★阿修羅♪ > DbsSfawrpEw > 100083
 
g検索 DbsSfawrpEw  
 前へ
DbsSfawrpEw コメント履歴 No: 100083
http://www.asyura2.com/acas/d/db/dbs/DbsSfawrpEw/100083.html
[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
33. 中川隆[-5581] koaQ7Jey 2018年3月02日 08:44:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020


子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

____


「慰安婦」強制に新証拠

日本軍、200人をバリ島に連行

関東学院大・林教授ら


旧日本軍「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認めた「河野談話」を裏付ける新資料が、関東学院大学の林博史教授(日本近現代史)らによってこのほど発見されました。新資料は、旧日本軍が軍の資金を使って慰安所事件を隠蔽していた事実も浮き彫りにしました。


 資料は、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で裁かれた二つの事件にかかわるもの。林教授の研究室が国立公文書館保管の資料から見つけました。

 同裁判(25号事件)で裁かれたバリ島駐屯の海軍第三警備隊特別警察隊長(海軍兵曹長)の男性が戦後、法務省の調査(1962年8月)に対し、「戦中の前後約4カ年間に二百人位(くらい)の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と強制的に女性を連行した事実を証言しています。


軍が隠蔽工作

 さらに、「終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に功を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴え出なかった」と、隠蔽工作についても赤裸々に語っています。

 同時に発見された同裁判の尋問調査には、警察隊長の男性が連れてきた女性を「慰安婦」として働かせる慰安所を開いていた商人の証言や、男性によって慰安所に入れられそうになった女性の証言が存在しています。調書には、

「彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした」

「彼女たちは(被告)によって一人ずつ車から引きずりだされたので、服は引き裂かれていたほどでした」

などの商人の証言が記載されています。


愛人にされた

 また、バタビア裁判での別の裁判(88号事件)の資料も発見され、同裁判での被害者の尋問調書では、


「親米容疑で憲兵隊に捕まり、ボソドオソの慰安所に連れて行かれ、ここにずっといるか、一人の決めた日本人と同棲(どうせい)するか、選べといわれる」

「逮捕され、ボソドオソの慰安所だったホテルに連行。憲兵隊将校の愛人にされた」


などの証言が記載されています。


旧日本軍「慰安婦」新資料(抜粋、林博史教授提供)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-07/2014040714_01_1.html


旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を 2013-05-25

91歳の松本正義さん(韓国・聯合ニュースより)
兵役時の松本さん(韓国・聯合ニュースより)

 韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日本兵が23日、日本軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。

 91歳の旧日本兵、松本正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松本さんは1944年初めから1946年3月まで日本軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊本部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日本軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。

 松本さんによると、大隊本部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日本軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。

 また、当時日本軍は中国の庶民も潜在的なゲリラと見なしていたため、しょっちゅう村落を攻撃しては「女性を捕獲」していたという。松本さんは「有漂亮的姑娘」(きれいな女の子がいる)という中国語を今だに覚えている。きれいな女性を見つけた日本軍が部隊に連行して輪姦するのも目の当たりにした。

 ある上等兵が「女性を捕獲」しようと住民の家に入った際に地雷を踏んで爆死したことや、部隊長と村長が交渉し、部下が捕えて来て姦淫した7-8人の女性を返す代わりに別の2人の女性を連れ帰ったことも覚えている。地雷で爆死した上等兵はその後、靖国神社に埋葬された。国家のために命を捧げたというのがその理由だ。

 松本さんは「本当の戦闘など当時していなかった。われわれは住民に攻撃されることを恐れていた。部隊がしたのは女性を捕獲することだけだ」と述べた。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-05/25/content_28929997.htm


東ティモールにおける日本軍性奴隷制

 四半世紀にわたるインドネシア支配の陰で、封印されてきたもうひとつのの占領の記憶がある。それは1942年2月から1945年8月までの日本軍占領期の歴史、特に「慰安婦」という名の性奴隷にされた東ティモール人女性の体験である。


■証言

 1942年から1945年の間に慰安所はポルトガル領ティモール全土に設置された。関係者の証言や東ティモールに駐留した部隊の記録によって現在までに確認された慰安所の所在地は、ボボナロのメモ村、ウアタ村、マロボ村、オアト村、バウカウのティリロロ村、アイレウ、サメのキラス、クレディリ、アラス、オッス、バギア、アビス、ラウテンそしてディリである。

日本軍は、リウライと呼ばれる伝統社会の王や村長に命じて少女や女性を集めさせた。彼らは反抗すれば殺されると脅された。また多くの住民が日本軍の治安管理を助ける「ポムベラ」として使われた。 


◇エスメラルダ・ボエさんの話

 ある日、私が兄と畑でタピオカを収穫していると、日本軍の兵士が5人やってきて、何か言いあいながら私の腕を取り、首を締め、彼らの家に引きずっていった。そこからシモムラ(Shimomura)という司令官の家に連れていかれ、そこで私はシモムラに強姦された。私はその後解放されて家に戻り、両親に自分の身に何が起きたか告げた。両親は村長に相談した。村長は両親を「逆らうと殺される」と諭した。当時私は12、3歳ぐらいで初潮もむかえてなかった。

 それから夕方になるとシモムラがやって来て、私を家に連れていき強姦した。こうして約2年間私はシモムラの相手をさせられた。シモムラが去るとシモムラと同じ家にいたカワノ(Khawano)の相手をさせられた。カワノの次はハルカ(Haruka)だった。兵舎にいる一般の兵士のために女性たちが連れて来られているのも見たが、別の村の女性たちなので誰が誰かわからなかった。

 性の相手をさせられる以外に農作業もさせられた。働きが悪かったり疲れて休んだりすると、その場で殴られたり、厳しい罰が待ち受けていた。私は日本の歌を憶えさせられて日本軍の娯楽のためによく歌わされた。私は3人の司令官の名前と何度も歌わされた日本の歌を決して忘れない。

 東ティモールに侵攻した日本軍はすべてを破壊した。私たちの牛や豚や鶏を奪い、男や女を殺害した。多くの女性が慰安婦にされた。ティモール人はみな重労働を強いられた。農作業も木材伐採も道路や橋の建設も全部ティモール人の仕事だ。

 午後、外の仕事が終わると男は家へ帰されるが、女性は慰安所で働かされた。女を求めて兵士が村へやってくることもあった。少女が家から引きずり出され、慰安所に連行され、強姦された。そうした少女の中には死んだ者も重い病気になった者もいる。強姦された後殺されて山の中に捨てられた者もいる。私とマルタがこうして生きていられるのは幸運だ。生きてこうして話ができるのはありがたいことだ

 私の兄のひとりは日本軍に殺された。兄は逆さ吊りにされて喉を切られた。死体は埋葬されなかった。埋葬されるどころか吊るされたまま火がつけられた。なぜ兄がこんな目にあったかというと、彼は私の姉と妹を助けようとしたからだ。この姉と妹は10人以上の兵士に強姦されて殺された。彼女たちの遺体は山の中に放置された。

 兵士たちは既婚女性の家にも踏み込むことがあった。そこに夫がいても気にせず、その妻を連行し犯した。夫が家にいない時間をみはからって踏み込み、その場で妻を強姦するという場合もあった。日本人は本当にひどい国民だ。既婚の女性に何の敬意も払わないのだから。残虐だよ。あるティモール人の男は日本の憲兵に協力して働いていたのに、日本軍の酒宴に妻を出すことを強要された。

 私たちには着る服も与えられなかった。しかたないので米の袋を切って服をつくった。それでもその時着ていた服よりははるかにましだった。私たちの身なりがあまりにみすぼらしい時は、酒席に呼ばれても行く気がしなかった。しかしそんな時でも「お前たちは慰安婦だ。俺達を楽しませるのが仕事だろ」といわれ引きずり出された。

 日本軍は私たちから何でも奪った。あらゆる食べ物を奪った。キャッサバ(いも)さえだ。日本は豊かな国だと聞いたが信じられないね。何でも私たちから奪ったんだから。キャッサバさえも。

 兵士は私たちの家にやって来て、何か欲しいものを見つけると、金はあるからそれをくれといった。でも金など払ったためしはない。ひと度機嫌を損ねると厳しい罰が待っている。例えば片手に岩を持たせ片足で立たせるとか。疲れて手や足を下ろすと竹の棒で肘や膝をしたたか殴られた。

 心の傷が残っているかだって?今でも誰かのおしゃべりが聞こえると「エスメラルダは日本軍の慰安婦だ」って嘲笑されている気がする。思いだす度つらくてこれまで人に話したこともない。でもしゃべってよかったよ。すっきりしたよ。シモムラたちが生きて目の前に現れたら?そうだね、思いきり殴ってやるさ。(2000年12月11日談)

◇マルタ・アボ・ベレさんの話

 エスメラルダも言ったが、当時、私たちは日本軍からさまざまな労働を強制された。私たちは、橋や道路や家屋の建設のための労役に従事させられたし、家屋をつくるために必要な竹などの資材を遠くから調達し運搬しなければならなかった。

 私はオアト村から温泉のあるマロボに連れて行かれた。マロボには慰安所があり、そこで働かされた。その慰安所で私は毎日10人もの兵士に強姦された。

 昼は昼で畑仕事やその他の労働をさせられた。そして夜になると慰安所に戻される。マロボの慰安所で毎日10人もの男性に強姦されて、私は自分が家畜になった気がした。実際私たちは家畜のように働かされた。まるで日本軍に所有された馬だ。昼は戸外で働かされ、夜は兵士に対する性的サービスをさせられた。

 あれは動物としての扱いだった。その慰安所にはいくつかの部屋があり、小さめの部屋に5人ほど、中くらいの部屋に7人ほどが入れられた。寝床と寝床の間にはカーテンなどの仕切は一切なく、他の少女たちが犯されるのを見ながらまた自分も犯された。

私たちの性器は彼らのためのものだった。まるで動物の、牛の性器のようだ。ひとり以上の男、十人以上の男に毎日使われて。十人以上の男に強姦された後はもう普通に歩けない。ちゃんと立てなくてこんなふうにしか動けない。でも昼は昼で外で働かされるんだ。私たちはいつも牛の角で作ったメガフォンで呼び集められた。「さあ出てこい。男も女も。仕事だ、仕事だ」って。

 あんたたちは本当に酷いことを私にしたよ。あんたたちは強姦したんだ私を。あの時私たちの性器はすごく痛いんだ。十人以上の男にされたらもう何もできないんだよ。

 もし嫌だといったら、仕事を拒もうものなら、逆さ吊りにされて喉をしめられた。怖いよ。すごく怖くて、だから行くしかないんだ。

 私たち女性は神様が造られたものだ。でも日本の男たちは女性が神の創造物と考えない。自分たちだって女性から生まれたのに。母親が産んでくれたのに。どうしてこんなふうに女性を扱えるんだろう。私たちだって彼らの母親と同じなのに。

 あの男たちだって、疲れれば家に帰り休息を取るだろう。私たち女だって人間なんだから疲れるんだ。男と同じ仕事を昼間して、夜は一晩中セックスの相手をしなければいけない。私たちだって疲れるんだ、人間なんだ。

 仕事が終わっても家(宿舎か?)に戻って何か食べてくることも許されない。お腹がすいて死にそうだった。あまりにひもじい時、私は日本軍のために働かされているティモール人の村長に食べ物を取りに家に帰らせてくれと頼んだ。何も食べる物がないと働らけないんだ。(2000年12月11日談)


【補足/マルタ・アボ・ベレさんが慰安婦にされた経緯】

 ある日、日本軍の兵士と東ティモール人のガイドが家にきて

「いっしょに行こう。キャッサバを食べに行くのだから怖がらないでよい」

と言った。日本軍のために道路や兵舎をつくる仕事をしろということらしいが、怖かった。しかし、叔母に自分が行かないと両親や叔母が日本兵に殺されるといわれ、しかたなく従った。マロボに連れていかれると、集められた他の少女たちとともに草刈りや道路づくり等をさせられた。しばらくしてそういった仕事が一段落すると、アツァベ出身のドミンゴスという男が適当な少女を選んで慰安所に連れていった。マルタも連行され約3カ月間慰安婦として働かされた。三カ月後病気になり、両親の懇願によりもとの村に帰ることを許された。)

 ボボナロに駐留した部隊は、1944年3月まで駐留した歩兵第47連隊の第7中隊、 1944年3月に同部隊と交代した台湾歩兵第1連隊の第6中隊、軍用道路の建設に携わった台湾工兵第48連隊などである。

◇エルメネジルド・ベロさんの話

 日本軍がバウカウに来た時、ほとんどの者が山へ逃げた。オーストラリアに避難した者もいる。私の親族にもオーストラリアに逃げた者がいる。しかし私と妻は東ティモールに残り、一旦山へ逃げた。町に戻ってくると自分の家は日本軍に奪われていた。

 日本軍が駐留するようになると、彼らは「慰安婦」にする若い女性を求めた。私も日本軍に差し出すための美しい若い女性を捜さなければならなかった。命令に従わなければ殺すと脅された。若い女性を捜すだけでなく、私の家も明け渡せと命じられた。家は大きく慰安所にするのにうってつけだったからだ。家は改造され「ティリロロ慰安所」となった。

 ティリロロの慰安所にいるほとんどの女性は17才から20才くらいだった。全員がバウカウ出身というわけではなく、オッスなど他の場所から連れてこられた女性もいた。また、インドネシアのジャワ島のような東ティモール以外から送られてきた女性もいた。ティリロロの慰安所には中国(台湾?)出身の女性もいた。ほとんどが独身の女性だったが、結婚しているのに無理やり夫から引き離された女性もた。ジャワや中国から来た女性たちはずっとその慰安所にいたわけではなく、2、3日あるいは2、3週間で別の場所に移された。

 慰安所の女性たちは苦しんでいた。昼間は農場で働かされ、日本兵のために洗濯をし、料理をつくり、夜は性的欲求を満たすことを要求された。もし日本兵に対する性的奉仕を拒否すれば、彼女たちは拷問を受けたり、ひど暴力を受けるのが常だった。あまりの野蛮さに耐えられず逃げ出した女性もいた。

中にはうまく逃げおおせた女性もいた。しかし、例えば、ススディオという女性が逃げた時の話だが、私は罰としてひどい目にあった。ススディオは17才くらいで、褐色の肌をしたとても美しい女性だった。彼女はカイシドゥ・ポボサンというティリロロ村の出身で私が差出した女性だった。日本軍は私がススディオを逃がしたと疑った。日本軍はススディオを見つけることができなかったので、逆上し、私を尋問し暴行を加えた。血だらけになった私は馬の背に括りつけられて家へ返された。

 私のいとこのアナシタシアは慰安婦にされる前、カルロス・レモスという男性と暮らしていた。彼女も日本軍の慰安婦にさせられた。自由の身になった後、二人は別れた。その後アナスタシアは今日まで結婚せずひとりで生きてきた。彼女が二度と結婚しなかったのはこの時経験した心の痛み故だ。

 ブランカという女性はポルトガル人ピレス中尉の妾のひとりだった。ピレス中尉はかつてバウカウの警備隊長だった。彼は日本軍侵攻時に一旦オーストラリアへ避難したが、その後東ティモールに潜入し、しかし結局日本軍に捕らえられてディリに護送された。ピレス中尉が逮捕されるとブランカは日本軍に連行され慰安婦にされた。

 日本軍のある軍曹の「妻」にされたエルダ・サルダーニャは既に亡くなっているが、その軍曹との間に娘がいる。その軍曹の「妻」にされる前、彼女は結婚していた。彼女の夫は日本軍に殺害されていた。(2001年1月2日談)

【補足/エルメネジルドさんの記憶にある慰安所設置の責任者の名前及び階級は、捜索第48連隊所属のある将校の名前及び階級と一致した。さらにエルメネジルドさんは多数の将校写真の中からその人物を特定した。】

◇クレメンティーナ・カルドゾさんの話

 私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。

 当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。

その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。

私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、

「夫が死んだのだから命は惜しくない。連れていくなら死んでやる」

と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)

◇リム・ファ・ニエさんの話

 私はアイリウの出身だ。アイリウには日本軍の中枢があった。ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。14歳か15歳の頃だった。

母親が死んでから父親は病気がちだった。それから二年間は飯炊きとして働かされた。この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは

「しばらくすれば使いものになるだろう」

と言った。二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。アイナロやボボナロ出身の女性もいた。アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。

 慰安所で私はハナコと呼ばれた。アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。仕事が終わると立って歩くこともできなかった。兵士はコンドームを着用していた。性病検査はなかった。

 賃金は一切支払われなかった。すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。そんなことをしたら親が殺されると思った。ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺されたという話を聞いていた。私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。

 その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて知っていたのかもしれない。夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。

 何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)

◇ガブリエル・ラランジェラさんの話

 私はサメ県バブル村のある慰安所で警備長だった。バブル村には慰安所がみっつあった。慰安所には毎日担当の軍人がやって来て「女たちを清潔にしろ」と私に命令した。私は部下に命じて女性たちを水浴びさせ、よごれがないかチェックさせた。その軍人はこういう時にも現れ、慰安婦たちの身体を検査し、例えば足の指に泥がついたままだったりすると私たちを叱りつけた。

一日の終わりには女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームでいっぱいだった。私たちは毎日その掃除をした。寝台の間に仕切はなかった。慰安婦たちは穴のあいたボロボロの服を着ていた。いくらさがしても布らしきものは穀物袋だけ。女性たちはそれらを利用して服を縫った。女性たちへの報酬はなかった。もし彼女らが金をもらってたら、あんなボロを身にまとったりしないだろう。

 日本軍の将校は村の女性を気に入ると、その女性が既婚者でもかまわずに、性欲を満たそうとする。ある女性が所望された時、その夫婦は困ってリウライに相談した。リウライはその女性を自分の娘だと偽って、その将校とかけあったが、無駄だった。言うことを聞かなければ妻も夫も殺すと脅された。結局、その将校はその女性を思いのままに扱い、事が済むと家へ返した。

 慰安婦たちに食事は支給されなかった。だから親が食料を運んだり、女性たちが食料をもらいに家に戻ることもあった。だからといってそれが逃亡の機会にはならない。女性たちは自分たちが逃げたら身内にどんな害が及ぶか理解していた。逃げ切れないことも知っていた。あの状況で日本軍の意向に逆らえる者などいなかった。(2001年3月30日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html


中国・フィリッピンの被害者の証言には、軍による強制連行が多い。インドネシアでもこのケースの証言が少なくない。被害者の証言以外では、インドネシアの事例が明らかになっている。

ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を強制連行したケースやスマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が強制連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したっとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。

秦郁彦教授でさえフィリッピン「慰安婦」の証言について「多くは事実を反映している」と述べているほどである。


陸軍第117師団長・鈴木啓久(ひらく)中将

「私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令してこれを設置せしめ、中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して慰安婦となさしめました」

「日本侵略軍の蟠居する所には私は各所(豊潤、砂河鎮、其他2,3)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約60名であります」

(特集「侵略の証言」『世界』98年5月号)

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c33

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
34. 中川隆[-5580] koaQ7Jey 2018年3月02日 08:47:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2012-12-13
■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1


慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち
場所:中国、時期:1938年頃
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20121208002024

出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年


慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。

それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。


以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。


最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。


■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言

場所:中国中部の山東省


 一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)


この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について』の中で次のように述べています。


 この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪(当時の刑法はこちらを参照*2)の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。

 軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。

 一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。


論文に出てくる『内務省警保局長通牒(原文はこちらを参照*3)』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。

この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約*4」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。

さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。


■長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年

関東軍兵士の記録、場所:中国東北部、黒竜江省


 東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。

 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……

 おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。


「東満」地域とは、1943年10月1日、満州国にかつて存在した3省、牡丹江・間島・東安を総括し設置された「東満総省」の地域を指し、「洲崎」とは現在の江東区東陽町にかつてあった遊郭街のことです。

この慰安所にいた朝鮮人女性たちは「従軍看護婦」の「募集」だと騙されて国外に連れて行かれています。これは当時でも誘拐・拉致という犯罪で刑法第226条に違反しているのですが、女性たちの身元も調査しているはずの軍の方で送り返すなどした様子もなく、女性たちは軍の管理下にある慰安所で軍人の性の相手を強要されています。

また、当時この兵士は、慰安所のあまりに人権が無視されている状況に「義憤めいた衝動を覚え」「外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい」と感じたと書いています。この後でも紹介するように、慰安婦の状況を非人道的だと感じた日本軍将兵の手記や証言というものはけっして少なくありません。


■『私たちと戦争〈2〉戦争体験文集』タイムス,1977年,p.32

島本重三 軍「慰安所」

第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部の吉林省・琿春


 兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。

 兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。

 日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。

 せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。


「まだ幼い顔のまじった」朝鮮人の女性たちは騙されて国外に連れて行かれており、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たり、国際条約にも違反している可能性が高いのです。しかし慰安所を管理する軍はここでも業者を不処罰としており、女性たちを送り返した様子がありません。


■土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年

スマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシア・スマトラ島


 (慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……

 私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」

 彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……

 将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。


ここで詐欺(誘拐)の名目に使われている「女子挺身隊」とは、昭和19年の女子挺身勤労令による女子挺身隊のことではなく、当時の朝鮮で、未婚女性が国(軍)のために勤労報国するという意味で使われた「女子挺身隊」のことだと思われます(こちらを参照*5)。

そしてまた、慰安婦にされた女性たちと慰安所を利用する将兵たちとの認識のギャップが当時から強く存在していたことがわかります。

当時18、19歳の女性が過去の出来事を語っているということは、騙されて連れて行かれた時期は1、2年さかのぼり年齢は16、17歳頃だったろうと推測できますが、このケースも国際条約違反、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たります。

ここでも軍の方で取り締まった様子はまったくありません。


■菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年

ウェワクからラバウルに帰還した兵士の記録


 帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。

 なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。


この日本人女性たちは就業詐欺(誘拐)など強制的手段で連れて行かれており、こうした犯罪の事例を刑事罰に問うことを定めていた国際条約(婦女・児童の売買を禁止する国際条約)にも違反しています。

また15、6名もの女性たちの一団が違法な方法で集められていることを警察が黙認し渡航に必要な身分証明書を発給していたことになります。「警察が厳しく取り締まっていた」のならこうしたことは起こり得ないはずです。

そしてこのケースも刑法第226条に違反しており、軍が違法な状態で集められた女性たちを軍用船で輸送していたのなら国外移送罪に該当しますし、移送されてきた女性たちを慰安所の設置と管理をしていた兵站担当の将兵が収受していた場合は刑法第227条にも違反します。

しかし、ここでも軍の方で犯罪として認識している様子はありません。この女性たちはその後どうなったのでしょう。


f:id:dj19:20121208002026j:image:w420

ニューブリテン島・ココポの陸軍「慰安所」に行列をつくり並ぶ兵士たち、時期:1943年末頃

出典:水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社,1995年,p.14


1943年末頃にラバウル近郊のココポ(ココボ)にあった慰安所のことを、水木しげる氏が回想しています。


「日本のピー(日本人慰安婦)の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。」(『本日の水木サン - 思わず心がゆるむ名言366日』草思社,2005年)

「彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。」(『水木しげるのラバウル戦記』筑摩書房,1994年)


(「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる:http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.htmlより)


水木しげる氏も彼女たちが慰安婦になるために「自由意志で自発的に応募した」とは認識していないようです。


■長沢健一『漢口慰安所』図書出版社,1983年

軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢市


 赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……

(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ……


これも騙され連れて行かれたケースです。歴史研究者の吉見義明教授はこのケースについて次のように述べています。


 慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一 般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか。


慰安婦問題に関する吉見義明教授の講演 文字起こし:http://www.ianfu-kansai-net.org/2012-10-23.html『2. 朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。』【資料4】より

吉見教授はさらに戦前の日本においても契約書に書かれている「右の金額は酌婦稼業により支払う」という「売春によって借金を返させるという」契約は「民法90条違反だった」ことを指摘しています。


■小俣行男『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社,1967年

読売新聞の従軍記者・小俣行男の記録、1942年5月か6月頃、場所:ビルマ


 (朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか」

 考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブがけっして安全なところでないことは戦地の常識である。「その後この少女たちはどうなったろうか」

(『ビルマラングーンの「慰安所」情報』:http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070603#p1より)

*将校クラブとは将校専用の慰安所のこと。


この口述資料からは、軍の方で将校クラブを含め各慰安所に配置する慰安婦の人数を決定していたことがわかります。そしてこれも騙されたケースです。

40名から50名に及ぶ女性たちの一団が、同じ日に同じ場所に到着していることから、軍から慰安婦を集めてくるよう指示された業者による大がかりで違法な徴集が朝鮮半島で行われたことは明らかだと思います。

違法な方法で集められた女性たち(16、7歳の未成年者を含む)に身分証明書と出国許可を与えているのは警察です。永井教授が述べているように、軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずです。

そしてこのケースもやはり刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪、さらに刑法第227条にも違反しています。しかし、軍の方で違法な契約を破棄させ16、7歳の未成年者を含む女性達を送り返そうとした様子はありません。ここでも軍は業者を不処罰とし犯罪を黙認してしまっています。


■『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年

須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」

1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所


 スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……

 「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。

 しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシアの若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。


女性が逃亡しないよう監視されていたことは、慰安婦にされた多くの女性たちの証言と符合します。そして、「周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ」ていることから軍の施設内に「急ごしらえの」バラックを建てそこを慰安所にしていたのではないかと推測できます。

また、女性たちがインドネシアまで連れて行かれるまでには、朝鮮半島で、軍や総督府が選定した業者が違法な方法で女性たちを集めたことを警察が黙認しなければ出国許可は下りていないはずです。1人2人でなく20人近くもの女性たちなわけですから、うっかり見逃すというのは考えにくい。

さらに軍は軍用船の乗船許可を与え女性を移送し、現地では憲兵や兵站担当の将兵などが受領しますが、その際も身元調査などを行っているはずなのに軍が女性たちを送り返し業者を罰するなどをしていないのです(刑法第226条、刑法第227条に違反)。

こうした事例を見ていくと、日本政府や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」という否定論者の主張が、まったくのデタラメであるとわかります。


■伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 - 兵営と戦場生活』番町書房,1969年,p.212

1938年に入隊した作家の伊藤桂一の記録、場所:中国


 兵隊と、なんらかの意味で接触する女性は、慰安婦のほかには、中国民衆(つまりその土地の住民)、在留邦人、慰問団、それに看護婦くらいなものだろう。このうち、慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。

■伊藤桂一『戦旅の手帳』光人社,1986年


 騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。


伊藤桂一氏は、92年に慰安婦が大きく問題化する以前はこのように率直に語っています。近年は保守系雑誌『諸君!』で性奴隷を否定する主張などもしていますが、それでも軍が慰安所を作ったことや慰安婦が軍属扱いだったことなどを語っており*6、元慰安婦の悲惨さも知ってるがゆえに彼女たちに同情的です。ネットで捏造を拡散している人達のように「単なる金ほしさの売春婦だ!」などという誹謗中傷はしていません。


■『従軍慰安婦110番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年,p.54

陸軍パイロットの証言、場所:マレー


 マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに200人ぐらいが外出しました。……「トミコ」という源氏名の朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の日本人でした。


これも騙されたケースです。刑法第226条、第227条などに違反する犯罪に当たりますが、ここでも軍及び憲兵が取り締まった様子がありません。


■『特集「慰安婦」100人の証言』DAYS JAPAN 2007年6月号,p.16

独立混成第4旅団の兵士、近藤一の証言、場所:中国北部の山西省太原


 大隊本部がある太原には慰安所がありました。……日本人女性は将校専用なので下級兵士は行けません。朝鮮人と中国人の2ヶ所が下級兵士用です。……朝鮮人のところへ行った時には話をしただけでした。彼女は田舎の出身で家が貧しく、お金儲けができるからと日本の工場へ誘われて来たのに、気がついたら慰安所で、結局あきらめざるをえなかったと言っていました。


これも騙されたケースですが、貧困層の女性であり前借金に縛られ連れて来られた可能性が高いと思われます。ここでも軍は管理下にある業者を処罰していません。


■山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』まつやま書房,1987年

第十八師団の兵士の、日本から騙されて連行されてきた在日・朝鮮人女性についての記録。場所:ビルマ(ミャンマー )、中国・海南島


 第十八師団の兵士が、ビルマのメイミョーの公光荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人慰安婦から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでいたとき「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。

(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書,1995年,p.91より重引用)


これも騙されたケースで、国際条約や刑法第226条及び刑法第227条に違反しています。


■輜重兵第三二連隊第一中隊 戦友会 八木会編『我らの軍隊生活』

カリマンタン・タラカンにいた同中隊の戦中記に記された兵士の記録。時期:1944年


 慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。

(『皇軍慰安所とおんなたち』吉川弘文館,2000年,p.118、『従軍慰安婦』岩波新書,pp.123-124、「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」季刊 戦争責任研究 第5号、94年秋季。より重引用)


これは日本内地や植民地から連行されたケースではなく、インドネシアで騙しによる誘拐によって慰安婦を強制されたケースですが、軍の方で当時、犯罪と認識している様子がありません。


■河東三郎『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年

海軍軍属設営隊員の河東三郎の記録、場所:インド領ニコバル諸島


 一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)


これも騙されたケースです。刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たりますが、ここでも取り締まった様子はありません。


■鈴木卓四郎『憲兵下士官』新人物往来社,1974年,pp.91-93

鈴木卓四郎憲兵曹長(南支・南寧憲兵隊)の証言


 一九四〇年夏の南寧占領直後に〈陸軍慰安所北江郷〉と看板をかかげた民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。十数人の若い朝鮮人酌婦をかかえた経営者黄は〈田舎の小学校の先生を思わせる青年〉で、地主の二男坊で小作人の娘たちをつれて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、〈兄さん〉としたう若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.383より重引用)


軍から「契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂」とのことで女性を集めた朝鮮人の業者自身が騙されていたと思われるケースです。


■鹿野正伍『ある水兵の戦記』光風社,1978年

海軍所属の兵士・鹿野正伍の記録。場所:トラック諸島の夏島(現ミクロネシア・チューク諸島)


 (夏島の慰安所で)妓に内地に手紙を出してくれと頼まれた。「助けると思って、中を読んでください。騙されて連れてこられました」妓は掌(てのひら)を合わせた。媚びた感じではない。妓の目尻に光るものがみられた。


■『海を越える一〇〇年の記憶』図書新聞,2011年

松原勝「軍による『慰安所』管理は紛れもない事実」pp.109-127

1942年、第4海軍施設部軍属としてトラック諸島の夏島へ派遣された軍属の記録


― その夏島に「慰安所」があったのですね。

松原 南國寮と南星寮の二か所、同じような規模でね。(夏島の地図を指し示しながら)このチョンチョン橋を渡って海岸の方へ 出て左折すると四経、四施とあるでしょ、その先に三棟ほどの南國寮がありました。

 源氏名でみどりさんという人がいてね、当時22歳っていってました。だまされてこんな所に連れてこられたってね。私がそこへ行き泊ると、泊まりを受けなかった女の子たちが3、4人集まってきて、いろいろ話をしてくれました。私はどこどこの出身だけど、親やきょうだいと引き離され、だまされてきたんだというわけですよ。人によってはね、子どもや夫にも引き離されてきたんだと泣いて訴えるわけです。高級将校のメイドにならないかとか、海軍病院の雑役の仕事だとか、30円くらいの月給で食事も泊まる所もただだから1年くらいこないかとね。でも、ここへ連れてこられて初めて仕事を知って心が裂けるように思ったと。ひどい話で、日に10人もの相手をさせられるとも言ってました。僕が第四海軍施設部の職員だと知っていたし、若かったからね、気を許していろいろなことを話してくれました。

 トラック島の「慰安婦」は、朝鮮の女性がほとんどでしてね、私の叔母が朝鮮の方と結婚しているということや学生のころ朝鮮人の知り合いもいて、朝鮮人には特別な気持ちを持っていたことも関係していると思いますね。

http://194586245.web.fc2.com/18.htmlより)


このケースも刑法第226条に違反した犯罪ですが、朝鮮半島を出国する際には警察が身分証を発給し出国の許可を与え、トラック諸島まではおそらく軍用船で連れて行かれていると思われます。

そして、ここでも女性たちは送り返されることなく軍管理下の慰安所で慰安婦になることを強要されています。警察や軍が厳しく取り締まった形跡は何処にもありません。


■陸軍通訳の永瀬隆の証言。場所:シンガポール


 シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。……氏は朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100 円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。

(林博史「マレー半島における日本軍慰安所について」http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper09.htmより)


「朝鮮人」の「12〜13人」の女性たちは「レストラン・ガール」と騙されて連れて行かれ慰安婦を強要されています。これも刑法第226条に違反する犯罪ですが、軍の方でそれが犯罪であると認識している様子がありません。


■溝部一人 編『独山二』〔独立山砲兵第二連隊の意〕私家版,1983年,p.58

山口時男軍医の1940年8月11日の日記 場所:中国中部

1940年8月、湖北省董市附近の村に駐屯していた独立山砲兵第二連隊は、「慰安所」の開設を決定し、保長や治安維持会長に「慰安婦」の徴募を「依頼」した。その結果、20数名の若い女性が集められたが、その性病検査を担当した軍医は、8月11日の日記に次のように記録している。


 さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなか襌子(ズボン)をぬがない。通訳と維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位にして触診すると、夢中になって手をひっ掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。

 次の姑娘も同様で、こっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣く来たのであろうか?

 なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙しているという意識が念頭から離れない。

(『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波書店,2010年,pp.25-26より重引用)


これは中国人女性の事例ですが、中国ではこのように占領した地域の有力者に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く報告されおり、徴集の形態が日本内地や植民地であった台湾・朝鮮とは異なっていました。

そしてこの軍医は当時の日記に、慰安婦を強いることが「人間性を蹂躙している」と感じ、そうした「意識が念頭から離れない」と苦しい胸の内を書き留めています。

一方、現在の慰安婦問題否定論者の言動から溢れ出す人権感覚はどうでしょうか、戦時中に存在していた人権感覚よりひどい状態にあると言えそうです…。


公文書に記述された慰安婦の強制


■『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年

1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人の周旋業者に対する尋問調書。

場所:ビルマ・ミッチナ(ミャンマー・カチン州)


 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金(前借金)を受け取った。


アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日

http://megalodon.jp/2008-1206-1528-25/members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html


この資料は歴史修正主義者に都合良くつまみ食いされることが多いのですが、丁寧に読んでいけば、軍から慰安婦の徴集を依頼された日本人の業者が朝鮮半島で騙しによる誘拐と人身売買によって、連行当時17,8歳の未成年を含む女性たち22名を連れて来ていること。そして女性たちが軍の管理下の慰安所で本人に意思に反し性的“慰安”を強要されたことが明らかにされています。


■『極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店,1968年,p.186

極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決 

場所:中国南部の桂林


桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した


東京裁判の判決文のなかに、日本の軍隊が女性を「女工を募集」と騙して集め「醜業(売春)を強制した」と記述されています。これは軍が女性たちに売春を強制し慰安婦にしていた証拠ですが、ここで重要なのは、このような犯罪行為が当時、軍のなかでなんら問題にされず見過ごされていたということです。


「慰安婦」制度が違反しているもの


当時の、刑法第226条、刑法第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童の売買を禁止する国際条約、強制労働条約 第29号(1930年)、奴隷条約(1926年)など。


ここで取り上げた以外の日本軍将兵の手記や証言記録


日本軍将兵が回想している軍が直接、連行、徴集したケース
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html

秦郁彦氏が「信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言の検証など
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html

朝鮮人慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本 - 軍慰安婦を考える会・ホームページ
http://194586245.web.fc2.com/01.html

吉見義明「従軍慰安婦」岩波書店
http://sikoken.blog.shinobi.jp/CM/69/1/

従軍慰安婦資料集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html


*1:このエントリは、軍が組織的に慰安所設置を本格化させた1937年末以降に徴集されたと思われる朝鮮人と日本人の慰安婦に言及された口述資料を中心に収集しています。

*2:当時の刑法第226条:国外誘拐罪、国外移送罪:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p2

*3:「内務省警保局長通牒」の原文:
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react785.html

*4:当時の「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」についてはこちらを参照:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3

*5:「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる 「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる

*6:2007年8月号『諸君!』「僕が出会った気高き慰安婦たち」:
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-107.html

コメント

kounodanwawomamorukaikounodanwawomamorukai 2012/12/14 03:27
これだけ証拠がれば言い逃れは不能ですよね。
徴集したのは、大方業者(女衒)でしたが、その業者に慰安婦を集めるように依頼したのは軍であり、身分証明書を与えて便宜をはかり、軍が直営した慰安所においても、「騙された女性達を送り返した」形跡がほとんど無い。(小林よしのりが上げた例はただの小説の話。よしんばあったとしても大多数は送り帰してはもらえなかった)
騙して連れて行って、そこで強姦同然に慰安婦にしておいて「それは強制じゃない」なんて言い逃れができる訳がない。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63630718.html

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63581579.html
また連行時の強制に関しても、東南アジアに多くの例があり、その横暴なやり方を朝鮮半島においても行ったと考えるのが自然である。さらに総督府警察や面事務所(役所)が女性を集めた関特演があり、騙したりすかしたりしたのである。

もはや言い逃れは不可能であるに違いない。

やまもとやまもと 2013/01/25 06:49
この問題は、規制法が存在していても、実際の現場では事実上有名無実化している。という今も変わらぬ日本社会の体質を象徴しているように思います。やくざの手配師の原発作業員集めを黙認していた東電と同じ。昔、言われていた「新聞はエリートが書いてヤクザが売る。」も同じですね。自分達では直接手を下さず、「黙認」という方法で汚い事は底辺層にやらせる。そして、時折、思い付いたように取り締まりを強化して帳尻を合わせる。この国の支配層の狡猾さは、外国からはよく見えるのでしょう。池田信夫という人がNYタイムスに意見書を提出したそうですが、厚顔無恥、そして無知もいいところですね。


たけしたけし 2013/03/09 23:43
はじめまして、すごく勉強になるブログをありがとうございます。
合気道家の塩田剛三先生の『合気道修行』に空手などを訓練した兵士たちが中国人捕虜を縛り付けて「試し打ち」をしてるシーンが出てきます。
当時の人権状況はこんなものだったのだろうし、慰安婦の人たちの扱いも推して知るべしだなと思います。
慰安婦などを否定したい人たちは昔の戦争に行った日本人と自分を過度の同一視をしてるんじゃないかなと思います。昔の日本人の行為が悪かったとなると自分が悪いような気がしてしまうんじゃないでしょうか。


山下 由佳山下 由佳 2013/05/18 12:44
平和資料館・草の家「戦争を記録する会」元教師の梅原先生は、従軍慰安婦を密かに逃がした体験のある高知出身の兵士の証言を記録しています。悲惨な戦争の最中にも、良心的に、できる範囲で動いた一兵士がいた。この史実を明るみに出したい。http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24896941.htm

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c34

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
35. 中川隆[-5596] koaQ7Jey 2018年3月02日 08:50:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
ニューギニアで旧日本兵が行った残虐


ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、

「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。

それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。
母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」

と語った。

「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。

第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」


というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。


すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。

最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、


人肉食犠牲者1817人、

胸を切断され死亡した女性19人、

性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、

強姦されて殺害された女性5164人


など、とても信じられないような数字が並ぶ。


はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。おもにオーストラリアとアメリカの資料をもとにニューギニア戦線での日本軍の人肉食を検証した著作「知られざる戦争犯罪」のある田中利幸メルボルン大学教員は、

「東京裁判でオーストラリア側が日本軍の人肉食を戦争犯罪として明示したのに、審理からは抜け落ちた。オーストラリアでは、食べられたと見られる自国兵の死体について約100のリポートが出ている。だが、戦闘中なので目撃証言が乏しく、裁判は難しかったようだ。これらの史料に、わずかだが現地の人たちの人肉食被害が出てくる。現地の人たちについては集落のなかでの出来事なので、むしろ目撃者は多かったのでは」

と指摘する。
http://www.midori-kikaku.com/mariko/j-ist01.html

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c35

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
36. 中川隆[-5595] koaQ7Jey 2018年3月02日 08:57:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
慰安婦にされた女性たち−フィリピン
http://www.awf.or.jp/1/philippine-00.html

 日本軍は、1941年12月、アメリカ領であったフィリピン・ルソン島へ上陸し、直ちにマニラを陥落させ、1942年1月3日から、軍政を実施しました。日本軍の軍政下で、フィリピン人は激しいゲリラ戦を展開し、抵抗運動を行いました。日本軍はゲリラ討伐を理由に、残酷な作戦を実行しました。フィリピンでのBC級戦犯裁判では、起訴381件の内、住民虐殺が138件、強姦が45件と多数を占めています。

 フィリピンでは、マニラをはじめ、占領地の各都市には軍慰安所がつくられ、日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦が送り込まれましたが、現地のフィリピンの女性も慰安婦にされていました。

  フィリピン地図

 まずマニラ(地図中-2)には、連合軍資料にある警察報告によれば、慰安所12軒、兵下士官用5軒がありました。

捕虜の供述では、朝鮮人、フィリピン人、中国人の女性がいる慰安所が5ないし6軒あったとされています。

北部ルソン島では、バヨンボン(1)に慰安所がありました。

中部ビサヤ地方では、マスパテ島(3)に軍人倶楽部という慰安所がありました。

パナイ島のイロイロ市(4)には二つの慰安所があり、1942年には、第一には12人から16人、第二には10人から11人の慰安婦がいたことが確認されています。

セブ島のセブ(5)には、慰安所を経営する日本人業者が一名いました。

レイテ島のタクロバン(6)には、フィリピン人が経営する慰安所があり、9名のフィリピン人女性がいました。

同島のブラウエン(7)にも慰安所が1944年8月までには開設されました。

 南部ミンダナオ島のブツアン(8)には1942年にフィリピン女性3名の慰安所が開設されました。

また同島のカガヤン(9)には、1943年2月に第三慰安所ができたので、三つの慰安所があったことがわかります。

同島中央のダンサラン(10)にも慰安所がありました。

また同島のダヴァオ(11)にも、慰安所があり、朝鮮人、台湾人、それにフィリピン人の慰安婦がいました。

 
 また、フィリピンでは、軍の占領地域で現地部隊が一般女性を強姦した上に、暴力的に拉致・連行して、駐屯地の建物に監禁し、一定期間連続的に強姦をつづけたことも多かったことが証言されています。この被害者達も慰安婦被害者と考えることができます。そのような女性の中には父や夫を目の前で殺された人も少なくありません。
 


フィリピン政府による医療福祉支援事業の評価報告書より

(全文はこちら)
http://www.awf.or.jp/pdf/0197.pdf


多くのロラ(おばあさん)たちは、日本兵たちによって強制的に自宅から連行された。なかには仕事中や、両親に頼まれた用事で外出した際に連れ去られた者もあった。多くは当時、まだ独身であったが、既婚者も含まれていた。

ビコールに住むロラのひとりは、その頃住んでいた村に日本兵がやってきたとき、自宅で眠っていたという。

日本兵たちは村中の男たちと若い女たちを集めて村の小学校に連行し、翌朝までそこに留め置いた。彼女たちはその後、そこから市庁舎まで連れて行かれた。

また別のロラは、母親に食料の買い出しを頼まれ、近くの町へきていたところを連行された。

このほか、マラボンにある埠頭の近くで“シシッド”(ウェット)・ライス(船荷から漏れて海に沈んでいるコメ)を採っていたところを連行されたというロラもいる。


ロラたちは、もとは市庁舎や州政府の庁舎だったもの、個人の邸宅、小中学校や高校の校舎、病院や教会であったものを徴用した日本軍の兵営、あるいは駐屯地に連れて行かれた。

ロラのひとりによれば、マニラのある教会では毎夜、そのいたる所で日本兵によって女性がレイプされていたという。

ロラの自宅が駐屯地に徴用されたという例もあるほか、慰安婦たちを収容するのにトンネルが利用されていたという報告もある。

ロラたちが慰安婦として監禁されていた期間は、3日間から1年以上と、ロラによって様々であった。

4か月以上にわたって監禁されたロラたちが25%、3か月間が17%、1か月間が16%であった。

ロラたちはその全員が、監禁されていた期間にレイプされている。

ビサヤに住むあるロラは、家にやってきた日本兵たちに家族が尋問を受けている間に、7人の日本兵からレイプされた。

そして、その日から7日間、毎晩3人から5人の日本兵がやってきては彼女をレイプしたという。

マニラに住んでいるロラのひとりは、拘束されてから1か月にわたってレイプされ続けた。

6〜7か月にわたって駐屯地に監禁されていたが、この間には週に3日ほど3人以上の兵士がやってきて、彼女を次々とレイプしたという。
 


マリア・ロサ・ヘンソンさんロサ・ヘンソンさんの場合

マリア・ロサ・ヘンソンさんは、1927年12月5日、フィリピンのマニラ近郊パサイで生まれました。大地主の父とその家事使用人であった母の間にできた婚外子でした。

1942年2月、彼女は日本兵にレイプされました。
そのとき、彼女は家で使う薪を採りに、叔父や近所の人々と出かけたのですが、みんなと離れたときに、日本兵三人につかまり、レイプされたのです。

彼女は二週間後にも同じ日本人将校に見つかり、ふたたびレイプされました。

彼女は日本軍に激しい怒りを感じ、抗日人民軍、フクバラハップに参加しました。一年間活動したのち、1943年4月、アンヘレス市の郊外の検問所で日本軍にとらえられ、司令部に連れて行かれ、そこで、「慰安婦」にされてしまったのです。

ロサ・ヘンソンさんは、兵舎として使われていた病院に連行されました(フィリピン人元慰安婦のための弁護士委員会)。

ヘンソンさんとほかの女性6人が、ここで日本兵たちに性行為を強要されたのです。

その後3か月してヘンソンさんは、もとは精米所であった別の慰安所に移されました。日本軍に協力していたフィリピン人から、日本兵のために洗濯をしてやれば金を稼げると言われ、ヘンソンさんとほかの何人かの若い女性たちは洗濯をするようになりました。あるときそのフィリピン人の協力者に連れられて、2階建ての家に連れていかれました。そこには3人の日本兵が待ち構えていたのです。そこには約1年間にわたって監禁されていました。昼の間は洗濯をし、夜になるとレイプされたのです。

(ロサ・ヘンソンさんの証言記録はこちら)
http://www.awf.or.jp/3/oralhistory-00.html#philippine


ロサ・ヘンソンさんは、1944年1月、ゲリラによって救出されました。連合国の上陸によってフィリピンは日本軍の占領状態から解放されたのです。


http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c36

[戦争b21] 旧日本軍の朝鮮人慰安婦虐殺 映像資料を初公開=ソウル大研究チーム(聯合ニュース) 赤かぶ
13. 中川隆[-5594] koaQ7Jey 2018年3月02日 09:01:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
林博史『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』

既報のように、日本軍による「従軍慰安婦」の強制動員を示す資料が確認された。

関東学院大学の林博史教授が4月17日、日本外国人記者協会で会見を行い 公表した資料は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、現在、東京大学社会科研究所図書館に所蔵 されている。

以下、資料の内容を紹介する


【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日

 一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ(同人は一九四三年八月頃日本に帰国したり抑留を要求し置けり)は日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。彼は同時に公式の慰安所(official brot-hel)を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所(brothel)は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。

海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主としてミヤジマ・ジュンキチ、コジマ・ゴイチ、クセ・カズヲ、イトウ・ヤスタロウ各兵曹長によって行はれました。

 一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。民政部は此の経営を報国会(日本人実業家の協会)に依嘱してナワタが報国会の厚生部の主任であったので是等一般人用の性慰安所の主任に任ぜられました。彼は帳簿をつけたりするやうな事務的仕事には彼の会社の使用人を使用しました。毎朝、夜間の収入は南洋興発会社の出納係キタダ・カゲタカに引渡されました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の盡力によって集められました。

 其等の性慰安所に充てられた家屋は敵産管理人から手に入れ家具は海軍用性慰安所にあっては海軍が支給し一般人用にあっては報国会が支給しました。遊客は原住民である傭人に(海軍の場合には其の階級に従って)金を支払はねばなりませんでした。又その傭人は其の金を毎日当直兵曹長又は南洋興発の出納係に引渡しました。両者の場合共三分の一は諸経費、家具、食物等を支弁する為保留され、三分の二が当該婦人の受取勘定に繰り入れられました。此の中から婦人達は随時彼等各自の用に充てる為其の一部を引出すことが出来ました。毎月の計算書は民政部の第一課に提出せねばなりませんでした。

 特警隊は婦女を捜すに当り民政部及日本人商社の全婦人職員に特警隊に出頭するやうに命じその婦人達の何人かを真裸にし日本人と関係していたとなじりました。次いで医師が検診をしましたが数人は処女であったことが判りました。是等の不幸な婦人達の中何人が性慰安所に強制的に送られたか確実には判りません。婦人達は性慰安所から敢て逃げ出さうとは致しませんでした。と言ふのは彼女等の家族が特警隊に依って直ちに逮捕されて非道く虐められるからでした。一例として此の様な事の為当の少女の母親が死んだ事があります。

 幸にも占領期間中引続き診療に従事することを許された、在ケタパンのインドネシヤ人軍医ルフリマ博士は特警職員の命令で彼の行った是等婦人の検診に関し宣誓供述をする事が出来ました。

 彼の証言に依ると婦人達は強制的に売淫させられたのであります。上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。

 私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。

 バタビヤ 一九四六年七月五日
 ジェー・エヌ・ヘイヂブロエク
 J.N.Heijbroek陸軍大尉
 蘭印軍情報部

(訳注)「蘭印軍情報部の公式記録より採られたもの」と記された、蘭印軍情報部戦争犯罪課長チャールズ・ヨンゲテル陸軍大尉の署名付「証明書」も付けられている。「慰安婦」と訳されている箇所は英文では(women)のみ。


 


【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書

調書

 本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。

 問 君の氏名、年齢、住所及職業を私に言ひなさい。

 答 林秀一、二十四歳、日本石川県生れ、海軍軍属。
 一九四三年七月十三日私はポンチヤナックに到着して警備隊長上杉ケイメイ大尉のところに出頭しました。ポンチヤナックでは私は私が設置したハナ機関の地方部長となりました。このハナ機関は海軍の情報機関でありました。(略)

 [証人ラフィアの訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]

 答 この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。

 問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。

 答 それは私は知りません。

 問 君は部下の巡査ではない。併しポンチヤナックで独自に仕事をして居るスパイである。故に上杉のかくの如き命令に従ふ必要はない。

 答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。

脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。

 問 幾日間その婦人たちは特警隊の建物の中にいたか。

 答 私の思ふのには五日乃至六日間でした。彼等は建物の後の監房の一つにいました。
 (以下、略。現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。)

 (訳注)上杉大尉やハナ機関などには漢字が当てられているが、「音訳」と但し書きがついているものはカタカナ表記に直した。

 

【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日

 問 貴方の氏名、年齢は?
 答 シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七才。

 問 貴方の所属部隊は?
 答 タナカ部隊ハヤシ隊
 (略)

 問 一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。
 答 私でありました。

 問 一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?
 答 セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。

 問 何故殺されたのですか。
 答 土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。

 問 誰がその殺すことを命令したのですか。
 答 タナカ将軍は土民達を司令部へ送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで彼等を殺し土民の指導者三、四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。

 問 貴方は自分でその土民達を殺しましたか。
 答 いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。

 問 誰が貴方の手助をしたのですか。
 答 ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。
(略)

 問 どんな風にして土民達は殺されたのですか。
 答 彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。

 問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
 答 私は兵隊達の為に娼家(brothel)を一軒設け私自身も之を利用しました。

 問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
 答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。

 問 幾人女がそこに居りましたか。
 答 六人です。

 問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
 答 五人です。

 問 どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。
 答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。

 問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
 答 左様です。

 問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
 答 八ヶ月間です。

 問 何人位この娼家を利用しましたか。
 答 二十五人です。
 (以下略)

(訳注)オハラの階級について、陸軍中尉が、海軍大尉と後から直されているが、経歴を見ると陸軍なので、陸軍中尉のままにした。


 


【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日

 私は一般被抑留者としてムテラン(Moentilan)収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。連行された人々の名前は(略)。

 私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲラン(Magelang)へ輸送され午後四時に到着しました。我々はテウグラン(Teogoeran)と称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。

(略)

 一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼(brothel)に向けられるものであると聞かされました。其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後9時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠りましたが他は其通りにしました。

私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。

 此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。

 一九四四年二月の終り頃か三月の始頃に私は事務所へ出頭する様に命じされました。其処にはタキグチと言ふ日本の一将校が居ました。彼は私が受けた待遇に関して私の訴を根拠として事件を調査すると約束しました。彼は亦私達を抑留者収容所へ送還するために極力努力することを約束しました。彼は兵卒や下士官や一般日本人に対して娼家を閉館して私達のために直に情況を改善して呉れました。

 (訳注)証言者は、証言時、27歳。

 

【資料5】(PD5806/EX1792A)
ポルトガル領チモール(東チモール)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
一九四六年六月二六日

 一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。

 日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。

 (訳注)この宣誓陳述書の中で、日本軍が族長に命じて、労働力を提供させたことなども述べられており、族長に強制して提供させる手法がとらえていたことがわかる。なおこの宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力していることがわかる。


 


【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋
 四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。(中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。

(略)

 ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。

 (訳注)証言者は一九一五年生まれ、住所はハノイ。


 


【資料7】(PD2220/EX353)
中国桂林
軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」
一九四六年五月二七日

 敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、略奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。

長縄の秘書即ち鈴木華□(日本女性)は彼の行為を幇助し、更に甚しきは此の敵が楽群路に在った李子園に憲兵隊を設立し、(以下略)
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02


 一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。

 其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後九時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠もりましたが他は其通りにしました。

 私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。

 其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。

 其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。

 此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041906_02_0.html


強制性示す新資料
研究者ら公表 東京裁判で証拠採用

--------------------------------------------------------------------------------

 旧日本軍が占領地の女性たちを強制的に「従軍慰安婦」にした事実を裏付ける東京裁判(一九四六―四八年)の関連資料が明らかになりました。

関東学院大学の林博史教授、中央大学の吉見義明教授、バウネット・ジャパンの西野瑠美子共同代表が十七日、都内の外国特派員協会での会見で公表しました。

 資料は、オランダ、フランス、中国の検察団が東京裁判に提出した尋問調書や陳述書など七点。いずれも同裁判で証拠書類として採用されました。

 林教授が昨年、東京大学社会科学研究所の図書館に所蔵されていた資料から見つけました。

 オランダ提出の尋問調書では、ボルネオ島の日本海軍情報機関の軍属が、拘束した現地女性を平手で殴り服を脱がせ、三人の少女を裸で一時間、立たせたと証言。

拘束の理由について

「彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるため、命令でなされた」

と述べ、命令した守備隊司令の名をあげました。

 公表された資料は、インドネシア・ジャワ島やベトナム・ランソン、中国・桂林などで日本軍が現地女性らを強制的に慰安婦にしようとしたことを裏付けています。資料の一部は一九九七年に報道されています。

 林教授は、これらの資料は「日本政府がサンフランシスコ平和条約で受け入れた東京裁判の証拠であり、日本政府も認めざるを得ないものだ」と指摘しました。

 吉見教授は、被害者への「おわびと反省」を述べた河野談話を否定する安倍晋三首相の態度について、「首相の人権感覚が問われる問題。河野談話からの後退は許されない」と批判しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-18/2007041802_05_0.html

日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。

 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、

「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」

と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、

「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」

と認定している。

 一連の資料について林教授は

「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」

と話している。
http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/462.html


「慰安婦」強制に新証拠

日本軍、200人をバリ島に連行

関東学院大・林教授ら


旧日本軍「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認めた「河野談話」を裏付ける新資料が、関東学院大学の林博史教授(日本近現代史)らによってこのほど発見されました。新資料は、旧日本軍が軍の資金を使って慰安所事件を隠蔽していた事実も浮き彫りにしました。


 資料は、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で裁かれた二つの事件にかかわるもの。林教授の研究室が国立公文書館保管の資料から見つけました。

 同裁判(25号事件)で裁かれたバリ島駐屯の海軍第三警備隊特別警察隊長(海軍兵曹長)の男性が戦後、法務省の調査(1962年8月)に対し、「戦中の前後約4カ年間に二百人位(くらい)の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と強制的に女性を連行した事実を証言しています。


軍が隠蔽工作

 さらに、「終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に功を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴え出なかった」と、隠蔽工作についても赤裸々に語っています。

 同時に発見された同裁判の尋問調査には、警察隊長の男性が連れてきた女性を「慰安婦」として働かせる慰安所を開いていた商人の証言や、男性によって慰安所に入れられそうになった女性の証言が存在しています。調書には、

「彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした」

「彼女たちは(被告)によって一人ずつ車から引きずりだされたので、服は引き裂かれていたほどでした」

などの商人の証言が記載されています。


愛人にされた

 また、バタビア裁判での別の裁判(88号事件)の資料も発見され、同裁判での被害者の尋問調書では、


「親米容疑で憲兵隊に捕まり、ボソドオソの慰安所に連れて行かれ、ここにずっといるか、一人の決めた日本人と同棲(どうせい)するか、選べといわれる」

「逮捕され、ボソドオソの慰安所だったホテルに連行。憲兵隊将校の愛人にされた」


などの証言が記載されています。


旧日本軍「慰安婦」新資料(抜粋、林博史教授提供)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-07/2014040714_01_1.html


慰安婦強制動員を裏付ける文書…ソウル大鄭教授チームが発見


日本軍が慰安婦を強制動員したことを裏付ける公式文件が見つかった。これまで被害者の証言はあったが、慰安婦動員の強制性と暴力性について書かれた資料は極めて少なかった。

ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン、社会学)教授チームは12日、「1946年7月5日、オランダ軍情報部隊が日本軍の慰安婦強制動員と慰安所運営について作成した文書を確保した」と明らかにした。

「日本海軍占領期にオランダ領東インド西ボルネオであった強制売春に関する報告書」と題した文書は、その間、オランダ政府記録物保存所に保管されてきた。

この報告書は

「日本の特別海軍憲兵隊が路上の女性を連れて行き、強制的に身体検査をさせた後、慰安所に入れた」

「慰安所は厳格に統制・隔離された」

など、日本軍の蛮行が書かれている。

また

「女性が慰安所を脱出したという理由で母親が殺害されたケースもあり、慰安所の女性は脱出も考えられなかった」

「女性は特別許可を受けてこそ慰安所から外出することができた」

などと明らかにした。慰安所の女性の国籍は書かれていない。

報告書は

「1943年、日本海軍駐屯軍司令官はこの地域の日本人に対し、インドネシア・中国の女性と親しくするなという命令を下した。その代わりに公式的な慰安所を設置しろという命令も出された」

と記述している。

報告書によると、慰安所は当時、海軍専用と民間用の2つが運営され、 民間用慰安所は日本軍司令官の指揮で日本人事業者協会が運営責任を預かった。 以外な点は「慰安所で支払われた代金の3分の2が女性に入った」という部分。 これに続いて「女性は時々、一部のお金を受け、個人的な用途に使った」と書かれている。

鄭教授は

「慰安婦に代金が積み立てられていただけで、実質的には支払わられていなかったことを裏付ける証拠」

と指摘した。 報告書は日本人戦犯に対する尋問や関係者らの証言を基礎に作成された、と書かれている。


◇「安倍首相の妄言を覆す証拠」=鄭教授は

「当時オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)で行われた戦犯裁判のために作成された資料と推定される」

とし

「昆明の報告書より具体的に当時の状況が書かれている公式文書が初めて見つかった」

と説明した。

鄭教授は「安倍首相の『慰安婦を強制動員した証拠はない』という妄言を覆す証拠だ」と強調した。

04年公開された米戦略事務局(OSS)の報告書(45年5月作成)にも、当時中国南部の昆明で日本部隊を脱出し中国軍に投降した女性25人全員が‘強要と詐欺のため’性奴隷になったと明示されている。

これに先立ち、共同通信は11日、インドネシアで慰安所を運営した日本人が戦後オランダで行われた戦犯裁判で「軍部の指示によって民間慰安所を設置した」と証言した内容が見つかった、と報道した。 (クォン・クンヨン記者)

http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/437.html

南京が占領され、情勢が落ち着いてくると、日本軍は現地の売国奴を通じて「募集」、脅迫、騙しといった方法で中国の女性を集めて慰安所を設置し、商業ベースでの経営を行った。南京にかいらい政権がつくられると、今度はかいらい政権にこの仕事のための専門要員を派遣させた。

 日本軍自身も南京で慰安所を開設した。これは主として高級・中級将校のためのもので、軍部は中国に在留する日本の風俗店主にこれを委託した。こうした慰安所は主に市南部の夫子廟から大行宮の一帯に集中していた。この地区は南京の繁華街で、かつ日本当局が決めた日本人居留民が集中する「日本人街」の所在地でもあり、その上日本軍の兵営や多くの軍事機関にも隣接していたため、日本軍当局や日本の風俗店主の経営する「安楽ホテル慰安所」、「松下富貴慰安所」、「青南楼慰安所」などが集中していた。

 経盛鴻教授によると、多数の慰安婦が野獣のような日本軍将兵によって蹂躙
(じゅうりん)された。

多少なりとも不服従または反抗の様子を見せた女性には、

軽い場合で食事を与えず、

重い場合は、軍刀で乳房や手足を切り落とし、さらには犬に食いつかせるなどして、他の慰安婦の見せしめとした。


 1945年8月15日に日本が無条件降伏すると、南京当局は10月に日本軍が設置した「慰安所」を閉鎖し、看板をとりはずし、慰安婦となった内外すべての女性を解散させた。これをよって南京に8年間にわたって存在した日本軍慰安所と慰安婦制度は、ようやく完全に歴史のゴミ箱に送り込まれた。
 (南京8月9日発新華社)
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/zt/qqq115/t206723.htm

『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020


子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

____

旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を 2013-05-25

91歳の松本正義さん(韓国・聯合ニュースより)
兵役時の松本さん(韓国・聯合ニュースより)

 韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日本兵が23日、日本軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。

 91歳の旧日本兵、松本正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松本さんは1944年初めから1946年3月まで日本軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊本部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日本軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。

 松本さんによると、大隊本部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日本軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。

 また、当時日本軍は中国の庶民も潜在的なゲリラと見なしていたため、しょっちゅう村落を攻撃しては「女性を捕獲」していたという。松本さんは「有漂亮的姑娘」(きれいな女の子がいる)という中国語を今だに覚えている。きれいな女性を見つけた日本軍が部隊に連行して輪姦するのも目の当たりにした。

 ある上等兵が「女性を捕獲」しようと住民の家に入った際に地雷を踏んで爆死したことや、部隊長と村長が交渉し、部下が捕えて来て姦淫した7-8人の女性を返す代わりに別の2人の女性を連れ帰ったことも覚えている。地雷で爆死した上等兵はその後、靖国神社に埋葬された。国家のために命を捧げたというのがその理由だ。

 松本さんは「本当の戦闘など当時していなかった。われわれは住民に攻撃されることを恐れていた。部隊がしたのは女性を捕獲することだけだ」と述べた。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-05/25/content_28929997.htm

東ティモールにおける日本軍性奴隷制

 四半世紀にわたるインドネシア支配の陰で、封印されてきたもうひとつのの占領の記憶がある。それは1942年2月から1945年8月までの日本軍占領期の歴史、特に「慰安婦」という名の性奴隷にされた東ティモール人女性の体験である。


■証言

 1942年から1945年の間に慰安所はポルトガル領ティモール全土に設置された。関係者の証言や東ティモールに駐留した部隊の記録によって現在までに確認された慰安所の所在地は、ボボナロのメモ村、ウアタ村、マロボ村、オアト村、バウカウのティリロロ村、アイレウ、サメのキラス、クレディリ、アラス、オッス、バギア、アビス、ラウテンそしてディリである。

日本軍は、リウライと呼ばれる伝統社会の王や村長に命じて少女や女性を集めさせた。彼らは反抗すれば殺されると脅された。また多くの住民が日本軍の治安管理を助ける「ポムベラ」として使われた。 


◇エスメラルダ・ボエさんの話

 ある日、私が兄と畑でタピオカを収穫していると、日本軍の兵士が5人やってきて、何か言いあいながら私の腕を取り、首を締め、彼らの家に引きずっていった。そこからシモムラ(Shimomura)という司令官の家に連れていかれ、そこで私はシモムラに強姦された。私はその後解放されて家に戻り、両親に自分の身に何が起きたか告げた。両親は村長に相談した。村長は両親を「逆らうと殺される」と諭した。当時私は12、3歳ぐらいで初潮もむかえてなかった。

 それから夕方になるとシモムラがやって来て、私を家に連れていき強姦した。こうして約2年間私はシモムラの相手をさせられた。シモムラが去るとシモムラと同じ家にいたカワノ(Khawano)の相手をさせられた。カワノの次はハルカ(Haruka)だった。兵舎にいる一般の兵士のために女性たちが連れて来られているのも見たが、別の村の女性たちなので誰が誰かわからなかった。

 性の相手をさせられる以外に農作業もさせられた。働きが悪かったり疲れて休んだりすると、その場で殴られたり、厳しい罰が待ち受けていた。私は日本の歌を憶えさせられて日本軍の娯楽のためによく歌わされた。私は3人の司令官の名前と何度も歌わされた日本の歌を決して忘れない。

 東ティモールに侵攻した日本軍はすべてを破壊した。私たちの牛や豚や鶏を奪い、男や女を殺害した。多くの女性が慰安婦にされた。ティモール人はみな重労働を強いられた。農作業も木材伐採も道路や橋の建設も全部ティモール人の仕事だ。

 午後、外の仕事が終わると男は家へ帰されるが、女性は慰安所で働かされた。女を求めて兵士が村へやってくることもあった。少女が家から引きずり出され、慰安所に連行され、強姦された。そうした少女の中には死んだ者も重い病気になった者もいる。強姦された後殺されて山の中に捨てられた者もいる。私とマルタがこうして生きていられるのは幸運だ。生きてこうして話ができるのはありがたいことだ

 私の兄のひとりは日本軍に殺された。兄は逆さ吊りにされて喉を切られた。死体は埋葬されなかった。埋葬されるどころか吊るされたまま火がつけられた。なぜ兄がこんな目にあったかというと、彼は私の姉と妹を助けようとしたからだ。この姉と妹は10人以上の兵士に強姦されて殺された。彼女たちの遺体は山の中に放置された。

 兵士たちは既婚女性の家にも踏み込むことがあった。そこに夫がいても気にせず、その妻を連行し犯した。夫が家にいない時間をみはからって踏み込み、その場で妻を強姦するという場合もあった。日本人は本当にひどい国民だ。既婚の女性に何の敬意も払わないのだから。残虐だよ。あるティモール人の男は日本の憲兵に協力して働いていたのに、日本軍の酒宴に妻を出すことを強要された。

 私たちには着る服も与えられなかった。しかたないので米の袋を切って服をつくった。それでもその時着ていた服よりははるかにましだった。私たちの身なりがあまりにみすぼらしい時は、酒席に呼ばれても行く気がしなかった。しかしそんな時でも「お前たちは慰安婦だ。俺達を楽しませるのが仕事だろ」といわれ引きずり出された。

 日本軍は私たちから何でも奪った。あらゆる食べ物を奪った。キャッサバ(いも)さえだ。日本は豊かな国だと聞いたが信じられないね。何でも私たちから奪ったんだから。キャッサバさえも。

 兵士は私たちの家にやって来て、何か欲しいものを見つけると、金はあるからそれをくれといった。でも金など払ったためしはない。ひと度機嫌を損ねると厳しい罰が待っている。例えば片手に岩を持たせ片足で立たせるとか。疲れて手や足を下ろすと竹の棒で肘や膝をしたたか殴られた。

 心の傷が残っているかだって?今でも誰かのおしゃべりが聞こえると「エスメラルダは日本軍の慰安婦だ」って嘲笑されている気がする。思いだす度つらくてこれまで人に話したこともない。でもしゃべってよかったよ。すっきりしたよ。シモムラたちが生きて目の前に現れたら?そうだね、思いきり殴ってやるさ。(2000年12月11日談)


◇マルタ・アボ・ベレさんの話

 エスメラルダも言ったが、当時、私たちは日本軍からさまざまな労働を強制された。私たちは、橋や道路や家屋の建設のための労役に従事させられたし、家屋をつくるために必要な竹などの資材を遠くから調達し運搬しなければならなかった。

 私はオアト村から温泉のあるマロボに連れて行かれた。マロボには慰安所があり、そこで働かされた。その慰安所で私は毎日10人もの兵士に強姦された。

 昼は昼で畑仕事やその他の労働をさせられた。そして夜になると慰安所に戻される。マロボの慰安所で毎日10人もの男性に強姦されて、私は自分が家畜になった気がした。実際私たちは家畜のように働かされた。まるで日本軍に所有された馬だ。昼は戸外で働かされ、夜は兵士に対する性的サービスをさせられた。

 あれは動物としての扱いだった。その慰安所にはいくつかの部屋があり、小さめの部屋に5人ほど、中くらいの部屋に7人ほどが入れられた。寝床と寝床の間にはカーテンなどの仕切は一切なく、他の少女たちが犯されるのを見ながらまた自分も犯された。

私たちの性器は彼らのためのものだった。まるで動物の、牛の性器のようだ。ひとり以上の男、十人以上の男に毎日使われて。十人以上の男に強姦された後はもう普通に歩けない。ちゃんと立てなくてこんなふうにしか動けない。でも昼は昼で外で働かされるんだ。私たちはいつも牛の角で作ったメガフォンで呼び集められた。「さあ出てこい。男も女も。仕事だ、仕事だ」って。

 あんたたちは本当に酷いことを私にしたよ。あんたたちは強姦したんだ私を。あの時私たちの性器はすごく痛いんだ。十人以上の男にされたらもう何もできないんだよ。

 もし嫌だといったら、仕事を拒もうものなら、逆さ吊りにされて喉をしめられた。怖いよ。すごく怖くて、だから行くしかないんだ。

 私たち女性は神様が造られたものだ。でも日本の男たちは女性が神の創造物と考えない。自分たちだって女性から生まれたのに。母親が産んでくれたのに。どうしてこんなふうに女性を扱えるんだろう。私たちだって彼らの母親と同じなのに。

 あの男たちだって、疲れれば家に帰り休息を取るだろう。私たち女だって人間なんだから疲れるんだ。男と同じ仕事を昼間して、夜は一晩中セックスの相手をしなければいけない。私たちだって疲れるんだ、人間なんだ。

 仕事が終わっても家(宿舎か?)に戻って何か食べてくることも許されない。お腹がすいて死にそうだった。あまりにひもじい時、私は日本軍のために働かされているティモール人の村長に食べ物を取りに家に帰らせてくれと頼んだ。何も食べる物がないと働らけないんだ。(2000年12月11日談)


【補足/マルタ・アボ・ベレさんが慰安婦にされた経緯】

 ある日、日本軍の兵士と東ティモール人のガイドが家にきて

「いっしょに行こう。キャッサバを食べに行くのだから怖がらないでよい」

と言った。日本軍のために道路や兵舎をつくる仕事をしろということらしいが、怖かった。しかし、叔母に自分が行かないと両親や叔母が日本兵に殺されるといわれ、しかたなく従った。マロボに連れていかれると、集められた他の少女たちとともに草刈りや道路づくり等をさせられた。しばらくしてそういった仕事が一段落すると、アツァベ出身のドミンゴスという男が適当な少女を選んで慰安所に連れていった。マルタも連行され約3カ月間慰安婦として働かされた。三カ月後病気になり、両親の懇願によりもとの村に帰ることを許された。)

 ボボナロに駐留した部隊は、1944年3月まで駐留した歩兵第47連隊の第7中隊、 1944年3月に同部隊と交代した台湾歩兵第1連隊の第6中隊、軍用道路の建設に携わった台湾工兵第48連隊などである。


◇エルメネジルド・ベロさんの話

 日本軍がバウカウに来た時、ほとんどの者が山へ逃げた。オーストラリアに避難した者もいる。私の親族にもオーストラリアに逃げた者がいる。しかし私と妻は東ティモールに残り、一旦山へ逃げた。町に戻ってくると自分の家は日本軍に奪われていた。

 日本軍が駐留するようになると、彼らは「慰安婦」にする若い女性を求めた。私も日本軍に差し出すための美しい若い女性を捜さなければならなかった。命令に従わなければ殺すと脅された。若い女性を捜すだけでなく、私の家も明け渡せと命じられた。家は大きく慰安所にするのにうってつけだったからだ。家は改造され「ティリロロ慰安所」となった。

 ティリロロの慰安所にいるほとんどの女性は17才から20才くらいだった。全員がバウカウ出身というわけではなく、オッスなど他の場所から連れてこられた女性もいた。また、インドネシアのジャワ島のような東ティモール以外から送られてきた女性もいた。ティリロロの慰安所には中国(台湾?)出身の女性もいた。ほとんどが独身の女性だったが、結婚しているのに無理やり夫から引き離された女性もた。ジャワや中国から来た女性たちはずっとその慰安所にいたわけではなく、2、3日あるいは2、3週間で別の場所に移された。

 慰安所の女性たちは苦しんでいた。昼間は農場で働かされ、日本兵のために洗濯をし、料理をつくり、夜は性的欲求を満たすことを要求された。もし日本兵に対する性的奉仕を拒否すれば、彼女たちは拷問を受けたり、ひど暴力を受けるのが常だった。あまりの野蛮さに耐えられず逃げ出した女性もいた。

中にはうまく逃げおおせた女性もいた。しかし、例えば、ススディオという女性が逃げた時の話だが、私は罰としてひどい目にあった。ススディオは17才くらいで、褐色の肌をしたとても美しい女性だった。彼女はカイシドゥ・ポボサンというティリロロ村の出身で私が差出した女性だった。日本軍は私がススディオを逃がしたと疑った。日本軍はススディオを見つけることができなかったので、逆上し、私を尋問し暴行を加えた。血だらけになった私は馬の背に括りつけられて家へ返された。

 私のいとこのアナシタシアは慰安婦にされる前、カルロス・レモスという男性と暮らしていた。彼女も日本軍の慰安婦にさせられた。自由の身になった後、二人は別れた。その後アナスタシアは今日まで結婚せずひとりで生きてきた。彼女が二度と結婚しなかったのはこの時経験した心の痛み故だ。

 ブランカという女性はポルトガル人ピレス中尉の妾のひとりだった。ピレス中尉はかつてバウカウの警備隊長だった。彼は日本軍侵攻時に一旦オーストラリアへ避難したが、その後東ティモールに潜入し、しかし結局日本軍に捕らえられてディリに護送された。ピレス中尉が逮捕されるとブランカは日本軍に連行され慰安婦にされた。

 日本軍のある軍曹の「妻」にされたエルダ・サルダーニャは既に亡くなっているが、その軍曹との間に娘がいる。その軍曹の「妻」にされる前、彼女は結婚していた。彼女の夫は日本軍に殺害されていた。(2001年1月2日談)

【補足/エルメネジルドさんの記憶にある慰安所設置の責任者の名前及び階級は、捜索第48連隊所属のある将校の名前及び階級と一致した。さらにエルメネジルドさんは多数の将校写真の中からその人物を特定した。】


◇クレメンティーナ・カルドゾさんの話

 私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。

 当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。

その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。

私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、

「夫が死んだのだから命は惜しくない。連れていくなら死んでやる」

と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)


◇リム・ファ・ニエさんの話

 私はアイリウの出身だ。アイリウには日本軍の中枢があった。ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。14歳か15歳の頃だった。

母親が死んでから父親は病気がちだった。それから二年間は飯炊きとして働かされた。この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは

「しばらくすれば使いものになるだろう」

と言った。二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。アイナロやボボナロ出身の女性もいた。アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。

 慰安所で私はハナコと呼ばれた。アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。仕事が終わると立って歩くこともできなかった。兵士はコンドームを着用していた。性病検査はなかった。

 賃金は一切支払われなかった。すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。そんなことをしたら親が殺されると思った。ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺されたという話を聞いていた。私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。

 その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて知っていたのかもしれない。夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。

 何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)


◇ガブリエル・ラランジェラさんの話

 私はサメ県バブル村のある慰安所で警備長だった。バブル村には慰安所がみっつあった。慰安所には毎日担当の軍人がやって来て「女たちを清潔にしろ」と私に命令した。私は部下に命じて女性たちを水浴びさせ、よごれがないかチェックさせた。その軍人はこういう時にも現れ、慰安婦たちの身体を検査し、例えば足の指に泥がついたままだったりすると私たちを叱りつけた。

一日の終わりには女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームでいっぱいだった。私たちは毎日その掃除をした。寝台の間に仕切はなかった。慰安婦たちは穴のあいたボロボロの服を着ていた。いくらさがしても布らしきものは穀物袋だけ。女性たちはそれらを利用して服を縫った。女性たちへの報酬はなかった。もし彼女らが金をもらってたら、あんなボロを身にまとったりしないだろう。

 日本軍の将校は村の女性を気に入ると、その女性が既婚者でもかまわずに、性欲を満たそうとする。ある女性が所望された時、その夫婦は困ってリウライに相談した。リウライはその女性を自分の娘だと偽って、その将校とかけあったが、無駄だった。言うことを聞かなければ妻も夫も殺すと脅された。結局、その将校はその女性を思いのままに扱い、事が済むと家へ返した。

 慰安婦たちに食事は支給されなかった。だから親が食料を運んだり、女性たちが食料をもらいに家に戻ることもあった。だからといってそれが逃亡の機会にはならない。女性たちは自分たちが逃げたら身内にどんな害が及ぶか理解していた。逃げ切れないことも知っていた。あの状況で日本軍の意向に逆らえる者などいなかった。(2001年3月30日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html


中国・フィリッピンの被害者の証言には、軍による強制連行が多い。インドネシアでもこのケースの証言が少なくない。被害者の証言以外では、インドネシアの事例が明らかになっている。

ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を強制連行したケースやスマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が強制連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したっとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。

秦郁彦教授でさえフィリッピン「慰安婦」の証言について「多くは事実を反映している」と述べているほどである。


陸軍第117師団長・鈴木啓久(ひらく)中将

「私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令してこれを設置せしめ、中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して慰安婦となさしめました」

「日本侵略軍の蟠居する所には私は各所(豊潤、砂河鎮、其他2,3)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約60名であります」

(特集「侵略の証言」『世界』98年5月号)



2012-12-13
■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1

慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち
場所:中国、時期:1938年頃
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20121208002024

出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年


慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。

それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。


以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。


最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。


■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言

場所:中国中部の山東省


 一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)


この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について』の中で次のように述べています。


 この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪(当時の刑法はこちらを参照*2)の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。

 軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。

 一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。


論文に出てくる『内務省警保局長通牒(原文はこちらを参照*3)』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。

この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約*4」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。

さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。


■長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年

関東軍兵士の記録、場所:中国東北部、黒竜江省


 東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。

 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……

 おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。


「東満」地域とは、1943年10月1日、満州国にかつて存在した3省、牡丹江・間島・東安を総括し設置された「東満総省」の地域を指し、「洲崎」とは現在の江東区東陽町にかつてあった遊郭街のことです。

この慰安所にいた朝鮮人女性たちは「従軍看護婦」の「募集」だと騙されて国外に連れて行かれています。これは当時でも誘拐・拉致という犯罪で刑法第226条に違反しているのですが、女性たちの身元も調査しているはずの軍の方で送り返すなどした様子もなく、女性たちは軍の管理下にある慰安所で軍人の性の相手を強要されています。

また、当時この兵士は、慰安所のあまりに人権が無視されている状況に「義憤めいた衝動を覚え」「外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい」と感じたと書いています。この後でも紹介するように、慰安婦の状況を非人道的だと感じた日本軍将兵の手記や証言というものはけっして少なくありません。


■『私たちと戦争〈2〉戦争体験文集』タイムス,1977年,p.32

島本重三 軍「慰安所」

第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部の吉林省・琿春


 兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。

 兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。

 日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。

 せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。


「まだ幼い顔のまじった」朝鮮人の女性たちは騙されて国外に連れて行かれており、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たり、国際条約にも違反している可能性が高いのです。しかし慰安所を管理する軍はここでも業者を不処罰としており、女性たちを送り返した様子がありません。


■土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年

スマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシア・スマトラ島


 (慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……

 私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」

 彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……

 将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。


ここで詐欺(誘拐)の名目に使われている「女子挺身隊」とは、昭和19年の女子挺身勤労令による女子挺身隊のことではなく、当時の朝鮮で、未婚女性が国(軍)のために勤労報国するという意味で使われた「女子挺身隊」のことだと思われます(こちらを参照*5)。

そしてまた、慰安婦にされた女性たちと慰安所を利用する将兵たちとの認識のギャップが当時から強く存在していたことがわかります。

当時18、19歳の女性が過去の出来事を語っているということは、騙されて連れて行かれた時期は1、2年さかのぼり年齢は16、17歳頃だったろうと推測できますが、このケースも国際条約違反、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たります。

ここでも軍の方で取り締まった様子はまったくありません。


■菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年

ウェワクからラバウルに帰還した兵士の記録


 帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。

 なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。


この日本人女性たちは就業詐欺(誘拐)など強制的手段で連れて行かれており、こうした犯罪の事例を刑事罰に問うことを定めていた国際条約(婦女・児童の売買を禁止する国際条約)にも違反しています。

また15、6名もの女性たちの一団が違法な方法で集められていることを警察が黙認し渡航に必要な身分証明書を発給していたことになります。「警察が厳しく取り締まっていた」のならこうしたことは起こり得ないはずです。

そしてこのケースも刑法第226条に違反しており、軍が違法な状態で集められた女性たちを軍用船で輸送していたのなら国外移送罪に該当しますし、移送されてきた女性たちを慰安所の設置と管理をしていた兵站担当の将兵が収受していた場合は刑法第227条にも違反します。

しかし、ここでも軍の方で犯罪として認識している様子はありません。この女性たちはその後どうなったのでしょう。


f:id:dj19:20121208002026j:image:w420

ニューブリテン島・ココポの陸軍「慰安所」に行列をつくり並ぶ兵士たち、時期:1943年末頃

出典:水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社,1995年,p.14


1943年末頃にラバウル近郊のココポ(ココボ)にあった慰安所のことを、水木しげる氏が回想しています。


「日本のピー(日本人慰安婦)の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。」(『本日の水木サン - 思わず心がゆるむ名言366日』草思社,2005年)

「彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。」(『水木しげるのラバウル戦記』筑摩書房,1994年)


(「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる:http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.htmlより)


水木しげる氏も彼女たちが慰安婦になるために「自由意志で自発的に応募した」とは認識していないようです。


■長沢健一『漢口慰安所』図書出版社,1983年

軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢市


 赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……

(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ……


これも騙され連れて行かれたケースです。歴史研究者の吉見義明教授はこのケースについて次のように述べています。


 慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一 般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか。


慰安婦問題に関する吉見義明教授の講演 文字起こし:http://www.ianfu-kansai-net.org/2012-10-23.html『2. 朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。』【資料4】より

吉見教授はさらに戦前の日本においても契約書に書かれている「右の金額は酌婦稼業により支払う」という「売春によって借金を返させるという」契約は「民法90条違反だった」ことを指摘しています。


■小俣行男『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社,1967年

読売新聞の従軍記者・小俣行男の記録、1942年5月か6月頃、場所:ビルマ


 (朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか」

 考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブがけっして安全なところでないことは戦地の常識である。「その後この少女たちはどうなったろうか」

(『ビルマラングーンの「慰安所」情報』:http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070603#p1より)

*将校クラブとは将校専用の慰安所のこと。


この口述資料からは、軍の方で将校クラブを含め各慰安所に配置する慰安婦の人数を決定していたことがわかります。そしてこれも騙されたケースです。

40名から50名に及ぶ女性たちの一団が、同じ日に同じ場所に到着していることから、軍から慰安婦を集めてくるよう指示された業者による大がかりで違法な徴集が朝鮮半島で行われたことは明らかだと思います。

違法な方法で集められた女性たち(16、7歳の未成年者を含む)に身分証明書と出国許可を与えているのは警察です。永井教授が述べているように、軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずです。

そしてこのケースもやはり刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪、さらに刑法第227条にも違反しています。しかし、軍の方で違法な契約を破棄させ16、7歳の未成年者を含む女性達を送り返そうとした様子はありません。ここでも軍は業者を不処罰とし犯罪を黙認してしまっています。


■『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年

須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」

1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所


 スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……

 「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。

 しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシアの若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。


女性が逃亡しないよう監視されていたことは、慰安婦にされた多くの女性たちの証言と符合します。そして、「周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ」ていることから軍の施設内に「急ごしらえの」バラックを建てそこを慰安所にしていたのではないかと推測できます。

また、女性たちがインドネシアまで連れて行かれるまでには、朝鮮半島で、軍や総督府が選定した業者が違法な方法で女性たちを集めたことを警察が黙認しなければ出国許可は下りていないはずです。1人2人でなく20人近くもの女性たちなわけですから、うっかり見逃すというのは考えにくい。

さらに軍は軍用船の乗船許可を与え女性を移送し、現地では憲兵や兵站担当の将兵などが受領しますが、その際も身元調査などを行っているはずなのに軍が女性たちを送り返し業者を罰するなどをしていないのです(刑法第226条、刑法第227条に違反)。

こうした事例を見ていくと、日本政府や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」という否定論者の主張が、まったくのデタラメであるとわかります。


■伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 - 兵営と戦場生活』番町書房,1969年,p.212

1938年に入隊した作家の伊藤桂一の記録、場所:中国


 兵隊と、なんらかの意味で接触する女性は、慰安婦のほかには、中国民衆(つまりその土地の住民)、在留邦人、慰問団、それに看護婦くらいなものだろう。このうち、慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。

■伊藤桂一『戦旅の手帳』光人社,1986年


 騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。


伊藤桂一氏は、92年に慰安婦が大きく問題化する以前はこのように率直に語っています。近年は保守系雑誌『諸君!』で性奴隷を否定する主張などもしていますが、それでも軍が慰安所を作ったことや慰安婦が軍属扱いだったことなどを語っており*6、元慰安婦の悲惨さも知ってるがゆえに彼女たちに同情的です。ネットで捏造を拡散している人達のように「単なる金ほしさの売春婦だ!」などという誹謗中傷はしていません。


■『従軍慰安婦110番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年,p.54

陸軍パイロットの証言、場所:マレー


 マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに200人ぐらいが外出しました。……「トミコ」という源氏名の朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の日本人でした。


これも騙されたケースです。刑法第226条、第227条などに違反する犯罪に当たりますが、ここでも軍及び憲兵が取り締まった様子がありません。


■『特集「慰安婦」100人の証言』DAYS JAPAN 2007年6月号,p.16

独立混成第4旅団の兵士、近藤一の証言、場所:中国北部の山西省太原


 大隊本部がある太原には慰安所がありました。……日本人女性は将校専用なので下級兵士は行けません。朝鮮人と中国人の2ヶ所が下級兵士用です。……朝鮮人のところへ行った時には話をしただけでした。彼女は田舎の出身で家が貧しく、お金儲けができるからと日本の工場へ誘われて来たのに、気がついたら慰安所で、結局あきらめざるをえなかったと言っていました。


これも騙されたケースですが、貧困層の女性であり前借金に縛られ連れて来られた可能性が高いと思われます。ここでも軍は管理下にある業者を処罰していません。


■山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』まつやま書房,1987年

第十八師団の兵士の、日本から騙されて連行されてきた在日・朝鮮人女性についての記録。場所:ビルマ(ミャンマー )、中国・海南島


 第十八師団の兵士が、ビルマのメイミョーの公光荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人慰安婦から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでいたとき「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。

(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書,1995年,p.91より重引用)


これも騙されたケースで、国際条約や刑法第226条及び刑法第227条に違反しています。


■輜重兵第三二連隊第一中隊 戦友会 八木会編『我らの軍隊生活』

カリマンタン・タラカンにいた同中隊の戦中記に記された兵士の記録。時期:1944年


 慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。

(『皇軍慰安所とおんなたち』吉川弘文館,2000年,p.118、『従軍慰安婦』岩波新書,pp.123-124、「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」季刊 戦争責任研究 第5号、94年秋季。より重引用)


これは日本内地や植民地から連行されたケースではなく、インドネシアで騙しによる誘拐によって慰安婦を強制されたケースですが、軍の方で当時、犯罪と認識している様子がありません。


■河東三郎『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年

海軍軍属設営隊員の河東三郎の記録、場所:インド領ニコバル諸島


 一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)


これも騙されたケースです。刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たりますが、ここでも取り締まった様子はありません。


■鈴木卓四郎『憲兵下士官』新人物往来社,1974年,pp.91-93

鈴木卓四郎憲兵曹長(南支・南寧憲兵隊)の証言


 一九四〇年夏の南寧占領直後に〈陸軍慰安所北江郷〉と看板をかかげた民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。十数人の若い朝鮮人酌婦をかかえた経営者黄は〈田舎の小学校の先生を思わせる青年〉で、地主の二男坊で小作人の娘たちをつれて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、〈兄さん〉としたう若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった。

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.383より重引用)


軍から「契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂」とのことで女性を集めた朝鮮人の業者自身が騙されていたと思われるケースです。


■鹿野正伍『ある水兵の戦記』光風社,1978年

海軍所属の兵士・鹿野正伍の記録。場所:トラック諸島の夏島(現ミクロネシア・チューク諸島)


 (夏島の慰安所で)妓に内地に手紙を出してくれと頼まれた。「助けると思って、中を読んでください。騙されて連れてこられました」妓は掌(てのひら)を合わせた。媚びた感じではない。妓の目尻に光るものがみられた。


■『海を越える一〇〇年の記憶』図書新聞,2011年

松原勝「軍による『慰安所』管理は紛れもない事実」pp.109-127

1942年、第4海軍施設部軍属としてトラック諸島の夏島へ派遣された軍属の記録


― その夏島に「慰安所」があったのですね。

松原 南國寮と南星寮の二か所、同じような規模でね。(夏島の地図を指し示しながら)このチョンチョン橋を渡って海岸の方へ 出て左折すると四経、四施とあるでしょ、その先に三棟ほどの南國寮がありました。

 源氏名でみどりさんという人がいてね、当時22歳っていってました。だまされてこんな所に連れてこられたってね。私がそこへ行き泊ると、泊まりを受けなかった女の子たちが3、4人集まってきて、いろいろ話をしてくれました。私はどこどこの出身だけど、親やきょうだいと引き離され、だまされてきたんだというわけですよ。人によってはね、子どもや夫にも引き離されてきたんだと泣いて訴えるわけです。高級将校のメイドにならないかとか、海軍病院の雑役の仕事だとか、30円くらいの月給で食事も泊まる所もただだから1年くらいこないかとね。でも、ここへ連れてこられて初めて仕事を知って心が裂けるように思ったと。ひどい話で、日に10人もの相手をさせられるとも言ってました。僕が第四海軍施設部の職員だと知っていたし、若かったからね、気を許していろいろなことを話してくれました。

 トラック島の「慰安婦」は、朝鮮の女性がほとんどでしてね、私の叔母が朝鮮の方と結婚しているということや学生のころ朝鮮人の知り合いもいて、朝鮮人には特別な気持ちを持っていたことも関係していると思いますね。

http://194586245.web.fc2.com/18.htmlより)


このケースも刑法第226条に違反した犯罪ですが、朝鮮半島を出国する際には警察が身分証を発給し出国の許可を与え、トラック諸島まではおそらく軍用船で連れて行かれていると思われます。

そして、ここでも女性たちは送り返されることなく軍管理下の慰安所で慰安婦になることを強要されています。警察や軍が厳しく取り締まった形跡は何処にもありません。


■陸軍通訳の永瀬隆の証言。場所:シンガポール


 シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。……氏は朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100 円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。

(林博史「マレー半島における日本軍慰安所について」http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper09.htmより)


「朝鮮人」の「12〜13人」の女性たちは「レストラン・ガール」と騙されて連れて行かれ慰安婦を強要されています。これも刑法第226条に違反する犯罪ですが、軍の方でそれが犯罪であると認識している様子がありません。


■溝部一人 編『独山二』〔独立山砲兵第二連隊の意〕私家版,1983年,p.58

山口時男軍医の1940年8月11日の日記 場所:中国中部

1940年8月、湖北省董市附近の村に駐屯していた独立山砲兵第二連隊は、「慰安所」の開設を決定し、保長や治安維持会長に「慰安婦」の徴募を「依頼」した。その結果、20数名の若い女性が集められたが、その性病検査を担当した軍医は、8月11日の日記に次のように記録している。


 さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなか襌子(ズボン)をぬがない。通訳と維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位にして触診すると、夢中になって手をひっ掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。

 次の姑娘も同様で、こっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣く来たのであろうか?

 なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙しているという意識が念頭から離れない。

(『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波書店,2010年,pp.25-26より重引用)


これは中国人女性の事例ですが、中国ではこのように占領した地域の有力者に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く報告されおり、徴集の形態が日本内地や植民地であった台湾・朝鮮とは異なっていました。

そしてこの軍医は当時の日記に、慰安婦を強いることが「人間性を蹂躙している」と感じ、そうした「意識が念頭から離れない」と苦しい胸の内を書き留めています。

一方、現在の慰安婦問題否定論者の言動から溢れ出す人権感覚はどうでしょうか、戦時中に存在していた人権感覚よりひどい状態にあると言えそうです…。


公文書に記述された慰安婦の強制


■『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年

1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人の周旋業者に対する尋問調書。

場所:ビルマ・ミッチナ(ミャンマー・カチン州)


 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金(前借金)を受け取った。


アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日

http://megalodon.jp/2008-1206-1528-25/members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html


この資料は歴史修正主義者に都合良くつまみ食いされることが多いのですが、丁寧に読んでいけば、軍から慰安婦の徴集を依頼された日本人の業者が朝鮮半島で騙しによる誘拐と人身売買によって、連行当時17,8歳の未成年を含む女性たち22名を連れて来ていること。そして女性たちが軍の管理下の慰安所で本人に意思に反し性的“慰安”を強要されたことが明らかにされています。


■『極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店,1968年,p.186

極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決 

場所:中国南部の桂林


桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した


東京裁判の判決文のなかに、日本の軍隊が女性を「女工を募集」と騙して集め「醜業(売春)を強制した」と記述されています。これは軍が女性たちに売春を強制し慰安婦にしていた証拠ですが、ここで重要なのは、このような犯罪行為が当時、軍のなかでなんら問題にされず見過ごされていたということです。


「慰安婦」制度が違反しているもの


当時の、刑法第226条、刑法第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童の売買を禁止する国際条約、強制労働条約 第29号(1930年)、奴隷条約(1926年)など。


ここで取り上げた以外の日本軍将兵の手記や証言記録


日本軍将兵が回想している軍が直接、連行、徴集したケース
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html

秦郁彦氏が「信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言の検証など
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html

朝鮮人慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本 - 軍慰安婦を考える会・ホームページ
http://194586245.web.fc2.com/01.html

吉見義明「従軍慰安婦」岩波書店
http://sikoken.blog.shinobi.jp/CM/69/1/

従軍慰安婦資料集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html


*1:このエントリは、軍が組織的に慰安所設置を本格化させた1937年末以降に徴集されたと思われる朝鮮人と日本人の慰安婦に言及された口述資料を中心に収集しています。

*2:当時の刑法第226条:国外誘拐罪、国外移送罪:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p2

*3:「内務省警保局長通牒」の原文:
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react785.html

*4:当時の「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」についてはこちらを参照:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3

*5:「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる 「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる

*6:2007年8月号『諸君!』「僕が出会った気高き慰安婦たち」:
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-107.html


コメント

kounodanwawomamorukaikounodanwawomamorukai 2012/12/14 03:27
これだけ証拠がれば言い逃れは不能ですよね。
徴集したのは、大方業者(女衒)でしたが、その業者に慰安婦を集めるように依頼したのは軍であり、身分証明書を与えて便宜をはかり、軍が直営した慰安所においても、「騙された女性達を送り返した」形跡がほとんど無い。(小林よしのりが上げた例はただの小説の話。よしんばあったとしても大多数は送り帰してはもらえなかった)
騙して連れて行って、そこで強姦同然に慰安婦にしておいて「それは強制じゃない」なんて言い逃れができる訳がない。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63630718.html

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63581579.html
また連行時の強制に関しても、東南アジアに多くの例があり、その横暴なやり方を朝鮮半島においても行ったと考えるのが自然である。さらに総督府警察や面事務所(役所)が女性を集めた関特演があり、騙したりすかしたりしたのである。

もはや言い逃れは不可能であるに違いない。


やまもとやまもと 2013/01/25 06:49
この問題は、規制法が存在していても、実際の現場では事実上有名無実化している。という今も変わらぬ日本社会の体質を象徴しているように思います。やくざの手配師の原発作業員集めを黙認していた東電と同じ。昔、言われていた「新聞はエリートが書いてヤクザが売る。」も同じですね。自分達では直接手を下さず、「黙認」という方法で汚い事は底辺層にやらせる。そして、時折、思い付いたように取り締まりを強化して帳尻を合わせる。この国の支配層の狡猾さは、外国からはよく見えるのでしょう。池田信夫という人がNYタイムスに意見書を提出したそうですが、厚顔無恥、そして無知もいいところですね。


たけしたけし 2013/03/09 23:43
はじめまして、すごく勉強になるブログをありがとうございます。
合気道家の塩田剛三先生の『合気道修行』に空手などを訓練した兵士たちが中国人捕虜を縛り付けて「試し打ち」をしてるシーンが出てきます。
当時の人権状況はこんなものだったのだろうし、慰安婦の人たちの扱いも推して知るべしだなと思います。
慰安婦などを否定したい人たちは昔の戦争に行った日本人と自分を過度の同一視をしてるんじゃないかなと思います。昔の日本人の行為が悪かったとなると自分が悪いような気がしてしまうんじゃないでしょうか。


山下 由佳山下 由佳 2013/05/18 12:44
平和資料館・草の家「戦争を記録する会」元教師の梅原先生は、従軍慰安婦を密かに逃がした体験のある高知出身の兵士の証言を記録しています。悲惨な戦争の最中にも、良心的に、できる範囲で動いた一兵士がいた。この史実を明るみに出したい。http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24896941.htm


[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理


35. 中川隆[-5596] koaQ7Jey 2018年3月02日 08:50:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼

ニューギニアで旧日本兵が行った残虐

ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、

「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。

それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。
母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」

と語った。

「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。

第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」


というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。


すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。

最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、


人肉食犠牲者1817人、

胸を切断され死亡した女性19人、

性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、

強姦されて殺害された女性5164人


など、とても信じられないような数字が並ぶ。


はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。おもにオーストラリアとアメリカの資料をもとにニューギニア戦線での日本軍の人肉食を検証した著作「知られざる戦争犯罪」のある田中利幸メルボルン大学教員は、

「東京裁判でオーストラリア側が日本軍の人肉食を戦争犯罪として明示したのに、審理からは抜け落ちた。オーストラリアでは、食べられたと見られる自国兵の死体について約100のリポートが出ている。だが、戦闘中なので目撃証言が乏しく、裁判は難しかったようだ。これらの史料に、わずかだが現地の人たちの人肉食被害が出てくる。現地の人たちについては集落のなかでの出来事なので、むしろ目撃者は多かったのでは」

と指摘する。
http://www.midori-kikaku.com/mariko/j-ist01.html




慰安婦にされた女性たち−フィリピン
http://www.awf.or.jp/1/philippine-00.html

 日本軍は、1941年12月、アメリカ領であったフィリピン・ルソン島へ上陸し、直ちにマニラを陥落させ、1942年1月3日から、軍政を実施しました。日本軍の軍政下で、フィリピン人は激しいゲリラ戦を展開し、抵抗運動を行いました。日本軍はゲリラ討伐を理由に、残酷な作戦を実行しました。フィリピンでのBC級戦犯裁判では、起訴381件の内、住民虐殺が138件、強姦が45件と多数を占めています。

 フィリピンでは、マニラをはじめ、占領地の各都市には軍慰安所がつくられ、日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦が送り込まれましたが、現地のフィリピンの女性も慰安婦にされていました。

  フィリピン地図

 まずマニラ(地図中-2)には、連合軍資料にある警察報告によれば、慰安所12軒、兵下士官用5軒がありました。

捕虜の供述では、朝鮮人、フィリピン人、中国人の女性がいる慰安所が5ないし6軒あったとされています。

北部ルソン島では、バヨンボン(1)に慰安所がありました。

中部ビサヤ地方では、マスパテ島(3)に軍人倶楽部という慰安所がありました。

パナイ島のイロイロ市(4)には二つの慰安所があり、1942年には、第一には12人から16人、第二には10人から11人の慰安婦がいたことが確認されています。

セブ島のセブ(5)には、慰安所を経営する日本人業者が一名いました。

レイテ島のタクロバン(6)には、フィリピン人が経営する慰安所があり、9名のフィリピン人女性がいました。

同島のブラウエン(7)にも慰安所が1944年8月までには開設されました。

 南部ミンダナオ島のブツアン(8)には1942年にフィリピン女性3名の慰安所が開設されました。

また同島のカガヤン(9)には、1943年2月に第三慰安所ができたので、三つの慰安所があったことがわかります。

同島中央のダンサラン(10)にも慰安所がありました。

また同島のダヴァオ(11)にも、慰安所があり、朝鮮人、台湾人、それにフィリピン人の慰安婦がいました。

 
 また、フィリピンでは、軍の占領地域で現地部隊が一般女性を強姦した上に、暴力的に拉致・連行して、駐屯地の建物に監禁し、一定期間連続的に強姦をつづけたことも多かったことが証言されています。この被害者達も慰安婦被害者と考えることができます。そのような女性の中には父や夫を目の前で殺された人も少なくありません。
 


フィリピン政府による医療福祉支援事業の評価報告書より

(全文はこちら)
http://www.awf.or.jp/pdf/0197.pdf


多くのロラ(おばあさん)たちは、日本兵たちによって強制的に自宅から連行された。なかには仕事中や、両親に頼まれた用事で外出した際に連れ去られた者もあった。多くは当時、まだ独身であったが、既婚者も含まれていた。

ビコールに住むロラのひとりは、その頃住んでいた村に日本兵がやってきたとき、自宅で眠っていたという。

日本兵たちは村中の男たちと若い女たちを集めて村の小学校に連行し、翌朝までそこに留め置いた。彼女たちはその後、そこから市庁舎まで連れて行かれた。

また別のロラは、母親に食料の買い出しを頼まれ、近くの町へきていたところを連行された。

このほか、マラボンにある埠頭の近くで“シシッド”(ウェット)・ライス(船荷から漏れて海に沈んでいるコメ)を採っていたところを連行されたというロラもいる。


ロラたちは、もとは市庁舎や州政府の庁舎だったもの、個人の邸宅、小中学校や高校の校舎、病院や教会であったものを徴用した日本軍の兵営、あるいは駐屯地に連れて行かれた。

ロラのひとりによれば、マニラのある教会では毎夜、そのいたる所で日本兵によって女性がレイプされていたという。

ロラの自宅が駐屯地に徴用されたという例もあるほか、慰安婦たちを収容するのにトンネルが利用されていたという報告もある。

ロラたちが慰安婦として監禁されていた期間は、3日間から1年以上と、ロラによって様々であった。

4か月以上にわたって監禁されたロラたちが25%、3か月間が17%、1か月間が16%であった。

ロラたちはその全員が、監禁されていた期間にレイプされている。

ビサヤに住むあるロラは、家にやってきた日本兵たちに家族が尋問を受けている間に、7人の日本兵からレイプされた。

そして、その日から7日間、毎晩3人から5人の日本兵がやってきては彼女をレイプしたという。

マニラに住んでいるロラのひとりは、拘束されてから1か月にわたってレイプされ続けた。

6〜7か月にわたって駐屯地に監禁されていたが、この間には週に3日ほど3人以上の兵士がやってきて、彼女を次々とレイプしたという。
 


マリア・ロサ・ヘンソンさんロサ・ヘンソンさんの場合

マリア・ロサ・ヘンソンさんは、1927年12月5日、フィリピンのマニラ近郊パサイで生まれました。大地主の父とその家事使用人であった母の間にできた婚外子でした。

1942年2月、彼女は日本兵にレイプされました。
そのとき、彼女は家で使う薪を採りに、叔父や近所の人々と出かけたのですが、みんなと離れたときに、日本兵三人につかまり、レイプされたのです。

彼女は二週間後にも同じ日本人将校に見つかり、ふたたびレイプされました。

彼女は日本軍に激しい怒りを感じ、抗日人民軍、フクバラハップに参加しました。一年間活動したのち、1943年4月、アンヘレス市の郊外の検問所で日本軍にとらえられ、司令部に連れて行かれ、そこで、「慰安婦」にされてしまったのです。

ロサ・ヘンソンさんは、兵舎として使われていた病院に連行されました(フィリピン人元慰安婦のための弁護士委員会)。

ヘンソンさんとほかの女性6人が、ここで日本兵たちに性行為を強要されたのです。

その後3か月してヘンソンさんは、もとは精米所であった別の慰安所に移されました。日本軍に協力していたフィリピン人から、日本兵のために洗濯をしてやれば金を稼げると言われ、ヘンソンさんとほかの何人かの若い女性たちは洗濯をするようになりました。あるときそのフィリピン人の協力者に連れられて、2階建ての家に連れていかれました。そこには3人の日本兵が待ち構えていたのです。そこには約1年間にわたって監禁されていました。昼の間は洗濯をし、夜になるとレイプされたのです。

(ロサ・ヘンソンさんの証言記録はこちら)
http://www.awf.or.jp/3/oralhistory-00.html#philippine


ロサ・ヘンソンさんは、1944年1月、ゲリラによって救出されました。連合国の上陸によってフィリピンは日本軍の占領状態から解放されたのです。


http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/714.html#c13

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
83. 中川隆[-5593] koaQ7Jey 2018年3月02日 09:37:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2018.03.02
米軍がシリアで軍事的な緊張を高める中、ロシアは最新兵器を投入して警告



ロシアの安全保障会議によると、シリアの北部にアメリカ軍は20カ所に軍事基地を建設したという。これまで14カ所、そのうち12カ所は北部、2カ所は南部だとされていた。新たに基地を建設したのか、前からあったのかは不明だが、いずれにしろシリア政府が承認したわけでない。シリアを含め、中東でアメリカは侵略、破壊、殺戮、略奪。ヨーロッパでロシアとの国境沿いにミサイルを配備、日本や韓国でも同じことをしている。

本ブログでは何度も書いているように、アメリカの好戦派に属すネオコンは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅するつもりだった。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから10日ほどのち、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官はペンタゴンで攻撃予定を知らされたという。まずイラク、ついでシリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランだ。(​3月​、​10月​)

アメリカ軍はすでにシリア政府軍だけでなくロシア軍も攻撃している。例えば昨年(2017年)9月17日にデリゾールでアメリカ主導の連合軍がF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機でシリア政府軍を攻撃、80名以上の政府軍兵士を殺した。

9月20日にはイドリブの州都に入ってパトロールしていたロシア軍憲兵29名の部隊をアル・カイダ系のアル・ヌスラが戦車なども使って攻撃、包囲するという出来事があった。その作戦はアメリカの情報機関/特殊部隊が指揮していたと言われている。戦闘は数時間続き、その間にロシア軍の特殊部隊スペツナズが救援に駆けつけ、Su-25も空爆、反政府軍の部隊は全滅、その戦闘員約850名が死亡したという。

9月24日にはロシア軍事顧問団を率いるバレリー・アサポフ中将とふたりの大佐がダーイッシュの砲撃で死亡しているが、中将らがいる正確な場所がアメリカ側から伝えられていたとも言われている。それに対し、10月31日には地中海にいるロシア軍の潜水艦から発射されたミサイルがデリゾールにあったダーイッシュの拠点を攻撃、破壊したという。

今年1月6日には地中海に面した場所にあるロシア軍のフメイミム空軍基地とタルトゥースにある海軍施設へ13機の無人機(ドローン)が攻撃のために接近、そのうち7機はロシア軍の短距離防空システムのパーンツィリ-S1で撃墜され、残りの6機は電子戦兵器で無力化されている。13機のドローンは100キロメートルほど離れた場所から飛び立ち、GPSと気圧計を利用して事前にプログラムされた攻撃目標までのコースを自力で飛行、しかもジャミングされないような仕組みになっていた。攻撃の際、目標になったフメイミム空軍基地とタルトゥースの海軍施設の中間地点をアメリカの哨戒機P-8A ポセイドンが飛行していたこともあり、この攻撃はアメリカ軍、あるいはCIAによるものだと見られている。そして2月3日にロシア軍機Su-25が撃墜された。

2月7日にはアメリカ中央軍が主導する部隊がデリゾール近くの油田地帯でシリア政府側の戦闘集団を空爆して死者数十名、そのうちロシア国籍の傭兵が5名程度だと見られている。アメリが側は「反撃」だとしているが、状況から見て親シリア政府勢力からの攻撃はなかったようだ。アメリカ側はロシア軍に属さないロシア人傭兵を殺した。

そうした中、2月25日にロシア軍の地上部隊が東ゴータへシリア政府軍と一緒に入ったとも伝えられている。東ゴータからダマスカスのロシア大使館へ向かって砲撃が毎日ある。攻撃しているのはアメリカを後ろ盾とする武装勢力のようだ。ロシアのウラジミル・プーチン大統領はその攻撃について、いつまでも許すことはないと語っている。東ゴータへ入ったロシア軍が何らかの軍事作戦を展開するかもしれない。ロシアの正規軍は入ったとなると、アメリカ軍は手を出しにくい。もし攻撃すれば米露の軍事衝突に発展する可能性があるからだ。軍事衝突した場合、アメリカは勝てそうもない。

すでにシリアでは少なくとも4機のステルス戦闘機Su-57が目撃されている。すでに防空システムの強化が進み、中長距離用のS-300やS-400だけでなく、短距離用のパーンツィリ-S1を配備している。それ以外にも武器/兵器をロシアはシリアへ運んでいるようだ。

プーチン大統領はロシアやその友好国が存亡の機を招くような攻撃を受けた場合、​マッハ20で飛行する大陸間ミサイルRS-26ルビエシュ等で反撃する​と警告している。理由はわからないが、プーチン大統領はかなり怒っている。

以前にもロシアは海底1万メートルを時速185キロメートルで航行、射程距離は1万キロに達する遠隔操作が可能な魚雷の存在をリークして警告している。2015年10月5日にはカスピ海の艦船から26基のカリブル巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中させてアメリカを驚かせたりもしてきた。

ロシアでは今年3月18日に大統領選挙があり、6月14日から7月15日にかけてはサッカーのワールドカップが開催される。追い詰められているアメリカはこのタイミングで何かを仕掛けてくる可能性があると見られている。

中東は風雲急を告げる動きがある。そうした中、​サウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子が3月19日から22日までアメリカを訪問​する。予想外の展開があり、それについて協議するつもりなのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803020000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c83

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
149. 中川隆[-5592] koaQ7Jey 2018年3月02日 09:40:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月02日
スマートデイズのシェアハウス投資破綻 スルガ銀行は共犯か?

大地前社長の著書、スマートライフだから家賃0円で儲かると書いてある。
スルガ銀行はこれが詭弁なのを見抜いていたはず
引用:法律ニュース部https://law-news.idest.club/wp-content/uploads/2018/01/wsatgh.png

スルガ銀行とスマートデイズの関係に疑惑

一般投資家からシェアハウスへの投資を受けて、配当不能になっているスマートデイズ事件は、融資先のスルガ銀行が関わっていた疑いが強まっている。

シェアハウスに投資した人の多くはスルガ銀行から融資を受けていて、最初から危険性を認識していた可能性が高い。

スマートデイズに投資した人の多くが不動産投資には素人で、危険性を認識せず言われるままに契約をしていた。



融資の審査をする銀行はその道のプロであり、同社の杜撰な計画や経営状態を、知らなかったというのはおかしい。

スマートデイズは投資家に家賃保証を約束して投資を呼びかけたが、現在家賃は支払われていない。

一方で融資したスルガ銀行からは家賃収入と関係なく請求され、このままでは自宅や保証人の資産も差し押さえられる。


スマートデイズのオーナー76人は2月27日、返済不能であるとしてスルガ銀行に3月から返済しないと通知しました。

投資家の中には家賃保証を当て込んで1億円もの融資を受け、毎月100万円のローンを組んだ人も居るようです。

問題はスルガ銀行が第三者ではなく、最初からスマートデイズの危険性を承知しながら説明しなかったのではないかと疑われている事です。


スマートデイズはシェアハウスで確実に儲かると説明しながら、実際には投資家から集めた金を転がして、マルチ商法のように拡大していました。

シェアハウスはチープな作りにも関わらず相場より建設費が高く、専門家によると何割かスマートデイズが抜いていた疑いがあるという。

4年弱でおよそ845棟、1万1,259部屋のシェアハウスを建設したが、経営は上手くいっていなかったと思われる。

スルガ銀行は最初から危険性を知っていたか

実際にはシェアハウスで利益が出ていないのに、投資会員を集めては集金し、損失を穴埋めして新たにシェアハウスを建設した。

2017年10月にスルガ銀行は融資を制限し、新規投資が集まらなくなって損失補てんが不可能になった。

投資家には家賃減額が通知されたが、契約時に投資家達には減額の説明はしていませんでした。


プロの不動産業者にとっては、家賃保証契約は減額が前提なのは常識で、契約そのものも相手の都合で破棄されるのが『お約束』になっている。

だからサブリース業者は「永久家賃保証」「○年後に販売金額で買い取り」などとんでもない条件を提示できる。

常識で考えて新築時の家賃が保証されるはずが無いし、販売したのと同じ金額で買い戻すのも在りえないが、この業界ではそういう売り文句がまかり通っている。


他の銀行がスマートデイズへの融資に消極的だったのは、最初から計画の杜撰さを見抜いていたからだと考えられます。

スルガ銀行が非常に積極的だったのは、返済できなくなったら保証人に払わせれば良い、とでも考えていたのだろうか?

スルガ銀行の中でも横浜市の支店がほとんどの融資を行っていたと報道されていて、被害者の会も横浜東口支店に返済不能を通知していました。


スルガ銀行の支店内でスマートデイズのセミナーを開くなど、投資家は銀行から誘われるようにして融資を受けていた。

むしろスルガ銀行が主導する形で融資を受けさせて、スマートデイズに投資させていたのではないか。

多くの素人投資家は「銀行の融資が通ったのだから絶対安心だ」と思い、スマートデイズへの信頼を強めた。


投資家は融資を受けるために連帯保証人を建てているので、本人が自己破産すると保証人に全額請求される。

700人が返済不能になっているとされるので、その背後には数千人の連帯保証人の家族が居る。

自宅が差し押さえられる上に給料の一部も差し押さえられ、多くは一家離散することになる。
http://www.thutmosev.com/archives/75145714.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c149

[政治・選挙・NHK240] 失業・失業保険・生活保護・・・これで良いのか日本! 天橋立の愚痴人間
8. 中川隆[-5591] koaQ7Jey 2018年3月02日 10:00:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
 2018年1月の雇用統計が発表になりました。


 完全失業率2.4%。若年層失業率は、何と3.3%。一気に4%を割り込んできました。


1月の完全失業率2.4% 前月比0.3ポイント低下


2013年の時点では、いわゆるリフレ派理論の、
「デフレは貨幣現象。おカネを発行すれば脱却できる」
 といった論調が政界に蔓延し、
「おカネを発行すればデフレ脱却できるのでしょ。ならば、緊縮財政でいいよね」
 と、消費税増税やPB黒字化目標、診療報酬・介護報酬の削減等に活用されてしまいました。


 今回は、

「雇用が改善している。実質GDPも八期連続プラス成長。ならば、緊縮財政でいいよね」
 と、なるに決まっています。

http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/629.html#c8

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
38. 中川隆[-5590] koaQ7Jey 2018年3月02日 11:06:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。

そもそも従軍慰安婦は13才、14才から慰安所で働き始めている。

18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。

従軍慰安婦は売春婦か?


日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。

研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。

名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東


*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1

朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。


慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/


『慰安婦』にされた年齢


尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。


11歳  1名
12歳  1名
13歳  1名
14歳  3名
15歳  5名
16歳 16名  ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳  7名  ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳  3名  ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳  3名
20歳  -
21歳  1名  ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳  -
23歳  1名
29歳  1名


*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。

*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)

*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』


コメント一覧


貧寒 2008/09/27 11:07

韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。

2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。

おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。


Stiffmuscle 2008/09/27 21:47

子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。

なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?

相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。

Allen 2008/09/28 16:21

ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・

東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・

日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。

Stiffmuscle 2008/09/29 00:59

「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。

当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。

その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。

まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1

元日本人記者「10代後半の慰安婦20名、強制連行されてきた」2015.04.12

奈良新聞勤務、河瀬俊二氏…慶尚南道統営市を訪問「聯合ニュースの記事を見て来た」

奈良新聞記者出身の日本人活動家が日帝強占期に日本現地軍飛行場の工事現場に連れられてきた朝鮮人男性と慰安婦女性がいたという証言を記録した取材ノートのコピーを慶尚南道党統営市で公開した。

河瀬俊二(67)氏は10日、統営市庁の会見ルームで日本軍慰安婦のお婆さんと共にする統営市民の会の代表とともに記者会見を開き、40年前の取材ノートの一部をコピーした資料を紹介した。

河瀬氏は奈良県の日刊紙の奈良新聞社で1971年から1984年まで13年間記者として勤務した。

彼は1975年8月、日本現地でインタビューした在日朝鮮人の姜正市(当時、65歳)氏の証言などを作成した取材ノートを根拠で、日帝強占期に日本の奈良県天理市「柳本飛行場」工事現場に朝鮮人男性3人が強制的に動員され、女性20人余りが慰安婦として連行されてきたと説明した。


http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-05.jpg
http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-06.jpg


原本は別に保管しているが、全体の分量が数百ページだ。 二重の朝鮮人強制被害に対する部分は20ページほどだ。

取材ノートには手で描いた施設物の配置図なども含まれているが、現在、飛行場施設配置図と比較すれば、相当部分が一致する。

慰安婦女性20人のうち半分は統営、その残りは晋州出身だ。

彼らのほとんどの年齢が10代後半ということ以外に名前など具体的な名簿と住所は確認されなかったと説明した。

河瀬氏は「慰安所が軍人たちが利用したかどうか対しては、被害当事者証言がないため、確認できず、工場労働者が利用したと結論を下した」と話した。

ただ「慰安所を利用する人が軍人ではなかったとしても位置が海軍管轄地域にいたという点に注目しなければならない」と強調した。


このような取材内容は奈良新聞に連載された。 1985年、1987年、1992年3度にわたって本に出た

河瀬氏は「新聞社の社風が非常に自由であり、在日韓国人問題や差別に対し、自由に取材することができた」と説明した。

河瀬氏は記者会見に続き、慶南道立統営の老人専門病院に入院中の生存最高齢の慰安婦被害者キムボクドゥク(98)おばあさんに会った。

さらに、2年前には市民の会が社会の各界各層の募金で、統営市の南望山彫刻公園の入口に建設した慰安婦追悼碑「正義碑」を見て回った。

河瀬氏は「おばあさんが思ったより健康で、安心した」「いつまでも元気だったらいいな」と話した。

彼は13年、記者生活以後ジャーナリストで「柳本飛行場案内板の撤去を考える会」で活動している。


この会は、この飛行場の工事に朝鮮人男性と女性が動員されたという内容などを盛り込んだ案内板を設置したが突然撤去したことをめぐり、様々な批判的な活動を行っている。

一方、河瀬さんの今回の訪問は、聯合ニュースが2013年4月慰安婦追悼正義碑建立ニュースを日本語ニュースで送稿したこと縁になった。

河瀬さんは

「仲間の活動家が資料として出していたが聯合ニュース記事を昨年の秋に見て取材ノートを思い出した」とし

「若い頃は韓国という名前を見慣れずに大きな関心を寄せる事も無かったが、案内板の撤去に関連した活動をしながら興味を持つようになった」と述べた。

日本軍慰安婦と一緒に統営市民の会は、河瀬さんが属しているミーティングの活動に力をボテルできるように、彼は行う運動関連の署名を行い、その結果を日本に送る予定だ。 河瀬さんは、来る15日、ソウル光化門で予定されてセウォル号の惨事1周期文化祭など、国内のイベントに出席し、19日出国する計画である


聯合ニュース
http://goo.gl/KX8PVD

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c38

[戦争b21] 旧日本軍の朝鮮人慰安婦虐殺 映像資料を初公開=ソウル大研究チーム(聯合ニュース) 赤かぶ
14. 中川隆[-5589] koaQ7Jey 2018年3月02日 11:07:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。

そもそも従軍慰安婦は13才、14才から慰安所で働き始めている。

18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。


従軍慰安婦は売春婦か?


日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。


研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。


名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東


*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1


朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。

慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/

『慰安婦』にされた年齢


尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。


11歳  1名
12歳  1名
13歳  1名
14歳  3名
15歳  5名
16歳 16名  ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳  7名  ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳  3名  ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳  3名
20歳  -
21歳  1名  ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳  -
23歳  1名
29歳  1名


*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。

*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)

*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』

コメント一覧


貧寒 2008/09/27 11:07

韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。

2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。

おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。

Stiffmuscle 2008/09/27 21:47

子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。

なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?

相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。

Allen 2008/09/28 16:21

ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・

東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・

日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。

Stiffmuscle 2008/09/29 00:59

「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。

当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。

その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。

まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1


元日本人記者「10代後半の慰安婦20名、強制連行されてきた」2015.04.12

奈良新聞勤務、河瀬俊二氏…慶尚南道統営市を訪問「聯合ニュースの記事を見て来た」

奈良新聞記者出身の日本人活動家が日帝強占期に日本現地軍飛行場の工事現場に連れられてきた朝鮮人男性と慰安婦女性がいたという証言を記録した取材ノートのコピーを慶尚南道党統営市で公開した。

河瀬俊二(67)氏は10日、統営市庁の会見ルームで日本軍慰安婦のお婆さんと共にする統営市民の会の代表とともに記者会見を開き、40年前の取材ノートの一部をコピーした資料を紹介した。

河瀬氏は奈良県の日刊紙の奈良新聞社で1971年から1984年まで13年間記者として勤務した。

彼は1975年8月、日本現地でインタビューした在日朝鮮人の姜正市(当時、65歳)氏の証言などを作成した取材ノートを根拠で、日帝強占期に日本の奈良県天理市「柳本飛行場」工事現場に朝鮮人男性3人が強制的に動員され、女性20人余りが慰安婦として連行されてきたと説明した。


http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-05.jpg
http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-06.jpg


原本は別に保管しているが、全体の分量が数百ページだ。 二重の朝鮮人強制被害に対する部分は20ページほどだ。

取材ノートには手で描いた施設物の配置図なども含まれているが、現在、飛行場施設配置図と比較すれば、相当部分が一致する。

慰安婦女性20人のうち半分は統営、その残りは晋州出身だ。

彼らのほとんどの年齢が10代後半ということ以外に名前など具体的な名簿と住所は確認されなかったと説明した。

河瀬氏は「慰安所が軍人たちが利用したかどうか対しては、被害当事者証言がないため、確認できず、工場労働者が利用したと結論を下した」と話した。

ただ「慰安所を利用する人が軍人ではなかったとしても位置が海軍管轄地域にいたという点に注目しなければならない」と強調した。


このような取材内容は奈良新聞に連載された。 1985年、1987年、1992年3度にわたって本に出た

河瀬氏は「新聞社の社風が非常に自由であり、在日韓国人問題や差別に対し、自由に取材することができた」と説明した。

河瀬氏は記者会見に続き、慶南道立統営の老人専門病院に入院中の生存最高齢の慰安婦被害者キムボクドゥク(98)おばあさんに会った。

さらに、2年前には市民の会が社会の各界各層の募金で、統営市の南望山彫刻公園の入口に建設した慰安婦追悼碑「正義碑」を見て回った。

河瀬氏は「おばあさんが思ったより健康で、安心した」「いつまでも元気だったらいいな」と話した。

彼は13年、記者生活以後ジャーナリストで「柳本飛行場案内板の撤去を考える会」で活動している。


この会は、この飛行場の工事に朝鮮人男性と女性が動員されたという内容などを盛り込んだ案内板を設置したが突然撤去したことをめぐり、様々な批判的な活動を行っている。

一方、河瀬さんの今回の訪問は、聯合ニュースが2013年4月慰安婦追悼正義碑建立ニュースを日本語ニュースで送稿したこと縁になった。

河瀬さんは

「仲間の活動家が資料として出していたが聯合ニュース記事を昨年の秋に見て取材ノートを思い出した」とし

「若い頃は韓国という名前を見慣れずに大きな関心を寄せる事も無かったが、案内板の撤去に関連した活動をしながら興味を持つようになった」と述べた。

日本軍慰安婦と一緒に統営市民の会は、河瀬さんが属しているミーティングの活動に力をボテルできるように、彼は行う運動関連の署名を行い、その結果を日本に送る予定だ。 河瀬さんは、来る15日、ソウル光化門で予定されてセウォル号の惨事1周期文化祭など、国内のイベントに出席し、19日出国する計画である


聯合ニュース
http://goo.gl/KX8PVD

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/714.html#c14

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
39. 中川隆[-5588] koaQ7Jey 2018年3月02日 11:16:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

みんな詐欺師の自称歴史学者 秦郁彦に騙された

従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのが詐欺師 秦郁彦の本

吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。

 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、

「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。

 日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。

 それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。


そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。

 済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。

 ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
 案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。


秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。

 「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。

 秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
 厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。

 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
   吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
   その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。

動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

   番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは

  「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」


と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。

もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。

  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」

この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。

   韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。

   そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」


アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
   んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
   さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
   ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
   が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。

この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。

なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17

資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。

引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師


『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う


「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
 「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)

 「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)

 『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。

宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
 
その1 
 秦稿112ページに次のような部分がある。

 松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。

 まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒  投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒


その3
 秦稿118ページに次のようにある。

 宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。

 それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。

 宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。

つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html


嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ

hangul 2007/08/04 00:59

ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。


○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。


○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。

 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。

つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。

 安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、

「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」

と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。


 安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。


 「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、

『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』

と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で

『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』

と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」

 http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20

 貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。

 加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。

 「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。


 従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。

 最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が

「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」

と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。


 東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が

「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」

と証言していたことも報じている。

 安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。

 731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。

 古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。

 重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21

秦郁彦が触れていない『吉田証言』


国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で

I remind you that I informed that Yoshida was a "professional" liar,

吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?


とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。


秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。

だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。

従軍慰安婦の悲劇


 『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。

一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。

この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。


 この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、

私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。

そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。

 下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。

そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。

(略)

 その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』

いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。

だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・

・・・彼が


「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」

と言うので、

「では全羅南道の話はすべて真実か」

と聞くと、

「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」

と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。


 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。


____


 吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、

『すべて真実か』

と聞くのも変だし、吉田さんが

『他の場所での話しが混ぜてある』

と答えるのも辻褄が合わない。

だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?

 まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?

それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?

やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?

吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1


1991.5.22朝日新聞(大阪版)


 「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。

1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。


 「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。

政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。

慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」

と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。


 吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。

86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)

 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。

従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、


私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。

そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。

下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。


 10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

Stiffmuscle 2007/08/02 22:37

慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、

「そんなことを言うな!」

と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。

逸話が証拠になるか?

と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。

海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。

hokke-ookami 2007/08/04 08:03

「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……

手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。

階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。

ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

Stiffmuscle 2007/08/02 15:25

吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。


クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。

にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由


「慰安婦」は商行為か?  上杉聰 


 〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を

「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」

と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。

現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。

だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。


 性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。

もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

yamaki622 2007/08/03 23:01

「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……

韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。

うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。

秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。

__________

真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)


Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。


Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune - April 28, 2007)
 名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち

「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」

と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。

「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」

被害者が沈黙して語れない理由


軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。


各戦闘勢力からの圧力、

政府からの圧力、

家族からの圧力、もしくは

地域社会からの圧力、


これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。

暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。

性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感−拒否、疎外、離婚を招くこと、

結婚生活には不向きだと言われること、

経済的・社会的悪影響など−

のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。


虐待の現実

1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。

これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患−中には生命に関わるほどのものもあった−を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)


Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。

日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。

ふざけるな!と言いたいです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)

2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]


>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)

2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]


>慰安婦が白眼視された社会状況無視、

わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。

あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。


>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。

2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。

   ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。

   その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。


田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、

洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」

と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。

   もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。


  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」


この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。

韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。

そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」

男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」

アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」

男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・

結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」

ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」


(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。


さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |


3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない


吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。

吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。

自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。 :


朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 吉田 清治 (著) 発売日: 1977/03
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1324384207&sr=1-3

私の戦争犯罪 吉田 清治 (著) 発売日: 1983/7/1
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4380832317

吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」


吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定


若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。

娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・

女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html


「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」(北海道新聞、92.2.25)。

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117


吉田清治さんは『私の戦争犯罪』(1983年)中の「第3話 済州島の慰安婦狩り」という章で、労務報国会下関支部の動員部長だった自分がどのように慰安婦“狩り”を行ったかを告白している。彼は済州島に駐屯していた日本陸軍の協力で11人の歩兵と軍用トラック2台を得た。

吉田清治さんの戦争犯罪の告白


1943年5月、このころ朝鮮人は日本軍にひっぱられれば彼らの“えじき”になると思っていた。吉田の徴用隊は


まず帽子をつくる家を襲撃して2、30人の女性のうち8人を連行した。

女性たちが悲鳴をあげるや4、5人の強壮な朝鮮人の男たちが道をふさいだ。

銃剣でおどしても男たちは手を振り上げ朝鮮語で必死に抗議した。

隊員たちが銃剣を突き付けるとようやく逃げて行った。

「アイゴ、アイゴ」と泣き叫ぶ女性たちをトラックに押し込んだ。

トラックは林の中に入って行った。

吉田は徴用隊長の依頼に従って隊員たちにたった今捕らえてきた女性たちと“遊ばせ”た。


 城山浦のボタン工場でのことだ。

ためらう社長をどなりつけて工場の中に入った。女工たちは30人ほどだった。

徴用隊が「作業停止!」と叫ぶや女性たちは悲鳴をあげた。

慰安婦の女性を選別していると、一人の老婆が隊員の腕にしがみついた。横にいたほかの隊員が老婆の頭にまいていた手拭をつかんで頬を殴りつけた。

妊娠中でおなかの大きな女性のスカートを捲りあげて下着に隠されたおなかを見た。年のいった女工が吉田に駆け寄って

「朝鮮の女をどうするのですか!」

と日本語で抗議した。吉田は

「戦争のためだ、じゃまするな!」

と怒鳴り、女工は朝鮮語で泣き叫びながら吉田に抗議し続けた。吉田は彼女を押しのけ、別の徴用隊員が彼女の顔を殴った。

この工場での「収穫」は16人だった。門の横で見守っていた社長は言葉もなく行ってしまった*3。・・・・・・

尹貞玉 他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題』、三一書房、1992年、32〜33ページ

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1#tb


 吉田清治の証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。

 そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。

 これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。

 そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。

 証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26〜27)

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

ところで、N.Mさんはこれまでに何回となく吉田証言は嘘だと断言し、それを前提として議論を展開されていますが、これって、何か証拠があるんですか?

私の知る限り、今までのところそんなものは出ていないと思うんですが。

ここで、邪推される前に吉田証言に関する私の見解を明らかにしておきますが、私としては、吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されているので、証言としては使えない(無価値である)と考えています。しかし、嘘だと断定しうるほどの根拠もないし、真偽については今のところ不明としか言いようがない、と思います。


_______

吉田証言が否定されたなら、これまで報道してきた責任上、読者にそう報道すべきでしょう。途切れてしまって、何ら報告のない限り、吉田清治ばりの公的な機関が公的な命令で「奴隷狩り」のような方法で韓半島において女性を集めたという報道が、そのままに信じられる危険性があるのです。

________

明白に「否定された」のならそのとおりでしょうね。しかし、前回も書いたとおり、吉田証言は証言としては*使えない*ものの、決定的な反証が出たわけでもない真偽不明の状態ですから、拙速に「否定された」などと報道するわけにはいかないと思いますよ。


___________

はあ? 吉田証言のポイントは、日本の官憲が慰安婦の強制連行(それも直接的暴力による連行)を行った、ということでしょう? クマラスワミ報告書には秦氏の反論として、


「…博士の説明では、彼は1991〜1992年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。…」


と記載されています。徴集の主犯は朝鮮人である区長や親たちであったという主張が、官憲による暴力的連行を証言する吉田氏への反論になっていないとは、何のことだか全く理解できません。


 これに関して、秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋社では、秦氏の済州島における調査の結果ととも次のように証言の問題点について述べています。


(1) 慰安婦狩りの命令は

西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田

のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない。もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずだと関係者が述べている。


(2) 第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、一九七七)には、四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、第二作(一九八三)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。


(3) 第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。(p.336)


このあたりについては、吉田氏自身、時と場所が異なる事件を出版社の要請に応じて一つにまとめるなどの改変を行っていることを認めているんですから、矛盾がどうのと言ってみても無意味では。

繰り返しになりますが、こういう矛盾の有無の検証とか、現地調査との突き合わせとかは、吉田氏が自分の体験を(時と場所の特定を含めて)正確に話してくれない限りできないのであって、だから吉田証言は現状のままでは証言としては使えず、無価値であると言っているんですよ。


それで、「吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されている」ということは、「吉田証言」は紛れもない「嘘」ではないですか。「改変」でしょう。記憶が曖昧なのではなく、そこに意図が働いているわけですから、「嘘つき」ということではないですか。


________

あれ?

N.Mさんが言う「嘘」って、吉田氏が証言中の「時」とか「場所」を偽っている、などというレベルのことだったんですか?


私はてっきり吉田氏が実行したという「慰安婦狩り」そのものが事実無根の真っ赤な嘘だとおっしゃっているんだと思ってたんですが。

N.Mさんの言う「嘘」がその程度のものなら、この件に関して私とN.Mさんの間に意見の相違はないことになってしまうんですが、そうなんですか?


では、なぜ「吉田証言」が「クマラスワミ報告書」に取り上げられたのでしょう。無価値で真偽も不明で、まともな学者は誰も相手にしていないのでしょう。どうして取り上げられたのですか?


_________

まともな研究者は「相手にしていない」のではなくて、重要視していない、のです。吉見氏らは、別に吉田証言を嘘だと決め付けたりしているわけではありません。例えば、上杉聰氏は次のように述べています:

吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、「時と場所」という歴史 にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない というのが私の結論であるし、吉見教授も同意見と思われる。 …

多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。

吉見氏の意見は次のとおりです:

証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

しかし、だからといって、朝鮮では強制連行がなかったといえないことは1でのべた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募が行われたかという実態究明は、今後の課題として残っている。


[1] 吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 p.15
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm#fj971027

           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |

4.吉田清治を詐欺師だと断じた なんちゃって教授 秦郁彦の証拠捏造の手口

産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、一個人の独断の域を出るものではない。 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。  しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。  

案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。  吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


Stiffmuscle 2007/08/03 23:11

『 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。

 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。(232ページ)』

この後、新聞記事の話になります。調査ってこれだけ?ってことでしょうね・・・


Stiffmuscle 2007/08/03 23:29

秦先生は吉田氏と直接会ったことはなかったみたいです。長時間の電話インタビュー(秦の言)を1992年に2回、1996年、1997年と1998年にそれぞれ1回、計5回行ったのがコンタクトの全てのようです。


秦氏は吉田氏と直接面会したことはなく、電話で5度インタビュー(吉田証言否定までには2度のみ)しただけ。

1992年 3月13日
1992年 3月16日
1996年 3月27日
1997年 4月 6日
1998年 9月 2日

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判 林博史


 引用の恣意性もひどい。西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて

「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(二四二頁)

と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。


 この聞き取りには私も同席していたが、西野氏の本ではその引用された言葉の後に

「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」

と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (著) の書評


反論の為の内容のない本, 2007/5/11 By アマゾン太郎 "慰安婦の本はかなり読んだが"

慰安婦について吉見義明と違う見方を示すある意味貴重な本だが、内容はどうだろうか?

著者の関心は慰安婦自体にはなく、吉見義明への反論にしかないように見える。

この本自体では慰安婦がどういう生活をしていたか、慰安所という仕組みがどのように作られたか全く見えてこない。結局この本の価値は最後の7つの論争点にしかないように思う、しかしそれも2007年の今となっては産経新聞などで聞き飽きたものであり、時間が経つにつれ内容の貧困さが顕わになってきたように感じられる。

また反論を提起するそうした内容自体についても憶測、伝聞などはっきりしない書き方が多くて、そもそもこれが研究と言えるのか?という感じが否めない。これは私1人の感想ではなく例えば刑法学者の前田朗は戦争責任研究という雑誌で同じ事を書いていることである。

いわゆる自由主義史観論者の中でただ1人研究者として慰安婦について本を書いた訳だが、秦氏は慰安婦がどの位行動の自由があったか、いくら収入があったか示せず具体的に示せず、その力の限界を露呈したように感じた。

期待はずれ、やや力不足なり, 2007/5/16 By 相田祐治

日米開戦や蘆溝橋事件などの緻密な研究を予想したが、期待はずれだった。 文献引用は多いが実際の調査に基づくものではなく、資料研究の域を出ていない。

肝心の慰安婦の生態についても同様で、あまり細かい説明はなく、なにか読み物(小説)のような感じを受ける。この感覚は千田夏光などの1970年代の本と同様であり内容自体も同じとも言える。

秦氏が力を入れているのは、国連の報告書の批判や、吉田清治の嘘の告発、他国の似た制度の話だが、現在では強制連行があったか否か・性奴隷なのか売春婦なのかが焦点となっておりこの点でも期待はずれだった。

元兵士などへのインタビューなどもあるが決定打に欠け結局結論が出ず終いである。やはり秦氏には慰安婦はやや専門外だったという印象だ。

なぜ兵士の証言は採用するのか?, 2007/5/23 By Salute

今や右派雑誌?「諸君!」の常連執筆者となり完全に自自由主義史観論者となってしまった歴史家の過去の著作。

この当時はまだ現在のような詭弁的な論は立てておらず、この本は慰安婦についてある見方に立ってかなり網羅的に書かれている。しかし時期が古いためか、著者としても自信がないためか、強制連行はあったのか?証言は信用できるのか?など疑問点についてきちんと答えておらず曖昧な印象を受ける。

秦氏は証拠資料の調査に基づくいわゆる実証主義の歴史家(証拠のある歴史)と言われ、この本でもそれが期待されるが、慰安婦関係の多くの政府・軍資料の検討・批判はなぜか行われていない。また秦氏がいう所の民間業者が軍相手に抱えている慰安婦の存在に関する一次資料は、まったく登場せず、この点では残念ながら実証主義とは言えない。

代わって秦氏が採用したのは、当時の兵士の体験・証言であり、それまでの秦氏ならば採用しない口伝に基づいた慰安婦の歴史が記されるのは驚きだ。なぜなら、秦氏は一方では元慰安婦の証言を、様々理由で怪しいとしており、元兵士の証言は信用するが、元慰安婦の証言は信用しないというダブルスタンダードが採用されているからだ。

この点に気付くとこの本の信頼性には首をひねらざるを得ない。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4106005654/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R12IQG6AAM6LVW

『済州島新聞の吉田清治記事』


秦郁彦著 『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)232〜233ページより引用

1989年に吉田〔清治〕著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ。


 『開放解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏づけの証言がなく、波紋をひろげている。(ついで吉田著の概容を紹介)

 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

 郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している」』


秦先生の翻訳と重なる部分(akiraさんによる記事の全訳より)


 『解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。


 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)』


産経の阿比留記者が引用した翻訳

で、「日韓誤解の深淵」には、この吉田氏の本の韓国語訳が出版された際の地元紙、「済州新聞」(1989年8月14日付)の記事が西岡氏によって日本語訳されたものが載っています。それは次のような内容でした。


 《解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。

 城山里の住民のちょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。

 郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。》

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/200707

週刊新潮 1995年1月5日号の秦先生の言

「済州島での実地検証の結果は、吉田証言を裏付ける話は何一つ出てこないだけでなく、郷土史家の金奉玉氏は、吉田本の翻訳が出た後、何年も追跡調査をした結果、”そんな事実はなかった”と断定し、”あの本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物”とこき下ろしている。」(秦郁彦氏)


(WiLL 8月増刊号『「従軍慰安婦」と断固、戦う!』(2007年、ワック・マガジンズ、122ページ)


編集者の二重引用符のつけ方が悪いのかもしれないが(なぜ””なのかも理解できない)、秦先生自身が微妙に言を変えているのが気になる。他の記事での発言はどうなっているのだろう?元慰安婦の証言を「身の上話」としてわずかな表現の食い違いを指摘して、慰安婦の証言に疑問を投げかけてきた先生だけに、自分の言にも常に寸分違わぬほどの正確さを求めないと、ダブル・スタンダードですし、そんなお粗末なことをおやりになるはずないのに不思議です。


hangulさんからのご指摘

第3段落の後半部、「城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)」については細かいですが「城山里の住民チョン・オクダンさん(85歳)」が正しいです。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。

「事実無根の部分もあった」 → 「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…


yamaki622 2007/08/02 10:29

済州新聞の日本語訳の元ネタは、西岡力の著書『日韓誤解の深淵』(1992年)のようです↓

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070324/


ただし西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。西岡氏も秦センセイと同様、慰安婦の強制性否定論者です。秦センセイは、お仲間の著書から引用を改ざんして載せたようです。無茶苦茶ですね。


阿比留記事を紹介してくださったyamaki622さんからのご指摘

西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。


わたしが疑問に思ったこと。

金学順さんが名乗り出られた1991年以前に書かれた記事(1983年)であること。

慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。

こういう肝心な部分は引用しないのは何故でしょうか?

ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

新聞記事の切れた部分には何が書いてあったのか?


akira 2007/07/31 12:14

(新聞の全訳)(左から1列目)

 日帝済州で慰安婦205人徴発していた。

 日本人手記「私は朝鮮の人をこのように...」波紋

 解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 42年から敗戦する時まで約3年の間山口懸労務報国会の動員部長として朝鮮の人々を徴用することに従事した吉田清治氏の戦争犯罪記録”私は朝鮮の人をこのように捕まえて行った”がそれで清渓研究所現代史研究室により83年版を翻訳発刊したこと。

 ここには「光州での男性強制連行」と「済州道での慰安婦狩り」に対してついて引っ張って行った当時を記述している。
 この記録によれば

△皇軍慰問朝鮮人女挺身隊200人
△年齢! 18才以上30才未満
△身体健康な者
△期間1年
△給与月30円
△準備金で前金20円
△勤務地中支方面
△動員地域朝鮮全羅南道済州.....


(真ん中の見出し)
 住民たち”ねつ造”... 日本 破廉恥 商業主義に憤慨
 著者は当時山口県労務報国会動員部長.
 ”城山浦ボタン工場・オンポ・ポブァン里などで強制徴用”主張...

(左から2列の下段)
 女たちをみんな捕まえてのせて、車の速力を高めてそこを離れた。高い岩山の間を貫かれた道を帰るやピヤン島が見えた。広い海には帆船らがじょじょに浮かんでいたし水平線はとぎれとぎれに.......

(左から3列目)
 ...を迎えながら組合長だと挨拶した。私は直ちに組合長に口頭で通告した。この工場で二十歳ぐらいになる女たちを徴用する、直ちに工場中を見て回れ、女たちも協力しろ!” (済州道での慰安婦狩り”一部).

 わいせつで排他的な表現までそのまま使ったのだ。

 ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........


(左から4列目)

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。

 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)

※だいたいこんな感じの記事です。


コメント一覧

hangul 2007/07/31 00:56

第2段落と第3段落の前半は記事の下の部分が切れているので判読できません。

最終段落について郷土史学者のコメントをすべて示すとこうです。

「日本人たちの残酷性や没良心的な一面をそのまま現したものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない言葉をそのまま書いたという意味で(この吉田の本に:hangul注)本という名前を付けることもできない。83年の原本が出た時、何年か追跡した結果、事実無根の部分も(!:hangul注)あった。むしろ、彼らのあくどい面を現した道徳性が欠如した本として、薄っぺらい記述がある面も加味して見る」と憤慨した。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
さしあたってこんなところでしょうか。


hangul 2007/07/31 01:07

分かりにくかったかもしれないので補足を。


・「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…


・こりゃ歴史学者失格でしょう

akira 2007/07/31 08:59

しかし、「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」はひどいですね。

Stiffmuscle 2007/07/31 09:04

やっぱり捏造やトンデモ解釈があったんですね。

もう陰謀論者じゃないですか、吉田清治さんひとりを社会的に葬り去っただけでなく、嘘の歴史を作り上げ、多くの日本人を騙し、慰安婦たちの苦しみを増やした。

2,3段落も、わざと切り取ったんじゃないか?と邪推さえしたくなります。

hokke-ookami 2007/08/01 07:58

「事実無根の“部分”もあった」というのが郷土史家の意見ならば、吉田証言には出版時の編集が入っているという吉見教授らの指摘と同じで、妥当ですね。

そもそも吉田証言は従軍慰安婦問題と全く別個に出版された個人的な戦記であり、出版社から内容に編集を加えるよう意見があったと本人が証言しており、「軽薄な商売的な面が追加されたものと見る」といった部分も当を得ていると思います。

http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm


日本歴史学で主流の見方と同じような韓国郷土史家の意見に対し、翻訳時に秦教授の考えと合うようにずらしていった感じですね。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:10

しかし、肝心な部分を捏造して、自論を補強するのは、秦先生の常套手段です。ほんとに悪質。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:15

hangulさんが具体的に問題点を指摘してくださったので、この新聞記事に関する秦捏造の本質がよく見えてきました。金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思います。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

西岡ネタの改竄ですかw しかも、真相を載せたのがアヒルさんってのも素敵w


Stiffmuscle 2007/08/03 21:14

秦氏が後に吉田氏に電話で確認したところ、慰安婦の強制連行は

「済州島ではなく、全羅南道でのできごとだった。」

と吉田氏は話したそうですが、この真偽は秦氏に直接訊かない限りわかりません。どちらにしても、それについて秦氏は調査をしていないわけで、どのみち、都合のよいところ取りを重ねただけの結果になりますので、最近では、この話自体を秦氏が持ち出していないようです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


yamaki622 2007/08/02 17:39

「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」というのが”通説”になってますから、Stiffmuscleさんに問題提起していただいてなければ、まったく気づかないところでした。

それから、hokke-ookamiさんやStiffmuscleさんも言及なさっている件で、私もこの問題に詳しくない方のために書いておきたいのですが、吉見義明教授は「吉田さんのこの回想は証言としては使えない」としながらも「真偽は不明」としています。秦氏のように虚偽だとは言っていません。詳しくは

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm

をご覧ください。


hangul 2007/08/02 18:02

Stiffmuscleさん
>金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思>います

この指摘は重要だと思います。名乗り出ることの勇気をふまえて、この記事は解釈されるべきでしょう。

否定派がよく言うように、85歳の女性の証言だけでなくその背景を押さえることが大切だと思います。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

のサイトに、「現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、

「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」

と聞かれ、答えに窮したという」とあったのですが、これが本当だとしたらもう訳が分からなくなってきます。

何重の嘘を重ねているのでしょうか、秦先生は?

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

秦郁彦のいい加減な検証では吉田証言を否定する根拠にはならない。
韓国語も知らないで無謀にも現地調査に行った秦は、通訳にだまされたのかもしれない。

2007/5/22(火) 午後 11:39 [ furuhausu66 ]


秦郁彦氏の「済州島調査」には非情に大きな疑義を抱かざるを得ません。


・『済州島新聞』記事にたいする秦氏の翻訳の決定的な間違い。

・新聞記事は金学順さんが韓国人元慰安婦として初めて勇気ある名乗りをされた以前のものであること。

などを見出しており、なお研究中です。

2007/8/4(土) 午後 11:37 [ Stiffmuscle ]


秦郁彦氏の「済州島調査」は、極めて粗雑なものです。韓国語を解さない資質上の問題、慰安婦が白眼視された社会状況無視、さらに、先に結論ありきの論理構成など学術的な調査とは程遠いものです。

その後の彼の、特定の保守系紙と結びついたデマゴーグ的立場は偶然ではないでしょう。吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

2007/8/6(月) 午後 9:07

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |

吉田清治(ヨシダ・セイジ) ◆◆◆

1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/


【年表】秦郁彦と吉田清治

1977/03/01 吉田清治 『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)発行
1983/07/31 吉田清治 『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(三一書房)発行
1983/12/ 吉田清治 天安市の国立墓地に「謝罪碑」を建てるため訪韓
1983/11/10 朝日新聞(「ひと」欄) 吉田清治氏が韓国に謝罪碑を建てるニュースの紹介
1989/08/ 吉田清治 吉田著、韓国語で出版(青渓研究所現代史研究室)
1989/8/14 済州新聞(韓国) 吉田著の書評を掲載
1991/08/11 朝日新聞 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出し。 元慰安婦で初めて名乗り出た金学順さんについての記事
1991/08/14 金学順 ソウルで記者会見
1992/01/23 朝日新聞(夕刊) 吉田清治さんへのインタビュー
1992/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(1)
1992/03/16 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(2)
1992/03/29 秦郁彦 済州島に到着、調査を行う
1992/04/30 産経新聞 秦氏の済州島での調査結果を報道。

『儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のりでないのは当然』

との吉田談

1992/05/25 朝日新聞 吉田氏が、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事
1992/05/ 秦郁彦 『正論』6月号で、済州島での実地調査を発表。
1992/08/12 吉田清治 訪韓し、金学順さんに謝罪
1992/11/24 週刊新潮 吉田氏が93年春に訪米し、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定との内容含む
1992/12/24 1992/12/31 週刊新潮 吉田氏の

「私が書いたことは全部事実、
しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。」

との内容を含む 
   
1993/02/ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う(下)』発行
1995/01/ 週刊新潮 1月5日号で「吉田清治の証言は事実無根である事が判明したとの記事を掲載
1996/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(3)
1996/05/ 週刊新潮 5月2日/9日号で、吉田清治氏へのインタビュー。

吉田氏は著書の一部に創作があったと話す。

1997/03/31 朝日新聞 吉田氏についての記事。

「真偽は確認できない。」
「済州島の人たちからも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ていない』などの記述

1997/04/06 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(4)
1998/09/02 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(5)
1998/10/ 秦郁彦 『諸君!』11月号で、
吉田清治氏本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる
  
1999/06/30 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)発行。『済州新聞』の吉田著書評の和訳あり

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070802

秦郁彦の著作に対する批評がまとめてあるブログ


碧猫さんの『13日の水曜日』 「無かった」を主張する歴史学者について
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-205.html

hokke-ookamiさんの『法華狼の日記』

秦郁彦教授は本当に……
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070719/1184904208

秦郁彦教授の評価が下落中…… (2007年8月4日追加)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070801/1185924345


yamaki622さんの『blog*色即是空』

秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070616/p1

金学順さんが「キーセンハウス」に売られたというウソ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070724/p1

『Stiffmuslceの日記』 どくしょのじかん 

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070716/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070717/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070721/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070722/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070723/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070724/p1

           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |


従軍慰安婦強制連行の吉田清治証言はやはり事実だった:


経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c39

[戦争b21] 旧日本軍の朝鮮人慰安婦虐殺 映像資料を初公開=ソウル大研究チーム(聯合ニュース) 赤かぶ
15. 中川隆[-5587] koaQ7Jey 2018年3月02日 11:17:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

みんな詐欺師の自称歴史学者 秦郁彦に騙された

従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのが詐欺師 秦郁彦の本


吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。

 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、

「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。

 日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。

 それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。


そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。

 済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。

 ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
 案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。


秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。

 「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。

 秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
 厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。

 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
   吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
   その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。

動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

   番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは

  「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」


と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。

もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。

  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」

この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。

   韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。

   そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」


アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
   んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
   さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
   ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
   が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。

この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。

なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17

資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。

引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm


秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師


『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う


「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
 「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)

 「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)

 『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。

宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
 
その1 
 秦稿112ページに次のような部分がある。

 松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。

 まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒  投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒


その3
 秦稿118ページに次のようにある。

 宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。

 それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。

 宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。

つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html


嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ


hangul 2007/08/04 00:59

ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。


○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。


○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。

 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。

つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。

 安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、

「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」

と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。


 安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。


 「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、

『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』

と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で

『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』

と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」

 http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20

 貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。

 加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。

 「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。


 従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。

 最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が

「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」

と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。


 東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が

「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」

と証言していたことも報じている。

 安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。

 731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。

 古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。

 重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21

秦郁彦が触れていない『吉田証言』


国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で

I remind you that I informed that Yoshida was a "professional" liar,

吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?


とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。


秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。

だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。


従軍慰安婦の悲劇


 『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。

一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。

この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。


 この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、

私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。

そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。

 下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。

そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。

(略)

 その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』


いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。

だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・


・・・彼が


「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」

と言うので、

「では全羅南道の話はすべて真実か」

と聞くと、

「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」

と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。


 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。


____


 吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、

『すべて真実か』

と聞くのも変だし、吉田さんが

『他の場所での話しが混ぜてある』

と答えるのも辻褄が合わない。

だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?


 まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?

それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?

やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?

吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

1991.5.22朝日新聞(大阪版)


 「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。

1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。


 「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。

政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。

慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」

と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。


 吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。

86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)

 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。

従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、


私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。

そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。

下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。


 10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/


Stiffmuscle 2007/08/02 22:37

慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、

「そんなことを言うな!」

と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。


逸話が証拠になるか?

と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。

海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。

hokke-ookami 2007/08/04 08:03

「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……

手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。

階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。

ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

Stiffmuscle 2007/08/02 15:25

吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。


クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。

にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由


「慰安婦」は商行為か?  上杉聰 


 〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を

「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」

と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。

現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。

だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。


 性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。

もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

yamaki622 2007/08/03 23:01

「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……

韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。

うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。

秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。


__________


真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)


Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。


Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune - April 28, 2007)
 名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち

「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」

と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。

「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」

被害者が沈黙して語れない理由


軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。


各戦闘勢力からの圧力、

政府からの圧力、

家族からの圧力、もしくは

地域社会からの圧力、


これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。

暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。

性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感−拒否、疎外、離婚を招くこと、

結婚生活には不向きだと言われること、

経済的・社会的悪影響など−

のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。

虐待の現実

1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。

これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患−中には生命に関わるほどのものもあった−を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)

Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。

日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。

ふざけるな!と言いたいです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)

2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]

>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)

2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]

>慰安婦が白眼視された社会状況無視、

わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。

あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。


>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。

2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。

   ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。

   その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。


田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、

洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」


と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。

   もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。


  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」


この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。

韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。

そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。


アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」

男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」

アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」

男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・

結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」


アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」

ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」


(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん


このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。


さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117


           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |


3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない


吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。

吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。

自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。 :


朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 吉田 清治 (著) 発売日: 1977/03
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1324384207&sr=1-3

私の戦争犯罪 吉田 清治 (著) 発売日: 1983/7/1
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4380832317

吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」


吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定


若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。

娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・

女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」(北海道新聞、92.2.25)。

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

吉田清治さんは『私の戦争犯罪』(1983年)中の「第3話 済州島の慰安婦狩り」という章で、労務報国会下関支部の動員部長だった自分がどのように慰安婦“狩り”を行ったかを告白している。彼は済州島に駐屯していた日本陸軍の協力で11人の歩兵と軍用トラック2台を得た。


吉田清治さんの戦争犯罪の告白


1943年5月、このころ朝鮮人は日本軍にひっぱられれば彼らの“えじき”になると思っていた。吉田の徴用隊は


まず帽子をつくる家を襲撃して2、30人の女性のうち8人を連行した。

女性たちが悲鳴をあげるや4、5人の強壮な朝鮮人の男たちが道をふさいだ。

銃剣でおどしても男たちは手を振り上げ朝鮮語で必死に抗議した。

隊員たちが銃剣を突き付けるとようやく逃げて行った。

「アイゴ、アイゴ」と泣き叫ぶ女性たちをトラックに押し込んだ。

トラックは林の中に入って行った。

吉田は徴用隊長の依頼に従って隊員たちにたった今捕らえてきた女性たちと“遊ばせ”た。


 城山浦のボタン工場でのことだ。

ためらう社長をどなりつけて工場の中に入った。女工たちは30人ほどだった。

徴用隊が「作業停止!」と叫ぶや女性たちは悲鳴をあげた。

慰安婦の女性を選別していると、一人の老婆が隊員の腕にしがみついた。横にいたほかの隊員が老婆の頭にまいていた手拭をつかんで頬を殴りつけた。

妊娠中でおなかの大きな女性のスカートを捲りあげて下着に隠されたおなかを見た。年のいった女工が吉田に駆け寄って

「朝鮮の女をどうするのですか!」

と日本語で抗議した。吉田は

「戦争のためだ、じゃまするな!」

と怒鳴り、女工は朝鮮語で泣き叫びながら吉田に抗議し続けた。吉田は彼女を押しのけ、別の徴用隊員が彼女の顔を殴った。

この工場での「収穫」は16人だった。門の横で見守っていた社長は言葉もなく行ってしまった*3。・・・・・・

尹貞玉 他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題』、三一書房、1992年、32〜33ページ

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1#tb

 吉田清治の証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。

 そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。

 これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。

 そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。

 証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26〜27)

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

ところで、N.Mさんはこれまでに何回となく吉田証言は嘘だと断言し、それを前提として議論を展開されていますが、これって、何か証拠があるんですか?

私の知る限り、今までのところそんなものは出ていないと思うんですが。

ここで、邪推される前に吉田証言に関する私の見解を明らかにしておきますが、私としては、吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されているので、証言としては使えない(無価値である)と考えています。しかし、嘘だと断定しうるほどの根拠もないし、真偽については今のところ不明としか言いようがない、と思います。


_______


吉田証言が否定されたなら、これまで報道してきた責任上、読者にそう報道すべきでしょう。途切れてしまって、何ら報告のない限り、吉田清治ばりの公的な機関が公的な命令で「奴隷狩り」のような方法で韓半島において女性を集めたという報道が、そのままに信じられる危険性があるのです。


________


明白に「否定された」のならそのとおりでしょうね。しかし、前回も書いたとおり、吉田証言は証言としては*使えない*ものの、決定的な反証が出たわけでもない真偽不明の状態ですから、拙速に「否定された」などと報道するわけにはいかないと思いますよ。


___________


はあ? 吉田証言のポイントは、日本の官憲が慰安婦の強制連行(それも直接的暴力による連行)を行った、ということでしょう? クマラスワミ報告書には秦氏の反論として、


「…博士の説明では、彼は1991〜1992年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。…」


と記載されています。徴集の主犯は朝鮮人である区長や親たちであったという主張が、官憲による暴力的連行を証言する吉田氏への反論になっていないとは、何のことだか全く理解できません。


 これに関して、秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋社では、秦氏の済州島における調査の結果ととも次のように証言の問題点について述べています。


(1) 慰安婦狩りの命令は

西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田

のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない。もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずだと関係者が述べている。


(2) 第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、一九七七)には、四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、第二作(一九八三)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。


(3) 第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。(p.336)


このあたりについては、吉田氏自身、時と場所が異なる事件を出版社の要請に応じて一つにまとめるなどの改変を行っていることを認めているんですから、矛盾がどうのと言ってみても無意味では。

繰り返しになりますが、こういう矛盾の有無の検証とか、現地調査との突き合わせとかは、吉田氏が自分の体験を(時と場所の特定を含めて)正確に話してくれない限りできないのであって、だから吉田証言は現状のままでは証言としては使えず、無価値であると言っているんですよ。


それで、「吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されている」ということは、「吉田証言」は紛れもない「嘘」ではないですか。「改変」でしょう。記憶が曖昧なのではなく、そこに意図が働いているわけですから、「嘘つき」ということではないですか。


________


あれ?

N.Mさんが言う「嘘」って、吉田氏が証言中の「時」とか「場所」を偽っている、などというレベルのことだったんですか?


私はてっきり吉田氏が実行したという「慰安婦狩り」そのものが事実無根の真っ赤な嘘だとおっしゃっているんだと思ってたんですが。

N.Mさんの言う「嘘」がその程度のものなら、この件に関して私とN.Mさんの間に意見の相違はないことになってしまうんですが、そうなんですか?


では、なぜ「吉田証言」が「クマラスワミ報告書」に取り上げられたのでしょう。無価値で真偽も不明で、まともな学者は誰も相手にしていないのでしょう。どうして取り上げられたのですか?


_________


まともな研究者は「相手にしていない」のではなくて、重要視していない、のです。吉見氏らは、別に吉田証言を嘘だと決め付けたりしているわけではありません。例えば、上杉聰氏は次のように述べています:

吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、「時と場所」という歴史 にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない というのが私の結論であるし、吉見教授も同意見と思われる。 …

多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。


吉見氏の意見は次のとおりです:

証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

しかし、だからといって、朝鮮では強制連行がなかったといえないことは1でのべた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募が行われたかという実態究明は、今後の課題として残っている。


[1] 吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 p.15
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm#fj971027


           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |


4.吉田清治を詐欺師だと断じた なんちゃって教授 秦郁彦の証拠捏造の手口


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、一個人の独断の域を出るものではない。 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。  しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。  

案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。  吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

Stiffmuscle 2007/08/03 23:11

『 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。

 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。(232ページ)』

この後、新聞記事の話になります。調査ってこれだけ?ってことでしょうね・・・

Stiffmuscle 2007/08/03 23:29

秦先生は吉田氏と直接会ったことはなかったみたいです。長時間の電話インタビュー(秦の言)を1992年に2回、1996年、1997年と1998年にそれぞれ1回、計5回行ったのがコンタクトの全てのようです。


秦氏は吉田氏と直接面会したことはなく、電話で5度インタビュー(吉田証言否定までには2度のみ)しただけ。

1992年 3月13日
1992年 3月16日
1996年 3月27日
1997年 4月 6日
1998年 9月 2日

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判 林博史


 引用の恣意性もひどい。西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて

「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(二四二頁)

と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。


 この聞き取りには私も同席していたが、西野氏の本ではその引用された言葉の後に

「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」

と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (著) の書評


反論の為の内容のない本, 2007/5/11 By アマゾン太郎 "慰安婦の本はかなり読んだが"

慰安婦について吉見義明と違う見方を示すある意味貴重な本だが、内容はどうだろうか?

著者の関心は慰安婦自体にはなく、吉見義明への反論にしかないように見える。

この本自体では慰安婦がどういう生活をしていたか、慰安所という仕組みがどのように作られたか全く見えてこない。結局この本の価値は最後の7つの論争点にしかないように思う、しかしそれも2007年の今となっては産経新聞などで聞き飽きたものであり、時間が経つにつれ内容の貧困さが顕わになってきたように感じられる。

また反論を提起するそうした内容自体についても憶測、伝聞などはっきりしない書き方が多くて、そもそもこれが研究と言えるのか?という感じが否めない。これは私1人の感想ではなく例えば刑法学者の前田朗は戦争責任研究という雑誌で同じ事を書いていることである。

いわゆる自由主義史観論者の中でただ1人研究者として慰安婦について本を書いた訳だが、秦氏は慰安婦がどの位行動の自由があったか、いくら収入があったか示せず具体的に示せず、その力の限界を露呈したように感じた。

期待はずれ、やや力不足なり, 2007/5/16 By 相田祐治

日米開戦や蘆溝橋事件などの緻密な研究を予想したが、期待はずれだった。 文献引用は多いが実際の調査に基づくものではなく、資料研究の域を出ていない。

肝心の慰安婦の生態についても同様で、あまり細かい説明はなく、なにか読み物(小説)のような感じを受ける。この感覚は千田夏光などの1970年代の本と同様であり内容自体も同じとも言える。

秦氏が力を入れているのは、国連の報告書の批判や、吉田清治の嘘の告発、他国の似た制度の話だが、現在では強制連行があったか否か・性奴隷なのか売春婦なのかが焦点となっておりこの点でも期待はずれだった。

元兵士などへのインタビューなどもあるが決定打に欠け結局結論が出ず終いである。やはり秦氏には慰安婦はやや専門外だったという印象だ。

なぜ兵士の証言は採用するのか?, 2007/5/23 By Salute

今や右派雑誌?「諸君!」の常連執筆者となり完全に自自由主義史観論者となってしまった歴史家の過去の著作。

この当時はまだ現在のような詭弁的な論は立てておらず、この本は慰安婦についてある見方に立ってかなり網羅的に書かれている。しかし時期が古いためか、著者としても自信がないためか、強制連行はあったのか?証言は信用できるのか?など疑問点についてきちんと答えておらず曖昧な印象を受ける。

秦氏は証拠資料の調査に基づくいわゆる実証主義の歴史家(証拠のある歴史)と言われ、この本でもそれが期待されるが、慰安婦関係の多くの政府・軍資料の検討・批判はなぜか行われていない。また秦氏がいう所の民間業者が軍相手に抱えている慰安婦の存在に関する一次資料は、まったく登場せず、この点では残念ながら実証主義とは言えない。

代わって秦氏が採用したのは、当時の兵士の体験・証言であり、それまでの秦氏ならば採用しない口伝に基づいた慰安婦の歴史が記されるのは驚きだ。なぜなら、秦氏は一方では元慰安婦の証言を、様々理由で怪しいとしており、元兵士の証言は信用するが、元慰安婦の証言は信用しないというダブルスタンダードが採用されているからだ。

この点に気付くとこの本の信頼性には首をひねらざるを得ない。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4106005654/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R12IQG6AAM6LVW

『済州島新聞の吉田清治記事』


秦郁彦著 『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)232〜233ページより引用

1989年に吉田〔清治〕著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ。


 『開放解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏づけの証言がなく、波紋をひろげている。(ついで吉田著の概容を紹介)

 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

 郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している」』

秦先生の翻訳と重なる部分(akiraさんによる記事の全訳より)


 『解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。


 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)』

産経の阿比留記者が引用した翻訳

で、「日韓誤解の深淵」には、この吉田氏の本の韓国語訳が出版された際の地元紙、「済州新聞」(1989年8月14日付)の記事が西岡氏によって日本語訳されたものが載っています。それは次のような内容でした。


 《解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。

 城山里の住民のちょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。

 郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。》

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/200707

週刊新潮 1995年1月5日号の秦先生の言

「済州島での実地検証の結果は、吉田証言を裏付ける話は何一つ出てこないだけでなく、郷土史家の金奉玉氏は、吉田本の翻訳が出た後、何年も追跡調査をした結果、”そんな事実はなかった”と断定し、”あの本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物”とこき下ろしている。」(秦郁彦氏)


(WiLL 8月増刊号『「従軍慰安婦」と断固、戦う!』(2007年、ワック・マガジンズ、122ページ)


編集者の二重引用符のつけ方が悪いのかもしれないが(なぜ””なのかも理解できない)、秦先生自身が微妙に言を変えているのが気になる。他の記事での発言はどうなっているのだろう?元慰安婦の証言を「身の上話」としてわずかな表現の食い違いを指摘して、慰安婦の証言に疑問を投げかけてきた先生だけに、自分の言にも常に寸分違わぬほどの正確さを求めないと、ダブル・スタンダードですし、そんなお粗末なことをおやりになるはずないのに不思議です。

hangulさんからのご指摘

第3段落の後半部、「城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)」については細かいですが「城山里の住民チョン・オクダンさん(85歳)」が正しいです。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。

「事実無根の部分もあった」 → 「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…

yamaki622 2007/08/02 10:29

済州新聞の日本語訳の元ネタは、西岡力の著書『日韓誤解の深淵』(1992年)のようです↓

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070324/


ただし西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。西岡氏も秦センセイと同様、慰安婦の強制性否定論者です。秦センセイは、お仲間の著書から引用を改ざんして載せたようです。無茶苦茶ですね。

阿比留記事を紹介してくださったyamaki622さんからのご指摘

西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。


わたしが疑問に思ったこと。

金学順さんが名乗り出られた1991年以前に書かれた記事(1983年)であること。

慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。

こういう肝心な部分は引用しないのは何故でしょうか?

ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

新聞記事の切れた部分には何が書いてあったのか?

akira 2007/07/31 12:14

(新聞の全訳)(左から1列目)

 日帝済州で慰安婦205人徴発していた。

 日本人手記「私は朝鮮の人をこのように...」波紋

 解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 42年から敗戦する時まで約3年の間山口懸労務報国会の動員部長として朝鮮の人々を徴用することに従事した吉田清治氏の戦争犯罪記録”私は朝鮮の人をこのように捕まえて行った”がそれで清渓研究所現代史研究室により83年版を翻訳発刊したこと。

 ここには「光州での男性強制連行」と「済州道での慰安婦狩り」に対してついて引っ張って行った当時を記述している。
 この記録によれば

△皇軍慰問朝鮮人女挺身隊200人
△年齢! 18才以上30才未満
△身体健康な者
△期間1年
△給与月30円
△準備金で前金20円
△勤務地中支方面
△動員地域朝鮮全羅南道済州.....


(真ん中の見出し)
 住民たち”ねつ造”... 日本 破廉恥 商業主義に憤慨
 著者は当時山口県労務報国会動員部長.
 ”城山浦ボタン工場・オンポ・ポブァン里などで強制徴用”主張...

(左から2列の下段)
 女たちをみんな捕まえてのせて、車の速力を高めてそこを離れた。高い岩山の間を貫かれた道を帰るやピヤン島が見えた。広い海には帆船らがじょじょに浮かんでいたし水平線はとぎれとぎれに.......

(左から3列目)
 ...を迎えながら組合長だと挨拶した。私は直ちに組合長に口頭で通告した。この工場で二十歳ぐらいになる女たちを徴用する、直ちに工場中を見て回れ、女たちも協力しろ!” (済州道での慰安婦狩り”一部).

 わいせつで排他的な表現までそのまま使ったのだ。

 ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........


(左から4列目)

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。

 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)

※だいたいこんな感じの記事です。

コメント一覧

hangul 2007/07/31 00:56

第2段落と第3段落の前半は記事の下の部分が切れているので判読できません。

最終段落について郷土史学者のコメントをすべて示すとこうです。

「日本人たちの残酷性や没良心的な一面をそのまま現したものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない言葉をそのまま書いたという意味で(この吉田の本に:hangul注)本という名前を付けることもできない。83年の原本が出た時、何年か追跡した結果、事実無根の部分も(!:hangul注)あった。むしろ、彼らのあくどい面を現した道徳性が欠如した本として、薄っぺらい記述がある面も加味して見る」と憤慨した。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
さしあたってこんなところでしょうか。

hangul 2007/07/31 01:07

分かりにくかったかもしれないので補足を。


・「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…


・こりゃ歴史学者失格でしょう

akira 2007/07/31 08:59

しかし、「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」はひどいですね。

Stiffmuscle 2007/07/31 09:04

やっぱり捏造やトンデモ解釈があったんですね。

もう陰謀論者じゃないですか、吉田清治さんひとりを社会的に葬り去っただけでなく、嘘の歴史を作り上げ、多くの日本人を騙し、慰安婦たちの苦しみを増やした。

2,3段落も、わざと切り取ったんじゃないか?と邪推さえしたくなります。


hokke-ookami 2007/08/01 07:58

「事実無根の“部分”もあった」というのが郷土史家の意見ならば、吉田証言には出版時の編集が入っているという吉見教授らの指摘と同じで、妥当ですね。

そもそも吉田証言は従軍慰安婦問題と全く別個に出版された個人的な戦記であり、出版社から内容に編集を加えるよう意見があったと本人が証言しており、「軽薄な商売的な面が追加されたものと見る」といった部分も当を得ていると思います。

http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm


日本歴史学で主流の見方と同じような韓国郷土史家の意見に対し、翻訳時に秦教授の考えと合うようにずらしていった感じですね。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:10

しかし、肝心な部分を捏造して、自論を補強するのは、秦先生の常套手段です。ほんとに悪質。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:15

hangulさんが具体的に問題点を指摘してくださったので、この新聞記事に関する秦捏造の本質がよく見えてきました。金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思います。


Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

西岡ネタの改竄ですかw しかも、真相を載せたのがアヒルさんってのも素敵w

Stiffmuscle 2007/08/03 21:14

秦氏が後に吉田氏に電話で確認したところ、慰安婦の強制連行は

「済州島ではなく、全羅南道でのできごとだった。」

と吉田氏は話したそうですが、この真偽は秦氏に直接訊かない限りわかりません。どちらにしても、それについて秦氏は調査をしていないわけで、どのみち、都合のよいところ取りを重ねただけの結果になりますので、最近では、この話自体を秦氏が持ち出していないようです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

yamaki622 2007/08/02 17:39

「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」というのが”通説”になってますから、Stiffmuscleさんに問題提起していただいてなければ、まったく気づかないところでした。

それから、hokke-ookamiさんやStiffmuscleさんも言及なさっている件で、私もこの問題に詳しくない方のために書いておきたいのですが、吉見義明教授は「吉田さんのこの回想は証言としては使えない」としながらも「真偽は不明」としています。秦氏のように虚偽だとは言っていません。詳しくは

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm

をご覧ください。

hangul 2007/08/02 18:02

Stiffmuscleさん
>金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思>います

この指摘は重要だと思います。名乗り出ることの勇気をふまえて、この記事は解釈されるべきでしょう。

否定派がよく言うように、85歳の女性の証言だけでなくその背景を押さえることが大切だと思います。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

のサイトに、「現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、

「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」

と聞かれ、答えに窮したという」とあったのですが、これが本当だとしたらもう訳が分からなくなってきます。

何重の嘘を重ねているのでしょうか、秦先生は?

