪みが現れる。(※コンデンサーのリークの疑い有り)

理論上能率が3dB上がると音量は倍に上がる。

S9800SEも96dBくらいあればと思う。DD66000だともっと満足できるだろう
4Ωスピーカーまで対応。

WE350Bを使った超有名アンプ。
実物は小さく1940年代の古い製品である。20年前は100万円だったが現在は240万に高騰。78年〜という歳月により経年劣化でノイズや ぼんやりした音を出す個体が多いので注意。

他には最高峰モデルの WE41A、42A、なども聴いた。音はやはりWEの音ですね。

WEの音は「心をワシ掴みに」される音ですね。
一言でいえば "凄美艶音" なんですが、真空管アンプで女性ボーカルを聴いて究極の陶酔状態に浸りたいオーディオファイルには垂涎の装置でしょうね。

WEの音は時代を軽く飛び超えている。

出力 12W/12W

出力管 WE350B/6L6系×2 整流菅 274B/5U4×1 ドライバー菅 6J7/348A×1

サイズ W487×H180×D180mm 11.4kg (実測)

※電源トランスの高圧タップの接続を変えることにより12W/20Wに切り替え可能。

全ての真空管の消耗が早くなるのでお勧めは出来ない。ヒューズは30mm1.6Aである。

(スローブロータイプ)

WE274Bは音質貢献度が大きい上に50年以上の寿命がある。
出力管は WE350Bが最高峰だが値段が高い上にビーム菅なので寿命が短く、基本的に時間の経過で強制的に取り換えられていた中古球なので、高価なのに3〜5年で寿命が切れる事もしばしば。

National union350Bは二番目に音がよく構造が良く似ている。その次がセンコドンである。

WE350BもNU350Bも球数が少ない。四番目に音が良いのは350に形状が似ている

RCA 6L6Gである。6L6系はどれでも使える。6L6Gがベスト、6L6は中身が見えない

黒色のメタル管、6L6Cなどもある。6L6系は現代管でも盛んに製造されているので

球がなくて124がゴミになる事はないが、やはり最低でもヴィンテージ球で運用したい

パワーアンプである。RCA 6L6は350Bのコクが薄くなりサラッとした音になる。

インプットトランスは回路次第だがキャノンがトランスを通る。

業務用ではない民生用プリでトランスを通すと音が崩れる恐れがある。


インプットトランス:618Cを搭載したものが値段が高く、店によっては50万値段が

違う事もある。フォノ入力の際に音質に違いがあるとWEファンが思うようだ。

XLR端子が600Ω、RCA端子が25Kである。285Lだと150万〜250万まで。

インプットトランスがないものもある。トランス類は電源トランス、出力トランス

チョークトランス、インプットトランスの四つ。チョークトランスは筐体内部に

隠れているものもある。

WE124の2018年時点の相場は150万〜240万、高くても税込みで250万程度。

WEのアンプの中では人気1。
WE124は足が早い、(商品化されたらたちまち売れる)

WEのアンプは全てリースのみで販売はされず、高額で顧客に貸し出されていた。
リース中の故障はWE社の責任になるので、故障は非常に少なく、極めて信頼性が高い。

※古い製品なのでMC275等と同様に出力管の調整機構はありません、

調整できない分球の特性を厳密に揃えないとブーンというハムノイズやザッザッというノイズが乗ったりします。また当然ですが、整流菅、ドライバー菅の調整機構は一切ありません。真空管の交換は電源切って球が冷えた後、"抜いて・差すだけ"で差し替えできます。(マニアは熱いまま抜き差ししますが)

とても古い製品なので球の足とソケットは専用クリーニングキットでよく清掃しましょう。

古い製品ですが本体やトランスを動作中に触っても漏電による感電の危険性はありません。

Western124は一万台は製造されたと思われる。モノラルで使用するアンプ

だったのでステレオでは5,000ペア以上という事である。

Western124は数年前まで日本市場に相当数の在庫があったのですが、
ヴァイオリンの Stradivarius、TANNOY Monitor Black、Red、Goldなどと同様で値段が下がったことがない。

中国、香港、韓国のバイヤーがやってきて買い占めて行ったので流通在庫が払底している。
香港と韓国の人は自分で聴くための物なのですが、中国は政治が悪いので海外に優秀な人材が流出する事が多い。
自国の政府が信用できないので、拝金思想や投資欲が強く、中国の人は投機目的でWesternを買い求める。韓国も日本と同様でアメリカへの憧れが強く、1945年の敗戦は韓国の立場からみると独立解放記念日という事になる。したがって米国のWesternに憧れる。

朝鮮戦争で北朝鮮に攻め込まれて滅亡寸前まで行ったところを救ってくれたのもアメリカ軍を主軸とした連合国軍だったのである。

※WE91 WE86 WE124 WE41 WE42 WE43辺りをお勧めしたい。

これらと他のウエスタンのアンプの違いは大きいので注意。

ウエスタンは物凄く魅力的な音なので、WEを多数コレクションする熱狂的WEマニアが多い。

ここで注意すべきなのは、Westernマニアは最低でも還暦の60歳以上の人ばかりである。

海外に流出させるには忍びないので日本の愛好者も負けじと手にしてほしい。

ただし、ハイエンド一筋でやってた人がWesternを聴いて転向するかというと、やや難しいと思う。

にわかでは乗りこなすのは難しいアンプなので心と資金に余裕がある人に挑戦して頂きたいと切に願います。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c25

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
26. 中川隆[-9648] koaQ7Jey 2019年6月12日 13:00:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2814]
2010年01月13日
3種類の WE の代表的なアンプ(91/124/86)を極力オリジナルパーツと元回路に拘って製作しました。

(実は途中で50シングルも作りましたが・・・)

同じプリ・アッテネーター・スピーカーでジャズとボーカル・ロックなどを聞いた結論として、どれが良いなどと恐ろしい事は言えそうもありませんが、

感想として・・・・

一番印象的なのは124です。ちょっと化粧の濃い目のお姉さんで・・・パッと目にものすごく惹かれます!
でも長く聞いていると、若干飽きてきます。(でも又聞きたくなります)

次に86アンプは趣がまったく異なり、自然で清楚な山の手のお嬢様の感じです(笑)
八島誠コレクションにも、「変に強調する所が無く何時間聞いていても疲れない自然の音」とありますが正にそのとおりです。
ただ、ちょっと刺激好きな私としては物足りない・・・・(すごく綺麗で輝きも余韻もあります)

そこで91Typeを元の310A2本のオリジナル回路に戻し、NFBのかけ方もオリジナルにしたものを
聞き比べました。

どうしてシングルでこれだけしっかりした低音が出るのか(出すぎという人もあるようです)わかりませんが、強力な低域と澄んだ広域が絶妙です。
ただ、124のような色気はありません。

勿論、回路のくせもあるのでしょうが、124はオール5極管・86はオール3極間・91は5極管と3極管
となっていますので、相関関係があるかとも思われます。

50シングルに触れませんでしたが、低域の硬さとスピーカーからの音離れの良さは、こちらが勝ちですがWEの音とは異なります。

そんな訳で、回路の面白さや「おしつけがましさ」を取ると124が魅力的です。
https://smcb.jp/communities/2154/topics/588869

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c26

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
27. 中川隆[-9647] koaQ7Jey 2019年6月12日 13:01:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2815]
Irony オーディオ‏ @irony49371


23年前の雑誌から、

Western electric

WE41.42セットが 300万円
WE86が 250万円
WE91が 200万円
WE124が 90万円
WE142が 90万円
WE143が 75万円


となっています。WEは数年前アジア圏からバイヤーがやってきて買い占めて行きましたが、その前から200万円くらいまで値段が高騰してました。女性ボーカル(バラッド)なら最高峰

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c27

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28. 中川隆[-9646] koaQ7Jey 2019年6月12日 13:05:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2816]
映画に音が付いたのは 1927年前後でしょうか
トーキーって奴ですね

高いお金を取る劇場のため 家庭用の電気蓄音機とは桁の違うお金がかけられました。

ベルリンオリンピックの民族の祭典やハリウッドを見れば判ることですが、(ムッソリーニのチネチッタも) 当時の映画産業全体が国威発揚のための国家的事業だったのです。

共産国ではありませんから私企業のかたちにはなっていました。
米国でその音響部門を担っていたのが、ウェスタン・エレクトリック

アメリカでは電話も公営ではありません

アメリカの電話を作って来たのがベル電話会社、後のアメリカ・テレフォンアンドテレグラムAT&Tです。
その海外版がインターナショナル・テレフォンアンドテレグラムIT&T

AT&Tの音響通信機器製造部門がWE。その一部門があのベル研究所です

トランジスタの発明もベル研究所、特許はWEが持っていました。

当初、映画の為に使われたWE41・42・43と言った機械はとてつもなく大掛かりなものでした。

WSIの土井さんによれば映画のフィルムとは別のディスクを音源とする仕組みから、映画のフィルムに音源が仕込まれた光学式(サウンドトラック付き)に映画の音響が統一された頃、

1933年にはWE300Aと言う真空管が開発されています

それを使ったWE86というアンプが1934年に出来ています

この真空管のおかげで それまでの大きなアンプを随分小さな仕掛けに出来るようになりました

その後それ以前のWE42・46といったアンプにも使える様に改良されたWE300Bが1938年に出来ました
http://kawa.weblogs.jp/things/2007/01/2_af93.html


WE43A

kaorin27さんのアンプレストア
http://kaorin27.blog67.fc2.com/

を拝見している内に思い出しました。手放してしまったWE43aの内部に通じる所がありそうです。太さが6mmもあるような線は、綿か何かの表面の下にゴムだかコールタールだかの被服があってメッキより線を覆っていたような気がします。そうした太い線が直角に折れ曲がりながら宙を飛んでいる所が少し似ている様な気がしました。ただラグ板に付いたCR類やトランスはドイツ製の方が近代的に見えます。これは年代の違いでしょうか。

写真の真空管の下のでっぱった箱の中はすべてコンデンサーです。トーフより大きい奴がずらっと並んでいました。全体では巾が40〜50センチ高さは60センチほどの大きな箱ですが、ブースターアンプですから211PPの1段しか入っていません。4本並んだ211のうち2本は整流管です。

オイロダインを買った後、お店で聴かせてもらったのはWE41とWE42の組み合わせに十字の付いたショートホーンというか平面バッフルで4181,巨大なマルチセルラホーンとの組み合わせでした。

ドライバーは555だったのか594だったのかわかりません。

渋谷Loftの喧噪の中でフロアの端にいても聴き分けられます。だのにホーンに首を突っ込む様にして聴いても五月蝿くありません。音が通るってああ言う事でしょうか。手足が一本線だった頃のミッキーマウスをDVDで見せてもらいました。それまで意識した事も無かったのですが、単なる効果音一つにフルオーケストラが見える様でした。

映画のLDの中でテーブルの上にコップを置くシーンがあったのですが、テーブルの木の厚さやコップの重さまでが伝わって来ました。びっくりしました。

ずっと昔30年程も前でしょうか、ラジオ技術誌やMJ誌を読んでいる内に、マッキン・マランツじゃない世界があるらしい、

一部の人達に取ってこの世で一番偉いのはウェスターンらしい事に気が付きます。

鳴らしているという喫茶店や専門店をいくつかのぞきましたが、思い切り角のまるまった、立ち上がりの遅い音でした。だからあれはノスタルジーの世界の問題なのだろうと馬鹿にしていました。

本気の本物を初めて聴いて驚きました。

買ったばかりのオイロダインを、どうしたらあんな風に鳴らせるだろうかと尋ねた所、41・42と揃えて行くのは大変だ。どんなアンプでも出口にこのブースターアンプを付ければ安くても似た効果があると薦められたのがWE43aでした。

実際100w200wの石アンプの後に9wのWE43aを繋ぐと遥かにスケールと骨格が大きくなります。

アンプの出力信仰を持った人には聴いてもらわないと信じてもらえないでしょうね。少し角が丸くなる所があります。ただ2〜3時間程鳴らして暖まるとスッと立ち上がりが良くなってそうした事を感じさせません。

いまは41・42・43などと揃えると、とんでもない値段の話になってしまいます。

好きな人は昔からいましたが、猫も杓子もウェスターンなどと騒ぎ出したのは管球王国が出てからの話です。

昔のステレオサウンドでは、ラックスと上杉以外の真空管アンプやリムドライブのターンテーブルは、実用以外の骨董であってまともな論評の対象でないとはっきり言ってました。それを全うしてくれれば、それはそれで一つの見識かも知れません。言い換えるとあの豪華な宣伝ページを真空管のガレージメーカーや骨董屋さんが埋める事など有り得ないという社会構造の問題だったのでしょう。

オーディオ市場の縮小と供に今まで相手にもしなかったニッチな世界にまで進出するその節操の無さに少し抵抗がありました。MJ誌やラジオ技術誌に比べてその影響力の大きさが良く分かります。

AUDIOの世界には自分で作ったり試したりする事よりも、厚くて立派な本の綺麗なグラビアを眺めながら、いつかはタンノイなんて、ブランド信仰と神話の世界を彷徨う事が好きな人の方がずっと多いのでしょう。神話と迷信という意味では自作派にだって相当におかしな所があります。ブランド信仰でも迷信でも無いつもりでしたが、私も神話が嫌いとは言い切れません。

コメント

WE43は、中々手を出せない機械のNo1ですよ!

パワーアンプがある後に付けるものですからねえ。
でも、その変化が捨て置けないものだとは容易に想像が出来ます。

手放した機械は「昔付き合った彼女」のような淡い思い出を残しますね。( : ;)
投稿情報: ローゲ | 2009-03-04 21:22
http://kawa.weblogs.jp/things/2009/02/we43a.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c28

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
29. 中川隆[-9645] koaQ7Jey 2019年6月12日 13:11:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2817]

Western Electric 124というアンプ 
Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽) 2017/12/01
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-510.html

今日は備忘として列挙だけしておきます

https://blog-imgs-116.fc2.com/k/a/o/kaorin27/PICT4900.jpg

今年の夏前にメンテしたC形

入力は618AやBもお持ちなのですが、よりブロードに使えるピアレスのINPUTに決めて搭載しました

これが駆動するスピーカーがトンデモナイ化け物ですので正解だったかと思います

先日、術後の経過を見に立ち寄った際に
ビートルズの 「サージェントペパーズ ロンリーハーツ クラブナイト」のオリジナルLPを聞かせていただきました

椅子からお尻が浮き上がるほどぶっ飛びました!!

確かにWEとやらは、とてつもないのかも知れません

https://blog-imgs-116.fc2.com/k/a/o/kaorin27/PICT4896.jpg


刻印の274B元箱入りですかね

最初についていたプリントの274Bが破棄値の30%ほどに減っていたので「こちらを付けてもいいですか?」と問うたところ
食い気味に「どうぞ・・」で挿入
この球を躊躇なく使える人でないと、このアンプを使えないのかも知れません

と申しますのも
出力管の350Bと合わせて、予備球の半分近くが動作不良で使えないという殺生な現実があったのです

次は秋頃にメンテしたA型

https://blog-imgs-116.fc2.com/k/a/o/kaorin27/PICT4939.jpg


お二人とも沢山の予備球をお持ちだったので全ての球の試験をしてみました
返す刀で、350Bを所有する知人の物も大概は計ってみた

かなりの数に達したので生存率は上がってきたが、各々の購入金額の総額を生存者数で割ったらバカバカしくて使えないような金額になるだろう


そういえば随分前より先人達から「350Bは寿命が短くてたまったもんじゃない」という話を度々聞いていた

今回の調査でその一端を垣間見たのかも知れないが、その逸話を聞いていた時分から僕の中では釈然としない想いはずっとあったのだ

Westernだからということもないが、どんなメーカーだって半年や一年でダメになる球やアンプを作っていたら社会問題になるはずだ。ありえないね・・・と

でも通と呼ばれるお人は、おかしな理屈を引っ張り出してきて自分をだましちゃうんです


当時は業務用だから球が切れる前に、交換時期が来たら強制的に取り替えていたから問題なかったんだ

なんて、いかにもそれらしい嘘っぱちで自分の方から都合よく騙されている

いやいや、バカをいっちゃあいけない
FM放送だって、映画館だっていつ切れるか知れない球を使って木戸銭とって営業なんてできやしねえんだ

高座で 寝ていてぇ許されたのは日暮里のお師匠さんだけでぇ
アメ公がそんなに気が長えわけはねえだろう

今回、アンプの方を見せてもらって、一体何があったのか凡その見当はついたような気がします

原因は2つに大別されるでしょう

一つは与太郎のアンプで使うと、立派な球もすぐに切れるということ

もう一つは球自体にも与太郎がいるということだ


実際にメンテの済んだアンプの球は半年以上経っても 切れるどころか電流の1mmだって減るそぶりはない


それと沢山の球を見せてもらって、なんとなく外見を見て「これはダメだろうな」という鼻が効くようになってきた
その目で、今のネット・オークションなんかを見るとやばい奴が相当数紛れて居る

多くは出して居る方もわからないんだろうが・・・お気をつけあそばせ


これは想像というより、統計学上の判断(選挙の時の出口調査→すぐ当確ほどの高精度である)なのだけれど
この世に実在する相当数のWE124はひどい状態でひどい音を出していることが容易に想像できるのが怖い

そうすると、あちこちでこんな会話も聞こえてくる

流石にウエスターンだねえ、他では出せない味のある音がするものだ

え? 帯域も狭いし低音なんか全くでないし、音が団子状になっているって?

おまいさんねえ、滅多な事を言うもんじゃないよ

こちらは、天下のウエスターン様だよ

なんだね。この奥深さがまだおまいには理解できないんだろうね・・若いね

私くらいの年になったらわかるからさ それまでに買えるように精々稼ぎなさいよ

てやんでぃ 何言ってんだい くれるったって要るもんかい  そんな変な音のアンプ!

全くもって「酢豆腐」そのものですよ

もう一度言いますけれど

WE124は 腰を抜かすほどトンデモなく素晴らしい音のするアンプです
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-510.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c29

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
30. 中川隆[-9644] koaQ7Jey 2019年6月12日 13:28:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2818]
>>17 に追記

クレデンザは HMV に敵わない
ウェスタンエレクトリックはロンドンウェスタンやクラングフィルムに敵わない
JBL はパルメコやグッドマンに敵わない

▲△▽▼


クラシックの核心 片山 杜秀 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%BF%83-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%81%BE%E3%81%A7-%E7%89%87%E5%B1%B1-%E6%9D%9C%E7%A7%80/dp/4309274781

「フルトヴェングラー」の章では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」

オーディオ的にみて興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが得意の我が家の JBLシステムでフルトヴェングラーをまったく聴く気にならないのもそういうところに原因があるのかもしれない。

通常「いい音」とされているのは、端的に言えば

「分解能があって奥行き感のある音」

が通り相場だが、指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼやけた音」が不満で遠ざけたタンノイさんだが、逆に捨てがたい味があるのかもしれないと思った。

「いい音とは」について、改めて考えさせられた。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9426791e31fc7636d184b63f894b6d3f


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2012.12.13
やはり、ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

アメリカ製品を使い始めて、濃厚な感じにどっぷりと嵌ってきたので、久々にこういう音を聴くと、こっちも必要だと思うようになった。

最初はちょっと物足りない感じがしたが、次第にこの方が正しいのじゃないか?と思い始めた。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。

ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。

どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。

オーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。

じゃー、アメリカの音響製品は、ウソっぽいのか?ということになる。

デフォルメされた音、メリハリのきいた音は、面白くないかというと、ものすごく面白く感じるわけで、実際の音に迫る必要がないというところに立てば、全くのエンターテイメントであっていいわけで。

そこらへんは、マッキンアンプは実に上手いと思う。
家庭での音楽の楽しみ方というものを、実に上手く提示してくれる。
それは全くのウソっぱちの音だとしても。
http://blogs.yahoo.co.jp/gonta4350a/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2


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AD-1アンプの調整を続けている間は、久しぶりにZeissのアンプを繋ぎました。
さて、これが何とも色気と風格(あるいは古格)のある音で、確かにシングル三極管の爽やかさや切れの良さも捨てがたいものはありますが、長年現場で評価を得てきた名器の色香にすっかり酔わされてしまいました。


このアンプは1950年頃の製造と思われますが、使われている部品は当時の最高級のモノがフンダンに投入されており、半世紀を過ぎた今でも交換すべき部品はカソードのバイパスCが5個(2台で)だけでした。

夏頃に、前段のカソードから取り出すところのコンデンサが抜けているようでしたので、間に合わせの部品を取り付けつつ、純正の部品を取り寄せておりました。

今日は音の良さに気を良くしてこのコンデンサの交換に及びます。
http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02559.jpg

本来の規格は4μFですが、同じものが無く、2μFのキャンタイプに2.2μFのチューブラーを足して使っていました。

なんだか、もっさりとした音で、Zeissらしい都会的な感じが出なかった。

そして・・
http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02561.jpg


こちらがBoschの4μF MPコンデンサ。やっぱりスッキリと収まりがいい。
アンプ好きは、こんな肢体を見ただけで感動したり、素晴らしい音を想像できる類稀な(おめでたいとも言う)人種ですね

もう1枚、あまり見ることの無い、プリアンプの写真を載せておきます。
http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02565.jpg


これもカッコいいなあ。
RIAAも取れるそうなんですが、怖くて(ノイズが)触れたことがありません。老後の楽しみに取っておきましょう。
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-119.html


ドイツのアンプの音を特徴付けている MPコンデンサ
http://blog-imgs-30.fc2.com/k/a/o/kaorin27/DSC02242.jpg

写真上がSIEMENSのもの。右はRFTのアンプで使われていた抵抗です。左はある人が「ドイツのアンプの音を特徴付けている」と言っていたMPコンデンサです。


今回の一件は私に、以前、遠来の客人に訪ねて頂いた時のことを思い出させました。その時は、Zeissのアンプに不備があり低音が薄く、高音で刺激的な音が出ていたと思います。遠路来て頂き、全く申し訳ないことをしたと今思い出しても赤面の至りです。

その方は、所謂「凄耳」といえるタイプの方で、帰りしなに、控えめにアンプの不備を指摘され(凄すぎる!)

「300Bを使ったアンプなどいかがだろうか」

とご提案を頂きました。大人の振る舞いと、的確なご指摘に深く感謝をしましたが、当面アンプを代える心算も、経済的余裕もありませんでした。そして、今回の抵抗事件でその時の自分の気持ちがはっきりしたように思います。


バイオリンを例に取ると、教育を受けた先生の系列でボウイングの仕方に個性があるように感じます。ドイツではK・フレッシュやクーレンカンプに代表されるような、高音が若干丸くなる、というかくすんだ感じを受けます。

オーケストラになってもその個性は発揮され、各地域の楽団の特徴を形作っているようです。

英国のオケのバイオリンは「サーーー」と流れるように弾かれます。
(しかし近年、地球が狭くなりオケの個性が消えたと嘆かれています。なんとウィーンフィルに女性がいた!!!)

今回米国の抵抗から、ドイツの抵抗に換えたことでドイツのボウイングの音を取り戻すことになりました。

確かに、300B(知人のご指名は WE91B アンプ)はたいそう立派なアンプで、その素晴らしさは充分に存じております。我が家の幾つかあるアンプよりも、多くの面で勝っているかもしれません。

しかしながら、どれ程素晴らしい「音」に成ったとしても、バンベルグ響のボウイングが英国や米国、その他の地域の楽団のように聴こえてしまっては、私にとってはとても困ったことになってしまいます。


私は、一流の社の物であれば、部品や製品に優劣は無いと思っています。
使う人間が何を求めるかによって、選択をするだけのことです。

「A」という製品はずば抜けて良い。などという表現は全くおかしなことで、
「B」から「A」に代えることによって、得る物もありますが同じだけ失う物もあることを知らなければなりません。

ドイツの抵抗に変えることによって、金属の強さを得た代わりに木目の暖かさを失ったのです。

米国の抵抗が劣っているのでも、優れているのでもなく、私の個性が逆の物を選択したに過ぎません。

オーディオのマーケットやジャーナリズムに溢れている「最高」や「理論的に優れている」という台詞に振り回されてはいけません。以前は自身がそちら側にいたことに自戒の念も含めて書き止めておきます。
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-98.html


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【第1話】オーディオ仲間の新年会でWE252A〜Edまで真空管聴きくらべ 2010年1月9日
http://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10210

・上段左から 210、250、WE300B、WE252A、PX25、DA30
・下段左から RE604、LK460、Eb、AD1、Ed新、Ed旧、RV258旧、RV258新、RV239
http://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10210_801.jpg


2010年1月9日に行った、地元長野県を中心とするオーディオ仲間の新年会として行われた「真空管聴きくらべ」のレポートです。


上段左から 210、250、WE300B、WE252A、PX25、DA30

下段左から RE604、LK460、Eb、AD1、Ed新、Ed旧、RV258旧、RV258新、RV239


写真は当日聴いた真空管のうち、わたしが用意したもので、このほかに、

45、71A、WE252Aプリント、WE275Aナス管、4300B、AD1直管、ValvoのEd

を聴きました。ウエスタン・エレクトリックの各種丸管など、さらに多数の真空管を用意してあったのですが、途中で「このままでは肝心のドイツ球にたどり着けない」ということになってしまい、以上の真空管を聴きました。

アンプはバラック作りのユニバーサル機で、6SN7パラレル1段によるトランス・ドライブ、半固定バイアス、直流安定化電源、そして出力トランスはU808という構成でした。

お世辞にも立派なアンプとはいえませんが、これといった見どころが無い代わりに、最近の高性能トランスを使ったアンプのような個性も無く、球の違いがストレートに聴き取れました。

音源は某メーカーの音質評価用CD、スピーカーは Europa Junior KL43004 でした。

意外かもしれませんが、Europa Junior はとなりにあった フィールドの Eurodyn 以上に明瞭、かつ正確に真空管の音のちがいを表現し、比較には最適なスピーカーでした。


はじめに聴いた45は、まさしく中庸で癖のない音でした。意外にひ弱でなくて45と大差の無かった71Aに対し、210は色彩を控えた古風な音で個性的に聴こえました。250もややモノトーンながら、厚みがあって魅力的でした。なお、45と71Aのみ、別のアンプで聴き、続けて71Aを試聴アンプでも聴きました。

ここでおなじみの WE300B をリファレンスとして聴きました。写真では不鮮明ですが、3桁シリアルの1950年代のオールド球でした。繊細でありながら厚みがあって悪い音ではないのですが、ありふれているためか、みなさんの印象は薄いようでした。続いてWE252Aの刻印にしたところ、250をウェスタン風にカラフルにしたような魅力的な音に、みなさんの表情が変わり、「いいね」といった声が数人から出ました。プリントのWE252Aに換えてみると、刻印よりも少しだけ薄味ながら同様にすばらしい音でした。

このあたりで「このペースでは時間が足りない」ということになって、WE275A のナス管でウエスタンを締めくくることにしました。WE300Bを引き締めたような音で、みなさん好ましく感じていました。

ここからイギリス球で、スタートは4300Bでした。300Bを透明で格調高くした雰囲気の音を聴いたみなさんは、オーナー氏の「WE300Bより良い」という説明に納得していました。続いてはDA30で、1本目がエミッションが出ないというトラブルに見舞われましたが、2本目はこれまでの真空管とは格のちがう、スケールの大きさと繊細さを兼ね備えた音を出してくれました。音の色付けの少なさと低域の明瞭さでも優れていました。続いてはPX25で、予想どおりDA30に近い音色でしたが、若干伸びの無い感じで、全体的な印象は思ったよりも異なりました。

ここで宴席に移動してネパール料理を食べたあと、いよいよドイツ球を聴くことになりました。まずはRE604の真鍮ピンで、初期の球です。RE604にはさらに古いトップシールの球もあるそうですが、現物を見たことはありません。イギリス球はアメリカ球に比べて伸びやかな傾向がありますが、ドイツ球はそれに加えて色彩感と厚みがあるように感じます。45よりも鮮明な音でした。つぎのLK460はRE604を少し地味でソフトにした感じで、悪くありませんでした。

中型管に移って直管の Klangfilm のAD1(製造は Valvo)を聴いたところ、これまでのどの真空管とも明らかに違う音でした。みなさんしきりに「透明で癖が無い」と溜息のような感想を漏らしていましたが、そんなに癖が無いと感じるということは、逆説的に個性が強いということになるのでしょうか?そのつぎはValvoのEbで、これぞドイツという感じの厚みがあって雄大な音は、じつに魅力的でした。

AD1は写真のように即席のRV258型ソケット用アダプターを付けて聴きました。Ebよりも引き締まった、緻密な音でした。続くEdシリーズも同様なアダプターで聴きました。ValvoのEdは、たった1本なので確証はありませんが、内部構造、特性、そして音もEbと同じでした。Siemensの新型Edは、これまで聴いた古い球に比べると少し硬質な音で、「やっぱり新しい球の音だ」と、みなさんの評判は良くありませんでした。それに比べて旧型のEdは、EbとTelefunkenのAD1の中間くらいのバランスの良い音でした。ただ、音自体には高価なこの真空管を買うだけのメリットは感じられませんでした。

最後は大型管シリーズで、はじめの旧型RV258は少し硬い音でしたが、「低域がとても良い」という意見がありました。つぎの新型RV258は旧型とは異なって、色彩が豊かに感じられるのに、落ち着きのある魅力的な音でした。最後はバイアスの深いRV239でしたが、PX25とDA30のような差は感じられず、RV258の新型とよく似ていました。深夜0時までかかってドイツ球を聴き終わり、楽しい新年会は幕となりました。

さて、新年会と同じくこの記事も長くなってしまいましたが、みなさんの評価を大雑把に集計すると、直管のAD1が1番、新型RV258が2番、3番以降は意見がまとまらず、といったところでした。45系といえるRE604やLK460と45自身、(一枚プレートの)2A3系といえる300Bや275AとAD1やEdなど、製造国による傾向のちがいを越えた、共通するニュアンスを聴き取れたのも収穫でした。レンズでいえば45〜RE604系がコントラストが良くて明解なテッサー型なら、300B〜AD1系が繊細で解像度の高いガウス型といったところでしょうか。

もちろん、このような短時間の試聴で各真空管の本質的な音が理解できるはずもありませんし、1本だけのサンプルでは不正確でしょうが、ふだんから「どの球を買うべきか?」「どの球でアンプを作るべきか?」と悩める参加者のみなさんは、とても真剣に聴いておられました。もっとも、真空管による音のちがいなんて、アンプ全体からすれば一つの要素に過ぎないのですが、ついつい夢中になってしまった新年会でした。

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【第3話】真空管聴きくらべパートII(RV258, RV239 編) 2010年5月16日
http://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10212

左から古い順に並べた RV258 と P41/800
http://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10212_801.jpg


新年会の真空管聴きくらべで好評だった RV258 系の真空管について、第2ラウンドの試聴会を行いましたのでご報告します。

参加者は会場の都合で突然中止になった、サウンドパーツさんのイベントから流れて来たみなさんです。米国系〜英国系で遍歴を重ね、WE300A や DA30 などの主要球を所有する大ベテランの諸氏ですが、ここに来てドイツ系の球へと切り替えつつあります。


左から古い順に並べた RV258 と P41/800


RV258 は1928年に登場したとされる TELEFUNKEN 製の球です。

古い設計なので、プレート電圧が 700 〜 800 V と高いものの、フィラメントが 7.2 V 1.1 A で 7.9 W なのに対して出力 10 W と、非常に効率が良い球です。グリッド・バイアスも -70 〜 -80 V とちょうど良いレベルで、価格も Ed や Da などのポスト・チューブや AD1 系の球に比べれば安く、とても実用的です。

R は真空管を、V は増幅器を表しますので、RV は増幅器用の真空管という意味になります。RS237 などの RS が通信用の真空管なのに対し、RV が本来のオーディオ管というのは使っていて気分が良いものです。じっさい、211系などの送信管よりも素性の良さを感じます。

300Bが実際のオーディオ用途でそれほど使われなかったのに対し、プロ用の大出力アンプで大成功を納めた RV258/RV239 は、戦前・戦中のドイツ球にしては数多く現存していますが、さすがに最近は入手が難しくなってきました。


RV258 の音は一言でいうとニュートラルです。初期の直熱3極管全般の明るく澄んだ音色に通じるところがり、特別にドイツの音だ!というほどの個性はありません。パワーに余裕があることもあって、音楽のジャンルを選ばない万能選手といえる球です。

AD1 や Ed のように暗いフィラメントの球とはちがって、明るいトリア・コートのタングステン・フィラメントなのが良いのかもしれません。いっぽう、パワーがあっても大型送信管のような鈍い音ではなく、210/VT25 のように古風な音でもありません。ニュートラルなのですが、RV258 を聴いたあとだと、ほかの球はつまらない音に感じてしまうことが多いから不思議です。


試聴は新年会と同じ 6SN7 パラレル+結合トランスのバラック・アンプに EUROPA JUNIOR で行いました。

初めはシリーズIの球で1930年4月の製造でした。TELEFUNKEN のこの系統の球には、エッチングで製造月年の表示があるので、正確な年月がわかります。最古のシリーズという先入観のためか、みなさんは少し渋めの音に感じたようです。もちろん、同じ RV258 の音のなかでの微妙な差ですし、こちらのほうが柔らかくてシリーズIII以後の球より聴きやすいという感想もありました。

2本目はシリーズIIで、1930年10月の製造でした。シリーズIIはIとほぼ同じ構造で、プレートもこの2本は同じ茶色で、シリーズIII以降の灰色とは異なります。また、電極の支持方法が少しだけ改良されています。このプレートの茶色は、純粋なニッケルを高温炉で酸化させたときの色ですので、コーティングなども無い単純なニッケルのプレートかもしれません。音もシリーズIとほとんど同じでした。

3本目はシリーズIIIで、1931年8月の製造でした。プレートの色が変わったということは、材質か表面仕上げが変わったということです。そのせいか音も変わって、非常に良いバランスです。これといった癖もなく、ニュートラルに感じました。

4本目はシリーズIVで、1932年9月の製造でした。ここまでの製造年月はわずか2年ほどで、ごく短期間に改良が進められたことになります。シリーズIIIとの違いはやはり電極の支持方法で、頂部に大きなマイカが使われるようになりました。正直なところ、わたしにはシリーズIIIとIVの間には、ほとんど音の差が無いように感じられました。


プッシュプル用に4本揃えるのは困難になりつつある RV258IV

5本目もシリーズIVですが、ベースが黒から白に変わっています。1934年7月の製造でした。シリーズIVは長期間製造されていて現存する本数も多いので、これがメジャーなモデルということになります。黒ベースのシリーズIIIとIVの差がほとんど無かったのに反して、同じシリーズIVどうしなのに、黒ベースと白ベースでは明らかな差がありました。1本だけでは個体差かも?ということになりますが、写真の物も含めて黒白ともに4本づつあって、この差は明らかでした。ベースの色のように、少し現代的でワイドレンジに感じました。ベースの材質は黒が真鍮、白がアルミです。

6本目はシリーズVで、1940年5月の製造でした。シリーズVになってようやく、1920年代の名残をとどめるトップシールから普通の形状に変わります。ここから戦中の球になりますが、作りはしっかりしており、けっして粗悪品ではありません。音も白ベースのシリーズIVに少しだけ艶を乗せた印象で魅力的でした。

7本目はシリーズVIで、1943年4月の製造でした。大戦が激化したこのころになると、わずかに品質が落ちているように見えますが、シリーズVの音にしっとりとした落ち着きを加えた聴きやすい音で、けっして悪くありませんでした。人によってはもう少しスッキリしたほうが良いと思うかもしれませんが、個人的には一番好きな音かもしれません。

8本目はシリーズVIIで、1952年9月の製造でした。これだけが戦後の球で、構造もかなり変わっています。とくに、プレートの断面が楕円形から8角形になっていて、かなり異なる印象を受ける外観です。品質は非常に高く見えます。音もガラリとちがう雰囲気で、ちょうど新型 Ed の音が旧型 Ed や AD1 よりも良くいえば明瞭で鮮やか、悪くいえば硬くて上ずり気味なのと同様でした。わたしたちの言葉では「新しい球の音」ということになりますが、もちろん微妙な差ですので、この新型管の個性がちょうど良いスパイスになることも多いでしょう。

最後はタングスラム製の RV258 である Tungsram P41/800でした。概観は金色の真鍮ベースに大きな ST管が乗ったような独特の形です。また、この球は普通の酸化物コート・フィラメントで(トリアも酸化トリウムですが)、プレートの形状も含めてナス管の PX25 に近い構造のせいか、音も普通の真空管に近い印象でした。


点灯中の RV258IV(抵抗はヒーターON時のラッシュ・カレント防止用)

以上の結果から、RV258 はどのシリーズも優れた球であって、300B のように製造年代が古いほうが良いということもなく、どれを購入しても損は無いといえます。

シリーズIとII、およびIIIとIVは見た目も音も差が小さいので、ペアで使っても良いと思います。また、シリーズVとVIのペアも許容範囲だと思いますが、シリーズVIIをVI以前とペアにするのは厳しい気がします。

その後、II、IV、VIと偶数シリーズの RV239 も聴きましたが、同じシリーズの RV258 と共通する特徴が聞き取れました。もっとも、同じシリーズなら構造や材質が同じで、ちがうのはグリッド巻き線のピッチだけですから、当然の結果といえます。

また、RV239 は RV258 よりも内部抵抗が若干低いことが音にも表れますが、PX25 と DA30 のような明らかな優劣はなく、-150 〜 -180 V とバイアスの深い RV239 で増幅段が1段増えるばあいには、かえって RV258 のほうが良い音になってしまうかもしれません。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c30

[リバイバル3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造・販売 中川隆
31. 中川隆[-9643] koaQ7Jey 2019年6月12日 15:02:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2819]

結論

ウェスタン人気が衰えない理由


>>16
ウェスタンのシステムを採用した劇場を調べますとピンク映画館が多いのがわかった、

>>25
WE124 の音は一言でいえば "凄美艶音" なんですが、真空管アンプで女性ボーカルを聴いて究極の陶酔状態に浸りたいオーディオファイルには垂涎の装置でしょうね。

youtube や 5ちゃんを見ても、オーディオファイルは女性ヴォーカルしか聴かない人が多いね。

女性ヴォーカルは音楽ではなくポルノの一種なんだな

ポルノは二階正面席で見るより、かぶりつきで見た方がいいから
女性ヴォーカルもかぶりつきで聴きたい

それで女性ヴォーカルやポルノが好きな人間は臨場感が出る YG やマジコを欲しがるんだな

本当は風俗で生の声聴いた方がもっといいんだけど、世間体が有るから女性ヴォーカルやポルノで我慢してるんだ

ウェスタンは女性ヴォーカル向けだから人気が衰えないんだ。

一番エロイ音を聴きたかったら

WE555 + WE124

の組み合わせになるんだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/964.html#c31

[政治・選挙・NHK261] 老後資金2000万円+消費税増税で安倍内閣与党惨敗(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
3. 2019年6月12日 16:15:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2820]
社会の底辺は全員安部先生を応援しています

頑張ってね
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/791.html#c3

[リバイバル3] 音は凶器 中川隆
39. 中川隆[-9642] koaQ7Jey 2019年6月12日 19:09:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2821]

耳の穴の中に「カビ」が かゆみや痛み、難聴も 長時間「イヤホン」に要注意
6/12 中京テレビNEWS
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190612-00010002-sp_ctv-sctch



 ジメジメとしたこの時季に生える嫌な「カビ」ですが、気をつけないと“耳”にも生えるそうなんです。
.

 ジメジメする梅雨のこの時季、皆さんも嫌なアレ、気になっているようです。

「蒸し暑くてカビが気になります。洗濯物も生乾きだとカビが発生するし、カビが生えないように気を付けています」
「年間を通して(この時季は) 一番カビが生えやすいですね」

 多くの人が気になる「カビ」。でも実は、耳の穴の中にカビが生えてしまうことがあるそうなんです。
.

 いったい、なぜこうした現象が起きてしまうのでしょうか?

 名古屋市中区にある「栄セントラル耳鼻科」の専門家に聞いてみると、ある条件がカビを生えやすくする環境を作るそうなんです。

「“イヤホン”や耳栓を長時間耳に入れると(耳の中が)高温多湿になり、カビが生えやすい。外耳道真菌症(がいじどうしんきんしょう)といいます。足と同じように耳の中にも水虫がわくイメージ」(栄セントラル耳鼻科 服部忠夫 理事長)
.


耳の穴の中に「カビ」が かゆみや痛み、難聴も 長時間「イヤホン」に要注意


外耳道真菌症(がいじどうしんきんしょう)


 カビが生える環境を作ってしまうのは、通勤や通学途中に長時間使いがちな「イヤホン」なんです。

 イヤホンなどをして耳の中が高温多湿の状態がつづくと、場合によっては耳の穴の中にカビが生え、このカビが原因で外耳道真菌症(がいじどうしんきんしょう)になるといいます。

 さらに、かゆみや痛みといった、症状が出ることも…。
.


耳の穴の中に「カビ」が かゆみや痛み、難聴も 長時間「イヤホン」に要注意


栄セントラル耳鼻科 服部忠夫 理事


 普段、何気なく使っているイヤホン。専門家によると、イヤホンのほかに、日ごろ行うある行動にも注意が必要と指摘します。

「耳かきのしすぎによって、(耳の中に)傷がついてカビが発生する。耳の中がとにかくかゆくなる。痛みを伴うこともある。耳の中でカビが多く発生しすぎると、耳が聞こえにくくなったという患者もいます」(栄セントラル耳鼻科 服部忠夫 理事長)

 耳の穴の中に傷ができた状態で、耳をふさぎ続けるとその傷のまわりにカビが発生することも。

 こちらの医院でも、年間に、痛みや痒みを訴えて受診した患者の約50人が、耳の中のカビが原因だったというのです。治療には、長引くと1〜2か月かかることも。
.

 ではどのようにして耳の中のカビを防げばよいのでしょうか?

「耳はなるべく触らない方が一番いいといわれています。どうしても触りたくなったら、(耳の)入り口を綿棒などで触る程度でいい。イヤホンよりはヘッドホンの方がいい。イヤホンも1時間ごとに外して、外の音を聞いてみては」(栄セントラル耳鼻科 服部忠夫 理事長)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190612-00010002-sp_ctv-sctch
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/205.html#c39

[近代史3] 御用学者 吉川洋が流した悪質な嘘とデマ 中川隆
5. 中川隆[-9641] koaQ7Jey 2019年6月12日 21:35:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2822]

2019年6月12日
吉川洋氏の「地震に備えて消費増税を」論を完全撃破します
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13838

誠に驚くべき意見です。

東京大学名誉教授で、
元日本経済学会会長で、
財政審議会の元会長でもある
現立正大学教授の吉川洋先生が、
次のように語ったとのこと。

「大地震が30年以内に起こる確率は驚くべき高さであり、いつか必ず来ると言ってもよい。被害金額は半端ではないが、それに耐えなければならない。地道に財政再建に向けた努力を続けていかなければならない」

そしてその上で、
10%への消費増税については、
本当にリーマン級のショックだとはっきりしない限りは、
「先延ばしすべきでない」
と語ったそうです。

つまり、南海トラフ地震に対する
日本の強靭化の一環として、
消費増税をしておくべきだ、という話。

これほどのトンデモない詭弁は、
耳にしたことがありません。

そもそも私は、
国土強靭化担当の内閣官房参与を六年間勤め、
現在でも、政府の国土強靭化の有識者会議の座長を務めており、
巨大地震が来た時に、
金融不安も含めた深刻な事態を回避するために、
一体何が必要なのかを議論し続けてきました。

その議論の中で、
「強靭化のために消費増税をしておきましょう」
なぞという議論は、
財務省サイドからも、金融庁サイドからも
未だかつて耳にしたことがありません。

なぜなら、消費増税は、
強靭化を導く対策では一切ないからであり、
さすがにそのようなことを、
政府の真面目な強靭化の会議で、
財務省・金融庁側から主張するようなことは
不可能だからです。

もうどこから吉川氏の主張の詭弁性を
明らかにしていけばいいのか
分からない程に、激しくでたらめなご主張ですが、
一つ一つ論じていきましょう。

第一に、地震が起こって、
財政の危機的状況(例えばデフォルト)が起こるとすれば、
それは、その時点での財政の健全性ではなく、
最後の貸し手である日銀が、
地震時点で即座に対応できない、
という場合に限られます。

ですから、強靭化の議論では、
日銀や金融庁、さらには、財務大臣や総理大臣が、
迅速に対応可能な状況をつくるべきだ、
という議論と対策を進めています。

「増税をして財政を地道に健全化しましょう」
というような吉川氏がイメージしているであろう悠長な議論など、
強靭化の議論の現場では、全く通用しないのです。

第二に、地震が起こり、復興しなければならない場合、
そのコストは税収でなく、
国債で賄うのが常識です。

そもそも、税収で復興すると決める、
ということイコール、
復興をあきらめる、ということを意味します。

なぜなら、
一般会計は平時の支出で「いっぱいっぱい」なわけで、
地震時にはそれに「追加」して、
莫大な復興費がかかるわけですから、
国債以外の財源などあり得ないのです。

だから、吉川氏がイメージしているであろう、
「復興にはオカネがいるから、
普段から税収を増やしておきましょう」
なぞという、悠長な話は全く通用しないのです。

その様なことをやっていては、
大怪我をした子供を、
今、手元にオカネがないからというだけの理由で放置して
死に至らしめてしまうように、
日本は二度と復興できなくなってしまうでしょう。

それ以外にも、

・そもそも、消費増税を行い、デフレが悪化すれば、
民間の強靭化投資の水準が低下し、
日本の強靭性は低下し、
地震の被害が拡大する。
そしてその結果、地震後の復興支出も拡大し、
地震後の収入も縮小し、
地震による財政被害が極大化する

・消費増税をして支出をカットするという、
吉川氏がイメージしているような対策をすれば、
公的な強靭化投資も縮小し、
地震の被害が拡大する。
そしてその結果、先と同じく地震後の復興支出も拡大し、
地震後の収入も縮小し、
地震による財政被害が極大化する

という問題を指摘することもできます

いずれにせよ、
国土強靭化の政府の有識者会議の座長である当方の目から見れば、
吉川氏の主張は、
巨大地震の時に一体何が起こるのかについて
冷静に考え続けてきた
国土強靭化の議論のすべてを無視し、
ただ単に、「地震が起こる危機があると言う事実」と、
「消費増税をすべきだという結論」を
機械的に接続した、
著しく思慮の書いた暴論ないしは詭弁にしか、
残念ながら見えないのです。

万一、強靭化の有識者会議の座長である筆者に
吉川氏からの以上についての反論があるなら、
いつでも反論いただきたいと思います。

反論できるのなら是非とも、
反論していただきたいと思います。

追伸1:
真の強靱化のために何が求められているのか・・・については是非、
「インフラ・イノベーション」
https://www.amazon.co.jp//dp/459408205X/
を、ご一読ください。

追伸2:
こうした吉川市の議論からの「ピボット」のためには是非、筆者の新著「令和日本・再生計画」をお読みください!
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/144.html#c5

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
25. 中川隆[-9640] koaQ7Jey 2019年6月12日 21:35:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2823]

2019年6月12日
吉川洋氏の「地震に備えて消費増税を」論を完全撃破します
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13838

誠に驚くべき意見です。

東京大学名誉教授で、
元日本経済学会会長で、
財政審議会の元会長でもある
現立正大学教授の吉川洋先生が、
次のように語ったとのこと。

「大地震が30年以内に起こる確率は驚くべき高さであり、いつか必ず来ると言ってもよい。被害金額は半端ではないが、それに耐えなければならない。地道に財政再建に向けた努力を続けていかなければならない」

そしてその上で、
10%への消費増税については、
本当にリーマン級のショックだとはっきりしない限りは、
「先延ばしすべきでない」
と語ったそうです。

つまり、南海トラフ地震に対する
日本の強靭化の一環として、
消費増税をしておくべきだ、という話。

これほどのトンデモない詭弁は、
耳にしたことがありません。

そもそも私は、
国土強靭化担当の内閣官房参与を六年間勤め、
現在でも、政府の国土強靭化の有識者会議の座長を務めており、
巨大地震が来た時に、
金融不安も含めた深刻な事態を回避するために、
一体何が必要なのかを議論し続けてきました。

その議論の中で、
「強靭化のために消費増税をしておきましょう」
なぞという議論は、
財務省サイドからも、金融庁サイドからも
未だかつて耳にしたことがありません。

なぜなら、消費増税は、
強靭化を導く対策では一切ないからであり、
さすがにそのようなことを、
政府の真面目な強靭化の会議で、
財務省・金融庁側から主張するようなことは
不可能だからです。

もうどこから吉川氏の主張の詭弁性を
明らかにしていけばいいのか
分からない程に、激しくでたらめなご主張ですが、
一つ一つ論じていきましょう。

第一に、地震が起こって、
財政の危機的状況(例えばデフォルト)が起こるとすれば、
それは、その時点での財政の健全性ではなく、
最後の貸し手である日銀が、
地震時点で即座に対応できない、
という場合に限られます。

ですから、強靭化の議論では、
日銀や金融庁、さらには、財務大臣や総理大臣が、
迅速に対応可能な状況をつくるべきだ、
という議論と対策を進めています。

「増税をして財政を地道に健全化しましょう」
というような吉川氏がイメージしているであろう悠長な議論など、
強靭化の議論の現場では、全く通用しないのです。

第二に、地震が起こり、復興しなければならない場合、
そのコストは税収でなく、
国債で賄うのが常識です。

そもそも、税収で復興すると決める、
ということイコール、
復興をあきらめる、ということを意味します。

なぜなら、
一般会計は平時の支出で「いっぱいっぱい」なわけで、
地震時にはそれに「追加」して、
莫大な復興費がかかるわけですから、
国債以外の財源などあり得ないのです。

だから、吉川氏がイメージしているであろう、
「復興にはオカネがいるから、
普段から税収を増やしておきましょう」
なぞという、悠長な話は全く通用しないのです。

その様なことをやっていては、
大怪我をした子供を、
今、手元にオカネがないからというだけの理由で放置して
死に至らしめてしまうように、
日本は二度と復興できなくなってしまうでしょう。

それ以外にも、

・そもそも、消費増税を行い、デフレが悪化すれば、
民間の強靭化投資の水準が低下し、
日本の強靭性は低下し、
地震の被害が拡大する。
そしてその結果、地震後の復興支出も拡大し、
地震後の収入も縮小し、
地震による財政被害が極大化する

・消費増税をして支出をカットするという、
吉川氏がイメージしているような対策をすれば、
公的な強靭化投資も縮小し、
地震の被害が拡大する。
そしてその結果、先と同じく地震後の復興支出も拡大し、
地震後の収入も縮小し、
地震による財政被害が極大化する

という問題を指摘することもできます

いずれにせよ、
国土強靭化の政府の有識者会議の座長である当方の目から見れば、
吉川氏の主張は、
巨大地震の時に一体何が起こるのかについて
冷静に考え続けてきた
国土強靭化の議論のすべてを無視し、
ただ単に、「地震が起こる危機があると言う事実」と、
「消費増税をすべきだという結論」を
機械的に接続した、
著しく思慮の書いた暴論ないしは詭弁にしか、
残念ながら見えないのです。

万一、強靭化の有識者会議の座長である筆者に
吉川氏からの以上についての反論があるなら、
いつでも反論いただきたいと思います。

反論できるのなら是非とも、
反論していただきたいと思います。

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c25

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
102. 中川隆[-9639] koaQ7Jey 2019年6月12日 21:50:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2824]

病気の9割は歩くだけで治る!
~歩行が人生を変える29の理由~ 簡単、無料で医者いらず – 2015/11/21
長尾 和宏 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4635490157?_encoding=UTF8&isInIframe=0&n=465392&ref_=dp_proddesc_0&s=books&showDetailProductDesc=1#product-description_feature_div

内容(「BOOK」データベースより)

現代病の大半は、歩かないことが原因だった。
医者に払う金があるなら、靴に使え!歩くと寿命が延びるのはなぜ?歩行は、脳を変えて、人生を変える!

内容紹介

ベストセラー本の町医者が、簡単、ただで出来る、医者知らずの『とっておきの健康法』を初めて著す! 医者として多くの患者を診療しながら、多くの人気本を著している長尾和宏先生の新しいテーマ『歩くこと』による健康法。平穏死という言葉をはやらせ、死を見つめたテーマ、ボケの問題、薬についてのうんちく、近藤誠教授へのアンチテーゼなどのテーマから、もっと健康で積極的に生きていこうというテーマへ。

歩くことがどれだけ健康に良いかということを、医者の立場から科学的に証明。実際の治療にも多く使われ、効果をあげています。 歩行が人生を変える29の理由をわかりやすく説明する本。

現代病の大半は、歩かないことが原因。糖尿病人口は、950万人に。 高血圧人口は、4千万人に。高脂血症人口は、2千万人に。 認知症人口は460万人、予備軍も加えると900万人に。そして、毎年100万人が新たにがんにかかり、年間で37万人が、がんで命を落としている・・その大半は、歩かなくなったことが原因。

目次: 第1章 病気の9割は歩くだけで治る!

1現代病の大半は、歩かないことが原因だった

2糖尿病、高血圧…生活習慣病は歩くほどに改善する

3最大の認知症予防は計算しながら1時間歩くこと

4うつ病も薬要らず、歩くだけで改善する

5国民病の不眠症は、歩くだけで解決する

6逆流性食道炎も便秘も一挙に改善、腸内フローラが脳を変える

7線維筋痛症も喘息もリウマチも、痛い病気こそ、頑張って歩け!

8がんの最大の予防法はこんなにも単純だった

9風邪も歩いて治せ ただし体力に余裕のある人は


第2章 医療の常識に騙されるな

10なぜ歩くことは国民運動にならないのか?

11薬で老化は治りません

12ライザップより、ウォーザップ! お金は一銭もいらない

13「骨折=手術」とは限らない 骨折しても歩くことを忘れるな!

第3章 健康になる歩き方

14正しく立つ3つのコツ

15骨盤を意識すること、ありますか?

16腕を振るのではなく肩甲骨を動かす

17脊椎ストレッチウォーキング≠フススメ

18川柳ウォーキングのススメ

19自分に合った靴を選ぶ3つのヒント

20手ぶら恐怖症から卒業しよう

㉑まちをフィットネスセンターにしよう!

㉒腰や膝が悪い人におすすめの歩き方

㉓障害があっても歩行補助具で歩く

㉔自転車ではダメか? ジョギングでもダメか?


第4章 歩くと未来が変わる

㉕セロトニン顔をめざそう!

㉖歩くと頭が劇的に良くなる二つの理由

㉗うまく歩くと寿命が確実に延びる

㉘歩行は脳を変え、人生を変える

㉙偉人たちが偉業を成し遂げたのは、歩いていたから

出版社からのコメント

「はじめに」から。

私は町医者ですから、外来にはいろいろな患者さんがいらっしゃいます。

高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病の人、胃腸の具合が悪い人、うつ病や不眠症の人、認知症の人、がんの人、膝や腰が痛いという整形外科系の病気の人--。とにかくありとあらゆる病気や症状でお困りの方がいらっしゃるので、お一人おひとり治療は違いますが、どんな病気であっても、共通してお話することがあります。それが今回の「歩く」という話です。

「よく歩いていますか?」
「よく歩いてくださいね。歩くことで良くなりますよ」

来る患者さん来る患者さんに、そう伝えている毎日です。

「治る」は言い過ぎに当たるとすれば、歩けば確実に良くなる、医者いらずになる。これは確信を持って言えます。

逆に言えば、うつ病にしても、がんにしても、アレルギーや免疫系の病気にしても、現代においていろいろな病気が増えているのは、私たちが歩かなかったためでしょう。病気の大半は歩かないために起こっていると思っています。

それだけ「歩く」ことはとても大切なのですが、あまりにも疎んじられているような気がしてなりません。病気とみれば、医者はまず薬を出したがり、患者さんも「病気を治す薬をください」「この症状を取る薬をください」と薬を目当てに来られます。

医療というのは、本来、食事療法、運動療法があって、3番目に薬物療法がくるはずなのに、ここ数十年、薬が一番上になっています。それはいかがなものか---。くすぶる想いが、ずっとありました。(中略)

今回「歩く」ことについて一冊書こうと思ったのは、歩くことはいいことだと誰もがわかっているはずなのに、当たり前すぎてないがしろにされているから、そして、薬至上主義を見直したいという気持ちからです。(中略)

『病気の9割は歩くだけで治る』という本書のタイトルのもとになっているのは、外来で患者さんを診ている町医者としての実感です。一部の病気は別として、日頃診ているよくある病気の多くは、歩くことが治療や予防のカギになっています。

歩くことは本当に良いこと尽くめで、困る人がいるとすれば、医者くらいでしょう(笑)。病気が減れば、今ほど医者が要らなくなるからです。みんなが歩くようになって病気が減り、要介護の人が減れば、国の医療費や介護費も減ります。今、高齢者が増えて医療費・介護費が大変だといわれていますが、みんなが歩けば半分くらいに減らせるはずです。(中略)

この本では、「歩くだけで、なぜ幸せになれるのか、なぜ運命が変わるのか」、なるべく簡潔に書いていますので、読み終わったころには、歩くことのすごさをわかっていただけるだろうと思います。すごさがわかったら、次は、実行に移してほしい。歩くことを、ぜひ自分の生活に取り入れてください。そうすれば、健康になるのはもちろんのこと、一日一日幸せを実感しながら過ごせるようになるはずです。

平成27年10月 長尾和宏

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

長尾/和宏
1958年香川県生まれ。1984年東京医科大学卒業、大阪大学第二内科入局。1995年長尾クリニック開業。医療法人社団裕和会理事長、長尾クリニック院長。医学博士、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本内科学会認定医、日本在宅医学会専門医、労働衛生コンサルタント。日本ホスピス在宅ケア研究会理事、日本慢性期医療協会理事、日本尊厳死協会副理事長、全国在宅療養支援診療所連絡会理事、エンドオブライフ・ケア協会理事。関西国際大学客員教授、東京医科大学客員教授(高齢総合医学講座)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c102

[リバイバル3] 中川隆 _ 医療・健康関係投稿リンク 中川隆
166. 中川隆[-9638] koaQ7Jey 2019年6月12日 21:53:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2825]
病気の9割は歩くだけで治る!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/475.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/454.html#c166
[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
7. 中川隆[-9640] koaQ7Jey 2019年6月12日 22:23:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2823]

【海外の反応】「神秘的過ぎて怖い…」日本神社の存在感が世界中を圧倒!
その別格すぎる美しさに外国人から感動と驚愕の声 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2D_ra_k83mY


上色見熊野座神社 Kami-shikimi Kumano-imasu Jinja - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=e9FHl42lNHo

■【海外の反応】「神秘的過ぎて怖い…」日本神社の存在感が世界中を圧倒!その別格すぎる美しさに外国人から感動と驚愕の声


今回は、熊本県の上色見熊野座(かみしきみくまのいます)神社の鳥居と、
群馬県の榛名神社の双龍門を写した写真からになります。

榛名神社は関東屈指のパワースポットとして大変有名ですが、
上色見熊野座神社も、神秘的すぎる空間を持つ神社として、
近年急速に知名度を上げ、参拝する方も急増しているそうです。

「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる 」
という、西行が伊勢神宮を参拝した際に詠んだ有名な歌がありますが、
神社にそう言った神秘性を見出すのは、何も日本人だけではないようでした。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c7

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
8. 中川隆[-9639] koaQ7Jey 2019年6月12日 22:33:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2824]


外国人「日本はレベルが違う…」熊野古道の風景が幻想的すぎて美しい 海外の反応
http://tamenal.com/13522

KUMANO - 熊野 動画
https://vimeo.com/131426603

熊野古道 - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%8F%A4%E9%81%93&biw=1024&bih=904&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CJQBEIkeahUKEwi61JSR2uPGAhUDGZQKHSF4D5w

熊野古道 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%8F%A4%E9%81%93

KUMANO - 熊野 動画
https://vimeo.com/131426603

「熊野」という地名を知っていますか?

和歌山県南部と三重県南部からなる地域の事を指すのですが、その美しい景観などが人気の観光地として「熊野古道」が有名ですよね。

その熊野にフォーカスを当てた動画を外国人が制作しているのですが、そのクオリティが凄すぎると多くのコメントを集めています。日本の良さが伝わってくる動画を見た外国人はどのように思うのでしょうか?

山伏の修行も撮影されています

幻想的な世界観が溢れています

美しい道ですね

修行中でしょうか?

