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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100403
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[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
13. 中川隆[-13527] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:21:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1377]

2020年01月18日
ソ連と酷似してきた中国 急激な成長と衰退
レーニン像の周囲に集まり、倒そうとするソ連の人々
1992F1 (15)
引用:http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/Lenin/1992F1%20(15).jpg


中国の急激な成長期が終わり、衰退期に入ると予測されているが、共産国家は衰退期を上手く乗り切れない。

崩壊したソ連は発足から急成長を続けたが、たった一度の衰退期を乗り切れずに崩壊した。


ソ連化する中国


最近の中国は何から何まで過去のソ連にそっくりで、双子の兄弟のようです。

かつて共産国家ソ連はユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置いて、世界を支配するかに思えました。


ベトナム戦争でアメリカが敗れ、ソ連側が勝った頃に拡大は頂点に達し、ソ連が新たなリーダーになるように見えた。

中国もリーマンショック頃まで急拡大し、、世界のリーダーになるのは時間の問題と思われました。

不思議な事にアメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。

ソ連と戦後日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。


「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。


理念で結束した人々は成長期には強いが、上手く行かなくなると脆い
201203171516178521-2379290
引用:http://image.hnol.net/c/2012-03/17/15/201203171516178521-2379290.jpg


負けたら国家消滅する共産国


ソ連は1978年に軍事的空白地のアフガニスタンに侵攻したが、10年間武装勢力と戦った末に撤退しました。

無敵国家ソ連はタリバンとの戦争に敗れ、僅か2年後にソ連は崩壊してしまいました。

ソ連崩壊の原因は様々な説があるが謎に包まれていて、外貨不足、インフレ、マイナス成長、食糧不足などが挙げられている。


しかしそれで国家が滅ぶのなら、もっと滅んで良い国は山ほどあるし、苦境から立ち直った国もあります。

ソ連が崩壊した本当の理由は『世界革命が挫折してしまい、共産主義の大義が無くなった』からだとも解釈されている。

日本のような民族国家なら、負けても同じ民族が再び協力して立ち直りますが、理念で集まった国は一度の負けで崩壊します。


ソ連は理念を失ったために崩壊し、革命前の民族国家ロシアに戻る事にしました。

共産主義の特徴は理念で集まって急激に成長するが、一度理念が失われるとバラバラになってしまう。

ソ連と中国の共通点として、急激な成長と急激な衰退、外貨不足、民族弾圧や無数の収容所、報道規制、経済指標偽造などが挙げられる。


軍事力を強化してやたら虚勢を張るのも共産国家の共通点で、北朝鮮でさえ「アメリカを火の海にできる」と主張している。

ソ連もあらゆる兵器全てで「アメリカを超えている」と主張したが、崩壊後に全て嘘なのが判明した。

中国も次々と新兵器を登場させ「全て日米を凌駕している」と宣伝するが、実際はブリキのオモチャに過ぎません。


兵器の性能では共産国家は資本主義国家に絶対に勝てないので、正面から戦おうとしないのも共通点です。

「いつでも日本を倒せる」「アメリカなどいつでも倒せる」と言いながら現実には逃げ回るのが、彼らの戦略です。

逃げながらスパイ活動やサイバー攻撃で相手国に侵入しようとし、多くのスパイや工作員を養成する。


ソ連を最終的に破滅に追い込んだのは、最後の書記長であるゴルバチョフの改革政策でした。

ボロボロの共産国家に市場原理主義を導入した結果、国家のシステムが破綻して生産活動ができなくなりました。

昨日まで国家公務員だった農民が、今日から市場経済だから自力で生きろと言われても、できる筈がありませんでした。


中国は習近平主席の元、大胆な国家改革を行おうとしたが、失敗して元の共産主義土木経済に逆戻りした。


中国のGDPの半分は公共事業つまり土木工事で、鉄道や空港や高速道路などを毎年「日本ひとつ分」建設している。


土木工事をやめると急激な経済縮小が起きるので、誰も住まない年を建設し、誰も乗らない高速鉄道を走らせている。


ソ連末期には経済がマイナス成長を隠して、プラス成長と発表していましたが、中国もそうしています。
http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c13

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
14. 中川隆[-13526] koaQ7Jey 2020年3月23日 10:23:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1378]

パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05

石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。

『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。

それを含む、パリ・コミューン論を採録する。


『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。

パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。
 
「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。

「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)

「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。

 僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。

 パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。

 もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。

 変な話だと思いませんか?

 かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか? 

 少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。

 1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。

 今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。

 これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?

 以下はそれについての僕の暴走的思弁です。

「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。

 このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?

 (...)

 なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?

 それに対する僕の仮説的回答はこうです。

 パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。

 パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。

 パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。

 パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。

 それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。

 ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。

 マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。

 でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。

 「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)

 レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。

「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67−8頁、強調はレーニン)

 少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。

 レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。

「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74−75頁、強調はレーニン)
 
 法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。

 この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたるのだと主張します。

「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)
 
 ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。

「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、76―77頁、強調はレーニン)

 レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。

 これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。

 マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。

「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)

 マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。

「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、45―46頁、強調は内田)

「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。

 でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。

 勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。

 ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。

 レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。

 アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。

「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)

 僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html


▲△▽▼


革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c14

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代


世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代



19世紀末のドイツの雰囲気を一番良く伝えているのはエドヴァルド・ムンクがベルリンに住んでいた頃の絵でしょうか。


ムンクの有名な絵は何故か この頃のものばかりですね:



エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年12月12日 - 1944年1月23日)


エドヴァルド・ムンク ─生命のダンス─


ムンク・アートギャラリー=ノルウェー・オスロで足跡をたどる


「表現主義画家」エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)の絵画集


エドヴァルド・ムンクの作品集
http://matome.naver.jp/odai/2126775240665130201
http://www.moma.org/search/collection?query=Edvard+Munch

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
1. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:16:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1379]

ムンクはドイツ表現主義の種を植えた画家ともされ、ユングによれば、彼はアーキタイプのイメージと実存的な経験のシンボルを結晶化し、それを「叫び」に極限化したのだという。


1889年にはノルウェー政府の奨学金を得て正式にフランス留学し、レオン・ボナのアトリエに学んだ。パリではゴーギャン、ファン・ゴッホなどのポスト印象派の画家たちに大きな影響を受けた。パリに着いた翌月に父が死去。この頃から「フリーズ・オブ・ライフ」(生のフリーズ)の構想を抱き始める。

1892年、ベルリンに移り、この地で『叫び』などの一連の絵を描く。ファン・ゴッホとともに、この後、ドイツを中心に起こるドイツ表現主義の運動に直接的な影響を与えた1人と考えられている。

1892年、ベルリン芸術家協会で開いた展覧会はオープンから数日間で保守的な協会側から中止を要求され、スキャンダルとなった。
1890年代は、ベルリン、コペンハーゲン、パリなどヨーロッパ各地を転々とし、毎年夏は故国ノルウェーのオースゴールストランの海岸で過ごすのを常としていた。

このオースゴールストランの海岸風景は、多くの絵の背景に現れる。

有名な作品が19世紀末の1890年代に集中しており、「世紀末の画家」のイメージがあるが、晩年まで作品があり、没したのは第二次世界大戦中の1944年である。


「生命のフリーズ」
おもに1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品を、ムンクは「フリーズ・オブ・ライフ」(生命のフリーズ)と称し、連作と位置付けている。

「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」「死」そして愛と死がもたらす「不安」である。

1902年3月、第5回ベルリン分離派展に出品した際、「生命のフリーズ」の一連の作品(22点)を横一列に並べて展示した。その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は写真が現存している。それによると、展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている。

ムンクの意図は、これらを個別の作品ではなく、全体として一つの作品として見てほしいということであった。前述のベルリンの展覧会では、作品は「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられ、


「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』、

「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命のダンス』、

「生の不安」には『不安』『叫び』、

「死」には『病室での死』『メタボリズム』


などの作品が展示された。1918年、クリスチャニア(オスロ)のブロンクヴィスト画廊での個展で「生命のフリーズ」の諸作品が展示された際、新聞に「生命のフリーズ」という文章を寄せ、その中でこれらの作品を「一連の装飾的な絵画」であると明言している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF

2013年06月16日
今週の日曜美術館はムンクの特集でした。傑作10選で彼の本質について語られました。

最初の作品はもっともよく知られている油彩画"叫び"です。身悶えるように体をゆがめ耳をふさいでいます。その一方背後の道では無関心に何も起きていないかのように2つの人影が通り過ぎています。

ムンクの故郷はノルウェーのオスロです。彼の生誕150年ということで大規模な展覧会が開催されているそうです。この作品は街を見下ろすオスロの丘で実際に体験した想いを描いたのだとか。この人物は自分なのだそうです。"嵐"という作品の中で耳をふさぐ様子の人物を最初に描いています。目に見えない内面的な恐怖を描きたかったのだそうです。

次の作品は彼の中にある恐ろしいほどの不安を表す原点とも言える作品"病める子"です。死を迎えた姉と悲しみにくれる叔母の様子を描いています。この光景を生涯忘れることはなかったのでした。

1863年彼は医者の家の長男として生まれました。5人兄弟の賑やかな家庭でしたが5歳の時に母親が結核で亡くなります。幼い彼の心の支えとなったのが1歳違いの姉ソフィーでした。ところがソフィーも14歳の時に結核で亡くなります。"病める子"はこの時の記憶を絵に描いたのでした。1年もの時間をかけたのだそうです。

次の作品"思春期"は30歳を過ぎた頃の傑作です。生きることへの不安を描いたのだそうです。シーツにはうっすらと血が滲んでいます。

壁には黒く大きな影。姉の死後自らも結核になることを疑わず死の恐怖と戦い続けたのだとか。描くことでその不安をせきららに告白しようと考えたのでしょう。

女性は聖女でもありながら娼婦でもあり、彼を苦しめながらも創作の源にもなったのでした。20代の始めオスロの別荘地で女性に会いました。その時の絵が"声"です。海に写る月明かりを背に立ち尽くす女性。

手を後ろにまわしキスを求めるような様子です。しかし良く見ると目は暗く吸い込まれそうなほど不気味です。

描いたのはオスロの社交界で有名だったミリー・タウロウです。
引っ込み思案だった彼を誘惑したそうです。海辺で逢瀬を交わしのめり込みましたが彼女にとって彼は何人もいる愛人の一人だったそうです。


30歳を過ぎて新たな女性ダグニー・ユールと恋に落ちました。
彼女を描いた作品が"マドンナ"です。
かすかに膨らんだお腹は新しい命の象徴です。
一方で右腕は黒い闇に消え死を象徴しています。

彼は彼女を愛しますが彼女も彼のもとを去っていきました。


次の作品は石版画の傑作"ブローチの女"です。
モデルはイギリス生まれのバイオリニストです。演奏旅行の時にノルウェーで彼と出会ったのだとか。今までの女性と違って目をはっきり優しく描いています。恋に落ちるのが恐ろしいほど美しいと語ったそうです。

"キス"は実験的な要素が入っている傑作です。まるで1つになったかのようにキスをしています。当時の木版画は表面をきれいに削った板を使ったのですがあえてこの作品では木目を残しています。

次は"宇宙での出会い"です。漆黒の闇に浮かぶ男と女、その周りを精子が浮かんでいます。男女の出会いはまるで宇宙の中で出会うほど難しいと考えたのでしょうか。

次の作品は40歳の時の作品"地獄の自画像"です。10代の頃から自分自身を描きました。真っ赤に燃え盛る地獄の炎が彼の心の中を表しています。母と姉の死、病の恐怖、女性達との葛藤など消え去ることのない不安を抱えながら自画像を描き続けました。

最後の1枚は"時計とベッドの間の自画像"です。亡くなる数年前に描かれました。別途はやがて訪れる永遠の眠り、柱時計は残りの人生を表しています。死に直面する老人、しかしこの絵は昔とは異なり明るい色彩があふれています。
http://www.artistyle.net/i-03-nichiyou/post-2847.html

マドンナ(大原美術館特集)

マドンナと呼ぶには、あまりにも退廃的でどこか愁いの漂う作品。
大原美術館特集第5回は、エドヴァルド・ムンクの「マドンナ」です。

マドンナMadonna(1895-1902)Edvard Munch
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/s/u/e/suesue201/madonna_convert_20101204014602.jpg


左下に胎児、周りには精子。
中央には苦悶とも恍惚とも取れる表情の、影のある若い女性。

「マドンナ」のモデルとなったのは、ムンクが当時思いを寄せていたダグニー・ユールといわれています。

ダグニーはファム・ファタールと呼ぶにふさわしい、恋多き女。

そしてムンクにとっては手の届かない存在だったようです。
http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-180.html

何年か前の新日曜美術館(NHK教育の番組)でムンクを特集した回があり、それを録画していてムンク展観賞にあわせて見る。

番組はムンクの代表作「叫び」の前年に描かれた「二人の姉妹」という作品にスポットを当て、ムンクの創作の源泉となった女性ダグニー・ユールに注目する。

この「二人の姉妹」という作品はそれまで写実主義的であったムンクの作風が表現主義的、象徴主義的なものへと転換してゆく過渡期のものと位置づけられ、永らく日の目を見る事がなかった幻の作品であるとしています。

描かれた二人の女性は、正面を向いて唄っているのがラグンヒル・ユール、そして背を向けてピアノを弾いているのがダグニー・ユール。

このダグニー・ユールこそがムンクにとってファム・ファタール(宿命の女)として存在した女性。ムンク芸術に大いなる霊感を与えたと言われています。

ムンクがその芸術的才能を開花させたベルリン滞在時期、ストリンドベリ、プシビシュフスキー、そしてダグニー・ユールらと交友関係を結んだ。

ムンクは密かにダグニー・ユールに想いを寄せていたが、彼女はプシビシュフスキーと結婚してしまう。しかし、ダグニー・ユールは自由奔放な女性でありその行動は夫のプシビシュフスキーを大いに悩ませた。

ムンクの作品「嫉妬」の正面を向いた苦悩する男性はプシビシュフスキー、後景で褒賞する男女はダグニー・ユールとストリンドベリであるとも言われているそうだ。

ムンクは度々ファム・ファタールとしてのダグニー・ユールをモデルに絵を描いている。


半裸の女性に無数の手が伸びている「手」、

女性の聖女的、娼婦的、悲劇的側面を描いた「女性三相」、

女性の性と生そして死が同居しているかのような「マドンナ」


といった作品群である。

ムンクが死の床につくまでベットの横にあったというダグニー・ユールの肖像画、そんな彼女は恋人であったロシアの男性に銃殺されるという悲劇的な運命をたどったという。
http://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/fb21380850f2d00f19b4967e00b46542

ダグニー・ユール

まず、この一枚の絵をみていただこう ムンク作「嫉妬」

ムンク「嫉妬」

そして、この写真
ダグニー・ユールと夫ブシェビシュフスキー


左は、ムンクの友人ブシビシェフスキー、そして右がダグニー・ユール

明らかに、嫉妬の焔に身を焦がしているのは、彼
そして、背後に男性といるのは、ダグニー

「二人の姉妹」で、画家に後ろを向けてピアノを弾いていた女性である。

☆  ☆  ☆

1863年ノルウェイに生まれたムンクは父の血統から精神的な不安定さを、母の血統からは身体の虚弱を受け継いだ

画家を志し、修行に出たベルリンで「黒豚亭」という居酒屋に集まるグループに入り作家および神秘家のストリンドベリやブシビシェフスキーらと親交を結ぶようになる

このグループのミューズ的存在であったのが、ダグニー・ユールだった

裕福な医師の娘で、ノルウェイの首相の一族でもある彼女はその美貌と奔放な言動でグループ構成員の憧れの的だった。ムンクも、言わずもがな、である。

「二人の少女」に見られるように、ムンクと彼女の関係はある親密さをたたえたものだったと思われる。

家庭に入り込み、その妹を含めたくつろぎの時間を画架に留めていく
それはいつしか、自分とダグニーの「家庭」の光景に変わるかもしれない。
そうムンクはひそかに思い定めていたのではないだろうか。

ところが、彼女はブシビシェフスキーと結婚してしまう。
しかも、結婚の条件として、「性的な自由」を与えるという夫の言質をとって。

同じくノルウェイ出身のイプセンの「新しき女」がそれまでのヴィクトリア朝の四角四面の道徳に縛られた世界に大きな衝撃を与えたように彼女(ダグニー)も、「新しき女」として存在したかったのだろうか。

結婚した後も、ダグニーは幾人ものボーイフレンドをもち奔放な生活を謳歌したという

そして、悲劇が訪れる

ダグニーは、交際のもつれから、ボーイフレンドに射殺されてしまう。


ムンク「叫び」

ムンクにとって、世界は耐え難いものに変貌を遂げる。
彼の絵に繰り返し表れる女性の背信、死のイメージ、ねじまがった空間
それは、このファム・ファタル(運命の女)、ダグニーが齎したものではなかっただろうか。

そういえばその最初から、彼女は画家に背を向けて、その画像に姿を現していたのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/eyasuko/diary/200807040000/#comment

ベルリン分離派展(1902)で初めて展示された(生命のフリーズ〉の22点はムンクの代表作。

血のように赤い女の髪が蹲る蒼い顔の男を覆う(吸血鬼〉(1893ー94)。

左手で頭を押さえる蒼白の男と、両手を頭の上で組み、胸をはだけて赤い下着を露出させた女を左右に対比した(灰〉(1925ー29)。

精神を病んだ妹ラウラが椅子に坐る、丸テーブルの赤い模様が脳の断面図を想わせる(メランコリー、ラウラ〉(1899)。

赤い空と青灰色のフィヨルド、左上から右下へ斜断する橋の上の人物‥‥
(叫び〉(1893)と同じ構図と色彩で描かれた(絶望〉(1893ー94)と(不安〉(1894)。

両手を後ろで組んだ赤いドレスの女と、その左後ろで海を眺める白いドレスの金髪女を対比する(赤と白〉(1894)。

左にクリーム色のドレスの女(オーセ)、中央に脚を開いて両手を頭の後ろで組んだヌードの女、右に青白い顔の黒服女‥‥少女〜壮年〜老年期を象徴する3人の女たちが右端の男を誘惑する(女性、スフィンクス〉(1893ー94)。

全裸の男女(ムンクとトゥッラ)が「生命の木」の右と左に立つ(メタボリズム〉(1899ー1903)は凝った造りの木の額(上部に風景、下部に骸骨と木の根が描かれている)に填められている。

左に白いドレスの女(トゥッラ)、中央で黒服と赤いドレスの男女が踊り、右端の黒いドレスの女が(嫉妬の眼差しで)見つめる(その間の奥では欲情した男が女を抱きしめてキスを強要している)(生命のダンス〉(1925ー29)は、男女の自由恋愛の遍歴と苦悩を左から右へ描く。

両手を後ろに回して胸を突き出した女性が目を閉じてキスを誘う(声 / 夏の夜〉(1893)のモデルは、ムンクの初恋の人ミリー・タウロウ(遠縁の従兄の妻)‥‥

(生命のダンス〉にも描かれていた水面に映る黄色い月の光の柱、セックスを暗示する「魔術的なシンボル」(ウルリヒ・ビショフ)が輝く。
                    *
彼は彼女の腰に腕をまわして坐っていた──彼女の頭は彼のすぐそばだった──
彼女の眼や口や胸がこんなにぴったり寄せられているのは何とも奇妙な感じだった──
彼は1本1本のまつ毛を眺めた──眼球の緑がかった色あいを眺めた──
それは海のようにすきとおっていた──ひとみは大きくて、半ば暗くかげっていた──
彼は指先で彼女の口に触れた──やわらかな唇の肉は彼が触れるがままにへこんだ──そしてその唇はほほえみへと変わっていった 

その青灰色の大きな眼がじっと自分を見つめるのを感じているうちに──彼は赤い光を映している彼女のブローチをしげしげと眺めた──ふるえる指先で触ってみた
それから顔を彼女の胸に押し当てた──血管の中で血が激しく流れるのが感じられた──

彼女の鼓動に耳をすました──彼女の膝に顔を埋めた 

燃えるような2つの唇が首筋に触れるのが感じられた──凍えるような冷たさが身内をつらぬいた──

凍えるような欲情が──それから彼女を力いっぱい引き寄せた 自分の方へ
エドヴァルド・ムンク 「間奏曲」


(吸血鬼〉(1916ー18)は一番最初に展示されていた同名作品の野外拡大ヴァージョン。

ムンクは同じテーマやモティーフ、構図の絵画を繰り返し何回も描いているし、タイトルにも制作年にも頓着しない。

(吸血鬼〉は(愛と苦痛〉という題名をプシビシェウスキが「象徴派風のより煽情的なタイトルに変更したもの」である。

別れた女の金髪が長く靡いて失意の男に絡み着く(別離〉(1896?)。

紅い果樹の下で密会する男女(ムンクとダグニー)に嫉妬する夫スタチュ(スタニスラウ・プシビシェウスキ)を前景に描いた(嫉妬〉(1895)の続編とも言うべき(赤い蔦〉(1898ー1990)

──赤い不吉なアメーバに覆われたヒョステルー邸が気味悪い──は「ダグニー殺害を象徴的に記念する」。

左下に紫色のフードを被った男が描かれた(嫉妬、庭園にて〉(1916ー20)も、妻の浮気に嫉妬する夫というモティーフのヴァリエーションの1つでしょう。

青い色調が美しい(星月夜 1〉(1922ー24)。

「魂の絵画」の第1作目で「後に表現主義の最初の傑作として知られることになる」(病める子供〉(1925)の初期ヴァージョンがオスロ秋季展(1886)に展示された時は「物笑いの種」にされた。

《ムンクの気違いじみた絵の前に行って大笑いするのは市民のお気に入りの気晴らしとなった》(スー・プリドー)という。

籐椅子に坐っている瀕死の少女ソフィエの傍らで頭を下げて泣く母ラウラという構図だが、現実では娘の死の前に母親は既に病死している。母親役のモデルを務めたのはカーレン叔母で、ソフィエ役は赤毛の少女ベッツイ・ニールセン(12歳)である。

19世紀末のノルウェー市民や美術批評家の多くは、ムンクの20世紀的な「魂の絵画」を全く理解出来なかった。同じ主題の絵でも鑑賞者1人1人によって感じ方が違う。《ムンクは主観性の放棄を否定した》のである。

「人魚:アクセル・ハイベルグ邸の装飾」は1896年の夏、ムンクがハイベルグ邸に短期滞在して描いた人魚のパネルで、《月光が縞をなす海辺から人魚がオースゴールストランの浜辺に姿を現わす》というもの。

(リンデ・フリーズ〉はドイツ人の眼科医マックス・リンデ博士の4人の息子の子供部屋のために制作された横長の連作(11点)だったが、子供らしいテーマの風景画という依頼主の期待に応えられなかった。

なぜなら、性愛や孤独や死という実存テーマが隠れていたから‥‥。
実体験に基づく実存的な絵画しか描けないムンクに、子供たちに夢を与える絵を注文すること自体に無理があったのではないか。

(果物を収穫する少女たち〉(1904)も額面通りに受け取れない深淵が覗く。

(ラインハイト・フリーズ〉は劇団を主宰するマックス・ラインハルトの依頼で制作したテンペラ画12点で、小劇場2階のロビーに飾られた。

「オーラ:オスロ大学講堂の壁画」は創立100周年を記念して建設された講堂の壁画で、大小11点のフリーズが制作された。

海から昇る白い大陽が放射状の黄色い光線を放つ(太陽(習作)〉(1912)。

海辺で老人が幼い少年に「歴史」を語る(歴史〉(1914)。

「恵の母」「母校」という意味の(アルマ・マテール〉(1914)は《赤子を胸に抱く頑強そうな体格の若い母親が未来を象徴する》。

(フレイア・フリーズ〉はノルウェーのチョコレート製造会社フレイアの社員食堂のための装飾画。

《ムンクは「チョコレート好きの少女」たちが昼食をとりながら眺めて喜びそうなものをすべて採り入れて、心の浮き立つ陽気な浜辺の情景をフリーズに描いた》。

(労働者フリーズ〉はオスロ新市庁舎のための壁画プロジェクト。

(雪の中の労働者たち〉(1909ー10)、(疾駆する馬〉(1910ー12)、(労働者と馬〉(1920?)‥‥というタイトル通り、「労働者」と「馬」と「雪」が主役になっている。
                    *

宵に宵を継いで意識は流れ、夢は夢を生み、新しい詩、本、戯曲、あるいはカンヴァス、錬金術の実験、科学の発見をうながす霊感を呼び起こす。

そこで語られた話題は

夢、催眠術、連想、カラー写真、「モーターを駆動する空気中の電気」、
魔術、呪術、遠隔操作で敵を殺す方法、悪魔を呼び出す方法、
石炭からヨウ素を採取する方法、卑金属から金や銀を製造する錬金術、
植物には神経があるか(ストリンドベリは果実にモルヒネを注入して近在の果樹園主を仰天させた)、
光のスペクトル分析、物理学、蚕抜きに水性の絹を製造する方法、
象徴が作用する仕組み、脳に対するまじないと薬品の効き目、性愛の力学

などがある。かれらの試みはむこうみずなくらい大胆で、それなりの自己犠牲も伴った。度を越したことは、肉体、精神、心理にどのような負担を強いようともエネルギーを産む源と考えられていた。
    スー・プリドー 『ムンク伝』


ムンクに大きな影響を与えた2人の人物にも触れておこう。

ハンス・イェーガーは無政府主義のニヒリストで「クリスティアニア(現オスロ)のボヘミアン」の首領。同世代の若者を「堕落させるか自殺に追い込むのが目標」で、信奉者の1人ヨハン・セックマン・フレイシャーが書いた戯曲を貶して、彼をピストル自殺に追い遣った。

ボヘミアン・グループの9戒は

「1. 汝、自らの人生を記せ」‥‥「9. 汝、自らの生命を奪え」

である。

アウグスト・ストリンドベリはベルリンのワイン・バー「黒豚亭」の常連。

ムンクと意気投合して、お互いに絵画を「共同制作」するなど親密な交際を続ける。

黒豚亭では悪魔主義の占星術師スタニスラウ・プシビシェスキを中心に、夜を徹して白熱した議論が交された。ニーチェ、イプセン、マラルメ、ドストエフスキー‥‥もムンクの創作活動に影響を与えた。

若い頃の写真を見れば分かるように美青年のムンクは女性にモテた。

人妻のミリー・タウロウ、司法長官の娘オーダ・クローグ、医者の娘でノルウェー首相の姪のダグニー・ユール、絵描き仲間のオーセ・ヌッレガール、ヴァイオリン奏者のエヴァ・ムドッチ、ワイン商の娘トゥッラ・ラーセン‥‥

トゥッラはムンクを追い回して辟易させた(女ストーカー?)。

彼女たちは絵のモデルになって名を残したが、終の住処であるエーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後も、家政婦兼モデル志願の若い女性たちがムンクの許を訪れた。

カーレン・ボルゲン、インゲボルグ・カウリン(モスピッケン)、セリーヌ・クーヴィリエ、ヘルガ・ログスター、フロイディス・ミョルスタ、アンニ・フィエルブ、カティア・ヴァリエル、ビルギット・プレストー‥‥

《娘たちは玄関の呼び鈴を鳴らし続ける》。

ムンクは自分の絵を「子供たち」と呼び、売らずに手許に残して置きたがったが、「娘たち」にも恵まれていたわけである。
http://sknys.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01

Edvard Munch. By the Fireplace. 1890-94. Pencil and Indian ink. 35.1 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch79.html

By the Deathbed (Fever). 1893. Pastel on board. 60 x 80 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch89.html

Edvard Munch. Dagny Juel Przybyszewska. 1893. Oil on canvas. 148.5 x 99.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch90.html#note

Edvard Munch. The Scream. 1893. Oil, tempera and pastel on cardboard. 91 x 73.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch32.html

Edvard Munch. The Voice. 1893. Oil on canvas. 87.5 x 108 cm. The Museum of Fine Arts, Boston, MA, USA
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch19.html

Edvard Munch. Moonlight. 1893. Oil on canvas. 140.5 x 135 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch22.html

Edvard Munch. The Hands. c. 1893. Oil on board. 91 x 77 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch134.html

Edvard Munch. Stormy Night. 1893. Oil on canvas. 91.5 x 131 cm. The Museum of Modern Arts, New York, NY, USA.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch24.html

Edvard Munch. Anxiety. 1894. Oil on canvas. 94 x 73 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch93.html

Edvard Munch. Madonna. 1894-95. Oil on canvas. 91 x 70.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch18.html
https://www.google.co.jp/search?q=Edvard+Munch+-+Madonna&lr=lang_ja&sa=N&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=cdAVUsQPy_-UBfWkgJgI&ved=0CCgQsAQ4Cg&biw=1002&bih=919#fp=114a45c7fbf5bb70&hl=ja&lr=lang_ja&q=Edvard+Munch++Madonna&tbm=isch&tbs=lr:lang_1ja&imgdii=_

Edvard Munch. Puberty. 1894. Oil on canvas. 151.5 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch21.html

Edvard Munch. Eye in Eye. 1894. Oil on canvas. 136 x 110 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch74.html

Edvard Munch. The Day After. 1894-95. Oil on canvas. 115 x 152 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch27.html

Edvard Munch. Ashes. 1894. Oil on canvas. 120.5 x 141 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch28.html

Edvard Munch. The Three Stages of Woman (Sphinx). c. 1894. Oil on canvas. 164 x 250 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch29.html

Edvard Munch. Red and White. 1894. Oil on canvas. 93.5 x 129.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch173.html

Edvard Munch. Melancholy. 1894-95. Oil on canvas. 81 x 100.5. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch30.html

Edvard Munch. Salome Paraphrase. 1894-98. Watercolor, ink and pencil. 46 x 32.6 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch136.html

Edvard Munch. House in Moonlight. 1895. Oil on canvas. 70 x 95.8 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch23.html

Edvard Munch. Stanislaw Przybyszewski. 1895. Tempera on canvas. 75 x 60 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch103.html#note

Edvard Munch. Self-Portrait with Burning Cigarette. 1895. Oil on canvas. 110.5 x 85.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch2.html

Edvard Munch. Moonlight. 1895. Oil on canvas. 93 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch20.html

Edvard Munch. The Death Bed. 1895. Oil on canvas. 90 x 120.5 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch33.html

Edvard Munch. Death in the Sick Chamber. 1895. Oil on canvas. 150 x 167.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch34.html

Edvard Munch. The Kiss. 1895. Etching, aquatint and drypoint. 32.9 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch96.html

Edvard Munch. The Scream. 1895. Lithograph. 35.5 x 24.4 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch100.html

Edvard Munch. Self-Portrait with Skeleton Arm. 1895. 45.5 x 31.7 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch99.html

Edvard Munch. Jealousy. 1895. Oil on canvas. 67 x 100 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch101.html

Edvard Munch. Madonna. 1895. Lithograph. 443 x 434 mm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://hotelmagazine.dk/blog/articles/twin-peaks/
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch170.html

Edvard Munch. Vampire. 1895-1902. Combined woodcut and lithograph. 38.5 x 55.3 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch104.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c1

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
2. 中川隆[-13524] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:18:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1380]

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか 2019年4月19日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka


 ムンクの陰気な絵は、実は、ドストエフスキーの陰気な作品のために用意された挿絵なのではないかいう気はしないだろうか?我々はそんな気がする、それで、それはやはり何か理由があるという裏付けを探し出した。


 4月にトレチャコフ美術館で、世界的に有名なノルウェー人、エドヴァルド・ムンクのロシア初の大きな展覧会が開かれている。ロシアでは、ムンクの作品はそれほど多くは知られていないにもかかわらず、彼の創作は、我々が推定しうるよりももっとロシアと大きな結びつきがある。ムンクが崇拝し、彼にインスピレーションを与えたのはドストエフスキーだった。ムンクのもっとも有名な作品『叫び』は、ドストエフスキーの悪霊の一人を絵画の中に住まわせたかのようにも見える。


エドヴァルド・ムンク、「叫び」、1893


 オスロのムンク美術館と数年間にわたって交渉を行ってきたトレチャコフ美術館の館長は、芸術においてムンクが成し遂げたことは、文学においてドストエフスキーが成し遂げたことと同じだという。「人間の心を裏返し、その奥にあるものをすべて、人間を苛む熱情の深みを描写し、人間の本性の複雑さを見せてくれたんだ」

ムンクはドストエフスキーの文学の才能に酔いしれていた

 若きムンクもその一員だった1880年代のオスロのボヘミアンは、クリエイティヴなアナーキストたちの集まりで、ちょうどその頃ノルウェー語に訳されたドストエフスキーを貪るように読んでいた。


エドヴァルド・ムンク。彼のワークショップにて。ノルウェー、1938年。


 「いつ、誰があの時代を描写できるだろうか?ドストエフスキーが例えばロシアのシベリアの町でうまくやったように、かなりの説得力をもってクリスチャニア(オスロの古い名)のつまらない生活を描き出すには、ドストエフスキー本人か、せめて、クローグ(画家、ムンクの教師)とイェーゲル(スキャンダルを巻き起こしたアナーキスト作家)と私自身を混ぜ合わせたものが必要だろう、当時だけでなく、今現在も」とムンクは書いている。

お気に入りの作品は『おとなしい女』

 ドストエフスキーのあまり有名でない(ともかく、他の長編小説の栄光の陰に隠れている)中編の『おとなしい女』は、おそらく、ムンクにもっとも大きな影響を与えている。これは、貧しさゆえに、軽蔑している質屋と結婚した不幸な女性の自殺をめぐる短編だ。

 もっとも有名なムンクの自画像のひとつで、裸の女性の姿が描かれている『柱時計とベッドの間の自画像』を、実は鑑定人たちは『おとなしい女』の挿絵だと考えている。


エドヴァルド・ムンク。『柱時計とベッドの間の自画像』1940-1943。


 病人や貧窮した若い女性たちへの芸術的な弱さを描くことが、ムンクとドストエフスキーに共通の特徴だ。ムンクのもっとも有名な絵のひとつ――『病気の子ども』、または『病気の少女』は、“未完成”だとして批評家たちの不評の嵐を呼んだが、大好きだった姉の結核による死をめぐる画家の悲しみが反映されている。

エドヴァルド・ムンク。「病気の少女」、1885-1886。

 「もっとも、なぜ自分が当時、彼女にかかずらっていたのかわからないんだ。彼女がいつも病気だったからという気がする…。彼女が足をひきずっていたり、背中がひどく曲がっていたりしていたら、自分は、もっと彼女を愛せたような気がするんだ…」とラスコーリニコフは言った。

ムンクの絵は、ドストエフスキーの主人公のように苦しんでいた

 ムンクの伝記作家ステネルセンは奇妙な手法について記述している。それは、自分の絵を自身の子どもたちだとみなした画家が、それゆえに絵たちを「育てよう」としたが、うまくいかなかったというのだ。彼は、自分の絵を雨や風の中、雪の下に置き、いくばくかの時間が経ってから回収していた。まさにこうして彼は『別離』という作品を創作したため、この絵はひどく損傷していることはよく知られている。偶然に現れたシミ、例えば、鳥のフンの痕などが絵の一部になっている。

エドヴァルド・ムンク。「別離」、1896


 この手法を、ムンクは「ヘステクールhestekur」と呼んでいた、「馬の治療」という意味だ。鑑定人たちは、これはラスコーリニコフの夢を示唆していると考えている。その夢の中で幼い主人公は、男が弱りきった痩せ馬を、「自分のもの」だからというだけで殴っているのを見る。かたや野次馬は「くたばるまでぶったたけ」と言っている。

ムンクは自分を作家と同一視していた


エドヴァルド・ムンク、自画像


 ムンクはおそらく、現代ではファンアートと呼ばれる、小説のファンが好きな作品をもとに作る芸術を創作したのかもしれない。無数にある自分の自画像の中のひとつに、ムンクは骸骨の手をした自分の姿を描いている。この作品のインスピレーションをムンクに与えたのは、スイスの画家フェリックス・ヴァロットンが似た手法で描いたドストエフスキーの肖像だったという意見もある。

フェリックス・ヴァロットン。ドストエフスキーの肖像。

ムンクはドストエフスキーの本と共に亡くなってるところを発見された

 この展覧会には画家が所有していた小さな本が一冊展示されており、それはショーケースの中のディアギレフがムンクに宛てた手紙の横に置かれている。この本は『Djasvlene』――ノルウェー語で小説『悪霊』の題名だ。1944年、オスロ近くにある郊外の自身の領地で、まさにベッド横の小机の上にあったこの本と共にムンクは亡くなっているところを発見された。

*ロシア・ビヨンドは、この資料の準備を助けてくれた、文化学者でジャーナリストで公開公演局「プリャマヤ・レーチ」の講師、そしてポッドキャスト「少年のための芸術」の作家で司会でもあるアナスタシア・チェトヴェリコワに感謝を申し上げる。


https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c2

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
3. 中川隆[-13523] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1381]

世紀末の音楽 アルノルト・シェーンベルク 『浄められた夜』


Schonberg “Verklärte Nacht” Karajan & BPO, 1974



Arnold Schönberg Pelleas und Melisande, Op. 5 (Karajan, Berliner Philharmoniker)



Schonberg “Variations for Orchestra, op 31” Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker, 1974



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Second Viennese School Orchestral Works [ H.V.Karajan Berlin-PO ] (1972~74)





1. Schoenberg "Pelleas und Melisande" (00:00)
2. Schoenberg "Variation for Orchestra" (43:25)
3. Schoenberg "Verklarte Nacht" (1:05:51)
4. Webern "Passacaglia for Orchestra" (1:35:39)
5. Webern "Six Pieces for Orchestra" (1:47:51)
6. Webern "Symphony" (2:00:51)
7. Berg "Three Pieces for Orchestra" (2:11:08)
8. Berg "Three Pieces from the 'Lyric Suite" (2:42:14)


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Schoenberg Gurre 1988 08 08 Berlin Abbado - YouTube




8-8-1988 Philharmonie Berlin
Arnold Schönberg Gurrelieder
European Community Youth Orchestra; Gustav Mahler Jugendorchester; Enrst Senff Chor Berlin; Philharmonischer Chor Berlin; Wiener Jeunesse Chor
Claudio AbbadoClaudio Abbado

Jessye Norman (Sopran)
Brigitte Fassbaender (Mezzosopran)
George Gray (Tenor)
Helmut Wildhaber (Tenor)
Hartmut Welker (Bariton)
Barbara Sukowa (Sprecherin)

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若い頃のシェーンベルクはブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。

『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。

これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。

1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


マーラー(1860年7月7日 - 1911年5月18日)と シェーンベルク(1874年9月13日 - 1951年7月13日)の関係

マーラーは14歳年下であるアルノルト・シェーンベルクの才能を高く評価し、また深い友好関係を築いた。

彼の『弦楽四重奏曲第1番』と『室内交響曲第1番ホ長調』の初演にマーラーは共に出向いている。

前者の演奏会では最前列で野次を飛ばすひとりの男に向かい「野次っている奴のツラを拝ませてもらうぞ!」と言った。この際は相手から殴りつけられそうになったものの、マーラーに同行していたカール・モル(英語版)が男を押さえ込んだ。男は「マーラーの時にも野次ってやるからな!」と捨て台詞を吐いた。

後者の演奏会では、演奏中これ見よがしに音を立てながら席を立つ聴衆を「静かにしろ!」と一喝し、演奏が終わってのブーイングの中、ほかの聴衆がいなくなるまで決然と拍手をし続けた。この演奏会から帰宅したマーラーは、アルマに対しこう語った。

「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」

シェーンベルクの側でも、当初はマーラーの音楽を嫌っていたものの、のちに意見を変え「マーラーの徒」と自らを称している。1910年8月には、かつて反発していたことを謝罪し、マーラーのウィーン楽壇復帰を熱望する内容の書簡を連続して送っている。

ある夜、マーラーがシェーンベルクとツェムリンスキーを自宅に招いたとき、音楽論を戦わせているうち口論となった。反発するシェーンベルクに怒ったマーラーは「こんな生意気な小僧は二度と呼ぶな!」とアルマに言い、シェーンベルクとツェムリンスキーはマーラー宅を「もうこんな家に来るものか!」と出て行った。だが、数週間後にマーラーは「あのアイゼレとバイゼレ(二人のあだ名)は、なぜ顔を見せないのだろう?」とアルマに尋ねるのだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC#%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


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アルノルト・シェーンベルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874年9月13日 - 1951年7月13日)は、オーストリアの作曲家・指揮者・教育者。 調性音楽を脱し無調に入り、十二音技法を創始したことで知られる[1]。アメリカに帰化してから1934年以降は、「アメリカの習慣を尊重して」[2]"ö"(o-ウムラウト)を"oe"と表記したSchoenbergという綴り[3]を自ら用いた。アメリカでは「アーノルド・ショーンバーグ[4]」と呼ばれた。

父シャームエル・シェーンベルク(Sámuel Schönberg 1838年 - 1889年 [1])は代々ハンガリーのノーグラード県セーチェーニに住むユダヤ人で、靴屋を営んでいた。母パウリーネ・ナーホト(Pauline Náchod 1848年 - 1921年)もボヘミア(現・チェコ)プラハ出身のユダヤ人であった。

ウィーンにて生誕。初めはウィーン人らしくカトリックのキリスト教徒として育てられる。8歳よりヴァイオリンを習い始める。その後チェロを独学で学ぶ。15歳の時、父が亡くなり、経済的に立ち行かなくなった彼は、地元の私立銀行に勤め始め、夜間に音楽の勉強を続けていた。その後作品を発表し始めたころに彼の余りにも前衛的な態度のため、激怒した聴衆によってウィーンを追い出され、ベルリン芸術大学の教授に任命される時、プロテスタントに改宗、その後ナチスのユダヤ政策に反対して1933年、ユダヤ教に再改宗している。


無調への試み

若い頃の彼はブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。

1908年、弦楽四重奏曲第2番(1907年〜1908年)のソプラノ独唱付きの終楽章と、歌曲集『架空庭園の書』(1908年〜1909年)で初めて無調に到達した、とされることも多い。 1909年に書かれた『3つのピアノ曲』op. 11や『5つの管弦楽のための小品』op. 16、モノドラマ『期待』op. 17では、多少調性の香りを残していたが、無調の様々な可能性が試みれられた。『6つの小さなピアノ曲』op. 19(1911年)で、調性をほぼ完全に放棄するに至った、とする見解もある。これらの実験から傑作歌曲集『月に憑かれたピエロ』(ピエロ・リュネール)が生まれる。

『月に憑かれたピエロ』は『期待』の成果を更に推し進めて生み出されたと言ってよいかも知れないが、着想などは更にユニークである。ラヴェルやストラヴィンスキーに影響を与え、前者が『マラルメによる3つの歌』を、そして後者が紀貫之の短歌等による『日本の3つの抒情詩』を作るきっかけとなった。そして後のブーレーズらにも影響を与えた傑作である。物語の朗唱を室内楽で伴奏をするという方法が、かつてなかったとは言えないまでも、これほどにまで高められた作品は皆無で、またかつて無い効果をあげた伴奏の書法も全くユニークな傑作であった。

ただ、時代は無調の音楽に対する準備が出来ていたとは言えなかった。ストラヴィンスキーの『春の祭典』で大騒ぎとなるような時代で、無調の音楽は一部のサークルの中だけのことであった。ウィーンの私的演奏会で聴衆が怒り出してパニックになったり帰る人が続出したのは当然であった。しかし、指揮者のシェルヘンなどが積極的にこれらの音楽を後押しし、演奏してまわったことで、シェーンベルクなどの音楽が受け入れられるようになっていく。

同じ頃、弟子のアルバン・ベルクは『クラリネットとピアノのための5つの小品』op. 5や『管弦楽のための3つの小品』op. 6などで、無調(あるいは拡大された半音階主義)の作品を発表し、アントン・ヴェーベルンも師シェーンベルクにならって『6つの小品』op. 6を書いているが、シェーンベルクはバランス感覚に優れ、ベルクはより劇的で標題性を持ち、ヴェーベルンは官能的なまでの音色の豊穣さに特徴があり、明確な個性の違いがあるのは興味深い。

12音音楽の確立

1910年代後半、シェーンベルクは大作『ヤコブの梯子』に挑むが、第一次世界大戦で召集されたためにその他の多くの作品と共に未完のままに終わった。同じ頃、弟子のベルクは歌劇『ヴォツェック』Op.7を完成する。シェーンベルクらと始めた無調主義による傑作オペラの登場である。無調主義が次第に市民権を持ちはじめると共に、無調という方法に、調性に代わる方法論の確立の必要性を考えるようになっていった。それが12音音楽であった。

12の音を1つずつ使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディーや伴奏を作るのが12音音楽である。一つの音楽に使われる基本となる音列は一つであり、別の音列が混ざることは原則としてない。したがって、この12音音楽は基本となる音列が、調性に代わるものであり、またテーマとなる。そして音列で作っている限り、音楽としての統一性を自然と得られる仕組みとなっている。

この手法でシェーンベルクが最初に書いたのが、全曲12音技法で書かれた『ピアノ組曲』op.25(1921年〜1923年)の「プレリュード」(1921年7月完成)である。作品番号では『5つのピアノ曲』op.23(1920年〜1923年)が先立っているが、12音技法による第5曲「ワルツ」は1923年2月の完成とされている。ヴェーベルンも1924年、『子どものための小品』の中で12音音列を使った作品を書き、ベルクもすぐにその技法を部分的にとり入れた。

ただし、12音の音列による作曲法はシェーンベルクの独創とは言えない。ウィーンの同僚であったヨーゼフ・マティアス・ハウアーが、シェーンベルクより2年ほど前にトローペと言われる12音の音列による作曲法を考案している。1919年にハウアーが作曲した『ノモス』は、最初の12音音楽と見なされている。この年、シェーンベルクはこの作品を自身の演奏会で紹介しているが、ハウアーが12音音楽の創始者であることに固執したこともあり、シェーンベルクと、その理解者でベルクの弟子でもある哲学者・音楽学者のテオドール・アドルノの2人から酷評される。また、1930年代のナチスの台頭により退廃音楽家として排斥され、戦後に再評価されるまで全く忘却されてしまったこともあり、ハウアーが1920年代に果たした役割が過小評価されていることは否めない。

弟子のヴェーベルンが音楽をパラメータごとに分解してトータル・セリエリズムへの道を開き、形式上の繰り返しを否定し変容を強調したのに対し、シェーンベルクは無調ながらもソナタや舞曲など従来の形式を踏襲している。また初期の無調音楽は部分的には機能和声で説明できるものが多く、マーラーやツェムリンスキーなど高度に複雑化した和声により調性があいまいになっていた後期ロマン派音楽の伝統と歴史の延長線上に位置する。

厳格でアカデミックな(ただしかなり偏った解釈でもあった)教育方針は古典作品の徹底的なアナリーゼを基礎としていた。12音技法の開拓後はリズム、形式面で古典回帰が顕著で、彼自身も新古典主義との係わりを避けることは出来なかった。

美術をはじめとする芸術一般にも興味を持ち相互に影響した。シェーンベルクの描いた表現主義的な『自画像』は(メンデルスゾーンなどと同じく)画家としての才能も示している。ロシアの画家カンディンスキーはシェーンベルクのピアノ曲演奏風景をそのまま『印象・コンサート(1911年)』という作品にしている。

亡命と晩年

ナチス・ドイツから逃れて1934年にアメリカに移住する。移住後も南カリフォルニア大学(USC)とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にて教育活動を精力的に行い、弟子にはジョン・ケージ、ルー・ハリソンなど、アメリカ現代音楽を代表する作曲家も含まれる。(アメリカでの教育活動は、アメリカの音楽教育に大きな革新をもたらしたが、反対にある種「後遺症」ともいうべき偏ったアカデミズムが長く根付くこととなった。) USCには彼の名をちなんだリサイタルホールを擁する「アーノルド・シェーンバーグ研究所」(Arnold Schoenberg Institute)があり、UCLAには彼の生前の功績をたたえ、記念講堂が建造されているが、実際のアメリカのシェーンベルクの家財道具などにアメリカでは管理費などの寄付が全く集まらず、母国のオーストリアがすべて輸入して引き取り、現在ウィーン市にシェーンベルク・センターとして情報の公開に多大の寄与をしている。

移住後は、『室内交響曲第2番』『主題と変奏』などの調性を用いた先祖帰りの作品も作曲しているが、大半が旧作の完成か、アメリカの大学の委嘱などで学生でも演奏ができるように書いた作品である。

また、他界する直前まで合唱曲『現代詩篇』を作曲していたが、未完に終った。戦後始まった第1回ダルムシュタット夏季現代音楽講習会からも講師として招待されたが、重い病気のためキャンセルした。

1951年7月13日、喘息発作のために、ロサンゼルスにて死去した。76歳。故郷ウィーン中央墓地の区に葬られており、墓石は直方体を斜めに傾けた形状である。


主な作品

詳細は「シェーンベルクの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


歌劇

期待 op.17(1909)
幸福な手 op.18(1908-1913)
今日から明日まで op.32(1928-1929)
モーゼとアロン (1930-1932、未完)



管弦楽曲

交響詩「ペレアスとメリザンド」 op.5(1903/1913、1918改訂)
室内交響曲第1番 op.9(1906/1923改訂/1914、1935管弦楽版)
室内交響曲第2番 op.38(1906-1916、1939-1040)
5つの管弦楽曲 op.16(1909/1922改訂/1949小管弦楽版)
浄められた夜 op.4 (1917、1943弦楽合奏版)
管弦楽のための変奏曲 op.31(1926-1928)
映画の一場面への伴奏音楽 op.34(1929-1930)
組曲ト長調(弦楽合奏)(1934)
主題と変奏 op.43a(吹奏楽版:1943)/op.43b(管弦楽版:1944)




協奏曲

ヴァイオリン協奏曲 op.36(1934-1936)
ピアノ協奏曲 op.42(1942)



室内楽曲

浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版:1899)
弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 op.7(1905)
弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 op.10(1907-1908/1929弦楽合奏版) ※ソプラノ独唱付き、調性から無調への過渡期の作品
弦楽四重奏曲第3番 op.30(1927)
弦楽四重奏曲第4番 op.37(1936)
弦楽四重奏曲第5番(断片)
弦楽四重奏、五重奏、七重奏、三重奏の数々の断片
弦楽三重奏曲 op.45(1946)
鉄の旅団(1916)
セレナード op.24(1920-1923)
クリスマスの音楽(1921)
管楽五重奏曲 op.26(1923-24)
7楽器の組曲 op.29(1924-1926)
ヴァイオリンのためのピアノ独奏付き幻想曲 op.47(1949)



ピアノ曲

3つのピアノ曲 op.11(1909)
6つのピアノ小品 op.19(1911)
5つのピアノ曲 op.23(1920-1923)※無調から12音への過渡期の作品
ピアノ組曲 op.25(1921-1923)
ピアノ曲 op.33a(1928)
ピアノ曲 op.33b(1931)



独唱曲

月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール) op.21(1912)
2つの歌 op.14(1907-1908)
架空庭園の書 op.15(1908-1909)
心のしげみ op.20(1911)
4つのオーケストラ歌曲 op.22(1913-1916)
ナポレオンへの頌歌 op.41(1942)



合唱曲

地上の平和 op.13(1907)
グレの歌 (1900-1911)
ヤコブの梯子(1917-1922、未完)
4つの混声合唱曲 op.27(1925)
3つの風刺 op.28(1925)
6つの無伴奏男声合唱曲 op.35(1929-1930)
コル・ニドレ op.39(1938)
ワルシャワの生き残り op.46(1947)
千年を三たび op.50a(1949)
深き淵より op.50b(1950)



編曲
チェロ協奏曲ト短調(モンの協奏曲による)(1912)
チェロ協奏曲(モンのチェンバロ協奏曲による)(1932-1933)
弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲(ヘンデルの合奏協奏曲op.6-7による)(1933)
バッハ:コラール前奏曲BWV631の管弦楽編曲(1922)
バッハ:コラール前奏曲BWV654の管弦楽編曲(1922)
ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲の室内楽編曲(1925)
バッハ:前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552「聖アン」の管弦楽編曲(1928)
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番の管弦楽編曲(1937)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲の室内楽編曲(10人編成)



著作

ここでは日本で出版されたものを紹介する。
『和声学 第1巻』(山根銀二訳、「読者の為の翻訳」社、1929) 第2巻が出版されたかは不明。
『作曲法入門』(中村太郎訳、カワイ楽譜、1966)
『和声法』(上田昭訳、音楽之友社、1968、新版1982)
『作曲の基礎技法』(G.ストラング、L.スタイン編、山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1971)
『音楽の様式と思想』(上田昭訳、三一書房、1973) 1950年にアメリカで出版されたStyle and Ideaからの抄訳。
『対位法入門』(山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1978)
カンディンスキーと共著『出会い――書簡・写真・絵画・記録』(J.ハール=コッホ編、土肥美夫訳、みすず書房、1985)
『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』(上田昭訳、ちくま学芸文庫、2019)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c3
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
4. 中川隆[-13522] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:34:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1382]

詳細は

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c4

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
5. 中川隆[-13521] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:36:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1383]

シェーンベルクに一番強い影響を与えたのはブラームスですが、ブラームスは若い時から世紀末的な暗鬱で救いの無い音楽ばかり書いていたのですね:


ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html

ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html

ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/840.html

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html  



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c5

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
6. 中川隆[-13520] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1384]

ヨハネス・ブラームス 『余韻 Nachklang』


Brahms: Nachklang, op.59, No.4
Mischa Maisky - Song of the Cello





8 Lieder und Gesänge, Op. 59: No. 4, Nachklang





▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
Kathleen Ferrier Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2





Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.



▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms






Kathleen Ferrier, contralto
John Newmark, piano
Rec.12-14 July, 1950

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c6
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
7. 中川隆[-13519] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:01:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1385]

世紀末の音楽 ブラームス


brahms Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952)
ブラームス クラリネット三重奏曲 ウラッハ&クヴァルダ




brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ




brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper




brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第1番 ウラッハ&デムス




brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第2番 ウラッハ&デムス





ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111 アルバン・ベルク四重奏団 1998


https://www.youtube.com/watch?v=Qc7f1_2_oU4


brahms Trio in E flat major for Piano, Violin and Horn, Op. 40 - Busch - Brain - Serkin



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c7
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
8. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:15:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1386]

世紀末の画家 グスタフ・クリムト



愛と官能の画家 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」 絵画集





デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描 T 人物




デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描U 裸婦




テキスタイルの美「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」





グスタフ・クリムト(1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、オーストリアの世紀末ウィーンを代表する象徴主義、アール・ヌーヴォーの画家。ウィーン分離派の創始者の一人。

女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描く、センセーショナルな画家として知られるクリムトだが、多くの風景画も残しています。
この動画は人物画、風景画、写真など145点をまとめて紹介する動画になります。

グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテンで銅版彫刻家の家に生まれた。

クリムトは1894年にウィーン大学大講堂の壁画「医学」、「哲学」、「法学」を制作しました。その作品では闇と死、心の奥底に潜む不安を描き出し、クリムトの独自の世界観を表現しました。
1897年にクリムトを中心に新しい造形表現を追求したウィーン分離派が結成され、その初代会長を務めてました。

1900年以降、ラヴェンナの黄金モザイク壁画と日本の琳派に影響を受けました。
1902年に「ベートーヴェン・フリーズ」を始めとして、金箔などを用いる装飾的な独自の「黄金様式」を形成しました。その「黄金の時代」の体表作品「接吻」はよく知られます。

1905年に写実派との対立ため、ウィーン分離派を脱退しました。

晩年の作品には黄金色から華麗な色彩へ移しました。花のモティーフを基調とした肖像画、生命とエロスを主題としたものを主に制作しました。
1918年に55歳で脳梗塞と肺炎により亡くなります。

クリムトの絵画は、エゴン・シーレら弟子たちや20世紀の美術に大きな影響を与えました。




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c8
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9. 中川隆[-13517] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:16:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1387]



世紀末の画家 エゴン・シーレ


天才画家 「エゴン・シーレ Egon Schiele」1906年−1911年の絵画まとめ






エゴン・シーレ「Egon Schiele」(1912−1918) 絵画集 U





デッサンの魅力「エゴン・シーレ Egon Schiele」素描 裸婦







エゴン・シーレ(1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアのウィーン分離派の象徴主義、表現主義の画家。

シーレは28歳という若さで世を去ったがその短い生涯で大量のドローイングや水彩画、油彩画を残っている。

1906年はウィーン美術アカデミーに入学した。

1907年にクリムトとの出会って、シーレに初期の作品は影響を与えられた。

1909年、アカデミーを正式に退校して、本格的に独自の活動を開始した。
その後ゴッホやドイツ表現主義の画家達(ヤン・トーロップ、エドヴァルド・ムンク)の絵画を目の当たりにし、自らの芸術観に多大な影響を与えられた。

1910年から1911年に、女性だけでなく子供や自分ヌードの自画像も急増した。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c9
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
10. 中川隆[-13516] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:18:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1388]

世紀末の画家 オーブリー・ビアズリー


「白黒ペン画の鬼才」オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)の挿絵集





オーブリー・ビアズリー(1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、耽美主義、アール・ヌーヴォーの代表的画家、イギリスの挿絵画家(イラストレーター)、詩人、小説家。

結核のゆえに25歳の若さで夭折した白黒のペン画天才。

ビアズリーの作品は、ラファエル前派の複雑な構成と装飾的な様式、
なめらかな線と、対照的な白黒、および日本の浮世絵のエロティックなデザインが特徴です。

この動画は挿絵白黒ペン画の先駆者、オーブリー・ビアズリーの挿絵、『イエロー・ブック』、『サロメ』、『女の平和』『ピエロの図書館』、『サヴォイ』誌創刊等を紹介する動画になります。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c10
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
11. 中川隆[-13515] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:21:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1389]

戦争より恐れられた病 Posted October. 25, 2018 09:24,


昨今、インフルエンザは、1本のワクチン接種でそれほど心配しなくて済む病気だが、100年前までは、人類の歴史を揺るがした恐怖の病気だった。特に1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦とかみ合って流行し、5000万人以上の命を奪った大災害だった。オーストリアの将来を嘱望されていた若い画家エゴン・シーレも、その災いを避けることができなかった。

シーレは、クリムトを凌ぐ才能が認められた天才画家であり、赤裸々なエロヌード画で20世紀の初め、ウィーン美術界を揺るがした問題作家でもあった。死への不安と恐怖、性的欲望をよどみなく表わした彼のヌード画は、しばしば芸術とわいせつの間で激しい論争をまき起こした。

1915年、シーレは4年間一緒に暮らした貧しい恋人の代わりに、中間層出身のエディトと結婚した。結婚から4日後、第1次世界大戦に徴兵されたが、軍でも才能を認められ、いくつかの展示会に参加して名前を知らせた。1918年は彼の名声がピークに達した年だった。ウィーン美術界の巨匠クリムトの死亡後、3月に開催された「分離派」の展示会で、シーレは作家として大成功を収めた。絵の価格が高騰し、肖像画の注文が殺到した。ようやく経済的にも精神的にも安定した時期を迎えたのだ。さらに嬉しいことに、妻が結婚から3年ぶりに妊娠したことだった。

この絵は、まもなく生まれてくる子供を待つ喜びで、シーレが描いた家族画である。母にすがりつく赤子と、その赤子と同じ場所から見つめる母、そして家長として家族を守るというジェスチャーを取っている画家自身の姿が描かれている。何もかけていない純粋で無邪気な家族の肖像である。

しかし、幸せもつかの間。同年10月28日、ウィーンにまで広がったスペイン風邪で、エディトが妊娠6カ月のお腹の子供と一緒にこの世を去った。3日後、シーレもインフルエンザに感染して、この世を去った。彼がわずか28歳の時だった。当時スペイン風邪の犠牲者数は、第1次世界大戦の死者の3倍を超えた。戦争より恐ろしい災害は、まさにインフルエンザだったのだ。
http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85

▲△▽▼

スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人

ギヨーム・アポリネール(文学者)
マックス・ヴェーバー(政治学者)
グスタフ・クリムト(画家)
エゴン・シーレ(画家)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家)
エドモン・ロスタン(劇作家)
チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家)

竹田宮恒久王(皇族)
末松謙澄(政治家、元内務大臣)
徳大寺実則(公爵、元内大臣)
島村抱月(劇作家)
村山槐多(画家)
野村朱鱗洞(俳人)
辰野金吾(建築家)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c11

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
12. 中川隆[-13514] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:22:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1390]

額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月9日(木)19時15分〜19時30分
【司会】ふせえり

ここ数日、肌寒い日が続いていますが、もう直にジメジメと湿気の多い梅雨の季節になるのかと思うと、うっとおしい限りです。雨の日は美術館の来場者が減ってゆっくり絵画を鑑賞することができることが多いので、個人的に雨の日の美術館巡りを好んでいます。未だ病気が完全に本復した訳ではないので、家で美術館関係の映像を見て過しています。


https://f.hatena.ne.jp/bravi/20120613192142
エゴン・シーレ作「死と乙女」(1915年)

先日、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」等の作品について記事を書きましたが、今日はクリムトの愛弟子で世紀末ウィーンで活躍した表現主義の画家エゴン・シーレの「死と乙女」について書きたいと思います。最愛の恋人との別離を描いた「死と乙女」はエゴン・シーレの最高傑作と言われ、ゴツゴツした岩の上で抱き合う二人はシーレと彼のモデルで恋人でもあったヴァリー・ノイツィルを描いたものですが、1911年にシーレはクリムトから彼のモデルであったヴァリーを譲り受け、その後4年間に亘ってシーレのモデルを務めますが、この間にバリーの代表作の殆どが創作されています。

上述のとおり、この絵は最愛の恋人との別離を描いたもので、死と別離がテーマになっています。この絵の男性はシーレで「死」を象徴し、女性はヴァリーで「女神」(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)を象徴しています。シーレは跪いている男性モデルを正面から描写していますが、寝そべっている女性モデルは脚立の上から描写しています。この2つの異なる視点から描いた男性モデルと女性モデルを1つの絵として合体することによって、この絵を見る者に不安定な印象を与えています。

これは2人の別れを暗示するために意図的にこのような描き方がされたものです。なお、この絵はシーレがヴァリーに別れを告げて、ヴァリーがシーレに泣きついているところを描いたものですが、男性の右手は女性を突き放そうとし、また、男性の背中に回している女性の両指はきつく結ばれず別れを拒絶していないように見えます。シーレは、他の資産家の娘(エディット)と結婚するためにヴァリーに別れを告げていますが、その際、毎年夏に一緒に休暇を過そう(即ち、愛人として関係を続けよう)とヴァリーに持ち掛けたところ、ヴァリーはこの提案をきっぱりと断って涙を見せずに立ち去ったそうです。これにシーレはショックを受けますが、この絵の男性モデルの見開かれた目はその時の驚きを表現したものです。このようにシーレは被写体の内面までもキャンバスに描き込んだ作家であり、この絵が見る者に強い印象(メッセージ性)を与える理由はそこにあるのかもしれません。

https://f.hatena.ne.jp/bravi/20090712074119
エゴン・シーレ作「縞模様の服を着たエディット・シーレ」(1915年)

※上掲の「死と乙女」と比べると、同じ作家が描いたとは思えないほど被写体によって画力に違いがあります。

なお、「死と乙女」という標題は、若い娘が清らかなままあの世に召されることを意味し、当時、絵画や文学の主題として数多く用いられてきましたが、その標題のとおり1917年にヴァリーは23歳の若さで従軍看護婦として戦地で病死します。(因みに、同年にクリムトも他界しています。)更に、その翌年、シーレの妻エディットがスペイン風邪で病死し、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去っており、この絵はシーレとヴァリーの運命も占っていた怖い絵とも言えそうです。「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、この絵はシーレとヴァリーの人生をも語る含蓄深い一枚と言えると思います。
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c12

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
13. 中川隆[-13513] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:27:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1391]

世紀末の音楽 グスタフ・マーラー

グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c13

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
14. 中川隆[-13512] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:30:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1392]


MAHLER - ADAGIETTO SYMPHONY 5 - BRUNO WALTER 1938.flv






Mengelberg Mahler : Symphony No. 5 W - Adagietto



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c14
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
15. 中川隆[-13511] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:34:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1393]

Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936)





【高音質復刻】Bruno Walter & VPO - Mahler: Das Lied von der Erde (1952.5.14-16)




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c15
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
16. 中川隆[-13510] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:36:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1394]

ブルーノ・ワルター指揮 マーラー 交響曲第9番

【高音質復刻】Walter & VPO - Mahler: Sym No 9 (1938.1.16)




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c16
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
17. 中川隆[-13509] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:53:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1395]

世紀末の作家 アントン・チェーホフ. Anton Chekhov.


戯曲『かもめ (The Seagull)』 第1幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull01.html

登場人物

アルカージナ:大袈裟でわがままで、年齢を超越してる大女優

トレープレフ:神経質で自意識の強い作家志望のマザコン息子

ソーリン:気弱で病弱で死にそうで、失望している退職ジジイ

ニーナ:華やかな世界を夢見る女優志望の、せっかちな田舎娘

シャムラーエフ:ごうつく張りで頑固で芝居好きの農場経営者

ポニーナ:若き日のあこがれを諦めきれない、不埒なオバサン

マーシャ:黒服にウォッカを飲み、嗅ぎタバコをする陰気な女

トリゴーリン:実生活を知らず、優柔不断で自信ない流行作家

ドールン:遊びすぎた人生に不足を感じている、冷めた町医者

ドヴェジェンコ:貧乏で内気でいじけた、理屈っぽい学校教師


場所

森と湖のある避暑地の、ソーリンの屋敷。


第1幕


劇場。湖に面している(らしい)。イス数脚に、ベンチなど。正面に組み立て中の仮設舞台。
黒い服の裏方たちが、ナグリを持って、灯体をもって右往左往している。騒々しい音。時間がなくて、イライラしている空気。


1 喪服


マーシャ、ここにいない誰かを探している。
メドヴェジェンコ、マーシャの心を探している。

メドヴェジェンコ:どうして? ねえ、どうしていつも黒い服なわけ?

マーシャ:人生お先真っ暗で、幸せなんかどこにもないからでしょ。

メドヴェジェンコ:そうなの? そうかなァ? だってあなた、病気じゃないし、お父さんは金持ち、ってわけでもないけど、でも苦労なんか知らないじゃない。僕なんかひどいよ。月二十三ルーブルの安月給から、保険だの退職金の積み立てだのさっ引かれてさ。それでも喪服なんか着ないよ。

マーシャ:お金の問題じゃないでしょ。貧乏してたって幸せな人はいるでしょ。

メドヴェジェンコ:理屈だなァ。そういう奴もいるかもしれない。けど、そうじゃないよ、現実は。僕なんか、おふくろと妹ふたりと、まだチビの弟といてさ、月たったの二十三ルーブルだよ。なのに人間、食わなきゃいけない、飲まなきゃいけない、ね。お茶もいる。お砂糖もいる。煙草も吸う。どうもこうも、どうにもならないんだよ。

マーシャ:(仮設舞台を見て)もうすぐ始まるわ。

メドヴェジェンコ:ああ、そうだね。主演はニーナ、作・演出はコースチャ。うまくやってるよなァ、あいつら。今夜はきっと、二人の魂が一つの芸術作品で結ばれるってわけだ。だけど、ねえマーシャ、僕と君の魂は……。ああ、チクショウ! 家にいても落ち着かなくってさ、行きに6マイル、帰りにも6マイル、毎日毎日エッチラオッチラやってきて、揚げ句の果てに無視されて。いいよ。わかってるよ。金はないし、家族は多いし、誰がこんな男と結婚するんだっていうんだろ?

マーシャ:バカみたい。(嗅ぎタバコを吸う)わかるけど、どうしようもないでしょう。(嗅ぎタバコを差し出して)どう?

メドヴェジェンコ:そんな気分じゃないよ。


間。

マーシャ:蒸すわね、今夜はきっと嵐だわ。理屈はもうたくさん。それから、お金の話も。貧乏じゃなくったって、世の中には不幸なことがいっぱいあるわ。みじめな生活のほうが五百倍も気が楽かもしれない。あなたになにがわかるのよ。

2 田舎暮らし

ソーリン、わがままな妹の不機嫌に、夢の中まで追い掛けられている。
トレープレフ、本番前の緊張と成功への期待に興奮している。

トレープレフ:(作業をしている裏方を見守っている)

ソーリン:わしゃホント苦手じゃ、田舎という奴ァ。(ステッキ突いて、うろうろしながら)これから先も、もう慣れるってことはないんじゃろうなってなあ。夕べだって10時には寝た。だのに目が覚めたのは9時だぞ。ハッハッハ! あんまり寝過ぎて、脳味噌が頭蓋骨の内側にくっついちまったわ! なのに昼メシ食ってからまた寝ちまって、結局疲れた。……悪夢というかなんちゅうか、まあ、そういうことじゃろ。

トレープレフ:おじさんは根っから都会的なんですよ。(マーシャとメドヴェジェンコに)言ったじゃないか! 始める時には呼ぶから、それまでは向こうに行っててくれ!

ソーリン:マーシャ。犬の鎖をほどくようにって、お父さんに言ってくれ。ああ吠えられた日にゃ、妹だって眠れやしない。

マーシャ:ご自分でおっしゃってください。ごめんだわ、あたしは。(メドヴェジェンコに)ホラ行くわよ!

メドヴェジェンコ:呼んでくれよ、始まる時には。


マーシャとメドヴェジェンコ、出ていく。

ソーリン:ってことはだ、また夜どおし吠えられるってわけか。なんていうか、ここじゃなにひとつ思う通りになりゃせん。昔もよく、バカンスといっちゃここへ来たもんだったが、いつもくだらんことにうんざりさせられてな。ハッハッハ! 着いたそうそうもう帰りたい! っちゅうかなんちゅうか、ホント、帰るとなったらそりゃあ嬉しくてなあ……、それがどうも、退職してからこっち、ほかに行き場がない。嫌でもここしかない、とまあそういうことじゃろ……。


トレープレフ:(裏方連中に)よーし! あと10分で本番だ! 休憩にしてくれ。


騒々しい音が止む。

トレープレフ:(仮設舞台を指して)さあ、これが僕の劇場です! カーテンと両袖だけ。装置はなにもなし! 一切なし! 見渡すかぎりの湖と地平線。開演は9時半だ。ちょうど月が昇る時刻。

ソーリン:立派なもんだ!

トレープレフ:でもニーナが遅れたら、すべてがオジャンだ。もう来てもいい時間なんだけど……。あいつ、親父とママ母がうるさくて、脱獄するみたく家を抜け出して来なくちゃならないんです。ひどいなあ、おじさん。その頭、グシャグシャだ。(と、ネクタイを直してやって)切ったほうがいいよ。

ソーリン:(クシで髪をなでつけながら)人生の悲劇ってやつじゃ。ハッハッハ! 若い時分から、酒飲みのロクデナシじゃったから! っちゅうかなんちゅうか、ちっとも女にゃモテんかった。(と、座る)妹の奴、今日はなんでああ不機嫌なんじゃろ?

トレープレフ:決まってますよ。退屈だからでしょう。(と、隣に座って)それに嫉妬。面白くないんです、僕のことが。僕の芝居が、僕の脚本が。なにもかも。主役がニーナで自分じゃないってだけで。まともに僕のものを読んだこともないくせに!

ソーリン:そりゃ、考え過ぎじゃろ。

トレープレフ:なんであたしじゃないの! あたしよ、注目されるべきなのは! フン。こんなちっぽけな舞台なのに。(と、時計を見て)心理学的にみても異常なんです、僕の母親って人は。確かに頭もいいし、才能もあるし、本を読めば泣いちまうし、ネクラーソフの詩なんかぜんぶ暗唱できるし、病人を思いやる心はまるで天使だ。……けど、他の女優の話でもしようもんなら、ウヘ! 話題になるのはあの人だけ。評価されるのもあの人だけ。あの人の「椿姫」だけが永遠にチヤホヤされて、いつまでも騒がれなくちゃ気にいらない。ところがどっこい。こんな田舎にはそんな、あの人を酔わせるような刺激はなにもない。だから退屈だ。ムシャクシャする。誰も彼もが気に入らない。……それにケチだし。知ってますよ、おじさん。あの人、オデッサの銀行に7万も預金があるんでしょ。なのに、ちょっと貸してくれって言っただけで、突然泣き出すんだ。

ソーリン:あいつがおまえの芝居を嫌ってるなんて、そんな、思い込みじゃろ。おまえの方こそ、勝手にふてくされてるっていうのがホントじゃないのかい? あいつはな、おまえが愛おしくってしようがないんだよ。

トレープレフ:(花びらをむしりながら)好き……嫌い……好き……嫌い……好き、ホラね! 見なよ! 当然さ。あの人は、生きたい、恋がしたい、きれいな服を着たい。……ところが息子の僕はもう25で、それだけで、若くないってことがばれちまう。僕がいなけりゃ、32でいられるところを、僕がいると43だ。だから嫌いなんですよ、僕のことなんか……

ソーリン:いやいや。

トレープレフ:僕はね、おじさん。劇場てものを否定してるんです。でもあの人は劇場が大好きで、自分の芸術が人類に貢献をしているんだと思い込んでる。でも僕に言わせりゃ今の劇場なんて! くだらない! ぜんぜん新しいことなんかない! 幕が開く。人工的な照明。部屋を囲こむ三枚の壁。俳優たちはみんなのあこがれで、キャーキャー騒がれて、やることといったら、空々しい会話、中味のないストーリー……観る方は、そんな中から、少しでも元気のでるところを持ち帰ろうと躍起になってて……バカバカしい! くだらない! みんなくり返しだ! ああ、僕は逃げ出したいんです! そんなことの一切から!

ソーリン:しかし劇場がなけりゃ、しようがないじゃろう?

トレープレフ:だから新しい形式なんですよ。新しい方法なんです。それがないなら、なにもないほうがマシですよ!(と、時計を見る)……それでも自分の母親ですから、そりゃ好きです。大好きです。でも、だけど、あの人の生活は一言で言えば、愚かです。あんな小説家とイチャついて、マスコミにいつもスキャンダルを叩かれて……。たまんないですよ、こっちは。

ソーリン:うんうん。(半分寝ている)

トレープレフ:でも、ときどき思うんです。自分の母親が女優なんかじゃなくって、人並みの、普通の女だったら、どんなに幸せだったろうって。……ねえ、おじさん。

ソーリン:ん? なんだい……?

トレープレフ:これ以上、不幸な境遇ってありますか? あの人の部屋にはいつも有名な芸術家たちが集まってた。作家やら俳優やら……。そいつらに囲まれて、僕だけがなんでもない人間だったんです。その場にいられるのも、あの人の息子だからだってだけで。いったい僕は誰ですか? 何者なんですか? 才能もなし、金もなし……。僕はもう、たまらなかった。僕を見る作家や俳優たちのまなざしに、おまえは無能だと言われてるような気がして……。

ソーリン:ところで、例のあの、作家さんじゃが、ありゃ、どういう御仁だい? ええ? どうにもつかみどころがなくってな、いつもだんまりで。

トレープレフ:頭のいい奴です。まあ、ちょっとメランコリックなところがあるけど。まだ40前にして、すでに作家としての地位は確立しているし、人生に飽きてるんでしょう。だけど書くものと言ったら、そう、トルストイやゾラを読んだ後じゃあ、ちょっと読む気になれないって程度のもんですよ。

ソーリン:いや、わしゃどうも若い時分から、作家ちゅうのに弱くてなあ。これでも昔は夢が二つあった。一つは女房をもらうこと。もう一つは作家になること。……じゃが、どっちも結局はだめだった、ってわけじゃ。まあ、売れんでもいいから、ちょっとした物書きにでもなれてたら、さぞや人生、面白かったろうがなァ……。まあそういうことじゃろ……。

3 僕の悪魔

ニーナ、牢獄から解放された自由を味わっている。

トレープレフ:(耳をすまして)あの足音!(伯父に抱きついて)おじさん。僕はあの子なしでは生きていけないんです。……ステキだ、足音までがステキだ……、ああ、僕はなんてしあわせなんだろう……頭が変になりそうだ……


トレープレフ、迎えに走る、とニーナが入ってくる。

トレープレフ:ああ、美しい、僕の悪魔! 僕の夢!

ニーナ:(大きな声で)あたし、遅れなかった? ねえ、遅れなかった?

トレープレフ:(手にキスして)大丈夫だよ、大丈夫。

ニーナ:今日一日、あたし、ずっとせかせかしちゃって、心配だったの。パパが出してくれないに決まってるから。でもさっき、やっと継母と出かけてくれて、でももう空は赤いし、月は昇りそうだったし、馬を駆け通し駆けさせて、もうタイヘン!(と、笑って)よかった!(と、ソーリンの手を握る)

ソーリン:(笑って)おやおや泣いてるのかい? 泣くことはないじゃろ。

ニーナ:違うわ。ホラ、息がこんなに上がっちゃってるだけ。ねえ、あたし、30分しかいられないの。急ぎましょ。引き止めちゃダメよ。パパには内緒で来てるんだから。

トレープレフ:とにかく、じゃあ始めよう。みんなを呼んで来なきゃ。

ソーリン:どれどれ、それじゃあわしが、と。(立って大声で)「全体、進め!」なんちゅってな。(と、シューマンの「二人の擲弾兵」を歌いながら去りかけて)……いつだったか、わしが歌い出したら、ある検事補佐官が、こう言いおったよ。「閣下。実に力強いお声でございますな」。でもそれからちょっと考えて、こうつけ加えたな。「しかし、なんとも、うっとおしい限りで」アッハッハ!(去る)

ニーナ:パパも継母もね、あたしがここに来ていること、知らないの。二人ともここはバカどもの集まりだって……、恐いのよ、あたしが女優になったりするんじゃないかって。でもあたしはここが好きなの。この湖が、かもめのように。(と、あたりを見回す)

トレープレフ:僕たち以外、誰もいないよ。

ニーナ:誰かいるみたい……。


二人、キスをする。

ニーナ:あの木、なんていう木?

トレープレフ:楡の木。

ニーナ:なんであんなに黒いの?

トレープレフ:黄昏れだから。なにもかもすべてが黒く見えるんだ。……なあ、急がなくてもいいだろ? 

ニーナ:ダメ。

トレープレフ:じゃあ僕のほうから行くってのは? 一晩中、君の部屋の窓の下で、君のことを眺めてるってのは?

ニーナ:無理よ。門番がいるわ。それにうちの犬はあなたに慣れてないから、吠えられるわよ。

トレープレフ:ねえニーナ、きみが好きだ。

ニーナ:シーッ、黙って……。

トレープレフ:(足音を聞いて)誰だ? ヤーコフか?

ヤーコフの声:(舞台裏から)へい!

トレープレフ:スタンバイしてくれ。始めよう。月は出てるかい?

ヤーコフの声:へい!

トレープレフ:アルコールは大丈夫か? 硫黄は? 赤い目玉のところだからな、あそこで硫黄の匂いを出すんだ。(ニーナに)さあ準備はOKだ。緊張してる?

ニーナ:だって、あなたのお母さま、いらっしゃるんでしょ……。ううん、あの人はいいの、大丈夫なの。でもあたし、トリゴーリンさんも来てるんでしょ? なんだか恥ずかしくって。有名な作家さんだし。まだ若い人なの?

トレープレフ:ああ、うん。

ニーナ:ドキドキしちゃうわ、あたし、あの人の小説読むと。

トレープレフ:(冷たく)そお? 僕は読んでないから。

ニーナ:だって、あなたの劇って、まるで生きてる人間が出てこないんだもの。

トレープレフ:なんだよお、生きてる人間て! ダメなんだよ! あるがままの人生なんか描いたって。いいかい、なによりも大切なのは、夢に見るように描くことなんだ。

ニーナ:でも動きがないでしょう、朗読みたいなんだもの。あたし、お芝居って絶対恋愛が要ると思うけどな!


二人、仮設舞台の裏側に消える。

4 人生の黄昏れ

ドールン、自分の人生でついぞつかめなかった何かを探している。
ポリーナ、自分の人生で結局つかめなかった何かを探している。
つまり、二人は「残りの人生」という暗闇の前にいるのだ。

ポリーナ:湿っぽくなってきたわ。戻ってコートを取ってきた方がよかない?

ドールン:暑いよ、僕は。

ポリーナ:もう。あなたって人は、自分の体にはぜんぜん気を配らないんだから。お医者さんなのに……、強情屋さん! 湿った風が、体に良くないことくらいわかってるくせに。そんなに、あたしに心配かけさせたいの? 夕べだって、これ見よがしに一晩中テラスに出てらしたりして。

ドールン:「♪言わないで、もう青春が終わったなんて……」

ポリーナ:楽しかった? ねえ、奥さまとのおしゃべりは? 寒いのも忘れるくらいだった? 白状しなさいよ。好きなんでしょ、奥さんのことが?

ドールン:僕はもう50過ぎだよ。

ポリーナ:だからなに? 男の人に年なんて関係あるの? あなたはまだステキだわ、まだ十分モテるわ。

ドールン:で、僕にどうしろって?

ポリーナ:だからよ、だからキレイな女の人の前に出るとすぐデレデレするのよ。いつだってそうなのよ、あなたは。

ドールン:「♪ああ、もう一度、あなたの前に跪き……」。まあ、よしんば世間がだ、俳優というものを贔屓にして、一般庶民なんかと差別して扱ったとしてもだ、それが自然の道理なんじゃないかな。……まあ、つまりは現実逃避なんだが。

ポリーナ:じゃ、女という女がみんな、あなたを求めて、あなたの跡を追い掛けたのも、あれも、現実逃避だったの?

ドールン:(肩をすくめて)さあ、どうかな? まあ確かに、僕は女には恵まれてきた。でもそれは、僕が一流の医者だったからだ。そうだろう。2、30年前までこの田舎には、まともな産婦人科医は僕しかいなかったんだから。それにもちろん、僕は誠実な人間だったしね。

ポリーナ:(ドールンの手を取って)ねえ、あなた……。

ドールン:シッ、誰か来る。

5〈みんな仲良く〉その1


アルカージナとソーリンが腕を組んで。続いてトリゴーリン。シャムラーエフ。メドヴェージェンコ。マーシャがやってくる。
アルカージナ、人の芝居を見るなんて、退屈で不機嫌。
シャムラーエフ、経営者として演劇通として我が者顔で得意気。

シャムラーエフ:いやァ、今でも覚えてますがね、73年のポルタヴァ祭り。あそこであの女優が見せた芝居ときたら、いやすごかった。あたしは震えましたねェ。(アルカージナに)奥さん、ところで、あのシャージンはどこでどうしてますかねぇ? あのシャージンは? 「クレチンスキーの結婚」で、主役をやらせたら右に出る者はいなかったなァ。サドーフスキーなんか目じゃなかったですよ。いやホント、奥さん。ああ、あわれ奴は、今いずこにかあらん?

アルカージナ:そんな大昔の話をなんであたしが?(と、座る)

シャムラーエフ:(大きな溜め息)ああ、シャージン! ああいう才能には、今やとんとお目にかかれなくなりましたなァ。演劇界もおしまいですかなァ。ねえ、奥さん。あの樫の木のごとく、天をつんざく才能の群れが、今やドングリの背比べ。

ドールン:まあ確かに、一時代を画するような天才はいなくなりましたが、中堅どころは全体にレベルが上がってますよ。

シャムラーエフ:反対ですなあ、その意見には。いや、好みの問題でしょうがね。森を見て、木を見ず、というやつですな。


トレープレフが仮設舞台の裏から出てくる。

アルカージナ:(息子に)まだなの?

トレープレフ:もうすぐです。

アルカージナ:「おお、ハムレットよ! もう何も言うな!
おまえはわたしの目を心の内へと向けさせる、
けれど、そこに見えるのは、ギラリとしたドス黒いシミ、
洗っても洗っても、決して落ちないわ!」

トレープレフ:「ええ、ママ。落ちるものですか。
脂ぎった体臭まみれのフシドの中で、欲望に駆られた
生活を送っている限りは。だって、抱いて抱かれる、
その相手は善悪の判断もつかぬ豚じゃないですか!」


プウォーと、開演を知らせる角笛の音。

さて、みなさん。始まりです。どうかお静かに!


間。

ソリャ!(と、バチで太鼓をドンドコドン!)オオ、怖レ多キ、イニシエノ影タチヨ! 夜毎コノ湖ヲサマヨウ、影タチヨ! イザ、我ラヲ眠リヘトイザナイタマエ! シテ、20万年後ノ世界ヲ夢見サセタマエ!

シャムラーエフ:20万年後には何もないだろうな。

トレープレフ:だからその、何もなっていうのがミソなんです!

アルカージナ:はいはい、どうぞ。あたしたちは寝てますから。


幕が上がると、湖の景色が立ち上がる。地平線の月が湖面に映っている。白い衣装のニーナ。

ニーナ:人もライオンもワシも雷鳥も、角のある鹿もガチョウもクモも、水の中の物言わぬ魚もヒトデも目に見えぬ微生物も……つまりは、命あるものすべて、すべてその悲しい輪廻から逃れて、消え失せて……もはや何千年もの間、この地球には生命は生まれず、あの哀れな月だけが虚しく明かりをともして久しい。草原には目覚めた鶴の声もなく、菩提樹の林にはコガネムシの羽音も絶えた。寒いよ。寒いよ……ああ、むなしいよ。むなしいよ……こわいよ。こわいよ。


間。

すべて肉体はチリと化し、永遠の物質がそれを石に、水に、雲に変えてしまったが、魂だけは溶け合わさって一つになった。唯一にして全なる魂、それが、私だ。この、私だ……アレクサンダー大王の魂も、シェークスピアの魂も、ナポレオンの魂も、ちっぽけなカエルの魂も、この、私とともにある! 私とともに、人の意識と動物の本能とが融合している! あらゆる、すべての個々の人生が、私の中で、新しく生き直されるのだ!


鬼火が現れる。

アルカージナ:(声をひそめて)なんだか、退廃的だわね。

トレープレフ:(訴えるように責めて)ママあ!

ニーナ:孤独だ! 百年に一度、口を開いてものを言うが、声は虚しく、虚空に響くだけ。聞く者もいない。……おまえもだ、青白い鬼火たちよ、おまえらとて、この声を聞いてはいないのだ。……夜明けと共に、沼の瘴気から生まれ、朝日がさすまで彷徨い歩くおまえたちには、考える力もなければ、意志もなく、命の揺らめきすらもない。悪魔は永遠の物質の父として、おまえたちの中に命の目覚めるのを怖れ、石や水と同じように、絶え間のない原子の組み替えを施している。だから、おまえたちは、いつまでも流転してゆくだけなのだ。森羅万象すべてのうちで、ただひとつ、魂だけが永遠不変、変わらないのだ!


間。

深い、なにもない井戸へと投げ込まれた囚人のように、わたしはどこにいるのか、これからどこへ行くのかを知らない。私にわかることは、悪魔との激しい戦いの中で、やがて物質の力に勝利した暁に、物質と精神との美しい調和、宇宙的意志の支配する王国がもたらされる、ということだけだ。しかしてそれは、千年の、またさらなる千年ののちの、あの月も、輝くシリウスも、地球もすべてチリと化した後のこと。それまではただ恐ろしい……。


間。湖の奥に二つの赤い点が現れる。

来たか! 我が宿敵、悪魔よ! まさに、身の毛もよだつ、あの二つの目!

アルカージナ:(鼻をつまんで)なにコレ、硫黄? こんなことする必要あるの?

トレープレフ:あるんです。

アルカージナ:アハハハ! そお! 舞台効果ってわけ?

トレープレフ:ママぁ!

ニーナ:奴は人間なしで、退屈なのだ……。

ポリーナ:(ドールンに)ダメよ、脱いじゃ。かぶりなさい。風邪を引くわ。

アルカージナ:ドクターも悪魔には脱帽ってわけね!

トレープレフ:(カッなって大声で)やめろ! もういい! もうたくさんだ! おわりにしよう!

アルカージナ:なに怒ってるの、この子は?

トレープレフ:もういいよ! おしまいだ! (床を踏んで)おしまい!


幕が下りる。

……失礼しました。僕は忘れてました、芝居を書いたり、演ったりするのは、少数の選ばれた人たちだけの特権だってことを。僕は、それを忘れて……僕は……僕は……(言葉が出なくなり、逃げるように手を振って去る)

アルカージナ:なに、あの子? どうしたの?

ソーリン:なあ、イリーナよくないよ、あんなふうに若い者のプライドを傷つけちゃあ……

アルカージナ:あたしがあの子に何を言ったっていうの?

ソーリン:傷つけたんだよ、あの子を。

アルカージナ:だってあの子、自分で言ったのよ、これはほんの余興だって。だからあたしはそのつもりだったの。

ソーリン:まあ、そういうことじゃが……

アルカージナ:それが蓋を開けてみたら、なに、たいへんな芸術作品だったってわけ! 冗談でしょ! なにが余興なもんですか。(と、まわりの空気を手で払って)こんな、硫黄の匂いまでプンプンさせて、あれであの子は、あたしたちに芝居の書き方と演じ方を、ご教授しようってつもり? うんざりだわ。なにかっていうと、いちいちつっかかってきて。どうやって我慢しろっていうの? あんな、自意識過剰のうぬぼれボウヤ!

ソーリン:おまえを喜ばせたかったんじゃろ、あいつは。

アルカージナ:あら、そうお? だったら、もっとマトモなものを見せてほしかったわ。あんな一人よがりを押しつけられたって。余興だったら、いくらだってつき合ってあげますけど。けど、新しい形式だの、新しい演劇だの、そんなタワゴトをわめかれたって、あんなもん、あたしに言わせりゃ、新しくもなんともないわよ、ただのへそ曲がりの屁理屈でしょ。

トリゴーリン:誰だって、書けることを書きたいように書くんだよ。

アルカージナ:ええどうぞ、書けることを書きたいように書いて結構。けどあたしの関係ないところでやってほしいわ。

ドールン:おお、わがジュピターよ! 怒りたもうな!

アルカージナ:あたしはジュピターじゃないわ、女よ。(煙草に火をつけて)それに怒ってもいないわ。腹立たしいだけよ……。若い人が暇つぶしにすることじゃないでしょ、あんな……、いいわ、別に、傷つけるつもりじゃなかったのよ。

メドヴェジェンコ:そもそも、魂と物質を分ける根拠はないんですよ。というもの、魂もまた原子の組み合わせでできているんですから。(と、勢いよく、トリゴーリンに)それよりもね、先生、お芝居にすべきは、われわれような生活じゃないですか、あ、私は教師をしてる者ですが、そりゃもう、しんどいですわ、ホントしんどいですわ。

アルカージナ:ホントそうね。さあ、お芝居の話も、原子の話もおしまい。……ステキな夜だなんだもの。ほら、聞こえて? 誰かが歌ってる……。


みんな、耳をすます。

いいわねえ。

ポリーナ:向こう岸からですわね。


間。

アルカージナ:(トリゴーリンに)ねえ、こっちに来て。この湖にはね、10年前までは、いつも音楽や歌声が流れていたの、ほとんど毎晩のように。……岸辺に地主のお屋敷が6つもあってね。……覚えてるわ、笑い声や、ざわめきや、銃声の響き……。それにいつだって、みんな恋をしていた、誰かにね……、そうそう、その恋愛ゲームの主役で、どこへ行ってもアイドルだったのが、紹介するわね、(ドールンにうなずいて)ドクター・ドールン。いまでもステキだけれど、往年はそれこそ、うっとりさせるような魅力があったのよ。……でも、あたし、なんだか今ごろになって気がとがめてきたわ、なんだってあの子のハートを傷つけたりしたんでしょう? 心配だわ。(大声で)コースチャ! ねえ、コースチャ!

マーシャ:あたし行って、探してきます。

アルカージナ:頼むわ。

マーシャ:コースチャ! コースチャ!


マーシャ、去る。ニーナが仮設舞台の裏から出てくる。

ニーナ:あの……、あたしもう、出てってもいいかしら? あ、はじめまして。(と、アルカージナとポリーナに挨拶する)

ソーリン:いやあ、よかったよかった!

アルカージナ:ステキだったわ! みんなであなたのこと誉めてたのよ。可愛らしいお顔をしてるし、声もいいし。ダメよ、こんな田舎にいたら。あなたには才能がある。うん、そうよ。あたしが保証してあげるわ。あなた、舞台に立つべきだわ!

ニーナ:え、あ、はい。それがあたしの夢なんです。でも、(溜め息)無理なんです。

アルカージナ:なに言ってるの。さあ、紹介するわ。こちらがトリゴーリン。ボリス・アレクセーエヴィッチ・トリゴーリン!

ニーナ:あ、はい、……あの、お会いできて光栄なんです。あたし、(どぎまぎして)いつもご本を拝見させてもらって……

アルカージナ:(ニーナを脇に座らせて)そんな、緊張しなくたっていいのよ。この人、有名人だけど、さばさばした人なんだから、ほら、彼のほうが緊張しちゃってるじゃない。

ドールン:もう幕を上げてもいいんじゃないかな、うっとしいだろう。

シャムラーエフ:(舞台奥に)ヤーコフ! 幕を上げろ!


幕が上がる。

ニーナ:(トリゴーリンに)変なお芝居だったでしょ?

トリゴーリン:さっぱり理解できませんでした。いや、けど楽しんで見させてもらいましたよ。あなたは真剣に演じてらしていたし、借景の湖も美しかったしね。


間。

魚がたくさんいそうだなあ。

ニーナ:はい。

トリゴーリン:僕は釣りが好きなんです。夕暮れ時に、川辺に腰をおろして、浮子を眺めていることくらい楽しいことはない。

ニーナ:でも、あたし、一度創造の楽しみを味わったら、それ以外の楽しみなんてなくなってしまうんじゃないかと思うんですけど。

アルカージナ:アッハッハッハ! ダメよ、そんなこと言っちゃ。この人、冷やかされるとカメみたく黙っちゃうんだから。

シャムラーエフ:そうです、そうです。いや、思い出しましたよ! いつだったかモスクワのオペラ座で、あの有名なバス歌手のシルヴァが、ものすごい低いドの音を出しましてねえ。ところが、偶然その夜の天井桟敷に、聖歌隊のバス歌手がいまして、それで、いやあ、あれはびっくりしたなあ、突然、天井桟敷から「ブラヴォー! シルヴァ!」って、さらにオクターヴ低いドの音で、いいですか、こんなふうに「ブラヴォー! シルヴァ!」って、それでもう、場内しーんと静まり返ってしまいましたよ!


間。

ドールン:お、天使が通った、かな。

ニーナ:あたし、もう帰らなきゃ。ごめんなさい。

アルカージナ:まあ、どうして? ダメよ。まだ早いわ。

ニーナ:父が待ってるんです。

アルカージナ:そう、ひどいお父さまね! 


二人、別れの挨拶をする。

アルカージナ:仕方ないわねえ。でもホント、本当に帰ってほしくないのよ。

ニーナ:ええ、残念ですけど。

アルカージナ:だけど、こんなにかわいいお嬢さんを一人で帰らせるわけにもいかないわね。

ニーナ:そんな、大丈夫です!

ソーリン:(ニーナに心から)まだいとくれよ……。

ニーナ:ダメなんです。

ソーリン:せめてあと一時間だけ、どうだい、っちゅうかなんちゅうか、なあ?

ニーナ:(しばらく考えて、悲し気に)ダメなんです。


ニーナ、ソーリンに手を取って離すと、走り去る。

アルカージナ:かわいそうな子なのよ。母親がたいへんな遺産を夫に残して死んだらしいんだけど、あの子にはぜんぜん。結局、父親は、全財産を連れの女に譲るつもりらしいから……。ひどい話だわ。

ドールン:ええ。あんなひどい男はいませんよ。

ソーリン:(冷えきった手をこすり合わせながら)そろそろ、どうだい? 湿っぽくなってきたし、脚も痛み出してきた。

アルカージナ:まあまあ! ピノキオだものね、お兄さんの脚は。……帰りましょう。かわいそうなピノ伯父さん!(手を取る)

シャムラーエフ:(ポリーナに腕を差し出して)行こうか。

ソーリン:また吠えてる。(シャムラーエフに)犬を、放すように言ってくれるとありがたいんだがね……。

シャムラーエフ:無理ですなあ、それは。穀物倉に泥棒が入るといけませんので。今、ちょうどキビが収まってるところでね。(と、メドヴェジェンコに、並んで歩きながら)いや、それがだぞ、完璧に1オクターブ低いドだなんだ。「ブラヴォ! シルヴァ!」って、……オペラ歌手じゃないんだから、ただの聖歌隊のメンバーだぞ!

メドヴェジェンコ:でも、聖歌隊ってどれくらいもらうんですか、給料?


一同退場。

6 魂の翼


ドールン、一人。

ドールン:なんなんだあ? ええ? どうしたんだ、俺は? 気が変になったのか? ……あの芝居が、どうやら気に入ってしまったらしい。何かがある、あそこには。あの娘が、孤独だと言った時、それからあの、悪魔の赤い目が現れた時、図らずも感動でこの手が震えた。新鮮な、見せ掛けだけじゃないものだった。……ン、こっちに来る。ちょっとでもいいから、慰めてやれるといいんだが……。


トレープレフ、入ってくる。

トレープレフ:みんな行きました?

ドールン:私以外はね。

トレープレフ:マーシャが、僕を探して、そこらじゅうをうろついてるんです。うっとうしいったらない!

ドールン:気に入ったよ、君の芝居。……いや本当にさ。確かにちょっと変わってるし、最後までは見られなかったけど、深い印象を受けた。君には才能がある、続けるベきだ。

トレープレフ:ああ!(と、思わず、ドールンの手を取って、抱きつく)

ドールン:ああ、なんて純粋な少年なんだ。涙まで浮かべて……、あん? 俺は何を言おうとしてたんだ? そう。そうだった、いいかい、君は抽象観念の世界に主題を選んだ。それは正しかった。なぜなら芸術は常に、本質的な思想を伝えなければならないからだ。より高い感覚を感じさせるものだけが美しいからだ。……どうした? 顔色が悪いぞ。

トレープレフ:僕は、続けるべきだと、そう言うんですね?

ドールン:そうだよ! でもいいかい、本当のことだけを、永遠のことだけを描かなくちゃダメだ。私の人生なんか、まあ確かに、退屈ではなかったし、自分らしいものではあったけれど、いや満足さえしてるんだが、だけどもしも、もしも芸術家が何かを創り出す時に味わうような、魂の高揚を経験できていたら、こんな体の、物質的な問題などすべて放り出して、僕の魂は翼が生えたように高みを目指していたことだろう。

トレープレフ:すみません。ニーナはどうしました?

ドールン:それともう一つ。書くべきものは、常に、明晰かつ判明な思想でもって裏づけられていなければならないってことだ。君は自分が書く目的をハッキリ知らなければならない。どこへ行き着くのかわからずにダラダラ書くだけじゃ、才能はいずれ枯れることになるからね……。

トレープレフ:(イライラして)ニーナはどうしたんでしょうか?

ドールン:帰ったよ、家に。

トレープレフ:(絶望が襲って)ああ、どうしよう? 会いたい。ニーナに会いたい。いや、会わなくちゃ……。


マーシャが入ってくる。

ドールン:(トレープレフに)おい君、落ち着きなさい。

トレープレフ:とにかく、行かなくちゃ。

マーシャ:うちに戻ってください。お母さまが心配してらっしゃいます。

トレープレフ:出かけたって言ってくれ! 頼むよ、マーシャ。おまえも、それに

んなも、僕のことは放っといてくれ! 放っといてくれよ! ついてくるな!

ドールン:君、……それはよくないよ、そんな言い方は……

トレープレフ:(泣きながら)すみません、ドクター。ありがとうございました。


トレープレフ、出ていく。

ドールン:(溜め息)ふう……、若さはみずからの道をゆく、か。

マーシャ:ほかにどうすることもできないと、みんな若さのせいにするんです。(と、嗅ぎタバコを吸う)

ドールン:(と、それを取り上げて、草むらに投げ捨てる)みっともない!


間。

さあ、うちに入ろう。

マーシャ:待ってください。

ドールン:なんだい?

マーシャ:あなたに、言いたいことがあるんです。……お話したいんです。(興奮して)あたし、父は嫌いなんです。でも、あなたのことはなんだか、……気になって、なぜだか、身近に思えて……。助けてください。助けて。でないとあたし、バカなことをしてしまいそうで、自分を見捨ててしまいそうで、めちゃくちゃにしてしまいそうで……、もう、こんなの嫌なんです!

ドールン:しかし、なにを、どう私に助けろと?

マーシャ:あたし、不幸なんです。誰にもわかってもらえないんです、あたしの、この不幸を。わたし、好きなんです……(と、彼の胸に頭をもたせかけて、ゆっくりと)トレープレフのことが……。

ドールン:かあ! どうなってるんだ、今夜は! 湖にかけられた魔法なのか! 誰も彼もが恋に狂ってる!(しかし、やさしく)……でもしかし、この僕になにができるだろう? 教えてくれ? なにができるんだ?


http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull01.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c17

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
18. 中川隆[-13508] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:55:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1396]

第2幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull02.html


真昼のまばゆい陽射し。湖の上。木陰の下、凍った水の上に、ベンチとイス。下手が家へ。


7 どっちが若い?


三人並んで、中央にアルカージナ、上手にドールン、下手にマーシャが、ベンチに座っている。
アルカージナ、妙にソワソワ。マーシャ、ボンヤリ。
ドールンは本を手に二人を見たり前を見たり……。

アルカージナ:(命令口調でマーシャに)立って。


二人、立つ。

並んで。あんたは22。あたしは、まあ、その倍。(間)ドクター、どっちが若く見えて?

ドールン:もちろん、あなたです。

アルカージナ:(嬉しい)ホラね! なぜだかわかる? 働いてるからよ! いろんな人に会って、気を使って、ポジティブに生きてるからよ! ところがあんたときたら、四六時中、家ン中にこもってて、ちっとも生きちゃいないのよ。あたしはね、先のことは考えないって主義なの! 年をとるったって、死ぬったって、なるようにしかならないんだから。

マーシャ:(ぼんやりと)なんだかあたし、自分が大昔から生きているような、ズルズル長いドレスの裾を引きずって生きてるような感じなんです……。ときどき生きてるのも嫌になって……(と、腰をおろす)いいんです、そんなこと。さ、気合い入れなきゃ、バシッと行こう、バシッと。

ドールン:「♪ことづてよ、おお、花々……」(オペラ「ファウスト」第三章、ジルベールのアリアより)

アルカージナ:それからね、あたしは自分に特別厳しいの。イギリス人みたいに、いつも背筋をシャンとさせて、服にも髪にもちゃんと気を使うのよ。今までに、あたしが外へ出るとき、こんな庭ですらよ、部屋着のままで、髪もボサボサで、なんてことあった? ないでしょ!(なかば観客に)そういうこと。そこいらのオバサンみたいにルーズになって、自分を甘やかせたりしないの。ほらあ、どう?(と、腰に手をあてて、スキップして)見て。小鳥のリズムよ。少女の役だってまだできるわ。

ドールン:ええっと、先を続けましょうか?(本を取って)粉屋とネズミのところでしたね?

アルカージナ:ちゅうちゅう、ネズミネズミ。続けましょう。(と、座って)貸して。あたしの読む番。(本を奪い取って、続きを探す)ネズミネズミと……、ちゅうちゅうちゅう……。「――だから当然、社交界のご婦人方が小説家を贔屓にして、これを身近に近づけるのは、粉屋が納屋にネズミを飼っておくようなものです。なのに依然として小説家はモテますし、女はこれぞとおぼしき作家に狙いをつけたら最後、彼を手なずけるまで、もう、お世辞、お愛想、お色気の限りを浴びせかけるのです――」……そうお? そうかしら? フランスじゃそうかもしれないけど、ロシアじゃあ、狙いもへったくれもないわよ。手に入れようなんて考える前に、自分のほうからメロメロになっちゃうんだから。そうでしょ? あたしとトリゴーリンがいい例よ……。


8 お昼寝日和(人生談義1)

下手から、ニーナとメドヴェジェンコに介助されて、ソーリンが杖を担いでやってくる。三人とも妙にハッピー。
ドールンとマーシャは、申し合わせたように席を立つ。

ソーリン:(孫を可愛がるジジイのように、ニーナに)ン、ン、ン? なんだいなんだい? そうかい! そりゃハッピーじゃろうなァ!(アルカージナに)いやいやハッピーなんじゃよ。そりゃそうさ、お父さんもお母さんもトヴェーリへ出かけて、まるまる3日も、この子は自由の身なんだぞ。

ニーナ:(アルカージナに隣に座って)そうなんです! あたし、みなさんとずっと一緒にいられるんです!

ソーリン:今日はまた一段と可愛らしいだろ、この子は。

アルカージナ:ホントね、ずいぶんオシャレして……。カワイイお嬢さんだこと。(とニーナにキス)誉めすぎると、幸運の女神が嫉妬するわね。トリゴーリンはどこかしら?

ニーナ:浜辺で釣りをしてました。

アルカージナ:まぁ、よくもあきずに。(と、本を開く)

ニーナ:なんですの?

アルカージナ:モーパッサンの「水の上」


と、ページを眺める。間。

まぁ、嘘ばっかり! ああ、落ち着かない!(閉じる)ねえ、どうしちゃったのかしら、うちの息子は? なんで、あんなにつまらなそうな顔でふさぎ込んでるの? 一日中ずっと湖で、あたし、ろくに顔も見てないわ。

マーシャ:ムシャクシャしてるんですわ。(やさしくニーナに)ねえ、あの人の戯曲をなにか読んでくれない?

ニーナ:(肩をすくめて)あたしがですか? つまんないですよ、あんなの?

マーシャ:(こみ上げてくる興奮を抑えながら)あの人! 自分で朗読すると、目が燃えるようになるのよ! 顔は青ざめて、悲しそうな、済んだ声はまるで本物の詩人だわ!

ソーリン:(いびき)グーグーグー。

ドールン:いい、お昼寝日和ですな。

アルカージナ:ねえ、ちょっと!

ソーリン:ン?

アルカージナ:寝てたの?

ソーリン:(慌てて)あいや、いやいや……。


間。

アルカージナ:ねえ、兄さん、ちゃんと治療は受けてるの? ダメよ、ほったらかしにしたら。

ソーリン:そりゃ、こっちが聞きたいよ! ドクター、あたしゃもう治療を受けるのも無駄ってことですか?

ドールン:(驚いて)治療? 60にもなって?

ソーリン:60だろうが80だろうが、生きたいに決まっとる!

ドールン:(吐き捨てるように)じゃあ、カノコ草でも飲んだらいい。

アルカージナ:どこか温泉にでも行ってきたらどうかしら?

ドールン:そう、それもいいでしょうが……、まあ、よくもないでしょう。

アルカージナ:よくわからないわね。

ドールン:わからないことはない。ハッキリしてますよ。


間。

メドヴェジェンコ:タバコをやめたらどうなの?

