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[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
3. 中川隆[-14136] koaQ7Jey 2020年1月28日 12:51:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-917]
反響呼ぶ大西つねきのお話会 in 下関 社会と人間蝕む金融システムの本質伝える2019年11月5日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/14039

市内外から300人が聴講

 「お金の仕組みを知ってワクワクする未来を作ろう! 子ども達の未来のために」をテーマにしたれいわ新選組・大西つねき氏のお話会(主催/スマイルマップやまぐち)が2日、下関市のシーモールホールで開かれた。大西氏は、JPモルガン銀行やバンカース・トラスト銀行でトレーダーとして働いてきた経験から、貧困や格差、戦争など現在の社会で起きている問題の根本原因である金融経済の不条理な仕組みについて解説し、このシステムを変える世界的な変化がすでにはじまっていることについて熱を込めて講演した。下関で初となる講演会には、市内をはじめ、県内各地、福岡、広島などから約300人が詰めかけ、3時間におよぶ講演に集中して聞き入った。

◇  ◇  ◇

 冒頭、大西氏は「いまの日本の問題を考えるうえで一番足りないのは現状認識だ。今、私たちの国がどういう状態にあるのかがわからないから、政治もどう対応したらいいのかわからない。世界中で起きている問題も同じだ。みなさんも薄々感じている格差、貧困、戦争、環境破壊、病気……などの大きな問題の中心には必ずお金が絡んでいる。問題の本質に迫れば必ずお金の問題につきあたる。だが、これについて日本だけでなく世界中のどの政党も誰もいわない。政治に必要な根本的な思想と哲学を失っている。その根本原因であるお金の発行の仕組みを伝えたい。この仕組みを変えることにこそ世界の希望がある」という問題意識で政治団体を立ち上げ、2011年から執筆や言論活動をはじめたことを明かした。

 そして、自身の考え方が大きく変化した事柄として、神奈川県内の「底辺校」といわれる高校ではじめた校内カフェのとりくみを紹介。ボランティアがかかわって開設した校内カフェには、さまざまな困難を抱えた子どもたちが訪れる。金髪や茶髪は当たり前で、顔や体中に自分でピアスの穴を開けていたり、「単純にお金がないという理由だけでなく、自傷行為も入っている。リストカットの傷を持つ子も多く、“自分なんて生きていたってしょうがない”という声もよく聞かれる。そんな子どもたちが昼休みになると、カフェに置かれたお菓子やジュースめがけて200人くらいが殺到する。よく聞いてみると、前日の晩からなにも食べていない、なにも食事を持って来ていないという。糖分補給のために来ているのだ」と子どもたちの窮状を伝えた。

 「感性豊かで多くの可能性を秘めている子どもたちが居場所を失い、社会的に排除され、その才能を開花させることなく命を失ってしまうケースも多多ある。これは単純に親や学校や地域の大人たちの問題として片付けられるものではない。大人たちも現在の金融経済の仕組みのなかで競争を煽られ、みんな必死になり、余裕を失っている。優しさを失った社会のなかで、子どもなどの弱者がみずから命を絶ってしまうような悲劇があちこちで起きている。

 格差が拡大するなかで社会のクラス化が進み、学校も進学校と問題校に分かれ、頑張れば報われた世代からは“頑張りが足りない”“自己責任”“相対的貧困であって食べていくのには困ってないでしょ”と語られることが多い。だが、そもそも“生きていても仕方がない”という根本的な自己肯定感が欠けている子どもたちに“自分のために頑張れ”といっても説得力がない。貧困が親から子へ連鎖するのは、単純にお金が無いからではなく、根本的な自己肯定感を得られる環境になかったことがある。どんな家庭に生まれたとしても最低限の自己肯定感が得られ、頑張って挽回できるところまで引き上げなければ解決しない」と指摘した。

 貧困は子どもたちの問題に限らない。大人でも病気、ケガ、失業、離婚、災害などをきっかけにしてたちまち貧困に突き落とされる。

 大西氏は、東日本大震災被災地でのボランティアの経験から、多くの被災者が家を失い、生き残った人たちが多額の負債で生活が立て直せていない現状に触れ、「これは震災問題ではなく、震災を入口にした巨大な経済・金融問題だ。まったく別の理由でも運悪く不利な立場になったとたんに同じ境遇に陥る。高齢者の貧困を見ても、どんどん年金が削られ、病気やケガになっても誰も助けてくれない。まるで網の目からこぼれ落ちるように孤独死や自死に追い込まれていく。私は金融システムのど真ん中で働いてきたので、いまの金融システム、資本主義の仕組みがいかに冷淡で格差拡大的であるかをこの目で見てきた。お金はもうかるところにしかいかない。いくら困っている人を助けてももうからないから民間からお金は流れない。そして命を救うべき行政(国)は、“財源がない”といって手を差しのべない。だがお金の仕組みを知れば、まったくおかしな理屈だ。政治家や官僚よりも、その外側で生きている多くの人たちの方が、すでにそのおかしさに気がついているし、その数は日に日に増大していることを実感している。隠されてきた真実を知る人が増していけば、必ず現在の政治を総とっかえする時が到来する。これは歴史の必然だ」と力をこめた。

受け取れなくなった労働の対価  国内外で二重の搾取

 また大西氏は、「お金に支配された社会からどんな社会を目指すべきか? それは個人の心の自由、つまり一人一人の人生そのものである自分の時間と労働力を本当に意味あるもののために使うことができる社会だと思う。だが現在の社会は、働いて金をいかに稼ぐかを中心に回っている。昔と比べてはるかに生産力が増し、生産が効率化しているのに、人人の生活に余裕ができるどころか、金を稼ぐために昔以上にキリキリ舞いさせられ、時間的にも体力的にも限界まで働いている。富(お金)を所有している人間に従い、その仕事に意味を感じなくても、ただ金を稼ぐために人生(時間と労働力)を浪費させられる。それが果たして社会を形づくる思想・哲学・価値観であっていいのか? 金融経済の仕組みを根こそぎ変えるためには、この現在当たり前とされている思い込みが間違いであることを知ることからはじまる」とのべ、現在の日本社会が置かれている現状を以下のように解説した。

 現在「国の借金900兆円、一人あたり900万円」と宣伝される日本だが、それは政府の借金であって国民の借金ではない。日本国は政府だけでできているのではなく、政府と民間の二つで構成されている。900兆円の借金を政府に貸しているのは、ほとんどが民間(国民)であり、国内でいえば「借金=資産」という相殺関係にある。


 さらに日本全体でみれば、対外純資産(外国への貸付から借金を差し引いた額)は341兆円(2018年度)の黒字をもっている【表@参照】。圧倒的に貸している金額が大きい世界一の金持ち国だ。逆に米国はマイナス1076兆円で、圧倒的に借りている金額が大きい世界一の借金大国だ。トランプのディール外交は、この巨額の赤字を消すために世界中に米国製品を売りつけるもので、「資産を持つ従順な国」になんでもかんでも押しつける。オスプレイ、F35、GMO(遺伝子組み換え)食品、詐欺まがいの金融商品、高額な医薬品…そして山盛りのトウモロコシ。同じことを、純資産国3位の中国に仕掛けているのが米中貿易摩擦だ。

 日本が対外純資産を膨らませたのは輸出主導型の経済政策の結果だが、国際決済はドルであるため、輸入はドルで支払い、輸出の対価もドルで受けとる。つまり日本の対外資産である341兆円の実体は3兆jの外貨だ。米国の借金も、実際には10兆jの借金であり、それを貸しているのが日本をはじめとする黒字国だ。つまり、日本が稼いだ3兆jは日本に入ってくることなく、米国の銀行に貯まり続けて米国内で循環している。日本が世界一の資産国であることをみなさんが実感できないのはそのためだ。

 もう一つは、1j=360円だった円/ドルの為替相場を変動相場制にし、さらに1985年の「プラザ合意(主要5カ国による協調行動への合意)」を境に米国から円高を強いられ、1j=250円から1j=120円にまで急激な円高が進んだことにある【グラフA参照】。日本の悲劇はここからはじまったといっても過言ではない。

  
 これまで海外で1jで売れていたものが2jになる。日本の輸出製品の値段が倍に跳ね上がって海外で売れなくなるため、企業はこぞってコストカットを叫び、輸出製品の値下げを進めた。労働者の給料を削り、サービス残業という「奉仕」が横行した。みなさんに労働の対価を払わないことで海外で安く売ることができ、その結果として膨大な黒字を稼いだ。つまり日本の3兆jの対外純資産はみなさんが身を削ったタダ働きによって得たものだ。

 日銀データで日本のマネーストック(現金・預貯金の総額)を見ると、1980年の200兆円から2018年の1000兆円へと右肩上がりに800兆円(約5倍)も増えているが、みなさんが受けとれる給料の金額は20年間ほぼ変わっていない。この間に大手企業は460兆円といわれる内部留保金を蓄えた。給料を払わず、下請への支払いを削り、法人税が安いから溜まり続ける。対外純資産の341兆円は海外に貸し出し、460兆円は内部留保にとられ、二重に搾取されているのだから豊かさが実感できるわけがない。

 そして昔は、消費者・従業員・経営者に優しい「三方よし」といわれた日本の企業も、小泉・竹中内閣あたりから「株主のもの」という明確な定義づけがされはじめた。国家経営から哲学や思想が失われた結果、残ったものはカネだけ。お金に支配された殺伐とした社会と一部による富の独占だ。

 現在の政府が目標に掲げる「GDP(国内総生産)600兆円」「一億総活躍社会」というのも社会の豊かさには繋がらない。GDPとは消費+政府支出+投資+純輸出だ。いくら純輸出が増えたところで国内には還元されず、消費(内需)が冷え込んでいても、政府が赤字を垂れ流しながら支出を削らなければ数値としてのGDPは維持できる。みなさんが自分の時間や労働力を自由に使える、つまり消費が活発になったことをまったく意味しない。

 東京五輪でいくら海外からのインバウンドの客が増えても、外貨(ドル)が落ちるだけで輸出と同じ。TPPでたとえ輸出を伸ばしても稼ぎは海外に貸しっぱなしになり、みなさんの豊かさとは関係がない。それはこの30年間で証明されている。私の持論としては、政府が一人100万円を全国民に配り、生活に余裕をとり戻し、消費を活発にする。たとえ貿易収支が赤字になってもいいし、むしろ赤字にしなければいけない。黒字は使わなければ意味がなく、黒字を使う唯一の方法は赤字にすることだからだ。これはバラ撒き政策ではない。一人100万円を1億3000万人に配っても130兆円。みなさんが受けとっていないタダ働き分の3分の1に過ぎない。「黒字還付金」だ。

借金でお金増す仕組み 巨大なイスとりゲーム

 次に大西氏は「お金の仕組みをみんなが理解すれば、現在の国家経営や財政政策がいかに支離滅裂なものであるかがわかる」とのべ、そのメカニズムを説明した。

 2018年時点の日本のマネーストック(現金・預貯金)は1000兆円にのぼるが、実際に現金(紙幣や貨幣)として存在するのは100兆円程度しかない。ほとんどが預金(数字)なのだ。お金は「日本銀行券」だが、日銀が民間の預金を増やすわけではない。「では、どうやって増えているのか?」――それが現代のお金発行の仕組み【図B参照】だ。

    
 A銀行に100万円のお金を預けると、A銀行はその1%(預金準備率)を日銀に預け、その顧客の預金口座に100万円という金額を書き込む。そして、銀行は残った99万円を元手にもうけるために運用(貸付)に回す。すると、その99万円を借りた誰かが送金したB銀行の口座にも金額が書き込まれ、またその1%を日銀に預ける。残ったお金が誰かに貸し出され、さらに別のC銀行の口座に振り込まれると、実際には100万円しか存在しなかったはずのお金が三つの銀行と日銀の口座をあわせると約300万円に増える。

 「このように貸し借りをくり返しながら銀行間の循環を続けるうちに100万円が数字上で1億円(100倍)にまで膨らんでいく。これが『信用創造』という現代のお金発行の仕組みだ。つまりほとんどのお金を借金で作っているので、借金を返すと同時にお金が消える。みんながお金を返したら成り立たない仕組みであり、お金を増やすためには誰かが返した分、誰かが借金をしなければならない巨大な自転車操業のシステムなのだ」と解説した。

 そのため借金には必ず利息が発生する。金利5%ならば、100万円借りたら105万円を返さなければならない。限られた圏内でみんなが借金を返済するためにはお金が足りなくなるため、さらに外へ外へと果てしなく借金をする人たちを増やさなければならず、その結果世界が「巨大なイスとりゲーム」と化していることをのべた。

 そして日銀のデータ【グラフC参照】をもとに、日本国内のマネーストック(現金・預貯金の総額)は、90年代初頭までは民間銀行の貸し出し(民間の借金)によって増えていったが、バブル崩壊による信用収縮で民間銀行は貸し渋り・貸しはがしをはじめたため、それにかわって国債(政府の借金)に依存して増えていることを指摘した。

   
 グラフを見ると、国内の現金・預貯金の総額であるマネーストックM2(太い実線)が、90年代はじめまでは民間銀行貸出(青い線)と並行して増えていくが、バブル崩壊後の2000年以降は国債残高(赤い線)と並行して増えていることがわかる。毎年、政府が赤字国債を刷って民間銀行に買わせている関係であるため、それを一部の人間が独占していたとしても「政府の借金=民間の預貯金」であり、政府の借金900兆円を民間から集めた税金で返してしまえば政府の赤字はなくなるが、国内から同額のお金(ほぼすべての現金・預貯金)が消えることを意味している。


 「世界広しといえども永遠に借金を続けられる民間企業などない。人口は限られているのに、経済成長が永遠に続くわけがない。借金が増え続けるということは一円も負債を返済していないということであり、1円も返済せずに銀行から借金できるのは政府しかいない。だが返してしまえば経済が破綻する。そもそも未来永劫返さないものを『借金』と呼ぶ意味すらない。完全に論理破綻している」とのべ、最近、米国などで提唱されているMMT(現代貨幣理論)は、自国の通貨発行権を持つ政府は赤字国債(借金)で予算を組むことができるこの仕組みを解説したものであることを説明した。

 だが、この政府の借金には、毎年9兆円、この30年で300兆円以上もの利息が累積している。利息とは、お金持ちがお金をもっているというだけで、時間とともにお金が入ってくるという仕組みだ。その利息は、国債を買い込んでいる機関投資家(民間銀行や保険会社など)が受けとっている。そのため時間がたてばたつほど、貧困者から金持ちへの富の移転が進み、国内の格差はどんどん拡大していく。

 その解決策として大西氏は、「まだ世界にお金が必要である以上は、税金や赤字国債ではなく、新たな政府通貨として1兆円紙幣を900枚発行して日銀に預け、日銀が民間銀行にある900兆円分の国債を買いとればいい。すでにアベノミクスの金融緩和で半分もの国債を買いとっているがインフレもなにも起きていない。知らない人もいるくらいだ。すべて買いとってしまえば、同じ日銀の金庫の中に、政府から預かった900兆円(政府通貨)と政府に貸している900兆円(国債)が存在することになり、両者が相殺される。すべて数字上の話であり、おそらくみなさんには蝶が羽ばたいたくらいの感覚しかないだろうが、このバタフライ・エフェクトによって年間9兆円もの膨大な利息を生んでいた巨大な格差拡大マシーンが停止する。国債から利息を稼いでいた銀行は青息吐息になるだろうが、社会全体からみれば後に劇的な変化を生む。皆さんが知らず知らずのうちに奪われつづけてきた膨大な時間とお金をとり戻すことができる」との持論を展開した。

人の労力と時間が国の資産 税制と国家予算の本質

 また「国家経営において“税金を集めなければ使えるお金がない”という発想は、税を年貢米で納めていた時代のものだ。コメは集めなければ使えない。だが、お金とはそもそも無だ。すべて借金で作り出している。現に日本の国家予算はこの50年間毎年赤字だ。その気になれば、無税国家にしてすべて政府の借金でお金を作って回すことも可能であることを証明している」としたうえで、「ただ税制には、国の形をつくるという大事な意義がある」と強調した。

 現在の累進課税には「所得の再配分」、相続税には「所得格差の是正」という思想が反映されており、「みなさんが望む社会のあり方に従って国の形を作っていく。それが本来の税制の役割であり、政治の本質だ」とのべた。

 現在は所得税の最高税率が45%であるのに対して、株や為替取引など金融取引で得た1億円以を稼ぐ投資家の所得は分離課税(17%程度)で優遇され、なんの価値も生み出さず他人の富を奪うギャンブルを国が奨励している。「この金融取引で得た所得に高税率をかけられると投資家は飛び上がるが、“どうせ働くならこの世に価値を生み出して下さい。それが私たちが望む国の形だ”という明確なメッセージを与えることになる。日本は世界一お金を貸している国であり、外国人投資家など本当は必要ないのだ。だが私たちは外国人投資家を追い出す前に在日米軍を追い出さなければそれを実現できないだろう。その覚悟を持って政治家と政党を選んでいくことが必要だ」とのべた。

 国家予算についても「お金は紙切れであり、経済の中を数字がぐるぐる回るだけで消えることはない。それ自体は何の価値も生み出さない。本来の国家の財産とは、人間の時間と労力、そして環境資源だ。これが実体価値を生み出す源泉で、使ってしまうと二度と返ってこない。これを有効に使うことこそが国家経営であり、その価値を作り出すためならばお金はいくらでも作ることができる。だが現在は、教育や介護にしても、必要としている人がいて、働きたい若者もいるのに、そこにお金が注がれないために価値を生み出せない本末転倒な状態に置かれている。電気、水道から鉄道や道路をはじめ社会全体にとって必要不可欠な公共インフラの民営化、消費税、カジノ解禁など、社会にとってなんの価値もない金もうけのために人の時間と労力が無駄に使われる。これこそが国家にとってのコストだ。お金で考えるから論理が逆転するのだ」と指摘した。

本質を知り動き出した世界 進む価値観の転換

 最後に大西氏は、「この30年間、日本は明確な方向性を失ってきた。戦後復興という大きな目標を成し遂げた後、何のために生き、働くのかさえわからないまま、ひたすら目先の利益や売上のために働き続けてきたが、それがすでに社会の豊かさとはかけ離れたものになっていることを誰もが薄々気がついている。大人がそうであれば、それを見ている子どもたちは余計にわけが分からない。奨学金という借金を抱えて社会に放り出され、ただ“売れ、売れ”といわれるが、それに価値があることすら感じられず、生きる意義を見いだせない。だからこそ10代〜30代の若者の死因のトップが自殺というような歪な社会になっている。私たちは、ただ金を稼ぐために働くという目的から、よりよい社会を作るために時間と労働力を使うことを明確にし、日本から新しい国づくりをはじめることを提案したい。そのためには、この狂気と化した金融経済を変えるための指針を示す国家経営をする政治家を作り出さなければならない」と強調し、以下のように続けた。

 そもそも経済とは、価値の生産と交換だ。みんなに必要なものを作るからこそ交換できる。だが、今は必要ないものを無理矢理作って売る。お金をもらうための経済だからだ。それは金融の仕組みが、誰かの借金で成り立っている巨大なイス取りゲームだからだ。売ったものが社会にとって必要か、不必要かすら判断できなくなっている。

 経済の専門家も政治家も、お金を「あるもの」として考え、コストも人間が効率的にカネをもうけられることを基準にしか考えない。その他の多くの人の方が本質に気がつき、疑問に感じているはずだ。


 価値とは、人が必要とするモノやサービスなどの実体そのものであり、それを交換するためのお金はその量に見合うだけあればよく、金利や借金で増え続ける必要などない。限られている実体価値以上にお金が増え続ける、つまり同じだけの借金が増え続けた結果、みんながそれに課せられた金利を返すために熾烈な競争社会になり、誰かを蹴落とさなければ生きていけない経済のシステムになっている。この問題を解決しなければ、貧困や格差、戦争、病気などあらゆる社会の問題は絶対に解決しない。みんなが仲良く共存できない世界をこの金融システムが作っている。

 この金融資本主義の仕組みを根こそぎ変えることは、世界中の政治家にとって最大の政治命題だ。すでに地球も社会も維持できないところまで来ており、歴史の必然として地球規模の大転換がそこまで迫っている。

 そのためにはまったく新しい次元の新しい政党をつくる必要があり、れいわ新選組はその大転換の動きが生み出したものだ。米国大統領選でサンダース旋風が起きたのも地球規模で始まった自浄作用といえる。人間の意識は地球を壊滅させることもできるが、それを立て直すこともできるすごい力を持っている。既成の政治勢力の外側から新しい社会を目指す勢力が生まれている。名前がなんであれ、代表が誰であれ、この考え方が新しい時代を作っていくことを断言できる。

れいわ新選組の街頭演説に集まった人々(7月、東京)
 だが単純にそのような政党が政権をとっただけで世界が変わるほど甘いものではない。かつて政権を失った民主党がそうだったように、われわれ自身が大して変化していないからだ。お金の発行の仕組みは、世界中の経済の仕組みを変えなければならず、みんなが是が非でもという強い熱意をもってそれを求めなければ変わらない。一人一人が、世界を狂わしているお金に従って動いていくなら、狂った社会はなにも変わらない。

 大事なのはみんなの頭の中だ。みんながお金よりも大事なものに気がついて、少しずつ自分の判断を変えていくのなら、その数が増えるだけ社会にものすごい変化を起こしていく。その先に政権を取る事業があり、日本が変わればその影響は世界に計り知れない変化をもたらすことになる。

 所有という概念も人間が作り出した意識にすぎず、自然界にあるものは人間を含めたすべての生き物の共有物だ。支配という概念も、株主(資本家)のいうことを聞かなければいけないという意識も、この社会であたりまえとされて信じ込まされているだけの観念であり、真理でもなんでもないことに気がつくことができる。お金も紙切れにすぎず、それそのものに何の価値もない。ないもの(カネ)に縛られてあるものを歪めていくのか、あるもの(時間と労働力)を使って新しい世界を創造していくのか。それはすべて頭の中から始まり、それぞれが自分の頭で考えて決めていけばいい。

 私の考えでは、よりよい世界を作るためには、まず1人からできることをやる。自分の頭の中だけは誰からも邪魔されないからだ。自分の思い込みが正しいとは限らないのに、たくさんの人を巻き込もうとすれば逆に失敗する。他人と結果はコントロールできないが、自分が1段の階段を上がることはできる。それをみんなが始めたら社会は大きく変わっていく。

 私の場合は、2011年時点で、世界は変わり始めたし、すでに変わったと直感した。だから、私はその変わった世界と、みなさんの頭の中に漠然と起きている変化を整頓して言語化していくことによって、それを皆さんが意識するようになると思った。だから本を書いたり、動画を作ったり、講演会活動を始め、まったく相手にされない時期もあったが、やっているうちにだんだん周りが影響されて耳を傾けてくれる人が増え始めた。

 そして、みなさんから「それは私が思っていたことだ」「それがおかしいと思っていた」「それを求めていた」といわれ始めた。私の言葉であるのに、それを通じてみんながこれまで気がつかなかった自分の心が発していた言葉に気付いていくことができるということを経験してきた。自分をとり巻く世界で起きている現状とその問題を生み出す本質的な原因に気がついたとき、人は自分の本当の声を聞くことができるのだと感じた。自由を奪ってきた思い込みや既成概念が取り払われると、自分にとって本当に大切なものが見えてきて自然とワクワクしてくる。

 そこで私が次にみなさんに期待するのは、突き放すようだが「勝手にしてくれ」だ。自分の声を聞いたのなら、自分がやりたいことや望む生き方がはっきりする。それに向かって自分のペースで動いていけばいい。よいことをしようとするなら「利己的になって焦らない」のが大切だ。主観的に結果や他人をコントロールしようと思えば、それはエゴにしかならない。

 他者に対しては、愛して信じて待つ。自分の信念に従ってまず自分を変える。自分だからこそできることがあるし、自分が変わるから他者に影響を与えることができる。そのようにしてしか世界は変わらないし、それが世界を変える大きな鍵だと思っている。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/14039
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c3

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
8. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2020年1月28日 13:14:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-916]
我が流儀の源はストラヴィンスキー 2020 JAN 27 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/27/我が流儀の源はストラヴィンスキー/


ストラヴィンスキーの門をくぐったことで我がクラシック遍歴は始まった。ベートーベンの第九交響曲より詩篇交響曲の方が歌えるという時期が長くあり、頭の中のライブラリーの分量ではモーツァルト作品に並ぶかもしれない。こういう聴き方を音楽の先生はきっと推奨しないのだろうが、これでいいのだということをストラヴィンスキーが語ったある言葉で得心した。音楽に限ったことでなく、人生全般、生き方そのものに関わる言葉としてだ。

それはこの本にある。弟子で指揮者のロバート・クラフトが師匠との日々を日記形式で綴ったドキュメントだ。


質問者「いったい現代音楽とは何でしょうか」

I・S「いわゆる現代音楽は私にはどうでもいいのです。私の様式が現代的かどうかですか。私の様式は私の様式で、ただそれだけです」

これを読んで背筋に電気が走った。何もわかってない子供だから、ストラヴィンスキーは男として格好いいとシンプルに惚れこんでしまった。

高校生あたりから漠然と「格好いい人生を送りたい」という稚気に満ちた願望があった。何になりたいでもなく、自分なりに格好いいと想像する姿、それが、
「あっしにゃあ関りのねえこって・・・」

だった。これは当時流行っていた木枯し紋次郎のニヒルな名セリフである。それとストラヴィンスキーと何の関係があるんだ?それは脳内でこうつながる。


「現代音楽?あっしにゃあ関りのねえこって・・・」

他人が何をしているかなんて俺にゃぜんぜん関係ないぜ。そうだよな、世間体を気にしたり、八方美人で人に関わってたりしたら春の祭典は書けねえ。そう思った。中村敦夫は今風なイケメンではない。泥臭い。そういう顔じゃないとあのハードボイルド、ニヒリズムは出ない。誰が見ても素敵、カッコいいを目指しちゃいけない、そういう顔つきからは格好いいものは出てこないんじゃないか。

ストラヴィンスキーは音楽の渡世人だった。作風が転々としてカメレオンなんて揶揄もされた。しかしどれも彼の様式なのだ。もし三大バレエみたいな曲を一生書いてたら、それはそれで更なる金字塔を打ち建てたには違いない。しかし渡世人は安住しないのだ。誰にも世話にならず面倒かけず、風の向くまま気の向くまま、どうせこの世にゃ俺ひとり・・・。彼の顔もタダものじゃない。

春の祭典は聴衆を暴徒に変え、大騒ぎさせ、警官隊まで出動させた。音だけの力で。これが音で人の心を動かす作曲を商売とする者にどれほどの脅威か。格好いいとはこういうことなのである。それほどの革命的な創造をしながら、しかし、彼は次々と違う響きに関心を寄せていく。成功なんかポイっと捨てちまって、どんなに求められても二度とそこには戻ってこない。うわべだけのカッコよさだけ求めて生きてるような薄っぺらな男にそんなことは逆立ちしてもできない。書く音楽以前に、自身が勇気に満ちたプログレッシブな人間なのだ。渡世の道は花園かもしれないが無間地獄かもしれない。地獄であっても、もがいて這い出せればそれが幸福だ。何が幸いするかわからないから世の中は面白い。こんな格好いい人生があろうかと思う。

僕にとって、一つの成功に安住する人はすべからく、つまらない人だ。
若い時にこうして電気が走ると一生痕跡が残る。

これ以来、僕の生きる流儀はだんだんこういうものに収れんしていった。

・興味ないことはしない
・空気を読まない
・群れない
・人と同じことはしない
・つまらないことに1秒も使わない


この道に言い訳は落ちていない。結果がすべてであって、結果を出すための工夫を死に物狂いでするしかない。こうして僕はスナイパーになれ、結果は出さないが懸命に群れて、周囲の空気を率先して読んで、人と違うことは積極的に避け、興味ないことを忠犬みたいに黙々とする「満員電車のっちまえ族」とは決定的に袂を分かつ人生を送ることになった。

75才のストラヴィンスキーがロバート・クラフトと対談しているビデオがある。
弟子の質問に師匠が答えていく図式だが、テレビのドキュメンタリー番組だからやらせっぽさ満点だ。ロバートはド真面目なインテリ青年で質問は台本通りであるのがバレバレだが、ストラヴィンスキーは母国語でない英語で喜々として答えている。しかし本音を言わず大人の会話に終始しているのはこの録画が後世に残ると知っているからだろう。曲をスタジオ録音する際に安全運転になるのと似て、表面づらはあまり面白くない。

そこで、まことに僭越ではあるが、愚生が時にチラッと垣間見えるストラヴィンスキーの笑み、表情の変化、語彙の選び方などを手掛かりとして、大先生の本音をこっそり盗み取って注釈してみたいと思う(英語が聞き取りにくくひょっとしてヒアリング・ミスがあるかもしれない。そんなアホなという部分は切にご訂正、ご笑納をお願いしたい)。

ではご覧いただきたい。


A Conversation with Igor Stravinsky, 1957


from The Wisdom Series, 1957



TVカメラ用のポーズをつけ、ピアノに向かって作曲中を装う彼は精一杯の演技でカメラの脇に待機していたロバートを呼び入れる。スコアに音符を書き込む姿はエンジニアのように見える。別室に移ってスコアを広げる光景を見ると僕は建築士の事務所を思い浮かべる。色鉛筆まで使って几帳面に書きこまれた彼の巨大なスコアは設計図を髣髴とさせるが、そのイメージにフィットする。

ストラヴィンスキーはこんな事を言ってる。以下、注はすべて筆者による。

8才で始めたピアノで音階練習をしていて、音階というものは誰かが発明したのだと考え、それならばと自分が創ってもいいだろうとオリジナルの音階を作った。14才でピアノを習った19才の女性教師が好きになってしまった(注1)。やがて師匠、友人となるリムスキー・コルサコフの弟子に和声法、対位法を習ったが死ぬほど退屈で(注2)、師匠に君は音楽院には行かずに自習しろと言われた(注3)。


注1・old maidは俗語でセクシャルに意味深。母親にバレた。

注2・この教師は知識はあるが音楽知らずのただの馬鹿と本音はナメ切っている

注3・耐えられなかったのは和声法で、対位法は関心あったと決然と言う。彼は古典を研究し、形式論理を重んじ、論理の進化で作風を転々とした。退屈で済ますわけにはいかず、あえて繕ったコメントと感じる。

初めて会ったディアギレフはオスカー・ワイルド(注4)みたいな男で、とても優雅でシックで敷居がお高く、微笑みながらやさしく肩を叩いてキミの庇護者だよとにおわせるスタイルの人だった(注5)。ディアギレフは火の鳥の契約をする前にショパンのオーケストレーションをしてくれと頼んできた。春の祭典の初演のスキャンダルを彼は(興業としては)喜んだが、それを巻きおこしたのは私の音楽であって彼のバレエではなかったから嫉妬もしていた。

注4・アイルランド出身の作家。ここでは「ホモの性癖が過ぎて投獄され梅毒で死んだあいつ」という意味で引用されていると思われる。ディアギレフもその道で著名。

注5・ディアギレフとの縁で功成り名を遂げたものの、彼のニヤリとした表情には「あの食わせ者にはやられたよ」感が満載で、それ以上の関係を感じないでもない。ディアギレフは貴族で海千山千の起業家だ、10才下の若造をおだてて手玉に取るのはわけなかっただろう。

私が指揮台に登るのは、どの指揮者よりも聴衆をうならせることができるからだ。私の父は当代一流の、あのシャリアピンに比肩される歌手である。私は偉大な解釈者の息子であり、彼の強烈な劇的表現の才能を受け継いで指揮をしている(注6)。

注6・指揮者としての自分を血筋で正当化している。作曲者なのだから解釈の正統性をなぜ謳わないのか不思議だが、彼はスイスに亡命したため1917年の十月革命で財産を没収され、ロシアがベルン条約加盟国でなかったためにパリでのロシア・バレエ団からのギャラ支払も拒否されてディアギレフと争っていた。だから三大バレエは人気を博したものの彼にはあまり印税をもたらさず生活は困窮した。すでにアンセルメ、モントゥーら著名指揮者のレパートリーとなっており、彼はチャレンジャーだったから血筋まで持ち出す心理になったのだろう。このインタビューはコロンビア・レコードが彼の自作自演盤を市場に出し始めたころに行われたから、彼は売上に敏感だったろう。ただ、結果としてレコードは売れて彼は「生きたレジェンド」になり、米国作曲作詞出版家協会(ASCAP)が彼の印税のランクを上げたため収入が3万5千ドルから7桁に近い6桁台に急上昇した。

私が自作を指揮をすると指揮者たちが怒るが、その理由は私の音楽(の解釈)についてではない、収入が減るからだ。競争(を仕掛けられた)と思うのだ。『ショパン』の稼ぎより『ルービンシュタインのショパン』の稼ぎの方が多くなくてはいけないのだよ、わかるだろう?(注7)まあ彼は友人だから悪くは言えないがね(注8)。

注7:俺の曲にただ乗りして稼ぐ奴らは許せんという意味。三大バレエは花のパリで初演から話題を巻き起こして興業的に当たっていたのだから、若くて金のない彼に「チクショー損した」感が大きかったのは当然だ。彼は創作過程について詳しいコメントを残していないが、想像するに三大バレエの時期はロシア革命、亡命、裏切りと重なる彼のトラウマでもあるだろう。

注8:ルービンシュタインに「ペトルーシュカからの三章」を書いて献呈している関係があるための弁解。作曲家は経済的に不毛だったペトルーシュカを金にでき、ピアニストは『ルービンシュタインのストラヴィンスキー』を手に入れられるグッド・ディールだったとにおわせる。

演奏家は、トランペットならその奏者が、私のイマジネーション(注9)のとおりの音を出さなくてはいけない。音のイマジネーションを分かり易くするためにクラフトマンシップについて説明してください(注10)。(クラフトマンは)物を作る人だ。その物は独創的(発明的)でないといけないが(注11)。

注9:ロバートに「アゴン」のスコアの変拍子をひとしきり解説して見せた後、ストラヴィンスキーが創造の核心に触れだした。ロバートには「それはどこからどのように来るのですか?」と質問してほしかった。

注10:ところがロバートは(たぶん台本を消化するため)この一見もっともらしいが実はくだらない質問にすり替えてしまった。

注11:別の場所では、演奏家は作曲家が創った鐘を鳴らす叩く鐘突きだ、鐘は突けばちゃんと鳴るように創られていると述べている。質問の脈絡が不明のためストラヴィンスキーは鐘はそう造られるべきと苦し紛れに答えているわけだが、誠にもったいない機会損失であった。

彼(注12)はその知識を自己流儀で獲得していたが、音楽というものを習得してなかった。とても優れた耳と記憶力を持ってはいたがね、ロバート、君のようにね、でも君は作曲家じゃないが、彼は作曲家だ(注13)。

注12:前述の始めて和声法、対位法を習ったリムスキー・コルサコフの弟子。

注13:これを言うストラヴィンスキーは、自分はパフォーマーではなく創造者だ、作曲家は演奏家より上だという強いプライドを漂わせている。2日後に「アゴン」を指揮するロバートはその言葉に反応を見せない。パフォーマーに徹したことで評価されたのだろうが、世間の評価はピエール・ブーレーズが上だった。

音楽は音を聞くだけではアブストラクト(抽象)であり、振動を感じなくてはわからない。音楽は音のリアライゼーション(具現化)であり、それは人の心の働きである(注14)。哲学者ショーペンハウエルは「音楽はそれ自体が宇宙である」と言っている(注15)。

注14:鉛筆をくわえてその先をピアノにくっつけ、ベートーベンは耳が聞こえないからこうしていたと実演しているが、言いたかったのはこれだろう。アブストラクトでないものが彼にイマジネーションとして心の働きを喚起し、音として “聞こえて” おり、それを書きとるのがリアライゼーションと筆者は理解した。別なインタビューで彼は「最高の作品とはまさに妊娠している母親のように、心と耳で感じられるものだ」と語っている。

注15:ショーペンハウエルの音楽論の部分を書きとっている。彼が全編読んでいたかは不明。8才でオリジナルの音階を創造しようとしたストラヴィンスキーの心の作用は万物の根源に向かうという意味ですぐれて哲学的、科学的であるが、前掲書によると、死生観などは呪術的でもある。

以上。


ここでストラヴィンスキーが本当にやりたかったわけではないであろうパフォーマーの仕事ぶりを見てみよう。1959年にN響を指揮した火の鳥である。選曲も管弦楽法も聞きなれぬバージョンの組曲であり、その差異により、彼が著作権を持って課金できているはずのものだ。終曲のおしまい、ロ長調になる部分のぶつ切れは彼がそりが合わなくなっていたアンセルメ(彼はフル・ノート延ばす)へのプロテストかと感じないでもない。


Stravinsky Conducts The Firebird Suite, Japan 1959



Stravinsky, The Firebird Suite (1945 revised version)
NHK Symphony Orchestra
Igor Stravinsky, conductor
Osaka International Festival, May 1, 1959



ストラヴィンスキー夫妻とロバートはこの年行われた皇太子ご成婚にかけて来日し、兼高かおるが同行して京都、大阪、箱根、鎌倉、日光を旅した行程が詳細にロバートの上掲書に記されているが、ストラヴィンスキーのために2回のリハーサルをつけたこと以外は5月1日のこの演奏会にはまったく言及がない。彼らの意識の中ではその程度のものだったのだろう。

上掲ビデオのNBC番組については、ロバートの上掲書に記述がある。6月12,13日で、その5日あとが巨匠の75才の誕生日だった。

最晩年のロバート・クラフト(October 20, 1923 – November 10, 2015)が1971年にヴェニスで執り行われたストラヴィンスキーの葬儀の思い出を語っている。最後の一言に衝撃を受けた、まさに感動的だ。


Testimony of Robert Craft



Emocionante depoimento de Robert Craft para Jocy de Oliveira descrevendo o funeral de Stravinsky na ilha San Micaelis em Veneza, 1971
Em 2015, o funeral de Robert Craft também se realiza nesta mesma ilha.

Moving testimony of Robert Craft given to Jocy de Oliveira describing Stravinsky’s funeral at the Island San Micaelis in Venice ,1971
2015 , Robert Craft's funeral also takes place at this chosen Island.




https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/27/我が流儀の源はストラヴィンスキー/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c8
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
13. 中川隆[-14155] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:04:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-915]


Beethoven - Pastoral Symphony - Furtwangler (1947 live)





Wilhelm Furtwängler, Berliner Philharmoniker
Recorded live at Titania Palast, 25-V-1947


▲△▽▼

1947年
25 May 1947 BPO Titania (RIAS)
Beethoven: Sym.No.6

●5月25日 ベートーヴェン/田園・運命 BPO ティタニア RIAS録音

LP/PR: CetraFE32('83) King(JP)K19C266-7(83/07)KIJC2001-2('90?)
CD/SB: WFSG TMK008080('96) EvangelFRL1004(97/04)
CD: CetraCDE1014('90=ANF307) RodolpheRPC32522-4('90?) TAHRA FURT1016(97/06) King(JP)K33Y193(86/10)KICC7091(91/04)KICC2293(93/07)KKCC4232(98/03) M&ACD789('93)CD922('96)

>>King(Japan)KICC2293 were dull sound. German WFS's CD is the best sound. But I don't like TAHRA sound. TAHRA use much noise reduction.

CetraFE32, King K33Y193(from Cetra) and KICC2293(from Italy My Sound) are authentic 5/25 performance. But King KICC7091(from Cetra), ANF(Japan)307(from Cetra) and Cetra CDE1014 are 5/27 performance.(according to Mr.Tsushimi)

▼初出のCetra盤LPやそれを原盤としたキング盤(K19C266-7)は劣悪な音で有名。
局出し音源の独協会TMK008080('96)の音質はDGの27日盤を上回るほど。
それをデジタルコピーしたと思われるEvangel盤(FRL1004)も同様。
97/06TAHRA から正規市販盤が出たが、これも金管が生々しく47年とは到底思えない音質。
SK氏は協会盤やEvangel盤のほうがいい音質−としている。
shin-pも聞き比べたが TAHRA盤はノイズリダクションが強くかかりすぎて本来の明瞭な音がしない。
独フ協会盤と Evangel盤はヒスノイズが若干多いものの音自体が生々しく良好な音質。
キングは98年 TAHRA盤を国内盤扱いで発売。演奏は時にアンサンブルが乱れたりもするがそんな些細なことはどうでもよくなるほど熱気あふれるもの。

RIAS は西側(米)占領軍による放送局で、oda氏によれば、ベルリンの壁崩壊後90年代半ばまで存在したという。そのアーカイヴは Deutschlandfunk に移管されたと思われる。ただし、独協会盤頒布以降の運命の音質向上は目が覚めるほどだったが、田園はそれほどではない。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu11.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c13
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
14. 中川隆[-14154] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:11:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-914]

1952年
10 Jan. 1952 RAI Roma Orc. RAI Roma studio
Beethoven:Sym.No.6

●1月10日 ベートーヴェン/田園&運命 RAIローマ放送響 RAIスタジオ(Auditorium del Foro Italico) RAI収録

LP/PR(No6):OlympicOL8120-7('75?)
CD: KingKICC2346-7('94)

▽初出は日本フォノグラムからも出た世界初の巨匠のベートーヴェン交響曲全集からのもの。
14 Jan. 1952 RAI Roma Orc. RAI Roma studio

▼RAIローマ響との一連の録音は3月のトリノ録音と比べれば音質良好。

ステレオ録音ではないかとされる Cetra LP も米Olympicと同様「テープから保存用にコピーされたパデローニという放送用ディスク」からの復刻。
STEREO と明記されたFE5の田園や桧山氏がステレオではないかとするFE6のエロイカは「疑似ステ」と思われる。
ただし音の明瞭さは Cetra が優る。

音質は、運命/英雄/田園の順。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c14

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
15. 中川隆[-14153] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:23:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-913]


Beethoven: Symphony No. 6, Furtwängler/ Vienna P.O. 1952







Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
【録音】1952年11月24,25日

▲△▽▼

1952年
24/25 Nov. 1952 VPO Musikverein (EMI studio Version)
Beethoven: Sym.No.6

●11月24、5日 ベートーヴェン/田園 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音

LP/PR: ALP1041(53/11)
CD: EMI7630342('89)ToshibaTOCE7530-4(91/12)TOCE8440(94/08)

▼このあたりのスタジオ録音から現在に通じるハイファイ音がきかれる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c15
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
16. 中川隆[-14152] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:30:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-912]

1954年
15 May 1954 BPO Lugano Theatre Apollo(RTSI)
Beethoven: Sym.No.6

●5月15日 ベートーベン/田園 モーツアルト/ピアノ協奏曲第20 R・シュトラウス/ティル BPO ルフェビュール(P) ルガノ・テアトロ・アポロ スイス・イタリア語放送(RTSI)

LP/PR(No6): CetraLO529('80?)KingSLF5017-8(80/06)
CD: ErmitageERM120('92)

▼フランス・イタリア・スイスを回る演奏旅行の最終日。スイス=イタリア語放送(ルガノ放送)のオリジナルテープによるErmitage盤が発売され、これら録音の優秀さが再確認された。

ただ田園は冒頭がテープが傷んでいるらしく聞きづらくERM盤 CDより Cetra LPの方が自然な印象。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c16

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
17. 中川隆[-14151] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:38:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-911]


L.V.Beethoven Symphony#6 "Pastorale" [ W.Furtwängler Berlin-PO ] (May/23/1954)







Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, May 23, 1954

▲△▽▼

1954年
23 May 1954 BPO Titania(RIAS)
Beethoven: Sym.No.6

●5月23日 ベートーヴェン/田園・運命 BPO ティタニア RIAS収録

LP/PR(No6): GHE86125('72)WFSJ TRP1159(72?) WFSG F669310-1M('85?)
CD: HuntCD503('91?)Virtoso2697162('89)EMBLEM F4003(94/03)M&ACD869('95?)

▼ 田園は初出 GHE盤や独協会盤、日本協会 CDは 3楽章冒頭部が欠落。
日本協会 LP他市販盤は完全盤。
音質は若干のヒスノイズを除けば、EMBLEM が格段に優れている。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c17
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92. 2020年1月28日 15:47:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-910]
ベートーヴェン 『交響曲第4番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c92
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
93. 2020年1月28日 16:01:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-909]
ベートーヴェン 『交響曲第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c93
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
18. 中川隆[-14159] koaQ7Jey 2020年1月28日 16:08:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-908]
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の『交響曲第6番 田園』
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven6-m.htm


 フルトヴェングラーの演奏はどれも緩急の差が激しすぎる。
しかし、それがドイツの交響曲に対する彼の表現方法なのだろう。

ウィーン・フィル----1952年11月24-25日、ムジークフェライン
EMI。1952年11月録音。全集(写真はイタリア盤)。

超スローテンポ。第2楽章が特に遅い。一方、第5楽章は相変わらず少しずつ速くなっていってしまう。

しかし彼の「田園」では結局これが一番良い。

 2004年、没後50年記念で国内盤24bitリマスター盤TOCE 55704が出た。
リマスタリングはHS-2088シリーズと同じYoshio Okazaki氏であるが、このリマスターの出来は良いと思う。

このCDにはベルリン・フィルとの「レオノーレ第2番」スタジオ録音がカップリングされているので購入したのである。


______


ウィーン・フィル----1943年12月22-23日、ムジークフェライン、エレクトローラ(EMI系)によるSP録音
PREISER 90199。

結構、普通の演奏なのだが、やはり終楽章は速くなってしまう。

同時期録音の「ハイドンの主題による変奏曲」とカップリング。
(この2曲とも戦時中の困難な時期にわざわざ録音したにもかかわらず長らく未発売だった。)


______


ベルリン・フィル----1944年3月20-22日、国立歌劇場、放送録音
TAHRA。FURT 1034/39。戦時中マグネットフォン録音集6枚組。

終楽章最初のヴァイオリンのテーマは祈るような感じで感動的、と思ったらすぐに活発というより熱狂的テンポになってしまう。そして最後はまた祈り。起伏の激しい演奏だ。

______


ベルリン・フィル----1947年5月25日、ティタニア・パラスト、Live

TAHRA FURT-1016(左)。
ドイツ・フルトヴェングラー協会盤 TMK008080。
audite RIAS録音集12枚BOX(中央)。
さらに同じくauditeからこの日の録音がシングルレイヤーのSACD国内盤でも出た(右)。

歴史的復帰演奏会初日のライヴ録音。
同日の「運命」とカップリング。音質等についてはその「運命」のほうで詳しく書いた。

終楽章はかなり速くなってしまっている。「歴史的復帰」でフルトヴェングラーとBPOとが「ムジツィーレン」できる喜びに感極まっているんだなぁ、と思うと、聴いている私も、(笑いながらも)涙が出て来てしまう。


______


ローマRAI交響楽団----1952年1月10日、ローマ、ライヴ

ANDROMEDA。52年RAI録音集6枚組ANDRCD 5010。
同日の「運命」も収録されている。


______

ベルリン・フィル----1954年5月15日、ルガーノ、Live
ERMITAGE。スイス・イタリア語放送のオリジナルテープを使用。

同日演奏されたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ルフェビユール)を聴くために購入したCDである。


______

ベルリン・フィル----1954年5月23日、
ティタニア・パラスト、Live

TAHRA。FURT-1008/11。
同日録音の「運命」のほか、「英雄」「グレイト」などをカップリングした没後40年記念の4枚組(写真左)。

結構落ち着いた演奏で、全集盤に近い最晩年の芸風が聴ける。

2000年末に、TAHRAが「残響付加無し、24bitリマスター盤」4枚組FURT1054/57を出したのを入手(写真左から2番目)。上の従来盤とはだいぶ印象が異なる。

2009年発売のaudite盤RIAS録音集12枚BOXも入手(写真右から2番目)。
さらに同レーベルでシングルレイヤーのSACD国内盤も出た(写真右端)。

http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven6-m.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c18

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
94. 2020年1月28日 17:26:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-907]
ベートーヴェン 『エグモント序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c94
[番外地7] ユダヤ人の起源 中川隆
3. 中川隆[-14167] koaQ7Jey 2020年1月28日 17:38:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-906]


77 71 分前(編集済み)

>スファラディからのディアスポラで、北上したグループと、トルコルーマニアを移動したグループは基本、白人系では無い。ユダヤ人を部族、人種で論じることの出来ない愚か者は民族の力を過小評価しすぎる。

ユダヤ人は遺伝子的にはアラブ人と同じだよ。 ただ、アシュケナージの男はヨーロッパ人の嫁を貰ったからヨーロッパ化しただけだよ:

【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ人だった 2013年10月9日

アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの塩基配列解読が行われ、ユダヤ人の母方の系統がヨーロッパ起源である可能性が明らかになった。これまでに、中近東やコーカサス地方を起源とする学説が表明されていたが、むしろヨーロッパ地中海地方であることが、今回の研究で示唆されている。アシュケナージ系ユダヤ人の起源をめぐっては激しい論争が繰り広げられている。父系遺伝するY染色体、母系遺伝するミトコンドリアと両親から遺伝する常染色体に関する遺伝情報を用いて祖先との関係を推定する研究が行われたが、相矛盾する結論が示されていた。

主に中近東(イスラエル/パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダンを含む領域)の人々を祖先とする見解があった一方で、主にコーカサス地方の人々が祖先だとする見解もあったのだ。今回、Martin Richardsたちは、74点のミトコンドリアゲノムの塩基配列解読を行い、ヨーロッパ、コーカサス地方と中近東に由来する3,500点以上のミトコンドリアゲノムの解析を行い、アシュケナージ系ユダヤ人の詳細な系統史を再現した。

その結果、Richardsたちは、アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの変異の少なくとも80%が、中近東やコーカサス地方ではなく、先史時代のヨーロッパの系統を受け継いでいることを明らかにした。この結果は、アシュケナージ系ユダヤ人の女性が、約2,000年前には、ヨーロッパに同化していた可能性を示唆している。Richardsたちは、ヨーロッパの地元の女性が動員されて、改宗したことがアシュケナージ系ユダヤ人コミュニティーの形成にとって重要だったことが今回の研究結果で浮き彫りになり、今回の研究がアシュケナージ系ユダヤ人の系統史の再構築にとっての重要な一段階となったと考えている。

要するに、アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だったという事ですね。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/437.html#c3

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
95. 2020年1月28日 18:15:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-905]
ベートーヴェン 『コリオラン序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/852.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c95
[番外地7] ユダヤ人の起源 中川隆
4. 中川隆[-14169] koaQ7Jey 2020年1月28日 18:23:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-904]
ユダヤ人の起源はヨーロッパの研究者にとって最も関心ある問題だから詳細に調べられているよ。DNA解析の日本語文献は

ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか? 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/437.html#c4

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
96. 2020年1月28日 19:07:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-903]
ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/853.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c96
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
97. 2020年1月28日 21:00:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-902]
ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/854.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c97
[近代史3] 中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている 中川隆
8. 中川隆[-14210] koaQ7Jey 2020年1月28日 22:14:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-901]


2020年01月28日
細菌より人権の方が有害だ ! / 支那人を排除出来ない日本
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797865.html


パンデミックの恐怖

Chinese pandemic 1Chinese tourists 7


(左 : ウィルス感染を気にせず春節旅行を続ける支那人 / 右 : 空港のゲートで検査を受ける支那人旅行者 )

  一般の日本人は遠慮し口にしないが、支那は「黴菌の温床」である。拙著『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で夏目漱石のエピソードを紹介したが、支那人は昔から不潔で、きれい好きの日本人が近づく場所ではない。支那大陸で平然と暮らせるのは、糞尿まみれが当たり前だった朝鮮人と、汚濁のガンジス河で水浴びができるインド人くらいだろう。日本人の女子高生なんか、支那の便所に近づいただけで卒倒するんじゃないか。真夏の南鮮を旅行した日本人が、公衆便所の扉を開けて失神するのと同じだ。清潔な日常が“当然”の日本人にとって、猥雑でゴチャゴチャしたアジアは異質である。とても文明国とは思えない。したがって、アジア人は日本人と“同等”な人種ではないし、アジア人を日本に受け容れるべきではない。とりわけ、貴重な日本国籍を与えるなど以てのほか。もし、2万円払ったら「フェラーリF8スパイダー(Ferrari F8 Spider)」や「ランボルギーニ・アヴェンタドール(Lamborgini Aventador)」をもらえる、という電話が掛かってきたら、誰だって疑うだろう。なぜなら、そのようなウマイ話はこの世に存在しないからだ。ところが、日本国籍は無料配布されている。だから、我々はとんでもない愚行を犯していると言えよう。(ここでは関係ないけど、日本の男の子なら一度でいいから、「ラ・フェラーリLaFerrari」を乗ってみたいよねぇ〜。)

  去年の12月、支那の武漢で新型のコロナウィルス(2019-nCoV)による「武漢肺炎」が発生し、「サーズ(重症急性呼吸器症候群 / Severe Acute Respiratory Symdrome)」のように猛威をふるいはじめた。ところが、この事態は大々的に報道されることはなかった。というのも、責任回避と隠蔽体質が支那人の“宿痾(しゅくあ)”になっているからだ。12月上旬に肺炎患者が浮上したが、その病状について報告はされず、外部に知らせようとした者は処罰されたという。ところが同月下旬、内部の公文書がネットに流出したことで、ようやく公式に発表されたのである。しかし、これは致命的な隠蔽だった。武漢で発生した原因不明の肺炎は、人々の間で“噂”にのぼったものの、感染源とされる「華南海鮮城(市場)」は封鎖されなかった。それゆえ、多くの支那人が武漢を離れて各地に飛び火した。日本の自動車メーカーの社員が駐在していることからも分かる通り、武漢は東京並みの人口を抱える商業都市。商人や配送人の往来も盛んだ。悪い予感は当たるもので、自覚症状のない感染者は、親戚や友人を訪ねるべく、他の地域へと赴くし、微熱を抱えた者でも、解熱剤を服用して旅行を断行してしまったそうだ。日本へ渡航したある支那人の中年女性は、航空券やホテルの予約をキャンセルできず、「もったいない」から日本にやって来たという。

Chinese market 1China Coronavirus 6


(左 : 武漢の市場で食肉を売る支那人 / 右 : コロナウィルスの写真 )

  支那人には「他人への配慮」という考えが全く無い。あるのは自分の利益だけ。北京政府や外国の政府が何を言おうが知ったことではない。例えば、イナゴの大群に「今月は稲刈りだから来ないでね!」と頼んでも無駄だろう。それと同じく、日本政府がいくら支那人観光客に「自粛」を呼びかけたところで、あの支那人が日本人に従うとは思えない。案の定、1月になると続々と観光客が日本に流入し、各地の空港は支那人で溢れかえっていた。本来、支那大陸で疫病の発生が報告されたら、即座に「支那人の入国禁止」を実施すべきなのに、我が国の政府ときたら、「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。まだ、感染者は数人なんだから。大袈裟に考えなくても大丈夫。それに、春節で観光地が支那人を期待しているんだから、入国禁止なんて絶対できないよぉ〜」という始末。烏合の衆が送り出す代議士なんて、所詮この程度である。

  他の国会議員も全く同じで、支那人が落とすお金に首ったけ。選挙の時に応援してくれる地元の観光業者が、支那人を求めるんだから追い払うわけには行くまい。爆買いの観光客で潤うから「支那人様々、熱烈歓迎!」で大拍手。でも、支那人大好きの国民は、高熱にうなされるとは夢にも思っていないのだ。ホント、日本人は呑気だねぇ〜。売り上げ増加でも、黴菌到来じゃ割が合わないのに・・・。まぁ、一部の議員は分かっているんだろうけど、世間が銭儲けに夢中なんだからしょうがない。こんな塩梅だから、大半の国会議員は「俺には関係ないし、どうせ感染するのは庶民のジジィやババァだろう。ウチの家族は高級住宅地に住んでいるから安全さ !」と高を括っている。たとえ、日本中にウィルスが蔓延しても、全責任は安倍総理と閣僚にある。非難の矛先は、彼らに向ければいい。立憲民主党などは政権批判のネタが一つ増えたから万々歳。ほとんどの左翼議員にとっては、日本人の生命なんか二の次、三の次、下駄の底。本音を言えば「附け足し」ていど。選挙の時だけ「神様、仏様、お客様」ときている。

  支那大陸で異常事態が起こると、その“不都合な真実”を隠したくなるのが、朝日新聞を始めとする日本のマスコミだ。1月24日附の朝日新聞には、悪名高い「素粒子」のコラムが載っており、朝日の執筆者は次のように仰っていた。

  中国人を排除するより、ともに手を洗おう。

  こんな新聞を定期購読している日本人は、本当に愚かだ。支那人と一緒に手を洗えば、ウィルスの拡散を防げるのか? じゃあ、隣で手を洗っている支那人が、自身の感染に気づかず、くしゃみをしたら「どう」するのか? 朝日新聞の社員は笑顔で「ニイハオ」と挨拶するのか? そんなことはないだろう。朝日の社員は周囲に目を配って、支那人らしき人物には近づかず、たとえ支那人と遭遇しても3m以内には近づかないはずだ。感染を防禦するためには、最低でも半径2mの距離が必要だから、朝日やNHKの重役は、電車通勤じゃなくリムジン通勤に切り替えるんじゃないか。朝日のコラムニストは手洗い除菌やマスクの着装を呼びかけながら、一般読者に安心するよう訴えかけるが、高齢者の親を持つ中年サラリーマンや海外赴任の特派員は心配になるぞ。日本は世界有数の高齢化社会だ。大学生や新入社員は大丈夫でも、隠居老人がウィルスに感染したら致命的となる。他人の親には「冷静にしろ」と説教するが、自分の親は大切だから、偽善的な朝日社員は実家の両親に連絡し、「絶対に支那人に接触しないでね ! もし、外出する事になったら、電車じゃなくタクシーを使ってね!」と念を押すんじゃないか。リベラル気取りの新聞記者は、社外で平等思想と博愛主義を掲げるが、自宅に戻ると冷徹な差別主義者となる。中には家庭内暴力の常習者がいたりして。

Japan aging society 2Chinese market 2

(左 : ウィルス感染の危険に晒される日本の高齢者 / 右 : 購買意欲旺盛な支那人)

  インターネットが普及した現代、さすがに総てを隠すことはできないから、新聞や民放各局はなるべく“抑制”した報道に終始する。疫学や医療に詳しい専門家を呼んで、「過剰な反応やパニックを起こさないように!」とか、「新型肺炎による症状はSARS程ではありません」と宣伝し、厳選した御用学者に脚本通りの解説を喋らせようとする。例えば、テレ朝の『TVタックル』は、国立感染症研究所で働いていた元研究員の岡田春恵・白鴎大学教授を招き、「冷静な対応」を取るよう視聴者に促していた。岡田教授は北京政府の情報操作を警告せず、今回の新型コロナウィルスはSARSやMERS(中東呼吸器症候群)ほど強くなく、症状は軽い方で、潜伏期間は約14日くらいです、と語っていた。来日する支那人がウィルスをまき散らす事態を質問された時、彼女は「私ならマスクをして他人にうつさないよう配慮します」と述べていた。

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(左 : 武漢でウィルスに感染した患者 / 右 : 封鎖命令を受けた武漢の様子)

  もう聞いていて呆れてしまうが、潜伏期間が長く、初期症状も軽いのであれば、逆に厄介で恐ろしいんじゃないのか。日本の病院に収容された在日支那人は、解熱剤を飲んで武漢から戻り、空港のサーモグラフィーを通過していたのだ。それに、あの図々しい支那人が、周囲の日本人を気遣ってマスクをするのか? 彼らがマスクをするのは、他人からウィルスをもらわないためだ。でも、これは無駄な努力で、市販のマスクは防毒マスクじゃない。支那人というのは迷信の民族だから、アホらしいことでも自分の利益と思えば簡単に信じる。

例えば、2003年、SARSが荒れ狂った時のことだ。当時、15歳だった支那人の李(仮名)は、同級生と一緒に受験に向けて猛勉強中だった。家に帰ってくつろぐ時間も無かったので、多くの生徒は親から食事の差し入れを貰っていたそうである。だから、子供が病気に罹るんじゃないか、と心配する親がいても当然だ。李は当時を振り返って言う。彼が教室に入ると、中は酢の匂いが充満していた。なぜなら、支那人は病気拡散の防止には、お酢が効果的と思っていたからだ。(Julia Hollingworth, "A lot has changed since China's SARS outbreak 17 years ago. But some things havn't", CNN, January 25, 2020.) あのよぉ〜、空気中を漂う酢がウィルスを殺すなんあり得ないだろ〜。じゃあ、ポン酢を使った料理は口内炎に効くのか? まぁ、支那人のことだ。硫酸を「酢」と偽って販売するから、確かにコロナウィルス対策には有効だ。何しろ、細菌が侵入する宿主が死んでしまうから。(支那流ブラックジョーク。)

  今さら呆れても仕方ないが、当初、日本政府は支那人観光客に、「微熱や気分の悪い人は、空港職員に申し出てください!」と呼びかけていた。しかし、支那からの観光客が壁に貼られた注意書きを読んで、「じゃあ、申告しよう」と思うのか? もし、こんな事を“有り得る”とか、支那人でも“自主的”に申告するはずだ、と考える奴がいたら、ライオンかワニの檻に入って一緒にチキンナゲットを喰ってみろ ! 机上の空論が如何に危険かを実感できるだろう。仮に、ウィルス感染を怪しんだ支那人がいたとしても、その観光客は症状を隠し、涼しい顔で空港のゲートを通り抜けるはずだ。支那人はどんな容疑であれ、捕まる事を懼れる。中には、武漢や支那大陸がヤバいから、安全な日本へ避難しようと、日本を目指す輩がいるはずだ。そもそも、入国条件の“緩和”で普通の支那人がドンドン渡航ビザを手にできるし、日本へ渡る料金だって子供の小遣い程度なんだから。例えば、日本の地方空港へ渡る料金は、3千円から8千円ほどなので、電車に乗るような気軽さだ。それに、もし肺炎に罹ったとしても、支那の病院に搬送されるより遙かにマシである。

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(左 : 空港で支那人観光客に「自己申告」を促す張り紙 / 右 : 続々と外国の空港に押し寄せる支那人 )

  一般の日本人は知識不足で、支那大陸の悲惨さを解っていないのだ。支那の病院は治療施設なのに驚くほど不潔で、最新の医療技術など期待できない。その代わり、お金(賄賂)次第で待遇が異なる。医者だって商人だ。自分の健康を危険に晒して患者を治す意識は更々無い。貧乏な老人だと「手抜き治療」が当たり前だし、厄介な患者が来れば適当にあしらい、「医療過誤」でも「自然死」として処理する。こうした暗黒大陸と比べれば、我が日本はアダムとイヴでさえ羨む程の楽園だ。日本の病院は安全清潔。医者は義務感に燃え、看護婦は優しく、介護師までもが真面目に接してくれるという。そのうえ、高度医療設備も整っているから、まさしく至れり尽くせり。さらに、国民健康保険制度があるから、低料金で高度医療も受けられるという特典つき。だから、支那人は大挙して日本に押し寄せ、端金(はしたがね)で文明の恩恵に与ろうとする。たとえ、健康保険に入っていなくても大丈夫。知り合いの在日支那人が持っている保険証を借りればいい。仮に、「なりすまし」とか詐欺がバレても、治療中なら叩き出されることはないから、治るまで日本に滞在できる。これなら嘘をついた方が断然「お得」だ。支那人に良心の呵責は無い。自分の命と銭が最優先。日本人が考える「倫理」というものは、支那大陸に皆無。「嘘も方便」どころか「嘘は賢い処世術」、「バレなければ嘘ではない」、「騙される日本人の方が悪い」、「正直であれとは憲法に書いていない」と開き直る。そもそも、「なんで嘘をついてはいけないんだ?」というのが支那人の発想だ。

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(左 : 堂々と外国を訪れる支那人 / 右 : 元気な支那人観光客 )

  日本のマスコミは「北京政府が武漢を閉鎖しました」と報道し、習近平がいかにもウィルスの拡大を防いでいるかのように宣伝するが、既に武漢から感染者が大量に流出しているんだから、今さら震源地を封じ込めても手遅れじゃないか。支那各地はおろか、日本にも感染者が雪崩れ込み、あちこちで菌をばら撒いているんだから、日本での発症数が増えるのは目に見えている。既に、支那へ渡航した30代の在日支那人が神奈川で発症したし、武漢に住む30代の支那人女性が来日し、東京のホテルに滞在していたそうだ。その他、二名の支那人旅行者が日本で発症し、合計四名が病院で治療を受けている。(1月28日現在で、ウィルスの感染者数は支那国内で約4,500名、世界中の総計だと約7,000名となっているが、各地で続々と感染者が増加しているから、実態は不明である。)

Chinese Patient 2China outbreak 4


(左 : 病院に搬送される感染者 / 右 : 武漢の病院を訪れた政府関係者)

  日本のマスコミは絶対に口にしないが、北京政府からすれば、日本へ渡航する支那人がいることは結構なことだ。彼らが支那国内でウィルスに感染すれば、支那の医療機関が収容せねばならない。ただでさえ、病院は患者でいっぱいなのに、さらに感染者数が増えれば、地方政府の負担は重くなる。それなら、既に感染した者や発症予備軍を日本に送って、本人か日本政府の負担で治療させた方がいい。日本人はお人好しだから、お金が無くても患者を放置する事はできず、必ず病院に搬送するから、来日した支那人は安心して動き回ることができる。迷惑を蒙るのはいつも日本人。症状の軽い支那人観光客は、遠慮無く電車の吊り革を握るし、販売店のドアノブを掴むから、至る所に病原菌が付着することになる。日本人は間抜けだから、マスクをすれば大丈夫と思っているけど、吊り革を握った手で目をこすったり、顔を触ったりすればアウトだ。知らないうちに感染者となってしまう。便座除菌クリーナーを持ち歩いている人でも、案外、こうした知識が無くて、コロナウィルスやインフルエンザに罹ったりする。

  黴菌に感染する恐怖は、ドラマや映画を観ても解るのに、我が国の一般人ときたら、せっかくの科学ドラマを単なる娯楽作品と考え、何も学ぼうとはしないのだ。例えば、2004年から2008年に掛けて放送された『リ・ジェネシス(Re : Genesis)』というカナダのTVドラマがあった。日本でもWOWOWで放送されたから、ご存じの方もいるだろう。このドラマはウィルス感染やバイオテロ、伝染病の拡散、ウィルスの遺伝子操作によるパニックや事件、生物兵器の恐怖を扱っていて、とても勉強になる作品だった。ウィルス感染による病気や死亡は、自然発生的なものもあるが、中には政府に雇われた科学者が遺伝子操作をして殺人ウィルスを開発することもあるし、テロリスト集団が外国の研究所から細菌を入手して、密かにばら撒くというケースもあるのだ。バイオテロには必ずしも犯行声明が伴うとは限らない。何らかの政治的意図で垂れ流す場合もあるし、ある人物を抹殺するために、関係ない人々を巻き込む場合だってある。「コラテラル・ダメージ(付随的な被害 / やむを得ない副次的損傷)」にされた人々は堪ったもんじゃないが、テロリストは容赦なく一般人を犠牲にするから恐ろしい。

ReGenesis 1ReGenesis 6


(左 : 『リ・ジェネシス』に出演する俳優たち / 右 : 「サンドストローム博士」を演じるピーター・アウターブリッジ)

  日本の観光業者は自分が儲けたいから、「支那人の皆様、いらっしゃい!」と大歓迎するが、一般国民は「コラテラル・ダメージ」になる危険性がある。いくら観光地が儲かっても、日本人がウィルスに感染して高熱を発症したら大損害だ。マスクやゴーグルを販売する製造業者は大喜びだが、仕事を休むことができない零細企業の社員や夫婦だけで店を切り盛りする自営業者は、こまめにアルコール殺菌したり、うがいや体力維持で防ぐしかない。でも、いくら本人がウィルス感染に注意を払っても、実家に居る高齢の両親が迂闊だと大変な事になる。医療機関の専門家は、致死率が低いと説明するが、高齢者はヤバいと付け加える。もっとも、国議員緯や厚労省の役人は、早めにジジイやババアが死ねば年金受給が減るから、却って良い事だ、とほくそ笑むかも知れない。何しろ、拉致被害者だって見捨てる日本政府だ。病気に罹った老人なんかに憐憫は無い。実際、自民党の二階俊幹事長は支那人を優先し、日本国民に冷たいじゃないか。

  北京政府や西歐諸国が何と言おうとも、日本政府は日本国民を「第一」に考えるべきだ。日本の左翼陣営は、「支那人追放」や「支那人の入国禁止」となれば、決まって「人権無視の暴挙だ !」と大騒ぎする。しかし、何処に住んでいるか判らぬ「人間」の「権利」なんて、日本国民が先祖代々受け継ぐ「権利」に比べたら「屁」みたいなものだ。なんで支那大陸に住む野蛮人や賤民と我々が“同等”なんだ? 国連で「人権」を叫んでいるのは、劣等国のアフリカ人やアジア人ばかりじゃないか。 ! しかも、「人権擁護」とか「難民保護」を仕込んだのは、歐米に潜むユダヤ人。歐米諸国で嫌われ者だったユダヤ人は、宿主に向かって「先祖代々の臣民」を主張できなかったから、「国民」という概念が嫌いだった。入植時代の先祖は「ブリテン臣民」で、WASPの家系に生まれたアメリカ人と、ハンガリーやポーランドから追い出されたユダヤ移民とじゃ比較にならない。でも、イギリス系とかスカンジナヴィア系、ドイツ系といった区別を無くし、アメリカ国民は総て「地球に住む人間」にすれば、ユダヤ人に対する差別は無くなる。だから、彼らは普遍的な「人間」の権利を讃えているのだ。

  これを知らない日本人は、大学に入ってクルクルパーに改造されるから、支那人も朝鮮人も総て日本人と“対等な人々”と思ってしまう。ある意味、「人権教育」はウィルス感染よりも恐ろしい。高熱の病気なら数日で沈静化するが、左翼ウィルスは何時までも残留し、その後遺症を気づかない人が非常に多い。パンデミック(世界的な流行)はコロナウィルスだけじゃないぞ。

  ウィルス拡散に関しては次回のブログでも取り上げたい。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797865.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html#c8

[近代史3] ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』 中川隆
1. 中川隆[-14209] koaQ7Jey 2020年1月28日 23:53:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-900]
『レオノーレ』序曲第3番の扱いについて


マーラーは1904年に『フィデリオ』を指揮した際、第2幕第2場への間奏曲として『レオノーレ』序曲第3番を演奏し、賛否両論を巻き起こした。

反対派の意見としては「表現力が壮大すぎて、終幕の力を弱めてしまう」といったものが多かった。

一方で、演出面からすれば、第2幕の第1場と第2場では場面が明らかに違うので、場面転換のためにも必要という意見も多かった。

もっとも、マーラー存命時から死後しばらくは、この方法は定着しなかった。
この習慣が定着しだしたのは1930年代になってからである。
マーラーのやり方に賛同したフルトヴェングラーは次のように述べている。

たった1箇所『レオノーレ』序曲第3番が演奏されるのに相応しい場所がある。
それはまた、マーラーによって打ち出されたウィーンの伝統に従うことにもなるのだが、それは第2幕の長い「牢獄の場」が終わったところである。

この箇所に『レオノーレ』序曲を置くならば、それは『神々の黄昏』でジークフリートの死に続く「葬送行進曲」が占めるのと同じような意義を獲得するであろう。

序曲は過去への追憶となり讃美となるのである。
("Ton und Wort, Aufsätze und Vorträge, 1918 bis 1954"より、日本語訳は『音と言葉』ISBN 978-4102024010で読むことができる)


今日でもマーラーのやり方で上演する指揮者もいる。ただし、この場面でこの序曲を使用すると、救出の場面を繰り返してしまうことになり、話の流れが乱れてしまうという意見も多い。

最近では、上演で『レオノーレ』序曲第3番を演奏しない指揮者も多い。

模範的な上演のウィーン国立歌劇場では現在でも普通は『レオノーレ』序曲第3番を入れている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%AA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/854.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
98. 2020年1月29日 00:26:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-899]
ベートーヴェン 『フィデリオ序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/855.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c98
[近代史3] ベートーヴェン オペラ 『フィデリオ』 中川隆
1. 中川隆[-14208] koaQ7Jey 2020年1月29日 00:39:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-898]


1948年8月3日 ザルツブルク (実況録音)

Beethoven: Fidelio Overture, Furtwängler & VPO (1948)


Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra

Rec. 3 August 1948, in Salzburg (Live Recording)
_____

Beethoven - Fidelio - Act II Finale - Schlüter, Patzak, Edelmann, Alsen - Furtwängler (1948)


Ludwig van Beethoven
Fidelio
Heil sei dem Tag, heil sei der Stunde ... Der besten Königs Wink und Wille ... Du schlossest auf des Edlen Grab ... Wer ein holdes Weib errungen

Don Fernando - Otto Edelmann
Rocco - Herbert Alsen
Don Pizarro - Ferdinand Frantz
Leonore - Erna Schlüter
Marzelline - Lisa della Casa
Florestan - Julius Patzak
Jaquino - Rudolf Schock

Wiener Staatsopernchor
Wiener Philarmoniker
Wilhelm Furtwängler, conductor
Salzburg, August 3, 1948

_______

1948年
3 Aug. 1948 VPO Salzburg Fes.(Rotwaiser Radio = RIAS)
Beethoven:Fidelio(Edelmann/Patzak/shluter etc.)

●8月3日 ベートーヴェン/フィデリオ(抜粋) VPO ザルツブルク音楽祭 RWR収録 RIAS所蔵

LP/PR: Rococo1012(74?)
CD: MelodramCDM 25009('90?)WFG TMK10670('97=Ove&Leo3)MYTO 2CD991H025(99/02) SWF992-3 TAHRAFURT1036-7(99/08)

>>The public performance on 31 July is exist on film partly.(Dreamlife DMLB27) 4 scenes of No.5 to 8 are missing.