ひたすら山道を進みます

神聖な場所です

どこを見ても美しい風景が続きます

滝行をしていますね

法螺貝(ほらがい)を吹いている様子も

光が差し込むと更に美しい風景が広がります

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c8

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
9. 中川隆[-9638] koaQ7Jey 2019年6月12日 22:34:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2825]
京都の「苔寺(西芳寺)の風景」動画への海外の反応
http://syokoku77.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

京都「金閣寺」動画への海外の反応(雪景色も有り)
http://syokoku77.blog.fc2.com/blog-entry-276.html

「雪の京都 鞍馬」風景動画への海外の反応
http://syokoku77.blog.fc2.com/blog-entry-257.html

京都の紅葉シーンへの海外の反応
http://syokoku77.blog.fc2.com/blog-entry-143.html

紅葉の「京都・嵐山」での優雅な「琴演奏」動画への海外の反応
http://syokoku77.blog.fc2.com/blog-entry-190.html


____


KOKEDERA / KYOTO 2010
https://www.youtube.com/watch?v=85QygnkomHU

雪の京都 金閣寺(鹿苑寺) Kinkaku-ji in snow
https://www.youtube.com/watch?v=frNlB0-bkgg

雪の京都 鞍馬 / Snow in Kurama, Kyoto
https://www.youtube.com/watch?v=rjdzp0lueHM

京都秋艶 autumn colors momiji leaves in Kyoto Japan 紅葉
https://www.youtube.com/watch?v=7Ai6Y5GcJVw

美しい日本シリーズ 紅葉の京都・嵐山での優雅な琴演奏
https://www.youtube.com/watch?v=cBe8jIJQgaU

Autunno in Giappone - viaggio in Giappone
https://www.youtube.com/watch?v=IjBvcwwu2iQ

The Bamboo Forest...In Kyoto, Japan
https://www.youtube.com/watch?v=mmunAx2-FYE

The Arts of Gion,Kyoto (english)
https://www.youtube.com/watch?v=M-tHGl1ls5c

Japan is Beautiful! Kyoto Trip! (Kinetic Vlog #6)
https://www.youtube.com/watch?v=cozmUHJE8TU

Kyoto (Giappone): geishe, giardini zen e sushi
https://www.youtube.com/watch?v=wxneBtucuMI

Geisha: Flowers of Kyoto
https://www.youtube.com/watch?v=0A662tbI6qc

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c9

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
10. 中川隆[-9637] koaQ7Jey 2019年6月12日 22:35:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2826]
海外人が考察する、日本の芸術と文化の9原則 2012年12月15日
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52111365.html

 日本のカルチャー、サブカルチャーなどを、海外に発信している「Japan talk」というサイトで、日本の芸術や文化に対する考察が行われていた。

それによると、日本の芸術や文化の根底には、美意識と呼ばれる日本人独特の9つの基本的原則があるという。それは芸術とは何かという疑問の答えとなる考え方で、日本の芸術、ファッション、ポップカルチャー、音楽、映画すべての基本になっていると考えているようだ。

 これらの考察は、日本の文化を海外に紹介してきたサイト、Japan talkによるものである。日本人自身の考えているものと、外から見えてくるものの相違点を考えてみても面白い。

1.わびさび(不完全なこと)

 映画に出てくる登場人物がみんな非のうちどころがなく完璧だったら、などと考えられるだろうか? 物事は不完全だからこそ人生はおもしろい。わびさびの考え方も、この不完全まで拡大解釈することが多い。例えば、桜は短期間で散ってしまうからこそ美しいという考え方のこと。

2.雅(優雅さ)

 雅は悩ましいほど優雅でエレガンスなものに、よく言い換えられる。低俗で下劣なものが一切ないという意味だ。粗野な罵り言葉で、映画がより良いものになるだろうか? 雅の考え方では、ノーだ。

3.渋さ(繊細さ)

 渋さの意味は、多くを語らず、ほのかで奥ゆかしいということ。物事は派手に自己主張するのではなく、それとなく控えめに表現する方が美しい。

4.粋(独創性)

 粋は他には見られない独特な特徴があること。だが、「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、日本の文化は他者と違うことを歓迎しない。粋の正しい意味は、より洗練された独創性だ。粋は、己のスタイルとたしなみを持つ、映画の中のワルな登場人物といったところだろう。


5.序破急(ゆっくり、加速、終わり)

 序破急とは、ゆっくり走り出し、加速して、突然終わるという意味の速度理念。茶道などの日本の伝統文化で用いられる言葉。また武道でも広く使われ、現代では映画や音楽、広告などにも使われる。

6.幽玄(神秘的な)

 物事にはすべて不可解なものが隠されているはずだから、この世のすべてのことが理解されてしまったら、つまらないという考え方。あらゆる映画を観たからといって、すべてのことを説明できるわけではない。それが幽玄だ。この絵の煙はどこからきたのだろうか? わからないのがいいのだ。


7.芸道(鍛錬と道徳)

 日本の武道(と伝統芸術)は、鍛錬や修行がすべてなのに気づいていただろうか?道徳と鍛錬は、物事をより魅力的なものにする。


8.円相(無)

 禅の思想。たいていは円で表され、無限や無を意味する。明確に説明するのは難しい考え方。真の意味でこれがわかるためには、長いこと瞑想の修行をする必要がある。
 

9.かわいい(キュート)

 日本の新しい美意識と言われている。だが、このかわいい意識はずっと日本の文化の一部だったという説もある。最近はもっともポピュラーな日本の美意識だ。

コメント


2の金閣寺の写真が古いな・・・
今はもう、昔のように金箔が貼ってあるぞ(本物かどうかはしらんが)

金閣寺はかなり特別で日本人からみると成金にみえて下品でダサい
ワビサビの正反対
その下品さダサさが突き抜けているから凄い
という日本にあまりない文化財だからな
雅とは全然ちがう、雅とは品があること下品でないこと

庭園はちがうぞ、庭園部分はよくある日本庭園

渋さと優雅さの写真が逆だとか、それは煙じゃなくて雲だと思うとか、教えたくなりますね〜。

外国の、日本を好いてくれる人達にはこう見えがちなんだなぁと思うと、そんな外国の人達が『かわいい』なぁなんて感じちゃうな。優越感ではなくて、嬉しいのと親しみの気持ちとして。

画像も説明もイマイチなんか違う


すごい真剣に考えてあるんだけど、なんか違う


侘び寂びとか、雅とか…そんな意味だったっけ…?


「侘しい」と「寂れた」の略だから。
「わび」は劣っている状態で、派手な茶器などが流行っていた戦国時代に、素朴で質素なものが尊ぶようにした。
「さび」は時間風化を表し、苔むした岩やツタの絡まった家屋、緑青に覆われた銅や落ち着いた色になった銀などがある。


萌えってのは幼さ、隙(もしくは抜け)が引き出す魅力だね。

「粋」は独創性じゃないだろ…


粋はアウトローなことじゃないだろうに。


昔は「カワイイ」じゃなくて「いとをかし」って言ったんだぜ。

いくつか間違ってるよね。

「渋さ」というのは、苦みのようなものにも価値を見いだすことで、舞子の写真はおかしい。
「粋」は、相手の満足行くように取りはからってやること、で独創性とは違う。
「かわいい」は、小さなものを守ってやりたくなるような感覚、で当然、平安の時代から存在する。

毎度の事ながら、なぜ日本を理解していない知ったかぶり外国人が我が物顔で
見当違いの日本解釈を講釈するのが後を絶たないのだろう・・・。

せめて、一般的な日本人位の感覚を養ってから物を言え、と思う私は
我儘なんでしょうかねぇ?(笑)
(勿論、私自身立派ではありませんが。)

そんなに自分の浅慮な知識を他人に披露・自慢したいなら、他の国か物事にして頂きたいものですな。正直、鬱陶しくて勘弁願いたい。
日本に関わらない事を切に願うと言うのが本音ですかね。


日本の美意識を解き明かすのはいいけれど、それを教条化して実践したものは、日本の美意識とは似て非なるものだろうね。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52111365.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c10

[国際26] 米国の恫喝が機能しない中、米支配層の臣下である安倍首相がイラン訪問(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9636] koaQ7Jey 2019年6月12日 23:00:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2827]
櫻井ジャーナルに騙されるな

櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ


http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/589.html#c1

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
154. 中川隆[-9638] koaQ7Jey 2019年6月12日 23:13:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2825]

【怒れるスリーメン】Part29-@ 加藤×橋×馬渕睦夫 
トランプ大統領 護衛艦「かが」に乗艦。これは、対中 対北へのメッセージ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0fb3v6YaIt0

【怒れるスリーメン】Part29-A 加藤×橋×馬渕睦夫 
「世界は、腹黒い」ロシア革命をやった人が 今も世界を動かしている。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VNVlTcnoklw

【怒れるスリーメン】Part29-B 加藤×橋×馬渕睦夫 
日露関係 北方領土問題を考える。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mZCjy_nBSVs

【怒れるスリーメン】Part29-C 加藤×橋×馬渕睦夫 
中国共産党 崩壊の道へ。ついにアメリカが本気に。歴史を見ると、2025年が限界?! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kcHbeHZQy40


5月28日収録

【出演者】
加藤清隆(政治評論家)
橋洋一(嘉悦大学教授)
馬渕睦夫(駐 ウクライナ全権大使)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c154

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
30. 中川隆[-9637] koaQ7Jey 2019年6月12日 23:14:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2826]

【怒れるスリーメン】Part29-@ 加藤×橋×馬渕睦夫 
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【怒れるスリーメン】Part29-B 加藤×橋×馬渕睦夫 
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中国共産党 崩壊の道へ。ついにアメリカが本気に。歴史を見ると、2025年が限界?! - YouTube
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5月28日収録

【出演者】
加藤清隆(政治評論家)
橋洋一(嘉悦大学教授)
馬渕睦夫(駐 ウクライナ全権大使)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c30

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
13. 中川隆[-9636] koaQ7Jey 2019年6月12日 23:15:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2827]

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5月28日収録

【出演者】
加藤清隆(政治評論家)
橋洋一(嘉悦大学教授)
馬渕睦夫(駐 ウクライナ全権大使)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c13

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
31. 中川隆[-9635] koaQ7Jey 2019年6月12日 23:16:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2828]

【怒れるスリーメン】Part29-@ 加藤×橋×馬渕睦夫 
トランプ大統領 護衛艦「かが」に乗艦。これは、対中 対北へのメッセージ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0fb3v6YaIt0

【怒れるスリーメン】Part29-A 加藤×橋×馬渕睦夫 
「世界は、腹黒い」ロシア革命をやった人が 今も世界を動かしている。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VNVlTcnoklw

【怒れるスリーメン】Part29-B 加藤×橋×馬渕睦夫 
日露関係 北方領土問題を考える。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mZCjy_nBSVs

【怒れるスリーメン】Part29-C 加藤×橋×馬渕睦夫 
中国共産党 崩壊の道へ。ついにアメリカが本気に。歴史を見ると、2025年が限界?! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kcHbeHZQy40


5月28日収録

【出演者】
加藤清隆(政治評論家)
橋洋一(嘉悦大学教授)
馬渕睦夫(駐 ウクライナ全権大使)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c31

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
206. 中川隆[-9634] koaQ7Jey 2019年6月13日 06:07:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2829]

古代の土器作りは女性の仕事? 指紋から意外な事実
1000年前の土器985片に残る指紋を調査、北米の古代プエブロ文化 2019.06.07
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/


米ニューメキシコ州プエブロ・ボニートで発掘された650室に仕切られた遺跡。ここは、西暦800〜1200年に栄えたチャコ・キャニオン社会の中心地だった。(PHOTOGRAPH BY PHIL SCHERMEISTER, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=-787263934

 アメリカ古代文化の中心地で発掘された土器を改めて分析したところ、「土器製作は女性の仕事」とされてきたこれまでの常識を覆す結果が得られた。6月3日付けで学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。

 米ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンは、西暦800〜1200年頃、重要な文化と宗教の中心地だった。ここに住んでいた古代プエブロ人は、粘土を太い縄のようにして、らせん状にぐるぐると巻いて器の形にする「波状文様土器」を作っていた。

 1000年前、こうした土器は女性が作っていたと一般的に考えられていた。というのも、もっと現代に近いチャコ・キャニオンでも、土器製作は主に女性の役割だったためだ。

「現代のプエブロ女性たちは土器を作り、その作り方を娘たちに伝えてきました。ですから、はるか昔の祖先もそうだったのだろうと思い込んでいました」。論文を執筆した米ノースフロリダ大学のジョン・カントナー氏は、そう語る。「けれど、実際には誰が作っていたかを直接見ることはできませんから、考古学者たちも腑に落ちずにいたのです」(参考記事:「古代プエブロに母系支配者、「世襲」の起源に光」)

 波状文様の土器は、親指と人差し指で粘土と粘土を挟んで貼り合わせていたので、粘土には製作者の指紋が残されている。これらの指紋を分析すれば、製作者の性別がわからないだろうか。


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=1420927604
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=1421851125
研究者らは、土器に残っていた指紋の隆線の幅を計測した。男性の隆線は、一般的に女性のものよりも幅が広い。(PHOTOGRAPH BY JOHN KANTNER)

 論文共著者で、カントナー氏の教え子だったデビッド・マッキニー氏は、そう質問した。マッキニー氏は当時、警察署で働いていた。そこでカントナー氏は、男女の指紋の違いを調べるため、法科学捜査に乗り出した。指紋の隆線が男性の場合は女性よりも9%太いという過去の研究結果を用いて、チャコ・キャニオンのブルーJという発掘現場で出土した985個の土器の欠片を分析した。(参考記事:「真犯人を追う 科学捜査」)

 その結果、47%の欠片に残されていた指紋の隆線の幅が、平均して0.53ミリで男性のものと分類され、40%が平均して0.41ミリで女性または子どものものと分類された。残りの12%はその中間で、「性別不明」とされた。


土器の欠片をさらに年代別に分けてみると、古い時代の土器に残されていた指紋は66%が男性のものだったが、新しい土器には男性と女性の指紋がほぼ半分ずつ残されていた。以上のことから、かつて男性も土器作りに関わっていただけでなく、男性と女性の割合は時代とともに変化したことがわかる。

 この研究は、チャコ・キャニオンでの土器製作者を男女別に示した初の直接的な証拠となった。

「男性または女性だけの仕事だったというわけではないでしょう。土器製作に限らず、当時のプエブロ社会におけるほかの活動にも同様の見方ができるかもしれません。そして、ひとつの社会が労働をどのように分担していたかを考えるとき、まず最初に頭に浮かぶのが、男女別の役割分担という思い込みを見直させてくれる研究です」と、カントナー氏は述べている。


(参考記事:「「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/


チャコ・キャニオンで発掘された古代の住居から土器が見つかった。(PHOTOGRAPH BY JOHN KANTNER)

 なぜ男性が土器製作に関わるようになったのか、その理由はこの研究だけではわからないが、カントナー氏は、チャコ・キャニオンが文化の中心地として急速に発展し、周辺地域への需要が高まったためではないかと考えている。

「考古学的記録をみると、非常に多くのものがチャコに流入していたことがわかります。周囲の村々や巡礼者からの贈り物だったのかはわかりませんが、チャコへ運ばれる土器の製作に多くの人が関わりたくなる状況があったのかもしれません」

 ネブラスカ・リンカーン大学の人類学者でチャコ・キャニオンを専門とするキャリー・ハイトマン氏も、興味深い研究結果だとしたうえで、これを裏付けるにはチャコ・キャニオンの別の場所で出土した土器との比較研究も必要だと話す。

(参考記事:「古代アンデスの土器、顔料に爬虫類のおしっこ」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/121400252/

「チャコ・キャニオンで見つかったほかの土器との比較分析があれば、もっと正確なことがわかるでしょう。当時起こっていた変化の一部を切り取っただけかもしれませんが、性別に注目した今回のような分析は、当時の男女の役割を理解する助けになります。そして、過去の歴史を知るうえでより豊かで性のバランスがとれた視点を与えてくれるでしょう」

(参考記事:「グランドキャニオンへの旅、絶景&穴場9選」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/022600128/


参考ギャラリー:100年前のナショジオ「チャコ・キャニオン遠征」 写真7点(クリックでギャラリーへ)

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c206

[近代史3] なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか? 中川隆
4. 中川隆[-9633] koaQ7Jey 2019年6月13日 06:07:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2830]


古代の土器作りは女性の仕事? 指紋から意外な事実
1000年前の土器985片に残る指紋を調査、北米の古代プエブロ文化 2019.06.07
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/


米ニューメキシコ州プエブロ・ボニートで発掘された650室に仕切られた遺跡。ここは、西暦800〜1200年に栄えたチャコ・キャニオン社会の中心地だった。(PHOTOGRAPH BY PHIL SCHERMEISTER, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=-787263934

 アメリカ古代文化の中心地で発掘された土器を改めて分析したところ、「土器製作は女性の仕事」とされてきたこれまでの常識を覆す結果が得られた。6月3日付けで学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。

 米ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンは、西暦800〜1200年頃、重要な文化と宗教の中心地だった。ここに住んでいた古代プエブロ人は、粘土を太い縄のようにして、らせん状にぐるぐると巻いて器の形にする「波状文様土器」を作っていた。

 1000年前、こうした土器は女性が作っていたと一般的に考えられていた。というのも、もっと現代に近いチャコ・キャニオンでも、土器製作は主に女性の役割だったためだ。

「現代のプエブロ女性たちは土器を作り、その作り方を娘たちに伝えてきました。ですから、はるか昔の祖先もそうだったのだろうと思い込んでいました」。論文を執筆した米ノースフロリダ大学のジョン・カントナー氏は、そう語る。「けれど、実際には誰が作っていたかを直接見ることはできませんから、考古学者たちも腑に落ちずにいたのです」(参考記事:「古代プエブロに母系支配者、「世襲」の起源に光」)

 波状文様の土器は、親指と人差し指で粘土と粘土を挟んで貼り合わせていたので、粘土には製作者の指紋が残されている。これらの指紋を分析すれば、製作者の性別がわからないだろうか。


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=1420927604
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=1421851125
研究者らは、土器に残っていた指紋の隆線の幅を計測した。男性の隆線は、一般的に女性のものよりも幅が広い。(PHOTOGRAPH BY JOHN KANTNER)

 論文共著者で、カントナー氏の教え子だったデビッド・マッキニー氏は、そう質問した。マッキニー氏は当時、警察署で働いていた。そこでカントナー氏は、男女の指紋の違いを調べるため、法科学捜査に乗り出した。指紋の隆線が男性の場合は女性よりも9%太いという過去の研究結果を用いて、チャコ・キャニオンのブルーJという発掘現場で出土した985個の土器の欠片を分析した。(参考記事:「真犯人を追う 科学捜査」)

 その結果、47%の欠片に残されていた指紋の隆線の幅が、平均して0.53ミリで男性のものと分類され、40%が平均して0.41ミリで女性または子どものものと分類された。残りの12%はその中間で、「性別不明」とされた。


土器の欠片をさらに年代別に分けてみると、古い時代の土器に残されていた指紋は66%が男性のものだったが、新しい土器には男性と女性の指紋がほぼ半分ずつ残されていた。以上のことから、かつて男性も土器作りに関わっていただけでなく、男性と女性の割合は時代とともに変化したことがわかる。

 この研究は、チャコ・キャニオンでの土器製作者を男女別に示した初の直接的な証拠となった。

「男性または女性だけの仕事だったというわけではないでしょう。土器製作に限らず、当時のプエブロ社会におけるほかの活動にも同様の見方ができるかもしれません。そして、ひとつの社会が労働をどのように分担していたかを考えるとき、まず最初に頭に浮かぶのが、男女別の役割分担という思い込みを見直させてくれる研究です」と、カントナー氏は述べている。


(参考記事:「「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/


チャコ・キャニオンで発掘された古代の住居から土器が見つかった。(PHOTOGRAPH BY JOHN KANTNER)

 なぜ男性が土器製作に関わるようになったのか、その理由はこの研究だけではわからないが、カントナー氏は、チャコ・キャニオンが文化の中心地として急速に発展し、周辺地域への需要が高まったためではないかと考えている。

「考古学的記録をみると、非常に多くのものがチャコに流入していたことがわかります。周囲の村々や巡礼者からの贈り物だったのかはわかりませんが、チャコへ運ばれる土器の製作に多くの人が関わりたくなる状況があったのかもしれません」

 ネブラスカ・リンカーン大学の人類学者でチャコ・キャニオンを専門とするキャリー・ハイトマン氏も、興味深い研究結果だとしたうえで、これを裏付けるにはチャコ・キャニオンの別の場所で出土した土器との比較研究も必要だと話す。

(参考記事:「古代アンデスの土器、顔料に爬虫類のおしっこ」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/121400252/

「チャコ・キャニオンで見つかったほかの土器との比較分析があれば、もっと正確なことがわかるでしょう。当時起こっていた変化の一部を切り取っただけかもしれませんが、性別に注目した今回のような分析は、当時の男女の役割を理解する助けになります。そして、過去の歴史を知るうえでより豊かで性のバランスがとれた視点を与えてくれるでしょう」

(参考記事:「グランドキャニオンへの旅、絶景&穴場9選」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/022600128/


参考ギャラリー:100年前のナショジオ「チャコ・キャニオン遠征」 写真7点(クリックでギャラリーへ)

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/429.html#c4

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
30. 中川隆[-9632] koaQ7Jey 2019年6月13日 06:08:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2831]


古代の土器作りは女性の仕事? 指紋から意外な事実
1000年前の土器985片に残る指紋を調査、北米の古代プエブロ文化 2019.06.07
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/


米ニューメキシコ州プエブロ・ボニートで発掘された650室に仕切られた遺跡。ここは、西暦800〜1200年に栄えたチャコ・キャニオン社会の中心地だった。(PHOTOGRAPH BY PHIL SCHERMEISTER, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=-787263934

 アメリカ古代文化の中心地で発掘された土器を改めて分析したところ、「土器製作は女性の仕事」とされてきたこれまでの常識を覆す結果が得られた。6月3日付けで学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。

 米ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンは、西暦800〜1200年頃、重要な文化と宗教の中心地だった。ここに住んでいた古代プエブロ人は、粘土を太い縄のようにして、らせん状にぐるぐると巻いて器の形にする「波状文様土器」を作っていた。

 1000年前、こうした土器は女性が作っていたと一般的に考えられていた。というのも、もっと現代に近いチャコ・キャニオンでも、土器製作は主に女性の役割だったためだ。

「現代のプエブロ女性たちは土器を作り、その作り方を娘たちに伝えてきました。ですから、はるか昔の祖先もそうだったのだろうと思い込んでいました」。論文を執筆した米ノースフロリダ大学のジョン・カントナー氏は、そう語る。「けれど、実際には誰が作っていたかを直接見ることはできませんから、考古学者たちも腑に落ちずにいたのです」(参考記事:「古代プエブロに母系支配者、「世襲」の起源に光」)

 波状文様の土器は、親指と人差し指で粘土と粘土を挟んで貼り合わせていたので、粘土には製作者の指紋が残されている。これらの指紋を分析すれば、製作者の性別がわからないだろうか。


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=1420927604
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/?SS=imgview&FD=1421851125
研究者らは、土器に残っていた指紋の隆線の幅を計測した。男性の隆線は、一般的に女性のものよりも幅が広い。(PHOTOGRAPH BY JOHN KANTNER)

 論文共著者で、カントナー氏の教え子だったデビッド・マッキニー氏は、そう質問した。マッキニー氏は当時、警察署で働いていた。そこでカントナー氏は、男女の指紋の違いを調べるため、法科学捜査に乗り出した。指紋の隆線が男性の場合は女性よりも9%太いという過去の研究結果を用いて、チャコ・キャニオンのブルーJという発掘現場で出土した985個の土器の欠片を分析した。(参考記事:「真犯人を追う 科学捜査」)

 その結果、47%の欠片に残されていた指紋の隆線の幅が、平均して0.53ミリで男性のものと分類され、40%が平均して0.41ミリで女性または子どものものと分類された。残りの12%はその中間で、「性別不明」とされた。


土器の欠片をさらに年代別に分けてみると、古い時代の土器に残されていた指紋は66%が男性のものだったが、新しい土器には男性と女性の指紋がほぼ半分ずつ残されていた。以上のことから、かつて男性も土器作りに関わっていただけでなく、男性と女性の割合は時代とともに変化したことがわかる。

 この研究は、チャコ・キャニオンでの土器製作者を男女別に示した初の直接的な証拠となった。

「男性または女性だけの仕事だったというわけではないでしょう。土器製作に限らず、当時のプエブロ社会におけるほかの活動にも同様の見方ができるかもしれません。そして、ひとつの社会が労働をどのように分担していたかを考えるとき、まず最初に頭に浮かぶのが、男女別の役割分担という思い込みを見直させてくれる研究です」と、カントナー氏は述べている。


(参考記事:「「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/


チャコ・キャニオンで発掘された古代の住居から土器が見つかった。(PHOTOGRAPH BY JOHN KANTNER)

 なぜ男性が土器製作に関わるようになったのか、その理由はこの研究だけではわからないが、カントナー氏は、チャコ・キャニオンが文化の中心地として急速に発展し、周辺地域への需要が高まったためではないかと考えている。

「考古学的記録をみると、非常に多くのものがチャコに流入していたことがわかります。周囲の村々や巡礼者からの贈り物だったのかはわかりませんが、チャコへ運ばれる土器の製作に多くの人が関わりたくなる状況があったのかもしれません」

 ネブラスカ・リンカーン大学の人類学者でチャコ・キャニオンを専門とするキャリー・ハイトマン氏も、興味深い研究結果だとしたうえで、これを裏付けるにはチャコ・キャニオンの別の場所で出土した土器との比較研究も必要だと話す。

(参考記事:「古代アンデスの土器、顔料に爬虫類のおしっこ」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/121400252/

「チャコ・キャニオンで見つかったほかの土器との比較分析があれば、もっと正確なことがわかるでしょう。当時起こっていた変化の一部を切り取っただけかもしれませんが、性別に注目した今回のような分析は、当時の男女の役割を理解する助けになります。そして、過去の歴史を知るうえでより豊かで性のバランスがとれた視点を与えてくれるでしょう」

(参考記事:「グランドキャニオンへの旅、絶景&穴場9選」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/022600128/


参考ギャラリー:100年前のナショジオ「チャコ・キャニオン遠征」 写真7点(クリックでギャラリーへ)

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/060600334/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c30

[昼休み54] 櫻井ジャーナルに騙されるな 中川隆
7. 中川隆[-9631] koaQ7Jey 2019年6月13日 08:07:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2832]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/421.html#c7

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
207. 中川隆[-9630] koaQ7Jey 2019年6月13日 08:14:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2833]
日本人のガラパゴス的民族性の起源
2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得ツリー増補版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm


2019/6/11
  wikipediaにまとめられている分布地図データなどを借用させていただいて、 視覚的に理解しやすいツリーにしました。wikipediaに多謝です。 またアジアを中心にした居住地データもできるだけ付け加えさせてもらいました。 結局4524行に増えてしまいました。 日本人のmtDNAはかなり多岐にわたっていることが良く理解できます。

mtDNAで見る日本人は、以前から国立科学博物館の篠田健一博士が主張しておられるように、 日本人の約2/3はアジアから南北アメリカ大陸全域の先住民に共通する ハプロタイプmtDNA「M」系に属し、母方の始祖は1名にたどり着きます。

  また残りの1/3は欧米系に多いmtDNA「N」に属し、 日本人はアジア系だけで構成されているのではなく、欧米系も日本人の 大きな構成員であることを示しています。

日本人に意外に多い目鼻立ちのくっきりした 凹凸のある顔立ちの女性・男性はこの「N」系が多いと推測できます。

「N」系も母方は1名の始祖にたどり着くので日本人は2名の母方の始祖を持つ事になります。


2019/5/21
  しかし集めれば集めるほどmtDNAは民族性が乏しく、 特にmtDNA「M」系はアジアから南米最南端まで拡がっており、 アジアと南北米大陸はみな同族になりそうな勢いです。 やはり民族性は分子量が大きくはるかに複雑なY-DNAの分化を追うのが王道のようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c207

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
26. 中川隆[-9629] koaQ7Jey 2019年6月13日 08:43:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2834]

「MMT批判」がいかに不条理か、徹底的に指摘する
「有りもしない亡霊」におびえ、なすべき政策を葬るつもりか
2019.6.11 (藤井 聡:京都大学大学院教授)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56663


 今、話題を集めているMMT(現代貨幣理論)。その具体的な主張は、自国通貨建ての国債で政府が破綻(デフォルト)することはないのだから、デフレが脱却できるまでは、政府は消費増税を凍結すると同時に、国債で財源を調達して政府支出を拡大していくことが必要だ、というものだ。

 しかしこれまで政府は、国債は政府の「借金」なのだから望ましくない、だから国債はできるだけ抑制すべきだ、というスタンスを取り続けてきたし、多くの経済学者達もその見解を支持し続けてきた。だから、政府や学者達にとっては、これまでの政府見解と正反対の主張をするMMTは、トンでもない不当な理論に過ぎない、と激しく反発した。

変わってきたMMT批判の視点

 彼らは当初、「無制限の財政支出の拡大を主張するMMTはトンデモない」というタイプの批判を繰り返した。しかし、こうした批判は全く間違った批判だった。なぜならMMTは「少なすぎる支出」を問題視すると同時に、過剰なインフレになれば今度は逆に支出を抑制すべきである、という形で「多過ぎる支出」をも問題視するものだからである。

 つまりMMTは両者を考慮しながら政府支出額を調整すべきだというタイプの新たな「財政規律」を主張するなのだ(詳細は例えば、こちらの拙稿を参照されたい。『経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず』、「JBpress」2019年5月21日、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429)。


 MMTに対するこうした初期的な批判に対する反論が様々に展開されたせいか、「無制限に支出を許容するMMTはトンデモない」というタイプの批判は徐々に少なくなっていった。しかし、それとともにこれまでとは少し違った、次のようなタイプの批判が繰り返されるようになっていった。

『MMTの提唱者は「インフレにならない限り、財政赤字は問題ない」と主張するが、増税や歳出削減には法律改正や政府予算の議決が必要で、それほど機動的に変更できるわけではないから、インフレ加速の危険性が明らかになってから財政赤字を削減しようとしても間に合わない可能性が大きい』(「東洋経済ONLINE」2019年04月28日、櫨浩一 : ニッセイ基礎研究所 専務理事)https://toyokeizai.net/articles/-/278558

『予算というものは、一度それを作ったら、それを前提とした様々な社会構造が出来上がり、変更するには多大な経済的社会的コストを要するうえ、民主主義社会においては政治的コストも膨大で、インフレ率を見て突然変えるなどと言うことは到底出来っこないものなのです』(「論座」2019年5月16日、米山隆一 前新潟県知事。弁護士・医学博士)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html

『日銀の原田泰審議委員は・・・「現代貨幣理論(MMT)」に否定的な考えを示した。「必ずインフレが起きる。(提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」との認識を示した』(「日本経済新聞」2019年5月22日)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45118610S9A520C1000000/


 こうした批判は一言で言うなら「インフレ抑制不能」批判と言えるだろうが、これらは皆、不当極まりないものでしかない。それについては例えばMMT論者の一人である中野剛志氏が、『MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由』(「東洋経済ONLINE」2019年05月29日、https://toyokeizai.net/articles/-/283186)の中で的確に論じているが、筆者もまた、別の角度から改めて「インフレ制御不能」批判の不当性、不条理性を徹底的に指摘することとしたい。

「インフレ制御不能」批判は不当な言いがかりである

 そもそも、彼らは「一旦、財政政策を拡大すれば、抑制できなくなる」と心配しているようだが、これはあからさまな杞憂(無用の心配)だ。


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 そもそも「政府予算」というものは、補正予算と当初予算とで構成されている。ここ最近の日本政府の予算を振り返れば、確かに当初予算は急激に増えたり減ったりしてはいないが、補正予算は多い時には15兆円程度の水準に達していた一方、ほとんどゼロである場合もあった。つまり、今の現実の予算は、15兆円程度の「泳ぎしろ」があって運用されているのであって、補正予算を効果的に活用すれば、一旦予算が増えれば縮小が難しくなる、ということなど絶対あり得ない。

 しかも、過去20年間、我が国は高いインフレ率ではなく、低すぎるインフレ率に苦しめられてきたわけだが、そうなっているのはもちろん、国会で決められる予算の総額が、適正な水準よりも遙かに低く水準に抑制されてきたからだ。その中で例えば公共投資について言うなら、実にかつての「半分」程度にまで削減されてきた。つまり我が国は(その是非はさておき)、「当初予算」についても現実に「削減してきた」という実績を持つのである。


 つまり、政府支出の量をアクセルで例えるなら、我が国は確かにアクセルを踏み込んだり弱めたりする能力を明確に持っているのであり、かつ、現実にそのように調整してきているのである。だから「インフレ制御不能」批判は、アクセルを調整しながら日常的にクルマを運転しているドライバーに対して、「おまえはアクセルを一旦踏み込めば緩めなくなってしまうかもしれない。だからクルマの運転なんてもうやめなさい」と批難するようなものだ。これは単なる不当な言いがかりと言うほか無かろう。


MMTを知らずに濡れ衣だけを着せるMMT批判論者

 しかも、「インフレ抑制不能」批判論者達は、MMTは財政を引き締めることだけでインフレを抑制しようとする論理だと考えているようだが、これもまた単なる誤解だ。そもそもMMTは財政政策「だけ」で、インフレを抑制しようとしているのではなく、財政政策と金融政策をあわせて、インフレ率を抑制すべきだと主張するものだ。

 例えば、現在のアベノミクスに重大な影響を及ぼした「リフレ理論」と呼ばれる経済理論を主張する人々もまた、MMTと同様に過度に高いインフレ率は抑制すべきだ主張しているが、その際に彼らが主張しているのが金融政策だ。つまり彼らは、金融引き締めでインフレ率を抑制すべきだと論じているわけだが、その点はMMTにおいても全く同じなのである。むしろ、財政政策をあまり強調しないリフレ派よりも、金融政策に加えて財政政策も政策オプションとして提案するMMTの方が、金融政策をとりわけ強調するリフレ理論よりもインフレ率をより強力に抑制できると言えよう。

 つまり彼らの批判は、MMTとは何かについて十分に知らないままに展開されている、実にいい加減なものに過ぎないのである。

それは、デフレの恐怖について無知過ぎる破壊的な批判

 さらに言うなら、「確かに財政を出せばインフレになるが、インフレが抑制できなくなるのは良くないから、財政拡大はすべきではない」という彼ら見解は、よくよく考えてみれば、「インフレになるくらいなら、今のままのデフレの方がましだ」と主張しているに等しいものだ。

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 しかし、デフレは日本国民の豊かな暮らしを蝕み、日本国家の国力を衰弱させる極めて恐ろしい深刻な病だ。1998年からデフレに突入した日本は、貧困が蔓延し、格差が拡大し、平均世帯収入は135万円も下落した。政府の収入も縮小し、赤字国債発行額も年々拡大し、財政論者達が四六時中心配している「財政」もまた悪化していった。

上記のMMT批判論者達は、そんなデフレの凄まじい恐怖を全て度外視し、インフレになることを過剰に恐れて、今のままのデフレでいいのだと考えているわけだ。つまり彼らのメンタリティは、「ガリガリにやせ細った栄養失調状況にあり、あらゆる体調不良が顕在化しているにも関わらず、肥満になってしまうことに過度に怯えて、ほとんど何も食べられなくなっている拒食症患者」のそれと全く同じなのだ。このまま彼らの言いなりになっていては、早晩、そんな拒食症の人間が命を落としてしまうように、我が国はもう取り返しのつかない状態にまで衰退していくことは避けられないだろう。

日本はMMTで「制御できないインフレ」にはならない

 しかも、その「制御できないようなインフレになるかもしれない」という話自体もまた、文字通りの杞憂に過ぎない代物だ。

 そもそも、上記に紹介した記事中で中野氏が指摘しているように、制御不能なインフレになるのは、戦争や大地震によって生産能力が著しく破壊されるといった、極端なケースの場合に限られる。そういう極端ケースでは激しいモノ不足が生じ、モノの値段が激しく上昇するのだが、そうでもない限り、そんな極端なモノ不足が、十分な生産能力を持った先進諸国の一翼を担うこの日本で起こることなどあり得ない。実際、制御不能なインフレに陥ったのは、ジンバブエやザイール、ベネズエラなどの、生産能力が十分存在しないいわゆる発展途上国に限られているわけだ。

 この点を考えると、「制御不能なインフレが怖いから、何もしない方がよい」というMMT批判のメンタリティは、「あらゆる食べモノには毒が入っているかもしれない――という絶対にあり得ない病理的な思い込みが頭から離れず、何もモノが食べられなくなってしまった神経症患者」の様なものなのだ。


「有りもしない亡霊」におびえ続ける愚を避けよ

 この様に、現時点で、最も典型的なMMT批判である「インフレ制御不能」批判なるものは、

 第一に、日本は財政を拡大したり縮小したりする能力を実際に持っていると言う点で、MMTに対する不当な言いがかりに過ぎないのであり、

 第二に、MMTは別に財政政策だけでインフレ率を制御すべしなどとは一切言っていないに関わらず、MMTはさもそう主張しているかのような印象操作を図っていると言う点において、MMTに対して不当な濡れ衣を着せるものであり、

 第三に、制御不能なインフレになど、十分な生産能力を持つ先進経済大国である日本が陥る筈等あり得ない、と言う点で、単なる「妄想」にとりつかれた、著しく不条理な批判に過ぎないのであり、

 そして第四に、何もせずにデフレを放置し続けることは、現在、そして将来の日本国民に激しい被害をもたらすという現状認識を一切忘れていると言う点で、甚大なる被害をもたらす恐るべき無責任発言に過ぎないのである。

 つまりMMTに対する「インフレ制御不能」批判は、これだけ多面的に完全論破される批判も少ないのでは無いかと思えてしまうほどに、お粗末極まりない代物なのである。

 だから政府は今、何を恐れることも無く、合理的な支出項目とは何かをしっかりと考えながら、デフレ脱却までは粛々と政府支出を拡大すればそれで良いのである。わが国はもうそろそろ、過剰インフレというありもしない亡霊に怯えて政府支出を抑制し続ける愚をやめねば、取り返しのつかない最悪の状態に立ち至ることになろう。

 一日も早く、為政者達による賢明なる政治判断が実現されんことを、心から祈念したい。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56663
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c26

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
27. 中川隆[-9628] koaQ7Jey 2019年6月13日 08:46:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2835]

経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず
MMTは財政規律の「破棄」でなく「改善」を主張している
2019.5.21(藤井 聡:京都大学大学院教授)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429

 今、MMT(現代貨幣理論)が話題だ。今アメリカで「ブーム」を巻き起こしている民主党の史上最年少議員アレクサンドリア・オカシオコルテス女史が、MMTを強烈に支持しつつ超大型の景気対策を主張したことがそのきっかけだ。

 しかし、ポール・クルーグマンやロバート・シラーなど、ノーベル賞を受賞した主流派経済学者たちがこのMMTに一斉に反発。それだけでも話題だったのだが、それに対して今度はステファニー・ケルトン教授を中心としたMMT論者達が、ひるむことなく徹底的に反発したことでMMTの話題はさらに拡大した。

日米で話題騒然となったMMT

 こうした流れは、瞬く間に日本にも上陸した。

 とりわけ、MMTは、デフレ状況下では、デフレが終わるまでは財政赤字を拡大していくべきだと理論的に主張するものであるから、今年10月に予定されている消費増税の是非の議論を巡って、MMTはさらに話題となっている。MMTによれば、デフレ下の消費増税など論外だと瞬く間に結論付けられるからだ。


 そんな中、西田昌司参議院議員等が麻生財務大臣や安倍総理大臣にMMTについて質問を行うなど、その議論は国会にも飛び火した。一方で、消費税の推進を図る財務省は、審議会の中で、MMTを批判する海外の多数の経済学者達の声を何ページにもわたって掲載する等の強烈な反応を示したことで、さらにMMTが話題となっていった。

MMTの具体的な中身

 もう少し、詳しく言うなら、MMTとは、具体的には以下の3つを主張するものと捉えることができる。その最初の主張はこういうものだ。

(MMTの主張1)
 政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられないのだから、借金したくないという思いに囚われて、政府支出を抑制するのはナンセンスである。だから政府の支出は、借金をどの程度以下に抑えるかということを“基準”にしてはならない。何か別の、国民の幸福に資する“基準”が必要である。

 MMTがしばしば激しく批判されるのは、この主張の一行目の「政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられない」という部分なのだが、実はこれは、専門家の間では、誰もが認識している当たり前の見解なのだ。例えば、財務省も、自身の公式ホームページで、「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と言明している。

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm

MMTに強烈な反応を示した財務省


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 これは、政府が破綻しそうになれば、中央銀行である日銀が必ず「最後の貸し手」として、カネを貸してくれるためだ。だから政府は日本円建てで借金をしている限り、「破綻」することは考えられないのだ。こうした自明の事実を踏まえれば、破綻に怯えて、借金を減らす事ばかり過剰に考えるのはナンセンスだ、とMMTは考えるのである。

 では、赤字を減らすという財政基準でなく、「何か別の、国民の幸福に資する財政規律」として何が必要かなのかを実際の経済の仕組みを踏まえて考えれば、自ずと以下の“下限基準”と“上限基準”が必要であるという現実が見えてくる。


(MMTの主張2)
 経済が停滞しており成長が必要とされている場合、政府は財政赤字を拡大することを通して、その目的を達成することができる。逆に言うなら、政府支出(あるいは財政赤字)の“下限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)経済が停滞してしまう程度の政府支出量である。

(MMTの主張3)
 政府支出(あるいは財政赤字)を、その国の供給量を超えて拡大し続ければ、過剰なインフレになる。したがって、政府支出(あるいは財政赤字)の“上限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)過剰インフレになってしまう程度の政府支出量である。(MMTの主張3)

 ちなみに、具体的な政府支出の下限と上限の基準としては、これまでのインフレ率の実績を踏まえると、「下限」については、おおよそ(コアコアCPIという尺度で)2%程度を想定することができよう。実際、現在のアベノミクスにおいても日銀がこの水準を目標としている。さすがにこれを下回る状況は、不健全だと考えるわけだ。一方で、インフレ率が4%、ないしはさらに安全を見て3%を上回るような状況は、これもまた不健全だと言うことができる。日本では80年代以前は高いインフレに苦しめられたのだが、その水準がちょうど、3〜4%以上だったからだ。

 つまりこの点に着目し、「インフレ率3〜4%を超える程の過度なインフレになってしまう程に過剰な政府支出=赤字」を上限、「インフレ率2%を下回る程の過度なデフレや停滞になってしまう程に少なすぎる政府支出=赤字」を下限とする、という「新たな財政規律」を提案しているのがMMTなのである。

 ただし、インフレ率には、日銀の金融政策も大きな影響を及ぼすことは間違いない。だから、この財政規律に基づく運用においては、可能な限り適切な金融政策が並行して実施されていることが必要な点は、忘れてはならない。

 いずれにせよ、MMTは、一部の日本のマスコミや評論家連中が言うような「トンデモ理論」とは決して言えないものなのだ。それよりもむしろ、これまでの財政規律の不条理性を指摘した上で、それをより適切なものへと財政規律を「改善」することを主張する、至って理性的なものなのである。

 兎にも角にも、日本人はインフレになることを恐れすぎた余り、デフレを放置しすぎてしまったようだ。これではまるで、栄養失調で死にかけている時に、肥満だった過去の記憶に過剰に怯えて食事を口に出来なくなってしまっているようなものだ。そんな時には、少しくらいは食事を口にしないと、体が持たない。この程度の話は「常識」に過ぎない話である筈だ。

 MMTは、そんな「常識」を呼び覚まし、今日、我々が陥っている状況それ自身の「非常識さ」を教えてくれている。これまでのモノの見方に過剰にこだわり続ける人々からは「トンデモ」であり「異端」に見えるのかも知れないが、その中身をよくよく精査してみれば、至って穏健な理論なのである。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c27

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
28. 中川隆[-9627] koaQ7Jey 2019年6月13日 08:47:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2836]
「MMT批判」がいかに不条理か、徹底的に指摘する
「有りもしない亡霊」におびえ、なすべき政策を葬るつもりか
2019.6.11 (藤井 聡:京都大学大学院教授)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56663


 今、話題を集めているMMT(現代貨幣理論)。その具体的な主張は、自国通貨建ての国債で政府が破綻(デフォルト)することはないのだから、デフレが脱却できるまでは、政府は消費増税を凍結すると同時に、国債で財源を調達して政府支出を拡大していくことが必要だ、というものだ。

 しかしこれまで政府は、国債は政府の「借金」なのだから望ましくない、だから国債はできるだけ抑制すべきだ、というスタンスを取り続けてきたし、多くの経済学者達もその見解を支持し続けてきた。だから、政府や学者達にとっては、これまでの政府見解と正反対の主張をするMMTは、トンでもない不当な理論に過ぎない、と激しく反発した。

変わってきたMMT批判の視点

 彼らは当初、「無制限の財政支出の拡大を主張するMMTはトンデモない」というタイプの批判を繰り返した。しかし、こうした批判は全く間違った批判だった。なぜならMMTは「少なすぎる支出」を問題視すると同時に、過剰なインフレになれば今度は逆に支出を抑制すべきである、という形で「多過ぎる支出」をも問題視するものだからである。

 つまりMMTは両者を考慮しながら政府支出額を調整すべきだというタイプの新たな「財政規律」を主張するなのだ(詳細は例えば、こちらの拙稿を参照されたい。『経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず』、「JBpress」2019年5月21日、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429)。

 MMTに対するこうした初期的な批判に対する反論が様々に展開されたせいか、「無制限に支出を許容するMMTはトンデモない」というタイプの批判は徐々に少なくなっていった。しかし、それとともにこれまでとは少し違った、次のようなタイプの批判が繰り返されるようになっていった。

『MMTの提唱者は「インフレにならない限り、財政赤字は問題ない」と主張するが、増税や歳出削減には法律改正や政府予算の議決が必要で、それほど機動的に変更できるわけではないから、インフレ加速の危険性が明らかになってから財政赤字を削減しようとしても間に合わない可能性が大きい』(「東洋経済ONLINE」2019年04月28日、櫨浩一 : ニッセイ基礎研究所 専務理事)https://toyokeizai.net/articles/-/278558

『予算というものは、一度それを作ったら、それを前提とした様々な社会構造が出来上がり、変更するには多大な経済的社会的コストを要するうえ、民主主義社会においては政治的コストも膨大で、インフレ率を見て突然変えるなどと言うことは到底出来っこないものなのです』(「論座」2019年5月16日、米山隆一 前新潟県知事。弁護士・医学博士)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html

『日銀の原田泰審議委員は・・・「現代貨幣理論(MMT)」に否定的な考えを示した。「必ずインフレが起きる。(提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」との認識を示した』(「日本経済新聞」2019年5月22日)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45118610S9A520C1000000/


 こうした批判は一言で言うなら「インフレ抑制不能」批判と言えるだろうが、これらは皆、不当極まりないものでしかない。それについては例えばMMT論者の一人である中野剛志氏が、『MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由』(「東洋経済ONLINE」2019年05月29日、https://toyokeizai.net/articles/-/283186)の中で的確に論じているが、筆者もまた、別の角度から改めて「インフレ制御不能」批判の不当性、不条理性を徹底的に指摘することとしたい。

「インフレ制御不能」批判は不当な言いがかりである

 そもそも、彼らは「一旦、財政政策を拡大すれば、抑制できなくなる」と心配しているようだが、これはあからさまな杞憂(無用の心配)だ。

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 そもそも「政府予算」というものは、補正予算と当初予算とで構成されている。ここ最近の日本政府の予算を振り返れば、確かに当初予算は急激に増えたり減ったりしてはいないが、補正予算は多い時には15兆円程度の水準に達していた一方、ほとんどゼロである場合もあった。つまり、今の現実の予算は、15兆円程度の「泳ぎしろ」があって運用されているのであって、補正予算を効果的に活用すれば、一旦予算が増えれば縮小が難しくなる、ということなど絶対あり得ない。

 しかも、過去20年間、我が国は高いインフレ率ではなく、低すぎるインフレ率に苦しめられてきたわけだが、そうなっているのはもちろん、国会で決められる予算の総額が、適正な水準よりも遙かに低く水準に抑制されてきたからだ。その中で例えば公共投資について言うなら、実にかつての「半分」程度にまで削減されてきた。つまり我が国は(その是非はさておき)、「当初予算」についても現実に「削減してきた」という実績を持つのである。

 つまり、政府支出の量をアクセルで例えるなら、我が国は確かにアクセルを踏み込んだり弱めたりする能力を明確に持っているのであり、かつ、現実にそのように調整してきているのである。だから「インフレ制御不能」批判は、アクセルを調整しながら日常的にクルマを運転しているドライバーに対して、「おまえはアクセルを一旦踏み込めば緩めなくなってしまうかもしれない。だからクルマの運転なんてもうやめなさい」と批難するようなものだ。これは単なる不当な言いがかりと言うほか無かろう。


MMTを知らずに濡れ衣だけを着せるMMT批判論者

 しかも、「インフレ抑制不能」批判論者達は、MMTは財政を引き締めることだけでインフレを抑制しようとする論理だと考えているようだが、これもまた単なる誤解だ。そもそもMMTは財政政策「だけ」で、インフレを抑制しようとしているのではなく、財政政策と金融政策をあわせて、インフレ率を抑制すべきだと主張するものだ。

 例えば、現在のアベノミクスに重大な影響を及ぼした「リフレ理論」と呼ばれる経済理論を主張する人々もまた、MMTと同様に過度に高いインフレ率は抑制すべきだ主張しているが、その際に彼らが主張しているのが金融政策だ。つまり彼らは、金融引き締めでインフレ率を抑制すべきだと論じているわけだが、その点はMMTにおいても全く同じなのである。むしろ、財政政策をあまり強調しないリフレ派よりも、金融政策に加えて財政政策も政策オプションとして提案するMMTの方が、金融政策をとりわけ強調するリフレ理論よりもインフレ率をより強力に抑制できると言えよう。

 つまり彼らの批判は、MMTとは何かについて十分に知らないままに展開されている、実にいい加減なものに過ぎないのである。

それは、デフレの恐怖について無知過ぎる破壊的な批判

 さらに言うなら、「確かに財政を出せばインフレになるが、インフレが抑制できなくなるのは良くないから、財政拡大はすべきではない」という彼ら見解は、よくよく考えてみれば、「インフレになるくらいなら、今のままのデフレの方がましだ」と主張しているに等しいものだ。


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 しかし、デフレは日本国民の豊かな暮らしを蝕み、日本国家の国力を衰弱させる極めて恐ろしい深刻な病だ。1998年からデフレに突入した日本は、貧困が蔓延し、格差が拡大し、平均世帯収入は135万円も下落した。政府の収入も縮小し、赤字国債発行額も年々拡大し、財政論者達が四六時中心配している「財政」もまた悪化していった。

上記のMMT批判論者達は、そんなデフレの凄まじい恐怖を全て度外視し、インフレになることを過剰に恐れて、今のままのデフレでいいのだと考えているわけだ。つまり彼らのメンタリティは、「ガリガリにやせ細った栄養失調状況にあり、あらゆる体調不良が顕在化しているにも関わらず、肥満になってしまうことに過度に怯えて、ほとんど何も食べられなくなっている拒食症患者」のそれと全く同じなのだ。このまま彼らの言いなりになっていては、早晩、そんな拒食症の人間が命を落としてしまうように、我が国はもう取り返しのつかない状態にまで衰退していくことは避けられないだろう。

日本はMMTで「制御できないインフレ」にはならない

 しかも、その「制御できないようなインフレになるかもしれない」という話自体もまた、文字通りの杞憂に過ぎない代物だ。

 そもそも、上記に紹介した記事中で中野氏が指摘しているように、制御不能なインフレになるのは、戦争や大地震によって生産能力が著しく破壊されるといった、極端なケースの場合に限られる。そういう極端ケースでは激しいモノ不足が生じ、モノの値段が激しく上昇するのだが、そうでもない限り、そんな極端なモノ不足が、十分な生産能力を持った先進諸国の一翼を担うこの日本で起こることなどあり得ない。実際、制御不能なインフレに陥ったのは、ジンバブエやザイール、ベネズエラなどの、生産能力が十分存在しないいわゆる発展途上国に限られているわけだ。

 この点を考えると、「制御不能なインフレが怖いから、何もしない方がよい」というMMT批判のメンタリティは、「あらゆる食べモノには毒が入っているかもしれない――という絶対にあり得ない病理的な思い込みが頭から離れず、何もモノが食べられなくなってしまった神経症患者」の様なものなのだ。

「有りもしない亡霊」におびえ続ける愚を避けよ

 この様に、現時点で、最も典型的なMMT批判である「インフレ制御不能」批判なるものは、

 第一に、日本は財政を拡大したり縮小したりする能力を実際に持っていると言う点で、MMTに対する不当な言いがかりに過ぎないのであり、

 第二に、MMTは別に財政政策だけでインフレ率を制御すべしなどとは一切言っていないに関わらず、MMTはさもそう主張しているかのような印象操作を図っていると言う点において、MMTに対して不当な濡れ衣を着せるものであり、

 第三に、制御不能なインフレになど、十分な生産能力を持つ先進経済大国である日本が陥る筈等あり得ない、と言う点で、単なる「妄想」にとりつかれた、著しく不条理な批判に過ぎないのであり、

 そして第四に、何もせずにデフレを放置し続けることは、現在、そして将来の日本国民に激しい被害をもたらすという現状認識を一切忘れていると言う点で、甚大なる被害をもたらす恐るべき無責任発言に過ぎないのである。

 つまりMMTに対する「インフレ制御不能」批判は、これだけ多面的に完全論破される批判も少ないのでは無いかと思えてしまうほどに、お粗末極まりない代物なのである。

 だから政府は今、何を恐れることも無く、合理的な支出項目とは何かをしっかりと考えながら、デフレ脱却までは粛々と政府支出を拡大すればそれで良いのである。わが国はもうそろそろ、過剰インフレというありもしない亡霊に怯えて政府支出を抑制し続ける愚をやめねば、取り返しのつかない最悪の状態に立ち至ることになろう。

 一日も早く、為政者達による賢明なる政治判断が実現されんことを、心から祈念したい。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56663



▲△▽▼

経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず

MMTは財政規律の「破棄」でなく「改善」を主張している
2019.5.21(藤井 聡:京都大学大学院教授)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429


 今、MMT(現代貨幣理論)が話題だ。今アメリカで「ブーム」を巻き起こしている民主党の史上最年少議員アレクサンドリア・オカシオコルテス女史が、MMTを強烈に支持しつつ超大型の景気対策を主張したことがそのきっかけだ。

 しかし、ポール・クルーグマンやロバート・シラーなど、ノーベル賞を受賞した主流派経済学者たちがこのMMTに一斉に反発。それだけでも話題だったのだが、それに対して今度はステファニー・ケルトン教授を中心としたMMT論者達が、ひるむことなく徹底的に反発したことでMMTの話題はさらに拡大した。

日米で話題騒然となったMMT

 こうした流れは、瞬く間に日本にも上陸した。

 とりわけ、MMTは、デフレ状況下では、デフレが終わるまでは財政赤字を拡大していくべきだと理論的に主張するものであるから、今年10月に予定されている消費増税の是非の議論を巡って、MMTはさらに話題となっている。MMTによれば、デフレ下の消費増税など論外だと瞬く間に結論付けられるからだ。

 そんな中、西田昌司参議院議員等が麻生財務大臣や安倍総理大臣にMMTについて質問を行うなど、その議論は国会にも飛び火した。一方で、消費税の推進を図る財務省は、審議会の中で、MMTを批判する海外の多数の経済学者達の声を何ページにもわたって掲載する等の強烈な反応を示したことで、さらにMMTが話題となっていった。

MMTの具体的な中身

 もう少し、詳しく言うなら、MMTとは、具体的には以下の3つを主張するものと捉えることができる。その最初の主張はこういうものだ。

(MMTの主張1)
 政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられないのだから、借金したくないという思いに囚われて、政府支出を抑制するのはナンセンスである。だから政府の支出は、借金をどの程度以下に抑えるかということを“基準”にしてはならない。何か別の、国民の幸福に資する“基準”が必要である。

 MMTがしばしば激しく批判されるのは、この主張の一行目の「政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられない」という部分なのだが、実はこれは、専門家の間では、誰もが認識している当たり前の見解なのだ。例えば、財務省も、自身の公式ホームページで、「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と言明している。

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm


MMTに強烈な反応を示した財務省


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 これは、政府が破綻しそうになれば、中央銀行である日銀が必ず「最後の貸し手」として、カネを貸してくれるためだ。だから政府は日本円建てで借金をしている限り、「破綻」することは考えられないのだ。こうした自明の事実を踏まえれば、破綻に怯えて、借金を減らす事ばかり過剰に考えるのはナンセンスだ、とMMTは考えるのである。

 では、赤字を減らすという財政基準でなく、「何か別の、国民の幸福に資する財政規律」として何が必要かなのかを実際の経済の仕組みを踏まえて考えれば、自ずと以下の“下限基準”と“上限基準”が必要であるという現実が見えてくる。

(MMTの主張2)
 経済が停滞しており成長が必要とされている場合、政府は財政赤字を拡大することを通して、その目的を達成することができる。逆に言うなら、政府支出(あるいは財政赤字)の“下限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)経済が停滞してしまう程度の政府支出量である。

(MMTの主張3)
 政府支出(あるいは財政赤字)を、その国の供給量を超えて拡大し続ければ、過剰なインフレになる。したがって、政府支出(あるいは財政赤字)の“上限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)過剰インフレになってしまう程度の政府支出量である。(MMTの主張3)

 ちなみに、具体的な政府支出の下限と上限の基準としては、これまでのインフレ率の実績を踏まえると、「下限」については、おおよそ(コアコアCPIという尺度で)2%程度を想定することができよう。実際、現在のアベノミクスにおいても日銀がこの水準を目標としている。さすがにこれを下回る状況は、不健全だと考えるわけだ。一方で、インフレ率が4%、ないしはさらに安全を見て3%を上回るような状況は、これもまた不健全だと言うことができる。日本では80年代以前は高いインフレに苦しめられたのだが、その水準がちょうど、3〜4%以上だったからだ。

 つまりこの点に着目し、「インフレ率3〜4%を超える程の過度なインフレになってしまう程に過剰な政府支出=赤字」を上限、「インフレ率2%を下回る程の過度なデフレや停滞になってしまう程に少なすぎる政府支出=赤字」を下限とする、という「新たな財政規律」を提案しているのがMMTなのである。

 ただし、インフレ率には、日銀の金融政策も大きな影響を及ぼすことは間違いない。だから、この財政規律に基づく運用においては、可能な限り適切な金融政策が並行して実施されていることが必要な点は、忘れてはならない。

 いずれにせよ、MMTは、一部の日本のマスコミや評論家連中が言うような「トンデモ理論」とは決して言えないものなのだ。それよりもむしろ、これまでの財政規律の不条理性を指摘した上で、それをより適切なものへと財政規律を「改善」することを主張する、至って理性的なものなのである。

 兎にも角にも、日本人はインフレになることを恐れすぎた余り、デフレを放置しすぎてしまったようだ。これではまるで、栄養失調で死にかけている時に、肥満だった過去の記憶に過剰に怯えて食事を口に出来なくなってしまっているようなものだ。そんな時には、少しくらいは食事を口にしないと、体が持たない。この程度の話は「常識」に過ぎない話である筈だ。

 MMTは、そんな「常識」を呼び覚まし、今日、我々が陥っている状況それ自身の「非常識さ」を教えてくれている。これまでのモノの見方に過剰にこだわり続ける人々からは「トンデモ」であり「異端」に見えるのかも知れないが、その中身をよくよく精査してみれば、至って穏健な理論なのである。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c28

[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
30. 2019年6月13日 09:20:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2837]
孫正義の詐欺の手口
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c30
[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
82. 中川隆[-9626] koaQ7Jey 2019年6月13日 09:21:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2838]
孫正義の詐欺の手口
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c82
[お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
265. 中川隆[-9625] koaQ7Jey 2019年6月13日 10:06:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2839]

揺れる香港。逃亡犯条例改正案が通れば、もう香港の一国二制度は終わり2019.06.13

「逃亡犯条例」改正案が通ってしまうと、もはや香港も安全でなくなる。だから、周庭(アグネス・チョウ)は「日本も無関係ではない。日本政府は国民の安全を考え、意見を表明して欲しい」と言っているのである。

日頃から日本で中国共産党政権を激しく批判している人間はブラックリスト化されて、その日本人が香港に立ち寄ると香港で「政治犯」として逮捕され、中国に連行される可能性が高まる。