ソーリン:バカバカしいわい。

ドールン:バカバカしくはない。タバコも、酒も、あなたからあなた自身を奪い取るんです。ウォッカを一杯、タバコを一服。それであなたは、もはやソーリン・ニコライェヴィッチではなくなって、ソーリン・ニコライェヴィッチ、プラス誰かになってる。自分てものをなくして、どこか知らない誰かになってるんです。

ソーリン:ワッハッハ! 言いたいことをいいおるわ。自分はさんざ遊んで生きてきたくせに。じゃが、わしゃどうだ? 法務局に28年務め上げたァいいが、楽しいことなんかなんも、なんも知らんまんまじゃ、っちゅかなんちゅうか、まだまだ生きたいわい! 当たり前じゃろ。あんたはいいさ、あんたはそうやってのうのうと屁理屈並べてりゃいい。じゃが、わしゃまだ生きたいんじゃ。じゃから晩にはシェリーを飲むし、タバコもふかすんだ! それに……、まあ、そういうことじゃ。

ドールン:人生はマジメに生きるべきものですよ。こういっちゃなんですが、60にもなって治療してくれだの、若いときに遊べなかったのが口惜しいだの、愚かさですな。

マーシャ:そろそろお昼じゃないかしら?(と、立って、歩き出そうとして)あ……(と、よろよろする)足がしびれちゃった……。


マーシャ、去る。

ドールン:ああやって、食事の前に一杯だ。

ソーリン:「貧しき者こそ幸せなり」、なんて、どうせ嘘さね。

ドールン:なんてことを! それが法務省に務めていた人間の言うことですか?

ソーリン:そんなのはみんな人生に満足している者のセリフじゃ!

アルカージナ:ああ、つまらないわねえ! 何がつまらないって、この田舎のつまらなさに勝るものといったらないわね! 暑いし、静かだし、みんな何にもしないで、理屈ばっかりこね回してて……。あたし、みなさんと一緒にいるのは好きですし、みなさんのお話を拝聴してるのも、身にあまる光栄だとは思いますけど、ホテルの部屋で、台詞の稽古でもしてたほうがよっぽど有意義だわ。

ニーナ:(大きく)わかります! そうでなんでしょうね! 

ソーリン:(オロオロして)そりゃおまえ、あたりまえじゃろ。都会のデスクに座っててみ、取次ぎなしにゃ誰も通さんし、電話もあるし……、街にゃタクシーも走ってるしな、とまあ、そういうことじゃろ……

ドールン:「♪ことづてよ、おお、花々……」

9〈みんな仲良く〉その2

上手から、シャムラーエフ、入ってくる。追い詰められたその顔は、笑ってるのか、怒っているのかわからない。
それを追い掛けて、ポリーナ。

ポリーナ:ちょっと、あんた!

シャムラーエフ:(無視して)どうもみなさん! 本日はお日柄もよろしゅう。(と、アルカージナに挨拶して)いやいや、奥さんに置かれましては、実にご機嫌うるわしゅう。なんでも、今、家内に聞いたところよりますと、今日はまた、家内を連れて、町までお出掛けになるご予定で?

アルカージナ:ええそうよ、そういう予定よ。

シャムラーエフ:ホウ! それはそれは(周囲を見回し)、結構ですなあ……、しかし奥さん、いったいどうやってお出掛なさるおつもりで? いや、というもの今日は、わたくしどもみんな麦の荷出しにてんてこ舞いでして、いったいどの馬を使うおつもりで?

アルカージナ:どの馬なんて、そんなこと、あたしの知ったこっちゃないわ。

ソーリン:荷車用のがあるだろ、荷車用のが。

シャムラーエフ:(キレて)荷車用だあ? じゃあ、その馬具はどこにあるっていうんだ? ええ、いったいどこに? バカも休み休み言ってほしいもんだ。……ねえ、奥さん! あたしゃね、奥さんの才能にはまったく、真実、敬服しているもんですが、ああ、もう、残りの命を10年分、捧げてもいいと思ってるくらいですがねえ。でも、いっさい馬は出せませんよ!

アルカージナ:(笑って)でも、どうしても出掛けなくちゃいけないとしたら? バカじゃないの!

シャムラーエフ:奥さん! あなたには農場経営というものがてんでわかってない!

アルカージナ:(突然、烈火の如く)なによ、冗談じゃないわ! あたし帰るわ、モスクワに。村に行って馬を用意してちょうだい! でなきゃ駅まで歩くわよ!

シャムラーエフ:あたしだって、辞めますよ、こんなところ! 別の人間を雇えばいいんだ!


シャムラーエフ、上手へ出ていく。

アルカージナ:いつもこう! いつもいつもこうなのよ! 毎年毎年、なんであたしが侮辱されなきゃならないの! 二度と来ないわ、こんなところへは!


アルカージナ、下手へ出ていく。(この後、浜辺まで行ってトリゴーリンを連れて家へ戻る姿が見える、らしい)

ソーリン:(いまさらキレて)なんちゅうか、この……、まったく……、信じられんぞ! ええ! 馬という馬をいますぐここに連れて来い!

ニーナ:(一緒になって、ポリーナに)あの人は大女優なんですよ! わかってるんですか? あの人の言うことは、どんなお願いだって、たとえわがままだって、農場の経営なんかよりずっと大切なはずだわ! 

ポリーナ:(がっくりして)あたしに何ができるんです? あたしに?

ニーナ:信じられない!

ソーリン:(ニーナに)さあ、行って、あいつに、帰らないよう説得して来よう。(と、立ち上がろうとする)

ニーナ:(立とうとするソーリンを助けて)ええ。行きましょう。

メドヴェジェンコ:(オロオロしながらも同じく助ける)

ソーリン:(シャムラーエフの去った方を見て)ったく信じられん! なんて失礼な奴なんだ!

ニーナ:(ソーリンを抱えながら)ほんとサイテー!

ソーリン:サイテーじゃ。……じゃが、なあに辞めはしたりはせんさ、わしがまた、話をつけるよ……。


三人、下手へ去る。

10 人生の黄昏れ・


ドールンとポリーナ。

ドールン:騒々しい連中だ……。まあ、あんたの亭主は雇われてる身だから、追い出されて当然なんだが、結局は、あのピノキオじいさんと大女優の方で詫びを入れて収まるのがオチだよ。

ポリーナ:荷車用の馬まで畑に駆り出しちまったのよ、ウチの人……(ドールンに寄って)気が狂っちまうわ、あたし。毎日毎日こんなんで、病気になりそう。あの人は下品で、ガサツだし……(マジになって)ねえ、あたしを引き取ってちょうだい……、あたしたちの時間はもう残り少ないわ。お互い若くもないし、これ以上、人目を避けたり、嘘をついたりしたくないの、せめて生涯の終わりだけでも……。


間。

ドールン:僕はもう50過ぎだ。生活を変えるには、遅すぎるよ。

ポリーナ:そうやって逃げるのも、好きなヒトが他にもいるからなのね。みんないっぺんに引き取るわけにはいかないものね。わかってるわ。ごめんなさい。退屈でしょ、あたしなんか。


ニーナが遠くに現れ、花を摘んでいる。

ドールン:そうじゃないさ。

ポリーナ:嫉妬よ。あたし、嫉妬してるのよ。……わかってる、あなたはお医者さんだし、女の人を避けるわけにもいかないし……

ドールン:(近づいてくるニーナに)どうですか、むこうの様子は?

ニーナ:大女優さんは泣いてます。ピノおじさんは喘息の発作で……。

ドールン:(歩き出して)さて、行って、二人にカノコ草でも飲ませるとするか。

ニーナ:(ドールンに花を差し出して)あの、これ!

ドールン:やあ、ありがとう。

ポリーナ:(ドールンに寄って)まあ、可愛らしいお花ね!


ドールンとポリーナ、歩き出す。

(去り際で、声を落として)ちょっとよこしなさいよ! あたしによこしなさいってば!(花を奪って引きちぎると、投げ捨てる)


二人、去る。

11 カモメ


ニーナ一人、なかば観客に向かって。

ニーナ:変でしょお? 大女優があれしきのことで泣きわめいたりする? それに、あの作家さん。新聞にもよく出てるし、外国語に翻訳されたりもしてる作家さんなのに、一日じゅう釣り竿たらしてて、ちっちゃいフナ二匹。そんなんでいちいちはしゃいだりするの? あたし有名人て、もっとプライドが高くて、近づきにくい人種だって思ってた。一般人のことなんかこう、見下しててさ。お金だとか人づきあいだとか、狭いことに執着しているみんなをさ、こう、栄光と名声の高みから、見下して笑ってるんじゃないかって……、なのに、なにあれ。ぜんぜん、フツーじゃないの。


トレープレフがやってくる。銃とカモメの死体を持って。

トレープレフ:ひとり?

ニーナ:そうよ。


トレープレフ、カモメをニーナの足元に置く。

ニーナ:なにこれ、どういうイミ?

トレープレフ:今日、僕は恥ずべきことをした。このカモメを撃ち殺したんだ。これを君の足元に捧げよう。

ニーナ:あなた、どうしちゃったの?(と、カモメを取って眺める)


間。

トレープレフ:いまに僕は自分自身を撃ち殺すんだよ、こんなふうに。

ニーナ:……あなた、変わったわね。

トレープレフ:そうだよ! 君が変わったからだ。僕に対する君の態度。僕を見る君の冷たい目。今だってそうだよ、うっとうしいんだろ、僕の存在が。

ニーナ:それに怒りっぽくなったし、何を言いたいんだか、ちっともわからないし、こんな(と、カモメを見て)なにこれ? ごめんなさい、ぜんぜんわからない。(と、カモメをベンチに置いて)ついてけないわ、あたし単純だから。

トレープレフ:あの夜からだ。僕の芝居がコケにされた夜からだ……。女って奴は絶対に失敗を許さないんだ。あんな芝居、全部引き裂いて、焼き捨ててやった! ああ、僕が今、どんなにみじめか、わかるか! 信じられないよ! 君が急にそんなに冷たくなるなんて! まるである朝目が覚めたら、湖の水が全部干上がってたか、地面に吸い込まれてたみたいだ。(カモメを見て)……わからない? 単純だからついてこれないって? 単純だよ! あの芝居は失敗だった。だから君は、僕の才能を見限って、僕をそんじょそこらの低能と同じ目で見るようになった。単純じゃないか!(床を踏んで)クソ! クソ! クソ!(頭を抱えて)頭に釘を打ち込まれたみたいだ……、クソ! プライドがなんだ! クソだ! そんなもん!


トリゴーリンが見える。本を読みながらやってくる。

ホラ、本物の才能だ。本を片手に、まるでハムレットだ。(マネをして)「言葉……言葉……言葉……」それ見ろ、あの太陽の光のまだ届かぬうちに、君の顔はほころび始めた。まるでとろけそうだ。邪魔はしないよ。


トレープレフ、上手へ走り去る。

11 破滅


トリゴーリン:(手帳に書き込みをしながら)嗅ぎタバコを吸い、ウォッカを飲む女。うん。……いつも黒い服。……学校教師に好かれている。

ニーナ:こんにちは! トリゴーリンさん!

トリゴーリン:やあ。(と、笑ってニーナに近寄って)どうやら、僕ら今日中にここを発つことになりそうです。もうお会いできないかもしれませんね。(笑って)いや、あなたのような若いお嬢さんとお会いできるようなチャンスは、僕にはそう滅多にないもので……、自分が18、9だった頃のことなど覚えてもいないし、そのせいで僕の小説に出てくる女の子たちは、みんな作り物っぽいんです。一時間でもいい、あなたと入れ代われたら、あなたの考えていること、若いということはどういうことなのか、わかったのに、なんて思っていたんですが……。

ニーナ:あたしは、あなたと入れ代わってみたいなあ。

トリゴーリン:また、どうして?

ニーナ:有名で、才能のある作家になるのってどんな感じなのか知りたいの。どんな感じなんですか? 有名人って?

トリゴーリン:どんな感じって。(ちょっと考えて)どっちかでしょうね。あなたが僕の立場を大げさに考えているか、それとも僕が自分の立場に鈍感なのか。

ニーナ:でも、新聞とかで自分のことを読んだりしたら?

トリゴーリン:ホメられた時は嬉しいが、けなされれば2、3日は落ち込みますね。

ニーナ:いいなあいいなあ、うらやましいなあ! 

トリゴーリン:…………。

ニーナ:運命って人それぞれなんですね。クソ面白くもない、退屈な生活を引きずって生きている人たちもいるかと思えば、あなたみたいに、百万人に一人の、有意義な人生を生きている人がいる!

トリゴーリン:僕が?(肩をすくめて)有意義で、有名で、幸せな人生? そういう言葉は……、申し訳ないが、甘すぎるデザートと同じで、僕は絶対に口にしない。あなたは若い、それに優しすぎます。

ニーナ:ステキだわ、あなたの人生って!

トリゴーリン:どこが!(と、時計を見て)申し訳ありませんが、そろそろ仕事に戻らせてください。時間に追われているもので……。(と、立ち止まって)ハハハ、まいったな。痛いところを突かれた。どうも大人げもなく……、いいでしょう、お話しましょう、僕のその有意義な人生について。さて、どこから始めましょうか……。


間(二人はそれぞれの所在場所を発見する)。

強迫観念って、わかりますか? 昼も夜も四六時中、月なら月のことしか考えられなくなるっていうやつです。僕もそれなんですよ。いつも月に追われてるんです。書かなきゃ、書かなきゃ、書かなきゃって……。やっとの思いで書き上げたと思ったら、すぐにも次のに取りかからずにはいられない。そうやってまた次の、さらに次のと休む暇がない。教えてほしいくらいだ、こんな生活のどこが幸せなのか。むごい生活ですよ。……そう、今だって、君とこうして話しながら頭の中じゃ、机の上で待ってる書きかけの小説のことを考えてる。(例えば)ホラ、あそこにグランドピアノのような形の雲が見えるでしょう。僕はすぐ考える、あれはどこかに使えるって。「その時、空には、グランドピアノのような雲が浮かんでいた」。ホラ、このルリ草の匂い、これだって使える、「甘ったるい匂い……、未亡人が身にまとう紫色のドレス……、そして、夏の夕暮れ」。ね、こうして話しながら、飛び交う言葉の一言一句をつかまえては、片っ端から記憶の貯蔵庫にため込んでいるんです、いつか使えるだろうってね。……時には考えます、ひと仕事終えて、劇場に行ったり、釣りに行ったりすれば、のんびりと我を忘れていられるんだろうなあ。ところがそうはいかない、飛び込んで来た新しい素材が、頭の中で鉄の玉のように転がり始めると、やっぱり机に向かって書きまくってる。いつもこう。いつもいつも、こうなんです。名前も知らない読者のために、自分の大切な花を根こそぎにして、花びらをむしり取っては一生懸命、蜜をかき集めてるような、あわれな働きバチ……。これがマトモな人生だろうか? 友だちも親戚も、顔を会わせれば、きまって言うことは同じ。「書いてるかい?」「次はどんなのだい?」。たとえそれが、やさしい気遣いから出た言葉だったとしても、ぜんぶ見せかけに思えてくる。ある日突然、後ろから捕まえられて、ゴーゴリの「狂人日記」のように、精神病院に押し込められるんじゃないかと、不安に脅える日もある。……まださほど忙しくもない、かけ出しの新人だった頃も、そう、書くのは苦痛だったなあ。とにかく売れてないってだけで、自分が半端に思えてね。文学関係者のまわりをうろついては、相手にもされず、認められず、マトモに誰も見返せない。つらかったなあ、ホント、あれは苦痛だった。

ニーナ:でも、最高にしあわせな瞬間だってあるわけでしょ? インスピレーションが湧いて、ペンに勢いが乗ってる時とか。

トリゴーリン:うん。書いている時は楽しいし、校正も悪くない。けど……、ひとたび印刷されて本になると、もう耐えられない。こんなつもりじゃなかった、書くべきじゃなかった……。どうにも、みじめな気持ちになって……、ハハハッ、そんなものを読んで、世間じゃ言うんだ、「面白かった! よく書けてる! でもトルストイには及ばないかな」「いい作品だねぇ、でもツルゲーネフの『父と子』のほうが上だねぇ」。……きっと死ぬまで「いいねえ」「うまいねえ」のくり返し。死んだあとだって、友だちは僕の墓の前を通りながらこう言うだろう。「ここにトリゴーリン眠る。いい作家だったが、ツルゲーネフにはかなわなかった」


間。

ニーナ:(立って)あたし、聞いてられません。あなたきっと成功に甘えてるんです。

トリゴーリン:成功? この僕が? 作家としての自分に、不満ないのに? 気に入らないのに? ……ときどき、自分でも頭がボンヤリして、何を書いているのかわからなくなるのに……。だけど、こういう湖とか、木とか、空とか、僕は大好きだ。自然を見ていると書きたいという情熱が湧いてくる……。でも、僕は風景画家じゃない。世の中に揉まれて生きている、一人の人間なんだ。だから当然、作家として、世の中の苦しみや、みんなの将来のことを描きたいと思う。社会や科学のことを書きたいと思う。けど結局は、あっちへ逃げこっちへ逃げ、悪戦苦闘しているうちに、社会も科学もどんどん先へ進んでしまって、気がつくと、汽車に乗り遅れた田舎者のようにひとりホームに佇んでいる……。つまり、僕に書けるのは風景だけなんです。ほかはすべて嘘で固めた作り物。もう骨の随まで、偽物なんです。

ニーナ:仕事のしすぎなんじゃないでしょうか? あんまり急がしくって、自分の偉さを自覚できなくなってるんだと思います。自分で自分が気に入らなくったって、普通の人から見たら、あなたは断然、素晴らしいんです! 絶大な力を持ってるいるんです! ……もしも、私があなただったら、哀れな世の中のみんなのために、この命をぜんぶ捧げて一心不乱に仕事をするわ! そうしていつかみんなの現実が、私の描いた世界に追いついた時、きっと全世界が、私を担ぎ上げて国中をパレードするんだわ!

トリゴーリン:パレードかあ! まるでアガメムノンだ!


二人、ほほえむ。

ニーナ:あたし、作家とか女優とか、そういう幸せな人間になれるんだったら、家族に見放されたってかまわないわ。貧乏したって、苦労したって、屋根裏部屋で黒パンばかり齧ってたって! きっと最初は自分の未熟さにうんざりするかもしれない。けど、そんなの当たり前じゃない。そのかわり、あたしは要求するの! 栄光を! 本物の、目のくらむような栄光を……、(顔を手で覆って)ああ、くらくらする!

アルカージナ:(舞台裏から顔を出して遠くに呼び掛けるように)トリゴーリン!

トリゴーリン:お呼びだ。荷造りだな、きっと……、行きたくないなあ。(湖を見回して)ここは天国だ! ステキだよ!

ニーナ:向こう岸に家が見えるでしょ?

トリゴーリン:うん。

ニーナ:前はママのものだったの、死ぬまでは……。あたし、あそこで生まれたのよ。あそこで生まれて、ずっとこの湖のほとりで暮らしてきたの。

トリゴーリン:すばらしい。すばらしい場所だあ。(カモメに気づいて)これは?

ニーナ:カモメ。コースチャが撃ち殺したの。

トリゴーリン:美しい鳥だなあ。……ああ、行きたくない。もう少しいてくださいって、アルカージナを説得してくれないかな? ハハハ(と、手帳になにやら書き込む)

ニーナ:なにを書いてるの?

トリゴーリン:ちょっとね、浮かんだんだ。(手帳をしまって)短編の題材さ。子供の頃から湖のほとりで暮らしている、一人の少女、君のように、カモメのように、湖を愛して、自由で幸せだ。ところがある日、ふらりと現れた男が彼女に目をつけて、退屈まぎれに破滅させてしまう、ちょうどこのカモメのように。


間。


アルカージナ:(また顔を出して)トリゴーリン! どこなの?

トリゴーリン:いま行くよ!(歩き出すが、振り返ってニーナを見る。アルカージナに向かって)どうしたの?

アルカージナ:まだここにいることにするわ!


トリゴーリン、去る。

ニーナ:(舞台前に進んで、ちょっと考えて観客に)夢だわ!


http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull02.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c18

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
19. 中川隆[-13507] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:56:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1397]

第3幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull03.html


朝の光に包まれた食堂。食器棚とテーブルとイス。
窓が一つ。床には出発の準備を伝えるスーツケースなど。


12 あたしの先生

トリゴーリン、一人で最後の朝食を食べている。
マーシャ、ウォッカのグラスを手にホロ酔い気分。

マーシャ:せんせぇ……。

トリゴーリン:(食べながら)ン。

マーシャ:こんなことをお話しするのも、先生が作家だからなのよ。よかったら、どこかで使ってくれてもかまわないの。……正直言ってあたしね、あの人の傷がもっとひどかったら、生きていなかったかもしれない。けど、決めたの、頑張ろうって。この気持ちを自分の中から消そうって! 根こそぎ引っこ抜いてやろうって!

トリゴーリン:でも、どうやって?

マーシャ:結婚するのよ、メドヴェジェンコと。

トリゴーリン:あの学校教師と?

マーシャ:そう。

トリゴーリン:それで、なんとかなりますか?

マーシャ:さあ? わかんないけど。でも、いつまでも望みのない恋をしてたって、何年も何年もただ待ってたってさ……。愛はないけど、結婚すれば新しい悩みも出てきて、古い悩みなんかきっと忘れられるでしょ? それだけでも変化よ。もう一杯どう?

トリゴーリン:大丈夫かい?

マーシャ:あら!(二つのグラスになみなみ注ぎながら)そんなふうに見ないでくださる? 先生がご想像なさってるより、女ってお酒、飲むんですよ。まあ、あたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけど、でもみんな隠れて結構やってるわ。それも、たいていコニャックやウォッカ。(グラスを合わせて)お幸せに! あなたって親切な、いい方だわ。お別れするのが残念。


二人、飲む。

トリゴーリン:僕だって発ちたくはないんだ。

マーシャ:どうしてもっといようって言わないの?

トリゴーリン:ムダでしょう、今度ばかりは。息子があんなことをしでかしたんですから。……ピストル自殺の後、僕に決闘を申し込んだそうじゃないですか? なんともまあ、スネて、イジけて、最後は新形式のお説教だ。場所はまだ、たっぷりあるのに、新人にもベテランにも。なにもツノ突き合わせることはないんだ。

マーシャ:嫉妬もあるんだわ。……ま、あたしの知ったこっちゃないけどさ。


間。ニーナが入ってきて、窓辺に立つ。

……あたし、申し訳ないって気もするの。だって、あたしの、あの学校の先生は、頭は良くないけど、ノンキだし、貧乏だし、あたしのことが好きだから。……でも、じゃあね、せんせぇ、あたしのこと忘れないでね。(しっかりと握手して)いろいろとどうもご親切に。できたら今度、ご本を送ってくださいね、サインを添えて。

トリゴーリン:うん。

マーシャ:嫌よ、「敬愛なるマーシャさんへ」なんて、ありきたりじゃ。こう書いて、「生まれもわからず、なんのために生きてるのかもわからない、マーシャさんへ」って! さようなら!


マーシャ、出ていく。

13「昼と夜」


ニーナ:(トリゴーリンに握った片手を差し出して)偶数? 奇数?

トリゴーリン:偶数。

ニーナ:ハズレ。豆は一つ。あーあ、賭けてみたんだけどな、あたしが女優になれるかなれないか……、誰かハッキリさせてくれないかなぁ。

トリゴーリン:誰にもなんともできないでしょう、それは。


間。

ニーナ:お別れですね。……たぶん、あたしたちはもう二度と会えません。記念にコレ、あなたのイニシャルを彫らせたの。こっちには、あなたのご本のタイトル、「昼と夜」。

トリゴーリン:へえ、すごいなあ。(と、ペンダントにキスする)ありがとう。

ニーナ:ときどき思い出してね、あたしのこと。

トリゴーリン:思い出しますよ、とりわけあの晴れた日のあなたのことを。覚えてますか? 一週間ほど前、あなたは明るい色のワンピースを着ていた……。僕たちは話をしてて、ベンチには白いカモメが……。

ニーナ:(重々しく)そう、カモメが……。


間。

ダメ。誰か来る。行く前にあと2分、あたしにちょうだい、お願い!


ニーナ、上手に去る。

14 口笛吹いて


入れ代わりに、アルカージナとソーリンが入ってくる。
ソーリンは、燕尾服に勲章をつけている。

アルカージナ:家にいなさいよ。リューマチなんでしょ。そんなんで出歩く人がありますか。(トリゴーリンに)誰かいたの? ニーナ?

トリゴーリン:ええ。

アルカージナ:あーら、お邪魔だったかしら?(座って)ふう。なんとか荷造りは済んだようね。ああ疲れた。

トリゴーリン:(ペンダントの文字を読んで)「昼と夜」、121ページ、11、12行……? 何が書いてあったろう? (アルカージナに)この家に、僕の本あったかな?

アルカージナ:ええ。書斎の、角の本棚に。

トリゴーリン:121ページ、か……。


トリゴーリン、去る。

アルカージナ:ホントよ、家にいなさいよ。

ソーリン:家にいたって、つまらんよ、おまえは行っちまうし。

アルカージナ:町でなにかあるの?

ソーリン:特にはまあ、そういうことじゃが……(と、笑って)市庁舎の起工式があるわい! ……ちゅうかなんちゅうか、一時間でもいいんじゃ、こんな穴蔵で、古びたパイプみたいに埃をかぶってるよりゃ……、1時ンなったら、馬車を回すように言ってあるから、なあ、一緒に出掛けよう。


間。

アルカージナ:ここで暮らすよりほかないのよ、兄さんは。あんまり退屈がって、風邪なんかひかないでね。あの子のことはお願いします。面倒見てあげてちょうだい。


間。

……発ってしまえば、あの子がなぜ自殺なんかしようとしたのか、わからないままだわ。結局、嫉妬でしょ? だから少しでも早くここからトリゴーリンを連れ出したいのよ。

ソーリン:なんちゅうのかなぁ……、理由は他にもあったさ。そうじゃろ? あの子だってまだ若いし、才能もあるんだろうし、なのにこんな田舎で、金も地位も将来の見通しもないままじゃあ、なんもすることのないままじゃあ、腐ってくような気がするのさ、恐いのさ。わしゃ、あの子が好きじゃ。あの子もわしを慕ってくれとる。じゃがなんちゅうのかなぁ、ここにいるのが納得できないんじゃろなぁ、居候みたいな感じなんじゃろ。あの子にだってプライドがあるさ。

アルカージナ:ああ、ホント、苦労されられるわ!


間。

働きに出させたらどうかしら?

ソーリン:(あきれるが、ためらいがちに)それより何より……。なあ、おまえ、いくらかでも持たせてやったらどうじゃろ? 身なりをキチンとさせて、ちゅうか、見てごらん、年がら年中、同じ擦り切れたジャケットで、コートの一つも持っとらん!(と、笑って)旅行だって悪くないぞ。外国かどこかへ、なあ、金だってそんなにかからんじゃろうよ。

アルカージナ:そうねえ、着るものくらいだったら、でも外国となるとねえ……。ダメ。今はダメよ。着るものだって。(きっぱりと)お金なんかないわ。

ソーリン:(口笛を吹いて)

アルカージナ:ないのよ!

ソーリン:(口笛を吹いて)わかった。わかった。わしが悪かった。そうともさ、おまえは気立てのいい、やさしい女じゃよ。

アルカージナ:(泣いて)だってないんだから!

ソーリン:わしが持ってりゃなあ、それこそ、ポンと出してやるんだが、あいにくわしも一文なしだ。(と、笑って)わずかな年金も、牛だ、蜜バチだ、みんな農場に取られて、捨てるようなもんじゃ。牛は死ぬ、ハチも死ぬ、馬にすら使う金がない……。

アルカージナ:そりゃ少しはあるわ、でもあたしは女優よ。衣装代だけだって、破産しそうなのよ。

ソーリン:ああ、ああ、わかっとる、わかっとる、おまえの気持ちはわかっとるよ。そうともさ……、ああ、じゃがわしゃ何だか……(よろめいて)めまいが……(テーブルにもたれる)気分が悪い、とまあ、そういうことじゃろ!(倒れる)

アルカージナ:(驚いて)ちょっと!(助け起こそうとして)しっかりしてよ! (叫ぶ)誰か! 誰か来て!

15 ぼくのママ

頭に包帯を巻いて、コップの水を持ったトレープレフと、
杖を持った、メドヴェジェンコが駆けつける。

アルカージナ:気分が悪いって!

ソーリン:(起き上がって)なーんてな! ハッハッハ!(と、水を飲んで)ま、大丈夫大丈夫、そういうことじゃ。

トレープレフ:驚かなくてもいいよ、ママ。たいしたことじゃないんだ。このごろ伯父さん、すぐこうなるんだ。少し横になってれば、伯父さん?

ソーリン:うん、少しな……、でもわしゃ出かけるぞ、少し横になって、それから、出かけるんだ、だってそうじゃろう。


メドヴェジェンコから杖を受け取って立ち上がる。

メドヴェジェンコ:(ソーリンの腕を取って嬉しそうに)こんな謎なぞがあったね。朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足って。

ソーリン:それで夜にはバタンキューか! 一人で歩けるちゅうに。大丈夫じゃ、大丈夫大丈夫……。


メドヴェジェンコとソーリン、去る。

アルカージナ:驚かさないでよ、もう!

トレープレフ:田舎暮しがよくないんだ。気が滅入るんだよ。ママが突然、気前よくなって、2000くらい貸してあげたら、それで伯父さんも一年は町で暮らせるのに。

アルカージナ:ないわよ、お金なんか。あたしは女優よ、銀行家じゃないわ。


間。

トレープレフ:包帯を替えてくれない、ママ? ママは上手だから。

アルカージナ:(食器棚からヨードチンキと包帯を取り出して)遅いわね、ドクターも。

トレープレフ:10時には来るって言ってたんだけどな、もう12時だ。

アルカージナ:座りなさい。(頭の包帯をほどきながら)ふふふ、ターバンみたいね。昨日、お勝手に来てた人が、あんたのこと見て、あれは何人だって言ってたわよ。でも、ほとんど直ってる。ほんの少し、ほんのちょっと開いてるくらいだわ。(と、頭にキスして)あたしが行っちゃったら、あんなピストルごっこはもうしないで、いい?

トレープレフ:うん。あのときは本当に絶望しちゃって、自分でもどうしようもなかったんだ。二度と起こらないよ、あんなこと。(と、母の手にキスして)ちっちゃな、魔法の手だ……。ずっと昔、ママが国立劇場に出てて、僕はまだ子供だった頃、アパートの中庭でケンカがあったの、覚えてる? 一緒に住んでた洗濯屋の女の人がひどく殴られたの、覚えてる? あの人、気を失っちゃってさ……。ママ、何度もお見舞いに行ってあげてたよね。薬を持ってったり、子供たちを洗ってあげたり、覚えてない?

アルカージナ:そうねえ。(新しい包帯を巻いている)

トレープレフ:同じアパートにバレリーナが二人いて、よくお茶を飲みに来てたのは?

アルカージナ:それは覚えてる。

トレープレフ:二人とも、とても信心深かい人たちだったなあ。


間。

このところさ、ここ何日かさ、僕、ママのことが好きでしようがないんだ。子供の頃みたいに……。僕にはもう、ママしかいないんだ。なのに、なぜ、ママはあんな男と一緒にいるんだろう?

アルカージナ:あなたにはわかってないのよ。いい、あんなに立派な人はいないのよ。

トレープレフ:そのリッパな人が、僕に決闘を申し込まれたと聞くと、とたんに弱腰ンなって、逃げ出すんだもんなあ。情けねえよな!

アルカージナ:何言ってんのよ! あたしから出て行きましょうってお願いしたのよ!

トレープレフ:いやあ、リッパリッパ! そりゃ立派だねぇ! でも、こうやって僕たちが、あいつのことで言い合ってる間にも、あいつは客間か庭か、どこかそこらで僕たちのことをあざ笑ってるんだぜ。ニーナの頭に、自分がいかに立派かっていうことを吹き込もうとしてるんだぜ。

アルカージナ:あんた、そういうことを言って、自分が情けなくならないの? ……あたしは、彼を尊敬してるわ。信用しているんです。だから、あたしの前で、彼をけなすのはやめてちょうだい?

トレープレフ:でも、こっちはソンケイなんかしてませんから、あしからず。ママはあいつの才能を僕に認めさせたいんだろうけど、僕は嘘がつけなくってねえ! あいつの本なんかヘドが出るよ!

アルカージナ:負け犬の遠吠えねえ! 才能のないシロウトは、本物のプロフェッショナルを前にするとやたらめったら吠えるのよ。始末に負えないったらないわ!

トレープレフ:何がプロだぁ! 悪いけど、僕はおまえたちの誰よりも才能があるんだよ!(と、包帯を引き裂いて)カビのはえた、クソ石頭なおまえたちが、さんざおいしいところを独占して、自分たちだけを正当だと決めつけてるんじゃないか! それ以外のものは排除して、抹殺してるんじゃないか! 僕は認めないぞ、誰も! おまえも! あの野郎も!

アルカージナ:いいかげんになさい! 自分を何様だと思っての、このボウヤが? 退廃デカダンのくせに!

トレープレフ:てめえこそ、大好きな劇場にさっさと引っ込んで、みじめな三流芝居をやってろよ!

アルカージナ:悪いけどねえ、あたしゃ、そんな芝居に出た覚えは一度もないわ! あんたこそ、なにさ、マトモなコントの一つも書けないくせに! この、キエフの商売人! 貧乏人!

トレープレフ:ケチンボ!

アルカージナ:居候!

トレープレフ:ああっ……!(座り込んで静かに泣き出す)

アルカージナ:マザコンボウヤ!


アルカージナ、興奮して歩きまわる。

泣かないでよ……、泣かないで!(と、泣く)ねえ!(息子の額、頬、頭にキスキスキス!)お願いだから、いい子だから……。ひどい母親ね。かわいそうなのは、あたしなのよ……。

トレープレフ:(ママを抱いて)わかってよ、ママあ! 僕には何も残ってないんだ。ニーナは僕のことなんか愛してもいないし、僕にはもう何も書けないよ……。

アルカージナ:泣かないの! なにもかもよくなるからね。あの人がいなくなれば、あの子もまたおまえのところに戻ってくるわ。(涙をふいてやって)さあ、おしまい。仲直りよ。

トレープレフ:(ママの手にキスして)うん、ママ。

アルカージナ:(やさしく)彼とも仲直りしてね。もう決闘はなし。そうでしょ?

トレープレフ:うん……。でも、顔を会わせたくない。辛すぎるよ……。

16 私の王様

トリゴーリンがやってくる。

(それを見て)じゃあ……(急いで薬品を棚に戻しながら)後でドクターに巻いてもらうよ……。

トリゴーリン:(本をめくりながら)121ページ、11、12行……と、ここだ。「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして……」


トレープレフ、包帯を拾い上げて去る。

アルカージナ:(時計を見て)もうすぐ馬車が来るわよ。

トリゴーリン:(自分に)「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして」

アルカージナ:荷造りは出来てるの?

トリゴーリン:(イライラと)わかってるよ。(目を閉じて)この、純真な心の叫びの中に、俺には悲哀の声が聞こえる……。なぜだろう? なぜ、俺の胸はこんなにドキドキするんだろう?「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして」(アルカージナに)……ねえ、もう一日いよう!

アルカージナ:(首を振る)

トリゴーリン:あと一日、もう一日!

アルカージナ:わかってるわ、あなたが何に後ろ髪を引かれているのか。しっかりなさい! 酔ってるんでしょ。さあ、頭を冷まして。

トリゴーリン:きみこそ、頭を冷やしてくれ……。落ちついて、理性的になって、考えてくれ、本当の友だちとして。頼む。(と、アルカージナの手を握って)きみは自分を犠牲にできる、賢い女だ。そうだろう? 親友として、僕を自由にしてくれるだろう?

アルカージナ:(大きな声で)あんな田舎娘のどこがいいのよ?

トリゴーリン:魅かれてる! どうしようもなく! たぶん、僕には必要なんだ。

アルカージナ:あなた、自分を見失ってるわ……!

トリゴーリン:……人はときどき、歩きながら眠ることがある。こうして話をしながらも、僕はじつは眠っていて、あの子の夢を見ているのかもしれない……。うっとりとしながら、やるせない夢を……。お願いだ、行かせてくれ!

アルカージナ:(震えて)いやよ……、いやよ……、あたしは普通の女だわ……。やめて、そんな話し方……、あたしを苦しめないで、恐いの……。

トリゴーリン:その気になれば、きみだって賢い女になれるんだ……。ああ、夢のようにかぐわしい、狂おしい恋……。詩的でみずみずしい、魔力にあふれた愛……。ただそれだけ、ただそれだけがこの世でしあわせを与えてくれる。でもまだ、僕はそんな愛を味わったことがない……。若いころはあまりに忙しかったんだ。出版社の首にぶら下がって、ただただ貧乏と戦って……。それが今、向こうから手招きをして僕を誘っているんだよ。避ける理由がどこにあるんだ?

アルカージナ:狂ったのね!

トリゴーリン:それでもいい!

アルカージナ:ああ! なんで今日はみんなあたしをいじめるのォ!

トリゴーリン:(頭を抱えて)わかってくれない! わかってくれない!

アルカージナ:あたし、そんなにトシを取ったの? 醜くなったの? あたしの前で、平気で他の女の話をするなんて!(トリゴーリンを抱いて、キスして)気が狂ってしまったんだわ! あなた! ねえ、あなた! あたしの大事な、あなた! あたしの人生の最後の1ページ!(跪いて)あたしの喜び。あたしの誇り。あたしのしあわせ!(膝を抱いて)あなたに捨てられたら、一時間だって生きていけない。本当に気が狂ってしまう。あたしの大事な人、素敵なあなた、あたしの王様!

トリゴーリン:(びびって)誰か来るよ……。(女を起こそうとする)

アルカージナ:かまわないでしょう。あなたを愛することが恥ずかしいことなの?(男の両の手にキスして)宝物だわ。……あなたはバカなマネがしたいんでしょうけど、あたしが許しません。絶対に許しませんからね! ハッハッ! これはあたしのものよ! あたしのもの……、このおでこも、この目も、この柔らかい髪の毛も、全部あたしのもの……。あなたは本当の天才で、かしこくって、現代の最高の作家だわ。ロシアでただ一つの希望だわ。誠実で、まっすぐで、新鮮で、驚くようなユーモアがあって、たったひと筆で、風景や人間の本質を描き切る。あなたの描く人間は、生きている。読んで魅き込まれない人はいないくらい。嘘だと思うの? 見て、あたしの目を見て! これが嘘をついている目? どう! ……わかった? あたしだけよ、あなたの本当の価値を認めてあげられるのは。あたしだけ。あなたの真実を口にできるのは、そうでしょ。ステキよ、あなたは……。さあ、じゃ、一緒に行くわね?あたしを捨てないわね?

トリゴーリン:……俺には意志というものがないのか、俺には……。こんな、芯のない、愚にもつかない、なさけない男が、本当に女から愛されるのか? ……さあ、連れていけ、どこへなりと! だが一瞬でもそばから離すなよ!

アルカージナ:(小さく)これであたしのものだわ。(なにもなかったかのように)でも、行きたければ行ってもいいのよ? あたしは行くわ。あなたは後から来ればいいじゃない、一週間もしたら。急ぐ必要もないんでしょ?

トリゴーリン:いや、一緒に行くよ。

アルカージナ:お好きなように。……まあ、じゃ出かけましょ。


間。

トリゴーリン:(手帳を取り出して書きつける)

アルカージナ:なに?

トリゴーリン:今朝おもしろいフレーズを聞いたんだ、「処女の森」だってさ。これは使える……(伸びをして)あーあ、また汽車か。駅に、食堂車に、カツレツに、おしゃべりか……。

17 時間です!

シャムラーエフ、ごきげんに登場。
続いて、ポリーナ、メドヴェジェンコ、ソーリン、マーシャ。

シャムラーエフ:(なかば観客に)どうも、みなさん! 本日はご来場、マコトにお日柄もよく、残念ながらご報告申し上げねばなりません。奥さん、馬の用意ができました。時間です。さあ、駅へと向かいましょう。汽車の時間は2時5分。……ところで奥さん、お忘れではござんせんでしょうなあ、例の件。あの、「名優スーズダリチェフや、今どこに?」。ぜひともお調べくださるよう。はたして、奴は今も生きているのか? 健在なのか? いやあ、昔よく一緒に飲み歩いた仲でしてね。「郵便強盗」じゃあ、天下一品の芸を見せてくれたもんでした。よくコンビを組んでた、あの、悲劇役者のイズマイロフ、こいつもなかなかの男でしたが……、いやいや、そうお急ぎにならずとも、あと5分は大丈夫。……そうそう、とあるメロドラマでしたか、二人は逃げる謀反人、不意を襲われあわや、という場面、「しまった! フクロのネズミだ」と言うところを、さてものイズマイロフ、なにを焦ったか「フクローの寝過ぎだ!」(と、大笑い)ガッハッハ! フクローの寝過ぎだ! って、ねえ、そりゃないでしょ? ホー! ホー!


とこう、シャムラーエフが喋っている間に、ポリーナ、マーシャは荷物を用意し、アルカージナは帽子、コートなど、旅支度。

ポリーナ:(カゴを差し出し)これ、スモモを。汽車ン中じゃ、こういうものが召し上がりたくなるんじゃないかと思いまして……。

アルカージナ:まあまあ、気を遣わせてしまって。

ポリーナ:奥さま、どうぞお元気で。なにかと行き届かない点があったとは思いますが、どうかお許しくださいませ。(と泣く)

アルカージナ:(管理人の妻を抱いて)完璧だったわ、申し分なしよ。あんたが泣いたりしなきゃねえ!

ポリーナ:もう残り少ないんです! あたしたちの時間は……。

アルカージナ:まあね、どうしようもないわね……。


ソーリンが帽子をかぶり、ステッキを手に現れ、

ソーリン:時間じゃ時間じゃ! 遅れるぞ! わしゃ先に行っとるからな、とまあそういうことじゃ。(と、出ていく)

メドヴェジェンコ:僕も行かなきゃ、なんせ駅まで歩きなんで。ではでは。(と、出ていく)

アルカージナ:では皆さん、ごきげんよう! さようなら! もし元気でしたら、また来年の夏にお会いしましょう。(と、観客に)さようなら! さようなら! あたしのこと忘れないでね。(と、観客に)ホラあんたたち、コレお駄賃。三人で分けるのよ!

シャムラーエフ:ぜひお便りを! あなたもさようなら、トリゴーリンさん。

アルカージナ:だけど、コースチャったらどこに行ったのかしら? もう行くからって、あの子に言ってちょうだい。さよならを言わなくっちゃ。それじゃあね、みなさん! ちゃんと三人でわけるのよ!


一同、退場。
舞台には誰もいなくなる。
と、ポリーナが戻ってきて、置き忘れたスモモのカゴを取って、

ポリーナ:ン、もう!(と出ていく)


と、トリゴーリンが戻ってくる。

トリゴーリン:俺はステッキだ。テラスだったかな?


上手に出ていこうとして、やにわに入ってきたニーナとぶつかる。

やあ、君か。僕らもう……

ニーナ:もう一度会えるって思ってた!(興奮して)あたし、決めたの! 賭けよ! 舞台に出るわ! 明日ここを出て、パパを捨てて、すべてを捨てて、新しい生活を始めるわ。モスクワへ行くの。あなたと同じように。……あたしたち、また会えるでしょ?

トリゴーリン:(みんなの去った方をチラッと見て)スラヴヤンスキー・バザールに泊まってる。待ってるよ……、住所は、モルチャーノフスカ通りのグロホーリスキ館……。さあもう行かなくちゃ……。


間。

ニーナ:もう少しだけ……

トリゴーリン:(声を落として)きれいだ。夢みたいだ、またすぐ会えるなんて……

ニーナ:(彼の胸に頭をあずける)

トリゴーリン:この目にも、この、うつくしい、やさしい笑顔にも……、このかぐわしさ、柔らかさ、天使のような純粋さ! 素敵だ……


長い長い、キス。



http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull03.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c19

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
20. 中川隆[-13506] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:57:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1398]

戯曲『かもめ (The Seagull)』 第4幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull04.html


二年が過ぎる。
暗い、湖の底のような夕闇。吹きすざぶ風。木々のざわめき。
今はトレープレフの仕事部屋になっている居間。舞台正面が窓。
ゆっくりと暗闇に目が慣れるように、下手に机、中央奥にソファ、上手にテーブルとイスなどが浮かんでくる。机の上には、山のような本、本、本。
夜番の拍子木の音がして……。


18 帰ろうよ、マーシャ!

マーシャ、ここにいない誰かを探している。
メドヴェジェンコ、マーシャの心を探している。

マーシャ:(叫んで)コースチャ! コースチャ!(まわりを見て)どこに行ったのかしら?(と、メドヴェジェンコを見る)

メドヴェジェンコ:(マーシャを見る、がすぐに目をそらす)


間。

マーシャ:だって、ここのピノ伯父さんなんか、しょっちゅう、どこだ? どこだ? コースチャはどこだ? って、あの人なしにはもうダメなのよ。

メドヴェジェンコ:みんな恐いんだよ、一人になるのが。


耳をすます。ひときわ強く風。

(興奮して)ひどいな! もう二晩続けてこんな調子だ!

マーシャ:(部屋のそこここにあるのロウソクを点けながら)湖がごうごう言ってるわ。

メドヴェジェンコ:(窓の外を見ながら前へ進み)真っ暗だ。むき出しのままでさ、壊すように言えばいいのになあ、あの舞台。だって、ガイコツみたいだよ。幕なんかバサバサ言って、気味が悪いよ。夕べ通りかかったら、中で誰かが泣いてるのかと思った。

マーシャ:だからなに?


間。

メドヴェジェンコ:帰ろう、マーシャ。

マーシャ:今夜はダメ。泊まるの。

メドヴェジェンコ:(泣いて)帰ろうよ! ミーシャも泣いてるよ!

マーシャ:なによ。マトリョーシュカがいるでしょ。


間。

メドヴェジェンコ:でも、かわいそうだ。3日もママがいなかったら。

マーシャ:あんたもつまんない男になっちゃったわねえ! 昔はなんだかんだ、理屈言ってたじゃないのさ。それが今は、帰ろうよ、泣いてるよ、帰ろうよ、泣いてるよ……。他のことは言えないの?

メドヴェジェンコ:(プレッシャーを感じつつも)帰ろうよマーシャ!

マーシャ:一人で帰んな。

メドヴェジェンコ:僕ひとりじゃ、お父さんが馬を貸してくれないよ。

マーシャ:くれるわよ、頼んでみれば。

メドヴェジェンコ:うん、じゃあ頼んでみるけど、でも、明日は帰ってくるだろ?

マーシャ:フン。明日ね……、うるさいわねえ!

19 憂鬱なワルツ

トレープレフは枕と毛布を、ポリーナはシーツを持って入ってくる。二人、それらをソファに置く。トレープレフはそのまま、自分の机に向かって座る。

マーシャ:なにソレ、ママ?

ポリーナ:ピノおじさんがさ、コースチャのそばに寝たいってきかないんだよ。

マーシャ:あたしやるわ。(ソファにベッドの用意をする)

ポリーナ:(溜め息)やれやれ。年とともに、子供に返っていくもんなのかねえ……(机のところへ行き、ひじを突き、原稿を見やる)


間。

メドヴェジェンコ:じゃ、僕はこれで。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキス)おやすみ、お母さん(と義母の手を取ろうとして)

ポリーナ:さっさと帰っとくれ!

メドヴェジェンコ:おやすみ、コースチャ……。

トレープレフ:(黙ったまま手をあげる)


メドヴェジェンコ、去る。

ポリーナ:(原稿に目をやりながら)あんたがねえ、本物の作家さんになるなんて、誰が想像したろうねえ、コースチャ。今じゃ、雑誌社からお金が送られてくるんだからねえ、ありがたもんだねえ。(トレープレフの髪を撫でて)いい男になったしね……。ねえ、コースチャ、もう少しやさしくしてやっとくれ、マーシャにさ。

マーシャ:(ベッドを作りながら)ほっといてよ、ママ!

ポリーナ:あたしが言うのもなんだけど、いい娘なんだよ。


間。

女ってもんはねえ、コースチャ、ときどき優しく見つめてもらいさえすりゃ、あとはなんにもいらないんだ。このあたしがそうだったんだからさ。


トレープレフ、立って、何も言わずに出ていく。

マーシャ:ママあ! やめてよ! 嫌がってるでしょ。

ポリーナ:おまえが不憫でしょうがないんだよお。

マーシャ:大きなお世話よ。

ポリーナ:ああ、胸が痛むよ、この胸が! 何もかもお見通しさ、何もかもね。

マーシャ:やめてよ! 自分を甘やかしちゃダメなのよ。期待して待ってたって、潮の流れは変わらないわ! どっちにしたって、ウチの人、よそへ転勤になるらしいから、そうしたらあたし、ぜんぶ忘れる。なにもかもぜんぶこの胸から根こそぎ引っこ抜いてやるわ!


憂鬱なワルツが、向こうの部屋から聞こえてくる。

ポリーナ:コースチャだ、あの子も悲しいんだねえ。

マーシャ:(音も立てずにワルツを踊りながら)大切なのはね、ママ、目の前からあの人がいなくなるってこと! ウチの人が転勤したら、あたし、なにもかもひと月で忘れてみせるわ。みんな、みんな、くだらないことよ!

20 なりたかった男(人生談義2)

ドールンとメドヴェジェンコが、ウトウトしているソーリンを担ぎながら入ってきて、

メドヴェジェンコ:……だけど、ウチはいま六人家族なのに、小麦粉1キロ2コペイカもするんですよ。

ドールン:なるほど、そりゃタイヘンだァ。

メドヴェジェンコ:いいですよ、あなたは。笑ってられるんだから、お金があるんだから。

ドールン:お金ねえ? 僕かァね、きみ、この30年、昼も夜も人の言いなりになって、来る日も来る日も診察を続けてきてだよ、残った金なんか、ただの2000ルーブルだよ。それもこないだの外国旅行でスッカラカン。一文なしだ。


と、喋りながら二人、ソーリンをソファへ寝かせる。
ポリーナ、マーシャもソファへ寄って来て、みんな、なんとなくソーリンを中心に、しだいに記念写真を撮るような配置になっていく。

マーシャ:(夫に)帰ったんじゃなかったの?

メドヴェジェンコ:(申し訳なさそうに)だって、馬を出してくれないって。

マーシャ:(イラついて、低い声で)顔も見たくない!

メドヴェジェンコ:(ガックリして、マーシャの反対側へ逃げる)


夜番の拍子木の音。

ソーリン:(目を覚まして)妹の奴はどこじゃ?

ドールン:駅までトリゴーリンをお迎えです。すぐ戻りますよ。

ソーリン:お迎えは、わしもじゃろ、あんたが妹を呼び寄せたとなると……。


気まずい沈黙。

なのに、おかしいじゃろお! こん医者は! 薬のひとつもくれんで!

ドールン:さてさて、何をお望みで? カノコ草ですか? 炭酸ソーダ? それともキニーネで?

ソーリン:来た来た、屁理屈。やってられんよォ!(と、自分の居る場所を認識して)なに? ここで寝ろっちゅうのか?

ポリーナ:ご自分でこうしたいっておっしゃったんですよ。

ソーリン:そりゃそりゃ、どうもどうも。

ドールン:(聞き取れない声で)「♪月ノ光ハ夜空ニ浮カビ……」

ソーリン:どらひとつ、コースチャに小説のネタでもやろうかな! お題は、と……、うん。「なりたかった男」……。わしゃ、若い時分、作家になりたかった。じゃがなれんかった。喋りの上手い男にもなりたかった。じゃが、わしの喋りときた日にゃ(と、身振り手振り、自分をマネて)「……っちゅうかなんちゅうか……つまりは……とまあ、そういうことじゃろ……」てな具合でなァ。なかなか話のまとまりがつけられんで、ひや汗タラタラじゃったわ。ハッハッハッ! 女房も欲しかったが、それもかなわんかったし、最後にゃ、都会で暮らしたかったが、こうして田舎で終わろうとしとるし、……とまあ、そういうことじゃろ。

ドールン:あなたは法務局のお役人になりたかった、そして、なれた。

ソーリン:なりたくてなったわけじゃない。事故みたいなもんじゃ。

ドールン:62にもなって人生に不満を言ったって、こう言っちゃなんですが、愚かなだけですよ。

ソーリン:わからん奴じゃあ! わしゃ生きたいと言っとるだけじゃ!

ドールン:それが愚かだというんです。どんな命にも終わりがある。自然の法則です。

ソーリン:なにを! さんざ遊びまわった奴がよう言いくさるわ! てめえの腹はいっぱいなもんで、他人は死のうが生きようがどうでもっていいわけじゃろ! そうじゃろ! じゃがな、あんただっていざ死ぬって時にゃビビるに決まっとる!

ドールン:死を恐れるのは動物的な本能で、そんなものは克服できるんです。……ただ、永遠の命を信じている人たちだけが、本当に死を恐れるんですよ、自分の罪を恐れる人たちだけが……。でも、あなたはそうじゃない。あなたは信仰を持ってはいないし、それにどんな罪を犯したっていうんです? あなたは法務局に25年間務めた、それだけでしょう。

ソーリン:ハッハッハ! 28年じゃ!

21 世界霊魂

トレープレフが入ってきて、ソーリンの足元に座る。
マーシャはずっと彼を見ている。

ドールン:仕事のおジャマかな?

トレープレフ:かまいませんよ。

メドヴェジェンコ:(手を挙げて)はい。質問。ドクターは、どの国がいちばんよかったですか? 外国じゃ?

ドールン:……ジェノバだな。

メドヴェジェンコ:ジェノバ、なぜ?

ドールン:あの街は、庶民が生きてるんだ。……夕方、ホテルを出ると、大通りいっぱいに人の波でね、それに飲まれるように、あてどなく、気の向くままに流されていくと、いつしか彼らと生活を共にし、魂までが一つに融け合っているような気がしてくるんだなァ。そして、一つの世界霊魂というものが、……ちょうどそう、いつだったか、君のお芝居で、ニーナさんが演じたような、ああいうものが、存在しているんだなァということがわかる。……ところで、ニーナさんは? 今どうしてますか?

トレープレフ:元気ですよ、僕の知るかぎり。

ドールン:なんだか妙な具合になってるという話も聞いたけど、どうなの?

トレープレフ:話すと長くなりますよ。

ドールン:まあ、手短に頼むよ。


間。みんななんとなく姿勢を正す。

トレープレフ:彼女は家を出ました。それからトリゴーリンといっしょになって……、そこまでは知ってますね?

ドールン:知ってるよ。

トレープレフ:子供ができました。その子は死にました。トリゴーリンの彼女への愛は冷め、やがて元のさやへと収まりました。なにもかも最初から予想していた通りに。もっとも、あの男が元の女を捨てたためしなんかなくて、ただ気弱な性格からあっちにもこっちにも引きずられていただけなんです。まあ僕の知るかぎり、ニーナの生活は最低でした。

ドールン:舞台はどうだったの?

トレープレフ:もっとひどかったんじゃないかな。モスクワ郊外の小さな小屋で初舞台を踏んで、それから地方の旅に出たんです。そのころ僕はずっと目を離さずにいて、巡業先へはどこへでも追い掛けて行ったんですけど、デカい役ばかりもらってた割には、芝居は幼稚で大袈裟で、やたらめったらわめいてるだけでした。時折、叫んだり死んだりする瞬間に、ハッとすることもあったんですが、ほんの時たまだけで。

ドールン:でも、才能はあるんだろ?

トレープレフ:難しいところでしょうね。多分あるんでしょうけれど。こっちじゃ顔を見てるけど、向こうは会おうともしません。ホテルに行ってもメイドが通してくれなくて。ま、気持ちはわかりますからね、僕も無理に会おうとはしなかったけど……、


間。

あとはなんだろう? そう、家に戻ってから、手紙をもらいました。理知的で心のこもった、いい手紙でした。泣き言は一言もなくて。けど僕にはわかったんです、彼女の深い悲しみが。行間に滲んでいる痛んだ神経が……。頭も少しおかしくなってたかもしれません。サインがいつも「カモメ」なんです。プーシキンの「川の妖精」に、自分のことをカラスだという粉挽きじいさんが出てくるんですが、あんな感じで、手紙の中でも自分は「カモメ」だって……、ところで今、彼女ここに来てますよ。

ドールン:ここって?

トレープレフ:町にです。町のホテルにも4、5五日は泊まってます。僕も訪ねようとは思ってるんだけど、先に行ったマーシャによれば、誰にも会いたくないって。でも、(メドヴェジェンコに)昨日の夕方会ったんだろ? 原っぱで?

メドヴェジェンコ:会ったよ。町へ帰る途中みたいだったなあ。「みんなに会いにきてくださいよ」って言ったら、「そのうちに」って言ってたけど。

トレープレフ:来やしないさ。


間。

(立って机へ)父親も義理の母親も、もう知らん顔ですよ。家に近づかないようにって、見張りまで置いて……。

ドールン:(トレープレフを追う)


みんな、なんとなくバラける。

(ドールンに)小説と違って、現実は難しいもんですね。

ソーリン:いい子じゃったのになァ。

ドールン:なんです?

ソーリン:いい子じゃった。いっときは、この元法務局のピノじいさんまでがご執心じゃったわ!

ドールン:老いたるドンファンですか!

22〈みんな仲良く〉その3

吹き抜ける風の音。舞台裏からシャムラーエフの笑い声。

ポリーナ:お帰りになったんじゃないかしら?

トレープレフ:うん。ママの声だ。


アルカージナとトリゴーリンが入ってくる。続いて、シャムラーエフ。

シャムラーエフ:ハッハッハ! トシにゃ勝てませんなァ、まったく、自然の脅威ですなァ! ところがどうだ、奥さんはァ、相も変わらずお若い! 目の冴えるような、その小粋なブラウス、その優雅な物腰!

アルカージナ:嘘おっしゃい! 心にもないことを。

トリゴーリン:(ソーリンに)いやあ、お久し振りです、また何かご病気で? タイヘンだなァ!(マーシャを見つけて嬉しそうに)やあ、マーシャ!

マーシャ:覚えててくれました?(握手)

トリゴーリン:もう結婚したの?

マーシャ:とっくの昔にね。

トリゴーリン:いやあ、しあわせそうだなァ。


トリゴーリン、続けてドールンとメドヴェジェンコに挨拶して、ためらいがちにトレープレフのところへ。

アルカージナに聞ききましたが、もう昔のことは水に流していただけたようで……。

トレープレフ:(手を差し出す)

アルカージナ:(息子に)ホラ、おまえの新作が載ってるって、持ってきてくれたのよ。

トレープレフ:(雑誌を受け取って、トリゴーリンに)どうも、ご親切に。

トリゴーリン:(座りながら)いやあ、ペテルブルグでもモスクワでも、もうあなたの話で持ち切りですよ。いったい全体どんな人間なんだって。いつも聞かれるんです、いくつぐらいなんだ? おい、髪は黒いのか、明るいのか? それがどうしてだか、みんないい年のオヤジだと思ってるんです、あなたのことを。本名さえ知らないんですからねぇ。いつもペンネームを使うでしょ? どうにもミステリアスな存在ってわけですよ。

トレープレフ:しばらくいるんですか?

トリゴーリン:いや、明日にはモスクワに。しようがないんです。すぐにも仕上げないといけないのが一本あるし、短編集にも一つ書く約束をしてるし。まあ要するに、相変わらずですよ。


とこう話している間に、アルカージナとポリーナは、テーブルにトランプの用意。シャムラーエフはイスなどを並べている。

天気の方じゃ、僕を歓迎してないようですけどね。ひどい風だな。もしこれがおさまったら、明日は朝からまたコレ(釣り)に行きたいと思ってるんだけど、それにここの庭も見ておきたいし、ホラ、あのあなたがお芝居を演った場所、覚えてるでしょう? まあ、モチーフは固まってきてるんだけど、背景となる場所の記憶をもう一度新たにしておこうと思ってね……。

マーシャ:(父親に)パパあ、馬を出したげてよ、帰るって言ってるだから。

シャムラーエフ:(マネして)「馬を出したげてよ、帰るって言ってるだから」(きっぱりと)バカ言え、今駅まで行ってきたばかりだぞ。

マーシャ:ほかの馬だってあるじゃない……

シャムラーエフ:(娘を無視する)

マーシャ:(お手上げ)ムダだわ。

メドヴェジェンコ:大丈夫だよ、マーシャ、歩くよ……。

ポリーナ:(あきれて)歩く! この風ん中を!(テーブルについてトランプを並べ出す)さあどうぞ、皆さん。

メドヴェジェンコ:なに、たったの4マイルですから……、おやすみ(と妻の手にキス)。お母さんも……

ポリーナ:(しぶしぶ手を出してキスを受ける)

メドヴェジェンコ:あの……、みなさんにご心配はおかけたくないんですけどね、家で赤ん坊が待ってるもんで……(みんなに礼して)すみません。


メドヴェジェンコ、トボトボと帰っていく。

シャムラーエフ:なあに、歩けるさ! 将軍様じゃあないんだから!

ポリーナ:(テーブルを叩いて)さあさ、始めましょう! 時間をムダにしないように。すぐにお夜食の知らせが来ますからね!


シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、テーブルにつく。

アルカージナ:(トリゴーリンと一緒にテーブルへつきながら)秋の夜長にはね、ウチじゃいつもコレをやるの。あなたもどう? お夜食の前に。他愛のないゲームだけど、慣れるとそう悪くもないのよ。(と、みんなにカードを配る)

トレープレフ:(雑誌のページをめくりながら)自分のところは読んでるけど、僕のページは切ってもいない。(雑誌を机に置いて、上手へ。途中、母の頬にキスする)

アルカージナ:おまえもどう、コースチャ?

トレープレフ:気がのらないんで、ちょっとブラついて来ます。


トレープレフ、出ていく。

アルカージナ:掛け金は10コペイカからよ! ドクター、あたしの分、出しといて。

ドールン:はいはい。

マーシャ:みなさん、出しました? じゃあ行きましょう! 22!

アルカージナ:どうぞ!

マーシャ:3!

ドールン:来た来た!

マーシャ:よろしいですか、3で? 8! 81! 10!

シャムラーエフ:待てよ、早いぞ!

アルカージナ:大変な歓迎振りだったのよ、ハリコフじゃ! 頭がくらくらしたわ!

マーシャ:34!


憂鬱なワルツが、向こうの部屋から聞こえてくる。

アルカージナ:学生たちがもう総立ちの拍手! 花カゴ3つに、花輪が2つ! それにコレ見て。(胸のブローチをはずしてテーブルに投げる)

マーシャ:50!

ドールン:50ねぇ。

シャムラーエフ:こりゃこりゃ! 値打ちもんでしょう?

アルカージナ:ドレスだって最高だったのよ……、少なくとも着こなしは。

ポリーナ:あのピアノ、コースチャね。悩んでるんだわ、かわいそうに。

シャムラーエフ:新聞じゃ、だいぶ叩かれてたなァ。

マーシャ:77!

アルカージナ:気にすることないのよ!

トリゴーリン:まあ、運もあるんだが、まだ自分の文体も見つけてないんだな。変にあいまいなところがあって、ときどき狂人のたわごとのようになる。なにより人間が生きてない!

マーシャ:11!

アルカージナ:(ソーリンの方をうかがって)兄さん! 元気?


間。

寝ちゃってるわ!

ドールン:法務局のピノじいさんはご就寝と。

マーシャ:7! 

トリゴーリン:こんな、湖のほとりで暮らしてたら、僕はとてもモノを書こうなんて気にはなれないなあ。

マーシャ:90!

トリゴーリン:そんな情熱はうっちゃって、毎日釣り三昧だ。

マーシャ:28!

トリゴーリン:マスやスズキが上がる、しあわせだなァ!

ドールン:僕はコースチャを信じますね。奴には何かがある、何かが! 奴はイメージでもって考える。だから、奴の世界は鮮明で、色鮮やかで、力強い。しかし悲しいかな、何に向かって書いているのかがいま一つ曖昧なんだ。或る印象はあるんだが、それがこっちに差し迫って来ない。(アルカージナに)でも、どうですか? 作家の息子さんを持って嬉しいでしょ?

アルカージナ:それがね、まだ読んだことがないのよ、忙しくって。

マーシャ:26!


トレープレフ、足早に入ってきて、机に向かう

シャムラーエフ:(トリゴーリンに)ところでトリゴーリンさん、あなたからお預かりしてたものがございましたよ。

トリゴーリン:なんでしょう?

シャムラーエフ:かもめですよ、かもめ。いつぞやコースチャの撃ち落とした、あなた、あれを剥製にしてくれないかって……。

トリゴーリン:僕かァ、覚えてないなァ。(考えながら)いや。覚えてないよォ。

マーシャ:61! 1!


トレープレフが窓を開け放つ! 風がヒューと吹き込んでくる。

アルカージナ:コースチャ! 窓を閉めて! 風が吹き込むじゃない!


トレープレフ、閉める。

マーシャ:88!

トリゴーリン:揃ったァ! 

アルカージナ:(明るく)すごい! すごい!

シャムラーエフ:いやあ、お見事!

アルカージナ:この人ったらホントついてるのよ、いつでも、どこでも。(立って)さあ休憩! なんか食べましょ。このご高名な作家先生は、今日はまだマトモな食事をとっていらっしゃらないようよ。(机の息子に)コースチャ、ひと休みしてあなたも食べたら?

トレープレフ:いいよ、ママ。お腹すいてないんだ。

アルカージナ:なら好きにしなさい。(ソーリンを起こして)兄さん、お夜食よ。(ソーリンの腕を取って)ハリコフでの歓迎ぶりを話してあげましょうねえ……。


一同、上手から出ていく。
ポリーナ、ろうそくを消して、ドールンとともに出ていく。

23 十字架

トレープレフ、一人残される。

トレープレフ:(書こうとして、今まで書いたものに目を通して、なかば観客に)これまで、俺は、芸術に新しい形式を訴えてきました。それがだんだんとパターンにハマって来ている気がするんです。(読む)「壁のポスターが告知している……黒髪に縁取られた青ざめた顔」……告知している、……黒髪に縁取られた、……ダメだ!(線で消す)主人公が雨音の中で目覚めるとこからにしよう。あとはカットだ。月夜の描写も長ったらしいし、クドい。トリゴーリンだったらきっと、例の小技でやっつけちまうでしょう。「土手にきらめく割れた瓶と、水車の黒い影」……これで月夜ができちまう。なのに俺のは、たゆたう光、もの言わぬ星のまたたき、かぐわしい静寂の中に消えゆくピアノの調べ……。ああ、頭が痛い。


間。

見えて来た! そうなんだ! 形式が新しいとか古いとかじゃないんだ。形式なんかにとらわれずに、おのれの中から自由に湧き出てくるものを書けばいいんだ!


窓を叩く音がする。

なんだろう?(窓をのぞく)見えないな。(開けて庭を見まわす)だれだろ? 階段を降りてく。おーい?(出ていく)


しばらく間。
やがて興奮しながら、トレープレフがニーナを連れて戻ってくる。

ニーナ! ニーナ!

ニーナ:(トレープレフの胸に頭を預けて震えて泣いている)

トレープレフ:ニーナだあ! ニーナだあ! ニーナだあ! そんな予感がしてたんだ。(帽子とショールを取ってやって)僕の大事なニーナ! 大好きなニーナ! 帰ってきたんだね。泣くなよ! 泣くな!

ニーナ:誰かいる。

トレープレフ:誰もいないよ。

ニーナ:カギを閉めて、誰か入ってくる。

トレープレフ:誰も来ないって。

ニーナ:お母さまがいらしてるんでしょ、カギを閉めて。

トレープレフ:(下手のドアにカギを掛け、上手のドアまで行って)カギがないや。これで塞いどこう。(ドア前にイスを押し付けて)心配ないって。誰も来ないよ

ニーナ:(彼の顔をじっと見つめて)顔を見せて。(あたりを見まわして)あったかい。いいわね、ここは……。あたし、変わった?

トレープレフ:うん、そうだな。やせて、目が大きくなった。でも、ニーナ、変な感じだよ、君と会えるなんて! なぜ会ってくれなかったの? もっと早く来てくれればよかったのに。町にいたんだろ? 僕は君を訪ねて、一日に何度も宿まで行ったよ。宿の、君の窓の下に立って、呼んでたのに、乞食みたいに。

ニーナ:あなた、あたしのこと憎んでるでしょ……。恐かったのよ、毎晩夢の中で、あなたが、あたしを見ながらあたしだって気づいてくれないのよ。お願いわかって! ……ここに来てすぐ、湖のまわりを歩いてみたの、あなたの家のそばにも何度も来たの、でも入れなかったの。座りましょ。


二人、ソファに座る。間。

いいわねえ、ここはあったかくって、快適ねえ。


間。遠くで風の音。

……ツルゲーネフにこんなフレーズがあるわ、「仕合わせとは、こんな夜に身を守ってくれる屋根と、暖めてくれる平和な場所を持つ人のことだ」……あたしはかもめ……違う!(額をコシコシする)なんの話だっけ? そう、ツルゲーネフ、「だから、天よ、身寄りなき旅人を助けたまえ!」ああ!(とむせび泣く)

トレープレフ:泣かないでよ、ニーナ! 泣かないでよ!

ニーナ:大丈夫、これで楽になれるから……。この二年間、一度も泣かなくことなんかなかったけのに、あたし夕べ、庭をのぞきに来たの、あのあたしたちの舞台がまだあるかと思って、そしたら、まだあったのね、泣いちゃった、二年振りに。そしたらつかえたものがスーととれて楽になったの。ホラ、もう泣いてないでしょ。(彼の手を取る)で、あなたは作家になった。あなたは作家に、あたしは女優に。二人とも過酷な世界に身を投げ込んだ……。あたし、あのころは子供のように幸せだったのね。朝目が覚めるともう歌い出してた。あなたのことが大好きで、栄光への道にあこがれて……、でも今は? 明日の朝、あたしはイェレーツ行きの汽車に乗る、庶民的な、汚らしい三等車。そして、イェレーツへ着くと、厭らしいオヤジたちにつきまとわれる生活! 最低の生活!

トレープレフ:なんでイェレーツなんかに?

ニーナ:この冬のシーズンの契約をしたから、もう行かなくちゃ。

トレープレフ:ニーナ、たしかに僕は君を呪った、憎んだ、君の手紙も、写真も、ぜんぶ引き裂いた! でもいつも、魂がどこかで君とつながっているのを感じてた! 君を愛するのをやめるなんて不可能だ、ニーナ。……君を失って、自分の書いたものが活字になるようになって、僕にはもう、どうにも人生が耐えられなくなった、みじめだよ……。突如、若さを奪い取られて、もう100年もこの世に生きさらばえて来た老人のような気がする……。君の名前を呼びながら、君の歩いた大地にくちづけしながら、どこを見ても浮かぶのは、君の顔、やさしい微笑み、ああ、僕の人生の最高の瞬間……。

ニーナ:(動揺して)なんでそんなこと言うの! なんで!

トレープレフ:淋しいんだ。誰も僕を温めてくれない、誰も。僕は、冷たくひからびて墓穴の中で腐ってる死体だ。いくら何を書いたって、どこにも行き着かない、窒息しそうなんだ! いてくれ、ニーナ! お願いだ。でなきゃ僕が君と一緒に……。

ニーナ:(すばやく帽子とショールをつける)

トレープレフ:ニーナ! どうして? 頼むよ、ニーナ!(しかし、ただ、ニーナが身支度するのを見ている)


間。

ニーナ:門に馬車を待たせてありますの。送ってくださならなくっても結構よ。一人で行けますから。(泣いて)……水をちょうだい。

トレープレフ:(あわてて水をコップについで渡す)どこへ行くの?

ニーナ:町よ。


間。

お母さま、いらっしゃてるんでしょ?

トレープレフ:うん。火曜日に伯父さんが倒れて、それで電報で知らせたんだ。

ニーナ:……なんでそんなことを言うの? あたしの歩いた大地にくちづけしたなんて。あたしなんか殺されても仕方がないのに。(ふっとよろめいて、テーブルにもたれる)……疲れたの、少しだけ、休ませて……、少しだけ……。(と、頭をあげて)あたしはかもめ……違う! 女優よ、女優!

「アッハッハッハ!」という笑い声が聞こえる。アルカージナとトリゴーリンである。

(ハッとして、上手のドアまで行ってカギ穴からのぞいて)あの人もいるの!(トレープレフのところに戻りながら)そりゃそうよねえ! あたりまえだわ! あの人、芝居なんかまったく軽蔑してたのよ、いつもバカにしてたのよ、あたしの夢を。それでいつのまにか、あたしも疲れてしまって……、結局、恋だのなんだの、それに、子供のことだっていつも気掛かりで、だから、あたし、つまらない女になっちゃったのよ! 芝居だって最悪! 手の使い方も知らない、どう立ってればいいのかもわからない! 声ひとつ満足に出せやしない! わかる? ヒドいなって、演ってて自分でわかるのがどんな気持ちか? あなたにわかる? あたしはかもめ……違う! ……。覚えてる? かもめ、あなたが撃ち落とした……、「ふらりと現れた男が目をつけて、退屈まぎれに破滅させてしまう、一人の少女」「短編の題材だよ」……違う!(額をコシコシする)なんの話だっけ? そう、お芝居の話ね! フフフ、私は変わったのよ、もう女優なの、私は、本物の! だから、演じるのが好き! 大好き! 夢中なの。舞台に立つと、ゾクゾクして自分が美しいって思えるの。今もね、ここに来てから、歩いて、考えて、歩いて、考えて、一日一日、自分がたくましくなっていくのを感じてたわ……。それでね、コースチャ、あたしわかったの、あたしたちの仕事ってね、演じるのも書くのも、大切なのは……、有名になることでも、売れることでもない。どうやったら生き延びてゆけるかってこと。どうやったら自分の十字架を背負いながら、それを信じていけるかってこと。あたしは信じてる。だから辛くはないし、これが人生だと思えば、生きるのも恐くない。

トレープレフ:(悲しい)君は……、君の道を見つけたんだね。どうやって進めばいいのかもわかってるんだ。でも僕は、まだ夢と幻想の渾沌とした世界で、それがなんのためなのかもわからない。信じられない。これが人生だなんて、信じられない。

ニーナ:シーッ! もう行くわ。さようなら。いつか、私が大女優になったら、そしたら見に来て、約束よ……(彼の手を強く握る)あーあ、遅くなっちゃった。もう立ってるのがやっとって感じ。疲れてるし、お腹もすいてるし。

トレープレフ:待ってて、なんか持ってくるよ。

ニーナ:いらない。送ってくださならなくっても結構よ。一人で行けますから。馬車はすぐそこです。……お母さまが、あの人を連れてきたの? いいの、わかってるから、あの人には何も言わないで……、あたし、あの人が好き! 前よりもずっと好き! 短編の題材……、好きなのよ! どうしようなく好きなのよ! 死ぬほど好きなのよ! ……昔はよかったわねえ、コースチャ、覚えてる? のどかで、あたたかで、楽しくって、無邪気だった、わたしたちの人生。やさしい、あでやかな花のような感受性。覚えてる? ……「人人もライオンもワシも雷鳥も、角のある鹿もガチョウもクモも、水の中の物言わぬ魚もヒトデも目に見えぬ微生物も……つまりは、命あるものすべて、すべてその悲しい輪廻から逃れて、消え失せて……もはや何千年もの間、この地球には生命は生まれず、あの哀れな月だけが虚しく明かりをともして久しい。草原には目覚めた鶴の声もなく、菩提樹の林にはコガネムシの羽音も絶えた――」


発作的にトレープレフを抱きしめて、窓から走り去る。

トレープレフ:(しばらくぼんやりして)誰かに見つかって、ママに話されるとマズいなァ。またママが傷つく……。


そのまま二分間の沈黙。それから、トレープレフは黙ったまま、自分の原稿を引き裂くと引き出しに投げ込んで、下手へ出ていく。

24 破裂、あるいは本当の破滅


ドールン:(上手のドアを開けようとして)変だなァ。カギでもかかってるのかな?(イスを押しやって入ってくる)障害物競争だ。


アルカージナとポリーナ、みんなの飲み物を持ってマーシャ、続いてシャムラーエフ、トリゴーリンが入ってくる。

アルカージナ:あたしはワイン。(トリゴーリンに)ホラ、あなたのビールもあるわよ。今度は飲みながら行きましょうか。さあ、みなさん、座って!

ポリーナ:あとでお茶もお持ちしますわ。(ろうそくを点けて座る)

シャムラーエフ:(トリゴーリンを引っ張って行って)これですよ。さっきお話した。(かもめの剥製を持って)あなたから頼まれたんですから。

トリゴーリン:(剥製を見て)僕かァ、覚えてないなァ。(考えながら)いやあ、覚えてないよォ!


バンッ! 銃声。全員、立ち上がる。間。

アルカージナ:なにかしら?

ドールン:なんでもないでしょう。私のカバンの中で、何か薬品が破裂したんです。ご心配なく。(下手のドアから出ていく)


一同、不動のまま。やがてドールンが戻って来て、

思ったとおりでした。エーテルの瓶が飛び散ってました。


 一同、ホッとしてもとのなごやかさに戻る……。

(聞こえないような声で)「♪ああ、もう一度、あなたの前に……」

アルカージナ:(テーブルに座って)もうおどかさないでえ。あのときのことを思い出しちゃったわ。(両手で顔を覆って)一瞬目の前が暗くなったわよ。

ドールン:(雑誌のページをめくりながら、トリゴーリンに)これですが、2か月ほど前でしたか、これにある記事が載ってましてね、確かアメリカからのレポートだったんですが、ちょっとあなたにお聞きしたくって……(と、トリゴーリンの背中に腕を回して舞台前へと連れて来て)いや、どうにも気になりましてね。(声を落として)アルカージナさんを、どこかへ連れ出してください。実は、コースチャが自殺したんです……。(と、雑誌のページを閉じる)


幕 
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull04.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c20

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
21. 中川隆[-13505] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:08:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1399]
『かもめ』(ロシア語で「チャイカ」、Чайка)は、ロシアの作家アントン・チェーホフの戯曲である。

チェーホフの劇作家としての名声を揺るぎないものにした代表作であり、ロシア演劇・世界の演劇史の画期をなす記念碑的な作品である。

後の『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』とともにチェーホフの四大戯曲と呼ばれる。
その動きの少なさから、5プードの恋とチェーホフは述べた。


「モスクワ芸術座版『かもめ』」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワ芸術座版『かもめ』


湖畔の田舎屋敷を舞台に、芸術家やそれを取り巻く人々の群像劇を通して人生と芸術とを描いた作品で、1895年の晩秋に書かれた。

『プラトーノフ』(学生時代の習作)、『イワーノフ』、『森の精』(後に『ワーニャ伯父さん』に改作)に続く長編戯曲で、「四大戯曲」最初の作品である。

初演は1896年秋にサンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場(ru)で行われた[2]が、これはロシア演劇史上類例がないといわれるほどの失敗に終わった。その原因は、当時の名優中心の演劇界の風潮や、この作品の真価を理解できなかった俳優や演出家にあるともいわれている。チェーホフは失笑の渦と化した劇場を抜け出すと、ペテルブルクの街をさまよい歩きながら二度と戯曲の筆は執らないという誓いを立てた。妹のマリヤは後のチェーホフの結核の悪化の原因をこの時の秋の夜の彷徨に帰している。

しかし2年後の1898年、設立間もないモスクワ芸術座が逡巡する作者を説き伏せて再演する[3]と、俳優が役柄に生きる新しい演出がこの劇の真価を明らかにし、今度は逆に大きな成功を収めた。この成功によりチェーホフの劇作家としての名声は揺るぎないものとなり、モスクワ芸術座はこれを記念して飛翔するかもめの姿をデザインした意匠をシンボル・マークに採用した。

作品

主要な登場人物の一人であるニーナにはモデルがあり、妹のマリヤの友人のリジヤ・ミジーノワがその人である。リカと呼ばれたこの女性はチェーホフ家に出入りするうちにチェーホフに恋したが報われず、チェーホフ家で出会った別の妻子ある作家、イグナーチイ・ポターペンコと駆け落ちした。娘も生まれたもののやがてポターペンコに捨てられ、まもなくその娘にも死なれたこの女性をめぐる顛末が劇中のニーナの悲恋の元になっている。

このほかにも『かもめ』には作者の身辺に実際に起きた出来事がいくつも盛り込まれており、チェーホフの「最も私的な作品」とも呼ばれている。第3幕でニーナがトリゴーリンに作品のタイトルとページ数を記したロケットを贈るシーンは、チェーホフと一時恋愛関係にあった人妻の女流作家、リジヤ・アヴィーロワから実際にそうしたロケットを贈られた出来事を元にしている。また、劇中でトリゴーリンやコスチャなどによってたたかわされる芸術論はしばしば作者自身の芸術観を代弁するものとなっており、特にトリゴーリンが吐露する作家生活の内情はチェーホフ自身の姿が投影されたものである。

第1幕で上演されるコスチャの劇中劇は当時流行していたデカダン芸術のパロディといわれている。この劇中劇が受ける冷笑的な扱いは作者自身のこうした芸術への態度の表れでもあり、チェーホフは以前にも短篇小説「ともしび」(1888年)で登場人物にこうした虚無的思想傾向への批判を語らせていた。

ニーナがたどった運命と同様のテーマは、すでに中期の小説「退屈な話」(1889年)でも扱われていた。そこではやはり女優志望の若い娘、カーチャが挫折して絶望に陥り、養父の老教授に「私はこれからどうすればいいのか」と尋ねたのに対し、老教授は「私にはわからない」としか答えられず、カーチャは寂しく立ち去っていった。この結末は人生の意義を見失い疲弊した当時のチェーホフの心境を映し出すものでもある。

しかし『かもめ』におけるニーナはカーチャとは異なり、終幕において自分の行くべき道を見出している。名声と栄光にあこがれて女優を志したニーナが全てを失った後に終幕で語る忍耐の必要性は、まさにチェーホフが苦悶の末にたどり着いた境地にほかならない。カーチャからニーナへの成長は、サハリン島旅行(1890年)を経て社会的に目覚めていったチェーホフの進境を示すものであり、本作に提示された忍耐の必要性というテーマはさらに「絶望から忍耐へ」、「忍耐から希望へ」というモティーフへと発展を遂げ、後の作品に引き継がれていくことになる。

登場人物

コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ・トレープレフ
コスチャ。作家志望の青年。

イリーナ・ニコラーエヴナ・アルカージナ
トレープレフの母。大女優。

ボリス・アレクセーエヴィチ・トリゴーリン
流行作家。アルカージナの愛人。

ニーナ・ミハイロヴナ・ザレーチナヤ
裕福な地主の娘。女優志望。

ピョートル・ニコラーエヴィチ・ソーリン
アルカージナの兄。

イリヤ・アファナーシエヴィチ・シャムラーエフ
ソーリン家の支配人。退役中尉。

ポリーナ・アンドレーエヴナ・シャムラーエワ
シャムラーエフの妻。

セミョーン・セミョーノヴィチ・メドヴェージェンコ
教師。

エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ・ドールン
医師。

マリヤ・イリイニチナ・シャムラーエワ
マーシャ。シャムラーエフの娘。いつも黒い服を着ている。

ヤーコフ
下働きの男。

料理人

小間使い

あらすじ


第1幕

ソーリンの湖畔の領地、湖に面した屋外に急設された舞台の前。アルカージナが愛人のトリゴーリンとともに久しぶりに滞在している。コスチャが恋人のニーナを主役に据えた劇の上演を準備している。

メドヴェージェンコがマーシャに言い寄るが、マーシャはつれない。コスチャはソーリンに母への鬱屈した思いや芸術の革新の必要性について語る。「必要なのは新しい形式です。それがないくらいなら、何にもない方がましです」

両親の厳しい監視の目を抜け出してきたニーナが到着する。コスチャは二人きりになるとニーナにキスする。ポリーナとドールンが連れ立って現れる。ポリーナはドールンに色目を使うがドールンはやり過ごす。さらにアルカージナやトリゴーリンなど一同も姿を現し、観客が揃う。

折よく月も顔を出し、いよいよコスチャの劇が幕を開ける。「人も獅子も鷲も鸚鵡も、生きとし生けるものはみな、悲しい循環を終えて消えてしまった。もう何十万年もの間、大地は生命を宿すこともない…」

しかしアルカージナはコスチャの試みをまじめに受け取ろうとせず、芝居の趣向を揶揄する。度重なる嘲笑にコスチャはかっとなって芝居を中断し、いたたまれなくなって姿を消す。ニーナは芝居を続けなくてよくなったらしいことを確認すると一同の前に現れる。一同はニーナを喝采で迎え、アルカージナはぜひとも女優になるべきだとそそのかし、トリゴーリンに引き合わせる。

やがて一同が去り、ドールンが一人残っているところにコスチャが現れる。ドールンはコスチャの劇に可能性を感じたことを話し、創作を続けるよう励ます。感激して涙ぐむコスチャだが、ニーナが家に帰ったことを聞かされると打ちひしがれる。コスチャを探していたマーシャが現れて家に帰るよう言い聞かされるが、コスチャは邪険にはねつけて去っていく。マーシャはドールンにコスチャを愛していることを打ち明ける。

第2幕

真昼の屋外。

アルカージナ、ドールン、マーシャが話している。厳しい両親が旅行に出て束の間の自由を手にしたニーナがソーリンなどとともに現れる。アルカージナは外出用の馬車をめぐって支配人のシャムラーエフと口論になり、アルカージナは泣き出してモスクワへ帰ると言い出す。ポリーナは相変わらずドールンに言い寄っている。

一人になったニーナのもとに銃を持ったコスチャが現れ、撃ち落としたかもめをニーナの足元に捧げる。「今に僕はこんなふうに自分を撃ち殺すのさ。」コスチャは芝居の失敗の後に心変わりしたニーナを詰るが、ニーナは冷たく突き放す。トリゴーリンが現れるのを見たコスチャは立ち去る。

ニーナは名声への憧れをトリゴーリンに語る。「有名ってどんな心地がするものなんでしょう? ご自分が有名であることをどうお感じになります?」それに対しトリゴーリンは作家として生きることの苦渋に満ちた感慨を吐露する。「昼も夜も、一つの考えが頭から離れないのです。書かなければならん、書かなければならん、書かなければ…。何というすさんだ人生でしょう」

トリゴーリンはふと撃ち落とされたかもめに目を止めると、新しい短編の題材を思いつき手帳に書きとめる。「湖のほとりにあなたみたいな若い娘がかもめのように自由で幸せに暮らしている。ところがふとやってきた男が退屈まぎれにその娘を破滅させてしまう。このかもめのように」

アルカージナが現れ、モスクワへの出立を取りやめたことを告げる。



第3幕

ソーリン家の食堂、昼前。コスチャは自殺未遂をした後、トリゴーリンに決闘を申し込む騒ぎを起こしている。アルカージナはニーナとトリゴーリンを引き離すためにトリゴーリンとともにモスクワへ帰る算段をしている。

食事をするトリゴーリンに、マーシャがメドヴェージェンコと結婚する決意をしたことを打ち明ける。「この恋を胸から根こそぎ引き抜いてみせますわ。」

トリゴーリンが食事を済ませるとニーナがロケットを贈る。ロケットには彼の著作のタイトルとページ数、行数が書かれている。トリゴーリンは書棚に自分の本を探しに行く。

コスチャはアルカージナに包帯を取り替えてもらいながら打ち解けて話すが、話題がトリゴーリンのことに移ると途端に激しい口論になってしまう。泣き出すコスチャとなだめるアルカージナ。アルカージナはコスチャに決闘は思いとどまるよう諭す。

トリゴーリンは本の該当の場所を探し当てる。「もしいつか私の命が必要になったら、いつでも差し上げます。」トリゴーリンは滞在を引き延ばそうとするが、アルカージナはうまく丸め込んでその日のうちに発つことを承諾させる。
モスクワに発とうとするトリゴーリンに、ニーナは自分もモスクワに出て女優になる決心をしたことを告げる。トリゴーリンは自分のモスクワでの連絡先を教える。二人は長いキスを交わす。



第4幕

2年後、ソーリン家の客間。現在はコスチャの書斎として使われている。コスチャは作品が首都の雑誌に掲載されるようになり、気鋭の作家として注目を集めるようになっている。

メドヴェージェンコがマーシャに家へ帰って赤ん坊の面倒を見なければ、とさとすがマーシャは取り合わない。ポリーナは今もコスチャへの思いを捨て切れずにいる娘を不憫に思い、仲を取り持とうとするがコスチャの機嫌を損ねてしまう。マーシャは母の余計なお節介を詰る。「胸の中に恋が芽生えてきたら、捨ててしまうだけのことよ。」

コスチャはドールンに尋ねられニーナのその後を話して聞かせる。ニーナはトリゴーリンと一緒になり、子供をもうけたもののトリゴーリンに捨てられ、子供にも死なれてしまっている。女優としても芽が出ず、今は地方を巡業して回る日々を過ごしている。「手紙にはいつもかもめと署名してあるんです。彼女は今この近くにいますよ。」

ソーリンの容体が悪くなったために呼び寄せられたアルカージナがトリゴーリンとともに訪ねてくるが、ソーリンは小康を得ていて一同はロトに興ずる。シャムラーエフがトリゴーリンにコスチャが撃ったかもめを剥製にするよう頼まれていたことを話題にするが、トリゴーリンは思い出せない。

やがて一同は食事のために部屋を出ていくが、コスチャは一人残り仕事を続ける。かつて新しい形式の必要を訴えていたコスチャは、今では自分が型にはまりつつあることを感じとる。「問題は新しいとか古いとかいう形式にあるのではなくて、形式になんかとらわれずに書く、魂から自由にあふれ出るままに書くということなんだ。」

そこへ巡業で近くまで来ていたニーナが訪ねてくる。病的に張りつめた様子のニーナは何度も「私はかもめ」と繰り返し、トリゴーリンとのいきさつをほのめかす一方で、その度に「私は女優」と言い直す。「大切なのは名誉でもなければ成功でもなく、また私がかつて夢見ていたようなものでもなくて、ただ一つ、耐え忍ぶ力なのよ。私は信じているからつらいこともないし、自分の使命を思えば人生もこわくないわ。」片やコスチャは今も信じるべきものを見つけ出すことができずにいる。「僕には信じるものもなく、何が自分の使命なのかもわからずにいるんだ。」

何か食べるものを、というコスチャの申し出を断り、懐かしむように2年前の失敗した芝居のセリフをひとしきりそらんじてみせると、ニーナはコスチャを抱き締め、外へ駈け去っていく。コスチャはしばらくの沈思の後に自分の原稿を尽く引き裂き、部屋の外へ出て行く。

食事を終えた一同が部屋に戻るとシャムラーエフが完成したかもめの剥製を見せるが、それでもトリゴーリンは思い出せない。やがて外で一発の銃声が鳴り響く。調べに出て戻って来たドールンは「エーテルの薬瓶が破裂した」と説明して怯えるアルカージナを落ち着かせたあと、トリゴーリンに小声で「コンスタンティントレープレフが自分自身を撃った」と告げる。

本稿の参照文献

神西清訳 『かもめ・ワーニャ伯父さん』 新潮文庫、改版2004年。解説池田健太郎
近年刊の日本語訳書[編集]
浦雅春訳『かもめ』 岩波文庫[4]、2010年
沼野充義訳『かもめ』 集英社文庫、2012年
中本信幸訳『かもめ』 新読書社(新書版)、2006年
堀江新二訳『かもめ 四幕の喜劇』 群像社、2002年
小田島雄志訳『かもめ ベスト・オブ・チェーホフ』 白水社、1998年(英訳版をもとにした上演用訳書)
松下裕訳『チェーホフ戯曲選』 水声社、2004年。旧版は『チェーホフ全集(11)』(筑摩書房+ちくま文庫)

映画

映画化された作品は以下の通り。

『The Sea Gull』(1968年、監督:シドニー・ルメット)[5]
『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
『リリィ』(2003年、監督:クロード・ミレール。設定を現代のフランスに置き換えている)

https://ja.wikipedia.org/wiki/かもめ_(チェーホフ)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c21

[近代史4] チェーホフの世界

チェーホフの世界


世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
17. 中川隆 2020年3月23日
世紀末の作家 アントン・チェーホフ. Anton Chekhov. 戯曲『かもめ (The Seagull)』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c17
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
22. 中川隆[-13504] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1400]

『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
Чайка / The Sea-Gull





スタッフ



監督
ユーリー・カラーシク

原作
アントン・チェーホフ

脚本
ユーリー・カラーシク

撮影
ミハイル・スースロフ

音楽
アレクサンダー・シニートケ


キャスト


Arkadina
アッラ・デミートワ

Treplev
ウラジミール・チェトヴェリコフ

Sorin
ニコライ・プロートニコフ

Nina
リュドミラ・サベーリエワ


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c22
[近代史4] チェーホフの世界 中川隆
1. 中川隆[-13503] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:50:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1401]

『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
Чайка / The Sea-Gull







スタッフ



監督
ユーリー・カラーシク

原作
アントン・チェーホフ

脚本
ユーリー・カラーシク

撮影
ミハイル・スースロフ

音楽
アレクサンダー・シニートケ


キャスト


Arkadina
アッラ・デミートワ

Treplev
ウラジミール・チェトヴェリコフ

Sorin
ニコライ・プロートニコフ

Nina
リュドミラ・サベーリエワ

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html#c1
[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
23. 中川隆[-13502] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:53:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1402]

チェーホフ「かもめ」の劇中劇について 2010-01-21
https://blog.goo.ne.jp/khar_ms/e/c73cc06fb80002c5442b55e478dd08e4


ちょっと小難しいタイトルをつけましたが、まず前提となる解説をしておくと、チェーホフの書いた有名な戯曲「かもめ」の前半には、劇中劇が存在します。劇の中で上演される劇、ということですね。このことから、「かもめ」はしばしば『ハムレット』と比較されます。というのも、後者にもやはり劇中劇が存在するからです。

ロシア文学研究者の池田健太郎は、『「かもめ」評釈』において、チェーホフの劇中劇の特徴を3つ挙げています。

一つ目は、それがトレープレフ(劇中劇を書いた「かもめ」の主人公)の前衛性を示していること。具体的には、象徴主義の手法を取り入れていること。

二つ目は、そこにロシアの神秘哲学者ソロヴィヨーフの思想の一端が書き込まれていること。

三つ目は、それがチェーホフ自身の小説「ともしび」と関連性があること。

さらに補足として、ロシアの研究者エルミーロフの解釈を紹介しています。


劇中劇は、場合によってはその劇の本質や性格を縮約して表現しえていることがあり、見逃すことができませんが、「かもめ」の場合は、恐らくそういった解釈とは別の解釈が求められているような気がします。それはデカダン文学のパロディである、ということは多くの評者が指摘しているようですが、大いにありうることでしょう。象徴主義やデカダン文学が隆盛していたころに「かもめ」は執筆されているのです。

ただ、これはぼくの勝手な印象ですが、それだけではないような気もしています。この劇中劇は20万年後の世界が舞台であり、生あるものは流転した末に肉体は滅び、ただその霊魂だけが一つに集まって存在しています。ぼくはこの「流転」という点にひっかかっているのです。20世紀初頭のロシアで活躍した作家グループにオベリウというのがありますが、あるロシアの研究者は、オベリウの芸術思想とは「変転」という言葉で性格づけられるのではないか、という意味のことを言っています。変転というのは、ここではメタモルフォーゼや流転といった意味で使われているようです。一切は一切に変転しうる、という原始的な思想がそこにも認められると言うのです。

この流転という思想は、とても興味深い。もちろん輪廻転生とも関連してくるでしょう。オベリウのメンバーであるハルムスの仏教への関心をも考慮すれば、非常に重要なファクターであるように思えてきます。もしもオベリウにおいてメタモルフォーゼや流転といった概念が根幹にあるのだとしたら、それはなぜなのか。当時のロシア思想界にそのような概念が浸潤していたのか、もしくは生成される土壌があったのか。恐らく、ここにソロヴィヨーフの名前が挙げられる余地があります。彼の永遠の世界や時間の世界といった概念を検討してみる価値はありそうです。とすれば、チェーホフの劇中劇というのは、実はこの流転という考え方を焦点化したものではなかったのか、という仮説も生まれます。既に池田健太郎が述べているように、ここにはソロヴィヨーフの思想の一端が垣間見られるのであれば、それもありえそうなことです。

ということは課題としては、

1、流転の思想が19世紀末から20世紀初頭のロシア社会に芽生えていたのか。

2、ソロヴィヨーフの思想の検討。

3、オベリウと流転の思想との関連性。


などが挙げられます。当然フョードロフの思想も再検討してみなくてはいけないでしょうね。

かなり巨大なテーマですが、おもしろそうです。現段階では分からないことだらけですが、実際に調べてみる日も近い・・・のか?

https://blog.goo.ne.jp/khar_ms/e/c73cc06fb80002c5442b55e478dd08e4
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c23

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
24. 中川隆[-13501] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:56:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1403]

「かもめ」評釈 (中公文庫) 文庫 – 1981/4/10
池田 健太郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/product/4122008239/ref=as_li_tf_tl?camp=247&creative=1211&creativeASIN=4122008239&ie=UTF8&linkCode=as2&tag=asyuracom-22

三輪そーめん 5つ星のうち5.0

「かもめ」の演出ノート

遥か昔に絶版していますが、「かもめ」の評論本としては最高の本。

形式的には演出ノートっぽい作りになっています。
場面や台詞の区切りでかもめ本文(日本語訳)を切っていて、解説するという角川の「クラッシックスビギナーズ」のような構成になっています。

当時のロシアの社会情勢や風俗も少し書いてあります。

また、ニーナのモデルの女性や、「かもめ」初演(チェーホフ存命時)の記録レポなど資料性が高い作品。

難点を一つ言えば、各場面の登場人物の心理状況の解釈がやや著者の主観が入っていることでしょうか?

それも些細な欠点で、「かもめ」や著者を理解するのに非常に役に立つ御本です。

かもめの訳文は非常に読みやすいです。
著者の池田さんは神西清(新潮版「かもめ」の訳者)さんと親交があった所為か
神西さんの文体に近いものでした。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c24

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
25. 中川隆[-13500] koaQ7Jey 2020年3月23日 14:02:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1404]
読むだけで演技が上手くなる!チェーホフ作「かもめ」のあらすじ
https://shirokuroneko.com/archives/741.html


この「かもめ」という戯曲は、まさに演劇なんです!
初めて読んだ時はよく分からなかったのですが、役者として舞台に立つようになってから突然、読めるようになりました。

登場人物が(たくさん出てくるわけですが)みんなお喋りで、いつだって会話がかみ合わないのは、それぞれが別のことを考えているから。笑

「なんてみんな神経質なんだ!どこもかしこも恋ばかしだ」と嘆くセリフにもある通り、分かり合えない人達が同じ場所に集まっているせいで(笑)、、、男と女、大人と子供、恋人同士、母親、芸術家などなど、相手やその時の立場によってころころ変わる自分を、一つの場面で同時に演じなきゃならないわけです。(これは、忙しい!)

ただ心情を語るんじゃない。役者にとって最も豊かな台本と呼びたいです!
なので、本としてではなく、とりあえずでも人物に寄り添ってセリフとして読んでみてください。いつのまにか呼吸が合ってきて心が勝手に動いてしまうような、不思議な体験が待っているはずです。

■ 目次 [非表示]
1 普通じゃない!「かもめ」のあらすじ
2 第一幕
3 第二幕
4 第三幕
5 第四幕
6 おわりに
普通じゃない!「かもめ」のあらすじ

それでいて、ストーリーと呼べるものがあるのかどうか。

大まかに言いますと、湖畔の田舎屋敷を舞台に、芸術を志す若い男女(恋人同士)が、そこに集まって来る大人達に翻弄されるお話です。

この田舎屋敷というのが面白くて、とにかく何をしていても次から次へと人が入ってくる。笑
そして登場人物の大半がそれぞれ誰かに想いを寄せていて、まぁそのほとんどが片想い!
そんな、田舎の「風通しの良さ」に対して、みんなが信じられないほど「すれ違う」ことが物語の全てなんです。

普通の戯曲だったら、登場人物がストーリーに翻弄されることが多いと思うんですが、この戯曲では、登場人物がぐずぐずしているだけで、芸術を志すために乗り越えなければならない壁だとか、血の滲むような努力だとか、一世一代の大勝負だとか、ドラマチックなことは何も起きません。ちょっとした事件も、場面と場面の間で起っているせいで、見れないんです。笑

全部で四幕。ほぼ同じ場所。夏季休暇を田舎で退屈に過ごしている人達が、夢のように漂っている「かもめ」の世界を、一幕ずつご紹介したいと思います!

第一幕

とある有名女優アルカージナが、知り合いのこれまた有名作家トリゴーリンを連れて、田舎屋敷に夏季休暇として滞在しています。そこには、屋敷の所有者である兄と、自分の息子であるトレープレフ、ほか使用人達が住んでいます。

この日の夜は、劇作家志望のトレープレフが、庭先で自作の舞台を上演することになっており、家の者達や、昔から付き合いのある医者や、教員などが集まっています。

冒頭から、マーシャ(屋敷の管理人の娘)と、メドヴェージェンコ(マーシャに想いを寄せる教員)が不幸せについて話しているのですが、それぞれの思惑が違うため、会話がかみ合っていません。(終始、この調子だと思ってください!)

この後に登場する我らがトレープレフ(恐らく主人公と呼べる人物)は、劇作家を目指す青年で、伯父のソーリン(高齢で杖をついている)に対し、今から上演する演劇の新しさ、自分の悩み、母への愛や文句など、好き勝手に語るのですが、上演時間が迫っているため、ちょいちょい時計を気にしています。(とても演劇的です!)

そして、ソーリンが「自分も昔は・・・」と話しだした途端に、誰かが走って来る音が聞こえ、耳をすまします。(とても演劇的です!)

ここで息を切らして駆け込んで来るのがもう一人の主人公であり、今から上演する舞台の主役でもある我らがニーナ譲(トレープレフの恋人で大女優を夢見る少女)は、父親に内緒で来ており、30分で帰らなければならないと大急ぎ。

上演前、二人きりで接吻を交わすのですが、緊張はしてるし、急いでるし、周りは気になるしで、会話もおかしなことになってます。(演じたら絶対面白いですよ!)
しかも母が連れて来た有名作家の作品をニーナが誉めるものだから、トレープレフは不機嫌に。笑

まぁそれとは関係なく、いよいよ開演した舞台は大失敗!

みんなが(特に母が!)まじめに観てくれないので、トレープレフは怒って本番中に幕を下ろし、どこかへ行ってしまいます。

母親も母親で、息子がいなくなったあとも、舞台を全否定。
そして、みんなで普通にお喋り。話題が昔話になったところで、急に息子を思い出したのか、えらく心配を始めるという不完全な存在なのです。

そのうち、最初に出て来たマーシャ(管理人の娘)が、実はトレープレフを愛しているという相談をこそこそし始め、とても面倒くさい雰囲気が充満したところで第一幕が終わります。

第二幕
それから数日後の真昼。木陰のベンチで、数人がお喋りをしています。
退屈で、暑くて、静か。

起きることと言えば、町へ遊びに行くための馬車を出すか出さないかで、アルカージナと管理人が喧嘩したり、その管理人の妻から、屋敷の主治医が言い寄られていたり。
そんな昼下がり。(どんなに静かでも、火種は常にあるみたいです)

あの夜の舞台以降、トレープレフとニーナの関係はぎくしゃくしている様子で、そのせいなのか、トレープレフは「猟銃でかもめを撃ち落とした」と、ニーナの元に持って来るという意味不明な凶行に走ります。

屋敷へ遊びに来ていたニーナがちょうど、花摘みをしながら「芸術家(休暇を楽しむアルカージナ達の事)と言っても、泣いたり笑ったり、みんなと違わないわ」とつぶやいた直後でした。笑

トレープレフは、ぐずぐずと舞台の失敗の事や、有名作家への嫉妬を口にして去っていきますが、ニーナはニーナで、そんな事にはお構いなし。
トレープレフと入れ替わりでやって来た、有名作家トリゴーリンに夢中です。
夢見る少女と、忙しい日々に追われる作家の、かみ合わないやりとりの始まりです。

ここで、トリゴーリンの話す内容がとても面白くて、「こうやって話に夢中になりながらも、締め切りを気にして、後ろに見える背景を描写し、相手の言葉をストックしている自分がいて、心が休まらない」と語るのです。(演技の極意という気がします!)

さて、二人が少しだけ打ち解けたところで、撃ち落とされた「かもめ」を見つけたトリゴーリンが小説の短編を思いつきます。

「湖のほとりで幸福に暮らしている若い娘を、ふとやってきた男が退屈まぎれに破滅させてしまう。このかもめのようにね」

少しだけ、不穏な空気が漂ってきました。
このあと、アルカージナに呼ばれて立ち去るトリゴーリンが、ニーナの方を振り返るという、見事な三角関係が描かれて、第二幕は終了します。

第三幕

一週間が経ちました。ここは屋敷の食堂。バタバタとみんなが帰り支度をしています。
どうやら、トレープレフがピストルで自殺未遂をしでかしたので、母親がトリゴーリンを連れて、一刻も早くここから出て行こうというわけです。

トリゴーリンは、優雅にお食事中。
管理人の娘マーシャが、お給仕をしながら、教員の元へお嫁に行く決心をしたことを告げます。本当はこの屋敷のお坊ちゃん、トレープレフを愛しているのですが、こんな騒ぎがあったのでは身が持たないと思ったようです。

ところがそんな彼女らを尻目に、ニーナとトリゴーリンは急接近。
お別れにやってきたニーナが、トリゴーリンに贈り物を渡して去っていきます。
(この間にも使用人達が行ったり来たりしているので、この場所が常に周りに開かれていて、とても演劇的なんです!)

その頃、(頭に怪我をしている)トレープレフは、母親のアルカージナに包帯を直してもらいながら、トリゴーリンの事で大喧嘩。壮絶な罵り合いになります。笑
何とか仲直りをして息子は去りますが、入れ替わりでやってきたトリゴーリンが、どこからどう見ても恋をしていて、帰りたくないオーラが全開だったので、またもや危険な雰囲気に。

激情したアルカージナが、震えたり、怒ったり、泣いたりしながら、「あなたは、わたしのもの」と全力で説き伏せると、トリゴーリンも夢から覚めたように大人しくなって、一緒に帰ると言ってくれます。
(みんな何をやっているのか!?笑)

そうこうしている間に帰り支度も整い、お別れをしてようやく出発へ!
「ステッキを忘れた」と部屋に戻ってきたトリゴーリンの前に、再び現れたニーナがとんでもない事を言い出します。家を出て、一切を捨てて、モスクワで女優を目指す決心をしたので、またあちらでお目にかかりましょうと。

トリゴーリンは、周りを気にしながら滞在先だけ告げると急いで去ろうとしますが、ニーナの「もう一分だけ・・・」の一言に、再び火が付きます!