▼第5曲から8曲までの計4曲がオリジナルテープの紛失のため欠落している。
レオノーレ3番と序曲に97年独協会の正規盤出現。
全曲正規盤も99/08TAHRAから出現し、当初は完全版との噂もあったが、欠落はそのままだった。
7月31日公演のレオノーレ3番とされるOrfeoC525-991も99/08に出たが、HS氏の比較試聴ではTAHRAの全曲盤と同じ録音という。
清水氏によればメロドラム盤はレオノーレ3番が3分ほど欠落しているといい、あるいはメロドラム盤のレオノーレのみ8/3で他は7/31で修復されているという可能性も残る。

同じ7月31日とされる第2幕フィナーレの映像は残っており、ドリームライフDMLB27で発売されていたが、日付は確定していない。

録音は悪いながらも、熱気は50年盤を大きく上回る。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/836.html#c1
[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 1 中川隆
38. 中川隆[-14207] koaQ7Jey 2020年1月29日 01:35:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-897]
【ch桜北海道】末永千草の情報シュート!「バンコク番外編2020おすすめグルメ&スポット」[R2/1/23]



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html#c38
[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 1 中川隆
39. 中川隆[-14206] koaQ7Jey 2020年1月29日 01:37:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-896]
【ch桜北海道】末永千草の情報シュート!「プロサッカー選手を目指す若者たち in バンコク」[R2/1/16]


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html#c39
[番外地7] 帝国主義や他民族の支配・搾取は、農耕民だったユダヤ人ではなく、遊牧民だったゲルマン人の考え方 中川隆
2. 中川隆[-14205] koaQ7Jey 2020年1月29日 11:24:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-895]
@mogurazz
僕は学会の定説を教えてやっただけだからね。 学会の定説に僕個人の意見が入る訳ないだろ。

今中国がやっているグローバリズムもJPモルガンやゴールドマン・サックスが手取り足取りで中共幹部に教えた物、アメリカの帝国主義の考え方そのままだよ。
共産主義とは何の関係もない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/423.html#c2

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
6. 中川隆[-14204] koaQ7Jey 2020年1月29日 11:33:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-894]
@mogurazz
僕は学会の定説を教えてやっただけだからね。 学会の定説に僕個人の意見が入る訳ないだろ。

今中国がやっているグローバリズムもJPモルガンやゴールドマン・サックスが手取り足取りで中共幹部に教えた物、アメリカの帝国主義の考え方そのままだよ。
共産主義とは何の関係もない。

そもそも、グローバリズム=帝国主義=植民地主義 は遊牧民だったゲルマン人・アングロサクソンに特有な考え方だからね。ゲルマン人は元々略奪と戦争で食っていた民族だからね。

農耕民の yudaya 人はそういう考え方はしない。

略奪する相手をヨーロッパから世界に拡大したのがグローバリズムだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c6

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
99. 2020年1月29日 11:59:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-893]
シューベルト 『未完成交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c99
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
100. 中川隆[-14203] koaQ7Jey 2020年1月29日 12:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-892]
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c100
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
101. 中川隆[-14202] koaQ7Jey 2020年1月29日 14:35:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-891]
シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c101
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
102. 中川隆[-14201] koaQ7Jey 2020年1月29日 15:42:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-890]

シューベルト 『軍隊行進曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c102
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
103. 中川隆[-14200] koaQ7Jey 2020年1月29日 16:34:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-889]
シューベルト 『弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/860.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c103
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
104. 中川隆[-14199] koaQ7Jey 2020年1月29日 17:10:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-888]
フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c104
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
105. 中川隆[-14198] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:02:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-887]

フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/862.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c105
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
257. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:16:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-886]

2020年01月29日
「お金に働いてもらう」という間違った考え 金持ち父さんは居ない

誰でも投資で成功できるというのは、誰でもイチローになれると言っているのと同じ

引用:http://jiyusoku.jp/wp-content/uploads/2015/08/main.jpg


少し前、自分は何もせずお金を働かせれば儲かる、という宣伝文句が大ヒットしました。

このセリフを口にする人が居たらまず詐欺師なので、騙そうとしていると考えた方がいい。

楽して儲ける金持ち父さん


ロバートキヨサキが金持ち父さん貧乏父さんという本をヒットさせてから「お金に働いてもらう」とあらゆる業界人が口にするようになりました。

業界人とは投資とか金融、株、先物、FXその他あらゆる金融商品の関係者、不動産業界の人などです。


自分が働かずにお金を働かせれば、貴方は楽をして巨額の資産を築けますというが、本心からそう思っている人は居ません。



そんなにいい話があるなら、勧める本人が先にやって絶対に他人には教えない筈なので、彼らが客に教える情報は「カス」だけです。

例えば手元に100万円があり毎月5万円を積み立て、年利10%の利益を30年上げ続けるとします。

一つ一つは別に難しい事ではないのですが、30年間続ければ約2000万円に増えています。


10年目に700万、20年目に1300万、30年目におよそ2000万円近くにもなります。

株なり投資で年利10%を上げている人は多い訳ですが、これを素人が意図してやろうとすると、並大抵では無いのが分かるでしょう。

資金を減らすリスクを負わずにノーリスクで増やせるのは年利数パーセントで、10%にするには何かのリスクを負わないと困難です。


例えば資金を株に投資したら、上げるか下がるかは運次第で、悪くすればバブル崩壊のように4分の1になってしまいます。

FXでも日経先物でも金銀でも原油でも債権でも、同じようなリスクを背負ってしまいます。

そしてリスクが現実化するバブル崩壊は、人々が考えるよりずっと頻繁に発生しています。

その度に多くの日本人が、数千万円というような借金を背負って破産しているのです。


危機は毎年起きている


日本のバブル崩壊は1992年だったが、1995年には阪神大震災と超円高が発生し、1997年にはアジア通貨危機が発生しました。

1998年にロシアがデフォルトし山一ショックも起き、2000年にはITショック、2001年にはアルゼンチンデフォルトとエンロンショックが発生した。

2002年はワールドコムショック、2005年は人民元ショック、2006年はライブドアショック、2007年はサブプライムショックが発生した。


2008年からはご存知リーマンショックが発生し、東北地震、尖閣竹島騒動、ギリシャ危機など延々と○○ショックが続いています。

つまり平均するとマスコミが「100年に一度」と言っている金融危機は、実は毎年発生しているのです。

経済危機と無関係に大損失が発生する事もあり、2009年「ランド危機」ではドイツの銀行が閉店30秒前にイカサマ取り引きをやり、通貨を暴落させました。


この事件の真相は闇の中ですが、くりっく365の為替相場を決定していたドイツの銀行が、嘘のレートを配信したため、30秒間で20%も下落してしまいました。

さっき1ドル115円だったのが、よそ見して30秒後にモニターを見たら1ドル85円になっていたというような話しです。

やらかしたドイツの銀行は大儲けしたかも知れませんが、日本では破産した人が大勢でました。


誤発注で株価が操作される事もあり、2005年ジェイコム株の誤発注は有名な事件でした。

2010年5月6日にはダウ工業株30種平均が一瞬で1000ドル(10%)近くも下落する事件があり、何者かの誤発注か株価操作だと思われました。

ところが馬鹿げた事にNY取引所は調査した結果「正常な取り引きだった」と発表し、この事件も闇の中に葬られました。

投資の世界では理不尽な事はほとんど調査されずに、誰かが大儲けして闇の中に葬られます。


お金ではなく自分が働く


こんな理不尽な事件も毎年のように発生していて、完全に避けるのは不可能です。

こうしたイカサマ、経済危機、天変地異を乗り越えて何十年も利益を上げ続ける人が居るなら、真の天才なのかも知れません。

投資の世界にもイチローのような天才は存在する筈ですが、投資をしている90%以上の人は結局負けているという現実があります。


一生涯でのトータルという意味では95%とも99%以上とも言われる投資家が、結局負け越して人生を終えます。

1%の人以外は「投資でお金を増やす」事に失敗するのです。

ではネット上で完結するマネーゲームではない、現実世界の投資はどうでしょうか。


アパート投資、マンション投資、駐車場投資など、様々な投資や事業が「資産を増やせる」として紹介されています。

現実世界の投資はどれも経験とかノウハウが必要で、自分自身の能力を向上させる必要があります。


「自分は働かずにお金を働かせる」というイメージで居たら、きっとお金をなくしてしまうでしょう。

「誰でも投資で成功できる」という人は「野球をやれば誰でもイチローになれる」と言っているようなものです。


イチローや大谷やダルビッシュになれるのは真の才能があって運に恵まれ努力もした人だけです。


毎年甲子園を目指す高校生が何万人もいるが、その中でイチローや大谷になれたのは年に1人くらいしか居ません。
http://www.thutmosev.com/archives/47108203.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c257

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
70. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:17:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-885]

2020年01月29日
「お金に働いてもらう」という間違った考え 金持ち父さんは居ない

誰でも投資で成功できるというのは、誰でもイチローになれると言っているのと同じ

引用:http://jiyusoku.jp/wp-content/uploads/2015/08/main.jpg


少し前、自分は何もせずお金を働かせれば儲かる、という宣伝文句が大ヒットしました。

このセリフを口にする人が居たらまず詐欺師なので、騙そうとしていると考えた方がいい。

楽して儲ける金持ち父さん


ロバートキヨサキが金持ち父さん貧乏父さんという本をヒットさせてから「お金に働いてもらう」とあらゆる業界人が口にするようになりました。

業界人とは投資とか金融、株、先物、FXその他あらゆる金融商品の関係者、不動産業界の人などです。


自分が働かずにお金を働かせれば、貴方は楽をして巨額の資産を築けますというが、本心からそう思っている人は居ません。



そんなにいい話があるなら、勧める本人が先にやって絶対に他人には教えない筈なので、彼らが客に教える情報は「カス」だけです。

例えば手元に100万円があり毎月5万円を積み立て、年利10%の利益を30年上げ続けるとします。

一つ一つは別に難しい事ではないのですが、30年間続ければ約2000万円に増えています。


10年目に700万、20年目に1300万、30年目におよそ2000万円近くにもなります。

株なり投資で年利10%を上げている人は多い訳ですが、これを素人が意図してやろうとすると、並大抵では無いのが分かるでしょう。

資金を減らすリスクを負わずにノーリスクで増やせるのは年利数パーセントで、10%にするには何かのリスクを負わないと困難です。


例えば資金を株に投資したら、上げるか下がるかは運次第で、悪くすればバブル崩壊のように4分の1になってしまいます。

FXでも日経先物でも金銀でも原油でも債権でも、同じようなリスクを背負ってしまいます。

そしてリスクが現実化するバブル崩壊は、人々が考えるよりずっと頻繁に発生しています。

その度に多くの日本人が、数千万円というような借金を背負って破産しているのです。


危機は毎年起きている


日本のバブル崩壊は1992年だったが、1995年には阪神大震災と超円高が発生し、1997年にはアジア通貨危機が発生しました。

1998年にロシアがデフォルトし山一ショックも起き、2000年にはITショック、2001年にはアルゼンチンデフォルトとエンロンショックが発生した。

2002年はワールドコムショック、2005年は人民元ショック、2006年はライブドアショック、2007年はサブプライムショックが発生した。


2008年からはご存知リーマンショックが発生し、東北地震、尖閣竹島騒動、ギリシャ危機など延々と○○ショックが続いています。

つまり平均するとマスコミが「100年に一度」と言っている金融危機は、実は毎年発生しているのです。

経済危機と無関係に大損失が発生する事もあり、2009年「ランド危機」ではドイツの銀行が閉店30秒前にイカサマ取り引きをやり、通貨を暴落させました。


この事件の真相は闇の中ですが、くりっく365の為替相場を決定していたドイツの銀行が、嘘のレートを配信したため、30秒間で20%も下落してしまいました。

さっき1ドル115円だったのが、よそ見して30秒後にモニターを見たら1ドル85円になっていたというような話しです。

やらかしたドイツの銀行は大儲けしたかも知れませんが、日本では破産した人が大勢でました。


誤発注で株価が操作される事もあり、2005年ジェイコム株の誤発注は有名な事件でした。

2010年5月6日にはダウ工業株30種平均が一瞬で1000ドル(10%)近くも下落する事件があり、何者かの誤発注か株価操作だと思われました。

ところが馬鹿げた事にNY取引所は調査した結果「正常な取り引きだった」と発表し、この事件も闇の中に葬られました。

投資の世界では理不尽な事はほとんど調査されずに、誰かが大儲けして闇の中に葬られます。


お金ではなく自分が働く


こんな理不尽な事件も毎年のように発生していて、完全に避けるのは不可能です。

こうしたイカサマ、経済危機、天変地異を乗り越えて何十年も利益を上げ続ける人が居るなら、真の天才なのかも知れません。

投資の世界にもイチローのような天才は存在する筈ですが、投資をしている90%以上の人は結局負けているという現実があります。


一生涯でのトータルという意味では95%とも99%以上とも言われる投資家が、結局負け越して人生を終えます。

1%の人以外は「投資でお金を増やす」事に失敗するのです。

ではネット上で完結するマネーゲームではない、現実世界の投資はどうでしょうか。


アパート投資、マンション投資、駐車場投資など、様々な投資や事業が「資産を増やせる」として紹介されています。

現実世界の投資はどれも経験とかノウハウが必要で、自分自身の能力を向上させる必要があります。


「自分は働かずにお金を働かせる」というイメージで居たら、きっとお金をなくしてしまうでしょう。

「誰でも投資で成功できる」という人は「野球をやれば誰でもイチローになれる」と言っているようなものです。


イチローや大谷やダルビッシュになれるのは真の才能があって運に恵まれ努力もした人だけです。


毎年甲子園を目指す高校生が何万人もいるが、その中でイチローや大谷になれたのは年に1人くらいしか居ません。
http://www.thutmosev.com/archives/47108203.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c70

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
13. 中川隆[-14195] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:17:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-884]

2020年01月29日
「お金に働いてもらう」という間違った考え 金持ち父さんは居ない

誰でも投資で成功できるというのは、誰でもイチローになれると言っているのと同じ

引用:http://jiyusoku.jp/wp-content/uploads/2015/08/main.jpg


少し前、自分は何もせずお金を働かせれば儲かる、という宣伝文句が大ヒットしました。

このセリフを口にする人が居たらまず詐欺師なので、騙そうとしていると考えた方がいい。

楽して儲ける金持ち父さん


ロバートキヨサキが金持ち父さん貧乏父さんという本をヒットさせてから「お金に働いてもらう」とあらゆる業界人が口にするようになりました。

業界人とは投資とか金融、株、先物、FXその他あらゆる金融商品の関係者、不動産業界の人などです。


自分が働かずにお金を働かせれば、貴方は楽をして巨額の資産を築けますというが、本心からそう思っている人は居ません。



そんなにいい話があるなら、勧める本人が先にやって絶対に他人には教えない筈なので、彼らが客に教える情報は「カス」だけです。

例えば手元に100万円があり毎月5万円を積み立て、年利10%の利益を30年上げ続けるとします。

一つ一つは別に難しい事ではないのですが、30年間続ければ約2000万円に増えています。


10年目に700万、20年目に1300万、30年目におよそ2000万円近くにもなります。

株なり投資で年利10%を上げている人は多い訳ですが、これを素人が意図してやろうとすると、並大抵では無いのが分かるでしょう。

資金を減らすリスクを負わずにノーリスクで増やせるのは年利数パーセントで、10%にするには何かのリスクを負わないと困難です。


例えば資金を株に投資したら、上げるか下がるかは運次第で、悪くすればバブル崩壊のように4分の1になってしまいます。

FXでも日経先物でも金銀でも原油でも債権でも、同じようなリスクを背負ってしまいます。

そしてリスクが現実化するバブル崩壊は、人々が考えるよりずっと頻繁に発生しています。

その度に多くの日本人が、数千万円というような借金を背負って破産しているのです。


危機は毎年起きている


日本のバブル崩壊は1992年だったが、1995年には阪神大震災と超円高が発生し、1997年にはアジア通貨危機が発生しました。

1998年にロシアがデフォルトし山一ショックも起き、2000年にはITショック、2001年にはアルゼンチンデフォルトとエンロンショックが発生した。

2002年はワールドコムショック、2005年は人民元ショック、2006年はライブドアショック、2007年はサブプライムショックが発生した。


2008年からはご存知リーマンショックが発生し、東北地震、尖閣竹島騒動、ギリシャ危機など延々と○○ショックが続いています。

つまり平均するとマスコミが「100年に一度」と言っている金融危機は、実は毎年発生しているのです。

経済危機と無関係に大損失が発生する事もあり、2009年「ランド危機」ではドイツの銀行が閉店30秒前にイカサマ取り引きをやり、通貨を暴落させました。


この事件の真相は闇の中ですが、くりっく365の為替相場を決定していたドイツの銀行が、嘘のレートを配信したため、30秒間で20%も下落してしまいました。

さっき1ドル115円だったのが、よそ見して30秒後にモニターを見たら1ドル85円になっていたというような話しです。

やらかしたドイツの銀行は大儲けしたかも知れませんが、日本では破産した人が大勢でました。


誤発注で株価が操作される事もあり、2005年ジェイコム株の誤発注は有名な事件でした。

2010年5月6日にはダウ工業株30種平均が一瞬で1000ドル(10%)近くも下落する事件があり、何者かの誤発注か株価操作だと思われました。

ところが馬鹿げた事にNY取引所は調査した結果「正常な取り引きだった」と発表し、この事件も闇の中に葬られました。

投資の世界では理不尽な事はほとんど調査されずに、誰かが大儲けして闇の中に葬られます。


お金ではなく自分が働く


こんな理不尽な事件も毎年のように発生していて、完全に避けるのは不可能です。

こうしたイカサマ、経済危機、天変地異を乗り越えて何十年も利益を上げ続ける人が居るなら、真の天才なのかも知れません。

投資の世界にもイチローのような天才は存在する筈ですが、投資をしている90%以上の人は結局負けているという現実があります。


一生涯でのトータルという意味では95%とも99%以上とも言われる投資家が、結局負け越して人生を終えます。

1%の人以外は「投資でお金を増やす」事に失敗するのです。

ではネット上で完結するマネーゲームではない、現実世界の投資はどうでしょうか。


アパート投資、マンション投資、駐車場投資など、様々な投資や事業が「資産を増やせる」として紹介されています。

現実世界の投資はどれも経験とかノウハウが必要で、自分自身の能力を向上させる必要があります。


「自分は働かずにお金を働かせる」というイメージで居たら、きっとお金をなくしてしまうでしょう。

「誰でも投資で成功できる」という人は「野球をやれば誰でもイチローになれる」と言っているようなものです。


イチローや大谷やダルビッシュになれるのは真の才能があって運に恵まれ努力もした人だけです。


毎年甲子園を目指す高校生が何万人もいるが、その中でイチローや大谷になれたのは年に1人くらいしか居ません。
http://www.thutmosev.com/archives/47108203.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c13

[近代史3] 市川崑 ビルマの竪琴 (日活 1956年) 中川隆
2. 中川隆[-14194] koaQ7Jey 2020年1月29日 19:12:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-883]
 ビルマと中国 2020年01月29日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1013.html


 ビルマ国は、1943年8月1日から1945年3月27日にかけて、日本占領時期のインドネシア半島西側に存在した国家。後に「ミャンマー」と名を変えた。
 日本の支援を受けてイギリスの植民地支配から独立したが、日本の傀儡政権であった。

 私の実父は、徴兵されて中支からビルマ戦線に動員された。日本軍きっての悪将と評判の牟田口廉也のインパール作戦に従軍させられたが、わずかに英語を話せたことで、英軍との交渉に当たる中で比較的早期に捕虜になり、おかげで生還率数パーセントの戦場から帰国することができた。

 帰国後は、国鉄機関士に復帰し、後に国労や愛労評の役員を務めた。
 97歳まで長命だったが、その理由について、インパールに散った戦友たちのことを口にしていた。
 「もの凄い数の死者のなかで生き残った者は、死者の分まで生きねばならない……」

 私は、老人施設にいた実父からビルマのことを何回も聞き出していたが、彼は、ビルマ北部の山岳民族について、夢見るように賛美していたことを思い出す。
 ビルマ北部の西側は、2000メートル級の山岳地帯で、日本軍がインパール作戦で惨敗したのは、この山々に兵器を持って、水牛を連れて徒歩で超えようとして、力を使い果たしたからだったといわれるが、この土地の先住民は、インドシナ半島山岳地帯の高地民族で、雲南高地族と同系列であった。

 実父が言うには、とにかく女性たちが美しく魅力的だったと言うのだ。
 みんな女性らしい容姿で、本当に可愛い女性ばかりだったという。私が後に理解したことは、この地域には、プエラリアという野生芋が採れて、これを食べていると、女性が美しくなるということだった。
 今は、プエラリア芋は、日本でも人気のサプリメントになっている。

 ビルマのことを語るとき、竹山道雄による「ビルマの竪琴」という小説と映画を忘れられない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E7%AB%AA%E7%90%B4

 この本当のモデルは、群馬県利根郡昭和村の住職、武者一雄だったことが明らかにされた。
 私は、この物語を読んでいるだけで、あまりの悲しさに涙が止まらなくなるので、最後まで読めなかった。
 しかし、竹山道雄が反戦主義者だと思っていたのに、実は国粋主義者だと知ってからは、この物語に対する感動が失われた。
 しかし、実父は自分の体験と直接重なっているので、特別の思いがあったようだ。私の子供の頃は、テレビが、市川崑の「ビルマの竪琴」を繰り返し放送していた。
 だから「水島上等兵」と聞いただけで、ストーリーが浮かぶほどだった。

 インドシナ半島は、欧米列強の植民地政策の好餌にされていて、ベトナム・ラオス・ビルマ・タイ・ビルマは、英仏和軍に支配され、先住民は、事実上、奴隷としての扱いを受けていた。
 日本軍は、「東アジア住民を欧米列強の植民地政策から解放する」というのが、大東亜共栄圏構想の大義名分であったから、これらの植民地軍を武力で追放することで、現地住民から圧倒的な支持を受けた。

 1941年末、アウンサン(スーチーの父)率いるビルマ独立義勇軍が、日本軍と共にイギリス統治下のビルマへと進軍、翌1943年4月にはイギリス軍を駆逐して刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、傀儡ビルマ国の首班とした。
 1945年アウンサンは日本傀儡政権であるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。

 傀儡ビルマ国では、台湾や朝鮮のような日本政府による支援がなく、教育体制にも手がつけられなかったため、大東亜共栄圏諸国のような親日的な雰囲気がない。

 1949年、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行った。
 ビルマ・ラオス国境の「黄金の三角地帯」と呼ばれる世界最大のアヘン生産地を生み出したクンサーは、雲南反共軍=国民党軍の残党である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%9C%B0%E5%B8%AF
 蒋介石国民党軍が、どれほどアヘンに依存していたかを物語っている。

 CIAが国民党軍を大規模に援助し、アヘンの運び出しも行った。ビルマ連合政権は国際連合で中華民国と米国の策動に抗議した。一方では中国(中共)と連携し、シャン州の一部に中国人民解放軍および国軍部隊を展開し、国民党軍を追放した。
 これが、ミャンマー軍と中国共産党軍の深い結びつきの嚆矢で、以来、相互に深い関係が成立することになった。

 1958年、ビルマ社会主義計画党を結成したネ・ウィンが大統領となり、ビルマ式社会主義を掲げた。
 1988年まで、ネ・ウイン軍事独裁体制が強固に続いたが、その資金源は、アヘンに依存したいびつな状態であった。

 アウンサンスーチーらは国民民主連盟 (NLD) を結党するが、選挙前の1989年に自宅軟禁された。
 1989年に軍政側はミャンマー連邦へ国名の改名を行った。
 1992年 タン・シュエ将軍が国家法秩序回復評議会議長兼首相に就任。
 保守派のソー・ウィンが首相に就任した2004年。中国・ビルマ・パイプラインの協議が中国との間で開始され、翌2005年に中国石油天然気との間で契約が成立し、中国のミャンマー進出が加速した。

 実は、このミャンマー中国石油パイプライン構想こそ、ロヒンギャのジェノサイドが起きた最大の原因であった。
 「天然気」は、中国共産党直轄企業で、中国が、中東の石油を、マラッカ海峡を経由せずに、ミャンマー屈指の良港であるチャウピュ港に上げて、そこから中国昆明の産業地帯に、パイプラインで石油を輸送するという計画を実現しようとしたが、そのルート上には、ロヒンギャ族の開墾地と集落があった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3

 世上、ロヒンギャがイスラム教徒であり、仏教とのミャンマー人と宗教上の対立があったことが、ジェノサイドの理由とされていたが、真実は違う。
 「天然気」が計画したパイプライン敷設地にロヒンギャが生活基盤を築いていたので、この追放をミャンマー軍に依頼したのが真実である。

 ロヒンギャ族に何が起きたのか?
 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45393059

 このとき、ノーベル平和賞を受賞したほどの「民主派」と目されていたアウンサン・スーチーは、ロヒンギャに対して「国内先住民ではなく、バングラ難民にすぎない」と、異常に冷たかった。
 そして、中国べったりの政策を行った。本人も中国を訪れ、習近平との親しさをアピールした。
 https://www.asahi.com/articles/ASN1L64ZVN1LUHBI00Z.html

 現在、このパイプライン計画は着々と進み、もはやロヒンギャの土地は回復不能となっている。チャウピュ港も、中国資本によって大規模に開発が進んでいる。
 習近平は、間違いなく、ミャンマーの中国併合を腹に持っているはずだ。スーチーは、中国の手口をよく理解していないらしい。
 
 孤立するミャンマーに中国「一帯一路」の甘い誘惑(ロイター)
 https://jp.reuters.com/article/china-silkroad-myanmar-idJPKCN1UX1YN

 中国の「一帯一路」構想 ミャンマーへの思惑
 https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200113/mcb2001130500003-n1.htm

 中国の一帯一路構想における常套手段は、国家指導者に多額の賄賂を送って籠絡し、巨額の貸し付け債務を作り、中国人だけが儲かる多数のインフラ計画を実行させて、債務返済が困難になると、債務延滞と引き換えに、その国の有力な戦略的要衝を分捕るというものである。

 欧州玄関港を支配する中国、トロイの木馬と化すギリシャ
 https://wedge.ismedia.jp/articles/-/15434

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 ミャンマーもまた、間違いなく「債務の罠」に引っかけられた鹿やイノシシの類いになっていて、この先は、債務返済困難と引き換えに、チャウピュ港が中国に分捕られるのは確実とみるべきだろう。
 アウンサン・スーチーには、中国政府から多額の資金が渡っているはずだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1013.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/769.html#c2

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
222. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月29日 19:48:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-882]

片山さつきの悪質な嘘


2020年1月29日
消費「減」税は是か非か? 〜片山さつき議員とのTV討論報告〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/15287


先週、テレビ朝日の「羽鳥慎一のモーニングショー」のそもそも総研というコーナーの「消費減税 是か非か?」という企画で、消費減税賛成派の立場で登壇いたしました。「減税反対派」の方としては、自民党の税制調査会幹事(以下、税調幹事)の片山さつき衆議院議員が登壇されました。
この内容は、SNSなどを通して様々に拡散されたようです。消費減税の可能性について多くの方々にご一考頂く機会となり、大変有難く感じているところです。こうした機会を設けていただいた番組作成者、ならびに、ご議論いただいた片山さつき議員に心より感謝申し上げます。
このTV出演については既に
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
でもご報告差し上げていますが、今日は改めて、消費税減税が必要なのか否かを判断いただく際の基礎情報のご提供という趣旨で、片山自民党税制調査会幹事のご発言をご紹介いたしたいと思います。
(1)現在の景気の低迷は「台風」が原因と主張
まず、当方から今、消費、小売りが大幅に冷え込んでいること、しかもその冷え込みは、2014年の8%増税の時よりも激しい水準だと言うことを、下記データを用いて解説しました。

https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
これに対して片山議員は、現時点の景気の冷え込みは「台風」が大きな影響であると主張されました。
このご発言に対して、当方からは、消費増税直前の9月に大きな駆け込み需要があったことから考えて、この10月の消費の冷え込みの主要因は消費税であることは確実だと考えられます、と解説しました。

https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
当方と片山議員の見解は相違していますが、いずれの主張が正しいのでしょうか・・・? ご判断は是非、皆様にお任せしたいと思います。
(2)現在の消費の成長率の下落は「少子高齢化」が原因と主張
続いて、当方からこちらのグラフをお示ししながら、

https://twitter.com/bakutaro2/status/1220138689084325890/photo/1
過去、消費税増税を繰り返すたびに消費が冷え込み、かつ、その「成長率」が下落していっていることを解説しました。
そうしますと、この長期的な消費の伸び率の下落は「少子高齢化」が原因だと主張されました。
このご発言に対して、当方からは、次の様に発言差し上げました。
「少子高齢化の影響はゼロとは言わないけれど増税した途端にストンと下がって伸び率が下がってるんですから、このグラフを見て消費増税の影響がないって考える理性的な人は僕はこの世に存在しないと思う。詭弁を吐く人以外、消費増税が関係ないとは、絶対言えない。ですから、これを少子高齢化(が原因だ)と言うのは詭弁に過ぎると思う。」
筆者はどれだけ考えても、詭弁を弄しない限り、「少子高齢化主犯&増税無罪」説を唱えることは不可能だと思うのですが・・・いかがでしょうか?
(3)「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
さらに、討論の中で、片山さつき議員が、「人口が減っていくなか、社会保障費を確保するために消費増税が必要だ」とご発言されたので、当方から、今片山先生がおっしゃったのが政府の今の公式の見解だが、その政府の考え方は「完全に間違いだと大学教授として確信している」と申し上げました。
そもそも、片山先生がおっしゃったように人口が減っていくのだから、成長するためには、一人当たりの消費を増やさなければいけない、一方で、経済成長のメインエンジンは消費で、消費税は消費の罰金として働く、だから、そんな時に消費増税やったら、経済が奈落の底に落ちていくのは間違いない。1人あたりの消費を増やすのに、消費減税ほど効果的なものはない、と申し上げました。
そうしますと、片山議員は、
「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
とご発言されました。
これは、片山税調幹事は、消費増税をすると、奈落の底に落ちるリスクがある、そして、今、まさにそうなっている可能性がある、という認識を持っている、と解釈可能でしょう。
なお、当方はこのご発言について特に発言差し上げませんでしたが、奈落の底に落ちている可能性をご認識されているのなら、是非とも、その認識の下、消費減税も含めた徹底的な対策を政府与党としてさらにお進めいただきたいと思います。
(4)「マレーシアは消費税の代わりに物品税を導入してるから、結局、消費の伸び方は、消費税導入後も変わっていない」
最後に、ちょっと細かい点ですが・・・もう一つご報告します。細かすぎて、あまり詳しく説明するのは気が進まないのですが、あの番組を見て、筆者の説明に「間違い」「切り取り」等があったと誤解している視聴者も中にはおられるかもしれない・・・という点がありましたので、説明させていただきたいと思います。
今回の討論で、当方は5%への消費減税を行うことで、消費は確実に拡大すること、そしてそれを通して、税収も大幅に拡大するであろうという数値シミュレーションを報告差し上げました。

https://ameblo.jp/kinakoworks/image-12569605977-14701596986.html
その上で、これはもちろん一つの試算ではありますが、97年増税後の「実績」と類似した計算結果であることは、本試算の信ぴょう性をサポートする傍証だと思われる、と述べました。
さらに、
1)マレーシアでは消費税を廃止した直後、消費「増加率」が上昇したこと、
2)しかしその後に(消費税と類似した)売上税を再導入した結果、消費「増加率」はまた下落してしまったこと、
3)ただし、導入された売上税の方が廃止された消費税よりも規模が小さいことから、消費税導入直前よりも、売上税導入後の方が、消費「増加率」が高い状況となっている、
という実データを紹介し、こうした
「減税すると消費の伸び率が上昇する」←上記の1)
「増税すると消費の伸び率が下落する」←上記の2)
という動きは、今回の筆者の計算事例と全く同じ動きを示しているのであり、したがって、このマレーシアのデータもまた筆者の試算の正当性を部分的にサポートする傍証の一つだとお話しました。
以上で話が終わっていればそれでよかったのですが・・・これに対して、番組コーナーが終わり、もうCMにいかないといけない・・・というタイミングで、片山幹事長は、
a)実はマレーシアは、(藤井は触れてなかったが)消費税をなくしたんじゃなくて、結局、売上税を入れてる(!)。
b)しかも藤井さんは、消費増税の直前からのデータしか示していないが、「消費データ」の推移をみると、実は、増税前からマレーシアは成長していたのが分かりますよね(!)、だから、増税した後も、結局同じように成長しており、藤井さんが言うような増税の影響なんて見られないんです(!)。
という趣旨のお話をされました。
この説明を聞いたスタジオの人びとは、「結局どっちも都合のいいデータをもってきて、切り取って話ししてるだけなんだな」という空気になってしまいました。
反論したかったのですが、既にCM時間に食い込んでいる発言だったため、発言が全くできず、片山議員が藤井のデータの不当性を暴露したかのような雰囲気で番組が終わってしまいました。
・・・が、この片山議員の藤井批判は、完璧なる「藁人形論法」と呼ばれる詭弁です。
なぜなら、第一に、実際は当方は「消費税を廃止した後、売上税を導入した」と説明していたにも関わらず、片山議員はa)にて藤井がさもそれを無視しているかのように話をして、藤井の説明が不当である印象付けをされています。
しかも第二に、当方は消費の「伸び率」のグラフを示しており、それが消費税をなくし、売上税を導入する間に上昇し、かつ、売上税導入後にそれが下落している、という説明をしているのに、その説明の一切を無視して、ただ単に、消費税廃止&売上税導入の前後で「消費はどちらも同じように右肩上がりに伸び続けている」という事実をもってして、藤井の説明が不当である、という印象付けをされています。
したがってこの片山議員の最後の説明は、「藤井の説明の信頼性を毀損する印象操作のための藁人形論法」という詭弁と考えざるを得ないと思うのですが・・・・ご判断は全て、視聴者にお任せしたいと思います。
・・・
当方は、こうした議論が、万人が目撃できるTVという媒体で30分以上に渡って展開されたことだけでも、「真実」を国民に届ける大変に有難い機会になったものと思っております。
ついては繰り返しますが、TV局の関係者、そして、議論をさせていただいた片山さつき議員に、心からの感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
追伸1:
片山さつきさんが、なぜあんな発言をされたのか? について、最新の「キッチュ=まがい物/ウソ話」に関する社会心理学研究に基づいて、解説差し上げました。是非、ご一読下さい! 『「消費税を巡るTV討論」を、「キッチュ」の視点から人文学的・社会心理学的に考察しました。』
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
追伸2:
今週の「週刊クライテリオン・ラジオ」でも、「政府のウソ」についてお話しました。是非、お聞きください!
『「ウソをつく政府」と「ウソを許す国民」 日本はなんでこんな国になったのか?』
https://www.youtube.com/watch?v=rVwFSRNUUg8&feature=emb_logo


https://38news.jp/economy/15287
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c222

[文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
157. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月29日 19:50:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-881]
片山さつきの悪質な嘘

2020年1月29日
消費「減」税は是か非か? 〜片山さつき議員とのTV討論報告〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/15287

先週、テレビ朝日の「羽鳥慎一のモーニングショー」のそもそも総研というコーナーの「消費減税 是か非か?」という企画で、消費減税賛成派の立場で登壇いたしました。「減税反対派」の方としては、自民党の税制調査会幹事(以下、税調幹事)の片山さつき衆議院議員が登壇されました。
この内容は、SNSなどを通して様々に拡散されたようです。消費減税の可能性について多くの方々にご一考頂く機会となり、大変有難く感じているところです。こうした機会を設けていただいた番組作成者、ならびに、ご議論いただいた片山さつき議員に心より感謝申し上げます。
このTV出演については既に
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
でもご報告差し上げていますが、今日は改めて、消費税減税が必要なのか否かを判断いただく際の基礎情報のご提供という趣旨で、片山自民党税制調査会幹事のご発言をご紹介いたしたいと思います。
(1)現在の景気の低迷は「台風」が原因と主張
まず、当方から今、消費、小売りが大幅に冷え込んでいること、しかもその冷え込みは、2014年の8%増税の時よりも激しい水準だと言うことを、下記データを用いて解説しました。
https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
これに対して片山議員は、現時点の景気の冷え込みは「台風」が大きな影響であると主張されました。
このご発言に対して、当方からは、消費増税直前の9月に大きな駆け込み需要があったことから考えて、この10月の消費の冷え込みの主要因は消費税であることは確実だと考えられます、と解説しました。
https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
当方と片山議員の見解は相違していますが、いずれの主張が正しいのでしょうか・・・? ご判断は是非、皆様にお任せしたいと思います。
(2)現在の消費の成長率の下落は「少子高齢化」が原因と主張
続いて、当方からこちらのグラフをお示ししながら、
https://twitter.com/bakutaro2/status/1220138689084325890/photo/1
過去、消費税増税を繰り返すたびに消費が冷え込み、かつ、その「成長率」が下落していっていることを解説しました。
そうしますと、この長期的な消費の伸び率の下落は「少子高齢化」が原因だと主張されました。
このご発言に対して、当方からは、次の様に発言差し上げました。
「少子高齢化の影響はゼロとは言わないけれど増税した途端にストンと下がって伸び率が下がってるんですから、このグラフを見て消費増税の影響がないって考える理性的な人は僕はこの世に存在しないと思う。詭弁を吐く人以外、消費増税が関係ないとは、絶対言えない。ですから、これを少子高齢化(が原因だ)と言うのは詭弁に過ぎると思う。」
筆者はどれだけ考えても、詭弁を弄しない限り、「少子高齢化主犯&増税無罪」説を唱えることは不可能だと思うのですが・・・いかがでしょうか?
(3)「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
さらに、討論の中で、片山さつき議員が、「人口が減っていくなか、社会保障費を確保するために消費増税が必要だ」とご発言されたので、当方から、今片山先生がおっしゃったのが政府の今の公式の見解だが、その政府の考え方は「完全に間違いだと大学教授として確信している」と申し上げました。
そもそも、片山先生がおっしゃったように人口が減っていくのだから、成長するためには、一人当たりの消費を増やさなければいけない、一方で、経済成長のメインエンジンは消費で、消費税は消費の罰金として働く、だから、そんな時に消費増税やったら、経済が奈落の底に落ちていくのは間違いない。1人あたりの消費を増やすのに、消費減税ほど効果的なものはない、と申し上げました。
そうしますと、片山議員は、
「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
とご発言されました。
これは、片山税調幹事は、消費増税をすると、奈落の底に落ちるリスクがある、そして、今、まさにそうなっている可能性がある、という認識を持っている、と解釈可能でしょう。
なお、当方はこのご発言について特に発言差し上げませんでしたが、奈落の底に落ちている可能性をご認識されているのなら、是非とも、その認識の下、消費減税も含めた徹底的な対策を政府与党としてさらにお進めいただきたいと思います。
(4)「マレーシアは消費税の代わりに物品税を導入してるから、結局、消費の伸び方は、消費税導入後も変わっていない」
最後に、ちょっと細かい点ですが・・・もう一つご報告します。細かすぎて、あまり詳しく説明するのは気が進まないのですが、あの番組を見て、筆者の説明に「間違い」「切り取り」等があったと誤解している視聴者も中にはおられるかもしれない・・・という点がありましたので、説明させていただきたいと思います。
今回の討論で、当方は5%への消費減税を行うことで、消費は確実に拡大すること、そしてそれを通して、税収も大幅に拡大するであろうという数値シミュレーションを報告差し上げました。
https://ameblo.jp/kinakoworks/image-12569605977-14701596986.html
その上で、これはもちろん一つの試算ではありますが、97年増税後の「実績」と類似した計算結果であることは、本試算の信ぴょう性をサポートする傍証だと思われる、と述べました。
さらに、
1)マレーシアでは消費税を廃止した直後、消費「増加率」が上昇したこと、
2)しかしその後に(消費税と類似した)売上税を再導入した結果、消費「増加率」はまた下落してしまったこと、
3)ただし、導入された売上税の方が廃止された消費税よりも規模が小さいことから、消費税導入直前よりも、売上税導入後の方が、消費「増加率」が高い状況となっている、
という実データを紹介し、こうした
「減税すると消費の伸び率が上昇する」←上記の1)
「増税すると消費の伸び率が下落する」←上記の2)
という動きは、今回の筆者の計算事例と全く同じ動きを示しているのであり、したがって、このマレーシアのデータもまた筆者の試算の正当性を部分的にサポートする傍証の一つだとお話しました。
以上で話が終わっていればそれでよかったのですが・・・これに対して、番組コーナーが終わり、もうCMにいかないといけない・・・というタイミングで、片山幹事長は、
a)実はマレーシアは、(藤井は触れてなかったが)消費税をなくしたんじゃなくて、結局、売上税を入れてる(!)。
b)しかも藤井さんは、消費増税の直前からのデータしか示していないが、「消費データ」の推移をみると、実は、増税前からマレーシアは成長していたのが分かりますよね(!)、だから、増税した後も、結局同じように成長しており、藤井さんが言うような増税の影響なんて見られないんです(!)。
という趣旨のお話をされました。
この説明を聞いたスタジオの人びとは、「結局どっちも都合のいいデータをもってきて、切り取って話ししてるだけなんだな」という空気になってしまいました。
反論したかったのですが、既にCM時間に食い込んでいる発言だったため、発言が全くできず、片山議員が藤井のデータの不当性を暴露したかのような雰囲気で番組が終わってしまいました。
・・・が、この片山議員の藤井批判は、完璧なる「藁人形論法」と呼ばれる詭弁です。
なぜなら、第一に、実際は当方は「消費税を廃止した後、売上税を導入した」と説明していたにも関わらず、片山議員はa)にて藤井がさもそれを無視しているかのように話をして、藤井の説明が不当である印象付けをされています。
しかも第二に、当方は消費の「伸び率」のグラフを示しており、それが消費税をなくし、売上税を導入する間に上昇し、かつ、売上税導入後にそれが下落している、という説明をしているのに、その説明の一切を無視して、ただ単に、消費税廃止&売上税導入の前後で「消費はどちらも同じように右肩上がりに伸び続けている」という事実をもってして、藤井の説明が不当である、という印象付けをされています。
したがってこの片山議員の最後の説明は、「藤井の説明の信頼性を毀損する印象操作のための藁人形論法」という詭弁と考えざるを得ないと思うのですが・・・・ご判断は全て、視聴者にお任せしたいと思います。
・・・
当方は、こうした議論が、万人が目撃できるTVという媒体で30分以上に渡って展開されたことだけでも、「真実」を国民に届ける大変に有難い機会になったものと思っております。
ついては繰り返しますが、TV局の関係者、そして、議論をさせていただいた片山さつき議員に、心からの感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
追伸1:
片山さつきさんが、なぜあんな発言をされたのか? について、最新の「キッチュ=まがい物/ウソ話」に関する社会心理学研究に基づいて、解説差し上げました。是非、ご一読下さい! 『「消費税を巡るTV討論」を、「キッチュ」の視点から人文学的・社会心理学的に考察しました。』
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
追伸2:
今週の「週刊クライテリオン・ラジオ」でも、「政府のウソ」についてお話しました。是非、お聞きください!
『「ウソをつく政府」と「ウソを許す国民」 日本はなんでこんな国になったのか?』
https://www.youtube.com/watch?v=rVwFSRNUUg8&feature=emb_logo

https://38news.jp/economy/15287
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c157

[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事 中川隆
1. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月29日 21:50:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-883]
万一、ロシアや中国や日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html#c1
[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事 中川隆
2. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月29日 21:57:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-882]
このオバサンはアメリカの本質がわかってない _ 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事
そもそも、アメリカが何故今頃になって突如としてウィグルとかチベットで騒ぎ始めたか考えないと本質はわからないんだよ。
アメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。戦前のドイツ、戦後のソ連と日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。

「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。

レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。

ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。

ソ連崩壊後、アメリカは「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう この国を破壊し尽くそう」と考えた。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらい いだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。  しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなこ とは考えない。

これは当然、「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西 側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業 は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5 %。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど 無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政 権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

万一、中国やロシアや日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html#c2

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
5. 中川隆[-14198] koaQ7Jey 2020年1月29日 22:14:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-881]
悪の帝国アメリカとイギリスが香港で帝国主義・植民地主義に基づいた反中国運動を扇動している。
ここにきて力を入れているのが台湾。ここには吾爾開希など1989年に中国で展開された新自由主義派の活動家が入り込んでいる。 

1989年1月、アメリカではジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。元CIA長官だが、この人物はエール大学の学生だった当時、CIAにリクルートされたと見られている。ブッシュの父親はウォール街の出身で、巨大資本の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった人物だ。ダレスはCIAの最高権力者だった。 そのブッシュとエール大学からの友人で、やはりCIAにリクルートされたと言われているジェームズ・リリーが1989年4月に中国駐在大使に就任している。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。
 
リリーが大使に就任する5日前に新自由主義派の胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦と組んで新自由主義を推進していたのが趙紫陽である。活動の指揮者と見られているのはジーン・シャープ。 
学生の間では新自由主義の支持者が少なくなかったようだが、労働者の間では逆。貧富の差が拡大していることへの不満が高まり、社会は不安定化していた。そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、それに激怒したのがアメリカということだ。
その年の5月に戒厳令が敷かれた。抗議活動が沈静化した後、方励之、柴玲、吾爾開希などの指導グループはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。香港へ逃れた活動家は約400名と言われている。

吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡った。この逃走ルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6で、今でも機能しているという。 
台湾では1月11日の総統選挙があり、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得している蔡英文が再選された。
東アジアでもアメリカの影響力は低下しているが、それをNATOが補充するとも言われている。
____

アメリカ議会は香港の反中国派を支援する目的で「香港人権・民主主義法」という反中国人法を通した。 反中国派の活動は香港で広がらず、過激化。建造物を破壊、交通機関を止め、石や火炎瓶を投げるだけでなく活動を批判する市民に可燃性の液体をかけて燃やして大やけどを負わせ、洋弓で矢を射るということも行うようになったのだが、その一方で孤立していった。ここにきて活動は封じ込められたようだ。次の一手としてアメリカは反中国人法を成立させようとしている。ロシアに対して行った手口と同じだ。 

香港の反中国派はアメリカのネオコンと連携している。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出てくるが、そうした若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6がその背後で暗躍していることも秘密ではない。 

反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されている。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。 この団体は反コミュニズムでも有名で、アメリカの支配層はその点を評価。アメリカの政府機関であるUSAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c5

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
6. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月29日 22:16:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-880]
万一、現在アメリカの植民地の中国や日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c6
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
106. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月29日 23:02:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-879]
フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/863.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c106
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
107. 中川隆[-14195] koaQ7Jey 2020年1月29日 23:24:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-878]

フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/864.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c107
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
108. 中川隆[-14194] koaQ7Jey 2020年1月29日 23:49:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-877]
フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/865.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c108
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
109. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月30日 00:11:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-876]
フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/866.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c109
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
110. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月30日 00:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-875]
フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/867.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c110
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
111. 中川隆[-14191] koaQ7Jey 2020年1月30日 00:48:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-874]
フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/868.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c111
[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
1. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月30日 10:29:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-876]
アメリカがソ連みたいに中国共産党を滅ぼせば餓死者が何十億人も出て、日本にも難民が何億人も押し寄せますからね。
そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:

漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。

中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国
中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。

ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。

清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。

今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。

漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。

チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。

このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c1

[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
2. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月30日 10:35:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-875]
アメリカがソ連みたいに中国共産党を滅ぼせば餓死者が何十億人も出て、日本にも難民が何億人も押し寄せますからね。

そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c2

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
228. 中川隆[-14191] koaQ7Jey 2020年1月30日 11:20:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-874]

2020年01月30日
コロナ騒動でも日本株は下落せず、経済の構造が変化した


SARSで下落した日経平均は、今回は変動していない


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/EPUqDWAUYAAiFxB.jpg


ウイルス騒動でなぜ日経は下落しないのか

2019年末に中国で新型ウイルス騒動があり、中国経済に大打撃を与え世界経済にも影響があると言われている。

いつもなら忽ち円高になり日経平均は大暴落、あっという間にデフレ不況になるが今回はなっていません。

年末からの動きをチェックすると為替相場は新型肺炎発表まえの12月29日に1ドル109円43でした。



1月26日に1ドル108円81をつけたが、29日現在は1ドル109円08と騒動前の水準に戻っている。

日経平均は12月30日に2万3656円だったが現在は2万3379円とやや下落している。

だが新型肺炎発表前の19年11月は2万3000円、10月は2万1000円代だったので、それよりは高い水準にある。


新型肺炎がなければもっと上がっていたのかも知れないが、今のところ為替や株への影響は限定的です。

2002年から2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)では為替レートが大きく変動し、日経平均も下落していました。

SARSが発覚したのは2002年11月27日で、その前のドル円レートは1ドル120円から130円台とかなりの円安でした。


SARS騒動の最中ドル円は115円から120円で推移したが、2002年の前半は130円台、後半は120円台だったのと比べると10円以上円高になった。

日経平均は2002年に9000円から1万円前後だったのが、騒動中は7600円まで下落し、8000円台が多かった。

SARS期間中はドル円は10%程度円高になり、日経平均も10%程度は下落していたと思います。

円高になりにくい構造に変化した

今回の新型ウイルス騒動では、1か月経過した時点で為替相場も日経平均も、騒動前とほとんど変わりません。

これから下落する可能性もありますが、日本経済が危機に強い体質に変化したとも考えられます。

90年代から2000年代の日本経済は「輸出大国」を自負するほど輸出に依存しており、膨大な貿易黒字を持っていました。


2002年の貿易黒字は約800億ドル(約10兆円前後)もあり、最近は1兆円から10兆円以上の貿易赤字です。

その代わり最近は年20兆円前後の経常黒字なので、トータルでは2002年ごろより対外収支は儲かっている。

貿易黒字は物を輸出した金額で、経常収支は海外生産や海外子会社の利益などが多くを占めています。


90年代や2000年代は輸出で売り上げた代金が溜まると、ドルから日本円に換金されて円高を引き起こしていました。

今はトヨタやホンダの米国工場が仮に1兆円売り上げたとしても、米国内や新興国で再投資され日本に戻ってこない。

企業が日本本社にお金を送金したから円高になっていたので、海外で上げた売り上げを海外で使えば円高は起きません。


貿易赤字によって日本に送金されるお金が減り、経常黒字で儲けた金額は海外で再投資され円に交換されない。

この仕組みによって円高が起きにくくなり、日経株価も下落しにくくなっていると考えられます。

もっとも経常黒字の毎年20兆円が永遠に海外にとどまったままという保証もないので、一気に円に交換されると大変な事態になります。


毎年20兆円経常黒字なら10年間で200兆円、それだけのドルが一斉に円に交換されたら1ドル80円以下の超円高になるでしょう。

だが当面そうなることは無く、しばらくは1ドル100円台を保つのかも知れない。


為替レートが安定していたら日経平均も安定するので、大きく下落する事はないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/82076890.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c228

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
112. 中川隆[-14190] koaQ7Jey 2020年1月30日 12:02:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-873]
ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c112
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
113. 中川隆[-14189] koaQ7Jey 2020年1月30日 13:24:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-872]
ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c113
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
114. 中川隆[-14188] koaQ7Jey 2020年1月30日 14:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-871]
ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c114
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
1. 中川隆[-14187] koaQ7Jey 2020年1月30日 15:54:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-870]


フルトヴェングラー


Furtwängler dirigiert Schubert: Große Symphonie Nr. 9 C-Dur (1942)











Berliner Philharmoniker
Leitung: Wilhelm Furtwängler
Aufnahme eines öffentlichen Konzerts in der Berliner Philharmonie
vom 6. Dezember 1942

1942年
●12月6-8日 6-8 Dec. 1942 BPO Philharmony(RRG=Melodiya=SFB)
Schubert Sym .No.9 シューベルト/第9 (o-70)

LP/PR: MelodiyaD10033('61?) TurnaboutTV4364('70) Columbia(JP)DXM109(71/02) SWF7201('72) ToshibaWF70008(75/05)
CD: PricelessD13272('87?) CrownPAL1027(87/04) MEL10 00723('93) DG427 773 2('89) WFG TMK017204('02) MythosNR5006('02) WFJ23('03) OpusKuraOPK7010('04)DeltaDCCA0004-5(04/12) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)

▼第9は戦時中でなければ出来得ない劇的な表現。
ただし、そこまでシューベルトに求める必要があるのかという疑問も残る。
オルセンはこの演奏を6月のベルリン芸術週間の際収録としている。
同時に演奏されたコルトーとのシューマン協奏曲の出現も期待されたが、'92年にH・シューベルトの未発表録音がメロディアから出て、この上記2曲の演奏日がほぼ確定するとともに、コルトーとの夢の録音は幻に終わりそうだ。
メロディアピンクを復刻したと思われるM&Aや東芝盤などでは終演時に「明瞭すぎる拍手」が収録されている。
メロディア聖火を復刻した日本協会盤はLPをストレートにデジタル化した好印象CD。
ソ連共産党員限定盤VSG復刻 Mythos CD もある。
独協会盤CDは戦後風の音質に改寵し各楽章間と冒頭に聴衆ノイズを加えた疑問盤。
現時点では、メロディアCDが雑音もすくなく最も良好にこの演奏を聞ける。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm


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F.Schubert Symphony#9 [ W.Furtwängler Berlin-PO ] (Dec/2~4/1951)





1951年
27,28 Nov. 1951 BPO Jesus Krist Church(DG studio version)
Schubert: Sym.No.9

●11月27、28日、12月2、4日 シューベルト/ザ・グレイト BPO イエスキリスト教会 DGスタジオ録音

SP/PR: DG LVM72153-6('52)
LP/PR: LPM18015-6(52/03)
CD: DG4474392('96)POCG3619('97)
4,5 Dec. 1951 BPO Jesus Krist Church(DG studio version)

>>>>Date provided by Mr Mike Gray. He is the Classical Music Editor of Fi Magazine in USA

▼初出盤はSP/LP両方で発売されたが、元はテープ録音。もう一つ録音に色彩があればと思うのは51年録音としては無理な注文か。(最近ウェストミンスターのCD復刻盤が出て、当時の録音でももっといいものがあるのを思うと悔しい。)

演奏は巨匠の全グレイト(全4種)のなかで一番好きなもの。
録音日については、各ディスコグラフィーでは単に12月としか記載されていない。
(V字のみ12月5日と記載) 上記日付は米Fi Magazineの編集者Mike Gray氏からのメールを通じ「the DG archival "Aufnahme-Protkolls"」に記載されたものを引用しました。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu15.htm



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Schubert - Symphony n°9 "The Great" - Vienna / Furtwängler 1953



Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Salzburg, 1953

1953年
30 Aug. 1953 VPO Salzburg(private arc.)
Schubert: Sym.No9
●8月30日 シューベルト/ザ・グレイト ヒンデミット/世界の調和 VPO ザルツブルク音楽祭 ロトヴァイザーラジオ収録 private archive

LP/PR(No9): RVCRCL3336(84/12)
CD: EMICHS5653532(94/09)ToshibaTOCE8467-8('94)TahraFURT1095(05/03=only Sym.)

▼両曲とも94年EMIから正規盤が出たが放送局音源ではなく夫人所有のテープかららしい。
音質はこの種のものとしては良好で、オリジナルに近いものと思われる。
ただし不思議なことに正規盤以前に出た第9の RVC盤(伊Laudis原盤)やヒンデミットCetra盤LP の方が EMI盤よりも高音質。
Tahraからstereo 表記で出るグレイトは、1楽章のみ試聴した限りでは若干の広がりを感じる高音質盤。但し、RVC盤に比べるとテープの違いのせいかドロップアウトが多い気がする。

52年肺炎を患って以来の巨匠の演奏は出来不出来(というよりも燃え方の違い?)がはっきりしている。このグレイトは40年代の巨匠の演奏を思わせるものと世評は高いが、なぜか終演を急ぎすぎて悲しくなってしまう。しっくりいかないのはshin-pだけだろうか。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm




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Schubert - Symphony n°9 - Berlin / Furtwängler 1953





Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Recorded Live on September 15, 1953
at Pallast-Berlin

1953年
15 Sep. 1953 BPO Titania(RIAS)
Schubert: Sym.No.9

●9月15日 シューベルト/ロザムンデ序曲 未完成 ザ・グレイト BPO ティタニア RIAS録音

LP/PR(No9): CetraFE12('82?)K22C185(82/06)
CD: WFJ13-14('90?)TAHRA FURT1010('94)TAHRA FURT1017(97/07)

▼15-17日まで3日連続のシューベルト演奏会初日の実況
9番は「チェトラ・フルトヴェングラー・エディション」の国内第一弾(K22C185=82/06=LP)として発売された。

TAHRA の CD はいつもの派手な音質加工がなく平凡な仕上がり。
ティタニアパラストの音質的限界を感じさせる一枚。

また韓国SKCが9月19日録音の 9番CDを伊Laudis原盤で発売したと言う情報もある。
SuitCDS1-6005('87=Laudis発売)は9月10日の表示。
同じ原盤を使った日RVC RCL3306(84/03)は9月15日の表記だった。
Laudis系のLP/CDは録音日が不確かなモノが多い。例えばRVC53年ベト1、Suite47年エグモントなど。

50年DR盤は、仙台S氏の調査でこの日の演奏と判明。
演奏は同年ザルツブルクでの第9に比べて、不出来なときの巨匠という演奏評が多いが−
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c1
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
2. 中川隆[-14186] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:10:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-869]

フルトヴェングラー ウィーン・フィル 1943


Symphony No.9 C major D. 944 The Great 1943 Vienna Philharmonic Orchestra










Wilhelm Furtwängler
Vienna Philharmonic Orchestra
Live Recording Stockholm 12.05.1943



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c2
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
3. 中川隆[-14185] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:16:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-868]

1943年
●5月12日 12 May 1943 VPO Stockholm Concert Hall(Swedish Radio)

Schubert: Sym.No.9 ザ・グレイト (o-81)

LP/PR: DiscocropRR405(75?) Columbia(JP)OZ7518BS(76/11) WFSJ JP1190('76?) SWF8403-4(84/05)
CD: King(JP)KICC2353('94) M&ACD802('97) SWF973('97) DanteLYS109('97)TAHRA FURT1040(99/02)

VPO ストックホルムコンサートホール スウェーデン放送収録

▼SWF盤の解説で詳説され、[参考資料@]でも桧山氏が述べているように、録音は英製スチールバンドを用いた後33回転盤にダビングされており、針音はあるものの鮮明で良好な音質。

SWF盤は第9のあとのアンコールを求める拍手が収録されており、録音の良さもあってか当時の雰囲気が伝わってくる。後半に行くに従って音質が良くなるせいもあって、メインのシューベルト・プロよりむしろ皇帝円舞曲の方に魅力があり、38小節しかない断片録音が悔やまれる。

グレイトには3楽章に演奏上のカットがある。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c3

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
4. 中川隆[-14184] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:16:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-867]

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のシューベルト 交響曲第9(8)番「グレイト」 
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

ベルリン・フィル

DG。1951年12月、ベルリン、イエス・キリスト教会で録音。
OIBP化され、ハイドン「V字」とカップリング(447 439-2, 1CD、写真左)。

2011年、生誕125周年ということでシングルレイヤーのSACDも発売された(写真右)。 演奏・録音とも、フルトヴェングラーの全録音の中で最高の1枚。

ベルリン・フィル
DG。1942年12月8日ライヴ。マグネットフォン録音。

ソ連から返還されたデジタル・コピー・テープからのCD化である。

のち、ドイツ・フルトヴェングラー協会盤(TMK 017204)でも入手した。
こちらのほうが、余計な残響が無くて良い。



ウィーン・フィル
TAHRA。FURT 1040。1943年5月12日、ストックホルムでのライヴ。

スウェーデン放送協会のテープからCD化されたもので、音が大変良い。
演奏も全楽章通して熱気にあふれており、ライヴのフルトヴェングラーを堪能できる。



ベルリン・フィル
TAHRA。FURT-1008/11(写真左)。
1953年9月15日ライヴ。

「英雄」「運命」「田園」他とカップリングされた没後40年記念の4枚組。
同レーベルから同日の「未完成」とカップリング(FURT 1017、写真中央)でも出ている。
また、auditeから出たRIAS録音集(21.403、写真右)にも収録されている。

ウィーン・フィル

EMI。1953年8月30日、ザルツブルク音楽祭ライヴ。

初めEMI国内盤2枚組TOCE 8467/68で入手。同日演奏のヒンデミット「世界の調和」を収録し、さらに、この日のプログラムを全曲復元するために、当日のテープが残っていない「ドン・ファン」を翌年のEMIスタジオ録音を収録している。

2004年にORFEOから出た8枚組C409 048L(写真右)にも収録。
なんとこのBOXでも「世界の調和」とともにEMI録音の「ドン・ファン」を収録して当日のプログラムを再現しているが、その必要性が全く理解できない。EMI国内盤は譲渡した。

2005年、フルトヴェングラーの友人アルフレート・クンツ氏所蔵のテープからCD化されたTAHRA(FURT 1095/7、写真右)には、ステレオ録音の「魔弾の射手」とともに、この「グレイト」の「モノラルではない録音」が収録されている。しかし「魔弾」とは異なり、どう聴いてもちゃんとしたステレオのようには思えない。詳細不明としか言いようがない。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c4

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
5. 中川隆[-14183] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:36:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-866]




ブルーノ・ワルター

シューベルト: 交響曲 第8(9) 番 ハ長調 D 944「ザ・グレイト」ワルター 1959





ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
31 Jan. & 2, 4, 6 Feb.1959

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c5
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
115. 中川隆[-14182] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:32:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-865]

アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c115
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第9番』 中川隆
13. 中川隆[-14181] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:50:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-864]

ストコフスキー

Beethoven, Symphony no. 9 in D, "Choral" / Leopold Stokowski ( 1934 )




Leopold Stokowski, conductor
The Philadelphia Orchestra

Agnes Davis, soprano
Ruth Cathcart, contralto
Robert Betts, tenor
Eugene Loewenthal, baritone

1934 ( Music & Arts )

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html#c13
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
1. 中川隆[-14180] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:56:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-863]

ストコフスキー

Dvorak: Symphony No.9 - Stokowski & Philadelphia o


________





The Philadelphia Orchestra
Leopold Stokowski (cond)
22 X 1934

▲△▽▼

Dvorak 'New World' Symphony Stokowski on Vinyl Stereo


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c1
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
2. 中川隆[-14179] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:03:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-862]

トスカニーニ


Dvořák: Symphony No. 9, Toscanini & NBCso (1953)


Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 2 February 1953, in Carnegie Hall



▲△▽▼



Toscanini/NBC Broadcast Concert Dec 13th, 1941, restored (Barber, Smetana, Dvořák)






Toscanini / NBC play the following:

0:57 Samuel Barber: "Adagio for Strings"

8:41 Smetana: "Vltava" ("The Moldau") from "Má vlast"

Dvořák: Symphony No. 9 in E minor "New World Symphony"
20:07 Adagio, Allegro molto
27:58 Largo
37:54 Scherzo: Molto vivace – Poco sostenuto,
44:53 Allegro con fuoco

55:26 The US National Anthem





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c2
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
3. 中川隆[-14178] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:08:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-861]

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

A.Dvořák Symphony#9 "From The New World" [ I.Kertesz Vienna-PO ] (1961)







Istvan Kertesz
Vienna Philharmonic Orchestra

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c3
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
4. 中川隆[-14177] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:16:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-860]

スヴェトラーノフ

Evgeny Svetlanov conducts Dvorak Symphony no. 9 - video 1981


Evgeny Svetlanov conducting the State Academic SO in Dvorak's Symphony no. 9, op. 95, live on 17 March 1981.


▲△▽▼

Dvořák: Symphony No. 9 - Russian State Symphony Orchestra/Svetlanov (1997)


State Symphony Orchestra of the Russian Federation
EVGENY SVETLANOV, cond.
Recording: Festival de Montpellier, 20 July 1997


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c4
[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事 中川隆
3. 中川隆[-14176] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:27:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-859]
悪の帝国アメリカとイギリスが香港で帝国主義・植民地主義(今はグローバリズムとかいう名で呼んでいるが、全く同じもの) に基づいた反中国運動を扇動している。
ここにきて力を入れているのが台湾。ここには吾爾開希など1989年に中国で展開された新自由主義派の活動家が入り込んでいる。 

1989年1月、アメリカではジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。元CIA長官だが、この人物はエール大学の学生だった当時、CIAにリクルートされたと見られている。ブッシュの父親はウォール街の出身で、巨大資本の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった人物だ。ダレスはCIAの最高権力者だった。 そのブッシュとエール大学からの友人で、やはりCIAにリクルートされたと言われているジェームズ・リリーが1989年4月に中国駐在大使に就任している。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。
 
リリーが大使に就任する5日前に新自由主義派の胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦と組んで新自由主義を推進していたのが趙紫陽である。活動の指揮者と見られているのはジーン・シャープ。 
学生の間では新自由主義の支持者が少なくなかったようだが、労働者の間では逆。貧富の差が拡大していることへの不満が高まり、社会は不安定化していた。そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、それに激怒したのがアメリカということだ。
その年の5月に戒厳令が敷かれた。抗議活動が沈静化した後、方励之、柴玲、吾爾開希などの指導グループはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。香港へ逃れた活動家は約400名と言われている。

吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡った。この逃走ルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6で、今でも機能しているという。 
台湾では1月11日の総統選挙があり、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得している蔡英文が再選された。
東アジアでもアメリカの影響力は低下しているが、それをNATOが補充するとも言われている。
____

アメリカ議会は香港の反中国派を支援する目的で「香港人権・民主主義法」という反中国人法を通した。 反中国派の活動は香港で広がらず、過激化。建造物を破壊、交通機関を止め、石や火炎瓶を投げるだけでなく活動を批判する市民に可燃性の液体をかけて燃やして大やけどを負わせ、洋弓で矢を射るということも行うようになったのだが、その一方で孤立していった。ここにきて活動は封じ込められたようだ。次の一手としてアメリカは反中国人法を成立させようとしている。ロシアに対して行った手口と同じだ。 

香港の反中国派はアメリカのネオコンと連携している。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出てくるが、そうした若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6がその背後で暗躍していることも秘密ではない。 

反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されている。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。 この団体は反コミュニズムでも有名で、アメリカの支配層はその点を評価。アメリカの政府機関であるUSAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。

万一、現在アメリカの植民地の中国や日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html#c3

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
22. 中川隆[-14175] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:31:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-858]
中国人観光客が日本に大挙する理由…日本は「物価も賃金も安い国」になったという現実
https://biz-journal.jp/2020/01/post_139021.html
2020.01.30 文=加谷珪一/経済評論家 「加谷珪一の知っとくエコノミー論」 Business Journal


中国・国慶節の大型連休 日本にも大勢の観光(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)


 日本の相対的な経済力の低下によって、日本が世界から見て「安い国」になっているという話は、国内でも徐々に認知されるようになってきた。モノやサービスの値段が安いことは、外国人観光客を呼び寄せる材料となるが、それはウラを返せば、国内の賃金が低く推移していることを意味している。人口減少によって国内経済の縮小が予想されるなか、私たちはもっと内外価格差について敏感になっておく必要があるだろう。

■同じダイソーの商品が、外国では150円から200円で売られている

 政府が積極的に受け入れ拡大策を進めたこともあり、日本には年間3000万人もの外国人観光客がやってくるようになった。彼らは日本文化楽しむためや、日本料理を食べに日本に来ているのだろうか。もちろん、人によって来日目的はさまざまなので一概には言えないが、訪日客の7割を占める中国、韓国、台湾、香港からの観光客に限っていえば、最大の目的は買い物である。

 観光庁の調査によると、中国人は日本を訪問するにあたって、1人あたり約20万円の消費を行っているが、このうち買い物代が約半分を占めており宿泊費や飲食代を大きく上回る。韓国人は買い物の比率が低いという特長があるが、中華圏の人たちはとにかく買い物である。

 彼らがこぞって日本で買い物をするのは、日本の物価が極めて安いからである。特に中国は近年、物価上昇が著しく、なかでも沿岸部の大都市では何もかもが高いという状況だ。

 日本では多くの人が100円均一のお店を利用しているが、業界大手のダイソーは積極的に海外進出しており、中国などアジア地域にも多くの店舗を構えている。店舗によって事情は異なるが、ダイソーの場合、中国の店舗ではたいてい10元均一で商品を販売している。1元=15円とすると150円均一ということになる。

 ダイソーは米国にも多数、店舗を出しているが、米国のなかでも物価が高いニューヨークは1.9ドル均一、他の都市では1.5ドル均一になっていることが多い。1ドル=110円と仮定すると、165円から209円の範囲で商品を販売していることになる。ダイソーの海外店舗はどの地域でも概ね、日本の1.5倍から2倍の価格になっているのが実状だ。

 もちろん各国で商品構成は異なっているが、日本国内で販売しているのと同じ商品もあり、基本的には同一、もしくはそれに近い商品を売っていると思ってよい。そうなると、100円という低価格で販売しているのは日本だけという話になってしまう。

 海外では同じモノが1.5倍から2倍の値段になっているということは、日本にやってきた外国人が日本国内の店舗で買い物をすると、何もかもが安いという感覚になる。実際、中国人観光客の多くは、日本の商品の安さに歓声を上げており、この安さが買い物への支出を支えている。

■日本のディズニーランドは激安

 こうした内外価格差はサービスにもあてはまる。ディズニーランドは世界各国にあるが、実は国によって入場料には大きな差がある。日本では1日入場券は7500円だが、上海では同様の入場券は399元から575元(ピーク時には665元)で販売されている。1元=16円とすると6384円から9200円である。香港では639香港ドルで、1香港ドル=14円とすると8946円になる。

 カリフォルニアにある本場のディズニーランドは、104ドルから149ドルの範囲になっている。1ドル=110とすると、1万1440円から1万6390円の価格設定であり、パリのディズニーランドも米国とほぼ同じ水準である。日本のディズニーランドは世界でもっとも入場料が安いと考えてよいだろう。

 海外旅行のついでに現地のディズニーランドに行くという人は多いが、外国から来た観光客は日本の入場料が安いので大喜びしているはずだ。日本のディズニーランドがここまで安い理由は、日本の消費者の購買力が他国と比較して弱く、このくらいの価格設定にしないと他のテーマパークとの競争に負けてしまうからである。

 ディズニーランドは、圧倒的なブランド力があり、どんなに高くても来場するように思えるが、そうではない。価格が高いとリピーターの頻度が減り、全体の来場者数は減ってしまう。顧客を囲い込み、高いブランド力を維持するためにも、適切な価格設定が必要であり、日本の価格設定はまさに日本経済の現状を反映した水準となっているのだ。

 マクドナルドも全世界に展開しているので、価格比較にはよく使われる店舗といってよい。国際的な価格比較サイト「Numbeo」によると、日本のマクドナルドにおけるセット販売の平均価格は695円である。これに対してニューヨークは986円、シドニーは853円、パリは1055円なので、先進各国は総じて日本よりもかなり高い。アジアに目を移すと、香港が493円、上海が556円 バンコク(タイ)617円、シンガポールは651円となっており、日本と同レベルか日本より少し安い程度である。

 カフェはどうだろうか。日本ではカプチーノの平均価格は388円だが、上海では466円、香港では506円、パリは416円、バンコク253円、シドニーでは302円、ニューヨークでは515円、シンガポールでは444円だった。バンコクとシドニーの価格は安いが、それ以外の都市では基本的に日本よりも高いと考えてよいだろう。

■日本人の賃金が低いことが最大の原因

 日本は諸外国と比べて、なぜここまで物価が安くなっているのだろうか。基本的にモノやサービスの価格は、消費者の購買力に比例するので、端的に言ってしまうと日本の賃金が安くなったことが最大の原因である。

 OECDの調査によると、購買力平価でドル換算した日本の平均賃金は約4万ドルだが、米国は6万3000ドル、フランスは4万4000ドル、オーストラリアは5万3000ドルとなっている。日本は先進諸外国のなかでは圧倒的に賃金が安いので、日本の消費者の購買力も低くなり、結果として国内物価も安く推移している。

 当然のことながら、中国やタイの平均賃金は日本よりも低いが、平均値が低いからといって、購買力が小さいとは限らない。近年、企業活動のグローバル化が進んでおり、一定水準以上のグローバル企業の場合、どの地域の社員にもほぼ同じ賃金を支払うのが当たり前となっているからだ。

 こうしたグローバル企業の初任給は40〜50万円が相場といわれており、日本の平均的な初任給と比較するとかなり高い。アジア地域の労働者でも、相応の大学を出てグローバル企業、もしくはそれに類する企業に就職した人の場合、数百万円の年収を稼ぐのはザラである。そうなると、全体の一部とはいえ、日本と同レベルの物価であっても、モノやサービスをバンバン購入する人が一定数存在してもおかしくない。

 特に中国の場合、14億人もの人口があるため、仮にそうした所得層が5%しかいなくても、7000万人の市場規模になる。上海や香港に行くと物価が高いと感じるのはそのためであり、こうした階層の人たちであれば、逆に日本にやってきた時には、物価が安いと感じるはずだ。

■デフレで自動車価格が決して下がらない理由

 現代社会は以前と比較して、全世界的に価格平準化が進みやすい環境にある。自動車の価格は国内事情とは一切関係なくグローバル市場の需要やコスト構造で決まってしまう。日本ではデフレが進んでいるとされてきたが、過去20年、自動車価格が安くなったことは一度もない。クルマは次々モデルチェンジするので、同一車種と装備のクルマで比較することはできないが、基本的にクルマの価格は一貫して上昇していると考えてよい。

 スマホも同様である。スマホはどこでつくってもコストはほぼ同じであり、最終的な販売価格も似たような水準となる。スマホを使って行うネット通信や通話についても同じことがいえる。通信会社というのは典型的な設備産業であり、コストの多くは、交換機、基地局などの通信機器類である。

 どの国の通信会社であっても、ほぼ同一の通信機器を使って回線を構築しているので、コスト構造もほぼ同じになる。政府が通信料金に対して規制をかけない限り、同じような料金になることが多い。飲食についても、人件費こそ違うだろうが、原材料はほぼすべてが輸入なので、やはりグローバル価格の影響を受けてしまう。

 社会のIT化の進展はこうした傾向をさらに顕著にする効果をもたらすので、相対的に賃金の安い国は不利になる。日本は物価が安いので住みやすいという考え方もあるが、それは賃金が安いことの裏返しであり、グローバルに価格が決まる製品やサービスを購入する負担が大きいことを意味している。

 価格が安いことは、インバウンド・ビジネスには効果があるが、消費者の生活にはマイナス面が多い。日本は安い国のままでよいのか、もう一度、真剣に考え直す必要があるだろう。

(文=加谷珪一/経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c22

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第9番』 中川隆
14. 中川隆[-14174] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:24:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-857]

ストコフスキー

Leopold Stokowski - Beethoven : Symphony No. 9 in D Minor, Op. 125 ("Choral")












Stokowski conducting the London Symphony Orchestra
Recorded in 1967 and originally issued on LP by Decca/London.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html#c14
[近代史3] ベートーヴェン 『エグモント序曲』 中川隆
1. 中川隆[-14173] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:37:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-856]
ストコフスキー

Beethoven: Overture "Egmont"



New Philharmonia Orchestra
Leopold Stokowski

℗ 1975 Decca Music Group Limited

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
19. 中川隆[-14172] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:41:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-855]
ストコフスキー

Beethoven "Symphony No 6" Leopold Stokowski




NBC Symphony Orchestra
Leopold Stokowski, Conductor

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c19
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第7番』 中川隆
17. 中川隆[-14171] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:49:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-854]

ストコフスキー

Beethoven: Symphony No.7 in A, Op.92















New Philharmonia Orchestra
Leopold Stokowski

℗ 1975 Decca Music Group Limited

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html#c17
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
1. 中川隆[-14170] koaQ7Jey 2020年1月30日 20:20:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-853]

フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン 『交響曲第4番』


Wilhelm Furtwängler Composer INDEX 1

このコーナーでは、主要な作曲家・作品別にフルトヴェングラーのディスクを掲載します。特に「スタジオ録音」と記載のないものはすべてライヴ録音です。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu08.htm


Beethoven:Sym.No.4


1)43/06/27-30 BPO Berlin Phil.(RRG=No Audience)

2)43/06/27-30 BPO Berlin Phil.(RRG)

3)49/01/26-9 MunchenPO Munchen

4)50/01/25-30 VPO Musikverein(EMI Studio)

5)52/12/1-2 VPO Musikverein(EMI Studio)

6)53/09/04 VPO Munhen


▼1)の3・4楽章と2)の1・2楽章を組み合わせたハイブリッド盤もあり。3)は未発売。

▲2)がいちばんWF的だが、この曲にそこまでの劇性が必要か−ということでやはり5)。

>>>>>My Best is 5)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c1

[近代史3] 欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上 中川隆
3. 中川隆[-14169] koaQ7Jey 2020年1月30日 20:27:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-852]
2020年01月30日
世界2位の富裕国スイスで増える路上生活者 豊かになっても貧困者は減らない


スイスのホームレスは身なりがきれいな事が多い

画像引用:https://www.rts.ch/2018/10/04/11/58/9892752.image?w=800&h=449

スイスのホームレスはアメリカより多い

スイスは1人当たりGDPが世界2位の8万3000ドル(約900万円)と日本の2倍以上の超富裕国として知られている。

もともと時計などハイテクに強かったがITや金融で成功し、高所得者の移民を増やすことでGDPを上げた。

この辺はシンガポールに近く、高収入な企業や外国人を移住させれば何もしなくてもGDPが上昇します。


オランダもそんな感じで多国籍企業や富裕層、投資家、各界の成功者を低税率で受け入れてGDPを押し上げている。

こんなスイスにも貧困者がいるしホームレスも存在するが、スイス人気質として自分が貧困なのを隠そうとする。

スイス人は人種的にドイツ人と同じだが、ドイツ人も同じように貧困や失敗を隠そうとし、成功した話だけをしたがる。


こういう国では貧困者やホームレスが存在しないことになっていて、居たとしても社会の失敗者とか負け犬の烙印を押され同情されない。

ドイツもスイスもホームレスの公式調査をしていないが、民間団体によるとかなりの数が確認された。

スイス第3の都市バーゼル市(人口20万人)では屋外生活者50人とシェルター生活者50人の計100人が存在した。


路上生活者が4千人に1人存在するという事で、日本の2万5千人に1人よりも多い。

民間団体の推測ではドイツには5万2千人の路上生活者が居るので、1590人に1人が路上生活者という事になる。

アメリカは1000人に1人がホームレス(シェルター含む)で、ハワイは592人に1人が路上生活者です。

金持ち国になっても貧困者は減らない

スイスのバーゼル市という一つの街だけではあるが、スイスのホームレスや路上生活者は他の国と比べて少なくないのが分かる。

この事は重大な事実を示唆していて、それは国がどれだけ豊かになっても「貧しい人は減っていない」という事です。

多くの議論では国が豊かになったり景気が良くなれば貧困者が減り、ホームレスは居なくなるのを前提にしています。


だが実際には日本のあらゆる人が「目標にするべきだ」というドイツは日本の16倍もの路上生活者が居る。

好景気を謳歌してきたアメリカは日本の10倍以上のホームレスが居るし、金満国家スイスは日本の6倍の路上生活者が居る。

経済的成功と貧困者の減少には関連性が見られず、アメリカやスイスが今の10倍金持ちになってもホームレスは減っていないでしょう。


そういえば中東の金持ち国家ドバイでは貧困者が非常に多く、金持ちは貧困者を働かせることで、より金持ちになっている。

むしろ貧困者が増えれば増えるほど、お金を持っている人はお金を増やしているのが真実です。

日本でも某ワタミとか某ユニクロとか、貧困者を低賃金で働かせるビジネスモデルで大成功していました。


スイスは金持ち国家なのでホームレスや路上生活になっても、無料で食事をしたりシャワーを浴びれる場所が存在する。

だから物乞いをする必要がなく働く必要もなく、路上とシェルターを行き来して暮らす人が多い。

ジュネーブでは貧困者向けの無料食堂で毎日200人が食事をしており、そこではインターネットも使える。


スイス政府によると人口850万人のうち62万人が深刻な貧困で、約120万人が貧困層となっている。

富裕国なのになぜ貧困者が多いのかは簡単な話で、例えばユニクロの柳井は資産3兆円だが、ユニクロ労働者は時給1000円以下に過ぎない。

富裕国では豊かな人はどんどん豊かになるが、豊かな人の下で働く無数の人々は決して豊かにならない。


働いていも働いてもお金はたまらず借金が増えるばかりで、気づくと貯金ゼロの貧困老人になっている。
http://www.thutmosev.com/archives/82060156.html

これが世界の富裕国の人々の実態です。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html#c3

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
4. 中川隆[-14168] koaQ7Jey 2020年1月30日 21:22:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-851]
目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき 2016/10/03



国の借金が880兆円あると言われているけど、実は日本は世界一お金持ち。

お金は国や政府が発行しているわけではない。

お金の発行の仕組みとは?

政府の借金を20年で完済する方法。…

既存の経済理論を覆す新しい哲学で国家経営の本質を語る、フェア党代表の大西つねきさんの「目からウロコ」の経済学講座です。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c4
[番外地7] トランプはネオコンの一員 中川隆
1. 中川隆[-14167] koaQ7Jey 2020年1月31日 02:17:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-850]
また嘘八百のアホ陰謀論やってるね。そもそもスレイマニは反ネオコンだよ。
米国ネオコンはウク ライナからベネズエラまでの世界各地で、政権転覆の試みとして反政府デモを扇 動してきた。それに対し、スレイマニの コッズ軍は、パキスタンからレバノンまでの中東地域で、米国の軍産複合体が育 成支援してきたISアルカイダなどと戦い、ロシアとも協力してこれらの地域を安定させ、中国が一帯一路の投資をやりやすい状況を作ろうとしてきた。

つまり、トランプはネオコンの一員であり、スレイマニやプーチンは反ネオコンというのが正しい。

米国は、中東時間の1月3日未明にイラクにやってきた直後スレイマニを殺した
が、この時スレイマニはイラン政府の代表としてサウジアラビア国王にあてた手
紙を持ち、この日の午前8時にアブドルマハディと会う予定だった。昨秋来、サ
ウジアラビアはイラク政府の仲裁でイランと和解したがっており、サウジがイラ
ク経由でイランに親書をわたし、それに対するイランの返信をスレイマニが持っ
てイランを訪問した時に米軍に爆殺された。

トランプは、スレイマニを殺すこと で、中国とイランが組んで中東を安定させてインフラ整備して中国が石油利権を得る流れを壊そうとしただけでなく、サウジとイランの和解を妨害しようとした。 サウジはスレイマニ殺害後すぐにサウジは特使を米国に派遣し、トランプに対し、イランと戦争しないでくれ、米イラン戦争はサウジや湾岸諸国を不安定にするのでやめてくれと懇願している。

ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、サウジや日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html#c1

[近代史3] ベートーヴェン 『エグモント序曲』 中川隆
2. 中川隆[-14166] koaQ7Jey 2020年1月31日 02:58:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-849]

ブルーノ・ワルター


Egmont, Op. 84: Overture (Live) · Wiener Philharmoniker


 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ブルーノ・ワルター(指揮)
 録音時期:1950年8月24日
 録音場所:ザルツブルク、旧祝祭劇場
 録音方式:モノラル(ライヴ)
 ロート・ヴァイス・ロート放送グループ収録

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Beethoven='Egmont' Overture=Walter in 'New Estereo'


New York Philharmonic Orchestra
Bruno Walter
Walter, The NYPO & a very fine Egmont circa '54.

▲△▽▼

Walter conducts Beethoven - Haydn - Wagner - NYP 1943 (complete concert)


November 7, 1943 Carnegie Hall (live rec.)
Bruno Walter - New York Philharmonic.
American National Anthem
Beethoven Egmont Overture op.84
Haydn Symphony no. 88
Brahms Symphony No. 1 op.68

▲△▽▼


Egmont, Op. 84: Ouverture · Bruno Walter, Columbia Symphony Orchestra


Bruno Walter dirige... (Mono Version)
℗ 1959 - BNF Collection 2013

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html#c2
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
116. 中川隆[-14165] koaQ7Jey 2020年1月31日 03:52:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-848]
アレクサンドル・スクリャービン 『焔に向かって』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/873.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c116
[近代史3] モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』 中川隆
1. 中川隆[-14164] koaQ7Jey 2020年1月31日 04:36:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-847]

組曲『展覧会の絵』(露: Картинки с выставки; 仏: Tableaux d'une exposition)は、1874年にロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーによって作曲されたピアノ組曲である。

後世にモーリス・ラヴェルをはじめとした管弦楽への編曲版によっても知られる。

成立

『展覧会の絵』はムソルグスキーが、友人であったヴィクトル・ハルトマン(ガルトマンとも)の遺作展を歩きながら、そこで見た10枚の絵[1]の印象を音楽に仕立てたものである。ロシアにとどまらずフランス、ローマ、ポーランドなどさまざまな国の風物が描かれている。

また、これらの10枚の絵がただ無秩序に並ぶのではなく、「プロムナード」という短い前奏曲あるいは間奏曲[2]が5回繰り返して挿入されるのが特徴的で、この「プロムナード」は展覧会の巡回者、すなわちムソルグスキー自身の歩く姿を表現している(使われるごとに曲想が変わるので、次の曲の雰囲気と調性とを的確に感じて弾くことが大切である[3])といわれる。

「プロムナード」、「古城」、「卵の殻をつけた雛のバレエ」、「ビドロ」、「鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー」、「キエフの大門」など覚えやすいメロディーと緩急自在の構成(ユーモラスな曲、優雅な曲、おどろおどろしい曲、重々しい曲など)から、ムソルグスキーの作品の中でももっとも知られた作品の一つである。


さまざまな編曲

また、古今東西の多くの音楽家によりさまざまな編曲がなされているのも特徴である。

ラヴェルによる管弦楽への編曲
エマーソン・レイク・アンド・パーマー (ELP) によるロック版
冨田勲のシンセサイザー版
山下和仁のギター・ソロ版

などが有名である。

また、この音楽を主題にした次のような作品なども知られている。
カンディンスキーの舞台芸術
手塚治虫の実験アニメーション(音楽は冨田勲編曲による。ただし、シンセサイザー版とは別)
エマーソン・レイク・アンド・パーマーのアルバムタイトル


組曲の構成

絵の印象を描いた10曲と、「プロムナード」[2]5曲(自筆譜では第2プロムナード、第3プロムナード、第4プロムナードは調号を用いずに臨時記号で書かれている[3])、「死せる言葉による死者への呼びかけ」の16曲からなる。

ただし、ラヴェル版は第6曲と第7曲の間の第5プロムナードが削除された[4]15曲で、これにならった版も多い。
「死せる言葉による死者への呼びかけ」は「プロムナード」の変奏であり、6番目の「プロムナード」と位置づけることもできる。

なおムソルグスキーは各プロムナードと直後の曲、「リモージュの市場」から「死せる言葉による死者への呼びかけ」、「バーバ・ヤガー」と「キエフの大門」をアタッカで繋ぐ指示をしている[5]。


作曲と編曲の経緯

原典版(自筆譜)

ムソルグスキーは音楽史などでは「ロシア5人組」と呼ばれる音楽家集団の1人として良く知られているが、ムソルグスキー1人に限って見ると、後年になるほどウラディーミル・スターソフの影響がきわめて大きい。スターソフはロシアの芸術史研究家であり評論家であったが、指導者的な面もあり、多くの若い芸術家の慈父のような役割を果たした。そして彼のサロンには、音楽、絵画、建築、彫刻家などが集まり、ロシア固有の芸術を探求する空気が醸成されていた。

1870年ころ、ムソルグスキーはヴィクトル・ハルトマンという建築家であり画家でもある男と出会い、交友を結ぶ。しかし1873年8月4日、ハルトマンは動脈瘤が原因で急死してしまう。ムソルグスキーの落胆ぶりは大きく、残された手紙などによると、ハルトマンの体の異常に気づきながら友人としてなすべきことをしていなかったのではないかと、自責の念にかられている様子がわかる。一方、スターソフはハルトマンの遺作展を開くことにした。ハルトマンの作品を整理することと、ハルトマン未亡人のための資金援助が目的であったと思われる。遺作展は、1874年の2月から3月にかけて、母校であったペテルブルク美術アカデミーにおいて400点の遺作を集めて大々的に開催された。

その展覧会から半年後の1874年7月4日、ムソルグスキーは『展覧会の絵』を完成させた。同年6月24日付のスターソフへの手紙には、この曲について興奮気味に「アイディアが煮えたぎっていて紙に書く暇がない」「今間奏(プロムナード)とそれ以外に(曲集前半の)4曲を書いた」などと書かれており、その前に作曲していた歌曲の完成よりまだ10日程度しかたっていないことから、作業の遅いムソルグスキーにしては珍しく2 - 3週間足らずで一挙に作曲されたものと推測されている。この自筆譜は、現在はレニングラード国立公共M. J. サルティコフ・シェッシュドリン図書館に保存されている(手稿本部門、M. P. ムソルグスキー基礎資料502番、文書番号129)。いわゆる自筆譜とかファクシミリ版と呼ばれているものである。なお原典版・原曲といった場合、本来はムソルグスキーの自筆譜(またはファクシミリ版)を指すが、ファクシミリ版が1975年まで公開されなかったため、1931年に出版されたモスクワ音楽院教授のパヴェル・ラム(Pavel Lamm)による校訂版が今でも原典版として広く受け入れられている[7]。


ムソルグスキーの死とリムスキー=コルサコフ版

しかしこの『展覧会の絵』はムソルグスキーの生前は、一度も演奏されず、出版もされないままであった。そもそも作曲者本人が、1880年にフーゴー・リーマンが編纂中であった音楽事典への依頼に応えて書いた原稿の中で「オペラ作曲中の気晴らしに絵画のような作品集を書いた」と、タイトルすら書かないで述べるほど関心を失っていたようである。そして1881年3月28日、ムソルグスキーはアルコール依存症と生活苦から衰弱してこの世を去る。今日よく知られる彼の肖像画は、死の3週間ほど前、スターソフの元でやはり懇意であったイリヤ・レーピンの筆によるものである(レーピンは『ヴォルガの舟曳き』で有名なロシア・リアリズムの画家)。

幸いにもリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの遺稿の整理に当たった。そして、『展覧会の絵』のピアノ譜が1886年に出版され、ついに陽の目を見る。ただしリムスキー=コルサコフの改訂が目立つため、現在は「リムスキー=コルサコフ版」として、原典版とは区別されている。改訂は、現在では独創的で斬新とも評価されるムソルグスキーの原典版が、当時の感覚ではあまりに荒削りで、非常識と捉えられる部分もあったためと言われており、時にはリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの音楽を理解していなかったからだとも言われている。しかし、ムソルグスキーの様々な作品の楽譜を世に出した意味は大きく、5人組の中で、リムスキー=コルサコフが最もその音楽の素晴らしさを認識していた証左といってよい。

特に明確な原典版との相違点は、「ビドロ」が弱音で始まって次第に音量が大きくなる点(原典版ではフォルティッシモで始まる)、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」の最後がC-D♭-C-B♭となる点(原典版はC-D♭-B♭-B♭)。これらは下記のラヴェル版でも踏襲されている。

トゥシュマロフ版

ムソルグスキーの残した音楽の多くが未完成のものであったが、後にさまざまな音楽家がこれを補筆もしくは改訂や編曲をして世に出した。

リムスキー=コルサコフ校訂のピアノ譜の出版の5年後の1891年、リムスキー=コルサコフの弟子であったミハイル・トゥシュマロフがこの曲の最初のオーケストラ編曲を行った。トゥシュマロフ版は5番目以外の「プロムナード」、「小人」、「ビドロ」、「テュイルリーの庭」を省略した短縮版であった。トゥシュマロフ版は通常「トゥシュマロフおよびリムスキー=コルサコフ編」と表記されているが、リムスキー=コルサコフが編曲にどこまで関与したかは明らかではない。ただし、トゥシュマロフ版は、発表の年にリムスキー=コルサコフの指揮によって初演されている。

ラヴェル版

1922年、フランスのラヴェルが、指揮者クーセヴィツキーの依頼で『展覧会の絵』を管弦楽へと編曲した。この編曲版はクーセヴィツキーの率いるオーケストラによって、同年10月19日(初演)と10月26日にパリのオペラ座で演奏され、これをきっかけに一挙にムソルグスキーの『展覧会の絵』は世界的に有名になった。

ラヴェルがこの仕事を引き受けた理由としては、報酬もさることながら当時フランスの音楽家(サン=サーンスやドビュッシー、ラヴェルなど)にムソルグスキーの和音を多用する様式が評価されつつあったこと、ムソルグスキーのピアノ曲は管弦楽曲を作るための習作のような作り[8]であったことなどが挙げられている。

ラヴェルは編曲に当たり、友人のカルヴォコレッシに譜面の手配を依頼した。その手紙(1922年2月3日付)には「ムソルグスキーの自筆譜(の入手)を期待している。何とかして入手する方法はないだろうか。または入手可能な人物を知らないか」と書き、ラヴェルが当時の出版譜にはリムスキー=コルサコフの改変があることを知っており[9]、自身はムソルグスキーのオリジナルから編曲をする意図であったことが判っているが、カルヴォコレッシは自筆譜を入手できなかったようで、最終的にはすでに出版されていたリムスキー=コルサコフ版に基づき[10][11]、1922年の3月からまず「キエフの大門」に着手して5月1日に完成、続けて残りを初秋頃までかけて編曲を行った。

その編曲は特に冒頭のトランペットのファンファーレ的な「プロムナード」に象徴されるように、ラヴェルの異名である「オーケストラの魔術師」どおりの華麗で色彩的なもので、原曲のロシア的な要素を重視するよりもオーケストラ作品としての華やかな色彩を与えることを企図し、そして成功している。ラヴェルの編曲は粗野な趣の『展覧会の絵』に新しい生命を与えることに成功したと言ってよい。

なお楽譜は1929年にロシア音楽出版から出版され、現在は同社の業務を引き継いだブージー・アンド・ホークスなどで刊行されている。

さまざまな編曲

ラヴェル版が世界的な人気を得たが、同版の演奏権はクーセヴィツキーが5年間独占する契約だったことや、著作権の問題[12]で他の音楽家によるオーケストラ編曲も多数試みられた。

その中で特に有名なものは、指揮者ストコフスキーによる編曲版である。冒頭の「プロムナード」の旋律が第一ヴァイオリンのみのユニゾンで演奏される。ラヴェル版のフランス風に洗練された編曲に対し、原曲のロシア的な響きを生かすという意図のもとに編曲されている。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが録音するなど本場ロシア(ソビエト)でも受け入れられていた。

リヒテルのソフィア・ライブ(原典版の復活)

ラヴェル編曲のオーケストラ版の人気に伴い原曲(ピアノ曲)の方も、少しずつ演奏されるようになってきた。しかし難曲であったため、これを弾けるのは「ヴィルトゥオーゾの証明」のような扱いになりかけていたし、むしろ管弦楽版が原曲であるかのような扱いでもあった。また1931年にラムの校訂版が出版されてからも、演奏されることはあってもリムスキー=コルサコフ版だった。そうした中、ロシアのピアニスト、リヒテルのレコードが新しい扉を開く。1958年のことである。

当時はアメリカとソ連(現在のロシア)の対立が激化し、東西冷戦の真っ最中である。ロシアのピアニストたちは高い評価を得ていたが、そのレコードや演奏が西側諸国で聞ける機会はなかなかなく、リヒテルも幻のピアニストと言われていた。そのリヒテルのソフィア(ブルガリアの首都)でのコンサート録音がレコードとして発売された。曲目の中に『展覧会の絵』があった。西側諸国ではまだ殆ど聴くことができなかった原典版に忠実な演奏であった。リヒテルのすさまじいばかりの演奏技術も衝撃的で、これが原典版がメジャーになるきっかけと言って良い。

現在、入手可能なCDやレコードを整理すると、この1958年を境にして、『展覧会の絵』のピアノ曲の録音が、リムスキー=コルサコフ版から原典版へとがらりと切り替わるのがよくわかる。原典版は、ラヴェル編曲版とは違いロシア臭が強く、強烈な個性がある。無論、演奏するには難曲であることに替わりはないが、ラヴェル版のピアノ編曲のようになりがちであったピアノ原曲が、ラヴェル版にはない魅力を持ったものになった。そして、ラヴェル版に負けず劣らぬ人気の曲になった。

なお、リヒテル当人はラヴェル編に関しては「私はあの編曲は嫌いだ」「ムソルグスキーの音楽を理解していない」と評しており、たいへんに批判的であった。

ピアノ版のホロヴィッツによる編曲

一方、ムソルグスキー自身は一流のピアニストではなかったため、原曲ではラヴェル編曲の管弦楽版のような色彩感に乏しいことは否めない。1940年代に入るころ、ロシア出身で当時アメリカに亡命していたウラディミール・ホロヴィッツが独自の編曲を手掛け、1947年からコンサートでしばしば演奏するようになった。1947年のスタジオ録音と1951年のライヴ録音がレコードとして発売され大きな話題になった。

これらの録音は、編曲とはいえ、ピアノ版の「展覧会の絵」の録音としては最も古い部類に属する。原典を重視する向きには敬遠される[13]ことがあるものの、ムソルグスキーによるピアノ原曲を世界に知らしめる上で、ホロヴィッツの演奏が果たした役割は極めて大きい。同時に、ホロヴィッツがこの編曲の楽譜を公開しなかったことと、彼自身の録音が越え難い決定盤と評価され続けたことが、上記のリヒテルによるレコードまで他のピアニストがピアノ版に取り組むことを避けた最も大きな要因とも言える。勿論原曲より技巧的には難しくなっている個所が多いが、その後、幾人かが録音された演奏からの楽譜起しを試みた結果、聴感上の難易度に比べ非常に効率的な編曲がなされていることが分かっており、ホロヴィッツがいかにピアノ技法を熟知していたかをうかがい知ることができる。

ホロヴィッツ自身、この編曲は超絶演奏技巧を披露するためではなく、ムソルグスキーの原曲の持つロシア的な性格を一層引き出しつつ、ピアノの持つ可能性を最大限に活かすことを目的とした編曲であると述べている。

ELPのロック版とそれ以降の発展

1971年、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(略称ELP)が『展覧会の絵』のライブレコードを出す。ロック・グループが、クラシックの曲をシンセサイザーやハモンドオルガンでアレンジして演奏した事は当時はセンセーショナルであった。ただし、エマーソン・レイク・アンド・パーマー版は『展覧会の絵』の中の一部の抜粋であり、バンドによるオリジナル曲を挿入した形式であった。