中国共産党政権が信用できなくて、絶対に中国本土に向かわない人は日本にも多い。中国では恣意的に日本人をスパイ容疑で逮捕して、何年も拘束して、一方的な裁判で有罪判決を言い渡すような国である。

日本国内で公然と中国共産党政権の批判をしている人は、必ず中国政府にリストアップされている。そのために中国は、スマートフォンもOSレベルでバックドアを仕込んでおり、情報を中央のサーバーに送っている。

中国で製造されたマザーボードにも仕様にはない微細チップが埋め込まれて、個人情報が中国に渡るようなこともしている。これに工作員による情報収集もあるわけで、私たちの情報は想定以上に中国に漏れていると考えても良い。

そんな状況の中で、何も考えないで中国本土に行ったら何が起きるのか分からない。

そうした危機感があるから、反中を日頃から表明している著名人や活動家や事業家や政治家は、決して不用意に中国に入ることはない。しかし、「香港は中国とは別の政治システムで動いているので安全だ」という意識は持っている。
https://blackasia.net/?p=13284

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c265

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
15. 中川隆[-9624] koaQ7Jey 2019年6月13日 12:33:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2840]
いわんかな#24-1【ウイグル最新レポート!文化&民族浄化の現在★中国タブー!前半】
福島香織・堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公人・志方俊之・塩見和子 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4iP48ywliDM


「いわんかな」〜日本の国益を考える会〜 第24回 第1部(前半)
収録日:2019年6月6日

出演:(左から順に)
日下公人(評論家)
塩見和子(日本太鼓財団理事長・国際同時通訳の第一人者)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)
福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
堤堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長)
高山正之(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
志方俊之(軍事アナリスト・元陸上自衛官陸将)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c15

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
16. 中川隆[-9623] koaQ7Jey 2019年6月13日 13:59:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2841]
天安門事件から30年 漢人によるウイグル民族浄化の歴史 
宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8J74SPS_yXY


2019/06/05 に公開

6月9日新発売!『中国・韓国の正体 異民族がつくった歴史の真実』 (WAC BUNKO 293) 宮脇 淳子
https://www.amazon.co.jp/dp/4898317936/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c16

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
85. 中川隆[-9622] koaQ7Jey 2019年6月13日 14:13:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2842]

人類は2500年前から「大麻でハイ」に、中国で利用の痕跡見つかる
2019.06.13 Thu posted at 10:40 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35138422.html


出土品を調べたところ、精神活性作用のために大麻が使われていたことがわかった/Xinhua Wu


(CNN) 人類は2500年前から「ハイになる」目的で大麻を使っていた――。中国西部にある古代の墓の出土品を調査した中国とドイツの研究チームが、12日の科学誌にそんな研究結果を発表した。

研究チームは2500年前の墓から出土した火鉢の中の木片と焼けた石を調べた。その結果、向精神作用を引き起こす大麻の成分「テトラヒドロカンナビノール(THC)」が大量に検出され、この作用を目的として大麻が使われていたことが分かった。

大麻は埋葬の儀式の際に、恐らくは神または死者と交信する手段として使われていたと研究チームは推測する。

ただし現代のような方法で吸引していたわけではなく、木製の火鉢の中で石の上に置いた大麻草を燃やし、密閉空間で蒸気を放出させていたと思われる。「当時はそれが大麻を吸引できる唯一の方法だった。パイプ技術が登場するのはこれよりずっと後の時代だった」と研究者は解説している。

墓はパキスタンとの国境に近いパミール山脈にあり、火鉢は10器が出土した。

見つかった火鉢と焼けた石/Xinhua Wu
見つかった火鉢と焼けた石/Xinhua Wu

大麻草の強い向精神作用がいつ頃から認識され、使われるようになったのかは、これまで分かっていなかったという。

大麻草は紀元前4000年ごろから東アジアで栽培されていたが、当初の大麻草はTHCなど向精神作用を引き起こす成分が少なかった。

この地域で大麻草の吸引が行われていたことを裏付ける証拠が見つかったのは初めて。「大麻が何千年にもわたり、医療、儀式、そして娯楽の目的で人によって使われてきた長年の歴史があることがはっきりした」と研究者は話している。
https://www.cnn.co.jp/fringe/35138422.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c85

[国際26] 米民主党の上院議員が「ユダヤ人指導者」と会談(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9621] koaQ7Jey 2019年6月13日 17:04:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2843]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/593.html#c1

[近代史3] 宮脇淳子 皇帝たちの中国  中川隆
9. 中川隆[-9623] koaQ7Jey 2019年6月13日 19:02:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2841]

特別番組「昭和12年の満洲・モンゴル・中国」
宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら・4月20日配信】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=M2DBJ53Ff5s

2019/04/20 に公開


★絶賛発売中!『満洲国から見た近現代史の真実』 宮脇 淳子
https://www.amazon.co.jp/dp/4198644942/

★昭和12年とは何か 宮脇 淳子
https://www.amazon.co.jp/dp/4865781943/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html#c9

[近代史3] 宮脇淳子 皇帝たちの中国  中川隆
10. 中川隆[-9622] koaQ7Jey 2019年6月13日 19:26:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2842]

特別番組「満洲国から見た近現代史の真実」
宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら・4月13日配信】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=90Py-KyxCXg


2019/04/13 に公開

★絶賛発売中!『満洲国から見た近現代史の真実』 宮脇 淳子
https://www.amazon.co.jp/dp/4198644942/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html#c10

[近代史3] 宮脇淳子 皇帝たちの中国  中川隆
11. 中川隆[-9621] koaQ7Jey 2019年6月13日 19:27:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2843]

天安門事件から30年 漢人によるウイグル民族浄化の歴史 
宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8J74SPS_yXY


2019/06/05 に公開

6月9日新発売!『中国・韓国の正体 異民族がつくった歴史の真実』 (WAC BUNKO 293) 宮脇 淳子
https://www.amazon.co.jp/dp/4898317936/



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html#c11

[政治・選挙・NHK261] 消費税増税強行=参院選単独実施は本当なのか(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
1. 2019年6月13日 19:36:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2844]
底辺の人間は全員安部先生の大ファンだから大丈夫
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/829.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
83. 2019年6月13日 22:31:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2845]
高橋洋一 _ 年金は大丈夫!消費増税は必要ない!!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/476.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c83
[近代史3] 1000円/kg 以下の安物の味噌は買ってはいけない 中川隆
6. 中川隆[-9620] koaQ7Jey 2019年6月14日 05:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2846]
彦島みそ・日下初美氏に聞く 郷土で親しまれる麦味噌の魅力 2019年6月13日
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/11935


その地に宿る微生物の力

 日本の食生活で味噌、醤油はなくてはならない基本的な調味料である。味噌の起源は、古代中国の「醤」(しょう)といわれ、1000年の歴史を持つ調味料である。味噌には豊かな地域性があり、全国各地でさまざまな味や食感、色の違いを楽しむことができる。今年1月に茨城県でおこなわれた「アンコウ祭り」で、下関のアンコウ鍋が人気を呼んだ。白菜やネギ、エノキなどたくさんの野菜に、アンコウの肝や皮まで余すことなく使った白味噌仕立てのアンコウ鍋で、上品なアンコウの出汁を引きたてる甘みのある麦味噌が人気を呼ぶ一つの要因なのだという。味噌は地元の「彦島みそ」の麦味噌が使われた。下関人には、甘みのある白味噌の味わいになじみがあるが、塩気の多い米味噌を使うのが主流な関東人にとっては珍しいという。このように味噌は地域によって原料も味も大きく違い、長い歴史のなかで地域の味が育まれてきた。

 今回、彦島みそをつくっている有限会社マルイチ彦島醸造工場の常務取締役の日下初美氏に味噌の魅力について話を聞いた。同社は今年で創業65周年を迎える。日下氏は、味噌づくりの原点について「味噌づくりに人間が携わるのは仕込みの3日間だけで、あとは微生物の力を借りて発酵熟成をくり返す。原料は大豆、麦、米、塩。私たちは自然の力、大地の恵みをいただいている。仏教用語に『身土不二』という言葉がある。『身』と『土』は切り離せないという意味で、地元の旬の食品や伝統食が身体に良いということだ。味噌はその土地の気候風土によって材料が同じでも味が違う。地域でつくられたものを食べることが健康につながることを幼いころから食生活を通して学んでほしい」と語る。

全国シェアは米味噌が圧倒
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/11935

 味噌の原材料は、麹、大豆、塩だ。味噌は米味噌、麦味噌、豆味噌の3つに分かれている。主原料は大豆で、その大豆を発酵させるために米・豆・麦のどの麹を使うかで種類が変わる。米麹と大豆・塩でつくられたものは「米味噌」、豆麹と大豆・塩でつくられたものは「豆味噌」、麦麹と大豆・塩でつくられたものは「麦味噌」だ。

 『食は県民性では語れない』(角川新書)によると、現在全国で製造される味噌は、米味噌が約8割を占め、麦味噌と豆味噌がそれぞれ5%ずつ、そして調合味噌が1割とするデータがある。麦味噌は実は全国でも九州と山口県と四国の一部しかなく、米味噌が圧倒的なシェアを占めている。

 麦味噌が生まれたのは平安時代になってからといわれている。各地で稲作が盛んになると、米麹を使った米味噌が全国各地でつくられるようになった。しかし、九州地方は米がとれにくく、かわりに麦の生産が盛んだったため、麦を麹にした麦味噌がつくられるようになったと伝えられている。

麹の状態見極める職人の技


蒸し上がった麦をほぐすため崩壊機に入れる作業(彦島みそ提供)

 彦島みその原点は、今から800有余年前、壇ノ浦で破れた平家の落人が彦島に逃げのびて、恵まれた天然の地形と湧き出る清水によってつくられたといういい伝えがある。その味をひき継いできた「彦島の一二苗祖(彦島を開拓した人)」の末裔から、日下氏の祖父・一義氏(故人)が家に伝わる味噌づくりを習い、1949(昭和29)年に始めた。

 大麦と裸麦と二種類の麦を使用しており、麦麹の割合が高く甘口で、麦特有の香りと旨み、舌ざわりがあるのが特徴だ。味噌製造工程を簡単に聞くと、まず大麦と裸麦を水に浸し、それを大釜で蒸して36度から40度に冷まし、そこに麹菌をまく。この温度が大事で、冷やしすぎても熱すぎても麹が働かない。約36時間かけて製麹し、一度ひっくり返して3日目には麦麹ができあがる。このさい、水温・浸漬の時間、温度や湿度、麹の状態などを見極めるのに職人の長年の経験による勘や技術が生きてくるという。

 その麦麹と大豆、塩と種水を混ぜて2〜3カ月の発酵熟成期間を経て、商品として出荷される。「彦島みそ」は本州の西の端の関門海峡に浮かぶ彦島という風土から生み出される味で、その甘みのある味噌は、あさりの味噌汁や豚汁と相性が抜群だという。「昔はみな自家製で味噌をつくっておりその家の味があった。家族にとって居間が居心地がいい場所だったように、味噌も居間に置いておけば居心地がよくなり美味しい味噌ができるといわれていた。味噌や醤油づくりは、醸造工場に棲み着いたその地の微生物の力を借りなければできない。だから同じ原料を使っても味が変わる」という。麦味噌は色も白や淡色であるが、北日本の寒い地域の米味噌は塩分を多く含み、熟成期間は1年と長いため色も黒っぽいのが特徴だ。


彦島みそは地元の子どもたちに味噌づくりを体験させている

医者いらず―発酵食品の力

 古くから日本では「味噌は医者いらず」といわれてきた。最近ではコレステロールの抑制、がんや胃潰瘍の予防、整腸作用とそれにともなう老化防止や美肌効果など、さまざまな働きが研究されている。日下氏は「戦後日本は、学校給食にパン食が入り食生活が欧米化してきた。今、食生活は乱れ、どこでも食べ物は買えるが添加物が多く含まれ、それによって健康にも悪く免疫力も弱まっている。私たちの生活のなかには味噌だけでなく醤油、納豆、キムチ、ワイン、ヨーグルトなど、人間がなしえることができない微生物の力によってできる発酵食品が数多くある。私たち人間は、生き物の力をいただいて生きているということを学んでほしいと、学校に出向いて子どもたちと伝統食材の味噌づくりもしている」と語った。また「カレーにはバターを入れるよりも、味噌の方がコクが出るし、チキンラーメンに味噌を少し入れたら味が劇的に変わる」という。味噌の可能性は広く、使い道は味噌汁だけにとどまらない。

 普段、何気なく食べている「味噌」の物語から、日本の食文化の豊かさと奥深さ、また地産地消の大切さを学ぶことができる。

彦島みそホームページ
http://www.hikoshimamiso.com/

https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/11935
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/336.html#c6

[リバイバル3] 放射能障害と癌は昆布ダシの味噌汁を飲んで予防しよう 中川隆
2. 中川隆[-9619] koaQ7Jey 2019年6月14日 05:45:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2847]
彦島みそ・日下初美氏に聞く 郷土で親しまれる麦味噌の魅力 2019年6月13日
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/11935


その地に宿る微生物の力

 日本の食生活で味噌、醤油はなくてはならない基本的な調味料である。味噌の起源は、古代中国の「醤」(しょう)といわれ、1000年の歴史を持つ調味料である。味噌には豊かな地域性があり、全国各地でさまざまな味や食感、色の違いを楽しむことができる。今年1月に茨城県でおこなわれた「アンコウ祭り」で、下関のアンコウ鍋が人気を呼んだ。白菜やネギ、エノキなどたくさんの野菜に、アンコウの肝や皮まで余すことなく使った白味噌仕立てのアンコウ鍋で、上品なアンコウの出汁を引きたてる甘みのある麦味噌が人気を呼ぶ一つの要因なのだという。味噌は地元の「彦島みそ」の麦味噌が使われた。下関人には、甘みのある白味噌の味わいになじみがあるが、塩気の多い米味噌を使うのが主流な関東人にとっては珍しいという。このように味噌は地域によって原料も味も大きく違い、長い歴史のなかで地域の味が育まれてきた。

 今回、彦島みそをつくっている有限会社マルイチ彦島醸造工場の常務取締役の日下初美氏に味噌の魅力について話を聞いた。同社は今年で創業65周年を迎える。日下氏は、味噌づくりの原点について「味噌づくりに人間が携わるのは仕込みの3日間だけで、あとは微生物の力を借りて発酵熟成をくり返す。原料は大豆、麦、米、塩。私たちは自然の力、大地の恵みをいただいている。仏教用語に『身土不二』という言葉がある。『身』と『土』は切り離せないという意味で、地元の旬の食品や伝統食が身体に良いということだ。味噌はその土地の気候風土によって材料が同じでも味が違う。地域でつくられたものを食べることが健康につながることを幼いころから食生活を通して学んでほしい」と語る。

全国シェアは米味噌が圧倒
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/11935

 味噌の原材料は、麹、大豆、塩だ。味噌は米味噌、麦味噌、豆味噌の3つに分かれている。主原料は大豆で、その大豆を発酵させるために米・豆・麦のどの麹を使うかで種類が変わる。米麹と大豆・塩でつくられたものは「米味噌」、豆麹と大豆・塩でつくられたものは「豆味噌」、麦麹と大豆・塩でつくられたものは「麦味噌」だ。

 『食は県民性では語れない』(角川新書)によると、現在全国で製造される味噌は、米味噌が約8割を占め、麦味噌と豆味噌がそれぞれ5%ずつ、そして調合味噌が1割とするデータがある。麦味噌は実は全国でも九州と山口県と四国の一部しかなく、米味噌が圧倒的なシェアを占めている。

 麦味噌が生まれたのは平安時代になってからといわれている。各地で稲作が盛んになると、米麹を使った米味噌が全国各地でつくられるようになった。しかし、九州地方は米がとれにくく、かわりに麦の生産が盛んだったため、麦を麹にした麦味噌がつくられるようになったと伝えられている。

麹の状態見極める職人の技


蒸し上がった麦をほぐすため崩壊機に入れる作業(彦島みそ提供)

 彦島みその原点は、今から800有余年前、壇ノ浦で破れた平家の落人が彦島に逃げのびて、恵まれた天然の地形と湧き出る清水によってつくられたといういい伝えがある。その味をひき継いできた「彦島の一二苗祖(彦島を開拓した人)」の末裔から、日下氏の祖父・一義氏(故人)が家に伝わる味噌づくりを習い、1949(昭和29)年に始めた。

 大麦と裸麦と二種類の麦を使用しており、麦麹の割合が高く甘口で、麦特有の香りと旨み、舌ざわりがあるのが特徴だ。味噌製造工程を簡単に聞くと、まず大麦と裸麦を水に浸し、それを大釜で蒸して36度から40度に冷まし、そこに麹菌をまく。この温度が大事で、冷やしすぎても熱すぎても麹が働かない。約36時間かけて製麹し、一度ひっくり返して3日目には麦麹ができあがる。このさい、水温・浸漬の時間、温度や湿度、麹の状態などを見極めるのに職人の長年の経験による勘や技術が生きてくるという。

 その麦麹と大豆、塩と種水を混ぜて2〜3カ月の発酵熟成期間を経て、商品として出荷される。「彦島みそ」は本州の西の端の関門海峡に浮かぶ彦島という風土から生み出される味で、その甘みのある味噌は、あさりの味噌汁や豚汁と相性が抜群だという。「昔はみな自家製で味噌をつくっておりその家の味があった。家族にとって居間が居心地がいい場所だったように、味噌も居間に置いておけば居心地がよくなり美味しい味噌ができるといわれていた。味噌や醤油づくりは、醸造工場に棲み着いたその地の微生物の力を借りなければできない。だから同じ原料を使っても味が変わる」という。麦味噌は色も白や淡色であるが、北日本の寒い地域の米味噌は塩分を多く含み、熟成期間は1年と長いため色も黒っぽいのが特徴だ。


彦島みそは地元の子どもたちに味噌づくりを体験させている

医者いらず―発酵食品の力

 古くから日本では「味噌は医者いらず」といわれてきた。最近ではコレステロールの抑制、がんや胃潰瘍の予防、整腸作用とそれにともなう老化防止や美肌効果など、さまざまな働きが研究されている。日下氏は「戦後日本は、学校給食にパン食が入り食生活が欧米化してきた。今、食生活は乱れ、どこでも食べ物は買えるが添加物が多く含まれ、それによって健康にも悪く免疫力も弱まっている。私たちの生活のなかには味噌だけでなく醤油、納豆、キムチ、ワイン、ヨーグルトなど、人間がなしえることができない微生物の力によってできる発酵食品が数多くある。私たち人間は、生き物の力をいただいて生きているということを学んでほしいと、学校に出向いて子どもたちと伝統食材の味噌づくりもしている」と語った。また「カレーにはバターを入れるよりも、味噌の方がコクが出るし、チキンラーメンに味噌を少し入れたら味が劇的に変わる」という。味噌の可能性は広く、使い道は味噌汁だけにとどまらない。

 普段、何気なく食べている「味噌」の物語から、日本の食文化の豊かさと奥深さ、また地産地消の大切さを学ぶことができる。

彦島みそホームページ
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[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
186. 2019年6月14日 08:34:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2848]
ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c186
[近代史3] ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事 中川隆
1. 中川隆[-9618] koaQ7Jey 2019年6月14日 09:02:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2849]
蓄音機・SPレコード販売
株式会社シェルマン アートワークス
http://www.shellman-aw.co.jp/Site/HOME.html

株式会社シェルマン アートワークス

〒104-0061 東京都中央区銀座3-14-16

Tel.03-3543-4848 Fax.03-3543-4857

営業時間10:00AM〜7:00PM


蓄音機在庫
http://www.shellman-aw.co.jp/Site/xu_yin_ji_zai_ku.html


シェルマン アートワークスの蓄音機について

選りすぐりの1台をおてもとに

一口に蓄音機といってもその造り、音、コンディションは1台ごとに全く異なっています。当店ではこの道40年の店主が海外に直接赴き、信頼出来る現地ディーラーやコレクターから良い品だけを厳しい眼で選り分け、買い付けております。


蓄音機はチューニングしだいで変わります。快適にお使い頂くため、十分にメンテナンスを施しています

1971年以来、私共は無数の蓄音機を取り扱ってまいりました。蓄音機の整備はすべて社内で行われております。蓄音機本来の姿と音を取り戻す為に、メンテナンスは欠かせません。ゼンマイモーターなど各部は分解洗浄の後、長年のノウハウを生かして再組立て・調整されます。 音色についてはその蓄音機のベストの音を目指し、時間をかけテストを繰り返し調整いたします。

また、機能ばかりでなくコレクションやインテリアとしての美しさを味わっていただくために、本体は長年の汚れを清掃し、銘木の風合いを損ねないよう彫刻など細部までクリーニングを施した後、手作業でワックスがけしております。塗装はオリジナルの保存を原則としております。必要に応じてレストアする場合もございますが、その際も本来の風合い、時代のついた雰囲気を損ねないよう細心の注意を払っております。コレクションとしてみた場合のオリジナリティ(忠実度)にも十分な注意を払っております。

お買い上げ後1年間の自然故障には無償で対応致しております
保証期間終了後も当店でお求めいただいた蓄音機は最優先・特別料金で修理・整備致しております。安心してお求め下さい。


蓄音機の試聴はいつでも承ります。お気軽にお申し付け下さい
店舗には数10台の蓄音機が常時展示販売されております。ご試聴用のSPレコードのお持込みも歓迎いたします。


シェルマン アートワークスの蓄音機は単なる音が出るアンティークではありません。蓄音機にしか表現出来ないものをお伝えしたいと常に考えております。
http://www.shellman-aw.co.jp/Site/xu_yin_jinitsuite.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html#c1

[近代史3] ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事 中川隆
2. 中川隆[-9617] koaQ7Jey 2019年6月14日 09:03:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2850]
蓄音機の梅屋
http://umeya.bz/

蓄音機の梅屋(@tikuonki_umeya)さん Twitter
https://twitter.com/tikuonki_umeya


〒879-5102 大分県由布市湯布院町川上1835

Tel:0977-85-8845


蓄音機(for sale)
http://umeya.bz/php/gramophone/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html#c2

[近代史3] ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事 中川隆
3. 中川隆[-9616] koaQ7Jey 2019年6月14日 09:03:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2851]
★★蓄音機、根岸のページ★★
オルゴール&蓄音機&SPレコード&ラジオ&和時計などの
研究、修理(レストア)、販売、買取の骨董屋です。
http://www.kottoya.ne.jp/

★ヤフーオークション(蓄音機コーナー)に出品しています。★

★修理、販売、買取★


蓄音機販売最新のページ
http://www.kottoya.ne.jp/hanbai.htm

蓄音機修理のページ
http://www.kottoya.ne.jp/U6.htm

店舗までのルート
http://www.kottoya.ne.jp/E9.htm


★お問い合わせ★

(I.T.C.) International trading Campany (1986年4月創立、1998年2月より、HPを公開しています。)

(店舗&修理工房、レストア)🏣369−1411 埼玉県秩父郡皆野町三沢631−2
根岸 光典
TEL/FAX 0494−65−0701
携帯電話 090−7190−2000
http://www.kottoya.ne.jp/


negishi631 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/channel/UCL6_1zaj6SU9vDixHsr4Vug

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html#c3

[リバイバル3] 元祖ブリティッシュ・サウンド _ HMV と EMG の蓄音器 中川隆
1. 中川隆[-9615] koaQ7Jey 2019年6月14日 09:20:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2852]

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1971年以来、私共は無数の蓄音機を取り扱ってまいりました。蓄音機の整備はすべて社内で行われております。蓄音機本来の姿と音を取り戻す為に、メンテナンスは欠かせません。ゼンマイモーターなど各部は分解洗浄の後、長年のノウハウを生かして再組立て・調整されます。 音色についてはその蓄音機のベストの音を目指し、時間をかけテストを繰り返し調整いたします。

また、機能ばかりでなくコレクションやインテリアとしての美しさを味わっていただくために、本体は長年の汚れを清掃し、銘木の風合いを損ねないよう彫刻など細部までクリーニングを施した後、手作業でワックスがけしております。塗装はオリジナルの保存を原則としております。必要に応じてレストアする場合もございますが、その際も本来の風合い、時代のついた雰囲気を損ねないよう細心の注意を払っております。コレクションとしてみた場合のオリジナリティ(忠実度)にも十分な注意を払っております。

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蓄音機の試聴はいつでも承ります。お気軽にお申し付け下さい
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[環境・エネルギー・天文板4] 温暖化が氷河期を招く 海洋大循環が止まるとき (SCIENTIFIC AMERICAN November 2004) ダイナモ
11. 2019年6月14日 10:32:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2853]
もうすぐ氷河時代が来る確実な証拠が沢山有った


気温は南極以下… 米中西部、大寒波で数千万人に影響
2019年1月31日 6:39 発信地:シカゴ/米国
http://www.afpbb.com/articles/-/3208939?cx_part=top_topstory&cx_position=1


米イリノイ州シカゴで、気温が氷点下29度まで下がる中、ミシガン湖の湖畔をバランスをとりながら歩く人(2019年1月30日撮影)。(c)JOSHUA LOTT / AFP

【1月31日 AFP】大寒波に見舞われた米中西部では30日、シカゴなどの一部地域で気温が南極大陸以下にまで下がり、多数の航空便が欠航となったほか、休校や臨時閉店が相次いだ。当局や専門家は、数分で凍傷や低体温症につながるとして警戒を呼び掛けている。

 米国内の約10州では、数十年ぶりの大寒波により気温が氷点下20度以下まで下がり、郵便物の配達が中止され、住民は屋内にとどまるよう勧告された。

 米国の数千万人が影響を受けた今回の寒波は、通常は北極を覆っている極渦から分離した大気の渦によって引き起こされた。米メディアによると、先週末の気温低下と暴風雪、そして現在の寒波により、これまでに少なくとも5人が死亡した。

 シカゴでは30日午前に氷点下30度を記録。風速冷却による体感温度は氷点下46度となった。これはアラスカ州の州都よりも寒く、さらには南極大陸の一部よりも低い気温となる。シカゴの主要2空港では1800便以上が欠航となり、全米鉄道旅客公社「アムトラック(Amtrak)」は市内からの列車運行を中止した。

 天候にかかわらず郵便を届けることで有名な米国郵便公社(USPS)も、インディアナ、ミシガン、イリノイ、オハイオ、アイオワ、ノースダコタ、サウスダコタ、ネブラスカの各州の一部地域で配達業務を中止した。

 ノースダコタ州グランドフォークス(Grand Forks)では気温が氷点下37度、体感温度は氷点下52度まで低下。ミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)では氷点下32度を記録した。(c)AFP/Nova SAFO


▲△▽▼


太陽の黒点が激減中 2030年に「ミニ氷河期」到来の可能性(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/403.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 1 月 24 日 13:06:20: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU  


  
   22日は都心でも20センチを越える積雪に(C)日刊ゲンダイ

 ミニ氷河期がやってくるのか――。22日は、首都圏でも積雪するなど、大寒波が日本列島を襲った。今冬は北米やロシアなど世界各地が極寒に見舞われている。ロシアは氷点下68度を記録した。それもそのはず。実は、地球は「温暖化」ではなく「ミニ氷河期」に向かっているというから驚きだ。

 2015年、英国ノーザンブリア大学のバレンティーナ・ザーコバ教授は、太陽の活動は2030年代に現在の60%にまで減少し、ナント97%の確率でミニ氷河期が到来すると発表した。本当にそうなるかもしれない不安が強まっている。根拠は今起きている現象と前例だ。太陽の活発さの指標は黒点の個数だが、現在、激減中なのである。

 国立天文台の担当者が言う。

「たしかに2014年をピークに黒点は減少に転じています。毎日観測している黒点の平均個数は、14年2月が102.8個なのに対し、昨年11月5.7個、12月8個です。最近は全く観測できない日もしばしばです。約300年前、世界が寒冷化した時と状況が似ていますが、メカニズムは分かっていません」

 300年前――黒点が極端に少なくなったのは、1645年から1715年までの70年間。地球の平均気温は約1.5度下がった。これがミニ氷河期である。ロンドンのテムズ川やオランダの運河は凍りつき、江戸時代の日本では飢饉が頻発した。

 さらに、寒冷化の要因は太陽の活動低下だけではない。

 立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学教授(災害リスクマネジメント)が指摘する。

「今は太陽と地球の距離が離れるサイクルに入っています。加えて、ロシアのカムチャツカ半島やパプアニューギニアなど世界各地で火山噴火が相次いでいます。火山灰は高度1万5000メートルまで上がります。ここは空気の流れが穏やかで、灰が滞留しやすい。灰の層が地球に届く太陽光を遮るため、地球は寒くなるのです。寒冷化に向かう現象はいくつもみられ、学者の間では、地球温暖化について、懐疑的な見方が広がっています。地球温暖化は原発推進の格好の口実ですから、寒冷化の現実が隠されている面もあるのです」

 今からミニ氷河期に備えた方がよさそうだ。


▲△▽▼


▲△▽▼

《見てはいけない!!だが2012年から北極の氷は40%も増え続けている!》可能性の排除は、論理的考察を旨とする科学の放棄
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/598.html
投稿者 お天道様はお見通し 日時 2017 年 11 月 05 日 10:58:21: I6W6mAZ85McLw gqiTVpO5l2yCzYKojKmSyoK1
 

権力におもねる阿呆工作員共は、科学の真髄である可能性の探求を捨て、初めからある決定事項に反する論議を徹底誹謗中傷する。 それは、STAP細胞禍でも、あった。 小保方さんを貶めた挙句、こっそりそれに関する特許を我が物とした。((速報)STAP細胞国際出願、米国への国内移行が判明 BLOGOS) まぁ、これについてのポイントはそれだけじゃない可能性が高いんだろうけど。(STAP細胞つぶしは米国への約束)


地球の気象動向についても全く同じ。 権力がそれにのっかったビジネス及び大多数より徴収する炭素税の正当化と、その裏で起こっている、本当に深刻な放射能禍(≪放射能フリー空間の地球が発狂:画像多数≫大自然のしっぺ返しが全生物個体と環境に対して始まり、本当の終末が近づいている!、原子力エンジニア: 福島は“世界史上最悪の産業上の大惨事… 想像出来る限りの地獄… 机上で論理破綻を見抜けなかったツケ)や、石油化学工業がもたらす地球規模の汚染(ようこそ病気の海へ : 広大な海域一面が廃棄プラスチックで覆われたカリブ海のシ…海のプラスチックごみは化学物質のカクテル)を矮小化するために、全てをありもしない人為的地球温暖化をでっちあげている。(≪スクープ≫地球温暖化はCIAによる”でっちあげ”であるとエドワード・スノーデンが暴露-面倒くさがる自身を急き立て遂に完成)


以降の記事も先月アップされた、温暖化を否定する事実に関する記事である。


Don’t look now, but Arctic sea ice mass has grown almost 40% since 2012 Natural News
見てはいけない!! だが2012年から北極の氷は40%も増え続けている!


(以下、英語記事本文と、投稿者本人による意訳)
(Natural News) One of the most popular pieces of “evidence” that climate alarmists just love to bring up to prove the global warming narrative is the “all the ice is melting in the Arctic and the polar bears are dying” line. We’ve all seen the documentaries where a polar bear is desperately clinging to a tiny piece of ice and you just know he’s going to die soon. But is any of it really true? What does the latest science really say about the ice in the Arctic circle?
温暖化論者が地球温暖化の寓話を論証することで喜ぶ評判の良い証明の一つが、北極の全ての氷が溶けてシロクマたちが死んでいくという事だ。 それは、小さな氷塊にしがみついているシロクマが、時を待たずして死んでいくといったようなドキュメンタリーなどで、私たちもよく知っているやつだ。 が、しかし、その全ては本当なのだろうか? 極地帯の氷に関し、最新の科学が伝えようとしている真実は何なのであろうか?


Earlier this month, Climate Depot reported that the latest figures from the National Snow and Ice Data Center, located at the University of Colorado, show that sea ice extent has increased by 40 percent since 2012.
コロラド大学にある、国家氷雪センターの最新のデータによると、北極部における海氷は、2012年から40%の増加が認められたというレポートが今月初めに報告された。


The Danish Polar Portal, which monitors ice and climate in the Arctic, reported on the 12th of September this year:


There has been quite some discussion about Greenland in the climate blogosphere this year. Heavy snow and rain in winter with a relatively short and intermittent summer melt season have left the Greenland ice sheet with more ice than has been usual over the last twenty years – in fact we have to go back to the 1980s and 90s to see a year similar to this one in terms of snow fall and ice melt, though perhaps not for iceberg calving. …


If we rank the annual surface mass balance since 1981 from low to high, the lowest on record was 2011-2012 (38 Gt) and this year is the 5th highest out of the 37 year record. The highest on record 1995-1996 had an end of year SMB of 619 Gt in our records. [Emphasis added]


北極部分の氷と気象をモニタリングしているデンマーク極地センターの今年の9月になされた報告:


本年度、気象ブロガーの間で、グリーンランドについてのいくつかの議論があった。 比較的短期間続いた大雪と大雨と、夏の間の断続的な溶解は、過去20年間にあったそれよりも、より多くの氷をグリーンランドの氷床にもたらした。 - 事実、この件に関して、降雪と、おそらく(溶解による)氷山分離によるものではない氷解といった、1980年代、あるいは90年代のこれと似通った事象を見返す必要があるだろう。


もし、1981年以降の氷床の毎年の表面残留量を低いものから高いものまでランク付けすれば、最も低かったのは2011−2012年(38滴《指標》)で、今年のそれは、過去37年間で、5番目に高いものであった。 そして、最も高かったのは、1995-1996年のもので、619滴《指標》であった。


In fact, Greenland experienced a 10 times higher level of surface ice than it did five years ago. And confirming that this is not a fluke occurrence taking place in only one year, Greenland’s most well-known glacier – the Petermann Glacier – has been growing slowly and steadily for the past five years.
事実、グリーンランドでは、5年前の最低レベルのそれに比べて10倍もの高い氷床表面を指し示している。 そしてそれは、一年こっきりの偶然などではなく、そこで最も広く知れ渡っている Petermann氷河などは、過去五年間、ゆっくりだが着実に拡張し続けている。


As you can see from the chart below, the sea ice growth for 2016 – 2017 is much higher than the mean from 1981 – 2010:
2016-2017年の海氷増加は、1981-2010年平均値より高いことが、下図より覗える

Meanとは平均値のこと。


This has been the pattern in the Arctic over the last few years. Back in 2015, BBC News reported that Arctic ice had grown by a staggering 30 percent after what they called an “unusually cool summer” – unusual indeed, if the global warming narrative is to be believed. That trajectory continued into 2014, and the increases in ice for those two years exceeded all recorded losses in the preceding three years. (Related: Mercury pollution contaminating Arctic wildlife, causing death and reproductive problems among bird populations, studies show.)


北極では、氷床増加をし続けているのがここ2,3年の傾向である。翻って2015年、英BBCニュースは、”いつにない冷夏”の影響で、しぶしぶながらも北極部の氷が30%増加したことを伝えた。-もし、温暖化童話が未だに信じられているとすれば、それは全く、異常だ。 その動向は2014年から続いており、その二年で増えた氷は、それより先にあった(氷床が縮小していたという事実を)打ち消すほどのものであった。(関連記事:鳥類の死と生殖問題の原因となっている水銀汚染が、北極部の生命を危険にさらしているのではないかという研究)


That 30 percent constituted a massive amount of physical land area – the Daily Mail reported at the time that a cooler Arctic summer had left over 530,000 additional square miles of ice than the previous year.
その30%の氷床増加は、極地での冷夏が、前年に比し、53万マイル平米もの、膨大な面積の物理的な陸地を形成したと、デイリーメールは当時報道している。


Astoundingly, the mainstream media, in spite of having this information at their fingertips, continues to spout the same old global warming nonsense.
驚くべきことに、このような(温暖化を否定する)完全な事実があるにもかかわらず、主要メディアは、ありえない地球温暖化を相変わらずとうとうと報道し続けている。


In the very same BBC article cited earlier, for example, the writer immediately insisted that “2013 was a one-off” and went on to stress that the Arctic region had warmed more than most other places on Earth over the past three decades. (Related: Discover the truth at ClimateScienceNews.com)
それは、例えば、(温暖化を否定するような事実を渋々認めた)同じBBCが、(そのしたくなかった報道の)すぐ後に、2013年の(温暖化を否定するような)出来事は、一回こっきりであり、北極は過去30年間他のどの地域よりも温暖化しているという記事をでっちあげている。(関連記事:真実の発見《気象科学ニュース》)


It’s understandable that a trend of continuous heating for 30 years would raise concerns, but by the same token, a continuous cooling trend over the last five years must also be taken into consideration. Scientists are supposed to go where the evidence takes them, not try to keep editing the evidence to fit a predetermined outcome.
過去30年間に起こってきた継続的な温暖というトレンドが考慮されるべきだあるのは理解できるが、であれば、同様に最近五年間起こっている寒冷化の流れも思慮されるべきである。 科学者達はそういったあらゆる事象を、その証明に使うべきであって、最初から決定づけされたような結果にみあったものだけを採用すべきではない。


It’s like scientists, governments and the mainstream media have all decided that the Earth is warming, and now there’s no turning back. No matter what the physical evidence shows, they’re all just going to save face by insisting that they were right all along.
それは、科学者、政府、そして主要メディアが、地球は温暖化していると決めつけ、決してそれを翻さないようなことである。 どのような科学的事実が浮かび上がろうと、彼等は彼等の面目を保つために、彼等の言うことが全て正しいと主張する愚かなことである。

人為的要素が温暖化の主要部分を占めているのであれば、人類による二酸化炭素排出が継続のさなかに、寒冷化を担保する事象自体が起こり得ようはずがない。 これは、言い換えれば、人為的CO2排出が大自然のそれと比して、比較対象の必要性のないほど瑣末である証左に他ならない。


そのような、瑣末な、どうでもよいことよりも、我々が真摯に、しかも早急に考えなければいけないことは、フクイチをはじめとする放射能禍であり、石油化学工業からの脱却である。

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似非地球温暖化


トランプの大統領就任後に気象変動のページがなくなるパリ協定も中断?原発推進の口実だった地球温暖化フィクションが完全に終了


地磁気逆転に向かう地球 trendswatcher

北米の地球温暖化をNOAAが誇張か trendswatcher

最大の地球温暖化スキャンダル: NASAやNOAA系列のデータ管理機関による「公式気温の大規模な改ざん」を英国テレグラフ

「地球温暖化調査」のために打ち上げられた観測衛星が明らかにした「 2012年から 50パーセント増えた北極の氷」

南極大陸の氷、「実は増加していた」 NASA

その温暖化阻止どころか実は温暖化を促進している原発

未だに地球温暖化人為説に対して危機感を煽る4人の科学者が、安全な原子力の開発こそ必要であると世界にだした公開書簡
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/598.html  

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地球温暖化は嘘です。二酸化炭素が倍になったところで気温は上がりません。/それを支持するつぶやき。
http://www.asyura2.com/13/nature5/msg/191.html
投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2014 年 1 月 15 日 09:12:41: 4hA5hGpynEyZM
 


実際に1700年と今の2012年では、二酸化炭素濃度が当時は250PPMで今350PPMですが殆ど気温が変わりません。なぜかって、捏造だからです。

この関係(気温、2酸化炭素)を2つ重ねたグラフを書かない。また気温も細かくプロットすると殆ど変わらない。


むしろ気温が下がってるところに気が付きますよ。1910年頃最低それから1940年頃最高1965頃最低2000年最高2010年どんどん下がってる。NHKが出すグラフ1970年から2000年までこのように上がっています。何故1950年から書かないか。

1970から2000年まで0.7ど1950年から2000年まで0度、実際1900から2000年まで、0,5度何の意味も無いのです。これ温暖化?去年より今年の平均気温1度なんてざらなんです。


NHKが地球が丁度温室になったようにといいますが、温室は熱の移動がないのです。

しかし対流圏は移動します。しかも太陽が直に地上を暖めても、海水を温めても対流によって気流になって成層圏に逃げるんです。温室効果なんか何処もありません。


しかも2酸化炭素は無色透明なんです。というのは殆どの電磁波は素どうりしてしまうのです。はあなんです。2酸化炭素で保温が出来ないのですよ。


厳密には2酸化炭素は実は一部の波長を通さないのです。しかし太陽光が地面に当たって赤外変換しても殆どその波長はないのです。だから通過するのです。しかも対流するので関係ないといってるのです。分かりますか。

温暖化ガスだよと言ってる莫迦は、学者だけです。しかもかなりいかれてる学者です。皆さんももう気づいてるように東大の莫迦学者といわれる所以です。世界の中でも莫迦の集合体なのだろう。わざわざ日本で講義を英語?9月入学、大丈夫という状態です。

英語全く喋れない学者がノーベル賞貰ってるのを知らないのでしょうかね。つい最近で日本の学者ですよ。英語が出来ないと科学的思考が出来ない?勿論東大ではないのです。東大少ないのも知らないでしょうか?

音楽が出来ないと頭が悪いというのと同じです。あるいはスポーツ出来ないと頭が悪いというのと同じになってしまうのです。しかも問題は女の方が言語中枢が発達してるので女の方が賢いとなってしまいます。

と言うか英語という言語を習得するに無駄な努力をするだけ損になるのです。高度能力が必要なときにエキスパートを絶つようなことをするから世界ランク何十位に成るのです。

絶対に言えるのが温暖化など2酸化炭素ではしません。捏造です。


してるならもう100年も前にしていなければおかしいのです。いや最低でも、昭和40年までにしていなければおかしいのです。

昭和50年にはもう枯渇するといわれるほどの勢いでガソリンを使ってたのだから。

あの時に何で温暖化してないのだよ。莫迦らしい。其れを騙すというのだから本当に凶悪です。世界の莫迦学者。

ホメオスタシーとか言う変な用語がありますが、面白いのは地球が2酸化炭素が増えたら増えるほど、光合成生物が沢山増えるのです。実は、アマゾンとかアフリカのコンゴとかの熱帯雨林ではあっという間に2酸化炭素がなくなってしまうのです。

海水も同じです。ミクロの植物プランクトンがどんどん使ってしまいます。

雨水に溶け込んでも飽和してどうのこうのはまったくの作り事、如何に机上論かわかるでしょう。

また、もし気温が上がればどんどん水蒸気が増えて太陽光線が地上に届かない。しかも雲は白いので反射されて熱は気化熱で使われ温度が上がらないようになってるのです。

もし温暖化したら氷が溶けるどころか増えます。何故か分かりますかNHKは嘘の放送を平気でします。南極の平均気温は夏でもマイナスです。冬ならマイナス40度を越えています。北極は海水が入り込んでるので、夏は少し溶けますが、平均はマイナスです。

しかし北極の氷は溶けても海水面に影響しません。浮力分だけですから。海上に出てるのは。溶けろば密度が増すので変わらないのです。

気温が上がって水蒸気が増えるなら南極に回る気流に沢山の水蒸気を含んだ空気が行くので南極の氷が増えるのです。

あのね税金で生きてる野朗は嘘しか書きません。騒がないと自分らの職がなくなるからです。実際は南極の海氷が増えています。よく調べなさい。しかも南極の氷が減るなら温暖化ではないでしょう。駄目です捏造を言ったら。

特に国連の機関が嘘を言うのです。原子力のIREAそして気候のICRPです。2000人もの分けのわからない学者が生活できるのですから、それは捏造します。

NHKは省略の嘘という方法をとっているのです。その良い例が、捏造、南極のオゾンホール日本の国民の9割が事実を知らない。南極の冬が終わるころの一時期だけ太陽がオゾン生成できないので穴が開くだけの話。

あの放送によって世界中のエアコンが売れなくなってしまったのです。しかも安定なフロンガスのエアコンが売れなくなったのです。それで価格が何倍ものエアコンになったのです。なんらフロンなど関係ないのです。太陽光線が空気層に当たらなければオゾンは生成できないのだから穴が開いて当然なんです。

当時そんなことを言うならジェット旅客機を何で規制しないのかと言うのです。ジェットの排煙も同じ効果があるのですよ。しかしその旅客機は莫迦学者NHKの職員が一番利用するから何も言わない。同じことが温暖化でも言えるのです。わかりますか。

北極の氷も莫迦な小学生は冬も北極は氷がないと勘違いしてる、スコットの時代にも氷がなかったことさえ放送しない。

この前の放送など、南極の気温が上がってるかのような放送までしています。一部の海域の水温が上がってるだけの話を南極全体があがってるかのように放送、事実は南極の気温は下がってる。本当に恐ろしい放送局です。

北極の氷が減るのは、何故かと言うのがあります。分かりますか。北極の冷え込みが有るので高気圧帯に北極がなる。北極が冷えれば冷えるほど北極に沈み込みが起こるのです。そうするとメキシコからの湾流が激しく流れる。しかし早い段階でどんどん沈み込みをするそうするともっと暖かい海流が流れ込みます。暖かい海流が外気温を上げるから上昇気流が起こると言うわけです。分かりますか。

もし温暖化が原因なら北極の氷は溶けないことにならなければならないでしょう。だってそうですね。南極に高気圧がないだから冷え込まない。暖かい状態だから温度差の対流がないのでメキシコ湾流は押し寄せない。上昇気流もないけど雲はあるので氷は冬凍ります。


氷が冬から夏になって溶けないのですよ。

追加

環境税が1リッター2円50銭ですから50リッターでは、125円も毎回取られます。しかしほとんど天下りのポケットマネーになってしまうのです。日本はとんでもない官僚の天下りにみな奪われるのです。

追加

ついでだから北極海の氷の話もしましょう。分かりますかねスコットの時代も夏氷が溶けて非常に危険だから北極点を捉えるのが難しいのです。しかも北極海は冬は全面凍結します。昔も今も変わりません。もし一年中凍っていたら大問題ですよ。アムール川の水が抜けません。北極は夏制覇されてる訳です。

それを大騒ぎしています。しかし温暖化したら逆に溶けなくなります。なぜ北極の天候が悪くなります。なかなか氷が溶けなくなるのです。
メキシコ湾流が北極に入り込むと溶けるのです。そのメキシコ湾流が伸びる原因が2つあります。
1、北極の沈み込み冷やされ無ければ運ばれないのです。寒冷化すればするほど湾流は速度をまします。
2、途中北緯40度から70度の高緯度の上昇気流、まああれです。低気圧ですねの引っ張りがあると風で運ばれるのです。(北極海は高気圧に覆われるという意味です。)

この2つは寒冷化しなければ得られないエレルギーなんですよ。

再追加

NHK職員が消費税をなんで絶対必要か説くというと、消費税にすればもし所得税で累進課税を掛けられる何分の1であるかということです。NHK職員と国会議員と官僚これらは2000万円の高額な給与もし此処に累進かけるそして消費税分で取る分を増税するなら最低でも20%はかける。2000×20%=400万円しかし消費税20%なら使った分だけだから安く付くんです。

一般国民は全額が消費に回りますがね。いや貧乏人から奪えるのでいいと言う意味です。だからもし生活を一般家庭と同じで生活するなら(別に平均の給与者と同じ生活でも何の差しさわりがありません。)400万×20=80万、だから80万÷2000万=4%つまり4%で済むと言う意味なんです。しかし税の恩恵を受けないのが貧乏人です。

自分の損失の何倍の利益が得られるか其れで計算高くするのです。実は温暖化排出権取引というとんでもない美味しい利権が転んでいるのです。分りますか勿論日本国民だけに京都議定書は関係するとんでもない話です。

一番排出するアメリカが漁夫の利をえます。日本国民はあらゆるところで大損です。日本の脱硫装置など全然高くて売れません。いや日本が何かするといえばアジアの殆どの国は無料でしてくれるというそういう状態なんです。アジアハイウエーも橋も鉄道もダムも何でも日本が無料なんです。なぜ海外援助は煩くないのです。歴代の日本の総理が西松建設のオンパレードなんです。しかも儲け放題=賄賂取り放題、日本の新聞も雑誌も調べません。恩恵を受ける方は賄賂の出所が日本の国民の血税だから痛くも痒くもないので問題にならないのです。しかも大手ゼネコンがしっかりしていますから絶対にばれないのです。

日本の国民はかなりの負担になります。しかし企業の経営者1匹の損害は知れていますその何億倍も儲かりますからね。脱硫装置だ。省エネ技術日本国民からしか取れないのです。これが日本企業なんです。京都議定書は其れをおおっぴらにできるから行った行為なんです。分かりますか。賄賂製造の為の隠れ蓑

NHKは遂になんのデーターも観測地もない捏造放送までしました。南極湾岸で気温が3,2度も上昇したというのです。平均の話だと思いますが、一切そんな話は有りません。逆に南極大陸では僅かな温度下降が起こっています。

追加

このほどハワイでは400ppmを超えたそうです、ところでなんでハワイか分かりますか。他では全くCO2など測れないのです。下がったりあがったり富士山の樹海では昼間など全く2酸化炭素などありません。ビニールハウスでもそうです。

ところがハワイの標高の高いところは安定してるのです。勿論海上スレスレの空気などもありません。いい加減なんです。

しかもハワイは中国の2酸化炭素が上がった空気を扱ってるようなものです。上がるに決まってるのです。

そもそも全くデーターなんかないのです。分かりますね。気温でも同じです。皆さんは東京の23区でも昔は田圃があったり畑が有ったのを知っていますか。勿論百葉箱でも同じです。

ハワイの話も同じなんです。計って濃度が出るところを計ってるのです。工業地帯からの流れがあるのでしょう。つまり地球全体の平均ではなくほんの特異地域のお話になってるのですよ。

分かりますか田園風景の今から何十年も前とコンクリートジャングルの温度を比べてるのです。

皆さんは工場地域に行ったことありますか。煙突が多数たってるのです。昔は黒い煙を上げていましたが今は蒸気だけです。しかし二酸化炭素はどんどん上がってるのです。それが中層を濃くする原因です。実際に富士山の樹海には殆ど2酸化炭素はありません。

しかし高い位置の2酸化炭素は吸収されないでハワイに行くのです。しかしアマゾンあたりでは皆吸収されるのです。今のように煙突が高いのだから当然なんです。

ハワイだって低いところは2酸化炭素などないのです。フザケまくってるのです。

この前350でもう400です。良いですか。僅か10年1990年は330かなだったら70です。70÷330=21%ですよ。こんなに増えても1990年と温度変わってないだろう。いや2004年から下がってるのです。此れが事実だから絶対この2000年から10年は絶対放送しません。

再々追加

ツバル詐欺って知っていますか一年に一回の大潮をNHKは何度も撮りに行って日本国民を脅迫しています。こうなるともうテロですね。映像のテロ行為といっていいほどです。またそろそろするでしょう。問題は地盤沈下と言う事実を隠蔽して海水の膨張をウタッタ犯罪行為と言うことです。

いいですか世界の海水の温度は非常に安定しているのですよ。皆さんは五右衛門風呂と言うのを知らないと思います。昔薪で沸かした風呂は殆ど上はチンチンに沸いてるのに下は未だ水なんですよ。掻き回さないと分からない。熱くなったお湯はすぐ上に溜まるのですよ。だから裸になって風呂に入ると丁度良いと思った風呂がまだ水の場合が非常に多いのです。

海面下100メーター以下の海水は殆ど上に上がってこないので温度があがらないのです。隕石が落ちてきて海水が全部沸騰すると言うのも全くの嘘ですよ。水が沸騰するときに防御幕(バリア)ができるのです。熱く熱した鉄板に水滴を落とすとなかなか消えない現象があるのですよ。鉄のフライパンがなければ分からないでしょう。

水の膨張率は10000分の5くらいです。だから平均水深4000メーターとか使えないのです。海流が働いてる表面の100メーターです。100メーターの深さのプールを30度上げたって殆ど増えないのがわかりますか。10メーターの100キロの水路を10度上げたら50メーター分増えるだろうといったって100キロのその長いプールに継ぎ足したらほんの僅か水深が増えるだけです。

しかも海水の温度で大騒ぎするのは僅か2−3度ですからもう殆ど海水面は上がりません。

100メーター分は10000メーターの100分の1です。1度で5ミリです。10度で5センチです。これ以上は増えないのです。え5センチも10度変わればです。変わった話は有りましたか。今世界では0.何度の話があるくらいです。10度変われば海流が激しくなり大騒ぎです。其れは温暖化の話より大騒ぎです。海水沸騰の話になります。

つまり海水面が上がるわけがないのです。だから映像で嘘を言ったのです。実はツバルはさんご礁の隆起した島です。こういう島の場合老化するとさんご礁が崩壊するのです。自然現象なんです。海水の中に溶け込んだ僅かな酸によってカルシウムだから溶けて壊れるのです。仕方ないのです。

そういう島は他の島もそういう現象で壊れるのです。誰が悪いと言うのではないのです。自然現象は防げません。あるいは今から逆転で隆起するかも知れません。隆起があれば沈降もあるのです。

モルジブも同じでここでもここでもと嘘を重ねるのがNHKです。捏造NHKスペシャル知っていますか自分らで崩壊現象を作り出した。チベット高原の嘘番組未だ懲りないのです。

其れがベネチアです。あれは人工大地なんですよ。しかしNHKはこれも温暖化で海水面上昇だと言い張っています。GPSにはそんな事実はありません。地球上に絶対大地がないことをいいことに言いたい放題の犯罪集団になってしまったのです。

人工大地の殆どは沈降の憂き目に会うものです。しかもあれだけの石の建物を作ったら沈まない方がおかしいのです。大潮で沈んでいたのは太古からです。しかしここのところが激しいようですね。これももう建物の作り直しの時なのか。人工大地はいつか整備しなおす必要があるのですよ。

ベネチアの人工大地は木の杭を打って地盤を固めたとあります。木ですから腐りますね。NHKが知らないわけがないのです。

追加

ところで日本が今年2013年暑いのは何故か。冬寒かったからです。分かりますか。捩れが起こってるのです。どういう捩れかというとジェット気流の捻れなんです。

冬寒いのは日本では普段の年はもっと上(北のこと)に気流があったのに下(南のこと)がったのです。寒気の高気圧が日本を覆ったのです。

逆に夏暑いのはジェット気流がうんと上(北のこと)になったので、今度は暖気の高気圧が日本を覆ったのです。

この逆にアメリカ辺りは涼しいのです。

十何年か前に日本では冷夏で米が全然取れない冷害が起こりました。あの時は逆に夏気流が下だったのです。アメリカは猛暑ですよ。

ラニーやだの大騒ぎだったですね。しかし本質は捻れでしかないのです。捩れはあるのです。地球が丸いからです。

しかし平均気温が1970年からどんどん上がってるではないかあの当時から0.3度くらい平均気温が上がってる、2000年からも0、12度上がってると国連が騒いでいます。

嘘ですよ。同一条件ではないからです。インド。中国、東南アジア。皆コンクリートの中に入ってるそういうところの気温ですから暑くて当たり前なんです。

東京はもっと暑くなってるでしょう。私が東京で暮らしたあの当時は一年中太陽が見えなかっただから今ほど絶対気温が上がりません。

実際にみなクーラーなど無いで生活できたのです。しかし今はコンクリートに太陽が燦々と照らして80度以上にコンクリートが焼けます。コンクリートの量は変わりません。

当時は緑は一切ありません。街路樹もないのですよ。今はあるのですから全く違います。

追加


1945年から1970年まで公害により先進工業国の空は世界中厚いスモックに覆われていました。それも1960年から70年が最高に濃くなった時です。73年ころ大騒ぎで公害撲滅を世界中で始めたんです。世界中の先進国の空が川が綺麗になっていったのです。


これと世界の平均気温が完全に相関してるのですよ。


この事実を絶対NHKは放送しません。それではNHKスペシャルにならないからです。

追加

今年2013年の冬は異常に寒かった。夏は異常に暑いのは何故だろうか。これは簡単ではないけれど2酸化炭素の温暖化ではないですよ。気団の問題だからです。

気団の異常な状態は火山でよく現れる現象です。

ヒナツボ火山とか大きい火山の噴火の後に異常になるのです。

今は中国のPM2.5ですね。なんでしょうかあれで異常に日本で雨が降る。それがポンプになって熱帯の熱を吸い上げるのです。熱帯では実は涼しくなってるようです。

異常に熱帯の熱量が上がってるのがありますね。本来の火山噴火の場合多くは冷害をよぶんです。PM2.5は中途半端なんでしょうか。

追加 

IPCCは温暖化を言わないと組織の命がなくなるのです。分かりますね。一番の問題がCO2濃度に気温が連動しないということです。特に2000年以降がどうにもならないのです。


寒冷化してるからです。100年後の誰もわからない不確定なところでのお話では話にならないのです。しかも温暖化の事実より他の事実の方が多くなったのです。


それを此処に書きましょう。おまけです。

1945年から戦後世界は凄まじい工業化でヨーロッパ、北米そして日本が知っている人は知っているでしょうが今の中国より凄まじい大気汚染になったのです。つまり日射を減らしてるのです。日射量が少なければ温度計は下がりますね。日射量に比例するのです。

1970年から世界中が公害問題を問題にし始めました。この当時の東京はPM2,5どころではないでしょう。ワイシャツの襟が皆真っ黒になりました。東京で夏ならほとんどそうなんです。鼻をかむと黒いすすでいっぱいでした。車の排気ガスが凄いのです。

1970年からどんどん空気は綺麗になりました。1990年頃には太陽も見えるようになりました。だからそれに比例して気温が上がってるのです。

平均気温が1945年から70年までどんどん下がりました。1970年からどんどん上がって1998年にピークになって今平行線になっています。

1945年とほとんど変わらない気温です。いや少し高いのです。何故でしょうか。1970年ころは三軒茶当たりでも練馬でも農家だらけでした。もう八王子などは本物の農家地帯でした。分かりますか。

そうなんです。世界中がコンクリートに都市がなってるのだから気温が高いのは当然なんです。ヒートアイランドなんです。気温を測るところは同じでも周りの環境が変わったのです。

では宇宙から見たらどうでしょうか。都市の面積はホンの僅かです。東京都の23区などは福島の一つの町の面積くらいしか無いのです。

いずれにしても後10日もしないうちに涼しくなります。

ヒナツボ山の噴火の時は地球上にやはり成層圏にまで達する噴火灰と汚れた気体で地球が覆われて2年間地球の気温が下がりました。

しかし其処の環境が江戸時代から比べたら格段に違うのです。なにしろNHK当たりは1850年と比べるのですから、新宿に馬車だの牛車だのがいた時代ですよ。


追加

今日本が暑いのは今までなかったのですが。10月でこれだけ暖かいのは何十年前家に有ったようですが。これは温暖化ではありません。単なる気団の高緯度移行です。

実際には太陽高度と宇宙ヘの放射冷却の方がもう10月では多くなってるのであっという間に寒くなります。


追加

大気の窓ですね。そのなんですかね2酸化炭素では地球からの赤外線をこれ以上いくら増えても遮るとか温暖化するとか在り得ないというのが下のグラフです。

Atmosfaerisk_spredning.gif


CO2が吸収するというところに何もないでしょう。分かりますか。つまりこれ以上何も起こらないというか2酸化炭素はこれ以上いくら増えても地球放射を止めないという意味です。

もう一つあります。面白いものが何故説明しないかというのですね。これを説明したら温暖化など無いという意味だからです。


95db6561.jpg

2酸化炭素のところが熱くなってないのです。つまりいくらでも熱を吸収できるのに出来ないなぜ供給されないからです。もし2酸化炭素が熱くなってもどんどん冷えるという意味でも有るのです。熱がたまってないのになんで温暖化ですかね。ストーブのように熱くなってるなら分かります。冷え込んでるのです。

少しだけ解説すると物が暖められるとその温度独特に赤外線が発生するのです。其れが300Kは絶対温度の300度だからまあ20度位という意味です。そのラインで発生する中の殆どが宇宙に逃げてるそれで2酸化炭素だけでどうなるものではないのは自明です。

2酸化炭素のところでいくら今から増えても同じです。2酸化炭素は空気より軽い気体です。

しかも2酸化炭素の保温性などないしかも気体は上昇する。全く意味をなしてないのです。

透明だからです。

また熱あるものはすべて放射するのです。その放射を受けると其れよりエレルギーが下がって放射する。つまり波長が長くなるのでやはり宇宙に抜けて出て行くのです。これらは絶対解説しません。温暖化のほうが金になるからです。

不都合の真実なら本はバカ売れしますが不都合では無い真実では本にならないのです。

もっと重要な事が此処に書いてあります。この表で分かりますか。水蒸気の温暖化は半端ではないのです。しかも無限にあります。なのにどうしてならないか分かりますか。と言うより温暖化しなければ地球は大変なことになるのです。

追加

PM2.5の影響これは大きいでしょうね。どう影響するかといえば中国全域の影響が大きいのです。北極気団絵の影響などがそれひとつではないのでこれらが分かる前に日本では放射能の健康えの影響の方が先ですね。だから黙れNHKです。

追加

気温の変動が激しいという意味。分かりますか。

ヒント砂漠=雲がない。=温暖化ガスが無い。

地球の放射性能(透過性能)が良くなったので夏熱くなり。冬寒くなるのです。

中国を除いて世界的に空は綺麗になってる?