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

秦郁彦のいい加減な検証では吉田証言を否定する根拠にはならない。
韓国語も知らないで無謀にも現地調査に行った秦は、通訳にだまされたのかもしれない。

2007/5/22(火) 午後 11:39 [ furuhausu66 ]

秦郁彦氏の「済州島調査」には非情に大きな疑義を抱かざるを得ません。


・『済州島新聞』記事にたいする秦氏の翻訳の決定的な間違い。

・新聞記事は金学順さんが韓国人元慰安婦として初めて勇気ある名乗りをされた以前のものであること。

などを見出しており、なお研究中です。

2007/8/4(土) 午後 11:37 [ Stiffmuscle ]

秦郁彦氏の「済州島調査」は、極めて粗雑なものです。韓国語を解さない資質上の問題、慰安婦が白眼視された社会状況無視、さらに、先に結論ありきの論理構成など学術的な調査とは程遠いものです。

その後の彼の、特定の保守系紙と結びついたデマゴーグ的立場は偶然ではないでしょう。吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

2007/8/6(月) 午後 9:07

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |

吉田清治(ヨシダ・セイジ) ◆◆◆

1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

【年表】秦郁彦と吉田清治

1977/03/01 吉田清治 『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)発行
1983/07/31 吉田清治 『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(三一書房)発行
1983/12/ 吉田清治 天安市の国立墓地に「謝罪碑」を建てるため訪韓
1983/11/10 朝日新聞(「ひと」欄) 吉田清治氏が韓国に謝罪碑を建てるニュースの紹介
1989/08/ 吉田清治 吉田著、韓国語で出版(青渓研究所現代史研究室)
1989/8/14 済州新聞(韓国) 吉田著の書評を掲載
1991/08/11 朝日新聞 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出し。 元慰安婦で初めて名乗り出た金学順さんについての記事
1991/08/14 金学順 ソウルで記者会見
1992/01/23 朝日新聞(夕刊) 吉田清治さんへのインタビュー
1992/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(1)
1992/03/16 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(2)
1992/03/29 秦郁彦 済州島に到着、調査を行う
1992/04/30 産経新聞 秦氏の済州島での調査結果を報道。

『儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のりでないのは当然』

との吉田談

1992/05/25 朝日新聞 吉田氏が、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事
1992/05/ 秦郁彦 『正論』6月号で、済州島での実地調査を発表。
1992/08/12 吉田清治 訪韓し、金学順さんに謝罪
1992/11/24 週刊新潮 吉田氏が93年春に訪米し、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定との内容含む
1992/12/24 1992/12/31 週刊新潮 吉田氏の

「私が書いたことは全部事実、
しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。」

との内容を含む 
   
1993/02/ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う(下)』発行
1995/01/ 週刊新潮 1月5日号で「吉田清治の証言は事実無根である事が判明したとの記事を掲載
1996/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(3)
1996/05/ 週刊新潮 5月2日/9日号で、吉田清治氏へのインタビュー。

吉田氏は著書の一部に創作があったと話す。

1997/03/31 朝日新聞 吉田氏についての記事。

「真偽は確認できない。」
「済州島の人たちからも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ていない』などの記述

1997/04/06 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(4)
1998/09/02 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(5)
1998/10/ 秦郁彦 『諸君!』11月号で、
吉田清治氏本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる
  
1999/06/30 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)発行。『済州新聞』の吉田著書評の和訳あり

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070802


秦郁彦の著作に対する批評がまとめてあるブログ


碧猫さんの『13日の水曜日』 「無かった」を主張する歴史学者について
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-205.html


hokke-ookamiさんの『法華狼の日記』

秦郁彦教授は本当に……
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070719/1184904208

秦郁彦教授の評価が下落中…… (2007年8月4日追加)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070801/1185924345


yamaki622さんの『blog*色即是空』

秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070616/p1

金学順さんが「キーセンハウス」に売られたというウソ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070724/p1


『Stiffmuslceの日記』 どくしょのじかん 

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070716/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070717/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070721/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070722/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070723/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070724/p1

           _ -―´ ̄ ̄ ̄`ヽ、
          ,/ ,===''⌒''== 、、
        / ,=          ヽ
       /  ,='  _  ∧_ _,,
      /,,_ {i ,〜 〜  /´ ハ^、_
        ヽi} / /   / ヽ_/ ヽ__,,\
         { | _|__,,/ /  ̄ \ヽ
         ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
          |`、ヽ.__ノ    ヽ-‐' _/
  r"      | |{i t    _     / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
 (   =‐'  | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| |
  ゝ-'     // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
    r、   //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
   __ゝ |i}^V'' __/  }}  ハ  {{ |
   ヽ  ノ'  `j    }}  /X |  {{  |

従軍慰安婦強制連行の吉田清治証言はやはり事実だった:


経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/714.html#c15

[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
39. 2018年3月02日 11:20:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開 
へのコメント
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c39
[リバイバル3] 怨霊注意 _ 雪道の怖さを伝える日本のCMが怖すぎて外国人をビビり散らしていた件 中川隆
19. 中川隆[-5586] koaQ7Jey 2018年3月02日 14:24:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

立ち往生 車マフラー危険! 雪ふさぐと22分で"CO中毒"致死量" 2013年に4人死亡 
3/2(金) 9:36配信 北海道ニュースUHB


 今回の暴風雪で、発生する可能性が高いのがホワイトアウトなどによる車の立ち往生です。

 車内に取り残された際には、一酸化炭素中毒に十分に注意しなければなりません。どのような怖さがあるのか、映像で検証します。

 5年前、暴風雪により9人が命を落としました。中でも目立ったのが、車の立ち往生です。中標津町では、吹き溜まりで動けなくなった車の中で、親子4人が死亡する事態もおきました。

 立ち往生した場合、どんな怖さがあるのか。JAF日本自動車連盟の実験映像で検証します。

 同じ車を2台用意し、エンジンをかけたままにして車内の一酸化炭素の濃度を検知器で計測します。

 2台とも、ボンネット部分まで雪をかぶせ、排気ガスが出るマフラー周辺については、1台は何もせず雪に覆われた場合と、マフラー周辺の除雪をした場合で実験開始です。

 まずは、何もしない車。開始直後から車内の一酸化炭素の濃度が上昇します。

 そして16分後…。

 1〜2時間で頭痛が起こるとされる短時間暴露濃度に達し、22分たつと…。

 一酸化炭素の濃度が計測器の限界値、1000ppmに達しました。これは、3時間ほどで死に至る濃度です。

 一方、マフラー周辺を除雪した場合は、一酸化炭素は、ほとんど検出されませんでした。

 もう一つ、マフラーがおおわれた状態で窓を5センチほどあけて同様の実験をしたところ、開始5分で濃度が上昇したものの、増減を繰り返して一定時間は経過。

 しかし約40分後に急上昇し、2時間で失神するとされる800ppmを超えました。窓を開けるだけでは、不十分です。

 では、どのように一酸化炭素は車内に入ってくるのか。色をつけた煙で実験です。

 マフラーの近くに発煙筒をおいたところ、車の床下にたまった排ガスが、徐々に車内へ吸い込まれていきます。

 煙を炊き始めて、約50秒たつと、空調の配管から車内にはガスが充満。

 車内は、決して安全ではないことがわかりました。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/570.html#c19

[リバイバル3] 高橋克彦 「緋い記憶」 中川隆
1. 中川隆[-5585] koaQ7Jey 2018年3月02日 15:24:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【ホラーサスペンス】遠い記憶
https://www.youtube.com/watch?v=2K85coL5ud0
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%85%8B%E5%BD%A6+%E9%81%A0%E3%81%84%E8%A8%98%E6%86%B6

高橋克彦『赤い記憶』より「遠い記憶」

男が三十年ぶりに、昔住んだ盛岡を訪ねた。
とはいえ、小学校にあがるまでのことで、
ほとんど記憶がない。思い出探しではなく、
仕事の一環として、やってきたまでのことだ。

母に今回の旅のことを話すと、激しい嫌悪感を
露にした。母は盛岡の話をするのが好きじゃない。
「嫌な思い出がある」いつもそう言って、口をつぐんで
しまう。

取材のために、案内役に地元の女性記者を部下にして、
盛岡を回る。情けないことに、どの光景にも見覚えが
ない。

「三十年ぶりですもの、景色は変わってしますわ、でも、きっとあなたにも思い出の場所があるはずよ」

女に連れられて方々を巡るうちに、男は徐々に、不確かながらも過去の断片を取り戻すことができた。

男は滞在を数日のばすことに決めた。自分のルーツを探ることも目的だが、
故郷なまりの女記者に、徐々に惹かれつつあったことも理由の一つだ。

二人でタクシーに乗って、彼の住んでいた町を探しているうちに、男の脳裏に様々な記憶が蘇ってくる。

「運転手さん、そこ右、そこ左、そう、そのまま」

行き着いた先は、一見の空家だった。男は歓声を挙げる。

「ここだよ!僕は昔ここに住んでいたんだ」

二人は門をくぐり、男は懐かしそうに、空家の中を歩いて回る。

「ここにテーブルがあって、そこには本棚、あそこに小さな絵がかかっていて……」

「ここには?」

女は部屋の一角を指した。

「そこには勉強机が……」

なぜ、幼稚園児の彼に勉強机が用意されていたのだろう……。

「そう、私の机があったの」

男は混乱し、めまいを覚える。

「ここはあたしの家よ」

男には今のテーブルに腰掛け、新聞を読む父の記憶がある。

「わたしの母を抱きにきていたの。スナック勤めの母を、あなたのお父さんが囲っていたのよ」

情景が浮かんでは消える。そうだ、父は度々、この家に彼を連れ出した。
父と愛人が寝室に消えると、少し年上の女の子が、彼をかまってくれていた。
その子の母はとても優しく、少年の頃の彼はこの家に来るのが一番の楽しみだった。

「そうだった。君のことも思い出したよ。僕は君が好きだったんだ。なんでもっと早く
言ってくれない。人が悪いよ」

「あなたに思い出してもらうことに意味があったのよ」

女は寝室の襖をスッと開いた。
男は、なぜか反射的に顔をふせ、冷や汗をかく。

「目を伏せちゃダメ!あなたしか、あの時なにがあったのか知らないのよ!思い出して!」

「いやだ!そこにはおばちゃんが紐でぶらさがっているんだ!」

幼かったとはいえ、ここまで記憶が失われた理由が分かった気がした。

あの日、男は母に叱られて、家を飛び出した。自然と、足は父の愛人の家に向かっていた。
おばちゃんは優しい。お姉ちゃんにも慰めてもらえる。そう思ったのだろう。
家は静まりかっていて、寝室で、遺体を見つけた。垂れ下がる足に、肩がぶつかって
ブラブラと揺れた。

芯から冷える寒気とともに蘇った。遺体の向こう側の暗がりに、恐怖と憎悪に燃えた目で、私を見つめる母の顔を。
http://occult-atoaji.sakura.ne.jp/?p=8303

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/820.html#c1

[近代史02] 他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ 中川隆
22. 中川隆[-5584] koaQ7Jey 2018年3月02日 15:54:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【ホラーサスペンス】遠い記憶
https://www.youtube.com/watch?v=2K85coL5ud0
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%85%8B%E5%BD%A6+%E9%81%A0%E3%81%84%E8%A8%98%E6%86%B6

高橋克彦『赤い記憶』より「遠い記憶」

男が三十年ぶりに、昔住んだ盛岡を訪ねた。
とはいえ、小学校にあがるまでのことで、
ほとんど記憶がない。思い出探しではなく、
仕事の一環として、やってきたまでのことだ。

母に今回の旅のことを話すと、激しい嫌悪感を
露にした。母は盛岡の話をするのが好きじゃない。
「嫌な思い出がある」いつもそう言って、口をつぐんで
しまう。

取材のために、案内役に地元の女性記者を部下にして、
盛岡を回る。情けないことに、どの光景にも見覚えが
ない。

「三十年ぶりですもの、景色は変わってしますわ、でも、きっとあなたにも思い出の場所があるはずよ」

女に連れられて方々を巡るうちに、男は徐々に、不確かながらも過去の断片を取り戻すことができた。

男は滞在を数日のばすことに決めた。自分のルーツを探ることも目的だが、
故郷なまりの女記者に、徐々に惹かれつつあったことも理由の一つだ。

二人でタクシーに乗って、彼の住んでいた町を探しているうちに、男の脳裏に様々な記憶が蘇ってくる。

「運転手さん、そこ右、そこ左、そう、そのまま」

行き着いた先は、一見の空家だった。男は歓声を挙げる。

「ここだよ!僕は昔ここに住んでいたんだ」


二人は門をくぐり、男は懐かしそうに、空家の中を歩いて回る。

「ここにテーブルがあって、そこには本棚、あそこに小さな絵がかかっていて……」

「ここには?」

女は部屋の一角を指した。

「そこには勉強机が……」

なぜ、幼稚園児の彼に勉強机が用意されていたのだろう……。

「そう、私の机があったの」

男は混乱し、めまいを覚える。

「ここはあたしの家よ」

男には今のテーブルに腰掛け、新聞を読む父の記憶がある。

「わたしの母を抱きにきていたの。スナック勤めの母を、あなたのお父さんが囲っていたのよ」

情景が浮かんでは消える。そうだ、父は度々、この家に彼を連れ出した。
父と愛人が寝室に消えると、少し年上の女の子が、彼をかまってくれていた。
その子の母はとても優しく、少年の頃の彼はこの家に来るのが一番の楽しみだった。

「そうだった。君のことも思い出したよ。僕は君が好きだったんだ。なんでもっと早く
言ってくれない。人が悪いよ」

「あなたに思い出してもらうことに意味があったのよ」

女は寝室の襖をスッと開いた。
男は、なぜか反射的に顔をふせ、冷や汗をかく。

「目を伏せちゃダメ!あなたしか、あの時なにがあったのか知らないのよ!思い出して!」

「いやだ!そこにはおばちゃんが紐でぶらさがっているんだ!」

幼かったとはいえ、ここまで記憶が失われた理由が分かった気がした。

あの日、男は母に叱られて、家を飛び出した。自然と、足は父の愛人の家に向かっていた。
おばちゃんは優しい。お姉ちゃんにも慰めてもらえる。そう思ったのだろう。
家は静まりかっていて、寝室で、遺体を見つけた。垂れ下がる足に、肩がぶつかって
ブラブラと揺れた。

芯から冷える寒気とともに蘇った。遺体の向こう側の暗がりに、恐怖と憎悪に燃えた目で、私を見つめる母の顔を。
http://occult-atoaji.sakura.ne.jp/?p=8303




http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html#c22

[文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
97. 中川隆[-5583] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:13:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

女は怖い


【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c97

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
69. 2018年3月02日 17:14:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

女は怖い
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/821.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c69
[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
184. 中川隆[-5582] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:17:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

千葉県にはこういう女が多い

【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c184

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
17. 中川隆[-5581] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:25:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

事故物件に住むとこういう目に遭う

閲覧注意

【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c17

[昼休み53] 阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
10. 中川隆[-5580] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:36:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症患者の恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:

【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html#c10

[昼休み52] 何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口 中川隆
74. 中川隆[-5579] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:37:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

麻薬中毒患者の恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:


【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html#c74

[] 「覚醒剤」
82. 中川隆[-5578] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:38:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

覚醒剤中毒患者の恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:

【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM

http://www.asyura2.com/0310/dispute13/msg/126.html#c82

[番外地6] 麻薬は怖い 中川隆
3. 中川隆[-5589] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:57:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

麻薬中毒患者の恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:

【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/256.html#c3

[リバイバル3] 高橋克彦 「緋い記憶」 中川隆
2. 中川隆[-5594] koaQ7Jey 2018年3月02日 23:06:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

緋(あか)い記憶 (文春文庫)/高橋 克彦


緋い記憶

世帯主の名前までも記入されている住宅地図ってのがあるそうで、昔から毎年出版されているんだそうですよ。少年時代の地元の住宅地図を見たら、自分の知っている家がなく、空き地になっていた。そこに住んでいた少女とも交流があったのに、なぜか? 実はその家は戦前に取り壊されていたと分かって、超ビックリ。

出会った少女が幽霊だったのではなく、自分がその時代に紛れ込んでいた…という方がぴったりくるかな〜と思うけど、どうかしら?

ラストは…うーん、やっぱりはねられて史子の元に逝ってしまったんでしょうか。

ねじれた記憶

高階良子さんの終わりのない夜 とそっくりな作品です。でも、こっちのが先だよ。

今回読み返してみたら、相違点が。高階さんの方は姉、こちらは母でした。
でも大筋は同じ。

作家が30年前に暮らしていた離れがある旅館を突き止め、泊まりに行く。そこで働く静子という女性と恋に落ちるが、実は静子は母だった。
つー、なんともショッキングな内容です。

時間がねじれて、大人の自分が30年前に入り込んでしまったんですね。
お母さんがショックで自殺してしまうのはともかく、自分が自分に殺されるために断崖で待たなくてはいけないって…悲しいよねぇ。


言えない記憶

子供の頃、台風の日にみんなで缶蹴りをした。その日に行方不明になった少女が、川で発見された。しかし少女の兄は、妹が殺されたのではないかと疑っていた。30年後にその謎が明かされる。

が、謎解明かと思いきや、もうひとつ忘れていた恐ろしい記憶が蘇ってきて…ギャーーー!!!
みたいな。
忘れていたかった記憶ってあるかもね。

遠い記憶

30年前に住んでいた盛岡に取材で訪れた。忘れていた幼い頃の記憶が思い出される。自分が住んでいたと思っていた記憶にある家は、父の愛人の家だった。
いやいや、これまた恐ろしい話です。昔の記憶を思いだしたからと言って、誰も幸せにはなれないってところがまた悲しいですね。

膚の記憶

馴染みの居酒屋に行くと高い確率で食中毒になる。原因を確かめていくと、犯人は天然水だった。その水がとれる鍾乳洞の湖水に行ってみると、水底には白骨があり…。

これもまた悲しいお話しです。

霧の記憶

これもちょっと高橋さんの経験談が混ざっている感じですかねぇ。このロンドン時代の話って、他にも使われていた記憶があるけど、なんてタイトルだったかなぁ?
高校生の時にロンドンに一人旅をしていた孝志。当時世話になった倉本が書いた小説は、孝志をモデルに描かれていた。それを読んで、話に出てくる女性は自分の妹ではないかという男性から連絡が入って…。

小説の嘘を見抜いて孝志が調査をするんだけど、真相が分かったとき、嘘をついた倉本よりも自分の方が悪い人間だったのかもしれない、と思う孝志。
うーん、今でもそうかもしれないけど、昔…今からだと40年くらい前のことかな。当時外国に滞在するって、心細かっただろうし。多少嫌なヤツでも嫌いでも、同じ日本人として寄り添って生きていたかったんでしょうね〜なんて事を思ったりします。でも、寂しいんだったら一人旅なんかすんなよ、とも思ったりもしますけどね。

ロンドンは霧の国だから、霧の記憶なんだって、今気づいた。

冥い記憶
これは本当にホラー。

またしても高階良子さんの時の迷路殺人事件 が、この作品とちょっと被る部分があるんですけど。こっちはホラーです。本当に怖いです。

バスツアーに参加する毅。ツアー参加者が自分に向ける非難の視線。記憶にない恐怖。鏡に映らない自分。全てを思い出しても、まだ残る疑問。
う〜ん、怖い。

このシリーズ、漫画化されているものがいくつかあって、読んだことがあるんですけどね。やっぱり小説の方がいいですね。自分で想像する部分があるでしょ、小説って。それがまた怖さを倍増させると思うんですよ。まぁ、漫画を描いている漫画家さんの画力が低いとか、好きな絵柄でないとか、そんなところも多分に含まれてはいるんですけど。

小説を映像化、漫画化するのって、やっぱイマイチなのが多くなっちゃうよね。
https://ameblo.jp/kaoruume/entry-10603402335.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/820.html#c2

[リバイバル3] 高橋克彦 「緋い記憶」 中川隆
3. 中川隆[-5593] koaQ7Jey 2018年3月02日 23:08:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

高橋克彦『赤い記憶』より「ねじれた記憶」

男は三十年ぶりに、忌まわしい宿を訪ねた。
幼少時、父に逃げられた母はこの宿で女中として
住み込み、彼を養ってくれていた。

宿帳に名を記すと、番頭がいやらしい笑みを浮かべる。
「お客さん、こんなところでお仕事ですか?それともお楽しみで?」
なるほど、こんな場末の宿なら、そういうサービスを求めて
やってくる客がほとんどかも知れない。
「ああ、じゃあ一人たのむよ」

部屋を訪れたのは、肌の白い、美しい女だった。
彼は母親の面影を重ねる。
女は夫に逃げられ、連れ子がいることを打ち明け、
男は益々、親近感を強めた。
「不思議だね、うちの母も、ちょうどあなたのような年頃に、ここで勤めて僕を養ってくれたんだ」

彼女の息子は、不幸な子供特有の目つきをしていて、
昔の自分を見ているようだった。

男は、この親子と家庭を作るのもいいかもしれない、と思い始める。

夜、身体を交えた後に、男は煙草をふかしながら、女に思いを打ち明ける。
自分の生い立ちがあまりに、その親子と似通っていることを。だから二人を
幸せにできると。彼は自分の名を名乗り、母の名を伝え、子供のころの
おぼろげな思い出を、女に聞かせた。

女は突然に狼狽し、裸のまま嘔吐しながら部屋を抜け出し、そのまま戻ってはこなかった。

男は宿の近くの絶壁で煙草をふかして待つ。
辛すぎて封印していた記憶を振り返る。
母も彼女のように、身体を売っていたこと。
今の自分によく似た男が、母を買ったこと。
その翌朝に、母は首をくくって死んだ。

男は、幼い自分が、母を奪ったその男を、絶壁から突き落としにやってくるのを待っている。
http://occult-atoaji.sakura.ne.jp/?p=8301
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/820.html#c3

[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
562. 中川隆[-5592] koaQ7Jey 2018年3月02日 23:58:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

世界同時株安で長期金利低下、今後の市場動向は?2018年3月2日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7525

アメリカ発の世界同時株安が継続している。表向きの理由はFed(連邦準備制度)のパウエル議長の発言などだが、そうした直接的な材料がなかったとしても同じような動きになったことだろう。

パウエル議長のタカ派発言

2月初旬からの世界同時株安は一旦回復基調に乗ったものの、パウエル議長の議会証言における発言などが伝えられると再び下落に転じた。米国株のチャートは次のようになっている。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/03/2018-3-2-s-and-p-500-chart.png

2月の初めに株安となった時点で、パウエル議長の発言が重要になることについては事前に言及しておいた。

•2018年2月アメリカ発世界同時株安の意外な理由 (2018/2/6)


こう考えれば、今後の株式市場の動きがある程度見えてくるというものだろう。つまり、パウエル議長がどういうコメントを出すのかということに、今後の株価の動向がかかってくる。

筆者の予想は、素早い対応は不可能というものである。

米国株が更に下落をしない限り、パウエル氏はこれまでの金融引き締め路線を継続すると言わざるを得ないだろう。何しろ実体経済自体は絶好調で、ここで利上げを撤回しては株式市場の言い分を飲んだことになる。そうすれば、長期的にはより下落の大きい催促相場が始まることになる。

そしてパウエル議長は27日の議会証言でまさにその通りの発言をすることになる。Reuters(原文英語)の報じている証言全文から、金融引き締め政策に言及した部分を取り出してみよう。


利上げとバランスシート縮小という政策は、金融政策の緩和の度合いを徐々に減らしてゆくことが労働市場の強さを支え、インフレ率を2%の目標に沿うものになるというわれわれの経済観に根ざしている。

最近の市場の荒れ模様にもかかわらず、金融政策はいまだに緩和的である。

つまり、現在の市場の急落は無視して金融引き締めを続けてゆくということをパウエル議長は主張した。そして米国株はその日から下落を再開したのである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/03/2018-3-2-s-and-p-500-chart.png

市場の今後の動向

筆者の事前の予想通り下落再開の引き金となったのはパウエル議長の発言ではあったものの、こうした直接的な引き金がなかったとしても市場は同じような動きになったことだろう。パウエル氏がいつ何を発言するかどうかにかかわらず、上に述べた通り、Fedにはその選択肢しかないからである。

ここまでは想定内の動きだが、投資家にとって注視すべきなのは世界同時株安の原因となった長期金利の動向である。繰り返しになるが、長期金利の急騰を受け、投資家が株式ではなく国債を保有すれば充分な金利を得られると判断したことで、資金が株式市場から債券市場へと流出し、株価が下落したのである。

しかし、株安を受けてその長期金利が少し下落している。米国債が資金の逃避先となったのだから当然である。金利低下は債券価格上昇を意味する。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/03/2018-3-2-us-10-year-treasury-note-yield-chart.png

今後の動きはどうなるか? 原因となった長期金利高騰が後退した分、株価下落も収まるのか? これについては昨年11月の記事に書いてあるので、そのまま引用しよう。中央銀行によって金融市場から資金が引き揚げられることの意味をよく考えるべきである。

•ジャンク債空売りを開始、ロシア国債投資はロシア株へ移行 (2017/11/20)


Fedのバランスシート縮小とは、Fedが量的緩和によって買い入れた債券の保有量を減少させる政策である。Fedによる債券の買い支えが無くなる分については、市場に参加している他の投資家によって折り合いが付けられることになる。ここまでは明確である。

問題は、この折り合いがどのように付けられるかである。Fedは国債や不動産担保証券などを(実質的に)市場に放出するが、必ずしも放出された資産が影響を受けるとは限らない。例えば、仮に10年物国債(長期国債)に大きな売り物が出たにもかかわらず、相対する大きな買い支えがあり、債券価格が変わらなかった(つまり金利が動かなかった)場合、その買い支えを行なった資金が元々投資されていた資産クラスに影響が出るのであり、10年物国債の金利(つまり長期金利)に影響が出るわけではない。お分かりだろうか。

だから、国債市場から資金が引き揚げられたにもかかわらず、国債価格は持ち直し(つまり金利が低下し)、株式市場が下落したのである。こうした意味合いの長期金利の低下が株価反発の原因になると思ってはならない。因果関係が逆だからである。

つまり、中央銀行は少なくとも全体の資金のパイを減少させているので、すべての資産クラスが資金の綱引きをしているのである。したがって、株式市場が持ち直すとすれば、それは国債市場との資金の綱引きに勝つからではなく、株式自身よりも更にリスクの高い資産との綱引きに勝つからということになるだろう。

2018年の市場で株式市場が綱引きに勝てるのは、倒産の可能性が高い企業の発行するジャンク債である。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/03/2018-3-2-ishares-iboxx-high-yield-corporate-bond-etf-nysearca-hyg-chart.png

ジャンク債に関してはもうこの状況で勝ち目はないだろう。だから筆者は昨年末から一貫してジャンク債を空売りしている。株式市場は、少なくともジャンク債よりは勝ち目があることになる。

•世界同時株安: 今後の大きな資金の流れを解説する

問題は、世界一の経済大国であるアメリカが量的緩和と同じ速度で市場から資金を吸い上げ、その結果がジャンク債の暴落だけで本当に済むのかということである。少なくとも、この状況で株を買っている投資家はそのことを自問しなければならない。少なくとも筆者は、この状況では絶対に株を買い持ちにしないだろう。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7525
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/428.html#c562

[番外地7] ビットコインの暴騰・暴落 _ 自国通貨が信用できない人間がバブルを作り、日本人が本気になって買ったらバブル崩壊 中川隆
19. 中川隆[-5591] koaQ7Jey 2018年3月03日 08:37:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 仮想通貨の欠陥
https://wjn.jp/article/detail/2064487/
週刊実話 2018年3月8日号


 580億円分の仮想通貨NEMを流出させたコインチェック社が、2月13日に会見を開き、事業を継続することと、停止していた日本円の出金を再開したことを明らかにした。しかし、流出したNEMを保有していた顧客への補償については、資金自体はあるとしながらも、具体的な時期を明らかにしなかった。

 コインチェックを利用していた投資家は、資金を塩漬けにされたままになるから、それだけでコインチェック社のずさんなデータ管理の責任は重い。しかし、私は今回の事件で、仮想通貨自体にも構造的な問題が判明したのではないかと考えている。

 ブロックチェーンという仮想通貨取引の正当性を検証する技術は、今のところまったく破られていない。また、盗み出されたNEMが、どこに存在するのかも特定されている。しかし、当初の報道では、その情報が取引所間で共有されているため、盗まれたNEMは、身動きできない状態に封じ込められるだろうとされていた。

 ところが、そのNEMは、犯行直後から数万円前後の少額ずつ、あちこちのアドレスに送金され、2月1日深夜には、1750万円という大金が送金されたことが判明している。それでも、この犯罪資金に対して、警察当局が手も足も出せない状態になってしまっているのだ。

 仮想通貨を取引するためには、ウォレットという口座を持つ必要がある。大手取引所を利用する場合には、本人確認が行われているが、ウォレットは、専用ソフトを使うと個人でも作成することができる。その場合は、個人情報を登録する必要がないから、持ち主が誰だか分からない。

 私は、盗まれたNEMがタックスヘイブンで現金化されてしまうのではないかと危惧していたが、2月10日にその一部が、闇サイトで他の仮想通貨に交換されていたことが明らかになった。汚れたNEMを手にした利用者は警視庁の事情聴取を受けたが、逮捕はされていない。このサイトを通じて、すでに数億円が交換されてしまった可能性もあるという。

 今回のNEM流出事件ではコインチェック社の自己資金で補償がなされるのだとしても、もっと巨額の流出が起きた場合、補償は不可能だ。そして流出した仮想通貨は、窃盗犯を野放しにしたまま流通してしまうだろう。いまの仮想通貨は、管理者を排除しようとすることに気を取られ、結局は安全も排除してしまったとも取れる。

 日本政府は、仮想通貨の取引所を登録制にすることで、仮想通貨の健全な発展を支えようとしたが、その判断は間違っていたのではないだろうか。

 私は、日本銀行が大手銀行、あるいは銀行グループに仮想通貨を供給し、それに基づいて、各銀行が独自の仮想通貨を発行するという形が近い将来に実現するのではないかと考えている。そうすれば、仮想通貨に資産の裏付けが生まれ、強制通用力を与えることも可能になってくる。また、価格変動も小さく抑えることができるから、投機の対象にもなりにくい。

 その時、いま流通している仮想通貨が価値を持ち続けるのか、大いに疑問だ。ひょっとすると、仮想通貨バブルはおしまいなのかもしれない。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/314.html#c19

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
281. 中川隆[-5590] koaQ7Jey 2018年3月03日 08:59:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018.3.2
最強寒波襲来と食糧不足の原因になる「北極温暖化」の深刻
『北極がなくなる日』
http://diamond.jp/articles/-/161802


北アフリカのサハラ砂漠で
積雪が観測された!

 この冬、最強寒波が世界各地を襲っている。日本の北海道・東北・北陸地方では記録的な豪雪となっているし、世界各地でも年初よりアメリカ北東部やロシアの東シベリアは猛烈な寒波におそわれている。ついには北アフリカのサハラ砂漠にて異例の積雪が観測されたという。いったい全体、何が起こっているのか。


『北極がなくなる日』
ピーター・ワダムズ著、武藤崇恵(訳)、原書房、308ページ、2400円(税別)
https://www.amazon.co.jp/dp/4562054441?tag=yosuke0419-22&ie=UTF8

 どうやら北極の温暖化がその原因のようである。北極の海氷が溶けたことが中緯度北部地域(特に東アジアと米国東部)の異常な寒冷化現象に繋がっていると、科学者の間では論じられているのだ。北極が温暖化することによってシベリア寒冷高気圧が強大化したことに加え、上空のジェット気流も南北に蛇行しがちになるので、寒冷高気圧が日本や韓国などにもが南下しやすくなるという。

 北極なんて遠い世界の話、と思っていたら意外と私たちの身近に影響を与えているようだ。北極の氷が溶けたら北極海航路による貨物輸送が増えるし、北極圏の資源開発が進んで世界経済が潤う、なんてのんきなことを言っていられない状況になってきた。

 ただ冬に寒くなるだけであればなんとかそれに適応すればいいのだが、一番厄介なのは北極の温暖化によって影響をうける北半球の中緯度地域が、地球全体にとって農作物の高生産性地域であることだろう。異常気象が農作物生産量に影響をおよぼし、世界全体でみれば食料価格が上昇してしまうリスクが高まることになる。貧困国では飢餓の発生が避けられなくなると予想されている。


北極の温暖化は
なぜ起こっているのか

 ではこの北極の温暖化はなぜ起こっているのだろうか。「そりゃあ、二酸化炭素排出量の上昇による温暖化だろう」と安直に思い込みがちだが、最新の研究によるとどうやらそれだけではないようだ。二酸化炭素の数十倍以上の温室効果があると言われるメタンガスの放出というより深刻な問題が指摘されている。

 北極の海氷は2005年頃より溶け始めているが、時を同じくして北極海大陸棚海底の永久凍土も溶け始めている。永久凍土は数万年間メタンハイドレートを地中にとどめる蓋の役割を果たしていたが、この蓋が溶けたことによって、現在では大量のメタンガスが海底から大量に放出されているのだ。本書『北極がなくなる日』の口絵には、気泡ブルーム状のメタンガスが海底から噴出している異様な写真が載っており、まるで地球が怒っているかのようなぞっとする光景である。

 かつては800平方キロメートルあった夏期の北極海水は、いまやその半分以下へと面積が縮小し、厚さもどんどんと薄まった。「ティッピング・ポイントをすでに超えてしまった」と著者は評価する。40年以上に亘って極地の海氷量の変化を計測・観測してきた第一人者の言葉は重く読み手に突き刺さってくる。


海氷はまだまだ
解明されていないメカニズムが多い

 本書は、北極のダイナミズムを解説するサイエンス本であると同時に、著者であるピーター・ワダムズ博士の長年にわたる海氷研究の挑戦を綴った本でもある。北極から南極まで地球のあちこちを飛び回る博士は、これまで海氷研究に新たな視点を常に取り入れ続けてきた稀有な研究者の一人だ。本書ではその長年の経験をもとに読者に自然環境メカニズムの解明作業に向かう科学者たちの臨場感を存分に味あわせてくれている。

 著者の経験談の中でも最も臨場感が溢れるのは、著者の十八番である潜水艦を使った海氷研究の場面だろう。世界に多くの海氷研究者がいるといえども、潜水艦で自ら氷の下を訪れた人は世界広しといえどもそうそういない。本書で紹介されている海氷の下を潜水中に潜水艦内で起こった事件についてはぜひ本書を手にとって確認してほしい逸話だ。

 海氷はまだまだ解明されていないメカニズムが多くあるという。特に2000年以降は科学者の追随を許さぬかたちで急速に変化が起きており、世界中の科学者がその解明を試みている。本書はそのダイナミックな変化を追う科学者達の奮闘記ともいえる一冊である。

 また、本当はあまり声を大にして宣伝したくないのだが、ジオエンジニアリングを活用した地球環境ビジネスのアイデアが豊富に掲載されている。ビジネスマンにとっては恰好のネタ帳の役割を果たすことは、ここだけの話だ。


http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c281

[政治・選挙・NHK240] 核兵器に善悪はない。すべてが悪だ。(日々雑感) 笑坊
2. 中川隆[-5591] koaQ7Jey 2018年3月03日 15:04:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
核兵器を持たないとイラクみたいに人間が住めない国にされるから
核武装は絶対善だけどな

核武装しない民族は猿人、原人、ネアンデルタール人やタスマニア人みたいに淘汰されて消滅する運命になる
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/705.html#c2

[原発・フッ素49] 時の在りか 愛とは被曝し合うこと=伊藤智永 (毎日新聞)  魑魅魍魎男
6. 2018年3月03日 15:05:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)

阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/472.html#c6

[原発・フッ素49] 東京から岡山へ移住した一開業医の危機感 (三田茂・三田医院院長)  魑魅魍魎男
2. 中川隆[-5590] koaQ7Jey 2018年3月03日 15:06:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)

阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/471.html#c2

[番外地6] 東大出身の人間が経営に関わり出すと組織が崩壊する 中川隆
6. 中川隆[-5589] koaQ7Jey 2018年3月03日 15:28:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月03日
大塚家具 資金ショートで存続危機か

新しいスタイルは高級家具を買う層には受け入れられず、安い家具が欲しい人はニトリに行く
引用:流通ニュースhttps://www.ryutsuu.biz/images/2017/03/20170303ootsuka-2.jpg

薄利多売路線が裏目

親子喧嘩で娘の久美子社長が経営権を握った大塚家具が、2年連続の赤字で倒産の危機にあると言われている。

赤字なのに無理をして配当を出していて、資金繰りが悪化してショートする恐れもあると報道されています。

2016年に45億円の赤字だったのに続き2017年は72億円の赤字になり、それまでに蓄えた潤沢な資金もなくなりつつある。



関係者によると毎月5億円が運転資金の赤字で消えていて、年間60億円になり計算は合う。

久美子社長は経営権争奪戦のとき、株主に1株80円の配当を約束して委任状を得て社長になった経緯があった。

配当金は40円に引き下げられたが、半分に減らしても配当金7億5000万円が大きな負担となっている。


2年前に340億円だった自己資本は176億円に半減し、3月下旬の株主総会まで持たないのではという声すら出ている。

ピーク時の2006年には売上高700億円で経常利益53億円だったが、2017年は売上高410億円で純損失72億円となった。

家具は回転の悪い商品で売れるまでに1年もかかり、仕入れと在庫、商品説明などに有形無形のコストがかかる。

父親の匠大塚は少数高級路線

父親で創業者の大塚勝久氏の伝統重視に対し、娘の久美子新社長は安い商品を大量に仕入れて回転を早くするプランを示した。

だが大塚家具は地価の高い地域に狭い店舗という高級家具に向いた店舗展開をしていたので、イケアやニトリのような広い敷地はなかった。

狭い店舗にどこにでもある安い商品を並べても品揃えが少なく、イケアやニトリほど安くもできなかった。


久美子社長が提示した経営プランは今までのところ行き詰っていて、父親の勝久氏が立ち上げた「匠大塚」より早く倒れる可能性も出てきた。

その匠大塚は経営状態はわからないものの、東京日本橋にオフィス、春日部に本店を構えて高級家具の販売をしている。

経営方針はかつての大塚家具より、より一層高級に振っていて、来店客1人に店員1人がつきっきりで応対する。


逆にずっと付いて来られると冷やかしでは入店しにくいので、入店するのは購入意思がある人だけになる。

入店するとアンケートの記入を求められ住所氏名を記入し、後日「案内状」が届けられるので、事実上の会員制に近い。

匠大塚のスタイルの方が、規模が小さくても少数の顧客を満足させ、一定の利益を上げるのに向いていると考えられる。


対する大塚家具は薄利多売にシフトした以上、数を売らねばどうにもならないが、その売上がむしろ以前より低下している。

売上が低下した上に利益率も低くなったので、非常に苦しい経営を強いられている。
http://www.thutmosev.com/archives/75130342.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/761.html#c6

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
84. 中川隆[-5588] koaQ7Jey 2018年3月03日 15:33:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2018.03.03
ロシアや中国との間の軍事的な緊張を高めている米国の好戦派に対して露大統領が演説で警告

ロシアの連邦議会で​ウラジミル・プーチン大統領が行った演説​が話題になっている。後半部分でアメリカとその同盟国による攻撃的な姿勢を指摘、それに反撃する態勢ができていることを説明しているのだ。以前からロシア政府はアメリカが配備しているミサイル防衛の攻撃的な性格を強調していたが、その新たな発射場としてルーマニア、ポーランド、韓国とともに日本を挙げている。反撃用の兵器として原子力推進の低空で飛行するステルス・ミサイル、海底1万メートルを時速185キロメートルで航行、射程距離は1万キロに達する遠隔操作が可能な魚雷、マッハ20で飛行する大陸間ミサイルRS-26ルビエシュなどを示している。開発途中のステルス戦闘機Su-57を見せたのもアメリカの好戦派に対する警告の意味があるかもしれない。

アメリカは戦争を政治の延長とは考えていない。敵を殲滅するだけだ。先住民を虐殺し、そこに居着いたヨーロッパ人が作った国がアメリカだということを思い起こせば、そういう発想をすることが理解できるだろう。

1957年の初頭、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成していた。300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1961年7月、大統領に就任して半年のケネディ大統領に対して軍や情報機関の幹部は先制核攻撃計画について説明し、​63年の後半にはソ連を核攻撃するというスケジュール​になっていたという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備でき、ソ連は間に合わないと信じていたからである。


ソ連が1991年12月に消滅すると、アメリカの好戦派は自分たちが唯一の超大国、つまり世界の覇者になったと考えた。ライバルなき世界で心ゆくまで侵略しようと考える。そして作成されたのがウォルフォウィッツ・ドクトリンだった。

21世紀になるとウラジミル・プーチンがロシアを再独立させるが、それでも国力は回復していないと考えていたようで、例えば、CFR/外交問題評議会が発行している​フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文​はアメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張している。アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通しているのだ。

自分たちが相手を軍事的に圧倒していると信じるアメリカの支配層は核戦争を仕掛けようとする。地上から生物を消滅させることになりかねないような戦争を回避しようと思えば、反撃能力を示しておく必要があるわけだ。ただ、アメリカ中央軍やNATOは関東軍化しているようで、どこまで警告が通用するかはわからない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803030001/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c84

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
195. 中川隆[-5587] koaQ7Jey 2018年3月03日 15:46:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

犯人の素性を避けるマスコミ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68704143.html

マスコミは犯人の素性を示せ!


日本のマスメディアは在日朝鮮人や帰化鮮人の犯罪となると、急に態度を変え、形式的な報道に終始する。彼らは決して犯人の家系や育ち、交友関係、日常生活を暴露しない。例えば、普段から朝鮮人の不良どもと付き合っていたとか、身内にゴロツキの鮮人がいる、密入国者の祖父を持っていたなど、“不都合な情報”を摑むと即座に遮断する。「日本人が朝鮮人に偏見を持ってはならないから」という“いつも”の配慮だ。しかし、これこそ朝鮮人に対する「偏見」じゃないのか? 朝鮮人の犯罪者にだけ「特別な配慮」を加えるということは、朝日新聞やTBSなどに「鮮人蔑視」の体質があるという証左だ。保守派の裁判沙汰だと、たとえ小さな罪でも浮き浮きしながら大々的に報道するくせに、左翼仲間や贔屓筋には甘いんだから。何が「社会の木鐸(ぼくたく)」だ !

  日本のインテリは我が国を貶めたいので、歐米社会の方が日本社会よりもオープンだと思っている。しかし、実際のところ、「自由」であるはずのアメリカには“目に見えぬ”タブーが多い。世界中から様々な民族・人種が集まり、遠慮しながら、あるいは厭々ながら共存する西歐系アメリカ人は、異人種に特別な「忖度」をしながら生きている。一般の日系日本人は多民族雑居社会を解っていないから、呑気に「外人さん、いらっしゃい !」とはしゃいでいるが、不愉快なアジア人が大量に侵入するとは思っていないのだ。なるほど、ニュース番組では移民社会の複雑性を解った“つもり”になっている。だが、肝心な「実感」が伴っていないので、本当のところは解っていない。異民族の労働者が増えれば、マスコミ各社は益々「異民族の感情を傷つけてはならない」という方針を強化し、この呪縛にかけられた日系人は「恐怖心」から口を噤むようになるだろう。目先の利益で安い労働者を輸入したら、大切な「言論の自由」を失ってしまった、では笑い話にならない。日本人は「自国」で“自由”にモノが言える素晴らしさを分かっていないのだ。帰化人からの訴訟に怯えながら暮らすなんて厭なものである。朝日新聞が「赤旗」の大衆版、あるいは日本版「プラウダ」であることは仕方がない。しかし、保守派雑誌や週刊誌までもがPC(政治的に正しい言葉使い)に汚染されたら、日系人は「昔の日本」を懐かしむようになるだろう。当ブログは即刻「閉鎖命令」を受けるだろうなぁ。良い子のみんなは先生や親に告げ口せず内緒にしてね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68704143.html

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c195

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
154. 中川隆[-5594] koaQ7Jey 2018年3月03日 18:46:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月03日
経済センスゼロの麻生大臣と安倍首相

この2人よりましな人が居ないとしたら、日本の将来は暗い

これからも日本経済は良くならない

裁量労働制の議論で分かったのは、日本のリーダーの誰も経済の簡単な原則を知らないという事でした。

麻生財務大臣・安倍首相・官僚たち・自民党の次期首相候補の誰も「給料を減らせばGDPが減る」のを知りませんでした。

話は「経済優先の安倍首相」と「生活優先の野党」になってしまっているが、そうではありません。



スポンサー リンク


「国民の給料の合計=GDP」なのだから残業代をカットすれば当然GDPが減り、税収が減って財政悪化するのです。

たとえば某安売りブラック衣料品店の基本給12万円、残業代8万円で20万円払っていたとします。

これからは基本給12万円だけで労働時間は同じになり、労働者の収入は減ります。


収入が減ったので消費しなくなり、納税もしなくなり、国保や年金も払えなくなり国の財政は悪化します。

こういう話なので、経済にとっては最悪で国の税収は悪化、デフレ経済に逆戻りするでしょう。

問題はどうも麻生財務大臣や安倍首相らが、「自分たちは経済に良い事をしようとしている」と考えているらしい事です。


確信犯の悪党ならまだ政策転換する可能性があるが、無知ゆえに「良い事をしている」と思っているから直らない。

給料を減らす発想は輸出幻想から来ている

政治家の無知をもたらしているのは経済界、経団連で名前を聞くと経済に良い事をしているように見えます。

ところが経団連を牛耳っているのは輸出企業で、輸出企業は日本が滅んでも輸出を拡大するのが利益に繋がります。

例えばトヨタの労働者の時給を「100円」にしたら、日本は滅びるがトヨタは輸出で大儲けします。


こんな連中が政府の顧問として政策提言や助言をしているので、「給料下げれれば経済が良くなる」と思い込むのです。

輸出は日本経済の5%程度に過ぎないが、60%以上を占める消費と内需は輸出のために犠牲にされている。

その輸出なのだが、輸出が経済に貢献しているというデータはなく、世界で高成長している国のほとんどが貿易赤字です。


GDPが大きな国で貿易黒字なのは中国・ドイツ・日本の3ヶ国くらいなのにたいして、他の大半は貿易赤字です。

では貿易黒字国は赤字国より成長率が高いかというと、そんな事はありません。

中国の成長率は高いがドイツと日本は高成長ではなく、赤字のアメリカ・カナダ・フランス・オーストラリアとそれほど変わりません。

国のリーダーが無知では経済は回復しない

現代では生産技術の向上によって、一カ国で全世界全ての工業製品を生産して輸出するのも可能になりました。

すると輸出国なんてのは一つあれば十分なので、過当競争で「輸出するほど国が衰退する」現象が起きます。

反対に貿易赤字国は自国内の経済活動で成長しているので、他国との競争に勝つ必要がなく、安定した経済成長をしています。


人口が多い国だけではなく、日本より人口が少なく面積が狭い貿易赤字国で、日本より良い暮らしをしている国もあります。

貿易赤字にする事で為替が安くなり、輸出競争力が高まるという矛盾した現象も起きます。

アメリカは貿易赤字なのでドルが安く、安価な製品を日本に輸出して儲けています。


日本は輸出を増やせば増やすほど貧しくなりGDPが減少し、GDPを増やすには国内消費を増やすしかありません。

国内消費を増やすためには国民全員の収入を増やす必要があり、その認識があれば「残業代カット」という発想が出てくる筈がありません。

消費税というのも最悪で、消費すると罰せられるのだから、100%消費を縮小させGDPを悪化させます。


ところが国のリーダーがこの事を理解せず、経済を悪化させて「おれは良い事をした」と思っています。
http://www.thutmosev.com/archives/75153438.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c154

[文化2] 池田信夫の逝かれっぷり 中川隆
51. 中川隆[-5593] koaQ7Jey 2018年3月03日 18:46:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月03日
経済センスゼロの麻生大臣と安倍首相

この2人よりましな人が居ないとしたら、日本の将来は暗い

これからも日本経済は良くならない

裁量労働制の議論で分かったのは、日本のリーダーの誰も経済の簡単な原則を知らないという事でした。

麻生財務大臣・安倍首相・官僚たち・自民党の次期首相候補の誰も「給料を減らせばGDPが減る」のを知りませんでした。

話は「経済優先の安倍首相」と「生活優先の野党」になってしまっているが、そうではありません。



スポンサー リンク


「国民の給料の合計=GDP」なのだから残業代をカットすれば当然GDPが減り、税収が減って財政悪化するのです。

たとえば某安売りブラック衣料品店の基本給12万円、残業代8万円で20万円払っていたとします。

これからは基本給12万円だけで労働時間は同じになり、労働者の収入は減ります。


収入が減ったので消費しなくなり、納税もしなくなり、国保や年金も払えなくなり国の財政は悪化します。

こういう話なので、経済にとっては最悪で国の税収は悪化、デフレ経済に逆戻りするでしょう。

問題はどうも麻生財務大臣や安倍首相らが、「自分たちは経済に良い事をしようとしている」と考えているらしい事です。


確信犯の悪党ならまだ政策転換する可能性があるが、無知ゆえに「良い事をしている」と思っているから直らない。

給料を減らす発想は輸出幻想から来ている

政治家の無知をもたらしているのは経済界、経団連で名前を聞くと経済に良い事をしているように見えます。

ところが経団連を牛耳っているのは輸出企業で、輸出企業は日本が滅んでも輸出を拡大するのが利益に繋がります。

例えばトヨタの労働者の時給を「100円」にしたら、日本は滅びるがトヨタは輸出で大儲けします。


こんな連中が政府の顧問として政策提言や助言をしているので、「給料下げれれば経済が良くなる」と思い込むのです。

輸出は日本経済の5%程度に過ぎないが、60%以上を占める消費と内需は輸出のために犠牲にされている。

その輸出なのだが、輸出が経済に貢献しているというデータはなく、世界で高成長している国のほとんどが貿易赤字です。


GDPが大きな国で貿易黒字なのは中国・ドイツ・日本の3ヶ国くらいなのにたいして、他の大半は貿易赤字です。

では貿易黒字国は赤字国より成長率が高いかというと、そんな事はありません。

中国の成長率は高いがドイツと日本は高成長ではなく、赤字のアメリカ・カナダ・フランス・オーストラリアとそれほど変わりません。

国のリーダーが無知では経済は回復しない

現代では生産技術の向上によって、一カ国で全世界全ての工業製品を生産して輸出するのも可能になりました。

すると輸出国なんてのは一つあれば十分なので、過当競争で「輸出するほど国が衰退する」現象が起きます。

反対に貿易赤字国は自国内の経済活動で成長しているので、他国との競争に勝つ必要がなく、安定した経済成長をしています。


人口が多い国だけではなく、日本より人口が少なく面積が狭い貿易赤字国で、日本より良い暮らしをしている国もあります。

貿易赤字にする事で為替が安くなり、輸出競争力が高まるという矛盾した現象も起きます。

アメリカは貿易赤字なのでドルが安く、安価な製品を日本に輸出して儲けています。


日本は輸出を増やせば増やすほど貧しくなりGDPが減少し、GDPを増やすには国内消費を増やすしかありません。

国内消費を増やすためには国民全員の収入を増やす必要があり、その認識があれば「残業代カット」という発想が出てくる筈がありません。

消費税というのも最悪で、消費すると罰せられるのだから、100%消費を縮小させGDPを悪化させます。


ところが国のリーダーがこの事を理解せず、経済を悪化させて「おれは良い事をした」と思っています。
http://www.thutmosev.com/archives/75153438.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html#c51

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
196. 中川隆[-5592] koaQ7Jey 2018年3月03日 18:52:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本は、戦闘民族として目覚めないように呪縛がかけられた
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/03/20180303T1622150900.html


1945年に日本が戦争に負けると、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本に乗り込んできて、ありとあらゆる手法で日本人を「戦えない民族」にしようと画策した。

韓国は日本には何をしてもいいと思うようになってきた

韓国は図に乗って、何十年も前から「謝罪しろ、謝罪しろ、もっと謝罪しろ」と日本にわめき立ててきた。日本はどうしたのか。そのたびに謝罪してきたのである。

1982年には、鈴木善幸首相が謝罪した。1983年には、中曽根康弘首相が謝罪した。1984年には、昭和天皇、中曽根首相が謝罪した。1990年には、中山太郎外相が謝罪した。1990年には、海部俊樹首相が謝罪した。

1990年には、今上天皇が謝罪した。1992年には、宮沢喜一首相が謝罪した。1993年には、河野洋平が謝罪した。1993年には、細川護煕首相が謝罪した。

1994年には、村山富市首相が謝罪した。1996年には、橋本龍太郎首相が謝罪した。1998年には、今上天皇が謝罪した。1998年には、小渕恵三首相が謝罪した。2001年には、小泉純一郎首相が謝罪した。2010年には、菅直人首相が謝罪した。

日本はこれだけ、謝罪し続けてきたが、一度謝罪させると、もっと謝罪させるのが韓国である。

しかも、これだけ謝罪させたにも関わらず、さらなる謝罪を要求して、そのうえ賠償金までもっとせしめようとしている。安倍政権も守られもしない日韓合意なるものを結び、韓国に10億円を毟り取られた。

強く出れば出るほど日本人は半泣きになってペコペコと謝ることを韓国は学び、そしてそのたびに韓国は傲慢になり、日本には何をしてもいいと思うようになってきた。

韓国は気付いたのだ。もう日本人には気骨がないことを。
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c196

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
41. 中川隆[-5593] koaQ7Jey 2018年3月03日 22:33:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>40
20歳以下の売春婦は認可されていなかったから、慰安婦は売春婦ではない

オランダ人慰安婦は個人犯罪ではないのが確定している

慰安婦強制連行は昭和天皇の命令で行ったものだ


http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c41

[原発・フッ素49] 毎日新聞の御用記事「愛とは被曝し合うこと」 ツイートの9割以上は批判的 非難轟々 魑魅魍魎男
1. 中川隆[-5592] koaQ7Jey 2018年3月04日 08:27:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)


阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/477.html#c1

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
27. 中川隆[-5592] koaQ7Jey 2018年3月04日 10:38:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
首都圏で「タワマン暴落の兆候」いつ手放すのが正しいのか いまは日本最後の 「土地バブル」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54392
2018.03.04 週刊現代  :現代ビジネス


上がったものは、いつかは下がる。それがマーケットの大原則だ。ここ数年、高値を謳歌してきたニッポンの不動産市場もついに終幕へ――。「いつ、どこから落ちていくのか」まですべてわかった。

人気タワマンで売りが続々

『ザ・パークハウス西新宿タワー60』は高層ビルが立ち並ぶ東京・西新宿にあって、周囲の商業ビルに引けを取らないほど高くそびえたつ超高層タワーマンションである。

マンションとしては日本最高階数となる60階建てで、44階にあるバーからは富士山が一望できる。都心のど真ん中でこれほどの物件が出ることはまたとないとあって、'15年に販売開始すると販売用住戸777戸がすぐに完売したほどの超人気物件である。

そんな『ザ・パークハウス西新宿タワー60』は昨年竣工し、購入者への引き渡しが始まったばかりなのだが、「さっそく売り物件が続々と出てきている」と住宅ジャーナリストの榊淳司氏は指摘する。

「不動産販売サイトを見ていたら、竣工後からさっそく売りが出ていたのですが、それが直近では60件超にまで増えているのです。それも40階、50階台など人気の高層階の部屋が売りに出されているのが目立ちます」

そもそもこのマンションが売りに出された'15年当初は、タワーマンション市場が大きく盛りあがっていた時期。都心一等地の好立地から必ず価値が上がる物件だと業界内でも注目されていた。榊氏が続ける。

「そのため、値上がり益を求めて購入に動いた投資家もいたのですが、いま売りに出されている部屋はなかなか成約していないようです。80平方メートルクラスの部屋でも1億円を超えているので、その『強気価格』を敬遠されているのでしょう。

じつは私の友人も『ザ・パークハウス西新宿タワー60』を購入した一人。まさに高層階を売りに出しているのですが、彼はこう言っています。3月いっぱいまでねばってダメなら値段を下げるしかない、と」

都心の超人気マンションで「売り物件」が積みあがっていく――。

じつはいま、目黒駅前に立つタワーマンション『ブリリアタワーズ目黒』でも同じような光景が広がっている。

『ブリリアタワーズ目黒』といえば、分譲住戸661戸の約半数が「億ション」だったにもかかわらず、'15年に発売すると4ヵ月で完売した人気物件。

山手線目黒駅徒歩1分という好立地から、会社役員や医師など富裕層の購入希望者が殺到し、最高倍率40倍以上の部屋も出たほどだった。

「それがいま、売り物件が積みあがっている。この物件は昨年11月末に竣工して入居開始したばかりなので、その矢先から大量の売りが集中している形です。

実際、不動産仲介サイトでは60平方メートル台で1億3000万円ほどで売りに出されている部屋が見つかるうえ、中には2億円超えで売りに出ている部屋もある。

竣工からまだ2ヵ月ほどなのにそうして売り物件が積みあがり、すでに30件以上が確認できる状況になっています」(前出・榊氏)

不動産業界はバブル期並みの好況に沸いていて、少なくとも2020年の東京五輪までこのブームは過熱していく――。

マンション販売の現場では販売員のそんな営業トークを聞かされるが、そうした楽観論を鵜呑みにできない現実が起き始めている。高く売りたい不動産業者は絶対に口にしないが、不動産バブル崩壊の予兆がすでにあちこちで噴出し始めているのだ。

「ここへきて、都心部のマンションの一部で公募価格と成約価格の乖離幅が広がってきています」と指摘するのは、不動産エコノミストの吉崎誠二氏である。

「たとえば1億円の公募価格で売り出されたマンションなのに、いざフタを開けてみれば成約価格は8500万円だったというようなケースがザラに見られるようになってきました。

不動産相場が勢いよく上昇してきたここ数年は、強気の公募価格を出してもほぼ同価格で成約できていたのが、最近になってその『差』が徐々に広がっているのです。売れずに公募期間が長期化し、なかなか成約できないマンションも多くなってきた」

スカイツリー周辺で売れ残り

そうしたマンションが目立つのは、新宿周辺や品川、田町の湾岸部などのエリアだという。吉崎氏が続ける。

「麻布、青山、赤坂などと比べると人気が落ちるにもかかわらず、不動産市況の活況で実力以上に価格が上がってきた地域です。こうした地域では物件価格がすでにピークを越えて、下降局面に入った可能性がある。つまり、『売り時』になってきた」

実際、ニッセイ基礎研究所が1月に不動産業界の実務家・専門家を対象に行ったアンケートでは、東京の不動産価格が東京五輪開催前('19年)までに価格のピークを迎えると答えたのがじつに7割以上。

専門家のあいだでは、いまが日本で最後の「土地バブル」というのが多数意見なのである。

「不動産業界の人たちの間では、昨年秋ごろから住んでいたマンションを売って、賃貸物件に移り住む人が増えています。

不動産の値上がりが始まった当初、'11〜'12年ごろに買ったマンションでもそろそろピークと見ていて、早めに売却してしまおうと考えている」(前出・吉崎氏)

まさに不動産からの「大脱走」が始まっているわけだが、背景にあるのは投資マネーの動き。これまで日本の不動産市況を牽引してきたのは海外投資家で、日米欧の金融緩和政策でジャブジャブにあふれたマネーを日本の不動産に投じてきた。

それが昨年から米欧が金融引き締め路線に転じたことで、水道の蛇口が閉められたようにマネーの流入がストップ。

これまで不動産高騰を演出してきたマネーが止まれば、バブルは弾ける――そう気付いた一部の人たちが「いまのうちに!」と売りに走っている形である。

「マンションなどに投じられていた投資マネーが、東京五輪を前にして、すでに売りに転じてきました。

また、インバウンド需要が期待できる浅草、上野、小伝馬町など東京の東エリアではホテル需要が豊富で、マンションより投資妙味が高いと感じている投資家も多い。

投資マネーがマンションから一斉に引いていけば、当然価格には下落圧力がかかってくる」(オラガ総研代表の牧野知弘氏)

言い方を換えれば、これまで投資マネーによって価格を引き上げられてきたこうしたエリアには、「売り時」が迫ってきたということである。

そうした状況に追い打ちをかけるのが、'19年10月の消費税アップ。税率が8%から10%へと上がる予定で、落ち込む不動産市場にさらに冷や水を浴びせかける最悪のシナリオが幕開けする。

'19年10月と聞くとまだ先のように聞こえるかもしれないが、増税時には経過措置として半年前までに契約すれば、実際の引き渡しがそれ以後でも増税前の税率が適用される。

そのため、'19年3月末までは駆け込み需要が期待できる一方で、4月から巨大な反動減に見舞われる。それは、「もうすぐそこ」にある現実なのである。

中でも危ないのは、「実需エリア」だ。

「'14年4月に消費税が5%から8%に引き上げられた際には、大手でも注文住宅の受注が3割くらい減り、ひどいところはその状態が2年以上続きました。

そうした反動減の影響を真っ先に受けるのは、『実需』のある埼玉、千葉などのエリアでしょう。

都心部より買いやすい価格設定で普通のサラリーマン世帯が購入してきた地域だけに、消費増税で物件価格が2%も上がると需要が一気に冷え込みかねない。

埼玉でいえば川口、さいたま新都心より先のエリアが危ない。千葉だと舞浜、浦安は耐えられるが、都心へのアクセスが悪い京成線や新京成線沿線は持ちこたえられるかどうか」(住宅ジャーナリストの山下和之氏)

前出・榊氏も言う。

「都心部の『実需物件』ではすでに売れ残りが出始めています。サラリーマン世帯の実需層が購入するのは5500万円ほどの物件ですが、大田区の京急沿線、中野区の西武沿線ではそのクラスの新築物件の販売在庫が顕在化してきた。

葛飾区の東京スカイツリー周辺の人気エリアでも、竣工から数年経っているのにまだ完売しない物件がある。最近では新築マンションの販売現場で、交渉のテーブルについた途端、500万円単位で値下げするデベロッパーも出てきた。

こうしたエリアで物件売却を検討している人は、いまから売りに出して早めに買い手を探し始めたほうがいい」

世田谷、練馬の「時限爆弾」

見てきたように、'18年には投資マネーが消えて、'19年には増税で実需が消える。そして、'20年に東京五輪が終わると、これまで不動産業界を支えていた楽観ムードが完全に消えてなくなる。

'20年からは日本全体で世帯数の減少が始まり、人口減少が本格化。ただでさえ供給過剰になっている戸建て、マンションの「空き家・空き部屋化」が急速に進み、列島全土で不動産価格の暴落が待ったなしになる。

「'20年以降に値下がりが懸念されるのは、二子玉川、たまプラーザなど郊外の人気エリアで、これまでは高価格を維持できていたエリアでしょう。

環状八号線の外に立地する不便さがあるにもかかわらず、人気の田園都市線沿線であることが手伝って、不動産市況の過熱とともに価格が上昇し、実力以上の価格帯になってきた。

こうしたエリアほど価格下落局面では落ちやすい。東京オリンピック前後が『売り時』でしょう。

現在人気の湾岸エリアでも、『格差』が広がっていく。より都心に近い勝どき、月島、豊洲などと比べて、東京五輪の関連施設に近いことで開発されてきた東雲、辰巳などは下落幅が大きくなりやすい。このあたりも五輪前後が売り時かもしれません」(前出・吉崎氏)

さらに'20年以降には、不動産業界の「2022年問題」といわれている生産緑地問題も待ち構えている。

「東京23区など大都市圏の農地・緑地が固定資産税の減免など税優遇を受けられるのが『生産緑地制度』ですが、'22年から多くの生産緑地が指定期限を迎えます。

期限を迎えた生産緑地の所有者のうち、少なくとも2〜3割はその土地を手放すでしょうが、私の試算ではそれだけで東京ドーム900個分の土地が市場に出回ることになる。

これがアパートなどに宅地化されると、すでに空き家問題が顕在化している中、住宅の過剰供給で不動産価格下落を招くことになるわけです。

東京では世田谷、練馬、杉並などにそうした農地が集中している。'22年以降はそうしたエリアで売却用地が溢れ、不動産価格を大きく押し下げる危険性がある」(不動産コンサルタントの長嶋修氏)

つまり、世田谷、練馬、杉並で物件売却を考えている人は、'22年までに「手放す」のが正解――。

人口が減り続けるこの国で、地価が上がり続けることは二度とない。気づいた人からもう逃げ出している。


「週刊現代」2018年2月17日・24日合併号より


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c27

[昼休み52] "新喜び組"は23歳以下の美女たち! 中川隆
96. 中川隆[-5591] koaQ7Jey 2018年3月04日 10:55:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月04日
金正恩は5回くらい東京ディズニーランドに来たことがある

金正恩は金正男と同様日本に密入国を繰り返していたが、最高指導者になるため兄を日本警察に通報した
http://bunshun.jp/mwimgs/3/f/-/img_3fd6df21b55206a4c4936600d11ce350686355.jpg

金親子は日本旅行の常連だった

金正恩は過去に何度も日本に入国し、母と一緒に東京ディズニーランドで遊んだ事がある。

また父の金正日も何度も日本に入国した事があり、観光旅行などを楽しんでいた。

北朝鮮の事情に詳しい人達の間ではかなり以前からこう言われていて、事実だったと思われます。


ロイター通信は2月28日、金正日と金正恩が偽造パスポートで西側に密入国を繰り返していたと報じました。

金正日と妻の高ヨンヒ・金正恩・兄の金正哲らは90年代になんども日本に入国し、ショッピングやレジャーを楽しんだ。

彼らの一番のお気に入りは当時話題になっていた東京ディズニーランドだったとされている。


金正日の父の金日成は「日本」だった朝鮮で日本人として生まれ、やはり日本統治下の満州などで日本人拉致(抵抗運動と称した)を繰り返した。

つまり北朝鮮の3代の最高指導者全員が日本に入国したり日本統治下で生活した事があった。

金正日は日本人拉致を主導していた同じ時期に、1960年代から日本に入国して各地で豪遊していたとされている。


その遊び金を用意して滞在中の世話をしたのは、北朝鮮出身の著名人だったとも噂されている。

90年代になっても金正日の密入国は続き、偽名と偽パスポートを使って税関をフリーパスしていた。

密入国といえば2001年に金正男が成田空港で捕まったが、日本政府は以前から把握しながら、見逃していたと言われている。


金正恩が日本旅行に使った偽造パスポート
reuters20180228112022-thumb-720xauto
引用:ニューズウィークhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/assets_c/2018/02/reuters20180228112022-thumb-720xauto.jpg

拉致を続けながらディズニーランド観光

2002年9月の小泉首相訪朝まで日本政府は「拉致はありえない」「自称拉致被害者による捏造」と主張していました。

警察や外務省は「拉致はでっちあげ」と公言し、失踪者の家族を嘘つきと呼び批判していました。

朝鮮総連や北朝鮮関係者の逮捕は「あってはならない事」であり、拉致や失踪事件に関係しても捜査されず放置されていました。


今では考えられない事だが、2002年までの日本では北朝鮮批判は絶対にタブーだったのです。

金正男を拘束したとき田中真紀子外相は「早く解放しろ」と指示して取り調べもせず釈放したが、当時のごく普通の対応だった。

ちなみに金正男の入国を密告したのは最高指導者の座を狙う金正恩グループで、外務省はとっくに知っていたが調べざるを得なかったと言われている。


金正恩の母は在日朝鮮人の高英姫(コ・ヨンヒ)で帰国後に芸術団に入って金正日の側室になり、芸術団日本公演に団員として正式に来日していた。

1991年に高英姫、金正恩、金正哲が劇団関係者として入国し、東京ディズニーランドを訪問していた。

その後も金正恩は何度も日本に密入国しては、各地を遊び歩いたとされている。


ここで気になるのは金一族が日本で使う旅費を誰が用意していたのかで、まさかトランクに偽ドル札を詰めてきた訳ではない。

日本国内に協力者がいて、その人物か組織が金を用意していた筈で、その人達は日本人拉致にも協力していた疑いがある。

金一族は日本人拉致を繰り返しながら、平然と日本に入国して遊びまわっていたのでした。
http://www.thutmosev.com/archives/75155930.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/906.html#c96

[リバイバル3] 本当のオーディオファイルは「ミニマリスト」を目指す 中川隆
22. 中川隆[-5590] koaQ7Jey 2018年3月04日 11:27:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

生きる目的を見つけた人は、生き方がシンプルになっていく
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180304T0137570900.html#QlFvzHp.google_plusone_ninja_m


本物はシンプルだ。

ニセモノの家具はすぐに壊れるが、本物の家具は100年でも平気で使える。ニセモノの建築物は20年で老朽化してボロボロになるが、本物の建築物は100年でも崩れない。

人は、人生のどこかでこのような「本物」を知れば、ニセモノには耐えられなくなってしまう。本物の凄みに圧倒されてしまい、他では満足できなくなってしまうのである。


世の中のあらゆるものが過剰になっていくと、逆に人々が求めるのは、シンプルなもの、最小限なもの、研ぎ澄まされたものになっていく。

面白いことに、過剰なものを一通り経験した人が最後に辿り着くのも、過剰なものが一切ない最小のものなのである。余計なものを捨てて、最後の最後に残ったものを愛でる。


シンプルになるというのは、付け加えるのではなく、要らないものを捨て去るという発想である。あれもこれもゴテゴテと付け加えるのではなく、逆にバッサリと削っていく。

絞り込み、捨て去り、余計なものをいっさい省き、無駄を排除する。そうやって「大切なもの」だけを残す。それだけではない。大切なものだけを残して、その大切なものを極限まで磨いていく。

磨き抜かれたものは、必ずシンプルなものになっていく。これは、ヒトでもモノでもそうだ。女性のファッションにしてもそうだ。

過剰なものからシンプルなものへと転換した時、女性もはじめて本当の意味の美しさを得ることができる。ただ多くの人はそこまで達観することができないので、やたらめったらと飾り立てて自滅していくことになる。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/691.html#c22

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
46. 中川隆[-5589] koaQ7Jey 2018年3月04日 11:28:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

生きる目的を見つけた人は、生き方がシンプルになっていく
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180304T0137570900.html#QlFvzHp.google_plusone_ninja_m

本物はシンプルだ。

ニセモノの家具はすぐに壊れるが、本物の家具は100年でも平気で使える。ニセモノの建築物は20年で老朽化してボロボロになるが、本物の建築物は100年でも崩れない。

人は、人生のどこかでこのような「本物」を知れば、ニセモノには耐えられなくなってしまう。本物の凄みに圧倒されてしまい、他では満足できなくなってしまうのである。


世の中のあらゆるものが過剰になっていくと、逆に人々が求めるのは、シンプルなもの、最小限なもの、研ぎ澄まされたものになっていく。

面白いことに、過剰なものを一通り経験した人が最後に辿り着くのも、過剰なものが一切ない最小のものなのである。余計なものを捨てて、最後の最後に残ったものを愛でる。


シンプルになるというのは、付け加えるのではなく、要らないものを捨て去るという発想である。あれもこれもゴテゴテと付け加えるのではなく、逆にバッサリと削っていく。

絞り込み、捨て去り、余計なものをいっさい省き、無駄を排除する。そうやって「大切なもの」だけを残す。それだけではない。大切なものだけを残して、その大切なものを極限まで磨いていく。

磨き抜かれたものは、必ずシンプルなものになっていく。これは、ヒトでもモノでもそうだ。女性のファッションにしてもそうだ。

過剰なものからシンプルなものへと転換した時、女性もはじめて本当の意味の美しさを得ることができる。ただ多くの人はそこまで達観することができないので、やたらめったらと飾り立てて自滅していくことになる。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c46

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
51. 中川隆[-5588] koaQ7Jey 2018年3月04日 11:29:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

生きる目的を見つけた人は、生き方がシンプルになっていく
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180304T0137570900.html#QlFvzHp.google_plusone_ninja_m

本物はシンプルだ。

ニセモノの家具はすぐに壊れるが、本物の家具は100年でも平気で使える。ニセモノの建築物は20年で老朽化してボロボロになるが、本物の建築物は100年でも崩れない。

人は、人生のどこかでこのような「本物」を知れば、ニセモノには耐えられなくなってしまう。本物の凄みに圧倒されてしまい、他では満足できなくなってしまうのである。


世の中のあらゆるものが過剰になっていくと、逆に人々が求めるのは、シンプルなもの、最小限なもの、研ぎ澄まされたものになっていく。

面白いことに、過剰なものを一通り経験した人が最後に辿り着くのも、過剰なものが一切ない最小のものなのである。余計なものを捨てて、最後の最後に残ったものを愛でる。


シンプルになるというのは、付け加えるのではなく、要らないものを捨て去るという発想である。あれもこれもゴテゴテと付け加えるのではなく、逆にバッサリと削っていく。

絞り込み、捨て去り、余計なものをいっさい省き、無駄を排除する。そうやって「大切なもの」だけを残す。それだけではない。大切なものだけを残して、その大切なものを極限まで磨いていく。

磨き抜かれたものは、必ずシンプルなものになっていく。これは、ヒトでもモノでもそうだ。女性のファッションにしてもそうだ。

過剰なものからシンプルなものへと転換した時、女性もはじめて本当の意味の美しさを得ることができる。ただ多くの人はそこまで達観することができないので、やたらめったらと飾り立てて自滅していくことになる。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c51

[政治・選挙・NHK240] 最近の赤かぶによる非表示の数はすさまじい! 天橋立の愚痴人間
1. 中川隆[-5589] koaQ7Jey 2018年3月04日 15:34:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
自分に都合が悪いコメントをアラシ扱いして排除しているのは阿修羅掲示板と
糾弾掲示板の二つ位だね

個人掲示板では管理人の気に入らないコメントは削除しても構わないけど、
一般公開しているネット掲示板ではそれは NG


阿修羅にも投稿しているダブルスタンダードの詐欺師 天橋立の愚痴人間氏 が管理しているアホ陰謀論掲示板

糾弾掲示板
https://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/kyudan.cgi

で管理人をやっている天橋立の愚痴人間氏は、俺が間違いを指摘したら俺のそれまでに投稿していた大量のコメントをすべて削除して、俺を投稿禁止にした

http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/751.html#c1

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
46. 中川隆[-5588] koaQ7Jey 2018年3月04日 15:39:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>45
だから慰安婦は18歳以下が殆どだから売春婦にはなれないと言っただろ

それから慰安所は日本軍の施設を間借りしてやっていたもの

慰安婦の輸送や年齢確認もすべて日本軍がやっていたから、業者は単に業務委託されていただけだ
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c46

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
282. 中川隆[-5587] koaQ7Jey 2018年3月04日 15:49:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

岐路に立つ太陽光発電 反発受け規制の動き [2018/03/04]


ゴルフ場跡地に造成された太陽光発電施設=みなかみ町

突風で損壊した太陽光パネル=2015年、伊勢崎市
 

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故の後、国は再生可能エネルギーの普及促進のため、発電された電気を電力会社が一定期間、固定価格で買い取る「固定価格買い取り制度」(FIT)を12年7月に始めた。太陽光は他の電源に比べて発電施設の設置にかかる規制が少なく、費用が安価なため一気に広まった。

 ただ、発電施設の設置が急ピッチで進んだため、景観の悪化や環境破壊を懸念する声が相次ぎ、全国各地でさまざまな問題が生じている。本県でも土砂災害特別警戒区域周辺のゴルフ場跡地や住宅の隣接地などでの発電施設設置に対し、住民の反対運動が起きたケースがある。

 こうした状況を受け、自治体が条例やガイドラインを設けて規制する動きが広がり始めている。売電価格の段階的な引き下げで、倒産する企業も。太陽光発電は岐路を迎えている。

■土砂災害を危惧

 太陽光発電施設の増加に伴い、県内でも防災面や景観、環境保全などを巡って住民の反発が相次いでいる。反対運動のあった3地区を歩いた。

 みなかみ町の湯宿温泉。ここは20年前、集中豪雨によって温泉街を流れる七ツ釜沢が氾濫し、旅館や商店に濁流が流れ込んだ。その沢を上流へたどった大峰山にかつてのゴルフ場、旧月夜野カントリークラブがある。

 旅館を経営する男性(73)の案内でゴルフ場跡地へ向かうと、森林の中に無数の太陽光パネルが見えてきた。フェアウエーだけではない。コース内は木々が伐採され、クラブハウスがあった場所も整地されてパネルが並べられていた。

 付近は土砂災害特別警戒区域などに指定されており、男性は「パネルは山肌の上に屋根を造るようなもの。降った雨が沢に流れ込み、再び土砂災害を起こす危険性がある」と危惧する。

 地区住民は昨年春、町や事業者に対し開発計画の白紙撤回を要望した。だが、ゴルフ場建設の際に開発許可が出ているため、計画を止める手だてはなかった。事業者は「住民説明会で問題点を議論した上で要望は反映させ、県や町とも協議をして事業を進めた」と説明。男性は「災害対策がきちんと取られているかどうか、今後も見続ける」と力を込める。

■突風の不安

 高崎市箕郷町では、住宅街の隣の畑に太陽光パネルが並ぶ。パネルの下で農作物を栽培する営農型発電で、取り組みとしては近年、注目されている手法だ。

 ところが、ここでも反発の声が上がった。反対住民でつくる団体は2年前、計画見直しを求める要望書と174人分の署名を市農業委員会に提出した。

 背景には、冬場にこの地域で多い突風への懸念があった。60代の男性は「過去に納屋が壊れたり、イチゴのガラスハウスが100メートルほど飛んだりしたこともあった」と振り返る。伊勢崎市内で3年前、太陽光パネルが突風で飛ばされた光景を見て不安を募らせた住民もいた。

 事業者側には架台の基礎をコンクリートで固めるなどの配慮を求めたものの、農地のため施工ができないという。近くの60代女性は「住宅からの距離をもう少し確保してもらえれば安心できるのに」とつぶやいた。

 事業者の農業生産法人は「国も推奨する事業で地域おこしのモデルにもなる。住民の方々とは3年以上十分協議を重ねてきた。今後も話し合っていきたい」とする。

 別荘地裏手の森林を伐採して発電所が建設されたのは嬬恋村鎌原地区。別荘所有者らが反対運動を展開した。オーナーの男性(66)は「豊かな自然が売りだったが、自然環境は破壊され、景色も台無しになった。パネルの反射光がまぶしく、住めなくなった人もいる」と憤る。住民団体は2年前に約1900人の署名を集めて村や村議会に計画中止を求めたが、運動は実らなかった。

 住民らの反発にも計画が止まらないのは、太陽光発電施設の設置を直接規制する法律がなく、環境影響評価(アセスメント)法でも対象外となっているからだ。このため行政側は「民間と民間の話」として静観することも多く、嬬恋村の場合は裁判所に工事続行禁止の仮処分命令を申し立てたが却下された。

■独自に規制

 一方で、相次ぐ住民とのトラブルを受けて県内でも独自に規制を設けるケースが広がり始めている。県は許認可申請の前に事前協議を求めるなど、資源エネルギー庁のガイドラインを基に配慮すべき事項を作った。前橋市や高崎市、太田市などは自然環境や景観などとの調和に関する条例を制定し、抑制区域を設けたり、説明会の開催を義務付けたりすることを盛り込んだ。富岡市は、市内全域で設置を許可制とする県内初の条例を10月に施行する方針だ。

 促進か、制限か―。環境エネルギー政策研究所の山下紀明さんは、導入量は今後減りつつも普及は続くとの見方を示す。その上で、「国や自治体が無秩序な開発に歯止めをかけるとともに、事業者も地域の合意形成に努めることが重要だ」と指摘。「住民も市民出資などによる参加手法もあることを知れば、より持続可能な社会づくりにつながるのではないか」としている。


《記者の視点》行政関与の枠組みを


 東日本大震災による原発事故を教訓に、再生可能エネルギーは導入拡大が図られてきた。比較的参入しやすい太陽光はその主役だったはずだ。

 ところが、相次ぐ住民とのトラブルで、今では迷惑施設として受け止める人も少なくない。エネルギー自給率を高める上でも重要な役割を担っているのに、普及促進にブレーキをかけかねない事態になっている。

 反対する住民の意見に多かったのは「太陽光そのものに反対しているわけではない。場所を考えてほしいだけだ」「プロの事業者を相手に一般市民が条件交渉をするには限界がある。行政にもっと関わってほしかった」という声だ。

 環境省は「地域で事情が異なるため、条例などによる取り組みを推進している」との立場だが、トラブルはどこでも起こり得る。行政が関与できるように、まずは全域を網羅する一定のルールづくりが必要ではないだろうか。住民の理解なしでは普及はおぼつかない。(藤井陸大)


売電価格引き下げ響く 事業者の倒産増加


 国の普及支援策によって太陽光発電は順調に成長してきた。その一方で近年は太陽光発電関連事業者の倒産が増えている。

 固定価格買い取り制度(FIT)で当初、非住宅(10キロワット以上)用の太陽光の価格が1キロワット時当たり40円と高く設定されたことで、新規参入が相次いだ。だが、FIT財源は電気利用者が支払う電気料から徴収されるため、国は再生可能エネルギーの普及を図りつつも国民負担を抑制しようと段階的に価格を引き下げている。2017年度には21円まで下落。この結果、事業者は投資回収や収益確保が難しい状況に陥っている。

 帝国データバンクによると、17年の全国の倒産件数は88件。4年連続の増加で過去最多となった。負債総額は302億円に上る。同社は「買い取り価格が連続して引き下げられたことでブームが沈静化し、市場縮小を受けて淘汰(とうた)が進んでいる。市場環境は依然厳しい」と分析している
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/37142
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c282

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
1. 中川隆[-5592] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:05:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【経済学理論の虚妄】 「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 

− 「自由貿易主義」は「保護貿易主義」である 


「国家破産15」ボードにも「比較優位」学説が散見されたので、それを俎上に乗せたい。

まず、「自由貿易主義」は、それが有利だと考える国家が主張する「保護貿易主義」だと考えている。

自由貿易がお互いの国民経済にとってメリットがあるという理論的根拠としては、「比較優位」という考え方が示されている。

「比較優位」は経済学で幅広く受け入れられている(流布されている)理論であるが、現実と歴史をとてつもなく捨象したモデルにおいでのみかろうじて成立するものでしかない。

ここで取り上げる「比較優位」の理論は、リカードの「比較生産費説」と「ヘクシャー=オリーンの定理」とし、その対抗理論(政策)としてリストの「幼稚産業保護論」を取り上げる。

経済学から少し離れ、経済が国民経済であり、国民経済が近代国家の基盤であることを考えれば、「比較優位」がどれほど“現実離れ”したものであるかわかる。
「比較優位」を根拠として、鉄鋼産業や機械産業を確立せず、それらを外国に依存した近代国家が、国際政治の荒波を乗り越えることができるのか?

「比較優位」を根拠として、食糧を外国に依存した国家が、農業の自然規定性と自然変動や国際政治の変動を考えたとき、それで長期的な国民生活の安定を維持できるのか?

諸外国と対等に交渉できる自立した国家をめざす統治者が「比較優位」を受け入れることはないだろうし、国民の安定的な生存を第一義とする統治者も、「比較優位」を受け入れることはないだろう。

また、グローバル化が進んだ戦後世界でも、日本を除く先進諸国は「比較優位」を度外視して食糧自給率100%をめざし、自由主義の権化と見られている米国でさえ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次々に対日貿易規制を強要してきたことなどを思い浮かべれば、「比較優位」が、建前や理論は別として、現実としては受け入れていないことがわかる。

「比較優位」が理論としては受け入れられていても、現実の近代世界史で「比較優位」に基づいて交易が行われたことはないというのが実態である。

(近代産業勃興期の英国も、相手国(インドなど)に強制するかたちで輸出増加を達成したのだから、相互が納得する「比較優位」で交易が行われていたわけではない)

しかし、このような政治論的立場から「比較優位」を批判することが目的ではないので、経済論理に限定してその誤りを考察したいが、先にリストの「幼稚産業保護論」を見ることにする。

■ リストの「幼稚産業保護論」


リカードの「比較生産費説」を批判したドイツのリストは、自由貿易があらゆる国に利益をもたらす政策だとしても、産業構造が不変で、短期静態的な条件でのみ適用できるとした。

例えば、ドイツが近代的な紡績工場を綿糸業の比較生産費を切り下げていけば、小麦の輸出国から綿糸という工業製品を輸出する工業国に変身し、生産が大きく拡大し、経済厚生水準も大きく向上すると説明し、国家の政策で、英国製品の輸入を抑え、綿糸の国内価格を引き上げることで綿糸工業の拡大を実現すべきだと主張した。そして、リストの考えはその死後1879年にビスマルクによって採用され、それが、ドイツの工業化を促進し、重化学工業で英国を凌駕するまでになった。

これは、19世紀末のドイツまで遡らなくとも、戦後の日本を考えれば理解できることである。

米国の産業に較べて劣っていた日本の産業がついには米国を凌駕するまでになった過程を考えれば、「幼稚産業保護論」どころか「幼稚国家保護論」に基づく政策によってそれが実現されたことがわかる。

戦後日本の高度成長期は、保護関税のみならず“舶来品は贅沢”という価値観まで国民に浸透させることで輸入を抑制し、外資の直接投資を原則禁止とし、輸出の増進を国策として取り組んだ成果である。

1960年前半までに「自由貿易」や「外資受け入れ」を政策として実行していれば、今では名だたる輸出優良企業のほとんどがなく、国民生活の水準も現実の歴史過程よりずっと下回るものになったはずである。

(安価な財の輸入により国民生活が一時的に上昇することは否定しない)

■ 戦後の発展途上国


「自由貿易」主義者が戦後世界を取り上げるときは、「幼稚産業保護論」で成功した日本ではなく、戦後独立を果たした発展途上国を対象とするだろう。
発展途上国はその多くが近代化をめざし、「幼稚産業保護論」に相当する「輸入代替工業化政策」を採った。

その具体的な政策は、保護関税・輸入数量割り当て・高い為替レートをベースに、育成対象の産業が生産する財の国内価格を引き上げ、その産業が必要とする資本財の輸入に必要な外貨を優先的に割り当てるという政策を採った。

しかし、このような政策が成果を上げることは稀であった。

戦後日本やかつてのドイツが成功を収める一方で、戦後類似的な政策を採った発展途上国がうまくいかなかった要因が何かを考える。

技術力・経営・活動力という歴史的蓄積の差異を総括的要因として上げることができるが、


● 資本における有機的構成の高度化すなわち固定資本比率と規模の拡大

戦後とっても「産業革命」から既に100年以上が経過し、二つの世界大戦を経ていることから、産業の機械化が生産装置と言えるまで高度化しており、国際競争力を確保するためには、競争優位の規模を実現するためには厖大な資本投入を必要とする。

特定産業を優遇的に育成するためには、他の産業に犠牲を強いることである。
資金(外貨)が不足しているのが途上国だから、国際借り入れを行い、生産した財を輸出することで返済していなければならない。

途上国はGDPの絶対的規模が小さいのだから、対外債務の返済負担が過大なものとなる。

対外債務の過大な負担はイコール国民生活の耐乏を意味するから、国際競争力を確保できるほどの規模で産業を確立するのは無謀な試みとなる。

せいぜいが「輸入代替」という規模に制約され、国内市場向けに販売されることになる。

しかし、産業育成の資金は国際借り入れだから、その債務履行分だけは、国民経済の需要が減少する。

巨額の生産財を国際借り入れで輸入しながら、それによって生産される財が国内市場だけで販売されていれば、その産業の維持さえ困難な国民経済状況になる。

● 自国通貨を高めに設定した為替レート

為替レートが“実力”以上に高ければ、国際借り入れも相対的に軽減でき、財の輸入も有利になる。

ところが、そのために財の輸出競争条件は厳しいものになる。

「輸入代替工業化政策」という国内市場に限定した考えであったが故に、途上国の産業は育成はうまくいかなかったと言える。

国際借り入れの返済のために国内需要は減少するのだから、最低でも、債務履行に必要な外貨を輸出で稼ぎ出さなければならないのである。

■ 東アジアの経済成長


東アジア地域は、ラテンアメリカ・南アジア・中東・アフリカと違って経済成長を達成した。

東アジアが経済成長を遂げたのは、「比較優位」に従った結果でもなく、「輸入代替工業化政策」を採った成果でもない。

成功の要因は、日本を中心とした外資を積極的に誘致し、輸出拡大と国内需要拡大を成し遂げたことにある。

自前の産業育成であれば国際借り入れが必要になるが、外資であれば、生産設備の投資は外資自身が行い、そこで働く人々の教育だけ面倒を見ればいい。

極端な例をあげると、外資の工場で生産される財が全量輸出されるのであれば、財が国内に供給されることなく、そこの勤労者が得る賃金がまるまる国内企業にとっての需要として増加することになる。

財の輸出でデフレ圧力がかかることなく、需要の純増加により産業活動が活発化するインフレ傾向を生み出すことになる。

そのような経済状況であれば、需要“純”増加を梃子に国内企業の力を徐々に高めていくことができる。 そして、産業育成に国際借り入れを行ったり高価な生産財を輸入する必要がないのだから、為替レートは安い状態でいいというか、外資誘致のためにも安いほうが有利である。


国内企業の力が付いて輸出ができるようになれば、安い為替レートが国際競争力の支えとして貢献することになる。

このような発展途上国の経済成長論理は、ここ10年の中国経済を顧みれば理解できるはずである。

■ リカードの「比較生産費説」


「比較優位」の先駆理論であるリカードの「比較生産費説」からまず見ていくことにする。 簡単に「比較生産費説」を説明すると、


「世界に英国とポルトガルの2ヵ国しか存在せず、生産している財も毛織物とワインの2種類しかないと仮定する。英国は毛織物1単位を生産するのに100人、ワイン1単位を生産するのに120人を必要している。

ポルトガルは毛織物1単位を生産するのに90人、ぶどう酒1単位を生産するのに80人必要だとする。そして、英国の全労動量を220人、ポルトガルの全労動量を170人とすれば、貿易が行なわれないときの2ヵ国の毛織物の総生産量は、英国1単位、ポルトガル1単位の合計2単位である。同様に、ワインの2ヵ国の総生産量も2単位となる。

         英国     ポルトガル   2ヵ国の総生産量  
 毛織物    100人     90人     2単位
 ワイン    120人     80人     2単位
 総労働力量  220人    170人


生産性という視点で見れば、毛織物とワインともポルトガルのほうが優位にある。
直感的に考えれば、ポルトガルが両方の財を英国に輸出すればいいということになるのだが、リカードは、“より生産性が優れている財に特化して生産した方がお互いにより利益を得ることができる”と唱える。

ワインを基準にすると、  

(100/120)0.83 < (90/80)1.13

だから、英国は毛織物の生産が相対的に得意ということになる。


毛織物を基準にすると、  

(120/100)1.25 > (80/90)0.89

だから、ポルトガルはワインの生産が相対的に得意ということになる。
だから、英国は比較優位の毛織物に特化し、ポルトガルは比較優位のワインに特化したほうがいいとする。


そうすれば、

        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)  


 2ヵ国の総生産量を見ればわかるように、貿易しない場合に比べて、総労働量に変化がないにもかかわらず、それぞれの財の生産量が増加する。」


このような“詐欺”的説明でリカードは、自由貿易がお互いの国民経済にとって有利なものだと主張した。

財の特性にふれることもなく二つの財だけを比較するだけで、国民経済の利害を論じるとはなんとも雑ぱく話である。

例として上げられたポルトガルは、当時英国の属国同然だったから反論をしなかったかもしれないが、まっとうな統治者がいればきちんと反論していたであろう。
仮想のポルトガル統治者による反論を試みる。

● ポルトガルの仮想反論


「私どもの生産性のほうが毛織物でもワインでも高いということがよくわかりました。しかし、私どもの国では毛織物とワインの生産量と需要はぴったり合っていて、ご提案の内容によって賃金総額が増えることはありませんから、生産量が増えてもそれらの需要は増加しません。余った財はどうなさるのですか?全部お金に代えるとしたら、安く売るしかないんじゃないですか?」

「リカードさん、ではこうしましょう。英国の毛織物とワインの需要量はどれほどですか?私どもでその分を生産して貴国に輸出して差し上げます。もちろん、現状の労働力量では生産量を増加させることはできませんから、おたくの国から労働者に来てもらって結構ですよ。ほら較べて見てください。


        英国   ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物     0人    220人   2.44  単位
 ワイン     0人    170人   2.125単位
 総労働力  ( 0人) (170人)


        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)


ワインの生産量は変わりませんが、毛織物は2.2単位が2.44単位に増加します。うちで全部生産したほうが毛織物も生産量が増えますよ」


「それがおいやでしたら、英国はワインを、ポルトガルは毛織物をという分担は如何でしょう。毛織物は機械産業も必要ですし、毛織物や機械産業を別の織物業の発展にも貢献します。ワインの生産量が減ることについては、飲酒抑制を呼び掛けて何とかしますから大丈夫です」


現代のリカードは、ポルトガルの反論にどう答えるのだろう。

国民経済の発展が、農業就業人口の減少とそれに代わる工業就業人口と商業・サービス業就業人口の増加という現象を伴ったこと、金額であるGDPでも同じ現象を示し、現在の日本の農林水産業がGDPに占める割合は1.4%しかないことを考えれば、ポルトガルがワインに特化すれば、その後どういう“発展”を遂げなければならないかを推測するのはそれほど難しいことではない。

■ ヘクシャー=オリーンの定理


 比較優位を説明する理論としては、リカードの「比較生産費説」の他に、ヘクシャー=オリーンの定理がある。

ヘクシャー=オリーンの定理は、貿易する2国間で生産関数と消費関数が同一であったとしても、2国間に要素賦存比率の違いがあれば両国で異なる財に比較優位が発生して貿易が有効になると証明したとされるものである。

ヘクシャー=オリーンの定理が成立する条件は、


(1)2国2財2要素モデル
(2)生産関数と消費関数は2国で同一
(3)市場は完全競争
(4)二つの国は一方が資本豊富国でもう一方が労働豊富国
(5)二つの財は一方が資本集約財でもう一方が労働集約財
(6)二つの要素は資本と労働であること。
(7)生産要素は国内では自由に移動できるが、国境を越えて移動できない


である。そして、要素賦存の違いが国内の財の相対価格に反映されるとする。
資本豊富国では、同一の生産関数の下では労働豊富国よりも資本集約財の相対価格が低く、労働集約財の価格が高くなる。

だから、各国は、自国に相対的に豊富にある生産要素を集約的に用いる財に比較優位をもつことになると結論する。

まず、この定理では、類似的な要素賦存比率である先進諸国間や途上諸国間の自由貿易の正当性を説明することができない。

先進国と発展途上国のあいだの自由貿易を正当化する説明として“限定的に”有効性を持っていることは認められるが、自由貿易ではなく、前述した外資導入による東アジア諸国の経済成長論理に較べれば劣った“経済利益”である。

また、発展途上国の位置づけを固定化するものであり、通貨的尺度で測られる資本増殖ではなく、財生産量の最大化や財価格の最小化が経済利益に直結すると考えたときのみ通用するものである。

日本経済や世界経済を見ればわかるように、「近代経済システム」では、財価格の極小化は経済利益をもたらすどころか、「デフレ不況」という経済的大災厄をもたらすことがわかっている。

「自由貿易主義」は、世界レベルで需要規模が大きく付加価値も大きい財の生産分野で国際競争力を誇っている国民経済の国家が主張する「保護貿易主義」なのである。

そして、それを高らかに唱え続けるためには、国内で完全雇用に近い経済状況が維持されていなければならない。

http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/570.html

貿易とグローバリズム 05/3/7


リカードの「比較優位の原理」


ライブドアのニッポン放送買収劇は、色々な教訓を与えてくれた。日頃グローバリズムを唱えている日本のマスコミが一夜にして国家主義者に変身した。例えばテレビ朝日の広瀬社長は、政府が外資系企業による放送局への出資規制強化へ電波法や放送法の改正を検討していることについて「歓迎したい」と賛成する意向を示している。

今日、日本のマスコミは構造改革派やニュークラシカル経済学派に席巻されており、本来なら、市場至上主義を唱え、あらゆる規制に反対する立場のはずである。ところが自分達に降り掛かった災難に対してだけは、規制をして守れとはたいした了見である。まるで先週号で取上げた昔の社会党の政治家のように、日本のマスコミはダブルスタンダードである。


ところで筆者は、外資規制に賛成である。ただし放送業界だけに外資規制を適用するという考えには反対である(外国でもメディアに対して外資規制があることを根拠にしているらしいが)。全ての企業についても外資の規制を検討すべきと考える。そもそも筆者は、経済のグローバリズムそのものに疑問を持っている。筆者は、それぞれの国がメリットのある範囲で国際的な規制緩和を行えば良いという考えである。何でも規制を緩和すれば、国民が幸せになるという話は幻想と考える。

外国と交易することは、国とって良いことだという意見が強い。この考えの延長で、貿易をどんどん自由化したり、外国から大量の労働者の受入れることが良いことと考える人々がいる。日本にはFTAを積極的に進めることが必要と唱える政治家がいたり、経団連は単純労働者を日本も受入れるべきと考えている。

一般の人々の間には、素朴に日本人は国内に産出しない石油が使え、日本の製品が各国に輸出ができ雇用機会を確保できるという意見がある。しかし貿易というものは双方にメリットがあるから行われるのである。産油国は、その辺を掘ったら石油が出てきたのであり、そんなものを買ってくれる者がいることに感謝しているとも考えられる。交易が一方的に日本だけにメリットがあると考えるのはおかしい。