このELP以降、一挙に様々なアレンジが出てくる。冨田勲のシンセサイザー版(1974年)、山下和仁のソロ・ギター版(1981年)などは世界的にも大きな影響を与えた。このほか、オルガン版や吹奏楽版、マンドリン版などの人気も高く、現在もさまざまな録音が次々と出ている。また、プログレッシブ・ロックの影響を受けたドイツのヘヴィメタル・バンドであるメコン・デルタはエマーソン・レイク・アンド・パーマー版を元にした曲、およびオーケストラとの共演版を発表している。

またハルトマンの絵についても、1991年に日本のNHKが團伊玖磨の進行でスペシャル番組「革命に消えた絵画・追跡・ムソルグスキー“展覧会の絵”」を放送した。ハルトマンの絵のうち『展覧会の絵』のモチーフとなったとされる10枚の絵をすべて明らかにする、という『展覧会の絵』の謎解きの核心にせまった番組であった。こちらについては絵柄と楽想の乖離や、学問的な手続きが不十分であるという批判もあり、曲と絵との関連性がすべて明らかになったとは言えないが、それまで曲に比べてハルトマンの絵の研究はほとんどされていなかったので先駆的な仕事であったと言って良い。また「ビドロ」という言葉の意味(ポーランド語の"bydło"には「牛車」の他に「(牛のように)虐げられた人」の意味がある。ハルトマンがポーランドで描いたスケッチのタイトルは『ポーランドの反乱』)や音楽的な印象などから絵を推理していく「面白さ」は画期的であった。

2015年、ドイツのプログレッシブ・ロック・バンド Stern-Combo Meissen が "Bilder einer Ausstellung" のタイトルで『展覧会の絵』の全編をロック化した作品を発表している。

さまざまな編曲

最も有名な編曲はラヴェルのオーケストレーションによるものであり、オーケストラの演奏会で取り上げられる演目のほとんどはこの版だが、他にも多くの版が存在する。ラヴェル以降に作られた管弦楽版は、ラヴェル版(またはラヴェル以前に作られたリムスキー=コルサコフ版)を参考にしているものが多く、その影響はきわめて大きい。

日本の冨田勲は、シンセサイザーによる編曲・録音を行った。彼の2つの編曲版のうち、管弦楽版は手塚治虫の実験アニメーションのために書き下ろした作品である。これは手塚がラヴェル版を用いようとしたところムソルグスキーの著作権は消滅していたもののラヴェルの著作権が生きていることが判明し(1998年まで)、デュラン社から膨大な使用料を要求され予算を超えてしまったためやむなく取り下げ、代わりに冨田に依頼したという経緯がある。冨田はわずか1週間でこの編曲を仕上げたという[14](現在DVDなどで見られる実験アニメーションの展覧会の絵は、完成当時のものではなく、宗教対立のエピソードがカットされたなどにより、曲の一部が編曲当時のものとは異なる)。

管弦楽版

トゥシュマロフ版(「トゥシュマロフおよびリムスキー=コルサコフ版」「リムスキー=コルサコフ版」と表記されることが多い)
ヘンリー・ウッド版
ラヴェル版
レオ・フンテク版(ラヴェル版以前に編曲)
セルゲイ・ゴルチャコフ(Sergei Gorchakov)版
ユッカ=ペッカ・サラステ版(ゴルチャコフ版とフンテク版から任意で選択)
ルシアン・カイエ(Lucien Cailliet)版
レオポルド・ストコフスキー版(終曲にオルガンを含む)
近衛秀麿版
北爪道夫版 (サックスを含む)
冨田勲版(手塚治虫のアニメーションのためにオーケストラ編曲)
ウラディーミル・アシュケナージ版
レナード・スラットキン版(さまざまな版(ラヴェル版を含む総計15の版)から任意で選択)(終曲に歌詞付きの男声合唱を含む)
津留崎直紀版(弦楽オーケストラ)(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
酒井格版(飛騨ヴィルトーゾオーケストラ2011の為の編曲)
ピーター・ブレイナー(Peter Breiner)版

協奏曲
ロランス・レナード(Lawrence Leonard)版(ピアノ協奏曲)
エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff)版(ピアノ協奏曲)(曲中にオリジナルの部分を含む)

室内楽
ジュリアン・ユー版(室内オーケストラ)
イリヤ・イオフ版(弦楽合奏)
北方寛丈版
田中範康版(オルガンと打楽器アンサンブル)
音楽三昧版(いろいろな楽器(リコーダー類、擦弦楽器類)のアンサンブル)
菅原淳版(打楽器アンサンブル)
トーマス・ウィルブラント(Thomas Wilbrandt)版(いろいろな楽器(木管楽器、金管楽器、打楽器、擦弦楽器、ピアノ:オンド・マルトノ)のアンサンブル)
サミュエル・ラングマイヤー(Samuel Langmeier)版(バイオリン、ギター、コントラバスによるアンサンブル)
蓬田梓版(木管五重奏)

吹奏楽版
エリック・ライゼン版
マーク・ハインズリー版(ラヴェル版を基にしている)
ロジェ・ブトリ版(ラヴェル版を基にしている)
エルガー・ハワース(Elgar Howarth)版(フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルによる、金管アンサンブルと打楽器)
サイモン・ライト(Simon Wright)版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
スティーブン・ロバーツ(Stephen Roberts)版
平石博一版(金管アンサンブルと打楽器)
林光版
高橋徹版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
ジョン・ボイド(John Boyd)版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
石川尭典版(キエフの大きな門のみ。原曲からの編曲)
三谷澤俊匡版(ラヴェル版を基にしているが、第5プロムナードを復活させている)
中橋愛生版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
保科洋版

マンドリンオーケストラ
大栗裕版
小穴雄一版
難波研版

器楽曲
ホロヴィッツ版(ピアノ独奏。原曲ではなくラヴェルの管弦楽版を参考に、より超絶技巧性を持たせたもの)
チャールス・シフ(Charles Schiff)版(独奏チェロとピアノ)
クリスティアン・リンドベルイ版(独奏トロンボーンとピアノ)
長生淳版(独奏サクソフォン(複数持替)とピアノ)
山下和仁版(ギター独奏)
ミカ・ヴァユリネン(Mika Väyrynen)版(アコーディオン)

ロック
エマーソン・レイク・アンド・パーマー (EL&P) 版(プログレッシブ・ロック)
メコン・デルタ(Mekong Delta)版(プログレッシブ・メタル)

ジャズ
アリン・ファーガソン(オールイン・ファーガソン、Allyn Ferguson )版(ジャズ・ビッグバンド)
松本治(山下洋輔スペシャル・バンド)版(ジャズ・ビッグバンド)
マッツ・アップ(MATS-UP)版(ジャズ・アンサンブル版。アルバムタイトルは"Same Pictures - New Exhibition"。)

その他
冨田勲のシンセサイザー版
彭修文(ペン・シュウェン、Peng Xiuwen)版(中国民族楽器大合奏)
甲田潤版(全曲に歌詞をつけた混声合唱)
伊藤康英版(「二台八手ピアノ、サクソフォーン四重奏、混声合唱と吹奏楽のための交響的カンタータ」とし、16曲中13曲に歌が付けられている)


モチーフとされているハルトマンの絵

卵の殻をつけた雛の踊り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_Chicks_sketch_for_Trilby_ballet.jpg

カタコンベ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_Paris_Catacombs.jpg

鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤーガ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_-_Hut_of_Baba_Yaga.jpg

キエフの大門
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_--_Plan_for_a_City_Gate.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
117. 中川隆[-14163] koaQ7Jey 2020年1月31日 04:37:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-846]
モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c117
[リバイバル3] 日本のカレーライスはインド料理ではなく純然たる日本料理 中川隆
5. 中川隆[-14162] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:15:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-845]
2020年01月31日
ココイチ(壱番屋)創業者 宗次徳二 孤児からカレー王へ


引用:http://f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sukima911/20070607/20070607183539.jpg


カレーのココイチは唯一成功したカレー・チェーンと言って良く、国内外に約1470店を展開しています。

ココイチの成長は創業者に支えられていて、妥協せず他のチェーンの真似をする事もしませんでした。


捨て子で孤児院に引き取られる

ココイチことカレーハウスCoCo壱番屋の株式の50%以上をハウス食品が取得し、事実上身売りしました。

創業者の宗次徳二氏が保有していた株をハウスが取得し、創業者は経営から完全に退きました。

ハウスはココイチにカレー粉を提供し、以前から株式の約20%を取得していて、連結子会社になった。


カレー専門店は同じ品質のカレー粉を大量に安定確保するのが難しく、ハウス資本を受け入れることで全国展開していた。

創業以来、宗次徳二氏の丁寧なカレー造りを曲げず、バブル崩壊も平成デフレも乗り越えてきました。

創業者が退いた事で、ココイチは確実に変わるだろうし、一つの時代が終わったと言えるでしょう。


宗次徳二(むねつぐ とくじ)は1948年石川県生まれで両親は不明、兵庫県尼崎市の孤児院に預けられました。

3歳のとき雑貨商を営む宗次夫婦の養子に貰われ兵庫県に住んだが、養父が競輪で破産し、岡山県玉野市に夜逃げをした。

住み家は住人が居なくなった廃屋を転々としたが、養母は家を出て行き、金が無いので電気や水道が無かったそうです。


一応生活保護を受給していたが、食べるものが無く草などを食べたと言っているので、夜逃げが原因で受給が途絶えたのかも知れない。

出て行った養母が見つかると、養父とともに名古屋へ移住したが、養母はまた家を出て養父と2人になりました。

養父はやはり働く事はなく、宗次徳二はパチンコ屋で落ちている玉を拾ったりしてお金を稼ぎ、養父は15歳の時になくなった。


養父と暮らした時代の唯一の贅沢は、年末の生活困窮者一時金で、父が買って来るリンゴを食べることだったという。

父がなくなった後は学校に通い、愛知県の商業高校を卒業しているが、怠け者で暴力を振るう父のほうが好きだったという。

不動産屋からカレー専門店へ

高校を卒業すると地元の土地開発会社に就職し、3年後に大和ハウスに転職し、不動産関係の仕事に就いた。

そこで現在の妻と結婚し、3年後の1973年に自宅で不動産仲介会社を設立しました。

不動産はうまく行かなかったので、1974年に夫婦は名古屋で喫茶店「バッカス」を開店しました。


当時喫茶店経営は流行していて、日本中にこうした個人経営の喫茶店が存在していました。

宗次徳二は喫茶店を開業したとき、不動産よりこうした飲食店をやりたいと強く思ったそうです。

食べたい物を満足に食えなかった子供時代の思い出が、影響していたのかも知れません。


喫茶店では若者達やサラリーマンがコーヒーを飲んでお喋りしたり、軽食を食べたりしていました。

喫茶店で出す定番メニューの一つがカレーであり、妻が作ったカレーが美味いと評判になりました。

1978年にカレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店を名古屋に開店し、ココイチの歴史が始まりました。


ココイチは他のカレー屋とは違い、自分で辛さやトッピングを細かく指定する事ができるが違いはそれだけではありません。

ほとんどのチェーン店では合理化を進め、雇ったその日から一人で働いたり店長をしたりしています。

ココイチではそういう事は無く、バイトとして入店してから何年も修行し、やっと社員になり店長になります。

さらに何年も修行してやっと自分の店を持つオーナーに成れる、という制度を取っています。


1978年に開店した名古屋の1号店

引用:http://livedoor.blogimg.jp/hontennotabi/imgs/2/e/2ef2aeda.jpg

完全さを求めた創業者

フランチャイズというよりも江戸時代の丁稚奉公から番頭になり、暖簾分けする制度に近い。

外国に出店したココイチでも同じ制度で、バイトから長い時間を掛けて店長やオーナーを育成します。

アメリカ発祥のフランチャイズシステムでは、こうした人材育成は無駄なコストとされていて、雇ったその日からマニュアルに従います。


今日雇ったバイトでもマニュアルに従えば、店長の仕事は出来るのがアメリカ流で、ココイチはファーストフードでは無いといえる。

無駄なコストが掛かるのでココイチのカレーは価格が高く、安いカレーが食べたければ牛丼屋に行けという態度です。

他にも一般的なカレー屋との違いがあり、普通のカレー屋は実はレトルトカレーを使い自社で製造はしません。


カレーは腐敗しやすいのと味が変わりやすいなどが原因ですが、ココイチでは集中してカレールーを造り、全店舗に運んでいます。

特徴のトッピングは店内で調理し、フライなどは揚げたてを提供しています。

こうした作業もフランチャイズシステムでは「無駄」であり、冷凍庫から出して電子レンジで加熱するのが普通です。


だがこうした数々の無駄は実は、ブランドイメージを確立するのに重要な意味があります。

例えばフェラーリが合理性を追求して、余った製造ラインで大衆車を作っていたら、決して現在のフェラーリにはなっていないでしょう。

逆に日本車やアメリカ車は合理的であるために、決して高級ブランドに成る事はできません。


創業者の宗次徳二は引退するまでずっと、1,000軒以上の店舗を一軒ずつまわり、店員の教育や味などをチェックしていました。

少しでも店内が汚れていると、自分で掃除用具を持って掃除したという逸話から、彼の完全主義が想像できます。

ココイチのルーはあえて個性をなくし平凡な味にしてあり、誰にでも受け入れられるようにしています。


店内は定員数をあえて少なくするため、大きなテーブルに少ないイスが配置してあります。

これは完全なサービスを提供できる人数しか店に入れない為に、わざと少ししかイスを置いていないそうです。

こうした完全さを求めてきたが、1400店に増えた事と大企業の子会社になった事で、もしかしたら変わっていくかも知れません。


宗次徳二は創業以来一日も休まず遊んだ事も無く、友人は一人も居らず、仕事に人付き合いは要らないが信念だという。

美味しいカレーをつくり、客が満足するために、社長がチャラチャラ遊んだり友達を増やす必要は無い。

引退した宗次徳二は、株式の売却利益を慈善事業などを行う資金に当てるそうです。

宗次徳二が去ったココイチはマックのように、合理性を求めるようになるのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/47404759.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/998.html#c5

[近代史3] 市販のカレー・ルウ と レトルト・カレーは買ってはいけない、外食でカレーを食べてはいけない 中川隆
10. 中川隆[-14161] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:16:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-844]
2020年01月31日
ココイチ(壱番屋)創業者 宗次徳二 孤児からカレー王へ


引用:http://f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sukima911/20070607/20070607183539.jpg


カレーのココイチは唯一成功したカレー・チェーンと言って良く、国内外に約1470店を展開しています。

ココイチの成長は創業者に支えられていて、妥協せず他のチェーンの真似をする事もしませんでした。


捨て子で孤児院に引き取られる

ココイチことカレーハウスCoCo壱番屋の株式の50%以上をハウス食品が取得し、事実上身売りしました。

創業者の宗次徳二氏が保有していた株をハウスが取得し、創業者は経営から完全に退きました。

ハウスはココイチにカレー粉を提供し、以前から株式の約20%を取得していて、連結子会社になった。


カレー専門店は同じ品質のカレー粉を大量に安定確保するのが難しく、ハウス資本を受け入れることで全国展開していた。

創業以来、宗次徳二氏の丁寧なカレー造りを曲げず、バブル崩壊も平成デフレも乗り越えてきました。

創業者が退いた事で、ココイチは確実に変わるだろうし、一つの時代が終わったと言えるでしょう。


宗次徳二(むねつぐ とくじ)は1948年石川県生まれで両親は不明、兵庫県尼崎市の孤児院に預けられました。

3歳のとき雑貨商を営む宗次夫婦の養子に貰われ兵庫県に住んだが、養父が競輪で破産し、岡山県玉野市に夜逃げをした。

住み家は住人が居なくなった廃屋を転々としたが、養母は家を出て行き、金が無いので電気や水道が無かったそうです。


一応生活保護を受給していたが、食べるものが無く草などを食べたと言っているので、夜逃げが原因で受給が途絶えたのかも知れない。

出て行った養母が見つかると、養父とともに名古屋へ移住したが、養母はまた家を出て養父と2人になりました。

養父はやはり働く事はなく、宗次徳二はパチンコ屋で落ちている玉を拾ったりしてお金を稼ぎ、養父は15歳の時になくなった。


養父と暮らした時代の唯一の贅沢は、年末の生活困窮者一時金で、父が買って来るリンゴを食べることだったという。

父がなくなった後は学校に通い、愛知県の商業高校を卒業しているが、怠け者で暴力を振るう父のほうが好きだったという。

不動産屋からカレー専門店へ

高校を卒業すると地元の土地開発会社に就職し、3年後に大和ハウスに転職し、不動産関係の仕事に就いた。

そこで現在の妻と結婚し、3年後の1973年に自宅で不動産仲介会社を設立しました。

不動産はうまく行かなかったので、1974年に夫婦は名古屋で喫茶店「バッカス」を開店しました。


当時喫茶店経営は流行していて、日本中にこうした個人経営の喫茶店が存在していました。

宗次徳二は喫茶店を開業したとき、不動産よりこうした飲食店をやりたいと強く思ったそうです。

食べたい物を満足に食えなかった子供時代の思い出が、影響していたのかも知れません。


喫茶店では若者達やサラリーマンがコーヒーを飲んでお喋りしたり、軽食を食べたりしていました。

喫茶店で出す定番メニューの一つがカレーであり、妻が作ったカレーが美味いと評判になりました。

1978年にカレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店を名古屋に開店し、ココイチの歴史が始まりました。


ココイチは他のカレー屋とは違い、自分で辛さやトッピングを細かく指定する事ができるが違いはそれだけではありません。

ほとんどのチェーン店では合理化を進め、雇ったその日から一人で働いたり店長をしたりしています。

ココイチではそういう事は無く、バイトとして入店してから何年も修行し、やっと社員になり店長になります。

さらに何年も修行してやっと自分の店を持つオーナーに成れる、という制度を取っています。


1978年に開店した名古屋の1号店

引用:http://livedoor.blogimg.jp/hontennotabi/imgs/2/e/2ef2aeda.jpg

完全さを求めた創業者

フランチャイズというよりも江戸時代の丁稚奉公から番頭になり、暖簾分けする制度に近い。

外国に出店したココイチでも同じ制度で、バイトから長い時間を掛けて店長やオーナーを育成します。

アメリカ発祥のフランチャイズシステムでは、こうした人材育成は無駄なコストとされていて、雇ったその日からマニュアルに従います。


今日雇ったバイトでもマニュアルに従えば、店長の仕事は出来るのがアメリカ流で、ココイチはファーストフードでは無いといえる。

無駄なコストが掛かるのでココイチのカレーは価格が高く、安いカレーが食べたければ牛丼屋に行けという態度です。

他にも一般的なカレー屋との違いがあり、普通のカレー屋は実はレトルトカレーを使い自社で製造はしません。


カレーは腐敗しやすいのと味が変わりやすいなどが原因ですが、ココイチでは集中してカレールーを造り、全店舗に運んでいます。

特徴のトッピングは店内で調理し、フライなどは揚げたてを提供しています。

こうした作業もフランチャイズシステムでは「無駄」であり、冷凍庫から出して電子レンジで加熱するのが普通です。


だがこうした数々の無駄は実は、ブランドイメージを確立するのに重要な意味があります。

例えばフェラーリが合理性を追求して、余った製造ラインで大衆車を作っていたら、決して現在のフェラーリにはなっていないでしょう。

逆に日本車やアメリカ車は合理的であるために、決して高級ブランドに成る事はできません。


創業者の宗次徳二は引退するまでずっと、1,000軒以上の店舗を一軒ずつまわり、店員の教育や味などをチェックしていました。

少しでも店内が汚れていると、自分で掃除用具を持って掃除したという逸話から、彼の完全主義が想像できます。

ココイチのルーはあえて個性をなくし平凡な味にしてあり、誰にでも受け入れられるようにしています。


店内は定員数をあえて少なくするため、大きなテーブルに少ないイスが配置してあります。

これは完全なサービスを提供できる人数しか店に入れない為に、わざと少ししかイスを置いていないそうです。

こうした完全さを求めてきたが、1400店に増えた事と大企業の子会社になった事で、もしかしたら変わっていくかも知れません。


宗次徳二は創業以来一日も休まず遊んだ事も無く、友人は一人も居らず、仕事に人付き合いは要らないが信念だという。

美味しいカレーをつくり、客が満足するために、社長がチャラチャラ遊んだり友達を増やす必要は無い。

引退した宗次徳二は、株式の売却利益を慈善事業などを行う資金に当てるそうです。

宗次徳二が去ったココイチはマックのように、合理性を求めるようになるのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/47404759.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/333.html#c10

[リバイバル3] パンケーキはダメ!実はカステラが美容スイーツだった 中川隆
1. 中川隆[-14160] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:23:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-843]
共立てで作る基本のスポンジケーキ レシピ・作り方
https://www.kurashiru.com/recipes/8974221b-509a-4e99-982f-c0616646696d

「共立てで作る基本のスポンジケーキ」の作り方を簡単で分かりやすいレシピ動画で紹介しています。

基本のスポンジケーキの作り方です。

今回は卵黄と卵白、それぞれを泡立てる方法ではなく、全卵で泡立てて作るスポンジケーキです。コツ、ポイントが分かってしまえばご自宅でもふわふわのスポンジケーキを焼く事が出来ますよ。

調理時間:40分
費用目安:200円前後


材料(1台分(直径15cm丸型))

無塩バター 10g

卵 (Mサイズ) 2個

グラニュー糖 60g

お湯 (湯せん用、50℃)適量

薄力粉 60g

バニラエッセンス少々


料理を安全に楽しむための注意事項

作り方

準備.
型にシートを敷き込んでおきます。 オーブンを180℃に予熱します。

1.無塩バターは湯せんで溶かします。

2.ボウルに卵とグラニュー糖を入れて、グラニュー糖が溶けるまで湯せんにかけながらハンドミキサーで泡立てます。

3.生地を上から垂らした際に10秒程度文字が消えずに残るまでしっかりと泡立てます。

4.薄力粉をふるい入れ、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせます。

5.1とバニラエッセンスを加えて、さらに混ぜ合わせます。

6.型に流し入れて上から2、3回軽く落として空気を抜き、180℃のオーブンで25分焼きます。

7.竹串を刺してついてこなければ焼きあがりです。熱いうちに型から外して冷まします。


料理のコツ・ポイント

・手順2で湯煎にかけながら泡立てますが、湯煎しすぎてしまうと膨らみにくくなってしまいますので、グラニュー糖が溶けたら湯煎から外してください。

・生地はしっかりと泡立てて下さい。目安は生地を上から垂らした際に10秒程度残っている状態です。

・薄力粉を振るい入れたら、必ずゴムベラに持ち替え、さっくりと切る様に手早く混ぜて下さい。混ぜすぎてしまうと生地の泡が消え膨らまなくなってしまいます。

・ご使用のオーブンによっては火力に誤差が生じる事がありますので、焼き時間は目安にし、様子をみながら焼いて下さい。
https://www.kurashiru.com/recipes/8974221b-509a-4e99-982f-c0616646696d
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1029.html#c1

[リバイバル3] パンケーキはダメ!実はカステラが美容スイーツだった 中川隆
2. 中川隆[-14159] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:26:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-842]

【スイーツレシピ】スポンジケーキの作り方 How to make a sponge cake





バースデーケーキや、クリスマスケーキなどのデコレーションケーキの土台となるスポンジケーキの作り方

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1029.html#c2
[番外地7] メモ帳 _ 国会で桜問題しか取り上げない日本の野党はまともだった 中川隆
1. 中川隆[-14158] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:55:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-841]
国会で桜問題しか取り上げない日本の野党はまともだ
国会で法案の中身が議論される事は少なく、政府のスキャンダルの追及に野党は明け暮れています。これをして「くだらない野党」とか「無力な野党」と揶揄する人がネトウヨに限らず大勢居ます。しかし、これが少数派の野党に精一杯の抵抗だという事を知っている国民は少ない。 「多数決が正義」の国会で野党は「時間闘争」しか対抗手段を持たない 

「民主主義」は単純に言ってしまえば「多数決」が全てです。国会で多数派の与党は、審議などせずとも強硬採決によって、どんな法律も成立させる事が出来ます。


しかし、それでは「数による独裁」となってしまうので、形だけでも国家で与野党が充分に法案について話し合って採決するというポーズを取ります。法案の内容を審議した所で、最後は「数の力」で法案は成立してしまいます。国民も「充分内容を審議した」と納得してしまいます。

そこで、少数派の野党は「時間切廃案」という「時間闘争」で抵抗するしか手が有りません。


本来、時間稼ぎは法案の内容の審議であるべきですが、国民はこんな細かい事に興味はありません。国民を見方に付けない限り「審議は充分尽くされた」として採決に持ち込まれてしまいます。だから野党は「国民が興味を示し易いスキャンダル」で審議時間を使い尽くし、「強硬採決を許さない空気を醸成」して、法案をまとめて「時間切れ廃案」に持ち込む「時間闘争」を常套手段にしています。


■ 国会は既に法案の中身を審議する場では無くなっている ■


そもそも日本の国会は法案の中身を審議する場では無くなっています。その理由は「議員が勉強不足」だから。


日本の法律は「議員立法」が少ない事は皆さんもご存じだと思います。法律の多くは「閣法」です。「閣法」は、内閣が閣議決定して国会に提出される法案の事です。


1) 官僚が法案の雛形を作る
2) 自民党内の政務調査会の部会で法案の内容が審議される(利権の調整)
3) 自民党の「総務会」で法案の内容が検討される(さらなる利権の調整)
4) 国会への法案提出が閣議決定される

5) 国会内の委員会で法案が審議される(野党との調整)
6) 法案が本会議に提出され、審議後に採決される


自民党は「政治主導」の名の元に小泉政権時代から国会議員の国会での自由な裁量を制限して来ました。議員は国会で自民党が提出した議案に反対すると、次の選挙で党の公認が得られなくなるのです。だから、現在の国会議員は「数合わせ」に過ぎないのです。

当然、国会議員の質も低下します。かつては政策に精通した議員も多く居ましたが、現在では「選挙で勝てる議員」が「良い議員」です。世襲議員で後援会の基盤がしかかりしていたり、或いは話題性があって当選が見込める人が党の推薦を受け易くなります。

かくして国会で法案の中身を審議出来る議員が居ない、いえ必用無くなったのです・・・。

イギリス議会にしても、アメリカ連邦議会にしても、民主主義は形骸化しており、民主主義の理想とは大きくかけ離れた物になっていますが、日本の国会の形骸化はその最たるものかも知れません。「民主主義」が本当に機能する為には「理知的で公平な国民」が必須ですが、実際には国民は「利己的な集団」に過ぎません。結果的に民主主義を国民の手に委ねると国家は滅亡します。だって、税金払う人、居なくなりますから・・・。

「民主主義」は近代政治が生み出した「妥協案」ですが、様々な手段を使って「民主主義を制約」する事で機能して来ました。日本の国会システムも、長い年月をかけて作られた「妥協案」の一つです。

国民から見ると「理解不能」な国会システムですが、これも先人の知恵(と欲望)の結晶と思えば、評価する点もあるのかも知れません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/439.html#c1

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
2. 中川隆[-14157] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:31:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-840]

Furtwängler Beethoven No 4 most lively! Berlin Philharmonic Alte Philharmonie 1943









Wilhelm Furtwängler, conductor
The Berlin Philharmonic Orchestra

Recorded June 30, 1943
at Philharmonie, Berlin

Furtwangler conducted Beethoven's symphony No. 4 in four concerts, 27th - 30th June 1943 in the Alte Philharmonie Berlin, as part of a pure Beethoven program, together with Coriolan overture and the 5th Symphony. MOVEMENTS: I 0:11 II 11:23 III 23:23 IV 29:03 - INTRODUCTION & TIPS:


▲△▽▼

Furtwangler Beethoven 4th symphony 1943-no audience


Berlin Philharmonic Orchestra
Furtwangler Wilhelm
聴衆なしの録音

__________


1943年
●6月27-30日(1944年1月録音?) 27-30 June 1943 BPO Philharmony (without audience)DRA 5500557

Beethoven:Sym.No.4 ベートーベン/交響曲第4 (o-83/97)

LP/PR: VOX PL7210(51/12) D09083-4('61?) DG LPM18817(62/09) DG(JP)MG1444('70) Columbia(JP)DXM132VX('72)
CD: POCG 2349('91) OpusKuraOPK7002(03/11) VeneziaV1021(03/12) DeltaDCCA0002(04/10) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)


BPO フィルハーモニー RRG放送録音 No4=旧DDR No5=ヘッセン放送 SFB所蔵(No5=1987,No4=1991=only 2nd Mov.)DRA B003286954
●6月27-30日 27-30 June 1943 BPO Philharmony (with audience)DRA B003321740

Beethoven:Sym.No.4 ベートーベン/交響曲第4 (o-84)

LP/PR: MEL33D09083-4('73) DG(Kr)427 773-1('89)
CD: DG427777-2('89) DG(JP)F20G29090('89) MEL10 00719('93) TOCE3731(00/08) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)
LP/PR(1-2Mov.Live): Melodia D09083-4(65?) Columbia(JP)DXM103UC(70/10) SWF7103(72/03)
CD(1-2Mov.Live): ToshibaCE28-5747('89)TOCE8519('94)VeneziaV1022(04/04=only 1-2Mov.)

>>>> SWF said No.4 had two sorts of different live performances.

▼第4の演奏には実況盤、放送録音盤および両者を組み合わせたハイブリッド盤が存在する。

米Vox系、DG旧盤及びメロディア最初期盤=青色大聖火ガスト56は完全放送録音。
浅岡氏所有LPによると、白または桃色大聖火ガスト61では完全放送録音盤と1,2楽章のみ実況盤が混在している。
ピンクレーベル(ガスト61)メロディア盤とそれをコピーした旧西側のレコードは1,2楽章のみ実況盤。
1989年に出たDG427777-2は全楽章実況録音でメロディアの日本直輸入黒盤LP/CDも同じ完全実況盤。
但し70年頃までDG旧盤とその音源提供元の旧東独エテルナ盤は44年の放送録音(放送されたのが44年3月)で上記2盤とは別録音とされていた。

Vox盤はバイエルン放送から正式に入手したものという説もあるが、音質はDGに劣る。
実況盤は1分45秒付近に大きな物音があるが、他はミスもなく、終楽章の迫力は凄い! 
なお、完全実況盤は韓国ポリグラムLPやDG盤CDが初出盤とされていたが、現在では73年頃発売された黄レーベルのメロディア盤が初出とされている。

つまり、メロディア盤は発売時期によって放送録音(59年頃)、ハイブリッド(66年頃)、実況録音(73年頃)の3種が存在する。

完全放送録音のDG系LP/CDは3楽章20小節までの反復で後の方が2度使われている。
Vox、メロディアは正常。
ドイツに残されたコピーテープ(DG=東独放送局/Vox=西独のいずれかの放送局所蔵)と思われる聴衆なし放送録音はガザガサボコボコノイズが多く鑑賞に支障がある。

初期のメロディア盤はオリジナルテープからと思われ、明快な音質。
SWFLPやオーパス蔵盤が最初期全楽章放送録音のメロディア板おこしとされる。
特に蔵盤は、最も明瞭度を高めた今後の標準盤という声も高い。
Venezia盤はさらに明瞭だが針音も盛大。

仏フ協会報2002-1では、SWF8801に収録された第4の第1,2楽章は、現在流布しているロシアから返還されたものとは別の実況盤という。
SWF011-3では3種の異なる演奏という名目で頒布されたが、全楽章通し演奏と思われるSWF011の演奏は全て53年VPO盤(SWF892)と同じ演奏。
SWF012の1,2楽章は現在メロディア盤などで流通しているLiveと同じもの。
清水氏によれば、SWF8801も今までと同じ演奏という。

再登場したSWF011Rも従来と同じ演奏で、結局43年 No4 Liveは現時点で1種類しか確認されていない。
DRAではDRA 1590084として24分11秒の2,3,4楽章の別テープが存在するが、別演奏かどうかは不明。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c2
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
3. 中川隆[-14156] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:34:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-839]
Beethoven / Symphony No.4 / Wilhelm Furtwängler


Vienna Philharmonic Orchestra
cond. by Wilhelm Furtwängler

Recorded 25, 30, January 1950

HMV DB-9524-8
12inch 78rpm x 10side


1950年
25/30 Jan. 1950 VPO Musikverein (EMI studio Version=SP)
Beethonen: Sym. No.4

●1月25、30日 ベートーヴェン/交響曲第4 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音
Matrix:2VH7207-1A/08-1A/09-1A/04-1A/05-1A/06-1A/10-1A/11-1A/12-1A/13-1A

SP/PR: DB21099-103('50?)
LP: ToshibaEAC47009-14('75)WF70045('76)
CD: ToshibaTOCE6180('91)



▽日本ではSPは出なかった。

75年東芝から「世紀の9大指揮者によるベートーヴェン交響曲全集(EAC47009-14)」で日本初出LPが出た。

SP片面ごとに収録したオリジナルテープを LP用に編集したと思われるテープが使われていると思われたが、若干周期ノイズと思われる部分もあり、即断できない。

全集盤からの分売WF70045 はつなぎ目の粗さはあるが、比較的聞きよい音質だが、同じような条件の7番よりも東芝TOCE37xx同士の比較では音質が悪い。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c3
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
4. 中川隆[-14155] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:39:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-838]
Beethoven - Symphony n°4 - Vienna / Furtwängler 1952





Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Studio recording, Vienna, 1-3.XII.1952


1952年
1/2 Dec. 1952 VPO Musikverein (EMI studio Version)
Beethoven: Sym. No.4

●12月1、2日 ベートーヴェン/交響曲第4 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音

LP/PR: ALP1059(53/06)
CD: EMI(GB)763192('89)ToshibaTOCE8438(94/08)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c4
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
5. 中川隆[-14154] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:43:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-837]
1953年
4 Sep. 1953 VPO MunichDutchMusium(Bavarian Radio)
Beethoven Sym. No.4

●9月4日 ベートーヴェン/エグモント序曲・交響曲第4・英雄 VPO ミュンヘン・ドイツ博物館 バイエルン放送所蔵


LP/PR(No4): RVCJapanRCL3333(84/12)
CD: SWF892('89)KingJapanKICC2354('94)


▼51年ロマンティックや52年ブラ2などミュンヘンで行われたすべての録音にいえることだが、マイクがオケから遠く、聴衆ノイズは鮮明だが楽器の音質が悪すぎる。これはホールの影響なのだろうか。

ベト4 の SWF011-3 に含まれる43年録音とされる演奏は、この53年盤と同じ演奏。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c5

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
6. 中川隆[-14153] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:48:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-836]

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン 『交響曲第4番』


ベルリン・フィル----1943年6月27-30日、放送用録音
DG。POCG 2349。
カップリングはピアノ協奏曲第4番(ハンゼン)。
11:16, 12:08, 5:42, 7:01

このほうが、下のライヴよりも音質・演奏ともに自然である。
西ドイツに残されたマグネットフォン録音から比較的早い時期にDGがリリースしていたものである。

______


ベルリン・フィル----1943年6月27-30日、Live
DG。F20G 29090。
カップリングは、ヘンデルの合奏協奏曲op.6-10。
11:09, 11:59, 5:30, 6:51

マグネットフォン録音がソ連から変換された時にCD化されたものである。
残響が不自然なのと、ややテンポが急速すぎて踏み外しすぎたところがあるように思う。

 ほとんど同じ時期に

「POCG 2349----全楽章聴衆無し」
「F20G 29090----全楽章ライヴ」

と完全に2通りの録音がなされていたわけである。
(同様の例が、戦後のブルックナー第8番でもある。)

 POCG 2349の桧山浩介氏の解説によると、昔のメロディア盤LPや、EMIユニコーンから発売されていたものは「聴衆無し放送用録音の第1・2楽章と、ライヴの第3・4楽章をつなぎあわせたもの」だったという。

しかし、同じメロディア盤でも93年のCD(MEL10 00719)は全曲ライヴである。


______


ウィーン・フィル----1950年1月23,24日
EMI。
同時期の第7番と同じ録音方式(つまりSP1面分ずつ細切れのテープ録音)である。

私は初め、これをHS-2088リマスターの国内盤で入手した(2000年6月発売)のだが、このCDは第1楽章4分45秒あたりで、編集にキズがあり「おかしな演奏」に聞こえる。

しかし、2004年夏、TAHRAから発売されたフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル録音集4枚組FURT 1084/7に収録されたものは、素晴らしい復刻である。

これに収録された第7番はLP用テープではなくSPレコードから復刻したものなので、この曲もおそらくそうしていると予想される。

所用時間は、10:53, 12:20, 5:58, 7:28。

この演奏は気合いがみなぎっている。音の出し方ひとつひとつに神経を使っている。


______


ウィーン・フィル----1952年12月1,2日
EMI。全集中の録音である。
10:32, 11:44, 5:57, 7:29。

録音は良いのだが、演奏の燃焼度は低い。
カルロス・クライバー盤が出るまでは、この曲をやや柔和なイメージ(ベートーヴェンの偶数番号)でとらえる演奏が多かったので、これもアリなのだろうが..。

しかしフルトヴェングラー自身は戦時中にあれだけエキサイティングな演奏をしていたことを考えると、この録音は「運命」の54年スタジオ録音と並んで“レコーディングで急に冷静になってしまったフルトヴェングラー”の代表例となろう。

3・4楽章の所用時間は50年録音とほとんど変わらないのだが、どこか流しているような印象がある。


______


ウィーン・フィル
TAHRAから出た没後50周年3枚組FURT 1090/3。
1953年9月4日、ミュンヘンでのライヴ録音。

2度目のスタジオ録音よりもあとのため、終楽章も落ち着いたテンポではあるが、テンションは高い。

同日のエグモント序曲も収録されている。

http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven4.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c6

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
7. 中川隆[-14152] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-835]
クレンペラー


Beethoven - Symphony No 4 in B-flat major, Op 60 - Klemperer


Cologne Radio Symphony Orchestra
Otto Klemperer

Cologne, 1954

▲△▽▼

Otto Klemperer Beethoven Symphony No.4 , Concertgebouworkest, 1956









09.05.1956, Concertgebouw.

▲△▽▼

Beethoven - Symphony n°4 - Philharmonia / Klemperer





Philharmonia Orchestra
Otto Klemperer
Recorded at Kingsway Hall, London, on 21-22 October 1957

▲△▽▼

Beethoven Symphony no. 4 The Philharmonia Orchestra Klemperer 1960



▲△▽▼

Beethoven: Symphony No. 4 ( BRSO & Otto Klemperer )


Symphonie-orchester des Bayerischen-Rundfunks
Otto Klemperer

Herkulessaal, München, 30. V. 1969

▲△▽▼


BEETHOVEN Symphony No.4 in B flat major Op.60 OTTO KLEMPERER


Otto Klemperer (conductor)
New Philharmonia Orchestra
Royal Festival Hall
London 1970.


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c7
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
8. 中川隆[-14151] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:17:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-834]



ブルーノ・ワルター

Beethoven: Symphony No. 4, Walter & ColumbiaSO (1958)


Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 8, 10 February 1958

▲△▽▼

Beethoven - Symphony n°4 - NYP / Walter





New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 24.III.1952

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c8
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
9. 中川隆[-14150] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:42:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-833]
カルロス・クライバー

ベートーヴェン 交響曲第4番 カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団 1982


Conductor: Carlos Kleiber
Orchestra: Bayerisches Staatsorchester

カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
ORFEO。1982年5月3日、バイエルン国立歌劇場でのカール・ベーム追悼コンサートのライヴ録音。

私が学生生活を始めた84年にLPで発売され、ものすごいセンセーションをまきおこした超名演である。

このレコードがでる以前は、いわゆる「ベートーヴェンの偶数番号=優しいイメージ」という言われ方がなされていた。実際は、フルトヴェングラーなどの戦時中の録音を引き合いに出すまでもなく、カラヤンなども終楽章で結構なスピードで演奏していたのだが、それにもかかわらず「偶数番号はワルターやベーム」ということで、何となくのどかな演奏こそがふさわしいとされていたのであった。

ほぼ同じ頃にブリュッヘンが18世紀オーケストラとの録音を出すようになったため、吉田秀和氏がそれらを並べて「男性的なベートーヴェンが復活してきた」といったような評論を書かれていたと記憶している。

2011年、シングルレイヤーSACDでもリリースされた。
2005年初頭、同日演奏の第7番もORFEOからCD化された。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven4.htm



▲△▽▼




CARLOS KLEIBER ~ BEETHOVEN SYMPHONY # 4 in B flat - CONCERTGEBOUW ORCHESTRA 1983





the Concertgebouw Symphony Orchestra in Amsterdam.


PHILIPS。1983年ライヴLD。第7番とカップリング。

CDよりも躍動感にとむ超名演!とにかくクライバーの指揮は「見たい」。

これもまた私が学生時代に、学生生協でレーザーディスクプレーヤーのデモで毎日のように見ていたものである。

彼の死後、DVD化されたので購入(写真)。
5.1チャンネル・サラウンドにも切り替えられる。また、LDではA面に第7・B面に第4が収録されていたが、DVDではコンサートの曲順通り第4・第7の順で収録されている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven4.htm



▲△▽▼


Beethoven: Symphony No.4 / C.Kleiber Bayerische Staatsorchester (1986 Movie Live)


Carlos Kleiber
Bayerische Staatsorchester

1986.5.19 Tokyo. Japan Live




カルロス・クライバーも死後急速に忘れ去られましたね。

フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターより 2ランクか 3ランクは落ちる評価になってしまいました。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c9
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
1. 中川隆[-14149] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:52:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-832]
クナッパーツブッシュ


Beethoven: Symphony No. 2, Knappertsbusch & BremenPO (1952)

Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Bremen Philharmonic State Orchestra (Bremer Philharmonisches Staatsorchester)


Rec. 12 December 1952, in London (Live Recording)


▲△▽▼

Beethoven "Symphony No 2" Hans Knappertsbusch 1962 Wiener Philharmoniker


Wiener Philharmoniker
Hans Knappertsbusch, Conductor
1962年録音

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
2. 中川隆[-14148] koaQ7Jey 2020年1月31日 15:12:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-831]



フルトヴェングラー

Beethoven: Symphony no. 2 (Furtwangler)



_____










Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 3 October 1948, at Royal Albert Hall, in London (Live Recording)



1948年
3 Oct. 1948 VPO Royal Albert Hall London (BBC = EMI)
Beethoven: Sym. No.2

●10月3日 ベートーヴェン/交響曲第2 VPO ロンドン・ロイヤルアルバートホール BBC収録

EMIMatrix:2XEA6732
LP/PR: Electrola1C14953542-9('79)ToshibaEMI EAC47240-6(79/11)
CD: EMI7636062('89) M&ACD942('95) ToshibaTOCE3720(00/08) [アルバートホール]

>>This concert was recorded by BBC on tape.
This tape copied Disks after this.
These CD & LP were made by copied Disks. This sound is dull.


▼没後25年を経てやっとそろった EMI「ベートーヴェン交響曲全集」最後の1枚。
このロンドンでの演奏会ではベートーヴェン交響曲の全曲が演奏され、BBC が全曲のテープ録音をしたとされる。

ただそれらの録音ではこの曲と同じ日に演奏された「英雄」しか残っていないといわれている。

テープ録音は後にディスクに移されテープはすべて消去されたとされる。
ディスクから復刻した CD はやはり音質が劣悪で、常時鑑賞するには苦痛が生じる。
同じ EMI がライセンスを持つ実況盤でも 11/13のストックホルムでの第8の方が聴きやすい。このロンドン公演の他の録音が残っていたとしてもこの程度の録音では資料的価値しかないと思われる。

現在まで巨匠唯一の 2番だが、8番よりは巨匠には合っているように思われ、録音の貧弱さが悔やまれる。

京都在住のK氏によると Iron needle の CD が現在最もダイナミックレンジをとった復刻盤で、それをもとにノイズキャンセルしたCDを個人的に聞いていらっしゃるという。shin-pも聞いたが、楽器そのものの音質がかなり変化しているが、大変聞き易く巨匠のこの曲の解釈は充分伝わる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c2
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
3. 中川隆[-14147] koaQ7Jey 2020年1月31日 15:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-830]

カール・シューリヒト


Beethoven - Symphony n°2 - Vienna / Schuricht 1952




Wiener Philharmoniker
Carl Schuricht
Studio recording, Vienna, 27-30.V.1952

▲△▽▼

Beethoven: Symphony No. 2, Schuricht & PCO (1958)





Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
Paris Conservatoire Orchestra (Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)

Rec. 26-27 September 1958, at Salle Wagram, in Paris


▲△▽▼

Beethoven : Symphony No.2 in D major Orchestre de la Suisse Romande 1946




Carl Schuricht
Orchestre de la Suisse Romande
(Rec.1946) Public Domain

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c3
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
4. 中川隆[-14146] koaQ7Jey 2020年1月31日 15:44:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-829]

コンヴィチュニー

Beethoven: Symphony No. 2 Konwitschny & LGO (1959)



Franz Konwitschny (1901-1962), Conductor
Leipzig Gewandhaus Orchestra

Rec. June 1959


ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調op.36 名盤

フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1960年頃録音/edel classics盤) これも全集盤に収められていますが、昔、学生時代に廉価LP盤で聴いて非常に好きだった演奏です。

1楽章序奏部の和音から厚いドイツの響きがとても美しく魅了されてしまいます。更に主部に入ると、ゲヴァントハウス管の合奏の上手さと切れ味に驚嘆させられます。それは単に機能的に優れているだけではなく、ドイツの伝統そのものから成り立つ凄さを感じるからです。

2楽章は速めで甘さは控えめですが、和音はやはり美しいです。続く3楽章も良いですが、終楽章は分厚い合奏に凄みすら感じます。

それにしても、この凄さは実際に耳で聴いてみないと分からないと思います。


以上の中から、特に好きな演奏を上げるとすれば、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス盤がダントツです。これは学生時代から全く変わりません。

他には、ウイーン・フィルが美しいベーム盤、SKドレスデンが素晴らしいブロムシュテット盤、そして指揮者の芸格が抜きんでたワルター盤も外せません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/op36-9d11.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c4
[番外地7] 台湾人は外省人だけでなく内省人も殆どが戦前に中国から台湾に移民した漢民族 中川隆
1. 中川隆[-14145] koaQ7Jey 2020年1月31日 17:46:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-828]
朝川遥華
>言葉も出身地も違う福ロウ(人偏に老)人を"漢人"にカウントする手法

そもそも黄河文明人はコーカソイドの麦作牧畜民で、周りのモンゴロイドを征服して女性にして混血児を産ませてできたのが現在の漢民族です。

現在の華北と華南の中国人が全く違うのは ハーフの子供を産ませた女性が別民族だからなのですね。

華南には長江系稲作漁労民が住んでいたのですが、黄河文明人が征服して、現地女性に生ませたのが現在の華南の民族です。

元々長江で稲作をやっていた民族はタイ、雲南、台湾、chousen、日本に逃げたのですね。

日本の弥生人と台湾先住民はそうやって逃げた長江系稲作漁労民です。

日本のアイヌ人は北海道縄文人の直系の子孫だとDNA解析で証明されています。

台湾先住民は長江系稲作漁労民だとDNA解析で証明されています。

台湾本省人は現在の華南の民族だとDNA解析で証明されています。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/447.html#c1

[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』 中川隆
1. 中川隆[-14144] koaQ7Jey 2020年1月31日 18:04:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-827]

ブルーノ・ワルター

Kathleen Ferrier & Bruno Walter; "Romance"; Rosamunde; D 797/3b; Franz Schubert


Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Piano
1949

_____

Kathleen Ferrier & Bruno Walter "Du bist di Ruh"; Franz Schubert


Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Piano
1949

__________

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter


Franz Schubert (1797-1828) - Lieder
Romance from ‘’Rosamunde’’, D797 no.3b (00:00)
Du bist die Ruh, D776 (03:51)
Die junge Nonne, D828 (08:34)
Der Tod und das Mädchen, D531 (13:01)
Suleika I, D720 (15:39)
Du liebst mich nicht ! D756 (20:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival


▲△▽▼

Bruno Walter - Schubert : Rosamunde - Ballet Music No.1


London Symphony Orch.
78rpm / Columbia, W-281(2EA-6770)

▲△▽▼

Bruno Walter - Schubert : Rosamunde - Ballet Music No.2


London Symphony Orch.
78rpm / Columbia, W-281(2EA-6771)

▲△▽▼

Rosamunde: Intermezzo No. 3


Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html#c1
[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』 中川隆
1. 中川隆[-14143] koaQ7Jey 2020年1月31日 18:07:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-826]

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter




Johannes Brahms (1833-1897)


Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)

Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)

Botschaft, op.47 n°1 (55:12)

Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)



Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter

Live recording in 1949, Edinburgh Festival

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』 中川隆
1. 中川隆[-14142] koaQ7Jey 2020年1月31日 18:31:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-825]

ブルーノ・ワルター

Leonore Overture No. 2, Op. 72a New York Philharmonic 1946


Conductor: Bruno Walter
Orchestra: New York Philharmonic Symphony Orchestra
REC : 1946

▲△▽▼

Beethoven Coriolano Leonora II Bruno Walter




2. 序曲『コリオラン』 op.62
3. 『レオノーレ』序曲第2番 op.72a

 コロンビア交響楽団
 ブルーノ・ワルター(指揮)

 録音時期:1959年4月(2)、1960年7月(3)
 録音方式:ステレオ(セッション)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/853.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
118. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2020年1月31日 19:40:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-824]
イサーク・アルベニス 『アストゥリアス 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/875.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c118
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
119. 中川隆[-14140] koaQ7Jey 2020年1月31日 20:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-823]
イサーク・アルベニス 『マラゲーニャ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/876.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c119
[番外地7] アイヌの民族浄化政策 中川隆
4. 2020年1月31日 20:25:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-822]
明治以前は北海道にはアイヌ人しか住んでいなかったから、日本人が侵略したに決まってるよ。もう日本人を追い出すしかないだろ。
先住民が住んでいる所を勝手に侵略して開拓していい訳ないだろ。そもそもアイヌは縄文人の直系の子孫だと証明されている。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/432.html#c4
[番外地7] アイヌの民族浄化政策 中川隆
5. 中川隆[-14139] koaQ7Jey 2020年1月31日 20:37:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-821]
明治以前は北海道にはアイヌ人しか住んでいなかったから、日本人が侵略したに決まってるよ。もう勝手に侵略して図々しく居座っている日本人を追い出すしかないだろ。
先住民が住んでいる所を勝手に侵略して開拓していい訳ないんだ。そもそもアイヌは縄文人の直系の子孫だと証明されている。アイヌ語が縄文語だというのも定説だ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/432.html#c5
[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
10. 中川隆[-14138] koaQ7Jey 2020年1月31日 21:10:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-820]
ニュービーはあるエピソードを紹介している。

時は、ジョン・F・ケネディー大統領まだ生きていた頃。彼はアイゼンハワー政権から引き継いだCIAの極秘作戦(covert operation)、通称「マングース作戦(Operation Mangoose)」を1961年に承認し、キューバのフィデル・カストロを失脚させてやろうと考えた。

何しろ、当時のアメリカは「ピッグス湾上陸作戦(Bay of Pigs Invasion)」で失敗した後だから、どうしても次の手を打つ必要があった。とりわけ、面子を潰されたCIAは躍起だった。軍を出し抜いてカストロを排除しようと思ったら、殊のほかCIAの作戦が杜撰で、上陸作戦のメンバーは窮地に・・・。

焦ったCIAは大統領に爆撃機の支援を仰ぐが、ケネディーはこれを却下。最終的に、CIAに協力した地下組織のキューバ人はカストロ側に捕まってしまう。


(左 : ジョン・F・ケネディー / フィデル・カストロ / チャールズ・カベル / 右 : アール・カベル )

当時、CIAの副長官を務めていたのは、合衆国空軍のチャールズ・カベル将軍(General Charles Cabell)だ。1962年1月、ケネディー大統領は作戦の失敗を咎めてカベル将軍を解任。だから、この空軍大将が激怒したのも不思議じゃない。殺したくなるほどケネディーを憎んだんじゃないか。

そして、CIAに恥をかかせたケネディー大統領は、翌年の1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスで暗殺された。(これは「エルム街の悪夢」じゃなく「エルム通りの惨劇」だ。)

時のダラス市長は、カベル将軍の弟であるアール・カベル(Earle Cabell)。何とも“出来すぎた”シチュエーションだよねぇ〜。(ちなみに、この暗殺事件には副大統領のジョンソンやハワード・ハントが深く関わっていた。そして、「マングース作戦」を指揮したのは合衆国空軍のエドワード・ランズデール少将だ。この軍人は実に興味深いが、ここでは立ち入らないことにする。)

  戦争には幾つかの形態があって、ミサイルや白兵戦を用いる直接攻撃もあれば、政治宣伝を使って内部混乱を狙う間接攻撃もある。この他に、敵国の経済をメチャクチャにして民衆の暴動を煽り、反体制派に政府転覆を肩代わりさせるという手口もある。

ケネディー政権の了承を取り付けたCIAは、キューバ経済を徹底的に破壊して、カストロ政権を打倒しようと考えた。その一環として目を附けたのは、キューバ経済を支えるサトウキビであった。ニュービーが接触した元CIA局員の話によれば、彼がまだ新人職員であった頃、上司から二つの箱を渡され、この中身をキューバの上空からサトウキビ畑に播いてやれ、と言われたそうだ。

こうして最初の任務を命ぜられた新米は、セスナに乗ってキューバ上空に向かい、目標の地点で箱の蓋を開けると驚いた。そこには感染したダニが一杯詰まっていたのだ。

でも、命令は絶対だ。彼は飛行機の扉を開けると、急いで箱を逆さまにしてダニを振り落とした。身震いするほどの恐怖だったが、即座に扉を閉めて、さっさと帰還したそうだ。

(なるほど酷い作戦だけど、アメリカの諜報機関は敵国人を「人間」とは思わない。もし、キューバ人が同じ事をしたら、何年経ってもアメリカ人はキューバ人を赦さないだろう。)

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797866.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c10

[リバイバル3] チェ・ゲバラ  世界を変えようとした男 中川隆
5. 中川隆[-14137] koaQ7Jey 2020年1月31日 21:11:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-819]
ニュービーはあるエピソードを紹介している。

時は、ジョン・F・ケネディー大統領まだ生きていた頃。彼はアイゼンハワー政権から引き継いだCIAの極秘作戦(covert operation)、通称「マングース作戦(Operation Mangoose)」を1961年に承認し、キューバのフィデル・カストロを失脚させてやろうと考えた。

何しろ、当時のアメリカは「ピッグス湾上陸作戦(Bay of Pigs Invasion)」で失敗した後だから、どうしても次の手を打つ必要があった。とりわけ、面子を潰されたCIAは躍起だった。軍を出し抜いてカストロを排除しようと思ったら、殊のほかCIAの作戦が杜撰で、上陸作戦のメンバーは窮地に・・・。

焦ったCIAは大統領に爆撃機の支援を仰ぐが、ケネディーはこれを却下。最終的に、CIAに協力した地下組織のキューバ人はカストロ側に捕まってしまう。


(左 : ジョン・F・ケネディー / フィデル・カストロ / チャールズ・カベル / 右 : アール・カベル )

当時、CIAの副長官を務めていたのは、合衆国空軍のチャールズ・カベル将軍(General Charles Cabell)だ。1962年1月、ケネディー大統領は作戦の失敗を咎めてカベル将軍を解任。だから、この空軍大将が激怒したのも不思議じゃない。殺したくなるほどケネディーを憎んだんじゃないか。

そして、CIAに恥をかかせたケネディー大統領は、翌年の1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスで暗殺された。(これは「エルム街の悪夢」じゃなく「エルム通りの惨劇」だ。)

時のダラス市長は、カベル将軍の弟であるアール・カベル(Earle Cabell)。何とも“出来すぎた”シチュエーションだよねぇ〜。(ちなみに、この暗殺事件には副大統領のジョンソンやハワード・ハントが深く関わっていた。そして、「マングース作戦」を指揮したのは合衆国空軍のエドワード・ランズデール少将だ。この軍人は実に興味深いが、ここでは立ち入らないことにする。)

  戦争には幾つかの形態があって、ミサイルや白兵戦を用いる直接攻撃もあれば、政治宣伝を使って内部混乱を狙う間接攻撃もある。この他に、敵国の経済をメチャクチャにして民衆の暴動を煽り、反体制派に政府転覆を肩代わりさせるという手口もある。

ケネディー政権の了承を取り付けたCIAは、キューバ経済を徹底的に破壊して、カストロ政権を打倒しようと考えた。その一環として目を附けたのは、キューバ経済を支えるサトウキビであった。ニュービーが接触した元CIA局員の話によれば、彼がまだ新人職員であった頃、上司から二つの箱を渡され、この中身をキューバの上空からサトウキビ畑に播いてやれ、と言われたそうだ。

こうして最初の任務を命ぜられた新米は、セスナに乗ってキューバ上空に向かい、目標の地点で箱の蓋を開けると驚いた。そこには感染したダニが一杯詰まっていたのだ。

でも、命令は絶対だ。彼は飛行機の扉を開けると、急いで箱を逆さまにしてダニを振り落とした。身震いするほどの恐怖だったが、即座に扉を閉めて、さっさと帰還したそうだ。

(なるほど酷い作戦だけど、アメリカの諜報機関は敵国人を「人間」とは思わない。もし、キューバ人が同じ事をしたら、何年経ってもアメリカ人はキューバ人を赦さないだろう。)

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797866.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/715.html#c5

[昼休み52] "新喜び組"は23歳以下の美女たち! 中川隆
142. 中川隆[-14136] koaQ7Jey 2020年1月31日 21:20:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-818]
2020.01.31
死んだはずだった金正恩の叔母が姿を現した


 ​金正恩の叔母に当たる金慶喜がコンサート会場に姿を現し​、話題になっている。金慶喜は2013年12月に処刑された張成沢の妻で、CNNやデイリー・テレグラフのような西側メディアは2014年に毒殺されたと伝えていた。そのほか、自殺説、脳卒中や心臓発作で倒れたとする話などさまざまな噂が飛び交っていたのだが、公の席に登場したことから死亡説は否定された。

 朝鮮に関する情報が乏しいということは事実だが、それを利用して西側の有力メディアは西側支配層にとって都合の良い怪しげな話を流し放題である。

 特に好まれるストーリーは権力者の周辺が粛清されるという話で、例えば、金正恩と親しい関係にあったという歌い手の玄松月。2013年にポルノ映像を売り、処刑されたと伝えられたが、翌年に嘘が明らかになった。2017年からは党中央委員会の委員だ。2016年には朝鮮人民軍総参謀長を経験した李永吉が処刑されたと伝えられたが、すぐに誤報だと判明している。

 アメリカと朝鮮の首脳は2019年2月27日から28日にかけてベトナムのハノイで会談したが、決裂した。その際に朝鮮側で実務交渉を担当した国務委員会対米特別代表の金革哲(金赫哲)が処刑され、対米交渉を総括していた金英哲労働党統一戦線部長は「革命化措置」(強制労働および思想教育)を受けたと韓国で報じられたが、金英哲は健在、金革哲も処刑されていないようだ。

 トランプ大統領は金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、朝鮮側は違う説明をしている。制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところアメリカ側は拒否し、核プログラムの完全的な廃棄を要求、さらに生物化学兵器も含めるように求めたというのだ。

 ドナルド・トランプ大統領との交渉が決裂したことに金正恩労働党委員長はショックを受け、その責任を問われたとしているのだが、当時の状況から考えて、そうしたことはありそうにない。アメリカ支配層が交渉できる相手だと考えるほど朝鮮の首脳は愚かでないだろう。

 2017年から金正恩の目は中国とロシアに向けられ、アメリカとの交渉は環境作りにすぎない。朝鮮側はアメリカ側が自分たちを屈服させ、支配したいのだということを理解していたはずである。決裂は織り込み済みだっただろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001310000/
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/906.html#c142

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
120. 中川隆[-14135] koaQ7Jey 2020年1月31日 23:23:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-817]
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c120
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
121. 中川隆[-14134] koaQ7Jey 2020年2月01日 01:39:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-816]
ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c121
[番外地7] 中川隆投稿集 新稿 中川隆
3. 中川隆[-14133] koaQ7Jey 2020年2月01日 02:42:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-815]
ヨハン・シュトラウス 2世 オペレッタ 『こうもり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/879.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/335.html#c3
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
258. 中川隆[-14132] koaQ7Jey 2020年2月01日 09:43:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-814]
平野憲一の株のお話 2020.02.01 株には動・反動がある。翻弄されず「突っ込み買い」。
http://kasset.blog.fc2.com/


 週末31日のNY株。
 ダウは603.41ドル安の2万8256.03ドル、ナスダックも147.99ポイント安の9150.94ポイントと大幅安。ダウは昨年8月23日以来、約5カ月ぶりの下げ幅でした。

 国務省は中国本土への渡航警戒レベルを最高の「渡航中止・退避勧告」に引き上げ、アメリカン航空グループなど航空会社が相次ぎ中国便の運航を一時休止すると発表した為、疾病対策センターの「米国人へのリスクは低い」との見方で新型肺炎には冷静だった米国にも一気に不安感が広がりました。

 10年債利回りが財務省証券(TB)3カ月物金利を下回る「逆イールド」となった為、景気後退懸念でファンド筋の売りが出ました。

 日本株。

 木曜日の日経平均400円安も意外でしたが、昨日の一時400円高も意外でした。市場は短期ファンド筋の動きに翻弄されています。

NY株の大幅安も、短期順張り(AIで、一定幅動いた方に仕掛ける)ファンド筋の激しい運用の結果と思われます。

この動きになったら、材料を真面目に考えていると弱気でも強気でも間違えます。

 「株には動・反動がある。行き過ぎるのも相場」。今年の予想レンジは2万2000円〜2万8000円、レアケースで2万円以下・3万円以上と言う予想にもならない予想レンジをだした某大手証券もあります。

AIに翻弄されず「突っ込み買い」です

ただ、「鯨3文でも金なきゃ買えぬ」。買う資金が無ければ買えません。余裕の資金管理が条件です。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c258

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
122. 中川隆[-14131] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:06:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-813]
フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c122
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
1. 中川隆[-14130] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:13:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-812]

リスト自作自演

Liszt Plays "La Campanella" digitally remastered (EXCLUSIVE RECORDING)



Recently discovered recording of Pianist-Composer Franz Liszt Playing "La Campanella" From His Album "six Grandes études de Paganini".
The Key Is G Sharp Minor. S. 141.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c1
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
2. 中川隆[-14129] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-811]
パデレフスキー



Paderewski plays Liszt "La Campanella" (1927)





French 78 rpm record.
His Master's Voice (recorded 18 August 1927)
Ignace Jan Paderewski, piano
La Campanella (Paganini-Liszt)
DB-1167


____


Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor "La campanella" (2) · Ignacy Jan Paderewski


Paderewski: The American Recordings – The Complete Victor Recordings (1914-1931)

▲△▽▼

Paderewski, piano Paganini - Liszt: La Campanella (Rec. 1912 - Original Version)


Ignace Jan Paderewski, piano
Recorded in July 3, 1912 at Gramophone E. Head Office, Hayes, Middlesex
(Original Version)

_____


Paderewski, piano Paganini - Liszt: La Campanella (Rec. 1912 - Remastering Version)


Ignace Jan Paderewski, piano
Recorded in July 3, 1912 at Gramophone E. Head Office, Hayes, Middlesex
(Remastering Version)

_____


Jan Paderewski; LA CAMPANELLA


Ignace Jan Paderewski
Victrola 6389-B
1911

______

Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor "La campanella" (1) · Ignacy Jan Paderewski


Paderewski: His Earliest Recordings & The Complete European Recordings (Recorded 1911-1912)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c2
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
3. 中川隆[-14128] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:39:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-810]
ブゾーニ

BUSONI PLAYS Liszt LA-CAMPANELLA


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c3
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
4. 中川隆[-14127] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:43:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-809]
ゴドフスキー


Liszt La Campanella Godowsky Rec 1913


This performance of Liszt's La Campanella was recorded in April of 1913 during Godowky's first recording session.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c4
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
5. 中川隆[-14126] koaQ7Jey 2020年2月01日 11:21:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-808]
バックハウス


Wilhelm Backhaus - La Campanella (1908)





Hupfeld Animatic roll No. 50748 (recorded before 1912/3, ca. 1907)
Paganini-Etude Nr. 3 (La Campanella) (Franz Liszt)
Wilhelm Backhaus, piano

Wilhelm Backhaus plays Liszt's famous piece "La Campanella" for G&T in 1908. This was one of his first recording he made, and he was 24 years old.



▲△▽▼

Franz Liszt: LA CAMPANELLA, gespielt von Wilhelm Backhaus



Gespielt von Wilhelm Backhaus (1884 - 1969)
Notenrolle "Animatic T" der Firma HUIPFELD,
Leipzig (um 1920),
Klavier der Marke HERMANN GRAF,
Augustusburg (um 1925)

____

Franz Liszt (1813 - 1901) LA CAMPANELLA
Gespielt von Wilhelm Backhaus (1884 - 1969)


Notenrolle "Hupfeld Animatic T"
("Tri-Phonola") Nr. 50748,
Klavier "Feurich Tri-Phonola" (um 1920)
Wilhelm Backhaus (* 26. März 1884 in Leipzig; † 5. Juli 1969 in Villach, Österreich) war ein deutscher Pianist.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c5
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
6. 中川隆[-14125] koaQ7Jey 2020年2月01日 11:39:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-807]


Liszt La Campanella Rubinstein - YouTube 動画
nico22059
Arthur rubinstein´s interpretation of Liszt´s etude "La Campanella"
https://www.youtube.com/results?search_query=Liszt+La+Campanella+Rubinstein


2010年02月18日
◆ルービンシュタインの「ラ・カンパネラ」は清水和音という、何とも確認しようがない噂。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20100218

昨年、【音楽】ラ・カンパネラ大特集。7人による演奏。最後が、フジ子・ヘミングさんです。(ココログ)を書いた。

2009年07月13日
【音楽】ラ・カンパネラ大特集。7人による演奏。最後が、フジ子・ヘミングさんです。
◆このブログで常に最もアクセスが多いのは「大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです」なのです。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20090713

7人の中にYouTubeで拾った、アルトゥール・ルービンシュタインの演奏を加えたが、

動画はなくて音声だけである。このYouTube音声がニコニコ動画で取りあげられて、

コメントに「これを弾いているのは、実は清水和音だ」という噂があるらしい。

当該記事のコメントに、「本当のところはどうなのか?」という趣旨の質問(?)を頂いた。

分かりませんねえ。国内版で今は製造中止になっているようだが、「ルービンシュタイン大全集」という

CD94枚からなる、やたらと高いセットがあるが、この中には「ラ・カンパネラ」は無い。


しかし、アメリカのAmazonを"Rubinstein"で検索した結果を見ると、膨大な録音をルービンシュタインが残したことが分かる。

この中に「ラ・カンパネラ」が含まれていることを確認するのは余りにも手間なので省略する。


いずれにせよ、ルービンシュタインのテクニックと音楽性は「20世紀を代表する」という形容がそのまま当てはまる。


◆ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」とファリャ-“恋は魔術師”より「火祭りの踊り」

それは次の二つの演奏を見て、聴けば明らかである。

1曲目は、
2009年12月28日(月) 「ラフマニノフ 鐘」で検索して来られる方が多いですね(笑)。ラフマニノフの他の曲を聴いてみます?
(ココログ)

でご紹介した、ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」である。これは、ラ・カンパネラよりも更に難しいが、

ルービンシュタインは、サラッと弾いている。画質・音質ともに悪いが、ご覧頂きたい。2つのファイルに分かれる。


Paganini Rhapsody (Rachmaninoff) - Arthur Rubinstein - (1/2)



Paganini Rhapsody (Rachmaninoff) - Arthur Rubinstein - (2/2)



このピアニストが「ラ・カンパネラ」を弾けない、ということは、あり得ない。

それはこの1曲で十分過ぎるほどわかるが、もう1曲。3分半ほどの曲だが、

ルービンシュタインの十八番のひとつ。

ファリャという作曲家の作品。“恋は魔術師”より「火祭りの踊り」である。

これは、視覚的に非常に印象的で再生開始後50秒辺りと、2分26秒辺り。ルービンシュタインが右手と左手を

大きくあげて、交互にピアノの鍵盤を「叩く」かのように弾くところがある。

この映像が日本で初めて紹介されたとき、ピアノが上手い素人は、皆こっそり、ルービンシュタインの真似をした。

ヒッヒッヒ。思い出すと恥ずかしいでしょう? ご覧下さい。あいにく、埋め込み不可なのでリンクを貼らせて頂く。


Artur Rubinstein in De Falla's "Ritual Fire Dance"



サマになってますね。ヘタクソが演ると、ハッタリに見えて、客の方が恥ずかしくなるが、ルービンシュタインは、

実に「洗練されたキザさ」であるため、イヤミがないし、何しろ上手いから文句は言えない。

◆ルービンシュタインのお薦めCD

ご覧頂いた演奏は見事なのだが、余りにも音質が悪い。

ショパンの名曲を集めた、ザ・ベスト・オブ・ショパン が良いでしょう。

私、昔から好きなんです。ショパンの演奏は、ずっと同じテンポで弾いたら芝居の「棒読み」のようになってしまい、

聴き手に何の感興も催さないので、テンポ・ルバートといって、微妙にテンポを速めたり、遅くしたり、絶えずテンポが揺れるのですが、

やり過ぎても、くどくて耳障りになる。ピアニストのセンス、才能がモロに出る曲ばかりです。

ルービンシュタインはそれが絶妙でして、ルバートをかけながらも、比較的あっさり。

くどくもなく、淡泊過ぎることもない。私は非常に好きです。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20100218


▲△▽▼


2012.07.18
RubinsteinのLa Campanellaと称するものの確認 (2)

You TubeのArthur Rubinstein plays "La Campanella"

nico22059
Arthur rubinstein´s interpretation of Liszt´s etude "La Campanella"
http://www.youtube.com/watch?v=hQULyGMhhWs



は、清水和音氏の演奏であるという書き込みを見たので、
パソコンの音の出力とCD(SRCR‐9159を使ったが、
32DC544でも同じ)の出力とを、ペン・レコーダによる、
音の大小とタイミングのパターンとして見た。
 添付画像の上二つは、You TubeのRubinsteinの
La Campanellaと称するもの。
 下二つは、清水 和音氏の演奏(SRCR‐9159を使ったが、
32DC544でも同じ)。
 左側は、何れもL-ch、右側はR-ch。
 画像の縦軸は、何れも一目盛り1dBである。
 パソコンとCDプレーヤの増幅器は同じではないので、厳密
には一致する事は無いが、これだけタイミングと、音の大小
の具合とが一致すれば、同一音源だと断定せざるを得ない。
 演奏時間は、チャートの長さで、共に80.1mm、紙送り速
度が0.3mm/sなので、共に267秒である。
 やはり、これは、清水和音氏の録音であって、Rubinstein
のカンパネラではない。
 投稿者のnico22059氏は、何故、清水氏のを、
Rubinsteinのとしたのであろうか。
(両者の音量は、完全には一致させ難いので相対値で見て欲しい)
https://plaza.rakuten.co.jp/kmsirjp/diary/201207180000/



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c6
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
7. 中川隆[-14124] koaQ7Jey 2020年2月01日 11:49:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-806]

Il maestro Salvatore Accardo suona La Campanella col cannone di Paganini



_______


Salvatore Accardo plays La Campanella by Paganini



Salvatore Accardo, London Philharmonic Orchestra, Charles Dutoit


アッカルド / パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲 第2番

パガニーニのスペシャリストとして知られるアッカルドによるヴァイオリン協奏曲集。明るいイタリア風の旋律とヴァイオリンの特異な技巧を特徴とする第2番を収録しています。


パガニーニ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 op.6
・ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調 op.7『ラ・カンパネッラ』

 サルヴァトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 シャルル・デュトワ(指揮)
 録音:1975年1月、ロンドン(ステレオ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c7
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
8. 中川隆[-14123] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:07:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-805]
ゲザ・アンダ


Liszt: La Campanella - arr. Busoni · Géza Anda


Géza Anda: Troubadour Of The Piano
℗ 1942 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


▲△▽▼


Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor, La Campanella. Allegretto (After Violin Concerto No. 2, Op. 7, by Niccolò Paganini) · Géza Anda



Récital Liszt (Mono Version)


▲△▽▼


Emil Gilels & Geza Anda play Liszt Paganini Etude No. 3 in G sharp minor "La Campanella"



Paganini-Liszt (arr. Busoni): "La Campanella", two performances in comparison:

1. Emil Gilels (live)
2. Geza Anda (4:24)


▲△▽▼


Concours Géza Anda 2012 | Recital Moutouzkine Alexandre 07.06.2012



Moutouzkine Alexandre Russia/USa (1980)

R. Schumann
Fantasie C-Dur op. 17
Phantastisch und leidenschaftlich vorgetragen
Mässig. Durchaus energisch
Langsam getragen

F. Liszt
6. Paganini-Etüden
Nr. 1 Andante - Non troppo lento
Nr. 2 Andante - Andantino capriccioso
Nr. 3 La Campanella - Allegretto
Nr. 4 Vivo
Nr. 5 Allegretto
Nr. 6 Quasi presto

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c8
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
9. 中川隆[-14122] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:09:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-804]

フジ子・ヘミング〜ラ・カンパネラ _ 「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c9
[リバイバル3] 「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか? 中川隆
38. 中川隆[-14121] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:11:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-803]
フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html#c38
[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
47. 中川隆[-14120] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:46:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-802]
2020年02月01日
借金は踏み倒せ 投資、賭け、遊びでも自己破産免責はできる


免責される、されないは裁判官の裁量で決まり、法律通りではない。

引用:https://d3sb4p2b6628ak.cloudfront.net/moneytalk/2960/2960_1.jpg


投資の失敗や遊び、賭け事で自己破産はできないという常識を鵜呑みにして、人生を投げてしまう人が多い。

ところがこれは間違った常識で、浪費でも無茶な投資でも、多くの場合は大幅な債務の減額が認められるのです。


投資や遊びでも免責はできる

株価などの乱高下で損をする人は多く、そうした借金を抱えた人も居ると思います。

常識では投資の損失は本人に責任があるので、免責は降りないとされています。

競馬やパチンコなどの賭け事にハマッてしまい、貯金を使い果たしたうえに借金を作った人もいると思います。


遊びやブランド物、趣味で入れ込みすぎて、多額の借金をしてしまった人もいると思います。

これらも浪費による債務に該当するので、原則として免責されないとされています。

だがこれらの「常識」や「原則」に関わらず、実際には多くの人が自己破産による免責を認められているのです。


「遊びや投資で免責が降りない」という素人のウンチクを真に受けてしまい、悲観してあの世に行ってしまう人が居ます。

こうした早まった絶望をした人たちは、実は裁判所に申し立てれば借金が消えた筈だった場合が多かったのでした。

多重債務者という、サラ金などから借りれるだけ借金をして返せなくなった人たちが居ます。


彼らの大半は生活苦ばかりではなく、収入に不相応な贅沢をしたり、「免責不許可事由」に該当する行為をした事がある。

それでも多くの多重債務者は自己破産の免責を認められているし、一部免責を認められた人はもっと多く居ます。

絶対に免責が降りないのは、最初からお金を搾取する目的でお金を借りた場合などです。

どんな理由でも借金の減額はできる

破産法252条1項の免責不許可事由の中に、「浪費又はとばくその他の射幸行為をしたことによって著しく財産を減少させ,又は過大な債務を負担したこと」という記載があります。

これが遊び、投資、浪費、賭け事で免責が降りないという法的根拠ですが、一方で「裁量免責」の余地が裁判所に与えられています。

「法律にはそう書いてあるけど、裁判官の判断で決めて良いよ」というのが「裁量免責」で、このため免責が降りているのです。


例えば遊びや投資のお金は、直接相手から借りるより、ローン会社などから借りる場合が多いと思います。

そうするとローン会社からの債務は免責や一部免責が認められる場合がかなり多いです。

一部免責といっても50%から90%も免責されるので、返済がかなり楽になります。


本来は免責されないのだが、その借金の為に生活が破綻していて、支払う能力が無いと認められると免責されます。

本人の反省度合いとか努力とか、将来の返済計画などを裁判官が評価して、更生できると判断すると認められます。

例えば年収300万円なのに1000万円の借金があると、800万を免責して200万円を支払いなさいなどの判断が下される。


もし免責が降りなくても、必ず全額払わねばならないかというと、まだ最後の手段があります。

「個人再生」や「任意整理」「特別調停」がそれで、自己破産と違って借金の原因が浪費でも可能です。

これらは借金がチャラになる訳ではないが、やはり現実的に支払い不能と認められれば、大幅に減額されます。


個別のケースによって、一概にどれが良いとは言えないので、その手の経験が豊富な弁護士や司法書士に依頼する事になります。

その際ドラマの「悪徳弁護士」のようなのに引っ掛かると、弁護士から法外な料金を請求される場合があります。

借金はしないのが一番ですが、どんな理由でいくら借金があっても、大抵は大幅に減額する方法があるものです。
http://www.thutmosev.com/archives/55521203.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c47

[リバイバル3] 投資損失でも自己破産はできる 常識は嘘だらけ 中川隆
1. 中川隆[-14119] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:46:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-801]
2020年02月01日
借金は踏み倒せ 投資、賭け、遊びでも自己破産免責はできる

免責される、されないは裁判官の裁量で決まり、法律通りではない。

引用:https://d3sb4p2b6628ak.cloudfront.net/moneytalk/2960/2960_1.jpg


投資の失敗や遊び、賭け事で自己破産はできないという常識を鵜呑みにして、人生を投げてしまう人が多い。

ところがこれは間違った常識で、浪費でも無茶な投資でも、多くの場合は大幅な債務の減額が認められるのです。


投資や遊びでも免責はできる

株価などの乱高下で損をする人は多く、そうした借金を抱えた人も居ると思います。

常識では投資の損失は本人に責任があるので、免責は降りないとされています。

競馬やパチンコなどの賭け事にハマッてしまい、貯金を使い果たしたうえに借金を作った人もいると思います。

遊びやブランド物、趣味で入れ込みすぎて、多額の借金をしてしまった人もいると思います。

これらも浪費による債務に該当するので、原則として免責されないとされています。

だがこれらの「常識」や「原則」に関わらず、実際には多くの人が自己破産による免責を認められているのです。


「遊びや投資で免責が降りない」という素人のウンチクを真に受けてしまい、悲観してあの世に行ってしまう人が居ます。

こうした早まった絶望をした人たちは、実は裁判所に申し立てれば借金が消えた筈だった場合が多かったのでした。

多重債務者という、サラ金などから借りれるだけ借金をして返せなくなった人たちが居ます。


彼らの大半は生活苦ばかりではなく、収入に不相応な贅沢をしたり、「免責不許可事由」に該当する行為をした事がある。

それでも多くの多重債務者は自己破産の免責を認められているし、一部免責を認められた人はもっと多く居ます。

絶対に免責が降りないのは、最初からお金を搾取する目的でお金を借りた場合などです。


どんな理由でも借金の減額はできる

破産法252条1項の免責不許可事由の中に、「浪費又はとばくその他の射幸行為をしたことによって著しく財産を減少させ,又は過大な債務を負担したこと」という記載があります。

これが遊び、投資、浪費、賭け事で免責が降りないという法的根拠ですが、一方で「裁量免責」の余地が裁判所に与えられています。

「法律にはそう書いてあるけど、裁判官の判断で決めて良いよ」というのが「裁量免責」で、このため免責が降りているのです。


例えば遊びや投資のお金は、直接相手から借りるより、ローン会社などから借りる場合が多いと思います。

そうするとローン会社からの債務は免責や一部免責が認められる場合がかなり多いです。

一部免責といっても50%から90%も免責されるので、返済がかなり楽になります。


本来は免責されないのだが、その借金の為に生活が破綻していて、支払う能力が無いと認められると免責されます。

本人の反省度合いとか努力とか、将来の返済計画などを裁判官が評価して、更生できると判断すると認められます。

例えば年収300万円なのに1000万円の借金があると、800万を免責して200万円を支払いなさいなどの判断が下される。


もし免責が降りなくても、必ず全額払わねばならないかというと、まだ最後の手段があります。

「個人再生」や「任意整理」「特別調停」がそれで、自己破産と違って借金の原因が浪費でも可能です。

これらは借金がチャラになる訳ではないが、やはり現実的に支払い不能と認められれば、大幅に減額されます。


個別のケースによって、一概にどれが良いとは言えないので、その手の経験が豊富な弁護士や司法書士に依頼する事になります。

その際ドラマの「悪徳弁護士」のようなのに引っ掛かると、弁護士から法外な料金を請求される場合があります。

借金はしないのが一番ですが、どんな理由でいくら借金があっても、大抵は大幅に減額する方法があるものです。
http://www.thutmosev.com/archives/55521203.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1017.html#c1

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
90. 中川隆[-14118] koaQ7Jey 2020年2月01日 14:57:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-800]

991名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:41:46.20ID:XNN/kaNn

ワルターの愛人(?)フェリアーの歌

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter
https://www.youtube.com/watch?v=LFKRTQJyTKg&feature=emb_title

Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)
Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)
Botschaft, op.47 n°1 (55:12)
Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival

992名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:45:33.91ID:XNN/kaNn

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』

Mischa Maisky - Song of the Cello
https://www.youtube.com/watch?v=9oZX2hjn7PU&feature=emb_title

Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=bdvR-Vr71cQ&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=Wt91UV3bxlc&feature=emb_title

993名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:49:01.44ID:XNN/kaNn

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI&feature=emb_title

Brahms: Four Serious Songs, Flagstad & McArthur (1956)
Vier ernste Gesänge, Op. 121 (Four Serious Songs)
Kirsten Malfrid Flagstad (1895-1962), Soprano
Edwin McArthur (1907-1987), Piano
Rec. 22-23, 26-27 November 1956, in London
https://www.youtube.com/watch?v=oNnuPNNQ-Pc&feature=emb_title

Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore
Hans Hotter Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0&feature=emb_title

994名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:53:07.23ID:XNN/kaNn

モーツァルト : ガキの音楽

ブラームス: 大人の音楽
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c90

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
49. 中川隆[-14117] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:07:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-799]
2020.02.01
アフガンで米軍機が墜落、ソレイマーニー暗殺の責任者が搭乗していたとの情報

 アメリカ空軍のBACN(戦域通信中継機)、E-11Aが1月27日にアフガニスタン東部で墜落し、搭乗していた全員が死亡したという。タリバーンは撃墜したと発表した。アメリカ側も墜落は認めたが、撃墜されたことを示す証拠はないとしている。

 ロシアの情報機関からの情報として伝えられているところによると、墜落したE-11Aにはマイケル・ダンドレアというCIAのオフィサーが乗っていたという。この人物はイラン工作の責任者で、ドローンを使い、テロリストを疑わせる動きをしている人びとを殺す工作でも中心的な役割を演じてきた。CIAはベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムやラテン・アメリカにおける死の部隊と同じことを繰り返しているのだ。

 イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官が1月3日にバグダッド国際空港で暗殺された。

 ソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーで、イラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相によると、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。和平の動きを潰すことがアメリカ側の目的だったということだ。

 この暗殺を指揮していたのもダンドレアだと言われている。つまりイランはソレイマーニーらの暗殺に対する報復としてダンドレアを殺した可能性がある。

 高空を飛行するE-11Aを撃墜する能力はタリバーンにないという見方もあるが、ソレイマーニー暗殺への報復としてイランが関与していたとするなら、話は違ってくる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002010000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c49

[番外地7] ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し 中川隆
2. 中川隆[-14116] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:21:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-798]
2020.02.01
アフガンで米軍機が墜落、ソレイマーニー暗殺の責任者が搭乗していたとの情報

 アメリカ空軍のBACN(戦域通信中継機)、E-11Aが1月27日にアフガニスタン東部で墜落し、搭乗していた全員が死亡したという。タリバーンは撃墜したと発表した。アメリカ側も墜落は認めたが、撃墜されたことを示す証拠はないとしている。
 
ロシアの情報機関からの情報として伝えられているところによると、墜落したE-11Aにはマイケル・ダンドレアというCIAのオフィサーが乗っていたという。この人物はイラン工作の責任者で、ドローンを使い、テロリストを疑わせる動きをしている人びとを殺す工作でも中心的な役割を演じてきた。CIAはベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムやラテン・アメリカにおける死の部隊と同じことを繰り返しているのだ。

 イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官が1月3日にバグダッド国際空港で暗殺された。

 ソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーで、イラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相によると、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。和平の動きを潰すことがアメリカ側の目的だったということだ。

 この暗殺を指揮していたのもダンドレアだと言われている。つまりイランはソレイマーニーらの暗殺に対する報復としてダンドレアを殺した可能性がある。

 高空を飛行するE-11Aを撃墜する能力はタリバーンにないという見方もあるが、ソレイマーニー暗殺への報復としてイランが関与していたとするなら、話は違ってくる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002010000/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/434.html#c2

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』 中川隆
1. 中川隆[-14115] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:33:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-797]
マイスキー

Mischa Maisky · Pavel Gililov

Brahms: Songs without words - Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh op.121 No.1




Brahms: Songs without words - Ich wandte mich und sahe an op. 121 No. 2



Brahms: Songs without words - O Tod, wie bitter bist du op. 121 No. 3




Mischa Maisky · Pavel Gililov
℗ 1997 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin



Mischa Maisky · Pavel Gililov Brahms: Songs without words - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html#c1
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
91. 中川隆[-14114] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:38:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-796]
995名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 15:35:58.50ID:XNN/kaNn

Brahms: Songs without words
Mischa Maisky · Pavel Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c91

[番外地7] メモ帳 _ 国会で桜問題しか取り上げない日本の野党はまともだった 中川隆
2. 中川隆[-14113] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:58:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-795]
桜を見る会再論 - 内田樹の研究室 2020-02-01
http://blog.tatsuru.com/2020/02/01_1152.html


 もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。
 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。
 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。
 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。
 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。
「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、ウチダみたいな『自分は頭がいい』と思っているやつだけなんだよ。そういうのは、落すの簡単なんだ。供述のわずかな矛盾を指摘しただけで、がたがたっと崩れちゃうから。」
 なるほど。
 だから、ヤクザなんかは供述の矛盾をいくら指摘しても、平気で、「オレ、そんなこと言いましたっけ。あ、それ間違いですから、消しといてください。今日話したのがほんとの話です」と済ませてしまうのだそうである。
 彼らは供述の矛盾や変遷は、それだけでは有罪性の根拠とならないことをよく知っている。
 だから、誰も信じないようなでたらめを言い続ける。「そんなことあり得ないだろう!」と怒っても、「世の中、そういうことがあるからびっくりですよね」と平気で言う。
 自分は矛盾とか、因果とか、蓋然性とか、そういうことはぜんぜん気にならない人間なんです。「ふつうに考えて」という想定ができないんです。「論理的に言って」ということがわからないんです。
 そう言い続けると検察官に「敗けない」ということを彼らは知っているのである。
 自分の知性が健全に機能していないということを「切り札」にしている人間を「理詰め」で落とすことはできない。
「桜を見る会」の国会審議でわれわれが見せられているのは、「ヤクザと検察官」の戦いのひとつの変奏である。
 官僚たちも政治家たちも、平然と自分の知性がふつうに機能していないことを認めている。
「桜を見る会」の招待者名簿にしても、ホテルニューオータニの「前夜祭」領収書にしても、それを「はい」と提示すれば、首相の潔白が満天下に明らかになる文書を、なぜか官僚たちも安倍講演会の人たちも、全員があっという間に捨ててしまった。それが「桜を見る会」と「前夜祭」の合法性を何よりも雄弁に証明できる書類である以上、仮に廃棄期限が来ても、官僚でも後援会員でも少しでも論理的に思考できる能力があるなら、「もしものことがあったら困るから、一応とっとこう」と思うはずである。
 そう思った人間がなんと一人もいないのである。
 つまり世にも例外的に頭の悪い人たちだけで内閣府や安倍後援会は組織されていたというきわめて蓋然性の低い主張によって、首相は「不正が証明できない以上、私は潔白だ」という言い続けているのである。
 こういうドタバタがもう3ヶ月も続いている。
 もう終わりにしたいと思う人は自民党内にもいるらしく、先日は参院自民党に示達された「招待者名簿は公開請求の対象であるので取り扱いに注意」という内部書類が共産党議員によって委員会で暴露されてしまった。
 だが、これほど「申し開きのできない証拠」を突きつけられても、首相の「申し開き」は続いている。
 首相は数日前に、招待者について「幅広く募っているという認識」ではあったが、「募集しているという認識ではなかった」という没論理的な答弁をしたが、今回は招待者名簿について「公開の対象とは書いてるけど、公開されるとは書いてない」という小学生のような答弁をしてみせた。
「開示請求があった場合に公開しなければならない」という注意なのだから、要するに「人選には配慮すること。開示請求があったときに『捨てました』というような無様なことがないようにちゃんと管理すること」というお達しである。自民党総裁としては自民党が示達した注意を二つながらまるまる無視して招待者を選定した上に、書類をさくさくとシュレッダーにかけた内閣府の役人については殺してやりたい「気分」になっていいはずだが、そんな気配もない。
 首相は「自分は論理的に思考しないので、『論理的にあり得ない』ことがあっても別にそれが不思議だと思わない。言葉の語義はわかるけれども、それが含意しているコノテーションはわからない」という「おのれの知性が普通の人よりも不調である」という主張によって有罪性を免れようとしている。
 裁判において弁護人が被告の「心神耗弱」で無罪を勝ち取ろうとするのと同じである。
 この「愚者戦略」はこれまでのところ成功している。
 それは社会制度は世界どこでも「ふつうの人はわりと論理的にものを考える」ということを基準に設計されているからである。だから、その基準にはずれる人間については対処するマニュアルがないのである。
 これから後も首相は有罪を免れるために、あらゆる「申し開きのできない証拠」に対して、「論理的に思考できないふり、日本語がわからないふり」をしてみせるだろう。
 この成功体験が広く日本中にゆきわたった場合に、いずれ「論理的な人間」は「論理的でない人間」よりも自由度が少なく、免責事項も少ないから、生き方として「損だ」と思う人たちが出て来るだろう。
 いや、もうそういう人間が過半数に達しているから、「こういうこと」になっているのかも知れない。
http://blog.tatsuru.com/2020/02/01_1152.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/439.html#c2

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』 中川隆
1. 中川隆[-14112] koaQ7Jey 2020年2月01日 16:04:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-794]
マイスキー

Mischa Maisky · Pavel Gililov Brahms: Songs without words - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html#c1

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』 中川隆
2. 中川隆[-14111] koaQ7Jey 2020年2月01日 16:05:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-793]

マイスキー

Mischa Maisky · Pavel Gililov Brahms: Songs without words - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html#c2

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
5. 中川隆[-14110] koaQ7Jey 2020年2月01日 19:06:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-792]
正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった西岡力氏は、

@終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていたこと、
A植民地時代のchousenで人口が増加したことや、
Bchousenからの不法渡航者が強制送還されていたこと

などを根拠に「強制連行」を否定していますが、この主張には問題があります。まず、

@「終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていた」ですが、これは明らかにオカシナ主張です。というのも「zainichi chousen人の全てが徴用工として来たわけないこと」は当然の前提です。そして、西岡氏自らが、終戦時の日本内地chousen人人口うち二割が動員現場(徴用先)にいたことを統計的に指摘しています。

つまり、その二割の人々が今回の徴用工問題の焦点となっているのであり、その他の八割が焦点になっているわけではないのです。このオカシナ主張は、従軍慰安婦問題を論じるときに、「自らの意志で売春婦になった」論にも共通するものです。そして、

A「植民地時代の chousenで人口が増加した」、B「chousen からの不法渡航者が強制送還されていた」

の問題も同様に、徴用された方々の人権とは全く無関係の話です。いくらそうだったからと言って、徴用された人がいるという事実には全く関係のないことです。こういうのを議論のすり替えというのです。日本なchousen半島に投資していたから、日本に侵略意思は無かった論とよく似ています。まとめこのように西岡氏の徴用工問題否定論は、従軍慰安婦問題否定論と非常に論旨がよく似ています。

1徴用工問題の裏に「朝日新聞」の存在を勝手に錯綜。(⇒慰安婦問題は「朝日新聞」の報道によって生まれた)

2「徴用」であるにも関わらず、言葉遊びで「強制連行」性を否定。(⇒慰安婦は売春婦のこと、sei dorei じゃないから「強制連行」性はない。)

3「chousenn chousen人の八割が出稼ぎで日本に来た」「不法渡航者は強制送還した」と言って話をすり替えて、残り二割の徴用工問題を矮小化。(⇒「あいつらは売春婦で金儲けのために慰安婦になった」「ルール違反で呼び寄せられた慰安婦を親元に返した」)

というようにまとめられるでしょう。また別の論文・記事では、徴用工の待遇について「貯金もできた!」「幸せだった!」という論調も他で見られますが、それもまた「慰安婦は高給取りだった!」と同じ理論です。恐るべき理論の一致と見るべきか。徴用工がどれだけ悲惨であったのかは「花岡事件」を調べればよく解りますし、中国人徴用工四万人のうち七千人が亡くなった事実からも明らかでしょう。

(野添憲治『企業の戦争責任』社会評論社, 2009を参照)
https://www.amazon.co.jp/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E9%87%8E%E6%B7%BB-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4784513345  


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c5

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
6. 中川隆[-14109] koaQ7Jey 2020年2月01日 19:09:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-791]
徴用工問題で日本の元外務官僚が「kankoku に100%の理、日本に100%の非」「日韓対立は安倍政権に全責任」と断言
「kankokuには100%の理があり、日本には100%の非がある」「日韓関係悪化の全責任は安倍政権にある」と批判をしている元外務官僚がいる。外務省条約局国際協定課長、アジア局中国課長、イギリス国際戦略研究所研究員などを歴任した浅井基文氏だ。
 浅井氏は「日韓関係を破壊する安倍政権」と銘打った9月10日の緊急講演会(主催は重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京、村山談話を継承し発展させる会)で、いまだにテレビや大新聞がほとんど報じない「国際人権規約」(日本は1979年に批准)の存在を紹介、安倍首相の詐欺的手口をこう暴露した。

「(kankoku を国際法違反状態と見なす)安倍政権の最大の論拠は『過去の個人の請求権、過去の chousen の人たちの日本に対する請求権は1965年の日韓請求権交渉で全て解決済み』というところにある。その主張が正しいのかどうかをまずはっきり踏まえないといけない。


 私も外務省で25年間飯を食ったこともあり、アジア局や条約局勤務が合計で9年間あったので、『過去の請求権問題は1965年の請求権協定で全て解決済』としてきた日本政府の主張は理解している。


 しかし国際人権法が確立することによって崩れたことを申し上げたい。もっと具体的に国際人権規約Bがあります。ここに加盟(署名)したのが1978年なのだが、私は1978年に条約局の国際協定課長という立場で、国際人権規約の国会承認を事務方の先頭に立っていたものだから、非常に愛着もあるが、今回の日韓問題を議論する時に誰もこの国際人権規約のことを言わない。これが私は非常におかしいと思う。国際人権規約は条約であり、憲法上も『条約は国内法に優先する』というふうになっている」


■日韓請求権協定から14年後の国際人権規約批准で「解決済み」の結論は崩れている

    

 その詐欺的手口を見破るカギは、安倍首相が戸黄門の印籠のように突きつける「1965年の日韓請求権協定」締結から14年後の1979年、国際人権規約が国会承認(批准)された歴史的事実に注目することだ。安倍首相は1978年以前なら通用したカビの生えた主張を、国際人権規約批准で崩れ去ったのにもかかわらず、正論であるかのように訴えて続けているということだ。


 まず国際人権B規約の第2条3項には「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」を義務づけるとあると指摘、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者」の「権利」や「自由」こそ、徴用工や従軍慰安婦に該当するとも指摘した。


 たしかに第7条には「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と書いてあり、また第8条には「何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する」(1項)、「何人も、隷属状態に置かれない」(2項)、「何人も、強制労働に服することを要求されない」(3項a)とあり、従軍慰安婦や徴用工に当たることが分かる。浅井氏はこう結論づけた。

「元従軍慰安婦の方々、徴用工の方々は日本国によって『効果的な救済措置』を講じるように要求する権利があることが明確にいえるのです」「まさに国際人権規約をはじめとする国際人権法ができてから、各国は過去の国が行った行為について謝罪し、補償をするということが行われるようになった。そういうことを考えると、やはり日本も従軍慰安婦や徴用工の皆さんに対して謝罪し、補償しなければいけないということが当然のこととして言えるのです」

 しかも外務省は、1991年8月27日の参議院予算委員会で「個人の請求権自体は消滅することはない」と答弁していた。その内容は、国が放棄したのは「国家の外交保護権」であり、「国と国との間でやりとりをする権利については放棄した」ということであって、「個人の請求権自体はそういう協定によっても消滅することはない」と結論づけるものだった。浅井氏は当時を「私が外務省にいた頃は(個人請求権が消滅しないことは)外務省の中で議論されてもいないことだった」と振り返った上で、今回の元徴用工裁判における kankoku大法院(最高裁判所)判決を次のように全面的に支持した。

「それ(kankoku 大法院判決)は1991年の外務省の国会答弁から言っても、非常に正しいこと、抗弁できないことであって、認めなければいけないとことなのです」


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c6

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
7. 中川隆[-14108] koaQ7Jey 2020年2月01日 19:11:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-790]
正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった?
西岡力氏は、
@終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていたこと、
A植民地時代のchousenで人口が増加したことや、
Bchousenからの不法渡航者が強制送還されていたこと

などを根拠に「強制連行」を否定していますが、この主張には問題があります。まず、

@「終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていた」ですが、これは明らかにオカシナ主張です。というのも「zainichi chousen人の全てが徴用工として来たわけないこと」は当然の前提です。そして、西岡氏自らが、終戦時の日本内地chousen人人口うち二割が動員現場(徴用先)にいたことを統計的に指摘しています。

つまり、その二割の人々が今回の徴用工問題の焦点となっているのであり、その他の八割が焦点になっているわけではないのです。このオカシナ主張は、従軍慰安婦問題を論じるときに、「自らの意志で売春婦になった」論にも共通するものです。そして、

A「植民地時代の chousenで人口が増加した」、B「chousen からの不法渡航者が強制送還されていた」

の問題も同様に、徴用された方々の人権とは全く無関係の話です。いくらそうだったからと言って、徴用された人がいるという事実には全く関係のないことです。こういうのを議論のすり替えというのです。日本なchousen半島に投資していたから、日本に侵略意思は無かった論とよく似ています。まとめこのように西岡氏の徴用工問題否定論は、従軍慰安婦問題否定論と非常に論旨がよく似ています。

1徴用工問題の裏に「朝日新聞」の存在を勝手に錯綜。(⇒慰安婦問題は「朝日新聞」の報道によって生まれた)

2「徴用」であるにも関わらず、言葉遊びで「強制連行」性を否定。(⇒慰安婦は売春婦のこと、sei dorei じゃないから「強制連行」性はない。)

3「chousenn chousen人の八割が出稼ぎで日本に来た」「不法渡航者は強制送還した」と言って話をすり替えて、残り二割の徴用工問題を矮小化。(⇒「あいつらは売春婦で金儲けのために慰安婦になった」「ルール違反で呼び寄せられた慰安婦を親元に返した」)

というようにまとめられるでしょう。また別の論文・記事では、徴用工の待遇について「貯金もできた!」「幸せだった!」という論調も他で見られますが、それもまた「慰安婦は高給取りだった!」と同じ理論です。恐るべき理論の一致と見るべきか。徴用工がどれだけ悲惨であったのかは「花岡事件」を調べればよく解りますし、中国人徴用工四万人のうち七千人が亡くなった事実からも明らかでしょう。

(野添憲治『企業の戦争責任』社会評論社, 2009を参照)
https://www.amazon.co.jp/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E9%87%8E%E6%B7%BB-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4784513345
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c7

[リバイバル3] 苗場の近くの名湯 2 _ 女性に超絶人気の 川古温泉別館 旅館 峰 中川隆
13. 中川隆[-14107] koaQ7Jey 2020年2月01日 20:05:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-789]
群馬 広河原温泉 旅館峰 2019/06/22
http://1561.blog.fc2.com/blog-entry-719.html


先週に苗場スキー場で開催されたイベント
〔山たけのこ山菜ウィーク2019〕

宿泊した宿に忘れ物をしてしまったのだった(^^;;
行こうと予定した温泉あり🎵忘れ物を取りに苗場へ


シュプールイン苗場に到着💦

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先週と同様に土曜は雨の苗場である
明日も山たけのこ山菜ウィークが開催されるのだ❗

「こんちにわ〜🎵忘れ物を取りに来ました」
宿の食堂で明日に参加する三人が話し合っていた

『コーヒーでも飲んでって💓』と女将さん
都内から参加する三人の内二人は初参戦だそうじゃ❗

「自分との闘いです」とアドバイスを告げ宿を後にする

国道17号線を南下する❗みなかみ方面に向かう

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国道17号線沿いに看板が出ている
苗場からでは看板が裏側になる為に見えない💦

この看板の川古温泉は雪見風呂で宿泊して事もある
今回は広河原温泉に行く計画していたのだった😉


県道270号線を山奥に進むと広河原温泉の看板❗

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看板の咲きの橋を渡ると広河原温泉
広河原温泉は川古温泉の別館となっている


広河原温泉 旅館峰

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どしゃ降りの中を走って到着💦
国道17号線から5.5km山奥に在る一軒温泉宿である

前回訪れた時は宿の下見で温泉に入らなかった
今回が広河原温泉に初入浴となるのじゃ(*>∀<*)

「こんにちは🎵」と玄関を開けると・・・・・。

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左手に入浴料金を入れる箱がある
宿からは人の居る気配を全く感じなかった


広河原温泉のロビー

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シーンと静まり返っている
受付であろう窓にもカーテンで閉ざされている❗


ロビーから奥に進み温泉を発見💡

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やはり人の居る気配は感じなかった
おそらく男女の入れ替えは無い固定式の温泉だろう


シンプルな脱衣所

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雨の寒い時でも扇風機が回っている
脱衣所で常連客の人が風呂から出てきた

この人は川崎から山奥の広河原温泉に度々訪れている
川崎からでは足利より遠いじゃんか(^∀^;)💦

「大抵の人は露天風呂が在る川古に行くんだよね」
川崎の人!私は物好きだから広河原に入りに来るそうです

そんな自分も物好きの1人なんだろう(笑)

脱衣所の棚横に貼り紙がしてあった

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噂に聞いていたが温湯らしく
風呂に入る前から扇風機の風で寒いのだけど(^^;;


脱衣所の洗面器にドライヤーを発見💦

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電気を点けなければ分からなかった


浴室の壁に石骨泉の標示がある

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石骨泉とは聞き慣れない温泉
引用にも効果があるそうなので胃腸にも効くのかも💓

洗い場は小じんまりしている

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シャワーは一基のみととなる


時代を感じる蛇口

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お湯が出るのに少し時間が掛かる
シャワー一基でも蛇口のお湯で洗えるから十分であろう


広河原温泉は内湯のみ

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石骨泉は透き通った温泉なのだ❗
山奥で源泉が流れ出る音だけしか耳に入ってこない


湯船の底には玉石が敷き詰められている

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川古温泉の内湯にも玉石が敷き詰められていた
これは足ツボ効果を狙った玉石なのだろうか(・_・?)

誰かに聞きたくても人が居ませんから(苦笑)


引用が出来る源泉を飲んでみよう🎵

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う〜む💦超薄い〜昆布茶みたい
普通に源泉は飲めました❤中には不味い源泉もあるから(笑)

泉質はカルシウム・ナトリウム・一硫酸塩泉


窓の下に枕木がある

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温い温泉で浸かる為の枕木じゃ
確かに温い温泉ですな💦福島の二階堂旅館と同じかな〜


初めて広河原温泉に浸かる〜🎵

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刻がゆっくりと流れる様に感じる
川崎から訪れている常連さんの気持ちが分かりますな🎵


次回は泊まりで広河原温泉に来たい思いました
インターネットやblogの掲載は止めて下さいと貼り紙あり


今回は非公開の設定で載せる事にした

広河原温泉 旅館峰

群馬県利根郡みなかみ町相俣2217

Tel  0278−66−0155

日帰り入浴料金  ¥1000

日帰り入浴時間  10:00〜16:00

http://1561.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/575.html#c13

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
92. 中川隆[-14106] koaQ7Jey 2020年2月01日 21:17:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-788]
2名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 16:53:40.32ID:XNN/kaNn

これがブラームス 最高の名曲

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』

Mischa Maisky - Song of the Cello
https://www.youtube.com/watch?v=9oZX2hjn7PU&feature=emb_title

Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=bdvR-Vr71cQ&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=Wt91UV3bxlc&feature=emb_title

3名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 20:45:17.21ID:XNN/kaNn

>>2 よりこっちの方が名曲じゃないかと思ったりするんだけど:


中島みゆき 世情
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

時代 -ライヴ2010〜11- (東京国際フォーラムAより)
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo&list=RDRy_bpaKDcAo&index=1


歌曲では差が出ないんだよね

6名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 20:58:20.92ID:XNN/kaNn
これ位の大曲でないと差が出ないよね:

Brahms - Ein deutsches Requiem - Stockholm / Furtwängler(1948)
https://www.youtube.com/watch?v=D_dxlS87yrw&feature=emb_title


Bruno Walter: Brahms Live - Edinburgh Festival 08-09-1953 (Fischer-Dieskau & Seefried)

JOHANNES BRAHMS

• Tragic Overture, op. 81
• Ein Deutsches Requiem, op. 54

Irmgard Seefried, sp
Dietrich Fischer-Dieskau, br
Edinburg Choral Union & the Wiener Philharmoniker: BRUNO WALTER
Live - Edinburgh Festival September 8, 1953

https://www.youtube.com/watch?time_continue=90&v=733HSVuUC0Q&feature=emb_title
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c92

[番外地7] 中川隆投稿集 新稿 中川隆
4. 中川隆[-14105] koaQ7Jey 2020年2月02日 01:00:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-787]
リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/335.html#c4
[番外地7] 昭和天皇は天皇の血筋ではない 中川隆
1. 中川隆[-14104] koaQ7Jey 2020年2月02日 08:47:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-786]
天皇一族に敬意を払う必要が無い理由 昭和天皇は天皇の血筋ではないから

大正天皇は4人の男子を生んだが本当は「種なし」であったために,東久邇宮稔彦のような〔皇族の立場にある女性になぞらえていえば「〈天皇の配偶者:皇后〉を出せる資格がある」とされた皇族の立場にあった〕男性が主に,万世一系の維持のために性的に協力したという話になる。

 明治以降の天皇家の種が断絶していてはまずい。それゆえ,皇室の藩屏たるそれも「皇族のなからその種」を提供し,万世一系の系譜を創作しつづけてきたわけである。
明治天皇自身が何人もの側室(典侍および権典侍といったが,要するに正妻以外の2号以下の妾)をもち,5人の側室に女10人:男5人を産ませた。だが,男子のうち成人したのは大正天皇だけであった。

この大正天皇が〈種なし〉であったために,明治天皇があえて裕仁天皇の種つけをした話もある。

 大正天皇は実際には正妻:貞明〔皇后〕とのあいだで子どもができていなかった。そこで,貞明に子どもを産ませて天皇「後継者:男子」をえようと,東久邇宮稔彦などが代わりにその「人間再生産」の製作作業 [大正天皇も嫌々ながら認めていた自分の配偶者の他者との性交渉] に参与したという筋書なのである。
貞明は,最初に押しつけられた男〔明治天皇(舅!)か?〕を嫌がっていた。それで,裕仁に拒否反応をもっていた(この段落,鬼塚,前掲書,408頁, [ ] 内のみ 422頁)。
 それにしても,裕仁と秩父宮・高松宮・三笠宮の全員が顔つきが違う。
秩父宮の父〔東久邇宮稔彦?〕が貞明の心を射止めていたので,貞明は秩父宮を溺愛した。貞明はそのせいで,裕仁を皇位継承から外し,秩父宮を天皇の座に送りたかった。これを画策したのが山県有朋であった。これはさらにまた,昭和天皇の妃が薩摩藩の血を引く良子に決定されたさい〈色盲〉問題が提起されたひとつの背景である。

昭和天皇の出生の疑惑

大正天皇の第1皇子の昭和天皇の出生に関する疑惑がいろいろ出てきている。
とりあえず、今まで出てきた疑惑を整理してみると。

まず、笠原和夫の本「昭和の劇」。
この中で、昭和天皇の皇女・照宮成子内親王の舅で、香淳皇后の叔父に当たる東久邇稔彦が、

「大正天皇は子種がなく、代わりに貞明皇后に何人かの男を当てて産ませていった。だから、昭和天皇の兄弟は皆、顔が違う」

と語っていたことを河野司から聞いたと笠原は語っている。
笠原がこの説にかなり確信を持っていたとうかがわせる発言がある。

次に、鬼塚英昭の本「昭和のいちばん醜い日」。
この本には、「昭和の劇」の東久邇稔彦の発言が引用しつつ、「木戸幸一日記」の島津治子の調書から昭和天皇の父親は西園寺八郎だとしている。

また別の歴史家の本には、明治天皇が昭和天皇の父親だとする説もある。


原武史は、大正天皇に万が一のことがあった場合、有栖川宮威仁親王が次の皇位継承者であったと語っている。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/438.html#c1

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
93. 中川隆[-14103] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:22:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-785]
9名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:54:29.81ID:OJ3PStc1


Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter

Johannes Brahms (1833-1897)

Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)

Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)

Botschaft, op.47 n°1 (55:12)

Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival


https://www.youtube.com/watch?v=LFKRTQJyTKg&feature=emb_title

10名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:57:46.28ID:OJ3PStc1

Mischa Maisky · Pavel Gililov

Brahms: Songs without words - Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh op.121 No.1
https://www.youtube.com/watch?v=0XldMyyTs-U&feature=emb_title

Brahms: Songs without words - Ich wandte mich und sahe an op. 121 No. 2
https://www.youtube.com/watch?v=Y8zv0sp9Reg&feature=emb_title

Brahms: Songs without words - O Tod, wie bitter bist du op. 121 No. 3
https://www.youtube.com/watch?v=AaBEERFx_4E&feature=emb_title

11名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:59:54.47ID:OJ3PStc1

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=dro8ijKzpuo&feature=emb_title


Dietrich Fischer-Dieskau; "Vier ernste Gesänge"; (1973); Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=9IbycKYgiD8&feature=emb_title


Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore
Hans Hotter Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0&feature=emb_title
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c93

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
565. 中川隆[-14102] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-784]
2020年02月02日
ダム拒否した集落は消滅、受け入れた集落は存続


ダム候補地になる集落は、ダムができなくとも住民が逃げ出して消滅します

画像引用:https://giwiz-tpc.c.yimg.jp/q/iwiz-tpc/images/story/2018/7/26/1532558148_1532558119_1____20180527-DJI_0022-2-x828-y552.jpg

ダム拒否した集落から消滅した

今から10年前くらいまでダム建設反対を唱える「反ダム運動」や大型モール反対を唱える「反大型店」が大ブームでした。

現在は反原発や反米軍基地がブームですが、過去のブームを知れば将来が予測できるかも知れません。

反ダム運動とはダム建設を推進しようとした政府に、故郷の村が消えるとして各地で反対運動が起きました。


ダム建設にはきっかけがあり、1959年伊勢湾台風は死者5千名以上、浸水や流された家屋は数数万戸に達した。

東日本大震災の死者は約1万5,700人だったが、連続台風によって巨大地震並みの被害が出た。

1950年代から60年代は大型台風の被害が多発し、1961年の第2室戸台風でも200名以上の死者を出しました。


台風は地震より局地的な被害は少ないが、日本列島を縦断するので沖縄から東北、北海道まで被害が及んだ。

被害が拡大したのは戦争とGHQ統治で災害防止工事が止まっていたからで、ダムなどの建設工事をする機運が高まった。

こうしたタイミングで登場したのが「土建屋宰相」の田中角栄で、並外れた才能を示し1972年総理大臣になった。


田中は総理になる前と総理を辞任後も強い影響力があったので、60年代後半から87年の中曽根内閣までが実際の田中時代だった。

田中角栄は日本列島改造を唱えて大規模公共事業を行い、その一つがダム建設でした。

上越・東北・九州・北陸新幹線や地方の高速道路は全て田中角栄が指示して建設したもので、田中が居なかったらこれらは無かった。


ダムを受け入れた集落には膨大な投資が行われ、電力や水資源保護、防災、観光などの職場が産まれた

画像引用:https://www.shiibakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/1265589203-640x333.jpg


ダム受け入れた集落は存続

時代は替わり90年代になると「公共事業悪玉論」が台頭し、日本が悪いのはすべて公共事業のせいだという空気になった。

空気に正体はないが、マスコミや学者がみんなそう言うので日本ではあらゆる公共事業が批判され工事停止した。

高速道路も新幹線も原発も港湾も空港も新規建設は行わなくなり、当然の結果として日本経済は衰退した。


日本中のダム建設も中止されたが、最近また地球温暖化で大型台風が増え、やっぱりダムは必要だという空気になっている。

おかしなものであれほど「ダム反対」を唱えていた人たちが、台風で被害が出たら「なぜダムを造らなかったのか」と批判した。

政治家が「空気」つまり雰囲気に流されて政治をしたら、必要なダムや公共事業が行われなくなり、日本経済を破壊してしまいました。


さてダム建設候補地だった自治体は、ダムを建設した村と拒否した村に分かれたのだが、結果はどうなったのでしょうか。

ダムで村が沈むとして建設拒否した村は例外なく限界集落になり、今後すべて消滅集落になります。

ダムの底になるような山奥の谷底に好んで住む人はいないので、ダムが無くても人口は減り村は消滅しました。


一方ダムを受け入れた村では確かに集落はダム底に消えたが、住民は補償金を受け取り平野部に移住したり、周辺のもっとマシな場所に移住しました。

ダム建設の資金が小さな村に数十億円も投入され、バブル景気に湧き様々な施設や道路が建設された。

そうしたダムの多くは秘境となり、釣り人や観光客が訪れる場所になっています。


人口百人程度の集落では、一日数人が宿泊する民宿であっても経済効果が大きく、ダム周辺には小集落が残る。

結局ダムを拒否した村の方が消滅し、ダムを受け入れた村のほうが、細々ながら存続している。

この理由は単純に「お金」で、ダムによってダムや観光などの職場ができ、職場があれば人々は定住します。


一方ダムを拒否した集落には収入源が無く、職場がないので住人はいずれ去っていきます。

郷土愛だけでは故郷は守れなかったという事です。
http://www.thutmosev.com/archives/82090443.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c565

[近代史3] 人類進化史 中川隆
36. 中川隆[-14101] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:52:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-783]
2020年02月02日
現代アフリカ人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_6.html



 現代アフリカ人におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺伝的影響に関する研究(Chen et al., 2020)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類(Homo sapiens)は絶滅した他のホモ属(古代型ホモ属)と交雑してきました(関連記事)。具体的には、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)です。すべての非アフリカ系現代人のゲノムには、約2%のネアンデルタール人由来の領域があり、その中でもオセアニア系には、デニソワ人由来の領域が追加で2〜4%存在します(関連記事)。

 しかし、古代型ホモ属のゲノムの中には現代人に継承されていない大きな領域も確認されており、選択が生じた可能性も指摘されています(関連記事)。一方で、古代型ホモ属由来の配列が有益だった可能性も指摘されています(関連記事)。ただ、古代型ホモ属から現生人類への遺伝子流動における、機能的影響や選択については、まだ研究が始まったばかりである、と本論文は指摘します。また、非アフリカ系現代人のゲノムにおける古代型ホモ属由来の領域の割合について、アジア東部系がヨーロッパ系よりも20%ほど高いことなど(関連記事)、地域差が見られることも指摘されてきました。これに関しては、ヨーロッパ系現代人の祖先集団が、まだ化石の確認されていない仮定的な存在(ゴースト集団)で、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていなかったと推測される「基底部ユーラシア人」と交雑したからだ、との仮説(希釈仮説)や、選択の違いを想定する説や、ボトルネック(瓶首効果)説や、複数回交雑説など、さまざまな仮説が提示されており、まだ確定していません(関連記事)。

 こうした現生人類と古代型ホモ属との間の遺伝子流動について、近年では研究が飛躍的に発展してきました。それは研究手法改善の結果でもあり、古代型ホモ属の参照ゲノムを利用せずとも、現代人のゲノム配列の比較により古代型ホモ属との交雑の痕跡と思われる領域を検出する方法では、以前には検出できなかったデニソワ人と現生人類との複数回の交雑が明らかになりました(関連記事)。本論文は、古代型ホモ属と交雑していない参照現代人ゲノム配列を必要とせず、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統を検出する新たな手法であるIBDmixを用いて、現生人類とネアンデルタール人の交雑を検証します。本論文はIBDmixを、ユーラシア・アメリカ・アフリカの現代人の大規模ゲノムデータセットに適用し、現代アフリカ人におけるネアンデルタール人系統に関する新たな知見を提示し、ユーラシア人におけるネアンデルタール人系統の相対的な水準を再検証するとともに、適応的な遺伝子移入の事例を調査します。

 これまで、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域の識別には、一般的にヨルバ(YRI)などネアンデルタール人と混合していないとされる現代人のゲノムを参照配列として利用し、共有配列を特定したうえで決定します。しかし、参照配列にネアンデルタール人配列が含まれていると、対象となる現代人のネアンデルタール人配列を見落とす場合があります。本論文が用いる新たな手法であるIBDmixの名称は、遺伝的原理である「同祖対立遺伝子(identity by descent)」に由来します。IBDmixでは、現代人の参照配列は利用されません。同祖対立遺伝子(IBD)とは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示します。IBD領域の長さは、2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。

 本論文は、現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人配列に関して、5万年前頃の両者の交雑に起因する配列と、50万年前頃かそれ以前に共通祖先を有していたことに起因する配列とを区別するために、IBDmixを用いました。以前の手法は、ネアンデルタール人と交雑していないとされる現代人のゲノムを参照配列として、現生人類のゲノムにおける、共通祖先に由来しないネアンデルタール人由来の領域を特定しました。しかし本論文は、この方法では、どの集団の個体のゲノムを参照配列として用いるかにより、ネアンデルタール人由来の領域の推定に相違が生じる可能性を指摘します。IBDmixでは、変異頻度やIBD領域の長さのようなネアンデルタール人の配列の特徴を用いて、共通配列が最近の交雑なのか、それとも共通祖先に起因するのか、区別します。

 IBDmixの使用により、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の領域をより正確に検出できるようになりました。ただ、以前の研究では、現代人に遺伝的影響を残しているネアンデルタール人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された女性個体(関連記事)の集団(東方系ネアンデルタール人)とは遺伝的にやや異なる集団(西方系ネアンデルタール人)と推測されています(関連記事)。そのため本論文は、参照古代型ゲノム(本論文では南シベリアのネアンデルタール人)が遺伝子移入をもたらした古代型ゲノム(西方系ネアンデルタール人)と離れた関係にある場合、IBDmixがどのように機能するのか、検証しました。その結果、短い配列でわずかな低下が観察されましたが、全体的なパフォーマンスは一貫していました。本論文は、IBDmixが古代型ホモ属からの遺伝子移入を検出する強力な手法であることを指摘します。

 本論文は、1000ゲノム計画に登録された地理的に多様な現代人集団からの2504人のゲノムにIBDmixを適用し、南シベリアのネアンデルタール人個体の参照ゲノムを利用して、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の配列を特定しました。2504人の現代人のゲノムでは、重複分を除くと、合計でネアンデルタール人由来の12億9千万塩基対が特定されました。上述のように、IBDmixは現代人の参照配列にネアンデルタール人と交雑していないと推定されるアフリカ集団を利用しなかったため、現代アフリカ人集団におけるネアンデルタール人由来の領域を初めて堅牢に特定できました。

 アフリカ人では、ナイジェリアのエサン(ESN)集団の1640万塩基対(16.4 Mb)からケニアのルヒヤ(Luhya)集団の1800万塩基対まで、平均して1700万塩基対のネアンデルタール人配列が特定されました。これは、以前の推定である26000〜500000塩基対よりもはるかに多くなります。また、アフリカ人のゲノムのネアンデルタール人配列のうち94%以上は、非アフリカ人と共有されていました。非アフリカ系現代人のゲノムに見られるネアンデルタール人配列の平均は、ヨーロッパ系が5100万塩基対、アジア東部および南部系がともに5500万塩基対で、以前の推定である20%よりもずっと低く、8%ほどの違いしかありませんでした。なお、アメリカ合衆国やカリブ海のアフリカ系のゲノムに見られるネアンデルタール人配列は、非アフリカ系との交雑を反映してかアフリカ人よりは多いものの、アジア系よりはずっと少なくなっています(2270万〜2750万塩基対)。

 アフリカ人に見られる、以前の推定よりもずっと多いネアンデルタール人配列の起源について本論文は、ネアンデルタール人と交雑した出アフリカ現生人類集団の一部がアフリカに「戻って」きたことに加えて、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類がネアンデルタール人と交雑したことを想定すると最も整合的である、と見出しました。また、アフリカに戻って来た現生人類は、大きく分けると、アジア東部系と分岐した後のヨーロッパ系(ユーラシア西部系と言う方がより正確かもしれませんが)であることも明らかになりました。

 上述のように、本論文が示す現代人のネアンデルタール人配列の割合は、以前にも推定されていたようにヨーロッパ系よりもアジア東部系の方が高いものの、その違いは以前の推定である20%増よりもずっと低い8%増である、と明らかになりました。これは、以前の手法では、ネアンデルタール人と交雑していないという前提の現代アフリカ人のゲノムを参照配列として用いていたことに起因する、と本論文は指摘します。IBDmixでアフリカ人に見られるネアンデルタール人配列を除去して計算すると、ネアンデルタール人配列はヨーロッパ系よりもアジア東部系が18%ほど増加します。これは、ヨーロッパ系(ユーラシア西部系)現生人類がアフリカに「戻って」きたことにより、アフリカ人のみと共有されるネアンデルタール人配列が、アジア東部系よりもヨーロッパ系(ユーラシア西部系)の方でずっと多いためです(前者が2%なのに対して後者が7.2%)。以前の推定ではこの効果が無視されていた、というわけです。

 本論文は、現代人に見られる高頻度のネアンデルタール人由来のハプロタイプについても検証しています。これらは現生人類の適応度を高めたかもしれないため、以前から注目されていました。本論文は固有の高頻度ネアンデルタール人ハプロタイプを、非アフリカ系現代人で38、アフリカ人で13特定し、以前に特定されている高頻度ハプロタイプと比較しました。非アフリカ系現代人の38ハプロタイプのうち19は、以前の研究で報告されていました。また、アフリカ人とヨーロッパ人が共有する高頻度ネアンデルタール人ハプロタイプも特定されました。これはIBDmixの威力を示しています。アフリカ人固有となる13の高頻度ネアンデルタール人ハプロタイプには、免疫機能に関連する遺伝子(IL22RA1およびIFNLR1など)や紫外線感受性関連遺伝子(DDB1およびIL22RA1など)があります。これらのうちいくつかは、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動でもたらされたかもしれませんが、アフリカ人とヨーロッパ人で共有される高頻度のネアンデルタール人ハプロタイプのうちの一つ(3番染色体に位置します)のみが、現生人類から南シベリアのネアンデルタール人への遺伝子移入(関連記事)の結果として特定された遺伝子座と重なっており、その他は重なっていません。こうした高頻度のネアンデルタール人ハプロタイプは、アフリカ人の進化史における選択の考察に有益です。

 上述のように、古代型ホモ属のゲノムの中には現代人に殆どあるいは全く継承されていない大きな領域(不毛領域)も確認されており、選択が生じた可能性も指摘されています。その結果、ネアンデルタール人に関しては、以前に報告されていた6ヶ所の不毛領域のうち、7番染色体の発話能力に関連するFOXP2と、3番染色体の脳細胞の突起抑制に関連するROBO1およびROBO2を含む4ヶ所で改めて確認されました。これは、デニソワ人の不毛領域とも一致します。古代型ホモ属の不毛領域の頻度はアフリカ人全体の標本を含めても含めずとも大きく変わらず、アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人配列がおもに非アフリカ系現生人類からの遺伝子移入に起因する、という推測と一致します。

 本論文は、現生人類と古代型ホモ属との交雑の検出にIBDmixがきわめて有効であることを示しました。しかし本論文は、IBDmixは古代型人類の参照ゲノム配列を必要とするため、未知もしくは配列されていない人類系統から現生人類へと遺伝子移入された配列の検出には適していない、と注意を喚起しています。また本論文は、IBDmixにおいて、ゲノムおよび集団間の遺伝的組換え率の不均一性による影響があることも指摘しています。そのため、標本サイズが限定され、アレル(対立遺伝子)頻度と遺伝的組換え率の推定が不正確である個体のゲノムへの適用は困難です。IBDmixはゲノム解析におけるこれまでの手法の上位互換ではなく、相互補完的手法になる、というわけです。

 本論文は上述のように、アフリカ人のゲノムに見られるネアンデルタール人由来の領域の割合が、以前の推定よりもずっと高いことを明らかにしました。とはいえ、その割合は非アフリカ系現代人の約1/3と低くなっています。しかし、じゅうらいの推定よりもずっと高いこの割合は、アフリカの人類集団が静的ではなく動的で、現生人類の出アフリカ後も同様だったことを示します。それは、最近のアフリカ西部の古代DNA研究でも改めて示されました(関連記事)。

 出アフリカ現生人類集団の一部がアフリカへと「戻り」、アフリカ集団に遺伝的影響を与えたことは、以前から指摘されていました。古代DNA研究では、現代アフリカ東部集団の遺伝子プールの25%ほどはユーラシア西部集団に由来し、アフリカ西部・中央部・南部の現代人集団にも、この「逆流」の遺伝的影響は及んでいる、とすでに2015年の研究で推測されていました(関連記事)。2017年の古代DNA研究では、現代人では早期に分岐した集団とされるコイサンも、アフリカ東部やユーラシアの集団から9〜30%の遺伝的影響を受けている、と推定されています(関連記事)。また現代人のゲノムデータに基づく2015年の研究では、アフリカ西部のヨルバ(Yoruba)人集団と、古代ユーラシア人集団との10500〜7500年前頃の交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。

 本論文は、アフリカ全土の集団において、多様な水準でゲノムにネアンデルタール人由来の領域が見られても不思議ではない、と指摘します。私も、漠然とした想定よりも高かったものの、とくに不思議な結果ではない、と思います。「純粋なサピエンスはアフリカ人のみ」といった認識もネットで見られますが、それには大きな問題があります(関連記事)。また近年では、現生人類の形成過程がたいへん複雑であることを指摘した見解も提示されており(関連記事)、そもそも「純粋な種」という概念自体に問題があるのでしょう。

 また上述のように、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動の可能性が指摘されています。この年代に関しては、10万年前頃から25万年前頃まで、議論が続いていますが、本論文は15万〜10万年前頃と推定しています。ただ本論文は、追加のデータが必要とも指摘しています。ネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属と現生人類との交雑は、たいへん複雑だった可能性が高そうです。

 アフリカ人のゲノムにおける以前の推定よりもずっと高いネアンデルタール人配列の割合を明らかにしたことと共に、本論文の知見で重要なのは、上述のように、ヨーロッパ系とアジア東部系の間でゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合の違いが以前の推定よりもずっと小さい、と示したことです。以前はこの違いについて、上述の希釈仮説も提示されていました(関連記事)。希釈仮説に対しては、ヨーロッパ系とアジア東部系の間の、ゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合の違いを説明できるほどではない、との批判もありますが、本論文によりその違いは以前の推定よりもずっと小さい、と見直されたので、希釈仮説がより説得的になった、とも言えるかもしれません。ただ本論文は、現生人類の特定の集団とネアンデルタール人との追加の交雑が起きた可能性を排除するわけではない、と注意を喚起しています。


参考文献:
Chen L. et al.(2020): Identifying and Interpreting Apparent Neanderthal Ancestry in African Individuals. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.01.012


https://sicambre.at.webry.info/202002/article_6.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c36

[番外地7] 自衛隊の中東派遣 中川隆
1. 中川隆[-14100] koaQ7Jey 2020年2月02日 11:30:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-782]
自衛隊の中東派遣はアホ右翼のトンデモ話だね
自衛隊を中東派遣するより、日本のタンカーが攻撃されたら被害額を日本政府が保証すればいいんだよ。 そっちの方が安くつくし、中東諸国との関係も悪化しない
日本は中東諸国の一番大切な顧客だし、親日国家ばかりだからね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/454.html#c1
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
259. 中川隆[-14099] koaQ7Jey 2020年2月02日 12:06:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-781]
平野憲一の株のお話 2020.02.02 昨日の個人投資家IRセミナー。
http://kasset.blog.fc2.com/


日本株の割安根拠。

@IMF2020年成長見通しで、世界と米国は0.1ポイント下方修正されていたが、日本は0.2ポイント上方修正。

Aマネタリーベース(量的緩和の水準)は日本より4倍のGDPを誇る米国が385兆円(ドル110円換算)に対し、日本は518兆円。

Bクイック企業価値研究所の2019年度業績見通しは全産業(金融を除く)純利益は12.1%の減益だが、2020年度は11.1%の増益。

C1990年の国内法人の支払い配当金は4兆5000億円だったが、2019年は26兆円。2018年度の企業の内部留保総額は463兆円。

D日本株のPBRは1.22倍だが、米独仏英はそれぞれ 2.61、1.54、1.79、1.47倍。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c259

[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
1. 中川隆[-14098] koaQ7Jey 2020年2月02日 13:21:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-780]
カラヤン フィルハーモニア管弦楽団


Der Rosenkavalier : Karajan / Philharmonia, Schwarzkopf, Ludwig, etc (1956 Stereo)



R.シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』全曲
 元帥夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ
 オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
 オックス男爵:オットー・エーデルマン
 ゾフィー:テレサ・シュティヒ=ランダル
 ファニナル:エバーハルト・ヴェヒター、他
 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音:1956年[ステレオ]


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団
エリーザベト・シュヴァルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、テレサ・シュティヒ・ランダル、オットー・エーデルマン
EMI。1956年12月録音。不滅の名盤である。
ただ、クライバーのLDなどを先に聴いていた私にとっては、この録音はやや生硬な感じもする。(その点はむしろ下のDG盤のほうが雰囲気が良い。)
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


1956年ステレオ録音。レコード史上有名なアルバム。
なんと言っても、カラヤンのさっそうとした指揮ぶりが注目されるところで、おびただしいカラヤンのディスコグラフィのなかでもベストに挙げられることもあるほど。録音から半世紀を経た今日でも魅力を失っていません。

カラヤンは後年、ウィーン・フィルとも素晴らしい録音を残していますが、壮年期におこなわれたこの演奏はやはりひと味違います。
 豪華なキャストも強みで、至高の元帥夫人とうたわれたシュヴァルツコップを筆頭に、ルートヴィヒ、エーデルマン、シュティヒ=ランダル、ヴェヒターなど主要な配役はもちろん、バイロイトで鳴らした“ミーメ歌い”パウル・クーエンによるヴァルツァッキ役、名テノール、ニコライ・ゲッダの歌手役など、適材適所の配役は強力です。ARTリマスタリング。

_____

私が初めて聴いた「ばらの騎士」は当然これなのだが、良さがわからず、カラヤン新盤を聴いてますますわからなくなった。
その後エーリヒ・クライバー、ベーム、クナッパーツブッシュ、それにカルロスの演奏を知り、こんなに面白いオペラだったんだと驚いた。

正直高く評価されすぎの演奏だと思う。特に女声トリオがよくない。

シュワルツコップは厚化粧の大年増に聴こえるが、マルシャリンは若い女性である。表情に凝りすぎる歌唱が古い。デラ=カーザだったらどんなによかったか。

シュティッヒ=ランダルのゾフィーも大人しすぎるが、アコールのセットを聴くと素晴らしいソプラノだったことがわかる。ゾフィーには合わなかったということ。

カラヤンの指揮は巧みだが、クライバー親子のような目もくらむ勢いがあるわけでもなく、クナのユーモアがあるわけでもない。フィルハーモニアも魅力が薄い。
https://www.hmv.co.jp/en/artist_Strauss-Richard-1864-1949_000000000019384/item_Der-Rosenkavalier-Karajan-Philharmonia-Schwarzkopf-Ludwig-etc-1956-Stereo-3CD_618140


2019年07月10日
ハイレゾで聴く R・シュトラウス「ばらの騎士」 カラヤン/フィルハーモニアo 1956年録音
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/455149640.html


R・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」名盤と言えば、今やカルロス・クライバーの演奏となっていますが、一時代前のクラシック通ならば「エーリッヒ・クライバーかカラヤンのフィルハーモニア録音」と相場が決まっていたものでした。ただ父クライバー録音、カラヤンの旧盤とも1950年代の録音でカルロスの新旧DVDに比べてしまうと音がやはり物足りない。

e-onkyoサイトでカラヤンの音源をいくらかなと検索していたら、この「ばらの騎士」旧盤の音源に出会いました。昔ブリリアントレーベルで廉価で所持していたものの、やはり音質が微妙。歌手についてはシュヴァルツコップを中心に流石だなと思いました。意外とこの名盤今は入手難で国内廃盤が続いている状況。

英語で検索するとワーナー盤が出てきます。

flac 96kHz/24bitで3,471円。CDだと3枚組になるので、1枚当たり1,400円程度。これなら買いかと購入。何より「2017年オリジナル・マスターテープより、アビイ・ロード・スタジオでの24bit/96kHzリマスター」の言葉に負ける。

R・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」全曲
エリザベート・シュワルツコップ(元帥夫人)
オットー・エーデルマン、クリスタ・ルートヴィヒ
シュッティッヒ=ランデル他
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
1956年セッション録音 ステレオ
録音 4.35点  演奏  4.60点
※ハイレゾ音源ならの録音点



冒頭のホルンからいい音です。EMI録音特有の少し臨場感過多で距離感がある録音ながら、ハイレゾだと丁度良くも思える。夭折した名ホルン奏者 デニス・ブレインのホルンです。「ばらの騎士」はホルンが活躍する歌劇なので、これほどブレインのホルンの美しい響きを堪能できる録音は無いでしょう。歌手の名唱とともに称えられるべきです。

映像版はウィーンpoの演奏。1960年録音です。歌手がシュヴァルツコップ以外変わっています。演奏も少し落ちる。


ハイレゾになり音質は一新。1980年代のデジタル臭いデジタル録音よりは好ましい録音。声や木管楽器の艶とあでに酔わされます。当時は「ウィーンpoではないのが残念」と言われたものですが、いやいやこのイギリス楽団の木質的な響きで逆に良かったと思うようなオーケストラの音色です。

まだカラヤンがオーケストラを支配し過ぎない時期の演奏なので、金管が耳障りでなく弦楽器もお化粧し過ぎでないところ(威力的に分厚くない」が丁度よろしい。オーケストラをコントロールしきれていないというか、録音当時はプロデューサーのウォルター・レッグやシュヴァルツコップの方が力があったのでしょう。

映像版の第3幕3重唱。ここは素晴らしい。

[Der Rosenkavalier Final Trio - Schwarzkopf, Jurinac, Rothenberger


Elisabeth Schwarzkopf, Sena Jurinac, Anneliese Rothenberger,
Wiener Philharmoniker conducted by Karajan,
from the 1962 film directed by Paul Czinner


歌手に関しては多少歌い口に古臭さはあるものの、今これだけの歌手陣で揃えれないのが現状。カルロスの演奏のような風を切る颯爽さは無いですが、何度も何度も腰を落ち着けて聴きたくなるのはこういった少し落ちついた演奏の方が相応しい。カルロス盤は映像が無いとどこか物足りないですよね。レコードが文化だった匂いがプンプンします。シュヴァルツコップの名盤は多いですが、3本の指に入る名唱と言っても過言では無い。まだ若きクリスタ・ルートヴィヒの歌声も若い。ランデルの高音の美しさもハイレゾでさらに微細に感じ取れるようになった気がします。

この「ばらの騎士」の名盤はまだSACD化されていないはずです。2017年にリマスターされていたことにも驚き。カラヤンは特に好きな指揮者ではありませんが、意外な掘り出し物でした。歌を中心に聴くにはカルロスよりもこちらかな・・・しかしいい時代があったものだ、もうそれも半世紀以上前のことなのかと時代の流れに驚く名盤(名データ?)との出会いでした。
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/455149640.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c1
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
2. 中川隆[-14097] koaQ7Jey 2020年2月02日 13:49:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-779]

カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1960


Richard Strauss: Der Rosenkavalier - Salzburg, 1960




The Vienna State Opera Chorus
Vienna Philharmonic Orchestra
Conducted by Herbert Von Karajan


Cast

Elisabeth Schwarzkopf The Marschallin
Otto Edelmann Baron Ochs auf Lerchenau
Sena Jurinac Octavian
Erich Kunz Herr von Faninal
Anneliese Rothenberger Sophie
Judith Hellwig The Duenna
Renato Ercolani Valzacchi
Hilde Rossel Majdan Annina
Alois Pernerstorfer A Commissary of Police
Erisch Majkut Major Domo of the Princess
Siegfried Frese Major Domo of Faninal
Josef Knapp A Notary
Fritz Sperlbauer Landlord
Giuseppe Zampieri A Singer
Hans Kres A Hairdresser
Liselotte Maikl Three Orphans of Noble Family
Ute Frey Three Orphans of Noble Family
Evelyn Labruce Three Orphans of Noble Family
Mary Richards A Milliner
Kurt Equiluz A Vendor of Animals
Fritz Mayer Four Footmen of the Princess
Rudolf Stumper Four Footmen of the Princess
Otto Vajda Four Footmen of the Princess
Alois Buchbauer Four Footmen of the Princess
Karl Kolowratnik Four Waiters
Ludwig Fleck Four Waiters
Kurt Bernhard Four Waiters
Norbert Balatsch Four Waiters
Hermann Tichavsky Leopord
Georg Pichler A Doctor
Wolfgang Kres A Little Black Boy


▲△▽▼


Der Rosenkavalier - Jurinac, Rothenberger, Schwarzkopf, Karajan




Marchallin - Elisabeth Schwarzkopf
Octavian - Sena Jurinac
Sophie - Anneliese Rothenberger
Baron Ochs - Otto Edelmann
Conductor - Herbert von Karajan
Salzburg Mozarteum Orchestra





ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

エリーザベト・シュヴァルツコップ、セーナ・ユリナッチ、アンネリーゼ・ローテンベルガー、オットー・エーデルマン

1960年、ザルツブルク祝祭大劇場のこけら落としとなった音楽祭で収録。

パウル・ツィンナー監督の映画。
演出:ルドルフ・ハルトマン、装置:テオ・オットー、衣装:エルニ・クニーペルト。

この年の音楽祭では、7月26日、8月4,6,13,18,28日の計6回「ばらの騎士」が上演された。そのうちシュヴァルツコップはたった1回しか侯爵夫人を歌っていない(日にちは不明)。その1回をライヴ録音して、映像は(フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」同様)後から音に合わせて演技して収録した。


____



ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

リザ・デラ・カーザ、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、オットー・エーデルマン

DG。1960年7月26日、新しいザルツブルク祝祭大劇場のこけら落としとなった音楽祭初日ライヴ。


この年の音楽祭では、上記のように計6回「ばらの騎士」が上演されたが、そのうち初日を含む5回はリザ・デラ・カーザが侯爵夫人を演じた。本当はその初日がテレビ中継される予定だった。しかし、上の映画製作の話がもちあがり権利問題もからんで中継は中止となったという。かえすがえすも残念なことだ。もし中継がなされ、そのフィルムが残っていれば絶世の美女デラ・カーザの侯爵夫人が見られたのに。

フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」では、音楽祭期間中はドンナ・エルヴィーラを全部シュヴァルツコップが歌ったのに、映画ではデラ・カーザが出演していたのと、ちょうど反対の形である。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c2
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
3. 中川隆[-14096] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:03:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-778]

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1984

Der Rosenkavalier - Salzburg 1984 - Agnes Baltsa, Anna Tomowa Sintow, Kurt Moll







Der Rosenkavalier
Salzburg 1984
Conductor Herbert von Karajan

Agnes Baltsa
Anna Tomowa Sintow
Kurt Moll


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ジャネット・ペリー、クルト・モル

1984年のザルツブルク祝祭大劇場ライヴである。
舞台装置・衣裳は1960年と同じものを使用している!のがうれしい。
(メンバーはDG録音と同じである。)


____


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ジャネット・ペリー、クルト・モル
DG。1982〜84年録音。

ウィーン・フィルの音色が良い。

この録音でしっかりと「オーストリア弁」の発音をカラヤン自ら歌手に特訓した、という。
その上で、83,84年に音楽祭で上演した。84年の音楽祭の模様が上記テレモンディアルの映像である。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c3
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
4. 中川隆[-14095] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:18:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-777]

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場


Richards Strauss Der Rosenkavalier Carlos Kleiber part 1 1979



Der Rosenkavalier Richard Strauss Carlos Kleiber part 2 " The work of a master"(Los Angeles Times)


Bavarian State Orchestra & Chorus



カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場

ギネス・ジョーンズ、ブリギッテ・ファスベンダー、ルチア・ポップ、マンフレート・ユングヴィルト、ベンノ・クッシェ

1979年、同歌劇場でのライヴ。クライバーが若々しい!

クライバーの指揮で1972年プレミエのオットー・シェンク演出だが、20年目の1991年に私がミュンヘンに行ったときもこれと同じ舞台演出で見ることができた。ヴァルヴィーゾ指揮、フェリシティ・ロットの公爵夫人、アン・マレイのオクタヴィアン、バルバラ・キルドゥフのゾフィー、そしてクルト・モルのオックス男爵であった。

____


カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場

クレア・ワトソン、ブリギッテ・ファスベンダー、ルチア・ポップ、カール・リッダーブッシュ、ベンノ・クッシェ

1973年7月13日、バイエルン国立歌劇場ライヴ録音。

オットー・シェンク演出のプレミエは 1972年4月20日だったので、その翌年ということになる。

しかし主役キャストはプレミエとこのCDとは全く同じである。
上記UNITEL映像では、侯爵夫人はジョーンズに、オックス男爵がユングヴィルトにかわっている。どちらにせよ、ほぼ同じメンバーで少なくとも8年は続けていたわけだ。決まった人たちとしか仕事をしないクライバーらしい。
(なおUNITELの国内盤DVDの解説ではプレミエの時の侯爵夫人がジョーンズだったように書かれているが、上記のように音源が残っているので誤りであろう。)

なお、ORFEOからルチア・ポップがバイエルン国立歌劇場で歌ったオペラのライヴ抜粋盤CD1枚が2003年にリリースされた(C580 031B、写真右)。

それには、なんとシェンク演出のプレミエである1972年4月20日の公演から、第2幕冒頭の銀のばらを送る場面と、第3幕の最後の3重唱・2重唱が収録されている。モノラルなのは残念だが、クレア・ワトソンの侯爵夫人、ファスベンダーのオクタヴィアン、ポップのゾフィーが聴ける。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c4
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
5. 中川隆[-14094] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:25:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-776]

カルロス・クライバー指揮 ウィーン国立歌劇場


Strauss - Der Rosenkavalier - Lott, Von Otter, Bonney, Moll, Kleiber Viena 1994 sub. español




Felicity Lott: Marschallin
Kurt Moll: Der Baron Ochs auf Lerchenau
Anne Sofie von Otter: Octavian
Gottfried Hornik: Herr von Faninal
Barbara Bonney: Sophie
Olivera Miljakovic: Jungfer Marianne Leitmetzerin
Heinz Zednik: Valzacchi
Anna Gonda: Annina
Keith Ikaia-Purdy: Ein Sänger
Lotte Leitner: Eine Modistin

Vienna State Opera Chorus and Orchestra
Carlos Kleiber, conductor




カルロス・クライバー指揮ウィーン国立歌劇場

フェリシティ・ロット、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、バーバラ・ボニー、クルト・モル

1994年3月、同歌劇場でのライヴ。

「オットー・シェンクの演出を基本にして」と書いてある。

クライバーは年とったが舞台上は美人揃い!

BSで放送されたあとLDになった。放送されたものと違ってLD版は編集がされている。(第2幕の前奏部分におけるクライバーの指揮の動作が違う。)
2004年、クライバー死去をキッカケにして彼のLDを全てDVDに買い換えた。

http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c5
[近代史3] グスタフ・マーラー 『アダージェット』 中川隆
1. 中川隆[-14093] koaQ7Jey 2020年2月02日 16:15:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-775]




映画「ヴェニスに死す 」 オリジナル・サウンドトラック
The Original Motion Picture Soundtrack From The Film Death In Venice








収録曲 : 

  1. Main Title: Theme From 'Death in Venice'
    マーラー:交響曲第5番〜第4楽章 アダージェット(09:28 )
  2. Deserted Beach
    ムソルグスキー:子守唄(02:18 )
  3. Evening On The Veranda
    カンツォーネ Chi Con le Donne Vuole aver Fortuna (02:50 ) 
  4. The Salon & The Bordello
    ベートーヴェン:エリーゼのために (03:57 )
  5. Return To Venice
    マーラー:交響曲第3番〜第4楽章 (11:16 ) 
  6. Death & End Title: Theme From 'Death in Venice' Reprise
    マーラー:交響曲第5番〜第4楽章 アダージェット 抜粋 (02:15 )



   フランコ・マンニーノ 指揮 Franco Mannino
   ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団 Accademia di Santa Cecilia Orchestra
   マーシャ・プレディット (メゾ・ソプラノ ) Mascia Predit ・・・ 2
   クラウディオ・ギッツィ (ピアノ ) Claudio Gizzi ・・・ 4
   ルクレツィア・ウェスト (コントラルト ) Lucretia West ・・・ 5  他



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反省文 : 1976年、発起人(当時14歳 )は 映画「ヴェニスに死す 」を いかに誤解したか。
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 何を隠そう 私は、1962年(昭和37年 ) 7月生まれなので、そうすると もう 2か月も経てば53歳になろうという年齢(とし )です。
 それは、気づいてみれば すでにグスタフ・マーラーの寿命 (50歳 + 10か月 + 2週間 ) を追い越して 生き長らえているということに ふと思い至り、われながら驚いています。



▲ 映画 「ヴェニスに死す 」 ニュープリント予告編

 ルキノ・ヴィスコンティ監督の名画「ヴェニスに死す 」 Death in Venice (1971年公開 )を 私が初めて観た記憶は、映画館でではなく、公開から5年経って テレビ朝日「日曜洋画劇場 」(日本語吹替 )でTV初放送された時でした。 それは1976年 6月 − 私 “スケルツォ倶楽部”発起人 が14歳の頃 − のこと。
 この映画が放送される約 3か月前(76年 3月17日 )に、ヴィスコンティはローマで死去していました。映画「ヴェニスに死す 」のTV放送は、イタリアの偉大な映画監督の追悼的な特別企画でもある という解説者の口上もおぼろげに記憶しています。

 ご存知のとおり、トーマス・マンの原作では 主人公 「グスタフ・フォン・アッシェンバッハ 」 は 「作家 」 でしたが、ヴィスコンティ はこれを映画化するにあたって 視聴覚効果を考慮し、その職業を「音楽家 」に設定しています。

トーマス・マン ルキノ・ヴィスコンティ グスタフ・マーラー
▲ (左から ) トーマス・マン、ルキノ・ヴィスコンティ、グスタフ・マーラー

 しかし、原作者トーマス・マンは もともと同時代の著名な音楽家だったグスタフ・マーラーをモデルに「アッシェンバッハ 」を創作していたことから、結果的にヴィスコンティが加えた変更は 事実上の「修正 」に他ならず、奇しくも 当初マンが想定していた地点に着地することとなったわけです。

 クラヲタになりたてだった中学生の発起人にとって、その頃のあらゆる関心事でも中心に位置していたグスタフ・マーラーをモデルに作られた映画であるということ、さらにサウンド・トラックにもマーラーの音楽が使われていること − などという情報を読んで、わあ 一体どんな映画なんだろう、というわけで、放送日の夜には、もうわくわくの期待感もいっぱいで TVのブラウン管の前に座ったものでした。
映画「ヴェニスに死す」 (2)

 ・・・しかし、恥ずかしながら告白しますと、私( この時14歳ということは、原作のタッジオと同い年の少年だった = )発起人は、予習もせずに観た映画の意味をまったく理解できず、ひたすら退屈を堪(こら )えて 何とか最後まで我慢しましたが、「これはマーラーじゃない 」という反感でいっぱいでした。
14歳だった頃 “スケルツォ倶楽部”発起人
▲ 当時 14歳 (タッジオ君と 同級生だった頃の )“スケルツォ倶楽部”発起人(笑 )

 なにしろ その時にはヴィスコンティがいかにもセンチメンタルな外面的効果を狙って、機能的に 「アダージェット 」を使っているようにさえ聞こえたほどでしたから、その「誤解 」も重症でした。 「理解 」どころか、トーマス・マンやヴィスコンティ監督の真意からは 最も離れた 「浅瀬に立っていた 」ように思います。
映画「ヴェニスに死す」Original Soundtrack  映画「ヴェニスに死す」 (4)

 「大地の歌 」・第9番・未完の第10番 という最後の傑作三大交響曲のいずれもが 「死 」 をテーマにしているという事実や、ベートーヴェン以来の「第9 の壁 」のジンクスを怖れるあまり 意図的にそれら晩年の交響曲に番号を振らなかったなどという信憑性も低い伝承、また若妻アルマとの不幸なエピソードやジークムント・フロイトとの接触など、あたかも 「悲劇と死に憑りつかれた 病的で内向的な作曲家 」 (アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ:『失われた無限を求めて 』 より ) である − という誤ったイメージが、昔から グスタフ・マーラー にはつきまとっていますが、ここへきて さらに トーマス・マンとヴィスコンティの共犯 ( ? ) で作られた映画「ヴェニスに死す 」が、そんなマーラーの病的な面を過剰に拡大し、チャイコフスキー的同性愛者であったかのような 間違った偏見まで 一般世間に付加しかねない危険なフィクションとなり得るのではないか − などという勝手な思い込みが − 繰り返しますが、この映画を初めて観た当時 まだ14歳だった 私 − “スケルツォ倶楽部”発起人の、今にして思えば、浅い理解でした。

映画「ヴェニスに死す」 (3)
 当時の私が 最も「誤解 」してしまった部分とは、映画の中で 初老の主人公アッシェンバッハが 外国の美少年を「恋してしまう 」(ように見えた )同性愛者であると思われる描写でした。
 そのように観ることは、当時 タッジオ とは 同級生(笑 ) だった 私には 生理的に受け容れることができませんでした。 率直に 「もう二度と観たくない 」 という目を背けたくなる嫌悪感に満たされ、それきり自分から望んで この映画を見なおす気にはなれず、勝手に封印することになりました、それは 今から40年近くも(うひゃ、ホント? ) 昔の話になるわけですが − 。

映画「ヴェニスに死す」 (14)
 この文章は序章に過ぎず、続きの本編があります。
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2015年、発起人53歳、「ヴェニスに死す 」 再観
 映画 「ヴェニスに死す 」 の意味 〜 39年ぶりの謎解き と マーラー 「アダージェット 」。
s 2015 05.30 | ☆ 映画のスクリーンに貼りつけられた音楽
http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-390.html



 今回の文章は、短い 「反省文 : 1976年、発起人(当時14歳 ) は 『ヴェニスに死す 』 を いかに誤解したか 」の 続きとなります。
 
 私 “スケルツォ倶楽部”発起人、53歳を迎える誕生日を 翌々月に控えた、5月のとある休日の午後、ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す 」 Death in Venice (1971年公開 )のDVDを買ってきて 自宅で鑑賞する機会を持ちました。これで生涯二度見です。
映画「ヴェニスに死す」 (13)

 初めて観た若い時には理解できず、拒否反応さえ感じた「ヴェニスに死す 」を ふと観なおしてみようと思った動機は、なぜでしょう、自分でもわかりません。

 ・・・で、先に結論から申し上げると、この映画が 「名作である 」 といわれる真実を 50を過ぎて 「初めて 」 私は 理解しました − 「理解した 」 などという言葉が 今さらおこがましいので 率直に 「感動しました 」 と言い直しましょう。
 中学生だった 私 発起人の目は、その当時 まったくの 「節穴 」 に過ぎなかったことを痛感しました。 かつてTV放送で 映画を 初見した子どもの頃には 不謹慎にもアクビを噛み殺していた、そんな態度で眺めていたエンディング − 逆光に輝き渡る砂浜の映像 − が、今では 逆に 魂が揺さぶられるほど美しい慟哭のあまり、ホント誇張抜きで、滝のように涙が溢れるシーン となりました。
映画「ヴェニスに死す」 (8)

 主人公が苦しい探究の末、生命(いのち )と引き換えに垣間見た真実の美を表現する壮大なフィナーレと、その果てに得た ( 同時に失った ) ものが わかった、という 感銘がいかほどだったかを、さあ 何にたとえたらよいでしょう。 モグリのゴンドラ漕ぎに 「リドまで上手くお連れしますぜ、旦那 」 と言われるなり 油断して後ろ向きに座っていた私 発起人の後頭部を 振り上げたオールで殴りつけられるくらいの衝撃だった − と言っても大袈裟に感じぬほど 私は 美と感動に「打ちのめ 」されました。

 ・・・ と 言っても、もともと この映画は「大人向け 」 だったのです。
 鑑賞者が若ければ若いほど、ましてや子どもなんかには 本来 容易に理解出来るような内容では なかったのです。ヴィスコンティ自身も 記者に答えた 何かのインタヴューで 「このテーマに取り組むためには、自分自身も成熟する時間が必要だった 」と述べているほど。
ルキノ・ヴィスコンティ スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す

 映画「ヴェニスに死す 」とは、ある程度の年齢(とし )を経て 自身の人生から 美しい大事なもの を失ったり、諦めたり、手放したり、あるいは 愛着のある土地や住まいを 離れたり、両親や 心から愛する人と 別れたり ・・・ そういった 挫折 や 人生経験を 豊富に重ねた人だけが、初めてその本質に深く共感できる映画だったのです。 お子様には もう最初から無理です。
 ・・・ さあ、それからが もう大変です。 図書館から トーマス・マンの原作 ( 高橋義孝 / 訳、 新潮文庫 )を借りてくるは、DVDを 連夜 午前 3時まで繰り返し 50回以上は観るは・・・ (笑 )
ダーク・ボガードとヴィスコンティ(ベニスに死す)


■ いくつかの重要なシーンの 意味を考える
ヴェニスに死す オーケストラのシーン
 ものがたりは、1911年 ( 音楽史的にも グスタフ・マーラーが亡くなる年 ) の夏、ミュンヘンの歌劇場で オーケストラのリハーサル中、持病の心臓発作を起こして倒れた多忙な作曲家グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、かかりつけ医から 「過労で心臓に負担がかかっている。 当分は仕事を離れて休養をとることが必要 」 と勧められ、静養の旅に 水の都ヴェニスの海浜ホテルを訪れることになります。

映画「ヴェニスに死す」 (5) 映画「ヴェニスに死す」 (7)
▲ さて、アッシェンバッハが 運命の美少年タッジオを ホテルのウェイティング・サロンで初めて見かけるシーンを、原作の文章から引用させて頂きましょう。
 〜 十四歳ぐらいかと思われる少年がひとり、この少年は髪を長くのばしていた。この少年のすばらしい美しさにアシェンバハは唖然とした。
 蒼白く優雅に静かな面持は、蜂蜜色の髪の毛にとりかこまれ、鼻筋はすんなりとして口元は愛らしく、やさしい神々しい真面目さがあって、ギリシャ芸術最盛期の彫刻作品を想わせたし、しかも形式の完璧さにもかかわらず、そこには強い個性的な魅力もあって、アシェンバハは自然の世界にも芸術の世界にもこれほどまでに巧みな作品をまだ見たことはないと思ったほどである。 ( 中略 )
 鋏(はさみ )を加えることを差控えたらしい美しい髪の毛は、「とげを抜く少年 」像そのままに額へ垂れ、耳を覆い、さらにうなじに伸びていた。 たっぷりとした袖が下へ行くに従って狭く細くなって、まだ子供々々した、しかし花車(きゃしゃ )な手の手首にぴったりとついている英国風の水兵服は、その紐やネクタイや刺繍などで、この少年のなよやかな姿にどことなく豊かで豪奢な趣を添えている。
 少年はアシェンバハに横顔を見せて、黒いエナメル靴をはいた一方の足を他方の足の前に置いて、籐椅子の腕の一方の肘を突いて、握った片方の手に頬を寄せ、ゆったりと、しかも不作法でなく坐っている (以下略 )
(トーマス・マン / 原作、 高橋義孝 / 訳  新潮文庫より )

 原作の中で言及されている 興味深い「とげを抜く少年 」像とは、ローマのカピトリーニ美術館に収蔵されている古代ブロンズ像(紀元前1世紀 )を指します。
カピトリーニ美術館蔵(ブロンズ)とげを抜く少年の像 カピトリーニ美術館蔵(ブロンズ)とげを抜く少年像
▲ 「とげを抜く少年 」像 カピトリーニ美術館 蔵 (ブロンズ )

■ ポールを くるんくるん
ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-1ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-2ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-3ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-4
▲ 後年、ケン・ラッセルの 映画「マーラー 」でも パロディとして引用された 有名なシーン − アッシェンバッハの目の前で 赤い水着のタッジオが 砂浜に続く回廊に並んだ複数のポールを くるくる回ってみせる 子どもっぽい仕草・・・
 赤い水着の美少年が 自分のことを見つめながら 屹立する柱 ( フロイト流に眺めると、これらが 何を象徴しているものか、おわかりでしょう ) の周りを回ってみせる意味深な動作、これは 実は現実のものではなく、内心の衝動を無意識に抑えるアッシェンバッハの心象風景だったのではないでしょうか。 それは、疫病が蔓延するヴェニスから避難するようタッジオの母に警告して感謝され、そのドサクサに紛れて 少年のきれいな髪を なでなでしてしまう「夢想 」のシーンと同様に・・・
スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す (4) ◀ 何故 (なで ) 
 
 人の無意識の世界が 夢の中で活発に活動する「真夜中 」をテーマにした、同じくマーラーの作品 第3交響曲 ニ短調 から第4楽章 が画面のオフから流れてきます。 その歌詞は ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき 」の 「真夜中の歌 」( 第4部第19章「酔歌 」から )・・・。

インスピレーション_0007 ニーチェ Nietzsche
「人間よ、注意して聴け。深い真夜中が何を語るか…。
眠っていた私は 深い夢から目覚めた。
世界の苦悩は深い・・・快楽は 心の苦悩より深い
そして すべての快楽は永遠を欲する、深い永遠を欲する… 」
 
 この楽曲に指定したマーラーの表示は「きわめてゆるやかに Sehr langsam、神秘的に Misterioso 一貫してピアニッシシモで Durchaus ppp … 」 
 たいへん不思議な雰囲気を持った歌曲(アルト独唱 )で、言葉少なげに物語を紡ぐ独唱アルトの隙間(ま )を 埋めるかのように 緩やかな深呼吸を繰り返す 宵闇のホルン・アンサンブルの響き のほうに 私は魅かれます。 うーん、それにしても この音楽を映画のサウンド・トラックに使う感性って・・・。

映画「ヴェニスに死す」 (2)
▲ また唐突に 場面転換、タッジオが ホテル内の無人のサロンに置かれたピアノに腰掛け、退屈そうに「エリーゼのために 」を ぽろんぽろんとつま弾くシーンと、これに続く 謎に満ちた 娼館の回想場面 − この意味について、考えました。

 ヴィスコンティ監督にとっては、ここで少年が弾く楽曲は 必ずしもベートーヴェンでなければ、というほどのものではなく、雰囲気さえ壊さなければ はっきり言って「何でもよかった 」ようです。 実際、このシーンの撮影時、「何かピアノで弾いてごらん 」とタッジオを演じた ビョルン・アンドレセン に要請したところ、しばらく考えた末に少年が音を探(さぐ )るように弾きはじめた無難な曲が この「エリーゼのために 」でした。 しかし実に当意即妙ではありませんか。多少でもピアノに心得のある人が楽器を前にして手慰み程度に奏でる楽曲として、これ以上 適切なピアノ曲は 思いつけないほどです。

ヴェニスに死す 娼館のシーン
▲ ・・・で、ここからまたも この映画特有の唐突な回想シーンへの転換となります。
それは、お忍びで娼館を訪れ、順番を「待たされて 」いるアッシェンバッハ。彼にあてがわれるべき若い娼婦に、しわ枯れ声のマダムが声を掛けます。
「エスメラルダ、空いてるかい ? 」
たどたどしく「エリーゼのために 」を弾くピアノの音が どこからともなく聞こえています。アッシェンバッハの記憶の中、サロンでタッジオが奏でる同じメロディが、この時の思い出につながったようです。
 その同じ「エリーゼ 〜 」が場面転換と同時に 調律の狂った安っぽい楽器の音へと変化していたことにお気づきでしょう。 それは、売春宿に置かれているほうのピアノの音です。

■  エスメラルダの 「衣装 」 と 「演技 」
 低いアップライト・ピアノの陰から ひとりの若い娘が小首を傾け、あら 次はどんな男の人が来たのかしら と覗いてみせる 可憐な仕草、一瞬 愛らしいと錯覚してしまいそうですが、これは「演技 」です。 娼婦エスメラルダの本性は、部屋のドアを 平気で足で蹴って閉めやがる、そんな下賤な態度にも表れています。
映画「ヴェニスに死す」 (4)
 言うまでもなく、彼女が身にまとっている美しいドレスも 「衣装 」 です。彼女は 自分の体を買った客に このドレスを脱いで見せるために着ているに過ぎません、包装紙みたいなものです。

 このエロティックなシーンは、トーマス・マンの原作にはありません。
 ヴィスコンティ監督は、主人公アッシェンバッハのことを 健全な欲望を持つ一人の男性である( × 同性愛者などではなく ) という 重要な情報 を 私たち観客に伝えておくため、わざわざ 彼が買春に娼館を訪れる場面を 追加してみせたのではないか、というのが 私 発起人の ようやく辿り着いた、ひとつの仮説です。

ヴェニスに死す アルフリートとの激論のシーン
▲ 潜在的には、芸術上の激論の相手である友人の作曲家アルフリートが ミュンヘンで主張していたことに影響を受け、すなわち 自分自身を 「凡庸な芸術から脱却 」 させるため、ちょうど 「タンホイザー 」 のハインリヒがヴェーヌスブルクに その身を投じたように、芸術家として 「個人の道徳とは無関係に 」、「官能に打ち負かされ、あらゆる汚れに身を晒(さら ) 」 したい − という衝動が、 すでに娘も妻も失った 孤独な身(だったと思われる )の アッシェンバッハをして 娼館へ 向かわせたものかもしれません。 
 友人の音楽家 アルフリートは シェーンベルクが モデルである、と書かれている資料が多いようですが、もし アッシェンバッハがマーラーだとすれば、その年齢や互いの人間関係から 考察すると この人物は むしろ リヒャルト・シュトラウス の存在に近いような気が、私にはしました。

幸福だった時代のアッシェンバッハ 
▲ そして、このフラッシュバックから 時系列的に考えてみると、アッシェンバッハが 愛妻と愛娘と 北イタリアの山荘で 幸せに過ごしていた頃の 家族の回想シーン および ・・・ 
亡き娘を偲ぶ歌
▲ その後 夭折した愛娘の小さな棺を 夫婦で涙ながらに見送る悲しいシーン  ・・・ いずれも若いアッシェンバッハには口髭がありませんでしたが、この娼館を 訪れるシーンでは 鼻の下に薄く髭が生え揃って いますから、 少なくとも エスメラルダとのシーンは、彼が 愛娘を亡くして以降のエピソードで 間違いないでしょう。

■ 切られたフィルムの間に、何があったか ? 
 ヴィスコンティにとっては 残念なことに、次のシーンの真意は 結局 観客に伝わりにくかったように思えます。娼婦エスメラルダが ドアを蹴って閉めてから、モンタージュ手法によって 次は 同じ部屋の数十分後へ場面が切り変わってしまうわけですが、その「間 」に 一体何が起きたのかが 謎 だからです。

 髪をとき、ベッド上で両足を開いている 下着姿の若い娼婦の肢体が鏡に映っています。
 支払うべき 紙幣 をテーブルに置こうとするアッシェンバッハの手元をチラ見したエスメラルダ、一瞬 何かに驚いたような表情を浮かべ ・・・
ヴェニスに死す 娼館のシーン-3
 次の瞬間、男に微笑んでみせると その細い指を伸ばし、部屋を退出しようとするアッシェンバッハの手を堅く握りしめます。 その様子は まるで情事を終えた男女が、別れの名残を惜しんでいるように錯覚されそうですが、しかし よくご覧ください。そんな彼女の指を振りほどいてしまうアッシェンバッハの表情はと見ると苦悩に満ちています。何があったのでしょう、これは一体どういう意味でしょうか。
ヴェニスに死す 娼館のシーン-5.

