★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100054
 
g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=  
 前へ
dGhQLjRSQk5RSlE= コメント履歴 No: 100054
http://www.asyura2.com/acat/d/dg/dgh/dGhQLjRSQk5RSlE=/100054.html
[近代史3] ディープステートとは何か 中川隆
2. 中川隆[-9320] koaQ7Jey 2019年6月23日 20:45:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3169]

東海アマブログ  米中貿易戦争の本質は宗教戦争 2019年06月05日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html

 1970年代のはじめ、吉祥寺の物部長興邸で、岡村昭彦の私的な講演会が行われた。

 内容は、主に、岡村がベトナム戦争の現地取材で体験した、さまざまのエピソードが主体だったと思う。

 私は、講演の最後に、岡村に対して、「歴史と戦争の本質は何か?」
 と尋ねると、岡村は、即座に「宗教だ」と答えた。

 ベトナム戦争や中東の激戦地を、砲弾の降り注ぐなかで取材して歩いた岡村昭彦の総括的結論が「宗教」だった。
 これは重い言葉だった。半世紀近くを経て、私は、世界史における流動性の本質を考える上で、「何が世界を動かしているのか?」という問いに対し、やはり「宗教」それも「旧約聖書である」と答えることにしている。

 私が当時、信奉していたマルクス主義、唯物弁証法は「存在が意識を規定する」を絶対不動の社会原理として示していたから、この理論からすれば、世界を動かすのは「経済」、つまり物質的豊かさを求める人々の葛藤であると考えねばならなかったのだが、戦場を駆け巡った岡村の直観は、人間社会における宗教による意思を歴史の動力であると示したのだ。

 トランプがアメリカ大統領でいられる最大の理由=力は、アメリカにおける「福音派」と呼ばれるキリスト教勢力の存在である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%B4%BE

 2011年現在、全世界のキリスト教徒のうち13.1%が福音派とされ、2004年現在、アメリカ合衆国の全人口の26.3%が福音派であり、22%がカトリック、16%がプロテスタントであると上のリンクに記載されている。
 つまりアメリカ最大の宗派であり、共和党の支持母体であることが知られている。トランプの予想外の当選も、福音派の総力を挙げた応援が理由だった。

 昔から、ずいぶん保守的な思想で固められていて、「キリスト教原理主義」と評されることもある。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 ニクソン大統領を焚きつけてベトナム戦争で大規模な北爆を後押ししたことでも知られるし、現在、アメリカの一部州では強姦されて妊娠した胎児でも、堕胎をすれば医師と妊婦ともに重罪になる法案が福音派の運動によって通ったばかりで、まるでイスラム教原理主義に対抗するかのように、過激な人権否定主義に走っている。
  https://www.bbc.com/japanese/48277708

 https://toyokeizai.net/articles/-/282862

 これはアラバマ州だが、米最高裁の判事は、トランプ政権によって保守強硬派が多数を占めるようになっったので、この堕胎禁止令が米全土に拡大するのも時間の問題であろう。

 アメリカという国は、建国当初から、原理主義的なキリスト教徒が支配する国であった。
 メイフラワー号に乗って新天地に移住した欧州清教徒=ピューリタンたちの本当の正体は、実は、欧州で反ユダヤ運動による「ボグロム」=大殺戮の恐怖から逃れようとした「キリスト教徒のフリをしたユダヤ教徒」であったと指摘されている。
 https://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

 http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5492.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

 そういう視点でアメリカ史を見ると、建国から一貫してアメリカの支配権を確保してきた保守系アメリカ人の大半が、実はユダヤ教徒ではないかという疑いさえ芽生える。
 プロテスタントを名乗るモルモン教とかエホバ派でさえ、その教義は旧約聖書の原理主義に近く、よくよく調べてみればユダヤ教と言っても差し支えない内容である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%97%A5%E8%81%96%E5%BE%92%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA

 もちろん福音派の教義も、明らかに新約聖書より旧約聖書を重視していて、戒律重視主義であり、これもプロテスタントではなくユダヤ教・律法主義に近いものである。
 したがって、アメリカの思想的背景として君臨し続けてきた福音派キリスト教は、イエスキリストのように人間愛を説いて人を許す前に、旧約聖書におけるレビ記に描かれた懲罰殺人を推進する勢力になっていて、アメリカにおける戦争や死刑制度、あるいは原爆投下にいたるまで、実は旧約聖書の解釈による正当化が主流になっている。
 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98+20&version=JLB

 トランプは大統領に就任してから、際だった親イスラエル政策を次々に実現している。
 https://www.asahi.com/articles/ASL585D55L58UHBI027.html

 米大使館のエルサレム移転まで実現し、とうとう、アメリカ大統領として「嘆きの壁」まで参拝することで、イスラエルに対し、永遠の連帯を表明した。
 次に行うのは、エルサレム第三神殿の建立支援ではないかと囁かれているが、これは、イスラム聖地の破壊を伴うことから、やれば必ず第三次世界大戦を引き起こすとも言われている。

 そこでトランプは、福音派どころか、本当は完全なるユダヤ教徒ではないかとの噂が強まってきた。
 https://toyokeizai.net/articles/-/173824

 実は、本当の「ユダヤ人=ユダヤ教徒」の定義は、「母方の血胤」であって、父系ではないため、表向きの相続関係では分からない。「母の血を継ぐ」というユダヤ人の定義を調べるのは困難であって、したがって「隠れユダヤ人」という一群の人々が登場することになる。
 例えば、オバマ前大統領もスエーデン人の母が、チェイニー元副大統領の親戚のユダヤ人なので、ユダヤ人ということになる。
 https://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/200912260000/

 トランプも表向きの系図からユダヤ人であるかを知るのは困難だが、大統領就任後の行動は、文句のないユダヤ教徒である。娘婿のクシュナーも敬虔なユダヤ教として知られていて、イバンカもユダヤ教に改宗している。

 福音派の別名は、クリスチャンシオニストである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 上のリンクに書かれているように、最大の教義は、アブラハムの行った神との契約を守るということであり、旧約聖書に描かれた「シオンの地に帰還」する契約を実現することである。
 だから理不尽な、パレスチナ先住民への弾圧、権利破壊をアメリカが率先して支援してきたのである。
 つまり、福音派はユダヤ教徒シオニストと100%同じと断言してもよい。なんで、福音派がユダヤ教を名乗らないのか不思議なほどだ。

 以上の背景から、中国との経済戦争を俯瞰してみると……。

 中国に対する、徹底的ともいえる憎悪に満ちた経済弾圧の本当の理由は何か? それは4400万人(一説によれば7000万人)といわれる中国キリスト教徒への残酷な弾圧の現実である。

 https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/01/0116.html

 https://www.nicovideo.jp/watch/so27443332

 https://blog.goo.ne.jp/jiuhime007/e/d46d3eb9de3babf710c7911bc5f47285

 https://www.epochtimes.jp/2018/09/36159.html

 中国国内にも福音派系列の教会も多く、アメリカ人にとって実感の薄い法輪功への臓器強奪弾圧よりも、2018年に、キリスト教会の強制取り壊しが習近平政権によって大規模に行われたことへのショックの方が大きい。
 ここで、「習近平憎し」の感情的共有が大規模に成立したのである。

 現在の米中貿易戦争の焦点は、ファーウェイによる5G戦略の封じ込めが争点になっていると報道されているのだが、実は、本当の理由は、習近平がキリスト教弾圧を行ったことが原因である可能性が高いのだ。
 以下は、昨年末、中国内キリスト教信者が数百名も行方不明になっているとの報道だが、これも、法輪功同様、施設に収容されて臓器の摘出売買施設に送られて殺害され、中国共産党幹部の利権に寄与した可能性が高い。
 https://www.youtube.com/watch?v=qAgSzmJK1E0

 このニュースが、アメリカのキリスト教徒たちを決定的に立ち上がらせた可能性が大きいと私は思う。福音派だけでなく、すべての宗派を含んでだ。
 宗教的なアイデンティティは、イスラムにおける「ジハード=聖戦義務」がそうであるように、ときには戦争の直接の原動力になってしまう。

 https://www.youtube.com/watch?v=okn3vhkm4co

 正直、5G利権をファーウェイから剥奪するというトランプ政権の方針は、アメリカ国民にとって馴染みの薄い問題で、なぜなら、すでにアメリカの下層大衆は、中国の安価商品によって生活の大部分を依存するようになってしまっているからである。
 これに25%関税をかければ、それはアメリカ下層大衆の必需物資を極端に値上げさせ、生活に打撃を与えることになり、トランプ政権の方針は歓迎されない。

 しかし、習近平政権がキリスト教会を中国全土で破壊したというニュースは、もの凄いインパクトを持ってアメリカの下層大衆を刺激している。
 「こんなことをする習近平政権は地球から追放すべきだ」という具体的な世論が拡大しているのだ。

 つまり、世界の政治的現実は、実は宗教的問題によって大きく規定されている。
 トランプの活動は、トランプ個人の思いつきよりも、背後の福音派の政治的利害に規定されていて、またユダヤ教徒の利害に規定されている。
 中国が、キリスト経への弾圧をやめない限り、もはや米中戦争は避けられないかもしれない。

 当座は、表向きレアアースの資源戦争という形をとるが、これも中国の敗北は確実なので、最後には、南シナ海や東シナ海で軍事的衝突が始まるに違いない。
 中国が他国との争いで、戦争にまで進まなかったことは一度もない。

 そして、中国は、建国以来の経済破綻に堕とされる。こうなると、落としどころとしては、中国国家の分割(例えば8地区)と独立ということになるかもしれない。


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html#c2

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
53. 中川隆[-9319] koaQ7Jey 2019年6月23日 20:46:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3170]

東海アマブログ  米中貿易戦争の本質は宗教戦争 2019年06月05日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html

 1970年代のはじめ、吉祥寺の物部長興邸で、岡村昭彦の私的な講演会が行われた。

 内容は、主に、岡村がベトナム戦争の現地取材で体験した、さまざまのエピソードが主体だったと思う。

 私は、講演の最後に、岡村に対して、「歴史と戦争の本質は何か?」
 と尋ねると、岡村は、即座に「宗教だ」と答えた。

 ベトナム戦争や中東の激戦地を、砲弾の降り注ぐなかで取材して歩いた岡村昭彦の総括的結論が「宗教」だった。
 これは重い言葉だった。半世紀近くを経て、私は、世界史における流動性の本質を考える上で、「何が世界を動かしているのか?」という問いに対し、やはり「宗教」それも「旧約聖書である」と答えることにしている。

 私が当時、信奉していたマルクス主義、唯物弁証法は「存在が意識を規定する」を絶対不動の社会原理として示していたから、この理論からすれば、世界を動かすのは「経済」、つまり物質的豊かさを求める人々の葛藤であると考えねばならなかったのだが、戦場を駆け巡った岡村の直観は、人間社会における宗教による意思を歴史の動力であると示したのだ。

 トランプがアメリカ大統領でいられる最大の理由=力は、アメリカにおける「福音派」と呼ばれるキリスト教勢力の存在である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%B4%BE

 2011年現在、全世界のキリスト教徒のうち13.1%が福音派とされ、2004年現在、アメリカ合衆国の全人口の26.3%が福音派であり、22%がカトリック、16%がプロテスタントであると上のリンクに記載されている。
 つまりアメリカ最大の宗派であり、共和党の支持母体であることが知られている。トランプの予想外の当選も、福音派の総力を挙げた応援が理由だった。

 昔から、ずいぶん保守的な思想で固められていて、「キリスト教原理主義」と評されることもある。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 ニクソン大統領を焚きつけてベトナム戦争で大規模な北爆を後押ししたことでも知られるし、現在、アメリカの一部州では強姦されて妊娠した胎児でも、堕胎をすれば医師と妊婦ともに重罪になる法案が福音派の運動によって通ったばかりで、まるでイスラム教原理主義に対抗するかのように、過激な人権否定主義に走っている。
  https://www.bbc.com/japanese/48277708

 https://toyokeizai.net/articles/-/282862

 これはアラバマ州だが、米最高裁の判事は、トランプ政権によって保守強硬派が多数を占めるようになっったので、この堕胎禁止令が米全土に拡大するのも時間の問題であろう。

 アメリカという国は、建国当初から、原理主義的なキリスト教徒が支配する国であった。
 メイフラワー号に乗って新天地に移住した欧州清教徒=ピューリタンたちの本当の正体は、実は、欧州で反ユダヤ運動による「ボグロム」=大殺戮の恐怖から逃れようとした「キリスト教徒のフリをしたユダヤ教徒」であったと指摘されている。
 https://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

 http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5492.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

 そういう視点でアメリカ史を見ると、建国から一貫してアメリカの支配権を確保してきた保守系アメリカ人の大半が、実はユダヤ教徒ではないかという疑いさえ芽生える。
 プロテスタントを名乗るモルモン教とかエホバ派でさえ、その教義は旧約聖書の原理主義に近く、よくよく調べてみればユダヤ教と言っても差し支えない内容である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%97%A5%E8%81%96%E5%BE%92%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA

 もちろん福音派の教義も、明らかに新約聖書より旧約聖書を重視していて、戒律重視主義であり、これもプロテスタントではなくユダヤ教・律法主義に近いものである。
 したがって、アメリカの思想的背景として君臨し続けてきた福音派キリスト教は、イエスキリストのように人間愛を説いて人を許す前に、旧約聖書におけるレビ記に描かれた懲罰殺人を推進する勢力になっていて、アメリカにおける戦争や死刑制度、あるいは原爆投下にいたるまで、実は旧約聖書の解釈による正当化が主流になっている。
 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98+20&version=JLB

 トランプは大統領に就任してから、際だった親イスラエル政策を次々に実現している。
 https://www.asahi.com/articles/ASL585D55L58UHBI027.html

 米大使館のエルサレム移転まで実現し、とうとう、アメリカ大統領として「嘆きの壁」まで参拝することで、イスラエルに対し、永遠の連帯を表明した。
 次に行うのは、エルサレム第三神殿の建立支援ではないかと囁かれているが、これは、イスラム聖地の破壊を伴うことから、やれば必ず第三次世界大戦を引き起こすとも言われている。

 そこでトランプは、福音派どころか、本当は完全なるユダヤ教徒ではないかとの噂が強まってきた。
 https://toyokeizai.net/articles/-/173824

 実は、本当の「ユダヤ人=ユダヤ教徒」の定義は、「母方の血胤」であって、父系ではないため、表向きの相続関係では分からない。「母の血を継ぐ」というユダヤ人の定義を調べるのは困難であって、したがって「隠れユダヤ人」という一群の人々が登場することになる。
 例えば、オバマ前大統領もスエーデン人の母が、チェイニー元副大統領の親戚のユダヤ人なので、ユダヤ人ということになる。
 https://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/200912260000/

 トランプも表向きの系図からユダヤ人であるかを知るのは困難だが、大統領就任後の行動は、文句のないユダヤ教徒である。娘婿のクシュナーも敬虔なユダヤ教として知られていて、イバンカもユダヤ教に改宗している。

 福音派の別名は、クリスチャンシオニストである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 上のリンクに書かれているように、最大の教義は、アブラハムの行った神との契約を守るということであり、旧約聖書に描かれた「シオンの地に帰還」する契約を実現することである。
 だから理不尽な、パレスチナ先住民への弾圧、権利破壊をアメリカが率先して支援してきたのである。
 つまり、福音派はユダヤ教徒シオニストと100%同じと断言してもよい。なんで、福音派がユダヤ教を名乗らないのか不思議なほどだ。

 以上の背景から、中国との経済戦争を俯瞰してみると……。

 中国に対する、徹底的ともいえる憎悪に満ちた経済弾圧の本当の理由は何か? それは4400万人(一説によれば7000万人)といわれる中国キリスト教徒への残酷な弾圧の現実である。

 https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/01/0116.html

 https://www.nicovideo.jp/watch/so27443332

 https://blog.goo.ne.jp/jiuhime007/e/d46d3eb9de3babf710c7911bc5f47285

 https://www.epochtimes.jp/2018/09/36159.html

 中国国内にも福音派系列の教会も多く、アメリカ人にとって実感の薄い法輪功への臓器強奪弾圧よりも、2018年に、キリスト教会の強制取り壊しが習近平政権によって大規模に行われたことへのショックの方が大きい。
 ここで、「習近平憎し」の感情的共有が大規模に成立したのである。

 現在の米中貿易戦争の焦点は、ファーウェイによる5G戦略の封じ込めが争点になっていると報道されているのだが、実は、本当の理由は、習近平がキリスト教弾圧を行ったことが原因である可能性が高いのだ。
 以下は、昨年末、中国内キリスト教信者が数百名も行方不明になっているとの報道だが、これも、法輪功同様、施設に収容されて臓器の摘出売買施設に送られて殺害され、中国共産党幹部の利権に寄与した可能性が高い。
 https://www.youtube.com/watch?v=qAgSzmJK1E0

 このニュースが、アメリカのキリスト教徒たちを決定的に立ち上がらせた可能性が大きいと私は思う。福音派だけでなく、すべての宗派を含んでだ。
 宗教的なアイデンティティは、イスラムにおける「ジハード=聖戦義務」がそうであるように、ときには戦争の直接の原動力になってしまう。

 https://www.youtube.com/watch?v=okn3vhkm4co

 正直、5G利権をファーウェイから剥奪するというトランプ政権の方針は、アメリカ国民にとって馴染みの薄い問題で、なぜなら、すでにアメリカの下層大衆は、中国の安価商品によって生活の大部分を依存するようになってしまっているからである。
 これに25%関税をかければ、それはアメリカ下層大衆の必需物資を極端に値上げさせ、生活に打撃を与えることになり、トランプ政権の方針は歓迎されない。

 しかし、習近平政権がキリスト教会を中国全土で破壊したというニュースは、もの凄いインパクトを持ってアメリカの下層大衆を刺激している。
 「こんなことをする習近平政権は地球から追放すべきだ」という具体的な世論が拡大しているのだ。

 つまり、世界の政治的現実は、実は宗教的問題によって大きく規定されている。
 トランプの活動は、トランプ個人の思いつきよりも、背後の福音派の政治的利害に規定されていて、またユダヤ教徒の利害に規定されている。
 中国が、キリスト経への弾圧をやめない限り、もはや米中戦争は避けられないかもしれない。

 当座は、表向きレアアースの資源戦争という形をとるが、これも中国の敗北は確実なので、最後には、南シナ海や東シナ海で軍事的衝突が始まるに違いない。
 中国が他国との争いで、戦争にまで進まなかったことは一度もない。

 そして、中国は、建国以来の経済破綻に堕とされる。こうなると、落としどころとしては、中国国家の分割(例えば8地区)と独立ということになるかもしれない。


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c53

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
35. 中川隆[-9318] koaQ7Jey 2019年6月23日 20:46:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3171]

東海アマブログ  米中貿易戦争の本質は宗教戦争 2019年06月05日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html

 1970年代のはじめ、吉祥寺の物部長興邸で、岡村昭彦の私的な講演会が行われた。

 内容は、主に、岡村がベトナム戦争の現地取材で体験した、さまざまのエピソードが主体だったと思う。

 私は、講演の最後に、岡村に対して、「歴史と戦争の本質は何か?」
 と尋ねると、岡村は、即座に「宗教だ」と答えた。

 ベトナム戦争や中東の激戦地を、砲弾の降り注ぐなかで取材して歩いた岡村昭彦の総括的結論が「宗教」だった。
 これは重い言葉だった。半世紀近くを経て、私は、世界史における流動性の本質を考える上で、「何が世界を動かしているのか?」という問いに対し、やはり「宗教」それも「旧約聖書である」と答えることにしている。

 私が当時、信奉していたマルクス主義、唯物弁証法は「存在が意識を規定する」を絶対不動の社会原理として示していたから、この理論からすれば、世界を動かすのは「経済」、つまり物質的豊かさを求める人々の葛藤であると考えねばならなかったのだが、戦場を駆け巡った岡村の直観は、人間社会における宗教による意思を歴史の動力であると示したのだ。

 トランプがアメリカ大統領でいられる最大の理由=力は、アメリカにおける「福音派」と呼ばれるキリスト教勢力の存在である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%B4%BE

 2011年現在、全世界のキリスト教徒のうち13.1%が福音派とされ、2004年現在、アメリカ合衆国の全人口の26.3%が福音派であり、22%がカトリック、16%がプロテスタントであると上のリンクに記載されている。
 つまりアメリカ最大の宗派であり、共和党の支持母体であることが知られている。トランプの予想外の当選も、福音派の総力を挙げた応援が理由だった。

 昔から、ずいぶん保守的な思想で固められていて、「キリスト教原理主義」と評されることもある。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 ニクソン大統領を焚きつけてベトナム戦争で大規模な北爆を後押ししたことでも知られるし、現在、アメリカの一部州では強姦されて妊娠した胎児でも、堕胎をすれば医師と妊婦ともに重罪になる法案が福音派の運動によって通ったばかりで、まるでイスラム教原理主義に対抗するかのように、過激な人権否定主義に走っている。
  https://www.bbc.com/japanese/48277708

 https://toyokeizai.net/articles/-/282862

 これはアラバマ州だが、米最高裁の判事は、トランプ政権によって保守強硬派が多数を占めるようになっったので、この堕胎禁止令が米全土に拡大するのも時間の問題であろう。

 アメリカという国は、建国当初から、原理主義的なキリスト教徒が支配する国であった。
 メイフラワー号に乗って新天地に移住した欧州清教徒=ピューリタンたちの本当の正体は、実は、欧州で反ユダヤ運動による「ボグロム」=大殺戮の恐怖から逃れようとした「キリスト教徒のフリをしたユダヤ教徒」であったと指摘されている。
 https://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

 http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5492.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

 そういう視点でアメリカ史を見ると、建国から一貫してアメリカの支配権を確保してきた保守系アメリカ人の大半が、実はユダヤ教徒ではないかという疑いさえ芽生える。
 プロテスタントを名乗るモルモン教とかエホバ派でさえ、その教義は旧約聖書の原理主義に近く、よくよく調べてみればユダヤ教と言っても差し支えない内容である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%97%A5%E8%81%96%E5%BE%92%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA

 もちろん福音派の教義も、明らかに新約聖書より旧約聖書を重視していて、戒律重視主義であり、これもプロテスタントではなくユダヤ教・律法主義に近いものである。
 したがって、アメリカの思想的背景として君臨し続けてきた福音派キリスト教は、イエスキリストのように人間愛を説いて人を許す前に、旧約聖書におけるレビ記に描かれた懲罰殺人を推進する勢力になっていて、アメリカにおける戦争や死刑制度、あるいは原爆投下にいたるまで、実は旧約聖書の解釈による正当化が主流になっている。
 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98+20&version=JLB

 トランプは大統領に就任してから、際だった親イスラエル政策を次々に実現している。
 https://www.asahi.com/articles/ASL585D55L58UHBI027.html

 米大使館のエルサレム移転まで実現し、とうとう、アメリカ大統領として「嘆きの壁」まで参拝することで、イスラエルに対し、永遠の連帯を表明した。
 次に行うのは、エルサレム第三神殿の建立支援ではないかと囁かれているが、これは、イスラム聖地の破壊を伴うことから、やれば必ず第三次世界大戦を引き起こすとも言われている。

 そこでトランプは、福音派どころか、本当は完全なるユダヤ教徒ではないかとの噂が強まってきた。
 https://toyokeizai.net/articles/-/173824

 実は、本当の「ユダヤ人=ユダヤ教徒」の定義は、「母方の血胤」であって、父系ではないため、表向きの相続関係では分からない。「母の血を継ぐ」というユダヤ人の定義を調べるのは困難であって、したがって「隠れユダヤ人」という一群の人々が登場することになる。
 例えば、オバマ前大統領もスエーデン人の母が、チェイニー元副大統領の親戚のユダヤ人なので、ユダヤ人ということになる。
 https://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/200912260000/

 トランプも表向きの系図からユダヤ人であるかを知るのは困難だが、大統領就任後の行動は、文句のないユダヤ教徒である。娘婿のクシュナーも敬虔なユダヤ教として知られていて、イバンカもユダヤ教に改宗している。

 福音派の別名は、クリスチャンシオニストである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 上のリンクに書かれているように、最大の教義は、アブラハムの行った神との契約を守るということであり、旧約聖書に描かれた「シオンの地に帰還」する契約を実現することである。
 だから理不尽な、パレスチナ先住民への弾圧、権利破壊をアメリカが率先して支援してきたのである。
 つまり、福音派はユダヤ教徒シオニストと100%同じと断言してもよい。なんで、福音派がユダヤ教を名乗らないのか不思議なほどだ。

 以上の背景から、中国との経済戦争を俯瞰してみると……。

 中国に対する、徹底的ともいえる憎悪に満ちた経済弾圧の本当の理由は何か? それは4400万人(一説によれば7000万人)といわれる中国キリスト教徒への残酷な弾圧の現実である。

 https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/01/0116.html

 https://www.nicovideo.jp/watch/so27443332

 https://blog.goo.ne.jp/jiuhime007/e/d46d3eb9de3babf710c7911bc5f47285

 https://www.epochtimes.jp/2018/09/36159.html

 中国国内にも福音派系列の教会も多く、アメリカ人にとって実感の薄い法輪功への臓器強奪弾圧よりも、2018年に、キリスト教会の強制取り壊しが習近平政権によって大規模に行われたことへのショックの方が大きい。
 ここで、「習近平憎し」の感情的共有が大規模に成立したのである。

 現在の米中貿易戦争の焦点は、ファーウェイによる5G戦略の封じ込めが争点になっていると報道されているのだが、実は、本当の理由は、習近平がキリスト教弾圧を行ったことが原因である可能性が高いのだ。
 以下は、昨年末、中国内キリスト教信者が数百名も行方不明になっているとの報道だが、これも、法輪功同様、施設に収容されて臓器の摘出売買施設に送られて殺害され、中国共産党幹部の利権に寄与した可能性が高い。
 https://www.youtube.com/watch?v=qAgSzmJK1E0

 このニュースが、アメリカのキリスト教徒たちを決定的に立ち上がらせた可能性が大きいと私は思う。福音派だけでなく、すべての宗派を含んでだ。
 宗教的なアイデンティティは、イスラムにおける「ジハード=聖戦義務」がそうであるように、ときには戦争の直接の原動力になってしまう。

 https://www.youtube.com/watch?v=okn3vhkm4co

 正直、5G利権をファーウェイから剥奪するというトランプ政権の方針は、アメリカ国民にとって馴染みの薄い問題で、なぜなら、すでにアメリカの下層大衆は、中国の安価商品によって生活の大部分を依存するようになってしまっているからである。
 これに25%関税をかければ、それはアメリカ下層大衆の必需物資を極端に値上げさせ、生活に打撃を与えることになり、トランプ政権の方針は歓迎されない。

 しかし、習近平政権がキリスト教会を中国全土で破壊したというニュースは、もの凄いインパクトを持ってアメリカの下層大衆を刺激している。
 「こんなことをする習近平政権は地球から追放すべきだ」という具体的な世論が拡大しているのだ。

 つまり、世界の政治的現実は、実は宗教的問題によって大きく規定されている。
 トランプの活動は、トランプ個人の思いつきよりも、背後の福音派の政治的利害に規定されていて、またユダヤ教徒の利害に規定されている。
 中国が、キリスト経への弾圧をやめない限り、もはや米中戦争は避けられないかもしれない。

 当座は、表向きレアアースの資源戦争という形をとるが、これも中国の敗北は確実なので、最後には、南シナ海や東シナ海で軍事的衝突が始まるに違いない。
 中国が他国との争いで、戦争にまで進まなかったことは一度もない。

 そして、中国は、建国以来の経済破綻に堕とされる。こうなると、落としどころとしては、中国国家の分割(例えば8地区)と独立ということになるかもしれない。


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c35

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
18. 中川隆[-9317] koaQ7Jey 2019年6月23日 20:47:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3172]

東海アマブログ  米中貿易戦争の本質は宗教戦争 2019年06月05日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html

 1970年代のはじめ、吉祥寺の物部長興邸で、岡村昭彦の私的な講演会が行われた。

 内容は、主に、岡村がベトナム戦争の現地取材で体験した、さまざまのエピソードが主体だったと思う。

 私は、講演の最後に、岡村に対して、「歴史と戦争の本質は何か?」
 と尋ねると、岡村は、即座に「宗教だ」と答えた。

 ベトナム戦争や中東の激戦地を、砲弾の降り注ぐなかで取材して歩いた岡村昭彦の総括的結論が「宗教」だった。
 これは重い言葉だった。半世紀近くを経て、私は、世界史における流動性の本質を考える上で、「何が世界を動かしているのか?」という問いに対し、やはり「宗教」それも「旧約聖書である」と答えることにしている。

 私が当時、信奉していたマルクス主義、唯物弁証法は「存在が意識を規定する」を絶対不動の社会原理として示していたから、この理論からすれば、世界を動かすのは「経済」、つまり物質的豊かさを求める人々の葛藤であると考えねばならなかったのだが、戦場を駆け巡った岡村の直観は、人間社会における宗教による意思を歴史の動力であると示したのだ。

 トランプがアメリカ大統領でいられる最大の理由=力は、アメリカにおける「福音派」と呼ばれるキリスト教勢力の存在である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%B4%BE

 2011年現在、全世界のキリスト教徒のうち13.1%が福音派とされ、2004年現在、アメリカ合衆国の全人口の26.3%が福音派であり、22%がカトリック、16%がプロテスタントであると上のリンクに記載されている。
 つまりアメリカ最大の宗派であり、共和党の支持母体であることが知られている。トランプの予想外の当選も、福音派の総力を挙げた応援が理由だった。

 昔から、ずいぶん保守的な思想で固められていて、「キリスト教原理主義」と評されることもある。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 ニクソン大統領を焚きつけてベトナム戦争で大規模な北爆を後押ししたことでも知られるし、現在、アメリカの一部州では強姦されて妊娠した胎児でも、堕胎をすれば医師と妊婦ともに重罪になる法案が福音派の運動によって通ったばかりで、まるでイスラム教原理主義に対抗するかのように、過激な人権否定主義に走っている。
  https://www.bbc.com/japanese/48277708

 https://toyokeizai.net/articles/-/282862

 これはアラバマ州だが、米最高裁の判事は、トランプ政権によって保守強硬派が多数を占めるようになっったので、この堕胎禁止令が米全土に拡大するのも時間の問題であろう。

 アメリカという国は、建国当初から、原理主義的なキリスト教徒が支配する国であった。
 メイフラワー号に乗って新天地に移住した欧州清教徒=ピューリタンたちの本当の正体は、実は、欧州で反ユダヤ運動による「ボグロム」=大殺戮の恐怖から逃れようとした「キリスト教徒のフリをしたユダヤ教徒」であったと指摘されている。
 https://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

 http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5492.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

 そういう視点でアメリカ史を見ると、建国から一貫してアメリカの支配権を確保してきた保守系アメリカ人の大半が、実はユダヤ教徒ではないかという疑いさえ芽生える。
 プロテスタントを名乗るモルモン教とかエホバ派でさえ、その教義は旧約聖書の原理主義に近く、よくよく調べてみればユダヤ教と言っても差し支えない内容である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%97%A5%E8%81%96%E5%BE%92%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA

 もちろん福音派の教義も、明らかに新約聖書より旧約聖書を重視していて、戒律重視主義であり、これもプロテスタントではなくユダヤ教・律法主義に近いものである。
 したがって、アメリカの思想的背景として君臨し続けてきた福音派キリスト教は、イエスキリストのように人間愛を説いて人を許す前に、旧約聖書におけるレビ記に描かれた懲罰殺人を推進する勢力になっていて、アメリカにおける戦争や死刑制度、あるいは原爆投下にいたるまで、実は旧約聖書の解釈による正当化が主流になっている。
 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98+20&version=JLB

 トランプは大統領に就任してから、際だった親イスラエル政策を次々に実現している。
 https://www.asahi.com/articles/ASL585D55L58UHBI027.html

 米大使館のエルサレム移転まで実現し、とうとう、アメリカ大統領として「嘆きの壁」まで参拝することで、イスラエルに対し、永遠の連帯を表明した。
 次に行うのは、エルサレム第三神殿の建立支援ではないかと囁かれているが、これは、イスラム聖地の破壊を伴うことから、やれば必ず第三次世界大戦を引き起こすとも言われている。

 そこでトランプは、福音派どころか、本当は完全なるユダヤ教徒ではないかとの噂が強まってきた。
 https://toyokeizai.net/articles/-/173824

 実は、本当の「ユダヤ人=ユダヤ教徒」の定義は、「母方の血胤」であって、父系ではないため、表向きの相続関係では分からない。「母の血を継ぐ」というユダヤ人の定義を調べるのは困難であって、したがって「隠れユダヤ人」という一群の人々が登場することになる。
 例えば、オバマ前大統領もスエーデン人の母が、チェイニー元副大統領の親戚のユダヤ人なので、ユダヤ人ということになる。
 https://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/200912260000/

 トランプも表向きの系図からユダヤ人であるかを知るのは困難だが、大統領就任後の行動は、文句のないユダヤ教徒である。娘婿のクシュナーも敬虔なユダヤ教として知られていて、イバンカもユダヤ教に改宗している。

 福音派の別名は、クリスチャンシオニストである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 上のリンクに書かれているように、最大の教義は、アブラハムの行った神との契約を守るということであり、旧約聖書に描かれた「シオンの地に帰還」する契約を実現することである。
 だから理不尽な、パレスチナ先住民への弾圧、権利破壊をアメリカが率先して支援してきたのである。
 つまり、福音派はユダヤ教徒シオニストと100%同じと断言してもよい。なんで、福音派がユダヤ教を名乗らないのか不思議なほどだ。

 以上の背景から、中国との経済戦争を俯瞰してみると……。

 中国に対する、徹底的ともいえる憎悪に満ちた経済弾圧の本当の理由は何か? それは4400万人(一説によれば7000万人)といわれる中国キリスト教徒への残酷な弾圧の現実である。

 https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/01/0116.html

 https://www.nicovideo.jp/watch/so27443332

 https://blog.goo.ne.jp/jiuhime007/e/d46d3eb9de3babf710c7911bc5f47285

 https://www.epochtimes.jp/2018/09/36159.html

 中国国内にも福音派系列の教会も多く、アメリカ人にとって実感の薄い法輪功への臓器強奪弾圧よりも、2018年に、キリスト教会の強制取り壊しが習近平政権によって大規模に行われたことへのショックの方が大きい。
 ここで、「習近平憎し」の感情的共有が大規模に成立したのである。

 現在の米中貿易戦争の焦点は、ファーウェイによる5G戦略の封じ込めが争点になっていると報道されているのだが、実は、本当の理由は、習近平がキリスト教弾圧を行ったことが原因である可能性が高いのだ。
 以下は、昨年末、中国内キリスト教信者が数百名も行方不明になっているとの報道だが、これも、法輪功同様、施設に収容されて臓器の摘出売買施設に送られて殺害され、中国共産党幹部の利権に寄与した可能性が高い。
 https://www.youtube.com/watch?v=qAgSzmJK1E0

 このニュースが、アメリカのキリスト教徒たちを決定的に立ち上がらせた可能性が大きいと私は思う。福音派だけでなく、すべての宗派を含んでだ。
 宗教的なアイデンティティは、イスラムにおける「ジハード=聖戦義務」がそうであるように、ときには戦争の直接の原動力になってしまう。

 https://www.youtube.com/watch?v=okn3vhkm4co

 正直、5G利権をファーウェイから剥奪するというトランプ政権の方針は、アメリカ国民にとって馴染みの薄い問題で、なぜなら、すでにアメリカの下層大衆は、中国の安価商品によって生活の大部分を依存するようになってしまっているからである。
 これに25%関税をかければ、それはアメリカ下層大衆の必需物資を極端に値上げさせ、生活に打撃を与えることになり、トランプ政権の方針は歓迎されない。

 しかし、習近平政権がキリスト教会を中国全土で破壊したというニュースは、もの凄いインパクトを持ってアメリカの下層大衆を刺激している。
 「こんなことをする習近平政権は地球から追放すべきだ」という具体的な世論が拡大しているのだ。

 つまり、世界の政治的現実は、実は宗教的問題によって大きく規定されている。
 トランプの活動は、トランプ個人の思いつきよりも、背後の福音派の政治的利害に規定されていて、またユダヤ教徒の利害に規定されている。
 中国が、キリスト経への弾圧をやめない限り、もはや米中戦争は避けられないかもしれない。

 当座は、表向きレアアースの資源戦争という形をとるが、これも中国の敗北は確実なので、最後には、南シナ海や東シナ海で軍事的衝突が始まるに違いない。
 中国が他国との争いで、戦争にまで進まなかったことは一度もない。

 そして、中国は、建国以来の経済破綻に堕とされる。こうなると、落としどころとしては、中国国家の分割(例えば8地区)と独立ということになるかもしれない。


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c18

[近代史3] 東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教 中川隆
2. 中川隆[-9316] koaQ7Jey 2019年6月23日 20:51:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3173]

回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達


アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒として新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にして酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「アメリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発言も聖書からでている。

「わたしの側に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦っているという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われているが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html


キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造  投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒


旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。


この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。

「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。


元々、ヨーロッパ自体が

「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205

により、選民思想も登場してきているという背景があります。


ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。


以下、

『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

****************************

■アメリカを新しいエルサレムの地にする

イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。

ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。


彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。

ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。


いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。

彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。


ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。

ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。

彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。


そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。

西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。

このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。


■宗教国家のアメリカには「妥協」がない

現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。


彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。


神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。


建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。


ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。


宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。


ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。

アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。


第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。

今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html#c2

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
2. 中川隆[-9315] koaQ7Jey 2019年6月23日 20:59:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3174]
東海アマブログ 大家族生活の良さ 2019年06月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html


 柳田国男が、明治42年(1909年)に、白川郷を訪れたとき、大家族生活の印象を書き残している。

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2279832.html

 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。

 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。

 引用以上

 ちなみに「チュウビンテンメン」という用語は、ネット上で探しても出てこない。広辞苑や大言海でも無理かも知れない。「秋風帖」という柳田の著作には漢字で出てくるものの、今では誰も理解困難だ。

 柳田が言いたかったことは、「白川郷の大家族生活には孤独が存在しない」ということである。しかし、冒頭の私のブログに書いてあるように、昭和初期には、女性たちは、高山や岡谷、富山などの紡織産業に出稼ぎに出ていて、ひとたび外の世界の「自由」に触れた者たちは、再び白川郷に戻らなかった。

 白川郷の労働が激しかった理由は、たぶん戦国時代に、煙硝=硝酸カリの製造法が発見され、その最適地として知られたのが飛騨合掌家屋であったことだろう。
 雪深く湿度が高い環境と、一軒家に多数の人々が暮らしているので、原料となる屎尿・青草の入手が容易な白川郷や五箇山では効率的な煙硝の製造が可能だった。加賀藩や高山藩が煙硝製造に焦って、住民たちに年貢の代替として無理な負荷をかけ続けた事情は容易に窺える。

 白川郷には男女の集団生活があったが、彼らはプライバシーに飢えていた。
 我々が、大家族生活の利点に憧れるとき、最も警戒しなければならないことが、人が多すぎてプライバシーがもたらす休息が失われることの可能性である。

 大家族には生活上の利点が実に多い。

 何よりも、食事、洗濯、買い物などで、たくさんの消費を効率的に満足させられるのである。一度にたくさんの仕事をするから、孤立した小家族に比べて、一人あたりの消費は実に合理的に行える。

 間違いを犯しても、仲間がすぐに指摘してくれるし、分からないことは教えてもらえる。
 
 生活の必要経費と労働量は、小家族と大家族では極めて大きな差が生じる。

 何よりも、一人主婦が家事を行うのと、数名でワイワイガヤガヤと共同して行うのでは、同じ家事でも雲泥の差、共同には人生の楽しさのエッセンスが詰まっている。

 一人の仕事はつまらない。人は共同にこそ人生のすべての楽しみを得られるように設計されているのである。

 洗濯機や冷蔵庫、掃除機など家電製品で考えれば、数名でも数十名でも同じ道具と時間ですんでしまうので、たくさん買いそろえる必要がない。

 老人や病人の介護が、一人の主婦に負担が集中する小家族とは比較にならないほど楽であり、何か困ったことが起きても、よってたかって解決する人が、たくさん出てくるのである。

 人が死んだときも、全体に及ぶ影響は、家族の規模が大きいほど小さなものになる。悲しみも、みんなが和らげてくれる。「孤独」って、どこの話? ということになるのだ。

 ここでネット上で、大家族生活の合理性について書かれているサイトを参照してみよう。

 山上家の節約術が凄い!家族10人で月30万円!?
 https://xn--bck9etdz48puxcfxu.net/bigfamily/bigfamly/yamagamike

 大家族貧乏ゆうり家の究極のこだわり節約術
 https://yuurin4children.com/daikazokusetuyaku/

 大家族すぎて生活苦に陥っている家庭の悩み https://mikle.jp/theme/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%8B%A6+%E5%A4%A7%E5%AE%B6%E6%97%8F/

 これらの記事は、私の子供時代の家族感覚からすれば、大家族でもなんでもなくて、「普通家族」のものにすぎないが、それでも生活の大変さと、家族が多いことでの不便と合理性について触れている。

 私は「大家族生活」を考える場合、単位としては10〜20名程度を想定していて、10名以下は「普通の家族」であると思う。

 それに血縁ばかりが家族になるわけでなく、家族というより「共同体志向」を念頭に考える必要があると思っている。

 逆に大家族制度の不合理性=不便性について、ネット上で実情と意見を探しているのだが、なかなか発見することができない。

 小家族の合理性について探しても、まず出てこない。つまり、「小家族で良かった」との記事は見たことがない。

 「大家族はいいですよ」という記事はたくさん見かけるのだが、大家族のせいで自殺に追い詰められたとか、人生が窮屈で死にそうだとかの苦情を探すのは困難なのであり、小家族で幸せだったとの賛美も見つからない。

 せめて、「トイレが足らなくて、我慢してるうちに漏れちゃった」というような具体的な不便記事を探しても見つからない。
 
 それでも、大家族を未経験の人が真っ先に深刻に不安視するのが、プライバシーの侵害であり、隠し事ができないことへの恐怖であり、たくさんの人と同居することの閉塞感、圧迫感であろう。

 実際問題として白川郷の若い娘たちが、苛烈な冬の野麦峠を越えて、女工哀史に描かれた凄惨なほどの岡谷の生糸紡織産業に就業し、一日16時間の辛い肉体労働を強要されても、故郷に帰らなかった事情は、8畳間に同性の10人以上もが寝起きする合掌家屋の生活に、よほど嫌気がさしていたのではないかと思う。

 そこで、我々が窮乏する生活上の要請から、再び大家族生活に回帰するにあたって、個人のプライバシーと、大家族の合理性を、どのように両立させるか明確なビジョンを持って、計画的に準備することが必要というのが私の考えである。
 もうギュウギュウ詰の生活を我慢できる人も少ないだろうから、一定のプライバシーは、どうしても確保しておかないと、集団=共同体生活も成り立たないと考えている。

 そこで参考になるのが、ヤマギシ会のシステムである。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html

 私は1973年頃、新島淳良がヤマギシ会の理事長だったころ、特別講習というのに参加したのだが、この頃のヤマギシ会は、本当に素晴らしかった。
 何より、参画者の女性たちが美しかった。化粧など誰もしていなかったが、人生や人間関係に対する喜びにあふれた表情は、一目見ただけで忘れられないほど美しいものだった。

 当時のヤマギシ会は、まだ貧しくて、みんな粗末なトタン張りの小屋に住んでいたが、それでも、ヤマギシズムと呼ばれた放し飼いに近い養鶏法が生活の主軸になっていたから、養鶏法をモデルとしたシステムに、人間も生活していたのである。

 ドーム型の長屋を区割りして個室が作られていたが、個室は四畳半くらいで、数名が生活していた。

 食事も洗濯も風呂も、すべて共同で行われ、強制は一切なく、本人の自主性だけに依拠した共同体がうまく機能していた。

 問題が出ると研鑽会が開かれ、みんなで意見を出して解決していた。

 大切なことは、ヤマギシ会においては、粗末ではあったが、それなりの個人のプライバシーが確保されていたということで、我々が共同体を志向するときも、必ず、共同性とプライバシーを両立させる生活システムを考える必要があると思う。

 その後、80年代末にも私は関わったのだが、その頃になると、いろいろな問題が噴出し、いわゆる「問題組織」とレッテルを貼られるようになったが、私は、詳細を知らない。ただ、結構豪華な個室が与えられていたことが印象に残っている。
 ちょうど70年前後の全共闘運動が80年代に近くなると、悪い意味での変質が起きていたことに似た、組織の統治に関する問題がたくさん出てきて、私は幻滅させられることが多く、ヤマギシとの関わりも失われた。

 リーダーが専用のベンツに乗って外出する姿を見たとき、「ヤマギシも終わったのか?」と強い不安に駆られた記憶がある。つまり、もの凄く儲かっていたことで、ヤマギシズムの本質を見失ってしまったのではないか? と私には思えた。

 今の段階では抽象的にしか語れないのが残念だ。当時は、私自身が地獄の釜のなかにいるような精神状態で、何をどうすべきかのビジョンが、まるで生み出せなかった。

 資本主義の爛熟過程では、みんな物質的欲望と見栄に取り込まれ、愛を見失い競争だけが生き甲斐になるような、人間性を見失った時代になってしまうのだが、それがバブル時代だったと思う。

 私もバブル時代の中で、価値観を見失い苦悩したが、今、再び、60年代のような民衆の貧しさが復活して、真実を見抜こうとする価値観が復権してきているような気がする。

 豊かさは人を愚かにするが、貧しさは人を賢明に育てるのである。みんなが貧しくなって、再び、我々の前に真実が姿を現しはじめた。それが共同体の復権であると、私は思う。

 共同体=すなわち大家族生活のことである。人が金ではなく、人に依拠して生き抜いてゆく。この世の本質は、金や差別ではなく、人間と、その愛であると気づいた人たちが、手を取り合って新しい社会を形成してゆくのである。

 まだ資本主義の競争社会に影響を受けて、人ではなく、技術や集団、組織の虚構に目を奪われて、「この世には人間と自然しかない」という真実を見抜けない人たちがたくさん生きている。

 彼らは、コンピュータ社会、IT・AIに過剰な幻想を抱き、それが人を支配するようになると勘違いしているが、決してそうではない。世界の本質は人間であり、金ではなく、技術でも権力でもない。
 人間だけを見つめて生きるために、我々には大家族=共同体生活が必要なのだ。

 また、共同体は、「そうしなければ生きてゆけない」という切羽詰まった現実の上に築かれるものであり、誰か頭の良い、えらーい人が登場してきて共同体社会を指導して回るわけではない。

 みんな、ときには「いやいや」団結し、共同してゆくのであって、団結のなかで、新しい価値、大きな合理性としての共同体生活を見いだしてゆくものだと私は思う。

 何度も書いているのだが、30年前に松原照子が予言したとおり、「日本人は草も食べられない」ようになりつつあり、もう大都会では餓死するしかない時代が目前に迫っていると思う。

 テレビでやってる山奥の「ポツンと一軒家」こそ、真の桃源郷になる時代が近づいているように私には思われるのだ。

 今は90歳近い老人が少人数で最期の日を待っているが、やがて、ここに若者たちが、未来を担う共同体を作り出す日がやってくると私は信じている。 
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c2

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
3. 中川隆[-9314] koaQ7Jey 2019年6月23日 21:05:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3175]

東海アマのブログ 2009年10月28日
大恐慌の本当の意味 その7
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/1805329.html


 日々、生活恐慌が身近に迫ってくる。企業は次々に倒産し、やがて銀行も倒産しはじめれば取り付け騒ぎから預金封鎖に至るのは目に見えている。

 アメリカでは、10月26日現在で、ついに年初より銀行倒産が106行となり、預金保障機構(FDIC)がペイオフの支払いさえ危うい事態になっている。

 3兆円ほどの預託金を銀行から集めて、当座の破綻保障に充てたい考えらしいが、次々に倒産が連鎖して、あとどれほど倒産するのか見当もつかないうえ、シティ・バンカメ・メリルクラスの大銀行が倒産すれば、一行だけでリーマンを上回る負債が闇に消えるのだ。

 保障など不可能なのは見え透いているわけで、だから全米の銀行に取り付け騒ぎが広がっている。もはや銀行を信用する者などいない。

 銀行というものは、地域に独立した存在ではなく、多くは国際的に為替準備や株式持ち合いをやっており、もしアメリカ大銀行が倒産すれば、その負債は地球を駆けめぐり、あらゆる銀行に深刻な影響を及ぼすのである。

 例えば、日本の四大銀行、とりわけ三菱UFJあたりは、その株式の8割以上を外資が保有し、経営権を握られていると船井幸雄が暴露していた。

 だから、倒産寸前の苦境に立たされているJPモルガンに対して1兆円もの出資ができる、というより、損失を引き受けさせられたわけだ。いわば三菱UFJの日本預金が人質に取られたということで、モルガンの破綻とともに、1兆円の日本資産が消えてゆくのである。

 アメリカでの銀行倒産ラッシュは、いずれ必ず日本に波及し、アメリカで預金封鎖が実施されたなら、数十日で日本でも起きると見るべきである。

 こうなれば、BIS規制によって銀行は店を閉じるしなかい。もちろん貿易為替も不可能になり、たちまち輸出入が途絶えることになる。

 今のところ、IMFのSDR(通貨引き出し権、国際電子マネー)を前提に、そこから銀行が借り入れて存続する計画と思われるが、コモディティ・バスケットという金や資源などの価値を担保として権利が設定される見通しで、日本のように金も資源も持たない国は、SDRは実に小さなものでしかなく、世界最貧国に転落するのが確実で、もちろん輸入産業は壊滅するだろう。

 大衆の生活は大変なことになる。知らないうちに銀行預金が封鎖されて、当座の生活に必要な数十万円程度しか下ろせなくなる。

 それどころか、石油・穀物などにハイパーインフレが発生し、ドルも円も、どんどん価値を失い、やがて、あらゆる現金が紙屑に転落することになる。

 こうなれば、カネでモノを購入できる時代は終わり、当分の間、物々交換が復活するだろう。

 混乱のなかで、米や麦など穀物一食分を単位とする地域通貨が自然発生し、やがて長い時間をかけて秩序が回復することになるのだろう。

 問題は、価値交換の秩序が回復するまで、果たして生き延びることができるのか? ということだ。

 というのも、ドルや円の価値が下落して紙屑に変わるなら、たちまち貿易がストップし、食料が手に入らなくなる。

 今、スーパーを見れば豊富な物資が山積みされているが、こんなものは仕入れが止まれば、わずか一週間で空っぽになるはずだ。

 飲食店も供給不能になり、本当に食べ物が消えてしまうのだ。

 こうなったとき、都会にいたなら地獄だ。筆者のように過疎の田舎にいれば、とりあえず最低限の食物を手に入れるのは可能だと思う。

 だから口を酸っぱくして、備蓄せよ、プランターでもいいから作物を自給せよ、田舎に移住せよ、友と手を携えて農業共同体を構築せよと書き続けてきた。

 人間は、決して一人では生きられない。「人」という字は、二人が互いにもたれ合っている様を表象したもので、まさに人間の本質を表している。

 信頼のおける友と団結して、自給自足体制を造り、この苦境を乗り切らねばならないのだ。

 人と団結できない者は淘汰されるしかない。今の若者に多い「挨拶のできない人」なんてのは、残念ながら生き抜ける資質がないということで、自殺を考えた方がよい。

 まずは、誰にでも明るく挨拶し、互いに手を取り合って、協力、協調する姿勢を示すことが団結の第一歩なのだ。

 通貨の信用が消えてしまった社会で用いられる流通は、最初に物々交換になり、次に食料単位となる。つまり一食分の食事で、これだけの仕事をしてほしいという契約が成立するわけで、それから一食分の食事を単位とした地域通貨が登場し、最後に、信用のおける大規模な組織が、地域を代表して通貨を発行することになる。これが国家レベルの通貨に発展してゆくわけだ。

 こうしたプロセスは法則的なもので、おそらく、どんな社会でも同じ経過をとるであろうことは、民俗学を深く学んできた者なら見当がつく。

 その「信用のおける組織」というものは、優れた指導体制が確立し、生産力の強い農業共同体であろう。

 「仲間と手を携えて自給自足の農業共同体を作る」

 とかけ声をかけても、実際にうまく機能する共同体は非常に限られていて、大恐慌の前から綿密に準備された、例えば「ヤマギシズム」や「癒しの郷」のようなグループに限られるだろう。

 ほとんどの共同体は、出発しても、基本的な挨拶さえできない、学歴を鼻にかけたり、ブランド品を自慢してみたり、利己主義に洗脳された若者たちが中核になったとしても100%失敗するしかない。

 それを牽引、領導するのは、心底から利他主義を身につけた中高年や老人たちである。

 農業に対して深い造詣と長い経験を持った人を軸にして、暖かい心の持ち主が数名集まれば、共同体の中核ができあがる。

 若者たちは、まずは挨拶の仕方から習う必要があり、農作を通じて人間性を磨かねばならない。

 これまで資本主義体制のなかで学ばされてきた、専門性の高い学問など屁理屈にすぎず、ほとんどの場合、現実生活に役に立たない無用の長物なのだ。農作実践のなかで、もう一度、本当の学問を学び直さなければならないだろう。

 作物の育て方、収穫の仕方、保存の仕方、木工・鉄工の技術、医療や介護の知識、現実の生活に必要な、あらゆる知識と学問を、もう一度学び直す必要があり、共同体のなかに学問所を設けて、病気の直し方、椅子の作り方、料理、洗濯、建築など、すべて勉強して真の学問を身につける必要があるだろう。

 どうして若者たちが利己主義に洗脳されて、団結や協調を忘れてしまっているのか? きちんと反省し、問題解決の道筋を確認しなければ決してうまくゆかない。

 こうした農業共同体は、それまでの一夫一婦制家族の常識観念を根底から覆すものになるだろう。

 一夫一婦制家族は、実は、資本主義の要求に応じて作られた制度である。そもそも、男系社会が成立して以来、夫婦は一夫多妻制であった。これが長い歴史のなかで女性の権利拡大とともに一夫一婦制になったわけだが、本当の理由は、企業活動の要請であった。

 すなわち、大きな企業体や工場のなかで、労働者が安心して働き、企業組織に従属するために、一つの目的価値として一夫一婦制家庭の所有、子供の育成の体制を作り出したのだ。

 資本主義企業が成立する前、農村社会にあっては、基本的に共同体社会であり、実質、多夫多妻制といってよいものであった。

 日本においても、実に1960年代まで、西日本の広い地域で、そうした多夫多妻制共同体社会が息づいていた。

 例えば、筆者は30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査した経験がある。

 このとき、土地の飲み屋のママが『毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る』 とこぼしていたのに驚いた。

 実は、徳山など西日本の閉ざされた村では、フリーセックスに近い伝統が息づいており、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。それは共同体社会の伝統であった。

 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。 夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。
 
 やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。

 この当時の人間価値観というものは、人間が心から解放された原点にあるもので、人々は利他主義を最大の価値として、生き甲斐として生き抜いてきた。

 「夜這い」にあって、どのような女性に人気が集まったのか? 宮本常一の記録を読めば、男たちに本当に人気があった女性は、今で言う「させ子さん」であった。

 つまり、どんな男が忍んできても、決して拒絶せず、優しく下半身を開いてくれる女性であり、男たちは、その優しさに打たれ、争って妻に求めようとした。

 今では「公衆便所」などと軽蔑される、誰とでも寝る女性こそ、女の鏡であり、もっとも素晴らしい、利他主義の優しい女性であり、それを妻にすることが最大の栄誉だったわけだ。

 今後、都会の若者たちが過疎の田舎に移住して、農業共同体を結成して生き抜こうとするとき、これまでのような見てくれ重視、ブランド重視の愚かしい発想はクソの役にも立たない。

 本当に求められる人間の資質は、利他主義であり、誰に対しても分け隔てのない心優しさであることを知っておくべきだ。

 こうして、資本主義の社会が崩壊し、原始共産的、共同体社会が復活してゆくことになる。

 新しい社会の主役は女性たちである。男どもは、資本主義の古い価値観から容易に醒めることはない。見栄や権力欲、蓄財に憧れ、人間の本質を見失いやすいのだ。

 しかし女性たちは、男と違って、まずは子供を育てやすい社会を望むのである。
 ブランド品やヨン様に夢中になっている馬鹿女性でも、共同体に入れば、あっというまに、仲間と語らって、みんなで子供を育て、いたわり合う楽しさに、価値観が激変してしまうだろう。

 自由な性交が保障された共同体社会では、生まれてくる子供の親を特定できるのは母子しかない。DNA検査など資本主義の価値であって、自分の生んだ子を特定し、生まれた母を特定できる社会では、必ず母系氏族が成立するのである。

 したがって、農業共同体はやがて母系氏族社会に変わってゆくだろう。

 共同体が大きくなると、必要に応じて細胞のように分裂増殖することになる。このとき、女王蜂が分蜂するように、母系家族が独立してゆくはずだ。それぞれの母の氏姓による共同体が増殖してゆくだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/1805329.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c3

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
1. 中川隆[-9313] koaQ7Jey 2019年6月24日 04:06:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3176]

阿修羅で活躍してるのは中国の工作員と精神異常者ですね。

阿修羅の記事が Google 検索できなくなったのは、米中戦争が始まってからなので、Google は 中国人工作員が阿修羅で反原発活動していると判断しているのです:


現在の中国には五毛党(1件当たり5毛<約6円>の報酬で、中国政府に有利な発言をネット上に書き込む世論工作員)や、「自乾五(自発的に政府擁護の論陣をネットで展開する中国ネットユーザー)」がいる。

義和団は清朝に反対する人々を「漢奸(売国奴)」と呼んだが、五毛党や自乾五も中国政府と異なる意見を持つ者を「漢奸」呼ばわりしている。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/548.html

▲△▽▼


馬渕睦夫 日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:

河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Pxqk80onq6I

収録日:2018年9月11日

今回のテーマは「スパイ(工作員)」映画やドラマの中だけじゃない、リアルスパイのお話をお送りします。

 

・スパイ(工作員)の存在

・トランプ大統領の21世紀の赤狩り

・馬渕大使のスパイ体験談

・スパイ3要素:1.接触 2.取込 3.操作

・海外駐在のあるある→有能な秘書は当局と通じている

・ソ連時代のモスクワ、ウズベキスタン、トルクメニスタンでのエピソード

・<中国・統一戦線工作部の幹部養成用教材について>
教材にはその手口について「団結できそうな勢力を欠かさず取り入る」「相手に友好、寛容の態度で接する」。
一方「海外の敵対勢力に対しては冷血無情に完全孤立させる」と明記されている
英フィナンシャルタイムズ紙 2017年12月20日より

・日本には中国のスパイ(工作員)が5万人

・あなたの隣にいるスパイ

・一皮剥いた世界の現実に対応する力

・『Silent Invasion: China's Influence in Australia』
(静かなる侵略:オーストラリアへの中国の影響)
著:クライブ・ハミルトン(チャールズ・スタート大学教授)

・中国は 民主主義を利用して 民主主義を破壊する 

・中国の民主主義的破壊活動

・日本人は「金・名誉・異性」に対する免疫力を持て

・国民一人一人の免疫力が重要

・民主主義を利用して民主主義を潰す、それが共産主義のやり方

・日本の左翼も同じ方法論を採用している(知ってやってる人と知らずにやっている人がいる)

・共産主義国家の作り方・・・平和(自由・平等)を唱える→内戦・革命にもっていく→共産党政権を作る

・それは中国だけではなく、世界各地、そしてアメリカ内でも起こっていること

・ディープ・ステート(Deep State)
米国内の影の政府、背後にいる権力者のこと トランプ氏はそれらと
戦っている人物であると右派評論家等が定着させた言葉
同タイトルで英FOX製作MI6・CIA関連のドラマも人気

・ディープ・ステートが操るアメリカ
 大統領任命、議会、司法省、FBI、メディア、全てがディープ・ステートの手足になっている

・トランプ批判記事の狙い
・トランプ VSディープ・ステートの戦い真っ最中
・ロシア革命以降、百年の歴史を改める
・「ユダヤ系の大資本家が左翼のバックにいる」ことを自覚しましょう

Q. スパイ(工作員)の見分け方

▲△▽▼


【馬渕睦夫 河添恵子】「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露! NHK内部にまで浸透済みだ! 2018年12月17日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=SGKFLrySAHs

2018/12/16 に公開
馬渕睦夫 河添恵子氏の解説から

「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露!
NHK内部にまで浸透済みだ!
朝日、毎日をはじめとする新聞、NHK、TBSといった地上波テレビなど、既存メディアは、真実を見せなくなっているのではないでしょうか?
___

馬渕睦夫★日本のテレビから外国人スパイを淘汰しろ!
なぜ天皇陛下が農業するのか?その意味と譲位日程の秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DPaPO66OWBk&app=desktop

2017/12/07 に公開


▲△▽▼


一方、阿修羅では中国人工作員ではなく純粋なクルクルパーも頑張っています:


阿修羅掲示板でデマを撒き散らしている頭がおかしい投稿者のリスト

・ポスト米英時代=小沢内閣待望論
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO
・櫻井ジャーナル 櫻井春彦
・taked4700
・てんさい(い)= 東海アマ
・小野寺光一
・仁王像
・HIMAZIN
・西岡昌紀
・木村愛二
・こーるてん


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ

阿修羅がデマ拡散サイトだと Google に認定された原因は


原発板
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/index.html

ホロコースト
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/index.html


の嘘八百の記事でしょう。

政治板、経済板、国際板の記事も 99.9%はデマなのですが、国際金融資本や中国が意図的に流しているデマの転記なので、こちらは問題にならないのです。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c1

[お知らせ・管理21] 阿修羅サイトがGoogleからとても嫌われた話 管理人さん
27. 中川隆[-9312] koaQ7Jey 2019年6月24日 04:07:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3177]

阿修羅で活躍してるのは中国の工作員と精神異常者ですね。

阿修羅の記事が Google 検索できなくなったのは、米中戦争が始まってからなので、Google は 中国人工作員が阿修羅で反原発活動していると判断しているのです:


現在の中国には五毛党(1件当たり5毛<約6円>の報酬で、中国政府に有利な発言をネット上に書き込む世論工作員)や、「自乾五(自発的に政府擁護の論陣をネットで展開する中国ネットユーザー)」がいる。

義和団は清朝に反対する人々を「漢奸(売国奴)」と呼んだが、五毛党や自乾五も中国政府と異なる意見を持つ者を「漢奸」呼ばわりしている。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/548.html


▲△▽▼


馬渕睦夫 日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:

河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Pxqk80onq6I

収録日:2018年9月11日

今回のテーマは「スパイ(工作員)」映画やドラマの中だけじゃない、リアルスパイのお話をお送りします。

 

・スパイ(工作員)の存在

・トランプ大統領の21世紀の赤狩り

・馬渕大使のスパイ体験談

・スパイ3要素:1.接触 2.取込 3.操作

・海外駐在のあるある→有能な秘書は当局と通じている

・ソ連時代のモスクワ、ウズベキスタン、トルクメニスタンでのエピソード

・<中国・統一戦線工作部の幹部養成用教材について>
教材にはその手口について「団結できそうな勢力を欠かさず取り入る」「相手に友好、寛容の態度で接する」。
一方「海外の敵対勢力に対しては冷血無情に完全孤立させる」と明記されている
英フィナンシャルタイムズ紙 2017年12月20日より

・日本には中国のスパイ(工作員)が5万人

・あなたの隣にいるスパイ

・一皮剥いた世界の現実に対応する力

・『Silent Invasion: China's Influence in Australia』
(静かなる侵略:オーストラリアへの中国の影響)
著:クライブ・ハミルトン(チャールズ・スタート大学教授)

・中国は 民主主義を利用して 民主主義を破壊する 

・中国の民主主義的破壊活動

・日本人は「金・名誉・異性」に対する免疫力を持て

・国民一人一人の免疫力が重要

・民主主義を利用して民主主義を潰す、それが共産主義のやり方

・日本の左翼も同じ方法論を採用している(知ってやってる人と知らずにやっている人がいる)

・共産主義国家の作り方・・・平和(自由・平等)を唱える→内戦・革命にもっていく→共産党政権を作る

・それは中国だけではなく、世界各地、そしてアメリカ内でも起こっていること

・ディープ・ステート(Deep State)
米国内の影の政府、背後にいる権力者のこと トランプ氏はそれらと
戦っている人物であると右派評論家等が定着させた言葉
同タイトルで英FOX製作MI6・CIA関連のドラマも人気

・ディープ・ステートが操るアメリカ
 大統領任命、議会、司法省、FBI、メディア、全てがディープ・ステートの手足になっている

・トランプ批判記事の狙い
・トランプ VSディープ・ステートの戦い真っ最中
・ロシア革命以降、百年の歴史を改める
・「ユダヤ系の大資本家が左翼のバックにいる」ことを自覚しましょう

Q. スパイ(工作員)の見分け方


▲△▽▼

【馬渕睦夫 河添恵子】「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露! NHK内部にまで浸透済みだ! 2018年12月17日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=SGKFLrySAHs

2018/12/16 に公開
馬渕睦夫 河添恵子氏の解説から

「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露!
NHK内部にまで浸透済みだ!
朝日、毎日をはじめとする新聞、NHK、TBSといった地上波テレビなど、既存メディアは、真実を見せなくなっているのではないでしょうか?
___

馬渕睦夫★日本のテレビから外国人スパイを淘汰しろ!
なぜ天皇陛下が農業するのか?その意味と譲位日程の秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DPaPO66OWBk&app=desktop

2017/12/07 に公開


▲△▽▼


一方、阿修羅では中国人工作員ではなく純粋なクルクルパーも頑張っています:


阿修羅掲示板でデマを撒き散らしている頭がおかしい投稿者のリスト

・ポスト米英時代=小沢内閣待望論
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO
・櫻井ジャーナル 櫻井春彦
・taked4700
・てんさい(い)= 東海アマ
・小野寺光一
・仁王像
・HIMAZIN
・西岡昌紀
・木村愛二
・こーるてん


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ


阿修羅がデマ拡散サイトだと Google に認定された原因は


原発板
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/index.html

ホロコースト
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/index.html


の嘘八百の記事でしょう。

政治板、経済板、国際板の記事も 99.9%はデマなのですが、国際金融資本や中国が意図的に流しているデマの転記なので、こちらは問題にならないのです。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/559.html#c27

[近代史3] 櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか? 中川隆
38. 中川隆[-9311] koaQ7Jey 2019年6月24日 04:39:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3178]

2019.6.19
29年前、なぜ日本は中国に「制裁解除」したのか?
譚璐美Text by Romi Tan
https://courrier.jp/columns/164395/?cx_testId=2&cx_testVariant=cx_1&cx_artPos=12#cxrecs_s


1989年6月2日。中国共産党による武力弾圧が起こる2日前の天安門広場 Photo: Jacques Langevin / Sygma / Sygma via Getty Images


およそ29年前。天安門事件によって国際社会から経済制裁を受けていた中国に対し、日本は救いの手を差し伸べた。そこにはどんな“裏”があったのか──? 

在日華僑に生まれ米国で学び、現在ニューヨーク在住の作家・譚璐美氏による、「3ヵ国クロスオーバーの視点」連載・第9回。

今年6月4日は「天安門事件30周年」だった。日本でも盛んに報道されたので、ご存知の方も少なくないだろう。天安門事件とは、1989年春、北京で民主化を求めた学生や市民たちの運動を中国政府が武力弾圧した事件だが、その経緯についてはここでは語らない。

私としては、毎年のイベントと化した天安門事件関連の報道が一過性で終わってしまうことへの味気なさを感じつつ、同時に、ああ、真実は決して表には出てこないのだという無力感に苛まれてしまう。

「真実」とはなにか。それは天安門事件直後に日本が果たした大きな役割である。

事件直後、世界中が中国に対して経済制裁を実施するなかで、日本は率先して経済制裁を解除し、世界中から大きな非難を浴びた。しかしその後、欧州各国は次々に経済制裁を解き、貿易を再開して、今日の経済大国・中国へと大きく成長させる道を開いた。

なぜ、あのとき日本はいち早く経済制裁を解除したのだろうか?