筆者は、経済のグローバリズムには光と影があり、今日、光の部分だけがやけに強調されていると考える。そこで本誌はしばらく経済のグローバリズムを取上げる。しかし経済のグローバリズムと言うと、テーマとして大きい。そこで経済のグローバリズムを「物の交易、つまり貿易」「資本の移動、つまり外資の進出」「人の移動、つまり外国人労働者」の三つの側面から論じたい。

まず「貿易」を取上げる。貿易が活発になることが、どの国にとっても良いという意見は誰もが主張したがるが、驚くことにこの根拠はとても薄弱である。このような考えの根本を辿って行くと、どうしてもリカードの「比較優位の原理」に到る。これについては中国との交易の関係で、本誌02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」で取上げた。

「比較優位の原理」が適切に働くには、為替レートが適切な水準にある必要がある。しかし日本のように購買力平価より高い為替水準で推移している国がある一方、中国やインドのように購買力平価より著しく低い為替水準の国がある。さらに中国は、不適切な為替レートを米ドルにぺッグすることによってずっとこの不適切な為替レートを維持している。このようなことが許されるなら「比較優位の原理」が働くのではなく、全ての生産物は中国で生産することが有利になる。

だいたいリカードは18世紀後半の経済学者であり、当時は金本位制の時代である。つまり不適切な為替レートなんて考える必要がなかったのである。さらにリカードの唱える古典派の経済学では「生産した物は全て売れるというセイの法則」が成立っている。つまり「比較劣位」となって競争に破れても、生産者は他の物を生産する道があるという現実離れをした考えが根本にある。

やはり日本は内需拡大を


「比較優位の原理」は為替変動が適切でなければ適切に働かないだけでなく、古典派経済学の前提になっている完全競争下でなければ公正に働かない。ところが現実の経済では産業によって参入障壁の高さがまちまちである。参入障壁が高い産業は、政府の保護政策がなくとも自由貿易で損をすることがない。一方、参入障壁の低い産業は、貿易の自由化の悪影響をもろに受ける。

経済のグローバリズムと参入障壁の関係は、本誌でも

00/5/15(第162号)「経済のグローバル化とNGO」
http://www.adpweb.com/eco/eco162.html

で述べた。参入障壁の高さがまちまちの状態のままで、単純に貿易の自由化を進めれば、貿易の自由化で恩恵を受ける人々と、損害を被る人々に別れる。たしかに日本において所得格差の広がっているが、これも貿易の自由化の進展と関係している。また参入障壁が低い産業(農業などが典型)は主に地方に配置されており、貿易の自由化の進展は今日の地方経済の疲弊と密接な関係がある。

また部品工業を取り上げれば、参入障壁が低い汎用品を生産しているところは貿易の自由化で損害を受け、特殊な部品を造っているところは影響が少ない。たしかに汎用部品なんか作っている時代ではないという意見もある。しかし全ての部品メーカが特殊部品の製造メーカに簡単に移行できるわけではない。ましてや中国のような不当な為替政策を行っている国の台頭を容認することは問題である。

農業についても、北海道のような工作面積広く米に頼ることのない農業をやっている所と、本州のように農家が依然米作にこだわりを持つ地域とでは利害が対立する。北海道は貿易の自由化を容認するかもしれないが、本州の農家は簡単には農産物の自由化を容認できない立場である。このように貿易の自由化と言っても、国民の利害は一様ではないのである。


中国やインドの為替政策は不正であるとか、日本国内の産業構造を見ても競争が公正に行われるはずがないと言っても、貿易の自由化は確実に進んでおり、所得格差は大きくなっている。しかし中国やインドが簡単に政策を変えるはずがない。今日の日本の風潮を前提にするなら、残念ながら競争にさらされやすい産業の人々は、これに対抗する必要がある。物事を深く考える政治家もマスコミ人も少ない今日、これらの産業に携わる人々は自分で防衛手段を考える他はないという立場に追い込まれている。

日本の教科書には、日本は貿易立国であり、貿易で恩恵を受けていると記述されている。しかし単純にこのようなことが言えない時代になっている。貿易黒字が溜まれば、円高になる。円高を阻止するため資本の海外流出を続けると、今度は海外に持つ資産が増え、これからの利息や配当収入が増え、これがまた次の円高要因になる。円高になれば企業は合理化に迫られ、リストラを行い競争力を回復することになる。

政府が内需拡大をしない今日では、企業は輸出に頼ることになる。しかしこれが将来、自分達の首を絞めるのである。つまり貿易が、誰にとってメリットがあるのか分からなくなっている。企業のメリットと言っても、企業の経営者なのか従業員なのか、はたまた株主なのか、メリットを受ける者が分からない。


今期、最高益を記録したある企業では賃金の引下げを計画している。会社の利益は伸びているが、これは国内の販売の不振を海外事業がカバーしたからである。つまり国内従業員の給料を上げる理由がないのである。国内従業員は会社の海外進出に協力し、技術の海外移転に協力した。しかし海外事業発展の成果は、国内の従業員には還元されないのである。特にこの会社は外資の持ち株比率が高く、安易な国内従業員の賃上げはできず、むしろ賃下げに動いているのである。

このように日本は貿易に頼る貿易立国で、貿易によって国民は幸せになるという単純な概念は今日では通用しない。輸出が伸びれば、円高が進み、さらに輸出先の国での設備投資が要請される。会社は成長し生き残るが、国内の従業員や下請け業者はそのうち犠牲になるのである。

受験秀才のマスコミ人や政治家は、教科書の記述通り、貿易が盛んになれば国民は豊かになると信じている。政府も、FTAを推進すれば日本の経済成長率を押し上げると言っているが、これも一時的なものである(それもほんのわずかな数字)。むしろ将来、この反動の方が大きい。

今日では企業の利益が、国民や国家の利益とはならない時代になっている。筆者は、貿易黒字は、日本のODAの額に見合うだけで十分であると考える。もっと言えば所得収支が黒字であるから、さらに貿易黒字く小さくて良い。むしろ日本は、内需拡大を行って、海外に依存する度合いを低くしても成立つような経済に転換すべきである。  

来週は「資本の移動、つまり外資の進出」を取上げる。冷徹な資本の論理が正しく、これに逆らうのは資本市場の働きを歪めると言われている。たとえば「ライブドアの行動は、現行の法律の上で許されているのであり、これを否定することは市場を否定することになる」という意見はこれに沿っている。またこれがグローバルスタンダードとかアメリカンスタンダードと言われている。

しかし今回のようなだまし討ちのようなライブドア陣営の行動は、アメリカでも卑怯な行動と否定される可能性が強い。リーマンブラザースだって、米国なら今回のような商売を行っていたか疑問である。ハゲタカファンドだって、米国ではとてもやれないことを日本でやっている可能性が強い。それを日本のばかで思考力のない政治家やマスコミが、これがグローバルスタンダードと誤解しているのである。

http://adpweb.com/eco/eco380.html


中国の不当な為替政策 02/7/22

比較優位の原理


最初に、交易の有益性の理論的な背景を述べることにする。そのために分りやすい例えを用いる。まず北海道と鹿児島の交易である。

例えば北海道では、「じゃがいも」が極めて安く作れるが、「サツマ芋」の生産コストが物凄く高いとする。反対に鹿児島では「サツマ芋」を安く作れるが、「じゃがいも」の生産費がばか高いとする。このような場合、北海道は余計に「じゃがいも」を作り、これを鹿児島に売ることにし、反対に鹿児島は「サツマ芋」を増産し、増産分を北海道に売ることにする。そして北海道は「サツマ芋」、鹿児島は「じゃがいも」の栽培をそれぞれ取り止める。

このような交易を行うことによって、北海道と鹿児島の双方にメリットが生まれる。北海道は高コストの「サツマ芋」の栽培を止めることによって、生産資源を他の作物に振向けることができ、鹿児島も「じゃがいも」の生産資源を他の有益な作物に振向けられる。つまり北海道と鹿児島は、互いに低コストの生産物を交換することに、生産余力が生まる。さらにこのことによって所得の増加が可能になる。このように交易は、双方の所得増加と言うメリットを与えることになる。そしてここでポイントとなることは、交易が「双方」にメリットを与えると言う点である。

そしてこの交易によるメリットは、国内に止まらず、海外との交易にも広げることができる。このように互に生産コストが安い物を交換する、つまり外国と交易することによって双方の国に所得の増加がもたらされることを始めて理論的に説明したのがリカードである。そしてこれは「比較優位の原理」と呼ばれ、国際分業を推進する理論的根拠となっている。上の例の場合、北海道は「じゃがいも」が、そして鹿児島は「サツマ芋」が夫々「比較優位」と言うことになる。

人々がよく口にする

「自由貿易を推進し、交易を広めることは、双方にメリットがあり、これを阻害する障壁を除去することが大切」

と言うセリフの背景にも、このリカードの理論がある。WTOは、この精神に乗っとって、関税や補助金と言った貿易の障壁をなるべく低くすることによって、貿易の自由化を推進することを目的にした機関である。


たしかに先進国の間では、それぞれの国に得意な生産物があり、これを交易と言う形で交換すれば、互にメリットがあるるような気がする。しかし国際間の交易には、国内の交易とは決定的に違いことが存在する。貿易には為替が介在するのである。もちろん為替レートが適正な範囲に収まっているのなら問題はない。ところが日本のように購買力平価より著しく高く実際の為替レートが推移している場合には問題が生じる。

もっとも現実の円レートについては、購買力平価より高く推移している原因の大部分は日本に責任がある。まず国内需要が慢性的に不足しており、産業が輸出指向型になっていることがあげられる。さらに資本流出(為替介入による外貨準備金の増大も含まれる)による膨大な海外資産の累積があり、これらから発生する利息や配当が円高圧力となっている。本来なら、内需拡大を行ってこなければいけなかったのであるが、これが十分行われてこなかったツケが今日の円高となって跳ね返ってきているのである。


このように円レートはいびつな水準で推移している。しかし一方には、逆に購買力平価より著しく安い水準で推移している為替がある。中国の「元」やインドの「ルピア」などである。特に貿易量が増大している中国の「元」が大問題である。

01/5/28(第209号)「中国との通商問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco209.html


で取上げたように、世銀の調査によれば、元の購買力は実際の為替レートのなんと4.55倍もある。ちなみに日本の円は逆に0.78倍の購買力である。これらの数値を元に、円と元の購買力を比較すると、中国の元は日本の円の、実に6倍の購買力があることになる。

今日、公定レートでは1元が15円である。したがって元の本当の購買力は、6倍の90円と言うことになる。また中国の元は米ドルにリンク(ベッグ)しており、特に今日のような円高が続けば、1元は100円、110円になる可能性がある。たしかに世銀の試算はちょっと古いが、中国の「元」が極めていびつな管理が行われているはたしかである。

中国の工業の発展がめざましいことは認めるが、中国の輸出の急増は、品質の向上ではなく、このようなとんでもない為替レートの維持政策によるものである。中国の工場労働者の賃金は、日本の20分の1とか、30分の1と言われているが、これはあくまでも公定レートの換算によるものである。元の購買力平価で換算すれば、3分の1から5分の1と言うのが実態である。

これは本誌で以前から述べていることであるが、こと中国の物価は、6倍で計算すると実態に合う。例えば、中国のGDPは1兆ドルを越えている。これを購買力平価で換算すると6兆ドル超と言うことになり、日本のGDPをはるかに越えることになる。もっともこれでも一人当りのGDPは、日本の8分の1から7分の1程度である。軍事費も公表されている額が200億ドルであるが、米国の国防省は、この3倍以上の650億ドルと見ている。もし国防省の見解が正しいなら、購買力平価で換算した中国の軍事費は45兆円となり、これは50兆円の米国に匹敵する額である。たしかに中国は年間50基ものミサイル基地を増設しいる。とても額面の200億ドルの軍事費ではとても賄えないような軍備の増強を行っているのである。


最初の交易の話に戻す。

「比較優位の原理」が働くには、交易を行う両国の為替が適正な範囲に収まっている必要がある。

日本の場合、対先進国でも厳しい円高を強いられている。しかしこれは日本が内需に依存する経済を実現することを怠ってきた結果でもあり、甘受すべき面もある。しかし対中国は事情が大きく異なる。あまりにも中国は異常な為替水準(常識を逸した元安)を維持している。これでは日本と中国の間ではとても「比較優位の原理」が働かないことになる。今後はほとんど全ての生産活動を中国で行うことが合理的となる。

ところで本来一時的に為替水準が異常な水準でも、しばらくすれば、パラメータである為替が適正な値に動くはずである。中国は、対日本だけではなく、米国を始め各国との貿易収支は大きな黒字である。つまりこのような状態が続けば、元が強くなり、円を始め各国の通貨が安くなるよう動くはずである。しかし中国は米ドルにしっかりリンクさせることによって、安い元を維持しているのである。特に中国の元は国外に持出しが禁止されており、各国が売買することによって元の為替水準に影響を与えることができない仕組になっている。

為替操作の結果


ドイツのフォークスワーゲンは、昨年チェコに自動車工場を造ることを検討したが、最終的にこれを取り止め、ドイツ国内に工場を造ることにした。チェコの人件費は、ドイツの5分の1であり、これはフォークスワーゲンにとっては魅力的である。しかしチェコのインフラの状況などを勘案すると、やはりドイツ国内の生産設備を増強した方が良いと言う結論になったのである。

ところが中国の人件費は、日本の20分1、30分の1である。これではいくら中国のインフラが劣っていても、日本の製造業は全て中国に移転した方が良いと言う結論になる。

このように全く「比較優位の原理」が働かない状態である。まさに中国の為替政策は、日本を始めとして、各国に対する産業の破壊活動である。

実際、日本だけでなく世界的に中国の為替政策の犠牲者がどんどん出てきている。香港は超不況で失業率は7.7%となっており、東南アジアや台湾の生産拠点もどんどん中国に移転している。メキシコの保税工場も、中国製品の対米輸出の急増で、瀕死の状態である。

中国が不適正な為替を是正すれば、人件費はチェコ並(ロシアも同じくらい)になるはずである。こうなれば、フォークスワーゲンの例ように、中国に移転した方が良い工場もあれば、やはり日本に置いておく方が良いと言った住み分けも起るはずである。ちなみにフォークスワーゲンは、中国に生産拠点があり、「サンタナ」などを製造しており、中国で4割以上のトップシェアーを占めている。


筆者が、危惧するのは、中国のこのむちゃくちゃな為替政策があまりも問題視されていないことである。本誌が異常な中国の為替政策を取上げたのは1年以上も前である。それ以降、中国の経済や中国との通商問題は、色々なメディアで取上げられている。しかしほとんど全てが、この不適正な為替操作には全くと言って良いほど触れない。中国の経済を考える場合には、為替を問題にしなければ、全く意味がない。したがって中国の実状を伝えるテレビ番組も全てピントが大きくづれている。


一般の人々も中国の為替政策を放任したまま、「比較優位の原理」が働かない状態が続けば、大変なことになると言うことに気がついていない。

ただ人々は何故か日本の製造業がどんどん移転していく様子を不安げに見つめているだけである。そのうちこの流れも変わると楽観的に考えようと努めている。しかし中国の為替政策が変わらない限り、この流れは止まらない。5年後、10年後には大変な事態になっているはずである。


国際的に中国の為替政策に無頓着なのは、国際機関の主流派となっている人々がほとんど欧米人と言うことと関係があると筆者は考える。まず欧州各国は、国外との経済交流は大きいが、大半がユーロ圏内であり、単一通貨ユーロ導入で、経済は為替変動にあまり影響されない。一方、米国は、元々GDPに占める貿易額の比率が小さい。さらに米ドルは世界の基軸通貨であり、これにリンクしている通貨も多い。つまり米国も為替の変動をあまり気にしなくても経済活動が行えるのである。

米国が多少気にするとしたなら次のようなケースだけである。米ドルが高くなった時の国内産業、特に自動車メーカーからの不満が出る場合である。また反対に米ドルが安くなった場合の産油国からのクレームが起るケースなどである。しかし総じて米政府は、選挙の時でもない限り、あまり為替を気にしていない。このように欧米の経済は、日本ほどには為替水準の動向に影響を受けないのである。

実際、WTOは各国の為替の水準や為替政策をほとんど気にしていない。ここは重要なポイントである。WTOは、交易を活発化させるために障害となるのは、関税と補助金、そして各国の商慣行や国内産業の保護を目的とした法律などの非参入障壁だけと考えている。ところが中国が行っているいる為替政策は、関税と補助金などと比べられないくらい大きな参入障壁である。しかしどう言う訳か、どうしてもWTOはこの事実を公には認めたがらないのである。かろうじて中国のWTOの加盟と同時に、中国に対する特別のセーフガード

(01/9/17(第222号)「対中国、WTOの特例保護措置」
http://www.adpweb.com/eco/eco222.html


を参照)を認めたことに止まっている。どうも米国やWTOの認識はまだまだ甘いようである。

また政治家だけでなく、経済学者やエコノミストも為替に関する関心が低い(米ドルの大幅下落によって米国の製造業は持直したと筆者は考えているが)。ニュークラシカル派の代表的な存在(教祖の一人)であるロバート・ルーカスなどは

「米国に居ながらフランスのワインと日本のスシが味わえる」

「中国へ生産拠点が移るのも、中国人の人件費が安い上に製品の質が向上しているからであり、これは自然の流れである」

と極めて単純に経済のグローバル化を礼讃している。しかしこの程度の発言なら小学生の意見とほとんど変わらない。中国が政策として、とんでもない為替水準を維持し、世界中の経済を撹乱していることには、全く考えも及ばないのである。

教祖が教祖なら、彼の日本の信者も信者である。日本が農産物に対してセーフガードを発動すると途端に反応し、

「自由貿易に反する」とか

「日本は競争力をつけるべき(中国の為替操作によって人件費が20分の1や30分の1になっていては、競争力もへったくりもないであろう)」

とばかな発言をしている。中には「WTOの交渉の進展のためには、日本はもっと農業分野の開放をおこなうべき」と言っている人々もいる。日本の食料の自給率はたったの40%であり、この数値はほぼ世界最低である。これをさらに下げろとまじめに言っているのであるから、本当にあきれる。

日本が行うことは、まずWTOに為替水準が著しく異常な水準にある国に対して是正を求めるよう要請することである。もしこれが認められない場合には、日本独自で、為替不適正国に対する特別関税を設ける他はない。もちろん日本と同じ被害を被っている国と同一歩調をとることも考えられる。そこで中国がこのような動きにクレームをつけるようなら、中国との貿易を大幅に制限するか、最悪の場合は取り止めることも考えるべきである。中国との交易を止めても、今なら日本にはほとんど被害がないはずである。むしろ今日の状況が続けば、それこそ抜き差し成らぬ状況に追込まれるだけである。


最後に、中国の為替政策の変遷について述べる。今日の1元15円と言う為替レートが、何か合理的な経緯で決まっていると誤解している人々が多いはずである。しかしこれには合理性は全くない。実際、1,980年には1元は実に151円であり、1,990年には30円であった。つまり中国は実に簡単(適当)に「元」の信じられないほど大幅な切下げを行っている。ただ当時の中国経済が今日のように大きくなかったから誰も注目しなかっただけの話である。そして以前の為替水準なら、中国の人件費は1,980年で2分の1から3分の1であり、1,990年で10分の1から15分の1と言うことになる。

このように昔から中国は極めていい加減(適当)に為替を操作している。ところが何も知らない経済学者やエコノミストは、昔から中国の人件費は20分の1、30分の1だったと誤解しているのである。中国はおそらく東南アジア諸国との競争で勝てる水準を探りながら、為替をここまで操作してきたと思われる(たしかにここまで元が安くなれば、日本の企業も東南アジアから中国に生産拠点を移すようになった)。

「水が高いところから低いところに流れるようにコストの低い中国に生産拠点が移転するのは当然」

と判ったようなことを言っている識者と言われる人々が実に多い。しかしこの低コストは、中国政府が適当に決めていると言うことに気づくべきである。したがって万が一でも日本がものすごい努力をして、中国とのコスト競争に勝つようなっても、中国にとっては為替の切り下げをもう一度行えば済む話なのである。


このようなめちゃくちゃの中国の為替政策によって、企業倒産や工場の移転によって失業したり、不幸な目にあっている人々が相当いる。しかしマスコミやメディアには、不思議と中国の為替政策の不当性を指摘する声がない。外務省のチャイナースクールが話題となったが、どうも日本のマスコミもチャイナースクール化しているようである。来週はこのチャイナースクール化を取上げる。

小泉首相は、今日の深刻な日本のデフレ経済にもかかわらず、公共投資の削減や数々の公的支出の削減を進める方針である。およそ経済原則に反する政策のオンパレードである。しかしどうもマスコミはこれを悪い政策とは見なしていないようである(たしかに悪影響が現れるまでには時間がかかり、政策と結果の因果関係が分かりにくくなる)。

まず公共投資や他の支出を削減した場合、どう言う経済効果が期待されるのかを明示すべきである。もし財政赤字が減り、金利が低下するとか、投資や消費が増えると言う目算があるなら、そのような説明をすべきである。もう昨年のようないきなり補正予算を策定すると言ったみっともないことは止めてもらいたい。周りも小泉政権に景気対策を求めることを止めるべきである。本人の希望通りにさせる。そのかわり、結果についてはきっちり責任をとってもらうことが大切である。

これまでの小泉首相の行動を見ていて、筆者の知人は

「日本の首相は俺でもやれそうだ」

と言っていた。結果を見ようとしないのなら(失業が増えてもミスマッチで、株価が下落しても米国のせいにする)、どのような政策でも良いし、誰でも首相は勤まる。彼が進める政策の結果、日本の経済と社会がガタガタになっても、おそらく彼は「辞めれば良いのか」の一言であろう。彼を日本の首相に選んだ人々は、真剣に責任を感じるべきである。

竹村健一氏が、久しぶりにまとものことを言っていた。

「日本は、個人だけでなく企業も貯蓄を始めた。つまり巨額のその貯蓄は政府が使わざるを得ない。金利もこれだけ安くなったのであるから、政府は公共投資を減らすのではなく、今こそ増やすべきである。」

と言っていた。まさに正論である。


ただ今日、安易に大量の国債を増発することは難しい。たしかに国債利回りが3%(これでも国際的には一番低い金利)になるまで国債を発行すれば、数十兆円から100兆円程度の資金は調達できると思われる。しかし大手銀行だけでも70兆円から80兆円の国債を既に保有しており、利回りが3%(今日1.26%)と言うことになれば、相当大きな評価損を抱えることになる。地方銀行も大量の国債で資金運用している。預貸率が55%と言う銀行もある。残りの45%近くは国債と地方債の運用である。ここまで野方図に金利低下を放置していた政府の責任は大きい。

したがって今日、公共投資などの積極的な財政政策で、経済を活性化させ、銀行の不良債権問題を解決し、さらに財政再建を実現するには、我々が主張しているセイニアリッジ政策、つまり政府の紙幣発行特権(日銀の国債引受けも含む)を使う他はないのである。ところで竹村氏のこの「公共投資を増やす」と言う意見に対してマネックス証券の若い社長が、思わず反論しようとしていた。今日、公共投資の賛同者はテレビには出してもらえないのであろう。今日、「中国の為替政策」と「公共投資」はタブーである。このようなメディアの言論統制に勝てるのは、よほどの有力者に限られるのである。

http://adpweb.com/eco/eco261.html


関税以外の貿易障壁 11/2/21


WTOの弱体化


現実の経済を理論的に論じることは難しい。ましてや話が世界に及ぶと、整合性を持って経済を語ることが一段と困難になる。そのような事もあってか、中には議論の混乱を見越し、自分達にとって有利な政策を実現したいがために、とんでもない虚言・妄言を発する人々が出てくる。

TPPの議論に関しても、根拠が薄弱な意見がまかり通っている。例えば自由貿易こそが、日本にとって(日本だけでなく世界のどの国にとっても)極めて好ましいと主張する人々がいる。彼等はTPP参加こそ唯一正しい選択とまで喧伝する。

また日本のマスコミ人には「日本は貿易立国だ」という強い思い込みがある。彼等は経済が成長するには輸出を伸ばすことしかないとさえ思っている。しかし日本が高度経済成長していた時代は、主に内需が増えていた。むしろ低成長になってから、日本経済は外需に依存する度合が大きくなったのである。これについては来週取上げる予定である。


このように自由貿易で交易が活発になることによって、経済が成長すると思っている人が多い。この理論的根拠の一つがリカードの「比較優位の原理」であり、本誌は02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」でこれを取上げた。

しかしこのリカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。

しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

中でも最大の交易の障壁が関税という認識である。したがって関税撤廃を目指すTPPは、自由貿易の信奉者に熱烈に歓迎されている。しかしリカードの「比較優位の原理」が唱えられたのは、18、19世紀の牧歌的経済システムの時代を前提にしている。また後ほど述べるが、今日では関税以外の大きな貿易の障壁があることが常識になっている。


しかし第二次大戦後、自由貿易を推進する人々が常に問題にしたのが、この関税であった。GATT(関税と貿易に関する一般協定:WTOの前身)やWTOのメインテーマも関税であった。関税は単純であり目に見えやすいためか、これまでの交渉である程度まで引下げが実施されてきた。しかし補助金や規制などのその他の保護政策に話が及ぶと各国の利害がもろにぶつかり、話が進展しなくなった。


このため各国は、妥協が見込める国とのFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の締結に走り出している。しかしこれは一種の抜け駆けであり、世界中の国の一斉の貿易自由化を目指すWTOの精神に反している。FTAやEPAが結ばれる毎に、今日、WTOは弱体化している。

筆者は、今後の世界の貿易体制は、TPPに見られるようなグループ化による保護貿易と見ている。ところが自由貿易信奉者は、WTOの弱体化については何もコメントしなくなった。おそらくこれも、彼等の頭の中が混乱しているからであろう。


現行、日本の工業品の輸入関税率はほとんどゼロに近い。つまりTPPに加入した場合、相手国の関税が基本的にゼロになるのだから、輸出企業にとって極めて有利になる。したがって輸出企業に携わっている人々がTPPに賛成なのは理解できる。

ところでこれまで規制緩和や郵政改革などの改革運動では、幼稚な観念論者と強欲に自分の利益を求める者が結び付いていた。筆者は今回のTPP推進派にも同じ匂いを感じる(リカードの「比較優位の原理」などを信じるような観念論者と輸出で利益を得ようする者)。しかし今回は彼等がとんでもない矛盾を抱えそうである。

シー・シェパードのような説得不能な国

貿易の障壁が関税だけでないことは周知の事実である。WTOでも知的所有権といったものが問題になっている。しかし知的所有権は法律だけで縛れるものではない。その国の国民性というものが関係してくる。

先週号で取上げた環境問題も、今日、大きな障壁になっている。中国のように環境を無視する国は、環境を気にせず低コストで製品を製造し輸出することができる。しかし自由貿易の信奉者はこのような問題から逃げている。

しかし何度も繰返すが、筆者は、今日、世界貿易で最大の問題は為替操作と考えている。中国は大きな貿易黒字を続けながら、いまだに購買力平価の4分の1、5分の1の為替レートを維持している。実際、貿易の障壁の話なら、為替操作に比べれば関税なんて霞んでしまう。しかし為替操作はWTOで問題にならないし、自由貿易主義者も触れようとしない。


本誌は、昔、1人民元が1ドルだったことを指摘した。つまり1人民元が360円だった時代もあったである。今日の人民元レートは、対円で30分の1に減価しているのである。世界最大の貿易黒字国の通貨が、購買力平価の4分の1、5分の1でしか評価されていない異常な事態が起っている。

訳の分らない評論家は

「東京の中国人のアルバイトはよく働く」、

一方「日本の若者はニートとなって引きこもっている」


と発言している。彼等の考えでは、これが日本経済の低迷の原因らしい。しかし中国人のアルバイトとっては、中国の所得水準が低いことに加え、人民元が購買力平価の何分の1に維持されていることが大きい。

反対に日本の円が購買力平価より高く推移していることを考慮すれば、東京でのアルバイトの時給は、中国人にとって6,000〜7,000円程度に感じられるのである。時給が6,000〜7,000円ということになれば、日本の若者も目の色を変えて働くはずである。ニートも半減するであろう。

韓国も、近年、為替操作が目立つ国の一つである。KーPOPタレントの本国での低賃金が話題になっているが、これも彼等が日本に進出したことによって気付いたことと思われる。筆者は、これも少なからず韓国の為替操作が影響していると考える。


今日、一番のTPPの推進者は大手の輸出企業である。輸出企業がCMスポンサーとなっているため、メディアも概ねTPPに賛同している。しかしTPPはとんだ問題を孕んでいる。

これは先週号でも述べたように、TPPが中国排除を意識したものと見られるからである。既に中国に生産設備を移した企業にとって、このことが将来痛手になる可能性がある。せっかく中国を世界の輸出基地にしようと思っていた企業にとって、これまでの中国での設備投資が無駄になるのである。


TPP推進の母体である財界にも、中国との親密な関係を望む者が多い。しかし、今後、彼等はTPPを取るか、中国を取るかの選択に迫られる可能性がある。TPPの内容を見れば、両方を同時に取る(具体的には中国のTPP加入)ということはほぼ不可能である。

筆者は、日本のTPP参加の是非について、判断に正直迷っている。もし農業などへの悪影響が最小限に抑えられるのなら、TPP加入もしょうがないと思う今日この頃である。貿易を含め、国同士の付合いは、最終的には、国民同士の価値観の相違ということになると筆者は考える。

国民の価値観の違いが一定の範囲にある国だけがTPPに参加するのなら、筆者は日本もこれに加入しても良いと考えるようになっている。それにしても日本の周りは、領土問題に見られるようにデリカシーのない国ばかりである。日本はまるでシー・シェパードのような説得不能な国に取り囲まれているのだ。TPPに活路を見い出すのも悪くないかもしれない。もちろんTPP加入の目的は、自由貿易信奉者のそれと大きく異なる。
http://adpweb.com/eco/eco651.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c1

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
2. 中川隆[-5591] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:06:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

自由貿易理論の問題点〜リカードのウソ

貧困と環境破壊を招く自由貿易の問題点を検証する


このページでは、フェアトレード(公正貿易)の対極にあると考えられている、 自由貿易の問題点について説明したいと思います。

今、自由貿易は世界中で失業や貧困、環境破壊を引き起こしています。にも関わらず自由貿易を世界がやめないのは、 「比較優位」という経済学の考え方を信じているためです。18世紀のイギリスの経済学者リカードによって提唱された理論です。

比較優位とは、ものすごく簡単に言うと、 それぞれの国でそれぞれ得意なものを作ればいい。食料を作らなくてもその土地で採れたもので稼いで、輸入すればいい」と言う考え方です。この考え方を「信じている」というより、自由貿易にした方が儲かる人たちがいて、 そういう人たちによって、世界に経済が動かされているから、 みんなで信じているふりをしていると言った方が適切かも知れません。

今の世界で、途上国に貧困などの問題を引き起こしている大きな原因の一つに、 欧米先進諸国による穀物の過剰生産が挙げられます。先進国では、大型機械を使う大規模な農業が行われ、生産性を上げています。機械化、効率化が進むとともに、生産量が増大し、自国の需要以上に穀物が生産されるようになりました。

過剰生産を放っておくと、農産物価格が低下し、 農民が失業して都市に流入するなどして社会不安を引き起こしかねません。そこで、お金のある先進国では、補助金をつけて輸出をするようになります。補助金にはいろいろありますが、自国の農民に所得を保証したうえで、穀物を輸出相手国の国内価格か、 それ以下の価格にダンピングして売るのが目的になています。これにより、先進国の農民は救われます。

が、輸出先にも農民はいるわけです。先進国の補助金付きの安い穀物が入って来るようになって、 アジアやアフリカの途上国での主要産業であった農業が立ち行かなくなりました。これらの貧しい国ぐにでは、自国の農民に補助金を出すことはできません。結果、農民たちは輸入農産物に対抗するため、生産性を上げようとします。

先進国のように機械化するのではありません。より高い生産性を得られる土地を探すことになります。すなわち森林を焼いて畑を作れば、先進国の穀物に対抗できる価格での生産が可能になります。が、長くは続きません。そうした方式の農業は、土地から収奪する農業です。3〜5年で地力が落ちて養分がなくなり、作物が作れなくなります。そして耕作が放棄され、また別の場所を探すことになります。捨てられた土地は、すでに周りの森林もなくなっていて他から養分を供給されることもなく、荒れ果てます。

日本でもそうですが、耕作放棄された田畑は荒れ果ててしまい、回復させるのは困難です。熱帯では気温が高いために土地の有機物の分解が速く、 土地を覆っていた森林がなくなると雨や風によって薄い表土が流れてしまいます。場所によっては、砂漠化が進むことになります。こんなことの繰り返しで、途上国では新たに畑にできる場所はどんどん少なくなります。

行き場をなくした農民は、都市に出てスラムに集まります。あるいは、大地主のもとで小作人になるしかありません。でも、地主もそのうち農業を機械化するようになり、人がいらなくなります。結局農民は失業して、都市のスラムに流れこむことになります。

スラムでは、先進国の食糧援助があるために、貧しくてもとりあえず飢えることはありません。が、その援助のための食料は、先進国の余剰農産物のはけ口になっているという側面もあります。

先進国の補助金付きの農産物の輸出は、自国農民の保護のためでした。が、それはアジアやアフリカの生産性の低い零細農民を失業させ、貧困に陥らせる原因となりました。 生産性が低いというのは、それだけたくさんの人に職が与えられるということでもあったのに。

先進国で広く行われている化学肥料や農薬を大量に使い、地下水をくみ上げ大型機械で耕作する農業は、 自然から収奪する農業です。こんなことで生産性を上げても長続きはしません。異常気象にでもなればたちまち収穫が激減して、食料の不足を招くことになるでしょう。先進国こ援助に回せるだけの食料がなくなれば、世界的な食料不足、飢餓が引き起こされます。

かつて途上国で行われてきた農業は、 小規模ではあっても定期的に土地を休ませて行う持続可能な農業でした。とりあえずは飢えたりすることはなく、自給自足的な生活を送っていました。そこに入ってきたのが今の先進国による植民地支配です。やっとそこから独立したと思ったら、 今度は先進国から入ってくる安い農産物のために貧困と失業、環境破壊がもたらされることになりました。

途上国の農民が失業したり、貧困に陥ったりする原因には、かつての植民地支配の影響もあります。植民地支配や今の補助金付き作物の輸出といった、 途上国の人たちにとっては何も良いことのない経済の有り方は、自由貿易の考えに基づくものです。フェアトレードを行う団体は、ずっと「自由貿易より公正貿易(フェアトレード)を」と訴え、 活動をしています。


では自由貿易の何が問題なのか?そのあたりのことを次にお話します。

自由貿易の問題点〜比較優位のウソ


自由貿易の考え方を作ったのは、200年ほど前のイギリスの経済学者で商人のリカードです。リカードは、「比較優位」という言葉を使って、 国際分業をすることがすべての国にとって利益になると説きました。


槌田敦著「エコロジー神話の功罪 サルとして感じ、人として歩め」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E5%8A%9F%E7%BD%AA%E2%80%95%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%84%9F%E3%81%98%E3%80%81%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%A9%E3%82%81-%E6%A7%8C%E7%94%B0-%E6%95%A6/dp/4795238529

という本に、リカード理論の問題点が わかりやすく解説されているので、この本で示されている考え方を使って、 自由貿易の問題点を探っていきたいと思います。


リカードは「貿易論」という本の中で、イギリスとポルトガルの毛織物と、 ワインの生産性の比較をしました。その中でイギリスは、毛織物が国内で生産されるワインよりも生産性が高く、 ポルトガルは、ワインの生産性が国内で生産される毛織物よりも生産性が高いと説明しました。つまり、イギリスでは農業に比べて工業の生産性が高く、 ポルトガルは工業に比べて農業が生産性が高いということです。そこで、それぞれの国で生産性の高い商品を交換すれば、 両方の国にとって得になると主張したのです。イギリスは工業国になり、ポルトガルは農業国になれば、両国ともに利益を得ることになる。これが比較優位という自由貿易、国際分業の理論的根拠となっている考え方です。

でも、本当にそうでしょうか?

もし、リカードが正しければ、今の世界はもっと違った形になっていたはずです。それぞれの国が比較優位なもの、得意な物の生産に特化し、輸出をしてお金を儲けて、 そのお金で必要な物を輸入すればいい。そうすればすべての国が利益を得て豊かになれるのなら、 なぜ世界には貧困に苦しむ国ぐにや人びとがこんなにも多く存在するのでしょうか?

カカオの生産が比較優位な国は、カカオの生産に力を集中して、輸出して儲けて、 必要な物はすべて儲けたお金で輸入すればいい。そうしていれば豊かになれるのなら、コーヒーの生産が比較優位な国はコーヒーの生産に特化して、 それを輸出して必要なものを外国から買えばいいということであれば、 なぜそうした商品作物の生産農家の多くが、貧困に苦しんでいるのでしょう?
コーヒー農家の生活については、

「あのスターバックスにも、フェアトレードコーヒーが!」
http://www.fair-t.info/ft-coffee/index.html


をお読みください。

貧困に苦しむカカオの生産地の中でもとりわけ状況が厳しいのは、 コートジボアールなど西アフリカの国ぐにです。この地では、のカカオ農園主たちは貧困に苦しんでいるのでしょうか?

なぜ子供たちを奴隷にしなければならないのでしょうか?

21世紀の今でも奴隷を使った生産が行われています。奴隷を使っているのなら、給料を払う必要がないから、 農園主は儲けているはずと思うかも知れませんが、農園主もまた貧しいのです。

なぜ、理論どおりうまくいかないのでしょうか?


リカード理論には、ごまかしがあるからです。


先ほどのイギリスとポルトガルの例で言えば、両国内での毛織物やワインの価格は関係ないというのが、 この理論の特徴です。イギリスの毛織物が、ポルトガルの毛織物より高くてもかまわないのです。

イギリス商人は、ポルトガルに行って自国の毛織物をポルトガル価格にダンピングして売ります。

イギリス商人が損するように見えますが、彼らは毛織物を売ることで、 ポルトガルのお金を手に入れることができます。

そのお金で安いポルトガルのワインを買ってイギリスで売れば高く売れるわけで、 商人は利益を得ることができます。

同じようにポルトガルの商人も、自国のワインをイギリスで売れば高く売れて、 それだけ多くのイギリスのお金を得ることができます。そしてポルトガルで買うより多くの毛織物をイギリスで買うことができます。

比較優位の考え方を使えば、お互いの商人が儲かるというのが、リカードの理論です。

もっとも、商人などという言葉は使わず、もっと学問的な言葉を使って説明し、 当時の経済学者たちを説得しましたが。

比較優位の理論は、経済学者たちが本や学問の世界だけで勝手に議論していてくれているだけなら害はないのですが、世界中がこの理論を信じてしまい、実行してしまったために、様ざまな問題が起こることになりました。

現実の世界にはイギリスとポルトガルだけでなく、もっとたくさんの国ぐにが存在します。毛織物とワインだけでなく、もっとたくさんの生産物が存在し、貿易が行われています。それに、リカードの理論ではお互いの国が儲かることになっているのですが、 実際に貿易を行うのは国ではなく、貿易商です。

それでもイギリスやポルトガルの商人が活躍して、利益を上げれば、 税金と言う形で国家は利益を得ることができます。が、ここに第三国の商人が介入したらどうでしょうか?

比較優位のウソ〜商人だけが儲かるしくみ


ここで、金と銀の貿易を例として、国際貿易について考えてみたいと思います。

A国とB国があって、A国では金1キロが銀5キロと同じ値段だとします。

そしてB国では、金1キロと銀100キロが同じ値段だとします。


A国:金1キロ = 銀5キロ
B国:金1キロ = 銀10キロ


私がA国の商人だったら、金1キロを持ってB国へ行きます。

そしてその金を売って銀を10キロ買います。

そしてA国に戻って金2キロを買います。A国とB国をただ往復するだけで、 手持ちの金を2倍にすることができます。

B国の商人も、国内で銀10キロを買ってA国に行き、金2キロを買うことで、 手持ちの金を2倍にすることができます。

いづれにしても両国ともに利益を得て儲かるように見えます。が、ここに第三国、 C国が加わると話が違ってきます。

C国の商人10キロを手に入れます。

その銀をA国に持って行けば、金が2キロ手に入ります。

手持ちの金を2倍にすることができるのです。しかし、A国とB国はどうでしょうか?

まずB国は、C国商人が持ってきた金1キロと、銀10キロを交換しただけなので、損得はゼロです。

A国も銀10キロと金1キロを交換しただけなので、同様に損得ゼロです。

両国ともに何の利益もありません。

C国商人だけが一方的に儲かるのです。


これが自由貿易によって商人が利益を手に入れる仕組みです。実際には関係国であるAB両国は、何の利益も得ていないのに、巧妙なトリックによって、 リカードは両国が儲かると主張し、世界はだまされたのです。

リカードは、お金儲けがうまい貿易商人でした。だから自分に都合の良い理論を作り出したのです。自分の理論の矛盾は承知の上で、一人大儲けをしてほくそえんでいたことでしょう。


C国商人を、多国籍企業とします。A、B国はアメリカと日本。


C国商人は、日本で比較優位の自動車を買い付けてアメリカに持っていきます。
そして自動車を売った金でアメリカの比較優位の安い米を大量に買い付けて日本で売ったら...。

こう考えると失業や貧困に苦しむ人が出ることなど、比較優位の理論で様ざまな矛盾、 問題が発生することが良くわかると思います。

次にぜひ、あなたに知っていただきたいのは、代表的な商品作物である、カカオについてです。 おいしいチョコレートの原料になるカカオですが、その生産に、 「奴隷」が使われていることを知っていましたか?

奴隷といっても10代前半くらいの少年の奴隷です。世界最大のカカオ産地、 西アフリカのコートジボアールの奴隷を使ったカカオ豆生産について、 それから自由貿易がもたらした単一栽培も問題点についてをご覧ください。

カカオ農園の少年奴隷問題 
http://www.fair-t.info/ft-cocoa/index.html

http://www.fair-t.info/economy-society/freetrade-ricardo.html


TPPや自由貿易は未だにリカードの比較優位論を根拠にしており、そして比較優位論は以下の三つが成り立たないと巧くいかないためです。


◆セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
◆完全雇用
◆資本移動の自由がない


 最後の資本移動の部分ですが、工場などの資本移動が自由自在になってしまうと、リカードの比較優位論も何もあったものではないという話です。実際、アメリカは日独などの製造業の猛攻を受けた時期('70〜'80)に、本来であれば「技術開発投資」にお金をつぎ込むべきだったのですが、資本を外国に移すという道を選び、製造業の一部が「産業ごと」消えてしまいました。

 残った製造業(自動車ーメーカーなど)も、やはり技術開発投資を軽視し、自国や各国の制度システムを変えることで生き残りを図ります。すなわち、市場にあわせた製品開発をするのではなく、市場を自分に合わせようとしたのです。

 制度システムを変更するのは政府にしかできませんので、アメリカの自動車メーカーなどはロビイストや献金を通じて政府に影響力を発揮し始めます。しかも、アメリカの自動車メーカーは自国のシステムならともかく、外国(日本など)の制度システムも目の敵にし、「非関税障壁だ!」と叫び、政治力を使い、「市場を自分に合わせようと」したわけです。結果、現在のTPPに繋がる日米構造協議が始まりました。

 世界経済はいま、上記リカードの比較優位論の前提条件を三つとも満たしていません。こんな状況でTPPを推進したら、日本は物価がますます下落し、失業率が上昇することになります。恐ろしいことに、アメリカの方もそうなる可能性があります。

 木下栄蔵先生は、デフレに突っ込んでいる国同士の自由貿易協定は「ロス−ロス」になると警告していらっしゃいます。日本とアメリカがTPPで「ロス−ロス」になった日には、冗談抜きで世界は大恐慌目掛けてまっしぐらということになりかねず、そんな未来は心から願い下げだと思うわけです。

22 ■型に嵌めたがる習性の多面的考察

>比較優位論は以下の三つが成り立たないと巧くいかない

 リカードモデルに限らず、あらゆる自由貿易賛美論には、

「自分の求める品質の財・サービスを相手国が作れる」

という前提条件が組み込まれています。日本人なら「おい、おい、ちょっと待ってよ」と、この前提条件がいかに現実離れしているかすぐに気づくでしょ。

はっきり言って、「モデル」って名付けるのも馬鹿らしい「リカちゃんハウス」なんです、あんなもの。


 そもそも経済学は、「品質」なんて取り扱えません。

例えば、PS3とXboxの「品質」をポイント計算できる「客観的」基準なんて存在しない。近代以降の経済学は、そういった非客観的要素を排除し、市場売買価格を基礎に据えることによって数学を自在に取り込み、科学の装い(あくまで装いですよ)を身に纏うことができたんです。

 ここに気づいてない学者連中がほんとうに多いんです。経済学にそもそも出来ることと出来ないこと、を根元から考えたことがない。経済産業省の「信者」さんも恐らく同じなんでしょう。、自分のやってる学問を外から冷静に眺めたことがない。ただただひたすら「覚えた」だけ。いい意味で「遊んだ」経験がなく、例えば「自動車の排気音の文化的価値」なんてものを感じたことがない。そりゃ、「品質」なんか気になりませんよ。学歴はあっても、文明人・文化人じゃないんです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11049519345.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c2

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
3. 中川隆[-5590] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:09:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
リカードの比較優位説 2011年11月18日


『列強の植民地化政策と、比較優位』


悪魔の碾き臼 新自由主義の推進者池田信夫などが賞賛するTPP賛成論の中では、リカードの『比較優位説』なる聞き慣れない言葉が突然言い出されている。

デヴィッド・リカード(David Ricardo、1772年〜1823年)は、各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出する事で経済厚生は高まる、とする『比較生産費説』を主張したイギリスの経済学者。

『比較優位』とは比較生産費説ともいい18世紀の膨張するイギリスの帝国主義を経済学の立場で合理化・説明している。

比較優位論は、『国際分業の利益』を説く理論であるが、ダーウィンの進化論の悪しき庶子である社会ダーウィニズムや優生学との共通点を考えることが出来そうです。

この『比較優位論』とは18〜19世紀当時全盛だった過酷な帝国主義(植民地主義)的な、自由貿易を推進する考え方でリカードモデルの基本である。

穿って考えれば、この『比較優位論』の意味とは、1813年よりイギリスの対インド貿易が自由化(関税自主権の剥奪)され、産業革命のイギリスから機械製綿織物がインドへ流入、インドの伝統的な綿織物産業が完全に破壊され植民地化された例や、『自由貿易の確立』を口実にしたアヘン戦争(1839年〜1842年)でイギリスが清を半植民地化した、当時の西欧列強諸国の無慈悲で過酷な植民地化政策を経済理論的に正当化する為の武器でもあった。

屁理屈と膏薬は何処にでもつくとは言うが、幾ら『悪魔の碾き臼』の新自由主義とは言え、200年も前のこんな血まみれの禍々しい過去の亡霊『比較優位』が今頃蘇るとは地下のデヴィッド・リカードも苦笑いしているだろう。


『水説:比較優位とTPP』潮田道夫 毎日新聞 2011年11月16日

ある女性弁護士がその町で1番のタイピストでもある場合、彼女が利益を最大にするには、タイピストを雇わず自分で書類をタイプするのがよいだろうか。

答えは給料を払ってでもタイピストを雇い、自分は弁護士業務に専念すべきだ、というものだ。

仮に10万円給料を払っても、その時間を弁護にあてれば15万円の報酬を得られる。ふたりともトクする。

タイピストはタイプの能力で弁護士に劣るのに、2人の関係においてはタイピングで『比較優位』を有する。

この『劣っていても優位』というのがミソである。

経済学者リカードが自由貿易の正しさを説くのに初めて使った経済学上の大原理だ。何でもかんでも自国で生産するより、各国が比較優位を有するものを分業し、貿易する方が利益になる。

女性弁護士のたとえ話はあのサミュエルソンが、教科書史上空前のベストセラー「経済学」のなかで、比較優位の応用問題として述べていることである。分かりやすい。

今度の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について、経済学者はほとんどが賛成に回った。比較優位の観点からは自由貿易を推進することがどの国にとっても利益になるのは明白で、経済学の教えに忠実であれば賛成するのが当然だからだ。
で、TPP推進論を述べるに当たって、多くの経済学者は『比較優位』を説き、

『であるからTPP参加は当然である』

と胸をはったのであるが、多くの場合、人々を納得させられなかった。ある先生は

『タイピストという例えが古すぎたかな。そういう職種はもう存在しないと注意された』

と反省していた。ま、それは軽口として、経済学者がTPP問題で人々をうまく説得できなかったのは事実で、まじめな方々はちょっとショックを受けているようだ。

JPモルガン証券の北野一氏によれば、1950年代、『法皇』と称された一万田尚登日銀総裁や民社党委員長になる西尾末広衆院議員らは、日本は乗用車生産を中止し輸入したほうがよい、と主張したそうだ。


『比較優位からすると両者は正しいことを言っていたのかもしれない。当時、日米自由貿易協定(FTA)で合意していれば、いまの日本にトヨタもホンダもなかっただろう』

と言う。なるほど。

ともあれ、自由貿易論も自由貿易神話論も、TPPを機にボンヤリ聞いていれば分かるという段階を過ぎ、聞き手に学習を強いている。やれやれ、えらいことになってきたなあ。
(専門編集委員)

『科学と偽科学』

毎日新聞など大手マスメディアは全員がTPP推進の方針で一致しているので、この上記のコラム『水説:比較優位とTPP』潮田道夫専門編集委員も、勿論推進の為の記事を書いている。・・・はず、なのである。


確かに、コラムの前半の4分の3はリカードの比較優位を使ってTPPの効用(正さ)を説いている。ところが続く6行は、この『比較優位』論が誰にも支持されなかった事実が述べられている。

最後の8行に至っては、正反対に前半部分(リカードの比較優位説)が真っ赤な嘘(偽科学)である明確な事例を書いている。潮田氏はコラムで何が言いたい(目的)のだろうか。


半世紀前には日本の自動車産業など、アメリカの足元にも及ばないほど貧弱な、リカードの比較優位説では絶対に無理な(産業として無駄な)代物だったのです。当時のトヨタクラウンはアメリカの高速走行には耐えられずエンジンが焼け付いたし日産エコーは98キロ以上だとプロペラシャフトが脱落して仕舞い大事故を起こしている。

過去のイギリスとインドや清の歴史が証明している様に、国内産業保護の関税がなければ(自由貿易なら)今の日本の自動車産業の隆盛はあり得ない。日本政府の手厚い保護政策(関税と消費税の戻し税以外にも免税や各種の優遇策)の結果、日本の自動車産業は、今では絶対的な比較優位を獲得した。

自動車に限れば『比較優位』は、今では日米の立場が逆転しているのです。トップメーカーGMまでが倒産の危機に瀕し、連邦政府の全面支援で息を吹き返したアメリカの自動車産業は、日本のマスコミでは報道されていないが実はTPPに反対している。


科学の仮説とは、誰が何を説いても良いが必ず第三者の検証作業に耐えて初めて定説となる性質を持っている。『事実』とは違いすぎる、間違っていた仮説は捨て去られる。

究極の新自由主義であるTPPの賛成論が、崩壊した18〜19世紀の帝国主義の経済論理(間違いが証明されている偽科学)を出すまでに落ちぶれ果てたとは驚くばりで、実は潮田道夫氏は、毎日新聞専門編集委員の立場なので嫌々TPP推進を言っているが、本心でTPP推進が売国行為である事実を、誰よりも良く知っているのです。

だから潮田氏は、迂闊に一見するだけならTPP推進に見えるが最後まで読めば正反対になる支離滅裂で意味不明のコラム『水説:比較優位とTPP』を書いたのでしょう。

『ブードゥー教経済学池田信夫の比較優位論』


『無制限の規制緩和』が格差拡大やワーキングプアの大量発生など間違いであることが証明されている新自由主義のミルトン・フリードマンを、未だに『最強の経済学者』として信奉する目の前の事実が見えない自称マクロ経済学者の池田信夫が、今回は比較優位論を絶対視して『リカードの比較優位も知らないのか』と、TPPに反対する人々を口汚く罵っている。

比較優位とは、巨大な対象を扱うマクロ経済学ではなくて、その正反対の微細な経済単位が対象の経営学の御粗末な誤用である事実に気が付かないふりを装う。

リカードの比較優位が成立する為には、完全雇用とか為替の完全な固定相場制とか人口増加率がゼロであるなど形而上学的な絶対にありえない経済モデルを採用した時だけ限定的に成り立つが、普通はその逆で成立しない。

貿易で一国が大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字なる。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は必然として絶対に赤字になる。

相撲の白星の数と黒星の数が必ず『同じ』であるように国家間の貿易でも原理は同じで、それ以上でもそれ以下でもない。例外は一つも生まれない。

この事実は中学生でも気が付くが、池田氏は

『リカードの比較優位の原理を知らないバカ』

と罵るばかりで、この子供でも判る論理には絶対に答えない。答えたくとも答えられないのですよ。池田信夫は、


『日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ。
このとき貿易黒字になるか赤字になるかはどうでもよい。』


と、無茶苦茶である。

経済学では、経常収支の『赤字』は大問題である。日本を除く世界各国の普通の政府も同じで、池田信夫的には『どうでも良い貿易などの経常収支の大赤字』を問題とするのですよ。

そして今世界経済の大問題のアメリカのデフォルト危機や欧州のPIIGS諸国のソブリンリスクも同じで、各国の抱える大赤字が全ての原因である。

勿論オバマアメリカ大統領のTPP推進の目論みも全く『同じ』である。日米の倍近い貿易不均衡の是正(アメリカの大赤字の解消)であることは論を待たない。


『貿易黒字を目的にするのは17世紀の重商主義で大間違いである』

と主張する池田信夫の非科学性には呆れるばかりで、科学的に正しいものは時間には無関係で例え17世紀であれ紀元前であれ正しい。

まともな国家(政府)なら貿易赤字を忌避し黒字を目指すのは、力士が白星を目的に土俵に上がるのと同じで、(八百長を除けば)時代に関係ない絶対的な真理である。

21世紀の今でもアルキメデスの原理は矢張り正しくて、否応なく誰も逆らえないのですが、今とは大違いのアメリカが絶対的な比較優位を保持していた時代のポール・サムエルソンの『経済学』など、今では誰も信用していない。

サミュエルソン『経済学』の明確な間違いが、半世紀の時間の検証によって証明されているのです。

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ec52d4bbc8ecd0e74524b831157f3363


経済成長の定式(モデル)08/9/15(541号)


構造改革の定式化


自民党の総裁選で経済論争が行われている。その中で積極財政派と財政再建派の主張は、正しいかどうかを別にして分りやすい。しかし上げ潮派(構造改革派)の言い分が曖昧である。そこで今週から筆者なりに上げ潮派の主張の背景にある経済理論を解明してみる。

まず最初に理論経済における経済成長の定式(モデル)を示すと次のようになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)


v(資本係数)とはY(生産・所得)1単位を増やすのに必要なK(資本・・生産設備など)である。つまり


v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)


となる。そこでv(資本係数)が一定ならば(技術進歩がなく生産設備の効率が不変ならば)、s(貯蓄率)が大きい国ほどg(経済成長率)が大きくなる。

つまり生産されたもの(所得)が、なるべく消費されず貯蓄され、これが投資に回される国ほど経済成長率は大きくなる。極端なケースで生産されたものが全て消費されるような国は、経済成長率はゼロになる(外資の導入はないものとする)。またs(貯蓄率)が同じ大きさであっても、資本係数(生産(所得)1単位を増やすのに必要な資本量)が小さい、したがって生産効率の高い資本備えている国の方が経済成長率は大きくなる。

次にこの定式にn(労働人口増加率)の要素を加味すると次のようになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)


この式は

s(貯蓄率)/v(資本係数)が一定ならば、n(労働人口増加率)が大きい国ほど経済成長率が大きくなる。


よく上げ潮派の政治家やエコノミストが

「人口がこれから減るのだから、日本は経済成長のため積極的に移民を受入れる必要がある」

と主張するのもこのような定式が頭の中にあるのであろう。


さらにここにt(技術進歩あるいは生産性の向上)の要素を加味すると次の通りになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)


ただしこのt(技術進歩あるいは生産性の向上)は、資本(生産設備など)と労働の双方の効率化の成果を外に出して一つにまとめたものである。

具体的には、生産工程の改良や新しい技術を体現した設備の導入であり、労働者の教育・訓練による生産性の向上である。


またt(技術進歩あるいは生産性の向上)を外に出さない表現も考えられる。

この場合「技術進歩あるいは生産性の向上」は、v(資本係数)を小さくするとか、n(労働人口増加率)を大きくするものとして理解される。


上げ潮派(構造改革派)は

「構造改革なくして経済成長なし」

と主張する。しかしこの「構造改革」という言葉がはっきりしない(もっとも構造改革派の人々もこれを本当に理解しているか疑わしいが)。そこで筆者の示した経済成長の定式(モデル)でこれを考えてみる。

構造改革とは端的に言えばt(技術進歩あるいは生産性の向上)を大きくすることである。その方法はの

v(資本係数)を小さくし、n(労働人口増加率)を大きくすることである。

たしかにこれによってg(経済成長率)は大きくなる。


これをさらに具体的に説明する。


v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)


である。v(資本係数)を小さくするには、K(資本)が一定ならそれから産まれるY(生産・所得)を大きくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。

またY(生産・所得)が一定ならば、一単位のY(生産・所得)を産出するためのK(資本)を小さくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。

さらに教育・訓練による労働の生産性を向上させることがn(労働人口増加率)を大きくする。


これらを一つの企業で考えた場合、当り前の話である。しかしこれを一国の経済で考えた場合は多少複雑になる。

一国の資本(K)と言った場合、民間の生産設備や販売設備などだけではなく、道路や港湾と言った公共資本や社会資本も含まれる。

また一国のY(生産・所得)はGDPということになる。

したがってY(生産・所得=GDP)の増加に結び付かないような公共投資を構造改革派は「無駄な公共投資」と批判する。


また上げ潮派(構造改革派)は「官」が「民」より非効率と考え、政府部門の縮小を訴える。

「「民」にできることは「民」」

ということになる。そして社会全体の「技術進歩あるいは生産性の向上」のために行う施策が、規制緩和などの競争促進政策である。このように構造改革に必要な具体的な施策は、規制緩和や公企業の廃止や民営化ということになる。

スッポリ抜けているもの


ところが上げ潮派(構造改革派)が念頭に置いていると思われる経済成長の定式(モデル)には、大事なものがスッポリ抜けている。

抜けているのは「需要」である。

彼等が訴える施策は全て「供給サイド」に関するものに限られる。

しかしどれだけ企業や国を効率化しより多くの生産物を生産しても、需要がなければ生産物は余る。生産物が売残れば、その次には資本や労働が余剰となり、資本や労働の遊休が生じる。

しかし上げ潮派(構造改革派)の考えには、

作った物は全て売れ消費される

というびっくりするような前提条件が、暗黙のうちに設定されている。ところが上げ潮派(構造改革派)の人々は、このことに気付いていないか、もしくは気付いていても誤魔化す。多くの場合、単に需要不足が原因で遊休設備や失業状態になっていることを、上げ潮派(構造改革派)は認めない。


彼等は遊休設備や失業という現実を突き付けられても、遊休状態の設備は既に陳腐化して使い物にならないと決めつける。また失業者は、生産性の向上に追いつけない人々であり、新たな教育・訓練が必要であると主張する。したがって一時的に余った資本や労働といった生産資源は、もっと生産性の高い成長分野にシフトさせるような構造改革が必要があると説く。このように上げ潮派(構造改革派)は供給サイドのことしか言わない。

しかし筆者は遊休設備の全てが陳腐化しているとは考えない。また職に就いている人と失業している人の間に、技術や知識に大きな差は認められない。そういう事ではなく、多くの場合需要の不足によって遊休設備や失業が発生していると考えるべきである。特に日本は慢性的に需要不足(内需不足)に陥る体質にあり(このことを本誌は何回も取上げてきた)、むしろ構造改革を目指す政策がさらなる需要不足を促進している。


上げ潮派(構造改革派)の考えの背景には、

「作ったものは全て売れる」という古典派経済学の「セイの法則」がある。


しかし現実の経済を知っている者は「そんなばかなことはない」とすぐ分る。ところが頭がおかしい構造改革派は、この単純な経済理論の信奉者なのである。

「セイの法則」が成立つのは極めて特殊な時だけと指摘したのはケインズである。

たしかに「作ったものは全て売れる」のは、例えば戦争で大半の生産設備が破壊され極端な物不足に陥った国や、新興国における経済の高度成長期くらいのものである。古典派の特殊理論に対して、彼は一般的な一国の経済状態での理論展開を行った。ケインズは著書「一般理論」で、ごく普通に需要不足が起き、遊休設備や失業が発生するメカニズムを解明した。またケインズの弟子のハロッドは、経済成長理論を展開したが、供給と需要の増大の過程での両者の関係の不安定さを指摘した。

ケインズは需要不足による不況が起ることを理論的に解明した。彼はその場合には金利を下げるだけでなく、政府が財政支出を増やすことによって需要を創出することが有効とした。今日このような政策は世界中の国で採られている。これもあってか第二次世界大戦後、先進資本主義国家は深刻な不況に陥っていない。


また上げ潮派(構造改革派)が盲目的に信奉する「供給サイド重視」の考えは、貿易収支が慢性的に赤字の米国で生まれた。たしかに米国のように供給サイドに問題のある国で、このような考えが一定の支持を得るのは解る。しかし慢性的に貯蓄が過剰で内需が不足し、過剰生産のはけ口を外需に頼っている日本に「供給サイド重視」の考えを適用しようとするからおかしくなるのである。

だいたい供給サイドに問題のある米国でさえ、今日サブプライム問題で不況になったため、減税などによる需要創出政策、つまりケインズ政策を行っているのである。需要創出政策を「オールドケインズ政策」と否定的な決めつけをするエコノミストや、自民党の総裁候補の中で今だに「私は構造改革派」と言っている人々は、頭の中の構造の改革が必要だ。

http://www.adpweb.com/eco/eco541.html


技術進歩の恩恵 11/11/28(688号)

意味のない経済成長の定式(モデル)

人々の所得が増え、一人一人の国民が豊になるのが国家の理想と筆者は思う。

そのためには経済が成長する必要がある。本誌はこの経済成長の定式(モデル)を08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」で取上げた。これを示せば


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)


となる。つまり机上の経済理論では、

s(貯蓄率)とv(資本係数)が一定ならば、労働人口が増え技術進歩がなされれば経済は成長することになる。

実に簡単な話である。しかしこの理論の最大の弱点は、これが供給サイドのみに着目していることである。したがってこの定式(モデル)が有効なのは生産力が乏しかった時代や、よほど産業の発展が遅れている国だけである。

今日、少なくとも先進国でこの経済理論があてはまる国はない。どの国も余剰の生産設備と労働力を抱えている。ところがいまだに構造改革派は「改革」が必要と寝ぼけたことを言っている。


今日、国の経済成長を決めるのは供給ではなく間違い無く「需要」である。毎年、10%前後の経済成長を続けている中国は、供給サイドに様々な大きな問題を抱えている。例えば慢性的な電力不足といった致命的な問題をずっと抱えて来ており、当分、これは解消される見通しがない。しかし旺盛な民間と政府の投資、さらに輸出の伸長といった需要増がこれまで続いて来たので(今後の見通しは不透明)、高い経済成長が実現できたのである。

つまり現実の経済においては、中国のように供給サイドに問題があっても需要さえあれば経済はどれだけでも成長する。つまり伝統的な古典派の経済理論なんて、現実の経済において何の役にも立たない。しかし経済学者は、これしか知らずまた現実の経済に興味がないので、今でも意味のない経済理論を学生に教えて生活をしている。


彼等は、日頃の言動と現実の経済の動きとの辻褄を合わせるため、供給サイドと潜在需要にミスマッチがあるといった奇妙な事を言う。彼等のいう潜在需要とは例のごとく医療や介護といったものである。

「この分野の規制緩和がなされないから、潜在需要が顕在化しないのだ」

と主張する。しかし仮にかれらの言っている事が正しくそれが解決したとしても大してGDPは伸びない。また医療や介護の需要を伸ばす有効な方法は、筆者は規制緩和ではなく予算の増額による医療や介護に勤務する人々の待遇改善と考える。決して規制緩和やフィリピンやインドネシアから看護士を連れてくることではない。


彼等は何十年も前から

「規制緩和が不十分で潜在需要が顕在化しない」

という間抜けな主張を続けている。つまり何でも需給のミスマッチと言って誤魔化そうとしている。しかし民間は、四六時中、どこに潜在需要があるのか必死になって探し回っている。供給力が需要をはるかにオーバーしている日本においては当り前の話である。実際、


09/4/13(第565号)「筆者の経済対策案」
http://www.adpweb.com/eco/eco565.html


で述べたように、少なくともリーマンショックの前までは日本の製品在庫率指数はずっと100前後で推移していた。つまり日本では、消費者が必要とする商品はピタリと供給されてきた。またサービスについても供給サイドにネックが生じているとは思われない。つまり日本経済はコンビニみたいなものであり供給サイドにさしたる問題はない。

ちなみにリーマンショック後の世界的な経済の混乱以降、この数値が乱れ始めた。ただし2010年から東北大震災の直前まではこの数値も落着きを取戻していた(100〜110程度で推移)。ところが震災後は再び120程度まで上昇している。おそらく復興事業の遅れによる、関連製品の在庫増が影響していると筆者は見ている。

豊かさを与えない技術進歩

昔の経済学のメインテーマは、供給力をいかにして上げるかであった。消費を抑えながら生産力を増やすための資本の蓄積(つまり投資)が重要であった。また生産資源の適正な配置が経済成長に有効と考えられた。そのためには価格メカニズムを働かせることが大切と考え、規制緩和による競争政策が必要とされた。

この経済理論の背景には、需要は無限にある(セイの法則)という錯覚がある。しかし前段で述べたように、たいていの先進国はどこも生産設備と労働力の余剰を抱えている。必要なのは供給力の整備ではなく「需要」である。


たしかにギリシャのような例外的な国がある。このギリシャのように慢性的に経常収支が赤字の国は、供給サイドの強化が有効である。そのためには一刻も早くユーロから離脱し、自国通貨を大幅に切下げることが必要と考えられる。

一方、少なくとも日本は需要不足の経済が常態化している。必要なのは需要創出政策であり、ギリシャのような国にとって必要な「改革」ではない。ただし通貨の切下げ(円安)は日本にとっても有効と考える。ただし経常収支の黒字が常態化している日本の通貨の切下げは、なかなか国際的に認められるものではない。


筆者は、先進国における需要不足の一つの原因を、長らく平和が続いたことによって生産設備の破壊がなかったことと考える(大きな戦争がなくせいぜい大災害があったくらい)。そしてもう一つ重要なことは、第二次世界大戦後、生産技術が飛躍的に向上したことである。つまり世界的な供給力の余剰が生じている。さらに世界的なバブル生成の過程で凍り付いたマネーサプライが積み上がった(GDPより金融資産の方が伸び率が大きく、これによって大きな有効需要の不足が生じている)。


筆者は、生産技術の向上、つまり技術進歩に注目している。技術進歩によって小さな生産資源(生産設備投資と労働力)の投入によって、より大きな産出が生まれるようになった。たしかに


需要は無限にある(セイの法則)


といった改革派の戯言(たわごと)が本当なら、問題(設備の遊休や失業)は生じない。ところがこれが大嘘だから今日問題が起っているのである。


毎年10%前後の高度経済成長を続けている中国で失業がなくならないといった奇妙な現象が起っている。同じような高度経済成長を経験した日本では、当時、人手不足が深刻で人件費がどんどん上がったが、中国の現状は対照的である。これについて本誌は10年前

01/11/12(第230号)「中国通商問題の分析(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco230.html


で、この原因を中国が先進国の進んだ技術を取り入れながら経済発展したからと指摘した。

今日、中国でもバブルが起って物価上昇が起っているが、日本の高度経済成長期と比べれば大したことはない。むしろ中国の雇用問題は深刻で、人気のある公務員の募集に1,000倍の応募があったという話さえある。これだけの経済成長を達成しても失業問題が解消しない背景には、労働力をさほど必要としない進んだ生産システムを中国が取入れたからと筆者は考える。


技術進歩は人類にとって大事であり、人々に豊かさを与えるものと思われてきた。筆者も技術進歩は絶対に必要なものと考えている。技術進歩は、過酷で長時間の労働から人々を解放してくれるものと考えたい。実際、技術進歩によって日本では労働者の単純作業が軽減され、労働時間も短縮されてきた。例えば週休二日制も技術進歩なくして実現しなかったと考える。つまり日本もある時期までは良い方向に進んでいたのである。

ところが今日、日本ではむしろ労働強化の方向に向かっていて、雇用条件がどんどん悪くなっている。日本でも中国と同じように技術進歩の恩恵が人々に行き渡らず、むしろ人々を不幸にしているかのようだ。いつ頃からこのような事態が目立つようになったのか筆者も考える。大雑把な感想で申し訳ないが、筆者は日本で財政再建運動と構造改革運動が盛んになってからと思っている。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c3

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
4. 中川隆[-5589] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:11:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
経済成長の三つのパターン 14/7/7(804号)

•経済成長の定式(モデル)

今週は、改めて経済成長のメカニズムについて述べる。このテーマはこれまで何回も取上げてきた。まず


08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html


で説明したように、経済学の教科書には、

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式がある。


しかしこの定式が規定しているのは供給サイドである。

つまりこの定式は暗黙のうちに生産されるものが全て消費されることを想定している。

まさにこれは古典派経済学(新古典派を含め)の「セイの法則」の世界である。


しかしケインズは「セイの法則」が成立するのは特殊な状況においてのみと説明する。彼は古典派経済学がこのような特殊理論であることを証明するため「一般理論」を著したのである。

筆者も、「セイの法則」が通用するのは、生産力の極めて乏しかった大昔や大きな戦争で生産設備が徹底的に破壊されるといった特殊なケースに限られると認識している。


教科書で学ぶ経済成長理論は、事実上、古典派経済学の世界である。

上記の定式に従えば、経済成長率を大きくするには貯蓄率を大きくし、資本係数を小さくする必要がある。資本係数を小さくするには、技術進歩による生産性の向上や社会の構造改革ということになる。また労働人口を増やすことも有効ということになる。

しかしこれらは全て供給サイドの話であり、またこのg(経済成長率)は潜在的な成長率に過ぎない。したがってケインズの指摘したような需要不足が起れば、これは全く成立たない定式になる。

ところがほとんどの経済学者やエコノミスト(さらには多くの政治家やマスコミ人まで)は、今日でも役立たずのこの定式にしがみついている。

それどころか自分達がこの定式にしがみついているという事さえ理解していないのである。


筆者は、単純に需要があれば経済は成長し、反対に需要が減少すれば経済は停滞し、場合によってはマイナス成長になるとずっと主張してきた。つまり少なくとも今日の日本にとって、供給サイドの経済成長の定式なんかまるで関係がない。また世間に流布している経済成長への処方箋はほとんどが嘘である。

新興国や途上国が高い経済成長を続けているのは大きな需要があるからである。何もない途上国の人々には、物やサービスに対して飢餓感に似た大きな需要がある。たしかにこのような国には経済成長の定式が適用できるかもしれない。

実際、ある程度の条件(具体的には政治の安定や基礎的な国民教育など)が揃えば、今日、元々十分な需要がある新興国や途上国は経済成長を続けることができる。仮に資金が不足していても、投資機会が乏しくなった先進国から潤沢な余剰資金が流れてくる。つまり貯蓄の必要性は小さい。また技術がなくとも先進国から技術を伴った最新設備を導入することができる。

また経済発展に必要なインフラも、例えば携帯電話などの登場によってハードルが低くなっている(以前は電話線網の設置工事から始める必要があった)。要するに旺盛な需要さえあれば、どのような国でも経済成長は可能なのである。いずれにしても規制緩和や構造改革なんて経済成長にほとんど関係がない。


先進国の中で、米国は比較的高い経済成長を続けてきた。これについて筆者は

01/6/18(第212号)「需要があっての経済成長」
http://www.adpweb.com/eco/eco212.html


で米国の貯蓄率が低下していることに着目した分析を行った。しかし今になって思えばこれは不十分な説明だったと感じる。筆者は、米国に流入した膨大な移民(合法・違法を問わず)の影響をもっと考えるべきだったと今日思っている。

米国は先進国の中でもめずらしく人口増加率が大きな国である。これは移民の影響が大きい。特に移民の出生率は大きく、移民の代表であるヒスパニック系住民だけでも既に5,000万人(全人口の17%)を越えている。何千万もの移民の流入は、米国に新興国・途上国の一国が生まれたようなものである。何も持たずに米国へやってきたのだから移民には旺盛な需要がある。これによって

07/11/5(第503号)「米国のサブプライム問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco503.html


他で述べたように、これまで米国の経済成長率がある程度かさ上げされてきたと筆者は考える。


•精神的に分裂状態

先週号でフランス経済学者のトマ・ピケティが、1930年代から1980年まで小さかった米国の経済格差が、1980年(レーガン大統領時代、つまり新保守主義台頭期)以降大きくなったと指摘した話をした。そして経済格差が大きくなると、国全体では貯蓄が増え経済成長にはマイナスに働くとトマ・ピケティは主張している。すなわち米国では特にヒスパニック系の移民が増えることによる需要増が、このマイナスを打ち消していたとも見られる。

ところが米国の比較的高い経済成長率は、レーガン大統領以降の規制緩和や構造改革のお陰と新古典派のエコノミストは間抜けたことを言い続けている。

彼等は、経済成長が需要で決まるということをどうしても認めたくないのである。

そして経済成長の定式から導かれる理論と「経済成長は需要が決める」という経済理論(筆者などが主張する)との間には大きな溝がある。

ここをはっきりさせず曖昧なまま日本で経済論議が進められてきた。これが原因で日本の経済学者やエコノミストが言っていることが分かりにくく混乱している。

経済学者は、学校で供給サイドの新古典派の経済成長理論の定式を教える。

ところが彼等は、実際の経済成長の実績や予想の分析には、内閣府が作成する経済成長の数値(速報値、改定値など)を使う。

この内閣府の数値は、供給サイドではなく需要サイドを積上げたものである。具体的には、個人消費、設備投資、公共投資、住宅投資、政府消費、在庫投資、そして純輸出(輸出−輸入)を合計したものである。


つまり彼等は、経済理論は供給サイドであるが、現実の経済分析は需要サイドで行うといった精神的に分裂状態である。

これを誤魔化すために、彼等は極めて悪質な細工を使う。

例えば需要と供給のギャップであるデフレギャップを異常に小さく算出するのである。


経済成長理論を構築したのは、ハロッドやサミュエルソンといったケインズの弟子達である。しかし彼等が作った経済成長の定式は、供給サイドだけに着目したものであり、事実上、需要サイドを無視している。

唯一需要サイドも考慮したのがハロッドである。ハロッドは、自分達が作った経済成長理論では、需給の不均衡に陥る危険性があることを認識していた(均衡点はナイフの刃の上を歩くように不安定と説いた)。今日の日本などの先進国の経済を見れば、ハロッドの認識が正しかったと言える。もっともサミュエルソンやソローなど当初新古典派と呼ばれた経済学者も後に考えを変えている。これについては来週号で触れる。


筆者は、経済発展段階によって適用できる経済成長のメカニズムは異なると考える。これを筆者は三つのパターンに分けて理解している。

一つは新興国や途上国のような十分な需要のある国のものであり、

もう一つは日本や欧州の先進国のように慢性的な需要不足に陥る国の経済成長メカニズムである。

もう一つ加えるならば、米国のような新興国・途上国の要素を併せ持つ国の成長パターンがある。

つまり供給サイドの経済成長の定式がある程度当てはまる国と全く適用できない国、そして米国のようなそれらの中間の国ということになる(ただし米国は今後日本などのグループに近付くと考える・・つまりサマーズの言っている長期停滞)。

このようなその国が置かれている状況を無視して経済政策を押し進めるから、訳の分からないことになる。例えば国内に十分な需要がない状態で設備投資を刺激しても、民間企業が設備投資を行うはずがない(設備投資が需要のある新興国・途上国に流れるのは当たり前)。またNISA(少額投資非課税制度)を拡充すれば、ますます個人消費が減少することになる。ましてや消費税増税なんてもっての他である。
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html


ポンコツ経済理論の信奉者達 14/7/14(805号)


「セイの法則」が意味を持った時代もあった

先週号で、

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式は古典派(新古典派を含む)の経済理論の本質を示すものと説明した。

これは供給サイドだけを規定したものである。一方、需要サイドでは作ったものは全て消費されるという「セイの法則」が暗黙のうちに想定されている。したがって現実の経済で需要不足が当たり前になれば何の価値もない定式になる。


つまり慢性的に需要が不足している今日の日本など先進国にとっては、ほとんど関係のない定式である。今日のような低成長になれば、需要サイドだけを見ていれば十分であり、供給サイドはほとんど無視して良い。

ところが役立たずの経済学者やエコノミストは、相変わらず既にポンコツとなったこの定式にしがみついて経済成長戦略とか言っているのだから驚く。


この理解を容易にするため、s(貯蓄率)とv(資本係数)についての説明を行う(ただし平均値と限界値への言及はややこしくなるので割愛する)。

v(資本係数)は資本(K)/総生産額(Y)で算出される。

資本(K)は総資本ストックであり、総生産額(Y)はGDP(国内総生産)や総国民所得と読み替えても良い。

v(資本係数)はより小さな資本(K)でより大きなGDPを産み出す国では小さくなる。つまりこの数値が小さいほど生産効率の良い国である。


また古典派経済学では

S(貯蓄)=I(投資)と s(貯蓄率)=i(投資率)

が成立していることになっている。したがってI(投資)やs(貯蓄率)が大きくv(資本係数)が小さい(生産効率の良い)国ほどg(経済成長率)は大きくなる。

つまり貯蓄(つまり投資)が大きく生産効率の高い国ほど経済成長が高いという、分かりやすい話である(正しいかどうかは別)。


また生産物(GDPと見なして良い)を消費財と資本財に分け、この議論を補足する。

生産物の全てが消費財で資本財がゼロの国は、総資本ストックが増えないので生産力が増えない。したがって古典派経済学の世界では経済成長ができなことになる。反対に消費を切り詰め(貯蓄を増やすことと同じ意味)、それを投資に回す国は高い経済成長が実現できるということになる。


第二次世界大戦で生産設備が壊滅的な打撃を被った日本は、戦後、消費を削り設備投資に資金を回した。貯蓄が奨励され、預貯金の利息への課税を免除するマル優制度まで導入した。また企業は多額の銀行借入れを行い、最新鋭の生産設備を導入した(古くて生産効率の悪い設備が戦争で破壊されたことが幸いした)。このため日本の企業の自己資本比率はずっと小さかった。

人々も新技術を学び日本全体の生産性は飛躍的に向上した。これによって日本のv(資本係数)は欧米先進国より小さいまま推移している(傾向としては近年大きくなっているが)。この結果、日本製品は驚異的な競争力を持つことになった。しかし生産力が大きくなり過ぎたため日本国内では生産物が全部消費されず、余った生産物は輸出されるようになった。戦後、日本の貿易収支は慢性的に赤字であったが、1964年の東京オリンピックの年を境に貿易収支が黒字に転換した。この様子は

11/3/7(第653号)「日本が貿易立国という誤解」
http://www.adpweb.com/eco/eco653.html


で紹介した。


少なくとも1973年のオイルショックまで日本は高いレベルの設備投資が続いた(それ以降も日本の設備投資のGDP比率は欧米に比べ大きい)。これが原因で日本は過剰生産力を常に抱えることになった。したがって日本経済は景気後退で国内需要が縮小すると、直に輸出ドライブが掛かるという状態になった。

しかし日本の貿易収支と経常収支の黒字幅が拡大するにつれ、欧米からの批難が大きくなった。この貿易のインバランス解消のため円高が要求され、従順に日本はこれに従ってきた(この点が中国と大きく違う)。しかしどれだけ円高になっても、日本はそのハードルを乗り越え貿易黒字を維持してきた。この結果、とうとう1ドル76円と言った明らかに行き過ぎた超円高に到った。

このように見てくると1973年までの高度経済成長期は、日本経済は古典派(新古典派)経済学の経済成長の定式がほぼ当て嵌まっていたと考えて良い。戦争で着の身着のままになった日本国民の需要(テレビや冷蔵庫を買い、次は車や住宅を買いたいといった時代)は旺盛であった(人口構成も関係するがこの話は後日に)。また一時的に生産過剰になっても余剰生産物は輸出すれば良かった。特に日本製品は圧倒的な国際競争力を持っていた。つまり作ったものは全て消費(輸出を含め)されるといった「セイの法則」がある程度意味を持った時代はたしかにあった。


•高所得国の罠

今日の平均的な日本人は、一応の耐久消費財と住宅を所有している。したがってこれから日本で飛躍的に消費が伸びることは考えられない。消費物資が不足しているとしたなら、これは若い年代層、特に低賃金の非正規労働者であろう。しかしそれも彼等の親が住宅や車を所有しておれば、これらを購入する意欲は弱くなる。

ただし購買意欲が弱いと言っても、昔の日本(高度経済成長期)や今日の新興国・途上国と比べた話である。実際のところ今でも日本の耐久消費財や住宅の購入はそこそこ高いレベルにある。例えば日本では自動車が年間500万台程度売れている。中国は自動車ブームと言われているが、年間の販売台数は2,500万台程度である。中国の人口は日本の10倍であるから、つまり一人当りの平均では日本は中国の倍の車を購入している計算になる。

住宅も日本は年間100万戸建築されていて、人口が2.5倍の米国とほぼ同じ数字である(ただし米国の方が住宅の耐用年数は長い)。また資産家や株価上昇の恩恵を受けた者達は、高額商品を盛んに買っている。しかし国全体の消費の伸びという点では極めて弱く、ここが問題であり、このままではとてもデフレ脱却なんて無理と言いたい。


日本など比較的高い所得水準が続く国においては、国民は既に一揃の耐久消費財や住宅を所有していると考えて良い。したがって需要と言っても買い替え需要が中心になる。つまり爆発的な需要増というものは生まれにくくなっている。

また日本のように高い消費レベルが続いている国では、これ以上の消費はどうしても選択的になる。消費が個人の考えや趣味に左右されるのである。多くの人々が同じような電化製品や車を買い求めた現象は過去のものとなった。つまり昔のような大ヒット商品というものが現れにくい。要するに今日の日本の平均的な消費レベルが低いわけではないので、これを飛躍的に伸ばすことが難しいのである。


これまで経済成長が著しかった新興国の経済が今日怪しくなっている。このような現象を「中所得国の罠」と呼ぶケースがある。「高所得国」になる前に既にもたついているのである。

しかし「中所得国の罠」が存在するなら「高所得国の罠」があって良いと考える。筆者は、前から人々に消費意欲に限界みたいなものがあるのではないかと考えてきた。これに関連し

98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
http://www.adpweb.com/eco/eco62.html

99/8/30(第128号)「日本経済と欲求の限界(その1)」
http://www.adpweb.com/eco/eco128.html

などで、消費者の欲求にも限界があるという仮説を唱えてきた。


しかし一方には消費や需要は無限という経済論を唱える者がいる。

作ったものは全て消費されるという、例の間抜けな「セイの法則」の信奉者達である。

また中には規制緩和で需要が増えるといった奇妙な経済論を平気で説く者までいる。これについて

04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
http://www.adpweb.com/eco/eco338.html


他で筆者は、純粋に需要が増えるのは、麻薬、銃、売春、賭博といった公序良俗に反するものの規制緩和だけと述べた(規制緩和の影響はほぼ中立と説明)。

しかし筆者は、日本の消費や需要を確実の伸ばす方法はあると主張してきた。

それは国民の所得を増やすことである。

増えた所得の一定割合は消費に向かう。国民所得を増やすには財政支出を増大させれば良い。

一時的に国の財政赤字が増えても、将来、税収増となって返って来る(政府紙幣の発行や永久債の日銀買入れという手段もある)。また今日の長期金利が0.5%と、市場は国債の増発を催促しているのである。

この手の肝心な政策を考えず、「特区」とか「岩盤規制の緩和」による成長戦略とか言っているからおかしいのである。

これを言っている人々は、既にポンコツで廃棄処分にすべき経済成長の定式(モデル)の信奉者なのである。
http://www.adpweb.com/eco/

一家に一台が需要の天井 14/7/21(806号)


•需要サイド重視という風潮

先週まで述べたように、教科書の経済成長理論は供給サイドだけを規定したものである(需要は常に十分あるというばかげた暗黙の前提がある)。当然、これは日本など成熟した国の現実の経済には全く当て嵌まらない。ところが教科書のこの間違った記述を本当のことと信じている者が極めて多い。特に学校で、一生懸命、経済学を学んだ秀才タイプ(教科書に書いてあることは真実と思い込み、柔軟に物事を見ることができないタイプ)がこれである。また公務員試験などの各種試験の経済学の出題もこの教科書からなので問題は大きい。

このタイプは経済学者やエコノミストだけでなく、政治家や官僚、そしてマスコミ人などによく見られる。彼等は「自分は教科書でよく勉強し間違っていない。間違っているのは現実の方」と堅く信じている。そのためかこのタイプが好むのが「構造改革」である。「構造改革」によって、現実の経済を自分が信じている経済理論が機能する形に変えようというのである。ところがこの間違った認識を持った人々が、現実の経済政策に影響力を持っているのでさらに問題を大きくしている。実際、今日の経済成長戦略のほとんどは、この教科書の記述に沿ったものである。


教科書の古典派経済学の中心命題は、資本の蓄積と生産性の向上である。これに関連した例え話がある。ある漁師が魚を一匹ずつ釣っているとする。しかしこれでは自分が食べる分の魚しか釣れない(つまり生産物が全て消費される自給自足時代の経済である)。そこで魚を釣る時間を割いて、漁師は網という資本財を作製する。この網という資本財によって以前より多くの魚を獲ることができる。

この結果、漁獲(生産物)に余剰が生まれ、これによって漁師はさらに別の網を手に入れることができる。網という資本財がさらに増えるので、漁獲量ももっと増え、余剰はさらに大きくなる。そこで漁師を資本家と読み替え、経済の概念を一人の漁師から一国全体に広げると新古典派の経済成長理論になる。


新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式が正しければ、資本主義経済は自律的に成長するメカニズムを内在していることになる。したがって経済はこれによってどこまでも持続的な成長が可能という話になる。

この経済成長理論の信奉者は、日本経済がこの定式通りに成長しないのは、政府の経済への余分な介入や労働組合の存在が原因と訴える。彼等は、例えば政府が資本家から税金を取ることによって資本蓄積の邪魔をし、これを無駄な公共事業に使っているとずっと主張してきた。また彼等は各種の規制によって資本蓄積(投資)の機会を奪われ、さらにこの規制が国の経済の生産性を低下させたと言っている。まさに供給サイドだけを見ている者の言い分である。


この古典派経済学に沿った経済成長のメカニズムは単純である。したがってたとえ法律しか学んでこなかった政治家や官僚でも簡単に理解できる。実際、高度経済成長期の日本を思い浮かべたり、これまでの中国などの経済成長を目の当たりにすると、この定式がもっともらしく見える。

大学の教師はこの単純な経済成長論を学生に教えて生活をしている。しかし経済理論そのものは単純であるが、厳密性という名のもとに複雑な数式で化粧しているので学ぶ者にとって難しく感じる。彼等が教える経済理論は、なにか新興宗教の教義や密教の奥義と通じる所がある。したがって学ぶ者は苦労して数式が解けると、自分のステージが上がって経済が解ったような気になる。

ただこの単純であるが幼稚な経済理論を唱えてきた日本の経済学者も最近では少し不安になっている(ほぼノイローゼ状態になっていると言って良い・・これについては翌週取上げる)。これまで彼等は低成長になったのは日本の政府の対応や日本の社会の在り方に問題があったと片付けてきた。つまり日本固有の障害で日本経済は低成長に陥ったと誤魔化しておけば良かったのである。


ところが日本における経済認識が大きく変わる兆しが出てきた。

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html


で取上げたように、欧米の経済成長の論議において、供給サイドではなく需要サイドを重視するという考えが注目されるようになっている(筆者に言わせれば当たり前の話)。筆者は、そのうちこの流れが日本にも及んでくるのではと考える。

まずトマ・ピケティの著作の日本語版翻訳がそのうち出版され、反響が出ると予想される。また米国経済が長期停滞に陥ったと説くサマーズは、この対策として米国の老朽化したインフラの大改修を主張している(まさに批難を浴びながらも昔から日本でやってきたこと)。日本でもこの需要サイド重視という風潮が及んでくれば、これまで「真っ赤な嘘」を風潮してきた経済学関係者の立場がなくなるのである。


•日・米・中の年間新車販売台数

古典派(新古典派を含め)の経済成長理論がおかしいことは、昔から相当の人々が気付いている。たしかに需要が旺盛で作れば全てが売れる時代の企業経営者は、どれだけ生産力を引上げるかが経営の最重要課題であった。日本の高度経済成長期の企業経営を思い浮かべれば良い。銀行からの借入金でどんどん設備投資を実施し、人を雇い入れ、生産工程を改善して生産性を上げることが経営の要諦であった。まさに新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示す経済成長の定式が適用できる世界であった。

ところが段々と売上が伸びない時代になる。経営者は、新製品の開発や販売促進を行うだけでなく、従業員のリストラをおこなって合理化を進めるようになった。そして国全体で売上(需要)が伸びない事態に陥ったのがここ20年くらい(筆者は、既に40年も前からこの徴候は出ていたと言ってきた)の日本経済である。

資本主義経済では需要不足が起るというケインズ理論は、戦後一時的にもてはやされた。しかし米国産業の競争力が弱くなった頃から、ケインズ理論に対する風当たりが強まった。ただケインズ理論を否定した後の埋草に使われたのが、なんとポンコツ同然の古典派経済学であった。


経済成長が続き生産力が増せば、そのうち需要不足が起ることは誰でも分かる。ところが日本の経済学者は、この当たり前のことを絶対に認めようとはしない(生活が掛かっているのであろう)。このばかばかしさを示す一つの方法として、各国の新車販売台数の推移を取上げ、これを分析してみる。

次の表は日本、米国、中国の年間新車販売台数の推移を示している。ただし日本だけは、ベースが年度であり、また98年度から01年度までは乗用車のみの集計である。


日・米・中の年間新車販売台数(万台)