いいえ寒冷化現象そのものです。最大の温暖化ガスの水蒸気が無いのです。なぜ熱量が無いから雲ができないと見るのが妥当です。

しかし温暖化に不都合な事実は発表しないのでしょう。


地球温暖化は嘘です。二酸化炭素が倍になったところで気温は上がりません。 Yahoo知恵袋
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n36934

▲△▽▼

寒冷化する地球が招き入れる食料とエネルギーの争奪戦
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/425.html
投稿者 taked4700 日時 2018 年 2 月 12 日 19:22:45: 9XFNe/BiX575U dGFrZWQ0NzAw
 

 今年の冬は寒いと言われます。単に気候が寒いだけではなく、日射が弱いとは感じないでしょうか。以前は、冬でも、晴れた日に車のフロントガラスから入ってくる日射に熱を以前は感じたものですが、昨年あたりからほとんど日射の強さを感じることがありません。

 冬季に野菜栽培をしている産地では生育の遅れが目立つということです。日射が弱いからではないのでしょうか。太陽光発電の効率も落ちているはずですが、そういった報道は多分見当たりません。

 そもそも、プレートの動きが活発化すると火山噴火が頻発します。この結果、短期的には温暖化が、そして、長期的には寒冷化が実現します。プレート境界の90%以上は海底にあるため、現代の一般市民が感知することがないまま海底火山や熱水鉱床から熱が海水へ供給され、それが海面温度を上昇させるのです。結果的に海面からの水蒸気供給量が増加し、また海面からの上昇気流が大型化しやすくなり、巨大台風が発生しやすくなります。

 事実、昭和の三大台風と言われるものは全て終戦前後の南海トラフ大地震の前後に発生しています。室戸台風:1934年9月21日、枕崎台風:1945年9月17日、伊勢湾台風:1959年9月26日という具合で、25年間にわたり最低気圧が900ヘクトパスカル程度にまで下がった巨大台風が発生したのです。25年間と言うとずいぶん長い期間であり、プレートの動きの活発化と無関係だと思われるかもしれませんが、プレートは小さいものでも一辺が1000キロ程度はあるので、その動きの変化は数十年かかるのが普通です。

 更に、M9程度の大地震前後は100年程度プレートの動きが活発化するのです。例えば、M9地震であったとされる869年貞観地震の前後で、地震の年表(日本)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
によると、

818年8月頃(弘仁9年7月) 弘仁地震 - M 7.9
から

887年8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ全域が震源域とする説あり) - M 8?8.5

までの約70年間に14件のM7程度以上の地震が発生しています。
これは、人口が少なく、かつ、文字記録の残りにくかった1000年以上前の文献などを見て解明されたものであり、実際にはこの数倍のM7以上地震が日本列島全体では発生していたはずです。

 2011年3月の東北地方太平洋沖地震M9まで、日本海溝から東日本の陸域の地下へ向かっての太平洋プレートの沈み込みが止まっていたという指摘がプレートテクトニクスの専門家の方からされています。(*「特報1)太平洋プレートは東日本大震災前に沈み込んでいなかった」 http://www.niitsuma-geolab.net/article07/article01 )このことから、貞観地震の時と違って、今回はM9地震前のM7地震発生が少なく、M9地震以降のM7地震発生が多くなることが予測されます。なぜなら、約600年以上に渡って抑制されていた分の太平洋プレートの東日本の地下への沈み込みが、今後100年程度の期間で、その抑制分を取り戻そうとするからです。

 短期的には温暖化を招く火山噴火ですが、既に大気中に放出された火山噴出物が日射を遮り寒冷化をもたらすのです。 

 日本でも、過去、火山噴火に伴う寒冷化で飢饉が発生したことが何回もありましたし、世界では飢饉の例が枚挙にいとまがないほど起こって来ています。特に、超巨大火山噴火により「地球上の人類の総人口は,わずか3000〜10000 人にまで減少した」可能性が次の学術論文により指摘されています。

「超巨大噴火と『火山の冬』」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jar/27/3/27_278/_pdf から部分引用します。

>「スーパー噴火」の中でも,最近100 万年間で最大規模の噴火が,Toba 火山で7 万4000 年前に生じたマグマ噴出量2800 km3 にもおよぶ新期Toba Tuff の噴火である(Chesner, 1998)。インドネシア・スマトラ島のToba 火山は,2004 年に起きたM9 のスマトラ島沖地震の震源域に近いスマトラ島北部に位置している(Fig. 2)。
>超巨大噴火は火山ガスに含まれる硫黄化合物を大量に成層圏に供給するが,この硫黄化合物から,太陽光による光化学反応で最終的に大量の硫酸エアロゾルが生み出される。硫酸エアロゾルは全地球を薄く覆い,太陽光を反射することで,対流圏や地表への太陽エネルギーの供給を阻害し,急速な気温の低下をもたらす。「地球寒冷化=火山の冬」の到来である。
>新期Toba Tuff 噴火時には,地球上の平均気温が10°C 以上も急速に低下し,しかもそうした状態が10年以上も続いた可能性が高い。急激な地球寒冷化,「火山の冬」の到来である。夏季の平均気温が10°C 余り低下すると,高緯度地域の常緑針葉樹林の50%以上が絶滅し,赤道地域の熱帯雨林はそのほとんどが失われるという(Stothers, 1984; Rampino, 1992, 1994; Zielinski etal., 1996b; Oppenheimer, 2002, Self, 2005; Self and Blake,2008)。植物生産の激減は,それを食糧とする動物生産も著しく減少することを意味する。人類遺伝子の研究から,この時期を契機に人類の人口が極端に減少し,人類は絶滅の危機,すなわち「ボトルネック」を経験したとする説が提唱されている(Rampino and Ambrose,1999)。この「ボトルネック」時には,地球上の人類の総人口は,わずか3000〜10000 人にまで減少したと考えられている。Toba 火山のスーパー噴火による急激な地球寒冷化が,こうした人類の「ボトルネック」状態の原因となったとする説は「Toba Catastrophe Theory」とよばれ,近年注目を浴びている。
>超巨大噴火の平均間隔が67 万年程度であるToba火山で,7 万4000 年前に起きた新期Toba Tuff と同じ規模の「スーパー噴火」がすぐに生じる可能性はきわめて低い。しかし,アメリカ合衆国西部のYellowstone火山では,130 万年前の超巨大噴火の次の超巨大噴火が64 万年前であり,その休止期間は66 万年である。前回の超巨大噴火からすでに64 万年が経過しており,いつ次のスーパー噴火が起きてもおかしくない時期にきている。

 現在起こっている巨大地震と火山噴火の連鎖が上に述べられている「地球上の人類の総人口は,わずか3000〜10000 人にまで減少」と言うほどの深刻な危機を招くものとは思えませんが、その可能性を否定することもできません。

 アメリカで行われているシェール開発は、ある意味、「火山の冬」対策であるとも解釈が出来ます。つまり、水圧破砕とか水平掘りの技術は高温岩体発電のための基幹技術であり、アメリカでは2010年以降、これらの技術が一気に広まっているからです。

 1982年から1983年に発表された資料「米国ロスアラモスにおける高温岩体プロジェクト」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grsj1979/6/2/6_2_87/_article/-char/ja/
によると、
>高温岩体地熱エネルギー開発の概念は,1973年に米国ロスアラモス研究所で考案され,深度約3,000mで現場実験が始められた。7〜8年間でこの実験を終え,熱出力3.5〜5千KWの熱エネルギーを高温岩体から採取することに成功した。そこで,米国では日本と西ドイツ・に参加を呼びかけ,米・日・西独の三国共同プロジェクトとして,深さ約4.5km,温度約320℃ の岩盤から熱出力2〜5万KWの熱エネルギーを採取する目的の第2期計画を立てた。このプロジェクトはIEA協定のもとで進められ,協定期間は1980年から1983年の4年間で,現在さらに2年間延長された。

ということです。しかし、「初期循環試験の地化学調査とトレーサ試験の方法と結果
一米国ロスアラモス国立研究所における高温岩体開発研究一」
http://criepi.denken.or.jp/jp/kenkikaku/report/download/t8jxv7jbMfxWG7ZiTS0GkpTL9Rs2lsj6/U86020.pdf
>地熱エネルギーを有効に利用するため,米国ニューメキシコ州にあるロスアラモス国立研究所では,1970年に地下に存在する高温の乾燥した岩体(H。tDryRock)から熱を抽出しようとする高温岩体発電の研究を開始した。この研究は1ロスァラモスの西方約351・"に位置するフェントンヒル実験場において,地下約4kmecある先カンブリア紀の花商岩体(岩盤温度300℃前後)に2本のボーリング坑を掘削し,一方の坑井から冷水を注入し,高温の花歯岩体に人工的に造成した貯留層を通過させ,他の坑井から熱水を回収しようとする試みである。

とあり、どうやら、1973年は高温岩体発電の特許取得が行われた年のことであり、実験そのものは第一次オイルショックの3年前である1970年から行われていたようです。

 日射量の最近のデータを見ようと思って探しているのですが、出てきません。
NEDOの「日射量データベース閲覧システム」
http://app0.infoc.nedo.go.jp/index.html
はそもそも最近のものではありません。
http://www.nedo.go.jp/library/nissharyou.html
に説明があり、
>年間月別日射量データベース(MONSOLA-11)
>国内837地点・29年間(1981〜2009年)の日射量データベースを用いることにより、方位角別、傾斜角別の月間総日射量を表示でき、年間・月間発電量を推定することにご活用いただけます。また、新たに「年変動」の表示機能を追加しました。

とされていて、10年程度前までのデータに過ぎないのです。

 気象庁の「毎日の全国データ一覧表」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/synopday/data1s.html
では確かに全国各地の「全天日射量」が表示されていますが、その時刻でのデータでしかありません。
「過去の気象データ・ダウンロード」
http://www.data.jma.go.jp/gmd/risk/obsdl/index.php
では、地点(指宿とか世田谷という地点名)を選んで、日毎の日合計全天日射量をエクセルデータでダウンロードできますが、月ごととか年ごとの推移はこちらでエクセルのデータを加工する必要があります。また、「指宿」のデータは少なくとも日合計全天日射量としては空データ(つまり、データなし)です。

 関東地方とか、東北地方などの地域全体での月ごとの推移が見れるようにしておく必要があるのではないでしょうか。

 ともかく、日射量は平方メートル当たりの熱量で表され、日光が真上から射す夏場は大きくなり、斜めから射す冬場は小さくなります。地球の気温に与える最大の要素が日射量であり、日射量の月別、地方別統計が整備されていない現状で何が地球温暖化の議論なのか、非常に疑問です。一種の詐欺話と同じではないのかとさえ思えます。

 日本の食料自給率は低下の一途をたどっています。農林省による最新版の「食料自給率の推移」
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/012-3.pdf
では、平成28年の概算値が見れますが、それによると、100%以上(つまり輸出余力があるもの)となっているのは2品目だけであり、主食用米とみかんだけです。それも数値は100であり、多少でも輸出すると国内用が不足することになります。小麦は12%、ばれいしょは69%、大豆は7%です。肉類では53%ですが、飼料輸入率を考慮すると8%に低下します。

 以上の自給率はカロリーベースであり生産額ベースなら60%から70%になるので大丈夫だという議論がされますが、これ、要するに国内価格が高く、かつ円高傾向が維持されているから60%以上の自給率になるというだけの話です。今後、寒冷化が進み、国際的に食糧不足が表面化すれば、そして、その頃には日本で首都直下大地震が発生し、円の暴落が起こっているはずなので、生産額ベースでさえ自給率が一桁になってしまうのは確実とさえ言えます。

「輸入トウモロコシに依存する日本」
https://agri-biz.jp/item/detail/4156
>2014年、日本は約1500万tのトウモロコシを輸入している。このうち家畜飼料用が68%を占め、市販配合飼料用が1000万t余り、20万t弱の自家配合飼料用と合わせて、合計1040万tに及ぶ。次いで多いのが、コーンスターチ用で316万t(21%)、その他はコーンフレーク、蒸留酒、甘味料の原料などに使われている。
>日本は世界最大のトウモロコシ輸入国で、その割合は全世界の流通量1億2510万tの12%にもなる。

「グラフでみるとうもろこし」
http://www.toumorokoshi.net/statistics.html
>近年、世界では年間8億トンを超えるとうもろこしが生産され、「小麦」「お米」とならんで世界の三大穀物と呼ばれています。しかし小麦が約6億トン、お米が約4億トンの生産量ですので、とうもろこしははるかに多く、さらに年々大きく増加している傾向にあります。とうもろこしの生産量全体のうち、約3分の1が私たちの食べ物として利用されているといわれていますので、およそ3億トン近くが世界中で食べられていることになります。
>輸入量は年間約1600万トン以上で、国内の米の年間生産量の約2倍にものぼり、その消費量の65%は飼料として消費されています。つまり、輸入された「とうもろこし」の殆どを牛や豚、鶏などの家畜の餌として消費しているのです。

 更に問題があるのが、ガソリンや灯油、軽油、そして肥料の自給率を考慮すると、食糧自給率は更に低下せざるを得ないことです。現在、肥料やトラクターを使わない農業はほぼあり得ません。

 御存知のようにガソリンや軽油の自給率はゼロです。化学肥料は実際的に見て、窒素もリンもカリも100%輸入です。
なぜなら、「日本の肥料輸入量について」
http://www.maff.go.jp/kanto/syo_an/seikatsu/tenji/pdf/syokubutu-eiyou-sankou.pdf
>「チッソ」肥料と「リン」「カリ」肥料には、違いがあります。「チッソ」肥料は、原油と空気中のチッソを原料にしてエネルギーをかけて製造しているのに対し、「リン」「カリ」は、地中の鉱石を原料にしています。

とある様に、日本では原油の自給率はゼロですし、リン鉱石も塩化カリも自給率はほぼゼロだからです。

 今後寒冷化が進めば、化石燃料価格はうなぎ上りでしょう。それに伴い、エネルギーと食糧の争奪戦が国際的に始まります。または、既に始まっているというべきです。

「肥料原料の安定確保に関する論点整理」
http://www.maff.go.jp/j/press/seisan/kankyo/pdf/100226-03.pdf
>米国のりん鉱石の輸出停止
>米国は1990年代後半から、りん鉱石の輸出を徐々に停止。りん安の輸出は継続。
>我が国も平成7年頃までは50〜60万程度のりん鉱石を米国から輸入していたが、平成11年にはほぼゼロとなった。

 以上のことから、肥料や化石燃料などを考慮した日本の食料自給率は非常に大まかではありますが、1から2%程度になると思われます。もちろん、肥料や化石燃料の輸入が止まってしまうことはなかなか起こり得ないはずです。しかし、もし、寒冷化が地球規模で起こった場合、そして、寒冷化の影響は温度が下がりにくい海洋に囲まれた島嶼部よりも、海に接していない部分が多いユーラシア大陸や北米大陸で苛酷化しやすいことを考えると、日本が化石燃料や肥料を今後も順調に輸入し続けることが出来ると思う方があまりに楽観的だと思わないでしょうか?

2018年02月12日19時05分 武田信弘

▲△▽▼

北米やユーラシア大陸で顕在化する寒冷化は日本の食糧輸入を不可能にする!食糧増産への備えを!
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/349.html
投稿者 taked4700 日時 2018 年 1 月 03 日 05:53:08: 9XFNe/BiX575U dGFrZWQ0NzAw
 
 


未だに温暖化が話題になっていますが、現実には寒冷化が顕在化しています。

例えば、「ほとんどの地域が氷点下の気温を記録するという驚異的な寒波に包まれた2018年新年のアメリカ。133年ぶりに低温記録を更新した場所も」
https://earthreview.net/record-cold-hit-across-the-usa-2018-new-year/

とか

「中国とロシアの国境にあるハンカ湖に「強烈な寒波と風」により高さ20メートル、長さ数キロに及ぶ巨大な『氷の壁』がたった数日で形作される」
https://earthreview.net/giant-ice-wall-forms-along-china-russia-border-lake/

という形でブログ「地球の記録」が報じています。

BBC のニュースでも北米で平均よりも10度C気温が低い
http://www.bbc.com/weather/features/42534865

と述べていて、この冬の厳冬傾向が指摘されています。(10度C平均より低いことは、ビデオの中で、画面に表示があります。)

もともと北米大陸やユーラシア大陸は北極に近く、間に大きな海域がないため、寒冷化の影響を受けやすいのです。

日本は小麦や大豆の99%を輸入に頼っています。特に小麦は日本国内の米(こめ)の生産量よりも多い量を輸入しています。また、飼料の大部分も輸入です。肥料も、化石燃料も90%以上が輸入であり、寒冷化が進めば一気に飢餓状況へ追い込まれます。

耕作放棄地の整備、つまり、耕作可能な状態への整備が必要だと思います。また、肥料や種子、特に耐寒性のある品種の種子の備蓄が必要ではないでしょうか。

2018年01月03日05時45分 武田信弘

http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/441.html#c11

[国際26] イランが、オマーン海で火事に見舞われたタンカーの乗組員を救出(ParsToday) HIMAZIN
1. 2019年6月14日 13:23:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2854]

イスラムは詐欺カルト


[ワシントン 13日 ロイター] - オマーン沖で石油タンカー2隻が攻撃を受けた事件に関し、米政府高官は、イラン軍が日本のタンカーの側面から不発機雷とみられるものを取り除く映像を米政府は保有しているとロイターに明らかにした。

同高官は、自ら確認した映像ではイラン革命防衛隊がタンカーに近づき、機雷を取り除いている姿が鮮明に映っていると語った。

この映像が公表されるかどうかは明らかではない。
https://jp.reuters.com/article/iran-tanker-mine-idJPKCN1TF03V
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/599.html#c1

[国際26] イランが、オマーン海で火事に見舞われたタンカーの乗組員を救出(ParsToday) HIMAZIN
2. 2019年6月14日 13:25:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2855]

ムスリムは全員嘘吐きだった

タンカー攻撃、イラン艇が船体から水雷取り外しか 米当局が映像入手
2019.06.14 Fri posted at 11:55 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35138493.html


(CNN) 中東オマーン湾でタンカー2隻が攻撃を受けた事件で、米当局者4人はCNNに対し、イラン海軍艇が日本のケミカルタンカーの船体から不発の水雷を取り外す映像と写真を入手していることを明らかにした。

事件をめぐってはポンペオ米国務長官が13日、イランに責任があると主張。諜報(ちょうほう)に基づく評価だとしたが、主張を裏付ける証拠は示していなかった。

中東では米国とイランの間の緊張が高まっており、今回の攻撃を受けて米政権内の対イラン強硬派がさらに勢いづく可能性もある。

当局者の1人によると、映像は米軍機が上空から撮影。イラン艇が攻撃を受けたタンカーと並んで航行し、船体から「リムペットマイン」と呼ばれる水雷を取り除く様子を捉えた。映像には、この艦艇に乗った人物が水雷をつかむ場面も映っているという。

現場海域には米海軍艦「ベインブリッジ」と米無人機、P8哨戒機が4時間にわたりとどまっていたが、イラン艇はその後も動きを続けていた。米国防当局者は、イラン側が攻撃への関与を示す証拠を回収しようとしていたと見ている。

別の当局者によると、ベインブリッジが現場にとどまっていた際、多数のイラン艇がこの海域に進入してきたことから、米中央軍は「ベインブリッジやその任務への干渉は一切容認しない」との声明を出す対応に迫られた。

CNNは独自に映像を確認していない。当局者は匿名を条件に問題の写真と映像についてCNNの取材に応じた
https://www.cnn.co.jp/world/35138493.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/599.html#c2

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
210. 中川隆[-9614] koaQ7Jey 2019年6月14日 14:14:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2856]
ビル・ゲイツ、いまでも世界長者番付2位?引退後の動きを知れば人生の勝ち方がわかる=鈴木傾城 2019年6月13日
https://www.mag2.com/p/money/710685


ビル・ゲイツは2008年にはマイクロソフトから完全に離れて引退したが、2019年版の世界長者番付でも2位に君臨している。それはなぜか。理由を知れば人生の勝ち方が見えくてる。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城)

資本主義の世界でもっとも要領よく生きている富裕層を観察せよ

引退してから数十年、いまでも長者番付トップを独走

2019年3月、フォーブス誌は世界長者番付2019年版を発表している。トップはアマゾンのCEO(最高経営責任者)であるジェフ・ベゾスで、2年連続で「世界一の富豪」になった。

ジェフ・ベゾスはもちろん現役の経営者であり、いまや世界最強とも言える経営者となっている。

下半身スキャンダルや離婚問題で名声に若干の傷が付いたが、経営手腕はまったく衰えていないわけで、今後も長きに渡って世界長者番付の上位に君臨し続ける可能性が高い。


ところで、2位は誰なのか。言うまでもなく、ビル・ゲイツである。

ビル・ゲイツがマイクロソフトのCEOを降りたのは2000年だった。そして、マイクロソフトから完全に離れて慈善団体に活動の重点を移したのが2008年である。

つまり、ビルゲイツは2000年代にはすでに経営の第一線から身を引いており、ビジネスはしていないことになっている。ところが、それ以後も多少の順位の変動はあるものの、ほぼフォーブスの世界長者番付で世界トップを独走していると言っても過言ではない。

カスケード・インベストメント

経営の一線を退いてからも、ビル・ゲイツの資産はさらに増大している。ここに一体何が起きているのかを私たちはよく考える必要がある。

ビル・ゲイツはマイクロソフトから離れた2006年以後、マイクロソフトの株式をどんどん売却していた。

それで何をしていたのか。別にマイクロソフトを売った巨額の資産を現金にしていたわけではない。激甚な競争にさらされているマイクロソフトから、多様な株式に転換して保有していたのだ。

万一マイクロソフトが競争力を失ったり、凋落したりすると、ビル・ゲイツの資産は縮小する。マイクロソフトの株式を売却して他の優良企業を買うというのは、リスク分散のために必要な措置だとビル・ゲイツは考えたということになる。

マイクロソフトは今でもアメリカのハイテク産業を代表するトップ企業だ。しかし抜け目ないビル・ゲイツは、株式を分散化させることでリスクを減らし、さらに多様な企業に投資することで次の成長企業から利益を得ている。


ビル・ゲイツの資産を運営しているのがカスケード・インベストメントという投資企業である。ビル・ゲイツは第一線を退いて、カスケード・インベストメントでの「投資」で資産を膨らませていた。


ビル・ゲイツは銀行とハイテク企業に投資していた

では、カスケード・インベストメントではどのような株式を保有しているのだろうか。2019年3月31日の最新のSEC(米国証券取引委員会)に提出されたドキュメントでの上位銘柄はこのようになっている。
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾インテル(INTC)
◾U.S.バンコープ(USB)
◾マイクロソフト(MSFT)
◾アップル(AAPL)
◾シスコ・システムズ(CSCO)
◾ノバルティス(NVS)
◾スターバックス(SBUX)
◾ウェルタワー(HCN)
◾ヌートリエン(NTR)

カスケード・インベストメントのポートフォリオの上位は銀行とハイテクのセクターで固めており、後は多種多様な企業群が連なって頻繁に売買されている。

天才投資家バフェットも銀行株を買っている

ビル・ゲイツの資産の中で大きなウエイトを占めているのがアメリカの銀行である「ウェルズ・ファーゴ」や「U.S.バンコープ」なのだが、ビル・ゲイツはかつて「銀行は消えてなくなる」と言ったことがあった。しかし、株式としては銀行系をしっかりと保有している。

ところで、このウェルズ・ファーゴは、大株主が「バークシャー・ハザウェイ」であるのはよく知られている。ところで、バークシャー・ハザウェイのCEOはウォーレン・バフェットである。

ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットは数十年に及ぶ盟友であるのはよく知られているのだが、ウォーレン・バフェットもまたバークシャー・ハザウェイで銀行株に傾斜している。

バークシャー・ハザウェイのポートフォリオは、現在はこのようになっている。

◾アップル(AAPL)
◾バンク・オブ・アメリカ(BAC)
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾コカコーラ(KO)
◾アメリカン・エキスプレス(AXP)
◾クラフト・ハインツ(KHC)
◾U.S.バンコープ(USB)
◾JPモルガン・チェース(JPM)
◾ムーディーズ(MCO)
◾バンク・オブ・ニューヨーク(BK)

カスケード・インベストメントとバークシャー・ハザウェイの上位ポートフォリオでダブっているのは以下の銘柄だ。
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾アップル(AAPL)
◾U.S.バンコープ(USB)

ダブっているのは偶然なのか、それともふたりの間で何らかの情報共有があるのかは分からないが興味深い事象ではある。

頂点に立つのは「優良企業の株式を大量に保有する人間」だけ

ビル・ゲイツもウォーレン・バフェットも、ビジネスの第一線で采配を振っているわけではない。それでもフォーブスの世界長者番付に君臨しているのは、株式の資産価値が増大しているからでもある。

すでに、現在の資本主義というのは、富の源泉が多国籍企業に集約されているので、土地成金だとかゴールド保有者だとかダイヤモンド王が頂点に立つことはない。

頂点に立つのは、「優良企業の株式を大量に保有する人間」でしかあり得ない。

これは逆に言えば「優良企業の株式を保有しない」「保有しても少ししか保有していない」人は、今の資本主義の世界で生きるのは、かなり厳しいことになるということを示唆している。

現金を積み上げても長期的に見ると意味がなく、金の延べ棒を買っても仕方がない。現金もゴールドも価値が増大することもなければ配当を生み出すこともないので、それが長期で見ると巨大な差となって現れるのだ。


分かりやすく言えば、定期預金などしても現代の資本主義の仕組みからすると、何の意味もない。重要なのは、世界に君臨する企業の株式を保有しておくということなのである。

観察して無駄になることはない

もし、個別銘柄を選択できる能力があるのであれば、ウォーレン・バフェットのように個別銘柄を分析し、良いタイミングで買うのは常に最良の選択である。若く、野心があり、大きな利益を狙う投資家は、常に個別銘柄を選択するはずだ。

仮にそれが難しいのであれば、「VTI」や「VOO」のようなアメリカの株式市場全体を網羅するETF(上場投資信託)を買うという選択も悪くない。

いくつかのETFを組み合わせてポートフォリオを作ることもできるし、単純に「VTI」ひとつを保有して、アメリカ全体を買うというシンプルなポートフォリオを組むこともできる。

方法はいくらでもある。

すでにビジネスの第一線から離れているにも関わらず資産を膨らませているビル・ゲイツや、高齢であるにも関わらず資産を膨らませているウォーレン・バフェットに学ぶべき点があるとしたら、それは何か。

それは「同じ銘柄を買う」ということではなく、「優良企業の株式を大量に保有する」という点を学ぶことである。


資本主義の世界で要領よく生きている人間の「要領の良さ」を観察するのは無駄ではない。
https://www.mag2.com/p/money/710685
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c210

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
47. 中川隆[-9613] koaQ7Jey 2019年6月14日 14:15:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2857]
ビル・ゲイツ、いまでも世界長者番付2位?引退後の動きを知れば人生の勝ち方がわかる=鈴木傾城 2019年6月13日
https://www.mag2.com/p/money/710685


ビル・ゲイツは2008年にはマイクロソフトから完全に離れて引退したが、2019年版の世界長者番付でも2位に君臨している。それはなぜか。理由を知れば人生の勝ち方が見えくてる。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城)

資本主義の世界でもっとも要領よく生きている富裕層を観察せよ

引退してから数十年、いまでも長者番付トップを独走

2019年3月、フォーブス誌は世界長者番付2019年版を発表している。トップはアマゾンのCEO(最高経営責任者)であるジェフ・ベゾスで、2年連続で「世界一の富豪」になった。

ジェフ・ベゾスはもちろん現役の経営者であり、いまや世界最強とも言える経営者となっている。

下半身スキャンダルや離婚問題で名声に若干の傷が付いたが、経営手腕はまったく衰えていないわけで、今後も長きに渡って世界長者番付の上位に君臨し続ける可能性が高い。


ところで、2位は誰なのか。言うまでもなく、ビル・ゲイツである。

ビル・ゲイツがマイクロソフトのCEOを降りたのは2000年だった。そして、マイクロソフトから完全に離れて慈善団体に活動の重点を移したのが2008年である。

つまり、ビルゲイツは2000年代にはすでに経営の第一線から身を引いており、ビジネスはしていないことになっている。ところが、それ以後も多少の順位の変動はあるものの、ほぼフォーブスの世界長者番付で世界トップを独走していると言っても過言ではない。

カスケード・インベストメント

経営の一線を退いてからも、ビル・ゲイツの資産はさらに増大している。ここに一体何が起きているのかを私たちはよく考える必要がある。

ビル・ゲイツはマイクロソフトから離れた2006年以後、マイクロソフトの株式をどんどん売却していた。

それで何をしていたのか。別にマイクロソフトを売った巨額の資産を現金にしていたわけではない。激甚な競争にさらされているマイクロソフトから、多様な株式に転換して保有していたのだ。

万一マイクロソフトが競争力を失ったり、凋落したりすると、ビル・ゲイツの資産は縮小する。マイクロソフトの株式を売却して他の優良企業を買うというのは、リスク分散のために必要な措置だとビル・ゲイツは考えたということになる。

マイクロソフトは今でもアメリカのハイテク産業を代表するトップ企業だ。しかし抜け目ないビル・ゲイツは、株式を分散化させることでリスクを減らし、さらに多様な企業に投資することで次の成長企業から利益を得ている。


ビル・ゲイツの資産を運営しているのがカスケード・インベストメントという投資企業である。ビル・ゲイツは第一線を退いて、カスケード・インベストメントでの「投資」で資産を膨らませていた。


ビル・ゲイツは銀行とハイテク企業に投資していた

では、カスケード・インベストメントではどのような株式を保有しているのだろうか。2019年3月31日の最新のSEC(米国証券取引委員会)に提出されたドキュメントでの上位銘柄はこのようになっている。
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾インテル(INTC)
◾U.S.バンコープ(USB)
◾マイクロソフト(MSFT)
◾アップル(AAPL)
◾シスコ・システムズ(CSCO)
◾ノバルティス(NVS)
◾スターバックス(SBUX)
◾ウェルタワー(HCN)
◾ヌートリエン(NTR)

カスケード・インベストメントのポートフォリオの上位は銀行とハイテクのセクターで固めており、後は多種多様な企業群が連なって頻繁に売買されている。

天才投資家バフェットも銀行株を買っている

ビル・ゲイツの資産の中で大きなウエイトを占めているのがアメリカの銀行である「ウェルズ・ファーゴ」や「U.S.バンコープ」なのだが、ビル・ゲイツはかつて「銀行は消えてなくなる」と言ったことがあった。しかし、株式としては銀行系をしっかりと保有している。

ところで、このウェルズ・ファーゴは、大株主が「バークシャー・ハザウェイ」であるのはよく知られている。ところで、バークシャー・ハザウェイのCEOはウォーレン・バフェットである。

ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットは数十年に及ぶ盟友であるのはよく知られているのだが、ウォーレン・バフェットもまたバークシャー・ハザウェイで銀行株に傾斜している。

バークシャー・ハザウェイのポートフォリオは、現在はこのようになっている。

◾アップル(AAPL)
◾バンク・オブ・アメリカ(BAC)
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾コカコーラ(KO)
◾アメリカン・エキスプレス(AXP)
◾クラフト・ハインツ(KHC)
◾U.S.バンコープ(USB)
◾JPモルガン・チェース(JPM)
◾ムーディーズ(MCO)
◾バンク・オブ・ニューヨーク(BK)

カスケード・インベストメントとバークシャー・ハザウェイの上位ポートフォリオでダブっているのは以下の銘柄だ。
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾アップル(AAPL)
◾U.S.バンコープ(USB)

ダブっているのは偶然なのか、それともふたりの間で何らかの情報共有があるのかは分からないが興味深い事象ではある。

頂点に立つのは「優良企業の株式を大量に保有する人間」だけ

ビル・ゲイツもウォーレン・バフェットも、ビジネスの第一線で采配を振っているわけではない。それでもフォーブスの世界長者番付に君臨しているのは、株式の資産価値が増大しているからでもある。

すでに、現在の資本主義というのは、富の源泉が多国籍企業に集約されているので、土地成金だとかゴールド保有者だとかダイヤモンド王が頂点に立つことはない。

頂点に立つのは、「優良企業の株式を大量に保有する人間」でしかあり得ない。

これは逆に言えば「優良企業の株式を保有しない」「保有しても少ししか保有していない」人は、今の資本主義の世界で生きるのは、かなり厳しいことになるということを示唆している。

現金を積み上げても長期的に見ると意味がなく、金の延べ棒を買っても仕方がない。現金もゴールドも価値が増大することもなければ配当を生み出すこともないので、それが長期で見ると巨大な差となって現れるのだ。


分かりやすく言えば、定期預金などしても現代の資本主義の仕組みからすると、何の意味もない。重要なのは、世界に君臨する企業の株式を保有しておくということなのである。

観察して無駄になることはない

もし、個別銘柄を選択できる能力があるのであれば、ウォーレン・バフェットのように個別銘柄を分析し、良いタイミングで買うのは常に最良の選択である。若く、野心があり、大きな利益を狙う投資家は、常に個別銘柄を選択するはずだ。

仮にそれが難しいのであれば、「VTI」や「VOO」のようなアメリカの株式市場全体を網羅するETF(上場投資信託)を買うという選択も悪くない。

いくつかのETFを組み合わせてポートフォリオを作ることもできるし、単純に「VTI」ひとつを保有して、アメリカ全体を買うというシンプルなポートフォリオを組むこともできる。

方法はいくらでもある。

すでにビジネスの第一線から離れているにも関わらず資産を膨らませているビル・ゲイツや、高齢であるにも関わらず資産を膨らませているウォーレン・バフェットに学ぶべき点があるとしたら、それは何か。

それは「同じ銘柄を買う」ということではなく、「優良企業の株式を大量に保有する」という点を学ぶことである。


資本主義の世界で要領よく生きている人間の「要領の良さ」を観察するのは無駄ではない。
https://www.mag2.com/p/money/710685
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c47

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
29. 中川隆[-9612] koaQ7Jey 2019年6月14日 14:21:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2858]
ビル・ゲイツ、いまでも世界長者番付2位?引退後の動きを知れば人生の勝ち方がわかる=鈴木傾城 2019年6月13日
https://www.mag2.com/p/money/710685


ビル・ゲイツは2008年にはマイクロソフトから完全に離れて引退したが、2019年版の世界長者番付でも2位に君臨している。それはなぜか。理由を知れば人生の勝ち方が見えくてる。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城)

資本主義の世界でもっとも要領よく生きている富裕層を観察せよ

引退してから数十年、いまでも長者番付トップを独走

2019年3月、フォーブス誌は世界長者番付2019年版を発表している。トップはアマゾンのCEO(最高経営責任者)であるジェフ・ベゾスで、2年連続で「世界一の富豪」になった。

ジェフ・ベゾスはもちろん現役の経営者であり、いまや世界最強とも言える経営者となっている。

下半身スキャンダルや離婚問題で名声に若干の傷が付いたが、経営手腕はまったく衰えていないわけで、今後も長きに渡って世界長者番付の上位に君臨し続ける可能性が高い。


ところで、2位は誰なのか。言うまでもなく、ビル・ゲイツである。

ビル・ゲイツがマイクロソフトのCEOを降りたのは2000年だった。そして、マイクロソフトから完全に離れて慈善団体に活動の重点を移したのが2008年である。

つまり、ビルゲイツは2000年代にはすでに経営の第一線から身を引いており、ビジネスはしていないことになっている。ところが、それ以後も多少の順位の変動はあるものの、ほぼフォーブスの世界長者番付で世界トップを独走していると言っても過言ではない。

カスケード・インベストメント

経営の一線を退いてからも、ビル・ゲイツの資産はさらに増大している。ここに一体何が起きているのかを私たちはよく考える必要がある。

ビル・ゲイツはマイクロソフトから離れた2006年以後、マイクロソフトの株式をどんどん売却していた。

それで何をしていたのか。別にマイクロソフトを売った巨額の資産を現金にしていたわけではない。激甚な競争にさらされているマイクロソフトから、多様な株式に転換して保有していたのだ。

万一マイクロソフトが競争力を失ったり、凋落したりすると、ビル・ゲイツの資産は縮小する。マイクロソフトの株式を売却して他の優良企業を買うというのは、リスク分散のために必要な措置だとビル・ゲイツは考えたということになる。

マイクロソフトは今でもアメリカのハイテク産業を代表するトップ企業だ。しかし抜け目ないビル・ゲイツは、株式を分散化させることでリスクを減らし、さらに多様な企業に投資することで次の成長企業から利益を得ている。


ビル・ゲイツの資産を運営しているのがカスケード・インベストメントという投資企業である。ビル・ゲイツは第一線を退いて、カスケード・インベストメントでの「投資」で資産を膨らませていた。


ビル・ゲイツは銀行とハイテク企業に投資していた

では、カスケード・インベストメントではどのような株式を保有しているのだろうか。2019年3月31日の最新のSEC(米国証券取引委員会)に提出されたドキュメントでの上位銘柄はこのようになっている。
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾インテル(INTC)
◾U.S.バンコープ(USB)
◾マイクロソフト(MSFT)
◾アップル(AAPL)
◾シスコ・システムズ(CSCO)
◾ノバルティス(NVS)
◾スターバックス(SBUX)
◾ウェルタワー(HCN)
◾ヌートリエン(NTR)

カスケード・インベストメントのポートフォリオの上位は銀行とハイテクのセクターで固めており、後は多種多様な企業群が連なって頻繁に売買されている。

天才投資家バフェットも銀行株を買っている

ビル・ゲイツの資産の中で大きなウエイトを占めているのがアメリカの銀行である「ウェルズ・ファーゴ」や「U.S.バンコープ」なのだが、ビル・ゲイツはかつて「銀行は消えてなくなる」と言ったことがあった。しかし、株式としては銀行系をしっかりと保有している。

ところで、このウェルズ・ファーゴは、大株主が「バークシャー・ハザウェイ」であるのはよく知られている。ところで、バークシャー・ハザウェイのCEOはウォーレン・バフェットである。

ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットは数十年に及ぶ盟友であるのはよく知られているのだが、ウォーレン・バフェットもまたバークシャー・ハザウェイで銀行株に傾斜している。

バークシャー・ハザウェイのポートフォリオは、現在はこのようになっている。

◾アップル(AAPL)
◾バンク・オブ・アメリカ(BAC)
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾コカコーラ(KO)
◾アメリカン・エキスプレス(AXP)
◾クラフト・ハインツ(KHC)
◾U.S.バンコープ(USB)
◾JPモルガン・チェース(JPM)
◾ムーディーズ(MCO)
◾バンク・オブ・ニューヨーク(BK)

カスケード・インベストメントとバークシャー・ハザウェイの上位ポートフォリオでダブっているのは以下の銘柄だ。
◾ウェルズ・ファーゴ(WFC)
◾アップル(AAPL)
◾U.S.バンコープ(USB)

ダブっているのは偶然なのか、それともふたりの間で何らかの情報共有があるのかは分からないが興味深い事象ではある。

頂点に立つのは「優良企業の株式を大量に保有する人間」だけ

ビル・ゲイツもウォーレン・バフェットも、ビジネスの第一線で采配を振っているわけではない。それでもフォーブスの世界長者番付に君臨しているのは、株式の資産価値が増大しているからでもある。

すでに、現在の資本主義というのは、富の源泉が多国籍企業に集約されているので、土地成金だとかゴールド保有者だとかダイヤモンド王が頂点に立つことはない。

頂点に立つのは、「優良企業の株式を大量に保有する人間」でしかあり得ない。

これは逆に言えば「優良企業の株式を保有しない」「保有しても少ししか保有していない」人は、今の資本主義の世界で生きるのは、かなり厳しいことになるということを示唆している。

現金を積み上げても長期的に見ると意味がなく、金の延べ棒を買っても仕方がない。現金もゴールドも価値が増大することもなければ配当を生み出すこともないので、それが長期で見ると巨大な差となって現れるのだ。


分かりやすく言えば、定期預金などしても現代の資本主義の仕組みからすると、何の意味もない。重要なのは、世界に君臨する企業の株式を保有しておくということなのである。

観察して無駄になることはない

もし、個別銘柄を選択できる能力があるのであれば、ウォーレン・バフェットのように個別銘柄を分析し、良いタイミングで買うのは常に最良の選択である。若く、野心があり、大きな利益を狙う投資家は、常に個別銘柄を選択するはずだ。

仮にそれが難しいのであれば、「VTI」や「VOO」のようなアメリカの株式市場全体を網羅するETF(上場投資信託)を買うという選択も悪くない。

いくつかのETFを組み合わせてポートフォリオを作ることもできるし、単純に「VTI」ひとつを保有して、アメリカ全体を買うというシンプルなポートフォリオを組むこともできる。

方法はいくらでもある。

すでにビジネスの第一線から離れているにも関わらず資産を膨らませているビル・ゲイツや、高齢であるにも関わらず資産を膨らませているウォーレン・バフェットに学ぶべき点があるとしたら、それは何か。

それは「同じ銘柄を買う」ということではなく、「優良企業の株式を大量に保有する」という点を学ぶことである。


資本主義の世界で要領よく生きている人間の「要領の良さ」を観察するのは無駄ではない。
https://www.mag2.com/p/money/710685
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c29

[国際26] イランが、オマーン海で火事に見舞われたタンカーの乗組員を救出(ParsToday) HIMAZIN
3. 2019年6月14日 14:25:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2859]
ムスリムは悪い

オマーン沖でタンカー攻撃、米は背後にイランと非難 原油先物価格が急騰
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12312.php
2019年6月14日(金)10時27分 ニューズウィーク


原油輸送の要衝であるホルムズ海峡に近いオマーン沖で13日、石油タンカー2隻が攻撃を受けた。写真は火災が発生したタンカーの消火活動を行うイランの海軍艇(2019年 ロイター/TASNIM NEWS AGENCY)


原油輸送の要衝であるホルムズ海峡に近いオマーン沖で13日、石油タンカー2隻が攻撃を受けた。事件は米国とイランとの間の緊張が高まる中で発生。米国務長官は攻撃の背後にイランがいるとの見解を表明し、緊張が一段と高まる懸念から原油価格が急騰した。

攻撃を受けたのはノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」と、国華産業(東京都千代田区)が運航する「コクカ・カレイジャス」(船籍パナマ)。フロント・アルタイルでは爆発が起き、火災が発生。乗組員は避難し、付近を航行中の船舶に救助された後、イランの救命艇に乗り移った。関係筋によると、フロント・アルタイルは磁気機雷による攻撃を受けた可能性がある。コクカ・カレイジャスの乗組員も無事に救助された。

事件を受けポンペオ米国務長官は記者会見を行い、「オマーン沖で発生した攻撃について、米政府はイランが攻撃の背後にいたと判断している」とし、「機密情報、使用された武器、こうした攻撃の実施に必要な手腕、イランによる船舶に対する類似した攻撃に加え、この海域で活動するいかなるグループもこのような高度な攻撃を実施する能力は備えていない事実を踏まえ、米政府はこのような判断を下した」と述べた。ただ、具体的な証拠は示さなかった。

米国が昨年、2015年のイラン核合意から撤退したことを受け、米国とイランとの間の緊張は高まっており、イランはこれまでも繰り返し、米国の制裁措置によりイラン産原油の輸出が不可能になった場合は原油輸送の要衝であるホルムズ海峡を閉鎖すると警告してきた。

イランのザリフ外相は安倍首相のイラン訪問中にこの問題が発生したことに言及し、攻撃は「疑念を抱かせる」とツイッターに投稿。域内の対話を呼び掛けた。

この付近の海域で5月12日に発生した石油タンカー4隻に対する攻撃について、米政府はイランが背後にいたとの見解を表明。イランは否定している。

これまでのところ犯行声明などは発表されていない。

国連のグテレス事務総長はタンカー攻撃について「湾岸地域での大きな対立」は看過できないとして強く非難。「事実を解明し、責任を明確にする必要がある」と述べた。

このほか米国は、民間商船への攻撃は「許されない」とし、国連安保理常任理事会に対し「非常に深刻な懸念」があると訴えた。外交筋によると、安保理はこの日に非公開会合を開き、米国が中東における「航行の安全と自由」を巡る問題を提起する計画だという。

イランと同盟関係にあるロシアは、今回の事件がイランに対する圧力を掛ける口実に利用されてはならないと警戒を呼び掛けた。

タンカー攻撃を受け、原油先物は一時4%上昇。清算値では2.2%高だった。タンカー連盟、インタータンコのパオロ・ダミコ会長は、「ホルムズ海峡は海上輸送される原油の約30%が通過する。この海域の航行が安全でなくなれば、西側諸国全体に対する原油供給はリスクにさらされる」と述べた。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/599.html#c3

[近代史02] 驚異の音質を誇ったエジソン式蓄音器が滅びた理由 中川隆
37. 中川隆[-9611] koaQ7Jey 2019年6月14日 15:02:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2860]

日本蓄音器カタログ 日本で販売された蓄音器/蓄音機のカタログです
https://chikuonki.jp/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/495.html#c37
[近代史02] 驚異の音質を誇ったエジソン式蓄音器が滅びた理由 中川隆
38. 中川隆[-9610] koaQ7Jey 2019年6月14日 16:31:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2861]

HMV蓄音機カタログ
http://umeya.bz/hmvcatalog.html

梅屋 蓄音機(for sale)
http://umeya.bz/php/gramophone/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/495.html#c38

[近代史02] 驚異の音質を誇ったエジソン式蓄音器が滅びた理由 中川隆
39. 中川隆[-9609] koaQ7Jey 2019年6月14日 16:39:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2862]

〜代表的な蓄音器〜
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/gaiyo/index.html


エジソン スタンダードB型

1901年(明治34年)〜U.S.A 蝋管用蓄音器
Model : Edison B Type
Product : Edison Co. of U.S.A


ビクター 木製ラッパ卓上蓄音器

Victor STYLE Vol.II
1902年〜1920年
(明治35年〜大正9年)
$30〜$37.50
Product : U.S.A



E.M.G.EXPRT
イギリス製手巻卓上型蓄音器

1927年(昭和2年)英国
(P.Willson Modern Gramophone)
Product : UK


ビクトローラ クレデンザ

1925年〜1928年
(大正14年〜昭和3年)
$275〜$405 VV8-30型U.S.A
1926年〜1927年
(昭和元年〜昭和2年)
$650
Model : Victrola Credenza



ビクトローラ
手巻式蓄音器 VV-300型

1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)
$250〜$315 金メッキ仕上げ
Model : Victrola VV 300
Product : U.S.A


エジソン ダイヤモンドディスク
テーブルグランド

エジソン社製。縦、横兼用蓄音器
Model : Edison Diamond Disk Table Grand



HMV 蓄音器 モデル194型

イギリス
1927年(昭和2年)〜1930年(昭和5年)
金メッキ仕上
Model : HMV Model 194


ビクトローラ 1-90型

日本ビクター蓄音器株式会社製
1929年(昭和4年)10月 国内製作販売150円
米国製作輸入価格295円
Model : Victrola 1-90
Product : Japan



HMV 手巻蓄音器 ルミエール

Model : Lumiere
Product : HMV Co. of Uk

https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/gaiyo/index.html

金沢蓄音器館
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/index.html


蓄音機の梅屋 蓄音機 LIVE!!
http://umeya.bz/gramophone.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/495.html#c39

[近代史3] 北関東蓄音機倶楽部 Sogaphon _ SP録音の CD復刻盤 は Sogaphon を取り付けた蓄音機で聴こう 中川隆
10. 中川隆[-9608] koaQ7Jey 2019年6月14日 16:45:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2863]

蓄音機の梅屋 蓄音機 LIVE演奏!!
http://umeya.bz/gramophone.html

HMV蓄音機カタログ
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梅屋 蓄音機(for sale)
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日本で販売された蓄音器/蓄音機のカタログ
https://chikuonki.jp/

▲△▽▼

〜代表的な蓄音器〜
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エジソン スタンダードB型

1901年(明治34年)〜U.S.A 蝋管用蓄音器
Model : Edison B Type
Product : Edison Co. of U.S.A


ビクター 木製ラッパ卓上蓄音器

Victor STYLE Vol.II
1902年〜1920年
(明治35年〜大正9年)
$30〜$37.50
Product : U.S.A

E.M.G.EXPRT
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1927年(昭和2年)英国
(P.Willson Modern Gramophone)
Product : UK


ビクトローラ クレデンザ

1925年〜1928年
(大正14年〜昭和3年)
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(昭和元年〜昭和2年)
$650
Model : Victrola Credenza

ビクトローラ
手巻式蓄音器 VV-300型

1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)
$250〜$315 金メッキ仕上げ
Model : Victrola VV 300
Product : U.S.A


エジソン ダイヤモンドディスク
テーブルグランド

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Model : Edison Diamond Disk Table Grand

HMV 蓄音器 モデル194型

イギリス
1927年(昭和2年)〜1930年(昭和5年)
金メッキ仕上
Model : HMV Model 194


ビクトローラ 1-90型

日本ビクター蓄音器株式会社製
1929年(昭和4年)10月 国内製作販売150円
米国製作輸入価格295円
Model : Victrola 1-90
Product : Japan

HMV 手巻蓄音器 ルミエール

Model : Lumiere
Product : HMV Co. of Uk

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/473.html#c10

[近代史3] ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事 中川隆
4. 中川隆[-9607] koaQ7Jey 2019年6月14日 16:45:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2864]


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1901年(明治34年)〜U.S.A 蝋管用蓄音器
Model : Edison B Type
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1902年〜1920年
(明治35年〜大正9年)
$30〜$37.50
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1927年(昭和2年)英国
(P.Willson Modern Gramophone)
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1925年〜1928年
(大正14年〜昭和3年)
$275〜$405 VV8-30型U.S.A
1926年〜1927年
(昭和元年〜昭和2年)
$650
Model : Victrola Credenza

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1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)
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1927年(昭和2年)〜1930年(昭和5年)
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Model : HMV Model 194


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日本ビクター蓄音器株式会社製
1929年(昭和4年)10月 国内製作販売150円
米国製作輸入価格295円
Model : Victrola 1-90
Product : Japan

HMV 手巻蓄音器 ルミエール

Model : Lumiere
Product : HMV Co. of Uk

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金沢蓄音器館
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html#c4

[リバイバル3] 元祖ブリティッシュ・サウンド _ HMV と EMG の蓄音器 中川隆
2. 中川隆[-9606] koaQ7Jey 2019年6月14日 16:46:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2865]


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エジソン スタンダードB型

1901年(明治34年)〜U.S.A 蝋管用蓄音器
Model : Edison B Type
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ビクター 木製ラッパ卓上蓄音器

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1902年〜1920年
(明治35年〜大正9年)
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1927年(昭和2年)英国
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1925年〜1928年
(大正14年〜昭和3年)
$275〜$405 VV8-30型U.S.A
1926年〜1927年
(昭和元年〜昭和2年)
$650
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ビクトローラ
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1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)
$250〜$315 金メッキ仕上げ
Model : Victrola VV 300
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エジソン ダイヤモンドディスク
テーブルグランド

エジソン社製。縦、横兼用蓄音器
Model : Edison Diamond Disk Table Grand

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1927年(昭和2年)〜1930年(昭和5年)
金メッキ仕上
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ビクトローラ 1-90型

日本ビクター蓄音器株式会社製
1929年(昭和4年)10月 国内製作販売150円
米国製作輸入価格295円
Model : Victrola 1-90
Product : Japan

HMV 手巻蓄音器 ルミエール

Model : Lumiere
Product : HMV Co. of Uk

https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/gaiyo/index.html


金沢蓄音器館
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/index.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/966.html#c2

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
103. 中川隆[-9605] koaQ7Jey 2019年6月14日 20:29:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2866]

ダイソー・キャンドゥの100円プラスチック製品から禁止有害化学物質PBDE検出――甲状腺ホルモンをかく乱し、子どもの健康害する家電リサイクルの闇
05/30 2019
http://www.mynewsjapan.com/reports/2468



最大692ppmの有機臭素系難燃剤が検出された、キャンドゥのスマートフォンフォルダー


 ダイソーやキャンドゥ等の100円ショップで売られている子ども用おもちゃ、ヘアバンド、スマホホルダーなどのプラスチックから、有機臭素系難燃剤(PBDE)が検出されたことが、NGOの調査でわかった。PBDEとは、過去にテレビやパソコンなどの筐体に火災防止の目的で使われてきたが、難分解性で蓄積性があり毒性も強いことから、国際条約で2010年(一部は2018年)に使用禁止になった。ただ、家電リサイクル法で定める中古テレビなどのリサイクルだけは例外的に認められ、再生・流通している。PBDEは甲状腺ホルモンをかく乱し、子どもの脳の発達に悪影響を及ぼすことが指摘され、プラスチックに添加されたPBDEは容易に空気中に移行し、埃などに吸着して吸い込むことで、人体に摂取される。また、おもちゃの場合、子どもがなめることで、ばく露量が増えることが懸念されている。100円ショップのプラスチックで、黒色のスチレン系のものは避けておいた方がよい。(詳しい分析結果はPDFでダウンロード可能)

【Digest】
◇100円ショッププラスチックから検出された有機臭素系難燃剤
◇有害物質も循環するプラスチックリサイクルの闇
◇甲状腺ホルモンをかく乱し子どもの脳の発達へ悪影響
◇おもちゃ、台所用品、家庭のほこりから体内へ
◇難燃剤を含むプラスチックのリサイクルを禁止するよう提言 
◇2017年の中国の輸入禁止で日本産でも危険に

◇100円ショッププラスチックから検出された有機臭素系難燃剤
 ダイソーやキャンドゥ等の100円ショップで売られているおもちゃ、ヘアバンド、スマホホルダーなど商品に使われる黒色のプラスチックから、国際条約で使用が禁止されている有機臭素系難燃剤(PBDE)が検出された。
 日本で化学物質問題に取り組むNGO「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」が、国際NGOの「国際残留性有機汚染物質廃絶ネットワーク(IPEN)」と協力して、2019年2月に100円ショップで、子ども用おもちゃ、ヘアバンド、台所用品、文房具をそれぞれ8商品ずつ、計32商品を購入。


有機臭素系難燃剤が検出された100円ショップ商品


 商品のプラスチックの部分に、臭素系難燃剤の一種であるポリ臭化ジフェニルエーテル(PBDE)が入っていないか、IPENのあるチェコ共和国プラハにある科学技術大学の研究所に依頼し分析してもらった。その結果32商品中7商品からPBDEが検出された。

 化学物質の中には、環境中で分解されにくく(難分解性)、地球上で長距離を移動して世界中を汚染し(長距離移動性)、人や野生動物などの体内に蓄積して有害影響をもたらす(高蓄積性)性質を持つものがある。

 このような化学物質は残留性有機汚染物質(Persistent Organic Pollutants 略称POPs)と名付けられ、国連主導で2001年に国際条約を採択し、世界規模で製造・使用、輸出入の禁止などの取り組みが進められている。

 PBDEは、有害物質として良く知られているポリ塩素化ビフェニル(PCBs)に構造が似ており、環境中やヒト・生物の体内に残留・蓄積することが確認されている。

 2017年に環境省が実施した「化学物質の人へのばく露量モニタリング調査結果」でも、調査対象者86人の全員の血液中から500〜8600ppmの濃度で検出されている。


出典)環境省「日本人における化学物質のばく露量について2017」より


 また、毒性としても、甲状腺ホルモンをかく乱することが指摘されており、妊娠中の母親のばく露により、生まれてきた子どもの注意力、運動能力、知能を低下させることが、動物実験や人の疫学調査などで示されている。

 そのため2009年5月に残留性有機汚染物質(POPs)条約に追加され、翌年8月から使用・製造が禁止された。(さらに臭素を原子を10個を含むものも2017年に追加され禁止になった。

 既に禁止されている有害物質が、なぜ100円ショップの商品から検出されたのか?.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。


有機臭素系難燃剤が使用された製品の国内、海外でのリサイクル。出典)廃棄物資源循環学会誌(Vo.l.22.No.2.p159~168, 2011)


http://www.mynewsjapan.com/reports/2468
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c103

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
104. 中川隆[-9607] koaQ7Jey 2019年6月14日 20:33:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2864]

敷島製パンはトランス脂肪酸漬け コンビニ独自ブランドパンではファミマとサンクスに要注意 12/15 2013
http://www.mynewsjapan.com/reports/1944



1個あたりトランス脂肪酸1g以上を含む菓子パン。詳しくは下記ランキング表を参照。
 

 

 


 トランス脂肪酸の摂取源はマーガリンだけではない。パン業界大手2社の菓子パンについてワーストランキングを作成すると、一番多い『ファボールサンド』は一個食べるだけでWHОの1日あたり推奨値1.6倍にもなるなど、PASCO(敷島製パン)製品は軒並み多かった。ヤマザキパンがマーガリンを注入したバターロールを意図的に表示から外すなど、悪質な情報隠しも明らかになった。また、独自ブランドでパンを販売するコンビニ各社の、トランス脂肪酸対策をまとめたところ、セブンイレブンが健康志向をリードする一方、ファミマとサンクスは遅れていることが分かった。人工的なトランス脂肪酸を減らせば死亡者数は推定で年約1千人減らせるが、事業者目線の食安委は「アメリカ人と日本人は違う」などと文句をつけ却下。「比較的摂取量が低いから影響は小さいと考えられる」と恣意的な結論を下し、国民の命よりも企業利益を優先している。

【Digest】
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
◇トランス脂肪酸を減らすコンビニ、減らさないコンビニ
◇日本でもトランス脂肪酸削減で年間968人の死亡者減少効果
◇数値を隠して恣意的評価を下した食安委
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
 前回の記事ではマーガリンのトランス脂肪酸を比較したが、自宅でパンに塗るマーガリンの量は大体10g。トランス脂肪酸を5%含むものでも1回で0.5g程度だ。一方、パンやお菓子などには、ふんだんにマーガリンやショートニングを含むものもある。実は、そちらの方がトランス脂肪酸の摂取源としては大きくなっている人も多いはずだ。



ヤマザキパンとPASCOのパンのトランス脂肪酸ワーストランキング。パン一個に含まれるトランス脂肪酸の量。WHOが推奨するのは、総エネルギー摂取量の1%=1日当たり約2gに相当。


 日本ではトランス脂肪酸の表示の取り組みが遅々として進まない中、唯一パン業界だけは、率先して含有量の表示に取り組んでいる。

 特に2大メーカーである山崎製パンと「PASCO」ブランドで販売する敷島製パンは、ホームページ(HP)上で主要商品の栄養成分一覧表を公開。その中に、トランス脂肪酸の含有量も表示されている。

 それらデータをもとに、パン一個に含まれるトランス脂肪酸が1g以上のパンを抽出し、多い順にランキングしたのが左図だ。

 一番多かったのは、PASCOの『ファボールサンド』で、一個食べると3.2gものトランス脂肪酸を摂取することになる。

 この数値は、WHOが推奨する総エネルギー摂取量の1%(1日当たり約2gに相当)を軽く超えてしまう。原材料名を見ると「小麦粉・ファットスプレッド・マーガリン・パン酵母…」とある。原材料名の表示は多い順番なので、上位に「ファットスブレッド・マーガリン」とあるものを避けることで、個人的な対策の目安となる。

 しかし、中には意外なものもある。ワースト2位の『サンドロール チョコレート』の場合、「小麦粉・チョコレートクリーム・糖類・マーガリン・パン酵母…」で、マーガリンは4番目とあまり多くない。

 おそらくは、チョコ―レートクリームの中にもマーガリンが使われているのであろう、と推測される。

 その逆もある。山崎製パンの『ナイススティック』は、「小麦粉・ファットスプレッド・糖類・マーガリン」と上位にファットスプレッド、マーガリンがあるのに、HPの一覧表をみるとトランス脂肪酸量は1個当たり0.4gと、意外に少ない。トランス脂肪酸が少ないファットスブレッドやマーガリンを使ってあるのでは、と推測される。

◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
 ランク表を見ると、PASCOの方がトランス脂肪酸を多く含んでいることがわかる。しかし、山崎パンの一覧表を見て、意外なことに気づいた。

 スーパーでよく見かける『ロイヤルバターロール マーガリン入り』(以下画像)がある。

 バターロールの中にマーガリンが抽入してあるものだ。原材料名をみると「小麦粉・マーガリン・糖類…」とマーガリンが2番に出てくる。いかにもトランス脂肪酸が多そうだが、HPの一覧表を探しても、この商品のデータがでていない。HPにあるのはマーガリンが入っていない「北海道産バターロール」だけだ。

 山崎製パンのお客様窓口に問い合わせた。

 ――マーガリン入りのバターロールがHPの一覧表で見当たらないんですが?