 アッシェンバッハは、若い娼婦を 抱かなかったのではなく、「抱けなかった 」 − いえ、はっきり言ってしまうと 「勃(た )たなかった 」 =「できなかった 」 と いうことではないでしょうか。 ・・・ そうです。女の若い肉体に触れなかった理由とは、彼が「高潔だった 」からではなく「高血圧だった 」から(笑 ) − すなわち、何らかのストレスか 血管の老化に起因する男性特有のED(勃起障害 ) だったのでしょう。 
 そう考えれば、若い娼婦 エスメラルダが 最後に浮かべた表情も 「よくあることよ。気にされないで・・・また来てね 」 と、払いのよい上客の再来を気にするベテラン娼婦のようにさえ見えませんか。 
ヴェニスに死す また来てね
 しかし相手の女から そんなふうに慰められることが、不本意ながら こういう立場に置かれた男性の感情を最も傷つけるものだっていうこと・・・ でも こんなことも きっと お若い「元気な 」 男性諸君は まだ ご経験ないことではないでしょうか、想像もできないことではないでしょうか。 ゆえに この場面の意味も 解らなかったのではありませんか、それは かつての私と同じように。
ヴェニスに死す 娼館のシーン-6
 このときアッシェンバッハは、「ああ、もう俺も若くはないのだな 」 と、自身の肉体の老いを痛感し、さらにその先に待つ 「死 」 さえも おぼろげに 想ったのではないでしょうか。そんな苦い記憶の場面に 紐づけられていた音楽こそ エスメラルダが弾いていた 「エリーゼのために 」 − そして 今や老いを迎えたアッシェンバッハは、タッジオの指先から流れてくる 同じピアノ曲の断片が、彼のいまわしい過去の記憶の情景と一緒に 現在の自分まで 流れついたことに、気づいたのでしょう。


2019年秋 補筆(以下青字 )
 さて、2019年 9月のこと、私 “スケルツォ倶楽部”発起人と同世代女性のある会員様から 非公開コメントで お便りを いただきました。
 そこには、この謎めいたシェーナ Scena を理解するために 必要な示唆を含む、ひとつの論文が紹介されていました。九州大の独文学 助教授(当時 )福元圭太先生による「映画のイコノロジー : 『ヴェニスに死す 』の映像メデイアへの転換 」(2000年 5月発表 ) ― そこには、「エスメラルダとタッジョーとをオーバーラップさせるというヴィスコンティの演出は,トーマス・マン晩年の大作『ファウスト博士』を眺望する視点がないと不可能 」、「アッシェンバハにとってのタッジョーが,晩年にレーヴァーキューン(『ファウスト博士 』の主人公である作曲家 )にとってのエスメラルダという図式で反復されることを,ヴィスコンティは映画で マンの先回りをして示した 」という文章があり、私は 思わず括目しました。恥ずかしながら、私 発起人は これまでマン晩年の名作とされる「ファウスト博士 」は未読で、この主人公が「作曲家」であるという重要な設定を 知らなかったのでした。はー、無知にもほどがあるってもんでしょうw
トーマス・マン Mann Thomas ヴェニスに死す 娼館のシーン-2

 マンの「ファウスト博士 」の主人公である「作曲家 」アドリアン・レーヴァーキューンは、彼の「頬を腕で撫でる」娼婦からの病毒感染の代わりに 「悪魔との契約 」によって優れた霊感を獲得し、非凡な創造力で作曲活動をおこないます。しかし、その代償は大きく、悪魔との契約ゆえ 破滅へと至るストーリーです。
 これこそ 映画「ヴェニスに死す」娼館の場面に ヴィスコンティが隠しておいた、私たちが解くべき「心」だったのです。娼婦エスメラルダを抱かなかったアッシェンバッハは、病毒感染もなく = 悪魔とのファウスト的な契約を交わすこともなく、友人の作曲家アルフリートが貶すところの「凡庸なる才能 」のまま、彼の終焉の地 ヴェニスで死を迎えることになるものの、それゆえ 死の間際に 真の「美」を垣間見ることを一瞬 許されたのだ − あの不思議な娼館の場面(シェーナ )は、マンの読者であれば、ある意味 知っていて当然、気づいて当たり前の、そんな意味も含まれていたのでした。
 考察のきっかけを与えてくださった 会員様には 重ねて御礼を申し上げます。ありがとうございました。(2019補筆ここまで )


■ 今日のアッシェンバッハの姿は、明日のタッジオの姿
 そう解釈すると、他にも重要なことが さらにいくつか見えてくる気がします。
 ここまでお読みくださったかたには もう重ねて申し上げるまでもありませんが、まず アッシェンバッハに 同性愛的な嗜好などはありません。 この映画の宣伝や解説などで 今でもたまに見かける、明らかに不適な解釈 「 老人が 少年に恋した 」 云々という言葉が誤解を拡散します。 
 アッシェンバッハは たしかに映画中で 「I Love You お前を愛している 」 と呟いていますが、これは タッジオ 個人 に対して 告白 などを したわけではなく、 タッジオに宿った 「美しさ 」 に対して、そして 自身がすでに失った 「若さ 」 に対して、あるいはそれら「美しさ 」、「若さ 」 の輝きを 賛美する気持ちで いっぱいになった心から溢れ、思わず 独白となって こぼれ落ちてしまった台詞であるに違いないのです。

映画「ヴェニスに死す」 (21)

 逆説的ですが、トーマス・マンが タッジオという 美しい存在 を 敢えて 「男性 」 に設定したことからも、それは明らかではありませんか。
 ご想像ください − 誰でも構わないのですが − アッシェンバッハが もしタッジオの姉のほう( を、もっと美しい少女をキャスティングし直す必要はあるでしょうが )に目を移してしまったと想像したら、ヴィスコンティ本来の真意は伝わらず、全然別の・・・ たとえば「ロリータ 」のような、そのまんまなドラマになってしまうだけでしょう。彼は 少年タッジオの肉体など 欲していたわけではないのです。

 彼が、タッジオの姿の裡(うち )に 「見たもの 」 とは、少年の肉体の上に かりそめに宿った、いわば天から降臨した 今だけ限定の「美しさ 」そのもの でした。グスタフ・フォン・アッシェンバッハが 芸術家として 長らく追い求めてきたもの、それこそ 人生を賭けて 追い求めてきた解答への重要なヒントを、彼は生涯の最期になって、静養先のヴェニスで出会った一人の少年の輝くような 「美しさ 」 の上に 見出したのでしょう。
 そう、「美 」とは 決して手に触れるところにはなく、ましてや 抱けるものでも、征服できるものでも、味わったりできるものでも ありません。私たちに許されることは、ただ少し離れ 称賛のまなざしで 「見つめる 」だけなのです。
映画「ヴェニスに死す」 (12)
 そんな 「美 」 も、時が経てばタッジオの肉体から 飛び去ることが約束されていました。今は光り輝くタッジオ自身の肉体に宿っている 「美 」も 鮮度に賞味期間があり、その期限が過ぎれば 手放さなければならぬことを、実は 彼自身も まだ知らないでしょう。今日のアッシェンバッハの姿は、明日のタッジオの姿でもあるのです。

 そんな究極の美を 垣間見てしまったアッシェンバッハには さらに色濃く死の影が忍び寄ります。
 流行性の疫病コレラによって死の都と化したヴェニスは、アッシェンバッハ自身の滅びゆく肉体のメタファーでもあります。
スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す (2)
▲ 観光業で成り立っているヴェニスの保健局は 疫病の蔓延をひたすら隠し、「腐敗 」を「取り繕う 」ように 異臭を放つ白い消毒液を 街中に散布させます。 

映画「ヴェニスに死す」
▲ 一方、進行する 「老い 」 を 「取り繕う 」 ように 死化粧のような あり得ない メイクを施されてしまう アッシェンバッハの 白塗りの顔と、同じくらい真っ白な消毒液に浸されるヴェニスの街とが 視覚的にも 重なってくる ではありませんか。 けれど 「老い 」 も 「死 」も 止めることは、決して誰にもできません。
 アッシェンバッハの死因は、持病の心臓病、血管症、過度のストレスに加え、直接は ヴェニスに流行していた 急性コレラに感染したものと思われます。
ヴェニスに死す いちご ヴェニスに死す いちごは危ない
▲ 「だから いちごは危ない、と 言ったじゃろ 」

 ・・・ ですが、実は 死因などは さして重要なことではなく、もともと アッシェンバッハは 療養先である このヴェニスの地で 死すべき運命にあって、彼が自分の「人生 」と訣別する最後の一瞬を迎えたとき、その掌からすべり落ちる間際の 生命(いのち ) − その輝くばかりの「美しさ 」 ( = まさに これを擬人化した存在が「タッジオ 」 ) その本質を 初めて垣間見た、そんな最初で「最期 」の「出会い 」の瞬間を ヴィスコンティが 映像で描いた、これは 一篇の詩であった、といってよいでしょう。


■ 砂時計の砂は みるみる 落ちてゆく − 
 さて、前後して申し訳ありませんが、この映画の最初のほうの ある場面を思い出してください。
 健康問題を抱え、静養を目的にヴェニスへ到着したアッシェンバッハが 最初にホテルの部屋へ案内された後、ミュンヘンで倒れたときのことを回想するシーンで、実は このドラマを理解する鍵ともなる重要な台詞が提示されていたことを ご記憶ですか。

ヴェニスに死す 砂時計のシーン
▲ 「・・・わたしの父の家にも砂時計があった。砂の落ちる通路(みち )は非常に狭いので、最初のうちは いつまでも上の砂の量が減らないようにみえたものだ。砂が残り少なくなったことに気づくのは いつも終わりの間際だった。それまでは誰も殆んど気にしない。最後まで時間が過ぎて 気づいたときには、既に全部の砂が落ち切っていた・・・ 」

 この回想場面の背景では、アッシェンバッハの友人の音楽家アルフリートが、マーラーの「アダージェット 」を 邸のピアノで巧みに奏でています。 砂時計の中を上下に流れる砂は、一瞬の儚(はかな )さと 停時の永遠とを対比させる相対的な小道具として 映画に登場しています。

 たとえば、主人公アッシェンバッハが ビーチの長椅子の上で最期の時を迎えるラスト・シーンが、まさしく砂の上であることは言うまでもなく、また 同じビーチ・サイドで戯れるタッジオの顔は 粗暴な男友達によって何度も砂まみれにされますが、スクリーンに映る泥だらけの顔は、お節介な母親や家庭教師に わざわざ拭いてもらわなくても 不思議なほど「キタナイ 」という印象を観る者に与えません。それは、あたかもダイアモンドに傷がつかぬように、いくら濡れた砂が泥になってタッジオの顔を汚しても 少年自身の美しさを損なうことは決してないからです。
 これは「美しさ 」が人間に宿る時間は ごく瞬時( すでに何度も書いているように、タッジオもまた年老いる )でありながら、「美しさ 」自体は 永劫不滅であるということを象徴しているように、私には思えます。

映画「ヴェニスに死す」砂時計
▲ 残り少ない砂時計の砂が下へ下へと落ちゆくのを惜しむように 失われつつあるアッシェンバッハ自身の美しかった人生と引き換えに得られた解答、それは、決して手にすることができないがゆえに美しい、死にゆく宿命を背負った「生命 」の輝き の美しさでした。
スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す (3)
▲ わが生命(いのち ) と引き換えに得る (失う ) ことになる 美なる存在の後ろ姿を追って、ヴェネツィアの街中を 徘徊しまくる 白面のアッシェンバッハの 「美しさ 」 に執着する未練は傷ましいほど・・・  “スケルツォ倶楽部”発起人、50歳を過ぎて このシーンを 観ると、本心から 「ああ、わかる、わかるなー 」 と、もう涙が止まりません。 
 まさに人生を終えようとする 芸術家が 「美 」を追求する この姿、この死に物狂いのもがきを、ただの変態ストーカー オヤジ にしか見えなかった 14歳の時の自分の理解の浅さ に ただただ恥じ入ります。

ダーク・ボガード 幼時 Dirk Bogarde Young ! Dirk Bogarde (3) Young Dirk Bogarde ダーク・ボガード若きポートレート Dirk Bogarde Young ! Dirk Bogarde
▲ 若き日のアッシェンバッハ( ? もちろん 俳優ダーク・ボガードですよ )のポートレートを数葉みつけました。 ご覧ください。(出典 dirkbogarde.co.uk より )

映画「ヴェニスに死す」 (22)
「 時よ止まれ お前は美しい ! 」 ( ゲーテ 「ファウスト 」 )

―  少年は髪を風になぶらせつつ、離れた海の中を、模糊として煙る果てしない海を背景に、ぶらぶらと歩いて行く。ふたたび立ちどまって少年はあたりを眺める。と、突然、ふと何事かを思い出したかのように、ふとある衝動を感じたかのように、一方の手を腰に当てて、美しいからだの線をなよやかに崩し、肩越しに岸辺を振返った。
 岸辺にあって少年を見守っていた男は、最初その砂洲から送られてきた灰色に曇った視線を受けとめたときは、もとの通り椅子に坐ったままであった。椅子の背にもたれていた頭は、ゆっくりと、海の中を歩いて行く少年の動きを追っていた。ところが今、彼は少年の視線に応じ答えるように、頭を起こした。と、頭は胸の上にがくりと垂れた。そこで目は下のほうから外を眺めているような具合だったが、彼の顔は、深い眠りの、ぐったりとした、昏々とわれを忘れている表情を示していた。 
 けれども彼自身は、海の中にいる蒼白い愛らしい魂の導き手が自分にほほ笑みかけ、合図しているような気がした。少年が、腰から手を放しながら遠くのほうを指し示して、希望に溢れた、際限のない世界の中に漂い浮んでいるような気がした。すると、いつもと同じように、アシェンバハは立ち上がって、少年のあとを追おうとした。
映画「ヴェニスに死す」 (9)
 椅子に倚って、わきに突っ伏して息の絶えた男を救いに人々が駆けつけたのは、それから数分後のことであった。そしてもうその日のうちに、アシェンバハの死が広く報道されて、人々は驚きつつも恭しくその死を悼んだ。
( トーマス・マン / 原作、高橋義孝 / 訳 新潮文庫より )


■ グスタフ・マーラー 「アダージェット 」
楽譜 マーラー_アダージェット冒頭(音楽之友社 )
▲ 交響曲第5番 嬰ハ短調 〜 第4楽章 アダージェット Adagietto
(非常に遅く Sehr langsam ) ヘ長調 4 / 4拍子、三部形式
 スケルツォ倶楽部 会員の皆さまには 今さら 説明不要の名曲。
 ハープと弦楽オーケストラのみで演奏される、静謐感に満ちた美しい楽章。
 中間部で 第1ヴァイオリンに現れる旋律が フーガ的な要素を持つ第5楽章の中でも ほぼ同じ姿で再現されますが、これら第4楽章と第5 楽章 二つの関係を、J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集等における「前奏曲とフーガ 」の関係と類似性を述べる人もいます (音楽之友社 ミニチュアスコアの解説を参照 )。



スケルツォ倶楽部オススメの
「アダージェット 」 名盤を、いくつか 聴く。
クラシックプレス 2001年秋号


▲ ウィレム・メンゲルベルク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
演奏時間:07:07
録  音:1926年
音  盤:Columbia / 復刻 クラシックプレス(2001年秋号付録CD )
付録CD 併録曲 : 「ルスランとリュドミーラ」序曲(グリンカ )ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 / オデオン大交響楽団 (11.Apr.1933 )、 「幻想交響曲 」第2楽章「舞踏会 」(ベルリオーズ )エウゲニ・ムラヴィンスキー指揮 / ソビエト国立交響楽団 (1949 )、 歌劇「魔笛 」序曲(モーツァルト )ジョージ・セル指揮 / 大交響楽団 (22.Sep.1924 )、 「トルコ行進曲 」(モーツァルト 〜 ヘルベック編 )カール・アルヴィン指揮 / ウィーン・フィル (9.Sep.1929 ) 、 「フィンランディア 」(シベリウス ) ヘルマン・アーベントロート指揮 / ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1936.10.01 )、喜歌劇「こうもり 」序曲(J.シュトラウスU )ブルーノ・ワルター指揮 / ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (10-11.Jan.1929 )、 「ユモレスク 」(ドヴォルザーク )ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 / FOK交響楽団 (29.Oct.1941 )、 序曲「フィンガルの洞窟 」(メンデルスゾーン )ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 / ベルリン・フィル (1930 ) 、 「コリオラン 」序曲(ベートーヴェン )カール・シューリヒト指揮 / ベルリン市立管弦楽団 (Jun.1942 )
コメント: マーラー自身の評価はワルターより高かったとも伝わる メンゲルベルクによる貴重な 「アダージェット 」 レコーディング。随所にストリングスの 押さえた音を引っ張り上げる濃厚なポルタメントが聴かれます、特に後半になってから弦楽器奏者たちの指が 一斉に弦を擦り上げ 擦り下ろす動きがあまりにも凄まじく、テンポも信じられないくらい速いし、当時のスタイルを今に伝える貴重な録音でしょう。SP盤からの復刻ゆえ 03:16辺りで複数のディスクを 繋げたことが判ります。
マーラー アダージェット ガット弦によるHMD
▲ 尚、参考までに 1995年に ガット弦を歴史的楽器に張ったスミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ ( ケネス・スロウィック指揮 )、100年近い昔のメンゲルベルクの解釈で「アダージェット 」を再現しているレコーディングがあるのですが、一聴をオススメします。 必ずメンゲルベルク録音を事前に聴いてからご鑑賞くださいね。



ワルター_マーラーアダージェット_オーパス蔵
▲ ブルーノ・ワルター 指揮 
ウィーン・フィルハーモニー
演奏時間:07:57
録  音:1938年
音  盤:Columbia / 復刻 OPUS蔵
コメント:凄まじいメンゲルベルク盤を聴いた後だと 誰の演奏を聴いてもホッとしますが、特にワルター / ウィーン・フィルのレコーディングは すでに現代の演奏の基礎を築いた歴史的な記録ですよね。後にCBSでワルターは第5をモノラルで全曲録音しますが、アダージェットの解釈は このウィーン・フィル盤と基本的に同じ。速度は速いですが、決して情感を失わない立派な名演と思います。ああ、それにしてもワルターには ぜひステレオ録音で第5番を残しておいてほしかったものです。




バーンスタイン_マーラー第5交響曲_CBS
▲ レナード・バーンスタイン 指揮 
ニューヨーク・フィルハーモニック
演奏時間:11:00
録  音:1963年
音  盤:CBS-Sony
コメント:ヤング・バーンスタイン最初のマーラー全集からの録音。この旧盤は甘さを排した 険しい弦のアンサンブルが特徴で、特に低音弦の弾力ある刻みがフォルティッシモでは凄まじい効果を上げています。

マーラーの高速 第5交響曲(フランス国立放送管弦楽団 )
▲ ヘルマン・シェルヘン 指揮
フランス国立放送管弦楽団
演奏時間:13:04
録  音:1965年 ライヴ
音  盤:HMF
コメント:あの悪名高いズタズタ・カット版で大ブーイングのライヴ録音。正直 普段は 異形の第3 ・ 5楽章 ばかりを抜き出しては 笑って聴いていましたが (失礼 ! ) 改めてちゃんと聴いたら ノー・カットの 「アダージェット 」は超低速、シェルへンらしからぬ( ? )情感も豊かで弦全体がうねる動きと爆発的な迫力にも事欠かない、意外な佳演でありました。

バーンスタイン_ファースト・パフォーマンス_リンカーン・センター・オープニング・ガラ・コンサート1962
▲ レナード・バーンスタイン 指揮 
ニューヨーク・フィルハーモニック
演奏時間:11:19
録  音:1968年6月、ロバート・ケネディ葬儀における実況
音  盤:CBS-Sony
コメント:特殊な環境下における演奏ゆえに 振幅の大きな、ドラマティックなアダージェット。クライマックスでは弦は一斉に叫ぶよう。逆に教会は静まりかえる、そんな厳粛な雰囲気が 封じ込められたサウンドから想像できます。

バルビローリ_マーラー第5交響曲_EMI
▲ ジョン・バルビローリ 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
演奏時間:09:52
録  音:1969年
音  盤:EMI
コメント:正直 他の楽章ならバルビローリ以上に好む演奏はいくらもあるのですが、こと「アダージェット 」に限っては 中低音域の豊かな充実度と心のこもった美しい歌が存分に聴ける、この一枚を 外すことはできません。

映画「ヴェニスに死す」Original Soundtrack
▲ フランコ・マンニーノ 指揮
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
演奏時間:09:28
録  音:1970年
音  盤:Soundtrack from“Death In Venice”(Varese Sarabande)
コメント:特に期待もせず聴き始めたところ、途中 38小節目(03:59 ) − 第一ヴァイオリンの「G線で 」とマーラー自身が指定した個所(フォルテになる辺り ) − 以降、音楽に急速に熱が通って、あっという間に ホント驚くほど濃い口の表情へ彩られます。そこは mit Wärme(暖かさをもって or 親しみを込めて )、まるで胸を大きく膨らませながら 途切れ途切れ 初めての告白に言葉を選ぶ美しい乙女の呼吸に耳を澄ますようです。
さらに 躊躇(ためら )うような高音弦の響きは、後年の繊細極まるバーンスタイン/ウィーン・フィル(D.G. )盤を先取り。感嘆しますよ。

Solti Mahler No.5 (KING KICC‐8433)
▲ ゲオルク・ショルティ 指揮
シカゴ交響楽団
演奏時間:09:47
録  音:1970年
音  盤:Decca-LONDON
コメント:緩徐楽章にもかかわらず弦の力強いボウイングが良く歌い、気持ちよくメリハリを効かせた演奏、各弦とハープそれぞれの動きをしっかり分離して捕えた録音も耳に心地良い、素晴らしい一枚です。

Karajan_Mahler.jpg
▲ ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー
演奏時間:11:53
録  音;1973年
音  盤:D.G.
コメント:磨き抜かれた高級な調度品を思わせる仕上がり。劇的な起伏にも不足なく 特に最後の係留音を思い切り長く引っ張っておいて低音弦が締める呼吸は比類ない格好良さです。大好きですね、カラヤン。

マーラー_交響曲第5番 ノイマン_チェコ・フィル  
▲ ヴァーツラフ・ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
演奏時間:10:05
録  音:1977年
音  盤:SUPRAPHON
コメント:チェコの古き良き時代のストリングス・アンサンブルによる、弦楽器本来がもつ生(アコースティック )な温もりが伝わってくる好ましいサウンドです。ミキシングのせいでしょうか、第4楽章は 奏者が弦を爪弾くハープの音がやや大きく鮮明に聴こえてくる録音に特徴があります。

マーラー第5番 レヴァイン フィラデルフィア管弦楽団 RCA
▲ ジェイムズ・レヴァイン 指揮
フィラデルフィア管弦楽団
演奏時間:12:02
録  音:1977年
音  盤:RCA
コメント:弦楽オーケストラのダイナミックな起伏が素晴らしいアダージェット。逆に弦の人数を減らす指示のある個所での室内楽的な音響のヴィブラートも美しく心に残ります。第5番は(10番を別格とすれば )レヴァインのマーラーでは最高傑作ではないでしょうか。

テンシュテット_マーラー第5_FM東京
▲ クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
演奏時間:12:05
録  音:1984年
音  盤:東京FM (TFMC0015 )
コメント:夭折したテンシュテットの素晴らしい「第5 」が聴ける音盤はEMIにスタジオ盤(1978年 )とライヴ盤(1988年 )の二種ありますが、いずれもこのカリスマ指揮者のマーラーへの適性の高さを思い知らされる凄演です。おススメの このディスクは、同オケとの来日公演(大阪 )、「アダージェット 」が発散する情念が尋常でなく、そのまま最後まで聴き通したくなってしまいます。

バーンスタイン_ウィーン・フィルマーラー第5
▲ レナード・バーンスタイン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー
演奏時間:11:12
録  音:1987年
音  盤::D.G.
コメント:打ち震えるように切なく繊細な弦の響き、フォルティッシモではスケールの大きさが際立ち エモーショナルで もうたいへんなことになっています。フレーズひとつひとつが深く考え抜かれ、時に息苦しくなるほど力の入った演奏。マーラー好き なら どなたも よくご存知ですよね。

小澤征爾_マーラー第5番 ボストン(Philips ) 
▲ 小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団
演奏時間:11:56
録  音:1990年
音  盤:PHILIPS
コメント:丁寧に楷書で書かれた筆運びを思わせる名演です。情熱的に波が打ち寄せる中間部でも 小澤さん、決して激することなく 美しく 弦の縦線を揃えながら歩みます。例のため息がグリッサンドで落下した後、静寂の中から再び現れるメイン主題は 今度は著しくテンポを落としており、その姿はどこか神秘的ですらあります。

プレートル_マーラー第5交響曲_
▲ ジョルジュ・プレートル 指揮
ウィーン交響楽団
演奏時間:11:21
録  音:1991年
音  盤:Weitblick
コメント:意外な掘り出し物でした。 ライヴならではのとても情感豊かな内容。厚みのある弦のアンサンブル。その精度は 必ずしも高くないですが、それゆえ どこか草書的な勢いもあって、私は 結構好きです。

ブーレーズ_マーラー第5交響曲_DG
▲ ピエール・ブーレーズ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー
演奏時間:10:59
録  音:1996年
音  盤:D.G.
コメント:透徹したウィーン・フィルの弦、それも弱音の美しさが印象深い名演。D.G.ブーレーズのマーラーには不満は全く感じないんですが、不満のないところが不満とでも言いますか・・・  かつて 鋭い氷の剣のようだったCBS時代の 「嘆きの歌 」やバルトーク、ラヴェル、シェーンベルク、ベルク の演奏ほどにはどうしても没入できないです。聴く側である私のほうに 聴き取る能力が足りないんでしょうけど・・・ 。

ブルネロ_ダルキ・イタリアー_フィルム(マーラー アダージェット収録 ) ダルキ・イタリアーナ
▲ マリオ・ブルネロ 指揮 
ダルキ・イタリアーナ (2002年 )
演奏時間:12:39
録  音:2002年
音  盤:Victor アルバム「フィルム 」
収録曲 : 弦楽のためのアダージョop.11 (バーバー )、ヴァイオリンと弦楽オーケストラのためのノスタルジア〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に (武満徹 )、トリスティング・フィールズ (ナイマン )、弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ 」 (ヤナーチェク )、交響曲第5番 嬰ハ短調〜第4楽章 アダージェット (マーラー )
コメント:1986年にチャイコフスキー・コンクール・チェロ部門優勝以来 世界的に活躍するイタリアの名チェリストが2000年に組織したユース・オーケストラによる演奏。情感も起伏も豊か、美しく均整のとれた堂々たる名演に驚きます。ブルネロには ぜひフルオケで第5番全曲を振ってもらいたいものです。

ノリントン_マーラー第5_Haenssler
▲ ロジャー・ノリントン 指揮
SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
演奏時間:08:54
録  音:2006年
音  盤:Hänssler
コメント:  ノリントンらしくノン・ヴィブラート奏法のおかげで 弦の美しい透明度が増した、一聴の価値ありの新しさです。弦とハープの分離も良く、耳に心地良く染み入る音響。今の私なら、まずノリントン盤の個性的な演奏を 心から楽しみに、繰り返し聴きたいですね。

 すみません。 
 実は 他にも 自宅のCD棚に眠っている 所蔵盤についても 一言ずつ コメントを 入れるつもりで準備 ・・・
▼ ラファエル・クーベリックとか、
クーベリック_マーラー第5_DG クーベリック_マーラー第5_Audite

▼ ロリン・マゼール、リッカルド・シャイー ・・・
マゼール_マーラー全集_sony マーラー 交響曲全集 シャイー_コンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリン放送交響楽団

▼ それから インバル、ラトル、ファビオ・ルイージ なども 準備していたのですが・・・
インバル_マーラー交響曲第5番 ラトル_マーラー第5交響曲_EMI ルイージ_マーラー第5

 はー、今日は さすがに 発起人 疲れ果ててしまいました。 もういいや、ここまで読んでくださって 感謝です。 また いつか・・・


▲ 駆け足10分で観る 映画「ヴェニスに死す 」



http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-390.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
123. 中川隆[-14092] koaQ7Jey 2020年2月02日 16:16:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-774]
グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c123
[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
174. 中川隆[-14091] koaQ7Jey 2020年2月02日 17:16:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-773]

スキー場積雪ランキング 2020年2月2日更新


1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 266cm
.

2夏油高原

岩手 積雪量 240cm
.

3シャルマン火打

新潟 積雪量 230cm
.

4キロロスノーワールド

道央 積雪量 230cm
.

5ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 230cm
.

6たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

7丸沼高原

群馬 積雪量 200cm
.

8HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 190cm
.

9関温泉

新潟 積雪量 190cm
.

10川場

群馬 積雪量 190cm
.

11森吉山阿仁

秋田 積雪量 180cm
.

12秋田八幡平

秋田 積雪量 180cm
.

13安比高原

岩手 積雪量 180cm
.

14サッポロテイネ

道央 積雪量 180cm
.

15札幌国際

道央 積雪量 180cm
.

16野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 175cm
.

17富良野

道北 積雪量 173cm
.

18HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 170cm
.

19八甲田

青森 積雪量 165cm
.

20志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 160cm
.

21かぐら

新潟 積雪量 160cm
.

22谷川岳天神平

群馬 積雪量 160cm
.

23天元台高原

山形 積雪量 160cm
.

24ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 160cm
.

25HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 157cm
.

26HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 155cm
.

27六日町八海山

新潟 積雪量 150cm
.

28HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ

長野 積雪量 145cm
.

29池の平温泉

新潟 積雪量 145cm
.

30赤倉温泉

新潟 積雪量 145cm
.

31音威富士

道北 積雪量 145cm
.

32GALA湯沢

新潟 積雪量 140cm
.

33赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 140cm
.

34星野リゾート トマム

道北 積雪量 140cm
.

35竜王スキーパーク

長野 積雪量 135cm
.

36野沢温泉

長野 積雪量 135cm
.

37妙高 杉ノ原

新潟 積雪量 134cm
.

38戸狩温泉

長野 積雪量 130cm
.

39グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 130cm
.

40神立スノーリゾート

新潟 積雪量 125cm
.

41開田高原マイア

長野 積雪量 120cm
.

42石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

43ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 120cm
.

44星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 120cm
.

45岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 120cm
.

46ルスツリゾート

道央 積雪量 120cm
.

47サホロリゾート

道東 積雪量 120cm
.

48奥志賀高原

長野 積雪量 115cm
.

49ONTAKE2240

長野 積雪量 110cm
.

50Mt.乗鞍スノーリゾート のりくらエリア

長野 積雪量 110cm
.

51志賀高原 焼額山

長野 積雪量 110cm
.

52斑尾高原

長野 積雪量 110cm
.

53スノーパーク尾瀬戸倉

群馬 積雪量 110cm
.

54鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 110cm
.

55ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 110cm
.

56湯殿山

山形 積雪量 110cm
.

57雫石

岩手 積雪量 110cm
.

58戸隠

長野 積雪量 105cm
.

59キューピットバレイ

新潟 積雪量 105cm
.

60スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 100cm
.

61富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 100cm
.

62HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド

長野 積雪量 100cm
.

63志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 100cm
.

64サンメドウズ清里

山梨 積雪量 100cm
.

65妙高スキーパーク

新潟 積雪量 100cm
.

66ムイカスノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

67舞子スノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

68万座温泉

群馬 積雪量 100cm
.

69草津温泉

群馬 積雪量 100cm
.

70箕輪

福島 積雪量 100cm
.

71奥中山高原

岩手 積雪量 100cm
.

72八幡平リゾート パノラマスキー場&下倉スキー場

岩手 積雪量 100cm
.

73網張温泉

岩手 積雪量 100cm
.

74ピラタス蓼科スノーリゾート

長野 積雪量 95cm
.

75やぶはら高原

長野 積雪量 90cm
.

76湯の丸

長野 積雪量 90cm
.

77車山高原SKYPARK

長野 積雪量 90cm
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78HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 90cm
.

79志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 90cm
.

80志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ

長野 積雪量 90cm
.

81志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 90cm
.

82志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 90cm
.

83志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 90cm
.

84軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 90cm
.

85かたしな高原

群馬 積雪量 90cm
.

86山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

87山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

88黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 90cm
.

89たざわ湖

秋田 積雪量 90cm
.

90みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 90cm
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91カムイスキーリンクス

道央 積雪量 90cm
.

92菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 85cm
.

93ノルン水上

群馬 積雪量 85cm
.

94桜ヶ丘

道東 積雪量 82cm
.

95イエティ

静岡 積雪量 80cm
.

96高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 80cm
.

97鷲ヶ岳

岐阜 積雪量 80cm
.

98ダイナランド

岐阜 積雪量 80cm
.

99めいほう

岐阜 積雪量 80cm
.

100Mt.乗鞍スノーリゾート 休暇村エリア

長野 積雪量 80cm
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c174

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
28. 中川隆[-14090] koaQ7Jey 2020年2月02日 17:16:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-772]

スキー場積雪ランキング 2020年2月2日更新


1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 266cm
.

2夏油高原

岩手 積雪量 240cm
.

3シャルマン火打

新潟 積雪量 230cm
.

4キロロスノーワールド

道央 積雪量 230cm
.

5ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 230cm
.

6たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

7丸沼高原

群馬 積雪量 200cm
.

8HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 190cm
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9関温泉

新潟 積雪量 190cm
.

10川場

群馬 積雪量 190cm
.

11森吉山阿仁

秋田 積雪量 180cm
.

12秋田八幡平

秋田 積雪量 180cm
.

13安比高原

岩手 積雪量 180cm
.

14サッポロテイネ

道央 積雪量 180cm
.

15札幌国際

道央 積雪量 180cm
.

16野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 175cm
.

17富良野

道北 積雪量 173cm
.

18HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 170cm
.

19八甲田

青森 積雪量 165cm
.

20志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 160cm
.

21かぐら

新潟 積雪量 160cm
.

22谷川岳天神平

群馬 積雪量 160cm
.

23天元台高原

山形 積雪量 160cm
.

24ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 160cm
.

25HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 157cm
.

26HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 155cm
.

27六日町八海山

新潟 積雪量 150cm
.

28HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ

長野 積雪量 145cm
.

29池の平温泉

新潟 積雪量 145cm
.

30赤倉温泉

新潟 積雪量 145cm
.

31音威富士

道北 積雪量 145cm
.

32GALA湯沢

新潟 積雪量 140cm
.

33赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 140cm
.

34星野リゾート トマム

道北 積雪量 140cm
.

35竜王スキーパーク

長野 積雪量 135cm
.

36野沢温泉

長野 積雪量 135cm
.

37妙高 杉ノ原

新潟 積雪量 134cm
.

38戸狩温泉

長野 積雪量 130cm
.

39グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 130cm
.

40神立スノーリゾート

新潟 積雪量 125cm
.

41開田高原マイア

長野 積雪量 120cm
.

42石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

43ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 120cm
.

44星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 120cm
.

45岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 120cm
.

46ルスツリゾート

道央 積雪量 120cm
.

47サホロリゾート

道東 積雪量 120cm
.

48奥志賀高原

長野 積雪量 115cm
.

49ONTAKE2240

長野 積雪量 110cm
.

50Mt.乗鞍スノーリゾート のりくらエリア

長野 積雪量 110cm
.

51志賀高原 焼額山

長野 積雪量 110cm
.

52斑尾高原

長野 積雪量 110cm
.

53スノーパーク尾瀬戸倉

群馬 積雪量 110cm
.

54鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 110cm
.

55ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 110cm
.

56湯殿山

山形 積雪量 110cm
.

57雫石

岩手 積雪量 110cm
.

58戸隠

長野 積雪量 105cm
.

59キューピットバレイ

新潟 積雪量 105cm
.

60スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 100cm
.

61富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 100cm
.

62HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド

長野 積雪量 100cm
.

63志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 100cm
.

64サンメドウズ清里

山梨 積雪量 100cm
.

65妙高スキーパーク

新潟 積雪量 100cm
.

66ムイカスノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

67舞子スノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

68万座温泉

群馬 積雪量 100cm
.

69草津温泉

群馬 積雪量 100cm
.

70箕輪

福島 積雪量 100cm
.

71奥中山高原

岩手 積雪量 100cm
.

72八幡平リゾート パノラマスキー場&下倉スキー場

岩手 積雪量 100cm
.

73網張温泉

岩手 積雪量 100cm
.

74ピラタス蓼科スノーリゾート

長野 積雪量 95cm
.

75やぶはら高原

長野 積雪量 90cm
.

76湯の丸

長野 積雪量 90cm
.

77車山高原SKYPARK

長野 積雪量 90cm
.

78HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 90cm
.

79志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 90cm
.

80志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ

長野 積雪量 90cm
.

81志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 90cm
.

82志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 90cm
.

83志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 90cm
.

84軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 90cm
.

85かたしな高原

群馬 積雪量 90cm
.

86山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

87山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

88黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 90cm
.

89たざわ湖

秋田 積雪量 90cm
.

90みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 90cm
.

91カムイスキーリンクス

道央 積雪量 90cm
.

92菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 85cm
.

93ノルン水上

群馬 積雪量 85cm
.

94桜ヶ丘

道東 積雪量 82cm
.

95イエティ

静岡 積雪量 80cm
.

96高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 80cm
.

97鷲ヶ岳

岐阜 積雪量 80cm
.

98ダイナランド

岐阜 積雪量 80cm
.

99めいほう

岐阜 積雪量 80cm
.

100Mt.乗鞍スノーリゾート 休暇村エリア

長野 積雪量 80cm
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c28

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
152. 中川隆[-14089] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:12:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-771]
「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/883.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c152
[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
24. 中川隆[-14088] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:20:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-770]
評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」

景気後退にもかかわらず、消費増税を断行。自分で自分の首をしめるがごとく、ことさらに不景気を造っている。

2020年2月号 BUSINESS by 中野剛志(評論家)

「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行


野心にとり憑かれた井上準之助蔵相


国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。

当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。

だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。彼の論理は、こうだった。政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。そうすれば、為替レートが上昇する。そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。

結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。

後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。
.

「緊縮財政」に松下幸之助の嘆き

最も有名なのは、言うまでもなく、高橋是清である。高橋がケインズ主義的な「高橋財政」を行ったのは、ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』が刊行される前のことだった。高橋は、ケインズの理論を知らずして、ケインズと同じ理解に達していたのである。例えば、高橋の次の言葉は、ケインズ経済学の有効需要の原理や乗数効果を先取りしたものとして、後世の研究者を驚かせたものである。

〈緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮にある人が待合へ行つて、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。(中略)即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。しかるに、この人が待合で使つたとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなつて働く。ゆゑに、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとつて、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなつて働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。茲が個人経済と、国の経済との異つて居るところである〉

高橋は、この洞察を経済理論からではなく、自身の豊富な実務経験から得たのであろう。だが、このような発想は高橋だけのものではなかった。政友会の大物政治家三土忠造も『経済非常時の正視』(1930年)の中で、緊縮財政が消費の減退とデフレを招くメカニズムを正確に示していた。

〈先づ政府が一番大きな消費者であり、次は地方公共団体である。この大なる消費者が急に財政を緊縮して事業の中止又は繰延を行ひ、物資の購入を激減し、事業に従事する多数の人々の収入を杜絶する結果として、生産者及商人に大影響を及ぼし、これ等の人々の購買力を減退せしめることは明かである。又政府の奨励に従つて多数国民が消費を節約することになれば、これが生産者及販売者の利益を減少せしめることも云ふを俟たない。即ち国家及び公共団体並びに多数国民が急に消費を減少するだけでも、経済上に相当大なる打撃を与へ、不景気を招来することは初めより明かであるが、それよりも更に不景気を深刻ならしめるものは、之に依つて起る所の物価先安見越である。(中略)苟も常識あるものは如何なる品物でも今買ふよりも後になつて買ふ方が利益であると云ふ打算をする。かくの如くにして物価先安見越が強くなつて来れば、一般に差当り止むを得ざるものゝ外は購入を見送る気味に一致する〉

実務家のセンスから、ケインズと同じ洞察に達したのは、高橋や三土のような政治家だけではない。かの松下幸之助も、当時、こう考えていたという。

〈緊縮政策もここまでくると、自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている(中略)物を使った上にも使ってこそ、新たなる生産が起り、進歩となって不景気が解消され、国民には生気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。それにはかかる政策はことごとくその反対の結果を招来するものである。私のような学理を知らない者にとっては不思議でならなかった〉

「学理を知らない」松下が訝しんだ緊縮政策を断行した井上は、エリート中のエリートであった。二高で高山樗牛と首席を争い、東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入り異例の昇進を遂げる。19年日銀総裁、23年には大蔵大臣、27年から28年にかけては再び日銀総裁を務めた。しかし、この経歴から明らかなように、井上もまた豊富な経験をもつ実務家であった。しかも奇妙なことに、彼は29年夏に民政党に入党する直前までは、金解禁は「肺病患者にマラソン競走をさせるようなものだ」と述べていたのである。それが、民政党政権で蔵相となるや、突然、金解禁論者の最右翼に豹変し、少なくとも公式には、死ぬまで自説を改めなかった。なぜ、井上はこのような頑迷な姿勢を貫いたのか。
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「怨念」吸い上げるポピュリスト勢力

井上は、浜口内閣の蔵相に任命され、金解禁を政策課題として与えられた際、かつて誰も為し得なかった金解禁を実現して、歴史に名を刻みたいという野心にとり憑かれたのだ。そして、その政治的野心が、冷静な情勢判断を妨げたのである。金解禁後、その失敗が明らかとなったが、失敗を認めることは政治的敗北を認めることに等しい。批判の声が高まれば高まるほど、井上はますます己の立場に固執せざるを得なくなるというディレンマに追い込まれた(中村隆英『昭和恐慌と経済政策』)。

しかし、井上が自らの政治生命を守ることに執着したせいで、国民、特に中小企業と農民層が絶望的な困窮に追い込まれた。既存の支配層に絶望した彼らは、過激な右翼思想へと引き込まれていった。井上の緊縮財政がもたらした危機がファシズムを生み、日本を軍国主義へと駆り立てたのだ(長幸男『昭和恐慌:日本ファシズム前夜』)。
https://facta.co.jp/article/202002024.html
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c24

[近代史3] 「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行 中川隆
1. 中川隆[-14087] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:28:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-769]

井上準之助は JPモルガンのエージェントだった


櫻井ジャーナル2019.05.02

日本で天皇の代替わり儀式が行われる中、米政府はベネズエラでクーデターに失敗

 日本のマスコミは天皇が退位する、即位すると騒いでいる。彼らにとって天皇とは「至高の存在」なのだろう。日本は第2次世界大戦で降伏する前と同じように天皇制官僚国家であり、その元首は天皇だということである。


 しかし、徳川時代の天皇は忘れ去られた存在だった。当時の天皇は生活に困窮し、短歌を売っていたという話を聞いたこともある。徳川の拠点である江戸に住む人びとが「公方様」として意識していたのは徳川家だ。


 その忘れられた天皇を発掘し、徳川に代わる体制の象徴にしようとした人びとがいた。その人びとによって現在の天皇制、明治王朝が誕生した。その後ろ盾がイギリスの支配層だ。


 徳川から明治へ移行する時期、つまり明治維新の頃、イギリスはビクトリア女王が君臨していた。心霊術にのめり込んでいた人物として知られている。


 女王は夫のアルバート(ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男で、夫妻はいとこの関係)からアドバイスを受けていたとされているが、それ以上に影響力を持っていたと思われるのがネイサン・ロスチャイルド、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)など。


 言うまでもなくロスチャイルドは強大な金融資本の支配者でローズのスポンサー。ステッドはジャーナリストで、ブレッドはビクトリア女王の相談相手だ。後にブレッドはエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。


 当時のイギリスはいわゆる産業革命で生産力が上がったものの、商品が思うように売れない。国内では貧富の差が拡大、民の貧困化が深刻になる。そこで始めたのが麻薬取引と侵略戦争。中国(清)の富を奪うためにアヘン戦争を始めたのが1840年。その年にビクトリア女王とアルバートが結婚している。イギリスが「世界経済の覇者」と呼ばれるようになるのはそれ以降だ。大英帝国とは侵略と略奪で成り立っていた。


 中国より前にイギリスが植民地化していたインドでは1857年に傭兵(セポイ)が武装蜂起、一般のインド人を巻き込んで大反乱になった。鎮圧されたのは1859年。その年にアヘンと武器の取り引きで大儲けしていたジャーディン・マセソンは日本へふたりのエージェントを送り込む。ひとりは歴史小説で有名なトーマス・グラバーで、赴任地は長崎。もうひとりはジャーディン・マセソンの創設者一族に属すウィリアム・ケズウィックで、赴任地は横浜。


 明治政府は1872年の琉球併合から台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争というように東アジア侵略を開始、その背後にはイギリスが存在していた。日本人はイギリスの支配者に操られていたと言える。


 そのイギリスは1899年からボーア戦争(南アフリカ戦争)を開始、金やダイヤモンドを産出する南アフリカを制圧する。その直前に南アフリカではダイヤモンドが発見され、その利権に目をつけたイギリスの支配者たちが引き起こした戦争だった。後に首相となるウィンストン・チャーチルもこの戦争で頭角を現している。この戦争で世界の金をイギリスが支配するようになり、金本位制を採用する国々の通貨も支配できるようになった。


 ちなみにチャーチルは貴族階級の家に生まれたが、父親のランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。


 生前、ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたことでも知られ、その額は現在の価値に換算すると数百万ポンド、つまり数億円。いくらでも借りられたという。ランドルフがロスチャイルドを裏切らない限り、借金は返済する必要がなかったようだ。


 ネイサン・ロスチャイルドと親しい関係にあったジョージ・ピーボディーは銀行を経営していたが、そのパートナーがジュニアス・モルガン。その息子がジョン・ピアポント・モルガンだ。ネイサンはこの若者をアメリカにおけるビジネスの責任者にしている。そして巨大銀行のJPモルガンが生まれる。関東大震災以降の日本に大きな影響力を及ぼすことになるのはこのJPモルガン。


 この銀行が中心になり、アメリカでは1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制を樹立させようというクーデターが計画されている。


 そのJPモルガンが駐日大使として日本へ送り込んできたのがジョセフ・グルー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、グルーと親しかった日本人には秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右などが含まれる。中でも親しかったのは松岡。戦争が始まり、離日する直前にグルーがゴルフした相手は岸だ


 要するにイギリスとアメリカの金融資本はつながっているのだが、その金融資本を中心とする支配層がベネズエラの石油を狙っている。


 4月30日にもクーデターが試みられたが失敗、フアン・グアイドと反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペス(2014年のクーデター未遂で自宅軟禁中だったが、クーデター派によって解放されていた)はスペイン大使館へ逃げ込み、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んだ。


 クーデタの失敗を受け、アメリカのマイク・ポンペオ国務長官はメディアに対し、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は航空機でキューバへ逃げようとしていたが、ロシアの説得で留まったと主張している。実際はごく狭い地域で混乱があっただけで、基本的に国内は安定、逃亡するような状況ではなかった。ポンペオは失笑を買っただけ。


 アメリカ支配層が発する嘘の質が急速に劣悪化している。アメリカを中心とする支配システムの崩壊は早いかもしれない。アメリカの支配システムが崩れれば、日本の天皇制官僚制も維持できなくなる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905010001/


▲△▽▼


櫻井ジャーナル 2019.04.24

米支配層が維持しようとした天皇制官僚体制の恥部がひとつ明らかに

 インドネシアのバンカ島で日本軍の兵士は1942年2月、22名のオーストラリア人看護師を銃殺したという。海の中を行進させ、機関銃で射撃、ひとりを除いて殺害したのだが、その前に看護師は兵士から性的暴行を受けていたことを示す証拠の存在が明らかにされた。(​英語​、​日本語​)証拠を隠滅し、なかったことにするという手法は今でも使われている。NGT48のケースもその一例だが、隠しきれないこともある。


 日本のアジア侵略は1872年の琉球併合から始まるが、アメリカとの戦争は1941年12月7日の真珠湾攻撃から。1942年6月のミッドウェー海戦で日本の艦隊が敗北するまで日本側は勝ち戦だと考えていたようだ。そうした中、バンカ島での虐殺は引き起こされたことになる。


 外国へ攻め込んだ軍隊の兵士が女性に性的に暴行するという話はしばしば聞く。日本軍に限った話ではない。日本軍の特徴はブレーキがきかなくなることにあると言えるだろう。性的暴行への対策として日本軍が作り上げたのが慰安婦の仕組みだ。戦争経験者は次のような文章を残している。


 「日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。」(高見順著『敗戦日記』)


 「あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)


 「そこで、出てきたのが『慰安婦』というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書)


 「女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。」(前掲書)


 「何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書)


 敗戦後、日本の将兵が戦場で行ったことを批判的に語るおとなもいたが、多くの「元兵士」にとって身に覚えのある話であり、口にすることはできなかっただろう。勿論、事実を否定することもできない。1945年に20歳代だった人は1975年でも50歳代だ。日本社会には戦場の記憶が鮮明に残っていた。荒唐無稽な話はできない。


 戦争経験者が少なくなるに連れ、妄想を平然と口にする人が増えてくる。メディアもそうした妄想の拡散に協力した。


 それでも慰安婦の存在を否定できないため、商売として行っているのだから問題がないと言う人もいるが、その考え方は日本人の堕落、退廃を示している。


 第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用され、庶民の生活水準は悪化し、東北地方では娘の身売りが増えた。欠食児童、争議なども社会問題になっている。こうした貧富の差を拡大させる政策を推進したのが浜口雄幸内閣だ。


 そうした政策に反発する人も少なくなかった。その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。井上は当時、日本でも最もJPモルガンに近いとされていた人物。団もウォール街と緊密な関係にあった。


 その年の5月には五・一五事件が引き起こされ、1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはある。


 井上が殺された1932年に駐日アメリカ大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。このことは本ブログで繰り返し書いてきた。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかもグルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーである。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあったわけだが、1933年から45年4月にかけての期間はウォール街と敵対関係にあったニューディール派がホワイトハウスで主導権を握った。ニューディール派の中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領だ。


 ルーズベルトが急死するとウォール街がホワイトハウスを奪還、ドイツのナチは救出され、日本の天皇制官僚システムは存続することになる。戦争責任も曖昧なまま幕引きになった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)


 ウォール街は日本を支配するシステムとして大戦前から天皇制官僚システムを使っていた。それを戦後も存続させるため、戦争責任の追及と民主化の推進という儀式を早く終わらせる必要があった。


 そこで1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)を設立、48年11月に判決が言い渡されている。その年の12月23日に東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎない。本来なら処罰されて当然であるにもかかわらず被告席にいない人がいた。


 そして新たな憲法が制定される。その憲法は第1条から第8条で天皇制の存続を定めている。「象徴」という修飾語をつけてはいるが、天皇制の存続を謳っている。「戦争の放棄」を定めたその後、第9条だ。


 戦後日本の進む方向を決めたジャパンロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。内務官僚、思想検察、特別高等警察といった戦前日本の治安体制の中枢は戦後も要職に就いている。「国体」は護持されたのだ。


 バンカ島での出来事をオーストラリア政府が封印したのは日本の「国体護持」を望むウォール街の意向に沿った行動だと言えるだろう。その国体に関わる儀式が近く行われる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904230000/

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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その1)

 1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲った。死者/行方不明者は10万5000人以上、その損害総額は55億円から100億円だという。当然のことながら金融機関もダメージを受けた。


 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引したのだが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したため、手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。


 そうした中、復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断し、森賢吾財務官が責任者に選ばれた。交渉相手に選ばれた金融機関がアメリカのJPモルガン。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。


 当時、JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。


 日本に対して大きな影響力を持ったラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争で世界の金を支配することにイギリスは成功、金本位制を最小した国々の通貨を支配できる立場になった。JPモルガンはイギリスの巨大金融資本の影響下にあった金融機関だ。


 金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする考え方をする人物だった。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。


 その1932年にアメリカでは大統領選挙があり、巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破って当選する。


 そのルーズベルトは大統領に就任する17日前、つまり1933年2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会で銃撃事件に巻き込まれた。ジュゼッペ・ザンガラの撃った弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。


 次期大統領を狙っていた可能性があるわけで、背後関係などをきちんと捜査する必要があったのだが、何も事情を聞き出せない、あるいは聞き出さないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809010000/

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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)

 本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。


 その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。


 バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。


 バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。


 クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。


 1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。


 一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。


 1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/

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2018.09.13
米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その1)

 ロシアのウラジオストックで2015年から毎年開催されているEEF(東方経済フォーラム)はウラジミル・プーチンの外交戦略において重要な意味を持っている。アメリカは東アジアの軍事的な緊張を高めようとしているが、それに対抗してロシアは緊張を緩和、地域の経済発展につなげようとしているのだ。プーチンの戦略に中国や韓国は賛成、連携している。この3カ国に朝鮮も加わった。

 今年のEEFは9月11日から13日に開かれているが、そこで朝鮮は自国の鉄道と韓国に鉄道を結びつけることに前向きな姿勢を見せた。ロシアには以前からシベリア横断鉄道を延長して朝鮮半島を南下させようという計画がある。その計画とリンクしていることは間違いないだろう。


 この鉄道計画はロシアから天然ガスや石油を輸送するパイプラインの建設計画、そして中国の一帯一路とも関係している。大英帝国の時代からアングロ・サクソンの基本戦略はユーラシア大陸の周辺部分から内陸部を締め上げていくというもの。物資の輸送が海運中心だった時代は効果的な戦略だったが、そうした戦略を高速鉄道やパイプラインは揺るがせている。


 現在、東アジアでアメリカの戦略に従っている数少ない国のひとつが日本。その日本に対し、プーチンは前提条件なしで平和条約を結ぼうと日本側へ提案したという。ソ連/ロシアと中国の制圧を長期戦略の中心に据えているアメリカは日本がソ連/ロシアや中国と友好関係を結ぶことを許さない。プーチンも当然、そうしたことを熟知している。アメリカの政策で疲弊している日本へのちょっとしたメッセージだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809120000/


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その2)


 アメリカは東アジアでも軍事的な緊張を高めようとしてきた。2009年に総理大臣となった鳩山由紀夫は東シナ海を「友愛の海」にしようと提案したが、これはアメリカ支配層を激怒させたことだろう。その後、日本ではマスコミが鳩山を攻撃、鳩山は2010年に首相の座から引きずり下ろされた。


 そして登場した菅直人内閣は中国との関係を破壊する。2010年に「日中漁業協定」を無視して石垣海上保安部は中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まったのだ。それ以降、日本は中国に敵対する国になった。


 こうした政策は日本の企業に打撃を与える。中国は日本企業にとって重要なマーケットだったからだ。アメリカの中東政策は石油価格を暴騰させる可能性があるのだが、これも日本にとっては大問題。ロシアという中東より低コストで安定的なエネルギー資源の供給源が日本の近くに存在するが、ロシアとの関係を深めることをアメリカ支配層は許さないだろう。


 こうしたアメリカの政策は一貫したもの。1955年6月に鳩山一郎内閣はソ連と国交正常化の交渉を始めた。その一方、重光葵外務大臣(副総理)は同年8月に訪米してジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談、「相互防衛条約」の試案を提示した。


 その試案の中で「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始」、「アメリカ合衆国の陸軍及び海軍の一切の地上部隊は、日本国の防衛6箇年計画の完遂年度の終了後おそくとも90日以内に、日本国よりの撤退を完了するものとする」としている。


 日本とソ連は「歯舞、色丹返還」で領土問題を解決させる方向で動き始めたのだが、ダレス米国務長官は激怒、2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝したという。沖縄は歴史的に独立国であり、その意味でもアメリカの姿勢は傲慢だ。


 こうした恫喝はあったが、鳩山首相は1956年10月、河野一郎農相をともなってモスクワを訪問、鳩山首相とニコライ・ブルガーニン首相(ソ連閣僚会議議長)は日ソ共同宣言に署名して12月に発効した。それにタイミングを合わせるように鳩山は引退する。


 鳩山一郎の辞任を受けて行われた自民党総裁選でアメリカは岸信介を後押しするが、中国やソ連との交流を促進しようとしていた石橋湛山が勝つ。その石橋は2カ月後に病気で倒れ、首相臨時代理を務めることになったのが岸。翌年の2月に岸は首相に選ばれた。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130000/


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)

 明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。


 その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。


 しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。


 イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。


 このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。


 このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。


 このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。


 1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。


 ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。


 そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。


 この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。


 それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。​その演習に中国軍は3200名を参加させている​。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。


 明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130001/

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2018.09.21 自民党総裁選という茶番

 自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。


 アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。


 ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。


 アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。


 その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)


 1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。


 このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。


 唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。


 安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。


 1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。


 グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。


 グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。


 松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/883.html#c1

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
260. 中川隆[-14086] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:31:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-768]
2020年02月02日
勝つ投資家は暴落で買う マイナス金利、円高、株安、原油安


ソロスといえども神のように予言が当たった訳ではなく、半分は外れている。
つまり我々と予測の精度は変わらない。

引用:http://b2.img.mobypicture.com/befe2285c152c9fbb8f5f1047783f4eb_large.jpg

暴落は投資で勝つチャンス

現在は中国発新型ウイルスの脅威で市場の変動が大きくなり、儲けやすいが損もしやすい状況になっています。

2019年後半から米中貿易対立の影響で世界経済が減速し、悲観的な予想が増えていました。

2009年の世界経済危機を主要国は金融緩和つまりお金バラマキで乗り切ったが、限界が指摘されている。


各国の金融緩和の原資になったのは日本もそうだが中央銀行の借金であり、アメリカが100兆円ばら撒いた分はFRBの借金になった。

政府債務や企業の借金も増え、全世界の企業債務は8000兆円を超えた。(国際金融協会(IIF))

世界の債務合計金額は1京8000兆円(2016年、国際決済銀行(BIS))を超え、現在は2京円に達している筈です。

世界の経済成長はこうした借金に支えられているので、持続可能かどうか疑問視する声も出ている。

特に中国の債務は巨大で、政府債務だけで4000兆円、GDP比で300%を超えていると言われている。

世界的な経済危機が発生してもおかしくない状況であり、中国発世界経済危機が懸念されている。

ところが本当に「勝つ投資家」は大きな下げや暴落局面でしか、新たな投資を始めません。

大投資家は暴落で買う

一般的な投資家は上昇局面で買い、下がると耐えられなくなって売ります。

ジョージソロスは下げ相場で顧客の預かり金が20%以上減った時、「たった20%しか減っていないのに解約するなんてバカな連中だ」と言ったそうです。

彼にとっては暴落時こそ、安く株等を買うチャンスだったのです。


バフェットもほとんど同じ事を言っていて「肉が安ければ買うでしょう?私は安いから株を買うのです」とリーマンショックの時に言いました。

ここで一般的な投資家、例えば貴方や私の投資を検証して見ると、おそらく株価などが上昇しているときに買って儲けている。


日経平均は2008年から2012年までの民主党時代、7000円から9000円の間をうろうろしていました。

安倍首相が就任して金融緩和を始めると、あれよあれよと上昇して行き、2015年6月に2万952円の最高値をつけました。

多くの人は2013年に株高を確信して買い、2014年から2019年に掛けて儲けたと思います。

これは別に良いのですが、こうした人の多くは最後に高値で買ってしまって、損切りして終える。


一般的な投資家は、上昇局面からピークを超え、相場が下降してからも買い注文を入れています。

リーマンショックを例に取ると、危機前は1ドル124円でしたが110円や100円台の時に買った人が多く居ました。

その後ドル円は70円台まで下落して、株や為替を買った人は、全員が大損したが破産したと思います。

勝つ投資家は我々の真逆をやっている

優れた投資家は必ず分散投資をし、レバレッジは絶対に掛けません。

レバレッジを掛けると僅かな値動きで資産が底をついてしまうので、自分の戦略を制限されるからです。

自分が注目している相場が暴落して市場がパニックになっている最中に、やっと買い始めます。


それも相場が半額に下落しても痛くないような小額を、相場が下がるごとに、積み立て投資していきます。

相場の世界では指数が半分になるのは良くある事で、日経平均は5分の1、原油は4分の1に下落しました。

こうした指数がゼロになる事はないのですが、仮にゼロになっても深刻な打撃を受けない程度の金額を分散して積み立てます。


すると大抵数ヵ月後には反転し始めて、1年か2年後には大きな利益をもたらしている、というのが大人の投資です。

比較して見ると我々レベルとは、何もかも逆の事をしているのが分かります。

我々はなるべく高いレバレッジを掛けるが、大投資家はレバレッジなど掛けない。


我々は一度に可能な限りの金額を掛けて、後は相場が上昇するのを待つだけだが、大抵は下がり続ける。

我々は先の事など考えないが、大投資家は相場が半分になっても4分の1になっても、大きな打撃を受けないようにしている。(そうなる前に損切りするので、負けても損失は軽微)

我々は相場が上昇しているときに買い、あるいは少し下がった時に買い、暴落したときに損切りして破産する。


大投資家は暴落するほど買い進めて、上昇期では何もしない。

こうして優れた投資家は勝つべくして勝ち、劣った投資家は負けるべくして負けます。

欧米の投資機関が顧客を「勝っている人」と「負けている人」に分けて投資テクニックを分析したが、全く差は無かったという話があります。

勝ち組と負け組みは、ただ行動パターンが違っているだけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/55367037.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c260

[番外地7] 日本人の起源 中川隆
9. 中川隆[-14085] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:52:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-767]
>DとEは同根です。

それは現世人類がアフリカから出た少し後の段階の事です:
80万年前に現れた草創期のネアンデルタール人が共通の祖先となり、 60万年前頃にネアンデルタール人が先に出アフリカし、50万年前頃に原ホモサピエンスが現れたのだろうと考えられます。

  最新のY-DNAツリーは、


Y-DNA「Adam」からY-DNA「A0000」(デニソワ人)が分化し、

Y-DNA「A000」(ネアンデルタール人)が分化し、

Y-DNA「A00」(コイサン集団)が分化し、更に「A0」、「A」と分化が進み、

Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分化し、

Y-DNA「BT」がY-DNA「B」とY-DNA「CT」に分化しましたが、

  この「A」と「B」は原ホモサピエンスの始祖亜型と考えられます。


Y-DNA「CT」が出アフリカし、Y-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分化しました。

  これは中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と考えられます。


  この「C」、「D」、「E」 は古代性を強く残した狩猟採集民として、近年まで残ってきました。


日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子集団:Y-DNA「D」と「C」

  Y-DNA「D1b」(旧「D2」)を主力とするY-DNA「C1a1」(旧C1a」との混成部隊である。

  写真は記事「30-11. 縄文遺伝子Y-DNA「D2」」、および「30-12. 縄文ハンター遺伝子Y-DNA「C1a」,「C3a」」でご紹介したものです。

  Y-DNA「D」が100%の純系子孫のOnge族です。白黒写真なのでわかりませんが Onge族やJarawa族は世界で最も黒い(ネイティヴアフリカンより黒い)と言われているそうです。Y-DNA「D」が日本列島に 渡って来たのは、オーストラリアのアボリジニは5−6万年前頃には既に到達していたらしいので、日本列島にも恐らく遅くても 3−4年前頃には渡来していたと考えるのが妥当でしょう。その当時のY-DNA「D」集団は黒かったのか既に黄色くなっていたのかは 全く情報がありません。しかし確かなのは鯨面文身であったことでしょう。Y-DNA「D」が85%を占める子孫のアイヌが鯨面文身だったのは、 子孫として数万年にわたり正しく文化を残してきたことになります。 Jarawa族やOnge族は現代でもネグリートなので、当然縄文人も小柄なネグリートつまり、 「倭」人であったことは間違いないでしょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/415.html#c9

[番外地7] アイヌは劣等民族ではない 中川隆
1. 中川隆[-14084] koaQ7Jey 2020年2月02日 19:21:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-766]
アイヌが新石器時代だと思っているというのが何かな−
アイヌは擦文時代には鉄製農具を使って大規模農耕をやっていたよ
しかし、和人に迫害されて鉄製農具の輸出を止められたから狩猟民に戻ったんだ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/448.html#c1
[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
34. 中川隆[-14083] koaQ7Jey 2020年2月02日 20:04:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-765]
自殺、殺人、孤独死……「引っ越し先が事故物件だった」は意外に多い! 大島てるが教える“怪しい物件の見抜き方”
大島 てる 2020/02/02
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/自殺、殺人、孤独死……「引っ越し先が事故物件だった」は意外に多い%ef%bc%81-大島てるが教える“怪しい物件の見抜き方”/ar-BBZz3Lq?ocid=ientp


事故物件とは知らずに引っ越してしまうことも……

 そもそもの前提として、不動産業者には宅建業法で「告知義務」が課されています。そのため、前の入居者がそこで自殺していたり、あるいはその部屋が殺人事件の現場になっていたとしたら、業者は契約が成立する前に、その旨を伝えなくてはいけません。ただ、それにもかかわらず、知らず知らずのうちに事故物件に引っ越してしまった、というケースも少なくないのです。たとえば、下記のような場合です。

(1)告知義務を無視し、事実を隠して部屋を貸し出す悪徳業者に当たってしまった場合

(2)自殺や殺人などが一定期間以上、過去の出来事である場合

(3)自殺や殺人などが、隣や真上・真下の部屋で起きていた場合


 この中で、(1)は違法ですが、残念ながらそうした業者はまだ一定数存在しています。(2)に関しては、たとえば自殺があったのが5年前であれば、告知義務がないと考える業者が多く、そうした判断が業界の慣習になっています。

 また、(3)では、そもそも告知義務は当該物件のみに適用され、隣や真上・真下の部屋でいくら凄惨な事件が起きていたとしても、業者が入居者にその事実を伝える必要はないとされています。

 こうした場合、そこが事故物件であるか否かを知るために、最も確実な方法は「 大島てる 」のサイトを確認すること――というのが、まず私に言えることです。ただ、それ以外にも、「怪しい」と判断できるポイントはいくつかあります。
全面リフォームされた部屋はなぜ“怪しい”のか?

 第一に、一部だけ不自然なリフォームがされている物件。アパートであれ、マンションであれ、あるいは雑居ビルであれ、「101は古い、102も古い、でも103だけ新しい」といったような、建物の中で1部屋だけがなぜか全面リフォームされている物件は、過去に何らかの事件があった可能性があります。

 たとえば、鉄筋コンクリート造のマンションで火事があった場合には、しばしばこうしたリフォームがなされます。木造アパートで火事が起きると、たとえ燃えたのが1部屋だけでも“建て替え”となりがちなのですが、鉄筋コンクリート造のマンションなら、火事があった部屋だけを新しくすれば、そのまま使えることが多いからです。

 また、孤独死が起きた部屋も、こうしたリフォームの対象になります。自殺や殺人と比べると、“事故物件感”は弱く思えるかもしれませんが、孤独死の現場は酷いです。なにより臭いがきつく、天井や壁紙、床にまで染み込んでしまうのです。発見された段階でかなり腐敗が進んでいることも多く、そうなると結局全てを張り替え、全面リフォームすることになってしまうのです。
玄関のドアは要チェック!

 ちなみにリフォームの際には、原状復帰にとどまらず、むしろグレードをあげた部屋に変えてしまう、という例もよく見られます。内装を豪華にしたり、あるいは防音の部屋にしたりして、家賃のベースを上げるのです。

 こうした場合の見抜き方としては、ネットで同じ建物内の別の部屋の写真をチェックしたり、外から見て玄関のドアが他と違うところがないかを確認するのが有効です。リフォームする際に、以前と同じドアが製造終了になっていたり、同じようなデザインでより性能が良い、あるいは安いドアを購入するオーナーが多いため、「玄関のドア」は注目すべきポイントなのです。

「クローゼットだけ新しい」も危ない?

「一部だけ不自然なリフォームがされている」という点で言うと、もう一つ、同じ部屋の中で「トイレは古い、風呂場も古い、でもクローゼットだけ新しい」といった物件も怪しいです。こちらは、自殺や殺人がその部屋で起きている可能性があります。

 火事や孤独死とは違って、自殺や殺人が起きた部屋を全面リフォームすることは、実はそんなにありません。よほどの事件であれば別ですが、基本的には特殊清掃を行えば、部屋は引き続き使えるからです。ただ、畳に大量の血液が染み込んでしまったり、クローゼットの中で首を吊って体液が漏れ出てしまったりしていたら、そこだけ新しくする必要があります。

 内見の際に、畳数枚だけ妙に新しかったり、風呂場やクローゼットなど、特定の場所だけなぜかピカピカだったりしたら、そこは事故物件かもしれません。

 ここまでが“部屋の内側のリフォーム”の話だとすれば、“部屋の外側のリフォーム”でも、「怪しい」と気付けるポイントがいくつかあります。こちらは、何らかの事件が起きてメディアに報道されてしまった物件が、事故物件であることを気づかれないよう、カムフラージュのために行うことが多い手法です。次は、そのパターンについてお話ししましょう。


( 後編に続く )
(大島 てる)
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/自殺、殺人、孤独死……「引っ越し先が事故物件だった」は意外に多い%ef%bc%81-大島てるが教える“怪しい物件の見抜き方”/ar-BBZz3Lq?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c34

[番外地7] 天皇一族はソウル出身の朝鮮人だった 中川隆
1. 2020年2月02日 20:52:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-764]
>半島南部にあった古墳は日本のものよりも新しいものでは?広開土王碑文でも和人が半島を統治してたと記載されてると教科書レベルでも書いてありますが、これについてはどうなりますか?

天皇一族は半島での勢力争いに負けて日本に移住してきたので、chousenn に未練が有った。
それで神功皇后の時にchousenn に侵略したのですね。 朝鮮で見つかっている日本式古墳はその頃の5世紀のものです。

それから天皇が chousen出自だというのは昭和天皇も認めていた事です。
大嘗祭とか儀式に使う文物がすべて昔の chousen のものだからなのですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/456.html#c1

[番外地7] 天皇一族はソウル出身の朝鮮人だった 中川隆
2. 中川隆[-14082] koaQ7Jey 2020年2月02日 20:59:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-763]

天皇一族は半島での勢力争いに負けて日本に移住してきたので、chousenn に未練が有った。
それで神功皇后の時にchousenn に侵略したのですね。 朝鮮で見つかっている日本式古墳はその頃の5世紀のものです。

それから天皇が chousen出自だというのは昭和天皇も認めていた事です。
大嘗祭とか儀式に使う文物がすべて昔の chousen のものだからなのですね。

記紀に書かれている伝承では、スサノオは新羅出身、ニニギはソウル出身です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/456.html#c2

[番外地7] 天皇一族はソウル出身の朝鮮人だった 中川隆
3. 中川隆[-14081] koaQ7Jey 2020年2月02日 21:03:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-762]

>半島南部にあった古墳は日本のものよりも新しいものでは?広開土王碑文でも和人が半島を統治してたと記載されてると教科書レベルでも書いてありますが、これについてはどうなりますか?

天皇一族は半島での勢力争いに負けて日本に移住してきたので、chousenn に未練が有った。
それで神功皇后の時にchousenn に侵略したのですね。 加羅で見つかっている日本式古墳はその頃の5世紀のものです。

それから天皇が chousen出自だというのは昭和天皇も認めていた事です。
大嘗祭とか儀式に使う文物がすべて昔の chousen のものだからなのですね。

記紀に書かれている伝承では、スサノオは新羅出身、ニニギはソウル出身です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/456.html#c3

[近代史3] ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』 中川隆
1. 中川隆[-14080] koaQ7Jey 2020年2月02日 22:41:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-761]



ラファエル・クーベリック指揮 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」

Rafael Kubelík & Česká filharmonie - Opening Concert of 1990 Prague Spring Festival




The opening concert of 1990 Prague Spring International Music Festival on 12th May 1990 at Smetana Hall in Prague.

Bedřich Smetana (1824-1884):
Fanfares from the Opera "Libuše"

National Anthem of Czechoslovakia (combination of Kde domov můj (Czech) and Nad Tatrou sa blýska (Slovak))

Bedřich Smetana:
Má vlast (My Country)
1. Vyšehrad
2. Vltava (Die Moldau)
3. Šárka
4. Z českých luhů a hájů
5. Tábor
6. Blaník

Česká filharmonie (Czech Philharmonic)
Rafael Kubelík


 この曲はなんと言ってもクーベリックでなくては!
 「モルダウ」のメロディなどちょっと速いのでは、という気がするかもしれない。しかし、これは甘ったるくメロディを聴かせる曲ではないのだ。そのことは「プラハの春」のLDを見ればわかる。

チェコ・フィル
スプラフォン。1990年5月12日、スメタナ・ホールにおける、チェコ民主化の翌年の「プラハの春」音楽祭オープニングコンサートのライヴ。

クーベリックも楽団員も全員「市民フォーラム」のバッジを付けている。
冒頭、スメタナ作のオペラ「リブシェ」よりファンファーレが奏され、ハヴェル大統領夫妻がバルコニー席に登場する。続いてチェコスロヴァキア国歌。ここまでで会場の熱気は最高潮に達する。それを冷ますかのように、しばらく間をおいてから、ハープでヴィシェフラドのテーマが奏される..。2曲目のモルダウへの移行はアタッカに近い。最後の2曲は、まさに民族独立運動叙事詩というにふさわしい。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


Smetana: "Ma Vlast" / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1990 Movie Live Outdoors)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1990:6.9 Live

_____

Smetana: Má Vlast / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1991 Movie Japan Live)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1991.11.2 Tokyo.Japan Live

Altus(写真左)。1991年11月2日、サントリーホールでのライヴ録音。NHKによる録音である。
HMVのサイトでは、前年の「プラハの春」の演奏よりも良い、との評判である。
私の感想は、両者優劣つけがたいが、場の熱気というものは「プラハの春」ライヴに譲るのではないか、と思う。当盤は、NHK録音を用いているならば、もっと音が良くてもよいのではという気もする。演奏が素晴らしいのは言うまでもない。

2008年、ついにNHK CLASSICALからDVDが発売された(写真右)。NHKのカメラワークが自然なため、どアップ連続の「プラハの春」盤よりも客観的に演奏が聴ける。
終演後何度も舞台にアンコールで呼び出されるクーベリックを最後まで映し続けているのは、この演奏がクーベリック最後の演奏会だったからということもある。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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スメタナ 連作交響詩「わが祖国」
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau

 この曲集は、長年ドイツ人に支配されてきたチェク人の思いがこめられた曲である。
次の6曲からなっている。

1.「ヴィシェフラド(高い城)」
2.「ヴルタヴァ(モルダウ)」
3.「シャールカ」
4.「ボヘミアの森と草原から」
5.「ターボル」
6.「ブラニーク」

 第1曲と第2曲、第5曲と第6曲はそれぞれ1セットと考えられている。
しかし、第3曲と第4曲の組だけは、あまりセットらしくない。よって、コンサートで全曲演奏するときは、3曲目と4曲目で休憩することが多い。クーベリックの「プラハの春」コンサートもそうだった。

 特に、第5曲と第6曲は、フス派のコラールがテーマとなっており、チェク人のドイツ人に対する独立闘争の歴史の重みを感じさせる素晴らしい曲である。
(フスは、ルターに先立つこと100年前のベーメンの宗教改革者。コンスタンツ公会議で火刑となったが、フス派の一揆は、神聖ローマ帝国に対するチェク人の独立運動のはじまりでもあった。)

 1989年末のチェコ民主化の運動において、ノイマン指揮チェコ・フィルは社会主義政府に対してはストライキをする一方、市民フォーラムの応援のためにこの2曲を何度も演奏したらしい。
(しかし、運動の締めくくりには「第9」を演奏したのであった。その第9はCD化されている。)

 第2曲「モルダウ」のメロディは特に有名であるが、むしろ主題的には第1曲「ヴィシェフラド」冒頭のハープで奏されるテーマが重要である。このテーマは第6曲の最後で、全曲の締めくくりに、金管が奏するフス派のコラールと対位法的に弦パートによって演奏されるのだ。

 なお、モルダウとは、プラハ市内を流れるヴルタヴァ川のドイツ語名である。民族主義的なこの曲の名としてはチェコ語の「ヴルタヴァ」のほうを何としても用いるべきであろう。(ちなみにヴルタヴァはその下流(北方)のドイツにおいてエルベ川に合流するのであるが...)
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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わが祖国 (スメタナ)

『我が祖国』(チェコ語: Má Vlast)は、ベドルジフ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩からなる連作交響詩。

第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ,バルタバ)』が特に著名である。

各楽曲の初演は1875年から1880年にかけて、別々に行われており、全6作通しての初演は1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島(チェコ語版)にある会場において、アドルフ・チェフの指揮の下で行われた。

スメタナは1856年から1861年まで、故国ボヘミアを離れてスウェーデンのヨーテボリでピアニストおよび指揮者として活動していたが、この時期にリストの影響を受けて『リチャード三世』作品11(1857年 - 1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858年 - 1859年)、『ハーコン・ヤール』作品16(1861年 - 1862年)の3曲の交響詩を作曲している。これらはスメタナの作品の中ではあまり知られていないが、それぞれシェイクスピアの戯曲、三十年戦争を扱ったシラーの戯曲、中世のノルウェー王ハーコン・シグルザルソンを題材としたもので、いずれも特に国民主義的な作品ではない。

チェコ国民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。当初は「ジープ」(Říp )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipaný )、「ビーラー・ホラ」(Bílá hora )の 5つの地名を各曲の題名として構想していたが、最終的には『ヴィシェフラド』、『ヴルタヴァ』、『シャールカ』、『ボヘミアの森と草原から』、『ターボル』、『ブラニーク』の 6曲が作曲された。

作曲は『リブシェ』の完成後すぐに着手され、第1曲『ヴィシェフラド』が1874年に完成した。これと前後してスメタナは聴覚を失っているが、作曲活動は続けられ、最後の第6曲『ブラニーク』は1879年に完成した。

当時の聴衆にとって「交響詩」がなじみの薄いジャンルであったことに配慮して、スメタナは自ら解説を書いて楽曲の意図が理解されるよう努めた。さらに楽譜にも、標題のページだけでなく楽曲の各箇所に注釈が記されている。

楽器編成

ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル(第5曲を除く)、大太鼓(第2曲のみ)、シンバル、ハープ(第1曲:2、第2曲:1)、弦楽合奏(チェロが2部に分かれており、全体で6部になっている)



曲の構成

第1曲:ヴィシェフラド 原題:Vyšehrad

1872年から1874年の間に構想され、1874年9月末から11月18日にかけて作曲された。6曲のうちで唯一、スメタナが失聴する前にかなりの部分が出来上がっていた。初演は1875年3月14日。変ホ長調。この曲はプラハにあるヴィシェフラド城を題材としている。ヴィシェフラドは「高い城」を意味し、そのように題名が訳されることもある。この城は、ボヘミア王国の国王が居城としていたこともある城であったが、戦乱によって破壊され廃墟となった。

1874年夏の間にスメタナの聴力は徐々に衰えるようになり、それから間もなく完全に失聴してしまう。スメタナは、仮劇場の支配人であるアントニーン・チーセック(チェコ語版)へ宛てた辞表の中で、段階的だが急速な失聴について述べている。全ての音から隔絶された状況が続く(完全失聴)なか治療が行われたが、結局成功することはなかった[1]。

曲は、吟遊詩人(Lumír)のハープで始まり、この詩人が古の王国の栄枯盛衰を歌う、というのが内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題は『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。4つの音で構成される主題(B♭-E♭-D-B♭)がヴィシェフラド城を示しており、第2曲『ヴルタヴァ』の終わりと第6曲『ブラニーク』の終わりにも提示される。この主題の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭[注釈 2])が音として刻まれている。

冒頭のアルペッジョでは、2台のハープが必要とされる。属七の和音のあと、管楽器が主題を引き継ぎ、弦楽器がそれに続いて、やがてオーケストラの全楽器によるクライマックスに達する。次のパートでは、スメタナは速いテンポを用いて城の歴史を呼び覚まし、これは行進曲に発展する。表面上は明るいクライマックスは、城の衰退を描写する下降パッセージで中断され、音楽は静かになる。そして、冒頭の主題が再び提示され、現在では廃墟となってしまった城の美しさを再び奏でる。音楽は静かに終わり、城の下を流れるヴルタヴァ川の描写に続く。


第2曲:ヴルタヴァ (モルダウ) 原題:Vltava

1874年11月20日から12月8日の間に作曲され、初演は1875年4月4日にアドルフ・チェフの指揮で行われた。ホ短調。

『モルダウ』(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)の名でも知られる。『バルタバ』とも表記する。

この楽曲でスメタナは、ボヘミアの大きな川の一つの音を呼び起こすためにトーン・ペインティングを用いた[2]。スメタナは、以下のように述べている。

この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名:エルベ川)へと消えていく。

この曲は 6曲中にとどまらず、スメタナの全楽曲の中でも最も有名なもので、単独で演奏されたり録音されることも多い。

最初の主題は歌曲や合唱曲に編曲されて歌われたり、ジャズやロックへとアレンジして演奏されることもある。

最初の主題には、15世紀から16世紀にかけてイタリアで活動したテノール歌手ジュゼッペ・チェンチ作の『ラ・マントヴァーナ』に由来するメロディが改変されて用いられている[3]。

同曲はモルドバ(モルダヴィア)などにも伝わり、民謡の一節に流用され、イスラエルの国歌『ハティクヴァ』のメロディの基礎ともなっている。スメタナの祖国ボヘミアにおいても、民謡"Kočka leze dírou"に用いられている。

スメタナはこの『ラ・マントヴァーナ』に由来する祖国の民謡のメロディを、第1主題として採り入れたものと思われる。

楽曲の最終部分には、第1曲『ヴィシェフラド』の主題も組み込まれている。
その他、ヨーゼフ・ランナーの『旅の行進曲』(作品130)のメロディが一部引用されている[4]。


第3曲:シャールカ 原題:Šárka

1875年2月20日に完成した。初演はアドルフ・チェフの指揮で行われたが、日付については2説あり、1876年12月10日[5]もしくは1877年3月17日[6]とされる。
シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、その由来は男たちと女たちが死闘を繰り広げたというチェコの伝説『乙女戦争』に登場する勇女の名である。

ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツチラトとその配下たちが通りかかる。ツチラトによって縄をほどかれたシャールカは、助けてもらったお礼にと酒をふるまう[7]。すっかり彼らの気が緩んだ頃、シャールカは角笛を吹いて味方の女戦士たちを呼ぶ。ツチラトは捕虜となり、彼の配下は皆殺しにされる[7]。

これが物語の大筋であるが、スメタナが作曲した音楽にはこの物語の様子をファゴットで男たちのいびきを表現したり、金管楽器がシャールカの吹く角笛の音を表すなどの工夫がされており、大変迫力のある劇的なものになっている。



第4曲:ボヘミアの森と草原から 原題:Z českých luhů a hájů

1875年10月18日に完成し、初演はそれから約8週間後の同年12月10日に行われた。この曲は、チェコ(ボヘミア)の田舎の美しさを描写しており、鬱蒼とした深い森を思わせる暗い響きで始められる。何かの物語を描写しているわけではないが、曲が進むと夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊り、祈りの情景、喜びの歌が繰り広げられる。そして後半は、チェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に続けられる。


第5曲:ターボル 原題:Tábor

1878年12月13日に完成し、初演は1880年1月4日に行われた。この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。ターボルとは南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは18年にも及ぶものであったが、結果としてフス運動は失敗に終わる。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることなった。フス派の讃美歌の中で最も知られている『汝ら神の戦士(チェコ語版)』が全篇を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。


第6曲:ブラニーク 原題:Blaník

1879年3月9日に完成し、第5曲『ターボル』と共に1880年1月4日に初演された。スメタナは両曲を一緒に演奏することを望んだ。

ブラニークは中央ボヘミア州にある山で、ここにはフス派の戦士たちが眠っており、また讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、それを助けるために復活する(しばしば、全方位からの4つの敵国軍の攻撃に対してとも述べられる)。

音楽的には、『ターボル』から切れ間なく演奏される。全曲から持ち越された主題は、まるで戦いの直後の中にいるかのように演奏される。

そのため、この第5曲と第6曲は、第1曲と第2曲のようにペアとして扱われる。

ヴルタヴァ川の旅の最後(第2曲『ヴルタヴァ』の最終部)で現れる『ヴィシェフラド』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。この讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」であり、チェコ国家の最終的勝利を映し出している。

編曲
スメタナ自身による、ピアノ4手連弾版の編曲が『わが祖国』全6曲に存在する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/わが祖国_(スメタナ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
124. 中川隆[-14079] koaQ7Jey 2020年2月02日 22:42:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-760]
ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c124
[近代史3] 社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 〜プラハの春・ドプチェクの証言〜 中川隆
12. 中川隆[-14078] koaQ7Jey 2020年2月02日 22:44:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-759]



ラファエル・クーベリック指揮 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」

Rafael Kubelík & Česká filharmonie - Opening Concert of 1990 Prague Spring Festival




The opening concert of 1990 Prague Spring International Music Festival on 12th May 1990 at Smetana Hall in Prague.

Bedřich Smetana (1824-1884):
Fanfares from the Opera "Libuše"

National Anthem of Czechoslovakia (combination of Kde domov můj (Czech) and Nad Tatrou sa blýska (Slovak))

Bedřich Smetana:
Má vlast (My Country)
1. Vyšehrad
2. Vltava (Die Moldau)
3. Šárka
4. Z českých luhů a hájů
5. Tábor
6. Blaník

Česká filharmonie (Czech Philharmonic)
Rafael Kubelík


 この曲はなんと言ってもクーベリックでなくては!
 「モルダウ」のメロディなどちょっと速いのでは、という気がするかもしれない。しかし、これは甘ったるくメロディを聴かせる曲ではないのだ。そのことは「プラハの春」のLDを見ればわかる。

チェコ・フィル
スプラフォン。1990年5月12日、スメタナ・ホールにおける、チェコ民主化の翌年の「プラハの春」音楽祭オープニングコンサートのライヴ。

クーベリックも楽団員も全員「市民フォーラム」のバッジを付けている。
冒頭、スメタナ作のオペラ「リブシェ」よりファンファーレが奏され、ハヴェル大統領夫妻がバルコニー席に登場する。続いてチェコスロヴァキア国歌。ここまでで会場の熱気は最高潮に達する。それを冷ますかのように、しばらく間をおいてから、ハープでヴィシェフラドのテーマが奏される..。2曲目のモルダウへの移行はアタッカに近い。最後の2曲は、まさに民族独立運動叙事詩というにふさわしい。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


Smetana: "Ma Vlast" / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1990 Movie Live Outdoors)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1990:6.9 Live

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Smetana: Má Vlast / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1991 Movie Japan Live)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1991.11.2 Tokyo.Japan Live

Altus(写真左)。1991年11月2日、サントリーホールでのライヴ録音。NHKによる録音である。
HMVのサイトでは、前年の「プラハの春」の演奏よりも良い、との評判である。
私の感想は、両者優劣つけがたいが、場の熱気というものは「プラハの春」ライヴに譲るのではないか、と思う。当盤は、NHK録音を用いているならば、もっと音が良くてもよいのではという気もする。演奏が素晴らしいのは言うまでもない。

2008年、ついにNHK CLASSICALからDVDが発売された(写真右)。NHKのカメラワークが自然なため、どアップ連続の「プラハの春」盤よりも客観的に演奏が聴ける。
終演後何度も舞台にアンコールで呼び出されるクーベリックを最後まで映し続けているのは、この演奏がクーベリック最後の演奏会だったからということもある。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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スメタナ 連作交響詩「わが祖国」
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau

 この曲集は、長年ドイツ人に支配されてきたチェク人の思いがこめられた曲である。
次の6曲からなっている。

1.「ヴィシェフラド(高い城)」
2.「ヴルタヴァ(モルダウ)」
3.「シャールカ」
4.「ボヘミアの森と草原から」
5.「ターボル」
6.「ブラニーク」

 第1曲と第2曲、第5曲と第6曲はそれぞれ1セットと考えられている。
しかし、第3曲と第4曲の組だけは、あまりセットらしくない。よって、コンサートで全曲演奏するときは、3曲目と4曲目で休憩することが多い。クーベリックの「プラハの春」コンサートもそうだった。

 特に、第5曲と第6曲は、フス派のコラールがテーマとなっており、チェク人のドイツ人に対する独立闘争の歴史の重みを感じさせる素晴らしい曲である。
(フスは、ルターに先立つこと100年前のベーメンの宗教改革者。コンスタンツ公会議で火刑となったが、フス派の一揆は、神聖ローマ帝国に対するチェク人の独立運動のはじまりでもあった。)

 1989年末のチェコ民主化の運動において、ノイマン指揮チェコ・フィルは社会主義政府に対してはストライキをする一方、市民フォーラムの応援のためにこの2曲を何度も演奏したらしい。
(しかし、運動の締めくくりには「第9」を演奏したのであった。その第9はCD化されている。)

 第2曲「モルダウ」のメロディは特に有名であるが、むしろ主題的には第1曲「ヴィシェフラド」冒頭のハープで奏されるテーマが重要である。このテーマは第6曲の最後で、全曲の締めくくりに、金管が奏するフス派のコラールと対位法的に弦パートによって演奏されるのだ。

 なお、モルダウとは、プラハ市内を流れるヴルタヴァ川のドイツ語名である。民族主義的なこの曲の名としてはチェコ語の「ヴルタヴァ」のほうを何としても用いるべきであろう。(ちなみにヴルタヴァはその下流(北方)のドイツにおいてエルベ川に合流するのであるが...)
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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わが祖国 (スメタナ)

『我が祖国』(チェコ語: Má Vlast)は、ベドルジフ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩からなる連作交響詩。

第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ,バルタバ)』が特に著名である。

各楽曲の初演は1875年から1880年にかけて、別々に行われており、全6作通しての初演は1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島(チェコ語版)にある会場において、アドルフ・チェフの指揮の下で行われた。

スメタナは1856年から1861年まで、故国ボヘミアを離れてスウェーデンのヨーテボリでピアニストおよび指揮者として活動していたが、この時期にリストの影響を受けて『リチャード三世』作品11(1857年 - 1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858年 - 1859年)、『ハーコン・ヤール』作品16(1861年 - 1862年)の3曲の交響詩を作曲している。これらはスメタナの作品の中ではあまり知られていないが、それぞれシェイクスピアの戯曲、三十年戦争を扱ったシラーの戯曲、中世のノルウェー王ハーコン・シグルザルソンを題材としたもので、いずれも特に国民主義的な作品ではない。

チェコ国民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。当初は「ジープ」(Říp )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipaný )、「ビーラー・ホラ」(Bílá hora )の 5つの地名を各曲の題名として構想していたが、最終的には『ヴィシェフラド』、『ヴルタヴァ』、『シャールカ』、『ボヘミアの森と草原から』、『ターボル』、『ブラニーク』の 6曲が作曲された。

作曲は『リブシェ』の完成後すぐに着手され、第1曲『ヴィシェフラド』が1874年に完成した。これと前後してスメタナは聴覚を失っているが、作曲活動は続けられ、最後の第6曲『ブラニーク』は1879年に完成した。

当時の聴衆にとって「交響詩」がなじみの薄いジャンルであったことに配慮して、スメタナは自ら解説を書いて楽曲の意図が理解されるよう努めた。さらに楽譜にも、標題のページだけでなく楽曲の各箇所に注釈が記されている。

楽器編成

ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル(第5曲を除く)、大太鼓(第2曲のみ)、シンバル、ハープ(第1曲:2、第2曲:1)、弦楽合奏(チェロが2部に分かれており、全体で6部になっている)

曲の構成

第1曲:ヴィシェフラド 原題:Vyšehrad
1872年から1874年の間に構想され、1874年9月末から11月18日にかけて作曲された。6曲のうちで唯一、スメタナが失聴する前にかなりの部分が出来上がっていた。初演は1875年3月14日。変ホ長調。この曲はプラハにあるヴィシェフラド城を題材としている。ヴィシェフラドは「高い城」を意味し、そのように題名が訳されることもある。この城は、ボヘミア王国の国王が居城としていたこともある城であったが、戦乱によって破壊され廃墟となった。

1874年夏の間にスメタナの聴力は徐々に衰えるようになり、それから間もなく完全に失聴してしまう。スメタナは、仮劇場の支配人であるアントニーン・チーセック(チェコ語版)へ宛てた辞表の中で、段階的だが急速な失聴について述べている。全ての音から隔絶された状況が続く(完全失聴)なか治療が行われたが、結局成功することはなかった[1]。

曲は、吟遊詩人(Lumír)のハープで始まり、この詩人が古の王国の栄枯盛衰を歌う、というのが内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題は『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。4つの音で構成される主題(B♭-E♭-D-B♭)がヴィシェフラド城を示しており、第2曲『ヴルタヴァ』の終わりと第6曲『ブラニーク』の終わりにも提示される。この主題の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭[注釈 2])が音として刻まれている。

冒頭のアルペッジョでは、2台のハープが必要とされる。属七の和音のあと、管楽器が主題を引き継ぎ、弦楽器がそれに続いて、やがてオーケストラの全楽器によるクライマックスに達する。次のパートでは、スメタナは速いテンポを用いて城の歴史を呼び覚まし、これは行進曲に発展する。表面上は明るいクライマックスは、城の衰退を描写する下降パッセージで中断され、音楽は静かになる。そして、冒頭の主題が再び提示され、現在では廃墟となってしまった城の美しさを再び奏でる。音楽は静かに終わり、城の下を流れるヴルタヴァ川の描写に続く。


第2曲:ヴルタヴァ (モルダウ) 原題:Vltava
1874年11月20日から12月8日の間に作曲され、初演は1875年4月4日にアドルフ・チェフの指揮で行われた。ホ短調。

『モルダウ』(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)の名でも知られる。『バルタバ』とも表記する。

この楽曲でスメタナは、ボヘミアの大きな川の一つの音を呼び起こすためにトーン・ペインティングを用いた[2]。スメタナは、以下のように述べている。

この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名:エルベ川)へと消えていく。

この曲は 6曲中にとどまらず、スメタナの全楽曲の中でも最も有名なもので、単独で演奏されたり録音されることも多い。

最初の主題は歌曲や合唱曲に編曲されて歌われたり、ジャズやロックへとアレンジして演奏されることもある。

最初の主題には、15世紀から16世紀にかけてイタリアで活動したテノール歌手ジュゼッペ・チェンチ作の『ラ・マントヴァーナ』に由来するメロディが改変されて用いられている[3]。

同曲はモルドバ(モルダヴィア)などにも伝わり、民謡の一節に流用され、イスラエルの国歌『ハティクヴァ』のメロディの基礎ともなっている。スメタナの祖国ボヘミアにおいても、民謡"Kočka leze dírou"に用いられている。

スメタナはこの『ラ・マントヴァーナ』に由来する祖国の民謡のメロディを、第1主題として採り入れたものと思われる。

楽曲の最終部分には、第1曲『ヴィシェフラド』の主題も組み込まれている。
その他、ヨーゼフ・ランナーの『旅の行進曲』(作品130)のメロディが一部引用されている[4]。


第3曲:シャールカ 原題:Šárka
1875年2月20日に完成した。初演はアドルフ・チェフの指揮で行われたが、日付については2説あり、1876年12月10日[5]もしくは1877年3月17日[6]とされる。
シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、その由来は男たちと女たちが死闘を繰り広げたというチェコの伝説『乙女戦争』に登場する勇女の名である。

ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツチラトとその配下たちが通りかかる。ツチラトによって縄をほどかれたシャールカは、助けてもらったお礼にと酒をふるまう[7]。すっかり彼らの気が緩んだ頃、シャールカは角笛を吹いて味方の女戦士たちを呼ぶ。ツチラトは捕虜となり、彼の配下は皆殺しにされる[7]。

これが物語の大筋であるが、スメタナが作曲した音楽にはこの物語の様子をファゴットで男たちのいびきを表現したり、金管楽器がシャールカの吹く角笛の音を表すなどの工夫がされており、大変迫力のある劇的なものになっている。

第4曲:ボヘミアの森と草原から 原題:Z českých luhů a hájů
1875年10月18日に完成し、初演はそれから約8週間後の同年12月10日に行われた。この曲は、チェコ(ボヘミア)の田舎の美しさを描写しており、鬱蒼とした深い森を思わせる暗い響きで始められる。何かの物語を描写しているわけではないが、曲が進むと夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊り、祈りの情景、喜びの歌が繰り広げられる。そして後半は、チェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に続けられる。


第5曲:ターボル 原題:Tábor
1878年12月13日に完成し、初演は1880年1月4日に行われた。この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。ターボルとは南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは18年にも及ぶものであったが、結果としてフス運動は失敗に終わる。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることなった。フス派の讃美歌の中で最も知られている『汝ら神の戦士(チェコ語版)』が全篇を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。


第6曲:ブラニーク 原題:Blaník
1879年3月9日に完成し、第5曲『ターボル』と共に1880年1月4日に初演された。スメタナは両曲を一緒に演奏することを望んだ。

ブラニークは中央ボヘミア州にある山で、ここにはフス派の戦士たちが眠っており、また讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、それを助けるために復活する(しばしば、全方位からの4つの敵国軍の攻撃に対してとも述べられる)。

音楽的には、『ターボル』から切れ間なく演奏される。全曲から持ち越された主題は、まるで戦いの直後の中にいるかのように演奏される。

そのため、この第5曲と第6曲は、第1曲と第2曲のようにペアとして扱われる。

ヴルタヴァ川の旅の最後(第2曲『ヴルタヴァ』の最終部)で現れる『ヴィシェフラド』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。この讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」であり、チェコ国家の最終的勝利を映し出している。

編曲
スメタナ自身による、ピアノ4手連弾版の編曲が『わが祖国』全6曲に存在する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/わが祖国_(スメタナ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html#c12
[番外地7] 本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由 中川隆
1. 中川隆[-14077] koaQ7Jey 2020年2月02日 23:29:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-758]
本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由はご存知ですよね。

僕が自らYouTuberになって、

天皇は chousen 人だとか、
jyuugun ianfu 強制連行の吉田清治の話はやっぱり事実だった

とか言ったら、すぐに右翼に XX されますからね。

そもそも、youtube では chousen とか kankoku という漢字すら書けないんですよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/459.html#c1

[番外地7] 本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由 中川隆
2. 中川隆[-14076] koaQ7Jey 2020年2月02日 23:41:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-757]
本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由はご存知ですよね。

僕が自らYouTuberになって、

天皇は chousen 人だとか、
jyuugun ianfu 強制連行の吉田清治の話はやっぱり事実だった

とか言ったら、すぐに右翼に XX されますからね。

そもそも、youtube では chousen とか kankoku という漢字すら書けないんですよ。
チャンネル桜の関係者が典型ですが、右翼の人には論理や理屈が全然通じないんですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/459.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
125. 中川隆[-14075] koaQ7Jey 2020年2月03日 01:09:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-756]
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c125
[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
1. 中川隆[-14074] koaQ7Jey 2020年2月03日 01:22:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-755]

Mahler: Symphony No. 9, Barbirolli & BPO (1964)








Sir John Barbirolli (1899-1970), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra

Rec. 10, 11, 14, 18 January 1964, at Jesus-Christus-Kirche, in Berlin



ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル
EMI。1964年1月10,11,14,18日、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。1CD。


録音の1年前、63年1月にバルビローリがベルリン・フィルに客演したときの演奏に同団員たちが感動して実現したもの。素晴らしい密度の濃さ、完成度の高さである。

この曲を録音しようとする指揮者は、かなり気合いを入れて取り組むようで、駄盤をさがすのが容易でない。しかし、その中で決定盤となるとやはり、

ワルターVPOの伝説的名盤、
バルビローリBPO盤、
そしてバーンスタインのACO盤及びVPOのLD盤、

ということになるだろう
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c1
[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
2. 2020年2月03日 01:40:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-754]

Mahler: Symphony No. 9, Scherchen & VSO (1950)







Hermann Scherchen (1891-1966), Conductor
Vienna Symphony Orchestra

Rec. 19 June 1950, at Großer Musikvereinssaal, in Vienna (Live Recording)


ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン交響楽団
ORFEO。1950年6月19日、ムジークフェラインにおけるライヴ、モノラル録音。



とにかく、この曲の終楽章はバーンスタイン指揮ウィーン・フィルのLDを一度見てしまうと、ああいう風にやってもらわないと決して満足できない体になってしまう。

 ポイントは、終楽章冒頭、

たーらー、たららら・らーー、らー・らー・らー

の最後の3つの下降音に、きちんと「ふんばりアクセント」をつけることである。これがないと、もう満足できないのである。この3つの下降音形は、終楽章でいたるところにでてくるが、全て同じように「ふんばって」もらいたいのである。

 しかし残念なことに、ワルターやバルビローリあるいはクレンペラーの名盤に唯一欠けているのが、そこなのである。

 バーンスタインも、コンセルトヘボウとの録音、ウィーン・フィルとのLDは完璧だが、世評の高いベルリン・フィルとのライヴでは、そこがイマイチふんばりきれていないのが残念である。

 カラヤンからギーレンに至るまでその他多くの指揮者は、そこはテンポは少し溜めるがアクセントがない。

 その点、アバド、シノーポリ、クーベリック、ノイマンあたりは合格である。ラトルVPOはアクセントはつけているが逆に粘りが弱い(BPOとの新盤は良くなった)。ジュリーニもアクセントはつけているが、他のフレーズも力強くて、あまりアクセントが目立たない。


2002年春、追記

シェルヒェンのライヴ録音(ORFEO)の解説を読んで、「ふんばりアクセント」をつけて感動的に演奏することが、果たしてこの曲に本当に相応しいのかどうか、改めて考え直さなくてはならなくなった。やはりこの曲の最後は「成仏」させるのが正しいのかもしれない。するとワルターやバルビローリが理想ということになるか?