年  日本  米国  中国 

98
(414) 1,544 167

99
(419) 1,677 208

00
(426) 1,724 215

01
(430) 1,702 237

02
587 1,681 325

03
589 1,664 456

04
582 1,686 520

05
586 1,694 587

06
562 1,650 722

07
532 1,608 879

08
470 1,319 963

09
488 1,040 1,365

10
460 1,155 1,806

11
475 1,273 1,851

12
521 1,444 1,930

13
569 1,549 2,198


まず目を引くのが中国の物凄い伸び率である。ここ10年間は毎年10〜30%程度の増加を示している。中国の国民所得の伸びはすごく、自動車に対するニーズが極めて高いことは分かっていた。しかし国内産業振興という中国政府の政策があり自動車に対する輸入関税は極めて高い。また人民元が低く操作されていることもあり、中国への自動車輸出はほぼ不可能であった。

したがって中国で車を売ろうという外国企業は中国政府の方針に従い、現地企業との合弁で中国国内に生産拠点を設ける他はなかった。しかし車に対して旺盛な需要があったから、外資は大挙して中国に進出した。つまり中国には十分な需要があったので、むしろ問題は供給サイドであった。まさに中国の自動車産業こそ新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

の経済成長の定式が適用できる世界であった。

はたして外資は、設備資金の提供に加え、生産性の高い最新の生産設備を中国に導入した。つまり

s(貯蓄率)/v(資本係数)

は外資導入によって大きくすることができたのである。また中国にはタダ同然(人民元が極めて低く抑えられているため)の余剰労働力がありn(労働人口増加率)は確保されていた。このように中国の自動車産業はほぼ古典派経済学の理論通りの経済成長を成し遂げているのである。


一方の日・米は08年のリーマンショック後のスランプを除き、年間に売れる車の台数はほぼ一定である。まさに日米は買い換え需要が全てと言って良い。つまり生産力増強の投資はほぼ必要がない。投資が行われるとしたなら設備の減耗を補う程度か合理化に伴う投資であり、その他では車に新装備を施すもの(例えばハイブリッド)に限られる。実際、少なくとも日本国内ではここ10年くらいは、新工場の建設は全くない(米国は、新工場の建設される場合、どこかの工場が閉鎖されているケースが多い)。

つまり日米はともに需要の天井にぶつかっているので、新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

の経済成長の定式は無関係である。しかし日本も米国も、今の中国と同じような高度成長期が過去にあった。ところがある程度まで来ると、全く伸びなくなったのである。


ここまでの話は自動車産業だけを例に採った。これは自動車産業の規模が大きく、また関連産業が広く(ガソリン販売、保険など)、適当と思われたからである。実際、中国では車以外の産業でも同じような高度成長が続いてきた。これからの関心は、中国の高成長がいつまで続くかということになる。

しかしその中国で成長に陰りが既に出ている。一つは過剰在庫を抱えた住宅産業である。他にも自動車産業に先行して成長してきた電機産業が既に需要の天井にぶつかったと見られる。今年のテレビの販売が減少に転じると予想されている。おそらくエアコン、冷蔵庫、洗濯機といった他の家電製品も近々減少に転じるものと考えられる。これも家電製品は既に一家に一台以上普及していて、旺盛ただった需要が消えているからである。

やはり耐久消費財は、一家に一台というものが一応の需要の天井になるようである。唯一中国で一家に一台普及していないのは自動車だけということになる。つまり中国でさえ、新古典派の経済成長理論が適用できなくなる時代が近付いているのである。それにしても日本でこのポンコツ経済学を教えている人々は、一体何を考えているのであろうか。
http://www.adpweb.com/eco/

三教授のサマーズ論の解説 14/7/28(807号)


•サマーズとトマ・ピケティへの大きな反響

本誌14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html


で取上げた、米国経済の長期停滞論が日本でも注目され始めた。サマーズ元財務長官は消費や投資の減少などで、米国経済が長期停滞に陥ると警告している。この話は、筆者が本誌にこれまで述べてきたことに合致するところが多い(筆者は長期停滞論に関してこの他にいくつかの原因を仮説として提示している)。

サマーズ氏は、この対策として米国のインフラの大改修や成長産業への投資促進策を提言している。またフランスの経済学者のトマ・ピケティは所得格差の拡大が全体の消費を抑え需要不足を生むと指摘している(この点についてサマーズも同じことを言っている)。両者の主張は欧米で反響を呼んでいる。長期停滞論に人々が何となく共感を覚えるからであろう。リーマンショック後の落込みから日・米・欧の経済は、程度の差はあるが回復基調にある。しかし期待したほどの力強い回復ではないと人々は感じている。


先進国においてこれまでの経済論壇の主流派(つまり古典派、新古典派経済学)の議論は、もっぱら供給サイドを重視するものであった。例えば職業訓練によって労働市場のミスマッチをなくすといったものである。また彼等、主流派は供給サイド重視の観点から、潜在成長率を高めることを主張してきた。このためには規制緩和による構造改革が必要と言い続けている。

一方、サマーズとトマ・ピケティは消費と投資の不振による需要不足を問題にしている。ただ各国政府も全く需要サイドを無視してきたわけではない。実際、リーマンショック後の急激な経済の落込みに対して、財政出動などによる需要創出政策を実施した。しかしギリシャの財政危機が起り、各国は一転して緊縮財政に転じた。英国は付加価値税、そして日本は消費税を増税し、また米国は軍事費などの財政支出を削減している。


ところでIMFは14年の先進国の需給(デフレ)ギャップが110兆円(GDPの2.2%に相当)と推計している(しかし筆者はこれを小さ過ぎると指摘した)。サマーズは米国のGDPは潜在GDPを10%も下回っていると主張している。ところが日本では内閣府がデフレギャプを0.2%、日銀はなんとデフレギャツプが解消し、逆にインフレギャップが0.6%生じていると実にばかげたことを言っている。これも主流派(供給サイド重視派)の影響であろう。

実際、現実を見れば欧州は若者の失業率が10%を越えており、設備投資も盛上がりに欠けている。米国も失業率は低下しているが、非正規雇用が増えているだけである。各国政府は、この状況を見て苦慮している。しかし財政が逼迫していると思い込んでいるので、財政政策は打てず、もっぱら金融緩和に頼っているのが現状である。ところがトマ・ピケティは、今日の状況においての金融緩和はさらに所得格差を拡大すると批判している。

筆者は、経済論壇の主流派が世間から相手にされなくなる時期が近付いていると見ている。サマーズやトマ・ピケティの説が全て正しいかどうかは別にして、需要サイド重視という考えが、世間に何か新鮮なものと受取られている。これも今日の経済論壇の主流派がボロボロになっているからであろう。


サマーズやトマ・ピケティの主張は、当たり前のことと筆者は考える。需要があれば経済は成長し、需要が不足すれば経済は停滞する。したがって先週号で取上げたように需要が旺盛な新興国や途上国は、条件さえ揃えば高い経済成長が可能である。

逆に供給サイドがネックになって経済成長が出来ないなんて、例外的なケースである。過度に一次産品に依存し製造業が貧弱な、ブラジルやアルゼンチンなどの南米諸国やロシア、そして近代産業のほとんどない途上国の一部などに限られる(一方、少し前の中国なんて一週間に電気が3日間しか供給されない状況で高い経済成長を続けてきた)。この限られた国々にしか適用できない主流派経済学のポンコツ理論で、成熟した日・米・欧の経済を分析し経済政策を進めようとしてきたことがそもそもの間違いだったのである。


•日経新聞のサマーズ理論の解説

昨年11月サマーズはIMFの会議で長期停滞論を初めて論じ注目された。IMFは元々経済論壇の主流派色(つまり古典派、新古典派経済学)が強い機関である。このIMFでさえ先進国全体でデフレギャップを前述の通り110兆円と推計している。たしかにこの数字は異常に小さいが(サマーズは米国のデフレギャップをGDPの10%としているので、米国だけで110兆円なんて軽く越える)、IMFでさえデフレギャプの存在を認め問題にしたことに意味がある。ちなみにデフレかどうかは、このデフレギャップで見るべきなのに、ポンコツエコノミスト達はいまだに物価の上がり下がりで見ようとする。

本来、長期停滞論は日本で言い出すべきものである。ところがバブル崩壊後、何を勘違いしたのか日本では供給サイド重視の論調が一斉を風靡し、今日でもこの路線が続いている。逆に日本では、サマーズ氏のような需要サイド重視や積極財政を唱える経済学者やエコノミストがほとんど排斥されて行った。

ところが欧米経済も日本経済を追い掛けるようにデフレが深刻になったのである。ようやく欧米もデフレに真面目に取組もうという雰囲気が出てきたのである。この先駆けとなっているのがサマーズとトマ・ピケティと筆者は捉えている。


情けないのが日本の経済論壇であり、いつも米国の経済学の流行りを追い掛けるしか能がないのである(人材不足が深刻)。おそらく米国の経済論壇で需要サイド重視の流れが定着すれば、日本も追随する可能性がある。そしてその徴候が既に出ていると見られる。

7月26日発行の週刊東洋経済は、トマ・ピケティの特集を組んでいる。また日経新聞は7月14日から3日間に渡り、サマーズの長期停滞説を経済学教室で取上げている。経済論壇の主流派(古典派、新古典派経済学)色が極めて強い、つまり供給サイド重視一辺倒の日経がサマーズの長期停滞論を取上げたのには筆者も驚いた。


3日間の執筆者は、福田慎一東大教授、池尾和人慶応教授、そして岡崎哲二東大教授である。3氏ともサマーズ氏が需要不足を根拠に長期停滞論を展開していることを紹介している。ただ岡崎氏だけは、米国の投資率(GDP比率)はまだ15%程度とまだ比較的高く投資と実質金利の関係では米国の停滞説は早計と見なしている。

ただ三氏とも長期停滞という点では日本の方が事態は深刻という分析をしている。それなら、何故、これまで日本で需要不足に起因する長期停滞を警戒する声が出なかったのかという話になる。やはりこれも米国が動かなければ日本は動かないという情けない図式なのであろう。


しかし三氏ともサマーズ氏の総需要政策には必ずしも賛同していない。今日のような過度の金融緩和状態での需要政策は、バブルを発生させると三氏は主張している。筆者は現状では簡単にバブルが起るとは考えないが、中には先走りしてバブル崩壊の惨状を説いている者までいる(福田教授)。

三教授は、サマーズ氏の長期停滞論を受けた対策をそれぞれ提示している。少子高齢化と財政健全化に正面から向き合って経済の構造を改革することが急務(福田教授)。サマーズ氏は成長戦略に消極的であるが、政治的忍耐力を持って成長戦略を実行(池尾教授)。高齢化社会に適合する経済構造への移行(岡崎教授)。それにしても「これらは一体何だ」といった惨めな政策のオンパレードである(対策を思いつかないのなら「ない」と言えば良い)。三教授の対策を見ると、やはり今日の日本の経済学者にサマーズ論の解説は無理だったようである。

日経新聞がサマーズ氏の長期停滞論を取上げたので筆者も日経も少しは変わったのかと思った。しかし23日の「エコノミクス・トレンド」では、柳川東大教授が「供給能力の天井 克服を」とまさに供給サイド重視一辺倒の文章を書いている。柳川氏はサマーズ氏の長期停滞論を引用しながらこれを書いているのだから驚く。また24日には「大機小機欄」に隅田川氏が同様の論調で間抜けなコラムを書いている。

そもそも日本経済は需要の天井にぶつかっても、供給の天井にぶつかることは百パーセントない(三教授でさえ日本のデフレが一番深刻と言っているではないか)。現実の経済の実態を知らずに経済を論ずる人々は幸せである。どうも日経新聞は、リハビリ程度では治らないほどの重病である。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c4

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
5. 中川隆[-5588] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:12:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
貯蓄と貧困 再論(セイの法則をめぐって)
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/908.html

経済学には、売り切れる経済学と、売りきれない経済学がある。

(私の説明がつたなくて何のことを言っているのかわからないという方がいらっしゃるかもしれないので、

小室直樹『資本主義のためのイノベーション(革新)』
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9-%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%82%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB-%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%9D%A9%E6%96%B0-%E5%B0%8F%E5%AE%A4-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4822229025


から、

第4章 イノベーション(革新)理解のための経済原論 の冒頭部 
−「有効需要の原理」と「セイの法則」だけ分かれば、あなたも立派な経済学者− 
を数ページこちらに引用→ (『情況へ…shn』19.1小室直樹)しておきます。

「経済学は、アダム・スミスから始まり今日にいたる古典派とケインズ派とからなる。古典派は自由放任を唱え市場万能論者である。ケインズは古典派を批判した。本章は中学1年程度の数学で理解できる。」だそうです。)


売り切れる経済学とは古典派で、セイの法則が成立するとします。

セイの法則を小室直樹は少し長く説明していますが、私が昔読んだときにはもっと単純な説明であったと思います。
"supply creates its own demand"、供給は自分自身に対する需要を生み出す。

一番単純な例を考えると、床屋さんの商品は散髪することで、散髪料金が2500円なら、一人散髪をすると2500円の収入が発生する。市場に或る商品を提供すると、同額の収入がもたらされる。少し複雑な場合を考えると、120万円のトヨタカローラが一台売れると120万円の収入がもたらされる。120万円は土地(自然)、労働、資本という生産の三要素にそれぞれ地代、賃金、利潤として支払われ、それらは地主、労働者、資本家の収入になる。商品の総額と収入の総額は等しい。

ここまでは当たり前で、ケインズ派もマルクス派もだれも反対しない。
ここから先が違う。

古典派は、人は商品を売って収入を得てそれで何かを買い(消費)、残りは必ず投資するだろう、と考える。自分で投資しないときは人に貸し、借りた人はただ利子を払うのではなく必ず投資する。500兆円の商品が市場にもたらされるときは500兆円の収入が発生し、それは必ず500兆円の需要になる。収入は必ず支出される。ため込まれてしまうことはない。だからたとえ市場の一部で売れ残りが発生してもそれと同額の購買力が他方に残っているのだから、市場に任せておけば必ず売り切れるように市場自身が調整する。…

マルクスは、資本主義においては「売り」は強制されるが「買い」は強制されない、だから必ず「買い」が不足する、と批判しました。売り上げを握りしめて模様眺めをすることだってできるわけです。

ケインズは流動性選好という言葉で説明しています。
たとえば「投機」目的のためには自分の収入をなるべく現金に近い形で(流動性の高い形で)持っている必要がある。すると、収入が現金で持たれている分だけ商品が売れ残り、失業が発生する。

収入が貯蓄され、貯蓄が投資されずに溜め込まれると失業、貧困が発生する。

ここまで説明すると必ずと言っていいほど
いや、「三面等価の法則」があって、必ず売り切れることになっているのだ、というコメントが寄せられるのですが、「三面等価の法則」というものはない、あるのは「三面等価の原則」なのだそうです。
野口悠紀雄もたしかビデオニュースドットコムで「貯蓄が失業の原因だという考えがあるが」と意見を求められて「三面等価の法則があって、売り切れるのです」と答えていました。

三面等価の原則に関してはこちらがわかりやすくまとめられています。
→   http://free-learning.org/?page_id=390#05
検索する場合は、フリーラーニング→速習マクロ経済学→part2国民経済計算−日本経済をどう測る?→第5回 三面等価の原則 です。

テキストでは
「三面等価の原則は統計上の操作を行うことによって常に成立する統計上の原則にすぎません。しかし、この原則より、現実経済の需要と供給も等しいと勘ちがいする人が多いので気を付けましょう。」
と中扉で注意を呼びかけられています。(石川秀樹 「速習!マクロ経済学」65ページ)

その「三面等価の原則」というのは
 (生産面からみると)国内総生産・500兆円
=(分配面からみると)国内総収入・500兆円
=(支出面からみると)国内総支出・500兆円
ですが
「国内総生産より、国内総支出が小さい場合、生産した分より支出が少ないので、ものが売れ残り、倉庫に売れ残り品が増えます。ところが統計上は、この売れ残った分は、その作った企業が支出したと考え、在庫品増加という項目にして国内総支出に加えるのです。(中略)
 このように考えれば、統計上は、支出面の国民所得(国内総支出)と生産面の国民所得(国内総生産)とは常に等しくなります。」
「しかし、これは、統計上は、売れ残った分は作った企業が支出して買ったことにしてしまうので、等しくなるというだけで、現実の生産量と需要量(支出額)が等しく売れ残りがないということではありません。」(同67ページ)

個々ばらばらの生産額の数字を集計すると、個々ばらばらの収入額の合計とは誤差や漏れがあって必ずしも一致するとは限らないから、統計上はその数字をそろえる、というのはわかる。しかし総支出額も操作して揃えてしまうというのは一種のトリック、インチキで、「勘ちがいする・させる」の元になるのではないか。

貯蓄の一部が投資されないでため込まれると商品が売れ残り失業が発生するからその分を(政府が)新たに投資しなければいけない、と話を進めると
「売れ残り在庫は在庫投資という投資だから、投資しているのだ」
という反論が寄せられたことがあったのですが、それが「勘ちがい」なのでしょう。
で、野口悠紀雄もその勘ちがいをしている一人なのでしょうか。

例えば薄型テレビ業界に参入するために1000億円をかけて工場を建てた、労働者も雇った、部品も仕入れた、これが1000億円の投資だ。一方、売れるはずの見込みが外れて10万円のテレビ100万台が売れ残ってしまった、これが1000億円の在庫だ。この二つが同じだ、投資だ、という人にまともな経済運営は可能なのでしょうか。

結局小室直樹の結論も一緒で、貯蓄が投資されずに溜め込まれると失業が発生する。

だから貯蓄を吸収しきるだけの国債を発行して公共事業をするなり、「何とか手当」という口実を作ってお金を使いたいという人にばらまけば売れ残りが一掃されて市場の機能が回復する。市場を否定するのではなくて、市場の機能を回復させるために、貯蓄分をプラスマイナスでゼロにするだけのバラマキをしなければいけない。
または、初めから、お金を使う必要のない人にはお金が回らない所得体系にしなければいけない。

 また、いったん売れ残り・失業が発生すると、立場の弱い商品から投げ売りが始まる。

底辺の「労働力」は一番立場の弱い商品だから、すぐ値崩れが起こる。つまり貯蓄によって不当廉売を強いられることになる。すると、不当に安値を付けられた労働の買い手はその分不当な利益を得ることになる。

だから、アメリカ大統領選で語られたという「真面目」に働いて自分の生活を成り立たせてきた人間(53%の納税者)、対、「税金で食わしてもらっている人間」(47%非納税者)という対比そのものが不当なものだといえる。

労働力の供給に関する古典派・新古典派の理論では労働者は労働するかしないか自分で選べることになっている。ある時間働いて得られる収入と、そのために失われる余暇とをはかりにかけていいほうを選ぶのだという。そんな労働者を見たことがあるか。それはまるで食べるには事欠かない親がかりの学生アルバイトだ。
 ならば国民一人当たり100万円のベーシックインカムを保証して働くか働かないか自由に選べるという条件を作り出せば古典派・新古典派の市場の理論が実現するといえる。

(「セーの法則」を眺めていたらこんなことも言えるのではないか。
日本は労働賃金が高いから国際競争力が失われる。…
 ある業界で賃上げが行われ、計10兆円賃金が上がり、それがすべて価格に転嫁されて、国内の全商品の値段が計10兆円上がったとする。けれどその時、その商品を買う国民の総収入も10兆円増えているのだから、国民全体が損をするわけではない。損をするのは輸出業界だろう。輸出のために労働者の賃金を貧しい国並みに引き下げるというのは、本末転倒ではないか。

 特に農業問題でも同じだ。

 日本の農業が全体で10兆円の農産物を生産していたとする。しかし外国では同じものを8兆円で作っている。ならばといって日本の農家も値下げして8兆円で作ることにしたら、国民の総収入も2兆円減ってしまう。国民の利益が全体として増えるわけではない。

 その8兆円の農産物を輸入してしまったら、国民の総収入が8兆円失われ、8兆円の商品が売れ残り、8兆円分の失業が発生する。…)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c5

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
6. 中川隆[-5587] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:14:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【青木泰樹】「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」


「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」と経済学者ジョーン・ロビンソンは警句を発したと言われています。

経済論理は、特殊な前提条件の下で成り立つ理屈にすぎません。

いわば「狭い土俵の中」での話であることを忘れてはならないのです(学説ごとに土俵の広さは異なりますが)。

しかし、世間には経済学の原理原則を現実経済の分析に直接適用しようとする経済学者やエコノミストが後を絶ちません。

彼等は、経済学という土俵の中の理屈で、現実経済という土俵の外の話を論じるという過ちを犯しています。

言うまでもなく、現実経済は経済学の要求する前提条件を満たしておりません。
それゆえ現実経済を論じる(土俵の中に入れる)ためには、前提条件を緩める(土俵を拡げる)ことが必要です。

さしずめ私の指向する経済社会学はこれにあたります。

しかし、現在の主流派経済学(新古典派経済学の後継の諸学説)は、土俵を狭くすることに専心していきました。

その結果、経済学と現実経済の距離はますます開いていったのです。

経済学者の経済認識と現実経済のズレが拡大している以上、もはや経済学者の言をそのまま信じては現実経済の動向を見誤ることになります。

彼等の提言通りに経済政策が実施されたら、国民経済はたいへんな災厄(人災)を被ることになってしまうのです。

本日は、経済学の原理原則を絶対視すること、もしくはそれに基づき現実経済を認識することの危険性について具体的にお話ししたいと思います(分量の関係で二回に分けます)。

経済学の原理原則の具体的な題材として、著名なニュー・ケインジアンの学者であるグレゴリー・マンキューの提示する「経済学の10大原理」のうちマクロ経済に直接関わる二つの原理を取り上げます。

ちなみに10大原理は、マンキューの世界的なベストセラーである著書『経済学原理』に示されているもので、その邦訳書『マンキュー経済学』は経済学の教科書として有名ですので、ご存知の方も多いと思います。

今回取り上げるのは、「政府がお金を発行しすぎると物価は上がる」という貨幣に関する原理で、次回は「社会はインフレと失業の間の短期トレードオフ関係に直面している」という物価版フィリップス曲線に関する原理です。

いずれもリフレ派の経済学者の依拠する理論的基盤ですね。

これらの原理(いわば経済学者の経済観)で現実経済を認識するのは不適切であることを説明します。

以前、このコラムで三橋さんが貨幣の定義についての話をされていました。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/09/28/

その記事の中で興味深かったのは、貨幣(この場合は通貨)の定義をめぐる岩田規久男氏(現日銀副総裁)と三橋さんのやり取りです。

岩田氏は「貨幣はマネタリーベース(現金)」と考え、三橋さんは「貨幣はマネーストック(現金プラス預金)」と考えておりました。

実は、このやり取りの中に「経済学における貨幣の定義」と「現実経済における貨幣の定義」の相違が潜んでいるのです。

もちろん、岩田氏は前者の立場、三橋さんは後者の立場です。

この貨幣の定義の違いを理解するためには、国民経済の基本構造を知る必要がありますので、簡単なイメージを示しておきます。

国民経済は「政府ムラ」と「民間(経済)ムラ」から成り立っており、それぞれのムラには2軒の家が建っていると考えてください。

政府ムラの2軒は、「親(政府)」の家と、「子(日銀)」の家です。

民間ムラの2軒は、「銀行」の家と個人と企業が暮らす「実体経済(民間非金融部門)」の家です。

経済学の支配的な貨幣観は、「貨幣は民間経済の外で造られる」と考える外生的貨幣供給論です。

この点に関してはケインズ経済学もマネタリズム(新貨幣数量説)も同じです。
すなわち、貨幣は政府ムラの造る現金(マネタリーベースもしくはベースマネー)と定義されます。

民間ムラで現金を保有しているのは、銀行と実体経済に住む個人と企業ですから、その合計額を貨幣量と考えているのです。
ちなみに銀行は保有する現金を「準備」として日銀に預けております(日銀当座預金)。

他方、マネーストックは「実体経済内で保有されている現金と預金の合計額」として定義されます。

そこには現金に加えて、民間内部で銀行によって造られる「預金通貨」も含まれています。

言うまでもなく、マネーストックの動向、特に国内の財サービスの購入に使われるカネの量(アクティブマネー)の動向が景気動向(実体経済の規模の変動)に直接関係しています。

逆に、銀行の現金保有量の変動は景気に直接関係するものではありません。

超過準備が発生しようと、融資が増えるか否かは景気に依存するからです。

それゆえ、実体経済の動向を見る指標としてベースマネーよりマネーストックを重視するのは自然なことです。

それではなぜ支配的な経済学の貨幣の定義には、預金通貨が含まれていないのでしょう。

先に示した国民経済の簡略イメージを思い出してください。

個人や企業(実体経済)の保有する預金とは、「預け入れ」という名称がついておりますが、実際は銀行への「貸し付け」のことです。

すなわち実体経済の預金(資産)は、銀行にとっての同額の負債であり、民間経済内で合計すると純額としてゼロになってしまうのです。

その場合、民間ムラで資産(購買力)として残るのは現金だけとなります。

このように経済学の基本的な考え方は、単純に「政府」と「民間」を対峙させるだけで、各部門の内部(2軒の家の存在)にまで洞察を加えないために、どうしても現実経済を考える場合に齟齬が出てしまうのです。

しかし、経済学の貨幣の定義と現実のそれが異なっていようと、両者を関連づける概念があります。

それがマネーストック(M)とベースマネー(H)の比率として定義される「貨幣乗数(M/H)」です。

この貨幣乗数の値が一定の値として安定しているならば、「貨幣とは現金のことだ」とする経済学の定義を現実に適用しても問題はなくなります。

その場合、ベースマネーとマネーストックの間に一定の比例関係が常に維持されます(貨幣乗数の定義式を因果式と解釈すれば)。

例えば、貨幣乗数が7で安定していれば、ベースマネーを1兆円増やした時、マネーストックは7兆円増えることになり、政府はベースマネーの量を操作することでマネーストックを制御することが可能になるからです。

実際、岩田氏は、かねてからベースマネーによるマネーストックの制御は可能とする学問的立場を取っておりました(経済学の教科書の立場)。

ベースマネーによる制御が可能か否かに関して、以前、彼は当時日銀に所属していた翁邦雄氏と「岩田・翁論争」を起こしたくらいです。

それゆえ、岩田氏が、三橋さんに問われた時、「貨幣の定義はマネタリーベース」と答えたのは、当然でしょう。

しかし、岩田氏の強弁は、現実経済を前提とすれば成り立ちません。

貨幣乗数は、(金融政策の結果として)「事後的に算出されるHとMの比率」に過ぎないのです。

事前に決まっている数値(パラメーター)ではありません。

そのことは、政府から民間へ現金を注入する経路を考えれば容易にわかります。

日銀の量的緩和策を考えてみましょう。

日銀は民間ムラの銀行の保有する国債を買い取り、現金を渡します。

しかし、実体経済に現金を渡しているわけではありませんから、マネーストックは増えません。

なぜなら、「ベースマネーとして定義される現金(民間保有の現金)」と「マネーストックを構成する現金(実体経済保有の現金)」は、同一ではないからです。

先述したように、マネーストックの定義の中の現金に銀行保有分は含まれないのです。

このことさえ認識されれば、需給ギャップを解消し2%インフレを目指すとする量的緩和策の限界はおのずから明らかでしょう。

確かにベースマネーを増やすことは出来ます(量的緩和策とは、銀行保有の現金を増やす政策ですから)。

しかし、マネーストックを増やすには銀行による実体経済への融資が必要なのです。もちろん、融資の前提は実体経済の資金需要です。

それも不動産投資向けやM&A資金向けではなく、(景気浮揚のためには)国内の実物投資への融資の増加が必要なのです。

今後も量的緩和は継続されますから、貨幣乗数は下がり続けることになります。
それはベースマネーによるマネーストックの制御が不可能なことの端的な証(あかし)なのです。

政府から民間へ現金が流れる現実的経路を考慮しないどころか、融資自体を無視するのがマネタリズムです。

実は、銀行融資を考慮すると、

「貨幣的要因は実物的要因に影響しない」、

簡単に言えば、

「価格が変化しても取引量は変化しない」

とするマネタリズムの理屈(「貨幣の中立性」)が破綻するのです。

融資を受けた投資家は、自分の必要なものしか買いません。

それによって追加需要の生じた特定の財の価格は上昇しますから、相対価格体系(諸財の交換比率)は変化してしまうのです。

その結果、取引量も変化します(貨幣が非中立的となる)。

マネタリズムは、融資の代わりに、実体経済へ直接現金を渡す荒唐無稽な経路を考えました。

それが「ヘリコプター・マネー」です。

ヘリコプターで現金を実体経済へばらまくのです。

これは例え話と言われていますが、民間への貨幣の注入経路を持たないマネタリズムにとっては極めて重要な前提なのです。

さらに現金を拾う側にも厳しい条件が課されます。

例えば、10%の物価上昇を目指す政府が当該額の現金を民間にばらまくとします。

このとき拾う側は、現在保有している現金の10%だけ拾わなければなりません(それ以上でも以下でもいけません)。

そして拾った人達が、拾う前と同じ嗜好(消費パターン)を維持していたとすると、その時初めて、物価が10%上がり、かつ取引量は不変という状況が現れるのです。

如何ですか。

経済学の理屈は、厳しい前提条件を受け容れれば成立する真理であることに疑いはありません。

しかし、その条件が現実にどの程度妥当するかを考えずに、結論をそのまま受け容れてはなりません。

政府がお金を発行しすぎても、それを使わなければ物価は上がりません。

銀行へお金をたくさん渡しても、実体経済の人々がそれを借りて使わなければ物価は上がりません。

民間が使わない状況であるなら、政府が使う(公共投資)しか物価は上がりようがないのです。

ロビンソン女史は、「経済学を学ぶことは、同時に経済学の限界(適用範囲)を知ることでもある。それを理解した上で、経済学の原理原則に盲従するのではなく、現実経済の分析に適した方法を選択せねばならない」と言いたかったのかもしれません。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/07/aoki-20/


27. 中川隆 2015年11月23日 11:35:39 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

生産したら必ず売れる世界
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/23/mitsuhashi-320/

財・サービスは生産すれば、必ず売れる。

預金は必ず借り入れられ、投資に回る。

法人税を引き下げれば、必ず企業の設備投資が増える。

雇用環境は常に完全雇用が成立している。

金利を引き下げれば、必ず企業の投資が増える。

為替レートが下がれば、必ず輸出が増える。

国債を発行すると、金利が上がり、企業の設備投資が減り、成長率が下がる。

デフレ脱却のために必要なのは、マネタリーベースの拡大である。

個別価格が低下しても、余ったおカネが必ず他の財・サービスの購入に回るため、一般物価は上がらない。

潜在成長率を高めれば、成長する。

生産性向上は常に正しい。

消費税を増税しても、十分な金融緩和(定義不明)を実施すれば、デフレにはならない。


などなど・・・・。


上記、現在の日本で全く成立していない「常識」は、全て「ある仮設」を前提にしています。すなわち、セイの法則ならぬ「セイの仮説」です。

セイの仮説。「供給が需要を生み出す」という経済学の基本となる考え方に基づくと、経済成長のためには潜在GDP(供給能力)を高めればいいという話になります。

そのためには、規制緩和、自由貿易を推進し、競争を激化すればいい。政府の財政出動は、不要な需要を創出するだけなので、NG。

という話なのですが、上記は「デフレーション」という現象を想定していません。さらに、国民の安全保障も無視します。

そして、決定的な話なのですが、なぜかデフレ対策は「国民」を豊かにする政策であり、逆に緊縮財政・構造改革(規制緩和・自由貿易)というインフレ対策は、国民ではなく一部のグローバル投資家を潤す政策になってしまうのです。

ここで言うグローバル投資家には、もちろん一部の日本人も含まれています。

現在の世界は、デフレ期にも関わらず「インフレ対策」に各国が血眼になり、状況を悪化させてしまっています。その根っこには、そもそも、

「緊縮財政や構造改革というインフレ対策が、グローバル投資家を利する政策である」

という現実があるわけです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/23/mitsuhashi-320/


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c6

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
7. 中川隆[-5586] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:15:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2016年 04月 20日:トランプ氏は正しい、自由貿易は米国民を殺す
Robert L. Borosage


[14日 ロイター] - 2016年の米大統領選に向けた政治論争のなかで、通商政策が焦点となっている。共和党指名争いでトップを走る不動産王ドナルド・トランプ氏は中国からの輸入品に45%の関税を主張している。

また、民主党指名を目指すバーニー・サンダース上院議員からのプレッシャーを受け、ヒラリー・クリントン前国務長官まで、オバマ米大統領が進める環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に反対している。同氏は以前、貿易協定の「模範」とまで称賛していたにもかかわらずだ。

いま明らかになりつつあるのは、米国のグローバル通商政策・関税政策がいかに破壊的なものだったかという点だ。確かに、輸入品の価格低下とその多様化は、米国民に恩恵を与えた。だが、その一方で米国は過去に類を見ないほどの貿易赤字を抱えており、その額は現在、年間約5000億ドル(約54.5兆円)、すなわちGDP(国内総生産)の約3%に相当する。

中国との貿易に限っても、米国は1990年から2010年までに、推定240万人の雇用を失っている。対中貿易収支も、記録を開始して以来となる過去最大の赤字である。企業は人件費が安く環境保護・消費者保護の規制がほとんどない中国のような国々へ良質な雇用を移転させてしまい、米国には地域社会が丸ごと荒廃してしまった例がいくつもある。

エコノミストの試算によれば、人件費の安い国々との貿易に伴い、米国のブルーカラー労働者の賃金は年間約1800ドル低下してしまったという。解雇された労働者は所得も家も失い、結婚もできず、希望を失っている。次の職を見つけるために驚くほど長期にわたって苦労したあげくに、多くは以前よりも低い収入の職に就かざるを得ない。

貿易協定による恩恵の大部分は、企業のバランスシートを改善し、投資家、経営上層部を潤わせる。一方で労働者は、所得も、雇用の安定も、力も失っている。

では、米国の新たな通商政策とはどのようなものだろうか。

第1に、批准待ちの状態になっているTPPを放棄し、現在進行中の環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)の交渉を中断することにより、最近の貿易協定のテンプレート(ひな形)とは縁を切ることだ。

新たな通商政策は、今までとは異なる原理に基づくものになる。ハーバード大学ケネディスクールで国際政治経済学を研究するダニ・ロドリック教授が主張するように、貿易は、それ自体が目的ではなく、手段として見なされるべきだ。連邦政府は、米国が、そして他国が、自身の価値観を追求できるような貿易システムを模索すべきなのである。

良識あるシステムの下では、各国は労働者の権利保護や環境関連法制など、自国の社会的な取り決めを守っていけるだろう。議会は、貿易協定について明確な目標を定め、何を交渉の対象とするかを決定する権限を取り戻し、進行中の交渉内容を知ることができるようになる。大統領に秘密交渉を認め、議会は合意内容を修正できずに賛否だけを表明せざるを得なくなるファストトラック権限は撤回されるだろう。

また、貿易協議の実質も大きく変わるだろう。たとえば、製薬会社の特許権の執行に関する詳細な交渉の代わりに、労働者に影響を与える差し迫った問題が新たに注目を集めることになる。「パナマ文書」が暴露した租税回避スキャンダルが裏付けているように、グローバル企業に対する課税の強化と調和、タックスヘイブン(租税回避地)の閉鎖と協調的な税務執行が交渉の中心になるだろう。気候変動対策としてグローバルな炭素排出価格の設定推進も優先課題になる。各国が通貨操作に対して報復する権限を与えることも重要だ。

経済政策研究センターのディーン・ベイカー共同所長が提案する取り組みとして、医師、歯科医師、弁護士の過剰な所得を守っている障壁の排除がある。海外で訓練を受けた医師や歯科医師が米国で開業できるようになれば、年間900億ドル、1人あたり約300ドルの医療費が節約できるとベイカー氏は試算している。

また国際的な交渉によって、医療研究に対する公的な直接融資を行うグローバル基金が誕生する可能性もある。研究の成果はパブリックドメインのままとなる。ベイカー氏の試算では、米国において、医薬品のコストが下がれば、年間3600億ドル、対GDP比で2%、1人あたり約1100ドルの節約になるという。これはTPP推進派が同協定から得られるとする恩恵よりもはるかに大きい。

下院最大の議員連盟として70名以上が参加する「進歩的議員連盟」は、思慮に富む代替的な包括通商政策を提示している。この計画では貿易の拡大、ただしバランスの良い貿易を目標として掲げている。米大統領の立場から、米国が5年間で貿易収支をほぼ均衡状態にまで持っていくことを計画していると発表することもできる。そうすれば貿易黒字を抱える諸国は、国内需要を増やし、輸出主導の成長への依存を低下させなければならないと気づくだろう。またグローバル企業も、もし米国市場にアクセスしたければ、米国内でもっと投資した方がいいことに気がつくはずだ。

より均衡のとれた貿易を求める声は、2009年の金融危機発生後に開催された主要20カ国・地域(G20)会合でも支持されていた。だがドイツと中国が危機を脱するために輸出に力を入れたことで、この合意は長続きしなかった。

貿易収支均衡は、かつて著名投資家ウォーレン・バフェット氏が提唱したように、トレードバウチャー制度によって実現することも可能だ。一定の額の財を輸入する権利を企業に与え、毎年その額を予想輸出額に近づけていく仕組みだ。または、米国の主要貿易相手国について、米国が遵守すべき貿易赤字の上限をそれぞれ定めてもいい。そうすれば貿易相手国には、輸入増加と輸出削減を迫るプレッシャーがかかり、さもなければ事実上の関税として作用する課徴金を支払うことになる。

第2に、議連が提案する計画には、労働者の権利、人権、消費者保護、環境保護を実現する手段を詳述している。これらの課題について各国がその希望に応じてより厳しい法制を定める権利も保護される。貿易協定によって必須医薬品に対する妥当な価格でのアクセスが確保されることも必要とされる。こうなれば、特許による保護を拡大しようとする製薬会社の企ても抑制されるだろう。

第3に、議連の計画では、貿易協定が「国家としての権利」を尊重することを求めている。これを実現するために、投資家対国家間の紛争解決制度(ISD制度)は撤廃され、グローバル投資家は各国の法制度に依拠せざるをえなくなる。グローバル企業が腐敗した国内制度に懸念を持つのであれば、自家保険をかけるか、別の国に投資すればいい。

また計画は、政府調達に関する「米国製品優先購入(バイ・アメリカン)」政策を拡大し、擁護することになる。自分が納めた税金が、世界中の雇用を支えるためではなく、自国の雇用を支えるために使われることを要求できるようにすべきなのだ。

第4に、実はこの計画は、自由貿易主義者が理屈のうえで支持していることをうまく達成することになる。つまり、グローバル貿易の勝者が敗者に補償を与えるということだ。

失業した米国の労働者は、拡大貿易調整支援法に基づく支援を得られる。以前より賃金の低い仕事に就かざるを得なければ、拡大された失業給付・賃金保険を受けられる。新たなイニシアチブでは、工場閉鎖によって打撃を被った地域社会に対する的確な支援が提供されるだろう。米国よりも労働者の賃金が高いデンマークとドイツでは、労働者が貿易システムの犠牲にならないよう、米国よりはるかに多くのリソースを高度な研修・就職斡旋プログラムに投じている。

明快な産業戦略も、より均衡のとれた貿易のためにプラスになる。すなわち、すでに世界を席巻しつつある「グリーン産業革命」に欠かせない製品の発明、製造、販売における優位を生かすことに特化した戦略である。

米政府の現在のシステムの支持者は、自由貿易か保護主義かという選択を装っている。だが、現在のような貿易協定は自由貿易を生み出すものではない。特定の利権のための選択的な保護を行っているだけだ。米国の破滅的な貿易赤字は、グローバリゼーションの避けがたい帰結ではなく、通商・関税政策の意図した結果なのである。


サンダース、トランプ両候補は、米国の現在の針路の愚かしさを暴くのに貢献した。

我が国の通商政策は、少数の利益に有利なルールの典型的な例である。労働者が不利になり、CEOたちがますます高額の所得を得るなかで、エコノミストたちも、米国の異常なまでの格差拡大に彼らが直接貢献していることを認めるようになっている。進歩的議員連盟の提案は、理にかなった代替案が可能であることを示している。米国の現在の窮状は、政治と権力の問題であり、運命ではないのだ。


*筆者は進歩主義的な米シンクタンク「Institute for America’s Future」の設立者。姉妹団体「Campaign for America’s Future」の共同ディレクターも務める。
http://jp.reuters.com/article/borosage-trade-idJPKCN0XH05T?sp=true

 

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c7

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
8. 中川隆[-5585] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:16:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2016年07月04日
訪日外国人2000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない

外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/a/5/a5a20193.png


外国人観光客は2016年も増え続けていて、この調子なら2000万人達成も可能だと言っています。

だが外国人がいくら増えても日本の景気は良くならず、むしろマイナス成長になっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が1000万人を超えたとして、次は2000万人、あるいは3000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、増え続けた訪日客は特に安部政権が始まった2013年から、目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは外国人が2倍に成っても日本のGDPがマイナス成長な事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると200万円のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済
f0189122_15113970
引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg


日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

観光客がドサドサやってきてお金を使うのも同じ事で、彼らの買い物のせいで円高になり、余計輸出企業が苦しむだけです。


固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。

2016年に入って中国ショックやイギリスショックで円高になり、一時99円に達してまた戻っています。

評論家はイギリスのEU離脱の影響と言っていますが、何も無くたって輸出と観光客のせいで円高になるのです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出が増えたら必ず円高になります。

輸出とはドルを円に交換するで、観光客もドルや人民元を円に交換し、際限なく円高になります。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。


輸出や観光客でお金を集めようとして必死に働いているのだが、こんな事をいくら頑張ってもゼロ成長のままです。

観光と輸出にはもう一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。


輸出や観光で経済成長はしない

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

大抵は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。


あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。

外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロ成長でしょう。

ではどうすれば経済が成長するかと言うと、今まで書いた逆、つまり輸入を増やして貿易や観光を赤字にすれば、その分円安で輸出し易くなります。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカ企業の方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://thutmose.blog.jp/archives/62830797.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c8

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
9. 中川隆[-5584] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:17:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 16/10/24(913号)


落日の構造改革派


•スッポリ抜けているもの

日本経済は低成長が続いている。筆者達はこの原因を需要不足と分析している。この主な要因は、日本で30才台、40才台の「消費年齢世代」の人口が減少していることである(需要不足なのだから「生産年齢世代」の人口の減少は主な問題ではない)。また所得(可処分所得)が伸びないこともこの一つの要因になっている。さらに他にも需要不足の要因は色々と考えられるが、ここではこれ以上の言及は省略する。

これに対して、低成長の原因は需要サイドではなく、日本の供給サイドに問題があるからと主張する者が実に多い。この考えから導き出される対策は日本の構造改革ということになる。先週号で述べたように、この構造改革派によとって、筆者達が主張する財政支出による需要創出政策は、むしろ日本の構造改革にとって邪魔であり障害になるらしい。


構造改革派の発想は古典派経済学理論(新古典派経済学を含む)に根ざしている。いわゆる「セイの法則」、つまり作ったものは全て売れるという法則が成立つ世界である。したがってもし売れ残りや失業が生じるなら供給サイドに問題があるということになる。具体的には生産設備が陳腐化していて製品が時代に合わないとか、労働者の質に問題があるということになる。

構造改革派の対策は、まず規制緩和などによる競争政策の強化ということになる。これによって劣化した生産設備やゾンビ企業の退出を促すことになる。また技術的に劣る労働者には教育・訓練を施すということになる。これらの話は、構造改革派に染まっている日経新聞などのメディアでもよく見かける。


構造改革派の経済成長理論の支柱となっている定式がある。それについて

08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html

14/7/7(第804号)「経済成長の三つのパターン」
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html


などで説明した。

これは経済学の教科書に載っている

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+ n(労働人口増加率)

である

(これに技術進歩を加味すると

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

になる)。

したがってs(貯蓄率)が一定なら、経済成長率を大きくするには合理化などによって資本係数を小さくし、労働者に教育・訓練を施し労働投入量を増やせば経済は成長することになる。

上記の経済成長理論の定式は、一見正しく当たり前のように感じる。ところがこれには「スッポリ抜けているもの」がある。それは「需要」である。もし需要不足が常態化しているなら、上記の定式は何の意味もない。つまり構造改革派は、需要サイドを全く見ていないのである。まさに「作ったものは全て売れる」という「セイの法則」の世界にいる。このように構造改革派の経済理論は著しく現実離れしている。


ところが安倍政権の登場で状況は一変した。安倍政権は第一の政策をデフレ経済からの脱却とした。つまりデフレギャップの存在を公式に認め、この解消を第一の政策目標に置いたのである。政府機関も渋々とデフレギャップの存在を認めるようになった。

ところが政府機関の公表するデフレギャップはいつも1〜2%と異常に小さい。これは

16/8/1(第902号)「大きな車はゆっくり回る」
http://www.adpweb.com/eco/eco902.html


で述べたように、デフレギャップの算出に「可変NAIRUアプローチ」という浮き世離れした手法を採っているからである。またデフレギャップ異常が小さいため、潜在成長率も異常に小さく算出されている。

筆者達は、ヘリコプター・マネーによる需要創出政策を唱えている。しかし構造改革派に染まった日本の経済の論客は、デフレギャップが小さいのだからたちまち日本経済にインフレが起り物価が高騰すると脅かすのである。これもヘリコプター・マネー政策への一つの雑音である。


•有り得ないデフレギャップの1〜2%

日本経済の成長率を高めるには、生産性の向上しかないという話をよく聞く。この根拠は潜在成長率がこれだけ小さくなっているのだから、生産性を上げる他はないというのである。具体的には規制緩和によって競争を活発にすることや生産工程への新機軸の導入、そして労働者の教育・訓練などである。ちなみに本誌では過去

01/9/10(第221号)「「生産性」と「セイサンセイ」の話」
http://www.adpweb.com/eco/eco221.html


で、この話を取上げたことがある。

しかしこれらの全てが前段で紹介した構造改革派のセリフと一致する。つまり生産性を上げるということは構造改革を実施することと同じ意味である。言い方を変えると構造改革を行うことによって生産性が上がるという話である。

たしかに国全体ではなく一つの企業で考えると、注文が殺到し生産が間に合わない場合は生産工程の改善(新機軸の導入などを含め)や従業員の教育・訓練が必要になってくる。つまりこの生産性の向上によって注文増に対応するということは有りうる。しかし反対に注文が少なくなるケースが有りうる。この時にはリストラによる生産性の向上という方法が考えられる。また場合によっては不採算部門の整理といういうことが必要になる。


しかし一国の経済を考える場合と一企業を対象にする場合では事情が異なることがある。たしかに国全体の需要が伸びている時代なら、国も企業もやるべきことは似ている。言っているように生産性の向上ということになる。企業はこれによって限られた生産資源(生産設備と労働者)をより効率的に使って最大限の生産を行うのである。国はこの動きを税制などで支援することになる。

ところが今日のようなデフレ経済で需要不足が常態化している現状では、国と企業では利害が異なるといった事態が起る。例えば企業は売上が落ちれば、当然、前述のような生産性の向上のためリストラを考える。しかし国にとって企業のリストラによる失業者の増加は由々しき問題となる。


このように構造改革派の論客は、経済の高度成長期のように需要がどんどん増える時に適合したかもしれない稚拙な経済理論(供給サイドの重視)を、慢性的な需要不足が続く今日の日本にも適用しようとしているのである。筆者はこのことを間違っているとずっと言って来た。

精一杯優しく言えば、構造改革派の面々は現実の経済に疎い「おバカ」の集りということになる。少しでも現実の経済を知っているなら、1〜2%のデフレギャップとかほとんどゼロの潜在成長率といった現実離れしたことは決して言わない。本当にデフレギャップが1〜2%なら、景気は超過熱状態であることを意味する。そのような状況ならほとんどの生産設備の稼働率は100%であり、商店やデパートの店先には買い物客が殺到し長い行列を作っているはずである(終戦直後の日本や旧ソ連時代の店頭と同じように)。

また本当にデフレギャップが1〜2%なら、どの企業や商店ではこれ以上売ることのできる製品や商品の在庫がなくなっていて、営業担当者のほとんどの仕事は注文を断ることになっているはずである。したがって販売促進のための広告・宣伝なんてとんでもないことである。このように「可変NAIRUアプローチ」によって導き出されるデフレギャップの数字はばかばかしく有り得ないものである。


さすがに構造改革派の中にも、段々と問題は供給サイドだけでなく、需要サイドにもあるのではないかと考える者が現れるようになった(日本の供給サイドは特に大きな問題がないと筆者は見ている)。明らかに構造改革派は落日を迎えている。しかしいきなり財政支出による需要創出というわけには行かない。筆者の記憶では、最初に需要サイドに着目した構造改革派は「霞ヶ関埋蔵金」を問題にした人々である(埋蔵金を使っての需要創出をしろと主張)。

その次は外国人観光客の誘致を唱える人々である。これは外国人観光客の買い物による需要増を狙っている。そして最近ではTPP締結が注目されている。ところでアベノミクスの第三の矢である「成長戦略」の柱は規制緩和などによる構造改革だったはずである。ところが奇妙なことに最近になって「成長戦略」の第一はTPPという話が出るようになっている。これは TPP による輸出増が狙いである。

このように外国人観光客の誘致やTPPの目的は需要増といっても外需の増加ということになる。たしかに構造改革よる供給サイドの強化といった現実離れした考えからは、これらはいくらか進歩していると言える。しかしこれに対して筆者達は、これ以上外需依存を高めるのではなく(外需依存はいずれ円高で苦しむことになる)、財政政策(ヘリコプター・マネーなどによる)による内需拡大政策を主張しているのである
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c9

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
10. 中川隆[-5583] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:22:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2016年10月25日
自由貿易時代の終わり 世界の貿易額が縮小


自由貿易が人々を豊かにしたと主張するIMF幹部は、中国から賄賂をもらって統計をごまかして不正蓄財してきた。
引用:http://e.noticias.americadigital.pe/ima/0/0/2/1/4/214319.jpg


世界の貿易額が減少

今世界の貿易額が縮小していて、2015年の世界の貿易額は、前比12.7%減の16兆4,467億ドルに沈み、2016年もマイナスで推移している。

さらに今までは世界経済の伸び率を、世界貿易の伸びが上回っていたが、現在では貿易の伸びが下回っています。

「スロー・トレード」現象と言い、2016年の世界経済成長率は3.1%予想だが、貿易伸び率は2.8%予想です。


     


2016年4月から6月の世界貿易量はマイナス0.8%、1月から3月もマイナスだったので通年でもマイナスの可能性が高い。

2014年の世界貿易も、前年比0.8%増の18兆7,461億ドルに留まっていて、短期的な景気循環ではなく長期的な大きな流れになる可能性が高い。

IMFや世界銀行、欧米の経済責任者は「反グローバリズム」と呼び経済の敵だと主張しているが、果たしてそうなのだろうか。


IMFのラガルド専務理事は自由貿易が世界を成長させ、人々の福祉を向上させてきたと話しているが、日本ではそんな現象は起きていない。

むしろ自由貿易をするほど仕事を中国人に取られて貧しくなり、収入が減って消費もできなくなり、外国人観光客相手に物乞い商売に励んでいる。

実は欧米においても同じであり、アメリカでこの20年間にお金が増えたのは「富裕層」だけで、他の全員が貿易によって貧しくなりました。


アメリカ人の50%は資産を10万円以下しか持っていないそうですが、一方でアメリカ人の平均収入は日本人よりずっと多い。

年収数百億円や数千億円の人が「平均所得」を上げている一方で、アメリカ人の9割は昔より貧乏になっている。

欧州でも同様でギリシャは自由貿易で経済破綻し、イタリアや東欧諸国も右へ倣え、儲かっているのはドイツだけになっている。


自由貿易はくそだった

そのドイツでも豊かになったのは富裕層と「国営企業」のフォルクスワーゲン労働者などで、国営企業と公務員以外の労働者は難民のために家を追い出されている。

自由貿易なんか駄目だという否定論者が出てくるが、偉い人たちは彼らを保護主義者と呼びヒトラーと同列に批判している。

彼らの理論では第二次世界大戦は保護貿易によって自由貿易を止めたのが原因で、保護主義はヒトラー礼賛と同じ罪だそうです。


実際には自由貿易なんか世界の人々を豊かにせず、ただ金持ちを豊かにして、貧困者を作り出すシステムなのが分かってきた。

EUはイギリス離脱で崩壊しようとしているが、要するにEUの自由貿易なんかイギリス人を貧乏にしただけだというのが離脱の理由でした。

北米自由貿易圏NAFTAにしても、それがアメリカやメキシコの人々を豊かにしたという統計はない。


せいぜいで金持ちは豪華ヨットを増やし、貧乏人はシートで路上にテントを建てただけのことでした。

グローバリズムを主張する人たちは例えば日本政府が国内の産業や農業を促進することも「保護貿易で世界経済の敵だ」として批判している。

日本の農業が壊滅すれば貿易額が増えて世界経済は拡大するというのだが、日本人には何のメリットも無い。


公共事業や新たな産業への政府の投資も全て「保護貿易」で貿易を阻害して世界経済に打撃を与えるそうだ。

世界経済なんかくそ食らえと考える人が世界中に増えているのも無理からぬ事で、自国の雇用を捨てて自国民を貧乏にするようにIMFや世界銀行は仕向けている。

1991年にソ連が崩壊し世界貿易は拡大し続けたが、日本のGDPは縮小し続け、日本人は貧しくなり続けた。


国内の産業や農業を犠牲にして自由貿易を推し進めたからこうなったのであり、貿易は国民に何の役にも立たないのを実証しただけだった。
http://thutmose.blog.jp/archives/66835420.html


2017年10月20日
輸出神話の間違い 輸出は日本を貧しくしている
「貿易黒字が回復」「貿易赤字が悪化」のように言うのは間違い
引用:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024001223_comm.jpg


「輸出は良いこと」と言う間違い

日本には「輸出は良いこと」で「輸入は悪いことだ」という考え方が、徳川300年の因習のように染み付いています。

しかもこう信じている総本山が自民党幹部だったり、経産省や財務官僚、東大教授、経団連トップだったりします。

無学な人間ががどう喚いても総本山は自分が正しいと思っていて、改める気配すらありません。


安倍首相のアベノミクスも良く言われるように大企業偏重で、もっと言えば輸出企業偏重でした。

それを象徴するように大新聞やテレビは日本の貿易黒字が増えると「稼ぐ力が戻った」と大喜びしました。

財務省や経産省や自民党も「貿易黒字が”回復した”」とガンが直ったように喜んでいました。


アベノミクスでは貿易黒字を増やすために観光客誘致に力を入れ、2016年に2000万人を達成し、2017年は2500万人以上が確実になっています。

外国人が金を使うのは自動車を輸出するのと同じで、日本が儲かる=良い事だと皆思っています。

政府は輸出や観光客を増やすために円安に誘導し、現在は1ドル112円程度で推移しています。


ところが為替レートは日米の物価上昇率によって、同じ数字でも実効為替レートはどんどん変動しています。

たとえば日本の物価上昇率が20年間ゼロ、同じ期間アメリカは2%だったとすると、同じ為替レートでも実質的に、毎年2%円安になっています。

現在の1ドル112円は1995年時点の、130円か140円に相当する「超円安」になっています。


仮に今後1ドル80円になっても、1995年時点の1ドル100円以上でしかない筈で、円安の恩恵を受けて貿易黒字になったのが良く分かります。


輸出と観光偏重が日本を貧しくする

では貿易黒字で儲かったからこのまま続ければ良いのではないか、とも思えるがそうは行きません。

日本の貿易黒字で喜ぶのは日本人だけで、貿易相手はみんな不愉快になり怒り出します。

中国の貿易黒字が増えたとき、日米では中国人への反感が高まりましたが、80年代には欧米で「ジャパンバッシング」がありました。


日本がこのまま輸出を増やして貿易黒字を増やすと、間違いなくジャパンバッシングは復活するでしょう。

さらに貿易黒字だけが拡大し続けると、儲かった外貨の一部は日本円に交換されるので、円高圧力がどんどん高まります。

80年代に貿易黒字を溜め込んだ日本は、1995年の超円高で全て吐き出す破目になりました。


超円高や阪神大震災の傷も癒えて、小泉政権で再び貿易黒字を溜め込んだが、2011年の超円高でまた吐き出しました。

言っては悪いが「大食い選手権」で食えるだけ食って、トイレで吐いている大食い芸人と同じです。

これらで分かるのは輸出で儲けてから吐き出すには10年以上の時間差が有った事で、恐らく安部首相も引退する2030年までに次の超円高が起きます。


もっと前にも「高度成長期」に溜め込んだ貿易黒字を1985年プラザ合意の超円高で吐き出しています。

1971年にはニクソンショックによって1ドル360円の固定レートが廃止され、変動相場制に移行しています。

これら全ては、日本が貿易黒字で儲けすぎたのに欧米諸国が反発し、為替レートを上げる事で調整した結果でした。


10年か20年ごとに同じ事を繰り返しているわけで、偉い人達もいい加減に学習して欲しいです。


輸出するには同額の輸入が必要

ではどうすれば良いのかというと、実は非常に簡単な話で、輸出と同じ金額の輸入をすれば良いだけです。

自動車を100万台輸出しようが1000万台輸出しようが、同額の輸入をすれば為替相場は円高に動きません。

”偉い人達”は輸出を喜んで輸入を毛嫌いしていますが、その原因になっているのは恐らく、財務省の勘違いです。


財務省はGDPの計算方法で「輸出はプラス」「輸入はマイナス」にしていて、間違いではないが非常に誤解を与えています。

「輸出はプラス」に異論はないが「輸入はマイナス」の部分は、まるで輸入するほど日本のGDPが下がっているような印象を与えています。

毎回同じ例を挙げるが、例えばアメリカから100グラム50円で牛肉を輸入したとします。


スーパーで売るときには100gあたり150円とか300円になり、3倍から5倍もの値段で販売されています。

さらに牛肉は牛丼になったり、しゃぶしゃぶ、ステーキなどになり国内で付加価値がついて販売されています。

日本が輸入する大半は原料なので、輸入した価格の何倍もの価値が国内でつけられ「輸入によってGDPが増えている」のです。


アイフォンのような完成品でさえ、輸入したものを販売しサービスし課金されることで、やはり何倍もの付加価値が国内で生まれます。

輸出がGDPに貢献しているのと同様に、輸入もGDPに貢献していて、国内で付加価値が生まれているので分かり難いのです。

日本政府が輸出を増やしたいのなら、同額の輸入を増やすべきだが「輸出だけ増やせ」と言うから必ず失敗するのです。


今回の「安倍景気」も輸出だけに偏重するのなら、小泉景気と同じく、10年後に無残な失敗に終わるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/73197193.html


「公平な貿易」は誰を幸せにするか?日本が知らないフェアトレードの今と未来=田中優
2018年1月30日 ニュース
http://www.mag2.com/p/money/368677


「フェアトレード」を知っているだろうか? 途上国の生産物を「適正な価格」で買おうという運動だが、南北格差の根本解決にはほど遠い状態になっている


子供の奴隷労働が支える豊かな生活。世界に「観客席」などないのに

「フェアトレード」とは何か

先日友人に話したら、「フェアトレードって何?」と聞かれてしまった。「公正な貿易」と答えたとしても、理解はされないだろう。現象としては「貧しい国とされる南の国の生産者に公正なレベルの報酬を支払い、適正な価格で商品取引を継続すること」となるだろうか。とりわけ近年は理解されにくくなった。おそらく人々の意識が内向きになり、海外に対する意識が乏しくなっているせいもあるだろうが、もっと大きい点は貧しくて生きるのがやっとという人々が世界の中で見えにくくなったことが影響しているだろう。

それは海外ばかりでなく、同じ国に住んでいても見えにくい。子どもの5人に1人が貧困状態にあるなどと言われても、具体的には見えないのだ。だからまず、貧しさによる生活困窮の状態を知ってもらった方がいい。2001年にはこんな事件があった。

2001年に発覚した悲惨な事件


・さまよえる奴隷船と児童労働

2001年4月17日未明のこと、西アフリカのベニンの港町「コトヌー」に一隻の船が帰港した。船はナイジェリア船籍の「MVエティレノ号」だ。全長60mほどの小さな船舶だが、その船の中には23人の子どもがおり、みな病気で食糧や水も不十分な状態だった。

この船が3月30日に同港を出港したとき、多数の子どもたちが積み込まれたというのだ。その数は130人とも180人とも伝えられた。「ユニセフ(国際児童基金)」など諸団体は警告を発した。「その子どもたちは近隣諸国の農場や家庭に人身売買される『奴隷』である」と。

このため船は近隣諸国で入港を拒否されてさまよっていたという。帰港を待ち構えていたベニン政府、警察、ユニセフなどの関係者はくまなく船内を捜索したが、船内で確認できた子どもは23人だけであった

その後調査がおこなわれ、実際に人身売買が確認されたのは13人とされた。親には子ども1人につき14ドル相当のお金(当時のレートで1400円)が支払われていたという。しかし100人以上の子どもの消息は不明のままだ。

子どもたちはどこに消えたのか。

出典:カカオとチョコのほろ苦ものがたり(4) – mamataroの未来のつくりかた(2009年5月17日配信)

しかしこの事件は氷山の一角だ。ユニセフによれば、この地域で人身売買される子どもの数は少なく見積もっても年間20万人。ブルキナファソやマリなどより貧しい国々の子どもたちが30ドルほどで売買されてくるという。受け入れ先は「ガボンや赤道ギニア、コートジボワール、ガーナ」で、待っているのは「家内労働」、「農場や漁場の労働」、「児童買春」などの強制労働だった。

船に乗せられた子どもたちは10才から14才で、強制労働や債務労働、少年兵士、児童買春などは「最悪の形態の児童労働」に就かされるという。調べると、それは奴隷労働に等しい酷使の実態であった。

なかでも注目されたのが「コートジボワールのカカオ農園」だった。「コートジボワール」は世界最大のカカオ産出国で、世界中で食べられているチョコレートやココアの40%がここで作られている。そのカカオ生産が過酷な児童労働に支えられていたのだ。

新しい21世紀だと世界が祝賀を挙げていた頃、世界の一方の片隅では、こんな事件が発生していたのだ。

たわわに実ったバナナ畑の脇で、飢えて死ぬ子どもたち

ぼく自身も海外で実際の状態を見ている。フィリピンの片隅では、山頂に近い荒れたはげ山の土地に先住民が追いやられ、そこからバナナのプランテーションに働きに出ていた。バナナの房は1つ20キロ程度あるが、それは人間が肩に担いでいかなければならない。日本に輸出されるバナナは、傷があると売れないので機械で運び出すことができないのだと聞いた。

そのバナナは、現地の人々の口には入らない。輸出専用だからだ。それを洗浄して防腐して箱詰めしてトラックで運び、船の船倉に運び込むまでが彼らの仕事だった。それでも1日の賃金は100円ほどにしかならない。そのため飢餓の状態で亡くなる子どももいるのだと。

想像してみてほしい。たわわに実ったバナナ畑の脇で飢えて死ぬのだ。書かれてはいないが、そのバナナは「日本人食用専用」だ。自らは飢餓の状態でいながら、輸出しなければならない。文字通りの「飢餓輸出」が起こっていた。

奴隷労働で学校に通えない子どもたち

マレーシアでは油やしのプランテーションを見に行った。子どももプランテーションの中で働いている。親の傍で働くので楽しそうにしているのだが、その子は学校に行っていない。学校に行こうにもそれだけのおカネが稼げない。ましてや油やしのプランテーションは、切り落としてから1日以内に精製しなければ良い油が取れないので、工場の周囲に市町村1つ分のプランテーションがなければ操業できない。市町村1つ分の面積の外に学校があっても、通うことができないのだ。

そして数字も文字も習わないまま結婚に至る。その相手もまたプランテーションの中に住む労働者の子だ。なんと一生に渡って遠くない距離にある街に出たことがない人々が住んでいた。これは奴隷ではないのか。

このようにして私たちの「豊かな」暮らしが成り立っている。そんな血塗られたチョコレートやバナナ、揚げ油にやし油を使ったスナック菓子など食べたくないと思うのは当然ではないだろうか。

「適正な価格で買ったものを食べたい」という運動

そこで人々を奴隷労働させたのではない、適正な価格で買ったものを食べたいと思ったところから「フェアトレード」は始まった。

西欧のクリスチャンに始まったフェアトレードの運動は、多分に慈善運動の要素を含んでいた。だからよく教会で販売するものは、バザーのように買うことが慈善につながると思って買われていた。だから当初は生産現場の公害問題や使っている薬品、デザインや環境的なダメージまでは考えられていなかった。

そのせいで徐々にフェアトレードの品は売れなくなっていった。いくら慈善のためと言っても、その文化圏では着られないような服を購入することはできなかったからだ。

現在もバングラデシュのジュートを使った「ジュートワークス」の籠や服などを販売している「グローバルビレッジ」が、日本にありながらそれに対応できる答えを出した。「グローバルビレッジ」の代表のサフィア・ミニーは、普通のおしゃれなお店で売られているような衣服を販売したかった。そのためにはデザインが良く、素材や染料まで天然のものに代えて、十分センスに対応できるものにしたのだ。これがいち早く日本で広がり、その手法は海外にも広がっていった。

ここからフェアトレードは「2.0」の段階に入る。海外生産者の内部にまで踏み込んで、女性や子どもの労働環境改善といった外部不経済の解決、持続可能社会の実現に向けた環境的配慮にまで活動の裾野が広がってきたのだ。慈善活動からここまで広がることによって、フェアトレードは、「買い物を通してできる身近な国際協力の形」となってきたのだ。


埋まらない南北格差

ここで「一次産品のフェアトレード」の話に戻そう。

世界での南北問題が1960年代に焦点となり、地球の北半球に位置する豊かな先進国と、南半球に分布する貧しい工業発展途上国との対立が先鋭化した。

1961年の国連「開発の10年」を契機として、南北格差を解決すべくUNCTUD(国連貿易開発会議)が国連に常設機関として決議された。ところが、発展途上国間の関税削減と非関税貿易障壁の排除・削除をはかる特恵関税は1988年になってから、一次産品の輸出に大きく依存する発展途上国に援助を提供する政府間金融機関の一次産品共通基金(CFC)は1989年と、実現までに「開発の10年」から25年以上も経っていた。1990年代からは債務削減に関するさまざまな合意へと進んだが、実に緩慢な動きだった。

その間に1973年からは第一次・第二次のオイルショックに見舞われ、南の国々は激甚な被害を受けることとなった。下図はオイルショック当時の原油、食料品、その他の一次産品の価格を指数で示したものだ。

http://www.mag2.com/p/money/368677/3

これを見ると、原油価格が急激に見上がりしたにもかかわらず、石油を使って生産している食料品も一次産品も価格が追いついていない。生産しても原油価格の値上がりに追いついていないのだから、より利益が少なくなるか赤字輸出に陥っていったのだ。これがそもそも「国連貿易開発会議」が必要になるほど困窮していた開発途上国に襲い掛かったのだ。

このオイルショックによって世界全体が不況に陥る中、世界銀行は不況によってだぼついた資金を、開発途上国に振り向けた。先進国は生産のためのプラントなどを途上国に輸出することで不況から脱していった。

特にこれら生産プラントを輸入して工業化をめざした国を「ハイ・アブゾーブドカントリー」と呼ぶが、そうした政策を取り入れた国であればあるほど赤字化した。それらの輸入したプラントは、旧式の品だったのだ。ここから世界中を貧富の格差で分割するような債務問題が発生したのだ。

先進国の付け値で販売を続けるしかない途上国

そして債務問題が深刻化すると、債務を返済させるための仕組みが始まった。国際通貨基金(IMF)が「構造調整プログラム」を債務国に課し、それに従わないと追加融資しないだけでなく、実質的に国際貿易から締め出した。

従わないという選択肢はない。そこで押しつけられる政策は、「社会構造を調整して債務を返済できるようにする」ものであり、具体的には途上国の通貨価値を引き下げること、「福祉・教育・医療」に使うようなおカネがあるなら返済させること、国内で消費するような産物は生産せず、海外への輸出に振り向けて返済に充てることを求めた。同時に途上国にある採算性の良い企業を、先進国企業に身売りさせた。

これは上の「国連貿易開発会議(UNCTUD)」の方針と真逆であることに気づいてほしい。しかも国連よりはるかに強力な国際金融機関によって推進されたのだ。この構造調整プログラムに世界銀行もまたすぐに参加した。しかし世界銀行こそ古いプラントを売り込んで借金地獄に陥れた張本人なのに。

その結果は悲惨なものだった。次の図をみてほしい。

http://www.mag2.com/p/money/368677/3

上で述べたように「一次産品の輸出に大きく依存する発展途上国」なのだ。しかし否応なしの債務返済の圧力によって、「価格が上がって戻るまで待つ」のではなく、「より多量に輸出する」ことを選んだことによって、一次産品の価格は下がり続けたのだ。

実質的に「国連貿易開発会議」の方針と「構造調整プログラム」の方針は真っ向から逆になっている。しかし国連は「一国一票」だからある程度民主主義が進められるが、IMFも世界銀行も出資国の出資額に応じて票になる。なんと先進国G7だけで投票数の過半数を超えるのだ。実質先進国が過半数を得て進めている。

このような仕組みと社会で一次産品共通基金(CFC)を作ったところで、どうなるかは火を見るより明らかだった。

途上国で生産されるコーヒー、紅茶、バナナなどの食料・飲料類、非食用原料、油脂、鉱物性燃料、金属、鉱産物などの一次産品に対しては、途上国経済が大きく依存する品である。そのため価格安定・輸出所得の改善を目的として「国際商品協定」が締結されたのだが、すでに一方には「構造調整プログラム」が進んでいた。やがて「国際商品協定」は実質的に意味を失い、人々の認識の中ですら忘れ去られていった。

実質的に失敗したまま、現在に至っている。途上国の側には価格形成権などなく、ただ先進国側の付け値で販売するしかなくなったのだから。

さらに進む先進国有利

このように実質的に途上国には全く闘う術がないという状況の中、世界はさらに先進国に有利な「経済のグローバリゼーション」の時代に入っていったのだ。その後の世界の価格市況を見てみよう。

http://www.mag2.com/p/money/368677/4

いまだに一次産品の価格指数は下がり続けている。その間にブリックス諸国の台頭、とりわけ中国の資源輸入の急増があったというのに、下がり続けている。

こうして世界の中には貴族のようにマネーゲームで暮らすような先進国と、奴隷のように働きながら食べることも困難な途上国とに分離したのだ。

フェアトレードに期待するのは難しいが…

この経過をきちんと知るなら、フェアトレードに過大な期待などできないことがわかるだろう。国連自ら機関を作って進めたのに敗北したのだ。それを強大な力で叩き潰したのが、多国籍企業とその手先と化している国際通貨基金(IMF)と世界銀行なのだ。

ところが今では「フェアトレードは偽善だ」とか、「効果がほとんどない」とか「相手の団体の組織運営が民主的でない」とか、非難するのが流行っている。もともとそんなに大きな効果はないのだ。国連すら敗北する強大な力に対して何ができるというのか。

しかしだからといって、貧しい国の人々の努力を踏みにじるような行為に加担したくないというのが「フェアトレード」なのだ。そしてさらに言えば、それをさらに進化させたい。「グローバルビレッジ」のサフィアさんは以前に言っていた。国内の農産物も販売したいと。そこに格差があるなら、なくなるようにしたいのだ。

大きな企業の「フェアトレード」への参入もある。否定したい気持ちもわかるが、それでも「悪人」にはしたくない。それほどの効果がなかったとしても、企業の企画に取り入れるのは大変なことだからだ。

フェアトレードを活かす方法とは

その中でぼく自身はさらに夢を見る。インターネットの発達と決済方法の多様化、国際的な物流の発達は、やがて世界中を覆うだろう。その時、個人から発信する商品が販売されていく時代が来るのではないか。

ぼくの友人は「現代農業」という出版社から、『小さな農家で稼ぐコツ(西田栄喜著)』という本を出版し、2年経つというのに未だに売れている。本に書かれている農場では、たった30アールの農地(普通の農地の10分の1しかない)で、年間1200万円の売り上げを出しているのだ。


しかし、インターネットを活用するにしても、画一的な価格だけが競争力になるものの販売には向いていない。私は「一品物」を販売するのに適したツールではないかと思っている。「貿易」がインターネットの発達などによって次世代の販売方法に移っていくなら、新たな「フェアトレード」が可能になるかもしれない。

ただ「フェアトレード」をそしるより、参加する人の気持ちを実現できる仕組みを編み出した方がいい。この世界の中には「観客席」はないのだ。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c10

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
4. 中川隆[-5582] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:23:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

輸出企業が日本を滅ぼす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c4
[政治・選挙・NHK240] 最近の赤かぶによる非表示の数はすさまじい! 天橋立の愚痴人間
5. 中川隆[-5581] koaQ7Jey 2018年3月04日 16:28:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>3
天橋立の愚痴人間は自分に都合の悪い投稿を完全削除している

阿修羅管理人も赤かぶ氏も非表示にしているだけだから、灰色に変わっただけで読むのに困らない

やっていることの悪質さがダブルスタンダードの詐欺師 天橋立の愚痴人間とは全然違うんだよ
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/751.html#c5

[戦争b21] 動画 旧日本軍の「慰安婦虐殺」の現場映像、韓国で初公開  赤かぶ
48. 中川隆[-5580] koaQ7Jey 2018年3月04日 17:14:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
慰安婦は性病になったり妊娠したらすぐに処分されて新品と交換されていたからね

故郷に帰った慰安婦は殆どいないから正確な死者数はわからない
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c48

[昼休み53] 日本は近い将来、中国小日本省になる 中川隆
16. 中川隆[-5579] koaQ7Jey 2018年3月04日 17:20:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月04日
中国式白タクの手口 ネットで手配し立証困難

こんな光景をよく見かけるが、捕まえても現金の授受がないので立証できない
引用:朝日新聞https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171211004619_comm.jpg

中国式白タクが横行

東京や大阪など中国人観光客が多い地域を中心に、中国式白タクが横行しています。

大阪府警は3月1日に中国人3人を道路運送法違反で逮捕しました。

2017年11月から12月ごろ、6回に渡って関空から大阪市内に有料で客を運んでいた。


2017年12月には警視庁が、東京都などで客を乗せて料金を取っていた中国人の男が逮捕しています。

この男はインターネットサイトを通じて依頼予約を受けて、観光地を案内していた。

通常のタクシーは走行しながら手を上げた客を乗せたり、駅前などに停車して客が乗るのを待っている。


中国式白タクはこうした捕まりそうなリスクを避け、ウーバーのような配車システムも利用しない。

来日前にインターネットで予約を受けて、待ち合わせ場所や時間、行き先なども事前に打ち合わせておく。

料金もネットで支払うので、客を拾ったり待つ必要がなく、予約した時間に現れて車に乗せて去っていく。

大阪は白タク無法地帯

所要時間は数分で外観は自家用車、ホテルの送迎や知人を乗せているようにも見え、現行犯で逮捕するのが難しい。

特に酷いのが大阪で、土地柄なのか大阪人は遺法民泊や白タクをあまり気にしていない。

関西空港で堂々と客を拾い、当然のようにミナミの繁華街や、遺法民泊まで送っている。


車両は3列シートのミニバンが多く、後部に大きなスーツケースを何個も収納し、手ぎわ良く走り出す。

運転手はごく普通の人で日本語をしゃべり、正規のタクシー運転手より若くてテキパキしてしているほどです。

正規のタクシー会社運転手はヨボヨボの爺さんが多いが、白タクは30代くらいの屈強な男性が多い。


おそらく料金も白タクの方が安いので、中国人観光客から見て、白タクは好ましいことになる。

白タク摘発が難しいのは、空港で堂々と客待ちをしていても、それだけでは違法行為にならない。

客を乗せて走っていても料金を取ったという証拠が無いし、支払いはネットで済ませるので現金の受け渡しはナイ。


報道を見ると警察は複数回民間の協力者(おとり)で証拠を固めてから逮捕しているようだが、逮捕まで何ヶ月も掛かっている。

今の法律では白タクを見つけても違法行為を立証できないので、イタチごっこの観がいなめない。
http://www.thutmosev.com/archives/75157767.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html#c16

[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
563. 中川隆[-5578] koaQ7Jey 2018年3月04日 17:31:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2018/3/5(976号)

米国でのシニョリッジ政策


FRBの国庫納付金は毎年9〜10兆円

先週号で、世間の常識に反し米国の長期金利はなかなか上がらないと予想した。まず長期金利の上昇要因として、FRBの継続的な利上げが挙げられている。しかし筆者は、FRBが利上げを続け短期金利が上がっても、長期金利の方は上がり方が鈍いのではと先週号で述べた。

したがって米国では長短金利の接近が起ると予想する(長短金利の逆転まで起るかは不明であるが)。そしてこの主な原因は世界的な「金余り」と指摘した。一時的に米長期金利が上昇しても、これによって各方面(含海外)から資金が流入し米長期国債が買われると筆者は予想する。


そして政策金利の引上げ以外で、長期金利の上昇要因とされるのがFRBの資産縮小政策である。FRBはQE(量的緩和政策)の出口戦略の一環として、買入れて保有している債券(国債や住宅担保証券)の減額を決定している。実際、昨年の10月からこれが実施されている。FRBは満期になった債券の一部の買い換えを止めており、これが長期金利の上昇圧力になると言われている。

ところがこの資産の減額は、わずか一ヶ月で100億ドル、つまり年間で1,200億ドル程度である。FRBが保有している資産は、QE(量的緩和政策)によって4.5兆ドルと昔より3.5兆ドルほど増えている。したがって今の減額ペースでは、元の1兆ドルに戻るのに30年ほどの長期間を要することになる。つまり減額ペースを大きくしない限り、当分の間、FRBの資産額はほとんど変りがない額で推移することになる。

一方で世界の余剰資金の増加ペースは、FRBの資産の減額ペースをかなり上回っていると見て良い。この金余りの状況では、米長期金利は簡単には上がらない。つまりFRBの出口戦略によって米国の長期金利が高騰するとは、現実離れした話と筆者は言いたいのである。

また筆者は、余剰資金が増えるということは、その裏返しとしてそれだけ有効需要が不足することを意味すると本誌で指摘してきた。したがってむしろ政府は国債を増発して余剰資金を吸上げ、それを財政支出に回すべきと主張してきた。ただこの金融と経済のメカニズムが理解されるまでには、まだ時間を要すると筆者は覚悟している。むしろ未だに世の中では「出口戦略=金融の正常化=良識派(正義派)の考え方」という間違った見方が「常識」になっている。


FRBなど中央銀行が通貨を発行し、資産(国債などの債券)を買入れることはまさに「シニョリッジ政策」である。

15/11/9(第867号)「小黒一正教授の文章(論文)」
http://www.adpweb.com/eco/eco867.html

で説明したように、通貨発行益をいつの時点で認識するかの違いはあるが、堂々と米国でも「シニョリッジ政策」は実施されているのである。ところが一部の者を除き、人々にはこの認識がない。むしろ「シニョリッジ政策」や「ヘリコプターマネー政策」は邪悪なものと未だに見なされている(既に実施されているのに)。特に共和党の政治家は、これを忌み嫌うと思われる。

しかしFRBが4.5兆ドルもの債券を保有しているのだから、この「シニョリッジ政策」によって米国でもかなりの収益が毎年生まれている。そしてこの収益から諸経費を差引いたものが、日本と同様に米連邦政府に国庫納付金として納められている。毎年の金額を列記すると13年796億ドル、14年987億ドル、15年977億ドル、16年920億ドル、17年807億ドルである。つまり毎年、この「シニョリッジ政策」によって9〜10兆円の収入が米政府に入っている。米国の金利は日本より高く、この米国の国庫納付金は日銀の国庫納付金よりずっと大きい。ちなみにQEが始まる前までは、この額は毎年100〜200億ドル程度であった。

また最近この国庫納付金が少し減っているが、その原因は短期金利が少し上がっているからと見られる。FRBは金融機関から2兆ドルの超過準備を受入れ、これに対して短期金利による付利を行っている(これに対し日銀の超過準備は当座預金であり原則として付利は行わない・・一部に0.1%の付利)。この短期金利が、近年のFRBの利上げによって少し上がっているのでである。


ポールソン財務長官の話

ともあれ米国政府にとって、この「シニョリッジ政策」による毎年9〜10兆円の収入は決して小さくはない。例えばトランプ政権は、今後10年間で1.5兆ドルのインフラ投資を計画している。年間で1,500億ドルになるが、連邦政府の負担はその1〜2割と言われている(わずか200億ドル程度)。つまり「シニョリッジ政策」による収入は、インフラ投資の政府負担額よりずっと大きいのである。またトランプ政権は、インフラ投資や減税の財源としてガソリン税の増税を検討している。その増税額が650億ドル程度と見積られている。

さすがに大型減税の額には及ばないが、このようにFRBの国庫納付金はトランプ政権にとっては結構大きい。この国庫納付金が、FRBの資産縮小によって少しずつではあるが減って行くことは由々しい事態と、トランプ政権の誰かが気付くのではと筆者は見ている。もしこれに気付けば、場合によってはFRBの資産縮小にストップが掛ることも有り得ると筆者は憶測している。


FRBなど中央銀行は、政府から独立しているべきと主張する観念論者が世間に跋扈している。特に共和党に多くいそうなタイプである。しかしいざとなれば政府に協力して行動するのが、中央銀行としてのFRBの本来の役目という考え方がある。リーマンショック後のFRBは、QE(量的緩和政策)などによってこれを立派に果したと筆者は見ている。

ところでいざとなった時の財源に関する問題は、以前の共和党政権からあった。子ブッシュ大統領政権で財務長官を務めたヘンリー・ポールソン(在任期間2006年7月〜2009年1月)は、リーマンショック後の金融危機に際し、中国に米国債の購入や米銀行への出資を懇請している。民主党には中国に近い政治家は多いが、共和党ではこのポールソン財務長官の親中の度合は際立っていた(キッシンジャーの親中派振りは別格)。


しかし中国に米国債の購入を要請する必要は全くなく、FRBに頼めば済む話であった。リーマンショック後の金融危機は非常事態であり、米国全体で取組む問題であった。それをいきなり中国に頼むなんて考えられない行動である。中国の国債保有額が仮に1兆ドルとしても、1兆ドルなんて4.5兆ドルまで資産を増やしたFRBにとっては小さな話である。

ポールソン財務長官がFRBに頭を下げたくなかったのか、あるいはそのような手段があることに気付かなかったのか不明である。たしかにポールソン氏が、中央銀行は政府から独立しているべきという観念論者だった可能性はある。それにしても回顧録で「友人である中国が米国債を買ってくれて助かった」と書いているというのだからはあきれる。


筆者は、ポールソン財務長官のこの行動が、中国にとんだ誤解を与えたのでないかと考える。この出来事をきっかけに、中国は米国に対等に近い大国と勘違いを始めたと見られるのである。また中国は最大の米国債の保有国であり、中国が米国債の売却を始めたら大変なことになるという話がよく聞かれるようになった。中国もこの話を真に受けているふしがある。

しかしこのばかげた話は「デマ」である。仮に中国が保有する米国債を全て売ったとしても、FRBがこの全てを買えば良いのである。これまでQE(量的緩和政策)を実施してきたFRBにとって簡単なことである。

ところが未だに「米国債を売るぞ」というセリフが脅し文句になると誤解している者が多い。3月3日の日経新聞の1面の記事では、トランプ政権の鉄・アルミ輸入制限の方針に対して、中国が報復として大豆の輸入制限を行う可能性を示唆している。それに加え、この記事で中国は最大の米国債の保有国と解説している(筆者は、それがどうしたと思っているが)。筆者は、中国が勘違いをして「報復として米国債を売る」と言い出すのではと密かに注目している。
http://www.adpweb.com/eco/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/428.html#c563

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
567. 中川隆[-5577] koaQ7Jey 2018年3月04日 19:27:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

今度こそは。株式市場の暴落局面で迷わずチャンスをつかめ
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/03/20180307T1337120900.html#QlJIIOS.google_plusone_ninja_m

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c567
[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
568. 中川隆[-5576] koaQ7Jey 2018年3月04日 19:32:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c568
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
1. 中川隆[-5575] koaQ7Jey 2018年3月04日 20:03:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

エリオット波動
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/591.html

ポイント & フィギュア _ 最強チャート
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/561.html

MACD (Moving Average Convergence and Divergence)
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/573.html

RSI (Relative Strength Index)
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/574.html

中川隆 _ 相場関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c1

[リバイバル3] コブ斜面の滑り方  中川隆
17. 中川隆[-5574] koaQ7Jey 2018年3月04日 20:12:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

コブの滑り方#17 - スライドでは腰はスキーと同じ方向に向ける
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/59/

今回の「コブの滑り方」は、コブの落ち込む部分でスライドする滑り方をする場合は「コブ斜面ではスキー(ヒザ)と同じ方向に腰を回して滑った方がイイ」というお話です。


◆上体は固定する?