二人の愛が一瞬スパークしたところで、第三幕が終わります。

第四幕
あれから二年が経過しています。風の強い晩。
この日は、また第一幕のように、みんなが屋敷に集まっています。ニーナ以外は。

色々なことが変わっていて、管理人の娘マーシャには赤ん坊が生まれましたが、夫婦仲は昔以上に悪化しています。
トレープレフはなんと売れっ子小説家に。

どうも伯父のソーリンの具合があまり良くないらしく、それでみんなが集まっている様子。ソーリンは、自分も文学者になりたかったことや、もっと弁舌さわやかになりたかったこと、家庭を持ちたかったこと、都会で暮らしたかったことなどを語ります。
(だからと言って、特に何もありませんが。笑)
ソーリンは、いつもみんなをフォローしてくれる優しい伯父さんです。

ニーナの話題になると、どうやら地方巡業の女優をやっているようで、トリゴーリンとは別れ、生まれた子供とも死別したみたいなんです。
ところが、アルカージナもトリゴーリンも、トレープレフと普通に接してきます。

トレープレフももう怒ったりはしませんが、賑やかなお喋りから抜け出し、遠くで静かにワルツを弾いています。母親達はテーブルゲームに興じていて、マーシャだけがそれに耳を傾けているという悲しい夜。

そのうち、お夜食だと言ってみんないなくなり、一人、書斎で執筆するトレープレフ。筆は進まず。

そこへ、窓からこっそりニーナが訪ねてきます!

ニーナが周りを気にするので、ドアには鍵をかけ、椅子で塞ぎ、はじめて二人だけの空間に。
トレープレフは歓喜し再び恋心を訴えますが、ニーナには届きません。

「わたしは―――かもめ。・・・いいえ、そうじゃない。わたしは―――女優」
ニーナは今、「破滅するかもめ」と「女優」のはざまでもがき苦しんでいます。

自分の酷かった話をふり返りながらも、生きていくための信念と覚悟を見せつけるニーナと、自分が何者なのか分からずにいるトレープレフが対照的に描かれます。

ニーナは、それでもトリゴーリンを愛していることを告げ、昔は晴れやかで、清らかだったねと、二人で上演したあの日の舞台を再現してみせ、発作的にトレープレフを抱きしめると、ガラス戸から走り出て行きます。

幸か不幸か。密室に一人残されたトレープレフ。
物語は一発の銃声と共に唐突に幕を下ろします。

おわりに

とても書ききれませんが、他にもたくさんの登場人物が出てきて、それぞれの心情が複雑に絡み合います。
でも、そのほとんどが他愛のないエピソード!
だらだらとお喋りを続けるせいですれ違い、ふと日常が一変する様子がなんとも可笑しいのです。

このお話の決め手は、なんといってもニーナです。最初に駆け込んで来たのを覚えていますか?そして、最後には走り去って行きます。どうにもこうにもまっすぐに歩けない人達の中で、ニーナだけが走っていきます。
バランスがとれないなら走ればいいというシンプルな機動力!
彼女の足取りこそが、最も演劇的な瞬間だったのではないでしょうか。

それでは最後に、このお話で最も他愛のないシーンをご紹介します。

‐‐‐‐‐‐‐‐

ソーリン(アルカージナの兄)のいびきが聞こえる。

アルカージナ  「ねぇ?」
ソーリン  「ああ?」
アルカージナ  「寝てらっしゃるの?」
ソーリン  「いいや、どうして」

‐‐‐‐‐‐‐‐


参考文献
神西清訳 『かもめ・ワーニャ伯父さん』 新潮文庫


https://shirokuroneko.com/archives/741.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c25

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
37. 中川隆[-13498] koaQ7Jey 2020年3月23日 15:04:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1406]
2020年03月23日
中国はGDPマイナス10%をプラス5%成長と発表する


ソ連経済(赤)は意外に高成長だったが、すべて嘘でした

画像引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/92/Soviet_Union_GDP_per_capita.gif

マイナス成長を大幅プラスと発表する中国

1980年代末のソ連が発表する経済はアメリカに次ぐ世界2位だったが、現実には2位の日本の半分ほどしかなかった。

ソ連はアフガン侵攻を契機に国内経済活動が縮小し、マイナス成長だったのにプラス成長と発表していた。

21世紀の現代にソ連と同じことをしている国があり、それがコロナウイルスに見舞われた中国でした。


中国が新型ウイルスの存在を認めたのは19年12月末で1月20日に習近平の指示で対策を取り始めた。

2月のあらゆる指標全てが前年比マイナスで自動車販売は8割減まで落ち込んでいる。

3月に一部工場を再稼働させたが湖北省などの封鎖が続いており、2月並みの経済活動にとどまったとみられる。


にも拘わらず中国政府は1月から3月のGDPが3%台(もちろんプラス)になると予想し、年間GDPは目標の5%を達成するだろうと言っている。

一方アメリカは第一四半期のGDPがマイナス6%と予想し、これが1年間続くとアメリカのGDPは24%も縮小する。

欧州諸国も同様で外出禁止や自粛、都市の封鎖や企業活動禁止などで、年間2%から6%のマイナスになるでしょう。


イタリアやスペインは全土で外出禁止なのでマイナス10%以上もあり得るという状況です。

同じように外出禁止や都市封鎖、企業活動停止したのに欧米はGDPマイナス、中国だけプラス5%とはいったい何を「生産」したのでしょうか?

GDPは国内総生産または国民総所得で、物理的に何かを生産したり移動したりサービスする活動です。

中国は国として存続できない状況になる

「株を買ったら値上がりした」「不動産価格が上昇した」のような事はいくら値上がりしてもGDPに加算しません。

2008年から中国のGDPは盛り付けていたが、コロナショックでとうとうソ連末期の水準まで達した。

あらゆる経済活動すべてマイナスなのだからGDPもマイナスになるしかなく、発表された中国GDPを見て説明できる西側専門家は1人も居ないでしょう。


さてこのようにGDPを盛り付けた国はどうなるかですが、表向きのGDPを増やすことで良い効果があります。

マイナス5%よりプラス5%と発表した方が外国資本や外国企業は中国に投資し、撤退しようと思わないでしょう。

国連や国際会議では成長している国の方が発言力が強くなるので、外交上有利に働きます。


このように良い事だけだったら「じゃあ日本もGDPを表向き増やそう」となるがマイナス面もある。

中国の公的債務は50%に過ぎないが、公的債務に含めていない隠し債務を含めると200%を超えている。

もしGDPを50%過大に発表していたら債務のGDP比率は500%になり、もう国として存続できる水準ではない。


中国はコロナ感染者がゼロになったと発表しているが、多くの中国人告発者は真実ではないと言っている。

習近平の武漢訪問に合わせて湖北省がゼロと発表したが、多くの感染者を治療せず自宅に返しただけだった。

仮設病院や多くの隔離施設も「感染者がいなくなった」として閉鎖したが、実際には感染者の治療と検査をやめただけです。


こんな事をしたら感染者は急増しているはずで、もうとっくに10万人を超えて100万人も超えているかもしれません。

最近中国では1400万人もの携帯電話が解約され、その端末の一部は武漢の火葬場から発見されたと告発されている。

湖北省周辺で行方不明者が急増し人口が急激に減少しているようなのですが、いったいどこに消えたのでしょうか?

http://www.thutmosev.com/archives/82515700.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c37

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
9. 中川隆[-13497] koaQ7Jey 2020年3月23日 15:10:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1407]

2020年3月23日
【三橋貴明】第二次世界恐慌


【今週のNewsピックアップ】
第二次世界恐慌(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583165088.html

第二次世界恐慌(中編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583428190.html

第二次世界恐慌(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12583662459.html


現在から振り返ってみると、
リーマンショックは「大不況」では
ありましたが、第二次世界恐慌
というわけではありませんでした。

第二次世界恐慌は、今から始まります。

リーマンショックは、
経済成長率が大幅に落ち込み、
その後「V字回復」しました。

恐慌の場合、経済成長率が
「落ちて、落ちて、落ちる」のです。

1929年10月のNY株式大暴落に
端を発する世界大恐慌期、
アメリカの経済成長率(名目GDP)は、

1930年 ▲12% 
1931年 ▲15%
1932年 ▲24%
1933年 ▲4%

と、凄まじい状況となり、最終的に
GDPが55%になってしまいました。

恐慌は、一度目のあまりに凄まじい所得の
落ち込みが、次の所得下落を引き起こす
ことで深刻化していきます。

現在、政府の自粛要請等により、
日本国民は消費を極端に減らし、結果的に
飲食業、宿泊業、タクシー業、イベント関連
など、売上が消滅する状況になっています。

所得を得られない人々は、当たり前ですが
消費を減らし、別の誰かの所得がまたもや
すさまじい落ち込みになる。

所得縮小のカタストロフィを食い止める
ことができるのは、政府しかありません。

『世界の財政出動、史上最大か
 金融危機上回る―新型コロナ対応
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032100427&g=int

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、
各国・地域が検討している財政出動額が
200兆円超と金融危機当時を上回り、
年間で史上最大規模に膨らむ見込みだ。
日米欧や中国の巨大経済圏で
ヒト・モノ・カネの流れが滞る前例のない
事態に発展し、景気後退が現実味を帯びる。
(後略)』

恐慌期には、物価と金利が低下するため、
政府の財政拡大の制約は消滅します。

特に、元々インフレ率や国債金利が低かった
我が国には、大規模財政拡大を制限するものは、
本来は何もないのです。

ところが、我が国には「プライマリーバランス
黒字化目標」という緊縮財政強要のルールが
あります。

また、ユーロ加盟国は通貨発行権
(国債のマネタイゼーション)がなく、
どこまで財政を拡大できるかは不透明です。

日本国は、第二次世界恐慌を受け、
緊縮財政の転換(ピボット)ができるのか。
日本国の運命は、国民や政治家の「意思」に
委ねられているのです。
https://38news.jp/economy/15566

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c9

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
26. 中川隆[-13496] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:04:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1408]
かもめ ЧАЙКА
――喜劇 四幕――
アントン・チェーホフ Anton Chekhov
神西清訳


人物
アルカージナ(イリーナ・ニコラーエヴナ) とつぎ先の姓はトレープレヴァ、女優
トレープレフ(コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ) その息子、青年
ソーリン(ピョートル・ニコラーエヴィチ) アルカージナの兄
ニーナ(ミハイロヴナ・ザレーチナヤ) 若い処女、裕福な地主の娘
シャムラーエフ(イリヤー・アファナーシエヴィチ) 退職中尉
ちゅうい
、ソーリン家の支配人
ポリーナ(アンドレーエヴナ) その妻
マーシャ その娘
トリゴーリン(ボリース・アレクセーエヴィチ) 文士
ドールン(エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ) 医師
メドヴェージェンコ(セミョーン・セミョーノヴィチ) 教員
ヤーコフ 下男
料理人
小間使

ソーリン家の田舎屋敷でのこと。――三幕と四幕のあいだに二年間が経過
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第一幕

ソーリン家の領地内の廃園の一部。広い並木道が、観客席から庭の奥のほうへ走って、湖に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて、湖はまったく見えない。仮舞台の左右に灌木
かんぼく
の茂み。椅子
いす
が数脚、小テーブルが一つ。

日がいま沈んだばかり。幕のおりている仮舞台の上には、ヤーコフほか下男たちがいて、咳
せき
ばらいや槌
つち
音が聞える。散歩がえりのマーシャとメドヴェージェンコ、左手から登場。

メドヴェージェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェージェンコ なぜです? (考えこんで)わからんですなあ。……あなたは健康だし、お父さんにしたって金持じゃないまでも、暮しに不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛
つら
いですよ。月に二十三ルーブリしか貰
もら
ってないのに、そのなかから、退職積立金を天引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふたり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェージェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟――それで月給がただの二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台のほうを振向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェージェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレープレフ君の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。ところが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想
おも
っています。恋しさに家
うち
にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたのそっけない顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいときてますからね。食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なんかするものか?
マーシャ つまらないことを。(かぎタバコをかぐ)お気持はありがたいと思うけれど、それにお応
こた
えできないの。それだけのことよ。(タバコ入れを差出して)いかが?
メドヴェージェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩
おそ
くなって、ごろごろザーッときそうね。あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなのね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、あたしなんか、ボロを着て乞食
こじき
ぐらしをしたほうが、どんなに気楽だか知れやしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……

右手から、ソーリンとトレープレフ登場。

ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎
いなか
が苦手でな、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染
なじ
めまいよ。ゆうべは十時に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寝すぎたもんで、脳みそが頭蓋骨
ずがいこつ
に、べったりくっついたような気がした――とまあいった次第でな(笑う)。ところが昼めしのあとで、ついまた寝こんじまって、今じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃもちろん、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシャとメドヴェージェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今ここにいられちゃ困るな。暫時
ざんじ
ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いてやるように、ひとつパパにお願いしてみてはくださらんか。やけに吠

えるでなあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寝られなかった。
マーシャ ご自分で父におっしゃってくださいまし、あたしはご免こうむります。あしからず。(メドヴェージェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェージェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせによこしてください。

ふたり退場。

ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わたしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例
ため
しがない。前にゃよく、二十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら――とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着いたその日から、逃げ出したくなったよ(笑う)。引揚げる時にゃ、やれやれと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退

いてしまって、ほかに居場所がない――早い話がね。いやでも、ここに釘
くぎ
づけだ……
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那
わかだんな
、〔わっしら〕ちょいと一浴びしてきます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持ち場にいてくれよ。(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カーテン、袖
そで
が一つ、袖がもう一つ――その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっかり八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ飛んじまう。もうくる時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見張りがきびしいもんで、家
うち
を抜け出すのは、牢
ろう
破りも同様、むずかしいんですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯
ひげ
ももじゃもじゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは若い時分から、飲んだくれそっくりの風采
ふうさい
――とまあいった次第でな。ついぞ女にもてた例
ため
しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、おかんむりなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋
さび
しいんですよ。(ならんで腰をおろしながら)妬

けるんでさ。おっ母

さんはてんからもう、この僕にも、今日の芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演

るのが自分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、眼の敵
かたき
にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を回さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采
かっさい
を浴びるのが、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪
しゃく
のたねなんですよ。(時計を見て)ちょいと心理的な変り種でね――おっ母さんは。そりゃ才能もある、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラーソフの詩だって、即座に残らず暗誦
あんしょう
できるし、病人の世話をさせたら――エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノラ・ドゥーゼでも褒

めてごらんなさい。事ですぜ! 褒めるなら、あのひとのことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿姫
つばきひめ
』だの『人生の毒気』(訳注 ロシア十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの戯曲)だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激したりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。そこで、淋しいもんだから苛々
いらいら
する。われわれがみんな悪者で、親のカタキだということになる。おまけに、あの人は御幣
ごへい
かつぎで、三本蝋燭
ろうそく
(訳注 死人のほとりを照らす習慣)をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。しかも、けちんぼときている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは――僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもんなら、めそめそ泣きだす始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ――とまあいった次第だがな。案じることはないさ――おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き――嫌
きら
い、好き――嫌い、好き――嫌い。(笑う)そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭
いや
でも、自分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいられるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なんですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優たちが、人間の食ったり飲んだり、惚

れたり歩いたり、背広を着たりする有様を、演じてみせる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ちっぽけな、手っとり早い、ご家庭にあって調法――といった代物
しろもの
ばかりさ。そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの繰返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出すんです。エッフェル塔の俗悪さがやりきれなくなって、命からがら逃げ出したモーパッサン(訳注 その小説『さすらい』参照)みたいにね。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新しい形式が必要なんですよ。新形式がいるんで、もしそれがないんなら、いっそ何にもないほうがいい。(時計を見る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活は、なんぼなんでも酷
ひど
すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべたしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口ですよ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むらむらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なのが、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情けない、ばかげた境遇があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずらり顔をならべたもんです――役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だけが、名も何もない雑魚
ざこ
なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人の息子
むすこ
だからというだけのことに過ぎん。僕は一体誰だ? どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告によくある、例の「さる外部事情のため」(訳注 当時の雑誌などが、思想の弾圧のため発禁になった時に使う慣用句)って奴
やつ
でさ。しかも、これっぱかりの才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ――キーエフの町人と書いてある。なるほどうちの親父
おやじ
は、有名な役者じゃあったが、元をただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼
まなこ
を僕にそそいでくれるごとに、僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたいな気がした、――向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんですよ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全体何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メランコリックな男ですよ。なかなかりっぱな人物でさ。まだ四十には間

があるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめのご身分だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかなあ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこれでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になることなんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ (耳をすます)足音が聞える。……(伯父を抱いて)僕は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までがすばらしい。……僕は、めちゃめちゃに幸福だ! (足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、可愛
かわい
い魔女が来た、僕の夢が……
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れやしないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してはくれまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母
はは
といっしょに出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉
うれ
しいわ。(ソーリンの手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目
めめ
を、泣きはらしてござる。……ほらほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんでるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んでこなくちゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあいった次第でな。はいはい、ただ今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふたりづれ」(訳注 ハイネの『ふたりの擲弾兵』より)……(振返って)いつぞや、まあこういった具合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、こう言いおった――「いや閣下、なかなか大した喉
のど
ですな」……そこで先生、ちょいと考えて、こう付け足したよ――「しかし……厭
いや
なお声で」(笑って退場)

ニーナ 父も継母
はは
も、あたしがここへくるのは反対なの。ここは、ボヘミアンの巣窟
そうくつ
だって……あたしが女優にでもなりゃしまいかと、心配なのね。でもあたしは、ここの湖に惹

きつけられるの、かもめみたいにね。……胸のなかは、あなたのことでいっぱい。(あたりを見回す)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻
せっぷん

ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ にれの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急いで帰らないでください、後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜どおし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、番人にみつかるわ。それにトレゾール
うちのいぬ
は、まだお馴染
なじみ
じゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)誰だ? ヤーコフ、お前か?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ みんな持ち場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄
いおう
もあるね? 紅い目玉が出たら、硫黄の臭
にお
いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、支度はすっかりできています。……興奮
あが
ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは――平気ですわ、こわくなんかない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をするのは、あたしこわいの、恥ずかしいの。……有名な作家ですもの。……若いかた?
トレープレフ ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演

りにくいわ。生きた人間がいないんだもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少なくて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……(ふたり、仮舞台のかげへ去る)

ポリーナとドールン登場。

ポリーナ しめっぽくなってきたわ。引返して、オーバーシューズをはいてらしたら?
ドールン 僕は暑いんです。
ポリーナ それが、医者の不養生よ。頑固
がんこ
というものよ。職掌がら、しめっぽい空気がご自分に毒なことぐらい、百も承知でいらっしゃるくせに、まだ私をやきもきさせたいのねえ。ゆうべだって、わざと一晩じゅう、テラスに出てらしたり……
ドールン (口ずさむ)「言うなかれ、君、青春を失いしと」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)
ポリーナ あなたは、アルカージナさんと話に身が入りすぎて……つい寒いのも忘れてらしたのね。白状なさい、あのひと、お好きなのね……
ドールン 僕は五十五ですよ。
ポリーナ そんなこと――男の場合、年寄りのうちに、はいらないわ。まだそのとおりの男前なんだから、結構おんなに持てますわ。
ドールン そこで、どうしろとおっしゃる?
ポリーナ 相手が女優さんだと、いつだって平蜘蛛
ぐも
みたい。いつだってね!
ドールン (口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)……よしんば世間が、役者をひいきにして、商人なんかと別扱いにするとしても、まあ理の当然ですな。それが――理想主義というもので。
ポリーナ 女のひとが、いつもあなたに惚れこんで、首っ玉にぶらさがってきた。これもその、理想主義ですの?
ドールン (肩をすくめて)へえね? 婦人がたは、結構僕を尊重してくれましたよ。それも主として、腕のいい医者としてでしたな。十年、十五年まえには、ご承知のとおりこの僕も、郡内でたった一人の、産科医らしい産科医でしたからね。それに僕は、実直な男だったし。
ポリーナ (男の手をとらえる)ねえ、あなた!
ドールン シッ、ひとが来ます。

アルカージナがソーリンと腕を組んで、つづいてトリゴーリン、シャムラーエフ、メドヴェージェンコ、マーシャが登場。

シャムラーエフ 〔一八〕七三年のポルタヴァの定期市
いち
で、あの女優はすばらしい芸を見せましたっけ。ただ驚嘆の一語に尽きます! 名人芸でしたな! それから、これも次手
ついで
に伺いたいですが、喜劇役者のチャージン――あのパーヴェル・セミョーヌィチですが、あれは今どこにいますかな? ラスプリューエフ(訳注 スホーヴォ・コブイリンの喜劇『クレチンスキイの結婚』中の人物)を演

らせたら天下無類でね、サドーフスキイ(訳注 モスクワ小劇場の名優、一八七二年死)より上でしたな。いやまったくですよ、奥さん。あわれ彼、今いずくにか在る?
アルカージナ あなたはいつも、大昔の人のことばかりお訊

きになるのね。わたしが知るもんですか! (腰をおろす)
シャムラーエフ (ふーっとため息をして)パーシカ・チャージン! 今じゃあんな役者はいない。舞台の下落ですな、アルカージナさん! 昔は亭々
ていてい
たる大木ぞろいだったものだが、今はもう切株ばかしでね。
ドールン いかにも、光輝さんぜんたる名優は少なくなった。だがその代り、中どころの役者は、ずっとよくなったです。
シャムラーエフ お説には賛成しかねますな。もっとも、これは趣味の問題で。De gustibus aut bene, aut nihil
みるひとのこころごころに
ですて。(訳注 この引用句は、ラテンのことわざを二つ、つきまぜたおかしみがある)

トレープレフ、仮舞台のかげから登場。

アルカージナ (息子に)ねえ、うちの坊っちゃん、一体いつ幕があくの?
トレープレフ もうすぐです。ざんじご猶予
ゆうよ

アルカージナ (『ハムレット』のセリフで)おお、ハムレット、もう何も言うてたもるな! そなたの語
ことば
で初めて見たこの魂のむさくろしさ。何
なん
ぼうしても落ちぬ程
ほど
に、黒々と沁込
しみこ
んだ心の穢
けが
れ! (訳注 第三幕第四場逍遥の訳による)
トレープレフ (『ハムレット』のセリフで)いや、膏
あぶら
ぎった汗臭い臥床
ふしど
に寝
まろ
びたり、豕
いのこ
同然の彼奴
あいつ
と睦言
むつごと
……(訳注 おなじく。ただしこのくだり、チェーホフはかなり上品に言い直されたロシア訳を踏襲している。いま訳者は、シェイクスピアの原意に近い逍遥訳を採った)

仮舞台のかげで角笛の音。

トレープレフ さあ皆さん、始まります。静粛にねがいます。(間)では、まず私から。(細身の杖
つえ
を突き鳴らし、大声で)おお、なんじら、年ふりし由緒
ゆいしょ
ある影たちよ。夜ともなれば、この湖の上をさまよう影たちよ。わたしたちを寝入らせてくれ。そして、二十万年のちの有様を、夢に見させてくれ!
ソーリン 二十万年したら、なんにもないさ。
トレープレフ だから、そのないところを見させるんですよ。
アルカージナ どうともご随意に。わたしたちは寝るから。

幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐
すわ
っている。

ニーナ 人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚
さかな
も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音

ずれもない。寒い、寒い、寒い。うつろだ、うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶

け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂――それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル大王の魂もある。シーザーのも、シェイクスピアのも、ナポレオンのも、最後に生き残った蛭
ひる
のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、人間の意識が、動物の本能と溶け合っている。で、わたしは、何もかも、残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新しく生き直している。

鬼火があらわれる。

アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。そしてわたしの声は、この空虚
うつろ
のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ前、沼の毒気から生れたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなしに、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。だからお前は、絶えず流転
るてん
をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこまれた囚
とら
われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知らない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手の、たゆまぬ激しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統

べる一つの意志の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、永い永い歳
とし
つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この地球も、すべて塵
ちり
と化したあとのことだ。……その時がくるまでは、怖
おそ
ろしいことばかりだ。……(間。湖の奥に、紅
あか
い点が二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭
にお
いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほど、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶりなさい、風邪
かぜ
を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら! (とんと足ぶみして)幕だ! (幕おりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘れていたもんで。僕はひとの畠
はたけ
を荒したんだ! 僕が……いや、僕なんか……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)
アルカージナ どうしたんだろう、あの子は?
ソーリン なあ、おっ母さん、こりゃいけないよ。若い者の自尊心は、大事にしてやらなけりゃ。
アルカージナ わたし、あの子に何を言ったかしら?
ソーリン だって、恥をかかしたじゃないか。
アルカージナ あの子は、これはほんの茶番劇でと、自分で前触れしていましたよ。だからこっちも、茶番のつもりでいたんだけれど。
ソーリン まあさ、それにしたって……
アルカージナ ところが、いざ蓋
ふた
をあけてみたら、大層な力作だったわけなのね! やれやれ! あの子が、今夜の芝居を仕組んで、硫黄の臭いをぷんぷんさせたのも、茶番どころか、一大デモンストレーションだった。……あの子はわたしたちに、戯曲の作り方や演

り方を、教えてくれる気だったんだわ。早い話が、ま、うんざりしますよ。何かといえば、一々わたしに突っかかったり、当てこすったり、そりゃまああの子の勝手だけれど、これじゃ誰にしたってオクビが出るでしょうよ! わがままな、自惚
うぬぼ
れの強い子だこと。
ソーリン あの子は、お前のつれづれを慰めようと思ったんだよ。
アルカージナ おや、そう? そんなら、何か当り前の芝居を出せばいいのに、なぜ選

りに選って、あんなデカダンのタワ言を聴

かせようとしたんだろう。茶番のつもりなら、タワ言でもなんでも聴いてやりましょうけれど、あれじゃ野心満々、――芸術に新形式をもたらそうとか、一新紀元を画そうとか、大した意気ごみじゃありませんか。わたしに言わせれば、あんなもの、新形式でもなんでもありゃしない。ただ根性まがりなだけですよ。
トリゴーリン 人間誰しも、書きたいことを、書けるように書く。
アルカージナ そんなら勝手に、書きたいことを、書けるように書くがいいわ。ただ、わたしには、さわらずにおいてもらいたいのよ。
ドールン ジュピターよ、なんじは怒
いか
れり、か……(訳注 つづいて「されば非はなんじにあり」というラテンのことわざ。ドールンはこの句で、暗にアルカージナを諷したのであろうが、彼女は気づかずに――)
アルカージナ わたしはジュピターじゃない、女ですよ。(タバコを吸いだす)あたし、怒
おこ
ってなんかいません。ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ。あの子に恥をかかすつもりはなかったの。
メドヴェージェンコ 何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂にしてからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね。(語気をつよめて、トリゴーリンに)で一つ、どうでしょう、われわれ教員仲間がどんな暮しをしているか――それをひとつ戯曲に書いて、舞台で演じてみたら。辛
つら
いです、じつに辛い生活です!
アルカージナ ごもっともね。でももう、戯曲や原子のはなしは、やめにしましょうよ。こんな好

い晩なんですもの! 聞えて、ほら、歌ってるのが? (耳をすます)いいわ、とても!
ポリーナ 向う岸ですわ。(間)
アルカージナ (トリゴーリンに)ここへお掛けなさいな。十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきりなしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主屋敷が六つもあってね。忘れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……そのころ、その六つの屋敷の花形
ジュヌ・プルミエ
で、人気の的だったのは、そら、ご紹介しますわ(ドールンをあごでしゃくって)――ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前ですもの、そのころときたら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそうと、そろそろ気が咎
とが
めてきた。可哀
かわい
そうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せがれや! コースチャ!
マーシャ あたし行って、捜してみましょう。
アルカージナ ええ、お願い。
マーシャ (左手へ行く)ほおい! トレープレフさん!……ほおい! (退場)
ニーナ (仮舞台のかげから出てきながら)もう続きはないらしいから、あたし出て行ってもいいのね。今晩は! (アルカージナおよびポリーナとキスを交す)
ソーリン ブラボー! ブラボー!
アルカージナ ブラボー! ブラボー! みんなで、感心していたんですよ。それだけの器量と、あんなすばらしい声をしながら、田舎に引っこんでらっしゃるなんて罪ですよ。きっと天分がおありのはずよ。ね、いいこと? 舞台に立つのは、あなたの義務よ!
ニーナ まあ、あたしの夢もそうなの! (ため息をついて)でも、実現しっこありませんわ。
アルカージナ そんなことあるもんですか。さ、ご紹介しましょう――こちらはトリゴーリンさん、ボリース・アレクセーエヴィチ。
ニーナ まあ、うれしい……(どぎまぎして)いつもお作は……
アルカージナ (彼女を自分のそばに坐らせながら)そう固くならないでもいいのよ。有名な人だけれど、気持のさっぱりしたかたですからね。ほら、あちらが却
かえ
って、あがってらっしゃるわ。
ドールン もう幕をあげてもいいでしょうな、どうも気づまりでいかん。
シャムラーエフ (大声で)ヤーコフ、ちょっくら一つ、幕をあげてくれんか! (幕あがる)
ニーナ (トリゴーリンに)ね、いかが、妙な芝居でしょう?
トリゴーリン さっぱりわからなかったです。しかし、面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな。
ニーナ ええ。
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じっと浮子
うき
を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、いったん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみなんか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。このかた、ひとから持ちあげられると、尻
しり
もちをつく癖がおありなの。
シャムラーエフ 忘れもしませんが、いつぞやモスクワのオペラ座でね、有名なあのシルヴァ(訳注 イタリアの歌手)が、うんと低いドの音を出したんです。ところがその時、折も折ですな、クレムリンの合唱隊のバスうたいが一人、天井桟敷
さじき
に陣どって見物してたんですが、とつぜん藪
やぶ
から棒に、いやどうも驚くまいことか、その天井桟敷から、「ブラボー、シルヴァ!」と、やってのけた――それが完全に一オクターブ低いやつでね。……まず、こんな具合、――(低いバスで)ブラボー、シルヴァ。……満場シーンとしてしまいましたよ。(間)
ドールン 静寂
しじま
の天使とびすぎぬ。(訳注 一座が急にシーンとしたときに言うことば)
ニーナ わたし、行かなくちゃ。さようなら。
アルカージナ どこへいらっしゃるの? こんなに早くから? 放しちゃあげませんよ。
ニーナ パパが待ってますから。
アルカージナ なんてパパでしょうね、ほんとに……(キスを交す)じゃ、仕方がないわ。お帰しするの、ほんとに残念だけれど。
ニーナ わたしだって、おいとまするの、どんなに辛いかわかりませんわ!
アルカージナ 誰かお送りするといいんだけれど、心配よ。
ニーナ (おどおどして)まあそんな、いいんですの!
ソーリン (哀願するように彼女に)もっと、いてくださいよ!
ニーナ 駄目
だめ
なんですの、ソーリンさん。
ソーリン せめて一時間――とまあいった次第でね。いいじゃありませんか、ほんとに……
ニーナ (ちょっと考えて、涙声で)いけませんわ! (握手して、足早に退場)
アルカージナ 気の毒な娘さんだこと、まったく。人の話だと、あの子の母親が亡

くなる前、莫大
ばくだい
な財産を一文のこらず、すっかりご主人の名義に書きかえたんですって。それを今度はあの父親が、後添いの名義にしてしまったもので、今じゃあの子、はだか同然の身の上なのよ。ひどい話ですわ。
ドールン さよう、あの子の親父
おやじ
さんは相当な人でなしでね、一言の弁解の余地もありませんや。
ソーリン (冷えた両手をこすりながら)われわれももう行こうじゃありませんか、皆さん。だいぶじめじめしてきたわい。わたしゃ、脚
あし
がずきずきする。
アルカージナ あんたの脚は、まるで木で作ったみたい。歩くのもやっとなのね。さ、参りましょう、みじめなお爺
じい
さん。(彼の腕をささえる)
シャムラーエフ (妻に片手をさしのべて)マダーム?
ソーリン ほら、また犬が吠

えている。(シャムラーエフに)お願いだが、なあシャムラーエフさん、あの犬を放してやるように言ってくださらんか。
シャムラーエフ 駄目ですな、ソーリンさん、穀倉に泥棒がはいると困りますからな。なにしろわたしのキビが納めてあるんでね。(並んで歩いているメドヴェージェンコに)完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。
メドヴェージェンコ 給料はどれくらいでしょうかね、クレムリンあたりの歌うたいだと?

ドールンのほか一同退場。

ドールン (ひとり)ひょっとすると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅
あか
い目玉があらわれた時にゃ、おれは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ。……ほう、先生やって来たらしいぞ。なるべく気の引立つようなことを言ってやりたいものだ。
トレープレフ (登場)もう誰もいない。
ドールン 僕がいます。
トレープレフ 僕を庭じゅう捜しまわってるんだ、あのマーシャのやつ。やりきれない女だ。
ドールン ねえトレープレフ君、僕は君の芝居が、すっかり気に入っちまった。ちょいとこう風変りで、しかも終りのほうは聞かなかったけれど、とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんですね。

トレープレフはぎゅっと相手の手を握り、いきなり抱きつく。

ドールン ひゅッ、なんて神経質な。涙をためたりしてさ。……僕の言いたいのはね、いいですか――君は抽象観念の世界にテーマを仰いだですね。これは飽

くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必ず、何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美しい。なんて蒼
あお
い顔をしてるの!
トレープレフ じゃあなたは――続けろと言うんですね?
ドールン そう。……しかしね、重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。君も知ってのとおり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情
ふぜい
を失わずに送ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたって味わうような精神の昂揚
こうよう
を、ひょっと一度でも味わうことができたとしたら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上
うわ
っ面
つら
や、それにくっついている一切を軽蔑
けいべつ
して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ないな。
トレープレフ お話中ですが、ニーナさんはどこでしょう?
ドールン それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭
めいりょう
な、ある決った思想がなければならんということだ。なんのために書くのか、それをちゃんと知っていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しながら道を歩いて行ったら、君は迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼすことになる。
トレープレフ (じれったそうに)どこにいるんです。ニーナさんは?
ドールン うちへ帰ったですよ。
トレープレフ (絶望的に)ああ、どうしよう? 僕はあの人に会いたいんだ。……ぜひ会わなくちゃ。これから行ってこよう……

マーシャ登場。

ドールン (トレープレフに)まあ落着きたまえ、君。
トレープレフ とにかく行ってきます。行かなくちゃならんのです。
マーシャ うちへおはいりになって、ねトレープレフさん。お母さまがお待ちかねよ。心配してらっしゃるわ。
トレープレフ そう言ってください、ぼくは出かけたって。君たちみんなも、どうぞ僕をほっといてくれたまえ! ほっといて! あとをつけ回さないでさ!
ドールン まあまあまあ、君……そんな滅茶
めちゃ
な。……いけないなあ。
トレープレフ (涙声で)さようなら、ドクトル。感謝します……(退場)
ドールン (ため息をついて)若い、若いなあ!
マーシャ ほかに言いようがなくなると、みなさんおっしゃるのね――若い、若いって……(かぎタバコをかぐ)
ドールン (タバコ入れを取上げて、茂みの中へ投げる)けがらわしい! (間)うちの中では、カルタをやってるらしい。どれ、行くとするか。
マーシャ ちょっと待って。
ドールン なんです?
マーシャ もう一ぺん、あなたに聞いて頂きたいことがあるの。ちょっと聞いて頂きたいの。……(興奮して)わたし、うちの父は好きじゃないけれど……あなたには、おすがりしていますの。なぜだか知らないけれど、わたし心底から、あなたが親身
しんみ
なかたのような気がしますの。……どうぞ助けてください。ね、助けて。さもないとわたし、ばかなことをしたり、自分の生活をおひゃらかして、滅茶々々にしちまうわ。……もうこれ以上わたし……
ドールン どうしたんです? 何を助けろと言うんです?
マーシャ わたし辛
つら
いんです。誰も、誰ひとり、この辛さがわかってくれないの! (相手の胸に頭を押しあて、小声で)わたし、トレープレフを愛しています。
ドールン なんてみんな神経質なんだ! なんて神経質なんだ! それに、どこもかしこも恋ばかしだ。……おお、まどわしの湖よ、だ! (やさしく)だって、この僕に一体、何がしてあげられます、ええ? 何が? え、何が?
――幕――
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第二幕

クロケットのコート。右手奥に、大きなテラスのついた家。左手には湖が見え、太陽が反射してきらきらしている。そこここに花壇。まひる。炎暑。コートの横手、菩提樹
ぼだいじゅ
の老木のかげにベンチが一脚。それにアルカージナ、ドールン、マーシャがかけている。ドールンの膝
ひざ
には、本が開けてある。

アルカージナ (マーシャに)じゃ、立ってみましょう。(ふたり立ちあがる)こうして並んでね。あんたは二十二、わたしはかれこれその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて?
ドールン あなたです、もちろん。
アルカージナ そうらね……で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事に感じるからよ、しょっちゅう気を使っているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。……それにわたしには、主義があるの――未来を覗
のぞ
き見しない、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの。
マーシャ わたしは、こんな気がしますの――まるで自分が、もうずっと昔から生れているみたいな。お儀式用のあの長ったらしいスカートよろしく、自分の生活をずるずる引きずってるみたいな気がね。……生きようなんて気持が、てんでなくなることだってよくありますわ。(腰をおろす)でも、くだらないわね、そんなこと。奮起一番、こんな妄念
もうねん
は叩
たた
きださなくちゃいけないわ。
ドールン (小声で口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……(訳注 グーノーの歌劇『ファウスト』第三幕、ジーベルの詠唱より)

アルカージナ それにわたしは、イギリス人みたいにキチンとしているわ。わたしはね、いいこと、いわばピンと張りつめた気持でね、身なりだって髪かたちだって、いつも Comme il faut
しゃんとして
いますよ。一あし家
うち
を出るにしたって、よしんば、ほら、こうして庭へ出る時でも、――部屋着
ブルーズ
のまま髪も結わずに、なんてことがあったかしら? とんでもない。わたしがこうしていつまでも若くていられるのは、そこらの連中みたいにぐうたらな真似
まね
をしたり、自分を甘やかしたりしなかったおかげですよ。……(両手を腰にあてて、コートを歩きまわる)ほらね、――ピヨピヨ雛
ひよ
っ子よ。十五の小娘にだってなって見せるわ。
ドールン まあまあ、それはそうとして、僕は先を続けますよ。(本を手にとって)ええと、粉屋と鼠
ねずみ
のとこでしたね。……
アルカージナ その鼠のところ。読んでちょうだい。(腰かける)でも、貸してごらんなさい、わたしが読むわ。こんどはわたし。(本をうけ取って、眼でさがす)鼠と……ああここだ。……(読む)「だからもちろん、社交界の婦人たちが小説家をちやほやして、これを身辺へ近づけるがごときは、その危険なること、粉屋が鼠を納屋
なや
に飼っておくのと一般である。にもかかわらず、小説家は依然としてヒイキにされる。かくて、女性がこれぞと思う作家に狙
ねら
いをつけて、これをサロンに手なずけておこうという段になると、彼女はお世辞、お愛想、お追従
ついしょう
の限りをつくして包囲攻撃を加える」……ふん、フランスじゃそうかも知れないけれど、このロシアじゃ、そんな目論見
もくろみ
もへったくれもありゃしない。ロシアの女はまず大抵、作家を手に入れる前に、自分のほうが首ったけの大あつあつになっちまう。いやはやだわ。手近なところで、たとえばこのわたしとトリゴーリンだっても……

ソーリンが杖
つえ
にたよりながら登場。ならんでニーナ。そのあとからメドヴェージェンコが、空っぽの肘
ひじ
かけ椅子
いす
(訳注 車のついた)を押してくる。

ソーリン (子供をあやすような調子で)ああ、そうなの? 嬉
うれ
しくって堪
たま
らないの? 今日はみんな浮き浮きってわけかな、早い話が? (妹に)嬉しいことがあるんだよ! お父さんと、ままおっ母

さんが、トヴェーリへ行っちまったんで、ぼくたちまる三日というもの、のうのうと羽根がのばせるんだ。
ニーナ (アルカージナの隣に腰かけ、彼女に抱きつく)わたしほんとに幸福! これでもうわたし、あなた方のものですわ。
ソーリン (自分の肘かけ椅子にかける)今日はこの人、じつにきれいだなあ。
アルカージナ おめかしして、ほれぼれするみたい。(ニーナにキスする)でも、あんまり褒

め立てちゃいけないわ、鬼が妬

きますからね。トリゴーリンさんはどこ?
ニーナ 水浴び場で、釣りをしてらっしゃるの。
アルカージナ よく飽きないものねえ! (つづけて読もうとする)
ニーナ それ、なんですの?
アルカージナ モーパッサンの『水の上』よ。(二、三行ほど黙読する)ふん、あとはつまらない嘘
うそ
っぱちだ。(本を閉じる)わたし、なんだか気持が落着かない。うちの子は、一体どうしたんでしょうねえ? どうしてあんなつまらなそうな、けわしい顔つきをしてるんだろう? あの子はもう何日も、ぶっ続けに湖へばかり行っていて、わたしおちおち顔を見る時もないの。
マーシャ くさくさしてらっしゃるんですわ。(ニーナに向って、おずおずと)ねえ、あの人の戯曲をどこか、読んでくださらない!
ニーナ (肩をすくめて)あら、あれを? とてもつまんないのよ!
マーシャ (感激をおさえながら)あの人が自分で何か朗読なさると、眼が燃えるようにきらきらして、顔が蒼
あお
ざめてくるんですわ。憂
うれ
いをふくんだ、きれいな声で、身のこなしは詩人そっくり。

ソーリンのいびきが聞える。

ドールン ごゆるりと!
アルカージナ ねえ、ペトルーシャ!
ソーリン ああ?
アルカージナ 寝てらっしゃるの?
ソーリン いいや、どうして。

間。

アルカージナ あなたは療治をなさらない、いけないわ、兄さん。
ソーリン 療治したいのは山々だが、このドクトルが、してやろうとおっしゃらん。
ドールン 六十の療治ですか!
ソーリン 六十になったって、生きたいさ。
ドールン (吐き出すように)ええ! じゃ、カノコ草
そう
の水薬(訳注 カノコ草の根から製した鎮静剤)でもやるですな。
アルカージナ どこか、温泉にでも行ったらいいんじゃないかしら。
ドールン ほほう? 行くのもよし、行かないのもまたよしですな。
アルカージナ ややこしいわね。
ドールン ややこしいも何もない。はっきりしてますよ。

間。

メドヴェージェンコ ソーリンさんは、タバコをやめるべきでしょうな。
ソーリン くだらん。
ドールン いや、くだらんどころじゃない。酒とタバコは、個性を失わせますよ。シガー一本、ウオトカ一杯やったあとのあなたは、もはやソーリン氏ではなくて、ソーリン氏プラス誰かしら、なんです。自我がだんだんぼやけて、あなたは自分に対して、あたかも第三者――つまり“彼”に対するような態度になるわけです。
ソーリン (笑って)あんたは勝手に理屈をならべるがいいさ。人生の盛りを楽しんだ人だからね。ところが僕はどうだ? 司法省に二十八年も勤めはしたが、まだ生活をしたことがない、何一つ味わったことがない、早い話がね。だからさ、生きたくって堪らないのは、わかりきった話じゃないですか。あんたは腹がいっぱいで、泰然と構えていなさる。それで哲学に趣味をもちなさる。ところが僕は、生きたいものだから、夕食にシェリー〔酒〕をやったり、シガーをふかしたり、とまあいった次第でさ。それだけの事ですよ。
ドールン 命というものは、もっと大事に扱うものです。六十になって療治をしたり、若い時の楽しみが足りなかったと悔んだりするのは、失礼ながら軽率というものですよ。
マーシャ (立ちあがる)もう午食
おひる
の時間よ、きっと。(だらけた気力のない歩き方をする)足がしびれたわ。……(退場)
ドールン ああして行って、午食の前に〔ウオトカを〕二杯ひっかけるんだ。
ソーリン わが身に仕合せのない娘

だからね、可哀
かわい
そうに。
ドールン つまらんことを、ええ閣下。
ソーリン そらそれが、腹いっぱい食った人の理屈さ。
アルカージナ あーあ、およそ退屈といったら、この親愛なる田舎
いなか
の退屈さに、まさるものなしだわね! 暑くて、静かで、誰もなんにもせずに、哲学ばかりやって。……ねえ皆さん、こうしてごいっしょにいるのもいいし、お話を伺ってるのも楽しいわ。だけど……ホテルの部屋に引っこもって、書き抜きを詰めこむ時のほうが――どんなにましだか知れやしない!
ニーナ (感激して)すばらしいわ! わたし、わかりますわ。
ソーリン むろん、都会のほうがいいさ。書斎に引っこんでる。取次ぎなしには誰も通しはせん。用事は電話……往来にゃ辻
つじ
馬車が通る、とまあいった次第でな……
ドールン (口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……

シャムラーエフ登場。つづいて、ポリーナ。

シャムラーエフ ほう、皆さんお揃
そろ
いだ。こんにちは! (アルカージナの手に、つづいてニーナの手に接吻
せっぷん
する)ご機嫌うるわしくて何よりです。家内の話では、あなたのお伴
とも
をして今日、町へ出かけるそうですが、ほんとでしょうか?
アルカージナ ええ、そのつもりなの。
シャムラーエフ ふむ。……それも結構ですが、しかし何に乗って行かれますかな、奥さま? 今日はライ麦を運ぶ日なので、男衆はみんな手がふさがっております。それに一体、どんな馬を使うおつもりですな、ひとつ伺いたいもんで。
アルカージナ どんな馬? 知るもんですか――そんなこと!
ソーリン うちには、よそ行きのやつがあるはずだが。
シャムラーエフ (興奮して)よそ行きの? では、頸輪
くびわ
はどうすればいいのです? どこから持ってくればよろしいんです? こりゃ驚いた! さっぱりわからん! ねえ奥さん! 失礼ながら、わたしはあなたの才能を崇拝して、あなたのためなら、十年の命を投げだすのもいといませんが、しかし馬は絶対ご用だてできません!
アルカージナ でも、わたしがどうしても出かけなけりゃならないとしたらどう? 妙な話だこと!
シャムラーエフ 奥さん! あなたはわかっておいでなさらん、農家の経営というものが!
アルカージナ (カッとして)また例の御託
ごたく
が始まった! そんならよござんす、わたし今日すぐモスクワへ帰るから。村へ行って、馬をやとってくるよう言いつけてください。それも駄目なら、駅まで歩いて行きます!
シャムラーエフ (カッとして)そういうことなら、わたしは辞職します! べつの支配人をおさがしなさい! (退場)
アルカージナ 毎とし夏になると、こうだわ。毎夏、わたしはここへ来て厭
いや
な目にあわされるんだわ! もうここへは足ぶみもしない! (左手へ退場。そこに水浴び場がある気持。やがて、彼女が家に歩いて行くのが見える。そのあとにトリゴーリンが、釣竿
つりざお
と手桶
ておけ
をさげてつづく)
ソーリン (カッとして)理不尽にもほどがある! 一体なんたることだ! つくづくもう厭になったよ、早い話がな。即刻ここへ、ありったけの馬を出させるがいい!
ニーナ (ポリーナに)アルカージナさんのような、有名な女優さんにさからうなんて! そのお望みとあれば、たとえ気まぐれにしたって、お宅の経営よりか大切じゃありませんの? 呆
あき
れて物も言えないわ!
ポリーナ (身も世もあらず)どうしろとおっしゃるの? わたしの身にもなってちょうだい、どうすればいいと仰しゃるの?
ソーリン (ニーナに)さ、妹のところへ行きましょう。……みんなで、あれが発

って行かないように、頼んでみましょう。ね、どうです? (シャムラーエフの去った方角を見やって)まったくやりきれん男だ! 暴君だ!
ニーナ (彼の立とうとするのを遮
さえぎ
りながら)坐
すわ
ってらっしゃい、坐って。……わたしたちがお連れしますわ。……(メドヴェージェンコと二人で椅子を押す)ああ、ほんとに厭だこと!……
ソーリン そう、まったく厭なことだ。……でもね、あの男は出て行きはしない。わたしが今すぐ、話をつけるからね。(三人退場。ドールンとポリーナだけ残る)
ドールン 厄介
やっかい
な連中だなあ。本来なら、あんたのご亭主をポイとおっぽり出せばいいものを、それがとどのつまりは、あの年寄り婆
ばあ
さんみたいなソーリン先生が、妹とふたりがかりで、詫

びを入れるのが落ちですよ。まあ見てらっしゃい!
ポリーナ あの人は、よそ行きの馬まで野良
のら
へ出したんですの。それに、こんな行き違いは毎日のことなのよ。そのためどれほどわたしが苦労するか、わかってくだすったらねえ! これじゃ病気になってしまうわ。ほらね、顫
ふる
えがついてるわ。……わたし、あの人のがさつさには愛想がつきた。(哀願するように)エヴゲーニイ、ね、大事ないとしいエヴゲーニイ、わたしを引取ってちょうだい。……わたしたちの時は過ぎてゆくわ、おたがいもう若くはないわ。せめて一生のおしまいだけでも、かくれたり、嘘
うそ
をついたりせずにいたい……(間)
ドールン 僕は五十五ですよ、今さら生活を変えようたってもう遅い。
ポリーナ わかってるわ、そう言って逃げをお打ちになるのも、わたしのほかに、身近な女の人が、幾らもおありだからよ。みんな引取るわけにはいきませんものね。わかってますわ。こんなこと言ってご免なさい、もう飽きられてしまったのにね。

ニーナが家のほとりに現われる。彼女は花を摘む。

ドールン そんなばかなことが。
ポリーナ わたし、嫉妬
しっと
でくるしいのよ。そりゃ、あなたはお医者さんだから、婦人を避けるわけにはいかない。それはわかるけれど……
ドールン (近づいて来たニーナに)どうです。あちらの様子は?
ニーナ アルカージナさんは泣いてらっしゃるし、ソーリンさんはまた喘息
ぜんそく
よ。
ドールン (立ちあがる)どれ行って、カノコ草の水薬でも、ふたりに飲ませるか。……
ニーナ (彼に花をわたして)どうぞ!
ドールン こりゃどうも
メルシ・ビエン
。(家のほうへ行く)
ポリーナ (いっしょに行きながら)まあ、可愛
かわい
らしい花だこと! (家のほとりで、声を押し殺して)その花をちょうだい! およこしなさいったら! (花を受けとり、それを引きむしって、わきへ捨てる。ふたり家にはいる)
ニーナ (ひとり)有名な女優さんが、それもあんなつまらないことで泣くなんて、どう見ても不思議だわねえ! もう一つ不思議と言えば、名高い小説家で、世間の人気者で、わいわい新聞に書き立てられたり、写真が売りだされたり、外国で翻訳まで出ている人が、一日じゅう釣りばかりして、ダボハゼが二匹釣れたってにこにこしてるなんて、これも変てこだわ。わたし、有名な人って、そばへも寄れないほどえばりくさって、世間の人間を見くだしているものと思っていた。家柄だの財産だのを、無上のものと崇
あが
め奉
たてまつ
る世間にたいして、自分の名誉やぱりぱりの名声でもって、仕返しをする気なのだろうと思っていた。ところがどうでしょう、泣いたり、釣りをしたり、カルタをやったり、笑ったり、一向みんなと違やしない。……
トレープレフ (無帽で登場。猟銃と、鴎
かもめ
の死骸
しがい
を持つ)一人っきりなの?
ニーナ ええ、そう。

トレープレフ、鴎を彼女の足もとに置く。

ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似
まね
をした。あなたの足もとに捧
ささ
げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を持ちあげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいるとさも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしない、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうやら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわからないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になった、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦
ゆる
しませんからね。僕はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじめだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷たくなったのが、僕は怖
おそ
ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目がさめてみると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面へ吸いこまれてしまっていたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわからない、と言いましたね。ああ、なんのわかることがいるもんですか あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡なくだらん奴
やつ
らといっしょにしてるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるんだ! 僕は脳みそに、釘
くぎ
をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の血をまるで蛇
へび
みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪
のろ
われるがいいんだ。……(トリゴーリンが手帳を読みながら来るのを見て)そうら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱり本を持ってね。……(嘲弄
ちょうろう
口調で)「言葉、ことば、ことば」か……まだあの太陽がそばへこないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
トリゴーリン (手帳に書きこみながら)かぎタバコを用い、ウオトカを飲む。……いつも黒服と。教師が恋する……
ニーナ ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
トリゴーリン ご機嫌よう。じつは思いがけない事情のため、われわれはどうやら今日発

つことになりそうです。あなたとまたいつお会いできるかどうか。いや、残念です。わたしは、ごくたまにしか若いお嬢さん――若くてしかもきれいなお嬢さんに、会う機会がないもので、十八、九の年ごろには一体どんな気持でいるものか、とんと忘れてしまって、どうもはっきり頭に浮ばんのです。だから、わたしの作品に出てくる若い娘たちは、大抵作りものですよ。わたしはせめて一時間でもいいから、あなたと入れ代りになって、あなたの物の考え方や、全体あなたがどういう人かを、とっくり知りたいと思いますよ。
ニーナ わたしは、ちょいちょいあなたと入れ代りになってみたいわ。
トリゴーリン なぜね?
ニーナ 有名な、りっぱな作家が、どんな気持でいるものか、知りたいからですわ。有名って、どんな気がするものかしら? ご自分が有名だということを、どうお感じになりまして?
トリゴーリン どうって? まあ別になんともないでしょうね。そんなこと、ついぞ考えたこともありませんよ。(ちょっと考えて)二つのうち、どっちかですな――わたしの名声をあなたが大げさに考えているか、それとも、名声というものがおよそ実感としてピンとこないかね。
ニーナ でも、自分のことが新聞に出ているのをご覧になったら?
トリゴーリン 褒

められればいい気持だし、やっつけられると、それから二日は不機嫌を感じますね。
ニーナ すばらしい世界だわ! どんなにわたし羨
うらや
ましいか、それがわかってくだすったらねえ! 人の運命って、さまざまなのね。退屈な、人目につかない一生を、やっとこさ曳

きずっている、みんな似たりよったりの、不仕合せな人たちがいるかと思うと、一方にはあなたのように、――百万人に一人の、面白い、明るい、意義にみちた生活を送るめぐり合せの人もある。あなたはお仕合せですわ。……
トリゴーリン わたしがね? (肩をすくめて)ふむ。……あなたは、名声だの幸福だの、何かこう明るい面白い生活だのと仰しゃるが、わたしにとっては、そんなありがたそうな言葉はみんな、失礼ながら、わたしが食わず嫌いで通しているマーマレードと同じですよ。あなたはとても若くて、とても善良だ。
ニーナ あなたの生活は、すてきな生活ですわ!
トリゴーリン べつにいいとこもありませんねえ。(時計を出して見る)わたしは、これから行って書かなければならん。ま赦
ゆる
してください、暇がないんです。……(笑う)あなたはね、世間で言う「人の痛い肉刺
まめ
」を、ぐいと踏んづけなすった。そこでわたしは、このとおり興奮して、いささか向っ腹を立てているんです。だがまあ、しばらくお話しましょうか。そのわたしの、すばらしい、明るい生活のことをね。……さてと、何から始めたものか? (やや考えて)強迫観念というものがありますね。人がたとえば月なら月のことを、夜も昼ものべつ考えていると、それになるのだが、わたしにもそんな月があるんです。夜も昼も、一つの考えが、しつこく私にとっついて離れない。それは、書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ……というやつです。やっと小説を一つ書きあげたかと思うと、なぜか知らんがすぐもう次のに掛からなければならん、それから三つ目、三つ目のお次は四つ目……といった具合。まるで駅逓
えきてい
馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに打つ手がない。そのどこがすばらしいか、明るいか、ひとつ伺いたいものだ。いやはや、野蛮きわまる生活ですよ! 今こうしてあなたとお喋
しゃべ
りをして、興奮している。ところがその一方、書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるんです。ほらあすこに、グランド・ピアノみたいな恰好
かっこう
の雲が見える。すると、こいつは一つ小説のどこかで使ってやらなくちゃ、と考える。グランド・ピアノのような雲がうかんでいた、とね。ヘリオトロープの匂
にお
いがする。また大急ぎで頭
ここ
へ書きこむ。甘ったるい匂
にお
い、後家さんの色、こいつは夏の夕方の描写に使おう、とね。こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱしから捕
つか
まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使えるかも知れんぞ! というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げだす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこい、そうは行かない。頭のなかには、すでに新しい題材という重たい鉄のタマがころげ回って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、われとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼりぼり食っているような気持です。何者か漠然
ばくぜん
とした相手に蜜
みつ
を与えようとして、僕は自分の選

り抜きの花から花粉をかき集めたり、かんじんの花を引きむしったり、その根を踏み荒したりしているみたいなものです。それで正気と言えるだろうか? 身近な連中や知り合いが、果してわたしをまともに扱ってくれてるだろうか? 「いま何を書いておいでです? こんどはどんなものです?」聞くことと言ったら同じことばかり。それでわたしは、知り合いのそんな注目や、讃辞
さんじ
や、随喜の涙が、みんな嘘っぱちで、寄ってたかってわたしを病人あつかいにして、いい加減な気休めを言っているみたいな気がする。うかうかしてると、誰かうしろから忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン(訳注 ゴーゴリの『狂人日記』の主人公)みたいに、気違い病院へぶちこむんじゃないかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、まだ若くて、生気にあふれていた時代はどうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続でしたよ。駆けだしの文士というものは、殊
こと
に不遇な時代がそうですが、われながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神経ばかりやたらに尖
とが
らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人たちのまわりを、ふらふらうろつき回らずにはいられない。認めてももらえず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと見る勇気もなく――まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといったざまです。わたしは自分の読者に会ったことはなかったけれど、なぜかわたしの想像では、不愛想な疑ぐりぶかい人種のように思えましたね。わたしは世間というものが恐
こわ
かった。ものすごい怪物のような気がした。自分の新作物が上演されるようなことになると、いつもきまって、黒い髪の毛の人は敵意を抱
いだ
いている、明るい髪の毛の人は冷淡な無関心派だと、そんな気がしたものです。思いだしてもぞっとする! じつになんとも言えない苦しみでした!
ニーナ ちょっとお待ちになって。でも、感興が湧

いてきた時や、創作の筆がすすんでいる時は、崇高な幸福の瞬間をお味わいになりません?
トリゴーリン それはそうです。書いているうちは愉快です。校正をするのも愉快だな。だが……いざ刷りあがってしまうと、もう我慢がならない。こいつは見当が狂った、しくじった、いっそ書かないほうがよかったのだと、むしゃくしゃして、気が滅入
めい
るんですよ。……(笑う)ところが、世間は読んでくれて、「なるほど、うまい、才筆だな」とか、「うまいが、トルストイには及びもつかんね」とか、「よく書けてる、しかしツルゲーネフの『父と子』のほうが上だよ」とか、仰
おお
せになる。といったわけで、結局、墓にはいるまでは、明けても暮れても「うまい、才筆だ」「うまい、才筆だ」の一点ばりで、ほかに何にもありゃしない。さて死んでしまうと、知り合いの連中が墓のそばを通りかかって、こう言うでしょうよ。「ここにトリゴーリンが眠っている。いい作家だったが、ツルゲーネフには敵
かな
わなかったね」
ニーナ でもちょっと。わたし、そんなお話は頂きかねますわ。あなたは、成功に甘えてらっしゃるんだわ。
トリゴーリン どんな成功にね? わたしはついぞ、自分でいいと思ったことはありませんよ。わたしは作家としての自分が好きじゃない。何よりも悪いことに、わたしは頭がもやもやしていて、自分で何を書いているのかわからないんです。……わたしはほら、この水が好きだ。木立や空が好きだ。わたしは自然をしみじみ感じる。それはわたしの情熱を、書かずにいられない欲望をよび起す。ところがわたしは、単なる風景画家だけじゃなくて、その上に社会人でもあるわけだ。わたしは祖国を、民衆を愛する。わたしは、もし自分が作家であるならば、民衆や、その苦悩や、その将来について語り、科学や、人間の権利や、その他いろんなことについても語る義務がある、と感じるわけです。そこでわたしは、何もかも喋
しゃべ
ろうとあせる。わたしは四方八方から駆り立てられ、叱
しか
りとばされ、まるで猟犬に追いつめられた狐
きつね
さながら、あっちへすっ飛び、こっちへすっ飛びしているうちに、みるみる人生や科学は前へ前へと進んで行ってしまい、わたしは汽車に乗りおくれた百姓みたいに、ずんずんあとにとり残される。で、とどのつまりは、自分にできるのは、自然描写だけだ、ほかのことにかけては一切じぶんはニセ物だ、骨の髄までニセ物だ、と思っちまうんですよ。
ニーナ あなたは過労のおかげで、自分の値打ちを意識するひまも気持も、ないんですわ。たとえご自分に不満だろうとなんだろうと、ほかの人にとってはあなたは偉大でりっぱな方なのよ! もしわたしが、あなたみたいな作家だったら、自分の全生命を民衆に捧
ささ
げてしまうわ。でも心のなかでは、民衆の幸福はただ、わたしの所まで向上してくることだと、はっきり自覚しますわ。すると民衆は、わたしを祭礼の馬車に乗せて引きまわしてくれるわ。
トリゴーリン ほう、祭礼の馬車か。……アガメンノンですかね、このわたしが! (ふたり微笑する)
ニーナ 女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲の者に憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに堪えてみせますわ。屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだってかまわない。その代り、わたしは要求するのよ、名声を……ほんとうの、割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする……ああ!
アルカージナの声 (家の中から)トリゴーリンさん!
トリゴーリン わたしを呼んでいる。きっと荷づくりでしょう。だが、発

ちたくないなあ。(湖の方を振返って)なんという自然の恩恵だ!……すばらしい!
ニーナ 向う岸に、家と庭が見えるでしょう?
トリゴーリン ええ。
ニーナ あれが、亡

くなった母の屋敷です。わたし、あすこで生れたの。それからずっと、この湖のそばで暮しているものだから、どんな小さな島でもみんな知っていますわ。
トリゴーリン ここはまったくすばらしい! (鴎
かもめ
を見とめて)なんです、これは?
ニーナ かもめよ。トレープレフさんが射

ったの。
トリゴーリン きれいな鳥だ。いや、どうも発ちたくないなあ。ひとつアルカージナさんを説きつけて、もっといるようにしてください。(手帳に書きこむ)
ニーナ なに書いてらっしゃるの?
トリゴーリン ちょっと書きとめとくんです。……題材が浮んだものでね。……(手帳をしまいながら)ほんの短編ですがね、湖のほとりに、ちょうどあなたみたいな若い娘が、子供の時から住んでいる。鴎のように湖が好きで、鴎のように幸福で自由だ。ところが、ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、娘を破滅させてしまう――ほら、この鴎のようにね。

間。――やがて窓にアルカージナが現われる。

アルカージナ トリゴーリンさん、どこにいらっしゃるの?
トリゴーリン 今すぐ! (行きかけて、ニーナを振返る。窓のそばでアルカージナに)なんです?
アルカージナ わたしたち、このままいることにしますわ。

トリゴーリン、家へはいる。

ニーナ (脚光ちかく歩みよる。やや沈思ののちに)夢だわ!
――幕――
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第三幕

ソーリン家の食堂。左右にドア。食器棚
だな
。薬品の戸棚。部屋の中央にテーブル。旅行カバンが一つ、帽子のボール箱が幾つか。出立
しゅったつ
の用意が見てとられる。トリゴーリンが朝食(訳注 だいたい早おひるの時刻)をしたため、マーシャはテーブルのそばに立っている。

マーシャ これはみんな、作家としてのあなたにお話しするんです。お使いになってもかまいません。良心にかけて言いますけれど、あの人の傷が重傷だったら、わたし一分間たりと生きてはいなかったでしょう。でも、わたしはこれで勇気があります。だから、きっぱり決心しました。この恋を胸
ここ
から引っこ抜いてしまおうと。根ごと一思いにね。
トリゴーリン どんな具合にね?
マーシャ 嫁に行くんです。メドヴェージェンコのところへ。
トリゴーリン あの教師
せんせい
のところへね?
マーシャ ええ。
トリゴーリン わからんな。なんの必要があって。
マーシャ 望みもないのに恋をして、何年も何年も何か待っているなんて……。いったん嫁に行ってしまえば、もう恋どころじゃなくなって、新しい苦労で古いことはみんな消されてしまう。それだけでも、ね、変化じゃありませんか。いかが、もう一つ?
トリゴーリン 過ぎやしないかな?
マーシャ なあに、平気! (一杯ずつつぐ)そんなに人の顔を見ないでください。女というものは、あなたの考えてらっしゃるより、よく飲みますわよ。わたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけれど、こっそり飲むのは大勢いますわ。そうよ。しかもきまって、ウオトカかコニャックですわ。(杯を当てて)プロジット! あなたは、さっぱりした方ね。お別れするの残念ですわ。(ふたり飲みほす)
トリゴーリン わたしだって、発

ちたくはないんだが。
マーシャ だからあの人に、もっといるようにお頼みになったら。
トリゴーリン いや、もういるつもりはないでしょう。なにしろあの息子
むすこ
が、でたらめばかりやらかすんでね。ピストル自殺をやりかけたと思えば、今度はこのわたしに、決闘を申しこむとかなんとかいう話だ。一体なんのためかな? ふくれたり、鼻を鳴らしたり、新形式論をまくし立てたり……。いや、座席はまだたっぷりあいている。新しいものにも古いものにもね、――何も押し合うことはない。
マーシャ それに嫉妬
しっと
も手伝ってね。でも、わたしの知った事じゃないわ。

間。ヤーコフが左手から右手へ、トランクをさげて通る。ニーナが登場して、窓ぎわに立ちどまる。

マーシャ わたしのあの教師
せんせい
は、大してお利口さんじゃないけれど、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにとてもわたしを愛してくれるの。いじらしくなりますわ。年とったお母さんも、可哀
かわい
そうだし、では、ご機嫌よろしゅう。わるくお思いにならないでね。(かたく握手する)ご親切にいろいろありがとうございました。ご本が出たらお送りくださいね、きっと署名なすってね。ただ、「わが敬愛する」なんてしないで、ただあっさり、「身もとも不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」としてね。さようなら! (退場)
ニーナ (握り挙
こぶし
にした片手を、トリゴーリンのほうへさしのべながら)偶数? 奇数?
トリゴーリン 偶数。
ニーナ (ため息をついて)いいえ。手の中には、豆が一つしかないの。わたし占ってみたのよ、女優になろうか、なるまいかって。誰か、こうしたらと言ってくれるといいんだけれど。
トリゴーリン そんなこと、言える人があるものですか。(間)
ニーナ お別れですわね……多分もう二度とお目にかかる時はないでしょう。どうぞ記念に、この小さなロケットをお受けになって。あなたの頭文字
かしらもじ
を彫らせましたの……こちら側には『昼と夜』と、あなたのご本の題をね。
トリゴーリン じつに優美だ! (ロケットに接吻
せっぷん
する)何よりの贈物です!
ニーナ 時にはわたしのことも思い出してね。
トリゴーリン 思い出しますとも。その思い出すのは、あの晴れた日のあなたの姿でしょうよ――覚えてますか?――一週間まえ、あなたが薄色の服を着てらした時のことを……いろんな話をしましたっけね……それにあの時、ベンチに白い鴎
かもめ
がのせてあった。
ニーナ (物思わしげに)ええ、かもめが……(間)もうお話してはいられません、人が来ます。……お発ちになる前、二分だけわたしにくださいまし、お願い。……(左手へ退場。同時に右手から、アルカージナ、燕尾服
えんびふく
に星章をつけたソーリン、それから荷作りに大童
おおわらわ
のヤーコフが登場)
アルカージナ お年寄りは、ここにじっとしてらっしゃいよ。そんなリョーマチのくせに、お客に出あるく法があるものですか? (トリゴーリンに)いま出て行ったのは誰? ニーナですの?
トリゴーリン ええ。
アルカージナ 失礼
パルドン
、お邪魔しましたわね……(腰をおろす)さあ、どうにかすっかり片づいた。へとへとよ。
トリゴーリン (ロケットの字を読む)『昼と夜』、百二十一ページ、十一と二行。
ヤーコフ (テーブルの上を片づけながら)釣竿
つりざお
もやはり入れますんで?
トリゴーリン そう、あれはまだ要

るからね。本はみな誰かにやってくれ。
ヤーコフ かしこまりました。
トリゴーリン (ひとりごと)百二十一ページ、十一と二行。はて、あすこには何が書いてあったっけ? (アルカージナに)この家に、わたしの本があったかしら?
アルカージナ 兄の書斎の、隅
すみ
っこの棚にありますよ。
トリゴーリン 百二十一ページと……(退場)
アルカージナ ね、ほんとにペトルーシャ、ここにじっとしていらっしゃいよ……
ソーリン お前たちが発

って行くと、あとにぽつねんとしてるのは辛
つら
くてな。
アルカージナ じゃ、町へ行けばどうなの?
ソーリン 格別どうということもないが、だがやっぱりな……(笑う)県会の建物の建て前もあるし、とまあいった次第でな。……せめて一時間でも二時間でも、この穴ごもりのカマス(訳注 シチェドリーンの童話『かしこいカマス』より)みたいな生活から飛び出したいんだよ。そうでもしないと、わたしは古パイプみたいに、棚のすみですっかり埃
ほこり
まみれだからな。一時に馬車を回すように言いつけたから、いっしょに出かけよう。
アルカージナ (間をおいて)じゃ、ここでお暮しなさいね、退屈がらずに、お風邪
かぜ
を召さずにね。あの子の監督をおねがいしますよ。よく気をつけてやってね。導いてやってね。(間)こうしてわたしが発ってゆけば、なぜコンスタンチンがピストル自殺をしようとしたのか、それも知らずじまいになるのね。どうやらわたしには、おもな原因は嫉妬
しっと
だったような気がする。だから一刻も早くトリゴーリンを、ここから連れ出したほうがいいのよ。
ソーリン さあ、なんと言ったものかな? ほかにも原因はあったろうさ。論より証拠――若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎
いなか
ぐらしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないときてるんだからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮しが、恥ずかしくもあり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛
かわい
くてならんし、あれのほうでもわたしに懐
なつ
いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分がこの家の余計もんだ、居候
いそうろう
だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、だいいち自尊心がな……
アルカージナ あの子には、ほんとに泣かされるわ! (考えこんで)勤めに出てみたらどうかしら……
ソーリン (口笛を鳴らし、やがてためらいがちに)わたしはね、いちばんの上策は、もしもお前が……あの子に少しばかり金を持たしてやったらどうかと思うよ。何はさておき、あの子も人並の身なりはせにゃならんし、とまあいった次第でな。見てごらん、着たきり雀
すずめ
のぼろフロックを、これでもう三年ごし引きずって、外套
がいとう
も着てない始末じゃないか。……(笑う)それに若い者にゃ、少し気晴らしをさせるもよかろうて。……ひとつ外国へでも出してみるかな。……なあに、大して金もかかるまい。
アルカージナ でもねえ。……まあ、服ぐらいは作ってやれるでしょうけど、外国まではねえ。……いいえ、今のところは、服だって駄目だわ。(きっぱりと)わたし、お金がありません!

ソーリン笑う。

アルカージナ ないのよ!
ソーリン (口笛を鳴らす)なるほどな。いやご免ご免、堪忍
かに
しておくれ。お前の言うとおりだろうとも。……お前は気前のいい、鷹揚
おうよう
な女だからな。
アルカージナ (涙ぐんで)わたし、お金がありません!
ソーリン わたしに金さえありゃ、論より証拠、ぽんとあれに出してやるがな、あいにくとすってけてん、五銭玉一つない。(笑う)わたしの恩給は、のこらず支配人が取りあげおって、農作だ牧畜だ蜜蜂
みつばち
だと使いまわす。そこでわたしの金は、元も子もなくなっちまう。蜂は死ぬ、牛もくたばる。馬だって、ついぞわたしに出してくれたためしがない。……
アルカージナ それはわたしだって、お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣裳
いしょう
代だけでも身代かぎりしちまうわ。
ソーリン お前はいい子だ、可愛い女だ。……わたしは尊敬しているよ。……そうとも。……だが、わたしはまた、どうもなんだか……(よろめく)目まいがする。(テーブルにつかまる)気持が悪い、とまあいった次第でな。
アルカージナ (仰天して)ペトルーシャ! (懸命に彼をささえながら)ペトルーシャ、しっかりして……(叫ぶ)誰か来て。誰か早く!……

頭に包帯したトレープレフと、メドヴェージェンコ登場。

アルカージナ 気持が悪くなったのよ!
ソーリン いやなに、なんでもない……(ほほえんで、水を飲む)もう直った……とまあいった次第でな。……
トレープレフ (母親に)びっくりしないで、ママ、べつに危険はないから。伯父さんは近ごろちょいちょい、これが起るんです。(伯父に)伯父さん、少し横になるんですね。
ソーリン うん、ちょっぴりな。……だが、とにかく町へは行くよ。……ひと休みして出かける……論より証拠だ……(杖
つえ
にすがりながら歩く)
メドヴェージェンコ (腕を支えてやりながら)こんな謎々
なぞなぞ
がありますよ。朝は四つ足、昼は二本足、夕方は三本足……
ソーリン (笑う)そのとおり。そして、夜にゃ仰向けか。いやありがとう、もう一人で行けますよ……
メドヴェージェンコ ほらまた、そんな遠慮を!……(彼とソーリン退場)
アルカージナ ああ、びっくりした!
トレープレフ 伯父さんには、田舎ぐらしが毒なんだ。くさくさするんですよ。もしママが、気前よくポンと千五百か二千貸してあげたら、あの人まる一年は町で暮せるのになあ。
アルカージナ わたしにお金があるもんですか。わたしは女優で、銀行家じゃないもの。

間。

トレープレフ ママ、包帯を換えてくれませんか。あなたは上手
じょうず
だから。
アルカージナ (薬品戸棚からヨードホルムと包帯箱を取り出す)ドクトルは遅いこと。
トレープレフ 十時ごろって言ってたのに、もうお午
ひる
だ。
アルカージナ お坐
すわ
り。(彼の頭から包帯をとる)まるでターバンをしてるみたいだねえ。きのう、よそ者が台所へ来て、お前のことをなに人
じん
かと聞いていたっけ。でも、ほとんどもう癒
なお
ったようだね。あとはほんのちょっぴりだ。(彼の頭に接吻
せっぷん
する)わたしがいなくなってから、またパチンとやりはしないだろうね?
トレープレフ やりゃしませんよ、ママ。あのとき僕、とてつもなく絶望しちまって、つい自制できなかったんです。もう二度とやりはしません。(母の手に接吻する)ああ、この手――お母さんは、じつにまめな人ですね。おぼえてますよ、ずっと昔のこと、あなたがまだ国立の劇場に出ていたころ、――僕はほんの子供だったけれど、――アパートの中庭でけんかがあって、店子
たなこ
の洗濯女がひどくなぐられたことがあったっけ。ね、おぼえてますか? 気絶したその女を、みんなで抱きあげて……それからお母さんは、しじゅうその女を見舞いに行って、薬を持ってってやったり、子供たちに桶
おけ
で行水を使わしたりしましたね。あれ、おぼえてないかしら?
アルカージナ 忘れたわ。(新しい包帯を巻いてやる)
トレープレフ うちと同じアパートに、あのころバレリーナが二人住んでいて……よくお母さんのところへ、コーヒーを飲みに来たっけ……
アルカージナ それは、おぼえていますよ。
トレープレフ ふたりとも、じつに信心ぶかい人でしたね。(間)このごろ、あれ以来の幾日かというもの、僕はまるで子供のころに返ったみたいに、甘えたいような気持で、ただもう一すじに、お母さんを愛しています。あなたのほかに、今じゃ僕には誰ひとりいないんです。ただね、なんだってお母さんは、あんな男に引きずり回されるんです、なぜです?
アルカージナ お前は、あの人がわからないんだよ。えコンスタンチン。あの人は、人格の高いりっぱな人ですよ……
トレープレフ ところが、僕が決闘を申しこもうとしていると人から聞くと、人格者たちまち変じて卑怯者
ひきょうもの
になっちまったってね。いよいよ発

つんでしょう。見ぐるしい脱走だ!
アルカージナ ばかをお言い! ここを発つように頼んだのは、このわたしですよ。
トレープレフ 人格の高いりっぱな人か! やっこさんのおかげで、このとおり母子
おやこ
げんかになりかけてるというのに、今ごろご本人は客間か庭のどこかで、われわれをせせら笑っていることでしょうよ……ニーナを大いに啓発して、彼こそ天才だということを、徹底的にあの子の胸に叩
たた
きこもうと、大童の最中でしょうよ。
アルカージナ お前は、わたしに厭
いや
がらせを言うのが楽しみなんだね。わたしはあの人を尊敬しているのだから、わたしの前じゃあの人のことを悪く言わないでもらいたいね。
トレープレフ ところが僕は尊敬していない。お母さんは、僕にまであの男を天才だと思わせたいんでしょうが、僕は嘘
うそ
がつけないもんで失礼――あいつの作品にゃ虫酸
むしず
が走りますよ。
アルカージナ それが妬
ねた
みというものよ。才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ!
トレープレフ (皮肉に)ほんものの天才か! (憤然として)こうなったらもう言っちまうが、僕の才能は、あんたがたの誰よりも上なんだ! (頭の包帯をむしりとる)あんたがた古い殻
から
をかぶった連中が、芸術の王座にのしあがって、自分たちのすることだけが正しい、本物だと極

めこんで、あとのものを迫害し窒息させるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか! 断じて認めないぞ、あんたも、あいつも!
アルカージナ デカダン……!
トレープレフ さっさと古巣の劇場
こや
へ行って、気の抜けたやくざ芝居にでも出るがいいや!
アルカージナ 憚
はばか
りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わたしにはかまわないどくれ! お前こそ、やくざな茶番
ボードビル
ひとつ書けないくせに。キーエフの町人! 居候
いそろう

トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!

トレープレフ腰をおろして、静かに泣く。

アルカージナ いくじなし! (興奮してふらふら歩きながら)泣くんじゃない。泣かないでもいいの。……(泣く)いいんだよ。……(息子
むすこ
の額や頬や頭にキスする)可愛いわたしの子、堪忍
かに
しておくれ。……罪ぶかいお母さんを赦
ゆる
しておくれ。不仕合せなわたしを赦しておくれ。
トレープレフ (母親を抱いて)僕の気持がお母さんにわかったらなあ! 僕は何もかも、すっかり失

くしてしまった。あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……
アルカージナ そう気を落すんじゃない。……みんなうまく行きますよ。あの人は今すぐ発っていくし、あの子もまたお前が好きになるよ。(息子の涙を拭

いてやる)さ、もういい。これで仲直りよ。
トレープレフ (母親の手にキスして)ええ、ママ。
アルカージナ (やさしく)あの人とも仲直りしてね。決闘なんぞいるものかね。……ね、そうだね。
トレープレフ え、いいです。……ただね、ママ、あの男と顔を合せないで済むようにしてください。思っただけでも辛いんです……とても駄目なんです……(トリゴーリン登場)ほら来た。僕出ていきます。……(手早く薬品を戸棚にしまう)包帯はいずれ、ドクトルにしてもらいます……
トリゴーリン (本のページをさがしながら)百二十一ページ……十一と二行。……これだ。……(読む)「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」

トレープレフ、床の包帯をひろって退場。

アルカージナ (時計をちらと見て)そろそろ馬車が来ますよ。
トリゴーリン (ひとりごと)もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。
アルカージナ あなたの荷づくりは、もうできたでしょうね?
トリゴーリン (もどかしげに)ええ、ええ……(考えこんで)この清らかな心の呼びかけのなかに、なぜおれには悲哀の声が聞えるんだろう。なぜおれの胸は、切ないほどに緊

めつけられるんだろう?……もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。(アルカージナに)もう一日、いようじゃないか!

アルカージナ、かぶりを振る。

トリゴーリン ね、いようじゃないか!
アルカージナ あなた、何に後ろ髪を引かれてらっしゃるか、わたしちゃんと知っていますよ。でも、自制力がなくちゃ駄目。ちょっぴり酔ってらっしゃる、正気におなりなさい。
トリゴーリン 君もひとつ正気になってもらいたいな。聡明
そうめい
な、分別のある人間になって、お願いだから、この問題をじっくり見ておくれ、真実の友としてね。……(女の手を握って)君は犠牲になれる人だ。……僕の親友になってくれ、僕を行かせておくれ……
アルカージナ (すっかり興奮して)そんなに夢中なの?
トリゴーリン どうしても惹

きつけられるんだ! ひょっとすると、これこそ僕の求めていたものかも知れない。
アルカージナ たかが田舎娘の愛がね? あなたはなんて自分を知らないんでしょうね!
トリゴーリン 時どき人間は、歩きながら眠ることがある。まさにそのとおりこの僕も、こうして君と話をしていながら、じつはうとうとして、あの子の夢を見ているようなものだ。……なんともいえない甘い夢想の、とりこになってしまったんだ。……行かせておくれ。
アルカージナ (ふるえながら)厭
いや
、厭。……わたしは平凡な女だから、そんな話は、お門
かど
ちがいよ。……いじめないで、わたしを、ボリース。……わたし、こわい……
トリゴーリン その気になりさえすりゃ、非凡な女になれるんだ。幻の世界へ連れていってくれるような、若々しい、うっとりさせる、詩的な愛――この世でただそれだけが、幸福を与えてくれるのだ! そんな愛を、僕はまだ味わったことがない。……若いころは、雑誌社へお百度をふんだり、貧乏と闘ったりで、そんなひまがなかった。今やっとそれが、その愛が、ついにやってきて、手招きしているんだ。……それを避けなければならん理由が、どこにある?
アルカージナ (憤然と)気がちがったのね!
トリゴーリン それでもかまわん。
アルカージナ あんたがたは今日、言い合せたように、寄ってたかってわたしをいじめるのね! (泣く)
トリゴーリン (自分の頭をかかえて)わかってくれない! てんでわかろうとしないんだ!
アルカージナ ほんとにわたし、そんなに老

けて、みっともなくなってしまったの? わたしの前で、ほかの女の話を大っぴらにやれるなんて! (男を抱いてキスする)ああ、あなたは正気じゃないのよ! わたしの大事な、いとしいひと……。あなたこそ――わたしの一生の最後のページよ! (ひざまずく)わたしの悦
よろこ
び、わたしの誇り、わたしの無量の幸福……(彼の膝
ひざ
を抱く)たとえ一時間でもあなたに棄

てられたら、わたしは生きちゃいない、気がちがってしまう。わたしのすばらしい、輝かしい人、わたしの王さま……
トリゴーリン 人が来ますよ。(女をたすけ起す)
アルカージナ いいじゃないの。あなたを愛しているこの気持が、誰に恥ずかしいものですか。(男の両手にキスする)わたしの大事な宝もの、向う見ずな悪いひと、あなたはばかなまねがしたいんでしょうけれど、わたしは厭
いや
です、放しません。……(笑う)あなたは、わたしのものなの、わたしのものよ。この額
ひたい
もわたしのもの。この眼もわたしのもの。このきれいな、絹のような髪の毛も、やっぱりわたしのもの。……あなたはすっかり、わたしのもの。あなたは本当に天才で、聡明で、今のどの作家よりもりっぱで、ロシアのただ一つの希望なのよ。……あなたの筆には、まごころがこもって、じつにすっきりして、新鮮で、おまけに健康なユーモアがあるわ。……あなたはほんの一刷毛
はけ
で、人物や風景のカン所が出せるのね。あなたの人物は生きているわ。あなたのものを読んで、夢中になれずにいられるものですか! これがお世辞だと思うの? わたしのおべっかなの? さ、わたしの眼を見てちょうだい……よく見て……。わたしが嘘
うそ
つきに見えて? そらごらんなさい、あなたの偉さのわかるのは、わたしだけよ。本当のことをあなたに言うのも、わたしだけよ、ね、大事な、可愛
かわい
いひと。……発

つでしょうね? そうでしょ? わたしを棄てはしないことね?
トリゴーリン おれには自分の意志というものがない。……おれはついぞ、自分の意志をもった例
ため
しがないのだ。……気の抜けた、しんのない、いつも従順な男――一体これで女にもてるものだろうか? さ、つかまえて、どこへなり連れて行ってくれ。ただね、一足もそばから放すんじゃないぞ……
アルカージナ (ひとりごと)これで、わたしのものだ。(けろりと、どこを風が吹くといった調子で)でもね、もしお望みなら、お残りになってもいいことよ。わたしは一人で発つから、あなたはあとで、一週間もしたら帰ってらっしゃい。あなたはべつに、急ぐ用もないんですものね。
トリゴーリン いや、こうなったらいっしょに発とう。
アルカージナ お好きなように。いっしょならいっしょでいいわ。……(間)

トリゴーリン、手帳に書きこむ。

アルカージナ なんですの、それ?
トリゴーリン けさ、うまい言い方を聞いたもんでね。「処女の林……」だとさ。これは使える。(伸びをする)じゃ、出かけるんだね? また汽車か、停車場、食堂、カツレツ、おしゃべり……
シャムラーエフ (登場)まことに残念ながら、申しあげます、馬車をお回ししました。どうぞ奥さま、停車場へお出かけの時刻です。汽車は二時五分に着きます。それではアルカージナさま、おそれいりますが、役者のスズダーリツェフが今どこにいますか、お忘れなくお調べねがいますよ。生きているかな? 達者ですかな? むかしはいっしょに飲んだものでしたっけ。あの『郵便強盗』(訳注 十九世紀末のメロドラマの題)なんかやらせると、天下一品でしたな。……あれといっしょに、さよう、エリサヴェトグラードで悲劇役者のイズマイロフが出ておりましたが、これまたなかなかの傑物
えらぶつ
でしてな。……いや奥さま、そうお急ぎになることはありません、まだ五分は大丈夫です。あるメロドラマでね、連中が謀叛人
むほんにん
をやった時でしたが、不意に捕

り手が踏みこむところで「残念、ワナにかかったか」と言うべきところを、イズマイロフは――「残念、ナワにかかったか」とやってね……(哄笑
こうしょう
する)ナワにかかったか!

彼がしゃべっている間に、ヤーコフは旅行カバンの世話をやき、小間使は帽子やマントやコウモリや手袋を、アルカージナに持ってくる。皆々アルカージナの身支度を手伝う。左手のドアから料理人がのぞきこみ、しばらくためらった後、おずおずとはいってくる。ポリーナ、やがてソーリン、メドヴェージェンコ登場。

ポリーナ (手かごを持って)このスモモを、どうぞ道中めしあがって……。大そう甘うございますよ。何か変ったものも、欲しくおなりかも知れませんから……
アルカージナ まあ御

親切にね。ポリーナさん。
ポリーナ ご機嫌よろしゅう、奥さま! 不行届きのことがありましたら、お赦しくださいまし。(泣く)
アルカージナ (彼女を抱いて)みんな結構でしたよ、結構でしたよ。ただその、泣くのがいけないわ。
ポリーナ わたくしたちの時は過ぎて行きますもの!
アルカージナ 仕方のないことよ!
ソーリン (トンビに中折れ帽をかぶり、ステッキを持って左手のドアから登場。部屋を横ぎりながら)お前、もう時間だよ。おくれたら事だからな、早い話が。わたしは行って乗りこんでるよ。(退場)
メドヴェージェンコ 僕は停車場まで歩いて行きます……お見送りにね。ひとつ急いで……(退場)
アルカージナ さようなら、皆さん。……おたがい無事で達者だったら、また夏お目にかかりましょうね。……(小間使、ヤーコフ、料理人、それぞれ彼女の手にキスする)わたしを忘れないでね。(料理人に一ルーブリやって)この一ルーブリ、三人でお分け。
料理人 どうもありがとうございます、奥さま。道中ごぶじで! 何かとよくして頂きまして!
ヤーコフ どうぞ、ご息災で!
シャムラーエフ ちょいと一筆お手紙を頂きたいもので! ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
アルカージナ どこだろう、コンスタンチンは? わたしは発

ちますって、あの子に言っておくれ。お別れをしなくては。じゃ皆さん、悪く思わないでね。(ヤーコフに)コックさん一ルーブリ渡しましたよ。あれは三人分だからね。

一同右手へ退場。舞台空虚。舞台うらで、見送りによくあるざわめき。小間使がもどってきて、テーブルからスモモの籠
かご
をとり、ふたたび退場。

トリゴーリン (もどってくる)ステッキを忘れたぞ。たしかテラスにあるはずだが。(行きかけて、左手のドアのところで、はいってくるニーナに出あう)ああ、あなたか? われわれはもう発ちます。
ニーナ まだお目にかかれるような気が、していましたわ。(興奮して)トリゴーリンさん、わたしきっぱり決心しました。賽
さい
は投げられたんです、わたし舞台に立ちます。あしたはもう、ここにはいません。父のところを出て、一切をすてて、新しい生活を始めます。……わたしも、あなたと同じに……モスクワへ発ちます。あちらでお目にかかりましょう。
トリゴーリン (ちらと後ろを振返って)宿は、「スラヴャンスキイ・バザール」(訳注 モスクワの有名なホテル)になさい。……そしてすぐ僕に知らせて……モルチャーノフカ、グロホーリスキイ館。……いまは急ぐから……(間)
ニーナ もう一分だけ……
トリゴーリン (小声で)あなたは、なんてすばらしい……。ああ、またすぐ会えるかと思うと、じつに幸福だ! (彼女は男の胸にもたれかかる)僕はまた見られるのだ――この魅するような眼を、なんとも言えぬ美しい優しい微笑を……この柔和な顔だちを、天使のように清らかな表情を。……僕の大事な……(長いキス)
――幕――

◯第三幕と第四幕のあいだに二年経過。
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第四幕

ソーリン家の客間の一つ。今はトレープレフが仕事部屋に使っている。右手と左手にドアがあって、それぞれ奥の間へ通じる。正面はテラスへ出るガラス戸。ふつうの客間用の調度のほかに、右手の隅
すみ
に書きものデスク、左手ドア寄りにトルコ風の長椅子
ながいす
、書棚。窓や椅子のそこここに本。――宵
よい
。笠
かさ
つきのランプが一つともっている。薄暗い。木立のざわめきや、煙突のなかで風のうなる音がする。夜番の拍子木
ひょうしぎ
の音。メドヴェージェンコとマーシャ登場。

マーシャ (呼ぶ)トレープレフさん! トレープレフさん! (見まわしながら)だあれもいない。爺
じい
さんたら、のべつ幕なしに聞きどおしなんだもの、コースチャはどこにいる、コースチャはどこにいるって。……あの人がいないじゃ、生きてられないのね……
メドヴェージェンコ 孤独がこわいんだ。(耳をすます)なんて凄
すご
い天気だ! これでもう二昼夜だからな。
マーシャ (ランプの火を大きくして)湖には波が立ってるわ。大きな波が。
メドヴェージェンコ 庭はまっ暗だ。ひとつ毀
こわ
すように言わなけりゃいかんな、庭のあの小劇場はね。むき出しで、醜く立っているざまは、まるで骸骨
がいこつ
だ。幕は風でばたついているし。ゆうべ僕があのそばを通りかかったら、誰かなかで泣いてるような気がしたよ。
マーシャ また、あんなことを……(間)
メドヴェージェンコ うちへ帰ろう、マーシャ!
マーシャ (かぶりを振る)わたし、ここに泊るの。
メドヴェージェンコ (哀願するように)マーシャ、帰ろうよ! 赤んぼがきっと、腹をすかしてるよ。
マーシャ 平気よ。マトリョーナが飲ませてくれるわ。(間)
メドヴェージェンコ 可哀
かわい
そうだ。もうこれで三晩、おっ母

さんの顔を見ないんだからな。
マーシャ あんたも、退屈な人になったものね。以前は、哲学の一つも並べたものだけれど、今じゃのべつ、赤んぼ、帰ろう、赤んぼ、帰ろう、なんだもの、――ばかの一つ覚えみたい。
メドヴェージェンコ 帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ ひとりで帰ったらいいわ。
メドヴェージェンコ お前のお父さん、僕にゃ馬を出してくれないよ。
マーシャ 出してくれてよ。願いますと言や、出してくれるわ。
メドヴェージェンコ まあ、頼んでみよう。じゃあすは帰るだろうね?
マーシャ (かぎタバコをかぐ)ええ、あしたはね。うるさいわねえ……

トレープレフとポリーナ登場。トレープレフは枕
まくら
と毛布を、ポリーナはシーツを持ちこみ、トルコ風の長椅子の上に置く。それからトレープレフは自分のデスクに行って、腰をおろす。

マーシャ それ、どうするの、ママ?
ポリーナ ソーリンさんが、コースチャの部屋に床
とこ
をとってくれとおっしゃるんだよ。
マーシャ わたしがするわ……(寝床をつくる)
ポリーナ (ため息をついて)年をとると、子供も同じだねえ……(デスクに近寄り、肘
ひじ
をついて原稿をながめる。間)
メドヴェージェンコ じゃ、僕は行こう。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキスする)おやすみなさい、お母さん。(しゅうとの手にキスしようとする)
ポリーナ (腹だたしげに)いいからさ! さっさとお帰り。
メドヴェージェンコ おやすみ、トレープレフさん。

トレープレフ黙って手を出す。メドヴェージェンコ退場。

ポリーナ (原稿をながめながら)ねえ、コースチャ、あなたが本当の文士になるなんて、誰ひとり夢にも思いませんでしたよ。それが今じゃ、ありがたいことに、方々の雑誌からお金がくるようになりましたものね。(彼の髪を撫

でる)それに、男前も一段とあがって、……ねえ、可愛
かわい
いコースチャ、いい子だから、うちのマーシャに、もう少し優しくしてやってくださいね!……
マーシャ (床をのべながら)そっとしておいたげてよ、ママ。
ポリーナ (トレープレフに)これで、なかなか好い子さんですよ。(間)女というものはね、コースチャ、優しい目で見てもらいさえすりゃ、ほかになんにも要

らないものよ。わたしも身に覚えがあるけど。

トレープレフ、デスクから立ちあがり、黙って退場。

マーシャ ほら、怒らしちまった。うるさくするからよ!
ポリーナ わたしはお前が不憫
ふびん
なんだよ、マーシェンカ。
マーシャ ありがたい仕合せだわ!
ポリーナ お前のことで、わたしは胸を痛めつづけてきたよ。すっかり見てるんだものね、みんなわかってるんだものね。
マーシャ みんな、ばかげたことよ。望みなき恋なんて、小説にあるだけだわ。くだらない。ただ、よせばいいのよ――甘ったれた気持になって、待てば海路の日和
ひより
だかなんだか、ぽかんと何かを待っている、そんな態度をね。……心に恋が芽を出したら、摘んで捨てるまでのことよ。うちの人を、ほかの郡へ転任させてくれるって話になってるの。そこへ移ってしまえば、――きれいに忘れるわ……胸から根こぎにしてしまうわ。

ふた部屋ほど向うで、メランコリックなワルツが聞える。

ポリーナ コースチャが弾いている。気がふさぐんだね。
マーシャ (音を立てずに、二回り三回りワルツを舞う)肝心なのはね、ママ、目の前に見えないということなのよ。うちのセミョーンが転任になりさえすりゃ、あっちへ行って、ひと月で忘れてみせるわ。みんな、くだらないことよ。

左手のドアがあいて、ドールンとメドヴェージェンコが、車椅子のソーリンを押しながら登場。

メドヴェージェンコ 僕のところは、今じゃ六人家族でしてね。ところが粉は一プード(訳注 十六キロ余)七十コペイカもするんで。
ドールン そこでキリキリ舞いになる。
メドヴェージェンコ あなたは笑っていればいいでしょう。お金のうなってる人はね。
ドールン お金が? 開業して以来三十年、いいかね君、しかも昼も夜

も自分が自分のものでない、落ちつかぬ生活をしてきて、蓄

めた金がやっと二千だぜ。それもこのあいだ、外国旅行で使ってしまった。僕は一文なしさ。
マーシャ (夫に)まだ帰らなかったの?
メドヴェージェンコ (済まなそうに)どうしたらいいのさ? 馬を出してくれないもの!
マーシャ (さも忌々
いまいま
しそうに、小声で)あんたみたいな人、見たくもないわ!

車椅子は、室内左手の中央でとまる。ポリーナ、マーシャ、ドールン、そのそばに腰をおろす。メドヴェージェンコは悄気
しょげ
て、わきへしりぞく。

ドールン しかし、ここも変ったものですなあ! 客間が書斎になってしまった。
マーシャ トレープレフさんには、ここのほうがお仕事には都合がいいの。好きな時に庭へ出て、ものが考えられますものね。

夜番の拍子木の音。

ソーリン 妹はどこかな?
ドールン トリゴーリンを迎えに、停車場へね。もうじきお帰りでしょう。
ソーリン あんたが妹をわざわざ呼び寄せられたところをみると、わたしの病気は危ないというわけですな。(ちょっと黙って)どうも妙な話だ、病気が危ないというのに、薬一服くれないんだからね。
ドールン じゃ、何がお望みなんです? カノコ草の水薬ですか? ソーダですか! キニーネですか?
ソーリン ほらまた哲学だ。ああ、なんの因果だろう! (長椅子をあごでしゃくって)それ、わたしの寝床かね?
ポリーナ あなたのですわ、ソーリンさま。
ソーリン それは忝
かたじけ
ない。
ドールン (口ずさむ)「月は夜ぞらを渡りゆく」……
ソーリン わしはコースチャに、ひとつ小説の題材をやりたいよ。題は、こうつけるんだな――『なりたかった男』。つまり『ロンム・キ・ア・ヴーリュ』さ。若いころ、わたしは文学者になりたかった――が、なれなかった。弁舌さわやかになりたかった――が、わたしの話しぶりときたら、いやはやひどいものだった。(自嘲
じちょう
的に)「とまあいった次第で、つまりそのありまして、そのう、ええと……」といったざまでな、なんとか締めくくりをつけよう、つけようとして、大汗かいたものさ。家庭も持ちたかった――が、持てなかった。いつも都会で暮したかった――が、それこうして、田舎
いなか
で生涯を終ろうとしている、とまあいった次第でな。
ドールン 四等官になりたかった――それは、なれた。
ソーリン (笑う)それは別に望んだわけじゃないが、ひとりでにそうなった。
ドールン 六十二にもなって人生に文句をつけるなんて、失礼ながら、――褒

めた話じゃないですよ。
ソーリン なんという、わからず屋だ。生きたいと言っているのに!
ドールン それが浅はかというものです。自然律によって、一切の生は終りなからざるべからずですからね。
ソーリン それ、それが、腹いっぱい食った人の理屈さ。君はおなかがくちいものだから、人生に冷淡で、どうなろうと平気なんだ。だが、いざ死ぬときにゃ、君だって怖
こわ
くなろうさ。
ドールン 死の恐怖は――動物的恐怖ですよ。……それを抑
おさ
えなければね。死を意識的に怖
おそ
れるのは、永遠の生命を信じる人だけです。自分の罪ぶかさが怖くなるのです。ところがあなたは、まず第一に、不信心者ですね。第二に――どんな罪がおありですかな? あなたは二十五年、司法省に勤続された――だけのことでね。
ソーリン (笑う)二十八年……

トレープレフ登場して、ソーリンの足もとの小さな腰掛にかける。マーシャは終始彼から眼をはなさない。

ドールン われわれがこうしていちゃ、トレープレフ君の仕事の邪魔ですな。
トレープレフ いや、かまいません。

間。

メドヴェージェンコ ちょっとお尋ねしますが、ドクトル、外国の町のうち、どこが一等お気に入りました?
ドールン ジェノアですね。
トレープレフ なぜジェノアなんです?
ドールン あすこの街を歩いている群衆がすてきなんです。夕方、ホテルを出てみると、街いっぱい人波で埋まっている。その群衆にまじりこんで、なんとなくあちらこちらとふらついて、彼らと生活を共にし、彼らと心理的に融

け合ううちに、まさしく世界に遍在する一つの霊魂といったものが、あり得ると信じるようになってきますね。つまりほら、いつか君の芝居でニーナさんが演じたあれみたいなね。ところで、ニーナさんは今どこでしょうね? どこに、どうしているでしょうね?
トレープレフ たぶん健在でしょう。
ドールン 僕の聞いたところでは、あの人は何か曰
いわ
くのある生活をしたそうだが、どういうことなのかな?
トレープレフ それは、ドクトル、長い話ですよ。
ドールン それを君、てみじかにさ。(間)
トレープレフ あの人は家出をして、トリゴーリンといっしょになりました。これはご存じですね?
ドールン 知っています。
トレープレフ 赤んぼができる。その子が死ぬ。トリゴーリンはあの人に飽きて、もとのキズナへ帰ってゆく――とまあ、当然の経路をたどったわけです。もっとも、あの男はこれまでも、ついぞ元の女を棄

てた例
ため
しはないんで、ただ持ち前のぐらぐらな性格から、そこここでちょいと引っかけるだけでね。僕の耳にはいったところから判断すると、ニーナの私生活は全然失敗でしたよ。
ドールン 舞台のほうは?
トレープレフ どうやら、もっとひどいらしい。モスクワ郊外の別荘地の小屋で初舞台をふんで、それから地方へ回りました。そのころ僕は、いつもあの人から目を放さないでいて、しばらくは行く先々へついて回ったものです。大きな役ばかり引受けていましたが、演技はがさつで、味もそっけもなく、やたらに吼

え立てる、大仰
おおぎょう
な見得を切る、といった調子でした。時たま、なかなか巧
うま
い悲鳴をあげたり、上手な死に方を見せたりしましたが、それも瞬間だけのことでね。
ドールン すると、とにかく才能はあるんだな?
トレープレフ そこはよくわかりませんでした。まあ、あるんでしょう。こっちじゃ顔を見てるんですが、向うでは僕に会いたがらず、宿へ訪ねてゆくと女中が通してくれないんです。あの人の気持はわかるので、僕もむりに会おうとはしませんでした。(間)さてと、まだ何を話したらいいのかな? やがて僕がうちへ帰ってから、手紙が何通か来ましたっけ。聡明
そうめい
な、あたたかい、なかなかいい手紙でした。べつに愚痴
ぐち
をこぼしてはないのですが、これは並大抵の不仕合せじゃないなと感じられるほど、一行一行、病的な神経が張りつめていました。頭の向きようも、ちょっと変なんです。何しろ署名が、「かもめ」というのですからね。『ルサールカ』(訳注 『水の精』――プーシキンの物語詩。ダルゴムージスキイのオペラがある)の水車屋のおやじは、自分は大鴉
おおがらす
だと言い言いしますが、あの人の手紙にも、自分は「かもめ」だと、のべつに書いてある。今あの人は、ここに来てますよ。
ドールン 来てるって、そりゃまたどうして?
トレープレフ 町のね、はたご屋にいるんです。もう五日ほど、そこに泊ってる。僕も行ってみようと思ったんですが、このマーシャさんが訪ねてみたら、いっさい誰にも会わないということでした。メドヴェージェンコ君の話では、きのう夕方ちかく、ここから二キロほどの原っぱで、あの人に出あったそうです。
メドヴェージェンコ ええ、出あいました。あっち、つまり町のほうへ、歩いて行くところでした。僕が挨拶
あいさつ
して、なぜ遊びに来ないのですと聞くと、そのうち行きますという返事でした。
トレープレフ 来るもんか。(間)親父
おやじ
さんも、まま母も、てんから知らん顔で通しています。それどころか、方々に見張りをおいて、一歩も屋敷へ近づけない算段なんです。(ドクトルといっしょに、デスクのほうへ歩を移す)ねえドクトル、紙の上で哲学者になるのは易
やさ
しいが、実際となるとじつに難
むずか
しいですね!
ソーリン チャーミングな娘だったがな。
ドールン え、なんです?
ソーリン チャーミングな子だった、と言うのさ。四等官ソーリン閣下までが、ひところあの子に惚

れていたものな。
ドールン 老いたる女たらし
ロヴレス
(訳注 リチャードソンの小説『クラリッサ・ハーロウ』の人物の名から)か。

シャムラーエフの笑い声が聞える。

ポリーナ 皆さん停車場からお帰りのようですよ……
トレープレフ そう、ママの声もする。

アルカージナ、トリゴーリン、つづいてシャムラーエフ登場。

シャムラーエフ (はいりながら)われわれはみな、自然の暴威のもとに老いさらばえていきますが、奥さんは相変らず、じつにお若いですなあ。……薄色の〔短〕上衣
うわぎ
を召して、颯爽
さっそう
としてらっしゃる。……典雅ですなあ……
アルカージナ ほらまた褒め立てて、鬼に妬

かせようとなさる、相変らずねえ!
トリゴーリン (ソーリンに)ご機嫌よう、ソーリンさん! また何かご病気ですか? いけませんなあ! (マーシャを見て、嬉
うれ
しそうに)やあ、マーシャさん!
マーシャ おわかりになって? (彼の手を握る)
トリゴーリン 結婚しましたか?
マーシャ もうとっくに。
トリゴーリン 幸福ですか? (ドールンやメドヴェージェンコと会釈
えしゃく
をかわしたのち、ためらいがちにトレープレフのほうへ歩み寄る)アルカージナさんのお話だと、あなたはもう昔のことは水に流して、ご立腹もとけたそうですが。

トレープレフ、彼に手をさし出す。

アルカージナ (息子に)ほら、トリゴーリンさんは、お前の新作の載っている雑誌を持ってきてくだすったんだよ。
トレープレフ (雑誌を受けながら、トリゴーリンに)おそれいります、ご親切に。(腰をおろす)
トリゴーリン あんたの崇拝者たちから、宜
よろ
しくとのことです。……ペテルブルグでもモスクワでも、概してあなたに興味をもっていて、僕はしょっちゅう、あんたのことを訊

かれますよ。どんな人だの、年は幾つだの、ブリュネットかブロンドかだの、といったふうにね。みんな、どうしたわけか、あなたを年配の人のように思っている。それに誰ひとり、あんたの本名を知る者がない。なにしろあんたは、いつもペンネームで発表するものだから。あんたは、あの『鉄仮面』(訳注 ルイ十四世の代にバスチーユで獄死した謎の人物。父デュマの小説などで有名)みたいに、神秘の人ですよ。
トレープレフ ずっとご逗留
とうりゅう
ですか?
トリゴーリン いや、あすはモスクワへ発

とうと思っています。やむを得ません。中編ものを一つ急いで書きあげなければならんし、ほかにまだ、ある選集にも何かやる約束になっているので、一口で言えば――相も変らず、ですよ。

彼らが話している間に、アルカージナとポリーナは部屋の中央にカルタ机をすえ、左右の翼
よく
を上げる。シャムラーエフは蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともしたり、椅子
いす
を並べたりする。戸棚からロトー(訳注 Loto 数字あわせの遊び。一から九〇までの数字を飛び飛びに記した盤を配っておき、一人が袋または筒から賽を一つずつ取出しながらそこに刻まれた数字を言う。盤上の数字が先に埋まった人が勝ち)の箱が取出される。

トリゴーリン せっかく来たのに、わるい天気にぶつかったものだ。すさまじい風ですな。あす朝もしおさまったら、湖へ釣りに出ますよ。ついでにお庭と、そらあの場所――ね、覚えてますか――あんたの芝居をやったあすこを、検分しなければならない。モチーフは熟しているんですが、ただ現場の記憶を新たにする必要があるんで。
マーシャ (父親に)パパ、うちの人に馬を出してやってちょうだい! うちへ帰らなくちゃならないんだから。
シャムラーエフ (口まねをして)馬を……帰らなくちゃ……(厳格に)その眼で見たろう――今しがた停車場へ行って来たばかりだ。そうそうこき使うわけにはいかん。
マーシャ ほかの馬だってあるじゃないの。(父親が黙っているのを見て、片手を振る)またけんかのたねね……
メドヴェージェンコ マーシャ、ぼく歩いて帰るよ。いいからさ……
ポリーナ (ため息をついて)歩いて、こんな天気に……(カルタ机に向って腰をおろす)さ、どうぞ、皆さん。
メドヴェージェンコ たかが六キロですからね。……(妻の手にキスをする)おやすみなさい、おっ母さん。(しゅうとはキスを受けるため渋々手を出す)僕はだれにも心配はかけたくないんですが、ただ赤んぼが……(一同に頭をさげる)おやすみなさい。……(退場。さも申し訳なさそうな物腰)
シャムラーエフ なんとか帰れるさ。将軍じゃあるまいし。
ポリーナ (机をたたく)さ、いかが、皆さん。時間が無駄ですよ、ぐずぐずしてると、お夜食をしらせに来ますわ。

シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、カルタ机につく。

アルカージナ (トリゴーリンに)秋の夜ながになると、ここではロトーをして遊ぶんですよ。ほらね、ずいぶん古いロトーでしょう。なにしろわたしたちが子供だったころ、亡くなった母がいっしょに遊んでくれた道具ですものねえ。お夜食まで、いっしょに一勝負なさらない? (トリゴーリンとともに席につく)つまらない遊びだけど、馴

れるとこれで、悪くないものよ。(一同に三枚ずつ紙の盤をくばる)
トレープレフ (雑誌をめくりながら)自分の小説は読んでるくせに、僕のはページも切ってやしない。(雑誌をデスクに置き、左手のドアへ行きかける。母親のそばを通りかかって、その頭にキスする)
アルカージナ どう、お前も、コースチャ?
トレープレフ ご免なさい、なんだかしたくないんです。……ちょっと歩いてきます。(退場)
アルカージナ 賭

け金は十コペイカよ。ドクトル、わたしの分、たて替えておいてちょうだい。
ドールン 承知しました。
マーシャ みなさん、お賭けになった? じゃ始め。……二十二!
アルカージナ はい。
マーシャ 三!
ドールン はあい。
マーシャ 三をお置きになって? 八! 八十一! 十!
シャムラーエフ まあそう急ぐな。
アルカージナ わたし、ハリコフで受けた歓迎ぶりを思い出すと、今でも頭がくらくらするわ、皆さん!
マーシャ 三十四!