今年の報道で、日本政府の高官の一人はテレビインタビューに応じて、「中国を孤立させてはならないと思ったからです。当時、アジアの多くの国々では、経済発展さえすれば、それに従って民主化が進むのが常でした。だから中国も経済発展すれば民主化が進むと考えたのです」と、答えている。

だが、この答えは当時の状況を十分に伝えているかとは言えない。実は、事件直後、日本はアメリカと協議して、膠着した事態を打開するため一役買っていたのである。

その「真実」を知るカギは、ある亡命者の人生にあった。


「日本」への不可解な反応

天安門事件が起きた翌年1月、私は世界中に亡命した事件の当事者たちを追ってフランスとアメリカへ取材に行き、100人近くインタビューして『柴玲の見た夢 天安門の炎は消えず』を出版した。その10年後にも、亡命者たちがその後どんな人生を辿り、事件をどう振り返っているのかを聞き取り、『天安門 十年の夢』を出版した。

この20年にわたるインタビューのなかで、ひとりだけ不可解な反応を示した人がいた。それは天体物理学者の方励之(ほう・れいし)である。

Photo: Melirius 天体物理学者で、中国の民主化運動家でもあった方励之(2010年)


事件当時、彼は中国政府から「学生デモの陰の指導者」と名指しされ、武力弾圧が起きた翌日の6月5日、北京のアメリカ大使館へ逃げ込んだ。そしてアメリカのヘンリー・キッシンジャー元国務長官とケ小平の交渉の末に、一年後の1990年6月25日に家族全員でイギリスへ出国し、アメリカへ渡った。

私が方励之にインタビューしたのは、彼がプリンストン大学院に腰を落ち着けた直後のことだった。

方励之は世界中のメディアから取材申し込みが殺到し、15分刻みのスケジュールで対応していた。私の前に取材していたのは「ニューヨーク・タイムズ」だったが、なごやかな雰囲気のなか、彼は笑顔を浮かべて記者の質問に丁寧に答えていた。

ところが私の番になると、急に仏頂面になり、木で鼻をくくったような受け答えになった。私は戸惑い、なぜこれほど不愉快そうな態度を示すのか不思議だったが、あっという間に15分が過ぎていった。

そして最後に「日本へのメッセージはありますか?」と聞いたとき、彼は突如、語気を荒げて大声で言い放った。

「日本はけしからん! 経済制裁をいち早く解除して、中国政府を支援した。日本人は人権を無視している。不愉快極まりない!」

驚くほどの剣幕に、たじたじとなった。天安門事件の当事者で、日本に対してこれほど露骨に怒りをあらわす相手に出会ったことはない。不可解な印象は拭いきれず、その後もずっと疑問が心に引っかかっていた。

その疑問が氷解したのは事件から22年後のことである。



制裁解除の「裏側」

方励之は1991年にアリゾナ州立大学の終身教授に就任し、学究生活を続けていたが、2012年4月6日、心臓発作によりツーソンで亡くなった。その前年、彼は米月刊誌「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」のインタビューに答えて、事件当時のことを回想していた。

それによれば、アメリカ大使館に籠城していた時期、ケ小平はアメリカに対して「経済制裁の解除」と「借款の再開」を要求する一方、彼に対しても、「懺悔書」を中国政府に提出することを強く求めた。もし二つの条件をクリアすれば、彼が家族と一緒に出国することを許可すると表明した。

だが、アメリカはケ小平の要求を突っぱねた。米中交渉は暗礁に乗り上げ、膠着状態は半年以上続き、先が見通せなかった。だが、それでも彼が出国できたのはなぜですかと記者に問われると、

「日本政府がアメリカに代わって経済制裁を解除したからです」

と、方励之は言ったのである。

事実、方励之が中国からイギリスへ出国し、アメリカへ渡ったのを見届けるように、約2週間後に日本は世界で最初に経済制裁を解除し、中国への政府借款を再開している。

つまり、天安門事件直後、米中両国の最大のネックとなったのが方励之の籠城問題であり、長引く政治交渉で引くに引けないアメリカが、極秘裏に日本に「裏」の支援を頼み、日本がアメリカに代わって経済制裁を解除することで事態の打開を図ったのである。

まさに政治交渉の舞台裏である。


迫られた「苦渋の選択」

だが、それならそれで、方励之は日本のおかげで中国から脱出できたことになる。日本には感謝こそすれ、非難する理由などないはずだ。ところが、彼は私の取材に対して語気を荒げて日本を非難した。その心中はいかばかりだったのか。

これは推測だが、彼は事件直後の危機的状況のなかで、苦渋の選択を迫られたはずだ。

彼は身に降りかかった難題を解決するために、民主化運動で学生たちに教えてきた「人権の尊重」「言論の自由」という理想や信念にはいっとき目をつぶり、現実的な選択をしたのだ。自分から「経歴書」をしたためて中国政府に提出したのも、それをケ小平が「懺悔書」と見なすことを承知の上であっただろう。

だが、アメリカへ出国した後、彼は自分自身の矛盾に苛まれたにちがいない。日本から来た私の取材に応じるとき、急に不機嫌になったのも、「日本」という存在を強く意識して自己矛盾を突きつけられたような気になり、不安と苛立ちを覚えたのではなかったか。

「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」のインタビューで内心を吐露するまでの22年間、彼はずっと重荷を背負い込んできたのではなかったかと、私は感じた。

今は、すでに亡き方励之の冥福を祈るばかりだが、天安門事件による膠着状態を打開するために、激しく火花を散らした米中政治交渉の舞台裏で、日本が秘かに果たした役割は誠に大きかったのである。



米中貿易戦争の「狭間」

天安門事件から30年。今日では、経済発展さえすれば民主化が進むというのは、「中国を見誤っていた」という見解が広まっている。

習近平政権は、国家主席の任期を撤廃して独裁色を強め、AI技術を駆使して国民への監視を強め、二度と天安門事件のような不測の事態が起きないよう、不満の芽を摘み取ることに汲々としている。

「一国二制度」を建前とする香港では、法律が次々と書き替えられて言論の自由が「虫の息」になった。今年、香港で行われた天安門事件の追悼集会に呼ばれたアメリカ在住の元学生リーダーは、香港の空港で拘束されて入国できず、強制送還になった。

軍事力を強化して急速に拡大主義をはかる中国は、世界中の大きな脅威になっている。

今年の天安門事件の報道では、かつて日本が果たした役割については微塵も触れられていない。真実はいつも闇の中にある。そして真実を覆い隠したまま歴史は流れていく。だが、歴史は往々にしてくりかえすのも常だろう。

今また、米中両国が貿易戦争の真っただ中で膠着状態に陥っている時代に、日本が果たすべき役割が期待されている。水面下ではすでに着々と「裏」工作が進んでいるかもしれない。

無論、未来のことは誰にも見通せない。しかし、次の時代になって「あの時は見誤っていた」という自省の弁を残さないためにも、今、日本は深い見識と国際感覚、冷静な分析が求められている。
https://courrier.jp/columns/164395/?cx_testId=2&cx_testVariant=cx_1&cx_artPos=12#cxrecs_s


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c38

[近代史3] 櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか? 中川隆
39. 中川隆[-9310] koaQ7Jey 2019年6月24日 04:42:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3179]
2019.6.4
#49 天安門事件から30年目の初証言──元「人民解放軍・女性記者」が見た“地獄”
田中淳 Text by Jun Tanaka
https://courrier.jp/columns/163131/?utm_source=article_link&utm_medium=textlink&utm_campaign=articleid_164395


天安門事件が起きた1989年当時、中国人民解放軍の女性記者だった江林 Photo: The New York Times


民主化を求める市民が武力鎮圧された「六四天安門事件」から30年の節目を迎えた中国。この間、飛躍的な経済成長を遂げたものの、言論統制や一党独裁体制は強化される一方で、民主化への道は絶望的なほど遠い。

中国人民解放軍の女性記者として事件を目撃した江林(ジアン・リン、66)は初めて米「ニューヨーク・タイムズ」と米連邦議会の出資するメディア「ラジオ・フリー・アジア(自由亜洲電台、RFA)」の取材に応じ、封印していた当時の状況を克明に語った。


民主化を求めて天安門広場に集まった市民たち(1989年6月1日)。人民解放軍による武力鎮圧が目前に迫っていた Photo: Peter Charlesworth / LightRocket via Getty Images
民主化を求めて天安門広場に集まった市民たち(1989年6月1日)。人民解放軍による武力鎮圧が目前に迫っていた Photo: Peter Charlesworth / LightRocket via Getty Images


7人の大将が「銃口を向けるな」

人民解放軍の中校(中佐)で機関紙『解放軍報』の女性記者だった江林は、大虐殺が発生した1989年6月3日深夜から翌4日早朝にかけて、 天安門広場と病院で殺戮の一部始終を目撃した。立場上、その時に見聞きしたことの全てを封印してきた彼女だが、「加害者」である解放軍に籍を置く者として、絶えず良心の呵責の念に苛まれてきたという。

新中国の建国から間もない1953年に高級将校の娘として生まれた江林は、北京市内の解放軍将官専用住宅区で育ち、16歳で入隊。中国人民解放軍芸術学院を卒業後、『解放軍報』記者となった。事件当時36歳だった彼女は今年、30年の沈黙を破り、北京市順義区内の自宅で初めて取材に応じる。そして「習近平国家主席を含む指導者たちがこの30年間、虐殺を少しも悔いるそぶりを見せない」ことに絶望した彼女は5月末、中国を捨てて密かに海外へ移住した。

彼女の証言は、 軍上層部の何人かが武力鎮圧に反対した事実を明らかにしている。

虐殺の数日前、人民解放軍の最精鋭部隊である北京軍区第38集団軍の軍長(司令官)だった徐勤先(シュー・チュアンシン、84)は、最高軍事指導機関の中国共産党中央軍事委員会(中央軍委)から、天安門広場を占拠する市民を「清場(強制排除)」するための出軍命令を受けた。だが彼は「人民に銃口は向けられない」と拒否し、免職。のちに軍法会議で禁錮5年の有期徒刑判決を受ける。

江によると、5月20日に国務院(中央政府)が戒厳令を発令して以降、7人の上将(大将)が連名で中央軍委主席のケ小平に対し、武力鎮圧に反対する手紙を提出した。

「人民解放軍は人民のための軍隊であり、人民に向かって発砲すべきではない」とする内容で、江は手紙の起草やケ小平への伝達を仲介したという。

「当時、軍の上層部は多くが武力鎮圧に反対していたし、私は手紙の内容を広く報道するべきだと思った。そこで中国共産党の機関紙『人民日報』編集部に電話し、旧知の編集者に詳細を伝えたの。

『人民日報』は当時、編集長判断で市民の抗議活動についての記事も出していたからね。でも結局、7人の上将のうちの1人が『公にするために書いた手紙ではない』と言って掲載に反対したから、記事になることはなかった……」

江はこの段階でも、「清場」に反対する軍上層部の声が最高指導者・ケ小平の耳に届き、ギリギリの時点でケが武力鎮圧を断念するという希望を捨てていなかったという。だが6月3日午後、親しい友人で総参謀部軍訓部戦役局の局長だった張勝(ヂャン・ション、73)から「30万人以上の戒厳部隊が天安門広場に向かっているらしい。途中で発砲も起きている」と知らされる。北京市人民政府と戒厳部隊指揮部は同夜9時50分、北京市民に対して外出禁止令を布告し、市内の緊張は極限に達していた。



スタンガンで殴打されて

「3日深夜11時ごろ、私、張勝、彼の妻子がそれぞれ自転車に跨がり、外出禁止命令を無視して天安門広場に向かった。私には『解放軍報』記者として、国家の重大事を最前線で目撃しなければならないという使命感があったから。

ただ、あの晩はどうしても軍服を着る気になれなくて、普段着のまま現場に向かった。抗議活動中の市民に間違えられる危険性を承知の上でね」


Changan Avenue
1989年6月4日未明の長安街 Photo: Peter Charlesworth / LightRocket via Getty Images

兵士と戦車、装甲車から成る鎮圧部隊を自転車で追いながら、江も天安門広場へ向かった。途中、部隊は、市民が路線バスを積み上げて作ったバリケードに進路を阻まれてしまう。バリケードを取り囲みながら「ファシスト!」「ファシスト!」と抗議のシュプレヒコールを上げている市民に向かって、兵士は無慈悲に機関銃掃射した。

「発砲が始まるや否やとっさに自転車を投げ捨てて地面に突っ伏したのだけど、頭上を飛び交う銃弾の音を聞きながら高鳴る鼓動を抑えることができなかった。銃声と同時にバスが爆発し、ものすごい熱風が吹き込んできたことも恐怖だった」

中心部に近い復興門大街と白雲路の交差点付近では、天安門の方向から血まみれになった市民が、自転車にくくり付けられた荷車に横たわりながら間断なくやってくるのを目にする。

「私は涙を抑えることができなかった。両親は解放軍の幹部で、私自身も解放軍に籍を置く軍人。その解放軍が市民に銃弾を放ち、彼らを血まみれにしたのだから」

4日深夜0時近くになって天安門の城門のそばに到着した江は、兵士たちのヘルメット越しに、閃光と激しい火柱、絶え間ない銃撃で混乱の極みにある広場を遠望する。メインストリートの長安街を横断して広場に向かおうとした江は、炎を背にして立つ年配の守備兵に行く手を阻まれ「頼むからこれ以上、広場に近づかないでくれ」と懇願される。

「でも私は広場で何が起きているかをこの目で確かめたかったから、彼の制止を振り切ろうとしたわけ。

そうしたらたちまち十数人の武警(中国人民武装警察部隊。治安維持を主務とする軍隊)に取り囲まれ、スタンガンで激しく殴られた。頭から出血した私はその場に倒れ込んでしまって……」

それでも江は決して、自身が人民解放軍の軍人であることを明かさなかった。

「意識が遠のきながらも、今日の私は軍人ではない、市民のひとりなのだって言い聞かせていた気がする」

幸い、通りがかった市民が血だらけになった彼女を抱え起こして自転車に乗せ、さらに見ず知らずの外国人記者が自動車で、広場から800mほど離れた北京協和医院まで搬送してくれたという。



身元を明かせば最後…


EDITORS’ PICKS


哲学界の“ロックスター” マルクス・ガブリエル「シリコンバレーの魔術師たちは刑務所行きだ」


「エボラより遺族が怖い」コンゴで大量感染対策が遅れる理由


沖縄戦で敵味方に分かれた“日系2世兄弟”の悲運


スウェーデンから見た「日本のサステナブル度」は何点?


女性が議会の過半数を制したら─アメリカ史上初、ネバダ州で起きた大きな変化

頭部の縫合手当を受けている最中にも、ひっきりなしに大勢の死傷者が病院へ運び込まれた。

「私が協和医院に到着したと同時に一台の路線バスが横づけされたの。転がり出てきた運転手が号泣しながら大声で『車内には血だらけになった怪我人が大勢いる! 医師よ! 早く助けてやってくれ!』って叫んでいた。

外来棟の床は血で染まり、銃殺された人や殴打されて死んだ人のおびただしい遺体で歩く隙間もないほどでね。後で聞いたのだけど、銃声を聞いた北京協和医院の医師たちは直ちに救急車で広場に駆け付けたものの、兵士に追い返され、遺体を回収することすらかなわなかったらしいの」

一命を取り留めた怪我人たちは、誰もが一様に自分の名前や勤務先、学校名を明かすことをためらっていたという。

「(情報機関の)国家安全局の職員が一人ひとりに聞き取り調査をしながら患者名簿を作っていたから、名簿にリストアップされれば自分がその先どうなるのか、皆わかっていたのね……」

6月4日の未明には搬送されてくる死傷者の数が極限に達したため、江ら比較的軽傷だった患者はまとめて救急車に乗せられ、中日友好医院へ移送された。

「救急車の車内では1人の若者が私に向かって『さあ君、顔を上げて。俺たちは決して負けたわけじゃないよ』と言いながら、ポケットから銃弾を取り出して見せた。

彼は国家公安部(公安省)の庁舎前で、眼の前の兵士が自分たちに向けている銃をわしづかみにし、勇敢にも銃口を地面に叩き付けたらしいの。『これで何人かが銃殺を免れた。その間に別の銃から放たれた弾が腕に刺さったのだが、自分で引き抜いた』って」

あの時の感情を問われた江は「そうね……。母親が強姦されたのにも等しい耐え難さ、とでも言えばいいのか……」とつぶやいた。彼女はスタンガンで殴打されて以来、頭部には大きな傷跡が残り、今も原因不明の発作的な偏頭痛に悩まされているという。


人民解放軍による「清場」によって焼け焦げたバス(1989年6月4日) Photo by Chip HIRES / Gamma-Rapho via Getty Images
人民解放軍による「清場」によって焼け焦げたバス(1989年6月4日) Photo by Chip HIRES / Gamma-Rapho via Getty Images

そして江のキャリアも、天安門事件で終わりを告げた。

彼女は事件の数ヵ月後、上層部の厳しい審問を受け、私的に回顧録を書き記したことなどが軍紀に違反したとして2回、逮捕・拘留される。軍籍を剥奪されることだけはなかったが、『解放軍報』を強制解雇され、その後、いかなるメディアも彼女を雇用することはなかった。軍は1996年に43歳で退役した。

「武力鎮圧で死者数が1万人を超えたことは間違いない。中国共産党が市民虐殺の罪を償わない限り、中国の安定と平和はいずれ必ず脆弱化するはず。強固な基盤や信頼関係のない社会は、砂上の楼閣も同然だからね。

民主化運動や天安門事件に関わったすべての人は今こそ、自ら体験したことを語るべき。それは死者、生存者、未来の子供たちに対する責任だと思う」

江は沈鬱な表情で静かにそう語った。

『解放軍報』の先輩記者で、現在、調査報道記者・作家としても知られる銭鋼(チエン・ガン、66)は「江林の証言には確かな裏付けがあり、信頼に足るものだ」と話す。銭によると江は事件直後から翌年にかけて、密かに回想録や日記を含む数百ページの原稿を書き残していて、銭もその内容を共有していたからだ。

1990年に江は「ああ、喪服をまとって広場へ行き、犠牲者のために真っ白なオランダカイウの花束を捧げたくてならない──。私は何度も献花の衝動に駆られ、その感情を抑えるのに必死だ……」と書き記している。



事件当時の学生運動リーダーはいま…

今年6月2日、シンガポールで開催のシンポジウムに出席した魏鳳和(ウェイ・フォンホー)国防部長(国防相)は天安門事件について「あの出来事は政治的な騒乱。政府は騒乱を収束するために対応したまでで、鎮圧は正しかった」と言い切った。過去の中国政府首脳たちも似たような発言を繰り返し、決して虐殺を認めず、いまも犠牲者数の公式調査すら拒み続けている。

中国社会で「六四(リウスゥ。天安門事件の中国語での俗称)」はいまも、語ることすら許されない最大のタブーだ。過去に少なくない歴史学者、作家、写真家、芸術家らが、事件の風化を食い止めようとした。だが中国政府はあらゆる手段を講じ、市民の記憶から事件が消え去るよう全力を尽くしてきた。

今年4月には、天安門事件を想起させるネーミングの白酒(穀物由来の蒸留酒)を販売したとして、四川省・成都市中級人民法院(成都地裁)は容疑者4人に懲役3年などの実刑判決を言い渡した。商品名は『銘記八酒六四(八酒六四を心に刻む)』で、「酒(ジウ)」は「九(ジウ)」と発音が同じことから、事件が起きた1989年6月4日を意味する。


王丹(50)は事件当時、民主化を求める学生運動のリーダーを努めていた Photo: Jun Tanaka
王丹(50)は事件当時、民主化を求める学生運動のリーダーを努めていた Photo: Jun Tanaka

天安門広場を占拠する学生運動のリーダーだった王丹(ワン・ダン、50)は筆者に対し「中国ではいまも事件について教育現場で教えることはなく、インターネットで関連情報を閲覧することも禁じられている。事件を知らない世代が増え、記憶は風化する一方だ」と述べ、憂慮を示した。 

「習近平時代になり、民主化への道はむしろ30年前より遠のいている。現体制による抑圧への恐怖と失望から、若者世代が中国の民主化に関心を失い、海外へ出る状況が続けば当局の思う壺だ」

その一方で、民主化運動を主導したことについて「後悔はしていない」ときっぱり。

「多くの犠牲者を出した責任は痛感している。一方で、『天下興亡、匹夫有責(国の衰亡はそこに住む市民一人ひとりに責任がある)』という精神のもと、中国人が自由と民主を獲得するために犠牲もいとわない勇気を世界に示すことができた。そのような気概を持つ中国人はいまもいる」といい、希望は捨てていないとも話した。
https://courrier.jp/columns/163131/?utm_source=article_link&utm_medium=textlink&utm_campaign=articleid_164395

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c39

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
2. 中川隆[-9309] koaQ7Jey 2019年6月24日 04:47:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3180]
反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた


阿修羅原発板は日本の反原発活動の拠点になっていますから、ネット工作員が毎日必死に活動しています:


脱原発を操る中国の工作員
https://www.youtube.com/watch?v=6vlDEq2AZhM


2012/07/20 に公開

日本は今、「脱原発」が時代の流れであるかのような空気の中にあります。

それは、3年前に「政権交代」が時代の要請でるかのような錯覚に陥らされたのと同じ「作られた空気」です。

この二つの空気作りを先導したのがマスコミでありますが、その背後には中国の工作員による激しい工作があることを見抜かなければなりません。

私は中国人を憎んでいるわけではありません。共産党の独裁化にある中国政府のあり方を危険視しているだけです。

共産党政府の工作員となって日本で活動する方々、工作員によってC・H工作を受けている日本人に訴えているだけです。

そして、坂本龍一、内橋克人、大江健三郎などの諸氏が、この運動を操る中国政府工作員の動きを見破れなく、日本を危険な海域へと運ぼうとする「愚かさ」に涙するものであります。

日本を滅ぼす気なのか! 子供たち未来に責任が持てるのか!

坂本竜馬、西郷隆盛たちに合わす顔があるのか!!・・・と問いたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=6vlDEq2AZhM

iofhdh249gd58さん 2013/9/30 08:10:50
脱原発・反原発の人は、なぜ「中国や韓国」に原発やめろと言わないんですか?


回答1 g13_killerさん 2013/9/30 09:31:19

福島県人以外の脱原発反対者は、在日工作員が大半です。

芸能人で反対してるメンバーの過去を調べれば、在日帰化組だらけ。

原発反対運動に参加してる人達は、韓国人デモや行動と似ているのが証拠だ。

他国に自国の原発を建設したいから、中国や韓国ではなんの反論も無いし、在日共の工作だと分かる。


__


回答2 sinjitu_trip_pointさん 2013/9/30 08:20:57

脱原発運動は原発施設を途上国に売り込みたい中国・韓国が競合する日本を追い落とすために行われている、との陰謀論も、あながち根拠の無いものではないように思えてきます。

安倍政権は憲法改正を唱えていますが、それに合わせて「スパイ防止法制定」をぜひともやってもらいたいし、これが国家を守る上での重要課題となります。それがないために北朝鮮による拉致を防止できなかったわけですし、また、日本の核技術も盗まれているのです。日本原子力開発機構(原研)には反日左翼の労働組合があって、JーPARCの件も内部工作員らが政治闘争に位置付けているはずです。原研の特殊原子炉図面が中共にわたって、そのコピーが四川で建造された事実もあるのです。

中共の核兵器開発の拠点である四川には、わが国が原研で開発した特殊原子炉のコピーも建造されている。それを目撃した京都大学名誉教授からの情報です。原研にはスパイがいる。

原子力機構J−PARCの事象での1.7ミリシーベルトは、放射線事故ではありません。放射線管理区域内の作業員の線量は年間50ミリシーベルトが限度で、それを越えたと場合が事故となるのです。施設内でその数値であれば、周辺住民の線量は0.0ミリシーベルトと想像できます。ですからNHKを始めとする報道の仕方は誤りです。こんないいかげんなニュースだから、社会が混乱するのです。

1995年、二次冷却系で温度計の破損によって金属ナトリウムが漏れたトラブルの原子力機構のもんじゅでも、線量は0ミリシーベルトで、放射線事故ではありませんでした。しかし、ヒステリックな報道と、反日左翼運動の脱原発闘争によって徹底的に糾弾され、そのために国益が損なわれてきたのです。私達のような放射線業務従事者は、10ミリシーベルトくらいの線量で驚くことはありません。そのくらいの放射線であれば、むしろ健康にプラスになることはあってもマイナスにはなりません。

私も学生時代の加速器実験では、多少の線量数ミリシーベルトくらいは、受けています。実験家にとっては、当たり前の範囲ですが。自分の健康を多少顧みない科学者たちの献身が、科学を発展させてきたのは歴史的事実です。マリー・キュリーのことも思い出してほしい。

法令限度以下のミリシーベルト事象で、大騒ぎするTV,新聞は、国益を害していることに気が付きなさい。過去の事例、原子力船むつの廃船、高速増殖炉もんじゅの長年の停止状態、福島県民の心労による自殺病死、農産物等の風評被害。責任とれよ。福島県民の大半は5ミリシーベルト以下。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114240145


中国の工作員による脱原発デモのコントロール 2012年10月08日(月)13:09
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

脱原発デモには純粋な気持ちで参加した人がほとんどです。

しかし、

中国が裏から左翼活動家をバックアップし、左翼活動家がデモを密かにコントロールした。

といううわさが流れています。

これは本当でしょうか?

(10月8日 13:11 追記:)
日本から中国への技術移転、
これが狙いだったという憶測が流れています。
あくまで憶測です。


海外希望の原子力技術者 震災前の1.5倍

 政府が「2030年代の原発稼働ゼロ」を柱としたエネルギー政策を打ち出すなか、技術者の転職などを支援する団体に登録し、海外での勤務を希望する原子力関連技術者が、東日本大震災以前と比べ1.5倍に増えていることが7日、分かった。中国企業からの引き合いが増加しており、脱原発の動きが、日本の原発技術の海外流出を進める実態が浮き彫りになった。250基以上の原発建設計画がある中国の原発事業者からの募集が急増しているという。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/snk2..

回答者 (匿名希望) 2012年10月08日 15:06

デモを裏で先導したかどうかにかかわらず、今回の原発事故を契機に、中韓の原子力関連企業からの引き抜き工作が活発化している実態は、少し前にNHKの特集だかでも実録でやっていましたね。

実際に韓国へ移った人もいるようでした。
相当に高いお金で引き抜こうとするので魅力的なようですね。

日本の未来にとって、大変憂慮すべきことです。

民主党政府は脱原発を叫んでいますが、こうしたことがひいては国防や将来の国際競争力に影響することを何も考えていないようですね。

相変わらず国民の気分様子見でころころ票集めのみに専念している民主党政治では国を滅ぼす恐れがあります。
https://smcb.jp/worrying_questions/57425

2011年 04月 12日 反原発運動でわかる特亜の工作員
http://ttensan.exblog.jp/13368973/

高円寺の反原発デモに1万5000人も集まったらしいですが、
まずはこちら、そのデモの映像から。

高円寺・原発やめろデモ!!!!!素人の乱主催02●出発地点でのカオス
https://www.youtube.com/watch?v=xnYALhFAX-U


北朝鮮の旗振ってたり、、どうみても日本人とは思えん連中。
特に列を仕切ってるヤツ。

以下昨年5月の新宿での沖縄米軍基地反対運動の映像


「沖縄に基地を押しつけるな!」新宿で抗議アクション
https://www.youtube.com/watch?v=rg66lGW7xtY


最後に出てくる人(2分過ぎあたりから)
と高円寺のデモを仕切ってる人が同じ人です。


そして次が昨年10月の尖閣事件への反中デモの時に妨害してきたヤツの写真。

http://ttensan.exblog.jp/iv/detail/?s=13368973&i=201104%2F12%2F84%2Fd0044584_2210040.jpg


さらに2009年の7月の慰安婦展に対する
「慰安婦捏造反対デモ」を妨害してきたヤツの写真。

http://ttensan.exblog.jp/iv/detail/?s=13368973&i=201104%2F12%2F84%2Fd0044584_22101420.jpg

全部同一人物ですね。

今日も中核派の根城として有名な法政大近くの飯田橋駅前では
学生が(非学生もいますが)反原発をしつこく訴えています。
(31日の反原発デモで中核派が3人逮捕されています)

しかし、やはり「中国の核兵器」には文句を付けません。

日本の反原発運動を盛り上げているのは

 「日本に核武装するチャンスを作らせない」

という事を目的にしている特亜と、そこからの資金で動いているプロ市民と見るべきです。
あとは社会経験が無くて頭でっかちな学生をカモにしているだけでしょう。

今回の福島原発での対応で、民主党政権が必ず最悪の手を選んで混乱を広げていることを利用し、
大げさに騒いでチャンスとばかりに活動をしていると言うことでしょう。
http://ttensan.exblog.jp/13368973/


中国のネット工作員は28万人
280,000 pro-China astroturfers are running amok online
http://arstechnica.com/tech-policy/news/2010/03/280000-pro-china-astroturfers-are-running-amok-online.ars

2015-06-09
中国が「超限戦」という卑劣な犯罪行為を仕掛けてきている


まだ日本と中国は物理的に衝突していないので、戦争ではないとは言える。

しかし、銃弾が飛び交うものだけが戦争ではない。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」そのものも戦争である。そう考えると、すでに日本と中国の戦争は「起きている」と言うこともできる。

中国は昔から謀略と策略を相手に仕掛ける民族であり、それは孫子や韓非子のようなものを読めばすぐに分かる。

これらの書は「兵法」であると言われているが、よくよく読むと兵法に名を借りた「相手を騙す方法」の列挙であることが分かる。

どのようにして相手に罠をかけるのか、どのように相手を騙すのか、どのように相手の足をすくうのか、そんな騙しと詐欺の方法ばかりが書かれているのが中国の兵法だ。

中国人は「相手を陥穽に落とすための書」をバイブルのように読んで、しかもそれを実践している。中国が信頼できないというのは、ここから来ている。


自分さえ儲かれば他人がどうなっても構わない

現代の中国社会は「自分さえ儲かれば他人がどうなっても構わない」という利己主義と拝金主義で覆われている。その結果、中国は売っているもの、食べるもの、飲む水、吸う空気ですら、安心できない究極の汚染大国と化した。

現在、日本でも見られる中国人の爆買いは、自国の商品がまったく信頼できないことから起きている。

(よく考えて欲しい。なぜ中国人が海外で爆買いをするのか?)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150410T0209500900.html


「自国のものが何も信用できない」「外国の安心できる商品が欲しい」という欲求が、外国旅行による爆買いにつながっている。自国の商品がまともだったら、誰も外国に行って重い荷物になるものを買いまくらない。

中国人は爆買いした日本製の商品を中国で転売する。これも、自国の商品がまるっきり信頼できないから成り立っている小遣い稼ぎである。

自国の商品が信頼できないものになっている根本的な原因は、やはり孫子の兵法のような「他人を騙す思想」の影響下にあるからだ。

全員が「他人をいかに騙すのか」に終始した書物を読んで、実際に他人を騙しながら不良品を売りつけるような商売をするので、人にも商品にも信頼が成り立つはずがない。

中国人は基本的に、今でも家族以外の他人はほとんど信用しない。他人は騙してくる存在だからだ。中国では「騙された人間が悪い」のだから、家族で固まり、その他の人間は絶対に信用しないことで防御するしかない。

中国社会の隅々まで「いかに相手を騙すか」という詐欺思想が蔓延している。だから、「相手を騙す」というのが中国という国の体質となってしまった。


中国ではこれを「超限戦」と名付けて悦に入っている

そんな国が大国と化して外交をしているのだから、それが信頼と絆に基づいたものになると考える方がどうかしている。

孫子のような「詐欺書」をバイブルのように崇める中国が行う外交というのは、やはり「相手を罠に落とす」ものでしかない。孫子の兵法がそのまま外交になる。

「馬鹿を屋上に上げて、ハシゴを外す」とか「自分が弱いときは提携を呼びかけ、自分が強くなれば反故にする」とか、信頼の欠片もないようなことを解説しているのが孫子の兵法だ。

中国共産党は、こんな詐欺行為の書かれた書を信奉し、これをそのまま外交で実践している。最近では、このような孫子の兵法が現代の社会情勢に当てはめられ、さらに悪質化している。

中国では現代に合わせて進化させた兵法を「超限戦」と名付けて悦に入っている。

超限戦も、「国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦」で、相手をワナにかけてめちゃくちゃにする方法を説いている。

この超限戦をするにあたっての心得としては、「倫理基準を超え、タブーを脱し、手段選択の自由を得なければならない」のだという。

分かりやすく言おう。要するに超限戦とは「法を無視して、相手をあらゆる分野でワナにかけろ」というものである。

今の中国がやっているのはこの「超限戦」なのだ。日本はこの超限戦を仕掛けられて、中国に翻弄されている。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」が、日本に張り巡らされている。

だから政治家も知事もマスコミもジャーナリストも少なからずが中国に取り込まれ、「これからは中国の時代」とか言い出して日本を売り飛ばそうとしている。

日本はもうとっくの前から「超限戦」を仕掛けられ、中国の手先となった人間がうようよしているのである。


よりによって、謀略のターゲットは日本である

よく経営に孫子の兵法を取り入れるべきだとか、孫子を研究していると公言する経営者がいる。

中国のそれぞれの兵法というのは、そのほとんどが「他人を騙す方法」を解説したものなのだから、そんなものを研究する経営者というのは、「他人を騙す方法を研究している」と言っているのも同然だ。

それを実践しているのであれば、そんな経営者は詐欺師も同然なのである。

私たち日本人が知っておかなければならないのは、こうした他人を騙す方法を事細かく解説した薄気味悪い思想を中国政府がバイブルのように信奉して、実際に実践で使っており、よりによってそのターゲットが日本であるということだ。

とても危険なことに、中国軍はこの「超限戦」をシステムの中に組み込んでいる。そして、実際にハッキングする部隊や、外国企業の情報を盗む部隊が存在する。

日本の各企業の機密情報が、どんどんハッキングによって盗まれているのだが、その裏には「超限戦」による問答無法の犯罪行為が国家規模で行われている。

日本人の政治家・知事・マスコミ関係者・教育者を、金と女でワナにかけて、弱みを握って売国させるのも「超限戦」のひとつの方法である。ハニートラップの噂になる政治家は多い。

今後、私たちは政治関係者やジャーナリストを見たら、その人が日本人の名前を名乗っていても、その人物が信頼できるのかは、次の5点をしっかり確認しなければならない。

「日本に対して忠実か」
「外国に妙な影響は受けていないか」
「人格に問題はないか」
「法律は守れるか」
「不正はないか」

日本企業も他人を雇うときも、上記がとても重要だ。また、目の前の人物が「反日国家の人間ではないか」「反日国家に影響を受けていないか」を判断するために、しっかりと確認しなければならない時期になっている。


銃弾が飛び交うものだけが戦争ではない。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」そのものも戦争である。そう考えると、すでに日本と中国の戦争は「起きている」と言うこともできる。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150609T1632350900

阿修羅政治板も中国の工作員の巣窟ですね

2016年3月29日の安全保障関連法の施行は重要な一歩だった


「憲法九条があれば日本は永遠に平和」「平和を守れ」と言うのは、日本を武装させたくない中国・韓国・北朝鮮の工作員が日本人を洗脳するために行っているものである。

日本が平和ボケしていれば侵略しやすいので、中国・韓国・北朝鮮のような特定アジアは、工作員を使って「憲法九条を守れ」という運動を大々的に展開している。

客観的に考えれば、相手が暴力的だと一方が平和を守れと言っても蹂躙されるだけだとすぐ分かる。

しかし、「憲法九条を守れ」と言っている人が特定アジアの工作員であるのはもうバレているし、マスコミの世論誘導も見透かされてうまくいっていない。

そのため、2016年3月29日にはあっさりと集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法が施行された。

反対しているのは、売国政党である民進党(元民主党)や日本共産党、そして朝日新聞とその仲間くらいなもので、ほとんどの日本人は集団的自衛権に理解を示している。

何しろ、中国・韓国・北朝鮮が日本を敵視しており、日本は大きな危機に巻き込まれつつあるのである。日本はこのままでいいのかという危機感が日増しに強くなっているのだ。


この瞬間にも韓国の国民の貧困化は加速している

いくら日本が平和を遵守すると言っても、中国・韓国・北朝鮮が日本を「敵性国家」扱いしていれば平和がそのまま続くなど誰も約束できない。反日とは「日本人憎悪」であり、これは明確な民族ヘイトである。

中国や韓国や北朝鮮の気が狂ったような反日は、その裏に格差に苦しむ国民の姿がある。

ミサイルを飛ばす北朝鮮は、いつ崩壊してもいいような脆弱な国家であり、その現実から目をそらすために反日反米で国民の目を外に向けさせている。

韓国も先進国に駆け上った成功国家として喧伝されていたが、実際には内憂外患の国家と言える。

サムスンやヒュンダイのような財閥企業は国に保護されて巨大化しているが、国民は見捨てられている。

失業者も自殺者も多い。失業率は国際基準では10%を超えていると言われ、労働環境も悪く、若者は韓国を「ヘル韓国」と呼んで自嘲し、できることなら移民したいと望んでいる。

今でも韓国女性は全世界に売春ビジネスを強いられているのは、よく知られた事実だ。韓国は従順慰安婦の問題で日本が悪いと叫んでいるが、韓国女性は世界中に売春ビジネスを行っている売春大国なのだ。

韓国国内でも、40過ぎて強制的にリストラされた韓国人サラリーマンは何とか生きるために何らかの起業を始めるが、そのほとんどはことごとく失敗して消えていく。

韓国という国家は経済的に追い込まれている。今この瞬間にも、国民の貧困化が加速しているのである。

そこで起きているのが、偏狭なナショナリズムを土台にした反日運動である。国民が貧困化すると、現状不満は政府に向く。だから、朴槿恵(パク・クネ)政権は国民の目をそらすために、その怒りを外に向ける。

日本は、鬱憤晴らしに叩くにはちょうどいい相手だと韓国人は甘く考えている。


「習近平は辞任しろ」という記事も掲載された

中国もまた同様に、グローバル経済の不振のあおりを受けて、経済成長が止まってしまった。さらに、2015年6月以降は上海株式市場のバブルも崩壊して、今もその打撃の最中にある。

崩壊していく経済を何とか立て直そうと、中国政府はマンションの頭金をゼロにさせて再び不動産バブルを演出しようとしている。

しかし、不動産を高騰させても経済全体が崩壊しているので、不動産バブルはただの演出でしかない。

国営企業は機能せず、借金だらけのゾンビ企業が中国に蔓延し、パクリばかりで技術革新などまったくなく、情報封鎖を繰り返して民主主義も後退し、財政収支は悪化していくばかりだ。

そこに大気汚染、食品汚染、砂漠化のような、巨大な問題が覆い尽くすようになり、中国の将来に懐疑的な目を向ける人が増えてきた。

2016年に入ってからその傾向はさらに強まっており、習近平はこれを李首相のせいにして、自分が悪いのではなく李首相が悪いのだと責任逃れをしようとしている。李首相は解任されるという噂も飛んでいる。

中国は復活できない確率が高まった。

今はもう中国に膨大に取り残された貧困者が、遅れて豊かになるという楽観論が消えている。つまり、貧困化が解消できず、むしろ固定化することが決定した。

「いつか豊かになれると思って努力していたが、豊かになることは不可能になった」

そんな中でも個人崇拝をさせようとしている習近平には批判も強まっており、政府系のニュースサイトは「習近平は辞任しろ」という記事を掲載して物議を醸した。

情報統制されている国家で、そのような記事が表面化するほど習近平政権は追い込まれているということだ。


お花畑のような平和主義しか頭になかった日本

特定アジアの国民・人民は、現状に対して激しい不満を持っている。そのため、遅かれ早かれ、これらの国は暴走し、対外的にも危険な国と化す。

中国は常に国民の怒りを日本に向けさせる。韓国とまったく同じだ。北朝鮮も同じだ。日本は怒りの矛先となる。

その中で、いよいよ日本人も「このままでは危ない」と目覚めてきているのである。

日本人が突如として危機に気付いたのは、2010年の尖閣諸島沖漁船の問題からだった。

当時の菅直人政権は、中国政府に「漁船で体当たりした中国人船長を釈放しろ」と脅され、裁判もかけずに中国に返した。このときから日本人の中で、傲慢に圧力をかけてくる中国に対する危機が芽生えていった。

そして、2012年に韓国大統領だった李明博が竹島に上陸して「ここは韓国のものだ」と宣言し、「天皇陛下はひざまづいて謝れ」と言ったので日本人は激怒した。日本人の反韓もここから始まっている。

中国人も韓国人も北朝鮮人の日本人憎悪が暴走していくと、一番危険に落ちるのは言うまでもなく日本人である。

しかし、日本に対してことさら激しい憎悪を向けている「特定アジア」3ヶ国に対して、日本人はやっと集団的自衛権によって防衛を整えていけるようになった。

折しもアメリカは「もうアメリカは日本を守らないので、日本は自分たちで自分たちの身を守れ」と言うようになってきている。ドナルド・トランプに至っては「核武装しろ」とも公言している。

アメリカは自国経済を立て直すために、そのようなスタンスに変わってきているのである。

こうした中で、特定アジアから日本を防衛するための一歩として、2016年3月29日の安全保障関連法の施行は非常に重要なものであった。

特定アジアの工作員が我が物顔で活動する日本で、安全保障関連法の施行まで辿り着いたのは快挙であると言ってもいい。


日本に対してことさら激しい憎悪を向けている「特定アジア」3ヶ国に対して、日本人はやっと集団的自衛権によって防衛を整えていけるようになった。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2016/03/20160331T1443410900.html

2015-09-19
安全保障関連法成立。2015年9月19日は歴史的な日になった

2015年9月19日、安全保障関連法が成立した。これは「日本国民の平和と安全を守る法案」なのだから成立して当たり前のものである。

この法案が急がれていたのは、中国・韓国・北朝鮮の「特定アジア」3ヶ国が日本を敵視しており、特に中国は軍事的な脅威を増長させているからだ。2015年9月3日も「抗日」戦勝記念なるもので軍事パレードしたばかりだ。

現実の脅威がそこにある。

ところが、国会前は左翼と特定アジアの工作員たちが「日本国民の平和と安全を守る法案」を成立させまいと激しくプロパガンダ工作を行い、さらにマスコミがそれを針小棒大に取り上げて気が狂ったように紙面で騒いでいた。

誰でも平和を守りたいと思う。だから、平和デモは賛成だ。ただし今回のデモ隊が馬鹿だと嘲笑されているのは、「日本国民の平和と安全を守る」法案を通そうとしている官邸にデモをしていることである。

彼らがデモの拳を突き上げなければならないのは中国大使館なのである。東アジアの安定を損なっているのは中国の膨張主義だからだ。

中国は現在、南沙諸島に三本目の滑走路を建設しているが、それが軍事的な拠点作りであることは全世界が知っている。こうした膨張主義がアジアの平和を乱しているのだから、平和主義者は中国大使館に24時間デモを仕掛けるべきだったのだ。


マスコミの行っている執拗なまでのプロパガンダ

なぜ、今回の平和デモの開催者たちが中国大使館に向けて「平和を守れ」と叫ばないのかというと、そもそもこの集団の黒幕が日本共産党であり、そのバックに中国共産党がいるからだ。

平和のためにやっているのではなく、平和を建前にして日本から武力を奪うための中国による「超限戦」だったのだ。

(中国が「超限戦」という卑劣な犯罪行為を仕掛けてきている )
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/06/20150609T1632350900.html


だから、今回のデモには簡体字を使ったプラカードが踊ったし、日本の国旗は立たなかったし、中国大使館前でのデモも行われなかった。

日本人がうんざりしたのは、マスコミが終始、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダの垂れ流しだけをしていたことだ。

安全保障関連法に賛成の意見はほぼ採り上げられることがなかった。そして、この安全保障関連法が特定アジアを除くほとんどの国が賛成していることも報道しなかった。

中立公平でなければならない報道機関が、まるで日本人のすべてが反対しているかのような報道をして「印象操作」していたのである。

「日本国民の平和と安全を守る法案」を戦争法案とレッテル貼りしてまるで安倍首相が明日にでも戦争をするような印象操作すらも行っていた。

世論操作・情報統制には7つの原則があることはよく知られている。

(ここに注視。情報操作として使われている「7つの原則」とは)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130524T1543000900.html


今回の反対プロパガンダもその原則をそのまま使っていたことに気付いた人も多いはずだ。

(1)安倍首相にヒトラーとレッテルを貼る。
(2)「戦争法案」と言って煽り立てる。
(3)学者や反対議員に反対と言わせる。
(4)芸能人・著名人も反対しているとステマする。
(5)自分たちが日本の味方であると強調する。
(6)日本の平和と安全を守るという一面は矮小化。
(7)反対するのが流行っているとブームを作る。


特定アジアに汚染されているマスコミは、執拗なまでにこの情報操作の原則をそのまま使って、「日本国民の平和と安全を守る法案」を潰そうと画策していた。


悪質だった「朝日新聞」特別編集委員の冨永格

マスコミを信じると、特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)のプロパガンダのワナにはまる。かつての日本人なら、ものの見事にこのマスコミのプロパガンダに誘導されていただろう。

しかし、もうマスコミは信用されておらず、今回の執拗な情報操作も効果がなくぶざまに失敗し、安全保障関連法は2015年9月19日に成立した。

マスコミはすでに権威が失墜している。

特に韓流ゴリ押しを続けて日本人に韓国崇拝を押し付けていたフジテレビや朝日新聞は日本人に嫌われてメディアとして凋落していく一方である。


朝日新聞は今回の「日本国民の平和と安全を守る法案」でも、日本人全員が反対しているかのような底の浅い印象操作を繰り返すという愚を犯している。

朝日新聞の冨永格(ただし)という特別編集委員も、信じがたいほど悪質な人間だった。

この男は、ナチスの旗を掲げたデモの写真をツイッターに載せて、英文とフランス語で「日本人のナショナリストの東京でのデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している」と書き込んで印象操作にいそしんでいた。

(朝日新聞関係者のツイートも超限戦であることに気付くべき)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/08/20150804T1604120900.html


こんなことばかりしているのだから、日本のマスコミが今後かつての権威を取り戻すことは、特定アジアの工作員を完全に社内から締め出すことができない限り、難しいと言える。


安全保障関連法によって、日本は一歩前進した

マスコミの世論操作は失敗して、安全保障関連法は見事に成立したが、本当の戦いはこれからだ。

「日本国民の平和と安全を守る法案」を巡る一連の動きで、日本にはいったいどれほどの売国者が潜んで、ネットワーク化され、日本を蝕んでいるのかという実態が明るみに出た。

それは非常に憂慮すべき実態でもあった。政界、財界、教育界、宗教界、芸能界、報道界のすべてに売国者がいることが見えてきたからだ。

日本の中枢は、今やほとんどが特定アジアの工作員やシンパで占められている。

こうした工作員が組織を乗っ取っているので、日本を愛する人たちや日本の国益を優先したいと考える人たちが、重要な組織の中枢から排除されているような実態すらも浮き彫りになりつつある。

いかに売国者(ニセモノの日本人)が日本に溢れているのか、今回の一連の動きでよく分かったはずだ。

日本に敵意を持っている中国・韓国・北朝鮮の工作員たちが跋扈しているのが今の日本の社会なのである。

だからこそ、本当に日本を愛する人たちはこれから日本内部に巣くう反日ネットワークと戦うために、互いに連携し、互いに引き上げ、互いに助け合っていくしか方法はない。

かつて日本は「日本人の、日本人による、日本人のためのネットワーク組織」である玄洋社(げんようしゃ)を持っていた。あまりにも危険かつ強固であるとしてGHQに封印された組織である。

(米国に封印されたこの組織が日本に蘇ると、世界が震撼する)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/06/20150612T1710500900.html


売国者がはびこるこの時代、玄洋社(げんようしゃ)のような徹底した「日本主義」の組織が必要になってきている。

安全保障関連法によって日本は一歩前進した。日本を取り戻すための大きな一歩だった。2015年9月19日は日本にとって非常に歴史的な日になった。

重要な法案を成立させた安倍首相。安全保障関連法によって日本は一歩前進した。日本を取り戻すための大きな一歩だった。2015年9月19日は日本にとって非常に歴史的な日になった。大きな仕事を成し遂げた安倍首相をねぎらいたい。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/09/20150919T1353310900.html

>前から政治板と原発板は何かおかしいと思っていたのですが、中国当局に目を付けられていて、専任の工作員に毎日 工作活動をさせている様ですね。
気づくの遅すぎですよ

中国政府としては日本が核兵器を持つのを何とか阻止したい。
原発が無ければ核兵器も作れないので、どんな事が有っても日本の原発再稼働だけは止めさせたいのですね :


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。


西部邁ゼミナール 「『核』が日本を沈没から救う」 伊藤貫
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/523.html

日本はアメリカの仮想敵国 _ 米軍は日本が独立するのを阻止する為に日本に駐留している
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/528.html

米中は昔から常に利益を分け合い、手を携え前に進む仲間だった
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/527.html

(伊藤貫) 米中衝突は起こらない! アメリカが日本を守らない理由
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/524.html

 

▲△▽▼

けろりん氏は中国の工作員か?
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/483.html
 
 

けろりん gq@C64LogvE : ECjf10sQlw : SsGV36BfDk4 氏に原発板に建てたスレを荒らされています:

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

2ちゃんでも よく有るネット工作員による本物のアラシです。


阿修羅の原発板には中国・朝鮮の工作員が常駐して反原発活動を主導している様です。

前から政治板と原発板は何かおかしいと思っていたのですが、中国当局に目を付けられていて、専任の工作員に毎日 工作活動をさせている様ですね。


けろりん氏は自分が工作員であるのを否定してくるのかとばかり思っていたのですが
阿修羅の管理人さんに圧力をかけて自分に都合の悪いスレを削除させる道を選びましたね:

30. 2017年4月20日 12:04:02 : 6tbftK4862 : @8O6@gwGbqs[4]

中川隆の暴走ぶりがひどくなっています。
お知らせ管理板に個人中傷する投稿をアップし、原発板などにリンクを張っています。

けろりん氏は中国の工作員か?
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/483.html

これはルール違反ですので、投稿を削除するとともに、一定期間、投稿・コメントを
禁止する処置をして下さるようお願いします。

放置しておくと、どんどん暴走して手に負えなくなります。

掲示板の秩序を保つためにもよろしくお願いいたします。


31. 中川隆[7931] koaQ7Jey 2017年4月20日 12:22:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8422]
>>30
けろりん氏は覚悟が有って僕のスレを荒らしたんだから
それ位 当然だろ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/479.html#c30


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c2

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
3. 中川隆[-9308] koaQ7Jey 2019年6月24日 05:00:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3181]

因みに、僕は福島原発事故以前は原発廃止論者だったんだけど、阿修羅原発板に垂れ流されている悪質な嘘とデマを見て原発再稼働派に転向したんだ:


中川隆 原発関係の投稿


調査報告/原子力発電所における秘密
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 6 月 04 日 22:53:53: 3bF/xW6Ehzs4I


遂に化けの皮が剥がれた経済コラムマガジン_荒井彰のアホぶり
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/749.html
投稿者 中川隆 日時 2011 年 8 月 17 日 10:59:06: 3bF/xW6Ehzs4I


経済コラムマガジンの荒井彰先生も脳動脈硬化症?
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/751.html
投稿者 中川隆 日時 2011 年 8 月 17 日 14:30:58: 3bF/xW6Ehzs4I


反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 4 月 16 日 07:37:25: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey  


原発板の けろりん氏は中国の工作員か?(お知らせ・管理21 板へのリンク)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/800.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 4 月 20 日 11:35:11: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 18 日 10:29:50: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey


発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 16 日 15:21:51: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey  


太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 17 日 08:03:56: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey


風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 17 日 08:59:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey


妄想 _ もうすぐ氷河時代が来る証拠
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月


妄想 _ 2016年には「被爆原因」で物凄い数の人たちがバタバタ死に始める
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/414.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 10 日 11:20:48: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey

▲△▽▼


僕は

魑魅魍魎の主張は典型的なパラノイアの妄想だ

というのも何十回も指摘してきたよ。
キチガイは自識が無いから、自分では自分がキチガイだと認識できないんだ:


阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 19 日 18:34:43: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 2 月 13 日 10:45:01: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey



http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c3

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
4. 中川隆[-9307] koaQ7Jey 2019年6月24日 05:37:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3182]

因みに俺は工作員じゃない

刑務所の職業訓練でパソコンが使える様になったから、10年前に出所した後、生活保護を貰いながら毎日ネット遊びしてるんだ

刑務所は福祉施設じゃないぞ、もう来るな!

と言われて追い出されたんだが、その代わりに生活保護を貰える様になった

死刑以外なら犯罪はやればやる程得だというのは良く判った:

22. 2013年5月20日 07:55:44 : Kse53zYp5s   
>>21さん、
常人には得体の知れない憎悪に取り憑かれ、ひとりで火病を起こして掲示板荒らしを続けている>>01の変態常習犯罪者については、下記をみれば簡単にプロフィールがわかります。ご参考までに。
  ↓
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1365829311/41


41 :地震雷火事名無し(家):2013/05/08(水) 14:52:16.46 ID:dsy2PwdC0
自称「中川隆」こと W18zBTaIM6 は、「富田誠」その他の複数のハンドルネームを使い回し(←投稿規定違反の累犯!)、しかも歴史板などに明らかに板違いの投稿を執拗に繰り返してきた(←投稿規定違反の累犯!)。

歴史板(http://www.asyura2.com/09/reki02/index.html)で「中川隆」「富田誠」で
検索すると、この変態犯罪者の山のような累犯の事例が一目瞭然となる。

「中川隆」が作ってきた板違いスレッドの事例(大量の犯行のほんの一部)
------------------------------------------------------------
あの伝説の名湯は今_ 幻の秘湯 戦慄の二股ラヂウム温泉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/350.html
------------------------------------------------------------
ミラーマンの世界
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html
------------------------------------------------------------
小沢一郎先生は政治家の鑑
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/293.html
------------------------------------------------------------
副島隆彦は本当にアホだね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/343.html
------------------------------------------------------------
釈迦は何故日本に再誕したか 1__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/341.html
------------------------------------------------------------
史上最強の投資銀行 ゴールドマン・サックス_その強さの秘密に迫る_1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/360.html
------------------------------------------------------------

しかも「中川隆」「富田誠」W18zBTaIM6 は、小沢一郎と「朝鮮人呼ばわり」して
執拗に誹謗中傷を続けながら、なぜか在日朝鮮人の過去の犯罪を告発するスレッドに出没して、朝鮮人擁護と日本人攻撃の書き込みを執念深く続けている。

------------------------------------------------------------
民主党議員の 『小沢先生と行った中国ハニートラップの旅』 - 富山誠  
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/722.html
衝撃!! 小沢一郎民主党代表の美人秘書(韓国籍)の真実 - 富山誠
------------------------------------------------------------

それだけではない。
「中川隆」「富田誠」は猟奇性犯罪と児童ポルノを、アスキーアートを貼り付けて自慰を行ないながら執拗に阿修羅掲示板に貼り付けつづけ、この掲示板に対する
強姦行為を行なっている。

------------------------------------------------------------
温泉四方山話1 - 富山誠 2013/4/10 18:06:58  
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/734.html
部落と近親相姦話1 - 富山誠 2013/5/01 17:09:05
多重人格者だった恋人の話 - 富山誠 2013/4/11 19:39:30
秘湯〜夢蛾はここにいる〜 - 富山誠 2013/4/11 18:36:27
------------------------------------------------------------
沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは - 中川隆 2012/10/08 00:07:10 (コメント数:4)
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

大阪 飛田遊郭 - 中川隆 2012/10/07 10:31:54
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/445.html
------------------------------------------------------------

ヒマを持てあました無職の変態朝鮮人が、阿修羅掲示板でルール違反をものともせず掲示板レイプを繰り返している。 
そんな連続強姦魔が「中川隆」「富田誠」 W18zBTaIM6 だってことだ!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1365829311/41


05. 2013年5月11日 16:37:29 : Kse53zYp5s
「従軍慰安婦」神話を擁護しながら天皇攻撃を執拗に行ない
その一方で投稿規定違反の複数ハンドルネーム使い回しと
板違い不当占拠(サイバー土地ドロボー)と
児童ポルノや猟奇ポルノによる掲示板荒らしを
延々と続けている変態犯罪者がまたこっそりと掲示板破壊工作をしています。
   ↓
------------------------------------------------------------

LB 投稿者: 中川隆: W18zBTaIM6 2013/5/11 11:12

ミラーマン 植草教授にお尻を撫でられた女子高生のパンティにもウンスジが付いていたのか? 中川隆
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/406.html#c8

シミパン・下着画像掲示板
http://www.wifes-h-pantie.com/bbs2/bbs2.cgi
                                    
妻のシミ付きパンティ
http://www.shitagi.org/simipanty/index.shtml


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c4

[政治・選挙・NHK262] 日本の政治が腐ってしまった本当の理由 - 第1章 「巨大な改憲マシンの中で」 プラナリア
1. 中川隆[-9306] koaQ7Jey 2019年6月24日 06:35:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3183]
ジョブズ自身は何も発明していないし、パソコンを開発してもいない。

成功者が言わないこと

成功者に投資のコツは、ビジネスのコツはと質問すると、表向きは紳士的な答えが返ってきます。

真面目に働くこととか誠実さ、人脈や自分なりの成功術を披露するかもしれません。

成功者が決して口にしないのは、失敗を誰かのせいにして押し付けている点です。

成功者は自分は成功報酬だけを受け取り、失敗した損失を誰かに回すことで成功しました。

たとえばビルゲイツはウィンドウズなどを発売してマイクロソフトを成功させたが、同じような試みで失敗した人は多い。

OS(オペレーションシステム)というアイディアはアポロ計画で生まれ、発展してきました。


OSが高度化してパソコンが量産商品になったとき、たまたまウィンドウズが時流に乗ったのが真相に近い。

ウィンドウズ以前にコンピュータソフトに貢献した人たちは1ドルも受け取れず、ビルゲイツは数兆円も受け取った。

ビルゲイツがお金を奪ったわけではないが、間接的に他の人に失敗を負わせて、自分は利益だけを手にした。


アップルのスティーブジョブズも同じような経緯で、ジョブズ自身は何も発明していないし、パソコンを開発してもいない。

コンピュータが開発されたのは大戦前後のアメリカまたはドイツで、やはりアポロ計画で急速に発展した。

コンピュータが個人に普及する時期に成功を手にしたのがジョブズで、それ以前の人は何も得られなかったのにジョブズは大金を手にした。


プロ投資家は負けても損をしない

ほとんどすべての成功者にこうしたストーリーがあり、失敗したときは他の誰かや何かに損失を押し付けた。

世界的な投資家のジョージソロスやWバフェットは自分の金ではなくファンド運営を行っている。

他の人が出資した金で投資して、手数料収入を得るのがソロスやバフェットのビジネスで、世間で思われているイメージとは違う。


ファンド経営では投資が失敗しても手数料収入は得られるので、自分の財布は痛まない。

自分の個人資産も運用しているのでその意味では損失は出るが、「損失は客に追わせて利益は自分が手にする」事をしてきた。

日本のある有名なプロディーラーは著書の中で「損をしても客の金だから関係ない」と悪びれずに書いていました。


多くの人は「プロなんだから責任感を持って投資している」と考えているが、そうではありません。

証券会社にしても銀行にしてもファンドにしても、「客に損をさせても自分の給料はもらえる」制度で働いています。

これらは勝ったときに歩合制で報酬が貰えるのではなく、勝っても負けても手数料収入は同じなのです。


だからプロ投資家は、損失は客に負わせて儲けは自分のものにできるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/77425588.html

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/352.html#c1

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
35. 中川隆[-9308] koaQ7Jey 2019年6月24日 07:20:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3181]

サル害に悩む町に強い味方「サルイチ」 居場所つかんで追い払い 京都新聞c

isu***** | 9時間前

うちの地元でもここ数年猿が降りてくるようになって問題になっています。猿は他の動物と違って出くわしても逃げていくどころか向かってくるから怖いし子供達が心配です。

猿が下りてくるようになった原因として人間が開発(主に太陽光パネル設置)で山を禿山にしてしまったということがあげられます。

メガソーラーの開発でごっそり山を切り開いてしまうから猿に限らず鹿や猪が人里にエサを求めて下りてくることが増えているんです。

ついでに土砂崩れも起きやすくなるし下流側で水害も増えるので今まさに新たにメガソーラーの開発に対して反対運動も起きています。

一山ごっそりって実際見ると本当に凄い規模ですよ。一部の人の懐は潤うんでしょうけどね。

野生生物が可愛いとか可愛くないとかそんなことは差し置いて、今一度自然や野生生物との共存というのも考えるよい機会な気がします。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6327759

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c35

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
181. 中川隆[-9307] koaQ7Jey 2019年6月24日 07:32:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3182]
平野憲一の株のお話 2019.06.24

 いよいよG20大阪サミットの週となりました。
注目は米中首脳会談の成り行きのみの感じです。

昨日書いたように、今村貴卓さんと西濱徹さんお二人の専門家は、「曲折はあれど制裁関税第4弾発動まで行く」でした。

 筆者は「無い」と思っていますが、その理由は影響が中国より米国の方が大きいからです。

シンクタンクの分析では、GDP成長率へのマイナス寄与度は米国0.55%、中国0.36%となって、これだけでも米国経済への影響が大きいと分かりますが、IMFの成長見通しで両国はそれぞれ2019年が2.3%、6.3%、2020年が1.9%、6.1%となっていますので、成長率から見た影響度は米国の方が圧倒的に大きいことが分かります。

制裁関税は中国からの輸入品に課されますが、その関税を支払うのは中国製品を輸入している米国企業です。2020年の成長見通しで言えば、第4弾によって米国が1.9%から1.35%になるのに対して、中国は6.1%が5.74%になるにすぎません。国内企業の反対で第4弾はできないと思います。

 ただ、専門家お二人に聞いて驚いたのですが、米中対立はトランプ大統領が突出先行して進めていると思っていたのですが、そうではなくて、逆に大統領は穏健派で、政権内に親中派は誰も居なくなり突き上げを食っているとのことでした。この強硬派が、経済原理を超えて第4弾に突っ走る可能性は考えておかなければならないと思ったのが、昨日書いた「若干修正」の意味です。


 ただ、世界の金余り資金は、とうとうギリシャ国債まで買い始めました。2012年のギリシャ破綻危機の時40%まで行った10年債利回りは今2.5%です。4%前後の配当利回り株がゴロゴロしている日本がいつまでも出遅れでいられるはずはないと思っています。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c181

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
4. 中川隆[-9306] koaQ7Jey 2019年6月24日 08:01:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3183]
2009年4月6日 ●ゲーゲーと部落問題 - 東海アマのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/287659.html

未明の2時頃になると、筆者宅の電話が突如鳴り出す。面倒くさがって取らないでいると何時間でも鳴り続けているので、とると「ゲーゲー ウーウー」と薄気味悪い男の声が延々と続く。

 ホラー映画を見過ぎた気の弱い女性なら、「ジェイソンが現れた!」と、恐怖のあまり卒倒しかねない。

 幸い、筆者は、単独ロッククライミングや沢登りで相当に怖い思いを楽しみ、熊だろうがマムシだろうが死体だろうが霊だろうが(みんな見たぞ!)遭遇しても、「なるようになるさ」主義で、恐怖には滅法強いほうだったからよかったが、うっとおしいのには本当に腹が立った。

 何せ、固定も携帯も同時に、間断なくかかってくるので、コードを抜くか、スイッチを切るしかなく、大切な電話が使えなくなってしまうのだ。筆者ばかりでなく、友人の芸能人や、実家の近所の同姓の人にもかけまくっていたらしい。おかげで友人が恐怖し、人間関係が壊れてしまったこともあった。まったく無関係の同姓のご近所様には申し訳ない限りだ。

 それが十年以上も続いている。もちろん録音を持って警察(当時、名古屋中村警察署・刑事課)に何度も出向いた。事情聴取の最中にかかってきて、警官にもそれを聞かせた。しかし、それでは犯罪にならないと言われて追い返された。

 メールもたくさん来た。「オマエを殺す!」というものも数回含まれていた。それでも警察は動かなかった。仕方なしに、今度は電話に出て、「馬鹿野郎、ゲーゲー死ね!」と怒鳴りまくったが、向こうは、ますますいきり立って執拗にかけ続けてきた。

 いったいヤツ(ゲーゲーウーウーと名付けた)は、電話代をいくら使ったのだろう? 故意に携帯を通話料の高いプランに設定し、毎分80円くらいで、数時間もかけさせ続けたので、おそらく月間では数十万円になったはずだ。それでも、やまなかった。

 これほど長いと、激怒もウンザリも通り越して、明鏡止水、悟りの境地かと思う人が多いかもしれないが、実は、未だに性懲りもなく煮えくりかえるような思いで怒っている。

 こんな電話が最初に来たのは、過去ログを見ると1998年頃になっているから、11年も前で、これが未だに続いていると書けば読者も驚くだろう。

 たぶん、筆者が天皇制についての批判を書いた直後に、いつもかかってくるような気がしていたから、おそらく偏執狂右翼の嫌がらせかと思っていた。

 
 最初の頃は、年に数回、一度始まると数ヶ月も続く。夜中の二時頃からと、昼間の二時頃から、いずれも数時間電話がかかりっぱなしになり、取ると、ひたすら「ゲーゲー ウーウー」ばかりで、まともな会話はない。

 怒鳴りつけようが、「オマエのカーちゃんデベソ!」と言おうが平気の平左でゲーゲーやっている。2002年頃、これを録音して「これがゲーゲーだ!」と称して公開したときは、2ちゃんなどネット界隈で話題になったものだ。

 その当時、録音のなかに豊郷小学校の校内放送が入ったことから、これが彦根近郊の豊郷町付近から発信されていることが分かった。またゲーゲーウーウーの声が、おそらく重度脳性麻痺障害によるものだと思えた。さらに母親らしき女性の近所つきあいの声も含まれていた。

 そこで、これらの情報を頼りに、豊郷町に何回か出向き、調査して歩いたところ、ある家にたどり着いた。終日見張ったが、母親が見えたものの確証がとれず引き上げた。

 その後、このことをHPで公開したところ、しばらく、この嫌がらせ電話はかからなくなった。

 ところが、二年もして、筆者が「明治天皇の正体は大室寅之佑だ」などと書くと、またかかってくるようになった。おおむね2〜3年に一度かかってきて、数十日続いてやむわけだ。その間、ときどき久木と名乗る人物から謝罪するようなメールが来ていたが、もちろん許すわけがない。

 そうこうしているうちに、今年、またメールが来て、数年ぶりに粘着嫌がらせ攻撃が再開された。

 今度のは深刻だった。電話に加えて、勝手に筆者の名前とメルアドを使い、数百のさまざまな申し込みをしていた。なかには戸塚ヨットスクールの入校届けや、デリヘル会員、仕出しやの出前などもあった。ダッチワイフの通販申し込みまであった。

 しかし多くは、注文先が怪しんで配達しなかったようだ。だが、筆者のメルアドは凄まじいことになった。注文するはずのない、購読や案内が数百も届いているのだ。これを削除するだけでも大変で、まともなメールを見るのに苦労するようになった。

 今度は本気になって怒り、ゲーゲーからのメール情報を頼りに調査したところ、ついに10年ぶりに本人の正体にたどり着くことができた。

 メールにあった人名地名は、すべて豊郷町高野瀬固有のものだったため、高野瀬のいたるところに電話をかけて、深夜に嫌がらせ電話をする人物に心当たりがないか聞いて回ったのだ。

 そうしたら数名から感触があり、まったく同じ嫌がらせ電話を受けている人から該当人物を教えていただけることになった。ゲーゲーは、筆者だけでなく、近所遠方を問わず、あらゆる人に対して嫌がらせを繰り返していたのだ。

 そして、それは高野瀬の山本某であるとの指摘だった。そこで調べてみると、まさしく数年前に行き着いた家と一致した。さらに、ゲーゲーが発信元を隠し忘れて、本当の番号でかけてきてしまった。それは、教えてもらった家の番号であり、そこに電話すると本人が出て、苦節十年、とうとう本人にたどり着くことができたわけだ。
 
 山本ゲーゲーは、単に嫌がらせ電話やメールだけではない。筆者のプライバシー問題や、事故などのことを、さまざまな他のサイト掲示板に誹謗中傷文を書き続けていた。多くのサイトで、そのアドレスは書き込み禁止処分を受けていたので、誹謗中傷と嫌がらせだけに人生のすべてをかけているような人物である。

 おかげで、筆者が観光バスの臨時運転手に採用されるときに参照されて拒否されたり、人間関係を壊されたり、深夜寝ている最中に電話されて、不眠になったりと、さんざんな目に遭い続けてきた。

 筆者は、過去の激怒感情が累積して爆発しそうになっていて、もし当人に会うことでもあったら絶対にタダですまないことが分かるので、会わずに事情を説明して警察に委ねることにした。

 幸い、中津川警察が取り上げてくれていて、なんとかなりそうだが、今日現在、まだ数百回の嫌がらせ電話が続いている。

 山本ゲーゲーの身元を調査すると、重度脳性麻痺障害者で、ほとんど家から出ないで終日ネットで嫌がらせに邁進しているようだ。家は母との二人暮らしで、父親はいないが、地元の名士だったとのこと。兄は名古屋で医師をしているように聞いた。

 調べてゆくと意外なことが浮かび上がってきた。


 豊郷小学校といえば文化財級の建築で有名で、その保存をめぐって、前町長と住民がトラブルになり報道されたことを記憶されている人も多いだろう。もちろん、素晴らしい建築物で、耐震強度だって手抜きインチキ建造物に比べれば全然問題ないが、前町長が勝手に解体をはじめ、訴訟になって住民側が一応勝訴しているわけだ。

 この前町長と山本の関係が分かってきて驚いた。彼の親族は、みな地元の名士ばかりだったのだ。そして、さらに奥の深い問題が見えてきた。

 それは山本からのメールに「エタの岩瀬」と筆者を侮蔑する表現が繰り返し使われていたのだが、なんでエタなのか不思議だったが、実は、豊郷町こそ、彦根藩の被差別集落地域だったのだ。

おまけに山本は、その子孫だった。前町長も同じだ。

 そこで、豊郷小学校を前町長が忌み嫌った理由について、ある事情が思い当たったわけだが、具体的な内容は、証拠がないので書くことを憚られる。


 山本ゲーゲーと部落問題に接点があった。

実は、筆者の実家も、近所に被差別集落があった。ここは処刑場だったことが分かっている。実家は、その真上に建っていたので、書けば、皆が驚くような激しい霊障が多かった。その周囲に処刑業務を委託された被差別民がいたわけだが、そのことを書いたことがあった。

 そういえば、それからまもなく山本の嫌がらせ攻撃が始まったのである。

 そこで、山本問題を分析するには、部落問題の解説を始めるしかない事情になった。

 筆者は子供の頃、よく学校で「エタ」とか「四つ」とか言われて侮蔑されていた。実際には余所から来たので無関係だが、子供時代、相手を侮蔑するための最高表現だったのだ。

 ところが、筆者は、その意味を知らずちんぷんかんだったおかげで、怒ることさえできなくて不思議なばかりだった。今でも、ほとんどの子供が、部落問題が隠蔽されているために、その事情を知らされてもちんぷんかんぷんだろうと思う。

 理解できるようになったのは中学生以降のことであり、高校の社会研究会で初めて事情を知った。

 部落問題が深刻に生き続けているのは、名古屋より以西の地域なので、関東以北の人たちは、ほとんど事情に疎いのだろうと思っている。おそらく穢多という言葉すら知らない人が多いはずだ。

 それは、あえて、この歴史や同和問題を隠蔽し「臭いモノにフタ」をしてきた教育体制の問題がある。しかし、隠すだけで問題が解決するはずがない。それは潜行し、人々の心の奥深く、B型肝炎ウイルスのように息づき、再び差別の炎が燃え上がる日を待っている。

 それは徹底的に明るみに出して、真正面から議論するしか本質的な解決を得られないものであり、そのために、日本の国民大衆は、差別問題の究極の本質を思い知らなければならないのである。


 日本には恐ろしいほど深刻で激しい部落民差別が連綿と続いてきた。

 士農工商階級の下に穢多・非人階級があり、彼らは処刑役や牛馬解体、汚穢処理などを強要され、この結果、「最低の仕事をする人たち」と社会全体からみなされ、人間でない非人と言われることになった。

 江戸時代、藩体制では、城の南西、二里ほどの地点に、処刑場が設けられ、そこに被差別集落が作られた。豊郷は彦根藩の処刑場ということになる。ちなみに筆者の実家も名古屋城の南西にある。江戸の場合も、南南西の鈴ヶ森に作られた。

 ここで罪人と称する犠牲者を殺害する役目を強要されたことにより、民衆の直接の恨みをかうことになり、それが権力を守るクッションの役目を果たしたのである。

 人ではない非人に税務はなかったため、一番最下層のひどい暮らしを強要されながら、実は、上部階層は実に裕福だった。権力も心得たもので、不満のガス抜き用に、京都の貧乏公家の娘が売られてくることも多く、部落には凄い美人がいると噂されたものだ。
 
 今回、山本問題を詳しく分析するために、別の機会に部落問題を真正面から取り上げようと思っている。

 日本の畜産・食肉業界の闇は、すべて部落問題にあり、このルーツは、朝鮮半島における儒教体制による差別システムが百済王国とともに持ち込まれたというのが筆者の推論である。

 近いうちに、この問題を山本問題や豊郷小学校問題とともに取り上げるつもりだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/287659.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c4

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
5. 中川隆[-9305] koaQ7Jey 2019年6月24日 08:02:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3184]

2009年4月7日 ● 部落問題 - 東海アマのブログ

筆者は中学生の頃から社会問題に関心を抱き、さまざまな集会や催し物に顔を出し、高校でも社会科学研究会に所属して熱心に取り組んだ。高校一年頃から、ベトナム反戦デモに参加し、日中友好協会(正統本部)に出入りしたりしていた。

 部落解放同盟や日朝友好協会などにも出向いたが、そこにいた人物の人相風体、雰囲気が非常に悪く、足が竦んでかかわる意欲を持てなかった。あの団体は、人間解放の目的ではなく利権目的であると、なんとなく分かったものだ。

 社会問題に強い関心を抱いた大きな理由は、筆者の住む名古屋市中村区が問題の多い被差別地域だったからだ。

 今でも、名古屋駅から徒歩10〜20分という絶好の条件でありながら、居住地として異様な不人気で、土地の値段も東部に比べて信じられないほど安いという背景は、歴史的な差別問題と切り離して考えるわけにはいかない。

 といっても、その事情を詳しく知っている者はほとんどいないが、通った中学校では、ケンカをしたときの蔑称として「エタ」とか「四つ」という言葉が飛び交っていた。筆者も、よく「エタ」と罵られたものだ。

 それが何を意味するか、当初はちんぷんかんぷんだったが、やがて、驚くほど深く激しい差別の歴史を知るようになり、部落問題というのは日本社会の根底で、物凄く大きな意味があるのではないか、と思うようになった。

 江戸時代、社会の最底辺で残酷な弾圧処刑を行う権力への怒りを、直接処刑役を強要されていた「穢多」に向けることで、矛先がすり替えられる卑劣な支配体制が敷かれていた。

 明治政府が徴兵・納税の平等のため身分差別を撤廃し、「平民解放令」が出てからも、民衆の心の底に淀んだ差別観念が消えることはなく、むしろ潜行して、ときに激しく燃え上がった。
 
 政府は、こうした差別観念に対して、真正面から、その誤りを議論させるのではなく、ただ「見ざる、言わざる、聞かざる」の「臭いモノにフタ」という隠蔽政策をとった。

 このことで部落問題は、逆に本質的解決が遠のいてしまい、人々の心の底に呪われた澱として残ることになった。

 差別観念こそ、実は日本社会が分け隔てのない人情社会を見失い、「自分は選ばれた人間だ」という逆の選別意識を産み出し、社会の構造的悪化をもたらした本質であることに気づかねばならない。日本の学歴エリートへのおぞましい羨望は、実は、こうした差別意識が担保したものだったと誰が指摘してきただろうか?

 今こそ、我々は差別の呪縛から解き放たれ、逆に、エリート意識、選抜主義の愚かさに気づくべき時代がやってきたと認識すべきである。

 「優秀な人」など幻想にすぎず、実際には何の価値もないこと、「穢多・部落民」は差別されるべき何の理由も存在しないことを明確にすべきであり、これは真正面から隠さずに取り上げるべきなのである。

 今の50歳以下の人たちで差別事情を知る人は少ない。すでに、かつてのような壬申戸籍や部落総監などは消え、ワープロの変換用語からさえ、穢多・非人・部落などの文字が消されているのが実情だ。ただ同和という言葉のなかに歴史的な片鱗が残されているわけだが、それすら意味を理解している人は少ないだろう。

 だが、部落問題は隠され続けたが故に、解決したわけではなく、むしろ陰湿に潜行しているのが実情だ。また、地名や文化にまつわる負の遺産、事情を教えないことで、地域社会に対する民俗学的理解も異様な抑圧を受けているのである。


 何があったのか?

 例えば、筆者の子供時代、1970年頃までは、岡林信康の「チューリップのアップリケ」で歌われたような結婚の悲劇などはザラというより常識であって、その差別感覚は広く国民に浸透し、部落民とレッテルを貼られたなら、結婚はおろか、まともな就職さえできなかった。とりわけ役所・銀行・大企業は、出身地を調査し、それが部落総監に記載されているなら絶対に採用しなかった。

 その差別が、どれほど広範で、深刻、激烈なものだったか、ほとんどの人が陰湿な差別を知らなくなった今こそ、再び陽光に晒すべきなのだ。

 部落の地名なども隠蔽され、それを公開するならば激しい非難が浴びせられた。だが、それは間違っている。隠せば問題が解決するわけではない。潜行するだけなのである。その証拠に、最近、再び、2ちゃんなどでエタ呼ばわりが拡大している風潮がある。

 
 また、大本・天理・黒住など江戸末期〜明治の近代宗教発祥地は、すべて峻烈な部落差別地域と重なっている。

また創価学会も朝鮮籍の成田作によって巨大化した。今でも在日者の熱烈な信仰を集めている。これは、差別がどれほど人々の心に重い悲しみを与え、救いを求めていたかを示すものなのだ。

 差別が現実の世界で解決されないものならば、人は心の世界で解決し、幻想や虚構に委ねようとする。差別を直視せず隠蔽している限り、人々の心の傷は永遠に癒えることはなく、いつまでも宗教や金儲け、権力など幻想の世界に逃避するしかないのである。

 そして、差別の主役であったはずの権力世界にすら、深刻な影響を及ぼしている。

 小泉純一郎は父親が在日朝鮮人であり、竹中平蔵・野中広努は部落民出身であった。

こうした出身は、かつて絶対に上層部に行くことができなかった。だから能力のある者は外国に向かったのである。そして、都合よく権力を獲得すると、今度は被差別の怨念が、国家への復讐という形で現れたのかもしれない。

 彼らの行ったことも差別の解決ではなく、金儲け思想への逃避であり、国民全体を金融幻想に巻き込み、日本国家そのものを破滅に追いやることになった。やはり心底では、自分たちをひどい目に遭わせた差別国家に復讐したかったにちがいない。

 被差別地域の特徴は、地理的に好条件でありながら、高度経済成長期でさえなぜか開発が行われなかったという特徴がある。それは差別者が作った「部落地名総監」(帝国興信所)に記載されていたからだ。


 江戸期に穢多部落が固定されたとき、為政者は風水上の理由から、城の南西に処刑場を設置した。

だから基本的には、全国の主要な城の南西に深刻な差別地域が存在している。

筆者の育った名古屋市中村区でも、城の四里南西であり、深刻な差別に溢れていた。

 これまで隠されてきた事実に真正面から光をあてて直視することこそ解決への真の道程であると筆者は考える。隠蔽は百害あって一理なしだ。

「部落であったことが分かれば土地の値段が下がる」という経済的理由での隠蔽が多かったが、これも決して隠しおおせるものではなく、逆に風評を深刻化させるだけなのである。


 学区に大門という旧赤線歓楽街を抱えていた小・中学では、部落問題よりもヤクザ問題の方がはるかに深刻で、被差別問題が話題になることは、それほど多くなかった。

 しかし、区内にある烏森(カラスの舞う森→処刑場)・万場(ヨロズ場→死体処理)・八田(毛皮を張る田→肉加工)という地名から分かるように、中村区周辺に被差別の深刻な歴史が隠されていた。おおむね食肉・毛皮加工業者の集まる地域は関係が深い。

 名古屋周辺では、甚目寺町が尾張藩最大の未解放集落で、筆者の育った中村区の他、千種区王子地区(市営団地になった)や、牧野・笹島地区などがあった。ここでは主に牛馬解体・毛皮・馬具・皮革・肥料製造が行われていた。

 この地域の宗派は曹同宗が多く、部落民の檀家には戒名に獣の字を入れるという悪質な差別行為を続けてきた。(牛捕院乳起信士のように)筆者の姉が曹同宗の古刹に嫁入りしているが、禅宗は、元々、武家の帰依が多いことから差別意識の非常に強い伝統があるようだ。

 筆者の子供の頃、人を侮蔑する最大の表現が「四つ」であり、これは四足を意味し、すなわち江戸時代から牛馬解体などに携わった被差別部落民に対する最悪の蔑称である。未解放部落は動物・畜生に関連してイメージつけられていた。

 こうした「四つ」という侮蔑用語について、中部圏に住む現在の40〜70歳の人たちにとって重く陰湿な記憶がある。80歳以上では徴兵制があったため、むしろ同情心が強い。

 少し社会の本質を観察してきた人なら、差別の本質は、社会的な身分差別制度、階級分化によって、上から下への一方的な服従を強いられ、この屈辱感、悔しさを、上に対して反発できない人は、何の罪もない下の人たちに向けて憂さを晴らすというメカニズムに気づいているはずだ。

 例えば、一家の父親が、会社で上司から理不尽なパワハラを受けて鬱憤を貯めて帰宅するとしよう。

 父親は帰宅後、憤懣が収まらず、母親に向けて発散しようとする。従順な母親は、理不尽な夫の怒りを受け止めきれず、やはり不満を心に貯める。今度は、それを我が子に向けて発散しようとする。子供も、なんで母親が怒っているのか理解もできず、憤懣が募り、今度は飼犬に向けて当たり散らす。

 飼犬も怒られた理由が分からずストレスを貯めて、今度はネコや別の犬や、生物に対して当たり散らすのである。こうして父親の憤懣が、家族や地域全体に拡大再生産されてゆくメカニズムが存在している。

 部落差別の本質も、このメカニズムから一歩も外れることのない単純素朴なものだ。

 かつて日本は激しい差別社会であった。おそらく、それは朝鮮百済王国の差別制度がそのまま日本に持ち込まれ、別の発展を遂げたものであろう。

 支配階級が機能するためには、対極底辺に被差別階級が必要なのである。

士農工商の身分差別では、農民の憤懣のやり場がないために、さらに、その下に穢多・非人階層を必要とした。処刑や汚穢処理を強要し、「汚れた人」というイメージを作り出し、権力に対する理不尽の怒りを彼らへの蔑視にすり替えていったのである。

 しかし、それでは穢多部落民は、憤懣のやり場をどこに持ってゆけばよいのか?