 「全部の商品が掲載されているわけではなく、代表的なものだけとなっています。バターロールでは、『北海道産バターロール8個入り』ではトランス脂肪酸は0gなのでご参考にしてください」(0gというのはこの場合100gあたり0.3g以下ということ)

 ――でも同じバーターロールでもマーガリン入りと無しの2種類があるのに、マーガリン無しの方だけ見せられて、少ないと言われてもですね。

 「はあ、マーガリン入りの方は、こちらにデータがないのでお答えできないんです」

 ――会社として分析していないということですか?

 「(確認後)、はい、分析していないのでデータが無いということでした」

 せっかく代表的なトランス脂肪酸を表示しているのに、値の高そうなパンについて分析すらしていないというのは、偽装とまでは言わないが、意図的なデータ隠しと思われても仕方がないのではないか。

 また、山崎製パンの一覧表をみると、同じマーガリンを注入した商品でも、.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。

http://www.mynewsjapan.com/reports/1944
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c104

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
293. 中川隆[-9606] koaQ7Jey 2019年6月14日 20:34:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2865]

敷島製パンはトランス脂肪酸漬け コンビニ独自ブランドパンではファミマとサンクスに要注意 12/15 2013
http://www.mynewsjapan.com/reports/1944



1個あたりトランス脂肪酸1g以上を含む菓子パン。詳しくは下記ランキング表を参照。
 

 

 


 トランス脂肪酸の摂取源はマーガリンだけではない。パン業界大手2社の菓子パンについてワーストランキングを作成すると、一番多い『ファボールサンド』は一個食べるだけでWHОの1日あたり推奨値1.6倍にもなるなど、PASCO(敷島製パン)製品は軒並み多かった。ヤマザキパンがマーガリンを注入したバターロールを意図的に表示から外すなど、悪質な情報隠しも明らかになった。また、独自ブランドでパンを販売するコンビニ各社の、トランス脂肪酸対策をまとめたところ、セブンイレブンが健康志向をリードする一方、ファミマとサンクスは遅れていることが分かった。人工的なトランス脂肪酸を減らせば死亡者数は推定で年約1千人減らせるが、事業者目線の食安委は「アメリカ人と日本人は違う」などと文句をつけ却下。「比較的摂取量が低いから影響は小さいと考えられる」と恣意的な結論を下し、国民の命よりも企業利益を優先している。

【Digest】
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
◇トランス脂肪酸を減らすコンビニ、減らさないコンビニ
◇日本でもトランス脂肪酸削減で年間968人の死亡者減少効果
◇数値を隠して恣意的評価を下した食安委
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
 前回の記事ではマーガリンのトランス脂肪酸を比較したが、自宅でパンに塗るマーガリンの量は大体10g。トランス脂肪酸を5%含むものでも1回で0.5g程度だ。一方、パンやお菓子などには、ふんだんにマーガリンやショートニングを含むものもある。実は、そちらの方がトランス脂肪酸の摂取源としては大きくなっている人も多いはずだ。



ヤマザキパンとPASCOのパンのトランス脂肪酸ワーストランキング。パン一個に含まれるトランス脂肪酸の量。WHOが推奨するのは、総エネルギー摂取量の1%=1日当たり約2gに相当。


 日本ではトランス脂肪酸の表示の取り組みが遅々として進まない中、唯一パン業界だけは、率先して含有量の表示に取り組んでいる。

 特に2大メーカーである山崎製パンと「PASCO」ブランドで販売する敷島製パンは、ホームページ(HP)上で主要商品の栄養成分一覧表を公開。その中に、トランス脂肪酸の含有量も表示されている。

 それらデータをもとに、パン一個に含まれるトランス脂肪酸が1g以上のパンを抽出し、多い順にランキングしたのが左図だ。

 一番多かったのは、PASCOの『ファボールサンド』で、一個食べると3.2gものトランス脂肪酸を摂取することになる。

 この数値は、WHOが推奨する総エネルギー摂取量の1%(1日当たり約2gに相当)を軽く超えてしまう。原材料名を見ると「小麦粉・ファットスプレッド・マーガリン・パン酵母…」とある。原材料名の表示は多い順番なので、上位に「ファットスブレッド・マーガリン」とあるものを避けることで、個人的な対策の目安となる。

 しかし、中には意外なものもある。ワースト2位の『サンドロール チョコレート』の場合、「小麦粉・チョコレートクリーム・糖類・マーガリン・パン酵母…」で、マーガリンは4番目とあまり多くない。

 おそらくは、チョコ―レートクリームの中にもマーガリンが使われているのであろう、と推測される。

 その逆もある。山崎製パンの『ナイススティック』は、「小麦粉・ファットスプレッド・糖類・マーガリン」と上位にファットスプレッド、マーガリンがあるのに、HPの一覧表をみるとトランス脂肪酸量は1個当たり0.4gと、意外に少ない。トランス脂肪酸が少ないファットスブレッドやマーガリンを使ってあるのでは、と推測される。

◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
 ランク表を見ると、PASCOの方がトランス脂肪酸を多く含んでいることがわかる。しかし、山崎パンの一覧表を見て、意外なことに気づいた。

 スーパーでよく見かける『ロイヤルバターロール マーガリン入り』(以下画像)がある。

 バターロールの中にマーガリンが抽入してあるものだ。原材料名をみると「小麦粉・マーガリン・糖類…」とマーガリンが2番に出てくる。いかにもトランス脂肪酸が多そうだが、HPの一覧表を探しても、この商品のデータがでていない。HPにあるのはマーガリンが入っていない「北海道産バターロール」だけだ。

 山崎製パンのお客様窓口に問い合わせた。

 ――マーガリン入りのバターロールがHPの一覧表で見当たらないんですが?

 「全部の商品が掲載されているわけではなく、代表的なものだけとなっています。バターロールでは、『北海道産バターロール8個入り』ではトランス脂肪酸は0gなのでご参考にしてください」(0gというのはこの場合100gあたり0.3g以下ということ)

 ――でも同じバーターロールでもマーガリン入りと無しの2種類があるのに、マーガリン無しの方だけ見せられて、少ないと言われてもですね。

 「はあ、マーガリン入りの方は、こちらにデータがないのでお答えできないんです」

 ――会社として分析していないということですか?

 「(確認後)、はい、分析していないのでデータが無いということでした」

 せっかく代表的なトランス脂肪酸を表示しているのに、値の高そうなパンについて分析すらしていないというのは、偽装とまでは言わないが、意図的なデータ隠しと思われても仕方がないのではないか。

 また、山崎製パンの一覧表をみると、同じマーガリンを注入した商品でも、.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。

http://www.mynewsjapan.com/reports/1944
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c293

[近代史3] 長生きしたけりゃパンは食べるな 中川隆
18. 中川隆[-9605] koaQ7Jey 2019年6月14日 20:35:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2866]

敷島製パンはトランス脂肪酸漬け コンビニ独自ブランドパンではファミマとサンクスに要注意 12/15 2013
http://www.mynewsjapan.com/reports/1944



1個あたりトランス脂肪酸1g以上を含む菓子パン。詳しくは下記ランキング表を参照。
 

 

 


 トランス脂肪酸の摂取源はマーガリンだけではない。パン業界大手2社の菓子パンについてワーストランキングを作成すると、一番多い『ファボールサンド』は一個食べるだけでWHОの1日あたり推奨値1.6倍にもなるなど、PASCO(敷島製パン)製品は軒並み多かった。ヤマザキパンがマーガリンを注入したバターロールを意図的に表示から外すなど、悪質な情報隠しも明らかになった。また、独自ブランドでパンを販売するコンビニ各社の、トランス脂肪酸対策をまとめたところ、セブンイレブンが健康志向をリードする一方、ファミマとサンクスは遅れていることが分かった。人工的なトランス脂肪酸を減らせば死亡者数は推定で年約1千人減らせるが、事業者目線の食安委は「アメリカ人と日本人は違う」などと文句をつけ却下。「比較的摂取量が低いから影響は小さいと考えられる」と恣意的な結論を下し、国民の命よりも企業利益を優先している。

【Digest】
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
◇トランス脂肪酸を減らすコンビニ、減らさないコンビニ
◇日本でもトランス脂肪酸削減で年間968人の死亡者減少効果
◇数値を隠して恣意的評価を下した食安委
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
 前回の記事ではマーガリンのトランス脂肪酸を比較したが、自宅でパンに塗るマーガリンの量は大体10g。トランス脂肪酸を5%含むものでも1回で0.5g程度だ。一方、パンやお菓子などには、ふんだんにマーガリンやショートニングを含むものもある。実は、そちらの方がトランス脂肪酸の摂取源としては大きくなっている人も多いはずだ。



ヤマザキパンとPASCOのパンのトランス脂肪酸ワーストランキング。パン一個に含まれるトランス脂肪酸の量。WHOが推奨するのは、総エネルギー摂取量の1%=1日当たり約2gに相当。


 日本ではトランス脂肪酸の表示の取り組みが遅々として進まない中、唯一パン業界だけは、率先して含有量の表示に取り組んでいる。

 特に2大メーカーである山崎製パンと「PASCO」ブランドで販売する敷島製パンは、ホームページ(HP)上で主要商品の栄養成分一覧表を公開。その中に、トランス脂肪酸の含有量も表示されている。

 それらデータをもとに、パン一個に含まれるトランス脂肪酸が1g以上のパンを抽出し、多い順にランキングしたのが左図だ。

 一番多かったのは、PASCOの『ファボールサンド』で、一個食べると3.2gものトランス脂肪酸を摂取することになる。

 この数値は、WHOが推奨する総エネルギー摂取量の1%(1日当たり約2gに相当)を軽く超えてしまう。原材料名を見ると「小麦粉・ファットスプレッド・マーガリン・パン酵母…」とある。原材料名の表示は多い順番なので、上位に「ファットスブレッド・マーガリン」とあるものを避けることで、個人的な対策の目安となる。

 しかし、中には意外なものもある。ワースト2位の『サンドロール チョコレート』の場合、「小麦粉・チョコレートクリーム・糖類・マーガリン・パン酵母…」で、マーガリンは4番目とあまり多くない。

 おそらくは、チョコ―レートクリームの中にもマーガリンが使われているのであろう、と推測される。

 その逆もある。山崎製パンの『ナイススティック』は、「小麦粉・ファットスプレッド・糖類・マーガリン」と上位にファットスプレッド、マーガリンがあるのに、HPの一覧表をみるとトランス脂肪酸量は1個当たり0.4gと、意外に少ない。トランス脂肪酸が少ないファットスブレッドやマーガリンを使ってあるのでは、と推測される。

◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
 ランク表を見ると、PASCOの方がトランス脂肪酸を多く含んでいることがわかる。しかし、山崎パンの一覧表を見て、意外なことに気づいた。

 スーパーでよく見かける『ロイヤルバターロール マーガリン入り』(以下画像)がある。

 バターロールの中にマーガリンが抽入してあるものだ。原材料名をみると「小麦粉・マーガリン・糖類…」とマーガリンが2番に出てくる。いかにもトランス脂肪酸が多そうだが、HPの一覧表を探しても、この商品のデータがでていない。HPにあるのはマーガリンが入っていない「北海道産バターロール」だけだ。

 山崎製パンのお客様窓口に問い合わせた。

 ――マーガリン入りのバターロールがHPの一覧表で見当たらないんですが?

 「全部の商品が掲載されているわけではなく、代表的なものだけとなっています。バターロールでは、『北海道産バターロール8個入り』ではトランス脂肪酸は0gなのでご参考にしてください」(0gというのはこの場合100gあたり0.3g以下ということ)

 ――でも同じバーターロールでもマーガリン入りと無しの2種類があるのに、マーガリン無しの方だけ見せられて、少ないと言われてもですね。

 「はあ、マーガリン入りの方は、こちらにデータがないのでお答えできないんです」

 ――会社として分析していないということですか?

 「(確認後)、はい、分析していないのでデータが無いということでした」

 せっかく代表的なトランス脂肪酸を表示しているのに、値の高そうなパンについて分析すらしていないというのは、偽装とまでは言わないが、意図的なデータ隠しと思われても仕方がないのではないか。

 また、山崎製パンの一覧表をみると、同じマーガリンを注入した商品でも、.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。

http://www.mynewsjapan.com/reports/1944
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html#c18

[リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
16. 中川隆[-9604] koaQ7Jey 2019年6月14日 20:35:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2867]

敷島製パンはトランス脂肪酸漬け コンビニ独自ブランドパンではファミマとサンクスに要注意 12/15 2013
http://www.mynewsjapan.com/reports/1944



1個あたりトランス脂肪酸1g以上を含む菓子パン。詳しくは下記ランキング表を参照。
 

 

 


 トランス脂肪酸の摂取源はマーガリンだけではない。パン業界大手2社の菓子パンについてワーストランキングを作成すると、一番多い『ファボールサンド』は一個食べるだけでWHОの1日あたり推奨値1.6倍にもなるなど、PASCO(敷島製パン)製品は軒並み多かった。ヤマザキパンがマーガリンを注入したバターロールを意図的に表示から外すなど、悪質な情報隠しも明らかになった。また、独自ブランドでパンを販売するコンビニ各社の、トランス脂肪酸対策をまとめたところ、セブンイレブンが健康志向をリードする一方、ファミマとサンクスは遅れていることが分かった。人工的なトランス脂肪酸を減らせば死亡者数は推定で年約1千人減らせるが、事業者目線の食安委は「アメリカ人と日本人は違う」などと文句をつけ却下。「比較的摂取量が低いから影響は小さいと考えられる」と恣意的な結論を下し、国民の命よりも企業利益を優先している。

【Digest】
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
◇トランス脂肪酸を減らすコンビニ、減らさないコンビニ
◇日本でもトランス脂肪酸削減で年間968人の死亡者減少効果
◇数値を隠して恣意的評価を下した食安委
◇トランス脂肪酸の多いパン・少ないパン
 前回の記事ではマーガリンのトランス脂肪酸を比較したが、自宅でパンに塗るマーガリンの量は大体10g。トランス脂肪酸を5%含むものでも1回で0.5g程度だ。一方、パンやお菓子などには、ふんだんにマーガリンやショートニングを含むものもある。実は、そちらの方がトランス脂肪酸の摂取源としては大きくなっている人も多いはずだ。



ヤマザキパンとPASCOのパンのトランス脂肪酸ワーストランキング。パン一個に含まれるトランス脂肪酸の量。WHOが推奨するのは、総エネルギー摂取量の1%=1日当たり約2gに相当。


 日本ではトランス脂肪酸の表示の取り組みが遅々として進まない中、唯一パン業界だけは、率先して含有量の表示に取り組んでいる。

 特に2大メーカーである山崎製パンと「PASCO」ブランドで販売する敷島製パンは、ホームページ(HP)上で主要商品の栄養成分一覧表を公開。その中に、トランス脂肪酸の含有量も表示されている。

 それらデータをもとに、パン一個に含まれるトランス脂肪酸が1g以上のパンを抽出し、多い順にランキングしたのが左図だ。

 一番多かったのは、PASCOの『ファボールサンド』で、一個食べると3.2gものトランス脂肪酸を摂取することになる。

 この数値は、WHOが推奨する総エネルギー摂取量の1%(1日当たり約2gに相当)を軽く超えてしまう。原材料名を見ると「小麦粉・ファットスプレッド・マーガリン・パン酵母…」とある。原材料名の表示は多い順番なので、上位に「ファットスブレッド・マーガリン」とあるものを避けることで、個人的な対策の目安となる。

 しかし、中には意外なものもある。ワースト2位の『サンドロール チョコレート』の場合、「小麦粉・チョコレートクリーム・糖類・マーガリン・パン酵母…」で、マーガリンは4番目とあまり多くない。

 おそらくは、チョコ―レートクリームの中にもマーガリンが使われているのであろう、と推測される。

 その逆もある。山崎製パンの『ナイススティック』は、「小麦粉・ファットスプレッド・糖類・マーガリン」と上位にファットスプレッド、マーガリンがあるのに、HPの一覧表をみるとトランス脂肪酸量は1個当たり0.4gと、意外に少ない。トランス脂肪酸が少ないファットスブレッドやマーガリンを使ってあるのでは、と推測される。

◇マーガリン抽入パンの含有量を隠す山崎パン
 ランク表を見ると、PASCOの方がトランス脂肪酸を多く含んでいることがわかる。しかし、山崎パンの一覧表を見て、意外なことに気づいた。

 スーパーでよく見かける『ロイヤルバターロール マーガリン入り』(以下画像)がある。

 バターロールの中にマーガリンが抽入してあるものだ。原材料名をみると「小麦粉・マーガリン・糖類…」とマーガリンが2番に出てくる。いかにもトランス脂肪酸が多そうだが、HPの一覧表を探しても、この商品のデータがでていない。HPにあるのはマーガリンが入っていない「北海道産バターロール」だけだ。

 山崎製パンのお客様窓口に問い合わせた。

 ――マーガリン入りのバターロールがHPの一覧表で見当たらないんですが?

 「全部の商品が掲載されているわけではなく、代表的なものだけとなっています。バターロールでは、『北海道産バターロール8個入り』ではトランス脂肪酸は0gなのでご参考にしてください」(0gというのはこの場合100gあたり0.3g以下ということ)

 ――でも同じバーターロールでもマーガリン入りと無しの2種類があるのに、マーガリン無しの方だけ見せられて、少ないと言われてもですね。

 「はあ、マーガリン入りの方は、こちらにデータがないのでお答えできないんです」

 ――会社として分析していないということですか?

 「(確認後)、はい、分析していないのでデータが無いということでした」

 せっかく代表的なトランス脂肪酸を表示しているのに、値の高そうなパンについて分析すらしていないというのは、偽装とまでは言わないが、意図的なデータ隠しと思われても仕方がないのではないか。

 また、山崎製パンの一覧表をみると、同じマーガリンを注入した商品でも、.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。

http://www.mynewsjapan.com/reports/1944
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c16

[国際26] 安倍首相がイランを訪問している最中に引き起こされたタンカー攻撃(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9609] koaQ7Jey 2019年6月14日 22:24:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2862]
櫻井ジャーナルに騙されるな

櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ



http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/605.html#c1

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
155. 中川隆[-9608] koaQ7Jey 2019年6月14日 22:29:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2863]

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。




ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。

謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c155

[近代史3] 馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた 中川隆
14. 中川隆[-9607] koaQ7Jey 2019年6月14日 22:30:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2864]

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。




ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。

謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html#c14

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
14. 中川隆[-9606] koaQ7Jey 2019年6月14日 22:32:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2865]

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。




ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。

謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c14

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
32. 中川隆[-9608] koaQ7Jey 2019年6月14日 22:32:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2863]

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。




ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。

謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c32

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
31. 中川隆[-9607] koaQ7Jey 2019年6月14日 22:33:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2864]

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。




ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。

謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c31

[政治・選挙・NHK261] 安倍首相がイランを訪問している最中に引き起こされたタンカー攻撃(櫻井ジャーナル) :国際板リンク 赤かぶ
1. 中川隆[-9606] koaQ7Jey 2019年6月14日 23:34:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2865]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/866.html#c1

[昼休み54] 櫻井ジャーナルに騙されるな 中川隆
8. 中川隆[-9608] koaQ7Jey 2019年6月15日 07:48:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2863]

今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。


謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


▲△▽▼

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/421.html#c8

[近代史3] 櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか? 中川隆
34. 中川隆[-9607] koaQ7Jey 2019年6月15日 07:49:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2864]

今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本


プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。


謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


▲△▽▼

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c34

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
105. 中川隆[-9606] koaQ7Jey 2019年6月15日 11:41:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2865]
2018/04/23
害のあるイーストフードを使い大量生産されるパンは農薬を大量に使った野菜のようなものです。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html

近所に天然酵母でパンを焼いているお店があります。

そこの方と話していたら、ここ数年「お宅のパンはイーストを使っているの?」と聞かれることが多くなったと言います。

イーストとイーストフードは全く別物!イーストとイーストフードの使い方とは?
whole-wheat-bread-2640992_960_720
CMで見かける大手パンメーカーも最近は『イーストフード・乳化剤不使用』のようなアピールをしています。
これは消費者が原材料に興味を持ち、企業や店舗に問い合わせたり、使用原料によっては“買わない”ことが増えてきたからだと思います。
ところが、そのパン屋さんの話だと「イーストとイーストフードを混同している人が多く、説明しても分かってもらえなかったことがある」とやや困惑気味に言います。


イースト
bread-2559313_640

“アルコール発酵する酵母の総称”

ワイン酵母、ビール酵母、味噌酵母、醤油酵母などなど
すべてワインイースト、ビールイーストとも言えるわけです。

日本では“イースト”というとパン用酵母というイメージが強いですが、
基本的に『酵母=イースト』です。

健康食品の“大麦酵母”やパンに“ぶどう酵母”や“りんご酵母”を使用するように、酵母は穀物や野菜・果物に存在します。

bread-725874_640
昔のパン職人はそれらの酵母を、時には数種類組み合わせて発酵種を作り、パンを焼いてきました。
酵母の組み合わせは、使用する水や小麦によっても変わり、発酵時間や味にも違いが出てくるので、そこが腕の見せ所です。

どんな酵母にも言えることですが、空気中に常在する菌の影響によって味や香りに変化が出てくることがあります。

最悪の場合、”発酵”ではなく”腐敗”してしまうこともあり、本来は扱いが非常に難しいのです。

work-1713103_640
時は産業革命の真っ最中の頃に遡ります。
労働力の向上に、十分な栄養=食糧の確保は大きな問題でした。
そこで工業技術の発展は、欧米の主食であったパンにも取り入れられました。

数ある酵母から


1.短時間で一気に発酵が進む
2.環境による影響を受けにくい
3.仕上がりが均一

このような特徴を持った”大量生産用パン酵母”を選択培養したわけです。

bread-19669_640
これによって長時間かつ重労働だったパン屋さんの労働環境は、格段に改善されました。
また職人の高い技術を必要としていたパン作りの現場に、経験の浅い人材を採用することが出来、生産拡大につながりました。

するとさらに効率良く、大量に生産するために“イーストフード”が登場します。


イーストフード
question-mark-2318043_640

”発酵を爆発的に進めるために与える肥料のようなもの”
「上手いネーミングを考えたなあ」と感心している場合ではありませんが、冒頭のパン屋さん曰く『食用イースト』と受け止めている方もいたそうです。
直訳すれば『イーストの食べ物』ですが、成分的には『イーストの肥料』と表現する方が近いと思います。

現在日本国内で、『イーストフード』と一括表記できるものは16種類指定されています。
このうち1つだけを使用しても、数種類使用しても『イーストフード』とだけ表記すれば良いことになっていますが、平均3〜5種類くらいを組み合わせています。


16種類のうち焼成カルシウムだけは天然由来の原料ですが、あとは塩化アンモニウムやグルコン酸カリウム等、工業的に精製されたものです。

crop-1149914_640
化学肥料の三大成分『リン・カリウム・窒素』を農作物に与えるのと同じ発想でパン生地に加えます。
近年、安全性が議論されているのは、このイーストフードの方です。
机上計算では、イーストが食べきるし、そのあと高温で焼くから安全ということになっています。


もう一つの嘆きは切実!「天然酵母で発酵できるまともな小麦粉を入手するのが難しい」
『店内で焼いているから』『〇〇不使用だから』でも安心できない理由
peanut-butter-cookies-746587_640
小麦粉市場は、イーストフードを使う前提で製粉されたものや「クレームが起こりづらい」というのがウリの漂白小麦粉が主流になっています。
また同時に機械でこねたり、冷凍しても劣化しづらくなる『小麦改良材』が混ぜてあります。

改良剤も色々種類があり、


○さくっとした食感になるもの
○ふんわりした食感が維持できるが、輸送・陳列で崩れにくくなるもの
○乳化剤の代わりになるもの

などかなり増えました。

そして共通しているのは、どれも『加熱すれば原材料表記しなくて良い』ことです。
このような小麦を使えば、後から乳化剤を加える必要はありませんから『乳化剤不使用』と書けます。

cooking-2065146_640
また「店内で焼いている」という場合も、パッケージ販売しない限り原材料表記義務が不要になる上、
セントラルキッチンから配送された冷凍生地を焼いているだけなので、かえって不安材料が増えます。

しかし”色々手が加えられた小麦粉”は、天然酵母で上手く発酵できないと言います。


まるで農薬まみれの野菜のようです。
小麦粉は、植物の中でも最も強いパワーを秘めた種子部分を製粉したものです。
それなのに本来の力を失い、天然の酵母類には反応できなくなっている事実は見逃せません。


”化学肥料”を食べたイーストの健康状態は?
bake-71700_640
イーストは生き物ですから、私たちと同じように食べ物(活動エネルギー源)の質が活動に影響します。
だから天然酵母を起こす時も、気温や湿度、常在菌とのバランス等、細心の注意が必要なわけです。

しかし自然な酵母で発酵できなくなっている”不自然な小麦粉”には、イーストフード(肥料)が必要不可欠です。


その結果は?
私たちも酸化した油や添加物いっぱいの加工食品を食べた後、胸焼けを起こしたりお腹の調子が悪くなりますよね。
それと同じように、本来のエネルギー源ではないイーストフードを代謝した後、イーストに起こり得ることはある程度想像できます。

そして想定していない物質が生成されることも考えられます。
しかし残念ながら、急性症状が問題にならない限り、関連性を検証されることはないでしょう。
極めて短期間で肥育・出荷される家畜の健康状態を検証することがないのと同じです。


パンと牛乳で、鼻につく薬品臭と吐き気を感じた恐ろしい経験
bread-1284312_640
何年も前になりますが、入院・手術を経て暫く自宅療養していたことがあります。
まだ買い物に出歩くのも無理だったので、友人に頼んで牛乳やパン等を近くのスーパーで買ってきてもらいました。

久しぶりのパン食に、喜んで袋を開けましたが、いきなり薬品臭が鼻を突きました。
それまで特売の時は喜んで買っていた商品です。

気のせいかと思い、気にせず口に入れたら、舌に乗せた瞬間吐き気を催したのです。
一緒に食べていた知人は、何もなかったように食べています。

「なんか変な匂いしない?」と聞いても「別に・・・」

続いて牛乳を一口含むと、口いっぱいに生臭さが広がり、焦げ臭い後味も残ります。

「この牛乳、生臭くない?」
「全然!さっき買ってきたばかりじゃない」

chair-2584260_640
この数日後、歯の詰め物が取れて歯医者さんへ行った時、牛乳を飲んだ時に感じた生臭さとそっくりな匂いを経験します。
それは治療中、歯肉から血が出た時です。

牛乳が母牛の“血“から作られるものであることを、思い出した瞬間です。
同時にパンから感じた吐き気を催す物質の正体は、イーストの異常ではないかと考えました。

これ以降、手軽に買えるパンや牛乳は体が受け付けなくなりました。

元気な時には気にならなかった身体の異常に気がついた瞬間でした。

病気と闘う時、全身の細胞の危機管理能力が高まることを実感したのでした。
普段は気がつかない「違和感」に気がつくことができる病気に罹るのも、悪いことばかりではありません。


まとめ:私たちの新たな課題
basket-1800742_640
大量生産されるパンはイーストフードの他にも、問題の多い原材料がいくつもあります。


○防カビ剤・漂白剤使用及び改良剤入り小麦粉
○マーガリン・ファットスプレット・ショートニング等の硬化油
○ソルビン酸カリウム・リン酸塩などの保存料
○香料
○カラメル色素

どれもIN YOU読者の皆さんにはお馴染みの成分でしょう。
しかし今後は、表記に出ない成分にも注意です。

情報を得ることも大切です。

でもそれ以上に、私たちが自然に、感じ取る力。
そして、不自然な食品を感じる味覚や体の違和感を養うことも忘れてはなりません。

オススメの無農薬グルテンフリー・パンを食べてみよう。
1228150600_5a4489c89e874

小麦粉でも米粉でもない、たんぱく質や食物繊維を豊富に含んだ高栄養価の農薬不使用の「そば粉」を使ったパン
今すぐここをクリック!

東京から長野に引越した西村さんが作る長野県産のそば粉で作るパン。
試行錯誤の結果できた「そば粉のパン」。ヘルスコンシャスな方が多いINYOUの読者の方も、「そば粉のパン」を食べたことがある方は少ないのでは?

実は西村さん自身も長野に引っ越して初めてそば粉のパンと出会ったそう。
最初にそば粉で作るパンを習ってから、どう組み合わせると美味しいパンになるか?と研究を重ねたのだとか。

米粉や小麦粉の配合はもちろん、そば粉に至っては20種類ものそば粉を試し、試行錯誤を繰り返したそうです。
そんな試作を繰り返した結果出来上がったのが、それぞれそば粉の種類も割合も違う3種類の食パン。

全てオーガニックの原料です。さらにそば粉、菜種油、蕎麦の実は長野産。
蕎麦の風味を強く感じることができ、飽きない美味しさのパンです。

食べるときにカットし、トースターで温めるのがオススメ。
サクッと焼くより、ほんわり温める程度にするのがベストです。


オススメの記事
25年間できるのが当たり前だと思っていた口内炎。原因は大好きなパンと麺でした。これならあなたもできる!グルテンフリーならぬ「ゆるテンフリー」生活の始め方。

毎朝のパンをやめただけで寝ても治らない程の酷いむくみから解放された私。昔からある食品にもグルテンは入っていたのになぜ今グルテンフリーなのか。

昔の人にはおりものがなかった!?朝食をパン→和食に変えてすぐに起こった娘たちの驚くべき変化をご紹介します。「オリモノがでることが普通」だと思っている全ての方へ。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c105

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
294. 中川隆[-9605] koaQ7Jey 2019年6月15日 11:41:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2866]
2018/04/23
害のあるイーストフードを使い大量生産されるパンは農薬を大量に使った野菜のようなものです。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html

近所に天然酵母でパンを焼いているお店があります。

そこの方と話していたら、ここ数年「お宅のパンはイーストを使っているの?」と聞かれることが多くなったと言います。

イーストとイーストフードは全く別物!イーストとイーストフードの使い方とは?
whole-wheat-bread-2640992_960_720
CMで見かける大手パンメーカーも最近は『イーストフード・乳化剤不使用』のようなアピールをしています。
これは消費者が原材料に興味を持ち、企業や店舗に問い合わせたり、使用原料によっては“買わない”ことが増えてきたからだと思います。
ところが、そのパン屋さんの話だと「イーストとイーストフードを混同している人が多く、説明しても分かってもらえなかったことがある」とやや困惑気味に言います。


イースト
bread-2559313_640

“アルコール発酵する酵母の総称”

ワイン酵母、ビール酵母、味噌酵母、醤油酵母などなど
すべてワインイースト、ビールイーストとも言えるわけです。

日本では“イースト”というとパン用酵母というイメージが強いですが、
基本的に『酵母=イースト』です。

健康食品の“大麦酵母”やパンに“ぶどう酵母”や“りんご酵母”を使用するように、酵母は穀物や野菜・果物に存在します。

bread-725874_640
昔のパン職人はそれらの酵母を、時には数種類組み合わせて発酵種を作り、パンを焼いてきました。
酵母の組み合わせは、使用する水や小麦によっても変わり、発酵時間や味にも違いが出てくるので、そこが腕の見せ所です。

どんな酵母にも言えることですが、空気中に常在する菌の影響によって味や香りに変化が出てくることがあります。

最悪の場合、”発酵”ではなく”腐敗”してしまうこともあり、本来は扱いが非常に難しいのです。

work-1713103_640
時は産業革命の真っ最中の頃に遡ります。
労働力の向上に、十分な栄養=食糧の確保は大きな問題でした。
そこで工業技術の発展は、欧米の主食であったパンにも取り入れられました。

数ある酵母から


1.短時間で一気に発酵が進む
2.環境による影響を受けにくい
3.仕上がりが均一

このような特徴を持った”大量生産用パン酵母”を選択培養したわけです。

bread-19669_640
これによって長時間かつ重労働だったパン屋さんの労働環境は、格段に改善されました。
また職人の高い技術を必要としていたパン作りの現場に、経験の浅い人材を採用することが出来、生産拡大につながりました。

するとさらに効率良く、大量に生産するために“イーストフード”が登場します。


イーストフード
question-mark-2318043_640

”発酵を爆発的に進めるために与える肥料のようなもの”
「上手いネーミングを考えたなあ」と感心している場合ではありませんが、冒頭のパン屋さん曰く『食用イースト』と受け止めている方もいたそうです。
直訳すれば『イーストの食べ物』ですが、成分的には『イーストの肥料』と表現する方が近いと思います。

現在日本国内で、『イーストフード』と一括表記できるものは16種類指定されています。
このうち1つだけを使用しても、数種類使用しても『イーストフード』とだけ表記すれば良いことになっていますが、平均3〜5種類くらいを組み合わせています。


16種類のうち焼成カルシウムだけは天然由来の原料ですが、あとは塩化アンモニウムやグルコン酸カリウム等、工業的に精製されたものです。

crop-1149914_640
化学肥料の三大成分『リン・カリウム・窒素』を農作物に与えるのと同じ発想でパン生地に加えます。
近年、安全性が議論されているのは、このイーストフードの方です。
机上計算では、イーストが食べきるし、そのあと高温で焼くから安全ということになっています。


もう一つの嘆きは切実!「天然酵母で発酵できるまともな小麦粉を入手するのが難しい」
『店内で焼いているから』『〇〇不使用だから』でも安心できない理由
peanut-butter-cookies-746587_640
小麦粉市場は、イーストフードを使う前提で製粉されたものや「クレームが起こりづらい」というのがウリの漂白小麦粉が主流になっています。
また同時に機械でこねたり、冷凍しても劣化しづらくなる『小麦改良材』が混ぜてあります。

改良剤も色々種類があり、


○さくっとした食感になるもの
○ふんわりした食感が維持できるが、輸送・陳列で崩れにくくなるもの
○乳化剤の代わりになるもの

などかなり増えました。

そして共通しているのは、どれも『加熱すれば原材料表記しなくて良い』ことです。
このような小麦を使えば、後から乳化剤を加える必要はありませんから『乳化剤不使用』と書けます。

cooking-2065146_640
また「店内で焼いている」という場合も、パッケージ販売しない限り原材料表記義務が不要になる上、
セントラルキッチンから配送された冷凍生地を焼いているだけなので、かえって不安材料が増えます。

しかし”色々手が加えられた小麦粉”は、天然酵母で上手く発酵できないと言います。


まるで農薬まみれの野菜のようです。
小麦粉は、植物の中でも最も強いパワーを秘めた種子部分を製粉したものです。
それなのに本来の力を失い、天然の酵母類には反応できなくなっている事実は見逃せません。


”化学肥料”を食べたイーストの健康状態は?
bake-71700_640
イーストは生き物ですから、私たちと同じように食べ物(活動エネルギー源)の質が活動に影響します。
だから天然酵母を起こす時も、気温や湿度、常在菌とのバランス等、細心の注意が必要なわけです。

しかし自然な酵母で発酵できなくなっている”不自然な小麦粉”には、イーストフード(肥料)が必要不可欠です。


その結果は?
私たちも酸化した油や添加物いっぱいの加工食品を食べた後、胸焼けを起こしたりお腹の調子が悪くなりますよね。
それと同じように、本来のエネルギー源ではないイーストフードを代謝した後、イーストに起こり得ることはある程度想像できます。

そして想定していない物質が生成されることも考えられます。
しかし残念ながら、急性症状が問題にならない限り、関連性を検証されることはないでしょう。
極めて短期間で肥育・出荷される家畜の健康状態を検証することがないのと同じです。


パンと牛乳で、鼻につく薬品臭と吐き気を感じた恐ろしい経験
bread-1284312_640
何年も前になりますが、入院・手術を経て暫く自宅療養していたことがあります。
まだ買い物に出歩くのも無理だったので、友人に頼んで牛乳やパン等を近くのスーパーで買ってきてもらいました。

久しぶりのパン食に、喜んで袋を開けましたが、いきなり薬品臭が鼻を突きました。
それまで特売の時は喜んで買っていた商品です。

気のせいかと思い、気にせず口に入れたら、舌に乗せた瞬間吐き気を催したのです。
一緒に食べていた知人は、何もなかったように食べています。

「なんか変な匂いしない?」と聞いても「別に・・・」

続いて牛乳を一口含むと、口いっぱいに生臭さが広がり、焦げ臭い後味も残ります。

「この牛乳、生臭くない?」
「全然!さっき買ってきたばかりじゃない」

chair-2584260_640
この数日後、歯の詰め物が取れて歯医者さんへ行った時、牛乳を飲んだ時に感じた生臭さとそっくりな匂いを経験します。
それは治療中、歯肉から血が出た時です。

牛乳が母牛の“血“から作られるものであることを、思い出した瞬間です。
同時にパンから感じた吐き気を催す物質の正体は、イーストの異常ではないかと考えました。

これ以降、手軽に買えるパンや牛乳は体が受け付けなくなりました。

元気な時には気にならなかった身体の異常に気がついた瞬間でした。

病気と闘う時、全身の細胞の危機管理能力が高まることを実感したのでした。
普段は気がつかない「違和感」に気がつくことができる病気に罹るのも、悪いことばかりではありません。


まとめ:私たちの新たな課題
basket-1800742_640
大量生産されるパンはイーストフードの他にも、問題の多い原材料がいくつもあります。


○防カビ剤・漂白剤使用及び改良剤入り小麦粉
○マーガリン・ファットスプレット・ショートニング等の硬化油
○ソルビン酸カリウム・リン酸塩などの保存料
○香料
○カラメル色素

どれもIN YOU読者の皆さんにはお馴染みの成分でしょう。
しかし今後は、表記に出ない成分にも注意です。

情報を得ることも大切です。

でもそれ以上に、私たちが自然に、感じ取る力。
そして、不自然な食品を感じる味覚や体の違和感を養うことも忘れてはなりません。

オススメの無農薬グルテンフリー・パンを食べてみよう。
1228150600_5a4489c89e874

小麦粉でも米粉でもない、たんぱく質や食物繊維を豊富に含んだ高栄養価の農薬不使用の「そば粉」を使ったパン
今すぐここをクリック!

東京から長野に引越した西村さんが作る長野県産のそば粉で作るパン。
試行錯誤の結果できた「そば粉のパン」。ヘルスコンシャスな方が多いINYOUの読者の方も、「そば粉のパン」を食べたことがある方は少ないのでは?

実は西村さん自身も長野に引っ越して初めてそば粉のパンと出会ったそう。
最初にそば粉で作るパンを習ってから、どう組み合わせると美味しいパンになるか?と研究を重ねたのだとか。

米粉や小麦粉の配合はもちろん、そば粉に至っては20種類ものそば粉を試し、試行錯誤を繰り返したそうです。
そんな試作を繰り返した結果出来上がったのが、それぞれそば粉の種類も割合も違う3種類の食パン。

全てオーガニックの原料です。さらにそば粉、菜種油、蕎麦の実は長野産。
蕎麦の風味を強く感じることができ、飽きない美味しさのパンです。

食べるときにカットし、トースターで温めるのがオススメ。
サクッと焼くより、ほんわり温める程度にするのがベストです。


オススメの記事
25年間できるのが当たり前だと思っていた口内炎。原因は大好きなパンと麺でした。これならあなたもできる!グルテンフリーならぬ「ゆるテンフリー」生活の始め方。

毎朝のパンをやめただけで寝ても治らない程の酷いむくみから解放された私。昔からある食品にもグルテンは入っていたのになぜ今グルテンフリーなのか。

昔の人にはおりものがなかった!?朝食をパン→和食に変えてすぐに起こった娘たちの驚くべき変化をご紹介します。「オリモノがでることが普通」だと思っている全ての方へ。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c294

[リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
17. 中川隆[-9604] koaQ7Jey 2019年6月15日 11:42:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2867]
2018/04/23
害のあるイーストフードを使い大量生産されるパンは農薬を大量に使った野菜のようなものです。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html

近所に天然酵母でパンを焼いているお店があります。

そこの方と話していたら、ここ数年「お宅のパンはイーストを使っているの?」と聞かれることが多くなったと言います。

イーストとイーストフードは全く別物!イーストとイーストフードの使い方とは?
whole-wheat-bread-2640992_960_720
CMで見かける大手パンメーカーも最近は『イーストフード・乳化剤不使用』のようなアピールをしています。
これは消費者が原材料に興味を持ち、企業や店舗に問い合わせたり、使用原料によっては“買わない”ことが増えてきたからだと思います。
ところが、そのパン屋さんの話だと「イーストとイーストフードを混同している人が多く、説明しても分かってもらえなかったことがある」とやや困惑気味に言います。


イースト
bread-2559313_640

“アルコール発酵する酵母の総称”

ワイン酵母、ビール酵母、味噌酵母、醤油酵母などなど
すべてワインイースト、ビールイーストとも言えるわけです。

日本では“イースト”というとパン用酵母というイメージが強いですが、
基本的に『酵母=イースト』です。

健康食品の“大麦酵母”やパンに“ぶどう酵母”や“りんご酵母”を使用するように、酵母は穀物や野菜・果物に存在します。

bread-725874_640
昔のパン職人はそれらの酵母を、時には数種類組み合わせて発酵種を作り、パンを焼いてきました。
酵母の組み合わせは、使用する水や小麦によっても変わり、発酵時間や味にも違いが出てくるので、そこが腕の見せ所です。

どんな酵母にも言えることですが、空気中に常在する菌の影響によって味や香りに変化が出てくることがあります。

最悪の場合、”発酵”ではなく”腐敗”してしまうこともあり、本来は扱いが非常に難しいのです。

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時は産業革命の真っ最中の頃に遡ります。
労働力の向上に、十分な栄養=食糧の確保は大きな問題でした。
そこで工業技術の発展は、欧米の主食であったパンにも取り入れられました。

数ある酵母から


1.短時間で一気に発酵が進む
2.環境による影響を受けにくい
3.仕上がりが均一

このような特徴を持った”大量生産用パン酵母”を選択培養したわけです。

bread-19669_640
これによって長時間かつ重労働だったパン屋さんの労働環境は、格段に改善されました。
また職人の高い技術を必要としていたパン作りの現場に、経験の浅い人材を採用することが出来、生産拡大につながりました。

するとさらに効率良く、大量に生産するために“イーストフード”が登場します。


イーストフード
question-mark-2318043_640

”発酵を爆発的に進めるために与える肥料のようなもの”
「上手いネーミングを考えたなあ」と感心している場合ではありませんが、冒頭のパン屋さん曰く『食用イースト』と受け止めている方もいたそうです。
直訳すれば『イーストの食べ物』ですが、成分的には『イーストの肥料』と表現する方が近いと思います。

現在日本国内で、『イーストフード』と一括表記できるものは16種類指定されています。
このうち1つだけを使用しても、数種類使用しても『イーストフード』とだけ表記すれば良いことになっていますが、平均3〜5種類くらいを組み合わせています。


16種類のうち焼成カルシウムだけは天然由来の原料ですが、あとは塩化アンモニウムやグルコン酸カリウム等、工業的に精製されたものです。

crop-1149914_640
化学肥料の三大成分『リン・カリウム・窒素』を農作物に与えるのと同じ発想でパン生地に加えます。
近年、安全性が議論されているのは、このイーストフードの方です。
机上計算では、イーストが食べきるし、そのあと高温で焼くから安全ということになっています。


もう一つの嘆きは切実!「天然酵母で発酵できるまともな小麦粉を入手するのが難しい」
『店内で焼いているから』『〇〇不使用だから』でも安心できない理由
peanut-butter-cookies-746587_640
小麦粉市場は、イーストフードを使う前提で製粉されたものや「クレームが起こりづらい」というのがウリの漂白小麦粉が主流になっています。
また同時に機械でこねたり、冷凍しても劣化しづらくなる『小麦改良材』が混ぜてあります。

改良剤も色々種類があり、


○さくっとした食感になるもの
○ふんわりした食感が維持できるが、輸送・陳列で崩れにくくなるもの
○乳化剤の代わりになるもの

などかなり増えました。

そして共通しているのは、どれも『加熱すれば原材料表記しなくて良い』ことです。
このような小麦を使えば、後から乳化剤を加える必要はありませんから『乳化剤不使用』と書けます。

cooking-2065146_640
また「店内で焼いている」という場合も、パッケージ販売しない限り原材料表記義務が不要になる上、
セントラルキッチンから配送された冷凍生地を焼いているだけなので、かえって不安材料が増えます。

しかし”色々手が加えられた小麦粉”は、天然酵母で上手く発酵できないと言います。


まるで農薬まみれの野菜のようです。
小麦粉は、植物の中でも最も強いパワーを秘めた種子部分を製粉したものです。
それなのに本来の力を失い、天然の酵母類には反応できなくなっている事実は見逃せません。


”化学肥料”を食べたイーストの健康状態は?
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イーストは生き物ですから、私たちと同じように食べ物(活動エネルギー源)の質が活動に影響します。
だから天然酵母を起こす時も、気温や湿度、常在菌とのバランス等、細心の注意が必要なわけです。

しかし自然な酵母で発酵できなくなっている”不自然な小麦粉”には、イーストフード(肥料)が必要不可欠です。


その結果は?
私たちも酸化した油や添加物いっぱいの加工食品を食べた後、胸焼けを起こしたりお腹の調子が悪くなりますよね。
それと同じように、本来のエネルギー源ではないイーストフードを代謝した後、イーストに起こり得ることはある程度想像できます。

そして想定していない物質が生成されることも考えられます。
しかし残念ながら、急性症状が問題にならない限り、関連性を検証されることはないでしょう。
極めて短期間で肥育・出荷される家畜の健康状態を検証することがないのと同じです。


パンと牛乳で、鼻につく薬品臭と吐き気を感じた恐ろしい経験
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何年も前になりますが、入院・手術を経て暫く自宅療養していたことがあります。
まだ買い物に出歩くのも無理だったので、友人に頼んで牛乳やパン等を近くのスーパーで買ってきてもらいました。

久しぶりのパン食に、喜んで袋を開けましたが、いきなり薬品臭が鼻を突きました。
それまで特売の時は喜んで買っていた商品です。

気のせいかと思い、気にせず口に入れたら、舌に乗せた瞬間吐き気を催したのです。
一緒に食べていた知人は、何もなかったように食べています。

「なんか変な匂いしない?」と聞いても「別に・・・」

続いて牛乳を一口含むと、口いっぱいに生臭さが広がり、焦げ臭い後味も残ります。

「この牛乳、生臭くない?」
「全然!さっき買ってきたばかりじゃない」

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この数日後、歯の詰め物が取れて歯医者さんへ行った時、牛乳を飲んだ時に感じた生臭さとそっくりな匂いを経験します。
それは治療中、歯肉から血が出た時です。

牛乳が母牛の“血“から作られるものであることを、思い出した瞬間です。
同時にパンから感じた吐き気を催す物質の正体は、イーストの異常ではないかと考えました。

これ以降、手軽に買えるパンや牛乳は体が受け付けなくなりました。

元気な時には気にならなかった身体の異常に気がついた瞬間でした。

病気と闘う時、全身の細胞の危機管理能力が高まることを実感したのでした。
普段は気がつかない「違和感」に気がつくことができる病気に罹るのも、悪いことばかりではありません。


まとめ:私たちの新たな課題
basket-1800742_640
大量生産されるパンはイーストフードの他にも、問題の多い原材料がいくつもあります。


○防カビ剤・漂白剤使用及び改良剤入り小麦粉
○マーガリン・ファットスプレット・ショートニング等の硬化油
○ソルビン酸カリウム・リン酸塩などの保存料
○香料
○カラメル色素

どれもIN YOU読者の皆さんにはお馴染みの成分でしょう。
しかし今後は、表記に出ない成分にも注意です。

情報を得ることも大切です。

でもそれ以上に、私たちが自然に、感じ取る力。
そして、不自然な食品を感じる味覚や体の違和感を養うことも忘れてはなりません。

オススメの無農薬グルテンフリー・パンを食べてみよう。
1228150600_5a4489c89e874

小麦粉でも米粉でもない、たんぱく質や食物繊維を豊富に含んだ高栄養価の農薬不使用の「そば粉」を使ったパン
今すぐここをクリック!

東京から長野に引越した西村さんが作る長野県産のそば粉で作るパン。
試行錯誤の結果できた「そば粉のパン」。ヘルスコンシャスな方が多いINYOUの読者の方も、「そば粉のパン」を食べたことがある方は少ないのでは?

実は西村さん自身も長野に引っ越して初めてそば粉のパンと出会ったそう。
最初にそば粉で作るパンを習ってから、どう組み合わせると美味しいパンになるか?と研究を重ねたのだとか。

米粉や小麦粉の配合はもちろん、そば粉に至っては20種類ものそば粉を試し、試行錯誤を繰り返したそうです。
そんな試作を繰り返した結果出来上がったのが、それぞれそば粉の種類も割合も違う3種類の食パン。

全てオーガニックの原料です。さらにそば粉、菜種油、蕎麦の実は長野産。
蕎麦の風味を強く感じることができ、飽きない美味しさのパンです。

食べるときにカットし、トースターで温めるのがオススメ。
サクッと焼くより、ほんわり温める程度にするのがベストです。


オススメの記事
25年間できるのが当たり前だと思っていた口内炎。原因は大好きなパンと麺でした。これならあなたもできる!グルテンフリーならぬ「ゆるテンフリー」生活の始め方。

毎朝のパンをやめただけで寝ても治らない程の酷いむくみから解放された私。昔からある食品にもグルテンは入っていたのになぜ今グルテンフリーなのか。

昔の人にはおりものがなかった!?朝食をパン→和食に変えてすぐに起こった娘たちの驚くべき変化をご紹介します。「オリモノがでることが普通」だと思っている全ての方へ。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c17

[近代史3] 長生きしたけりゃパンは食べるな 中川隆
19. 中川隆[-9603] koaQ7Jey 2019年6月15日 11:42:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2868]
2018/04/23
害のあるイーストフードを使い大量生産されるパンは農薬を大量に使った野菜のようなものです。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html

近所に天然酵母でパンを焼いているお店があります。

そこの方と話していたら、ここ数年「お宅のパンはイーストを使っているの?」と聞かれることが多くなったと言います。

イーストとイーストフードは全く別物!イーストとイーストフードの使い方とは?
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CMで見かける大手パンメーカーも最近は『イーストフード・乳化剤不使用』のようなアピールをしています。
これは消費者が原材料に興味を持ち、企業や店舗に問い合わせたり、使用原料によっては“買わない”ことが増えてきたからだと思います。
ところが、そのパン屋さんの話だと「イーストとイーストフードを混同している人が多く、説明しても分かってもらえなかったことがある」とやや困惑気味に言います。


イースト
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“アルコール発酵する酵母の総称”

ワイン酵母、ビール酵母、味噌酵母、醤油酵母などなど
すべてワインイースト、ビールイーストとも言えるわけです。

日本では“イースト”というとパン用酵母というイメージが強いですが、
基本的に『酵母=イースト』です。

健康食品の“大麦酵母”やパンに“ぶどう酵母”や“りんご酵母”を使用するように、酵母は穀物や野菜・果物に存在します。

bread-725874_640
昔のパン職人はそれらの酵母を、時には数種類組み合わせて発酵種を作り、パンを焼いてきました。
酵母の組み合わせは、使用する水や小麦によっても変わり、発酵時間や味にも違いが出てくるので、そこが腕の見せ所です。

どんな酵母にも言えることですが、空気中に常在する菌の影響によって味や香りに変化が出てくることがあります。

最悪の場合、”発酵”ではなく”腐敗”してしまうこともあり、本来は扱いが非常に難しいのです。

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時は産業革命の真っ最中の頃に遡ります。
労働力の向上に、十分な栄養=食糧の確保は大きな問題でした。
そこで工業技術の発展は、欧米の主食であったパンにも取り入れられました。

数ある酵母から


1.短時間で一気に発酵が進む
2.環境による影響を受けにくい
3.仕上がりが均一

このような特徴を持った”大量生産用パン酵母”を選択培養したわけです。

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これによって長時間かつ重労働だったパン屋さんの労働環境は、格段に改善されました。
また職人の高い技術を必要としていたパン作りの現場に、経験の浅い人材を採用することが出来、生産拡大につながりました。

するとさらに効率良く、大量に生産するために“イーストフード”が登場します。


イーストフード
question-mark-2318043_640

”発酵を爆発的に進めるために与える肥料のようなもの”
「上手いネーミングを考えたなあ」と感心している場合ではありませんが、冒頭のパン屋さん曰く『食用イースト』と受け止めている方もいたそうです。
直訳すれば『イーストの食べ物』ですが、成分的には『イーストの肥料』と表現する方が近いと思います。

現在日本国内で、『イーストフード』と一括表記できるものは16種類指定されています。
このうち1つだけを使用しても、数種類使用しても『イーストフード』とだけ表記すれば良いことになっていますが、平均3〜5種類くらいを組み合わせています。


16種類のうち焼成カルシウムだけは天然由来の原料ですが、あとは塩化アンモニウムやグルコン酸カリウム等、工業的に精製されたものです。

crop-1149914_640
化学肥料の三大成分『リン・カリウム・窒素』を農作物に与えるのと同じ発想でパン生地に加えます。
近年、安全性が議論されているのは、このイーストフードの方です。
机上計算では、イーストが食べきるし、そのあと高温で焼くから安全ということになっています。


もう一つの嘆きは切実!「天然酵母で発酵できるまともな小麦粉を入手するのが難しい」
『店内で焼いているから』『〇〇不使用だから』でも安心できない理由
peanut-butter-cookies-746587_640
小麦粉市場は、イーストフードを使う前提で製粉されたものや「クレームが起こりづらい」というのがウリの漂白小麦粉が主流になっています。
また同時に機械でこねたり、冷凍しても劣化しづらくなる『小麦改良材』が混ぜてあります。

改良剤も色々種類があり、


○さくっとした食感になるもの
○ふんわりした食感が維持できるが、輸送・陳列で崩れにくくなるもの
○乳化剤の代わりになるもの

などかなり増えました。

そして共通しているのは、どれも『加熱すれば原材料表記しなくて良い』ことです。
このような小麦を使えば、後から乳化剤を加える必要はありませんから『乳化剤不使用』と書けます。

cooking-2065146_640
また「店内で焼いている」という場合も、パッケージ販売しない限り原材料表記義務が不要になる上、
セントラルキッチンから配送された冷凍生地を焼いているだけなので、かえって不安材料が増えます。

しかし”色々手が加えられた小麦粉”は、天然酵母で上手く発酵できないと言います。


まるで農薬まみれの野菜のようです。
小麦粉は、植物の中でも最も強いパワーを秘めた種子部分を製粉したものです。
それなのに本来の力を失い、天然の酵母類には反応できなくなっている事実は見逃せません。


”化学肥料”を食べたイーストの健康状態は?
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イーストは生き物ですから、私たちと同じように食べ物(活動エネルギー源)の質が活動に影響します。
だから天然酵母を起こす時も、気温や湿度、常在菌とのバランス等、細心の注意が必要なわけです。

しかし自然な酵母で発酵できなくなっている”不自然な小麦粉”には、イーストフード(肥料)が必要不可欠です。


その結果は?
私たちも酸化した油や添加物いっぱいの加工食品を食べた後、胸焼けを起こしたりお腹の調子が悪くなりますよね。
それと同じように、本来のエネルギー源ではないイーストフードを代謝した後、イーストに起こり得ることはある程度想像できます。

そして想定していない物質が生成されることも考えられます。
しかし残念ながら、急性症状が問題にならない限り、関連性を検証されることはないでしょう。
極めて短期間で肥育・出荷される家畜の健康状態を検証することがないのと同じです。


パンと牛乳で、鼻につく薬品臭と吐き気を感じた恐ろしい経験
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何年も前になりますが、入院・手術を経て暫く自宅療養していたことがあります。
まだ買い物に出歩くのも無理だったので、友人に頼んで牛乳やパン等を近くのスーパーで買ってきてもらいました。

久しぶりのパン食に、喜んで袋を開けましたが、いきなり薬品臭が鼻を突きました。
それまで特売の時は喜んで買っていた商品です。

気のせいかと思い、気にせず口に入れたら、舌に乗せた瞬間吐き気を催したのです。
一緒に食べていた知人は、何もなかったように食べています。

「なんか変な匂いしない?」と聞いても「別に・・・」

続いて牛乳を一口含むと、口いっぱいに生臭さが広がり、焦げ臭い後味も残ります。

「この牛乳、生臭くない?」
「全然!さっき買ってきたばかりじゃない」

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この数日後、歯の詰め物が取れて歯医者さんへ行った時、牛乳を飲んだ時に感じた生臭さとそっくりな匂いを経験します。
それは治療中、歯肉から血が出た時です。

牛乳が母牛の“血“から作られるものであることを、思い出した瞬間です。
同時にパンから感じた吐き気を催す物質の正体は、イーストの異常ではないかと考えました。

これ以降、手軽に買えるパンや牛乳は体が受け付けなくなりました。

元気な時には気にならなかった身体の異常に気がついた瞬間でした。

病気と闘う時、全身の細胞の危機管理能力が高まることを実感したのでした。
普段は気がつかない「違和感」に気がつくことができる病気に罹るのも、悪いことばかりではありません。


まとめ:私たちの新たな課題
basket-1800742_640
大量生産されるパンはイーストフードの他にも、問題の多い原材料がいくつもあります。


○防カビ剤・漂白剤使用及び改良剤入り小麦粉
○マーガリン・ファットスプレット・ショートニング等の硬化油
○ソルビン酸カリウム・リン酸塩などの保存料
○香料
○カラメル色素

どれもIN YOU読者の皆さんにはお馴染みの成分でしょう。
しかし今後は、表記に出ない成分にも注意です。

情報を得ることも大切です。

でもそれ以上に、私たちが自然に、感じ取る力。
そして、不自然な食品を感じる味覚や体の違和感を養うことも忘れてはなりません。

オススメの無農薬グルテンフリー・パンを食べてみよう。
1228150600_5a4489c89e874

小麦粉でも米粉でもない、たんぱく質や食物繊維を豊富に含んだ高栄養価の農薬不使用の「そば粉」を使ったパン
今すぐここをクリック!

東京から長野に引越した西村さんが作る長野県産のそば粉で作るパン。
試行錯誤の結果できた「そば粉のパン」。ヘルスコンシャスな方が多いINYOUの読者の方も、「そば粉のパン」を食べたことがある方は少ないのでは?