国内盤仕様の解説(許光俊氏執筆)によると、シェルヒェンは次のようにこの曲をとらえていたという。

この曲の中で生じるあらゆる事件はすべて第1楽章で出来してしまうのであって、

この楽章を作曲家にとっての「現実」と見るならば、続く第2・第3楽章は「病的な熱情に駆られての夢想であり憧憬」でしかなく、

最終楽章に至って「希望のない憧れと死の恐怖」に終わる。

 許氏は、この演奏では「第1楽章の表現にもっとも力を傾けているのは明らか」であり、

そこから第2楽章以下のテンションを落としていき、

終楽章の最後は「切れ切れのカンタービレ」にしてしまうことによって、この曲のもっとも核心に触れた演奏になっているのかもしれない、

と書かれている。

そして、「バーンスタインのような演奏は、本来救われるべきではない作品を救ってしまったのではないか?」と問題提起をされている。

 なるほど! もしそうだとするならば、ワルターやバルビローリのような、終楽章冒頭に「ふんばりアクセント」がない演奏のほうが、バーンスタインの演奏よりもこの曲に相応しいということになる。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c2
[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
454. 2020年2月03日 13:01:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-753]
2020年02月03日
餃子の王将の創業者、加藤朝雄と 創業者の呪い


1967年、王将1号店以前の創業者の経歴は殆ど不明

引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-4-2_l.jpg


餃子の王将は手軽で美味しい中華料理を食べれる店ですが、創業者の出自が暗い影を落している。

創業者、加藤朝雄の黒い人脈が、歴代社長や一族に災難として降りかかっています。

2013年に社長が何者かにおそわれ亡くなっているが、創業時代からの何らかの遺恨とも言われている


創業者の謎

王将の創業者、加藤朝雄は1924年九州の福岡県飯塚市の貧困集落出身で、これが全ての問題の原因になりました。

加藤朝雄は出兵して満州で戦時中を過ごしたと言われていて、中華料理はこの時に覚えたらしい。

現在の王将の1号店を1967年に京都で開業したが、前年の1966年にも別な場所で開店したが、半年で潰れたともいわれている。


創業者、加藤朝雄の一族は現在の王将とは対立しているので、王将の関連サイトにも創業時や創業前の事は書かれていない。

特に加藤朝雄が京都に来る前、どこで何をしていたのかは全く不明で、出身地すら正確にはどこなのか分からない有り様です。

加藤朝雄の周囲には「普通ではない人たち」が群がっており、闇社会と深い繋がりがあったとされている。


加藤朝雄は集落出身である事から解放運動を支援するスポンサーになっていて、解放運動と関わりがあった。

解放同盟や非合法組織に、トラブルの仲介を依頼していたとも言われるが、そうした事は表に出ないので確認が取れない。

さらに加藤朝雄は戦時中満州あるいは中国に出兵していたとされ、ここから日本の中国人社会との繋がりもできた。


現在でも王将は店内では中国語で注文を通していて、単なる中華料理好きでは無いと想像できる。

加藤朝雄は1944年に20歳なので、18歳で出兵したとしても終戦時には21歳であり、軍では下っ端だったと想像できます。

この創業者に群がった「うさん臭い人達」が王将の歴代経営者に呪いのように降りかかる事になります。

潰しかけた創業者の息子

加藤朝雄が体調を崩して飲料メーカーのアサヒ元副社長の望月氏が臨時社長に就任した。

唐突なようだがアサヒは現在王将の筆頭株主なので、当時から資本関係があったのかも知れません。

王将のような飲食業では、取り引きのある大手飲料メーカーと資本関係を持つのは良くあり、不自然ではない。


だが1993年に加藤朝雄が逝去すると息子の加藤潔が社長に就任し、創業者一族が経営権を握りました。

創業者一族とは加藤朝雄の息子や孫達で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっています。

加藤潔3代目社長は元々素行が良くなかった上に、創業者から「解放同盟」「非合法組織」の人脈を受け継いだとされる。


解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作りましたが、株主である一族に地位を守られていました。

加藤潔は現在も王将の役員ですが、現在の王将役員12人のうち、創業者の血縁は潔氏だけで、他は大東隆行や飲料系のようです。

加藤潔は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされて社長の座を追放されました。


特に1999年に創業者の出身地である福岡のゴルフ場や、解放同盟の関連企業に89億円を貸し付けたのが問題になった。

だがこうしてみると問題になった融資は初代の加藤朝雄が始めた事業や人間関係で、どれも加藤潔が始めた訳ではない。

創業者の呪いとはこの事で、後にとんでもない事件に繋がります。


関東1号店で働く3代目社長大東隆行、1978年

引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-2-1_l.jpg

王将を再建した義弟

加藤朝雄の跡を継いだのが朝雄の妻の弟の大東隆行で、戦時中姉夫婦の手伝いをした後、自分も薪炭・氷業を始めた。

加藤朝雄が帰国後の1967年に京都で「王将」を始めたので、大東隆行も王将で働きました。

王将は大ヒットしてチェーン展開を始め、大東隆行は営業本部長、専務取締役経て、2000年に社長に就任しました。


だが創業者の加藤朝雄が1993年に没してから大東隆行に直接代替わりしたのではなく、間には創業者の息子が入りました。

加藤潔社長は解放同盟や非合法組織に無担保融資をして、店舗は放置し虫が沸いていたと言われています。

2000年に大東社長になった時には売上約390億円に対して、有利子負債が約470億円あり経営危機に陥っていました。


大東隆行は人望が厚く経営手腕もあり、短期間で負債を返済した上に、王将を全国チェーンにして立役者でした。

筆頭株主のアサヒと、アサヒの親会社で融資を受けている三井住友銀行にも信頼され、順風満帆かに思えました。

だが創業者と息子が解放同盟や「その筋」に関わったとき、実際に彼らと応対したのが大東隆行だったと言われています。


4代目の大東社長に至っても、まだ闇社会との関係は続いていて、断ち切れては居なかったのでした。

2005年からは中国の大連に進出したが、この土地は創業者の加藤朝雄が軍隊時代に中華料理を覚えた場所とされています。

中国は資本主義国ではなく、何をするにも共産党の許可と人脈が必要で、このため中国の闇社会と関わります。


散々苦労して金を毟りとられた挙句、結局中国事業は失敗し、2014年に撤退が発表されました。

創業者の呪いは続く

大東隆行は人望があり仕事ができ、闇社会との付き合いを表に出さずに上手く処理したが、誰かから恨まれていたようです。

2013年12月19日にいつものように掃除をするため、朝早く(5時40分)出社したところ、駐車場でおそわれて没した。

背後関係は未だに分からず、捜査に進展は見られないようです。


これとは別に創業者の孫で加藤潔社長の息子の、加藤貴司が息子を連れて2008年から失踪しています。

自分の意思で失踪したのかも分からず、警察によると日本から資産を持ち出している形跡は無いようです。

加藤貴司の妻はウクライナ人で、行方不明になったとき妻は息子を連れてウクライナに帰国していた。


加藤貴司は妻と復縁するため、3人でエジプト旅行に出かけ、旅行中に失踪しました。

妻のカチェリーナは夫の失踪によって資産を相続し、王将の株主になり、年間数千万円を受け取っているとされている。

大東隆行の最後と共に加藤貴司の事件も、疑わしい人物が多すぎて、何も進展がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/48245957.html
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c454

[昼休み54] 部落解放同盟は悪い 中川隆
21. 中川隆[-14073] koaQ7Jey 2020年2月03日 13:02:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-752]
2020年02月03日
餃子の王将の創業者、加藤朝雄と 創業者の呪い


1967年、王将1号店以前の創業者の経歴は殆ど不明

引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-4-2_l.jpg


餃子の王将は手軽で美味しい中華料理を食べれる店ですが、創業者の出自が暗い影を落している。

創業者、加藤朝雄の黒い人脈が、歴代社長や一族に災難として降りかかっています。

2013年に社長が何者かにおそわれ亡くなっているが、創業時代からの何らかの遺恨とも言われている


創業者の謎

王将の創業者、加藤朝雄は1924年九州の福岡県飯塚市の貧困集落出身で、これが全ての問題の原因になりました。

加藤朝雄は出兵して満州で戦時中を過ごしたと言われていて、中華料理はこの時に覚えたらしい。

現在の王将の1号店を1967年に京都で開業したが、前年の1966年にも別な場所で開店したが、半年で潰れたともいわれている。


創業者、加藤朝雄の一族は現在の王将とは対立しているので、王将の関連サイトにも創業時や創業前の事は書かれていない。

特に加藤朝雄が京都に来る前、どこで何をしていたのかは全く不明で、出身地すら正確にはどこなのか分からない有り様です。

加藤朝雄の周囲には「普通ではない人たち」が群がっており、闇社会と深い繋がりがあったとされている。


加藤朝雄は集落出身である事から解放運動を支援するスポンサーになっていて、解放運動と関わりがあった。

解放同盟や非合法組織に、トラブルの仲介を依頼していたとも言われるが、そうした事は表に出ないので確認が取れない。

さらに加藤朝雄は戦時中満州あるいは中国に出兵していたとされ、ここから日本の中国人社会との繋がりもできた。


現在でも王将は店内では中国語で注文を通していて、単なる中華料理好きでは無いと想像できる。

加藤朝雄は1944年に20歳なので、18歳で出兵したとしても終戦時には21歳であり、軍では下っ端だったと想像できます。

この創業者に群がった「うさん臭い人達」が王将の歴代経営者に呪いのように降りかかる事になります。

潰しかけた創業者の息子

加藤朝雄が体調を崩して飲料メーカーのアサヒ元副社長の望月氏が臨時社長に就任した。

唐突なようだがアサヒは現在王将の筆頭株主なので、当時から資本関係があったのかも知れません。

王将のような飲食業では、取り引きのある大手飲料メーカーと資本関係を持つのは良くあり、不自然ではない。


だが1993年に加藤朝雄が逝去すると息子の加藤潔が社長に就任し、創業者一族が経営権を握りました。

創業者一族とは加藤朝雄の息子や孫達で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっています。

加藤潔3代目社長は元々素行が良くなかった上に、創業者から「解放同盟」「非合法組織」の人脈を受け継いだとされる。


解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作りましたが、株主である一族に地位を守られていました。

加藤潔は現在も王将の役員ですが、現在の王将役員12人のうち、創業者の血縁は潔氏だけで、他は大東隆行や飲料系のようです。

加藤潔は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされて社長の座を追放されました。


特に1999年に創業者の出身地である福岡のゴルフ場や、解放同盟の関連企業に89億円を貸し付けたのが問題になった。

だがこうしてみると問題になった融資は初代の加藤朝雄が始めた事業や人間関係で、どれも加藤潔が始めた訳ではない。

創業者の呪いとはこの事で、後にとんでもない事件に繋がります。


関東1号店で働く3代目社長大東隆行、1978年

引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-2-1_l.jpg

王将を再建した義弟

加藤朝雄の跡を継いだのが朝雄の妻の弟の大東隆行で、戦時中姉夫婦の手伝いをした後、自分も薪炭・氷業を始めた。

加藤朝雄が帰国後の1967年に京都で「王将」を始めたので、大東隆行も王将で働きました。

王将は大ヒットしてチェーン展開を始め、大東隆行は営業本部長、専務取締役経て、2000年に社長に就任しました。


だが創業者の加藤朝雄が1993年に没してから大東隆行に直接代替わりしたのではなく、間には創業者の息子が入りました。

加藤潔社長は解放同盟や非合法組織に無担保融資をして、店舗は放置し虫が沸いていたと言われています。

2000年に大東社長になった時には売上約390億円に対して、有利子負債が約470億円あり経営危機に陥っていました。


大東隆行は人望が厚く経営手腕もあり、短期間で負債を返済した上に、王将を全国チェーンにして立役者でした。

筆頭株主のアサヒと、アサヒの親会社で融資を受けている三井住友銀行にも信頼され、順風満帆かに思えました。

だが創業者と息子が解放同盟や「その筋」に関わったとき、実際に彼らと応対したのが大東隆行だったと言われています。


4代目の大東社長に至っても、まだ闇社会との関係は続いていて、断ち切れては居なかったのでした。

2005年からは中国の大連に進出したが、この土地は創業者の加藤朝雄が軍隊時代に中華料理を覚えた場所とされています。

中国は資本主義国ではなく、何をするにも共産党の許可と人脈が必要で、このため中国の闇社会と関わります。


散々苦労して金を毟りとられた挙句、結局中国事業は失敗し、2014年に撤退が発表されました。

創業者の呪いは続く

大東隆行は人望があり仕事ができ、闇社会との付き合いを表に出さずに上手く処理したが、誰かから恨まれていたようです。

2013年12月19日にいつものように掃除をするため、朝早く(5時40分)出社したところ、駐車場でおそわれて没した。

背後関係は未だに分からず、捜査に進展は見られないようです。


これとは別に創業者の孫で加藤潔社長の息子の、加藤貴司が息子を連れて2008年から失踪しています。

自分の意思で失踪したのかも分からず、警察によると日本から資産を持ち出している形跡は無いようです。

加藤貴司の妻はウクライナ人で、行方不明になったとき妻は息子を連れてウクライナに帰国していた。


加藤貴司は妻と復縁するため、3人でエジプト旅行に出かけ、旅行中に失踪しました。

妻のカチェリーナは夫の失踪によって資産を相続し、王将の株主になり、年間数千万円を受け取っているとされている。

大東隆行の最後と共に加藤貴司の事件も、疑わしい人物が多すぎて、何も進展がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/48245957.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/152.html#c21

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
15. 中川隆[-14072] koaQ7Jey 2020年2月03日 13:19:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-751]
疫病に限らず、我々が「国境」により守られていない場合、
「外国の産業、労働者との自由な競争により、国内市場で所得を稼ぐことが困難になる」
 という形で、苦境に立たされることになります。

 そもそも、イギリスが「自由貿易!」などと標榜したのは、国内の過剰な生産能力により生産される綿製品の「市場」を求め、世界最大の綿製品製造大国、消費大国だったインドに目を付けたためです。

 インドは軍事力を背景にした英東インド会社、英国政府により国境を引き下げられ、「モノ」の移動を制限できなくなります。
 産業革命を経て生産性が極端に高まったイギリス面産業に、インド側は全く対抗することができませんでした。

 イギリス製品が流入するまでは、綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」
 と嘆くに至ります。

 80年代以降の日本は、「自由貿易? 自由だからいいじゃない」といった幼稚なレトリックにより、ひたすらグローバリズムを推進。国境を引き下げ、自ら貧困化し、自分たちの「安全な生活」を破壊してきました。

 今でも、
「国境は低ければ低いほどいい」
 と、歴史や経済、国家、主権について無知な連中が繰り返し、多くの国民はグローバリズムを礼賛というか、信仰している有様です。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12572370175.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html#c15

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
1. 中川隆[-14071] koaQ7Jey 2020年2月03日 13:40:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-750]
2020/2/3
新型コロナウイルスはHIVのタンパク質を含み免疫系を破壊する  

 

■ HIVの4種類のタンパク質がコードされた新型コロナウィルス ■

インド工科大学の研究チームは新型コロナウイルスのタンパク質の解析を行い、新型コロナウィルスがSARSに近い祖先を共有している事を発見。そこでSARSウイルスとタンパク質のコードを比較した所、SARSウイルスには含まれない4つのタンパク質が挿入されている事を発見しました。

「GTNGTKR」「HKNNKS」「GDSSG」「QTNSPRA」

何とこれらのタンパク質はHIVウイルスが含むタンパク質であると研究チームは発表しています。

■ 一度感染しても再感染するリスクを警告 ■

中国国家衛星健康委員会は31にの記者会見でこう発表しています。

「感染後に出来る抗体は長時間持続しないものもある。一度感染して治癒した患者にも再感染のリスクがある」

■ 重症化は20%、致死率は3% ■

新型コロナウィルスがHIVのタンパク質を含む事で、HIV同様に人の免疫系を破壊するかどうかは不明ですが、これまでの中国政府の発表から重症化率は20%程度、致死率は3%程度である事が分かっています。

SARSの致死率が30%程度ですから、病毒性は若干弱いもののインフルエンザの致死率が0.1%とされていますから、新型コロナウイルスは非常に危険なウイルスである事は間違いありません。

■ 潜伏期間が9日から2週間という厄介なウィルス ■

中国政府が新型コロナウイルスの封じ込めに失敗した原因は、潜伏期間の長さにあります。通常のウイルスであれば48時間程度で発症しますが、9日から2週間も症状が現れないウイルスでは、その期間に感染者が多くの人々と接触し、電車や飛行機で長距離移動する人も多い。

武漢市では春節を前に市民の半分が市街に移動したと言われています。最早ウイルスは中国全土の拡散してしまいました。さらに、武漢からの観光客が世界中にこのウイルスを運んでいます。中国政府は武漢の公共交通機関を封鎖井し、1月27日からは中国人の海外渡航を基本的に禁止しました。

しかし、既に日本を始め多くの国々に新型コロナウイスは運ばれてしまいました。

■ 1月程度で感染が拡大するか分かる ■

武漢で新型コロナウイルスが発見され話題になったのが12月初旬でした。その頃は数人の患者でしたから2か月で中国全土のアウトブレイクした事になります。

その間、武漢からの観光客が大勢日本にも入国して観光をしています。バスの運転手とガイドの感染が明らかになっていますが、彼らはバスという「密閉空間」で感染した可能性が高い。

一方、一般の日本人がどの程度感染しているかですが、新型コロナウィルスがインフルエンザや一般的な風邪と同程度の感染力を持つのならば、それなりの数の日本人が感染している可能性は否定出来ません。

日本政府は武漢から帰国した日本人を隔離していますが、中国人渡航者を制限しなかった時点でウイルスの封じ込めに失敗しています。

仮にこのウイルスが「中国人限定」で無いならば(既に日本人が感染しています)、中国の前例から1か月程度で感染が拡大するか分かるハズです。

■ スーパースプレッターの存在 ■

中国当局は新型コロナウイスのスーパースプレッターの存在を警告しています。武漢市の医療機関では15人のスタッフが感染しましたが、たった一人の患者から感染した可能性が高い。

この様に特異的にウイルスをまき散らす感染者をスーパスプレッターと呼びます。スーパースプレッターが現れると感染は急激に拡大する事が分かっています。

さらに新型コロナウイルスの潜伏期間が長い事や、症状の出ない感染者も感染拡大に拍車を掛けます。

■ 春の訪れと共に感染は収束する ? ■

新型コロナウイルスが気温や湿度によって感染率がどう変化するかは未知数ですが、一般的な風邪のウイルスは、気温が低く乾燥した環境で感染力が拡大します。冬に風邪が多いのはその為です。

日本は中国内陸部に比べれば冬でも温暖ですから、もしかすると武漢程の感染拡大は起こらないかも知れません。さらに、3月に入れば気温も高くなりますから、感染は収束に向かうかも知れません。

■ 日本人の免疫力は低い ■

懸念すべき点があるとすれば、日本人の免疫力が低下している点です。

多くの報道が中国の衛生状態の悪さがウイルス感染を助長している的な報道をしていますが、衛生環境が悪いからこそ中国人の免疫力は高い。

一方、社会的病理とも思える「キレイ好き」の日本人の免疫力は相当に低下しています。生物は多くの病原菌やウイルスに感染する事で免疫を獲得し、基礎免疫力も向上しますが、清潔な環境では免疫がまともに働かなくなります。結局暇になった免疫は、花粉などドーデも良いタンパク質に過剰に反応してアレルギーを引き起こします。

はたして、日本人の「キレイ好き」がウイルスの拡大を防ぐのか、逆に感染を拡大するのか、個人的には興味が有ますが・・・・やはり致死率が3%もあるウイルスは遠慮したい。


■ 「新型コロナウイルスより怖いインフルエンザ」というデマにご用心 ■

「新型コロナウイルスよりも、日本で毎年1万人以上が死亡するインフルエンザの方が怖い」という書き込みがネットでちらほら出て来ました。CNNも似た様な記事をアップしています。

これ、インフルエンザで儲かる人達の「便乗商法」ですからご注意を。

「日本で1万人以上の死者」というのは「超過死亡率」で、インフルエンザを発症した後に、肺炎など合併症で亡くなった方を含む数字です。多くが高齢者で、インフルエンザに罹らなくとも免疫力が低下していたり、持病が悪化していたりで、遅かれ速かれお亡くなりになる可能性が高い方々。インフルエンザは切っ掛けに過ぎません。

世界の医学界では「インフルエンザワクチンの効果は限定的で、タミフルなどの抗インフルエンザ薬の効果は回復を1日早めるだけ」というのが常識です。


日本の医療関係者のブログやTwitterの書き込みは、こんな内容で溢れています。

「インフルエンザの季節になると外来が混雑して迷惑。抗インフルエンザ薬の効果が限定的な事を説明しても、検査と抗インフルエンザ薬の処方を要求して来る」

「インフルエンザの患者は家で寝ていれば治る。病院に来てワザワザ他の外来患者にうつさないで欲しい」


要は、インフルエンザ如きで病院来るな。家で寝てれば治る!!


しかし、子供がインフルエンザになれば学校を休み為に診断書が必用ですし、社会人も会社を休む為に診断書が必用です。こんなの「インフルなので今週はお休みします」の電話一本で充分ですが、几帳面な日本人は「診断書」を求めます。

さらに、会社でインフルエンザを持ち込むと重罪人扱いに成りますし、忙しい人程、休んで家で寝ているという選択肢は取れません。そこで、咳止めを飲んで、元気な振りをして出社します。そうすると、暇な人が感染して・・・会社を休む。忙しい人はさらに忙しくなる・・・。

・・・・なんだかなぁーーー。

「インフルエンザなんてただの風邪」という常識が普及してくれないと、この空しい連鎖が繰り替えされます・・・。

話が逸れてしまいましたが、新型コロナウイルスの感染の疑いがある場合は、家族も含め他人との接触は最小限に留め、しかるべき医療機関に連絡を。間違えても、咳止め飲んでこっそり出社しないように!!

「症状の特徴は痰を伴わない乾いた咳と高熱」


【追及】 インドの研究チームは査読前の論文を取り下げました「HIVウイルスに類似のタンパク質を含む」「人為的に合成されたものでは無い」と言う文章に変更される様です。陰謀論関連のブログで論文が世界的に拡散してしまったので身の危険を感じたのでしょう。

一方タイではタミフルと抗エイズ薬の投与で患者の症状が改善したと報じられています。やはりエイズウイルスのタンパク質を含んでいるのでしょう。

何となくウイルスをばら撒いた連中の顔が見えて来ますね。株を買うなら今でしょう。これらの薬関連の。

https://green.ap.teacup.com/pekepon/


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c1

[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
3. 中川隆[-14070] koaQ7Jey 2020年2月03日 14:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-749]
レナード・バーンスタイン指揮 マーラー 交響曲 第9番



ISRAEL PHIL.ORC GUSTAV MAHLER SYMPHONY NO.9


ISRAEL PHIL.ORC. TOUR IN JAPAN 1985
CONDUCTOR LEONARD BERNSTAIN

____

G.Mahler : Symphony No.9 (L.Bernstein/Israel P.O) 1985.9.3 Osaka,Japan


1985.9.3 Festival Hall,Osaka
ETERNITIES

_____

G.Mahler : Symphony No.9 (L.Bernstein/Israel P.O) 1985.9.5 Nagoya,Japan


1985.9.5 Civic Hall,Nagoya
ETERNITIES


_________

イスラエル・フィル
Helicon Classics(イスラエル・フィルのレーベル)。


1985年8月25日、テルアビブ、マン・オーディトリアムでのライヴ録音。
29:27 + 16:43 + 12:07 + 30:15 = 88:32。

順序としてまずコンセルトヘボウとのDG盤を録音したあと、このIPOとのイスラエルでのライヴがあり、それに引き続き9月にIPOとの伝説的日本公演が行われた。

日本での全9公演のうち4公演がこの曲で、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったという。
このNHKホールには東北大混声の同級生が聴きに行っていて、その話を聞かされたものだ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm



▲△▽▼

Mahler: Symphony No. 9 (Bernstein, Koninklijk Concertgebouworkest)





Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Leonard Bernstein

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
DG。1985年5月29日〜6月3日、コンセルトヘボウでのライヴ録音。
考えうる最高の名演。何も言う必要がない。
29:52 + 17:26 + 11:47 + 29:34 = 88:39
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

▲△▽▼

マーラー: 交響曲 第9番 ニ長調 バーンスタイン, ベルリン・フィル 1979





Leonard Bernstein
Berliner Philharmoniker Oct.1979

DG。1979年10月、バーンスタイン唯一のベルリン・フィルへの客演。
27:31 + 15:49 + 11:59 + 26:03 = 81:22
1992年発売でセンセーションを巻き起こしたが、完成度の高さという点ではコンセルトヘボウ盤のほうをとるべきだと思う。
2010年初頭、ORIGINALSシリーズOIBP化輸入盤で出た。何と82分4秒が1枚で収まっている(左)。
2015年にはバーンスタイン没後25周年記念でシングルレイヤーSACDが出た(右)。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

▲△▽▼

Mahler Symphony no. 9 - Vienna Philharmonic Orchestra - Leonard Bernstein


Vienna Philharmonic Orchestra

DG。UNITEL映像DVD。1971年3月、ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ。
27:24 + 16:06 + 11:28 + 25:48 = 80:46
この終楽章冒頭を見て聴いて、何も感じない人は、音楽を聞く必要のない人である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c3
[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
4. 中川隆[-14069] koaQ7Jey 2020年2月03日 14:56:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-748]

カラヤン


Mahler Symphony No. 9 - Karajan, BPO, 1982 Salzburg Live Recording (SACD)



Conductor: Herbert von Karajan
Berlin Philharmonic Orchestra
Live recording, Salzburg, 1 May 1982. SACD, 2000.

________


Mahler “Symphony No 9” Karajan & BPO, 1982



Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

DG。OIBP化。2CD。1982年9月30日、ベルリン芸術週間におけるカラヤンには珍しいライヴ録音。

カルロス・クライバーのベートーヴェンの第4番と同じ年に発売されたにもかかわらず、こちらがレコード・アカデミー賞を受賞した(1984年度)が、そんなに良い演奏かぁ? 

のっぺりした感じがする一方、クレンペラーのように悟りきっているわけでもない。
バーンスタインが客演した直後79年11月のスタジオ録音も出ているが私は持っていない。


_______


Mahler “Symphony No 9” Karajan & BPO, 1980



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マーラー/交響曲第9番ニ長調/カラヤン (創立100年記念コンサート



(1982年5月1日 フィルハーモニーホール ベルリン・フィル創立100年記念コンサート) 1982年9月23日エアチェック 動画開始後1分51秒くらいでイス?を倒したような音がありますが、放送時のものです。

 カラヤンの交響曲第9番には、79年〜80年のスタジオ録音と82年のライブ録音があります。市販のCDは(海賊版を除き)この2つです、と思います。今回アップしたエアチェックテープは、そのライブ録音の2ヶ月ほど前の演奏会のテープということになります。テープには演奏開始後1分30秒後、譜面?イス?を倒したような音があります。カラヤンさん、瞑っていた目をギョロっと開けて睨みつけたのでしょうか。

 ちなみに82年のライブ録音版のCDジャケット、ガブリエラ・ブランデンシュタイン撮影の、カラヤンの憂えた横顔のジャケット写真、かっこいいと思います。
    
 このCDは1985年4月にF66G 50038/9(410 726-2)発売されましたが、6,600円もしたし、まだ当時は第9番のすごさを知らなかったので、新譜では買わず、数年後に中古で購入しました。1985年から買い集めたCD、ここ数年来はiTunesにインストールして、あらかたヤフオクで売却しましたが、このCDは手元に置く数少ないCDのひとつです。iTunesで膨大な楽曲管理はすごく便利で音質もいい、でもクラシック音楽にCDジャケットは必要ですよね。

 マーラーファン、交響曲第9番の好きな方は聴き比べてみてください。

 エアチェックテープのタイミングです。
 第1楽章28分02秒 第2楽章16分31秒 第3楽章12分52秒 第4楽章25分48秒 計85分00秒
https://blog.goo.ne.jp/tgcy2801/e/3d96d349968463a04259f4bcb7aefee1



カラヤンはこの曲をシェーンベルクの 浄められた夜 と同じ様な後期ロマン派の爛熟した退廃芸術として捉えています。

従って、ワルターやバーンスタインの様な死の音楽とは全く違った曲になっています。



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c4
[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
50. 中川隆[-14068] koaQ7Jey 2020年2月03日 15:59:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-747]
2020.02.03
イラクで新首相が指名されたが、同国民の米国に対する感情は変化しそうにない


 イラクのバルハム・サリフ大統領は​新たな首相としてモハメド・タウフィク・アラウィを指名​した。この人物はアヤド・アラウィ元首相の甥にあたり、ノウリ・アル・マリキ政権で通信相を務めている。

 シオニストの一派であるネオコンは1980年代にイラクのサダム・フセイン政権を倒そうとしてきたCIAと関係が深く、ペルシャ湾岸産油国の防波堤になっていたフセインを倒そうとしたのは、そこに親イスラエル体制を樹立してシリアとイランを分断し、両国を殲滅して中東全域をイスラエルに支配させたかったからだ。

 その考えをネオコンのポール・ウォルフォウィッツも共有していた。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、国防次官だった1991年にウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っているのだ。(​3月​、​10月​)

 そして2003年3月にアメリカ軍は従属国の軍隊を引き連れてイラクを先制攻撃、フセイン体制を倒したのだが、親イスラエル体制の樹立には失敗、イランとの関係が強い政権が現れた。2006年にノウリ・アル・マリキが首相になるとイラクはアメリカ支配から抜け出す動きを見せ始める。そこでアメリカは首相をすげ替えるが、思惑通りには進んでいない。

 マリキが首相になった翌年、​調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌に、ジョージ・W・ブッシュ政権がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定めてスンニ派と手を組むことにしたと書いた​。その相手はサラフィ主義者やムスリム同胞団をさすが、フセイン体制の残党も含まれている。

 2009年1月にアメリカ大統領はブッシュからバラク・オバマに交代するが、戦術は継承された。オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトを開始している。

 そのオバマの政策がサラフィ主義者の支配地域を出現させるとDIA局長として警告したのがマイケル・フリン中将。その警告通り、2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が出現、シリア東部からイラク西部にかけての地域を支配するようになった。

 そのダーイッシュを敗走させたのがシリア政府の要請で介入したロシア軍とイランの革命防衛隊。その中でも重要な役割を果たしてきたガーセム・ソレイマーニーは1月3日にバグダッド国際空港でアメリカ軍が暗殺した。

 そのときソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーとしてイランの返書を携えていた。この交渉を潰すこともアメリカ側の重要な目的だったのだろう。

 アメリカは昨年からイラクの親イラン政権を揺さぶるため、イラク国民の不満を利用して「カラー革命」を仕掛けているのだが、ソレイマーニー暗殺を切っ掛けにしてその抗議活動は反アメリカに変化していると伝えられている。クルド系のサリフ大統領とダボスで会談したドナルド・トランプ米大統領はイラクとアメリカとの蜜月を演出したが、逆効果だろう。首相交代でイラク情勢が劇的に変化するとは思えない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002030000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c50

[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
5. 中川隆[-14067] koaQ7Jey 2020年2月03日 17:59:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-746]
マーラー 交響曲第9番二長調 名盤 : ハルくんの音楽日記 2010年6月 1日
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-3ed4.html


マーラーはアメリカからヨーロッパに戻っていた1909年の夏に交響曲第9番を完成させました。そして再びニューヨークへ行った1910年の冬に、この曲の修正にかかりきりになりました。それでもクリスマスには、妻アルマと娘と、家族だけで水入らずの楽しい時間を過ごしたそうです。それはマーラーがこの世を去ることになる僅か5ヶ月前のことでした。

『第9交響曲』の迷信におびえて、9番目の交響曲に「大地の歌」と名づけたマーラーにとって、この曲は本当は10番目の交響曲です。そして、後期ロマン派の巨人が完成させた最後の交響曲となったのです。果たして、この作品は生涯の大傑作となりました。曲の構造は第6番以来のシンプルな4楽章構成です。けれども内容は長い曲の中にぎっしりと詰め込まれています。

第1楽章 アンダンテ・コモード
第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで(歩くようにそして極めて粗野に)
第3楽章 ロンドーブルレスケ、アレグロ・アッサイ(極めて反抗的に)
第4楽章 アダージョ 

なんといっても驚くべきは、この曲は長大であるにもかかわらず、どこをとってもおよそ無駄が無いことです。楽想は相変わらず、静けさ、激しさ、怖さ、優しさなどが、次々と表情を変えて繰り返されるマーラー調なのですが、音楽が結晶化されているために少しも停滞する事がありません。長い第1楽章から音楽の深さははかりしれず、生と死の狭間で激情的に揺れ動くマーラーの精神そのものです。第2楽章の素朴な雰囲気と中間部の高揚は心をとらえて止みません。第3楽章の激しさにも大いに惹かれます。この皮肉的な楽しさは、マーラーの現世との最後の戦いだったのでしょう。そして終楽章アダージョでは、とうとう黄泉の国に分け入ってゆくような神秘感を一杯に漂わせています。マーラーは自身の死を既にはっきりと予感していたのでしょう。僕はマーラーの全交響曲の中で、やはりこの曲が最も好きですが、古今の交響曲の中でも、肩を並べられるのはブルックナーの9番しか有りません。

僕はこの曲を一度演奏したことが有ります。もう三十年も前のことですが、大学を卒業した年に、当時交流のあった都内の大学数校のオーケストラによる合同コンサートが開かれたのです。指揮をしたのは久志本 涼さんでした。楽器を始めた時にはまさかマーラーの9番を演奏できるなどとは思ってもいませんでした。この2年前には「復活」を演奏することも出来ましたし、つくづく幸せな学生時代だったと思います。

聴き手として接した比較的最近の演奏では、2008年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響の来日公演があります。決してドロドロと情念の濃い表現では有りませんが、音楽への共感を深く感じられてとても良い演奏でした。彼のマーラーは是非また聴きたいと思っています。

この曲の愛聴盤はもちろん少なくは無いので全て聴き直すのが中々大変でしたが、順番にご紹介していきたいと思います。


ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1938年録音/EMI盤) 

ユダヤ系であったワルターは戦前からナチスによって様々な妨害を受けていましたが、これはオーストリアがドイツに占領される僅か2ヶ月前のウイーンでの歴史的演奏会です。これが単なる「記録」に留まらないのは、録音が非常に明快な為に、演奏を充分に鑑賞することが出来るからです。ここにはマーラーからその才能を高く評価されたワルターが、同じユダヤ系の師の音楽を命がけで守ろうという強靱な意思の力を感じます。現代の指揮者にこのような精神状態になれというのは無理な話です。真に「鬼気迫る演奏」というのはこのような演奏のことでしょう。


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1961年録音/CBS盤) 

あの壮絶な1938年盤と比べると、随分ゆったりと落ち着いた演奏です。「ゆったり」とは言っても緊張感に欠けるわけでは有りませんが、どうしても38年盤の印象が強すぎるのです。時にはかつてのような激しさを垣間見せたりもしますし、細部の表情づけも入念で、やはりワルターだけのことはあります。それをステレオ録音で聴けることは有り難いとは思います。でも、やっぱりどこかで「生ぬるさ」を感じてしまうのですね。 

サー・ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル(1964年録音/EMI盤) 

定期演奏会の余りの素晴らしさに楽団員たちが感激して、急遽録音を行うことになったという有名な演奏です。バルビローリのマーラーとしても5番、6番ではニューフィルハーモニアというオケの弱さがありましたが、ベルリン・フィルは最高です。阿修羅のようなバーンスタインが「現世での戦い」ならば、こちらはいわば「過ぎ去った戦いの追想」です。遠い昔を懐かしんでいるかのような風情がたまりません。特に弦楽の扱いの素晴らしさが、そういう雰囲気をかもし出すのだと思います。けれども熱さが無いわけではなく、静けさと熱さが同居する稀有な名演だと思います。


カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル(1966年録音/スプラフォン盤) 

アンチェルが「プラハの春」事件で亡命する2年前の録音です。この人のお国もののドヴォルザークやスメタナは最高に好きですが、それ以外ではこれまで心底気に入った演奏はありません。この演奏も中々に立派な演奏ではあるのですが、バルビローリの後に聴くと、弱音部分でのニュアンスや共感度合いでどうしても聴き劣りしてしまいます。弦楽にも硬さを感じます。第3楽章ロンドーブルレスケは切れの良さで楽しめますが、少々健康的過ぎるのが気になります。ということで、アンチェルのファン以外には余りお勧めはできません。

ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン響(1966年録音/BBCレジェンド盤) 

知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインの演奏は昔LPで聴いた6番が無骨ながらも非常に惹きつけられる演奏でした。この9番では第1楽章冒頭の弦は意外にあっさりと開始しますが、徐々に情念と熱気の高まりを増してきます。やはりユダヤの血を感じます。2楽章は遅く穏やかで、これこそレントラー風です。但し中間部はスケール大きく聞かせます。第3楽章ロンドーブルレスケは無骨の極みで巨大な演奏に惹きつけられます。後半では鳥肌が立つほどです。アダージョも美しく深い演奏です。これはクナッパーツブッシュがマーラーを指揮したらかくやと思わせるような?演奏かもしれません。但しオケにミス、傷はだいぶ目立ちます。

オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/TESTAMENT盤)

これはウイーンでのライブ録音です。柔らかい音色や人間味の溢れる味わいは確かに魅力的なのですが、この曲に要求される凝縮力や緊張感に欠ける気がします。録音のマイク・セッティングのせいで、オケが小編成に聞こえるのも気になります。この人の7番のような巨大な超名演と比べると満足し切れないというのが、正直な感想です。クレンペラーには1967年のニュー・フィルハーモニアとのスタジオ録音(EMI盤)も有り、3楽章での遅いテンポによる巨大な表現や終楽章後半は素晴らしいですが、全体としてはウイーンPOの魅力を聴ける、こちらの演奏のほうが良いとは思います。

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1975年録音/audite盤) 

これは東京のNHKホールでのライブ録音です。クーベリックのマーラーは大抵が速めのテンポで熱く、ユダヤ調のしつこさは無いのに感情に強く訴えかける、という具合ですが、この演奏もやはり同様です。但し、1、2楽章ではまだ少々燃焼不足を感じさせます。3楽章でエンジン全開となって、続くフィナーレではこの世の惜別の歌を感情一杯に聞かせてくれます。


カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ響(1977年録音/グラモフォン盤)

この演奏は昔、LP盤で愛聴しました。遅いテンポでスケールの大きな、いかにもジュリーニの演奏です。けれども、感情の嵐が吹き荒れるような部分でもイン・テンポを保つために、幾らか一本調子な感もあります。2楽章の中間部や3楽章などは、そのイン・テンポが確かに巨大な迫力を生んで素晴らしいのですけれど、ここまで感情の揺れが無いマーラーってのもどうかなぁ、と思わないでもありません。しかし、そこがジュリーニの魅力なのですね。分厚い音の合奏も、さすがにシカゴ響で聴き応えが有ります。

レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) 

バーンスタインがベルリン・フィルを振った余りにも有名な演奏です。当時FM放送からテープへ録音して何度も聴きました。この人のマーラーは必ずしも全てが最高だという訳ではないですが、9番だけは比較を絶する凄さです。壮絶さという点で並び得るのが戦前のワルターのみでしょう。全ての音が意味深く共感に溢れ、生と死の狭間で揺れるマーラーの精神がこれほどまでに音楽になり切っている例は他に決して無いと思います。あとは後年のコンセルトへボウ盤との比較のみです。

 
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1979-80年録音/EMI盤) 

晩年に入る前のスタジオ録音です。テンシュテットのライブ演奏の凄さを知る者にとっては、もの足りなさが残ると思います。これも普通に素晴らしい演奏なのは確かなのですが、どうしても期待が過大になってしまうからです。それでも部分的には彼らしい表現力に耳を奪われる瞬間は多く有ります。圧倒的な感動までに至らないのが残念です。ロンドン・フィルの力量は例によって、いまひとつというところです。

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982年録音/グラモフォン盤) 

カラヤンが手兵ベルリン・フィルとバーンスタインの演奏の評判の高さに対抗心を燃やしたとしか思えません。同じライブ盤を3年後に残したのですから。この演奏は美しく、アンサンブルも最高なのですが、およそ「死の翳り」というものは感じられません。余りに健康的だとも言えます。元々俗人のリヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンとマーラーの生まれ変わりのようなバーンスタインとでは根本的に資質が異なります。マーラーを振って勝負になるはずが有りません。カラヤンがベルリン・フィルを二度とバーンスタインに振らせなかったのも何となくうなずけます。

ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) 

マーラーと縁の深いウイーン・フィルの演奏だというだけで惹かれてしまいます。戦前ほどの濃密さは無いですが、それでもこの柔らかい音は他のオケとは違います。それでいて現代的なアンサンブルも持ち合わせているので魅力的です。バーンスタインほどテンポに緩急はつけず、ジュリーニほどインテンポではないですが、バランスの良さを感じます。終楽章のみ少々速く感じますが、非常に美しいです。この演奏はウイーン・フィルのマーラーを良い録音で聴きたい方にはお勧めです。


レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/グラモフォン盤) 

バーンスタインはカラヤンの邪魔立てを知ってか、それならと「へーん、ベルリンPOを振らなくったっていい演奏は出来るやーい」と、今度はコンセルトへボウと録音を行いました。こうなればマーラー演奏に伝統の有るコンセルトへボウは負けるわけには行きません。かくて両者の意地がベルリンPO以上の演奏が実現しました。スケールの大きさ、完成度ではこちらがずっと上です。3楽章のたたみかける迫力もベルリンPO以上。終楽章の神秘性、寂寥感も最高です。どちらか一つを選ぶなら僕は迷わずにコンセルトへボウ盤を取ります。


ガリー・ベルティーニ指揮ウイーン響(1985年録音/WEITBLICK盤) 

これはEMIへの録音盤ではなく、ウイーンでのライブ演奏です。ベルティーニはケルン放送を振るときよりもずっとオケの自発性に任せている印象で、おおらかさを感じます。最初はかなり手探り状態で危なっかしいのですが、少しづつ調子が上がって行くのがいかにもライブです。2、3楽章もオーケストラにミスも多く、荒い感じがしますが、終楽章では神秘的な雰囲気を漂わせていて感動的です。やはり良い演奏だと思います。ムジークフェラインの響きを美しく捉えた録音も良いです。


クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1987年録音/グラモフォン盤)

 ウイーンでのライブ録音です。弦も管も非常に響きの美しさを感じます。しかもライブとは思えないほどにアンサンブルが優秀で、安心して聴いていられます。3楽章のドライブ感も実に見事です。ただし問題は、この曲の「怖さ」が余り感じられないことです。悲劇性、汚さから離れて、ひたすら美しさに徹した演奏には幾らか疑問を感じます。アバド/ウイーンPOの3番、4番は文句無しの名演奏ですが、この曲の場合は、そこまでの感銘は受けません。ただ、聴き疲れしませんし、何度でも繰り返して聴ける名盤だと思います。深刻なマーラーは苦手だと言われる方には是非のお薦めです。


ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) 

EMIへの全集録音ですが、「大地の歌」と同様に日本でのライブ収録です。さすがに手兵のケルン放送だけあって、スタジオ録音と間違えるほどに完成度が高いです。録音も広がりが有り優れています。ユダヤ的な粘着性は余り感じさせない耽美的な演奏ですが、この人の職人的な面が最上に発揮されています。但し、マーラーの死への恐れの心情表現は必ずしも充分に感じられず、終楽章も余り心に深く響きません。むしろ完成度は低くとも終楽章はウイーン響盤の方が感動的でした。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) 

この演奏には激しさはおよそ感じませんし、全体のテンポも極めて中庸です。けれども、全ての音符に意味深さが込められているので、聴いているとマーラーの音楽が自然にどんどん心の奥底まで染み入って来ます。これは凄いことです。ノイマン晩年のマーラー再録音はどれもが素晴らしいのですが、この9番は、3番、6番と並んで特に優れた演奏だと思います。チェコ・フィルの音は非常に美しいですし、CANYONの録音はもちろん優秀です。


小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年録音/SONY盤) 

自分は同じ日本人として小澤さんを尊敬しているのですが、サイトウ・キネン・オケについては少々懐疑的なのです。スーパー臨時編成オケで、松本フェスティヴァルでの中心的役割を果たすのは良いとしても、次々と発売されたライブCDにはどうも商業主義を感じずにはいられませんでした。この演奏は東京文化会館でのライブ録音で、もちろん水準を越える出来栄えですが、常設オケのような熟成された音が感じられません。この直後にボストン響を指揮したフェアウェル・コンサートと比べると大きな差が有るように感じます。出来ればボストン・ライブをCDリリースして欲しいところです。


実は、この曲は普通に演奏してくれれば、どの演奏も感動的です。それほど音楽が素晴らしいからです。この曲を演奏して、もしも人を感動させられなければ、その演奏家はマーラーを演奏しないほうが良いのかもしれません。

僕の好みでベスト盤を上げてみますと、迷うことなくバーンスタイン/コンセルトへボウ盤です。それに続いてバーンスタイン/ベルリン・フィル盤です。

この2つはたとえどちらか片方のみだけでも充分過ぎるほど満足できますが、やはり両方としたいです。

バーンスタインが余りに素晴らしいので、その他は随分引き離されますが、バルビローリ/ベルリン・フィル盤は個人的に大好きです。

それ以外はかなり団子状態ですが、マゼール/ウイーン・フィル盤、ベルティーニ/ウイーン響盤、ノイマン/チェコ・フィル盤には捨て難い良さが有ります。そして番外として外せないのは歴史的演奏のワルター/ウイーン・フィル盤です。

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2013年3月 3日
マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィルのライブ盤: ハルくんの音楽日記
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レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1985年録音/Helicon Classics盤)


僕は、自称ブラームジアーナーとして、ブラームスの音楽を心の底から愛していますが、同じように溺愛しているのがマーラーです。そのマーラーの曲で、どれか一つだけ選べと言われれば、ためらわずに選ぶのが交響曲第9番です。もちろん、アマチュアオケ団員時代に、この曲を演奏したことも影響しているかもしれません。でもそれを抜きにしても、やはり他のどの曲でも無く第9なのです。

その第9交響曲の演奏のなかで一番気に入っているのが、「劇場型」(「激情型」とも)マーラー演奏家として最高のレナード・バーンスタインです。もちろん人によっては、ワルターだ、ジュリーニだ、バルビローリだ、と色々と言われるでしょう。けれどもバーンスタインの洗礼を受けたファンにとっては、とてもとても比べものにならないほどの唯一無二の存在がバーンスタインの演奏です。

そのバーンスタインによるマーラーの第9交響曲については、正規録音として以下の4つの演奏がCD化されています。


1965年12月  ニューヨーク・フィル(スタジオ)
1979年10月  ベルリン・フィル(ライブ)
1985年5、6月 ロイヤル・コンセルトへボウ(ライブ)
1985年8月   イスラエル・フィル(ライブ)

(この他に、1971年3月のウイーン・フィルとのライブも存在しますが、ビデオ収録のみです)

このうち、バーンスタインのマラ9のベスト演奏はどれかと言えば、自分としてはコンセルトへボウ盤(グラモフォン)を上げますが、ベルリン・フィル盤(グラモフォン)を上げる方も居ます。ただ、最初のニューヨーク・フィル盤(CBS)を上げる人は少なそうです。

そんなバーンスタインのマラ9で最近リリースされたのが、最後のイスラエル・フィル盤で、本拠地のテルアビブでのライブ録音です。何となくグラモフォンのジャケット・デザインを彷彿させますが、実際にはイスラエル・フィルの自主レーベル「Helicon Classics」が制作したものです。録音スタッフも全てイスラエル人のようです。

実はこのコンサートの翌月に、彼らは日本でコンサート・ツアーを行なって、マラ9を4度演奏しました。古いマーラーファンには伝説となっているコンサートです。残念ながら僕はそれを聴いていませんが、当時それを聴いた人の話では、空前絶後の凄演だったそうです。その日本のコンサートを想像できるCDとしてはとても貴重だと思います。

さて、肝心の演奏内容ですが、多くのCDレヴューを読むと賛否両論で興味深いです。ある人は「過去の全ての演奏を凌ぐ」と書いていますし、「大したことない」と書いている人も居ます。僕には、そのどれもが本当だろうと思います。少なくとも、書き手にとっては、その人の書いた通りなのです。ですので、これから書く感想も、あくまで僕一人の感想でしかありません。

これまでの演奏と比べて、最もユダヤ的な演奏に感じます。第二次大戦前のウイーン・フィルが、どうしてあれほど甘く柔らかい音を出せていたかと言えば、ユダヤ人が多く在籍していたからだそうです。長い指を持つユダヤ人が弾くヴァイオリンの音の特徴なのですって。イスラエル・フィルにはそれと共通した魅力を感じます。とにかく甘く柔らかく、そして粘ります。それがマーラーの音楽との同質性を感じさせます。それは、ユダヤ系の指揮者と、それ以外の民族の指揮者が演奏するマーラーの確かな違いとも言えます。従って、バーンスタインの指揮したマラ9は全てが魅力に溢れてて感動的です。もちろん、この演奏も同じです。最も顕著なのが第4楽章で、弦楽の息の長い旋律を、粘りに粘って弾いています。こういうのが苦手の人には抵抗が有るでしょうね。でも僕は大好きなのです。魂の没入度では一番かもしれません。バーンスタインの足音がひときわ大きく聞こえますし(笑)。

この楽章を聴くだけでも価値が有ると思います。但し、それまでの楽章について言えば、特に管楽器全体の質とミスがかなり多いのがマイナスです。実演で聴けば気にならないようなことでも、CDで聴く場合は気にならないと言えば嘘になります。ですので、ディスクとして聴く限りは、やはりコンセルトへボウ盤がベストです。恐らく、このCDを聴かなくても困らなかったとは思いますが、聴いたことを後悔はしていません。聴いて良かったと思っています。

もっとも、他の人に「このCDを聴くべきか、聴くべきでないか?」と尋ねられても答えられません。その答えは「その人が聴きたいと思えば聴くべき」でしかないからです。

コメント


マーラーの「第9」は 20代の頃、夢中になって聴いていました。当時は「これこそ、究極の交響曲だ!」と思っていましたね・・・。(笑)

確かに マーラーの行き着いた究極の作品には間違いありません。
しかし、年齢を重ねてくると、ブラームスやブルックナー、また、シベリウスの交響曲を聴く機会が増えているのは事実です。何故でしょうね・・・?      

CDは やはりバーンスタイン/コンセルトヘボウ管盤と ワルター/ウィーン・フィル盤が双璧だと思います。(私としては ワルターの方に思い入れがあるのですが・・・(笑))
投稿: ヨシツグカ | 2013年3月 3日 (日) 22時34分


マーラーは青春時代に一度は熱病にかかりますね。
僕も今はブラームスとシベリウスの方を聴くことが多いですが、マーラーも聴かないわけではありません。むしろブルックナーよりも多いかもしれません。
まだ青春が終わっていないのかも。(笑)
投稿: ハルくん | 2013年3月 3日 (日) 22時49分

こんばんは。
コンセルトヘボウ管弦楽団とのDG盤に続き この盤も聴きなおしましたが
DG盤には演奏も録音も及ばないと思えます。
全体的に「埃っぽい」録音なので、演奏の良さが伝わってきません。

9月3日(来日初日)の実演は彼岸から聴こえてくるような弦の美しさでしたが・・・

バーンスタインならば発売を許可しなかったでしょう(ベルリンも)。
演奏家の生前に発売された盤を尊重するのが演奏家に対する礼儀ではないかと思えます。
投稿: 影の王子 | 2017年5月17日 (水) 20時19分

そうですね。コンセルトヘボウ管とのDG盤の完成度と比べては問題になりませんね。

ベルリンフィル盤に関しては存在意義を認めますが、このイスラエル盤は不要だったかもしれません。

日本公演の感動をそのまま記憶されていたほうが幸せでしょうね。生演奏を忠実にパッケージすることは至難の業です。とくにこの時代では。
投稿: ハルくん | 2017年5月18日 (木) 12時35分

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[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
2. 中川隆[-14066] koaQ7Jey 2020年2月03日 18:42:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-745]
2020年02月03日
武漢肺炎 中国というシステムが作り出した妖怪だった


武漢市は1月23日過ぎまで、被害を訴える人を「デマを流した」と逮捕し治療しなかった。
この1カ月半で爆発的に感染者が増え治療不可能になった

画像引用:https://d15-a.sdn.cz/d_15/c_img_F_O/7d1MVj.jpeg?fl=cro,98,0,1080,720%7Cres,1200,,1%7Cwebp,75

中国というウイルスの自壊作用だった

武漢発の新型コロナウイルスは相変わらず中国では爆発的に増加し、中国以外の国ではそれほどでもない。

武漢から帰国した日本人感染者は565人中8人で、これを武漢周辺地域に当てはめると1月31日に20万人の感染者がいた筈です。

だが中国政府が発表した武漢市の患者数は2月2日に5千人程度で、中国全体でも1万5千人にすぎない。


もしこの発表を信じると新型ウイルスは日本人にだけ1.4%の割合で感染し、中国人は0.04%しか感染しない。

この理由を医師や科学者は誰も説明できないが、中国政府が武漢の患者数を40分の1に発表しているとすれば合理的に説明できる、

中国以外での感染者数は26か国178人で、50万人超と推測される中国に対して大幅に少ない。


この理由は中国以外で発熱や感染した患者が適切な治療を受けたのに対し、中国は今も9割以上の感染者を放置しているからです。

感染者数を40分の1に偽っているということは、治療を受けている人は感染者の40人に1人に過ぎないのを意味します。

人口1100万人の武漢に医療設備が整った病院は5つしかなく、臨時に建設した病院を含めて7病院です。


一つの病院で受け入れ可能なのは500人から1000人、外来で1日に受け入れ可能なのもその程度でしょう。

すると中国政府や湖北省が全員を治療したいと考えても、感染者が増えると不可能だったのです。

中国政府は感染者が100人以内の時に情報を隠蔽し、患者を逮捕して刑務所に入れていました。

中国以外では拡大しない可能性

感染者数人の段階で適切な治療をしていたら、中国国内の患者数は諸外国と同じ数十人にとどまっていたでしょう。

中国は最初の感染者が出た19年12月初めには事態を把握していたが、治療どころか「デマを流した」と取り締まりました。

武漢市民は感染を訴えると逮捕されるので病院に行くどころか隠れてしまい、治療不可能になって感染者を増やした。


これが武漢ウイルスの真相で、おそらく新型ウイルスの感染力自体はそれほど強くなかったのかも知れません。

各国は感染者の入国を防止しようとしていて、アメリカとオーストラリアは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国を拒否した。

フィリピンは2月2日に中国以外で初の死者が出たのを受けて、中国からの入国を禁止するとしている。


タイの保健省は2月2日、重症の新型肺炎患者にインフルエンザ治療薬と抗エイズウイルス(HIV)薬を組み合わせて投与したところ、症状が急速に改善したと発表した。

71歳の重症患者に投与したところ、熱が下がり食欲が回復し、48時間以内にコロナウイルスが消えたという。 

HIVウイルスとコロナウイルスの類似性が数日前から指摘されていて、HIVウイルスが変化した物という説もある。


武漢ウイルスの発生源とされた武漢の海鮮市場だが、本当に発生源だったのが疑問視する声が上がっている。

イギリスの医学専門誌ランセットによると最初の感染者4人のうち3人は海鮮市場に行っておらず、行ったのは一人だけだった。

初期の感染者41人のうち華南海鮮市場に行ったのは27人だけで、市場を悪玉に仕立てたのも中国政府が責任を押し付けた可能性が高い。

中国政府はやっと感染防止に本腰

中国浙江省温州市で2月2日に外出禁止令が出され、住人は家の中や部屋から出るのを禁止された。

2日に1度、1家庭から1人に限り、食料品や日用品を買いに出掛けて良いが、仕事をするのも禁止。

医療機関や感染防止に関わる仕事以外は、全面的に外出禁止となり、事実上の戒厳令に等しい。


湖北省黄岡市も1月1日から同様の措置を取っていて、これには中国共産党の姿勢変化が影響している。

中国共産党は最初の感染者確認から1か月半も経った20年1月20日にやっと対応を指示したが、それまでは隠蔽を指示していた。

習近平批判に繋がらないよう、湖北省幹部が対応を遅らせたと批判し、地方役人に責任を負わせた。


中国ではこんな場合、地方役人が責任を否定すれば即逮捕され、一家全員山奥の収容所などに送られる。

武漢市のトップ、馬国強書記は2月1日にテレビで謝罪放送をし、「自分の対応遅れが被害を拡大させた」と話した。

これの真の意味は「責任を取って謝罪しないと習近平に処刑される」という事なのでしょう。


中国人民銀行は2月3日、1兆2000億人民元(18兆円)を春節明けに資金供給すると発表した。

中国では武漢や大連・上海など南部の都市で商店が休業し、消費経済に大打撃があると予想されている。

外国企業の撤退や工場の一時閉鎖も起きていて、企業の資金繰りを助けるためだと思われる。

http://www.thutmosev.com/archives/82115721.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c2

[番外地7] ソ連共産主義は反ユダヤ思想 中川隆
1. 2020年2月03日 21:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-744]
馬渕さんはまた事実無根の嘘を言ってますね。
左派ユダヤ人は確かに10月革命の主力でしたが、その後殆どが殺されています。つまり、ソ連共産主義は反ユダヤ思想です。

スターリンとエジョフのNKVDのユダヤ人虐殺。大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。

十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。

しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。

スターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。

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元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は手垢にまみれたユダヤ陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。たとえば、ロシア革命の指導者の多くはユダヤ人であり、革命を資金支援したのも米英のユダヤ系金融機関だったと馬渕はいう。

しかしロシアのユダヤ人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持するユダヤ人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、ユダヤ人陰謀説を否定している。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/461.html#c1

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
43. 中川隆[-14065] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:09:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-743]

ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る
2011/6/1 中澤 孝之 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4046537515/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0


中澤孝之著『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る』 (角川学芸出版,2011年,608ページ)
鈴 木   肇 (平成国際大学名誉教授)
Nakazawa, Takayuki, The Role of the Jews in the Russian Revolution (Tokyo: Kadokawa Gakugei Shuppan, 2011)
Suzuki, Hajime Professor Emeritus, Heisei International University


膨大な資料を駆使した大変な労作である。著者は約500人ものユダヤ人革命家を取り上げた。 それぞれの出身,活動歴,役職,たどった運命をくわしく紹介した。まさに本邦初の『ロシア のユダヤ人革命家事典』である。 読者は帝政ロシアでの激しい反ユダヤ主義の実態とその原因,文豪たちのユダヤ人観,ユダ ヤ人革命家輩出の理由,彼らのたどった悲惨な末路を知ることができる。読み終えた人はあの ロシア革命とはいったい何だったのかと,深く考えこむことになろう。 本書は19 〜 20 世紀のロシアとソ連でのユダヤ人迫害の歴史を主に扱っている。全 12 章の ほぼ半分は帝政ロシアの歴代皇帝のユダヤ人政策の紹介である。その政策は「改革帝」のとき には緩和されたが,途中で引き締めに転じ,「反改革帝」のときには弾圧が強まるという傾向 があった。 ユダヤ人に対する差別政策としては「定住区域」,「居住地区」の設定,公職と経済活動の制 限,高等教育機関での員数割り当て制度,幼少期からの長期の兵役制度などなどが指摘されて いる。二流住民の扱いである。 また著者は帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だったのであろう。 さらにロシアではポグロム(ユダヤ人に対する集団的暴行,略奪)がたびたび起きて,多く の死傷者が出た。これらの事情が大学卒のユダヤ人知識人の多くを革命運動に走らせた。本書 で引用されている資料では,ユダヤ人は全人口の約4.13 パーセント(1897 年の統計)に過ぎ ないのに,ボリシェヴィキ,メンシェヴィキその他の左翼政党の幹部ではきわめて高い比率を占めていた。

改革期の 1860 年代以降,大学卒のユダヤ人が増えて,のちのユダヤ人インテリ ゲンチャ層を形成した。革命家への有力な供給源である。 十月革命期には,ボリシェヴィキ幹部の中ではユダヤ人革命家が突出していた。トロツキー, スヴェルドロフ,ジノヴィエフ,カーメネフ,ラデック,ウリツキー,ヴォロダルスキー,リ トヴィノフ,ロゾフスキーらである。彼らはユダヤ教を離れ,ロシアに同化した知識人。革命 の成功によって,ユダヤ人問題は解消すると考えていた。思想,理論の水準ではボリシェヴィ キを上回りながら,権力闘争に敗れて非合法化されたメンシェヴィキでも,ユダヤ人の比率は きわめて高かった。領袖マルトフも,長老アクセリロートもユダヤ人である。このほかブンド という一般ユダヤ人の有力社会主義政党があった。 また十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。 しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。 本書を読むと,ロシアの近現代史について,さまざまな疑問がわいてくる。帝政ロシアはい かに伝統のある専制体制を守るためとはいえ,なぜユダヤ人にあれほど多くの制限を課し,抑 圧する必要があったのか。「反改革帝」とその側近たちはあまりにも頑迷で,いたずらに敵を ふやし,自らの墓穴を掘っていることになぜ気がつかなかったのか。 また教育程度が高くて,国際経験も豊かなはずのユダヤ人知識人の多くがなぜ革命幻想に取 りつかれ,流刑,投獄などいくたの辛酸をなめながら,スターリンによる大粛清でまるで虫け らのように踏みつぶされなければならなかったのか。一般にロシア人よりも現実主義だと思わ れている彼らもまた「千年王国社会主義」の夢を追っていたのだろうか。 さらにスターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。レーニンは最晩年にその誤りに気づいてスターリンの排除を図ったが,果たせないま ま病死した。


次に本書では,ロシア文学の巨匠たちのユダヤ人観がかなりくわしく紹介されていて興味深 い。特に著者は 11 ページにわたって,ドストエフスキーの主張を引用している。全体として 誇張の多い極論ではあるが,当時の一般大衆の反ユダヤ主義感情をそのまま反映した主張なの だろうか。近年,日本ではドストエフスキー人気が再燃しているようだが,彼の作品に加えて 思想も高く評価する人々の論評を聞きたいものだ。

また本書で秀逸なのは,布施勝治氏による ボリシェヴィキのユダヤ要人たちの人物評を引用したことだ。とりわけラデック,ヨッフェ, リトヴィノフ,ボロジン評は的確だ。リトヴィノフはオールド・ボリシェヴィク。西欧で活躍 し,1930 〜 39 年に外務人民委員。米ソ国交樹立などをなしとげたが,スターリンのナチス・ ドイツ接近に伴い解任された。布施氏は会見の際の紅茶のもてなしの一件で,好きになれなかっ たと語っている。鋭い観察だ。ちなみに,同氏はスターリンの死の前後に産経新聞の論説委員 だった。当時,新米記者の私は,小柄だが眼光の鋭いこの大先輩に接する機会に恵まれた。もっ とたくさん,話を聞いておけば良かったのにと悔やまれる。 さらに本書では,弾圧と粛清の渦中を生き延びて,天寿をまっとうした人々がいたことが分 かる。おおむねソ連に残ったユダヤ人活動家の大半は処刑されたか獄死した。しかし,早くに ロシアを去り,欧米に移住したシオニスト(聖地パレスチナにユダヤ民族の国家を建設しよう とした活動家)は主に米国で暮らし,ニューヨークなどで生涯を終えた。 一方,左翼陣営ではたびたび危ない橋を渡りながらも,生き残って病没した大物がいた。パ ルヴスである。ベラルーシのユダヤ人手工業者の家に生まれ,スイスのバーゼル大卒。ドイツ の社民党首脳およびレーニンと知り合い,年下のトロツキーに永続革命論を伝授した。 1906年シベリアの流刑地から脱走してドイツに移住,ドイツ社民党の中央委員となった。 しかし武器輸出会社を興してバルカン戦争で大もうけをし,第1次大戦中はドイツ当局から 資金を引き出して,主にボリシェヴィキを支援した。「革命の銀行家」として悪名の高い怪人 物だ。亡命先で客死した誠実なマルトフとは対照的な人柄だが,とにかくあの乱世を無事に乗 り切ったのはすごい。のちの作家エレンブルグも,モロトフ(首相,外相)夫人もなんとか生 き延びた。 当時とは世界もロシアも大きく変わった。しかし,ロシアでの反ユダヤ主義はどうなったの だろうか。例えばイスラエル政府の発表では,ソ連解体(1991 年末)後,ロシアのユダヤ系 住民120万人がイスラエルに移住したという。また米国,ドイツなどへの移住者は約100万人 という推定もある。 本書が引用した資料では,1881年から1914年にかけて,約200万人のユダヤ人が米国に移 住している。1881 年はアレクサンドル2 世が暗殺され,新たな反ユダヤ運動がはじまり,ポ グロムが広がった年だ。ソ連解体後のロシアは一時,経済状況が非常に悪化したが,政治,出 国などの面での自由は拡大した。それでもなお,大量移住が行われたのは,やはりユダヤ人に はロシアは居づらい国なのだろうか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees/2012/41/2012_118/_pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c43

[近代史3] 馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた 中川隆
29. 中川隆[-14064] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:11:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-742]

ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る
2011/6/1 中澤 孝之 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4046537515/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0


中澤孝之著『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る』 (角川学芸出版,2011年,608ページ)
鈴 木   肇 (平成国際大学名誉教授)
Nakazawa, Takayuki, The Role of the Jews in the Russian Revolution (Tokyo: Kadokawa Gakugei Shuppan, 2011)
Suzuki, Hajime Professor Emeritus, Heisei International University


膨大な資料を駆使した大変な労作である。著者は約500人ものユダヤ人革命家を取り上げた。 それぞれの出身,活動歴,役職,たどった運命をくわしく紹介した。まさに本邦初の『ロシア のユダヤ人革命家事典』である。 読者は帝政ロシアでの激しい反ユダヤ主義の実態とその原因,文豪たちのユダヤ人観,ユダ ヤ人革命家輩出の理由,彼らのたどった悲惨な末路を知ることができる。読み終えた人はあの ロシア革命とはいったい何だったのかと,深く考えこむことになろう。 本書は19 〜 20 世紀のロシアとソ連でのユダヤ人迫害の歴史を主に扱っている。全 12 章の ほぼ半分は帝政ロシアの歴代皇帝のユダヤ人政策の紹介である。その政策は「改革帝」のとき には緩和されたが,途中で引き締めに転じ,「反改革帝」のときには弾圧が強まるという傾向 があった。 ユダヤ人に対する差別政策としては「定住区域」,「居住地区」の設定,公職と経済活動の制 限,高等教育機関での員数割り当て制度,幼少期からの長期の兵役制度などなどが指摘されて いる。二流住民の扱いである。 また著者は帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だったのであろう。 さらにロシアではポグロム(ユダヤ人に対する集団的暴行,略奪)がたびたび起きて,多く の死傷者が出た。これらの事情が大学卒のユダヤ人知識人の多くを革命運動に走らせた。本書 で引用されている資料では,ユダヤ人は全人口の約4.13 パーセント(1897 年の統計)に過ぎ ないのに,ボリシェヴィキ,メンシェヴィキその他の左翼政党の幹部ではきわめて高い比率を占めていた。

改革期の 1860 年代以降,大学卒のユダヤ人が増えて,のちのユダヤ人インテリ ゲンチャ層を形成した。革命家への有力な供給源である。 十月革命期には,ボリシェヴィキ幹部の中ではユダヤ人革命家が突出していた。トロツキー, スヴェルドロフ,ジノヴィエフ,カーメネフ,ラデック,ウリツキー,ヴォロダルスキー,リ トヴィノフ,ロゾフスキーらである。彼らはユダヤ教を離れ,ロシアに同化した知識人。革命 の成功によって,ユダヤ人問題は解消すると考えていた。思想,理論の水準ではボリシェヴィ キを上回りながら,権力闘争に敗れて非合法化されたメンシェヴィキでも,ユダヤ人の比率は きわめて高かった。領袖マルトフも,長老アクセリロートもユダヤ人である。このほかブンド という一般ユダヤ人の有力社会主義政党があった。 また十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。 しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。 本書を読むと,ロシアの近現代史について,さまざまな疑問がわいてくる。帝政ロシアはい かに伝統のある専制体制を守るためとはいえ,なぜユダヤ人にあれほど多くの制限を課し,抑 圧する必要があったのか。「反改革帝」とその側近たちはあまりにも頑迷で,いたずらに敵を ふやし,自らの墓穴を掘っていることになぜ気がつかなかったのか。 また教育程度が高くて,国際経験も豊かなはずのユダヤ人知識人の多くがなぜ革命幻想に取 りつかれ,流刑,投獄などいくたの辛酸をなめながら,スターリンによる大粛清でまるで虫け らのように踏みつぶされなければならなかったのか。一般にロシア人よりも現実主義だと思わ れている彼らもまた「千年王国社会主義」の夢を追っていたのだろうか。 さらにスターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。レーニンは最晩年にその誤りに気づいてスターリンの排除を図ったが,果たせないま ま病死した。


次に本書では,ロシア文学の巨匠たちのユダヤ人観がかなりくわしく紹介されていて興味深 い。特に著者は 11 ページにわたって,ドストエフスキーの主張を引用している。全体として 誇張の多い極論ではあるが,当時の一般大衆の反ユダヤ主義感情をそのまま反映した主張なの だろうか。近年,日本ではドストエフスキー人気が再燃しているようだが,彼の作品に加えて 思想も高く評価する人々の論評を聞きたいものだ。

また本書で秀逸なのは,布施勝治氏による ボリシェヴィキのユダヤ要人たちの人物評を引用したことだ。とりわけラデック,ヨッフェ, リトヴィノフ,ボロジン評は的確だ。リトヴィノフはオールド・ボリシェヴィク。西欧で活躍 し,1930 〜 39 年に外務人民委員。米ソ国交樹立などをなしとげたが,スターリンのナチス・ ドイツ接近に伴い解任された。布施氏は会見の際の紅茶のもてなしの一件で,好きになれなかっ たと語っている。鋭い観察だ。ちなみに,同氏はスターリンの死の前後に産経新聞の論説委員 だった。当時,新米記者の私は,小柄だが眼光の鋭いこの大先輩に接する機会に恵まれた。もっ とたくさん,話を聞いておけば良かったのにと悔やまれる。 さらに本書では,弾圧と粛清の渦中を生き延びて,天寿をまっとうした人々がいたことが分 かる。おおむねソ連に残ったユダヤ人活動家の大半は処刑されたか獄死した。しかし,早くに ロシアを去り,欧米に移住したシオニスト(聖地パレスチナにユダヤ民族の国家を建設しよう とした活動家)は主に米国で暮らし,ニューヨークなどで生涯を終えた。 一方,左翼陣営ではたびたび危ない橋を渡りながらも,生き残って病没した大物がいた。パ ルヴスである。ベラルーシのユダヤ人手工業者の家に生まれ,スイスのバーゼル大卒。ドイツ の社民党首脳およびレーニンと知り合い,年下のトロツキーに永続革命論を伝授した。 1906年シベリアの流刑地から脱走してドイツに移住,ドイツ社民党の中央委員となった。 しかし武器輸出会社を興してバルカン戦争で大もうけをし,第1次大戦中はドイツ当局から 資金を引き出して,主にボリシェヴィキを支援した。「革命の銀行家」として悪名の高い怪人 物だ。亡命先で客死した誠実なマルトフとは対照的な人柄だが,とにかくあの乱世を無事に乗 り切ったのはすごい。のちの作家エレンブルグも,モロトフ(首相,外相)夫人もなんとか生 き延びた。 当時とは世界もロシアも大きく変わった。しかし,ロシアでの反ユダヤ主義はどうなったの だろうか。例えばイスラエル政府の発表では,ソ連解体(1991 年末)後,ロシアのユダヤ系 住民120万人がイスラエルに移住したという。また米国,ドイツなどへの移住者は約100万人 という推定もある。 本書が引用した資料では,1881年から1914年にかけて,約200万人のユダヤ人が米国に移 住している。1881 年はアレクサンドル2 世が暗殺され,新たな反ユダヤ運動がはじまり,ポ グロムが広がった年だ。ソ連解体後のロシアは一時,経済状況が非常に悪化したが,政治,出 国などの面での自由は拡大した。それでもなお,大量移住が行われたのは,やはりユダヤ人に はロシアは居づらい国なのだろうか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees/2012/41/2012_118/_pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html#c29

[番外地7] ソ連共産主義は反ユダヤ思想 中川隆
2. 中川隆[-14063] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:18:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-741]
ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。

レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/461.html#c2

[番外地7] ソ連共産主義は反ユダヤ思想 中川隆
3. 中川隆[-14062] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:20:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-740]
馬渕さんはまた事実無根の嘘を言ってますね。共産主義はユダヤ思想とは何の関係もありません。 左派ユダヤ人は確かに10月革命の主力でしたが、その後殆どが殺されています。つまり、ソ連共産主義は反ユダヤ思想です。

スターリンとエジョフのNKVDのユダヤ人虐殺。大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。

十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。

しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。

スターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。

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元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は手垢にまみれたユダヤ陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。たとえば、ロシア革命の指導者の多くはユダヤ人であり、革命を資金支援したのも米英のユダヤ系金融機関だったと馬渕はいう。

しかしロシアのユダヤ人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持するユダヤ人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、ユダヤ人陰謀説を否定している。

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ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。
レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/461.html#c3

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
7. 中川隆[-14061] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:45:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-739]
馬渕さんの嘘八百は聞き飽きた。そもそも、エンゲルスはユダヤ人じゃないし、マルクスはクリスチャンだし、初期共産主義にもユダヤ人は関与していない:

『共産主義者宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた書籍。 『共産主義の信条表明』は全文がエンゲルスによって書かれている。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。

正義者同盟(別訳語:義人同盟)は1836年にパリで生まれた亡命ドイツ人を中心とした組織である。エンゲルスは『ドイツにおける社会主義』という論文のなかで、正義者同盟はフランスの革命家であるフランソワ・ノエル・バブーフ(1760年11月23日 – 1797年5月27日)以来のユートピア的な共産主義の伝統をひくもので、財貨全体を共有することや秘密結社としての色合いが濃かったことを回顧している。
回大会では『共産主義の信条表明』が暫定的な綱領草案として採択される。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c7

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
8. 中川隆[-14060] koaQ7Jey 2020年2月03日 23:00:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-738]
馬渕さんの嘘八百は聞き飽きた。そもそも、エンゲルスはユダヤ人じゃないし、マルクスはクリスチャンだし、初期共産主義にもユダヤ人は関与していない:

『共産主義者宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた書籍。 『共産主義の信条表明』は全文がエンゲルスによって書かれている。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。

正義者同盟(別訳語:義人同盟)は1836年にパリで生まれた亡命ドイツ人を中心とした組織である。エンゲルスは『ドイツにおける社会主義』という論文のなかで、正義者同盟はフランスの革命家であるフランソワ・ノエル・バブーフ(1760年11月23日 – 1797年5月27日)以来のユートピア的な共産主義の伝統をひくもので、財貨全体を共有することや秘密結社としての色合いが濃かったことを回顧している。
回大会では『共産主義の信条表明』が暫定的な綱領草案として採択される。

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20世紀のアメリカ金融資本はヒトラーや昭和天皇を支援してたので、反共ですね。

フォード、IBM, ロックフェラー等のアメリカ金融資本はみんなヒトラーに援助していたので、対米開戦に反対していたのです。ドイツが負けた後も、ナチス残党を南米に移住させて援助していましたね。チャーチルはソ連への核攻撃をさせようとしていた位です。ヒトラーと昭和天皇が反共だったのは有名です。

つまり、欧米金融資本は反共です。馬渕さんの話はすべて妄想です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c8

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
9. 中川隆[-14059] koaQ7Jey 2020年2月03日 23:18:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-737]
馬渕さんの嘘八百は聞き飽きた。そもそも、エンゲルスはユダヤ人じゃないし、マルクスはクリスチャンだし、初期共産主義にもユダヤ人は関与していない:

『共産主義者宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた書籍。 『共産主義の信条表明』は全文がエンゲルスによって書かれている。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。

正義者同盟(別訳語:義人同盟)は1836年にパリで生まれた亡命ドイツ人を中心とした組織である。エンゲルスは『ドイツにおける社会主義』という論文のなかで、正義者同盟はフランスの革命家であるフランソワ・ノエル・バブーフ(1760年11月23日 – 1797年5月27日)以来のユートピア的な共産主義の伝統をひくもので、財貨全体を共有することや秘密結社としての色合いが濃かったことを回顧している。
回大会では『共産主義の信条表明』が暫定的な綱領草案として採択される。

____

20世紀のアメリカ金融資本はヒトラーや昭和天皇を支援してたので、反共ですね。

フォード、IBM, ロックフェラー等のアメリカ金融資本はみんなヒトラーに援助していたので、対米開戦に反対していたのです。ドイツが負けた後も、ナチス残党を南米に移住させて援助していましたね。チャーチルはソ連への核攻撃をさせようとしていた位です。ヒトラーと昭和天皇が反共だったのは有名です。

つまり、欧米金融資本は反共です。

それから、ルーズベルトとニューディール派は共産主義者で日本共産党もGHQが合法化したのですが、そもそもルーズベルトとニューディール派は反ウォール街で。アメリカ金融資本の敵だったのですね。馬渕さんはルーズベルトとニューディール派もアメリカ金融資本の側だと誤解しているのです。

結論 : 馬渕さんの話はすべて妄想です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c9

[番外地7] ロックフェラーは共産主義者だったルーズベルトの政敵だった 中川隆
1. 中川隆[-14058] koaQ7Jey 2020年2月04日 10:02:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-736]
ロックフェラーは反共というより、共産主義者だったルーズベルトの政敵だったのですね:

大恐慌以降に出て来た左翼のニューディール派はウォール街の金融資本とは敵対していたので
共産主義者がグローバリストだとか、ユダヤ人がグローバリストだというのは間違いです。

アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。

 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。

 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。

 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。

ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのですが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。

フーバーは利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。

政治家になってからはウォール街から支援を受けていました

(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。


 1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。

 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。


 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。


 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


昭和天皇は戦前はJPモルガンのエージェント、戦後はロックフェラーのエージェントなので、反共グローバリストです。
天皇一族がアメリカに行くときは、ロックフェラー邸に数日間泊まって密談するのがメインエベントになっています。
つまり、天皇一族と日本の官僚は戦前から一貫して英米金融資本のエージェントなのですね。

共産主義者のルーズベルトとニューディール派が権力を握って、ソ連と組んで日本と戦ったのは大恐慌から終戦後しばらくまでだけです。

共産主義者のルーズベルトでなくグローバリストのフーバーが大統領だったら、太平洋戦争が起きる筈も無かったのですね。


安倍晋三も祖父でCIA工作員だった岸信介同様に国際金融資本の手先でネオコンや CIA のエージェントなのです。
従って、安倍晋三はチャンネル桜や保守の人がはみんな信じている様な反グローバリストでは有り得ません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/462.html#c1

[リバイバル3] 与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男 中川隆
1. 中川隆[-14057] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:20:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-735]
2020年02月04日
ネットで投資成功者を装う人たちの目的はお金を使わせる事


高級住宅地で写真を撮ってセレブを装うのは基本


成功自慢する人

インターネット黎明期の掲示板から、成功者を装って自慢する人たちが存在した。

目的は単に自慢して尊敬されたい、威張りたいというものから信者を増やしたい人まで様々です。

信者を獲得すると信者は「教祖」に従うようになり、勧められるままに行動するようになる。


広告を貼るとクリックして、教祖がお勧めする業者に口座開設するなどはまだ可愛い手口です。

悪質な教祖は投資法や必勝法と称してデタラメな必勝本や、高額な投資ソフトを購入させます。

もっと悪質なのは自分の投資ファンドに投資させたり、霊感商法さながらに価値のない物を買わせる。


原野が値上がりすると言って買わせる原野商法や、エビ養殖が儲かると言って投資させるエビ養殖詐欺と変わらない。

時代は下りインターネットは掲示板からSNSになり、フェイスブックやツイッターでファンを獲得しやすくなった。

成功者を装う人は証拠として業者の取引画面を掲示するが、これは画像加工ソフトで簡単に作れてしまう。


また業者によっては宣伝してもらうために、偽装の証拠画面を簡単に作れる偽口座を用意している。

こうしてカリスマ投資家は実際には投資で勝っていないのに、数千人や数万人のファン(信者)を獲得する。

毎日の(ウソの)取引を解説しながら、さりげなく商材購入や口座開設に誘導します。

成功者の正体は商材屋が多い

こうした信者獲得で成功者になった1人は与沢翼で、彼のメインの職業は商材販売でした。

自分は成功者であると名乗り、こうすれば成功できるという商材を数十万円や100万円以上で販売していた。

与沢は一度破産するが、立て直したのはブログによる信者獲得と、やはり商材販売のノウハウでした。


与沢が成功者であることは間違いないが、彼の商材を買って同じように成功できるかは、甚だ疑問です。

同様にSNSで成功者を名乗る人は、実際に成功者なのかも知れないが、その収入源は投資ではなく商材販売や紹介料です。

投資で大金を稼いでいる投資のプロが、ネット上で素人に教える事はなく、自分で自分の首を絞めたりしない。


簡単なロジックとして、「勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない」のであり、他人に教える情報はゴミだけです。

プロディーラーであろうと外資系ヘッジファンド役員であろうと、他人に教える投資家は100%投資で負けています。

ブログやユーチューブやツイッターやフェイスブックでは、自分は投資で勝っていると名乗る者が大勢います。


だが統計として、投資で生涯通算で勝つ人は5%以下であり、大金を得る人は万人に1人も居ません。

たとえば世界一を自称する有名FX業者は以前、「10万円を数億円に増やした」という体験談を広告に使っていました。

もっともらしく書いているが一目見てウソと分かる内容で、「水素水でガンが治った」のような類でした。


そんな悪徳業者が悪徳商材屋に金を渡し、偽の成功談や取引履歴で素人投資家を勧誘します。

こうして在りもしない成功談に騙されてお金を失う人が、後を絶ちません。
http://www.thutmosev.com/archives/82110665.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1019.html#c1

[リバイバル3] 金持ちの習慣を真似しても金持ちにはならない 中川隆
7. 中川隆[-14056] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:20:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-734]
2020年02月04日
ネットで投資成功者を装う人たちの目的はお金を使わせる事


高級住宅地で写真を撮ってセレブを装うのは基本


成功自慢する人

インターネット黎明期の掲示板から、成功者を装って自慢する人たちが存在した。

目的は単に自慢して尊敬されたい、威張りたいというものから信者を増やしたい人まで様々です。

信者を獲得すると信者は「教祖」に従うようになり、勧められるままに行動するようになる。


広告を貼るとクリックして、教祖がお勧めする業者に口座開設するなどはまだ可愛い手口です。

悪質な教祖は投資法や必勝法と称してデタラメな必勝本や、高額な投資ソフトを購入させます。

もっと悪質なのは自分の投資ファンドに投資させたり、霊感商法さながらに価値のない物を買わせる。


原野が値上がりすると言って買わせる原野商法や、エビ養殖が儲かると言って投資させるエビ養殖詐欺と変わらない。

時代は下りインターネットは掲示板からSNSになり、フェイスブックやツイッターでファンを獲得しやすくなった。

成功者を装う人は証拠として業者の取引画面を掲示するが、これは画像加工ソフトで簡単に作れてしまう。


また業者によっては宣伝してもらうために、偽装の証拠画面を簡単に作れる偽口座を用意している。

こうしてカリスマ投資家は実際には投資で勝っていないのに、数千人や数万人のファン(信者)を獲得する。

毎日の(ウソの)取引を解説しながら、さりげなく商材購入や口座開設に誘導します。

成功者の正体は商材屋が多い

こうした信者獲得で成功者になった1人は与沢翼で、彼のメインの職業は商材販売でした。

自分は成功者であると名乗り、こうすれば成功できるという商材を数十万円や100万円以上で販売していた。

与沢は一度破産するが、立て直したのはブログによる信者獲得と、やはり商材販売のノウハウでした。


与沢が成功者であることは間違いないが、彼の商材を買って同じように成功できるかは、甚だ疑問です。

同様にSNSで成功者を名乗る人は、実際に成功者なのかも知れないが、その収入源は投資ではなく商材販売や紹介料です。

投資で大金を稼いでいる投資のプロが、ネット上で素人に教える事はなく、自分で自分の首を絞めたりしない。


簡単なロジックとして、「勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない」のであり、他人に教える情報はゴミだけです。

プロディーラーであろうと外資系ヘッジファンド役員であろうと、他人に教える投資家は100%投資で負けています。

ブログやユーチューブやツイッターやフェイスブックでは、自分は投資で勝っていると名乗る者が大勢います。


だが統計として、投資で生涯通算で勝つ人は5%以下であり、大金を得る人は万人に1人も居ません。

たとえば世界一を自称する有名FX業者は以前、「10万円を数億円に増やした」という体験談を広告に使っていました。

もっともらしく書いているが一目見てウソと分かる内容で、「水素水でガンが治った」のような類でした。


そんな悪徳業者が悪徳商材屋に金を渡し、偽の成功談や取引履歴で素人投資家を勧誘します。

こうして在りもしない成功談に騙されてお金を失う人が、後を絶ちません。
http://www.thutmosev.com/archives/82110665.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/918.html#c7

[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
220. 中川隆[-14055] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:42:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-733]

German Physiks 友の会
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c220
[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
1. 中川隆[-14054] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:48:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-732]
GRFのある部屋 Phile-webコミュニティ
http://community.phileweb.com/mypage/3735/

GRFのある部屋 tannoy.exblog.jp
http://tannoy.exblog.jp/

ベルウッド お茶の間オーディオ Phile-webコミュニティ
http://community.phileweb.com/mypage/2408/

セッティングについて GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/20012832/

部屋との相関関係 GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/11308411/
http://tannoy.exblog.jp/11369651/
http://tannoy.exblog.jp/11376702/
http://tannoy.exblog.jp/11395554/
http://tannoy.exblog.jp/11400690/

平行法の音場の出方 GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/23954940/

音のバランス GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/24493704/

ホログラフの音を求めて GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/24600639/
http://tannoy.exblog.jp/24601679/
http://tannoy.exblog.jp/24604716/
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うわさのオーディオ・サブルーム-ウェブリブログ


鈴木と北川の二人組 その2 2015/08/17


噂によりますと、鈴木は62歳、北川は69歳、この二人がひとつのハンドル名『GRFのある部屋』を共用している、というのです。

それでもって互いが自分の主張を補強している、と。


勿論、鈴木(62歳)は「大学紛争世代」ではない、
「アンチ丸山」レスは北川(69歳)が執筆。

「孔子や孟子、寮歌」の妄想も北川(69歳)の発想。

日頃のおとなしめの投稿は鈴木(62歳)が執筆。編集部もこれを分かってて放置か?