 それも、ちゃんと考えられていた。

人でない非人たちには納税義務はなく、このため江戸時代、もっとも裕福な階層こそ穢多だったのだ。

 全国穢多総差配であった弾左衛門屋敷は浅草〜吉原の広大な敷地にあり、内部における豪華さは将軍家以上とも謳われたものであり、そこには京都の貧乏公家から特級美女ばかりが買われてきていた。

 また全国の被差別集落の名主たちの裕福さも目を見張るものであり、江戸期を通じて、もっとも貧しさから遠い階層であった。

さらに、牛馬解体を一手に引き受け、鎌倉仏教による肉食禁止のタンパク質不足のなかで、唯一恵まれた供給源があった。

 そして処刑業務委託から、実は凄腕の武人揃いだったともいわれる。

今の大相撲理事長もそうだし、江戸末期の著名な剣豪も部落出身者が多い。

有名なところでは近藤勇・沖田総司・斉藤弥九郎などだ。

力道山や大山枡達も在日朝鮮人であった。

 被差別者こそ、実はいつの時代、どの社会でも、もっとも強大な実力を備えるのである。

 部落差別問題は、隠蔽された結果、潜行し、忘れ去られたかもしれないが、実はまったく解決されていない。思い出される機会があれば、必ず復活するのである。

 だからこそ、2ちゃんで差別用語が飛び交い、軽薄な気分で人を侮蔑する風潮の拡大している現在、まさに真正面から取り組む必要が出てきていると考える。

 差別システムこそは、国家権力の生命線である。「人の上に人を置けば、人の下に人を置かねばならない」のである。

今の日本社会でも、かつて穢多だった被差別階層が、今度は犯罪者、オチこぼれ階層に代わってきている。

 日本は、社会の底辺に新たな穢多階層を産み出そうとしているのであり、それは、学歴体制のオチこぼれであり、貧しい派遣労働者の階層なのである。

 今、穢多非人の歴史を見つめることにより、これから、彼らが新たな穢多として固定してゆくメカニズムを指摘し、それを根底的に断固として阻止する必要がある。

コメント


はじめまして、東海アマさん。私は中村区に在住している者です。

以前にも中村区内の集落(用水に沿った所)について被差別部落だと書かれてありましたが、それはどういう根拠に基づいたのですか?

私はその場所から東に少し行った所に住んでますが部落とは聞いておりません。昔、三昧があったからですか?

それと刑場はどこにあったのですか?

そんな話も聞いておりません。烏森という地名だけで刑場があったと判断されておりませんか?

どの本を見ても刑場があったとは書かれておりません。あの場所を被差別部落とする根拠、中村区に被差別部落が多いという根拠を教えていただけませんか?
2010/5/16(日) 午後 9:56 [ 中村区在住者 ]

本当に知りませんか? それだけ隠蔽が進んでいるということですね
あの近所に住んでいた者なら常識ですが しかし、勝手な曲解が多いので、この件についてはコメントしません 自分で調べてください
2010/5/17(月) 午後 9:50 [ - ]

なお私が調査した1970年頃には図書館にデータが残されていましたが、1990年頃、同和対策が国家的に進んでから完全な隠蔽路線に向かい、そうした類の文献は、すべて始末処分されているようです
簡単に入手するのは不可能でしょう 土地の古老に聞いてみてください
2010/5/17(月) 午後 9:53 [ - ]

うーん、難しい問題であるので自分で調べるにしても限界がありますね。
ちなみに私の親は地元のT中を卒業しておりますが、一切部落の話を聞いてないと言っておりますが。隠しているようにも思えないので単に知らないだけかもしれません。

いずれにせよ、歴史を知りたい気持ちはありますが難しい問題なのでうかつに行動できないのもまた事実です。私の住む中村区が貴殿の申す部落地区であることに、その根拠が何なのか疑問に思いメールさせていただきました。
文献が処分されているのであれば貴殿の申すように地元の古老に聞くしかありませんね。
2010/5/17(月) 午後 10:37 [ 中村区在住者 ]

私も日吉・豊国組です
ヒントは、江戸時代風水思想による、城の南西2〜4里に処刑場や汚穢処理場 牛馬解体場を設置しました
これは全国の城下町、すべて同様です

多くの場合、処刑場や牛馬解体場ではカラスが繁殖し、カラスを意味する地名が付くことが多い 鈴ヶ森なんかも同じです

穢多非人は処刑人など処刑場関連の世話を強要された
そうした未解放部落の近くに処刑場があった
部落は用水を必要とした
その名残は、皮革産業 肥料産業 食肉産業などで現在にも残っている

とりわけ皮革食肉業界の大半は、同和事業で優遇されてきた
食肉会社が暴力団と結託して問題を起こすことが多いのは同和との関連
2010/5/18(火) 午前 6:02 [ - ]

ちなみに私は部落在日差別者ではありません その正反対です
高校生の頃、部落解放同盟や朝鮮総連に行って活動を志しましたが、いずれも政治的姿勢ではなく、明らかな利権の巣窟であり、運営者が暴力団絡みであったことを知って参加をやめました
2010/5/18(火) 午前 6:04 [ - ]

ということは、用水沿いの集落は戦前以前からあった、ということですよね?

以前私が地元に住む人からこの集落について聞いたのは、戦後在日の人たちがその地に移り住んだのでは、とのことでした。この場所に限らず駅西や庄内川堤防にも移り住んだときいております。

ですから、昔からの集落ではなく戦後できた集落であるという認識を私は持っておりました。しかしながら、すぐ目の前に柳街道、南には佐屋街道が走るという交通の要所でもあり、また名駅開発時には周辺住民を他市へ移動させたとの記録、江戸期における古地図では中学近くで何かを塗り潰した痕跡もみられ、貴殿のおっしゃる差別につながる何らかの歴史的背景があったのかもしれません。
2010/5/18(火) 午後 7:28 [ 中村区在住者 ]

私が学生時代の頃、バイト先で用水沿いに住む同年代の人と一緒に働いたことがありました。特に問題もなく職場で差別もなかったはずです。
中学でも、私同様知らない人ばかりなのか差別などなかったです。
ちなみに親は当時日吉ではなく隣のS学区だったので地元について貴殿ほど詳しくないように思われます。
歴史背景や被差別部落とする根拠は完璧とは言えませんが少し理解できたとおもいます。
2010/5/18(火) 午後 7:39 [ 中村区在住者 ]

差別を克服するために大切な姿勢は、決して臆病に隠蔽することではありません
すべてを明らかにし、真正面から戦うことです
勇気がなければ克服などできるはずはない 臆病者は隠蔽するばかり
2010/5/21(金) 午後 9:04 [ - ]


4か所で地元老人に聞き取りを行いました。

用水反対側、T中及びk中近く、K通りを渡った所ですがいずれも地元で話題が話題だけに一部の人しか聞けておりません。

結論は、地元で刑場の話は聞いたことない、火葬場なら小学校近くにあったが、とのことでした。

江戸期の古地図でもK通り沿いには住んだ形跡がなく、集落も限られていました。

これが限界でしょうかね、地元民としては。結局、闇に包まれたままです。
現在緑地公園化された場所がそうなのかもしれませんが、現在差別がないのであれば静観するしかないのでしょうか?
ただ真実が知りたいだけなのですが・・・
2010/5/22(土) 午前 1:53 [ 中村区在住者 ]

40年ほど前に確認した江戸時代の地図では、現在の黄金駅から黄金中学校にかけての地域に明らかに意図的に忌避された空白があり、ここが処刑場だったようです

ちなみに実家の敷地内には三カ所の祠があって、処刑者のものだったと指摘した人物がいました

烏森駅付近だったと指摘する人もいます
しかし、こうした古い情報を同和対策法に基づいて資料を隠蔽してしまったため、今では探すことの困難です

要点は、米野や烏森など古い明瞭な集落があったが、なぜか地図に載らない古い集落もあった不自然に記述のない広い地域がある

そこには普通に存在すべき寺社すらなく、畑地の記録さえない

コーミソースとトヨクニ中学、黄金中学、黄金駅などに囲まれた地域はこの意味で不可解です
朝日文左衛門の鸚鵡記を見ると、ますます謎が深まります
2010/5/23(日) 午前 10:53 [ - ]

なお古老といっても、私の実父が90才ですが、ほとんど知りませんよ

55年前に当地に移住 それより古い戦前の情報を知っている人は、すでにほとんどいません
J病院近く用水沿い集落は、私がいたとき、まだ実存していて、通る度にうまそうなホルモンの臭いが漂っていました
服部の畜産施設は、すべて名残です

それでも戦前の、こうした事実を知る古老がどこかに必ずいるはずです
角割町付近がよいと思います
熊野町や京田町は、すべて、この半世紀の移住者ですから、まるでダメです
米野でも良いかも
2010/5/23(日) 午前 11:00 [ - ]


やはり処刑場は存在したのですね。

私も江戸時代の古地図で確認しましたが、明らかに塗り潰した個所があり、貴殿のご指摘する箇所と一致します。

私はあるとすれば米野か烏森の街道近くかな、と思っておりました。
貴殿を疑っていたわけではありませんが、今までの数多くの失礼な発言をお許し下さい。
2010/5/23(日) 午後 9:07 [ 中村区在住者 ]

貴殿からご指摘のあった町名はおっしゃるとおり、移住者が中心の町で聞き取りの際にそれがよく分かりました。
用水沿いの集落は親が子供の当時とあまり変化がなく、廃品回収されてる人もなかにはいます。独特な雰囲気はまだありますが、地元で差別する人も減り今後変化が期待されます。

私も差別は反対です。しかし歴史を隠匿するやり方には同意できません。過去を暴くのと歴史を解明するのでは意味が違うのです。
2010/5/23(日) 午後 9:23 [ 中村区在住者 ]

烏森という地名が差別の根拠だったとするなら
東京の新橋にある烏森も同じように差別のあった地域ということなのですか?
2011/5/7(土) 午前 7:46 [ とおりすがった人 ]

昭和20年代〜30年代の名古屋生まれの名古屋育ちの人に話を聞いてごらん。
あなた知りたい区名、町名、そこもどこの並びからそういうふうだったか、事細かに教えてくれますよ
2012/9/11(火) 午後 6:35 [ ななし ]

日教組じじぃか?中華北京に洗脳された、ウォーギルトインフォメーションプログラムの延長かい?
2015/10/25(日) 午後 5:23 [ お疲れさん ]
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/320276.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c5

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
6. 中川隆[-9304] koaQ7Jey 2019年6月24日 08:03:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3185]

2009年4月8日 ● 続 部落問題 - 東海アマのブログ


近藤勇や沖田総司が部落民と書いたら、異議が出たが、実は筆者も確実な証拠があるわけでなく、状況証拠による推理である。

 近藤の実家は調布飛行場内にあった宮川家だが、当時、飛行場などに接収される地域は容易な被差別集落が多かったことに加え、新撰組が奈良の被差別集落から剣士を公募していた事情があり、そうした人間関係を構築できたのは同じ出身だからと推理した。また後に大名を目指したコンプレックスの強さも傍証要素である。

 沖田は、白河藩士の子だが、養子であって出自は定かでない。当時、出身がどうであれ、素養・素質があれば養子縁組という手段での身分転換が広く普及しており、わずか8歳で近藤の元に出される事情は、被差別民のような非常に軽い身分からの養子であったことを示すと考える。斉藤弥九郎も同じで氷見の仏生寺村(弥助)を調べれば分かる。

 明確な証拠もなく断定的に書いたのは、筆者の問題であり軽薄であったかもしれない。以上訂正しておきたい。


 日本の部落差別制度は、どのように成立したのか? 

今では大きな謎だが、筆者は、朝鮮儒教における古代差別システムが百済王国の移住とともに、日本に持ち込まれたと推理している。

 古代朝鮮において、儒教体制における、カーストにも類似した非常に苛酷な差別制度があったことが知られている。百済王国では16階級もあり、さらに、それぞれ細分化された地位があった。

 秦の始皇帝の子孫を称する女真扶余族だったが、中華文明の影響を強烈に受けて、後に苛酷な形而上学を展開する李氏朝鮮の原型となる儒教的差別様式が、すでに完成していたと考えられ、科挙制度まであったことが、その証拠と考える。

 百済王国が日本に移住したのは1600〜1400年ほど前と考えられ、蘇我氏が百済重臣であったことは、すでに歴史学会の定説であろう。高松塚はじめ、ほとんどの古代遺跡に百済文化様式が明瞭に見えている。

 聖徳太子以降の天皇家、豪族支配下における民衆支配のシステムも、最初から明確な身分差別制度に貫かれている。ここでは長くなるので、興味があれば各自で調査されたい。

 日本史における古代賤民の記述は、遣隋使あたりには明瞭で、生口という奴隷が中国に献上されたことが有名である。当時、権力を持たない大衆は生口・奴卑であり、家畜としての扱い以外のものではなかった。それは王〜太夫階級権力者の所有財産にすぎなかった。

 部落差別制度の直接の創始は、おそらく大宝律令における賤民規定ではないかと考える研究者が多い。

 賤民身分が固定し、権力とともに強固に構築されるメカニズムは、「人の上に人を作れば、人の下に人が作られる」という原理によるものだ。

 すなわち、人の認識は「対立の統一」という思考法に規定されており、例えば、「明るい」という概念を理解するためには「暗い」という概念が同時に必要とされる。「光」は「闇」と共にでなければ決して認識されることはない。

 この意味で、天皇など頂点に君臨する支配階級を認めるためには、社会の最底辺にいる賤民と同時にでなければ人は認識できない仕組みを持っている。このため、高貴な天皇を作り出すためには、同時に卑しい賤民をも作らなければならないのである。

 最初に、「エライ人と卑しい人」概念の導入によって、人々は差別の存在を知る。そして、そのなかで自分の位置を表現しようするわけで、「自分がエライ人」であると認識するためには、自分の下に「卑しい人」を作り出す必要がある。

 このメカニズムによって、差別階級はどんどん細分化されてゆく仕組みをもっており、とりわけ差別思想の大好きな儒教社会では階級細分化が進んだ。

 例えば、李氏朝鮮にあっては、基本は良民・賤民の分化でありながら、やがて両班・中人・常民・賤民と分化し、さらに賤民だけで8種類と細分化されて、全部で30を超す身分差別体系が成立してゆく。

 こうした差別思想は現代にも引き継がれていて、北朝鮮では現在54階級の差別体系が生きているとされる。ちなみに、やはり差別の大好きな特権階級クラブであるフリーメーソンでは33階級あり、上流階級になる気分も大変だと分かる。

 このなかで、李氏差別体系のなかで現代にまで生きる白丁(ペクチョン)階級と、日本の穢多・非人階級の類似性が指摘されている。

 いずれも社会の最底辺で、家畜解体・汚穢処理・皮革処理・処刑などに携わることを強要され、社会全体の憎しみを直接浴びる立場で、権力者を守る防波堤にさせられていた。

 処刑を命令する両班・武家階級は、公開処刑において、民衆を直接殺す役割を白丁・穢多にしておくことで憎悪が彼らに向かうわけであり、怒りの矛先を直接浴びずにすむことになったわけで、権力維持の大切なシステムであったことがわかる。

 例えば、1950年前後に、韓国政府が120万人の自国民を大量虐殺した保導連盟事件では、おそらく白丁階級が直接の殺害に当たらせられたことで、民衆の憎悪を浴びて政府批判の緩衝となった。白丁階級に対する差別意識は激化し、事実を明らかにすることもできず沈黙が続いたことで、この事件が闇に葬られる原因になったと考えられる。

 江戸期から明治中期までは権力による処刑は基本的に見せしめのため公開されていて、その直接の殺害役を部落民が強要されていたという事実が、民衆の怒りの矛先を、どれほど部落民にすり替えさせ、歴史的な蔑視感情を醸成するのに役立ったか、誰にでも分かるはずだが、多くの人たちは理性よりも目先の感情に依存するものであり、このことにより、部落差別の恐ろしいほどに深刻な実態が形成されていったのである。


 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

 「ありゃー、ありゃー」と、犠牲者に槍を突き立てる穢多に対する憎悪は、凄まじい怨念として民衆の心の底に沈殿していった。このことで、穢多集落に対する偏見と憎悪が累積し、一切のコミュニケーションは閉ざされ、部落は陸の孤島となった。

 そして、彼らの住む地域そのものに対する憎悪まで醸成されていった。それが「部落地名総鑑」という本になり、そこに掲載された地域は、例え、商業的価値がどれほど有利であろうと顧みられず、異様に安い値で取引されても、それでも住みたがる人は少ない。

 筆者は、そうした土地で育った。その中心地では、歴史的に死弊家畜解体を穢多だけに許された事情から食肉文化が発展し、いつも美味しそうなホルモンの臭いが漂っていた。いっておくが、現在の超人気、焼肉ホルモン食文化は、まさしく被差別部落由来である。部落の人たちに感謝する気持ちがない者は、食べる資格などない。

 関東では浅草に将軍家より豪華な弾左衛門屋敷があり、隅田川沿いに大規模な汚穢処理場が広がっていた。江戸住民の、あらゆる汚穢は、すべて現在の立石〜千住界隈の屎尿処理田に集められ、数年間も腐熟させて、素晴らしい肥料となり、江戸庶民の食生活を支えたのである。

 被差別部落の果たした役割は、まさしく3K仕事(汚い、きつい、嫌われる)であり、民衆の忌み嫌う仕事を一手に引き受けて人々の生活を底辺で支え続けたのである。

 その代償は、徹底的な差別であり侮蔑であった。だが、今、我々の生活で、ゴミ屎尿処理、肥料製造などの仕事を蔑視でもしようものなら、たちどころに凄まじい汚穢のなかに住むことになる。我々は、そうした仕事を引き受けてくれている人たちに、心から感謝の念を抱かねばならない。

 それとともに、歴史的に庶民の生活を底辺で支え続けた未解放集落の人たちに対する評価を根底から改める必要がある。

 今、我々が、ここに生きていられるのも、彼らの辛い仕事の積み重ねのおかげである。今こそ、穢多階級が、どれほど素晴らしい仕事を続けてくれたのか、民衆を文句も言わずに支えてくれたのか、心の底から感謝の気持ちをこめて問い直さねばならないのだ。

 人間が生きている以上、ウンコも出す、人も家畜も死ぬ、ゴミもたまる、そうした汚い処理仕事から顔を背けるならば、たちどころに我々の生活は行き詰まり、ひどいことになる。

 そんな人の嫌がる仕事を続けている人を蔑視するなど、とんでもない愚かな話であって、そんなヤツは、今後、クソ小便の始末も自分でやりやがれ、ゴミも自分で始末しろ! 人様の努力に世話になっておきながら、「四つ」とか蔑称をつけて差別するとはなにごとだ!

 これまで、少しでも、そうした仕事を軽蔑した人は、たった今からでも、彼らに土下座して詫びよ!

 ネットで検索すると、面白半分で、被差別集落について侮蔑感丸出しで書き込んでいるゴミ、阿呆が後を絶たないが、社会の最底辺の人たちこそ本当に社会を支えてくれる聖人なのだと理解できないクズであり馬鹿野郎どもだ。とっとと失せろ!

 しかしながら、とりわけ戦後、民主主義教育の名の下で、部落問題を真正面から議論せずに「臭いモノにフタ」の愚かな対応を行って、事実を隠蔽しまくったツケにより、部落問題は深く潜行してしまい、今では同和対策事業がヤクザの資金源になったり、未解放部落がヤクザ、非合法活動の温床になったりと、負の遺産が蓄積されてしまっている。

 我々は、今からでも、部落問題を真正面から取り上げ、何一つ隠さず、正々堂々と議論する必要があるのだ。


 とりわけ、畜産食肉事業に、同和対策の闇が構築されてしまっている。

 例えば、ハンナン・フジチク・丸明など食肉偽装詐欺問題は、ほとんどすべて同和利権問題であり、それが意図的に隠蔽されてきた問題である故に、闇に光が差し込みづらかったのである。

 すなわち、警察もマスコミも、同和事業に介入しようとすれば、部落解放同盟(今では暴力団幹部に占拠されている)がたちどころに猛烈な抗議を行うことで聖域化している事情があり、これを利用して暴力団が行政からカネをせびり、脱税など非合法工作や食肉偽装の温床となっている。

 この文章も、いずれ抗議や嫌がらせを受けるかもしれないが、そのときは真正面から対決するつもりだ。

 同和事業では嫌がらせが奥の手になってしまっている。筆者が、山本ゲーゲーという人物から10年以上にわたって嫌がらせを受けている事情はすでに書いた。ゲーゲーは筆者のことを「エタ」とメールに書いていた。

 そこで調べて見ると、彼こそは被差別集落のなかに育った重度障害者であり、彼が他人への嫌がらせを生き甲斐にしている事情が、部落問題と無関係でないと分かってきた。

 これ以上、具体的に書くわけにはいかないが、だいたい想像していただきたい。

 部落問題を考える上で、一番大切な視点は、日本の未解放部落こそ、日本でもっとも底辺でありながら、人々の生活を真に支える大切な仕事をしてくれてきた人たちということだ。その彼らを差別するような了見は、あまりに愚かである。ただ、部落問題が、日本における食肉・畜産そして狩猟の問題と密接に結びつき、深刻な事情が潜在していることを指摘しておく。
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/331372.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c6

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
7. 中川隆[-9303] koaQ7Jey 2019年6月24日 08:04:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3186]

手紙 岡林信康(放送禁止歌) 
https://www.youtube.com/watch?v=jLYY-tClxH0


手紙


岡林信康 作詞/作曲

私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの


私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても


だけどお父さん お母さん
私は二度と 恋はしない
部落に生まれた そのことの
どこが悪い どこがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけど私は 書きたかった
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk1/tegami.html


被差別部落の女性の遺書がベースになっているといわれ、部落差別を正面から取り上げた­超A級の名曲ですが、各メディアが放送を自粛したためか、ほとんどメディアで流される­ことがなかった作品でした。

私にとっては、差別問題というものをほとんど知らなかった少年時代に衝撃とともに聴い­た記憶があり、戦争の愚かさを心にしみこませてくれたのが、フォークルの「イムジン河­」だったなら、様々な差別問題について、そして人の心に宿る悲しい闇について考える最­も大きなきっかけをくれた歌は、この「手紙」だったように思います。

当時、そうした歌がそれぞれ放送されることがほとんどないという異様な扱いを受けてい­たわけですが、そのことがまた、これらの歌は世の中の真実、歪みを正面から逃げずに歌­っていたのだ、と感じさせてくれるようです。
https://www.youtube.com/watch?v=lPuv06Rsd8g


日本・部落史 by 東海アマ


* 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 @take1only 岡林信康の「手紙」は、完全な実話です。この手紙は遺書でした。

彼女が自殺されてから岡林は歌詞に改編したのです。
だから、真実だけが持つ凄まじい力が私たちの心を殴り倒すのです」


 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 名曲中の名曲「手紙」を決して世に出さなかったマスコミ。もちろん朝日新聞も同じです。

本当の理由は、当時、彼らマスコミが人事採用に壬申戸籍(部落名鑑)を利用し橋下徹のような部落地域出身者を絶対に採用しない事実を曝露されたくなかったのです。「部落」は禁句となりフタをして隠されました」


 手紙、チューリップのアップリケ、どちらも、岡林ソングの中では、私が絶対にパスする歌です。絶対に、二度と聞きたくない歌です。

 以前これらを耳にしたのは、もう40年も前です。

 その頃、岡林のアルバムを2枚、買いました。『見る前に飛べ』と、『おいらいち抜けた』でした。どちらも、すぐに「欲しい」という友人にくれてやりました。

 90年代に、久しぶりに「ペンノリ」の歌が入っているCDを買いました。これは、全体的に良い歌が集まっていました。

 しかし、そうでしたか、私が、一度耳にしただけで、もう絶対に聞きたくない、と思ったのは、「部落ソング」だったのですか。

 今でも、絶対に聞きたくありません。

 いかに岡林ソングであろうと、私は、死ぬまで絶対に聞かないでしょう。

 暗すぎます。

 あんな暗さで、人生が生きていけるはずがない、と私は思いました。

 その一方には、加山雄三の、潮風の匂いに満ちた甘い湘南サウンドがあるのに、なんでわざわざあんな暗い歌を聞かなくてはいけないのか。

 当時、私はそう思ったものでした。「白い砂の少女」「アイ・フィール・ソー・ファイン」。この世界には、ビューティフルなものがあります。

 しかし、好き嫌いの次元ではなく、それが日々の現実の生活だった人がいたとは。

 いや、歌というのは、現実の生活を前提にして生まれてくるものですから、そのような生活を送っている人がいるだろうことは察しられましたが、私は関わりたくないと思いました。

 今でもそうです。

 「部落」とはなんぞや? 私には、永久(とこしえ)に関係のないもの。

 個人的・私的にはそう思いますが、しかし、律令理性論から見ると、東海アマさんがつぶやく「日本・部落史」は面白いです。

 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 日本中で部落差別問題が激しく人々を傷つけた地域は、必ず百済から渡来した秦氏の進出地域でした。京都大阪の間には見えない民族の塀が立ち塞がっています。奈良や岡山でも同じです。関東でもそうでした。

そこには特権階級秦氏による差別システムが成立していたのです。日本に「白丁」を持ち込んだ秦氏」

 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 @YUKARING1222 一度、西日本の差別の史跡を旅してごらんなさい。水平社や解放同盟に行ってみるのもいい。まずは島崎藤村の破戒を読んでごらんなさい。
同和関係者は暴力団ばかりなので幻滅しないでね」

 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 @tetsuyan1112 かもしれないが、分かりません。それより、秦氏の進出した地域に不思議なことに原子力施設ができるのです。福島も六カ所も泊も。

島津氏も秦氏でした。西郷が朝鮮白丁に憤激して征韓論を主張したのも島津氏の差別と関係があると思っています」
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/11495

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c7

[近代史3] 東海アマ 名古屋の記憶 中川隆
8. 中川隆[-9302] koaQ7Jey 2019年6月24日 08:06:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3187]

東海アマブログ  自由と人間解放 2019年06月18日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-779.html


 私が若くて元気だった半世紀前は、仲間たちに共有する価値観として「人間解放」という概念が普及していた。

 この言葉は、最近では巷で聞かなくなってしまったのだが、検索エンジンに入れればたくさんヒットする。

 半世紀前、1970年前後に、「人間解放」という言葉が流行った理由は、たぶん、差別問題がクローズアップされ、部落名鑑の出版による結果、企業の人事担当者が、未解放部落や在日朝鮮人を選択的に排除することが常識になっていたこと、こうした不合理な差別への怒りが共有されていたことが大きいと思う。

 実際問題として、私は実家が名古屋市中村区で、図書館に行って、自分の家の情報を江戸時代に遡って調べたところ、まるで、地上に存在しない ブラックホールであるかのように、すっぽりと情報が抜け落ちていたことで、自分の住む土地が非常に奇っ怪な情報喪失を起こしている現実に驚かされた。

 そこで、ますます興味を持って調べて見ると、近所には「カラスの森」という地名があり、用水沿いに毛皮を処理する零細業者がひしめいていたり、私が子供の頃から、学校で、いじめっ子から「四つ」という蔑称を投げつけられることがあったりと、深刻な未解放部落問題が存在する地域であることが分かった。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-247.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-245.html

 以下は、私の記事をヤフーブログが勝手に削除したため阿修羅掲示板から引用するのだが、引用者の4153番というのは原発推進派の極右で、たぶんアゴラの編集メンバーで、私を部落民と嘲笑する目的で転載したようだ。
 http://209.54.50.129/12/cult10/msg/795.html

 別に私が部落民であっても差し支えないが、実際は、実父が1950年前後に、名古屋機関区のSL運転手で、勤務先に近い、中村区の土地を非常に廉価で購入できたことで、当時、千種区覚王山から転居したものだった。
 (今でも、この周辺の土地は不可解に安い)

 1960年代後半に、岡林信康が、部落問題を告発するフォークソングの名曲を次々に発表し、当時の我々の心を突き刺すような鋭さで、差別問題をクローズアップした。

 https://www.youtube.com/watch?v=YlOToxOxOME

 https://www.youtube.com/watch?v=lbiCLUwFwTY

 この手紙という曲は、岡林が実話であると明かしている。当時は自殺した女性の名前も分かっていたが、今ではネットから削除されてしまっている。

 私の記憶でも、未解放部落の居住者や、在日朝鮮人には明確な差別があった。私の住んでいた中村区は、大門という赤線地帯があって、当時はすでにソープランド街へと変わっていたのだが、こうした風俗産業には、付随する在日系の暴力団関係者が非常に多く、私が通う小中学校でも在日者・暴力団子弟は一大勢力だった。
 名古屋を代表するパチンコ産業のメッカが中村区だったのだが、同級生だった正村の娘(パチンコ創始者の)以下、これも大半が在日者だった。

 名古屋の在日者は、民団系よりも総連系が圧倒的に強力だった。パチンコ業界の大半も総連系である。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html

 当時、在日者と部落名鑑出身者は、絶対に一流企業、とりわけ銀行や商社などには入社することができず、どんなに成績優秀であっても人事が不良品をはねるように除外したので、在日者と部落出身者の就職先といえば、真面目な者はプロ野球、ボクシング、格闘技などのスポーツ界、そして一大勢力になっていたのが芸能界で、あとは土木建築と暴力団くらいしかなかった。
  https://honuryoma.wordpress.com/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E8%8A%B8%E8%83%BD%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%80%8E%E5%AE%98%E5%A0%B1%E3%80%8F%E3%81%AB%E5%B8%B0%E5%8C%96%E3%81%AE/

 メンバーを見ると、蒼々たる顔ぶれどころじゃない。スポーツ界と芸能界から在日者を排除したなら、業界そのものが成立しないほどである。

 また世界的な名声を得ている空手も、極真会館の創始者は崔永宜(大山倍達)現館長は文章圭(松井章圭)であり、また主立ったメンバーの多くも在日者で、もし極真がまとまって祖国に帰国でもしたら、日本空手界は崩壊してしまう。

 また芸能界でも、五木ひろし・都はるみ・和田アキ子ら大御所メンバーの多くが在日者で、これも日本を追放されたら芸能界の半分が消え失せてしまいそうだ。
 プロ野球界も、金田正一・張本勲を筆頭に、実力者の数割が在日者で占められている。

 どうして、こうなっているかというと、戦後における在日朝鮮・韓国人・部落民に対する激しい差別の結果である。つまり、彼らの行き場は芸能界・スポーツ界・土建業界・暴力団業界など、極めて少なかったので、みんな必死にがんばったのだ。

 当時は、こうした差別に対する底辺の人々の怒りが共有され、浸透しはじめた時期で、民族差別や出身差別に対し、激しく憤る人々が「人間解放」というスローガンを掲げて差別撲滅運動を行ったのである。

 そこで、「人間解放」という言葉の持つ意味が、本来の概念を外れて、在日者の人権擁護という方向にずれてしまったので、もっと広い普遍的意味での人間解放に関する議論が、小さくなってしまった印象もある。

 本当の意味での人間解放とは、在日者差別も含めて、人を見下し、差別することで、自分の優位性に満足したいという姑息な精神構造こそが、人間社会を息苦しく狭い、愚かなものにしているというわけで、偏狭で硬直した差別的精神性を克服しようというものだった。

 そもそも、解放された精神性からは、戦争や核武装や階級差別などという発想は出てこない。死刑制度推進や天皇制賛美も出てこない。

 それらは「未解放精神」とでもいうべき矮小で卑屈な利己主義から生まれるものであり、人を許さず、制裁処分するという発想しかなく、旧日本軍の極右思想を受け継いだものといってもいい。

 自由の本当の意味もまた、牢獄に閉じ込められた肉体が解放されて自由になるのではなく、自らの硬直した差別観念が、自分の精神的牢獄作りだし、自らの心が閉じ込められていることから、「自分で作り出した牢獄から脱出しよう」という意味なのである。

 人が不自由と言う場合、大半が、実は自分で不自由を作り出しているのであって、そのことに気づけば自由になれるのであり、それは、肉体が牢獄にあって閉じ込められていても、心は束縛から自由であるという意味でもある。

 我々の人生は、極めて限られた空間と時間のなかにあって、人によって活動領域は大きく違う。熊の活動範囲は数十キロもあるが、蟻は数メートルしかない。しかし、それで蟻は熊より不自由かといえば、決してそうではない。小さな空間で、短い一生を終えたとしても、その生の充実感に違いがあるわけではない。

 生物は、それぞれの生のなかで、それぞれの必要に応じた活動を終えて生を全うするのであって、これは人間も、まったく同じ。

 広い活動範囲の人も、狭い活動範囲の人も、長い人生でも短い人生でも、その生の全うのなかで得られるものは変わらない。

 自由とは自ら作り出すものであり、狭い広いは関係なく、財産や権力の多寡も関係ない。

 「人間、立って半畳、寝て一畳、一日4合の飯」と信長が指摘したことになっているが、人間に「身の丈」という制限があったとして、それを大きく越えることに意味があるわけではない。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-4.html

 一人の寝るスペースは一畳しかなく、立つスペースは半畳しかない。食べられる量は最大4合しかない。寝床が百人分あっても寝られるのは一人分だけ、テレビが100台あっても同時に見られるのは一台だけ、乗れる車も一台だけ、それなのに、必要を越えた無駄な所有に走るなという意味である。

 このことを理解することで、「人間の自由」の本質的な意味を知ることができるのだ。自分の限界を知って、本当の自由を享受できること。

 これこそ「人間解放」であると、先人たちは教えてくれている。

 「ものごとの本質を見よ」と先人は教えている。

 武田信玄は、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
 と語ったが、この意味は、見せかけに騙されるな、本当の城は人間であり、本当の石垣も本当の堀も人間なのだと指摘している。
 この世は人間がすべてであり、物質に騙されるなというわけだ。

 現代は、コンピュータが発達して、IT・AIが人間のすべてを定めて、人の生活まで変えてしまい、我々はコンピュータの奴隷になるしかないと、一部の愚かな評論家が言っているが、これも、ものごとの本質を見ることができない愚かすぎる思考であり、人間を定めるのは人間しかないことを忘れている。

 コンピュータが直接人間を支配するように見えても、そのコンピュータを操るプログラムと、システムの背後に鎮座しているのは人間なのだ。

 コンピュータが支配するのではない、人間がコンピュータを使って支配するのだ。

 我々が自由になり、人間解放に向かうということの意味は、この本質を知るということであって、背後にいて人々を操ろうとしている人間を知ることである。

 我々は、自分から自由になり、人間から自由になるのであり、その結果として人間解放という社会に至るのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-779.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/484.html#c8

[戦争b22] サウジアラビアがイギリスにイランを攻撃するように求めたとする情報の信憑性(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月24日 08:58:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった


ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし

アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人

ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし

ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた


アメリカが本気になれば1年でソ連を潰せたけど、それでは軍需産業が儲からなくなるから、意図的にソ連を超大国に見せ掛けた。


ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


伊藤貫 「アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1a7z5Xvo1aQ

馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc

林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/717.html#c1

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
9. 中川隆[-9303] koaQ7Jey 2019年6月24日 09:07:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3186]

従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口 2019.05.23 (初出・月刊『Hanada』2019年6月号)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


(※5月24日発売の月刊『Hanada』2019年7月号に本記事の続報が掲載されています。併せてご購読ください)

■ミキ・デザキと名乗る青年

 いまから二年ほど前、ミキ・デザキという上智大学の院生を名乗る青年が、保守論壇でお馴染みの言論人にアプローチしてきた。「慰安婦問題に焦点を当てたビデオドキュメンタリーを作りたいから取材させてほしい。修士修了プロジェクトです」というのだ。

 デザキ氏のメールのひとつにはこうある。

「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。(中略)

 大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。また、これは学術的研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」

 アプローチされたのはケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、杉田水脈、山本優美子、テキサス親父ことトニー・マラーノ、テキサス親父事務局の藤木俊一などの諸氏。全員、デザキ氏の言葉を信じて協力した。中立公正なドキュメンタリーが作られると期待して。

 そして時は流れ、2019年3月27日、私は渋谷にある小さな映画館に向かっていた。デザキ氏の映画の試写会があると聞いたからだ。なんでも、デザキ氏の取材依頼を受諾した前出の人々は全員が後悔しているという。デザキ氏の映画が期待に反して、「新たな慰安婦プロパガンダ映画」であることが判明したというのだ。

 何があったというのだろうか? 前評判では、慰安婦性奴隷説推進派と反対派の双方から公平に意見を聞くということだった。推進派からは、吉見義明氏、戸塚悦朗氏、林博史氏、中野晃一氏、植村隆氏などの名前が見える。さらに韓国の挺対協代表のユン・ミヒャン氏、『帝国の慰安婦』を上梓して起訴されたパク・ユハ氏の名前まで挙がっている。これだけの人々が出演しているのだから、何があったのか、どんな映画になったのか、確認する必要がある。その映画のタイトルは『主戦場 The Main Battleground of The Comfort Women Issue』。

■チラシへの違和感

 映画のチラシを見て、私には引っかかるものがあった。そこにはこう書いてある。

《驚くほどスリリング!!!!

いま最も挑戦的なドキュメンタリー

 あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人 YouTuber のミキ・デザキを、おそらくご存じないだろう。ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心をき立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった》

 これが、公正中立なドキュメンタリーを作ろうとする人間が書く文章だろうか? この文章から、彼がユーチューバーであること、彼の動画が多くの人々を憤慨させたことは分かるが、なぜ、どうして憤慨させたのかはわからない。

 こういう場合、まずは彼がどのような動画を制作して、なぜ炎上したのか、確認しておいたほうが良さそうだ。

 デザキ氏の動画はすぐに見つかった。ここでは、彼の動画をふたつだけ紹介しておこう。

■「ちんちん欲しいなあ!」

 まず、「Racism in Japan(日本では人種差別がありますか?)」という動画だ。デザキ氏は以前、沖縄の糸満高校に赴任して英語を教えたことがあるようだ。この動画は、その時の体験をもとに作成されている。デザキ氏が日本語で生徒たちに語りかける。

「日本にも人種差別があると思う人は手を上げて!」

 どのクラスでも数人しか手を挙げない。デザキ氏はこれを不満に感じて、カメラに英語で語りかける。

「私は、アメリカにもひどい差別があることを知っています。アメリカのほうがましだと言いたいわけではありません」

「でも、日本にも人種差別が存在します。日本には江戸時代、部落民という最下層の民が存在していましが、いまでも部落出身者は差別されています。日本語にはバカチョンカメラという言葉があって、これは朝鮮人を侮蔑する意味です。さらに、同じ日本人同士でも、沖縄県人は差別されて、戦争のときは日本軍によって弾除けにされました。そしていまでも、本土で部屋を借りることもできないのです」

 もう一本の動画のタイトルは「Shit Japanese Girls Say」。日本語タイトルは「日本の女の子がよく言うこと」となっているが、直訳すれば「日本人女性が言う糞(たわごと)」(https://youtu.be/CGdWhnTYukM)である。

 なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本人女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズを取りながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで5キロせたって!」

「ねえねえ、誰にメールしてるの?」

「これ、バーゲンで買った」

「うざ!」

「超がつかない?」

「えーっ、B型あ?」

「最近、いい出会いないなあ」

「やめて、恥ずかしい!」

「こうやって揉んだら大きくなるって!」

「韓国行こう! 最近、韓国語勉強してるよ! カムサムニダー!」

 これが延々と続き、どういうオチになるのかなと思っていたら、突然終わって The End の文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

 彼は、この動画でいったい何が言いたかったのだろうか? タイトルに Shit とあるように、基本的には日本人女性を嘲笑している。外国人向けに発信していて、なんと68万回も再生されている。

 そんな彼が製作した『主戦場』とはどんな映画であっただろうか?

「ハロー、フォークス!(やあ、みんな!)」

 映画は、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏と事務局の藤木俊一氏、「論破プロジェクト」主催の藤井実彦氏の三人が、慰安婦像が鎮座するカリフォルニア州グレンデール市の公園を訪れるシーンで始まる。「テキサス親父」の動画をそのまま流している。デザキ氏のナレーションが入るのだが、彼が冒頭に「テキサス親父」を取り上げた理由は、どうやらマラーノ氏が自身の動画でデザキ氏を取り上げたことがあるかららしい。 

■なぜ西岡力氏に聞かないか

 ここから、様々な人が入れ代わり立ち代わり登場し、異なる意見をぶつけ合っていく展開となる。デザキ氏がいうところの「驚くほどスリリングな」展開になるはずなのだが、私は早々に強い違和感を覚えざるを得なかった。それは次の2点だ。

 まず、中立な立場から問題の本質を探ると言いながら、慰安婦性奴隷説反対派を頭から「歴史修正主義者」(revisionist)」 「否定論者(denialist)」と決めつけてレッテル貼りをしている。これでは、自ら性奴隷説推進派の視点に立って映画を作っていることを宣言しているようなものだ。反対派の立場から取材に協力した人々に失礼だ。これではデザキ氏のメールは完全に嘘で、利用するために騙したことになる。

 次に、出演者に偏りがあることだ。反対派における慰安婦問題の第一人者である秦郁彦氏と西岡力氏が登場しない。秦氏の名前は出てくるから、デザキ氏が秦氏を認識していたことは明らかだか、西岡氏にいたっては名前すら出てこない。これは根本的な問題である。

 映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。

 この点については、4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の習慣としては夜電話するのは気が引けたので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

 この時点で、60点ぐらい減点しなくてはならない。研究者同士の議論がなくては、攻守の交代がない野球を見ているようなものだ。ほとんどの反対派の人は西岡氏の著作から学んでいるのだから、言説が似ているのは当たり前なのである。しかし、25年以上も研究してきた専門家の知識は深みが全く違うのだ。

■構成上の大きなミス

 ケント・ギルバート氏についてはほぼノーカットで採用したようで、反対派論陣の要になっているが、櫻井よしこ氏もわずかしか出てこないし、唯一の学者である藤岡信勝氏も慰安婦問題そのものについては多くを語っていない。

 推進派のほうは、吉見義明(歴史学者)、林博史(歴史学者)の他にも中野晃一(政治学者)、阿部浩己(国際法学者)、小林節(憲法学者)などの諸氏の他、韓国からもイ・ナヨン(社会学者)キム・チャンロク両氏(法学者)など、多数の学者が登場する。ソウル大学のイ・ヨンフン教授のように、慰安婦性奴隷説に異を唱える実証主義的な韓国人学者もいるが、まったく無視されている。映画構成上の最も基本的なところで大きなミスがある。

【慰安婦20万人説】

 この数字に関して、ギルバート氏と藤木氏が、「そんなに大勢の慰安婦がいて、一日に何十回も性行為を強要されたとしたら、日本兵は一日に6回もセックスをしなきゃならない計算になる」と主張する。するとデザキ氏は、「以上の計算はひとまずおくとして、20万人という数字はどのように算出されたのか?」と吉見氏に水を向ける。

 吉見氏はこう説明する。

「日本の陸海軍の軍人数は、最大で350万人くらいですが、最前線には慰安所がなかったと仮定すると、ある時点で300万人くらいの兵隊に対して慰安所がつくられたと仮定します。日本軍の場合には100人に一人の割合で慰安所を設置するという基準を持っていますので、そうすると3万人という数字が出ますよね。で、仮に半分入れ代わったとすると45000で、全体で一度入れ替わったとすると六万という数字が出ますので、まぁ最低で5万くらいかなと」

 質問は20万人の計算根拠だったはずだが、全く答えになっていない。挺対協のユン・ミヒャン氏にいたっては、「私たちは研究者による数字を用いているに過ぎません」と言う。

 また、女たちの戦争と平和資料館の渡辺美奈氏は「大きな人権団体などが、慰安婦問題についてレポートを書く、と。そのとき相談をされれば、20万人という数字は使わずにもう少しアバウトな数を使うことを勧めます。40万人と聞けば、40万人という数字を使おうと思うんです。わざわざどれが一番いいかと考えずに、多いほうを使うということも多分あると思うんですね」と正直に答えている。

 この議論で、20万人という数字はまったく根拠がないことがわかる。吉見氏がするような説明を聞いていつも思うのだが、「仮定」が多すぎる。また、「最低でも5万くらい」というのは需要の話である。仮に5万人の需要があったとしても、戦争の最中に5万人供給できた保証はどこにもないのだ。

■学習不足のデザキ氏

 この人数をめぐる議論の結論は「20万人説には根拠がない」となるはずだが、デザキ氏は次のように結論する。

 この議論からわかることは、これらの数字は、

・明らかに両陣営から政治的意図をもって利用されてきた。

・修正主義者たちはこの数字の算出方法を理解していないようだ。

・慰安婦について実際のデータは存在しない。

 よって、概算の言及には注意が必要だ。

 数字を政治利用しているのは、明らかに性奴隷説推進派のほうである。また、「修正主義者たちはこの数字の算出方法を理解していないようだ」は全く意味不明だ。吉見氏の主張も含めて、もちろん検証されているに決まっているではないか。デザキ氏が、これらのインタビューの外では全く学習していないことがわかる。

 この20万人という数字が独り歩きし始めたきっかけは、朝日新聞の1992年1月11日付の朝刊である。朝日は用語解説として、次のように書いた。

「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれる」

 要するに、慰安婦と勤労奉仕の女子挺身隊という全くの別物を混同したことに起因する数字なのである。

 これを遡ると、70年代に「従軍慰安婦」という言葉を創作した千田夏光という作家に突き当たる(慰安婦は存在したが、従軍慰安婦という職業は存在しなかった)。千田は著書のなかで、知人から入手したソウル新聞の切り抜きのなかに、「1943年から45年まで、挺身隊の名のもと若い朝鮮婦人約20万人が動員され、うち5万人ないし7万人が慰安婦にされた」と書いてあったと主張した。

 しかし、研究者が該当記事を探したところ、実際には「挺身隊に動員された女性は日韓合わせて20万人で、そのうちの5万〜7万人が朝鮮人女性だった」という記述だったのである。つまり、慰安婦とは何の関係もなかった。

 朝日新聞は2014年8月になって、慰安婦と挺身隊を混同したことを認めて該当記事を撤回した。

 このように、何の根拠もない数字が、慰安婦問題を政治外交問題化したい勢力に政治的に利用され続けているのが実態なのだ。これも西岡氏のような研究者が入っていれば容易に指摘できたことだ(参考:『朝日新聞「日本人への大罪」』西岡力、悟空出版)。

【強制連行】

 2007年の安倍首相による国会答弁が流れる。

「まぁいわば、官憲が家に押し入っていって、人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます」

 これに対して、「性奴隷」という言葉をわざわざ創作して国連に持ち込んだ戸塚悦朗氏が、こう反論する。

「その強制っていうのを安倍さんは、縄で縛って連れて行ったって言ってるわけ。だけどね、強制っていうのは法律上で言うと『自由意志でない』っていうことなんですよ。自由意志でないっていうのは、騙された場合も自分の本当の意志ではない。そうするとね、大部分の韓国からの女性は騙されたんですよ」

 ここでいきなり、強制連行が「騙された」に変換してしまう。

 ギルバート氏、藤木氏が「女性のリクルートは主に朝鮮人業者が行い、騙したケースもあったと思われる」と答え、杉田水脈氏が「当時の新聞記事を見ると、日本政府や軍(総督府や警察)が悪徳業者を逆に取り締まっている、そういう新聞記事がいくつも残っている」と付け加える。すると、林博史氏がこう反論する。

「朝鮮半島の新聞記事は慰安婦とは全然関係ない。警察は従来から悪徳業者が騙して売春目的で連れて行こうとするのは取り締まっていたが、軍の依頼であれば黙認して処罰しなかった」

 警察が悪徳業者の犯罪行為に関して、軍の依頼に基づくかどうかで取り締まったり黙認したりできたのか。以前、そのような主張を聞いたことがあるが、結局根拠がなかった。そんなことをしたら治安が維持できないはずだが、林氏にはぜひ詳細な証拠を映画内で示していただきたかった。

 結局、話はいつものパターンでインドネシアで発生したスマラン慰安所事件に飛ぶ。オランダ人女性が強制的に慰安婦にされた事件だ。この事件に関しては、報告を受けて調査した日本軍将校によって慰安所は閉鎖され、女性たちは救出された。

 この点をギルバート氏が指摘すると、吉見氏がこう反論する。

「それは被害者が白人女性で、連合国側から責任を追及されることを恐れたからであって、アジア人女性を解放したというケースは聞いたことがない。明らかに、白人女性に対する対応とアジア人に対する対応が違っていると言えるのではないか」

 この主張も推論の域を出ていないのだが、デザキ氏はこう結論する。

「インドネシアの件は動かぬ証拠だ。朝鮮人女性が強制連行されたという証拠はないかもしれないが、国際批判のリスクを犯してまで白人女性を連行したことを鑑みると、アジア人女性にそうしたであろうことは想像に難くない」

 ここでもまた想像だ。推論や想像ばかりして、いったい何のために議論を設定したのか? スマラン慰安所事件は、当時においても刑事犯罪である。このような刑事犯罪が朝鮮半島や他の地域でも発生した可能性があるという推論はできるが、朝鮮半島で大勢の一般朝鮮人女性が軍隊によって強制連行されたという推論には結びつかない。だから戸塚氏も、「騙したのも強制のうちだ」という議論をしているのだ。完全に循環論法に陥っているのがわからないのか?

【性奴隷】

 ここでの議論は、「慰安婦はお金が払われ、貯金や送金もでき、契約が終了すれば帰国でき、買いものに行け、日本人と一緒にスポーツ観戦や夜会にも出かけていたのだから、性奴隷と呼ぶことはできない」という性奴隷説反対派の主張に対し、推進派は「いまの国際法に照らせば奴隷の範疇に入る」と反論するいつものパターンだ。

 しかし、私は吉見氏の反論に興味をひかれた。慰安婦にレクリエーションの機会があったという指摘に対して、吉見氏はこう反論する。

「そういう機会がないと、たぶん生きていけないという状況にあったからではないかと僕は思うんです。たとえば、アメリカの黒人奴隷も土曜や日曜にはみんなで集まって音楽会を開いたり、ダンスをしたりしているわけですよね。それから狩猟に出かけたり。そういうふうにしないと生きていけないような絶望的な状況にあったら、奴隷主もそれを認めていたということがあるんですね」

 はたして、奴隷主は自ら奴隷を引率してイベントに出かけたり、奴隷女性と恋に落ちて結婚したりしていたのか? 元恋人だった日本兵を懐かしむ元慰安婦もいる。そのような強引な類推をしてまで、何が何でも日本人を悪魔化したい動機が理解できない。

 ここで国際法学者の阿部浩己氏が登場して、国際法の観点からの慰安婦性奴隷説を次のように解説する。

「奴隷制というのは、人が別の人によって全的支配を受けることをいう。元慰安婦が高額の支払いを受けていても、外出をしていても、それは全体的な支配のもとで許可を得てそれができていたのだから、奴隷制ということになるんです」

 そこまで奴隷の定義を広げると、一般のサラリーマンも十分奴隷になってしまいそうである。もっとも、社畜という言葉があるぐらいだから冗談にもならない。性奴隷説推進派がそのような国際法の定義を持ち出すのなら、潔く次のように認めるべきだ。

・慰安婦は、性奴隷という言葉から想像される一般通念としての奴隷ではない

・国際法上の奴隷の定義を当てはめるのであれば、日本軍の慰安婦に限らず、世界中で過去から現在まで売春に従事している女性の多くが奴隷であると定義できる

 このように、デザキ氏の「主戦場」はこれまでの議論を深めることに成功していない。それは、彼自身の知識が浅いこと、最初から偏見を持っていること、前述したように、専門家同士の議論にしなかったことが原因だ。

■後半で一気に脱線

 それにしても、今回登場した性奴隷説推進派の面々で最も異色なのは、ケネディ日砂恵氏ではないだろうか。直接会ったことはないが、ナレーションにあるとおり、数年前には一部の保守系論者からもて囃されていたのに、忽然と姿を消してしまったのは知っていた。今回、その彼女が突然登場して、かつての彼女の仲間や支援者を批判しだしたのには驚いた。秦郁彦氏の「南京虐殺は小規模ながら発生した」という説に接して目が覚めたのだという。

 そして、自分自身が米国人ジャーナリストらと日本で広めたIWG報告書(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班による報告書。クリントン政権下で開始され、8年の歳月と30億円の費用をかけて機密文書を検証したが、日本軍の慰安婦制度については特段目新しい発見はなかったとされるもの)について、日本の保守派が考えるような価値はないと断定して、次のように述べた。

「IWGの目的はナチスの戦争犯罪を調査することでしたから、日本軍の慰安婦制度に関する情報が見つからなかったのは、キッチンの引き出しで靴下を探すような行為だったからです」

 宗旨替えするのは個人の自由だが、事実まで曲げてはいけない。IWGはもともとナチスの犯罪調査を目的としていたが、在米の中華系反日団体である「世界抗日連合会」の強い要望を受けて、日本軍の戦争犯罪を含めることになったのだ。

 だから、日本軍に関してもナチス同様に調査された。その結果、再確認されたのは、当時の米軍は慰安婦を一般的な売春婦だと見做したので、犯罪行為として追及しなかったということだったのだ。

 デザキ氏は映画のなかで、頻繁にグレンデールやサンフランシスコで開かれた公聴会の映像を取り上げ、いかに日本側の反対が不成功に終わったかを強調する。そのなかで、慰安婦像が建てられてから日系子女へのいじめが発生するようになったという現地日系人の訴えを否定する反日団体の主張を一方的に受け入れ、そのような言説は杉田水脈氏が国会で流布したもので、杉田氏自身は被害者の母親らに直接会って話をしていないと指摘する。

 日系人の訴えを事実無根と決めつけてかかるのは、反日団体のメンタリティと何ら変わりはない。私自身が北米を回って調査して得た結論は、いじめや嫌がらせは存在したということだ。

 私は複数の母親に会って詳しく話を聞いた。たしかに、在米暮らしが長いとはいえ、日本人である母親たちは、被害を警察に届けたり、病院で診断書をもらうことで証拠を残すという発想はなかったし、それを指導するリーダーもいなかった。しかし、母親たちは共同で安倍首相に嘆願書を書いて送っている。普通の母親たちが、よほどの懸念がなくてそのようなことをするだろうか?

 デザキ氏も認めるとおり、この映画は2時間と長い。私がデザキ氏にアドバイスできる立場にいたら、後半はカットするように強く勧める。

 デザキ氏は後半、一気に脱線してしまう。それは、チラシに書かれている「いまだに燻り続ける論争の裏に隠された“あるカラクリ”を明らかにしていく」という部分だ。そのカラクリの暴露こそ、デザキ氏の本領発揮となるはずだったが、残念ながら映画を台無しにしてしまった。

■加瀬英明氏が黒幕!?

【日本会議】

 長い映画の後半、そろそろ疲れてきた頃、突然「日本会議」という文字が画面に躍ってびっくりする。慰安婦問題とは何の関係もないからだ。すると、慶應大学名誉教授の憲法学者である小林節氏が登場し、解説を始める。小林氏によると、日本会議は安倍総理と政界に強い影響力を持ち、「明治憲法を復活させ、人権がなかった時代の日本に回帰することを目指している。そして、その日本会議のキャンペーンを広告塔としてリードしているのが櫻井よしこ氏である」という。

 さらに、「日本会議は靖國神社を含む神道組織に支えられており、それゆえに櫻井氏はたぶん、無料で神社の境内に事務所を構えている」と続ける。そして、極め付きは次のひとことだ。

「日本会議の戦前回帰の思想は恐ろしい。しかし、自分は反対することで殺されてもいいと思っている」

 心底驚き、そして呆れた。まず、日本会議にせよ、櫻井よしこ氏にせよ、明治憲法の復活を目指しているという事実は全くない。そして、これは小林氏にとって朗報だが、保守派界隈で小林氏の名前を聞くことは滅多にない。小林氏の命を狙う意味は皆無で、そんな動機を持った人は絶対にいないから安心していただいていいと断言できる。

 日本会議に確認したが、デザキ氏から取材依頼を受けたことはないという。ここでもまた、基本的な検証作業を怠っている。

 代わりに、外交評論家で日本会議東京都本部会長の加瀬英明氏が登場し、多くの保守系団体をぐ黒幕的存在として紹介される。たしかに、加瀬氏はかつての活発な執筆評論活動や政財界との繋がりから、保守系団体に世話人的に名義貸しをしているケースが散見される。

 しかし、慰安婦問題に積極的に関与しているわけでもリードしているわけでもなく、日本会議本体を代表する立場でもない。だから、デザキ氏の質問に対してほとんど答えを持っていないのだ。加瀬黒幕説はまったくの虚構である。

 デザキ氏が見出したとするカラクリとは、こういうことだ。「日本会議と安倍政権は日本の再軍備を実現し、日本は無謬であるという國史観に沿って栄光ある戦前に回帰しようと目論んでいる。その際、歴史上の恥部である慰安婦問題は不都合なのでなかったことにしてしまいたい。だから慰安婦たちを黙らせ、慰安婦問題の存在を否定しようとしているのだ」と。

 公正中立な立場から慰安婦問題を検証するはずだったのに、どんどんずれていった挙句に、最後は何の検証もせずに「トンデモ陰謀論」に飛んでしまった。

 そして、デザキ氏は日本国民に警告する。「平和憲法を改正して再軍備すれば、私の国であるアメリカの戦争に巻き込まれることになるぞ!」と。

 デザキ氏は知らないのかもしれないが、日本には自衛隊があり、再軍備はとっくの昔に実現している。しかし、現行憲法との不整合から、防衛に支障をきたすから安倍政権は憲法の一部改正を行おうとしている。同時に、日本と直接関係がない戦争に巻き込まれたくないから、集団的自衛権の行使に制約を設けているのだ。

 デザキ氏は記者会見で、「なぜ、日本の歴史修正主義者たちが慰安婦問題を隠蔽しようとしているのか興味を持った」と正直に動機を述べた。だから最初から偏っているのだ。

 それでも私は、デザキ氏の作品を肯定的に捉えたい。『主戦場』を見て、慰安婦性奴隷説推進派の人々が、如何に論点をすり替え続けることで慰安婦問題の解決を妨げ、永遠に慰安婦問題を継続させようとしているかがよくわかるからだ。

■製作動機そのものが偏向

 何が慰安婦問題を大きな国際問題にまで発展させてしまったか。それを考えるには、何が日本政府に対する当初の糾弾(Original Accusation)だったのかを思い出す必要がある。

 朝日新聞と吉田清治という詐話師が広めた話はこうだ。

「朝鮮半島で日本の軍隊が民家から若い女性を引きずり出して拉致し、日本兵のための性奴隷にしたり、女子挺身隊として徴用されたあとに慰安婦にしたりした。その被害者は20万人にも上る」

 まさか大新聞社が完全な虚偽報道をするとは思わなかったので、当時の日本人は(米国人のケント・ギルバート氏を含めて)しばらくの間信じてしまった。

 しかし、やがてそれが荒唐無稽な作り話であることがわかり、日本国民は憤激した。朝日新聞は、デザキ氏が映画内で言うように政府に圧力を掛けられたのではなく、世論に抗しがたくなって虚偽を認めて記事を撤回し、社長も辞任した。

 しかし、世界では依然として上記の「糾弾」が独り歩きし、次々と慰安婦像が建てられ、歴史的事実として碑文に書き込まれていった。証拠が薄弱であるとわかると、被害者のほとんどは証拠隠滅のために日本軍によって殺されたというさらなる虚偽が加えられた。明らかに、この問題を政治的に利用しようとする勢力が存在する。

 だから、もともと慰安婦に同情していた日本人も反論せざるを得なくなってしまったのだ。そして、その状況は悪化するばかりである。

「主戦場」を見てもわかるように、吉見氏を筆頭とする性奴隷説推進派は、明らかに極端に誇張された糾弾が事実ではないことを知っているのだが、それを繰り返す反日活動家たちを窘めるよりも、技術的(technically)には強制連行で性奴隷だったと解釈できるという、もともとの糾弾内容から離れた議論を継続しながら日本だけを悪魔化し、結果として反日団体の活動を是認している。まるで、この問題が永遠に継続されることを望んでいるかのようだ。

 慰安婦問題は、韓国政府や反日活動家たち、そしてデザキ氏のような性奴隷説推進派たちが「日本が加害者で韓国が被害者」という単純で一方的な構造に固執する限り、解決することはないだろう。

 最近、Thomas J. Ward と William D. Layという米国コネチカット州にあるブリッジポート大学の二人の学者が、米国の公園に建てられる慰安婦像に関する論文を発表した(Park Statue Politics : World War II Comfort Women Memorials in the United States)。

 この論文の結論は、「慰安婦像は韓国側のストーリーだけを伝えているので不十分である。現実には、韓国人が女性集めを商売として慰安婦制度のなかで大きな役割を演じていたし、戦後も独自の慰安婦制度を運営した。また、米軍兵士も戦後慰安婦制度を利用した。米国に建てられる慰安婦像は政治的問題を引き起こすもので、責任の所在を明確にするものでも、和解を促すものでもない」というものだ。

 デザキ氏の『主戦場』も、慰安婦像と同じ役割しか果たさないことは明白だ。問題解決を遠ざける偏ったジャーナリズム、いや、プロパガンダに過ぎない。

 最後に、大変僭越なのを承知のうえで、保守系言論人の方々に助言したい。将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも、必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自身の動画のなかで女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

(初出・月刊『Hanada』2019年6月号)
https://hanada-plus.jp/posts/1974
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c9

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
10. 中川隆[-9302] koaQ7Jey 2019年6月24日 09:27:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3187]

映画『主戦場』が炙り出す「保守派」の虚妄と理論破綻
古谷経衡 5/20
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/




映画『主戦場』ポスターと月刊誌『Hanada 6月号』


1】次第にしどろもどろになっていく「保守派」

映画『主戦場』パンフレット等


 現在公開中のミキ・デザキ監督によるドキュメンタリー映画『主戦場』は、いわゆる「保守派」「右派」とされる歴史修正主義者の虚妄がこれでもかと炙り出される意味で痛快である。

 日韓両国や市民団体の中で係争の対象になっている「従軍慰安婦問題」について、韓国人の元慰安婦らに寄り添うべきだという人々と、それに真っ向から反対し「彼らは単なる売春婦にすぎない」と主張する人々(劇中では日本の右派。または歴史修正主義者)を、押しなべて交互に尺をとって、並列的に並べている。

 ドキュメントの中では、元慰安婦らの主張が正しいと言っているわけでも、日本の右派が正しいと言っているわけでもない構成から始まっていくが、ドキュメントが進んでいくにつれて、明らかに日本の右派や歴史修正主義者がその理論に破綻をきたし、しどろもどろになっていくさまがこれでもか、と描かれている。

2】おなじみの”従軍慰安婦は売春婦”論

 特に劇中登場する杉田水脈代議士、新しい歴史教科書を作る会の藤岡信勝氏、日本のテレビタレント、ケント・ギルバート氏などは、「従軍慰安婦は売春婦である」と言ったり、「しかし高い給料が払われていたので性奴隷ではない」と言ったり、その理屈が二転三転して安定していない。

 従軍慰安婦が単なる売春婦であるのなら、その娼婦に支払われた給与が高額であるか否かは関係のないことだが、彼らは給料が高いから「単なる売春婦ではない」という。支離滅裂である。またジャーナリストの櫻井よしこ氏は「朝日新聞がこの問題を世界に拡散し、日本軍が強制連行をしたという間違った事実が広がった」という。

 これは国連のクマラスワミ報告の中の「故・吉田清治による作話(朝日新聞が誤報と訂正した)」ことを指していると思われるが、クマラスワミ報告で吉田清治証言が使用されているのは傍証としてわずか2か所で、クマラスワミ報告は吉田清治の虚言がなくとも成立する。こんな簡単な基礎も踏まえていないで「ジャーナリスト」とは片腹痛い。

 更に、”異様”と映るのは自称歴史研究家の加瀬英明氏が登場する後半の下り。「歴史学者の秦郁彦氏の本は読んでいますか?」と問われると「秦?秦さんは私の友人ですが…。ワタシ他人の本は読まないんです。だから読んでいません」と答えるという無知ぶりをさらけ出すことだ。

 秦郁彦氏は実証史学の権威で、従軍慰安婦問題については同氏の『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮社)が史学科に在籍する学部生でなくとも読める分かりやすい必携本となっており、日本軍の強制連行について早期に否定的な見解を示しているにもかかわらず、加瀬氏はこの従軍慰安婦問題の「基礎の基礎」と言える本を「読んでいない」と公言して、あまつさえ自らを「歴史研究者です」と満面の笑みで言ってのけるのである。

 ちなみに加瀬氏は『中国人 韓国人にはなぜ「心」がないのか』(2014年、ベスト新書)という異様なタイトルの本を刊行しており、歴史研究者を通り越して単なる差別主義者の顔をのぞかせる。

 以上、ざっと笑えるところだけを取り出しても、このような痛快なドキュメントは初めてで、本稿執筆時点で首都圏では公開館数1(シアターイメージフォーラム。5月24日よりアップリンク吉祥寺、あつぎのえいがかんKikiでも)だが、6月にかけて全国で上映館数が増えるから、値千金なので見たほうが良い。

3】監督への個人攻撃に終始

月刊Hanada 6月号


 さてこの映画『主戦場』。先月4月20日公開からちょうど丸ひと月が立つが、いわゆる日本の保守派や右派や歴史修正主義者は、この映画を「反日映画」「偏向映画」「パヨク映画」などと脊椎反射的に罵る以上、体系的反論や批評がひとつもでていない。

 そこで探すと、今月号(2019年6月号)の月刊誌『Hanada』に

『総力特集 韓国の恥部 ドキュメント『主戦場』 従軍慰安婦映画の悪辣な手口』(P.316〜329、山岡鉄秀氏)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


という一片を見つけた。これのみが、本稿執筆時点でほぼ唯一『主戦場』に対する保守側、右派側からの紙面上での反論・反証になっているが、中身は徹底的にこの映画の監督、ミキ・デザキ氏への個人攻撃に終始していて陳腐なものである。

 山岡氏は映画『主戦場』とはまったく関係のない、ミキ・デザキ監督が過去にアップロードした動画をあげつらって執拗にこう述べている。

(前略)なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズしながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで五キロ痩せたって!」
「ねえねえ、誰にメールしてるの?」
「これ、バーゲンで買った」「うざ!」

(中略)

「韓国行こうよ!最近、韓国語勉強しているよ!カムサハムニダ!!」

これが延々と続き、どういうオチになるのかと思っていたら、THE ENDの文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

彼は、この動画で一体何が言いたかったのだろうか?

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.318-319、強調筆者)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


 私も、この動画だけで、ミキ・デザキ監督が何を言いたかったのかは正直言ってよくわからない。しかしながらこの山岡氏の論法は、「この主戦場という映画を撮っている監督は、”ちんちん”などという卑猥な言葉を口にする動画を撮影している愚劣な人間だ」という周辺の評価にすぎず、肝心の『主戦場』の映画評にはなっていない。

 繰り返すが上記の動画は、映画『主戦場』とは全く関係のない、たんなる別の動画である。

 しかし映画『主戦場』では、在米ユーチューバーの「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏が、「アメリカでは絶対にヤりたくない女には、こうするのさ!」といって、慰安婦像(少女像)に紙袋を被せて大爆笑している模様が映し出されているが、こちらのトニーの「醜態」については、その行為が劇中であるにも関わらずなんら言及がない。

 要するに、この山岡氏の作文は、映画『主戦場』以外の、監督の過去の行状をあげつらうだけで、肝心の映画への言及はいくらたっても始まらないのである。

4】秦郁彦を出せ!でも秦郁彦を読んでいない保守派

慰安婦問題では必携書と言える

「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著、新潮社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%80%A7-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E7%A7%A6-%E9%83%81%E5%BD%A6/dp/4106005654

 山岡氏は以下ようやく映画『主戦場』の内容に触れ、こう続ける。

映画は、専門家ではない反対派(右派)の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させなくては、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいけない。この点については、(2019年)4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で、直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の慣習としては夜電話するのが気が引けるので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

この時点で、六十点ぐらい減点しなくてはならない。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.320、カッコ内筆者)

 おわかりいただけただろうか。山岡氏は櫻井よしこ氏やケントギルバート氏や藤井信勝氏や杉田水脈氏は、(こんなに頑張って劇中でしゃべっているのに)議論に値する専門家ではない、と切り捨てている。そして秦郁彦氏を出さない時点で「マイナス60点」としているが、その秦郁彦氏の著作を「読んだことがない」と劇中で言い切る加瀬英明氏については特段何のマイナス評価も下していないのである。

 つまりこの山岡氏の月刊Hanadaでの理屈は、映画『主戦場』は、元従軍慰安婦に寄り添う人々の側にだけ専門家を出して、それに反対する右派、保守派、歴史修正主義者には素人しかいないのは不公平である、と言っているに等しい。

 しかし私の知る限り、トニー・マラーノ氏も、藤岡信勝氏も、杉田水脈氏も、「なでしこアクション」代表の山本優美子氏も、ケントギルバート氏も「(彼らなりに)がんばって活動をやっている」人々だし、すくなくともネット右翼界隈の中では論客とされているのだから、議論の相手として認めてもいいのではないか。特に加瀬氏は、自らが「秦郁彦の本を読んでいないけど専門家」と名乗っているのだから、そこは認めてもよいのではないか。

 山岡氏の論は、いわゆる元従軍慰安婦に寄り添う人々に鋭敏な反発を示しながらも、それに抗する「保守派」「右派」「歴史修正主義者」は、「素人」として一蹴し、映画の中に秦郁彦氏と西岡力氏の登場を切望している。はからずもこれに関しては、筆者も全く同じ意見であるが、ここまで「素人」と劇中に登場する「保守派」の人々をこき下ろすのも、逆説的に痛快だ。

 山岡氏は『Hanada』に寄稿するぐらいだから「保守派」「右派」と見做されているのだろうが、身内をかばっているように見えて、実は身内を容赦なく打擲している。それが意図してのことだとしたのなら、なかなか見どころがある。

5】また「ちんちん」か。

 そして山岡氏は、こう結んで終わる。

(前略)将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも。必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自分の動画の中で女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.329)

 また「ちんちん」が出た。それも結句で。どうもお下品に過ぎる監督への個人攻撃を中心にしたお粗末な作文が、今のところ唯一の『主戦場』に対する反論であることからも、いわゆる「保守派」の言語感覚というものの程度が推して知れよう。(了)
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c10

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
11. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月24日 10:03:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188]

2019-05-19
『主戦場』への遠吠えリンクまとめ
https://apeman.hatenablog.com/entry/2019/05/19/225316


戦時性暴力 文献紹介


先日ご紹介した山岡鉄秀に加えて、ケント・ギルバートが『正論』の6月号で負け惜しみを書いています。

とるに足らない内容ですが、「性奴隷の定義がどんどん勝手に広げられていく」と「かつてのGHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」のようで洗脳そのものです」というクレーム(いずれも96ページ)には笑いました。

映画は「性奴隷」の定義について国際法を参照しつつ出崎監督の見解を示していくのですが、カリフォルニア州弁護士にとってこれは「勝手に」なのだそうです。後者については、右派論壇が盛んに言い立てる「WGIP」論の空虚さを示すものです。その他、現時点で気づいたものをメモ。

-テキサス親父日本事務局 2019年4月16日 「フェイキュメンタリー・フィルム 切り取り・デマ・捏造のカタマリ」

-日本会議 2019年4月19日「ドキュメンタリー映画「主戦場」について」

小林節なんかに取材したせいで、たしかにあの映画の日本会議に関する記述には事実に反するところがあったので、この抗議については「負け犬の遠吠え」とは言い切れないですね。

-なでしこアクション 2019年4月23日 「映画「主戦場」について」

その他動画をいくつか。

-字幕【テキサス親父】 慰安婦欺瞞ドキュメンタリー「主戦場」-Part1 - YouTube

-字幕【テキサス親父】 慰安婦欺瞞ドキュメンタリー「主戦場」・その2 - YouTube

-【上念司の深掘りPart5】@ ヤッちまった師匠SP!まさかのケント師匠が騙されて反日映画に出演!? - YouTube

-従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口|山岡鉄秀|『月刊Hanada』2019年(令和) 6月号|花田紀凱[月刊Hanada]編集長の『週刊誌欠席裁判』 - YouTube


https://apeman.hatenablog.com/entry/2019/05/19/225316
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c11

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
12. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月24日 10:11:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189]
>>9
>映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。

まあ、専門家(?)の秦郁彦氏、西岡力氏を出演させてもダメージが大きくなるだけなんですけどね:

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html

今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html


河野談話を守る会のブログ 秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=YnH2XP2CEYuymAWKkb2oDg&q=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&oq=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&gs_l=psy-ab.3...2930.2930..4643...0.0..0.173.173.0j1......0....1..gws-wiz.5PvrtoTbrew


河野談話を守る会のブログ 『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ!
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c12

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
612. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月24日 10:30:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3190]
従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口 2019.05.23 (初出・月刊『Hanada』2019年6月号)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


(※5月24日発売の月刊『Hanada』2019年7月号に本記事の続報が掲載されています。併せてご購読ください)

■ミキ・デザキと名乗る青年

 いまから二年ほど前、ミキ・デザキという上智大学の院生を名乗る青年が、保守論壇でお馴染みの言論人にアプローチしてきた。「慰安婦問題に焦点を当てたビデオドキュメンタリーを作りたいから取材させてほしい。修士修了プロジェクトです」というのだ。

 デザキ氏のメールのひとつにはこうある。

「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。(中略)

 大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。また、これは学術的研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」

 アプローチされたのはケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、杉田水脈、山本優美子、テキサス親父ことトニー・マラーノ、テキサス親父事務局の藤木俊一などの諸氏。全員、デザキ氏の言葉を信じて協力した。中立公正なドキュメンタリーが作られると期待して。

 そして時は流れ、2019年3月27日、私は渋谷にある小さな映画館に向かっていた。デザキ氏の映画の試写会があると聞いたからだ。なんでも、デザキ氏の取材依頼を受諾した前出の人々は全員が後悔しているという。デザキ氏の映画が期待に反して、「新たな慰安婦プロパガンダ映画」であることが判明したというのだ。

 何があったというのだろうか? 前評判では、慰安婦性奴隷説推進派と反対派の双方から公平に意見を聞くということだった。推進派からは、吉見義明氏、戸塚悦朗氏、林博史氏、中野晃一氏、植村隆氏などの名前が見える。さらに韓国の挺対協代表のユン・ミヒャン氏、『帝国の慰安婦』を上梓して起訴されたパク・ユハ氏の名前まで挙がっている。これだけの人々が出演しているのだから、何があったのか、どんな映画になったのか、確認する必要がある。その映画のタイトルは『主戦場 The Main Battleground of The Comfort Women Issue』。

■チラシへの違和感

 映画のチラシを見て、私には引っかかるものがあった。そこにはこう書いてある。

《驚くほどスリリング!!!!