舞台うらで、メランコリックなワルツのひびき。

アルカージナ 大学生が、お祭さわぎをしてくれてね……花籠
はなかご
が三つ、花束が二つ、それからほら……(胸からブローチをはずして、机上に投げだす)
シャムラーエフ なるほど、こりゃ大したものだ……
マーシャ 五十!……
ドールン 五十きっかり?
アルカージナ わたしの舞台衣裳
いしょう
ときたら、豪勢なものでしたよ。……なんといっても、着付けにかけちゃ、わたしゃ負けませんからね。
ポリーナ コースチャが弾

いている。気がふさぐのね。可哀
かわい
そうに。
シャムラーエフ 新聞でひどく叩
たた
かれてるね。
マーシャ 七十七!
アルカージナ 気にしないでもいいのに。
トリゴーリン あの人はどうも運が向かない。未
いま
だに、ほんとの調子が出ないんですな。何かこう変てこで、あいまいで、時によるとウワ言みたいなところさえある。人物がさっぱり生きてない。
マーシャ 十一。
アルカージナ (ソーリンをふり返って)ペトルーシャ、あなた退屈? (間)寝てるわ。
ドールン 四等官殿はおねんねだ。
マーシャ 七! 九十!
トリゴーリン わたしがもし、こんな湖畔の屋敷に住んだとしたら、とても物を書く気にはなりますまいな。そんな欲望はうっちゃりにして、魚ばかり釣ってるでしょうよ。
マーシャ 二十八!
トリゴーリン ボラやマスを釣りあげるのは――なんとも言えんいい気持だ!
ドールン しかし僕は、トレープレフ君を信じていますよ。何かがある! 何かがね! あの人はイメージでもって思索する。だから小説が絵画的で、鮮明で、僕は強烈な感じを受けますね。ただ惜しむらくは、あの人には、はっきりきまった問題がない。印象を生みはするが、それ以上に出ない。なにせ印象だけじゃ、大したことにはなりませんからね。アルカージナさん、作家の息子さんを持って、嬉しいでしょうな?
アルカージナ それがね、あなた、まだ読んだことがないの。ひまがなくてね。
マーシャ 二十六!

トレープレフ静かに登場。自分のデスクへ行く。

シャムラーエフ (トリゴーリンに)そうそう、トリゴーリンさん、あなたの物が残っていましたっけ。
トリゴーリン はてな?
シャムラーエフ いつぞやトレープレフさんが射落した鴎
かもめ
ね。あれを剥製
はくせい
にしてくれって、ご注文でしたが。
トリゴーリン 覚えがない。(しきりに考えながら)覚えがないなあ!
マーシャ 六十六! 一!
トレープレフ (窓をパッとあけて、耳をすます)なんて暗いんだ! なぜこう胸さわぎがするのか、どうもわからん。
アルカージナ コースチャ、窓をおしめ、吹きこむじゃないの。

トレープレフ、窓をしめる。

マーシャ 八十八!
トリゴーリン はい、揃
そろ
いました。
アルカージナ (うきうきして)うまい、うまい!
シャムラーエフ ブラボー!
アルカージナ この人はね、いつどこへ行っても運がいいのよ。(立ちあがる)じゃあちらで、何かちょっと頂きましょう。うちの有名な先生は、今日は夕飯ぬきでしたからね。お夜食のあとで、またやりましょう。(息子に)コースチャ、原稿はやめて、食堂へ行きましょう。
トレープレフ 欲しくないよ、ママ、おなかがいっぱいだから。
アルカージナ ご勝手に。(ソーリンをおこす)ペトルーシャ、お夜食ですよ! (シャムラーエフと腕を組む)話してあげるわね、ハリコフでどんなに歓迎されたか……

ポリーナ、カルタ机の上の蝋燭を消してから、ドールンといっしょに椅子を押して行く。一同左手のドアから退場。舞台には、デスクに向ったトレープレフだけ残る。

トレープレフ (書きつづけようとして、今まで書いたところに目を走らせる)おれは口ぐせみたいに、新形式、新形式と言ってきたが、今じゃそろそろ自分が、古い型へ落ちこんでゆくような気がする。(読む)「塀
へい
のポスターに曰
いわ
く……。蒼白
あおじろ
い顔が、黒い髪の毛にふちどられて……」曰く、ふちどられて……。ふん、なっちゃいない。(消す)いっそ主人公が、雨の音で目をさますところから始めて、あとはみんな切っちまおう。月夜の描写が長たらしく、凝りすぎている。トリゴーリンは、ちゃんと手がきまっているから、楽なもんだ。……あいつなら、土手の上に割れた瓶
びん
のくびがきらきらして、水車の影が黒く落ちている――それでもう月夜ができあがってしまう。ところがおれは、ふるえがちの光だとか、静かな星のまたたきだとか、しんとした匂
にお
やかな空気のなかに消えてゆくピアノの遠音だとか……いや、こいつは堪
たま
らん。(間)そう、おれはだんだんわかりかけてきたが、問題は形式が古いの新しいのということじゃなくて、形式なんか念頭におかずに人間が書く、それなんだ。魂のなかから自由に流れ出すからこそ書く、ということなんだ。(デスクに最寄
もよ
りの窓を、誰かが叩
たた
く)なんだろう? (窓を覗
のぞ
く)なんにも見えない。……(ガラス戸をあけて、庭を見る)誰か石段を駆けおりたな。(呼びかける)誰だ、そこにいるのは? (出てゆく。彼がテラスを足早に歩く音がする。半分間ほどして、ニーナを連れもどってくる)ニーナ! ニーナ!

ニーナは頭を彼の胸におし当て、忍び音にむせび泣く。

トレープレフ (感動して)ニーナ! ニーナ! 君か……君だったのか……。僕は虫が知らしたのか、朝からずっと、胸がきりきりしてならなかった。(彼女の帽子と長外套
がいとう
をとってやる)ああ、僕の可愛
かわい
い、大事なひとが帰ってきた! 泣くのはよそう、泣くのは。
ニーナ 誰かいるわ。
トレープレフ 誰もいやしない。
ニーナ ドアの錠をおろして。はいってくると困るわ。
トレープレフ 誰も来やしない。
ニーナ 知ってるわ、アルカージナさんが来てること。だから閉めて……
トレープレフ (右手のドアの鍵
かぎ
をかけ、左手のドアに歩み寄る)ここには錠前がない。椅子
いす
でふさいでおこう。(ドアの前に肘
ひじ
かけ椅子を据える)さ、もう心配しないで、誰も来ないから。
ニーナ (彼の顔をじっと見つめる)ちょっと、お顔を見させて。(あたりを見回して)暖かくて、いい気持。……あのころ、ここは客間だったのね。わたし、ひどく変ったかしら?
トレープレフ そう……だいぶ痩

せて、眼が大きくなったな。ニーナ、こうして君を見ていると、なんだか不思議な気がする。どうしてあんなに、僕を寄せつけなかったの? どうして今まで来なかったの? 僕は知ってますよ、君がもう一週間ちかく、この土地にいることは。……僕は毎日、なんべんも君の宿まで行っては、君の窓の下に立っていた。乞食
こじき
みたいにね。
ニーナ あなたがさぞ、わたしを憎んでらっしゃるだろうと、それが怖
こわ
かったの。毎晩おなじ夢を見るのよ――それは、あなたがわたしを見ているくせに、わたしとは気がつかないの。この気持、知ってくだすったらねえ! ここへ着いたその日から、わたしはあすこ……湖のへんを歩いていたの。お宅の近くにもたびたび来たけれど、はいる勇気がなかったわ。さ、坐
すわ
りましょう。(ふたり腰をおろす)坐って、思いっきり話しましょう。ここはいいわ、ぽかぽかして、居心地がよくって……。あの音は……風ね? ツルゲーネフに、こういうところがあるわ、――「こんな晩に、うちの屋根の下にいる人は仕合せだ、暖かい片隅
かたすみ
を持つ人は」わたしは、かもめ。……いいえ、それじゃない。(額をこする)何を言ってたんだっけ? そう……ツルゲーネフね……「主
しゅ
よ、ねがわくは、すべての寄辺
よるべ
なき漂泊
さすらい
びとを助けたまえ」……いいの、なんでもないの。(むせび泣く)
トレープレフ ニーナ、君はまた……ニーナ!
ニーナ いいの、これで楽になるわ。……わたし、もう二年も泣かなかった。ゆうべおそく、こっそりお庭へはいって、あのわたしたちの劇場が無事かどうか、見に行きました。あれは、まだ立っていますわね。それを見たとき、二年ぶりで初めて泣いたの。すると胸が軽くなって、心の霧が晴れました。ほらね、わたしもう泣いていないわ。(彼の手をとる)で、こうして、あなたはもう作家なのね。……あなたは作家、わたしは――女優。お互いに、渦巻
うずまき
のなかへ巻きこまれてしまったのね。……あのころのわたしは、子供みたいにはしゃいで暮していたわ――あさ目がさめると、歌をうたいだす。あなたを恋してたり、名声を夢みたり。それが今じゃどう? あしたは朝早く、三等に乗ってエレーツへ行くのよ……お百姓さんたちと合乗りでね。そしてエレーツじゃ、教育のある商人連中が、ちやほや付きまとってくれるでしょうよ。むごいものだわ、生活って。
トレープレフ なんだってエレーツへなんか?
ニーナ この一冬、契約をしたの。もう帰らなければ。
トレープレフ ニーナ、僕は君を呪
のろ
いもし憎みもして、君の手紙や写真を破いてしまった。それでいて、僕の心は永久に君と結びついていると、毎分毎秒、意識していました。あなたへの恋が冷

めるなんて、僕にはできないことだ、ニーナ。あなたというものを失い、作品がぼつぼつ雑誌に載りだしてからこっち、人生は僕にとって堪えがたいものになった――受難の道になった。……自分の若さが急につみとられて、僕はこの世にもう九十年も生きてきたような気がします。僕はあなたの名を呼んだり、あなたの歩いた地面に接吻
せっぷん
したりしている。どこを向いても、きっとあなたの顔が見えるんだ。ぼくの生涯の一ばん楽しかった時代を照らしてくれた、あの優しい微笑がね。……
ニーナ (当惑して)なぜあんなことを言いだすのかしら。なぜあんなことを?
トレープレフ 僕はひとりぽっちだ。暖めてくれる誰の愛情もなく、まるで穴倉のなかのように寒いんです。だから何を書いても、みんなカサカサで、コチコチで、陰気くさい。ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!

ニーナは手早く帽子と長外套を着ける。

トレープレフ どうして君は、ええニーナ? 後生だ、ニーナ……(彼女が身じたくするのを眺める。間)
ニーナ 馬車が裏木戸のところに待たせてあるの。送ってこないで、わたし一人で行けるから……(涙声で)水をちょうだいな……
トレープレフ (コップの水を与える)今からどこへ行くの?
ニーナ 町へ。(間)アルカージナさん、来てらっしゃるの?
トレープレフ そう。……この木曜、伯父さんの工合が変だったので、僕たちが電報で呼び寄せたんです。
ニーナ わたしの歩いた地面に接吻したなんて、なぜあんなことをおっしゃるの? わたしなんか、殺されても文句はないのに。(テーブルにかがみこむ)すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息! (首をあげて)わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ! (アルカージナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて、じっと耳をすまし、それから左手のドアへ走り寄って、鍵穴からのぞく)あの人も来ている……(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。……かまやしない。……そうよ。あの人は芝居というものを信用しないで、いつもわたしの夢を嘲笑
ちょうしょう
してばかりいた。それでわたしも、だんだん信念が失

せて、気落ちがしてしまったの。……そのうえ、恋の苦労だの、嫉妬
しっと
だの、赤ちゃんのことでしょっちゅうびくびくしたりで……わたしはこせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな演技をしていたの。両手のもて扱い方も知らず、舞台で立っていることもできず、声も思うようにならなかった。ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ。わたしは――かもめ。いいえ、そうじゃない……。おぼえてらして、あなたは鴎
かもめ
を射落
うちおと
したわね? ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、破滅させてしまった。……ちょっとした短編の題材……。これでもないわ。……(額をこする)何を話してたんだっけ?……そう、舞台のことだったわ。今じゃもうわたし、そんなふうじゃないの。……わたしはもう本物の女優なの。……わたしは楽しく、喜び勇んで役を演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き回って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。わたしは信じているから、そう辛
つら
いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。
トレープレフ (悲しそうに)君は自分の道を発見して、ちゃんと行く先を知っている。だが僕は相変らず、妄想
もうそう
と幻影の混沌
こんとん
のなかをふらついて、一体それが誰に、なんのために必要なのかわからずにいる。僕は信念がもてず、何が自分の使命かということも、知らずにいるのだ。
ニーナ (きき耳を立てて)シッ。……わたし行くわ。ご機嫌よう。わたしが大女優になったら、見にいらしてちょうだいね。約束してくださる? では今日は……(彼の手を握る)もう夜がふけたわ。わたしやっとこさで、立っているのよ。精も根も尽きてしまった、何か食べたいわ……
トレープレフ ゆっくりして行って、夜食ぐらい出すから……
ニーナ いいえ、駄目……。送ってこないでね、ひとりで行けるから。……馬車はついそこなんですもの。……じゃ、アルカージナさんはあの人を連れていらしたのね? なあに、どうせ同じことだわ。……トリゴーリンに会っても、なんにも言わないでね。……わたし、あの人が好き。前よりももっと愛しているくらい。……ちょっとした短編の題材か。……好きだわ、愛してるわ、やるせないほど愛してるわ。もとはよかったわねえ、コースチャ! なんという晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活だったでしょう。なんという感情だったでしょう――優しい、すっきりした花のような感情。……おぼえてらっしゃる?……(暗誦
あんしょう
する)「人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音ずれもない」……(発作的にトレープレフを抱いて、ガラス戸から走り出る)
トレープレフ (間をおいて)まずいな、誰かが庭でぶつかって、あとでママに言いつけると。ママは辛いだろうからな。……

二分間ほど、無言のまま原稿を全部やぶいて、デスクの下へほうりこむ。それから右手のドアをあけて退場。

ドールン (左手のドアを、うんうん押しあけながら)おかしいぞ。錠がおりてるのかな……(はいって、肘かけ椅子を元の場所におく)障碍物
しょうがいぶつ
競走だ。

アルカージナ、ポリーナ、つづいてヤーコフは酒瓶
さかびん
(訳注 複数)をもち、それにマーシャ、あとからシャムラーエフ、トリゴーリン、それぞれ登場。

アルカージナ 赤ブドウと、トリゴーリンさんのあがるビールは、このテーブルに置いてちょうだいな。ロトーをしながら飲むんだからね。さ、坐りましょう、皆さん。
ポリーナ (ヤーコフに)すぐお茶を出しておくれ。(蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともし、カルタ机に着席する)
シャムラーエフ (トリゴーリンを戸棚のほうへひっぱって行く)そらこれが、さっきお話しした品ですよ……(戸棚から鴎の剥製
はくせい
をとり出す)あなたのご注文で。
トリゴーリン (鴎を眺めながら)覚えがない! (小首をかしげて)覚えがないなあ!

右手の舞台うらで銃声。一同どきりとなる。

アルカージナ (おびえて)なんだろう?
ドールン なあに、なんでもない。きっと僕の薬カバンのなかで何か破裂したんでしょう。心配ありません。(右手のドアから退場して、半分間ほどで戻ってくる)やっぱりそうでした。エーテルの壜
びん
が破裂したんです。(口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」……
アルカージナ (テーブルに向ってかけながら)ふっ、びっくりした。あの時のことを、つい思い出して……(両手で顔をおおう)眼のなかが、暗くなっちゃった……
ドールン (雑誌をめくりながら、トリゴーリンに)これに二カ月ほど前、ある記事が載りましてね……アメリカ通信なんですが、ちょっとあなたに伺いたいと思っていたのは、なかでもその……(トリゴーリンの胴に手をかけ、フットライトのほうへ連れてくる)……なにしろ僕は、その問題にすこぶる興味があるもので……(調子を低めて、小声で)どこかへアルカージナさんを連れて行ってください。じつは、トレープレフ君が、ピストル自殺をしたんです。……
――幕――

底本:「かもめ・ワーニャ伯父さん」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年9月25日発行
   2004(平成16)年11月25日46刷改版
※楽譜は「世界文学大系46 チェーホフ」筑摩書房、1958(昭和33)年12月5日からとりました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51860_41507.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c26

[近代史4] チェーホフの世界 中川隆
3. 中川隆[-13495] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:05:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1409]

かもめ ЧАЙКА
――喜劇 四幕――
アントン・チェーホフ Anton Chekhov
神西清訳


人物
アルカージナ(イリーナ・ニコラーエヴナ) とつぎ先の姓はトレープレヴァ、女優
トレープレフ(コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ) その息子、青年
ソーリン(ピョートル・ニコラーエヴィチ) アルカージナの兄
ニーナ(ミハイロヴナ・ザレーチナヤ) 若い処女、裕福な地主の娘
シャムラーエフ(イリヤー・アファナーシエヴィチ) 退職中尉
ちゅうい
、ソーリン家の支配人
ポリーナ(アンドレーエヴナ) その妻
マーシャ その娘
トリゴーリン(ボリース・アレクセーエヴィチ) 文士
ドールン(エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ) 医師
メドヴェージェンコ(セミョーン・セミョーノヴィチ) 教員
ヤーコフ 下男
料理人
小間使

ソーリン家の田舎屋敷でのこと。――三幕と四幕のあいだに二年間が経過
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第一幕

ソーリン家の領地内の廃園の一部。広い並木道が、観客席から庭の奥のほうへ走って、湖に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて、湖はまったく見えない。仮舞台の左右に灌木
かんぼく
の茂み。椅子
いす
が数脚、小テーブルが一つ。

日がいま沈んだばかり。幕のおりている仮舞台の上には、ヤーコフほか下男たちがいて、咳
せき
ばらいや槌
つち
音が聞える。散歩がえりのマーシャとメドヴェージェンコ、左手から登場。

メドヴェージェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェージェンコ なぜです? (考えこんで)わからんですなあ。……あなたは健康だし、お父さんにしたって金持じゃないまでも、暮しに不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛
つら
いですよ。月に二十三ルーブリしか貰
もら
ってないのに、そのなかから、退職積立金を天引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふたり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェージェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟――それで月給がただの二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台のほうを振向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェージェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレープレフ君の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。ところが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想
おも
っています。恋しさに家
うち
にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたのそっけない顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいときてますからね。食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なんかするものか?
マーシャ つまらないことを。(かぎタバコをかぐ)お気持はありがたいと思うけれど、それにお応
こた
えできないの。それだけのことよ。(タバコ入れを差出して)いかが?
メドヴェージェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩
おそ
くなって、ごろごろザーッときそうね。あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなのね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、あたしなんか、ボロを着て乞食
こじき
ぐらしをしたほうが、どんなに気楽だか知れやしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……

右手から、ソーリンとトレープレフ登場。

ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎
いなか
が苦手でな、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染
なじ
めまいよ。ゆうべは十時に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寝すぎたもんで、脳みそが頭蓋骨
ずがいこつ
に、べったりくっついたような気がした――とまあいった次第でな(笑う)。ところが昼めしのあとで、ついまた寝こんじまって、今じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃもちろん、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシャとメドヴェージェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今ここにいられちゃ困るな。暫時
ざんじ
ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いてやるように、ひとつパパにお願いしてみてはくださらんか。やけに吠

えるでなあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寝られなかった。
マーシャ ご自分で父におっしゃってくださいまし、あたしはご免こうむります。あしからず。(メドヴェージェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェージェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせによこしてください。

ふたり退場。

ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わたしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例
ため
しがない。前にゃよく、二十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら――とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着いたその日から、逃げ出したくなったよ(笑う)。引揚げる時にゃ、やれやれと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退

いてしまって、ほかに居場所がない――早い話がね。いやでも、ここに釘
くぎ
づけだ……
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那
わかだんな
、〔わっしら〕ちょいと一浴びしてきます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持ち場にいてくれよ。(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カーテン、袖
そで
が一つ、袖がもう一つ――その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっかり八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ飛んじまう。もうくる時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見張りがきびしいもんで、家
うち
を抜け出すのは、牢
ろう
破りも同様、むずかしいんですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯
ひげ
ももじゃもじゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは若い時分から、飲んだくれそっくりの風采
ふうさい
――とまあいった次第でな。ついぞ女にもてた例
ため
しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、おかんむりなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋
さび
しいんですよ。(ならんで腰をおろしながら)妬

けるんでさ。おっ母

さんはてんからもう、この僕にも、今日の芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演

るのが自分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、眼の敵
かたき
にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を回さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采
かっさい
を浴びるのが、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪
しゃく
のたねなんですよ。(時計を見て)ちょいと心理的な変り種でね――おっ母さんは。そりゃ才能もある、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラーソフの詩だって、即座に残らず暗誦
あんしょう
できるし、病人の世話をさせたら――エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノラ・ドゥーゼでも褒

めてごらんなさい。事ですぜ! 褒めるなら、あのひとのことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿姫
つばきひめ
』だの『人生の毒気』(訳注 ロシア十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの戯曲)だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激したりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。そこで、淋しいもんだから苛々
いらいら
する。われわれがみんな悪者で、親のカタキだということになる。おまけに、あの人は御幣
ごへい
かつぎで、三本蝋燭
ろうそく
(訳注 死人のほとりを照らす習慣)をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。しかも、けちんぼときている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは――僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもんなら、めそめそ泣きだす始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ――とまあいった次第だがな。案じることはないさ――おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き――嫌
きら
い、好き――嫌い、好き――嫌い。(笑う)そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭
いや
でも、自分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいられるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なんですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優たちが、人間の食ったり飲んだり、惚

れたり歩いたり、背広を着たりする有様を、演じてみせる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ちっぽけな、手っとり早い、ご家庭にあって調法――といった代物
しろもの
ばかりさ。そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの繰返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出すんです。エッフェル塔の俗悪さがやりきれなくなって、命からがら逃げ出したモーパッサン(訳注 その小説『さすらい』参照)みたいにね。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新しい形式が必要なんですよ。新形式がいるんで、もしそれがないんなら、いっそ何にもないほうがいい。(時計を見る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活は、なんぼなんでも酷
ひど
すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべたしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口ですよ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むらむらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なのが、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情けない、ばかげた境遇があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずらり顔をならべたもんです――役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だけが、名も何もない雑魚
ざこ
なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人の息子
むすこ
だからというだけのことに過ぎん。僕は一体誰だ? どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告によくある、例の「さる外部事情のため」(訳注 当時の雑誌などが、思想の弾圧のため発禁になった時に使う慣用句)って奴
やつ
でさ。しかも、これっぱかりの才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ――キーエフの町人と書いてある。なるほどうちの親父
おやじ
は、有名な役者じゃあったが、元をただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼
まなこ
を僕にそそいでくれるごとに、僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたいな気がした、――向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんですよ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全体何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メランコリックな男ですよ。なかなかりっぱな人物でさ。まだ四十には間

があるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめのご身分だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかなあ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこれでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になることなんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ (耳をすます)足音が聞える。……(伯父を抱いて)僕は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までがすばらしい。……僕は、めちゃめちゃに幸福だ! (足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、可愛
かわい
い魔女が来た、僕の夢が……
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れやしないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してはくれまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母
はは
といっしょに出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉
うれ
しいわ。(ソーリンの手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目
めめ
を、泣きはらしてござる。……ほらほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんでるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んでこなくちゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあいった次第でな。はいはい、ただ今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふたりづれ」(訳注 ハイネの『ふたりの擲弾兵』より)……(振返って)いつぞや、まあこういった具合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、こう言いおった――「いや閣下、なかなか大した喉
のど
ですな」……そこで先生、ちょいと考えて、こう付け足したよ――「しかし……厭
いや
なお声で」(笑って退場)

ニーナ 父も継母
はは
も、あたしがここへくるのは反対なの。ここは、ボヘミアンの巣窟
そうくつ
だって……あたしが女優にでもなりゃしまいかと、心配なのね。でもあたしは、ここの湖に惹

きつけられるの、かもめみたいにね。……胸のなかは、あなたのことでいっぱい。(あたりを見回す)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻
せっぷん

ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ にれの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急いで帰らないでください、後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜どおし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、番人にみつかるわ。それにトレゾール
うちのいぬ
は、まだお馴染
なじみ
じゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)誰だ? ヤーコフ、お前か?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ みんな持ち場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄
いおう
もあるね? 紅い目玉が出たら、硫黄の臭
にお
いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、支度はすっかりできています。……興奮
あが
ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは――平気ですわ、こわくなんかない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をするのは、あたしこわいの、恥ずかしいの。……有名な作家ですもの。……若いかた?
トレープレフ ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演

りにくいわ。生きた人間がいないんだもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少なくて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……(ふたり、仮舞台のかげへ去る)

ポリーナとドールン登場。

ポリーナ しめっぽくなってきたわ。引返して、オーバーシューズをはいてらしたら?
ドールン 僕は暑いんです。
ポリーナ それが、医者の不養生よ。頑固
がんこ
というものよ。職掌がら、しめっぽい空気がご自分に毒なことぐらい、百も承知でいらっしゃるくせに、まだ私をやきもきさせたいのねえ。ゆうべだって、わざと一晩じゅう、テラスに出てらしたり……
ドールン (口ずさむ)「言うなかれ、君、青春を失いしと」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)
ポリーナ あなたは、アルカージナさんと話に身が入りすぎて……つい寒いのも忘れてらしたのね。白状なさい、あのひと、お好きなのね……
ドールン 僕は五十五ですよ。
ポリーナ そんなこと――男の場合、年寄りのうちに、はいらないわ。まだそのとおりの男前なんだから、結構おんなに持てますわ。
ドールン そこで、どうしろとおっしゃる?
ポリーナ 相手が女優さんだと、いつだって平蜘蛛
ぐも
みたい。いつだってね!
ドールン (口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)……よしんば世間が、役者をひいきにして、商人なんかと別扱いにするとしても、まあ理の当然ですな。それが――理想主義というもので。
ポリーナ 女のひとが、いつもあなたに惚れこんで、首っ玉にぶらさがってきた。これもその、理想主義ですの?
ドールン (肩をすくめて)へえね? 婦人がたは、結構僕を尊重してくれましたよ。それも主として、腕のいい医者としてでしたな。十年、十五年まえには、ご承知のとおりこの僕も、郡内でたった一人の、産科医らしい産科医でしたからね。それに僕は、実直な男だったし。
ポリーナ (男の手をとらえる)ねえ、あなた!
ドールン シッ、ひとが来ます。

アルカージナがソーリンと腕を組んで、つづいてトリゴーリン、シャムラーエフ、メドヴェージェンコ、マーシャが登場。

シャムラーエフ 〔一八〕七三年のポルタヴァの定期市
いち
で、あの女優はすばらしい芸を見せましたっけ。ただ驚嘆の一語に尽きます! 名人芸でしたな! それから、これも次手
ついで
に伺いたいですが、喜劇役者のチャージン――あのパーヴェル・セミョーヌィチですが、あれは今どこにいますかな? ラスプリューエフ(訳注 スホーヴォ・コブイリンの喜劇『クレチンスキイの結婚』中の人物)を演

らせたら天下無類でね、サドーフスキイ(訳注 モスクワ小劇場の名優、一八七二年死)より上でしたな。いやまったくですよ、奥さん。あわれ彼、今いずくにか在る?
アルカージナ あなたはいつも、大昔の人のことばかりお訊

きになるのね。わたしが知るもんですか! (腰をおろす)
シャムラーエフ (ふーっとため息をして)パーシカ・チャージン! 今じゃあんな役者はいない。舞台の下落ですな、アルカージナさん! 昔は亭々
ていてい
たる大木ぞろいだったものだが、今はもう切株ばかしでね。
ドールン いかにも、光輝さんぜんたる名優は少なくなった。だがその代り、中どころの役者は、ずっとよくなったです。
シャムラーエフ お説には賛成しかねますな。もっとも、これは趣味の問題で。De gustibus aut bene, aut nihil
みるひとのこころごころに
ですて。(訳注 この引用句は、ラテンのことわざを二つ、つきまぜたおかしみがある)

トレープレフ、仮舞台のかげから登場。

アルカージナ (息子に)ねえ、うちの坊っちゃん、一体いつ幕があくの?
トレープレフ もうすぐです。ざんじご猶予
ゆうよ

アルカージナ (『ハムレット』のセリフで)おお、ハムレット、もう何も言うてたもるな! そなたの語
ことば
で初めて見たこの魂のむさくろしさ。何
なん
ぼうしても落ちぬ程
ほど
に、黒々と沁込
しみこ
んだ心の穢
けが
れ! (訳注 第三幕第四場逍遥の訳による)
トレープレフ (『ハムレット』のセリフで)いや、膏
あぶら
ぎった汗臭い臥床
ふしど
に寝
まろ
びたり、豕
いのこ
同然の彼奴
あいつ
と睦言
むつごと
……(訳注 おなじく。ただしこのくだり、チェーホフはかなり上品に言い直されたロシア訳を踏襲している。いま訳者は、シェイクスピアの原意に近い逍遥訳を採った)

仮舞台のかげで角笛の音。

トレープレフ さあ皆さん、始まります。静粛にねがいます。(間)では、まず私から。(細身の杖
つえ
を突き鳴らし、大声で)おお、なんじら、年ふりし由緒
ゆいしょ
ある影たちよ。夜ともなれば、この湖の上をさまよう影たちよ。わたしたちを寝入らせてくれ。そして、二十万年のちの有様を、夢に見させてくれ!
ソーリン 二十万年したら、なんにもないさ。
トレープレフ だから、そのないところを見させるんですよ。
アルカージナ どうともご随意に。わたしたちは寝るから。

幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐
すわ
っている。

ニーナ 人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚
さかな
も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音

ずれもない。寒い、寒い、寒い。うつろだ、うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶

け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂――それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル大王の魂もある。シーザーのも、シェイクスピアのも、ナポレオンのも、最後に生き残った蛭
ひる
のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、人間の意識が、動物の本能と溶け合っている。で、わたしは、何もかも、残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新しく生き直している。

鬼火があらわれる。

アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。そしてわたしの声は、この空虚
うつろ
のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ前、沼の毒気から生れたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなしに、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。だからお前は、絶えず流転
るてん
をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこまれた囚
とら
われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知らない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手の、たゆまぬ激しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統

べる一つの意志の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、永い永い歳
とし
つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この地球も、すべて塵
ちり
と化したあとのことだ。……その時がくるまでは、怖
おそ
ろしいことばかりだ。……(間。湖の奥に、紅
あか
い点が二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭
にお
いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほど、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶりなさい、風邪
かぜ
を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら! (とんと足ぶみして)幕だ! (幕おりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘れていたもんで。僕はひとの畠
はたけ
を荒したんだ! 僕が……いや、僕なんか……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)
アルカージナ どうしたんだろう、あの子は?
ソーリン なあ、おっ母さん、こりゃいけないよ。若い者の自尊心は、大事にしてやらなけりゃ。
アルカージナ わたし、あの子に何を言ったかしら?
ソーリン だって、恥をかかしたじゃないか。
アルカージナ あの子は、これはほんの茶番劇でと、自分で前触れしていましたよ。だからこっちも、茶番のつもりでいたんだけれど。
ソーリン まあさ、それにしたって……
アルカージナ ところが、いざ蓋
ふた
をあけてみたら、大層な力作だったわけなのね! やれやれ! あの子が、今夜の芝居を仕組んで、硫黄の臭いをぷんぷんさせたのも、茶番どころか、一大デモンストレーションだった。……あの子はわたしたちに、戯曲の作り方や演

り方を、教えてくれる気だったんだわ。早い話が、ま、うんざりしますよ。何かといえば、一々わたしに突っかかったり、当てこすったり、そりゃまああの子の勝手だけれど、これじゃ誰にしたってオクビが出るでしょうよ! わがままな、自惚
うぬぼ
れの強い子だこと。
ソーリン あの子は、お前のつれづれを慰めようと思ったんだよ。
アルカージナ おや、そう? そんなら、何か当り前の芝居を出せばいいのに、なぜ選

りに選って、あんなデカダンのタワ言を聴

かせようとしたんだろう。茶番のつもりなら、タワ言でもなんでも聴いてやりましょうけれど、あれじゃ野心満々、――芸術に新形式をもたらそうとか、一新紀元を画そうとか、大した意気ごみじゃありませんか。わたしに言わせれば、あんなもの、新形式でもなんでもありゃしない。ただ根性まがりなだけですよ。
トリゴーリン 人間誰しも、書きたいことを、書けるように書く。
アルカージナ そんなら勝手に、書きたいことを、書けるように書くがいいわ。ただ、わたしには、さわらずにおいてもらいたいのよ。
ドールン ジュピターよ、なんじは怒
いか
れり、か……(訳注 つづいて「されば非はなんじにあり」というラテンのことわざ。ドールンはこの句で、暗にアルカージナを諷したのであろうが、彼女は気づかずに――)
アルカージナ わたしはジュピターじゃない、女ですよ。(タバコを吸いだす)あたし、怒
おこ
ってなんかいません。ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ。あの子に恥をかかすつもりはなかったの。
メドヴェージェンコ 何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂にしてからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね。(語気をつよめて、トリゴーリンに)で一つ、どうでしょう、われわれ教員仲間がどんな暮しをしているか――それをひとつ戯曲に書いて、舞台で演じてみたら。辛
つら
いです、じつに辛い生活です!
アルカージナ ごもっともね。でももう、戯曲や原子のはなしは、やめにしましょうよ。こんな好

い晩なんですもの! 聞えて、ほら、歌ってるのが? (耳をすます)いいわ、とても!
ポリーナ 向う岸ですわ。(間)
アルカージナ (トリゴーリンに)ここへお掛けなさいな。十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきりなしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主屋敷が六つもあってね。忘れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……そのころ、その六つの屋敷の花形
ジュヌ・プルミエ
で、人気の的だったのは、そら、ご紹介しますわ(ドールンをあごでしゃくって)――ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前ですもの、そのころときたら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそうと、そろそろ気が咎
とが
めてきた。可哀
かわい
そうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せがれや! コースチャ!
マーシャ あたし行って、捜してみましょう。
アルカージナ ええ、お願い。
マーシャ (左手へ行く)ほおい! トレープレフさん!……ほおい! (退場)
ニーナ (仮舞台のかげから出てきながら)もう続きはないらしいから、あたし出て行ってもいいのね。今晩は! (アルカージナおよびポリーナとキスを交す)
ソーリン ブラボー! ブラボー!
アルカージナ ブラボー! ブラボー! みんなで、感心していたんですよ。それだけの器量と、あんなすばらしい声をしながら、田舎に引っこんでらっしゃるなんて罪ですよ。きっと天分がおありのはずよ。ね、いいこと? 舞台に立つのは、あなたの義務よ!
ニーナ まあ、あたしの夢もそうなの! (ため息をついて)でも、実現しっこありませんわ。
アルカージナ そんなことあるもんですか。さ、ご紹介しましょう――こちらはトリゴーリンさん、ボリース・アレクセーエヴィチ。
ニーナ まあ、うれしい……(どぎまぎして)いつもお作は……
アルカージナ (彼女を自分のそばに坐らせながら)そう固くならないでもいいのよ。有名な人だけれど、気持のさっぱりしたかたですからね。ほら、あちらが却
かえ
って、あがってらっしゃるわ。
ドールン もう幕をあげてもいいでしょうな、どうも気づまりでいかん。
シャムラーエフ (大声で)ヤーコフ、ちょっくら一つ、幕をあげてくれんか! (幕あがる)
ニーナ (トリゴーリンに)ね、いかが、妙な芝居でしょう?
トリゴーリン さっぱりわからなかったです。しかし、面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな。
ニーナ ええ。
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じっと浮子
うき
を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、いったん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみなんか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。このかた、ひとから持ちあげられると、尻
しり
もちをつく癖がおありなの。
シャムラーエフ 忘れもしませんが、いつぞやモスクワのオペラ座でね、有名なあのシルヴァ(訳注 イタリアの歌手)が、うんと低いドの音を出したんです。ところがその時、折も折ですな、クレムリンの合唱隊のバスうたいが一人、天井桟敷
さじき
に陣どって見物してたんですが、とつぜん藪
やぶ
から棒に、いやどうも驚くまいことか、その天井桟敷から、「ブラボー、シルヴァ!」と、やってのけた――それが完全に一オクターブ低いやつでね。……まず、こんな具合、――(低いバスで)ブラボー、シルヴァ。……満場シーンとしてしまいましたよ。(間)
ドールン 静寂
しじま
の天使とびすぎぬ。(訳注 一座が急にシーンとしたときに言うことば)
ニーナ わたし、行かなくちゃ。さようなら。
アルカージナ どこへいらっしゃるの? こんなに早くから? 放しちゃあげませんよ。
ニーナ パパが待ってますから。
アルカージナ なんてパパでしょうね、ほんとに……(キスを交す)じゃ、仕方がないわ。お帰しするの、ほんとに残念だけれど。
ニーナ わたしだって、おいとまするの、どんなに辛いかわかりませんわ!
アルカージナ 誰かお送りするといいんだけれど、心配よ。
ニーナ (おどおどして)まあそんな、いいんですの!
ソーリン (哀願するように彼女に)もっと、いてくださいよ!
ニーナ 駄目
だめ
なんですの、ソーリンさん。
ソーリン せめて一時間――とまあいった次第でね。いいじゃありませんか、ほんとに……
ニーナ (ちょっと考えて、涙声で)いけませんわ! (握手して、足早に退場)
アルカージナ 気の毒な娘さんだこと、まったく。人の話だと、あの子の母親が亡

くなる前、莫大
ばくだい
な財産を一文のこらず、すっかりご主人の名義に書きかえたんですって。それを今度はあの父親が、後添いの名義にしてしまったもので、今じゃあの子、はだか同然の身の上なのよ。ひどい話ですわ。
ドールン さよう、あの子の親父
おやじ
さんは相当な人でなしでね、一言の弁解の余地もありませんや。
ソーリン (冷えた両手をこすりながら)われわれももう行こうじゃありませんか、皆さん。だいぶじめじめしてきたわい。わたしゃ、脚
あし
がずきずきする。
アルカージナ あんたの脚は、まるで木で作ったみたい。歩くのもやっとなのね。さ、参りましょう、みじめなお爺
じい
さん。(彼の腕をささえる)
シャムラーエフ (妻に片手をさしのべて)マダーム?
ソーリン ほら、また犬が吠

えている。(シャムラーエフに)お願いだが、なあシャムラーエフさん、あの犬を放してやるように言ってくださらんか。
シャムラーエフ 駄目ですな、ソーリンさん、穀倉に泥棒がはいると困りますからな。なにしろわたしのキビが納めてあるんでね。(並んで歩いているメドヴェージェンコに)完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。
メドヴェージェンコ 給料はどれくらいでしょうかね、クレムリンあたりの歌うたいだと?

ドールンのほか一同退場。

ドールン (ひとり)ひょっとすると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅
あか
い目玉があらわれた時にゃ、おれは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ。……ほう、先生やって来たらしいぞ。なるべく気の引立つようなことを言ってやりたいものだ。
トレープレフ (登場)もう誰もいない。
ドールン 僕がいます。
トレープレフ 僕を庭じゅう捜しまわってるんだ、あのマーシャのやつ。やりきれない女だ。
ドールン ねえトレープレフ君、僕は君の芝居が、すっかり気に入っちまった。ちょいとこう風変りで、しかも終りのほうは聞かなかったけれど、とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんですね。

トレープレフはぎゅっと相手の手を握り、いきなり抱きつく。

ドールン ひゅッ、なんて神経質な。涙をためたりしてさ。……僕の言いたいのはね、いいですか――君は抽象観念の世界にテーマを仰いだですね。これは飽

くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必ず、何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美しい。なんて蒼
あお
い顔をしてるの!
トレープレフ じゃあなたは――続けろと言うんですね?
ドールン そう。……しかしね、重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。君も知ってのとおり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情
ふぜい
を失わずに送ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたって味わうような精神の昂揚
こうよう
を、ひょっと一度でも味わうことができたとしたら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上
うわ
っ面
つら
や、それにくっついている一切を軽蔑
けいべつ
して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ないな。
トレープレフ お話中ですが、ニーナさんはどこでしょう?
ドールン それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭
めいりょう
な、ある決った思想がなければならんということだ。なんのために書くのか、それをちゃんと知っていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しながら道を歩いて行ったら、君は迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼすことになる。
トレープレフ (じれったそうに)どこにいるんです。ニーナさんは?
ドールン うちへ帰ったですよ。
トレープレフ (絶望的に)ああ、どうしよう? 僕はあの人に会いたいんだ。……ぜひ会わなくちゃ。これから行ってこよう……

マーシャ登場。

ドールン (トレープレフに)まあ落着きたまえ、君。
トレープレフ とにかく行ってきます。行かなくちゃならんのです。
マーシャ うちへおはいりになって、ねトレープレフさん。お母さまがお待ちかねよ。心配してらっしゃるわ。
トレープレフ そう言ってください、ぼくは出かけたって。君たちみんなも、どうぞ僕をほっといてくれたまえ! ほっといて! あとをつけ回さないでさ!
ドールン まあまあまあ、君……そんな滅茶
めちゃ
な。……いけないなあ。
トレープレフ (涙声で)さようなら、ドクトル。感謝します……(退場)
ドールン (ため息をついて)若い、若いなあ!
マーシャ ほかに言いようがなくなると、みなさんおっしゃるのね――若い、若いって……(かぎタバコをかぐ)
ドールン (タバコ入れを取上げて、茂みの中へ投げる)けがらわしい! (間)うちの中では、カルタをやってるらしい。どれ、行くとするか。
マーシャ ちょっと待って。
ドールン なんです?
マーシャ もう一ぺん、あなたに聞いて頂きたいことがあるの。ちょっと聞いて頂きたいの。……(興奮して)わたし、うちの父は好きじゃないけれど……あなたには、おすがりしていますの。なぜだか知らないけれど、わたし心底から、あなたが親身
しんみ
なかたのような気がしますの。……どうぞ助けてください。ね、助けて。さもないとわたし、ばかなことをしたり、自分の生活をおひゃらかして、滅茶々々にしちまうわ。……もうこれ以上わたし……
ドールン どうしたんです? 何を助けろと言うんです?
マーシャ わたし辛
つら
いんです。誰も、誰ひとり、この辛さがわかってくれないの! (相手の胸に頭を押しあて、小声で)わたし、トレープレフを愛しています。
ドールン なんてみんな神経質なんだ! なんて神経質なんだ! それに、どこもかしこも恋ばかしだ。……おお、まどわしの湖よ、だ! (やさしく)だって、この僕に一体、何がしてあげられます、ええ? 何が? え、何が?
――幕――
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第二幕

クロケットのコート。右手奥に、大きなテラスのついた家。左手には湖が見え、太陽が反射してきらきらしている。そこここに花壇。まひる。炎暑。コートの横手、菩提樹
ぼだいじゅ
の老木のかげにベンチが一脚。それにアルカージナ、ドールン、マーシャがかけている。ドールンの膝
ひざ
には、本が開けてある。

アルカージナ (マーシャに)じゃ、立ってみましょう。(ふたり立ちあがる)こうして並んでね。あんたは二十二、わたしはかれこれその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて?
ドールン あなたです、もちろん。
アルカージナ そうらね……で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事に感じるからよ、しょっちゅう気を使っているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。……それにわたしには、主義があるの――未来を覗
のぞ
き見しない、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの。
マーシャ わたしは、こんな気がしますの――まるで自分が、もうずっと昔から生れているみたいな。お儀式用のあの長ったらしいスカートよろしく、自分の生活をずるずる引きずってるみたいな気がね。……生きようなんて気持が、てんでなくなることだってよくありますわ。(腰をおろす)でも、くだらないわね、そんなこと。奮起一番、こんな妄念
もうねん
は叩
たた
きださなくちゃいけないわ。
ドールン (小声で口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……(訳注 グーノーの歌劇『ファウスト』第三幕、ジーベルの詠唱より)

アルカージナ それにわたしは、イギリス人みたいにキチンとしているわ。わたしはね、いいこと、いわばピンと張りつめた気持でね、身なりだって髪かたちだって、いつも Comme il faut
しゃんとして
いますよ。一あし家
うち
を出るにしたって、よしんば、ほら、こうして庭へ出る時でも、――部屋着
ブルーズ
のまま髪も結わずに、なんてことがあったかしら? とんでもない。わたしがこうしていつまでも若くていられるのは、そこらの連中みたいにぐうたらな真似
まね
をしたり、自分を甘やかしたりしなかったおかげですよ。……(両手を腰にあてて、コートを歩きまわる)ほらね、――ピヨピヨ雛
ひよ
っ子よ。十五の小娘にだってなって見せるわ。
ドールン まあまあ、それはそうとして、僕は先を続けますよ。(本を手にとって)ええと、粉屋と鼠
ねずみ
のとこでしたね。……
アルカージナ その鼠のところ。読んでちょうだい。(腰かける)でも、貸してごらんなさい、わたしが読むわ。こんどはわたし。(本をうけ取って、眼でさがす)鼠と……ああここだ。……(読む)「だからもちろん、社交界の婦人たちが小説家をちやほやして、これを身辺へ近づけるがごときは、その危険なること、粉屋が鼠を納屋
なや
に飼っておくのと一般である。にもかかわらず、小説家は依然としてヒイキにされる。かくて、女性がこれぞと思う作家に狙
ねら
いをつけて、これをサロンに手なずけておこうという段になると、彼女はお世辞、お愛想、お追従
ついしょう
の限りをつくして包囲攻撃を加える」……ふん、フランスじゃそうかも知れないけれど、このロシアじゃ、そんな目論見
もくろみ
もへったくれもありゃしない。ロシアの女はまず大抵、作家を手に入れる前に、自分のほうが首ったけの大あつあつになっちまう。いやはやだわ。手近なところで、たとえばこのわたしとトリゴーリンだっても……

ソーリンが杖
つえ
にたよりながら登場。ならんでニーナ。そのあとからメドヴェージェンコが、空っぽの肘
ひじ
かけ椅子
いす
(訳注 車のついた)を押してくる。

ソーリン (子供をあやすような調子で)ああ、そうなの? 嬉
うれ
しくって堪
たま
らないの? 今日はみんな浮き浮きってわけかな、早い話が? (妹に)嬉しいことがあるんだよ! お父さんと、ままおっ母

さんが、トヴェーリへ行っちまったんで、ぼくたちまる三日というもの、のうのうと羽根がのばせるんだ。
ニーナ (アルカージナの隣に腰かけ、彼女に抱きつく)わたしほんとに幸福! これでもうわたし、あなた方のものですわ。
ソーリン (自分の肘かけ椅子にかける)今日はこの人、じつにきれいだなあ。
アルカージナ おめかしして、ほれぼれするみたい。(ニーナにキスする)でも、あんまり褒

め立てちゃいけないわ、鬼が妬

きますからね。トリゴーリンさんはどこ?
ニーナ 水浴び場で、釣りをしてらっしゃるの。
アルカージナ よく飽きないものねえ! (つづけて読もうとする)
ニーナ それ、なんですの?
アルカージナ モーパッサンの『水の上』よ。(二、三行ほど黙読する)ふん、あとはつまらない嘘
うそ
っぱちだ。(本を閉じる)わたし、なんだか気持が落着かない。うちの子は、一体どうしたんでしょうねえ? どうしてあんなつまらなそうな、けわしい顔つきをしてるんだろう? あの子はもう何日も、ぶっ続けに湖へばかり行っていて、わたしおちおち顔を見る時もないの。
マーシャ くさくさしてらっしゃるんですわ。(ニーナに向って、おずおずと)ねえ、あの人の戯曲をどこか、読んでくださらない!
ニーナ (肩をすくめて)あら、あれを? とてもつまんないのよ!
マーシャ (感激をおさえながら)あの人が自分で何か朗読なさると、眼が燃えるようにきらきらして、顔が蒼
あお
ざめてくるんですわ。憂
うれ
いをふくんだ、きれいな声で、身のこなしは詩人そっくり。

ソーリンのいびきが聞える。

ドールン ごゆるりと!
アルカージナ ねえ、ペトルーシャ!
ソーリン ああ?
アルカージナ 寝てらっしゃるの?
ソーリン いいや、どうして。

間。

アルカージナ あなたは療治をなさらない、いけないわ、兄さん。
ソーリン 療治したいのは山々だが、このドクトルが、してやろうとおっしゃらん。
ドールン 六十の療治ですか!
ソーリン 六十になったって、生きたいさ。
ドールン (吐き出すように)ええ! じゃ、カノコ草
そう
の水薬(訳注 カノコ草の根から製した鎮静剤)でもやるですな。
アルカージナ どこか、温泉にでも行ったらいいんじゃないかしら。
ドールン ほほう? 行くのもよし、行かないのもまたよしですな。
アルカージナ ややこしいわね。
ドールン ややこしいも何もない。はっきりしてますよ。

間。

メドヴェージェンコ ソーリンさんは、タバコをやめるべきでしょうな。
ソーリン くだらん。
ドールン いや、くだらんどころじゃない。酒とタバコは、個性を失わせますよ。シガー一本、ウオトカ一杯やったあとのあなたは、もはやソーリン氏ではなくて、ソーリン氏プラス誰かしら、なんです。自我がだんだんぼやけて、あなたは自分に対して、あたかも第三者――つまり“彼”に対するような態度になるわけです。
ソーリン (笑って)あんたは勝手に理屈をならべるがいいさ。人生の盛りを楽しんだ人だからね。ところが僕はどうだ? 司法省に二十八年も勤めはしたが、まだ生活をしたことがない、何一つ味わったことがない、早い話がね。だからさ、生きたくって堪らないのは、わかりきった話じゃないですか。あんたは腹がいっぱいで、泰然と構えていなさる。それで哲学に趣味をもちなさる。ところが僕は、生きたいものだから、夕食にシェリー〔酒〕をやったり、シガーをふかしたり、とまあいった次第でさ。それだけの事ですよ。
ドールン 命というものは、もっと大事に扱うものです。六十になって療治をしたり、若い時の楽しみが足りなかったと悔んだりするのは、失礼ながら軽率というものですよ。
マーシャ (立ちあがる)もう午食
おひる
の時間よ、きっと。(だらけた気力のない歩き方をする)足がしびれたわ。……(退場)
ドールン ああして行って、午食の前に〔ウオトカを〕二杯ひっかけるんだ。
ソーリン わが身に仕合せのない娘

だからね、可哀
かわい
そうに。
ドールン つまらんことを、ええ閣下。
ソーリン そらそれが、腹いっぱい食った人の理屈さ。
アルカージナ あーあ、およそ退屈といったら、この親愛なる田舎
いなか
の退屈さに、まさるものなしだわね! 暑くて、静かで、誰もなんにもせずに、哲学ばかりやって。……ねえ皆さん、こうしてごいっしょにいるのもいいし、お話を伺ってるのも楽しいわ。だけど……ホテルの部屋に引っこもって、書き抜きを詰めこむ時のほうが――どんなにましだか知れやしない!
ニーナ (感激して)すばらしいわ! わたし、わかりますわ。
ソーリン むろん、都会のほうがいいさ。書斎に引っこんでる。取次ぎなしには誰も通しはせん。用事は電話……往来にゃ辻
つじ
馬車が通る、とまあいった次第でな……
ドールン (口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……

シャムラーエフ登場。つづいて、ポリーナ。

シャムラーエフ ほう、皆さんお揃
そろ
いだ。こんにちは! (アルカージナの手に、つづいてニーナの手に接吻
せっぷん
する)ご機嫌うるわしくて何よりです。家内の話では、あなたのお伴
とも
をして今日、町へ出かけるそうですが、ほんとでしょうか?
アルカージナ ええ、そのつもりなの。
シャムラーエフ ふむ。……それも結構ですが、しかし何に乗って行かれますかな、奥さま? 今日はライ麦を運ぶ日なので、男衆はみんな手がふさがっております。それに一体、どんな馬を使うおつもりですな、ひとつ伺いたいもんで。
アルカージナ どんな馬? 知るもんですか――そんなこと!
ソーリン うちには、よそ行きのやつがあるはずだが。
シャムラーエフ (興奮して)よそ行きの? では、頸輪
くびわ
はどうすればいいのです? どこから持ってくればよろしいんです? こりゃ驚いた! さっぱりわからん! ねえ奥さん! 失礼ながら、わたしはあなたの才能を崇拝して、あなたのためなら、十年の命を投げだすのもいといませんが、しかし馬は絶対ご用だてできません!
アルカージナ でも、わたしがどうしても出かけなけりゃならないとしたらどう? 妙な話だこと!
シャムラーエフ 奥さん! あなたはわかっておいでなさらん、農家の経営というものが!
アルカージナ (カッとして)また例の御託
ごたく
が始まった! そんならよござんす、わたし今日すぐモスクワへ帰るから。村へ行って、馬をやとってくるよう言いつけてください。それも駄目なら、駅まで歩いて行きます!
シャムラーエフ (カッとして)そういうことなら、わたしは辞職します! べつの支配人をおさがしなさい! (退場)
アルカージナ 毎とし夏になると、こうだわ。毎夏、わたしはここへ来て厭
いや
な目にあわされるんだわ! もうここへは足ぶみもしない! (左手へ退場。そこに水浴び場がある気持。やがて、彼女が家に歩いて行くのが見える。そのあとにトリゴーリンが、釣竿
つりざお
と手桶
ておけ
をさげてつづく)
ソーリン (カッとして)理不尽にもほどがある! 一体なんたることだ! つくづくもう厭になったよ、早い話がな。即刻ここへ、ありったけの馬を出させるがいい!
ニーナ (ポリーナに)アルカージナさんのような、有名な女優さんにさからうなんて! そのお望みとあれば、たとえ気まぐれにしたって、お宅の経営よりか大切じゃありませんの? 呆
あき
れて物も言えないわ!
ポリーナ (身も世もあらず)どうしろとおっしゃるの? わたしの身にもなってちょうだい、どうすればいいと仰しゃるの?
ソーリン (ニーナに)さ、妹のところへ行きましょう。……みんなで、あれが発

って行かないように、頼んでみましょう。ね、どうです? (シャムラーエフの去った方角を見やって)まったくやりきれん男だ! 暴君だ!
ニーナ (彼の立とうとするのを遮
さえぎ
りながら)坐
すわ
ってらっしゃい、坐って。……わたしたちがお連れしますわ。……(メドヴェージェンコと二人で椅子を押す)ああ、ほんとに厭だこと!……
ソーリン そう、まったく厭なことだ。……でもね、あの男は出て行きはしない。わたしが今すぐ、話をつけるからね。(三人退場。ドールンとポリーナだけ残る)
ドールン 厄介
やっかい
な連中だなあ。本来なら、あんたのご亭主をポイとおっぽり出せばいいものを、それがとどのつまりは、あの年寄り婆
ばあ
さんみたいなソーリン先生が、妹とふたりがかりで、詫

びを入れるのが落ちですよ。まあ見てらっしゃい!
ポリーナ あの人は、よそ行きの馬まで野良
のら
へ出したんですの。それに、こんな行き違いは毎日のことなのよ。そのためどれほどわたしが苦労するか、わかってくだすったらねえ! これじゃ病気になってしまうわ。ほらね、顫
ふる
えがついてるわ。……わたし、あの人のがさつさには愛想がつきた。(哀願するように)エヴゲーニイ、ね、大事ないとしいエヴゲーニイ、わたしを引取ってちょうだい。……わたしたちの時は過ぎてゆくわ、おたがいもう若くはないわ。せめて一生のおしまいだけでも、かくれたり、嘘
うそ
をついたりせずにいたい……(間)
ドールン 僕は五十五ですよ、今さら生活を変えようたってもう遅い。
ポリーナ わかってるわ、そう言って逃げをお打ちになるのも、わたしのほかに、身近な女の人が、幾らもおありだからよ。みんな引取るわけにはいきませんものね。わかってますわ。こんなこと言ってご免なさい、もう飽きられてしまったのにね。

ニーナが家のほとりに現われる。彼女は花を摘む。

ドールン そんなばかなことが。
ポリーナ わたし、嫉妬
しっと
でくるしいのよ。そりゃ、あなたはお医者さんだから、婦人を避けるわけにはいかない。それはわかるけれど……
ドールン (近づいて来たニーナに)どうです。あちらの様子は?
ニーナ アルカージナさんは泣いてらっしゃるし、ソーリンさんはまた喘息
ぜんそく
よ。
ドールン (立ちあがる)どれ行って、カノコ草の水薬でも、ふたりに飲ませるか。……
ニーナ (彼に花をわたして)どうぞ!
ドールン こりゃどうも
メルシ・ビエン
。(家のほうへ行く)
ポリーナ (いっしょに行きながら)まあ、可愛
かわい
らしい花だこと! (家のほとりで、声を押し殺して)その花をちょうだい! およこしなさいったら! (花を受けとり、それを引きむしって、わきへ捨てる。ふたり家にはいる)
ニーナ (ひとり)有名な女優さんが、それもあんなつまらないことで泣くなんて、どう見ても不思議だわねえ! もう一つ不思議と言えば、名高い小説家で、世間の人気者で、わいわい新聞に書き立てられたり、写真が売りだされたり、外国で翻訳まで出ている人が、一日じゅう釣りばかりして、ダボハゼが二匹釣れたってにこにこしてるなんて、これも変てこだわ。わたし、有名な人って、そばへも寄れないほどえばりくさって、世間の人間を見くだしているものと思っていた。家柄だの財産だのを、無上のものと崇
あが
め奉
たてまつ
る世間にたいして、自分の名誉やぱりぱりの名声でもって、仕返しをする気なのだろうと思っていた。ところがどうでしょう、泣いたり、釣りをしたり、カルタをやったり、笑ったり、一向みんなと違やしない。……
トレープレフ (無帽で登場。猟銃と、鴎
かもめ
の死骸
しがい
を持つ)一人っきりなの?
ニーナ ええ、そう。

トレープレフ、鴎を彼女の足もとに置く。

ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似
まね
をした。あなたの足もとに捧
ささ
げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を持ちあげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいるとさも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしない、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうやら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわからないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になった、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦
ゆる
しませんからね。僕はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじめだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷たくなったのが、僕は怖
おそ
ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目がさめてみると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面へ吸いこまれてしまっていたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわからない、と言いましたね。ああ、なんのわかることがいるもんですか あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡なくだらん奴
やつ
らといっしょにしてるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるんだ! 僕は脳みそに、釘
くぎ
をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の血をまるで蛇
へび
みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪
のろ
われるがいいんだ。……(トリゴーリンが手帳を読みながら来るのを見て)そうら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱり本を持ってね。……(嘲弄
ちょうろう
口調で)「言葉、ことば、ことば」か……まだあの太陽がそばへこないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
トリゴーリン (手帳に書きこみながら)かぎタバコを用い、ウオトカを飲む。……いつも黒服と。教師が恋する……
ニーナ ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
トリゴーリン ご機嫌よう。じつは思いがけない事情のため、われわれはどうやら今日発

つことになりそうです。あなたとまたいつお会いできるかどうか。いや、残念です。わたしは、ごくたまにしか若いお嬢さん――若くてしかもきれいなお嬢さんに、会う機会がないもので、十八、九の年ごろには一体どんな気持でいるものか、とんと忘れてしまって、どうもはっきり頭に浮ばんのです。だから、わたしの作品に出てくる若い娘たちは、大抵作りものですよ。わたしはせめて一時間でもいいから、あなたと入れ代りになって、あなたの物の考え方や、全体あなたがどういう人かを、とっくり知りたいと思いますよ。
ニーナ わたしは、ちょいちょいあなたと入れ代りになってみたいわ。
トリゴーリン なぜね?
ニーナ 有名な、りっぱな作家が、どんな気持でいるものか、知りたいからですわ。有名って、どんな気がするものかしら? ご自分が有名だということを、どうお感じになりまして?
トリゴーリン どうって? まあ別になんともないでしょうね。そんなこと、ついぞ考えたこともありませんよ。(ちょっと考えて)二つのうち、どっちかですな――わたしの名声をあなたが大げさに考えているか、それとも、名声というものがおよそ実感としてピンとこないかね。
ニーナ でも、自分のことが新聞に出ているのをご覧になったら?
トリゴーリン 褒

められればいい気持だし、やっつけられると、それから二日は不機嫌を感じますね。
ニーナ すばらしい世界だわ! どんなにわたし羨
うらや
ましいか、それがわかってくだすったらねえ! 人の運命って、さまざまなのね。退屈な、人目につかない一生を、やっとこさ曳

きずっている、みんな似たりよったりの、不仕合せな人たちがいるかと思うと、一方にはあなたのように、――百万人に一人の、面白い、明るい、意義にみちた生活を送るめぐり合せの人もある。あなたはお仕合せですわ。……
トリゴーリン わたしがね? (肩をすくめて)ふむ。……あなたは、名声だの幸福だの、何かこう明るい面白い生活だのと仰しゃるが、わたしにとっては、そんなありがたそうな言葉はみんな、失礼ながら、わたしが食わず嫌いで通しているマーマレードと同じですよ。あなたはとても若くて、とても善良だ。
ニーナ あなたの生活は、すてきな生活ですわ!
トリゴーリン べつにいいとこもありませんねえ。(時計を出して見る)わたしは、これから行って書かなければならん。ま赦
ゆる
してください、暇がないんです。……(笑う)あなたはね、世間で言う「人の痛い肉刺
まめ
」を、ぐいと踏んづけなすった。そこでわたしは、このとおり興奮して、いささか向っ腹を立てているんです。だがまあ、しばらくお話しましょうか。そのわたしの、すばらしい、明るい生活のことをね。……さてと、何から始めたものか? (やや考えて)強迫観念というものがありますね。人がたとえば月なら月のことを、夜も昼ものべつ考えていると、それになるのだが、わたしにもそんな月があるんです。夜も昼も、一つの考えが、しつこく私にとっついて離れない。それは、書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ……というやつです。やっと小説を一つ書きあげたかと思うと、なぜか知らんがすぐもう次のに掛からなければならん、それから三つ目、三つ目のお次は四つ目……といった具合。まるで駅逓
えきてい
馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに打つ手がない。そのどこがすばらしいか、明るいか、ひとつ伺いたいものだ。いやはや、野蛮きわまる生活ですよ! 今こうしてあなたとお喋
しゃべ
りをして、興奮している。ところがその一方、書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるんです。ほらあすこに、グランド・ピアノみたいな恰好
かっこう
の雲が見える。すると、こいつは一つ小説のどこかで使ってやらなくちゃ、と考える。グランド・ピアノのような雲がうかんでいた、とね。ヘリオトロープの匂
にお
いがする。また大急ぎで頭
ここ
へ書きこむ。甘ったるい匂
にお
い、後家さんの色、こいつは夏の夕方の描写に使おう、とね。こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱしから捕
つか
まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使えるかも知れんぞ! というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げだす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこい、そうは行かない。頭のなかには、すでに新しい題材という重たい鉄のタマがころげ回って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、われとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼりぼり食っているような気持です。何者か漠然
ばくぜん
とした相手に蜜
みつ
を与えようとして、僕は自分の選

り抜きの花から花粉をかき集めたり、かんじんの花を引きむしったり、その根を踏み荒したりしているみたいなものです。それで正気と言えるだろうか? 身近な連中や知り合いが、果してわたしをまともに扱ってくれてるだろうか? 「いま何を書いておいでです? こんどはどんなものです?」聞くことと言ったら同じことばかり。それでわたしは、知り合いのそんな注目や、讃辞
さんじ
や、随喜の涙が、みんな嘘っぱちで、寄ってたかってわたしを病人あつかいにして、いい加減な気休めを言っているみたいな気がする。うかうかしてると、誰かうしろから忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン(訳注 ゴーゴリの『狂人日記』の主人公)みたいに、気違い病院へぶちこむんじゃないかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、まだ若くて、生気にあふれていた時代はどうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続でしたよ。駆けだしの文士というものは、殊
こと
に不遇な時代がそうですが、われながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神経ばかりやたらに尖
とが
らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人たちのまわりを、ふらふらうろつき回らずにはいられない。認めてももらえず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと見る勇気もなく――まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといったざまです。わたしは自分の読者に会ったことはなかったけれど、なぜかわたしの想像では、不愛想な疑ぐりぶかい人種のように思えましたね。わたしは世間というものが恐
こわ
かった。ものすごい怪物のような気がした。自分の新作物が上演されるようなことになると、いつもきまって、黒い髪の毛の人は敵意を抱
いだ
いている、明るい髪の毛の人は冷淡な無関心派だと、そんな気がしたものです。思いだしてもぞっとする! じつになんとも言えない苦しみでした!
ニーナ ちょっとお待ちになって。でも、感興が湧

いてきた時や、創作の筆がすすんでいる時は、崇高な幸福の瞬間をお味わいになりません?
トリゴーリン それはそうです。書いているうちは愉快です。校正をするのも愉快だな。だが……いざ刷りあがってしまうと、もう我慢がならない。こいつは見当が狂った、しくじった、いっそ書かないほうがよかったのだと、むしゃくしゃして、気が滅入
めい
るんですよ。……(笑う)ところが、世間は読んでくれて、「なるほど、うまい、才筆だな」とか、「うまいが、トルストイには及びもつかんね」とか、「よく書けてる、しかしツルゲーネフの『父と子』のほうが上だよ」とか、仰
おお
せになる。といったわけで、結局、墓にはいるまでは、明けても暮れても「うまい、才筆だ」「うまい、才筆だ」の一点ばりで、ほかに何にもありゃしない。さて死んでしまうと、知り合いの連中が墓のそばを通りかかって、こう言うでしょうよ。「ここにトリゴーリンが眠っている。いい作家だったが、ツルゲーネフには敵
かな
わなかったね」
ニーナ でもちょっと。わたし、そんなお話は頂きかねますわ。あなたは、成功に甘えてらっしゃるんだわ。
トリゴーリン どんな成功にね? わたしはついぞ、自分でいいと思ったことはありませんよ。わたしは作家としての自分が好きじゃない。何よりも悪いことに、わたしは頭がもやもやしていて、自分で何を書いているのかわからないんです。……わたしはほら、この水が好きだ。木立や空が好きだ。わたしは自然をしみじみ感じる。それはわたしの情熱を、書かずにいられない欲望をよび起す。ところがわたしは、単なる風景画家だけじゃなくて、その上に社会人でもあるわけだ。わたしは祖国を、民衆を愛する。わたしは、もし自分が作家であるならば、民衆や、その苦悩や、その将来について語り、科学や、人間の権利や、その他いろんなことについても語る義務がある、と感じるわけです。そこでわたしは、何もかも喋
しゃべ
ろうとあせる。わたしは四方八方から駆り立てられ、叱
しか
りとばされ、まるで猟犬に追いつめられた狐
きつね
さながら、あっちへすっ飛び、こっちへすっ飛びしているうちに、みるみる人生や科学は前へ前へと進んで行ってしまい、わたしは汽車に乗りおくれた百姓みたいに、ずんずんあとにとり残される。で、とどのつまりは、自分にできるのは、自然描写だけだ、ほかのことにかけては一切じぶんはニセ物だ、骨の髄までニセ物だ、と思っちまうんですよ。
ニーナ あなたは過労のおかげで、自分の値打ちを意識するひまも気持も、ないんですわ。たとえご自分に不満だろうとなんだろうと、ほかの人にとってはあなたは偉大でりっぱな方なのよ! もしわたしが、あなたみたいな作家だったら、自分の全生命を民衆に捧
ささ
げてしまうわ。でも心のなかでは、民衆の幸福はただ、わたしの所まで向上してくることだと、はっきり自覚しますわ。すると民衆は、わたしを祭礼の馬車に乗せて引きまわしてくれるわ。
トリゴーリン ほう、祭礼の馬車か。……アガメンノンですかね、このわたしが! (ふたり微笑する)
ニーナ 女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲の者に憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに堪えてみせますわ。屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだってかまわない。その代り、わたしは要求するのよ、名声を……ほんとうの、割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする……ああ!
アルカージナの声 (家の中から)トリゴーリンさん!
トリゴーリン わたしを呼んでいる。きっと荷づくりでしょう。だが、発

ちたくないなあ。(湖の方を振返って)なんという自然の恩恵だ!……すばらしい!
ニーナ 向う岸に、家と庭が見えるでしょう?
トリゴーリン ええ。
ニーナ あれが、亡

くなった母の屋敷です。わたし、あすこで生れたの。それからずっと、この湖のそばで暮しているものだから、どんな小さな島でもみんな知っていますわ。
トリゴーリン ここはまったくすばらしい! (鴎
かもめ
を見とめて)なんです、これは?
ニーナ かもめよ。トレープレフさんが射

ったの。
トリゴーリン きれいな鳥だ。いや、どうも発ちたくないなあ。ひとつアルカージナさんを説きつけて、もっといるようにしてください。(手帳に書きこむ)
ニーナ なに書いてらっしゃるの?
トリゴーリン ちょっと書きとめとくんです。……題材が浮んだものでね。……(手帳をしまいながら)ほんの短編ですがね、湖のほとりに、ちょうどあなたみたいな若い娘が、子供の時から住んでいる。鴎のように湖が好きで、鴎のように幸福で自由だ。ところが、ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、娘を破滅させてしまう――ほら、この鴎のようにね。

間。――やがて窓にアルカージナが現われる。

アルカージナ トリゴーリンさん、どこにいらっしゃるの?
トリゴーリン 今すぐ! (行きかけて、ニーナを振返る。窓のそばでアルカージナに)なんです?
アルカージナ わたしたち、このままいることにしますわ。

トリゴーリン、家へはいる。

ニーナ (脚光ちかく歩みよる。やや沈思ののちに)夢だわ!
――幕――
[#改ページ]

第三幕

ソーリン家の食堂。左右にドア。食器棚
だな
。薬品の戸棚。部屋の中央にテーブル。旅行カバンが一つ、帽子のボール箱が幾つか。出立
しゅったつ
の用意が見てとられる。トリゴーリンが朝食(訳注 だいたい早おひるの時刻)をしたため、マーシャはテーブルのそばに立っている。

マーシャ これはみんな、作家としてのあなたにお話しするんです。お使いになってもかまいません。良心にかけて言いますけれど、あの人の傷が重傷だったら、わたし一分間たりと生きてはいなかったでしょう。でも、わたしはこれで勇気があります。だから、きっぱり決心しました。この恋を胸
ここ
から引っこ抜いてしまおうと。根ごと一思いにね。
トリゴーリン どんな具合にね?
マーシャ 嫁に行くんです。メドヴェージェンコのところへ。
トリゴーリン あの教師
せんせい
のところへね?
マーシャ ええ。
トリゴーリン わからんな。なんの必要があって。
マーシャ 望みもないのに恋をして、何年も何年も何か待っているなんて……。いったん嫁に行ってしまえば、もう恋どころじゃなくなって、新しい苦労で古いことはみんな消されてしまう。それだけでも、ね、変化じゃありませんか。いかが、もう一つ?
トリゴーリン 過ぎやしないかな?
マーシャ なあに、平気! (一杯ずつつぐ)そんなに人の顔を見ないでください。女というものは、あなたの考えてらっしゃるより、よく飲みますわよ。わたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけれど、こっそり飲むのは大勢いますわ。そうよ。しかもきまって、ウオトカかコニャックですわ。(杯を当てて)プロジット! あなたは、さっぱりした方ね。お別れするの残念ですわ。(ふたり飲みほす)
トリゴーリン わたしだって、発

ちたくはないんだが。
マーシャ だからあの人に、もっといるようにお頼みになったら。
トリゴーリン いや、もういるつもりはないでしょう。なにしろあの息子
むすこ
が、でたらめばかりやらかすんでね。ピストル自殺をやりかけたと思えば、今度はこのわたしに、決闘を申しこむとかなんとかいう話だ。一体なんのためかな? ふくれたり、鼻を鳴らしたり、新形式論をまくし立てたり……。いや、座席はまだたっぷりあいている。新しいものにも古いものにもね、――何も押し合うことはない。
マーシャ それに嫉妬
しっと
も手伝ってね。でも、わたしの知った事じゃないわ。

間。ヤーコフが左手から右手へ、トランクをさげて通る。ニーナが登場して、窓ぎわに立ちどまる。

マーシャ わたしのあの教師
せんせい
は、大してお利口さんじゃないけれど、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにとてもわたしを愛してくれるの。いじらしくなりますわ。年とったお母さんも、可哀
かわい
そうだし、では、ご機嫌よろしゅう。わるくお思いにならないでね。(かたく握手する)ご親切にいろいろありがとうございました。ご本が出たらお送りくださいね、きっと署名なすってね。ただ、「わが敬愛する」なんてしないで、ただあっさり、「身もとも不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」としてね。さようなら! (退場)
ニーナ (握り挙
こぶし
にした片手を、トリゴーリンのほうへさしのべながら)偶数? 奇数?
トリゴーリン 偶数。
ニーナ (ため息をついて)いいえ。手の中には、豆が一つしかないの。わたし占ってみたのよ、女優になろうか、なるまいかって。誰か、こうしたらと言ってくれるといいんだけれど。
トリゴーリン そんなこと、言える人があるものですか。(間)
ニーナ お別れですわね……多分もう二度とお目にかかる時はないでしょう。どうぞ記念に、この小さなロケットをお受けになって。あなたの頭文字
かしらもじ
を彫らせましたの……こちら側には『昼と夜』と、あなたのご本の題をね。
トリゴーリン じつに優美だ! (ロケットに接吻
せっぷん
する)何よりの贈物です!
ニーナ 時にはわたしのことも思い出してね。
トリゴーリン 思い出しますとも。その思い出すのは、あの晴れた日のあなたの姿でしょうよ――覚えてますか?――一週間まえ、あなたが薄色の服を着てらした時のことを……いろんな話をしましたっけね……それにあの時、ベンチに白い鴎
かもめ
がのせてあった。
ニーナ (物思わしげに)ええ、かもめが……(間)もうお話してはいられません、人が来ます。……お発ちになる前、二分だけわたしにくださいまし、お願い。……(左手へ退場。同時に右手から、アルカージナ、燕尾服
えんびふく
に星章をつけたソーリン、それから荷作りに大童
おおわらわ
のヤーコフが登場)
アルカージナ お年寄りは、ここにじっとしてらっしゃいよ。そんなリョーマチのくせに、お客に出あるく法があるものですか? (トリゴーリンに)いま出て行ったのは誰? ニーナですの?
トリゴーリン ええ。
アルカージナ 失礼
パルドン
、お邪魔しましたわね……(腰をおろす)さあ、どうにかすっかり片づいた。へとへとよ。
トリゴーリン (ロケットの字を読む)『昼と夜』、百二十一ページ、十一と二行。
ヤーコフ (テーブルの上を片づけながら)釣竿
つりざお
もやはり入れますんで?
トリゴーリン そう、あれはまだ要

るからね。本はみな誰かにやってくれ。
ヤーコフ かしこまりました。
トリゴーリン (ひとりごと)百二十一ページ、十一と二行。はて、あすこには何が書いてあったっけ? (アルカージナに)この家に、わたしの本があったかしら?
アルカージナ 兄の書斎の、隅
すみ
っこの棚にありますよ。
トリゴーリン 百二十一ページと……(退場)
アルカージナ ね、ほんとにペトルーシャ、ここにじっとしていらっしゃいよ……
ソーリン お前たちが発

って行くと、あとにぽつねんとしてるのは辛
つら
くてな。
アルカージナ じゃ、町へ行けばどうなの?
ソーリン 格別どうということもないが、だがやっぱりな……(笑う)県会の建物の建て前もあるし、とまあいった次第でな。……せめて一時間でも二時間でも、この穴ごもりのカマス(訳注 シチェドリーンの童話『かしこいカマス』より)みたいな生活から飛び出したいんだよ。そうでもしないと、わたしは古パイプみたいに、棚のすみですっかり埃
ほこり
まみれだからな。一時に馬車を回すように言いつけたから、いっしょに出かけよう。
アルカージナ (間をおいて)じゃ、ここでお暮しなさいね、退屈がらずに、お風邪
かぜ
を召さずにね。あの子の監督をおねがいしますよ。よく気をつけてやってね。導いてやってね。(間)こうしてわたしが発ってゆけば、なぜコンスタンチンがピストル自殺をしようとしたのか、それも知らずじまいになるのね。どうやらわたしには、おもな原因は嫉妬
しっと
だったような気がする。だから一刻も早くトリゴーリンを、ここから連れ出したほうがいいのよ。
ソーリン さあ、なんと言ったものかな? ほかにも原因はあったろうさ。論より証拠――若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎
いなか
ぐらしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないときてるんだからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮しが、恥ずかしくもあり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛
かわい
くてならんし、あれのほうでもわたしに懐
なつ
いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分がこの家の余計もんだ、居候
いそうろう
だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、だいいち自尊心がな……
アルカージナ あの子には、ほんとに泣かされるわ! (考えこんで)勤めに出てみたらどうかしら……
ソーリン (口笛を鳴らし、やがてためらいがちに)わたしはね、いちばんの上策は、もしもお前が……あの子に少しばかり金を持たしてやったらどうかと思うよ。何はさておき、あの子も人並の身なりはせにゃならんし、とまあいった次第でな。見てごらん、着たきり雀
すずめ
のぼろフロックを、これでもう三年ごし引きずって、外套
がいとう
も着てない始末じゃないか。……(笑う)それに若い者にゃ、少し気晴らしをさせるもよかろうて。……ひとつ外国へでも出してみるかな。……なあに、大して金もかかるまい。
アルカージナ でもねえ。……まあ、服ぐらいは作ってやれるでしょうけど、外国まではねえ。……いいえ、今のところは、服だって駄目だわ。(きっぱりと)わたし、お金がありません!

ソーリン笑う。

アルカージナ ないのよ!
ソーリン (口笛を鳴らす)なるほどな。いやご免ご免、堪忍
かに
しておくれ。お前の言うとおりだろうとも。……お前は気前のいい、鷹揚
おうよう
な女だからな。
アルカージナ (涙ぐんで)わたし、お金がありません!
ソーリン わたしに金さえありゃ、論より証拠、ぽんとあれに出してやるがな、あいにくとすってけてん、五銭玉一つない。(笑う)わたしの恩給は、のこらず支配人が取りあげおって、農作だ牧畜だ蜜蜂
みつばち
だと使いまわす。そこでわたしの金は、元も子もなくなっちまう。蜂は死ぬ、牛もくたばる。馬だって、ついぞわたしに出してくれたためしがない。……
アルカージナ それはわたしだって、お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣裳
いしょう
代だけでも身代かぎりしちまうわ。
ソーリン お前はいい子だ、可愛い女だ。……わたしは尊敬しているよ。……そうとも。……だが、わたしはまた、どうもなんだか……(よろめく)目まいがする。(テーブルにつかまる)気持が悪い、とまあいった次第でな。
アルカージナ (仰天して)ペトルーシャ! (懸命に彼をささえながら)ペトルーシャ、しっかりして……(叫ぶ)誰か来て。誰か早く!……

頭に包帯したトレープレフと、メドヴェージェンコ登場。

アルカージナ 気持が悪くなったのよ!
ソーリン いやなに、なんでもない……(ほほえんで、水を飲む)もう直った……とまあいった次第でな。……
トレープレフ (母親に)びっくりしないで、ママ、べつに危険はないから。伯父さんは近ごろちょいちょい、これが起るんです。(伯父に)伯父さん、少し横になるんですね。
ソーリン うん、ちょっぴりな。……だが、とにかく町へは行くよ。……ひと休みして出かける……論より証拠だ……(杖
つえ
にすがりながら歩く)
メドヴェージェンコ (腕を支えてやりながら)こんな謎々
なぞなぞ
がありますよ。朝は四つ足、昼は二本足、夕方は三本足……
ソーリン (笑う)そのとおり。そして、夜にゃ仰向けか。いやありがとう、もう一人で行けますよ……
メドヴェージェンコ ほらまた、そんな遠慮を!……(彼とソーリン退場)
アルカージナ ああ、びっくりした!
トレープレフ 伯父さんには、田舎ぐらしが毒なんだ。くさくさするんですよ。もしママが、気前よくポンと千五百か二千貸してあげたら、あの人まる一年は町で暮せるのになあ。
アルカージナ わたしにお金があるもんですか。わたしは女優で、銀行家じゃないもの。

間。

トレープレフ ママ、包帯を換えてくれませんか。あなたは上手
じょうず
だから。
アルカージナ (薬品戸棚からヨードホルムと包帯箱を取り出す)ドクトルは遅いこと。
トレープレフ 十時ごろって言ってたのに、もうお午
ひる
だ。
アルカージナ お坐
すわ
り。(彼の頭から包帯をとる)まるでターバンをしてるみたいだねえ。きのう、よそ者が台所へ来て、お前のことをなに人
じん
かと聞いていたっけ。でも、ほとんどもう癒
なお
ったようだね。あとはほんのちょっぴりだ。(彼の頭に接吻
せっぷん
する)わたしがいなくなってから、またパチンとやりはしないだろうね?
トレープレフ やりゃしませんよ、ママ。あのとき僕、とてつもなく絶望しちまって、つい自制できなかったんです。もう二度とやりはしません。(母の手に接吻する)ああ、この手――お母さんは、じつにまめな人ですね。おぼえてますよ、ずっと昔のこと、あなたがまだ国立の劇場に出ていたころ、――僕はほんの子供だったけれど、――アパートの中庭でけんかがあって、店子
たなこ
の洗濯女がひどくなぐられたことがあったっけ。ね、おぼえてますか? 気絶したその女を、みんなで抱きあげて……それからお母さんは、しじゅうその女を見舞いに行って、薬を持ってってやったり、子供たちに桶
おけ
で行水を使わしたりしましたね。あれ、おぼえてないかしら?
アルカージナ 忘れたわ。(新しい包帯を巻いてやる)
トレープレフ うちと同じアパートに、あのころバレリーナが二人住んでいて……よくお母さんのところへ、コーヒーを飲みに来たっけ……
アルカージナ それは、おぼえていますよ。
トレープレフ ふたりとも、じつに信心ぶかい人でしたね。(間)このごろ、あれ以来の幾日かというもの、僕はまるで子供のころに返ったみたいに、甘えたいような気持で、ただもう一すじに、お母さんを愛しています。あなたのほかに、今じゃ僕には誰ひとりいないんです。ただね、なんだってお母さんは、あんな男に引きずり回されるんです、なぜです?
アルカージナ お前は、あの人がわからないんだよ。えコンスタンチン。あの人は、人格の高いりっぱな人ですよ……
トレープレフ ところが、僕が決闘を申しこもうとしていると人から聞くと、人格者たちまち変じて卑怯者
ひきょうもの
になっちまったってね。いよいよ発

つんでしょう。見ぐるしい脱走だ!
アルカージナ ばかをお言い! ここを発つように頼んだのは、このわたしですよ。
トレープレフ 人格の高いりっぱな人か! やっこさんのおかげで、このとおり母子
おやこ
げんかになりかけてるというのに、今ごろご本人は客間か庭のどこかで、われわれをせせら笑っていることでしょうよ……ニーナを大いに啓発して、彼こそ天才だということを、徹底的にあの子の胸に叩
たた
きこもうと、大童の最中でしょうよ。
アルカージナ お前は、わたしに厭
いや
がらせを言うのが楽しみなんだね。わたしはあの人を尊敬しているのだから、わたしの前じゃあの人のことを悪く言わないでもらいたいね。
トレープレフ ところが僕は尊敬していない。お母さんは、僕にまであの男を天才だと思わせたいんでしょうが、僕は嘘
うそ
がつけないもんで失礼――あいつの作品にゃ虫酸
むしず
が走りますよ。
アルカージナ それが妬
ねた
みというものよ。才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ!
トレープレフ (皮肉に)ほんものの天才か! (憤然として)こうなったらもう言っちまうが、僕の才能は、あんたがたの誰よりも上なんだ! (頭の包帯をむしりとる)あんたがた古い殻
から
をかぶった連中が、芸術の王座にのしあがって、自分たちのすることだけが正しい、本物だと極

めこんで、あとのものを迫害し窒息させるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか! 断じて認めないぞ、あんたも、あいつも!
アルカージナ デカダン……!
トレープレフ さっさと古巣の劇場
こや
へ行って、気の抜けたやくざ芝居にでも出るがいいや!
アルカージナ 憚
はばか
りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わたしにはかまわないどくれ! お前こそ、やくざな茶番
ボードビル
ひとつ書けないくせに。キーエフの町人! 居候
いそろう

トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!

トレープレフ腰をおろして、静かに泣く。

アルカージナ いくじなし! (興奮してふらふら歩きながら)泣くんじゃない。泣かないでもいいの。……(泣く)いいんだよ。……(息子
むすこ
の額や頬や頭にキスする)可愛いわたしの子、堪忍
かに
しておくれ。……罪ぶかいお母さんを赦
ゆる
しておくれ。不仕合せなわたしを赦しておくれ。
トレープレフ (母親を抱いて)僕の気持がお母さんにわかったらなあ! 僕は何もかも、すっかり失

くしてしまった。あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……
アルカージナ そう気を落すんじゃない。……みんなうまく行きますよ。あの人は今すぐ発っていくし、あの子もまたお前が好きになるよ。(息子の涙を拭

いてやる)さ、もういい。これで仲直りよ。
トレープレフ (母親の手にキスして)ええ、ママ。
アルカージナ (やさしく)あの人とも仲直りしてね。決闘なんぞいるものかね。……ね、そうだね。
トレープレフ え、いいです。……ただね、ママ、あの男と顔を合せないで済むようにしてください。思っただけでも辛いんです……とても駄目なんです……(トリゴーリン登場)ほら来た。僕出ていきます。……(手早く薬品を戸棚にしまう)包帯はいずれ、ドクトルにしてもらいます……
トリゴーリン (本のページをさがしながら)百二十一ページ……十一と二行。……これだ。……(読む)「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」

トレープレフ、床の包帯をひろって退場。

アルカージナ (時計をちらと見て)そろそろ馬車が来ますよ。
トリゴーリン (ひとりごと)もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。
アルカージナ あなたの荷づくりは、もうできたでしょうね?
トリゴーリン (もどかしげに)ええ、ええ……(考えこんで)この清らかな心の呼びかけのなかに、なぜおれには悲哀の声が聞えるんだろう。なぜおれの胸は、切ないほどに緊

めつけられるんだろう?……もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。(アルカージナに)もう一日、いようじゃないか!

アルカージナ、かぶりを振る。

トリゴーリン ね、いようじゃないか!
アルカージナ あなた、何に後ろ髪を引かれてらっしゃるか、わたしちゃんと知っていますよ。でも、自制力がなくちゃ駄目。ちょっぴり酔ってらっしゃる、正気におなりなさい。
トリゴーリン 君もひとつ正気になってもらいたいな。聡明
そうめい
な、分別のある人間になって、お願いだから、この問題をじっくり見ておくれ、真実の友としてね。……(女の手を握って)君は犠牲になれる人だ。……僕の親友になってくれ、僕を行かせておくれ……
アルカージナ (すっかり興奮して)そんなに夢中なの?
トリゴーリン どうしても惹

きつけられるんだ! ひょっとすると、これこそ僕の求めていたものかも知れない。
アルカージナ たかが田舎娘の愛がね? あなたはなんて自分を知らないんでしょうね!
トリゴーリン 時どき人間は、歩きながら眠ることがある。まさにそのとおりこの僕も、こうして君と話をしていながら、じつはうとうとして、あの子の夢を見ているようなものだ。……なんともいえない甘い夢想の、とりこになってしまったんだ。……行かせておくれ。
アルカージナ (ふるえながら)厭
いや
、厭。……わたしは平凡な女だから、そんな話は、お門
かど
ちがいよ。……いじめないで、わたしを、ボリース。……わたし、こわい……
トリゴーリン その気になりさえすりゃ、非凡な女になれるんだ。幻の世界へ連れていってくれるような、若々しい、うっとりさせる、詩的な愛――この世でただそれだけが、幸福を与えてくれるのだ! そんな愛を、僕はまだ味わったことがない。……若いころは、雑誌社へお百度をふんだり、貧乏と闘ったりで、そんなひまがなかった。今やっとそれが、その愛が、ついにやってきて、手招きしているんだ。……それを避けなければならん理由が、どこにある?
アルカージナ (憤然と)気がちがったのね!
トリゴーリン それでもかまわん。
アルカージナ あんたがたは今日、言い合せたように、寄ってたかってわたしをいじめるのね! (泣く)
トリゴーリン (自分の頭をかかえて)わかってくれない! てんでわかろうとしないんだ!
アルカージナ ほんとにわたし、そんなに老

けて、みっともなくなってしまったの? わたしの前で、ほかの女の話を大っぴらにやれるなんて! (男を抱いてキスする)ああ、あなたは正気じゃないのよ! わたしの大事な、いとしいひと……。あなたこそ――わたしの一生の最後のページよ! (ひざまずく)わたしの悦
よろこ
び、わたしの誇り、わたしの無量の幸福……(彼の膝
ひざ
を抱く)たとえ一時間でもあなたに棄

てられたら、わたしは生きちゃいない、気がちがってしまう。わたしのすばらしい、輝かしい人、わたしの王さま……
トリゴーリン 人が来ますよ。(女をたすけ起す)
アルカージナ いいじゃないの。あなたを愛しているこの気持が、誰に恥ずかしいものですか。(男の両手にキスする)わたしの大事な宝もの、向う見ずな悪いひと、あなたはばかなまねがしたいんでしょうけれど、わたしは厭
いや
です、放しません。……(笑う)あなたは、わたしのものなの、わたしのものよ。この額
ひたい
もわたしのもの。この眼もわたしのもの。このきれいな、絹のような髪の毛も、やっぱりわたしのもの。……あなたはすっかり、わたしのもの。あなたは本当に天才で、聡明で、今のどの作家よりもりっぱで、ロシアのただ一つの希望なのよ。……あなたの筆には、まごころがこもって、じつにすっきりして、新鮮で、おまけに健康なユーモアがあるわ。……あなたはほんの一刷毛
はけ
で、人物や風景のカン所が出せるのね。あなたの人物は生きているわ。あなたのものを読んで、夢中になれずにいられるものですか! これがお世辞だと思うの? わたしのおべっかなの? さ、わたしの眼を見てちょうだい……よく見て……。わたしが嘘
うそ
つきに見えて? そらごらんなさい、あなたの偉さのわかるのは、わたしだけよ。本当のことをあなたに言うのも、わたしだけよ、ね、大事な、可愛
かわい
いひと。……発

つでしょうね? そうでしょ? わたしを棄てはしないことね?
トリゴーリン おれには自分の意志というものがない。……おれはついぞ、自分の意志をもった例
ため
しがないのだ。……気の抜けた、しんのない、いつも従順な男――一体これで女にもてるものだろうか? さ、つかまえて、どこへなり連れて行ってくれ。ただね、一足もそばから放すんじゃないぞ……
アルカージナ (ひとりごと)これで、わたしのものだ。(けろりと、どこを風が吹くといった調子で)でもね、もしお望みなら、お残りになってもいいことよ。わたしは一人で発つから、あなたはあとで、一週間もしたら帰ってらっしゃい。あなたはべつに、急ぐ用もないんですものね。
トリゴーリン いや、こうなったらいっしょに発とう。
アルカージナ お好きなように。いっしょならいっしょでいいわ。……(間)

トリゴーリン、手帳に書きこむ。

アルカージナ なんですの、それ?
トリゴーリン けさ、うまい言い方を聞いたもんでね。「処女の林……」だとさ。これは使える。(伸びをする)じゃ、出かけるんだね? また汽車か、停車場、食堂、カツレツ、おしゃべり……
シャムラーエフ (登場)まことに残念ながら、申しあげます、馬車をお回ししました。どうぞ奥さま、停車場へお出かけの時刻です。汽車は二時五分に着きます。それではアルカージナさま、おそれいりますが、役者のスズダーリツェフが今どこにいますか、お忘れなくお調べねがいますよ。生きているかな? 達者ですかな? むかしはいっしょに飲んだものでしたっけ。あの『郵便強盗』(訳注 十九世紀末のメロドラマの題)なんかやらせると、天下一品でしたな。……あれといっしょに、さよう、エリサヴェトグラードで悲劇役者のイズマイロフが出ておりましたが、これまたなかなかの傑物
えらぶつ
でしてな。……いや奥さま、そうお急ぎになることはありません、まだ五分は大丈夫です。あるメロドラマでね、連中が謀叛人
むほんにん
をやった時でしたが、不意に捕

り手が踏みこむところで「残念、ワナにかかったか」と言うべきところを、イズマイロフは――「残念、ナワにかかったか」とやってね……(哄笑
こうしょう
する)ナワにかかったか!

彼がしゃべっている間に、ヤーコフは旅行カバンの世話をやき、小間使は帽子やマントやコウモリや手袋を、アルカージナに持ってくる。皆々アルカージナの身支度を手伝う。左手のドアから料理人がのぞきこみ、しばらくためらった後、おずおずとはいってくる。ポリーナ、やがてソーリン、メドヴェージェンコ登場。

ポリーナ (手かごを持って)このスモモを、どうぞ道中めしあがって……。大そう甘うございますよ。何か変ったものも、欲しくおなりかも知れませんから……
アルカージナ まあ御

親切にね。ポリーナさん。
ポリーナ ご機嫌よろしゅう、奥さま! 不行届きのことがありましたら、お赦しくださいまし。(泣く)
アルカージナ (彼女を抱いて)みんな結構でしたよ、結構でしたよ。ただその、泣くのがいけないわ。
ポリーナ わたくしたちの時は過ぎて行きますもの!
アルカージナ 仕方のないことよ!
ソーリン (トンビに中折れ帽をかぶり、ステッキを持って左手のドアから登場。部屋を横ぎりながら)お前、もう時間だよ。おくれたら事だからな、早い話が。わたしは行って乗りこんでるよ。(退場)
メドヴェージェンコ 僕は停車場まで歩いて行きます……お見送りにね。ひとつ急いで……(退場)
アルカージナ さようなら、皆さん。……おたがい無事で達者だったら、また夏お目にかかりましょうね。……(小間使、ヤーコフ、料理人、それぞれ彼女の手にキスする)わたしを忘れないでね。(料理人に一ルーブリやって)この一ルーブリ、三人でお分け。
料理人 どうもありがとうございます、奥さま。道中ごぶじで! 何かとよくして頂きまして!
ヤーコフ どうぞ、ご息災で!
シャムラーエフ ちょいと一筆お手紙を頂きたいもので! ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
アルカージナ どこだろう、コンスタンチンは? わたしは発

ちますって、あの子に言っておくれ。お別れをしなくては。じゃ皆さん、悪く思わないでね。(ヤーコフに)コックさん一ルーブリ渡しましたよ。あれは三人分だからね。

一同右手へ退場。舞台空虚。舞台うらで、見送りによくあるざわめき。小間使がもどってきて、テーブルからスモモの籠
かご
をとり、ふたたび退場。

トリゴーリン (もどってくる)ステッキを忘れたぞ。たしかテラスにあるはずだが。(行きかけて、左手のドアのところで、はいってくるニーナに出あう)ああ、あなたか? われわれはもう発ちます。
ニーナ まだお目にかかれるような気が、していましたわ。(興奮して)トリゴーリンさん、わたしきっぱり決心しました。賽
さい
は投げられたんです、わたし舞台に立ちます。あしたはもう、ここにはいません。父のところを出て、一切をすてて、新しい生活を始めます。……わたしも、あなたと同じに……モスクワへ発ちます。あちらでお目にかかりましょう。
トリゴーリン (ちらと後ろを振返って)宿は、「スラヴャンスキイ・バザール」(訳注 モスクワの有名なホテル)になさい。……そしてすぐ僕に知らせて……モルチャーノフカ、グロホーリスキイ館。……いまは急ぐから……(間)
ニーナ もう一分だけ……
トリゴーリン (小声で)あなたは、なんてすばらしい……。ああ、またすぐ会えるかと思うと、じつに幸福だ! (彼女は男の胸にもたれかかる)僕はまた見られるのだ――この魅するような眼を、なんとも言えぬ美しい優しい微笑を……この柔和な顔だちを、天使のように清らかな表情を。……僕の大事な……(長いキス)
――幕――

◯第三幕と第四幕のあいだに二年経過。
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第四幕

ソーリン家の客間の一つ。今はトレープレフが仕事部屋に使っている。右手と左手にドアがあって、それぞれ奥の間へ通じる。正面はテラスへ出るガラス戸。ふつうの客間用の調度のほかに、右手の隅
すみ
に書きものデスク、左手ドア寄りにトルコ風の長椅子
ながいす
、書棚。窓や椅子のそこここに本。――宵
よい
。笠
かさ
つきのランプが一つともっている。薄暗い。木立のざわめきや、煙突のなかで風のうなる音がする。夜番の拍子木
ひょうしぎ
の音。メドヴェージェンコとマーシャ登場。

マーシャ (呼ぶ)トレープレフさん! トレープレフさん! (見まわしながら)だあれもいない。爺
じい
さんたら、のべつ幕なしに聞きどおしなんだもの、コースチャはどこにいる、コースチャはどこにいるって。……あの人がいないじゃ、生きてられないのね……
メドヴェージェンコ 孤独がこわいんだ。(耳をすます)なんて凄
すご
い天気だ! これでもう二昼夜だからな。
マーシャ (ランプの火を大きくして)湖には波が立ってるわ。大きな波が。
メドヴェージェンコ 庭はまっ暗だ。ひとつ毀
こわ
すように言わなけりゃいかんな、庭のあの小劇場はね。むき出しで、醜く立っているざまは、まるで骸骨
がいこつ
だ。幕は風でばたついているし。ゆうべ僕があのそばを通りかかったら、誰かなかで泣いてるような気がしたよ。
マーシャ また、あんなことを……(間)
メドヴェージェンコ うちへ帰ろう、マーシャ!
マーシャ (かぶりを振る)わたし、ここに泊るの。
メドヴェージェンコ (哀願するように)マーシャ、帰ろうよ! 赤んぼがきっと、腹をすかしてるよ。
マーシャ 平気よ。マトリョーナが飲ませてくれるわ。(間)
メドヴェージェンコ 可哀
かわい
そうだ。もうこれで三晩、おっ母

さんの顔を見ないんだからな。
マーシャ あんたも、退屈な人になったものね。以前は、哲学の一つも並べたものだけれど、今じゃのべつ、赤んぼ、帰ろう、赤んぼ、帰ろう、なんだもの、――ばかの一つ覚えみたい。
メドヴェージェンコ 帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ ひとりで帰ったらいいわ。
メドヴェージェンコ お前のお父さん、僕にゃ馬を出してくれないよ。
マーシャ 出してくれてよ。願いますと言や、出してくれるわ。
メドヴェージェンコ まあ、頼んでみよう。じゃあすは帰るだろうね?
マーシャ (かぎタバコをかぐ)ええ、あしたはね。うるさいわねえ……

トレープレフとポリーナ登場。トレープレフは枕
まくら
と毛布を、ポリーナはシーツを持ちこみ、トルコ風の長椅子の上に置く。それからトレープレフは自分のデスクに行って、腰をおろす。

マーシャ それ、どうするの、ママ?
ポリーナ ソーリンさんが、コースチャの部屋に床
とこ
をとってくれとおっしゃるんだよ。
マーシャ わたしがするわ……(寝床をつくる)
ポリーナ (ため息をついて)年をとると、子供も同じだねえ……(デスクに近寄り、肘
ひじ
をついて原稿をながめる。間)
メドヴェージェンコ じゃ、僕は行こう。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキスする)おやすみなさい、お母さん。(しゅうとの手にキスしようとする)
ポリーナ (腹だたしげに)いいからさ! さっさとお帰り。
メドヴェージェンコ おやすみ、トレープレフさん。

トレープレフ黙って手を出す。メドヴェージェンコ退場。

ポリーナ (原稿をながめながら)ねえ、コースチャ、あなたが本当の文士になるなんて、誰ひとり夢にも思いませんでしたよ。それが今じゃ、ありがたいことに、方々の雑誌からお金がくるようになりましたものね。(彼の髪を撫

でる)それに、男前も一段とあがって、……ねえ、可愛
かわい
いコースチャ、いい子だから、うちのマーシャに、もう少し優しくしてやってくださいね!……
マーシャ (床をのべながら)そっとしておいたげてよ、ママ。
ポリーナ (トレープレフに)これで、なかなか好い子さんですよ。(間)女というものはね、コースチャ、優しい目で見てもらいさえすりゃ、ほかになんにも要

らないものよ。わたしも身に覚えがあるけど。

トレープレフ、デスクから立ちあがり、黙って退場。

マーシャ ほら、怒らしちまった。うるさくするからよ!
ポリーナ わたしはお前が不憫
ふびん
なんだよ、マーシェンカ。
マーシャ ありがたい仕合せだわ!
ポリーナ お前のことで、わたしは胸を痛めつづけてきたよ。すっかり見てるんだものね、みんなわかってるんだものね。
マーシャ みんな、ばかげたことよ。望みなき恋なんて、小説にあるだけだわ。くだらない。ただ、よせばいいのよ――甘ったれた気持になって、待てば海路の日和
ひより
だかなんだか、ぽかんと何かを待っている、そんな態度をね。……心に恋が芽を出したら、摘んで捨てるまでのことよ。うちの人を、ほかの郡へ転任させてくれるって話になってるの。そこへ移ってしまえば、――きれいに忘れるわ……胸から根こぎにしてしまうわ。

ふた部屋ほど向うで、メランコリックなワルツが聞える。

ポリーナ コースチャが弾いている。気がふさぐんだね。
マーシャ (音を立てずに、二回り三回りワルツを舞う)肝心なのはね、ママ、目の前に見えないということなのよ。うちのセミョーンが転任になりさえすりゃ、あっちへ行って、ひと月で忘れてみせるわ。みんな、くだらないことよ。

左手のドアがあいて、ドールンとメドヴェージェンコが、車椅子のソーリンを押しながら登場。

メドヴェージェンコ 僕のところは、今じゃ六人家族でしてね。ところが粉は一プード(訳注 十六キロ余)七十コペイカもするんで。
ドールン そこでキリキリ舞いになる。
メドヴェージェンコ あなたは笑っていればいいでしょう。お金のうなってる人はね。
ドールン お金が? 開業して以来三十年、いいかね君、しかも昼も夜

も自分が自分のものでない、落ちつかぬ生活をしてきて、蓄

めた金がやっと二千だぜ。それもこのあいだ、外国旅行で使ってしまった。僕は一文なしさ。
マーシャ (夫に)まだ帰らなかったの?
メドヴェージェンコ (済まなそうに)どうしたらいいのさ? 馬を出してくれないもの!
マーシャ (さも忌々
いまいま
しそうに、小声で)あんたみたいな人、見たくもないわ!