実は西村さん自身も長野に引っ越して初めてそば粉のパンと出会ったそう。
最初にそば粉で作るパンを習ってから、どう組み合わせると美味しいパンになるか?と研究を重ねたのだとか。

米粉や小麦粉の配合はもちろん、そば粉に至っては20種類ものそば粉を試し、試行錯誤を繰り返したそうです。
そんな試作を繰り返した結果出来上がったのが、それぞれそば粉の種類も割合も違う3種類の食パン。

全てオーガニックの原料です。さらにそば粉、菜種油、蕎麦の実は長野産。
蕎麦の風味を強く感じることができ、飽きない美味しさのパンです。

食べるときにカットし、トースターで温めるのがオススメ。
サクッと焼くより、ほんわり温める程度にするのがベストです。


オススメの記事
25年間できるのが当たり前だと思っていた口内炎。原因は大好きなパンと麺でした。これならあなたもできる!グルテンフリーならぬ「ゆるテンフリー」生活の始め方。

毎朝のパンをやめただけで寝ても治らない程の酷いむくみから解放された私。昔からある食品にもグルテンは入っていたのになぜ今グルテンフリーなのか。

昔の人にはおりものがなかった!?朝食をパン→和食に変えてすぐに起こった娘たちの驚くべき変化をご紹介します。「オリモノがでることが普通」だと思っている全ての方へ。
https://macrobiotic-daisuki.jp/pan-2-114056.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html#c19

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
34. 中川隆[-9608] koaQ7Jey 2019年6月15日 12:26:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2863]

2019年06月15日
菅直人の呪い 太陽光固定買い取り制度を廃止 高コストで普及を妨げた

太陽光の高額買取によって、日本の再生エネルギー普及が妨げられ、全国で森林破壊が起きた

画像引用:https://pbs.twimg.com/media/Dk4dKQ2UYAA1VpY.jpg

固定価格買い取り制度の終了

経済産業省は再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度の終了を検討していると報じられています。

同じ事は19年4月にも報道されていたので、検討して既定路線になっていると考えられます。

現在電力はキロワット27円程度で一般家庭に売られているが、発電には5円か7円しかかけていません。



27円のうち20円は送電網などの設備や、サービスに必要なコスト、人件費などに使っています。

太陽光発電は2012年に42円(住宅用)だったので、キロワット当たり32円もの赤字を負担していました。

2019年度の固定買取価格は事業用14円まで下がったが、まだキロワット当たり7円の赤字を負担しています。


赤字を負担しているのは電力会社ばかりではなく、賦課金として一般消費者が支払っている。

また電力会社の負担も結局は電気料金に上乗せされて、全額一般消費者に押し付けられることになります。

その一方でソフトバンクを始めとする売電事業者は、菅直人政権で契約した価格を20年保証され、巨額の利益を得ています。


固定価格買い取り制度は再生可能エネルギーを普及させるための制度だが、かえって普及を妨げた。

なぜなら固定価格で20年買い取るので電気料金が大幅に値上がりしてしまい、電力会社と経産省は「買い取らない」という方針に転換した。

制度では買い取った場合の価格が固定されている反面、電力会社は買い取らずに対抗することもできる。

太陽光発電に降り注ぐ菅直人の呪い

経産省は家庭や産業用の電気料金高騰を問題視し、新規の固定価格申し込みを打ち切ってしまった。

この結果日本での再生可能エネルギーの割合は7.2%(2018年)、太陽光は6.5%にとどまっている。

自然エネルギーの発電割合は16.5%だが、水力(7.8%)など従来方式が半分を占めている。


欧州では再生可能エネルギーだけで20%を超えた国もあるのに、日本は遅れていると批判されている。

遅れた理由は固定価格買い取り制度そのものにあり、消費者や電力会社にメリットが何もない。

法外な高値で電気を買わされて、売電会社だけが儲ける「管直人方式」では今後ますます諸外国との差は拡大するでしょう。


そこで経産省は固定価格での買取を廃止するのだが、廃止しても20年後まで契約した価格で電力を買い取らなければならない。

電力会社と消費者の負担を減らすため、高く買い取る分だけ新規買取は安く買い叩く必要がある。

ソフトバンクからキロワット40円で買い取ったら、新規の業者からは5円以下で買い取らないと平均単価を下げられないという理屈です。
http://www.thutmosev.com/archives/80125774.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c34

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
23. 中川隆[-9607] koaQ7Jey 2019年6月15日 12:59:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2864]

2019年06月15日
支那人の自治は不幸の素 / アジア主義者の害毒
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68769739.html


支那人が支那人を支配すると不幸になる

Hong Kong 3Hong Kong 1
(写真 / 抗議デモを行う香港の支那人)

  海外の報道によると、香港での抗議デモには100万人が参加したそうだ。ただし、支那の統計には“水増し”が付き物なので実際どれくらいの人数が集まったのか分からない。それでも、ブルムバーグによると、

  香港では中国本土への容疑者の身柄引き渡しを可能にする条例改正案に反対し、9日の大規模デモに続き12日にも再び抗議活動が街頭で行われた。一部参加者は中心部の主要道路を封鎖。群衆は香港政府庁舎に押しかけ、立法会(議会)への侵入を阻止しようとする警官隊が催涙ガスやゴム弾を使用、負傷者が出る事態となっている。(Alex Millson, Protesters Clash with Riot Police in Hong Kong, Bloomberg, June 12, 2019.)

  海外のニュースを受けて、日本のメディアも香港の騒乱を報道していたが、支那の歴史を学んだ者なら、「またか・・・」と思ってしまうだろう。なぜなら、支那では瀆職や詐欺はもちろんのこと、絶えず暴動や抗議が巻き起こっている。夏目漱石を真似る訳じゃないけど、ごく普通の日本人からすれば、「支那人に生まれなくてよかった」というのが正直な感想だ。我々は幸せを当然として生きているが、支那人は不幸を避けながら生きている。日本の近くにある暗黒大陸だと、「サザエさん」や「ちびマル子」ちゃんみたいな暮らしは羨望の的。支那人というのはピラニアの群れと一緒に暮らしているブルーギルと同じで、ちょっとした油断が命取りとなる。日本人はさしずめ弱肉強食を知らないメダカのような民族だ。

  支那人は我々に向かって「悠久の歴史」を自慢するが、彼らの過去は真っ黒か真っ赤のどちらかだ。暴君や独裁者による圧政があったと思えば、易姓革命で国が乱れ、虐殺、略奪、強姦、放火で生き地獄。平和になっても飢饉や搾取で不幸のどん底だ。それでも、支那人はたくましいから金儲けに邁進する。銭と権が手に入ればバラ色の人生だ。黄色い頭巾を被った叛逆者が天下を取ろうが、赤い頭巾を被った共産主義者が君臨しようが、支那人は臨機応変、権力者に取り入って少しでもいいから甘い汁を吸おうとする。支那人に「国民意識」はなく、あるのは「血族意識」か「中華思想」のみ。他人がどうなろうが知ったことではない。支那人が支那人を「統治」すれば「独裁」しかなく、民衆の不幸が統治者の幸福になる。

アジア主義は日本の滅亡

  日本人は香港人の抗議を観ると民衆に同情してしまうが、あんなのは「毎度の事」で驚くことではない。北京政府による専制支配は前から予想されていたことで、「一国両制」を信じていた知識人がアホなだけである。香港が支那側に返還されるとき、経済評論家の邱永漢(きゅう・えいかん)などは「大陸が香港化される」と嘯(うそぶ)いていた。雑誌『Voice』の読者なら、彼の言動を覚えているだろう。「お金儲けの達人」として崇められていた邱永漢は、1997年に香港が返還されると、一攫千金になると思って香港に移住して喜んでいた。しかし、香港からは嘗ての輝きが急激に消え去り、単に支那人が住む陰鬱な島になってしまった。香港の支那人は言論の自由とか人権を叫んでいるが、そんなモノは端っから支那人には無く、あるとしたらイギリス人に教えてもらった法令遵守くらい。「規則を守りましょう」なんて子供への訓戒みたいだが、人を騙すために約束を結ぶ支那人には、これだって中々難しい倫理である。

  日本のマスコミや歴史家は黙っているけど、なぜ彼らは「西歐植民地主義からの解放」を祝福しないのか? 支那人は残酷なイギリス人の支配から解き放されて嬉しいはずなのに、「同胞」の元へ戻されると、イングランドやオーストラリア、カナダへと逃げるように移住したたがる。おかしいじゃないか ! 日本の学校教育ではイギリス人が支那人に阿片を売り込み、清国にあった銀を巻き上げてボロ儲けしましたと書いている。そして、阿漕(あこぎ)なイギリス人はこの密貿易を林則徐に咎められると、アヘン戦争を起こして南京条約を押しつけました、と嘆いているのだ。悪名高い歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』でも、このアヘン戦争を取り上げ次のように書いている。

  ・・・イギリスは、広州・上海など5港を開港させ、香港を植民地として獲得し、さらに賠償金・約2100万ドルを支払わせました。(『ともに学ぶ人間の歴史』 学び舎、2018年、p.155.)

  支那の実態を知らない日本人は、「麻薬漬けにされた可哀想な支那人。イギリス人は強欲な悪党」と思っている。しかし、阿片なんか昔から支那人が楽しんでいる嗜好品で、今のコーヒーかタバコのようなものだ。仕事の後に飲む栄養ドリンクと思えばいい。日本の学校教師は何かと言えばアヘン戦争を口にして西歐列強を非難するが、下層階級の支那人にとったら誰が支配者になろうが関係なく、モンゴル人から満洲人に変わって何百年かしたら、外見の違うヨーロッパ人に支配されたというだけ。考えてもみよ。香港の支那人はイギリス人が君臨したことで赤貧となり、自殺に追い込まれたり、飢餓でバタバタと死に絶えたのか? 現実は逆である。共産党の天下となった大陸からは毛沢東の大躍進や文化大革命を嫌って支那人が逃げだし、“白人支配”の香港へと流れ込んだ。また、日本軍によって解放されたインドシナで内戦が始まると、フランス人を慕うベトナムは難民となって香港に雪崩れ込み、他のベトナム人もこれまた嫌いなはずの白人国家であるアメリカやオーストラリアに避難した。アジア人は何か困ると直ぐ白人国家へと逃げ込む癖がある。

Opium war 2Opium war 1

(左 : 阿片を吸引する支那人 / 右 : 阿片を支那人に売りつけるイギリス人の風刺画)

  日本の一般人はアジア人の本質を吟味せず、勝手に自分の感情を植え付け、彼らも同じ反西歐意識を持つはずだと思い込む。この単純な発想を利用したのが戦前の大東亜主義者であり、日本を対米戦争で破壊しようと目論んだ左翼である。近衛文麿や尾崎秀実、米内光政らの「南進」派は、帝国陸海軍を仏印や蘭印へと向かわせ、英蘭仏と反目させてから米国と衝突するよう仕組んだ。スターリンと日本の共産主義者からすれば、憎き西歐列強と日本を戦わせ、両者をボロボロにしてから戦争の果実をもぎ取る方が賢い、と考えたのであろう。ソ連型の全体主義に憧れた軍官僚や赤い知識人は南進を後押しすべく、それを正当化するような「大義名分」を世間にばら撒いた。「大東亜共栄圏」とか「東亜共同体」といったスローガンは日本人を騙す常套句で、アジアの共産主義化を目指し、ついでに我が国をアジアに埋没させようとする策略である。大東亜新秩序の建設を提唱した大川周明や、日本と朝鮮との合併を説いた樽井藤吉を想い出せば分かるじゃないか。

  こうしたアジア主義をバックアップしたのは、「白人支配の打倒」とか「アジアの解放」を謳った反西歐主義である。大東亜共栄圏を外交理念にしていた近衛文麿が、『英米本位の平和主義を排す』という論文を書いていたのは偶然ではない。公家の筆頭を自認する近衛には、白人から愚弄された屈辱感があり、自分の恨みを晴らすためには日本の独立を捨てても惜しくはなかった。日本人は西歐白人と対等になりたいという願望が非常に強いから、その白人から邪険にされると烈火の如く怒ってしまう。失恋と怨念は双子の兄弟みたいなもので、好意を寄せる歐米人から侮蔑された日本人は、好きでもないアジアへの共感を無理矢理つくり、「黄色人種」という共通点を掲げて白人に復讐しようと考える。だが、元々アジア人には馴染みがないので、生理的に受け容れることができない。同じ黄色人種といっても、支那人や朝鮮人とは全く違うし、インド人やマレー人などは別の宗教に属する茶色い人種だ。それに「アジア人」となれば、ペルシア人やアラブ人、トルコ人、ユダヤ人も含まれるはずだが、これらの民族は日本人との接点はなく、ヨーロッパ人よりも遠い存在である。

Miyazaki ToutenUchida RyouheiToyama 1


( 左 : 宮崎滔天 / 中央 : 内田良平 / 右 : 頭山満 )

  ところが、戦前の国粋主義者とか右翼、民族主義者などは、ヨーロッパ人の勝手な学説に従い、これといった検証もせず、日本人をアジアの一員と見なしていた。しかし、普通の庶民は自らをアジア人とは思っていなかったし、アジア人への親近感が無かったのは、内地にやって来た朝鮮人と接したときに明らかだった。ロシア人が朝鮮半島を支配するのは困るが、あの貧乏民族を背負い込むのは愚策中の下策である。イギリス人かアメリカ人に譲ればよかった。普通の日本人はアジアと係わりたくなかったのに、知識人にはアジア主義にかぶれ、反西歐主義に共鳴する者が多く、その言説は無責任極まりない。宮崎滔天や内田良平、頭山満たちは支那に対し過大な幻想と期待感を抱き、支那人への援助を惜しまなかった。その一方で、アジア主義者たちは「白人による世界侵略」を糾弾し、日本はアジア民族を覚醒させる希望の光になれと唆(そそのか)していた。(支那人やモンゴル人、イスラム教徒の侵略には無関心だったのに、西歐人の帝国主義だけは赦せないというのは、どういう了簡なんだ ? ) 昭和のアジア主義者には祖国を滅亡させてもアジアを救いたいと考える輩が多かった。例えば、朝鮮問題に詳しかった細井肇は、殊のほか歐米人のアジア蔑視を咎めている。彼は支那を侵食した列強に言及し、

  元来、白人は、有色人種の人格を認めていない。人間が平気で獣肉を食用するように、有色人種の汗血を搾取することを当然の権利のように心得ている。(細井肇 『日本の決意』 大日本雄辯會講談社、昭和7年 p.84.)

  こうした文章を目にすると、「東洋主義者って本当に世界知らずだなぁ〜」と思ってしまう。圧倒的優越性を持って他国を征服する民族は、どれもこんな調子で異民族を愚弄するものである。例えばもし、蒙古軍が鎌倉武士を打ち破り、日本各地を制圧したら、モンゴル人は日本人の人格を認め、平等に扱ってくれるのか? モンゴル史を学べば分かるけど、彼らは支配民族として君臨し、平等主義や人道主義を以て異民族を統治することはない。敗北した民族の搾取なんか当たり前。支那人の課税ときたら2年3年先はもとより、10年ないし20年先の徴税だって珍しくない。また、不運にもロシア人に支配されれば、日本人は必ずや農奴にされるだろう。現在、黄色人種の支那人はチベット人やウィグル人を支配しているが、北京の赤い悪党は辺境民族の人格どころか、生命までも踏みにじっている。他方、南鮮人は夜郎自大も甚だしく、誇るモノは何も無いのに、日本人を格下扱いして優越感に浸っているけど、これはどうなのか?

  細井の「扇動文」を読むと、戦前にはびこったアジア主義者の害悪がよく分かる。彼は以下のように煽っていた。

  ・・・世界全土は、日本以外、全く白人の握裏に帰属し、特に東亜十億の生霊は、ほとんど白人の奴隷として、望みなく、光なく、頼りなき、わずかに死せざる境涯に放置されるのだ。この桎梏を除き、鉄鎖を寸断して、東亜十億の生霊を疾痛惨憺の境涯より救ふものは、ただわが日本あるのみ。英雄起る所形良し、侠勇仁愛の国、あに天恩に恵まれざらんや。特に東方日出づる国を国土とし、世界無比の萬世一系、連綿絶ゆるなき皇統を奉戴するわが九千万民こそ、まことに、この大使命を遂行すべき先天的宿命を有つ世界無比の選民と云わねばならぬ。(上掲書 p. 108.)

  細井は日本の国益よりもアジア人の独立を優先させ、日本人は支那人や朝鮮人、インド人、マレー人などを救うために、命懸けでイギリス人やフランス人、オランダ人、アメリカ人と戦わねばならぬ、と強調していたのだ。アジア人との連帯を提唱する日本人には、論語読みの論語知らずが誠に多い。細井の本を熟読したのかどうか分からぬが、内閣総理大臣の斉藤実や陸軍大臣の荒木貞夫、中央教化団体連合理事の丸山亀吉、そして、錦鶏学院の安岡正篤が推薦文を書いていた。今の高校生は陽明学者の安岡を知らないだろうが、平成という元号を発案した人物とされている。一般的には、占い師の看板でテレビに出ていた細気数子の亭主と言えば分かるはずだ。

  日本人は保守派でも実際の政治が解らぬ人が多い。左翼史観を批判する人でも、英国の植民地支配を糾弾する。だが、日本はアジア人の反乱を支援するより、英国が植民地を維持するよう助けるべきだった。なぜなら、イギリス人がインド人やビルマ人を抱えていれば、英国側の負担が増大するし、植民地での厄介事が頻発すれば、日本が「善意の第三者」として活躍する機会があったのだ。日本人は「誠実な調停者」として双方に恩を売り、両者にとっての良き相談役になることができた。強力な帝国海軍を有する日本の提案なら、イギリス人やインド人も一目置くし、妥協したって国内的に言い訳が立つ。インド人の指導者は仲間に「同じ有色人種の日本人による仲介だから」と言えるし、イギリス人も「中立的な日本人による解決策だから」と議会で抗弁できる。しかし、日本が反英主義を掲げ、インドの独立を支援すれば、英国の輿論は反日的となり、親日のイギリス人は窮地に立たされる。第一、イギリス人の恨みを買うだけで、日本が失う利益の方が大きい。日露戦争を想い出せば解るけど、英国との関係を続けていると諜報活動や軍事・外政の面で有利だ。白人への反撥とか黄色人種との連帯など、鬱憤晴らしの感情論に過ぎない。我々は冷酷な計算で動くべきだ。アジア人の味方をして損をするより、西歐人と癒着して国益を増大させた方がいいじゃないか。

  日本は徳川家康のように力を付けるまで辛抱すべきだった。日本が軍事的・経済的大国となれば、歐米人だって日本人を馬鹿にできないし、日本人だって劣等感に悩まず堂々と威張ることができる。西歐人が厭がる人種平等など叫ばず、彼らに対して「日本人だけ特別扱いにしてくれ!」と頼めばいいじゃないか。ヨーロッパ人やアメリカ人は札束ビンタに弱いから、日本が一流国になれば多少の要求は通してくれるだろう。ユダヤ人はあれほど嫌われていたのに、金貨の力で歐米人を屈服させることができた。白人至上主義を口にしているのは主に下層階級の貧乏人で、中流階級の白人は札束の匂いを嗅ぐと急に紳士的となり、土下座だって厭わない。日本人は歐米の知識人を教育し、彼らの不安感を取り除いてやるべきだった。「日本人はアジア人じゃないから安心しな。君たちの人種秩序は壊さない」と約束してやれば、歐米諸国の抵抗だって少なくなるはずだ。事実、レイシストのウィンストン・チャーチルは日英同盟の建前上、あからさまな日本人差別を口に出来なかった。 

  日本人は日本の国益と幸福を一番にすべきで、アジアの問題に深入りすべきではない。北京政府が香港を隷属させるなら、それは支那人の問題で、日本政府は米国を支援するだけでいいんじゃないか。習近平が香港の価値を潰せば、金融市場としての窓口が消失し、香港ドルを利用していた支那人が困るだけだ。北京政府に弾圧される香港の住民は気の毒だが、支那人に生まれたんだから、その運命を甘受すべきだろう。一方、日本人は政治亡命者とか経済難民が流入しないよう、国境を固く閉じるべきだ。支那人というのは簡単に祖国を捨てる連中だから、情に流されない用心が必要だ。彼らは日本人や西歐人が喜ぶ「自由」とか「デモクラシー」を口にして、豊かな国へ移住しようとする。そして、一旦住み着いた支那人は故郷に戻らない。たとえ、「愛国心」を表明し、香港の自由を渇望する者でも、決して信用してはならず、門前払いにすべきだ。歐米や日本に根を下ろした支那人は、同胞の「自由」なんて興味が無く、関心があるのは自分の財テクである。支那のデモクラシーに共感する日本人は、一度頭から氷水を被って冷静に考えるべきだ。支那人の舌は二枚以上あるんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68769739.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c23

[近代史3] 中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている 中川隆
3. 中川隆[-9606] koaQ7Jey 2019年6月15日 13:00:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2865]

2019年06月15日
支那人の自治は不幸の素 / アジア主義者の害毒
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68769739.html


支那人が支那人を支配すると不幸になる

Hong Kong 3Hong Kong 1
(写真 / 抗議デモを行う香港の支那人)

  海外の報道によると、香港での抗議デモには100万人が参加したそうだ。ただし、支那の統計には“水増し”が付き物なので実際どれくらいの人数が集まったのか分からない。それでも、ブルムバーグによると、

  香港では中国本土への容疑者の身柄引き渡しを可能にする条例改正案に反対し、9日の大規模デモに続き12日にも再び抗議活動が街頭で行われた。一部参加者は中心部の主要道路を封鎖。群衆は香港政府庁舎に押しかけ、立法会(議会)への侵入を阻止しようとする警官隊が催涙ガスやゴム弾を使用、負傷者が出る事態となっている。(Alex Millson, Protesters Clash with Riot Police in Hong Kong, Bloomberg, June 12, 2019.)

  海外のニュースを受けて、日本のメディアも香港の騒乱を報道していたが、支那の歴史を学んだ者なら、「またか・・・」と思ってしまうだろう。なぜなら、支那では瀆職や詐欺はもちろんのこと、絶えず暴動や抗議が巻き起こっている。夏目漱石を真似る訳じゃないけど、ごく普通の日本人からすれば、「支那人に生まれなくてよかった」というのが正直な感想だ。我々は幸せを当然として生きているが、支那人は不幸を避けながら生きている。日本の近くにある暗黒大陸だと、「サザエさん」や「ちびマル子」ちゃんみたいな暮らしは羨望の的。支那人というのはピラニアの群れと一緒に暮らしているブルーギルと同じで、ちょっとした油断が命取りとなる。日本人はさしずめ弱肉強食を知らないメダカのような民族だ。

  支那人は我々に向かって「悠久の歴史」を自慢するが、彼らの過去は真っ黒か真っ赤のどちらかだ。暴君や独裁者による圧政があったと思えば、易姓革命で国が乱れ、虐殺、略奪、強姦、放火で生き地獄。平和になっても飢饉や搾取で不幸のどん底だ。それでも、支那人はたくましいから金儲けに邁進する。銭と権が手に入ればバラ色の人生だ。黄色い頭巾を被った叛逆者が天下を取ろうが、赤い頭巾を被った共産主義者が君臨しようが、支那人は臨機応変、権力者に取り入って少しでもいいから甘い汁を吸おうとする。支那人に「国民意識」はなく、あるのは「血族意識」か「中華思想」のみ。他人がどうなろうが知ったことではない。支那人が支那人を「統治」すれば「独裁」しかなく、民衆の不幸が統治者の幸福になる。

アジア主義は日本の滅亡

  日本人は香港人の抗議を観ると民衆に同情してしまうが、あんなのは「毎度の事」で驚くことではない。北京政府による専制支配は前から予想されていたことで、「一国両制」を信じていた知識人がアホなだけである。香港が支那側に返還されるとき、経済評論家の邱永漢(きゅう・えいかん)などは「大陸が香港化される」と嘯(うそぶ)いていた。雑誌『Voice』の読者なら、彼の言動を覚えているだろう。「お金儲けの達人」として崇められていた邱永漢は、1997年に香港が返還されると、一攫千金になると思って香港に移住して喜んでいた。しかし、香港からは嘗ての輝きが急激に消え去り、単に支那人が住む陰鬱な島になってしまった。香港の支那人は言論の自由とか人権を叫んでいるが、そんなモノは端っから支那人には無く、あるとしたらイギリス人に教えてもらった法令遵守くらい。「規則を守りましょう」なんて子供への訓戒みたいだが、人を騙すために約束を結ぶ支那人には、これだって中々難しい倫理である。

  日本のマスコミや歴史家は黙っているけど、なぜ彼らは「西歐植民地主義からの解放」を祝福しないのか? 支那人は残酷なイギリス人の支配から解き放されて嬉しいはずなのに、「同胞」の元へ戻されると、イングランドやオーストラリア、カナダへと逃げるように移住したたがる。おかしいじゃないか ! 日本の学校教育ではイギリス人が支那人に阿片を売り込み、清国にあった銀を巻き上げてボロ儲けしましたと書いている。そして、阿漕(あこぎ)なイギリス人はこの密貿易を林則徐に咎められると、アヘン戦争を起こして南京条約を押しつけました、と嘆いているのだ。悪名高い歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』でも、このアヘン戦争を取り上げ次のように書いている。

  ・・・イギリスは、広州・上海など5港を開港させ、香港を植民地として獲得し、さらに賠償金・約2100万ドルを支払わせました。(『ともに学ぶ人間の歴史』 学び舎、2018年、p.155.)

  支那の実態を知らない日本人は、「麻薬漬けにされた可哀想な支那人。イギリス人は強欲な悪党」と思っている。しかし、阿片なんか昔から支那人が楽しんでいる嗜好品で、今のコーヒーかタバコのようなものだ。仕事の後に飲む栄養ドリンクと思えばいい。日本の学校教師は何かと言えばアヘン戦争を口にして西歐列強を非難するが、下層階級の支那人にとったら誰が支配者になろうが関係なく、モンゴル人から満洲人に変わって何百年かしたら、外見の違うヨーロッパ人に支配されたというだけ。考えてもみよ。香港の支那人はイギリス人が君臨したことで赤貧となり、自殺に追い込まれたり、飢餓でバタバタと死に絶えたのか? 現実は逆である。共産党の天下となった大陸からは毛沢東の大躍進や文化大革命を嫌って支那人が逃げだし、“白人支配”の香港へと流れ込んだ。また、日本軍によって解放されたインドシナで内戦が始まると、フランス人を慕うベトナムは難民となって香港に雪崩れ込み、他のベトナム人もこれまた嫌いなはずの白人国家であるアメリカやオーストラリアに避難した。アジア人は何か困ると直ぐ白人国家へと逃げ込む癖がある。

Opium war 2Opium war 1

(左 : 阿片を吸引する支那人 / 右 : 阿片を支那人に売りつけるイギリス人の風刺画)

  日本の一般人はアジア人の本質を吟味せず、勝手に自分の感情を植え付け、彼らも同じ反西歐意識を持つはずだと思い込む。この単純な発想を利用したのが戦前の大東亜主義者であり、日本を対米戦争で破壊しようと目論んだ左翼である。近衛文麿や尾崎秀実、米内光政らの「南進」派は、帝国陸海軍を仏印や蘭印へと向かわせ、英蘭仏と反目させてから米国と衝突するよう仕組んだ。スターリンと日本の共産主義者からすれば、憎き西歐列強と日本を戦わせ、両者をボロボロにしてから戦争の果実をもぎ取る方が賢い、と考えたのであろう。ソ連型の全体主義に憧れた軍官僚や赤い知識人は南進を後押しすべく、それを正当化するような「大義名分」を世間にばら撒いた。「大東亜共栄圏」とか「東亜共同体」といったスローガンは日本人を騙す常套句で、アジアの共産主義化を目指し、ついでに我が国をアジアに埋没させようとする策略である。大東亜新秩序の建設を提唱した大川周明や、日本と朝鮮との合併を説いた樽井藤吉を想い出せば分かるじゃないか。

  こうしたアジア主義をバックアップしたのは、「白人支配の打倒」とか「アジアの解放」を謳った反西歐主義である。大東亜共栄圏を外交理念にしていた近衛文麿が、『英米本位の平和主義を排す』という論文を書いていたのは偶然ではない。公家の筆頭を自認する近衛には、白人から愚弄された屈辱感があり、自分の恨みを晴らすためには日本の独立を捨てても惜しくはなかった。日本人は西歐白人と対等になりたいという願望が非常に強いから、その白人から邪険にされると烈火の如く怒ってしまう。失恋と怨念は双子の兄弟みたいなもので、好意を寄せる歐米人から侮蔑された日本人は、好きでもないアジアへの共感を無理矢理つくり、「黄色人種」という共通点を掲げて白人に復讐しようと考える。だが、元々アジア人には馴染みがないので、生理的に受け容れることができない。同じ黄色人種といっても、支那人や朝鮮人とは全く違うし、インド人やマレー人などは別の宗教に属する茶色い人種だ。それに「アジア人」となれば、ペルシア人やアラブ人、トルコ人、ユダヤ人も含まれるはずだが、これらの民族は日本人との接点はなく、ヨーロッパ人よりも遠い存在である。

Miyazaki ToutenUchida RyouheiToyama 1


( 左 : 宮崎滔天 / 中央 : 内田良平 / 右 : 頭山満 )

  ところが、戦前の国粋主義者とか右翼、民族主義者などは、ヨーロッパ人の勝手な学説に従い、これといった検証もせず、日本人をアジアの一員と見なしていた。しかし、普通の庶民は自らをアジア人とは思っていなかったし、アジア人への親近感が無かったのは、内地にやって来た朝鮮人と接したときに明らかだった。ロシア人が朝鮮半島を支配するのは困るが、あの貧乏民族を背負い込むのは愚策中の下策である。イギリス人かアメリカ人に譲ればよかった。普通の日本人はアジアと係わりたくなかったのに、知識人にはアジア主義にかぶれ、反西歐主義に共鳴する者が多く、その言説は無責任極まりない。宮崎滔天や内田良平、頭山満たちは支那に対し過大な幻想と期待感を抱き、支那人への援助を惜しまなかった。その一方で、アジア主義者たちは「白人による世界侵略」を糾弾し、日本はアジア民族を覚醒させる希望の光になれと唆(そそのか)していた。(支那人やモンゴル人、イスラム教徒の侵略には無関心だったのに、西歐人の帝国主義だけは赦せないというのは、どういう了簡なんだ ? ) 昭和のアジア主義者には祖国を滅亡させてもアジアを救いたいと考える輩が多かった。例えば、朝鮮問題に詳しかった細井肇は、殊のほか歐米人のアジア蔑視を咎めている。彼は支那を侵食した列強に言及し、

  元来、白人は、有色人種の人格を認めていない。人間が平気で獣肉を食用するように、有色人種の汗血を搾取することを当然の権利のように心得ている。(細井肇 『日本の決意』 大日本雄辯會講談社、昭和7年 p.84.)

  こうした文章を目にすると、「東洋主義者って本当に世界知らずだなぁ〜」と思ってしまう。圧倒的優越性を持って他国を征服する民族は、どれもこんな調子で異民族を愚弄するものである。例えばもし、蒙古軍が鎌倉武士を打ち破り、日本各地を制圧したら、モンゴル人は日本人の人格を認め、平等に扱ってくれるのか? モンゴル史を学べば分かるけど、彼らは支配民族として君臨し、平等主義や人道主義を以て異民族を統治することはない。敗北した民族の搾取なんか当たり前。支那人の課税ときたら2年3年先はもとより、10年ないし20年先の徴税だって珍しくない。また、不運にもロシア人に支配されれば、日本人は必ずや農奴にされるだろう。現在、黄色人種の支那人はチベット人やウィグル人を支配しているが、北京の赤い悪党は辺境民族の人格どころか、生命までも踏みにじっている。他方、南鮮人は夜郎自大も甚だしく、誇るモノは何も無いのに、日本人を格下扱いして優越感に浸っているけど、これはどうなのか?

  細井の「扇動文」を読むと、戦前にはびこったアジア主義者の害悪がよく分かる。彼は以下のように煽っていた。

  ・・・世界全土は、日本以外、全く白人の握裏に帰属し、特に東亜十億の生霊は、ほとんど白人の奴隷として、望みなく、光なく、頼りなき、わずかに死せざる境涯に放置されるのだ。この桎梏を除き、鉄鎖を寸断して、東亜十億の生霊を疾痛惨憺の境涯より救ふものは、ただわが日本あるのみ。英雄起る所形良し、侠勇仁愛の国、あに天恩に恵まれざらんや。特に東方日出づる国を国土とし、世界無比の萬世一系、連綿絶ゆるなき皇統を奉戴するわが九千万民こそ、まことに、この大使命を遂行すべき先天的宿命を有つ世界無比の選民と云わねばならぬ。(上掲書 p. 108.)

  細井は日本の国益よりもアジア人の独立を優先させ、日本人は支那人や朝鮮人、インド人、マレー人などを救うために、命懸けでイギリス人やフランス人、オランダ人、アメリカ人と戦わねばならぬ、と強調していたのだ。アジア人との連帯を提唱する日本人には、論語読みの論語知らずが誠に多い。細井の本を熟読したのかどうか分からぬが、内閣総理大臣の斉藤実や陸軍大臣の荒木貞夫、中央教化団体連合理事の丸山亀吉、そして、錦鶏学院の安岡正篤が推薦文を書いていた。今の高校生は陽明学者の安岡を知らないだろうが、平成という元号を発案した人物とされている。一般的には、占い師の看板でテレビに出ていた細気数子の亭主と言えば分かるはずだ。

  日本人は保守派でも実際の政治が解らぬ人が多い。左翼史観を批判する人でも、英国の植民地支配を糾弾する。だが、日本はアジア人の反乱を支援するより、英国が植民地を維持するよう助けるべきだった。なぜなら、イギリス人がインド人やビルマ人を抱えていれば、英国側の負担が増大するし、植民地での厄介事が頻発すれば、日本が「善意の第三者」として活躍する機会があったのだ。日本人は「誠実な調停者」として双方に恩を売り、両者にとっての良き相談役になることができた。強力な帝国海軍を有する日本の提案なら、イギリス人やインド人も一目置くし、妥協したって国内的に言い訳が立つ。インド人の指導者は仲間に「同じ有色人種の日本人による仲介だから」と言えるし、イギリス人も「中立的な日本人による解決策だから」と議会で抗弁できる。しかし、日本が反英主義を掲げ、インドの独立を支援すれば、英国の輿論は反日的となり、親日のイギリス人は窮地に立たされる。第一、イギリス人の恨みを買うだけで、日本が失う利益の方が大きい。日露戦争を想い出せば解るけど、英国との関係を続けていると諜報活動や軍事・外政の面で有利だ。白人への反撥とか黄色人種との連帯など、鬱憤晴らしの感情論に過ぎない。我々は冷酷な計算で動くべきだ。アジア人の味方をして損をするより、西歐人と癒着して国益を増大させた方がいいじゃないか。

  日本は徳川家康のように力を付けるまで辛抱すべきだった。日本が軍事的・経済的大国となれば、歐米人だって日本人を馬鹿にできないし、日本人だって劣等感に悩まず堂々と威張ることができる。西歐人が厭がる人種平等など叫ばず、彼らに対して「日本人だけ特別扱いにしてくれ!」と頼めばいいじゃないか。ヨーロッパ人やアメリカ人は札束ビンタに弱いから、日本が一流国になれば多少の要求は通してくれるだろう。ユダヤ人はあれほど嫌われていたのに、金貨の力で歐米人を屈服させることができた。白人至上主義を口にしているのは主に下層階級の貧乏人で、中流階級の白人は札束の匂いを嗅ぐと急に紳士的となり、土下座だって厭わない。日本人は歐米の知識人を教育し、彼らの不安感を取り除いてやるべきだった。「日本人はアジア人じゃないから安心しな。君たちの人種秩序は壊さない」と約束してやれば、歐米諸国の抵抗だって少なくなるはずだ。事実、レイシストのウィンストン・チャーチルは日英同盟の建前上、あからさまな日本人差別を口に出来なかった。 

  日本人は日本の国益と幸福を一番にすべきで、アジアの問題に深入りすべきではない。北京政府が香港を隷属させるなら、それは支那人の問題で、日本政府は米国を支援するだけでいいんじゃないか。習近平が香港の価値を潰せば、金融市場としての窓口が消失し、香港ドルを利用していた支那人が困るだけだ。北京政府に弾圧される香港の住民は気の毒だが、支那人に生まれたんだから、その運命を甘受すべきだろう。一方、日本人は政治亡命者とか経済難民が流入しないよう、国境を固く閉じるべきだ。支那人というのは簡単に祖国を捨てる連中だから、情に流されない用心が必要だ。彼らは日本人や西歐人が喜ぶ「自由」とか「デモクラシー」を口にして、豊かな国へ移住しようとする。そして、一旦住み着いた支那人は故郷に戻らない。たとえ、「愛国心」を表明し、香港の自由を渇望する者でも、決して信用してはならず、門前払いにすべきだ。歐米や日本に根を下ろした支那人は、同胞の「自由」なんて興味が無く、関心があるのは自分の財テクである。支那のデモクラシーに共感する日本人は、一度頭から氷水を被って冷静に考えるべきだ。支那人の舌は二枚以上あるんだぞ。
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html#c3

[近代史3] 林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か? 中川隆
17. 中川隆[-9605] koaQ7Jey 2019年6月15日 13:00:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2866]

2019年06月15日
支那人の自治は不幸の素 / アジア主義者の害毒
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68769739.html


支那人が支那人を支配すると不幸になる

Hong Kong 3Hong Kong 1
(写真 / 抗議デモを行う香港の支那人)

  海外の報道によると、香港での抗議デモには100万人が参加したそうだ。ただし、支那の統計には“水増し”が付き物なので実際どれくらいの人数が集まったのか分からない。それでも、ブルムバーグによると、

  香港では中国本土への容疑者の身柄引き渡しを可能にする条例改正案に反対し、9日の大規模デモに続き12日にも再び抗議活動が街頭で行われた。一部参加者は中心部の主要道路を封鎖。群衆は香港政府庁舎に押しかけ、立法会(議会)への侵入を阻止しようとする警官隊が催涙ガスやゴム弾を使用、負傷者が出る事態となっている。(Alex Millson, Protesters Clash with Riot Police in Hong Kong, Bloomberg, June 12, 2019.)

  海外のニュースを受けて、日本のメディアも香港の騒乱を報道していたが、支那の歴史を学んだ者なら、「またか・・・」と思ってしまうだろう。なぜなら、支那では瀆職や詐欺はもちろんのこと、絶えず暴動や抗議が巻き起こっている。夏目漱石を真似る訳じゃないけど、ごく普通の日本人からすれば、「支那人に生まれなくてよかった」というのが正直な感想だ。我々は幸せを当然として生きているが、支那人は不幸を避けながら生きている。日本の近くにある暗黒大陸だと、「サザエさん」や「ちびマル子」ちゃんみたいな暮らしは羨望の的。支那人というのはピラニアの群れと一緒に暮らしているブルーギルと同じで、ちょっとした油断が命取りとなる。日本人はさしずめ弱肉強食を知らないメダカのような民族だ。

  支那人は我々に向かって「悠久の歴史」を自慢するが、彼らの過去は真っ黒か真っ赤のどちらかだ。暴君や独裁者による圧政があったと思えば、易姓革命で国が乱れ、虐殺、略奪、強姦、放火で生き地獄。平和になっても飢饉や搾取で不幸のどん底だ。それでも、支那人はたくましいから金儲けに邁進する。銭と権が手に入ればバラ色の人生だ。黄色い頭巾を被った叛逆者が天下を取ろうが、赤い頭巾を被った共産主義者が君臨しようが、支那人は臨機応変、権力者に取り入って少しでもいいから甘い汁を吸おうとする。支那人に「国民意識」はなく、あるのは「血族意識」か「中華思想」のみ。他人がどうなろうが知ったことではない。支那人が支那人を「統治」すれば「独裁」しかなく、民衆の不幸が統治者の幸福になる。

アジア主義は日本の滅亡

  日本人は香港人の抗議を観ると民衆に同情してしまうが、あんなのは「毎度の事」で驚くことではない。北京政府による専制支配は前から予想されていたことで、「一国両制」を信じていた知識人がアホなだけである。香港が支那側に返還されるとき、経済評論家の邱永漢(きゅう・えいかん)などは「大陸が香港化される」と嘯(うそぶ)いていた。雑誌『Voice』の読者なら、彼の言動を覚えているだろう。「お金儲けの達人」として崇められていた邱永漢は、1997年に香港が返還されると、一攫千金になると思って香港に移住して喜んでいた。しかし、香港からは嘗ての輝きが急激に消え去り、単に支那人が住む陰鬱な島になってしまった。香港の支那人は言論の自由とか人権を叫んでいるが、そんなモノは端っから支那人には無く、あるとしたらイギリス人に教えてもらった法令遵守くらい。「規則を守りましょう」なんて子供への訓戒みたいだが、人を騙すために約束を結ぶ支那人には、これだって中々難しい倫理である。

  日本のマスコミや歴史家は黙っているけど、なぜ彼らは「西歐植民地主義からの解放」を祝福しないのか? 支那人は残酷なイギリス人の支配から解き放されて嬉しいはずなのに、「同胞」の元へ戻されると、イングランドやオーストラリア、カナダへと逃げるように移住したたがる。おかしいじゃないか ! 日本の学校教育ではイギリス人が支那人に阿片を売り込み、清国にあった銀を巻き上げてボロ儲けしましたと書いている。そして、阿漕(あこぎ)なイギリス人はこの密貿易を林則徐に咎められると、アヘン戦争を起こして南京条約を押しつけました、と嘆いているのだ。悪名高い歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』でも、このアヘン戦争を取り上げ次のように書いている。

  ・・・イギリスは、広州・上海など5港を開港させ、香港を植民地として獲得し、さらに賠償金・約2100万ドルを支払わせました。(『ともに学ぶ人間の歴史』 学び舎、2018年、p.155.)

  支那の実態を知らない日本人は、「麻薬漬けにされた可哀想な支那人。イギリス人は強欲な悪党」と思っている。しかし、阿片なんか昔から支那人が楽しんでいる嗜好品で、今のコーヒーかタバコのようなものだ。仕事の後に飲む栄養ドリンクと思えばいい。日本の学校教師は何かと言えばアヘン戦争を口にして西歐列強を非難するが、下層階級の支那人にとったら誰が支配者になろうが関係なく、モンゴル人から満洲人に変わって何百年かしたら、外見の違うヨーロッパ人に支配されたというだけ。考えてもみよ。香港の支那人はイギリス人が君臨したことで赤貧となり、自殺に追い込まれたり、飢餓でバタバタと死に絶えたのか? 現実は逆である。共産党の天下となった大陸からは毛沢東の大躍進や文化大革命を嫌って支那人が逃げだし、“白人支配”の香港へと流れ込んだ。また、日本軍によって解放されたインドシナで内戦が始まると、フランス人を慕うベトナムは難民となって香港に雪崩れ込み、他のベトナム人もこれまた嫌いなはずの白人国家であるアメリカやオーストラリアに避難した。アジア人は何か困ると直ぐ白人国家へと逃げ込む癖がある。

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(左 : 阿片を吸引する支那人 / 右 : 阿片を支那人に売りつけるイギリス人の風刺画)

  日本の一般人はアジア人の本質を吟味せず、勝手に自分の感情を植え付け、彼らも同じ反西歐意識を持つはずだと思い込む。この単純な発想を利用したのが戦前の大東亜主義者であり、日本を対米戦争で破壊しようと目論んだ左翼である。近衛文麿や尾崎秀実、米内光政らの「南進」派は、帝国陸海軍を仏印や蘭印へと向かわせ、英蘭仏と反目させてから米国と衝突するよう仕組んだ。スターリンと日本の共産主義者からすれば、憎き西歐列強と日本を戦わせ、両者をボロボロにしてから戦争の果実をもぎ取る方が賢い、と考えたのであろう。ソ連型の全体主義に憧れた軍官僚や赤い知識人は南進を後押しすべく、それを正当化するような「大義名分」を世間にばら撒いた。「大東亜共栄圏」とか「東亜共同体」といったスローガンは日本人を騙す常套句で、アジアの共産主義化を目指し、ついでに我が国をアジアに埋没させようとする策略である。大東亜新秩序の建設を提唱した大川周明や、日本と朝鮮との合併を説いた樽井藤吉を想い出せば分かるじゃないか。

  こうしたアジア主義をバックアップしたのは、「白人支配の打倒」とか「アジアの解放」を謳った反西歐主義である。大東亜共栄圏を外交理念にしていた近衛文麿が、『英米本位の平和主義を排す』という論文を書いていたのは偶然ではない。公家の筆頭を自認する近衛には、白人から愚弄された屈辱感があり、自分の恨みを晴らすためには日本の独立を捨てても惜しくはなかった。日本人は西歐白人と対等になりたいという願望が非常に強いから、その白人から邪険にされると烈火の如く怒ってしまう。失恋と怨念は双子の兄弟みたいなもので、好意を寄せる歐米人から侮蔑された日本人は、好きでもないアジアへの共感を無理矢理つくり、「黄色人種」という共通点を掲げて白人に復讐しようと考える。だが、元々アジア人には馴染みがないので、生理的に受け容れることができない。同じ黄色人種といっても、支那人や朝鮮人とは全く違うし、インド人やマレー人などは別の宗教に属する茶色い人種だ。それに「アジア人」となれば、ペルシア人やアラブ人、トルコ人、ユダヤ人も含まれるはずだが、これらの民族は日本人との接点はなく、ヨーロッパ人よりも遠い存在である。

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( 左 : 宮崎滔天 / 中央 : 内田良平 / 右 : 頭山満 )

  ところが、戦前の国粋主義者とか右翼、民族主義者などは、ヨーロッパ人の勝手な学説に従い、これといった検証もせず、日本人をアジアの一員と見なしていた。しかし、普通の庶民は自らをアジア人とは思っていなかったし、アジア人への親近感が無かったのは、内地にやって来た朝鮮人と接したときに明らかだった。ロシア人が朝鮮半島を支配するのは困るが、あの貧乏民族を背負い込むのは愚策中の下策である。イギリス人かアメリカ人に譲ればよかった。普通の日本人はアジアと係わりたくなかったのに、知識人にはアジア主義にかぶれ、反西歐主義に共鳴する者が多く、その言説は無責任極まりない。宮崎滔天や内田良平、頭山満たちは支那に対し過大な幻想と期待感を抱き、支那人への援助を惜しまなかった。その一方で、アジア主義者たちは「白人による世界侵略」を糾弾し、日本はアジア民族を覚醒させる希望の光になれと唆(そそのか)していた。(支那人やモンゴル人、イスラム教徒の侵略には無関心だったのに、西歐人の帝国主義だけは赦せないというのは、どういう了簡なんだ ? ) 昭和のアジア主義者には祖国を滅亡させてもアジアを救いたいと考える輩が多かった。例えば、朝鮮問題に詳しかった細井肇は、殊のほか歐米人のアジア蔑視を咎めている。彼は支那を侵食した列強に言及し、

  元来、白人は、有色人種の人格を認めていない。人間が平気で獣肉を食用するように、有色人種の汗血を搾取することを当然の権利のように心得ている。(細井肇 『日本の決意』 大日本雄辯會講談社、昭和7年 p.84.)

  こうした文章を目にすると、「東洋主義者って本当に世界知らずだなぁ〜」と思ってしまう。圧倒的優越性を持って他国を征服する民族は、どれもこんな調子で異民族を愚弄するものである。例えばもし、蒙古軍が鎌倉武士を打ち破り、日本各地を制圧したら、モンゴル人は日本人の人格を認め、平等に扱ってくれるのか? モンゴル史を学べば分かるけど、彼らは支配民族として君臨し、平等主義や人道主義を以て異民族を統治することはない。敗北した民族の搾取なんか当たり前。支那人の課税ときたら2年3年先はもとより、10年ないし20年先の徴税だって珍しくない。また、不運にもロシア人に支配されれば、日本人は必ずや農奴にされるだろう。現在、黄色人種の支那人はチベット人やウィグル人を支配しているが、北京の赤い悪党は辺境民族の人格どころか、生命までも踏みにじっている。他方、南鮮人は夜郎自大も甚だしく、誇るモノは何も無いのに、日本人を格下扱いして優越感に浸っているけど、これはどうなのか?

  細井の「扇動文」を読むと、戦前にはびこったアジア主義者の害悪がよく分かる。彼は以下のように煽っていた。

  ・・・世界全土は、日本以外、全く白人の握裏に帰属し、特に東亜十億の生霊は、ほとんど白人の奴隷として、望みなく、光なく、頼りなき、わずかに死せざる境涯に放置されるのだ。この桎梏を除き、鉄鎖を寸断して、東亜十億の生霊を疾痛惨憺の境涯より救ふものは、ただわが日本あるのみ。英雄起る所形良し、侠勇仁愛の国、あに天恩に恵まれざらんや。特に東方日出づる国を国土とし、世界無比の萬世一系、連綿絶ゆるなき皇統を奉戴するわが九千万民こそ、まことに、この大使命を遂行すべき先天的宿命を有つ世界無比の選民と云わねばならぬ。(上掲書 p. 108.)

  細井は日本の国益よりもアジア人の独立を優先させ、日本人は支那人や朝鮮人、インド人、マレー人などを救うために、命懸けでイギリス人やフランス人、オランダ人、アメリカ人と戦わねばならぬ、と強調していたのだ。アジア人との連帯を提唱する日本人には、論語読みの論語知らずが誠に多い。細井の本を熟読したのかどうか分からぬが、内閣総理大臣の斉藤実や陸軍大臣の荒木貞夫、中央教化団体連合理事の丸山亀吉、そして、錦鶏学院の安岡正篤が推薦文を書いていた。今の高校生は陽明学者の安岡を知らないだろうが、平成という元号を発案した人物とされている。一般的には、占い師の看板でテレビに出ていた細気数子の亭主と言えば分かるはずだ。

  日本人は保守派でも実際の政治が解らぬ人が多い。左翼史観を批判する人でも、英国の植民地支配を糾弾する。だが、日本はアジア人の反乱を支援するより、英国が植民地を維持するよう助けるべきだった。なぜなら、イギリス人がインド人やビルマ人を抱えていれば、英国側の負担が増大するし、植民地での厄介事が頻発すれば、日本が「善意の第三者」として活躍する機会があったのだ。日本人は「誠実な調停者」として双方に恩を売り、両者にとっての良き相談役になることができた。強力な帝国海軍を有する日本の提案なら、イギリス人やインド人も一目置くし、妥協したって国内的に言い訳が立つ。インド人の指導者は仲間に「同じ有色人種の日本人による仲介だから」と言えるし、イギリス人も「中立的な日本人による解決策だから」と議会で抗弁できる。しかし、日本が反英主義を掲げ、インドの独立を支援すれば、英国の輿論は反日的となり、親日のイギリス人は窮地に立たされる。第一、イギリス人の恨みを買うだけで、日本が失う利益の方が大きい。日露戦争を想い出せば解るけど、英国との関係を続けていると諜報活動や軍事・外政の面で有利だ。白人への反撥とか黄色人種との連帯など、鬱憤晴らしの感情論に過ぎない。我々は冷酷な計算で動くべきだ。アジア人の味方をして損をするより、西歐人と癒着して国益を増大させた方がいいじゃないか。

  日本は徳川家康のように力を付けるまで辛抱すべきだった。日本が軍事的・経済的大国となれば、歐米人だって日本人を馬鹿にできないし、日本人だって劣等感に悩まず堂々と威張ることができる。西歐人が厭がる人種平等など叫ばず、彼らに対して「日本人だけ特別扱いにしてくれ!」と頼めばいいじゃないか。ヨーロッパ人やアメリカ人は札束ビンタに弱いから、日本が一流国になれば多少の要求は通してくれるだろう。ユダヤ人はあれほど嫌われていたのに、金貨の力で歐米人を屈服させることができた。白人至上主義を口にしているのは主に下層階級の貧乏人で、中流階級の白人は札束の匂いを嗅ぐと急に紳士的となり、土下座だって厭わない。日本人は歐米の知識人を教育し、彼らの不安感を取り除いてやるべきだった。「日本人はアジア人じゃないから安心しな。君たちの人種秩序は壊さない」と約束してやれば、歐米諸国の抵抗だって少なくなるはずだ。事実、レイシストのウィンストン・チャーチルは日英同盟の建前上、あからさまな日本人差別を口に出来なかった。 

  日本人は日本の国益と幸福を一番にすべきで、アジアの問題に深入りすべきではない。北京政府が香港を隷属させるなら、それは支那人の問題で、日本政府は米国を支援するだけでいいんじゃないか。習近平が香港の価値を潰せば、金融市場としての窓口が消失し、香港ドルを利用していた支那人が困るだけだ。北京政府に弾圧される香港の住民は気の毒だが、支那人に生まれたんだから、その運命を甘受すべきだろう。一方、日本人は政治亡命者とか経済難民が流入しないよう、国境を固く閉じるべきだ。支那人というのは簡単に祖国を捨てる連中だから、情に流されない用心が必要だ。彼らは日本人や西歐人が喜ぶ「自由」とか「デモクラシー」を口にして、豊かな国へ移住しようとする。そして、一旦住み着いた支那人は故郷に戻らない。たとえ、「愛国心」を表明し、香港の自由を渇望する者でも、決して信用してはならず、門前払いにすべきだ。歐米や日本に根を下ろした支那人は、同胞の「自由」なんて興味が無く、関心があるのは自分の財テクである。支那のデモクラシーに共感する日本人は、一度頭から氷水を被って冷静に考えるべきだ。支那人の舌は二枚以上あるんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68769739.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c17

[近代史3] 中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口 中川隆
17. 中川隆[-9604] koaQ7Jey 2019年6月15日 16:38:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2867]

【我那覇真子「おおきなわ」#72】
現在進行形のジェノサイド、野村旗守氏が語る中国臓器移植の闇[桜R1-6-7] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO9TpZN5tgU


【我那覇真子「おおきなわ」#73】
野村旗守〜共産党王朝の残虐性が生んだ、「臓器売買ビジネス」というジェノサイド[桜R1-6-14] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7PwxamiyWu0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c17

[近代史3] 中国の法輪功弾圧者に対する国際的懲罰が始まった 中川隆
1. 中川隆[-9603] koaQ7Jey 2019年6月15日 16:39:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2868]

【我那覇真子「おおきなわ」#72】
現在進行形のジェノサイド、野村旗守氏が語る中国臓器移植の闇[桜R1-6-7] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO9TpZN5tgU


【我那覇真子「おおきなわ」#73】
野村旗守〜共産党王朝の残虐性が生んだ、「臓器売買ビジネス」というジェノサイド[桜R1-6-14] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7PwxamiyWu0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/469.html#c1

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
38. 中川隆[-9602] koaQ7Jey 2019年6月15日 16:40:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2869]

毒を以て毒を制す


【我那覇真子「おおきなわ」#72】
現在進行形のジェノサイド、野村旗守氏が語る中国臓器移植の闇[桜R1-6-7] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO9TpZN5tgU


【我那覇真子「おおきなわ」#73】
野村旗守〜共産党王朝の残虐性が生んだ、「臓器売買ビジネス」というジェノサイド[桜R1-6-14] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7PwxamiyWu0
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c38

[近代史3] 河添恵子 中国臓器狩りの真実 人道を超えた臓器売買&移植手術の実態 中川隆
4. 中川隆[-9601] koaQ7Jey 2019年6月15日 16:55:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2870]

【我那覇真子「おおきなわ」#72】
現在進行形のジェノサイド、野村旗守氏が語る中国臓器移植の闇[桜R1-6-7] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO9TpZN5tgU


【我那覇真子「おおきなわ」#73】
野村旗守〜共産党王朝の残虐性が生んだ、「臓器売買ビジネス」というジェノサイド[桜R1-6-14] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7PwxamiyWu0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/199.html#c4

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
30. 中川隆[-9600] koaQ7Jey 2019年6月15日 17:36:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2871]

老後に2000万円不足するって? 2019年06月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-776.html

 金融庁試算「老後に不足…金融資産2000万円」を年金受給者は用意できている?
 https://www.fnn.jp/posts/00046751HDK/201906122000_MEZAMASHITelevision_HDK

 金融庁報告書
 https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf

 一部の特権階級や、巨額の相続をした人を別にすれば、大半の人は「いったい、どこの国の話なの?……」と訝るところだろう。
 大半の日本国民にとって、2000万円という資産は、遠い他国の夢物語であり、1000万円だって、現在の40〜50歳代にとっては、はるかに遠い雲上の高嶺であろう。

 バブル時代を経験した人々にとっては、数千万円の貯蓄は珍しくもなかったが、21世紀に入って、竹中平蔵が登場し、「日本を格差社会にする」と宣言して、その通りになってからというもの、平均ラインを下回る大半の人々にとって、リストラに怯える毎日であり、子供の学費だって、半世紀前の10倍にも達していて、まともな貯蓄のある家庭など珍しい存在になっている。

https://blog-imgs-127.fc2.com/t/o/k/tokaiama/tyotiku1.jpg


上のグラフは、内閣府の制作したもので、政権に都合の良い嘘が多分に含まれていると思うべきだが、とりあえず真に受けるとして、今から25年前、1994年は、年収400万円(可処分所得)世帯の貯蓄率は、13%であり、年間52万円の貯蓄を行っていた。

 ところがバブル崩壊の象徴である山一証券倒壊1997年末から、日本人の貯蓄率は激減していった。

 小泉政権が登場した2000年には、貯蓄率は3.8%まで下がり、同じ年収400万世帯では年間、わずか15万円にまで下がった。

 新自由主義思想が竹中平蔵によってアメリカから持ち込まれ、容赦のないリストラ=労働者待遇悪化と株主最優遇思想が日本に持ち込まれたからである。
 2008年以降は、先進国最低水準の貯蓄率になり、2013年以降は、わずか1%前後、年収400万世帯で4万円しか貯蓄できないレベルにまで堕とされている。

 それだけ労働者の生活は、口に出せないほど苛酷化しているわけで、その原因は、消費増税と教育費と指摘する人が多い。

 以下は、大学の授業料推移である。

https://blog-imgs-127.fc2.com/t/o/k/tokaiama/KYOUIKUHI1.jpg


 これによると、1977年の私大授業料は年間25万円、国大は10万円前後である。ところが、2012年では、私大年87万円、国大53万円である。

 昨年2018年度では、国大が年54万(初年度93万)私大が77万(初年度130万)であり、医学部に関しては、国公立が54万(初年度123万)、私大が269万(初年度728万)となっている。

 http://eic.obunsha.co.jp/pdf/educational_info/2018/0910_1.pdf

  サラリーマンの平均年収推移を見てみよう。

https://blog-imgs-127.fc2.com/t/o/k/tokaiama/nensyu2.jpg

 大半の人々の実感通り、右肩下がりに収入は下がってきている。

  1997年の平均年収が467万円であるのに対し、2009年では406万円になっている。 1995年に、年収460万円で子供を私大に生かせたときの支払額は、授業料のみで年73万円だったが、2012年度では、年収が408万円に下がっているのに、授業料のみで87万円、入学金こみで130万円程度になっている。

 世帯年収に対する学費の割合は、1995年=16% 2012年=21%になっていて、現在は、はるかに拡大している。来年からは、さらに値上げが予定されているので、本当に、子供を大学にやるのは、普通の家庭では昭和初期なみに無理になっている。

 とりわけ、医学部は、寄付金を要求されるため年間1000万円が普通なので、よほどの特権階級子弟でないと行くのは無理であり、医師になるのも完全に金次第になってしまった。

 自民党(公明党・維新)の悪政によって、まるで戦前のような差別社会に変わってきていて、金がなければ学校にさえ進学できない時代であり、いずれ、子供の身売りや、「おしん」のような運命の子供がたくさん登場してくることになりそうだ。

 一般国民=庶民の生活は、消費増税のような悪政によって追い詰められ、生活のために、大学に行くどころではなく、新しい時代の「身売り」さえ起きそうな事態になっている。

 「これで、いったいどうやって2000万円貯めろというんだ!」
 大方の庶民は、こう叫ぶしかないほど追い詰められている。

 「新しい時代の身売り」とは何か? といえば、それは、風俗産業に向かうか、兵士になるかということである。昔と違って、男もホストになるし、女も兵士になる時代になっているが、「金のための身売り」という本質は変わらない。
 若者たちの仕事がなくなれば、手っ取り早い就職口は兵士か売春しかないのだ。そして、社会全体で言えることは「人の命の値段が極端に安くなる」ことである。

 国家の為政者は、大量に集まってくる兵士たちの命を売りさばくために、積極的に戦争に出ようとするだろう。

 例えば、今、アメリカによって経済的な締め付けが行われている中国が向かう方角には、若者たちの命を金に換える=つまり、戦争を積極的に仕掛けるような政策を実行するしか救いがなく、追い詰められた政権の行き着く先は、歴史上、世界のどこでも同じことである。

 人々が貧しくなれば、確実に戦争がやってくる。

 老後資金に2000万円が必要と、金融庁の諮問委員会が報告した背景には、委員会のメンバーの構成がある。

 冒頭にリンクした金融庁報告書の諮問メンバーの多くが、投機投資企業関係者である。大学教授組だって、投資信託企業出身者が多い。

 つまり、庶民に対し「貯蓄を投資(博打)に回せば2000万円貯まるぞ」と言いたげである。このメンバーは、金融投機資本関係者の回し者であると断定しても差し支えないほどだ。

 リストラに怯えながら過労死寸前の苛酷労働にさいなまれ、ボーナスも減らされ、労働者としての権利を剥奪されて、竹中平蔵に金が回るだけの派遣労働者にされて、年収200万円台の収入でギリギリの暮らしを強いられている多くの労働者階級にとって、「2000万円貯めろ」という日本政府の提言には、激怒で答える以外にないとともに、「2000万円どころか200万円貯めるだって、もの凄い大変」な日常生活で、このまま自分たちの老後は何が起きるのか? という不安感が毎日の生活をさらに締め付けてゆく。

 現実問題として、今の40歳代以下の労働者が年金受給が可能かといえば、自民党が政権を担っているかぎり絶望というしかない。安倍政権は、年金受給年齢を70歳にするとまで恐ろしいことを言っている。つまり70歳まで奴隷として働かせると……。
 それでも年金だけで生活不能だから、金を貯めろと要求しているわけだ。

 しかし、それは、あくまでも戦後資本主義社会が延命することを前提にした話で、これほどまで追い詰められた庶民が、資本主義経済下における孤立した小家族社会が続いてゆくのは不可能である。

 現在の資本主義社会に飼育され、小家族で対立する社会底辺のなかで、これまでのような個人主義に立脚した孤立した生活は不可能と断言するしかない。
 もう少しいえば、これからは、小家族では決して生き抜くことができない時代がやってくる。

 家も、生活手段も、生活の道具類(洗濯機や冷蔵庫、エアコン)も、すべて共同で利用するスタイルに変え、いわば「部族生活」のような原始的な共同体生活をイメージした生活を組み立てないと、もう生き抜いてゆくことはできないのである。
 この時代の推移を私は20年以上前から予感していて、このブログでも、十年以上前から大家族生活について、繰り返し書いてきている。
  
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-18.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2288601.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-20.html

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-21.html

  http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2371533.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-24.html

 一部は、ヤフーブログ管理者が、勝手に消してしまい、FC2ブログへの移行もできないものがあるので、バラバラになってしまった。
 これを書き始めたのは、2005年頃からである。

 はっきり申し上げれば、老後に2000万円積み立てたって無駄なことだ。金融投機に入れ込めば、大半が国際金融資本に有り金残らず巻き上げられるのがオチで、個人がファンドのコンピュータ運営に勝てるわけがないのだ。

 今、年金資金120兆円を、安倍政権肝いりの年金財団が国際株市場やデリバティブ投機に大半を投資してしまっているが、すでに国際的な株価暴落傾向のなかで、損失は取り返しのつかない50兆円レベルまで膨らんでいるといわれ、日本政府官僚による投機財団など、世界の「生き馬の目を抜く」ファンドから見れば、「カモネギ」以外のものではない。
 とりわけ、安倍政権の人気取りが最終目標である株投機については、外国ファンドから足下を見られて、いいように利益を抜かれているといわれる。
 http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/275.html

 https://togetter.com/li/1365768

 だから、日本人が安倍政権を容認したことで、松原照子が30年前に予言したとおり「草も食べられなくなる」社会に、本当になってしまっているのだ。

 こんな恐ろしい事態になって、なお生き抜こうとすれば、それは金に頼るような発想では無理だ。

 我々は人間であり、最期は「人間に頼る」しかないのである。

 2000万円なんか必要ない! 必要なのは、人間の連帯である。

 少なくとも20名前後の、小さな集団で、「大家族生活」を作りだし、過疎の田舎のなかで自然に依拠した共同生活を志向する以外に、生き延びる道はないのだ。
 今後は、これを主題に、ブログを書いてゆくつもりだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-776.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c30

[国際26] 米政府はタンカー攻撃で反イランの宣伝を始めたが、早くもほころび(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
5. 中川隆[-9599] koaQ7Jey 2019年6月16日 08:36:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2872]
櫻井ジャーナルに騙されるな
櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。

ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/616.html#c5

[お知らせ・管理21] 2019年06月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
56. 2019年6月16日 12:40:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2870]
>>55
>いきなり現れて、『馬鹿』『阿呆』と中傷する輩と、どこに議論の場がありますか?