いま最も挑戦的なドキュメンタリー

 あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人 YouTuber のミキ・デザキを、おそらくご存じないだろう。ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心をき立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった》

 これが、公正中立なドキュメンタリーを作ろうとする人間が書く文章だろうか? この文章から、彼がユーチューバーであること、彼の動画が多くの人々を憤慨させたことは分かるが、なぜ、どうして憤慨させたのかはわからない。

 こういう場合、まずは彼がどのような動画を制作して、なぜ炎上したのか、確認しておいたほうが良さそうだ。

 デザキ氏の動画はすぐに見つかった。ここでは、彼の動画をふたつだけ紹介しておこう。

■「ちんちん欲しいなあ!」

 まず、「Racism in Japan(日本では人種差別がありますか?)」という動画だ。デザキ氏は以前、沖縄の糸満高校に赴任して英語を教えたことがあるようだ。この動画は、その時の体験をもとに作成されている。デザキ氏が日本語で生徒たちに語りかける。

「日本にも人種差別があると思う人は手を上げて!」

 どのクラスでも数人しか手を挙げない。デザキ氏はこれを不満に感じて、カメラに英語で語りかける。

「私は、アメリカにもひどい差別があることを知っています。アメリカのほうがましだと言いたいわけではありません」

「でも、日本にも人種差別が存在します。日本には江戸時代、部落民という最下層の民が存在していましが、いまでも部落出身者は差別されています。日本語にはバカチョンカメラという言葉があって、これは朝鮮人を侮蔑する意味です。さらに、同じ日本人同士でも、沖縄県人は差別されて、戦争のときは日本軍によって弾除けにされました。そしていまでも、本土で部屋を借りることもできないのです」

 もう一本の動画のタイトルは「Shit Japanese Girls Say」。日本語タイトルは「日本の女の子がよく言うこと」となっているが、直訳すれば「日本人女性が言う糞(たわごと)」(https://youtu.be/CGdWhnTYukM)である。

 なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本人女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズを取りながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで5キロせたって!」

「ねえねえ、誰にメールしてるの?」

「これ、バーゲンで買った」

「うざ!」

「超がつかない?」

「えーっ、B型あ?」

「最近、いい出会いないなあ」

「やめて、恥ずかしい!」

「こうやって揉んだら大きくなるって!」

「韓国行こう! 最近、韓国語勉強してるよ! カムサムニダー!」

 これが延々と続き、どういうオチになるのかなと思っていたら、突然終わって The End の文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

 彼は、この動画でいったい何が言いたかったのだろうか? タイトルに Shit とあるように、基本的には日本人女性を嘲笑している。外国人向けに発信していて、なんと68万回も再生されている。

 そんな彼が製作した『主戦場』とはどんな映画であっただろうか?

「ハロー、フォークス!(やあ、みんな!)」

 映画は、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏と事務局の藤木俊一氏、「論破プロジェクト」主催の藤井実彦氏の三人が、慰安婦像が鎮座するカリフォルニア州グレンデール市の公園を訪れるシーンで始まる。「テキサス親父」の動画をそのまま流している。デザキ氏のナレーションが入るのだが、彼が冒頭に「テキサス親父」を取り上げた理由は、どうやらマラーノ氏が自身の動画でデザキ氏を取り上げたことがあるかららしい。 

■なぜ西岡力氏に聞かないか

 ここから、様々な人が入れ代わり立ち代わり登場し、異なる意見をぶつけ合っていく展開となる。デザキ氏がいうところの「驚くほどスリリングな」展開になるはずなのだが、私は早々に強い違和感を覚えざるを得なかった。それは次の2点だ。

 まず、中立な立場から問題の本質を探ると言いながら、慰安婦性奴隷説反対派を頭から「歴史修正主義者」(revisionist)」 「否定論者(denialist)」と決めつけてレッテル貼りをしている。これでは、自ら性奴隷説推進派の視点に立って映画を作っていることを宣言しているようなものだ。反対派の立場から取材に協力した人々に失礼だ。これではデザキ氏のメールは完全に嘘で、利用するために騙したことになる。

 次に、出演者に偏りがあることだ。反対派における慰安婦問題の第一人者である秦郁彦氏と西岡力氏が登場しない。秦氏の名前は出てくるから、デザキ氏が秦氏を認識していたことは明らかだか、西岡氏にいたっては名前すら出てこない。これは根本的な問題である。

 映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。

 この点については、4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の習慣としては夜電話するのは気が引けたので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

 この時点で、60点ぐらい減点しなくてはならない。研究者同士の議論がなくては、攻守の交代がない野球を見ているようなものだ。ほとんどの反対派の人は西岡氏の著作から学んでいるのだから、言説が似ているのは当たり前なのである。しかし、25年以上も研究してきた専門家の知識は深みが全く違うのだ。

■構成上の大きなミス

 ケント・ギルバート氏についてはほぼノーカットで採用したようで、反対派論陣の要になっているが、櫻井よしこ氏もわずかしか出てこないし、唯一の学者である藤岡信勝氏も慰安婦問題そのものについては多くを語っていない。

 推進派のほうは、吉見義明(歴史学者)、林博史(歴史学者)の他にも中野晃一(政治学者)、阿部浩己(国際法学者)、小林節(憲法学者)などの諸氏の他、韓国からもイ・ナヨン(社会学者)キム・チャンロク両氏(法学者)など、多数の学者が登場する。ソウル大学のイ・ヨンフン教授のように、慰安婦性奴隷説に異を唱える実証主義的な韓国人学者もいるが、まったく無視されている。映画構成上の最も基本的なところで大きなミスがある。

【慰安婦20万人説】

 この数字に関して、ギルバート氏と藤木氏が、「そんなに大勢の慰安婦がいて、一日に何十回も性行為を強要されたとしたら、日本兵は一日に6回もセックスをしなきゃならない計算になる」と主張する。するとデザキ氏は、「以上の計算はひとまずおくとして、20万人という数字はどのように算出されたのか?」と吉見氏に水を向ける。

 吉見氏はこう説明する。

「日本の陸海軍の軍人数は、最大で350万人くらいですが、最前線には慰安所がなかったと仮定すると、ある時点で300万人くらいの兵隊に対して慰安所がつくられたと仮定します。日本軍の場合には100人に一人の割合で慰安所を設置するという基準を持っていますので、そうすると3万人という数字が出ますよね。で、仮に半分入れ代わったとすると45000で、全体で一度入れ替わったとすると六万という数字が出ますので、まぁ最低で5万くらいかなと」

 質問は20万人の計算根拠だったはずだが、全く答えになっていない。挺対協のユン・ミヒャン氏にいたっては、「私たちは研究者による数字を用いているに過ぎません」と言う。

 また、女たちの戦争と平和資料館の渡辺美奈氏は「大きな人権団体などが、慰安婦問題についてレポートを書く、と。そのとき相談をされれば、20万人という数字は使わずにもう少しアバウトな数を使うことを勧めます。40万人と聞けば、40万人という数字を使おうと思うんです。わざわざどれが一番いいかと考えずに、多いほうを使うということも多分あると思うんですね」と正直に答えている。

 この議論で、20万人という数字はまったく根拠がないことがわかる。吉見氏がするような説明を聞いていつも思うのだが、「仮定」が多すぎる。また、「最低でも5万くらい」というのは需要の話である。仮に5万人の需要があったとしても、戦争の最中に5万人供給できた保証はどこにもないのだ。

■学習不足のデザキ氏

 この人数をめぐる議論の結論は「20万人説には根拠がない」となるはずだが、デザキ氏は次のように結論する。

 この議論からわかることは、これらの数字は、

・明らかに両陣営から政治的意図をもって利用されてきた。

・修正主義者たちはこの数字の算出方法を理解していないようだ。

・慰安婦について実際のデータは存在しない。

 よって、概算の言及には注意が必要だ。

 数字を政治利用しているのは、明らかに性奴隷説推進派のほうである。また、「修正主義者たちはこの数字の算出方法を理解していないようだ」は全く意味不明だ。吉見氏の主張も含めて、もちろん検証されているに決まっているではないか。デザキ氏が、これらのインタビューの外では全く学習していないことがわかる。

 この20万人という数字が独り歩きし始めたきっかけは、朝日新聞の1992年1月11日付の朝刊である。朝日は用語解説として、次のように書いた。

「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれる」

 要するに、慰安婦と勤労奉仕の女子挺身隊という全くの別物を混同したことに起因する数字なのである。

 これを遡ると、70年代に「従軍慰安婦」という言葉を創作した千田夏光という作家に突き当たる(慰安婦は存在したが、従軍慰安婦という職業は存在しなかった)。千田は著書のなかで、知人から入手したソウル新聞の切り抜きのなかに、「1943年から45年まで、挺身隊の名のもと若い朝鮮婦人約20万人が動員され、うち5万人ないし7万人が慰安婦にされた」と書いてあったと主張した。

 しかし、研究者が該当記事を探したところ、実際には「挺身隊に動員された女性は日韓合わせて20万人で、そのうちの5万〜7万人が朝鮮人女性だった」という記述だったのである。つまり、慰安婦とは何の関係もなかった。

 朝日新聞は2014年8月になって、慰安婦と挺身隊を混同したことを認めて該当記事を撤回した。

 このように、何の根拠もない数字が、慰安婦問題を政治外交問題化したい勢力に政治的に利用され続けているのが実態なのだ。これも西岡氏のような研究者が入っていれば容易に指摘できたことだ(参考:『朝日新聞「日本人への大罪」』西岡力、悟空出版)。

【強制連行】

 2007年の安倍首相による国会答弁が流れる。

「まぁいわば、官憲が家に押し入っていって、人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます」

 これに対して、「性奴隷」という言葉をわざわざ創作して国連に持ち込んだ戸塚悦朗氏が、こう反論する。

「その強制っていうのを安倍さんは、縄で縛って連れて行ったって言ってるわけ。だけどね、強制っていうのは法律上で言うと『自由意志でない』っていうことなんですよ。自由意志でないっていうのは、騙された場合も自分の本当の意志ではない。そうするとね、大部分の韓国からの女性は騙されたんですよ」

 ここでいきなり、強制連行が「騙された」に変換してしまう。

 ギルバート氏、藤木氏が「女性のリクルートは主に朝鮮人業者が行い、騙したケースもあったと思われる」と答え、杉田水脈氏が「当時の新聞記事を見ると、日本政府や軍(総督府や警察)が悪徳業者を逆に取り締まっている、そういう新聞記事がいくつも残っている」と付け加える。すると、林博史氏がこう反論する。

「朝鮮半島の新聞記事は慰安婦とは全然関係ない。警察は従来から悪徳業者が騙して売春目的で連れて行こうとするのは取り締まっていたが、軍の依頼であれば黙認して処罰しなかった」

 警察が悪徳業者の犯罪行為に関して、軍の依頼に基づくかどうかで取り締まったり黙認したりできたのか。以前、そのような主張を聞いたことがあるが、結局根拠がなかった。そんなことをしたら治安が維持できないはずだが、林氏にはぜひ詳細な証拠を映画内で示していただきたかった。

 結局、話はいつものパターンでインドネシアで発生したスマラン慰安所事件に飛ぶ。オランダ人女性が強制的に慰安婦にされた事件だ。この事件に関しては、報告を受けて調査した日本軍将校によって慰安所は閉鎖され、女性たちは救出された。

 この点をギルバート氏が指摘すると、吉見氏がこう反論する。

「それは被害者が白人女性で、連合国側から責任を追及されることを恐れたからであって、アジア人女性を解放したというケースは聞いたことがない。明らかに、白人女性に対する対応とアジア人に対する対応が違っていると言えるのではないか」

 この主張も推論の域を出ていないのだが、デザキ氏はこう結論する。

「インドネシアの件は動かぬ証拠だ。朝鮮人女性が強制連行されたという証拠はないかもしれないが、国際批判のリスクを犯してまで白人女性を連行したことを鑑みると、アジア人女性にそうしたであろうことは想像に難くない」

 ここでもまた想像だ。推論や想像ばかりして、いったい何のために議論を設定したのか? スマラン慰安所事件は、当時においても刑事犯罪である。このような刑事犯罪が朝鮮半島や他の地域でも発生した可能性があるという推論はできるが、朝鮮半島で大勢の一般朝鮮人女性が軍隊によって強制連行されたという推論には結びつかない。だから戸塚氏も、「騙したのも強制のうちだ」という議論をしているのだ。完全に循環論法に陥っているのがわからないのか?

【性奴隷】

 ここでの議論は、「慰安婦はお金が払われ、貯金や送金もでき、契約が終了すれば帰国でき、買いものに行け、日本人と一緒にスポーツ観戦や夜会にも出かけていたのだから、性奴隷と呼ぶことはできない」という性奴隷説反対派の主張に対し、推進派は「いまの国際法に照らせば奴隷の範疇に入る」と反論するいつものパターンだ。

 しかし、私は吉見氏の反論に興味をひかれた。慰安婦にレクリエーションの機会があったという指摘に対して、吉見氏はこう反論する。

「そういう機会がないと、たぶん生きていけないという状況にあったからではないかと僕は思うんです。たとえば、アメリカの黒人奴隷も土曜や日曜にはみんなで集まって音楽会を開いたり、ダンスをしたりしているわけですよね。それから狩猟に出かけたり。そういうふうにしないと生きていけないような絶望的な状況にあったら、奴隷主もそれを認めていたということがあるんですね」

 はたして、奴隷主は自ら奴隷を引率してイベントに出かけたり、奴隷女性と恋に落ちて結婚したりしていたのか? 元恋人だった日本兵を懐かしむ元慰安婦もいる。そのような強引な類推をしてまで、何が何でも日本人を悪魔化したい動機が理解できない。

 ここで国際法学者の阿部浩己氏が登場して、国際法の観点からの慰安婦性奴隷説を次のように解説する。

「奴隷制というのは、人が別の人によって全的支配を受けることをいう。元慰安婦が高額の支払いを受けていても、外出をしていても、それは全体的な支配のもとで許可を得てそれができていたのだから、奴隷制ということになるんです」

 そこまで奴隷の定義を広げると、一般のサラリーマンも十分奴隷になってしまいそうである。もっとも、社畜という言葉があるぐらいだから冗談にもならない。性奴隷説推進派がそのような国際法の定義を持ち出すのなら、潔く次のように認めるべきだ。

・慰安婦は、性奴隷という言葉から想像される一般通念としての奴隷ではない

・国際法上の奴隷の定義を当てはめるのであれば、日本軍の慰安婦に限らず、世界中で過去から現在まで売春に従事している女性の多くが奴隷であると定義できる

 このように、デザキ氏の「主戦場」はこれまでの議論を深めることに成功していない。それは、彼自身の知識が浅いこと、最初から偏見を持っていること、前述したように、専門家同士の議論にしなかったことが原因だ。

■後半で一気に脱線

 それにしても、今回登場した性奴隷説推進派の面々で最も異色なのは、ケネディ日砂恵氏ではないだろうか。直接会ったことはないが、ナレーションにあるとおり、数年前には一部の保守系論者からもて囃されていたのに、忽然と姿を消してしまったのは知っていた。今回、その彼女が突然登場して、かつての彼女の仲間や支援者を批判しだしたのには驚いた。秦郁彦氏の「南京虐殺は小規模ながら発生した」という説に接して目が覚めたのだという。

 そして、自分自身が米国人ジャーナリストらと日本で広めたIWG報告書(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班による報告書。クリントン政権下で開始され、8年の歳月と30億円の費用をかけて機密文書を検証したが、日本軍の慰安婦制度については特段目新しい発見はなかったとされるもの)について、日本の保守派が考えるような価値はないと断定して、次のように述べた。

「IWGの目的はナチスの戦争犯罪を調査することでしたから、日本軍の慰安婦制度に関する情報が見つからなかったのは、キッチンの引き出しで靴下を探すような行為だったからです」

 宗旨替えするのは個人の自由だが、事実まで曲げてはいけない。IWGはもともとナチスの犯罪調査を目的としていたが、在米の中華系反日団体である「世界抗日連合会」の強い要望を受けて、日本軍の戦争犯罪を含めることになったのだ。

 だから、日本軍に関してもナチス同様に調査された。その結果、再確認されたのは、当時の米軍は慰安婦を一般的な売春婦だと見做したので、犯罪行為として追及しなかったということだったのだ。

 デザキ氏は映画のなかで、頻繁にグレンデールやサンフランシスコで開かれた公聴会の映像を取り上げ、いかに日本側の反対が不成功に終わったかを強調する。そのなかで、慰安婦像が建てられてから日系子女へのいじめが発生するようになったという現地日系人の訴えを否定する反日団体の主張を一方的に受け入れ、そのような言説は杉田水脈氏が国会で流布したもので、杉田氏自身は被害者の母親らに直接会って話をしていないと指摘する。

 日系人の訴えを事実無根と決めつけてかかるのは、反日団体のメンタリティと何ら変わりはない。私自身が北米を回って調査して得た結論は、いじめや嫌がらせは存在したということだ。

 私は複数の母親に会って詳しく話を聞いた。たしかに、在米暮らしが長いとはいえ、日本人である母親たちは、被害を警察に届けたり、病院で診断書をもらうことで証拠を残すという発想はなかったし、それを指導するリーダーもいなかった。しかし、母親たちは共同で安倍首相に嘆願書を書いて送っている。普通の母親たちが、よほどの懸念がなくてそのようなことをするだろうか?

 デザキ氏も認めるとおり、この映画は2時間と長い。私がデザキ氏にアドバイスできる立場にいたら、後半はカットするように強く勧める。

 デザキ氏は後半、一気に脱線してしまう。それは、チラシに書かれている「いまだに燻り続ける論争の裏に隠された“あるカラクリ”を明らかにしていく」という部分だ。そのカラクリの暴露こそ、デザキ氏の本領発揮となるはずだったが、残念ながら映画を台無しにしてしまった。

■加瀬英明氏が黒幕!?

【日本会議】

 長い映画の後半、そろそろ疲れてきた頃、突然「日本会議」という文字が画面に躍ってびっくりする。慰安婦問題とは何の関係もないからだ。すると、慶應大学名誉教授の憲法学者である小林節氏が登場し、解説を始める。小林氏によると、日本会議は安倍総理と政界に強い影響力を持ち、「明治憲法を復活させ、人権がなかった時代の日本に回帰することを目指している。そして、その日本会議のキャンペーンを広告塔としてリードしているのが櫻井よしこ氏である」という。

 さらに、「日本会議は靖國神社を含む神道組織に支えられており、それゆえに櫻井氏はたぶん、無料で神社の境内に事務所を構えている」と続ける。そして、極め付きは次のひとことだ。

「日本会議の戦前回帰の思想は恐ろしい。しかし、自分は反対することで殺されてもいいと思っている」

 心底驚き、そして呆れた。まず、日本会議にせよ、櫻井よしこ氏にせよ、明治憲法の復活を目指しているという事実は全くない。そして、これは小林氏にとって朗報だが、保守派界隈で小林氏の名前を聞くことは滅多にない。小林氏の命を狙う意味は皆無で、そんな動機を持った人は絶対にいないから安心していただいていいと断言できる。

 日本会議に確認したが、デザキ氏から取材依頼を受けたことはないという。ここでもまた、基本的な検証作業を怠っている。

 代わりに、外交評論家で日本会議東京都本部会長の加瀬英明氏が登場し、多くの保守系団体をぐ黒幕的存在として紹介される。たしかに、加瀬氏はかつての活発な執筆評論活動や政財界との繋がりから、保守系団体に世話人的に名義貸しをしているケースが散見される。

 しかし、慰安婦問題に積極的に関与しているわけでもリードしているわけでもなく、日本会議本体を代表する立場でもない。だから、デザキ氏の質問に対してほとんど答えを持っていないのだ。加瀬黒幕説はまったくの虚構である。

 デザキ氏が見出したとするカラクリとは、こういうことだ。「日本会議と安倍政権は日本の再軍備を実現し、日本は無謬であるという國史観に沿って栄光ある戦前に回帰しようと目論んでいる。その際、歴史上の恥部である慰安婦問題は不都合なのでなかったことにしてしまいたい。だから慰安婦たちを黙らせ、慰安婦問題の存在を否定しようとしているのだ」と。

 公正中立な立場から慰安婦問題を検証するはずだったのに、どんどんずれていった挙句に、最後は何の検証もせずに「トンデモ陰謀論」に飛んでしまった。

 そして、デザキ氏は日本国民に警告する。「平和憲法を改正して再軍備すれば、私の国であるアメリカの戦争に巻き込まれることになるぞ!」と。

 デザキ氏は知らないのかもしれないが、日本には自衛隊があり、再軍備はとっくの昔に実現している。しかし、現行憲法との不整合から、防衛に支障をきたすから安倍政権は憲法の一部改正を行おうとしている。同時に、日本と直接関係がない戦争に巻き込まれたくないから、集団的自衛権の行使に制約を設けているのだ。

 デザキ氏は記者会見で、「なぜ、日本の歴史修正主義者たちが慰安婦問題を隠蔽しようとしているのか興味を持った」と正直に動機を述べた。だから最初から偏っているのだ。

 それでも私は、デザキ氏の作品を肯定的に捉えたい。『主戦場』を見て、慰安婦性奴隷説推進派の人々が、如何に論点をすり替え続けることで慰安婦問題の解決を妨げ、永遠に慰安婦問題を継続させようとしているかがよくわかるからだ。

■製作動機そのものが偏向

 何が慰安婦問題を大きな国際問題にまで発展させてしまったか。それを考えるには、何が日本政府に対する当初の糾弾(Original Accusation)だったのかを思い出す必要がある。

 朝日新聞と吉田清治という詐話師が広めた話はこうだ。

「朝鮮半島で日本の軍隊が民家から若い女性を引きずり出して拉致し、日本兵のための性奴隷にしたり、女子挺身隊として徴用されたあとに慰安婦にしたりした。その被害者は20万人にも上る」

 まさか大新聞社が完全な虚偽報道をするとは思わなかったので、当時の日本人は(米国人のケント・ギルバート氏を含めて)しばらくの間信じてしまった。

 しかし、やがてそれが荒唐無稽な作り話であることがわかり、日本国民は憤激した。朝日新聞は、デザキ氏が映画内で言うように政府に圧力を掛けられたのではなく、世論に抗しがたくなって虚偽を認めて記事を撤回し、社長も辞任した。

 しかし、世界では依然として上記の「糾弾」が独り歩きし、次々と慰安婦像が建てられ、歴史的事実として碑文に書き込まれていった。証拠が薄弱であるとわかると、被害者のほとんどは証拠隠滅のために日本軍によって殺されたというさらなる虚偽が加えられた。明らかに、この問題を政治的に利用しようとする勢力が存在する。

 だから、もともと慰安婦に同情していた日本人も反論せざるを得なくなってしまったのだ。そして、その状況は悪化するばかりである。

「主戦場」を見てもわかるように、吉見氏を筆頭とする性奴隷説推進派は、明らかに極端に誇張された糾弾が事実ではないことを知っているのだが、それを繰り返す反日活動家たちを窘めるよりも、技術的(technically)には強制連行で性奴隷だったと解釈できるという、もともとの糾弾内容から離れた議論を継続しながら日本だけを悪魔化し、結果として反日団体の活動を是認している。まるで、この問題が永遠に継続されることを望んでいるかのようだ。

 慰安婦問題は、韓国政府や反日活動家たち、そしてデザキ氏のような性奴隷説推進派たちが「日本が加害者で韓国が被害者」という単純で一方的な構造に固執する限り、解決することはないだろう。

 最近、Thomas J. Ward と William D. Layという米国コネチカット州にあるブリッジポート大学の二人の学者が、米国の公園に建てられる慰安婦像に関する論文を発表した(Park Statue Politics : World War II Comfort Women Memorials in the United States)。

 この論文の結論は、「慰安婦像は韓国側のストーリーだけを伝えているので不十分である。現実には、韓国人が女性集めを商売として慰安婦制度のなかで大きな役割を演じていたし、戦後も独自の慰安婦制度を運営した。また、米軍兵士も戦後慰安婦制度を利用した。米国に建てられる慰安婦像は政治的問題を引き起こすもので、責任の所在を明確にするものでも、和解を促すものでもない」というものだ。

 デザキ氏の『主戦場』も、慰安婦像と同じ役割しか果たさないことは明白だ。問題解決を遠ざける偏ったジャーナリズム、いや、プロパガンダに過ぎない。

 最後に、大変僭越なのを承知のうえで、保守系言論人の方々に助言したい。将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも、必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自身の動画のなかで女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

(初出・月刊『Hanada』2019年6月号)
https://hanada-plus.jp/posts/1974



▲△▽▼

映画『主戦場』が炙り出す「保守派」の虚妄と理論破綻
古谷経衡 5/20
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/


映画『主戦場』ポスターと月刊誌『Hanada 6月号』


1】次第にしどろもどろになっていく「保守派」

映画『主戦場』パンフレット等


 現在公開中のミキ・デザキ監督によるドキュメンタリー映画『主戦場』は、いわゆる「保守派」「右派」とされる歴史修正主義者の虚妄がこれでもかと炙り出される意味で痛快である。

 日韓両国や市民団体の中で係争の対象になっている「従軍慰安婦問題」について、韓国人の元慰安婦らに寄り添うべきだという人々と、それに真っ向から反対し「彼らは単なる売春婦にすぎない」と主張する人々(劇中では日本の右派。または歴史修正主義者)を、押しなべて交互に尺をとって、並列的に並べている。

 ドキュメントの中では、元慰安婦らの主張が正しいと言っているわけでも、日本の右派が正しいと言っているわけでもない構成から始まっていくが、ドキュメントが進んでいくにつれて、明らかに日本の右派や歴史修正主義者がその理論に破綻をきたし、しどろもどろになっていくさまがこれでもか、と描かれている。

2】おなじみの”従軍慰安婦は売春婦”論

 特に劇中登場する杉田水脈代議士、新しい歴史教科書を作る会の藤岡信勝氏、日本のテレビタレント、ケント・ギルバート氏などは、「従軍慰安婦は売春婦である」と言ったり、「しかし高い給料が払われていたので性奴隷ではない」と言ったり、その理屈が二転三転して安定していない。

 従軍慰安婦が単なる売春婦であるのなら、その娼婦に支払われた給与が高額であるか否かは関係のないことだが、彼らは給料が高いから「単なる売春婦ではない」という。支離滅裂である。またジャーナリストの櫻井よしこ氏は「朝日新聞がこの問題を世界に拡散し、日本軍が強制連行をしたという間違った事実が広がった」という。

 これは国連のクマラスワミ報告の中の「故・吉田清治による作話(朝日新聞が誤報と訂正した)」ことを指していると思われるが、クマラスワミ報告で吉田清治証言が使用されているのは傍証としてわずか2か所で、クマラスワミ報告は吉田清治の虚言がなくとも成立する。こんな簡単な基礎も踏まえていないで「ジャーナリスト」とは片腹痛い。

 更に、”異様”と映るのは自称歴史研究家の加瀬英明氏が登場する後半の下り。「歴史学者の秦郁彦氏の本は読んでいますか?」と問われると「秦?秦さんは私の友人ですが…。ワタシ他人の本は読まないんです。だから読んでいません」と答えるという無知ぶりをさらけ出すことだ。

 秦郁彦氏は実証史学の権威で、従軍慰安婦問題については同氏の『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮社)が史学科に在籍する学部生でなくとも読める分かりやすい必携本となっており、日本軍の強制連行について早期に否定的な見解を示しているにもかかわらず、加瀬氏はこの従軍慰安婦問題の「基礎の基礎」と言える本を「読んでいない」と公言して、あまつさえ自らを「歴史研究者です」と満面の笑みで言ってのけるのである。

 ちなみに加瀬氏は『中国人 韓国人にはなぜ「心」がないのか』(2014年、ベスト新書)という異様なタイトルの本を刊行しており、歴史研究者を通り越して単なる差別主義者の顔をのぞかせる。

 以上、ざっと笑えるところだけを取り出しても、このような痛快なドキュメントは初めてで、本稿執筆時点で首都圏では公開館数1(シアターイメージフォーラム。5月24日よりアップリンク吉祥寺、あつぎのえいがかんKikiでも)だが、6月にかけて全国で上映館数が増えるから、値千金なので見たほうが良い。


3】監督への個人攻撃に終始

月刊Hanada 6月号


 さてこの映画『主戦場』。先月4月20日公開からちょうど丸ひと月が立つが、いわゆる日本の保守派や右派や歴史修正主義者は、この映画を「反日映画」「偏向映画」「パヨク映画」などと脊椎反射的に罵る以上、体系的反論や批評がひとつもでていない。

 そこで探すと、今月号(2019年6月号)の月刊誌『Hanada』に

『総力特集 韓国の恥部 ドキュメント『主戦場』 従軍慰安婦映画の悪辣な手口』(P.316〜329、山岡鉄秀氏)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


という一片を見つけた。これのみが、本稿執筆時点でほぼ唯一『主戦場』に対する保守側、右派側からの紙面上での反論・反証になっているが、中身は徹底的にこの映画の監督、ミキ・デザキ氏への個人攻撃に終始していて陳腐なものである。

 山岡氏は映画『主戦場』とはまったく関係のない、ミキ・デザキ監督が過去にアップロードした動画をあげつらって執拗にこう述べている。


(前略)なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズしながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで五キロ痩せたって!」
「ねえねえ、誰にメールしてるの?」
「これ、バーゲンで買った」「うざ!」

(中略)

「韓国行こうよ!最近、韓国語勉強しているよ!カムサハムニダ!!」

これが延々と続き、どういうオチになるのかと思っていたら、THE ENDの文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

彼は、この動画で一体何が言いたかったのだろうか?

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.318-319、強調筆者)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


 私も、この動画だけで、ミキ・デザキ監督が何を言いたかったのかは正直言ってよくわからない。しかしながらこの山岡氏の論法は、「この主戦場という映画を撮っている監督は、”ちんちん”などという卑猥な言葉を口にする動画を撮影している愚劣な人間だ」という周辺の評価にすぎず、肝心の『主戦場』の映画評にはなっていない。

 繰り返すが上記の動画は、映画『主戦場』とは全く関係のない、たんなる別の動画である。

 しかし映画『主戦場』では、在米ユーチューバーの「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏が、「アメリカでは絶対にヤりたくない女には、こうするのさ!」といって、慰安婦像(少女像)に紙袋を被せて大爆笑している模様が映し出されているが、こちらのトニーの「醜態」については、その行為が劇中であるにも関わらずなんら言及がない。

 要するに、この山岡氏の作文は、映画『主戦場』以外の、監督の過去の行状をあげつらうだけで、肝心の映画への言及はいくらたっても始まらないのである。


4】秦郁彦を出せ!でも秦郁彦を読んでいない保守派

慰安婦問題では必携書と言える

「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著、新潮社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%80%A7-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E7%A7%A6-%E9%83%81%E5%BD%A6/dp/4106005654


 山岡氏は以下ようやく映画『主戦場』の内容に触れ、こう続ける。


映画は、専門家ではない反対派(右派)の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させなくては、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいけない。この点については、(2019年)4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で、直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の慣習としては夜電話するのが気が引けるので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

この時点で、六十点ぐらい減点しなくてはならない。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.320、カッコ内筆者)

 おわかりいただけただろうか。山岡氏は櫻井よしこ氏やケントギルバート氏や藤井信勝氏や杉田水脈氏は、(こんなに頑張って劇中でしゃべっているのに)議論に値する専門家ではない、と切り捨てている。そして秦郁彦氏を出さない時点で「マイナス60点」としているが、その秦郁彦氏の著作を「読んだことがない」と劇中で言い切る加瀬英明氏については特段何のマイナス評価も下していないのである。

 つまりこの山岡氏の月刊Hanadaでの理屈は、映画『主戦場』は、元従軍慰安婦に寄り添う人々の側にだけ専門家を出して、それに反対する右派、保守派、歴史修正主義者には素人しかいないのは不公平である、と言っているに等しい。

 しかし私の知る限り、トニー・マラーノ氏も、藤岡信勝氏も、杉田水脈氏も、「なでしこアクション」代表の山本優美子氏も、ケントギルバート氏も「(彼らなりに)がんばって活動をやっている」人々だし、すくなくともネット右翼界隈の中では論客とされているのだから、議論の相手として認めてもいいのではないか。特に加瀬氏は、自らが「秦郁彦の本を読んでいないけど専門家」と名乗っているのだから、そこは認めてもよいのではないか。

 山岡氏の論は、いわゆる元従軍慰安婦に寄り添う人々に鋭敏な反発を示しながらも、それに抗する「保守派」「右派」「歴史修正主義者」は、「素人」として一蹴し、映画の中に秦郁彦氏と西岡力氏の登場を切望している。はからずもこれに関しては、筆者も全く同じ意見であるが、ここまで「素人」と劇中に登場する「保守派」の人々をこき下ろすのも、逆説的に痛快だ。

 山岡氏は『Hanada』に寄稿するぐらいだから「保守派」「右派」と見做されているのだろうが、身内をかばっているように見えて、実は身内を容赦なく打擲している。それが意図してのことだとしたのなら、なかなか見どころがある。

5】また「ちんちん」か。

 そして山岡氏は、こう結んで終わる。


(前略)将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも。必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自分の動画の中で女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.329)

 また「ちんちん」が出た。それも結句で。どうもお下品に過ぎる監督への個人攻撃を中心にしたお粗末な作文が、今のところ唯一の『主戦場』に対する反論であることからも、いわゆる「保守派」の言語感覚というものの程度が推して知れよう。(了)
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/


▲△▽▼

2019-05-19
『主戦場』への遠吠えリンクまとめ
https://apeman.hatenablog.com/entry/2019/05/19/225316

戦時性暴力 文献紹介


先日ご紹介した山岡鉄秀に加えて、ケント・ギルバートが『正論』の6月号で負け惜しみを書いています。

とるに足らない内容ですが、「性奴隷の定義がどんどん勝手に広げられていく」と「かつてのGHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」のようで洗脳そのものです」というクレーム(いずれも96ページ)には笑いました。

映画は「性奴隷」の定義について国際法を参照しつつ出崎監督の見解を示していくのですが、カリフォルニア州弁護士にとってこれは「勝手に」なのだそうです。後者については、右派論壇が盛んに言い立てる「WGIP」論の空虚さを示すものです。その他、現時点で気づいたものをメモ。


-テキサス親父日本事務局 2019年4月16日 「フェイキュメンタリー・フィルム 切り取り・デマ・捏造のカタマリ」

-日本会議 2019年4月19日「ドキュメンタリー映画「主戦場」について」

小林節なんかに取材したせいで、たしかにあの映画の日本会議に関する記述には事実に反するところがあったので、この抗議については「負け犬の遠吠え」とは言い切れないですね。

-なでしこアクション 2019年4月23日 「映画「主戦場」について」

その他動画をいくつか。

-字幕【テキサス親父】 慰安婦欺瞞ドキュメンタリー「主戦場」-Part1 - YouTube

-字幕【テキサス親父】 慰安婦欺瞞ドキュメンタリー「主戦場」・その2 - YouTube

-【上念司の深掘りPart5】@ ヤッちまった師匠SP!まさかのケント師匠が騙されて反日映画に出演!? - YouTube

-従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口|山岡鉄秀|『月刊Hanada』2019年(令和) 6月号|花田紀凱[月刊Hanada]編集長の『週刊誌欠席裁判』 - YouTube


https://apeman.hatenablog.com/entry/2019/05/19/225316

▲△▽▼

>従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口|山岡鉄秀

>映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。


まあ、専門家(?)の秦郁彦氏、西岡力氏を出演させてもダメージが大きくなるだけなんですけどね:

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html

今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html

河野談話を守る会のブログ 秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=YnH2XP2CEYuymAWKkb2oDg&q=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&oq=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&gs_l=psy-ab.3...2930.2930..4643...0.0..0.173.173.0j1......0....1..gws-wiz.5PvrtoTbrew


河野談話を守る会のブログ 『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ!
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c612

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
13. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月24日 11:36:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188]
映画「主戦場」を中立的立場から見てきた件
名もなき投資家 2019/05/18
https://note.mu/value_investors/n/nb520a13fe900


こんにちは名もなき投資家です。

先日、話題の映画「主戦場」を見てまいりました。

「主戦場」は慰安婦問題を取り上げたドキュメンタリー映画です。監督は、日系アメリカ人ミキ・デザキ氏。アメリカ・フロリダ州生まれの日系アメリカ人2世。2013年ころからYouTubeに動画をUPしていたそうで、この作品は2015年ころからリサーチを始め映画作成をしていったそうです。

当初、インタビューに応じた慰安婦否定派(存在しない派)の方々が「騙された!これは見てはいけない!」と騒いでいたことから「それならば見てみよう」という人が続出し、話題になり注目を集めています。


出演者は慰安婦問題否定派・肯定派どちら側からも出ています。メディアによく出て有名なのは否定派の方々かもしれません。

出演者

トニー・マラーノ(テキサス親父)、藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)、山本優美子(なでしこアクション)、杉田水脈(国会議員)、藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)、ケント・ギルバート(タレント)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会)、イン・ミョンオク(元慰安婦の娘)、パク・ユハ(日本文学者)、フランク・クィンテロ(元グレンデール市長)、林博史(歴史学者)、渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館)、エリック・マー(元サンフランシスコ市議)、中野晃一(政治学者)、イ・ナヨン(社会学者)、フィリス・キム(カリフォルニア州コリアン米国人会議)、キム・チャンロク(法学者)、阿部浩己(国際法学者)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)、植村隆(元朝日新聞記者)、中原道子(戦争と女性への暴力リサーチアクションセンター)、小林節(憲法学者)、松本栄好(元日本軍兵士)、加瀬英明(日本会議)

私は右でも左でもなく、常に「事実(ファクト)」だけを見ていくタイプなので、今回の「主戦場」を中立的立場から見てまいりました。

そもそも私は、慰安婦問題があったのかなかったのか、性奴隷だったのかそうではないのか、軍の関与があったのかなかったのか、20万人なのかそれ以下なのか、正直わかりません。こうだったと断言することはできません。戦争を体験している世代ではないので、自分の目で確かめてきたわけではないからです。あくまで様々な立場を見聞きし、「体験者の発言」や「資料」や「データ」を元にしか判断できないからです。直接体験をした人以外が、特定の資料を元に「歴史を断言」していたとしたらそれはかなり危険なことではないかと常々思っています。


登場人物は、慰安婦問題否定派・肯定派ともにバランスよく出ている(代表的な人たちという意味で)と思います。監督がどちらかに肩入れすることなく、それぞれの主張を取り上げられていました。

ここで言う否定派・肯定派は、慰安婦問題そのものを否定する立場(否定派)か、慰安婦問題そのものはあったという立場(肯定派)ということです。


慰安婦問題否定派は、慰安婦は性奴隷ではなく自発的な売春婦で、お金をもらっていて、軍の関与はなく、強制連行はなかったという立場です。慰安婦像に否定的です


慰安婦問題肯定派は、慰安婦は性奴隷にされ、お金がある無しは関係がなく、軍の関与はあり、強制連行だったという立場です。慰安婦像に肯定的です

  慰安婦問題否定派 ↔ 慰安婦問題肯定派

慰安婦:   売春婦 ↔ 性奴隷
軍の関与: なかった ↔ あった
国の関与: なかった ↔ あった
強制性:   自主的 ↔ 強制連行
慰安婦像:  否定的 ↔ 肯定的


このドキュメンタリーは主に4つの論点+αから話が進められます。そして最後に、日本会議や神社本庁という組織や、靖国神社と国家神道も触れられています

4つの論点

1:「20万人」という数字について
2:「強制連行」だったのか否か
3:「性奴隷」だったのか否か
4:「歴史教育」について変遷
+α:日本会議、神社本庁、靖国神社、国家神道

■1:「20万人」という数字について


20万人という数字については慰安婦問題否定派・肯定派が激しく対立しています。

否定派は、当時の日本兵は150万人しかいないので、(左派の言うように)1日20人も30人も相手にして、日本兵が1日6回も性行為を行わなければ20万人などありえないという主張をしていました。

肯定派は、当時の日本の陸海軍の軍人数が最大で350万人なので、300万人日本軍に対し慰安所を設置する基準が、日本兵100人に1人の割合のように基準が決まっていて、そうすると3万人はいただろう。それを長い戦争の中で交代率を1にするのか2にするのかで最低でも5万人はいただろう、また資料には日本兵3人に対して1人というものもあるので、20万人はいただろうというような主張をしていました。


いずれの立場にしても、はっきりとしたデータや資料は存在しておらず、否定派も肯定派も憶測と、政治的意図から自分たちに都合のいいような数字を使っているようでした。

ただ、アメリカ国内での報道では「20万人」という言葉が独り歩きしていて、その点は根拠となるデータや資料がないのに一方的であり、かなり危険だなという印象を抱きました。

■2:強制連行だったのか否か

否定派は、強制とは縄で縛って連れて行くようなものを言い、そのような連行は官憲は行っていない、あくまで被害者は騙されてついていったのであり、朝鮮半島にいる商社なりリクルーターなりがいて、その人達が騙したことはあった。逆に、日本軍や日本政府はそのようなものを取り締まっていた、ちゃんとそういう資料も中央大学の先生が持ってきた、という主張でした。

ちなみに、根拠とされた資料を提示したという中央大学教授は「その解釈は完全に誤っている」と全否定していました。杉田水脈氏は新聞記事にも政府は悪徳業者を取り締まっている物があると主張していましたが、その新聞記事は慰安婦問題とは全然関係のないものでした。


肯定派は、当時の朝鮮半島の家父長制度や女性差別は実際にあり、そういうものをうまく利用した日本軍や日本政府が、リクルーターなどを使い慰安婦制度を作った。女性は、自由意志ではなく(騙された場合も本当の自分の意思で行動したのではないので)強制連行に当たるという主張でした。


オランダ政府の報告書では、1943年から約1年間の間にインドネシアや東南アジアで、日本軍による強制力を使った白人女性に対する事件があり、それは慰安婦問題否定派・肯定派ともに存在を認めていました。否定派であっても白人女性に対する問題は認めているのだということを初めて知りました。白人女性にはそういう事もあったが、アジア人の女性にはそういうことは一切なかったと言えるのだろうか、という疑問が残りました。

■3:「性奴隷」だったのか否か


否定派は、性奴隷ではなく、多額のお金をもらって仕事としてやっていた売春婦であるという立場だった。奴隷が家を5件くらい買えるくらい貯蓄があったそんな奴隷もいた、それって奴隷ですか?。奴隷とは鎖につないで地下に閉じ込めておくような場合を言う。という主張でした。

ちなみに、この当時占領下にある国では激しいインフレ(ビルマでは日本の1800倍)が起こっており、とても家を5件も買えるような状況ではなく、チップという意味合いであったことがわかっているようです。

肯定派は、奴隷というのは何も鎖に繋がれた事を言うのではなく、自由意志を抑圧されて、騙されて連れて行かれた場合も奴隷に当たり、奴隷制とは人をモノ扱いすることである、当時の慰安婦はそのような扱いを受けた。お金をもらったかどうかは奴隷制とは関係がない、という主張でした。


否定派も肯定派も、「奴隷」という定義の違いでかなり認識が違うのだなという印象でした。鎖に繋がれていなくても、相手の自由を抑圧し、意に反する苦役をさせていたということからすれば、強制性は否定出来ないのではないかという思いがします。

■4:「歴史教育」について変遷

大まかなあらすじを書きますと

1993年河野談話(慰安婦問題を認め、謝罪した)から、徐々に学校の教科書の中に「慰安婦」という言葉が多く使われるようになり、それに危機感を持った右派の団体によって歴史修正主義の反動が始まりました。

1996年終わり頃から「新しい教科書を作る会」ができ、自民党を中心とした議員(安倍氏が事務局長)によって「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が結成されます。

そして、第一次安倍内閣で2006年に「教育基本法改正」が行われ、そこから教科書内容を審査しないでも不合格にできる規則ができ、出版社は(経営という観点から)文科省が不合格にしない内容へと自主規制で変えていき「慰安婦」という言葉が使われなくなり、2012年にはその文言は完全に削除されました。

その後2014年に朝日新聞が吉田証言を撤回し、慰安婦問題を1991年に最初に報じた植村氏は激しい誹謗中傷を受けて家族にまで犯罪予告をされる事態になったそうです。

そして映画の中には出てきませんが、2012年末以降、日本国内では道徳教科書の変化、歴史教育のみならず、メディア報道では「日本礼賛番組」が流行っています。これもある種の教育ではないかと思わざるをえません(刷り込みの意味)。

こうやってじわりじわりと人々の意識の中を改革していった様子が描かれていました。

■+α:日本会議、神社本庁、靖国神社、国家神道

そして最後に、日本会議や神社本庁との関係性がでてきます。ただ慰安婦問題だけで終わらせず、慰安婦問題(を否定する人々)の根底にあるのはどういった思想なのか、その思想の源泉はどこにあるのかを示していたという意味では、コンパクトにまとまっていたと思います。日本会議や神社本庁を全く知らない人にとっても新しい視点を与えるのではないかと思いました。

つまり、明治憲法(大日本帝国憲法)時代、主権は天皇にあり、日本は「天皇を中心とした神の国」でした。それが敗戦によって日本国憲法に変わり、宗教が国家権力に関与することができなくなった。それが徐々に勢力を盛り返し、歴史を修正し始め、現在は宗教が直接国家権力を動かし、憲法を変え、再び大日本帝国憲法の時代に戻そうという動きが起きている。

映画では、日本会議にとっては「憲法改正」「教育」「軍事」は三位一体ですべて同じ課題であるということが示されていました。すなわち、慰安婦問題は教育に関わることで彼らにとってはなんとしても否定しなければいけない問題なのです。


一番驚いたのは、様々な右派とのつながりがある中心人物(オノ・ヨーコさんともつながりがあるらしい)として描かれていた日本会議代表委員の加瀬英明氏の発言でした

加瀬英明氏「私は人の書いたものを読まないもんで。ナマケモノなもんで」

彼は慰安婦問題について肯定派の書物も、否定派の書物も一切読まないらしく、他人の考えを学習しないのだそうです。にもかかわらず、慰安婦などなかったと断言していたのが驚きでした。他人の意見を一切学ばないのになぜそれが「なかった」と言えるのか・・・論理的には説明できません。

あくまで彼自身の思い込みで行動しているのだなという印象でした。もう少し日本会議の中にも適切な人物がいたのではないかと思わざるをえません。

しかも「アメリカは人種平等の国ではなかった。1945年までは黒人に対する差別があって、キング牧師が公民権運動を始めてから一応開放された。これは日本が戦争に勝ったからなったこと。その恨みで日本の慰安婦問題を追求している人が多い」などという発言もしており、歴史認識さえ怪しいのではないかと絶句してしまいました・・・靖国史観的には戦争には負けたことにはなってないのかもしれませんが

また、「中華人民共和国がいずれ行き詰まって崩壊する時が来る。かつてソ連が崩壊したように。そうなると韓国は日本を頼らなければならなくなるから世界で一番紳士的な国になる。育ちの悪い子供が騒いでいるようでカワイイ。可愛らしい国と思って僕は好き」などとも言っていました

ちなみに、加瀬英明氏といえば、「低線量の放射線はかえって体にいい。広島の原爆の放射線で農産物を食べ、魚介類を食べ、皆さん健康。原爆の熱線は怖いが、その後の放射線はかえって体にいい」とか言っていた方です・・・

「低線量放射線が日本と世界を救う」加瀬英明氏
令和元年5月10日 憲政記念館 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2ddRGsA9JZQ

うーん・・・


■慰安婦問題否定派の発言


◉杉田水脈議員


杉田水脈議員の発言。「中国や韓国は、技術で日本に勝てない。だから慰安婦問題などあらゆる手を使って日本を貶め、日本の製品不買運動を高めて自分たちの製品を売ろうとしている」と言うようなことと言っていました。

驚きました。中国が今は世界第二位の経済大国になり、技術的にはアメリカに追いつけ追い越せでどんどん最先端技術を開発し「5G」に至ってはアメリカより先行している状況です。

杉田議員の思考は20年ほど前の、大量の人民が大通りを自転車で移動している光景が焼き付いているのでしょう。現実問題、中国の技術力は今すごいことになっています。はっきり申し上げて特許数でも研究費ランキングでも中国は日本を超えてきています。

杉田議員の発言は現状認識(ファクト)とはかなりズレてると言った印象でした。


※画像は、アベマTVと日経より


◉藤木俊一氏「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たちなんです。要するに誰にも相手にされないような人たち。心も見た目も汚い。こういう人たちなのです。」


え・・・(ー ー;)


◉藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)「国家は謝罪してはいけない。国家が謝罪しないのは基本命題。是非覚えておいてください。国家は仮にそれが事実であったとしても、謝罪したらその時点で終わり。」

この発言の後に、レーガン大統領が戦前の日系人強制収用を謝罪するシーンが流れてました・・・

ただ、これは簡単に比較できるものなのかは疑問です。アメリカは日系人強制収用は謝罪しましたが、日本における無差別爆撃や原爆投下などは謝罪をしていません。あくまでアメリカ国内政治問題として無視できない日系人(日系のアメリカ人)に対する謝罪だったということです。

■慰安婦像


慰安婦問題肯定派(あったという派)はアメリカ国内にいくつもの慰安婦像を設置しています。私はこれが疑問でした。慰安婦問題はアジアの大陸の中で起こった出来事なのに、なぜアメリカの中に慰安婦像を多数設置するのかと。それについてミキ・デザキ氏はこのように答えていました。

「なぜ慰安婦と関係がないアメリカに少女像を建てるのか、私も最初は不思議だった。でも左翼系の活動家は日本でこの問題が忘れられているだけに、全世界に少女像を置きたいのだと分かった。一方の右翼系は、アメリカ人の歴史認識を変えられれば世界中に影響が及ぶと考えたのではないか」

※Newsweek「言論バトル『主戦場』を生んだミキ・デザキ監督の問題意識」より

左派系も右派系もそれぞれが慰安婦問題を政治利用しているなと感じざるをえないような点も有りました。主戦場はアメリカということなのかもしれません。


■その他気になった点がいくつか


◉日本会議の重鎮としてもうちょっといい人がいたのではないか
◉慰安婦のおばあさんたちのインタビュー映像が殆ど出てこないのはなぜか
◉新しい教科書をつくる会にも参加していた、自分がネトウヨを作ってしまったと言っている小林よしのり氏にもインタビューしても良かったのではないか
◉日本会議系の国会議員にもインタビューしても良かったのではないか
◉慰安婦問題肯定派(あった派)の国会議員にインタビューしても良かったのではないか
◉慰安婦問題否定派がときに薄ら笑いを浮かべてるのはなぜなのかが気になった

■終わりに


一般的に、左派も右派もそれぞれが自分たちは正しいと思いこんでいるので、そもそもお互いに議論をしようとか、お互いの意見を聞いてみようという態度になりません。

戦争を直接体験した世代でないにもかかわらず、歴史的事実と「断定」をし、自分たちの考えは間違っていないという思考に陥り、お互いがお互いを否定し、歩み寄ってお互いを理解しようとはしません。

しかもそれが国同士に波及すると、「相手の国民はこういう考えに違いない」と思い込み、反日、反韓、反中などといって、民族的な対立問題に発展し、そこに「紛争」が発生するのだと思います。

まず断定的な自己主張をする前に、違う意見の相手の主張を聞いてみるという態度は極めて大事ではないかと思う今日このごろです。


世の中には様々な問題が混在していて、近年は「慰安婦問題」は世の中から忘れさられていたと思います。この作品を通して、否定派・肯定派の意見をあぶり出し、その問題を改めて世に問うてくれた日系アメリカ人のミキ・デザキ氏に感謝します。


■追記(2019年5月30日)


新しいニュースが出ました。保守派の方々が、騙されたと抗議の声を上げたそうです。

「だまされた」と保守派が抗議 慰安婦映画「主戦場」
https://this.kiji.is/506755779450520673

記者会見 - 映画「主戦場」の上映を差し止める - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vDeR0CLG3dU


それに対してデザキ監督がコメントを発表しました。

当時大学院生で映画が卒業プロジェクトだと説明したのは事実だが、もし完成した映画のできが良ければ映画祭への出品や一般公開も考えていると言っていたそうです。契約書もとっており、しかもそのことを伝えるメールも残っており、しかも映画公開に先立ち送ったメールに対して肯定的な内容の返信が返ってきたそうです。


『主戦場』2019年5月30日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6WdVrzp40bg


映画『主戦場』2019.5.30映画『#主戦場』をご覧になった皆さん 楽しみにしている皆さん 「絶対に観るもんか!」な皆さん   ぜひこの動画をご覧くださwww.facebook.com

■関連記事


・2019/06/03 慰安婦問題の映画「主戦場」の監督、出演者らの抗議に「手続きに問題はない」
https://hochi.news/articles/20190603-OHT1T50106.html


・2019/06/03 話題の映画「主戦場」 出演した保守論客が騒ぐほどヒットする“自業自得”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/255278

・2019/06/03 慰安婦テーマの映画「主戦場」が場外乱闘に…櫻井よしこ氏らの抗議に監督が猛反論
https://www.bengo4.com/c_23/n_9715/


・2019/05/31 慰安婦問題に迫るドキュメンタリー 映画「主戦場」めぐりバトル
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019053102000136.html


https://note.mu/value_investors/n/nb520a13fe900
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c13

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
14. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月24日 11:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189]

社会科学者の随想 2019年06月23日

従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったころ,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その1)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075054438.html

【『主戦場』 “SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue”


       2018年製作映画】


【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】

【製作国  アメリカ・日本・韓国】

【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】

 ◆「主戦場」に投稿されたネタバレ・内容・結末(の紹介) ◆


♣ 以下においては,寄稿のさい添えられていた「評点(5点満点)」は,

  わざと触れないで引用する ♣


 註記)引用されるホームページは,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler? 以下であるが,感想の投稿が増えている場合は「冒頭」段落において,その分を「★−1,★−2,★−3,……」と具合に,連番を振りながら,そのさいは逆順に(新しい日付の感想をさきに並べていくかたちで)追加していくつもりである。


 なお,上記の https://filmarks.com/movies/83222/spoilerhttps://filmarks.com/movies/83222/spoiler?page=4 まであるが,投稿の追加分があると,この page ごとに収載されている各感想のうち,一番後方に位置するものから順送りに,次頁に移動していくので,この住所(アドレスの page など)も,あえて註記しないことにした。

 本日〔6月23日正午まで〕の時点で,早速,新しい投稿がひとつ登場していた。

 以下に長々と数回に分けて紹介していくが,これらの感想は,投稿された期日のあとになれば順次,読むことができた一覧である。それはともかく,この作品『主戦場』を劇場に実際にいって鑑賞してから,これらの感想を読みなおしてみた。

 そこで,冒頭から本ブログ筆者なりに “先入観的な感想” となる。「左側(革新ないしはリベラル側)」の関係者たちは,なるべく事実の追究にもとづいて発言しようとする努力が観てとれるのに対して,「右側(保守ないしは国粋側)」の人士たちのいいぶんは,一様に,ただこの『美しく国』にあっては従軍慰安婦に関する「歴史の問題」など,けっして存在してはいけない〔するはずもない〕ものだと決めつけたい心情:思いこみを,正直に表出させていた。

 第2次大戦後になってからは,アメリカであっても韓国であっても,あちらこちらの戦争・戦場において,旧日本軍の慰安所に似た施設をもっていたではないかという「右側からの反論」は,特殊・具体的に強調できる歴史問題の実例であったが,それをあえて普遍・抽象の次元にまで引きずりこんでから,この問題の意味を可能なかぎり希薄化させようと必死の議論を試みている。

 片やできるだけ歴史研究の成果・業績を武器に論じようとするが,片やもっぱら自分たちの理念・信条をもってのみ対するのであるから,その議論がはじめから噛みあうわけもなく,後者は前者に位負けしていた。双方の立ち位置からして顕著に「質的な重み」に差があった。


 右側陣営において隠しようのない議論の粗雑さは,結局「歴史の判断」に耐えうる素性・組成をもちえない。それゆえ,問題の全体について発言する彼らは,闇雲的かつ問答無用的にも一般論で否定しつそうとする。その議論の方途は論理的であるよりも感情的に先走っている。


 いわく「日本人は間違ったことはちゃんと謝る」(映像どおりの文句ではなく,文意をとって表現)が,某国の連中はそうではないといった具合に,相対的な違いでしかありえない「差」を絶対話法で語るゆえ,信頼度の面でもどうしても勝てない。


 相手との議論が真正面からまともに成立できて出発しているのではない。初めから否定するために話しているとなれば,この否定の立場が相手側の発言をのっけから完全に無視するといった,無限の螺旋階段を駆け上っていくほかない。


 しかもそれは『バベルの塔』内に設けられていたごとき「彼らの専用階段」であった。歴史観・世界観の差異をたがいに話しあうのではなく,まず相手をみくだすことを主眼とする右側の基本的な姿勢は,初めから,不毛を約束されたかのような「非生産的な雰囲気」を濃厚に漂わせていた。

 以下に『主戦場』に感想として投稿された文章・意見をすべて紹介していき,必要な個所には本ブログ筆者の寸評も添えておく。引用の順番は直近から振りはじめることになる。前段にも断わったが,★の付いた番号の感想は,その後に新しく投稿された感想である。必要に応じて随時収録していきたい。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ★−3 pariparichiken 2019/06/24 00:33

 否定派と肯定派がバチバチにやりあってるなかでの,「日本を否定されたように感じるから慰安婦問題を否定した」と発した日砂恵・ケネディ氏が出てくるタイミングが絶妙。


 多くの日本人がこの発言に自分を重ねたように思う。これによって,ボコボコに殴りあうリングを場外で鑑賞する側から,急にリングに審判として引っ張り出されたように感じた。

 審判として場内に入ってからの教科書,報道などの身近な場所で政治的統制がかかっているよ問題,からの締めの怒涛の差別発言自動記述マシーンおじさんこと加瀬英明氏をもってくるのは,鑑賞者に現在の政治に懐疑心をもたせるのに完璧なプロセス。

 あらためて文字だけではなく,映像にすることによって表情・声・視線・話す速度がくわわり,生々しく本音と建前が分かりやすく出ていてドキュメンタリー作品の楽しみ方を学べた。


 他の否定者がどんどんボロを出しながら喋るなかで櫻井よしこ氏のガードの高さが笑い所。(でも笑えない) 2時間ずっと思考が止まらなくて,でもこの作業はあらためて政治をみるなかで大切なことだと気づきました。

植村隆画像 補注)櫻井よしこは時期的に判断するに,従軍慰安婦問題に関連する裁判の被告になっていたせいで,そう簡単には軽々に「自分のいいたいこと」を発言できない立場にあった。関係の日付は,つぎのように註記しておく。


 『植村裁判資料室』(https://sites.google.com/site/uemuraarchives/bouchou1)は,櫻井よしこを被告の1人にした裁判であるが,裁判が開始された時期に関しては【東京地裁 2015年4月27日】,そのホームページ(ブログ)における直近の報告については,「最終更新日 2019年5月14日」などと記している。

 出所)右側の人物は植村 隆,画像資料も同上から。


 ★−2 納豆まみれ 2019/06/23 21:26

 ドスンと衝撃を喰らうドキュメンタリーだった。従軍慰安婦という,センシティブなテーマを否定派,肯定派両者のインタビューをしっかりとり,組み立てられた映画だ。中立として撮られてはないが,否定派のインタビューにもしっかり時間を割いる。

 映画は肯定派の意見を交えながら,否定派の意見に真摯に反証をおこなっていくんだけど,否定派の意見が結論ありきの証拠探しで出てきた脆いものが多い印象を受けた。

 なによりも否定派の発言には,過剰な日本美化や人種差別,女性差別は入りまじり,隠そうとすらしない人物もいて,こっちの人間の側にはいきたくないなと素直に思う。

 しかし,この映画の終盤に語られる安倍政権下で否定派の意見が尊重され,教育の現場から慰安婦等の戦時下の醜悪なおこないが消されていく過程はぞっとするものだった。もう慰安婦問題をほとんどしらない世代が親になってきている時代になっている。

 このままでは日本は“美しい国”どころか周辺国からの評判を下げる一方だろう。

 ただ,この映画で1番インパクトを残すのは否定派,日本会議などをつなぐ元締めのような立場の爺さん。「私は人の書いた本は読まないんですよね」といい放ち,考証をいっさいおこなってないだろう自説を主張する。

 あまりの反知性っぷりに度肝を抜かれた。いまの日本の現状がいかにヤバイことになっているか思いしらされた。
補注)いささか大げさないい方になるが,安倍晋三の為政(内政・外交)の基本は「従軍慰安婦問題」の否定に観取できるかもしれない。北朝鮮との国交回復ができないのは,拉致問題あるからではなく,この問題を前面に出して喧伝しまくり,国民たちの政治意識(感情)をたぶらかす政治手法しか採れない “安倍の限界” にその基本原因があった。

 対米従属国家体制(いうところの『美しい国』)に向かいみずから進んでいるだけでなく,自国兵士(自衛隊3軍)の生命すらアメリカのトランプに捧げる気持を,「米国のために生きている忠犬」ではないかと思わせるほど馬鹿正直に表現しているのが,現在進行形中である安倍晋三の為政全般である。

 ミキ・デザキの今回における映画作品『主戦場』は,従軍慰安婦問題をとりあげたこの作品によって,日本国民の潜在意識に隠されていた安倍晋三的なモノをあぶりだし,徹底的に批判することによって,こちら側における危険な因子を引っぱり出したといえる。


 ★−1 tonzura 2019/06/22 19:37
 映画備忘録(不定期)】 映画「主戦場」を観た。日本が戦時中に韓国や中国,フィリピンやインドネシアなどの女性を強制的に日本軍兵士達の “慰安婦” として性奴隷にしていた事実に対するさまざまな人たちの主張や認識を映し出した作品。

 とにかく,情報量がすごい。自分に都合の良いものだけを真実と呼び,都合の悪い事実をなかったことにする。「日本会議」に連なる “論客” たちの浅はかさがきわ立つ。恐ろしくもある。なにせ,その主張や思想をもつのがいまの安倍政権であるのだから。

 あったことをなかったことにする。いまの政権の得意技。そして,それは他者にも強制される。とくに教育とメディアへの介入があからさま。ここ数年で,その圧力はますます高まっている。順調にその介入がシステムとして構築されている事実が映画には映し出されている。

 人権意識は皆無の歴史修正主義者は,その思想的醜さにまったく気づいていない。映像の力を感じさせてくれるドキュメンタリーでした。これがゆくゆく地上波で流れたらいいのになぁ。あるわけないか…。

 1 ムラサキ 2019/06/21 00:06
 慰安婦問題は肯定派と否定派の人権感覚の差が出てるなと思う。否定派側の有識者として招かれてた著名人が,平気な顔をして 「人の本は読まない」「国家は過ちを認めてはならない」「第2次世界大戦でアメリカに勝利した」などいってたのには,乾いた笑いが出た。もっとましな人はいなかったのか疑問だったが,中枢にいる人たちがこれだから,いなさそうにも感じる

 2 しらす丸 2019/06/20 22:35
 編集の面白さよ。中立? そんなものは初めから期待すべきではない。さまざまなインタビューをどのようにみせるかで,ストーリーがミステリーがメッセージが浮かび上がる。ゾクゾクする絶望。どう考えたって狂っている。

 元ナショナリストにインタビューできたのが大きいんじゃないか。右派だの左派だのは関係なく「被害者を侮辱するな」ってことじゃないか,1番いわなきゃいけないことは。狂っているこの国は主戦場。どう戦えばいい?

 3 白 2019/06/19 00:08
 A「後日感想」 自分で少し調べて,映画のことを再考してみた。

 1点目に,本作において論争は必らずしも公平に扱われてはいない。いわゆる慰安婦問題に強制性や性奴隷性があると主張する側は,歴史学者や政治法学の専門家らであるのに対して,極端で醜悪な否定的主張をする右派論壇側に学問の専門家はいない。こうした点で対等な論争構造にはなっていないことが分かる。

 2点目に,用語の意味や強制性などについての定義が共有されていない一方的な進行である。結局,両者はすれ違ったまま対立を終わらせ,結論は明確に完了せず,観る者には印象ばかりが残るだろう。
 補注)この指摘は適切だと思われる。ただし,『主戦場』という映画が制作された企図や経緯に対して無理強いをしている。このような感想で出る程度に “制約:特徴のある映画” として仕上がっていれば,それはそれでよしであり,この特性に即して鑑賞・評価すればさらによし,ではないのか。

〔記事(感想)に戻る→〕 全体的に右派論壇の極端な主張の否定に留まっているものの,学術的な反論や正義を自称する両者の傲慢な部分についてしれるのは楽しい。ただやはり原因解明的ではない。「彼ら / 彼女ら」がなぜかくも明白に語りうるのかについてしりたかった。

 そしてふと思ったのだが「歴史修正」という言葉じたいを悪者扱いする必要はないと感じる。新しい史料や証拠が出たら歴史的記述を修正するのは当然では? 私たちが忌避するべきなのは「歴史捏造主義」だろう。自分が信じたい歴史だけを信じることが愚かなように,(上記の意味で学術的な)歴史の修正を忌避することも愚かだと思う。
 補注)この人に関しては,「歴史の否定」があっての「修正と捏造」である点を,あらためてもっと意識してほしいところではないか。しかも,比較・考量しにくい同士の議論・対決である。その否定が修正や捏造と同居していなければならない事情さえも,当該問題の中心部に介入してこざるをえない背景となっているゆえ,つまり当然に関連してくる要因として配慮しておく余地はある。

 櫻井よしこは「私は Revisionist(修正主義者)ではありません」,「私が歴史を都合のいいように書きかえているとは全然思っていません」と強調していた。だが,元日本軍「慰安婦」証言記事を「捏造」と断じて,植村 隆・元『朝日新聞』記者から名誉毀損で訴えられた訴訟に関連させていうと,彼女はもともとジャーナリストの立場から従軍慰安婦問題を認める立場から報道した「過去」をもっていたのだから,いささか話の筋がねじれてこざるをえなかった。

 というのは,櫻井よしこが自分の立場のことを毅然と「Revisionist(修正主義者)ではありません」,「私が歴史を都合のいいように書きかえているとは全然思っていません」というのは,それなりに基本から間違えてはいながらも,表面的には筋が全然通っていないわけではなく,彼女なりに「歴史の解釈を修正(訂正?)しただけだ」といえなくもないからである。


 要は,櫻井よしこの「歴史の理解」に関する観察力・洞察力には不可避の絶対的な不足あるいは意図的な歪曲などがあって,以前は従軍慰安婦問題を「認めたことになるほかない言論活動をしていた」にもかかわらず,その後においてはそれを全面的に否定する方向に「思想・立場・方針など」を変更していた。


 そうなったのであれば,それはそれで彼女がかかえていた「従軍慰安婦問題に関する歴史理解」の不十分さ・不徹底さが,あらためて反省されるべき材料として提示されていたはずである。しかし,この自身における『転向問題』はどこかへ収納されたまま,これまでずっと隠蔽状態になっていた。

 いずれにせよ,櫻井よしこは「自分の立場に関して変更があったその事実」について,ともかく「都合のいいように」すっかりほっかむりだけは決めこんでいた。それでいて櫻井は,自分を「Revisionist(修正主義者)ではない」といいはっていたとなれば,この人はもとより信頼に値しない,換言すると「修正すら断わってできない,融通の効かないズルイ言論人」だったことになる。

“ 以上の櫻井よしこに関する議論の根拠については,本ブログ内の記述のうち,2019年05月08日「櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん」を参照されたい。

 ともかく,肝心な個所だけをもう一度,ここに引用しておく。

 櫻井よしこは,1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)で,つぎのように書いていた。
櫻井よしこ
 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。
 それにしても映画もやっぱり「メディア」なんだね。この恐ろしいまでの求心力に視る人はどれだけ自覚的でいられるだろうか。アルチュセールのイデオロギー装置としてのメディア。
 補注)アルチュセール(Louis Althusser,1918〜1990)とはフランスの哲学者で,マルクス主義理論を構造主義的にとらえなおし、斬新な理論構築を企てた人物と説明されている。

 @「当日感想」 〔政治〕色に囚われて二項対立的な議論に陥りがちな話題。

 物事は「右は間違っている,ならば左のいっていることはすべて正しい」といったふうに,けっして単色では表わせない。数字やみずからの正義理念に足元を掬われて,グラデーションの存在を皆忘れている。

 自称評論家やワイドショーがあまりにも馬鹿馬鹿しくみえるのは,彼ら・彼女らが弁証法を心がけていないからだ。そして映画やテレビというメディアに心を奪われ,思考停止寸前に立たされているのは,この映画を観る私たちである。

 しょせん,大衆なのだという自認の欠如は,言論に行動が先立つ反知性主義を生む。メディアを消費することによってしか語ることができない人びとは,この映画を観てもなお居丈高でいるだろう。それではダメだったんだと,この映画は叫んでいる。
 補注)この映画『主戦場』のなかで,このように「それではダメだったんだと」いわれているのは,もっぱら右側(保守・反動)の側だったと解釈してよい。

 4 D 2019/06/15 19:18

 この映画でさえ情報の偏りはある。問題の本質は誰が間違ってるとか正しいとかではなく,本当の史実はどうだったかでもなく,なにもしらないことだ。これは政治の問題でもあるし,教育の問題でもあるという意見に反対しないが,それよりも個人の問題であると考えるのが大事なんだと思う。1人1人の考える力が大事なんだと思う。なにも考えない人には否定派の人たちを笑うことさえも許されない。

 5 よこやま 2019/06/14 23:40
 インタビューの背景が,右派は黒や会議室,強い照明が使われているのに対し,左派は本棚や賞状(?)なのが,意見の論理性を操作している感あった。話の作りも右派の主張に対して左派が論破する構造で,監督の主張がそこに現れていると思った。

 右派の人達に流れる差別意識に困惑する。「LGBTは生産性がない」発言の杉田水脈は昔からずっとそういう人なんだなと思ったし,国会での麻生太郎はほぼ寝てる。(編集の仕業かもだけど)

 映画も教科書みたいに国家で規制かかっちゃったらどうしようとか心配になった。

 6 いけだ 2019/06/13 17:10
 どちらが正しいとかはいっさい書くつもりにならないけど,主張と論拠が整理されていて観やすい映画だった。自分の考え方をひとつもつために観ておきたい作品。ただ右派は皆極端な考え方の人ばかり出していて,違和感ある。

 これ(というかドキュメンタリー)をみて分かった気になったり,自分は誘導されてないと思ったりするのは危なすぎる。取材や検証,撮影,編集を経たらどうしても作者の主観的な要素が入ってしまうから,ドキュメンタリーに完全に客観的な部分もノンフィクションな部分もない,てことは留めておきたい。

 7 Kanta 2019/06/12 21:14
 原 一男の『ゆきゆきて,神軍』を明らかに意識した,バチバチにキマッたオープニングから始まり,日本人こそがアジアの神といわんばかりに傲慢で無知な発言を繰り返す右寄りのおっさんの語りで幕が降りる。


 なにが良くてなにが悪いか,正しいか悪いかは置いといて,というか,自分自身それを語るだけの器量も知識もないから語れないんだけど,あんな馬鹿げた発言を世界に向けて発信してしまった人たちがこの国を動かしていることに恥ずかしくなった。

 補注)本ブログ内で関連する記述は,つぎのものがあった。主題のみ挙げておく。リンクも張ってある。2015年01月25日「昭和天皇−奥崎謙三−靖国神社」。


 8 みさと 2019/06/09 18:28

 やっっばい〔やばい〕)。意外にも若い人がたくさん観にきてた。某生産性の議員や,黒幕さんインタビューのとこで劇場内クスクス笑い起きてて,でも彼らは大真面目なんだわな。

 その辺のホラーより怖い!! プロパガンダ映画かどうかは全編みたうえで判断すると良いかもです,,,!!

 最後の方で「なんでみんな慰安婦に関心もつんですか? 一種の〇〇的関心だと思うんですよね」の言葉が,鑑賞以降たまにフラッシュバックして泣いてしまう。

 最後に,「数字のデカさや悲惨にところにばかり気をとられて足元救われるなよ」って肯定派への助言が良かった。

 もはや右とか左とかじゃない。日本 vs 韓国じゃない。人権があるかないかなんだな。という感想。

 95歳もと少年兵の人の「天皇と聞いただけで背筋が伸びる,上官の命令は絶対」「あのころの日本は女の人格なんて認められてなかった」という言葉が重い。

 すごいものを観た。胸糞発言を大スクリーンで浴びまくる胃もたれ,必須ムービー!

 9 マリちゃん 2019/06/07 10:43
 慰安婦問題を題材に,歴史修正主義の説明を介して,政権の向かう方向を明快に描いた痛快作!