車椅子は、室内左手の中央でとまる。ポリーナ、マーシャ、ドールン、そのそばに腰をおろす。メドヴェージェンコは悄気
しょげ
て、わきへしりぞく。

ドールン しかし、ここも変ったものですなあ! 客間が書斎になってしまった。
マーシャ トレープレフさんには、ここのほうがお仕事には都合がいいの。好きな時に庭へ出て、ものが考えられますものね。

夜番の拍子木の音。

ソーリン 妹はどこかな?
ドールン トリゴーリンを迎えに、停車場へね。もうじきお帰りでしょう。
ソーリン あんたが妹をわざわざ呼び寄せられたところをみると、わたしの病気は危ないというわけですな。(ちょっと黙って)どうも妙な話だ、病気が危ないというのに、薬一服くれないんだからね。
ドールン じゃ、何がお望みなんです? カノコ草の水薬ですか? ソーダですか! キニーネですか?
ソーリン ほらまた哲学だ。ああ、なんの因果だろう! (長椅子をあごでしゃくって)それ、わたしの寝床かね?
ポリーナ あなたのですわ、ソーリンさま。
ソーリン それは忝
かたじけ
ない。
ドールン (口ずさむ)「月は夜ぞらを渡りゆく」……
ソーリン わしはコースチャに、ひとつ小説の題材をやりたいよ。題は、こうつけるんだな――『なりたかった男』。つまり『ロンム・キ・ア・ヴーリュ』さ。若いころ、わたしは文学者になりたかった――が、なれなかった。弁舌さわやかになりたかった――が、わたしの話しぶりときたら、いやはやひどいものだった。(自嘲
じちょう
的に)「とまあいった次第で、つまりそのありまして、そのう、ええと……」といったざまでな、なんとか締めくくりをつけよう、つけようとして、大汗かいたものさ。家庭も持ちたかった――が、持てなかった。いつも都会で暮したかった――が、それこうして、田舎
いなか
で生涯を終ろうとしている、とまあいった次第でな。
ドールン 四等官になりたかった――それは、なれた。
ソーリン (笑う)それは別に望んだわけじゃないが、ひとりでにそうなった。
ドールン 六十二にもなって人生に文句をつけるなんて、失礼ながら、――褒

めた話じゃないですよ。
ソーリン なんという、わからず屋だ。生きたいと言っているのに!
ドールン それが浅はかというものです。自然律によって、一切の生は終りなからざるべからずですからね。
ソーリン それ、それが、腹いっぱい食った人の理屈さ。君はおなかがくちいものだから、人生に冷淡で、どうなろうと平気なんだ。だが、いざ死ぬときにゃ、君だって怖
こわ
くなろうさ。
ドールン 死の恐怖は――動物的恐怖ですよ。……それを抑
おさ
えなければね。死を意識的に怖
おそ
れるのは、永遠の生命を信じる人だけです。自分の罪ぶかさが怖くなるのです。ところがあなたは、まず第一に、不信心者ですね。第二に――どんな罪がおありですかな? あなたは二十五年、司法省に勤続された――だけのことでね。
ソーリン (笑う)二十八年……

トレープレフ登場して、ソーリンの足もとの小さな腰掛にかける。マーシャは終始彼から眼をはなさない。

ドールン われわれがこうしていちゃ、トレープレフ君の仕事の邪魔ですな。
トレープレフ いや、かまいません。

間。

メドヴェージェンコ ちょっとお尋ねしますが、ドクトル、外国の町のうち、どこが一等お気に入りました?
ドールン ジェノアですね。
トレープレフ なぜジェノアなんです?
ドールン あすこの街を歩いている群衆がすてきなんです。夕方、ホテルを出てみると、街いっぱい人波で埋まっている。その群衆にまじりこんで、なんとなくあちらこちらとふらついて、彼らと生活を共にし、彼らと心理的に融

け合ううちに、まさしく世界に遍在する一つの霊魂といったものが、あり得ると信じるようになってきますね。つまりほら、いつか君の芝居でニーナさんが演じたあれみたいなね。ところで、ニーナさんは今どこでしょうね? どこに、どうしているでしょうね?
トレープレフ たぶん健在でしょう。
ドールン 僕の聞いたところでは、あの人は何か曰
いわ
くのある生活をしたそうだが、どういうことなのかな?
トレープレフ それは、ドクトル、長い話ですよ。
ドールン それを君、てみじかにさ。(間)
トレープレフ あの人は家出をして、トリゴーリンといっしょになりました。これはご存じですね?
ドールン 知っています。
トレープレフ 赤んぼができる。その子が死ぬ。トリゴーリンはあの人に飽きて、もとのキズナへ帰ってゆく――とまあ、当然の経路をたどったわけです。もっとも、あの男はこれまでも、ついぞ元の女を棄

てた例
ため
しはないんで、ただ持ち前のぐらぐらな性格から、そこここでちょいと引っかけるだけでね。僕の耳にはいったところから判断すると、ニーナの私生活は全然失敗でしたよ。
ドールン 舞台のほうは?
トレープレフ どうやら、もっとひどいらしい。モスクワ郊外の別荘地の小屋で初舞台をふんで、それから地方へ回りました。そのころ僕は、いつもあの人から目を放さないでいて、しばらくは行く先々へついて回ったものです。大きな役ばかり引受けていましたが、演技はがさつで、味もそっけもなく、やたらに吼

え立てる、大仰
おおぎょう
な見得を切る、といった調子でした。時たま、なかなか巧
うま
い悲鳴をあげたり、上手な死に方を見せたりしましたが、それも瞬間だけのことでね。
ドールン すると、とにかく才能はあるんだな?
トレープレフ そこはよくわかりませんでした。まあ、あるんでしょう。こっちじゃ顔を見てるんですが、向うでは僕に会いたがらず、宿へ訪ねてゆくと女中が通してくれないんです。あの人の気持はわかるので、僕もむりに会おうとはしませんでした。(間)さてと、まだ何を話したらいいのかな? やがて僕がうちへ帰ってから、手紙が何通か来ましたっけ。聡明
そうめい
な、あたたかい、なかなかいい手紙でした。べつに愚痴
ぐち
をこぼしてはないのですが、これは並大抵の不仕合せじゃないなと感じられるほど、一行一行、病的な神経が張りつめていました。頭の向きようも、ちょっと変なんです。何しろ署名が、「かもめ」というのですからね。『ルサールカ』(訳注 『水の精』――プーシキンの物語詩。ダルゴムージスキイのオペラがある)の水車屋のおやじは、自分は大鴉
おおがらす
だと言い言いしますが、あの人の手紙にも、自分は「かもめ」だと、のべつに書いてある。今あの人は、ここに来てますよ。
ドールン 来てるって、そりゃまたどうして?
トレープレフ 町のね、はたご屋にいるんです。もう五日ほど、そこに泊ってる。僕も行ってみようと思ったんですが、このマーシャさんが訪ねてみたら、いっさい誰にも会わないということでした。メドヴェージェンコ君の話では、きのう夕方ちかく、ここから二キロほどの原っぱで、あの人に出あったそうです。
メドヴェージェンコ ええ、出あいました。あっち、つまり町のほうへ、歩いて行くところでした。僕が挨拶
あいさつ
して、なぜ遊びに来ないのですと聞くと、そのうち行きますという返事でした。
トレープレフ 来るもんか。(間)親父
おやじ
さんも、まま母も、てんから知らん顔で通しています。それどころか、方々に見張りをおいて、一歩も屋敷へ近づけない算段なんです。(ドクトルといっしょに、デスクのほうへ歩を移す)ねえドクトル、紙の上で哲学者になるのは易
やさ
しいが、実際となるとじつに難
むずか
しいですね!
ソーリン チャーミングな娘だったがな。
ドールン え、なんです?
ソーリン チャーミングな子だった、と言うのさ。四等官ソーリン閣下までが、ひところあの子に惚

れていたものな。
ドールン 老いたる女たらし
ロヴレス
(訳注 リチャードソンの小説『クラリッサ・ハーロウ』の人物の名から)か。

シャムラーエフの笑い声が聞える。

ポリーナ 皆さん停車場からお帰りのようですよ……
トレープレフ そう、ママの声もする。

アルカージナ、トリゴーリン、つづいてシャムラーエフ登場。

シャムラーエフ (はいりながら)われわれはみな、自然の暴威のもとに老いさらばえていきますが、奥さんは相変らず、じつにお若いですなあ。……薄色の〔短〕上衣
うわぎ
を召して、颯爽
さっそう
としてらっしゃる。……典雅ですなあ……
アルカージナ ほらまた褒め立てて、鬼に妬

かせようとなさる、相変らずねえ!
トリゴーリン (ソーリンに)ご機嫌よう、ソーリンさん! また何かご病気ですか? いけませんなあ! (マーシャを見て、嬉
うれ
しそうに)やあ、マーシャさん!
マーシャ おわかりになって? (彼の手を握る)
トリゴーリン 結婚しましたか?
マーシャ もうとっくに。
トリゴーリン 幸福ですか? (ドールンやメドヴェージェンコと会釈
えしゃく
をかわしたのち、ためらいがちにトレープレフのほうへ歩み寄る)アルカージナさんのお話だと、あなたはもう昔のことは水に流して、ご立腹もとけたそうですが。

トレープレフ、彼に手をさし出す。

アルカージナ (息子に)ほら、トリゴーリンさんは、お前の新作の載っている雑誌を持ってきてくだすったんだよ。
トレープレフ (雑誌を受けながら、トリゴーリンに)おそれいります、ご親切に。(腰をおろす)
トリゴーリン あんたの崇拝者たちから、宜
よろ
しくとのことです。……ペテルブルグでもモスクワでも、概してあなたに興味をもっていて、僕はしょっちゅう、あんたのことを訊

かれますよ。どんな人だの、年は幾つだの、ブリュネットかブロンドかだの、といったふうにね。みんな、どうしたわけか、あなたを年配の人のように思っている。それに誰ひとり、あんたの本名を知る者がない。なにしろあんたは、いつもペンネームで発表するものだから。あんたは、あの『鉄仮面』(訳注 ルイ十四世の代にバスチーユで獄死した謎の人物。父デュマの小説などで有名)みたいに、神秘の人ですよ。
トレープレフ ずっとご逗留
とうりゅう
ですか?
トリゴーリン いや、あすはモスクワへ発

とうと思っています。やむを得ません。中編ものを一つ急いで書きあげなければならんし、ほかにまだ、ある選集にも何かやる約束になっているので、一口で言えば――相も変らず、ですよ。

彼らが話している間に、アルカージナとポリーナは部屋の中央にカルタ机をすえ、左右の翼
よく
を上げる。シャムラーエフは蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともしたり、椅子
いす
を並べたりする。戸棚からロトー(訳注 Loto 数字あわせの遊び。一から九〇までの数字を飛び飛びに記した盤を配っておき、一人が袋または筒から賽を一つずつ取出しながらそこに刻まれた数字を言う。盤上の数字が先に埋まった人が勝ち)の箱が取出される。

トリゴーリン せっかく来たのに、わるい天気にぶつかったものだ。すさまじい風ですな。あす朝もしおさまったら、湖へ釣りに出ますよ。ついでにお庭と、そらあの場所――ね、覚えてますか――あんたの芝居をやったあすこを、検分しなければならない。モチーフは熟しているんですが、ただ現場の記憶を新たにする必要があるんで。
マーシャ (父親に)パパ、うちの人に馬を出してやってちょうだい! うちへ帰らなくちゃならないんだから。
シャムラーエフ (口まねをして)馬を……帰らなくちゃ……(厳格に)その眼で見たろう――今しがた停車場へ行って来たばかりだ。そうそうこき使うわけにはいかん。
マーシャ ほかの馬だってあるじゃないの。(父親が黙っているのを見て、片手を振る)またけんかのたねね……
メドヴェージェンコ マーシャ、ぼく歩いて帰るよ。いいからさ……
ポリーナ (ため息をついて)歩いて、こんな天気に……(カルタ机に向って腰をおろす)さ、どうぞ、皆さん。
メドヴェージェンコ たかが六キロですからね。……(妻の手にキスをする)おやすみなさい、おっ母さん。(しゅうとはキスを受けるため渋々手を出す)僕はだれにも心配はかけたくないんですが、ただ赤んぼが……(一同に頭をさげる)おやすみなさい。……(退場。さも申し訳なさそうな物腰)
シャムラーエフ なんとか帰れるさ。将軍じゃあるまいし。
ポリーナ (机をたたく)さ、いかが、皆さん。時間が無駄ですよ、ぐずぐずしてると、お夜食をしらせに来ますわ。

シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、カルタ机につく。

アルカージナ (トリゴーリンに)秋の夜ながになると、ここではロトーをして遊ぶんですよ。ほらね、ずいぶん古いロトーでしょう。なにしろわたしたちが子供だったころ、亡くなった母がいっしょに遊んでくれた道具ですものねえ。お夜食まで、いっしょに一勝負なさらない? (トリゴーリンとともに席につく)つまらない遊びだけど、馴

れるとこれで、悪くないものよ。(一同に三枚ずつ紙の盤をくばる)
トレープレフ (雑誌をめくりながら)自分の小説は読んでるくせに、僕のはページも切ってやしない。(雑誌をデスクに置き、左手のドアへ行きかける。母親のそばを通りかかって、その頭にキスする)
アルカージナ どう、お前も、コースチャ?
トレープレフ ご免なさい、なんだかしたくないんです。……ちょっと歩いてきます。(退場)
アルカージナ 賭

け金は十コペイカよ。ドクトル、わたしの分、たて替えておいてちょうだい。
ドールン 承知しました。
マーシャ みなさん、お賭けになった? じゃ始め。……二十二!
アルカージナ はい。
マーシャ 三!
ドールン はあい。
マーシャ 三をお置きになって? 八! 八十一! 十!
シャムラーエフ まあそう急ぐな。
アルカージナ わたし、ハリコフで受けた歓迎ぶりを思い出すと、今でも頭がくらくらするわ、皆さん!
マーシャ 三十四!

舞台うらで、メランコリックなワルツのひびき。

アルカージナ 大学生が、お祭さわぎをしてくれてね……花籠
はなかご
が三つ、花束が二つ、それからほら……(胸からブローチをはずして、机上に投げだす)
シャムラーエフ なるほど、こりゃ大したものだ……
マーシャ 五十!……
ドールン 五十きっかり?
アルカージナ わたしの舞台衣裳
いしょう
ときたら、豪勢なものでしたよ。……なんといっても、着付けにかけちゃ、わたしゃ負けませんからね。
ポリーナ コースチャが弾

いている。気がふさぐのね。可哀
かわい
そうに。
シャムラーエフ 新聞でひどく叩
たた
かれてるね。
マーシャ 七十七!
アルカージナ 気にしないでもいいのに。
トリゴーリン あの人はどうも運が向かない。未
いま
だに、ほんとの調子が出ないんですな。何かこう変てこで、あいまいで、時によるとウワ言みたいなところさえある。人物がさっぱり生きてない。
マーシャ 十一。
アルカージナ (ソーリンをふり返って)ペトルーシャ、あなた退屈? (間)寝てるわ。
ドールン 四等官殿はおねんねだ。
マーシャ 七! 九十!
トリゴーリン わたしがもし、こんな湖畔の屋敷に住んだとしたら、とても物を書く気にはなりますまいな。そんな欲望はうっちゃりにして、魚ばかり釣ってるでしょうよ。
マーシャ 二十八!
トリゴーリン ボラやマスを釣りあげるのは――なんとも言えんいい気持だ!
ドールン しかし僕は、トレープレフ君を信じていますよ。何かがある! 何かがね! あの人はイメージでもって思索する。だから小説が絵画的で、鮮明で、僕は強烈な感じを受けますね。ただ惜しむらくは、あの人には、はっきりきまった問題がない。印象を生みはするが、それ以上に出ない。なにせ印象だけじゃ、大したことにはなりませんからね。アルカージナさん、作家の息子さんを持って、嬉しいでしょうな?
アルカージナ それがね、あなた、まだ読んだことがないの。ひまがなくてね。
マーシャ 二十六!

トレープレフ静かに登場。自分のデスクへ行く。

シャムラーエフ (トリゴーリンに)そうそう、トリゴーリンさん、あなたの物が残っていましたっけ。
トリゴーリン はてな?
シャムラーエフ いつぞやトレープレフさんが射落した鴎
かもめ
ね。あれを剥製
はくせい
にしてくれって、ご注文でしたが。
トリゴーリン 覚えがない。(しきりに考えながら)覚えがないなあ!
マーシャ 六十六! 一!
トレープレフ (窓をパッとあけて、耳をすます)なんて暗いんだ! なぜこう胸さわぎがするのか、どうもわからん。
アルカージナ コースチャ、窓をおしめ、吹きこむじゃないの。

トレープレフ、窓をしめる。

マーシャ 八十八!
トリゴーリン はい、揃
そろ
いました。
アルカージナ (うきうきして)うまい、うまい!
シャムラーエフ ブラボー!
アルカージナ この人はね、いつどこへ行っても運がいいのよ。(立ちあがる)じゃあちらで、何かちょっと頂きましょう。うちの有名な先生は、今日は夕飯ぬきでしたからね。お夜食のあとで、またやりましょう。(息子に)コースチャ、原稿はやめて、食堂へ行きましょう。
トレープレフ 欲しくないよ、ママ、おなかがいっぱいだから。
アルカージナ ご勝手に。(ソーリンをおこす)ペトルーシャ、お夜食ですよ! (シャムラーエフと腕を組む)話してあげるわね、ハリコフでどんなに歓迎されたか……

ポリーナ、カルタ机の上の蝋燭を消してから、ドールンといっしょに椅子を押して行く。一同左手のドアから退場。舞台には、デスクに向ったトレープレフだけ残る。

トレープレフ (書きつづけようとして、今まで書いたところに目を走らせる)おれは口ぐせみたいに、新形式、新形式と言ってきたが、今じゃそろそろ自分が、古い型へ落ちこんでゆくような気がする。(読む)「塀
へい
のポスターに曰
いわ
く……。蒼白
あおじろ
い顔が、黒い髪の毛にふちどられて……」曰く、ふちどられて……。ふん、なっちゃいない。(消す)いっそ主人公が、雨の音で目をさますところから始めて、あとはみんな切っちまおう。月夜の描写が長たらしく、凝りすぎている。トリゴーリンは、ちゃんと手がきまっているから、楽なもんだ。……あいつなら、土手の上に割れた瓶
びん
のくびがきらきらして、水車の影が黒く落ちている――それでもう月夜ができあがってしまう。ところがおれは、ふるえがちの光だとか、静かな星のまたたきだとか、しんとした匂
にお
やかな空気のなかに消えてゆくピアノの遠音だとか……いや、こいつは堪
たま
らん。(間)そう、おれはだんだんわかりかけてきたが、問題は形式が古いの新しいのということじゃなくて、形式なんか念頭におかずに人間が書く、それなんだ。魂のなかから自由に流れ出すからこそ書く、ということなんだ。(デスクに最寄
もよ
りの窓を、誰かが叩
たた
く)なんだろう? (窓を覗
のぞ
く)なんにも見えない。……(ガラス戸をあけて、庭を見る)誰か石段を駆けおりたな。(呼びかける)誰だ、そこにいるのは? (出てゆく。彼がテラスを足早に歩く音がする。半分間ほどして、ニーナを連れもどってくる)ニーナ! ニーナ!

ニーナは頭を彼の胸におし当て、忍び音にむせび泣く。

トレープレフ (感動して)ニーナ! ニーナ! 君か……君だったのか……。僕は虫が知らしたのか、朝からずっと、胸がきりきりしてならなかった。(彼女の帽子と長外套
がいとう
をとってやる)ああ、僕の可愛
かわい
い、大事なひとが帰ってきた! 泣くのはよそう、泣くのは。
ニーナ 誰かいるわ。
トレープレフ 誰もいやしない。
ニーナ ドアの錠をおろして。はいってくると困るわ。
トレープレフ 誰も来やしない。
ニーナ 知ってるわ、アルカージナさんが来てること。だから閉めて……
トレープレフ (右手のドアの鍵
かぎ
をかけ、左手のドアに歩み寄る)ここには錠前がない。椅子
いす
でふさいでおこう。(ドアの前に肘
ひじ
かけ椅子を据える)さ、もう心配しないで、誰も来ないから。
ニーナ (彼の顔をじっと見つめる)ちょっと、お顔を見させて。(あたりを見回して)暖かくて、いい気持。……あのころ、ここは客間だったのね。わたし、ひどく変ったかしら?
トレープレフ そう……だいぶ痩

せて、眼が大きくなったな。ニーナ、こうして君を見ていると、なんだか不思議な気がする。どうしてあんなに、僕を寄せつけなかったの? どうして今まで来なかったの? 僕は知ってますよ、君がもう一週間ちかく、この土地にいることは。……僕は毎日、なんべんも君の宿まで行っては、君の窓の下に立っていた。乞食
こじき
みたいにね。
ニーナ あなたがさぞ、わたしを憎んでらっしゃるだろうと、それが怖
こわ
かったの。毎晩おなじ夢を見るのよ――それは、あなたがわたしを見ているくせに、わたしとは気がつかないの。この気持、知ってくだすったらねえ! ここへ着いたその日から、わたしはあすこ……湖のへんを歩いていたの。お宅の近くにもたびたび来たけれど、はいる勇気がなかったわ。さ、坐
すわ
りましょう。(ふたり腰をおろす)坐って、思いっきり話しましょう。ここはいいわ、ぽかぽかして、居心地がよくって……。あの音は……風ね? ツルゲーネフに、こういうところがあるわ、――「こんな晩に、うちの屋根の下にいる人は仕合せだ、暖かい片隅
かたすみ
を持つ人は」わたしは、かもめ。……いいえ、それじゃない。(額をこする)何を言ってたんだっけ? そう……ツルゲーネフね……「主
しゅ
よ、ねがわくは、すべての寄辺
よるべ
なき漂泊
さすらい
びとを助けたまえ」……いいの、なんでもないの。(むせび泣く)
トレープレフ ニーナ、君はまた……ニーナ!
ニーナ いいの、これで楽になるわ。……わたし、もう二年も泣かなかった。ゆうべおそく、こっそりお庭へはいって、あのわたしたちの劇場が無事かどうか、見に行きました。あれは、まだ立っていますわね。それを見たとき、二年ぶりで初めて泣いたの。すると胸が軽くなって、心の霧が晴れました。ほらね、わたしもう泣いていないわ。(彼の手をとる)で、こうして、あなたはもう作家なのね。……あなたは作家、わたしは――女優。お互いに、渦巻
うずまき
のなかへ巻きこまれてしまったのね。……あのころのわたしは、子供みたいにはしゃいで暮していたわ――あさ目がさめると、歌をうたいだす。あなたを恋してたり、名声を夢みたり。それが今じゃどう? あしたは朝早く、三等に乗ってエレーツへ行くのよ……お百姓さんたちと合乗りでね。そしてエレーツじゃ、教育のある商人連中が、ちやほや付きまとってくれるでしょうよ。むごいものだわ、生活って。
トレープレフ なんだってエレーツへなんか?
ニーナ この一冬、契約をしたの。もう帰らなければ。
トレープレフ ニーナ、僕は君を呪
のろ
いもし憎みもして、君の手紙や写真を破いてしまった。それでいて、僕の心は永久に君と結びついていると、毎分毎秒、意識していました。あなたへの恋が冷

めるなんて、僕にはできないことだ、ニーナ。あなたというものを失い、作品がぼつぼつ雑誌に載りだしてからこっち、人生は僕にとって堪えがたいものになった――受難の道になった。……自分の若さが急につみとられて、僕はこの世にもう九十年も生きてきたような気がします。僕はあなたの名を呼んだり、あなたの歩いた地面に接吻
せっぷん
したりしている。どこを向いても、きっとあなたの顔が見えるんだ。ぼくの生涯の一ばん楽しかった時代を照らしてくれた、あの優しい微笑がね。……
ニーナ (当惑して)なぜあんなことを言いだすのかしら。なぜあんなことを?
トレープレフ 僕はひとりぽっちだ。暖めてくれる誰の愛情もなく、まるで穴倉のなかのように寒いんです。だから何を書いても、みんなカサカサで、コチコチで、陰気くさい。ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!

ニーナは手早く帽子と長外套を着ける。

トレープレフ どうして君は、ええニーナ? 後生だ、ニーナ……(彼女が身じたくするのを眺める。間)
ニーナ 馬車が裏木戸のところに待たせてあるの。送ってこないで、わたし一人で行けるから……(涙声で)水をちょうだいな……
トレープレフ (コップの水を与える)今からどこへ行くの?
ニーナ 町へ。(間)アルカージナさん、来てらっしゃるの?
トレープレフ そう。……この木曜、伯父さんの工合が変だったので、僕たちが電報で呼び寄せたんです。
ニーナ わたしの歩いた地面に接吻したなんて、なぜあんなことをおっしゃるの? わたしなんか、殺されても文句はないのに。(テーブルにかがみこむ)すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息! (首をあげて)わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ! (アルカージナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて、じっと耳をすまし、それから左手のドアへ走り寄って、鍵穴からのぞく)あの人も来ている……(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。……かまやしない。……そうよ。あの人は芝居というものを信用しないで、いつもわたしの夢を嘲笑
ちょうしょう
してばかりいた。それでわたしも、だんだん信念が失

せて、気落ちがしてしまったの。……そのうえ、恋の苦労だの、嫉妬
しっと
だの、赤ちゃんのことでしょっちゅうびくびくしたりで……わたしはこせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな演技をしていたの。両手のもて扱い方も知らず、舞台で立っていることもできず、声も思うようにならなかった。ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ。わたしは――かもめ。いいえ、そうじゃない……。おぼえてらして、あなたは鴎
かもめ
を射落
うちおと
したわね? ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、破滅させてしまった。……ちょっとした短編の題材……。これでもないわ。……(額をこする)何を話してたんだっけ?……そう、舞台のことだったわ。今じゃもうわたし、そんなふうじゃないの。……わたしはもう本物の女優なの。……わたしは楽しく、喜び勇んで役を演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き回って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。わたしは信じているから、そう辛
つら
いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。
トレープレフ (悲しそうに)君は自分の道を発見して、ちゃんと行く先を知っている。だが僕は相変らず、妄想
もうそう
と幻影の混沌
こんとん
のなかをふらついて、一体それが誰に、なんのために必要なのかわからずにいる。僕は信念がもてず、何が自分の使命かということも、知らずにいるのだ。
ニーナ (きき耳を立てて)シッ。……わたし行くわ。ご機嫌よう。わたしが大女優になったら、見にいらしてちょうだいね。約束してくださる? では今日は……(彼の手を握る)もう夜がふけたわ。わたしやっとこさで、立っているのよ。精も根も尽きてしまった、何か食べたいわ……
トレープレフ ゆっくりして行って、夜食ぐらい出すから……
ニーナ いいえ、駄目……。送ってこないでね、ひとりで行けるから。……馬車はついそこなんですもの。……じゃ、アルカージナさんはあの人を連れていらしたのね? なあに、どうせ同じことだわ。……トリゴーリンに会っても、なんにも言わないでね。……わたし、あの人が好き。前よりももっと愛しているくらい。……ちょっとした短編の題材か。……好きだわ、愛してるわ、やるせないほど愛してるわ。もとはよかったわねえ、コースチャ! なんという晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活だったでしょう。なんという感情だったでしょう――優しい、すっきりした花のような感情。……おぼえてらっしゃる?……(暗誦
あんしょう
する)「人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音ずれもない」……(発作的にトレープレフを抱いて、ガラス戸から走り出る)
トレープレフ (間をおいて)まずいな、誰かが庭でぶつかって、あとでママに言いつけると。ママは辛いだろうからな。……

二分間ほど、無言のまま原稿を全部やぶいて、デスクの下へほうりこむ。それから右手のドアをあけて退場。

ドールン (左手のドアを、うんうん押しあけながら)おかしいぞ。錠がおりてるのかな……(はいって、肘かけ椅子を元の場所におく)障碍物
しょうがいぶつ
競走だ。

アルカージナ、ポリーナ、つづいてヤーコフは酒瓶
さかびん
(訳注 複数)をもち、それにマーシャ、あとからシャムラーエフ、トリゴーリン、それぞれ登場。

アルカージナ 赤ブドウと、トリゴーリンさんのあがるビールは、このテーブルに置いてちょうだいな。ロトーをしながら飲むんだからね。さ、坐りましょう、皆さん。
ポリーナ (ヤーコフに)すぐお茶を出しておくれ。(蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともし、カルタ机に着席する)
シャムラーエフ (トリゴーリンを戸棚のほうへひっぱって行く)そらこれが、さっきお話しした品ですよ……(戸棚から鴎の剥製
はくせい
をとり出す)あなたのご注文で。
トリゴーリン (鴎を眺めながら)覚えがない! (小首をかしげて)覚えがないなあ!

右手の舞台うらで銃声。一同どきりとなる。

アルカージナ (おびえて)なんだろう?
ドールン なあに、なんでもない。きっと僕の薬カバンのなかで何か破裂したんでしょう。心配ありません。(右手のドアから退場して、半分間ほどで戻ってくる)やっぱりそうでした。エーテルの壜
びん
が破裂したんです。(口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」……
アルカージナ (テーブルに向ってかけながら)ふっ、びっくりした。あの時のことを、つい思い出して……(両手で顔をおおう)眼のなかが、暗くなっちゃった……
ドールン (雑誌をめくりながら、トリゴーリンに)これに二カ月ほど前、ある記事が載りましてね……アメリカ通信なんですが、ちょっとあなたに伺いたいと思っていたのは、なかでもその……(トリゴーリンの胴に手をかけ、フットライトのほうへ連れてくる)……なにしろ僕は、その問題にすこぶる興味があるもので……(調子を低めて、小声で)どこかへアルカージナさんを連れて行ってください。じつは、トレープレフ君が、ピストル自殺をしたんです。……
――幕――

底本:「かもめ・ワーニャ伯父さん」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年9月25日発行
   2004(平成16)年11月25日46刷改版
※楽譜は「世界文学大系46 チェーホフ」筑摩書房、1958(昭和33)年12月5日からとりました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51860_41507.html
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[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
27. 中川隆[-13494] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:15:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1410]
チェーホフの『かもめ』における ニーナとトレープレフの運命
内 田 健 介

はじめに

アントン・チェーホフの戯曲『かもめ』は、その題名として用いられているカモメが2 人の主人公が歩む未来の象徴になっている。自らが猟銃で撃ち落としたカモメのように最 終的に拳銃自殺を遂げるトレープレフ、そしてそのトレープレフが撃ち落としたカモメを 短編の題材として思いついた物語、男に騙されてカモメのように不幸になるという短編を なぞるように不幸を経験するニーナである。 第1幕において恋人同士だったトレープレフとニーナは、トレープレフの母である女優 アルカージナとその恋人である作家トリゴーリンに翻弄され、互いの生き方を変えられて いく。作家としての名声を得ているトリゴーリンに惹かれたニーナはトレープレフの元を 離れ、トレープレフはニーナを奪われたショックなどから自殺未遂を引き起こす。その 後、ニーナはトリゴーリンを追ってモスクワに旅立ち女優になるという夢を叶え、2年が 経過した第4幕ではトレープレフも小説家としての夢を叶えている。 こうして作家志望と女優志望という立場から、作家と女優という立場で2人は最後の場 面で再会する。だが、2人の関係は再び元通りの恋人同士になるのではなく、ニーナはト レープレフを残して地方回りの女優として生きるために去っていく。そして、ニーナを見 送ったトレープレフが自殺し、『かもめ』は幕を閉じる。 互いに女優と小説家という夢を叶えた2人だが、ニーナは女優としては落ちぶれながら も耐え忍び生きることを選択するのに対し、トレープレフはトリゴーリンと同じ雑誌に掲 載されるほどの小説家になったにもかかわらず死を選択してしまう。象徴としてのカモメ に抵抗して生きるニーナと、象徴としてのカモメのように自殺するトレープレフ。これが 『かもめ』の結末である。 この2人の結末の差はいったい何が原因で生じたのか、この点について登場人物たちが 持っている「属性」 1 に着目することを一つの糸口としてこれまで様々な角度から論じられ てきた『かもめ』を新たに読み解いてみたい 2 。


1.トレープレフとニーナにおける家族という属性

『かもめ』の登場人物たちは、様々な属性を有している。例えばトレープレフはニーナ との関係においては「男」であり、アルカージナとの関係においては「息子」として存在 している。さらに彼はこうした人間関係によって生じる属性以外にも職業としての属性、 つまり「劇作家」という夢を登場時に持っており、第四幕に至ると実際に作家として活動 を開始している。こうした複層的な属性を『かもめ』の登場人物たちは持っており、さら にその属性に対してそれぞれが異なった価値観を持っている。 幕開きの時点で恋人同士であるトレープレフとニーナの家族という属性にまず注目する と、2人が似たような境遇にあることが分かる。その一つ目の特徴が、2人とも片親を亡 くしているという点である。トレープレフは父親を、ニーナは母親を亡くしており、その どちらの親も相手が死んだあとに新しい関係性を築いている。アルカージナはトリゴーリ ンと内縁の関係にあり、ニーナの父親は再婚している。 こうした環境のためかトレープレフとニーナは、自分たちの親に対して強い感情を抱い ている。浦雅春氏はトレープレフのアルカージナに対する態度について「母親に寄せるト レープレフの愛情は尋常ではない」 3 と指摘しているが、それは彼が最後に語る台詞に端 的に現われている。ニーナが去った後、これから拳銃自殺をしようとするトレープレフ は「もし誰かが庭でニーナに会ってママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうか ら…」 4 と今しがた去っていったかつての恋人ではなく、最後に母親のことを気にかけなが ら死を選ぶのである。 トレープレフの母親アルカージナに対する愛情は、その彼の登場する場面から既に始 まっている。伯父ソーリンと現われたトレープレフが最初に口にするのは、やはり母親に ついてである。「確かな才能があり、賢くて、本を読んですすり泣くこともできる。ネク ラーソフの詩をどこからだって暗誦できる。病人を看病させれば天使のようだ」 5 と彼女の 才能を認め、「僕は母を愛している、強く愛している」 6 とアルカージナへの愛を語り始め る。そして、彼は花占いで恋人のニーナとではなく、母親アルカージナとの関係を占うの である。 しかし、こうした愛情を示す一方で、トレープレフはスポットライトを浴びていなけれ ば我慢できないような母親の性格や、金を貯め込む蓄財癖を非難し始める。そして、彼は 母親にトリゴーリンという小説家の愛人がいることに対して強い嫌悪感を抱いていること を語り始める。彼は母親の才能は認めるものの、有名な女優であることや未だに恋をする 女であることに耐えられないのである。この初めてトレープレフが登場する場面ですでに 彼がアルカージナの持つ属性に対してどういった態度を取っているのか簡潔に示されてい る。トレープレフはアルカージナに「女優」という職業や愛人を持つ「女性」としてでは なく、「母親」としてのアルカージナを一番に求めているのである。トレープレフは「ぼ くの母は有名な女優だけど、もし母が普通の女性だったら僕はもっと幸せだったんじゃな いかって思うよ」 7 と語るが、まさにこれが彼の本心を示していると言えるだろう。


こうした背景を踏まえて考えると、トレープレフが新しい形式を求め、アルカージナが 女優として生きる舞台を旧時代と批判するのは、新しい形式を用いた作家になりたいとい う欲求だけでなく、彼女に母親として生きて欲しいという別の欲求も含まれているように 思われる。 母親に強い愛情を抱くトレープレフに対し、その恋人であるニーナは家族に対してどの ような態度を取っているのであろうか。ところが、彼女の家族は舞台上には登場せず、他 の登場人物たちの会話の中でその存在が示されるのみである。ニーナの父親について登場 人物の一人医師ドールンは悪党だと罵るが、その理由は男がニーナの母親が死んだあとに 新しい女性と結婚し財産を新しい妻に全て相続させてニーナから全てを奪い取ったためで ある。こうして新しい妻を得た父親は死んだ前妻の娘であるニーナの存在を疎ましく感じ ている。しかしながら、こうした父親に対してニーナが憎しみや怒りといったような感情 を抱いているわけではない。第一幕の劇中劇が終わって帰る際に彼女は「私をパパが待っ ているから」 8 と言って去っていく。また、第三幕ではトリゴーリンに対し女優になる決意 を語る場面でニーナは「明日になればもうここにはいません。父親の元を離れて、新しい 生活を始めます」 9 とわざわざ父親の元を離れるという言葉を使っている。こうした台詞は 彼女にとって父親の存在が大きなものであることを示している。トレープレフは母アル カージナに対して女優や女としてではなく母親としての存在を求めていたが、ニーナも同 じように父親に対し新しい妻を娶った男としてではなく自らの父親としての存在を求めて いるのかもしれない。 また、先ほど指摘したようにニーナの父親は舞台に登場しないが、他にも舞台に登場し ないトレープレフとニーナの家族が存在する。それが、既に死んだトレープレフの父親と ニーナの母親である。シェイクスピアの『ハムレット』では父親が亡霊となって息子の前 に登場するが、彼らの親は亡霊として現われることはない。しかし、トレープレフとニー ナの亡き親は、その死後も亡霊のように大きな影響を子供たちに与えている。 まずニーナが父親に財産を奪われるきっかけを作ったのは、死んだ彼女の母親である。 彼女が自分の財産を全て夫に相続させなければ、その財産はニーナに渡るはずであった 10 。 ところが、彼女は娘のニーナを相続人として選ばず、夫を相続人として選んだのである。 そして、その財産を受け取ったニーナの父親は、正当な相続人の娘ではなく新しい妻に渡 そうと考えている。もしニーナの母親がこのような遺言を残さなければ、財産は全てニー ナに渡るはずであった。現在置かれている彼女の複雑な状況の原因を作ったのは死んだ母 親なのである。 第二幕のトリゴーリンとの会話の中で、ニーナは湖の向こうにある自分の家を「あれが 亡くなった母の屋敷です」 11 と回りくどい表現をする。通常、自分の家という表現する部分 を彼女はわざわざ「死んだ母親の屋敷」という言葉を使うのである。恐らく、その家は自 分のものではないことを彼女が強調しているのだと考えられる部分である。浦氏はチェー ホフ作品に描かれた家について「チェーホフの「家」は決して単純なる「家」ではない。 (中略)異質性、コミュニケーションの不在を顕在化させる場」 12 であると述べているが、舞台上には登場しないニーナの家もまさに異質性やコミュニケーションの不在を顕在化さ せる場なのである。 一方、トレープレフもニーナと同じように、亡くなった父親から強い影響を受けてい る。それが彼の持つ属性の一つ「階級」である。トレープレフは父親について「そりゃ僕 の父は有名な役者だったとはいえ、キエフの町人なんだ」 13 と、貴族よりも低い身分である ことを語っている。ロシアでは父親の身分を引き継ぐため、トレープレフも父親と同じく 町人階級である。それに対し、母親のアルカージナは貴族階級であり、2人は血の繋がっ た親子でありながら所有する「階級」が異なっている。この身分の差はトレープレフのコ ンプレックスの原因の一つとなっており、彼は自分が有名な女優の息子としてしか周囲に 見られないことに苛立ちを感じている。 ニーナは母親から与えられるはずの遺産を受け継ぐことができず、トレープレフは母よ りも低い身分を父親から受け継いでしまった。2人は片親を亡くしたという境遇だけでな く、その既にこの世を去った親から不利益を被っているという共通点も持っているのであ る。彼らが残された親に対して執着するのは、自らが疎外されている家族という関係を修 復しようとするためだと考えられる。


2.親から見た子供たちの存在

トレープレフとニーナにとって残された親は大きなものであるが、対する親側からみた 子供の存在は作品の中でどのように扱われているのであろうか。ニーナの父親については 若い妻と結婚後、前妻の娘であるニーナを邪魔者扱いし、財産を全て奪っているように全 くと言っていいほど娘に対して愛情を注いでいないことは明らかである。 そして、トレープレフの母であるアルカージナが息子に対してどのような態度を取って いるのかに注目すると、彼女もニーナの父親ほどではないものの息子に対する愛情は薄い ことが分かる。そうした態度がはっきりと現れているのが、トレープレフの作った劇に対 するアルカージナの態度である。彼女はトレープレフの劇が始まるとすぐに口を挟み始 め、劇が進行中にもかかわらず演出や脚本に文句を付けてヤジを飛ばし、最終的に怒った トレープレフは劇を途中で中断しその場を立ち去ってしまう。常識的に考えれば、息子の 自作の劇を披露しようとしたことに対して、母親が野次を飛ばして妨害するのは異常な行 動である。それでは、なぜアルカージナは息子の劇に対して妨害としか思えないような行 為を取ったのであろうか。その背景には彼女が持つ「女優」という属性が大きく関わって いる。 それはトレープレフが言うような女優として舞台に立っているニーナに対しての嫉妬で はない。これは彼女による批判が全て演出に対するものであり、ニーナの演技に対してで はないことから判断できる。このとき明らかに彼女の敵意はニーナではなくトレープレフ に向いているのである。トレープレフが披露した劇はアルカージナがデカダンだと言うよ うに彼女が所属している舞台の世界を旧時代のものとして真っ向から否定し、新しい形式を求めた作品である。その自分の女優として生きる世界に対する挑戦が、例え息子であっ たとしても彼女は許せなかったのである。 トレープレフがアルカージナに対して「母親」としての存在を強く求めていることを先 ほど指摘したが、アルカージナにとって「母親」という属性は他の「女優」や「女性」と しての属性よりも優先順位が低いものとして扱われている。それは劇中の彼女の関心と行 動の推移によって示されている。第一幕の劇中劇が中断されたあと、アルカージナはまず 上演された劇に対する批判を始める。ここで、ドールンが冗談交じりに「ジュピターよ。 汝は怒れり…」 14 と言うと、アルカージナは怒って「私は女です」と答える。ここから「女 性」としてのアルカージナの語りが始まり、湖の向こうから聞こえる音楽をきっかけに過 去のロマンスを周りに語り始める。彼女が舞台を中断して立ち去った息子を「母親」とい う立場で気にかけるのはこの舞台と恋の話が終わってからである。 これは第二幕の冒頭でも繰り返されている。第二幕の幕開けは次のようになっている。 最初にアルカージナはドールンに自分とマーシャのどちらの方が若く見えるのかとドール ンに質問する。このときのドールンの本心は定かではないが、彼はアルカージナの方が若 く見えると答える。すると上機嫌になったアルカージナは、その原因が女優として働いて いるためだとマーシャに働くことの重要性を説き始める。その後、持っていた本を読み始 めたアルカージナは、女優と小説家の恋を書いた小説に触発されて、トリゴーリンと自分 の関係についての話を始める。ここでも彼女の関心は、女優としての自分、恋をしている 自分の順番で流れていき、ようやく彼女が息子トレープレフのことを話題にするのは、そ の本を閉じた後である。演劇作品では小説とは異なり物語の書かれた文章を戻って読むこ とはできないため、時間の流れが重要な意味を持っている。チェーホフはアルカージナが 女優、恋愛、家族といった順番で関心を推移させていくことで、彼女が自分の持つ属性を どのような順番で重要視しているかを示しているのだと考えられる。 このように母親としての属性を求めるトレープレフと、女優として女性として生きるこ とを重要だと考えるアルカージナの2人は決して分かりあうことができない。劇中の彼ら の噛み合わない会話には、2人の属性に対する価値観の隔たりが背景にあるのである。 そして、劇中においてこの母と子の会話は第二幕では一切なく、第一幕と第四幕の会話 もわずかしかない。2人の会話は親子が2人きりになる第三幕の包帯を替える場面に集中 している。アルカージナと2人きりになったトレープレフが母親に対して包帯を新しくし て欲しいと頼むと、彼女はその頼みを聞き入れて新しい包帯を息子の頭に巻き始める。こ の場面でトレープレフは母親に包帯を替えてもらいながら、かつて家族で一緒に住んでい た頃の話を始める。しかし、2人の記憶は噛み合わない。トレープレフが覚えているのは 当時の優しかった母の思い出だが、当人のアルカージナは全く覚えておらず、彼女の記憶 にあったのは自分と同じ劇場に上がるバレリーナのことだけである。やはり、古い記憶の 中でもトレープレフは母親として、アルカージナは女優としての記憶を持っている。 ここでトレープレフが頭に巻いている包帯は、第二幕と第三幕のあいだに自殺未遂を起 こしたことを示している。この自殺未遂について「母親の愛情をつなぎ止めようとするだだっ子の甘えの行動とも取れる」 と浦氏は述べているが、この場面の2人のやり取りはこ の指摘を証明するものとなっている。 包帯を巻く母親に対しトレープレフは「近頃、あの子供の頃のようにママをたまらなく 愛しているんだ。ママ以外、僕にはもう誰もいない」 16 と語りかける。第一幕での劇中劇で の失敗からニーナの心はトレープレフから離れ、小説家として活躍しているトリゴーリン の方へ向いてしまった。彼はニーナをトリゴーリンに奪われたことで男としても作家とし ても負けたのである。そのため、彼に唯一残された立場は、「息子」という属性だけであ る。トレープレフの「ママ以外、僕にはもう誰もいない」という言葉は、まさに彼が「作 家」としての属性と「男性」としての属性を失い、息子としての属性に拠り所を見出して いることを示している。だがしかしアルカージナにとって「母親」という属性はここまで 見てきたように他の属性よりも低い位置を占めている。そのためトレープレフがトリゴー リンに対する非難を口にしたとたん彼女の態度は豹変し、2人は言い争いを始めてしまう。 結局、トレープレフが求める「母親」としてのアルカージナと実際のアルカージナの生き 方には大きな隔たりが存在しているため重なりあう部分は無く、2人の争いはトレープレ フの涙によって幕が降りる。彼は「自分が何者なのか」という問いを発しているが、彼は 男にも劇作家にもなれず、息子であることすらできなかったのである。

3.定められた属性によって人生の喪服を着るマーシャ

『かもめ』にはニーナとトレープレフ以外にも、数多くの重要な役割を持った人物が登 場する。その一人がいつも黒い服を着たマーシャである。彼女には父親シャムラーエフと 母親ポリーナという家族が存在し、そのため「娘」という属性をマーシャは有している。 トレープレフやニーナにとって家族の中の「子供」であることは大きな意味を持っていた が、マーシャにとって「家族」は逆に嫌悪する対象となっている。母のポリーナは夫シャ ムラーエフを愛しておらず、医師ドールンを愛しており既に夫婦関係は崩壊している。そ うした冷め切った夫婦関係を示すように、舞台上で2人が会話を交わす場面は、劇全体を 通して一度も存在していない。また、マーシャも母と同じように父親を愛しておらず、第 一幕の終わりでドールンに恋の相談するさいに「私は自分の父が好きではありません」 17 と 口にしている。 このマーシャを愛しているのが教師のメドヴェジェンコである。『かもめ』はメドヴェ ジェンコのマーシャに対する愛の告白から始まっている。しかし、第一幕の終わりでドー ルンに告白しているように彼女はトレープレフを愛しているため、メドヴェジェンコの告 白に答えようとはしない。 ロシアのチェーホフ研究者パペルヌイはメドヴェジェンコとトレープレフを正反対の 人物として捉え、「トレープレフにとって人生が夢であるとすれば、メドヴェジェンコに とっての人生とはひとかけらのパンに心を砕くことだ」 18 と述べている。確かに作家という 希望を持ったトレープレフと生活のことに愚痴をこぼしてばかりのメドヴェジェンコでは、天秤にかけるまでも無いことであろう。 マーシャにとってメドヴェジェンコの結婚の申し込みは苦痛でしかない。自分自身の家 庭が崩壊しているマーシャにとって、新しい家庭を作る結婚という行為は望んでいなかっ たはずだからである。そうしたマーシャにメドヴェジェンコは「あなたは健康だし、お父 さんだって大金持ちではないけれど十分な暮らしだ」 19 と彼女が嫌う父を話題に出してし まっている。 また、メドヴェジェンコはマーシャが人生の喪服として黒い服を着ていることを理解し ようともしない。パペルヌイはトレープレフとメドヴェジェンコにとっての人生が対極で あることを指摘していたが、マーシャにとって人生とは彼女の喪服が示すように既に死ん でいるのである。なぜなら、彼女は作家を目指すトレープレフや女優を志すニーナのよう な夢や希望を持っていない。彼女は学校に行っているわけでも、働いているわけでもない ためである。第二幕の冒頭で彼女はアルカージナに働くことの重要性を説かれるが、彼女 は働こうにもその可能性を最初から有していない。池田健太郎氏はマーシャを『ワーニャ 伯父さん』のエレーナと同様に無為な女性と考えているが 20 、女学校に通っていたエレーナ と田舎でそうした機会も無く生きているマーシャを同じように考えるのは明らかに誤って いる。マーシャに残された道とは、誰かと結婚することぐらいなのである。つまり、メド ヴェジェンコの結婚の申し込みは、彼女に選択の余地の無い残酷な未来を突きつけている も同然と言える。 ところが、最終的にマーシャはメドヴェジェンコとの結婚を選択してしまう。彼女は母 親ポリーナと同じく、愛情の無い結婚をするという過ちを繰り返すのである。第三幕から 2年の月日が経過した第四幕では、結婚したマーシャとメドヴェジェンコのあいだに子供 が生まれている。しかし、2人の関係は2年前と全く変わっておらず、夫婦関係が順調で ないことは、最初に繰り広げられる会話が2年前とほぼ変わっていないのを見れば明らか である。マーシャはトレープレフへの恋心を、メドヴェジェンコとの結婚によって捨てら れると考えていたが、結局トレープレフに対する愛情を捨て切れず、かつてメドヴェジェ ンコがマーシャと会うために通った6キロの道をやって来ているのである。その後、彼女 は夫の転勤によってこの地を離れることでようやく自分の恋に決着を付けられると語って いるが、彼女の恋の決着はトレープレフの死によって訪れてしまった。 トレープレフは「息子」という家族の中での属性が得られないという苦しみを味わって いたが、マーシャは逆に「娘」から「妻」そして「母親」という属性から逃れられないと いう運命に苦しめられている。

4.『かもめ』における家族について

『かもめ』に登場する女性に注目すると、その全員が母親という属性を有していること に気がつかされる。アルカージナがトレープレフの母親であることはもちろんのこと、ポ リーナもマーシャの母親である。その娘マーシャも第四幕では子供が生まれ、母親としての役割を得ている。そして、ニーナも女優を目指して旅立ったあと、トリゴーリンとの間 に子供が産まれ母親となっている。アルカージナ、ポリーナ、マーシャ、ニーナ、この 『かもめ』に登場する4人の女性は必ず一度は母親になっているのである。 ところが、彼女たちの行動に着目すると、共通して母親としての立場を重要視していな いことが分かる。アルカージナについてはこれまで論じてきた通りで、息子トレープレフ よりも女優としての生活やトリゴーリンとの関係の方が重要である。この特徴はポリーナ とマーシャについても当てはまる。ポリーナは家庭よりもドールンとの関係を、マーシャ もメドヴェジェンコと結婚したにもかかわらずトレープレフとの関係を家庭よりも重要に 考えている。彼女たちは生物学的には「母親」という属性を得るのだが、母親という属性 よりも別の属性を優先して考えているのである。堀江氏や浦氏はチェーホフ作品には父親 の存在が欠けていると指摘しているが 21 、『かもめ』では指摘されているような父親の存在 が希薄なだけでなく、母親としての役割を果たしている人物がいないと言えるだろう。 そして、その母親よりも女性としての立場を重要視する『かもめ』の女性たちが愛情を 抱く相手の男性たちにも一つの共通点を有している。ポリーナの愛するドールン、マー シャの愛するトレープレフ、アルカージナとニーナが愛するトリゴーリン、その全員が家 庭とは無縁な男という点である。逆に、夫として家庭を持つシャムラーエフとメドヴェ ジェンコは誰からも愛されていない。 また、アルカージナと家族関係にあるトレープレフだけでなく、兄のソーリンも孤独な 存在である。大臣としての職をまっとうしたソーリンだが、本当にやりたかったことは何 一つ実現せず、田舎で「なりたかった男」として一生を終えようとしている。『かもめ』 における男性たちは、劇中家族関係のあいだでは他の人物から話を聞いてもらえない。 チェーホフ劇に特徴的な噛み合わない会話だが、その多くは彼ら孤独な男性たちによる台 詞である。

5.トレープレフとニーナが迎える結末

『かもめ』では第三幕と最終幕となる第四幕のあいだに2年の時間が経過し、その舞台 上では見ることのできない時間でマーシャとメドヴェジェンコの結婚など様々な出来事が 起こっている。そして、ニーナとトレープレフは女優と小説家という夢を実現させ、2年 前とは違った立場で再会する。だが、2人が迎える結末はあまりに異なったものである。 トレープレフが拳銃自殺するのに対し、ニーナは女優としては落ちぶれながらも耐え忍び 生き続けることを選択する。 『かもめ』では第四幕に至るまでにトレープレフとニーナはそれぞれの運命が「カモメ」 によって象徴されていた。トレープレフは第二幕で「カモメ」を撃ち落とし、いつの日か その「カモメ」のように自分を撃ち殺すだろうとニーナに語る。そして、彼はその通り拳 銃自殺を遂げてしまう。一方、ニーナはその「カモメ」をヒントにしてトリゴーリンが思 いつく物語、若い女性がこの撃ち落とされた「カモメ」のように男に破滅させられるという物語によって運命が暗示され、実際にそのトリゴーリン本人によって破滅させられてし まう。しかし、ニーナは最後にその「カモメ」に象徴された人生ではなく、「私は女優」 という言葉を残して旅立っていく。彼女は「カモメ」に象徴された破滅するという物語に 抵抗し、耐えて生き続けることを選択するのである。 また、トレープレフの自殺は彼が撃ち落とした「カモメ」だけではなく、ニーナが経験 した赤ん坊の死によっても重ねて暗示されている。ニーナは女優になるためにトリゴーリ ンを追ってモスクワに行き、そこでトリゴーリンとの赤ん坊を産んでいる。この彼女の軌 跡は、『かもめ』に登場する別の女性の軌跡と良く似ている。それがトレープレフの母ア ルカージナである。アルカージナがトレープレフを産んだのは、トレープレフが25歳で ありアルカージナが43歳あることから、18歳の時であることが分かる。ニーナはまさに この18歳の乙女として登場する。もしニーナとトリゴーリンのあいだに産まれた子供が モスクワに彼女が行った年に産まれたならば、18歳で子供を産んだアルカージナと重な るのである。そして、アルカージナはトレープレフの父親と正式な結婚をせずに子供を産 んだ可能性についてロシアのチェーホフ研究者ヴォルチケヴィチが指摘しているが 22 、これ はニーナとトリゴーリンにおいても同じように正式な婚姻関係は結ばれていなかったと考 えられる。こうした共通点から、ニーナの赤ん坊の死もトレープレフの死の暗示する一つ の出来事として考えることができる。 それでは、なぜニーナが耐え忍び生きることが可能だったのに、トレープレフは耐え忍 び生きることができずに自殺を選択したのであろうか。イギリスのロシア文学研究者のマ ガーシャクはトレープレフの自殺の原因を「ニーナが彼の愛に報いて救ってくれるという 最後の希望に破れて自殺する」 23 とニーナにその最終的な原因を求めているが、はたしてそ うなのであろうか。もしニーナを失ったことがトレープレフの自殺の根本的な原因である のならば、トリゴーリンにニーナを奪われた第三幕の自殺未遂は失敗に終わらず成功して いたはずである。 一方、トレープレフが起こした2度の自殺についてチェーホフ研究者のエルミーロフ は「最初の自殺は不幸な、かなわぬ恋のテーマに関連していた。二回目の自殺はすでに別 のテーマ――不幸な、かなわぬ才能のテーマ」 24 と違いを指摘している。つまり、トレープ レフの小説家としての才能とニーナの女優としての才能の差が、2人の結末を分けたとエ ルミーロフは考えているのである。しかしながら、地方回りをするような三流女優にまで 落ちぶれたニーナとトリゴーリンと肩を並べて同じ雑誌にまで掲載されるようになったト レープレフを比べた場合、才能を持っているのはニーナよりもトレープレフの方であるよ うに思われる。 むしろ問題は2人の才能ではなく、2人にとって女優と作家という夢の持っていた意味 に差があったことが最終的に2人の運命を分けた原因なのではないだろうか。2年の月日 はトレープレフとニーナに作家と女優という属性を与えたが、2人はそれ以外の属性を全 て失ってしまっている。物語が進む中でトレープレフはトリゴーリンに母アルカージナと 恋人ニーナを奪われたことで「息子」という属性と「男」としての属性を奪われてしまっている。一方のニーナもトリゴーリンを追ってモスクワに旅立ったあと男に棄てられ、ト リゴーリンとのあいだに産まれた子供も死んでしまっている。彼女も「女」そして「母 親」という属性を失っているのである。また、これは最終幕でも繰り返されている。第四 幕でアルカージナは作家となった息子トレープレフと再会するが、彼女はそのことにわず かばかりの関心も無く、夢を叶えた息子の作品を読んだことすらないことが明らかにされ る。そして彼女はトレープレフの弾く悲しげなワルツに耳を傾けようともしない。一方で 2年ぶりに故郷に帰って来たニーナについても、親たちが彼女を屋敷に近づかせないよう に計らっていることがトレープレフによって観客に知らされる。2人が親から愛されてい ないことが最終幕では再び示されている。そもそもかつて恋人を奪い子供まで産ませた男 を連れてくるアルカージナの配慮の無さは異常としかいいようがない。第四幕で再会する 彼らに残されたものは、作家と女優という職業的属性だけが残っているのみである。 トレープレフと再会したニーナは、自分が女優として生きていくことを信じ、その使命 を思えば人生も怖くはないと語りかける。女優以外の属性を失ったニーナだが、最後に 残った女優という立場が彼女を支え生き続けることを可能にしているのである。対するト レープレフはこの彼女の言葉を受けて「僕は何が自分の使命なのか分からないし、それを 信じることもできない」 25 と答える。つまり、トレープレフにとって作家という属性は彼を 支えることができなかったのである。チェーホフ研究者のベールドニコフはこのトレープ レフの言葉に対し、「自分の内部に復活の可能性をまったく見出せなかった」 26 と述べてい るが、この自己の内部という指摘は2人が得た女優と作家という属性が自分自身の存在に かかっているものであることに気が付かせてくれる。2人が失った家族の中での立場や男 や女という属性は、自分だけではなく他の誰かとの関係性によって生じるものである。そ れに対し、作家や女優という立場は他の誰かに左右されるものではなく、自分自身によっ て得ることができるものである。トレープレフは信念を語るニーナの言葉に対し、自分の ことが「何のために必要なのか、誰のために必要なのか分からない」 27 と答えているが、そ れを必要とすべきなのはトレープレフ自身なのである。ニーナとトレープレフの運命を最 終的に分けたものは、それぞれが作家と女優という属性を信じることができたかどうか だったのである。 実はこのことをトレープレフはニーナが部屋を訪れる前に自分で気が付いている。ロト 遊びをしていたアルカージナたちが食事に向かった後、トレープレフは自室で原稿を書き 始める。そこでトレープレフは小説を書くことについて「問題は形式が新しいか古いか じゃない。人は形式について何一つ考えずに、その魂から自由に流れ出るからこそ書くん だ」 28 と自分の内部から湧き上がるものに従って書けばいいということに気が付いているの である。しかしながら、この発見もトレープレフを自殺から救うことはできなかったこと になる。それゆえ、トレープレフが自殺を選択した理由を導き出すために、彼の湧き上が る源泉について目を向ける必要があるだろう。 自殺する直前、トレープレフは最初に指摘した通り、「もし誰かが庭でニーナに会って ママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうから…」 29 とつぶやき、原稿を破り捨て部屋から出ていく。死を決意した最後の瞬間に彼が口にしたのは、ニーナのことではなく 母アルカージナのことである。このトレープレフの最後の台詞はいくつかの疑問を呼び起 こす。なぜ彼は母親が悲しむと考えたのか、そして、母親を悲しませるものとはいったい 何なのかという疑問である。 一見すると、ここでトレープレフが母親を悲しませると考えているものは、自分がこれ から起こす自殺のことのようにも思える。しかし、トレープレフは自らの死が母親を悲し ませるとは考えていないはずである。なぜならば自分の存在が彼女にとって重要ではない ことは、これまでの経験によって明らかになっている。小説家になるという夢を叶え、ト リゴーリンと同じ雑誌に載るようになっても母親の態度はまったく変わらず、自分に対し て目を向けてくれることは全くなかった。今でも母親にとって重要なのは女優としての職 業やトリゴーリンの存在だけである。それゆえ、母親を悲しませるものは自らの死ではな く、台詞にあるニーナの存在だとトレープレフは考えていたのではないだろうか。2年前、 ニーナはアルカージナから愛人のトリゴーリンを奪い、その子供まで産んだ恋敵である。 そして、彼女がモスクワの舞台に立つことができたのは、トリゴーリンの後ろ盾があった ためであろう。これは女としても女優としてもアルカージナにとって大いなる屈辱だった に違いない。もし母がニーナが来ていたことを知れば、かつて味わった屈辱を再び思い出 させてしまうことになる。それこそがトレープレフの心配だったのではないだろうか。そ して、最後の最後まで母親について気にかけながら死ぬほど、トレープレフにとってアル カージナの存在は大きかったのである。 そもそも、トレープレフがなぜ劇作家を目指し、ニーナを主役にした舞台を披露しよう としたのかを考えると、それは女優である母親に認められるためであり、作家として愛人 のトリゴーリンよりも才能があることを示すためだったと考えられる。何より彼が作家と して初めての作品を披露したのは、一般の観客ではなく自分の母親に対してである。不可 思議なトレープレフの作った象徴的な劇も、その対象が自らを愛してくれない母親だと考 えればそこには彼が感じている孤独感に満たされている。 また、このトレープレフの舞台は、才能を認められるためだけではなく、新しい象徴的 な戯曲や演出によって新たな形式を古い演劇の代表者である母親に見せつけるという反抗 としての意味合いも持っている。父親の束縛から逃れるようにして舞台に立つニーナと女 優である母親に対して挑戦するトレープレフ、舞台はこの2人の若者の親に対する反抗な のである。ところが、トレープレフはアルカージナから浴びせられるヤジに耐えかねて、 ニーナが演じているにもかかわらず劇を中断してしまう。メドヴェジェンコは舞台が始ま る前のマーシャとの会話の中で、この舞台でトレープレフとニーナの魂が一つに溶け合う のだと語っているが、トレープレフは自らの手でその機会を壊してしまったのである。そ して、自らの初舞台を途中で止められてしまったニーナは、このときトレープレフにとっ て自分よりも母親の存在の方が重要であることに気が付いたに違いない。ニーナのトレー プレフに対する恋心が一瞬で冷めきったのは当然である。 このようにトレープレフの作家としての夢は、その出発点から母アルカージナやその愛人トリゴーリンと関わっている。多少うがった見方だが、彼が劇作家ではなく小説家とわ ずかな方向転換をして表現媒体を変えているのは、一度失ったニーナとアルカージナの目 を再び自分に向けさせようという意図が彼の心の中にあったためと考えることもできる。 彼の夢であったもの、そして現実に手に入れた作家という属性は独立したものではなく他 の属性に依存したものなのである。 それに対し、ニーナがかつて夢見ていた、そしてこれからも歩み続ける女優の道は彼女 自身が選んだものであり、誰かのためのものではない。家族のもとを離れて一人で生きて いくために自ら選んだ道である。彼女は第二幕でトリゴーリンに対して芸術家の使命を語 り、第四幕ではトレープレフに対して女優としての使命やあるべき姿を語る。それは、誰 のためでもなく、自分自身のためである。最後のトレープレフとの会話で彼女は、自分が 女優として失敗を繰り返し満足できなかった時期について悲壮な様子で語り続ける。彼女 の「私はかもめ。いいえ、私は女優」 30 という台詞からは、彼女がトリゴーリンの小説の題 材という呪縛から逃れ、自分自身の道を進もうと必死にあがいていることが分かる。家族 から疎ましく思われ、男に捨てられ、子供にも死なれた彼女に残されたものは女優として の己だけなのである。 ニーナが自分自身の手で掴んだ女優という属性は彼女が耐え忍び生きる力を与えたのに 対し、息子や男としての立場に依存した彼の作家という属性はトレープレフが生き続ける ことを支える力を持っていなかった。トレープレフは最後の最後に、作家は形式など気に せず魂から流れ出るように自由に書けばいいと気が付くのだが、その流れ出る源泉はすで に枯れてしまっていたのである。母親は自分の小説を読みもせず、ニーナはトリゴーリン を変わらず愛していると言って去っていく。彼はもう息子としても男としてもいられない ことを再度突きつけられ、彼に残されたものは小説家としての存在だけである。それを必 要としているのは他の誰でもなくトレープレフ自身である。だが、小説家として生きよう とする信念が独立したものではないゆえに、トレープレフは生きる意味を見出すことがで きず死を選んでしまうのである。

結  論

トレープレフの自殺とニーナの旅立ちによって幕が降りる『かもめ』。そのトレープレ フとニーナの運命を分けた背景には2人が持つ様々な属性が大きく関わっていた。物語が 進むにつれ2人は所有していた属性を次第に失い、最後には女優と作家という立場しか残 されていない状況に追い込まれてしまう。しかし、この2人にとって最後に残ったこの属 性は、その根本の部分で大きく異なっている。ニーナにとって女優であることは生きてい くことそのものであり、女優としての存在を他の誰でもない自分自身が必要としているこ とで苦しみに耐え生き続けることを可能にしている。だが、トレープレフの作家という夢 は他の存在を求めるため、それ自体が単独で彼を支えることができなかった。それゆえ、 彼はニーナと違い作家という存在を自分自身に求めることができずに死を選択してしまうのである。 本論で明らかにしてきたような属性に対する視線やその関係性の活かし方は『かもめ』 においてのみ際立ったものである。『かもめ』以外の戯曲作品である『ワーニャ伯父さん』 や『三人姉妹』、また小説作品を見ても職業や階級、性別などの属性がテーマとして扱わ れることはあるものの『かもめ』において見られたような属性の活用は含まれてはいな い。この『かもめ』における属性の活用が、構想や創作段階において作者チェーホフが意 識的であったのかについては彼自身何も語っていないのではっきりとした結論を出すこと はできない。だが、夢を抱き共に一つの舞台を作り上げようとした若者に、生と死という 対極の結果を与えたこの『かもめ』の結末とそこに至る過程には、才能や人間の生き方に 対する作者チェーホフの考えが凝縮されていると言えるだろう。

注 1 本論で用いられている属性という言葉は哲学分野で用いられる「否定しうることのできな い存在の性質」という意味ではなく、人物の持つ性別、家族、階級、職業といった特性や性 質を示す意味で用いている。 2 『かもめ』に対する研究はまずバルハートゥイ( БалухатыС ЧеховдраматургМ
 Художе стве нн ая  литер атур а1936)、エルミーロフ( ЕрмиловВ Др аматур гия Чехо ва М
 Со в е т с кий  пи с а т е л ь 1948)、ベールドニコフ( БердниковГ Чехо в др аматур гЛ
Искус ство  1957)というソ連時代を代表するチェーホフ研究者による研究が挙げられる。これらの研究 では『かもめ』一作品だけではなく他の劇作品とあわせた分析を通じてチェーホフの劇作品 の評価や批評が行われており、『かもめ』のテクスト分析よりもその作品が持つ社会的意義や 劇作の特徴の分析に重点が置かれている。『かもめ』のテクストや内容に関しての研究は主な ものとしてマガーシャク(.BHBSTIBDL%5IF3FBM$IFLIPW"O*OUSPEVDUJPOUP$IFLIPWT-BTU 1MBZT-POEPO(FPSHF"MMFO6OXJO
-UE1972)、池田健太郎(『「かもめ」評釈』中央公論社、 1978)、パペルヌイ( ПаперныйЗ jЧайкаxАПЧеховаМ
Художе ственная  литератул а 1980)による研究が挙げられる。また本論で扱った家族について論じた先行研究として浦雅 春(『チェーホフ』岩波新書、2004。「チェーホフ:その「家」のクロノトポス」『ポリフォ ニア』第2号、1989年。浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」『ロシア手帖』第34号、ロシ ア手帖の会、1992。)、キャロル($BSPM"5IF4FBHVMM5IFTUBHFNPUIFS
UIFNJTTJOHGBUIFS
BOE UIFPSJHJOTPGBSU.PEFSOESBNBWPM421999)、ヴォルチケヴィチ( Волчкевич М А jЧайкаx комедия  з аблуждений М
Муз ей  чел о века2005)による研究に多くの示唆を与えられた。 3 浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」『ロシア手帖』第34号、ロシア手帖の会、1992、54 頁。 4  ЧеховАП Полное  собрание  сочинений  и  писем  в 30ти  томах
сочинения Том 13М
 Наука
1978С 59 5 Там  же С7 6 Там  же С8 7 Там  же  8 Там  же$17 9 Там  же С44


10 この時代のロシアでは血族で財産が相続されるため、血の繋がりのない夫よりも血の繋が りのある娘が遺産相続では優先される。 11 Чехо в АППолно е  с обр ание  с очиненийТом 13С31 12 浦雅春「チェーホフ:その「家」のクロノトポス」『ポリフォニア』第2号、1989、9頁。 13  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С9 14 Там  же С15 15 浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」、54頁。 16  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С38 17 Там  же С20 18  ПаперныйЗ jВопр еки  вс ем  пр авил амxПь е сы  и  воде вили Чехо ваМ
Искус ство 1982 С134 19  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С 5 20 池田健太郎『「かもめ」評釈』中公文庫、1981、15頁。 21 浦雅春『チェーホフ』岩波新書、2004、28頁。堀江新二『演劇のダイナミズム・ロシア史 の中のチェーホフ』東洋書店、2004、24頁。井桁貞義編『はじめて学ぶロシア文学史』ミネ ルヴァ書房、2003、255頁。 22  ВолчкевичМ А jЧайкаxкомедия  з аблужденийМ
Муз ей  чел о века2005С7¦8 23 .BHBSTIBDL%5IF3FBM$IFLIPW"O*OUSPEVDUJPOUP$IFLIPWT-BTU1MBZT-POEPO(FPSHF "MMFO6OXJO
-UE1972Q69 24 エルミーロフ(牧原純訳)『チェーホフの四大戯曲』未来社、1960、116頁。 25  ЧеховА П Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С58¦59 26 ベールドニコフ(芹川嘉久子訳)『劇作家チェーホフ』未来社、1965、137頁。 27  ЧеховА П Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С59 28 Там  же С56 29 Там  же С59 30 Там  же С58
※本論文は文部科学省「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」("09351900)平成23年度公 募研究「近代日露交流とその文脈」(研究代表者:上田洋子)による研究成果の一部である。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c27

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
28. 中川隆[-13493] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:17:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1411]

私かもめなの。ニーナの叫びは日本語に訳せるのか。

utiken (内田健介)2019/02/07


Я - чайка. 私はかもめ。チェーホフの戯曲『かもめ』に登場するヒロインニーナのあまりにも有名な台詞だ。

主人公トレープレフは恋人のニーナを、母親の愛人トリゴーリンに奪われるという寝取られ作品の『かもめ』。

トレープレフは空を飛んでいるカモメを撃ち落とし、ニーナの前に横たえる。振られたことに対する単なる嫌がらせだが、それを見つけた小説家のトリゴーリンは、一人の破滅する若い女性を描く作品を思いつく。この死んだカモメのように、美しく羽ばたいていた女性が撃ち落とされる物語。

その作品はニーナに強い印象を残し、実際にトリゴーリンに捨てられてドサ回りをするような落ちぶれた女優になった彼女は、かつての恋人トレープレフにかもめと署名した手紙を送る。

そして、2年後にトレープレフと再開したニーナは、私はかもめ、いいえ、違う、私は女優。と口にし、精神的にかなり衰弱している様子が誰の目にも明らかになる。
長々と書いてきたが、今回の話題は、この「私はかもめ」という台詞だ。ロシア語を訳すとすると、これ以外に訳しようがないのだが、ロシア語が持っているニュアンスが、日本語にしたときに抜け落ちてしまっているのではないかと、最近ロシア語を教えるようになって考えたのだ。

仮定法という文法を英語の授業で習ったと思うのだが、ロシア語にも仮定法は存在する。助詞のбыを付けて、時制をわざと過去にして間違うことで、現実ではないことを表す表現方法だ。英語でも時制を過去にしてわざと間違うことで違和感を呼び、現実ではないことを表現するが、ロシア語もほぼ同じ構造を持っている。

もちろん、ニーナは女優であれど、人間であって、かもめなわけはない。だから、ここでそのまま、私はかもめ、という言葉それ自体が持つ意味が仮定法のある言語と無い言語では、かなり感じるものが違うのではないかと思ったのだった。

これは、チェーホフの別の作品「熊」でも言えるかもしれない。あなたはまるで熊よ、ではなく、あなたは熊よ! と言われた際の侮辱度は全然違うのではないだろうか。

こうした各言語の特徴的な文法が使われた文章の翻訳について、その意味をより正確に翻訳しようとする場合、どうやって解決できるのだろう。

https://note.com/utiken/n/n9e9e06ca6265
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c28

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
29. 中川隆[-13492] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:21:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1412]
チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載@
清水 正
https://www.shimi-masa.com/?p=350

チェーホフの戯曲『かもめ』を読む
2006年6月17日(土曜)

『かもめ』を読み終わったのは二〇〇六年四月三十日。『ワーニャ伯父さ
ん』も同年四月三十日。『三人姉妹』は同年五月二日。『桜の園』は同年
五月四日に読み終えた。今回初めてチェーホフの戯曲をまとめて読んで、
すぐに批評衝動に駆られ、『イワーノフ』に関してはすでに書き終えた。
次に『かもめ』を批評しようとして、面白いことに気づいた。単なるボケ
現象と言ってしまえばそれだけのことであるが、『かもめ』の内容を何一
つ思い出せない。読んでいる時は確かに、これは面白いと思ったはずなの
に、いざ批評しようとして何一つ思い出せないというのはどういうことだ
ろう。「かもめ」は鳥である。それしか想像できないというのは余りにも
面白い。ここに何か、チェーホフの戯曲の特質性が潜んでいるのではない
かと思えるほどだ。何も思い出せない状況の中で、批評を展開してしまお
う。

チェーホフの戯曲は〈夢〉と似ているのではないか。〈夢〉は、それを
見ている時には実によくその内容が分かっているのに、いざ眼がさめると
さっぱり思い出せないことがある。一度、記憶が失われた〈夢〉の内容を
思い起こすのは容易ではない。むかし、もう三十年近くにもなるが、赤ん
坊のように睡眠時間をとって〈夢〉を見、起きたらその〈夢〉を記述する
ことに情熱を傾けていた男がいた。彼は〈夢〉の記述に関して、その極意
を語ったことがある。すぐに起きてはいけない。ゆっくり、なだらかに、
〈夢〉の世界から、〈現実〉の世界へと移行しなければいけない。とつぜ
ん目覚めたりすると、〈夢〉の世界はたちまち消えてしまうというのであ
った。彼は一日十五時間以上寝て、大半の時間を〈夢〉の世界に遊んでい
た。おそらく彼にとっては現実の世界もまた夢の延長のような世界だった
のだろう。今、彼がどのように生きているのか、すでに死んでしまったの
か、さっぱり分からない。もし、生きているのだとすれば、彼は現実の世
界をしっかりと生きているはずである。六十近くなった男を、いつまでも
夢みさせておくほど現実は甘くない。もし死んでしまったのなら、彼は生
の世界から死の世界へとなだらかに移行したのかもしれない。
〈夢〉は奇妙に現実的であり、現実よりもはるかに先鋭的であったりす
る。チェーホフの戯曲は、読み終えてすぐに、その内容をしかと確認し、
その上で批評しなければ、アッという間に、忘却の彼方へと消え去ってし
まうのかもしれない。空を飛ぶ「かもめ」が、空の色に溶け込み、その姿
を消してしまうようにである。
思い出せない〈夢〉は、もう取り返しがつかないが、『かもめ』は戯曲
であるから、たとえきれいさっぱりその内容を忘れてしまっても、再び読
めば、その内容を知ることはできる。このまま放っておきたい気持もある
が、チェーホフの五大戯曲に関しては、徹底的に批評すると決めてしまっ
たので、これからはテキストに沿って『かもめ』の世界を検証することに
したい。
第一幕、教員のメドヴェーヂェンコと、ソーリン家の支配人シャムラー
エフの娘マーシャの対話を見てみよう。
2006年6月18日(日曜)
メドヴェーヂェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわ
けです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェーヂェンコ なぜです?(考えこんで)わからんですなあ。…
…あなたは健康だし、お父さんにしたって、金持じゃないまでも、暮しに
不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛いですよ。
月に二十三ルーブリしか貰ってないのに、そのなかから、退職積立金を天
引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふ
たり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェーヂェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは
行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟・・それで月給
が只の二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖
もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台の方を振り向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェーヂェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレーブレフ君
の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、
同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。とこ
ろが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想っています。
恋しさに家にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来
ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたの素気ない
顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいと
来ていますからね。……食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なん
かするものか?
マーシャ つまらないことを。(嗅ぎタバコをかぐ)お気持ちは有難い
と思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ。(タバコ入
れを差出して)いかが?
メドヴェーヂェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩くなって、ごろごろザーッと来そうね。
あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなの
ね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、
あたしなんか、ボロを着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れ
やしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……
メドヴェーヂェンコはマーシャが好きで、できれば結婚したいと願って
いる。しかしマーシャにはその気はない。メドヴェーヂェンコの言葉を借
りれば「僕とあなたの魂には、共通の接点がない」ということになる。二
人の魂に共通の接点がないのに、なぜメドヴェーヂェンコはマーシャを好
きになってしまったのか。魂に何の共通点などなくても、男は女を、女は
男を好きになる場合がある。メドヴェーヂェンコの場合もそうだったのだ
ろう。ここに引用した場面に限れば、マーシャはメドヴェーヂェンコを愛
してはいないが、友達の一人としては心を許していたのであろう。
メドヴェーヂェンコはマーシャが結婚を承諾しない理由を、彼の貧しさ
にあると考えている。母と妹二人と小さい弟の生活は彼一人の稼ぎにかか
っている。月給二十三ルーブリで一家五人が暮らしていくのは容易ではな
い。マーシャは「貧乏人だって、仕合せにはなれるわ」と言うが、メドヴ
ェーヂェンコにはそれは恵まれた者の理屈としか思えない。金を優先させ
るメドヴェーヂェンコと、金よりも精神的なことを優先させるマーシャが、
お互いに深く理解しあえるはずはない。マーシャはメドヴェーヂェンコに
面と向かって「あなたはしょっちゅう、理窟をこねるか、お金の話か、そ
のどっちかなのね」と言う。
世の中には金がなくてもそのことをあまり気にもせずに、自分の〈仕
事〉に没頭するタイプの人間がいる。芸術家や文学者が、金を意識しだし
たらろくなものを創造できないだろう。昔から芸術・学問と貧乏はセット
であった。結果として金が入る場合もあろうが、芸術・学問が金目当てに
なってしまったら、自分で自分の首をしめるようなものである。メドヴェ
ーヂェンコは教師であるから、子供たちに対する教育に情熱を注がなけれ
ばならない。しかし、この場面における彼の発言は、マーシャの言うよう
に金にまつわるつまらない話ばかりである。まずこういう男は女に持てな
い。マーシャに恋い焦がれて毎日一里半の道を通ってきても、決してマー
シャの魂を虜にすることはできない。マーシャがメドヴェーヂェンコに魅
力を感じないのは、彼に財産がないからでも、大勢の家族がいるからでも
ない。理窟をこねるか金の話しかできない男は、暮らしに何不自由のない、
若くて健康な娘、にもかかわらず自分を〈不仕合せな女〉と見なしている
娘の魂を震わせることはできない。メドヴェーヂェンコは一口で言ってし
まえば詰まらない男なのである。
マーシャは自分との結婚を願っている男に対して「お気持ちは有難いと
思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ」と言っている。
このセリフは穏やかな口調で発せられているが、それだけに拒否の意志は
決定的である。ここまで言われても、友達感覚で一里半の道のりを通って
くるメドヴェーヂェンコには、単なる詰まらない男を越えて、どこか押し
の強いずうずうしさを感じる。ソーニャに冤罪事件を仕掛けたルージンの
ような卑劣漢ではないにしても、メドヴェーヂェンコが俗物中の俗物、神
の口から吐きだされてしまう〈生温き〉教師であることは疑いない。
2006年6月19日(月曜)
さて、この『かもめ』の最初の場面からしてまったくわたしの記憶にと
どまっていないのはどういうことだろうか。これは単にボケ現象がはじま
ったというよりも、ここに書かれたようなこと、つまり余りにも日常的な、
おそらく世界のいたるところで交わされているようなありふれた会話に、
脳が敢えて記憶する必要を感じなかったのではないかと思う。『イワーノ
フ』でイワーノフとアンナは熱烈な恋愛の最中に〈永遠の愛〉を誓って結
婚した。しかしチェーホフは二人のその熱烈な場面をいっさい描かなかっ
た。描かなくても、若い男女の熱烈な愛の姿など似たり寄ったりであるか
ら、読者は十分にそのことを想像することができる。ここに描かれたメド
ヴェーヂェンコとマーシャの対話なども、別に新しいことは何一つない。
男は相手の女を想って通い詰めるが、当の女は男に友情以外の感情を抱い
ていない。こんな男女の関係など世界には吐き捨てるほどある。別にチェ
ーホフの戯曲を読まなくても、現実のいたるところに転がっている、実に
ありふれた関係である。
わたしは長いことドストエフスキーを読んできた。そこには主人公の発
狂やら人殺しやらが描かれている。まさにドストエフスキーの文学は非日
常的な出来事の宝庫で、読者は否応もなく、そのカオスの世界へと巻き込
まれていく。主人公の狂気や殺意は読者にも感染する強烈な毒を持ってい
て、油断も隙もない。ところがチェーホフの文学においては、舞台は日常
と地続きの所に設置されている。時代や民族、宗教は異なっていても、メ
ドヴェーヂェンコとマーシャは、時空を越えた〈お隣さん〉なのである。
それでは再び〈お隣さん〉の世界へと舞い戻ることにしよう。メドヴェ
ーヂェンコの悩みの種は大勢の家族と薄給、そのために愛するマーシャと
の結婚が阻まれていると考えていることにある。一方、マーシャは「ボロ
を着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れやしない」と考えて
いる。ということは、マーシャは〈貧乏〉などは取るに足らない、彼女の
心を悩ます問題を抱えているということである。マーシャは〈……〉の後、
「あなたには、わかってもらえそうもないけど……」と続けて口を閉ざす。
メドヴェーヂェンコが想像力のある感性豊かな青年であったなら、マーシ
ャのこの言葉に込められた様々なメッセージを読むことができたろう。し
かし、メドヴェーヂェンコには決定的にこの想像力が欠けている。彼はマ
ーシャの内部世界に参入することができない。
メドヴェーヂェンコは最初に「あなたは、いつ見ても黒い服ですね。ど
ういうわけです?」とマーシャに訊いた。マーシャは「わが人生の喪服な
の。あたし、不仕合せな女ですもの」と答えていた。もしメドヴェーヂェ
ンコに豊かな想像力が備わっていたなら、すぐにマーシャの〈不仕合せ〉
の内実に肉薄し、その核心を掴むことができたであろう。しかしメドヴェ
ーヂェンコは人間の幸、不幸を外的条件で推し量ろうとし、精神世界に求
めようとしない。この時点でメドヴェーヂェンコはマーシャの女心をつか
むことはできない。メドヴェーヂェンコにできるのは薄給や退職積立金の
話などで、つまり彼が関心を持っているのは日々の辛い暮らし向きのこと
ばかりなのである。こんな話はマーシャにとっては退屈以外のなにもので
もない。ところがメドヴェーヂェンコには想像力が欠けているから、相手
が自分の話に飽き飽きしていることにも気づかない。こういう男は、いつ
も相手の柵の外側にいて、自分の不幸を嘆いているよりほかはない。
次の場面を見てみよう。
ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎が苦手で
な、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染めまいよ。ゆうべは十時
に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寐すぎたもんで、脳
味噌が頭蓋骨に、べったり喰っついたような気がした・・とまあいった次
第でな。(笑う)ところが昼めしのあとで、ついまた寐込んじまって、今
じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃ勿論、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシ
ャとメドヴェーヂェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今こ
こにいられちゃ困るな。暫時ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いて
やるように、ひとつパパにお願いしてみては下さらんか。やけに吠えるで
なあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寐られなかった。
マーシャ 御自分で父に仰しゃって下さいまし、あたしは御免こうむり
ます。あしからず。(メドヴェーヂェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェーヂェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせに
よこして下さい。(94〜95)
ソーリンは主人公アルカージナの兄、トレープレフはアルカージナの息
子である。舞台はソーリン家の田舎屋敷に設定されている。ソーリンは田
舎が苦手と嘆き、甥のトレープレフは「伯父さんは都会に住むひと」だと
言う。今のところ、なぜソーリンが田舎にとどまっているのかその理由は
分からない。分かっているのは、ソーリンが自分の望むこととは裏腹な生
活を強いられているということである。マーシャは健康で金に不自由のな
い生活の中にあって〈不仕合せ〉であり、メドヴェーヂェンコは愛するマ
ーシャに拒まれていることで不仕合せである。どうやら、この戯曲の登場
人物たちは、少なくともメドヴェーヂェンコ、マーシャ、そしてソーリン
の三人は自分を〈不仕合せ〉と思っているらしい。
次の場面を見てみよう。
ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わ
たしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例しがない。前にゃよく、二
十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら・・
とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着い
たその日から、逃げだしたくなったよ。(笑う)引揚げる時にゃ、やれや
れと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退いてしまって、ほかに居場所
がない・・早い話がね。いやでも、ここに釘づけだ……(95)
ソーリンがマーシャに犬の鎖を解いてくれるようパパに頼んでくれ、と
言ったそのパパとはマーシャの父親シャムラーエフでソーリン家の支配人
である。マーシャは直接、父に頼んでくれと言ってにべもなく断る。ソー
リンは自分の領地に住んでいて、なぜ支配人に遠慮しなければならないの
であろうか。マーシャは、なぜソーリンの要望を無下に拒否できるのであ
ろうか。領主と支配人が、すでに主従の関係を保てなくなっていたのであ
ろうか。いずれにせよ、ソーリンは犬の吠え声に悩まされなければならな
い。ソーリンは、かつては骨休みのために二十八日の休暇をとって田舎の
屋敷に来たこと、しかしすぐに逃げ出したくなったと語る。おそらく都会
で何らかの役職に就いていたのであろう。田舎に飽きれば、すぐに都会へ
と舞い戻ることができたソーリンも、今や役を退いて、この田舎屋敷の他
には〈居場所〉がない。唯一の〈居場所〉が居心地のいい所であれば何ら
問題はない。ソーリンは決して馴染むことのできない田舎の領地にとどま
って、様々な不満を抱えて生きていく他はない。夜通し犬の吠え声に悩ま
されるのは、一種の刑罰であり地獄である。ふつうなら、どう考えても領
主を慮って犬の鎖を解くなり、他に移すなりするだろう。支配人のシャム
ラーエフの無配慮と、その娘マーシャの拒絶は、まさに領主を領主とも思
わぬ輩のすることと同じである。ソーリンは領地の者に対する支配力をま
ったく失った名ばかりの領主であったのだろうか。
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那、〔わっしら〕ちょいと一浴びし
て来ます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持場にいてくれよ。
(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カ
ーテン、袖が一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもな
い。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっか
り八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ
飛んじまう。もう来る時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見
張りがきびしいもんで、家を抜け出すのは、牢破りも同様、むずかしいん
ですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯ももじゃも
じゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは
若い時分から、飲んだくれそっくりの風采・・とまあいった次第でな。つ
いぞ女にもてた例しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、お冠
りなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋しいんですよ。(ならんで腰をおろし
ながら)妬けるんでさ。おっ母さんはてんからもう、この僕にも、今日の
芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演るのが自
分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、
眼の敵にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を廻さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采を浴びるの
が、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪のたねなんですよ。(時計
を見て)ちょいと心理的な変り種でね・・おっ母さんは。そりゃ才能もあ
る、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラ
ーソフの詩だって、即座に残らず暗唱できるし、病人の世話をさせたら・
・エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノ
ラ・ドゥーゼでも褒めて御覧なさい。事ですぜ! 褒めるなら、あの人の
ことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿
姫』だの『人生の毒気』〔ロシヤ十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの
戯曲〕だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激し
たりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。
そこで、淋しいもんだから苛々する。われわれみんな悪者で、親のカタキ
だということになる。おまけに、あの人は御幣かつぎで、三本蝋燭〔死人
のほとりを照らす習慣〕をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。し
かも、けちんぼと来ている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは
・・僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもん
なら、めそめそ泣き出す始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、
頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ・・とまあいった次第だがな。
案じることはないさ・・おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き・・嫌い、・・好
き・・嫌い、好き・・嫌い。(笑う)そうらね、お母さんは僕が嫌いだ。
あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が期待。とこ
ろがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭でも、自
分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいら
れるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なん
ですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。
あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、
奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場という
やつは、型にはまった因習にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明
に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優た
ちが、人間の食ったり飲んだり、惚れたり歩いたり、背広を着たりする有
様を、演じて見せる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、
なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ち
っぽけな、手っとり早い、御家庭にあって調法・・といった代物ばかりさ。
そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの
繰り返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出
すんです。エッフェル塔の俗悪さがやり切れなくなって、命からがら逃げ
出したモーパッサン〔その小説『さすらい』参照〕みたいにね。(全集95
〜98)
第一幕が始まる前に次のような舞台説明の文章があった・・「ソーリン
家の領地内の庭園の一部。広い並木道が、観客席から庭の方へ走って、湖
に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて。湖は
まったく見えない。仮舞台の左右に灌木の茂み。椅子が数脚、小テーブル
が一つ」。この舞台構成は、この戯曲の本質的なテーマを端的に表してい
ると言えよう。湖へと続く並木道をふさいでいるのは家庭劇を演ずるため
の仮舞台である。〈湖〉を平和、和解、明るい未来などの隠喩と見れば、
そこへと続く長い一本道が仮舞台によってふさがれているということは意
味深である。
2006年6月20日(火曜)
いったいこの仮舞台においてどのような家庭劇が演じられることになるの
か。演じられる前にすでに、トレープレフとその母アルカージナの確執が
露になっている。トレープレフは仮舞台を見て「これが僕の劇場だ」と言
っているから、舞台演出家なのであろうか。母親アルカージナはいつも自
分が讃美と喝采を浴びていなければ満足できないような女優である。とこ
ろが息子のトレープレフが主役に抜擢したのは裕福な地主の娘ニーナであ
る。読者・観客はこのニーナという〈女優〉の姿をまだ見ることはできな
い。読者・観客の言葉によれば、開幕はきっかり八場半ということである
から、それまでには必ず登場するであろう。ニーナが登場するまでに、ト
レープレフは母親について多弁を弄し、彼女の自己中心的な性格、ケチ、
劇場否定論者の彼に対する反感などを読者・観客にしっかりと植えつける。
どうやらトレープレフと母親との間にも修復不能の亀裂が走っているらし
い。まったくこの戯曲には、愛し愛される関係にある人物は一人も登場し
てこないのであろうか。否、メドヴェーヂェンコのセリフによれば、脚本
を書いたトレープレフと主演のニーナは〈恋仲〉で、今日は二人の魂が融
合するということであった。はたしてこの〈魂の融合〉はどこまで永遠性
を獲得できるのであろうか。何しろ『イワーノフ』においてはイワーノフ
とアンナの〈永遠の愛〉はわずか四年しかもたなかたのであるから。
劇場否定論者のトレープレフと、劇場大好き女優のアルカージナとの対
立・確執は、演劇における保守勢力と改革派の対立・確執のミニチュア版
といったところであろうか。トレープレフは仮舞台を見やりながら「カー
テン、袖が一つ、袖がもう一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなん
か、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線が開けるんだ」と言ってい
る。トレープレフの演劇にはたいそうな建築物としての劇場などいっこう
に必要としないらしい。彼は自然(ここでは湖まで続くまっすぐな並木道
や、月など)を巧みに利用すれば、舞台に大金をかけることはないと考え
ている。彼は「当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない」
と言い、観客は「俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ
出そうと血まなこだ」と批判する。彼は、新しい演劇の形式と、新しい観
客を求めて格闘しているらしい。劇場派の母親アルカージナは、トレープ
レフが戦わなければならない保守的陣営のシンボルでもある。従ってニー
ナが望む望まないにかかわらず、彼女もまたトレープレフの新思想のもと
にアルカージナと対立・葛藤しなければならないことになろう。未だ、ニ
ーナは登場していないが、はたしてどのように演技を展開するのか読者・
観客の興味は募る。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新らしい形式が必要なんですよ。新形式がいる
んで、もしそれがないんなら、いっそ何にもない方がいい。(時計を見
る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活
は、なんぼなんでも酷すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべ
たしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口です
よ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むら
むらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なの
が、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸
福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情ない、馬鹿げた境遇
があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずら
り顔をならべたもんです・・役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だ
けが、名も何もない雑魚なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人
の息子だからというだけのことに過ぎん。僕は一体だれだ?
2006年6月22日(木曜)
どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告に
よくある、例の「さる外部事情のため」〔当時の雑誌などが、思想の弾圧
のため発禁になった時に使う慣用句〕って奴でさ。しかも、これっぱかり
の才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ・・キーエフの町
人と書いてある。なるほどうちの親父は、有名な役者じゃあったが、元を
ただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間
で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼を僕にそそいでくれるごとに、
僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたい
な気がした、・・向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんです
よ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全
体に何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、
メランコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間が
あるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分
だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかな
あ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイや
ゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこ
れでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になるこ
となんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、
なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ(耳を澄ます)足音がきこえる。……(伯父を抱いて)僕
は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までが素晴らしい。……
めちゃめちゃに幸福だ!(足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、
可愛い魔女が来た、僕の夢が……(98〜99)
アルカージナは大女優、息子のトレープレフは大学を三年で飛びだした
〈名も何もない雑魚〉である。トレープレフは母親に嫉妬し、母親の前で
自分が一匹の〈雑魚〉であることを不断に思い知らされている。トレープ
レフは息子として母親を誰よりも愛しているが、同時に「のべつ新聞に浮
名をながしている」母親に反感を抱いている。アルカージナは世間体など
気にせずにマイペースで生きている〈有名な女優〉で、彼女の客間には
〈天下のお歴々〉が顔を並べている。トレープレフはいつも肩身の狭い思
いで小さくなっている。トレープレフはソーリンに自分の母親に対する思
いを正直に話している。
トレープレフが新しい形式の演劇を模索し、将来、演劇界で活躍する野
望を抱いていたのであれば、アルカージナという女優は打倒しなければな
らない敵側の一人ということになる。おそらくトレープレフは素人娘のニ
ーナを抜擢することで保守的な大女優アルカージナに反抗し、新しい演劇
の夜明けを目指したのであろう。今後、その試みがどのような展開を見せ
るのか、観客の注目を集めるだけ集めたところで、いよいよトレープレフ
の〈夢〉である、〈可愛い魔女〉ニーナの登場とあいなる。
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れや
しないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してく
れまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母と一緒に
出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生
けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉しいわ。(ソーリンの
手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目を、泣きはらしてござる。……ほら
ほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんで
いるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから
引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んで来なくち
ゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあ言った次第でな。はいは
い、只今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふ
たりづれ。」〔ハイネの『ふたりの擲弾兵』より〕……(ふり返って)い
つぞや、まあこういった工合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、
こう言いおった・・「いや閣下、なかなか大した喉ですな。」……そこで
先生、ちょいと考えて、こう附け足したよ・・「しかし……厭なお声で
。」(笑って退場)
ニーナ 父も継母も、あたしがここへ来るのは反対なの。ここはボヘミ
アンの巣窟だって……あたしが女優ににでもなりゃしまいかと、心配なの
ね。でもあたしは、ここの湖に惹きつけられるの、かもめみたいにね。…
…胸のなかは、あなたのことで一ぱい。(あたりを見まわす)
2006年6月26日(月曜)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻)
ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ ニレの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急い
で帰らないで下さい。後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜ど
おし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、万人に見つかるわ。それにトレゾールは、まだお馴染じ
ゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)だれだ? ヤーコフ、お前か?
トレープレフ みんな持場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄もあるね? 紅い目
玉が出たら、硫黄の臭いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、
支度はすっかり出来ています。……興奮ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは・・平気ですわ、こわくなんか
ない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をす
るのは、あたしこわいの、恥かしいの。……有名な作家ですもの。……若
いかた?
戸 ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人間がいないん
だもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけ
ない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくち
ゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少くて、読むだけなんですもの。戯曲
というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……
(ふたり、仮舞台のかげへ去る)(全集12・99〜101 )
2006年6月27日(火曜)
トレープレフの〈可愛い魔女〉〈夢〉であるニーナが登場。読者・観客
はニーナの発する言葉によって彼女の置かれている状況を把握する。母親
は継母で、父親はニーナのしつけに厳しく、夜に娘が外に出ることなど絶
対に許さない、たまたま両親が揃って出掛けた隙に馬を追い立てて約束の
場所へと着いたことになる。つまりニーナは父親に内緒でトレープレフの
所へと駆けつけ、約束の芝居をしてすぐに戻らなければならない。ニーナ
の両親は娘がトレープレフと付き合うことに反対している。両親にとって
トレープレフの所は〈ボヘミアンの巣窟〉で、ニーナが〈女優〉になるこ
となど大反対なのである。
しかしトレープレフとニーナは愛し合っている。愛する男と逢うために
親の眼を盗み、嘘をつくことなどどこの娘もしていることだ。ニーナの情
熱を、トレープレフの愛情を誰も押さえ込むことはできない。しかし、す
でにわたしは『イワーノフ』を読んでいる。あの〈永遠の愛〉を誓ってお
きながら、その誓いに背いたイワーノフの運命を知っている。どのような
熱烈な愛も、それが男と女の間に通う愛なら、時の流れの中でその熱を失
い、冷えきってしまうこともある。男と女の間に〈永遠の愛〉など存在し
ないからこそ、二人は〈誓い〉をたてて、お互いの心を縛りあうと言って
もいい。しかし、熱烈な愛の直中にある時の〈誓い〉は重荷ではないが、
冷めきった後ではその〈誓い〉が己の首をしめることになる。イワーノフ
はアンナの顔を見るだけでもうざったく、とにかく彼女の前から逃亡をは
かり、あげくのはてにはピストル自殺してはてた。イワーノフの陥った憂
鬱は、新たな恋によっては解消せず、結局、自ら命を絶つことによって彼
自身はその虚無の淵からの脱出に成功したが、残された者には確実にその
〈憂鬱〉のウィルスをまき散らした。特にイワーノフの更生にかけていた
サーシャなどは、夫に裏切られた妻アンナ以上のショックを受けたに違い
ない。
チェーホフの読者・観客は、従ってトレープレフとニーナの愛に関して
も、冷やかな眼差しをぬぐい去ることはできない。いったいトレープレフ
の〈可愛い魔女〉が、いつまで彼の〈夢〉たり得るのか。それは文字通り
〈夢〉に終わってしまうのではないのか。トレープレフの母親、トレープ
レフが演劇上、いつかは徹底してぶちのめさなければならない大女優アル
カージナに、はたしてニーナはどこまで喰い入ってくれるのか。ニーナは
ただただトレープレフにお熱をあげているだけの小娘で、一時、トレープ
レフの影響に感染して演劇熱に浮かされているだけではないのか。
2006年6月29日(木曜)
ニーナは未来に暗い予感を感じている。それはトレープレフとの関係に
明るい未来を想定できないことを示している。ニーナはニレの木を見て
「どうして、あんなに黒いのかしら?」と訊ねる。トレープレフは「もう
晩だから、物がみんな黒く見えるのです」と答える。しかし、このトレー
プレフの返事はニーナの疑問に答えていない。ニーナは全く別のことを訊
いているのだ。〈ニレの木〉の黒さ、それはトレープレフが抱え込んでい
る闇の隠喩であり、愛し合っている二人の破滅的未来を暗示しているかも
知れないではないか。少なくとも、父親からトレープレフとの交際を禁じ
られているニーナにとって、未来は決して明るくはない。湖へと続く一本
道が仮舞台によって遮られていることが二人の未来を端的に暗示している
とも言える。ニーナは「あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人
間がいないんだもの」と言う。この言葉の中にすでに二人の破綻が予告さ
れている。トレープレフの〈可愛い魔女〉は、実は母親の大女優アルカー
ジナよりも、実は手ごわい相手であったのかも知れない。いちど自分の心
の内に入り込んだ〈魔女〉を排除することは容易ではない。ニーナの口に
するセリフは、誰にも妥協しない力強さがある。「あなたの戯曲は、動き
が少くて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がな
くちゃいけないと、あたしは思うわ」・・ニーナの言葉には誰にでも分か
る具体性がある。一方、トレープレフのそれは抽象的である。彼は〈生き
た人間〉〈人生〉を描くには「あるがままでもいけない、かくあるべき姿
でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ」と言う。はたして
この言葉を正確に理解できる者が何人いるのだろうか。〈自由な空想にあ
らわれる形〉・・これは難解な言葉である。トレープレフが自らの演劇で
狙う〈生きた人間〉の姿をこのような言葉で表現されても、なかなかすぐ
には理解できないのである。はたして相手のニーナにどこまで正確に伝わ
ったであろうか。トレープレフの〈抽象〉とニーナの〈具象〉はやがて、
はっきりとした意見の相違となって二人の関係を破綻の方向へと押しやっ
ていくのではなかろうか。今はまだ余りにも小さい溝で、二人とも、その
溝の深さに気づいていないだけのような気がする。
2006年7月1日(土曜)
いよいよ幕があがって、湖の光景が開ける。月は地平線を離れ、水に反
映している。岩の上に白衣のニーナが座っている。ニーナの長い独白が続
く。
ニーナ 人も、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、
蜘蛛も、水に棲む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった
微生物も、・・つまりは一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲しい
循環をおえて、消え失せた。……もう、なん千世紀というもの、地球は一
つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火をともして
いる。今は牧場に、寐ざめの鶴の啼く音も耐えた。菩提樹の林に、こがね
虫の音ずれもない。寒い、寒い。うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味
だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。
永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊
魂だけは、溶け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂・・
それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル
大王の魂もある。シーザーのも、シェークスピアのも、ナポレオンのも、
最後に生き残った蛭のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、
人間の意識が、動物の本能と溶けあっている。で、わたしは、何もかも、
残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新らしく生
き直している。
鬼火があらわれる。
アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。
そしてわたしの声は、この空虚のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞
く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ
前、沼の毒気から生まれたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、
思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、
命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなし
に、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。
だからお前は、絶えず流転をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のも
のがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこま
れだ囚われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知ら
ない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手
の、たゆまぬ烈しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質
と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志
の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、
永い永い歳つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この
地球も、すべて塵と化したあとのことだ。……(間。湖の奥に、紅い点が
二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖
ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほどね、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶ
りなさい、風邪を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱
帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ!
幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら!(とんと足ぶ
みして)幕だ!(幕がおりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演し
たりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘
れていたもんで。僕はひとの畠を荒らしたんだ! 僕が……いや、僕なん
か……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)(全集12・10
4 〜106 )

ニーナはトレープレフが書いた脚本をそのまま口にしているだけのこと、
このセリフにはたしてどれほどの演技力が必要とされたのか。もし、この
セリフ自体にトレープレフが意味をこめていたのだとすれば、何も劇仕立
てにしてくれずとも、脚本をそのまま読めばいいということになる。舞台
での長いセリフは観客の耳にそのまま正確に伝わるとは限らない。なのに
なぜトレープレフは、脚本を書いてそれを活字で発表することだけに満足
せず、さらに俳優を集め、演出し、観客動員に駆け回る、そんなこんなの
苦労を重ねてまで舞台作りに精をだすのだろうか。
https://www.shimi-masa.com/?p=350
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c29

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
30. 中川隆[-13491] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:22:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1413]
チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載A
清水 正
https://www.shimi-masa.com/?p=351