まず、「上体を斜面の下に正対させる」というのがコブ斜面を滑るうえでの基本であり常識ですね。
スキーは横を向いても、上体は常に斜面の下側を向いていることが重要です。

モーグラーが滑っているのを見ると、上体はまったく動かず、脚だけが猛烈な速さで動いているように見えます。

この動かずに固定しているように見える上体ですが、スライドターンする場合は腰の部分は左右に動かした方が良いと思います。


◆腰はスキーと同じ方向に回そう

私は、コブの落ち込む部分でスキーを回しこんでスライドさせて滑る場合は、腰の向きはスキーの向く方向と同じ方向に向けるように心がけています。(スライドさせずに直線的に滑る場合は腰は回しません)

つまり、ターンの後半にスキーが横に向くと、腰(骨盤)の方向も横に向けるようにしています。(上体は斜面の下に正対させます)

上体が斜面の下に向いているのに対して、スキーが横に向くと上体を脚部との「ひねり」が生まれますよね。

腰とスキーを同じ方向に向けることにより、この「ひねり」の支点は脚の付け根ではなく、腰の上の「おへそ」あたりになります。

つまり、「おへそ」より上は常に斜面の下を向き、「おへそ」より下はスキーと同じ方向を向くことになります。

なぜ腰をスキーと同じ方向に向けるのか?
腰をスキーと同じ方向に向ける理由は主に2つあります。

1. 不必要なスキーの前後差ができないようにするため
2. 股関節の脱臼を防ぐため

では、詳しく見ていきましょう。


◆スキーの前後差を防ぐ

スキーをフォールライン方向に縦に向けて滑る場合は、スキーに前後差はほとんど出ません。そのため、コブを直線的に滑る場合は、腰を回さずに下向きに固定で良いと思います。

一方、スキーをスライドして横に大きく向ける場合、左右のスキーに前後差がでやすくなります。

この場合、腰をスキーと同じ方向に向けることにより、必要以上にスキーの前後差ができてしまうのを防ぐことができます。

腰を固定したままだと

ターンの後半、スキーを大きく横に向けた状態を想定してみましょう。
このとき、腰を下向きに固定したままだと、スキーの前後差ができてしまいます。
この必要以上の前後差により、左右のスキーの動きがバラバラになってしまい、次のターンに入りづらくなってしまったりします。
腰を回さないと、スキーに前後差ができてしまう


腰を回すと
ターンの後半、スキーを横に向けるのと同時に腰の向きも横に向けると、不必要なスキーの前後差はなくなります。
これにより、左右のスキーの動きが一致し、安定した滑りにつながります。
腰を回すとスキーの前後差が無くなる

※スキーの前後差については、

「スキーのスタンスと前後差について 」
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/9/

もご参照ください。


◆股関節の脱臼を防ぐ
腰の向きをスキーが横に向くのに合わせて横に向けることによって、コブにぶつかった際に股関節が脱臼するのを防ぐことができます。

股関節の脱臼は、特にアイスバーンのコブ斜面で起こりやすいです。
カリカリのアイスバーンのコブでは、スキーを横に振ってズラシて減速して滑る人が多いため、コブの形は横に振った形になります。

ここで、横向きのコブの形状を無視して、フォールライン方向に縦にスキーを入れていくと、スキーがコブの形状に合わせて急激に横向きになってしまうことがあります。

このとき、腰の向きをフォールラインに向かって正対させたままだと、骨盤と脚が急に大きな力でひねられて、股関節を脱臼してしまうのです。

直線的にコブに入ると......
直線的にコブにはいると


スキーがコブに当たると急激にスキーが横に向き、股関節がひねられダメージを受けてしまいます。
コブにぶるかるとスキーが急激に横になる


ここで、腰をスキーと同じ向きに向けて回していれば、骨盤と脚のひねりはなくなり、脱臼することはないでしょう。

腰をスキーと同じ方向に向ける


◆脱臼はクセになる
一度脱臼してしまうと、それがクセになってしまい、たびたび脱臼するようになってしまいます。

実は私、10 年間以上も股関節の軽い脱臼に悩まされています。

コブを滑っている最中に時々「ギクッ」と脚の付け根の股関節に痛みが走り、しばらくの間は鈍い痛みとともに股関節の違和感が続きます。
どうやら股関節が所定の場所にうまくはまっていないようなのです。

スキーができないほどの痛みではないのですが、この軽い脱臼の状態はしばらく続きます。
1日で股関節がうまくはまることもあれば、1カ月以上違和感が続くこともあります。
ある時、ふとした日常生活で脚をひねる動作をしたときに、「コキッ」とうまく脚の付け根の関節が正しい具合に入ってくれるのです。

この股関節の脱臼、ふだんの生活では問題ありませんが、モーグルのような激しいスポーツでは、かなりの致命傷なので、これを読んでおられるコブ斜面が大好きなあなたには気をつけていただきたいと思っています。

◆急斜面では特に意識しよう
縦コブを一直線に滑る場合は、スキーはほとんど回さないので、腰を回わさずフォールライン方向に固定するのが良いと思います。でも、急斜面の自然コブ、特にアイスバーンでずらした雪が吹き溜まったような横に振った形のコブを滑る際は、腰をスキーの向きに合わせて横に回して滑ったほうが良いでしょう。


今回のまとめ:
スライドして滑る場合は、腰(骨盤)の向きはフォールラインに向けて固定せずに、スキー(ヒザ)が向くのと同じ方向に向けるようにしよう。
http://mogul2.blog.shinobi.jp/Entry/59/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/818.html#c17

[政治・選挙・NHK240] 最近の赤かぶによる非表示の数はすさまじい! 天橋立の愚痴人間
20. 中川隆[-5573] koaQ7Jey 2018年3月04日 20:29:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

間違いや嘘があったらそれを具体的に指摘すればいいだけなんだけど
天橋立の愚痴人間はそういう能力がゼロの知恵遅れだから、自分に都合が悪いスレを削除するしか方法が無いんだな
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/751.html#c20
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
2. 中川隆[-5572] koaQ7Jey 2018年3月04日 20:46:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

AI(人工知能)の特徴は買いでも売りでも次々に連鎖して行き過ぎる事なんですね。
従って、チャート分析に基づいた逆張りはもうできなくなってしまいました。

しかし、長期投資で、

騰落レシオが 60以下になった時に優良株に分散投資して、半年か1年寝かせておけばすぐに資産は 2倍、3倍になります。

AI(人工知能)の時代になってから、相場の事を何も知らないド素人でも超簡単に儲けられる様になりました:


要は、騰落レシオが70以上では一切動かず、騰落レシオが70以下になったらナンピンで現物買いを始めればいいのです。

損切りは絶対に NG

利食うタイミングはエリオット波動と P&F で判断します。

テクニカル分析で役に立つのはエリオット波動と P&F の二つだけです。

間違っても一目均衡表とか移動平均線、ボリンジャーバンド、オシレーターなんかは参考にしない様にしましょう。


騰落レシオ 日経平均比較チャート
https://nikkei225jp.com/data/touraku.php

日経225CFD 日本エリオット波動研究所
http://jewri.org/category/nikkei/

松本鉄郎のポイント・アンド・フィギュアによる実戦相場予測
http://www.gaitame.com/blog/matsumoto/



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c2

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
3. 中川隆[-5571] koaQ7Jey 2018年3月04日 20:48:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

投資主体別売買動向日本株
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-109.html
http://karauri.net/kaigaidoukou/

アダム・スミス2世の経済解説 投資部門別売買状況
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/

一般則として

外人投資家が買って、個人投資家が売っている → 株価は上昇中
外人投資家が売って、個人投資家が買っている → 株価は下降中

外国人が買って、日本人が売っていたら上昇トレンド

日本人が売りから買いに変わったらピーク

外国人が売って、日本人が買っていたら下降トレンド

日本人が買いから売りに変わったらボトム

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c3

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
4. 中川隆[-5570] koaQ7Jey 2018年3月04日 20:53:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日経平均のエリオット波動 2018年3月2日


225アウトルック
http://jewri.org/post-2194/

225は図1(225CFD週足)のように、1月23日にプライマリー級のD波が終了し、09年のリーマン後安値を起点に続いていたサイクル級の上昇波動が終わったとカウントできる。

このようにカウントした場合、プライマリー級C波の終点付近で、サイクル級の上昇インパルスが0.618と0.382という黄金比率で分割できる。あくまで「C波の終点付近」であってぴったりではないが、インパルスとしては理想に近い比率関係を示現していると言っていいだろう。

図1 

また、図2のように、このサイクル級のインパルスは、B波が延長しているが、その場合@波とD波が大きさと時間という二つの面でほぼ等しくなると いう「波の均等性」のガイドライン(エリオット波動研究 148ページ参照)にも見事に適合している。

また、図示はしていないが、D波の中でも延長した副次波の(5)波の1波と5波が1.000対0.618という比率関係にあるなど非常に美しい。

さらに、@波とB波を結んだ線と、A波とC波を結んだ線がほぼ平行でありきれいなチャネルを形成しているようにも見える。

このようなことからも1月23日高値をもってサイクル級の上昇波動が終了したと見るのが妥当だというのが当研究所の見解である。

もちろんそうではない可能性を示唆する代替カウントも存在するが、それはこの見方が明らかに間違いだと確認できたときに改めて提示しようと思 う。

つまり、リーマン後安値から約9年間に渡って続いてきた上昇相場はもう終わってしまったということだ。

サイクル級の上昇波動が終わったのなら、次に来るのはサイクル級の修正波動ということになる。

9年間の上昇波動に対する修正波動だから、半年やそこらで終わるとは到底思えない。最近の下落を見て、大底をつけたとか滅多にない押し目だという声も聞かれるが、まだまだ修正の初期段階にしか見えない。

9年間の上昇に対する修正だから、2年から3年の時間を要すると考えていいのではないだろうか。

図2

修正の価格的ターゲットとしては、図3のように上昇率全体を1.000とした時のの0.382戻し地点である15000円付 近を一つの目安として提示したい。その地点は「the previous fourth wave of lesser degree」という「修正波の深さ」に関するガイドライン(エリオット波動研究 180ページ参照)にも適合する。

図32018年3月2日記
エリオット波動研究所  所長
http://jewri.org/post-2194/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c4

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
5. 中川隆[-5569] koaQ7Jey 2018年3月04日 21:12:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

今度こそは。株式市場の暴落局面で迷わずチャンスをつかめ
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/03/20180307T1337120900.html#QlJIIOS.google_plusone_ninja_m

優良で優秀な多国籍企業が安く大量に買えるのは、まさに「誰もが失意の中で投げている時」なのである。

株式は上がっている時に買うのではない。見通しが暗くなって人々が逃げ出し、株式全体が下がっている時に買う。下落している時がチャンスなのだ。

下落している最中に売り飛ばす人もいるが愚の骨頂だ。下落している時は売るのではない。買うのだ。人々が蒼白になって投げている株式をハゲタカのように貪り尽くす。それを「株式投資」という。

株式市場が下落している時、気にしなければならないのは株価ではない。自分の株式保有数である。安い時に、きちんと増やせているのかどうか。大量に買えているのかどうか。それが重要なのだ。

そもそも、株式市場の破滅的な暴落時に優良企業の株式を買い漁って「焼け太り」していたのがかつてのロックフェラー財閥であり、モルガン財閥であり、メロン財閥であり、ヴァンダービルト財閥であった。

現在は超長期投資を実践するファンドや企業が個人がその「焼け太り」の方法を取り入れている。

ウォーレン・バフェットや、カルロス・スリムを代表とする長期投資家たちは、まさにそのような手法で世界最大級の資産を作り上げてきた。誰もが投げている時に優良企業の株式を「大量に」買い込んできたのだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c5

[番外地6] エリオット波動 中川隆
23. 中川隆[-5568] koaQ7Jey 2018年3月04日 21:33:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日経平均のエリオット波動カウント

Observation JPN225 by trader yikboyx — published December 14, 2017 — TradingView
https://www.tradingview.com/chart/JPN225/jvtmik67-Observation-JPN225/

Daneric's Elliott Waves
http://danericselliottwaves.blogspot.jp/

Nikkei 225 Elliott Wave Forecast 2018 - Imgur
https://imgur.com/gallery/wmF9GXI


日経平均のエリオット波動カウントは沢山候補が有ってどれが正しいかは全くわからないのですが、

エリオット波動のチャートを描く場合は、上のサイトの様に

縦軸の株価のスケールは対数目盛にするのが正しいです。

フィボナッチ比率を適用する際に基準になるのは株価の変動幅ではなく変化率です。

・第1波が10%上がっていて、第5波が第1波と同じ大きさになるというのは
第5波が第4波ボトムから 10%上昇するという意味です。


・第1波が10%上がっていて、第3波の大きさが第1波の大きさの 1.618倍になるというのは
第3波が第2波ボトムから 10%×1.618 だけ上昇するという意味です。

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/591.html#c23

[番外地6] エリオット波動 中川隆
24. 中川隆[-5567] koaQ7Jey 2018年3月04日 21:35:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

S&P 500のエリオット波動カウント


スーパーサイクル波 (T), (U), (V), (W), (X), (a), (b),(c)

サイクル波 T, U, V, W, X, a, b, c

プライマリー波 @, A, B, C, D, Ⓐ, Ⓑ, Ⓒ

インターミーディエット波 (1), (2), (3), (4), (5), (A), (B), (C)

マイナー波 1, 2, 3, 4, 5, A, B, C

S&P 500 Elliott Wave Technical Analysis by Lara - 24th June, 2015 - Grand Supercycle Elliott Wave Stock Market
http://elliottwavestockmarket.com/2015/06/24/sp-500-elliott-wave-technical-analysis-24th-june-2015-grand-supercycle/

S&P 500 Elliott Wave Analysis Warns Of Wave 5 Top See It Market
https://www.seeitmarket.com/sp-500-elliott-wave-analysis-warns-wave-5-top-17557/

S&P 500 Elliott Wave Technical Analysis
https://www.fxstreet.com/analysis/sp-500-elliott-wave-technical-analysis-201712060628

S&P 500 Elliott Wave Technical Analysis - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=S%26P+500+Elliott+Wave+Technical+Analysis


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/591.html#c24

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
7. 中川隆[-5565] koaQ7Jey 2018年3月04日 21:49:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


>>6 は東南アジア在住で毎日ドルを使って生活している鈴木傾城さんがアメリカ株に投資する場合の投資法です。

バフェットもこの方法で、通算年平均2割の収益を何十年間も上げ続け超有名になりました。

日本株の場合は以下の株式市場のヒステリシスに書かれている様に事情が全く違ってきます:

アダム・スミス2世の経済解説 2017年9月第2週 株 コメント

(9月第2週合計)
合計すると「海外、自己、事法の買い越しvs個人、投信、信託の売り越し」であった。

この週の買い方は大半が海外であった。自己の買いの大半も海外の買いの代理であり、現先合計にOTCを加えた海外の買い越し金額は1兆円をこえていた。

売り方は個人、投信、信託。

どんなにファンダメンタルズが良くとも、高値で上がると必ず大幅な売り越しになる。

これが右肩上がりではない相場で勝ち残る勝利の方程式であるからだ。
経済学の用語を使うとヒステリシスということになる。

ただし、国内の売りの大半は上値の指し値売りである。一方、海外の買いは買い上がりである。結果として日経平均株価は635円の上昇で週を終えることになった。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-341.html


アダム・スミス2世の経済解説 株式市場のヒステリシス
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-40.html

ヒステリシスとは、日本語では履歴効果と訳されている。元々は物理学の用語である。過去の実績の集積が、現在の状態に対して粘着性をもって影響する状態を意味する。

ヒステリシスという現象は、経済を観察すると、失業率以外の至る所に、似た現象が発生している。私が日本における経済現象で、最もヒステリスにぴったりの状況が発生していると考えるのが、日本の株式市場である。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20121027194921d52.gif/


上記の表は、1990年以降の株の投資部門別売買状況を示した表である。東証の発表する数値は13部門に分かれているが、その内、主要な部門である8部門を取り出して示した。1990年−2012年の売買を合計すると、買い方は、外国人69.3兆円、信託銀行9.6兆円、投信0.2兆円、売り方は、個人34.3兆円、自己16兆円、保険12.8兆円、事業法人8兆円、銀行4.4兆円となっている。この中で、個人の売り越しが34.3兆円と金額が大きいのは、個人投資家は、取引所外で、新規公開、増資、売り出しという形で多額の株を買っているので、取引所での売買はどうしても多額の売り越しになってしまう。新規公開等の分を除けば、売り越し金額は大幅に減少するはずである。自己、すなわち証券会社の自己勘定部門が16兆円の売り越しになっているのは、1990年代には、自己が転換社債、ワラントを買い付け、それを株に転換し、取引所で売却していたからである。2000年代になると、内外の機関投資家の大口の売りを、自己が取引所外取引で一旦買い取り、その分を取引所で売却していたからである。そうした売買を除けば、自己の売り越し金額は、長期ではゼロ近辺になるはずだ。このような実状を考慮すると、前回、株式分布状況調査のグラフ(*1)で示した結果とほぼ同じ結果となる。すなわち、バブル崩壊後の日本株の買いの主体は、外国人、信託銀行であり、売りの主体は、保険、事業法人、銀行である。

ここで注目してもらいたいのは、外国人投資家の売買である。誤差を除けば、外国人投資家の買い越し金額=日本人投資家の売り越し金額、となるはずである。1990年以降の外国人投資家の買い越し金額=日本人投資家の売り越し金額は、69.3兆円と、巨大な金額になっている。次に、上記の表の一番右側に、日経平均株価の前年比の変化が掲載されている。ここで、日経平均株価が上昇した年には、必ず外国人投資家が買い越していることがわかる。日経平均株価が下落した年には、外国人投資家は買い越し、売り越しの両方がある。つまり、株価が上昇した年は、必ず、外国人投資家の買い越し=日本人投資家の売り越しとなるのだ。株価が上昇する場合、年間で見れば、必ず外国人投資家の買い越しによってその上昇は主導されている。そして、株価が上昇する場合、年間で見れば、必ず日本人投資家は売り越しになって、株価上昇の抑制要因となっているのであった。1989年以前には、日本人投資家の買い越し=外国人投資家の売り越しで株価が上昇することはあった。しかし、株価が1989年末に史上最高値を付け、バブル崩壊が始まる1990年以降は、日本人投資家は、株価が上昇する局面では必ず売り越すようになった。日経平均株価は、1989年末の38,915円から、1992年末の16,924円へと、わずか3年間で21,991円もの値幅の大暴落が起こり、日本人投資家は皆、株で大損をしたのである。その後は、外国人投資家の買い越しで株価が上昇しても、日本人投資家が売り越しになるので、しばらくして株価は下落に転じてしまう。そうしたサイクルが繰り返されると、ますます日本人投資家は株価の上昇局面では売り越すこととなった。現在では、日本人投資家の間では、株価の右肩上がりの上昇は無い、という予想が強固に根付いてしまっているので、実際に株価が少し上昇すると、必ず売り越すという行動に出てくる。その結果、株価は本当に上がらなくなってしまったのである。2012年3月末時点において、外国人投資家の日本株保有比率は、26.3%で、残りの73.7%は、依然として日本人投資家が保有している。73.7%を保有する日本人投資家が、株価が上昇に転じると、必ず売り越しになるのである。これは、日本の株価の長期上昇が困難になるという意味において、明らかにヒステリシスが発生している。

(*2)で、日銀が量的緩和を強化した場合、株価が上昇することを示したが、その時も、外国人投資家の買い越し=日本人投資家の売り越しの中で株価が上昇することを記した。外国人投資家が日本株を買い越す中で株価が上昇すると、円高要因になり、日本の対外純資産も減少してしまう。従って、より望ましい姿は、日本人投資家の買い越しにより株価が上昇することである。しかし、すぐに日本人投資家が、株価の上昇局面で買い越して、日本の株価が上昇するように誘導する政策は、存在しない。一旦、ヒステリシスが発生してしまうと、そこから新たな政策を発動しても、抜け出すことは、困難になる。従って、本来なら、ヒステリシスの発生を前もって予想し、ヒステリシスが発生しないように早めに政策対応を実施することが必要なのである。残念ながら日本では、早めの政策対応どころか、現在ですら、日本の株式市場にヒステリシスが発生している事実が認識されていない。

ヒステリシスから脱却するためには、日銀が量的緩和を強化して、外国人投資家の買いが主導し、株価が上昇することが、まず必要である。その後、株価が下がる局面はもう来ないと、多くの日本人投資家が確信を持つようになってから、初めて日本人投資家は株価上昇局面でも買い越すようになるはずだ。そのためには、日銀による量的緩和の強化によって株価が上昇しても、量的緩和を緩めることなく継続強化することが必要である。大規模かつ長期の量的緩和が実施されて、初めて、日本人投資家は株価上昇の局面でも株を買い越すようになり、ヒステリシスから解放されることになる。大規模かつ長期の量的緩和が実施されると、普通なら、日本の株価上昇がバブル化することが問題になる。ヒステリシスの状態では、日本の株価上昇が容易にバブル化しないことが問題になるのである。日本人投資家が買い越しとなり、継続的な株価上昇局面が始まった時には、金融を引き締めて、株価を引き下げる政策を実施してはならない。ヒステリシスの再現をもたらしてしまうからである。代わりに、株に対するキャピタルゲイン課税の強化のような形で、株価の上昇速度を抑制する政策を採る必要がある。

日銀は、インフレ率が低くてもバブルは発生すると、過去において何度もバブルの再燃に対する警戒感を示してきた。バブルの発生を恐れるのではなく、現状がバブルとは正反対の現象である、日本の株価が上がらないというヒステリシスの現象が発生している事実を、まず認識すべきである。その上で、ヒステリシスから抜け出すためには、大規模かつ長期の量的緩和が必要であることを、日銀が理解することが必要なのである。


_________


>ヒステリシスから抜け出すためには、大規模かつ長期の量的緩和が必要であることを、日銀が理解することが必要なのである。


まあ、最近の日銀の前代未聞・空前絶後の滅茶苦茶な金融緩和が失敗して明らかになったのは

必要なのは大規模かつ長期の量的緩和ではなく, 公共事業や教育投資、軍事費・生活保護費・失業保険支給額の大幅増額等の政府の財政出動だったという事なんですけどね。

______

詳細は


株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c7

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
5. 中川隆[-5570] koaQ7Jey 2018年3月05日 07:55:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c5
[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
6. 2018年3月05日 07:58:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか?
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html

モンサント社員が食べない遺伝子組み換え食品
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/840.html

猿人間のジャップには毒入り牛肉でも食わせておけ
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/516.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c6

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
1. 中川隆[-5569] koaQ7Jey 2018年3月05日 07:59:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の農業をぶっ壊す種子法廃止、なぜほとんど話題にならない?=田中優
2018年2月25日 ニュース
http://www.mag2.com/p/money/384427


私たちが口にする食べ物が体を蝕み、様々な疾病の原因となるとしたら…。そんな未来が現実になりかねない「主要農作物種子法の廃止」がこの4月に迫っています。

無意味な「遺伝子組み換えでない」の表示。春から日本はどうなる?

食べ物が体を蝕むという恐怖

私たちは体を維持し、健康を増強するために食物を食べている。ところがその食べ物が期待を裏切り、体を蝕み、さまざまな疾病の原因となるとしたら…どう考えればいいのだろうか。体は健康に維持したい。しかし食料は体を蝕んでしまう。「食べるべきか、食べるべきでないか」と思いわずらうことになる。

ならば「安全な種から育てた食品を選ぼう」と思ったとしても、主要農産物の種を守ってきた「主要農作物種子法」が2018年の今年から廃止されて、種は入手が困難になっていく。種は遺伝子組み換えのものに入れ替わり、それから育てた作物しか選べなくなる。

一見すると私たちに関係なさそうな「主要農産物種子法の廃止」が、私たちの選択の余地をなくし、健康を維持できない可能性が高まるのだ。

自閉症増加の原因は…

最初にデータを見ておきたい。6歳児の自閉症児の増加とグリホサート(商品名「ラウンドアップ」除草剤)の相関グラフと、6歳から21歳の自閉症患者の相関だ。

http://www.mag2.com/p/money/384427

自閉症は遺伝的なものと言われていたが、現在では否定されている。「母原病」とも言われ、「親の育て方の問題」とも言われていたが、これも現在は否定されている。

グラフを見てもわかる通り、この急増ぶりこそがその根拠だ。遺伝子はこんなに早く広がらないし、子育てという「文化」でもこんなに早く広がることはないからである。

現在は自閉症の原因は、化学物質汚染との関係だと考えられている。その中で大きな可能性を持つのがグリホサートなどの有害化学物質だ。このグリホサートを撒いても枯れない遺伝子を組み込んだ作物がモンサント社の「遺伝子組み換え作物」で、それが使われるときには、必ずグリホサートが撒かれることになる。


「遺伝子組み換え作物」に甘い日本の規制

自閉症はアメリカのデータだが、遺伝子組み換え作物の承認について最も規制が甘い国はこの日本となっている。その日本にはすでに「ミツバチの失踪問題」で脚光を浴びた「ネオニコチノイド農薬(殺虫剤)」がたくさん撒かれている。水に溶けやすいこの農薬が、川の上流部にも「松枯れ対策」として撒かれている。

ここでもう1つのデータを見たい。文科省の発表した「通級による指導を受けている児童生徒数の推移(公立小・中学校合計)」というものだ。

http://www.mag2.com/p/money/384427/2

指導を必要とする児童数が2000年頃から増えていて、増えているのは「注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、自閉症、情緒障害」で、「難聴その他と言語障害」は増えていない。

また同時期のネオニコチノイド農薬の出荷量を「国立環境研究所」のデータから見てみよう。

http://www.mag2.com/p/money/384427/2

どう思うだろうか。ネオニコチノイド農薬は持続性が高く、使われた農地にはしつこく数年は残る。これが脳の中の海馬や偏桃体に作用し、短期記憶を妨げ、集中力を失わせてうつ状態を生み出したり、乱暴に興奮させたりすることまでわかったところが今の時点だ。

私は相関関係があると思う。この状態の日本の食に、さらに遺伝子組み換えされたコメや小麦が入ったらどうなってしまうのか、というのが私の危惧だ。

やがて、食べ物がみな毒になる…

今はまだコメや小麦に遺伝子組み換え作物は使われていない。しかしコメは遺伝子組み換えのものが日本でも実験されていて、小麦は2020年頃には世界的に販売される見通しがある。

私は「主要農産物種子法の廃止」は、私たちの安全な食を、危険なものにする大きなきっかけとなると思う。特に子どもたちが壊されていくかもしれない時期に、このままにしていいのかと思う。

確かに今は親の対策によって、多少は被害を低減することができる。しかし気を配っている親ばかりではないし、生活に追われていれば考えるだけの余裕もない。そしてこれはこの先、扉が閉ざされるように選択の余地が失われていくのだ。

人々が選択できた時期は過去のことになり、食べ物はみな毒になる。今がその時代の変換点だと思うのだ。


種を制する者は世界を制す

ボクシングの格言に「左を制する者は世界を制す」というものがある。左でジャブを繰り出す技術が優れた者は、右ストレートで試合を有利に制することができるというもの(右利きが前提だが)だ。同様に「種を制する者は世界を制す」という言葉もある。要は農業は種から育てるものだから、それを握ってしまえば世界を制することができるという意味だ。だが、こうした言い方は専門家の間には評判が悪い。

私は法学部出身だが、どこが問題かを判断するときに、法の条文から適切でないとするのは良いが、民法の大原則である「公序良俗に反する」というのを持ち出すと鼻で笑われるようなものだ。「公の秩序および善良な風俗」に反するからダメというのは大雑把すぎる。それを理由にしたのでは大岡裁きと同じで、他の条文が不要になってしまうからだ。

だが企業の力は強大になり、それを持ち出さなければならないほどのレベルになった。それが「種子法の廃止」だと思う。だから個別の法理で闘いたい気持ちはやまやまだが、それで事足りるような事態ではなくなったのかもしれない。種自体が企業の所有物となり、他の人々は単に種を借りて育てる農奴の位置に落とされるからだ。

科学の名の下に無視される倫理

思えばアメリカで生物特許が出されたときに、「そんなバカな」と人々は思いながらも正面切って反対できなかった。そして「遺伝子の順序」が特許の対象にされてしまったときにも同じ反応だった。そして今年2月、科学誌では名高い「ナショナル・ジオグラフィック誌」に「人間と羊のハイブリッド胎児の作製に成功」との記事が出た。この羊と混合された子は「人間への移植を目的とした臓器作製向け」だそうだから、殺されて臓器を提供することを目的に生み出されることになる。この子の人権などは考えられていない。勝手に羊と遺伝子が混ぜられ、殺されるために生まれるのだ。

私はめちゃくちゃな話だと思う。人には倫理的にしてはいけない領域がある。こんなことをしてしまったのは、専門家たちが「大雑把すぎてカッコ悪い」と反対するのにためらっていたことの結果ではないか。正面切って反対しなければならないものが登場するほど、人間の力は強大になり、それを利益で結集させる企業が強くなりすぎたのだと思う。

原子力もそうだった。今や高くて危険で役立たないことが明らかになっているのに、まだ日本では廃止できない。小さな芽の時点でなくしておけば、こんな数万年も管理しなければならない厄介ものなど生み出さずにすんだだろうに。

私たちは敢えて大原則を振りかざして、禁止させなければならない技術に直面していると思うのだ。その1つが遺伝子組み換え作物だ。

不明瞭な「主要農作物種子法」廃止

去年、「主要農作物種子法(以下、種子法)の廃止が決められ、ついにこの4月から施行される。

私が大学の講義で「種子法は廃止すべきでない」と触れたところ、生徒から「種の保存がされなくなることを授業で問題にしましたが、何か政府の側からの良い点が示されていたのではないでしょうか? 一方的でない授業を望みます」という意見をもらった。その学生の懸念は、「偏った授業をしている」というものだったのだろう。廃止法案は政府が閣議決定して法案を通したのだから、そこに「良い点」が書かれていなければならない。

そこには「戦略物資である種子・種苗については、国は、国家戦略・知財戦略として、民間活力を最大限に活用した開発・供給体制を構築する。そうした体制整備に資するため、地方公共団体中心のシステムで、民間の品種開発意欲を阻害している主要農作物種子法は廃止する」とあるのみだ。

この中のどこが良い点だと読み取れるだろうか。種子法は「民間の品種開発意欲を阻害している」主要農作物種子法は廃止するというのだから、「民間の品種開発意欲を阻害している」ことが問題なのだとなる。

得をするのは「特定の企業」だけ

では、民間はなぜ開発意欲を阻害されるのだろう。それは開発費用を掛けたとしても、高く売れないことに尽きる。要は、民間が開発した種子を高く売りたいのだ。

ところが種子法は都道府県を主体として良い種を作り、農家に高くない価格で提供している。それが「阻害している」というのだ。しかもすべての作物の話ではない。ここは「主要農作物」が対象で、具体的には「稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆」だけを指す。

それ以外の作物の種には「育苗法」が適用され、育苗法は「品種の育成の振興と種苗の流通の適正化を通しての農林水産業の発展に寄与する」ことを目的としていて、品種育成をした企業などのパテント(知的財産権)を保護することにしている。今回の「種子法廃止」では、法の残る部分は「育苗法」に併合されることになっている。

つまり種はパテント(特許)付きのものばかりになり、自然のものだったはずの種がいつの間にかすべて「特許対象」となってしまうのだ。そして農業ビジネスはその対象として主要農作物である「稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆」をも対象にしようとしている。

そこで気付くのは、それらの作物は容易に遺伝子操作の対象作物になり得るということなのだ。つまり遺伝子操作作物を拡大しようとする企業以外に、今回の廃止法案の動機がないことになる。

問題だらけの遺伝子組み換え作物

世界の遺伝子操作作物は、生産物の順で「大豆、トウモロコシ、コットン、ナタネ」で99%を占める。コムギは直接食用にすることからアメリカすら認可に慎重で、すでに実験的に作られてはいるが、栽培されるのは2020年頃と言われている。またコメもすでに実験はされているものの、世界的に栽培されていない。今回の種子法廃止の対象の主要農作物は、「稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆」なのだから、戦略的に種子法の枠を外す必要のある作物だと言えるだろう。

その遺伝子操作作物は、モンサントの場合には農薬グリホサート(商品名「ラウンドアップ」/特許切れにより各社が販売していて今は百均でも売られている)を撒かれても枯れず、他の雑草のみが枯れることを目指したものだ。だから「ラウンドアップ・レディー(ラウンドアップに抵抗性のあるの意)」と呼ばれる。ところが生命はさらにそれを超えてくる。「スーパー雑草」と呼ばれる抵抗性のある雑草が蔓延る結果となったのだ。

もう1つの問題点は、人間の健康に対する影響だ。ラウンドアップは人間が体内で作ることができない「必須アミノ酸」の1つである「トリプトファン」組成を妨げることで草を殺す。ところがこの「トリプトファン」こそ人間の体内でインスリンを作るのに必須のアミノ酸なのだ。もしラウンドアップが土壌などに残っていれば、糖尿病を増加させるかもしれないし、遺伝子組み換え作物そのものが影響するかもしれない。そして現実に、アメリカでの糖尿病患者の増加と、遺伝子組み換えの大豆・トウモロコシ生産量との間に相関関係があるのだ。

次のグラフは、糖尿病の発病と「大豆とトウモロコシの遺伝子組換えされたものの耕作比率」、同じく「大豆とトウモロコシに撒かれたグリホサート入りの収穫量」を示すものだ。ここには相関関係があると見ていいだろう。

http://www.mag2.com/p/money/384427/5

スーパー雑草の発生などで、遺伝子組み換え作物の生産コストは急上昇することになった。そこでモンサントは他社の除草剤成分を混入させる試みをずっと進展させている。従来のラウンドアップで枯れなかった植物を、より根絶やしにしようとしているのだ。そうやって作られていく作物が、ヒトにどのような影響を及ぼすのか、とても心配になる。

種子法が生まれた理由と功績

そもそも種子法は戦後直後の1952年(昭和27年)に制定されたように、戦後の食糧混乱期に制定されている。十分に人々が食べられない時代に、冷害に強かったり気候風土に見合う食味の良いものを栽培、研究し、都道府県単位の気候に合うものを作り、推奨することで食糧の生産増大を目指してきたものなのだ。

しかもその種はエフワン種(F1)というようなハイブリッド種ではない。そのエフワン種は「雑種第一代」とも呼ばれ、違う品種の野菜を人間が意図的にかけ合わせて作ったものだ。エフワン種とは雑種を掛け合わせることで「ヘテロシス」と呼ばれる「トンビが鷹を生む」現象を利用したものだ。とても優れた種になる。ところが、生まれた「鷹」同士を交配させて種を採ると、元の「トンビ」の雑種に戻ってしまうのだ。だからその一世代だけがいい種になる。逆に言うと、農家が自家採種して育てることができない、永遠に買わなければならない種なのだ。

ところが種子法で作って来た作物は「エフワン種」ではない。その作物から自家採種して育てたとしても、同様の優れた作物が作れるのだ。そのため種子法は「主要作物」のみに限定されている。数限りない作物の中で、「稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆」を主要農作物として、政府、自治体が関与して種を守ると同時に風土に見合った種を地域に推奨してきたのだ。

とても手間のかかる作業に加えて、その地域の特性に合わせた種を選別してきた。それが「主要農産物種子法の意味」だった。だから「自家採種」が基本だ。自分で種を持つことが基本的人権の1つだから、それを国が保証するための法だった。

特に大変なのは純粋系統の種を作ることだ。栽培に使う種を「原種」といい、その種を作るために栽培したものを「原原種」という。それが他の種と交配しないようにしなければならない。たとえば大豆など、4キロ周囲に植えられた種と交配する可能性がある、だから栽培者は神経を使って栽培し、守ってきたのだ。

廃止の根拠に「生産コスト削減」があるが…

種子法廃止の根拠として、「生産資材の価格の引き下げ」をするという文脈で語られていることもある。しかしこれまで種子法によって守られてきた種の価格は安い。この制度を廃止して壊せば「生産資材の価格が下がる」としたら、種代ではなく「農薬代」などを指しているとしか考えられない。主要農作物の種を作ったメーカーは、種子法では安くて開発費用を賄えないと言っているのだから、種は安くなりようがない。

実際には、種子の値段は高くなるだろう。利益を求める企業が「公共種子」より安く供給できるはずがない。にもかかわらず、「生産資材の価格の引き下げを行う」というのは、百均でも販売しているようなグリホサート(除草剤)を前提にしているとしか思えない。とするとこの「種子法廃止」の理由は、グリホサートを撒いても枯れない遺伝子組み換え作物が使われることを予定しているとしか思えないのだ。


生きるための種が「売るための種」へ

種には2つの法体系がある。それが「種子法」と「種苗法」だ。種苗法は「品種の育成の振興と種苗の流通の適正化を通しての農林水産業の発展に寄与する」ことを目的としていて、エフワン種のような品種育成をした人や企業のパテント(知的財産権)を保護することを目的としている。種子法が「食料の生産につながるような種子を安定的に確保する」ことを目的とするのとは全く異なるのだが、この種子法を廃止し、種苗法の付則で種子法の制度の一部を引き継ぐというのだ。

では種子法の「品種の育成の振興と種苗の流通の適正化を通しての農林水産業の発展に寄与する」という目的はどうなるのか。これを壊して「生きるための種」から、「売るための種」へと変質させるのが廃止の真の目的だ。

「国連人権宣言」の条文に、「経済的・社会的及び文化的権利に関する社会権規約」がある。締約国は「すべての者に技術的及び科学的知識を十分に利用することにより、栄養に関する原則についての知識を普及させることにより並びに天然資源の最も効果的な開発及び利用を達成するように農地制度を発展させ、または改革することにより、食糧の生産、保存及び分配の方法を改善すること」と書かれている。

これが失われるのだから、こういう実態になる。「人々に食の権利はなく、ただ大企業のみが技術的及び科学的知識を持ち、人々は栄養に関する知識も知らず、天然資源の効率的な使用もできずに、食糧の生産・保存・分配ができなくなる」ことになる。

まったく信用できない「遺伝子組み換えでない」の表示

遺伝子組み換え作物には「Btコーン」と呼ばれるものもある。これはコーンを食べた害虫の腸が破裂して、死んでしまうというモノだ。すべての生物は消化管から発達したとする説もあるぐらい消化管は大事な組織だ。これに穴が開いてしまうと、消化した後の排せつ物が体内に回ってしまう。体内というのは消化しやすい温度の中に消化しやすい内臓があるのだから、消化する微生物は生物を内側から食べまくってしまう。

この「リーキーガット(漏れる腸)」という疾患もまた、人間に増えている。こうした遺伝子組み換え作物が身の回りに増えてきている。まず第一に「遺伝子組み換え」が問題なのだから、遺伝子が分解されている「加工品ならいい」と表示しなくていいことになって、「味噌・醤油・油」の原料に使われている。

さらに素材の5%以下なら「遺伝子組み換えでない」と表示できることになっているため、「遺伝子組み換えでない」と書かれていても信用できない。さらに多い成分量から3位以下なら「遺伝子組み換えでない」と表示できる。要はザルなのだ。

飼料として日本に輸出される遺伝子組み換え作物

もっと深刻なのは、アメリカで遺伝子組み換え作物は売れなくなり、急激に非・遺伝子組み換え作物の消費が伸びている。そのため余ってしまった遺伝子組み換え作物は、畜産の飼料として日本に輸出されている。かつては「非遺伝子組み換え作物」のコーンを輸入していた日本は、遺伝子組み換え作物をどんどん輸入せざるを得なくなっている。

もう外堀は埋められ、あとは国内の生産さえ開始できればいいのだ。今回の「主要農産物種子法の廃止」は、アメリカの圧力のせいだとも言われているが、現にアメリカでもこうなっている。アメリカの多くの州では「公共種(州立大学、他の大学、他の自治体からの供給)が半分近くを占めていた。それが減らされ、その分を「モンサント」「シンジェンタ」等の企業が支配した。法規制された種を解禁すると、そこにアグリビジネスが入り込むのだ。

こうした全体の流れからすると、すでにモンサントと協力・提携・買収してきた「日産化学」や「住友化学」「三菱モンサント社(現三菱MKV)」などは参加を画策していることだろう。これらの会社は種子法廃止を足掛かりにして、公共財だった主要農作物の種の譲渡を受け、遺伝子組み換え事業に参入しようとしてくるだろう。


種子法廃止で苦しむか、別な社会を求めるか

今回の「種子法廃止」の目的は、ここまで調べると明白だろう。「種を制する者は農業を制する」のだ。その傍らで農薬被害の子どもたちの「要指導児童」の増加に苦しみ、多くなる疾病と安心できない食品に苦しみ、高くなる種は買えず生産者は農奴化することになるのだ。すると当然、効くかどうかに関わりなく製薬会社が儲かる。アメリカでは日本で「要指導児童」と呼ばれる子どもたちに薬を出し、大きな収入源としているのだ。


一方にはインターネットと宅配の発達により、直接生産者と連携を図る方法があるかもしれない。世界的にはアグリビジネスの流れに対抗して、人々の「生態系を守る農業のあり方や社会のあり方を求める科学や運動」としてアグロエコロジー運動が広がってきている。「農」とは大企業のものなのか、それとも人々が生きるためのものなのか、それを問われる時代になった。

もう一度、生命の循環の輪の1つとして、誰もが関われる「農」に戻して考えてみたい。種は自然から与えられた生きるための糧だった。それを再度、人々の手に戻すべきではないか。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c1

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
2. 中川隆[-5568] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:00:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

コメより水が高く売れる時代


マスコミが褒める南仏農業は生産性が低いが、政府が給料を払っている
引用:http://www.merlotresor.se/public/images/destinations/bourgogne/slideshow/11.%20Bourgogne%20-%20Anne%20Svensson%20-%20Hova.jpg


日本の農業は政府から虐待されている

2018年から米の減反補助金(生産補助金)が廃止され、コメ農家を廃業したりコメ生産を辞める農家が多い。

そのせいで低価格米やお握りの値段が上昇しているが、このコメ価格がおかしい。

例えば200g(茶碗大盛り一杯)のご飯はコメだと約87g、5キロ2000円の米だと約35円です。

一方ミネラルウォーター、要するに水はコンビニでは500mL100円が多く、200gあたり約40円になります。

スーパーで買うか大容量のボトルを買えばもっと安いが、特定の条件下ではコメより水の方を高い値段で買っています。

これがドリンクやコーヒーだともっと差が付き、グラムあたりコメの2倍する商品も多い。


はたして「ただの水」にコメと同じ価値があり、ドリンクにはコメより価値があるのでしょうか。

コメ価格が異常に安くなった理由は輸入農産物が低価格だからで、だいたい何でも輸入品のほうが安い。

だが輸入農産物はもともと安いのではなく、各国政府が補助金を出して安くして、日本に売っているとしたらどうでしょうか。


農業改革が叫ばれて久しく、「農家は怠けている」「農業は補助金で保護されている」という声が上がっている。

だがこれらの農業叩きには事実誤認が多く、たとえば日本は世界でもっとも農家への補助金が少ない国です。

アメリカやフランスなど欧州では輸出農産品に50%から90%もの補助金を出して農家の収入になっています。


アメリカの広大なコメ農地を見て日本人は驚愕するが、実は豚の餌など家畜飼料で人間用ではない
人間用の美味しいコメは、農家が手間隙かけて育てるので日本より生産コストが高い
AirTractor_402
引用:http://bcgneeds.com/wp-content/uploads/2014/03/AirTractor_402.jpg


アメリカの人間用農作物は日本より高い

有名なフランスのブドウ産地では、前近代的な方法で生産していて、まるで絵画の世界のような農村風景が残っている。

だが彼らが100年前と同じやり方で農業を続けられているのは、収入の大半を国家が補償しているからで、国家公務員と言っていい。

最近オランダで植物工場が成功して「日本も見習うべきだ」とマスコミが言っていますが、同じように補助金で運営されています。


野菜工場や果物工場の類は日本にもあるが、補助金や優遇制度無しで利益を上げた例は一つも存在しません。

太陽光や原子力で発電した電気で植物を照らして、それで野外の畑より安く出来るなら、世界中が全部植物工場になっています。

欧州農業は徹底的に保護されていて補助金で生産してEU域外に輸出しているので、欧州農業に見習う点などひとつも在りません。


唯一日本が見習うとすれば、手段を選ばず補助金で農業を保護して外国に売りつける、その徹底ぶりでしょう。

欧州とアメリカの農業が政府から保護されているのに対して、日本の農業は政府から虐待されています。

アメリカはジャガイモやトウモロコシ、小麦などを非常に安い価格で生産し輸出するので、アメリカの農業は効率的だと勘違いしている人が居ます。


アメリカで安く生産できるのは豚の餌にするような飼料だけで、ポテトやコーンなら人間用も家畜用も大差ありません。

だがこれが人間用の野菜やコメなどになると、やっぱり政府補助金で生産していて、補助金無しだとコメ価格は日本より高いです。

統計ではアメリカの人間用農作物は、平均して50%が政府補助金に頼っていて、例えば2000円のカリフォルニア米が売られていたら、本当の値段は4000円です。
http://www.thutmosev.com/archives/74947567.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c2

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
3. 中川隆[-5567] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:01:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
『月刊日本』2月号
山田正彦「日本の農業はモンサントに支配される」より
http://gekkan-nippon.com/?p=12947

<農業がモンサントに支配される>

―― いよいよ2018年4月に主要農作物種子法が廃止されます。元農水大臣の山田さんにお話を伺いたい。

【山田】 これまで日本は種子法に基づいて、コメなど主食の種子を「国の宝」として守り育んできました。国が管理して、各都道府県に原種や原原種の維持や優良品種の開発、奨励を義務づけていたのです。その結果、日本のコメ、麦、大豆の種子は100%国産であり、食の安心・安全や自給率は守られてきたのです。

 ところが、昨年4月に種子法廃止法案が成立して、今年4月に施行されてしまいます。これによって従来の国や都道府県の公共品種の維持が難しくなり、民間企業によって主要農作物の種子市場が席巻されてしまうことになります。

 種子法の廃止はTPP交渉の中から出てきたものです。TPP協定は2016年2月に署名されましたが、その際に日米が交わした交換文書があります。そこには、「日本国政府が外国投資家等から意見及び提言を求め、関係省庁等からの回答とともに規制改革会議に付託し、同会議の提言に従って必要な措置をとる」とあります。そして実際に、外国企業の意向に沿って種子法の廃止や農業競争力強化支援法の制定などが決められてしまったのです。

 ここでいう「外国投資家等」の中には、グローバル種子企業のモンサント社やシンジェンタ社が含まれています。彼らは20年前から日本の種子市場を狙っていたのです。すでに野菜のタネはそれら多国籍企業に支配されています。30年前まで野菜の種子は全て国産でしたが、今では90%以上が外国産です。

―― 山田さんは、種子法廃止と同時に成立した農業競争力強化支援法も問題視しています。

【山田】 農業競争力強化支援法の8条3項には、事業者の生産性が少ない銘柄を「集約」すると書いてあります。これではイネの品種が減っていってしまいます。

 現在、日本では約300種のイネの品種が栽培されています。大きな気候変動や害虫の発生に備えるためには、それぞれの地域に合った多様な品種を維持することが重要です。品種を増やすどころか、減らすなどもっての外です。

 また同法8条4項には、「都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進すること」と書いてあります。私たちが種子法に基づいて、税金で培ってきた技術と情報、いわば知的財産権を民間企業にタダ同然で差し出せということです。しかも、「民間事業者」には外資系企業、すなわちモンサントやシンジェンタも含まれています。昨年、齋藤健農水副大臣(現農水大臣)と矢倉克夫農水政務官(当時)が「国内企業、外資系企業を問わず」知見を提供すると国会で明確に答弁している通りです。

 モンサントが日本の公共品種から開発した遺伝子組み換え品種などを応用特許として申請すれば、日本の農家は高額な種子価格に加えて、特許料まで支払わなければなりません。農家は二重に搾取されることになるのです。……  

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c3

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
4. 中川隆[-5566] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:02:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

大変なことになります。|山田正彦 オフィシャルブログ Powered by Ameba 2017年11月23日
こんなに早く種子法廃止に伴う運用規則までが廃止されるとは思ってもいませんでした。


そのために参議院で付帯決議を付けて種子法が廃止されても、都道府県の優良品種の奨励制度等は残り、予算を確保できるつもりでしたが。

実は近く「農水省から種子について大事な通達がある」との噂があったので連絡していたら今日、私のところに農水省次官による通知が届いたのです。

そこには明確に「運用基本要綱、種子制度の運用、1代雑種審査基準の審査、指定種苗の運用は廃止する。以上命により通知する」と有ります。

種子法廃止後の都道府県の役割についても「これ迄実施してきた稲、麦、大豆の種子に関する業務の全てを直ちに取り止めることを求めるものではない」と有ります。

都道府県によっては、暫く続けてもいいが、国の予算措置は厳しいぞと言わんばかりです。

しかも「民間業者による種子(日本モンサントのとねのめぐみ、三井化学のみつひかり等)の生産、参入が進む迄の間は、原種等を維持して、それを民間業者に提供する役割を担う」と。

これで、公共の種子として農家に安く提供されてきたコシヒカリ等の多様な固定種はなくなり、モンサント等の民間の数種に絞られることに。(農競強化法8条4項)

政府は農競力支援法の8条3項の独立行政法人(農研)、都道府県の種子の知見を民間に提供するとあるのはモンサント等外資にも適用すると答弁しています。

農研は国の予算だけで、毎年2千億が投じられ既に遺伝子組み換えのコメの種子WRKY45等が試験栽培されています。

その蓄積された知見が全てモンサント等に提供されることになります。既に9月から研究職員が民間に出向しています。

そうなれば、日本も三井化学のみつひかりのようにF1の種子だけでなく、遺伝子組み換えのコメを食べざるを得なくなるのでは。

米国、カナダ、豪国等は主要農産物は州立の農業試験場等で栽培された安全で、安価な公共の種子なのに残念です。
https://ameblo.jp/yamada-masahiko/entry-12332004567.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c4

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
5. 中川隆[-5565] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:02:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017年06月30日 日欧EPAは日本が一方的に損をする経済協定

欧州の農家は国が給料を払っている「国家公務員」だが、それは交渉すらしない
引用:http://www.yomiuri.co.jp/photo/20170624/20170624-OYT1I50002-L.jpg


日欧EPAの不愉快な中身

日本とEUの自由貿易協定であるEPA(経済連携協定)は、もうすぐ合意しそうだと言われています。

日本は農産品関税の9割を撤廃し、EUも自動車関税の9割を撤廃するとされていて、一見するとフェアな交渉に見える。

だが実際にはこれは、日本だけが100%譲歩し、EUだけが得をする協定に過ぎない。

          

その前に日本政府が何の疑問も持たずに行っている「自動車関税と農業関税の取引」は、まず前提が間違っている。

日本は90年代にアメリカとも「農業を捨てれば自動車輸出を増やせる」と様々な農産品を自由化したが、それで1円でも儲かったのか?

牛肉、オレンジは日米摩擦に発展し、自動車を売るためだと言って政府は農業を犠牲にしてアメリカに解放しました。


その結果食料自給率は下がり、農業が主要産業だった東北などは貧困に陥り、日本経済そのものも縮小しました。

人口問題と農業は深い関係があり、多くの国で農業生産と人口は連動しています。

多くの国で食料自給率が100%を上回っていると人口が増加し、食料を自給できない国は人口が減少しています。


例外を見つけ出そうとすればいくらでも発見できるが、歴史的に、自給できる食糧が人口の上限なのです。

もし食料が輸入できなくなったら大変な事になると、まともな政治家なら考えるが、残念ながら日本政府の官僚と政治家はまともでは無いようです。

日本の食料自給率をもっと下げれば、当然の結果として日本の人口は現在よりもっと減少するが、なぜかこれを理解しない人が居る。


安倍首相は日本を滅ぼしたいのか

人口増加率がプラスだったり、人口が多い国では食料が余って輸出していて、中国は食料が自給できなくなったら人口が減ろうとしています。

インドの人口は14億人弱で世界一になり、インドはIT大国と言われていますが、食料自給率は今の所プラスです。

アメリカの人口は増えていますが、食糧生産も増えていて、逆に言えば食糧生産が増えたから人口も増えたのです。


最初に文明が生まれたメソポタミアやエジプトが衰退し、ローマが栄えた理由は要するに、ローマのほうが食料を多く生産したので人口が増えたからでした。

メソポタミアやエジプトは砂漠化が進行し食料生産が減ったので人口も減り、最初は進んだ文明だったのに衰退しました。


世界の歴史上食糧生産を減らして人口が増えた例はほぼ皆無で、日本政府の政策がどれだけ非合理的で理に叶っていないか分かります。

今回の日欧EPAによって日本の食糧生産はさらに減り、日本の人口も減少します。

もっと不愉快なのは日欧EPAで解放するのは日本側だけで、欧州側は美味い汁を吸うだけなのです。


EUも自動車関税の9割を撤廃するが、日本には最初から自動車関税がなくベンツやVWをコストゼロで販売しています。

それをフェアにするのだからEUが自動車関税を撤廃するのは当然で、なんで日本が農業を差し出さねばならないのか?

さらにもっと不愉快なのはEUの農業は補助金漬けであって、フランス産のブドウ農家は所得の9割が政府補助金です。


日本のテレビに出てくる南仏の農家はほとんど働かず、怠けていて高収入ですが、その理由はフランス政府が農家に給料を払っているからです。

これでは日本のテレビが言うように「フランスの農業は人間らしくて素晴らしい」のは当然で、オランダ・イギリス・ドイツなども皆同じです。

日欧EPAでは欧州農業の補助金は議論されず、補助金で生産した農作物を一方的に日本に輸出して良い事になっています。


せっかくアメリカが脱退したTPPにしがみ付いている件と言い、残念ながら安倍首相には「売国奴」という称号を贈らざるを得ない。

問題はアメリカと欧州が農家に配っている補助金なのに、それは議論せず「日本の農家は怠け者だ」などと言うので呆れるしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/71576563.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c5

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
6. 中川隆[-5564] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:03:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
『農協改革』恐怖のシナリオ 〜これから日本の食卓に並ぶもの

農業に携わっていないとあまり意識しませんが、実は日本の食文化が脅かされる恐ろしい状況へと外堀が埋められてきている状況をご存知でしょうか?

その名も『農協改革法』。

この真の狙いは多くの国民には理解されず、むしろ農業が儲かる為に旧態依然のJA農協はぶっ壊して変えていかねばならない、という自民党の風潮になんとなく乗っている人が多数ではないでしょうか。

このニュースをみると、かつて小泉元首相が国民の目を違う方へ持っていき選挙で大勝利を収めた郵政民営化を思い出します。これの本当の狙いと農協改革は同じなのです。

利益を追うための株式会社に農協を変えていく真の狙い

2015年8月に「農業協同組合法等の一部を改正する等」の法律が国会を通過し2016年4月より施行されました。これは、JAからの激しい反発で名前の通り一部の改正に留まっています。

政府、自民党が推し進める 農協改革「規制改革会議」の100%勝利にはなりませんでしたが、ほとんどの全中グループは株式会社へ組織変更可能という「株式会社化」ができるようになったのです。

いいことじゃん、って思った人もいるかもしれませんが、実はこれがミソなんです。

まず、農協の持つ莫大な金融資産と日本の農業市場が株式会社化により扉が開きます。これで、農協は利益追求を第一義とすることになりますが、株式会社になってその会社の経営に口を出すことができるようになるのは…

cargill.jpg
カーギル。聞きなれない名前かと思いますが、世界の穀物市場で莫大な利益を上げ、世界的な影響力を持つ穀物メジャーの米国最大手会社です。

農家から穀物を買い付け、世界中に輸出し、米国人の口に入るもののほとんどはカーギルのものと言われており、あのモンサント社と持ちつ持たれつの関係です。いまでは世界穀物市場の半分をカーギルが握っており、政治的影響力さえ持つモンスター企業です。

この閉ざされた日本の農業市場を彼らは晴れて株式会社になった全農グループに対して買収し傘下に収めることが視野に入ってきたのです。また、当然ながらウォール街の1%の超富裕層たちが株を大量に買い占め大株主となることも可能になってきました。

なぜそんなことが言えるのか?それは、この農協改革に至った背景が、アメリカの圧力がかかった上での動きだからです。


日本がいまだに米国の属国であるという事実

その外圧の筆頭が「在日米国商工会議所」です。彼らは米国政府や米国商工会議所とも連携しており、ウォール街にガッチリ絡んでいる1,000社以上の米国企業で構成された経済団体です。

まあ、米国の経済に大きな影響を与えるそうそうたる企業集団ですから、当然ながら日本で米国企業が儲かるための働きかけを日本政府にしてくるわけです。

小泉政権時代、郵政民営化法により約300兆円にのぼる「郵政マネー」が外資に渡っていく準備をようやく終え、遂に2015年11月に上場を果たしました。
上場.jpg

小泉政権時代から現在まで在日米国商工会議所から明確な圧力「外圧」が掛かっていることが、日本共産党の調査で明るみになっています。(これはマスメディアで大きく取り上げられないだけで事実です)

まだ一部の株売却ですので、大半の株を日本政府が保有していますが、株主には既に外資金融界関係(ウォール街)がしっかりと名を連ねています。(「日本〜信託銀行」と名前の入った金融機関名ですが、日本の大手金融機関や大企業大株主の大半はウォール街系列の会社です。興味のある方はコチラ→「優待・配当株をひたすら増やしてみると」さんのサイト「日本マスター信託口」って何?日本の大企業に居座る謎の大株主。より)

日本政府は今後、株売却を進め保有率を下げることを発表しています。そうなると今後、必然的にどうなっていくか、、。

流れは全く同じなのです。農協改革法案は、この郵政民営化の様に米国黒船の外圧により、株式会社化によっていずれ上場をして外資が入る準備を着々と進めていることは明らかです。

しかし、もっとタチが悪いのは、カーギルの友、モンサント社の存在です。この農協株式会社化による日本農業市場の開放と農作物取引市場緩和は、モンサントの遺伝子組み換え作物、穀物をどんどん日本に入り込むための準備であることに繋がっています。

米国がTPPから離脱しても、カーギルやモンサントが日本市場参入しやすいような法案作りが進められています。

近い未来、日本の食卓には否応なしにモンサント社の遺伝子組み換え作物が多く並び、大半の食べ物には自分の意に反した食材を口にする世になっている可能性が高くなってきています。

ちなみに民主党政権時代にいったん凍結された郵政民営化法案を外圧により再び2015年に上場まで持って行ったのも、今回の農協改革を推し進めているのも現安倍政権と自民党です。

本当に日本人の文化、生活、財産、健康を守ることがこのようなグローバル化と称した政策(アグリビジネス)なのか、それともアメリカの属国故に仕方ないのか、国民ひとりひとりが真実を直視し、真剣に考えなくてはいけませんね。
http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/441962013.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c6

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
7. 中川隆[-5563] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:04:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
衝撃の『農業競争力強化支援法案』が通過!〜悪夢の日本未来予想図

まいりました。。国民に殆ど知らない(知らされない)まま参院本会議で通過した『農業競争力強化支援法案』を知ってますか?

法案名だけ聞いても、「ああ、農業の競争力強化を支援するのはいいことじゃない?」くらいにしか思わないですよね。

いや。いや。これは日本の食文化の悪夢のプロローグと言えるほど危険な要素が詰まった法案です。なぜ日本は行ってはいけない方向に舵を切るのか理解不能です。


『農業競争力強化支援法案』によって始まる日本農業の悲劇

さて、この農業競争力強化支援法案について簡単におさらいしてみたいと思います。

こんな法案を読み込むは、農業オタクくらいですよね。一般国民に詳細は分かる訳もなく。。しかし、その条文にはとんでもない内容が・・・!!

まず、過去記事にある「農作物種子法廃止案」の衆議院通過の後だけにセット法案という事が明らかにわかる内容なのです。

Seabrook-Seeds-of-Time-1200.jpg
農業競争力強化支援法案にも種子について書いてあるんですが、そこには、

「民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産及び供給促進」

「都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供」

と、驚きの内容がしっかり明記されています。
この民間事業者が誰を想定してるか分かりますか?

それでは、衆議院本会議でのやりとりの一幕です。

畠山議員(日本共産党)が、この法案の指す民間事業者に国籍などの要件がないことから、外資参入も含むのかとの質問をしました。

農林水産大臣は、“ 事業者の国籍に関係はありません。外資企業が支援措置を活用することも可能 ” と、答弁しました。

!!つまり、この法案の意味するものはこういうことなんです。

*******************************************************************
今まで都道府県の義務の下で研究、開発、管理されてきた米や麦なんかの種子についてたくさん溜まったノウハウ、知識はもう国内外の会社に解放しちゃいましょう。

そうしないと、いつまでも農業だけ鎖国してることになってモンサント社たち外国のアグリビジネス会社に日本の農業の知見を開示できない訳ですから。

国策はグローバルに向かってるのに、農業だけ守りに入ると外国からスゴイ圧力がかかる上に、補助金やらの予算もとらなくて済むので、国は一石二鳥。肩の荷が下りてありがたいんですよね。

モンサント社をはじめバイオ農業社の皆さん、これでやっと日本の農業に参入して公に遺伝子組み換え種子の農業ビジネスができるようになりますよ。

そうすれば、農業競争力上がるから国内の種子ビジネスの活性化になって良いでしょ?

もちろん今まで行政の管理下で価格も安定してたけど、これから種子マーケットの争いで価格高騰もありえるかもしれませんね。

国内の種子企業がグローバル企業に勝てないかもしれない?外資市場解放とはそういうことも含めて競争力がつくからグローバルなんでしょ。
*******************************************************************

↑この状況分かりますか?
今まで公的に管理されてた日本人のライフラインである種子もついに外資の参入が始まるのです。

しかも、日本だけがもっている種子ノウハウも外国に渡すという大盤振る舞い法案。この国を誰のものにしたいのでしょうか。

そして、世界的大問題となっている遺伝子組み換え種子の日本国内流通や日本の食に対する安心安全の考え方の大変革が起こり、将来、日本の食卓はどうなってなっていくのでしょうか。

本当に真剣に考えていかないとマズイ状態の日本になってきていると切に思う話でした。
http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/450280234.html#more

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c7

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
8. 中川隆[-5562] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:05:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【討論】種子法廃止は日本農業を滅ぼすのか?[桜H29/5/20]
https://www.youtube.com/watch?v=3Sn3FB_6VHA&feature=youtu.be

2017/05/20 に公開


◆種子法廃止は日本農業を滅ぼすのか?

パネリスト:
 入澤肇(公益財団法人すかいらーくフードサイエンス研究所理事長)
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 篠原孝(衆議院議員)
 三橋貴明(経世論研究所所長)
 安田節子(「食政策センター ビジョン21」代表)
 山田正彦(元農林水産大臣・弁護士)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c8

[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
11. 中川隆[-5561] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:08:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

外国人観光客が増えると日本人はどんどん貧しくなっていく

2017年12月28日
外国人観光客3,000万人へ バブルの行き着く先


膨大な経常黒字を観光収支の黒字がさらに拡大させている。
こんな事をすれば将来の超円高を招く
引用:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/recomme_jp/20170824/20170824170841.png


外国人が増えると嬉しいか?

2017年は訪日外国人数が2,800万人に達したと推測され、年間で4兆円のインパウンド消費が見込まれている。

政府はさらに外国人観光客を倍増させるつもりで、2018年は3,200人の訪日、5兆円近い消費を予想しています。

ところで外国人が日本に来て消費するのは経済的に、日本から外国に輸出するのと同じ経常黒字になります。


          スポンサー 

物を輸出するのと、外国人が日本で消費するのは、お金の流れとしては同じ「外国から日本へ」です。

その経常収支は10月に過去最大2.1兆円の黒字を記録し、通年でも過去最高に近い数字が出ると予想されます。

経常黒字が大きくなると、「やった!日本が儲かった」と喜ぶ人が居ますが、これは「儲かる、損をする」とは関係ない数字です。


経常収支が黒字なのはお金が日本に流れた一方で、日本の労働力が外国の為に消費されたのを意味します。

トヨタが300万円の自動車をアメリカに輸出すると、日本はお金を受け取り、アメリカは日本の労働力を自動車1台分受け取ります。

受け取った300万円分のドルを有効に使えれば良いが、日本の労働者を300万円で買ったアメリカ人の方が、得をしているかも知れません。


90年代から2000年代に日本は空前の経常黒字を積み重ねたが、貧しくなるばかりで経済は縮小を続けました。

これを振り返っただけで「経常黒字(貿易黒字)=日本の儲け」は完全に間違っているのがわかります。

「輸出=儲かる」「経常黒字(貿易黒字)=日本の儲け」という間違った考えのせいで、日本は自国の労働力を外国のために使ってしまいました。

外国人観光客が増えるのも同じであり、日本人の労働力を中国人や韓国人のために使い、日本はお金という紙くずを受け取っています。


円高の戦犯は小泉元首相

要するに日本人が中国に出稼ぎメイドをしているのと同じであり、日本が儲かっているとかでは有りません。

中国人相手に接待している労働力を、日本のために使ったほうがずっと良いのだが、政府の上の人はそう思っていません。

外国人が増えたといって喜んでいると、80年代に自動車や家電輸出で儲けたときと同じく、最後は悲惨なバブル崩壊で終わります。


なぜなら国の経常黒字が増えると、変動相場制によってその国の通貨を上昇させる圧力が生じ、耐え切れなくなった時に超円高になるからです。

最近では2007年から2011年にかけて円高が進み、1ドル70円台になったが、その原因は2007年までの輸出攻勢にありました。

小泉首相は日本経済を再生するため円安に誘導し、その時は輸出が拡大して経常黒字が増えて、日本はかなり儲けました。


当然の結果としてこのような経常黒字は円高圧力を生じさせ、2007年の1ドル124円を天井として、2011年に80円を割るまで下がり続けました。

2011年の超円高を引き起こしたのは、2000年代前半に円安誘導した小泉首相や竹中財務大臣、福井日銀総裁らでした。

そして現在、小泉時代と同じように安倍首相と黒田日銀総裁は円安に誘導し経常黒字を増やし、「日本は勝った!日本は儲けた」と言っています。


彼らのせいで再び超円高になるのは、2020年代以降と予想されるので、小泉元首相と同じように責任を認めないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/74237738.html


2018年1月22日【三橋貴明】外国人に媚びない観光サービス

現在の日本における観光サービスは、
何というか「外国人に媚びまくる」形で
発展していっています。

いつの間にか、鉄道の電光掲示板に
簡体字やらハングルやらの文字が。

英語なら百歩譲って分かりますが、
なぜ特定のアジアの方々に向けた
掲示板のせいで、日本国民が
迷惑をこうむらなければならないのでしょう。

一事が万事、この調子。

そもそも、世界で最も外国人観光客が
訪れるフランスのパリには、
英語の表記すらありません。

パリのホテルで、

「英語のマップをくれ」

とフロントマンに言ったところ、
冷たく「ない」と言われました。

フランスの観光サービスは、
外国人に対して全く媚びていない。

それにも関わらず、
世界一なのでございますよ。

日本が本格的に「観光大国」を
目指すならば、あの煩わしい
簡体字とハングルを外すべきでしょう。

日本国民が、日本中の観光地を訪れ、
結果、日本の観光サービスが隆盛を極め、
質が高いサービスを目指して
外国人が「苦労しながら」やってくる。

これならば、分かります。

とはいえ、現実の日本の観光サービスは、
外国人観光客「様」に媚びるのが基本です。

良質のサービスを「安く」供給することで
リピーターを増やすという、まさしく
デフレ国の国民に相応しい落ちぶれた
スタイルで「観光立国」を目指しています。

挙句の果てに、民泊を拡大。

兵庫県養父市の特区では、白タクを解禁。

東北新幹線を走る「E5系」などの車両で、
今年の夏から順次、乗客がWi─Fi(無線LAN)の
サービスを利用できるようにすると発表。

理由は「中国人観光客様」の
利用需要が高まっているためです。

外国人「様」にひたすら媚び、
観光サービス業が外国人に懸命に
頭を下げ続けたところで、年間の
訪日外国人の旅行消費額は4・4兆円。

高々、4.4兆円。

それに対し、日本の個人消費
(民間最終消費支出)は
300兆円規模になります。

国民が一年間にわずか2%、
消費を増やすだけで、訪日客の
消費以上の経済効果になるのです。

それにも関わらず、政府は
緊縮財政で国民の消費を押さえつけ、
観光関連の規制を次々に緩和していく。

結果、日本国民は東南アジアで
トゥクトゥクを漕ぐがごとく、その日の
生計を立てるまでに落ちぶれるわけです。

大本の緊縮財政路線、財政均衡主義を
打ち破らない限り、我が国は観光サービスを
先頭に発展途上国化していくと思います。
https://38news.jp/economy/11544


緊縮財政と観光サービス 2018-01-17


 さて、いつの間にか「安いサービスを、外国人様に買って頂く」という、まるで発展途上国のごときスタイルの観光立国化の道を突き進んでいる我が国ですが、外国人観光客の2017年の旅行消費額が4兆円を超えました。


 とはいえ、たかが4兆円です。


『訪日客の29年旅行消費額は4・4兆円 5年連続で過去最高額 初の4兆円超え
http://www.sankei.com/economy/news/180116/ecn1801160029-n1.html
 観光庁が16日発表した訪日外国人消費動向調査によると、平成29年の訪日外国人旅行者による買い物などの旅行消費額(速報値)は前年比17・8%増の4兆4161億円と5年連続で過去最高額を更新した。初の4兆円台に乗せた一方、32年に8兆円の政府目標までは“五合目”に届いた程度で、目標達成には一層のてこ入れが求められる。(後略)』


 なぜ「たかが」と表現するのかといえば、訪日客の「消費」と日本国民の「消費」では、桁が二つ違うためです。


 日本の個人消費(民間最終消費支出)は300兆円規模になります。国民が一年間にわずか2%、消費を増やすだけで、訪日客の消費以上の経済効果になるのです。


 日本の民間最終消費支出は、消費税増税により名目金額が強制的に膨らんだので、今回は「実質値」でグラフを作ってみました。


【図 日本の民間最終消費支出の推移(単位:十億円)】

http://mtdata.jp/data_58.html#Jsyohi

 

 日本の個人消費の実質値は、2013年度には301.5兆円だったのが、2014年度に294兆円と大きく落ち込みました。


 その後は一応、増えてはいますが、未だに2013年度の値を回復していません。


 消費税増税は、こと「消費」という点においては、訪日観光客の1.5倍のネガティブな衝撃をもたらしたことになります。


 怖いのは、2019年に再び消費税を増税し、またもや個人消費が大きく落ち込み、
「やっぱり、外国人観光客に頼るしかない・・・」
 と、なってしまい、民泊やら白タクやらの「規制緩和」が進むのが、あまりにも明らかなことです。


 昨年の5月に、例により規制改革推進会議が民泊の規制緩和を答申。
●客室の最低数の規制については、撤廃する。
●寝具の種類の規制については、撤廃する。
●客室の境の種類の規制については、撤廃する。
 などの提言を受け、政府は着々と民泊の規制緩和に動いています。


 リクルートの不動産情報サイトSUMOは、民泊の世界最大手米Airbnbと業務提携。民泊事業に参入する方針を固めたと報じられました。


 国民の生活を「犠牲」にし、外国人観光客を増やし、民泊ビジネスに新規参入して儲ける。緊縮財政で個人消費を増やせない日本国民は、文句を言えない。というわけでございますね。


 日本各地の観光地も、何しろ「貧困化」した国民が訪れないわけですから、民泊だろうが何だろうが、外国人観光客様に来て頂くしかないわけです。


 兵庫県養父市(国家戦略特区)では、今年の5月から、自家用車(白ナンバー車)を使い、ヒト(主に外国人観光客)を有償で運べる事業を開始するとのことです。


 要するに、白タクです。


 我々日本国民は、東南アジアのトゥクトゥクの運転手のごとく、外国人観光客様にサービスを提供して生きていくわけでございますね。


 緊縮財政⇒国民貧困化⇒国内の規制緩和・自由貿易という流れで、我が国の外国人観光客向けサービスが「新規ビジネス」と化していっているのがお分かり頂けると思います。


 全ての根っこである緊縮財政路線を転換しない限り、我が国の観光業が「外国人様に頼らなければならない」状況は終わらないでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12345134084.html

2018年02月12日
輸出や外人観光客を増やして外貨を稼いでも日本人は豊かにならない

輸出企業の収益はついにバブル越え、だが賃金はマイナス
引用: (NIKKEI STYLE) - Yahoo!ニュースhttps://amd.c.yimg.jp/amd/20180130-00010000-nikkeisty-002-1-view.jpg


儲けても給料払わない輸出企業

輸出企業の業績拡大が続き、2017年は過去最高、2018年3月決算も過去最高が続出する見通しになっています。

一方で実質賃金は2017年を通してマイナスと、企業は儲けた金を労働者に渡していないのが明らかになった。

物価上昇率も年間0.5%前後と政府目標の2%には遠く及ばず、企業と株主だけが儲かった。


ビットコインなどマネーゲームに興じる人達も恩恵を受け、株価が値上がりして発生した余剰資金が還流している。

労働者は去年より貧しくなったのに、遊んで暮らしている連中がどんどん豊かになる異常社会になっている。

上場企業の2018年3月期純利益は27%増の27兆円、2年連続で過去最高、売上合計は561兆円でこちらも過去最高だった。


設備投資や鉱工業生産も高い伸び率を記録し、企業がITやAIなど新たな設備を導入しているのが見て取れる。

「IoT」やロボットなど先端分野への投資が世界で増え、高品質な日本製品の需要が高まったのも一因になっている。

企業はこれだけ儲かったが、労働者の賃金は逆に減少しました。


輸出偏重の経済政策を見直すべき

厚生労働省の毎月勤労統計調査(速報値)では、2017年の実質賃金は0.2%減少に沈んだ。

現金給与総額(名目賃金)は0.4%伸びたが、物価上昇率が賃金上昇を上回ったためマイナスになった。

賃金調査は常用労働者を5人以上雇用する事業所で、1ヶ月以上雇用の非正規労働者も含まれている。


先ほどの企業収益は上場企業のみであり、雇用している人数としては1割程度に過ぎません。

日本の大企業労働者は1,433万人を占めているが、この中には非正規も含まれるので正社員は実質的には1000万人程度でしょう。

中小企業労働者は従業者数で3,361万人、この中にも非正規が含まれるので、日本の労働者の正社員とは3000万人か4000万人に過ぎません。


安倍首相が毎年賃金を上げるよう要請しているのは、一部上場企業の1000万人だけで、それすら去年はマイナスだった。

日本人の3分の2は無職か自営業、非正規、扶養家族なのでこの人達の収入が増えない限り、物価も実質賃金も上昇しない。

日本政府は輸出と観光客を増やして外貨を稼ぐ政策をやってきたが、この考えは1950年代のもので、半世紀以上時代遅れです。


日本はフィリピンや韓国ではないので、国内で需要を喚起して国内で消費する事でしか、経済成長や賃金上昇は起こりません。

新興国なら輸出で儲ければ経済成長して賃金が上がるが、今の日本で輸出を増やしても、円高を招いて不況になるだけです。

政府に強い影響力を持つ経団連もおかしな組織で、大半を輸出企業が占めているが、現在の日本で輸出が経済に占める割合は10%以下でしかない。


GDPの9割を占めている国内産業にはほとんど政治への影響力がなく、経団連での発言力もない。
http://www.thutmosev.com/archives/74888354.html

2018年02月09日
10年ぶりの大幅経常黒字が日本を亡ぼす

経常収支(国際収支)と円高円安は原因と結果、黒字が大きいほど超円高を招く
引用:http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/preliminary/bpgaiyoupg2017cy.gif


国滅んで黒字あり

2月8日に財務省が発表した国際収支状況で、経常収支は7972億円の黒字となりました。

42ヶ月連続の経常黒字で、2017年は21兆8742億円もの大幅な黒字となり、リーマンショック以前の2007年と同水準だった。

内訳は輸出が5389億円の黒字だったが黒字額は約33%減少しました。


貿易以外の所得収支は6148億円の黒字で10%減少、サービス収支は2045億円の赤字だった。

2800万人に達した外国人観光客の旅行収支は1兆7626億円の黒字で、政府が掲げる観光大国に近づいた。

こうして日本は貿易でも投資でも観光でも、黒字を積み重ねているのだが、それが良い事かは別問題です。


財務省が言っているように2007年以来10年ぶりの巨額経常黒字だが、10年前の2007年に何が起きたか日本人はすっかり忘れてしまった。

2007年の春頃にチャイナショック、続いてサブプライムローン破綻が発生し、2007年のお盆にはリーマンショックが始まっていました。

2007年7月には1ドル124円の円安だったのが、年末には110円を割り、翌2008年には100円も割り込みました。


黒字が大きいほど貧しくなる

2009年には1ドル90円を割り、2010年には一時80円割れ、そして2011年には80円も割り込み70円台に突入しました。

現在とは関係ないように見えますが、2007年までに溜め込んだ「経常黒字」とその後の円高が、原因と結果だとしたらどうでしょうか。

経常黒字あるいは貿易赤字は日本からアメリカなどに何かを渡し、代わりにアメリカから日本にお金を渡します。


20兆円の経常黒字なら20兆円分のドルが円に交換され、20兆円分円高ドル安になります。

通常企業はアメリカで儲けた金をアメリカで再投資するので、すぐには円高にならず、なるべく日本への送金を先送りにします。

だが世界経済危機が発生すると本社にお金を集める必要が生じて、あらゆる輸出企業が一斉にドルから円に交換します。


2008年や2011年の円高はこうしたパニック的な動きが一役買ったと見られ、溜め込んだ膨大な経常黒字がこのときドルから円に交換されました。

それではアベノミクスで2013年から溜め込んでいる、膨大な経常黒字は最後にどうなるか、やはりいつかはドルから円に交換されます。

円安の間は輸出などで大儲けできても、経常黒字や貿易黒字そのものが超円高を引き起こします。


これでは現在の日本の好景気も、2007年までと同じく幻想だと指摘せざるを得ません。
http://www.thutmosev.com/archives/74850367.html


2018年02月09日
10年ぶりの大幅経常黒字が日本を亡ぼす

経常収支(国際収支)と円高円安は原因と結果、黒字が大きいほど超円高を招く
引用:http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/preliminary/bpgaiyoupg2017cy.gif


国滅んで黒字あり

2月8日に財務省が発表した国際収支状況で、経常収支は7972億円の黒字となりました。

42ヶ月連続の経常黒字で、2017年は21兆8742億円もの大幅な黒字となり、リーマンショック以前の2007年と同水準だった。

内訳は輸出が5389億円の黒字だったが黒字額は約33%減少しました。


貿易以外の所得収支は6148億円の黒字で10%減少、サービス収支は2045億円の赤字だった。

2800万人に達した外国人観光客の旅行収支は1兆7626億円の黒字で、政府が掲げる観光大国に近づいた。

こうして日本は貿易でも投資でも観光でも、黒字を積み重ねているのだが、それが良い事かは別問題です。


財務省が言っているように2007年以来10年ぶりの巨額経常黒字だが、10年前の2007年に何が起きたか日本人はすっかり忘れてしまった。

2007年の春頃にチャイナショック、続いてサブプライムローン破綻が発生し、2007年のお盆にはリーマンショックが始まっていました。

2007年7月には1ドル124円の円安だったのが、年末には110円を割り、翌2008年には100円も割り込みました。


黒字が大きいほど貧しくなる

2009年には1ドル90円を割り、2010年には一時80円割れ、そして2011年には80円も割り込み70円台に突入しました。

現在とは関係ないように見えますが、2007年までに溜め込んだ「経常黒字」とその後の円高が、原因と結果だとしたらどうでしょうか。

経常黒字あるいは貿易赤字は日本からアメリカなどに何かを渡し、代わりにアメリカから日本にお金を渡します。


20兆円の経常黒字なら20兆円分のドルが円に交換され、20兆円分円高ドル安になります。

通常企業はアメリカで儲けた金をアメリカで再投資するので、すぐには円高にならず、なるべく日本への送金を先送りにします。

だが世界経済危機が発生すると本社にお金を集める必要が生じて、あらゆる輸出企業が一斉にドルから円に交換します。


2008年や2011年の円高はこうしたパニック的な動きが一役買ったと見られ、溜め込んだ膨大な経常黒字がこのときドルから円に交換されました。

それではアベノミクスで2013年から溜め込んでいる、膨大な経常黒字は最後にどうなるか、やはりいつかはドルから円に交換されます。

円安の間は輸出などで大儲けできても、経常黒字や貿易黒字そのものが超円高を引き起こします。


これでは現在の日本の好景気も、2007年までと同じく幻想だと指摘せざるを得ません。
http://www.thutmosev.com/archives/74850367.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c11

[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
20. 2018年3月05日 08:11:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

株で損した理由教えてあげる 新スレ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c20
[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
564. 中川隆[-5560] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:12:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

株で損した理由教えてあげる 新スレ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/428.html#c564
[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
21. 2018年3月05日 08:13:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c21
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
1. 中川隆[-5559] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:21:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日経のウソ記事にだまされるな
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/277.html

不安を煽って儲けよう 1 _ 松藤民輔という人物
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/890.html

オオカミ少年 Nevadaを斬る
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/326.html

他人の言うことを聞くだけで儲かるほど株は甘くない _ 「S氏の相場観」
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/891.html

アホ相場師の末路は
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/431.html

知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html

今人気沸騰の 「レバレッジ型・インバース型ETF」 は 『ネットパチンコ』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/893.html

FX ・ 先物取引 ・ 空売り は『ネットパチンコ』、 絶対に手を出してはいけない
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/894.html

平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html

常勝の天才でも一回の判断ミスで人生終了
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/432.html

_____


中川隆 _ 相場関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c1

[原発・フッ素49] 魚から基準超セシウム=福島第1沖、操業範囲外−東電 (JIJI.COM)  魑魅魍魎男
1. 中川隆[-5558] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:46:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)


阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/481.html#c1

[原発・フッ素49] 運転士急病で新幹線「のぞみ」が浜松駅で臨時停車 医師・看護師いないかと車内放送  魑魅魍魎男
1. 中川隆[-5557] koaQ7Jey 2018年3月05日 08:47:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

精神分裂病になると全く何の関係も無い事の間に因果関係が有ると思ってしまうのですね(関係妄想)


阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


真実を知りたければ:


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html


http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/480.html#c1

[政治・選挙・NHK240] 最近の赤かぶによる非表示の数はすさまじい! 天橋立の愚痴人間
39. 2018年3月05日 09:27:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

知る大切さは公安のネット工作員だろ

太陽光発電で失敗してバイト工作員やってると聞いた
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/751.html#c39

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
1. 中川隆[-5556] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:36:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 2 (1ドル=50円 程度が適正価格)


日本人エンジニアの給料が上がらない理由 ファーウェイ本社の初任給83万円
http://president.jp/articles/-/24409

2018.2.19  ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前 研一 PRESIDENT 2018年3月5日号


中国ハイテク企業のエンジニアで年俸1000万円以下はいない

2017年の採用市場では、中国の通信機器大手ファーウェイ(華為技術)が日本で大卒エンジニアを「初任給40万円」で募集して話題を集めた。厚生労働省の調査によれば日本の大卒初任給の平均は約20万円(17年)。日本企業の場合、エンジニアであろうと事務職であろうと初任給は基本的には変わらない。日本企業の平均初任給の約2倍で募集をかけた「ファーウェイショック」に「優秀な人材が流れてしまうのではないか」と戦々恐々の日本企業に対して、ファーウェイ・ジャパンの広報は「優秀な人材を採るためのグローバルスタンダード」だとすまし顔だ。

  
ファーウェイ日本法人の新卒初任給は学部卒約40万円、修士修了約43万円。(AFLO=写真)

ファーウェイはスマホやルーターなどの通信端末、通信機器メーカーであり、スマホの販売台数、シェアはアップル、サムソンに次ぐ世界第3位。創業者が赤軍にいた、という理由で中国共産党との関係が深い、との嫌疑からアメリカ市場からは実質的に閉め出されているが、欧州や東南アジアではICTソリューション事業も積極的に展開している。中国深セン市にあるファーウェイ本社を20年以上前に訪れたことがある。全社員の8割がエンジニアで、会社の横にアメリカ風の庭付き一戸建てをたくさんつくって将来有望なエンジニアの社宅にして厚遇していたのが印象的だった。中国から世界化する企業が出てくるとすれば第1号はファーウェイだろうと思ったが、その通りになった。

現在、ファーウェイは世界170カ国以上に進出していて、従業員数は18万人以上。今でも半分近くがエンジニアだ。ファーウェイ本社のエンジニアの初任給がいくらかといえば、日本円で月額約83万円。日本で募集した初任給の倍である。要するに今やエンジニアの人件費は中国よりも日本のほうが圧倒的に格安で、ファーウェイはバーゲン価格で募集をかけたわけだ。中国人の半分の給料を「高給」と思って飛びつく日本の技術者。それに衝撃を受けながらも指をくわえて見守るしかない日本のメーカー。落ちぶれたものである。

エンジニアの給料が高いのはファーウェイに限らない。中国のハイテク企業のエンジニアで年俸1000万円を下回る人はまずいないだろう。この20年間で何が起きたかといえば、ICTのエンジニアが圧倒的に不足して、エンジニアの給与水準だけが世界共通になった。つまりエンジニアが安い国がなくなってしまったのだ。

インドの優秀なエンジニアの初任給は年間1500万円

一昔前はインドのエンジニアを使えば安いというイメージがあったが、今やインドの優秀なエンジニアの初任給は大体年間1500万円。最高峰のインド工科大学(IIT)の優秀な学生は15万ドル(1700万円)でグーグルやフェイスブックなどのグローバル企業に引き抜かれる。当然、アメリカのシリコンバレーやサンフランシスコのベイエリアも、エンジニアの初任給が平均15万〜16万ドルになっている。中堅エンジニアなら25万〜30万ドルで引き抜かれる。複数のエンジニアを束ねてプロジェクトマネジメントができるエンジニアなら50万ドル(5400万円)は下らない。

顧客と直接交渉してシステムのスペックを決めて、自分でエンジニアのチームをつくって、見積もりを出して、4億円、5億円レベルのプロジェクトを回せるエンジニアなら1億円オーバーの年俸でオーダーがくる。AI(人工知能)やディープラーニング(深層学習。人間の思考を模したコンピュータによる機械学習)の研究所長クラスなら10億円の値札が付いても不思議ではない。それが世界標準なのだ。

▼アマゾンは平均給与10万ドル、5万人を雇用

17年9月、アマゾンのジェフ・ベゾスCEOが「第二の故郷を見つける」と第2本社の設立計画を発表した。世界最大のネット通販企業の本社はシアトルの街中にあって、いくら新しい事務所スペースや居住用マンションを供給してもほぼアマゾンの社員で埋まってしまう状況が続いてきた。それでも成長を続けるアマゾンにシアトルが悲鳴を上げて「出て行ってくれ」ということになったのだが、ベゾスが発表した計画内容はいわば「アマゾンショック」といえるほど衝撃的だった。

第2本社で採用するのはマネジメント層とエンジニアを中心に最大5万人。平均給与は年10万ドル(約1100万円)超というのだ。北米全土から候補地を募ったら、カナダ、メキシコを含む実に238の都市と地域が名乗りを上げた。平均給与10万ドル超で5万人の雇用があったら街の繁栄は約束されたようなもの。全米を巻き込んで熾烈な誘致合戦が繰り広げられてきたが、先般、アマゾンは20都市に絞り込んだと発表している。

平均給与10万ドル超の会社なんてアメリカ中を探してもほかにない。第2本社で雇用する5万人の7割方はエンジニアだから、そういう数字なのである。アマゾンは各都市の立地提案の内容をさらに精査して、18年中に最終決定するという。カナダのトロントも候補地に残っているが、国内で雇用をつくらないとトランプ大統領に攻撃されかねない。とはいえアメリカ国内でも5万人の雇用に衣食住を供給できるキャパがあるのは、ニューヨークか没落ITシティのボストンくらいのものだろう。

英語が達者なフィリピン人の下で働くしかなくなる

このような世界的なエンジニアの「価格高騰」からまったく隔絶されているのが日本。エンジニアも含めて日本人の給料はこの20年間、まったく上がっていない。日本のエンジニアの給料が上がらないのはなぜか。理由の1つは日本独自の雇用慣習にある。日本の企業が学卒を採るときは事務職もエンジニアも大量一括採用して、同じ給料でスタートするわけだ。世界のエンジニアは何ができるかで名札と値札が決まる。「ビッグデータの解析でこんなことができる」とか「こういうゲームのこの部分をつくった」とか「この橋の構造設計をした」とか、どの領域で何ができるのかで名札が付き、マーケットでの値札が決まってくるのだ。

しかし大量一括採用された日本のエンジニアは、会社の人事評価制度の中で遇されてきた。それらの人事給与制度は日本的な平等主義で社員全体の給与を抑える仕組みになっていても、エンジニアの能力や成果に対して正当な報酬を支払うシステムにはなっていない。東芝でフラッシュメモリを発明した舛岡富士雄氏への報奨金はわずか数万円だったという。舛岡氏は発明者が受け取るべき対価として10億円の支払いを求める訴訟を起こして、8700万円で和解している。

国内に安住するエンジニアにも問題がある。日本の企業に就職して、下働きから始まってコーディング(プログラムを書くこと)経験ばかり延々積み上げた結果、40代になってもマネジメントができないエンジニアが多い。それでは給料は上がらないし、コーディングをやる人材なんてフィリピン辺りにごまんといるから、そのうち取って代わられる。エンジニアとして稼ぎたいなら海外に雄飛するべきなのだが、世界で活躍するには語学がパーフェクトでなければならない。

ところが文科省の“偉大な”功績で日本人の多くは語学が圧倒的に苦手だ。どれだけ技術に長けていても語学ができないエンジニアは使われる側に回るしかない。英語で顧客と交渉してスペックを決めたり、英語で仲間を集めて指示したり、プロジェクトマネジメントができるエンジニアは使う側に回れるから稼げる。だからインド人のエンジニアは強い。日本人の場合、英語ができるといってもマネジメントできるレベルではない。フィリピン人のほうがよほど英語は達者だから、そのうち彼らの下で働くしかなくなる。それが日本のエンジニアの現実だ。

近々、ファーウェイは中国勢で初めて日本に最新スマホの生産工場を新設するそうだが、今後も給与レベルを引き上げて、ぜひとも日本の採用市場を引っかき回してもらいたいものだ。日本のエンジニアの給料、日本人の給与体系がどれだけグローバルスタンダードとかけ離れているか、思い知らせてほしい。

18年度の税制改正で年収850万円以上は所得控除額が195万円で打ち切られることになり、年収850万円超のサラリーマンは実質的に増税されることが決まった。年収850万円ということは月額70万円くらい。社会保険や何やと取られて手元には40万円ちょっとしか残らない。それで家のローンを払ったり、子供の教育費を払ったりしたらカツカツという世帯はいくらでもある。生活レベルから見れば、税金を引っぺがされても仕方がないような富裕層ではない。

世界ではエンジニアの初任給が10万ドルになっている時代に、年収850万円超を「稼いでいる」と野蛮に線引きして、取れるところから取ろうとする根性が実にさもしい。近代国家として恥ずかしくないのかといいたい。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c1

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
2. 中川隆[-5555] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:38:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 3 (1ドル=50円 程度が適正価格)


なぜ日本のビッグマックはタイより安いのか
2/18(日) 6:00配信 東洋経済オンライン


今や日本のビッグマックの価格はタイや韓国、パキスタンよりも安い。なぜこんなことになっているのか(撮影:今井康一)


 2月13日に日本マクドナルドホールディングスの2017年12月期の通期決算が発表されました。売上高は2536億円と前期比11.9%増、本業の儲けを示す営業利益は189億円となんと同2.7倍。当期純利益は過去最高の240億円となりました。また2018年は店舗数も実に10年ぶりに純増となる計画で、サラ・カサノバ社長の下で2015年から始まった「リカバリープラン」の成果が現れた決算となりました。


 売り上げ拡大の要因を見てみると、”平日ランチタイム向けのワンコインメニュー”に消費者の好感が集まったことが大きいようです。たとえば、ビッグマック+ドリンクが400円で提供されています。この価格、皆さんは割高だと思いますか、それとも割安だと思いますか?  今回はマクドナルドの人気メニューであるビッグマックや、それを基につくられた指標である「ビッグマック指数」に注目して、日本経済全体の現状を掘り下げてみたいと思います。ビッグマックを通して、意外な一面がわかると思います。
.

■「ビッグマック指数」って何? 

 さて、改めてビッグマック指数とは何でしょうか。これは1986年に英国の雑誌『エコノミスト』によって「貨幣の”的確”な価値基準」を測るために発明されました。その名のとおり、各国のビッグマックの価格を比較することによって、適正な為替レートを算出しようとしている指数です。

 この指数は、「購買力平価」という理論に基づいています。まず、この「購買力平価」の考え方を、簡単に説明しましょう。
.

 外国為替相場(為替レート)は、「自国の通貨と、外国の通貨の購買力の比率によって決定される」という考え方があり、これを購買力平価説といいます。

 では、さまざまな国の通貨の「購買力」は、どのように比較して判断するのが良さそうでしょうか?  ここで、1つのものさしであるビッグマック指数が登場します。

 ビッグマックは世界中でほぼ統一された品質で提供されています。この価格は、原材料費、人件費、店舗の設備投資など、さまざまな要因を基にして決定されるもので、各国の総合的な購買力を比較するにはとても都合が良いのです。自由な経済活動が行われている世界では、同じ商品であればどこでも同じ値段であるという「一物一価」の考え方も前提になっています。


具体的に指数を計算してみましょう。たとえば、日本でビッグマックが380円で売っていて、アメリカでは4ドルで売っていたとします。計算はとても簡単です。

 このように計算します。380円 ÷ 4ドル = 95円/ドル となりますから、ビッグマック指数は「1ドル=95円」ということになります。

 もしこのとき、市場でのレートが1ドル=110円(直近は105円〜106円前後と、少し円高ですが)だとすれば、「ビッグマック指数でみると円は95円でいいのに実際は110円だから、約14%過小評価されている」と判断することができます。
.

■実際、世界のビッグマック価格はどうなっている? 

 ここで、実際のデータを見てみましょう。

 これは、2017年のデータを基にした、円ベースでのビッグマックの価格比較です。

 やはり1ドル=110円で計算しています。

 なんと、日本のビッグマックは、韓国の435円やタイの400円よりも安いのですね。

 アメリカでは5.3ドルで販売されていますから、380円 ÷ 5.3ドル ≒ 72円/ドルがビッグマック指数となります。72円/ドルということは、市場レートが1ドル=110円とすると、約35%も円の価値が低く見られているということになります。皆さんはこの結果をどう思われますか? 
.

 もう1つ、考えてみます。先ほど、日本のビッグマックがタイよりも安いと言いましたが、以下は日本円に対するタイのビッグマック指数を表したものです。簡単にいえば、折れ線グラフの値が赤線のゼロを上回っていれば、タイのビッグマック価格が日本のビッグマック価格よりも高いことを意味します。タイが日本のビッグマック指数を上回ったのは、2015年頃ということがわかります。

 なぜこういう結果になるのでしょうか。タイは、経済成長や人口増加に伴い、消費者物価指数が年々上昇している一方で、日本の消費者物価指数は近年大きな変動はありません。そのため、この観点からすると一見納得のいくデータかもしれません。


しかし、です。タイの物価が上昇しているといっても、街の屋台でご飯を食べたりすればわかるように、物価は基本的には日本よりも低いはずです。にもかかわらず、ビッグマック指数に関しては、日本よりも上振れるのはなぜでしょうか? 

 こうして見ると、タイにおけるマクドナルドの商品は、屋台や現地の飲食店と比較しても、明らかに割高だということがわかります。一方で、マクドナルドのタイ法人は、2020年に向けて投資を拡大し、売り上げ倍増を目指すと宣言しています。
.