 10 ミ ハ 2019/06/05 23:40
 吉祥寺アップリンクの青いトンネルを抜けながら,心がすっと落ち着いて,じわじわと頭のチャンネルが切り替わる。たいていはいつも,映画本編がはじまって導入の映像からアナログ式にゆっくりと映画世界へ入りこんでいくのだ,が,今回は違う。はじまるとすぐスイッチオン・Youtube の再生スイッチをすでに押したかのようにミキ・デザキのナレーションが流れ出す。

 韓国における慰安婦問題について,さまざまな論客や関係者にインタビューするこの映画。あたかも彼ら同士がディベートするふうな緊張感ある映像づくりと編集により映し出されるのは,右派,リベラルを超えた 顔 顔 顔 とその声。情報量と速いテンポ感によりつぎつぎと展開されるこの映像を,単なる映像ではなく映画たらしめているのは彼らの表情だ。

 慰安婦にまつわる議論の食い違いに注目し,真相に迫るインタビューの流れは,デザキ〔監督〕のスタンスを示すとともに,観客が最初から感情的にならないようにうまくしかけられている。しかし会場でも終盤になると,いくつかの発言には思わず苦笑いが漏れ聞こえてくる。

 実際,こんなふうに映画として編集されていなければ,こんなに落ちついた気持で彼らの言葉にゆっくりと耳を傾け,その表情をみつめることなんでできないだろう。貴重な経験だった。だって単純にその人たちの言葉の端に怒ることだけでは,もうつぎにはつながらないことは明白じゃないか。映画でもそういっている。

 国際的報道では,第2次世界大戦にて日本が韓国でおこなったことは「20万人の女性を強制的に性奴隷とした」ことがスタンダードである。それぞれの論客が,「奴隷」や「強制連行」という単語の解釈,「20万」という数字の根拠についておのおの意見を述べるシーンは核心をつく。

 「奴隷」状態とは,女を縄で縛って牢屋にぶちこむことではなく,女に休暇を与えたとしてもその自由意志を奪い精神的あるいは肉体的に従属させることである(こう思うと奴隷状態とはすぐに起こりうることである)。

 「強制」連行というのは,無理やり力づくによるものだけでなく,国際法上,詐欺や甘言も含む。さらに,「20万」という数字の根拠は不確かであるのにかかわらず,人権団体などはその単純な数の多さから好んで用いるようだ。言葉も数字も,1人歩きさせればいくら主張してもそれだけで,なんの議論にもならない。

 たとえ意見の立場が違っても,こういった態度を同じようにとることが往々にしてある。言葉という事実そのものをこえた「態度」に,その人のいいたいことがある。それは自分がいいたいことを通すための主張なのか? なにをみすえてその人は,主張しているのか? これは逆もいえる。なにをしりたくて私は,その人の言葉に耳を傾けるのだろうか?

 『主戦場』の最後では,被害者の言葉で締められる。これまでニュースの点と点が,人物の表情をみせていくことで線になっていく映画だった。これからのニュースの点を結んでいくのに,確実に土台となるだろう。逆にいえば,これからのニュースの点を負わなければ〔←追わなければ?〕ほとんど意味がない。


 個人的に気になったのは,慰安婦像の問題だ。本編では,最後さらっと肯定されていたが,わたしには,慰安婦像には,なにか英雄的記念碑像としての強さのような雰囲気を感じて違和感が少し残る。


 もちろん,慰安婦像によってその事実を周知し,考えることは大切だ。だけど,この違和感はなんだろう。卒論で書いたマリノ・マリーニからも続く彫刻というテーマにおいて,このことについて考えながら読書を進めたい。

 最後に印象的だった当時日本兵であった松本さんの言葉を。「終戦までの日本は,女性の人権はなかった。おかしいといわれても事実そうだった。」(※原文ママではないと思います)。

 対立的な議論が多く検証されてきたなかで,この言葉が飛びぬけて目立っていた。それまでの論客による議論があったから重みがあったともいえる。この発言は,日本を韓国と置きかえることもできる。東アジアにおける儒教的家父長制が今回の問題と深く関係することが本編でも示唆されているように。そしてきっと世界をみれば,アジアだけのお話じゃないだろう。

 当時,日本兵もそういう社会に生きていたし,女性もそういう社会に生きていた。問題は複雑だ。そして,わたしがこの社会に生きていることはやっぱり必然的ではないし,わたしの状態も必然ではない。だからこそ,ようやくいろんなことが認められはじめた社会で生きるからには,やることはたくさんある。

 11 Reo 2019/06/04 00:10
 最終的な主張があるとはいえ,限られた時間のなかである程度は両論に真摯に向きあっていた気はするし,もちろん切りとられてはいるだろうけど,2時間ですべてをしった気になろうという方が傲慢なので,これは慰安婦論争の現在地をしるうえで貴重な資料なんだと思います。

 それにしても “保守” をかかげて現われるのが,こういう人たちっていうのが保守側の致命的に良くないところなんじゃないか。

 12 Xxxzzy 2019/06/03 21:24
 おもしろかたー! オノ・ヨーコのいとこやばすぎいい〔ヤバすぎる〕。95歳のおじいちゃんしっかりしすぎいい〔しっかりしすぎている〕。安定の日本会議と岸〔信介〕の孫安倍すぎいい〔すごい〕。日本の問題,ここに帰結しすぎいい。ほんと日本出ようかなという気持が高まりますね。1億円もらっても性奴隷は性奴隷という言葉響いた。

 13 つるぎたけし 2019/06/01 08:11
 2019年6月1日〈ほとり座にて鑑賞〉 たびたび報道される慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリーだが,日韓それぞれの視点にくわえ,さまざまな立場からの歴史検証にもとづく証言をみれるのはおもしろい。

 しかし,映画作品である以上は,監督による演出で個性がみてとれるのは当然だとしても,監督みずからがナレーションをおこない,編集も自分でおこなった「監督の自分が思う主張はこうです!」という押しつけな部分を感じてしまうのは,いただけないと思った

 主義一貫としていない発言を聞いていたり,まったく的外れに感じる主張をみている分には十分面白いし,あまりしらなかった一面を伝えている点は素晴らしいと思う。今後,いままでの印象とは異なった見方になりうる某ジャーナリストとか,政治家とか,不利益と思える人びとからの糾弾も辞さない作り手の心意気には敬意を表したい

 14 shurin 2019/05/29 23:32
 サンフランシスコと大阪市が慰安婦像の設置をめぐり,姉妹都市連携を解消した問題…,徴用工が日本に補償金を迫っている問題…,日本人的には蒸し返したくない問題が噴出し,右じゃなくても日本を擁護したくなっていたこの時期に,この映画を観れたことは幸運だった。

 日本や韓国の若者たちへの街頭インタビューは多少編集されてはいるだろうが,日本の慰安婦に対する歴史認識は甘い。私も平和記念資料館などではみたが,中高の教科書でしっかり学んだ記憶はない気がする。それは本編の新しい教科書をつくる会の話にもつながってくるのだが…。


 1965年に精算したじゃん,って私も思ってたんだけど,日本が慰安婦問題を認めたのは1992年で明らかに矛盾が生じているっていうのはしらなかった。でもやっぱり,ここからどうするかっていうのは,また別問題…。

 補注)「〈私の履歴書〉石原信雄 22,PKO協力法 自衛隊の海外派遣に道 天皇の訪中,初めて実現」(『日本経済新聞』2019年6月23日〔つまり本日の〕朝刊)でたまたま,石原は1992年当時における従軍慰安婦問題関連の事情を,つぎのように語っている。ここで石原が語った中身は,今回の作品『主戦場』なかにも「録音された音声」をもって紹介されている。

“ 外交を重視する宮沢内閣は中国,韓国と関係改善を進めた。天安門事件で孤立していた中国とは天皇陛下の訪中が浮上していた。1992年4月,江 沢民総書記が来日し正式に招請。自民党では藤尾正行元文部大臣ら保守派が朝貢外交だと反発していた。総理は「中国の要請を握りつぶしたら悔いが残る」と考えていた。

 宮内庁からは「政府が決めるなら将来のためによいことだ」という陛下のご意向が伝わってきた。総理の指示で私は福田赳夫先生を訪ね,派閥の子分だった藤尾さんを抑えてもらった。10月,初の天皇訪中が実現する。最初は表情に硬さのあった中国の人たちが両陛下の人柄に触れるにつれ,心から歓迎するようになったのが伝わってきた。

 韓国には従軍慰安婦問題で悩まされた。総理は2992年1月の訪韓で謝罪したが,韓国は「強制性を認めていない」と納得しない。慰安所設置などに軍が関与した通達は残るが,慰安婦の募集については民間業者に任せ「強制」を裏づける資料はない。そこで元慰安婦に聞き取り調査をし,その心証をもとに出したのが「河野談話」である。

 談話の原案は外政審議室が作成し,河野官房長官が強制のあった印象を強めるよう筆を入れた。たとえば「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり,さらに,官憲等が直接これに加担したこともあった」とのくだりの「数多く」などだ。河野官房長官は総理に代わり,この問題を収束させようと最後まで心を配っていた。

 左派が「2000万人の被害者」とか誇張して民衆を煽るのも違うし,日本に都合のいい箇所しか採用せずにナショナリズムを掲揚して人びとを洗脳するのも違うのは明らかなのに,なんで気がつけないんだろう…。
 補注)この「2000万人の被害者」(左派のいいぶん?)という数字は,第2次大戦(大東亜戦争,広くはアジア・太平洋戦争)の期間における戦争犠牲者(死者)のことか? この数字を誇張だとか形容して非難するほうが,実は「煽り運転」にも似た,つまり扇動的な発言でしかありえない。

 徴用工の問題にしても私が読んでいる新聞は,日本は韓国に対して確固とした態度をとるべきだ派だけど,そういう問題じゃないんだなぁと思ったよ…。


 安部さんなぁ…。岸 信介なぁ…。友達と政治の話とかしないから周りの人がどう思ってるのか分かんないんだけど(それじたいかなり問題だと思ってるんだけど),正直,この映画を観て初めて反アベの気持が分かった…。


 いままで本気で考えてもわからなくて,でも周りの大人はみんな反アベで,わからない自分が嫌で泣いてたんだけど,岸 信介までしっかり遡ればその体質が浮き彫りになるんだね…。

 ま〜,ちょっとトランプを手厚くもてなしすぎだよね。私もそう思ったらデモでもすればいいのにね。しないのよ。そして気づいたら手遅れかもしれないね。本編に出てきた女性で,昔は右派だったけど思想が転回した方の言葉,「日本の過ちに気がついたら敵がいなくなって,自由になった」が印象的だった。

 私が小さいころから慰安婦問題のニュースは絶えなくて,それこそラスボスの「なんでそんなに興味をもつの」なんて思ってたけど,映像のパワーはすごいね。すんごいバカそうだったもんね。無知だったことは否めなくて,でももうしれたので,明日から世の中の見方を変えられそうです。多くの若者に観てほしい。

 15 もこぴよ 2019/05/29 14:38
 ドキュメンタリー映画としては,すごくテンポ感が良くて,編集も秀逸だと思った。おもしろい! 無知ながら興味はあって,それをいろんな立場・見解の論客の話に聞いて,個人的には修正派のそれぞれの意見が非論理的にしか思えなかった,,。

 イライラしたし,呆れて思わず笑ってしまったし,一般的にざっと聞いて筋が通っていそうな話し方をするけど,内容がペラペラだと感じた。そして,なによりそれに対しての恐ろしさを感じた。

 レビューで「ブラック・クランズマン」との共通点に触れている方がいらっしゃり,私も同じようなことを感じた瞬間があった。正直なところどうすべきなのか,いまこの作品を観ただけの私には分からない。
 補注)「ブラック・クランズマン」とは,別の映画の題名である(劇場公開日 2019年3月22日)。黒人刑事が白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」に潜入捜査した実話をつづったノンフィクション小説を,「マルコムX」のスパイク・リー監督が映画化した作品。


 でも,確実に興味をもつきっかけとして心を動かされたのは事実。同世代の人たちにも観て欲しいな。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075054438.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c14

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
15. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月24日 11:42:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3190]

社会科学者の随想 2019年06月24日
従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったところで,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その2)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075061254.html


【『主戦場,SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue』2018年製作映画】

【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】
【製作国  アメリカ・日本・韓国】
【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】


◆「主戦場」に投稿されたネタバレ・内容・結末 ◆

 = 以下においては,寄稿のさい添えられていた「評点(5点満点)」は,わざと触れないで引用する =

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【断わり】 「本稿(1)」をさきに読みたい人は,こちらへ移動して閲覧されるようお願いしたい。
 16 ろくべえ 2019/05/29 01:05
 想田和弘監督が絶賛していたので,ずっと楽しみにしていた作品。慰安婦問題は,個人的には2014年に朝日新聞が記事を撤回,謝罪したころから興味をもち,真実をしりたいと思っていた。映画での歴史修正主義者たちの発言には生理的な嫌悪を感じたが,それを上まわる鮮やかな構成,論理的で胸のすくような展開だった。

 どこかのレビューで,「(否定派と肯定派)両論が公平に描かれており,判断は観る人に委ねられている」というのをみていたので,そういう映画なのかと思いきや,明らかに修正主義者たちの論理は破綻しており,発言のボロが浮き彫りとなる見事な対比だった。

 肯定派は皆,信憑性のある事実にもとづき,冷静淡々と言葉を選びながら論理的に発言していたのに対し,修正主義者たちに皆共通だったのは,差別的で人を見下したような表情と自己の正義を主張し,戦いを挑むような感情的口調。とりわけインタビュアーの質問に口籠もったS氏の目が泳ぐ場面は彼らの脆さの象徴のようにもみえた。


ケネディ日砂恵画像 そして,この映画のなかでもっとも印象に残った人物は,櫻井〔よしこ〕氏の後継といわれていた元修正主義者のH氏。公式の出演者情報には出ていないことが逆に映画のなかでの切札的な存在感となっていた。

 補注)このH氏(女性)の姓名はのちに出てくるが,日砂恵・ケネディである。登場してする会話は英語を使用していた人物である。

 出所)右側画像が「ケネディ・日砂恵」,https://www.genron.tv/ch/hanada/archives/live?id=130

 「私にはもう敵はいないので,やっと解放され自由になりました」という彼女の言葉に,「真理は人を自由にする」という聖書の一節を思い出した。とにかくこの監督は今後末恐ろしいと思えるような見事なドキュメンタリー〔を制作した人物〕だった。

 補注)〔 〕内は文意を汲みとって補足した。以後も同じ。


 17 nobue 2019/05/26 18:00
 情報もまとまっていて,普段みる機会のない人物の顔や話し方もみられて,とても勉強になった。この〔映画の〕問題は当時〔戦前・戦中〕,その場所をとりしきる権限をもっていた人間の人格や状況によって,あまりにも千差万別の被害状況だっただろうと想像されるからこそ,敗戦後の早い時期に帰還兵にヒアリングすべきだったのにできなかった無能,もどかしい。

 そもそも,最初にこの問題に触れたのは小学校の図書館で,「女子挺身隊」として誘われて結果,慰安所に連れていかれた日本人女子の記述だったような気がするし,これほど概算に概算を重ねたような曖昧な数字だったとはこの映画で初めてしったが,この周りには膨大な類似ケースがあったことも簡単に想像できる,と私は思うが,あったと認めもしないって,いったいどういう思考回路なんだか。

 18 右側に気をつけろ 2019/05/26 17:55
 日本ではなかなか表に出てこないテーマを掘り下げた稀有なドキュメンタリー。両論を並べて公平を期しつつ,そのおかげで明確になっていく歴史修正主義者の矛盾。ていねいに積み重ねながら,時にはわかりやすく場面を切り替えながら,つまびらかにしていく。マイケル・ムーアとの近似を感じたものです。

 19 86junk 2019/05/26 02:52
 観る前は『主戦場』というタイトルに大袈裟だなと思っていたけど,鑑賞後はなるほどそのとおりだと。どうしてこんなに偏って人を傷つける意見を堂々といえるのか。日本は本当に危険な国になっている。

 20 熊車 2019/05/25 03:21
 腹が立ちながら笑ってしまう不思議な体験のできる作品。

 杉田水脈議員の発言のあとに検証が入って嘘だとバレるのが繰り返されると,議員が話しはじめると劇場に笑いが起きてた🤣

 天丼ギャグ〔「同じギャグの重複使い」のこと〕かよ w

 ケント・ギルバート氏が,こんなことはありえないと断言するかと思いきや,ありえないこともないかな(?)と即,予防線を張る関白宣言オマージュ寝たいもウケてた😭

 そして,ラスボス日本会議の会長がインタビューで答えた「私は本を読みません」発言で大爆笑をかっさらう ww あなたの後ろに並んで本は飾りでしかないのか www でもこんなアホな連中がデカい面してのさばる現状は本当に恐ろしい。
 補注)この指摘のとおりにしかみえなかった「日本会議の会長」の発言であったが,これは受けとり方にもよるが,明らかにわざと古狸的な演技を表現していたと,本ブログ筆者は解釈する。のちにも,この寸評に関して若干の議論をしてみることになるが……。

 21 htm 2019/05/16 21:33
 citizen's right isn't human right.

 22 あの 2019/05/16 16:46
 観たのは偶然で,私はなにもしらないし,しらなくて良しとしてきた。それで良いの? 「お前はその態度を貫きつづけるのか」という視線。しらないまま進んでいくには,私はナイーブだな。自分が無知で,それゆえに強く,でも幸せでいるにはしりすぎた。うまくいえませんが

 論理的に主張することは労力がいるが,バカにする(論理的でない主張で対象の尊厳を損なおうとする)ことは寝ながらでもできる。バカにすることでその対象より自分を上位に置こうとする行為をしっかり観て,そんなことで尊厳を奪うことはできないとしつつも,その行為じたいが「人」の尊厳を侵害するものだからやめなさいということ,〔この点〕はこの作品の主題だけにあてはまるものではないと感じた。
 補注)最近まで日本の国家における安倍晋三や麻生太郎の他者(野党に対してだけのことではなく国民全体に向けてきた)に対する態度は,この段落で指摘されているとおりである。要するに「自分が▲鹿である」事実をよく自覚しえない「世襲3代目の政治家」が,国民たちも自分と同じかあるいはそれ以下だと確信できているような感性丸出しの為政が,とくに安倍晋三第2次政権以降,いよいよ悪化する(「病膏肓に入る」!)ばかりの方向で「進展させられてきた」。


 当然のこと,このような知性(痴性)の点では「問題だらけの政治屋たちの存在」を,いつまでも許しつづけている有権者側の「民度」も,21世紀の現在においてとなるけれども,いまさらのように試されている。


 ところが,この「舐められつづけている」国民たちの「安倍晋三や麻生太郎に対する認識度」そのものにおいて,まさに問題ありという事実は,日本の民主主義のあり方じたいにそもそもの課題があった事情を意味している。

 23 connie 2019/05/14 09:01
 意気揚々と喋る従軍慰安婦否定派の人たちから出る,女性蔑視・中韓蔑視の言葉がイタイ。歴史学者の地道な研究を無視して,都合の良いところだけとりあげるとこういう発言になる。しかし,日本会議は恐ろしい。そのマスコットになっている櫻井〔よしこ〕氏に後悔はないのかと。
 補注)「後悔先に立たず」というけれども,櫻井よしこは,あの表情・顔つきをみるかぎりでは,後悔という用語・単語は完全に無用となった女性のように感じられる。櫻井の基本的な矛盾,従軍慰安婦問題に関する立場(解釈)が「肯定から否定へと」豹変した事実については,昨日の記述「本稿(1)」が説明していた。

 24 ウニ 2019/05/12 17:27
 本件に関して,どのような議論があるのか,密度の濃いドキュメンタリーでみごたえあり。

 戦争そのものがなにも生み出さない,人間の尊厳をたやすく損なう不毛なものであり,どうやれば戦争に巻きこまれなくて済むのか,たゆまなく変化する国際情勢を正しくつかむ努力(外交・諜報),真剣に考えねばです。

 また,先の大戦にどうして巻きこまれたのかも客観的・複眼的にファクトで理解すべき〔である(私自身が)〕。戦争は,双方に3代200年に渡る深い遺恨が残ることを覚悟せねばならないと思いました。

 25 reris 2019/05/10 21:03(なお,この25はかなり長めの言及となる)

 監督が自分の主観を語る部分が多く,ドキュメンタリーとはいえないと感じた。

 まず,右派左派でいえば,8対2で左派寄りの内容が多い。監督は中立で差別反対の立場としているようだが,冒頭から右派を歴史修正主義者と呼ぶことは差別的ではないのだろうか?

 補注)この「8対2」というのは特定の定量(判断)の測り方に関した定性的な印象論であり,いいすぎというか不当な評定である。それでは,実際にどれだけの「両者に対する時間按分」になっているかといわれても,まだその正確な認識はできていない。


 それほど気になるのであれば,ストップウォッチを使い,「左派と右派の人士たちがとりあげられ発言している場面」を腑分けしたうえでそれらの合計時間を計ってから,それぞれの時間の長さを比較した結果,そのように「8対2」だというのであれば分かるが,そうではなく,単に印象論でのみそのように決めつけた割合「8対2」を出している。

 もっども,そういうふうに受けとられてしまう事情があったのだとしたら,この「8対2」という比率は実は,左派と右派の「いいぶん:それぞれ」が効果を挙げえていた「説得力の比率(その差異)」だと読みかえてもいい。実際にこの映画『主戦場』を鑑賞したうえで感得したつもりの「その量的な割合に関する印象」は,本ブログ筆者の感じ方でいうと,「左派のほうが若干多めになっている構成か」という程度であった。

 問題は,この感想を寄せた「25 reris」氏の立場がこの映画をどのように受けとめているのかという,それも「事前に抱懐していた自身の価値感」に応じて,その「比率の解釈」が異なって決められることになったのではないかと思う。この「25 reris」氏は,右側に寄った立場から盛んに発言している。

 話が進むにつれ,左寄りの意見ばかりが展開され,右派の扱い方が酷く,私は左派に相当偏った作品と感じた。以下にその詳細を書いてみる。
 補注)「右派の扱い方が酷く,私は左派に相当偏った作品と感じた」という感想は,この感想を書いた人自身が「右派への同調が強く,相当偏った作品と感じる」ほかない立場にあったからではないかなどと,逆に位置づけることができる。以下では,その点にこだわった本ブログ筆者からの寸評が,この「25 reris」氏に対してはだいぶ突きつけられることになる。

 前半は慰安婦問題だが,後半は安倍政権批判,憲法改正の否定,靖国参拝批判など,ほぼ野党派閥の主張をそのまま展開する内容である。もはや既知であり,正直つまらない。日本人よ,アメリカのために戦争に加担してくれるのか(!)というのは,まさにその象徴的なフレーズ。論理の飛躍が過ぎるし,日本人からすれば,大きなお世話ではないだろうか?

 補注)この段落の意見は神経過敏であると同時に,かなり大きな見当違いをしている。安倍晋三は「アメリカのために戦争に加担させられる日本国の自衛隊3軍」に変えてきた関連問題を,この「25 reris」氏は,まともに理解できていない。というよりは,現時点まで至っている関連の時代状況がまともに感知できていない。


 いまの自衛隊ができるようになった戦争関与(集団的自衛権の問題)は,日本の軍隊として「アメリカのために戦争に加担してくれるのか」という次元は,すでに通りすぎている。そこからさらに「アメリカの代わりに戦争に加担してくれ」という地平にまで出てしまった。だから,前段のような「米日両軍の役割分担」に関する最新事情の認識が欠落していると批判してみた。

 現在の自衛隊が「アメリカのために戦争に加担してくれる」「以上の日本の軍隊」になっている事実は,『読売新聞』や『産経ニュース』を購読している読者でも分かるような「時代認識」である。だが,以上のように頓珍漢=状況オンチの発言をするようでは,この映画『主戦場』に対する批評をする資格はない。感想文とはいえ,そう断定しておく。

 左派は歴史学者を2人出演させ,主張とその根拠を長々と話すわりに,右派は歴史学者を1人も出演させないのはなぜだろうか? 右派の主張にも事実や根拠があるはずだが,右派論者の発言はあくまで個人的な感想を述べるところばかりを切りとった,もしくは感想を聞くだけのインタビューだったと思われる。フェアに同じレベルの質問を両者にすべきだろう。
 補注)この評言も不公平な発言になっている。右派にはまともな理論家はいない,扇動家なら大勢いる。学者である人間もいないわけではない。しかし,その彼らの発言は「個人的な感想」から出られない限界,つまり学問以前に留まるといった制約:弱点をもっている。

 なぜ,この映画『主戦場』のなかでは,秦 郁彦のような研究者の見解はとりあげられていなかったかまで,この「25 reris」氏は考えが至らなかった。秦は,従軍慰安婦問題を否定することはしていないし,この歴史問題に関する著書も公刊している。

 端的にいえば,従軍慰安婦問題を全面的になきものとするようなトンデモな見解はとれない立場に立つのが,秦 郁彦の基本的な思考であった。ただし,秦は秦なりに特殊な研究志向の立場も有していて,なるべく問題を小さく描くことに非常に熱心な論者であった。

 秦 郁彦は,吉見義明などと従軍慰安婦問題をめぐって公開論争をしてこともあったが,ここでは別途,永井 和・京都大学文学研究科教授「日本軍の慰安所政策について」(京都大学大学院文学研究科現代史学専修『永井 和のホームページ』更新 2012年1月12日,http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html)の参照を勧めておきたい。

 永井 和のこの一文には,最後に補足されていた段落があるので,とくにそこからつぎの段落を引用しておく。日本軍事史を回顧すると,こういった「歴史の事実」も存在していたのである。


◆ 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 ◆


 軍慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったことはすでに述べた。このことを裏づけてくれる,陸軍の規程を偶然に発見したので,紹介しておきたい。それは1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」という陸軍大臣が制定した軍の内部規則である

 その名の示すとおり,戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての規程である。添付の改定理由書によると,日露戦争中の1904年に制定された「野戦酒保規程」が日中戦争の開始とともに,古くなったので改正したとある。改正案の第1条は次のとおりであった。

 第1条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ従軍ヲ許サレタ
     ル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス

     野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得

 ここに「慰安施設」とあるのに注目してほしい。改正規程では,酒保において物品を販売することができるだけでなく,軍人軍属のための「慰安施設」を付属させることが可能になったのである。改正以前の野戦酒保規程の第一条は,以下のとおり。

 第1条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確且廉価ニ販売スル
     ヲ目的トス

 ここには「慰安施設」についての但し書きはない。第一条改正の目的が,酒保に「慰安施設」を設けることを可能にする点にあったことは,改正規程に添付されている「野戦酒保規程改正説明書」(経理局衣糧課作成で昭和12年9月15日の日付をもつ)で,つぎのように説明されていることから明らかである。

 「改正理由 野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ
       為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル」

 このことから,1937年12月の時点での,陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは,この「野戦酒保規程」第1条に定めるところの「野戦酒保に付設された慰安施設」であったと,ほぼ断定できる。酒保そのものは,明治時代から軍隊内務書に規定されているれっきとした軍の組織である。野戦酒保も同様で,陸軍大臣の定めた軍制令規によって規定されている軍の後方施設である。

 してみれば,当然それに付設される「慰安施設」も軍の後方施設の一種にほかならない。もちろん,改定野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで,軍慰安所のような性欲処理施設を直接には指していない。しかし,中国の占領地で軍慰安所が軍の手によって設置された時,当事者はそれを「慰安施設」とみなしていたことが,別の史料で確認できる。

〔本文に戻る→〕 映像についてだが,右派論者を怪しい輩のようなテイストで紹介したり,右派の組織図をまるで某スパイ映画の悪の組織を紹介するがのごとくの編集をする。さらには,大日本帝国復活の陰謀論のようなマユツバ話まで展開させるため,もはやドキュメンタリーではなく,バラエティである。本気でいっているのかも,正直疑問。デザキ氏はこれをみせて信じた日本人を心の底では笑っているのではないか(?)とも思ってしまうほど,根拠のない話。
 補注)この段落の評言は被害妄想である。右派の慰安婦問題を「否定する者」の語り口は,表面的には具体的に語っているように聞こえるものの,歴史的な根拠のない “でっち上げ的な主張” にしかなっていないものが,圧倒的に大部分である。

 また,日本は女性に人権がない国,侵略国家であるなど,使い古された戦後自虐史観を植えつける内容が多く含まれている。印象操作をするくらいならば,事実に重きをおくほうがよっぽど面白い内容になったと残念でならない。
 補注)敗戦前における女性の地位に「基本的権利」がなかったのは,事実そのものである。この人は「戦後自虐史」とか「印象操作」とかいった表現をもちだしているが,ネトウヨ的な俗悪論に脳細胞を冒された “感情的な発言” を放っている。具体論に現実的に反論するのではなく,噛みあわない抽象論をぶち当てているが,空論(空砲的な威嚇?)。

 肝心の慰安婦問題は,比較的事実ベースに語られているものの,日本軍が強制的かつ直接的に収監したか否かの問題と,広義の女性人権問題のふたつの論点を混在させて,分かりにくくしている。
 補注)こうはいっているけれども,自分自身が十分に認識できず区分もできなかったはずだったその「ふたつの論点」に関する議論に向けて,非難が提示されていた。とすれば「混在しているではないか」と,その「ふたつの論点」に対して批判を繰り出したところで,この種の発言を放った立場そのものが,実は「問題に対する識別力」をもともと絶対的に不足させていた。こうなると,なにをいっても説得力を感じさせない。

 前段でも示唆してみたつもりであるが,この人の解釈は「問題の基本点を自分で仕分けできない」まま,あるいはそれ以前に「理解そのものが不十分の」まま,その「ふたつの論点を混在させて,分かりにくくしている」のである。いいかえれば,タメにする話法(?)にはまりこんだ結果,かえって話をややこしくした。混線させていた。

 私たちは,慰安婦=可哀想と無意識に思ってしまいがちだが,当時の慰安婦に,「私はこの仕事に誇りをもっていました。命を賭して戦う兵士のために,助けになりたく参加したのです。」と,いわれたらどう感じるだろうか? 可哀想という見方は現代人のそれであり,上から目線の価値観ということを肝に命じなければならない。

 補注)このとらえ方も異質の問題,平時と戦時の違いをまったく区別しないいいぶんである。さらに,日本人の従軍慰安婦であれば妥当する話題が,いきなり朝鮮人の慰安婦の問題にまで勝手に拡大解釈されている。


 たとえば「特攻隊の問題」が,敗戦後になってどのようにとりあげられ,論じられてきたか参考になる。いまもなお,この「特攻の問題」は議論が続けられている。次元は根本ではつながっているけれども,その次元において異質性がある問題をただちに,ここでの解釈のように関係づけて話すのは,論点をみずから混乱させるだけであった。


 事前の条件づけにおいてからしてすでに,自身の構えのなかに偏倚(「へんい」:かたより)を介在させていた点に無頓着だとしか解釈のしようがないが,従軍慰安婦問題の入門付近の知識を欠いていると,この程度にしか話が展開できない。

 また,慰安婦と日本兵が,恋愛の果てに,2人で生還して本土に戻り,結婚まで至る,そんな戦争の時代に激動の人生を歩んだ人たちの話だってある。調べればすぐにわかることだが,これもまたとりあげないのはなぜだろうか?

 補注)ここでは前述に指摘したように「日本兵・対・日本人の従軍慰安婦」という組みあわせが話題に挙げられていた。戦場に咲いたあだ花であっても,それなりに美話になりえないわけではない。けれども,こちらの話題はごくごく一部にありえたかもしれない例外的なことがらである。


 本ブログ筆者はそうした事例に関する話題を,実際に旧兵士たちが語った事実を記載した本を読んだことがある。しょせんは非常にまれな出来事であった。「同期の桜同士」というか「戦友の仲間内」だけで,それも密かにしか話題にできない記録であった。


 いずれにせよ,単に狭くかぎられた具体的な話題をもちだしてでも,これを不当にもちあげながら拡大解釈的に普遍化しようとする操作が好まれている。そういった様子が強くうかがえる。だが,それでは,異様なまでにもちあげてみた「特定の現象に関する説明」が,「論理・概念的には初歩の誤謬」を犯している点については,いつまでも気づかないで終わる。

 またとくに,ここでいわれる慰安婦との結婚話は,実際にあったとしてもあくまで “日本人同士であった事例” であったのだから,「日本人と朝鮮人」を区別しておかない議論は,当初より誤導的であった。

 韓国人慰安婦の賠償を訴える証言を紹介するが,一方で当時の慰安婦はそのような酷いものではなかった,という証言をとりあげないのはなぜだろうか?
 補注)これについてはこう説明しておく。日本人慰安婦で特定個人の将校付きになった慰安婦の事例ならば,そのようにとらえることはできなくはない。ということであって,これを問題の全体に突きつけて論点を散漫化(解消?)させるのは,この指摘じたいが暴論に近い〈近視眼的な着眼〉であることを反証する。

 慰安婦問題のきっかけとなった,朝日新聞の吉田〔清治〕証言記事を,とうの朝日新聞が誤報と認め,撤回,謝罪記事をあげたことに触れないのはなぜだろうか?
 補注)この「『朝日新聞』誤報事件」は,この映画全体のなかで一言も触れられていないのではなく,最初のほうで関説:言及があった。この点をまったく無視しての発言か? 不公平・不公正な言及である。

 右派ナショナリストから,左派に考えを変えたという女性が多く語っているが,左派リベラリストから右派に変わった人がいることを紹介しないのはなぜだろうか?

 補注)広義でいえば,櫻井よしこやケント・ギルバートがその「左派リベラリストから右派に変わった人」である。この映画のなかで語っているよしこは,ただし(もとは多分左派かリベラルの立場であったが,その後においていつの間にか)右派になった立場からインタビューに応じていた。


 それゆえ,ここでの「左派リベラリストから右派に変わった人がいることを紹介しないのはなぜ」(?)という疑問は,短慮ないし知識不足であって,ただの感想とはいえ,指摘の仕方が稚拙である。

 慰安婦問題や徴用工,日本の主張こそが正しいと像を撤去しようと活動している韓国人の団体がいることを説明しないのはなぜだろうか?
 補注)この意見は,韓国内における戦後政治史のこみいった言辞的な展開をしらずにいっていると推察するが,あまりにも上っ面だけの指摘である。「韓国の反対」=「日本の反対」ではないので留意が必要である。

 一辺倒の主張で,都合が悪いことを触れないようにしていることは明白である。このような偏向されたものがほんとうにドキュメンタリーなのか?と思ってしまう。
 補注)さきほど「(左)8対(右)2」の紹介になっているという指摘があったが,この人の感想ではこれが「10対0」だという割合も受けとっているかのような発言である。このいいぶんそのものが極端さを剥き出しにしていて,聞く者をして説得力の面ではかえって逆効果を生んでいる。

 監督個人の態度や姿勢にも少々疑問がある。日本会議の東京代表者を執拗にこけ下ろすシーン。どこの誰かもわかない無名監督のインタビューを快諾した者にこの態度や編集はないだろう。
 補注)「どこの誰かもわかない無名監督」という形容に問題あり。この映画を制作したミキ・デザキは,いまや有名監督になった。誰でも最初は無名……。そのなかから有名になる者も登場する。横綱になった関取でも最初は前相撲からとりはじめる。「どこの誰」といういい方は「どこの馬の骨」とでもいいたかった別の表現だったのかもしれない。

 悪の親玉みたいにもったいぶって登場させ,質疑は「従軍慰安婦の〇〇の著作を読んだことがありますか?」→「いえ,読んだことはありません。人の著作物はあまり読まないようにしているので」とのやりとり。そして,テロップで,右派のリーダーがこの低いレベルの認識である,と流れるのだ。ひとりの著作物を読んでないことぐらいで,勉強不足と指摘することじたい,小学生の口げんかのようである。
 補注)この指摘=理解も非常にひねくれたものいいである。専門家でなくとも,加藤英明の場合,そのように質問されて当然であった。あるいは当人は,その質問の意味は事前に十分にしっていながら,故意に「しらない振り」をしてそのように答えていたのかもしれない。要はとぼけていたか(韜晦していたか)もしれないということである。単なる古狸的な演技としての回答であったとも受けとれる余地も,十二分にあった。

 加藤英明は秦 郁彦が自分の友人だといっていながら,秦の書いた〔従軍慰安婦問題の?〕本も読んだことはない,とまで語っていた。友人ならば,秦の本の1冊や2冊は献本されてもっているとしたら,パラパラとめくるかたちでの拾い読みぐらいしていたのではないか? もっとも,それでなくとも加藤は秦の本をまったく読んでおらず,その内容をなにもしらないということはあるかもしれない。加藤の発言を馬鹿正直に聴いたかぎりでは,そのように解釈できなくもない。

 映画ではこの方の情報はまったく触れないまま,ただ悪者という印象操作の標的にされてるとしか思えない。ひどいものだ。ただの好々爺ではないか。冷静に映像をみれば,この人を本当に悪のボスだと本気で思う愚か者はいないでしょう。
 補注)加藤英明については,つぎのような言及を紹介しておく。「ただの好々爺ではないか」でなく,むしろ「ただの古狸・爺」でしかない人物が,この「自分の古ダヌキ性」さえ隠そうとする演技をしていた,とも解釈できそうである。

“ 加瀬英明が,どんな人物かというと,「菅野 完氏の悪夢に出てくる……ような日本会議の強力なパトロンですね。加藤英明の父の加瀬俊一は,安倍の叔父さんの佐藤栄作のノーベル平和賞受賞のロビー活動を行なった人物で,ドイツのワイマール末期に大使館員だっととか。民主主義の典型の憲法を掠め取ったナチスの手口を生で目にし,学習したことでしょう」などとも指摘されている。
 註記)「晋三 昭恵のカルト仲間=渡邉政男 加瀬英明 / サンマリノ神社=日本会議タックスヘイブン」『☆Dancing the Dream ☆』2017年09月27日,https://ameblo.jp/et-eo/entry-12314351820.html

 のちほど調べたところ,監督のデザキ氏は当時上智大の学生の立場を利用して,あくまで公平に扱うとしてインタビューを申しこんだようである。この内容は明らかにだまし討ちをしているようなもので,現に取材のとり方に批判と抗議が寄せられていることが判明している。インタビュー作品として,主演者からの抗議は致命的。デザキ氏は二度と同じような作品は作れないでしょう。

 補注)このあたりの問題に関する解釈はすでにいろいろ議論もされているが,この程度にまで素朴に発想できて済む問題ならば,世話は要らない。「インタビュー作品として,主演者からの抗議は致命的」という解釈は,ひどく一方的に肩入れした意見である。


 映画作品として完成にまで至る過程のなかで生まれてきた「問題意識」であったにもかかわらず,この点を最初からデザキが意図的かつ恣意的にに構成・編集したかのように非難するのは,軽率な批判である。映画作品で政治性を帯びるものが,完全に中立・不偏不党などといった立場に立つ必要などなく,むしろありえない事情(方向性・選択肢)である

 また,デザキ氏は後半に出てくる上智大の左派学者の中野晃一氏の教え子ということだ。つまり,初めから左派の人間が左寄りの論述をするための映画だったわけである。

 補注)これは「左派学者」の教え子だからイケナイみたいな指摘であるが,それならば「初めから右派の人間が右寄りの論述をするための映画」のような作品を,こちら寄りの監督が別途制作して対抗されればいいだけのことだと,いえなくもない。


 映画の制作は国策映画ではなければ,個々人である監督の立場・思想の反映が結論に表現されるのは,当然のなりゆきである。これに対して「好き嫌い」の問題=「価値感をただちに覆いかぶせる」のでは,映画としての作品をひとまず冷静に鑑賞しようとする立場はえられない。

 デザキは初めからここで非難されているごとき『主戦場』という映画の編集をしようと準備していたのではなく,制作していく全工程を集約するかたちでその結論部分を表現していたのだから,「左派の人間」が「左寄りの論述をするための映画だった」というのは,順逆をとりちがえた倒錯的で勝手な解釈である。

 全体として,とにかく監督の左寄りの作為が強すぎるし,品性にも疑問が残る,中立性はほぼ皆無,非常にアンフェアな作品だと思う。NHKのほうが,まだましな左寄りの映像作品を作っているのでは?

 補注)この映画はひとつの作品として公開されているが,NHKは非常にたくさんの特番を制作している。それゆえ,そうたやすくは双方を比較する話にまでは進みえないはずである。だが,ここでのいい方は,一重に感情的に過ぎた単発的な発言に終始している。


 さらにいえば,このデザキの “作品における品性” とは,いったいなにが問題なのかについても,あまりにも唐突の発言がなされているだけで,まともに問題の俎上に上げられるような話題の提示にはなっていない。

 結果的に知識がない人,純粋な人をその情報量と映像の印象操作で左派寄り思想にする監督個人の作為にまみれた左派プロパガンダ作品なのだろう。
 補注)「印象操作」の一点に関していう。右派の人びとのほうがさらにひどく「個人の作為にまみれ」ている点こそが,この映画によっても,的確に伝達されているはずである。すなわち,ある意味でいう「知識がない人」たちは,「情報量」のもちあわせにおいて問題(決定的な不足)があるにもかかわらず,逆にそういった「印象操作」に頼る気持がより強い。この点は,右派の人びとにあっては露骨に表出されてきた。

 左派の人たちを論破したいのであれば,屁理屈ではなく,左派の利用する歴史資料も十分に読みこんだうえでの論争が期待されている。だが,残念ながら右派の者たちが口にする理屈は,まさに屁理屈次元のものが多く,それでいて発言されることばは劣情がこもっている。


 杉田水脈の発言はその代表例であって,中途半端どころか生半可を地でゆくだけでなく,空中分解を約束されるほどにまで飛躍しつくしていた。口先だけはもっともらしく語るも調子になっていたが,この女性はまともに勉強したうえで発言しているのか,根本的に疑わせていた。すでに本ブログ内では彼女のそのデタラメな事実誤解の実例を指摘し,批判したことがある。

  
 視聴者にはぜひ,一方の意見だけしって満足するのではなく,両論をよくしってほしいものだ。
 補注)これは「天に唾する」意見。「両論をよくしってほしいものだ」という1点は,左右の立場を問わない。あとは各自のしり方(理解する意志のありかた)の問題である。

 反対に,この日本会議などが,反証の右派映画をつくったら,それはそれで面白いのかもしれないが。まぁ,この作品をわざわざ相手になんてしないでしょうが。
 補注)さきほど指摘していた点に関係する意見であるが,ここで,この人は自分が右派のシンパ(親派)であることを正直に告白している。デザキ監督の手法にしたがえば,この人は簡単に串刺しにされてしまい,適当に料理されていた程度の拙論しか語っていなかった。つぎの「26」の批評がとくに参考になることを,まえもって指摘しておく。

 26 HitomiOgawa 2019/05/09 21:36
 慰安婦問題に関して,どういった経緯があって,誰がなにを主張しているのか,観客自身がどう感じているのか,時に感情のモヤに隠れてしまうものが,とてもクリアになる。

 重いテーマであるが,重い(トーンの)映画ではない。もちろん監督の意見は明らかだけど,観た人に考えさせる余白がある。観にいってよかった。人それぞれ意見があっていいと思うが,もっと多くの映画館で上映することはできないものか。

 最後に,現政権に批判的な意見を述べている論者の1人が,「こういった意見を表明することで,自分の身に危険があるかもしれない」といっていた。自分の意見を表明するだけで殺されるかもしれない国ってなんだ。

 27 陰陽 2019/05/09 07:20
 このドキュメンタリー映画は, “右” と “左” に分かれて,おたがいの主張(説明)を議論形式で発展させていく構図になっているが,けっして退屈なものではなく,エキサイティングでスリリングでインフォーマティブで考えさせられる作りになっている素晴らしい映画だ。

 ここでむずかしいのが, “右” と “左” と分類したが, “右” の人たちは, “右派” , “ウヨク”, “国粋主義者” , “ナショナリスト” , “歴史修正主義者” ,どのようにカテゴライズしようが,「レッテル貼りだ!」と憤慨する傾向がある。


 彼ら自身が自分たちを定義する際に “保守” という呼び方をすることが多いと思うが,この映画では “歴史修正主義者(Revisionist)” という定義になっている。


 彼らは「いままでの歴史認識は間違っている!」というスタンスなのだから,歴史修正主義者で問題ないと思うのだが,この映画に出演した論客含め「歴史修正主義者とレッテル貼りされた!」,「騙された!」,「この映画はフェイクだから見に行くな!」と猛バッシングを始めている。この自称保守の人たちが暴走すると,人権軽視の人種差別主義者になり,ネトウヨと蔑称される。

 逆に “左” の定義もむずかしい。暴走保守(ネトウヨ)たちは, “左” の人たち(というかネトウヨ以外すべて)を “反日” , “売国サヨク” と蔑称する。それら蔑称を避けた場合に “左” の人たちをどう定義できるであろうか?

 リベラル派? 人権派? 科学的実証派? なんとも定義しがたいというのも, “左” の論客たちは “歴史学者” ,“ 政治学者” , “弁護士” , “憲法学者” と肩書きもまちまちで特定の団体を組んでいないというのも理由のひとつだ。

 という構成になると, “感情 vs. 論理” になる傾向があり,保守論客が嘲笑を受けることになる。しかしながら,実社会では人間の理性や論理が感情をコントロールできていないのが現状である。

 その原因のひとつとして,論理的に実証する側はそれぞれ専門をもっている学者の人たちであり “個別” であるが,歴史修正主義者たちは “団体” を組み,そしてそれら団体はすべて裏でつながっているということが,この映画のなかでも触れられている。

 具体的には,自民党 ⇔ 日本会議 ⇔ 新しい歴史教科書をつくる会などが繋がっていて,櫻井よしこ氏,ケント・ギルバート氏などをメッセンジャーとして使用し,産経新聞,読売新聞などの右派メディアを利用して国粋主義を流布させるという構図である。

 このドキュメンタリー映画のなかのクライマックスは,日本会議役員代表のトンデモ発言という部分もあるが,元歴史修正主義者のケネディ・日砂恵氏の登場である。この映画には名前は出てこないが,米国のフリーランスジャーナリスト・マイケル・ヨン氏に,櫻井よしこ氏とケネディ・日砂恵氏が,慰安婦の強制連行などなかったという調査を,法外な調査費を支払って依頼したという衝撃の暴露がある。


 ケネディ日砂恵氏は「(マイケル・ヨン氏が調査に使用した)IWG報告書は主にナチスの戦争犯罪に関しての資料なので,日本軍の慰安婦問題に関する記述などあるはずもない。『キッチンの棚のなかで必死に靴下を探したが存在しなかった』のような茶番である」と暴露している。

 補注)IWG報告書とは,ナチス戦争犯罪と日本帝国政府記録について,米国が各省庁に残る文書を調査・点検してまとめた報告書である。


 この映画のなかでは触れられていないが,このIWG調査の結果を2014年11月に産経新聞(フジサンケイグループ)が大々的に報道している。そして,このIWG調査結果から慰安婦問題はなかったとして,2016年第2次安倍政権下で慰安婦問題を一斉削除する方向に修正し,官邸の意にそぐわない教科書は理由も告げられず不合格にされた。出版社としては死活問題である。

 補注)「このIWG調査結果から慰安婦問題はなかった」から,旧日本軍における従軍慰安婦問題が「歴史の事実」においてなかったとする「問題」の理解はできない。それとこれとはまったく別問題であったところを,このように日本側の特定陣営側は意図的に短絡した。


 合格したのはなんと,新しい歴史教科書をつくる会が主導する自由社とフジサンケイグループが主導する育鵬社です。日本全国の教科書に採用されれば自由社(新しい歴史教科書をつくる会)と育鵬社(フジサンケイグループ)に多大なおカネが入るという仕組です。このカラクリは国家犯罪レベルの大問題ではないでしょうか?

 このように,このドキュメンタリー映画のなかでは歴史修正主義者のほうが劣勢に映るかもしれませんが,現実には歴史修正主義者たちが実社会を支配している現状なのです。

 歴史修正主義者が優勢な現状に関してもうひとつ問題があります。それは,人間が感情の動物であるという現実です。ケネディ・日砂恵氏が胸中を告白するシーンで,「日本が批判されると日本人である私が批判されているようで悲しくなった」というのが,歴史修正主義者になってしまったきっかけだと告白しました。

 「オリンピックで日本人が金メダルをとって嬉しい」,「日本人がノーベル賞を受賞して嬉しい」という気持は誰しもあるかもしれませんが,その当たりまえの感情が時として「日本人は優秀だ=日本人の私も優秀だ」というおごりになり,「韓国人,中国人は劣っている」という人種差別になり,「歴史的事実であろうが日本軍の失態を暴くことは日本人である私の恥部を晒すことになり,事実を述べる学者たちは反日の売国奴である」というところまで発展してしまう危険性をはらんでいるということです。

 歴史修正主義者たちが,「日本は素晴らしい」,「美しい国ニッポン」と,陳腐であってもプロパガンダをすれば,日本人であるがゆえに心地よくなってしまう人たちもいるかもしれません。また,学者たちの正論は専門家ゆえに言論が難解になる傾向があり,難解になるほど理解できる人たちは減っていってしまうのです。

 これらの障害を乗り越え,私たちもみずから調べ,むずかしくても考え,そして冷静な判断をできるよう努力しなければならないと問いかけるドキュメンタリー映画でした。

 一見,心地よい “日本賞賛主義” も,ゆき過ぎると過剰な自己正当化になってしまい,虚偽や隠蔽をしてでも自己を美化する捏造集団になってしまいます。最悪の状況では脅迫や暴力まで発展させてでも事実を封印させようとし,国家権力による一連のカラクリはむしろ国家犯罪レベルにまで達しているのではないでしょうか?

 「日本の名誉のために」というのが歴史修正主義者たちの主張なのかもしれませんが,むしろ歴史修正主義者たちの発言や行動が日本の品位を貶めていることに気づいていただきたいです。


 ぜひ皆様も映画館へ足を運んでください。

主戦場ポスター

 付記)このなかに「加藤英明」の顔は出ていない。

 28 ducksoup 2019/05/08 16:06
 映画『主戦場』を観た。GW後半の当日朝いきなりいったら,すでに夕方まで満席。立ち見となった。大盛況だ。

 『主戦場』は,慰安婦問題をめぐる議論のポイントを,登場人物たちのインタビューをもとに整理しつつ,その裏に隠された部分を伝えてくれる,有意義かつスリリングな映画だった。

 なんといっても,この映画を観て誰もが気になるのは,後半ラスボスの如く登場する,日本会議の中心人物のひとり,「加瀬英明氏」だ。インタビューでの彼の発言はいきなりぶっとんでいる。

 まず「日本が戦争に勝ったから黒人が公民権をえた」という前提も結果も間違いだらけの珍言が飛び出す。日本が戦争に勝った…,勝ったのか? 先の大戦じゃなくて日清日露の話だろうか。単なるいい間違いだろうか。あるいは彼の独自の解釈の果てに出たいいまわしなのかもしれない。それは分からない。
 補注)加藤英明の発言ぶりは,そのまま真に受ければ「世間しらず,常識無縁のもの」ばかりであった。だが,真意そうではなく感じられ,意図的にそのようにみずから “バカを装っての発言” だとしたら,二重三重に非常にたちの悪い対応の態度であったと形容するほかない。

 インタビューは続く。つぎにインタビュアーは吉見義明氏という別の慰安婦問題の専門家に対する,加藤氏の意見を尋ねる。どれだけの嫌悪や反駁が返ってくるのかと思いきや,加藤氏は「誰ですかそれ?」と来る。「私は他人の本は読まないから分かりません。不勉強なので」と悪びれずにおっしゃる。なるほど彼は議論などしない。自説あるのみ。人の意見を聞かないから自説の負けはない。バッターボックスに立たないのだから三振もない。

 補注)映画の場面をみたかぎりでは,加藤英明が「吉見義明」の姓名をしらないという反応の仕方は,やや演技がかっていたようにも感じられた。この吉見義明の名前が出たときは,そのように反応する準備を前もって決めていた,というふうな解釈をしたくなるくらいに,そうであった。


 いうなれば,そのくらい不自然にもしらないと応じていたが,そこまで相手を無視(無化)する態度となれば,議論もなにもヘッタクレもないのが「加藤たち側の立場」なのかという観方が出できてもおかしくはない。

 そんな反知性主義を豪語する彼の背後に,百科事典がズラッと並んでるのがなんとも皮肉だ。鑑賞後調べてみるとなにを隠そうこの方,ブリタニカ百科事典の初代編集長というから二度驚いた! 他人の本は読まない百科事典の編集長ってなんだろうか…。彼への興味は尽きない。


 と,ここまで散々揶揄するような書き方をしたが,実は,映画を観ている間は加藤氏をあまり笑えなかった。彼の妄言には正直驚いたが,この人を嘲笑したら,その対象を笑った瞬間に,一緒に笑ってる側の党派に立たされてしまう気がしたからだ。


 左右どちらの立場にも立ちたくない私は,笑うことで立場の選択を迫られ,まさに議論の主戦場に立たされてしまう気がして,うまく笑えなかった。

 また,この映画の白眉は,日砂恵・ケネディさんという方の証言だ。彼女は保守論壇にも寄稿し,かつて第2の櫻井よしことも目されたが,故あってナショナリストとしての活動を停止したという。
 
 彼女のいう「ナショナリストは日本が弾圧されることで,自分の名誉を傷つけられたと感じる。だから自尊心を守るために,日本を擁護する」こそが,この問題の本質をいい表わしている。

 大江健三郎の小説『セブンティーン』は普通の少年が右翼少年になっていく様を感情移入たっぷりに描いたが,彼〔女?〕の姿がまさにこれだった。国家と自分を一緒くたにし,国家の栄光は自分の名誉,国家への侮辱は自分への侮辱,という人としてのあり方である。国家をみずからの存在理由としているのである。

 だから,この議論には終わりがない。

 「現実に」強制があったとか報酬がどうとかのすべての細部は,結局それを肯定・否定するための道具でしかなくなる。そこにあるのは,その被害の訴えが自分の名誉を傷つけられたと感じる人びとと,その被害の訴えが自分らの正しさを担保すると感じる人びとだ。

 加害者,被害者は時のなかに消え,それを道具にする人らが残るのである。

 この映画を観るにつけ,つくづく思うのは,人格と政治思想を分離して欲しいということだ。戦前の国家犯罪と思しき慰安婦問題を暴くことは誰かの人格否定ではないし,逆に戦前が輝かしい素晴らしい時代でありそれを継ぐ未来を作ることは,誰の名誉ともならない。国家への侮辱は誰かへの侮辱ではなく,国家の栄光は誰かの勲章でもない。

 そのように考えないことには,この争いは終らない。加藤氏を笑っても対立は進むばかりだ。たがいに否定すべき相手を求めあっているような,いまの状況ではおたがいの妥協点などみいだせるはずもない。


 まとまらないが,最近の政治的ドキュメンタリーのなかで,もっとも有意義な作品のひとつであることは,間違いない。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


【未 完】 「本稿(2)」はここで終わるが,次稿「本稿(3)」は用意できしだい,ここへリンクを張る予定。「予定」としてはしその「本稿(3)」で終えるつもりである。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075061254.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c15

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
613. 中川隆[-9298] koaQ7Jey 2019年6月24日 13:05:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3191]
社会科学者の随想 2019年06月23日

従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったころ,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その1)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075054438.html

【『主戦場』 “SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue”2018年製作映画】


【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】

【製作国  アメリカ・日本・韓国】

【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】


 以下に長々と数回に分けて紹介していくが,これらの感想は,投稿された期日のあとになれば順次,読むことができた一覧である。それはともかく,この作品『主戦場』を劇場に実際にいって鑑賞してから,これらの感想を読みなおしてみた。

 そこで,冒頭から本ブログ筆者なりに “先入観的な感想” となる。「左側(革新ないしはリベラル側)」の関係者たちは,なるべく事実の追究にもとづいて発言しようとする努力が観てとれるのに対して,「右側(保守ないしは国粋側)」の人士たちのいいぶんは,一様に,ただこの『美しく国』にあっては従軍慰安婦に関する「歴史の問題」など,けっして存在してはいけない〔するはずもない〕ものだと決めつけたい心情:思いこみを,正直に表出させていた。

 第2次大戦後になってからは,アメリカであっても韓国であっても,あちらこちらの戦争・戦場において,旧日本軍の慰安所に似た施設をもっていたではないかという「右側からの反論」は,特殊・具体的に強調できる歴史問題の実例であったが,それをあえて普遍・抽象の次元にまで引きずりこんでから,この問題の意味を可能なかぎり希薄化させようと必死の議論を試みている。

 片やできるだけ歴史研究の成果・業績を武器に論じようとするが,片やもっぱら自分たちの理念・信条をもってのみ対するのであるから,その議論がはじめから噛みあうわけもなく,後者は前者に位負けしていた。双方の立ち位置からして顕著に「質的な重み」に差があった。


 右側陣営において隠しようのない議論の粗雑さは,結局「歴史の判断」に耐えうる素性・組成をもちえない。それゆえ,問題の全体について発言する彼らは,闇雲的かつ問答無用的にも一般論で否定しつそうとする。その議論の方途は論理的であるよりも感情的に先走っている。


 いわく「日本人は間違ったことはちゃんと謝る」(映像どおりの文句ではなく,文意をとって表現)が,某国の連中はそうではないといった具合に,相対的な違いでしかありえない「差」を絶対話法で語るゆえ,信頼度の面でもどうしても勝てない。


 相手との議論が真正面からまともに成立できて出発しているのではない。初めから否定するために話しているとなれば,この否定の立場が相手側の発言をのっけから完全に無視するといった,無限の螺旋階段を駆け上っていくほかない。


 しかもそれは『バベルの塔』内に設けられていたごとき「彼らの専用階段」であった。歴史観・世界観の差異をたがいに話しあうのではなく,まず相手をみくだすことを主眼とする右側の基本的な姿勢は,初めから,不毛を約束されたかのような「非生産的な雰囲気」を濃厚に漂わせていた。

http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c613

[戦争b22] 米国のイランに対する偽旗作戦が失敗した直後に米国、イスラエル、露国が会談(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月24日 14:05:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189]
櫻井ジャーナルに騙されるな

櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった


ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし

アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人

ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし

ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた


アメリカが本気になれば1年でソ連を潰せたけど、それでは軍需産業が儲からなくなるから、意図的にソ連を超大国に見せ掛けた。


ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


伊藤貫 「アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1a7z5Xvo1aQ

馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc

林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ



http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/718.html#c1

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
182. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月24日 14:10:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3190]

2019年6月23日
アングル:強まる「中銀バブル」の匂い、ギリシャ国債にもマネー流入

[東京 21日 ロイター] - バブル相場の匂いが濃くなり始めている。発生源は中央銀行。欧米で金融緩和姿勢が鮮明化し、株高・金利低下が進んでいる。景気減速懸念は、金融緩和期待へと転化し、リスクオンの制御材料にならない状況だ。主要国の金利水準が急低下するなか、行き場を失ったマネーがギリシャ国債など高リスク資産にも流れ込み始めている。

<米国下回るギリシャの国債利回り>

ギリシアの10年国債利回りGR10YT=RRが2.5%を一時割り込んだ。財政危機が起きた2012年に40%を突破したこともある同国債だが、この1カ月で約1%ポイントの急低下。1カ月前に米国債が付けていた水準まで下げている。

2年ゾーンでは、約11年ぶりにギリシャ国債の利回りが米国債を下回っている。過去にこのような逆転現象が起きたのは、1999─2000年初頭、05─07年、そして今回。いずれも世界的な株高局面の期間だ。

同国は昨年8月に国際支援プログラムを終了したが、債権団は財政目標の監視を続けている。ギリシャ中央銀行のストゥルナラス総裁は11日、同国は今年、債権団と合意していた基礎的財政収支の黒字目標を達成できない恐れがあるとの見方を示すなど、財政状況はいまだ不安定だ。

それにもかかわらず、同国の国債が買われるのは、投資家が利回りに「飢えて」いるためだ。

10年国債利回りはドイツDE10YT=RRで過去最低、フランスDE10YT=RRも初めてマイナス圏に入った。主要国の金利水準が軒並み低下し、十分な利回り確保が難しくなったことで、リスクのあるギリシャの国債にさえイールド・ハンティングの波が押し寄せている。

金利低下に拍車をかけているのは、世界的な金融緩和競争だ。米連邦準備理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)の主要中銀だけでなく、オーストラリアなど新興国でも利下げの可能性が高まっている。

「2年債利回りの米国とギリシャの逆転が終われば、リスクオン相場も終わるのが過去の例だが、金融緩和相場はまだ始まったばかりの可能性もある。クレジットサイクルでみれば終盤だが、その終盤が長くなりそうな情勢だ」と、マネックス証券チーフ・アナリストの大槻奈那氏は指摘する。

<金利低下は株のバリュエーションを上昇>

金利低下は、株式のバリュエーションを上昇させる効果がある。歴史的にみたPER(株価収益率)の平均値である15倍は、益回りでは6.6%に相当する。単純計算だが、債券の金利が1%低下すれば、益回り5.5%に相当するPER18倍が株式の「フェアバリュー」となる。

超低金利の債券よりもリスクはあっても、利回りが高い株式に魅力を感じる投資家が増えれば、株価は上昇。株高によってPERは上昇する。これが、米中貿易戦争による景気減速懸念を横目に、株価が上昇する大きな要因になっている。

20日の米株市場では、S&P500.SPXが終値ベースで最高値を更新。米ダウ.DJIも、最高値まであと200ドルに迫った。この株高の状況下で、金融緩和を示唆するFRB。市場では「中央銀行発のバブルの匂いがしてきた」(三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ投資ストラテジスト、藤戸則弘氏)との声も出始めた。

この株高に懐疑的な見方も少なくない。バンク・オブ・アメリカ・メリルリンチの6月のファンドマネジャー調査によると、投資家はグローバル株式について2009年初め以降で最も弱気になっている。つまり、その反動が起きるだけで、相当の株高が促される可能性がある。

大和証券・金融市場調査部チーフ・ストラテジストの谷栄一郎氏は「株価の絶対水準だけ見ていると、判断を誤る。低金利時代においては、株価のバリュエーション上昇は正当化される。株式に今後、ますますマネーが流れ込む可能性は大きい」との見方を示す。

<業績悪化によるPER上昇に警戒>

しかし、PERが上昇するのは、バリュエーションが高まるからとは限らない。一株利益が減少することでPERが上昇することもある。その際、株価は上がらない。

金融緩和の背景にあるのは、ディスインフレや景気減速・企業業績の悪化懸念だ。金融緩和が経済や企業業績を回復させる起爆剤になればいいが、バブル崩壊のような、大きな転換点では過去の例を見る限り、なかなか市場の期待通りになっていない。

実際、2000年のITバブルと、07年の住宅バブルをみると、米利下げ局面で、短期的に株価が上昇する場面はあるが、トレンドとしては下落している。株価が反転するのは、利下げが最終局面に入ってからだ。

また、金融緩和によって、名目金利が下がったとしても、インフレ期待がそれ以上に下がれば、実質金利は上昇し、金融活動の妨げになりかねない。

「確かに教科書的には、金利低下によって株式のバリュエーションは上がる。しかし、それを上回るような企業業績悪化が見込まれるなら話は別だ。利下げといっても、現時点ですでに金利は低く、『のりしろ』はほとんどない。貿易戦争による景気減速をカバーできるかは不透明だ」とニッセイ基礎研究所のチーフ株式ストラテジスト、井出真吾氏は話す。

リフィニティブのデータで、足元のS&P500のPERは20倍、日経平均は15倍(日経新聞のデータでは12倍)だ。米株にはやや割高感が出ているが、「バブル」とまでは言いにくいかもしれない。

ある国内投信のポートフォリオマネジャーは「あすバブルが崩壊するというのでなければ、投資家は少々危ないと思っても、株高トレンドについていかざるを得ない。運用をある期間やめるということは、われわれにはできないからだ」と話す。

バブルであるなら、いつかは崩壊する。しかし、バブルの入り口か終盤かを見極めるのは極めて難しい。債券、株式ともに投資家は悩みながらの運用となりそうだ。

(伊賀大記 編集:田巻一彦)
https://jp.reuters.com/article/crossmarket-centralbanks-bubble-idJPKCN1TN0SL
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c182

[お知らせ・管理21] わざわざ同時期に同じアラシを繰り返すとすぐにばれるのに、それでもやってしまうのはやはりバイト? てんさい(い)
6. 2019年6月24日 15:42:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188]
働いたら負けだと思ってる
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/562.html#c6
[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
210. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月24日 19:27:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189]

【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26-4-15] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HsDDzE5Gao4

2014/04/15 に公開


かつては日韓の融和を促進するために「日韓同祖論」が語られたが、今では韓国側が、小中華意識による対日優越感を満足させるために、日本人のルーツは「韓国起源」であると主張し、天皇は韓国人であるとさえ言ってのける。だがそもそも、大陸民族に蹂躙されてきた朝鮮人のルーツの方こそ、よほど入り乱れた不確かなものなのである。今回は、『韓国人は何処から来たか』を上梓された長浜浩明氏をお招きし、これまでとは違った理系的観点から、韓国人のルーツを整理して頂きます。



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c210

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
211. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月24日 19:28:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3190]

長浜浩明氏の嘘は amazon のカスタマーレビューでも指摘されていますね:


古代日本「謎」の時代を解き明かす―神武天皇即位は紀元前70年だった! – 2012/4/1
長浜 浩明 (著)

内容
「大阪平野の発達史」が明かす古代史の真実、「男子は皆黥面文身す」が邪馬台国論争に黒白をつける、「皇紀」を「西暦」に直すと古代史が見えてくる、「韓国の前方後円墳」が覆す騎馬民族渡来説―混迷する古代史界に正気を取り戻す。

著者略歴 長浜/浩明
昭和22年群馬県太田市生まれ。同46年、東京工業大学建築学科卒。同48年、同大学院修士課程環境工学専攻修了(工学修士)。同年4月、(株)日建設計入社。爾後35年間に亘り建築の空調・衛生設備設計に従事、200余件を担当。資格:一級建築士、技術士(衛生工学、空気調和施設)、公害防止管理者(大気一種、水質一種)、企業法務管理士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


____


 日本古代史の研究本には、考古学中心と、文献学中心に、大別でき、考古学中心だと、調査での知識が取得できる一方、文献学中心だと、引用文が多用されていれば、読解での知識が取得できます。

 ところが、本書のように、文献学に傾倒し、いきなりの筆者の仮説や、他者の批判と、それらの根拠の説明だと、もし、その仮説が否定されれば、本自体の存在価値は、ほぼなくなってしまいますが、残念ながら、本書で、肯定できる箇所は、次のように、ほとんど散見できません。

 日本古代史には、著名な学者達の通説でさえ、到底納得できないものが、多々あり、なので、在野の研究者達が、入り込む余地があるのですが、筆者が、本書で諸説を散々批判したわりには(特に3章)、その前提条件が、大変脆弱です。

○1章への反論
 筆者は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。

 「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。

 よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。

 余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。

 そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。

○2章への補足
 筆者の主張する、邪馬台(壱)国=九州北部説には、私も賛同し、帯方郡〜邪馬壱国間が1万2000余里、帯方郡〜奴国間が1万600余里なので、奴国〜邪馬壱国間が1400余里以内となる説明は、わかりやすいですが(p.54)、入墨の分布が、かえって、わかりにくくしているのではないでしょうか(p.69)。

 私なら、もし、邪馬台国が近畿だと、伊都国設置の諸国を検察する一大率を、畏憚する(おそれはばかる)距離でないこと、もし、「魏志倭人伝」で、方位を書き誤ったなら、後世の「後漢書倭伝」で、狗奴国の位置を、女王国の東1000余里に訂正した際、一緒に訂正するはずとの理由を追加します。

 「魏志倭人伝」に、狗奴国は、倭の21ヶ国の南にあるという記述だけを、筆者が信用するのも、疑問です。

○5章への反論
 本書で筆者は、神武東征を紀元前70年と主張しており、ここでは、葦の根に生成・蓄積される褐鉄鉱を持ち出し、鉄器の導入と結び付けたいようにみえます。

 しかし、日本列島での鉄器の出土数を比較すると、九州北部は、3世紀前半まで、他地域を圧倒し、3世紀後半になって、はじめて畿内が逆転しており、紀元前1世紀の大和は、鉄器の後進地域なので、結局は、何がいいたいのか、不明です。

○4・6章への反論
 100歳以上の天皇が、初期に多数いるので、筆者は、1〜19代に、1年2歳説を採用していますが、そもそも1年サイクルで、農耕民は、稲作・畑作、漁労・狩猟・採集民は、旬の食物を獲得、交易民は、海流を渡海・交易する等、生活・活動しているのに、年齢だけが、1年で2歳になるのは、とても不自然です。

 「魏略」での裴松之の注では、倭人が、正月や四季を知らず、春の耕作と秋の収穫を計って1年としていると、解説しているにすぎず、当時の人々は、朝に、観測点から見て、太陽が東の山々の、どこから昇るかを基準に、自然の暦(夏至・春秋分・冬至等)を算出していたようです(福岡県・平原遺跡)。

 「魏志倭人伝」に、倭人は長寿で、中には100歳・80〜90歳もいるとあり、訳文には、歳と記載されていますが、原文には、年となっており、17代以後で、記紀神話に死去年齢が記載されている天皇には、60〜70歳代も結構いるので、1年で1歳とみるのが自然です。

 私は、「日本書紀」で、100歳以上の天皇が、1・5〜13・14-15代の間・15代、事績に長期間の空白がある天皇が、1・10・11・14-15代の間・16代なので(それぞれ26年・30年・47年・25年・19年間)、父子継承が主流の16代以前は、年代不当、兄弟継承が主流の17代以後は、年代妥当とみています。

 ただし、歴代天皇の全員が、実在したかは、疑問ですが、この程度の人数は、存在していたと仮定し、16代以前だけでなく、17代以後にも、多少の年代のズレが、あったでしょう。

 年代不当の1〜16代の17人は、紀元前660〜400年の1060年間なので、天皇の在位期間の平均が、約62年/人、年代妥当の17〜41代の25人は、400〜697年の297年間なので、在位期間の平均が、約12年/人となり、年代不当の17人を12年/人とすれば、初代・神武天皇の即位は、196年になります。

 この2世紀終りは、銅鏡が、畿内に集中するようになった時期(漢鏡7期の第2段階)であるうえ、大和に大型前方後円墳が出現する直前で、神武が天皇の始祖にふさわしく、河内湖Tの時代になります。

 そのうえ、10代・崇神天皇の即位は、304年になり、4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期と一致するうえ、10代の磯城の瑞籬宮・11代の纒向の珠城宮・12代の纒向の日代宮とも符合します。

 一方、筆者が1年2歳説を採用した、1〜19代の20人は、紀元前70〜457年の527年間なので、天皇の在位期間の平均が、約26年/人、20〜41代の22人は、457〜697年の240年間なので、在位期間平均が、約11年/人となります。

 41代までのほとんどは、いったん即位すれば、死去するまで天皇だったので、古い年代で寿命が長いのは、矛盾しています。
 また、16代以前の父子間の皇位継承は、後述のように、3〜6代が兄弟間の皇位継承とみられるので、それ以外の部分の信憑性も疑問視され、筆者のいう、神武天皇の即位を紀元前70年とするのは、無理があると導き出せます。

○7章への補足
 筆者が、闕史八代の天皇の妻に着目したまでは、よかったのですが、その子供達の子孫を、記紀神話で、全国各地の豪族達の始祖に位置づけたのは、後世に天皇へ奉仕した、かれらの正統性を確保するためとみられ、そこに血縁関係があったとまでは、けっして言い切れません。

 むしろ、2〜7代の妻は、「古事記」「日本書紀」の本文と、一書にも記載があるので、そこにも注目すべきで、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(高尾張邑=葛城邑としました)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。

 これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。
 ちなみに、崇神天皇(10代)は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還したので、実際には、4世紀初めから、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、4方向を開拓し、流通ネットワークを広域整備、統治範囲は、大和一帯とみられます。

 第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、ここは、父子間での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、ここは、兄弟間での皇位継承とみられます。

 つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の父子間の皇位継承は、捏造でしょう。

 1〜13代の父子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、父子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。

 第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。

 しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。

 第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。

 したがって、2〜9代が、もし、非実在なら、その妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明できます。
 闕史八代の実在を主張するなら、この程度の根拠を、提示すべきですが、おそらく筆者は、「日本書紀」の本文(訳文)しかみておらず、2〜7代に一書があるのを、把握していなかったのでしょう。

○8章への苦言
 日本古代史は、東アジアの視点が大切で、中国・朝鮮・日本が、まだ未分化な状態から、徐々に分化していく過程をみるべきなのに、日本・中国・朝鮮等の人種や国家が、分立していたかのように取り上げ、現代の善悪・優劣・尊卑等や、筆者の価値観で、評価するのは、歴史研究者として反則行為です。

 最後の「おわりに」(p.209-292)まで読み進めると、筆者は結局、日中の歴史書等から、史実を探求するよりも、日本賞賛に都合のよい、こじつけ的な解釈が、必要なだけだったと理解でき、天皇の年齢や年代以外は、吟味していないので、日中の歴史書等を信仰の対象とした、新興宗教者といえます。

 中世・近世の日本では、伊勢神道・吉田神道・復古神道等が、記紀神話をこじつけ的に解釈することで、自分達の正当性・優位性を主張していました。

 ここまでみると、どうも、筆者が、神武天皇の即位を、紀元前70年としたのは、新羅の建国が、紀元前57年、高句麗の建国が、紀元前37年、百済の建国が、紀元前18年とされているので、それらに対抗・優越しようとしただけにしか、みえないのは、私だけでしょうか。

 中国・欧米等の建国史は、人工的・作為的な「創造」である一方、日本の建国史として位置づけられる記紀神話は、自然な「生成」を意識しており、だから、神代に数々の一書を併記することで、意図的に曖昧にしているのを、筆者は、無理矢理に確定しているようで、まさに人工的・作為的です。

 それは、最近の右派・右翼系の活動も同様で、日本らしさといいながら、かれらが嫌悪している中国らしく・朝鮮らしく変貌してきているのを、自覚しているのでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c211

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
212. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月24日 19:52:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3191]

長浜浩明の―神武天皇即位は紀元前70年だった! は間違い

長浜浩明は神武東征が河内潟の時代だと主張していますが、河内湖Tの時代が正しい:


河内湖の名残
http://feynmanino.watson.jp/5697_kawachi2.html


邪馬台国とはなんぞや?(43) - altairposeidonのブログ

・古大阪平野の時代:約2万年前
・古河内平野の時代:約9000年前
・河内湾Iの時代:約7000年〜6000年前
・河内湾IIの時代:約5000年〜4000年前
・河内潟の時代:約3000年〜2000年前(BC1050年〜BC50年)
・河内湖Iの時代:約1800年〜1600年前(AD150年から350年)
・河内湖IIの時代〜大阪平野I・IIの時代:約1600年前以降
http://altairposeidon.hatenablog.com/entry/2018/10/11/000000


▲△▽▼


霊(ひ)の国の古事記論54  若御毛沼命の河内湖通過(「神武東征」)時期について
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html

1.「神武東征」か?