2006年7月2日(日曜)
トレープレフはこの芝居でいったい何を言いたかったのであろうか。ニ
ーナが背負っている役は「一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲し
い循環をおえて、消え失せた」後の「世界に遍在する一つの霊魂」である。
この〈霊魂〉にトレープレフの思いのすべてが託されている。チェーホフ
の人物の大半は、自分の存在を未来の時点から見つめる視点を持っている。
ここでトレープレフは〈なん千世紀〉という未来時点に存在する〈世界に
遍在する一つの霊魂〉を描いているが、これはその未来時点から今現在を
見ていると言ってもいい。トレープレフはここで、単なる人間、単なる民
族の滅び行く運命ではなく、〈一さいの生き物〉が消え失せた地球を、す
なわち悠久の時を視野に入れている。人間はどんなに養生しても百年も二
百年も生きられるものではない。この世に誕生した者は、ただ一人の例外
もなく死んでいかなければならない。しかも人間はどこから来て、どこへ
行くのかを知らない。人生を真剣に考えれば考えるほど、わたしたちの存
在は或るなにものかによって愚弄されているようにも感じる。或る限定さ
れた時間の枠の中で、喜んだり悲しんだりしながら、結局は死の淵へと追
いやられてしまう人間。それでも今現在に没頭できる人間は、それなりに
生を享受できる。ところが、不断に今現在の自分の存在を死後の時点から
見つめるような眼差しを持った人間は、どうしてもしらけてしまう。どの
ように生きようと、結局は死んでしまうのだとすれば、この世の束の間の
生にいったいどのような意味があるのか。イワーノフの内部に侵入した空
虚、倦怠、憂鬱は、決してイワーノフだけに特有のものではない。自分の
存在を未来時点から眺める者はすべて空虚と倦怠の卵を抱いて生きている。
ここでトレープレフが設定した〈世界に遍在する一つの霊魂〉は〈わた
し〉という主体的な存在で、人間と同様の〈孤独〉を抱えている。この
〈わたし〉は〈永遠の物質の父なる悪魔〉とは対極にある存在で、この悪
魔をも包み込んだ〈霊魂〉ではない。〈わたし〉は〈物質の力の本源たる
悪魔〉と〈たゆまぬ激しい戦い〉をしなければならない存在である。ただ
し〈わたし〉はこの悪魔との戦いに勝利すること、「やがて物質と霊魂と
が美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志の王国が
出現する」ことを予言している。〈わたし〉は悪魔と勝つか負けるかの、
賭博のような戦いをしているわけではない。〈わたし〉は勝利を約束され
た〈霊魂〉なのである。ならば、何故に〈わたし〉は孤独を感じるのであ
ろう。
〈世界に遍在する一つの霊魂〉は、トレープレフが想像し創造した〈霊
魂〉で、多分にトレープレフ自身の内的世界を反映している。〈わたし〉
は「宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ」と
言い、さらに「うつろな深い井戸へ投げこまれた囚われびとのように、わ
たしは居場所も知らず、行く末のことも知らない」と言う。この言葉から
分かるのは、トレープレフは人間は死んだら死りっきりとは思っていなか
ったということである。死んだ人間の身体は腐敗し、大地に溶けこんでし
まうが、霊魂は依然として存在するという考えである。そして人間を含む
〈一さいの生き物〉の霊魂が溶け合わさって一つになったものが〈わた
し〉であり、〈わたし〉はやがて〈世界を統べる一つの意志の王国〉が出
現することを信じている。この〈意志の王国〉に或る限定された生物の固
体はどのように復活してくるのであろうか。例えば、今現在を芝居に熱中
しているトレープレフは、〈意志の王国〉が出現した時に、どのような姿
形を持って蘇生してくるのであろうか。もし、姿形はもとより、すべてが
今現在のトレープレフと違ったものとして蘇生するのであれば、死後も存
在し続ける〈霊魂〉の意味はどこにあるのだろうか。
トレープレフは何と戦っていたのだろうか。母親のアルカージナと戦っ
ていたのであろうか。否、トレープレフが何よりも一番に戦っていた相手
とは〈時間〉である。トレープレフは〈時間〉を超脱しようとしている。
人間は時間の枠の中で生存している。時間の枠から逃れる唯一の方法は死
しかない。死んでも〈霊魂〉が存続するというのであれば、その〈霊魂〉
が存続する〈時間〉が想定されなければならない。しかし、自分が自分で
あることを認識するには意識が必要である。たとえ死んでも、いきのびた
〈霊魂〉が「自分は自分である」という自己同一性の意識を持っていなく
てはならないことになる。トレープレフは生きており、死んだ後の〈霊
魂〉の存在を証明してはいない。トレープレフに可能なことは芝居の脚本
を書いて、自分の考えを観客に伝えることだけである。ニーナの口を通し
て語られたトレープレフの考えは死後においても〈霊魂〉が存在すること、
やがては物質と霊魂が溶け合って世界を統べる一つの意志の王国が出現す
るということである。この確信は、言わばトレープレフの信仰のようにも
のである。、が、この信仰をもってしてもどうにもならない事実がある。
それは〈時間〉である。〈世界に遍在する一つの霊魂〉である〈わたし〉
もまた時間を超越することはできない。それは〈永遠の物質の父なる悪
魔〉もまた同様である。〈世界に遍在する一つの霊魂〉に意志があり、
〈永遠の物質の父なる悪魔〉に意志があったにしても、〈時間〉そのもの
をどうこうする力はない。〈時間〉そのものに意志があるとすれば、〈霊
魂〉も〈悪魔〉もその意志をどうすることもできない。〈時間〉の支配下
におかれたモノの〈意志〉など、はたして意志と呼べるものかどうか。
トレープレフのヴィジョンにはニーチェの永劫回帰説やショーペンハウ
エルの盲目的な宇宙意志、キリスト教の復活説などが反映している。しか
しここでトレープレフの〈世界に遍在する一つの霊魂〉や〈永遠の物質の
父なる悪魔〉、〈世界を統べる一つの意志の王国〉の実体などを考察する
よりは、このような戯曲を書かざるを得なかった彼の〈孤独〉に照明を与
えることにしよう。トレープレフの実存の特徴は〈世界に遍在する一つの
霊魂〉の口から出た〈寒い〉〈うつろ〉〈不気味〉〈孤独〉〈空虚〉とい
った言葉に端的に表れている。〈世界に遍在する一つの霊魂〉は「人間が
いないので、退屈なのだ」と言う。まさに、この〈霊魂〉はいっさいの生
き物の霊魂が一つに溶け合ったものというより、人間の一人であるトレー
プレフ自身の内的世界を投影している。トレープレフは孤独で、しかも退
屈なのだ。おそらくトレープレフは愛するニーナの存在によってもその孤
独と退屈から脱することはできないであろう。なにしろトレープレフは救
い難き憂鬱症に陥ったイワーノフの後に登場してきた人物なのである。
トレープレフがカッとなって「芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろ
せ!」と怒鳴った場面に注目しよう。トレープレフの怒りがとつぜん爆発
したのは、医師ドルーンが帽子を脱いだときに、母親のアルカージナは
「それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったの
さ」と説明した直後である。どうしてこのアルカージナの説明がトレープ
レフの怒りを誘発したのか。ここには何かひとには言えない秘密が隠され
ているのであろうか。
トレープレフは怒りにまかせて「失礼しました! 芝居を書いたり、上
演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つ
い忘れていたもんで」と皮肉を飛ばす。しかし、この辛辣な皮肉が皮肉と
してアルカージナに伝わっていないところにトレープレフの孤独と滑稽が
ある。アルカージナの兄ソーリンは「若い者の自尊心は、大事にしてやら
なけりゃ」と言う。ソーリンから見れば、アルカージナの言葉は、新しい
芝居に情熱を傾けるトレープレフの自尊心を著しく傷つけたように思えた
のであろう。しかし肝心のアルカージナにそういった自覚はまったくない。
彼女はある意味、天真爛漫な女優であり、感じたこと、思ったことを率直
に口にしているに過ぎない。〈世界に遍在する一つの霊魂〉の前に強敵の
悪魔がやって来た、まさにその時、トレープレフは〈硫黄の臭い〉を漂わ
せる。すかさずアルカージナはトレープレフに「こんな必要があるの?」
と訊いている。これは皮肉ともあてこすりともとれなくはないが、アルカ
ージナに対抗して新しい演劇を展開しようとする者が、そんな言葉にいち
いちカリカリしていてはいけないだろう。
2006年7月3日(月曜)
トレープレフは「芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれ
た人たちのすることだ」と本気で考えていたのだろうか。おそらくアルカ
ージナは多くの観客を楽しませ感動させるために芝居はあり、自分はその
主役女優だと思っていたに違いない。いつの時代でも、どんな芸術の分野
でも、トレープレフとアルカージナにおける意見の相違は存在する。文学
に限っても純文学と大衆文学がある。演劇の場合は、或る一定の場所(舞
台)に、或る限定された時間内に多くの観客を集めなければならない。小
説の読者のようなわがまま(どんな時間にどれだけ読むかは読者の自由で
ある)は、原則として演劇の観客には許されていない。興行主は、経営上
の問題からも、なるべく多くの観客が集まるような芝居を打ちたいし、俳
優を使いたいと思うのが当然である。トレープレフのような考えを持った
脚本家や演出家は、利益優先の興行主には嫌われるだろう。もしトレープ
レフが自分の主張をまげずに演劇活動を展開しようとするなら、興行費用
は自分で負担しなければならないことになる。トレープレフの演劇論に賛
同する同志的俳優やスタッフが経費を自己負担でもしなければ、とうてい
興行は続けられないことになる。いつの時代でも、新しいことを展開する
ためには、旧世代や旧理論と壮絶な闘いをしなければならないし、自分た
ちの主張が受け入れられるまでにそうとうの苦労を積み重ねなければなら
ない。アルカージナにちょっとばかりチャリを入れられたぐらいでヒステ
リーを起こし、芝居を中断するようではトレープレフの前途は決して明る
くはない。
アルカージナに言わせればトレープレフは「わがままな、自惚れの強い
子」であり、トレープレフの野心満々な演劇の新形式も、ただの〈根性ま
がり〉に過ぎない。要するにアルカージナは息子が〈何か当り前の芝居〉
を出さずに、〈デカダンのたわ言〉を上演したことに不満なのである。
〈世界に遍在する一つの霊魂〉と〈永遠の物質の父なる悪魔〉との闘いも、
〈世界を統べる一つの意志の王国〉の出現も、アルカージナにとっては根
性まがりのデカダンであり〈退屈な暇つぶし〉に過ぎない。哲学の問題は
哲学者が、神学の問題は神学者が頭を悩ませばいい。芝居は皆が喜び、興
奮する一時の娯楽であればいい。演出家や俳優は大衆の娯楽に奉仕すれば
いいのであって、舞台上で自己満足的な理屈をこねまわすことではない。
おそらくアルカージナが考えているのはこういうことであろう。
確かにアルカージナの言は説得力がある。トレープレフがニーナに語ら
せたセリフは脚本を読めばそれですんでしまうことで、敢えて舞台にかけ
る必然性があるとは思えない。アルカージナの感想は、この場に観客とし
て集まった者たちの大半の賛同を得たことだろう。トレープレフの演劇の
新形式に賭ける情熱に水をさすつもりはないが、〈世界に遍在する一つの
霊魂〉の独白は、ひとり書斎で読んでもいい性格のものである。というよ
り、その方が聞き逃しもなく、正確に読み取ることができよう。チェーホ
フ作の『かもめ』は、トレープレフ作の〈デカダンのたわ言〉をも内包す
ることで、観客の退屈を回避することが可能となっている。
アルカージナがトレープレフの芝居の中身について何らコメントを出さ
ず、言わば外側からトレープレフの野心満々を〈デカダンのたわ言〉〈退
屈な暇つぶし〉と切って捨てたのに対し、教師のメドヴェーヂェンコは
「何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂に
してからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね」と一応、中身
に関するコメントを発している。いずれにしても、トレープレフが自ら中
断した芝居は理屈が勝ったもので、一般の観客には理解できず、退屈きわ
まりないものと化したことだろう。二十一世紀の今日においても、トレー
プレフ的理屈の勝った芝居を打っている劇団は多い。主催者側がいくら自
己満足しても、観客にとってはただただ眠いだけの朗読劇のようなものは
なんとかならないものか。もし脚本のセリフ勝負というのなら、それに相
応しい役者を抜擢してもらわなければならない。そうでなければ脚本を静
かな場所でじっくり読んだほうがどれほどましであろうか。
メドヴェーヂェンコは文士トリゴーリンに「で一つ、どうでしょう、わ
れわれ教員仲間がどんな暮らしをしているか・・それをひとつ戯曲に書い
て、舞台で演じてみたら。辛いです。じつに辛いです!」と言う。アルカ
ージナは戯曲や原子の話はもうやめにして、向う岸から聞こえてくる歌に
耳をすまそうと言う。彼女はトリゴーリンに向かって次のように言う。
十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきり
なしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主貴族が六つもあってね。忘
れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっ
ちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……その頃、その六つの屋敷の花形
で、人気の的だったのは、そら、御紹介しますわ(ドールンをあごでしゃ
くって)・・ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前です
もの、その頃と来たら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそ
うと、そろそろ気が咎めてきた。可哀そうに、なんだってわたし、うちの
坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せ
がれや! コースチャ!
2006年7月4日(火曜)
こういった場面で分かるのは、アルカージナが過去に思いをいたすタイ
プであること、つまり未来よりは積み重ねた過去の時間の方に重きを置い
て生きているということである。アルカージナからかつて花形であったと
紹介されたドクトル・ドールンもまた基本的には同じである。アルカージ
ナは第二幕のはじめに「わたしには、主義があるの・・未来を覗き見しな
い、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがな
いわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの」と語っている。この言
葉で彼女は自分の人生に対する基本的な姿勢を端的に示している。名もな
い、駆け出しのトレープレフは自分の仕事を未来に託すほかはない。かれ
にとって現在は未来へ向かって投企されている。だからこそ未来へと続く
現在が否定されることは、トレープレフにとって何よりも痛い。彼は意識
のうえではアルカージナを過去の人として葬り去りながら、しかし依然と
して彼女の言葉が重くのしかかっている。ところがアルカージナは、すで
に女優としての絶頂期を終えている。彼女にとって過去よりも、現在より
もすばらしい未来が待機しているようには思えない。すでにアルカージナ
は未来を覗き見して一喜一憂する乙女のような心持ちでいきることはでき
ない。彼女は過去をなつかしく思い出すことはあっても、別にその過去に
過剰とらわれることもないし、未来に過剰に期待することもない。彼女は
現在を精一杯、感じ、働き、生きることを信条としている。それは一つの
理想的な生き方である。
ところでアルカージナのこういった現在優位の生き方は自分に自信があ
るからこそ可能だとも言える。現在に絶望し、未来になんの期待も寄せら
れない人間に可能なのは、現在よりはましだった過去への追憶に時を費や
すことであったり、死後の世界に希望を抱くほかはないだろう。アルカー
ジナは過去の名声を現在へまで繋げている大女優である。もし彼女が自分
を一歩前面から退く謙虚さをもって後進の指導にあたることができるよう
なタイプであれば、息子トレープレフの自尊心をいたく傷つけることもな
かったであろう。しかしそういった謙虚さや指導力を彼女に期待すること
はできない。トレープレフは母親の性格を的確に認識している。アルカー
ジナについて先に彼は「褒めるなら、あの人のことだけでなくてはならん。
劇評も、あの人のことだけ書けばいい」とソーリンに言っていた。舞台女
優で名声を博したような者は、たいがい傲慢でひとりよがりと思っていれ
ば間違いないということであろうか。女優に必要とされるのは謙虚さなど
より、むしろ見栄や虚勢であるのかも知れない。自分が世界一の女優だと
心の底から思わなければ、舞台に華やかさをもたらすことはできず、観客
を大きな感動の渦へと誘う力も失せてしまうのかもしれない。喝采を独り
占めするくらいの勢いで舞台に登場しなければ女優はつとまらない。しか
も女優は私生活においても派手な立ち居振る舞いで人々の注目を集めてい
なければならない。というよりか、もともとそういった派手で目立ちたが
り屋でなければ女優としては大成しないのであろう。ドストエフスキーの
人物の中に〈女優〉を探すなら、二人の女の頭上に斧を振り下ろして殺害
したラスコーリニコフの妹ドゥーニャや、ロゴージンとムイシュキン公爵
の間を揺れ動いたあげく殺害されたナスターシャなどを見出すことができ
よう。前者は殺人者の兄ラスコーリニコフの妹にふさわしく、スヴィドリ
ガイロフに銃弾を発射することのできる誇り高き美女であり、後者もまた
傲慢で気まぐれな誇り高き絶世の美女である。こういった荒馬を調教し、
演出できる監督がいれば、彼女たちはさらに美しく輝いたはずである。
『罪と罰』のソーニャのような、運命に従順な、静かな女は、信仰を得て
強い女にはなれても、決して舞台女優にはなれないのである。彼女のよう
な存在は、ドストエフスキーという偉大な小説家のペンによってのみ誰よ
りもすばらしい、輝ける聖なる存在へと高められるのである。つまり小説
世界の中で輝きを増す存在が、即、舞台女優としてその才能を発揮するこ
とはないのである。
ただしアルカージナは女優であると同時にトレープレフの母親でもある。
どんなにトレープレフが演劇の新形式で彼女の牙城に迫ろうとも、母親と
して息子を想う気持が失せることはない。と言うよりアルカージナは未だ
トレープレフを手ごわい相手とは見ていない。ところで医師ドールンのみ
はトレープレフの芝居を高く評価している。彼は独りごちる「ひょっとす
ると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、
とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独
のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅い目玉があらわれた時にゃ、お
れは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ」と。ドールンはトレー
プレフに向かってもはっきりと「僕はきみの芝居が、すっかり気に入っち
まった。ちょいとこう風変りで、しかも終りの方は聞かなかったけれど、
とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんで
すね」と言って励ましている。トレープレフはドールンの手を強く握り、
いきなり抱きついて、目には涙までためて感激する。ドールンはさらに言
葉を続ける「いいですか・・きみは抽象観念の世界にテーマを仰いだです
ね。これは飽くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必らず、
何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美し
い」「重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。きみも知ってのと
おり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情を失わずに送
ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたっ
て味わうような精神の昂揚を、ひょっと一度でも味わうことができたとし
たら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上っ面や、それにくっつい
ている一さいを軽蔑して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ない
な」「それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭な、ある決った思想が
なければならんということだ。何のために書くのか、それをちゃんと知っ
ていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しなが
ら道を歩いて行ったら、きみは迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼ
すことになる」と。
かつて六つの貴族の屋敷で、花形として人気の的であったドールンの言
葉が、どれだけトレープレフを勇気づけ励ましたであろう。若い有能な才
能には讃美と励ましが必要である。放っておいても育つ才能があり、厳し
い指導によってのみ伸びる才能がある。しかし大抵の場合は、理解者が側
にいて励ます必要がある。確かに中途半端な称賛はよくないが、真に理解
し、真に励ます者がいることは、芸術家の誰もが望ところであろう。アル
カージナにチャチャを入れられたくらいで、怒りを爆発させて芝居を中断
するほどナイーヴなトレープレフに必要なのは、ドールンのような勇気づ
けなのである。
2006年7月5日(水曜)
さて、トレープレフとニーナの恋はどうなっただろうか。わたしは先に
二人の破綻は目に見えているかの如く書いた。トレープレフは自分の思い
入れの中でニーナを偶像化した。ニーナは美しい女であったかも知れない
が、トレープレフの精神世界の理解者ではない。皮肉を飛ばすことができ
るだけ、母親のアルカージナの方がよほど息子を理解している。ニーナは
所詮は田舎育ちの、有名な女優や作家に憧れているお嬢さんの域を一歩も
出ていない。トレープレフはただ自分に仕えてくれるだけの、従順な女性
を求めているのではない。自分の新しい演劇理論を理解し、共に同志とし
て闘ってくれる伴侶を求めている。しかし、芝居が失敗に終わり、ニーナ
はトレープレフに冷たい態度をとっている。
次にトレープレフが自分が猟銃で撃ち落とした鴎の死骸をニーナの足元
に置いた、その直後の場面を見てみよう。
ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似をした。あ
なたの足もとに捧げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を餅あげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺
すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度
は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいると
さも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしな
い、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうや
ら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎
をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわか
らないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になっ
た、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦しませんからね。僕
はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじ
めだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷めたくなったのが、僕は
怖ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目が覚めてみ
ると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面に吸いこまれてしまって
いたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわか
らない、と言いましたね。ああ、何のわかることがいるもんですか?!
あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、
あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡な下らん奴らと一緒にし
てるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるん
だ! 僕は脳みそに、釘をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の
血をまるで蛇みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪われる
がいいんだ。……(トリゴーリンが手帖を読みながら来るのを見て)そう
ら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱ
り本を持ってね。……(嘲弄口調で)「言葉、ことば、ことば」か……ま
だあの太陽がそばへ来ないうちから、あなたはもうにっこりして、目つき
まであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
(全集12・123 〜124 )
トレープレフはなぜニーナに対して腹をたてているのであろうか。それ
は彼の〈可愛い魔女〉が〈可愛い魔女〉でなくなり、彼の〈夢〉が彼の
〈夢〉でなくなったからである。ニーナはトレープレフの内的世界をなん
にも理解できない。ニーナが芝居に望んでいることは、トレープレフの新
形式ではなく、むしろアルカージナの方にある。芝居は男と女のロマンス
を具体的に、分かりやすく演じなければならない。それこそ大衆が、多く
の芝居好きの観客が望むところであり、哲学的な〈デカダンなたわ言〉が
延々と続くような独白劇ではない。〈世界に遍在する一つの霊魂〉だの
〈永遠の物質の父なる悪魔〉などは、頭でっかちの文学青年が一人自分の
小部屋で読むか呟いていればいいことで、多くの観客を巻き込んで彼らの
単純な頭脳を苦しめることはない。ニーナは自分でも言っているように
〈単純〉なお嬢さんで、トレープレフが演劇の新形式を舞台上で体現させ
るような存在ではなかったのである。トレープレフはニーナをよく観察し
分析した上で彼女を好きになったわけではない。トレープレフがニーナに
求めるものと、ニーナがトレープレフに求めるものは違っている。その違
いにニーナは気づいているが、トレープレフは気づいていない。
ニーナはトレープレフに言われた通り、芝居をした。が、ニーナ自身は
自分が口にしているセリフを何一つ理解していない。トレープレフがアル
カージナの皮肉に我慢がならず、芝居を中止して姿を消してしまった後、
ニーナは仮舞台のかげから出てきてアルカージナとキスをかわし、話をす
る。この時ニーナはアルカージナにトリゴーリンを紹介される。ニーナは
嬉しさいっぱいでどぎまぎしながら、トリゴーリンの作をいつも拝読して
いる意味の言葉を発する。続いてニーナは「ね、いかが、妙な芝居でしょ
う?」と言い、トリゴーリンは「さっぱりわからなかったです。しかし、
面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置
も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな」
と答える。この短い会話の中に、トリゴーリンとニーナの凝縮された思い
がこめられている。ニーナはトリゴーリンに憧れている。トリゴーリンは
すでに作家としての名声を博しており、トレープレフのような野心も焦燥
もない。トレープレフはアルカージナの愛人であるトリゴーリンをおもし
ろくないと思っているし、彼の作品を評価したくもない。ところがトレー
プレフの〈可愛い悪魔〉は、トレープレフなどよりはるかにトリゴーリン
に魅力を感じて憧憬の眼差しを向けている。ニーナがトリゴーリンに向か
って「妙な芝居でしょう?」と語りかけている、その時点で彼女のトレー
プレフに対する思いは、トレープレフに恋する乙女のものでないことは明
白である。ニーナの乙女心は眼前のトリゴーリンに夢中である。トリゴー
リンの「さっぱりわからなかったです」は「妙な芝居でしょう?」とその
同意を求めたニーナの問いに対する如才のない返答であり、田舎娘ニーナ
の乙女心を一挙にとらえたと言えよう。しかもトリゴーリンはニーナの演
技の真剣さに関してはさりげなく、しかしはっきりと讃美している。こん
な短い言葉でありながら、トリゴーリンはすっかりニーナの魂を鷲掴みし
てしまったのである。しばらく間をおいて、トリゴーリンは芝居から湖の
魚へとさりげなく話題を変換している。チェーホフは省略の美学を存分に
発揮して、憧れの作家から自分の演技を褒められたニーナの内心の歓喜を
いっさい表現していないが、おそらく(間)のあいだの、喜びにうち震え
ているニーナの気持を十分に汲み取ったうえでトリゴーリンは魚の話を持
ち出している。トリゴーリンがどれほどの小説家であるかは分からないが、
女心に精通した男であることに間違いはなさそうである。
2006年7月6日(木曜)
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じつ
と浮子を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、一たん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみな
んか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。
このかた、ひとから持ちあげられると、尻もちをつく癖がおありなの。
(109 )
トリゴーリンのさりげない釣りの話がいい。ニーナの顔を見れば新しい
演劇について理屈をこね廻しているトレープレフよりは、はるかにおしゃ
れでダンディである。名声や才能に憧れる田舎のお嬢さんにとって、トリ
ゴーリンとの出会いは決定的な何かを植えつけてしまった。それこそ尊敬
の念に隠れた密かな恋心であったかもしれない。女が新しい恋に目覚めれ
ば、今朝の恋心さえ古臭く思われるものである。ニーナは『可愛い女』の
オーレンカのように、過去にとらわれず、未来に思いを寄せず、ただひた
すら現在を生きるのである。その意味では、歳をくっている分、過去にこ
だわりはするが、基本的に今現在を燃焼して生きようとするアルカージナ
と似ていると言えよう。今を生きる女は、その〈今〉から脱落した者のこ
となど振り向きもしない。トレープレフはあっという間に、ニーナの〈
今〉から振り落とされてしまった。トレープレフは恨ましい眼差しでニー
ナとトリゴーリンの関係を見ているほかはない。初めての実験的な芝居に
失敗し、同時にニーナという〈夢〉も失ってしまったトレープレフ。が、
ニーナはトレープレフになんの同情も憐れみも感じることはない。まさに
ニーナは〈魔女〉であり、トレープレフに対しても情容赦無く存分にその
魔性を発揮している。
トレープレフはニーナの心がトリゴーリンに移ってしまったのを感じて
いる。ニーナの態度はまさにがらりと変わってしまったのだ。ニーナは自
分が単純すぎてトレープレフの言うことが「わからない」と正直に語って
いる。ニーナは単純で正直で、従って残酷である。ニーナは「わからな
い」という言葉でトレープレフを拒んでいる。トリゴーリンという存在を
知ってしまったニーナは、もはやトレープレフを理解しようという気持が
起きない。トレープレフは「僕がどんなにみじめだか、あなたにわかった
らなあ!」と言う。これは泣き言であり、愚痴である。こういう言葉を口
にする男を女は好かない。ましてや心が他の男に移ってしまったニーナに
とってはなおさらである。トレープレフは自分の作品に自信が持てないの
であろうか。「僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そ
のへんにうようよしている平凡な下らん奴らと一緒にしてるんだ」これは
もはや叫びである。傷つけられた自尊心が真っ赤な血を噴き出して、誰も
それをとめることはできない。トレープレフは行くところまで行くしかな
いだろう。もともとトレープレフの思想を、その感性を共有できないお嬢
さんを好きになって、あたかも自分の〈夢〉を体現する救世主のごとく偶
像化してしまったところに間違いがあった。ニーナはニーナ、トリゴーリ
ンのような名声のただなかにある男に魅力を感じるような女なのである。
トレープレフは手帖を読みながら歩いてくるトリゴーリンを見て「そう
ら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ」と揶揄
している。が、トリゴーリンよりはるかにトレープレフ自身の方が悩める
ハムレット風である。「言葉、ことば、ことば」ハムレットのセリフに誰
よりも共感を寄せているのはトレープレフである。単なる言葉、されど言
葉、所詮は言葉、されど言葉……言葉の虚無を抱え持った者のみが呟くこ
とのできるセリフである。トレープレフはなんの説明もしていないが、彼
は彼流に「言葉、ことば、ことば」のはてしない空虚と、空虚に包まれた
情熱を、その情熱を包む空虚を感じている。トレープレフは「まだあの太
陽がそばへ来ないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの
光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ」と言って足早に退場する。
トレープレフはアルカージナに対してと同様、トリゴーリンとも闘う姿勢
を見せない。
2006年7月7日(金曜)
トレープレフは自分が撃ち殺した鴎をニーナの眼前に捧げて、それが自分
の姿だと言う。トレープレフは母親から、ニーナから、トリゴーリンから、
さらに自分自身からも逃げて、いずれは自殺することを考えている青年な
のである。確かにトレープレフはイワーノフの憂鬱症の血を引き継いでい
る。彼は偉大な希望を抱いて邁進することのできる青年であるが、同時に
ちょっとした失敗で絶望し、すべてに嫌気がさしてしまうような青年でも
ある。イワーノフはサーシャという新しい若い恋人ができてさえ、新生活
を築くことよりはピストル自殺を選んでしまった男であったが、ニーナと
いう〈夢〉を奪われたトレープレフは今後どのような選択に迫られるので
あろうか。
2006年7月13日(木曜)
アルカージナの「未来を覗き見しない」という主義は一つの人生に対す
る確固たる態度である。彼女は「年のことも死のことも、ついぞ考えたこ
とがない」と言う。彼女のうちには「どうせ、なるようにしかならない」
という諦念が潜んでいる。チェーホフの文学全体にこの諦念の空気が漂っ
ており、この空気に馴染むことのできない者、たとえばイワーノフやトレ
ープレフは自殺して果てるしかない。なるようにしかならない、どうでも
いい、という虚無を抱えて、この現実の大海を泳ぎ続けるにはそれなりの
工夫と希望が必要である。年のことも死のことも考えたことのないアルカ
ージナは、それでも愛するトリゴーリンのことをいつまでも自分の側にお
いておきたいと思っている。アルカージナに尊敬され愛されている作家の
トリゴーリンは「書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ」と
いう脅迫観念にとらわれている。彼になぜ小説を書きつづけるかと問えば、
おそらくニコライ教授のように「わからない」と答えるだろう。本質的な、
根源的なことを聞かれて分かったような口をきかないのがチェーホフの人
物たちである。「まるで駅逓馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに
打つ手がない」とトリゴーリンは言う。トリゴーリンのセリフには若い頃
から生活費を得るために小説を書きつづけてきたチェーホフの思いがその
まま込められている。しばしニーナ相手のトリゴーリンの言葉に耳を傾け
てみよう。
今こうしてあなたとお喋りをして、興奮している。ところがその一方、
書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるん
です。(略)こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱ
しから捕まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使え
るかも知れんぞ!というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げ
だす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこ
い、そうは行かない。頭のなかには、すでに新らしい題材という重たい鉄
のタマがころげ廻って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、
大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、わ
れとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼ
りぼり食っているような気持です。(略)うかうかしてると、誰かうしろ
から忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン〔ゴー
ゴリの『狂人日記』の主人公〕みたいに、気違い病院へぶちこむ んじゃな
いかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、
まだ若くて、生気にあふれていた時代は
どうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続で
したよ。駈けだしの文士というものは、殊に不遇な時代がそうですが、わ
れながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神
経ばかりやたらに尖らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人た
ちのまわりを、ふらふらうろつき廻らずにはいられない。認めてももらえ
ず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと
見る勇気もなく・・まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといっ
たざまです。
2006年7月15日(土曜)
なんのために書くのか。生活の糧を得るため、と答えていられるうちは
まだいい。純粋に書く理由を発見できる作家がはたして何人いることか。
トリゴーリンがいう脅迫観念はよく分かる。なぜこういった脅迫観念が生
じるのか。ドストエフスキーの地下男の言うように、書くことは何かしら
仕事をなしているような実感がともなうからかもしれない。作家としての
名声や評価を得るためなどと思っているやからは、そのうち放っておけば
自然に消えてしまうだろう。トリゴーリンがここでニーナに語っているこ
とは、彼の率直な思いであり、微塵のてらいもない。「どうでもいい」
「わからない」を連発するチェーホフが、書くことにおいては馬車馬のよ
うに駆けつづけた。チェーホフからペンを奪ったらいったいどうなってい
たのだろう。
書くという行為が、自分自身との対面であることは間違いない。書いて
いる以上は、世界や自分を置き去りにするわけにはいかない。書く行為は
自分という存在の神秘に直面することである。ドストエフスキーは人間は
謎であり、その謎を解くために一生を費やしても悔いはないと書いた。チ
ェーホフは人間の謎を解くために書きつづけたのであろうか。否、チェー
ホフは人間の謎をそのままに提示することに止まろうとしているように思
える。わからないことをわかったつもりになって説教するような愚者が主
人公として登場することはない。大学教授として情熱的な講義を続けたニ
コライ・ステパーノヴィチは、彼を追ってきた必死のカーチャに「わから
ない」「朝飯を食べよう」としか言えない。彼は自分の無知であること、
愚かであることを相手にさらけ出すことを恥とはしない。
2006年7月16日(日曜)
ニコライは「私の愛する宝」と共に人生を歩
むことができない。死をも超えた愛で相手を包むこともできない。ニコラ
イは孤独であり、この孤独を二人で分かち合うことはできない。カーチャ
が唯一納得したとすれば、それは彼女自身もまた己の孤独を生きるほかは
ないということである。いずれにしてもニコライとカーチャに明るい未来
はない。憂鬱症に陥ったイワーノフにも希望はなかった。彼に残された唯
一の希望は、自らのこめかみに向けてピストルの引きがねを引くことだけ
であった。トリゴーリンは書き続けるという脅迫観念に支配されているこ
とによって辛うじて自殺を免れている。トリゴーリンはアルカージナとい
う女に庇護されているし、その時々の恋に身をまかせる柔軟さも備えてい
る。ニーナはうぶな田舎娘で、有名な作家や女優に己の過剰でロマンチッ
クな夢を乗せることができる。未だ破綻を知らない乙女の夢は、言わば怖
いものしらずである。ニーナのトリゴーリンに対する態度は、トレープレ
フに対するものとは明らかに違う。トレープレフはすでに過去のものとな
り、彼女の現在と未来を見つめる眼差しがとらえているのはトリゴーリン
ただ一人である。イワーノフに熱愛して両親を捨てたアンナのように、ニ
ーナはトリゴーリンのためなら両親でも何でも捨て去ることができるので
ある。トリゴーリンは物書きとしての自分のあるがままの姿をさらけ出し
ただけでニーナの魂を鷲掴みにしてしまった。一度、恋に落ちた女にとっ
て、相手の男はいつでも星の王子様なのである。年齢の違いや、地位や名
声や財産など、すべての差異を一気に飛び越えて男と女は結びつくのであ
る。ニーナはトレープレフと恋愛状態にあったときから、冷静に二人の間
に存在する溝に気づいていた。この溝は双方のいかなる努力によっても埋
めることはできない。ニーナが選択したのは、この溝を一挙に飛び越える
こと、すなわち自分が心の底から納得できる男の胸へと飛び込むことであ
った。ニーナはその先に何が待ち受けているのか、そこまで汁ことはでき
なかった。しかしニーナにとっては最初の飛び越えこそが必要であった。
ニーナは田舎に閉じこもって、やがては確実に老いていく父や継母の面倒
を見るためにこの世に誕生したのではない。ニーナは自らの夢(それはと
りあえず舞台女優となって脚光を浴びることである)を実現するために、
その一つの大きな跳躍台としてトリゴーリンを選んだのである。ニーナは
トレープレフの理屈の勝った演劇理論に共鳴することはできなかったし、
彼と共に〈彼の夢〉を実現する気もなかった。トレープレフはニーナに自
分の夢を託したが、その〈夢〉は相手の正体を見定めることのできなかっ
た愚かな男の妄想と化してしまった。未来の才能のある若者は、現に社会
的名声を博している既成の作家よりもはるかに強烈な光を発していなけれ
ばならない。ニーナは〈未来の才能ある若者〉トレープレフよりも、トリ
ゴーリンの方に強烈な、魅惑的なオーラを感じてしまっている。ニーナは
冷徹な審判者としてトリゴーリンに勝利の旗を挙げている。トレープレフ
に勝利の女神が微笑むためには、〈可愛い魔女〉ニーナを即座に捨て去る
冷酷さが必要である。トリゴーリンを選んだ〈可愛い魔女〉の、その浅薄
さを笑いのめし、踏みにじるだけの自信がなければ、トレープレフに勝利
の道は開けない。トレープレフは母親のアルカージナがよく了承していた
ように、傷つきやすいナイーヴな青年で、己の才能を過信しているが、同
時にそれは極度の不安の上に成り立っていた。トレープレフが自殺未遂し
た時、アルカージナはその原因をトリゴーリンに対する〈嫉妬〉とみなし
た。本当に自信のある者は嫉妬などしない。嫉妬の感情がわき上がったそ
の時点ですでに敗北である。トレープレフはソーリンに聞かれて、トリゴ
ーリンを「あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メラ
ンコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間がある
のに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分だ」
と言っていた。しかしこの言葉は決してトリゴーリンを褒めたたえている
のではない。ここにはトリゴーリンに対する極度に押し込んだ悪意や嫉妬
の感情がのぞいている。母親の愛人であるトリゴーリンを素直に認めるほ
ど、トレープレフはお人好しではない。2006年7月17日(月曜)
若い才能のある者が同時代を生きる先行者の作品を正当に評価することは
極めて困難である。ライバル心や嫉妬が常につきまとうからである。トレ
ープレフは先の言葉に続けて「書くものはどうかと言うと……さあ、なん
と言ったらいいかな? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし
……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね」
と言っている。トレープレフはどんなことがあってもトリゴーリンの才能
やその作品を素直に肯定することはないだろう。アルカージナに言わせれ
ば、息子のトレープレフは「わがままな、自惚れの強い子」なのである。
アルカージナとトレープレフが顔を突き合わせるたびに口喧嘩してしまう
のも、トリゴーリンの存在が大きい。トレープレフにとってトリゴーリン
は自分の母親を奪い取った張本人であり、同時に彼の唯一の〈夢〉であっ
たニーナの魂をも魅了してしまった憎っくき伊達男である。ニーナを奪わ
れ絶望にかられたトレープレフは自殺をはかるが、幸か不幸か未遂に終わ
る。憤懣やるかたなくトリゴーリンに決闘を申し込めば、相手は卑怯にも
脱走を企てる。未だ母親に甘えたい気持のあるトレープレフではあるが、
肝心のアルカージナはトリゴーリンを〈人格の高い立派な人〉と見なし、
自分の前で尊敬するトリゴーリンの悪口は謹んでくれと釘をさす。トレー
プレフはついに我慢がならず「お母さんは、僕にまであの男を天才だと思
わせたいんでしょうが、僕は嘘がつけないもんで失礼・・あいつの作品に
ゃ虫酸が走りますよ」と言ってしまう。売り言葉に買い言葉、気の強いア
ルカージナも黙ってはいない・・「それが妬みというものよ。才能のない
くせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はな
いからね。結構なお慰みですよ!」と。この後も実の母と子とは思えない
ほどの凄まじい言葉のやりとりが展開される。トレープレフはアルカージ
ナやトリゴーリンは〈古い殻をかぶった連中〉であるとして「自分たちの
することだけが正しい、本物だと極めこんで、あとのものを迫害し窒息さ
せるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか!」と怒鳴る。しばし二
人のやりとりを見てみよう。
アルカージナ デカダン!……
トレープレフ さっさと古巣の劇場へ行って、気の抜けたやくざ芝居に
でも出るがいいや!
アルカージナ 憚りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わ
たしには構わないどくれ! お前こそ、やくざな茶番ひとつ書けないくせ
に。キーエフの町人! 居候!
トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!
トレープレフは実の母親から〈デカダン〉〈居候〉〈宿なし〉と罵られ
ている。トレープレフは二十五歳である。既に経済的にも自立していてい
い歳であり、少なくとも母親に甘えて〈居候〉していていい歳ではない。
もちろんトレープレフは誰に言われるまでもなく、そのことをよく承知し
ていて、不断にプライドが傷つけられている。こういったナイーヴな点を
伯父のソーリンはよく理解していて、トレープレフの自殺未遂の原因につ
いて次のように語っていた・・「若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎ぐ
らしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないと来てるん
だからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮らしが、恥かしくも
あり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛いくてならんし、あ
れの方でもわたしに懐いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分
がこの家の余計もんだ、居候だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、
だいいち自尊心がな……」と。

https://www.shimi-masa.com/?p=351
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c30

[近代史4] 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 中川隆
31. 中川隆[-13490] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:23:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1414]

清水正のチェーホフ論 | 清水 正研究室
https://www.shimi-masa.com/?cat=5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html#c31
[近代史4] チェーホフの世界 中川隆
4. 中川隆[-13489] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:24:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1415]

清水正のチェーホフ論 | 清水 正研究室
https://www.shimi-masa.com/?cat=5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/633.html#c4
[近代史3] アメリカのロビイストは政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける 中川隆
2. 中川隆[-13488] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:26:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1416]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層


大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。


だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。

政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/530.html#c2

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
61. 中川隆[-13487] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:31:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1417]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c61

[近代史3] “独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない 中川隆
2. 中川隆[-13486] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:31:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1418]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html#c2

[近代史3] 国家を亡ぼす「狂った税制」 中川隆
9. 中川隆[-13485] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:33:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1419]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/730.html#c9

[近代史3] ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの正体 中川隆
3. 中川隆[-13484] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:33:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1420]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html#c3

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
97. 中川隆[-13483] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:34:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1421]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c97

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
18. 中川隆[-13482] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:35:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1422]
2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c18

[近代史4] アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/634.html

[近代史4] アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層 中川隆
1. 中川隆[-13481] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:39:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1423]

2019年07月15日
アメリカのロビイストは政策立案者 官僚以上の権力

ロビイストは企業の依頼で法案を作り、政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける

こうした行為が合法なのがアメリカ


画像引用:https://d.line-scdn.net/lcp-prod-photo/20180821_30/800000289_1534804824853fGyX1_JPEG/bookoffonline_0016899864.jpg?type=r640_trim

ロビイストの権力

アメリカの政治でもっとも理解できないのはロビー活動やロビイストではないでしょうか?

日本では政治家をホテルのロビーで待ち受けて話を聞いてもらい、市民の要望などを働きかける人と紹介されている。

これだけではどうして政治家はそんな怪しい連中の話を聞いて、要求を受け入れるのかがさっぱり分からない。


ロビイストの一番重要な部分は企業と政治家の仲介で、企業はお金を払い政治家は企業の要求を実現する。

たとえば米自動車メーカー3社が話し合って、日本車の規制を強化しようと話し合ったとします。

3社は日本車規制によって得られる利益を1兆円と計算し、そのうち1000億円を政治家に払っても良いなどと考えます。


自動車のような業界は優秀なロビイストを多数抱えていて、政治家に「この法案を通してくれたら1000億円あげるよ」と提案します。

アメリカは上院の力が強いので上院大物議員とその子分たちにお金をばらまけば、政策や法案を買う事ができます。

この時ロビイストが「この法案を通してくれたら金額はいくら」と提案するが、その時点で既に法案はまとめられています。


アメリカでは議員立法が多く、日本では国会議員が法案を作っているように誤解されますが、すべてロビイストが作っています。

日本では議員立法は非常に少なく、ほとんどの法案を官僚が作成しているが、アメリカではロビイストが作成します。

日本の官僚が絶大な権力を握っているように、法案を作成するロビイストは強大な権限を持っています。

ロビイストは企業が望む法律を実現する

アメリカでは政治家への企業献金が認められていますが、保険会社が保険金を払わずに済む法案などを大っぴらには頼めません。

そこで表に出ないようにロビイストが活動し、あたかも政治家が「市民のため」にやっているように偽装します。

例えばアメリカの医療保険や医療費、薬剤費はばかばかしいほど高額で知られ、日本の10倍はします。


こうなったのもロビー活動の成果で、医薬品メーカーや医療業界、医療団体が儲かる制度を作ったからでした。

たとえば糖尿病薬のインスリンは日本では5千円、アメリカでは5万円以上ですが、医薬品メーカーが特許を握っているため安売りできません。

インスリンの特許はとっくに切れていますが、成分の一部を変えたりカプセルを変えるだけで特許が延長される制度に変えてしまいました。


外国から安いインスリンが輸入されると困るので、外国からアメリカに輸入して販売するのを禁止しました。

保険制度も酷いもので、オバマが創設したオバマケアを利用して医療費と保険代を2倍に値上げしてしまいました。

国民皆保険になったら値上げしても「保険に加入しなくてはならい」ので、ビジネスチャンスととらえて全社一斉に値上げしたのです。


もちろんこれも事前にロビイストが準備をし、1社だけ安売りしないように立法化していました。

政治家は「国民の選択肢が増える」などまるで国民のためにやっているかのように偽装して、医療費負担を増やしました。

ちなみにオバマケアで医療費が安くなったのは1割ほどの低所得者で、他の全員の医療費は値上がりしました。
http://www.thutmosev.com/archives/80397583.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/634.html#c1

[近代史4] アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層 中川隆
2. 中川隆[-13480] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:40:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1424]

2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。

アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/634.html#c2

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
19. 中川隆[-13479] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:41:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1425]
2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。

アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c19

[近代史3] アメリカのロビイストは政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける 中川隆
3. 中川隆[-13478] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:41:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1426]
2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。

アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/530.html#c3

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
98. 中川隆[-13477] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:42:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1427]

2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。

アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c98

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
62. 中川隆[-13476] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:42:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1428]
2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。

アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c62

[近代史3] “独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない 中川隆
3. 中川隆[-13475] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:45:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1429]
2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。

アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html#c3

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
15. 中川隆[-13474] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:47:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1430]

アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/634.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c15
[近代史3] 社会主義はそんなに悪いか 中川隆
7. 中川隆[-13473] koaQ7Jey 2020年3月23日 17:53:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1431]

2020年03月23日
アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層

大統領を当選させるには政党全体で2000億円は集める必要がある。
勝負を決めるのは大企業や大資産家の献金

引用:http://homepage3.nifty.com/fukuda326/obama2.jpg


金で政治や外交を販売する国

早くも2020年11月3日にアメリカ大統領選があるが、毎回両陣営は巨額の献金を集めて戦っています。

企業や投資家が選挙に投資して政治を買っているが、アメリカではそれが違法ではなく合法です。

仮に安倍晋三氏や枝野幸男氏が有名企業や資産家から多額の献金を受けて、彼らに優遇税制を作ったら日本では犯罪です。

だがアメリカではあからさまに政治献金し、見返りにその人を無税にしても、完全に合法なのです。

むし違法だったらばれたら取り締まるので問題は小さいのだが、分かっているのに誰も止められない。

調査によると過去の大統領選の政治献金の多くを、少数の資産家と企業が拠出していたそうです。


全米で上から100人の金持ちと企業を並べていけば、その人たちに間違いないでしょう。

アメリカでは有権者やスポンサーが多くの献金をしていますが、そんなのは選挙に影響しない。

最近10年ほどの選挙では民主党が圧勝を続けたが、資金集めでも圧勝していました。


オバマ大統領が2回目の大統領選で使った選挙資金は6億ドル(600億円)とされていて、この多くは例の少数の資産家と企業が出しました。

例えばビルゲイツの資産は10兆円を超えますが、4年に一度たった数十億円を寄付するだけで、あらゆる税金が免除されるのです。

オバマもヒラリーも、どんな手段を使ってでも自分のスポンサー達の資産を守るでしょう。


政治献金すれば税金免除

有名な投資家JソロスやWバフェットは民主党を支持し、ゲイツとジョブズ家も民主党を支持していました。

こうした金持ちが支持するという事は、多額の献金をするという意味でもあります。

スタバ創業者、マードック氏、フェイスブック創業者などが「公式に」民主党に寄付しています。


表向きの寄付金額は数百万円から数億円なのだが、全てを明らかにしていないのは、日本の政治献金と同じでしょう。

例えばクリントン夫妻は15年間で150億円の講演料を受け取り、年間50時間ほど講演した事になっている。

仮にヒラリーやオバマが「最近の天気の話」をしたとしても、講演料ではなく政治献金なのだから誰も文句を言わなかったでしょう。


クリントン夫妻は元大統領と現国務長官の地位を利用して、アメリカの外交を外国に販売していた。

例えばロシアの原子力企業が米政府の認可を必要としたとき、クリントン財団に2.5億円寄付したら認可された。

日本の政治家は政治パーティーを主催してパーティー券を販売しますが、アメリカでも同じ事をしています。


1枚数百万円のチケットを販売し、支援者に買ってもらって事実上の政治献金を受けています。

オバマが2回目の大統領選で6億ドル集めたと書きましたが、民主党全体では15億ドルくらい集めました。

アメリカの法律では一人が50万円くらいしか寄付出来ないし、企業献金は禁止されているが、抜け道が用意されている。


献金団体に寄付して、献金団体が民主党や共和党に寄付すれば、無制限でいくらでも献金が可能です。

献金者の名前は公表されるが、「AさんがBさんに依頼して、Cさんの名前で献金」などのテクニックで、いくらでも誤魔化せる。

大統領選だけでなく、州議会選挙から市会議員選挙まで、アメリカは全てこうであり、献金を集めなければ当選出来ない。


という事は当選した政治家は多額の献金者に借りができるので、何かの形でお返ししなければならない。

そのお返しとは資産家の納税額を低く抑えることで、大抵の資産家は税金を払っていません。

アメリカの長者番付の上位100人くらいは、まったく納税していないか、ほとんど納税していないかのどちらかです。


トランプが当選した時にも外交素人が駐日大使になったり、支援者や活動家へのご褒美を配っていました。

近年問題になったのがロシアや中国の政治関与で、こうした国々の介入で当選した大統領は彼らに便宜を払うでしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/65502675.html
 



▲△▽▼

2019年07月15日
アメリカのロビイストは政策立案者 官僚以上の権力

ロビイストは企業の依頼で法案を作り、政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける

こうした行為が合法なのがアメリカ

画像引用:https://d.line-scdn.net/lcp-prod-photo/20180821_30/800000289_1534804824853fGyX1_JPEG/bookoffonline_0016899864.jpg?type=r640_trim

ロビイストの権力

アメリカの政治でもっとも理解できないのはロビー活動やロビイストではないでしょうか?

日本では政治家をホテルのロビーで待ち受けて話を聞いてもらい、市民の要望などを働きかける人と紹介されている。

これだけではどうして政治家はそんな怪しい連中の話を聞いて、要求を受け入れるのかがさっぱり分からない。

ロビイストの一番重要な部分は企業と政治家の仲介で、企業はお金を払い政治家は企業の要求を実現する。

たとえば米自動車メーカー3社が話し合って、日本車の規制を強化しようと話し合ったとします。

3社は日本車規制によって得られる利益を1兆円と計算し、そのうち1000億円を政治家に払っても良いなどと考えます。


自動車のような業界は優秀なロビイストを多数抱えていて、政治家に「この法案を通してくれたら1000億円あげるよ」と提案します。

アメリカは上院の力が強いので上院大物議員とその子分たちにお金をばらまけば、政策や法案を買う事ができます。

この時ロビイストが「この法案を通してくれたら金額はいくら」と提案するが、その時点で既に法案はまとめられています。


アメリカでは議員立法が多く、日本では国会議員が法案を作っているように誤解されますが、すべてロビイストが作っています。

日本では議員立法は非常に少なく、ほとんどの法案を官僚が作成しているが、アメリカではロビイストが作成します。

日本の官僚が絶大な権力を握っているように、法案を作成するロビイストは強大な権限を持っています。


ロビイストは企業が望む法律を実現する

アメリカでは政治家への企業献金が認められていますが、保険会社が保険金を払わずに済む法案などを大っぴらには頼めません。

そこで表に出ないようにロビイストが活動し、あたかも政治家が「市民のため」にやっているように偽装します。

例えばアメリカの医療保険や医療費、薬剤費はばかばかしいほど高額で知られ、日本の10倍はします。


こうなったのもロビー活動の成果で、医薬品メーカーや医療業界、医療団体が儲かる制度を作ったからでした。

たとえば糖尿病薬のインスリンは日本では5千円、アメリカでは5万円以上ですが、医薬品メーカーが特許を握っているため安売りできません。

インスリンの特許はとっくに切れていますが、成分の一部を変えたりカプセルを変えるだけで特許が延長される制度に変えてしまいました。


外国から安いインスリンが輸入されると困るので、外国からアメリカに輸入して販売するのを禁止しました。

保険制度も酷いもので、オバマが創設したオバマケアを利用して医療費と保険代を2倍に値上げしてしまいました。

国民皆保険になったら値上げしても「保険に加入しなくてはならい」ので、ビジネスチャンスととらえて全社一斉に値上げしたのです。


もちろんこれも事前にロビイストが準備をし、1社だけ安売りしないように立法化していました。

政治家は「国民の選択肢が増える」などまるで国民のためにやっているかのように偽装して、医療費負担を増やしました。

ちなみにオバマケアで医療費が安くなったのは1割ほどの低所得者で、他の全員の医療費は値上がりしました。
http://www.thutmosev.com/archives/80397583.html  


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2019年12月26日
金持ちの嘘くさい寄付 バフェットとゲイツは無税で子供に相続

良くこんな白々しいセリフが喋れると感心するビルゲイツ
全資産を非課税で子供に相続させる。


アメリカ1位と2位の大資産家、バフェットとゲイツがともに、全資産を慈善団体に寄付すると言っている。

ところがその実体は「脱税」そのものなのです。


慈善事業という脱税


数年前、全米一の資産家のウォーレン・バフェットが全資産を慈善事業に寄付すると発表し話題になった。


バフェットの友人のビルゲイツもまた、資産の95%を慈善団体に寄付すると発表し、献身的行為として賞賛された。

またアラブの某王様が全資産20兆円以上を、やはり慈善団体に寄付すると発表した。

彼らは一様に「子供を金持ちにするほど愚かではない」「お金を持っていても意味は無い。」などと仙人のような事を言っている。


急に世界の金持ち達は自己犠牲や弱者への愛に目覚めたようです。


だが本当の目的は他にあるという先例もある。

T型フォードで有名なフォードは莫大な遺産を子供達に残したが、80年代には日本車に押されてフォードの経営は悪化していた。

金持ちにとって相続税などで子孫が代替わりするたびに資産が目減りするのは悩みの種だった。


そこでフォード一族は親族会議を開き、一族の資産を慈善団体に寄付する事にしました。

フォード財団は初代フォードが存命中に設立したが、目的は最初から脱税と相続税の免除だった。


時代を経るごとに一族は本業よりも慈善活動に力を入れるようになり、今では慈善事業が本業です。


カーネギー財団とかフォード財団などアメリカには慈善団体が多いが、目的はすべて金儲けと脱税です。


「慈善事業」という言葉の響きには誤解があり、多くの人は金持ちが自分の金を貧しい人に寄付すると思っている。

そうではなく、慈善団体は営利事業として投資を行い、利益の一部を寄付して、出資者に配当金を支払うのです。


事業そのものには税金が掛からないうえ、出資者への配当金も、ほぼ無税でしかも世襲です。

資産を相続せず、役員の役職を継ぐので代替わりしても相続税は一切掛からない。


バフェットやゲイツの「お金に興味が無くなった」という言葉は、興味が無ければドブにでも捨てたらどうなのかと思える。


バフェットの資産数兆円を慈善団体に寄付し、子供を役員にする事で非課税で全資産を相続させることができる。

役員は出資金の金額で決まり、世襲で相続されるので多くの金持ちがそうしている。

財団の利益は寄付事業をした残りが、出資比率に応じて分配される事になっている。


アメリカの大金持ちの生き方


アメリカには○○財団がやたらと多く、トンチンカンな日本の知識人は「アメリカの金持ちは募金をするが日本人はしない」と言っています。

日本人には社会に貢献する気持ちが無くて恥ずかしい、アメリカ人はキリスト教徒なので寄付で社会貢献している、などと言っていました。


アメリカ人が寄付するのは慈悲の心からではなく、金儲けの手段の一つなのです。


財団を設立して脱税する手口を始めたのは、ロックフェラーだったとも言われている。

アメリカでは大統領選の選挙資金の80%をこうした金持ちが出しているので、決して金持ちの脱税を止めたりはしません。


州議会議員や市議会議員でも、もちろんこうしたお金の恩恵を受けているので、金持ちから税金を取ることは無いのです。


例えばバフェットが全資産5兆円を財団に寄付したとします。

アメリカの法律では財団が解散すれば5兆円はそっくりバフェットに返還される事になっています。


実際にはその時には84歳のバフェットはなくなっていて、子供か孫の世代になっていますが、同じように非課税で返還されます。


解散するしないは、最大出資者のバフェット一族が、役員として決定権を握ります。

寄付したお金は自分の資産ではないので一切非課税になり、相続税や財団の資金運用にも掛かりません。

バフェットがやっているバークシャー・ハサウェイより有利な条件で資金運用できるのです。


ビルゲイツの7兆円も同じように、彼が生きているうちに「永遠の預金」に預け、子孫は配当金をずっと受け取れます。

例えば5兆円の5%が毎年分配されたとしても、毎年2500億円を受け取れる訳です。

しかもこうした財団はインフレにもデフレにも強く、元本が目減りする事はまず無い。


これは寄付ではなく日本語では「永久非課税の定期預金」に過ぎません。


因みに日本の慈善団体はこれほど優遇されておらず、世襲は上手く行かないので、日本の金持ちは寄付しません。


その代わり日本では政治団体を非課税で相続できるので、資産を寄付して息子に相続させる政治家が多い。
http://www.thutmosev.com/archives/36362336.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html#c7

[近代史4] エドガー・アラン・ポーの世界

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)


フェデリコ・フェリーニ 世にも怪奇な物語 第3話「悪魔の首飾り」 (1968年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/256.html


監督 フェデリコ・フェリーニ(悪魔の首飾り)

原作 エドガー・アラン・ポー

音楽 ニーノ・ロータ

撮影
クロード・ルノワール
トニーノ・デリ・コリ
ジュゼッペ・ロトゥンノ
公開 1968年5月17日
言語 フランス語


キャスト

Toby テレンス・スタンプ
Priest サルヴォ・ランドーネ
Countess' Advisor ジェームズ・ロバートソン・ジャスティス


動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm16758926


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/635.html

[近代史4] メーテルリンクの世界

モーリス・メーテルリンク (Maurice Maeterlinck, 1862年8月29日 - 1949年5月6日)


ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

シベリウス 『ペレアスとメリザンド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/944.html

アルノルト・シェーンベルク _ 『ペレアスとメリザンド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html  
https://www.youtube.com/watch?v=gjlbpgu7N-s
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/636.html

[近代史4] ホーフマンスタールの世界

ホーフマンスタールの世界


フーゴ・ラウレンツ・アウグスト・ホーフマン・フォン・ホーフマンスタール
(Hugo Laurenz August Hofmann von Hofmannsthal, 1874年2月1日 - 1929年7月15日)


リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/637.html

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い
ヒトラーの共産主義との戦い


ヒトラー 経済破綻したドイツを救う
映像的世紀 04 希特勒的野心





ヒトラーの共産主義との戦い
映像的世紀 05 世界目睹了地獄(二戰)





▲△▽▼


ヒトラーがユダヤ人を嫌った理由


日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。


(左 : カール・ラデック / ゲンリフ・ヤゴーダ / イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン )


  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。


呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ〜」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。


(左 : マチヤス・ラーコシ / ジョルジ・ルカーチ / エマ・ゴールドマン / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )


http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68804023.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
1. 中川隆[-13472] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:22:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1432]

防共協定


防共協定(ドイツ語: Antikominternpakt)は、1936年(昭和11年)11月25日に日本とドイツの間で調印された、国際共産主義運動を指導するコミンテルンに対抗する共同防衛をうたった条約。

正文である日本語における条約名は共産「インターナショナル」ニ対スル協定
同じく正文であるドイツ語条約名は Abkommen gegen die Kommunistische Internationale。


締結当初は二国間協定である日独防共協定と呼ばれ、 1937年(昭和12年)にイタリア王国が原署名国として加盟し、日独伊防共協定と呼ばれる三国協定となり、1939年(昭和14年)にはハンガリー王国と満州国、スペインが参加したことによって6カ国による協定となった。

しかし、同年8月23日締結の独ソ不可侵条約によって事実上の空文となった。

その後、1941年(昭和16年)5月の独ソ戦開始により反共という概念が再び利用され、11月25日には本協定の改定が実施されるとともに、ブルガリア王国、ルーマニア王国、デンマーク、スロバキア共和国、クロアチア独立国、フィンランド、中華民国南京政府(汪兆銘政権)が加盟している。

1945年5月のドイツの降伏によって事実上失効した。


背景

1933年(昭和8年)に国際連盟を脱退した日本では、国際的孤立を回避するために同様に国際連盟から脱退したドイツおよびイタリアと接近するべきという主張が日本陸軍内で唱えられていた。また、共産主義国家であるソビエト連邦は両国にとって仮想敵であり、一方のソ連では1935年(昭和10年)7月に開催された第7回コミンテルン世界大会で日独を敵と規定するなど、反ソビエトという点では両国の利害は一致していると考えられた。また駐独日本大使館付陸軍武官大島浩少将は、かつて日露戦争の際にビヨルケの密約によってロシア帝国とドイツ帝国の提携が成立しかけ、背後を気にする必要が無くなったロシアが兵を極東に差し向ける恐れがあった事例をひき、ユーラシアにおけるソビエト連邦とドイツの提携を断乎排除する必要があると唱えていた[3]。

ドイツ側の対日接近論者の筆頭であったのは、総統アドルフ・ヒトラーの個人的信任を得ており、軍縮問題全権代表[4]の地位にあったヨアヒム・フォン・リッベントロップであった。リッベントロップはこの協定を、イギリスを牽制するためのものとして準備していた。国家社会主義ドイツ労働者党には、外務全国指導者のアルフレート・ローゼンベルクがいたが、日独接近は英独関係に悪影響を及ぼすと考えて躊躇していた[5]。ヒトラーはリッベントロップを将来の外相であると評価していたが、外相となるには「手柄を挙げることが必要」と考えていた[6]。

一方でドイツ外務省は、日本が建国した満州国承認も行わず対日接近には消極的で、極東情勢に不干渉の立場をとっていた。コンスタンティン・フォン・ノイラート外相は「日本は我々になにも与えることができない」と評価していた[7]上に、「第一次世界大戦において日本は、日独間に特に紛争があったわけでもないのに連合国側についた」とみなして日本に悪印象を抱いていた[8][9]。

さらには、リッベントロップが外務次官の地位を要求していたにもかかわらず、外務省側ではこれを拒否するなど両者には強い敵対関係があった[10]。このため11月26日の調印式にいたるまで、外務省はこの協定交渉を一切関知しようとしなかった[11]。また、ドイツ国防軍は伝統的に親中華民国路線であり、政府の方針とは独自の中華民国支援路線をとっていた(中独合作)。

この複数の関係機関が独自に活動している状態は、ヒトラー政権下における外交の多頭制と、複数路線制を示すものであると指摘されている[5]。実際にリッベントロップは「リッベントロップ事務所」を設立し、外務省から独立して対日交渉に臨んだ。


日独間の締結交渉

第一次交渉

リッベントロップは兵器ブローカーフリードリヒ・ハックを通じて日本との接触を図った。ハックは日本海軍と取引があり、1935年(昭和10年)1月には英・ロンドンで山本五十六軍縮会議全権とリッベントロップの会談を実現させた。リッベントロップはヒトラーと山本の面会を求め、日独接近の交渉を行った。しかし海軍の独自の動きを警戒する松平恒雄駐英大使と、武者小路公共駐独大使によってこの動きは阻止された[12]。この動きは国防軍情報部長のヴィルヘルム・カナリス中将に察知されたが、彼は「対ソ同盟」を主張しており、国防軍の大勢と異なり、リッベントロップらと協力する動きを開始した[13]。

9月13日、ハックは駐独日本大使館付陸軍武官大島浩少将に接触し、日本陸軍参謀本部の意向を確認した。大島も外務省を通じず、陸軍とリッベントロップの間で交渉を行うように要請している。11月半ばまでの間ハックと大島の間で予備交渉が行われ、大島はソ連を対象とした軍事色の強い保証協定を提案している[14]。ハックはこの提案をカナリスに伝え、カナリスは国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルクにこの提案を提示することにした[15]。ブロンベルクはこの提案に前向きに応じ、リッベントロップと大島の会談を促した[15]。しかしブロンベルクはこの時点で、対日接近が対中関係に及ぼす影響をまったく考慮しておらず、国防軍総局長ヴァルター・フォン・ライヒェナウをはじめとする対中接近派の意見に従うようになり[15]、具体的な軍事協定の締結には強く反対することになる[16]。カナリスは国防軍内における対日接近派の勢力拡大と、対中接近派の抑制に努めることになる[17]。

大島からの報告を受けた日本陸軍参謀本部は、参謀総長閑院宮載仁親王が「ベルリンでの作業計画」を裁可し、交渉のために参謀本部欧州課独逸班長若松只一の訪独を承認した[16]。しかし日本参謀本部の動きを察知した駐日大使館付武官オイゲン・オット大佐はこの動きを国防軍上層部に通報した。カナリスはこの動きに動揺し、オットに対し駐日ドイツ大使ヘルベルト・フォン・ディルクセン(ドイツ語版)への報告を禁じた[16]。

日本の参謀本部は提携には積極的であったが、軍事同盟には消極的であった。しかし日ソ戦の際にドイツが「好意的中立」を保ってくれることを希望していた。リッベントロップ事務所のヘルマン・フォン・ラウマーはソ連を刺激することを恐れ、協定内容を対ソ連ではなく「コミンテルンによる国際共産主義運動が自国に波及する事を防ぐ」という婉曲的な内容にしようと提案した。当時、ソ連政府はコミンテルンの活動はソ連政府と無関係であるという立場を取っており、これを逆用したものであった[11]。大島も反コミンテルン協定であるという「マント」を着せることに同意した[18]。

11月15日にはリッベントロップ邸において、リッベントロップ、カナリス、ハック、ラウマー、大島、若松が会談を行った。この席でリッベントロップは「一般的な友好協定」に「軍事上の付属紳士協定」が加えられたものを提案し、成立した協定はイギリスに通知されるべきことと、ポーランドの参加が考えられるとした[19]。

この時期になるとリッベントロップらの動きは外務省にも察知され、リッベントロップは「様々な部局、とりわけ外務省からの抵抗」に悩まされるようになった[19]。しかし11月27日にリッベントロップと面会したヒトラーは、「対コミンテルン条項は公表してもよい」「調印はベルリンで行う」という「決断」を示した[20]。11月30日にはラウマーによって協定案が完成した。「コミンテルンの危険に対する防御協力」をうたった本文と、締結国がソ連の紛争に巻き込まれた場合には一方の締結国はソ連を援助しないことを定め、ソ連との条約締結を禁止した付属協定、そして両国軍の間で締結される軍事協定から構成されていた。

しかしこの協定案提示から7ヶ月間、協定交渉は一時停滞することになる。


停滞期の交渉

この時期、イタリアのエチオピア侵攻(第二次エチオピア戦争)が勃発し、イギリスによる調停が試みられたことは、イギリス・イタリア・フランスによるストレーザ戦線が再来するのではないかという懸念がドイツ側に存在し、外交政策の再検討を行う事態となった[21]。外務省はこの機会を巻き返しの時期ととらえ、リッベントロップらの動きに抵抗した[22]。また国防軍による中華民国との交渉も大きく進展し、汪兆銘らはドイツを仲介者とした日中和平を希望するようになった[23]。ヒトラーはこの仲介に「外見上、原則的な賛意」を与え、リッベントロップも大島に、日独協定に中華民国を加えることはできないかと打診している[24]。一方で国防軍の過度な対中接近には外務省も否定的であり、ベルンハルト・ヴィルヘルム・フォン・ビューロー(ドイツ語版)外務次官は国防軍やライヒェナウの姿勢を非難している[25]。

1936年(昭和11年)1月、日本外務省欧亜局長東郷茂徳は陸軍から説明を受けて初めて協定締結交渉を察知した。東郷は協定に反対であった。また同月には日独合作映画『新しき土』の制作のためと称してハックが来日、日本の関係者と交渉を行った[26]。

2月に二・二六事件が勃発して陸軍の発言力が増大したため、日本外務省も交渉締結の路線から外れることは出来なかった。5月8日、外相有田八郎は駐独大使武者小路公共に「両国間に事項を限定しない漠然たる約束」をする趣旨の指令を行った。しかし参謀本部は大島少将に「日ソ戦が勃発した際に中立を守る」規定を盛り込むように指令した。

4月6日にはライヒェナウらの主導で、中華民国に一億ライヒスマルク借款を行うことを始めとする援助協定が成立した。これは対独接近を考えていた日本側にも大きな衝撃を与えた。ライヒェナウはこの際に日独提携と独中提携は両立しないと言明した上で、「リッベントロップ氏による日本との協定交渉は中止された」と語っている[25]。5月には国防軍が日本との提携は対ソ戦争の際に役立たないばかりでなく、イギリスやアメリカとの敵対関係も呼び込むと警告する報告書を提出した[27]。一方で援助協定のあまりの巨大さを知った外務省は、国防軍を牽制するため、対日接近に傾くようになった[28]。


再交渉

リッベントロップは1936年(昭和11年)7月に駐英大使に任命されているが、ヒトラーとのパイプを妨害されることを怖れ、ロンドンに赴任したのは10月になってからであり、その後もしばしば帰国してヒトラーと連絡を取っている[6]。7月には防共協定の案文と付属議定書がドイツ側から日本に提示された。この内容は1935年11月にラウマーが作成した案とほぼ同一のものであったと見られている[29]。日本側は協定の公表自体には反対であったが、ドイツ側は協定本文については公表することを望んだ[30]。一方でライヒェナウらはなおも強い独中協定を主張し、中独軍事同盟の成立も主張していた[30]。9月にライヒェナウは帰国するが、ヒトラーは「(ライヒェナウがヒトラーの)対日構想を台無しにしようとしている」と激怒し、「将軍たちは政治を何も理解していない」と罵った[31]。

10月23日には仮調印が行われ、日本の枢密院における審議を待つばかりとなった[32]。しかし国防軍の親中的な姿勢が伝えられるにつれ、枢密院での審議が危ぶまれるようになった。武者小路大使はドイツ側に抗議し、協定締結は不可避と考えるようになった外務省が国防軍に対中支援協定の中止を求めたことでこの動きは決着した[33]。


協定締結

11月25日、ベルリンのリッベントロップ事務所で協定の調印式が行われた[34]。日本側の全権大使は武者小路駐独大使、ドイツ側はリッベントロップが行った。協定の内容はドイツ側の提案、すなわち1935年11月のラウマー案の内容を大きく超えるものではなかったが、国防軍の主張通り軍事協定の性格はつかなかった[35]。
協定締結後には祝賀晩餐会が開かれたが、この席にはヒトラー、ヘルマン・ゲーリング、ルドルフ・ヘスといった高官の他、外務省関係者からは外相ノイラート、外務次官エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーらの首脳が参加したが、国防軍からはただ一人カナリスが参席していた[36]。国防軍はこの場に高官を出席させないことで不快感を示した形になり、またこのような場にカナリスのような地位の人間が出席するのは極めて異例である[36]。


協定の内容

大日本帝国政府および独逸国政府は共産「インターナショナル」(所謂コミンテルン)の目的が其の執り得る有らゆる手段に依る現存国家の 破壊及爆壓に有ることを認め 共産「インターナショナル」の諸国の国内関係に対する干渉を看過することは其の国内の安寧及び社会の福祉を危殆ならしむるのみならず世界平和全般を脅すものなることを確信し 共産主義的破壊に対する防衛の為協力せんことを欲し左の通協定せり


第一条
締結国は共産「インターナショナル」の活動に付相互に通報し、必要なる防衛措置に付協議し且緊密なる協力に依り右の措置を達成することを約す(対コミンテルン活動の通報・協議)


第二条
締結国は共産「インターナショナル」の破壊工作に依りて国内の安寧を脅さるる第三国に対し協定の趣旨に依る防衛措置を執り又は本協定に参加せんことを共同に勧誘すべし(第三国の加入要件)


第三条
本協定は日本語及び独逸語の本文を以って正文とす。本協定は署名の日より実施せらるべく且つ五年間効力を有す。締結国は右期間満了前適当の時期に於て爾後に於ける両国協力の態様に付了解を遂ぐべし(条約の期限)


附属議定書
本日共産「インターナショナル」に対する協定に署名するに当り下名の全権委員は左の通協定せり

(イ)両締約国の当該官憲は共産「インターナショナル」の活動に関する情報の交換並びに共産「インターナショナル」に対する啓発及防衛の措置に付緊密に協力すべし

(ロ)両締約国の当該官憲は国外に於て直接又は間接に共産「インターナショナル」の勤務に服し又は其の破壊工作を助長するものに対し現行法の範囲内に於て厳格なる措置を執るべし

(ハ)前記(イ)に定められたる両締約国の当該官憲の協力を容易ならしむる為常設委員会設置せらるべし。共産「インターナショナル」の破壊活動防衛の為必要なる爾余の防衛措置は右委員会に於て考究且協議せらるべし

(以上仮名を平仮名、旧仮名遣いを現代仮名遣いに修正)


秘密附属協定

日本陸軍が望んだ軍事的条約は第一条に定められた規定に盛り込まれた。この附属協定は公表されなかった。


第一条 
締約国の一方がソビエト連邦より挑発によらず攻撃・攻撃の脅威を受けた場合には、ソビエト連邦を援助しない。攻撃を受ける事態になった場合には両国間で協議する(対ソ不援助規定)。

第二条
締約国は相互合意なく、ソビエト連邦との間に本協定の意思に反した一切の政治的条約を結ばない(対ソ単独条約締結の禁止)。

第三条
この協定は本協定と同期間の効力を持つ。

秘密書簡・秘密了解事項

秘密附属協定を補則するため、秘密書簡と秘密了解事項が添付された。日独両国がすでにソビエト連邦と結んだ条約(独ソ中立条約など)は秘密附属協定の第二条の対象外となることなどが定められた。


締結直後の評価

防共協定は交渉過程において実効性をもたない骨抜きの条約となり、交渉当事者にも「『背骨無き』同盟」[34]と評価されていた。陸軍以外は協定締結に積極的ではなく、元老西園寺公望は「どうも日独条約はほとんど十が十までドイツに利用されて、日本はむしろ非常な損をしたように思われる」ともらしており、ディルクセンも日本外務省・海軍・財界の態度が冷淡であると報告している。

一方でリッベントロップは、「(同盟へと拡大されるはずであった)防共協定は、イギリス『抜き』、あるいはイギリスと『敵対』してでも広範囲にわたる(ヴェルサイユ条約)改訂政策とその後の領土拡大政策を実行できる」という見通しを得た[37]。リッベントロップはこの協定をソビエト連邦に対して用いることは考えておらず[37]、この点はヒトラーも同意見であった[37]。リッベントロップは「ジブラルタルから横浜まで」に至るユーラシア同盟によってイギリスと敵対する構想を持っていた[38]。

1937年2月には、ディルクセンが日本から勲一等旭日大綬章を受け、その他カナリス、オット、ハック、ラウマーといった交渉関係者にも叙勲が行われた。11月にはノイラートの他、「(協定締結を)終始熱心その促進に務め」たとして、ブロンベルクら国防軍関係者にも儀礼的な叙勲が行われている[39]。

協定の拡大

日本陸軍は防共協定を実質的な軍事同盟に発展させることによってイギリスおよびソ連の日中戦争介入を防ごうと考えていた[40]。1938年7月3日、板垣征四郎陸軍大臣は「時局外交に関する陸軍の希望」という文書を内閣(第2次近衛内閣)に提出した[40]。7月19日の五相会議において「日独及ビ日伊間政治的関係ニ関スル方針案」が採択され、「(ドイツに関しては)防共協定ノ精神ヲ拡充シテ之ヲ対『ソ』軍事同盟ニ導キ」という方針が確認されている[40]。このドイツとの同盟問題は当時「防共協定強化問題」と呼ばれているが[40]、これは同盟に反発する国内の抵抗を抑えるための方策であった[41]。


イギリスへの打診

日本はあくまでこの協定をソ連に対抗するものと考えており、イギリスをこの協定に参加させようとしたが、イギリス側に拒否されている[42]。また、ソ連のみを主敵とする日本側と、イギリス・フランスも敵と考えるドイツ側との構想の違いがあった[43]。

また、日本国内でも同盟成立を重視する日本陸軍は英仏を敵に加えるよう主張していたが、大英帝国の影響を怖れる海軍及び外務省はこれに反対していた[44]。重光葵のように防共をキーワードに国際同盟を構築しようとする者もいたが[45]、大きな動きにはならなかった。


イタリアの参加

1937年(昭和12年)8月21日の中華民国とソ連の中ソ不可侵条約の成立によって、イタリア王国の防共協定参加が決定的なものとなり、ムッソリーニ首相は日本の東洋平和のための自衛行動を是認するという論文を発表、ベルギー九カ国条約会議でイタリアのマレスコッチ代表は日本を支持するなどの動きを見せた[46]。会期中の1937年11月6日、イタリアが原署名国の一つとして防共協定に加盟すると規定した「日本国ドイツ国間に締結せられたる共産インターナショナルに対する協定へのイタリア国の参加に関する議定書」に調印した[2][46][47]。イタリア王国の参加により日独伊防共協定に発展し、協定の反英・反西欧的性格はさらに強まった[37]。1938年、リッベントロップは外相に就任し、以降のドイツ外交の主務者となった。しかし反英的でソ連と組むことも辞さないリッベントロップおよびドイツ外務省・海軍と、どちらかといえば親英的で、ソ連打倒を考えていたヒトラーという二つの外交路線が存在していた[48]。日本の各部首脳はヒトラーの意志のみを重視しており、後の独ソ提携で衝撃を受けることになる[49]。


満州・ハンガリー・スペインの参加

また日本の指導下によって成立した満州国は防共協定への参加を熱望していたが、将来の日独伊三国の同盟構想が決定されていないこの時期の参加は、時期尚早と見る日本の反対により加盟は実現していなかった[50]。しかしこの日本の反対はソ連を主敵とする決定が下されたことで解決し、またドイツもハンガリー王国の参加を希望することになった[51]。これにより原署名国の三国がハンガリーおよび満州国を勧誘する形で協定の拡大が行われ、1939年1月13日にハンガリーが、1月16日に満州国が参加を表明した。両国の調印は2月24日に別個に行われた[52]。

日独は一方で、スペイン内戦において勝利を固めつつあったフランシスコ・フランコ政権の防共協定参加交渉も行っていた。3月27日になってフランコ政権は防共協定への加盟を秘密裏に行っている[53][54](スペイン)。


事実上の白紙化

ところがその直後の1939年8月23日には独ソ間で独ソ不可侵条約が締結された。リッベントロップはこの際に、防共協定は反ソビエト連邦と言うよりも、反西欧民主主義国という性格を持つものだとヨシフ・スターリンに説明している[37]。これを防共協定の秘密議定書違反として日本は猛抗議し、平沼内閣は総辞職したことによって、協定は事実上消滅し、日独の提携交渉はいったん白紙となった[55]。日本外務省内では協定が事実上白紙になったという認識は示されたものの、実際には協定解消などの声も起こらず、手続きは行われなかった[56]。

しかしリッベントロップは翌月9月から再び日本に対する接近を開始した。リッベントロップは持論であるユーラシア同盟がイギリスに対抗できる手段だ説いたが、日本政府の反応は良好ではなかった[57]。しかし1940年にドイツがフランスおよびオランダを打倒してヨーロッパにおける勝利をつかみつつあると認識した日本政府は、ドイツが南アジアおよび東南アジアの植民地に進出するのではないかという危惧を抱いた[57]。リッベントロップはその危惧を払拭し、日本が南方進出に出るように働きかけ、イギリス・アメリカとの対立を深くることで、ドイツ側の陣営に日本を巻き込もうとした[57]。日本でもこの動きに追随する方向性が強くなり、1940年9月27日の日独伊三国同盟の結成に至った。また日本の松岡洋右外相もユーラシア同盟構想を抱き、1941年の欧州歴訪においてこの構想を実現しようとした。しかしヒトラーは三国同盟結成の時点で独ソ戦を決断しており、ユーラシア同盟構想はすでに崩壊していた。すでに独ソ関係が変化しているというリッベントロップや大島の言葉には耳を貸さず、1941年4月13日日ソ中立条約の締結が実現した[58]。


協定の延長と消滅

独ソ戦の開始後、防共協定自体は存続したものの、日ソ中立条約の存在もあり、対ソ連条約として有効にはならなかった。1941年11月25日には期限満了を迎える協定の5年間延長を規定した条約がベルリンで調印されているが、秘密議定書については廃止されている[59]。また同日には第二次世界大戦で枢軸側に参戦したブルガリア王国、フィンランド、ルーマニア王国、スロバキア共和国、クロアチア独立国、ドイツの占領下に置かれたデンマークが協定に参加し、また日本の指導下にあった中華民国(汪兆銘政権)も、11月25日時点での協定参加を宣言する公文を12月31日に日本政府に対して送付している[60]。

1943年にコミンテルンは解散しているが、日本の外務省条約局はコミンテルンが実際に解散したかどうかは確認できなかったとして、条約は存続していると見ている[61]。1943年9月8日にイタリア王国が降伏し、イタリア社会共和国が協定参加国となったが、1944年以降は東欧の参加国が次々と戦争から離脱し、1945年5月7日と8日にはドイツ軍が降伏してナチス・ドイツが崩壊した。条約局は5月7日をもって他の三国間条約が失効したことを確認した上で、防共協定も法律上の意味で5月7日に失効したという見方をしている[61]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/防共協定
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c1

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
2. 中川隆[-13471] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:28:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1433]

『日独伊三国同盟』はなぜ締結されたのか?わかりやすく整理しました 2020年3月19日
https://rekishiclub.jp/nichi-doku-i-sangokudoumei/


日独伊三国同盟とは?

なぜ日本はドイツとイタリアと手を結ぶことになったの?

この記事では日本とドイツとイタリアの軍事同盟である「日独伊三国同盟」について解説します。

日独伊三国同盟とは、昭和15年(1940年)9月27日に日本、ドイツ、イタリアの三国で締結された軍事同盟のことです。

この軍事同盟では、ドイツとイタリアのヨーロッパにおける「新秩序建設」および「指導的地位」と、日本の「大東亜」における「新秩序建設」および「指導的地位」が相互に承認されました。

日独伊三国同盟の正式名称は「日本國、獨逸國及伊太利國闔O國條約」です。

「日独伊三国軍事同盟」と呼ばれる場合がありますが、どちらもは同じ同盟のことを指しています。

日独伊三国同盟の内容

日本はドイツとイタリアのヨーロッパにおける新体制を認める。
ドイツとイタリアは日本が築こうとしている大東亜共栄圏を認める。
日本とドイツとイタリアのうち1ヶ国が攻撃された場合、ほかの2ヶ国は攻撃を仕掛けた国に宣戦布告し、軍事と経済援助をする。


条約本文:『官報』昭和15(1940)年10月21日


同盟締結までには以下の4段階の経緯がありました。

経緯1.仮想敵のソ連に対抗するために、まず「独ソ防共協定」が結ばれる
経緯2.「独ソ不可侵条約」が結ばれ、事態は悪化
経緯3.ドイツ軍の快進撃で、日本国内において「ドイツブーム」が招来
経緯4.第二次近衛文麿内閣で「日独伊三国同盟」が成立


経緯1.仮想敵のソ連に対抗するために、まず「日独防共協定」が結ばれる
ドイツと日本は、ともにソ連を仮想敵国としていました。

日本は昭和6(1931)年の満州事変以降、ソ連との武力衝突の可能性があったことから、ソ連の圧倒的な軍事力に対抗する必要があったのです。

一方ドイツは、昭和8(1933)年10月に、日本に続いて国際連盟を脱退し、ベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し、軍備増強を進めていました。

ナチスドイツのヒトラーは、「総統」という地位を昭和9年に確立し、イタリアのファシスタ党とともにベルリン=ローマ枢軸を形成しました(参考)。
その直後にドイツと日本、両国の仮想敵のソ連に対抗するために「日独防共協定」が結ばれたのです。

さらに昭和13(1933)年にドイツは日本の傀儡国家「満洲国」を承認し、「日独防共協定」をさらに発展させた軍事同盟を築こうとし、日本との接近をはかりました。


この時期ドイツはオーストリア併合などの膨張政策によって、近隣国との対立を深めていました。

そのため、日本と同盟関係を築こうとしたのです。

ちなみにドイツによる満洲国承認のニュースは日本国内でも歓迎され、各紙面はトップ記事で大々的に報じ、程度の差はあれど歓迎の姿勢を示しています(参考)。
経緯2.「独ソ不可侵条約」が結ばれ、事態は悪化

しかし親ドイツの機運に冷や水をかけたのが、昭和14(1939)年にドイツとソ連間で結ばれた「独ソ不可侵条約」でした。

ドイツとの防共(=共産化を防ぐこと)強化に務めていた日本にとって、共産主義国家のソ連とドイツが手を結んだ事実は、衝撃的な出来事として記憶されました。


このときの平沼内閣は、「欧州の天地は複雑怪奇(ふくざつかいき)」との言葉を残し、総辞職しています。

また日本の各新聞もナチスドイツに盲目的になっていたため、独ソ不可侵条約を見抜くことができず、紙面では狼狽するにいたっています(参考)。

経緯3.ドイツ軍の快進撃で、日本国内において「ドイツブーム」が招来
しかし、昭和15(1940)年5月ごろから始まったヨーロッパ西部戦線において、ドイツが目覚ましい活躍を見せると、日本国内においてドイツブームが沸き立ちました。

同年8月に入ると、ドイツ軍によるイギリス本土爆撃が開始されますが、各紙面は「倫敦(ロンドン)・今や半身不随」といった見出しで、ドイツ空軍によってイギリスは崩壊寸前であることが伝えられます。(参考)
この時期より、日本国内ではドイツとの提携強化が叫ばれるようになります。


一方で、もともとナチス・ドイツに批判的だった有識者の意見が新聞に掲載されることはほぼありませんでした。

そのようななかで、元老の西園寺公望(さいおんじ・きんもち)や、戦後首相になった吉田茂(よしだ・しげる)らは事態を冷静に分析し、両者とも最終的に戦争に勝利するのはイギリスだろうとの観測を持っていました(参考)。
いま日本の新聞は挙つてドイツが結局において勝つやうなことをかき、ドイツに有利な宣伝を書いてゐるけれども、実際の状況はイギリスも相当にやつてをる。

(中略)

ドイツの勝利もすごぶる疑わしい。のみならず、イギリス海峡を渡ることは、どうも実際において難しいやうに思へるし、今後の戦争の成行きについては逆睹(ぎゃくと)し難い。


出典:岩村正史『戦前日本人の対ドイツ意識』、慶應義塾大学出版会、98頁、2005年。


経緯4.第二次近衛文麿内閣で「日独伊三国同盟」が成立

昭和15(1940)年9月にドイツより、ハインリッヒ・シュマーター特使が来日し、松岡洋介外相との間で同盟の交渉が始まります。

そして同月9月27日についにベルリンで日独伊三国同盟が調印されるに至りました。
当初同盟に反対をしていた日本海軍でさえも、この頃になると異議を唱える人は少なくなっていました。

三国同盟の目的

【日本の理由】アメリカを牽制(けんせい)するため
【ドイツの理由・目的】同じくアメリカの参戦を防ぐため
【イタリアの理由・目的】国際社会からの孤立を防ぐため
【日本の理由】アメリカを牽制(けんせい)するため

日本が日独伊三国同盟を結んだ理由は、大国アメリカを牽制(けんせい)するためでした。

さらに日本はソ連と軍事同盟を結ぶことで、日独伊ソ軍事ブロックを結成し、アメリカによる日本の南進政策への干渉を抑止しようと考えていたのです。

しかし結果としてアメリカの同盟国のイギリスと交戦中だったドイツと軍事同盟を結んだことにより、日米関係は悪化してしまいました。


【ドイツの理由・目的】同じくアメリカの参戦を防ぐため

ドイツも、アメリカが第二次世界大戦に参戦してくることを恐れていました。
アメリカがイギリス側につき、参戦をすればまず勝ち目がなかったからです。
そのためドイツは日本とイタリアに同盟を持ちかけたのです。


【イタリアの理由・目的】国際社会からの孤立を防ぐため

イタリアは昭和13(1936)年の国際連盟を脱退や、イギリス・フランスなどの国々から経済制裁を受けるようになったことをきっかけに、孤立を深めていました。
そのため、孤立状態を打破するためにドイツと同盟関係を組むことにしたのです。


日独伊三国同盟の影響とその後について

三国同盟が結ばれた翌年、日本は「日ソ中立条約」を結んで、ソ連との国交を調整をしています。

日独ソ伊の四カ国でアメリカを牽せいすることで、アメリカとの関係回復をはかろうとしたのです。

しかしその構想は、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に進行したことで水の泡になってしまいます。

また日本の思惑とは裏腹に、日ソ中立条約をきっかけとして、日本に対するアメリカからの警戒心が高まっていきます。

アメリカは、日本が物資を求めてインドシナ半島など南方地域を確保しようとした「南進政策」が進行することを警戒していたのです。

この政策に対するアメリカからの反応は厳しく、在米日本人の資産が凍結されるなどの措置が取られます。

その後の歴史はご存知の通り、日本は昭和15(1941)年12月8日に真珠湾を攻撃をし、日米開戦が始まりました。


日独伊三国同盟のまとめ

アメリカとの戦争を回避するために結ばれた日独伊三国同盟でしたが、結果的にはアメリカとの戦争のきっかけとなる出来事になってしまいました。


それでは記事のまとめです。

日独伊三国同盟とは、昭和15年(1940年)9月27日に日本、ドイツ、イタリアの三国で締結された軍事同盟のこと。

日本とドイツはアメリカを牽制するため、イタリアは孤立化を防ぐために同盟が結ばれた。

日独ソ伊の四カ国でアメリカを牽せいすることで、アメリカとの関係回復をはかろうとしたが、ドイツのソ連進行で水の泡になってしまった。
また南進政策が進み、アメリカから警戒されることとなった。


【参考文献】
鳥海靖『日本の近代 国民国家の形成・挫折と発展』、放送大学教育振興会、2013年。
岩村正史『戦前日本人の対ドイツ意識』、慶應義塾大学出版会、2005年。
『官報』昭和15(1940)年10月21日。

https://rekishiclub.jp/nichi-doku-i-sangokudoumei/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c2

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
3. 中川隆[-13470] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:30:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1434]

日独防共協定と日独伊三国同盟


 歴史をぼんやり眺めていると、日独防共協定と日独伊三国同盟は同じ延長線上にあると勘違いする。しかし、両者は全く別の物である。日独防共協定はソ連の社会主義思想が全世界に波及する事を恐れ、国家社会主義国である日本とドイツがその防波堤になろうとして結んだ同盟であった。これはイギリス、フランス、アメリカにとって好ましい条約でもあった。日本とドイツがソ連に対する楯となるからである。

 これは第二次世界大戦後も同様であった。日本と西ドイツがソ連共産主義の防波堤となったのである。どうして憲法九条がアメリカの手で作られ、そしてアメリカが日本に再軍備を要求したかもここにある。アメリカはソ連に対する防波堤として 蒋介石率いる国民党の中国に期待した。しかし、蒋介石は毛沢東率いる共産党に敗北した。そればかりではない。朝鮮でも共産党が朝鮮半島を支配すべく、南朝鮮に押し寄せたのであった。ここで朝鮮動乱が勃発する。南北朝鮮は三十八度線で休戦を結ぶが、南朝鮮(韓国)では共産主義の防波堤となる力は無い。当然、戦前と同じように日本が極東での共産主義に対する防波堤とならねばならなかった。アメリカが日本に再軍備を要求したのは当然であった。

 第一次世界大戦で敗北したドイツは、ベルサイユ条約で軍備の保持を禁止された。しかし、ヒトラーが政権の座に着くとヒトラーは日独防共協定を日本と結んだ。この日独防共協定はイギリス、フランス、アメリカにとって決して不愉快な条約では無く、むしろ好ましい条約であった。この条約でヒトラーはベルサイユ条約で規定されたドイツが軍備の保持をしない条項を、実質的にイギリス、フランスが撤廃しなければならなくなった。ヒトラーが軍備拡張できた理由は、この国家社会主義思想で反共産主義思想を表に出したことによる。日本は当然この条約はソ連を仮想敵国である条約であると考えた。しかし、ヒトラーの考えは日本政府の外交能力を凌駕していた。ヒトラーは突然、独ソ不可侵条約を結んだのである。日本政府は驚いた。そして時の首相、平沼騏一郎は「欧州情勢は複雑怪奇」という名言を残して総辞職した。即ち、この時点で日本はソ連を仮想敵国にしていた。逆に言うとイギリス、フランス、アメリカとは戦わないという姿勢であった。

 しかし、日独伊三国同盟は違う。この同盟は決してソ連のみに向けられた同盟では無かった。その矛先はイギリス、フランス、アメリカにあった。即ち日独はソ連と不可侵条約を結んだ。不可侵条約を結んだ以上、三国同盟は当然その矛先はソ連ではなくイギリス、フランス、アメリカにあった。日独伊三国同盟は独ソ不可侵条約、日ソ不可侵条約があるため、実質的に日独伊そしてソ連を巻き込んだ大規模な四国同盟とも言うべき軍事条約となっていた。

 ここでヒトラーは大きな誤算をした。ヒトラーは第一次世界大戦でドイツが敗れた原因を、西のイギリス、フランス、そして東のロシアから挟撃されたことにあることを知っていた。そして、西側諸国の最大の敵がアメリカであることも知っていた。

ヒトラーの作戦は独ソ不可侵条約で東からの脅威を取り除き、戦力を西に集中させる事、そしてアメリカに参戦の口実を与えない事であった。ヒトラーがどうしてソ連に侵攻したかは私がいくら調べても解からない。永遠の謎であろう。もし、この問題にあえて決着を付けるなら、ヒトラーがパーキンソン病に罹り、正常な判断能力を無くしていたとしか言えない。そして、もう一つのヒトラーの戦略であるアメリカをこの戦いに巻き込まないという戦略も、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃で、ヒトラーがうかつにも結んだ三国同盟で、一気にアメリカの矛先がドイツに向かったのである。もし、三国同盟が無かったら、日本海軍が真珠湾奇襲攻撃をかけても、アメリカはドイツにその矛先を向けるという理論的根拠は無かった。三国同盟があったからこそ、日本の真珠湾攻撃でアメリカ大統領であるルーズベルトは国民にドイツと戦う事を宣言する事が出来たのである。日独伊三国同盟はヒトラーにとって最初に犯した、誤った政策であった。

 では日本にとって三国同盟はどうであったのであろう。日本政府は最初から三国同盟を重要な問題であるとは考えていなかった。平和主義を掲げる日本は日独伊ソの四国同盟を結ぶ事でアメリカが日本に侵攻できないようにした。これは日本が生んだ天才的な外交家、松岡洋祐の政治的戦略であった。しかし、その松岡洋祐の戦略もヒトラーのソ連侵攻で失敗に終わる。もはや、平和主義を唱える日本にとって日独伊三国同盟は無用の長物、いや、足かせとさえなっていた。そして、アメリカとの交渉で日米が戦わずに済むのなら、日独伊三国同盟を破棄する考えであるとアメリカに通告した。しかし、戦争を望むアメリカは日本の提案を拒否した。日本はアメリカとの交渉に行き詰まり、真珠湾奇襲攻撃を決行したのである。

 日独伊三国同盟ほど机上の空論であった同盟は無かったであろう。ヒトラーは日本を騙してソ連に侵攻し、日本はヒトラーの最も恐れたアメリカを敵に回した。そして、戦争が始まっても日独は勝手に戦った。もし、日独伊三国同盟が発揮されていたら、ヒトラーのソ連侵攻と伴に日本はシベリアに侵攻、ソ連はひとたまりも無く敗れたであろう。しかし、歴史はそうは動かなかった。

 この意味で日本から見れば第二次世界大戦と太平洋戦争とはまったく別なものであるという考えもできる。アメリカにとっては対ドイツ、日本との戦いは同一であり、第二次世界大戦として一括して考えねばならない。しかし、日本では日独伊三国同盟は名目だけのもので、決して三国同盟のために日本がアメリカに対して参戦した訳でもないし、日独伊が共同歩調でアメリカと戦った訳でも無かった。この意味で日本にとっては第二次世界大戦というより、太平洋戦争と言った方がふさわしい理由がここにある。

http://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/taiheiyou9.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c3

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
4. 中川隆[-13469] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:40:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1435]
昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは


昭和天皇は共産革命を極端に恐れ、1928年から危険思想を持っていそうな人間を全員逮捕・拷問・強制自白させた:


【ノモンハン戦役】 @ 治安維持法 自由はこうして奪われた





▲△▽▼



「○○狂レーニンの武器チェカー」柏原竜一 秋吉聡子【チャンネルくらら】




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c4
[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
5. 中川隆[-13468] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:41:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1436]

2020年01月27日
反日罪が裁かれる日 左翼の言論はいつまでも自由ではない

大正時代は自由や民権運動が盛んで、共産主義や反日がカッコいいとされていた。
自由な時代は軍の反撃であっけなく終わった

画像引用:https://buzzap.net/images/2016/06/24/modern-girls1920/top.jpg


言論はいつまでも自由ではない

日本では自国を攻撃する反日が罪にならないが、これは世界でも少数派で、多くの国では即刑務所にぶちこまれる。

70年代から90年代に北朝鮮の日本人拉致が行われたが、国内の協力者は一人も逮捕されていない。

不審船が上陸するにも事前に情報が無くては上陸地点も「標的」も決められないので、協力者がいたはずでした。

当時も今も日本の法律では、北朝鮮の拉致に協力して情報提供しても、何ら罪に問われません。

北朝鮮を支持する人間が公然と「日本打倒」を掲げてデモ行進しても合法で、こういう国は日本以外に無い。

日本では日本を攻撃する「反日」が一種の遊び程度に考えられているが、他の国では極刑や逮捕に値する重罪です。


アメリカではベトナム戦争敗戦から自国を侮辱したり攻撃するのが流行し、反米がカッコいいとされた時期があった。

その結果起きたのが9.11同時多発テロで、この日以来「反米」は犯罪として摘発され刑務所にぶちこまれるようになった。

2000年までは「アメリカをぶっ壊す」とプラカードを掲げてホワイトハウス前を行進できたが、今は公安に連行されます。


最近はネット上で「アメリカで大きな事をやる」と書いただけで入国拒否されたという例が多く報告されている。

日本の現状は9.11以前のアメリカに近く、反日はカッコいい事で、「日本をぶっ壊す」と宣言した外国人を入国させています。

歴史上こういう事は何度も繰り返されていて、今回が初めてではありませんでした。


過去の反日ブームと弾圧

ある国で自国を攻撃する破壊活動がブームになると、それが数十年続いた後で強烈な反作用が起きることが多い。

簡単な例は日本の大正デモクラシーで、現代風に解説すると平和活動と反日活動、民主運動が高まりました。

日露戦争に勝利した日本はもう戦争は起きないとして軍縮し、現在の自衛隊と同規模の20万人程度まで軍を縮小した。


当時はハイテクは無いので人数=兵力であり、帝国陸軍は解散寸前といった状態で、消費文化や民権運動がブームでした。


日本の公安も弛緩してしまい、ソ連誕生で共産主義がブームになり、日本を共産化しようという共産運動が広まった。

昭和1桁時代には公然と日本を批判する反日もブームで、昭和12年には有名女優がソ連に亡命する事件も起きた。


後に連合艦隊司令長官になった山本五十六は「アメリカかぶれ」として有名で、アメリカに移住してアメリカ人になりたいと思っていました。

山本は武官としてアメリカに在住した事もあって、アメリカの豊かさを知り強い憧れを抱いていたようです。

こうした弛緩した空気を一変させたのが昭和6年の満州事変と、昭和11年の226事件でした。


反日ブームや共産主義、民権主義を苦々しく思っていた軍部は政治の主導権を握ると引き締めを図った。

これが昭和10年代の軍部の圧政で、例えば野球でも英語を使ってはならず、ストライクは「一本」などと言っていた。

戦争が終わるとGHQは自由化を進めたが、実は自由なのは「日本の悪口だけ」で、日本を褒める事は一切禁止した。


だから黒澤明など昭和期の映画はすべて反日映画で、日本を褒めるような内容はGHQが禁止していました。


歴史は自由と弾圧を繰り返す

欧州でも自由と弾圧はなんども繰り返されていて、フランス革命は王国時代はあらゆる言論自由で、そのせいで革命が起きました。

革命派は「パンがなければケーキを食べなさいよ」とマリーアントワネットが言ったと言いふらしたが、後にねつ造なのが判明している。

自由を求めてフランス革命を起こした連中は、革命に成功したら一切の言論を禁じ、自分を批判させないため圧政を敷きました。


ロシア革命も同様で、革命前はあらゆる言論すべて自由だったのに、革命後はソ連になり一切の自由を奪いました。

すべての「革命」の正体はこのようなもので、自由を掲げながら革命が終わったら前より不自由になります。

ギリシャ、ローマ時代から同じ事は何度も繰り返されていて、自由な時代と弾圧時代は交互にやってきていました。


今日本は自由な時代なわけですが、永遠に続く自由は無いのもまた、歴史は証明しています。

日本で最初にこうした事が起きたと記録されているのは聖徳太子から天智天皇の時代で、聖徳太子は仏教を導入し律令制度などを作りました。

聖徳太子の時代に日本は唐や百済から進んだ制度を導入し栄えたが、当然のこととして反日日本人が増えた。


唐や百済が進んでいるから導入するので、「日本なんか劣等国だよ」などという今風の左翼が増えた。

聖徳太子は仏教派だったがこれは神道派と対立し、国内で深刻な争いも起きていた。

その後に登場したのが中大兄皇子こと後の天智天皇で、645年に大化の改新という軍事クーデターを起こした。


天皇を任命したり敵対する王子を葬り去るなどやりたい放題の蘇我入鹿を、中大兄皇子が自分で切りつけたとされている。

天智天皇となった663年には百済を滅ぼした羅漢連合を成敗するため、史上初(三韓征伐を除く)の対外戦争を起こすが惨敗してしまう。

この白村江の戦いの真の目的は、対外戦争によって乱れた人心をまとめる事だったとされている。


昭和6年の満州事変では戦争を利用して軍部が権力を握り乱れた国内を引き締めたが、同じ目的だったと思われます。

対外戦争を起こすことで国家総動員体制になり、反日はカッコいいなどと抜かす連中は刑務所にぶち込めるようになります。

こうして天智天皇は実質的に初めての「日本国の天皇」になったが、大陸進出の野望は無く国内の発展に努めた。


こんな風に自由な社会で弛緩した空気は、戦争や革命やクーデーターなど、何か強い力によって終わる。

戦前の欧米ではドイツだけではなく、米英仏でも「反ユダヤ」が流行したが、今は口にしただけで逮捕される。

このように行き過ぎた自由には必ず終わりが来る。
http://www.thutmosev.com/archives/82040161.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c5

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
6. 中川隆[-13467] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:43:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1437]

レーニンの実像
 
ロシアではグラスノスチによって、神聖不可侵だったレーニンの実像を知る手がかりが次第に明らかにされつつある。共産党中央委員会が管理していたマルクス・レーニン主義研究所所属の古文書館に「秘密」のスタンプが押された3724点におよぶレーニン関連の未公開資料が保存されていたことも判明し、民主派の歴史学者の手によってその公開が進みつつある。

 これらの資料のうちの一部は、ソ連崩壊以前からグラスノスチ政策によって公開されていた。そのうちのひとつが、私が月刊『現代』91年10月号誌上で全文を公表した、1922年3月19日付のレーニンの秘密指令書である。改めてここでその内容を紹介しておこう(翻訳全文は拙著『あらかじめ裏切られた革命』に所収)。


 22年当時、ロシアは革命とそれに続く内戦のために、国中が荒廃し、未曾有の大飢饉に見舞われていた。そんな時期に、イワノヴォ州のシューヤという町で、ボリシェヴィキが協会財産を没収しようとしたところ、聖職者が信徒の農民たちが抵抗するという「事件」が起きた。報告を受けたレーニンは、共産党の独裁を確立する最大の障害の一つだった協会を弾圧する「口実ができた」と喜び、協会財産を力ずくで奪い、見せしめのための処刑を行い、徹底的な弾圧を加えよと厳命を下したのである。以下、その命令書の一部を抜粋する。


<我々にとって願ってもない好都合の、しかも唯一のチャンスで、九分九厘、敵を粉砕し、先ゆき数十年にわたって地盤を確保することができます。まさに今、飢えた地方では人をくい、道路には数千でなければ数百もの死体がころがっているこの時こそ、協会財産をいかなる抵抗にもひるむことなく、力ずくで、容赦なく没収できる(それ故、しなければならないのです>


<これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない>


おぞましい表現に満ちたこの秘密書簡は、『ソ連共産党中央委員会会報』誌90年4月号に掲載され、一般に公開された。党中央委ですら、90年の時点で、レーニンが直接命じた残忍なテロルの事実の一端を、公式に認める判断を下したわけである。

 アナトリー・ラトゥイシェフという歴史家がいる。未公開のレーニン資料の発掘に携わっている数少ない人物で、同じくレーニン研究に携わっていた軍事史家のヴォルコゴーノフが、95年12月に他界してからは、この分野の第一人者と目されており、研究成果をまとめた『秘密解除されたレーニン』(未邦訳)という著書を96年に上梓したばかりだ。モスクワ在住の友人を通じて、彼にあてて二度にわたって質問を送ったところ、氏から詳細な回答を得るとともに、氏の好意で著書と過去に発表した論文や新聞インタビュー等の資料をいただいた。以下、それらのデータにもとづいて、レーニンの実像の一端に迫ってみる(「 」内は氏の手紙および著書・論文からの引用であり、< >内はレーニン自身の書いた文章から直接の引用である。翻訳は内山紀子、鈴木明、中神美砂、吉野武昭各氏による)。

まずは、ラトゥイシェフからの手紙の一節を紹介しよう。


「残酷さは、レーニンの最も本質をなすものでした。レーニンはことあるごとに感傷とか哀れみといった感情を憎み、攻撃し続けてきましたが、私自身は、彼には哀れみや同情といった感情を感受する器官がそもそも欠けていたのではないか、とすら思っています。残酷さという点ではレーニンは、ヒトラーやスターリンよりもひどい」


「レーニンはヒトラーよりも残酷だった」という主張の根拠として、ラトゥイシェフはまず、彼自身が古文書館で「発掘」し、はじめて公表した、1919年10月22日付のトロツキーあての命令書をあげる。

<もし総攻撃が始まったら、さらに2万人のペテルブルグの労働者に加えて、1万人のブルジョワたちを動員することはできないだろうか。そして彼らの後ろに機関銃を置いて、数百人を射殺して、ユデニッチに本格的な大打撃を与えることは実現できないだろうか>

 ユデニッチとは、白軍の将軍の一人である。白軍との内戦において、「ブルジョワ」市民を「人間の盾」として用いよと、レーニンは赤軍の指導者だったトロツキーに命じているのである。

「ヒトラーは、対ソ戦の際にソ連軍の捕虜を自軍の前に立たせて『生きた人間の盾』として用いました」と、ラトゥイシェフ氏は私宛ての手紙に書いている。

「しかし、ヒトラーですら『背後から機関銃で撃ちながら突進せよ』などとは命令しなかったし、もちろん、自国民を『盾』に使うことはなかった。レーニンは自国民を『人間の盾』に使い、背後から撃つように命じている。ヒトラーもやらなかったことをレーニンがやったというのはこういうことです。しかも、『人間の盾』に用いられ、背後から撃たれる運命となった人たちは犯罪者ではない。あて彼らの『罪』を探すとすれば、それはただひとつ、プロレタリア階級の出身ではなかったということだけです。しかし、そういう人々の生命を虫ケラほどにも思わず、殺すことを命じたレーニン自身は、世襲貴族の息子だったのです」


レーニンが「敵」とみなしていたのは、「ブルジョワ階級」だけではない。聖職者も信徒も、彼にとっては憎むべき「敵」だった。従来の党公認のレーニン伝には、革命から2年後の冬、燃料となる薪を貨車へ積み込む作業が滞っていることにレーニンが腹を立て、部下を叱咤するために書いた手紙が掲載されてきた。


<「ニコライ」に妥協するのは馬鹿げたことだ。――ただちに緊急措置を要する。

 一、出荷量を増やすこと。

 二、復活祭と新年の祝いのために仕事を休むことを防ぐこと。>


「ニコライ」とは、12月19日の「聖ニコライの祭日」のことである。この日、敬虔(けいけん)なロシア正教徒は――ということは当時のロシア国民の大半は――長年の習慣に従って、仕事を休み、祈りを捧げるために教会へ足を運んだに違いない。レーニンはこの日、労働者が仕事を休んだのはけしからんと述べているわけだが、そのために要請した緊急措置は、この文書を読むかぎりとりたてて過激なものではないように思える。しかし実は、この手紙は公開に際して改竄(かいざん)が施されていた。古文書館に保存されていた、19年12月25日付書簡の原文には、先のテクストの「――」部分に以下の一文が入っていたのである。


<チェーカー(反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会=KGBの前身の機関)をすべて動員し、「ニコライ」で仕事に出なかったものは銃殺すべきだ>

 レーニンの要請した「緊急措置」とは、秘密警察を動員しての、問答無用の銃殺だったのだ――。


 この短い書簡の封印を解き、最初に公表したのは、今は亡きヴォルコゴーノフで、彼の最後の著書『七人の指導者』(未邦訳)に収められている。ラトゥイシェフは、私宛ての手紙で『七人の指導者』のどのページにこの書簡が出ているか示すとともに、こういうコメントを寄せてきている。


「この薪の積み込み作業に動員されたのは、帝政時代の元将校や芸術家、インテリ、実業家などの『ブルジョワ』層でした。財産を奪われた彼らは、着のみ着のままで、この苦役に強制的に従事させられていたのです。彼らにとって『聖ニコライの日』は、つかの間の安息日だったことでしょう。レーニンは無慈悲にも、わずかな安息を求め、伝統の習慣に従っただけの不幸な人々を『聖ニコライの日』から一週間もたってから、その日に休んだのは犯罪であるなどと事後的に言い出し、銃殺に処すように命じたのです」


内部に胚胎していた冷血


 ひょっとすると、このような事実を前にしてもなお、以下のような反論を試みようとする人々が現れるかもしれない。


――レーニンはたしかに「敵」に対しては、容赦なく、残酷な手段を用いて戦ったかもしれない。しかしそれは革命直後の、白軍との内戦時の話だ。戦争という非常時においては、誰でも多かれ少なかれ、残酷になりうる。歴史の進歩のための戦いに勝ち抜くにはこうした手段もやむをえなかったのだ――。

 いかにも最もらしく思える言い分だが、これも事実と異なる。レーニンの残酷さや冷血ぶりは、内戦時のみ発揮されたわけではない。そうした思想(あるいは生理)は、ウラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフが「レーニン」と名乗るはるか以前から、彼の内部に胚胎していたのだ。

 話は血なまぐさい内戦の時代から約30年ほど昔に遡る。1891年、レーニンが21歳を迎えたその年、沿ヴォルガ地方は大規模な飢饉に見舞われた。このとき、地元のインテリ層の間で、飢餓に苦しむ人々に対して社会的援助を行おうとする動きがわきあがったが、その中でただ一人、反対する若者がいた。ウラジーミル・ウリヤーノフである。以下、『秘密解除されたレーニン』から引用する。


「『レーニンの青年時代』と題する、A・ペリャコフの著書を見てみよう(中略)それによれば、彼(レーニン)はこう発言していたのだ。


『あえて公言しよう。飢餓によって産業プロレタリアートが、このブルジョワ体制の墓掘人が、生まれるのであって、これは進歩的な現象である。なぜならそれは工業の発展を促進し、資本主義を通じて我々を最終目的、社会主義に導くからである――飢えは農民経済を破壊し、同時にツァーのみならず神への信仰をも打ち砕くであろう。そして時を経るにしたがってもちろん、農民達を革命への道へと押しやるのだ――』」


 ここの農民の苦しみなど一顧だにせず、革命という目的のためにそれを利用しようとするレーニンの姿勢は、すでに21歳のときには確固たるものとなっていたのだ。

 また、レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中で自ら「ジャコバン派」と開き直り、党内の反対派を「日和見主義的なジロンド派」とののしっているが、実際に血のギロチンのジャコバン主義的暴力を、17年の革命に先んじて、1905年の蜂起の時点で実行に移している。再び『秘密解除されたレーニン』から一節を引こう。


「このボリシェヴィキの指導者が、(亡命先の)ジュネーブから、1905年のモスクワでの『12月蜂起』前夜に、何という凶暴な言葉で、ならず者とまったく変わらぬ行動を呼びかけていたことか!(中略)


『全員が手に入れられる何かを持つこと(鉄砲、ピストル、爆弾、ナイフ、メリケンサック、鉄棒、放火用のガソリンを染み込ませたボロ布、縄もしくは縄梯子、バリケードを築くためのシャベル、爆弾、有刺鉄線、対騎兵隊用の釘、等々)』(中略)


『仕事は山とある。しかもその仕事は誰にでもできる。路上の戦闘にまったく不向きな者、女、子供、老人などのごく弱い人間にも可能な、大いに役立つ仕事である』(中略)


『ある者達はスパイの殺害、警察署の爆破にとりかかり、またある者は銀行を襲撃し、蜂起のための資金を没収する』(中略)建物の上部から『軍隊に石を投げつけ、熱湯をかけ』、『警官に酸を浴びせる』のもよかろう」


「目を閉じて、そのありさまを想像してみよう。有刺鉄線や釘を使って何頭かの馬をやっつけたあと、子供達はもっと熟練のいる仕事にとりかかる。用意した容器を使って、硫酸やら塩酸を警官に浴びせかけ、火傷を負わせたり盲人にしたりしはじめるのだ。

(中略)そのときレーニンはこの子供達を真のデモクラットと呼び、見せかけだけのデモクラット、『口先だけのリベラル派』と区別するのだ」


彼の価値観はきわめて「ユニーク」で、「警官に硫酸をかけなさい」という教えだったのだ。

よく知られている話だが、1898年から3年間、シベリアへ流刑に処されたとき、レーニンは狩猟に熱中していた。この狩猟の趣味に関して、レーニンの妻、クループスカヤは『レーニンの思い出』の中で、エニセイ川の中洲に取り残されて、逃げ場を失った哀れなウサギの群れを見つけると、レーニンは片っ端から撃ち殺し、ボートがいっぱいになるまで積み上げたというエピソードを記している。


 何のために、逃げられないウサギを皆殺しにしなくてはならないのか?これはもはや、ゲームとしての狩猟とはいえない。もちろん、生活のために仕方なく行なっている必要最小限度の殺生でもない。ごく小規模ではあるが、まぎれもなくジェノサイドである。レーニンの「動物好き」とは、気まぐれに犬を撫でることもあれば、気まぐれにウサギを皆殺しにすることもある、その程度のものにすぎない。


「レーニンは疑いなく脳を病んでいた人でした。特に十月革命の直後からは、その傾向が顕著にあらわれるようになります。1918年1月19日に、憲法を制定するという公約を反古にして、憲法制定会議を解散させたあと、レーニンはヒステリー状態に陥り、数時間も笑い続けました。また、18年の7月、エス・エルの蜂起を鎮圧したあとでも、ヒステリーを起こして何時間も笑い続けたそうです。こうした話は、ボリシェヴィキの元幹部で、作家であり、医師でもあったボグダーノフが、レーニンの症状を診察し、記録に残しています」


 レーニンの灰色の脳は病んでいた。彼は「狂気」にとりつかれていたのだ。ここでいう「狂気」とはもちろん、陳腐な「文字的」レトリックとしての「狂気」でも、中沢氏のいう「聖なる狂気」のことでもない。いかなる神秘ともロマンティシズムとも無縁の、文字通りの病いである。

 頭痛や神経衰弱を訴え続けていたレーニンは、1922年になると、脳溢血の発作を起こし、静養を余儀なくされるようになった。ソ連国内だけでなく、ドイツをはじめとする外国から、神経科医、精神分析医、脳外科医などが招かれ、高額な報酬を受け取ってレーニンの診察を行った。そうした診察費用の支払い明細や領収書、カルテなどが、古文書館で発見されている。


 懸命な治療にもかかわらず、レーニンの病状は悪化の一途をたどり、知的能力は甚だしく衰えた。晩年はリハビリのため、小学校低学年レベルの二ケタの掛け算の問題に取り組んだが、一問解くのに数時間を要した。にもかかわらず、その間も決して休むことなく、彼は誕生したばかりの人類史上最初の社会主義国家の建設と発展のために、毎日、誰を国外追放にせよ、誰を銃殺しろといった「重要課題」を決定し続けた。二ケタの掛け算のできない病人のサイン一つで、途方もない数の人間の運命が決定されていったのである。

そしてこの時期、もう一つの重大事が決定されようとしていた。レーニンの後継者問題である。1922年12月13日に、脳血栓症の二度目の発作で倒れたあと、レーニンは数回に分けて「遺書」を口述した。とりわけ、22年1月4日に「スターリンは粗暴すぎる。そしてこの欠点は、われわれ共産主義者の間や彼らの相互の交際では充分我慢できるが、書記長の職務にあっては我慢できないものとなる」として、スターリンを党書記長のポストから解任するよう求めた追記の一節が、のちに政治的にきわめて重要な意味をもつこととなった。

 ラトゥイシェフはレーニンとスターリンの関係についてこう述べる。


「よく知られている通り、レーニンは『遺書』の中でスターリンを批判しました。そのため、レーニンは、スターリンの粗暴で残酷な資質を見抜いており、もともと後継者として認めていなかったのだという解釈が生まれ、それがスターリン主義体制は、レーニン主義からの逸脱であるとみなす論拠に用いられるようになりました。しかしこれは『神話』なのです。レーニンの『神話』の中で最も根強いものの一つです。

 レーニンがスターリンを死の間際に手紙で批判したのは、スターリンがクループスカヤに対して粗暴な態度をとったという個人的な怒りからです。スターリンがそのような態度をとったのは、衰弱の一途をたどるレーニンを見て、回復の見込みはないと判断して見切りをつけたからでした。しかしそれまではグルジア問題などで対立することはあっても、スターリンこそレーニンの最も信頼する”友人”であり、忠実で従順な”弟子”でした。レーニンが静養していたゴーリキーに最も足繁く通っていたのはスターリンであり、彼はレーニンのメッセージを他の幹部に伝えることで、彼自身の権力基盤を固めていったのです」

たしかに「遺書」では、レーニンはスターリンを「粗暴」と評しているが、別の場面では、まったく正反対に「スターリンは軟弱だ」と腹を立てていたという証言もある。元政治局員のモロトフは、詩人のフェリックス・チュエフの「レーニンとスターリンのどちらが厳格だったか?」という質問に対して、「もちろん、レーニンです」と答えている。このモロトフの言葉を『秘密解除されたレーニン』から引用しよう。


「『彼(レーニン)は、必要とあらば、極端な手段に走ることがまれではなかった。タンボフ県の暴動の際には、すべてを焼き払って鎮圧することを命じました。(中略)

彼がスターリンを弱腰だ、寛大すぎる、と言って責めていたのを覚えています。『あなたの独裁とはなんです? あなたのは軟弱な政権であって、独裁ではない!』と」


 あのスターリンを「軟弱だ」と叱責したレーニンの考えていた「独裁」とは、ではどういうものであったか? この定義は、何も秘密ではない。レーニン全集にはっきりとこう書かれている。


「独裁の科学的概念とは、いかなる法にも、いかなる絶対的支配にも拘束されることのない、そして直接に武力によって自らを保持している、無制限的政府のことにほかならない。これこそまさしく、『独裁』という概念の意味である」

 こんな明快な定義が他にあるだろうか。
 法の制約を受けない暴力によって維持される無制限の権力。これがレーニンが定式化し、実践した「独裁」である。スターリンは、レーニン主義のすべてを学び、我がものとしたにすぎないのだ。


 ラトゥイシェフはこう述べている。

「独裁もテロルも、レーニンが始めたことです。強制収容所も秘密警察もレーニンの命令によって作られました。スターリンはその遺産を引き継いだにすぎません。もっとも、テロルの用い方には、二人の間に相違もみられます。スターリンは、粗野で、知的には平凡な人物でしたが、精神的には安定しており、ある意味では『人間的』でした。彼は政敵を粛清する際には、遺族に復讐されないように、一族すべて殺したり、収容所送りにするという手段を多用しました。もちろん残酷きわまりないのですが、少なくとも彼には人間を殺しているという自覚がありました。しかし、レーニンは違う。彼は知的には優れた人物ですが、精神的にはきわめて不安定であり、テロルの対象となる相手を人間とはみなしていなかったと思われます。

彼の命令書には


『誰でもいいから、100人殺せ』とか

『千人殺せ』とか

『一万人を「人間の盾」にしろ』


といった表現が頻出します。彼は誰が殺されるか、殺される人物に罪があるかどうかということにまるで関心を払わず、しかも『100人』『千人』という区切りのいい『数』で指示しました。彼にとって殺すべき相手は匿名の数量でしかなかったのです。

人間としての感情が、ここには決定的に欠落しています。私が知る限り、こうした非人間的な残酷さという点では、レーニンと肩を並べるのはポル・ポトぐらいしか存在しません」

 ラトゥイシェフの言葉を細くすれば、レーニンとポル・ポトだけでなく、ここにもうひとり麻原彰晃をつけ加えることができる。麻原が指示したテロルには、個人を狙った「人点的」なものもあったが、最終的には彼は日本人の大半を殺害する「予定」でいたわけであり、これは「人間的」なテロルの次元をはるかに超えている。

暴力革命を志向するセクトやカルト教団の党員や信徒達は厳しい禁欲を強いられるものの、そうした組織に君臨する独裁者や幹部達が、狂信的なエクステリミストであると同時に、世俗の欲望まみれの俗物であることは少しも意外なことではない。サリンによる狂気のジェノサイドを命じた麻原は、周知の通り、教団内ではメロンをたらふく食う俗物そのものの日々を送っていたのであるが、この点もレーニンはまったく変わりはなかった。

 レーニンが麻原同様の俗物? そんな馬鹿な、と驚く人は少なくあるまい。レーニンにはストイックなイメージがあり、彼に対しては、まったく正反対の思想の持ち主でさえも、畏敬の念を抱いてしまうところがある。彼は己の信じる大義のために生命をかけて戦い抜いたのであり、私利私欲を満たそうとしたのではない、生涯を通じて彼は潔癖で清貧を貫いた、誰もがそう信じて今の今まで疑わなかった。そしてその点こそが、レーニンとそれ以外の私腹を肥やすことに血道をあげた腐った党指導者・幹部を分かつ分断線だった

 ところが、発掘された資料は、それが虚構にすぎなかったことを証明しているのである。1922年5月にスターリンにあてたレーニンのメッセージを公開しよう。


<同志スターリン。ところでそろそろモスクワから600ヴェルスト(約640キロメートル)以内に、一、二ヶ所、模範的な保養所を作ってもよいのではないか? 