 今後、タイの経済成長に伴い最低賃金や物価が上昇していく中で、タイのマクドナルド価格がさほど変わらないなら、割高感も緩和されていくという見通しがあるということが読み取れます。

 それにしても、ビッグマック指数を見ると、日本の価格は、今やタイだけでなくスリランカ(427円)やパキスタン(403円)と比べても、安いのです。一方で今日本では、ビッグマックの価格が380円なのに、業績は絶好調です。重要な指標である既存店の売上高は、この1月で26カ月連続の増加、客単価も上昇中です。
.

 なぜビッグマックは他国と比べて安いのに、日本のマクドナルドは好調なのでしょうか。会社側は、好調の理由の1つに、昨年11月に発売した米国のバーガーの味わいを打ち出した「アメリカンデラックスシリーズ」が売れていることを挙げています。同バーガーの価格は490円と同社の中では単価が高く、昨年11月の客単価は前年同月比7.1%増と2017年で最も伸び率が高くなりました。

■ビッグマックを10円値上げしたらどうなるか
.

独立系大手資産運用会社スパークス・グループCEOの阿部修平氏は、こうした日本と他国とのビッグマック指数の差」に注目しています。「ビッグマック指数だけ見ていると日本はまだデフレにあるように見えるが、そうではないと思う。日本マクドナルドは、基幹商品であるビッグマックの価格を上げずに、新商品やセットメニューの価格を上げることで、巧妙にデフレからの大転換時代を乗り切ろうとしている」。

 阿部氏はこうも分析します。「日本マクドナルドでは、年間延べ13億回の販売が行われる(レジが売り上げを計上する回数)という。ということは、同社の巧妙な戦略がこれからも成功し続け、満を持してビッグマックを10円値上げしたらどうなるか?  みんながビッグマックを買うわけでないが、それだけで少なくとも100億円近い増収が可能だ。脱デフレ時代の潜在的な成長力は大きいはず」。


最後に、米国の例を見てみましょう。先ほどのグラフで見ると、米国のビッグマック価格は600円と、単品で比べた場合、日本の380円の1.5倍以上の価格となります。しかし、スパークスの米サンフランシスコにある駐在員事務所の調べでは、ビッグマック価格は、シリコンバレーではUSD4.99(1ドル110円換算で約550円)、観光客も多いサンフランシスコではUSD5.59(同約615円)と、地域により価格差があります。
.

 このように、世界で最もマーケティング研究が進んでいる米国では、もはやビッグマック価格も状況に応じた、綿密な価格設定がなされる商品になってきているのかもしれません。

 身近に購買力平価を推定することができる指数として重宝されているビッグマック指数ですが、価格設定には各国のマクドナルドの戦略があります。特に、デフレからインフレ基調への大転換を迎えている日本では、他国との比較で見るとわかるように価格バランスが崩れ、信憑性が疑われる現象が起きています。日本のデフレ脱却という大きな枠組みの転換は、ビッグマック指数が窓際に追いやられるほどの時代が到来したことを意味しているのです。

_________


「牛丼は1杯1000円だって全然おかしくない」
鈴木 雅光 : JOYnt代表 2017年07月13日


日本はあらゆるものの価格が安すぎる。牛丼は世界標準なら1000円だっておかしくない。
今後、もし価格が上がるとしたら、どんなことが待っているのか(撮影:今井康一)


牛丼は国際標準なら1000円だっておかしくない


「ヤマトの値上げは象徴的な出来事。日本の価格はこれから上がるしかない」、

スパークス・グループの阿部修平社長はそう断言する


実際、日本はあらゆるモノやサービスの値段が、異常値といってもいいほど安い。たとえばホテルの宿泊費。日本で1泊6万円のグレードと同じホテルにフランスで泊まろうとしたら、16万円はかかる。

あるいは日本のランチ。牛丼の値段が350円程度で、これを米ドルに換算すると3ドルちょっとになるが、十分においしく、空腹も満たされる。もし、米国でランチを食べようとしたら、10ドル以下はほとんどありえない。

日本には大勢の外国人観光客が来るが、彼らがいちばん驚くのは何か、ご存じだろうか。コンビニエンスストアで売られているサンドイッチの値段だ。海外には、日本のような品質の高い味で、あれだけ安い価格で売られているサンドイッチは存在しないのだ。

つまり、日本においてはさまざまなモノの値段に、歪みが生じているのである。すべては、1990年代から長期にわたって続いたデフレの恩恵ともいうべきものだが、歪んだ価格形成は、必ず修正される。牛丼の値段がグローバル水準にまで値上がりすれば、おそらく1000円くらいにはなるだろう。このように歪んだ価格形成が修正される過程で、日本はデフレから完全に脱し、いよいよインフレの時代へと突入する。仮に円高に進めば一見インフレに見えないかもしれないが、モノやサービスの価値がおカネの価値に比べて上昇する時代に突入したのは間違いない。

ひるがえって、日本の株式市場に目を向けると、株価はまさに異常値というべき割安水準に放置されたままだ。日本株のPBR(株価純資産倍率)は、1倍を少し上回る程度。他の主要国を見ると、米国が3.2倍程度、ドイツとイギリスが1.9倍前後で、全世界の平均値は2.2倍程度だ。PBR1倍とは、言い換えればビジネス価値がゼロということだ。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c2

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
3. 中川隆[-5554] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:41:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 4 (1ドル=50円 程度が適正価格)


日本に来る外人観光客が増えたのは日本の物価が先進国で一番安いからだった

「東京」が初のトップに!英国人にとってお得な長距離旅行先―英メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年9月21日(木) 15時50分


英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

この「長距離旅行報告」という名の年度調査はコーヒー1杯、ドリンク1本、コーラ1缶、ワイン1杯、カクテル1杯、板チョコレート1枚、ミネラルウォーター1本、日焼け止めクリーム、虫よけスプレー及びペアのコース料理の10項目のコストにより調査を行っている。

英「デイリーテレグラフ」による調査結果の報道では、東京は10項目の合計が48.9英ポンド(1英ポンドは約151円)で、旅行先30都市のうちトップだった。同調査が開始されてから10年目になるが、東京は初のトップで10項目の費用は去年より23%安くなっており、2012年と比べると60%安くなっている。

トップ10は東京に続き、南アフリカのケープタウン、ケニアのモンバサ、スリランカのコロンボ、ベトナムのハノイ、インドネシアのバリ島、コスタリカのタマリンド、米国のオーランド、マレーシアのペナン島、ドミニカのプンタカナの順となっている。

一方で最も高い旅行先はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで10項目合計160英ポンドという結果になった。ペアのコース料理が1食につき107.85英ポンドかかり、ドリンクは1本は平均で4.07英ポンドとなっている。(提供/人民網日本語版・編集TK)

_________


世界各国のビックマック価格

購買力平価という考え方がある。

世界各国の物価水準は摩擦が無く貿易されれば同じ物なら同じ価格になるように為替水準は調整されるはず、という理論だ。

そして世界中で売られているマクドナルドのビックマックを基準に購買力平価を計算したものが「ビックマック指数」だ。

以下の一覧は2015年1月時点で円換算した際の価格だ(1ドル117.77円 56か国)。

1位 スイス      888円 2.4倍
2位 ノルウェー    742円 2.01倍
6位 アメリカ     564円 1.52倍
15位 オーストラリア 509円 1.38倍
18位 ドイツ      501円 1.35倍
38位 日本       370円 

※ルクセンブルクは調査対象外
(世界のビッグマック価格ランキング 世界経済のネタ帳)
http://blogos.com/article/110634/


500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。

私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。

私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。

しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
http://blogos.com/article/187248/


食事も旅の楽しみの1つですが、スイスでは持ち帰り用のデリでも2,000〜3,000円かかります。

レストランでの食事は、場所にもよりますが、ファミレスのような場所で約2,500円、

雰囲気のよい店舗では最低6,000円は見積もらないといけないでしょう。

さらに良いサービスを受けたときは、10%ほどのチップを支払うのがマナーですので、それも勘定にプラスしなければなりません。

スイスのビックマックセットは12スイスフラン(1,440円)。

ポテトチップスは1袋700円以上します。


物価の高い理由、それはずばり人件費が高いからです。

スイスではファーストフード店でアルバイトした場合でも、時給は2,500円ももらえます。人件費がかかる分、商品の価格が高くなってしまうのです。
http://www.spintheearth.net/travel_switzerland_price/


スイスのチューリッヒは、世界の中でも物価の高い都市として知られる。

駅でミネラルウォーターを買えば4フラン、トイレの使用料に2フラン、つまり水を飲んで用を足すだけで6フラン(約600円)もかかる計算になる。

一説には、高技能職の移民以外は受け入れないために、あえて物価を高くしているとの説もあるほどだ。

一方、スイスの最低賃金は、毎月3500フラン(約35万円)にも上る。

これほどの高賃金だから物価が高くても生活できるわけだが、一般的な経済原則に反して、高賃金にも関わらず失業率も低い。
http://media.yucasee.jp/offshore-news/posts/index/646


2017年10月20日
観光立国神話の間違い 外人観光客誘致は日本を貧しくしている

「貿易黒字が回復」「貿易赤字が悪化」のように言うのは間違い
引用:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024001223_comm.jpg


「輸出は良いこと」と言う間違い

日本には「輸出は良いこと」で「輸入は悪いことだ」という考え方が、徳川300年の因習のように染み付いています。

しかもこう信じている総本山が自民党幹部だったり、経産省や財務官僚、東大教授、経団連トップだったりします。

無学な人間ががどう喚いても総本山は自分が正しいと思っていて、改める気配すらありません。


安倍首相のアベノミクスも良く言われるように大企業偏重で、もっと言えば輸出企業偏重でした。

それを象徴するように大新聞やテレビは日本の貿易黒字が増えると「稼ぐ力が戻った」と大喜びしました。

財務省や経産省や自民党も「貿易黒字が”回復した”」とガンが直ったように喜んでいました。


アベノミクスでは貿易黒字を増やすために観光客誘致に力を入れ、2016年に2000万人を達成し、2017年は2500万人以上が確実になっています。

外国人が金を使うのは自動車を輸出するのと同じで、日本が儲かる=良い事だと皆思っています。

政府は輸出や観光客を増やすために円安に誘導し、現在は1ドル112円程度で推移しています。


ところが為替レートは日米の物価上昇率によって、同じ数字でも実効為替レートはどんどん変動しています。

たとえば日本の物価上昇率が20年間ゼロ、同じ期間アメリカは2%だったとすると、同じ為替レートでも実質的に、毎年2%円安になっています。

現在の1ドル112円は1995年時点の、130円か140円に相当する「超円安」になっています。


仮に今後1ドル80円になっても、1995年時点の1ドル100円以上でしかない筈で、円安の恩恵を受けて貿易黒字になったのが良く分かります。


輸出と観光偏重が日本を貧しくする

では貿易黒字で儲かったからこのまま続ければ良いのではないか、とも思えるがそうは行きません。

日本の貿易黒字で喜ぶのは日本人だけで、貿易相手はみんな不愉快になり怒り出します。

中国の貿易黒字が増えたとき、日米では中国人への反感が高まりましたが、80年代には欧米で「ジャパンバッシング」がありました。


日本がこのまま輸出を増やして貿易黒字を増やすと、間違いなくジャパンバッシングは復活するでしょう。

さらに貿易黒字だけが拡大し続けると、儲かった外貨の一部は日本円に交換されるので、円高圧力がどんどん高まります。

80年代に貿易黒字を溜め込んだ日本は、1995年の超円高で全て吐き出す破目になりました。


超円高や阪神大震災の傷も癒えて、小泉政権で再び貿易黒字を溜め込んだが、2011年の超円高でまた吐き出しました。

言っては悪いが「大食い選手権」で食えるだけ食って、トイレで吐いている大食い芸人と同じです。

これらで分かるのは輸出で儲けてから吐き出すには10年以上の時間差が有った事で、恐らく安部首相も引退する2030年までに次の超円高が起きます。


もっと前にも「高度成長期」に溜め込んだ貿易黒字を1985年プラザ合意の超円高で吐き出しています。

1971年にはニクソンショックによって1ドル360円の固定レートが廃止され、変動相場制に移行しています。

これら全ては、日本が貿易黒字で儲けすぎたのに欧米諸国が反発し、為替レートを上げる事で調整した結果でした。


10年か20年ごとに同じ事を繰り返しているわけで、偉い人達もいい加減に学習して欲しいです。


輸出するには同額の輸入が必要

ではどうすれば良いのかというと、実は非常に簡単な話で、輸出と同じ金額の輸入をすれば良いだけです。

自動車を100万台輸出しようが1000万台輸出しようが、同額の輸入をすれば為替相場は円高に動きません。

”偉い人達”は輸出を喜んで輸入を毛嫌いしていますが、その原因になっているのは恐らく、財務省の勘違いです。


財務省はGDPの計算方法で「輸出はプラス」「輸入はマイナス」にしていて、間違いではないが非常に誤解を与えています。

「輸出はプラス」に異論はないが「輸入はマイナス」の部分は、まるで輸入するほど日本のGDPが下がっているような印象を与えています。

毎回同じ例を挙げるが、例えばアメリカから100グラム50円で牛肉を輸入したとします。


スーパーで売るときには100gあたり150円とか300円になり、3倍から5倍もの値段で販売されています。

さらに牛肉は牛丼になったり、しゃぶしゃぶ、ステーキなどになり国内で付加価値がついて販売されています。

日本が輸入する大半は原料なので、輸入した価格の何倍もの価値が国内でつけられ「輸入によってGDPが増えている」のです。


アイフォンのような完成品でさえ、輸入したものを販売しサービスし課金されることで、やはり何倍もの付加価値が国内で生まれます。

輸出がGDPに貢献しているのと同様に、輸入もGDPに貢献していて、国内で付加価値が生まれているので分かり難いのです。

日本政府が輸出を増やしたいのなら、同額の輸入を増やすべきだが「輸出だけ増やせ」と言うから必ず失敗するのです。


今回の「安倍景気」も輸出だけに偏重するのなら、小泉景気と同じく、10年後に無残な失敗に終わるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/73197193.html


2017年12月28日
外国人観光客3,000万人へ バブルの行き着く先


膨大な経常黒字を観光収支の黒字がさらに拡大させている。
こんな事をすれば将来の超円高を招く
引用:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/recomme_jp/20170824/20170824170841.png


外国人が増えると嬉しいか?

2017年は訪日外国人数が2,800万人に達したと推測され、年間で4兆円のインパウンド消費が見込まれている。

政府はさらに外国人観光客を倍増させるつもりで、2018年は3,200人の訪日、5兆円近い消費を予想しています。

ところで外国人が日本に来て消費するのは経済的に、日本から外国に輸出するのと同じ経常黒字になります。


物を輸出するのと、外国人が日本で消費するのは、お金の流れとしては同じ「外国から日本へ」です。

その経常収支は10月に過去最大2.1兆円の黒字を記録し、通年でも過去最高に近い数字が出ると予想されます。

経常黒字が大きくなると、「やった!日本が儲かった」と喜ぶ人が居ますが、これは「儲かる、損をする」とは関係ない数字です。


経常収支が黒字なのはお金が日本に流れた一方で、日本の労働力が外国の為に消費されたのを意味します。

トヨタが300万円の自動車をアメリカに輸出すると、日本はお金を受け取り、アメリカは日本の労働力を自動車1台分受け取ります。

受け取った300万円分のドルを有効に使えれば良いが、日本の労働者を300万円で買ったアメリカ人の方が、得をしているかも知れません。


90年代から2000年代に日本は空前の経常黒字を積み重ねたが、貧しくなるばかりで経済は縮小を続けました。

これを振り返っただけで「経常黒字(貿易黒字)=日本の儲け」は完全に間違っているのがわかります。

「輸出=儲かる」「経常黒字(貿易黒字)=日本の儲け」という間違った考えのせいで、日本は自国の労働力を外国のために使ってしまいました。

外国人観光客が増えるのも同じであり、日本人の労働力を中国人や韓国人のために使い、日本はお金という紙くずを受け取っています。


円高の戦犯は小泉元首相

要するに日本人が中国に出稼ぎメイドをしているのと同じであり、日本が儲かっているとかでは有りません。

中国人相手に接待している労働力を、日本のために使ったほうがずっと良いのだが、政府の上の人はそう思っていません。

外国人が増えたといって喜んでいると、80年代に自動車や家電輸出で儲けたときと同じく、最後は悲惨なバブル崩壊で終わります。


なぜなら国の経常黒字が増えると、変動相場制によってその国の通貨を上昇させる圧力が生じ、耐え切れなくなった時に超円高になるからです。

最近では2007年から2011年にかけて円高が進み、1ドル70円台になったが、その原因は2007年までの輸出攻勢にありました。

小泉首相は日本経済を再生するため円安に誘導し、その時は輸出が拡大して経常黒字が増えて、日本はかなり儲けました。


当然の結果としてこのような経常黒字は円高圧力を生じさせ、2007年の1ドル124円を天井として、2011年に80円を割るまで下がり続けました。

2011年の超円高を引き起こしたのは、2000年代前半に円安誘導した小泉首相や竹中財務大臣、福井日銀総裁らでした。

そして現在、小泉時代と同じように安倍首相と黒田日銀総裁は円安に誘導し経常黒字を増やし、「日本は勝った!日本は儲けた」と言っています。


彼らのせいで再び超円高になるのは、2020年代以降と予想されるので、小泉元首相と同じように責任を認めないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/74237738.html

滅茶苦茶な金融緩和で超円安にして株価と不動産価格だけバブルにしても日本は豊かにならない


小泉景気は2001年から73カ月も続いたが、内容は円安で輸出を増やすものだったので、円高であっけなく終了しました。

むしろ強引な円安誘導で国際収支の黒字を積み重ねた結果、儲けたドルが一斉に円に換金され、空前の超円高を作り出した。


貿易や海外投資で儲ければ、儲けたドルは後で円に交換されるので円高を引き起こし、結局は儲けた金を全て吐き出す破目になります。

貿易黒字はまったく無意味とまでは言わないものの、日本が儲けるという観点からは「ほとんど無意味」なのは事実です。

同様に安倍首相が力を入れ年間2500万人に達した外国人観光客も、国際収支の黒字を増やすだけで「ほとんど無意味」です。


国際収支が積み上げられた結果、「将来円に交換される外貨」が増えていき、最も円高になって欲しくない時に、一斉に円に交換し超円高になります。

ここでも悪事を働いているのは財務省で、貿易黒字や国際収支黒字を「日本の稼ぐ力」と呼び「貿易黒字が回復した」と良い事のように言っています。

財務省は「財政」つまり国の貯金がいくらあるかを数える役所なのだが、経済については分かっておらず、無知なのに口を出します。


国際収支の黒字は将来の超円高を作り出す「悪い事」なのに、「黒字になった、勝った勝った」と喜んでいるのです。

日本のようにGDPの7割近くも個人消費が占めている国では、景気が回復したら輸入が増えて貿易黒字になるので、巨額貿易黒字は「不況」のサインでしかありません。
http://www.thutmosev.com/archives/72361513.html

輸出や外国人観光客の誘致をいくら頑張ってやっても日本が豊かにならない理由


経済コラムマガジン 2016/10/24(913号)落日の構造改革派

構造改革派の中にも、段々と問題は供給サイドだけでなく、需要サイドにもあるのではないかと考える者が現れるようになった(日本の供給サイドは特に大きな問題がないと筆者は見ている)。明らかに構造改革派は落日を迎えている。しかしいきなり財政支出による需要創出というわけには行かない。筆者の記憶では、最初に需要サイドに着目した構造改革派は「霞ヶ関埋蔵金」を問題にした人々である(埋蔵金を使っての需要創出をしろと主張)。


その次は外国人観光客の誘致を唱える人々である。
これは外国人観光客の買い物による需要増を狙っている。

そして最近ではTPP締結が注目されている。ところでアベノミクスの第三の矢である「成長戦略」の柱は規制緩和などによる構造改革だったはずである。ところが奇妙なことに最近になって「成長戦略」の第一はTPPという話が出るようになっている。これは TPP による輸出増が狙いである。

このように外国人観光客の誘致やTPPの目的は需要増といっても外需の増加ということになる。

たしかに構造改革よる供給サイドの強化といった現実離れした考えからは、これらはいくらか進歩していると言える。しかしこれに対して筆者達は、これ以上外需依存を高めるのではなく(外需依存はいずれ円高で苦しむことになる)、財政政策(ヘリコプター・マネーなどによる)による内需拡大政策を主張しているのである
http://www.adpweb.com/eco/eco913.html


2016年07月04日
訪日外国人2000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない

外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/a/5/a5a20193.png


外国人観光客は2016年も増え続けていて、この調子なら2000万人達成も可能だと言っています。

だが外国人がいくら増えても日本の景気は良くならず、むしろマイナス成長になっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が1000万人を超えたとして、次は2000万人、あるいは3000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、増え続けた訪日客は特に安部政権が始まった2013年から、目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは外国人が2倍に成っても日本のGDPがマイナス成長な事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると200万円のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済
引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg


日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

観光客がドサドサやってきてお金を使うのも同じ事で、彼らの買い物のせいで円高になり、余計輸出企業が苦しむだけです。


固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。

2016年に入って中国ショックやイギリスショックで円高になり、一時99円に達してまた戻っています。

評論家はイギリスのEU離脱の影響と言っていますが、何も無くたって輸出と観光客のせいで円高になるのです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出が増えたら必ず円高になります。

輸出とはドルを円に交換するで、観光客もドルや人民元を円に交換し、際限なく円高になります。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。


輸出や観光客でお金を集めようとして必死に働いているのだが、こんな事をいくら頑張ってもゼロ成長のままです。

観光と輸出にはもう一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。


輸出や観光で経済成長はしない

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

大抵は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。


あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。

外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロ成長でしょう。

ではどうすれば経済が成長するかと言うと、今まで書いた逆、つまり輸入を増やして貿易や観光を赤字にすれば、その分円安で輸出し易くなります。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカ企業の方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://thutmose.blog.jp/archives/62830797.html


2017年8月3日【小浜逸郎】日本人よ、外国人観光客誘致などに浮かれるな
https://38news.jp/economy/10870

2020年東京五輪を控え、外国人観光客をもっともっと迎えようではないかという機運が高まっています。
実際、ここのところ訪日外国人数はうなぎ上りに増えています。
2014年と2016年とを比較すると、わずか2年間で、1340万人から2400万人、倍率にして1.8倍という目覚ましさです。
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

また先ごろ、2016年の「旅行収支」が1.3兆円の黒字を記録したことがマスコミによって報じられ、一般国民を喜ばせています。
なかには、日本はこれから観光立国を目指すべきだなどという、いささかおっちょこちょいなことを言いだす人も出てくる始末です。

たしかに、多くの外国人が(移民としてでなく)観光のために日本を訪れ、
「おもてなし文化」のような日本のよいところを知ってもらうのは悪いことではありません。

また、外国人がたくさんお金を落として行けば、観光資源の豊富な地域は儲かるでしょうし、新たに外国人誘致のための観光開発に力を入れることで、経済波及効果が望めるかもしれません。

しかし、です。

こういう議論が、果たしてどれだけこれからの日本経済全体や日本文化全体に資するものかどうかは、もっと慎重に考えてみなくてはなりません。

まず、訪日外国人といっても、すべてが観光目的で日本に来るわけではありません。
観光目的は、全体の約6割にとどまります。残りはビジネスその他なのです。
http://bit.ly/2hkBlYK

ビジネスでは、利にさとい中国商人などが、巧みに利益をかっさらっていかないとも限りません。

次に、外国人の内訳ですが、韓国、中国、台湾、香港の4地域で、全体の73%を占めます。

欧米加豪の合計はわずか14%にすぎません。
しかも、2014年当時、前者は、67%、後者は18%でした。
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

つまり、増えているのは、東アジアからの訪問者であって、ヨーロッパや英米圏から日本を訪問する人たちの割合は、むしろ減っているのです(絶対数は増えていますが)。

数字を大きく押し上げているのは、近隣諸国だということがこれでわかります。

私たちは、外国人と聞くと、何となく西洋人を思い浮かべてしまう習慣から抜けきっていないのではないでしょうか。
そうして、そういうお客さんがたくさん来てくれることはウェルカムだ、とどこかで感じていないでしょうか。

そこには、近代以降の西洋コンプレックスが微妙に左右していると思いますが、それはともかくとしても、韓国や中国がいまの日本にとって、たいへん不安定で剣呑な関係にあるということを忘れないほうがいいと思います。

筆者は別に、この両国の国民一人一人に対して嫌悪感情や差別感情を抱いているわけではありません。
それは、筆者の勤務する大学での留学生に対する対応の仕方を見ていただければわかると思います。

しかし、実際に長野オリンピックの際に来日した中国人は、ああいう乱暴な振る舞いに及んだわけですし、最近は少しおとなしくなったものの、訪日中国人観光客のマナーの悪さは有名です。

さらに中共独裁政権には、国防動員法という法律があって、国外に滞在している中国人はすべて有事の際に政権の命令に従わなくてはならないことになっています。

違反すれば厳罰でしょうから、彼らは「便衣兵」としてゲリラ戦を展開する可能性が大きい。

また慰安婦問題に限らず、韓国の反日感情は尋常ではなく、サッカー大会やフィギュアスケート大会などにおけるヒステリックな反応、仏像の窃盗、靖国神社の放火、落書きなど、数々の狼藉ぶりは私たちの記憶に新しいところです。

日本なら確実に犯罪行為とみなされることも、本国ではとがめられるどころか、「もっとやれ」と言わんばかりの調子です。

こういう人たちが「訪日外国人」としてうなぎ上りに増えているからといって、外国人観光客が増えることはいいことだなどと単純に言えるでしょうか。

訪日外国人が増えることを素直に喜べない理由のもう一つ。

じゃんじゃん高級ホテルの建設でも進むなら話は別ですが、実際には、
サービスの悪い民泊の増加による料金低下競争が起きています。老舗旅館などが経営難で閉鎖されていきます。

デフレ不況期にこういうことが起きると、移民による賃金低下競争と同じで、日本の経済全体に悪影響を及ぼすのです。

さらに、次の点が重要です。

「旅行収支」が1.3兆円の黒字と聞くと、それだけで日本経済の復活に貢献するかのように思ってしまいます。

観光のにぎわいというのは目立ちますし、外国からたくさんの人がやってきて日本の土地を踏んでくれることは、日本が国際的に認知されて何となく繁栄につながるかのようなお祭り気分に国民を誘います。

しかし、「旅行収支」とは何でしょうか。

要するに、旅行によって外国人が日本に落とすお金(収入)と、日本人が外国に落とすお金(支出)との単なるバランスを示す数字です。

日本人にお金がなくて海外旅行にあまり行かなくなれば、それだけで黒字幅は増えます。

知っておくべきなのは、旅行収支は、GDPに算入されないという事実です。

旅行収支は経常収支のうちのサービス収支の一種ですが、経常収支でGDPに算入されるのは、純輸出(輸出額−輸入額)だけです。

GDPは、次の恒等式によって算出されます。

Y(GDP)=C(消費)+I(投資)+G(政府支出)+NX(純輸出)

ここで、言うまでもなく、消費や投資や政府支出とは、国内における日本国民による支出(=他の「日本国民」にとっての所得)を指しています。

つまり、外国人がいくら日本にお金を落としても、それだけでは、GDPの増加にはつながらないのです。 必ずしも内需(国内生産)が増えるわけではありませんからね。

一方で国内需要にもとづく財やサービスの生産が大きく落ち込んでいれば(いるのですが)、何にもなりません。

ところで、旅行収支1.3兆円の黒字というマスコミの報道ですが、これって、GDPのわずか0.26%にすぎませんよね。

GDPに算入されないうえに、この程度の黒字幅をもって、何か日本の経済が好転しているかのような幻想を振りまくマスコミの罪はたいへん重い。
こうした報道は、政府が本来やるべきことをやらない口実として利用され、不作為の事実を隠蔽する効果を生むだけなのです。

日本は、「観光立国」などという、できもしない浮かれ騒ぎにうつつを抜かすのではなく、 一刻も早くPB黒字化目標を破棄し、政府債務の対GDP比という正しい「財政健全化」概念を採用すべきです。

そのうえで、分母であるGDPを拡大させるために、政府支出を惜しまず、大胆な公共投資に打って出るのでなくてはなりません。

____

筆者は前回、「日本人よ、外国人観光客誘致などに浮かれるな」と題して、2016年の「旅行収支」が1.3兆円の黒字を記録したことなどにそんなに大げさに騒ぐなという趣旨の一文を寄せました。
https://38news.jp/economy/10870
ところが、その矢先、日経新聞が見事にこの大騒ぎをやってくれたのです(8月13日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO19940990S7A810C1EA3000/?n_cid=NMAIL003

訪日消費、主役は欧州客 「爆買い」より体験

訪日外国人の消費が新しいステージに入ってきた。

これまで日本でお金を使う外国人といえば中国人が中心だったが、
英国など欧州勢も1人あたりの消費額を伸ばし、存在感を高め始めた。

地方での訪日消費も息長く続き、いずれ地方経済のけん引役は
公共投資から観光消費にかわるとの期待も出ている。(中略)

観光庁によると、4〜6月期の1人あたり旅行消費額は、
首位の英国が25万円、2位のイタリアが23万円。
近年トップだった中国は22万円で3位。
フランスやスペインも20万〜21万円台で肉薄する。

消費の主役はいまや欧州勢だ。

1〜6月期の訪日客消費額は2兆456億円で過去最高。

みずほ総合研究所は下期もこの勢いを保つなら、
年間の付加価値誘発額は4兆円になると試算。

名目国内総生産(GDP)で0.8%の上昇が期待できる。(以下略)

突っ込みどころ満載ですが、三つにまとめておきます。

1.一人当たり消費額が、中国人より英国客のほうが少しばかり多くなっても、絶対人数では中国人が20倍以上。そのことは記事の後略部に書かれているのに、それに対するネガティブな評価は一切書かれていません。

しかも、筆者が前記事で述べたように、観光客は、「外国人訪問客」の6割どまりで、残りはビジネスその他なのです。

日経記事は、「1人あたり旅行消費額は、首位の英国が25万円、2位のイタリアが23万円。近年トップだった中国は22万円で3位」と、グラフまで掲げて麗麗しく書いていますが、英国とイタリアの訪日人数の合計は、中国一国のわずか6%にすぎません。これでどうして「主役は欧州客」なのでしょうか。印象操作もほどほどにしてほしい。
http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf

2.訪日外国人が増えても、GDPにカウントされるのは「旅行収支」なので、そのぶん日本人の海外渡航での出費が増えれば、GDPは増えません。

記事中に、「年間の付加価値誘発額は4兆円になると試算。名目国内総生産(GDP)で0.8%の上昇が期待できる。」とありますが、この数字は、たとえ予測通りとしても、日本人が海外で消費する金額が差し引かれていないので、明確に誤りです。

海外取引額としてGDPにカウントされるのは「純輸出」、つまり輸出額−輸入額ですが、旅行収支もこの中に含まれます。
結局、0.8%という見込み数字は、「輸出分」だけを計算しているのです。

3.ちなみに「旅行収支」のGDP寄与額1.3兆円は、2016年で、わずか0.26%です。
これで、「いずれ地方経済のけん引役は公共投資から観光消費にかわるとの期待も出ている」とは、お臍が茶を沸かします。

地方財政は、わずかな例外を除いて、いまどこも逼迫しています。
ことに、度重なる災害が起きた地域では、対策費捻出に血のにじむ思いをしています。

中央政府は財務省の「緊縮真理教」のために、ろくな財政出動も行わず、公共投資を減らし続けています。

地方交付金をケチってきたために、老朽化した橋やトンネルを修繕できずに潰してしまうところも出ています。

橋やトンネルを潰すということは、そこを通過する道を丸ごとなくしてしまうということでもありますよね。

災害大国日本のインフラ整備は、こんな情けないありさまなのです。

これでは、百歩譲って「観光大国」なる目標を景気回復の選択肢の一つとして認めるとしても、そのために不可欠な基盤整備や観光資源の維持・開発もままならないでしょう。

そういう現実をきちんと指摘して、政府に喫緊の課題として突きつけるのがマスコミの役割であるはずなのに、なんと日経は、「政府は20年に訪日客消費を現状2倍の8兆円の目標を掲げる。」などと、もともと何の根拠もない謳い文句を嬉々として掲げ、政府の宣伝係を自ら買って出ているわけです。

日経のこの記事には、悪政のお先棒担ぎをやっているさまがありありと出ています。いまの日本のマスコミの劣化状態を象徴していると言ってよいでしょう。恥を知れと言いたい。

一番の問題は、「経済専門紙」を標榜する日本経済新聞のようなマスコミが、日本はすでにデフレから脱却したという、このような超楽観記事を載せることで、国民がそう思い込んでしまうことです。
https://38news.jp/economy/10950  


安倍首相は間違った政策を実施して、せっかくの経済成長を潰そうとしています。

第一の危機は2019年に迫る消費増税で、実施したら再びマイナス成長とデフレに戻るが、安倍首相は増税すると発言しています。

今までの消費税創設と増税でマイナス成長にならなかった事は一度もなく、税収が増えたことも在りませんでした。


第二の危機は安倍政権の輸出偏重で、今まで輸出を増やそうとしたり、外国人観光客を誘致してきました。

その結果、輸出はマイナスで観光客も成長に寄与していないという結果が出ているわけで、今回外需はマイナスでした。

日本経済の8割が内需で外需は15%程度なのに、一生懸命外需を増やして内需は消費増税で潰してきました。


まるで逆噴射しながら離陸しようとする飛行機のようで、これでは日本経済の高度が上がる筈が在りませんでした。

内需を増やすには消費支出、個人消費、設備投資、公共事業を増やすことで、まず政府が支出を増やす必要があります。

今までの25年間、政府は支出を減らしてきたたために、個人消費と設備投資が減少し、GDPが減り税収も減らしました。


安倍首相が同じ間違いを繰り返すようなら、日本経済も同じようにマイナス成長になり、財政も悪化します。
http://www.thutmosev.com/archives/72298540.html

2017年09月15日
観光ブームの欧州で「嫌観光客」旅行者襲撃も


トレビの泉はもっと観光客を増やすために、池の周りに通路を増設した
引用:https://st2.depositphotos.com/1184024/11890/i/950/depositphotos_118901056-stock-photo-tourists-at-trevi-fountain-in.jpg


増えすぎた観光客に住民が悲鳴

最近30年間ほど世界では外国観光客が急増し、各国は観光客誘致に力を入れてきました。

冷戦期には世界で5億人以下だったのだが、1995年には5.3億人、2005年に8.1億人、2015年には11.8億人に増加しました。

特に世界的な人気観光地に旅行者が集中し、イタリアやスペインは外国人旅行者が急増しました。


だがおかしな事にこれら外国人旅行者が急増した国の多くは、最近経済苦境に陥っている国と一致しています。

外国人旅行者が増えると外国人からお金を受け取り、自国民がサービスを提供するので、やっている事はフィリピンのメイドと同じです。

フィリピン人は国が破綻しているため、外国に出稼ぎメイドをして仕送りしているが、それで国が豊かになる事はありません。


貴重な労働力を外国人のために使い、自国では何も生産していないので、外国人観光や派遣メイドで経済成長はしないのです。

外国人向けサービスで外貨を得て利点があるのは、失業率が高い国で失業率を下げる場合で、既に十分に失業率が低い場合はマイナスしかありません。

多くの人にこんな理屈は無関係だが、なんとなく「外国人旅行者が増えても暮らしは良くならない」「むしろどんどん悪化している」のは気づいています。


イタリアやスペインでは増えすぎた外国人観光客への嫌悪感が高まっていて、外国人を襲撃する過激グループも存在します。

両国の住民は増えすぎた観光客に苦情を訴えているが、政府は努力しないで外貨を稼げる観光を奨励している。

ローマの「トレビの泉」は後ろを向いてコインを投げると願いが叶うらしいが、コインを投げる前に数時間並ばなくてはならない。


観光客制限は人種差別?

ディズニーランドと同じでただのアトラクションであり、金を使わせるための遊戯施設になっている。

エッフェル塔もピラミッドもベネツィアもドイツの古城も全部こうした有様で、イナゴがキャベツ畑を食い荒らす様子に似ている。

日本でも奈良公園や大阪城など外国で有名な観光地では、歩いているのは7割が中国人と韓国人で、残りはアジア人や欧米人で、日本人は2割も居ません。


昔は存在した神秘的な雰囲気は根こそぎなくなってしまい、奈良公園は「中国人が鹿と記念写真を撮る場所」になりました。

鹿達も多すぎる観光客にスレてしまい、人を襲って(荷物を引っ張るだけだが)食べ物を奪うようになり、目つきの悪い鹿が増えた。

地元住民の5倍、10倍もの外国人が小さな町に押しかけたら、もう住める環境ではなくなるでしょう。


イタリア北西部の小さな漁村チンクエ・テッレは5つの村を合計して人口5000人だが、去年250万人の外国人観光客が押し寄せた。

住民の生活は完全に破壊され、静かな公園や散歩する道、買い物する店は全て観光客で溢れている。

住民は怒り狂っているが、行政や政府、観光産業の人間は「人権」などを持ち出してもっと観光客を誘致している。


観光業の人間が言っている「人権」とは「外国人を差別するのは難民を差別するのと同じで、お前は人種差別主義者だ」という事です。

多すぎる観光客に不満を訴えると住民は「ネオナチ」「差別主義者」とレッテルを貼られて攻撃されています。

日本政府は外国人観光客2000万人を達成したと鼻高々ですが、あっという間にイタリア、スペインと同じ状況になるでしょう。


もうひとつ住民を窮地に陥れているのが「世界遺産」で、その土地に住んでいる住民にとっては呪いでしかありません。

世界遺産になったとたん、自分の土地なのに自分のものではなくなり「人類共有の財産」になるからです。

人口千人の村に政府は毎年100万人の観光客を押し込んで「政府の政策の輝かしい成果だ」などと言っています。


日本でも中国人や韓国人に文句を言ったり入店禁止にすると「人種差別主義者」のレッテルを貼られ、テレビや新聞で叩かれます。

そして今の政策を続けると、日本もすぐにイタリアやスペインになるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/72596845.html


ここにも忍び寄る中国資本! 知らぬ間に中国人オーナーに入れ替わり 老舗旅館やホテルが“草刈り場”に
9/30(土) 8:48配信 産経新聞


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170930-00000508-san-soci.view-000
旅館・ホテルの倒産件数と負債総額(写真:産経新聞)


 訪日外国人観光客(インバウンド)に沸く国内で、地方の旅館やホテルの経営者が様変わりしつつある。将来が見通せないなどとして、日本人オーナーが手放した施設を外国資本が購入するケースが相次いでいるのだ。中でも、高額取引を持ちかける中国人の手に渡ることが多いとされ、経営形態を大きく変化させる施設も出現している。(社会部 三宅陽子)

 「後継者がいない中では売りに出すほかない…」

 岡山県内で旅館を営む男性(70)は今、施設の売却を考えている。旅館は古きよき風情が漂う隠れ家的宿として知られており、こだわり抜いた食事の評価も高く、リピーターが来訪客の30%を占めるという。

 だが、部屋の回転率は60〜70%にとどまり、土曜日以外はガラガラの状況だ。こうした中、共に働いてきた妻が体の不調を訴えるようになったこともあり「そろそろ引退したいと考えている」と男性。思うように利益が上がらない中では改装など思い切った改革には踏み切れない。子供たちもすでにそれぞれの道を歩きはじめている。

 男性は今年、夫婦二人三脚で守り抜いてきた旅館を6500万円で売り出すことに決めた。

   × × ×

 現在、地方旅館の多くはオーナーの高齢化に加え、施設の老朽化やこれまでの過剰債務などから“廃業の危機”にさらされている。

 厚生労働省の「衛生行政報告例」によると、国内にある旅館は約4万軒(平成27年度)。だが、その数は減少傾向が続いており、18〜27年度だけを見ても、1万軒以上が姿を消した。

 帝国データバンクの調べでは、27年の旅館・ホテル経営業者の倒産件数は前年比8・9%増の86件となり、東日本大震災が発生した23年以来4年ぶりに増加。「業歴30年以上」の倒産が半数以上を占め、多くが設備の老朽化や改修に伴う借入負担などを理由に、経営を悪化させていた。

 こうした中、激増しているといわれるのが、外国資本による国内旅館・ホテルの買収だ。特に衰退が進む地方は、“草刈り場”に近い状態に置かれつつあるとされる。

 ホテル・旅館の経営コンサルタントで「ホテル旅館経営研究所」の辻右資(ゆうじ)所長(58)のもとには、東京五輪・パラリンピック開催が決まって以降、「旅館を買いたい」という外国人からの相談が殺到している。

 毎日30〜40件はあるという問い合わせの約9割は中国人で、「契約件数は毎年30〜40件に上っている」と辻氏。「彼らは日本人客が減って経営に行き詰まる地方の旅館でも、中国から観光客をどんどん連れてくることで十分稼げると踏んでいる」と語る。

   × × ×

 大阪府内にある温泉ホテルを中国人に売却した不動産会社経営の男性(54)は、そのビジネス手法に驚かされた1人だ。

 売却前のホテルは客足が遠のき、借金が膨れあがっている状況だった。これまでの慣例を見直して無駄な経費を削減するなど努力も続けたが、男性は将来への展望を描けず売却を決意。立地が訪日客に人気の「ゴールデンルート」にあったことなども助けとなり、中国人が約1億5千万円で購入した。

 だがその直後、ホテルは“様変わり”したという。

 連日、中国人ツアーを乗せた大型観光バスが到着するように。宿泊料金は1泊3千円(朝食付き)ほどに値下げされたが、8畳間に4〜5人を泊まらせるなど“詰め込み”が目立ったという。

 当時ホテルで働いていた関係者からは客室の稼働率が大きく向上したと聞いたが、「日本人客には敬遠されるようになったようだ」と男性は語る。

 関係者によると、中国人が購入旅館を自ら経営するケースでは、これまで当たり前だったサービスに変化が生じることもある。客室稼働率を上げるため、宿泊料金の大幅な値下げに踏み切ろうとするからだ。

 コストカットの対象にされやすいのは食事。日本の温泉旅館では夕食は懐石料理というスタイルが多いが「『夜は外食で』となり、1泊2食付きから1泊朝食付きとなる」(関係者)。

 ただ、従来のサービスがそぎ落とされた温泉旅館は「寝泊まりするだけのシティホテルのよう…」との声も聞こえてくる。

   × × ×

 一方、これまでゴールデンルート内にあった中国人の投資意欲は、エリア外にも広がりつつある。

 前述の辻氏は「日本を訪れる中で、ゴールデンルート以外の観光地にも素晴らしいところが多いと気づくようだ。今は全国の老舗旅館やホテルに関心が向かっており、最近は箱根や草津が人気だ」と説明。相談にやってくる中国人はこれを手始めに投資先を増やしていこうとしていることが多く「東京五輪・パラリンピック以降もこの投資熱は続くだろう」と辻氏はみる。

 最近では、訪日した際に知り合いなどを呼び寄せたいという個人が「ゲストルーム的」な感覚で老舗旅館を買い取るケースもある。実質的経営はこれまで通り日本人に任せるスタイルを取ることもあり、こうした場合は高級感や伝統的サービスは維持され、客層は国内外の富裕層となるようだ。

 ひいきにしていた旅館・ホテルのオーナーが、知らぬ間に中国人オーナーに入れ替わっていた…なんていうことも増えるかもしれない。

_______


2018年1月22日【三橋貴明】外国人に媚びない観光サービス
現在の日本における観光サービスは、
何というか「外国人に媚びまくる」形で
発展していっています。

いつの間にか、鉄道の電光掲示板に
簡体字やらハングルやらの文字が。

英語なら百歩譲って分かりますが、
なぜ特定のアジアの方々に向けた
掲示板のせいで、日本国民が
迷惑をこうむらなければならないのでしょう。

一事が万事、この調子。

そもそも、世界で最も外国人観光客が
訪れるフランスのパリには、
英語の表記すらありません。

パリのホテルで、

「英語のマップをくれ」

とフロントマンに言ったところ、
冷たく「ない」と言われました。

フランスの観光サービスは、
外国人に対して全く媚びていない。

それにも関わらず、
世界一なのでございますよ。

日本が本格的に「観光大国」を
目指すならば、あの煩わしい
簡体字とハングルを外すべきでしょう。

日本国民が、日本中の観光地を訪れ、
結果、日本の観光サービスが隆盛を極め、
質が高いサービスを目指して
外国人が「苦労しながら」やってくる。

これならば、分かります。

とはいえ、現実の日本の観光サービスは、
外国人観光客「様」に媚びるのが基本です。

良質のサービスを「安く」供給することで
リピーターを増やすという、まさしく
デフレ国の国民に相応しい落ちぶれた
スタイルで「観光立国」を目指しています。

挙句の果てに、民泊を拡大。

兵庫県養父市の特区では、白タクを解禁。

東北新幹線を走る「E5系」などの車両で、
今年の夏から順次、乗客がWi─Fi(無線LAN)の
サービスを利用できるようにすると発表。

理由は「中国人観光客様」の
利用需要が高まっているためです。

外国人「様」にひたすら媚び、
観光サービス業が外国人に懸命に
頭を下げ続けたところで、年間の
訪日外国人の旅行消費額は4・4兆円。

高々、4.4兆円。

それに対し、日本の個人消費
(民間最終消費支出)は
300兆円規模になります。

国民が一年間にわずか2%、
消費を増やすだけで、訪日客の
消費以上の経済効果になるのです。

それにも関わらず、政府は
緊縮財政で国民の消費を押さえつけ、
観光関連の規制を次々に緩和していく。

結果、日本国民は東南アジアで
トゥクトゥクを漕ぐがごとく、その日の
生計を立てるまでに落ちぶれるわけです。

大本の緊縮財政路線、財政均衡主義を
打ち破らない限り、我が国は観光サービスを
先頭に発展途上国化していくと思います。
https://38news.jp/economy/11544


植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は
ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった
2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳

ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。

 一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。

 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。

 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。

 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。

 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。

 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。

驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる


このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である


 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである


 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。

 しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。

「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c3

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
4. 中川隆[-5553] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:43:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 5 (1ドル=50円 程度が適正価格)


2018年01月31日
都心で高級マンションブーム 海外勢購入で価格上昇


10億円の物件がある「パークコート赤坂檜町ザ タワー」(中央)
引用:プレマンhttps://i2.wp.com/premiermansion.com/wp-content/uploads/2016/07/park-court-arasaka-hinokicho-the-tower1.jpg?fit=640%2C423&ssl=1&w=640


都心の高級マンションブーム

不動産価格は供給過剰で下落するという予想があり、実際アパートは供給過剰が目立っている。

しかし都心の一等地には次々に高級マンションが建てられ、億ションならぬ『10億ション』が完売している。

欧米では1区画が100億円を超える『100億ション』もあるので、日本は割安でまだまだ上がるという予想もあります。

特に大手7社、住友・三井・大京・三菱・野村・東京建物・東急の寡占化が進んでいて、シェアは5割近くに達しています。

大手寡占が進む背景としては、地価高騰のために用地獲得が難しくなり、参入障壁が高くなったからだと指摘されている。

都心ではマンションだけでなく不足する高級ホテルや総合商業ビルの建設が相次ぎ、小規模業者は参加しにくくなっている。


2008年のリーマンショックで総合不動産業者は390社から122社まで減少し、競争が少なくなり小数の大手が価格を決めている。

2017年の都心マンション平均価格は前年比7.6%上昇し5908万円になり、1億円以上の物件は52%増の1928戸も売れました。

実際には1億円以上の物件の多くは賃貸されているので、個人などが購入した戸数はもっと少ない。


1戸10億円以上の三井不動産の「パークコート赤坂檜町ザ タワー」(2016年)が完売し、森ビルも虎ノ門ヒルズで10億円以上の物件を予定しています。

富裕層は1億円程度の物件ではあきたらず、もっと高級な物件を求める傾向がある。

1億円の物件は賃貸価格月100万円程度、10億円の物件だと賃貸料月1000万円にもなるが、作れば売れるという。


海外勢が都心不動産に投資

米ゴールドマンサックスは世界最大の投資会社ですが、森ビルの「虎ノ門ヒルズ」を300億円で購入すると報道されています。

既に完成しているのオフィス棟部分の約2.5フロア分で、スターアジアグループから購入する。

海外投資家の日本不動産投資は2017年に1兆1000億円で前年の3倍、過去20年で最高となった。


都心の不動産価格は円安もあって、マンハッタンやロンドンなどより大幅に安く、バーゲンセールのように見えるという。

また日本は海外より低金利のため、借入金を含めた不動産取得コストが低く、トータルで良い利回りが期待できる。

ノルウェー政府年金基金は2017年12月に、1325億円で都心の商業ビル5棟を一括購入していました。


シンガポール政府投資公社(GIC)も2017年12月、新宿マインズタワーを625億円で取得いていました。

こうした商業ビルでは供給過剰感もあり、今後は沈静化すると見る専門家も居る。

2017年の不動産取引の24%を海外勢が占め、株価と同様に海外投資家が値段を吊り上げている状況が読み取れる。


こうした海外主導の相場は為替レートに左右されやすく、円高になると一気に売りに出され下落する可能性もあります。
http://www.thutmosev.com/archives/74727695.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c4

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
5. 中川隆[-5552] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:46:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 6 (1ドル=50円 程度が適正価格)


2018年02月25日
ドル円相場はいくらが適正か 100円から70円まで

同じ為替レートでも日本のデフレでどんどん円安になっていく
このため日米の物価上昇率分だけ、円高になる
引用:https://moneyzine.jp/static/images/article/212170/01.png


購買力平価では1ドル105円以下

2018年に入って為替市場はドル安円高方向にふれていて、どこまで円高になるかが議論になっています。

この手の議論には正解がないのできりがなく、結果を見てみないと分からない。

将来ドル円がいくらになるか予想するためには、まず「いくらなら適正なのか」を知る必要があります。


大きく分けて為替の適正相場を知る方法は3つほどあり、一つは購買力平価から算出する方法です。

2つ目は日銀が公表している実質実効レートから判断する方法、3つ目はビッグマック価格から判断するビッグマック指数です。

まず購買力平価は各国の物価の違いを調整して、A国とB国の物価が同じになる為替レートを算出する方法です。


例えば日本の物価がアメリカより2割高いなら、ドル円レートを2割円高にすれば「正しいレート」になります。

細かい計算は省略して結論だけを書くと、1ドル95円から110円、その中でも100円から105円程度が適正になります。

2月後半は1ドル107円前後で推移しているので、購買力平価ではもう少し円高になれば適性になります。


実質実効レートでは90円台

実質実効レート(実効為替レート)も日本と外国の物価上昇率の違いを調整して、客観的な数値にしたものです。

日本はデフレで物価下落、アメリカはインフレで物価上昇なので、同じ1ドル100円でも日本の物価はどんどん安くなっていきます。

すると同じ為替レートでは日本では100円で買えるものがアメリカでは110円になってしまい、この分は為替が円高になることで物価が調整されます。


これも計算を省略して結論だけを書くと、現在の1ドル120円は1970年代の1ドル280円に等しい「超円安」になっていました。

日銀は実質実効為替レートは90前後で安定すると見ていて、現在は75前後なので1割か2割は円高になる余地がある。

すると実質実効レートから見たドル円の適正レートは、1ドル90円台という事になる。


ずいぶん円高のように思えるが、日米の物価上昇率の影響で、現在の90円台は20年前の1ドル110円台でしかない。

最後にビッグマック指数だが、これはビッグマック価格を基準に、各国の価格が同じになる為替レートを算出する方法です。

現在日本のビッグマックは390円でアメリカでは5ドルなので、ずばり1ドル78円が適正レートになる。


因みにリーマンショック前のビッグマック指数では1ドル90円台が適正だったが、最終的に1ドル70円台まで下落していました。
http://www.thutmosev.com/archives/75059779.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c5

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
6. 中川隆[-5551] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:48:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 7 (1ドル=50円 程度が適正価格)


ドル-円は絶対に「黒田シーリング」124円台後半〜125円より円安にはならない


実質実効為替レートについて 2014年1月17日
http://www.central-tanshifx.com/market/market-view/sf-20140117-01.html


2013年のマーケットのキーワードとなっていた【アベノミクス相場】も、ここにきて最大の踊り場局面を迎えており、安部政権発足以来進行していた円安・株高がもたつきはじめてきました。

国策とも言われている【円安・株高】が滞ってしまえば、今まで相場の主役であった円が脇役に押し戻され、マーケットは次の主役探しに走ることも十分に考えられます。

今週に入り、ルー米財務長官は

「日本の長期的経済成長は(内需拡大により成されるべきであり)、為替水準の恩恵に過度に依存すべきではないし、それは不公平である。」

という主旨の発言をしました。15年以上に及ぶデフレから脱却し、世界経済の牽引役として重宝されてきた日本ですが、さすがにここにきて「為替依存症」が目に付いてきたのかもしれません。


果たして、現在の円安は行き過ぎなのか?

過去の円相場と比較して、アメリカなどの諸外国の逆鱗に触れる水準まで来てしまっているのか?

それについて、実効レートを通して考えてみたいと思います。


通貨の実力は実効レートで測る

日本では『実効レート』という物差しでマーケットを見る参加者が、今でも非常に少なく残念に思っています。

私自身も、最初にFXのディーラー・アシスタントとして東京でスタートした時には、この言葉を知らずに仕事をし、何の不都合も生じませんでした。

その後、1989年にFXの本場:ロンドンで仕事をはじめてからというもの、事あるごとに『実効レート』という単語を耳にし、「なんだろう?」と疑問を持ち始めたのです。特に英国中央銀行(BOE)は政策金利決定の判断材料として、実効レートを参考にしていると知ってから、必死で勉強しました。

日本で実効レートを知らずに仕事が出来る理由のひとつとして、日本の中央銀行である日銀が、他の主要国の中央銀行とは違い、レート自体を発表していないことが挙げられると思います。

英国・欧州・米国それぞれの中央銀行は、毎日自国通貨の実効レートを公表していますが、日銀は国際決済銀行(BIS Bank for International Settlements)が毎月一度発表している世界各国別の実効レートをそのまま使用しているに留まっています。


日本銀行 「実効為替レート(名目・実質)」の解説
http://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/exrate02.htm/

日本銀行 円の実効為替レート 月足
http://www.stat-search.boj.or.jp/


日銀はBISのデータをそのまま使用しているため、円実効レートは1ヶ月遅れで月に一度だけ発表されます。


これは1980年から2013年11月末までの円実効レート、月足チャートです。

これを見て、私はハッとしました。というのは、最近の円相場を語る時、ドル円のレベルだけを見て「まだまだここからの円安余地はある」と感じておりましたが、実効レートを見た途端、【究極の円安レベル】に達しているのが、わかったからです。

この円実効レートのチャートは、日本が変動相場制に移行した1973年から数年後の1980年から現在に至るまで、30年以上に渡り全ての数字が載っています。


リーマン・ショックが起きた2008年9月の円実効レートは、85.89。

そして最新の2013年11月のデータを見ると、実効レート: 77.61/東京市場ドル・円 スポット17時時点/月中平均: 100円04銭

と書いてありました。

その後、ドル円は105円をうかがう展開となりましたので、実効レートのレベルは当然11月の77.61よりも低い=円安色の強い数字になっていると想像されます。


過去に80を下回ったのは、いつなのか?と調べてみると、

一番最近では円キャリートレード全盛期の2007年(120円台)となっており、

それより以前では1980年代までさかのぼることになり、その当時のドル円は200〜250円台となっていました。


アベノミクス効果で、「3桁のドル円」に目が慣れてしまったせいか、なんとも思わなくなっていましたが、こうして実効レートで『本当の円の実力』を検証してみると、変動相場制以降、3番目か4番目に円実効レートが低い(=円安)『異常事態』とも言えるようです。


ここではじめて【為替相場をターゲットとしない内需拡大による持続的成長】を要請してきたルー米財務長官の言葉がやっと理解出来た気がします。

アメリカ財務省が年に2回提出する為替政策報告書は、例年5月頃と10〜11月頃の発表となっています。さすがに日本を名指しで非難しないとは思いますが、為替市場に従事する人間としては、「アメリカ政府の堪忍袋の緒が切れた」のかどうかを占う上でも、為替動向とアメリカ側からの発言内容やタイミングをきちんと把握すべきでしょう。
http://www.central-tanshifx.com/market/market-view/sf-20140117-01.html


止まらない円の価値下落… 2016/05/02
1ドル106円でも「超円安」のワケ 実質実効為替レートで読み解く円相場
https://zuuonline.com/archives/105338


4月29日のNY外国為替市場の円相場は、約1年半ぶりの水準となる1ドル106円28銭をつけた。これを聞いたら驚かれるかもしれないが、それでもなお、現在は「超円安圏」にあるのだ。

どういうことなのか、詳しく見ていこう。


続く「超円安」水準

「黒田シーリング」、それは、昨年初夏に市場参加者らにより設定された、ドル円為替での124円台後半〜125円に覆いかぶさり一段の円安進行を阻止せんとした「天井」のことである。

黒田日銀総裁は、衆議院予算委員会で

「実質実効為替レートがここまで来ているということは、ここからさらに円安に振れるということは、普通に考えればありそうにない」

と発言、ある種の「口先介入」とも捉えられ、上記シーリングの根拠となっていた。

中国ショックや原油価格崩落等に端を発した世界同時株安を経たドル円相場は現在110円をも大きく割り込み、振り返ってみると、確かにその天井は重要な節目となった。

わざわざ強調して用いられた「実質実効為替レート」なる表現。

当時、円の実質実効為替レートは、変動相場制移行以降では、なんと「史上最安値(円安)」に達してしていた。

具体的に過去を振り返る前に、実質実効為替レートについて簡単に解説しておこう。


円がドルに対して上昇していても、ユーロに対しては下落しているような時、すぐには円高なのか円安なのか分からない。そこで円の複数の通貨に対する総合的な為替レートとして貿易相手国との貿易取引量で加重平均して算出する値が実効為替レート。

さらにその数値にインフレ等の物価調整を施した後のものが実質実効為替レートである。

つまり、「一国の通貨の対外競争力を総合的に捉えるための単一の指標」と言い換えられよう。


止まらない円の価値下落

下図は、

「ドル円直物為替レート(赤線。 以下、ドル円)と、

円の実質実効為替レート(青線。単位:2010年=100。 以下、R)」

の1971年以降の推移であり、それに歴史上の重要なトピックスを補記したものである。


@1973年2月:変動相場制移行当時のドル円は300円程度。
Rは71.93と、基準値である100対比、約28%の円安水準。

A1985年9月:G5が協調してドル高是正を取り決めたプラザ合意当時のドル円は240円程度。
Rは84.47。

B1995年4月:史上初めて80円割れを示現したドル円。
Rは149.87へと価値急騰。

C1998年8月:日本金融危機・アジア通貨危機等を背景にドル円は145円へと急反発。
Rは95.73へと減価した。

D2008年9月:リーマンショック勃発直前のドル円は107円。
Rは85.84。

E2011年10月:ドル円は史上最安値75円32銭まで暴落。
Rは105.66。

F2015年6月:「黒田シーリング」設定。ドル円は125円手前。
Rは67.80。


水準比較で分析してみると・・・、

BとE時点ではドル円は70円台までの急落をみたが、 Rは149.87vs105.66と、期間も長く深い円高局面となった2011年の方が、逆に円の価値上昇がマイルドであった。

@とF時点の Rは70前後であるが、ドル円は300円vs125円と約58%円高水準となっている。

これは逆の見方をすれば、円の対外競争力としての価値は、1ドル300円当時以上に減価してしまっていることを意味するわけで、黒田総裁はじめ金融当局者らがかなり危機的意識を持ってマーケットを注視していたことも頷ける。


なお、1973年〜1995年までのドル円と Rは共に右肩下がり、つまり円高方向のトレンドを形成している。

ところが、1995年を境にドル円は概ね横ばいである一方で、Rは右肩上がりの軌跡を描き、両者は大きく乖離した状態で現在に至っている。

日本がデフレ状態にあったことなど様々な要因を挙げることができようが、筆者はIT革命によるグローバリゼーション加速の恩恵にあずかった新興国台頭の影響が最も大きかったとみている。

日本が貿易取引量を拡大させるのと時期を同じくして、新興諸国は輸出財において国際競争力をつけ、また資源・原材料価格の継続的な上昇を追い風にした。結果、著しい経済成長を遂げ、それが更に次の投資を呼び込むという好循環に繋がったことでそれらの通貨価値は上昇して行った。


交易条件は芳しくない状態

実質実効為替レートは、一国の通貨の対外競争力を総合的に捉えるための単一の指標であると述べた。それは即ち、国外の財やサービスを購買する力に他ならず、国力の現れのひとつでもある。今、その力が「歴史的にも最弱の領域」に達しているのだ。

また同時に、その様な状況下、日本の貿易収支は2011年06月あたりから頻繁に貿易赤字を記録しており、それはもはや円安をテコに輸出を大きく伸ばすことができないほどに、グローバル型製造販売体制として産業構造が変容してしまっていることをも意味している。


望まれる円の価値安定

現在、円の実質実効為替レートは、75前後となっている。

過去に照らせば、第2次オイルショック後期(1982年)と同程度の超円安水準だ。

円の実質実効為替レートの下落が、交易条件の好転に結び付かない構造となっているのであれば、円安がもたらすメリットをディスカウントして捉える必要があるだろうし、底値圏から反発局面にある原油価格に一段の上昇がみられた場合、交易条件の更なる悪化は免れない。

トリクル・ダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちるという経済理論)が不十分であれば、家計部門は一層痛むことにもなろう。

筆者はそれらをも踏まえ、円の価値を更に「人為的に」減価させ経済成長のテコとして用いるとの戦術を好ましく思わない立場だ。

更に言えば実質実効為替レートを80〜100に安定的に収まるような金融・為替政策を採って行くべきとの見解に立っている。
https://zuuonline.com/archives/105338

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c6

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
7. 中川隆[-5550] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:56:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

株価が急騰の一方、為替が膠着している理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171020-00193867-shikiho-bus_all
会社四季報オンライン 2017/10/20(金) 18:01配信


 前回は米国長期金利の動きから見た為替レートの短期的な動向を検討したので、今回は長期的な観点から見直してみよう。

 一国の通貨の価値は、長期的には物価動向に沿った形で決まる(短期的には必ずしもそうはならないが)。物価上昇率が低い国の通貨は高くなり、物価上昇率が高い国の通貨は安くなるということだ。

 また、ある通貨が高いのか安いのかを考えるときに、特定の相手通貨ではなくて、貿易額などに応じて様々な相手通貨との関係を見たほうが望ましい場合がある。

 こうした点を踏まえて、通貨の割高さや割安さを長期的に判断するのに適した指標と考えられるのが実質実効為替レートだ。「実効為替レート」とは、貿易相手国通貨との為替レートを貿易額による加重ウェートで平均したもの。「実質」は物価上昇率を調整していることを示す。

 長期的な為替レートの変動要因である物価上昇率を調整した後のレートなので、短期的要因によって一定のレンジ内を上がったり下がったりはするものの、基本的にはそこから大きく外れることはない。そのため、実質実効為替レートを見れば、そのままその通貨の長期的な割高さ・割安さが分かるということになるのである。

■ 現在の円は歴史的な割安水準で推移

 円が変動相場制へ移行した1973年2月以降の円実質実効為替レートの推移を見ると、つい最近までのレンジは概ね70台半ば〜140台くらいである(通常の為替レートと異なり、数字が大きいほど円高、小さいほど円安となる)。

 ところが近年では、2015年に70を割り込み、今年8月末時点でも75.9とかなりの低水準で推移している。時系列で見てみると、デフレ懸念の増大と金融緩和の遅れから急激な円高が進んだ1995年以降、ほぼ一貫して円の実質価値は低下し続けている。つまり、物価変動や特定の通貨の影響を除いた実力ベースで円は売られ続け、現在では変動相場制への移行以後で最も割安な水準にあるといえるのだ。

 円の実質実効為替レートの長期下落傾向が何を意味しているのかは、なかなか答えるのが難しい問題である。もしかすると、貿易上の非価格競争力が落ちてきていることの証かもしれない。もしくは悪化を辿る財政リスクに対するプレミアムが発生しているのかもしれない。ただ、明らかなことは、単に名目的な為替レートで見る以上に、実質的には大幅な円安が進んでいるということである。

 そう考えると、この水準から大幅に円が売られることは、(1)日本の物価水準が大きく上がる、もしくは(2)本格的な“日本売り”が起きる、ということでもなければ考えにくい。だが、現時点ではいずれのシナリオも現実的ではないだろう。2015年半ばにはドル円で一時125円台までの円安が進んだが、インフレ期待は当時から低下してきており、現時点でそのような大幅な円安を見込むことは難しいと考えられる。むしろ、現在総じて堅調な世界経済(とくに米国経済)に陰りが生じるようなことがあれば、大きく円高に振れる余地が生まれる。

 前回見たように、短期的要因である実質長期金利からは、やや力不足ではあるものの円安方向への力がかかっている。そして、今回見た物価上昇率を考慮した長期的観点では、すぐにどうこうというものではないが、潜在的な円高圧力が大きく残っている。このように長短期の要因で相反する構図が、現在の為替相場の膠着を招いているのである。

 ここまで為替相場が現在のもみ合いを脱するかを、短期、長期の視点から検討してきたが、そうなるにはまだもう少しの時間と、何か新しい要因が必要となりそうである。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c7

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
8. 中川隆[-5549] koaQ7Jey 2018年3月05日 09:58:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

1990年代から円の実効レートは下がり続け、実質的な円安が進行している(グレー帯は景気後退期)
http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/7/c/7cab7693.jpg

株価と並ぶもう一つの投資要素である為替(ドル円レート)についても、1ドル100円を大幅に上回り、2015年には125円をつけました。

2000年代の小泉景気の時、2002年の円最安値が135円、2005年に101円の円高なり、2007年に124円をつけました。

小泉景気の最中ですら、ドル円は大きく乱高下していたのが分かります。


現在の1ドル110円は2000年ごろの1ドル140円に匹敵する円安
引用:FP資料館
http://fp-user.com/wp-content/uploads/2017/01/4322195cbcb6251dd4447fd287a5c868.jpg


為替レートの錯覚

2008年にリーマンショックで100円を割り、2009年に90円を割り、2011年に80円を割り込んで9月に1ドル76円をつけました。

ちなみに明治時代は1ドル=1円だったので、まだまだ円高が進行する余裕は100倍くらいあります。

1950年代に1ドル360円だったのが、時間の経過と共に円高になっていて、今後も乱高下しながら円高が進行するでしょう。


すると2015年の1ドル125円はいかにも円安が進みすぎていて、円安だけが一方的に続いた例は最近50年くらいは在りませんでした。

現在の1ドル110円以上はかなりの円安で、日銀によると1ドル100円以下が適正になっています。

日銀が公表しているデータに「実効為替レート」があり、円の価値が現在どの水準か知る事ができます。


現在の実効為替レートは76で、1ドル80円だった2010年が100、小泉景気の2000年代には100を上回っていました。

つまり1ドル110円台は2000年代の1ドル130円よりも円安で、1ドル90円くらいで適正になります。

こうなる理由は日本のデフレと米国のインフレで、米国が日本より物価が上がると、基準点が移動します。


アメリカの物価が10%上がると、同じ1ドル100円のレートなら、10%円安になったのと同じになります。

だから現在の1ドル110円は、昔の130円や150円に匹敵するような円安で、これ以上円安になる可能性が低いのです。

株と為替の両方が高すぎる水準なので、今は投資をするには不向きで、銀行預金にでもしておいた方が良いです。


もし株価が下落して円高が進んだら、土地の値段などあらゆる相場も、連動して下落するでしょう。
http://thutmose.blog.jp/archives/69063967.html.

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c8

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
9. 中川隆[-5550] koaQ7Jey 2018年3月05日 10:15:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本円が超円安になった理由

「アベノミクス」の正体
日本食潰す金融投機資本に貢ぐ 2013年5月17日付


安倍政府が発足して以後、「アベノミクス」と呼ばれる異次元の金融緩和や公共投資を中心とする政策が台頭し、急激な円安と株高の局面があらわれている。

昨年11月に民主党・野田政府が解散を表明した時点で8600円台だった日経平均株価は、半年たった今年5月中旬には1万5000円台まで急騰し、為替相場は1j=79円台だったものが102円台まで円安になるなど、世界的に見ても例がないほど大きな変動が起こっている。

海外投資家が時価総額のうち七割を占めている株式市場が熱狂し、さらに円安でトヨタをはじめとした輸出企業が過去最高益を上げるなど、金融緩和と為替マジックで金融資本や一部大企業がバブルに浸っている。

ところが一方で、燃油や穀物を中心に日本国内では生活必需品の価格が急騰し始めるなど、国民生活に深刻な影響が広がっている。「アベノミクス」でいったいなにが起きているのか、どうなっていくのかが重大な関心を集めている。


 
 バブルに群がる海外投資家

 この間、日経平均株価はリーマン・ショック以前と同レベルの価格まで急騰してきた。それほど好景気なわけでもなく、むしろ怒濤の首切りや製造業の海外移転を経て失業や貧困が全国的な範囲で広がり、生活実感としては悪化しているにもかかわらず、「日本株、年初から45%の上昇率」「1万5000円台回復」が叫ばれている。今後はさらに1万6000円台、1万7000円台まで上昇するとエコノミストたちが煽っている。

 しかし株式市場もよく見てみると、東証一部の約6割にあたる1000近くの銘柄が値下がりしている。株価が急騰している4割のなかでは円安効果の恩恵を受けた自動車産業や、ソニー、パナソニック、三菱電機といった企業が年初から倍近い株価をつけている。逆に株価が急落している企業としては不動産関係や、国内小売りのヤマダ電機、イオン、東芝などの企業群だ。

 東証の株式時価総額は昨年10月末には261兆円まで落ち込んでいたのが、今年4月末の段階では411兆円にまで膨れあがっている。わずか半年で150兆円がなだれ込んでいる。この半年の推移を見てみると、11月に14兆円増加し、12月には26兆円増加、1月に29兆円、2月に13兆円、3月に23兆円、4月には46兆円とすさまじい勢いで資金が流入しているのがわかる。

 このなかで投機の中心的なプレイヤーとして振る舞っているのが海外のヘッジファンドや投資家といわれ、時価総額の大半は国内資金ではなくこうした海外資金であることが明らかになっている。

サブプライム危機で行き場を失った膨大な余剰資金がヨーロッパを食い物にし、ギリシャ、スペインなど南欧諸国の国家破綻でボロもうけした後しばらくは中国や新興諸国のバブルに巣くっていたが、それも一段落ついて今度は「アベノミクス」バブルに大集結していることを反映している。


 世界3大投資家の一人であるジョージ・ソロスがわずか3カ月で970億円を稼いで

「黒田はガッツがある」

「緩やかに死に向かっていた日本市場の目が覚めた」

などと褒めちぎり、

「しかし円が雪崩のように下落する恐れがある」

などと発言する状況ができている。こうした抜け目ない守銭奴は、日本経済が低迷しているといわれた時期に底値で株式を買い取るなど仕込みを終え、現在のように素人が「株がもうかる」と思い始めるような段階には見切りをつけて売り抜けている。

カモにされるのはいつも決まって素人で、証券会社にそそのかされた年寄りや、中流世帯が巻き込まれて泣きを見ている。

 加熱する米国債の購入 日銀の金融緩和で


 国債市場は株式市場よりも規模が大きく、世界的には株式市場の3倍にもなるとされている。この間の円安で輸出企業は潤ったといわれているものの、円安そのものが国債暴落で、1j=80円の段階で例えば1万円の日本国債の価値がドルベースで換算すると125jだったのが、いまや1j=100円超えなので、その価値は100jと大幅に下落することになった。

 こんな日本国債を持っているよりは、ドル建ての米国債を購入した方が儲かるという判断が働いて、日銀が金融緩和すればするほど米国債買いが加熱して、海の向こうに資金が流れ出していくことになっている。

円建ての日本国債を売り払って円を調達し、その円を売り払ってドルを買って米国債を購入するのが流れになり、あるいは国債を売り払った資金で株式市場に投機する動きとなった。


 安倍政府、日銀による異次元の金融緩和は、米国債購入という形で吸い上げられ、あるいは国際金融資本の博打の源泉として食い物にされる仕組みになっている。

リーマン・ショック後に、米国ではFRBが気狂いじみた量的緩和を実行し、銀行群の損失処理にあたり、ヨーロッパではECBが負けず劣らずの量的緩和をやり、市場に資金を供給してきた。そうしたマネーに寄生し、バブルを渡り歩いてきたのがヘッジファンドで、熱狂した後に売り浴びせることは、過去に日本市場でも経験済みだ。

 円安でも拠点を戻さず 海外移転の大企業

 日本国内ではこの数年、大企業が円高を理由に海外移転を繰り返してきた。ところが円安になったからといって日本に拠点を戻すわけでもなく、多国籍企業のようになって出ていく。内部留保を散散貯め上げたうえで、そうした過剰な資本は国民生活の水準を引き上げるためには用いられず、より利潤の得られる後進諸国への資本輸出や進出へと向けられている。ベトナム、ミャンマーといった進出先のインフラ整備までODAで日本政府に肩代わりさせるのだから、国民の面倒は見ずにもっぱら寄生するだけの存在というほかない。

 その株式を保有しているのが米国をはじめとした海外の超富裕層や、錬金術に長けた金融資本で、人為的な円安、株高政策にせよ、TPPにせよ、日本の富を米国富裕層の個人資産に移し替えてくれる「アベノミクス」だからこそ大歓迎している。

 グローバリゼーションのもとで、かつてなく世界を股に掛けた投機が横行し、産業集約が進んでいる。金が溢れて投資先に困るほど、生産は社会化して富は増大している。ところがその金は一%にも満たない超富裕層が握りしめて離さないことから、九九%がますます貧困に追いやられ、モノが売れずに経済活動は停滞。金融が破綻すれば損失を国家に転嫁するというデタラメがまかり通っている。

 ヘッジファンドが食い荒らしている日本市場の姿と、その資金をせっせと提供している「アベノミクス」の存在が暴露されている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/enyasukabudakanokagedekyuurakusurukokusai.html


安倍「官製相場」の正体。国民生活が疲弊し対米従属は加速する=吉田繁治 2016年10月20日
http://www.mag2.com/p/money/24781


2012年12月に発足した安倍内閣はアベノミクスを標榜し、株価上昇をその支持基盤としてきました。あれから約4年、いよいよ「株価政権」の総括検証をすべき時期が来ています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)

※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年10月19日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。本記事で割愛した内容(約5,000文字)もすぐ読めます。

なぜ株価は景気を反映しなくなったのか?官製相場の欺瞞を斬る

安倍首相の「スタートダッシュ」

消費税10%法案を通した野田民主党の自滅により、自民党は2012年12月、3年4ヶ月ぶりに政権に復帰しました。首相自ら「アベノミクス」と呼ぶところの、安倍政権の経済・金融政策の始まりです。

安倍首相は前回の失敗から、「スタートダッシュが肝心」と決めていました。自公政権が確実になった12年10月に明らかになったのは、
◾脱デフレの大きなマネー増発策
◾10年で200兆円の国土強靱化の公共投資

でした。日銀法を改正し、独立権を奪ってでも、マネーを増発させるという強いものだったのです。

【関連】株も不動産も奪われる! 預金封鎖よりも怖い「財産税」の傾向と対策=東条雅彦

国土強靱化は、財政赤字を200兆円分拡大して危険だ、という財務省の反対で消えました。東日本大震災の復興予算として、別途、28兆円の政府支出が必要だったからです。

マネー増発を推進するミッションを持ち、黒田総裁・岩田副総裁体制になった日銀は、異次元緩和(量的・質的金融緩和)を開始します。

量的緩和は、金融機関がもつ国債を買ってマネーを増発する政策です。質的緩和は、日銀が日経平均(株式ETF=上場投信)とREIT(不動産投信)を買いあげて、価格を上げるものです。

日銀による株買い(ETFの購入枠は6兆円/年)、これは普通、中央銀行が禁じられていることです。

恐慌の研究家である前FRB議長のバーナンキは、「日銀がケチッャプを買えば物価上がる」と言っています。あるいはヘリコプターでお金をばらまけばいいとか、ニコリともしないで異常なことを言う。

日銀が増刷した円で店頭商品を買えば、需要の超過になり物価は上がります。車を100万台(3兆円)、住宅を100万戸(30兆円)買ってもいいが、さすがにそれはできない。そこで株を買う。

日銀の株買いは迂回(うかい)して行われた

金融機関は、国債をはじめとする債券と貸付金で預貯金や基金を運用しているので、余分な現金は持ちません。

量的・質的緩和を政策にした日銀が、郵貯、年金基金(GPIF)、かんぽがもつ国債を買う。政府系金融と基金(GPIF)はそこで得た円で、日米の株とドル国債を買う。ワンクッションおいていますが、日銀が直接に日米の株を買い、米国債を買うことと同じです。

日銀は直接買うETF(年6兆円の枠)以外に、迂回路をとり数十兆円の株買いを行ったと言えます。方法はごまかしめいて姑息ですが、マネーの流れとしては露骨です。

日銀は量的・質的緩和として、円を下げ、株を上げ、インフレに誘導する「可能な手段の全部」をとってきたのです。

株価上昇は、株主の資産(東証一部時価総額511兆円 ※16年10月18日時点)を増やします。同時に企業の増資コストを下げます。資産が増えた株主は、資産効果で消費を幾分か増やします(しずくのようにわずかなのでトリクルダウンという)。百貨店で、100万円級の機械式時計が売れたのが、この資産効果です。

株価は理論的には、企業の将来の税引き後の予想純益を、期待金利(リスク率を含む株式益回り:6.6% ※16年10月18日時点)で割ったものと等価です。これが表現するのは、株価は企業の予想純益の結果ということです。

しかし多くの人々には、「株価が上がった→景気がよくなったからだ」と理解されます。下がっていた血圧が輸血で上がったから健康に戻った、と思うような本末転倒ですが、投資家と上場企業は歓迎します。支持率が上がるので、政府与党も喜ぶ。

株価が下落し、支持率も低くなった前回の反省を踏まえた安倍首相は、スタートダッシュで円安の誘導、株価の上昇に躍起になりました。円安の誘導は、輸出を増やし、株価を上げるためでした。

マネーの流れ

ヘッジファンドは保有しているドル国債を日本に売り、得た円で、出遅れていた日本株を買う。そして実は、総資金量が420兆円と日銀よりも巨大な政府系金融(現在名ゆうちょ銀行、かんぽ保険、GPIF:総資金量420兆円)は、日銀に国債を売って得た円で、米国債も買っています。

公的年金の残高139兆円(15年12月)を運用しているGPIFの、15年12月のポートフォリオ(分散投資)は、「円国債38%、国内株23%、外国債券(主は米国債)14%、外国株23%」です。

※日銀がGPIFの国債を買いあげる→GPIFは得た現金で国内株、米国債、米国株を買う→GPIFに米国債を売ったヘッジファンドはそのマネーで日本株を買う

マネー運用には遅滞が許されないので、この迂回路取引がコンピュータの中で、一瞬で起こります。

安倍政権の初年度だった2013年には、外国人(ヘッジファンド)からの15.1兆円もの巨大買い越しがありました。

外国人の売買は、東証一部の年間売買額460兆円のうち320兆円(約70%:16年7月水準)です。国内勢(金融機関と個人投資家)は、1990年のバブル崩壊後の損失の累積で資産を減らしたため売買がとても少ない。国内勢の売買は140兆円です。

他方、多くがオフショア(タックスヘイブン:租税回避地)からであるヘッジファンドの売買が320兆円です。東証はこのヘッジファンドの支配下です。

ヘッジファンドの日本株買いと、円先物売りのマネーの多くは、GPIFにおけるような迂回路をとって日銀が買い続けている、政府系金融の国債の現金化から来ています。

安倍政権前から始まっていた「官製相場」

政治相場(あるいは官製相場)は、14年10月末に発表された「日銀の追加緩和」と「GPIFの運用方針の変更」から始まったように言う人が多い。

しかし、マネーの流れを比較貸借対照表で調べると、安倍政権が始まる前の12年の10月から秘密裏に開始されています。最初は、円安介入のための30兆円の政府系金融マネーでした。

※総資金量420兆円の政府系金融3機関が、日銀に国債を売ったマネーで、米国債を30兆円買った→米国債を売ったヘッジファンドが日本株買い/円の先物売りを行った

安倍政権が確実になる前、12年9月の日経平均の予想PER(加重平均)は、1ドル80円台の円高の中で12倍付近と低かった。米国ダウのPERは15倍と3倍高かった。

上場企業(東証一部2000社)においては、輸出製造業の株価シェアが大きい。円安/ドル高になると、利益が数倍に増えます。このため、円安で日本の株価は上がり、円高で下がる基本性格があります。

通貨の低下は、普通、国力(政治力)と経済力の低下を示します。しかし日本では、ドルでは同じでも円での輸出価格が上がる。このため、上場企業の利益が増える予想がたち、株が買われます。
(注)予想PERは、株価の時価総額を次期予想純益で割った株価/収益倍率であり、株価の高さ、低さを判断するための指標です

PERが15倍なら将来15年分の、未実現の企業純益を株価が含んでいます。16年10月の日経平均の加重平均のPERは、14.3倍付近です。単純平均のPERでは18倍と高い。日経平均は、ユニクロ(ファーストリテイリング)の34倍のような高PER銘柄を含むからです。

2016年10月現在、日経平均は1万7000円付近です。米国ナスダックの予想PER(単純平均)は現在21.9倍で、バブル価格の水準です。他国をあげると、インド18.2倍、英国17倍、米国ダウ16.8倍、上海総合14.4倍、ドイツ13.3倍、ロシア6.8倍です。

円安誘導という名の「米国債買い」を実行

安倍政権誕生の2ヶ月前、1ドル77円(12年9月)だった円は、その2ヶ月前から下がりはじめ、10月に80円、11月に83円、12月には87年円と13%の円安になっています。続く13年1月に92円、2月には93円と下がり、6月には岩盤に見えていた100円も超えたのです。
(注)円安のピークは、15年6月の125.8円です。16年2月のマイナス金利以降は、逆に円高になり16年10月は104円付近です

円安は、世界の外為市場(円の売買が日量120兆円:2016年)での「円売り/ドル買い」が「円買い/ドル売り」を超過することで起きます。なぜ50%(1ドル120円)もの円安になったのか?

ここで、財務省の外貨準備($1.26兆:126兆円:16年10月)は、目立つので使われなかった。かわりに、ゆうちょ銀行、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、かんぽに、推計30兆円の「円売り/ドル買い」を行わせたのです。

前述のように、日銀がゆうちょ、年金基金、かんぽがもつ国債を買い、政府系3機関は、そこで得た円で、円安誘導を目的にしたドル債買いを実行するわけです。

さて、米国政府は、為替介入を行う国を「為替操作国」と強く非難します。しかし、円売り/ドル買いで得たドルで米国債を買うと途端に沈黙します。この理由は何でしょうか?