御毛沼命と若御毛沼命(後の神倭伊波礼琵古(磐余彦)命、8世紀に神武天皇と諡(おくりな))兄弟のいわゆる「神武東征」については、史実説と虚構説に分かれ、史実説については、記紀史実説(薩摩半島の山幸彦の子孫の征服説)と邪馬台国東征説・東遷説が見られる。

私の説(『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』、ブログ「霊の国の古事記論」)は、「薩摩半島の山幸彦(山人:やまと)の子孫の傭兵部隊の仕官を求めての移動説」であり、「若御毛沼命実在・東征否定説(傭兵隊移動説)」という「おおむね真実、一部虚偽」という第3の説である。

御毛沼命・若御毛沼命兄弟の移動は「東征」か「傭兵隊の移動」か?


 
 なお、第10代崇神天皇以前、第15代応神天皇以前、第26代継体天皇以前の3つの天皇非存在説についての検討はいずれまとめたいが、私の記紀判断の基準に照らし、神話時代を含めた登場人物については、実在人物をモデルに創作されたアマテラスを除き、ほぼ実在していた人物と考える。

 


2.神話時代の年代論について 

 皇国史観は神武即位を「BC660年」としたが、那珂通世は「AD元年」、久米邦武は「AD6年」、とし、高木修三氏は『紀年を解読する』(2000年)において「BC29年」、長浜浩明氏は『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』(2012年)において「BC70年」とした。

 これらに対して、記紀の年代分析において初めて統計的に科学的分析を行ったのは、安本美典氏である(図参照)。氏は古代の天皇、中世・近世の将軍、中国・西洋の王の在位年数から、古代大王の平均在位年数を約10年とし、神武即位を「AD271年頃」とする統計的な推定を行った。

 30〜40代天皇の即位年の直線回帰による私の追試では「AD277年」であり、私はこの安本説を全面的に支持する。


30〜40代天皇の即位年の直線回帰によるスサノオ大神・大国主神16代の即位年の予測

 なお、この記紀年代の統計的分析において、安本氏はアマテラスより前の王について検討されていないが、私は古事記神話が始祖としている天御中主までの分析を進めた。

 詳しくは前著『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』を参照いただきたいが、結論だけを述べると、AD57年の「委奴国王」の遣使、107年の「倭王師升」の遣使、「100余国を7〜80年支配した王朝」、146〜189年頃の「倭国大乱」、100余国のうちの30国をまとめた「卑弥呼」の238年の遣使、弟王との後継者争いで共立された「壱与」の266年の遣使との照合性について検討を行い、「委奴国王」はスサノオ、「倭王師升」は淤美豆奴(オミズヌ)、「100余国を7〜80年支配した王朝」はスサノオ・大国主王朝7代」、「倭国大乱」は大国主の後継者争い、「卑弥呼」はアマテラスと考える。

3.「神武東征」の時期について

 統計的な分析による安本氏の神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)について、物証の裏付けはないのであろうか?

 その鍵となるのは、記紀に描かれた若御毛沼らの行動である。その記述は次の通りである。

@古事記:「その国(注:吉備国)より遷り上り幸(い)でましし時、亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙あげて来る人に、速水門(はすひのと)で遇(あ)ひき。・・・故、その国より上り行でましし時、浪速(なみはや)の渡を経て、青雲の白肩津(しらかたのつ)に泊(は)てたまひき」

A日本書紀:「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり。三月の丁卯の朔丙子(十日)、遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」

 この「速水門」「浪速の渡」「はやき潮」「遡流而上りて」「草香邑の青雲の白肩津」の記述がその時期を特定する鍵となる。

(1) 「速水門」はどこか?

 古事記の「速水門」は吉備出発後の記述であり、考えられるのは備讃瀬戸か明石海峡であるが、備讃瀬戸には「門」と呼べるような狭い海峡はなく、潮流も緩やかで、地形・海流の両方からみて「速水門」と呼べるような場所はない。「速水門」は幅4kmで両側の山が迫って「門」にふさわしく、潮流の早い明石海峡とみて間違いない。

 古田武彦氏は『古代は輝いていたU』において、明石海峡は「平穏、清明の海」とし、「速水門」に相応しいのは鳴門海峡としているが、これは全くの事実誤認である。四季、何十回と明石海峡を小さな渡し船で渡った私の経験でいえば、明石海峡の潮流は早い。


海上保安庁 六区豆知識「海の流れについて」

 海上保安庁のデータでみると、最大潮流は鳴門海峡10.5ノット、明石海峡6.7ノットであり、備讃瀬戸の3.4ノット、播磨灘の0.4〜0.5ノット、大阪湾の0.3〜0.5ノットと較べると、明石海峡を「速水門」と見るべきである。

 一方、日本書紀は「速水門」を筑紫の宇佐への途中に置いているので、豊予海峡(最大6ノット)になる。しかしながら、豊予海峡は14kmと広く、「門」と言えるような地形ではない。

 また、黒潮に洗われる笠沙半島を拠点にした隼人族(海幸彦)が豊予海峡を越えるのは苦もなかった筈であり、海岸沿いに行けば日向から宇佐、岡水門へと移動するのに迷うこともない。水先案内人を頼む必要があったとは思えない。

 舟で豊予海峡説(最大6ノット)や関門海峡(同9ノット)を越えるのは大変と思われるかも知れないが、下げ潮に乗れば楽々である。私は船折瀬戸(同9ノット=時速17q、村上水軍の根拠地の大島と伯方島の間の瀬戸)を潮流に乗って小型ヨットとカヌーで下ったことがあるが、広い海を早い潮流に乗って移動するのは、狭い川の急流を下るのと較べて何の危険もない。10〜20人乗りの丸木舟の舷側に板を張った重心の重い当時の舟なら、これらの海峡を通過するのに案内人は必要ない。仮に、どうしても下げ潮での通過が怖いなら、潮待ちして、12時間ごとの満潮時か干潮時の停潮期に渡ればよいがそんなことをする海洋民はいないであろう。

 奈良盆地にいて海を知らない日本書紀の編集者達は、若御毛沼たちが未知の海に東征の冒険に乗り出したことを印象づけるために、地形も潮流も舟も知らず、「速水門」を明石海峡から豊予海峡に変えたと見てよい。

(2) 「遡流而上りて」はいつの時代か

 若御毛沼らは2月11日(3月上旬)に吉備をたち、「速水門」を経て、「浪速の渡」を通り、3月10日に「白肩津」に着いたというのであるが、それは史実であろうか、史実ならいつの時代であろうか。孫引きデータで不安ではあるが、以下、検討したい(いずれ、原データにあたりたい)。

 前述の古田武彦氏の『古代は輝いていたU』によれば、弥生・古墳期(約1800〜1600年前:執筆当時から計算しなおすとAD185〜385年)頃の大阪には河内湖があり、若御毛沼らはこの河内湖を舟で進み、「白肩津」に着いたとしている。

 長浜浩明氏の『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』にはさらに詳しい図が紹介されているので、その図とHP「水都大阪」のデータを参考にさせていただくと、河内潟・河内湖・河内平野は、次の4つの時代に区分される。


A 河内潟時代(BC1050〜50):湾口が広い、海水湾の時代

B 河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150):干潮時には湖水の水が海に流れ、満潮時には海水が侵入する汽水湖の時代

C 河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代、AD150〜350):湾口が狭まって海水の流入がない淡水湖の時代

D 陸地化時代(AD350〜):陸地化が進む時代

 日本書紀は「遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」としているが、それはどの時代のことであろうか?

 まず、河内潟時代(BC1050〜50)は、河内潟は満潮時も干潮時も海水が満ちており、広い流路で外海と内海は結ばれ、「遡流而上りて」はありえない。


AD185〜385頃の河内湖(古田武彦著『古代は輝いていたU』)


BC1050〜50の河内潟(長浜浩明著『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』)

          
 AD150〜350年頃の河内湖T(前同)


 5世紀以降の大阪平野(HP「水都大阪」より)

 次の、河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)は、「浪速(なみはや)の渡」のあたりで湾口は狭まり、満潮時には上げ潮が湖内に流入し、干潮時には下げ潮が湖内から流出する。

 想定される当時の「河内湖」より大きさがやや小さい浜名湖(日本1の汽水湖)でみると、上げ潮の速さは2ノット(1m/s)、下げ潮は3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)で、その潮流の範囲は湾口からわずかに前後それぞれ1qほどの狭い範囲である(伊東啓勝他「インレット周辺の流況特性把握調査」(『水路 第154号』より)。

 この下げ潮の3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)というと、軽いカヌーの中速であり、この程度の流れなら簡単に漕ぎ上ることができる。カヌーや競技用ボートが高速で8〜10ノット(4.0〜5.0m/s)程度、26人の漕ぎ手のペーロン船が9ノット(4.5m/s)程度とされているから、汽水湖の下げ潮に逆らっても、特に苦労することもなく遡ることができる。私は琵琶湖の水がただ1カ所流れ出る瀬田川(流速は確かめられなかった)をエイトで何度も往復したことがあるが、軽い性能のいい競技艇ではゆっくり漕いでも楽に流れの速い瀬田川を遡ることができた。

 ただ、浜名湖には流入する大きな川はないのに対し、河内湖には滋賀・丹波・京都・奈良の広範囲な流域から水を集める淀川や木津川、大和川などから流入しており、若御毛沼たちが漕ぎ上ったのが冬の渇水期とはいえ、大阪湾への流出口の水流は浜名湖よりはかなり早かったに違いない。

 若御毛沼らが10〜20人ほどの重い準構造船(丸木舟の舷側に板を張って高くしたもの)を「遡流而上りて」漕ぎ上るとなると、その通過時期はAD150〜350年の河内湖淡水湖時代とみて間違いない。

彼らには急流の浪速の渡を漕ぎ上ったことが強く印象に残り、「遡流而上りて」と伝わった可能性が高い。

 繰り返しになるが、大阪湾と河内潟が広い湾口でつながっていた河内潟時代や、上げ潮のある汽水湖時代には、「遡流而上りて」という表現はでてこないであろう。

(3) 「草香邑の白肩津」はどこか?

 「草香邑の白肩津」については、生駒山麓の日下町を当てる説が多いが、私はそこから2.3qほど下った「枚岡」を比定する。「7」を「しち」「ひち」と発音する例などからみて、「しらかた津」は「ひらかた津」の可能性が高く、この地を奈良の登美・春日への最短距離の奈良街道が通っていたことからみても、白肩津は「枚岡」の湖岸にあった港(津)の可能性が高い。

 その時代は生駒山麓の陸地化が進んだ河内湖淡水湖時代(AD150〜350)ではありえない。その時代が河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)であることは、「白肩津」からも裏付けられる。

 完全に陸地化した後の8世紀の記紀作者が、「浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき」「遡流而上りて、径に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」というような文章を創作することができないことは言うまでもない。これらの記述には、8世紀の記紀作者が知ることのできない「秘密の暴露」が見られる。

 以上、「速水門」「はやき潮」、「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩津」という記紀の記述は後世の創作ではなく、若御毛沼らがAD150〜350年の河内湖T時代にこの地にきた実際の体験であることが明らかである。

これは、安本氏の統計的分析による神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)を裏付けている。

いわゆる「神武東征」は、卑弥呼時代より後になり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。

4.「浪速国」の地名由来について

 日本書紀の「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり」という若御毛沼による地名命名説話は、記紀や風土記の天皇命名地名の怪しさを示している。

 日本書紀の編集者は古事記の「速水門」=明石海峡を豊後水道に置き換えたために、その代わりに明石海峡を「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ」とし、若御毛沼が「名付けて浪速国とす」としたが、明石は播磨の地であり、この地を浪速と名づけることはありえない。そもそも古事記は「浪速(なみはや)の渡」という地名を載せており、若御毛沼らがこの地に来る以前から、「浪速」「難波碕」の地名があったことは明らかである。

 なお、私は安本美典氏の北九州から奈良盆地への「地名ワンセット東遷」の指摘は重要と考えるが、九州の地名を持ってきた人々は、もっと前のスサノオ・大国主一族であると考える。「地名ワンセット東遷」を「神武東遷」の証拠とすることはできない。

 若御毛沼らの「東征」より先にこの地に「浪速」地名があったことが、それを証明している。

5.「草香邑の白肩津」の由来について

 前述のように「白肩(しらかた)津」は「枚潟(ひらかた)津」であったと私は考えるが、「枚潟」というと、関西の人は淀川を遡った「枚方」と考え、「牧」の当て字から「牧場」のイメージを持つかも知れない。

 しかし、「草香邑の白肩津」となると、「日下(くさか)」の南にある「枚岡」の麓の「枚潟」(平潟)にあった「津」(港)とみて間違いない。この地に、河内国一之宮の枚岡神社があることと、奈良街道が通っていたことからみて、河内湖時代にはこの地が重要な拠点港であったことが明らかである。

 大国主を「国譲り」させて後継者となった「天穂日神」の子の「天日名鳥命、天夷鳥命、武日照命」が「天比良鳥命」とも言われることからみて、「枚=比良」は「日名(夷、日)」と同じであった可能性がある。「はら(腹、原)」「あちら、こちら」の「ら(羅)」は、「はな(鼻)」「ひな(女性の性器=霊(ひ)の宿る所)」などの「な(那、奈)」と同じく、「場所、土地」を示すからである。

 記紀によれば、「ひ=日=霊(祖先霊)」であることから考えると、「比良」は「霊羅」で「霊(ひ)の降り立つ聖地」という意味になる。「天日名鳥命」が「出雲祝神」とも呼ばれていることから考えると、この「枚潟(ひらかた)津」は出雲族の祖先霊(磐霊(いわひ):磐座(いわくら)に宿る祖先霊)を祀る聖地であった可能性が高い。

 若御毛沼らを傭兵として受け入れず、追い返した「長髄彦(ながすね)彦」が「登美能那賀須泥毘古」と書かれていることをみると、「長髄彦(ながすね)彦」(森浩一氏は「長洲根彦」説)はこの地から生駒山を越えた登美にかけて支配した王であり、この地はその交易と祖先霊信仰の拠点であった可能性が高い。

 さらに、「草香邑」は現在、「日下(くさか)」の地名として残っているが、出雲市の日下には、出雲国風土記に登場する古社の「久佐加神社」があり、「草香邑」はこの地からきた出雲族の居住地であった可能性が高い。枚岡神社の所在地が「東大阪市出雲井町」であることや、「青雲の白肩津」という記紀の記述と合わせて考えると、この地が大国主の子孫の王の拠点であったことは確実であろう。


6.「亀に乗ったサヲネツ彦」のいわゆる「神話的表現」について
 古事記には、早水門で「亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙げて来る人に遇(あ)ひき」に会った、という印象的な記述が見られる。

 この記述から、「神武東征は、亀に乗った浦島太郎伝説をもとに作られた」というような結論を導き出すことはできるであろうか?


 まず「亀の甲に乗りて」は次のような現実的な解釈が可能である。

 第1の仮説は、「亀の形のような幅広型の舟に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第2の仮説は、「亀の甲羅のような板舟(幅広のサーフボード)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第3の仮説は、「桶の舟(たらい舟)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承の「桶」が「瓶(かめ)」に変わり、さらに「亀」に変わって、「亀の甲に乗りて」となって伝わった可能性である。「桶から瓶」、「瓶から亀」への「伝言ゲーム」ミスである。

「浦島太郎伝説をもとにした創作説」が成立するためには、この3つの説を否定しなければならない。

 さらに、「打ち羽挙げて来る人」(打羽挙来人)がある。まず亀に乗って竜宮城に行き来した「浦島太郎伝説引用説」ではこの部分は説明が付かない。しかしながら実際の舟を想定すると、「打羽」は帆船の「帆」となり、合理的な解釈が可能である。「うちわ・うちは(団扇)」の語源は「打ち羽」とされており(『日本語源大辞典』)、この風を起こす道具は風を受ける道具でもある。

 「サオネツ彦」は浦島太郎のように亀に乗った人ではなく、帆を張った「亀型の幅広舟」か「板舟」、「たらい舟」に乗った漁師の可能性が高い。それは、九州沿岸に見られる舟ではなかったために印象深く言い伝えられたものと考えられる。

 若御毛沼兄弟らは、浦島太郎のような空想的な神話上の人物ではなく、釣りをしていた漁師に若御毛沼らが「汝は海道を知るや」と、「浪速の渡」から「白肩津」への水路の案内を頼んだとみるのが妥当である。

7.「神武東遷」について

 以上の検討結果をまとめると、「若御毛沼傭兵部隊東遷」について、次の事実が明らかである。

@ 「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩之津」の記述は、8世紀の記紀編集者の創作ではなく、河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代:AD150〜350)の印象的な体験談である。

A 若御毛沼による「浪速国」の地名由来は、日本書紀編集者の創作である。

B 「草香邑の青雲の白肩之津」の地名は、この地の王が出雲の大国主の子孫の可能性が高いことを示している。

C 「亀に乗ったサヲネツ彦」は「浦島太郎伝説」を元にした後世の創作ではなく、実際の印象的な体験談(伝承の過程で変容した可能性が高い)である。


8.神武東遷時期の確定は「邪馬台国畿内説」を否定する

 以上の検討により、若御毛沼傭兵部隊の奈良盆地への移動は「AD271年頃」(私はAD277年頃)より少し前となり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。
 この結果は大きい。

 邪馬台国畿内説の崩壊である。卑弥呼(248年頃死亡)の時代より、少し後の271〜277年頃に「神武傭兵部隊の東遷」があったことが証明されるからである。

 神武より8〜14代後の倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫(第7代孝霊天皇の皇女)や倭姫(第 11代垂仁天皇の皇女)、神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)を卑弥呼(248年頃死亡)とする畿内説の全面崩壊である。

古事記によれば、天照大御神からオシホミミ命―ニニギ命―ホホデミ命―ウガヤフキアエズ命―若御毛沼命(神武)と続くが、アマテラスは「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で生まれ、ニニギ命・ホホデミ命・ウガヤフキアエズ命は薩摩半島の笠沙で死んでいる。アマテラスは大和とは無縁である。

 なお、言うまでもないが、記紀神話創作説や2〜9代天皇の「欠史8代説」を採用するなら、天照大御神や倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫、倭姫などを歴史上の人物として論ずることがそもそもナンセンスである。記紀からアマテラスだけを「つまみ喰い」するような行儀の悪い考古学者やそれをもてはやす朝日・NHKなどのマスコミ人がいることは、この国の知性の崩壊状況を示しているといわざるをえない。  141019 帆人(日向 勤)
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c212

[近代史3] 韓国人と縄文人のルーツ 中川隆
5. 中川隆[-9298] koaQ7Jey 2019年6月24日 20:00:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3192]
長浜浩明氏の嘘は amazon のカスタマーレビューでも指摘されていますね:

古代日本「謎」の時代を解き明かす―神武天皇即位は紀元前70年だった! – 2012/4/1
長浜 浩明 (著)

内容
「大阪平野の発達史」が明かす古代史の真実、「男子は皆黥面文身す」が邪馬台国論争に黒白をつける、「皇紀」を「西暦」に直すと古代史が見えてくる、「韓国の前方後円墳」が覆す騎馬民族渡来説―混迷する古代史界に正気を取り戻す。

著者略歴 長浜/浩明
昭和22年群馬県太田市生まれ。同46年、東京工業大学建築学科卒。同48年、同大学院修士課程環境工学専攻修了(工学修士)。同年4月、(株)日建設計入社。爾後35年間に亘り建築の空調・衛生設備設計に従事、200余件を担当。資格:一級建築士、技術士(衛生工学、空気調和施設)、公害防止管理者(大気一種、水質一種)、企業法務管理士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


____


 日本古代史の研究本には、考古学中心と、文献学中心に、大別でき、考古学中心だと、調査での知識が取得できる一方、文献学中心だと、引用文が多用されていれば、読解での知識が取得できます。

 ところが、本書のように、文献学に傾倒し、いきなりの筆者の仮説や、他者の批判と、それらの根拠の説明だと、もし、その仮説が否定されれば、本自体の存在価値は、ほぼなくなってしまいますが、残念ながら、本書で、肯定できる箇所は、次のように、ほとんど散見できません。

 日本古代史には、著名な学者達の通説でさえ、到底納得できないものが、多々あり、なので、在野の研究者達が、入り込む余地があるのですが、筆者が、本書で諸説を散々批判したわりには(特に3章)、その前提条件が、大変脆弱です。

○1章への反論
 筆者は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。

 「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。

 よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。

 余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。

 そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。

○2章への補足
 筆者の主張する、邪馬台(壱)国=九州北部説には、私も賛同し、帯方郡〜邪馬壱国間が1万2000余里、帯方郡〜奴国間が1万600余里なので、奴国〜邪馬壱国間が1400余里以内となる説明は、わかりやすいですが(p.54)、入墨の分布が、かえって、わかりにくくしているのではないでしょうか(p.69)。

 私なら、もし、邪馬台国が近畿だと、伊都国設置の諸国を検察する一大率を、畏憚する(おそれはばかる)距離でないこと、もし、「魏志倭人伝」で、方位を書き誤ったなら、後世の「後漢書倭伝」で、狗奴国の位置を、女王国の東1000余里に訂正した際、一緒に訂正するはずとの理由を追加します。

 「魏志倭人伝」に、狗奴国は、倭の21ヶ国の南にあるという記述だけを、筆者が信用するのも、疑問です。

○5章への反論
 本書で筆者は、神武東征を紀元前70年と主張しており、ここでは、葦の根に生成・蓄積される褐鉄鉱を持ち出し、鉄器の導入と結び付けたいようにみえます。

 しかし、日本列島での鉄器の出土数を比較すると、九州北部は、3世紀前半まで、他地域を圧倒し、3世紀後半になって、はじめて畿内が逆転しており、紀元前1世紀の大和は、鉄器の後進地域なので、結局は、何がいいたいのか、不明です。

○4・6章への反論
 100歳以上の天皇が、初期に多数いるので、筆者は、1〜19代に、1年2歳説を採用していますが、そもそも1年サイクルで、農耕民は、稲作・畑作、漁労・狩猟・採集民は、旬の食物を獲得、交易民は、海流を渡海・交易する等、生活・活動しているのに、年齢だけが、1年で2歳になるのは、とても不自然です。

 「魏略」での裴松之の注では、倭人が、正月や四季を知らず、春の耕作と秋の収穫を計って1年としていると、解説しているにすぎず、当時の人々は、朝に、観測点から見て、太陽が東の山々の、どこから昇るかを基準に、自然の暦(夏至・春秋分・冬至等)を算出していたようです(福岡県・平原遺跡)。

 「魏志倭人伝」に、倭人は長寿で、中には100歳・80〜90歳もいるとあり、訳文には、歳と記載されていますが、原文には、年となっており、17代以後で、記紀神話に死去年齢が記載されている天皇には、60〜70歳代も結構いるので、1年で1歳とみるのが自然です。

 私は、「日本書紀」で、100歳以上の天皇が、1・5〜13・14-15代の間・15代、事績に長期間の空白がある天皇が、1・10・11・14-15代の間・16代なので(それぞれ26年・30年・47年・25年・19年間)、父子継承が主流の16代以前は、年代不当、兄弟継承が主流の17代以後は、年代妥当とみています。

 ただし、歴代天皇の全員が、実在したかは、疑問ですが、この程度の人数は、存在していたと仮定し、16代以前だけでなく、17代以後にも、多少の年代のズレが、あったでしょう。

 年代不当の1〜16代の17人は、紀元前660〜400年の1060年間なので、天皇の在位期間の平均が、約62年/人、年代妥当の17〜41代の25人は、400〜697年の297年間なので、在位期間の平均が、約12年/人となり、年代不当の17人を12年/人とすれば、初代・神武天皇の即位は、196年になります。

 この2世紀終りは、銅鏡が、畿内に集中するようになった時期(漢鏡7期の第2段階)であるうえ、大和に大型前方後円墳が出現する直前で、神武が天皇の始祖にふさわしく、河内湖Tの時代になります。

 そのうえ、10代・崇神天皇の即位は、304年になり、4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期と一致するうえ、10代の磯城の瑞籬宮・11代の纒向の珠城宮・12代の纒向の日代宮とも符合します。

 一方、筆者が1年2歳説を採用した、1〜19代の20人は、紀元前70〜457年の527年間なので、天皇の在位期間の平均が、約26年/人、20〜41代の22人は、457〜697年の240年間なので、在位期間平均が、約11年/人となります。

 41代までのほとんどは、いったん即位すれば、死去するまで天皇だったので、古い年代で寿命が長いのは、矛盾しています。
 また、16代以前の父子間の皇位継承は、後述のように、3〜6代が兄弟間の皇位継承とみられるので、それ以外の部分の信憑性も疑問視され、筆者のいう、神武天皇の即位を紀元前70年とするのは、無理があると導き出せます。

○7章への補足
 筆者が、闕史八代の天皇の妻に着目したまでは、よかったのですが、その子供達の子孫を、記紀神話で、全国各地の豪族達の始祖に位置づけたのは、後世に天皇へ奉仕した、かれらの正統性を確保するためとみられ、そこに血縁関係があったとまでは、けっして言い切れません。

 むしろ、2〜7代の妻は、「古事記」「日本書紀」の本文と、一書にも記載があるので、そこにも注目すべきで、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(高尾張邑=葛城邑としました)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。

 これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。
 ちなみに、崇神天皇(10代)は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還したので、実際には、4世紀初めから、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、4方向を開拓し、流通ネットワークを広域整備、統治範囲は、大和一帯とみられます。

 第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、ここは、父子間での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、ここは、兄弟間での皇位継承とみられます。

 つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の父子間の皇位継承は、捏造でしょう。

 1〜13代の父子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、父子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。

 第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。

 しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。

 第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。

 したがって、2〜9代が、もし、非実在なら、その妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明できます。
 闕史八代の実在を主張するなら、この程度の根拠を、提示すべきですが、おそらく筆者は、「日本書紀」の本文(訳文)しかみておらず、2〜7代に一書があるのを、把握していなかったのでしょう。

○8章への苦言
 日本古代史は、東アジアの視点が大切で、中国・朝鮮・日本が、まだ未分化な状態から、徐々に分化していく過程をみるべきなのに、日本・中国・朝鮮等の人種や国家が、分立していたかのように取り上げ、現代の善悪・優劣・尊卑等や、筆者の価値観で、評価するのは、歴史研究者として反則行為です。

 最後の「おわりに」(p.209-292)まで読み進めると、筆者は結局、日中の歴史書等から、史実を探求するよりも、日本賞賛に都合のよい、こじつけ的な解釈が、必要なだけだったと理解でき、天皇の年齢や年代以外は、吟味していないので、日中の歴史書等を信仰の対象とした、新興宗教者といえます。

 中世・近世の日本では、伊勢神道・吉田神道・復古神道等が、記紀神話をこじつけ的に解釈することで、自分達の正当性・優位性を主張していました。

 ここまでみると、どうも、筆者が、神武天皇の即位を、紀元前70年としたのは、新羅の建国が、紀元前57年、高句麗の建国が、紀元前37年、百済の建国が、紀元前18年とされているので、それらに対抗・優越しようとしただけにしか、みえないのは、私だけでしょうか。

 中国・欧米等の建国史は、人工的・作為的な「創造」である一方、日本の建国史として位置づけられる記紀神話は、自然な「生成」を意識しており、だから、神代に数々の一書を併記することで、意図的に曖昧にしているのを、筆者は、無理矢理に確定しているようで、まさに人工的・作為的です。

 それは、最近の右派・右翼系の活動も同様で、日本らしさといいながら、かれらが嫌悪している中国らしく・朝鮮らしく変貌してきているのを、自覚しているのでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3




▲△▽▼



長浜浩明の―神武天皇即位は紀元前70年だった! は間違い

長浜浩明は神武東征が河内潟の時代だと主張していますが、河内湖Tの時代が正しい:


河内湖の名残
http://feynmanino.watson.jp/5697_kawachi2.html


邪馬台国とはなんぞや?(43) - altairposeidonのブログ

・古大阪平野の時代:約2万年前
・古河内平野の時代:約9000年前
・河内湾Iの時代:約7000年〜6000年前
・河内湾IIの時代:約5000年〜4000年前
・河内潟の時代:約3000年〜2000年前(BC1050年〜BC50年)
・河内湖Iの時代:約1800年〜1600年前(AD150年から350年)
・河内湖IIの時代〜大阪平野I・IIの時代:約1600年前以降
http://altairposeidon.hatenablog.com/entry/2018/10/11/000000

▲△▽▼


霊(ひ)の国の古事記論54  若御毛沼命の河内湖通過(「神武東征」)時期について
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html

1.「神武東征」か?

御毛沼命と若御毛沼命(後の神倭伊波礼琵古(磐余彦)命、8世紀に神武天皇と諡(おくりな))兄弟のいわゆる「神武東征」については、史実説と虚構説に分かれ、史実説については、記紀史実説(薩摩半島の山幸彦の子孫の征服説)と邪馬台国東征説・東遷説が見られる。

私の説(『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』、ブログ「霊の国の古事記論」)は、「薩摩半島の山幸彦(山人:やまと)の子孫の傭兵部隊の仕官を求めての移動説」であり、「若御毛沼命実在・東征否定説(傭兵隊移動説)」という「おおむね真実、一部虚偽」という第3の説である。


御毛沼命・若御毛沼命兄弟の移動は「東征」か「傭兵隊の移動」か?


 
 なお、第10代崇神天皇以前、第15代応神天皇以前、第26代継体天皇以前の3つの天皇非存在説についての検討はいずれまとめたいが、私の記紀判断の基準に照らし、神話時代を含めた登場人物については、実在人物をモデルに創作されたアマテラスを除き、ほぼ実在していた人物と考える。

 


2.神話時代の年代論について 

 皇国史観は神武即位を「BC660年」としたが、那珂通世は「AD元年」、久米邦武は「AD6年」、とし、高木修三氏は『紀年を解読する』(2000年)において「BC29年」、長浜浩明氏は『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』(2012年)において「BC70年」とした。

 これらに対して、記紀の年代分析において初めて統計的に科学的分析を行ったのは、安本美典氏である(図参照)。氏は古代の天皇、中世・近世の将軍、中国・西洋の王の在位年数から、古代大王の平均在位年数を約10年とし、神武即位を「AD271年頃」とする統計的な推定を行った。

 30〜40代天皇の即位年の直線回帰による私の追試では「AD277年」であり、私はこの安本説を全面的に支持する。


30〜40代天皇の即位年の直線回帰によるスサノオ大神・大国主神16代の即位年の予測


 なお、この記紀年代の統計的分析において、安本氏はアマテラスより前の王について検討されていないが、私は古事記神話が始祖としている天御中主までの分析を進めた。

 詳しくは前著『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』を参照いただきたいが、結論だけを述べると、AD57年の「委奴国王」の遣使、107年の「倭王師升」の遣使、「100余国を7〜80年支配した王朝」、146〜189年頃の「倭国大乱」、100余国のうちの30国をまとめた「卑弥呼」の238年の遣使、弟王との後継者争いで共立された「壱与」の266年の遣使との照合性について検討を行い、「委奴国王」はスサノオ、「倭王師升」は淤美豆奴(オミズヌ)、「100余国を7〜80年支配した王朝」はスサノオ・大国主王朝7代」、「倭国大乱」は大国主の後継者争い、「卑弥呼」はアマテラスと考える。


3.「神武東征」の時期について

 統計的な分析による安本氏の神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)について、物証の裏付けはないのであろうか?

 その鍵となるのは、記紀に描かれた若御毛沼らの行動である。その記述は次の通りである。

@古事記:「その国(注:吉備国)より遷り上り幸(い)でましし時、亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙あげて来る人に、速水門(はすひのと)で遇(あ)ひき。・・・故、その国より上り行でましし時、浪速(なみはや)の渡を経て、青雲の白肩津(しらかたのつ)に泊(は)てたまひき」

A日本書紀:「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり。三月の丁卯の朔丙子(十日)、遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」

 この「速水門」「浪速の渡」「はやき潮」「遡流而上りて」「草香邑の青雲の白肩津」の記述がその時期を特定する鍵となる。


(1) 「速水門」はどこか?

 古事記の「速水門」は吉備出発後の記述であり、考えられるのは備讃瀬戸か明石海峡であるが、備讃瀬戸には「門」と呼べるような狭い海峡はなく、潮流も緩やかで、地形・海流の両方からみて「速水門」と呼べるような場所はない。「速水門」は幅4kmで両側の山が迫って「門」にふさわしく、潮流の早い明石海峡とみて間違いない。

 古田武彦氏は『古代は輝いていたU』において、明石海峡は「平穏、清明の海」とし、「速水門」に相応しいのは鳴門海峡としているが、これは全くの事実誤認である。四季、何十回と明石海峡を小さな渡し船で渡った私の経験でいえば、明石海峡の潮流は早い。


海上保安庁 六区豆知識「海の流れについて」


 海上保安庁のデータでみると、最大潮流は鳴門海峡10.5ノット、明石海峡6.7ノットであり、備讃瀬戸の3.4ノット、播磨灘の0.4〜0.5ノット、大阪湾の0.3〜0.5ノットと較べると、明石海峡を「速水門」と見るべきである。

 一方、日本書紀は「速水門」を筑紫の宇佐への途中に置いているので、豊予海峡(最大6ノット)になる。しかしながら、豊予海峡は14kmと広く、「門」と言えるような地形ではない。

 また、黒潮に洗われる笠沙半島を拠点にした隼人族(海幸彦)が豊予海峡を越えるのは苦もなかった筈であり、海岸沿いに行けば日向から宇佐、岡水門へと移動するのに迷うこともない。水先案内人を頼む必要があったとは思えない。

 舟で豊予海峡説(最大6ノット)や関門海峡(同9ノット)を越えるのは大変と思われるかも知れないが、下げ潮に乗れば楽々である。私は船折瀬戸(同9ノット=時速17q、村上水軍の根拠地の大島と伯方島の間の瀬戸)を潮流に乗って小型ヨットとカヌーで下ったことがあるが、広い海を早い潮流に乗って移動するのは、狭い川の急流を下るのと較べて何の危険もない。10〜20人乗りの丸木舟の舷側に板を張った重心の重い当時の舟なら、これらの海峡を通過するのに案内人は必要ない。仮に、どうしても下げ潮での通過が怖いなら、潮待ちして、12時間ごとの満潮時か干潮時の停潮期に渡ればよいがそんなことをする海洋民はいないであろう。

 奈良盆地にいて海を知らない日本書紀の編集者達は、若御毛沼たちが未知の海に東征の冒険に乗り出したことを印象づけるために、地形も潮流も舟も知らず、「速水門」を明石海峡から豊予海峡に変えたと見てよい。


(2) 「遡流而上りて」はいつの時代か

 若御毛沼らは2月11日(3月上旬)に吉備をたち、「速水門」を経て、「浪速の渡」を通り、3月10日に「白肩津」に着いたというのであるが、それは史実であろうか、史実ならいつの時代であろうか。孫引きデータで不安ではあるが、以下、検討したい(いずれ、原データにあたりたい)。

 前述の古田武彦氏の『古代は輝いていたU』によれば、弥生・古墳期(約1800〜1600年前:執筆当時から計算しなおすとAD185〜385年)頃の大阪には河内湖があり、若御毛沼らはこの河内湖を舟で進み、「白肩津」に着いたとしている。

 長浜浩明氏の『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』にはさらに詳しい図が紹介されているので、その図とHP「水都大阪」のデータを参考にさせていただくと、河内潟・河内湖・河内平野は、次の4つの時代に区分される。


A 河内潟時代(BC1050〜50):湾口が広い、海水湾の時代

B 河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150):干潮時には湖水の水が海に流れ、満潮時には海水が侵入する汽水湖の時代

C 河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代、AD150〜350):湾口が狭まって海水の流入がない淡水湖の時代

D 陸地化時代(AD350〜):陸地化が進む時代


 日本書紀は「遡流而上りて、径(ただ)に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」としているが、それはどの時代のことであろうか?

 まず、河内潟時代(BC1050〜50)は、河内潟は満潮時も干潮時も海水が満ちており、広い流路で外海と内海は結ばれ、「遡流而上りて」はありえない。


AD185〜385頃の河内湖(古田武彦著『古代は輝いていたU』)


BC1050〜50の河内潟(長浜浩明著『古代日本の「謎」の時代を解き明かす』)

          
 AD150〜350年頃の河内湖T(前同)


 5世紀以降の大阪平野(HP「水都大阪」より)


 次の、河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)は、「浪速(なみはや)の渡」のあたりで湾口は狭まり、満潮時には上げ潮が湖内に流入し、干潮時には下げ潮が湖内から流出する。

 想定される当時の「河内湖」より大きさがやや小さい浜名湖(日本1の汽水湖)でみると、上げ潮の速さは2ノット(1m/s)、下げ潮は3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)で、その潮流の範囲は湾口からわずかに前後それぞれ1qほどの狭い範囲である(伊東啓勝他「インレット周辺の流況特性把握調査」(『水路 第154号』より)。

 この下げ潮の3〜4ノット(1.5〜2.0m/s)というと、軽いカヌーの中速であり、この程度の流れなら簡単に漕ぎ上ることができる。カヌーや競技用ボートが高速で8〜10ノット(4.0〜5.0m/s)程度、26人の漕ぎ手のペーロン船が9ノット(4.5m/s)程度とされているから、汽水湖の下げ潮に逆らっても、特に苦労することもなく遡ることができる。私は琵琶湖の水がただ1カ所流れ出る瀬田川(流速は確かめられなかった)をエイトで何度も往復したことがあるが、軽い性能のいい競技艇ではゆっくり漕いでも楽に流れの速い瀬田川を遡ることができた。

 ただ、浜名湖には流入する大きな川はないのに対し、河内湖には滋賀・丹波・京都・奈良の広範囲な流域から水を集める淀川や木津川、大和川などから流入しており、若御毛沼たちが漕ぎ上ったのが冬の渇水期とはいえ、大阪湾への流出口の水流は浜名湖よりはかなり早かったに違いない。

 若御毛沼らが10〜20人ほどの重い準構造船(丸木舟の舷側に板を張って高くしたもの)を「遡流而上りて」漕ぎ上るとなると、その通過時期はAD150〜350年の河内湖淡水湖時代とみて間違いない。

彼らには急流の浪速の渡を漕ぎ上ったことが強く印象に残り、「遡流而上りて」と伝わった可能性が高い。

 繰り返しになるが、大阪湾と河内潟が広い湾口でつながっていた河内潟時代や、上げ潮のある汽水湖時代には、「遡流而上りて」という表現はでてこないであろう。


(3) 「草香邑の白肩津」はどこか?

 「草香邑の白肩津」については、生駒山麓の日下町を当てる説が多いが、私はそこから2.3qほど下った「枚岡」を比定する。「7」を「しち」「ひち」と発音する例などからみて、「しらかた津」は「ひらかた津」の可能性が高く、この地を奈良の登美・春日への最短距離の奈良街道が通っていたことからみても、白肩津は「枚岡」の湖岸にあった港(津)の可能性が高い。

 その時代は生駒山麓の陸地化が進んだ河内湖淡水湖時代(AD150〜350)ではありえない。その時代が河内湖汽水湖時代(BC50〜AD150)であることは、「白肩津」からも裏付けられる。

 完全に陸地化した後の8世紀の記紀作者が、「浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき」「遡流而上りて、径に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります」というような文章を創作することができないことは言うまでもない。これらの記述には、8世紀の記紀作者が知ることのできない「秘密の暴露」が見られる。

 以上、「速水門」「はやき潮」、「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩津」という記紀の記述は後世の創作ではなく、若御毛沼らがAD150〜350年の河内湖T時代にこの地にきた実際の体験であることが明らかである。

これは、安本氏の統計的分析による神武即位「AD271年頃説」(私は「AD277年頃」説)を裏付けている。

いわゆる「神武東征」は、卑弥呼時代より後になり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。


4.「浪速国」の地名由来について

 日本書紀の「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ。因りて、名付けて浪速国とす。亦浪花と言う。今、難波というは、訛れるなり」という若御毛沼による地名命名説話は、記紀や風土記の天皇命名地名の怪しさを示している。

 日本書紀の編集者は古事記の「速水門」=明石海峡を豊後水道に置き換えたために、その代わりに明石海峡を「難波碕に到るときに、はやき潮ありてはなはだ急きに会ひぬ」とし、若御毛沼が「名付けて浪速国とす」としたが、明石は播磨の地であり、この地を浪速と名づけることはありえない。そもそも古事記は「浪速(なみはや)の渡」という地名を載せており、若御毛沼らがこの地に来る以前から、「浪速」「難波碕」の地名があったことは明らかである。

 なお、私は安本美典氏の北九州から奈良盆地への「地名ワンセット東遷」の指摘は重要と考えるが、九州の地名を持ってきた人々は、もっと前のスサノオ・大国主一族であると考える。「地名ワンセット東遷」を「神武東遷」の証拠とすることはできない。

 若御毛沼らの「東征」より先にこの地に「浪速」地名があったことが、それを証明している。


5.「草香邑の白肩津」の由来について

 前述のように「白肩(しらかた)津」は「枚潟(ひらかた)津」であったと私は考えるが、「枚潟」というと、関西の人は淀川を遡った「枚方」と考え、「牧」の当て字から「牧場」のイメージを持つかも知れない。

 しかし、「草香邑の白肩津」となると、「日下(くさか)」の南にある「枚岡」の麓の「枚潟」(平潟)にあった「津」(港)とみて間違いない。この地に、河内国一之宮の枚岡神社があることと、奈良街道が通っていたことからみて、河内湖時代にはこの地が重要な拠点港であったことが明らかである。

 大国主を「国譲り」させて後継者となった「天穂日神」の子の「天日名鳥命、天夷鳥命、武日照命」が「天比良鳥命」とも言われることからみて、「枚=比良」は「日名(夷、日)」と同じであった可能性がある。「はら(腹、原)」「あちら、こちら」の「ら(羅)」は、「はな(鼻)」「ひな(女性の性器=霊(ひ)の宿る所)」などの「な(那、奈)」と同じく、「場所、土地」を示すからである。

 記紀によれば、「ひ=日=霊(祖先霊)」であることから考えると、「比良」は「霊羅」で「霊(ひ)の降り立つ聖地」という意味になる。「天日名鳥命」が「出雲祝神」とも呼ばれていることから考えると、この「枚潟(ひらかた)津」は出雲族の祖先霊(磐霊(いわひ):磐座(いわくら)に宿る祖先霊)を祀る聖地であった可能性が高い。

 若御毛沼らを傭兵として受け入れず、追い返した「長髄彦(ながすね)彦」が「登美能那賀須泥毘古」と書かれていることをみると、「長髄彦(ながすね)彦」(森浩一氏は「長洲根彦」説)はこの地から生駒山を越えた登美にかけて支配した王であり、この地はその交易と祖先霊信仰の拠点であった可能性が高い。

 さらに、「草香邑」は現在、「日下(くさか)」の地名として残っているが、出雲市の日下には、出雲国風土記に登場する古社の「久佐加神社」があり、「草香邑」はこの地からきた出雲族の居住地であった可能性が高い。枚岡神社の所在地が「東大阪市出雲井町」であることや、「青雲の白肩津」という記紀の記述と合わせて考えると、この地が大国主の子孫の王の拠点であったことは確実であろう。

6.「亀に乗ったサヲネツ彦」のいわゆる「神話的表現」について
 古事記には、早水門で「亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち羽挙げて来る人に遇(あ)ひき」に会った、という印象的な記述が見られる。

 この記述から、「神武東征は、亀に乗った浦島太郎伝説をもとに作られた」というような結論を導き出すことはできるであろうか?


 まず「亀の甲に乗りて」は次のような現実的な解釈が可能である。

 第1の仮説は、「亀の形のような幅広型の舟に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第2の仮説は、「亀の甲羅のような板舟(幅広のサーフボード)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承が、「亀の甲に乗りて」に変わった可能性である。

 第3の仮説は、「桶の舟(たらい舟)に乗って釣りをしていた漁師」の伝承の「桶」が「瓶(かめ)」に変わり、さらに「亀」に変わって、「亀の甲に乗りて」となって伝わった可能性である。「桶から瓶」、「瓶から亀」への「伝言ゲーム」ミスである。

「浦島太郎伝説をもとにした創作説」が成立するためには、この3つの説を否定しなければならない。

 さらに、「打ち羽挙げて来る人」(打羽挙来人)がある。まず亀に乗って竜宮城に行き来した「浦島太郎伝説引用説」ではこの部分は説明が付かない。しかしながら実際の舟を想定すると、「打羽」は帆船の「帆」となり、合理的な解釈が可能である。「うちわ・うちは(団扇)」の語源は「打ち羽」とされており(『日本語源大辞典』)、この風を起こす道具は風を受ける道具でもある。

 「サオネツ彦」は浦島太郎のように亀に乗った人ではなく、帆を張った「亀型の幅広舟」か「板舟」、「たらい舟」に乗った漁師の可能性が高い。それは、九州沿岸に見られる舟ではなかったために印象深く言い伝えられたものと考えられる。

 若御毛沼兄弟らは、浦島太郎のような空想的な神話上の人物ではなく、釣りをしていた漁師に若御毛沼らが「汝は海道を知るや」と、「浪速の渡」から「白肩津」への水路の案内を頼んだとみるのが妥当である。


7.「神武東遷」について

 以上の検討結果をまとめると、「若御毛沼傭兵部隊東遷」について、次の事実が明らかである。

@ 「浪速の渡」「遡流而上りて」「白肩之津」の記述は、8世紀の記紀編集者の創作ではなく、河内湖淡水湖時代(河内湖1の時代:AD150〜350)の印象的な体験談である。

A 若御毛沼による「浪速国」の地名由来は、日本書紀編集者の創作である。

B 「草香邑の青雲の白肩之津」の地名は、この地の王が出雲の大国主の子孫の可能性が高いことを示している。

C 「亀に乗ったサヲネツ彦」は「浦島太郎伝説」を元にした後世の創作ではなく、実際の印象的な体験談(伝承の過程で変容した可能性が高い)である。


8.神武東遷時期の確定は「邪馬台国畿内説」を否定する

 以上の検討により、若御毛沼傭兵部隊の奈良盆地への移動は「AD271年頃」(私はAD277年頃)より少し前となり、神武即位「BC660年説」「BC70年説」「BC29年説」「AD元年説」「AD6年説」は全て成立しない。
 この結果は大きい。

 邪馬台国畿内説の崩壊である。卑弥呼(248年頃死亡)の時代より、少し後の271〜277年頃に「神武傭兵部隊の東遷」があったことが証明されるからである。

 神武より8〜14代後の倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫(第7代孝霊天皇の皇女)や倭姫(第 11代垂仁天皇の皇女)、神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)を卑弥呼(248年頃死亡)とする畿内説の全面崩壊である。

古事記によれば、天照大御神からオシホミミ命―ニニギ命―ホホデミ命―ウガヤフキアエズ命―若御毛沼命(神武)と続くが、アマテラスは「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で生まれ、ニニギ命・ホホデミ命・ウガヤフキアエズ命は薩摩半島の笠沙で死んでいる。アマテラスは大和とは無縁である。

 なお、言うまでもないが、記紀神話創作説や2〜9代天皇の「欠史8代説」を採用するなら、天照大御神や倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫、倭姫などを歴史上の人物として論ずることがそもそもナンセンスである。記紀からアマテラスだけを「つまみ喰い」するような行儀の悪い考古学者やそれをもてはやす朝日・NHKなどのマスコミ人がいることは、この国の知性の崩壊状況を示しているといわざるをえない。  141019 帆人(日向 勤)
http://hinakoku.blog100.fc2.com/blog-entry-70.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/427.html#c5

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
317. 中川隆[-9297] koaQ7Jey 2019年6月24日 20:05:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3193]

映画『主戦場』が炙り出す「保守派」の虚妄と理論破綻
古谷経衡 5/20
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/


映画『主戦場』ポスターと月刊誌『Hanada 6月号』


1】次第にしどろもどろになっていく「保守派」

映画『主戦場』パンフレット等


 現在公開中のミキ・デザキ監督によるドキュメンタリー映画『主戦場』は、いわゆる「保守派」「右派」とされる歴史修正主義者の虚妄がこれでもかと炙り出される意味で痛快である。

 日韓両国や市民団体の中で係争の対象になっている「従軍慰安婦問題」について、韓国人の元慰安婦らに寄り添うべきだという人々と、それに真っ向から反対し「彼らは単なる売春婦にすぎない」と主張する人々(劇中では日本の右派。または歴史修正主義者)を、押しなべて交互に尺をとって、並列的に並べている。

 ドキュメントの中では、元慰安婦らの主張が正しいと言っているわけでも、日本の右派が正しいと言っているわけでもない構成から始まっていくが、ドキュメントが進んでいくにつれて、明らかに日本の右派や歴史修正主義者がその理論に破綻をきたし、しどろもどろになっていくさまがこれでもか、と描かれている。

2】おなじみの”従軍慰安婦は売春婦”論

 特に劇中登場する杉田水脈代議士、新しい歴史教科書を作る会の藤岡信勝氏、日本のテレビタレント、ケント・ギルバート氏などは、「従軍慰安婦は売春婦である」と言ったり、「しかし高い給料が払われていたので性奴隷ではない」と言ったり、その理屈が二転三転して安定していない。

 従軍慰安婦が単なる売春婦であるのなら、その娼婦に支払われた給与が高額であるか否かは関係のないことだが、彼らは給料が高いから「単なる売春婦ではない」という。支離滅裂である。またジャーナリストの櫻井よしこ氏は「朝日新聞がこの問題を世界に拡散し、日本軍が強制連行をしたという間違った事実が広がった」という。

 これは国連のクマラスワミ報告の中の「故・吉田清治による作話(朝日新聞が誤報と訂正した)」ことを指していると思われるが、クマラスワミ報告で吉田清治証言が使用されているのは傍証としてわずか2か所で、クマラスワミ報告は吉田清治の虚言がなくとも成立する。こんな簡単な基礎も踏まえていないで「ジャーナリスト」とは片腹痛い。

 更に、”異様”と映るのは自称歴史研究家の加瀬英明氏が登場する後半の下り。「歴史学者の秦郁彦氏の本は読んでいますか?」と問われると「秦?秦さんは私の友人ですが…。ワタシ他人の本は読まないんです。だから読んでいません」と答えるという無知ぶりをさらけ出すことだ。

 秦郁彦氏は実証史学の権威で、従軍慰安婦問題については同氏の『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮社)が史学科に在籍する学部生でなくとも読める分かりやすい必携本となっており、日本軍の強制連行について早期に否定的な見解を示しているにもかかわらず、加瀬氏はこの従軍慰安婦問題の「基礎の基礎」と言える本を「読んでいない」と公言して、あまつさえ自らを「歴史研究者です」と満面の笑みで言ってのけるのである。

 ちなみに加瀬氏は『中国人 韓国人にはなぜ「心」がないのか』(2014年、ベスト新書)という異様なタイトルの本を刊行しており、歴史研究者を通り越して単なる差別主義者の顔をのぞかせる。

 以上、ざっと笑えるところだけを取り出しても、このような痛快なドキュメントは初めてで、本稿執筆時点で首都圏では公開館数1(シアターイメージフォーラム。5月24日よりアップリンク吉祥寺、あつぎのえいがかんKikiでも)だが、6月にかけて全国で上映館数が増えるから、値千金なので見たほうが良い。


3】監督への個人攻撃に終始

月刊Hanada 6月号


 さてこの映画『主戦場』。先月4月20日公開からちょうど丸ひと月が立つが、いわゆる日本の保守派や右派や歴史修正主義者は、この映画を「反日映画」「偏向映画」「パヨク映画」などと脊椎反射的に罵る以上、体系的反論や批評がひとつもでていない。

 そこで探すと、今月号(2019年6月号)の月刊誌『Hanada』に

『総力特集 韓国の恥部 ドキュメント『主戦場』 従軍慰安婦映画の悪辣な手口』(P.316〜329、山岡鉄秀氏)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


という一片を見つけた。これのみが、本稿執筆時点でほぼ唯一『主戦場』に対する保守側、右派側からの紙面上での反論・反証になっているが、中身は徹底的にこの映画の監督、ミキ・デザキ氏への個人攻撃に終始していて陳腐なものである。

 山岡氏は映画『主戦場』とはまったく関係のない、ミキ・デザキ監督が過去にアップロードした動画をあげつらって執拗にこう述べている。


(前略)なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズしながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで五キロ痩せたって!」
「ねえねえ、誰にメールしてるの?」
「これ、バーゲンで買った」「うざ!」

(中略)

「韓国行こうよ!最近、韓国語勉強しているよ!カムサハムニダ!!」

これが延々と続き、どういうオチになるのかと思っていたら、THE ENDの文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

彼は、この動画で一体何が言いたかったのだろうか?

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.318-319、強調筆者)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


 私も、この動画だけで、ミキ・デザキ監督が何を言いたかったのかは正直言ってよくわからない。しかしながらこの山岡氏の論法は、「この主戦場という映画を撮っている監督は、”ちんちん”などという卑猥な言葉を口にする動画を撮影している愚劣な人間だ」という周辺の評価にすぎず、肝心の『主戦場』の映画評にはなっていない。

 繰り返すが上記の動画は、映画『主戦場』とは全く関係のない、たんなる別の動画である。

 しかし映画『主戦場』では、在米ユーチューバーの「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏が、「アメリカでは絶対にヤりたくない女には、こうするのさ!」といって、慰安婦像(少女像)に紙袋を被せて大爆笑している模様が映し出されているが、こちらのトニーの「醜態」については、その行為が劇中であるにも関わらずなんら言及がない。

 要するに、この山岡氏の作文は、映画『主戦場』以外の、監督の過去の行状をあげつらうだけで、肝心の映画への言及はいくらたっても始まらないのである。


4】秦郁彦を出せ!でも秦郁彦を読んでいない保守派

慰安婦問題では必携書と言える

「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著、新潮社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%80%A7-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E7%A7%A6-%E9%83%81%E5%BD%A6/dp/4106005654


 山岡氏は以下ようやく映画『主戦場』の内容に触れ、こう続ける。


映画は、専門家ではない反対派(右派)の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させなくては、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいけない。この点については、(2019年)4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で、直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の慣習としては夜電話するのが気が引けるので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

この時点で、六十点ぐらい減点しなくてはならない。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.320、カッコ内筆者)

 おわかりいただけただろうか。山岡氏は櫻井よしこ氏やケントギルバート氏や藤井信勝氏や杉田水脈氏は、(こんなに頑張って劇中でしゃべっているのに)議論に値する専門家ではない、と切り捨てている。そして秦郁彦氏を出さない時点で「マイナス60点」としているが、その秦郁彦氏の著作を「読んだことがない」と劇中で言い切る加瀬英明氏については特段何のマイナス評価も下していないのである。

 つまりこの山岡氏の月刊Hanadaでの理屈は、映画『主戦場』は、元従軍慰安婦に寄り添う人々の側にだけ専門家を出して、それに反対する右派、保守派、歴史修正主義者には素人しかいないのは不公平である、と言っているに等しい。

 しかし私の知る限り、トニー・マラーノ氏も、藤岡信勝氏も、杉田水脈氏も、「なでしこアクション」代表の山本優美子氏も、ケントギルバート氏も「(彼らなりに)がんばって活動をやっている」人々だし、すくなくともネット右翼界隈の中では論客とされているのだから、議論の相手として認めてもいいのではないか。特に加瀬氏は、自らが「秦郁彦の本を読んでいないけど専門家」と名乗っているのだから、そこは認めてもよいのではないか。

 山岡氏の論は、いわゆる元従軍慰安婦に寄り添う人々に鋭敏な反発を示しながらも、それに抗する「保守派」「右派」「歴史修正主義者」は、「素人」として一蹴し、映画の中に秦郁彦氏と西岡力氏の登場を切望している。はからずもこれに関しては、筆者も全く同じ意見であるが、ここまで「素人」と劇中に登場する「保守派」の人々をこき下ろすのも、逆説的に痛快だ。

 山岡氏は『Hanada』に寄稿するぐらいだから「保守派」「右派」と見做されているのだろうが、身内をかばっているように見えて、実は身内を容赦なく打擲している。それが意図してのことだとしたのなら、なかなか見どころがある。

5】また「ちんちん」か。

 そして山岡氏は、こう結んで終わる。


(前略)将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも。必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自分の動画の中で女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.329)

 また「ちんちん」が出た。それも結句で。どうもお下品に過ぎる監督への個人攻撃を中心にしたお粗末な作文が、今のところ唯一の『主戦場』に対する反論であることからも、いわゆる「保守派」の言語感覚というものの程度が推して知れよう。(了)
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/

▲△▽▼


>従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口|山岡鉄秀

>映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。

まあ、専門家(?)の秦郁彦氏、西岡力氏を出演させてもダメージが大きくなるだけなんですけどね:

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html

今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html


河野談話を守る会のブログ 秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=YnH2XP2CEYuymAWKkb2oDg&q=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&oq=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&gs_l=psy-ab.3...2930.2930..4643...0.0..0.173.173.0j1......0....1..gws-wiz.5PvrtoTbrew


河野談話を守る会のブログ 『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ!
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html



▲△▽▼


社会科学者の随想 2019年06月23日
従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったころ,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その1)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075054438.html


【『主戦場』 “SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue”2018年製作映画】

【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】
【製作国  アメリカ・日本・韓国】
【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】


 以下に長々と数回に分けて紹介していくが,これらの感想は,投稿された期日のあとになれば順次,読むことができた一覧である。それはともかく,この作品『主戦場』を劇場に実際にいって鑑賞してから,これらの感想を読みなおしてみた。

 そこで,冒頭から本ブログ筆者なりに “先入観的な感想” となる。「左側(革新ないしはリベラル側)」の関係者たちは,なるべく事実の追究にもとづいて発言しようとする努力が観てとれるのに対して,「右側(保守ないしは国粋側)」の人士たちのいいぶんは,一様に,ただこの『美しく国』にあっては従軍慰安婦に関する「歴史の問題」など,けっして存在してはいけない〔するはずもない〕ものだと決めつけたい心情:思いこみを,正直に表出させていた。

 第2次大戦後になってからは,アメリカであっても韓国であっても,あちらこちらの戦争・戦場において,旧日本軍の慰安所に似た施設をもっていたではないかという「右側からの反論」は,特殊・具体的に強調できる歴史問題の実例であったが,それをあえて普遍・抽象の次元にまで引きずりこんでから,この問題の意味を可能なかぎり希薄化させようと必死の議論を試みている。

 片やできるだけ歴史研究の成果・業績を武器に論じようとするが,片やもっぱら自分たちの理念・信条をもってのみ対するのであるから,その議論がはじめから噛みあうわけもなく,後者は前者に位負けしていた。双方の立ち位置からして顕著に「質的な重み」に差があった。


 右側陣営において隠しようのない議論の粗雑さは,結局「歴史の判断」に耐えうる素性・組成をもちえない。それゆえ,問題の全体について発言する彼らは,闇雲的かつ問答無用的にも一般論で否定しつそうとする。その議論の方途は論理的であるよりも感情的に先走っている。


 いわく「日本人は間違ったことはちゃんと謝る」(映像どおりの文句ではなく,文意をとって表現)が,某国の連中はそうではないといった具合に,相対的な違いでしかありえない「差」を絶対話法で語るゆえ,信頼度の面でもどうしても勝てない。


 相手との議論が真正面からまともに成立できて出発しているのではない。初めから否定するために話しているとなれば,この否定の立場が相手側の発言をのっけから完全に無視するといった,無限の螺旋階段を駆け上っていくほかない。


 しかもそれは『バベルの塔』内に設けられていたごとき「彼らの専用階段」であった。歴史観・世界観の差異をたがいに話しあうのではなく,まず相手をみくだすことを主眼とする右側の基本的な姿勢は,初めから,不毛を約束されたかのような「非生産的な雰囲気」を濃厚に漂わせていた。


http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c317

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
69. 中川隆[-9311] koaQ7Jey 2019年6月25日 07:27:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3182]

2019.06.25
佳子さまICU時代も「嫌われ者」だった “裏の顔”の衝撃 エロ、不正、イジメ…
https://rondan.net/25537

性格悪すぎ?インペリアルアイドルの裏の顔

一時は、美しすぎる女性皇族としてメディアを沸かせていた佳子さまですが、実は、当時からICUでは鼻つまみ者だったようです。

成績不良でクラスメイトの足を引っ張りながらも、遅刻常習犯で地味な生徒からの挨拶は容赦なくシカトを決め込んでいたとか……。


ICU学生

「佳子さまは授業に遅れて来ることがあって、そういう時は皆一斉に見ますよね。

そうすると、顔がバッチリメイクで可愛くて、細身の黒いワンピースで堂々と入ってきたのが印象的でした。

皇族というより読者モデルに会うようなイメージ。

少し地味な子のことは一度会っても忘れてしまうようで、挨拶をされてもキョトンとしてました」

(中略)

別の学習院関係者が「女子部での成績は宜しくなかった」と明かす佳子さまだが、いまICUの“洗礼”を受けられている。
(「週刊文春」2015年11月19日号)


ネット上では、佳子さまはICUの英語の授業について行くことが出来ずに、クラスのグループ講義で足を引っ張っていたなどという噂がありましたが、この記事で書かれているような成績不良生徒であるなら、その噂が事実である可能性は高いでしょう。

友達がゼロ人なのに、クラスメイトに暴言を吐くと週刊誌に報じられている悠仁さまといい、成績不良の生徒なのにやたらと偉そうにしている佳子さまといい、一体この一家はどうなっているんでしょうか?


関連記事
悠仁さま付けた、眞子さま「よからぬあだ名」の詳細 宮内庁関係者「○○の“××”と呼ばれている」
2019年6月24日
https://rondan.net/25342


過激なセクシーダンスに、非常識なミニスカ衣装で上級生からも顰蹙

また、紀子さまとの対立の原因の一つとなっていると言われる佳子さまのダンスですが、どうやらかなり過激なセクシーダンスのようです。


男子校の文化祭などでよくお姿を見かけられたそうですし、学校の中でも早熟で目立った存在でした。

八重桜祭では有志で過激なダンスを披露されるなど、大勢の前でパフォーマンスするのがお好きなようで

同上


佳子さまのセクシーなストリートファッションは、週刊誌等でも度々報じられ、時に厳しい批判の声が浴びせられていますが、また私服やダンスファッションのみならず、制服も勝手に丈を短くして上級生からの顰蹙を買っていたとか……。


「よく覚えているのは、眞子さまが高3、佳子さまが中3の合同卒業式。

リハーサルで佳子さまはスカート丈を思い切り短くしていらした。

それを見た高3の生徒が抗議の声をあげたのです。当日は常識的な丈に直されていた」
同上

人気絶頂期のインペリアルアイドルの裏の顔?

ところで面白いのが、実はこの記事はオンライン版に掲載されたのは去年なのですが、雑誌に掲載されたのは3年前で佳子さまの人気の絶頂期だったんですね。

当時の佳子さまは、「美しすぎる女性皇族」としてメディアでも盛んにもてはやされ、人気ナンバーワンの女性皇族となっていました。

おそらく文春は、その当時から佳子さまの知人や同級生等に取材を行い佳子さまDQNぶりについてよく実態を把握していたのでしょう。ですが、もしかしたら当時は人気が凄まじかったために、批判的な言説はほとんど無視されたのかもしれません。

わざわざ、オンライン版に、3年前の記事をあらためて掲載したのは、おそらく当時の人気絶頂期にはあまり注目されなかったような記事だったのが、最近の報道で秋篠宮家の人々の実態が明らかになってきたことで、今度は注目されると考えてのことでしょう。

一部の秋篠宮家擁護派の人などは、佳子さまのセクシーストリート系ファッションに関して、「このくらいの年齢の子なら普通だ!!」などと強弁しますが、普通は年ごろの女子がこんな格好はしないでしょう。まして、皇族であればなおさらです。

やっぱり皇室特権を使った不正入学だった?

ところで、この記事の中で気になったことの一つが、学習院時代の成績不良に関する記述です。

首都圏の私立大学を受験したことのある方は分かると思うのですが、実はICUは学習院大学よりかなり偏差値が高いんですね。

ICUの偏差値は67.5ですが、実は偏差値67.5というのは同レベルの大学ですと、早稲田の文学部や、慶応の経済学部が同じ偏差値ですので、私立では最難関の大学の一つであり、佳子さまの通っていた学習院大学の教育学科とは偏差値に10程もの差があります。

つまり、佳子さまは偏差値57.5の大学の学部で成績不良であったにもかかわらず、なんとそのままAO入試で偏差値67.5の大学に入学してしまったんですね。

さらには、一部では、英語の授業についていけずにクラスメイトの足を引っ張っていたと、もっぱら噂になっていたにも関わらず、一度も留年せずに卒業。さすがに、コレは普通はあり得ないでしょう。

裏口入学とまではいかなくとも、少なくとも皇室特権によって限りなく不正入学に近いカタチで入学したであろうことは間違いないのではないでしょうか。

不正入学やりたい放題の佳子さまの横暴

おそらく同級生からしたら、心底気に入らなかったに違いありません。成績不良にも関わらず皇室特権を利用して入学した上に、クラスメイトの学習の足を引っ張り、遅刻を繰り返し、おまけに挨拶をシカトしてくるとなると、たまったものではありません。

おそらく、この情報を暴露した同級生も相当佳子さまに対してうっぷんが溜まっていたのではないでしょうか。

また、現在小室圭さんの皇室特権を利用した不正な奨学金獲得が問題となっていますが、せっかくなのでコレを機に、佳子さまや眞子さまのICU入学に関しても、不正な入学プロセスが無かったか?についてあらためてチェックすべきではないかと思います。

そして、悠仁さまの進学に関しても、まさか「東大に不正入学」なんてことがないように、しっかりと監視し、不正があると思えば、しっかりと批判の声を上げて糾弾する必要があるのではないでしょうか。

現在、ネットや週刊誌などのメディアでは、紀子さまからの異様な愛情と教育を受けてわがまま放題の性格に育ってしまった悠仁さまに批判の声が強まっています。

しかし、実は一家はみな似た者同士なところがあり、佳子さまなどもテレビに映し出されるキリっとした表情や立ち居振る舞いとは裏腹に、結構異様な傲慢さと性格のルーズさを備えたモンスター皇族として成長していたようです。
https://rondan.net/25537
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c69

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
157. 中川隆[-9310] koaQ7Jey 2019年6月25日 07:27:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3183]

2019.06.25
佳子さまICU時代も「嫌われ者」だった “裏の顔”の衝撃 エロ、不正、イジメ…
https://rondan.net/25537

性格悪すぎ?インペリアルアイドルの裏の顔

一時は、美しすぎる女性皇族としてメディアを沸かせていた佳子さまですが、実は、当時からICUでは鼻つまみ者だったようです。

成績不良でクラスメイトの足を引っ張りながらも、遅刻常習犯で地味な生徒からの挨拶は容赦なくシカトを決め込んでいたとか……。


ICU学生

「佳子さまは授業に遅れて来ることがあって、そういう時は皆一斉に見ますよね。

そうすると、顔がバッチリメイクで可愛くて、細身の黒いワンピースで堂々と入ってきたのが印象的でした。

皇族というより読者モデルに会うようなイメージ。

少し地味な子のことは一度会っても忘れてしまうようで、挨拶をされてもキョトンとしてました」

(中略)

別の学習院関係者が「女子部での成績は宜しくなかった」と明かす佳子さまだが、いまICUの“洗礼”を受けられている。
(「週刊文春」2015年11月19日号)


ネット上では、佳子さまはICUの英語の授業について行くことが出来ずに、クラスのグループ講義で足を引っ張っていたなどという噂がありましたが、この記事で書かれているような成績不良生徒であるなら、その噂が事実である可能性は高いでしょう。

友達がゼロ人なのに、クラスメイトに暴言を吐くと週刊誌に報じられている悠仁さまといい、成績不良の生徒なのにやたらと偉そうにしている佳子さまといい、一体この一家はどうなっているんでしょうか?


関連記事
悠仁さま付けた、眞子さま「よからぬあだ名」の詳細 宮内庁関係者「○○の“××”と呼ばれている」
2019年6月24日
https://rondan.net/25342


過激なセクシーダンスに、非常識なミニスカ衣装で上級生からも顰蹙

また、紀子さまとの対立の原因の一つとなっていると言われる佳子さまのダンスですが、どうやらかなり過激なセクシーダンスのようです。


男子校の文化祭などでよくお姿を見かけられたそうですし、学校の中でも早熟で目立った存在でした。

八重桜祭では有志で過激なダンスを披露されるなど、大勢の前でパフォーマンスするのがお好きなようで

同上


佳子さまのセクシーなストリートファッションは、週刊誌等でも度々報じられ、時に厳しい批判の声が浴びせられていますが、また私服やダンスファッションのみならず、制服も勝手に丈を短くして上級生からの顰蹙を買っていたとか……。


「よく覚えているのは、眞子さまが高3、佳子さまが中3の合同卒業式。

リハーサルで佳子さまはスカート丈を思い切り短くしていらした。

それを見た高3の生徒が抗議の声をあげたのです。当日は常識的な丈に直されていた」
同上

人気絶頂期のインペリアルアイドルの裏の顔?

ところで面白いのが、実はこの記事はオンライン版に掲載されたのは去年なのですが、雑誌に掲載されたのは3年前で佳子さまの人気の絶頂期だったんですね。

当時の佳子さまは、「美しすぎる女性皇族」としてメディアでも盛んにもてはやされ、人気ナンバーワンの女性皇族となっていました。

おそらく文春は、その当時から佳子さまの知人や同級生等に取材を行い佳子さまDQNぶりについてよく実態を把握していたのでしょう。ですが、もしかしたら当時は人気が凄まじかったために、批判的な言説はほとんど無視されたのかもしれません。

わざわざ、オンライン版に、3年前の記事をあらためて掲載したのは、おそらく当時の人気絶頂期にはあまり注目されなかったような記事だったのが、最近の報道で秋篠宮家の人々の実態が明らかになってきたことで、今度は注目されると考えてのことでしょう。

一部の秋篠宮家擁護派の人などは、佳子さまのセクシーストリート系ファッションに関して、「このくらいの年齢の子なら普通だ!!」などと強弁しますが、普通は年ごろの女子がこんな格好はしないでしょう。まして、皇族であればなおさらです。

やっぱり皇室特権を使った不正入学だった?

ところで、この記事の中で気になったことの一つが、学習院時代の成績不良に関する記述です。

首都圏の私立大学を受験したことのある方は分かると思うのですが、実はICUは学習院大学よりかなり偏差値が高いんですね。

ICUの偏差値は67.5ですが、実は偏差値67.5というのは同レベルの大学ですと、早稲田の文学部や、慶応の経済学部が同じ偏差値ですので、私立では最難関の大学の一つであり、佳子さまの通っていた学習院大学の教育学科とは偏差値に10程もの差があります。

つまり、佳子さまは偏差値57.5の大学の学部で成績不良であったにもかかわらず、なんとそのままAO入試で偏差値67.5の大学に入学してしまったんですね。

さらには、一部では、英語の授業についていけずにクラスメイトの足を引っ張っていたと、もっぱら噂になっていたにも関わらず、一度も留年せずに卒業。さすがに、コレは普通はあり得ないでしょう。

裏口入学とまではいかなくとも、少なくとも皇室特権によって限りなく不正入学に近いカタチで入学したであろうことは間違いないのではないでしょうか。

不正入学やりたい放題の佳子さまの横暴

おそらく同級生からしたら、心底気に入らなかったに違いありません。成績不良にも関わらず皇室特権を利用して入学した上に、クラスメイトの学習の足を引っ張り、遅刻を繰り返し、おまけに挨拶をシカトしてくるとなると、たまったものではありません。

おそらく、この情報を暴露した同級生も相当佳子さまに対してうっぷんが溜まっていたのではないでしょうか。

また、現在小室圭さんの皇室特権を利用した不正な奨学金獲得が問題となっていますが、せっかくなのでコレを機に、佳子さまや眞子さまのICU入学に関しても、不正な入学プロセスが無かったか?についてあらためてチェックすべきではないかと思います。

そして、悠仁さまの進学に関しても、まさか「東大に不正入学」なんてことがないように、しっかりと監視し、不正があると思えば、しっかりと批判の声を上げて糾弾する必要があるのではないでしょうか。

現在、ネットや週刊誌などのメディアでは、紀子さまからの異様な愛情と教育を受けてわがまま放題の性格に育ってしまった悠仁さまに批判の声が強まっています。

しかし、実は一家はみな似た者同士なところがあり、佳子さまなどもテレビに映し出されるキリっとした表情や立ち居振る舞いとは裏腹に、結構異様な傲慢さと性格のルーズさを備えたモンスター皇族として成長していたようです。
https://rondan.net/25537
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c157

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
239. 中川隆[-9309] koaQ7Jey 2019年6月25日 07:28:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3184]

2019.06.25
佳子さまICU時代も「嫌われ者」だった “裏の顔”の衝撃 エロ、不正、イジメ…
https://rondan.net/25537

性格悪すぎ?インペリアルアイドルの裏の顔

一時は、美しすぎる女性皇族としてメディアを沸かせていた佳子さまですが、実は、当時からICUでは鼻つまみ者だったようです。

成績不良でクラスメイトの足を引っ張りながらも、遅刻常習犯で地味な生徒からの挨拶は容赦なくシカトを決め込んでいたとか……。


ICU学生

「佳子さまは授業に遅れて来ることがあって、そういう時は皆一斉に見ますよね。

そうすると、顔がバッチリメイクで可愛くて、細身の黒いワンピースで堂々と入ってきたのが印象的でした。

皇族というより読者モデルに会うようなイメージ。

少し地味な子のことは一度会っても忘れてしまうようで、挨拶をされてもキョトンとしてました」

(中略)

別の学習院関係者が「女子部での成績は宜しくなかった」と明かす佳子さまだが、いまICUの“洗礼”を受けられている。
(「週刊文春」2015年11月19日号)


ネット上では、佳子さまはICUの英語の授業について行くことが出来ずに、クラスのグループ講義で足を引っ張っていたなどという噂がありましたが、この記事で書かれているような成績不良生徒であるなら、その噂が事実である可能性は高いでしょう。

友達がゼロ人なのに、クラスメイトに暴言を吐くと週刊誌に報じられている悠仁さまといい、成績不良の生徒なのにやたらと偉そうにしている佳子さまといい、一体この一家はどうなっているんでしょうか?


関連記事
悠仁さま付けた、眞子さま「よからぬあだ名」の詳細 宮内庁関係者「○○の“××”と呼ばれている」
2019年6月24日
https://rondan.net/25342


過激なセクシーダンスに、非常識なミニスカ衣装で上級生からも顰蹙

また、紀子さまとの対立の原因の一つとなっていると言われる佳子さまのダンスですが、どうやらかなり過激なセクシーダンスのようです。


男子校の文化祭などでよくお姿を見かけられたそうですし、学校の中でも早熟で目立った存在でした。

八重桜祭では有志で過激なダンスを披露されるなど、大勢の前でパフォーマンスするのがお好きなようで

同上


佳子さまのセクシーなストリートファッションは、週刊誌等でも度々報じられ、時に厳しい批判の声が浴びせられていますが、また私服やダンスファッションのみならず、制服も勝手に丈を短くして上級生からの顰蹙を買っていたとか……。


「よく覚えているのは、眞子さまが高3、佳子さまが中3の合同卒業式。

リハーサルで佳子さまはスカート丈を思い切り短くしていらした。

それを見た高3の生徒が抗議の声をあげたのです。当日は常識的な丈に直されていた」
同上

人気絶頂期のインペリアルアイドルの裏の顔?