あれだけ丸山さんのワーグナー賛歌を「貴族趣味」とけなしながら、自分は2週間のドイツ音楽旅行、これって矛盾するが、二人いれば、もう一人は矛盾しない。


「『GRFのある部屋』」というのは、二人以外にも複数の関係者全員で堅守する、いわばブランド(Brand)。
http://27415664.at.webry.info/201508/article_7.html

木と北川の二人組 その3 2015/08/20


あの北川、言葉巧みですから・・・。

私も1年前に伺っているのですが、

3階建ての自社ビルの中に2部屋あり、6畳間のユニコーン(CDオンリー)、後ろの部屋は30畳強はある部屋にあのGRFがコーナー(アナログオンリー)にT−4(平行法、CDオンリー)はリスポジソファから先1m強先に置いてあるその他いくつかのその昔のSP連が複数あります。

その30畳強の部屋、Phile-web コミュニティとか伺った時には出ませんが、なんと3千万かけて改造してるとのことです
(これは仲のいい、ジャズ好きの方がこの前教えてくれました)。

たしかに床は頑丈で壁も違う、天井も・・・ 
そういうことを言わないで、いい音でしょうを連発は、それこそ「きもい」です。

いい音どころか居心地は悪いです。北川の性格でしょう、これは。

音は出て「なんぼ」の世界ですが、このユニコーンは解像度が良過ぎて、すべての楽器が鮮明という異次元の音でもあるのです。

あの独特の無指向性のフルレンジのSPからと巧みなバックロード構造からの奏でる音と量感音域は確かにいいのですが問題は駆動する是枝パワーとサウンドパーツ社のプリがあまりにもきれいすぎて「潔癖症」の音質と重箱を突くようでなんでも、聞こえない音まで出てくる始末。

それがいいだなんて、ちょいおかしい。

美しい奏でる音なら許せるのですがきれいではだめなんです。

それとリスポジがキッチン用の椅子であることでやや見下ろす感じです(ユニコーンが低いせいもあり)。

コンサートでいう中二階から観た聴いた感じでしょうか・・・それも有りでいいのですが、問題は音源が上に伸びない、つまり途中で音が沈むという感じです。

奥行きも壁べったりのため(6畳間を横長に)奥行きが寸詰まりです。

そのためガラスのよくある家庭のやや大きい「水槽の中での演奏を」聴いている感じです。

悪く言えば箱庭。

それに輪をかけるのが、どのCDでも同じ音質、これはいただけない、最悪! 

そして、ジャズは掛けてくれない、こちら持参のCD(クラ)も掛けてくれない、
つまり悪いとこは聴かれたくないということであり、これは他の人でもそれは同じことを聞いております。

T4、GRFも有りますが、欠点を観られたくない聴かれたくないという、ほんと演技がうまい雲助ですネ! 

このような音を初めて聞く人は、言葉巧みな戦術に入り込む恐ろしさです。


ユニコーンSPはとてもいいSPなんですが、やはり駆動側の問題が多分にあるのは聴いていても大いに感じます。

それに気が付かない北川は、やはり「お山の大将」が抜けきらないのでしょう。


30畳強のタンノイ部屋、GRFは、一言でいえば、もう古い音源の鳴り方は否めません。

コーナー置きはその昔のヴアイタボックス(クリプッシュホーン)と同じですが、GRFのほうが音の古さ(古典)がありもうお役御免でしょうか。

ソースはアナログオンリーでありカスタムメイドの超高級アンプ(球)でしょうか。

彼の鳴らし方は、奏者の解釈ではなくそれこそ「蜃気楼」そのものです。

いい悪いは別にしてもリスポジからの距離6m強はあるでしょうか、
そこのオケは蜃気楼のように並びますが、ハイライトはそこまでです。

楽器類の音色、艶、音楽の力強さ等は感じ取れません・・・
そうモノクロ。

こみあげてくるオケの音圧に空気感がないので、ただ「蜃気楼」が平然と並んでいる。

やはりホールの雰囲気を取りあえず、といった感じです。


音楽を聴く、これもありですが、どちらかというと雰囲気感と各演奏楽団のくせ(性格といいましょうか)を楽しんでいるようですネ。よく会話に出てきますから・・・オケの当てっこが好きなようです。

LP扱うのもクリーニング液には2万円(5cc)もする液体を針の掃除に毎回使い、針圧も0.1刻みのセッテイングには呆れるばかりです。こういう人もいることは、それも趣味と割り切ればですが、毎回能書きがうるさいのです。つまり自慢なんでしょう。

T4の平行法、これは Phile-webコミュニティ(彼のブログでも)では結構影響受けた人が多いのも事実ですが、次第に「それはないだろう」が分かってきた人も出てきてます。

つまり、リスポジやや先に置くか、壁手前に置くかの選択肢があるのですが、彼はリスポジやや先(1m)で行っているのですが、これが飛んでもない悪であるのです。

ゲストからのCDを掛けさせないこと、彼の選択CDのみ、つまりいいとこCDのソフトしか掛けない。

これには裏があり、つまりT4の後ろは6mあまりの空間があり、ここに音の像(蜃気楼)が浮かび上がるのですが、それはそれでいいのです。

しかし問題は、そのソースはすべて音場性のあるソフトでないと後方に集まらないのです。

これが普通の録音・・・手前SPから出る音源(一部の楽器等)と奥の空間に集まる音源とでは、その距離に「間」(間が抜けた空間)が空いてまとまった音楽が構成されないのです。

例えばジャズで見れば、手前の右SPではベースが鳴り(それもあの小さい口径からですから箱全体ではないのです)、奥ではドラムが鳴るとすると、ベースとドラムの距離(数メートル)が途方もなく間があるというこの違和感が発生するというものです。

このことは北川は絶対に言わないのと、言えば T4=平行法同時売り込みにも影響が出るということが分かっているからです。

また壁にやや近い置き方(平行法)でも、同じような傾向はありますが、これなどは奥行き感が薄れ定位も良くは無いのです。


これはあの鈴木邸がそうです。

リスポジでは定位が定まらなく、音の像も小さく聴けたものではない。

いいとこは奥の隅(L型部屋の構造?)

ここは、一応ホール感(S席でも壁よりの後方)がそれなりに味わえる、という鈴木の求める音であると思います。

しかしT4の口径(14cm?)と箱の限界(奥行き稼いでいますが)があるので、量感音域等の消えるのが早いのもこの影響でしょうか。ソースはCDメインですがやはり、どのソースも同じ音質には参ります。

どちらかというと無色透明ですネー。

「静」だとか「ラダーケーブル」を使い盛んにクリアー感を目指しているようで。
でもそれらに色艶、音源の太さ感が出てくればまだ聴きやすくなるのですが。

本人はあれだけコンサートに通っているのに、再生音は正反対の音質。よくわかりません。

平行法もいいけど、もう少し内ぶりであれば濃厚な音源が出てくると思われるのですが、そこは ホール感=雰囲気 を優先する、兄貴分の北川がそうはさせないのだと思います。

いろいろありますね、この世界は。
http://27415664.at.webry.info/201508/article_15.html

鈴木と北川の二人組 その4 2015/08/22


Phile-webコミュニティでの二人組の「釣果」について、次のような追加情報が入ってきました。


Phile-webコミュニティ
GRFのある部屋 - お気に入りユーザー一覧
http://community.phileweb.com/mypage/f_user/3735/0/


その第1号が「椀方」さん(その前には、ユニコーンのSPのみを納入して既存SPとの複合型を試みるも失敗)。これは「椀方」さんが Phile-web コミュニティ記事にしていました。

Phile-web コミュニティで、私が知っている限り「犠牲」になった人と、危うくセーフの人は数知れずです。

北川は基本的には、犠牲者のお宅に鈴木と伺うというやり方で、決してひとりでは行かないです。必ず鈴木が行った後に二人で行くのが今までのパターン。

犠牲者側が北川を呼ぶにあたってもその前に鈴木が来てますので安心感があるというわけです。主導は北川です。鈴木も共犯です。

少なくとも私が知っているかぎりで表沙汰になった人たちは次の通りです。


犠牲者の中でも本信者になってしまったのは、「椀方」さん。

「横浜の vafan」さんは今は危ういですが現行のSPでどれだけ我慢できるかです。

「にら」さんは資金がないということで、今は静かにしてますが、しばらく様子見でしょうか。

「クー△△△」さんには私が注意喚起したので来なくなったとか。

「akahanamizuki」さんも危うかったけど、彼の読みで距離を取るようになった(裏メールでの平行法の押しつけがしつこいようなことあり)。

「Loge」さん。これが問題です。長野の個人ガレージメーカーで修理等の工房。すでに相互訪問してますね。

「RICHEBOURG」さん。北川は鈴木と押しかけて平行法を押し付け、DACの中古を60万で売りつけ。音がおかしいので聴きに来てと誘いがあり、私が伺って聴いた音は、「なんじゃこの音は」でしたネ。


簡単に言いますと、たしかに平行法。しかしどう見てもぼけた「蜃気楼」というか音像がぼやけてしまっている。ピアノ・コンチェルトのピアノが後方ティンパニーの位置から鳴る、こんなの信じられんです。また、後日、置いて行ったというDACもメーカー名は「知り合い先の」ということで、「RICHEBOURG」も「???」。

そのDACも人工的な音、もしくは半導体の基板の音、現状のラックスCDPのほうが好いのです。後にDACも返却へ、平行法はその日のうちにやや内ぶりに修正、これで音が活きてきたのです。


私の見るところ第一次面接試験で落ちた候補者(というか正確には犠牲者にならずに済んだ人)は、最近では、「genmi」さん、「K&K」さんといったところでしょうか。


ごく最近では「バック△△△」さんに早速手を出しているようで、ご注意、ご注意。
http://27415664.at.webry.info/201508/article_16.html

北川がクセモノである所以は、オフ会(お宅訪問)をしても必ず同行の鈴木に日記を書かせ、本人はその日記にレスを入れ、そこで褒めあげて周りの人達(日記の記事をみている人)を誘い込むというパターンです。

一方、鈴木のオフ会記事での批評はすべて甘くなり、以前と比べて変化が起きているようです。焦りでしょうか。たとえば、直近の二つの例をあげます。これらのお宅の訪問のあと、鈴木は実際には次のような感想を私にもらしているのです。

                  ※   ※


(ひとつは、「genmi」さん。)

石井式をモデルにした6畳の部屋ですが壁が厚く(20p以上?)実質5畳ぐらいです。
天井高が3mあるのが唯一の救いでしょうか?
ここはオーディオ以前の音で音楽表現は無理です。


この人はすべて、某Dショップ/H店長の言いなりのようです(から入り込みは難しいかも)。

高音域にメリハリがあるが、中身は薄い。

一見いいように聞こえますが、高音域はブリキ板というかステンレス板の音で、そこに低音域が乗ってこないので、「きれいそうな音」、わかりやすく言えば無機質の硬い音です。

たとえBGMであってもこんなものは聞けないです。評価など、本当はできないです。
頭が痛くなるキンキン音。ラジカセを大きくしたコンポとでも申しましょうか。

折角行ったので仕方なく、私は1o単位でスピーカー位置を調整して(遊んで)やりました。

この人はそれをみて感心しきりでした。実情を知らない素人はこれで簡単に引っかかります。ちょろいもんです。


                  ※   ※


(もうひとつは、「K&K」さん。)
ここは二度目の訪問でした。

オーディオ部屋の横にグランドピアノ(STEINWAY)が置いてあります。
奥さんがピアノを弾くと言っても単に「ピアノが弾ける」程度でへたくそです。

自分の家でほんもののピアノの音を聴いているのにもかかわらず、ご本人はその音の深さというものがいまだに分かっていないんです。

システムから出てくるピアノの音はおもちゃの音です。
しかも定位が悪いので鍵盤の位置が床上30pのところにあります。

サラウンド再生ですので、後方からも音楽が鳴るのには本当に参ります。
それにセンター・ウーファ(サーロジック製)が左SPの横にあり、低音域が左からのみ出る不自然さ、それもボワーン、ボワーンですよ。

今回は延々と夜6時までつきあわされましたが、最悪でした。
http://27415664.at.webry.info/201509/article_2.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c1

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
2. 中川隆[-14053] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:52:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-731]
2016年 08月 20日 GRF邸訪問記  不思議な音響空間 K&K

GRFさんのお宅は、すでにいろんなかたが紹介されていると思うのですが、私の備忘録も兼ねてお部屋の概要を書き留めておくことにします。

広さは24畳、天井高は3m位でしょうか。

スゴイのは、その天井のほぼ全面が開口部になっていて建物の躯体の上端まで吸音材で埋められていること。

床は構造上の床の上にコンクリートを施し、計50o程の板材を積層してつくられているとか…表面はカリンの集成材(無垢材)で足を載せた感覚は強固そのもの。

壁には吸音処理はなく、天井のみで吸音しているようです。

壁はMDFに塗装を施したもので、その壁面を支える桟は定間隔ではなく1/f 揺らぎを模したランダムの間隔にしているとのこと。
その指示には施工した大工さんが困惑したとのことですが…(笑)

壁は音響的には床には接しないような造りになっているとのこと。
ムチャクチャ凝った造りです。


吸音部の面積比から考えると吸音率は20%強くらいでしょうか?

全体的にはデッドと言えるのかもしれませんが、正面の窓にかかったひとつのカーテン以外には高音域のみ吸音するような材料がないので、低音から高音までバランスよく吸音されているようで、響きにはまったく違和感がありません。

会話の聴こえ方から判断すると響きの質はやや硬質のような気がします。

http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=25628732&i=201608%2F18%2F99%2Ff0108399_6264165.jpg


オーディオ機器は…送り出しはEMMのトランスポートとDAC。

CDはDSD変換した後、アナログ化されるとのこと。

プリアンプは真空管式のモノラル構成のものをひとつの筐体に収めたもの
電源部は別筐体になっていて、やはり左右別々にDC供給している。

パワーアンプはモノラル構成の3極管のプッシュプル。
プッシュプルがひとつの管の中に収められており、真空管は全くわかってない私はシングルアンプと勘違いしてしまったのですが…。

出力トランスはタムラの特注品でこれを作ってもらうのにロットで発注しなければならなかったとのこと。


今日の主役はやっぱりスピーカー。

Omni-Directional(無指向性)のGerman Physicsのトロバトーレ80とBi-Directional(双指向性)のPSD社の特注品と思われる20pウーファを背中合わせに配置したシステムの組み合わせ。

300Hz、12dB/octのネットワークでクロスされている。

このトロバトーレはチタンの0.025o厚のメンブレムを持つもの。

ウーファシステムはキャビネットに独特の面取りが施され美しいバーズアイメープルの突板で仕上げられている。


最初に聴かせていただいたのはクレーメルとアルゲリッチのプロコフィエフのヴァイオリンソナタ。演奏会場にいる感じ。ピアノとヴァイオリンの位置関係が立体的に感じられる。柔らかい耳あたりの良い音なのにピアノはスタインウェイらしい華やかさが感じられて心地よい。

ダニエル・ハーディング、ウィーンフィルのマーラー10番は開放的な響き。ビックリしたのはグランカッサ。グランカッサの奥行き感、定位の安定感、質感、まさにコンサートホールで聴いているような…。こんな再生音は今まで聞いたことがない。

GRFさんに促されて立ち上がってスピーカーの周囲を回りながら聴いてみると…

スピーカーの裏側からはサントリーホールのP席で聴くように下の方にオーケストラが展開する。

横に回るとミューザ川崎の知る人ぞ知る舞台横の特等席みたいな音が…


昔のスターウォーズ第一作目でR2D2がレイア姫の3Dホログラフィック映像を空間に投影して姫のメッセージを伝える場面があったけれど、あれの音響版みたい。

部屋の中にオーケストラの音響が立体的に構築されていて、その周りを移動して聴くとコンサートホール各席での音が聴けてしまう。

ホログラフィックな映像のレイヤ姫と違うのはそのスケール感で、小さなレイヤ姫と違ってこちらは目の前に壮大なオーケストラが出現しているわけですから…

何とも不思議な音響空間。


GRFさんによるといくら無指向性のスピーカーを使ってもスピーカーの位置調整などがきちんとされないとこのホログラフィック感は得られないのだそうです。

先ほど触れたグランカッサは部屋の音響、特に低域の吸音が適切に設定されないとあのような気持ちいい実在感は得られないのではないかと思います。

通常のスピーカーよりも部屋の響きの影響を大きく受けるはずなので、この部屋の響きのホログラフィック感への貢献度はかなり高いのではないでしょうか?

もうこの後は、ホログラフィックな独特の心地よい音響空間に身をゆだねて、GRFさんが繰り出す名演盤をひたすら聴きまくるモードになりました。


ピリスのモーツァルト・ソナタ、白井光子さんのブラームス歌曲、ギレリスのベートーベン・ソナタ…やはり、臨場感が素晴らしい。


続いてジャズ・ボーカル。パトリシア・バーバーのジャズ・ボーカルもタイトルのナイトクラブで聴く感じ。トニー・ベネットのWith my friendからダイアナ・クラールやスティービー・ワンダーとの豪華共演、マディー・ウォーターズのフォーク・シンガー。柔らかい心地よいボーカルでその場で聴いている感じ。

さらにヴァイオリンということでイザベラ・ファウストのベートーベン・ソナタ。メルニコフのピアノはベーゼンドルファー的でやや控えめ。ヴァイオリンを引き立てるような演奏。比較の意味で同じ曲をクレーメルとアルゲリッチで聴くとさすがにアルゲリッチは主張しまくって丁々発止の演奏で面白い。もうこの辺ですっかり音楽を聴くモードになっています。


カラヤンのウィーン・フィル ニューイヤーコンサートからキャスリン・バトル独唱の春の歌、トスカニーニ、フィルハーモニアのブラームス。エバ・キャシディのライブでのAutumn leaves。フランク永井やちあきなおみまで。

GRFさんがベンチマークとして使われているハイティンク・コンセルトヘボウのショスタコーヴィチ第15番を聴かせていただいた時に、GRFさんが先日ウチにお越しになった時に言われていた意味がやっと理解できたような気がしました。

GRFさんと拙宅では違ったアプローチだけど目指していることは同じと言われていたのです。確かにここで聴かせていただいた音、雰囲気感とウチのマルチch再生には共通のものが感じられたのです。

あ〜、そういうことだったのかと。

でも、マルチchをやっている身としては2本のスピーカーでこんな音を出されてしまうと…う〜ん、ガッカリというかなんというか…(笑)

マルチchでやっと得られる雰囲気感以上のものを普通のCDで出されているわけで…。


http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=25628732&i=201608%2F20%2F99%2Ff0108399_5292839.jpg


私がチェック用に使っているキム・チョン・ファ、ツィマーマンのリヒャルトシュトラウスのヴァイオリンとピアノのためのソナタも聴いたのですが、やはり柔らかい音にもかかわらず細部までよく聞き取れる解像度に感心させられます。

ヴァイオリンはきつくなることなく心地よいし、ピアノはスタインウェイらしい輝きと華やかさがある。無理やりアラを探すと生の音はもう少しきつい音だったかもしれないということくらい。これは生の音を知る由もないので、真偽のほどは何とも言えないし、心地よすぎると文句をつけるのも変なので意味はないのですが…。(^^;)

気がつくと既に時計は9時を回っていて…ピリスのショパン、ノクターンを聴いた後、さらに遺作まで聴きたいという思いをやっとのことで断ち切って、GRF邸を後にしました。終バスに何とか間に合いましたので後ろ髪惹かれる思いを断ち切ってあの時においとまさせていただいてよかったです。

結局お聴きしたいと思っていたタンノイGRFや和室のユニコーンや「悪魔のソフト」すら聴くことができませんでした。再びGRF邸を訪れるための理由ができたと思うことにしましょう。(笑)


__


4チャンネルのマルチをお聞きのK&Kさんが、拙宅のホログラフをどの様にお感じになるか楽しみでした。

コンサートホールで聞くようにステージが出現します。

マルチと違ってどの位置で聞いても、そのステージは変わりません。

ホールで聞くときのように場所に依って音は変わりますが、どこで座っても良い音で聞けます。

はじめて、このホログラフィックの音を聞かれると、驚かれると思いますが、コンサートホール聞かれたことが無い方は、三次元の音とは感じないようです。

スタジオでの奥行き感だけになります。

それでも、ヴォーカルがバックから浮き上がり、鮮やかな音が聞こえてきます。

いずれにしても、音場情報が入っている録音は、その場所が、部屋の中に出現するわけですから、こんなに楽しいことはありません。

マルチをされている K&Kさんに確認頂き嬉しかったです。
次回は、DecolaとGRFの番ですね。そうそう、和室のユニコーンも聞いてください。
http://tannoy.exblog.jp/25628732/


▲△▽▼

2016年 09月 26日 GRF邸で聴いた「スピーカーの存在が消える音場感」
http://tannoy.exblog.jp/26088768/

クラシック音楽とオーディオに造詣が深いマイミクのGRFさんから「一度、わが家の音を聴きにきませんか?」とお誘いがあり、9/24に上京してお宅を訪問してきました。私はクラシック音楽は大好きですが、オーディオに関しては知識には疎く、感想を書くのはちょっと恥ずかしいのですが、とりあえず感じたことを書きたいと思います。

私が自宅で使っているオーディオは、GRFさんと比べると恥ずかしいような標準的なものです。本物の音は実際にライブの音をコンサートホールへ聴きに行けばよいと思っていました。しかしGRFさんの御宅の音を聴いて、ホールと同等の音響がオーディオで再現されていたことの大変、驚きました。

GRF邸には2つのオーディオ・ルームがあり、それらにはよく調整されたスピーカーが設置されています。この2つのスピーカーは 360度に音が出ることです。一般的な2次元に音がでるものとは設計コンセプトがまるで違っています。


・6畳の和室のジャーマン・フィジックス社のユニコーン

・40平米ぐらいの洋室の同社のトロバドール80


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午前中は和室の音を聴かせていただきました。

ユニコーンという名称は、そのスピーカーの姿が「一角獣」を思わせるものだからでしょう。

最初に掛けられたのはピアノ・トリオのジャズのCD。最初のコントラバスの一音の「量感」にまずビックリしました。

見えないはずの音が塊のように見えた。
目の前でプレイヤーがボンボンと弦を弾いている姿が感じられます。

まさにライブハウスの音。
スピーカーが鳴っている感覚ではなく、和室そのものが本物のスタジオのような音場感。


私がビックリしていると、さらにサイモン・ラトル指揮&ベルリン・フィルのベートーヴェン作曲・交響曲第4番のCDが掛けられました。またビックリ。

木管の音がよく立っています。
それらの音が高い位置から聴こえてきて、微妙なニュアンスもよく感じられます。再生された音楽でこのような音を私は聴いたことがありません。

次にGRFさんはユニコーンについているピンを操作しはじめました。

するとサントリーホールの1階席のステージ前で聴いているかのような音場が、音源が遠ざかりもっと後ろの席で聴いているような感じになりました。

音域別によるエネルギー分布を変えることで、このようなことが可能だそうです。

よく考えると、音も性質によって反射の仕方が違うので、高域の音が聞こえやすい場所、全体の音が混ざりあった音がする場所など、席によって聴こえてくる音の特性があるので、そのようなことができるのでしょう。

GRFさんは音域のエネルギー分布に変えることで、コンサートホールやライブハウスなど様々な仮想空間を作って楽しまれているようです。普通の和室でこのような音が再現できるなんて心底、驚きました。


そのあと、白井光子が歌うブラームスの名歌「野の寂しさop86-2」を掛けていただいた時、目をつぶると目の前に歌手が立っているかのような錯覚を覚えました。

音響だけでなく、音源となる演奏者の姿まで映し出してしまうとは本当に究極のオーディオです。

スピーカーの正面に座らせていただいて、ジーッとスピーカーを観察していて気づいたことがあります。

左右のスピーカーのメープルの根で作られたというボックスの柄が左右対称になっていたことです。

これは同じ木から切り出したパーツが左右が対称型になるように慎重に組み立てられたことを意味します。

すごい手間です。スピーカー内部の密度感が均一になるような配慮です。

これならスピーカーそのものから出る音のバランスもよいはずです。
まさに左右の箱は双子といっても言い。

こういう手法は建築の石貼りでも見られます。
水戸芸術館にはオニックスという石の柄がそのように左右対称に見えるように貼られています。

このスピーカーはドイツの職人魂を感じさせますね。


もうひとつ気づいたのは、傍らに見たことがあるCDプレイヤー(マランツCD34)が置かれていました。これは30年ぐらい前に私が最初にかったCDプレイヤーです。懐かしいなぁ。でもよくよく訊いてみると、中身はスーパーカーのように改造して、音はベツモノらしいですw。


ユニコーンに驚愕している私に、GRFさんは「驚くのはまだ早い」というような表情で、ランチを食べに行こうと誘われ、近所のイタリア料理店でパスタをご馳走になりました。その時、オーディオ歴50年の話などをいろいろ伺いました。


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ランチの後は洋室に移ってトロバドール80です。

部屋はおよそ40平米ぐらい。

ヴェルディ作曲のオペラに「イル・トロバトーレ(吟遊詩人)」という作品がありますが、そのスピーカーの風貌も羽つき帽子を被ったかのような吟遊詩人と重なって見えてきます。

トロバドールは壁から3m程度離された位置に置かれています。

最初、午前中に和室で聴いたのと同じベートーヴェン作曲の交響曲第4番が掛けられました。トロバドールが鳴った瞬間、私は「刺し身のよう…」と思わず失礼なつぶやきを無意識に言ってしまいました。これは鮮度がよく、まるで生きているようなな…ということです。この演奏が、今、そこで演奏されている生の音のようというニュアンスでした。機械が出している音とは思えなかった。

そして驚いたのはスピーカーから音がするというよりも、部屋全体の空間が鳴っている感じです。音楽専用ホールに座っているかのような思いです。

全方位型のスピーカー、恐るべし。
ユニコーンよりも音が鳴っている全体の空間のイメージがよく分かるような気がしました。

するとGRFさんが「聴く位置を替えると音が違って聴こえるから試してみて…」というので、部屋内を動き回ってみると、

正面の椅子ではサントリーホールの1階中央のSS席ぐらいの定位感だったのに、

壁の側面に行くと2階RA、LA席の音に聴こえるし、

背面に移るとP席の音がするのにはビックリでした。

それぞれの楽器の音が分解されて細かいニュアンスが明快に聴き取れます。


次に聴いたクレーメル&アルゲリッチのプロコフィエフのヴァイオリンソナタ第1番では、演奏者の演奏する様子が立体映像のように浮かび上がるように音が聴こえてきます。

演奏者の息遣い、弦の倍音、ビブラートをする右手、フラジオレットの弓使いがみえる。音が映像化してる。


その後、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」の冒頭の低弦の符点のリズムで始まる箇所をいろいろなCDで聴き比べ。

弱音の中で振動のような微妙な音の違いが明瞭に聴き取れます。
私はヤンソンスとRCOのキレがある演奏が気に入りました。

マリア・ジョアオ・ピリスが弾くモーツァルトの幻想曲は同じ録音を異なる3種類のCDで聴きました。1枚もの、廉価版のBOXセットの2種。

聴いてビックリ。音の厚さとコクが全然ちがう。

これはCDに焼き付けられている情報量の違いだそうです。

トロバドールから響くピリスのピアノの音色が微妙にちがっていて、細かいニュアンスまでが鮮明に聴き取れます。ピアノのいち音いち音が言葉になっていることがよく分かりました。私の安スピーカーでは聴き取れないと思います。

GRFさんが中央の窓の吸音効果があるドレープを少し開けると、出窓奥にある音の反射面のガラスが威力を発揮し、より正面からの音が響くように感じられました。

コンサートホールは入場者の数などによって音が変わりますが、このトロバドールの部屋も家具やドレープ、スピーカーの位置によって音が変わってきます。

GRFさんは今、かかっている音楽に合わせてそれらを微調整しながら、最良の響きになるように常に動いていました。

ちっと変えるとすぐ音響が変化するこの音空間は、まるで生きているですね。


私は建築の設計の仕事をしているので、この部屋をつくるにあたって工夫したことをいろいろ聴かせていただきました。

遮音を厳重にすることは必須、

それとスラブ振動がオーディオルームにに伝わらないように、部屋が躯体から縁が切れるように床下地材を構成したこと、

音と部屋が共鳴しないように壁の下地材の貼り方を工夫したこと、

音響効果を考えた吸音材の布置など、いろいろ訊いて、ガッテンしました。


GRFさんが余興として、いきなりフランク永井のCDを掛けました。

トロバドールがつくる音場感がまったく変わってしまったのでビックリ。

ムード歌謡が二次元的な音になってしまい、はじめてスピーカーの存在に気づいた感じがしました。これは録音方法が全然ちがうので、このような音になるそうです。

スピーカーからの音がその部屋を楽器化したように音を鳴らすというのはまさに至高の域と言ってでしょう。

私はGRFさんに「ここまで来てしまったら次は何処へ行くのですか?」と訊くと、「ほぼ満足な音が出てきたので、好きな音楽に没頭できそう…」という答えでした。

キュビズムの画家のジョルジュ・ブラックの「当初の構想が消え去った時、絵画ははじめて完成する」という言葉がありますが、GRFさんもほぼ同じ境地ではないかと想像しました。

そろそろ失礼しようとした時に、「ちょっと一杯どうですか?」と赤ワインを用意していただきました。「かんぱーい」とグラスを軽くタッチしたら「ゴーン」という聞き慣れた音がしました。私、思わず「これはリーデルのグラスですね!」と言ってしまいました。もちろん当たり。私が使っているグラスを同じだからです。

リーデルのボルドーグラスは香りが外へ逃げないようにするために、グラス内に香りが籠もるような断面になっているので、「ゴーン」という鐘のような音がするのです。

GRFさんと私のオーディオの音は天と地の差がありますが、グラスの乾杯の音だけは同じでした(笑)

帰路、聴かせていただいた白井光子が歌うブラームスの名歌「野の寂しさop86-2」を思い出しました。

「美しい白い雲は遠くへ流れ、深い青さは、まるで美しい静けき夢のようだ。私はまるでずっと昔に死んでしまっていて、永遠の空間を幸せに漂っているかのようだ。」

という歌意だったと思います。録音する時に消えてしまった音が、トロバドールによって再び命を与えられ、GRFさん宅の空間を幸せに漂っているイメージを持ちました。

すばらしい音を聴かせていただき、ありがとうございました。


____


マイミクで、紀尾井ホールでも良くお会いする、エビネンコさんが、土曜日、高速バスに乗って私のうちの音を聞きにきてくれました。

音楽にとても造詣が深く、今回の訪問記でもオーディオファンとはやはり観点が違います。

初めて聞くオーディオなのに、的確に家の音の特徴を捉えて表現していただきました。とてもうれしいです。オーディオファンの方と話すより遥かに楽しかったです。エビネンコさんも楽しんでいただけたようで楽しい週末を過ごす事ができました。
http://tannoy.exblog.jp/26088768/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c2

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
1. 中川隆[-14052] koaQ7Jey 2020年2月04日 15:10:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-730]
元祖グローバリズムは中南米のバナナ共和国ですよね。
キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても社会主義は反グローバリズムでしょう。

バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c1

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
2. 中川隆[-14051] koaQ7Jey 2020年2月04日 15:22:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-729]
元祖グローバリズムは中南米のバナナ共和国ですよね。
キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。

元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ 中国関係投稿リンク 中川隆
45. 中川隆[-14050] koaQ7Jey 2020年2月04日 21:56:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-728]
北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/925.html#c45
[近代史3] 北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている 中川隆
1. 中川隆[-14049] koaQ7Jey 2020年2月04日 22:24:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-727]

2020年02月03日
武漢肺炎 中国というシステムが作り出した妖怪だった


武漢市は1月23日過ぎまで、被害を訴える人を「デマを流した」と逮捕し治療しなかった。

この1カ月半で爆発的に感染者が増え治療不可能になった


画像引用:https://d15-a.sdn.cz/d_15/c_img_F_O/7d1MVj.jpeg?fl=cro,98,0,1080,720%7Cres,1200,,1%7Cwebp,75

中国というウイルスの自壊作用だった

武漢発の新型コロナウイルスは相変わらず中国では爆発的に増加し、中国以外の国ではそれほどでもない。

武漢から帰国した日本人感染者は565人中8人で、これを武漢周辺地域に当てはめると1月31日に20万人の感染者がいた筈です。

だが中国政府が発表した武漢市の患者数は2月2日に5千人程度で、中国全体でも1万5千人にすぎない。



もしこの発表を信じると新型ウイルスは日本人にだけ1.4%の割合で感染し、中国人は0.04%しか感染しない。

この理由を医師や科学者は誰も説明できないが、中国政府が武漢の患者数を40分の1に発表しているとすれば合理的に説明できる、

中国以外での感染者数は26か国178人で、50万人超と推測される中国に対して大幅に少ない。


この理由は中国以外で発熱や感染した患者が適切な治療を受けたのに対し、中国は今も9割以上の感染者を放置しているからです。

感染者数を40分の1に偽っているということは、治療を受けている人は感染者の40人に1人に過ぎないのを意味します。

人口1100万人の武漢に医療設備が整った病院は5つしかなく、臨時に建設した病院を含めて7病院です。


一つの病院で受け入れ可能なのは500人から1000人、外来で1日に受け入れ可能なのもその程度でしょう。

すると中国政府や湖北省が全員を治療したいと考えても、感染者が増えると不可能だったのです。

中国政府は感染者が100人以内の時に情報を隠蔽し、患者を逮捕して刑務所に入れていました。

中国以外では拡大しない可能性

感染者数人の段階で適切な治療をしていたら、中国国内の患者数は諸外国と同じ数十人にとどまっていたでしょう。

中国は最初の感染者が出た19年12月初めには事態を把握していたが、治療どころか「デマを流した」と取り締まりました。

武漢市民は感染を訴えると逮捕されるので病院に行くどころか隠れてしまい、治療不可能になって感染者を増やした。


これが武漢ウイルスの真相で、おそらく新型ウイルスの感染力自体はそれほど強くなかったのかも知れません。

各国は感染者の入国を防止しようとしていて、アメリカとオーストラリアは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国を拒否した。

フィリピンは2月2日に中国以外で初の死者が出たのを受けて、中国からの入国を禁止するとしている。


タイの保健省は2月2日、重症の新型肺炎患者にインフルエンザ治療薬と抗エイズウイルス(HIV)薬を組み合わせて投与したところ、症状が急速に改善したと発表した。

71歳の重症患者に投与したところ、熱が下がり食欲が回復し、48時間以内にコロナウイルスが消えたという。 

HIVウイルスとコロナウイルスの類似性が数日前から指摘されていて、HIVウイルスが変化した物という説もある。


武漢ウイルスの発生源とされた武漢の海鮮市場だが、本当に発生源だったのが疑問視する声が上がっている。

イギリスの医学専門誌ランセットによると最初の感染者4人のうち3人は海鮮市場に行っておらず、行ったのは一人だけだった。

初期の感染者41人のうち華南海鮮市場に行ったのは27人だけで、市場を悪玉に仕立てたのも中国政府が責任を押し付けた可能性が高い。

中国政府はやっと感染防止に本腰

中国浙江省温州市で2月2日に外出禁止令が出され、住人は家の中や部屋から出るのを禁止された。

2日に1度、1家庭から1人に限り、食料品や日用品を買いに出掛けて良いが、仕事をするのも禁止。

医療機関や感染防止に関わる仕事以外は、全面的に外出禁止となり、事実上の戒厳令に等しい。


湖北省黄岡市も1月1日から同様の措置を取っていて、これには中国共産党の姿勢変化が影響している。

中国共産党は最初の感染者確認から1か月半も経った20年1月20日にやっと対応を指示したが、それまでは隠蔽を指示していた。

習近平批判に繋がらないよう、湖北省幹部が対応を遅らせたと批判し、地方役人に責任を負わせた。


中国ではこんな場合、地方役人が責任を否定すれば即逮捕され、一家全員山奥の収容所などに送られる。

武漢市のトップ、馬国強書記は2月1日にテレビで謝罪放送をし、「自分の対応遅れが被害を拡大させた」と話した。

これの真の意味は「責任を取って謝罪しないと習近平に処刑される」という事なのでしょう。


中国人民銀行は2月3日、1兆2000億人民元(18兆円)を春節明けに資金供給すると発表した。

中国では武漢や大連・上海など南部の都市で商店が休業し、消費経済に大打撃があると予想されている。

外国企業の撤退や工場の一時閉鎖も起きていて、企業の資金繰りを助けるためだと思われる。
http://www.thutmosev.com/archives/82115721.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
126. 2020年2月05日 00:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-726]
グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c126
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
261. 中川隆[-14048] koaQ7Jey 2020年2月05日 10:35:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-725]
平野憲一の株のお話 2020.02.03

 2日新甫(月の最初の取引日)は荒れると言われますが、今月は3日新甫です。先週末のダウ603ドル安の影響がどう出るでしょうか。相場巧者の余裕筋はこの突込みを買うでしょうが、多くの投資家は拡大する新型肺炎の渦がどこまで大きくなるか不安感いっぱいで、実際は下値確認の一日になるでしょう。


 先週末の夜間取引で日経平均先物3月物は、2万2650円となっています。

順張りのAIは節目を切ると次の売りを出します。

売りが売りを呼ぶことになりますが、短期筋の売り一巡の後を期待します。

 中国人民銀行はオペを通じて金融市場に1兆2000億元(約18兆7000億円)を供給すると発表しました。今日から始まる上海市場への援護射撃で、春節延長と共にショック安を防ぐ必死の政策を取っています。

平野憲一の株のお話 2020.02.05 買い戻しの売買代金に注目。

 4日のNY株。
 ダウは407.82ドル高の2万8807.63ドル、ナスダックも194.57ポイント高の9467.97ポイントと大幅続伸。
ナスダックは史上最高値を8営業日ぶりに更新しています。


 3日の中国人民銀行(中央銀行)による1兆2000億元(18兆円)の大規模な資金供給は、4日も多めの供給を継続し、金融市場沈静化に向けた中国当局の積極姿勢を好感し、買い先行となりました。

 相場の基本は、停滞する経済に対する世界的な財政出動です。

中国に続いてロシアも26兆ルーブル(44兆円)の財政出動に動き出しました。中国も、1か月後の「全人代」、2か月後の習近平国家主席の「国賓としての訪日」を控え、国の威信をかけて必死です。
http://kasset.blog.fc2.com/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c261

[番外地7] 辻元議員は質問の冒頭、新型コロナウィルスへの対応をめぐり「総理に約束してほしいことがある」 中川隆
1. 中川隆[-14047] koaQ7Jey 2020年2月05日 11:08:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-724]
2020年1月29日
「野党は新型肺炎の質問をしない」と攻撃する与党、対策のための「厚生労働委員会」開催要請を放置していた
◆野党の新型肺炎対策のための「厚生労働委員会」開催要求、与党に無視される

春節を前にした1月24日、共産党の宮本徹衆議院議員(厚生労働委員会所属)は自身のツイッターアカウントで医療・公衆衛生を所管とする衆議院厚生労働委員会の理事会を開くよう、与党側に提案していることを明かしていました。

しかし衆議院の委員会開催日程を見てみると1月29日現在まで厚生労働委員会は開催されずに放置されたまま。これに対して立憲民主党と共産党は1月28日の時点で独自に新型肺炎に対する対策本部を立ち上げています。

今度の新型コロナウイルスの対応に関しても、日本も(中国も?)不都合なことを隠しているのではないかという見方が出ている。
衆院予算委員会でも、立民党の辻元清美氏が、この件に関して「情報の開示」や「文書の保存」を強く要望していたのだが。安倍首相は、情報開示や文書保存を約束はせず。「法令に則って、適切に対応する」と答えるにとどまった。(-"-)

『辻元議員は質問の冒頭、新型コロナウィルスへの対応をめぐり「総理に約束してほしいことがある」

と切り出し、

「人々が不安になっているときに政治にとって一番大事なのは情報公開と政治への信頼だ。政府が情報を隠しているのではないか、嘘をついているのではないかということが広がると不安がパニックになってしまうことがある。今回の新型コロナウィルスの問題では、いつ誰が何を決め、どのように対応をしたのか、記録をすべて保存しておいてほしい。昨日、例えば職員が対応した記録も明日、明後日に振り返らなければいけない。また、将来いったいどういう対応してきたのかという検証し、教訓にもしなければいけない」


と指摘。

「政府にとって都合の悪いと思われる情報があったとしても隠ぺいや改ざんはせずにしっかり真実を情報公開し、すべての文書を保存すると約束してほしい」

と求めましたが、安倍総理は「ルールに則り対応する」と答えるにとどまりました。(BLOGOS立憲民主党2.3より)』
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/468.html#c1

[リバイバル3] 与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男 中川隆
2. 中川隆[-14046] koaQ7Jey 2020年2月05日 11:20:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-723]

2020年02月05日
「天才」与沢翼が復活した錬金術 ブログと商材で瞬足1億円調達


破綻したのに妙にお金があるので、計画倒産も囁かれた


引用:https://s1-ssl.dmcdn.net/M3fVJ/1280x720-EYo.jpg


与沢翼は最近また「投資で成功しシンガポールで活動している」などと自身の活躍を誇示しています。

2014年に破産して無一文になった筈だが、どうやってそこから再起したのだろうか。


破綻したがお金持ちの理由

与沢翼は2014年4月に会社が破綻した筈だが、現在はシンガポールで投資家として活躍しているようです。

近況を伝えるマスコミによれば、株取引や土地投資で月に数千万円を稼ぎ、豪邸や高級車を所有しているという。


どうやって再起したのか調べてみると、相変わらず怪しさ満点の「ビジネス」をしていました。


まず2014年に会社が破綻した経緯は、情報商材などで稼いだ金で、もっと大きなビジネスをしようと思ったのがきっかけです。

情報商材は1件数十万円から数百万円の価格なので、月に1千万円以上の収入になりました。

その後テレビに出演し「投資で秒速1億円稼ぐ」と豪語していたが、実際は投資で儲けた金ではなかったようです。


収入の大半は情報商材販売とテレビ出演料、講演会の講演料のようなものだったとされています。

そんな与沢の転機になったのが東北地震と原発事故で、「日本はもう滅びる」と思って外国で投資しようと思った。

「All of me」という会社を立ち上げてゲーム開発をしようとしたが、思ったより面倒なのでFXに切り替えた。


ここで上手い話を持ちかけるペテン師に引っ掛かり、会社の運営資金数億円を持ち逃げされました。

「All of me」は与沢翼が出資した資金で運営されていたが、その大半を失ってしまいました。

「All of me」を立ち上げたのが2014年初めで、一ヵ月後には資金持ち逃げで破綻しました。

復活する与沢翼

この後税務署から3億5000万円の法人税を請求されたが収めることが出来ず、ブログで破産宣言をしました。

自宅や高級車を売ったら残り未納金は1億円になり、その後1億円の還付金があったのでチャラになりました。

この時与沢に他に借金は無かったので、無一文にはなったが、ただそれだけでした。


ここで重要な役割りを果たしたのがブログで、破産を報告してアクセスが殺到し、推定で毎月数百万の広告収入があったと思われます。

ブログ以外にもLINEスタンプ、著書の著作権料、情報商材売上げ、講演など現金収入が多く、どれも元手がタダでお金だけ入ってきます。

これらの合計だけで年間1億円近くに達し、破産後もシンガポールに移住してすぐに贅沢な暮らしを再開しました。


与沢は儲からないFXや株などを辞めて、ブログで儲ける事に集中しました。

推定一日数十万人のブログ読者に「商材」を売ることを思いつき、メールマガジン販売を始めました。

メルマガは一件600円だったが、一ヶ月で7万人の会員を集めたとされるので、数千万円の現金収入を得ました。


メルマガ会員にはさらに自分の商材を売ったりして、継続的に利益を上げているようです。

さらに与沢は得意のセミナー商法で会員限定の講演会を開き、経営塾のようなものも主催して料金を取りました。

このブログXメルマガX商材X講演会X経営塾の核分裂反応で、数億円を稼ぎました。

株投資はネタ話か

この間たった1年であり、なるほど与沢翼は何かの意味で「天才」なのかも知れません。

さらに申し込んだ人をネットで有名人にするというプログラムを販売し、ここでも数億円を得たようです。

これらもまた継続的に会員を獲得しているようで、確かに資産を増やし続けているようです。


では与沢翼が豪語している「株投資で毎千月数万円稼いでいる」は何かと言えば、会員を集める為の宣伝でしょう。


株投資(特にデイトレ)は継続的に儲かるものではないので、投資テクニックというのも作り話でしょう。


現在の主な収入源は土地を購入して賃貸するビジネスと、中長期の資産運用と考えられる。

資産運用の原資は相変わらず商材販売やブログなどの「現金収入」で、何にしろ現金が入ってくる商売は強い。


相変わらず与沢の本当の収入源は商材販売とか講演、ブログなどであって、土地投資や株投資は儲けた金を増やす手段だと思います。


1年の半分以上海外の同一国に居れば日本政府に納税しなくて済むのが、シンガポールに居る理由です。

http://www.thutmosev.com/archives/55986281.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1019.html#c2

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
3. 中川隆[-14045] koaQ7Jey 2020年2月05日 12:10:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-722]
2020年 02月 04日
German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事
https://tannoy.exblog.jp/31041250/

日本でのGerman Physiks愛好家の会

2020年最初のNews letterにようこそおいでいただきました。私たちの製品に関心をお持ちの方々、そして新しく購読者になられた方々に厚く御礼いたします。今月のNewsletterの話題を考えていたとき、ある日、日本から来たDDDドライバーの交換のご依頼が、どうして彼の地にGerman Physiksの愛好家の会の設立まで至ったのかをお話することにいたしました。

そのはじまりは・・・

2012年の6月、我々のもとに日本で中古のユニコーンを買い求めた方から連絡が入りました。


生まれ変わったユニコーン GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/17668219/


その時点でもう、そのユニコーンは製造してから14年も経っていました。この製品は一個のチタン製のDDDドライバーを使用していて、周波数は21,500Hzから55Hzまでカバーしています。

German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12130318.jpg


German Physiks製のスピーカーの他のモデル全ては、200Hz前後で下をカットされて、それ以下の低域は一本または複数の通常の形のウーファーを使用しています。それは、DDDドライバーの強度と可動範囲から、大振幅の低音再生を制限しているからです。しかし、そのユニコーンはその低域の特性をバックロードホーンと組合わせることで、低域を55Hzまで再現しています。現在のユニコーンMK-IIはカーボンファイバー製のDDDユニットを使用することで、低域はさらに広がり40Hzまで再現できます。詳しいユニコーンの仕組みは、

News letterのバックナンバー5
https://www.german-physiks.com/campaigns/view-campaign/eLczefB4o_HmdzoPDUmbTYYHHuzZQbQidoErw5AGhtH4zGtyfnz0DTkdufQCtnYmWfqmswwb0PN6uhyyCmVTQn2nFWox3PS3


をご覧ください。

German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12185449.jpg

当初のチタン製DDDドライバーは、とても薄く、そのお客様のドライバーも長年の使用から、ところどころチタン膜にへこみが出ていました。そのお客は、元の状態に戻すためにペアーの新しい交換用のドライバーを発注してきました。それは何も問題はなく、私たちは何時も過去に作られた製品用の交換部品を提供できるからです。

German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12164260.jpg


おおよそ一月後、それらの交換用ドライバーはお客様に出荷されました。彼はその新しく生まれ変わったユニコーンの音を聞いてとても喜んでくれたのです。彼の元に出荷したDDDドライバーは、改良されたヴァージョンで、そのままオリジナルに取り付けられますが、サウンドはとても良くなっていたのです。そのお客様は、実は大変熱心なオーディオ愛好家で、東京でオーディオ愛好家のグループを主宰されていたのです。

German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12100451.jpg


そのお客様には沢山の同じように熱心なオーディオ愛好家の友人がいて、彼はそれらの友人を招いて、彼の「新しい」ユニコーンを聞いてもらったのです。聞かれた方のなかには大変気に入っていただき、彼らも同じユニコーンを彼らのシステムにほしいとの声が出てきたのです。


その要望をお聞きして、彼とは何回かのやりとりがありましたが、彼はお仲間のために六台まとめてオリジナルのユニコーンを発注されたのです。大分前に製造を中止していたモデルですから、製造再開にはいくつかのチャレンジがありましたが、我々はやり遂げました。


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12535507.jpg

プー博士のリスニングルーム


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12544679.jpg

T.Wさんのリスニングルーム


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椀方さんのリスニングルーム


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Oさんのリスニングルーム


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12195621.jpg
Hさんのリスニングルーム


これらの写真は、「新しい」ユニコーンが、オーナーたちの家に収まった写真です。 


その次に起こったのは・・・

そのお客様は、我々の製品の中から、二つのその他の製品に目をつけられたのです。それはチタン製のDDDドライバーを一台のTroubadour40と同じくチタン製のDDDドライバー二台組み合わせて使っているTroubadour80でした。いずれのモデルも200Hz以下の低域は出ないので、それに合わせるウーファーとの組み合わせが必要です。そのお客様は、彼の好みの独自の性能の良いウーファーを作ることにしました。


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_15574755.jpg


上の写真は、そのウーファー開発中の写真です。この実験機では、22センチのドライバーを二台、全方位用に前面と後面に配置したキャビネットの上に、Troubadour40を乗せて実験しています。後方には彼のオープンリール機のコレクションが見られます。Nagra T-Audioが三台、右奥には4台のNagra4Sがご覧いただけるでしょうか?我々が言ったように彼は真のオーディオ愛好家なのです。

German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_21072400.jpg

その完成品は・・・


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_18380166.jpg

プロトタイプ機は最終的には、この様な形になりました。ここでは、Troubadour80との組み合わされています。右側のグレーのボックスは、Troubadour用のイコライザーネットワークです。ドライバーに影響を及ぼす低域は減衰されています。後方の茶色の箱はウーファー用のネットワークです。

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German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_12555711.jpg

Troubadourシステム用に作られた専用のリスニングルームです。後方のウーファーは、18インチの大口径ユニットが使われています。この部屋のオーナーも壁際にさらに沢山のオープンリールのテープレコーダーを収集されていますね。


German Physiks 友の会

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開発されたTroubadour80とウーファーの組み合わせは、評判を呼び、オーディオ愛好家グループに浸透していきました。このことが「German Physiks 友の会」を始める動きとなったのです。German PhysiksのDDDドライバーのスピーカーを使っている人と、興味を持たれている方々を対象に「German Physiks友の会」が4年前に設立され、年に一回、オーナーもTroubadour システムの愛用者である素晴らしいサロンに集まり、美味しい食事やワインを楽しみながら、German Physiksのスピーカーを聞きながら、オーディオや音楽を楽しむ会になりました。


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_18323586.jpeg

上の写真は、去年2019年の11月に開かれた「German Physiks友の会」の模様です。集まったメンバーの方々はワインを片手に音楽を楽しまれています。お伝えしたいのは、座れる席がこの部屋一杯に広がっていることです。これはDDDドライバーが元の音楽と同じバランスで、ステレオの音場を作り出すからです。実際のコンサートホールのようにどの席で聞かれても音楽が楽しめる音場の再生を行っているからですね。


このような音場再生は従来のスピーカーでは出来ません。


German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事 _f0108399_21164158.jpg

最初は、ユニコーンのドライバーの交換から始まった流れが、8年間でここまで大きくなり、ウーファーの開発に伴い「German Physiks友の会」まで大きく発展してきたというお話でした。


それでは次回まで・・・

January 2020 | Newsletter No. 9
https://www.german-physiks.com/campaigns/view-campaign/9ppoKLrSUpoRIEt7sGHSbACQspYm2e_Bcv6ZCP-4vssTMRJ1TSmGVMGQay1oYV6ejTxCAmktGxcoGU4O1rS8RIaqNamntx2M

by TANNOY-GRF| 2020-02-04 16:33| German Physiks友の会


Commentedby TANNOY-GRF at 2020-02-05 01:34

2007年にUNICORNさんのお宅で聞いたユニコーンに驚き、とっくに製造中止していた中古のユニコーンが我が家に来たのは、2008年でした。それから4年、当初から気になっていたドライバーのエッジが限界にきてバックロードホーンのロードが掛からなくなり、その五月にGerman Physiks 友の会の会長が主宰されているホワイトアスパラガスの会で、私のユニコーンを輸入した会社の社長にお会いして、どうしたら修理が出来るかをお聞きしました。それで購入時から気になっていたユニット交換を実施したわけです。その時点で、ユニコーンは製造されてから14年も経っていたのですね。14年前と言えば、この家と同じ年なのですね。これも何かの縁でしょう。
Commentedby パグ太郎 at 2020-02-05 07:42


GRFさん

ジャーマンのニュースレターは2012年以降のことで、それ以前の歴史もあったのですね。追加された皆さんのユニコーンの写真を拝見していると、お一人お一人の物語がそこにあるのだろうなと想像が膨らんでしまいます。あ、いつの間にか日本語になっていますね!
Commentedby TANNOY-GRF at 2020-02-05 09:54


やはり、英語だけでは解らんと言う声もありましたので、つたない飜訳ですが、日本語版も追加しました。日本語になると、何時もの文体になってしまうのはお許し下さい。

わたしも皆さんの家に今は必然のように収まっているユニコーンの写真を見て、あのときユニット交換を頼まなければ、ここまでの発展はなかったのだと今更のように思いました。

SD05ファンクラブからの、大山さんのご協力が無ければ、ここまで来ませんでした。まだ、まだ新しい分野も開発中です。今年のGerman Physiks友の会もおもしろいですよ!

https://tannoy.exblog.jp/31041250/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c3

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
134. 2020年2月05日 13:08:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-720]
階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c134
[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
135. 2020年2月05日 13:50:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-719]
パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c135
[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
136. 2020年2月05日 13:53:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-718]
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c136
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
127. 2020年2月05日 14:14:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-716]
リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c127
[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク 中川隆
1. 中川隆[-14042] koaQ7Jey 2020年2月05日 14:42:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-715]

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク 中川隆
2. 中川隆[-14041] koaQ7Jey 2020年2月05日 14:44:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-714]

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html#c2
[近代史3] 世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン 中川隆
7. 中川隆[-14040] koaQ7Jey 2020年2月05日 17:57:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-713]
2020.02.05
米国の不公正な選挙制度に投票数を操作できるシステムが導入されようとしている


 アメリカ大統領選挙の候補者である​タルシー・ガバード下院議員は電子投票システムの問題を指摘​している。紙を利用した投票の場合、その結果を後に検証することが可能だが、電子的なシステムでは証拠が残らず、外部から操作されてもわからないと指摘しているのだ。すでに14州で投票に紙が使用されていないという。前回は2016年に選挙があったが、その前にも電子投票システムにおける投票数操作の問題が指摘されていた。

 その2016年の選挙では、2015年の段階でネオコンのヒラリー・クリントンは次期大統領に内定したと噂されていた。この人物は上院議員になったときからロッキード・マーチンの代理人と呼ばれ、後にウォール街の巨大金融資本も後ろ盾にしているとも言われるようになる。

 クリントンが次期大統領に内定したと噂されたのは、2015年6月にオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合に彼女の旧友であるジム・メッシナが参加していたことなどが理由。このグループは1948年にアレン・ダレスやウィンストン・チャーチルを中心とする米英の支配層によって創設されたACUEの下部機関で、欧米支配層の利害調整が役割だとも言われている。

 しかし、電子投票システムへの疑問が噴出する中、バラク・オバマ大統領やその後継者と見られていたヒラリー・クリントンの好戦的な姿勢を懸念する声が支配層の内部からも出てきた。

 その切っ掛けは2014年にネオコンがウクライナでネオ・ナチを使って成功させたクーデター。その結果、ロシアと中国が急接近して戦略的同盟関係を結んでしまったのだ。その後、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させ、ヒラリーたちは核戦争で脅し始める。ソ連を消滅させ、ロシアを属国にしたという前提で立てられたネオコンの世界制覇プランがロシアの再独立と中露の接近で崩れ始めたことが大きいと言えるだろう。

 大統領選挙の風向きが変わったと言われたのは2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談してから。民主党の候補者選びでも戦争に反対するバーニー・サンダースがクリントンのライバルとして登場してきた。

 慌てたDNC(民主党全国委員会)の幹部はサンダースを妨害する工作を始めるのだが、その一端を示す電子メールを3月から内部告発支援グループのウィキリークスが公表、クリントン陣営には大きなダメージになる。

 その一方、共和党ではロシアとの関係修復を訴えたドナルド・トランプが人気になるが、そのトランプを潰す工作をFBIは2016年夏に始めた。その背後にはCIA長官だったジョン・ブレナンがいたと見られている。

 アメリカの選挙制度が公正なものでないことは明白だが、さらに進めて、投票数を自由自在にコントロールできる仕組みを支配層は導入しようとしている。そうした動きが進んでいるとガバードは警鐘を鳴らしたのである。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002050000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html#c7

[近代史3] 北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている 中川隆
2. 中川隆[-14039] koaQ7Jey 2020年2月05日 18:02:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-712]
2020年02月05日
「最強ウイルス」は中国のずさんさが産んだ幻影だった


武漢市内の病院窓口前で倒れたが放置された人
治療しなければ「感染者」は増えないのでわざと放置している
治療したらその人は感染者になり、感染者数が増えて医療機関の落ち度になる

画像引用:https://i.epochtimes.com/assets/uploads/2020/01/Untitled-2-4-450x322.jpg

中国人以外には感染しない仕組み

19年1月20日ごろ明るみになった中国発新型肺炎ウイルスは、ようやく全体像が見えてきた。

20年2月4日現在で中国発表の感染者数は2万3680人、世界では2万3800人ほどとなっている。

中国以外では27の国で感染者214人なので、中国と中国以外の感染者数は100対1となっている。


武漢から帰国した日本人の感染率は1.4%だったので、これを武漢と周辺に当てはめると20万人になる。

中国は中国以外で発生した感染者数を見ながら、「その100倍」を目安に発表している疑いが強い。

本当の数字は政府批判を招くので隠しておくが、外国の患者は隠せないのでその100倍を適当に発表している。


これなら外国の反発を招かず、かなり自然な数字になるので誤魔化しやすいという仕組みです。

日本での感染者数は約23人で、全員が中国人から移された人で、バス運転手とツアーガイドは車内で中国人から移された。

日本人から日本人へ感染した例はなく、外国でも中国人以外から感染したと分かっている例はないようです。


武漢発新型コロナウイルスは中国人にだけ爆発的に感染し、他の国の人には殆ど感染しないのが分かってきました。

だが中国人だけに感染するウイルスというのは不自然で、本当は中国の医療制度や社会制度が原因でした。

中国では武漢だけで本当の感染者が20万人以上なのに政府発表は5千人、つまり今までに検査や治療を受けたのは5千人だけでした。

共産主義の論理「感染したと認めなければ感染者ではない」

このへ理屈は中国全土にも適用され、熱を訴えても病院で検査を受けられるのは希望者の1割未満しかいない。

病院の絶対数が不足しているのと、医療の未整備が主な原因で、病院で検査を受けなければ感染者にカウントされません。

中国政府にしてみれば放っておいた方が「感染者」が増えず、下手に検査したら10倍や100倍に増えかねない。


新形ウイルスの死亡率は千人に1人程度と見られ、治療しなくてもほとんどが自然治癒します。

今までになくなったほとんどは高齢者や持病があった人なので、若くて健康な人には関係ない病気です。

高齢者や深刻な持病持ちの人は、ウイルスに感染しなくても亡くなっていたかも知れず、死因は心不全とか適当に作れる。


中国はこうした偽装を行って感染者数を少なく見せるのに成功しているが、これが新型ウイルスの流行を招いた。

中国人以外はほぼ誰も感染していないのに、中国だけ数十万人感染した理由がこの「政府に不都合な事を隠蔽する」体質でした。

武漢では遅くとも12月8日には謎の新型肺炎を確認たが、それから1カ月間の対策はなんと患者を逮捕するというものでした。


新形ウイルスを訴える患者や医療関係者を逮捕しては刑務所や収容所に送り込み、新型ウイルスは存在しないという態度を取った。

これが1月20日まで続き、20日に習近平がようやく新型ウイルスの存在を認めて対処を指示した。

だが武漢では1月23日まで患者の逮捕が続けられていて、23日には武漢市外への移動を禁じる戒厳令状態になった。


結局現在も中国政府の対応は、不満を訴えるものを逮捕し刑務所に入れる、あるいは家に閉じ込めて外出したら逮捕するというものです。

中国はアメリカに食われる

中国以外では大した感染力がないウイルスを数十万人に感染させた中国に世界は疑惑の目を向けている。

アメリカは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国禁止措置を取ったが中国側は面白い事を言っている。

アメリカは新型肺炎利用して世界から「中国を隔離」しようとしていると不満を表明しました。


おそらくこれは当たっていて、中国を潰したいアメリカにとってはチャンス到来でした。

中国のGDPは対米7割に達しようとしていて、全盛期のソ連や日本の規模に迫っている。

アメリカは対米7割を防衛ラインとして、それを超えようとする国をあらゆる手段で潰します。


ウイグルやチベット弾圧、香港民主化、そして武漢ウイルスなどアメリカにとっての好材料はいくつもある。

キリスト教国家には「豚は太らせて食え」という格言があり、チヤホヤして良い気にさせ、太って動けなくなったら食べる。

ソ連も旧ドイツも日本もまんまと引っ掛かり、崩壊してアメリカに全財産を奪われました。


アメリカの指導者が今考えているのは、どうやって中国が築いた資産を自分のものにするかでしょう。

中国のGDPは公称12兆ドルで実際は半分としても、これをアメリカのものに出来れば巨大な利益になる。

中国の資産は軽くその10倍以上はあり、トランプやアメリカの資産家が美味しそうに舌なめずりをしています。
http://www.thutmosev.com/archives/82132382.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html#c2

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
5. 中川隆[-14038] koaQ7Jey 2020年2月05日 18:06:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-711]
2020年02月05日
「最強ウイルス」は中国のずさんさが産んだ幻影だった

武漢市内の病院窓口前で倒れたが放置された人
治療しなければ「感染者」は増えないのでわざと放置している
治療したらその人は感染者になり、感染者数が増えて医療機関の落ち度になる

画像引用:https://i.epochtimes.com/assets/uploads/2020/01/Untitled-2-4-450x322.jpg


中国人以外には感染しない仕組み

19年1月20日ごろ明るみになった中国発新型肺炎ウイルスは、ようやく全体像が見えてきた。

20年2月4日現在で中国発表の感染者数は2万3680人、世界では2万3800人ほどとなっている。

中国以外では27の国で感染者214人なので、中国と中国以外の感染者数は100対1となっている。

武漢から帰国した日本人の感染率は1.4%だったので、これを武漢と周辺に当てはめると20万人になる。

中国は中国以外で発生した感染者数を見ながら、「その100倍」を目安に発表している疑いが強い。

本当の数字は政府批判を招くので隠しておくが、外国の患者は隠せないのでその100倍を適当に発表している。


これなら外国の反発を招かず、かなり自然な数字になるので誤魔化しやすいという仕組みです。

日本での感染者数は約23人で、全員が中国人から移された人で、バス運転手とツアーガイドは車内で中国人から移された。

日本人から日本人へ感染した例はなく、外国でも中国人以外から感染したと分かっている例はないようです。


武漢発新型コロナウイルスは中国人にだけ爆発的に感染し、他の国の人には殆ど感染しないのが分かってきました。

だが中国人だけに感染するウイルスというのは不自然で、本当は中国の医療制度や社会制度が原因でした。

中国では武漢だけで本当の感染者が20万人以上なのに政府発表は5千人、つまり今までに検査や治療を受けたのは5千人だけでした。


共産主義の論理「感染したと認めなければ感染者ではない」

このへ理屈は中国全土にも適用され、熱を訴えても病院で検査を受けられるのは希望者の1割未満しかいない。

病院の絶対数が不足しているのと、医療の未整備が主な原因で、病院で検査を受けなければ感染者にカウントされません。

中国政府にしてみれば放っておいた方が「感染者」が増えず、下手に検査したら10倍や100倍に増えかねない。


新形ウイルスの死亡率は千人に1人程度と見られ、治療しなくてもほとんどが自然治癒します。

今までになくなったほとんどは高齢者や持病があった人なので、若くて健康な人には関係ない病気です。

高齢者や深刻な持病持ちの人は、ウイルスに感染しなくても亡くなっていたかも知れず、死因は心不全とか適当に作れる。


中国はこうした偽装を行って感染者数を少なく見せるのに成功しているが、これが新型ウイルスの流行を招いた。

中国人以外はほぼ誰も感染していないのに、中国だけ数十万人感染した理由がこの「政府に不都合な事を隠蔽する」体質でした。

武漢では遅くとも12月8日には謎の新型肺炎を確認たが、それから1カ月間の対策はなんと患者を逮捕するというものでした。

新形ウイルスを訴える患者や医療関係者を逮捕しては刑務所や収容所に送り込み、新型ウイルスは存在しないという態度を取った。

これが1月20日まで続き、20日に習近平がようやく新型ウイルスの存在を認めて対処を指示した。

だが武漢では1月23日まで患者の逮捕が続けられていて、23日には武漢市外への移動を禁じる戒厳令状態になった。


結局現在も中国政府の対応は、不満を訴えるものを逮捕し刑務所に入れる、あるいは家に閉じ込めて外出したら逮捕するというものです。


中国はアメリカに食われる

中国以外では大した感染力がないウイルスを数十万人に感染させた中国に世界は疑惑の目を向けている。

アメリカは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国禁止措置を取ったが中国側は面白い事を言っている。

アメリカは新型肺炎利用して世界から「中国を隔離」しようとしていると不満を表明しました。


おそらくこれは当たっていて、中国を潰したいアメリカにとってはチャンス到来でした。

中国のGDPは対米7割に達しようとしていて、全盛期のソ連や日本の規模に迫っている。

アメリカは対米7割を防衛ラインとして、それを超えようとする国をあらゆる手段で潰します。


ウイグルやチベット弾圧、香港民主化、そして武漢ウイルスなどアメリカにとっての好材料はいくつもある。

キリスト教国家には「豚は太らせて食え」という格言があり、チヤホヤして良い気にさせ、太って動けなくなったら食べる。

ソ連も旧ドイツも日本もまんまと引っ掛かり、崩壊してアメリカに全財産を奪われました。


アメリカの指導者が今考えているのは、どうやって中国が築いた資産を自分のものにするかでしょう。

中国のGDPは公称12兆ドルで実際は半分としても、これをアメリカのものに出来れば巨大な利益になる。

中国の資産は軽くその10倍以上はあり、トランプやアメリカの資産家が美味しそうに舌なめずりをしています。
http://www.thutmosev.com/archives/82132382.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c5

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
128. 2020年2月05日 20:35:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-710]
グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c128
[近代史3] フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』 中川隆
1. 中川隆[-14037] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:01:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-709]
クラシック音楽 一口感想メモ
フレデリック・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin 1810 - 1849)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ショパン


史上最高のピアノ音楽作曲家であろう。

ピアノの機構と機能を熟知し、機構に合わせた音の動きで機能が生かされるように音楽を構成して、ピアノの音響を完璧に計算して曲を書いた。ショパンの曲を弾くと明らかに他の作曲家の曲よりピアノがよく鳴る。ピアノ全体を豊かに響かせる音楽になっている。

それに加えて屈指のメロディーメーカーであり、繊細で詩情豊かな発想力もずば抜けている。

また発想だけでなく、曲の全体の構成も綿密にきっちり練られている。一つひとつの曲の作品としての完成度を高めるタイプであり、残された作品は駄作がほとんどなく存在意義のある磨き上げられた曲ばかりである。


協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 Op.11 ホ短調(1930)
5.0点

まだ20歳の作品。まだ少年の心を残した青年らしいウブな純情を、聴いていて恥ずかしくなってくるほどここまでストレートに切々と描いた曲が他にあるだろうか?人生の一時期しか書けない貴重な記録である。しかしピアノだけではこの魅力は出せなかった。オケが未熟というのは誰の耳にも明らかだが、しかしピアノとオーケストラの両方の良さを生かしたからこそ出来た表現である。たまに聴きたくなる。

ピアノ協奏曲第2番 Op.21 へ短調(1929〜30)
5.0点

2番の方が先に書かれたので1番と比較すると少し未熟だが、感情的な純度はこちらの方が高いようにも感じる。どちらも甲乙つけがたい。1番と同様に貴重な記録である。


協奏的作品
ラ・チ・ダレム変奏曲 Op.2 (1927)
3.0点

正確にはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲。変奏曲形式の見通しの良さと採用したドンジョバンニの主題の良さにより、華やかさが生きており10代の作品の中では分かりやすく楽しめる曲になっている。

演奏会用大ロンド『クラコヴィアク』 Op.14 (1928)
2.5点

ピアノ協奏曲に至る過程としての資料的価値はあるが、曲としては華やかな技巧だけで内容が薄い。しかしやや目新しいテーマが出てくるし、何より聴き心地は良い。

室内楽


序奏と華麗なポロネーズ Op.3 ハ長調〔Vc,Pf〕(1829〜30)
2.3点
チェロとピアノの作品であり、チェロを鳴らし方の積極性にショパンの熱意を感じる。しかし、メロディーに魅力がなく内容は未熟さがあり、あまり面白くない。

ピアノ三重奏曲 Op.8 ト短調〔Vl,Vc,Pf〕(1828〜29)
2.5点
ピアノ協奏曲と同じ時期なので期待したのだが、あまり印象が残っていない。

チェロ・ソナタ Op.65 ト短調〔Vc,Pf〕(1845〜46)
3点
ショパン最後の大作であり、ショパンの作曲技法が尽くされているらしく、高く評価する人もいる。しかし、聴いて楽しむという観点では、自分は正直なところやはり、耳に残るフレーズや印象に残る場面があまり無く、渋すぎると思う。室内楽としての楽しみの観点でも物足りない。彼のピアノ独奏曲や他の作曲家のチェロソナタと比較して、あまり高く評価はできない。


ピアノ曲

ピアノソナタ
ショパンのピアノソナタは2番と3番のどちらがいいかよく議論になるが、私は2番派である。

ソナタ第1番 Op.4 ハ短調(1828)
3.0点
力の入った作品であるが、ショパンにしては堅苦しい印象が強い。2楽章や3楽章などは多くの部分に才能を生かしたよい音楽があり、習作とはいえ案外鑑賞用にも楽しめるものだと思う。ただ、ショパンらしい自由さと自然さが足らず、頑張って書いている感がどうしても鑑賞していて気になってしまい、曲に入り込めない。特に最初の1楽章がそうなので、後続の楽章にもそのイメージを引きずってしまう。4楽章は3番と印象が被る。ベートーヴェン的な情熱の音楽を頑張って書いた感がとても強い。

ソナタ第2番 Op.35 変ロ短調(1839,3楽章のみ1837)
5.5点
芸術性と独創性が非常に高く、ピアノ曲史上屈指の名作だと思う。一見まとまりが無いようで、聴き込むと多くの要素が奇跡のように一つの世界としてまとまり昇華されている事が分かる。ソナタとしては長くないが、情熱や激情と癒しや信仰心、天国と地獄、悲痛と追憶など、広く深い実に多くの感情世界が表現されている。1楽章はショパンの中でも最も濃密で多くのものが詰め込まれた音楽の一つであろう。3楽章の葬送行進曲は単体でも素晴らしい曲だが、周りの楽章がさらに重さと深さを増加させている。4楽章は超高速の無調的な曲であり、単体では摩訶不思議な音楽であるが、それまでの3つの楽章の重さとのバランスが取れていて絶妙である。

ソナタ第3番 Op.58 ロ短調(1844)
1楽章4.5点
2楽章から4楽章 3.5点
1楽章の第二主題から提示部最後までの、美しいフレーズを惜しげもなく繰り出して流れるように次から次へと紡ぎだされる叙情性と詩情あふれるメロディーは絶賛に値する。しかし、それ以外の部分はソナタらしいまとまりとスケールを重視して作った曲と感じてしまう。特に4楽章はショパンの中に内面から自然に沸いてきた音楽ではなく、最後の締めくくりのために無理に努力してまとめた音楽という印象がある。3楽章も曲想は好きだが、冗長で掴みどころに欠けているのはかなり大きな問題であると思う。

バラード

バラード第1番 Op.23 ト短調(1831〜35)
5.0点
バラードらしい物語性と詩情にあふれた曲。モノローグのような第一主題は、いにしえから伝わっている物語を聞いているかのような独特の詩情がある。第二主題は感動的メロディーで、特に2回目に盛り上げて演奏される場面はやはり感動してしまう。サロン風な間奏が突然挟まったり、エンディング部分はショパンらしからぬ乱暴さだったり、展開が大胆すぎるのだが、その大づかみな大胆さもまた魅力である。その強烈さが聞き手を物語の中に引き込む力を高めているが、しかし無駄をそぎ落とす洗練を失いすぎているともいえる。文学性が高いことや主題の魅力から、非常に強烈な体験を得られるため、また聴きたいと思わせる力が強い。

バラード第2番 Op.38 ヘ長調(1836〜39)
4.0点
2つの部分の対比が単純で極端なの曲。詩的な場面も激情的な場面も、どちらも詩情が豊かなよい出来である。だからいい曲ではあるのだが、他のバラードと比較すると、構成的な単純さがまた聴きたいという感覚をあまり起こさせないため、個人的には聞く回数が少ない。

バラード第3番 Op.47 変イ長調(1840〜41)
4.5点
前半と後半に分かれた曲。バラードらしい物語性がありながらも、有機的な主題の関連性と、主題から発展させて全体を統一的に作り上げた構築性を兼ね備えた曲である。どの主題も詩的な美しさは見事なもので、つなぎも部分も完璧である。1番と比較して、あの強烈なインパクトがないものの、精密に磨きあげられた作品としての精度の高さは断然上である。

バラード第4番 Op.52 ヘ短調(1842)
5.5点
前半部分は短いメロディーがひたすら繰り返される。暗闇に浮かぶ浮遊感や艶めかしさと切なさを感じさせながらメロディーが変奏される。メロディーが短いにも関わらず、寂寥感が胸に迫り何度も何度も聴いて浸りたくなる絶妙さがある。第二主題は信仰告白のような静けさと現実的な階層の実感を感じさせる素晴らしい感動的メロディーである。後半のドラマチックでスケールの大きな包み込むような感情の高まりは最高である。何度聞いても、いいなあと思う。以前、数年間もっとも聴く回数の多い曲であり続けていた曲である。ショパンの作曲技術が尽くされており、精神的な成熟と人生経験を技術により音楽化してみせている。成熟感とテクニカルな総合性と味わい深さがあり、ショパンの最高傑作のひとつと思う。

スケルツォ

スケルツォ第1番 Op.20 ロ短調(1831〜32)
4.0点
バラードとスケルツォの中では最初の作品。若き日の大変な力作である。ショパンの作品の中でも特に響きが鋭角的で棘がある印象が強い。練習曲の激しさをさらに発展させて大規模の作品として堅く厳しい世界を構築したような曲。力作であることに感心はするが、とっつき難いきらいがあり、気軽に聴けない。

スケルツォ第2番 Op.31変ロ短調(1837)
4.0点
有名な曲である。前半部分のメロディーはショパン節全開であり、柔らかさとダイナミックな推進力をもった高揚感がなかなかよい。しかし、エキゾチックな中間部のほうが何度も聴きたくなる味がある。この箇所もダイナミックな場面転換が効果的。各場面は魅力的だが、ほぼ変奏なしの2回繰り返しが多いため、ショパンには珍しく単調さが気になる曲である。

スケルツォ第3番 Op.39嬰ハ短調(1839)
4.0点
冒頭の調性が曖昧な刺々しい激しさがかっこいい。その後のオクターブの嵐のような部分もひたすらかっこいい。中間部分は絹ののようなきめ細かい美しさや、ノクターンのような叙情性が素晴らしい。長い高速なコーダもいい。濃密な素晴らしい曲。

スケルツォ第4番 Op.54ホ長調(1842)
4.0点
バラード、スケルツォ群の中で際立って難解であり、奥の院のような位置付けの曲と考えている。最初の部分は明るくさばさばとしていて珍しくあまり感情を感じない。苦しみを乗り越えて達観の世界に達したしたようである。もしかしたら、他のショパンの曲のようなそのような感情と結びつける聞き方ではなく、純粋に音の運動を楽しむ音楽であり、印象派の先駆けと考えた方がよいのかもしれない。中間部分はしんみりして暗くなるが、やはりどこか客観的であり達観を感じる。この曲はスルメのように味わい深くて聞き込みむほどに好きになる曲の一つであるが、熱心なファン以外には勧めにくい。難解であり、私も最初の印象は「どこがよいのかさっぱり分からない」だった。

即興曲

即興曲第1番 Op.29変イ長調(1837)
3.0点
上品で分かりやすい曲ではある。しかし、味わいが薄めでソフトすぎる軽い曲であり、何度も繰り返し聞きたくなるような深みがない。

即興曲第2番 Op.36嬰ヘ長調(1839)
4.0点
ノクターンに近く、中間部分は舟歌のような雰囲気になる渋い曲。遠くで鳴っているような瞑想的で幻想的な世界が素敵である。靄の中のようでもある。静寂の中の音の動きは、最初はピンとこないかもしれないが、次第に魅力に気付くにつれて何度も繰り返し聴きたい曲になる。中間部分の力をセーブした盛り上げ方が絶妙である。

即興曲第3番 Op.51変ト長調(1842)
4.0点
1番のような上品さの中に、琥珀色のような渋さがある。控えめながらも寂しさや感傷的な気分を湛えた複雑な感情が、ほのかな前向きさとともに、精妙な音の重なりと和声で表されている。すばらしい。

幻想即興曲 Op.66嬰ハ短調(1834)
5.0点
いわずと知れた有名曲。他の即興曲と比較すると単純すぎる作りであり、飽きやすいところがある。しかし、特に高速な部分はぐっと耳を捉えて離さない強烈な魅力を放っている。分かりやすくかっこいい。ピアノの持つ情熱の表現力を見事に活かしている。