アメリカ政府の債務は2000兆円

米政府の総債務(自治体と社会保障の債務を含む)は、日本国債の2倍の$20.0兆(2000兆円:16年)に膨らんでいます。米国債も$15兆(1500兆円:同年)に増えています。

財政赤字は毎年、$7000億付近(16年度は$7130億)です。17年には、公的医療費($2.8兆:280兆円:12年)の増加で、赤字は$1兆を超えるでしょう。

米国の人口ピラミッドは、日本の10年遅れです。医療費では診療単価が約2.5倍高く、総額で$2.8兆(280兆円:12年)です。3.2億人の国民の、健康な人を入れた1人あたり年間医療費は$9000(90万円)です。

日本の医療費は、40兆円で1人あたり31万円/年。米国は1人あたりで3倍も多い。米国の医療費は信じられない高さです。盲腸の手術や流産で200万円とか…日本は世界的には医療費は安い。

米国政府は、この高すぎる医療費のため、日本の10年遅れで高齢者が増えるとつぶれます(ほぼ確定でしょう)。

米国は、新規国債のうち50%は、経常収支が黒字の中国と日本に売らねばならない。米国内では50%分しか買い手がない。米国は、海外からマネーを借りる構造を続けています。円でドル国債を買うことは、マネーの流れとしては米国への貸し付けです。

経常収支の赤字国は、感覚では逆ですが、資本収支では黒字になります。資本収支の黒字とは、マネーが流入することであり、現象形は、海外の金融機関が米国債、株、社債、MBS(住宅ローン担保証券)を買って、ドル預金をすることです。

わが国の民間では、国内の運用先がない三菱UFJグループ(総資産281兆円:16年6月)が、米国運用を増やしています。米国経済は、海外資金が大挙して引き揚げるとひとたまりもない。このため、米国はユーロや円より約2ポイントは高い金利を続けねばならない。

米国が利上げしなければならない本当の理由

米国が14年10月に、3回行った量的緩和(QE:$4兆:400兆円)を停止し、2015年12月にFRBが0.25%利上げした本当の理由は、金利が低いままだとドル債が売られ、海外から来たマネーが逃げる恐れがあったからです。逃げはじめてからの利上げでは、間に合わない。

米政府とFRBが、日本に金融緩和を強く勧めるのも、米国債と株を買ってもらうためです。異次元緩和にも米国への資金環流という条件がついていました。リフレ派は亡国のエコノミストに思えます

リーマン危機のあと、400兆円のドルを増発した3度のQE(08年〜2014年)でマスクされていた米国の「大きな対外不均衡」は、今も世界経済における根底の問題であり続けています。

米国の対外総債務は、$20兆(2000兆円)、対外資産を引いた純負債は$8.8兆(880兆円)と巨大です(15年末)。

一方で日本は、官民で948兆円の対外資産をもち、対外債務は609兆円です。339兆円の純資産があります(15年末:財務省)。経常収支が黒字になり、バブル経済で世界ナンバーワンと言われた1980年代以来、企業と金融機関が営々と貯めてきたものが、対外純資産になっています。

関連して言うと、中国は、公式には$2.1兆(210兆円:14年)の対外純債権国とされています。しかし、15年と16年に民間で起こった「元売り/ドル買い」に対抗して、政府が行った「元買い/ドル売り」により、今は、純債務国に転落していると推計できます。

2015年12月で$3.3(330兆円)とされている外貨準備では、銀行の持ち分と政府の持ち分が二重に計上されています。中国の4大銀行は、全部が国有です。選挙と議会制度がない共産党国家・中国の経済統計には、かつてのソ連と同じ問題があります。

ヘッジファンドによる円売り・日本株買いのカラクリ

アベノミクスとは、インフレを目標にした、

1.日銀の国債買いによる通貨増発
2.ドル買い/円売りによる円安誘導
3.政府系金融とGPIFによる日本株買いと米国債買い


です。

2%のインフレを目標にしたのは、年金・医療費・介護費(社会保障費)が年率3%(3兆円)で増え続け、それが国債の増発に繋がって、債務比率(政府総債務1277兆円/名目GDP505兆円=253%)が拡大することを防ぐためです。

分母の名目GDPが年率で3%以上増え続けないと、債務比率が大きくなり、近い将来の財政破綻が確定するからです(名目GDPの下限目標=実質GDP1%+インフレ率2%)。

仮にインフレになっても、企業所得と税収が増える中で世帯の所得が増えない場合、国民の生活は苦しくなっていきます。年金支給額が固定されている年金生活者3100万人(15年:厚労省)と、円安では企業所得が減る多くの中小企業の雇用者4100万人(06年:経産省)、合計で7200万人は、インフレで実質所得が減ります。

しかし、それらは構わない。政府にとっては、差し迫る財政破綻の防止がはるかに大切だとされたのです。

円安と株価上昇には有効だった量的・質的緩和

需要が増えることによる物価上昇に効果がなかった量的・質的緩和は、12年末から15年までの円安と株価上昇には有効でした。13年と14年の物価上昇は、円安での輸入価格上昇が主因です。世帯消費と企業の設備投資は増えていません。

東証では、年間420兆円の売買額の70%が、オフショアからのヘッジファンドによるものです。国内の個人投資家と金融機関は、90年からのバブル崩壊、00年のIT株崩壊、08年9月からのリーマン危機で3回の大きな損失を被ったことから、売買額が30%に減っています。

個人投資家700万人の多くは、上がるときは損失を回復するため売り越す、下がるときは難平(なんぴん)買いで買い越すという行動を取ります。

2012年末以降の日本株式市場の売買構造

このため、わが国の株価を決めているのは、70%のシェアになったヘッジファンドの売買です。


1.ヘッジファンドが買い越せば上がり、売り越せば下がる

2.下がっては、政府と投資家が困る

3.ヘッジファンドが売り超になると、3つの政府系金融(総資金量420兆円)と日銀(同459兆円:16年10月)が買いをいれる

という単純な基本構造が、2012年末から2016年10月まで続いているのです。

しかし2016年は、政府系金融と日銀の買いに対する株価上昇の反応が鈍い。この理由は、

1.アベノミクスによる株価上昇が政治相場(または官製相場)であることを皆が知った

2.このため二番目に大きな売買シェアを持つ個人投資家(700万人)が、政府系金融に追随した買いを入れなくなった

ことにあります。


米国の後追い。2015年から日本でも自社株買いが増加している

1日平均売買額が2.9兆円(15年平均)だったものが、2.3兆円(16年7月)に減った現在の東証一部で、大きく増えているのは自社株買いの4.3兆円です(16年1月〜9月)。

これは、事業法人の買い超に含まれます。年間では5.7兆円の買い超になるでしょう(13年1.5兆円、14年2兆円、15年3兆円)。

自社株買いは、市場で流通する株式数を減らします。会社利益は同じでも、1株あたり利益は上がったようになり、株価も上がります。タコが自分の足を食べることに似たこの自社株買いは、上場大手企業が留保利益で将来投資をせず銀行預金として貯まった、現金100兆円で行われています。

自社株買いでも、買いが増えれば株価は上がるので「株価上昇という形の株主配当」とされています。経営者が株主サービスとして行うのです。問題は、自社株買いは、いつまでも続けることはできないことです。

米国の2012年以来の自社株買いは、とても大きい。16年の第一四半期で$1820億(18.2兆円)です。年間では73兆円という巨額です。米国では、日本よりはるかに個人株主の要求度が高い。株価が1年も下がり続ければ、資産を失った株主により、株主総会で経営者が追放されます。

このため、経営者は米国FRBの量的緩和と、わが国と同じ将来投資の少なさから滞留したキャッシュフローで、年間73兆円もの自社株買いで事実上の減資をしているのです。

時価総額で世界一のアップル($6091億=60兆円:16年9月)は、社債を発行しゼロ金利マネーを得て、それで巨額の自社株買いを行っています。米国のダウやナスダックの大手企業の株価は、大きな自社株買いで20%から30%は高値になっているでしょう。

本稿執筆時点のダウは1万8161ドル、ナスダックは5243ポイントで史上最高値圏です。過去10年の純益を元にしたシラーP/Eレシオ(26.6倍:16年10月)が示すように、数十%のバブル性があると見ることができます。株価維持のために膨らみすぎた自社株買いの減少があれば、下がります。

自社株買いは、政府主導の官製相場と同じく、3年も5年もと続けることはできません。事実、2016年は米国の自社株買いはピークアウトして、今後は減少する傾向も見えます。

米国の自社株買いの傾向に注目してください。これが減ると、米国株は下がります。米国株が下がると、日本と欧州にも即日に波及します


株価が景気を反映しなくなった理由

ポートフォリオ投資とHFT(超高頻度売買)を組み合わせた売買シェアが、60%まで増えています。10年代の国際金融は、ネットワークで、リアルタイムに連結されているからです。

世界中の国債や株の売りも買いも、コンピュータ画面で一瞬です。株と債券の金融市場は、インターネットで変容しています。売買を叫ぶ「場立ち」があった「のどかな市場」ではない。

それでなくても、わが国の日経平均は米国ダウの子供です。米国株を売買しているヘッジファンドがポートフォリオ(分散投資)で、日本株をたとえば12%と一定割合にしているからです。米国株が下がると、ポートフォリオの中の米国株が減少します。かわりに、12%枠と決めている日本株の構成比が上昇します。これでは日本株の下落リスクが大きくなる。

株価罫線を分析するトレンド理論(傾向理論)とは違う、ランダムウォークの理論では、向こう3ヶ月で10%上がる確率があるときは、10%下がる確率も同じです。このため、ポートフォリオでのリスクが、コンピュータが自動計算する数値で大きくなる。

従って、米国株が下がると日本株を売って減額調整するプログラムが組み込まれています。ヘッジファンドのほとんどの売買で行われているHFT(超高頻度売買)がこれです。人間は関与せず、現物・先物・オプションの売買を組み合わせ、瞬時に売買が行われます。

ファンドマネジャーの関与は、ポートフォリオの割合(パラメータ)を変えるときです。以上の売買構造が増えたため、日米の株価の動きは同時化します。日米だけではない。

世界の株式市場(時価総額6000兆円:世界のGDPの1倍)が、ほとんど瞬間連動して動きます。基礎的な経済指標によるファンダメンタル理論(端的に言えば、景気がよくなると株価が上がる)は、ほとんど関係がなくなっているのです。
http://www.mag2.com/p/money/24781



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c9

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
2. 中川隆[-5549] koaQ7Jey 2018年3月05日 10:16:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c2
[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
22. 2018年3月05日 10:17:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の物価はいくらなんでも安過ぎる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c22
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
3. 中川隆[-5548] koaQ7Jey 2018年3月05日 10:34:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本円はいくらなんでも安過ぎる (1ドル=50円 程度が適正価格)


2018年02月25日
ドル円相場はいくらが適正か 100円から70円まで

同じ為替レートでも日本のデフレでどんどん円安になっていく
このため日米の物価上昇率分だけ、円高になる
引用:https://moneyzine.jp/static/images/article/212170/01.png


購買力平価では1ドル105円以下

2018年に入って為替市場はドル安円高方向にふれていて、どこまで円高になるかが議論になっています。

この手の議論には正解がないのできりがなく、結果を見てみないと分からない。

将来ドル円がいくらになるか予想するためには、まず「いくらなら適正なのか」を知る必要があります。


大きく分けて為替の適正相場を知る方法は3つほどあり、一つは購買力平価から算出する方法です。

2つ目は日銀が公表している実質実効レートから判断する方法、3つ目はビッグマック価格から判断するビッグマック指数です。

まず購買力平価は各国の物価の違いを調整して、A国とB国の物価が同じになる為替レートを算出する方法です。


例えば日本の物価がアメリカより2割高いなら、ドル円レートを2割円高にすれば「正しいレート」になります。

細かい計算は省略して結論だけを書くと、1ドル95円から110円、その中でも100円から105円程度が適正になります。

2月後半は1ドル107円前後で推移しているので、購買力平価ではもう少し円高になれば適性になります。


実質実効レートでは90円台

実質実効レート(実効為替レート)も日本と外国の物価上昇率の違いを調整して、客観的な数値にしたものです。

日本はデフレで物価下落、アメリカはインフレで物価上昇なので、同じ1ドル100円でも日本の物価はどんどん安くなっていきます。

すると同じ為替レートでは日本では100円で買えるものがアメリカでは110円になってしまい、この分は為替が円高になることで物価が調整されます。


これも計算を省略して結論だけを書くと、現在の1ドル120円は1970年代の1ドル280円に等しい「超円安」になっていました。

日銀は実質実効為替レートは90前後で安定すると見ていて、現在は75前後なので1割か2割は円高になる余地がある。

すると実質実効レートから見たドル円の適正レートは、1ドル90円台という事になる。


ずいぶん円高のように思えるが、日米の物価上昇率の影響で、現在の90円台は20年前の1ドル110円台でしかない。

最後にビッグマック指数だが、これはビッグマック価格を基準に、各国の価格が同じになる為替レートを算出する方法です。

現在日本のビッグマックは390円でアメリカでは5ドルなので、ずばり1ドル78円が適正レートになる。


因みにリーマンショック前のビッグマック指数では1ドル90円台が適正だったが、最終的に1ドル70円台まで下落していました。
http://www.thutmosev.com/archives/75059779.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c3

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
4. 中川隆[-5547] koaQ7Jey 2018年3月05日 10:36:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2018/2/19(974号)VIX指数の不正操作

日本株だけ戻りが悪い

2月2日の米国から始まった世界の同時株価下落など、市場の異変と混乱は収まりつつある。2週間経った16日のNYダウの終値は25,219.38ドルと2月1日(下落が始まる前日)の終値から3.7%安まで戻した。他の国の株価も米株に連れ安したが、米株価が戻すにつれ6〜7割程度戻している。

ただ日本の株価と原油価格だけは戻りが鈍いようだ。16日の日経平均の終値は21,720.25円で2月1日から6.7%安と、最安値から3割程度しか戻っていない。この主な原因としては、この間に3.4%程度、円が高くなったことが挙げられる。


円高が日本の株価の下落要因になって久しい。たしかに日本の主要企業が輸出企業であったり海外に投資を行っているケースが多いため、円高は日本の株価にマイナスになる。ただ円高がプラスになる企業もあるので、日本全体では為替変動の影響は複雑で微妙である。おそらくトータルで見れば、円高は少しマイナスといったところであろう。つまり円高は、企業業績を通し日本の株価にある程度悪影響を与える。

為替変動が日本の株価に影響を与える要素がもう一つある。外資にとって、ドル換算すれば日本の運用資産は円高によって増える。つまり3.4%の円高は、それだけで外資にとって米ドル換算で資産が3.4%増えたことを意味する。つまり外資にとっては、日本の株価も6〜7割程度戻した感覚になっていると筆者は思っている。このように円高は、外資の日本株売りを誘因し、株価の下落要因となる。特に今日、外資の日本市場での取引比率が極めて大きくなっているので、このような円レートの変動が株価に及す影響は大きい。


したがって日本の株価がこれ以上戻すかどうかは、今後の米株価と円レートの動きに掛っていると筆者は見ている。16日に105円台を付けるなど、直近で為替は円高となっている。しかし18/1/15(第969号)「今年のキーワードは「渾沌」」などで述べてきたように、「円レートの中長期トレンドは経常収支と購買力平価で決まる。購買力平価は1米ドル=100円程度であり、また日本の経常収支が黒字ということからいつ円高に向かっても不思議はない」と筆者は思っている。

つまり今日の円高への動きは、筆者の考え(中長期トレンドを考慮)に沿えば極めて合理的である。これに対し為替のプロと言われている人々やエコノミストは、ドル・円レートは金利差で決まると主張し譲らない。彼等は、これから米国の金利は上がって行くので円は安くなると間抜けなことをずっと言ってきた。ところが直近では米国の長期金利が少し上がり金利差が大きくなったにも拘らず(日本の金利はむしろ下がり気味)、逆に円高(ドル安)になっている。彼等は、今、言い訳で忙しい。


為替のプロやエコノミストの「金利差で為替は決まる」という考えは必ずしも正確ではないと筆者は本誌でずっと指摘してきた。これが正しいのは他の全ての条件が絶対的に不変という前提が成立つ場合だけである。相手国の物価動向や経常収支、あるいは政治的リスクが変化すれば、均衡為替レートは変ると筆者は考える。

また今日、市場が混乱したり地政学リスクが高まると安全資産の円が買われ円高になると言われている。しかし筆者はこれは妙なことと思ってきた。昔は「有事のドル買い」と言われ今日と逆であった。こちらの方が筆者にとってすんなりと納得がゆく。また為替のプロやエコノミストは、米国の長期金利が今後上がり続けるという前提でドル・円レートを語っている。しかし筆者は、米国で政策金利の利上げが続いても、米国の長期金利はそんなに上がらないと見ている。これについては来週号で述べる。


匿名告発

先週号で今回の米国の株価下落にVIX指数が深く関わっているのではないかと述べた。ただ今日までの株価の戻りの様子を見ていると「VIX指数暴落」と言うのは大袈裟であり、せいぜい「VIX指数ショック」ぐらいが妥当と筆者は思う。そのVIX指数は一時50くらいまで急騰する場面があったが、直近では19台とかなり落着いてきている。

今日、米株式などの取引の9割方は、自動プログラムで行われているという。筆者は、株式取引の自動プログラムにもVIX指数が組込まれていると見る。VIX指数が高まれば、単純に株式は売るというアルゴリズムが採用されていると筆者は思っている。ところで多くの投資家が、皆、ほぼ同じ自動プログラムで取引を行っている可能性がある。

したがってVIX指数が高くなったため投資家が一斉に株式を売出すことになり、これによって平均株価が急落した。またこの株価下落によってVIX指数が上がるという事態が起ったと考えられる。さらにこのVIX指数の上昇によって、さらに株式が売られるという悪循環に陥ったのである。

つまり自動プログラムとかAIによる最先端の取引方式が、今回の突発的な株価暴落を演出したことになる。どちらかと言えば、地味で市場関係者も軽んじていたはずのVIX指数が自動プログラムに組込まれていたことにより、今回の大事に到ったと言えるのである。


先週号で「ずっとVIX指数は10程度で推移していた(筆者も不思議な思いで眺めていた)」とか「VIX指数が小さな資金で動くのなら、今後も株式市場の不安定さは続く」、あるいはズバリ「VIX指数市場は操作されてきた可能性がある」とVIX指数が操作されたことを筆者はほのめかしたつもりである。ところが14日の日経新聞の3面に「恐怖指数、不正操作か 米証取委に匿名告発」という囲み記事が掲載された。もしこの話が本当なら、筆者の憶測が当っていたことになる。

匿名氏はおそらく「インバースVIX」連動の投資信託の関連で大損してきた投資家の代理人であろう。この匿名氏は、不正操作が一般投資家に毎月数億ドルの損失を与えていたという。つまり2月2日に始まったVIX指数の急騰によってVIX指数が下がることに賭けていた投資家だけでなく、過去にVIX指数が上がる方向にずっと賭けていた投資家も大損していたことになる。今回の匿名の告発者は、後者の過去にVIX指数が上がる方向に賭け、既に損失が確定している投資家の代理人と見られる。


匿名氏は「VIXの算出に欠陥」があり、また「投資会社が実際の取引をせず、資本(資金)も使わずにVIXを上下に動かすことが可能」と指摘している。つまり2月2月に特定(複数ということも有る)の投資会社(投資家)が、このVIX指数を使って株価操作を行った可能性を示唆している。もしこの投資会社が事前に株式をカラ売りしていたなら、莫大な利益を得ていはずだ。そう言えば日本の株式市場でも、前月に外資が1兆円を超える大量売りを2回行っていたという(買ったのが個人と日銀のETF)。

匿名の代理人は、「インバースVIX」連動の投資信託に関連して告発を行っていると見られる。しかし実際のところこの影響による株価暴落の方が金額の規模が2桁、3桁大きいと筆者は思っている。当局による今後の捜査の進展が待たれる。ただこの告発によって、少なくとも今さらVIX指数を操作しようという「ヤカラ」は出ないであろうと筆者は考える。

また当初、株価暴落の原因は長期金利が上昇したことになっていた。そしてこの長期金利の上昇の要因は、1月の全米の賃金上昇率が2.9%(当初2.0%と書いたが間違いと気付き14日に訂正)と想定を超えたこととされていた。しかし先週号で説明したように、賃金上昇率が2.9%と急上昇したことによる物価上昇の懸念の話は「ガセネタ」であることが直後に判明している。ところが今日に到っても、株価暴落の原因は、賃金の上昇による物価上昇の懸念や長期金利の上昇と言っている者がいる。主に財政再建主義者達である。
http://www.adpweb.com/eco/eco974.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c4

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
150. 中川隆[-5546] koaQ7Jey 2018年3月05日 11:30:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
持っているだけで損する「土地」「マンション」の見分け方 ガクンと下がる瞬間は突然やってくる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54059
2018.03.05 週刊現代  現代ビジネス


帰省して、「実家の後始末」が気にかかった人も多いだろう。しかし、いずれ来ることとは知りながら、漫然と先送りしている人がほとんどではないか。ならば、一刻も早く動いたほうがいい。東京五輪を前に、不動産市況はピークを迎える。

「住みたい街」の実情

神奈川県川崎市・武蔵小杉。住みたい街ランキングの上位に名を連ねる人気の住宅地だ。この10年間で高層マンション17棟、総戸数約6600戸が新たに作られ、ざっと2万人が移り住んだことになる。

東京都心にも横浜の市街地にも30分圏内という好立地が子育て世帯を引きつけ、マンションの価格もうなぎ上りだ。

タワーマンションの相場は中古物件でも70平方メートルで7000万円といったところ。10年間で、武蔵小杉駅周辺の基準地価は7割ほども急上昇した。

不動産バブルと言っても過言ではないほど市場が過熱する武蔵小杉を歩いた――。

午前8時、JR武蔵小杉駅には「長蛇の列」ができる。慌ただしく改札に向かう男性会社員(30代)の話。

「毎朝、たしかに人は多いですね。マンションを買っちゃったし、子供も保育園に入れたし、この環境に慣れていくしかないのですが……。正直、駅の混雑ぶりはなんとかならないかと思います」

街を歩くと、林立するタワマンが弊害を生んでいる実態も見えてくる。とにかく風が強いのだ。ベビーカーを押す母親や杖をついて歩く高齢者は簡単に風にあおられる。

コンビニの入り口には自動ドアの前にもう一つ透明な壁が設置されている。店員が言う。

「強風が直撃するのを避けるためです。壁を設置するまでは、砂ぼこりや木の葉、ゴミ屑が飛び込んできていました。ここ10年くらいの傾向です。やっぱりタワマンが影響しているんでしょう」

タワマンは住民の日常に欠かせない日照時間も奪っていった。長年、武蔵小杉の戸建て住宅に住む70代女性が嘆く。

「あっちとこっちのマンションの間を太陽が通過していく1時間が勝負なのよ。この時間を逃すと、もう洗濯物は乾かない。あとはずっと日陰だから、寒くて寒くて。それでもまた新しいマンションが建つらしく、そうなったら一日中アウトよ」

タワマンの建設にともなって、駅前にはショッピングモールや大型スーパーが新設された。そのため、もともと地元にあった商店街が廃れていった。80代の地元商店主の男性がぼやく。

「この商店街には惣菜屋や乾物屋、布団屋、魚屋、豆腐屋……色々あったけど、みんな店を畳んじゃったよ。あれだけ大きなショッピングモールや24時間営業のスーパーができちゃったら、とても太刀打ちできない」

便利な土地という評判を聞きつけ、子育て世帯は増え続ける。結果、子供の遊び場が不足し、陽の光が差し込まない、高架下のわずかな土地を「公園」として使わざるをえない状況だという。

都市計画の専門家で、埼玉大学名誉教授の岩見良太郎氏が指摘する。

「川崎市は、都市間競争の観点から超高層マンションが建設できるように規制緩和を進めてきました。その結果、都心に通う会社員やその家族には便利な街になったと言えるかもしれません。

しかし、保育園や小学校の不足、駅の大混雑など、けっして住みやすいとは言えない新たな問題が浮上しています。以前からこの地で生活していた住民には強いビル風や日照権の問題など、重大な問題が生じています。

トータルとしての都市計画がなされていないんです。このままでは街全体の魅力は否応なく落ちていくでしょう。放置すれば不動産価格が暴落する可能性があります」

首都圏も安心できない

さして住みやすくない街の不動産が、サラリーマン世帯が手の届かない金額にまで高騰していく。こんなことがいつまでも続くはずはない。多くの人がそう思っている。

では、不動産価格はいつピークを迎えるのか。

「今年に限って言えば、不動産価格は上昇する余地を残しています。'19年10月に予定されている消費増税を前にした駆け込み需要が見込まれるからです。不動産は高額なだけに、2%引き上げの影響は小さくありません。

すでに消費増税を見越した動きは始まっています。とくに埼玉県や千葉県などの郊外の物件。都心の投資用物件と違って、これらは実需のため、増税前に買おうという気持ちが強い。売り手も積極的に物件を投入しています」(住宅ジャーナリスト・山下和之氏)

ただし、これは需要の先食いにすぎない。その後の失速は避けられず、'19年以降は価格を大きく下げることが予想される。さらに、不動産会社が抱える構造的な問題もあるという。

三井住友信託銀行調査部の深山敬大氏が言う。

「新築マンションを多く手がけている不動産大手には資金に余裕がある会社が多く、これまでは多少売れ行きが悪くても強気の価格を崩さず、在庫を抱える余裕がありました。

しかし'18年から'20年にかけて各社は大規模プロジェクトを控えていて、手元に資金を用意する必要がある。そこで価格を安くしてでも、新築マンションを売り払う動きがあると見ています。

新築マンションの価格が安くなれば、中古マンションにも影響が及び、'19年には価格が安くなる可能性は大きい」

見逃せないのが、住宅ローン金利の動向だ。日本銀行はマイナス金利政策を行い、異次元の金融緩和を続けている。そのため、住宅ローン金利も抑えられ、不動産バブルに拍車をかけてきた。

「しかし、世界景気はよくなってきているし、実感はともかく、日本の景気も回復していると政府は発表している。いつまでもマイナス金利政策を続けるとは考えにくい。

日銀が金利を引き上げる姿勢を明確にすると駆け込み需要が増え、それが不動産価格のピークになる」(ファイナンシャルプランナーの深野康彦氏)

その上、日銀が金融緩和政策の一環として行っているREIT(不動産投資信託)の買い入れが終われば、不動産価格にとってもネガティブだ。

不動産コンサルタントの長嶋修氏が描く日本の不動産の将来像は暗い。

「シンガポール国立大学の清水千弘教授(現・日本大学教授)らの研究によれば、日本の住宅価格は2040年には、'10年より46%下がるとしています。5000万円だった不動産が、2700万円に下がるイメージです。

しかし、これはあくまで全国平均。私はこれからの不動産は、@価格維持・上昇グループ、A半値グループ、B無価値・マイナス価値グループの3つに分かれていくと考えています」

長嶋氏によれば最も多いのが、全体の7割を占めるA半値グループだという。毎年2〜4%の下落を続け、二十数年後に半額にまで下落する。

@価格維持・上昇グループは全体の1割程度。都心の駅近物件や地域でナンバーワンのタワマンなど、超優良物件だ。

「問題は、全体の約2割を占めるB無価値・マイナス価値グループです。売ろうとしても引き取り手がおらず、固定資産税や維持管理にコストがかかるだけ。持っているだけで損をします。

あるいは所有者が空き家の取り壊し費用を負担して、無料で引き取ってもらうしかない。すでに地方の田舎では現実になっていますが、首都圏でも近い将来にはそういうところが出てきます。

たとえば、'70〜'80年代に団塊世代が多く暮らした、かつてのベッドタウンがそうです。都心から30kmくらいのところにある、交通が不便な地域。

具体的には神奈川県の相模原や埼玉県の大宮、千葉県の柏などです。こういう場所は団塊世代が一斉に移り住んだので、住む人がいなくなる時期も一気にやってきます。

そういう土地を持っている人は、できるだけ早く売ったほうがいい。時間が経てば売れなくなるばかりか、持っているだけで損をします」(長嶋氏)

今年中に売るべきかも

人口減と超高齢社会の到来で、不動産需要は先細っていく。いまからどう手を打とうとも、これはすでに避けられない現実だ。一方で、新築マンションは'20年までは前年比増で供給され続ける。いずれ大暴落がやってくるのは自明の理だ。

「'20年の東京オリンピックの後には景気後退がやってきて、さらに不動産価格が下がる危険性もあります。長期的に見れば、日本の不動産市場に明るい材料は見当たりません。

野村総研の予想では、2033年には空き家は2000万戸を超え、空き家率は30.4%になるとしています。

かろうじて資産価値を維持できる不動産は、都心の一等地にある物件だけ。それ以外のエリアに関しては、資産価値を考えないほうがいいでしょう」(前出・山下氏)


「週刊現代」2018年1月20日号より


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c150

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
151. 中川隆[-5545] koaQ7Jey 2018年3月05日 11:49:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2018年03月05日
マンション投資はどのような手口で騙されるのか

不動産に限らず「老後の安心」みたいなフワフワした宣伝をする商品は、すべて詐欺だと思います


ごみ物件を買わせる手口

マンション投資やシェアハウス投資で損失を被ったという人が多く、その多くが「サブリース」契約をしていました。

サブリースとは物件の管理一切をやってくれて、しかも空室でも家賃は保証され、買い戻し契約がついている場合もある。

庶民の味方、大家さんの味方と宣伝していて、契約者の多くは絶対に損をしない筈だと考えていました。



投資物件を買って損をするのは、初めて不動産投資する人と決まっていて、知識や経験がある人は簡単に手を出しません。

きっかけは不動産会社から営業電話が掛かってくることですが、電話が掛かってきた人の名簿は他の人と一緒に売られてしまっています。

サービス利用者とかアンケート応募者とか、セミナー資料請求者とか、名簿は手当たり次第に商品化され転売されています。


営業電話を掛けてくるのは優しそうで声がきれいな女性か、爽やかタイプの比較的若い男性と決まっています。

世間話でも雑談でも、話してしまうと会おうという方向に話が進み、有利な投資があるなどと言われて関心を持ってしまいます。

営業マンが売っている物件は実は売れ残ったものを高く売っているので、普通では売れないから電話を掛け捲っています。


例えば1500万程度で手に入れた「訳あり新築物件」を2500万などのとんでも無い値段で「お買い得」だと言います。

不動産投資未経験者は相場が分からないので見抜けず、次にサブリース投資の話をされます。

「サブリースはローンが払い終わるまで家賃が保証されます」「しかもローンを払い終わったら販売した値段で買い取ります」と来る。

購入後は手の平を返す

しかも「あなただけにこんな有利な話をご紹介します」「こんなチャンスはもう無いでしょう」と畳み掛けられます。

本当に家賃を保証してもらえて最初の値段で買い取るなら、これは確かに絶対損をしないのだが一つ落とし穴があります。

オーナーが「絶対損をしない」ならサブリース会社は「絶対に儲からない」ことになり、普通はそんな話を信じません。


ですが「絶対儲かる」話を聞かされて天にも昇る気分になっているので、当たり前のことに気づかないのです。

宝くじの1等が当たった時に、「自分が買ったのは印刷した偽の宝くじではないか」と考えないように、有頂天になった人は注意力がなくなるのです。

試しに融資が通るかどうか申し込みましょうといわれ、試しだからと申し込んでみると、なぜか非正規なのに頭金ゼロの2500万円融資が通ったりします。


一流企業の正社員なら銀行は無条件で融資し、派遣でもノンバンクなら少し高い金利で融資する場合があったようです。

サブリースの見積もりではトントンか少し赤字だが、「ローンが終わったら買い取るので貯金と同じ」などと説得されます。

最後のダメ押しに営業マンは、「貴方だけに、今なら100万円値引きしましょう」とささやきます。


最初から1000万も高すぎるので100万円引いてもらっても大損なのだが、やはり初心者なので「安い」と思ってしまいます。

契約してオーナーになると、良くてトントン、あるいは毎月数万円の赤字になっているのに気づくでしょう。

電話すると「赤字は貯金と同じで、払い終われば自分の資産になります」と説明され納得してしまいます。

サブリース会社はいつの間にか倒産する

あるとき家賃を入金する会社名が「○○サブリース」から「XXサブリース」に代わり、社名が変わったという知らせが来ます。

まあちゃんと振り込まれているので良いやと思っていると、暫くして家賃は減額され、もう暫くして入金もなくなります。

さすがにおかしいと思って問い合わせると、なんと自分が契約した会社は倒産して既に存在せず、契約は無効になっていました。


サブリースではこんな事がザラにあり、「30年家賃保証」「ローンが終わったら買い戻す」は会社が存続していたらという仮定の話です。

たとえ契約を交わした会社が存続していても、契約書には小さな文字で、赤字の場合は契約を一方的に破棄できると記載されています。

そんなバカな、詐欺じゃないかと思っても不動産売買はプロ同士が行うものと規定されているため、オーナーを保護する法律はないのです。


こうしたサブリース投資では所有権はオーナーにあるので売却できるが、どの時点で売却してもオーナーが損する価格で販売されている。

購入した直後に気づいて売却しても数百万の損、10年ほどローンを支払ってから売却しても、やっぱり数百万損をします。

銀行に泣きつくと金利を少し引いてくれる場合もあるが、焼け石に水で元本は絶対に値引きしてはくれない。


アベノミクス以前に購入した人は、運よく不動産価格の値上がりによって、購入した同額程度で売却できた例もあるようです。

多くのサブリースオーナーは売却して残りのローンを返済し続けるか、所有して赤字分を負担するかのどちらかになります。

ローンを完済後は「売った値段で買い戻す」と約束した会社は存在しないので、売却しても二束三文になり、トータルでは赤字になります。
http://www.thutmosev.com/archives/75174311.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c151

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
5. 中川隆[-5544] koaQ7Jey 2018年3月05日 12:27:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


米ドル/円 (米ドル/円) 【0950】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0950

日経平均ドル換算値
http://www.miller.co.jp/chart.cgi?0104I

日経平均 (日経平均) 【0000】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0000

TOPIX (TOPIX) 【0010】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0010

NYダウ (NYダウ) 【0800】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0800

NASDAQ (NASDAQ) 【0802】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0802

_____

ドル円 日本エリオット波動研究所
http://jewri.org/category/usdjpy/

日経225CFD 日本エリオット波動研究所
http://jewri.org/category/nikkei/

ダウ 日本エリオット波動研究所
http://jewri.org/category/america/dow/

松本鉄郎のポイント・アンド・フィギュアによる実戦相場予測
http://www.gaitame.com/blog/matsumoto/

アダム・スミス2世の経済解説
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c5

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
6. 中川隆[-5543] koaQ7Jey 2018年3月05日 12:41:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本円が超円安になった理由


「アベノミクス」の正体
日本食潰す金融投機資本に貢ぐ 2013年5月17日付


安倍政府が発足して以後、「アベノミクス」と呼ばれる異次元の金融緩和や公共投資を中心とする政策が台頭し、急激な円安と株高の局面があらわれている。

昨年11月に民主党・野田政府が解散を表明した時点で8600円台だった日経平均株価は、半年たった今年5月中旬には1万5000円台まで急騰し、為替相場は1j=79円台だったものが102円台まで円安になるなど、世界的に見ても例がないほど大きな変動が起こっている。

海外投資家が時価総額のうち七割を占めている株式市場が熱狂し、さらに円安でトヨタをはじめとした輸出企業が過去最高益を上げるなど、金融緩和と為替マジックで金融資本や一部大企業がバブルに浸っている。

ところが一方で、燃油や穀物を中心に日本国内では生活必需品の価格が急騰し始めるなど、国民生活に深刻な影響が広がっている。「アベノミクス」でいったいなにが起きているのか、どうなっていくのかが重大な関心を集めている。


 
 バブルに群がる海外投資家

 この間、日経平均株価はリーマン・ショック以前と同レベルの価格まで急騰してきた。それほど好景気なわけでもなく、むしろ怒濤の首切りや製造業の海外移転を経て失業や貧困が全国的な範囲で広がり、生活実感としては悪化しているにもかかわらず、「日本株、年初から45%の上昇率」「1万5000円台回復」が叫ばれている。今後はさらに1万6000円台、1万7000円台まで上昇するとエコノミストたちが煽っている。

 しかし株式市場もよく見てみると、東証一部の約6割にあたる1000近くの銘柄が値下がりしている。株価が急騰している4割のなかでは円安効果の恩恵を受けた自動車産業や、ソニー、パナソニック、三菱電機といった企業が年初から倍近い株価をつけている。逆に株価が急落している企業としては不動産関係や、国内小売りのヤマダ電機、イオン、東芝などの企業群だ。

 東証の株式時価総額は昨年10月末には261兆円まで落ち込んでいたのが、今年4月末の段階では411兆円にまで膨れあがっている。わずか半年で150兆円がなだれ込んでいる。この半年の推移を見てみると、11月に14兆円増加し、12月には26兆円増加、1月に29兆円、2月に13兆円、3月に23兆円、4月には46兆円とすさまじい勢いで資金が流入しているのがわかる。

 このなかで投機の中心的なプレイヤーとして振る舞っているのが海外のヘッジファンドや投資家といわれ、時価総額の大半は国内資金ではなくこうした海外資金であることが明らかになっている。

サブプライム危機で行き場を失った膨大な余剰資金がヨーロッパを食い物にし、ギリシャ、スペインなど南欧諸国の国家破綻でボロもうけした後しばらくは中国や新興諸国のバブルに巣くっていたが、それも一段落ついて今度は「アベノミクス」バブルに大集結していることを反映している。


 世界3大投資家の一人であるジョージ・ソロスがわずか3カ月で970億円を稼いで

「黒田はガッツがある」

「緩やかに死に向かっていた日本市場の目が覚めた」

などと褒めちぎり、

「しかし円が雪崩のように下落する恐れがある」

などと発言する状況ができている。こうした抜け目ない守銭奴は、日本経済が低迷しているといわれた時期に底値で株式を買い取るなど仕込みを終え、現在のように素人が「株がもうかる」と思い始めるような段階には見切りをつけて売り抜けている。

カモにされるのはいつも決まって素人で、証券会社にそそのかされた年寄りや、中流世帯が巻き込まれて泣きを見ている。


 加熱する米国債の購入 日銀の金融緩和で


 国債市場は株式市場よりも規模が大きく、世界的には株式市場の3倍にもなるとされている。この間の円安で輸出企業は潤ったといわれているものの、円安そのものが国債暴落で、1j=80円の段階で例えば1万円の日本国債の価値がドルベースで換算すると125jだったのが、いまや1j=100円超えなので、その価値は100jと大幅に下落することになった。

 こんな日本国債を持っているよりは、ドル建ての米国債を購入した方が儲かるという判断が働いて、日銀が金融緩和すればするほど米国債買いが加熱して、海の向こうに資金が流れ出していくことになっている。

円建ての日本国債を売り払って円を調達し、その円を売り払ってドルを買って米国債を購入するのが流れになり、あるいは国債を売り払った資金で株式市場に投機する動きとなった。


 安倍政府、日銀による異次元の金融緩和は、米国債購入という形で吸い上げられ、あるいは国際金融資本の博打の源泉として食い物にされる仕組みになっている。

リーマン・ショック後に、米国ではFRBが気狂いじみた量的緩和を実行し、銀行群の損失処理にあたり、ヨーロッパではECBが負けず劣らずの量的緩和をやり、市場に資金を供給してきた。そうしたマネーに寄生し、バブルを渡り歩いてきたのがヘッジファンドで、熱狂した後に売り浴びせることは、過去に日本市場でも経験済みだ。


 円安でも拠点を戻さず 海外移転の大企業

 日本国内ではこの数年、大企業が円高を理由に海外移転を繰り返してきた。ところが円安になったからといって日本に拠点を戻すわけでもなく、多国籍企業のようになって出ていく。内部留保を散散貯め上げたうえで、そうした過剰な資本は国民生活の水準を引き上げるためには用いられず、より利潤の得られる後進諸国への資本輸出や進出へと向けられている。ベトナム、ミャンマーといった進出先のインフラ整備までODAで日本政府に肩代わりさせるのだから、国民の面倒は見ずにもっぱら寄生するだけの存在というほかない。

 その株式を保有しているのが米国をはじめとした海外の超富裕層や、錬金術に長けた金融資本で、人為的な円安、株高政策にせよ、TPPにせよ、日本の富を米国富裕層の個人資産に移し替えてくれる「アベノミクス」だからこそ大歓迎している。

 グローバリゼーションのもとで、かつてなく世界を股に掛けた投機が横行し、産業集約が進んでいる。金が溢れて投資先に困るほど、生産は社会化して富は増大している。ところがその金は一%にも満たない超富裕層が握りしめて離さないことから、九九%がますます貧困に追いやられ、モノが売れずに経済活動は停滞。金融が破綻すれば損失を国家に転嫁するというデタラメがまかり通っている。

 ヘッジファンドが食い荒らしている日本市場の姿と、その資金をせっせと提供している「アベノミクス」の存在が暴露されている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/enyasukabudakanokagedekyuurakusurukokusai.html


安倍「官製相場」の正体。国民生活が疲弊し対米従属は加速する=吉田繁治 2016年10月20日
http://www.mag2.com/p/money/24781


2012年12月に発足した安倍内閣はアベノミクスを標榜し、株価上昇をその支持基盤としてきました。あれから約4年、いよいよ「株価政権」の総括検証をすべき時期が来ています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)

※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年10月19日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。本記事で割愛した内容(約5,000文字)もすぐ読めます。

なぜ株価は景気を反映しなくなったのか?官製相場の欺瞞を斬る

安倍首相の「スタートダッシュ」

消費税10%法案を通した野田民主党の自滅により、自民党は2012年12月、3年4ヶ月ぶりに政権に復帰しました。首相自ら「アベノミクス」と呼ぶところの、安倍政権の経済・金融政策の始まりです。

安倍首相は前回の失敗から、「スタートダッシュが肝心」と決めていました。自公政権が確実になった12年10月に明らかになったのは、
◾脱デフレの大きなマネー増発策
◾10年で200兆円の国土強靱化の公共投資

でした。日銀法を改正し、独立権を奪ってでも、マネーを増発させるという強いものだったのです。

【関連】株も不動産も奪われる! 預金封鎖よりも怖い「財産税」の傾向と対策=東条雅彦

国土強靱化は、財政赤字を200兆円分拡大して危険だ、という財務省の反対で消えました。東日本大震災の復興予算として、別途、28兆円の政府支出が必要だったからです。

マネー増発を推進するミッションを持ち、黒田総裁・岩田副総裁体制になった日銀は、異次元緩和(量的・質的金融緩和)を開始します。

量的緩和は、金融機関がもつ国債を買ってマネーを増発する政策です。質的緩和は、日銀が日経平均(株式ETF=上場投信)とREIT(不動産投信)を買いあげて、価格を上げるものです。

日銀による株買い(ETFの購入枠は6兆円/年)、これは普通、中央銀行が禁じられていることです。

恐慌の研究家である前FRB議長のバーナンキは、「日銀がケチッャプを買えば物価上がる」と言っています。あるいはヘリコプターでお金をばらまけばいいとか、ニコリともしないで異常なことを言う。

日銀が増刷した円で店頭商品を買えば、需要の超過になり物価は上がります。車を100万台(3兆円)、住宅を100万戸(30兆円)買ってもいいが、さすがにそれはできない。そこで株を買う。

日銀の株買いは迂回(うかい)して行われた

金融機関は、国債をはじめとする債券と貸付金で預貯金や基金を運用しているので、余分な現金は持ちません。

量的・質的緩和を政策にした日銀が、郵貯、年金基金(GPIF)、かんぽがもつ国債を買う。政府系金融と基金(GPIF)はそこで得た円で、日米の株とドル国債を買う。ワンクッションおいていますが、日銀が直接に日米の株を買い、米国債を買うことと同じです。

日銀は直接買うETF(年6兆円の枠)以外に、迂回路をとり数十兆円の株買いを行ったと言えます。方法はごまかしめいて姑息ですが、マネーの流れとしては露骨です。

日銀は量的・質的緩和として、円を下げ、株を上げ、インフレに誘導する「可能な手段の全部」をとってきたのです。

株価上昇は、株主の資産(東証一部時価総額511兆円 ※16年10月18日時点)を増やします。同時に企業の増資コストを下げます。資産が増えた株主は、資産効果で消費を幾分か増やします(しずくのようにわずかなのでトリクルダウンという)。百貨店で、100万円級の機械式時計が売れたのが、この資産効果です。

株価は理論的には、企業の将来の税引き後の予想純益を、期待金利(リスク率を含む株式益回り:6.6% ※16年10月18日時点)で割ったものと等価です。これが表現するのは、株価は企業の予想純益の結果ということです。

しかし多くの人々には、「株価が上がった→景気がよくなったからだ」と理解されます。下がっていた血圧が輸血で上がったから健康に戻った、と思うような本末転倒ですが、投資家と上場企業は歓迎します。支持率が上がるので、政府与党も喜ぶ。

株価が下落し、支持率も低くなった前回の反省を踏まえた安倍首相は、スタートダッシュで円安の誘導、株価の上昇に躍起になりました。円安の誘導は、輸出を増やし、株価を上げるためでした。

マネーの流れ

ヘッジファンドは保有しているドル国債を日本に売り、得た円で、出遅れていた日本株を買う。そして実は、総資金量が420兆円と日銀よりも巨大な政府系金融(現在名ゆうちょ銀行、かんぽ保険、GPIF:総資金量420兆円)は、日銀に国債を売って得た円で、米国債も買っています。

公的年金の残高139兆円(15年12月)を運用しているGPIFの、15年12月のポートフォリオ(分散投資)は、「円国債38%、国内株23%、外国債券(主は米国債)14%、外国株23%」です。

※日銀がGPIFの国債を買いあげる→GPIFは得た現金で国内株、米国債、米国株を買う→GPIFに米国債を売ったヘッジファンドはそのマネーで日本株を買う

マネー運用には遅滞が許されないので、この迂回路取引がコンピュータの中で、一瞬で起こります。

安倍政権の初年度だった2013年には、外国人(ヘッジファンド)からの15.1兆円もの巨大買い越しがありました。

外国人の売買は、東証一部の年間売買額460兆円のうち320兆円(約70%:16年7月水準)です。国内勢(金融機関と個人投資家)は、1990年のバブル崩壊後の損失の累積で資産を減らしたため売買がとても少ない。国内勢の売買は140兆円です。

他方、多くがオフショア(タックスヘイブン:租税回避地)からであるヘッジファンドの売買が320兆円です。東証はこのヘッジファンドの支配下です。

ヘッジファンドの日本株買いと、円先物売りのマネーの多くは、GPIFにおけるような迂回路をとって日銀が買い続けている、政府系金融の国債の現金化から来ています。

安倍政権前から始まっていた「官製相場」

政治相場(あるいは官製相場)は、14年10月末に発表された「日銀の追加緩和」と「GPIFの運用方針の変更」から始まったように言う人が多い。

しかし、マネーの流れを比較貸借対照表で調べると、安倍政権が始まる前の12年の10月から秘密裏に開始されています。最初は、円安介入のための30兆円の政府系金融マネーでした。

※総資金量420兆円の政府系金融3機関が、日銀に国債を売ったマネーで、米国債を30兆円買った→米国債を売ったヘッジファンドが日本株買い/円の先物売りを行った

安倍政権が確実になる前、12年9月の日経平均の予想PER(加重平均)は、1ドル80円台の円高の中で12倍付近と低かった。米国ダウのPERは15倍と3倍高かった。

上場企業(東証一部2000社)においては、輸出製造業の株価シェアが大きい。円安/ドル高になると、利益が数倍に増えます。このため、円安で日本の株価は上がり、円高で下がる基本性格があります。

通貨の低下は、普通、国力(政治力)と経済力の低下を示します。しかし日本では、ドルでは同じでも円での輸出価格が上がる。このため、上場企業の利益が増える予想がたち、株が買われます。
(注)予想PERは、株価の時価総額を次期予想純益で割った株価/収益倍率であり、株価の高さ、低さを判断するための指標です

PERが15倍なら将来15年分の、未実現の企業純益を株価が含んでいます。16年10月の日経平均の加重平均のPERは、14.3倍付近です。単純平均のPERでは18倍と高い。日経平均は、ユニクロ(ファーストリテイリング)の34倍のような高PER銘柄を含むからです。

2016年10月現在、日経平均は1万7000円付近です。米国ナスダックの予想PER(単純平均)は現在21.9倍で、バブル価格の水準です。他国をあげると、インド18.2倍、英国17倍、米国ダウ16.8倍、上海総合14.4倍、ドイツ13.3倍、ロシア6.8倍です。


円安誘導という名の「米国債買い」を実行

安倍政権誕生の2ヶ月前、1ドル77円(12年9月)だった円は、その2ヶ月前から下がりはじめ、10月に80円、11月に83円、12月には87年円と13%の円安になっています。続く13年1月に92円、2月には93円と下がり、6月には岩盤に見えていた100円も超えたのです。
(注)円安のピークは、15年6月の125.8円です。16年2月のマイナス金利以降は、逆に円高になり16年10月は104円付近です

円安は、世界の外為市場(円の売買が日量120兆円:2016年)での「円売り/ドル買い」が「円買い/ドル売り」を超過することで起きます。なぜ50%(1ドル120円)もの円安になったのか?

ここで、財務省の外貨準備($1.26兆:126兆円:16年10月)は、目立つので使われなかった。かわりに、ゆうちょ銀行、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、かんぽに、推計30兆円の「円売り/ドル買い」を行わせたのです。

前述のように、日銀がゆうちょ、年金基金、かんぽがもつ国債を買い、政府系3機関は、そこで得た円で、円安誘導を目的にしたドル債買いを実行するわけです。

さて、米国政府は、為替介入を行う国を「為替操作国」と強く非難します。しかし、円売り/ドル買いで得たドルで米国債を買うと途端に沈黙します。この理由は何でしょうか?


アメリカ政府の債務は2000兆円

米政府の総債務(自治体と社会保障の債務を含む)は、日本国債の2倍の$20.0兆(2000兆円:16年)に膨らんでいます。米国債も$15兆(1500兆円:同年)に増えています。

財政赤字は毎年、$7000億付近(16年度は$7130億)です。17年には、公的医療費($2.8兆:280兆円:12年)の増加で、赤字は$1兆を超えるでしょう。

米国の人口ピラミッドは、日本の10年遅れです。医療費では診療単価が約2.5倍高く、総額で$2.8兆(280兆円:12年)です。3.2億人の国民の、健康な人を入れた1人あたり年間医療費は$9000(90万円)です。

日本の医療費は、40兆円で1人あたり31万円/年。米国は1人あたりで3倍も多い。米国の医療費は信じられない高さです。盲腸の手術や流産で200万円とか…日本は世界的には医療費は安い。

米国政府は、この高すぎる医療費のため、日本の10年遅れで高齢者が増えるとつぶれます(ほぼ確定でしょう)。

米国は、新規国債のうち50%は、経常収支が黒字の中国と日本に売らねばならない。米国内では50%分しか買い手がない。米国は、海外からマネーを借りる構造を続けています。円でドル国債を買うことは、マネーの流れとしては米国への貸し付けです。

経常収支の赤字国は、感覚では逆ですが、資本収支では黒字になります。資本収支の黒字とは、マネーが流入することであり、現象形は、海外の金融機関が米国債、株、社債、MBS(住宅ローン担保証券)を買って、ドル預金をすることです。

わが国の民間では、国内の運用先がない三菱UFJグループ(総資産281兆円:16年6月)が、米国運用を増やしています。米国経済は、海外資金が大挙して引き揚げるとひとたまりもない。このため、米国はユーロや円より約2ポイントは高い金利を続けねばならない。


米国が利上げしなければならない本当の理由

米国が14年10月に、3回行った量的緩和(QE:$4兆:400兆円)を停止し、2015年12月にFRBが0.25%利上げした本当の理由は、金利が低いままだとドル債が売られ、海外から来たマネーが逃げる恐れがあったからです。逃げはじめてからの利上げでは、間に合わない。

米政府とFRBが、日本に金融緩和を強く勧めるのも、米国債と株を買ってもらうためです。異次元緩和にも米国への資金環流という条件がついていました。リフレ派は亡国のエコノミストに思えます

リーマン危機のあと、400兆円のドルを増発した3度のQE(08年〜2014年)でマスクされていた米国の「大きな対外不均衡」は、今も世界経済における根底の問題であり続けています。

米国の対外総債務は、$20兆(2000兆円)、対外資産を引いた純負債は$8.8兆(880兆円)と巨大です(15年末)。

一方で日本は、官民で948兆円の対外資産をもち、対外債務は609兆円です。339兆円の純資産があります(15年末:財務省)。経常収支が黒字になり、バブル経済で世界ナンバーワンと言われた1980年代以来、企業と金融機関が営々と貯めてきたものが、対外純資産になっています。

関連して言うと、中国は、公式には$2.1兆(210兆円:14年)の対外純債権国とされています。しかし、15年と16年に民間で起こった「元売り/ドル買い」に対抗して、政府が行った「元買い/ドル売り」により、今は、純債務国に転落していると推計できます。

2015年12月で$3.3(330兆円)とされている外貨準備では、銀行の持ち分と政府の持ち分が二重に計上されています。中国の4大銀行は、全部が国有です。選挙と議会制度がない共産党国家・中国の経済統計には、かつてのソ連と同じ問題があります。


ヘッジファンドによる円売り・日本株買いのカラクリ

アベノミクスとは、インフレを目標にした、

1.日銀の国債買いによる通貨増発
2.ドル買い/円売りによる円安誘導
3.政府系金融とGPIFによる日本株買いと米国債買い


です。

2%のインフレを目標にしたのは、年金・医療費・介護費(社会保障費)が年率3%(3兆円)で増え続け、それが国債の増発に繋がって、債務比率(政府総債務1277兆円/名目GDP505兆円=253%)が拡大することを防ぐためです。

分母の名目GDPが年率で3%以上増え続けないと、債務比率が大きくなり、近い将来の財政破綻が確定するからです(名目GDPの下限目標=実質GDP1%+インフレ率2%)。

仮にインフレになっても、企業所得と税収が増える中で世帯の所得が増えない場合、国民の生活は苦しくなっていきます。年金支給額が固定されている年金生活者3100万人(15年:厚労省)と、円安では企業所得が減る多くの中小企業の雇用者4100万人(06年:経産省)、合計で7200万人は、インフレで実質所得が減ります。

しかし、それらは構わない。政府にとっては、差し迫る財政破綻の防止がはるかに大切だとされたのです。


円安と株価上昇には有効だった量的・質的緩和

需要が増えることによる物価上昇に効果がなかった量的・質的緩和は、12年末から15年までの円安と株価上昇には有効でした。13年と14年の物価上昇は、円安での輸入価格上昇が主因です。世帯消費と企業の設備投資は増えていません。

東証では、年間420兆円の売買額の70%が、オフショアからのヘッジファンドによるものです。国内の個人投資家と金融機関は、90年からのバブル崩壊、00年のIT株崩壊、08年9月からのリーマン危機で3回の大きな損失を被ったことから、売買額が30%に減っています。

個人投資家700万人の多くは、上がるときは損失を回復するため売り越す、下がるときは難平(なんぴん)買いで買い越すという行動を取ります。


2012年末以降の日本株式市場の売買構造

このため、わが国の株価を決めているのは、70%のシェアになったヘッジファンドの売買です。


1.ヘッジファンドが買い越せば上がり、売り越せば下がる

2.下がっては、政府と投資家が困る

3.ヘッジファンドが売り超になると、3つの政府系金融(総資金量420兆円)と日銀(同459兆円:16年10月)が買いをいれる

という単純な基本構造が、2012年末から2016年10月まで続いているのです。

しかし2016年は、政府系金融と日銀の買いに対する株価上昇の反応が鈍い。この理由は、

1.アベノミクスによる株価上昇が政治相場(または官製相場)であることを皆が知った

2.このため二番目に大きな売買シェアを持つ個人投資家(700万人)が、政府系金融に追随した買いを入れなくなった

ことにあります。


米国の後追い。2015年から日本でも自社株買いが増加している

1日平均売買額が2.9兆円(15年平均)だったものが、2.3兆円(16年7月)に減った現在の東証一部で、大きく増えているのは自社株買いの4.3兆円です(16年1月〜9月)。

これは、事業法人の買い超に含まれます。年間では5.7兆円の買い超になるでしょう(13年1.5兆円、14年2兆円、15年3兆円)。

自社株買いは、市場で流通する株式数を減らします。会社利益は同じでも、1株あたり利益は上がったようになり、株価も上がります。タコが自分の足を食べることに似たこの自社株買いは、上場大手企業が留保利益で将来投資をせず銀行預金として貯まった、現金100兆円で行われています。

自社株買いでも、買いが増えれば株価は上がるので「株価上昇という形の株主配当」とされています。経営者が株主サービスとして行うのです。問題は、自社株買いは、いつまでも続けることはできないことです。

米国の2012年以来の自社株買いは、とても大きい。16年の第一四半期で$1820億(18.2兆円)です。年間では73兆円という巨額です。米国では、日本よりはるかに個人株主の要求度が高い。株価が1年も下がり続ければ、資産を失った株主により、株主総会で経営者が追放されます。

このため、経営者は米国FRBの量的緩和と、わが国と同じ将来投資の少なさから滞留したキャッシュフローで、年間73兆円もの自社株買いで事実上の減資をしているのです。

時価総額で世界一のアップル($6091億=60兆円:16年9月)は、社債を発行しゼロ金利マネーを得て、それで巨額の自社株買いを行っています。米国のダウやナスダックの大手企業の株価は、大きな自社株買いで20%から30%は高値になっているでしょう。

本稿執筆時点のダウは1万8161ドル、ナスダックは5243ポイントで史上最高値圏です。過去10年の純益を元にしたシラーP/Eレシオ(26.6倍:16年10月)が示すように、数十%のバブル性があると見ることができます。株価維持のために膨らみすぎた自社株買いの減少があれば、下がります。

自社株買いは、政府主導の官製相場と同じく、3年も5年もと続けることはできません。事実、2016年は米国の自社株買いはピークアウトして、今後は減少する傾向も見えます。

米国の自社株買いの傾向に注目してください。これが減ると、米国株は下がります。米国株が下がると、日本と欧州にも即日に波及します


株価が景気を反映しなくなった理由

ポートフォリオ投資とHFT(超高頻度売買)を組み合わせた売買シェアが、60%まで増えています。10年代の国際金融は、ネットワークで、リアルタイムに連結されているからです。

世界中の国債や株の売りも買いも、コンピュータ画面で一瞬です。株と債券の金融市場は、インターネットで変容しています。売買を叫ぶ「場立ち」があった「のどかな市場」ではない。

それでなくても、わが国の日経平均は米国ダウの子供です。米国株を売買しているヘッジファンドがポートフォリオ(分散投資)で、日本株をたとえば12%と一定割合にしているからです。米国株が下がると、ポートフォリオの中の米国株が減少します。かわりに、12%枠と決めている日本株の構成比が上昇します。これでは日本株の下落リスクが大きくなる。

株価罫線を分析するトレンド理論(傾向理論)とは違う、ランダムウォークの理論では、向こう3ヶ月で10%上がる確率があるときは、10%下がる確率も同じです。このため、ポートフォリオでのリスクが、コンピュータが自動計算する数値で大きくなる。

従って、米国株が下がると日本株を売って減額調整するプログラムが組み込まれています。ヘッジファンドのほとんどの売買で行われているHFT(超高頻度売買)がこれです。人間は関与せず、現物・先物・オプションの売買を組み合わせ、瞬時に売買が行われます。

ファンドマネジャーの関与は、ポートフォリオの割合(パラメータ)を変えるときです。以上の売買構造が増えたため、日米の株価の動きは同時化します。日米だけではない。

世界の株式市場(時価総額6000兆円:世界のGDPの1倍)が、ほとんど瞬間連動して動きます。基礎的な経済指標によるファンダメンタル理論(端的に言えば、景気がよくなると株価が上がる)は、ほとんど関係がなくなっているのです。
http://www.mag2.com/p/money/24781

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c6

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
7. 中川隆[-5542] koaQ7Jey 2018年3月05日 12:58:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

米国金利上昇にもかかわらずドルが下落している理由2018年2月22日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7463


アメリカの金融政策を決定するFed(連邦準備制度)の利上げとバランスシート縮小という金融政策によってアメリカの長期金利が上昇し、株式市場も不安定になる中、ドルが下落している。為替相場の教科書では、金利が上昇する国の通貨は高金利を求める資金が流入することで上昇することになっているが、2018年には逆の現象となっている。

その原因は様々な批評家が様々な推測をしているが、どれも的を射ていないように思う。遅くはなってしまったが、筆者はその原因にようやく確信が持てたので、この記事で検証してみたい。

金融バブルと世界市場

バブルが今回の件で完全に崩壊するかどうかは別として、やはり現在の市場の不安定さの原因は量的緩和バブルなのである。2008年の金融危機以降、あるいはもっと遡れば1980年代のレーガノミクス以降、先進国の中央銀行は金融緩和によって市場を支えることを継続して行なってきた。

金融緩和とは市場に資金を注入することで金利を押し下げる政策なので、結果としてアメリカの長期金利は長期の下落傾向にある。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/02/2018-2-22-us-long-term-interest-rate-long-term-chart.png

この長期の低金利トレンドがFedの金融引き締めによって覆されようとしている。その時に何が起こるかということが、今投資家が考えなければならないことなのである。

長期トレンドを理解した後で、より直近の市場の動向を考えてみよう。

通常、金融市場はファンダメンタルズと呼ばれる各市場にとって本質的な経済指標によって動かされている。例えば原油の価格であれば、世界的なエネルギー需要の増減がどうなるのか、OPECが減産合意をすれば供給はいくら減るのか、等の情報によって変動する。株式市場であれば企業利益の増減に反応し、ドル相場であればドルから得られる利益(つまりドルの金利)などに反応することになる。

しかし、少し前の記事で指摘した通り、最近の相場の動きはこうしたファンダメンタルズからの乖離が見られる。

•世界同時株安: 今後の大きな資金の流れを解説する

世界一の経済大国であるアメリカの中央銀行は世界の中央銀行とも言え、アメリカの金融引き締めは世界の金融市場から資金を引き揚げる政策であるとも言える。

どんなファンダメンタルズに基づいて動いている相場であっても、物理的に資金が引き揚げられてしまえば下落するしかない。そして現在起こっているのは、ファンダメンタルズではなく資金の流れに大きく影響される相場なのである。

以前の記事で取り上げたのは、米国株と原油相場が連動し始めたことである。そしてそれは今も続いている。以下は米国株のチャートである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/02/2018-2-22-s-and-p-500-chart.png

そして以下が原油価格のチャートである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/02/2018-2-22-wti-crude-oil-chart.png

アメリカの企業利益と世界の原油の需給という全く別のものに連動しているはずの米国株と原油価格が、特に2月以降完全に連動している。そして原油と株価が同じように上がって下がるというのは、2008年のバブル崩壊時にも見られた動向である。

また、この傾向は金価格にも見受けられる。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/02/2018-2-22-gold-chart.png

全く別の3つのものが連動しつつあるのが分かるだろう。

ドル建ての金価格は基本的にはドル相場を測る1つの指標である。ドル円やユーロドルはアメリカの事情だけでなく日銀やECB(連邦準備制度)の動向にも左右されるが、実需よりも通貨としての利用の方が大きいゴールドは、ドル指数などと並んでドルだけの動向を測ることが出来る。

そしてドルの動向を左右するファンダメンタルズは実質金利である。投資家は金利が上がれば金利のつかないゴールドよりもドルを保有しようとするため、基本的には実質金利と金価格は反相関の関係にある。しかしその関係が少し前から壊れているのである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/02/2018-2-22-gold-and-us-real-interest-rate-chart.png

秋頃までは、実質金利が上がれば金価格が下がるという綺麗な菱形のグラフだったのだが、年末から急にその連動が崩れている。実質金利は一貫して上昇しているが、ドルはむしろ安くなっている(つまり、金価格が上昇している)。

そして金価格が(つまりドル相場が)現在は何に連動しているのかと言えば、米国株を中心とする大きな資金の流れに連動してきているのである。

ドルが売られるのは米国から資金が流出する時である。そしてドルが買われるのは米国に資金が戻ってくる時である。

しかしドルは株式市場が強い時に売られ、弱い時に買われている。資金流出とは弱い時のことではないのかと思いがちだが、アメリカの投資家の目線から考えればより状況が分かりやすくなるだろう。

アメリカの投資家はリスクオフの場合に何をするだろうか? リスク資産を売ることになる。そしてリスクオフには新興国株など(アメリカ人にとって)外貨建ての資産が含まれる。

そしてアメリカ人が外貨建て資産を売れば、その資金はドルに戻すことになる。だからリスクオンでドルが売られ、リスクオフでドルが買われるのである。これが現在のドル相場の状況である。

ドル相場の今後

重要なのは、現在の金融市場ではファンダメンタルズがほとんど完全に無視されているということである。世界中の市場が金融引き締めという資金の流出をどれだけ深刻に捉えるかという一点だけに関連して動いているので、金利や需給などに根ざした通常時のトレードが成り立っていない。これは一般的に言えば、バブルの後期に起こる現象である。

また、この記事ではドル一般の動きについて説明したので、ユーロドルやドル円など個別の通貨をトレードするためには相手国の金融政策を考える必要がある。ユーロはECBの金融引き締め開始を織り込もうとしてユーロ高傾向にはあるが、チャートでは上記の「資金の流れ」理論に大体連動しているように思える。


一方で、ドル円はチャートの形としては連動がないわけではないが、中期的な円高傾向(ドル安傾向)が他のチャートに比べてかなり大きい。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/02/2018-2-22-usdjpy-chart.png

これは、日銀の緩和限界を市場が意識しているためだろう。限界を厳密に計算することは難しいのだが、機会があれば記事にしたいと思う。元日銀委員の木内氏は2018年に量的緩和は限界を迎える可能性があると言っていたが、そこまで差し迫っているのかどうかは微妙である。しかし、そうしたリスクが確実に円相場を押し上げてはいる。

結論

纏めると、最近のドル安傾向は相場が「ファンダメンタルズ相場」から「資金の流れ相場」に移行したことが理由であり、ドル安になっているのは、市場を破壊するような金融引き締めが行われるはずがないという投資家の勝手な楽観のためである。

しかし長期金利は確実に上昇している。そのため株式市場が不安定になっており、株式市場が崩壊するのかという問題は、ドル安トレンドが崩壊するのかという問題と確実に連動している。つまり、崩壊すればドル高ということになる。

しかし、厳密には株式市場とドル安トレンドの崩壊は時期が微妙にずれるかもしれないし、崩壊の程度も異なるだろう。

つまりは、ドル相場を以下の記事に書いた「大きな資金の流れ」の中に位置づけて、金利などのファンダメンタルズを一旦忘れて考えてほしいということである。この記事ではその中で米国株や日本株などの立ち位置を考えたが、ドル相場にも同様の観点が必要だということである。

•世界同時株安: 今後の大きな資金の流れを解説する

さて、金利動向に反したドル安の継続は市場がかなり可笑しくなっていることを示している。筆者は投資の方針を変えずにジャンク債の空売りを継続しているが、他の市場も注視してゆく。市場全体を理解しなければ、個別の動向も理解できないからである。


•ガントラック氏: ジャンク債は死んだ、長期金利は3%を超えても上昇が不十分


http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7463

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c7

[昼休み54] 日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する 中川隆
9. 中川隆[-5541] koaQ7Jey 2018年3月05日 13:17:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本のお米が食えなくなる? 「種子法」廃止で外国資本が日本のコメ農家を支配する!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180305-00100775-playboyz-soci
週プレNEWS 3/5(月) 6:00配信


 
種子を扱う民間企業の参入障壁になっていた種子法廃止を推し進めた農水省。この先も日本の食の安全を守っていくことはできるか?


4月1日から主要農作物種子法(以下、種子法)が廃止されることになった。

あまり聞きなれない法律だが、実はこの種子法、日本の食卓を守るために重要な役割を果たしてきた。

第2次世界大戦の敗戦から7年後の1952年に生まれた種子法は、今のように十分な食べ物もない時代、国民を飢えさせないため、主食となる農産物の良質なタネを安定的に供給することを目的につくられた。

国は法律に基づいて補助金を出しながら、都道府県単位でコメ、麦、大豆のタネの生産や優良品種の開発、選定までさせたのだ。

しかし、そんな日本の食の根幹を支えてきた重要な法律が、昨年4月、衆院でわずか5時間、参院で7時間の国会審議を経て廃止が決まり、今年の4月から施行される。

なぜ、突如として廃止されることになったのか?

種子法の廃止が具体化したのは、内閣府が2016年9月に設置した規制改革推進会議でのことだった。会議の発足からわずか1ヵ月後、農業ワーキング・グループで早々と種子法の廃止方針が打ち出され、その後はとんとん拍子で廃止が決まってしまったのだ。その会議資料には、廃止の理由について次のように記されている。

〈戦略物資である種子・種苗については、国は、国家戦略・知財戦略として、民間活力を最大限に活用した開発・供給体制を構築する。そうした体制整備に資するため、地方公共団体中心のシステムで、民間の品種開発意欲を阻害している主要農作物種子法は廃止する〉

ちなみに、このときはまだ「TPP(環太平洋パートナーシップ)協定から永久に離脱する」とブチ上げたトランプ米大統領も誕生しておらず、TPPはアメリカを含む加盟国の間で発効に向けた協議が進められていた。

つまり、わかりやすく説明すると、TPPで農業分野も国際競争が激しくなるから、それに打ち勝つには民間企業の力を借りなければならない。しかし、タネの分野には種子法に基づいて税金を投入する公共種子制度があるから民間が参入しづらい。だから種子法を廃止して、どんどん民間に参入してもらおう、ということなのだ。

しかし、いくら民間企業の力に頼りたいといっても、今まで問題なく機能していた法律を唐突に廃止する必要はどこにあったのか?

「タネの開発と販売を手がける大手外国資本が、日本市場に参入するための障壁となる種子法を廃止してほしいと政府に要求したといわれています。もともと規制改革推進会議は外資の要求を受けつける窓口として設けられたようなもの。その上、農業ワーキング・グループの委員は農業のことを知らない人も多い。『規制緩和はいいことだ』とばかりに種子法廃止に賛成したとしてもおかしくありません」

こう話すのは、食や農業に関する情報を発信している「食政策センター ビジョン21」の安田節子代表だ。

確かに、2016年2月に日米両政府がTPP協定で取り交わした文書には、「規制改革の透明性を高めるために外国人投資家などから意見や提言を求め、その検討機関として規制改革会議に付託する」といった内容が書かれている。このときすでに、外資が日本の制度に口を挟む土壌はできていたわけだ。

◆種子法が廃止されると何がどう変わる? 詳細は『週刊プレイボーイ』12号(3月5日発売)「4.1種子法廃止で日本のお米が食えなくなる!」にてお読みください。

(取材・文・撮影/桐島 瞬 写真/岡倉禎志)


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html#c9

[政治・選挙・NHK240] 日本のお米が食えなくなる? 「種子法」廃止で外国資本が日本のコメ農家を支配する!(週プレNEWS) 赤かぶ
3. 2018年3月05日 13:17:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
日本の農業を滅ぼすと日本人は餓死する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/125.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/789.html#c3
[昼休み54] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
12. 中川隆[-5540] koaQ7Jey 2018年3月05日 13:23:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アダム・スミス2世の経済解説  2015-05-10
アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

アベノミクスの評価は、現時点においてもさまざまである。その中で多くの人たちが認める功績は、株価を上昇させたことであろう。アベノミクスの否定論者でも、アベノミクスは株価を上昇させたこと以外にメリットは存在しないという評価を下す人は多い。

株価を引き上げたことは功績であるにしても、現在の株価は上がりすぎであり、バブルであるとの批判は存在する。

今回は、アベノミクスが株価上昇により巨額の損失を日本経済に与え、最近ではその累計額が100兆円にまで到達したという事実を説明する。

最後に、このような巨額の損失が発生した原因として、最近、株価の需給コメントのシリーズで書いているものと同じ内容を記すことにする。

繰り返すが、アベノミクスの否定論者でも、株価を上昇させたことだけは功績として認める人が多い。一方、私は、株価上昇のプラス面、マイナス面の両方を今までに何度も書いてきた。今回はプラスの面には触れず、マイナスの面だけに触れることにする。唯一の正しい見方ではないが、一つの有力な観点から見た場合、大変大きなマイナスにもなりうる、ということを書くことにする。

そもそも、利益、損失、純資産の増加、純資産の減少というものは、会計基準によって変わるものである。民間企業でも、日本会計基準、国際会計基準、米国会計基準によって利益や純資産は異なる。利益、純資産というものは、万人の意見が利益、純資産であると一致するものは当然存在する。しかし、利益か利益でないか、純資産の増加か増加でないか、専門家の間で意見が分かれるものも当然存在する。そのため、会計基準によって利益や純資産は異なってしまう。

正確性が他の会計基準より明らかに低い会計基準は、過去には使われていた。しかし、そのような会計基準は修正され、現在では使われていない。現在使われている複数の会計基準の利益、純資産の中で、どの基準が一番正しいかは、専門家の間でも一致してはいない。そもそも会計基準というものは、国や時代が異なれば、「正しい」内容が異なっても当然なのかもしれない。

より難しいのは、民間企業以外の利益、あるいは純資産である。日本という国レベルで、純資産が毎年どれだけ増加、または減少しているかについての会計基準は、事実上、一つしか存在しない。現在、日本で使われている日本の純資産に相当するものは、国民経済計算ベースでの国富(=正味資産)である。この会計基準は、いろいろと問題点が指摘されることが多い。しかし、現在、国ベースでどれだけ資産を増やした、あるいは減らしたかを認識できる統計は、国民経済計算ベースの国富しか存在しない。問題点があることは頭に入れながらも、事実上、一つしか存在しない日本の国富を表すグラフを下記に示す。


国富
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172757912.gif/


国富の大半は非金融資産である。それ以外は、金融資産の一部である対外純資産だけである。国富の大半をしめる非金融資産が減少傾向を示している最大の原因は、地価の下落である。対外純資産は増加傾向にある。

国富には、対外純資産以外の金融資産が存在しない。これは、金融資産が存在すれば、必ずそれに等しい金融負債が存在していると国民経済計算では考えるからだ。この場合、株価が上昇しても、株価の時価総額の増加額に等しい金融負債が増加していると考えるのである。この考え方に基づけば、アベノミクスの結果株価が上昇しても、プラスは発生しない。株価の時価総額と同金額の金融負債が同時に増加すると考えるからだ。株式保有金額の増加額のうち海外投資家による日本株保有分については、海外投資家の資産増加と、国内部門の負債の同金額の増加が発生すると考える。これを日本から見れば、国内の負債の増加分と同金額の国内資産が増えているのではなく、同金額の対外負債の増加だけが発生していると見える。対外負債の増加であるから、対外純資産の減少、すなわち国富の減少を意味する。日本の株価が上昇すればするほど、資産は増えず、対外負債だけは増加し、対外純資産と国富は減少する。

国民経済計算は年1回公表され、最新のものは2013年度版である。非金融資産については国民経済計算が唯一の統計である。しかし、対外純資産を含む金融資産については、国民経済計算に準じるものとして、日銀の資金循環統計が存在する。これは年4回公表、最新のものは2014年版である。両者の会計基準は、主体や項目などの分類の定義に違いがあり、一致しない数字も多いが、理論的には同種のものと考えてよい。そのため、前回と同様に、国民経済計算ではなく資金循環統計の数字を使って、株価上昇による損益を計算する。なお、国民経済計算の株式は未上場株をも含めたすべての株式が対象であり、上場株だけの数字を求めることはできない。ここで使う数字は、資金循環統計における上場株だけの数字である。

2014年末における投資部門別の株式保有金額(上場株だけが対象)を表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2015051017282459d.gif/


2014年末における最大の大株主は海外投資家であり、その金額は165兆円、全体の31%を占めていた。

次に、アベノミクス相場の開始以降、上記の株式保有金額がどれだけ増加したかを表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額の増加額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728253d4.gif/


アベノミクス相場の開始日は、野田前総理が衆議院解散を明言した2012年11月14日である。しかし、その日からの統計は存在しないので、代わりに2012年9月末を基準にした。保有金額にだいたいは比例しており、海外投資家による株式保有金額の増加額が95兆円と一番大きい。

次に、アベノミクス相場開始以降の投資部門別の売買状況を表すグラフを下記に示す。

投資部門別売買
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728224f6.gif/


このグラフの起点も、2012年9月末にした。見てわかるとおり、買いの大半は海外投資家である。2014年から公的資金が買い始めたので、信託銀行が少し買い越しになっている。最大の売り越し主体は家計、すなわち個人である。

次に上記の2つの表で示される金額の差を表す投資部門別の調整額というグラフを下記に示す。

調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172758332.gif/


調整額の定義は、資産の変動金額と売買金額の差である。具体的には、調整額の大部分は株価の値上がり益であり、かなり広い意味ではあるが統計上の不突合が一部に含まれている。最大の大株主である海外投資家が一番大きな株価の値上がり益を獲得している。

最初に示した国富の中の対外純資産は、フローベースでは「経常収支+資本移転等収支」の累積金額になる。一方、ストックベースではそれ以外のさまざまな資産価格の変動の影響を受ける。さまざまな資産価格の変動の中で最も寄与度が高いのは、為替レートと株価の変動分である。

日銀の資金循環統計ベースの対外純資産は、2012年9月末の277兆円から、2014年12月末の376兆円まで98兆円の増加となっている。このうち、海外投資家の日本株投資残高は、先のグラフで示したとおり95兆円、うち買越金額は20兆円、調整額、すなわち株価の値上がり益は75兆円である。海外投資家は日本の株価上昇により、75兆円前後の値上がり益を獲得した。このため、日本の株価が2012年9月と2014年末が同じであったと仮定するならば、対外純資産は376兆円より75兆円多い451兆円になっていたはずである。株価が上昇したがために、75兆円もの対外純資産と国富が減少したことを意味する。

しかし、アベノミクス開始以降の対外純資産は、株価上昇によるマイナス効果以上に円安によるプラス効果の方が大きかった。フローベースの「経常収支+資本移転等収支」の金額は小さかった。そのため、主として円安の結果として対外純資産は増加し、株価上昇によるマイナス効果は見えにくかった。

株価上昇によって海外投資家が獲得した75兆円の調整額は、2014年末の金額である。2015年に入ってからも、日本の株価は上昇している。ここで海外投資家の保有株式金額はTOPIXと同じ動きをすると仮定する。今年に入って、海外投資家は現物株を買い越しているが、残高との比率では大きな数字にならないので、ここではゼロと仮定する。この仮定に基づいて、2014年末からの海外投資家の日次の調整額累計を表すグラフを下記に示す。


海外投資家の調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505102339329ee.gif/


調整額の起点である2012年9月末の株価は、2012年11月14日の株価より少し高い。従って、基準点が2012年11月14日のグラグが作成可能であったと仮定したならば、その金額は上記のグラフの金額を少し上回ることになる。それ以外の調整額についての仮定も、実際の調整額より少なく算出される仮定になっている。ただし、統計上の不突合は上下のどちらにも存在する。それでも、より正確なデータが存在すれば、上記のグラフの少し上を進んでいる可能性が高い。

少しばかりの仮定をおいて算出される累積調整額は、2015年4月22日に100兆円に到達した。この金額は、アベノミクス相場開始以降、日本の株価上昇によって失われた国富の金額にほぼ等しい。アベノミクスによる株価上昇が原因で失われた国富は、4月22日についに100兆円に到達してしまったのである。4月22日は実に悲しむべき日である。しかし、4月22日という日は、2000年4月14日以降、日経平均株価の終値が2万円台で引けた記念すべき日でもある。株価が上がってめでたし、めでたしの日でもあった。私が悲しむべきと考える日と、みんながお祝いをしている日が、同じ日になってしまった。


アベノミクス相場の開始以降の株価上昇による(上場株だけから発生した)国富の損失100兆円という数字は、多少の誤差があるとしても、ほぼ正しい金額である。

ただ問題点は、国民経済計算という会計基準、その会計基準に基づいて算出された国富の金額が、正確な富の変動を本当に表しているかどうかという点である。会計基準を少し変えれば、100兆円の損失が大きく変わる可能性はありうる。会計基準に絶対的に正しいという基準は存在しない。

国民経済計算という基準、中でも、ストック統計の会計基準についてはいろいろな批判が存在する。しかし、日本という国レベルで、純資産、あるいは国富が毎年どれだけ変動しているかを知るための会計基準は、事実上、一つしか存在しない。その唯一の基準とも言うべき国民経済計算という基準を使えば、アベノミクスによる株価上昇で失われた国富の累計額が、4月22日に100兆円前後に到達したという事実を動かすことはできない。

株価上昇はアベノミクスの最大のメリットというのは正しくない。国民経済計算という有力な会計基準を使った場合、アベノミクスは、株価上昇の結果として日本の国富を100兆円も失わせた。アベノミクスがもたらした株価上昇の結果は、大変大きな利益ではなく、100兆円という巨額の国富の損失であったという観点が存在することは重要であり、この事実を忘れてはならない。

最後に、最近、株式需給コメントのシリーズに書いているものと同じ内容、すなわち100兆円の巨額の損失が発生してしまった原因とその対策を記すことにする。
 

政府・日銀の犯罪的な政策について

日本企業の株というものは、日本国民にとっての大変貴重な財産である。それに対して政府・日銀が過去にとってきた政策は、1989年12月29日の高値38,915円から2009年3月10日の安値7,054円まで、19年強の期間、最大で82%も日経平均株価を下落させたことである。

そして、国内投資家に、株価はもう上がらないという非常に強い予想、期待、確信と、株価が戻れば売らなければならないという非常に強固な信念を抱かせてしまった。そして、1991年以降、結果として取引所という流通市場だけで92兆円、発行市場も含めた国際収支ベースでは114兆円もの日本の現物株を国内投資家が海外投資家に安値で売り渡すことになってしまった。

これは犯罪的とも言えるレベルの政策である。アベノミクス相場が始まってからも、国内投資家は取引所という流通市場だけで20兆円の現物株を海外投資家に売り渡しており、犯罪的な政策は是正されていない。


ここまで来てしまった以上、完全に手遅れであり、経済をデフレ不況に戻すことなくこの問題を解決する方法はもはや存在しない。できること、可能なことは、損失のさらなる拡大をくい止めることだけである。そのためには、国内投資家が株を買い越すようになるまで金融緩和の強化を続けるしかない。

2013年4月の異次元緩和は、あまりにも遅すぎであり、金額も少なすぎた。実施の翌週に、国内投資家が過去最高の金額の現物株を海外投資家に売り渡すという非常に大きなマイナス効果が現実のものになってしまった。2014年10月の第2弾の翌週も、国内投資家が海外投資家に現物先物合計で過去最高の金額を売り渡すという巨額のマイナス効果しかもたらさなかった。

現在も効果がマイナスという状態が続いている。金融緩和を大幅に強化すれば、巨額の残高が存在する国債という運用先を失った国内投資家は、高値でも株を買わざるをえなくなる。この場合、国内投資家に、安く海外投資家へと売り渡した株をバブルに匹敵する高値で買い戻すように誘導することになる。実にバカバカしいことだ。しかし、これ以上海外投資家に株を売り渡せば、株価上昇と並行して増える損失がさらに拡大する。過去の政策があまりにも犯罪的すぎたので仕方がない。

株価が2万円前後にまで戻っても、国内投資家がまだ海外投資家に大量に株を売り渡し続けているという現状は異常である。過去における政府・日銀による犯罪的な政策を容認し、現在の異常な状態を異常と思わない人が多すぎることは、大問題である。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

アダム・スミス2世の経済解説 2017年6月第3週 株 コメント


日銀の量的質的金融緩和策には効果がある。第2週の2万円を少し下回ったところでは個人を中心に買い越しを維持していた。しかし、2万円台を抜けて上昇すると個人と投信の現先合計で週間5000億円以上の売り越しになってしまう。

これは、金融緩和に効果はあるが、不足しているから起こる現象である。

アベノミクスが始まってから、株高によって100兆円前後というとてつもない国富の損失が発生している。しかし、その損失はほとんど認識すらされていない。

ここでテーパリングではなく思い切った金融緩和の強化を実施すれば、国内投資家が上値でも買い越しになる可能性が高まる。

海外投資家に安く売った株を高値で買い戻す。実に馬鹿馬鹿しい買いである。

しかし、株価上昇による損失拡大とデフレ不況の両方を避けるためには、国内投資家は今からでも買うしか方法がないのである。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-328.html#more

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/124.html#c12

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
10. 中川隆[-5539] koaQ7Jey 2018年3月05日 13:24:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アダム・スミス2世の経済解説  2015-05-10
アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html


アベノミクスの評価は、現時点においてもさまざまである。その中で多くの人たちが認める功績は、株価を上昇させたことであろう。アベノミクスの否定論者でも、アベノミクスは株価を上昇させたこと以外にメリットは存在しないという評価を下す人は多い。

株価を引き上げたことは功績であるにしても、現在の株価は上がりすぎであり、バブルであるとの批判は存在する。

今回は、アベノミクスが株価上昇により巨額の損失を日本経済に与え、最近ではその累計額が100兆円にまで到達したという事実を説明する。

最後に、このような巨額の損失が発生した原因として、最近、株価の需給コメントのシリーズで書いているものと同じ内容を記すことにする。

繰り返すが、アベノミクスの否定論者でも、株価を上昇させたことだけは功績として認める人が多い。一方、私は、株価上昇のプラス面、マイナス面の両方を今までに何度も書いてきた。今回はプラスの面には触れず、マイナスの面だけに触れることにする。唯一の正しい見方ではないが、一つの有力な観点から見た場合、大変大きなマイナスにもなりうる、ということを書くことにする。

そもそも、利益、損失、純資産の増加、純資産の減少というものは、会計基準によって変わるものである。民間企業でも、日本会計基準、国際会計基準、米国会計基準によって利益や純資産は異なる。利益、純資産というものは、万人の意見が利益、純資産であると一致するものは当然存在する。しかし、利益か利益でないか、純資産の増加か増加でないか、専門家の間で意見が分かれるものも当然存在する。そのため、会計基準によって利益や純資産は異なってしまう。

正確性が他の会計基準より明らかに低い会計基準は、過去には使われていた。しかし、そのような会計基準は修正され、現在では使われていない。現在使われている複数の会計基準の利益、純資産の中で、どの基準が一番正しいかは、専門家の間でも一致してはいない。そもそも会計基準というものは、国や時代が異なれば、「正しい」内容が異なっても当然なのかもしれない。

より難しいのは、民間企業以外の利益、あるいは純資産である。日本という国レベルで、純資産が毎年どれだけ増加、または減少しているかについての会計基準は、事実上、一つしか存在しない。現在、日本で使われている日本の純資産に相当するものは、国民経済計算ベースでの国富(=正味資産)である。この会計基準は、いろいろと問題点が指摘されることが多い。しかし、現在、国ベースでどれだけ資産を増やした、あるいは減らしたかを認識できる統計は、国民経済計算ベースの国富しか存在しない。問題点があることは頭に入れながらも、事実上、一つしか存在しない日本の国富を表すグラフを下記に示す。


国富
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172757912.gif/


国富の大半は非金融資産である。それ以外は、金融資産の一部である対外純資産だけである。国富の大半をしめる非金融資産が減少傾向を示している最大の原因は、地価の下落である。対外純資産は増加傾向にある。

国富には、対外純資産以外の金融資産が存在しない。これは、金融資産が存在すれば、必ずそれに等しい金融負債が存在していると国民経済計算では考えるからだ。この場合、株価が上昇しても、株価の時価総額の増加額に等しい金融負債が増加していると考えるのである。この考え方に基づけば、アベノミクスの結果株価が上昇しても、プラスは発生しない。株価の時価総額と同金額の金融負債が同時に増加すると考えるからだ。株式保有金額の増加額のうち海外投資家による日本株保有分については、海外投資家の資産増加と、国内部門の負債の同金額の増加が発生すると考える。これを日本から見れば、国内の負債の増加分と同金額の国内資産が増えているのではなく、同金額の対外負債の増加だけが発生していると見える。対外負債の増加であるから、対外純資産の減少、すなわち国富の減少を意味する。日本の株価が上昇すればするほど、資産は増えず、対外負債だけは増加し、対外純資産と国富は減少する。

国民経済計算は年1回公表され、最新のものは2013年度版である。非金融資産については国民経済計算が唯一の統計である。しかし、対外純資産を含む金融資産については、国民経済計算に準じるものとして、日銀の資金循環統計が存在する。これは年4回公表、最新のものは2014年版である。両者の会計基準は、主体や項目などの分類の定義に違いがあり、一致しない数字も多いが、理論的には同種のものと考えてよい。そのため、前回と同様に、国民経済計算ではなく資金循環統計の数字を使って、株価上昇による損益を計算する。なお、国民経済計算の株式は未上場株をも含めたすべての株式が対象であり、上場株だけの数字を求めることはできない。ここで使う数字は、資金循環統計における上場株だけの数字である。

2014年末における投資部門別の株式保有金額(上場株だけが対象)を表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2015051017282459d.gif/


2014年末における最大の大株主は海外投資家であり、その金額は165兆円、全体の31%を占めていた。

次に、アベノミクス相場の開始以降、上記の株式保有金額がどれだけ増加したかを表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額の増加額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728253d4.gif/


アベノミクス相場の開始日は、野田前総理が衆議院解散を明言した2012年11月14日である。しかし、その日からの統計は存在しないので、代わりに2012年9月末を基準にした。保有金額にだいたいは比例しており、海外投資家による株式保有金額の増加額が95兆円と一番大きい。

次に、アベノミクス相場開始以降の投資部門別の売買状況を表すグラフを下記に示す。

投資部門別売買
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728224f6.gif/


このグラフの起点も、2012年9月末にした。見てわかるとおり、買いの大半は海外投資家である。2014年から公的資金が買い始めたので、信託銀行が少し買い越しになっている。最大の売り越し主体は家計、すなわち個人である。

次に上記の2つの表で示される金額の差を表す投資部門別の調整額というグラフを下記に示す。

調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172758332.gif/


調整額の定義は、資産の変動金額と売買金額の差である。具体的には、調整額の大部分は株価の値上がり益であり、かなり広い意味ではあるが統計上の不突合が一部に含まれている。最大の大株主である海外投資家が一番大きな株価の値上がり益を獲得している。

最初に示した国富の中の対外純資産は、フローベースでは「経常収支+資本移転等収支」の累積金額になる。一方、ストックベースではそれ以外のさまざまな資産価格の変動の影響を受ける。さまざまな資産価格の変動の中で最も寄与度が高いのは、為替レートと株価の変動分である。

日銀の資金循環統計ベースの対外純資産は、2012年9月末の277兆円から、2014年12月末の376兆円まで98兆円の増加となっている。このうち、海外投資家の日本株投資残高は、先のグラフで示したとおり95兆円、うち買越金額は20兆円、調整額、すなわち株価の値上がり益は75兆円である。海外投資家は日本の株価上昇により、75兆円前後の値上がり益を獲得した。このため、日本の株価が2012年9月と2014年末が同じであったと仮定するならば、対外純資産は376兆円より75兆円多い451兆円になっていたはずである。株価が上昇したがために、75兆円もの対外純資産と国富が減少したことを意味する。

しかし、アベノミクス開始以降の対外純資産は、株価上昇によるマイナス効果以上に円安によるプラス効果の方が大きかった。フローベースの「経常収支+資本移転等収支」の金額は小さかった。そのため、主として円安の結果として対外純資産は増加し、株価上昇によるマイナス効果は見えにくかった。

株価上昇によって海外投資家が獲得した75兆円の調整額は、2014年末の金額である。2015年に入ってからも、日本の株価は上昇している。ここで海外投資家の保有株式金額はTOPIXと同じ動きをすると仮定する。今年に入って、海外投資家は現物株を買い越しているが、残高との比率では大きな数字にならないので、ここではゼロと仮定する。この仮定に基づいて、2014年末からの海外投資家の日次の調整額累計を表すグラフを下記に示す。


海外投資家の調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505102339329ee.gif/


調整額の起点である2012年9月末の株価は、2012年11月14日の株価より少し高い。従って、基準点が2012年11月14日のグラグが作成可能であったと仮定したならば、その金額は上記のグラフの金額を少し上回ることになる。それ以外の調整額についての仮定も、実際の調整額より少なく算出される仮定になっている。ただし、統計上の不突合は上下のどちらにも存在する。それでも、より正確なデータが存在すれば、上記のグラフの少し上を進んでいる可能性が高い。

少しばかりの仮定をおいて算出される累積調整額は、2015年4月22日に100兆円に到達した。この金額は、アベノミクス相場開始以降、日本の株価上昇によって失われた国富の金額にほぼ等しい。アベノミクスによる株価上昇が原因で失われた国富は、4月22日についに100兆円に到達してしまったのである。4月22日は実に悲しむべき日である。しかし、4月22日という日は、2000年4月14日以降、日経平均株価の終値が2万円台で引けた記念すべき日でもある。株価が上がってめでたし、めでたしの日でもあった。私が悲しむべきと考える日と、みんながお祝いをしている日が、同じ日になってしまった。


アベノミクス相場の開始以降の株価上昇による(上場株だけから発生した)国富の損失100兆円という数字は、多少の誤差があるとしても、ほぼ正しい金額である。

ただ問題点は、国民経済計算という会計基準、その会計基準に基づいて算出された国富の金額が、正確な富の変動を本当に表しているかどうかという点である。会計基準を少し変えれば、100兆円の損失が大きく変わる可能性はありうる。会計基準に絶対的に正しいという基準は存在しない。

国民経済計算という基準、中でも、ストック統計の会計基準についてはいろいろな批判が存在する。しかし、日本という国レベルで、純資産、あるいは国富が毎年どれだけ変動しているかを知るための会計基準は、事実上、一つしか存在しない。その唯一の基準とも言うべき国民経済計算という基準を使えば、アベノミクスによる株価上昇で失われた国富の累計額が、4月22日に100兆円前後に到達したという事実を動かすことはできない。

株価上昇はアベノミクスの最大のメリットというのは正しくない。国民経済計算という有力な会計基準を使った場合、アベノミクスは、株価上昇の結果として日本の国富を100兆円も失わせた。アベノミクスがもたらした株価上昇の結果は、大変大きな利益ではなく、100兆円という巨額の国富の損失であったという観点が存在することは重要であり、この事実を忘れてはならない。

最後に、最近、株式需給コメントのシリーズに書いているものと同じ内容、すなわち100兆円の巨額の損失が発生してしまった原因とその対策を記すことにする。
 

政府・日銀の犯罪的な政策について

日本企業の株というものは、日本国民にとっての大変貴重な財産である。それに対して政府・日銀が過去にとってきた政策は、1989年12月29日の高値38,915円から2009年3月10日の安値7,054円まで、19年強の期間、最大で82%も日経平均株価を下落させたことである。

そして、国内投資家に、株価はもう上がらないという非常に強い予想、期待、確信と、株価が戻れば売らなければならないという非常に強固な信念を抱かせてしまった。そして、1991年以降、結果として取引所という流通市場だけで92兆円、発行市場も含めた国際収支ベースでは114兆円もの日本の現物株を国内投資家が海外投資家に安値で売り渡すことになってしまった。

これは犯罪的とも言えるレベルの政策である。アベノミクス相場が始まってからも、国内投資家は取引所という流通市場だけで20兆円の現物株を海外投資家に売り渡しており、犯罪的な政策は是正されていない。


ここまで来てしまった以上、完全に手遅れであり、経済をデフレ不況に戻すことなくこの問題を解決する方法はもはや存在しない。できること、可能なことは、損失のさらなる拡大をくい止めることだけである。そのためには、国内投資家が株を買い越すようになるまで金融緩和の強化を続けるしかない。

2013年4月の異次元緩和は、あまりにも遅すぎであり、金額も少なすぎた。実施の翌週に、国内投資家が過去最高の金額の現物株を海外投資家に売り渡すという非常に大きなマイナス効果が現実のものになってしまった。2014年10月の第2弾の翌週も、国内投資家が海外投資家に現物先物合計で過去最高の金額を売り渡すという巨額のマイナス効果しかもたらさなかった。

現在も効果がマイナスという状態が続いている。金融緩和を大幅に強化すれば、巨額の残高が存在する国債という運用先を失った国内投資家は、高値でも株を買わざるをえなくなる。この場合、国内投資家に、安く海外投資家へと売り渡した株をバブルに匹敵する高値で買い戻すように誘導することになる。実にバカバカしいことだ。しかし、これ以上海外投資家に株を売り渡せば、株価上昇と並行して増える損失がさらに拡大する。過去の政策があまりにも犯罪的すぎたので仕方がない。

株価が2万円前後にまで戻っても、国内投資家がまだ海外投資家に大量に株を売り渡し続けているという現状は異常である。過去における政府・日銀による犯罪的な政策を容認し、現在の異常な状態を異常と思わない人が多すぎることは、大問題である。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

アダム・スミス2世の経済解説 2017年6月第3週 株 コメント


日銀の量的質的金融緩和策には効果がある。第2週の2万円を少し下回ったところでは個人を中心に買い越しを維持していた。しかし、2万円台を抜けて上昇すると個人と投信の現先合計で週間5000億円以上の売り越しになってしまう。

これは、金融緩和に効果はあるが、不足しているから起こる現象である。

アベノミクスが始まってから、株高によって100兆円前後というとてつもない国富の損失が発生している。しかし、その損失はほとんど認識すらされていない。

ここでテーパリングではなく思い切った金融緩和の強化を実施すれば、国内投資家が上値でも買い越しになる可能性が高まる。

海外投資家に安く売った株を高値で買い戻す。実に馬鹿馬鹿しい買いである。

しかし、株価上昇による損失拡大とデフレ不況の両方を避けるためには、国内投資家は今からでも買うしか方法がないのである。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-328.html#more

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c10

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > DbsSfawrpEw > 100083  g検索 DbsSfawrpEw

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。