そのためには金を使うこと。また、やむをえないドイツ行きにも、今後ずっとそれを使うこと。

しかし模範的と認めるのは、おきまりのソビエトの粗忽者やぐうたらではなく、几帳面で厳格な医者と管理者を擁することが可能と証明されたところだけにすべきです。

 5月19日     レーニン>


この書簡には、さらに続きがある。


<追伸 マル秘。貴殿やカーメネフ、ジェルジンスキーの別荘を設けたズバローヴォに、私の別荘が秋頃にできあがるが、汽車が完璧に定期運行できるようにしなければならない。それによって、お互いの間の安上がりのつきあいが年中可能となる。私の話を書きとめ、検討して下さい。また、隣接してソフホーズ(集団農場)を育成すること>

 


自分達、一握りの幹部のために別荘を建て、交通の便をはかるために鉄道を敷き、専用の食糧を供給する特別なソフホーズまでつくる。

こうした特権の習慣は、後進たちに受け継がれた。その結果、汚職と腐敗のために、国家の背骨が歪み、ついには亡国に至ったのである。その原因は、誰よりもレーニンにあった。禁欲的で清貧な指導者という、レーニン神話の中で最後まで残った最大の神話はついえた。レーニンは、メロンをむさぼり食らう麻原と何も変わりはなかったのである。

http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/nakazawa.htm


▲△▽▼


レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsatujin.htm

4年7カ月間で最高権力者がしたこと
1918年5月13日食糧独裁令〜1922年12月16日第2回発作


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c6

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
7. 中川隆[-13466] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:47:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1438]

ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。

http://www.thutmosev.com/archives/41996082.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c7

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
8. 中川隆[-13465] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:55:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1439]

昭和天皇やヒトラーが信じていたユダヤ陰謀史観


ロシア革命はユダヤ人を解放したユダヤ人の革命だった〜
http://www.kanekashi.com/blog/2017/12/5578.html

今回紹介する記事は、日本の第一次世界大戦参戦の背景とその間起こったロシア革命について。

日本の第一次世界大戦への参戦は、同盟を結んでいたイギリスからの執拗な要請から止む無く承諾したものとのこと。

本文には書いていませんが、これは裏には金貸しの存在があると思われます。日本銀行開業が1882年、その12年後の1894年に日清戦争、そして10年ピッチで1904年:日露戦争、1914年第一次世界大戦と中央銀行が国家に戦費を貸し付けていくという金貸しお決まりの戦略の一貫と見ています。

ロシア革命も金貸しが深く影響しており、正史は、トロツキーを筆頭にアメリカにいるユダヤ人主導による革命とのことですが、資金はユダヤ系の金貸しがバックアップしているとのこと。

今後記事にしていきますが、ピューリタン革命以降の革命や戦争のほとんどは、金貸し勢力が仕組んだもの。

誰が利益を得たのか?を軸に見ていくと、本当の歴史が見えてくる。

以下、『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

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■イギリスの要請で日本もやむなく第一次世界大戦に参戦

話を第一次世界大戦に戻します。

第一次世界大戦には日本も巻き込まれました。日本には戦争をする理由はありませんでしたが、日英同盟を結んでいたイギリスから頼まれたため、小規模な戦闘には加わりました。

教科書では、日英同盟を理由として日本が積極的に第一次世界大戦に参戦したかのように書かれています。混乱のどさくさに紛れて参戦し、ドイツの租借地である青島と山東省の権益、ドイツ領南洋諸島を奪ったかのような書き方です。

事実は全く逆です。イギリスが参戦を要請してきたのに対して、日本としては関わりのないヨーロッパ地域のことなのでずっと断り続けていました。それでも「参加してほしい」と強く頼まれたために、日英同盟の信義を守って参加したのです。

山東省のドイツの権益と南洋諸島のドイツの権益を日本が引き受けることになったのは、参戦する前からイギリスと話し合っていた条件であり、どさくさに紛れて日本が奪い取った権益ではありません。

ご存知の方もいると思いますが、その後イギリスは地中海にまで日本の海軍を派遣するように要請してきました。この要請も断り続けていましたが、日本の客船がドイツ潜水艦の攻撃で沈没したこともあって、最終的には止むを得ず艦隊を出すことになりました。

日本海軍は、1917年3月に駆逐艦8隻を派遣。6月、マルタ島の基地に到着。788隻もの連合国側の輸送船、病院船を護送し、兵員70万人を輸送しました。最大派遣時には17隻に達しました。その間一隻が魚雷攻撃を受け大破し、艦長ほか59人の犠牲を出しました。

とはいえ、日本が積極的に関わったことは皆無で、イギリスに頼まれたために小規模な戦闘に参加したのが、日本にとっての第一次世界大戦です。

■ロシア革命はユダヤ人を解放したユダヤ人の革命だった

20世紀の歴史を総括し、21世紀の歴史を考えるためには、ロシア革命について正しく知る必要があります。

日本人が教えられてきたロシア革命は、人民による革命です。ニコライ2世の圧制に苦しめられていたロシアの人民が、反旗を翻して帝政を倒したと習ったのではないでしょうか。

しかし、実際のロシア革命は、ユダヤ人たちが起こした革命です。ロシア革命の指導者、或いは革命政府の上層部の約8割はユダヤ人でした。トロツキーはユダヤ人で、レーニンも4分の1はユダヤ人です。ロシア革命は、一言で言えばユダヤ革命です。

イギリス人が書いた本(ヒレア・ベロック)には「ジューイック・レボリューション(ユダヤ人の革命)」と明確に書かれています。ヨーロッパの人たちは、ロシア革命がユダヤ人による革命であることをみな知っています。

ロシア革命を主導したのはアメリカにいたユダヤ系の人たちです。

トロツキーはアメリカからロシアに戻って革命に参加しています。彼はアメリカのウォールストリートなどで働いていたロシア系ユダヤ人をたくさん連れてロシアに戻りました。

なぜロシア人達が蜂起して革命を起こしたのかというと、ユダヤ人がロシア帝国で迫害されていたからです。

ではなぜ、ロシアはユダヤ人を迫害していたのでしょうか。その理由はこうです。

18世紀末のポーランド分割の結果、ロシアはポーランドにいた多数のユダヤ人をロシア帝国内に抱えることになりました。

ところが、ユダヤ人はロシアに同化せずに独自の生活様式に固執しました。

また、商才を発揮して無知なロシア農民を搾取したことから、ロシア農民の間にユダヤ商人に対する反感が高まり、それが高じて集団でユダヤ人を襲うようになっていったのです。

ロシア帝国はユダヤ人排斥主義をとっており、ポグロムと呼ばれるユダヤ人殺戮を繰り返していました。これにロシア内外のユダヤ人達が立ち向かったのです。ポグロムを行うニコライ2世をユダヤ人が倒したのがロシア革命です。

一般的に用いられている「ロシア革命」という言葉は誤解を生むものであり、「ロシアでのユダヤ革命」と言うのが本来の言い方であるべきです。

ロシア革命は第一次世界大戦中に起こりましたが、ドイツが協力して革命家達をロシアに輸送していました。スイスに亡命していたレーニンは、ドイツの封印列車に乗って無事にロシアに入り込んでいます。列車が通過する国々が支援しなければできることではありません。

通過する国はみなロシア帝政を弱体化させ、ユダヤ人の革命を成功させることに協力したわけです。ユダヤ金融資本家たちは、長年の敵であるロシアの帝政を倒してユダヤ人による国をつくるために資金を出しました。ロシア革命は成功し、ユダヤ人による国がつくられました。

http://www.kanekashi.com/blog/2017/12/5578.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c8

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
9. 中川隆[-13464] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1440]

ユダヤ陰謀論の無責任 (2014年12月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

イデオロギーを優先し、事実を無視した言論――。慰安婦報道の誤りで叩かれている大新聞の話ではない。元外交官が保守系出版社から最近出した本のことである。

元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』(ワック)で、手垢にまみれたユダヤ陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。

たとえば、ロシア革命の指導者の多くはユダヤ人であり、革命を資金支援したのも米英のユダヤ系金融機関だったと馬渕はいう。しかしロシアのユダヤ人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持するユダヤ人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、ユダヤ人陰謀説を否定している。

また馬渕は、米国の中央銀行である連邦準備銀行について、連邦政府の機関ではなく100%の民間銀行だと述べる。たしかに各地の地区連銀はその株式を地元の民間銀行が保有し、形式上は民間銀行といえる。しかしその業務は政府によって厳しく規制されているし、利益の大半は国庫に納めなければならない。地区連銀を統括する連邦準備理事会になると、完全な政府機関である。

馬渕はニューヨーク連銀の株主一覧なるものを掲げ、主要な株主は欧州の金融財閥ロスチャイルド系の銀行だと解説する。そこにはたとえば「ロスチャイルド銀行(ベルリン)」が挙げられているが、ベルリンには昔も今も、ロスチャイルドの銀行は存在しない。ドイツではフランクフルトにあったが、それも米連銀が発足する以前の1901年に廃業している。

前防大教授でもある馬渕はこうした嘘を並べ立てたあげく、ユダヤ人の目的はグローバリズムによって人類を無国籍化することであり、日本はナショナリズムによってこれに対抗せよと主張する。規制や関税に守られ、消費者を犠牲にして不当な利益を得てきた事業者やその代弁者である政治家・官僚にとってまことに都合のよいイデオロギーである。

約二十年前、オウム真理教が国家転覆を企てたのは、ユダヤ陰謀論を信じ、その脅威に対抗するためだった。無責任な陰謀論は、新聞の誤報に劣らず、害悪を及ぼすのである。
http://libertypressjp.blogspot.com/2017/06/blog-post_95.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c9

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
10. 中川隆[-13463] koaQ7Jey 2020年3月23日 20:59:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1441]

ユダヤ陰謀論については


馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html

馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html

チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html

日本の右翼のバイブル _ 偽ユダヤ人のモルデカイ・モーゼが書いた 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html

これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c10

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
11. 中川隆[-13462] koaQ7Jey 2020年3月23日 21:35:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1442]

ユダヤ人の「リベラル」思想とはどういうものか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/922.html

ウインザー公とシンプソン夫人の恋 _ シンプソン夫人はナチスのスパイだった?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/441.html

ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/772.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

欧米諸国はイルカの人道などには厳しいが、チベットやウイグルの人道には関心を持たない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/608.html

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ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった! 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html

『ヒトラー思想』とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html

アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html

天才ヒトラーは薬物中毒で破滅した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/361.html

アフター・ヒトラー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html


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ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

狂気の戦時医学 ナチスの人体実験
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/348.html

世紀の捏造? ”ガス室はなかった” は本当か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/346.html


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ドイツにもまともな軍人はいたけど _ カナリス提督 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/360.html

ロンメル将軍
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/402.html

マンシュタイン元帥 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/403.html

パウルス元帥
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/404.html
 
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c11

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
12. 中川隆[-13461] koaQ7Jey 2020年3月23日 21:38:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1443]

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c12
[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか?

ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか?


フルトヴェングラーの名盤

Wilhelm Furtwängler site by shin-p
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー Kenichi Yamagishi's Web Site
http://classic.music.coocan.jp/wf/index.htm


▲△▽▼


モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html

ベートーヴェン 『交響曲第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html

ベートーヴェン 『交響曲第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/843.html

ベートーヴェン 『交響曲第4番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html

ベートーヴェン 『交響曲第5番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/841.html

ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html

ベートーヴェン 『交響曲第7番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html

ベートーヴェン 『交響曲第8番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/844.html

ベートーヴェン 『交響曲第9番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html

ベートーヴェン 『フィデリオ序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/855.html

ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/853.html

ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/854.html

ベートーヴェン 『エグモント序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html

ベートーヴェン 『コリオラン序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/852.html

ウェーバー オペラ 『魔弾の射手』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/834.htm  

シューベルト 『未完成交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html

シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html

シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html

ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html

ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html

ワーグナー 楽劇「パルジファル」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html  
 
ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/840.html


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作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?_宇野功芳 樂に寄す
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html

宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/529.html

まともな人間は音楽家になれない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html

[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
1. 中川隆[-13460] koaQ7Jey 2020年3月23日 22:38:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1444]

音楽と権力 −フルトヴェングラー1933〜1935年
三石善吉
https://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2001/1.MITSUISHI.pdf

外国者から「ナチ」と非難され、そのためか えってナチ要人達は彼を味方と考えてしま う。他方、フルトヴェングラー自身は自己の 安全を確保するためには、亡命者達の攻撃= 非難が必要であった。かくして、ナチスも亡 命者達も、それとは知らずに、彼の真の目的 (「ドイツ音楽の保全」)達成を助けていた。 その意味で、彼はどちらからも本当に信頼さ れない「二重スパイ」の役を演じていた。

「こうして彼は何年間も、気を張り詰め、ほ とんど耐えがたいほど神経をすり減らされる 懊悩の世界に生きていた。ここにおいて音楽 家は、たんなる政治家以上のものだった。彼 はいつなんどき正体を暴かれるやも知れぬ ‘二重スパイ’だったのである」(プリーベル ク、132頁)と。 確かにナチス要人達は、後に述べるように、 フルトヴェングラーを全面的に信用していた わけではなかったが、ともかく権力をもって 強制的に取り込んだと思っていた。他方、フ ルトヴェングラー自身は断固自己の芸術至上 主義に依拠してナチス体制に反逆していると 確信していた。トーマス・マンら亡命者達は、 本国の苛烈な画一化を体験する事無く、はる か異国の「桟敷席」にあって、フルトヴェン グラーをナチスだと決め付けた。かくてナチ ス首脳も亡命者達もフルトヴェングラーを 「贖罪の山羊」とすることで、それとは知ら ずに、フルトヴェングラーの真の目的を達成 させていたのである。それにしても、両陣営 の苛烈を極める「攻撃」を耐えぬいて、自己 の目的の達成をはかろうとするフルトヴェン グラーの強靱な精神力には、その間幾多の心 の動揺があったのであるが、驚くべきものが ある。 本論文は、このフルトヴェングラーのナチ ス政権への「抵抗」の様相を(そしてこの果 敢な「抵抗」にもかかわらず彼は周囲からは ナチスに屈伏したと見做されるに至ったわけ であるが)1933年1月から1935年4月までの2年間ほどに限定して、ヒンデミット事件を 契機とする音楽界からの辞任、そして復帰に 至るまでの時間に限定して、やや詳細にたど ることにする。


2.フルトヴェングラー略伝

さて、以下ではこの天才的音楽家・演奏家 の生涯を簡単にたどっておこう。 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (Wilhelm Furtwängler)は1886年1月25日、 ベルリンに考古学者アドルフ・フルトヴェン グラーの長男として生まれ、7才の時ミュン ヘンに転居(父がベルリン大学からミュンヘ ン大学考古学の教授に移ったため)、初め公 立学校に通ったが、父は学校を止めさせ、当 代一流の家庭教師を付けて極めて厳格な、19 世紀的な「天才教育」をほどこす。一般教科 はワルター・リーツラー(この時ミュンヘン 大学考古学助手、後ミュンヘン大学近代音楽 史教授)とルートヴィヒ・クルティウス(著 名な考古学者)がずっと担当した。音楽教育 は最初短期間アントン・ベーア=ヴァルブル ン(作曲家)が、次いで2年足らずの間ヨー ゼフ・ラインベルガー(著名な音楽教育家) が、その後13年間マックス・フォン・シリン グス(ミュンヘン大学卒、後プロイセン芸術 アカデミー総裁)が教えた。これらの教師か らフルトヴェングラーは保守的・ドイツ的で あること、祖国への義務感、無定見、優柔不 断、単純愚直といった性格を植え付けられ た。 ヴェルナー・テーリヒェン『フルトヴェン グラーかカラヤンか』(原書1978)には「そ の出身も教養も全く一九世紀の伝統に根ざし ていた」とある。それは上に述べた家庭教師 たちの影響によるπ。特に、後、熱烈なナチ ストになるマックス・フォン・シリングスに 13年間も師事したことは留意されてよい。フ ルトヴェングラーが基本的に保守的・「ドイツ的」、さらに言うならば「右翼的」思想を 持っていたことは、確認されて良いことであ る。 1906年10月、フルトヴェングラーはミュン ヘンのカイム管弦楽団の指揮者としてデビュ ーし、ブレスラウ、チューリヒで指揮した。 ところが1907年10月父がキリシャで客死し、 長男のフルトヴェングラーは無理遣りミュン ヘンに呼び戻され、指揮者として一家を支え ることになる。1907年〜09年ミュンヘンで指 揮、1911年リューベック・オペラの監督、 1915年マンハイム国立劇場の指揮等を経て、 1922年ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団 とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常 任指揮者となり、ドイツ最高の指揮者、世界 でも3、4人の大指揮者と認められる。1924 年ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー、 1927年、ウィーン・フィルハーモニーの指揮 者、1927、28年とワイマル共和制下の憲法記 念祭で指揮した。1931年〜32年バイロイト音 楽祭の音楽監督となる。ところで彼がワイマ ル憲法記念祭に如何なる理由で指揮台に立っ たか、後のナチス期の思想と行動を知る手が かりになろう(後述) 。 1933年1月30日、ヒトラー政権が成立する。 1933年3月21日、春分の日、1871年ビスマル クが最初のドイツ国会を開いた由緒ある日、 62年を隔ててヒトラー連立政権の第1回国会 が開かれる日、この記念すべき日をゲッベル スは「国民総決起の日」と宣言し、盛り沢山 の記念行事を挙行した∫。フルトヴェングラ ーはこの日の夜、国立歌劇劇場で『マイスタ ー・ジンガー』を指揮した。 ナチスが政権を取ると、新聞には全てむっ とするような扇動的ムードや攻撃的命令口調 が氾濫して、ケストナーが言うように「ジャ ムつきパンまで」全体主義が沁みわたり、文 化全体がナチスの意のままに操られることに なった(ヴェスリンク、362頁)。トーマス・ マンは『日記』に「そのうえフルトヴェングラーは‘お上’から今日の喜びの日のために 命じられた《マイスターシンガー》を指揮し ている。従僕根性の卑屈な奴らだ」。この 「ポツダムの日」は、後の者からみれば確か に「第三帝国の創立記念日」ではあるが、そ の時・その状況に置かれた者からみれば、ワ イマル時代の連続に見えたとのプリーベルク の指摘(90頁)には留意すべきであろう。 フルトヴェングラーは1933年9月15日ゲー リングの強制でプロイセン枢密顧問官(1934 年12月5日まで) 、1933年11月15日には帝国 音楽院副総裁(1934年12月5日まで。総裁は 1935年7月13年までリヒャルト・シュトラウ ス)に就任する。(戦後、「非ナチ化委員会」 でこの就任が問題となった)。 1934年12月5日、フルトヴェングラーは、 以下に述べる「ヒンデミット事件」に憤慨し て、ゲッベルスとゲーリングに宛てて辞職願 いを提出し公職から退くが、1935年4月25日 には、熱狂した聴衆の大歓迎をうけつつ『エ グモント』・『田園』・『第五番』を指揮し てベルリン・フィルハーモニーに復帰した。 ところが、1938年9月30日、ゲーリングとロ ーゼンベルクに後押しされた、25歳の天才フ ォン・カラヤン(1933年4月8日と5月1日 に入党、党員番号1607525と3430914の二重登 録)が、国立歌劇場で《フィデリオ》を指揮 して、聴衆の圧倒的な称賛を得、以後ドイツ 音楽界はこの両派に真っ二つに分かれるので ある。ゲッベルスはフルトヴェングラーが 「われわれの最高の指揮者」と考えており、 カラヤンに対する過度の称賛を抑えさせた (プリーベルク、420、438頁)。1942年2月28 日、ゲッベルスは日記に「指揮者は民族的愛 国心でみなぎっている」「彼を手に入れるた めに何年も争ってやっと成功を手にした」 (プリーベルク、505頁)と書いたが、これは ゲッベルスの認識不足であって、フルトヴェ ングラーの戦い方が巧妙になったからにすぎ ない。1945年2月7日スイスに亡命、1946年12月17日「非ナチ化」裁判で無罪判決をうけ、 1947年5月25日ベルリン・フィルハーモニー を率いて戦後初のコンサートをベートーヴェ ン・プログラムで飾った。1954年11月30日 バーデンバーデンにて肺炎で没す。享年68 歳。


3.フルトヴェングラーの原点:「サー カス」と「芸術至上主義」 。

われわれはフルトヴェングラーをナチスへ の協力者ではなく、また「国内亡命者」でも なく、単なる「精神的抵抗者」や「良心的拒 否者」でもなく、ナチスへの最も勇気ある 「抵抗」を敢行した、卓越した「芸術家」と 考えている。さて、ナチス期におけるフルト ヴェングラーの生きざまを知るには、それ以 然のフルトヴェングラーを知らなければなら ない。そこで次には、彼の2つのエピソード を取り上げる。最初のエピソードは、「抵抗」 とは係わりはないが、彼の愛すべき「指揮ぶ り」の紹介、もう一つは彼の「指揮の思想」 つまり音楽と政治権力との関係を示すもので ある。 若きフルトヴェングラーの指揮の様子につ いて、リューベック時代(1911〜15年)のこ とであるが、「指揮台の上で髪振り乱し暴れ まくる」・「サーカス」のフルトヴェングラ ーについて次のような証言がある(ヴェスリ ンク、135頁) 。 彼の動きは…せかせかとせわしなく、時 にはめまぐるしいほどだった。なんとか 格好をとろうと絶えず四苦八苦している 男の、手の振り、足の踏みならし、その 他もろもろは、一見すると奇異にさえ思 える。あちらこちらから苦笑がもれた。 だが、ひとたびはっとさせられるや、リ ューベックの人々はこの大音楽家のなか に、ただならぬものを感じ取ったのであ る。…腕を風車のようにぶうんと回して振りおろし、物凄いしかめっ面をします。 足は足で勝手に動いているものだから、 全体を見ると、なにかバタバタ大暴れし ているみたいです。でも、耳に入ってく るものを聞くと、すべて赦し、忘れられ るのです。…フルトヴェングラーは回を 追うごとに成長し、わたしたちみんなを 魅了しています。彼の身振りも、今では 整然と明快になり始めました。ただ言葉 では表現しようのないのが、彼の左手で す。おいでおいでと手招きしたり、まあ まあと宥めたり、その指先はまるで蝶が 羽を震わせるように、かすかに震えてい ます。その上しばしば、この世のものと も思えぬ神々しい表情をします。心の内 面の光明に照らされているのでしょう。 この天才芸術家の与える感銘のもとで は、すっかり虜にさせられてしまいま す。 さて、ワイマル期、フルトヴェングラーは 自己の演奏=音楽と政治との関係をどう考え ていたのか。彼の「指揮」の「思想」を物語 る、興味ある一つのエピソードを示そう。 1927年夏、ドイツ政府、プロイセン州政府お よびベルリン市は8月11日の「憲法記念祭」 の前と後にベルリン・フィルを指揮してほし いとフルトヴェングラーに申し入れた。フル トヴェングラーはこの時41歳、すでにドイツ で最も著名な指揮者、「ドイツ音楽の法王」 とみなされていた。音楽はミランダ (miranda)としてその荘厳さ・秩序感などに よって、主催者に対する支持・信頼感を高め るだろう。共和国の政治家たちはそれをよく 心得ていて、「法王」フルトヴェングラーを ここで起用しようとしたのである。ところで ここで言う「憲法」とはもちろん「ワイマル 憲法」であり、社会民主党主導の下に制定さ れ、国民主権、民主主義の原理に立った、自 由権のみならず生存権の保証や国民投票とい う直接民主制、私企業の公有化の可能性などをも規定した極めて理想的な憲法であった。 しかもこの時、フルトヴェングラーのベルリ ン・フィルは運営費が捻出できず、政府と市 当局から助成金を受けていた。その政府・市 当局からの直接依頼である。 「音楽は政治と関係ない」と確信している フルトヴェングラーは、念のため、秘書を通 じてベルリン市会議員・ドイツ国家人民党の エミール・ベルントの意向を打診する。ベル ント夫人は「私の夫はフルトヴェングラー氏 と同意見で、芸術は政治と関わりがないと考 えております。ですからフルトヴェングラー 氏は憲法記念祭でなんの懸念もなく指揮をな される、との考えでおるわけです。そうした 行為が政治的な態度表明になることは決して ありません」と回答してきた。安心したフル トヴェングラーはこの日、ワグナー、シュー ベルト、ベートーヴェン、フーゴー・カウン の「故郷への祈り」を指揮した(プリーベル ク、63〜65頁)。フルトヴェングラーは次の 年(1928年)の憲法記念祭にも指揮台に立っ たが、ワイマル期の政治的行事に登場したの はこの2回だけであった。(政治色の強い) 「建国祭」などには自らは決して出場しなか った。 さて、この「憲法記念祭」に出場したフル トヴェングラーをわれわれはどう理解したら 良いであろうか。理想的憲法の記念祭だから 許されるのであろうか。「政治と芸術は無関 係」だから許されるのであろうか。政府から 補助金を受けている以上当然なのであろう か。もっと広く、国民の義務として国家から 要請があれば国家の行事に参与するのは当然 なのであろうか。そしてもし、この政府が自 分の主義・心情に反する政府であって、しか もこの時政府から補助金を受けていた場合、 果たしてこの依頼を断れるであろうか。以上 のような疑問を念頭に置きながら、われわれ はヒトラー政権出現後、フルトヴェングラー がこの政権に対していかなる思想と行動を取ったのか追跡してみることにしよう。時期と して、ヒトラー政権が成立して後の2年間ほ ど、「強制的画一化Gleichschaltung」が進行す るナチ政権の初期に焦点を合わせることにする。


4.ナチス政権の成立−仮借なき「画一化」の進行とドイツ国民の大量「転向」

ヒトラーが首相となった1933年1月30日も それ以降も、フルトヴェングラーのベルリ ン・フィルハーモニー管弦楽団はこれまでと 全く同じ多忙なプログラムに追いまくられ、 政治とはいささかの関係もない日々を送って いた。ヒトラーの権力獲得計画・「強制的画 一化」は首相に就任した1933年1月30日から 同7月14日の「新党結成禁止令」にいたる約 6ヵ月に完成するのであるが、ヨアヒム・フ ェストªは、1933年3月24日の「全権賦与法」 までを「権力掌握の第一段階」とし、その特 色を一方では共産党や社会民主党への徹底し た弾圧、他方では極めて「控え目な、市民的 身振り」・極めて露骨な「市民階級に対する 求愛」の時期と規定した。それ以降7月14日 までを「権力掌握の第二段階」とし、その特 色を言わば仮借なき画一化期としている。こ の6ヵ月間に起こった、ドイツの政治家やド イツ国民の、ナチスへの「全面的降伏」を理 解するには、政治的現象面のみならず、ドイ ツの人の精神的・心理的面をも考慮にいれな ければならないとフェストは主張している。 いま、フェストの記述に従って、この双方の 面から、特にこの第二段階の前後に焦点を合 わせて見ると次のようになる。 1933年3月5日の夜、総選挙の結果が判明 した。2月28日の国会放火事件を共産党の陰 謀として、これを非合法化した直後であり、 大勝利間違いなしとのナチス党の楽観的予想 が見事に外れて、ナチス党は絶対多数である全議席647の3分の2も取れなかった。獲得 議席288、得票率43.9%、友党の国家人民党 の52議席、得票率8%を加えても340議席、 3分の2の432議席に達しない。この時ドイ ツ市民階級の理性はまだ健全であったといえ る。しかし、ヒトラーは一方では突撃隊を使 って各州の政府を退陣に追込み、また共産党 員、社会民主党員やそのシンパを逮捕殺害し、 他方、3月13日ゲッベルスを民族啓蒙宣伝相 に任命し、壮麗なスペクタクルを演出させて 新政権のイメージを高めようとする。その極 め付きが、ゲッベルスの演出する3月21日の 「ポツダムの日」であった。フリートリヒ大 王の地下の墓地の上、ポツダムの守備隊教会 で行われた「国民総決起の日」の儀式……行 進する隊列の正確な秩序、花束を持って路傍 に立つ子供達、礼砲の発射、過去の輝かしい 戦争に参加した白髪の老兵の列、閲兵行進、 オルガン演奏、これは、ドイツ国民に圧倒的 感動的な印象を与えた。正午12時、ヒンデン ブルクはヒトラーと守備隊教会の階段で会っ て、握手をかわした。教会には皇太子と大統 領ヒンデンブルク、副首相パーペンや閣僚、 国会議員、突撃隊指導者、将軍達、外交官達 が出席していた。ヒンデンブルクの演説は短 く、「この霊廟の古き霊」が「自由で誇り高 いドイツ」を祝福してくれるようにと願った。 ヒトラー(47歳)も、ヒンデンブルク(68歳) に敬意を捧げた後に、荘厳に、「われわれ民 族の自由と偉大のために戦う人間」として神 の摂理を願った。 この「ポツダム感動喜劇」の締め括りが、 この日の夜、国立歌劇劇場で演ぜられたフル トヴェングラー(47歳、ヒトラーよりは9ヵ 月若い)の《マイスター・ジンンガー》であ った。劇場の貴賓席には首相ヒトラーとその 全閣僚が並び、突撃隊、親衛隊、大勢の各界 著名人、芸術家、学者、政治家も顔を見せて いた。第1幕が終わったところで、ヒトラー の「ご機嫌伺い」があった。ヒトラーはたった今終わったばかりの演奏について、あらん かぎりの賛辞を送った。「フルトヴェングラ ーさん、あなたはなんと素晴らしい、腕の確 かな音楽家なのでしょう。いったい世界中の どこに、これほど均質なアンサンブルがある でしょう。…わたしは誇らしい気持ちです。 どうかいつまでもこの誇りを、わたしに抱か せてください」と感動の涙さえ浮かべて語り、 フルトヴェングラーの顔も「興奮のあまり蒼 白」になっていたと歌手のボッケルマン(ナ チストである)は感動的に書き留めていた。 しかしフルトヴェングラーから見れば、この 日たまたまカゼのために「蒼白」に見えたに すぎなかったのだが(ヴェスリンク、365頁) 、 フルトヴェングラーの真意とは全く別に、ナ チス首脳たちの、観客達の面前での「見事な 演出」やナチス体制下の報道の在り方によっ て、フルトヴェングラーは次第に体制側に取 り込まれていくと見えた。 さて、この日(3月21日)の儀式を境に、 ドイツ国民の感情・心理面から見ると極めて 重要な事実が浮上してきた。ヒトラーを首班 とするナチス党は、今や、ヒンデンブルクを 戴く国粋的保守主義に完全に取り込まれ、無 害化したと見えた。フェストは書いている。 「この芝居の暗示的な効果から逃れ得た者は、 ほんの少数にすぎなかった。そして3月5日 にはまだヒトラーに反対票を投じた多くの 人々は、こうなってみると、自分の判断に明 らかに不安を持ちはじめた。いろいろな論拠 に物言わせるかぎりでは、まったく素知らぬ 顔をした多くの役人、将校、国粋的な考えを 抱く市民階級の人々が、ナチ体制によって国 民的感動を味わった瞬間にそれまでの不信を 一躑した」のである。つまり、いわゆる「3 月の投降者」の続出である。1933年1月30日 から入党制限の行われた5月1日までの、た った3ヵ月の間に、ナチス党員は85万人から 160万人に、突撃隊員は50万人から450万人 に膨れ上がった。いわゆる「中産階級」の投降現象が爆発的に発生したのである。このた め人々は2日後の3月24日の「全権賦与法」 がワイマル議会立法権の終焉とナチス一党独 裁の幕開けを告げているのを気付かなかった のである。こうして、フェストの言うヒトラ ー政権奪取の「第二段階」が始まる。 他方、政治的事件は極めて解りやすく進行 した。1933年3月24日、『フェルキッシャ ー・ベオバハター』紙が、「歴史的な日であ る。議会制度は新ドイツの前に屈した。ヒト ラーは4年間、必要と考えることを何でもす ることが出来るであろう。必要なこととは、 消極的にはマルクス主義のあらゆる破壊的な 力の根絶であり、積極的には、新しい民族共 同体の建設である」と宣言したその方向であ る。次の一連の措置を見ただけで、その意図 ははっきりする。つまり5月1日のメーデー を国民の祝日と定め、突撃隊と親衛隊が取り 仕切ってこれを乗っ取り、全ドイツの労働組 合を弾圧、そのリーダーを大量に逮捕した。 5月10日、社会民主党の全ての事務所、新聞、 財産を没収した。この日にはまた有名な「焚 書」が行われた。6月21日鉄兜団を禁止、6 月22日社会民主党を禁止、7月4日バイエル ン人民党を禁止、7月5日最後にカトリック 中央党を禁止、そして締め括りが7月14日の 「新党結成禁止令」である。この間、これと 平行して工業、商業、手工業、農業の諸利益 団体が強制的に画一化され、突撃隊による反 ユダヤ主義の暴力行為が荒れ狂いはじめた。 またヒトラー政権の閣僚も、当初首相ヒト ラー、内相フリック、無任所相ゲーリングの 3名だけであったナチス党員が、3月に新設 の民族啓蒙宣伝相にゲッベルスが入り、4月 には労働相ゼルテがナチス党に鞍替えし、6 月27日反ヒトラーの中心人物、経済相兼農相 フーゲンベルクが辞任に追い込まれ、6月29 日代わってナチス党のクルト・シュミットが 経済相に、同じくナチス党のヴァルター・ダ レーが食料農相に、さらに総統代理のルドルフ・ヘスが閣議に加わり、結局ナチス党は全 8名になった。「第一段階」ではまだ連立内 閣でヒトラーを押さえ込めるはずであった が、この「第二段階」ではナチス党8名に対 し、非ナチス党は副首相パーペン、外相ノイ ラート、蔵相クロージク、法相ギュルトナー、 国防相ブロンベルク、郵便兼運輸相リューベ ナハの6名である。5ヵ月の間にナチス対非 ナチスの比率が3対8から8対6に逆転し た。しかもすでにパーペン等にはヒトラーを 抑制する勇気はなく、ブロンベルクに至って は、ヒトラーの人をそらさぬ魅力にうつつを ぬかしている始末である。 こうして、フェストによれば、「疫病のよ うに蔓延していく合流の欲求に逆らう人の数 は目に見えて少なくなり、見る見るうちに孤 立して…不満と孤独な不快さを心のなかにし まいこんだ。古いものは死に、未来は現体制 のものであるようにおもわれた。…勝ち誇る もの特有の吸引作用が強い説得力を発揮し、 それに抵抗できる人間はほどんといなかっ た。たしかにテロと不法行為が気づかれぬま まに終わったのではない。しかし…ますます 多くの人々が、歴史をも事件をもわがものと したように見える連中の側についた。こうい う事情に幸いされて、ナチス体制は権力に引 き続き、人間をも手に入れることに着手した のである」。果たして権力はフルトヴェング ラーその人を「手に入れること」が出来るで あろうか。


5.「芸術のための芸術」と「政治の芸 術化」−1933年4月11日

「ポグロムpogrom」に似た、ナチス党底辺 の党員によるユダヤ人に対する残酷な敵対行 動は、早くも1933年3月中旬から始まりº、 直ちに音楽界にも波及する。ベルリン音楽大 学の教授グスタフ・ハーヴェマンはナチスの 政策に迎合して、1933年3月13日、ベルリン・フィルの経営首脳陣に対してユダヤ人楽 団員と秘書のガイスマール女史(ユダヤ系) との解雇を要求した。またこの月、強制的画 一化を実行するために特命委員ルドルフ・シ ュミチェク博士がフルトヴェングラーのもと に送り込まれてきた。ハーベマンの要求は通 らず、しかもこの特命委員がベルリン・フィ ルに理解を示してしまったので、今や自分が 「ドイツ音楽界の最高の仲裁者」と確信して いるフルトヴェングラーは、自己の芸術至上 主義の立場からきわめて大胆に政府とユダヤ 人の間を仲裁しようとする。 フルトヴェングラーはベルリン芸術週間の プログラムには、「ユダヤ人であろうとなか ろうと出演者の質は維持」したいと強く希望 していたが、1933年4月3日にはブルーノ・ ワルターとクレンペラーの演奏が中止とさ れ、フルトヴェングラーは「ひどく激昂して、 何か手を打たねば」と決意するΩが、結局、 優れたユダヤ系演奏家を欠いた芸術週間はお 粗末なものになってしまった。しかもその直 後、4月上旬のこと、アメリカの何人かの演 奏家がユダヤ人やマルクス主義者の演奏を中 止させたことでヒトラーを強く非難したが、 当局は4月6日に、この中止を正当なものと するとの通達を出した。フルトヴェングラー はこの通達を大いに不満として、この日の内 に、4月26日に予定されていたマンハイムで の演奏会を反ユダヤ主義の扇動が激しいとい う理由で断り、同時にゲッベルスに宛てて、 以下に示すような手紙を書いた。手紙は4月 7日に民族啓蒙宣伝相のもとに届いた。 フルトヴェングラーの真意は、新政権の反 ユダヤ主義政策が外国の新聞で非難されてい るのを絶好のチャンスと見て、ゲッベルスや 政府首脳にこの政策の緩和を迫るものであっ た。他方ゲッベルスは、フルトヴェングラー の意図を完全に見抜き、彼の手紙を利用して 国際世論を静め、国内世論をさらなる画一化 に導く絶好のチャンスと判断した。画一化を強行しようとする者とこれに抵抗しようとす る者との正面衝突である。ゲッベルスはフル トヴェングラーからその手紙の公開の許可を 得て、1933年4月11日の『フォス新聞』にフ ルトヴェングラーの手紙を、それに対する自 分の反論を同じ4月11日の『ベルリーナー・ ローカルアンツァイガー』紙に掲載させたの であるæ。 フルトヴェングラーの手紙は「拝啓 帝国 国務大臣どの ドイツの公的な場におけるわ たしの長年の活動と、ドイツ音楽に対するわ たしの内的きずなとにかんがみ、あえて音楽 界内部の不祥事について貴下のご注意を促し たいと思います」と書き出され、問題の核心 部分は以下の箇所である。 「わたしは究極のところ、ただ一つの境界 線しか認めません。すなわち、よい芸術か悪 い芸術かということです。ところが、当人の 政治的態度になんら非難すべきところがない 場合でも、ユダヤ人と非ユダヤ人の間に、理 論的に仮借なき厳格さで境界線が引かれてい るのに対し、われわれの音楽活動にとって長 い目で見れば極めて重要な、いや、決定的と 言ってもいいもう一つの境界線、つまりよい 芸術か悪い芸術か、があまりにもおざなりに されているのです」、それは「文化活動の利 益になりません」。 そして最後に、「わたしたちの闘いはあく まで根底のない、腐敗させ皮相化させる破壊 的な精神に対して行われるべきものであり、 断じて真の芸術家に……人がその芸術をどう 評価しようと、その流儀においてつねに形成 者であり、またそのようなものとして建設的 に活動している本当の芸術家に向けられるべ きものではありません。この意味においてわ たしは貴下に対し、あるいは取り返しのつか ぬかもしれない不祥事のおこらぬよう、ドイ ツ芸術の名において訴えるものであります」 と結ぶ。 これは明白な挑戦状である。つまり、もし「ユダヤ人芸術家の迫害という不祥事が起こ ったら、それはあなたの責任だ」と詰め寄り、 事のついでに、ナチズムを「根底のない、腐 敗させ皮相化させる破壊的な精神」と規定し、 「わたしたち」はそれに対して「闘うぞ」と 脅迫したのである。ゲッベルスはこの挑戦に どう応えたであろうか。 ゲッベルスの返事は「拝啓 音楽総監督ど の あなたのお手紙をもとに、わたしのほう からも、芸術一般やとりわけ音楽を生みだす ための生命力には、国家的制約を受けた、ド イツ固有なものがあるという考え方について ご説明できるのを、光栄に思います」と書き 出されている。さて、この長文の反論の核心 は次の部分にある。すなわち、「あなたが自 己を芸術家として感じ、ものごとを徹頭徹尾、 芸術家の見地からごらんになるのはあなたの 勝手です。しかしだからといって、今ドイツ で起こっている全体の進展に、あなたが非政 治的態度で臨んでよいということにはなりま せん。政治もまた芸術であり、おそらく最高 の、もっと包括的な芸術であります。芸術と 芸術家の使命とは、ただ単に結びあわせるだ けでなく、さらにそれを越えて形成し、形を 与え、病んだものを取り除き、健康なものに 道を拓いてやることなのです。したがってわ たしはドイツの芸術家として、あなたが認め ようとなさる境界線……つまりよい芸術か悪 い芸術か……だけを承認するというわけには まいりません。芸術はよくなくてはならない ばかりか、民族に適しているという条件をみ たしていなければならないのです」。 そして最後に、「本当に何事かをなすこと ができ、しかも芸術外におよぼすその作用が 国家、政治、社会の基本的な規範にふれない 芸術家であれば、過去において常にそうであ ったように、将来もわれわれのもとで、ごく 好意的に奨励され、支援されていくでしょう。 わたしはこの機会に貴殿、敬愛する音楽総監 督どのに、わたしの感謝の念を表明したいと思います。あなたは本当に教化的で、偉大で、 時によっては感動的な芸術のひとときを、こ のわたしに、多くの政治上の友人に、そして また何十万という善良なドイツ人に、たくさ ん用意してくださったのですから。あなたが わたしの見解に率直に耳を傾けてくださり、 ご理解を示してくだされば幸いです。あなた の忠実なるドクトル・ゲッベルスより」。 ゲッベルスはフルトヴェングラーの「芸術 至上主義」論を全く認めず、政治は「芸術」 しかも「最高の包括的な芸術」だと述べた。 「芸術のための芸術」も大変結構な話ではあ るが、芸術はより包括的である芸術つまり政 治に服するものだ、ナチスの規範から逸脱し ないかぎり大目にみてやるが、そうでない時 はしっかり「沈黙」を強制するぞと威嚇した のである。おまけにゲッベルスは、フルトヴ ェングラーがナチスの「根底のない、腐敗さ せ皮相化させる破壊的精神」と闘いますぞと 宣言したのに、わざと素知らぬふりをして、 「根底のない破壊的な、いかさまだの、味気 ない名人芸だのによって堕落した芸術式」と 意図的に読み替えて、それに対して「われわ れと共に闘う」のを歓迎するとやったのであ る。見事なすり替えではないか。 ゲッベルスはヒトラーからじきじきに厚く お礼を言われた。何日もの間、ゲッベルスは 地方の、中央の、ナチ迎合者達から絶賛を浴 び続けた。「畏れ多くも独裁政権の閣僚とも あろう人が、一介の芸術家に対し、口輪をは めて言論統制するのではなく、芸術や政治に ついて共に語り合っておられるのだ」と言う わけである。ゲッベルスは満足気にこのよう な称賛を独り占めにしたø。他方、フルトヴ ェングラーも全ドイツから「雪崩のような勢 いで次々と賛意を伝えてくる感謝の手紙」に 埋められた。「唯一あなただけが、ドイツに おける今日の文化生活の管財者たちと反対の 道をとる勇気をしめされました」と。フルト ヴェングラーは、かくして、自分が広範な賛同に支えられていること、自分の行動が正し かったことを知った。ナチスの強制的画一化 に反対する国民=一般大衆が大量に存在して いるのである。 さてどちらも己れの陣営から絶賛を浴びて 自信をもった。フルトヴェングラーはそこで ゲッベルスの忠告=威嚇を無視して、己れの 信ずるところに基づいて、少なくとも音楽の 分野でナチスの反ユダヤ主義政策を骨抜きに しようと決意する。1933年5月下旬の事であ る。ゲッベルスもフルトヴェングラーがその 絶大な影響力によって反ナチスの「結晶作用 の核」になり得ること、従っていかなる手段 を使ってでも、「この一匹狼、頑固一徹者を ナチスの側にひっぱりこむ」事こそ自分の腕 の見せ所と確信していた¿。ゲッベルスのラ イバル、ゲーリングは1933年5月、フルトヴ ェングラーをベルリン国立歌劇場の管弦楽団 の首席指揮者に任命して彼を取り込んだと見ていた。


6.フルトヴェングラーの抵抗−2段作 戦の第1段:ユダヤ人演奏家の招待

フルトヴェングラーはその決意を、2段構 えの作戦に練りあげる。彼がプロイセン枢密 顧問官や帝国音楽院の副総裁に就任するの も、この2段作戦の過程で転がり込んできた 偶然の副産物にすぎない。ならば、この2段 構えの作戦とはなにか。 第1段、反ユダヤ主義を実質的に無効にす るため、ユダヤ人演奏家をドイツに招き ベルリン・フィルと共演させる。 第2段、奇襲作戦とも言うべきもので、ヒ トラー総統に直接会見してベルリン・フ ィルの財政援助とユダヤ人芸術家の保護 を依頼する。 反ユダヤ主義こそナチス政権の根幹政策で ある。フルトヴェングラーはこのナチスの 「逆鱗」に芸術至上主義の立場から敢えて触れようとしている。しかも相手とするのは、 ナチス政権の下っ端役人ではなくて、この政 策を作り出した張本人達、ナチス政権の最高 首脳達、ヒトラー、ゲーリング、ゲッベルス に対して、この政策の緩和あるいは特例を認 めさせようというのである。他方、彼ら最高 首脳達のフルトヴェングラー包囲網は、ゲー リング(無任所相、1933年4月11日からパー ペンを継いでプロイセン州首相となってい る)、ゲッベルス(民族啓蒙宣伝相)、アルフ レート・ローゼンベルク(ドイツ文化闘争同 盟の指導者)の3つの機関が競合するかたち で、しかも同時平行的にこれを進行させてい た。この3重の包囲網を突破しようとする、 フルトヴェングラーの戦略に果たして成算は あるのか。以下ではこの間の状況をやや詳し く述べよう。 フルトヴェングラーはナチスのユダヤ人追 放政策のために優れた演奏家が確保できない 事を最も憂慮した。音楽活動の質的水準を保 つべく、フルトヴェングラーはプロイセン州 首脳や国家首脳に働き掛け、この問題を解決 しようとする。言うまでもなく、プロイセン 州の首相はゲーリングであり、プロイセン文 化省の大臣はルストである。1933年6月4日 フルトヴェングラーのルスト宛の要求案が出 来上がる。それは、 A政府は今後いかなる芸術家も人種や国籍 を問わずドイツで演奏出来る。 Bこれによって国際交流も好転しボイコッ トも無くなろう。 C音楽界の秩序を維持するため、公的に近 い監査委員会を設ける。 付帯文書として D1933年5月23日に解雇されたシェーンベ ルク復職の依頼(そのほか数名の救援依頼) も含んでいた。この要求書は6月8日ルスト のもとに届き、6月28日にはほぼフルトヴェ ングラーの、上記A、Bを含む、原案どうり の画期的な省令、「プロイセンのコンサート活動に関する省令」が出された。上に示した フルトヴェングラーの2段作戦の第1段の部 分に関して、この省令は次のように規定して いた(プリーベルク、143〜158頁) 。 共演アーチスト(ソリスト、歌手など) についても同様に、まず第一にドイツ人 アーチストを起用し、彼らにドイツの音 楽活動を担い維持してもらうよう招聘す ることを原則とする。しかしながら、音 楽においての他はあらゆる芸術と同じ く、能力がつねに決定的要因となるとい うことは強調しておかなければならな い。すなわち、能力主義に対しては、必 要とあれば他の観点は後回しにされると いうことである。本当の芸術家ならだれ もがドイツで活動し、その力量に応じて 正当な評価をうけることができなくては ならない。大臣により設置されたこの諮 問委員会は、将来プロイセン音楽活動の プログラム問題に関する唯一の決定機関 となるであろう。 いささか回りくどい表現であるが、フルト ヴェングラーの狙いである、能力ある芸術家 をドイツに招聘して演奏活動を行わせるとの 意図が見事に条文化されている。追放された 優れたユダヤ人演奏家は、この省令によって、 堂々とドイツで演奏できるはずである。これ こそナチスのユダヤ人排斥計画を、純芸術の 面から骨抜きにする爆弾であった。フルトヴ ェングラーは勇躍として、追放され亡命をは かった、優れたユダヤ人演奏家達に手紙を書 き、自分の主催する演奏会への参加を呼び掛 ける。もちろんこの1933年5月の時点で、す でに、ナチス官憲の検閲によって「信書の秘 密」は存在しない。マークされた、要注意人 物の私信の検閲は当然の事になっている。し たがって、フルトヴェングラーはナチスのユ ダヤ人政策を骨抜きにしようという自分の真 の意図を手紙に書けない。上記省令の新聞の 切り抜きを同封して、ただひたすら、自分の演奏会に共演してほしいと強く依頼するしか ない。こうして、6月末から7月末までフル トヴェングラーは精力的に手紙を書き続ける。


7.第2段作戦−奇襲作戦・ヒトラーと の直接会談、1933年8月9日夜

彼の第1段作戦は成功しただろうか。実は 見事に失敗したのである。優れた亡命演奏家 達は彼の計画の真意を見抜けず、全く話に乗 ってこなかったのである。7月18日の段階で、 フルトヴェングラーのこの画期的な・爆弾計 画はほぼ絶望的となった。がっかりしてしま ったフルトヴェングラーを勇気づけるため に、秘書のガイスマールと特命委員ルドル フ・シュミチェクは、フルトヴェングラーの 第2段階の作戦の実現を急ぐ。フルトヴェン グラーを監視するはずの特命委員は今や完全 にフルトヴェングラーの味方となり、フルト ヴェングラーの途方も無い反ナチス計画に協 力している¡。 丁度この時、プロイセン首相のゲーリング が電報で「貴下をプロイセン枢密顧問官に任 命する」と一方的に通告してきたのである¬。 このニュースは7月20日、新聞に公表された。 「音楽にまるで目のない」ゲーリングは自分 のライバル(ゲッベルス)よりも支配権を強 めようと、この顧問委員会をぶち上げ、フル トヴェングラーを取り込んだのである。他方 フルトヴェングラーは「発言力が強まる」と 考えてこれを受けた。どちらも自分の都合の 良いように理解したわけである。 フルトヴェングラー自身はその肩書きでど こまで「専門的助言」が可能なのか不明なま ま、直ちに、第2段階の作戦「奇襲作戦」に 取り掛かる。今やすっかり彼の右腕になって しまったシュミチェクを7月26日バイロイト に派遣する。そこに滞在するヒトラーと直接 会見をする段取りを取り付けるためである。

フルトヴェングラーは3条件からなる覚え書 きをシュミチェクに手渡した。それはAナチ スの非難攻撃を受けているプロイセン国立劇 場の総支配人ティーチェンの救済、Bベルリ ン・フィルの国家による財政的援助45万ライ ヒスマルクの依頼、C「音楽界におけるユダ ヤ人駆除方法」の3条件を記した覚え書きで ある(プリーベルク、178〜79頁) 。 上記のCの見出しだけを見れば、フルトヴ ェングラーはナチスに屈伏して「ユダヤ人駆 除」に同意したかのように見える。たしかに、 その提言には、ドイツにおけるユダヤ人排斥 は国外音楽界における広域なボイコットを招 いているので、「ユダヤ民族に対する闘争を、 正当なやり方で行うことが必要であります」 とあるが、すぐ続けて、 例えば 今日、カール・フレッシュのよ うなクラスのヴァイオリン教育者をドイ ツから追い出してしまうとすれば、物理 的な損失ばかりでなく、われわれが芸術 を問題にしていないという非難にさらな る根拠をあたえてしまうことにもなりま す。私はこの件が外交政策上きわめて重 大な意義をもつものと考えます。同様に また、作曲家アルノルト・シェーンベル クほどの人物の解雇に対する物理的弁済 が妥当なやり方でなされることも、外交 政策上の理由から必要なことと考える次 第であります。望ましくは、そうした特 別な事例が法律や官庁の所定の手続きの 枠外で、あるいは帝国首相どのご自身に より、その外交上の意義をご勘案のうえ 処理願えれば、と存じます。 これではどう見ても、ユダヤ人芸術家の 「駆除」ではなくて「保護」である。たしか に、これはフルトヴェングラー苦心の、レト リックを尽くした文章であった。彼は自分の 信念でありかつ持論であるところの芸術至上 主義の立場から、婉曲にかつ大胆にユダヤ人 芸術家追放政策の緩和あるいは特例を「帝国首相どのご自身」に求めたのである。ヒトラ ーはBの巨額な援助金に驚き、ゲッベルスに 「はっぱをかけた」が、ゲッベルスは直ぐに は動かない。もちろん一つにはフルトヴェン グラーを焦らすためであったが、もう一つ、 遠大な計画があったからである。他方、シュ ミチェクはバイロイトでなんとかフルトヴェ ングラーのためにヒトラーとの単独会見の約 束を取り付けた。フルトヴェングラーは1933 年8月9日17時にオーバーザルツブルク駅に つき、ヒトラーが休暇を過ごしているヴァッ ヘンフェルス館に車で向かった。フルトヴェ ングラーはヒトラーとの会見のために詳細な メモを準備して持っていった。この時の会見 の模様をこれまで何度も依拠してきた二人の フルトヴェングラー伝から引いてみよう。 まず、ベルント・ヴェスリンク『フルトヴ ェングラー』 (1985)から。 ヒトラーのオーク材作りのティーテーブ ルで、激論が闘わされた。どうやら話は 文化問題全般に及んでしまったらしい。 やっと最後に、二時間もたってから、ベ ルリン・フィルの窮状が話題にのぼっ た。ヒトラーは不承不承、今回にかぎり 財政を援助することに同意した。また当 面のあいだは、例の〈アーリア人条項〉 を楽団員に適用しない、とも約束した。 フルトヴェングラーはほっと胸をなでお ろして帰路に着いた(386頁) 。 次いで、フレート・プリーベルク『巨匠 フルトヴェングラー』(1986)から。 フルトヴェングラーは自分の考えを半分 も上奏することが出来なかった。相手は 彼をさえぎり、一人で勝手にしゃべりは じめてしまったのだ。フルトヴェングラ ーは、オープンに耳を傾けてもらえぬと 気づいたにちがいないが、それでも頑と して自説を主張した。語調はいやがうえ にも強まっていく。この口答えはヒトラ ーを攻撃的にしてしまい、彼は話の本題からそれて、大声で政治を弁じだすしま つである。合意に達するどころの騒ぎで はなくなってしまった。オーバーハウゼ ンからの帰途、ミュンヘンでフルトヴェ ングラーは自分の秘書に電話し、総統と いう人間がよく分かったから話はやめだ と報告した(203頁) 。 ヴェスリンクはヒトラーが譲歩したとみた。 プリーベルクは合意に達しなかったとみた。 しかし、奇襲作戦=ヒトラーとの単独会見は 全く別の面から効果を発揮することになっ た。ヒトラーはフルトヴェングラーと会見後、 バイロイトにいたゲッベルスを呼び付け、ベ ルリン・フィル再建に45万ライヒスマルクも かかることに驚き、「以前確かに大丈夫と請 け合ったではないか」とはっぱをかけたので ある。果たして、ゲッベルスはいかなる再建 案を用意したのであろうか。


8.フルトヴェングラーの屈伏か−1933 年11月15日、帝国音楽院副総裁となる

プリーベルクが分析したように、フルトヴ ェングラー自身は奇襲作戦が失敗したと考え ていた。そこで、再び第1段作戦に戻る。ま るで出演拒否の手紙など無かったのごとく に、フルトヴェングラーはペンを執り、出演 を依頼し、ユダヤ人芸術家の救済を精力的に 行ったりしたのである。フルトヴェングラー のこのような一連の行動は、ナチス側から見 れば、「彼がユダヤ人の味方をしていい気に なっている」(プリーベルク、263頁)と見え た。1933年8月18日ローゼンベルクの許に 「フルトヴェングラーが今でもユダヤ人芸術 家を優遇しており、とくに最近その傾向が顕 著であることは、芸術家たちのあいだでもっ ぱらの噂となっています」(プリーベルク、 207頁)という密告があったが、このての密 告はひきもきらなかったのである。しかし、フルトヴェングラーは全くわが道を行く。 1933年秋から34年にかけての演奏会では依 然、ユダヤ人演奏家を起用し、指揮について も北欧や日本(近衛秀麿)からも招き、プロ グラムには才能あるユダヤ人作曲家の名前 も、メンデルスゾーン(ユダヤ人)の『真夏 の夜の夢』も堂々と演奏した。これは極めて 挑発的な行為であった。 ゲーリングは1933年9月15日、新しく任命 したプロイセン枢密顧問官の就任式を大々的 に挙行し、フルトヴェングラーを己れの陣営 に取り込んだことを世界に知らしめた。他方、 ようやく楽団の財政問題も解決する。1933年 10月16日、ベルリン市長のドクトル・ザーム と宣伝省次官フンクとの間に会談がもたれ、 「ナチ党の息のかかった」15人の楽団員の解 雇(ユダヤ系楽団員はまだ解雇されていない) とベルリン・フィルを宣伝省の直轄する帝国 楽団とする事で財政問題は片がついたのであ る。しかしながらこれは、喜ぶべき事とは言 い難かった。それはゲッベルスの構想する文 化芸術の「強制的画一化」の一環としてであ ったからである。2ヶ月後の1933年11月15 日、「帝国文化院Reichskulturkammer」が宣伝 省の下部機関として発足し、映画、音楽、演 劇、マスコミ、著作、造形芸術、放送の七部 門に分かれ、音楽部門には「帝国音楽院 Reichsmusikkammer」が置かれた。ゲッベル スは本人の意向を打診する事無く、この日 「帝国音楽院」の総裁にリヒヤルト・シュト ラウスを、副総裁にフルトヴェングラーを任 命したのである。こうして全ての文化芸術は 人も組織も含めて全てゲッベルスの手に落ち たかに見えた。 フルトヴェングラーは一体なぜ、副総裁の 地位を受けたのか。戦後になって、フルトヴ ェングラーはクルト・リースにこう語った。 「そのような、ある程度公的基盤に立ってい たほうが、私人としてより自分の意見をとお せると、当時思っていたからです。あの頃のドイツでは、よくこんなふうに信じられてい ました。まっとうな人達がみんな臆病に責任 を回避してしまったら、ナチスがのさばり放 題になってしますと」。リヒャルト・シュト ラウスも、シュテファン・ツヴァイクへの手 紙に「私は総裁の職をいろんな困った事態を 防ごうと思ったから引き受けたのです」と書 いていた√。われわれはここで、リヒャル ト・シュトラウスやフルトヴェングラーが 「帝国音楽院」を引き受けた事を全く非難し ない。彼らは動機は異なれ、その地位からす る影響力の行使に期待していたからである。


9.ヒンデミット事件勃発1934年11月 25日−フルトヴェングラーの勝利か

次にわれわれはフルトヴェングラーがナチ ス首脳達と完全に対立し、国立歌劇場の管弦 楽団の首席指揮者=オペラ監督、音楽院副総 裁ƒ、ベルリン・フィルの常任指揮者という 公の職務を辞任するにいたった事件を取り上 げなければならない。いわゆる「ヒンデミッ ト事件」であるが、これこそフルトヴェング ラーの芸術至上主義的抵抗の勝利を物語るも のである。 1934年3月12日、フルトヴェングラーはヒ ンデミットの交響曲『画家マチス』を指揮し た。きわめて好評であった。しかし同年10月 になると事態は急変した。ナチスの機関紙が 一斉に「堕落の旗手」ヒンデミットを非難し 始めたのである。フルトヴェングラーはヒン デミットへの誹謗が根拠のないものである事 を明らかにしようと、ヒンデミットを救済す る反論を書き、『ドイチェ・アルゲマイネ・ ツァイトゥンク』に送った。新聞社からの問 い合わせに対し、フルトヴェングラーは「自 分がどんな危険を冒しているかはよく承知し ている。自分にとって重要なのはヒンデミッ トと新音楽だけでなく、芸術家としての個人 の自由なのだ」と答えた(プリーベルク、250〜53頁)。こうして1934年11月25日(日 曜)の『ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイト ゥンク』紙の第1面にフルトヴェングラーの 「ヒンデミット事件」という論文がのった。 ここでフルトヴェングラーは、ヒンデミット とユダヤ人とはいささかも関係がないこと、 彼の作品はドイツ的であること、彼は一度も 政治的に活動したことがないこと、にもかか わらず、その彼を攻撃しドイツから追い出そ うとしているが、「ヒンデミットのようなす ぐれた音楽家をあっさりあきらめてしまうよ うなことは決してしてはならないのである」 と文を結んだ。≈ 「当時にすれば信じがたいほどに大胆な論 文」(ヴェスリンク、406頁)を載せたこの日 の新聞は直ちに売りきれ、3度も増刷された。 「早く行って、今日の『ドイチェ・アルゲマ イネ・ツァイトゥンク』を買い給え」が挨拶 がわりになった∆。この論文はモスクワ、ニ ューヨーク、パリ、東京などの何十という新 聞に掲載された。 翌日、月曜日(11月26日)、フィルハーモ ニーの総試演があった。フルトヴェングラー が指揮台に上がると、聴衆は一斉に立ち上が り、拍手や歓声は20分あまりも続いた。人々 は芸術の独立と国家の暴政への反抗の勇気を 褒めたたえたと考えられる。 この同じ月曜日、ローゼンベルクは激怒してヒトラーを訪ねた。ヒトラーは予定されて いたフルトヴェングラーとの会見を取り消し て、全ての新聞は直ちに反抗的な枢密顧問官 に対して攻撃を開始せよと命じた(プリーベ ルク、254頁)。ナチス系の新聞は一斉に「わ れわれが克服したと信じていた反動的風潮が ……ふたたびのさばり始めた」と激しい論調 で一方的に非難した。しかし、いくつかの新 聞は両陣営の言い分を並べて客観的に(つま り反ナチス的にという事である−三石)報道 した。諸外国の新聞はフルトヴェングラーを 擁護した。ドイツ国内でも勇気ある新聞、『ドイチェ・ツークンフト』1934年12月2日 号は「あたかも新鮮な一陣の風のように、こ れらの言葉は最近の不愉快な出来事を吹き飛 ばしてくれる。……意気揚々と希望に満ちて、 われわれはこの未来に向かって歩み続けるの だ」と書いた(プリーベルク、258頁) 。 この記事の出た12月2日(日曜日)の夜 (プリーベルク、258頁)、フルトヴェングラ ーは国立歌劇場で《トリスタンとイゾルデ》 を指揮した。ゲーリングもゲッベルスも姿を 見せていた。切符は完全に売り切れとなった。 フルトヴェングラーがオーケストラ・ピット に現れたとたん、聴衆は総立ちとなり、何時 止むとも知れない歓呼の嵐が劇場を圧倒し た。すばらしい演奏が終わると、カーテン・ コールは、なんと、40分間も続いたのである。 ゲーリングもゲッベルスもこの拍手が一体何 を意味するのか当然理解した。怒りにわれを 忘れたゲーリングは、ヒトラーにフルトヴェ ングラーは政府の権威を失墜させていると告 げた(ヴェスリンク、406頁)。


10.フルトヴェングラーの辞任1934年12 月4日。ただし亡命せず。

フルトヴェングラーは、(1934年)11月25 日以降の事件の展開にいささか慌てた。彼は 問題が芸術の問題から政治問題に発展してし まったことを理解した。そこで12月1日、彼 はゲーリングと会談し、あらゆる政治的官職 から退きたいと申し出た。つまり政治と音楽 は別と考えているから、政治的な役職を辞め ればよい、演奏はこれまでどうり続けるとい う意味である。ゲーリングは何もそこまでし なくても良かろうと慰留した。12月3日午後、 ヒトラー、ゲーリング会談があり、ゲーリン グはヒトラーを押さえ、フルトヴェングラー が個人的に謝罪すれば現職にとどまっていて 良い、謝罪の期限は翌日の正午と決定した。 しかし、同日夕方6時、ヒトラー、ゲーリングにゲッベスルが加わった3者会談で、条件 は一気に厳しくなった。ヒトラーは「この気 難しい男を徹底的に打ちのめそうと」して、 フルトヴェングラーの「生き甲斐である」楽 団を取り上げてしまう腹だった。それにゲッ ベルスが乗り、ゲーリングを押さえた。事態 の急変を知らないフルトヴェングラーは、あ っさりと、「どうぞ解任してください」と言 った。その直後、初めてフルトヴェングラー はゲーリングから音楽上の職こそが処分の対 象になっていることを知って愕然とする。政 治と音楽は截然と分けられないのであった。 約束の期限12月4日正午、事態を知ったフル トヴェングラーの苦渋に満ちた2通の辞表が 届けられた。一つはゲッベルス宛にベルリ ン・フィルーモニー管弦楽団の首席指揮者お よび帝国音楽院の副総裁としての、もう一通 はゲーリング宛てに国立歌劇場の音楽監督と しての辞表である。翌日の12月5日ゲッベル スは辞表を正式に受理した。 ベルント・ヴェスリンクはゲッベルスの 「もしフルトヴェングラーがなんとしても辞 職する決意なら(つまり謝罪しないのならの 意−三石)、おれはあいつを完全に破滅させ てやる」という言葉を引き、フルトヴェング ラーはこの挑戦を受けて立ったと論じた (407頁)。フルトヴェングラー自身、大きな 誤算があり、そんなに威勢のいいものではな かったが、行き掛かり上ゲッベルスの挑戦を 受けて立った形になった。 翌日、12月6日、ゲッベルスは、芸術は国 家の道徳的、社会的、国家的原理と結びつい たものでなくてはならない、フルトヴェング ラーの世界観の逸脱を若気の至りと片付ける わけにはいかぬと非難した。同じ日、ローゼ ンベルクは、ヒンデミット=フルトヴェング ラー事件は、「自由主義的19世紀の世界観と 国家社会主義的20世紀の世界観」との対立で あり、ヒンデミットが「ドイツ音楽の悪質き わまる低俗化」を行っている以上、彼を締め出すのは当然であると論じた。ところが、4 日後の12月10日、後任人事にいき悩んだゲ ーリングは、全く逆に「客演指揮者として貴 殿を私の歌劇場にお迎えできるかもしれぬと の希望を抱いております」とフルトヴェング ラーの翻意をうながす有名な手紙を書き送っ た(プリーベルク、261頁)。他方ゲッベルス はフルトヴェングラーにさらに追い打ちをか けた。辞任から「何週間後」、ゲッベルスは フルトヴェングラーを呼び付け、取り上げた 彼のパスポートを返しながら、「フルトヴェ ングラーさん、亡命されるもご自由です。そ の代わり二度とドイツの土を踏むことは許さ れません。ご承知のとうり、私たちが打ち樹 てたのは千年王国なのですから」と«。もし 亡命したら、お前が死んでも(千年の間!) ドイツの土は踏ませぬぞと威嚇したのであ る。 この時フルトヴェングラーは何故亡命しな かったのであろうか。亡命する政治的理由は 沢山あった。外国でも報酬の良い活動場所は 沢山あった。フルトヴェングラー自身早くも 12月10日にはすでにミュンヘン、チューリヒ、 ジェノバ、アレクサンドリアという亡命ルー トを確認している。フレート・プリーベルク は彼が最終的に亡命を断念したのは「心理的 理由」に因ろうと推測している。つまりフル トヴェングラーの考える音楽芸術は徹底的に 「ドイツ的なもの」であり、彼はここドイツ に根を下ろし、ここを馴染み深い・ふるさと の・我が家であり、どうしても棄てがたいと 言う強い意識を持っていた。ゲッベルス=ヒ トラーが外国旅行を禁止し、彼のパスポート を取り上げたことも、その心理を強めたろう。 「何週間後」にゲッベルスが嫌味たっぷりに パスポートを返してくれて、もし亡命したら 二度とドイツの土を踏ませぬぞと脅迫した時 には、彼の亡命の意志はすでに凋んでいたと (プリーベルク、270〜75頁)。このプリーベ ルクの見解は説得力がある。彼の言う、「馴染み深い・ふるさとの・我が家」に「根づい てる」という感情、つまり「ドイツ的である こと」こそ、フルトヴェングラーがここドイ ツに、ここドイツにおいてのみ、われわれの 言う「安らぎ=オーティウムotium」に満ち た「アルカディーア(歌の共同体)」を見い だしている事を示している。フルトヴェング ラーはこの「アルカディーアArkadia」なる根 拠地をしっかりと守って、魂を売り渡さない。 芸術至上主義の立場をしっかり堅持して、ナ チス最高首脳の脅迫に耐えている。 フルトヴェングラーの辞職はいかなる反響 を巻きおこしたであろうか。プリーベルクに 拠れば、外国の新聞は一斉にナチス政権を非 難し、数多くのポスト提供の手紙が舞い込ん だ。フルトヴェングラーの演奏会の定期会員 が続々と会員券の解約をはじめ、ほぼ30万ラ イヒスマルクに及び、フルトヴェングラーを 応援する手紙が山のように届いた。ベルリン のシャルロッテンブルク音楽大学ではフルト ヴェングラー復職を請願する署名集めまで行 われたという。通説によれば、ナチスの強制 的画一化は1933年7月14日の「新党結成禁止 令」で完成するとされているが、フルトヴェ ングラーを支えるこれら市民の行動は、明ら かにドイツ国内でのナチス政権に反対する 「良心的拒絶conscientious refusal」の行動であ る。つまり、この1934年12月に至ってもまだ、 多くのドイツ市民が「強制的画一化」を決然 と、しかし静かに拒否していることを示して いる。ドイツ市民階級の「理性」はまだ滅び てはいなかったのである。 一番窮地に追い込まれたのがゲッベルスと ローゼンベルクである。フルトヴェングラー の偉大さが赤字30ライヒスマルクという数字 にはっきり現れてしまった。この数字はフル トヴェングラーの年俸のほぼ8年分に当たる 巨額である。彼らは、早くも12月始め、以前 フルトヴェングラーをあれほど罵ったことを 綺麗に忘れ、今や厚かましくも彼に「飴」を差し出す。1935年1月4日、ローゼンベルク は「純粋で自然に成長していき、自由と法、 感情と形態がその中で結合した新しい音楽に 対しては、必ず反響が起こるであろう。ヴィ ルヘルム・フルトヴェングラーが、国家社会 主義のドイツにおける彼の役割を、義務と必 要条件と認識するなら、彼も指揮者として将 来この反響をあてにすることができよう」と 述べて、転向するなら受け入れてやると先ず 懐柔策を示し、続けて次にはもちろん「鞭」 をもって、「ドイツ芸術の清浄化は、まだ始 まったばかりだ。ドイツ音楽界は優れた天分 で溢れているから、いわゆる一連の国際的著 名人が欠落しても、わが国の音楽文化は全体 的地位に何ら影響を及ぼさない」と言い、た とえフルトヴェングラーらが居なくてもやっ ていけるぞ、と強がってみせたのである。し かし、フルトヴェングラー辞任にともなう諸 外国からの非難に加えて、市民の演奏会ボイ コットを受けてベルリン・フィルの赤字は目 を覆うものがあった。 1935年2月28日ついに民族啓蒙宣伝相のゲ ッベルスはフルトヴェングラーとの会談を許 可した。2人の間に際どい話が続いた。ゲッ ベルスは何時ドイツを離れてもいいと脅か す。フルトヴェングラーは、全く正直に、栄 誉と理念が傷つけられなければ亡命しないと 語る。すかさずゲッベスルは、ヒトラーに対 する服従宣言を行えと圧力をかける。フルト ヴェングラーはきっぱりとそれを拒否し、自 分を政治宣伝に利用しないことを条件に帝国 音楽界に復帰すると約束する(プリーベルク、 304頁)。果たしてこの約束はナチス政権への 屈服=降伏だろうか。作家のうちで一体誰が、 公然とヒトラーへの忠誠宣言を拒否し、自分 の名誉と信念が守られれば、国内にとどまっ てやると言えたであろうか。


11.フルトヴェングラーの復帰1935年4月25日−援軍に囲まれた「抵抗者」

とまれ、こうして、1935年3月1日の新聞 にはフルトヴェングラー自身の、復帰の弁明 文が掲載された。ヒンデミットに関するフル トヴェングラー自身による、1934年11月25 日の新聞の文章は、「音楽の専門家として、 音楽の立場から音楽問題を取り扱うという目 的で書いたにすぎない。……とくにこのコメ ントによる帝国芸術政策の指導へ介入する意 図は全くなかったと」報道された(プリーベ ルク、305頁)。翌日の3月2日、トーマス・ マンは日記に「フルトヴェングラーの屈伏、 お情けで拾い上げられる。聴衆からも受け入 れられるのか」と書き付けた»。マンの反応 はドイツ国内で進行している苛烈な画一化の 過程を経験していない、いささか観念的な非 難ではあるまいか。 さて、しかし、新聞にそのように報道され たからといって、フルトヴェングラーの復帰 がすんなりと実行されたわけではない。ゲッ ベルスは不満であり、ローゼンベルクは3月 5日、フルトヴェングラーが依然「国民社会 主義組織を批判する政治的な攻撃に対し謝 罪」していないと非難した。ローゼンベルク の非難は当たっていた。フルトヴェングラー は自分が正しくナチスの文化政策が間違って いると確信しているから謝罪などするはずが ない。 フルトヴェングラーの復帰問題は、しかし ながら、諸外国との関係で早急に結論を出さ なければならなくなる。つまり、ベルリン・ フィルは、この年(1935年)ウィーン、ブダ ペスト、ロンドン、パリで演奏することをす でに年間契約で決定していた。もしフルトヴ ェングラーが復帰できず、それらの地で演奏 ができなかった場合、損害賠償は誰が支払う のであろうか。契約破棄の責任は誰がとるの であろうか。フルトヴェングラーはそれは国 家=ナチス政権が支払い、かつ責任をとるべ きだと判断した。4月4日フルトヴェングラ ーはヒトラーに手紙を出した。「私は私人として、法的に言えば、私から結んだ契約を撤 回することはできません。この場合において 私がとる唯一の方法として、不可抗力のせい にすることが貴方の意志ですか、そして政府 は外国に対してこれらの措置に対して完全な 責任(税制的と当然道徳的にも)を追うおつ もりですか、それとも私が結んだ契約を守っ てもよいでしょうか」(プリーベルク、307 頁) 。 フルトヴェングラーの復帰問題はゲッベル ス、ゲーリング、ローゼンベルク、そしてヒ トラーというナチス最高首脳を巻き込んで振 りまわした。4月9日、フルトヴェングラー とローゼンベルクの秘密会談が持たれた。こ の会議の模様は、プリーベルクによれば、ロ ーゼンベルクは依然上に述べたフルトヴェン グラーの「国家社会主義組織を批判する政治 的攻撃」にこだわり、どうしても謝罪させよ うとしたらしい。フルトヴェングラーはなん とか言を左右して回避しようとしたが、外国 との演奏契約も迫っており、結局渋々これを 認めたようである。その翌日4月10日、ヒト ラー・フルトヴェングラー会談が持たれた。 この会議の模様も余りはっきりしないが、と もかく、ヒトラーはフルトヴェングラーの復 帰を認めた。 さてこのヒンデミット事件を契機にフルト ヴェングラーは、1934年12月5日から音楽界 を去っていたが、それからほぼ5ヶ月後の 1935年4月25日(木曜日)に、初めて正式に 公衆の前で指揮をした。この間の事情を知ら ない多くの人々は二つの見解に分かれた。一 つは、結局フルトヴェングラーは権力に屈伏 したと見た。他の見解は全く逆にフルトヴェ ングラーが政治的に勝利したと見た。トーマ ス・マンは3月2日、すでに見たように、ナ チスに「屈伏」したフルトヴェングラーは聴 衆からも見離されるだろうと予言した。果た して聴衆は、ドイツ市民は、フルトヴェング ラーの復帰にどう反応したであろうか。

4月25日、フルトヴェングラーは復帰後の 第一声をベートーヴェン・プログラムで飾っ た。『エグモント序曲』、『田園』 、 『第五番』で ある。この日のコンサートは大事件だった。 午後7時には聴衆がフィルハーモニー・ホー ルに次々と集まり始めた。車寄せには車が引 きも切らずに往復した。全席完全に売り切れ た。午後8時、フルトヴェングラーが到着す ると、「熱狂した群衆の最初の大歓迎を受け た。通路でもホールの中でも、人々は興奮に わきたっていた。ヨーロッパじゅうのあらゆ る言語が飛び交う。刻一刻とすぎていく。や がて控え室のドアから指揮者が出てくると、 指揮台へむかった。ほとんどヒステリックな ほどの喝采が、この馴れ親しんだ風貌を迎え る。突如として雷が落ちたかのように大きな どよめきが起こった。フルトヴェングラーが 指揮台にあがったのだ。その喝采たるや、筆 舌には尽くしがたい。ある者は盛んな拍手を おくり、ある者は座席をドンドン叩く。歓声 の声は、いつ果てるとも知れなかった。一度 ならず、フルトヴェングラーは、振り上げた 指揮棒をふたたび降ろさなくてはならなかっ た」(ヴェスリンク、413頁)。曲の合間にも 嵐のような拍手が沸き起こった。長い休憩の 間、聴衆はこの指揮者を花で埋め尽くした。 演奏会が終わった後でも、ファンの熱狂のど よめきが30分も続いた。出席したローゼンベ ルク、フンク、ベルリン市長ザーム、フリッ クらは、この熱狂が反ナチス的な政治的デモ ンストレーションに他ならないことをはっき りと感じ取った(ヒトラーにも招待状が出さ れたが、所用があって出られなかった)。 8日後の5月3日、フルトヴェングラーは 聴衆の要望に応えて、再度、ベートーヴェ ン・プログラムを指揮した。聴衆の熱狂ぶり は前回と全く同じである。ただ、いささか違 っていたとすれば、前回出席できなかったヒ トラー、ゲーリングとその夫人、ゲッベルス もその最前列に出席していたことである。ヒンデミット=フルトヴェングラー事件の直接 の当事者がこうして全員揃った。彼らもフル トヴェングラーに対する熱狂的歓迎を、その 恐るべき政治的デモンストレーション振りを つぶさに味わった。しかも、フルトヴェング ラーは控え室から指揮棒を右手に持って振り ながら指揮台に上がった。ところどころで上 がる「ハイル・ヒトラー」の声を全く無視し て、大歓声に謝意を示しながら、直ぐにオー ケストラに向き直った。つまりフルトヴェン グラーはヒトラーの前でヒトラーを黙殺し、 無視し、「ハイル・ヒトラー」の「ドイツ式 挨拶」をしなかった。指揮棒を右手に持ち、 振りながら登場すれば、右手で敬礼はできな い。それこそ、彼が転向しなかったことを全 会場の、全聴衆に、そしてヒトラー、ゲッベ ルス、ゲーリングにはっきりと示した彼の芸 術的な非転向宣言であった。ヒトラーはこの 侮辱に耐えて、笑顔を返した。のみならず終 演の拍手喝采のとき、わざわざ指揮台に歩み 寄り、握手をし、バラの花束を手渡した。こ の瞬間はもちろんカメラに納められ、その写 真は広く公表され、フルトヴェングラーがナ チスに「屈伏」した証拠と理解された(プリ ーベルク、310頁) 。 「名曲の名演奏は、束の間であるにせよ私 たちの気分を盛り上げ、いっさいの煩わしさ から解放し、ショウペンハウアーがこの体験 について述べたように‘すべての苦悩から完 全に’逃れさせてくれるのだ」…と言う説が ある。だが、果たして、名演奏を聴くことで、 人々は「ほんの少しの間、安らぎの領域へ逃 避」し、「生きる苦しみから解放される」の であろうか(156頁)。あるいはまた、ナチス 政権のドイツ国民は「安らぎ」や「慰め」を 与える文芸作品を読むことで現実から「逃避」 し、束の間の安らぎを求めたのであろうか。 フルトヴェングラーの名演奏を聴くことで、 「安らぎ」の世界に逃避し、抵抗力を失い、 ナチスを支持するようになるのであろうか。

精神医学者のアンソニー・ストーはそうで はないと断言する。優れた演奏のわれわれに 与える「安らぎ」は「逃避」の感情ではなく て、「もっと遠くまで跳ぶためにあとずさり する」事だという。彼は述べている。「私た ちが音楽を演奏したり、うっとりするような 演奏を聴くとき、一時的に外から刺激が入っ てくることから守られる。そのとき、私たち は世間から隔絶した特殊な世界、秩序が支配 していて不調和は閉め出されている世界には いりこむのである。本来、これは有益なもの である。それは退行の現れではなく‘もっと 遠くまで跳ぶためあとずさりする’、つまり 心の内で再び調整しなおすプロセスを促す一 時的退却であって、外界からの逃げ道を用意 するのではなく適応を助けることになる。… …情緒的に不安定な人や精神に傷害のある人 の生活に生きがいを与える」ことになるのだ と(168、170頁)。つまり、フルトヴェング ラーの音楽は、画一化を拒否する、心ある一 般国民に「安らぎ」・「慰め」を与え、かつ、 さらなる・静かな勇気を持ってこの悪魔の支 配する帝国内に生き抜く力を与えたのであ る。 ナチス政権下でのフルトヴェングラーの演 奏はナチスに協力するものであったのではな い。フルトヴェングラーの演奏はドイツ国民 に「安らぎ」と「諦観」を与え、ナチス承認 に人々をいざなったものでもない。全く逆に、 上記復帰の日の観衆の反応が示すように、 人々の反ナチスの心情を鋭く喚起させたので ある。ナチスが権力を掌握して以降、フルト ベングラーは芸術と政治とは無関係であると 確信し、芸術至上主義の立場から事あるごと に権力に「抵抗」し、ヒトラーやゲッベルス やゲーリングを困らせ、激怒させてきた。ヒ ンデミット事件はほんのその一例にすぎな い。ドイツの良識ある市民たち、彼の良き聴 衆たちは彼のそのような抵抗精神を敏感に感 じ取っていた。彼の演奏会での熱狂はそのことを極めて雄弁に物語っていた。「強制的画 一化」を拒否するドイツ良識派の「良心的拒 否」である。フルトヴェングラーはナチスへ の協力者であるどころか、ナチスにとっては 獅子身中の虫であった。そのことを誰も理解 できず、プリーベルクがいみじくも「二重ス パイ」と呼んだような事態が発生し、トーマ ス・マンは日記に彼を「屈伏」したと書き付 けたのである。これこそ「二重スパイ」(!) の悲劇でなくてなんであろうか。 フルトヴェングラーは何故かくも強靱にナ チス権力に抵抗し得たのであろうか。繰り返 し言えば、彼がもっとも単純明快な芸術至上 市主義の立場に立っていたからである。「芸 術は政治と無関係」という立場こそが、ナチ スの強制的画一化に抵抗し得る最も強力な武 器となったのである。もちろん今日われわれ 国民国家に生存する者にとって、芸術と政治 とは無関係だと言い難い事は知っている。ゲ ッベルスが力をこめて主張した「政治の芸術 化」とはそのことを指している。政治が舞台 上の芸術として観客を動員し感銘させること に、つまり異なった見解の「統合」にその本 質がある以上、たしかに政治は「最高の、も っと包括的な芸術」なのである。しかし、に もかかわらず、ナチス体制という全体主義的 国家体制下にあっては、むしろ、この芸術至 上主義の信念こそが政治的「統合(=画一化) 」 の枠を突き破る「抵抗力」の源泉となったの である。フルトヴェングラーの聴衆が彼の演 奏に共感を示したのも、その感情を共有する ものであった。彼ら聴衆はフルトヴェングラ ーの行動を知り、彼の権力への「異議申し立 て」を感じ取り、彼の演奏に思想的に共鳴し、 演奏会に出ることでみずからの精神的抵抗の 姿勢を表明したのである。フルトヴェングラ ー夫人が「戦時の演奏会は異常な緊張をはら んでいました。そしてこの緊張は強まる一方 でした。聴衆の大半は、こういう言葉を使っ てよろしければ、同志の方がたでした……フルトヴェングラーの演奏会に足を運んだのは 抵抗の立場に立った人たち」でした(166頁) と語ったのはその証拠である。クルト・リー スも、「ヒットラー時代にフルトヴェングラ ーの演奏会に行き、溺れる者が命からがら陸 地に泳ぎつくように、この演奏会に救いを見 いだした人々の意思表明であった」(270頁) と語っている。


〈注〉
(注1)フレート・プリーベルク『巨匠フルトヴェングラ ー ナチ時代の音楽闘争』香川檀・市原和子訳、音楽 の友社、1991(原書1986) 、17〜21頁。本書は緻密な 資料分析に特色があり新事実が発掘されている。以下 本文中では頁数のみ示す。

(注2)ベルント・ヴェスリンク『フルトヴェングラー 足跡−不滅の巨匠』香川檀訳、音楽の友社、1986(原 書1985) 、82〜87頁。本書はフルトヴェングラーの生 家、幼少年時代も含めた詳細な伝記に特色がある。以 下本文中では頁数のみ示す。ヴェルナー・テーリヒェ ン『フルトヴェングラーかカラヤンか』高辻知義訳、 音楽の友社、1988、8頁。

(注3)ヨアヒム・フェスト『ヒトラー』¿、赤羽竜夫・ 関楠生・永井清彦・鈴木満訳、河出書房新社、1975 (原書1973) 、29頁。

(注4)以下フェストからの引用は、上掲書『ヒトラー』 ¿ 、26〜 42頁を参照。なおゲッベルスの ‘Reichsminister für Volksaufklärung und Propaganda’は 「民族啓蒙宣伝省」「国民啓発宣伝省」の訳がある。ク ルト・リース『ゲッベルス−ヒトラー帝国の演出者』 西城信訳、図書出版社、1971、111頁。当時の雰囲気 からすれば、「民族啓蒙」の訳がよい。

(注5)H - J・デッシャー『水晶の夜 ナチ第三帝国にお けるユダヤ人迫害』小岸昭訳、人文書院、1990(原書 1988) 、21〜23頁。

(注6)クルト・リース『フルトヴェングラー 音楽と政 治』八木浩・芦津丈夫訳、みすず書房、1966(原書 1953) 、76頁。

(注7)二人の文章はヴェスリンク、368頁以下。脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』(岩波新書、1984、 25頁以下)にこの間の事情が簡潔に述べられている。

(注8)プリーベルク、上掲書、101頁。以下のフルトヴェ ングラーへの賛辞もプリーベルク、上掲書、106頁参 照。

(注9)プリーベルク、上掲書、124頁。下文のゲーリング の打った手についても、プリーベルク、上掲書、130 頁。

(注10)プリーベルク、上掲書、172〜174、284頁。シュ ミチェクは、フルトヴェングラー協力のかどで、1934 年12月22日事務長の職を馘になった。謎の人物でプ リーベルクも追跡不能であったようである。

(注11)クルト・リース『フルトヴェングラー 音楽と政 治』八木浩・芦津丈夫訳、みすず書房、1966(原書 1953) 、95〜96頁。プロイセン枢密顧問官法。1933年 7月8日成立。首相の任命する50名以下の人々(第2条)、名誉職、鉄道乗車はただ、月に1000マルクの 給与、正式任命は7月20日、開会式は9月15日。こ の枢密顧問官就任について、戦後フルトヴェングラー はクルト・リースになぜ顧問官に就いたのかと聞か れ、「私はこれが何を意味するものなのかまるでわか らなかった」 (95頁)と答えている。任命直後にはそ うであったろうが、彼は直ちに「専門的助言」を行い 得るものとして、過大ながら、その機能を理解した。

(注12)『リヒャルト・シュトラウス』安益泰・八木浩、音楽の友社、1988(原書1964)頁104。なおフルトヴェ ングラーが、なぜ、帝国音楽院の副総裁を引き受けた かについては、クルト・リース、上掲書、95頁、およ びヴェスリンク、上掲書、390頁参照。

(注13)国立歌劇場管弦楽団主席指揮者の職は、1934年1 月16日、プロイセン首相ゲーリングとの間に契約が 結ばれ、期限は向こう5年間、年俸は3600ライヒス マルクである。またプロイセン枢密顧問官の年俸は 6000ライヒスマルクであった。

(注14)ヴェスリンク、上掲書、402頁、およびフルトヴェ ングラー『音と言葉』芦津丈夫訳、白水社、1979(原 書1954) 、97頁以下に全文収録。

(注15)エリザベート・フルトヴェングラー『回想のフル トヴェングラー』仙北谷晃一訳、白水社、1982(原書 1979)、頁157。なお当時の『朝日新聞』 、 『毎日新聞』 に当たってみたがフルトヴェングラーに関する記事は 発見できなかった(待再捜) 。

(注16)エリザベート・フルトヴェングラー、上掲書、158 頁。

(注17)『トーマス・マン 日記1935〜1936』森川俊夫訳、 紀伊国屋書店、1988、頁75。 (注18)アンソニー・ストー『音楽する精神 人はなぜ音 楽を聞くのか?』佐藤由紀・大沢忠雄・黒川孝文訳、 白揚社、1995年、頁155。本文中の括弧内の数字は本書の頁数である
https://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2001/1.MITSUISHI.pdf

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c1

[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
2. 中川隆[-13459] koaQ7Jey 2020年3月23日 22:40:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1445]

ヒンデミット事件


ヒンデミット事件(Der Fall Hindemith)は、1934年のドイツ楽壇で起こった政治的な作曲家排斥事件と、それに伴って「ドイツ一般新聞」(ドイッチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング Deutsche Allgemeine Zeitung)に掲載された指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの新聞投稿のタイトルである。

事件の経過

1934年当時、ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党支配下にあり、強制的同一化政策が推し進められつつあった。その頃、世界に冠たる名門オーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督の地位にあったヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、当時のドイツの新進作曲家であったパウル・ヒンデミットの新作オペラで画家のマティアス・グリューネヴァルトを題材にした『画家マティス』の初演の準備を進めるとともに、そのオペラの音楽素材を用いて作曲された交響曲『画家マティス』を同年3月12日にベルリンのフィルハーモニーホールで初演した。

演奏会は大成功で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員の多くも、次のシーズンにこの曲をプログラミングすることに大賛成だった。しかし、ヒンデミットは当時の帝国音楽院の顧問であり、シャルロッテンブルク音楽大学の教授であったが、ユダヤ人音楽家と弦楽三重奏を組んでレコーディングしたりするなど、ナチスにとっては目の上のたんこぶとも言うべき人物だった。アドルフ・ヒトラーはヒンデミットの歌劇『その日のニュース』において女声歌手のヌードシーンがあることを快く思っておらず、ヒンデミットに対して厳しい措置を取ることにし、フルトヴェングラーがベルリン国立歌劇場で初演しようとしていた歌劇『画家マティス』は上演禁止を通達された。

フルトヴェングラーはこれに怒り、ヒンデミットを擁護するために辞任も辞さない構えをとり、さらに11月25日、「ドイツ一般新聞」に「ヒンデミット事件」と題する論評を載せた。

その論評(全文がフルトヴェングラーの著書『音と言葉』に収録されている)の中でフルトヴェングラーは、ヒンデミットを排斥しようとする動きを根拠のない言いがかりと断じ、ヒンデミットは現代ドイツの音楽において必要不可欠な人物であり、これを容易に切り捨てることは、いかなる理由があろうとも許されるべきではない、と強力にヒンデミットを擁護した。

この論評はドイツ国内外でセンセーションを起こし、ベルリンのフィルハーモニーホールや国立歌劇場ではフルトヴェングラー支持のデモンストレーションが起こっていた。

ナチス政府の宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルスはこの事態に対し、断固たる対抗措置を取ることにした。フルトヴェングラーは(以前から彼自身が望んでいたことでもあったが)帝国枢密顧問官を辞任させられ、さらにベルリン・フィル及びベルリン国立歌劇場の監督をも辞任させられた。ベルリン・スポーツ宮殿では、名指しではないにせよ、「無調の騒音製造者」に対して攻撃的な講演会が行われ、ナチス寄りの新聞は一斉にヒンデミットとフルトヴェングラーを批判した。

ヒンデミットは帝国音楽院の顧問を辞し、音楽大学の教授職を休職した上でトルコに渡った。この事態を受けてベルリン国立歌劇場の第一楽長の地位にあった指揮者のエーリヒ・クライバーも亡命した。

フルトヴェングラー辞任後、ベルリン・フィルハーモニーの技量は落ち込み、また世界的な指揮者フルトヴェングラーがドイツ楽壇の表舞台から去ったことによるイメージダウンを恐れたナチスがフルトヴェングラーに歩み寄りを見せ、1935年3月に両者は和解し、フルトヴェングラーは指揮台に復帰することになる。

しかし、これでフルトヴェングラーはナチスに忠誠を誓ったわけではなく(もっとも、国際社会はフルトヴェングラーがナチスに屈服したとみなした)、内外でナチスに対して反抗的な態度をとり、ユダヤ人の亡命をも手助けしたりしたので、戦争末期には彼に個人的恨みを抱くハインリヒ・ヒムラー率いるゲシュタポに命を狙われ、結局はスイスに亡命することになる。

参考文献

『指揮台の神々―世紀の大指揮者列伝』ルーペルト・シェトレ著、喜多尾道冬訳(2003年音楽之友社)
『音と言葉 《新装版》』ヴィルヘルム・フルトヴェングラー著、芦津丈夫訳(1996年白水社)
『カラヤンとフルトヴェングラー』中川右介著、(2007年幻冬舎〈幻冬舎新書〉) ISBN 9784344980211

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒンデミット事件
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c2

[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
3. 中川隆[-13458] koaQ7Jey 2020年3月23日 22:43:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1446]

前代未聞・空前絶後の大指揮者フルトヴェングラーとは何であったのか?


芸術というものは、「切れ目」があるもの。音はつながっていても、その流れの中に明確な「切れ目」がある。だって、そもそも芸術作品というものは、創作する人間に神の言葉が降り降りたから、永遠に残る作品になったわけでしょ?

その瞬間は、人間の発想の「流れ」は、切れますよ。

逆に言うと、だら〜とつながっている「流れ」を持つ作品は、たとえ音に切れ目があっても、人間の思考の範疇にあるわけ。

以前にマルグリット・デュラスの「インディア・ソング」を考えた際に触れましたが、「最適化とまり」の作品と言えるわけ。そんな作品は、「夜明け」に到達できないnormalな量産品ですよ。


最適化の作業を超えた神の声。そんな瞬間には、時間の流れが止まってしまうもの。

だから、「切れ目」が発生することになる。音がつながっていても、「流れ」が切れるわけ。


もちろん、音楽作品において、そんな「切れ目」があれば、音が一端切れることもありますし、音楽の音色の変化となるケースもありますし、テンポが変わるパターンもある。音楽の表情の変化には色々なパターンがあるもの。

しかし、音楽を聞いていて「ああ!この箇所で、単に音が変化したのではなく、世界が変わったなぁ・・・」と思うこともあるでしょ?

表現された「世界の切れ目」は、現実的には、音楽の流れにおいても切れ目となる。だから、音楽の切れ目に注目すれば、表現された「世界の変化」あるいは、その作品に現れた創造者の声も、見えてくる。日頃から創造的な日々を送っていれば、そんな「切れ目」に対する反応が鋭くなるわけですし、ルーティーンな日々を送っていれば、明確な切れ目があっても、見過ごしてしまう。


今回取り上げるのは、音楽映画「フルトヴェングラー その生涯の秘密」と言うもの。
芸術的な映画と言うより、記録映画に近い映画です。この映画を元に、フルトヴェングラーという人を考えて見たいと思っているわけ。

フルトヴェングラーと言う人は、第2次大戦を挟んでベルリン・フィルの指揮者だった人でした。1954年にお亡くなりになっています。没後50年以上経っているのに、今でも崇拝者はいたりしますよね?

フルトヴェングラーは当代随一の大指揮者であったとともに、作曲も、しました。

第2次大戦という困難な時代に、よりにもよって、ベルリン・フィルの指揮者だったため、ナチとの関係が色々と指摘されることになる。その映画でも、そんなシーンが出てきます。ナチとの関係は、後で考えてみます。とりあえず、ここで考えてみるのは、切れ目の問題です。


実は、このDVDの解説が、結構面白い。日本の音楽関係者さんが解説をなさっておられるようですが・・・

「切れ目」への反応が・・・何と言うか・・・うーん・・・と言わざるを得ないもの。

実は、このDVDの終わりの方に、第2次大戦の終結前にフルトヴェングラーがワーグナーの「マイスタージンガー」の前奏曲を指揮するシーンがあります。フルトヴェングラーとオーケストラはコンサート会場(と言っても体育館かな?)で演奏している。そこにはナチのカギ十字の旗が掛かっている。軍需工場の慰問の意味もあるのかな?

そして映画では聴衆が映っているわけです。フルトヴェングラーとオーケストラの演奏シーンがあって、聴衆が真剣に聞いている映像が流れて、そしてまた演奏シーンがあって、そして、聴衆のシーン・・・と繰り返される。映っている聴衆は、実に、真剣な、表情。

DVDの解説では、「スゴイ演奏だ!だから、聴衆がこんなにも真剣に聞いている!」なんて書かれていますが、読んだ私はその言葉にビックリ。

映像を見れば疑問に思うはずですが、フルトヴェングラーとオーケストラによる演奏シーンと、真剣に聞く聴衆のシーンって、同時に収録したものなの?

聴衆のシーンは別撮りじゃないの?
そして、後で編集したのでは?

同時収録の聴衆もいるでしょうが、全部が全部同時収録なの?