ノクターン

ノクターン1番変ロ短調
3.5点
ジョン・フィールドのノクターン影響が濃厚。音の密度は薄いが感情的な濃密さが全体を覆う力作で魅力的。ある意味で一番夜に想うという邦訳が合っている曲だと思う。夜の暗闇の重さと、孤独な想像を感じさせる。

ノクターン2番変ホ長調
3.8点
有名な曲。砂糖の塊のような究極的に甘美なメロディーが繰り返される。ピアノを習っている女の子が演奏するのには合っている可愛らしい曲である。大人の男が弾くには少し恥ずかしいかもしれない。同じメロディーを繰り返す単純すぎる構造であはるが、やはりメロディー自体は秀逸であり、いい曲ではある。

ノクターン3番ロ長調
3.5点
1番と同様にジョン・フィールドの影響が高い。半音階的な浮遊感と、夜らしい奔放に想像世界をさ迷う雰囲気がよい。曲集の最後の曲らしい締めくくり感がある。

ノクターン4番ヘ長調
3.5点
前半は雨だれの前奏曲を連想する、メロディーと伴奏が演出する、しっとりとした回想的な詩情が素晴らしい。中間部は突然の激情であり、対比に驚く。

ノクターン5番ヘ長調
3.8点
2番と同様に同じフレーズを繰り返す曲。夜の幻想の雰囲気を濃厚に感じさせる。盛り上がる中間部があり、曲想が2番よりも大人の音楽であるため、聞き応えがある。

ノクターン6番ヘ長調
3.3点
前半部分は孤独な独白をしているような寂寥感をひりひりと感じる。後半は即興で作ったような取りとめのない展開をみせて面白い。心の彷徨をそのまま音にしたようだ。

ノクターン7番ヘ長調
3.8点
何だか胸の中にわだかまった感情を押し殺したまま耐えるかのような前半と、それを開放するかのような中間部分。その感情は良いほうに転ぶので救われる。ノクターンではあるが、心のドラマは劇的であり、ぜんぜん平和な曲ではない。

ノクターン8番ヘ長調
3.8点
幻想的な夢の世界へといざない心の旅をするような曲。白い明るい光に溢れた非常に美しい世界を作り上げている。恍惚感が心地よくて何度も聴きたくなる。主要メロディーを繰り返しながらもかなり自由な変奏であることで、形式が邪魔しないのがよい。

ノクターン9番ヘ長調
2.8点
前半は発想が平凡で、あまりいいメロディーではない。中間部分もショパンにしては凡庸と思う。ショパンの手癖を組み合わせて書かれた曲のような印象。

ノクターン10番ヘ長調
3.5点
物語が終わり余韻に浸るエピローグのような雰囲気の曲。中間部分の盛り上げ方は、前半のメロディーの良さが作った雰囲気を非常に適切に活かしている。

ノクターン11番ヘ長調
3.0点
マズルカのように個人的な陰鬱な感情が切々と歌われる。メロディーは、すぐにネガティブ方向に傾く。根暗な曲。中間部分は和音の単純な積み重ねによるコラールで珍しい。

ノクターン12番ヘ長調
3.5点
最初の部分は晴れ晴れとした、何かから解放されたような感情を感じる。雰囲気が即興曲にかなり近い。中間部も即興曲に近い。遠くで鳴っている何かの音に耳をそばだてるような雰囲気で魅力的。

ノクターン13番ヘ長調
3.5点
前半は漆黒の夜のどす黒い闇からわき出す力が、静寂からわき出すのを感じる。中間部分のコラールを使いながらの盛り上がりはノクターン随一のスケールをみせる。

ノクターン14番ヘ長調
3.3点
人生に疲れを感じてきて、回想しながら今と将来について瞑想するかのような曲。感情的には新しいが、ある意味で初期のノクターンに似たものを感じる。少し長いと感じる。

ノクターン15番ヘ長調
4.0点
シンプルで憂いを含んだ、秀逸なメロディーの前半部分も、中間部の劇的な盛り上がり方もよく、作品としてのまとまりがよい曲。他の曲と比較して、感情の発露が生々しくなく、作品的と感じる。とはいえ、美しい夜想曲らしい幻想性と感情をよく感じられる。

ノクターン16番ヘ長調
2.5点
感情の流れを音にするという方式だけで書かれているような即興的た曲。メロディーの出来がいまいちなので、雰囲気は悪くないが、曲に浸りきれない。

ノクターン17番ヘ長調
3.8点
ノクターンの最後の2曲はそれまでのノクターンとは違う。枯れており、響きにショパンらしい湿いが無い生々しい音楽である。17番は身体的な衰えに悩み悶え苦しむような、痛ましい音楽。回想的であるとともに、生への渇望も感じて心を打つ。ただしノクターンらしい音響的な豊かさが失われてしまっている残念さは否めないのだが、これは題名の問題と思えばよいかもしれない。

ノクターン18番ヘ長調
4.0点
人生の最後の大きな仕事を終えて、ゆっくりと休息取りながら今後を考えつつ回想するような気分の曲。仕事をやりきった晴れやかさと、人生の終焉に大きく近付いた寂しさような感情を感じる。非常に印象的な忘れがたさがあり、時々ふとした時に頭のなかでリフレインする。

ノクターン19番ホ短調
2.8点
17歳の作品。既にショパンのノクターンの世界が完成形であることに驚く。伴奏の音形やメロディーが作る雰囲気や感情はなかなか良い。だが、そこからの発展の弱さには未熟さを感じる。


マズルカ

他のジャンルは聞き手を意識した外面的な完成度や印象の強さへの配慮が感じられるが、マズルカだけはそのような配慮が少なくて、ショパンの内なる音楽を生々しくそのまま書きとめたような作品が並んでいる。このため、聴き始めた最初はショパンにしては完成度の低いことからあまり楽しめないが、慣れてくると他にはない独特の魅力に虜になる。

4つのマズルカ Op.6

1.嬰ヘ短調
3.5点
第1作は曲として作品としてのまとまりとバランスのある正統派の楽曲。濃厚さと民族的なあくの強さは既に十分。

2.嬰ハ短調
3.0点
民族的な粘っこいメロディーが繰り返されるのが心地よい。

3.ホ長調
3.0点
明るく開放感があり、土着的な粘り気もあるダンス曲。

4.変ホ短調
2.5点
ふわふわとして捉えどころのない落ち着かない曲。


5つのマズルカ Op.7

1.変ロ長調
3.3点
マズルカの中では有名だが、特に他と比較して特段優れているとは思わない。耳を捉えやすいやや刺激的なメロディーが分かりやいこと、ワルツのように聴けることが理由かと思う。

2.イ短調
3.5点
ショパンの憂いを日記のように綴るマズルカの魅力のよく現れている曲の一つ。

3.ヘ短調
3.0点
民族的な粘っこさを楽しめる。中間部がよい。

4.変イ長調
2.0点
間奏としての価値しか無いショパンの出版作品の中では珍しい曲。

5.ハ長調
1.5点
これは小学生でも書けそうな断片的な曲。なぜ出版したのか謎。

4つのマズルカ Op.17

1.変ロ長調
3.0点
何かいいことがあって心の中の喜んびを抑えられないような、晴れやかな気分がいい。

2.ホ短調
4.0点
マズルカの中でも一番好きな曲のひとつ。この人生の悲哀を感じさせる珠玉の美しいメロディーは仕事に疲れた時などにふっと思い出すことがある。中間部分のための後に、もう一度主要メロディーが登場する雰囲気もすき。

3.変イ長調
3.0点
落ち着かない不安定さを長時間持続させる独特の味がある曲。

4.イ短調
4.0点
もっとも美しいメロディーを持つマズルカの一つ。生々しい真実味のある音楽が心を打つ。哀愁が基調だが美的な透明感があるのがよい。物語的なドラマティックさもある。


4つのマズルカ Op.24

1.ト短調
2.8点
憂いを含んむいい雰囲気だが、マズルカの中ではありきたり感があっていまいちな部類である。

2.ハ長調
3.0点
跳ねるようなリズムで落ち着かなさを演出している曲。

3.変イ長調
3.5点
晴れやかな系統の曲の一つだが、感動をそっと胸のうちにしまって通常通りに振る舞おうとしているかのような、おしとやかな感じがよい。

4.イ短調
3.0点
何かを終わらせたくなかったのに終わってしまったような、感情的に煮え切らない感が強い。何度も繰り返すメロディーがその気分を助長する。もどかしい。それを受けた晴れやかさもあるのだが、やはり煮え切らない。


4つのマズルカ Op.30

1.ハ短調
2.8点
割り切れないはっきりしない感情を表した曲。ふっきれないもどかしさをここでも感じる。

2.ロ短調
2.8点
主要部分はごく普通の曲。中間部分が不思議だ。右手のフレーズ繰り返しを採用してしまうのは異様。

3.変ニ長調
3.0点
晴れやかな気分の系統の曲の一つ。鐘のような効果が面白い。

4.嬰ハ短調
3.0点
民族的な響きの『あく』が強い曲。エキゾチックさを感じる。


4つのマズルカ Op.33

1.嬰ト短調
3.5点
普通のマズルカの一つなのだが、なんとなく好き。メロディーがありきたりなようでいて、絶妙なバランスを持っていると思う。

2.ニ長調
3.0点
ポーランド人が民族的な衣装でダンスをするのに使っていそうな印象の曲。

3.ハ長調
3.5点
間奏曲の趣。年季の入ったおもちゃのように愛らしくて好き。

4.ロ短調
3.5点
断片を曲の形にしたような大半のマズルカと違い、この曲は大曲の作品として構成を意識して、まとまめられた感がある。曲想の豊富な大作マズルカで聴き応えがある。


4つのマズルカ Op.41

1.嬰ハ短調
3.0点
落ち着かない系の曲。ワルツっぽいフレーズも出てくるが、やはりそこはマズルカなので別世界である。

2.ホ短調
4.0点
悲しさ無念さなど様々な感情が沸いてきてなんとも言えない状態になっている胸のうちを切々と歌い上げているような曲。なんという生々しい音楽だろう。ショパンが目の前でピアノに向かって気持ちをぶつけているかのようだ。

3.ロ長調
3.0点
民族的なダンス調の軽快な短い曲。

4.変イ長調
3.0点
晴れやかな曲。ワルツにかなり近いと思うが、感情が煮え切らない感じと、リズムの癖はやはりマズルカである。


3つのマズルカ Op.50

1.ト長調
3.0点
ワルツ的だが粘っこい系統の曲。晴れやかさがある。

2.変イ長調
3.0点
ワルツ的である。シンプルななかに終焉や成功や不安など、さまざまな感情がこめられており、ニュアンスが豊富な曲。

3.嬰ハ短調
3.0点
ふわふわしている。捉えどころをわざと外しているように感じる。

3つのマズルカ Op.56

1.ロ長調
3.5点
いきなり割り込んだような入り方で始まる。それがいつの間にかノクターン的な大いなる感情に広がっていく。独特の魅力を感じる不思議な曲。

2.ハ長調
2.5点
この曲はいまいち。中身が薄い。

3.ハ短調
2.8点
断片的と感じさせるメロディーを使って、煙に巻くような雰囲気を出しながら曲集を閉めるのはマズルカではよくあるが、この曲は特にその傾向が強い。それにしては長い曲で、よく分からない。


3つのマズルカ Op.59

1.イ短調
2.8点
ワルツに近い。わざと捉えどころを外しているかのような、ひねりの入った曲。

2.変イ長調
3.0点
ダンス系の中に晴れ晴れとした感情があり、前向きさが感じられるのにも関わらず、感情が爆発せずに煮え切らないのがもどかしい。

3.嬰へ短調
3.0点
民族的な濃さが前面に出ている舞曲らしい曲。


3つのマズルカ Op.63

1.ロ長調
3.3点
達成感を感じて晴れ晴れとした感情が感じられる曲の一つ。しかし、中間部分に複雑さがあって楽しめる。

2.へ短調
3.0点
何かが「終わり」を告げた感のある寂しい曲。半音階的な進行が入るところが虚しさを強調する。

3.嬰ハ短調
3.0点
ワルツにかなり近い曲。憂いの濃い内向的なところはマズルカらしいが。

前奏曲

24の前奏曲 Op.28
3.5点
ただし15番雨だれは単品で5.0点

【1.ハ長調 2.イ短調 3.ト長調 4.ホ短調 5.ニ長調 6.ロ短調 7.イ長調 8.嬰ヘ短調 9.ホ長調 10.嬰ハ短調 11.ロ長調 12.嬰ト短調 13.嬰ヘ長調 14.変ホ短調 15.変ニ長調 16.変ロ短調 17.変イ長調 18.ヘ短調 19.変ホ長調 20.ハ短調 21.変ロ長調 22.ト短調 23.ヘ長調 24.ニ短調】

数曲を除いて、独立した1曲とはいいにくい断片的な曲である。バラエティーと詩情に富んでおりピアノの詩人の面目躍如たる作品ではある。しかし、ショパンらしいメロディーの妙や和声の絶妙さ、曲構成の磨かれた完成度が無いので、個人的にはショパンの作品の中であまり重視していない。ただし、雨だれは香り立つ詩情が素晴らしい、代表的な小品と思う。

前奏曲 Op.45 嬰ハ短調
4.0点
ノクターンのような夜の静けさの中で瞑想的な心の旅が出来るような曲であり、非常に美しく素晴らしい。
練習曲
12の練習曲 Op.10
1.ハ長調
4.0点
演奏が難しいので有名。ハ長調のストレートさがあり、広大な世界のような雄大さを感じる、聴き栄えがする曲。

2.イ短調
3.0点
演奏が技術的に難しいので有名。完全に技術的な練習のための曲という印象であり、観賞曲としてはたいした曲ではない。

3.ホ長調「別れの曲」
6.0点
メロディーの格別な美しさ、それを引き立てる伴奏と音響の素晴らしさ、メロディーの展開、中間部への場面展開と盛り上げ方、中間部の激情と鎮静から主題に回帰するまでの繋げ方など、全てがあまりにも完璧で奇跡的な作品。全てのピアノ小品の中でも圧倒的にずば抜けた出来のよさであり、ピアノ音楽の最高傑作の一つであることに異論のある人はいないだろう。

4.嬰ハ短調
4.3点
一気呵成に突き進む感じがかっこいい曲。

5.変ト長調「黒鍵」
4.0点
黒鍵だけを使って書いた曲であるが、フレーズにバラエティに富んでいる。愛らしくていい曲だと思う。

6.変ホ短調
3.5点
かなり簡単そうであり、練習曲っぽくない。演奏者の歌心を発揮しがいがある美しいメロディーは聴きばえがする。

7.ハ長調
3.0点
練習曲らしい曲なので鑑賞曲としてはいまいちである。

8.へ長調
3.5点
クルクルと回転するようなフレーズが聴いていて心地よい。

9.ヘ短調
2.5点
作品10の中では特に地味な曲。

10.変イ長調
3.0点
この曲も練習曲らしい曲である。

11.変ホ長調
3.0点
大きく音が離れた分散和音の嵐で構成されている曲。聴くだけだと愛らしさを感じさせるドリーミーなメロディと雰囲気になっており、楽譜を見て驚く。

12.ハ短調
6.0点
強烈にかっこいいメロディー。精神を駆り立てる圧倒的にかっこよくて痺れる伴奏。絶妙な転調を繰り返しながら、勢いを落とさずに表情を揺らして、激しい感情を出し切る構成力はすさまじい。別れの曲とともにピアノ小品の最高峰だと思う。

12の練習曲 Op.25

1.変イ長調「エオリアンハープ」
4.0点
明るい昼間に海の近くで爽やかに海風がそよいでいるかのようだ。美しくて心地よく、そして淡い切なさがある曲。

2.ヘ短調
3.5点
練習曲らしい音数だが、メロディー的な心に訴えるものを感じる曲。

3.ヘ長調
2.5点
これは聴いていてあまり楽しい曲ではない。

4.イ短調
3.0点
エキゾチックな雰囲気を楽しめる。

5.ホ短調
3.5点
前半はまあまあだが、中間部が美しさがかなりのもの。

6.嬰ト短調
3.0点
技巧的に難しいので有名。作品10-2と同様に観賞用としてはいまいちで、難しそうであること自体を楽しむ曲。

7.嬰ハ短調
3.5点
チェロが独奏しているかのような、低音の渋いメロディーが印象的。作品10-6の姉妹編。

8.変ニ長調
2.5点
練習曲らしい曲で印象は薄い。

9.変ト長調「蝶々」
3.5点
副題付きではあり、軽快さが印象的だが、他の副題付き練習曲のような素晴らしさのある曲ではないと思う。

10.ロ短調
2.5点
両手のオクターブを鋭角的な響きでゴリゴリと弾いていく曲。カオス過ぎてついていけない・・・

11.イ短調「木枯らし」
5.0点
半音階的な音の嵐が奔流のように駆けめぐり、激しい音響を作り出している。「革命」ほどの奇跡は感じないにしても、非常に完成度が高い素晴らしい曲。

12.ハ短調「大洋」
5.0点
両手の分散和音が生み出す音のうねりが、かっこよすぎ!特に中間部の不協和音の使い方が演出するゾクゾク感は凄い。メロディーが少ないため革命にはかなわないが、迫るほどのかっこよさがある傑作である。


3つの新しい練習曲

1.ヘ短調
3.0点
ノクターンの一部のような曲。エチュードにしては静か。

2.変イ長調
3.3点
前奏曲の一部のような曲。じわじわとした叙情はなかなかよい。

3.変ニ長調
3.0点
晴れやかな感情のメロディーと内声の絡みが楽しい曲。

ポロネーズ

2つのポロネーズ Op.26

1.嬰ハ短調
3.5点
ポロネーズの中でメジャーな方ではないが充実した大作である。端正と情熱、憂鬱と切なさ、現実と空想など、相反するものを多く取り入れている。ただ、バラードやスケルツォの驚異的な完成度にくらべると、楽想を並べているだけの感があり、緊密な構成や洗練度合いで劣る。

2.変ホ短調
3.0点
5番を思わせる冒頭で始まり、暑苦しいほどに情熱的なメロディーになる。冒頭もその後のどのメロディーも悪くはないのだが、どうしてもいまいち冴えない印象である。

2つのポロネーズ Op.40

1.イ長調「軍隊」
5.0点
単純明快な描写的ともいえる軍隊的な行進曲である。それにも関わらず、ものすごくいい曲である。ショパンの音響構築の素晴らしさが光る。まったく同じメロディーでも他の人が書いたらこうはならない。いくつかのメロディーが登場するが、組み合わせも個々の魅力も完璧である。

2.ハ短調(1838〜39)
3.5点
低音の兵隊の足音の地響きのようにごうごうと響き渡るメロディーが強烈な印象を残す。このメロディーが曲の大半の印象を占めるが、その間に挟まれた部分も繊細でなかなか出来はよい。

ポロネーズ Op.44 嬰ヘ短調
4.0点

ポロネーズ裏の名曲としてファンには有名な曲。勇壮で大変に男くさい曲である。血のように濃い愛国心の固まりのような音楽が展開される。中間部にマズルカが入る構成が凄いが、これがまたふわふわとして精妙で絶妙なものである。

ポロネーズ Op.53 変イ長調「英雄」
5.0点
スケールが大きくて、これでもかというほど、とにかく格好よさを追求した曲。豪壮な感じを出すために激しい和音の重ねて、基本的に自然な演奏が出来るように書かれているショパンにおいて例外的に、あえて意図的に無理を強いる書き方になっている。中間部の無茶な左手の伴奏は特にそうだ。テンションが高過ぎるし無理やりさがあるという点で、聴いていて疲れる曲。

幻想ポロネーズ Op.61 変イ長調
5.0点
大変独創的な曲。人生の回想が幻影として浮かんでは消えるかのような曲想。元から憂鬱さがついて回るショパンの音楽であるが、この曲は肉体性と気力の衰えが病的領域に入るとともに、幻覚のような非現実性が現れている。作曲時のショパンの精神と肉体のダメージが生々しく感じられて痛々しい。ショパン晩年の傑作であり代表作のひとつではあるが、少し変な曲である。ある程度熱心に聴く気のある人以外には薦めにくい。

ワルツ

生前に発表したワルツは外れなし!名曲揃いで素晴らしい。

華麗なる大ワルツ Op.18 変ホ長調(1831)
4.0点

華やかなサロン風フレーズ満載。多くの人に愛される素敵な名曲であるが、後年の充実したワルツと比較してしまうと、実は内容が浅い。弾いてみると想定と違う物足りなさと音の薄さにがっかりした。とはいえ、多くのパートで構成されたすべての部分が魅力的な名曲であることは確かである。

3つの華麗なるワルツ Op.34 

1.変イ長調(1835年) 
4.0点
ピアニスティックで豪華絢爛な曲。ピアノが鍵盤上を駆け巡るのが楽しい。親しみやすさでは1番に一歩劣るが、音の充実感において、1番よりかなり進歩している。

2.イ短調(1831) 
4.0点
これはワルツなのか?と思うような穏やかで暗い曲だが、これはこれで詩的な真実味のある歌心にあふれた名曲である。マズルカの土着的な感じがないのがよい。ショパン本人が気に入っていたそうだが、根暗な人だったのだろうなと思った。

3.ヘ長調(1838)
3.5点
なかなかいい曲ではあるが、名作揃いのワルツの中では少し単調であるとともに、フレーズにキレがないため、地味な作品に属する。

ワルツ Op.42(1840) 変イ長調
4.5点

ワルツ2番路線のピアニスティックで豪華絢爛な作品である。2番も十分に良い曲であるが5番はさらに進歩して充実しており、華麗さと成熟感を併せ持った完成度がすごい。中間部のメロディーは特に絶妙であり、外面的な華やかさと複雑さを伴った内容とバランス感覚を併せ持つ天才的なものだと思う。

3つのワルツ Op.64 

1.変ニ長調「子犬のワルツ」
4.5点
有名な曲。軽快で楽しくスマートな冒頭部分は素晴らしい。また、中間部分は優雅さと華やかさと詩情を併せ持つよく出来たメロディーで素晴らしい。

2.嬰ハ短調
4.5点
ショパンの愛称なしの曲の中では有名な曲の一つ。一つ一つの部分が複雑で表情豊かで技巧的であり、演奏が容易であるにも関わらずたいへん充実している。憂鬱、前向きさ、達観、希望、そのような複雑な感情が混ざり合っている。音楽的な純粋な美しさもレベルが高い。

3.変イ長調
3.0点
晴れやかな清々しい気分で始まり、生前に出版されたワルツの締めくくりに相応しい。しかし、展開や転調などが単純で絶妙さがなく、他の作品64の2作品のずば抜けた完成度と比較すると見劣りする。


ロンド

ロンドは初期に書かれており、いずれも7分から10分の大きな作品である。

ロンド ハ短調op1(1825)
2.5点
公表を予定した最初の作品。主題がマズルカ的な憂いを含んでいてそれなりに魅力的であるが、それ以外の部分や展開はまだ成長の途上の感が強く、完成度はそれほど高くない。ただし15歳にしては驚異的な出来ではある。

マズルカ風ロンドop5(1826)
3.0点
まさにマズルカ風の曲。作品1から進歩している。初期にしては力作であり面白い曲でもある。冗長な箇所もあるが所々素晴らしい発想力を見せている。

ロンド Op.16 変ホ長調(1832)
2.3点
長い序奏付き。ピアノ書法は他の10代に書かれたロンドより成長している。しかし主題に魅力が無い。技巧が華やかなだけで内容が無い曲。

ロンド Op.73 ハ長調 独奏用、2台ピアノ用(1828)
2.5点
軽快なサロン風の主題は耳に残る。多彩な発想を盛り込んでいる力作だが、どこか磨かれ方が足りない感じがする。

その他のピアノ曲

華麗なる変奏曲 Op.12 変ロ長調(1833)
2.5点

作品番号付き独奏用として唯一の変奏曲。サロン風の技巧的な華やかな変奏曲。内容はあまり無い。

ボレロ Op.19 イ短調(1833)
3.0点
エキゾチックなボレロのテーマは魅力的。常に異国情緒があるわけでなく、ショパンらしい洗練された音楽を挟んでいるため、主題がより強調される。


アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22 変ホ長調
2.5点
長いしあまりいい曲だとは思わない。

タランテラ Op.43 変イ長調(1841)
3.3点
楽しい織物のようなパッセージの主題で楽しい小品。

演奏用アレグロ Op.46 イ長調(1832〜41)
2.5点
一人協奏曲の曲。長い曲で華はあるが、特に管弦楽の編曲のような部分はショパンらしからぬ音楽が延々と続く感じであまり面白くない。

幻想曲 Op.49 ヘ短調(1840〜41)
3.5点
堂々としてがっちりした大規模な曲。しかし、ショパンらしいしなやかさが少なくて、きっちりとした手堅さが目立つ。また、各部分に有機的関連がなく、細かいニュアンスの妙による複雑さは少ない。このため、個人的にはあまり面白い曲と感じない。

子守歌 Op.57 変ニ長調(1843〜44)
4.5点
小さな子供が寝ていて、その夢の中で妖精が登場して飛んだり跳ねたりして踊っているかのようだ。ずっと同じパターンの左手の伴奏の上で、右手が即興的に幻想的に動き回っていく、とてもかわいらしい変奏曲。ショパンのピアノ的な発想力の驚異的な豊かさと音感の良さが発揮されている。かなりの名曲だと思う。

舟歌 Op.60 嬰ヘ長調(1845〜46)
6.0点

多くの点でショパンおよびピアノ曲史上のもっとも完璧な作品のひとつ。1拍ごとにニュアンスを変えていくほどの究極的な精緻さと繊細な詩情豊かさが凄い。和声の付け方や挿入するフレーズは様々な細かい変化がつけられており、それが濃密な感情の揺れを表現している。メロディーと一体化して展開されていく有機的な動機が生み出す精神的な内面的な物語の見事さは奇跡的といえる。主題は憂いを含み、艶めかしく美しいだけでなく、人生経験の重みと渋みを持っている。

伴奏の作り方がメロディーの魅力を最大限に引き出すとともに、メロディーと一体化して伴奏自体も音楽として魅力的になっている。細部の1拍ずつが素晴らしい上に、全体構成のバランスやドラマの作り方も完璧に計算し尽くされて造形されている。冒頭の前奏からして、あまりにも天才的でそのあとの主部を導くのにちょっとこれ以上は考えられないほどの完璧さである。とにかく調べれば調べるほど新しい発見がありその素晴らしさに驚嘆を新たにする曲である。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ショパン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html#c1

[番外地7] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由 中川隆
1. 中川隆[-14036] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:28:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-708]
そもそも ディープステートなんか存在しないし、グローバリズムは新しい概念じゃないし、トランプは反グローバリストじゃないし、中国はマルクス主義ではない。
トランプも習近平もイギリス支配層も典型的な帝国主義者・植民地主義者です。習近平の中国に一番近いのはイギリスですね:

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン

人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。 
 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。

 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。
 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

_____


イギリスに移住したマルクスが共産主義者になったのはイギリスの階級社会を見て憤ったからですね。ユダヤ思想と共産主義は何の関係も有りません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/469.html#c1

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
3. 中川隆[-14035] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:35:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-707]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c3

[番外地7] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由 中川隆
2. 中川隆[-14034] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:38:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-706]
そもそも ディープステートなんか存在しないし、グローバリズムは新しい概念じゃないし、トランプは反グローバリストじゃないし、中国はマルクス主義ではない。
トランプも習近平もイギリス支配層も典型的な帝国主義者・植民地主義者です。習近平の中国に一番近いのはイギリスですね:

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン

人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという 
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。 
 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。

 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。
 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

_____


イギリスに移住したマルクスが共産主義者になったのはイギリスの階級社会を見て憤ったからですね。ユダヤ思想と共産主義は何の関係も有りません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/469.html#c2

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
4. 2020年2月06日 00:54:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-705]
資本主義が国際化しているから、それと戦う為には世界中の労働者が一致団結しろという事で、グローバリズムとは関係ないですね
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c4
[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
5. 2020年2月06日 01:07:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-704]
資本主義が国際化しているから、それと戦う為には世界中の労働者が一致団結しろという事で、グローバリズムとは関係ないですね


>レーニンもトロツキーもグローバリストでしたよ

グローバリストじゃないですね。
反共活動に対抗する為に共産圏が連帯しないといけないというだけでしょう。
キューバみたいに経済封鎖されたらやっていけないですからね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c5

[番外地7] トランプはネオコンの一員 中川隆
2. 中川隆[-14033] koaQ7Jey 2020年2月06日 01:15:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-703]
単にアメリカに製造業を戻せと言ってるだけでしょ。
中国が強くなり過ぎたので NO.2 を潰しにかかってるだけでしょう。
戦前のドイツも戦後のソ連と日本もNo.2になった段階でアメリカに潰されていますからね。
ソレイマーニー暗殺はトランプがネオコンだというのを示しています:

ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html#c2

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
6. 中川隆[-14032] koaQ7Jey 2020年2月06日 01:43:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-702]
>レーニンもトロツキーもグローバリストでしたよ

グローバリストじゃないですね。
反共連合の経済弾圧・軍事弾圧に対抗する為には共産国家が連帯しないといけないというだけでしょう。
キューバや北朝鮮みたいに経済封鎖されたら一国ではやっていけないですからね。

ソ連のバルト海三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、中南米みたいな一応 自治や民主選挙を認めた支配ではなく、完全な植民地化・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の場合はグローバリズム支配ではなく完全植民地化になるのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c6

[近代史3] イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない _ イギリス人は何故そんなにケチなのか? 中川隆
37. 中川隆[-14031] koaQ7Jey 2020年2月06日 01:58:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-701]
イギリスの庶民に金が無い理由

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。


監視国家の現実 2020年02月04日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html


  私が中学生になるころ、娯楽といえばテレビだったのだが、群を抜いて面白い番組があった。
 「プリズナー6」という。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%BCNo.6

 このドラマの面白さは、最後まで主人公を監視し、拘束する組織の正体が分からないことだった。いったい誰が? 何の目的で、一人の諜報員を拘束し、暴力的に監視し続けるのか?
 ストーリーは、極めて哲学的な示唆に富んだもので視聴者を惹きつけた。

 この番組は、イギリスで制作されたものだったが、そのイギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 2月2日、ロンドンで仮釈放中の、イスラム国思想の影響を受けたテロ活動家が単独で3名を刺傷し、直後に、監視中だった警官に射殺された。
 https://www.bbc.com/japanese/51352236

 容疑者は、世界一といわれる密度の監視カメラで追跡され、テロ行動と同時に近くにいた警官が駆けつけて射殺したのだが、その対応の早さに驚かされた。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン
人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032300130/

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?

 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。

 それは、最初に民族的対立のなかで起きていた。
 
アイルランド共和軍
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E8%BB%8D

 イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/96503

 私の世代は、イギリスがIRAによって、激しいテロの標的にされ続け、ちょうど、中東の無差別自爆テロのモデルになっていたような時代が長く続いたことを知っている。

 だから、ロンドンでテロが繰り返されても、イギリス国民は、日常的風景として大きな驚きを持たないのである。

 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 
http://www2.ashitech.ac.jp/civil/yanase/essay/no07.pdf

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。
 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html  
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/447.html#c37

[番外地7] トランプはネオコンの一員 中川隆
3. 中川隆[-14030] koaQ7Jey 2020年2月06日 09:22:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-700]
そもそも ディープステートなんか存在しないし、グローバリズムは新しい概念じゃないし、トランプは反グローバリストじゃないし、中国はマルクス主義ではない。
トランプも習近平もイギリス支配層も典型的な帝国主義者・植民地主義者です。
トランプが言うグローバリストというのはアメリカの親中派の事で、トランプの反グローバリズムというのは単に反中というだけの事です。中国が強くなり過ぎたのでアメリカが NO.2 を潰しにかかってるだけでしょう。

戦前のドイツも戦後のソ連と日本もNo.2になった段階でアメリカに潰されていますからね。


習近平の中国に一番近いのはイギリスですね:

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン

人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという 
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。 
 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。

 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。
 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

_____


イギリスに移住したマルクスが共産主義者になったのはイギリスの階級社会を見て憤ったからですね。ユダヤ思想と共産主義は何の関係も有りません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html#c3

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
7. 2020年2月06日 09:34:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-699]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の様な反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するのは世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。


キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。

ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、中南米みたいな一応 自治や民主選挙を認めた支配ではなく、戒厳令による支配・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく完全な民族弾圧・民族撲滅になるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c7

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
8. 中川隆[-14029] koaQ7Jey 2020年2月06日 09:40:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-698]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するには世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。

キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。


ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、確かに多民族国家にはなりましたが、中南米みたいな自治や民主選挙を認めた傀儡国家化ではなく、戒厳令を敷いた弾圧・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく民族文化の否定・ミンゾクジョウカになるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c8

[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
42. 中川隆[-14028] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:10:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-697]
スイングトレードのやり方
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c42
[番外地7] スイングトレードのやり方 中川隆
1. 中川隆[-14027] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:15:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-696]
日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(6日)

2020-01-30 22,977.75 -401.65 35.01

2020-01-31 23,205.18 +227.43 52.77

2020-02-05 23,319.56 +234.97 112.25
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/471.html#c1

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
1. 中川隆[-14026] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:24:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-695]

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(6日)

2020-01-30 22,977.75 -401.65 35.01

2020-01-31 23,205.18 +227.43 52.77

2020-02-05 23,319.56 +234.97 112.25


ソニーや東京エレクトロンみたいな日経平均連動の優良大型株を買っておけば失敗は無いです。


8035東京エレクトロン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=8035

6758ソニー
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6758

6501日立製作所
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6501

7951ヤマハ
https://kabutan.jp/stock/?code=7951


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c1

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
2. 中川隆[-14025] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:30:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-694]

JT やキャノンの様な日経平均に連動しない高配当銘柄は絶対に NG です


2914JT
https://kabutan.jp/stock/chart?code=2914

7751キヤノン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7751

7201日産自動車
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7201
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c2

[番外地7] 琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけない 中川隆
1. 中川隆[-14024] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:20:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-693]
琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけないですね。
民族自決権がありますからね。
チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに日本人化させるのが間違っているのです。このままいくと人類の宝の琉球語やアイヌ語が死語になってしまいます。 アイヌ語は縄文人の言葉だというのが定説で、世界最古で最美の言葉だといわれています。

そもそも琉球人やアイヌ人がどんな思想を持とうが自由です。
今迄いくら差別や迫害を訴えても日本政府から相手にされなかったから北chousen や同和の力を借りただけでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/470.html#c1

[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
5. 中川隆[-14023] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:27:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-692]

クラシック音楽 一口感想メモ
アントニン・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák 、1841 - 1904)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF


チェコの大作曲家。

屈指のメロディーメーカーとして親しみやすく楽しい作品を書いた。

派手で活力があるオーケストラ曲も、渋くて哀愁ただよう室内楽も良い。各ジャンルで素晴らしい作品を残した。

交響曲

•交響曲第1番 ハ短調 作品3、B.9 「ズロニツェの鐘」◦3.3点


ドヴォルザークの若く熱き血潮をたぎらせた初期の名作で、2番3番よりも好きである。おおらかな曲であり、曲や音の密度では未熟さを感じるにも関わらず、才能が十分に現れており、力強い熱血のメロディーが多く現れてきて楽しめる。

•交響曲第2番 変ロ長調 作品4、B.12◦2.3点


冗長で鈍い音楽の足取りと、場面描写の拙さはまだまだ一流作曲家とは言えないレベル。まだ個性もあまり発露しておらず、正直言って魅力に乏しいので、この長い曲を聴き通すのは大変。大作曲家の様々な影響の跡をみる楽しみはある。ワグネリアンだからか、どこかブルックナーぽいのは面白い。

•交響曲第3番 変ホ長調 作品10、B.34 1873年◦2.5点


音楽の密度が薄く、同じフレーズを繰り返しながら大らかに音楽が動いていく。各部分の魅力はそれなりにあるが、未熟さとあいまって、聴き通すのがやや辛い。

•交響曲第4番 ニ短調 作品13、B.41 1874年◦3.0点


1楽章はスカスカで面白くない。2楽章はたっぷりと叙情的に歌う曲で十分に楽しめる。3楽章もまあまあだが、後年の作品の未熟版という感じがする。

4楽章は叙情的なしなやかさをもった大いなる感情をもちながら、おおらかに盛り上げるのが悪くないが、大した曲ではない。

•交響曲第5番 ヘ長調 作品76、B.54 1875年◦3.3点


4楽章がワーグナーのような伸びやかな叙情を交えてスケール大きく盛り上がる、後年の傑作に近い素晴らしい出来。1楽章が密度が薄くて、広大な音楽がやりたかったのだろうが、どうにも煮え切らなくもの足らない。だが、楽章が後になる程に密度が濃くなり良くなっていく。3楽章まではスカスカな印象があり未完の大器レベル。

•交響曲第6番 ニ長調 作品60、B.112 1880年◦3.5点


両端楽章はインパクトが足らずもの足らない。しかし、2楽章はしみじみするし、美しい場面が多くある。3楽章のフリアントは単品でも使えそうな名曲。

•交響曲第7番 ニ短調 作品70、B.141 1884-85年◦4.0点


スラブ的な格好良さと内面の充実と交響曲のスケールを併せ持たせている。1楽章は同じ動機を使いながら渋くて格好良いもの。2楽章は、雄弁な闇に沈んでいく大地のような曲。3楽章はスラブ的なフレーズを取り入れてカッコいい。4楽章が他と比較するとやや弱い。

•交響曲第8番 ト長調 作品88、B.163◦5.0点


どの楽章もキャッチーなフレーズが含まれている。新世界よりと並んで極めて聞きやすく、そして素晴らしい。チェコ的な雰囲気が入っていて、ドヴォルザークの創作の中でも代表的な作品になっている。

•交響曲第9番 ホ短調 作品95、B.178「新世界より」◦5.5点


非常に有名な交響曲であり、メロディーの良さ、内容のわかりやすさ、かっこよさ、充実感など、深さはさておき分かりやすくていい曲という点ではロマン派の交響曲の中で最も完璧に近い内容である。


管弦楽曲

序曲

•序曲「わが家」 (Domov m?j) 作品62a、B.125a◦3.0点


凄みは感じないが、それなりに聴き映えする曲。

•劇的序曲「フス教徒」 (Hustisk? dramatick? ouvertura) 作品67、B.132◦3.5点


めまぐるしく展開する。情景を音で描いているかのようにはっきりと場面が目に浮かぶようである。舞台音楽みたいである。各場面が優れており聴き映えする。

•序曲「自然の中で」 (V p??rod?) 作品91、B.168◦3.5点


交響曲の中の一つの楽章のような本格的な音楽で、活力あるオーケストラの使用と描写力を遺憾なく発揮している。分かりやすい。

•序曲「謝肉祭」 (Karneval) 作品92、B.169◦3.0点


コンサートのオープニングかアンコールに向いているような、賑やかな曲。ドヴォルザークの良さはあまり活かされていないと思う。

•序曲「オセロ」 (Othello) 作品93、B.170◦3.5点


美しい自然のような場面など、説得力のある管弦楽の使い方とメロディーに身を任せて楽しめる。聴き応えあり。ワーグナー的な良さもある。

交響詩

•「水の精」 作品107、B.195◦2.5点


水の精の描写や個々の場面の雰囲気は悪くないのだが、曲が長すぎるし変化が少ないので平板な感じがする。

•「真昼の魔女」 作品108、B.196◦2.5点


ある程度の緊密さと劇的な起伏がある所は他の交響詩より楽しめるが、メロディーや内容は交響曲などの主要な管弦楽曲と比べると物足りない。

•「金の紡ぎ車」 作品109、B.197◦2.5点


感想は「水の精」とほぼ同じ。この曲も個々の場面の雰囲気は悪くないのだが、曲が長すぎるし変化が少ないので平板な感じがする。バックミュージックで流してまったり楽しむ程度の曲。ワグネリアンらしさを少し感じる。

•「野ばと」 作品110、B.198◦2.0点


他の交響詩と同様に間延びした内容で起伏に乏しく、面白くない曲。まったりした気分で心地よさに浸ることは出来なくはないが、そういう趣旨で作者が書いた曲では無いだろう。

•「英雄の歌」 作品111、B.199 1897年◦1.5点


約20分の長さだが、ちっとも「これはいい」という場面が出てこない。

セレナード

•セレナード ホ長調 作品22、B.52◦3.8点


「弦楽セレナード」メロディーの良さとか、雰囲気作りの上手さが際立っていて、単なる娯楽曲と考えてはもったいない素晴らしい出来の曲になっている。次から次へと曲の良さに感心できる場面が続いていくから、全く飽きない。セレナーデだから高級な音楽というわけにはいかないが、精巧さもあり、芸術作品として成り立っていると思う。

•セレナード ニ短調 作品44、B.77◦3.0点


「管楽セレナード」の愛称で呼ばれている。ドヴォルザークは基本的に弦の人だと思うが、この管楽器の合奏でも柔らかくてまったりとして温かみのある音楽を作れている。管だけでなく低弦が入っているので音響的に聴きやすいのが良い。3楽章が印象的。


スラヴ舞曲

•スラヴ舞曲 第1集 作品46、B.83 (4手ピアノ版はB.78)
【1. ハ長調 / 2. ホ短調 / 3. 変イ長調 / 4. ヘ長調 / 5. イ長調 / 6. ニ長調 / 7. ハ短調 / 8. ト短調】
•スラヴ舞曲 第2集 作品72、B.147 (4手ピアノ版はB.145)
【1. ロ長調 / 2. ホ短調 / 3. ヘ長調 / 4. 変ニ長調 /5. 変ロ短調 / 6. 変ロ長調 / 7. ハ長調 / 8. 変イ長調】
◦2.3点


ごくシンプルな舞曲集。鑑賞用の音楽としては面白くない。大作曲家らしさを感じない。一般向けの楽譜を売るためのスラブ風味の音楽という印象しかない。ただし有名な第2集の2曲目はやはり良い曲。


その他の管弦楽曲

•交響的変奏曲 作品78、B.70◦2.5点


ドヴォルザークらしい躍動感あふれるオーケストラの扱いを楽しめる。しかし、いかんせん主題の魅力に乏しいので辛い。

•3つのスラヴ狂詩曲 作品45、B.86
【1. ニ長調 / 2. ト短調 / 3. 変イ長調】

•チェコ組曲 ニ長調 作品39、B.93◦3.3点


スラブらしい曲調だが、それほどスラブ色が濃厚な訳ではない。3曲目は濃いが。4曲目の管楽器のメロディーが素敵。大らかな雰囲気の組曲。アメリカ組曲と雰囲気は似ている。メロディーや雰囲気は楽しめるが、書法はシンプルであり本格派のドボルザークは聴けない。

•伝説曲 (Legendy) 作品59、B.122

全10曲【1. ニ短調 / 2. ト長調 / 3. ト短調 / 4. ハ長調 / 5. 変イ長調 / 6. 嬰ハ短調 / 7. イ長調 / 8. ヘ長調 / 9. ニ長調 / 10. 変ロ短調】

•スケルツォ・カプリチオーソ 作品66、B.131◦3.0点


賑やかな聞きやすい長さの管弦楽曲。緩急をつけたメロディーが何種類も出てくる曲であり、ラテン的な開放感もあるので楽しい事は楽しいのだが、深さや渋さが無いので聞いた後に残るものがない。

•アメリカ組曲 イ長調 作品98B、B.190◦3.0点


アメリカらしい大らかな雰囲気とメロディーに溢れている。当初ピアノ曲として書かれたためか、多声的でなくかなりシンプルな書法である。どの曲もメロディーは楽しめて気楽に聴ける小品の組曲だが、本格派のドボルザークは聴けない。

•2つのワルツ B.105 作品54 1880 弦楽 B.101-1,4の編曲◦3.5点


弦楽用のワルツ。弦楽を美しくバランス良く柔らかく扱うドヴォルザーク一流の美技と、愛らしいメロディーのワルツの楽しさが光る。

協奏曲

•ピアノ協奏曲 ト短調 作品33、B.63 1876年◦2.5点


ピアノは室内楽のピアノパートを華やかにした感じ。音楽的にドヴォルザークらしさはあり、円熟期に入っての作品で内容はそれほど悪くないが地味さは拭えない。彼のファンなら耳にして損は無い程度。

•ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53、B.108◦3.0点


1楽章は粘っこい雰囲気は悪くないがあまり内容がない。2楽章は叙情的やオーケストラの伴奏に載せた独白の雰囲気がなかなかよい。3楽章はもう少し生き生きとやってほしい。

•チェロ協奏曲 ロ短調 作品104、B.191 1894-95年◦5点


独奏楽曲が活躍するにも関わらず、管弦楽と完全に一体化して有機的に連携し、自然に楽想が繋がっているので、まとまった交響的作品になっている。その手腕は脱帽もの。そのうえで、哀愁の雰囲気や美しいメロディーの数々、5音階の懐かしさ、詩的な情景の美しさなどドヴォルザークの美点が見事に発揮されていて、音楽に浸りきる事が出来る。素晴らしい傑作。

•森の静けさ (Klid) 作品68-5、B.182(原曲はピアノ連弾)◦4.0点


チェロ独奏が非常に美しくて素敵。朝日と共に動物達が起きてくるような、静かな大自然の森の中を逍遥するような感覚を実際に味あわせてくれる。

•チェロと管弦楽のためのロンド ト短調 作品94 B.181 1893 vc,Orch B.171の編曲◦3.0点


ピアノ伴奏よりは同じ曲でも華やかなので楽しめる。チェロ協奏曲の一つの楽章のようだ。

室内楽曲

六重奏曲

•弦楽六重奏曲 イ長調 作品48、B.80 1878年 ヴァイオリン2・ヴィオラ2・チェロ2◦3.3点


弦楽六重奏曲は、声部が豊かで中低音が充実する代わりに、響きがもっさりして曖昧になるという欠点がある。この曲がデメリット以上のメリットを享受することに成功しているかは微妙である。スラブ的な雰囲気は濃くはないが活かされており、特別優れた楽章はないが全体的に弦楽四重奏曲の達人らしい充実した響きを楽しめる。


五重奏曲

•ピアノ五重奏曲第1番 イ長調 B.28 1872年◦3.5点


あまり期待せずに聴いたのだが、密度の濃さや躍動感のある雰囲気がかなり楽しめる曲で驚いた。室内楽の作者としては初めから巨匠だったようだ。確かに磨き上げられた洗練は足りないかもしれないが、アンサンブルを作るセンスやメロディーの才能はとても素晴らしい。ベートーヴェンの影響を感じる本格性と骨太さがある曲だと思う。全体に鋭角的で真剣な音楽になっている。艶やかな感じは時々現れるが、それでも落ち着けない。初期ではあるが、音楽的にはそれなりに成熟している。しかし、薄い密度の場面を使いこなせておらず、構成もぎこちなくて、まだ達人の域に達し切れていないとは感じる。まだこれから花開く作曲家だと感じさせる。力の入った力作ではある。

•ピアノ五重奏曲第2番 イ長調 作品81、B.155 1887年◦3.5点


メロディーの宝庫。分かりやすいメロディーやフレーズが次々と出てくる。しかし、それ以上の素晴らしさや底の深さは感じない。

•弦楽五重奏曲第1番 イ短調 作品1、B.7 作曲1861年 ヴァイオリン2・ヴィオラ2・チェロ1


•弦楽五重奏曲第2番 ト長調 作品77、B.49 1875年 ヴァイオリン2・ヴィオラ1・チェロ1・コントラバス1◦3.0点


コントラバスが入っていることで、重低音が強化されて音が分厚い。しかし、それが機動力を奪っているかのように、軽いフットワークの弦楽四重奏の良さが失われたデメリットが大きいように感じる。全体に、あまり面白い曲だとは感じない。メロディーがイマイチであり、フレーズを繋いで作ったような曲である。ドヴォルザークらしい良さがあまりない。重厚さをなんとなく楽しむだけになってしまっている。

•弦楽五重奏曲第3番 変ホ長調 作品97、B.180 1893年◦3点


アメリカの雰囲気を取り入れつつも、ボヘミア的な雰囲気もあり、もの悲しさが全体を覆っている。四重奏でさえ中音域が厚いので五重奏だと中音域が充実しすぎでぼやけた印象がある位。どの楽章も平均的によく、特に優れている楽章がない。


四重奏曲

•ピアノ四重奏曲第1番 ニ長調 作品23、B.53 1875年◦3.3点


すべての楽章において、どうにも捉えどころのなさがある曲。茫洋とした印象は、広大なスケール感があるがアクセントとなるものが少ないため、なんとなく曲が続いているように聴こえるからだろうか。音はたくさん敷き詰められているし、活発に動くのだが、道標のようなものがないと、曲を捉えられないことがよく分かる。個別の部分は決して悪くはないが、精神的な表現の主張はない。

•ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 作品87、B.162 1889◦3.5点


広々とした音のキャンバスを使って練達した作曲技術で楽しませてくれる。緊張感は低いのでまったりとくつろいだ気分で聴ける。練り込まれたスラブ情緒が楽しい。バランスの良さ、メロディーのセンスの良さが光る。ただし、特別感のある楽章はない。

•バガテル 作品47,B.79 作曲1878年、ヴァイオリン2・チェロ1・ハルモニウム(またはピアノ)1

•弦楽四重奏曲第1番 イ長調 B.8 1862◦3.3点


第1作からいきなり48分の大作。音の薄さの使い方や躍動感などの室内楽の名手らしさを存分に発揮している。長すぎて中だるみするし、構成が頭に入らないものの、それぞれの部分は魅力的なため楽しんで聴ける。スラブ的な濃さがとても上手く取り込まれて、聞き栄えを作り上げている。しかしそれは前半までで、あまりの長さに後半はうんざりしてしまう。

•弦楽四重奏曲第2番 変ロ長調 B.17 1870年◦1.5点


またしても49分の大作。1楽章はいきなり前衛的とも言えるほどの新奇な音のする音楽で、ついていくのが困難。2楽章も聴きづらくて全然分からない。ほかの楽章も同様で、ドヴォルザークが特殊な音楽を書いてみたかったのだと想像されるが、聴くのはかなり辛い。

•弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 B.18 1870年◦2.5点


69分という化け物的な長さ。ブルックナーのように、細かい動機を執拗に積み重ねて少しずつ変容していくマッタリした音楽になっている。ダイナミックな変化に乏しいのが残念。1楽章はいい曲ではないが、2番ほど極端に聴くのが辛くはない。ただ、長すぎる苦痛があるため、2番より少しマシという程度だと思う。2楽章はしみじみとした歌が延々と続く懐の深い曲でかなり良い。マーラーみたいな存分な歌わせ方に振った曲。ただ執拗すぎる気はする。3楽章は間奏的な曲想なのに長すぎ。4楽章も高揚感のある曲想は良いが長すぎ。

•弦楽四重奏曲第4番 ホ短調 B.19 1870年◦3.0点


3楽章制で切れ目なし。実験的でコンセプトが明確な作品。1楽章はとても変わった曲でよく理解できない。ドヴォルザーク風の前衛音楽だと思う。2楽章はヴァイオリンがひたすらずーーっとメロディーを聴かせ続けるこれまた変わった曲。ある種の純化された美しさはあるものの、10分の曲でこの執拗さは異常である。世界記録でも狙ったのだろうか。3楽章も意欲的で前衛的な部分があるが、わりと聴きやすくて、独自のダイナミックな音楽のつくりに感心する。中間に2楽章のリフレインがくるのは効果的。

•弦楽四重奏曲第5番 ヘ短調 作品9、B.37 作曲1873年◦2.8点


地味で渋い路線の曲。雰囲気としては普通の曲に戻ったのだが、華がない場面が多くて、なんとなく晴れない気分のまま曲が進むのが、なんとも残念である。変な曲シリーズの残骸らしく感じる部分も散見されるため、やはり実験的な部分があるのだろう。普通の曲なので良く感じて聞けるし、たまに書法の冴えに感心するが、冷静に考えるともしドヴォルザーク作曲でなければ、人に勧められるほどの曲ではないと思う。

•弦楽四重奏曲第6番 イ短調 作品12、B.40 1873年◦2.8点


また普通の曲に近付いてはいるが、やはりよく分からない感がどうしても残る。変な曲になっている箇所が少なからずある。そして、メロディーが印象に残らず、構成も印象に残らず、地味で控えめな印象なのも、たまに達人の筆致を感じるのも相変わらず。3楽章は実験的だなあと感じる曲。

•弦楽四重奏曲第7番 イ短調 作品16、B.45 1874年◦3.5点


ようやく巨匠らしい本格的で貫禄のある音楽になってきた。スラブ風味が産みだす独特の陰影の楽しさや寂寥感を楽しめる。音楽に艶があり心地いい。バランスが良くなり、実験的な雰囲気はもはや希薄になった。地味すぎることはなくなり、控え目さは残っているが十分に華やかな聴いていて楽しい音楽になった。特に最終楽章は躍動感や高揚感が一辺倒にならないバランスで使われていて、かなり優れた曲。

•弦楽四重奏曲第8番 ホ長調 作品80、B.57 1876年◦3.3点


成熟した巨匠的な書法の良さとともに、スラブ風の色がより濃くなった作品。27分と短いくて無駄が少ないのは良いこと。しかし、これはという素敵な楽章がない。わりと良いか大満足とはいかない場面ばかりであり、物足らないまま次の場面に期待しているうちにすぐに曲が終わってしまう印象である。

•弦楽四重奏曲第9番 ニ短調 作品34、B.75 1877年◦3.5点


3楽章がかなり感動する。他の楽章も力作であり良い場面は多いのだが、10番以降の恐るべき完成度には何かが及ばない。

•弦楽四重奏曲10番 変ホ長調 作品51、B.92 1878年◦4.0点


深々としたニュアンスの妙味にあふれた1楽章、民謡のような主題が印象的な2楽章、うら悲くて寂しい気分になる3楽章がいずれも良い。4楽章もそれなりに良い。ボヘミア色が強い曲。

•弦楽四重奏曲第11番 ハ長調 作品61、B.121 1881年◦3.8点


1楽章はややボヘミア色が薄く構築性を楽しむ曲。2楽章以降はボヘミア色もある程度あり、なにより愁いの影が常につきまとっている。全体に東欧ならでは?のあまり他では聞かない独特な音の雰囲気に覆われていて新鮮。

•弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96、B.179 『アメリカ』 (The American) 1893年◦4.0点


親しみやすいメロディーの分かりやすさと雰囲気で、弦楽四重奏の入門にピッタリの曲。後期の本格的で深々とした素晴らしい弦楽四重奏群と比較してメロディー主体であり深さには欠けるが、やはり傑作である。

•弦楽四重奏曲第13番 ト長調 作品106、B.192◦3.5点


2楽章が感動的。4楽章も立派な構成で感動的で素晴らしい。1楽章がいまいち。立派な作品だが民族色が薄くて曲に濃厚さが無いのは寂しい。

•弦楽四重奏曲第14番 変イ長調 作品105、B.193◦4点


1楽章が濃厚で、構成にメリハリがあり良い。2楽章もよいし、3楽章は感動的で泣きそうになる。

•弦楽四重奏のための『糸杉』 (Cyp?i?e) B.152◦3点


歌曲集『糸杉』B.11から12曲を1887年に編曲したもの。弦楽四重奏の淡さや甘さをうまく活かしてる。それほど分かりやすいメロディーはなく渋め。

•弦楽四重奏のための楽章 B.120 1881 SQ ◦2.5点


柔らかい響きの曲。しかし、どちらかというとハッキリしなくてよく分からないという印象が強い。

三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 作品21、B.51 1875年◦4.0点


全体にメロディーの魅力がすごい。期待せず聴いたら名曲でかなり驚いた。1楽章は何より2つの主題がとても魅力的で感動するし、展開もわくわくさせられる出来の良さ。軽妙かつスケール感もある。これはロマン派室内楽の傑作に数えてよい楽章と思う。2楽章はメロディーも中間の盛り上げ方も非常に美しい。3楽章も「そうきたか」と言いたいような始まり方に意表を突かれて楽しい。4楽章が平凡なのはとてももったいないが、1〜3楽章までの素晴らしさをスポイルするほどではない。全体の印象として、バランスが難しい印象があるピアノトリオを書く難しさを難なくクリアーしている印象。

•ピアノ三重奏曲第2番 変ロ長調 作品26、B.56 1876年◦3.8点


1番の1楽章ほどの正統派の感動はないかもしれないが、どの楽章も平均してクオリティが高い。1楽章は最初は陰湿に聴こえたが、よく聴くと憂いを含んだ美しい旋律。1番の4楽章のような弱点がなくて、ピアノ三重奏曲としての充実度は1番より上がっているかもしれない。楽器のからませ方がやや大胆になった気がする。

•ピアノ三重奏曲第3番 ヘ短調 作品65、B.130 1883年◦3.5点


ドヴォルザークには珍しい非常に情熱的で熱く煮えたぎる想いを感じる曲。成熟感は素晴らしい。ゴリゴリと和音の打撃で押していくようなピアノはブラームスを連想させる。すごみを感じる曲であるが、自分はゴツゴツとした感触がぎこちなさをを感じさせるのがどうしても気になる。慣れれば曲に入り込むことは出来るのだが、美メロディーがないこともあり、心の底から高い評価をするまでは至らない。

•ピアノ三重奏曲第4番 ホ短調 作品90、B.166 「ドゥムキー」 1891年◦3.0点


この曲がドヴォルザークの室内楽の代表作の一つとされることがピンとこない。軽い小曲が6曲並んでいる組曲という感じであり、深みやスケール感やまとまりがないため、本格的な楽曲の手応えが感じられない。それほどメロディーや雰囲気が魅力的という印象もない。音が薄く、弦が絡み合って穴を埋めたり協奏的にかけあう感じがあまりない。気楽に聞き流せばスラブ的な音楽をそれなりに楽しめる。

•弦楽三重奏曲 ハ長調 作品74、B.148 1887年、ヴァイオリン2・ヴィオラ1◦3.5点


低音がないせいか響きに男性的な印象が減っているのが新鮮で楽しめる音楽。とはいえ1楽章は優美で美しいが他は女性的でもない。2楽章は陰影が豊かでこれまた非常に美しい。3楽章も独特の緩い切迫感ともいうべき雰囲気があり面白い。どの楽章も見るべきものがあり、なかなか心を捉えるものがあるよい曲。短くて聴きやすいのもよい。

•バガテル ハ長調 作品75a、B149 1887 2vn,va◦3.0点


どうやら4つのロマンティックな小品の編曲版のようだ。柔らかい弦の響きは曲のメロディーを生かせていて、ヴァイオリンとピアノの版とは違う魅力がある。後半の面白くない曲については、ヴァイオリンとピアノよりこちらの版の方がいいかも。

•三重奏曲 ハ長調 B.148 作品74 1887 2vn,va ◦2.0点


響きのバランスが悪く、メロディーが弱く、駄作だと思う。


二重奏曲

•ヴァイオリンソナタ ヘ長調 作品57, B.106◦2.3点


期待を裏切られた。大半の室内楽の出来の良さから考えるとかなりつまらないと思う。弦楽器同士の絡みがないとダメなのだろうか。特に1楽章はひどい。全然理解できない。2楽章と3楽章はまだマシかもしれないが、大半の場面が面白くない。

•カプリッチョ Capriccio B.81 1878年の作品。(ヴァイオリン1、ピアノ1)◦2.0点


たいした曲ではないな、という程度の感想しか持てなかった。

•バラード I balada 作品15、B.139 1885年の作品。(ヴァイオリン1、ピアノ1)◦3.0点


渋いバラード。ピアノ伴奏の低音の渋さが印象に残る。

•ロマンティックな小品 (Romantick? kusy) 作品75, B.150◦3.0点


1曲目はありきたりながらも素敵。2曲目の粘っこさも良い。後半2曲は面白くない。

•ソナティーナ ト長調 作品100、B.183◦3.3


子供向けのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ。アメリカ時代らしい5音階や黒人霊歌の特徴が現れており、素朴なボヘミアらしさもあるなど、ドヴォルザークらしさを端々に感じる事が出来る。

•ポロネーズ イ長調 B.94
1879年の作品。初演は1879年トゥルノフ。(チェロ1、ピアノ1)

•夜想曲 ロ長調 B48a 作品40 1875-83 vn,pf◦3.0


秋の夜長に深夜に故郷のことや青年時代を思い出しながら思い出に浸るような音楽。それほど美メロでは無いが、センチメンタルな気分になれれば曲に浸れる。

•ロンド ト短調 B171、作品94 1891 vc,pf◦2.5点


チェロソナタの中の一つの楽章ならばまた印象が違うかもしれないが、この単発の曲だとイマイチで地味という印象になってしまう。


器楽曲

4手ピアノのための作品

•伝説曲 (Legendy) 作品59、B.117

ボヘミアの森から (Ze ?umavy) 作品68、B.133
全6曲【1. 糸を紡ぎながら / 2. 暗い湖の畔で / 3. 魔女の安息日 / 4. 待ち伏せ / 5. 森の静けさ / 6. 嵐の時】
◦3.8点


4手用の小曲集全10曲。どの曲もインスピレーションが働いていて華がある。伝説になった古い物語を聞かせてもらうような気分になる。詩的情緒にあふれており、温かい気分に包まれるかのような素敵な曲集である。こんな名作があるのかと驚いた。


ピアノ独奏曲

•主題と変奏 変イ長調 作品36、B.65

•詩的な音画 作品85、B.161

全13曲【1. 夜の道 / 2. たわむれ / 3. 古い城で / 4. 春の歌 / 5. 農夫のバラード / 6. 悲しい思い出 / 7. フリアント / 8. 妖精の踊り / 9. セレナード / 10. バッカナール / 11. おしゃべり / 12. 英雄の墓にて / 13. 聖なる山にて】

•ユーモレスク 作品101、B.187◦3.5点 ただし7曲目は5.0点


全8曲【1. 変ホ短調 / 2. ロ長調 / 3. 変イ長調 / 4. ニ短調 / 5. イ短調 / 6. ロ長調 / 7. 変ト長調 / 8. 変ロ短調】

有名や7曲目は冴えたセンスの良いメロディーの組み合わせが見事で、端正さと民族的な粘り気の両方を絶妙にブレンドした名曲。他の曲もアメリカらしさを生かした楽しめる曲が多い。

•影絵 B.32作品8 1872

B.98の初期の草稿。この版でも十分に詩的な美しい曲揃いで楽しめる。


声楽曲

教会音楽、カンタータ、オラトリオ

•スターバト・マーテル 作品58、B.71◦3.8点


子供が相次いで亡くなるという個人的な不幸を契機にしているだけあり、真に心に刺さる音楽だ。悲しみに突き動かされて書いたのがよく分かる。いつもとドヴォルザークと全く違う音楽である。和声などはシンプルで、この時代にしては古い音楽のように聴こえる気がするが、シンプルな方がより切迫感を増すものなのだろう。剥き出しの感情描写ともいうべき場面が多く、聴き入って感動させられる。

•レクイエム 変ロ短調 作品89、B.165◦3.3点


いい曲ではあるが、どこか堅い印象。スターバトマーテルが心の中から自然に湧いてきた感情から作曲されたのと比較すると、なんとなく心に迫る感じがない。立派で良い曲ではあるが、ドヴォルザークでなければ書けない何かをあまり感じない。感動的大作ではあるものの、どことなく高く評価しにくい。

•テ・デウム ト長調 作品103、B.176


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c5

[近代史3] アレクサンドル・スクリャービン 『焔に向かって』 中川隆
1. 中川隆[-14022] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:33:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-691]

クラシック音楽 一口感想メモ
アレクサンドル・スクリャービン( 1872 - 1915)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3

大作である交響曲、協奏曲、ピアノソナタはいずれも充実した傑作である。

また、大半がピアノ曲の作曲家であると共に、1〜3分の短いピアノ小品をたくさん残した。ピアノ音楽史上最重要な作曲家の一人である。

小品群は前期と後期はハズレがなく、概ねどの作品もはっとさせられる美しさを持っているが、中期は面白くない曲が多いと私は思う。

管弦楽曲・協奏曲

•ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20◦4.0点


ショパンのピアノ協奏曲に魅力が似ている。若い時だけのセンチメンタルでウブな純情をオーケストラの伴奏に乗ってピアノの独奏で吐露していくような、感情に浸って聴く音楽である。特に2楽章はそうであり、瑞々しく恥ずかしくなるほどに生々しいセンチメンタルな美しさは、クラシック史上稀にみるものであり特筆に値する。

聴き映えがするのはやはり3楽章であり、高揚感を保ち進む音楽に心がウキウキする中で感動的に現れる美しい第2主題が心を奪う。ショパン同様に若書きの未熟さが感情面の演出の一つの要素となっている。同時代ではラフマニノフのピアノ協奏曲ほどの総合性を備えてはいないものの、非常に魅力があり私は中毒になった。もっと頻繁に演奏されて良い曲である。

•交響曲第1番 ホ長調 作品26◦3.3点


聴き方が難しい…大仕掛けの多彩な楽章で最後は独唱と合唱が登場する全6楽章。夢のような1楽章など、美しい曲もあれば、スクリャービンの線の細さの欠点が露呈している箇所も多い。後期ロマン派らしい和声やオーケストレーションで、知らずに聴いたらスクリャービン作曲と当てられない人は多いだろう。途中の部分はあまりまとまりが良いとは思えない。独唱と合唱による、最初はプッチーニ似かとおもいきや、だんだんマーラーに似ていく壮大でメルヘンチックでもあり、感動的な最終楽章だけでも聞く価値はある。


•交響曲第2番 ハ短調 作品29◦3.5点


交響曲1番の軽さとまとまりの悪さを克服している。重厚さと力感にあふれた、どっしりとした腰の重さが印象に残る。それでもロシア臭があまりしない洗練されている所がよい。陳腐さも少ない。全5楽章で50分近い大作。内面的な情熱の強さもある種の悪魔的な感覚が上昇する音形の多用により表現されている。ただ、雰囲気の統一感はあるが多様性が少なく、大作のわりに同じ雰囲気が続き、総合性に欠けるのがかなりマイナス。

最終楽章は、締めの音楽として割と分かりやすく演出されているが、1番の素晴らしさはない。


•交響曲第3番「神聖な詩」ハ短調 作品43◦3.3点


中期の作品であり、初期ほどに明快なロマン派音楽ではなく曖昧で神秘的な世界を垣間見せるのだが、調性は明確である。曲が長く楽章に切れ目がない。ピアノ曲では表現しきれない管弦楽ならではの壮大さとスクリャービンらしいロマンを楽しむことが出来るため、長さを気にせずに聴けるならば、音に浸ってなかなか幸せな時間を過ごせる。ピアノ曲はどうしてもせわしなく音楽が展開していくものであるが、スクリャービンにとって必ずしも必須だったわけではないようだ。以前はここに成功作とは思えないと書いていたが誤りだった。とはいえ、このようなお腹が一杯になる大曲は基本的には彼の持ち味を活かすものではなく、この1曲だけだから良いという気もする。


•交響曲第4番「法悦の詩」ハ長調 作品54◦3.5点


交響曲と交響詩の中間のような曲だと思う。神秘和音の響きと、何度も繰り返される動機の醸し出す雰囲気と、何度も繰り返されるエクスタシーの高潮を楽しむ曲。


•交響曲第5番「焔の詩 -- プロメテ」作品60◦3.5点


6番以降の後期のソナタの直前に書かれている。一種のピアノ協奏曲といっても良いピアノ独奏入りの交響曲。神秘和音を中心とする音の作りもピアノ書法も後期ソナタ同様の世界であるが、管弦楽があるため色彩的であり雰囲気のイメージがつかみやすく、少し調性的にも感じられるため聴きやすい。スクリャービンの頭の中のイメージがよく分かるため、彼の後期の音楽の入門に良いかもしれない。曲想は神秘性を中心に超常的なイメージが広がり展開していく感じであり、イメージの多彩さを楽みながら聴ける。

ピアノ曲

ピアノソナタ

•第1番 ヘ短調 作品6◦2.5点


4楽章の大作。激情的な表現の一楽章と葬送的な4楽章がまあまあ。しかし、あまり霊感の強さを感じず、スクリャービンとしては傑作の範疇に入らないと思う。

•第2番「幻想ソナタ」嬰ト短調 作品19◦2.8点


1楽章の中の光の幻影が波を打っているかのような幻想的な夢のようなはかない部分が大変美しい。二楽章の無窮動曲は平凡だが。

•第3番(「心理状態」)嬰ヘ短調 作品23◦2.8点


3楽章ノクターンから暗い情熱を湛えた4楽章への流れはショパンのソナタ3番みたいだ。がっちりとしたソナタを書こうとしたのは分かるが、何だかもの足らない感じが聴いている間ずっと付きまとう。

•第4番 嬰ヘ長調 作品30◦4.0点


神秘的なスクリャービンらしい斬新さが現れ始めているが、まだロマン派の聞きやすさを残していてバランスが良い。ジャズに少し似た複雑な和音を使っている。2楽章の光の粒のようなキラキラした音が飛び跳ねるさまが独特であり、躍動感と推進力を保ちながら、たった4分の中で次々と新しい雰囲気を見せる極めて内容豊富な音楽である点で、ピアノ音楽史上で稀に見る傑作であると思う。最後は和音連打で光の速さで空の果てまで飛んでいくような雰囲気になるのがかっこいい。

•第5番 (ロ長調〜変ホ長調)作品53◦3.5点


4番とは違いドロドロとした雰囲気が現れ始めている。しかしまだ壊れきっておらず、ロマン派らしさも残っている。とにかく静と動の対比が徹底しており、力強さと豪快さがあって聴き栄えがするのと、過渡的に適度なドロドロ感を持っていて初期の綺麗すぎる音楽よりもインパクトが強いのが、人気の理由だろう。特に最後の盛り上がりの部分の高揚感は何度聞いてもスカっとするような満足感がある。一方で、たった6日間程度で書かれただけあって、勢いに任せて半ば即興的に書かれた印象があり、緊密な内容豊富さを楽しむことはできない点で自分は4番よりも物足りなな感じる。

•第6番 作品62◦3.5点


この曲はかなりとっつきにくい。ドロドロとした場面が延々と続く中で、7番のような分かりやすく理解できるような旋律や盛り上がりがない。しかし、後期の後半ほどは旋律の絡みの複雑怪奇さがないが、和声は徹底した妥協のない追求がされており、精神的な集中度は7番と並び素晴らしい。。グロテスクな響きが延々と続いていきながら音楽が進行する様は、慣れてくると妙に気持ち良さすら感じるようになる。

•第7番「白ミサ」作品64◦3.8点


6番以降では最初に完成。非常に鋭角的な鋭い響きがする曲である。神秘的で荘厳な儀式が行われるような雰囲気を明確に感じられるし、とにかく素材もその料理の仕方も内容豊富で構成が複雑で非常に多くの場面が詰め込まれた、非常に重量感のある大変な力作のソナタである。冒頭から非常に印象的で悪魔的な響きが強く心に突き刺さるし、第二主題の深遠さも素晴らしい。後半の爆発的な部分の衝撃的な圧倒性も素晴らしい。

•第8番 作品66◦3.3点


最後に完成されたソナタ。6番に似ているとっつきにくい世界であるが、こちらは複数の動機を組み合わせながら、神秘性な雰囲気が色彩感の豊かさを持って変容していくさまが、とにかく恐ろしく複雑怪奇な音の絡みで表現された究極的な世界を楽しむことができる。薄明かりの中で超常的な神秘的な現象が少しずつ変容しながら発生している様を楽しむ曲と思われる。他の後期ソナタと違い、大きく盛り上がる場面がないため、曲を聴きながら感じる欲求不満がずっと解消されないため、気分が乗らないと聞く気ならない。

•第9番「黒ミサ」作品68◦3.5点


7番と同じく荘厳で悪魔的なイメージが分かりやすい。曲が短く、後半に向けて段々早くなっていき最大の盛り上がりを作ったところで静かに終わる、というシンプルな構造であるため、構成が把握しやすい。しかしその代償として、後期の濃厚で何度聞いても理解しきれない複雑さが足りない。曲の短さもあって悪魔性をとことん極限まで突き詰めて心がお腹いっぱいになる感を覚えられない。そのた、後期ソナタの中では、入門に最適な分かりやすさと聴きやすさはあるのだが、慣れてくるとこの曲だけ物足りなさを感じる。

•第10番「トリル・ソナタ」作品70◦3.5点


執拗なトリルの繰り返しが顕著な、趣向的な曲である。しかしながら、後期ソナタの中でもっとも晴れやかであり、太陽に照らされた大地の壮大さを感じさせる力作である。後期ソナタの中では悪魔的な感じは少ない。展開部最後のトレモロによる盛り上がり部分は、ピアノの限界を見せる名場面であり、大自然の中で大きく息を吸い込んで自然の恵みに感謝するような気分になる。何度聞いても胸が一杯になる場面である。

•幻想ソナタ 嬰ト短調◦2.0点


14歳の作品だそうで、ものすごくショパンぽい。スクリャービンの出発地が分かる。曲の出来は天才少年だと感じさせるが、完全な亜流だから出来たことなのかもしれない。

ソナタ形式によるピアノ曲

•ポロネーズ 変ロ短調 作品21◦2.5点


唯一のポロネーズ。7分。洗練された透明感を魅せながらも泥臭く勇壮なポロネーズだが、曲がどちらに進みたいのか把握しにくい。さまようような印象。

•幻想曲ロ短調 作品28◦4.0点


雄渾で壮大で中身の詰まった大変な力作である。第二主題が素晴らしいメロディーである。初期の曲の中ではピアノソナタと比較してよりよくまとまっている。荘重な悲劇的な雰囲気で始まり、曲の中間に第2主題の感動を爆発させるように再現させる辺りは、ショパンのバラード1番と同じような構成である。実際、10分の時間で多くのテーマを使いながら緊密で濃密なドラマをピアニステックに展開させている点において、ショパンのバラードやスケルツォと完全に同レベルにある数少ない作品の一つである。

•悲劇的詩曲 変ロ長調 作品34◦3.0点


かなり激しい和音の連打で非常に演奏が難しそう。明るく分かりやすいメロディーがあるのに、伴奏が激しすぎて聞こえにくいほどである。悲劇的な感じではないのに何故悲劇的という題名なのだろうか。

•悪魔的詩曲 ハ長調 作品36◦2.8点


ピアニスティックな激しさがあり、まさに悪魔的な感覚が表現されている。規模の大きな詩曲。後期への入り口に入り込んだような音の使い方がある。後半はかなり激しい。

•ポエム・ノクチュルヌ 作品61◦3.0点


後期のソナタ以外の長い曲の一つである。夜というよりは夜明けの薄明の中ようなイメージである。同じフレーズを繰り返しながら少しずつ雰囲気を盛り上げていくのだが、ソナタのような総合性はなく、投入されている素材は多くない。時間の長い小品というイメージであるが、時間が長い分、よい雰囲気があっという間に終わってしまわないのがよい。

練習曲

•12の練習曲 作品8◦作品8-11 5.0点
◦その他 4.0点


作品8-11は悲愴という副題で呼ばれることもある。史上最も情熱的なピアノ曲のひとつであり素晴らしい名曲。他の曲はかなりショパンに似ており、ショパンの曲だと言って知らない人に聴かせたら信じてしまいそうだ。やや芸風の幅が狭いこと、所々にロシアの香りがほんのり漂う所が違うくらいか。ショパンに似すぎとはいえ、耳に残る名曲ばかりで、練習曲集としてかなりの名作だと思う。

•8つの練習曲 作品42◦作品42-5 5.0点
◦その他 3.0点


作品42-5は情熱がほとばしるような美しい主題を素晴らしいピアノ書法で歌わせている。センスのよさと完成度の高さで彼の代表作といえる小品である。その他の曲は、作曲技法の洗練度の高さはすぐに分かるものの、耳を捉えるメロディーが無く鑑賞用の曲としては微妙である。

•3つの練習曲 作品65◦3.8点


後期らしい神秘和音の世界であるにも関わらず、練習曲であるため聞きやすいのがいいところである。1曲目はとても神秘的なキラキラした音がする、他に類を見ないような斬新で画期的な音世界である。コインがチャリンチャリンと鳴っているようでもある。9度の練習曲という特異な練習曲の特徴をこれ以上ないくらい活かしている。穏やかな2曲目を経て、圧巻の3曲目。地獄の業火のようでめちゃめちゃカッコいい。後期が苦手な人にも試しに聴くように薦めたい。


マズルカ


•10のマズルカ 作品3◦3.3点


学生時代の作品であり、基本的にショパンの亜流であるが、その中に新しいピアノ書法やスクリャービンらしい繊細な個性が多少は入っている。

10曲のバラエティーは豊かであり、結構いい曲が多い。マズルカ独特の憂いが素敵。ショパンのマズルカが好きな人は楽しめるだろう。最後の曲は長いうえに面白くなくて頂けないが。

•9つのマズルカ 作品25◦2.8点


作品3と違い、ショパンの亜流ではなく明確なスクリャービンの個性は出ているが、マズルカとしては残り香が漂う程度であり普通の小品に近くなっている。洗練されたスクリャービンらしい小品集だが、憂いや粘りのような濃厚さがなくなり、その代わりに精妙で詩情はあるが線が細く旋律の魅力があまり多くない曲になってしまった。素敵な部分も散見されるが、魅力は全体としては落ちていると言わざるを得ない。

•2つのマズルカ 作品40◦3.0点


この2曲はどちらも濃厚で晩年のショパンのマズルカのような切なさや人生を邂逅するような趣もあって、なかなか印象的な小品である。


詩曲

•2つの詩曲 作品32◦3.8点


1曲目の半音階的な進行により微妙なゆらぎのようなものを表現した柔らかく絶妙で詩情豊かな世界は、達人の技である。この曲は多くの人に広まるべきである。かなりの名曲だと思う。2曲目は激しくて中期らしい複雑さがあり、普通のメロディーのようでありながら耳に残るものがあるものの、1番に比べれば普通の曲。

•詩曲 変ニ長調 作品41◦2.8点


左手の音数が多くて、3分と大きめの規模である。左手の和声から大きく外れたテンションコードの音を徘徊するような旋律は印象である。しかし、いい曲と感じるほどではない。

•2つの詩曲 作品44◦2.8点


1曲目はラフマニノフのように茫洋とした雰囲気の中でなんとなくメランコリック気味な旋律が蠢く音楽である。2曲目はショパンのような旋律であり、時代を考慮すると単なる普通の曲である。

•2つの詩曲 作品63◦3.3点


1曲目は静かな曲で捉えにくいが、スクリャービン らしい詩魂が込められた霊感に満ちた独自世界は面白い。2曲目は、キラキラした珍しく音数の多い作品であり、旋律が1度で覚えられるような印象的なもののため楽しめる曲である。

•2つの詩曲 作品69

•2つの詩曲 作品71◦3.0点


1曲目はミニ版ソナタ8番とも呼びたい。旋律が似ており光や風の揺らめきが表現されていて雰囲気がよい。2曲目はこれといった特徴がなく面白くない。

•詩曲『焔に向かって』作品72◦3.3点


なんともヤバい曲である。同じ動機を繰り返しながら少しずつ音の高さをずらして、音の数を増やしながら、じわじわと音楽が進行する。高音で神秘和音をカンカンと鳴らして、二重トリルで表現される焔が不気味なゆらぎを少しずつ大きくしていく。世紀末的な世界を焼き尽くす焔が少しずつ大きくなっていく様を描いているようだ。最後の作品の一つにふさわしい、スクリャービンの後期の特徴がもっとも純化された曲である。


即興曲

•2つのマズルカ風即興曲 作品7◦2.8点


マズルカのテイストの美しさと心情的な陰影の深さをうまく活用しており、どちらも耳に残るものがある小品。

•2つの即興曲 作品10◦3.0点


どちらも透明感があり洗練された美しさが耳に残る曲である。控え目なショパン風味も効果的。

•2つの即興曲 作品12◦3.0点


1曲目は軽やかな三拍子で華やかさがあり楽しい。2曲目は重々しくて悲劇的でラフマニノフを連想するが、中間は夢をみるような美しさ。どちらも楽しめる。

•2つの即興曲 作品14◦3.0点


1曲目は静かななかで右手が自由に想いを述べるようなメロディーを弾く。2曲目の雰囲気は舟歌のようであり、陰影に富んだ情感的でかつ情景を浮かび上がらせるような美しい作品。

前奏曲

•24の前奏曲 作品11
•6つの前奏曲 作品13
•2つの即興曲 作品14
•5つの前奏曲 作品15
•5つの前奏曲 作品16
•7つの前奏曲 作品17
•4つの前奏曲 作品22
•2つの前奏曲 作品27
•4つの前奏曲 作品31◦3.3点


1曲目はショパンの初期ノクターンに似た世界であり、親しみやすく美しいメロディーを素直に楽しめる。他はごく短い曲であり、断片的な前奏曲である。

•4つの前奏曲 作品33◦2.5点


作品31と異なり、核になる曲がなくて全曲が短い断片である。はっとする部分も見当たらず、あまり聴いて楽しめるような曲集ではない。

•3つの前奏曲 作品35◦2.8点


1曲目はかなりショパンに近い高速の前奏曲。2曲目は同じ調子が続くレティタティーボで長いのだが、変化が少なくて面白くない。3曲目は悪くないが、まあ普通の出来のショパン時代にも生まれていておかしくない前奏曲である。

•4つの前奏曲 作品37◦2.5点


2分の曲が2つあり、前奏曲としては短くはないのだが印象に残る曲がない。面白くない。初期から変貌するにも同等の代替的な魅力を見つけられていない感じだ。

•4つの前奏曲 作品39◦2.5点


この曲集も耳に残るものがなく面白くない。

•4つの前奏曲 作品48◦3.0点


2曲目の静謐な浮遊感と透明感が心を捉えるものがある。他の曲は短いのだが、2曲目がよいためそれを引き立てる曲のように聴ける。

•2つの前奏曲 作品67◦3.3点


1曲目は単音の右手の音の動きと和音を伸ばす左手という構成はシンプルだが、変化のつけ方や和声は良く出来ていて、きちんと力を入れて書いた作品として楽しめる。次の曲に繋がるように終わるのもよい。2曲目はプレストで右手と左手のグロテスクな音のぶつかりが早めのフレーズの中で連続するのがゾワゾワとさせられて楽しめる。

•5つの前奏曲 作品74

3.3

1分程度の断片的な短い前奏曲が並ぶ。後期ならではの音使いで醸し出される独特の詩情は、どれも他では聴けないはっとさせるものがある。なかなか言葉では伝えにくい、ソナタでは出来ない魅力を小品作曲家として見事に見せている。


小品

•3つの小品 作品2

•3つの小品 作品45◦3.0点


1曲目はショパンのマズルカのような旋律であり耳に残る。2曲目はごく短いが後期のような響きが目新しい。3曲目は和声がいつまでも解決しないまま最後までなんとなく音の動きが続く曲であり、実験の曲という印象である。

•3つの小品 作品49◦2.8点


3曲ともごく短い。後期に向けて音楽が壊れていく過程をそのまま切り出したようなものであり、3曲とも独立した作品としての面白さは感じない。

•4つの小品 作品51◦2.5点


わたしには4曲とも特段良いところが見当たらず、面白くない曲集である。後期の世界の模索がスタートしたばかりの習作では、と思ってしまう。

•3つの小品 作品52◦2.8点


3曲とも音の響きは後期になっていないが、曲想は後期そのものである。やりたい事を実現する方法を模索しているのがよく分かる。しかし曲としては面白くない。

•4つの小品 作品56◦2.8点


曲名がプレリュードではなく題名が付いているおかげか、少し耳に残る曲が集まっている。たいした作品ではないのだが、後期を模索するだけでない霊感を多少は感じる。とはいえ習作レベルと思われる。

•2つの小品 作品57◦3.0点


どちらも1分の小さな作品でありアンニュイな雰囲気が強い。後期の世界に変貌しつつもまだ中期の香りを残す過渡期作品として楽しめる。まさに脱皮中という感じだ。

•2つの小品 作品59◦2.8点


1曲目は中期から後期への変貌の過程として面白い。作品57からさらに和声が後期寄りになっている。2曲目はソナタ6番に似ている。力強さがあり、一つの和音にこだわっているように聞こえる。どちらも面白いが観賞用としては旋律の楽しみが少ない気がする。

その他ピアノ曲

•ワルツ ヘ短調 作品1


•アレグロ・アパッショナート 作品4◦2.8点


11分の大作。若書きのソナタの1楽章からの改作。テクスチャーの細かさが印象的。幻想的な雰囲気。初期にしてはショパンに似ていない。モヤモヤとした雰囲気が続き、主題の明確な効果に欠ける。

•2つの夜想曲 作品5◦2.5点


10代の曲で2曲目に至ってはなんと12歳。年齢の割には雰囲気の作り方が凄いと思ったが、印象がモヤモヤしているのも若い時からなのかと思った。

•左手のための2つの小品 作品9◦3.0点


浮遊感のある作風は片手の作品と相性がよい。メロディーが明確の浮き上がっていて、むしろ両手より聞きやすい。知らずに聴いたら片手の曲とは気付かないかもしれないくらい音は充実している。2曲目は盛り上がりもある。

•ワルツ 変イ長調 作品38◦3.5点


夢を見るような素敵な旋律と場面展開が楽しい曲である。スクリャービンらしい詩情があり、ショパンをあまり感じないないのもよい。中期の名作の一つだと思う。

•スケルツォ 作品46◦3.0点


この曲は中期らしい和声とスケルツォの取り合わせの妙があり独立した面白さがあり、短い曲のわりに内容豊富で聞く価値のある内容である。

•ワルツ風に ヘ長調 作品47◦3.0点


テンションコードの音に飛ぶワルツということで、なかなか不思議な雰囲気を出していて短い曲だが面白い。

•アルバムの一葉 作品58◦2.8点


これは断片的なフレーズの集積であり、後期の響きが過渡的でなく完成されているように聴こえる。独立した作品という感じではなく、新しい響きを模索したスケッチに聴こえる。

•2つの舞曲 作品73◦3.3点


ダンスと名付けられているが、後期のドロドロした神秘的な世界であり、とてもではないが踊れるような曲ではない。だがこの2曲は3分と2分で小品の中では規模の大きな曲であり、その分の聞き応えがある。1曲目は洞窟の奥に人知れず輝く神秘の秘宝を音にしたような、とても印象的な曲。2曲目は特徴が少なくて、神秘和音の小さなフレーズを積み重ねて貯めた力を少しずつ解放していき、爆発には至らず終わる曲。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/873.html#c1

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