>>55さんは現代のネット世界に適応できない人なので、ネットはやらない方がいいですね。

今は日進月歩で世の中が変わっている時代なので、100年前の習慣を捨てられない人が居るとみんなが困るのです。

>>55さんが阿修羅に来なければすべて解決する問題です。



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/558.html#c56

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
63. 中川隆[-9601] koaQ7Jey 2019年6月16日 13:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2871]
2019.06.16
秋篠宮夫妻、要人の来日時に海外旅行

要人の来日に合わせて、海外逃亡(?)の秋篠宮ご夫妻

天皇皇后両陛下は今月27日に予定されているフランスのマクロン大統領夫妻との会見をはじめ、来月の1日にはトルコのエルドアン大統領、2日にはサウジのムハンマド皇太子と会見。

G20の開催に合わせて、来日する海外の要人との面会が次々に決定しています。

トランプ大統領夫妻との会見の時には、「いちいち、出しゃばってきてウザい」と散々な酷評を受けた秋篠宮ご夫妻。今回のG20に合わせて来日する海外の要人との会見でも、「また、しゃしゃり出てくるか?」と思いきや。なんと、日本にはおらず海外旅行に出かけているそうです。

現在、皇位継承順位第1位の皇嗣であり、もしも今上陛下に何かがあれば天皇となることを考えれば、海外の要人と会って親睦を深めることは非常に重要でしょう。

しかし、それにも関わらず、夫婦で海外旅行に出かける非常識さは理解に苦しみます。

特に、今回の海外の要人との会見はG20に合わせて行われるものなので事前におおよその会見時期は決まっていたハズです。

偶然海外旅行と予定が重なったのではなく、意図的に海外の要人と天皇陛下との会見に合わせて旅行の日程を組んだと解釈すべきでしょう。

昔から常識がなかった秋篠宮殿下

秋篠宮ご夫妻のあまりの常識の無さには呆れるほかありませんが、実は秋篠宮殿下に関しては、こういった非常識な振る舞いは今回が初めてではありません。

昭和天皇の喪中であった89年には秋篠宮殿下はタイに旅行してソープランド巡り。さらに、1996年の4月には、なんとクリントン大統領夫妻を招いた宮中晩餐会の予定をキャンセルしてタイ旅行に出かけています。

96年のタイ旅行では、「タイにいる愛人に会いに行ったのではないか?」と噂されていますが、その噂が真実であろうがなかろうが、アメリカ大統領夫妻を招いた宮中晩餐会の予定を蹴って旅行に出かけている時点で普通では考えられない行動です。


関連記事
秋篠宮「げへへ、女を買いたい」 タイで“ソープランド巡り”に宮内庁困惑! 現地には“隠し子”も
2019年6月10日
https://rondan.net/24115


天皇皇后両陛下のカリスマ性に恐れをなして海外逃亡か?

そして今回は、フランスとトルコの大統領と、サウジの皇太子の来日と面会に合わせて海外旅行……一体、何がしたいのでしょうか?

このような奇妙な振る舞いに関して、いくつか理由は考えられますが、一つは単純に嫌がらせです。重要な会見で本来傍についていなければならないハズの皇嗣がいないとなれば、天皇陛下に恥をかかせられるかもしれません。

まあ、そのようなことをすれば、現実にもっと大きな恥をかくのは秋篠宮殿下御自身でしょうが。
https://rondan.net/24597
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c63

[お知らせ・管理21] 2019年06月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
58. 2019年6月16日 14:24:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2872]
日高見連邦共和国は『バカ、アホ、キチガイ』じゃなくて IQ 低いだけだよ

知恵遅れとは関わらない方がいい
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/558.html#c58

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
106. 2019年6月16日 14:44:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2873]

スマホ 内斜視に影響 8割 使用と関連/中止で改善も 2019年6月16日


内斜視などの研究報告があった日本弱視斜視学会と日本小児眼科学会の総会=14日、浜松市中区で

◆浜松医大グループ発表


 日本弱視斜視学会総会と日本小児眼科学会総会の合同学会が十四日、浜松市中区のアクトシティ浜松であり、浜松医科大の佐藤美保病院教授らの研究グループは、短期間に片方の目の瞳が内側に寄って左右の視線がずれる「急性内斜視」について、子どもや若者の間でスマートフォンなどの過剰使用が影響している可能性があると発表した。


 浜医大や国立成育医療研究センターの研究グループは、両学会の眼科医千八十三人を対象に急性内斜視とスマホなどのデジタル機器の関連についてアンケートを実施し、三百六十九人から回答を得た。


 このうち、昨年一年間に五〜三十五歳の急性内斜視の患者を診察した眼科医は百五十八人。その八割近い百二十二人がデジタル機器の使用が発症に関連したと思われる症例があったと答えた。三十七人はデジタル機器の使用を中止すると症状が改善した患者を診た。


 研究グループは今後、患者やリスク因子を詳しく調べ、因果関係を明らかにするという。 (坂本圭佑)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201906/CK2019061602000131.html
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c106

[リバイバル3] スマホやノートパソコンを長期間使っていると失明する 中川隆
5. 中川隆[-9600] koaQ7Jey 2019年6月16日 14:44:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2874]

スマホ 内斜視に影響 8割 使用と関連/中止で改善も 2019年6月16日


内斜視などの研究報告があった日本弱視斜視学会と日本小児眼科学会の総会=14日、浜松市中区で

◆浜松医大グループ発表


 日本弱視斜視学会総会と日本小児眼科学会総会の合同学会が十四日、浜松市中区のアクトシティ浜松であり、浜松医科大の佐藤美保病院教授らの研究グループは、短期間に片方の目の瞳が内側に寄って左右の視線がずれる「急性内斜視」について、子どもや若者の間でスマートフォンなどの過剰使用が影響している可能性があると発表した。


 浜医大や国立成育医療研究センターの研究グループは、両学会の眼科医千八十三人を対象に急性内斜視とスマホなどのデジタル機器の関連についてアンケートを実施し、三百六十九人から回答を得た。


 このうち、昨年一年間に五〜三十五歳の急性内斜視の患者を診察した眼科医は百五十八人。その八割近い百二十二人がデジタル機器の使用が発症に関連したと思われる症例があったと答えた。三十七人はデジタル機器の使用を中止すると症状が改善した患者を診た。


 研究グループは今後、患者やリスク因子を詳しく調べ、因果関係を明らかにするという。 (坂本圭佑)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201906/CK2019061602000131.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/903.html#c5

[近代史3] スマホやノートパソコンを使っていると失明する 中川隆
2. 中川隆[-9599] koaQ7Jey 2019年6月16日 14:45:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2875]

スマホ 内斜視に影響 8割 使用と関連/中止で改善も 2019年6月16日


内斜視などの研究報告があった日本弱視斜視学会と日本小児眼科学会の総会=14日、浜松市中区で

◆浜松医大グループ発表


 日本弱視斜視学会総会と日本小児眼科学会総会の合同学会が十四日、浜松市中区のアクトシティ浜松であり、浜松医科大の佐藤美保病院教授らの研究グループは、短期間に片方の目の瞳が内側に寄って左右の視線がずれる「急性内斜視」について、子どもや若者の間でスマートフォンなどの過剰使用が影響している可能性があると発表した。


 浜医大や国立成育医療研究センターの研究グループは、両学会の眼科医千八十三人を対象に急性内斜視とスマホなどのデジタル機器の関連についてアンケートを実施し、三百六十九人から回答を得た。


 このうち、昨年一年間に五〜三十五歳の急性内斜視の患者を診察した眼科医は百五十八人。その八割近い百二十二人がデジタル機器の使用が発症に関連したと思われる症例があったと答えた。三十七人はデジタル機器の使用を中止すると症状が改善した患者を診た。


 研究グループは今後、患者やリスク因子を詳しく調べ、因果関係を明らかにするという。 (坂本圭佑)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201906/CK2019061602000131.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/342.html#c2

[リバイバル3] 中古オーディオ販売店 中川隆
14. 中川隆[-9597] koaQ7Jey 2019年6月16日 15:25:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2877]

めろでぃや・オリジナル RFT

めろでぃや・オリジナルスピーカー、今回は旧東ドイツRFT社のユニットを使ったシステムです。

2way
20cm フルレンジ L2153 PBK 4VA 6Ω
6cmツイーター LP554-6 1.5VA 6Ω

6db/Oct、コンデンサーによるローカット

寸法 幅25x奥行き25x高さ63センチ

今回も日光市の山越木工房さんにエンクロージャーを製作していただきました。

山越木工房さんの成形合板の技術をいかしたエンクロージャー。
随所に桜材を使い家具としても美しい仕上がりです。
もちろん音色もとても澄んだ美しい感じがします。

価格はお問い合わせ下さい。
http://www.melodiya.audio/audio/detail.php?n=0041


めろでぃや・オリジナル KSP130K

スピーカーユニットは旧東ドイツ、PGH Elektrotechnik Meissen, KSP130K 5VA, 5Ω。

モニタースピーカーとして使われていたようです。
箱の容量はほぼオリジナルを踏襲しています。

密閉型、山越木工房さんの成形合板の技術をいかしたエンクロージャー。
随所に桜材を使い家具としても美しいです。

寸法 63x19x25センチ

音色については東ドイツ特有の音!としか言いようが無いのです。西ドイツとも違う柔らかさがあります。5Ωの真空管アンプが無いので米crownの業務用アンプで鳴らしていますが、じつに清らかな音です。

スピーカーユニットは売り切れです。次回入荷までお待ち下さい。
http://www.melodiya.audio/audio/detail.php?n=0040
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/834.html#c14

[リバイバル3] 中古オーディオ販売店 中川隆
15. 中川隆[-9596] koaQ7Jey 2019年6月16日 15:27:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2878]

シーメンス siemens
2wayオリジナルボックス仕様

 シーメンスの20センチフルレンジスピーカーに同じくシーメンスのツイーターを追加しました。

siemens/klangfilm に20センチフルレンジを2発使ったシステムがありますが、これにツイーターを追加して、広帯域化を図りました。

写真はデモ用ですのでツイーターも2発ですが、家庭で使うには1発でも良いかと思います。

 できあがるまで時間がかかってしまいましたが、予想通りの音色となりました。ツイーターを追加したおかげで低域は余裕が出てふくよかになり、きれいな高域が出ます。ネットワークは単純な6db/oct型を採用。コンデンサー1個で低域を減衰していますので、伸びやかな音色が楽しめます。

 店頭では出力7ワットほどのシーメンスの可搬型映写機用アンプで鳴らしています。

使用ユニット 6Ruf lsp 22Cx2, tweeter 6Ruf lsp 28x2


合成インピーダンス 8オーム
9ミリ厚のMDFにビニールレザー張り、正面はスウェード調の人造皮革張り。
寸法 幅428x高さ545x奥行き393ミリ

売り切れ
http://www.melodiya.audio/audio/detail.php?n=0037
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/834.html#c15

[リバイバル3] 中古オーディオ販売店 中川隆
16. 中川隆[-9595] koaQ7Jey 2019年6月16日 15:30:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2879]


めろでぃや謹製

スピーカーボックス/エンクロージャー できあがりました

シーメンスの14g や KL-L307 など、ユニットに取り付けのためのねじ穴がないスピーカーを箱に固定するための方法をいろいろと考えていました。本来はバッフル板には金具で押さえつけています。この方法でも問題は無いのですが、へそ曲がりの私は他ではやっていないことを試してみたかったのです。

バッフル板にユニットを直接取り付けない。
ユニットのフレームをネジ等で固定しない。
バッフル板とスピーカーのユニットの前面をつらいちにする。
これらの条件を満たしています。意図するところは「響き」を大切にしたいということです。

ユニットを箱に固定すると、箱自体の響きが音に大きく影響します。この影響を極力排除したかったのです。
また、発音体であるユニットと共鳴体(振動体)である箱の関係に注目しました。弦楽器をみると発音体である弦の振動は「駒」を伝わり、表板に伝わり、さらに「魂柱」が駒から伝えられた弦の振動を裏板に伝える。「共鳴」が豊かな弦楽器の音色を作ってくれるのです。つまり、発音体を共鳴体に固定する必要はないのではないかと。

ユニットをバッフルに固定していないのでユニット自体の振動は箱には直接伝わりません。よって、低域の量感は不足しますが、音の濁りを少なくできたと思っています。そもそも20センチから25センチクラスのフルレンジスピーカーに豊かな低音を望むのも無理な話だと思っています。板の厚さをなるべく薄くした(15ミリ)のも箱自体を鳴らすよう心がけたためです。このため、板の材質による固有の音が性格となって現れてくるようです。

「楽鳴舎」さんの店頭ではsiemens coaxial シーメンス、25センチ、コアキシャル アルニコユニット搭載型を聞くことができます。「楽鳴舎」さんにある箱はカバ合板仕様のものです。http://rakumeischa.cocolog-nifty.com/audiotubes/2013/05/post-d226.html

使用する材はカバ合板またはブナ合板。ウレタン塗装です。
色も選ぶこともできます。
20センチ用と25センチ用の2サイズをご用意しています。
お手持ちの14g等にもセットできます。

写真は20センチ用、ブナ合板、クリア塗装です。上部に意匠を施しました。
寸法 幅295ミリx奥行き230ミリx高さ480ミリ
板厚 15ミリ
背面解放型

製作期間 2〜3ヶ月 価格は製作台数によりますのでお問い合わせ下さい。
製作にあたって1台づつ現物合わせをしますのでお手持ちのユニットを送っていただくようになります。
http://www.melodiya.audio/audio/detail.php?n=0017


めろでぃや謹製

スピーカーボックス/エンクロージャー

siemens/klangfilm KL-L307などフレームに取り付けねじ穴の無いユニット用のスピーカーボックス/エンクロージャーです。先にご紹介した14g用と同じ考えによる設計です。

寸法 幅410ミリx奥行き275ミリx高さ530ミリ
ブナ合板 板厚15ミリ カバ合板仕様もあります。
ウレタン塗装 上部に意匠を施しました。
背面解放型


納期 2〜3ヶ月
価格は製作台数等により変わりますのでお問い合わせ下さい。
http://www.melodiya.audio/audio/detail.php?n=0019
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/834.html#c16

[リバイバル3] 中古オーディオ販売店 中川隆
17. 中川隆[-9594] koaQ7Jey 2019年6月16日 15:43:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2880]
粋音舎 _ ドイツ古典フルレンジシステム販売


粋音舎(すいおんしゃ)
http://www.soundstage.jp


所在地 東京都練馬区
TEL   03- 6271- 5760

製造委託先 株式会社 サカエ工芸


株式会社 サカエ工芸
http://www012.upp.so-net.ne.jp/strata/SAKAE.html


粋音舍 Online Shop
http://suion.ocnk.net/

▲△▽▼

粋音舎 ドイツ古典フルレンジシステム(受注生産品)


ユニット

口径 20センチ
搭載数 1個

形式 コーン型フルレンジユニット

能率 96dB/W・m

耐入力 5ワット

製造国 ドイツ


キャビネット

寸法 幅38cm×高さ58cm×奥行30cm

形式 後面開放型

材質 フィンランドバーチ材

( 前面グリルは別売となります。)


※ユニット製造元は、テレフンケン、グルンディッヒ、ローレンツ等々の銘柄を取り揃えています。


※ステレオの片側に2個または4個のユニットを用いたタンデム仕様の大型システムも特注製作承ります。


(注記)

 本製品は、背後の壁による反射を利用いたします。このため壁との間に50センチ以上の距離が必要です。

壁の材質も反射音の音質に大きく影響しますが、一般的な木質の建築内装材であれば良好な結果が得られます。背後が石膏ボードやガラス板などの場合には、薄手(6ミリ前後)の合板を壁に立て掛けて設置することをお薦めいたします。


 本製品に搭載のユニットは、1950年前後にドイツで製造された家庭用ラジオから取り出した使用済みのヴィンテージユニットです。動作良好なユニットを検査厳選の上、 極力外見を揃えてステレオ左右のペアを組んで おりますが、モノラル再生が主流だった当時のラジオ1台からは1つのユニットしか取り出せないため、製造年や保存環境の違いにより細部の形状や色合いが微妙に不揃いな場合があります。


 本製品は極めて高能率なため、数ワット程度の小出力真空管アンプとの組み合わせを推奨いたします。 大出力アンプとの組み合わせでは、誤入力等により破損する場合があります。
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html

ドイツ古典フルレンジシステム(Telefunken 20cm ユニット搭載) [SPF-T20]
販売価格: 170,000円(税込)
http://suion.ocnk.net/product/2


ドイツ古典フルレンジシステム(Telefunken 26cm 楕円ユニット搭載) [SPF-TO26]
販売価格: 170,000円(税込)
http://suion.ocnk.net/product/5


アウトレット品・ドイツ古典フルレンジ専用アドオン・ツィータ [SPT-T10]
販売価格: 50,000円(税込)
http://suion.ocnk.net/product/17

ドイツ古典フルレンジ専用アドオン・ツィータ [SPT-T10a]
販売価格: 65,000円(税込)
http://suion.ocnk.net/product/14


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ドイツ古典フルレンジユニット
http://www.soundstage.jp/Full_Range.html

1950年代のドイツ製フルレンジは、超軽量コーンを強力アルニコマグネットでドライブ。
96〜97dB/W/mの高能率を得ています。

コーンの実効質量は、何と5〜6g!
(fostex FE203等の代表的な軽量ユニットに比べても半分以下です)


*この時代のユニットは同一モデルでもロットの違いによるバリエーションがございます。磁石、フレーム形状等が写真の物と一致しない場合がございますが予めご了承ください。同一品質基準、同一工場で生産されたコーン紙の優秀性は、全てのユニットに共通です。


声、木管がリアルなことは、ドイツヴィンテージユニットに共通の特徴と思いますので、以下の個別ユニットの説明では省略させて頂きました。


____


Telefunken 20cmフルレンジユニット


同社Opusシリーズの大型ラジオ、コンソールに多用されたユニットで、この時代のドイツの情感を伝えてくれる代表的ユニットと言えばこれでしょう。


弾むような低音にクリアな中域と少し華やかな高域を乗せ、


どこまでも楽しく音楽を聴かせてくれます。


特性の暴れが上手く高域のレンジ感に結びついている一面がありますため、


単体で十分楽しめるユニットである反面、ツィータの追加で大幅にグレードアップいたします。特に弦楽の倍音の豊かさ、艶等が顕著に改善され、どなたにも安心してお勧めできるシステムになります。


____


Telefunken 楕円フルレンジユニット


背面放射音が華やかな傾向がありますので、後面開放キャビネットに用いるにはデッドニング等のチューニングが必要ですが、


コーンの材質、面積が同じなので最終的には円形20cmユニットと同じ音色傾向にまとめることが可能です。


ツィータの追加で本領発揮となるのも同じです。


円形20cmユニットより新しい時代のものなので全般に保存状態がよいのも利点かと思います。


_____


SABA 22cmフルレンジユニット Permadyn25


ほぼ20cm口径ながら一回り大きいSABA製のユニットです。


帯域バランスが実に巧みで、 造り手のセンスと技術の高さをうかがい知ることができる HiFi指向の正統派ユニットです。


ハッタリの無い落ち着いた雰囲気の再生音は、


小編成のジャズや男性ボーカルにマッチするかと思いますが、


クラシックでしたらピアノソロもありだと思います。


SABA(Schwarzwälder Apparate-Bau-Anstalt)社は現存しませんが、


Telefunkenの対向メーカーとして一時代を画した総合電機メーカーです。


____


ラーヴェオプタ(LoeweOpta) 20cmフルレンジユニット


ややプレスの効いたコーン紙による張りのある明晰な鳴りっぷりが特徴です。中域を基軸とする表現のためレンジ感は今ひとつですが、その分、弦楽の切れ込み感や、金管の輝き、ピアノのアタック感等が小気味よく出るユニットかと思います。


勿論レンジ感についてはツィータの追加で改善されますので、


最終的なシステムの完成度は他の兄弟銘柄(Graetz、 Telefunken 、 Grundig、 等々)に全く引けを取りません。


_____


ローレンツ(Lorenz) 20cmフルレンジユニット


下手なツィータなら付けない方が良いくらいよく伸びて歪の少ない高域を持ち、それが躍動感溢れる中低域と見事に一体化しています。


ヴィンテージの味わいは薄いかも知れませんが、


音源を選ばないオールマイティなユニットで、


この時代のフルレンジユニットの最高傑作の一つでしょう。


_____


グルンディヒ(Grundig) 20cmフルレンジユニット


ベークダンパならではの硬質でハイスピードな音のユニットです。


帯域は上下に若干狭い傾向がありますので、これをセッテイングで補う工夫が求められます。具体的には、高音をよく反射する硬質の壁面(窓ガラス等)を背にすることや、 部屋のコーナー近くに配置して低音を増強すること、等の工夫になります。


鳴らすのが難しいユニットではありますが、


セッテイングが決まった時には背面音を最大限に利用した後面開放キャビネットの理想形が完成しています。


特にピアノ曲などでは、他のシステムでは得られない生々しい説得力や典雅な余韻表現が可能です。


_____


グレーツ(Graetz) 20cmフルレンジユニット


コルゲーション補強されたコーン紙にNT4クラスの大型マグネットを組み合わせた強力ユニットです。


中域以下に厚みがありチェロのゴリッとしたところの表現などは秀逸です。


高域は出ませんが元々低域がよく伸びていますので、アドオンツィータとの組み合わせで最もワイドレンジなシステムが完成します。


フルオケ再生も迫力十分です。
http://www.soundstage.jp/Full_Range.html


▲△▽▼


粋音舎 ドイツ古典フルレンジユニット用の後面開放型エンクロージャー
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html

ヴィンテージの味わい


この時代のドイツ製ユニットを鳴らすということは、単に昔の音を甦らせるということではありません。

その枯れて乾いた音色は、約60年の歳月をかけた熟成の結果でもあるからです。


歳月という試練に耐える素材、構造、
それを現実の姿にする優れた製造技術、
そして熟成という時間の魔法・・・


全てが結集された再生音は、60年貯蔵の美酒を開封するが如く、今この時のために流れ出すのです。


現代の代表的な軽量ユニットに比べても半分以下という超軽量のコーン紙は空気との親和性が極めて高く、録音マイクがスタジオやステージの空気と交わした会話を
まるでリスニングルームの空気に口移しするように、優しく、熱く、伝えてくれます。


裏板のない開放型キャビネットとの組み合わせは、超軽量振動板の軽快な動きを妨げないための工夫。


最新のハイレゾ音源をも活かす音楽再生の完成形が、60年前のドイツで既に極められていたのです。
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html

▲△▽▼


粋音舎 Telefunken製楕円フルレンジ 試聴

東京・町田 ライフ・ステージ 町田モデルハウス
(Telefunken楕円ユニットをご試聴いただけます)
http://www.soundstage.jp/LifeStage.html


株式会社ライフ・ステージ 町田モデルハウス
https://l-st.co.jp/showroom


東京都町田市小川4-18-3
TEL:042-788-8777

OPEN: 10:00〜19:00(平日)
    9:00〜19:00(土日祝)
    定休日: 水曜日 第一・第三火曜日
(ただし祝日の場合は営業)


アクセス

JR横浜線 成瀬駅より「つくし野駅行き」バス5分 「柳谷戸」バス停下車 徒歩1分

東急田園都市線 つくし野駅より「成瀬台行き」、「町田バスセンター行き」バス5分 「柳谷戸」バス停下車 徒歩2分

尚、当スペースは建築ショールームでございますので、商談、イベント等と試聴のご予定が重ならないことを事前にご確認ください。平日のご来店がお薦めです!


株式会社Life Stageさんのご好意により、同社の町田モデルハウス内にドイツ古典フルレンジシステムにピッタリのリスニング空間を実現することが出来ました。ヴィンテージの香り溢れるスタイリッシュな内外観のモデルハウスは、体に優しい無添加、ナチュラルな素材選択が特徴です。その選択が音響的にも正解であることをご体感いただけることと思います。


____


後面開放箱は、後ろ向きのショートホーンという一面を持っています。それ故に背後の壁は、システムの一部とも言うべき重要な要素であり、その材質や箱との距離設定は、再生音に大きな影響を及ぼします。背後の壁に反射されて広がる後方放射音と、スピーカーユニット前面からの直接音とが適度にブレンドされて初めて、後面開放箱の真価が発揮されます。

その真価をお確かめいただくため、再生システムには、音源から駆動アンプまで、現時点で粋音舎が考えうる最良のラインナップを揃えました。


ドイツ古典フルレンジならばここまで出来る・・という再生品位のスタンダードを、是非ご確認になってみてください。


プレイヤー*:  SDカードプレイヤーにてクラシック、ジャズの優秀録音を連続再生しています。


        SDカードは、エラー訂正読み出しが可能な最もシンプルな記録媒体です。


        機械駆動系を一切持たず、エラーやノイズから解放された高品位デジタル再生が


        可能となっています。 (*CD、LP等の音源持ち込みには対応しておりません)

DAC:     TDA1541A搭載16bit/44.1kHz専用DAC(粋音舎オリジナル)


        オランダPhilips社製の伝説的銘チップTDA1541Aを用いたノーマルCD専用の


        高解像DACです。音楽再生にハイレゾ音源は不要、ノーマルCDで十分なことを


        ご納得頂けるかと思います。

アンプ:    ドイツ古典フルレンジ専用デジタルアンプ(開発中参考展示)


        出力を抑える一方で全ての設計資源を音質向上に振り向けたデジタルアンプです。


        僅か8W+8Wの出力ですが、高能率なドイツ古典フルレンジシステムとの組み合わせで


        広いモデルルームを十分な音量で満たします。

スピーカー:   個性豊かなドイツ古典フルレンジの魅力をお楽しみ頂くため、ユニット銘柄や


        システム構成は今後定期的に更新して参ります。

【現在のユニット構成】Telefunken製楕円フルレンジ

この楕円フルレンジは、振動板面積が円形20cmユニットと同等なので低域の伸びも十分、円形ユニットと同等或いはそれを上回るクオリティを持ちます。
http://www.soundstage.jp/LifeStage.html
 


▲△▽▼


粋音舎 TDA1541A 搭載 DAコンバーター SAA-DAC2
http://www.soundstage.jp/DAC.html


デジタルにも、再訪すべき時代があり、ヴィンテージと呼ぶに相応しい名品があります。

TDA1541は、当時のPhilips社が、デジタル・アナログ変換の基本に最も忠実に設計したチップです。

対応フォーマットは、16bit 44.1kHzのみのノーマルCD専用仕様。

このシンプルさが、余計な信号処理に起因するノイズや信号劣化からの解放を可能にします。


後代のチップは、多機能化とコスト削減のために高集積化を推し進め、どんどん音が悪くなって行きます。

一方、TDA1541には、メーカーが手慣れる前の贅沢な設計と誠実な製造努力が注ぎ込まれています。


超低ジッタークロックの搭載を始めとして、超低ESR電解コンデンサー、超低ノイズ抵抗等々、21世紀水準のハイグレードパーツで周囲を固めることにより、TDA1541Aの潜在力を最大限に引き出したのが本機です。


このDACを通るとき、お手持ちの全てのCDソフトが新たな輝きを得て生まれ変わります。

限られた音源のために高解像フォーマットへ移行するよりも、遥かに手軽で大きな感動を、お約束いたします。


本DAC製品は、アナログ部を全面リファインした新規モデル、SAA-DAC2となりました。


標準仕様

型式:SAA-DAC2

デジタル入力:RCA同軸

アナログ出力: RCAアンバランス

対応フォーマット:16bit, 44.1KHz

寸法:220×320×83mm(幅×奥行×高さ)

標準価格 \140,000円(税込)
http://www.soundstage.jp/DAC.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/834.html#c17

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
179. 中川隆[-9593] koaQ7Jey 2019年6月16日 16:59:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2881]
平野憲一の株のお話 2019.06.16

意味がなかった消費税論議。

 先週13日(木)に発表された4〜6月期法人企業景気予測調査での、大企業製造業景況判断指数はマイナス10.4でした。

調査日は5月15日となっていますので、対中制裁関税第3弾(6月)の前、第4弾など計算にない時点での企業側の景況感です。

 この調査は、経済の基礎資料を得ることを目的とし、資本金1千万円以上の法人から1万4400社を選び、2004年4−6月期から始まった比較的新しい、内閣府・財務省の共管によるアンケート調査です。

日銀短観と双璧をなす重要な指標だと筆者は思っています。

内容は、前の期に対して「増加、改善」と回答した企業の構成比から「減少、悪化」と回答した企業の構成比を差し引いたもの(%)です。

日銀短観も、良い・悪いの比率を表しますが、現況判断では、法人企業景気予測のほうが傾向を表しやすく、1万200社の日銀短観よりサンプル数も多いです。

 統計開始以来の数字を見ると「無意味だった消費税論議」という気がします。

安倍首相や麻生財務大臣や菅官房長官が口をそろえて言っていた「リーマンショック級の事象が起こらない限り、予定通り消費税は10%」の本当の意味が分かるからです。

 厳しかった時の数字を見てみると、

2009年1〜3月期  マイナス66.0 リーマンショック
2011年4〜6月期  マイナス23.3 東日本大震災
2012年10〜12月期 マイナス10.3 民主党の悪夢?
2014年4〜6月期  マイナス13.9 消費税8%
2016年4〜6月期  マイナス11.1 チャイナショック&英ブレグジット決定&新興国通貨不安

そして今回2019年4〜6月  マイナス10.4    

となります。

 これを見て分かる通り、マイナス66.0のリーマンショックが飛び抜けています。正に100年に1度の数字です。

あの東日本大震災の影響が最も厳しく現れた2011年4〜6月期でさえマイナスは23.3でした。

「リーマンショック級の事象」などと言うありえない基準を作って最初から増税有りきだったことが分かります。

ただ、今回のマイナス10.4が、安倍首相が民主党の悪夢と呼んだ2012年10〜12月期の10.3よりも悪化していることは要注意です。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c179

[近代史3] 櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか? 中川隆
35. 中川隆[-9592] koaQ7Jey 2019年6月16日 17:29:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2882]

2019年06月16日
マスコミは日本の貧困を特集するが、中国の貧困に触れない

NHKは「シルクロード」の見返りに、天安門事件は無かったと特集番組を放送した


引用:https://pimg.togetter.com/6a53df0d318cd39f6caa4d38a7e12358ba44ffdd/68747470733a2f2f692e7974696d672e636f6d2f76692f5a67385a634653797971452f6d7164656661756c742e6a7067

中国の貧困に触れない国営放送

日本のテレビとマスコミは「貧困女子高生」などを特集するのが大好きだが、中国の貧困については絶対に報道しない。

これは1970年代から始まっていて、中国から入国や取材拒否されるのを恐れてタブーとなっていた。

国民から受信料という税金を取っている国営放送NHKは、1979年から1989年にかけて「シルクロード」という超人気番組を制作し放送した。



視聴率は毎回20%に達し、ドリフやひょうきん族を上回る人気ぶりで、NHKはこれ以降中国に批判的な報道を一切しなくなった。

実は「シルクロード」取材地の多くは現在少数民族の居住区で、過去に中国軍の核実験場に使用されていた。

「シルクロード」を見た日本人が核実験場を観光し、10万人以上が(軽度の)被ばくしたといわれているが、これも一切報道していない。


核実験場に数時間滞在したくらいでは健康被害はないのだが、だからと言って「報道しなくていい」のだろうか?

「シルクロード」の最終回は1989年8月16日だが、終わった理由は6月4日に「天安門事件」が発生したからでした。

全世界が中国による民主化弾圧を放送しているのに、NHKだけが「中国は素晴らしい」「4000年のロマン」などと言っていました。


これには後日談があり、1993年6月3日「クローズアップ現代」 で司会の国谷裕子が「天安門事件はなかった」と断定している。

民放の日本テレビも「西遊記」という中国番組を制作し、現地でロケや取材をする見返りに、中国を批判する報道を一切やめた。

他のテレビ局や新聞も「中国は金になる」と中国ものを特集し、取材を許可してもらうために中国批判をしないようになった。


これが日本メディアの中国報道の残念な現状です。

中国では貧困報道や写真を公開するのが禁止されていて、記者なら国家資格をはく奪され逮捕される

外国人も拘束されるか国外追放され取材拒否されるので、NHKや日本マスコミは絶対に中国の貧困を報道しない


str2_anncoldreality_ivyseb_1~1
画像引用:http://www1.star2.com/wp-content/uploads/2018/01/str2_anncoldreality_ivyseb_1~1.jpg


ひたすら中国を褒めたたえる理由

代わってテレビやメディアは「中国人は金持ちで日本人は貧乏」という対比特集を連発するようになります。

有名経済誌の「日本を選んで"貧困"に落ちた中国人の後悔-上海のお手伝いさんより月給が安い」などは今も検索すると見る事ができる。

上海や北京では日本の上場企業より収入が多く、地方や農村でも日本より豊かだと力説しているが、冷静に考えればあり得ないのが分かる。


中国の1人当たりGDPは発表を鵜呑みにしても日本の4分の1以下、中国の平均年収80万円に対して日本は400万円程度の比率です。

「中国政府発表の」中国労働者の平均年収は80万円程度だが、平均を上回っているのは上海と北京だけです。

農民の平均年収は今も10万円程度であり、年収3万円以下の貧困層も相当数存在しています。


ファーウェイやアリババの上級社員は確かにソニーやトヨタの社員より年収が高いかも知れないが、中国人全体には当てはまらない。

経済マスコミは中国政府から取材拒否されると取材できず情報も得られないので、一般メディアよりむしろ中国崇拝記事が酷い。

こうして日本中のあらゆるメディアが中国政府にひざまずき、中国は素晴らしい国だと褒めたたえています。


では中国には貧困は一切ないのかと言えば、実際には13億人のかなりが貧困状態なのです。

貧困の中国

中国の農村部は沿岸部に近い地域は都市部に農作物を売って大儲けしています。

マスコミはこれだけを取材して(実は中国側から写真を貰って転載するだけだが)、「中国の農村は日本より豊かだった」と報道しています。

都市から離れた奥地の農村には現金収入がなく、年収に直すと3万円以下の農民が多く存在している。


社会保障はなにもないが幹線道路と公共施設だけ立派だったりするので、素通りすると豊かな農村に見える。

中国の都市部には公的年金や保険があるが、貧しい農村部には何もなく老後の収入もない。

畑で取れる野菜などだけが収入源だが、共産主義なので自分の土地ではない。


土地はすべて国家の財産なので、国が取り上げれば少額の保証金を渡されて強制移住させられます。

こうした村には電気、ガス、水道がなく住民は近代以前の生活をし、自給自足で暮らしている。

ウイグルやチベット、内モンゴルは漢民族の敵とされ、特にウイグル人は意図的な貧困状態に貶められている。


北京や上海には年収1000万以上の人が居る一方で、異民族の土地では年収3万円以下の農民が自給自足しています。
http://www.thutmosev.com/archives/80134556.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c35

[昼休み54] 櫻井ジャーナルに騙されるな 中川隆
9. 中川隆[-9591] koaQ7Jey 2019年6月16日 17:29:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2883]

2019年06月16日
マスコミは日本の貧困を特集するが、中国の貧困に触れない

NHKは「シルクロード」の見返りに、天安門事件は無かったと特集番組を放送した


引用:https://pimg.togetter.com/6a53df0d318cd39f6caa4d38a7e12358ba44ffdd/68747470733a2f2f692e7974696d672e636f6d2f76692f5a67385a634653797971452f6d7164656661756c742e6a7067

中国の貧困に触れない国営放送

日本のテレビとマスコミは「貧困女子高生」などを特集するのが大好きだが、中国の貧困については絶対に報道しない。

これは1970年代から始まっていて、中国から入国や取材拒否されるのを恐れてタブーとなっていた。

国民から受信料という税金を取っている国営放送NHKは、1979年から1989年にかけて「シルクロード」という超人気番組を制作し放送した。



視聴率は毎回20%に達し、ドリフやひょうきん族を上回る人気ぶりで、NHKはこれ以降中国に批判的な報道を一切しなくなった。

実は「シルクロード」取材地の多くは現在少数民族の居住区で、過去に中国軍の核実験場に使用されていた。

「シルクロード」を見た日本人が核実験場を観光し、10万人以上が(軽度の)被ばくしたといわれているが、これも一切報道していない。


核実験場に数時間滞在したくらいでは健康被害はないのだが、だからと言って「報道しなくていい」のだろうか?

「シルクロード」の最終回は1989年8月16日だが、終わった理由は6月4日に「天安門事件」が発生したからでした。

全世界が中国による民主化弾圧を放送しているのに、NHKだけが「中国は素晴らしい」「4000年のロマン」などと言っていました。


これには後日談があり、1993年6月3日「クローズアップ現代」 で司会の国谷裕子が「天安門事件はなかった」と断定している。

民放の日本テレビも「西遊記」という中国番組を制作し、現地でロケや取材をする見返りに、中国を批判する報道を一切やめた。

他のテレビ局や新聞も「中国は金になる」と中国ものを特集し、取材を許可してもらうために中国批判をしないようになった。


これが日本メディアの中国報道の残念な現状です。

中国では貧困報道や写真を公開するのが禁止されていて、記者なら国家資格をはく奪され逮捕される

外国人も拘束されるか国外追放され取材拒否されるので、NHKや日本マスコミは絶対に中国の貧困を報道しない


str2_anncoldreality_ivyseb_1~1
画像引用:http://www1.star2.com/wp-content/uploads/2018/01/str2_anncoldreality_ivyseb_1~1.jpg


ひたすら中国を褒めたたえる理由

代わってテレビやメディアは「中国人は金持ちで日本人は貧乏」という対比特集を連発するようになります。

有名経済誌の「日本を選んで"貧困"に落ちた中国人の後悔-上海のお手伝いさんより月給が安い」などは今も検索すると見る事ができる。

上海や北京では日本の上場企業より収入が多く、地方や農村でも日本より豊かだと力説しているが、冷静に考えればあり得ないのが分かる。


中国の1人当たりGDPは発表を鵜呑みにしても日本の4分の1以下、中国の平均年収80万円に対して日本は400万円程度の比率です。

「中国政府発表の」中国労働者の平均年収は80万円程度だが、平均を上回っているのは上海と北京だけです。

農民の平均年収は今も10万円程度であり、年収3万円以下の貧困層も相当数存在しています。


ファーウェイやアリババの上級社員は確かにソニーやトヨタの社員より年収が高いかも知れないが、中国人全体には当てはまらない。

経済マスコミは中国政府から取材拒否されると取材できず情報も得られないので、一般メディアよりむしろ中国崇拝記事が酷い。

こうして日本中のあらゆるメディアが中国政府にひざまずき、中国は素晴らしい国だと褒めたたえています。


では中国には貧困は一切ないのかと言えば、実際には13億人のかなりが貧困状態なのです。

貧困の中国

中国の農村部は沿岸部に近い地域は都市部に農作物を売って大儲けしています。

マスコミはこれだけを取材して(実は中国側から写真を貰って転載するだけだが)、「中国の農村は日本より豊かだった」と報道しています。

都市から離れた奥地の農村には現金収入がなく、年収に直すと3万円以下の農民が多く存在している。


社会保障はなにもないが幹線道路と公共施設だけ立派だったりするので、素通りすると豊かな農村に見える。

中国の都市部には公的年金や保険があるが、貧しい農村部には何もなく老後の収入もない。

畑で取れる野菜などだけが収入源だが、共産主義なので自分の土地ではない。


土地はすべて国家の財産なので、国が取り上げれば少額の保証金を渡されて強制移住させられます。

こうした村には電気、ガス、水道がなく住民は近代以前の生活をし、自給自足で暮らしている。

ウイグルやチベット、内モンゴルは漢民族の敵とされ、特にウイグル人は意図的な貧困状態に貶められている。


北京や上海には年収1000万以上の人が居る一方で、異民族の土地では年収3万円以下の農民が自給自足しています。
http://www.thutmosev.com/archives/80134556.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/421.html#c9

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
22. 中川隆[-9590] koaQ7Jey 2019年6月16日 17:30:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2884]

2019年06月16日
マスコミは日本の貧困を特集するが、中国の貧困に触れない

NHKは「シルクロード」の見返りに、天安門事件は無かったと特集番組を放送した


引用:https://pimg.togetter.com/6a53df0d318cd39f6caa4d38a7e12358ba44ffdd/68747470733a2f2f692e7974696d672e636f6d2f76692f5a67385a634653797971452f6d7164656661756c742e6a7067

中国の貧困に触れない国営放送

日本のテレビとマスコミは「貧困女子高生」などを特集するのが大好きだが、中国の貧困については絶対に報道しない。

これは1970年代から始まっていて、中国から入国や取材拒否されるのを恐れてタブーとなっていた。

国民から受信料という税金を取っている国営放送NHKは、1979年から1989年にかけて「シルクロード」という超人気番組を制作し放送した。



視聴率は毎回20%に達し、ドリフやひょうきん族を上回る人気ぶりで、NHKはこれ以降中国に批判的な報道を一切しなくなった。

実は「シルクロード」取材地の多くは現在少数民族の居住区で、過去に中国軍の核実験場に使用されていた。

「シルクロード」を見た日本人が核実験場を観光し、10万人以上が(軽度の)被ばくしたといわれているが、これも一切報道していない。


核実験場に数時間滞在したくらいでは健康被害はないのだが、だからと言って「報道しなくていい」のだろうか?

「シルクロード」の最終回は1989年8月16日だが、終わった理由は6月4日に「天安門事件」が発生したからでした。

全世界が中国による民主化弾圧を放送しているのに、NHKだけが「中国は素晴らしい」「4000年のロマン」などと言っていました。


これには後日談があり、1993年6月3日「クローズアップ現代」 で司会の国谷裕子が「天安門事件はなかった」と断定している。

民放の日本テレビも「西遊記」という中国番組を制作し、現地でロケや取材をする見返りに、中国を批判する報道を一切やめた。

他のテレビ局や新聞も「中国は金になる」と中国ものを特集し、取材を許可してもらうために中国批判をしないようになった。


これが日本メディアの中国報道の残念な現状です。

中国では貧困報道や写真を公開するのが禁止されていて、記者なら国家資格をはく奪され逮捕される

外国人も拘束されるか国外追放され取材拒否されるので、NHKや日本マスコミは絶対に中国の貧困を報道しない


str2_anncoldreality_ivyseb_1~1
画像引用:http://www1.star2.com/wp-content/uploads/2018/01/str2_anncoldreality_ivyseb_1~1.jpg


ひたすら中国を褒めたたえる理由

代わってテレビやメディアは「中国人は金持ちで日本人は貧乏」という対比特集を連発するようになります。

有名経済誌の「日本を選んで"貧困"に落ちた中国人の後悔-上海のお手伝いさんより月給が安い」などは今も検索すると見る事ができる。

上海や北京では日本の上場企業より収入が多く、地方や農村でも日本より豊かだと力説しているが、冷静に考えればあり得ないのが分かる。


中国の1人当たりGDPは発表を鵜呑みにしても日本の4分の1以下、中国の平均年収80万円に対して日本は400万円程度の比率です。

「中国政府発表の」中国労働者の平均年収は80万円程度だが、平均を上回っているのは上海と北京だけです。

農民の平均年収は今も10万円程度であり、年収3万円以下の貧困層も相当数存在しています。


ファーウェイやアリババの上級社員は確かにソニーやトヨタの社員より年収が高いかも知れないが、中国人全体には当てはまらない。

経済マスコミは中国政府から取材拒否されると取材できず情報も得られないので、一般メディアよりむしろ中国崇拝記事が酷い。

こうして日本中のあらゆるメディアが中国政府にひざまずき、中国は素晴らしい国だと褒めたたえています。


では中国には貧困は一切ないのかと言えば、実際には13億人のかなりが貧困状態なのです。

貧困の中国

中国の農村部は沿岸部に近い地域は都市部に農作物を売って大儲けしています。

マスコミはこれだけを取材して(実は中国側から写真を貰って転載するだけだが)、「中国の農村は日本より豊かだった」と報道しています。

都市から離れた奥地の農村には現金収入がなく、年収に直すと3万円以下の農民が多く存在している。


社会保障はなにもないが幹線道路と公共施設だけ立派だったりするので、素通りすると豊かな農村に見える。

中国の都市部には公的年金や保険があるが、貧しい農村部には何もなく老後の収入もない。

畑で取れる野菜などだけが収入源だが、共産主義なので自分の土地ではない。


土地はすべて国家の財産なので、国が取り上げれば少額の保証金を渡されて強制移住させられます。

こうした村には電気、ガス、水道がなく住民は近代以前の生活をし、自給自足で暮らしている。

ウイグルやチベット、内モンゴルは漢民族の敵とされ、特にウイグル人は意図的な貧困状態に貶められている。


北京や上海には年収1000万以上の人が居る一方で、異民族の土地では年収3万円以下の農民が自給自足しています。
http://www.thutmosev.com/archives/80134556.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c22

[リバイバル3] 中古オーディオ販売店 中川隆
18. 中川隆[-9589] koaQ7Jey 2019年6月16日 19:31:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2885]

楽鳴舎 RAKUMEISCHA
https://www.rakumeischa.com/

サイトマップ
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ブログ
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レコード・コンサート
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楽鳴舎 レコード・コンサート - YouTube 動画
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スピーカー
https://www.rakumeischa.com/スピーカー/

アンプ
https://www.rakumeischa.com/アンプ/

〒164-0013 東京都中野区弥生町1-16-6

Tel:03-6300-5338

営業日時 土曜日13時〜19時頃

     日曜日13時〜18時頃

営業日は毎土曜・日曜そして3連休となる金曜祝日または月曜祝日も営業します。臨時休業は其の都度表示しますので、ご来店の節はご一報ください。


アクセス
  大江戸線 西新宿五丁目駅 徒歩6分
  丸ノ内線 中野新橋駅 徒歩8分
  京王線 初台駅 徒歩25分
  JR新宿駅 徒歩25分

地図
https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%81%E3%80%92164-0013+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%8C%BA%E5%BC%A5%E7%94%9F%E7%94%BA%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%EF%BC%96/@35.689864,139.680118,16z/data=!4m5!3m4!1s0x6018f2d83a61e469:0x67336c8a83e92645!8m2!3d35.6898689!4d139.6802103?hl=ja



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/834.html#c18

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
173. 中川隆[-9587] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:06:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2887]

「天皇主義者」宣言について聞く――統治のための擬制と犠牲 - 内田樹の研究室 2018-07-22


『福音と世界』8月号に天皇制についてのインタビューが掲載された。

キリスト教系の月刊誌なので、当然天皇制については批判的である。そこにレヴィナスの時間論を連載しているわけなので、「天皇主義者」を名乗った真意はいずくにありやということでロングインタビューを受けることになった。かなり手厳しく問われたけれど、これくらい攻めてもらった方が僕の真意は伝わりやすいかもしれないと思う。


以下本文

2016年8月、平成天皇はいわゆる「おことば」を発表し、高齢のため「象徴天皇」としての務めを担うことが難しくなっている旨を述べた。これを受けて本誌で「レヴィナスの時間論」を連載中の内田樹氏(武道家、哲学者)は、この「おことば」が「象徴天皇」の役割をはっきりと述べた画期的なものであると高く評価し、現在の日本で象徴天皇制は「統治システム」として非常によく機能していると考えるに至った、と表明した(「私が天皇主義者になったわけ」『月刊日本』2017年5月号。同誌公式ブログ、内田氏の公式HPにも掲載)。本誌ではこの「天皇主義者」宣言についてさらに深く聞くべく、内田氏にインタビューをした。

1.フィクションとしての国家と天皇制

――「天皇主義者」宣言における内田さんの要点のひとつは、かつては両立し得ないと思っていた立憲民主制と天皇制が両立すると考えるに至った、という点にあると思います。すなわち「祭祀にかかわる天皇」と「軍事にかかわる世俗権力者」という「二つの焦点」をもった楕円形の統治システムが望ましいとして、天皇制を肯定・評価した点にあると思うのですが。

内田 最初に確認しておきたいのは「国民国家も天皇制も政治的なフィクションだ」ということです。国家とか民族とか人種とか、そういうものはすべて擬制であり幻想であると僕は考えています。それが前提です。でも、それらの幻想は厳然と存在しており、現実に活発に機能している。そうである以上、それらの政治的幻想の働きを勘定に入れて現実を分析し、できること、なすべきことについて実践的に考えるほかない。僕はそういうプラグマティックな立場です。

あるべき国の形とか、あるべき天皇制といった理念が事前にあって、それに向けて現実を解釈したり、現実を修正するということを僕はしません。逆です。所与の現実から出発する。どのような歴史的経緯でこのような現実が出来したのか、この現実のどこが修正可能・加工可能なのか、どこは手を着けられないのか、どこをどう補正すればこの社会が少しでも暮らしやすいものになるのか、そういうことを考える。

今回「天皇主義者」という名乗りをしたのは(実際に「天皇主義者」と言葉を使ったのはインタビュアーの方なんですけれど)、僕が「天皇主義者」だと名乗ることがきっかけになって天皇制という難問について日本国民が考え始めてくれることを期待したからです。

天皇制が日本国憲法内部のシステムである限り、僕たちは主権者として、それがどのようなものであるべきかについて発言する権利があり、義務がある。誰かが僕たちに代わって考えてくれたり、決定してくれたりするものではないというのが僕の考えです。

――つまり天皇が祖霊の祭祀と国民の安寧を祈る「霊的行為」を担っていて、そのもとに集う国民が「霊的な共同体」であるというのも、内田さんが提案するフィクションだということですね?

内田 そうです。

――なるほど。ただそういうフィクションが本当にうまくいくのかという懸念は出てきます。たとえばキリスト教では、霊的な共同体としての教会と世俗の統治機構である国家との関係は常に問題になってきました。そしてひと言でいえば、国家は教会になってはいけないし、教会は国家になってはいけないという原則に至っています。しかし内田さんのように象徴天皇の役割を死者の「鎮魂」と「慰藉」に見出し、天皇を「霊的な存在」であり、国や国民はそのもとに「統合」される「霊的な共同体」であると考えると、国家と「天皇教」のようなものがぴったり重なってしまわないでしょうか。

内田「天皇教」という宗教体系は存在しないと思います。天皇制それ自体にははっきりした宗教性がないですから。現に、古来、天皇や皇族が出家して、さまざまな宗派の門跡となっていますし、天皇家の墓陵のいくつかは今も寺院の中にあります。美智子妃はミッションスクールのご出身ですから、陛下もキリスト教的なものの考え方に親しんでおられる。日本国民がこれだけ多様な宗教的立場にばらけている以上、陛下ご自身が特定の宗教の信者であるということはできないでしょう。ご自身もさまざまな宗教立場を広く受け容れられるように努められていると思います。陛下はとりわけキリスト教に親近感を覚えていると僕は考えています。

皇室の方たちは選挙権や被選挙権を持たず、言論の自由や移動の自由、職業選択の自由など基本的人権を制約された例外的な存在です。でも、おそらく陛下はそのような「犠牲者」がいてはじめて共同体が存立するというふうに考えておられる。一人が自己利益を断念して、犠牲になることによって共同体が成立するという発想はすぐれてキリスト教的な発想です。今の陛下が戦後七十数年考えて作り上げた「祈る人」という象徴天皇像にはいくぶんかキリスト教的なアイディアが入っていると思います。だから、日本のキリスト教徒は陛下に対してもっと親近感を感じてもいいんじゃないかと思いますけど。

――ただ、内田さんが今上天皇に見出している象徴天皇像はあくまでも彼個人のものではないのですか。天皇が変わればその天皇理解も変わるはずです。内田さんが「自分は天皇主義者だ」と表明されるとき、それは今上天皇個人を支持するという意味なのか、それとも天皇がどのような人物であろうとも天皇制という制度自体を支持するという意味なのか、どちらなのでしょうか。

内田 厳しい質問ですね。今の天皇制はうまく働いていると僕は思いますけれど、たしかにご指摘の通り、それが今上天皇の属人的な資質によるのか、制度そのものの手柄なのかはにわかには断定しがたい。でも、天皇制を天皇の属人的資質を捨象して、純粋な制度として抜き出して論じるということはできないと思うんです。

近代天皇制はそれ以前の天皇制とまったく別物です。まして日本国憲法下の天皇制になると昭和と今上の二代の事例しかない。それだけのサンプル数で「天皇制とは何か」を人的要素抜きの制度として論じることは不可能だと思います。

確かに天皇陛下と皇太子殿下のお二人は、天皇制と立憲デモクラシーをどう共生させるかについて熟慮されていると思います。でも、その先はどうなのか。その次の天皇たちもこのお二人と同じように立憲デモクラシーと天皇制の共生に配慮するか問われたら、「わからない」と答えるしかない。ほんとうにわからないんですから。
でも、現実に憲法下のシステムとして天皇制がある以上、それをどういうかたちのものとして機能させるかは、皇室の方々を含めて、国民全員で考えるしかない。とりあえず当代と次代については、幸いにも天皇制と立憲デモクラシーの共生を配慮する「明君」に僕たちは恵まれた。ですから、あと何十年かは天皇制が「暴走」するリスクは考えなくてもよい。その間に象徴天皇制と立憲デモクラシーをどう整合させるか、この二つの相容れざる政治原理をどう共生させるか、その仕組みを考える時間は十分にあると思います。

――そうやって日本の統治システムを考えていく際に、天皇制なしの共和国というあり方は選択肢にならないでしょうか。

内田 天皇制を排除した統治システムを構想することは現実的には不可能だと思います。改憲して、天皇に関する条項をすべて削除しようと提案をする政党が出て来たとして、その提案が国民の過半数の賛成を得ることはないと僕は思います。

そもそもモデルとすべき「成功した共和制政体」を僕たちは知りません。アメリカをモデルにしたらいいのか、フランスやドイツをモデルにしたらいいのか。それらの国の統治形態が「理想的」だと言い切ることができるのか。僕にはできません。
僕自身は欧米における共和制の登場には歴史的必然性があると思っています。でも、日本には天皇制がある以上、日本の場合は、それを所与の条件として勘定に入れなければならない。

となると、どうすれば共和政と天皇制という二つの異なる統治原理が併存できるのかを考える、二つの異なる統治原理が併存していることから引き出せるメリットを最大化するためにはどうすればいいのかを考える。その方が時間の使い方としては合理的だと思います。

僕は異なる統治原理が併存しているシステムは、焦点が二つある楕円のようなもので、単一原理で統合された同心円的な統治形態よりも自由度が高く、共同体が生き延びる上では有効ではないかと思っています。


2.象徴としての天皇はどうあるべきか

――次に内田さんが象徴天皇の役割を死者の「鎮魂」と「慰藉」に見ていることについて、もう少し伺いたいと思います。昭和天皇の戦争責任を考えれば、同じ「天皇」である平成天皇に戦争で犠牲となった人々の「鎮魂」や「慰藉」などしてもらいたくない、と感じる人もいるのではないかと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。

内田 そうですね、そういう感じ方をする人も当然いると思います。どんなシステムも政策も国民全員が賛同するということはあり得ませんから。一〇〇パーセントの国民的合意は求めるべきではありません。すべての統治システムはどこかに欠点を抱えている。だから、そこそこ機能すれば合格点だと思っています。
天皇制についても、立憲デモクラシーについても「そういうのはいやだ」という考え方をする人たちがいる。いて当然です。全国民が同じ政治的意識を持ち、同じ統治形態を支持するようなことはもとより期待できないし、期待すべきでもない。そもそも、全国民が賛同しなければ機能しないような統治システムなら、それは制度設計そのものが間違っているということです。大方の人が「同じくらいに不満足」であるシステムが実現できたら、それで上出来だと思います。

――現時点ではそのツールとして天皇制が一番ふさわしいということですか。

内田 一番ふさわしいも何も、「手持ち」のリソースしか僕たちは使えない。天皇制以外の仕組みをどこかから取り寄せて、アッセンブリーごと取り替えることが可能なら、「どういうシステムがいいだろう」という議論もありうるでしょうけれど、天皇制は日本の統治機構にすでにビルトインされていて、取り外し不可能なわけです。取り外し不可能である以上、どうすればそれが最高のパフォーマンスを発揮するのかを考えるしかない。

――天皇の「鎮魂」に関しては、もうひとつ懸念があります。「鎮魂」をするということは一人一人の死の意味付けをしていくことだと思いますが、それは国家の一部としての天皇がすべきことではないと思うんです。鎮魂というより、戦争で命を奪われた人々に対する謝罪をすべきなのではないかと。

内田 陛下は戦争で死んだすべての人の鎮魂をされていると思います。2年前にフィリピン訪問の時の「おことば」では、「先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました」とまずフィリピンの犠牲者たちへの弔意を示された。陛下は日本国民だけでなく、戦争によって傷ついたすべての人の魂の平安を祈るということを意識的にされていると思います。

だから、今の安倍政権は本音では、陛下が東アジアのかつての戦地を訪れて、現地の被害者にお詫びをするようなことはしてもらいたくないんじゃないですか。彼らがしようとしているのは実質的には象徴天皇制の空洞化です。天皇を単なる記号にしたいと思っている。日本会議や神道政治連盟がめざしているのは天皇制の空洞化です。「恐れ多くも畏きあたりにおかれては」という文句を恫喝の道具として使って、反対者を黙らせようとしている。

――そこに危機感を覚えておられるわけですね。ただ、原則的に象徴天皇は単なる記号であるべきという考え方もありますね。

内田 いや、もし天皇が単なる記号であったら、むしろ政治家たちはあらゆる手立てを駆使して「天皇という記号」を私的な目的達成のために利用しようとするはずです。それは維新のときに天皇を「玉」と呼んだ官軍や、二・二六事件の青年将校たちの天皇批判や、終戦時の宮城事件の「國體護持派」の思想からも知られます。あのような「暴走」事例を知っている以上、天皇が自分の個人的な所感を発言する機会は絶対に担保されるべきだと僕は思います。天皇が生身の人間であり、傷つく心と身体を持っているという事実がむしろ政治的暴走を抑制できる。僕はそう思います。

――しかしそうすると、天皇制がどう機能するかがその時々の天皇の人間性に左右されてしまいませんか。

内田 そうです。でも、天皇の属人的な要素が強く働く方が、天皇が内閣が振り付けたこと以外何もしない、何もできない記号的な存在であるより、政治的混乱を招くリスクが少ないと僕は考えています。

繰り返し言うように、天皇制は一つのリアルな政治的装置です。うまくゆかない点が出てきたら、どうすればいいか国民的に議論して、そのつど適切な対応を取ればいい。完全なものを作って、後は手を触れないということではなくて、そのつどの現実的問題に合わせて調整してゆけばいい。どんな政治的制度ももとは人間が考え出したものです。それをどう工夫して、良い結果を出すか、それだけが重要なのです。どれほど見事な制度を設計してみても、実際に使うのは人間です。制度を働かせるためには人間の弱さや愚かさや頑なさを勘定に入れなければならない。どんな合理的な制度でも、人間がそれを受け入れてくれないと機能しないからです。その意味では、すべての制度は半分生き物、半分機械の「バイオメカノイド」のようなものです。どれほど合理的なアイディアでも「受肉」しなければ空論に終わる。逆に、どれほど非合理的、空想的な理念でも、人間がそこに生気を吹き込めば働く。


3.対抗言説としての「天皇主義者」宣言?