映っている聴衆に当たっている光の具合って、実際のコンサート会場ではありえない場合がある。それに聴衆と演奏家が一緒に映っているシーンがほとんどない。聴衆の映像に、音楽が流れるだけ。それに、フルトヴェングラーのコンサートなのに、それに特に正装している服装ではないのに、まあ、映っている聴衆の周囲がスカスカで、一人しか映っていない場合もある。安い席なら、もっと聴衆を詰め込むでしょ?ただでさえ希望者が多いんだから・・・


真剣な表情で音楽に聞き入っている聴衆の姿って・・・まあ、演技のプロなら当然ですよ。そもそも当時のドイツは純然たる独裁国家。そのイベントを収録した映像に映っている人物が、まるっきりのカタギと言うわけには行かないでしょ?

それこそ今だったら、北朝鮮政府が映した映像で映っている「一般国民」が、どんな素性の「一般国民」なのか?ちょっと考えればわかるはず。それに当然のこととして、当時のカメラは巨大なもの。ゴダールの「勝手にしやがれ」のように手持ちカメラでの撮影と言うわけにはいかない。自分の目の前にそんな巨大なカメラがあったら、落ち着いて演奏を聞くどころではないでしょ?

そして、当然のこととして、相当の光を当てないと、当時の感度の低いフィルムには収められませんよ。映っている「聴衆」にも、相当の光が当たっていたはず。それに、当時の政治体制を考えれば、聴衆だって「ミスは許されない」状態。こりゃ、「真剣」にもなりますよ。命が掛かっているもん。


「一般の聴衆が、こんなに真剣な表情で!」
・・・なんて・・・素直ないい子だねぇ・・・


何も私はその「解説」を失笑しているわけではありませんヨ。シーンの切れ目に対する反応の鈍さについて考えているだけです。

演奏シーンがあって、聴衆のシーンへと続く・・・

その「切れ目」に何があり、どんな意図があったのか?

日頃から創造的なことをやっている人だったら、そんな切れ目を見逃すはずはないんですね。逆に言うとルーティーンな日々を送っている人は、そのような「切れ目」に反応することは難しいんでしょう。これはしょうがない。日本の音楽現場と言うものは創造現場とは距離があるんでしょうね。

創造的な瞬間、人間の思考が途切れる絶対的な瞬間・・・

そんな瞬間とは無縁なんでしょう。申し分のない立派な市民と言えるんでしょうが、芸術家とは言えませんね。まあ、その「解説」は切れ目への反応の鈍さの実例。逆に、切れ目への反応の鋭さの実例というと、実は、このDVDで典型的な箇所があります。

映画に登場しているドイツの音楽研究者さんがフルトヴェングラーが演奏したバッハのブランデンブルク協奏曲の第5番について考えている箇所。その演奏が持つ切れ目がすばらしい。

フルトヴェングラー指揮による、バッハのブランデンブルク協奏曲・・・そんな組み合わせの方に、21世紀に生きる我々は失笑してしまう・・・そんなものでは?

フルトヴェングラーが活動していた時代から、バッハの演奏スタイルは大きく変わってしまいましたからね。実際に、この演奏でもチェンバロではなくピアノが鳴り響く。現代的と言うか、古いというか・・・

しかし、これがまたビックリするくらいに面白い。単に、古楽器による演奏に馴れた我々の耳に、逆に新鮮に響く、と言うものではなく、音楽の「切れ目」が生きている。

音楽の切れ目から、神からの霊感そのものが、鮮やかに浮かび上がる。

「ああ!ここでバッハに、神から霊感があったんだなぁ・・・」って、誰だってわかるのでは?

私はその「切れ目」の部分で、魂が身体からスーと抜けて行く感じがしたくらい。演奏スタイルが古いとか正統的とかの議論よりも、創作者に降り降りた神の言葉を再現することの方が重要でしょ?

フルトヴェングラーの演奏を聞いていると、その切れ目から、まさに「神の言葉」が聞こえてくる。創造的な音楽は、音楽の流れの中に、たまたま切れ目があるのではなく、切れ目をつなぐために、メロディーがある、むしろそっちのスタイルに近いもの。

それこそフルトヴェングラー指揮の有名なバイロイトでのベートーヴェンの第9交響曲の演奏ですが、あの「歓喜に寄す」のメロディーが、「入ってくる」その切れ目のすばらしさ・・・

それは誰だって認めるでしょ?全体が問題ではなく、切れ目が問題と言えるのでは?

神は切れ目に宿るわけ。切れ目への鋭い反応。そしてそれを再現する技量。フルトヴェングラーが、確かに、当代随一の指揮者であったのも、よくわかりますよ。

さて、前にも書きましたが、このフルトヴェングラーは、ナチとの関係が色々と指摘されたりします。多くの芸術家がドイツを後にしたのに、ドイツ国内に留まった。もちろん、彼もナチに対して抗議の声を上げたのだけど、どうも「あいまい」な態度。あるいは、このDVDに登場する画家のココシュカの言い方をすると、「とまどう」態度。

駆け出しの演奏家ならいざ知らず、指揮者としては当代随一の人だったんだから、生活の問題はないはず。心情的にはナチにシンパシーを持っていたのでは?

そんな指摘が、ナチの蛮行が本格化する前から、フルトヴェングラーに寄せられていたわけ。それに対し、

「音楽は政治とは関係ない!」

「私はドイツ音楽に忠誠を誓っているのであって、ナチに忠誠を誓っているのではないんだ!」

「ドイツ音楽を守るためにも、ドイツに残る。」


彼はそのような発言をしたわけ。「芸術と政治は関係ない!」という主張は、別の言い方をすると、「政治と芸術の間には切れ目がある。」と言う主張とも言えるでしょう。

その主張はともかく、もっと明確な態度でもよかっただろうし、取ることもできたのでは?

政治と関係ないと積極的に思うのなら、政治的な場所から切れて、積極的に距離を置けばいいだけ。ただ、その動乱の時代の当事者でない部外者が、もっともらしくコメントしても意味がない。

ただ、ナチとの関係が「あいまい」であったとは言えるでしょう。だって、他の多くの音楽家は、もっと明確な態度で臨んだわけですし、そのような断固とした態度をフルトヴェングラーに勧めた人も大勢いた。つまりフルトヴェングラーには他の選択肢を知っていて、その選択の可能性もあったわけ。

いっそのこと、ナチに忠誠を誓っても、それは個人の政治信条の問題。ナチに反対して、さっさと亡命して、他の国から「ナチからの解放」を呼びかけるのも、立派な態度。フルトヴェングラーは、「あいまい」なんですね。

しかし、フルトヴェングラーの「あいまいさ」って、ナチとの関係だけではない。音楽家にとって、もっと重要な問題においても、実にあいまい。

音楽家であることはいいとして、演奏家なのか?作曲家なのか?

その問題と真摯に向き合ったりはしない。

「ボクは本当は作曲家なんだ!」

なんて言うのはいいとして、実際に作曲をするわけではない。作曲する時間があっても、何とかして逃げ出そうとする。第1次大戦において、それこそ若いフルトヴェングラーは率先して兵役に付こうとしたらしい・・・

せっかく、徴兵検査で不合格になったのに・・・志願するなんて・・・

愛するドイツのため・・・は、いいとして、そのドイツの芸術を発展させることの方が、創作活動をする者の重要な仕事でしょ?

「ベートーヴェンやブラームスを産んだ祖国を守る!」

なんてお題目はいいとして、だったら、なおのこと自分が作曲することでベートーヴェンやブラームス以上の作品を残した方が祖国ドイツにとっても価値があるのでは?


フルトヴェングラーは、作曲の時間ができると、何かに首を突っ込んで、その作曲できる時間をつぶしてしまう。そんなことの繰り返し。その点は、ナチとの「あいまい」な関係で非難された作曲家のR.シュトラウスとは全然違っている。

シュトラウスは、要は自分が作曲できて、自分の作品が上演されれば、それでいい・・・と、割り切っている。ナチに対しても、いつの時代にも存在する、単なる「よくある障害物」くらいの認識。気に入らないヤツらだけど、明確には敵にする必要はない・・・それよりも、アイツらを、うまく使ってやれ!

シュトラウスはナチとはあいまいであっても、音楽活動に対しては、実に明確なんですね。シュトラウスが取ったこのような態度は、分野は違っていますが、ロケット開発のフォン・ブラウンとも共通しています。

自分が本当にやりたいことがわかっているものの発想。これこそが天才というものですよ。それに対しフルトヴェングラーは、「あいまい」な態度ということでは首尾一貫している。ナチともあいまい。作曲活動もあいまい。

あるいは、フルトヴェングラーのライヴァル関係であったトスカニーニとの関係もあいまい。トスカニーニを嫌いなら嫌いでいいわけですが、「敵にしたくない!」「嫌われたくない!」あるいは、「嫌ってはいけない!」なんて心情が見えてくる。

いつだって誰に対してだって判断保留の状態。

トスカニーニにして見れば、フルトヴェングラーは、指揮者としては偉大。政治的には無能。友人とはいえない。と明確。トスカニーニだって他の指揮者についての評価や関係についてウジウジ考えているヒマなんてありませんよ。どうせ共演するわけでもないし・・・割り切って前に進むしかないでしょ?

フルトヴェングラーの行動なり発言を読んでいると、「で、アンタ・・・いったいどうしたいの?」なんて思ってしまう。

フルトヴェングラーに対するトスカニーニなり、F.ブッシュの怒りも、そのあたりなのでは?

もちろん、「芸術と政治は関係ない!」という正論は正論。現実は、そんなものじゃないけど・・・

しかし、「芸術は政治とは関係ない」と言う理屈はいいとして、そうなると、芸術作品に対する理解ってどうなるの?

そう思いませんか?

だって、ナチの活動なんて、共感できないのはいいとして、考える価値のあるものですよ。たとえば、ナチの活動を見ながら、「愛を断念することによって、世界の支配をもくろむ」アルベリヒを連想しなかったのかな?

復讐だけがそのアイデンティティとなったハーゲンを連想しないのかな?

好人物であるがゆえに利用されたグンターと、ヒンデンブルク大統領の相似性を考えなかったのかな?

というか、悪企みの「弾除け」にされた好人物グンターの役回りを、フルトヴェングラーはどう思ったのだろう?

ヒンデンブルク大統領とは別に、この役回りを見事に演じた人が、まさに、いたわけでしょ?

フルトヴェングラーはグンターのことを「自分の背景で悪企みが進行しているのに気がつかないなんて・・・バッカだなぁ・・・コイツ!」なんて思ったのかな?

ナチは自分たちのことをジークフリートに例えていたのでしょうが、むしろアルベリヒやハーゲンにそっくりですよ。そして、最後のカタストロフも、オペラのまま。


ヒトラーと初めて会って話をしたフルトヴェングラーは、ヒトラーのことを「取るに足らない人物」と評したそう。そんな単純な見解って、人に対する洞察力が、いちじるしく劣ると言うことでしょ?

だって、その直前に、フルトヴェングラーは、ジークフリート・ワーグナーの未亡人でありバイロイトでの覇権を目指すヴィニフレート・ワーグナーと衝突しました。

ヴィニフレートは音楽について、明確な知識もない人間なのに、指揮者に色々と指図して、フルトヴェングラーは「もう、やっとれんわいっ!」とブチ切れたわけ。

バイロイトの主人として、バイロイトを盛り立てる・・・その意欲は意欲としていいのですが、音楽面でフルトヴェングラーに指図してもしょうがないでしょ?


しかし、コンプレックスの強い人間ほど、そんな無用な指図をやりたがるもの。それだけ自分を実態以上に「大きく」みせようとするわけ。そして自分自身から逃避したいわけ。そんなヴィニフレードとの衝突の後で、ヒトラーと会談して、ヒトラーとヴィニフレートとのメンタル的な共通性を感じなかったのかな?


芸術の分野も、政治の分野も、その主体は人間でしょ?

その間には明確な「切れ目」なんて無いんですね。芸術作品に登場する人物の心理を理解できても、実際の人間のキャラクターはまったく理解できないって、やっぱりヘン。
実際の人間も、オペラなどでの描かれている人間も、似たキャラクターの場合って多いものでしょ?


この点について、実に笑える話があります。第2次大戦の終結の後、ナチとの関係を理由に裁判にかけられるフルトヴェングラー。その証人として、とあるオペラ歌手が出てきたそう。そのオペラ歌手は、フルトヴェングラーとナチとの関係について、ウソ八百ならべて、フルトヴェングラーを陥れようとしたらしい・・・

しかし、そのオペラ歌手には、フルトヴェングラーとの間に過去に個人的な「いさかい」があり、その個人的な感情で、フルトヴェングラーに嫌がらせをしたんだそう。それは「マイスタージンガー」のベックメッサーの役をやりたくて応募したけど、フルトヴェングラーがその歌手を採用しなかったので、その「恨み」を持っていて、それを裁判という場違いな場でぶつけたわけ。

いやぁ!ベックメッサーになれなかった歌手の、見事なベックメッサー振り。芸術作品を理解するのに、最良の資料は、自分たちの目の前にあるものなんですね。

あるいは、教養人とされるフルトヴェングラーですが、ヒトラー,ゲッペルス,ゲーリングのナチの3巨頭のキャラを、フランス革命のロベルピエール,マラー,ダントンの3巨頭とのキャラとの関連で、見るようなことはなかったのかな?

禁欲主義者,マスコミ対応,享楽家と、組み合わせもちょうど合っている。教養人フルトヴェングラーの教養って何だろう?


書かれた楽譜なり、本での記述は理解していても、実際の人間を洞察するのには、何もできない。フルトヴェングラーって「ブンカジン」だなぁ・・・と思ってしまう。

まあ、そんな実際の人間に対する洞察力が著しく劣っていても、演奏家としては何とかなるんでしょう。それこそブルッックナーのような作品を演奏するのだったら、それでもいいのかも?

しかし、そんな人が、作曲などの新しい作品を作ることができるの?

ゼロから創作することができるの?

現実を見る目がそんなにない状態から、ゼロから創作するインスピレーションなんて、沸き起こって来るの?

フルトヴェングラーは、楽譜から「神の言葉」を読む取る能力はすばらしいけど、神の言葉を直接聞ける人間なのかな?

R.シュトラウスが要領よく立ち回ったのは、それだけ「人を見る目」があったからでしょ?

逆に言うと、そんな目がないとオペラなんて書けませんよ。フルトヴェングラーが言う


「時間がなくて、作曲できない・・・」

は、理由としてポピュラーですが、作曲なんて基本的にはアタマの中でやるものでしょ?

電車で移動している最中にもできるじゃないの?

あるいは、アルキメデスのようにお風呂に入った時にすばらしいアイデアなんて浮かばなかったの?

そのようなアイデアをしっかりコンポーズするには、まとまった時間も必要でしょうが、アタマの中でラフスケッチくらいはできますよ。それなのに、どうして20年以上も作曲に手をつけないの?

それって、「どうしても曲にまとめ上げたい!」という霊感やアイデアがなかったからでしょ?

だって、目の前にいる実際の人間に対する洞察力が、これだけ劣る人なんだから、霊感なんて来ませんよ。もし霊感があったら、とりあえずは、小さな作品からでも、作曲するでしょ?

まずは小さい規模の作品を制作しながら、自分自身の本当の霊感なり、作品にする問題点を自覚できるわけでしょ?

その後、大規模な作品に進んでいけばいいじゃないの?

作曲活動それ自体が、そして自分が作った「小さな作品」それ自体が、自分自身がやりたい作曲活動の方向性を教えてくれることがあるわけ。いきなり大規模な作品を制作って、ヘンですよ。


彼の作曲した作品ですが・・・

DVDの映像では、カイルベルトとバレンボイムが、肯定的な評価をしています。しかし、どうしてコメントがカイルベルトとバレンボイムによるものなの?
実は、この映画には、もっと適役が登場しています。それは、テオドール・アドルノ。

シェーンベルクに作曲を習い、マーラー以降のドイツ音楽について一家言以上のものを持つフランクフルト学派の哲学者アドルノが、フルトヴェングラーが作曲した音楽を、「理詰め」で絶賛すれば、この私などは「ははぁ!わかりました!わかりました!もうわかったから勘弁してよ!」って泣きを入れますよ。


ところがアドルノは、フルトヴェングラーの指揮を絶賛しても、作曲した作品には何も語らない。当然のこととして、この映画を制作した人は、アドルノに対して、作曲家としてのフルトヴェングラーについて聞いたはずです。カイルベルトやバレンボイムにも聞いたくらいなんですから、当然でしょ?

アドルノは、まあ、その話題を避けたんでしょうね。ウソは言えないし、故人を冒涜するようなことはしたくないし・・・

まあ、アドルノが言いたくないレヴェルの作品というわけなんでしょう。技術的な問題はともかく、「どうしてもこれを表現したい!」という気持ちが入っていないと、それ以前の問題ですよ。彼の作曲した音楽からは「どうしてもこれを表現したい!」「これだけでもわかってほしい!」という強い意志が感じ取れない。

しかし、彼の「指揮した」演奏を聞いて、「どうしてもこれを表現したい!」という強い意志が聞きとれない人はいないでしょう?

そして、演奏には、明確な「切れ目」もある。その切れ目が、人間の発想から、神の発想への「切れ目」となっている。そして、その「切れ目」を通ることによって、音楽の高みが、「より」高みへと通じ、深みが「より」深みへとなっていく。彼が指揮した音楽が作り出す「切れ目」を、彼と一緒にくぐることによって、我々聞き手も「より」深淵へと、到達できる。


『ここで作曲者に神の言葉が降り降りたんだ!』

って、フルトヴェングラーの指揮した音楽からは明確にわかる。彼は演奏家としては、あいまいさからは無縁。彼としては、演奏している時だけが、自分になれた・・・というより、完全なオコチャマになれた・・・のでは?

それ以外の時は、周囲に配慮しすぎですよ。


完全なオコチャマになり、幼児のように心を虚しくしているので、まさに天国の門は開かれる。


「オレは本当は指揮者ではなく作曲家なんだ!」

「本当は指揮などをしている場合じゃないんだ!」

「作曲をしないと行けない!」


と思っているので、指揮そのものは一期一会になる。フルトヴェングラーにしてみれば指揮は禁忌のものなんですね。禁忌のものだからこそ、なおのこと惹かれるって、人間誰しもそんなもの。おまけにそっちの才能は人並み外れているんだし・・・やってはいけないものだからこそ、火事場のバカ力も出たりする。

だからますますやっていて楽しい。火事場のバカ力なので、精神的に落ち着くと、周囲に配慮した「いい子」になってしまう。自分に自信がない人は人から誉められることを渇望するもの。それだけ自分自身が本当にしたいことがわからないので、人からの評価に依存してしまうわけ。

しかし、「いい子」では、逆に神の言葉は聞けないでしょ?

だって、「心を虚しくしている」幼児は、決して「いい子」ではないでしょ?

「いい子」って、それだけ外面的なことにこだわっているということ。人の評価に依存しているということ。それだけ神からは遠いわけ。


フルトヴェングラーの父親は、なんとアドルフという名前らしい・・・考古学の教授をなさっておられました。そのアドルフさんは、息子の才能を認め、サポートした・・・のはいいとして、息子の意見を聞いたの?フランクな会話があったの?

どうも、そのアドルフさんは厳格な人だったらしい。厳格と言っても様々なヴァリエーションがあります。自分に厳しいというパターンから、問答無用で強圧的というパターンまで。息子のウィルヘルム・フルトヴェングラーが極端なまでに「いい子」でいようとしたことからみて、まあ、問答無用の父親のパターンでしょうね。

そうなると、一般的に子供は抑圧的になってしまう。自分で自分を抑圧するようになるわけ。まさに「いい子」でいなきゃ!って強迫的に思ってしまう。

彼も、自分の父親アドルフの問題を真剣に考えればいいのでしょうが、どうもそこから逃げている。父親アドルフの問題から逃げていれば、総統アドルフの問題を考えることからも逃げるようになりますよ。だから眼前にどんな事件があっても、鈍い反応しか示せない。

自分が一番よく知っている人物の問題から逃避する人は、眼前にある具体的な人物や事例から考えることを逃避してしまうものなんですね。それこそ、フェミニズム運動をなさっておられる女性たちは、自分の父親の問題については絶対に言及しないものでしょ?

一番よく知っている男性の問題を考えなくて、男女の問題云々もないじゃないの?


同じように、フルトヴェングラーは、一番よく知っている人間の問題から逃避して、具体的な現実の人間の問題から次々と逃避しだす。そして、最後には指揮台に追い込まれ、もう逃げようがないとなると、爆発してトランス状態になり火事場のバカ力が出る・・・


普段は逃げ回っている作曲家フルトヴェングラーなり、人間フルトヴェングラーも、指揮台に上るという「切れ目」を経ると、「あいまいさ」から解き放たれ、神懸かりとなって、神の言葉が聞けてしまう。指揮台に上るという「切れ目」を経ることによって、「切れ目」を作り出すことができる芸術家になる。

指揮台に上る前は、アドルフから逃げ、アドルフの言葉を聞く状態。

指揮台に上ったら、神の言葉が聞こえる。


そういう意味で、作曲から逃げ出すこと自体が、神懸かり的な演奏をするエネルギーになる。しかし、そんな彼は、本当に、「作曲をしなくてはならない。」という状況になったら、どこに逃げるんだろう?

フルトヴェングラーにとっては、演奏は、仕事でもなく使命でもなく、いわば治療とか療法に近いもの。しかし、だからこそ、彼にとっては必然でもある。作曲では彼は救済されないわけ。

個人的なことですが、私が彼の演奏のレコードを聞いたのはシューベルトの長いハ長調の交響曲の録音。オケはベルリン・フィル。その演奏を聞いて、まずは最初のホルンにビックリしたものです。

「これが20年後に、パリのオーケストラよりもラヴェルらしいラヴェルがやれると自慢されてしまうオケの姿なのか?」

最初もビックリですが、第1楽章の最後の部分にもビックリ。オケのメンバーが、気が狂ったように演奏しているのがよくわかる。


オーケストラのメンバーや聴衆に「感動」を与えられる指揮者は結構いるでしょうが、オーケストラのメンバーや聴衆を「発狂」させるのは、ハンパじゃありませんよ。とてもじゃないけど、人間業ではできないこと。


そして、そのシューベルトの演奏を聞いていると、この演奏家が、死に場所を探して暴走していることがスグにわかる。彼は逃げて、逃げて、死に場所を探して暴走し、その暴走がオーケストラや聴衆に伝わる・・・


死に場所を探すエネルギーが、演奏のエネルギーになり、生きるエネルギーになる・・・って、矛盾しているようですが、まあ、芸術・・・特にドイツ芸術って、そんな傾向があったりするでしょ?


ドイツ精神主義なんて言葉もありますが、フルトヴェングラーの音楽を聞いていると、そんな主義主張よりも、彼岸にあこがれる心情の方が強いのでは?

しかし、彼岸に憧れ続ける心情が何をもたらすか?

そんな一期一会の絶妙な均衡が、彼の音楽をかけがえのないものにしている・・・

演奏専従だったら、演奏だってルーティーンなものになってしまって、一期一会にはならないわけですからね。この点は、他の演奏家にはないこと。彼は演奏家になりきれなかったから、偉大な演奏家になった・・・

あるいは、職業としての演奏家としては不十分であったために、一期一会の演奏は達成できた。相変わらずの、反語的な言い回しですが、偉大な表現者って、反語的な存在なんですね。

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-11/07-11-01.htm

「作曲家としてのフルトヴェングラー」


彼は、ある意味において、実に面白い人物。私ごときが指揮者としての彼の能力を語ることはできるわけがない。天才の発想なんて読めませんよ。

しかし、指揮台に上がっていない彼の、普段の行動なり作曲家としての彼のスタイルは、意外なほどに「読みやすい」もの。よく、彼の行動を評して

「どうしてナチに対してあいまいであったのか?」とか

「どうして大した才能もないのに、作曲家であることにこだわったのか?

そもそも大作曲家の作品に親しんでいる彼なんだから、自分の作品のデキについてわからないわけがなかろう?」


どうしてなんだろう?そんな疑問が提示されたりするものでしょ?


ナチや自分の作品の価値についても、ちょっとでも自分で判断すれば、結論を出すことは難しくはない。しかし、世の中には判断することから逃避するような人間もいたりするもの。フルトヴェングラーがその典型だとすると、彼の行動も、簡単に理解できてしまう。

判断を間違ったのではなく、判断することから逃避する人間のタイプなんですね。


以前にエルフリーデ・イェリネクさん原作の「ピアニスト」と言う作品を考えた際に、抑圧と言う言葉を多く用いました。表現者としては、「自分がやりたいこと」、あるいは「表現者として人々に伝えたいことは何だろうか?」その問題意識が重要でしょ?


自分自身を抑圧すると、そのようなことを考えることから逃避するようになってしまう。そんな人は、「何を伝えるのか?」と言う問題から逃避して、「どうやって伝えるのか?」と言う問題にすり替えてしまうんですね。

自分がどうしてもやりたいこと、あるいは自分がどうしても伝えたいこと・・・それはいわばWHATの問題。

どうやって伝えるのかの問題は、いわばHOWの問題。

自分自身に抑圧を課す、それなりに知性のある人間は、自分自身のWHATの問題から逃避して、あらゆることをHOWの問題にしてしまう。なまじっか、それなりに知識があり、HOWの問題について語ることができるので、WHATの問題から逃避していることが、自分でも気が付かない。自分からの逃避と言う状態においても、それなりに洗練されてしまうわけ。

さて、フルトヴェングラーの逃避の問題ですが、この映画で実に典型的なシーンが出てきます。青年時代のフルトヴェングラーが、家庭教師と一緒にイタリアのフィレンツェに旅行をした。ミケランジェロの作品に圧倒的な印象を受けた青年フルトヴェングラーは、その場から離れ、一人でその印象を楽譜にしたためていたらしい・・・

映画においても、その「圧倒的な印象から逃げて・・・」なんて言われちゃっています。もうこの頃から、逃避傾向があるわけです。と言っても、皆さんは思うかもしれません。

「せっかく、ミケランジェロの彫刻からすばらしい印象を受けたのだから、それを音楽作品にまとめようとするのは、作曲家志望の青年としては当然のことではないのか?」

その感想は、ある意味において、正しいでしょう。しかし、圧倒的な印象を受けたのなら、それをその場で楽譜に残す必要はないんですね。だって、圧倒的な印象だったら、いつまで経っても忘れませんよ。何もその場で音楽作品にする必要なんてない。むしろ、アタマの中で寝かせておいて、その印象が充実してくるようにした方が、適切な方法。アタマの中でその時の印象と別の機会での体験を組み合わせたり、他の経験と共通性を考えたり、当然のこととして、その表現方法だって色々と考えられる。

素材をどう広げるのか?
あるいはまとめるのか?
どのようにコンポーズするのか?

それを考えるのが作曲家でしょ?

その時点で音楽にして楽譜に書いてしまうと、もう考えなくてもよくなってしまう。ただ、アタマの中での試行錯誤は、結構シンドイもの。常に考えなくてはならないわけですから、精神的に負担になるんですね。

それこそ、コンピュターのメモリーで常にアクセスできる状態のようなもの。引き出しやすいけど、電力は常に使う状態なのでスウィッチは切れない。

それに比べて、ハードディスクに保存すると、保存性はよくなるけど、アクセスは出来にくい。だから加工は難しい。これが紙にプリントアウトしてしまうと、もういじれない。しかし、だからこそ精神的にはラクと言える。


フルトヴェングラーだって、本当に作品を作れる人間だったら、そんな強い印象を受けたのなら、スグに楽譜にまとめることなんてしないはず。スグに楽譜にメモしなくてはならないのは、むしろ小ネタの方。だってちょっとしたネタだったら、それこそスグにメモならないと忘れちゃうでしょ?


「あの部分の切り返しのところは、このような方法にしよう!」とか、「ちょっとしたエピソードとして、こんなネタを挟もう!」なんて、ちょっとしたアイデアも、作品を作る上では必要ですよ。そんな小ネタだったら忘れないようにメモらないとね。

よく「引き出し」なんて言い方がありますが、そんな小ネタもやっぱり必要なもの。
それこそ引き出しにしまっておかないと。しかし、自分にとって最重要な問題、いわば大ネタは、忘れるわけがないから、メモる必要もない。

スグにまとめちゃうということは、アタマの中で寝かして試行錯誤し続ける精神的な負担に耐え切れない心の弱さを表しているものなんですね。ミケランジェロからの印象を、さっさと楽譜にまとめてしまう態度では、「強い」作品にはならないわけ。

こんなことを書くと、いまだに現存するフルトヴェングラーの崇拝者の方はご立腹なさるでしょうが、今ここで私が考えているのは、作曲家としてのフルトヴェングラーであって、指揮者としてのフルトヴェングラーではありません。


指揮者としては、あれほど圧倒的な音楽を作れるのに、どうして作曲家としては「いい子」、あるいは規格品とまりなの?と言うか、それこそ、作曲なんて止めてしまって指揮者専業でも何も問題ないはず。作曲をすること自体を楽しむことができる人間だったら、それこそミケランジェロから受けた強い印象をアタマの中で色々といじって、長く検討して行くものでしょ?

スグに作品にまとめるって、「イヤなことは、早く忘れたい!」「つらいことから、早く逃げ出したい!」そんな心情が、無意識的にあるということ。

自己への抑圧と言うものは、そのような自己からの逃避というスタイルになることが多いんですね。自分自身のWHATから逃避するわけ。

自分が何をしたいのか?

何を人に伝えたいのか?

それについて考えないようになってしまう。

そのような傾向は、強圧的な父親の元で育ったアダルトチルドレンに典型的なもの。問答無用の環境だったので、自分がしたいことを抑圧するようになるわけ。

実は、フルトヴェングラーの行動も、抑圧的なアダルトチルドレンの習性がわかっていると、簡単に予想できてしまう。発想が常に減点法。人から嫌われてはいけない。よい子でいないといけない。もちろん、親に迷惑が掛かってはいけない。そんなことを常に考えている。減点を意識しているので、自分で判断できない。

彼の場合は、それが特に深刻で、共依存状態にある。「共依存」とは、相手に依存「させる関係」に依存すると言うもの。「共依存」と言う考え方は、夫婦間でドメスティック・ヴァイオレンスに陥ったり、あるいは若い人たちがボランティアに入れ込むようになる心理を説明する際におなじみのものです。

あるいは、「ウチの子はいつまでも経っても甘えんぼうで・・・ずっと、ワタシがついていないとダメだわ!」なんて言うバカ親の心理もこれですよね。

あるいは、もっと深刻だとストーカーの心理もこれです。ストーカーは「オレにはアイツが必要だ!」と自分で『認識』しているのではなく、「アイツにはオレが必要だ!」と勝手に『認定』しているわけ。

自分自身の精神状況の自覚ではなく、相手の幸福のスタイルを勝手に認定しているわけ。だからタチが悪い。当人としては善意で相手に付きまとっている。だから周囲が何を言ってもダメ。バカ親の心理もそうですが、基本的にはアダルトチルドレンに典型的な症状です。それだけ、自分自身が何をしたいのか?自分でもわかっていない。そしてわかろうとしないし、自分から逃避しようとする。精神的に自立していない。だから他者との関係性に依存せざるを得ない。

こんな心理を持っていたら、たとえナチスに共感がなくても、ドイツから離れられませんよ。だって、共依存症状にある人にしてみれば、ナチス支配下のドイツなんて天国ですよ。だって、自分を頼ってくる人がいっぱいいるわけですからね。

つまり自分の役割について自分で考えなくてもいいわけ。簡単に自己逃避できるわけでしょ?

何もフルトヴェングラーの人格に対し攻撃しようなんて思っているわけではありませんよ。芸術家なんて、その作品がすべてですよ。それこそ画家のカラヴァッジョや作曲家のジェズアルドや劇作家カルデロンのように人殺しまで居るのがアーティストの業界。

たかがアダルトチルドレンくらい・・・まだまだ甘いよ。いや!「あいまい」ですよ。


前回でフルトヴェングラーは首尾一貫して「あいまい」という点を書きました。「あいまい」であると言うことについては、実に「あいまい」ではないわけ。

この点は、彼の作曲した音楽にも明確に見えてくるでしょ?

彼の交響曲第2番はCDになっていて、まさしく彼の演奏で聞くことができます。
これが、また、「あいまい」な音楽。

何も、時代に合わせてモダンな12音技法でないとダメとか、ショスタコーヴィッチばりのポストモダンな引用技法が展開されていないといけないとか・・・そう言うことを申し上げているわけではありません。

「これだけはどうしてもわかってほしい!」とか、

「消しようがないほどに明確な音響イメージがあって、それを表現したい!」

なんて強い意志なり、覚悟がある音楽なの?

と言うことなんですね。

自己表現が目的と言うより、自己弁護の音楽。

えーとぉ・・・ボクはこんな事情があって・・・

色々と面倒なことがあったから、作曲できなくて・・・

まあ、ちゃんと作曲もやっているでしょ?

サボっているわけじゃあないよ。そんな弁解がましい表情が延々と続く音楽。


音響的にはフランクやショーソンの交響曲のような感じで、ブルックナーの交響曲から「聞いたことがある」音響が出てくる。なんともまぁ・・・

フルトヴェングラーが作曲した作品は聞き手に真摯な緊張を要求する・・・
そんな音楽なんだから、だからオマエはその価値や内容がわからないんだよ!
そうとも言えるでしょうが・・・

どんな小難しい音楽でも、後世まで残る作品には「これっ!」という瞬間があって、その決定的な瞬間から、全体の理解もだんだんと深まっていくモノ。

ところが、フルトヴェングラーの交響曲には、「これっ!」と言う「切れ目」がない。これは楽章の切れ目云々ではなく、音楽の流れに切れ目がないため、神の言葉が降り降りた瞬間が出てこないんですね。

演奏においてなら、「切れ目」の大家と言えるフルトヴェングラーなのに、作曲した作品には「切れ目」がない。つまり神の言葉ではなく、人間の言葉が支配している「音楽」といえるわけ。自分の存在証明ではなく、自分の正当性の証明に近い。

しかし、正当性を証明しようとするほど、芸術家としての存在証明から遠くなる。なぜなら人間の言葉で正当性を証明するほど、神の言葉から遠くなるもの。

幼児のように、心を虚しくして、神の言葉を受け入れたときに、芸術家としての存在証明になる・・・芸術作品とはそんなものでしょ?

神の言葉を伝えるのが、芸術家の使命でしょ?

天才は自分の正当性などと言った弁解のための仕事などはしないもの。

弁解が通用しない世界・・・それが修羅場でしょ?

フルトヴェングラーにとって指揮台こそが、その修羅場。だから指揮においては、弁解のための仕事はせずに、神の言葉を直接聞くことができて、それを伝えることができる。しかし、作曲をしている時には、精神的に余裕があって、修羅場ではない・・・だから弁解ばかり。


フルトヴェングラーが作曲した作品は、実に人間的な音楽とも言えますが、逆に言うと人間とまり。あるいは、まさしく最適化止まり。これでは作曲していても、面白くないでしょう。たしかに、25年以上も作曲から遠ざかることを、事実上選択するわけですよ。


しかし、作曲の才能がなくても、創作の霊感が訪れなくても、何も問題はないはずでしょ?

当代随一の指揮者と言う称号があるんだから、それでいいんじゃないの?

そもそも、フルトヴェングラーさんよ!アンタは作曲が好きなの?

そんな根本的な疑問をもってしまう。

作曲を好きなのに才能がないのか?

そもそも好きでないのに、自分を押し殺して作曲したのか?

「ボクは本当は作曲家なんだ!」と言うのはいいとして、25年以上も作曲から遠ざかり、やっと作曲したら、自己弁護に終始。使命感を持って作曲している人がやることではありませんし、そんな音楽ではありませんよ。

逆に言うと、特に才能があるわけでもないし、使命感があるわけでもないし、好きでもないし、実際の作曲活動はしないのに、どうして「ボクは本当は作曲家なんだ!」なんて言うの?

フルトヴェングラーは、子供の頃から音楽の才能を発揮して、周囲から、「将来は偉大な作曲家に!」なんて言われたそう。これはDVDに出てきます。家族も、その才能に惜しみない援助を与え、教育の機会を与えた・・・


そう言う点では、「作曲家」フルトヴェングラーは実に恵まれている。作曲家になるに当たって、こんなに周囲から物心両面からのサポートを受けることなんて滅多にありませんよ。一般的には、「ボクは作曲家になりたいんだ!」なんて言おうとしたら、「何を、夢みたいなことを言っているんだ!カタギの仕事をしろ!」と言われるのがオチ。

しかし、少年フルトヴェングラーは家族から励まされる環境。それこそ、父親との間にこんなシーンがあったのでは?


少年フルトヴェングラーと、父親アドルフが、冬の夜に空を見上げる。


「おい!ウィルヘルム!
北の空にひときわ大きく輝く星があるだろう!
あの星はドイツ作曲家の星だ!
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー・・・

オマエも将来、あの星になるんだ!」


「父さん!わかったよ!
ボクはドイツ音楽の星になるんだ!ボクはやるよ!」

・ ・・拳を握りしめ、瞳から炎がメラメラと・・・このシーンのBGMは当然・・・


輝くドイツ音楽の星。それもバッハやベートーヴェンやワーグナーなどに並ぶ地位に。


「さあ!これが、ドイツ音楽作曲家養成ギブスだ!」

「これをつけて親子一緒にガンバロウ!」


そんな感じで言われちゃったら、子供の頃はともかく、実際に作曲するにあたってはプレッシャーになるんじゃないの?

しかし、フルトヴェングラーが音楽活動を始めた頃は、その星々につながる意志を持っていたのは明白。彼が1906年の指揮者としてのデビューで取り上げた曲は、後に交響曲第1番の第1楽章となった自作の「ラルゴ ロ短調」と、ブルックナーの第9交響曲の組み合わせでした。ブルックナー最後の未完の交響曲なんて・・・デビューの曲目にしては荷が重いだろう・・・と思うのは誰でもでしょうが、この「組み合わせ」・・・あるいは、以前書いた言い方でモンタージュは、簡単にその意図が読めますよね?


それはこれ。

「ブルックナーが完成させられなかったドイツ音楽の系譜を、このボクが完成させるんだ!」

まあ、その心意気や良し!・・・なんですが・・・

系譜につながることは結果であって、目的ではないでしょ?

それこそブルックナーだって、先輩作曲家ベートーヴェンを尊敬していたでしょうが、その列につながるために作曲をしたわけではないでしょ?

自分自身の霊感を永遠に残すために作曲したわけでしょ?

曲のまとめ方などに当たって、当然のこととして先輩の方法を参考にする・・・
だから、結果としてドイツ音楽の作曲家の系譜になる。

そんなものでしょ?

まずは、自分がどうしても表現したいものは何なのか?
その自問自答の方が先でしょ?

しかし、フルトヴェングラーは、ドイツ音楽の作曲家の系譜が強く意識されてしまっているので、

「ボクもそのレヴェルでないと行けない!」
「巨匠たちの名誉を汚さぬように!」
「あんな音楽を書かなきゃ!」

なんて強迫的に思ってしまう。いわば、形から入る状態。形から入っているので、フルトヴェングラーが作曲した作品って、交響曲とかの立派なジャンルばかりですよね?

そして長さも結構ある。まさに立派な外観をもっている。しかし、外観はいいとして、中身はどうなの?

そもそも芸術作品にとってジャンルとか外観は、二の次でしょ?

マーラーの交響曲が、交響曲なのか?歌曲でしかないのか?そんなことを議論する人もいますが、それ以前に中身の問題が重要でしょ?

マーラーの音楽は中身で勝負できる。しかし、フルトヴェングラーの作品の中身っていったい何?

逆に言うと、中身で勝負できないから、ますます外観にこだわらざるをえない。それでは自分なりの作曲なんてできないでしょ?

作曲家フルトヴェングラーは伝統的な芸術の系譜を意識するあまり、芸術の伝統の系譜からは外れてしまった。「伝統的な芸術の系譜」と「芸術の伝統の系譜」なんて、言葉としては似ていますが、中身は全然違うモノ。

それこそベートーヴェンだって、彼自身は「伝統的な芸術の系譜」ではなく、「芸術の伝統の系譜」の一員と言えるでしょ?

まあ、作曲の才能が「全く」ないのなら、まだ、「しょうがない」で済みますが、フルトヴェングラーの場合は、最初は神童扱いだったわけですし、周囲からのサポートを受け期待もされた。作曲から逃げる理由がないわけ。しかし、逃げる理由がないからこそ、懸命になって逃げざるをえない。


そもそも、やっぱり作曲家という存在は、音楽家の中では最高位でしょ?

だからこそ、作曲家であることをあきらめることは、序列的に下に安住することを意味しますよね?

「父さん!ボクは作曲なんてしたくはないんだ!指揮の方が好きなんだ!」

なんて言っても、心の中にいる父親がこう言うでしょう。


「どうしてオマエは、そんなに自分に甘いんだ!

自分は才能が無いなんて言葉は、努力放棄の言い訳に過ぎない!バカモノ!」

そして「北の空を見よ!ひときわ輝く星がオマエの目指すべきドイツ音楽の星だ!」

とお説教の声。そんな父親の言葉が心の中で響いてしまう。だから周囲には「ボクは本当は作曲家なんだ!」と、言い訳をしなくてはいけない。

フルトヴェングラーはなまじ指揮者なんだから、タチが悪い。彼がピアニストとかヴァイオリニストだったら、作曲活動にも、距離を取りやすい。作曲をしなくても、誰も不思議に思わない。しかし、指揮なんて、そもそもが作曲家の仕事の一部だったわけでしょ?

しかし、才能はないし・・・それだけでなく、ドイツ音楽の星としての要求される「基準」もある。あのレヴェルの曲を書かないといけない!

これでは、自分なりに作曲するなんてことはできないわけ。

さあ!どうする?

と言うことで、作曲しなくてもいいように、余計なことに首を突っ込むわけ。

「あそこに困っている人がいるから・・・」
「ボクが助けないとダメだ!」
「あの人たちを助けられるのはボクだけ・・・」

と言うことで、ますます共依存症状が進行することになる。そもそも指揮者フルトヴェングラーが作品に向き合う際には、「作曲された音楽が作曲される前の状態まで考え、それを再構成する」のがフルトヴェングラー。

そんな発想は、まあ、私には実に親近感がある。だからそんな態度を、フルトヴェングラーの「作品」に適用しているだけです。創作者の発想を読みながら演奏したフルトヴェングラー自身の発想を、この私が読んでいるだけです。

重要なことは作品を評価することではなく、その前の霊感を考えることでしょ?


逆に、ナチスは「芸術家にとって作品などは、どうでもいい!人格が問題なんだ!」と言ったそう。

その人格と言ってもナチスに対する忠誠となるんでしょう。人格で作品を否定するなんて、それこそがナチスですよ。しかし、その人格重視のナチスがワーグナーを賞賛ってのも、また矛盾なんですが。そもそもアーティストなんてオコチャマなのがデフォルト。その瞬間に充足し、次には、その充足を破壊していく・・・

「わあ!これって、おもしろいなぁ!」それがすべて。そんなオコチャマこそが芸術家のメンタリティ。

逆に言うと、フルトヴェングラーは、アダルトチルドレンだけあって、ある意味オトナ。この面でもあいまい。あまりに周囲に配慮しすぎ。発想が減点法。


別の言い方をすると、「いい子」。彼の行動も、作曲した作品も、まさに「いい子」がやりそうなものですよ。

自己の確立していないアダルトチルドレンは、往々にして権威主義。その価値を自分自身で説明することができないので、人々が「権威ある」と認めるものに乗っかろうとするわけ。

実は、このような点で、フルトヴェングラーとゲッペルスは、腹の底では共感しあっていたようです。フルトヴェングラーは何か相談事があると、まずゲッペルスを訪ねたようです。ゲッペルスもフルトヴェングラーのことは、気にかけていたそう。いわばカウンターパートナーの間柄。フルトヴェングラーもゲッペルスも、「何を言うのか?」と言うWHATの問題よりも、「どう伝えるのか?」つまりHOWの問題の大家ですよね?

それに、権威ある思想に乗りかかって自己を表現するスタイルも共通。序列思考が強く、族長的な存在に盲目的に従おうとする。彼らは、いわば隷従することが好きなタイプ。以前に取り上げたエルフリーデ・イェリネクさんの「ピアニスト」を考えた際に用いた言い方をすると、「犬」のタイプ。

ゲッペルスに対して、

「アナタはヒトラーの犬じゃないか?」なんて言っても、

「ああ!そうだよ!何か文句でもあるかい?」

なんて言われるだけでしょ?

ゲッペルスは、ヒトラーに最後まで付き従いましたよね?

その点ではゲーリングやヒムラーよりも忠犬。たぶん、ゲッペルスの父親も強圧的な人だったのでは?

同じように、フルトヴェングラーに対して「アンタはベートーヴェンの犬じゃないか?」なんて言ったらフルトヴェングラーはどう答えるのでしょうか?

やっぱりゲッペルスと同じじゃないの?「ああ!そうだよ!何か文句でもあるかい?」

ゲッペルスは、信念を持って、アドルフに隷従していたわけ。フルトヴェングラーも深層心理的にアドルフに隷従していたわけですが、彼の場合はアドルフと言っても、ヒトラーではありませんが。ベート−ヴェンの犬なんて言葉はともかく、フルトヴェングラーはそれでいいと思っていたでしょう。立派なベートーヴェンの音楽を人々に伝えるのが、自分の使命だ!

そう考えることは、立派なこと。しかし、作曲家志望だったら、そんな崇め奉るだけではダメでしょ?

立派な権威としてベートーヴェンを見るのではなく、すばらしい業績を残した先輩として見る必要もあるのでは?

第2次大戦が終結した後で、フルトヴェングラーはR.シュトラウスを訪ねた。R.シュトラウスは、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の楽譜を見ながら、「ファゴットの使い方がすばらしいねぇ!」と言ったそう。

こんな言葉から、R.シュトラウスは、ワーグナーをすばらしい業績を上げた先輩と見ていることがわかりますよね?

作品を受けてのリアクションにおいて、意味ある細部を指摘できるのは、全体がわかっている証拠。そして自分自身についてもわかっているからできること。シュトラウスとしては同じ作曲家仲間として、ワーグナーの作品を参考にする・・・そんな態度が見えてくるわけ。他の人の作品を見るにあたっても、普段からの自分の問題意識が反映されることになる。だから具体的な細部の各論を中心に見ることになる。

「自分だったら、どうするのか?」

「今、自分は、ちょっと壁にぶち当たっているけど、この人はどんな解決をしたんだろう?」

そんな発想が常に存在しているわけ。フルトヴェングラーの場合は、尊敬すべき先輩というより、ひれ伏さざるを得ない権威としてベートーヴェンやワーグナーを見ているのでは?

あるいは、規範として見ている。そうとも言えるでしょう。つまり作曲家としての問題意識がない状態で、他の作曲家の作品を見ている。そのような見方は、指揮者としては問題なくても、作曲家としては問題でしょ?

規範として見るような発想は、「それ以外を認めない」と言うことになり、ある意味、自分で考えることから逃避できる。これはエルフリーデ・イェリネクさんの「ピアニスト」でのエリカもそうでした。音楽を聞く際においても、ベートーヴェンを規範としてみたり、あるいは演奏家としてのフルトヴェングラーを規範として見ることは、聞き手の自己逃避の一種なんですね。規範を重視と言うか、形から入る・・・いわば、「形と中身の乖離」となると、ブラームスがいます。

フルトヴェングラーも、そのような観点において、ブラームスを同類と認識していた面もあるようです。しかし、ブラームスは、中身と形式の乖離の問題はありますが、逆に言うと中身がある。しかし、フルトヴェングラーの作品には中身があるの?

乖離云々以前に中身がないのでは?

伝えたいと思う中身と、伝えるに際し用いた形式の間に乖離があると言うより、彼が伝えたいという中身って何?

抑圧状況に陥ると、まさにその問題を自問自答することから逃避するようになってしまう。以前取り上げたギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」の冒頭に掲げられたプラトンの言葉は

「魂でさえ、自らを知るために、魂を覗き込む。」と言うもの。

「魂を覗き込む」ことから逃避している人間が、創造なんてできるわけがない。

そのようなアンゲロプロスの問題意識が、あの作品にあったわけですし、そのもっとも典型的な実例が作曲家フルトヴェングラーなのでは?

自分自身を見つめることができる人だからこそ、自分の魂を覗き込むことができる人だからこそ、そんな人には「世界の声」「神の声」が集まってくる。つまり自分自身の魂の声を聞くことによって、結果的に世界の声が聞ける。ユングの言う「元型」に近いものが見えるわけ。

自分から逃避している人には、世界の声も降り降りてこない・・・
だから、結局は「世界の声」も表現できない

フルトヴェングラーは「他人の魂は覗きこめるけど、自分の魂は覗きこめない。」

これでは創作なんてできませんよ。

「ベートーヴェンの気持ちが理解できるのはオレだけ!
ブルックナーの創造性が理解できるのは自分だけ!」

そう思うのはいいとして、じゃあ、自分自身の気持ちや創造性をどのように理解していたの?

自らの魂の中にあるWHATから逃避していくので、どんどんと「どのように伝えるのか?」というHOWの問題に逃げ込んでしまうわけ。しかし、「何を伝えるのか?」という問題意識から逃避してしまっているので、作曲することで作品を制作しても「じゃあ、結果として伝わったのか?」と聞かれると返答ができない。だって受け手は何をわかればいいの?

そもそも伝えたいものが、自分でもわかっていないから、結局は伝わらない。本来なら、「この点は誤解されたけど、最重要なこの点は伝わったようだから、まあ、とりあえずよしとしようか・・・」なんて考えることができるはずですよね?

あるいは伝わらなくても「まっ、そもそもアイツにはどうせわからないよ!」なんて言えるでしょ?

それは、自分が伝えたいWHATがわかっているからできること。しかし、そのWHATが自分でもわかっていなくて、発想が加点法ではなく減点法なんだから、そのようには考えられない。結果的に思うような結果が得られないので、そんな抑圧傾向の人は、「上手く行かない理由」「減点の原因となったもの」としての犯人を捜すようになるわけ。それに抑圧傾向の人は、日頃から発想が加点法ではなく減点法なので、減点への反応はそれなりに鋭いものがある。だからスグに逆上する傾向が強い。

「アイツのせいで、ダメだったんだ!」

あるいは

「あの施設がないせいで、上手く行かなかったんだ!」
「これが足りないせいで、失敗した!」
「政治が悪い!時代が悪い!」

そんな言葉を聞かされると、「じゃあ、何をわかればいいの?」「そもそもアンタは何をしたいの?」と思ってしまうものでしょ?

アンゲロプロス監督の描くギリシャの人たちもそんな感じでしたよね?

というか、そもそも当時のドイツがそんな感じでしょ?

あるいは実に顕著に見られるのが、韓国人の発言ですよね?
韓国人の発言は、自分で自分を抑圧しているものの典型なんですね。日本人の我々としては、韓国人の言動を聞いても「で、アンタたちは結局は何をしたいの?何を言いたいの?」そう思うことって多いでしょ?

あるいは、上記の言い訳と犯人探しのスタイルは、音楽関係者の発言にも典型的に見られるでしょ?

「どう伝えるのか?」の問題に拘ることは、「何を伝えるのか?」という問題からの逃避のケースが多いわけ。「何を伝えるのか?」が自分でも明確ではないので、そんな人はコミュニケーション能力がヘタ。だからコミュニケーションが対等の会話ではなく、命令と服従の上下関係しかなくなってしまう。だから常に「どっちが上か?下か?」という序列を基に考えるようになる。韓国人がまさにそうですし、いわゆる音楽批評の世界でもおなじみの文言でしょ?

本来なら表現と言うものは、対象となるもの、と言うか、表現したいWHATに、「どこから光を当てるのか?」そして「どのような視点から表現するのか?」そのような問題が重要でしょ?

しかし、抑圧が進んでしまうと、個々の多彩な思考を理解する意欲もなくなるので、「どっちが上か?下か?」の序列問題ですべて解決しようとするわけ。ベストワンとか、最高傑作などの文言が登場してしまう。表現におけるWHATが消失してしまうわけ。そして減点部分だけに目が行って、反論されると逆上。

他人による様々な表現を通じて自分自身の問題を考えていく・・・表現を受けても、そんな発想にならないわけ。他者の作品から自分自身を逆照射することはできない。むしろ様々な作品を順番にならべて、「どっちが上か?下か?」と決定してオシマイとなる。他者の順番だけの問題にしてしまうことは、要は自己逃避なんですね。


以前に、イェリネクさんの「ピアニスト」という作品を考えるに当たって、演奏家という存在と精神的抑圧の強い相関関係について考えて見ました。特に中間領域の演奏家からは抑圧された精神が明確に見えて取れることが多い。人々に伝えたいものが明確に自覚できているのなら、何も演奏というスタイルではなくても、作曲という手段で伝えてもいいわけですし、素人的でも文章を書いたり、美術作品を制作すると言う方法だってあるでしょ?

伝えたいこと、やりたいことが自覚できないがゆえに、権威あるものに隷従し、HOWの問題だけに逃避する。そして上手く行かなくなると犯人さがし。抑圧的な人間はそんな行動をするものです。ナチスがそうですし、韓国人もそんなパターンですし、音楽批評もそんなパターンでしょ?

いわば抑圧状況の典型なんですね。ナチスが台頭する背景として、ドイツ全体のそんな精神状況もあったわけ。ナチスはいいところを突いているんですね。その抑圧的な状況の中での知的エリートがゲッペルスであり、フルトヴェングラーなのでは?

フルトヴェングラーだって、自分自身の抑圧を客体化することができれば、それを作品にすることもできたでしょう。それこそイェリネクさんが小説としてまとめあげたように。あるいは、共依存症状によるストーカー行為だって、それを客体化できれば、ベルリオーズのように交響曲にできる。しかし彼は抑圧された人間そのものとして生きた。

「自分は何をしたいのか?」と言う問題から逃避しているので、自分の目の前の状況が判断できない。常に『いい子』願望があって、人から否定されることを極端に怖がる。

「いい子」って、要は減点法でしょ?

いい子が成し得た成果って、歴史上ないでしょ?


フルトヴェングラーに関する本などを読んでいると、私などは忸怩たる思いに陥ってしまいます。

「どうしてゲシュタボの連中はフルトヴェングラーを追い込まなかったのだろう?」

「私に任してくれたら1年以内に必ず自殺させることができるのに・・・」

まあ、ゲシュタボも真正面からは追い込んだようですが、フルトヴェングラーのような共依存症状の人間に、真正面からプレッシャーを掛けて、困難な状況を作っても、むしろ「生きる張合い」になるだけ。それこそ人助けがいっぱいできるわけだから、喜んでそっちに逃避してしまう。ストーカーに対して、正面から力による解決を図ってもますます善意を持ってストーキングするだけでしょ?

「こんな困難な状況の中でアイツを救ってやれるのはオレだけ!」そのように、より強く思い込むだけ。そして当人の『善意』が、より熱くなるだけ。

まあ、ゲシュタボも所詮はドイツ人なんでしょうね。素朴で人がいいよ。人を精神的に追い込むことに関しては、むしろフランス人の方が上でしょう。あるいはロシア人とか・・・

まあ、ゲシュタボがフランス人の著作から拷問のノウハウを学ぶ必要があったのもよくわかりますよ。フルトヴェングラーを追い込むのは実に簡単なんですね。

彼のような頭がよくて、プライドがある人は言葉で追い込めるから、追い込むのもラク。オバカさんのように逆上することもできないのだから、あっという間に追い込めますよ。たとえば作品を委嘱すれば、それでOK。

「ドイツ音楽の栄光を表現する立派な交響曲を作曲してくれ!」

「時間は十分に上げるから・・・」

「キミは本当は、それをしたかったんだろう?」

なんて言えば、自分で勝手に追い込まれていきますよ。何と言っても作曲は自分自身と真摯に向き合わないとできないことでしょ?

フルトヴェングラーはそれが出来ない人なんですからね。もし、それこそ交響曲第2番のような作品が出てきたとしたら、

「ふんっ、なにこれ?」

「アンタは、本当にこれをドイツ音楽の栄光だと思ってるの?」

「へぇ・・・これがドイツ音楽の栄光の成れの果てなんだねぇ・・・」

なんて薄目を開けて鼻の先で笑えば済む話。あるいは、

「アナタのおかげで、アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺すことができました!ありがとう!」

なんて感謝してみなさいな。アウシュビッツの写真などを一枚一枚見せながらね。そして、最後に決めセリフ。

「君の父上もさぞよろこんでいるだろうよ!」。

もうこうなると、ドイツ芸術の守護者としての彼のアイデンティティが崩壊して、あっという間にドッカーンですよ。まあ、1週間以内でことが終了するでしょうね。

あるいは、前回言及した「ニーベルングの指環」のグンターのバカぶりを、描写してもいいわけでしょ?

「グンターってバカだよな!
だって、こんなこともわからないだからさっ。
君もそう思うだろ?グンター君!」

といって、指で額でもつついて上げればどうなるかな?

いずれにせよ、1週間あれば十分ですよ。相手の一番弱いところはどこなのか?

そこを瞬時に見つけ出し、そこをチクチクとニヤニヤと突いていく楽しみをドイツ人はわかっていないねぇ・・・

「いい子」と言う存在は、一番追い込みやすいもの。結局は、「人から自分はどう見られるのか?」という面にこだわってしまって、自分自身が本当にしたいことが自分でもわかっていないわけ。と言うか、そこから逃避している。

前も書きましたが、そんな精神状況では、作曲はできませんよ。それこそR.シュトラウスはナチとの関係で、戦争終結後になってモメましたが、シュトラウス自身は実に明確。自分がやりたいことが自分でもわかっている。

ナチから頼まれると、ナチの役職には就いたり、あるいは手紙にも「ハイル!ヒトラー!」なんて平気で書いたりしていますが、彼自身はナチに対して協力的ではない。

というか、戦争が終結する直前に、負傷した人たちがシュトラウスの山荘に逃げてきたそう。そんな命からがら逃げてきた人たちに対しシュトラウスは、

「おい!アンタたち、作曲のジャマだから出て行ってくれよ!」

なんて言ったそう。そんな対応をナチから怒られたシュトラウスは、

「いやぁ・・・オレが戦争を始めたわけじゃないんだから・・・そんなこと知るかよ!」

なんて言ったらしい。いやぁ・・・外道だねぇ・・・

シュトラウスの発想は、ナチを支持するしない以前に、人間的に外れていますよね?

まあ、「猫」的と言えるのかも?「アンタはアンタ、ワタシはワタシ」の精神。しかし、そんなシュトラウスだからこそ、あの混じり気なしのオーボエ協奏曲が書けるわけでしょ?

傲岸不遜で周囲の人間の犠牲を踏み越えて、自分の創作を推し進めるR.シュトラウスと、人助けに逃げ込んで、自分では創作しないフルトヴェングラーの関係は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ルードヴィッヒ」におけるリヒャルト・ワーグナーとルードヴィッヒの関係と同じ。


ルードヴィッヒだって、芸術家をサポートして喜んでいるよりも、ヘタはヘタなりにオペラの台本でも書けばいいじゃないの?

彼も、「立派な作品でないといけない!」なんて思っていたのでしょうね。だからとりあえず手をつけてみると言うことができない。しかし、だからこそ、自分を表現することができず、ますます自分から逃避してしまう。ルードヴィッヒもフルトヴェングラーもプライドが高い人ですが、逆に言うと、腰を曲げても実現したいものがないと言うことでしょ?

その点、リヒャルトは、手段を選ばず、周囲のことなどお構いなしに、どんどんと創作活動。フルトヴェングラーだったら逆立ちしても出来ませんよ。共依存症状のフルトヴェングラーだったら、シュトラウスのような事態になったら、喜んで人助けしますよ。

他者から依存される関係に依存する、この共依存状態では、自分単独で作曲することなんて出来ませんよ。しかし、この症状は、作曲には不適でも、演奏にはフィットしていますよね?

「アイツにはオレが必要なんだ!」「アイツのことを理解できるのはオレだけ!」なんて勝手に思ってストーキングするのは大迷惑ですが、

「ブルックナーにはオレが必要なんだ!」
「ベートーヴェンのことを理解できるのは、このオレだけ!」

そう思うくらいの思い込みはいいのでは?

それが演奏することの使命感につながるわけでしょ?

そんな使命感があるのなら、本来なら、指揮者専業で行けばよかったのでしょうが、そんな判断から逃げるのが抑圧的なアダルトチルドレン。だから自分が何をしたいのかわからずに、他者との関係性に依存するようになる。こんな態度ではプロの演奏家というか、職業としての演奏家としては失格ですよ。

しかし、逆に言うと、それくらいの「思い込み」がないと、芸術的な演奏にはならないでしょ?

そんな依存があるがゆえに、他人である作曲家との緊密な関係が築けたともいえるんでしょうね。抑圧が創造性につながった稀有な例と言えるのかも?

抑圧も極限まで進行し、ブレークスルーを経ることによって、ある種、突き抜けた境地になってしまう。この点は、フルトヴェングラーだけでなく、ゲッペルスもそのパターンなのでは?

自己を徹底的に抑圧することによって、自己解放を実現する。それが、フルトヴェングラーにとっての演奏。それは幸運な成果なの?

確かにその「成果」を、聴衆である我々は楽しむことができた。しかし、それって、まさにホフマンスタールの言う「私のこの苦しみから甘い汁を、吸おうとしたっただめだよ!」そのものでしょ?

もしかしたら、フルトヴェングラーは、そのセリフの意味を、R.シュトラウス以上にわかっていたのかも?

しかし、「だったら、それを作品にしなよ!」ってやっぱり思ってしまうのは無理なことなのかな?

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-11/07-11-08.htm

アーノルド・シェーンベルク モーゼとアロン (1954年 初演)


新・ウィーン楽派の元締めと言えるアーノルド・シェーンベルクが台本を書き、作曲もしたオペラ「モーゼとアロン」です。第2幕までは1932年に完成させ、第3幕は結局は未完に終わった作品。このオペラをご存知のない方でも、旧約聖書にあるモーゼとアロンの兄弟の軋轢の話は、ご存知でしょう。

この「モーゼとアロン」というオペラを、「理解者と協力者の乖離」という観点からみることは、「アラベラ」よりも、はるかに容易ですよね?

何と言っても、アロンはモーゼの言葉を理解していない。しかし、モーゼが受けた神からの言葉を広めるのに当たって最大の協力者である・・それくらいは、簡単に読めること。自分のことや言っている中身を理解していないアロンに頼らないといけないモーゼは、それゆえに苦悩する。

シュトラウスとホフマンスタールの「アラベラ」が、洗練された外観を持ちながら、内容的には悲痛な心情を含んでいる。いや、悲痛な面を持っているのはホフマンスタールの台本だけかな?

それに対し、シェーンベルクの「モーゼとアロン」は、シリアスな外観を持っていますが、ギャグ満載の爆笑オペラなんですね。20世紀のオペラで、これほど笑える作品って、他にあるのかしら?


オペラ「モーゼとアロン」ですが、基本的なストーリーは旧約聖書のモーゼとアロンのエピソードによっています。簡単にまとめると、下記のとおり。


1. モーゼが神から言葉を受ける。

2. その言葉を自分で直接民衆に伝えようと思っても、うまく伝えることができない。

3. だから、言葉を上手に伝える能力を持っている、モーゼの兄のアロンと一緒に活動することになる。

4. アロンは見事にモーゼの言葉を語る。

5. 民衆は、モーゼよりアロンの方を絶賛し、「これぞ!奇跡だ!」

6. 民衆より絶賛を受けたアロンは、「その気」になって、どんどんと民衆を喜ばせる方向に、言葉を変えて行ってしまう。

7. モーゼは「まっ、とりあえずアロンに任せておくか・・・」と、引っ込んでしまう。

8. 民衆の期待に応えたアロンは、乱痴気騒ぎの大集会。

9. こうなると、本来のモーゼの言葉は、どこかに行ってしまう。

10. ここでモーゼが乗り込んできて、

「こらぁ!ええ加減にせんかい!」
「ワシの言葉を忠実に伝えろよ!」


11. アロンは、

「だってぇ・・・だってぇ・・・そもそもアンタが、民衆から離れすぎているのがいけないんじゃないか!」

と反論。


12. モーゼは

「じゃかぁしいんじゃ!最後にはワシの方が勝つんじゃ!」


基本的なあらすじは、こんなところ。いやぁ・・・笑える。

モーゼにとっては、アロンは重要な協力者。しかし、理解者とは言えない。だから、どうしても、このような齟齬が起こってしまう。


さて、このオペラ「モーゼとアロン」の台本を書き、作曲をしたシェーンベルクは、基本的には作曲家。作曲家にとって、親類とも言える身近な存在で、重要な協力者と言えるけど・・・残念なことに、理解者とは、とても言えない存在って、何?

それは演奏家でしょ?

作曲家が作曲した作品を、実際に音にし、多くの人に聞いてもらうに当たって、演奏を本職とする演奏家の協力は、現実的には、不可欠。

しかし、演奏家は、その作品の本当の意味がわからないので、どうしても民衆の好みに合わせてしまう。おまけに音楽家の中でマジョリティーなのは演奏家の側であって作曲家ではない。演奏家は自分たちの常識が、音楽界の常識と思ってしまうわけ。

それに演奏家は直接聴衆と接するので、「結果」が出やすい。それに、演奏家と作曲家ではどちらが、「実際的な力」を持っているのか?

それについては言うまでもないことでしょ?

音楽界の常識は、往々にして演奏家の常識であって、作曲家の常識ではないわけ。演奏家と作曲家が分業して以来、音楽史においては、そんな作曲家と演奏家のぶつかり合いって、よく出てきますよね?

まあ、批評家のような存在は、作曲家にとっては、そもそも理解者でも協力者でもなく単なるオジャマ虫なんだから、扱いがラク。しかし、演奏家は、作曲家にとって必要な協力者であっても、理解者ではない・・・だからこそ扱いが難しいわけ。

作曲家も演奏家も、本来は、同じ音楽の神を父とする兄弟同士なんだから、最初は一緒に行動するけど、方向性の違いから、やがては諍いとなってしまう。

あらまあ!なんとコミカルな悲劇だこと!!

この「モーゼとアロン」というオペラにおいて、モーゼを作曲家、アロンを演奏家としてみると、ツボを押さえたギャグ満載のオペラになるわけ。基本的には、こんな調子。


1. 作曲家が神から霊感を受ける。

2. 作曲家は自分では自分の曲をうまく演奏できない。

3. と言うことで、演奏が本職の演奏家が登場。とりあえず一緒に活動することになる。

4. 演奏家は見事に演奏する。

5. 見事な「演奏」に民衆は感激!

「感動した!これぞ奇跡だ!」


6. 民衆から絶賛されて「その気」になった演奏家は、もともとの作品にどんどんと手を入れ、ますます民衆を喜ばせる方向に向かってしまう。

7. 作曲家は、

「まっ、とりあえず演奏家に任せておくか・・・」

と、引っ込んで、新たな作曲活動。


8. 民衆の絶賛を浴びた演奏家は、大規模な演奏会を主催して、ますます民衆を喜ばせる。

9. そうなると、もともとの作曲家の意図が完全にどこかに行ってしまう。

10. とんでもない状態になっていることに気が付いた作曲家は、演奏家の元に乗り込んできて、

「こらっ!ええ加減にせんかい!

ものには限度というものがあるんじゃ!

楽譜に忠実に演奏しろよ!」


11. 作曲家の立腹に対し、演奏家は

「そもそもアンタの作品が民衆の理解からかけ離れすぎているのが悪いんじゃないか!」

と反論。


12. 演奏家からの反論を受けながら、

「最後に業績が残るのは作曲家の方なんじゃ!」

と締める。


私個人は作曲家でも演奏家でもありませんが、まあ、上記のようなやり取りって、音楽創造の現場では、ありがちなことではないの?

逆に、そんなぶつかり合いもない状態だったら、創造現場とは言えないでしょ?

オペラに限らず作品の解釈に当たっては、一義的ではないでしょう。受け手の様々な解釈も許容される・・・原理的にはそのとおり。

しかし、ここまでツボを押さえているのだから、作曲をした・・・と言うか台本を書いたシェーンベルクが、モーゼ=作曲家、アロン=演奏家 という役割を考えなかったわけがないでしょ?


そもそも、シェーンベルクはウィーンに生まれたユダヤ人ですが、もともとはユダヤ教徒ではありませんでした。もともとはキリスト教徒だったわけ。だからユダヤ教徒歴よりも作曲家歴の方が長いわけ。シェーンベルクは、まずは、作曲家なんですね。

もちろん、このオペラには、旧約聖書におけるユダヤ人の信仰の問題もあるでしょう。ユダヤ人のアイデンティティの問題だってないわけがない。音楽創造現場の問題とユダヤ人の信仰の問題のどっちがメインのテーマなのかは別として、モーゼとアロンというユダヤの有名人が出てくるんだから、信仰の問題がないわけがない。しかし、ユダヤの問題をメインに扱った作品と考えるには、かなり無理がある。

この「モーゼとアロン」というオペラは、どうして、その歌詞がドイツ語なの?

ウィーン生まれのシェーンベルクにしてみれば、ドイツ語はいわば母国語。自分の考えをまとめたり、歌詞を一番書きやすい言語。だからドイツ語でオペラの歌詞を書いた。それはそうでしょう。しかし、ユダヤ人の信仰の問題を主に扱うのなら、どうせならヘブライ語にした方がいいでしょ?

ドイツ語で台本を書いて、後でヘブライ語に翻訳して、それに音楽をつける・・・

この流れでオペラを作っていけば、たとえヘブライ語が母国語でなくても、台本を書き作曲もできるでしょ?

どうせドイツ語のままだって、演奏頻度が高くなるわけではないでしょ?

そもそもユダヤ人の問題を扱うに当たって、ドイツ語なんて、一番微妙な言語でしょ?

むしろドイツ語だけはやめておく・・・そう考えるのが自然じゃないの?

何と言っても、台本を書き始めた1930年代は、ナチスの台頭などがあったわけですからね。ドイツにおけるユダヤ人差別って、身に染みていた頃でしょ?

あるいは、どうせなら、ドイツ語ではなく、英語にする方法だってあるわけですしね。シェーンベルクは後にアメリカに亡命したわけですから、後になってオペラの歌詞を英語に変更するくらいわけがないでしょう。最初の構想はともかく、ドイツ語のままで台本を書き、作曲を進め、後で修正もせずに、そのまま初演を行うということは、明らかにヘンなんですね。初演は1954年で、シェーンベルクはもうお亡くなりになっていましたが、初演までは結構時間もあったわけですし、翻訳作業は人に任せることもできるでしょ?

翻訳作業を協力してくれる人はいっぱいいますよ。よりにもよって、第2次大戦直後に、苦難に満ちたユダヤ人のドラマをドイツ語で歌い上げられても、それこそがお笑いですよ。せめて、英語ヴァージョンを別に用意して、ドイツ語以外でも歌えるようにしておくのがマトモでしょ?

だから、ユダヤの信仰の問題や苦難に満ちたユダヤ人の問題は、決して、このオペラ「モーゼとアロン」のメインのテーマではないわけ。しかし、この「モーゼとアロン」というオペラが、「理解者と協力者の乖離」という一般論、孤高の人と大衆迎合の人との対立、超越的な存在と、現世的な存在の対比。あるいは、音楽創造の現場における「作曲家と演奏家の対立」というテーマから見れば、ドイツ語の歌詞で何の問題もない。

まさにドイツオペラのおなじみの伝統的なテーマであり、「モーゼとアロン」はその変奏に過ぎないわけ。シェーンベルクは台本を書きながら、

「あのヤロー!よくもあの時はオレの作品をムチャクチャに演奏しやがったな!」

と特定の演奏家なり、演奏のシーンを思い出して台本を書いていたのでは?

まあ、台本を書きながら、アタマから湯気が出ているのが簡単に想像できますよ。アロンの歌詞に付けられた多彩な音楽表情には、自分が作曲した作品を演奏される際に、心ならずも「付けられてしまった」トンチンカンな音楽表情が具体的に反映しているのでは?

それこそ作曲しながら、

「あの時は、よくも・・・よくも・・・オレの曲に余計な表情をつけて・・・」

と、髪を掻き毟りながら作曲していたのでは?これはちょっと想像できないけど・・・

まあ、演奏において、多少はトンチンカンな表情もしょうがないところもあるけど、やっぱり限度があるでしょ?

しかし、民衆から絶賛を浴びて「巨匠」の気分になっている演奏家は、どんどんと暴走して行くばかり。しかし、民衆の趣味に合っているがゆえに、ますます民衆から絶賛を浴びる。そうして大規模な演奏会へ!

第2幕の有名な黄金の子牛のシーンおいて、70人の長老たち語る言葉があります。

「人々は至福の境地だが、奇跡が示したのは、酩酊や恍惚がなんたるかということだ。

変わらぬものはいない。皆が高められている、感動せぬものはいない、皆が感動している。

人間の徳が再び力強く目覚めた・・・」


このセリフって、コンサートと言うか演奏家を絶賛する批評の言葉そのものでしょ?

皆さんだって、上記のような批評の文章を読んだことがあるでしょ?

まったく、ツボを押さえまくり。ギャグ満載ですよ。まあ、延々と饗宴が続く黄金の子牛のシーンって、ザルツブルグ・フェスティヴァルのようなものをイメージしているのでは?

だからこそ、モーゼつまり作曲家が、アロンつまり演奏家に「オマエなんて、所詮は、民衆の側じゃないか!」なんて言い渡す。

気持ちが入ったギャグだねぇ・・・

まあ、オペラにおけるモーゼの持っている石版を楽譜にして、アロンが持っている杖を、指揮棒にする・・・そのように演出しても、何の違和感もないでしょ?

シェーンベルクも恨み骨髄だねぇ・・・こりゃ、確かに、晩年でないと発表できませんよ。これほどわかりやすいメタファーなんだから、本来なら誰でもわかるはずなのに・・・


私個人はそんなことを書いてある解説を見たことがありません。まあ、作曲家の方々なら、簡単にわかるんでしょうが、おおっぴらには言えないのかな?

まさに諸般の事情というか大人の事情があるんでしょうね。ちなみに上記の歌詞は、作曲家でもあるピエール・ブーレーズが指揮したCDから取っています。そのCDに添付されている解説書で

「アナタはご自身を、モーゼだと思う?アロンだと思う?」

なんて質問しているインタビューがあります。いやぁ・・・エゲツナイ。

ブーレーズは、当然のこととして、お茶を濁したような回答。

「つーか・・・よりにもよって、このオレに、そんなこと聞くなよ!」

と思ったのでしょうね。シェーンベルクだけでなくブーレーズだって怒っちゃうよ。

もちろん、この作品において、シェーンベルクが単純に、「演奏家への恨み」をオペラにしたわけではないでしょう。自分が神からの霊感を受けて作曲した作品をメチャクチャに演奏する演奏家に向かって、

「勝手にオレの曲に手を入れるなよ!ええ加減にせんかい!このタコ!」

と、心の中で怒鳴っているシェーンベルクに対して、

「タコはオマエだろう!」

そんな言葉も言う人もいるんじゃないの?

たとえばシュテファン・ゲオルゲやライオネル・マリア・リルケ。

ゲオルゲやリルケが、神からの霊感を受けて文学作品にしたのに、それに勝手に音楽をつけたのは、いったい誰?

後から付けられた音楽が、詩人の意に沿ったものなの?

と言うか、リルケなんて挿絵すらいやがりましたよね?

自分の詩に音楽を付けるなんて絶対に容認しないと思うけどなぁ・・・

まあ、デーメルのような三流詩人に音楽を付けるのはともかく、ゲオルゲのような一流の詩に勝手に音楽をつけてはダメでしょ?

音楽を付けた分だけ、「広まりやすい」とは言えますが、それが本当に詩の本質を伝えることに役に立っているの?

そうなんですね!

シェーンベルクは作曲家として、演奏家が勝手につけてしまう不適切な音楽表情に抗議する側、つまりモーゼのような立場であるとともに、作曲に当たって題材とした文学作品の作者から、抗議される側、つまりアロンでもあるわけ。

「ああ!オレもタコだったんだぁ〜!」

これは色々な意味でそのとおり。しかし、まさにアロンのように、

「だってぇ、だってぇ・・・こうすると、みんなにわかってもらいやすいしぃ・・・みんなも喜んでくれているしぃ・・・」

と言わざるを得ない。しかし、本当に民衆にわかってもらえるの?

民衆との間に、共通の認識・・・いわゆる「理解」と言う次元に到達できたの?

表現において、発し手が想定しているとおりに、受け手が理解する・・・そんなことは実にレアケース。

神から霊感を受けて文章を書いて、それに音楽をつけると、最初の霊感からズレてしまう。それを演奏したら、演奏家の理解によって、ますますズレてしまう。

それを一般聴衆がどう聞くの?

もう、とんでもない伝言ゲーム状態。

最初に創作者が受けた神の言葉はどこに行ってしまったの?

最初の意図が伝わらないのなら、表現っていったい何?

「おお!言葉よ、言葉、私に欠けているのはおまえなのだ!」

第2幕最後にあるモーゼの有名なセリフです。


この場合の「欠けている言葉」は、狭義で言うと、まさに演奏能力となる。もう少し一般化すると表現能力というか伝達能力になるわけ。しかし、そのセリフの前の部分

「想像を超える神よ!

語ることはできない意味あまたなる想念よ!」

と言う言葉と組み合わせてみると、別の面も見えてくる。言葉が欠けているのではなく、言葉によって生み出される関係性が欠けている・・・そう言えるわけ。

言葉、あるいは表現によって、発し手と受け手で認識を共有できる。その共有化された認識がモーゼには欠けていて、アロンには備わっている。
いや!

備わっているというより、アロンはそもそも民衆の側なんだから、「見ているもの」も、民衆と共通している。しかし、モーゼは民衆と見ているものが元から違っているわけ。言葉そのものは同じでも、その意味するところが違っている。だから、言語によって関係性が生み出されることはない。

そのような意味で、この「モーゼとアロン」の台本を書き、作曲をした1874年にウィーンに生まれたユダヤ人のシェーンベルクは、言語表現に懐疑のまなざしを向けた「チャンドス卿の手紙」の作者・・・1874年にウィーンに生まれたユダヤ系のホフマンスタールと全く共通しているわけ。そして、その共通性は、

「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない。」

と言う命題を持つ「論理哲学論考」の作者である哲学者ウィットゲンシュタインと全く共通しています。

「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない。」

と言うウィトゲンシュタインの言葉と、

「想像を超える神よ!語ることはできない意味あまたなる想念よ!」

というシェーンベルクの言葉って・・・笑っちゃうほどよく似ている。


ウィットゲンシュタインは、1889年にウィーンで産まれたユダヤ人。ちなみに、彼の父親はプロテスタント。母親はカトリックです。

シェーンベルクは前に書いたようにユダヤ人なのに、当初はカトリックで後にプロテスタントに改宗、その後になって、今度はユダヤ教に改宗。

それにホフマンスタールが、ユダヤ系なのにカトリックだったことも・・・ご存知でしょ?

そのようなマイノリティは、コミュニケーションに対する無条件の信頼が、もともとないわけ。表現によって、自分の意図が人々に理解され、関係性が広がっていく・・・とは単純に考えない。もちろん、このようなことは言語の向こうにある心理を読もうとした1856年のウィーンに生まれたユダヤ人フロイトにも見られることでしょ?

言語によって関係性、あるいは相互理解が生み出されないという点においては、

「もし、ライオンが言葉を話せても、言っていることは我々にはわからないだろう。」

というウィットゲンシュタインの「言葉」が見事に語っています。真に創造的な領域では、人の言葉ではなく、神の言葉が支配する。だから表現によって、民衆との間に新たなる関係性が生み出されることはない。

じゃあ、どうして表現するの?

アンタが言うように語らないのが本来の姿じゃないの?

どうせ語ってもわかってくれないんだし・・・

まったくもって、おっしゃるとおりなんですが・・・

それがわかっていながら作品を作る、いや!わかっているからこそ、作品を作るわけ。目の前の人よりも、自分が知らない人に宛てて、作品という形で自分の認識を伝えようとする。語りえぬものだからこそ、語る必要があるわけでしょ?

これは別の言い方をすると、受け手が理解できないものだからこそ、作品にする必要があるとも言えますよね?

このことは作品を作る際には、難しく、わかりにくく書くという問題ではないわけ。

何を語るのか?(=WHAT)と言う点において語りえぬものであって、どう語るのか?(=HOW)の問題ではないわけ。

わかりやすく語っていても、語りたい中身そのものが受け手に受け入れられない、というか、多くの人には見えないもの。しかし、だからこそ、語る必要がある。受け手が見えないとわかっているものを、何とかして語ろうとするわけ。

しかし、だからこそ、ますます閉塞する。そして、自分が直面しているそんな閉塞を打破する協力者がほしい。

しかし、協力者であっても理解者ではないので、そんな協力者との共同作業によって、結局は、傷つき、ますます閉塞してしまう。

そのような点でモーゼも、シェーンベルクも、ホフマンスタールも、そして映画「ソフィーの選択」におけるソフィーやネイサンも、そして映画「ウィットゲンシュタイン」におけるウィットゲンシュタインもまったく同じ。

いやぁ!苦笑いせずにはいられない。

「モーゼとアロン」というオペラは、古代のユダヤが舞台と言うより、まさに当時のウィーンの芸術創造現場を、そしてその閉塞感を反映しているわけ。
ああ!ウィーンって街は、何て閉塞が似合う街なんだろう!


そのように見てみると「モーゼとアロン」は実に笑えるオペラでしょ?

このような気持ちが入ったギャグって、笑うだけでは済まないけど。まあ、このような悲痛で自虐的なギャグは、ユダヤ的なギャグの典型ですよね?

そう言う意味では、この「モーゼとアロン」というオペラは、まさにユダヤ的なオペラと言っていいのかも?

http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/new/07-09/07-09-27.htm

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c3

[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
4. 中川隆[-13457] koaQ7Jey 2020年3月23日 22:48:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1447]

リヒャルト・ワーグナー「ワルキューレ」


芸術家とは、神から出でた存在であり、神からの霊感を一般の人間に伝え、後生に残すのがその使命。

逆に言うと、ドラマにおいて、神からの言葉を伝えている存在は、芸術家としての自分自身を描いているケースが多いわけ。しかし、神からの言葉を語るがゆえに、一般の人間には理解されない。それゆえに、神からの言葉を受けたものは、一般社会の中で孤立し、苦悩することになる。

孤立の中で、自分の理解者を必死で探したり、神からの言葉を伝えようと、自分の協力者を得ようとして無理をして、その無理によってますます孤立してしまう。結局は、その苦悩がますます深くなる。しかし、一般社会からの孤立ゆえに、神からの霊感は、特定の人や集団を相手とする直接的な語りではなく、客観的な作品として結実することになる。

さて、そんな流れを持つオペラ(正式には舞台祭典劇)の「ワルキューレ」を考えて見ましょう。

題材としては、ゲルマン神話を元にしているわけですが、そのテーマとしては、芸術家としての意識という点から見ると、実に理解しやすいわけ。このオペラの主要人物であるジークムントのキャラクターなり、ドラマにおける役割・・・それがまさに芸術家の姿そのままなんですね。さて、そのジークムントは、神々の長であるヴォータンの血を引いている。つまり、神から出でし存在。

そして、そのヴォータンからの使命を果たすべく、行動することになる。つまり、神からの言葉を実現させる存在。しかし、ヴォータンからの使命を実現させようとするがゆえに、周囲と諍いが起こる。つまり、神からの言葉を実現させようとすると、周囲の一般人とモメることになる。

ジークムントは、自分と同じように神から出でし存在であるジークリンデに入れ込む。

つまり、芸術家は同類同士だと実に理解が早い。

一番困った時に、ヴォータンからの剣ノートゥングが現れる。つまり、芸術家が真に苦悩した時こそ、神からの霊感が訪れる。ジークムントとジークリンデとの結びつきに対し、一般人のフンディングがジャマをする。

つまり、芸術家同士の結びつきには、一般人からの妨害がつきもの。結局は、ジークムントは、一般人であるフンディングにやられてしまう。つまり、芸術家は、一般人には、この世では勝つことができない。

しかし、ジークムントとジークリンデは、ジークフリートを残すことになる。つまり、芸術家が死んでも、その後まで作品は残ることになる。そのジークフリートには、ヴォータンの娘であるブリュンヒルデが助ける。

つまり、芸術家による作品は、芸術的なルーツを持つ同類のサポートによって、世界に出て行くことになる。ジークフリートによって、この世界が浄化される。つまり、芸術家の作品によって、世界が堕落することを防ぐことになり、まさに神の意思が実現される。

と、まあ、芸術家の苦悩と成果と言う視点で見ると、実にツボを押さえた設定になっている。作者であるワーグナーが、自分自身の苦悩なり、芸術家としての意識や役割を踏まえた上で、台本を書いたのがよくわかる。

神からの言葉を語るがゆえに、この一般社会からは理解されないとなると、以前にシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」を考えております。シェーンベルクは、神からの言葉を直接的に聞くモーゼに自分自身を重ねている。
しかし、一般社会に神の言葉を伝えるためには、神の言葉を直接的に聞くことができない一般人であるアロンを協力者にしなければならない。この「モーゼとアロン」というオペラの場合は、台本を制作した作曲家のシェーンベルクにしてみれば、モーゼ=作曲者,アロン=演奏家 の役割を負っていることはすぐにわかること。

神からの言葉を直接聞くものは、その言葉を多くの人たちに伝えなければならないという使命感と、対象とする一般人の理解力の低さの間の齟齬で苦悩する。そんな苦悩は、歴史を紐解けば、いくらでも出てきますよ。

それこそ、キリストだって、まさにそのパターン。

あるいは、画家のゴッホとかミケランジェロとか、レンブラントとか・・・ほとんどがそのパターンでしょ?逆に言うと、一般人と上手に付き合うことができたルーベンスが、芸術家の立ち位置の理想形として、ウィーダの「フランダースの犬」に出てくることになる。それだけレアケースというわけ。

芸術家は、神からの言葉を聞くがゆえに、一般人から迫害され、殺される。しかし、その言葉は後世まで残ることになる。

神からの言葉に執りつかれた人間は、本当の意味での自由意思はない。神からの言葉は、当人にとって圧倒的な存在であるがゆえに、それ以外の存在が霞んでしまう。

だから、遮二無二行動して、どうしても一般人とのやり取りがうまく行かない。

それこそ、この「ワルキューレ」の中のジークムントのセリフを取り上げてみましょう。

「♪・・・私は人に会う限り、何度でも飽きずに、友を求めたり、女を得ようとしたのですが、私はただ追放されるばかりでした。

何か不吉なものが私の上にありました。私が正しいと考えるものが、他人には悪いことのように思われたのです。私には悪いと思えることを、ほかの人は好んでしたのでした。どこへ行っても反目の中に落とされ、私の行く先々で怒りに襲われたのです・・・♪」 
 
この言葉を、そのままゴッホの伝記に入れても、何も違和感がないでしょ?
あるいは、ベートーヴェンでもOK。
ミケランジェロでも、基本的には、OKでしょうが、まあ、ミケランジェロは「女を得よう」とはしなかったでしょうね。しかし、彼もトラブルを巻き起こしてばかりでしょ?

しかし、それでも作品は残る。自分の死後も残るものを作る・・・それが芸術家の使命。

神よりも、一般人を向いていたら、神の言葉はもう降りてこない。神は嫉み深いもの。

一般社会から疎外された極限の状態にこそ、ノートゥングが現れ、作品のキーとなる霊感が訪れる。しかし、その神の言葉ゆえに、この社会では生きることができない。

結局は、神からの言葉をまとめた作品を制作する創作者だけでなく、その作品を守ろうとした人間までが迫害されてしまう。まるで、ブリュンヒルデが炎に幽閉されたように。しかし、そんな幽閉された芸術家を解き放つのも、神からの言葉をまとめあげた作品。芸術の歴史とは、見方を変えると、まさにこんな感じになっているものでしょ?
http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/new/07-12/10-04-26.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c4

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合

ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合


ブルーノ・ワルターの名盤

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html    

ブルーノ・ワルター _ モーツァルトの名盤
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/832.html

ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html

シューベルト 『未完成交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html

シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html

グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html

モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html

モーツァルト 歌劇「魔笛」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/817.html

モーツァルト 『レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/839.html

クールな音楽家モーツァルト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html

宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/529.html

モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html



▲△▽▼

レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。

「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

http://www.kapelle.jp/classic/archive/archive9904_b.html


▲△▽▼


オケメンバーにとっては、リハーサルで失敗したとき、激怒してかんしゃくを爆発させる激情型のトスカニーニの激しい叱責より、ワルターに
「私の指揮が足らず君に失敗があった。 指揮者として申し訳ない」
と言われて涙を滲ませられると、失敗した楽団員にとってはそちらの方(トスカニーニの叱責よりワルターの涙の方)が辛かったという逸話も伝わっています

フルトヴェングラーはあまりそういった逸話がなく、良くも悪くも、フルトヴェングラーは音楽の神に自らの全身全霊を捧げており、「音楽以外はどうでもいい」という感じのする、ひたすら音楽を追求し、あまり人間的な部分を感じさせない求道者的指揮者です。
フルトヴェングラーの家がドイツの富裕な名門であることも音楽以外に気を払わない彼の求道的スタンスに関係しているのかもしれません。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/840652.html


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ブルーノ・ワルターのステレオ録音のモーツァルトのすばらしい点は、ひとつひとつの音の輪郭が非常に明確であるということ。私のイメージのなかでは、ブルーノ・ワルターは音のつぶだちにはさほどこだわらず、曲全体を雰囲気で大きくまとめる古いタイプの指揮者という感じがあったので、このことは、自分としてはとても大きな発見だ。

ブルーノ・ワルターとの比較という意味で、カラヤンが1970年代にベルリン・フィルを指揮したモーツァルト六大交響曲のCDも購入し、双方を聴きくらべてみた。カラヤンという指揮者、私はけして嫌いではないのだが、このモーツァルトには驚いた。というのは、カラヤンといえば、ブルーノ・ワルター以上に音の美感にこだわるという印象があるのだが、ブルーノ・ワルターを聴いたあとでカラヤンの演奏を聴くと、天下のベルリン・フィルの音色がどんよりと濁ってきこえるのだ。これはなんとしたことだろう。

そこでまたいろいろ考え込んでしまったのだが、実は、ブルーノ・ワルターとクレンペラーの演奏は、主観的と客観的ということである意味対極にあるようにみえながら、音に対するこだわりという点ではかなり近いところに位置しているのではないかということ。二人の演奏では、オーケストラが明るい響きでよく鳴っている。その響きのうえに、それぞれの個性や解釈が打ち出されている。この二人の演奏では、曲に対する解釈が優先して響きが犠牲にされるということはまずない。また、そうでなければモーツァルトは演奏できないと思う。

つまり、ブルーノ・ワルターもクレンペラーも、演奏するうえで、まずはオーケストラの音色や楽器のバランスに配慮し、そのうえで曲に対する解釈や自己表現があると考えていたのではないだろうか。だから、インテンポ(クレンペラー)かテンポが揺れる(ブルーノ・ワルター)かは、本質的な対立点とはならず、テンポが速いか遅いかもさほど問題にならないのだと思う。ちなみに、クレンペラーの初期の演奏は、晩年の演奏からは考えられないような早いテンポで、ぶっきらぼうにきこえるようなものが多い。またクレンペラー晩年の演奏も、個人的な好悪や体調でテンポを遅くしているのではなく、細部まで浮かび上がるような明晰な音で演奏したいという要求が、テンポに反映しているのだと思う。だからクレンペラーの演奏は、どんなにテンポを遅くしても緊張感を失うことがない。またいわゆる客観的演奏ということに関しても、クレンペラーはそのようなものをめざして演奏していたわけではなく、個々の音をきちんと響かせることを優先しながら演奏した結果が、いわゆる客観的演奏という範疇にはいるものになったというだけだと思う。
http://lunatique.blog20.fc2.com/blog-entry-78.html



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アホ _ ピアニストのワルター評


ワルターの指揮を評してピアニストの内田光子は・・・

「内田:美しいものを追うことにね。ワルターには、道ばたの花がきれいだなと言って、そこに時間を費しているうちに全体が見えなくなっちゃうところがあるんです。それが困るんです。そうお思いになりません? 

「あなたは初期の、アメリカヘ行く前のワルターの七十八回転レコーディングを聴いていないんだろう?」

と言ってくれる人もいます。だけど、私の知っている、アメリカへ渡ってから入れたモーツァルトの六つのシンフォニーとか、マーラーとかは・・・・。

マーラー未亡人のアルマが「ブルーノ・ワルターこそうちの夫の跡継ぎだ」と言ったそうですけど、私は、アルマ・マーラーは何もわからなかった人だと思っているんです。それだったら、クレンペラーのほうがマーラーの音楽に近いと思いますね。マーラーでも、ワルターは道草しちゃうんですよ。そこ、ここで小さな花がきれいだと、彼は立ち止まって見ちゃうんです。」・・・

以上のように言っている対談があるが、ワルターとフィラデルフィア管弦楽団の「田園」を聴けば、発言を訂正しなければならない、そう思うはずだと、小生は強く思う。

専門家でさえ、いや専門家だからこそかもしれないが、固定概念が強いようで、同じ演奏家でもその時代とともに、演奏あるいは表現スタイル、解釈は、大きく変化するのだと言うことを前提にしなければならない。ワルターは、そのような固定概念でくくられてきた「巨匠」の代表でもある。

小生はかつてワルターのある演奏を聴いて、ザッハリヒな面もあるのではないかと思った事があったが、年代が変化させたのか、それとも、もともと両面を内包した指揮者であったのかは、依然謎のままである。

http://sawyer.exblog.jp/10030257/



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
1. 中川隆[-13456] koaQ7Jey 2020年3月23日 23:11:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1448]



ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html


Bruno Walter /VPO - Johann Strauss : Emperor Waltz 皇帝円舞曲 (1937)


 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
134. 中川隆[-13455] koaQ7Jey 2020年3月23日 23:14:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1449]

世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html

ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html

ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c134

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
2. 中川隆[-13454] koaQ7Jey 2020年3月23日 23:23:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1450]

アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html  


ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95, B. 178
ブルーノ・ワルター 指揮 ロサンゼルス・スタンダード交響楽団













ロサンゼルス・スタンダード交響楽団 - Los Angeles Standard Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 16 July 1942

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c2
[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
13. 中川隆[-13453] koaQ7Jey 2020年3月24日 07:16:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1451]

ララ・アンデルセン 『リリー・マルレーン』


1939 Lale Andersen - Lili Marlene (original German version)





Original 78rpm issued on Electrola 6993 - Lied eines Jungen Wachtpostens (Lili Marlen) (Schultze-Leip) by Lale Andersen with Bruno Seidler-Winkler Orch. & Chorus, recorded August 2, 1939






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"Lili Marleen" (Lale Andersen, 1942 [English Version])







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リリー・マルレーン【訳詞付】- Marlene Dietrich







Marlene Dietrich - Lili Marleen





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歌詞の内容は、戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌ったものである。


(ドイツ語詞)


Vor der Kaserne vor dem großen Tor
Stand eine Laterne
Und steht sie noch davor
So wollen wir da uns wiedersehn
Bei der Laterne wollen wir stehen
Wie einst Lili Marleen Wie einst Lili Marleen


Unsre beiden Schatten sahen wie einer aus;
Dass wir so lieb uns hatten
Das sah man gleich daraus
Und alle Leute sollen es sehen
Wenn wir bei der Laterne stehen
Wie einst Lili Marleen Wie einst Lili Marleen


Schon rief der Posten: Sie bliesen Zapfenstreich;
Es kann drei Tage kosten
Kam'rad, ich komm ja gleich
Da sagten wir auf Wiedersehn
Wie gerne würd' ich mit dir gehn
Mit dir Lili Marleen Mit dir Lili Marleen


Deine Schritte kennt sie
Deinen schönen Gang
Aller Abend brennt sie Doch mich vergaß sie lang
Und sollte mir eine Leids geschehn
Wer wird bei der Laterne stehn
Mit dir Lili Marleen? Mit dir Lili Marleen?


Aus dem stillen Raume
Aus der Erde Grund
Hebt mich wie im Traume dein verliebter Mund
Wenn sich die späten Nebel drehen
Werd' ich bei der Laterne stehen
Wie einst Lili Marleen Wie einst Lili Marleen





兵営の前、門の向かいに
街灯が立っていたね
今もあるのなら、そこで会おう
また街灯のそばで会おうよ
昔みたいに リリー・マルレーン


俺たち2人の影が、1つになってた
俺たち本当に愛しあっていた
ひと目見ればわかるほど
また会えたなら、あの頃みたいに
リリー・マルレーン


もう門限の時間がやってきた
「ラッバが鳴っているぞ、遅れたら営倉3日だ」
「わかりました、すぐ行きます」
だから俺たちお別れを言った
君と一緒にいるべきだったのか
リリー・マルレーン


もう長いあいだ見ていない
毎晩聞いていた、君の靴の音
やってくる君の姿
俺にツキがなく、もしものことがあったなら
あの街灯のそばに、誰が立つんだろう
誰が君と一緒にいるんだろう


たまの静かな時には 
君の口元を思い出すんだ
夜霧が渦を巻く晩には
あの街灯の下に立っているから
昔みたいに リリー・マルレーン

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c13
[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
14. 中川隆[-13452] koaQ7Jey 2020年3月24日 07:17:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1452]

『リリー・マルレーン』(Lili Marleen)は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲。

1915年にロシアへの出征を前にドイツの詩人ハンス・ライプ(Hans Leip)が、ベルリンのある兵営の営門に歩哨に立った時に創作した詩集『Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht』(邦題・港の小さな手風琴)に収録されていた詩を原典として、第二次世界大戦直前の1938年に、作曲家ノルベルト・シュルツェ(Norbert Schultze)が曲をつけた。歌手のララ・アンデルセンの1939年2月に録音したレコードが、有名になった。


大戦下での流行

1939年に発売した当初、アンデルセンのレコードは60枚しか売れなかったと言われている。しかし、販売店に山積みになっていた売れ残りのレコードから、店員がドイツ軍の前線慰問用レコード200枚の中に2枚紛れ込ませた。それが1941年の秋に初めて流され、それ以後も放送で繰り返しかけられて人気を得た[1]。

第二次世界大戦下の一時期、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流れたこの歌に、多くのドイツ兵が戦場で耳を傾けて故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。アンデルセンも慰問で人気者になったが、長くは続かなかった。1942年夏、アンデルセンと親しい関係にあったロルフ・リーバーマンがユダヤ人であったことが当局に知られてアンデルセンは歌手活動が禁止され、アンデルセンの録音したレコードの原盤は廃棄される事態となる。「リリー・マルレーン」の歌と曲自体は、ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相の指示により別バージョンが作られた。

女性歌手によって歌われることが多い。日本ではベルリン出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリヒの持ち歌として知られている。第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、アメリカの市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問し、この歌を歌った。そのため、ドイツでのディートリヒは敵側の人間(反逆者)と見なされ、戦後も不人気であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/リリー・マルレーン


ララ・アンデルセン(Lale Andersen , 本名リーゼロッテ・ヘレネ・ベルタ・ボイル、1905年3月23日 - 1972年8月29日)は、ドイツの歌手・女優。

第二次世界大戦中に歌った「リリー・マルレーン」は世界的なヒットとなった。

ララは1905年北ドイツの港町ブレーマーハーフェンに生まれた。
17歳で画家パウル・エルンスト・ヴィルケ(1894年 - 1971年)と結婚、3人の子供(ビョルン、カルメン・リッタ、ミヒャエル)が生まれるが、3人目の子が生まれてすぐ結婚は破綻した。1929年、24歳のララは子供たちを家族に預けてベルリンへ行き、ドイツ劇場の俳優養成学校に通ったと言われている。

1931年に正式に離婚すると、ベルリンのキャバレーなどのステージに立つようになったが、当時の芸名は「リゼロット・ヴィルケ」であった。1933年から1937年まで、チューリッヒの劇場に出演していた際、生涯の友人となる作曲家ロルフ・リーバーマン(1910年 - 1999年)と出会う。

1938年以降は、ミュンヘンのキャバレーや小劇場に出演し、ドイツ民謡(Volkslied)、シャンソン、流行のヒット曲などを歌っていた。この頃の芸名は「ララ・アンデルセン」となっている。

1937年にハイデルベルクでピアニストのカール・フリードリヒ・パッシェと知り合い、その後6年間、舞台やレコード録音の際のピアノ伴奏を任せている。1943年にパッシェが出征した後、ララは結局パッシェ以上のピアニストにはめぐり会えなかった。

ララとリリー・マルレーン

1939年、ミュンヘンのキャバレーに出演していた際にララはひとつの歌に出会った。
ハンス・ライプ(1893年 - 1983年)の詩にノルベルト・シュルツェ(1911年 - 2002年)が曲をつけた歌「リリー・マルレーン」である。
ララはこの曲をレコーディングするが、当時は約700枚がリリースされただけであり、60枚しか売れなかったと言われている。しかし、販売店に山積みになっていた売れ残りのレコードから、店員がドイツ軍の前線慰問用レコード200枚の中に2枚紛れ込ませた。それが1941年の秋に初めて流され、以後放送で繰り返しかけられて人気を得た[1]。ナチス・ドイツ占領下のベオグラードラジオが所蔵する数少ないレコードの中の1枚であった。

しかし、恋人たちの別離を歌った陰鬱な歌詞が士気に悪影響を及ぼすとして、ナチス政府の宣伝相ゲッベルスはこの曲を嫌悪し、ラジオ放送を禁止とする処分を下した。それでも戦地での兵士の人気は一向に衰えず、なぜラジオで流れないのかという問い合わせが多数寄せられたため、ベオグラード・ラジオは放送終了直前、毎晩21時57分に「リリー・マルレーン」を流す決定をした。毎晩21時57分になると、戦場ではドイツ軍、連合国軍を問わず、兵士たちはラジオをつけて聴いていた。

「リリー・マルレーン」を取り上げられ、チューリッヒで親しくなったリーバーマン初め多くの音楽家たちがユダヤ人であったこともあり、ララは歌手活動を禁じられてしまい、自殺を図るが未遂に終わる。9ヶ月後、歌手活動の再開を許可されたものの、ララは帝国文化院(Reichskulturkammer)の監督下に置かれ、「リリー・マルレーン」を歌うことは許されなかった。

ゲッベルスの命令で「勇壮なドラム伴奏を付けた軍歌版」の「リリー・マルレーン」を新たに作ったほか、終戦までの活動としてはプロパガンダに関するものばかりで、映画への出演が1本と英語で何曲か歌うのみであった。しかし「リリー・マルレーン」は、マレーネ・ディートリヒが曲をカバーして米軍を慰問したこともあり、アメリカにも広まっていった。

再婚と歌手への復帰

終戦の直前、ララは北海に浮かぶ東フリースラント諸島のランゲオーク島に移住して、歌手としては引退するが、1949年にスイス人作曲家アルトゥール・ボイル(1915年 - 2010年)と再婚した。1952年、ララは自分で作詞しボイルが作曲した歌で歌手に復帰し、1956年にはある映画の中で「リリー・マルレーン」を歌っている。1960年代にはヨーロッパとアメリカ、カナダのコンサート・ツアーを敢行したほか、1970年になるとテレビ番組に多数出演して活躍した。夫ボイルはララのために約20曲の歌を作り、ララ本人も作詞を手がけている(作詞時のペンネームはニコラ・ヴィルケ)。1969年と1972年に本を出版、1972年の自伝は当時のベストセラーになったが、その出版直後、ウィーンで死亡した(死因については心臓発作か肝臓癌か不明)。67歳。遺体はランゲオーク島に埋葬されている。


映画『リリー・マルレーン』

『リリー・マルレーン』1981年公開。監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、主演ハンナ・シグラ。
歌「リリー・マルレーン」と主人公ヴィリーが戦争に翻弄される悲劇を描くが、ララと思しき主人公など登場人物の背景には事実と異なる点が多い。


ララ・アンデルセンの著書
Wie werde ich Haifisch? – Ein heiterer Ratgeber für alle, die Schlager singen, texten oder komponieren wollen(1969年)
Der Himmel hat viele Farben(1972年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ララ・アンデルセン

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c14

[近代史02] LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡 中川隆
142. 中川隆[-13451] koaQ7Jey 2020年3月24日 07:33:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1453]

オークション情報〜栄枯盛衰〜 2020年03月24日 | オークション情報
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/70420e03632f1746d78da3010bf63f7c


今や多くのオーディオ愛好家にとってなくてはならないものがネットオークションだろう。

若い頃に欲しくて欲しくてたまらなかった憧れの機器が、ごく身近な存在になり手が届く範囲にあるという喜びは何物にも代えがたいが、その一方で「落ちた偶像」のようにあまり落ちぶれた姿を見たくないという複雑な思いも先に立つ。

たとえていえば容色の衰えた女優をテレビで観るようなものかな(笑)。

つい「平家物語」の冒頭の一節が蘇る。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。」

今回は最近のオークションで気になった物件を3件ほどメモしておこう。

言わずと知れたタンノイのウェストミンスターだが、今どきどのくらいの値段で落札されるんだろうと野次馬根性でウォッチリストに入れていたところ、落札額は「50万7千円」だった。

ユニットのエッジが風化していたので要修理品だったがそれにしても安っ。今昔の感がありますなあ。

我が家で購入したのは今から30年ほど前になるが、購入することを妻に言いそびれてしまい実際に運び込む前夜になって告白、そして1週間ほど口を聞いてもらえなかった苦〜い記憶がある(笑)。

今となっては少々「持て余し気味」という皮肉な結果に終わっているが、まあ、腐れ縁というところですかね。

図体が大きいし重たいしで都会のマンション向きではないことも人気が無い原因の一つだろう。

個人的にはオーディオで一番難しいのは「低音対策」だと思っているが、それこそいろんなアプローチがあるものの、箱の力(バックロードホーン)を利用したものとしてはこれが最右翼でしょう。

小さな箱からは絶対に出ない低音を味わえるが、歳を取るにつれ「こじんまりとした音」に傾いていくのはいったいどうしたことか(笑)。


3件目は「AXIOM80」。

かなり希少なユニットなのに、常に途切れることなくオークションに出品されているのはいったいどういうわけか?。

いったん手に入れたものの、とても神経質で鳴らし方が難しいので手放す方が多いような気がする。

このユニットと付き合うには「根気との勝負」に尽きますね。このくらいオーディオを勉強させてくれるユニットはないと思う。

たとえば、ユニットの後ろ側に放出される逆相の音の処理の仕方に伴う「箱のツクリ」方、相性のいいアンプの選択、コード類から電源対策などありとあらゆる知識と行動を総動員しないとうまく鳴ってくれないし、我が家だって未だに進行形の状態で山の頂さえも見えてこない状況にある。

おそらく命尽きるまで果てしない模索が続くことだろうと覚悟を決めている。

余談はさておき、程度の良さそうなこの復刻版の「AXIOM80」はどのくらいの価格で落ちるんだろうと見守っていたところ、結果は「242,000円」なり。

高くつくかどうかはひとえに落札者の「汗と涙」にかかっているが、はたして・・(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/70420e03632f1746d78da3010bf63f7c
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c142

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