ところで面白いのが、実はこの記事はオンライン版に掲載されたのは去年なのですが、雑誌に掲載されたのは3年前で佳子さまの人気の絶頂期だったんですね。

当時の佳子さまは、「美しすぎる女性皇族」としてメディアでも盛んにもてはやされ、人気ナンバーワンの女性皇族となっていました。

おそらく文春は、その当時から佳子さまの知人や同級生等に取材を行い佳子さまDQNぶりについてよく実態を把握していたのでしょう。ですが、もしかしたら当時は人気が凄まじかったために、批判的な言説はほとんど無視されたのかもしれません。

わざわざ、オンライン版に、3年前の記事をあらためて掲載したのは、おそらく当時の人気絶頂期にはあまり注目されなかったような記事だったのが、最近の報道で秋篠宮家の人々の実態が明らかになってきたことで、今度は注目されると考えてのことでしょう。

一部の秋篠宮家擁護派の人などは、佳子さまのセクシーストリート系ファッションに関して、「このくらいの年齢の子なら普通だ!!」などと強弁しますが、普通は年ごろの女子がこんな格好はしないでしょう。まして、皇族であればなおさらです。

やっぱり皇室特権を使った不正入学だった?

ところで、この記事の中で気になったことの一つが、学習院時代の成績不良に関する記述です。

首都圏の私立大学を受験したことのある方は分かると思うのですが、実はICUは学習院大学よりかなり偏差値が高いんですね。

ICUの偏差値は67.5ですが、実は偏差値67.5というのは同レベルの大学ですと、早稲田の文学部や、慶応の経済学部が同じ偏差値ですので、私立では最難関の大学の一つであり、佳子さまの通っていた学習院大学の教育学科とは偏差値に10程もの差があります。

つまり、佳子さまは偏差値57.5の大学の学部で成績不良であったにもかかわらず、なんとそのままAO入試で偏差値67.5の大学に入学してしまったんですね。

さらには、一部では、英語の授業についていけずにクラスメイトの足を引っ張っていたと、もっぱら噂になっていたにも関わらず、一度も留年せずに卒業。さすがに、コレは普通はあり得ないでしょう。

裏口入学とまではいかなくとも、少なくとも皇室特権によって限りなく不正入学に近いカタチで入学したであろうことは間違いないのではないでしょうか。

不正入学やりたい放題の佳子さまの横暴

おそらく同級生からしたら、心底気に入らなかったに違いありません。成績不良にも関わらず皇室特権を利用して入学した上に、クラスメイトの学習の足を引っ張り、遅刻を繰り返し、おまけに挨拶をシカトしてくるとなると、たまったものではありません。

おそらく、この情報を暴露した同級生も相当佳子さまに対してうっぷんが溜まっていたのではないでしょうか。

また、現在小室圭さんの皇室特権を利用した不正な奨学金獲得が問題となっていますが、せっかくなのでコレを機に、佳子さまや眞子さまのICU入学に関しても、不正な入学プロセスが無かったか?についてあらためてチェックすべきではないかと思います。

そして、悠仁さまの進学に関しても、まさか「東大に不正入学」なんてことがないように、しっかりと監視し、不正があると思えば、しっかりと批判の声を上げて糾弾する必要があるのではないでしょうか。

現在、ネットや週刊誌などのメディアでは、紀子さまからの異様な愛情と教育を受けてわがまま放題の性格に育ってしまった悠仁さまに批判の声が強まっています。

しかし、実は一家はみな似た者同士なところがあり、佳子さまなどもテレビに映し出されるキリっとした表情や立ち居振る舞いとは裏腹に、結構異様な傲慢さと性格のルーズさを備えたモンスター皇族として成長していたようです。
https://rondan.net/25537
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c239

[お知らせ・管理21] 2019年06月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
93. 中川隆[-9311] koaQ7Jey 2019年6月25日 07:34:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3182]
解同=中国の工作員グループ

だよ。

現在の中国には五毛党(1件当たり5毛<約6円>の報酬で、中国政府に有利な発言をネット上に書き込む世論工作員)や、「自乾五(自発的に政府擁護の論陣をネットで展開する中国ネットユーザー)」がいる。

義和団は清朝に反対する人々を「漢奸(売国奴)」と呼んだが、五毛党や自乾五も中国政府と異なる意見を持つ者を「漢奸」呼ばわりしている。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/548.html


馬渕睦夫 日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:

河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Pxqk80onq6I


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/558.html#c93

[近代史02] 弥生人の起源2 中川隆
31. 中川隆[-9310] koaQ7Jey 2019年6月25日 08:17:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3183]

本当にただの神話? 古事記・日本書紀の「神武東征」伝承から見える史実
「神武東征」伝承の真実を検証する@
宝賀 寿男 2017年10月05日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7078



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

非合理な「神話」として
切り捨てられない伝承

 戦後の古代史学で主流となった津田史学(※『古事記』『日本書紀』を史料批判の観点から研究した津田左右吉の説)の影響で、神武天皇とその東征伝承は、天皇統治の正当化のための神話の一部で、史実性がないとみられてきた。とはいえ、遠い昔の建国事情については、『古事記』『日本書紀』(両書併せて「記紀」という)ともに大和朝廷の創始者、初代の天皇として「神武天皇」をあげるから、この人物の的確な検証は欠かせない。

 この両書が描く神武天皇につては、ともに東征伝承が大部分を占め、大筋はほぼ同じだが、遠征の具体的な経路など若干異なる点がある。比較すると、『古事記』のほうが割合簡潔で、素朴な感じがする。そこには、金色の鵄(とび)が窮地の神武天皇を救った金鵄伝承はなく、最大の敵である長髄彦(ながすねひこ)との大和での戦は、古代歌謡のひとつである久米歌にしか見られない。その一方『書紀』のほうが詳しく書かれるから、主に同書に拠って見るほうが分かりやすい。そのあらすじは上段を見ていただくとして、先に主な道筋を簡単に紹介しておこう。

 筑紫の日向に居た神武は、兄とともに、畿内の大和に統治の良き地を求めて、東征に出発した。まず、筑紫の宇佐に至り、次に筑紫の岡之水門に行き、安芸、吉備を経て、国津神(くにつかみ)の珍彦(うづひこ)が出迎えた速吸之門(明石海峡)を通る。浪速の渡りを経て河内の草香邑に上陸。これを迎え撃った、のちに宿敵となる長髄彦と日下の坂で戦ったが敗れ、そこで退いて南回りで海路を進むことになる。

 紀伊の名草郡竃山で、先の日下の戦で重症を追った兄の五瀬命が死去した。ここで、指揮官が神武に替わり、八咫烏の道案内などで行軍し、熊野から大和の宇陀に入って賊軍を討伐した。鳥見では、長髄彦と決戦で苦戦する中、金色の鵄に助けられ、敵軍にあった物部氏の祖先が長髄彦を殺して帰順してきたので、残余の賊を討って大和を平定し、畝傍山付近の橿原で即位した、というものである。

 その後に、皇后の選定や東征の論功行賞、皇祖神の祭祀なども行ったと『書紀』の記事に見える。

 この伝承を現代的な視点で改めて検討してみると、総じて史実の原型が窺われる面がある。東征の随行者や服属者などから見ても、出発時の神武一行は少人数であって、「邪馬台国東遷」という国家的な規模ではなかった。本国の王位を望めない王族庶子・神武兄弟の新天地への展開が東征の主な目的であったからだ。非合理な「神話」だとして頭から切り捨てることはできだろう。

 東征伝承に現れる神異現象についてお、具体的に太陽神信仰を表すものなど合理的な解釈ができるのものも有る。地理の面から東征伝承を見ていこう。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7078

「天孫降臨」の地“日向”は、本当は何処なのか?
「神武東征」伝承の真実を検証するA
宝賀 寿男 2017年10月08日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7107




高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「日向=宮崎」説を覆す
「日向=北九州」説

 神武東征伝承が疑問とみられる理由として、まず出発地「日向」にある。
 葦原中国の大己貴神に国譲りをさせて天孫が降臨した地が、僻遠の南九州の「日向」、宮崎県とされる。その後の天皇家とまるで縁のない地で三代(日向三代)を過ごしてから、大和入りを図るという筋書が荒唐無稽で、これにより神武東征の史実性は根底から崩れているとされる。

「日向」とは、もともと南九州全域を指し、後に薩摩・大隅の文理で日向一国となるが、異民族的な色彩の隼人が住む未開地であった。これが皇室の現実の発祥の地でありえたかは疑問が大きい。

 記紀の編者が「日向」を日神の子孫と称する皇室の先祖が住む土地にふさわしいとみて、天孫降臨させた結果、日向と大和を結びつける必要性のために、「神武東征」は日神思想による観念から生まれたもので、歴史的事実ではない」とみられることになってしまったのだ。

 この「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。旧地名でいえば筑前の早良郡・怡土(いと)郡の地域であり、現在の地名では福岡市の西区あたりから糸島市にかけての地となる。ここが、福岡平野の那珂川流域にあった海神族の国「葦原中国=奴国」を屈服させて天孫降臨があった地域だとされる。

『書紀』には「筑紫の日向」と表現され、『古事記』でも「竺紫の日向の高千穂」、「この地は韓国(からくに)に向ひ、……、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」と書かれてあり、こうした地理的状況に筑前海岸部は合致する。西区と糸島市との境界あたりには日向峠・日向山や槵触(くしふる)山の地名も残る。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7107


河内の支配者に大敗した神武天皇
「神武東征」伝承の真実を検証するB
宝賀 寿男 2017年10月12日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7129



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

河内を支配する長髄彦に敗れ
熊野へ迂回した神武天皇

 神武東征伝承の出発地「日向」について、「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。

 一方、宮崎のほうは、景行天皇の九州巡幸のときその言葉により初めて「日向」と名付けられたと『書紀』にあり、それまでは『襲国(そのくに)』と呼ばれていた。日向三代のうちの二代(ホオリ、ナギサ)が海人族の王族女性(豊玉姫、玉依姫)と通婚したとも記紀にある。

 考古学的にも、怡土(いと)郡に三雲遺跡など、早良郡にも吉武高木遺跡など、双方に著名な弥生遺跡がある。日向峠のほぼ真東に位置する吉武高木遺跡からは、朝鮮製の鏡・剣・玉という日本最古の三種の神器セットも出た。津田左右吉博士も、皇室の筑紫紀元を否定する確証がないという。

 さらに一行は岡之水門を通り、速吸の門から浪速の渡り、日下の津(東大阪市の日下町)と進んで河内で上陸した。当時の大阪平野の地理では、浪速の湾入が河内平野に大きく入り込む潟湖となり、そこに上町台地が突き出していたとみられ、この行軍経路は当時の地理に符号する。浪速の渡りとは、河内内海の入口の上町台地の先端あたりで、そこに生國魂神社が鎮座する。この祭神、生島足島神こそ、天照大神(原型は男性神)の実体であった。

 河内内海の中生駒山頂を目印にして進むと日下の津に着く。そこで上陸した軍は、生駒越えを図って日下の坂で待ち受けた長髄彦に大敗し兄の五瀬命は負傷した。このため進路変更を余儀なくされ、浪速に引き返し和泉・紀伊と南に大きく迂回する行路をとることになった。

 紀ノ川の河口部に位置する紀伊の名草郡では、兄の五瀬命が落命して竃山で葬った。当地の竈山神社は五瀬命を祭神とする。この時点で、行軍の指揮者が神武に変更となった。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7129


神武天皇一行を襲った、二度の危機の謎
「神武東征」伝承の真実を検証するC
宝賀 寿男 2017年10月15日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7154


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「毒気」により正気を失った軍を
救った高倉下とは何者か?

 神武東征伝承において、河内を支配する長髄彦に敗れ熊野へ迂回した神武天皇紀は、進路変更を余儀なくされ、浪速に引き返し和泉・紀伊と南に大きく迂回する行路をとることになった。

 紀伊東北部の竃山から先の進軍行路がまた問題となる。『古事記』ではすぐ熊野の悪神の被害に遭う話となるが、『書紀』ではこの「熊野」が明確に紀伊南部の熊野地方だと解して、熊野灘で暴風に遭い、神武の兄の二皇子の入水伝承などに続く。荒海で有名な熊野灘までなぜ行ったのかという大迂回の謎がある。

 名草郡で地元の地理に明るい大伴氏の祖・道臣命を得たのに、極めて不自然な話であり、普通に考えれば、大和入りの古代の幹線ルートであった紀ノ川を遡上したと解される。だから、二皇子の遠征随行も、その入水も、疑問が大きい。

 神武軍は紀ノ川遡行を目的として、その河口部に向け南進した。日神の御子だから日に向って戦うのを避けたというのは、記紀編纂時の解釈にすぎない。弥生後期当時の浪速の湾入や紀ノ川などの地理状況を踏まえた行動を、これまでも在地者による行路誘導によりとっていた。道案内者無しでの熊野灘航行やけわしい山路の熊野〜吉野間の往行はありえない。

 高地性集落遺跡も潮岬から新宮という熊野にかかる地域には見られないからだ。

 紀伊から宇陀に至る過程で、神武一行は熊野の「高倉下(たかくらじ)」なる者に救われた。高倉下が夢の教えに従って神武に献上した神剣フツノミタマの霊力により、土地の悪神の出した毒気により正気を失っていた軍衆は、それによって覚醒した、と記紀に見える。早くに紀ノ川遡上説を唱えた鳥越憲三郎氏は、紀ノ川上流域に高倉下の居住地「熊野」があったとする。

 ところで「毒気」とは硫黄や水銀の出す毒気とみられる。紀ノ川流域には鉱物資源が豊富で、丹砂(水銀と硫黄の化合物で、産地を「丹生(にふ)」という)や鉄が採取され、丹生神社の分布が多い。『書紀』では、事件は「仁敷(にふ)」で賊酋を殺したときに起きたと記される。

 高倉下は、別名が手栗彦(たぐりひこ)という尾張氏族(尾張連・海部直など)の祖であった。『旧事本紀』の「天孫本紀」には、のちに長髄彦を捨て神武に帰順する饒速日命(にぎはやひのみこと)の子とされるが、本来の系譜は、海神族の豊玉彦の曾孫で、海導者・珍彦の従兄弟にあたる。だから、天孫族計の饒速日とは男系が別であり、饒速日の女婿だとみられる。その縁で「熊野」に居住していたのだろう。

 危難を救った神剣はのちに神武からウマシマチ(饒速日の子)に与えられ、その後に物部氏が奉斎した石上神宮に神宝として納められた。

 こうした諸事情から、高倉下の居住地は、紀伊國那賀郡あたりであろう。当地には式内社海神社(現紀の川市神領)があり、最深は海神の豊玉彦命で、和泉山脈の最高峰葛城山の南西麓にある。同じ名で大和の葛城山の東麓に高倉下の本貫地「高尾張邑(たかおはりむら)」もあった。高倉下の帰服には、同族の珍彦の手引もあった。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7154


八咫烏(やたがらす)は三本足のカラスではなかった! その正体は……
「神武東征」伝承の真実を検証するD
宝賀 寿男 2017年10月19日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7190



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「八咫烏」とは三本足のカラス
ではなく人だった!?

 東征をする神武一行だったが、大和入りの道はまだ険しく、熊野の山中で道に迷ってしまう。この苦境の一行を、天照大神のお告げを受けた「八咫烏(やたがらす)」と道臣命が道案内して、大和の宇陀に入り、穿(うかち)邑(宇陀市菟田野宇賀市あたり)に至った。宇陀から、賊酋たちの討伐がまた始まる。

 これらの案内も、高倉下の霊剣献上も、天照大神のお告げだというが、この神異や霊夢がなくとも話に特段の問題はないし、八咫烏は神武の同族の出であった。宇陀には式内社の八咫烏神社が宇陀市榛原高塚にあり、その子孫という者が後世まで居たと伝えるから、八咫烏一族の居地の一つが宇陀にあったとみられる。

「八咫烏」は太陽にいる三本足の烏を表すが、実際には動物のカラスではなく、その名が鴨健角身命(かもたけつのみのみこと)といわれる人物で、天孫族の鳥トーテミズムと太陽神信仰に基づく通称にすぎない。その別名は多く、少彦名(すくなひこな)神とか三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ)命、天日鷲(あめのひわし)命ともいうが、東征当時の該当者は生玉兄日子(いくたまえひこ)命であり、鴨健角身命の孫であった。

 紀伊の竃山から大和の宇陀までの具体的経路は、『古事記』と『書紀』とで若干の歳があるが、現実の地理で見ると『古事記』のほうが妥当で合理的である。

 記紀編纂時には「熊野」の概念が紀南の現・熊野地方にほぼ固定されていたようであり、熊野大迂回伝承は冒険譚としては面白くても、東征当時の史実原型はそうではなかったということである。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7190

神武天皇の最大の敵「長髄彦(ながすねひこ)」とは何者か
「神武東征」伝承の真実を検証するE
宝賀 寿男 2017年10月22日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7218


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

神武天皇の前に立ちはだかる
長髄彦とは何者か?

 大和での戦いは『書紀』が詳しく記すように、当初から苦戦続きの長髄彦(ながすねひこ)が東征の最大の敵であった。だから、宴席の長髄彦を殺害し、衆を率いて神武に帰順した物部氏の遠祖の功績が大きかった。この帰順社の名を、記紀共に饒速日命(にぎはやひのみこと)とするが、『旧事本紀』の「天孫本紀」などから見て、その子の宇摩志麻治命と思われる。

 饒速日の系譜は、記紀や『新撰姓氏録』には記載がないが、天津端という天孫のしるしをもつ者だと『書紀』にある。神武に先立って大和入りした天孫という、天皇家統治に不都合な伝承すら記される。『姓氏録』では天孫の部に置かれない物部氏族だが、「天孫本紀」では天照大神の太子の天忍穂耳の子の天火明命が饒速日にあたるとある。

 神武と物部氏は、同じ天孫族の出だが、神武自体は伊都支分家の出で、物部の傾倒も高天原の嫡統から早く別れていた。具体的には、葦原中国を降伏させたフツヌシ神(天目一箇命)の子が饒速日とみられる。

『書紀』によると、神武に先立ち、天磐船に乗って天降りしてきた饒速日を、長髄彦は主君と仰いで仕え、妹を后としたことで、神武に敵対した。ここでは、天孫族の一員の他の土地からの移遷を「天降り」と記すことに留意される。

『古事記』では、逆に饒速日が神武の行軍を追いかけてきたと記すが、これは『書紀』や『旧事本紀』にある、“饒速日が先”のほうが妥当である。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7218


神武天皇、実在の可能性
「神武東征」伝承の真実を検証するF
宝賀 寿男 2017年10月29日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7270


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「金の鳶」の正体は鳥トーテミズムと
太陽神信仰を併せ持つ天孫族

 神武侵攻のときには大和地方には「ヤマト原国家」ともいうべき部族連合体が作られ、その祭祀具が銅鐸とみられる。長髄彦(ながすねひこ)殺害の有無には異説あるが、その子孫は東西の二派に分かれて畿内から退散し、東へ行ったのは信州諏訪に落ち着き諏訪族となった。その祖神の建御名方命こそ、長髄彦の別名で、系譜は三輪の大物主神の弟である。西へ退散した一派は、四国南部の地域に勢力を長く保ち、阿波の長国造や土佐の土佐・波多両国造を出した。これら退散経路や遷住地には海神族祭祀や後期銅鐸の出土がある。

 部族連合軍である長髄彦軍は強く、当初の河内でも大和でも、神武郡はおおいに苦戦した。そんな中、大和の鳥見の地にて、一羽の「金の鵄(とび)」が神武の弓の先に留まり、強烈な日明を発し照り輝いたので、賊軍の志気をおおいにくじいたという、いわゆる金鵄伝承である。戦前の金鵄勲章にも名を残すほどの大功であった。実は金鵄も動物の鳥ではなく、鳥トーテミズムと太陽神信仰を併せもつ天孫族の一員の表象であったから、これも神異とするにあたらない。

「金鵄」の実態について、早くに平田篤胤が「天加奈止美命」(「加奈」は金、「止美」は鵄の意味)の異名をもつ忌部の祖神・天日鷲命だと指摘した。私も検討の結果、ほぼ同様の結論(鴨県主の祖・八咫烏で、かつ忌部の首の祖・天富命)になった。京都の下鴨神社の社伝でも、「金鵄=八咫烏」とする。

 関連していうと、神武天皇即位後の4年には、鳥見山の中に祭祀の場を築いて皇祖天神を祀ったと『書紀』に見える。『古語拾遺』には忌部氏の祖・天富命が御幣を用いて祝詞をのべ皇祖天神を祀り、これが忌部氏の祭祀菅掌の由来だと記される。この地は、宇陀市榛原という説もあるが、やはり金鵄の霊験があった桜井市外山(とび)の鳥見山であろう。当地には式内社の等弥神社があり、その境内からは八咫烏の像が出た。神社の旧地は、鳥見山中の斎場山だといわれ、祭祀用臼玉が多数出ている。同社に上ッ尾社・下ッ尾社があるのも鵄との関連を示唆する。

 ここでは、地理的な問題を中心に見てきたが、とくに触れなかった年代論や人物論などの問題でも、神武天皇について十分に合理的な理解ができる。この辺を結論的にいえば、神武の活動期は弥生後期頃の西暦2世紀後葉頃とみられ、その創業関係者は、崇神天皇を取り巻く人々の各々五世代ほど祖先にあたる系譜が諸氏に伝えられる。神武崩御後の綏靖天皇による兄・手研耳命(たぎしみみのみこと)殺害事件が記紀ともに伝えられることも併せ考えて、崇神とは別人であり、総合的、具体的に神武天皇の史実性を考えるほうが妥当である。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7270


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html#c31

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
45. 中川隆[-9309] koaQ7Jey 2019年6月25日 08:18:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3184]

本当にただの神話? 古事記・日本書紀の「神武東征」伝承から見える史実
「神武東征」伝承の真実を検証する@
宝賀 寿男 2017年10月05日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7078



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

非合理な「神話」として
切り捨てられない伝承

 戦後の古代史学で主流となった津田史学(※『古事記』『日本書紀』を史料批判の観点から研究した津田左右吉の説)の影響で、神武天皇とその東征伝承は、天皇統治の正当化のための神話の一部で、史実性がないとみられてきた。とはいえ、遠い昔の建国事情については、『古事記』『日本書紀』(両書併せて「記紀」という)ともに大和朝廷の創始者、初代の天皇として「神武天皇」をあげるから、この人物の的確な検証は欠かせない。

 この両書が描く神武天皇につては、ともに東征伝承が大部分を占め、大筋はほぼ同じだが、遠征の具体的な経路など若干異なる点がある。比較すると、『古事記』のほうが割合簡潔で、素朴な感じがする。そこには、金色の鵄(とび)が窮地の神武天皇を救った金鵄伝承はなく、最大の敵である長髄彦(ながすねひこ)との大和での戦は、古代歌謡のひとつである久米歌にしか見られない。その一方『書紀』のほうが詳しく書かれるから、主に同書に拠って見るほうが分かりやすい。そのあらすじは上段を見ていただくとして、先に主な道筋を簡単に紹介しておこう。

 筑紫の日向に居た神武は、兄とともに、畿内の大和に統治の良き地を求めて、東征に出発した。まず、筑紫の宇佐に至り、次に筑紫の岡之水門に行き、安芸、吉備を経て、国津神(くにつかみ)の珍彦(うづひこ)が出迎えた速吸之門(明石海峡)を通る。浪速の渡りを経て河内の草香邑に上陸。これを迎え撃った、のちに宿敵となる長髄彦と日下の坂で戦ったが敗れ、そこで退いて南回りで海路を進むことになる。

 紀伊の名草郡竃山で、先の日下の戦で重症を追った兄の五瀬命が死去した。ここで、指揮官が神武に替わり、八咫烏の道案内などで行軍し、熊野から大和の宇陀に入って賊軍を討伐した。鳥見では、長髄彦と決戦で苦戦する中、金色の鵄に助けられ、敵軍にあった物部氏の祖先が長髄彦を殺して帰順してきたので、残余の賊を討って大和を平定し、畝傍山付近の橿原で即位した、というものである。

 その後に、皇后の選定や東征の論功行賞、皇祖神の祭祀なども行ったと『書紀』の記事に見える。

 この伝承を現代的な視点で改めて検討してみると、総じて史実の原型が窺われる面がある。東征の随行者や服属者などから見ても、出発時の神武一行は少人数であって、「邪馬台国東遷」という国家的な規模ではなかった。本国の王位を望めない王族庶子・神武兄弟の新天地への展開が東征の主な目的であったからだ。非合理な「神話」だとして頭から切り捨てることはできだろう。

 東征伝承に現れる神異現象についてお、具体的に太陽神信仰を表すものなど合理的な解釈ができるのものも有る。地理の面から東征伝承を見ていこう。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7078

「天孫降臨」の地“日向”は、本当は何処なのか?
「神武東征」伝承の真実を検証するA
宝賀 寿男 2017年10月08日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7107




高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「日向=宮崎」説を覆す
「日向=北九州」説

 神武東征伝承が疑問とみられる理由として、まず出発地「日向」にある。
 葦原中国の大己貴神に国譲りをさせて天孫が降臨した地が、僻遠の南九州の「日向」、宮崎県とされる。その後の天皇家とまるで縁のない地で三代(日向三代)を過ごしてから、大和入りを図るという筋書が荒唐無稽で、これにより神武東征の史実性は根底から崩れているとされる。

「日向」とは、もともと南九州全域を指し、後に薩摩・大隅の文理で日向一国となるが、異民族的な色彩の隼人が住む未開地であった。これが皇室の現実の発祥の地でありえたかは疑問が大きい。

 記紀の編者が「日向」を日神の子孫と称する皇室の先祖が住む土地にふさわしいとみて、天孫降臨させた結果、日向と大和を結びつける必要性のために、「神武東征」は日神思想による観念から生まれたもので、歴史的事実ではない」とみられることになってしまったのだ。

 この「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。旧地名でいえば筑前の早良郡・怡土(いと)郡の地域であり、現在の地名では福岡市の西区あたりから糸島市にかけての地となる。ここが、福岡平野の那珂川流域にあった海神族の国「葦原中国=奴国」を屈服させて天孫降臨があった地域だとされる。

『書紀』には「筑紫の日向」と表現され、『古事記』でも「竺紫の日向の高千穂」、「この地は韓国(からくに)に向ひ、……、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」と書かれてあり、こうした地理的状況に筑前海岸部は合致する。西区と糸島市との境界あたりには日向峠・日向山や槵触(くしふる)山の地名も残る。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7107


河内の支配者に大敗した神武天皇
「神武東征」伝承の真実を検証するB
宝賀 寿男 2017年10月12日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7129



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

河内を支配する長髄彦に敗れ
熊野へ迂回した神武天皇

 神武東征伝承の出発地「日向」について、「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。

 一方、宮崎のほうは、景行天皇の九州巡幸のときその言葉により初めて「日向」と名付けられたと『書紀』にあり、それまでは『襲国(そのくに)』と呼ばれていた。日向三代のうちの二代(ホオリ、ナギサ)が海人族の王族女性(豊玉姫、玉依姫)と通婚したとも記紀にある。

 考古学的にも、怡土(いと)郡に三雲遺跡など、早良郡にも吉武高木遺跡など、双方に著名な弥生遺跡がある。日向峠のほぼ真東に位置する吉武高木遺跡からは、朝鮮製の鏡・剣・玉という日本最古の三種の神器セットも出た。津田左右吉博士も、皇室の筑紫紀元を否定する確証がないという。

 さらに一行は岡之水門を通り、速吸の門から浪速の渡り、日下の津(東大阪市の日下町)と進んで河内で上陸した。当時の大阪平野の地理では、浪速の湾入が河内平野に大きく入り込む潟湖となり、そこに上町台地が突き出していたとみられ、この行軍経路は当時の地理に符号する。浪速の渡りとは、河内内海の入口の上町台地の先端あたりで、そこに生國魂神社が鎮座する。この祭神、生島足島神こそ、天照大神(原型は男性神)の実体であった。

 河内内海の中生駒山頂を目印にして進むと日下の津に着く。そこで上陸した軍は、生駒越えを図って日下の坂で待ち受けた長髄彦に大敗し兄の五瀬命は負傷した。このため進路変更を余儀なくされ、浪速に引き返し和泉・紀伊と南に大きく迂回する行路をとることになった。

 紀ノ川の河口部に位置する紀伊の名草郡では、兄の五瀬命が落命して竃山で葬った。当地の竈山神社は五瀬命を祭神とする。この時点で、行軍の指揮者が神武に変更となった。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7129


神武天皇一行を襲った、二度の危機の謎
「神武東征」伝承の真実を検証するC
宝賀 寿男 2017年10月15日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7154


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「毒気」により正気を失った軍を
救った高倉下とは何者か?

 神武東征伝承において、河内を支配する長髄彦に敗れ熊野へ迂回した神武天皇紀は、進路変更を余儀なくされ、浪速に引き返し和泉・紀伊と南に大きく迂回する行路をとることになった。

 紀伊東北部の竃山から先の進軍行路がまた問題となる。『古事記』ではすぐ熊野の悪神の被害に遭う話となるが、『書紀』ではこの「熊野」が明確に紀伊南部の熊野地方だと解して、熊野灘で暴風に遭い、神武の兄の二皇子の入水伝承などに続く。荒海で有名な熊野灘までなぜ行ったのかという大迂回の謎がある。

 名草郡で地元の地理に明るい大伴氏の祖・道臣命を得たのに、極めて不自然な話であり、普通に考えれば、大和入りの古代の幹線ルートであった紀ノ川を遡上したと解される。だから、二皇子の遠征随行も、その入水も、疑問が大きい。

 神武軍は紀ノ川遡行を目的として、その河口部に向け南進した。日神の御子だから日に向って戦うのを避けたというのは、記紀編纂時の解釈にすぎない。弥生後期当時の浪速の湾入や紀ノ川などの地理状況を踏まえた行動を、これまでも在地者による行路誘導によりとっていた。道案内者無しでの熊野灘航行やけわしい山路の熊野〜吉野間の往行はありえない。

 高地性集落遺跡も潮岬から新宮という熊野にかかる地域には見られないからだ。

 紀伊から宇陀に至る過程で、神武一行は熊野の「高倉下(たかくらじ)」なる者に救われた。高倉下が夢の教えに従って神武に献上した神剣フツノミタマの霊力により、土地の悪神の出した毒気により正気を失っていた軍衆は、それによって覚醒した、と記紀に見える。早くに紀ノ川遡上説を唱えた鳥越憲三郎氏は、紀ノ川上流域に高倉下の居住地「熊野」があったとする。

 ところで「毒気」とは硫黄や水銀の出す毒気とみられる。紀ノ川流域には鉱物資源が豊富で、丹砂(水銀と硫黄の化合物で、産地を「丹生(にふ)」という)や鉄が採取され、丹生神社の分布が多い。『書紀』では、事件は「仁敷(にふ)」で賊酋を殺したときに起きたと記される。

 高倉下は、別名が手栗彦(たぐりひこ)という尾張氏族(尾張連・海部直など)の祖であった。『旧事本紀』の「天孫本紀」には、のちに長髄彦を捨て神武に帰順する饒速日命(にぎはやひのみこと)の子とされるが、本来の系譜は、海神族の豊玉彦の曾孫で、海導者・珍彦の従兄弟にあたる。だから、天孫族計の饒速日とは男系が別であり、饒速日の女婿だとみられる。その縁で「熊野」に居住していたのだろう。

 危難を救った神剣はのちに神武からウマシマチ(饒速日の子)に与えられ、その後に物部氏が奉斎した石上神宮に神宝として納められた。

 こうした諸事情から、高倉下の居住地は、紀伊國那賀郡あたりであろう。当地には式内社海神社(現紀の川市神領)があり、最深は海神の豊玉彦命で、和泉山脈の最高峰葛城山の南西麓にある。同じ名で大和の葛城山の東麓に高倉下の本貫地「高尾張邑(たかおはりむら)」もあった。高倉下の帰服には、同族の珍彦の手引もあった。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7154


八咫烏(やたがらす)は三本足のカラスではなかった! その正体は……
「神武東征」伝承の真実を検証するD
宝賀 寿男 2017年10月19日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7190



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「八咫烏」とは三本足のカラス
ではなく人だった!?

 東征をする神武一行だったが、大和入りの道はまだ険しく、熊野の山中で道に迷ってしまう。この苦境の一行を、天照大神のお告げを受けた「八咫烏(やたがらす)」と道臣命が道案内して、大和の宇陀に入り、穿(うかち)邑(宇陀市菟田野宇賀市あたり)に至った。宇陀から、賊酋たちの討伐がまた始まる。

 これらの案内も、高倉下の霊剣献上も、天照大神のお告げだというが、この神異や霊夢がなくとも話に特段の問題はないし、八咫烏は神武の同族の出であった。宇陀には式内社の八咫烏神社が宇陀市榛原高塚にあり、その子孫という者が後世まで居たと伝えるから、八咫烏一族の居地の一つが宇陀にあったとみられる。

「八咫烏」は太陽にいる三本足の烏を表すが、実際には動物のカラスではなく、その名が鴨健角身命(かもたけつのみのみこと)といわれる人物で、天孫族の鳥トーテミズムと太陽神信仰に基づく通称にすぎない。その別名は多く、少彦名(すくなひこな)神とか三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ)命、天日鷲(あめのひわし)命ともいうが、東征当時の該当者は生玉兄日子(いくたまえひこ)命であり、鴨健角身命の孫であった。

 紀伊の竃山から大和の宇陀までの具体的経路は、『古事記』と『書紀』とで若干の歳があるが、現実の地理で見ると『古事記』のほうが妥当で合理的である。

 記紀編纂時には「熊野」の概念が紀南の現・熊野地方にほぼ固定されていたようであり、熊野大迂回伝承は冒険譚としては面白くても、東征当時の史実原型はそうではなかったということである。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7190

神武天皇の最大の敵「長髄彦(ながすねひこ)」とは何者か
「神武東征」伝承の真実を検証するE
宝賀 寿男 2017年10月22日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7218


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

神武天皇の前に立ちはだかる
長髄彦とは何者か?

 大和での戦いは『書紀』が詳しく記すように、当初から苦戦続きの長髄彦(ながすねひこ)が東征の最大の敵であった。だから、宴席の長髄彦を殺害し、衆を率いて神武に帰順した物部氏の遠祖の功績が大きかった。この帰順社の名を、記紀共に饒速日命(にぎはやひのみこと)とするが、『旧事本紀』の「天孫本紀」などから見て、その子の宇摩志麻治命と思われる。

 饒速日の系譜は、記紀や『新撰姓氏録』には記載がないが、天津端という天孫のしるしをもつ者だと『書紀』にある。神武に先立って大和入りした天孫という、天皇家統治に不都合な伝承すら記される。『姓氏録』では天孫の部に置かれない物部氏族だが、「天孫本紀」では天照大神の太子の天忍穂耳の子の天火明命が饒速日にあたるとある。

 神武と物部氏は、同じ天孫族の出だが、神武自体は伊都支分家の出で、物部の傾倒も高天原の嫡統から早く別れていた。具体的には、葦原中国を降伏させたフツヌシ神(天目一箇命)の子が饒速日とみられる。

『書紀』によると、神武に先立ち、天磐船に乗って天降りしてきた饒速日を、長髄彦は主君と仰いで仕え、妹を后としたことで、神武に敵対した。ここでは、天孫族の一員の他の土地からの移遷を「天降り」と記すことに留意される。

『古事記』では、逆に饒速日が神武の行軍を追いかけてきたと記すが、これは『書紀』や『旧事本紀』にある、“饒速日が先”のほうが妥当である。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7218


神武天皇、実在の可能性
「神武東征」伝承の真実を検証するF
宝賀 寿男 2017年10月29日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7270


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「金の鳶」の正体は鳥トーテミズムと
太陽神信仰を併せ持つ天孫族

 神武侵攻のときには大和地方には「ヤマト原国家」ともいうべき部族連合体が作られ、その祭祀具が銅鐸とみられる。長髄彦(ながすねひこ)殺害の有無には異説あるが、その子孫は東西の二派に分かれて畿内から退散し、東へ行ったのは信州諏訪に落ち着き諏訪族となった。その祖神の建御名方命こそ、長髄彦の別名で、系譜は三輪の大物主神の弟である。西へ退散した一派は、四国南部の地域に勢力を長く保ち、阿波の長国造や土佐の土佐・波多両国造を出した。これら退散経路や遷住地には海神族祭祀や後期銅鐸の出土がある。

 部族連合軍である長髄彦軍は強く、当初の河内でも大和でも、神武郡はおおいに苦戦した。そんな中、大和の鳥見の地にて、一羽の「金の鵄(とび)」が神武の弓の先に留まり、強烈な日明を発し照り輝いたので、賊軍の志気をおおいにくじいたという、いわゆる金鵄伝承である。戦前の金鵄勲章にも名を残すほどの大功であった。実は金鵄も動物の鳥ではなく、鳥トーテミズムと太陽神信仰を併せもつ天孫族の一員の表象であったから、これも神異とするにあたらない。

「金鵄」の実態について、早くに平田篤胤が「天加奈止美命」(「加奈」は金、「止美」は鵄の意味)の異名をもつ忌部の祖神・天日鷲命だと指摘した。私も検討の結果、ほぼ同様の結論(鴨県主の祖・八咫烏で、かつ忌部の首の祖・天富命)になった。京都の下鴨神社の社伝でも、「金鵄=八咫烏」とする。

 関連していうと、神武天皇即位後の4年には、鳥見山の中に祭祀の場を築いて皇祖天神を祀ったと『書紀』に見える。『古語拾遺』には忌部氏の祖・天富命が御幣を用いて祝詞をのべ皇祖天神を祀り、これが忌部氏の祭祀菅掌の由来だと記される。この地は、宇陀市榛原という説もあるが、やはり金鵄の霊験があった桜井市外山(とび)の鳥見山であろう。当地には式内社の等弥神社があり、その境内からは八咫烏の像が出た。神社の旧地は、鳥見山中の斎場山だといわれ、祭祀用臼玉が多数出ている。同社に上ッ尾社・下ッ尾社があるのも鵄との関連を示唆する。

 ここでは、地理的な問題を中心に見てきたが、とくに触れなかった年代論や人物論などの問題でも、神武天皇について十分に合理的な理解ができる。この辺を結論的にいえば、神武の活動期は弥生後期頃の西暦2世紀後葉頃とみられ、その創業関係者は、崇神天皇を取り巻く人々の各々五世代ほど祖先にあたる系譜が諸氏に伝えられる。神武崩御後の綏靖天皇による兄・手研耳命(たぎしみみのみこと)殺害事件が記紀ともに伝えられることも併せ考えて、崇神とは別人であり、総合的、具体的に神武天皇の史実性を考えるほうが妥当である。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7270


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c45

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
17. 中川隆[-9308] koaQ7Jey 2019年6月25日 08:19:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3185]

本当にただの神話? 古事記・日本書紀の「神武東征」伝承から見える史実
「神武東征」伝承の真実を検証する@
宝賀 寿男 2017年10月05日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7078



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

非合理な「神話」として
切り捨てられない伝承

 戦後の古代史学で主流となった津田史学(※『古事記』『日本書紀』を史料批判の観点から研究した津田左右吉の説)の影響で、神武天皇とその東征伝承は、天皇統治の正当化のための神話の一部で、史実性がないとみられてきた。とはいえ、遠い昔の建国事情については、『古事記』『日本書紀』(両書併せて「記紀」という)ともに大和朝廷の創始者、初代の天皇として「神武天皇」をあげるから、この人物の的確な検証は欠かせない。

 この両書が描く神武天皇につては、ともに東征伝承が大部分を占め、大筋はほぼ同じだが、遠征の具体的な経路など若干異なる点がある。比較すると、『古事記』のほうが割合簡潔で、素朴な感じがする。そこには、金色の鵄(とび)が窮地の神武天皇を救った金鵄伝承はなく、最大の敵である長髄彦(ながすねひこ)との大和での戦は、古代歌謡のひとつである久米歌にしか見られない。その一方『書紀』のほうが詳しく書かれるから、主に同書に拠って見るほうが分かりやすい。そのあらすじは上段を見ていただくとして、先に主な道筋を簡単に紹介しておこう。

 筑紫の日向に居た神武は、兄とともに、畿内の大和に統治の良き地を求めて、東征に出発した。まず、筑紫の宇佐に至り、次に筑紫の岡之水門に行き、安芸、吉備を経て、国津神(くにつかみ)の珍彦(うづひこ)が出迎えた速吸之門(明石海峡)を通る。浪速の渡りを経て河内の草香邑に上陸。これを迎え撃った、のちに宿敵となる長髄彦と日下の坂で戦ったが敗れ、そこで退いて南回りで海路を進むことになる。

 紀伊の名草郡竃山で、先の日下の戦で重症を追った兄の五瀬命が死去した。ここで、指揮官が神武に替わり、八咫烏の道案内などで行軍し、熊野から大和の宇陀に入って賊軍を討伐した。鳥見では、長髄彦と決戦で苦戦する中、金色の鵄に助けられ、敵軍にあった物部氏の祖先が長髄彦を殺して帰順してきたので、残余の賊を討って大和を平定し、畝傍山付近の橿原で即位した、というものである。

 その後に、皇后の選定や東征の論功行賞、皇祖神の祭祀なども行ったと『書紀』の記事に見える。

 この伝承を現代的な視点で改めて検討してみると、総じて史実の原型が窺われる面がある。東征の随行者や服属者などから見ても、出発時の神武一行は少人数であって、「邪馬台国東遷」という国家的な規模ではなかった。本国の王位を望めない王族庶子・神武兄弟の新天地への展開が東征の主な目的であったからだ。非合理な「神話」だとして頭から切り捨てることはできだろう。

 東征伝承に現れる神異現象についてお、具体的に太陽神信仰を表すものなど合理的な解釈ができるのものも有る。地理の面から東征伝承を見ていこう。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7078

「天孫降臨」の地“日向”は、本当は何処なのか?
「神武東征」伝承の真実を検証するA
宝賀 寿男 2017年10月08日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7107




高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「日向=宮崎」説を覆す
「日向=北九州」説

 神武東征伝承が疑問とみられる理由として、まず出発地「日向」にある。
 葦原中国の大己貴神に国譲りをさせて天孫が降臨した地が、僻遠の南九州の「日向」、宮崎県とされる。その後の天皇家とまるで縁のない地で三代(日向三代)を過ごしてから、大和入りを図るという筋書が荒唐無稽で、これにより神武東征の史実性は根底から崩れているとされる。

「日向」とは、もともと南九州全域を指し、後に薩摩・大隅の文理で日向一国となるが、異民族的な色彩の隼人が住む未開地であった。これが皇室の現実の発祥の地でありえたかは疑問が大きい。

 記紀の編者が「日向」を日神の子孫と称する皇室の先祖が住む土地にふさわしいとみて、天孫降臨させた結果、日向と大和を結びつける必要性のために、「神武東征」は日神思想による観念から生まれたもので、歴史的事実ではない」とみられることになってしまったのだ。

 この「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。旧地名でいえば筑前の早良郡・怡土(いと)郡の地域であり、現在の地名では福岡市の西区あたりから糸島市にかけての地となる。ここが、福岡平野の那珂川流域にあった海神族の国「葦原中国=奴国」を屈服させて天孫降臨があった地域だとされる。

『書紀』には「筑紫の日向」と表現され、『古事記』でも「竺紫の日向の高千穂」、「この地は韓国(からくに)に向ひ、……、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」と書かれてあり、こうした地理的状況に筑前海岸部は合致する。西区と糸島市との境界あたりには日向峠・日向山や槵触(くしふる)山の地名も残る。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7107


河内の支配者に大敗した神武天皇
「神武東征」伝承の真実を検証するB
宝賀 寿男 2017年10月12日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7129



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

河内を支配する長髄彦に敗れ
熊野へ迂回した神武天皇

 神武東征伝承の出発地「日向」について、「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。

 一方、宮崎のほうは、景行天皇の九州巡幸のときその言葉により初めて「日向」と名付けられたと『書紀』にあり、それまでは『襲国(そのくに)』と呼ばれていた。日向三代のうちの二代(ホオリ、ナギサ)が海人族の王族女性(豊玉姫、玉依姫)と通婚したとも記紀にある。

 考古学的にも、怡土(いと)郡に三雲遺跡など、早良郡にも吉武高木遺跡など、双方に著名な弥生遺跡がある。日向峠のほぼ真東に位置する吉武高木遺跡からは、朝鮮製の鏡・剣・玉という日本最古の三種の神器セットも出た。津田左右吉博士も、皇室の筑紫紀元を否定する確証がないという。

 さらに一行は岡之水門を通り、速吸の門から浪速の渡り、日下の津(東大阪市の日下町)と進んで河内で上陸した。当時の大阪平野の地理では、浪速の湾入が河内平野に大きく入り込む潟湖となり、そこに上町台地が突き出していたとみられ、この行軍経路は当時の地理に符号する。浪速の渡りとは、河内内海の入口の上町台地の先端あたりで、そこに生國魂神社が鎮座する。この祭神、生島足島神こそ、天照大神(原型は男性神)の実体であった。

 河内内海の中生駒山頂を目印にして進むと日下の津に着く。そこで上陸した軍は、生駒越えを図って日下の坂で待ち受けた長髄彦に大敗し兄の五瀬命は負傷した。このため進路変更を余儀なくされ、浪速に引き返し和泉・紀伊と南に大きく迂回する行路をとることになった。

 紀ノ川の河口部に位置する紀伊の名草郡では、兄の五瀬命が落命して竃山で葬った。当地の竈山神社は五瀬命を祭神とする。この時点で、行軍の指揮者が神武に変更となった。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7129


神武天皇一行を襲った、二度の危機の謎
「神武東征」伝承の真実を検証するC
宝賀 寿男 2017年10月15日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7154


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「毒気」により正気を失った軍を
救った高倉下とは何者か?

 神武東征伝承において、河内を支配する長髄彦に敗れ熊野へ迂回した神武天皇紀は、進路変更を余儀なくされ、浪速に引き返し和泉・紀伊と南に大きく迂回する行路をとることになった。

 紀伊東北部の竃山から先の進軍行路がまた問題となる。『古事記』ではすぐ熊野の悪神の被害に遭う話となるが、『書紀』ではこの「熊野」が明確に紀伊南部の熊野地方だと解して、熊野灘で暴風に遭い、神武の兄の二皇子の入水伝承などに続く。荒海で有名な熊野灘までなぜ行ったのかという大迂回の謎がある。

 名草郡で地元の地理に明るい大伴氏の祖・道臣命を得たのに、極めて不自然な話であり、普通に考えれば、大和入りの古代の幹線ルートであった紀ノ川を遡上したと解される。だから、二皇子の遠征随行も、その入水も、疑問が大きい。

 神武軍は紀ノ川遡行を目的として、その河口部に向け南進した。日神の御子だから日に向って戦うのを避けたというのは、記紀編纂時の解釈にすぎない。弥生後期当時の浪速の湾入や紀ノ川などの地理状況を踏まえた行動を、これまでも在地者による行路誘導によりとっていた。道案内者無しでの熊野灘航行やけわしい山路の熊野〜吉野間の往行はありえない。

 高地性集落遺跡も潮岬から新宮という熊野にかかる地域には見られないからだ。

 紀伊から宇陀に至る過程で、神武一行は熊野の「高倉下(たかくらじ)」なる者に救われた。高倉下が夢の教えに従って神武に献上した神剣フツノミタマの霊力により、土地の悪神の出した毒気により正気を失っていた軍衆は、それによって覚醒した、と記紀に見える。早くに紀ノ川遡上説を唱えた鳥越憲三郎氏は、紀ノ川上流域に高倉下の居住地「熊野」があったとする。

 ところで「毒気」とは硫黄や水銀の出す毒気とみられる。紀ノ川流域には鉱物資源が豊富で、丹砂(水銀と硫黄の化合物で、産地を「丹生(にふ)」という)や鉄が採取され、丹生神社の分布が多い。『書紀』では、事件は「仁敷(にふ)」で賊酋を殺したときに起きたと記される。

 高倉下は、別名が手栗彦(たぐりひこ)という尾張氏族(尾張連・海部直など)の祖であった。『旧事本紀』の「天孫本紀」には、のちに長髄彦を捨て神武に帰順する饒速日命(にぎはやひのみこと)の子とされるが、本来の系譜は、海神族の豊玉彦の曾孫で、海導者・珍彦の従兄弟にあたる。だから、天孫族計の饒速日とは男系が別であり、饒速日の女婿だとみられる。その縁で「熊野」に居住していたのだろう。

 危難を救った神剣はのちに神武からウマシマチ(饒速日の子)に与えられ、その後に物部氏が奉斎した石上神宮に神宝として納められた。

 こうした諸事情から、高倉下の居住地は、紀伊國那賀郡あたりであろう。当地には式内社海神社(現紀の川市神領)があり、最深は海神の豊玉彦命で、和泉山脈の最高峰葛城山の南西麓にある。同じ名で大和の葛城山の東麓に高倉下の本貫地「高尾張邑(たかおはりむら)」もあった。高倉下の帰服には、同族の珍彦の手引もあった。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7154


八咫烏(やたがらす)は三本足のカラスではなかった! その正体は……
「神武東征」伝承の真実を検証するD
宝賀 寿男 2017年10月19日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7190



高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「八咫烏」とは三本足のカラス
ではなく人だった!?

 東征をする神武一行だったが、大和入りの道はまだ険しく、熊野の山中で道に迷ってしまう。この苦境の一行を、天照大神のお告げを受けた「八咫烏(やたがらす)」と道臣命が道案内して、大和の宇陀に入り、穿(うかち)邑(宇陀市菟田野宇賀市あたり)に至った。宇陀から、賊酋たちの討伐がまた始まる。

 これらの案内も、高倉下の霊剣献上も、天照大神のお告げだというが、この神異や霊夢がなくとも話に特段の問題はないし、八咫烏は神武の同族の出であった。宇陀には式内社の八咫烏神社が宇陀市榛原高塚にあり、その子孫という者が後世まで居たと伝えるから、八咫烏一族の居地の一つが宇陀にあったとみられる。

「八咫烏」は太陽にいる三本足の烏を表すが、実際には動物のカラスではなく、その名が鴨健角身命(かもたけつのみのみこと)といわれる人物で、天孫族の鳥トーテミズムと太陽神信仰に基づく通称にすぎない。その別名は多く、少彦名(すくなひこな)神とか三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ)命、天日鷲(あめのひわし)命ともいうが、東征当時の該当者は生玉兄日子(いくたまえひこ)命であり、鴨健角身命の孫であった。

 紀伊の竃山から大和の宇陀までの具体的経路は、『古事記』と『書紀』とで若干の歳があるが、現実の地理で見ると『古事記』のほうが妥当で合理的である。

 記紀編纂時には「熊野」の概念が紀南の現・熊野地方にほぼ固定されていたようであり、熊野大迂回伝承は冒険譚としては面白くても、東征当時の史実原型はそうではなかったということである。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7190

神武天皇の最大の敵「長髄彦(ながすねひこ)」とは何者か
「神武東征」伝承の真実を検証するE
宝賀 寿男 2017年10月22日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7218


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

神武天皇の前に立ちはだかる
長髄彦とは何者か?

 大和での戦いは『書紀』が詳しく記すように、当初から苦戦続きの長髄彦(ながすねひこ)が東征の最大の敵であった。だから、宴席の長髄彦を殺害し、衆を率いて神武に帰順した物部氏の遠祖の功績が大きかった。この帰順社の名を、記紀共に饒速日命(にぎはやひのみこと)とするが、『旧事本紀』の「天孫本紀」などから見て、その子の宇摩志麻治命と思われる。

 饒速日の系譜は、記紀や『新撰姓氏録』には記載がないが、天津端という天孫のしるしをもつ者だと『書紀』にある。神武に先立って大和入りした天孫という、天皇家統治に不都合な伝承すら記される。『姓氏録』では天孫の部に置かれない物部氏族だが、「天孫本紀」では天照大神の太子の天忍穂耳の子の天火明命が饒速日にあたるとある。

 神武と物部氏は、同じ天孫族の出だが、神武自体は伊都支分家の出で、物部の傾倒も高天原の嫡統から早く別れていた。具体的には、葦原中国を降伏させたフツヌシ神(天目一箇命)の子が饒速日とみられる。

『書紀』によると、神武に先立ち、天磐船に乗って天降りしてきた饒速日を、長髄彦は主君と仰いで仕え、妹を后としたことで、神武に敵対した。ここでは、天孫族の一員の他の土地からの移遷を「天降り」と記すことに留意される。

『古事記』では、逆に饒速日が神武の行軍を追いかけてきたと記すが、これは『書紀』や『旧事本紀』にある、“饒速日が先”のほうが妥当である。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7218


神武天皇、実在の可能性
「神武東征」伝承の真実を検証するF
宝賀 寿男 2017年10月29日
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7270


高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。


『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

「金の鳶」の正体は鳥トーテミズムと
太陽神信仰を併せ持つ天孫族

 神武侵攻のときには大和地方には「ヤマト原国家」ともいうべき部族連合体が作られ、その祭祀具が銅鐸とみられる。長髄彦(ながすねひこ)殺害の有無には異説あるが、その子孫は東西の二派に分かれて畿内から退散し、東へ行ったのは信州諏訪に落ち着き諏訪族となった。その祖神の建御名方命こそ、長髄彦の別名で、系譜は三輪の大物主神の弟である。西へ退散した一派は、四国南部の地域に勢力を長く保ち、阿波の長国造や土佐の土佐・波多両国造を出した。これら退散経路や遷住地には海神族祭祀や後期銅鐸の出土がある。

 部族連合軍である長髄彦軍は強く、当初の河内でも大和でも、神武郡はおおいに苦戦した。そんな中、大和の鳥見の地にて、一羽の「金の鵄(とび)」が神武の弓の先に留まり、強烈な日明を発し照り輝いたので、賊軍の志気をおおいにくじいたという、いわゆる金鵄伝承である。戦前の金鵄勲章にも名を残すほどの大功であった。実は金鵄も動物の鳥ではなく、鳥トーテミズムと太陽神信仰を併せもつ天孫族の一員の表象であったから、これも神異とするにあたらない。

「金鵄」の実態について、早くに平田篤胤が「天加奈止美命」(「加奈」は金、「止美」は鵄の意味)の異名をもつ忌部の祖神・天日鷲命だと指摘した。私も検討の結果、ほぼ同様の結論(鴨県主の祖・八咫烏で、かつ忌部の首の祖・天富命)になった。京都の下鴨神社の社伝でも、「金鵄=八咫烏」とする。

 関連していうと、神武天皇即位後の4年には、鳥見山の中に祭祀の場を築いて皇祖天神を祀ったと『書紀』に見える。『古語拾遺』には忌部氏の祖・天富命が御幣を用いて祝詞をのべ皇祖天神を祀り、これが忌部氏の祭祀菅掌の由来だと記される。この地は、宇陀市榛原という説もあるが、やはり金鵄の霊験があった桜井市外山(とび)の鳥見山であろう。当地には式内社の等弥神社があり、その境内からは八咫烏の像が出た。神社の旧地は、鳥見山中の斎場山だといわれ、祭祀用臼玉が多数出ている。同社に上ッ尾社・下ッ尾社があるのも鵄との関連を示唆する。

 ここでは、地理的な問題を中心に見てきたが、とくに触れなかった年代論や人物論などの問題でも、神武天皇について十分に合理的な理解ができる。この辺を結論的にいえば、神武の活動期は弥生後期頃の西暦2世紀後葉頃とみられ、その創業関係者は、崇神天皇を取り巻く人々の各々五世代ほど祖先にあたる系譜が諸氏に伝えられる。神武崩御後の綏靖天皇による兄・手研耳命(たぎしみみのみこと)殺害事件が記紀ともに伝えられることも併せ考えて、崇神とは別人であり、総合的、具体的に神武天皇の史実性を考えるほうが妥当である。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7270


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c17

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
18. 中川隆[-9307] koaQ7Jey 2019年6月25日 08:21:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3186]

何故、古代史の舞台は奈良盆地なのか?・・・大阪は河内湖、大和は湿地帯だった。
 
何故、古代史の舞台が畿内でも奈良の山奥から始まるのか、そして次第に河内に舞台が移っていくのか、不思議に思われる。

この謎は実は現在の地形を前提に考えているからで、かつて大阪は上町台地のみが陸地で他は河内湖と呼ばれる内海であり、大和は標高60m以下は大湿地湖だったとされている。

縄文中期以降、海退が始まり、次第に陸地が広がって行くという地理学的な前提をふまえると、古代史の舞台が奈良の山奥から始まるという謎も解けてくる。


>奈良盆地の東方の山裾を縫うように、細々と南北に続く道がある。その名を「山の辺の道」という。

古社寺や名所旧跡、古墳などが道沿いに点在し、古代の面影をよく残している・・・

人が住むところに道ができるのは当たり前だが、ではなぜ「山の辺の道」は標高60m〜70mの高度を保ちながら三輪山の山麓をめぐっているのだろうか。

その理由を大和湖の存在に求める学者がいる。

三輪山麓に人類が住みついた縄文前期の約6千年前、大和盆地にはまだ巨大な淡水湖が存在し、その湖岸にできた道が山辺の道の最初の姿だというのだ。


>その後次第に土地が隆起し大和川ができると、湖水が排出されて平野部が広がっていった。土地が干上がるにつれて、人々は平野部へ移り住みはじめ、弥生時代には、平野部の沼地を利用して稲作農耕を営むようになった。

しかし、弥生時代とそれに続く古墳時代を通して、「山の辺の道」は相変わらず大和盆地の東側を結ぶ主要道路でありつづけた。その証拠に、第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)、第11代垂仁天皇の纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)、第12代景行天皇の纒向日代宮(まきむくひしろのみや)など上代宮跡伝承地は標高60mの線上にある。

http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/preface.htm


この大和湖を最初に唱えたのが、樋口清之博士で、博士は神武東征の地も標高60m付近にあることから、神武神話の時代には大和は大湿地帯であったと考察している。

http://somo.seesaa.net/article/32163752.html


宝賀寿男氏は弥生時代の遺跡群も標高50−70mに存在していることと、文献的整合性から神武神話の年代を弥生時代に設定している。

半島、九州の動乱の影響により畿内へと逃げ延びてきた神武にとって、湿地帯故に土木造成次第では農地を切り開くことが可能だった大和の地は、絶好のフロンティアであったのであろう。(勿論、ナガスネヒコら縄文人らの抵抗はあったであろうが、先に入っていたニギハヤヒや鴨族の支援もあって九州で縄文人支配を経験済みの神武にとってはさほど難しくはなかったのであろう。)

以下は、

当時のイメージ地図 リンク
http://somo.seesaa.net/upload/detail/image/2yamatoko-imaji.JPG.html

奈良盆地が都になる必然

何故、奈良に最初の都ができたのか?

古代の高低差地図リンク
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/asuka_naniwa_0.jpg


も参照してみてください。


朝鮮半島から攻め入られたとき、生駒山山系を第一の防衛線、奈良盆地を第二の防衛線とし、最後の砦として三輪山を背にして都を築いた、と読めます。

平安遷都はエネルギー問題だった!

―地形で解く日本史の謎リンク
http://shuchi.php.co.jp/article/1794


から引用させていただきます。


-------------------------------------------------

 21世紀の現在の地形から見ると「なぜ、奈良盆地が都になったのか?」が理解できない。

 ともかく奈良盆地は大阪湾から離れていて内陸に入っている。さらに360度周囲は山で、他の土地との連絡も悪い。奈良はどこから見ても交通の要所とはいえない。
(中略)

 なぜ奈良が日本最初の首都になったかを3〜4世紀の地形の上に立ちシミュレーションしてみよう。

 今の大阪平野は、当時は湿地帯であった。大坂湾は上町台地を回り込み内陸の奥まで入り込んでいた。

 また、今の大和川は堺市へ流れている。しかし、奈良時代の大和川は奈良盆地を出ると向きを北に変え、大坂湾に流れ出ていた。堺へ流れている今の大和川は、江戸時代に掘られた人工の水路なのだ。

 奈良が都になる4世紀頃、大坂平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていた。まさに河内と呼ばれた地であった。

 船で瀬戸内海から大坂湾に入り、上町台地を回り込み、大和川を遡ると生駒山、金剛山の麓まで行くことができた。中国大陸から生駒山麓の柏原市まで直接舟で行けたのだ。柏原で小舟に乗り換え生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、もうすぐそこは奈良盆地であった。

 この奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていた。その湿地湖を利用すれば奈良盆地のどこにでも舟で簡単に行くことができた。

 奈良盆地全体が、大坂湾の荒波を避ける穏やかな自然の内港のようであった。
 舟を利用すれば奈良盆地は便利がよく、ユーラシア大陸との連絡も容易であった。

 奈良盆地が日本の都になったのは、地形から見て合理的であった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=315461

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c18

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
46. 中川隆[-9306] koaQ7Jey 2019年6月25日 08:22:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3187]

何故、古代史の舞台は奈良盆地なのか?・・・大阪は河内湖、大和は湿地帯だった。
 
何故、古代史の舞台が畿内でも奈良の山奥から始まるのか、そして次第に河内に舞台が移っていくのか、不思議に思われる。

この謎は実は現在の地形を前提に考えているからで、かつて大阪は上町台地のみが陸地で他は河内湖と呼ばれる内海であり、大和は標高60m以下は大湿地湖だったとされている。

縄文中期以降、海退が始まり、次第に陸地が広がって行くという地理学的な前提をふまえると、古代史の舞台が奈良の山奥から始まるという謎も解けてくる。


>奈良盆地の東方の山裾を縫うように、細々と南北に続く道がある。その名を「山の辺の道」という。

古社寺や名所旧跡、古墳などが道沿いに点在し、古代の面影をよく残している・・・

人が住むところに道ができるのは当たり前だが、ではなぜ「山の辺の道」は標高60m〜70mの高度を保ちながら三輪山の山麓をめぐっているのだろうか。

その理由を大和湖の存在に求める学者がいる。

三輪山麓に人類が住みついた縄文前期の約6千年前、大和盆地にはまだ巨大な淡水湖が存在し、その湖岸にできた道が山辺の道の最初の姿だというのだ。


>その後次第に土地が隆起し大和川ができると、湖水が排出されて平野部が広がっていった。土地が干上がるにつれて、人々は平野部へ移り住みはじめ、弥生時代には、平野部の沼地を利用して稲作農耕を営むようになった。

しかし、弥生時代とそれに続く古墳時代を通して、「山の辺の道」は相変わらず大和盆地の東側を結ぶ主要道路でありつづけた。その証拠に、第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)、第11代垂仁天皇の纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)、第12代景行天皇の纒向日代宮(まきむくひしろのみや)など上代宮跡伝承地は標高60mの線上にある。

http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/preface.htm


この大和湖を最初に唱えたのが、樋口清之博士で、博士は神武東征の地も標高60m付近にあることから、神武神話の時代には大和は大湿地帯であったと考察している。

http://somo.seesaa.net/article/32163752.html


宝賀寿男氏は弥生時代の遺跡群も標高50−70mに存在していることと、文献的整合性から神武神話の年代を弥生時代に設定している。

半島、九州の動乱の影響により畿内へと逃げ延びてきた神武にとって、湿地帯故に土木造成次第では農地を切り開くことが可能だった大和の地は、絶好のフロンティアであったのであろう。(勿論、ナガスネヒコら縄文人らの抵抗はあったであろうが、先に入っていたニギハヤヒや鴨族の支援もあって九州で縄文人支配を経験済みの神武にとってはさほど難しくはなかったのであろう。)

以下は、

当時のイメージ地図 リンク
http://somo.seesaa.net/upload/detail/image/2yamatoko-imaji.JPG.html

奈良盆地が都になる必然

何故、奈良に最初の都ができたのか?

古代の高低差地図リンク
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/asuka_naniwa_0.jpg


も参照してみてください。


朝鮮半島から攻め入られたとき、生駒山山系を第一の防衛線、奈良盆地を第二の防衛線とし、最後の砦として三輪山を背にして都を築いた、と読めます。

平安遷都はエネルギー問題だった!

―地形で解く日本史の謎リンク
http://shuchi.php.co.jp/article/1794


から引用させていただきます。


-------------------------------------------------

 21世紀の現在の地形から見ると「なぜ、奈良盆地が都になったのか?」が理解できない。

 ともかく奈良盆地は大阪湾から離れていて内陸に入っている。さらに360度周囲は山で、他の土地との連絡も悪い。奈良はどこから見ても交通の要所とはいえない。
(中略)

 なぜ奈良が日本最初の首都になったかを3〜4世紀の地形の上に立ちシミュレーションしてみよう。

 今の大阪平野は、当時は湿地帯であった。大坂湾は上町台地を回り込み内陸の奥まで入り込んでいた。

 また、今の大和川は堺市へ流れている。しかし、奈良時代の大和川は奈良盆地を出ると向きを北に変え、大坂湾に流れ出ていた。堺へ流れている今の大和川は、江戸時代に掘られた人工の水路なのだ。

 奈良が都になる4世紀頃、大坂平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていた。まさに河内と呼ばれた地であった。

 船で瀬戸内海から大坂湾に入り、上町台地を回り込み、大和川を遡ると生駒山、金剛山の麓まで行くことができた。中国大陸から生駒山麓の柏原市まで直接舟で行けたのだ。柏原で小舟に乗り換え生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、もうすぐそこは奈良盆地であった。

 この奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていた。その湿地湖を利用すれば奈良盆地のどこにでも舟で簡単に行くことができた。

 奈良盆地全体が、大坂湾の荒波を避ける穏やかな自然の内港のようであった。
 舟を利用すれば奈良盆地は便利がよく、ユーラシア大陸との連絡も容易であった。

 奈良盆地が日本の都になったのは、地形から見て合理的であった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=315461

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c46

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
194. 中川隆[-9305] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:24:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188]

2017年01月08日 人種差別なき国家
http://blog.livedoor.jp/bfr4cadg/archives/2040617.html#more

「ルーズベルト米大統領は、優秀な白人種とアジア人との交配によって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設しようと考えている。

ただ大統領は、白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えている。」
(駐米英国公使、ロナルド・キャンベル)

誰がヒトラーを嗤えるのだろうか?

もしそんな連中がいるとしたら、日本人だけだろう。日本には奴隷制がなかっただけではなく、人種差別がなかった。

悲しいかな、差別はあったし、今もってある。比較的孤立した島国なので、対外的に「うぶ」なだけなのかもしれない。畏怖や警戒が先立ち、取り込んだ後は、意外にあっさり切り捨てたり、排斥、排除したりするか、対内的に差別の壁を築いたりする。それは、認める。分かり合えない異物枠が、個人や社会にある。
しかしながら、人種差別という、無条件の蔑視スタンスは養われてこなかった。やっとこさ近代になって、国家主義の賦活のために、攘夷思想や鬼畜米英が叫ばれたに過ぎない。差別は、お上か決めるものではないから、これらは異色でもある。

信長が黒人弥助を気に入って士分に取り立てたことを言っているわけではない。現代日本人女性が、黒人をパートナーとすることにほとんど抵抗感がないことも示すように、日本は人種差別から最も遠い文化を形成してきた。

大東亜戦争では、朝鮮人を高級将校にしたり、朝鮮人戦没兵士2万1千人が、靖国神社に祀られてもいる。

明治天皇御製の和歌「四方の海 みな腹からと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」でも示されているように、日本人の近代世界観は「あの時代」以前にあっても、すでにあまりにも「まとも」であった。
敗戦後、植民地が雨後の竹の子のように独立したのは、全く偶然ではないのである。多くの犠牲を伴った無謀なるインパール作戦も、局面打開を意図したと言いながらも、インドの独立運動の支援だった。同じく局面打開のために日本を嵌めたルーズベルトと、どっちが「まとも」なのかということだ。

単なる結果論ではもちろんなく、一般大衆はともかくも、すべての指導者、多くの知識人階級が、欧米列強の植民地支配を憎み、独立自尊のアジア解放を強くイメージしていた。日本人が考える近代と、欧米が考える近代は、非常に大きくずれていたと言わねばなるまい。

右翼・ネトウヨのヘイトスピーチだ、レイシズムだ言う前に、外面上はどうであれ、日本人が想像もできない本当の人種差別は、現代でも欧米からは払拭されていないと疑うべきである。なぜなら戦後、独立戦争・闘争でほとんどの植民地は消散したとはいえ、彼らの世界観を塗り替える何も起きてはいないからだ。ポリティカル・コレクトネスは、奇妙なストレス生産装置にはなっているにしても。

差別主義の欧米史観で、濡れ衣着せられ貶められたわが国も、言いたいことは言うべきで、その意味でも靖国神社の遊就館は、とても素晴らしい施設である。戦争がむごたらしいもので、日本や日本軍が自国民や他国民、敵国に、多くの犠牲を強い、必要以上の苦しみを与えたことは、事実だ。潔白で、正しく、非道でなかったなどと胸を張れるものではない。

だが、戦後日本の左傾化した自虐史観の陰で、きちんとした正しい記録を遺し、日本が歩んだ近代国家としての戦争史を語り継ぐ施設は貴重だ。このような施設がなければ、おそらくは大東亜戦争の大きな記録の欠損が、民族の妄想(「思い」といってもよいが、あえて妄想と呼ぶ。国民国家は妄想によってのみ支えられうるからだ)を誤った方向から引き戻す機会は、永遠に失われてしまったかもしれない。海外の横やりが入っても、しっかりと(あるいはのらりくらりとかわし)日本の立場、ビジョン、理想を主張することを、抑えても、諦めてもいけない。歴史は外国が作ってくれるわけではない。自民族が紡ぎ、語るのである。

真剣なまなざしで、展示物から何かを受け取ろうとする外国人見学者も増えてきているように感じた。


激戦地硫黄島において、わずか196人で最後の突撃攻撃を仕掛けた海軍の市丸中将は、事前にルーズベルト大統領への思いを認め、和文を村上大尉、英文を赤田中佐が腹に巻いて、軍服にあった一切の憲章を取り外して一皇国軍人として突撃して果てた。その原文を敬意をこめて以下に掲げる。

「日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。

我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。

日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。

之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。

貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。

畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。

之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。

我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。

我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。

我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。

之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。

卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。

之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。

近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。

大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。

卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。

只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。

卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。

大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。

飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。

今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。

卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。

凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。

卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。

願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。


市丸海軍少将

特攻戦士、古谷 眞二海軍少佐(1922年2月24日〜1945年5月11日)の遺書は、市ヶ谷での自衛隊への決起呼び掛け後割腹する一か月前、三島由紀夫が江田島海上自衛隊第一術科学校教育参考館を訪れた際に読んで号泣したものである。
これも謹んで以下に全文を掲げる。


                         、
「皇国の一男子として生を享けて以来二十有余年、
国を挙げての聖戦に勇躍征く事を得ば男子の本懐、
正に之に過ぐるものなし。
ものごころついて以来自分乍ら世才に長ぜりと感じ、
幼友矢島君の男々しき武人姿を見るにつけ所詮
身は軍人となれぬとは思ひ諦め居たるも、
長じて茲に征途につくを得ば身を鴻毛の軽きにおき勇みて征かんの心激しからざるはなし。

 過去二十何年かの間、陰に陽に愛しまれたる御両親の恩、
甚だ深くして浅学非才なる小生にしては御礼の言葉も見当らず。その深遠広大なるに対し、
深く深く厚く厚く御礼申し上ぐるものなり。

御両親はもとより小生が大なる武勇を為すより身体を毀傷せずして無事帰還の誉を擔はんこと、
朝な夕なに神佛に懇願すべくは之親子の情にして当然也。
不肖自分としても亦、身を安んじ健康に留意し、目出度く帰還の後孝養を盡したきは念願なれども
蓋し時局は総てを超越せる如く重大にして徒に一命を計らん事を望むを許されざる現状にあり。

大君に対し奉り忠義の誠を至さんことこそ正にそれ孝なりと決し、すべて一身上の事を忘れ、
後顧の憂なく干戈を執らんの覚悟なり。
幸ひ弟妹多く兄としてのつとめを果たせざるを遺憾とは思ひつゝも
願はくは之等弟妹に父母の孝養を依頼したき心切なり。
死すること強ち忠義とは考へざるも自分は死を賭して征く。必ず死ぬの覚悟で征く。
萬事頼む。
                           眞二
十八年六月十日
  http://blog.livedoor.jp/bfr4cadg/archives/2040617.html#more              箱根小涌谷にてしたゝむ 

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c194

[近代史02] 戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき 中川隆
55. 中川隆[-9304] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:41:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189]

『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

     エロ・グロ・ナンセンス

第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた@斬首A銃剣術の刺突B妊婦の腹裂きC女性器に一升瓶を押し込む4コマ続きだろう。しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)


これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。


             


問題視しているのはこのシーンである  ↓


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。

              @ 「銃剣術の的にした話」

                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )

<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)

        A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった

十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)


陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)

一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」

十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)


陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」
「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)


鬼になる洗礼
 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。
首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。
目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)

秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。

               B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。 


 

      

 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)

           C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」

「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。


秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。



               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)


まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。


この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

イメージ 1


イメージ 2

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)

『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。


また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。


例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)

と書かれている。


                *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html 南京大虐殺に関する資料は全て

                イチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦

                 のコメント自体には違和感はない。

イメージ 3


イメージ 4



(『現代史の争点』)

自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。


さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。


南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html


しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?


【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」

川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」


もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)

支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)

変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)


銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


 

それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html#c55

[近代史3] 吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった 中川隆
4. 中川隆[-9303] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:48:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3190]
『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

     エロ・グロ・ナンセンス
第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた

@斬首
A銃剣術の刺突
B妊婦の腹裂き
C女性器に一升瓶を押し込む

4コマ続きだろう。


しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)

これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。

             

問題視しているのはこのシーンである  

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。


 @ 「銃剣術の的にした話」                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )

<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)


A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった

十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)


陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)


一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」


十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)

陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」

「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)

鬼になる洗礼

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)

秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。


B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。      


 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)

 C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」


「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。

秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。

               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)

まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。

この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

イメージ 1
イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)

『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。

また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。

例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)


と書かれている。

  *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

南京大虐殺に関する資料は全てイチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦のコメント自体には違和感はない。

イメージ 3
イメージ 4
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(『現代史の争点』)

自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。

さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。

南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html

しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?