――今も述べられたように、内田さんは安倍政権や日本会議への危機感を強く感じておられて、彼らがツールとして天皇制を用いることを危惧している。そして、同じ天皇制というツールを用いて彼らに対抗しようとしているように見えるのですが。

内田 厳しいご指摘ですね。でも、その通りです。もともと、僕は天皇制のことを主題的に考えたことなんかなかった。でも、安倍政権になって、これはまずいと思い出した。極右の人たちが天皇制を党派的に利用するのを手をつかねて見ているわけにはゆかない。天皇制を左翼・リベラルの側にとっても緊急な政治的論件として「とりもどす」必要があると思った。そういう現実的な文脈の中の発言ですから、「あなたも天皇制をツールとして利用しているのではないか」と言われたら、反論できません。

ただ、僕にはその「犯意」と「病識」がある。正義や真理を語っているわけではなく、「日本社会はどうすればもう少し暮らしやすいところになるか」という具体的で限定的な目標を実現するためにやっているという自覚がある。それでご勘弁頂きたいです。

例えば、今改憲の動きがありますけれど、最終的に改憲を防ぐのは国内における護憲運動ではなくて、ホワイトハウスと天皇ではないのかという気が僕にはするんです。まことに皮肉なことですけれど、日本の立憲デモクラシーはそれほどに脆弱な制度だということです。護憲の最後の砦が、憲法尊重擁護義務を粛々と果たしている天皇陛下であるという事実一つをとっても、天皇制の問題は左翼・リベラルにとって他人事では済まされないはずなんです。でも、日本の左翼は天皇制をどう「よきもの」として活用するかという問いについてはかつて一度も真剣に考えたことがなかった。旧弊な因習なんだから廃止すればいいという原則的なことを言ってきただけです。天皇制を功利的に活用する手立てについて経験知を積んでいるのはもっぱら政権サイドの方です。

僕自身は天皇制を「ツール」だとは思っていない。「リソース」だと考えています。国民を統合し、国力を賦活させるための効果的なリソースだと思っています。ですから、僕の「天皇主義者宣言」というのはあくまで政治的なふるまいであって、信仰告白ではないんです。

――では、内田さん自身は天皇に対する敬虔な気持ちや忠誠心のようなものは実際にはないということですか?

内田 個人的には崇敬の気持はありますよ。陛下の近くにいた人たちにうかがうと、みなさん「陛下はよい方で・・・」としみじみ言われますから。そういう人たちが口にする「へいか」という音はとても柔らかいんです。政治家たちが「陛下」という言葉を使う時はあきらかに天皇の権威を利用して人を威圧しようする意図が見透かせるんですけど。

前に皇居のお掃除に行った青年から聞いたんですけれど、清掃奉仕をしていると両陛下がいらして「ご苦労さまです」と深々と頭を下げるそうなんです。その若者はその時「首相のために死ぬ気にはなれないけれど、陛下のためなら死ねる」と思ったそうです。若い人でもそういう感慨を抱くことがある。でも、それは必ずしも政権主導のイデオロギー教育のせいじゃないと思います。もっと素朴で、自然な感情だろうと思います。そういう感情を「政治的リアリティー」として勘定に入れる必要があるということを僕は申し上げているのです。

「陛下のためなら死んでもいい」と感じた彼にとって、天皇陛下という存在は、具体的に目に見える、手に触れられるたぶん唯一の公共的なものなんです。国家にも政府にも、さしあたりリアルな公共性を感じられない。でも、彼にとって、天皇は生身の、目に見える公共性だったわけです。

公共的なものとつながりを持ちたい、自分の個人の努力と国運をリンクさせたいという願いを抱いている今も若者はたくさんいると思います。そういう人たちがネトウヨに走ったりする。でも、公共的なものは他にもあると僕は言いたいわけです。

――なるほど。ただ、たとえばネトウヨの悪質さのひとつはその強いレイシズムです。そして天皇制というシステムこそが民族主義的な発想を強めて、「純粋な日本民族」といった幻想を作り出している面もあるのではないでしょうか。

内田 そういう危険性はあるでしょう。現にかつて天皇制の名において人種差別的・排外主義的な政治が行われてきたという歴史的事実があるわけですから。でも、今のネトウヨの人たちは自分たちのレイシスト的言動の保証人に天皇を呼び出したりはしませんよ。彼らの政治的正しさの保証人は安倍首相ですから。

――ネット上では日本の皇族(天皇家)が世界の皇族の中で一番歴史が古くて純粋な血を守ってきた、だから高貴なのだという言説を見かけることもありますが。

内田 それは言ってる人間が自分の政治的立場を強化するために思いついた確信犯的な嘘です。そんなプロパガンダの製造責任を天皇におしつけては陛下がお気の毒ですよ。

――けれど世襲制度を取る限り、そういう「純血」の発想を支えてしまう危険はあると思うんですが。そもそも特定の血筋の人を「高貴」として民衆の上に置く天皇制は「人は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である」という世界人権憲章の原則に反していませんか。

内田 平等を目指すのは正しいことだと思います。けれども、僕は「高貴さ」(ノブレス)というものもまたなくては済まされないと思っています。マルクスは、すべての人間が自由に自己利益を追求できる社会をめざす戦いを先導したのは「自己利益の追求を断念して、大義のために死ぬ」ことを決断した非利己的な人たちだったという逆説について書いています。人は誰も平等であるべきです。けれども、その理想を実現するためには「自分には他の人よりも多くの責務がある」という自覚を持つ人間が要る。貴賤の差のない世界を実現するためには「ノブレス・オブリージュ(高貴であることの責務)」を感じる人が要る。自分には他の人より多くの責務があると感じる人がいなければ、この社会を住みやすいものにすることはできません。

――最後にもうひとつ。今までお話を伺って、内田さんが完成された完璧な統治システムなど存在しないという前提のもと、より「ベター」な統治の方法を継続的に探していこうという姿勢を保っておられることがわかりましたが、「統治」や「統合」はやはりどうしても必要なのでしょうか? 本誌では次号でアナキズム特集をする予定なので、お聞きしたいと思います。

内田 僕の抱く「統合」のイメージは中枢的・同心円的なものではありません。サイズも機能も異なる無数の共同体がネットワークでつながっていて、相互扶助・相互支援する仕組みを僕はイメージしています。でも、地球に住む七〇億人をカバーする相互扶助ネットワークというのは、さすがには設計不能なんです。どこかで境界線を引いて、「こっちは身内。あっちは他人」という切ない区切りをしなければならない。それが相互扶助ネットワーク理論のはらむ根本的な背理なんです。どこかで「ここまで」という区切りをしないと、限りあるリソースを有効に分配してゆくことができない。でも、そのことについて一抹の「疚しさ」を覚える。そういうことしかできないんじゃないかと思います。

北欧国々は、どこも社会福祉が行き届いて、相互支援の仕組みがしっかりしています。でも、それはどこも小国ですよね。日本の県ほどの人口数です。それくらいのサイズだと、自分たちがどれほどの可処分リソースを持っているのか、それがどう配分されて、どういう成果をもたらしたかを可視化できる。

「身内」の範囲が狭いほど相互支援はこまやかで密になる。それは当たり前のことなんです。住みやすい社会は「身内」の数を限定することで実現されている。でも、そのことについて、受益者はいくばくかの「疚しさ」を感じることが必要だ、と。そう申し上げているのです。

僕はアナキズムも大好きです。クロポトキンの『相互扶助論』なんか読んでると「いい人だな、身近にいたら友達になって、一緒に革命やりたいなあ」と思います。でも、アナキストたちは、人間は本質的に善であり合理的に思考するという「性善説」に立ちます。だから、ことごとく失敗した。国家サイズの統治システムの管理運営のためにはどこかで「非人情」に切り替える必要がある。クロポトキンやロバート・オーウェンが目指したような手触りの優しい相互扶助的な共同体を作りたいと思ったら、せいぜい数千人規模の共同体で満足するしかない。国家的規模で「よいこと」を達成しようとしたら、マキャヴェリのような「性悪説」に基づく、政治的狡猾さを駆使するしかない。

真率な惻隠の情に基づいて制度を考案し、人間の醜さ、愚かさ、邪悪さを勘定に入れてその制度を冷徹に運営する。その葛藤につねに引き裂かれているもの、それが政治的人間だと僕は思っています。

――その戦略のひとつとして今回の「天皇主義者」宣言があるわけですね。お聞きしたいことは尽きませんが、内田さんのひとつの提起を受けて私たちそれぞれが天皇制について、国家について、さらにそれを超える枠組みについて考え、応答していくことができればと思います。今日はありがとうございました。
(2018-07-22 15:45)
http://blog.tatsuru.com/2018/07/22_1545.html


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2018-08-07
内田樹氏が「天皇主義者」となった理由を聞いて、天皇制を許してはならないという確信がさらに強くなった。


自ら「天皇主義者」であると宣言した思想家・内田樹氏が、キリスト教系の月刊誌『福音と世界』で、そのように宣言した意図についてインタビューを受けている。(以下、内田氏のブログに転載されたもの[1]から引用する。)

「天皇主義者」と自称してはいても、氏はもちろん戦前のような天皇絶対の国家体制を支持しているわけではない。そうではなくて、氏は、所詮天皇制は政治的フィクションであることを認めた上で、戦後日本の象徴天皇制は「統治システム」として非常によく機能しており、これを現代日本社会を「より暮らしやすいものにしていく」ためのリソースとして活用していくべきだと提言しているのだ。

■ 「焦点が二つある」統治システムが「土建国家」ニッポンを作った

まず、内田氏は、象徴天皇制を持つ現代日本の国家体制を、「天皇」と「世俗権力者」という「二つの焦点」を持った体制だと捉え、それがこの国の「統治システム」として望ましい形なのだと言う。


1.フィクションとしての国家と天皇制

――「天皇主義者」宣言における内田さんの要点のひとつは、かつては両立し得ないと思っていた立憲民主制と天皇制が両立すると考えるに至った、という点にあると思います。すなわち「祭祀にかかわる天皇」と「軍事にかかわる世俗権力者」という「二つの焦点」をもった楕円形の統治システムが望ましいとして、天皇制を肯定・評価した点にあると思うのですが。

内田 最初に確認しておきたいのは「国民国家も天皇制も政治的なフィクションだ」ということです。国家とか民族とか人種とか、そういうものはすべて擬制であり幻想であると僕は考えています。それが前提です。でも、それらの幻想は厳然と存在しており、現実に活発に機能している。そうである以上、それらの政治的幻想の働きを勘定に入れて現実を分析し、できること、なすべきことについて実践的に考えるほかない。僕はそういうプラグマティックな立場です。
あるべき国の形とか、あるべき天皇制といった理念が事前にあって、それに向けて現実を解釈したり、現実を修正するということを僕はしません。逆です。所与の現実から出発する。どのような歴史的経緯でこのような現実が出来したのか、この現実のどこが修正可能・加工可能なのか、どこは手を着けられないのか、どこをどう補正すればこの社会が少しでも暮らしやすいものになるのか、そういうことを考える。
(略)
――なるほど。ただそういうフィクションが本当にうまくいくのかという懸念は出てきます。たとえばキリスト教では、霊的な共同体としての教会と世俗の統治機構である国家との関係は常に問題になってきました。(略)しかし内田さんのように象徴天皇の役割を死者の「鎮魂」と「慰藉」に見出し、天皇を「霊的な存在」であり、国や国民はそのもとに「統合」される「霊的な共同体」であると考えると、国家と「天皇教」のようなものがぴったり重なってしまわないでしょうか。

内田 (略) 皇室の方たちは選挙権や被選挙権を持たず、言論の自由や移動の自由、職業選択の自由など基本的人権を制約された例外的な存在です。でも、おそらく陛下はそのような「犠牲者」がいてはじめて共同体が存立するというふうに考えておられる。一人が自己利益を断念して、犠牲になることによって共同体が成立するという発想はすぐれてキリスト教的な発想です。今の陛下が戦後七十数年考えて作り上げた「祈る人」という象徴天皇像にはいくぶんかキリスト教的なアイディアが入っていると思います。だから、日本のキリスト教徒は陛下に対してもっと親近感を感じてもいいんじゃないかと思いますけど。
(略)
――そうやって日本の統治システムを考えていく際に、天皇制なしの共和国というあり方は選択肢にならないでしょうか。

内田 天皇制を排除した統治システムを構想することは現実的には不可能だと思います。改憲して、天皇に関する条項をすべて削除しようと提案をする政党が出て来たとして、その提案が国民の過半数の賛成を得ることはないと僕は思います。
(略)
僕自身は欧米における共和制の登場には歴史的必然性があると思っています。でも、日本には天皇制がある以上、日本の場合は、それを所与の条件として勘定に入れなければならない。
となると、どうすれば共和政と天皇制という二つの異なる統治原理が併存できるのかを考える、二つの異なる統治原理が併存していることから引き出せるメリットを最大化するためにはどうすればいいのかを考える。その方が時間の使い方としては合理的だと思います。
僕は異なる統治原理が併存しているシステムは、焦点が二つある楕円のようなもので、単一原理で統合された同心円的な統治形態よりも自由度が高く、共同体が生き延びる上では有効ではないかと思っています。

内田氏はこう言うが、戦後日本がほぼ一貫して「土建国家」と呼ばれるような露骨な利益誘導型政治に支配されてきたのは、この国が、世俗権力者と天皇という「焦点が二つある」政治体制をとってきたからだ。

これは以前から辛淑玉さんが指摘している[2]ことなのだが、日本では、政治指導者に求められる「父親」のイメージが、天皇と世俗の政治家の二つに分裂してしまっている。

清く正しく慈愛あふれる父親役は「国民統合の象徴」たる天皇が一手に引き受ける。そしてその分だけ、現実に権力を握る政治家たちは建前や綺麗事など気にしなくてもよくなっていく。要するに、天皇がいるおかげで、日本の政治家には清廉さや公正さは要求されない。汚いことでも何でもして、とにかく金を取ってくる「オヤジ」であればいいのだ。

もちろん、天皇がいくら気高く公正に振る舞っても、「国政に関する権能を有しない(憲法第4条)」以上、それが現実の政策に反映されることはない。むしろ、天皇が「立派」であればあるほど、現実政治はその逆を行くことが容易になる。この点、自分の名のもとに始めた戦争で「臣民」を三百万人も殺した先代と違って、脛に傷がなく、しかもリベラルで開明的と見られている現天皇がいる今は、先代の時代以上に倫理もへったくれもない政治屋連中がはびこる条件が整っていると言えるだろう。もちろんその代表格が安倍や麻生である。

■ 天皇による「鎮魂」と「慰藉」は政治責任逃れのトリック

ついで内田氏は、戦争による死者の「鎮魂」と「慰藉」こそが、象徴天皇が果たすべき役割なのだと言う。


2.象徴としての天皇はどうあるべきか

――次に内田さんが象徴天皇の役割を死者の「鎮魂」と「慰藉」に見ていることについて、もう少し伺いたいと思います。昭和天皇の戦争責任を考えれば、同じ「天皇」である平成天皇に戦争で犠牲となった人々の「鎮魂」や「慰藉」などしてもらいたくない、と感じる人もいるのではないかと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。

内田 そうですね、そういう感じ方をする人も当然いると思います。どんなシステムも政策も国民全員が賛同するということはあり得ませんから。一〇〇パーセントの国民的合意は求めるべきではありません。すべての統治システムはどこかに欠点を抱えている。だから、そこそこ機能すれば合格点だと思っています。
天皇制についても、立憲デモクラシーについても「そういうのはいやだ」という考え方をする人たちがいる。いて当然です。全国民が同じ政治的意識を持ち、同じ統治形態を支持するようなことはもとより期待できないし、期待すべきでもない。そもそも、全国民が賛同しなければ機能しないような統治システムなら、それは制度設計そのものが間違っているということです。大方の人が「同じくらいに不満足」であるシステムが実現できたら、それで上出来だと思います。
(略)

――天皇の「鎮魂」に関しては、もうひとつ懸念があります。「鎮魂」をするということは一人一人の死の意味付けをしていくことだと思いますが、それは国家の一部としての天皇がすべきことではないと思うんです。鎮魂というより、戦争で命を奪われた人々に対する謝罪をすべきなのではないかと。

内田 陛下は戦争で死んだすべての人の鎮魂をされていると思います。2年前にフィリピン訪問の時の「おことば」では、「先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました」とまずフィリピンの犠牲者たちへの弔意を示された。陛下は日本国民だけでなく、戦争によって傷ついたすべての人の魂の平安を祈るということを意識的にされていると思います。

だが、ここにはいくつもの論理のすり替えがある。

まず、「天皇に戦争で犠牲となった人々の「鎮魂」や「慰藉」などしてもらいたくない、と感じる人もいるのではないか」(もちろんそう感じる人はたくさんいる)という個別具体的な問いに対して、内田氏は「どんなシステムも政策も国民全員が賛同するということはあり得ません」と、一般論に逃げている。そして、「天皇制についても、立憲デモクラシーについても「そういうのはいやだ」という考え方をする人たちがいる」「全国民が同じ政治的意識を持ち、同じ統治形態を支持するようなことはもとより期待できないし、期待すべきでもない」と、まるで体制選択の問題を議論しているかのように話をすり替えている。要するに、氏はこの問いには答えられないのだ。

また内田氏は、天皇は「鎮魂というより、戦争で命を奪われた人々に対する謝罪をすべきなのではないか」という問いに、「陛下は戦争で死んだすべての人の鎮魂をされていると思います」と答えているのだが、言うまでもなく、「鎮魂ではなく謝罪すべきだ」という問いかけに「いや、鎮魂していますよ」では答えになっていない。ここで内田氏が例に出しているフィリピン訪問時の天皇の「おことば」も謝罪ではない。「先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました」というこの発言では、誰が、なぜ「膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲に」なるような悲惨事を引き起こしたのか、まったく触れられていない。罪の存在自体を認めていない発言は謝罪ではありえない。ここで天皇はただ、まるで他人事のように「戦争によって傷ついたすべての人の魂の平安を祈」ってみせているだけである。

天皇による死者の「鎮魂」や「慰藉」は、その死者に対して負うべき国家責任をうやむやにするトリックでしかない。

■ 天皇は徹底的に「記号化」されるべき

さらに内田氏は、天皇制の空洞化、記号化こそが危険であり、暴走を防ぐためには「天皇が自分の個人的な所感を発言する機会は絶対に担保されるべきだ」と主張する。


だから、今の安倍政権は本音では、陛下が東アジアのかつての戦地を訪れて、現地の被害者にお詫びをするようなことはしてもらいたくないんじゃないですか。彼らがしようとしているのは実質的には象徴天皇制の空洞化です。天皇を単なる記号にしたいと思っている。日本会議や神道政治連盟がめざしているのは天皇制の空洞化です。「恐れ多くも畏きあたりにおかれては」という文句を恫喝の道具として使って、反対者を黙らせようとしている。

――そこに危機感を覚えておられるわけですね。ただ、原則的に象徴天皇は単なる記号であるべきという考え方もありますね。

内田 いや、もし天皇が単なる記号であったら、むしろ政治家たちはあらゆる手立てを駆使して「天皇という記号」を私的な目的達成のために利用しようとするはずです。それは維新のときに天皇を「玉」と呼んだ官軍や、二・二六事件の青年将校たちの天皇批判や、終戦時の宮城事件の「國體護持派」の思想からも知られます。あのような「暴走」事例を知っている以上、天皇が自分の個人的な所感を発言する機会は絶対に担保されるべきだと僕は思います。天皇が生身の人間であり、傷つく心と身体を持っているという事実がむしろ政治的暴走を抑制できる。僕はそう思います。

――しかしそうすると、天皇制がどう機能するかがその時々の天皇の人間性に左右されてしまいませんか。

内田 そうです。でも、天皇の属人的な要素が強く働く方が、天皇が内閣が振り付けたこと以外何もしない、何もできない記号的な存在であるより、政治的混乱を招くリスクが少ないと僕は考えています。
繰り返し言うように、天皇制は一つのリアルな政治的装置です。うまくゆかない点が出てきたら、どうすればいいか国民的に議論して、そのつど適切な対応を取ればいい。完全なものを作って、後は手を触れないということではなくて、そのつどの現実的問題に合わせて調整してゆけばいい。どんな政治的制度ももとは人間が考え出したものです。それをどう工夫して、良い結果を出すか、それだけが重要なのです。(略)どれほど合理的なアイディアでも「受肉」しなければ空論に終わる。逆に、どれほど非合理的、空想的な理念でも、人間がそこに生気を吹き込めば働く。

だが、天皇制が最悪の形で暴走したあの時代、天皇裕仁は単なる記号だったのか? むしろ能動的に政治状況に関わり、何度となく「思し召し」を表明し、しばしば事態の推移に決定的な影響を与えていたではないか。裕仁という存在自体が内田氏の主張への巨大な反証と言えるだろう。

現実は逆なのだ。天皇が内閣の振り付けで踊らされ、暴走の道具とされるのを防ぐには、憲法第4条の規定を厳密に守り、天皇には憲法が規定する国事行為以外一切何もさせなければよい。天皇の徹底的な記号化こそが暴発を防ぐ(現憲法を前提とした制約下での)最良の安全弁なのだ。

■ 逆立ちした議論になるのは統治者目線に立っているから

ところで、私がこのインタビューを読んで一番呆れてしまったのは次の一節だ。


――では、内田さん自身は天皇に対する敬虔な気持ちや忠誠心のようなものは実際にはないということですか?

内田 個人的には崇敬の気持はありますよ。陛下の近くにいた人たちにうかがうと、みなさん「陛下はよい方で・・・」としみじみ言われますから。そういう人たちが口にする「へいか」という音はとても柔らかいんです。政治家たちが「陛下」という言葉を使う時はあきらかに天皇の権威を利用して人を威圧しようする意図が見透かせるんですけど。
前に皇居のお掃除に行った青年から聞いたんですけれど、清掃奉仕をしていると両陛下がいらして「ご苦労さまです」と深々と頭を下げるそうなんです。その若者はその時「首相のために死ぬ気にはなれないけれど、陛下のためなら死ねる」と思ったそうです。若い人でもそういう感慨を抱くことがある。でも、それは必ずしも政権主導のイデオロギー教育のせいじゃないと思います。もっと素朴で、自然な感情だろうと思います。そういう感情を「政治的リアリティー」として勘定に入れる必要があるということを僕は申し上げているのです。

「陛下のためなら死んでもいい」と感じた彼にとって、天皇陛下という存在は、具体的に目に見える、手に触れられるたぶん唯一の公共的なものなんです。国家にも政府にも、さしあたりリアルな公共性を感じられない。でも、彼にとって、天皇は生身の、目に見える公共性だったわけです。

公共的なものとつながりを持ちたい、自分の個人の努力と国運をリンクさせたいという願いを抱いている今も若者はたくさんいると思います。そういう人たちがネトウヨに走ったりする。でも、公共的なものは他にもあると僕は言いたいわけです。

冗談ではない。一人の青年を自発的に「清掃奉仕」などに向かわせ、そこで「ご苦労さまです」と頭を下げられたくらいで「陛下のためなら死ねる」などと思わせてしまう。これこそが天皇制の最も恐ろしい効果ではないか。先の戦争のときだって、東條英機や小磯国昭のために死ねるなどという青年がどれほどいたか。「天皇陛下の御為」だからこそ彼らは特攻機にも搭乗したのだ。

そんな天皇を、内田氏は「目に見える公共性」だと言ってしまうのだ。

どうしてこれほど転倒した議論になってしまうのか。それは多分、天皇制を「統治システム」として評価するという態度に現れているように、氏が結局のところ、この国を統治する側の立ち位置からものを見ているからだろう。

「天皇主義者」を自称する内田氏のインタビューを読んで、私には、天皇制を決して許してはならないという確信がますます強くなった。

[1] 『「天皇主義者」宣言について聞く――統治のための擬制と犠牲』 内田樹の研究室 2018/7/22
[2] 辛淑玉 『グー・チョキ・パーのてんのう制』 週刊金曜日 2010/4/30,5/7合併号


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c173

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
174. 中川隆[-9586] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:09:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2888]

天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/08/16/165326


昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。

1.特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大

海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言われている。

しかし、フィリピン戦線における初期の特攻作戦の戦果を聞いた裕仁の反応は「よくやった」という「お褒めの言葉」だった。天皇に褒められた以上、止めるわけにはいかない。結果、特攻作戦は際限なく拡大していくことになる[1]。


 大西は、特攻でもフィリピンは防衛できないとわかっており、「戦争を止めるために特攻を進めた」という意味の証言も残っている。

 「万世一系仁慈を以て統治され給う天皇陛下は、この事を聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろう」と言い、さらに天皇のその意志表示で戦争が終わった場合「いかなる形の講和になろう共、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦を止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう」(『修羅の翼』)と言っている。

 『修羅の翼』は、フィリピン戦線で特攻に出撃しながら生還した角田和男が小田原俊彦から大西の話を聞き回顧したものだ。

 伝聞証言である。いまとなっては、真偽を確かめるのは不可能だろう。しかしながら、前述の多田や新名の記録、大西自身の遺書などを照らし合わせると、大西が特攻による超物理的効果、「民族的な記憶」に貢献する効果をみていたことは、間違いないだろう。

 では、「特攻によって天皇は終戦に向かって動く」という期待はどうだったか。特攻の犠牲者が増えれば、天皇は終戦に向かって動く。大西は本当に、そんな期待をしていたのだろうか。だとすれば、その期待は叶わなかった。
(略)

 上聞とは、天皇に伝えるということだ。

 実際、天皇はフィリピン戦線での特攻をその直後から知っていた。「昭和天皇実録」によれば、天皇は前述の「敷島隊」の特攻について、その翌日、10月26日に報告を受けている。

(略)

 その点、『神風特別攻撃隊の記録』には、興味深い記述がある。敷島隊が戦果を挙げたあとの10月末、同隊の戦闘経過を聞いた天皇の「お言葉」が届いた。同書によれば、昭和天皇は及川軍令部総長にこう言った。「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」。天皇の「よくやった」という「お褒めの言葉」が、その後の特攻遂行のエネルギーとなったことは想像に難くない。

(略)

 「昭和天皇実録」には、天皇が特攻をどうみていたかをうかがわせる記述がある。

 1944年11月13日、梅津美治郎・参謀総長から戦況についての報告を受けた昭和天皇は「昨日のレイテ湾における陸軍特別攻撃隊万朶隊による戦果等を御嘉賞になる」と述べた。天皇はやはり特攻を「御嘉賞」、ほめ讃えていたのだ。

 『修羅の翼』が伝える大西の期待、特攻によって天皇が停戦に動くという期待は叶わなかった。

 それどころか天皇は喜んだ。となれば一度始まった特攻を中止することは大西といえども不可能であった。「特別攻撃」は通常の作戦となった。特別=異常が常態化したのである。

2.戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦

戦局が既に絶望的となっていた1945年2月、近衛文麿元首相が天皇に対し、ただちに終戦に踏み切るよう進言した。しかし、負けっぱなしのままで講和しては自分の立場が危うくなると恐れた裕仁はこれを拒否した[2]。


 45年に入って、戦局がますます絶望的な段階をむかえると、近衛は本格的な戦争終結工作に着手する。(略)

 ちょうどこの頃、天皇の周辺でも、なんらかのかたちで局面の転換をはかろうとする動きが具体化し、行きづまった戦局を打開するための方策について、天皇が重臣層から意見を聴取することが決まった。45年2月には、平沼騏一郎・広田弘毅・近衛文麿・若槻礼次郎・牧野伸顕・岡田啓介・東条英機、以上七人の重臣がおのおの天皇に拝謁して、戦局に対する見通しを上奏する。だが、このなかで明確な政治的方向性をもって天皇に上奏したのは、やはり近衛だけだった。

 この上奏に際して近衛は、吉田茂と殖田俊吉の協力をえて長文の上奏文をあらかじめ作成し、それを天皇の前で読みあげている。よく知られているように、この上奏文のなかで近衛は、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」として敗戦をはっきりと予言し、敗戦にともなって「共産革命」が発生し、天皇制が崩壊するという最悪の事態を回避するために、ただちに戦争の終結に踏み切ることを主張したのである。近衛のこの上奏に対し天皇は、「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話はむずかしいと思う」と述べて、近衛の提案に消極的な姿勢を示した(『木戸幸一関係文書』)。天皇はまだ、戦局の挽回に期待をつないでいたのである。

この拒否の結果は、10万人以上の死者を出した3月10日の東京大空襲をはじめとする、戦略爆撃による全国焦土化であり、また日米軍民合わせて20万人以上、沖縄県民だけでも15万人が犠牲となった沖縄戦である。いつだって、権力者の保身のツケは人民が払わされる。

3.「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死

沖縄戦が始まり、日本本土への米軍上陸も間近という状況になると、海軍中枢部では、既に無用の長物と化していた大和に華々しい「死に場所」を与えるべきだ(オレは行かないけど)という意見と、そのような無意味かつ不合理な作戦を行うべきではないという意見が対立していた。

この対立状況に対して、軍のメンツを守るためだけの愚策を選ばせる強力な一押しとなったのが、「もう艦はないのか?」という天皇裕仁の「御下問」だった。

その結果、大和をはじめ10隻からなる艦隊が沖縄への「海上特攻」に出撃し、目的地にたどり着くこともできずに、実質わずか2時間程度の戦闘で約4千人が無意味に死んだ[3]。


 敗色濃厚となった1945年4月1日、沖縄本島にアメリカ軍が上陸した。そこで大本営は、現地守備部隊である第32軍に、それまでの持久戦戦略から、積極的攻勢を強く命令した。その中には奪取された飛行場を取り返すことも含まれていた。よって、第32軍は7日に大規模な攻勢に出ることを決定する。

 大本営は、第32軍の攻勢を軸に「特攻」をメインとする、大規模な航空機による支援を決定する。そこで微妙な立場におかれたのが海軍である。神重徳大佐のような参謀たちが中心となり、部内を説得し、海軍も「海上特攻」部隊を派遣することが5日に慌しく決定された。

 このような海軍の動向には、昭和天皇の意向が反映されたといえる。昭和天皇は及川古志郎軍令部総長に対して「海軍にはもう艦はないのか、海上部隊はないのか」と「御下問」があった。それを重く受け止めた軍令部総長が、指揮下にある聯合艦隊に対して部隊の派遣を求めた。豊田副武聯合艦隊司令長官は、大いに発奮し、その結果、5日に戦艦大和を旗艦として、軽巡洋艦矢矧ほか駆逐艦8隻を合流させて、第2艦隊として出撃させることになる。(略)結果として駆逐艦2隻のみが損害を受けつつ生き残る。

4.沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月)

戦後の日本支配に天皇制を利用できると踏んだアメリカのおかげで戦犯訴追を免れた裕仁は、戦後一貫して「恩人」アメリカに尻尾を振り続けた。中でもその卑劣さで抜きん出ているのが、国体(天皇制)を守るためにあれほどの犠牲を払った沖縄を自分からアメリカに売った「天皇メッセージ」だろう[4]。


 すでにその年(注:1947年)5月6日、天皇はマッカーサーに三度目の訪問をし、対日講和成立後「アメリカが撤退した場合誰が日本を守ることになるのか」と直接元帥に問い、自ら講和後の日本防衛問題への関心を見せていた。それに関連して9月19日、寺崎は、「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」としてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。

 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民が、ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが“事件”を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。

 天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存リテインドさせた形で、長期ロング・タームの――25年から50年ないしそれ以上の――貸与リースをするという擬制フィクションの上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴェト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差止めることになるだろう」。

「日本国民統合の象徴」である天皇が、自国領土の一部を、その上に住んでいる「国民」も込みで、ずっと軍事占領し続けてくださいと自分からお願いしてきたのである。しかも、どうすれば軍事占領という実態を自国民および国際社会から隠せるかというアイデアまで付けて。

アメリカから見れば、これほど都合のいい提案はないだろう。その結果が30年近くにわたる軍政と、一歩間違えば沖縄を地球上から消し去っていたかもしれない核戦力の集中配備、そして「返還」後も広大な土地を占拠し続け、被害を与え続けている米軍基地である。

5.戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月)

1975年、裕仁は国賓として初めてアメリカを訪問し、ディズニーランドでミッキーマウスと一緒に歩き回ったり、動物園でコアラを眺めたりして、「平和主義者で無害な老君主」という(虚偽の)イメージを振りまいた。この旅の疲れで気がゆるんでいたのか、帰国後の記者会見で思わず本音が出てしまったのがこれである[5]。


 帰国後、天皇はテレビカメラも入った記者会見を受けた(10月31日)。そのとき一記者がすかさず、外国記者団やフォードに語ったことを踏まえた「適切でない」、わずらわしい質問をした。「天皇陛下はホワイトハウスで、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします」と。

 天皇は顔をこわばらせて、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答え、また広島への原爆投下について聞かれ、「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と述べた。(略)

要するに、あの戦争に関して自分に責任があるなどとはつゆほども考えていないのだ。トップがこれでは下も責任など感じるはずがない。戦犯裁判で裁かれた者たちも「運が悪かっただけ」ということになる。裕仁こそがまさに無責任国家日本の生みの親と言えるだろう。

以上、時系列にそって並べてきたのだが、悪い順に並べようにも、いずれもクソすぎて順位がつけがたいというのが正直なところだ。

[1] 栗原俊雄 『特攻――戦争と日本人』 中公新書 2015年 P.84-87
[2] 吉田裕 『昭和天皇の終戦史』 岩波新書 P.21-22
[3] 佐藤宏治 『「男たちの大和」をめぐって――歴史学の視座から』 戦争責任研究 2007年夏号 P.76
[4] 進藤栄一 『分割された領土』 岩波書店 2002年 P.65-66
[5] ハーバート・ビックス 『昭和天皇(下)』 講談社学術文庫 2005年 P.388-389

http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/08/16/165326
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c174

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
175. 中川隆[-9585] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:18:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2889]

朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。

画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c175

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
176. 中川隆[-9584] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:22:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2890]

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c176

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
177. 中川隆[-9583] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:29:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2891]

戦争責任は他人から「言われるから」辛いという天皇裕仁の無責任 2018-08-29
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/08/29/225234


先日も昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」特集記事を書いたばかりだが、またこの人物の無自覚・無責任ぶりを示す新たな史料が出てきてしまった。

これは1974年から晩年まで侍従を勤めた故小林忍氏の日記で、共同通信が氏の遺族から日記を預かり、各紙でその内容が紹介されている。特に東京新聞は二日間に渡って特集を組み、半藤一利氏と保阪正康氏の対談まで載せている。

■ 他人から「言われるから」辛い戦争責任

この日記によると、裕仁は1987年4月、小林氏に次のように語ったという[1]。死去の2年前、85歳のときである。


「長く生きても戦争責任いわれる」 昭和天皇85歳 大戦苦悩

 昭和天皇が八十五歳だった一九八七(昭和六十二)年四月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が二十二日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。 

 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。

 八七年四月七日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。この年の二月には弟の高松宮に先立たれた。

東京新聞はまるで裕仁が晩年まで自己の戦争責任について苦悩していたかのように書いているが、冗談ではない。裕仁が「辛い」のは他人から「戦争責任のことを言われる」からであって、自己の負うべき重大な責任を自覚し、内発的に反省したからではない。

もちろん天皇裕仁には戦争責任がある。帝国陸海軍を統帥する大元帥として戦争を始めた当人にさえ戦争責任がないとしたらいったい誰にあるというのか。

敗戦後の裕仁は、その長い後半生を、いかにして戦犯訴追を回避し、自分の身の安全と地位の安泰を確保するかに費やしてきた。退位さえせずに済ませた裕仁はうまく逃げ切ったつもりだっただろうが、そうやって何十年も当然負うべき責任から逃げ続けたあげく、誰かから「天皇には戦争責任がある」と指摘される程度のことが辛いとは、どこまで甘えているのか。

■ 「国民はもう忘れたから気にするな」と天皇を「励ます」侍従

そしてある意味、この無反省な裕仁の泣き言以上にひどいのが、これを受けて小林侍従が天皇を励ましたという言葉だ。


 小林氏はその場で「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ました。

この「励まし」ではまず、裕仁の命令で自国に押し入ってきた「皇軍」によって理不尽に殺され、強姦され、家族や財産を奪われた何千万というアジアの被害者の嘆きと恨みを「国民」の一言で切り捨てている。「日本国民統合の象徴」として安全な国内に収まっている天皇にとって、「国民ではない」被害者のことなどおよそ考える必要さえないということなのだろう。

もちろん、たとえ「国民」だけに限っても、南方のジャングルで補給もないまま見捨てられ餓死していった兵たちや、「天皇陛下の御為」と信じて敵艦に突っ込んでいった特攻隊員、「国体」を守るための沖縄戦で日本軍にガマ(洞窟)から追い出されて死んだ沖縄の人々、逃げずに火を消せと強いられて焼き殺された空襲被害者、さっさと逃げ出した「皇軍」に取り残されて地獄の逃避行を強いられた旧「満州」への入植者たちなど、天皇がその被害に責任を負うべき人々は何百万人もいる。

しかし、戦後政府とマスコミが総力をあげて続けてきた天皇免罪キャンペーンのおかげで、旧軍部はともかく天皇に戦争責任があると主張する真っ当な日本人は確かに限られていた。それをいいことに、戦争責任のことを言う者など少数だから気にするな、というのだ。

どこまでもトップの責任者に甘く、被害を末端に押し付けて恥じないこの国の支配層にふさわしい侍従発言である。

■ いまだに「大元帥」裕仁の責任を総括できないマスコミ

こんな無責任者とその追従者のやりとりを、「心奥触れる「昭和後半史」」だの、「晩年まで戦争の影を引きずる天皇の苦悩が克明につづられている」だのと解説してみせるマスコミには、情けないとしか言いようがない。

リベラルとされる東京新聞ですらこうなのだ。あの破滅的敗戦から70年以上が経ってもその明白な最高責任者の責任さえ総括できないのでは、ありとあらゆる責任がなし崩しにうやむやにされ、何の反省もないままずるずる戦前へと回帰していくのは当然だろう。その行き着く先は、また同じ過ちの繰り返しである。

[1] 『昭和天皇85歳 大戦苦悩』 東京新聞 2018/8/23
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/08/29/225234
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c177

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
178. 中川隆[-9582] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:31:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2892]

立憲君主制がファシズムの台頭を防ぐ?
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/16/134548

■ ドイツを立憲君主制にしておけばナチス台頭を防げたという説には根拠がない

東京新聞の「私説 論説室から」(5/27)にこんな話が載っていたのには驚いた。


プロイセンの君主制

 連載社説「天皇と憲法」で取材した君塚直隆・関東学院大教授は、立憲君主制が独裁者の出現を妨げる、と指摘する。プロイセン帝国崩壊後、ナチスが台頭した経緯は連載で紹介した通りだ。
(略)

 専制のイメージが強いプロイセンだが、治下ではベルリン大学が創設され、哲学者ヘーゲルの講義が評判を呼び欧州思想界に影響を広げた。新王宮内に設ける文化施設には、当時、海外に目を向けた言語学者、地理学者のフンボルト兄弟の名を冠するという。プロイセンの記憶は暗黒ではない。

 これに対し、プロイセン崩壊後もたらされたナチス、共産主義の独裁時代は忌み嫌われている。共通するのが不寛容なイデオロギーの押しつけ。民主主義と共存し得る君主制と決定的に違う点だ。(熊倉逸男)

立憲君主制がファシズムなど独裁的政治体制の台頭を防ぐ、というのが、君塚教授の持論のようだ。その著書『立憲君主制の現在』では次のように書いている。[1]


 (略)ならば共和制を採る国はすべて民主主義的なのか。第二次世界大戦後にアメリカと並ぶ超大国となり仰せたのは、ソヴィエト社会主義「共和国」連邦であった。しかしそれはすべての市民が平等な国どころか、共産党一党独裁の下で言論の自由は奪われ、党幹部たちが利権を独占する体制であった。ソ連は1989〜91年の一連の市民運動で動揺をきたし、その衛星国として同じく共産党独裁体制下に置かれていた東ヨーロッパの「共和制」諸国とともに、倒壊の道をたどったのである。
(略)

 国際通貨基金(IMF)が発表する2015年度の「国民一人あたりの国内総生産(GDP)」のランキングで上位30位に入る国のうち、第1位のルクセンブルク大公国を筆頭に実に13ヵ国が君主制を採り、英連邦王国(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、バハマ)も含めれば、その数は17ヵ国にも及んでいる。さらに、第二次大戦後に世界的に注目されるようになった、「社会福祉の充実」という点から考えてみても、その先進国はスウェーデン、ノルウェー、デンマークといった、いずれも北ヨーロッパの君主国なのである。

 国民統治の面でも、君主制が共和制に劣っているとはあながち言えないのかもしれない。第二次世界大戦の末期。ドイツはすでに降伏し、残す敵国は日本のみとなった1945年7月、ドイツの戦後処理問題などを話し合うために、連合国の首脳たちはベルリン郊外のポツダムに集まっていた。その席でアメリカの海軍長官ジェームズ・フォレスタル(1892〜1949)は、イギリス外相アーネスト・べヴィン(1881〜1951)から驚愕するような発言を聴いた。フォレスタルは、いまや風前の灯火となった日本の「天皇制」を廃止すべきか否かについてべヴィンに尋ねた。慎重なべヴィンは、この問題は十分に検討する時間が必要であると答えながらも、断固たる口調で次のように語ったとされる。「先の世界大戦[第一次大戦]後に、ドイツ皇帝の体制を崩壊させなかったほうが、われわれにとってはよかったと思う。ドイツ人を立憲君主制の方向に指導したほうがずっとよかったのだ。彼らから象徴を奪い去ってしまったがために、ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開いてしまったのであるから」

 ベヴィンは「労働党」の政治家であり、極貧生活の中からはい上がり、労働組合の指導者にもなった社会主義者である。ある意味では、H・G・ウェルズ以上に「反君主制」を唱えていてもおかしくない彼がこのように断言したことに、フォレスタルは驚嘆したのだった。このベヴィンの発言どおり、戦後の日本には、天皇を象徴とする新たな国家が形成され、今日に至っている。20世紀を代表するイギリスの政治家ベヴィンをして、戦後日本の安全弁のように言わしめた、「立憲君主制」とは果たしてどのようなものなのであろうか。

君塚教授はこう言うが、そもそも各国がそれぞれ独自の歴史的経緯を経てたどり着いた固有の政治体制を「共和制」「君主制」に二分して、どちらが民主的であるとかないとか言うこと自体が乱暴に過ぎる。また、第一次大戦後のドイツでナチスが台頭したのは、ベルサイユ条約で多くの領土を奪われ莫大な賠償金を課された屈辱への国民の復讐心と、それを煽り立てるヒトラーのような男を「コントロールできる」と考えた当時の権力者たち(ヒンデンブルク大統領ほか)の愚かさのせいだろう。ドイツ皇帝を象徴的君主として残しておけばこれが防げたとする主張には根拠がない。それに、ドイツの帝制は大戦末期のドイツ革命によりドイツ人自身の手で廃絶されたのであって、戦勝国が廃止させたのではない。

だいたい、ヒトラーと並ぶ独裁者で「ファシズム」の語源であるファシスト党を率いたムッソリーニが台頭した当時のイタリアは、代表民主制、権力の分立、国民の権利保障等を定めたアルベルト憲法[2]を持つ立憲君主国(イタリア王国)だったではないか。


このようにアルベルト憲法は,規定上は君主制を基本としたが,しかし実際には,議会による政府が国政の中心的役割を担った。すなわち政治的決定権限は,国王から政府に移り,政府は支持政党の多数党との協力により営まれていた。アルベルト憲法は,君主制を基礎に置き,当初は寡頭政治の一面を有したが,後には選挙制度を拡充するなど,自由主義的・民主主義的側面をも有していた。

■ 北欧諸国が今でも王国なのは国王自身がファシズムと闘ったから

社会民主主義的福祉国家として知られる北欧諸国の多くが現在も王制を残している(フィンランドは共和国)のは事実だが、例えばデンマークやノルウェーでそうなっている理由は、君塚氏自身が書いているように、ナチスドイツによる侵略・占領に国王自身が断固として抵抗し、ファシズムに反対する国民の象徴となったからだ。[3]


 デンマーク国民にとって「ナチスへの抵抗」の象徴となっていたのが、ほかならぬ老国王クリスチャン10世であった。国王は占領の翌日からコペンハーゲンの町を毎朝馬で散策した。乗馬はそれまでの日課でもあったが、ドイツ軍の兵士たちが見守るなか、護衛もつけずに一人で愛馬と散策する国王の姿は、ドイツに対する無言の抵抗と国民の目には映っていた。事実、ドイツ兵が彼に敬礼しても国王はいっさい無視し、普通に挨拶してくる一般市民にはいつものとおり優しく言葉をかけるのであった。
(略)

(略)それでも国王の気骨はへこまなかった。デンマーク在住のユダヤ人に「ダビデの星」をつけるようにとの要求にも断固反対した。国王は「デンマーク国民であるユダヤ人」にはナチスに指一本触れさせなかった。こうした国王の態度と自由評議会などの支援もあって、ドイツ占領下にあった諸国のなかでデンマークのユダヤ人たちは98%がホロコーストを逃れることができたとされる。(略)
(略)

 1940年4月9日の早朝、ドイツ軍はノルウェーの首都オスロや西海岸六カ所を同時に急襲した。(略)ノルウェー軍による徹底抗戦は各地で続いた。しかしドイツ軍による猛攻に耐えられず、2ヶ月後の6月7日に国王は皇太子、政府閣僚らとともに国外への脱出を決定した。

 6月10日にホーコン(注:国王)とオーラヴ(注:皇太子)はロンドンのユーストン駅に降り立った。(略)それからの5年間にわたりホーコンはイギリスでの亡命生活に入る。ロンドンに借りた事務所では、毎日のように皇太子や閣僚たちと協議を行い、連合軍から得た情報をもとに祖国の解放に尽力した。

 また国王は、BBC(英国放送協会)のラジオを通じて、ノルウェーの国民に希望を捨てないように訴え続けた。ロンドンでは「自由ノルウェー」という抵抗組織を立ち上げ、「すべてをノルウェーのために(All for Norway)」を標語に、国王は寝る間も惜しんで活動を続けた。そしてついに待望の時が訪れた。1945年5月8日にドイツが降伏した。(略)亡命からちょうど5周年にあたる6月7日に、72歳の老国王ホーコンが祖国の土を踏んだ。(略)宮殿へと向かう国王の乗る馬車を、歓喜する大勢の国民が取り囲んだ。宮殿前には13万人以上の市民が集まり、ここにノルウェーは解放されたのである。

 ナチスによる占領後も祖国デンマークにとどまって抵抗の意志を貫いた兄クリスチャンと同様に、亡命後もラジオを通じて国民に語り続けたホーコンは、ノルウェー国民にとって「ナチへの抵抗と祖国解放の希望」の象徴となり続けていた。


これらの国王がナチスドイツに迎合するような態度を取っていたら、戦後、王制はもちろん廃止されていただろう。問題は君主制か共和制か、などではないのだ。

■ 天皇制擁護論に賛成の余地はない

君塚教授はこうした立憲君主制の「効能」を並べることで象徴天皇制をも民主主義の維持発展に必要な制度として位置づけたいのだろうが、身を挺してファシズムに抵抗した王たちの君主制と、それ自体が天皇制ファシズムという怪物を生み出した絶対主義的天皇制の残滓と言える日本の象徴天皇制を同列に並べることはできない。

こうした一見マイルドな天皇制擁護論にも、断じて反対だ。

[1] 君塚直隆 『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』 新潮選書 2018年 P.6-8
[2] 椎名規子 『イタリア憲法の家族条項および国家と家族の関係についての家族法的考察(2)』 専修大学法学論集 第96号(2006年3月)P.146
[3] 君塚 P.150-161

http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/16/134548
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c178

[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
59. 中川隆[-9581] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:02:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2893]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c59

[近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
24. 中川隆[-9580] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:04:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2894]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c24

[近代史3] 林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か? 中川隆
18. 中川隆[-9579] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:07:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2895]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c18

[近代史3] 南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた? 中川隆
4. 中川隆[-9578] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:08:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2896]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html#c4

[近代史3] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
11. 中川隆[-9577] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:10:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2897]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/399.html#c11

[リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり 中川隆
9. 中川隆[-9576] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:11:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2898]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html#c9

[近代史3] 昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった 中川隆
3. 中川隆[-9575] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:12:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2899]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html#c3

[近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
148. 中川隆[-9574] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:25:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2900]

大家族生活の良さ 2019年06月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

 柳田国男が、明治42年(1909年)に、白川郷を訪れたとき、大家族生活の印象を書き残している。

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2279832.html

 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。

 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。

 引用以上

 ちなみに「チュウビンテンメン」という用語は、ネット上で探しても出てこない。広辞苑や大言海でも無理かも知れない。「秋風帖」という柳田の著作には漢字で出てくるものの、今では誰も理解困難だ。

 柳田が言いたかったことは、「白川郷の大家族生活には孤独が存在しない」ということである。しかし、冒頭の私のブログに書いてあるように、昭和初期には、女性たちは、高山や岡谷、富山などの紡織産業に出稼ぎに出ていて、ひとたび外の世界の「自由」に触れた者たちは、再び白川郷に戻らなかった。

 白川郷の労働が激しかった理由は、たぶん戦国時代に、煙硝=硝酸カリの製造法が発見され、その最適地として知られたのが飛騨合掌家屋であったことだろう。
 雪深く湿度が高い環境と、一軒家に多数の人々が暮らしているので、原料となる屎尿・青草の入手が容易な白川郷や五箇山では効率的な煙硝の製造が可能だった。加賀藩や高山藩が煙硝製造に焦って、住民たちに年貢の代替として無理な負荷をかけ続けた事情は容易に窺える。

 白川郷には男女の集団生活があったが、彼らはプライバシーに飢えていた。
 我々が、大家族生活の利点に憧れるとき、最も警戒しなければならないことが、人が多すぎてプライバシーがもたらす休息が失われることの可能性である。

 大家族には生活上の利点が実に多い。

 何よりも、食事、洗濯、買い物などで、たくさんの消費を効率的に満足させられるのである。一度にたくさんの仕事をするから、孤立した小家族に比べて、一人あたりの消費は実に合理的に行える。

 間違いを犯しても、仲間がすぐに指摘してくれるし、分からないことは教えてもらえる。
 
 生活の必要経費と労働量は、小家族と大家族では極めて大きな差が生じる。

 何よりも、一人主婦が家事を行うのと、数名でワイワイガヤガヤと共同して行うのでは、同じ家事でも雲泥の差、共同には人生の楽しさのエッセンスが詰まっている。

 一人の仕事はつまらない。人は共同にこそ人生のすべての楽しみを得られるように設計されているのである。

 洗濯機や冷蔵庫、掃除機など家電製品で考えれば、数名でも数十名でも同じ道具と時間ですんでしまうので、たくさん買いそろえる必要がない。

 老人や病人の介護が、一人の主婦に負担が集中する小家族とは比較にならないほど楽であり、何か困ったことが起きても、よってたかって解決する人が、たくさん出てくるのである。

 人が死んだときも、全体に及ぶ影響は、家族の規模が大きいほど小さなものになる。悲しみも、みんなが和らげてくれる。「孤独」って、どこの話? ということになるのだ。

 ここでネット上で、大家族生活の合理性について書かれているサイトを参照してみよう。

 山上家の節約術が凄い!家族10人で月30万円!?
 https://xn--bck9etdz48puxcfxu.net/bigfamily/bigfamly/yamagamike

 大家族貧乏ゆうり家の究極のこだわり節約術
 https://yuurin4children.com/daikazokusetuyaku/

 大家族すぎて生活苦に陥っている家庭の悩み https://mikle.jp/theme/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%8B%A6+%E5%A4%A7%E5%AE%B6%E6%97%8F/

 これらの記事は、私の子供時代の家族感覚からすれば、大家族でもなんでもなくて、「普通家族」のものにすぎないが、それでも生活の大変さと、家族が多いことでの不便と合理性について触れている。

 私は「大家族生活」を考える場合、単位としては10〜20名程度を想定していて、10名以下は「普通の家族」であると思う。

 それに血縁ばかりが家族になるわけでなく、家族というより「共同体志向」を念頭に考える必要があると思っている。

 逆に大家族制度の不合理性=不便性について、ネット上で実情と意見を探しているのだが、なかなか発見することができない。

 小家族の合理性について探しても、まず出てこない。つまり、「小家族で良かった」との記事は見たことがない。

 「大家族はいいですよ」という記事はたくさん見かけるのだが、大家族のせいで自殺に追い詰められたとか、人生が窮屈で死にそうだとかの苦情を探すのは困難なのであり、小家族で幸せだったとの賛美も見つからない。

 せめて、「トイレが足らなくて、我慢してるうちに漏れちゃった」というような具体的な不便記事を探しても見つからない。
 
 それでも、大家族を未経験の人が真っ先に深刻に不安視するのが、プライバシーの侵害であり、隠し事ができないことへの恐怖であり、たくさんの人と同居することの閉塞感、圧迫感であろう。

 実際問題として白川郷の若い娘たちが、苛烈な冬の野麦峠を越えて、女工哀史に描かれた凄惨なほどの岡谷の生糸紡織産業に就業し、一日16時間の辛い肉体労働を強要されても、故郷に帰らなかった事情は、8畳間に同性の10人以上もが寝起きする合掌家屋の生活に、よほど嫌気がさしていたのではないかと思う。

 そこで、我々が窮乏する生活上の要請から、再び大家族生活に回帰するにあたって、個人のプライバシーと、大家族の合理性を、どのように両立させるか明確なビジョンを持って、計画的に準備することが必要というのが私の考えである。
 もうギュウギュウ詰の生活を我慢できる人も少ないだろうから、一定のプライバシーは、どうしても確保しておかないと、集団=共同体生活も成り立たないと考えている。

 そこで参考になるのが、ヤマギシ会のシステムである。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html

 私は1973年頃、新島淳良がヤマギシ会の理事長だったころ、特別講習というのに参加したのだが、この頃のヤマギシ会は、本当に素晴らしかった。
 何より、参画者の女性たちが美しかった。化粧など誰もしていなかったが、人生や人間関係に対する喜びにあふれた表情は、一目見ただけで忘れられないほど美しいものだった。

 当時のヤマギシ会は、まだ貧しくて、みんな粗末なトタン張りの小屋に住んでいたが、それでも、ヤマギシズムと呼ばれた放し飼いに近い養鶏法が生活の主軸になっていたから、養鶏法をモデルとしたシステムに、人間も生活していたのである。

 ドーム型の長屋を区割りして個室が作られていたが、個室は四畳半くらいで、数名が生活していた。

 食事も洗濯も風呂も、すべて共同で行われ、強制は一切なく、本人の自主性だけに依拠した共同体がうまく機能していた。

 問題が出ると研鑽会が開かれ、みんなで意見を出して解決していた。

 大切なことは、ヤマギシ会においては、粗末ではあったが、それなりの個人のプライバシーが確保されていたということで、我々が共同体を志向するときも、必ず、共同性とプライバシーを両立させる生活システムを考える必要があると思う。

 その後、80年代末にも私は関わったのだが、その頃になると、いろいろな問題が噴出し、いわゆる「問題組織」とレッテルを貼られるようになったが、私は、詳細を知らない。ただ、結構豪華な個室が与えられていたことが印象に残っている。
 ちょうど70年前後の全共闘運動が80年代に近くなると、悪い意味での変質が起きていたことに似た、組織の統治に関する問題がたくさん出てきて、私は幻滅させられることが多く、ヤマギシとの関わりも失われた。

 リーダーが専用のベンツに乗って外出する姿を見たとき、「ヤマギシも終わったのか?」と強い不安に駆られた記憶がある。つまり、もの凄く儲かっていたことで、ヤマギシズムの本質を見失ってしまったのではないか? と私には思えた。

 今の段階では抽象的にしか語れないのが残念だ。当時は、私自身が地獄の釜のなかにいるような精神状態で、何をどうすべきかのビジョンが、まるで生み出せなかった。

 資本主義の爛熟過程では、みんな物質的欲望と見栄に取り込まれ、愛を見失い競争だけが生き甲斐になるような、人間性を見失った時代になってしまうのだが、それがバブル時代だったと思う。

 私もバブル時代の中で、価値観を見失い苦悩したが、今、再び、60年代のような民衆の貧しさが復活して、真実を見抜こうとする価値観が復権してきているような気がする。

 豊かさは人を愚かにするが、貧しさは人を賢明に育てるのである。みんなが貧しくなって、再び、我々の前に真実が姿を現しはじめた。それが共同体の復権であると、私は思う。

 共同体=すなわち大家族生活のことである。人が金ではなく、人に依拠して生き抜いてゆく。この世の本質は、金や差別ではなく、人間と、その愛であると気づいた人たちが、手を取り合って新しい社会を形成してゆくのである。

 まだ資本主義の競争社会に影響を受けて、人ではなく、技術や集団、組織の虚構に目を奪われて、「この世には人間と自然しかない」という真実を見抜けない人たちがたくさん生きている。

 彼らは、コンピュータ社会、IT・AIに過剰な幻想を抱き、それが人を支配するようになると勘違いしているが、決してそうではない。世界の本質は人間であり、金ではなく、技術でも権力でもない。
 人間だけを見つめて生きるために、我々には大家族=共同体生活が必要なのだ。

 また、共同体は、「そうしなければ生きてゆけない」という切羽詰まった現実の上に築かれるものであり、誰か頭の良い、えらーい人が登場してきて共同体社会を指導して回るわけではない。

 みんな、ときには「いやいや」団結し、共同してゆくのであって、団結のなかで、新しい価値、大きな合理性としての共同体生活を見いだしてゆくものだと私は思う。

 何度も書いているのだが、30年前に松原照子が予言したとおり、「日本人は草も食べられない」ようになりつつあり、もう大都会では餓死するしかない時代が目前に迫っていると思う。

 テレビでやってる山奥の「ポツンと一軒家」こそ、真の桃源郷になる時代が近づいているように私には思われるのだ。

 今は90歳近い老人が少人数で最期の日を待っているが、やがて、ここに若者たちが、未来を担う共同体を作り出す日がやってくると私は信じている。 
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c148

[近代史3] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
5. 中川隆[-9573] koaQ7Jey 2019年6月17日 05:26:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2901]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427
■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

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上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html#c5

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
25. 中川隆[-9572] koaQ7Jey 2019年6月17日 05:28:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2902]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427
■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

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上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c25

[近代史02] 戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき 中川隆
54. 中川隆[-9571] koaQ7Jey 2019年6月17日 05:29:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2903]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427
■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

▲△▽▼


上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html#c54

[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
98. 2019年6月17日 05:37:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2904]
犯罪者天国日本!刑法犯で検挙の3割が微罪処分、残りも6割が不起訴、どちらも前科はつきません!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/478.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c98
[国際26] タンカー攻撃で米国に同調している英国はイラクへの侵略でも米国に協力していた(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9570] koaQ7Jey 2019年6月17日 05:51:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2905]
櫻井ジャーナルに騙されるな
櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ


http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/629.html#c1

[国際26] ホルムズ海峡周辺での戦乱で原油価格が高騰、米石油産業が潤っても社会は崩壊(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9569] koaQ7Jey 2019年6月17日 05:51:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2906]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、

ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。


今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc


林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ


http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/632.html#c1

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