【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」

川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」

もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)


支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)


変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)


銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html#c4

[近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
14. 中川隆[-9302] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:49:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3191]
『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

     エロ・グロ・ナンセンス
第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた

@斬首
A銃剣術の刺突
B妊婦の腹裂き
C女性器に一升瓶を押し込む

4コマ続きだろう。


しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)

これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。

             

問題視しているのはこのシーンである  

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。


 @ 「銃剣術の的にした話」                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )

<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)


A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった

十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)


陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)


一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」


十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)

陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」

「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)

鬼になる洗礼

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)

秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。


B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。      


 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)

 C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」


「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。

秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。

               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)

まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。

この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

イメージ 1
イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)

『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。

また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。

例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)


と書かれている。

  *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

南京大虐殺に関する資料は全てイチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦のコメント自体には違和感はない。

イメージ 3
イメージ 4
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(『現代史の争点』)

自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。

さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。

南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html

しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?


【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」

川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」

もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)


支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)


変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)


銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html#c14

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
16. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:50:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3192]

『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

     エロ・グロ・ナンセンス
第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた

@斬首
A銃剣術の刺突
B妊婦の腹裂き
C女性器に一升瓶を押し込む

4コマ続きだろう。


しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)

これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。

             

問題視しているのはこのシーンである  

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。


 @ 「銃剣術の的にした話」                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )

<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)


A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった

十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)


陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)


一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」


十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)

陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」

「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)

鬼になる洗礼

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)

秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。


B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。      


 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)

 C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」


「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。

秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。

               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)

まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。

この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

イメージ 1
イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)

『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。

また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。

例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)


と書かれている。

  *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

南京大虐殺に関する資料は全てイチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦のコメント自体には違和感はない。

イメージ 3
イメージ 4
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(『現代史の争点』)

自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。

さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。

南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html

しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?


【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」

川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」

もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)


支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)


変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)


銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c16

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
318. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:50:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3193]

『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

     エロ・グロ・ナンセンス
第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた

@斬首
A銃剣術の刺突
B妊婦の腹裂き
C女性器に一升瓶を押し込む

4コマ続きだろう。


しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)

これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。

             

問題視しているのはこのシーンである  

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。


 @ 「銃剣術の的にした話」                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )

<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)


A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった

十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)


陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)


一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」


十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)

陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」

「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)

鬼になる洗礼

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)

秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。


B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。      


 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)

 C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」


「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。

秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。

               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)

まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。

この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

イメージ 1
イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)

『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。

また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。

例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)


と書かれている。

  *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

南京大虐殺に関する資料は全てイチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦のコメント自体には違和感はない。

イメージ 3
イメージ 4
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(『現代史の争点』)

自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。

さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。

南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html

しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?


【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」

川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」

もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)


支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)


変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)


銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c318

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
614. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:57:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3194]
『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


     エロ・グロ・ナンセンス

第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた

@斬首
A銃剣術の刺突
B妊婦の腹裂き
C女性器に一升瓶を押し込む

4コマ続きだろう。


しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)

これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。


             

問題視しているのはこのシーンである  

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。

 @ 「銃剣術の的にした話」                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )


<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)

A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった


十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)

陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)

一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」

十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)

陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」

「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)


鬼になる洗礼

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)


秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。


B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。      


 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)


 C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」


「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。


秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。

               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)


まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。


この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

イメージ 1
イメージ 2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)


『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。


また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。


例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)


と書かれている。


  *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

南京大虐殺に関する資料は全てイチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦のコメント自体には違和感はない。

イメージ 3
イメージ 4
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(『現代史の争点』)


自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。


さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。


十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。


南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html


しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?

【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」


川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」


もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)

支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)

変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)

銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c614

[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
191. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月25日 12:35:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3195]

Western Electric 20cm フィックスドエッジ・フィールド型フルレンジスピーカーユニット TA-4189
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/971.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c191
[近代史3] G.I.P Laboratory _ Western Electric スピーカーシステムのレプリカ製造 中川隆
2. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月25日 12:37:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3196]

Western Electric 20cm フィックスドエッジ・フィールド型フルレンジスピーカーユニット TA-4189
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/971.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/480.html#c2
[近代史3] マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている 中川隆
20. 中川隆[-9302] koaQ7Jey 2019年6月25日 14:37:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3197]
2019.06.25
報道統制の仕組みが整備されている米英

 アメリカがロシアの送電システムを破壊するための工作を実行してきたと伝えた​ニューヨーク・タイムズ紙​に対し、ドナルド・トランプ米大統領は反逆だという言葉を浴びせた。その批判に対する同紙の反論が話題になっている。報道する前に政府へ記事の内容を説明していると書いたのだ。検閲と言われても仕方がないだろうが、大統領の指揮系統外に検閲者はいる。


 アメリカの有力メディアとCIAとの関係は少なからぬ人が取り上げてきた。第2次世界大戦の前からメディアにはプロパガンダ機関としての側面があったが、大戦後にはメディアをコントロールする目的でプロジェクトがスタートしている。いわゆるモッキンバードだ。

 本ブログで繰り返し書いてきたように、プロジェクトの中心人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、フィリップ・グラハムの4名。

 ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士でCIAやその前身であるOSSで秘密工作に関わっていた。ダレスはそうした工作を指揮していた人物であり、ウィズナーはその下にいた。

 ヘルムズもダレスの側近だった人物で、ヘルムズと同じようにCIA長官になった。国際決済銀行初代頭取の孫という側面もある。

 グラハムはワシントン・ポスト紙の社主だった人物で、妻のキャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。キャサリンの父親は世界銀行の初代総裁だ。

 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校。記者としては素人に近く、事実上、取材はバーンスタインが行ったと言われている。

 バーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いた。これはウォーターゲート事件以上に重要な記事だ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。

 CIAが有力メディアを情報操作のために使っていることはフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でも明らかにされた。

 勿論、CIAからの圧力があり、チャーチ委員会は記者、編集者、発行人、あるいは放送局の重役から事情を聞いていない。当時のCIA長官、つまりウィリアム・コルビー(1973年9月から76年1月)やジョージ・H・W・ブッシュ(1976年1月から77年1月)たちから調査をやめるように働きかけたことが影響したようだ。

 コルビーからブッシュへの長官交代も情報統制を強化する意味があった。ニクソンが失脚した後、副大統領から大統領へ昇格したジェラルド・フォードはホワイトハウスからデタント派を排除するが、コルビーの解任もその一環。コルビーは議会で秘密工作の一端を明かしているが、そうした証言は支配層を怒らせていた。

 当時、ブッシュを情報活動の素人だと言う人が少なくなかったが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が非常に高い。当時からの親友、ジェームズ・リリーもCIAの高官になる。このふたりは学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。

 ブッシュは1989年1月から大統領を務めているが、その年の4月にリリーは中国駐在の大使になっている。このふたりは中国との関係が深い。

 この当時、アメリカはソ連と中国で体制転覆の秘密作戦を展開中だった。ソ連ではブッシュたちCIA人脈とソ連のKGBの中枢が手を組んで作戦を成功させたが、中国では失敗している。

 バーンスタインの記事などでCIAとメディアとの関係が明らかにされた後、そうした関係は解消されていない。それどころか強化されてきた。新自由主義が世界を侵食する中、巨大資本によるメディア支配を容易にするように規制は緩和され、帰国ある記者や編集者は排除されていく。こうしたことは日本でも引き起こされていた。

 9/11以降、報道統制は加速度的に強化されていくが、その一端をニューヨーク・タイムズ紙の記者だった​ジェームズ・ライゼン​も明らかにしている。

 個人的な経験だが、1980年代にアメリカやイギリスのジャーナリストに対し、日本のマスコミがいかに酷い状態かを説明すると、異口同音に「どの国も同じ」という答えが返ってきた。自分が所属している国の状態を棚に上げ、日本のマスコミは駄目だと語る人は信用できないと考えている。

 言うまでもなく、アメリカだけに報道統制の仕組みがあるわけではない。例えばイギリス。この国にはDSMA通告(以前はDA通告、D通告と呼ばれた)があり、安全保障に関係すると見なされた情報の報道をしないように要請できる。

 イギリスの場合、BAP(英米後継世代プロジェクト)も報道統制に貢献している。ロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つ富豪を呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っているのだが、その結果、BAPはつくられた。その中には編集者や記者も参加する。イスラエルを後ろ盾としているトニー・ブレアを支援していた。

 ちなみに、日本では昔から自己検閲が徹底している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201906250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/330.html#c20

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
24. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月25日 14:37:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3198]
2019.06.25
報道統制の仕組みが整備されている米英

 アメリカがロシアの送電システムを破壊するための工作を実行してきたと伝えた​ニューヨーク・タイムズ紙​に対し、ドナルド・トランプ米大統領は反逆だという言葉を浴びせた。その批判に対する同紙の反論が話題になっている。報道する前に政府へ記事の内容を説明していると書いたのだ。検閲と言われても仕方がないだろうが、大統領の指揮系統外に検閲者はいる。


 アメリカの有力メディアとCIAとの関係は少なからぬ人が取り上げてきた。第2次世界大戦の前からメディアにはプロパガンダ機関としての側面があったが、大戦後にはメディアをコントロールする目的でプロジェクトがスタートしている。いわゆるモッキンバードだ。

 本ブログで繰り返し書いてきたように、プロジェクトの中心人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、フィリップ・グラハムの4名。

 ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士でCIAやその前身であるOSSで秘密工作に関わっていた。ダレスはそうした工作を指揮していた人物であり、ウィズナーはその下にいた。

 ヘルムズもダレスの側近だった人物で、ヘルムズと同じようにCIA長官になった。国際決済銀行初代頭取の孫という側面もある。

 グラハムはワシントン・ポスト紙の社主だった人物で、妻のキャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。キャサリンの父親は世界銀行の初代総裁だ。

 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校。記者としては素人に近く、事実上、取材はバーンスタインが行ったと言われている。

 バーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いた。これはウォーターゲート事件以上に重要な記事だ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。

 CIAが有力メディアを情報操作のために使っていることはフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でも明らかにされた。

 勿論、CIAからの圧力があり、チャーチ委員会は記者、編集者、発行人、あるいは放送局の重役から事情を聞いていない。当時のCIA長官、つまりウィリアム・コルビー(1973年9月から76年1月)やジョージ・H・W・ブッシュ(1976年1月から77年1月)たちから調査をやめるように働きかけたことが影響したようだ。

 コルビーからブッシュへの長官交代も情報統制を強化する意味があった。ニクソンが失脚した後、副大統領から大統領へ昇格したジェラルド・フォードはホワイトハウスからデタント派を排除するが、コルビーの解任もその一環。コルビーは議会で秘密工作の一端を明かしているが、そうした証言は支配層を怒らせていた。

 当時、ブッシュを情報活動の素人だと言う人が少なくなかったが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が非常に高い。当時からの親友、ジェームズ・リリーもCIAの高官になる。このふたりは学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。

 ブッシュは1989年1月から大統領を務めているが、その年の4月にリリーは中国駐在の大使になっている。このふたりは中国との関係が深い。

 この当時、アメリカはソ連と中国で体制転覆の秘密作戦を展開中だった。ソ連ではブッシュたちCIA人脈とソ連のKGBの中枢が手を組んで作戦を成功させたが、中国では失敗している。

 バーンスタインの記事などでCIAとメディアとの関係が明らかにされた後、そうした関係は解消されていない。それどころか強化されてきた。新自由主義が世界を侵食する中、巨大資本によるメディア支配を容易にするように規制は緩和され、帰国ある記者や編集者は排除されていく。こうしたことは日本でも引き起こされていた。

 9/11以降、報道統制は加速度的に強化されていくが、その一端をニューヨーク・タイムズ紙の記者だった​ジェームズ・ライゼン​も明らかにしている。

 個人的な経験だが、1980年代にアメリカやイギリスのジャーナリストに対し、日本のマスコミがいかに酷い状態かを説明すると、異口同音に「どの国も同じ」という答えが返ってきた。自分が所属している国の状態を棚に上げ、日本のマスコミは駄目だと語る人は信用できないと考えている。

 言うまでもなく、アメリカだけに報道統制の仕組みがあるわけではない。例えばイギリス。この国にはDSMA通告(以前はDA通告、D通告と呼ばれた)があり、安全保障に関係すると見なされた情報の報道をしないように要請できる。

 イギリスの場合、BAP(英米後継世代プロジェクト)も報道統制に貢献している。ロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つ富豪を呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っているのだが、その結果、BAPはつくられた。その中には編集者や記者も参加する。イスラエルを後ろ盾としているトニー・ブレアを支援していた。

 ちなみに、日本では昔から自己検閲が徹底している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201906250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c24

[近代史3] 伊藤貫氏に聞く _ 日本人は何故アメリカの犬になりたがるのか 中川隆
12. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月25日 17:07:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3199]

2017-02-12 伊藤貫氏 「The World with President Trump」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y_oD0ZWfWz4


2017/02/12 Grand Design by Japan 2016年度,フォーラム(4)
Part II
伊藤貫氏(国際政治アナリスト,著述家)
「The World with President Trump」


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/125.html#c12

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
33. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月25日 17:08:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3200]

2017-02-12 伊藤貫氏 「The World with President Trump」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y_oD0ZWfWz4


2017/02/12 Grand Design by Japan 2016年度,フォーラム(4)
Part II
伊藤貫氏(国際政治アナリスト,著述家)
「The World with President Trump」

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c33

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
248. 中川隆[-9298] koaQ7Jey 2019年6月25日 17:08:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3201]

2017-02-12 伊藤貫氏 「The World with President Trump」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y_oD0ZWfWz4


2017/02/12 Grand Design by Japan 2016年度,フォーラム(4)
Part II
伊藤貫氏(国際政治アナリスト,著述家)
「The World with President Trump」

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c248

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
17. 中川隆[-9297] koaQ7Jey 2019年6月25日 18:33:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3202]

社会科学者の随想 2019年06月25日

従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったところで,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その3・完)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075068834.html

【『主戦場,SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue』2018年製作映画】

【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】
【製作国  アメリカ・日本・韓国】
【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】

◆「主戦場」に投稿されたネタバレ・内容・結末 ◆

 = 以下においては,寄稿のさい添えられていた「評点(5点満点)」は,わざと触れないで引用する =
 註記)引用されるホームページは,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler? 以下である


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 29 Hiros 2019/05/04 18:13
 立ち見でるほどの盛況。客の9割以上はジジイとババア。あまり寝てなかったのもあり前半やや落ちた。

 ケント・ギルバートが自分のしってるニコニコしているだけのケント・ギルバートではなかった。

 補注)この指摘に同感する。いまでは初老に爺さんになったケントの顔は,率直に感想をいえば, “視覚的な印象” にこだわるまでもなく,かなり醜悪に映っていた。彼の吐く意見そのものもさることながら,昔,日本にアメリカ某州弁護士資格の肩書きで乗りこんで来て,活躍し出してから,すでに十二分に稼いできたはずだと思っていた。


 ところがここに来て,なぜ,従軍慰安婦問題をとらえては悪乗り的に俗悪な著作を公表するのかなどと観ていたら,右翼(保守・反動)の「白人応援団」の1人として,すっかり衣替えを済ましていたわけである。


 最近公刊した本の中身のなかには,不正確(はっきりいえばデタラメ)に書かれた部分があったと批難されていた。そこには,ケント自身がじかに調査したり考えたりしたうえで,書いたのではない段落があったという裏事情もからんでいた。


 ともかくケント主戦場ケント・ギルバート画像・ギルバートは,それでもリバイバル的にであっても,最近,この日本国内にはなばなしく再登場してきた。


 しかも,ネトウヨ丸出しの駄本を書いて販売したけれども,これが大いに売れているというからには,右翼陣営にとってみれば,それなりにたいそう利用価値のある在日アメリカ人である。


 ただし,本の内容もそうであったが,この映画のなかでのケントの発言は,常識以前の駄弁に終始している。ケントなどが「売春婦でした」といっている意図的な誤説は,根拠のない決めつけであって,このケントなどもくわわって主張する「従軍慰安婦」問題についての特異な解釈は,観念論的イデオロギーを充満させている。

 出所)右上の画像は,https://anonymous-post.mobi/archives/9434


〔記事に戻る→〕 考えるべき映画のため再鑑賞予定。

 30 三樹夫 2019/05/03 23:30
 この映画のスタンスとしては,慰安婦20万人の20万という数字には疑問がある,20万人や40万,8歳,10歳の少女が慰安婦にとかいうセンセーショナリズムはやめろとし,また,慰安婦について両方にインタビューした両論併記というより,とくに後半からが,歴史修正主義者(極右とビジネスウヨ)に対して反証していく作りとなっている。

 たとえば,国家というのは謝らないんですよという藤岡信勝の発言のすぐあとに,アメリカの第2次大戦中の日系人に対しての扱いを謝罪しているレーガン政権期の映像が流れる。まあ,反証していくというか,歴史修正主義者が勝手に自爆していっただけともいえるが。

 杉田水脈の,アメリカに慰安婦像が建てられるのは,中国と韓国は日本より優れた技術をもてないから,日本を陥れるための中国の陰謀,というのには頭を抱える(こんなのが歴史修正主義者側からポンポン飛び出してくる)。

 映画の冒頭でも,日本にある差別というのを監督が Youtube に投稿したところ,日本に差別なんかないとネトウヨから差別的なメッセージが送られてきたという,この映画は歴史修正主義者とネトウヨのバカっぷり終始炸裂する。

 しかし,暗澹たる気持になるのは,歴史修正主義者の差別意識にまみれた発言に対しては当然のこととして,こういった歴史修正主義者が重要なポストに就いていたりと,すでにある程度の力をもってしまっているということだ。

 慰安婦に関する文書はないとかいってて,どうせ破棄したんだろと思ってたらそのとおりだった。この都合の悪い文書の破棄というリアリティを現政権が高めているという皮肉というかディストピア。

 最後に歴史修正主義者のラスボスで加瀬英明が出てくるんだけど酷い。慰安婦問題を教科書にのせる必要はない,教科書には明るい話だけのせればよくて,学校を卒業をしたあとに各自で調べればよい,とかいっときながら自分は人の本を読まない。日本がアメリカに戦争で勝ったからアメリカは奴隷制を手放すことになった(!?),など。

 歴史修正主義者側全員ひどいけど,加瀬英明と杉田水脈が飛びぬけてひどい。慰安婦問題がここまで注目を浴びるのは,下世話な好奇心を刺激するからではなく,人権問題だからだと怒りがこみあげてくる。


主戦場登場人物右翼人士ケント・ギルバートなど

出所) https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-12047.php


 この映画は慰安婦問題についての対歴史修正主義者問答集みたいになっていて,慰安婦は大金を貰っていた ← それビルマの話だろ。金額はすごくても当時ビルマはインフレで大した額じゃない。

 首に縄付けられて強制連行された慰安婦はいない ← 強制連行という言葉のなかには,仕事があるよなどの甘言も含まれる(首に縄付けられてって,体温40度以上じゃなければ風邪ではない,38度39度程度じゃ風邪とはいわん,みたいなハードルをものすごく高くして強制連行をなかったことにしようとしてるよね)。

 ほかにも想定問答集みたいなのがいくつかある。

 また,なんで歴史修正主義者が慰安婦はなかったということにしたいのか,元ナショナリストの日砂恵ケネデが答えていて,自分と国とを同一化しているため国の過ちをあたかも自分が批判されているように感じてしまうと。自分=国になちゃってるから,国への批判=自分の批判となる。

 白人が日本褒める日本凄い番組みて気持良くなってる奴もこのメンタリティでしょ。日本凄い → 日本=自分だから自分凄いってなるんだろう,バカバカしいが。たとえば,オリンピックで日本人選手が何個金メダルとろうがその選手が凄いんであって,お前は凄くともなんともないわ。

 この映画ではなぜ,自分=国になっちゃうかまでの考察はなかったけど,それは満たされない生活送ってるからじゃないの。国っていうでかいものに自分を同一化することによって,自分が大きくなったと錯覚してんじゃないのかな。そんなんでみじめな自分の人生を忘れられる(?)とズートピアの台詞を思い出す。

 補注)『ズートピア(ZOOTOPIA/ZOOTROPOLIS)』(2016年)は,監督「バイロン・ハワードとリッチ・ムーア」が制作した映画である。ごく簡単に粗筋を説明しておく。

“ あらゆる動物が住む高度な文明社会を舞台にした,ディズニーによるアニメーション。大きさの違いや,肉食・草食にかかわらず,動物たちがともに暮らすズートピアで,ウサギの新米警官とキツネの詐欺師が隠された衝撃的な事件に迫る。

 製作総指揮をジョン・ラセターが務め,監督を『塔の上のラプンツェル』などのバイロン・ハワードと『シュガー・ラッシュ』などのリッチ・ムーアが共同で担当。製作陣がイマジネーションと新たな解釈で誕生させたという,動物が生活する世界のビジュアルに期待が高まる。

〔記事に戻る→〕 この映画は日本会議までゆきつくけど,日本会議が家父長制を敷こうとしているのって,家父長の所に自分を当てはめて,家父長のいうことは絶対=自分のいうことは絶対として,他者を支配したいからでしょ。

 この映画を観ていると,なぜ国立の文系はいらんという圧が強まっているかよく分かる。そら,吉見義明みたいな歴史学者は自分たちに都合悪いもんね。ただ,政府が国立の文系はいらんというのはまだ分かるけど,政府以外の奴でも文系いらんとかいってる奴がいるのはどうしたものか。
 補注)吉見義明(1946年生まれ)は,東京大学文学部国史学科卒,同大学院人文科学研究科国史学専攻修士課程・博士課程修了,東大助手などを経て中央大学商学部教授(現在は名誉教授)。

“『朝日新聞』2017年1月24日朝刊吉見義明記事
 文系廃止という強い権力をもつ側に自分を重ねて自分が大きいと錯覚する,「自分=国」と同じの,権威主義的パーソナリティみたいなもんだとは思うが,俺がいままで聞いたなかで一番納得しているのは,MTで普通免許取った奴がAT限定に無意味な優越感もつみたいな,いわば理系マウンティングというか,理系の奴が文系はいらんということで,自分のなかで『理系>文系の優劣』が助長され,理系の自分は凄いと優越感に浸れるというもの。そんなんでみじめな自分の人生を忘れられる(?)とズートピアの台詞をもう一回思い出す。

 31 TaichiShiraishi 2019/05/02 15:34
 どちらの論に加担するとかそういう話は一度置いておいて,笑えて考えさせられるドキュメンタリーとして編集や取材の細かさ,資料の提示の仕方などが秀逸。監督の淡々としたナレーションも面白い。

 マイケルムーアほど過激じゃなく,公平にみえて,でも公平じゃなく否定論者たちを小馬鹿にしている感じが劇場でずっとクスクス笑いを生んでいた。日系アメリカ人っていうのがちょうどいい立ち位置なのかな。

 ちなみに,SNSでこの監督を朝鮮人に違いないとかいってる奴らはもう救えないと思う。

 補注)ということは,こういう映画を制作できる「在日特権」ならぬ「日系アメリカ人特権」でもあったのか(?)などと混ぜっ返したくもなるが,SNSの空間では “そこまでも徹底してバカがいいきれるのだ” となると,呆れてしまい,ただ絶句しかない。


 くわえていっておくと,本ブログへのコメントを送信してくる人のなかには,その馬鹿さ加減でいえば,なんの,けっして負けない人もいるゆえ,ネット社会における言論次元に関して発生している,発言「そのものゴミ箱化」は,はなはだしい。

 いろんなトピックに分けて,慰安婦否定論者とそれに対抗する人びとの論が交互に描かれる。もちろん,デザキ監督のバイアスがかかっているのは間違いない。否定論者側のインタビューされてる人たちが専門家というわけでもないメンツなのも,まあ卑怯といえば卑怯かも。

 櫻井よしこ,ケントギルバート,杉田水脈,テキサス親父,テキサス親父の日本人マネージャー(なんだその職業),etc ... 。彼らの論が薄っぺらというか願望こみで語られていて,しかも語っている姿もなんか頼りなさげ。

 逆に右派界隈でもガチ勢でちゃんとした人たちはこんな釣りには引っかからなかったんだろうけども。
 補注)この「右派界隈」の「ガチ勢」で「ちゃんとした人たち」とは,いったい誰のあたりを指すのか? 従軍慰安婦問題では秦 郁彦しかみあたらない。あとは居たととしてもゴミ箱入りを待つだけの者たちしかいない? それとも,ゴミ箱のなかから「なにかを叫んでいる」ような人たちならば,いるのか?

 そんでこの否定論者たちのいうことに対しての反論を,歴史学者やジャーナリスト,活動団体の人たちが被せ気味にいってくる編集がかなり笑えた。そりゃ慰安婦肯定側だって正しいかはこの映画だけじゃわからないけどね。1を10くらいにいっている可能性だって感じられる部分はあったし。それでも本作〔を〕観るかぎりでは肯定側の方が信用できる。

 もちろん,過去の出来事をなかったなんて証明するのは無理なんだから,最初から否定側が不利だけど。印象的だったのは事実かどうかの話ではなく,事実をどう受けとるかが争点になっていた部分。

 慰安婦がお金をもらってたまに娯楽を享受できていたんだから性奴隷ではないっていう右派の主張に対して,そもそも奴隷というものの認識が違うと思ったり。アメリカの黒人奴隷だって自由時間も休暇も娯楽もあったけども奴隷という事実は変わらない。むしろそんくらい許さないと維持できないし。

 あと強制連行というのが縄で縛って官憲が連れていったなんて,あからさまなものだけだと思っている人が多いのも,ちょっとどうかと思う。いい仕事があるという甘言による詐欺も強制連行に入る。

 それに現代日本だって,給料もらって休日も与えられているけど会社の奴隷みたいな人だっているし,自分の意思で会社入ったけど長時間労働やパワハラで正常な判断できず逃げられない人だっているしね。

 それから慰安婦が誕生し,戦後長らく被害者たちが語れなかった理由に韓国の儒教的な男尊女卑社会の弊害があるのも,しっかり批判していたのは好感もてる。要するにいろんな要因が重なっていたのか。貧困で慰安婦にしておいて,終わったらそんな女は恥だとかいうのは本当にひどい。

 右派のどっちもどっちの矮小化論で出がちな,各国に慰安婦がいたとか韓国だってベトナム戦争でいろいろやったみたいな話に〔対して〕も,しっかり言及したうえで反論してみせたのも,ちゃんとしていた。他国がどうだからという理由で,日本の悪事が小さくなるわけではない。

 一番痛快だったのは韓国・中国は嘘は当たりまえで,騙すより騙される側が悪いっていう文化なので食い違うんですって主張に対して,速攻で向こうの現地人にインタビューして「いや,嘘つく方が悪いでしょ」って映像を流していたところかな。ああやって他国の文化を dis るのは本当によくない。

 そうやって否定論者たちの意見をことごとく潰していくテンポが良くて,論点も整理されていて非常に観やすい。

 そんでラスボス的に出てきた日本会議の偉い人はどんなことをいうのかと思いきや,ミニラみたいなオッさんが現われて,「なんでみんなあんなくだらない問題に関心があるんだ」っていったあげく,左派はもちろん右派の慰安婦に関する本も読んでないくせに正しい歴史学者なんて名乗る始末だから,劇場の失笑感はハンパなかった。やる気ないなら出てくるな(笑)。


 ほかの右派の言論人に謝った方が良いくらい,アイツは酷かった。

 補注)ここで「アイツ」とは加瀬英明のこと。


“  加瀬英明と杉田水脈画像2018年2月4日
 出所)左から杉田水脈と加瀬英明,2018年2月4日,東京「ホテルニューオオタニ」で,https://twitter.com/miosugita/status/960288978225135616

 付記)このツイートで杉田は,こういっていた(杉田水脈‏ @miosugita)。


 土曜日は,ホテルニューオオタニで行われた「復讐裁判だった東京裁判DVD上映会&加瀬英明先生の特別講演会」に参加しました。午前9時から始まり,5時間弱のDVDの上映の後,加瀬英明先生の講演をお聞きしました。とても勉強になった1日でした。(続く)

 この加瀬英明が,従軍慰安婦問題が「問題として存在する」点をしらないわけがないと推認するしかない。また,吉見義明のことをしらないと反応してもいたが,これもいささかならず “わざとらしい応え方” だったとみられていい。

 ドキュメンタリー兼エッセイ的映画としてはちょっと終盤,慰安婦問題から飛躍してちょっと陰謀論に片足突っこんでたのが,面白いは面白いけどこれだと観る人がより狭まってしまうなと思ってしまう感じでちょっと残念。安保問題とか安倍晋三の話とかはまた別の映画でやってもいいんじゃないか。

 補注)安保と安倍晋三の問題をこのようにしか理解できないのは,この感想を書いた当人が前段で「この映画を観ていると,なぜ国立の文系はいらんという圧が強まっているかよく分かる。そら,吉見義明みたいな歴史学者は自分たちに都合悪いもんね」と断わっていた点とは,全然一貫性がない。


 安保も安倍晋三もこちらの問題は,基本的にはいうなれば,「文系の問題」意識が不足していると「従軍慰安婦問題に関する議論」が不全になりがちになるのと同然に,真正面からみすえた観察をむずかしくしてしまう点を忘れてはいけない。

 いろんな意見があるし,この映画観て議論が盛り上がったらいいと思う。一番問題なのは,劇中でちょくちょく出てきた慰安婦問題について聞かれても,なんのことかすら分からない若者たちだと思う。

 こんだけいろんなメディアで議論されてるのに名前すら聞いたことないって,アンテナ張らない人は,とことん張らないもんなのかと悲しくなったり。どっちの意見になってもいいが,日本の名誉にもかかわることだからせめてしっていて欲しい。

 補注)日本の教育では近現代史をちゃんと教えてこなかった点は,以前から指摘されつづけてきたが,ここでも関連する問題が浮上したかたちとなった。従軍慰安婦問題は,安倍晋三政権にとっては一番「教えて(触れて)はならぬ歴史問題」であった。その存在すら口に出すなとまで喚きたててきたのが,アベノポリティックスの基本思考であった。


 したがって,つぎのようにがんばっていってみたところで,この政権がつづくあいだは,この歴史問題に対する政府の認識に改善などまったく期待できない。

 しらぬ存ぜぬは許しません。ラストで右派から心変わりした女性が語ることが一番俺の意見に近い。無理やり日本がすべて正しいとか過去を否定しようとしても,名誉回復どころか逆に日本の国益を損なうから,そこはちゃんと考えなくてはいけない。

 もちろんこの映画のことも全部信じたりはしないけど,単純にめちゃくちゃ面白いし,もっとみんなに観てほしい。

 32 mmmovie 2019/04/27 18:59 
 京都シネマ 監督の舞台挨拶あり。満席で立ち見の方が10人ほど。

 同じ場に両者を置く討論スタイルではなく1人ずつ交互に切り替わる場面で両者の表情とあわせた生コメントを観て,どちらが理性的,納得できる理由をもっているかが観ている側が判断できる。合間に当時の人身売買禁止の条文情報などあり。杉田議員がしょっちゅう画面に登場するので印象に残りやすいのだが。

 杉田〔水脈〕さんが半笑いのとき発言に自信がないのかな(?)と感じた。『私たちは真実をいっているんです』のあとの,『二次被害に当たるかどうかはわかりません,しりません』というとき。

“ 杉田水脈映画主戦場予告編から1シーン
  出所)『主戦場』のなかで語る杉田水脈,
     http://cinefil.tokyo/_ct/17255187
 肯定派の人びと(歴史学者など)は真実という言葉を使っていなかった,というデザキ監督の YouTube での話を聞いていたので,ああ,否定派はもっともらしく『真実』を多用するなぁ,と感じた。(軽々しい『真実』の多用は,否定派の嘘っぽさが増す演出の一助になったと感じた)


 左と右というか,知性と非知性という印象をもった。(とくに加瀬氏の発言『歴史学者? 読んだことありませんよ,その人の本,しりませんよ ぼく そういうのは読まないんで』はトンデモでびっくり…)

 補注)繰り返すが,この加瀬英明の発言は信頼できない雰囲気を濃厚に醸していた。この加瀬はみずから「自分は無教養であることを,進んで認めるような話の筋」になるほかない「発言」を,明らかに平然と放っていた。


 まさか,当人が本気で自身のことをそうだとは思ってはいないと,推察しておくほかない。この推察の仕方を採れば加瀬に対する観方は,また根本から異なってくるはずである。


 前段に出ていたとおり加瀬英明は,従軍慰安婦問題をも含み深く関連する「東京裁判史観」批判論を講演する能力をもった人間である。それでいて,従軍慰安婦問題にかぎってとなるが,「自分はこの問題を研究する有名な歴史学者:吉見義明の姓名をしらない」と答えていた。この点をただちに鵜呑みにして了解できる人はいない。

 最終的にでてくる日本会議の存在と政権のつながり。こういう流れの作品だろうなとはうっすら想像していたけど非常に納得。

 元ナショナリストの方の話もあるなど非常に情報量が多いけど,もう一回,整理のためにも観たい。もっと上映施設増えてほしい! 面白かった!

 註記)以上,本日までの「本稿(1)(2)(3)」の記述は,「 #主戦場 」の,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler〔〜 ?page=4 〕を引用しつつ議論をしてきた。


 この『フィルマークス 映画』「Filmarks 映画情報上映中の最新映画作品主戦場のネタバレ・内容・結末」以外にも,『主戦場』に対するネット上の感想を集めたサイトは,まだいくつもある。それでも,このフィルマークスに寄せられた感想を,これだけまとめて読んでもらえれば,『主戦場』をめぐる「話題性」に関した「賛否両論」に関する「おおよその全体像」は把握できるはずである。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 ◆ 関連する記事の紹介 ◆

 

 −−以下ではリンク先は,住所:アドレスの文字列に張ってある。現在まですでに多くの議論が,この『主戦場』をめぐってなされいている。

 ※−1 犬飼 淳「映画『主戦場』で再び注目の慰安婦問題。12年前の安倍総理答弁を信号無視話法分析」『HARBOR BUSINESS Online』2019.05.04,https://hbol.jp/191587

 ※−2 篠田博之・月刊『創』編集長「映画『主戦場』は日本の「慰安婦タブー」に新しい風穴を開けるかもしれない」『YAHOO! JAPAN ニュース』2019/5/4(土) 18:32,https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190504-00124778/

 ※−3 朴 順梨・ライター「慰安婦映画『主戦場』リアルバトル 「騙された」vs.「合意を果たした」」『NEWSWEEK 日本版』2019年6月7日 18時00分,https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/vs-23.php

 ※−4 文 聖姫・週刊金曜日編集部「櫻井よしこ氏らが映画『主戦場』上映差し止め要求 デザキ監督「承諾得た」」『BLOGOS』2019年06月20日 10:04,https://blogos.com/article/385740/


 ※−5 大島 新「従軍慰安婦をテーマにした話題作『主戦場』で “あんなインタビュー” が撮れた理由 プロパガンダ映画か,野心的なドキュメンタリー作品か」『文春オンライン』2019/06/11,https://bunshun.jp/articles/-/12302

http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075068834.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c17

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
213. 中川隆[-9296] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:20:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3203]

奈良盆地の原風景 〜古代奈良湖の残影〜
2013年10月31日 | 奈良大和路散策
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7

 以前から不思議に思っていたことがある。近鉄奈良線に乗って生駒トンネルをくぐり、奈良まで行く場合の全線の高低差の話である。電車は上町台地の地下(大阪上本町駅)を出て鶴橋方面へやや下ると、あとは平坦な河内平野を真東に進み、やがて枚岡、瓢箪山、石切と急激に高度を上げて、生駒山の斜面をやや北方向に駆け登ってゆく。まるで登山電車並みの勾配を軽快に走る近鉄電車の醍醐味を味わえる区間だ。しかもここらからの大阪市街地の風景は絶品だが、その話はまたにして、やがて生駒トンネルをくぐると再び真東に進路を取り、生駒、東生駒、富雄、学園前と進む。しかし、生駒トンネルを通過すると不思議なことに電車は下降せずにほぼ水平に奈良に向けて快走する。あれだけの急勾配を登ってきたのに。と言うことは奈良盆地の標高は河内平野の標高より高い、ということなのだろうか?

 早速調べてみた。奈良盆地の標高は40mから60mほど。一方、生駒山を隔てた河内平野のそれは1〜3m。やはりこれだけの高低差があるのだ。ちなみに上町台地は一番高いところが38m(大阪城のあるあたり)、天王寺あたりで16mだそうだ。生駒山は642m、二上山が517m、山辺の道の東にそびえる龍王山は517m、三輪山は467mである。奈良盆地はこれらの山塊に囲まれた比較的標高の高い盆地(上町台地よりは高い)であることを認識した。

 現在の河内平野は、かつては河内湖、さらに時代をさかのぼれば上町台地(砂嘴であったという)を挟んんで瀬戸内海とつながった海水湖であった。したがって海抜が0に近いのも理解できるような気がする。やがては流入する土砂で湖底が上がり、干上がって平地になっていった。今は大阪のベッドタウン、日本の製造業を支える東大阪の町工場群、河内のおっちゃん、おばちゃんでにぎわうソウルフルな地域である。もはや河内湖の痕跡も面影もないが、上町台地か生駒山から展望すると確かにここがかつては海、湖であったとしても不思議ではない地形に見える。

 一方、河内平野とこれだけの比高差がある奈良盆地には、かつて古代奈良湖があったとされている。周辺の山々から流入する水が溜まった巨大な盆地湖があったと言うのだ。奈良盆地は東西16km、南北30km、矢田丘陵、馬見丘などはあるものの総面積300平方キロメートルの比較的平坦な盆地である。今は初瀬川、富雄川、飛鳥川、高田川など、枝分かれた150余の小河川が張り巡らされており、そのどれもがやがては大和川に合流し、王寺から亀の瀬と言われる生駒山系と葛城・金剛山系の切れ目、すなわちあの二上山のある穴虫峠のあたりから高低差を一気に下り河内平野に流れ込んでいる。200万年前の二上火山の噴火に伴う地形変化で古代奈良湖の水が河内へ流出し始めたと考えられている。さらに、古代奈良湖は、縄文後期から弥生時代にかけて、地底の隆起や大和川からの流出増(これには農業のための人為的な流路変更も考えられるとする研究者もいる)などにより、水位が下がり続け、やがては干上がって消滅してしまったと言われている。何時頃まであったのかの確認が研究課題となっているが、後述のように様々な考古学、歴史学上の事績、記述にもヒントが隠されているようだ。

 なるほどこういう地形の大きな変遷があったのか。世の中にはこのようなことを研究しておられる先生方もいて、様々な研究成果が発表されている、特に最近は南海トラフ地震の被害想定や、海抜0メートル地帯である上町台地西側の大阪の中心部(難波八百八橋の水の都であった)や、東の河内平野(かつて海。湖であった)の防災対策、亀の瀬地域の大和川の土砂災害対策などの現実的な要請から、古代の地形変動に関する研究が盛んだ。また歴史学の視点からも様々な研究がなされている。私は研究者ではなく、通りがかりの「時空旅行者」なので、その詳細には立ち入らないが、太古の地形が歴史上のいくつかの出来事や風景描写、考古学的な発掘の意味を説明してくれている点はとても興味がある。
 
 いくつかのエピソードを並べると、

? 奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。

? また、古代の山辺の道がほぼ標高60mの高さで山麓を南北に通っているのは、かつての湖や通行に支障のある湿地帯をさけて形成された証拠だと言う。当初は人々の頻繁な自然往来で踏み分けられた道であったのだろうが、その重要性から権力者により官道として整備されていったのだろう。その後平地に造られた上津道、中津道、下津道より時代をさかのぼる最古の官道と言われるゆえんだ、と。

? 万葉集巻の一に舒明天皇御製の歌がある。
 「大和には群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
この「海原」はかつて香具山の北にあった埴安の池のことを指している、と唱える万葉集の研究者もいるが、この池も埋め立てられて、今香具山に登っても海や湖はおろか,池もも見えない。6世紀当時ははるか北に奈良湖の姿があったのであろうか。だとすると山と湖と水田で満たされた盆地はさぞ美しい風景だったことだろう。

? 斑鳩の法隆寺の南大門の前に鯛石という1×2メートルの踏み石が表面を露出させて埋まっている。地元ではこの鯛石まで水が来ても大丈夫と言い伝えられている。今見るとどこに水があるのか、という法隆寺界隈だが、創建当時は消滅寸前の奈良湖はこの斑鳩辺りに存在していて、創建時の斑鳩宮、法隆寺は近いところに建っていたのかもしれない。そうなると聖徳太子は飛鳥京へ毎日太子道を馬で通っていたとされるが、実は斑鳩からは船で飛鳥へ渡っていたのではないか。ちなみにこの鯛石のある地点の標高は50mで大和川の水位40mよりは高い位置にある。

 たしかに地形的に見ても、歴史的に見ても、「古代奈良湖存在説」はあまり荒唐無稽な感じではない。現在の奈良盆地の150余の中小河川の大和川一局集中の地形を見ても、かつての大きな水源の存在の痕跡を感じることが出来よう。さらに稲作農耕中心の生産手段と富の所有分配という経済体制、政治的支配機構、社会システムが確立されていったヤマト王権の時代の下部構造には、こうした水運に役立つ古代湖や河川とそれに連なる肥沃な湿地帯、神の権威を感じる甘南備型の山に囲まれた「まほろば」すなわち奈良盆地(大和盆地)が無くてはならなかった。まさにそうしたステージの一角、山懐(山の処)すなわちヤマト(大和)にヤマト王権が成立していったと考えれば、やはりこの盆地の舞台設定は、箱庭的であるが、国家誕生の揺籃としてはパーフェクトな設定ではないかと思う。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1a/e080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e.jpg

(奈良湖推定図。この図によれば、縄文遺跡は水辺、湿地帯をさけて山麓の微高地に分布しているが、弥生時代の農耕集落(唐古鍵遺跡など)は湿地帯に分布している。面白いのは古墳時代から飛鳥時代の古墳や宮殿・宮都跡は稲作生産の拠点である水辺・湿地ではなく三輪山の山辺に分布している。やがては湿地の無い盆地南の飛鳥の地に遷っている。この図はネットの図形検索で出てきた図で、あちこちのブログで引用されている。しかし、いくら調べても出典が明らかでない。以前「近畿農政局のHP」に掲載されていたものではないかと思う。作者不詳だがよく出来ているので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e8/fe71c8bbed362bd353858b8a95dbed6f.jpg

(奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図。高低差がある分だけ、亀の瀬地区は古代より大和川の流水による地盤崩壊などの災害の多いところであったようだ。奈良湖は最後は斑鳩の辺りに小規模に残り、やがては消滅していったのだろう。これも上図同様、出典が明らかでないがわかりやすいので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/4c34343109fc06091a8b3a8bc9b36947.jpg

(上町台地大阪城付近から展望した河内平野の今。高層マンション辺りが近鉄八尾駅前。かつてはこの辺り一帯は河内湖であった。二上山と左手の生駒山との切れ目あたりが亀の瀬、穴虫峠)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/0dca563980b9b718dee3cb64dedee8e8.jpg

(山辺の道の背後にそびえる龍王山山頂から奈良盆地を俯瞰する。この一帯に古代奈良湖があったと言われている。正面が二上山、その右側の山稜の切れ目が亀の瀬、大和川が河内平野に流入する所だ。手前の緑は崇神天皇陵。他にも箸墓古墳、景行天皇陵など大型の古墳がずらりと並ぶ大倭古墳群)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/67b040beb8603d584f70d66ad61df869.jpg

(龍王山からの二上山の展望。右奥の山向うに,うっすらと河内平野の町並みが見える)
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c213

[近代史02] 弥生人の起源2 中川隆
32. 中川隆[-9295] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:21:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3204]

奈良盆地の原風景 〜古代奈良湖の残影〜
2013年10月31日 | 奈良大和路散策
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7

 以前から不思議に思っていたことがある。近鉄奈良線に乗って生駒トンネルをくぐり、奈良まで行く場合の全線の高低差の話である。電車は上町台地の地下(大阪上本町駅)を出て鶴橋方面へやや下ると、あとは平坦な河内平野を真東に進み、やがて枚岡、瓢箪山、石切と急激に高度を上げて、生駒山の斜面をやや北方向に駆け登ってゆく。まるで登山電車並みの勾配を軽快に走る近鉄電車の醍醐味を味わえる区間だ。しかもここらからの大阪市街地の風景は絶品だが、その話はまたにして、やがて生駒トンネルをくぐると再び真東に進路を取り、生駒、東生駒、富雄、学園前と進む。しかし、生駒トンネルを通過すると不思議なことに電車は下降せずにほぼ水平に奈良に向けて快走する。あれだけの急勾配を登ってきたのに。と言うことは奈良盆地の標高は河内平野の標高より高い、ということなのだろうか?

 早速調べてみた。奈良盆地の標高は40mから60mほど。一方、生駒山を隔てた河内平野のそれは1〜3m。やはりこれだけの高低差があるのだ。ちなみに上町台地は一番高いところが38m(大阪城のあるあたり)、天王寺あたりで16mだそうだ。生駒山は642m、二上山が517m、山辺の道の東にそびえる龍王山は517m、三輪山は467mである。奈良盆地はこれらの山塊に囲まれた比較的標高の高い盆地(上町台地よりは高い)であることを認識した。

 現在の河内平野は、かつては河内湖、さらに時代をさかのぼれば上町台地(砂嘴であったという)を挟んんで瀬戸内海とつながった海水湖であった。したがって海抜が0に近いのも理解できるような気がする。やがては流入する土砂で湖底が上がり、干上がって平地になっていった。今は大阪のベッドタウン、日本の製造業を支える東大阪の町工場群、河内のおっちゃん、おばちゃんでにぎわうソウルフルな地域である。もはや河内湖の痕跡も面影もないが、上町台地か生駒山から展望すると確かにここがかつては海、湖であったとしても不思議ではない地形に見える。

 一方、河内平野とこれだけの比高差がある奈良盆地には、かつて古代奈良湖があったとされている。周辺の山々から流入する水が溜まった巨大な盆地湖があったと言うのだ。奈良盆地は東西16km、南北30km、矢田丘陵、馬見丘などはあるものの総面積300平方キロメートルの比較的平坦な盆地である。今は初瀬川、富雄川、飛鳥川、高田川など、枝分かれた150余の小河川が張り巡らされており、そのどれもがやがては大和川に合流し、王寺から亀の瀬と言われる生駒山系と葛城・金剛山系の切れ目、すなわちあの二上山のある穴虫峠のあたりから高低差を一気に下り河内平野に流れ込んでいる。200万年前の二上火山の噴火に伴う地形変化で古代奈良湖の水が河内へ流出し始めたと考えられている。さらに、古代奈良湖は、縄文後期から弥生時代にかけて、地底の隆起や大和川からの流出増(これには農業のための人為的な流路変更も考えられるとする研究者もいる)などにより、水位が下がり続け、やがては干上がって消滅してしまったと言われている。何時頃まであったのかの確認が研究課題となっているが、後述のように様々な考古学、歴史学上の事績、記述にもヒントが隠されているようだ。

 なるほどこういう地形の大きな変遷があったのか。世の中にはこのようなことを研究しておられる先生方もいて、様々な研究成果が発表されている、特に最近は南海トラフ地震の被害想定や、海抜0メートル地帯である上町台地西側の大阪の中心部(難波八百八橋の水の都であった)や、東の河内平野(かつて海。湖であった)の防災対策、亀の瀬地域の大和川の土砂災害対策などの現実的な要請から、古代の地形変動に関する研究が盛んだ。また歴史学の視点からも様々な研究がなされている。私は研究者ではなく、通りがかりの「時空旅行者」なので、その詳細には立ち入らないが、太古の地形が歴史上のいくつかの出来事や風景描写、考古学的な発掘の意味を説明してくれている点はとても興味がある。
 
 いくつかのエピソードを並べると、

? 奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。

? また、古代の山辺の道がほぼ標高60mの高さで山麓を南北に通っているのは、かつての湖や通行に支障のある湿地帯をさけて形成された証拠だと言う。当初は人々の頻繁な自然往来で踏み分けられた道であったのだろうが、その重要性から権力者により官道として整備されていったのだろう。その後平地に造られた上津道、中津道、下津道より時代をさかのぼる最古の官道と言われるゆえんだ、と。

? 万葉集巻の一に舒明天皇御製の歌がある。
 「大和には群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
この「海原」はかつて香具山の北にあった埴安の池のことを指している、と唱える万葉集の研究者もいるが、この池も埋め立てられて、今香具山に登っても海や湖はおろか,池もも見えない。6世紀当時ははるか北に奈良湖の姿があったのであろうか。だとすると山と湖と水田で満たされた盆地はさぞ美しい風景だったことだろう。

? 斑鳩の法隆寺の南大門の前に鯛石という1×2メートルの踏み石が表面を露出させて埋まっている。地元ではこの鯛石まで水が来ても大丈夫と言い伝えられている。今見るとどこに水があるのか、という法隆寺界隈だが、創建当時は消滅寸前の奈良湖はこの斑鳩辺りに存在していて、創建時の斑鳩宮、法隆寺は近いところに建っていたのかもしれない。そうなると聖徳太子は飛鳥京へ毎日太子道を馬で通っていたとされるが、実は斑鳩からは船で飛鳥へ渡っていたのではないか。ちなみにこの鯛石のある地点の標高は50mで大和川の水位40mよりは高い位置にある。

 たしかに地形的に見ても、歴史的に見ても、「古代奈良湖存在説」はあまり荒唐無稽な感じではない。現在の奈良盆地の150余の中小河川の大和川一局集中の地形を見ても、かつての大きな水源の存在の痕跡を感じることが出来よう。さらに稲作農耕中心の生産手段と富の所有分配という経済体制、政治的支配機構、社会システムが確立されていったヤマト王権の時代の下部構造には、こうした水運に役立つ古代湖や河川とそれに連なる肥沃な湿地帯、神の権威を感じる甘南備型の山に囲まれた「まほろば」すなわち奈良盆地(大和盆地)が無くてはならなかった。まさにそうしたステージの一角、山懐(山の処)すなわちヤマト(大和)にヤマト王権が成立していったと考えれば、やはりこの盆地の舞台設定は、箱庭的であるが、国家誕生の揺籃としてはパーフェクトな設定ではないかと思う。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1a/e080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e.jpg

(奈良湖推定図。この図によれば、縄文遺跡は水辺、湿地帯をさけて山麓の微高地に分布しているが、弥生時代の農耕集落(唐古鍵遺跡など)は湿地帯に分布している。面白いのは古墳時代から飛鳥時代の古墳や宮殿・宮都跡は稲作生産の拠点である水辺・湿地ではなく三輪山の山辺に分布している。やがては湿地の無い盆地南の飛鳥の地に遷っている。この図はネットの図形検索で出てきた図で、あちこちのブログで引用されている。しかし、いくら調べても出典が明らかでない。以前「近畿農政局のHP」に掲載されていたものではないかと思う。作者不詳だがよく出来ているので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e8/fe71c8bbed362bd353858b8a95dbed6f.jpg

(奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図。高低差がある分だけ、亀の瀬地区は古代より大和川の流水による地盤崩壊などの災害の多いところであったようだ。奈良湖は最後は斑鳩の辺りに小規模に残り、やがては消滅していったのだろう。これも上図同様、出典が明らかでないがわかりやすいので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/4c34343109fc06091a8b3a8bc9b36947.jpg

(上町台地大阪城付近から展望した河内平野の今。高層マンション辺りが近鉄八尾駅前。かつてはこの辺り一帯は河内湖であった。二上山と左手の生駒山との切れ目あたりが亀の瀬、穴虫峠)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/0dca563980b9b718dee3cb64dedee8e8.jpg

(山辺の道の背後にそびえる龍王山山頂から奈良盆地を俯瞰する。この一帯に古代奈良湖があったと言われている。正面が二上山、その右側の山稜の切れ目が亀の瀬、大和川が河内平野に流入する所だ。手前の緑は崇神天皇陵。他にも箸墓古墳、景行天皇陵など大型の古墳がずらりと並ぶ大倭古墳群)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/67b040beb8603d584f70d66ad61df869.jpg

(龍王山からの二上山の展望。右奥の山向うに,うっすらと河内平野の町並みが見える)
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html#c32

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
19. 中川隆[-9294] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:22:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3205]

奈良盆地の原風景 〜古代奈良湖の残影〜
2013年10月31日 | 奈良大和路散策
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7

 以前から不思議に思っていたことがある。近鉄奈良線に乗って生駒トンネルをくぐり、奈良まで行く場合の全線の高低差の話である。電車は上町台地の地下(大阪上本町駅)を出て鶴橋方面へやや下ると、あとは平坦な河内平野を真東に進み、やがて枚岡、瓢箪山、石切と急激に高度を上げて、生駒山の斜面をやや北方向に駆け登ってゆく。まるで登山電車並みの勾配を軽快に走る近鉄電車の醍醐味を味わえる区間だ。しかもここらからの大阪市街地の風景は絶品だが、その話はまたにして、やがて生駒トンネルをくぐると再び真東に進路を取り、生駒、東生駒、富雄、学園前と進む。しかし、生駒トンネルを通過すると不思議なことに電車は下降せずにほぼ水平に奈良に向けて快走する。あれだけの急勾配を登ってきたのに。と言うことは奈良盆地の標高は河内平野の標高より高い、ということなのだろうか?

 早速調べてみた。奈良盆地の標高は40mから60mほど。一方、生駒山を隔てた河内平野のそれは1〜3m。やはりこれだけの高低差があるのだ。ちなみに上町台地は一番高いところが38m(大阪城のあるあたり)、天王寺あたりで16mだそうだ。生駒山は642m、二上山が517m、山辺の道の東にそびえる龍王山は517m、三輪山は467mである。奈良盆地はこれらの山塊に囲まれた比較的標高の高い盆地(上町台地よりは高い)であることを認識した。

 現在の河内平野は、かつては河内湖、さらに時代をさかのぼれば上町台地(砂嘴であったという)を挟んんで瀬戸内海とつながった海水湖であった。したがって海抜が0に近いのも理解できるような気がする。やがては流入する土砂で湖底が上がり、干上がって平地になっていった。今は大阪のベッドタウン、日本の製造業を支える東大阪の町工場群、河内のおっちゃん、おばちゃんでにぎわうソウルフルな地域である。もはや河内湖の痕跡も面影もないが、上町台地か生駒山から展望すると確かにここがかつては海、湖であったとしても不思議ではない地形に見える。

 一方、河内平野とこれだけの比高差がある奈良盆地には、かつて古代奈良湖があったとされている。周辺の山々から流入する水が溜まった巨大な盆地湖があったと言うのだ。奈良盆地は東西16km、南北30km、矢田丘陵、馬見丘などはあるものの総面積300平方キロメートルの比較的平坦な盆地である。今は初瀬川、富雄川、飛鳥川、高田川など、枝分かれた150余の小河川が張り巡らされており、そのどれもがやがては大和川に合流し、王寺から亀の瀬と言われる生駒山系と葛城・金剛山系の切れ目、すなわちあの二上山のある穴虫峠のあたりから高低差を一気に下り河内平野に流れ込んでいる。200万年前の二上火山の噴火に伴う地形変化で古代奈良湖の水が河内へ流出し始めたと考えられている。さらに、古代奈良湖は、縄文後期から弥生時代にかけて、地底の隆起や大和川からの流出増(これには農業のための人為的な流路変更も考えられるとする研究者もいる)などにより、水位が下がり続け、やがては干上がって消滅してしまったと言われている。何時頃まであったのかの確認が研究課題となっているが、後述のように様々な考古学、歴史学上の事績、記述にもヒントが隠されているようだ。

 なるほどこういう地形の大きな変遷があったのか。世の中にはこのようなことを研究しておられる先生方もいて、様々な研究成果が発表されている、特に最近は南海トラフ地震の被害想定や、海抜0メートル地帯である上町台地西側の大阪の中心部(難波八百八橋の水の都であった)や、東の河内平野(かつて海。湖であった)の防災対策、亀の瀬地域の大和川の土砂災害対策などの現実的な要請から、古代の地形変動に関する研究が盛んだ。また歴史学の視点からも様々な研究がなされている。私は研究者ではなく、通りがかりの「時空旅行者」なので、その詳細には立ち入らないが、太古の地形が歴史上のいくつかの出来事や風景描写、考古学的な発掘の意味を説明してくれている点はとても興味がある。
 
 いくつかのエピソードを並べると、

? 奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。

? また、古代の山辺の道がほぼ標高60mの高さで山麓を南北に通っているのは、かつての湖や通行に支障のある湿地帯をさけて形成された証拠だと言う。当初は人々の頻繁な自然往来で踏み分けられた道であったのだろうが、その重要性から権力者により官道として整備されていったのだろう。その後平地に造られた上津道、中津道、下津道より時代をさかのぼる最古の官道と言われるゆえんだ、と。

? 万葉集巻の一に舒明天皇御製の歌がある。
 「大和には群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
この「海原」はかつて香具山の北にあった埴安の池のことを指している、と唱える万葉集の研究者もいるが、この池も埋め立てられて、今香具山に登っても海や湖はおろか,池もも見えない。6世紀当時ははるか北に奈良湖の姿があったのであろうか。だとすると山と湖と水田で満たされた盆地はさぞ美しい風景だったことだろう。

? 斑鳩の法隆寺の南大門の前に鯛石という1×2メートルの踏み石が表面を露出させて埋まっている。地元ではこの鯛石まで水が来ても大丈夫と言い伝えられている。今見るとどこに水があるのか、という法隆寺界隈だが、創建当時は消滅寸前の奈良湖はこの斑鳩辺りに存在していて、創建時の斑鳩宮、法隆寺は近いところに建っていたのかもしれない。そうなると聖徳太子は飛鳥京へ毎日太子道を馬で通っていたとされるが、実は斑鳩からは船で飛鳥へ渡っていたのではないか。ちなみにこの鯛石のある地点の標高は50mで大和川の水位40mよりは高い位置にある。

 たしかに地形的に見ても、歴史的に見ても、「古代奈良湖存在説」はあまり荒唐無稽な感じではない。現在の奈良盆地の150余の中小河川の大和川一局集中の地形を見ても、かつての大きな水源の存在の痕跡を感じることが出来よう。さらに稲作農耕中心の生産手段と富の所有分配という経済体制、政治的支配機構、社会システムが確立されていったヤマト王権の時代の下部構造には、こうした水運に役立つ古代湖や河川とそれに連なる肥沃な湿地帯、神の権威を感じる甘南備型の山に囲まれた「まほろば」すなわち奈良盆地(大和盆地)が無くてはならなかった。まさにそうしたステージの一角、山懐(山の処)すなわちヤマト(大和)にヤマト王権が成立していったと考えれば、やはりこの盆地の舞台設定は、箱庭的であるが、国家誕生の揺籃としてはパーフェクトな設定ではないかと思う。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1a/e080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e.jpg

(奈良湖推定図。この図によれば、縄文遺跡は水辺、湿地帯をさけて山麓の微高地に分布しているが、弥生時代の農耕集落(唐古鍵遺跡など)は湿地帯に分布している。面白いのは古墳時代から飛鳥時代の古墳や宮殿・宮都跡は稲作生産の拠点である水辺・湿地ではなく三輪山の山辺に分布している。やがては湿地の無い盆地南の飛鳥の地に遷っている。この図はネットの図形検索で出てきた図で、あちこちのブログで引用されている。しかし、いくら調べても出典が明らかでない。以前「近畿農政局のHP」に掲載されていたものではないかと思う。作者不詳だがよく出来ているので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e8/fe71c8bbed362bd353858b8a95dbed6f.jpg

(奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図。高低差がある分だけ、亀の瀬地区は古代より大和川の流水による地盤崩壊などの災害の多いところであったようだ。奈良湖は最後は斑鳩の辺りに小規模に残り、やがては消滅していったのだろう。これも上図同様、出典が明らかでないがわかりやすいので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/4c34343109fc06091a8b3a8bc9b36947.jpg

(上町台地大阪城付近から展望した河内平野の今。高層マンション辺りが近鉄八尾駅前。かつてはこの辺り一帯は河内湖であった。二上山と左手の生駒山との切れ目あたりが亀の瀬、穴虫峠)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/0dca563980b9b718dee3cb64dedee8e8.jpg

(山辺の道の背後にそびえる龍王山山頂から奈良盆地を俯瞰する。この一帯に古代奈良湖があったと言われている。正面が二上山、その右側の山稜の切れ目が亀の瀬、大和川が河内平野に流入する所だ。手前の緑は崇神天皇陵。他にも箸墓古墳、景行天皇陵など大型の古墳がずらりと並ぶ大倭古墳群)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/67b040beb8603d584f70d66ad61df869.jpg

(龍王山からの二上山の展望。右奥の山向うに,うっすらと河内平野の町並みが見える)
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c19

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
47. 中川隆[-9293] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:23:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3206]

奈良盆地の原風景 〜古代奈良湖の残影〜
2013年10月31日 | 奈良大和路散策
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7

 以前から不思議に思っていたことがある。近鉄奈良線に乗って生駒トンネルをくぐり、奈良まで行く場合の全線の高低差の話である。電車は上町台地の地下(大阪上本町駅)を出て鶴橋方面へやや下ると、あとは平坦な河内平野を真東に進み、やがて枚岡、瓢箪山、石切と急激に高度を上げて、生駒山の斜面をやや北方向に駆け登ってゆく。まるで登山電車並みの勾配を軽快に走る近鉄電車の醍醐味を味わえる区間だ。しかもここらからの大阪市街地の風景は絶品だが、その話はまたにして、やがて生駒トンネルをくぐると再び真東に進路を取り、生駒、東生駒、富雄、学園前と進む。しかし、生駒トンネルを通過すると不思議なことに電車は下降せずにほぼ水平に奈良に向けて快走する。あれだけの急勾配を登ってきたのに。と言うことは奈良盆地の標高は河内平野の標高より高い、ということなのだろうか?

 早速調べてみた。奈良盆地の標高は40mから60mほど。一方、生駒山を隔てた河内平野のそれは1〜3m。やはりこれだけの高低差があるのだ。ちなみに上町台地は一番高いところが38m(大阪城のあるあたり)、天王寺あたりで16mだそうだ。生駒山は642m、二上山が517m、山辺の道の東にそびえる龍王山は517m、三輪山は467mである。奈良盆地はこれらの山塊に囲まれた比較的標高の高い盆地(上町台地よりは高い)であることを認識した。

 現在の河内平野は、かつては河内湖、さらに時代をさかのぼれば上町台地(砂嘴であったという)を挟んんで瀬戸内海とつながった海水湖であった。したがって海抜が0に近いのも理解できるような気がする。やがては流入する土砂で湖底が上がり、干上がって平地になっていった。今は大阪のベッドタウン、日本の製造業を支える東大阪の町工場群、河内のおっちゃん、おばちゃんでにぎわうソウルフルな地域である。もはや河内湖の痕跡も面影もないが、上町台地か生駒山から展望すると確かにここがかつては海、湖であったとしても不思議ではない地形に見える。

 一方、河内平野とこれだけの比高差がある奈良盆地には、かつて古代奈良湖があったとされている。周辺の山々から流入する水が溜まった巨大な盆地湖があったと言うのだ。奈良盆地は東西16km、南北30km、矢田丘陵、馬見丘などはあるものの総面積300平方キロメートルの比較的平坦な盆地である。今は初瀬川、富雄川、飛鳥川、高田川など、枝分かれた150余の小河川が張り巡らされており、そのどれもがやがては大和川に合流し、王寺から亀の瀬と言われる生駒山系と葛城・金剛山系の切れ目、すなわちあの二上山のある穴虫峠のあたりから高低差を一気に下り河内平野に流れ込んでいる。200万年前の二上火山の噴火に伴う地形変化で古代奈良湖の水が河内へ流出し始めたと考えられている。さらに、古代奈良湖は、縄文後期から弥生時代にかけて、地底の隆起や大和川からの流出増(これには農業のための人為的な流路変更も考えられるとする研究者もいる)などにより、水位が下がり続け、やがては干上がって消滅してしまったと言われている。何時頃まであったのかの確認が研究課題となっているが、後述のように様々な考古学、歴史学上の事績、記述にもヒントが隠されているようだ。

 なるほどこういう地形の大きな変遷があったのか。世の中にはこのようなことを研究しておられる先生方もいて、様々な研究成果が発表されている、特に最近は南海トラフ地震の被害想定や、海抜0メートル地帯である上町台地西側の大阪の中心部(難波八百八橋の水の都であった)や、東の河内平野(かつて海。湖であった)の防災対策、亀の瀬地域の大和川の土砂災害対策などの現実的な要請から、古代の地形変動に関する研究が盛んだ。また歴史学の視点からも様々な研究がなされている。私は研究者ではなく、通りがかりの「時空旅行者」なので、その詳細には立ち入らないが、太古の地形が歴史上のいくつかの出来事や風景描写、考古学的な発掘の意味を説明してくれている点はとても興味がある。
 
 いくつかのエピソードを並べると、

? 奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。

? また、古代の山辺の道がほぼ標高60mの高さで山麓を南北に通っているのは、かつての湖や通行に支障のある湿地帯をさけて形成された証拠だと言う。当初は人々の頻繁な自然往来で踏み分けられた道であったのだろうが、その重要性から権力者により官道として整備されていったのだろう。その後平地に造られた上津道、中津道、下津道より時代をさかのぼる最古の官道と言われるゆえんだ、と。

? 万葉集巻の一に舒明天皇御製の歌がある。
 「大和には群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
この「海原」はかつて香具山の北にあった埴安の池のことを指している、と唱える万葉集の研究者もいるが、この池も埋め立てられて、今香具山に登っても海や湖はおろか,池もも見えない。6世紀当時ははるか北に奈良湖の姿があったのであろうか。だとすると山と湖と水田で満たされた盆地はさぞ美しい風景だったことだろう。

? 斑鳩の法隆寺の南大門の前に鯛石という1×2メートルの踏み石が表面を露出させて埋まっている。地元ではこの鯛石まで水が来ても大丈夫と言い伝えられている。今見るとどこに水があるのか、という法隆寺界隈だが、創建当時は消滅寸前の奈良湖はこの斑鳩辺りに存在していて、創建時の斑鳩宮、法隆寺は近いところに建っていたのかもしれない。そうなると聖徳太子は飛鳥京へ毎日太子道を馬で通っていたとされるが、実は斑鳩からは船で飛鳥へ渡っていたのではないか。ちなみにこの鯛石のある地点の標高は50mで大和川の水位40mよりは高い位置にある。

 たしかに地形的に見ても、歴史的に見ても、「古代奈良湖存在説」はあまり荒唐無稽な感じではない。現在の奈良盆地の150余の中小河川の大和川一局集中の地形を見ても、かつての大きな水源の存在の痕跡を感じることが出来よう。さらに稲作農耕中心の生産手段と富の所有分配という経済体制、政治的支配機構、社会システムが確立されていったヤマト王権の時代の下部構造には、こうした水運に役立つ古代湖や河川とそれに連なる肥沃な湿地帯、神の権威を感じる甘南備型の山に囲まれた「まほろば」すなわち奈良盆地(大和盆地)が無くてはならなかった。まさにそうしたステージの一角、山懐(山の処)すなわちヤマト(大和)にヤマト王権が成立していったと考えれば、やはりこの盆地の舞台設定は、箱庭的であるが、国家誕生の揺籃としてはパーフェクトな設定ではないかと思う。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1a/e080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e.jpg

(奈良湖推定図。この図によれば、縄文遺跡は水辺、湿地帯をさけて山麓の微高地に分布しているが、弥生時代の農耕集落(唐古鍵遺跡など)は湿地帯に分布している。面白いのは古墳時代から飛鳥時代の古墳や宮殿・宮都跡は稲作生産の拠点である水辺・湿地ではなく三輪山の山辺に分布している。やがては湿地の無い盆地南の飛鳥の地に遷っている。この図はネットの図形検索で出てきた図で、あちこちのブログで引用されている。しかし、いくら調べても出典が明らかでない。以前「近畿農政局のHP」に掲載されていたものではないかと思う。作者不詳だがよく出来ているので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e8/fe71c8bbed362bd353858b8a95dbed6f.jpg

(奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図。高低差がある分だけ、亀の瀬地区は古代より大和川の流水による地盤崩壊などの災害の多いところであったようだ。奈良湖は最後は斑鳩の辺りに小規模に残り、やがては消滅していったのだろう。これも上図同様、出典が明らかでないがわかりやすいので引用させてもらった)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/4c34343109fc06091a8b3a8bc9b36947.jpg

(上町台地大阪城付近から展望した河内平野の今。高層マンション辺りが近鉄八尾駅前。かつてはこの辺り一帯は河内湖であった。二上山と左手の生駒山との切れ目あたりが亀の瀬、穴虫峠)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/0dca563980b9b718dee3cb64dedee8e8.jpg

(山辺の道の背後にそびえる龍王山山頂から奈良盆地を俯瞰する。この一帯に古代奈良湖があったと言われている。正面が二上山、その右側の山稜の切れ目が亀の瀬、大和川が河内平野に流入する所だ。手前の緑は崇神天皇陵。他にも箸墓古墳、景行天皇陵など大型の古墳がずらりと並ぶ大倭古墳群)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/67b040beb8603d584f70d66ad61df869.jpg

(龍王山からの二上山の展望。右奥の山向うに,うっすらと河内平野の町並みが見える)
https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c47

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
214. 中川隆[-9292] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:24:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3207]
何故、古代史の舞台は奈良盆地なのか?・・・大阪は河内湖、大和は湿地帯だった。
 
何故、古代史の舞台が畿内でも奈良の山奥から始まるのか、そして次第に河内に舞台が移っていくのか、不思議に思われる。
この謎は実は現在の地形を前提に考えているからで、かつて大阪は上町台地のみが陸地で他は河内湖と呼ばれる内海であり、大和は標高60m以下は大湿地湖だったとされている。

縄文中期以降、海退が始まり、次第に陸地が広がって行くという地理学的な前提をふまえると、古代史の舞台が奈良の山奥から始まるという謎も解けてくる。


>奈良盆地の東方の山裾を縫うように、細々と南北に続く道がある。その名を「山の辺の道」という。

古社寺や名所旧跡、古墳などが道沿いに点在し、古代の面影をよく残している・・・

人が住むところに道ができるのは当たり前だが、ではなぜ「山の辺の道」は標高60m〜70mの高度を保ちながら三輪山の山麓をめぐっているのだろうか。

その理由を大和湖の存在に求める学者がいる。

三輪山麓に人類が住みついた縄文前期の約6千年前、大和盆地にはまだ巨大な淡水湖が存在し、その湖岸にできた道が山辺の道の最初の姿だというのだ。


>その後次第に土地が隆起し大和川ができると、湖水が排出されて平野部が広がっていった。土地が干上がるにつれて、人々は平野部へ移り住みはじめ、弥生時代には、平野部の沼地を利用して稲作農耕を営むようになった。

しかし、弥生時代とそれに続く古墳時代を通して、「山の辺の道」は相変わらず大和盆地の東側を結ぶ主要道路でありつづけた。その証拠に、第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)、第11代垂仁天皇の纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)、第12代景行天皇の纒向日代宮(まきむくひしろのみや)など上代宮跡伝承地は標高60mの線上にある。

http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/preface.htm


この大和湖を最初に唱えたのが、樋口清之博士で、博士は神武東征の地も標高60m付近にあることから、神武神話の時代には大和は大湿地帯であったと考察している。

http://somo.seesaa.net/article/32163752.html


宝賀寿男氏は弥生時代の遺跡群も標高50−70mに存在していることと、文献的整合性から神武神話の年代を弥生時代に設定している。

半島、九州の動乱の影響により畿内へと逃げ延びてきた神武にとって、湿地帯故に土木造成次第では農地を切り開くことが可能だった大和の地は、絶好のフロンティアであったのであろう。(勿論、ナガスネヒコら縄文人らの抵抗はあったであろうが、先に入っていたニギハヤヒや鴨族の支援もあって九州で縄文人支配を経験済みの神武にとってはさほど難しくはなかったのであろう。)

以下は、

当時のイメージ地図 リンク
http://somo.seesaa.net/upload/detail/image/2yamatoko-imaji.JPG.html


奈良盆地が都になる必然

何故、奈良に最初の都ができたのか?

古代の高低差地図リンク
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/asuka_naniwa_0.jpg


も参照してみてください。


朝鮮半島から攻め入られたとき、生駒山山系を第一の防衛線、奈良盆地を第二の防衛線とし、最後の砦として三輪山を背にして都を築いた、と読めます。

平安遷都はエネルギー問題だった!

―地形で解く日本史の謎リンク
http://shuchi.php.co.jp/article/1794


から引用させていただきます。


-------------------------------------------------

 21世紀の現在の地形から見ると「なぜ、奈良盆地が都になったのか?」が理解できない。

 ともかく奈良盆地は大阪湾から離れていて内陸に入っている。さらに360度周囲は山で、他の土地との連絡も悪い。奈良はどこから見ても交通の要所とはいえない。
(中略)

 なぜ奈良が日本最初の首都になったかを3〜4世紀の地形の上に立ちシミュレーションしてみよう。

 今の大阪平野は、当時は湿地帯であった。大坂湾は上町台地を回り込み内陸の奥まで入り込んでいた。

 また、今の大和川は堺市へ流れている。しかし、奈良時代の大和川は奈良盆地を出ると向きを北に変え、大坂湾に流れ出ていた。堺へ流れている今の大和川は、江戸時代に掘られた人工の水路なのだ。

 奈良が都になる4世紀頃、大坂平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていた。まさに河内と呼ばれた地であった。

 船で瀬戸内海から大坂湾に入り、上町台地を回り込み、大和川を遡ると生駒山、金剛山の麓まで行くことができた。中国大陸から生駒山麓の柏原市まで直接舟で行けたのだ。柏原で小舟に乗り換え生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、もうすぐそこは奈良盆地であった。

 この奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていた。その湿地湖を利用すれば奈良盆地のどこにでも舟で簡単に行くことができた。

 奈良盆地全体が、大坂湾の荒波を避ける穏やかな自然の内港のようであった。
 舟を利用すれば奈良盆地は便利がよく、ユーラシア大陸との連絡も容易であった。

 奈良盆地が日本の都になったのは、地形から見て合理的であった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=315461

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c214

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
215. 中川隆[-9291] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:31:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3208]

 『逆・日本史3』樋口清之著 から
 大和平野標高六〇メートル地点の謎
http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm


 石器時代の終わりごろの遺跡が、奈良県全体で、約三〇〇近く発見されている。これらの遺跡は、大和の吉野渓谷から始まり、宇陀・三輪を通って大和平野に降りてくるが、平野の周縁部に広がるだけで、中央の平坦部にはまったくないのである。そして、周縁にある遺跡は、いずれも標高六〇メートルほどの線までである。
 これが弥生文化の一八〇〇年ほど前の遺跡になると、標高五〇メートルの線まで下りてくる。もっとも標高の低い島根山古墳も、やはり標高五〇メートルの線で止まっている。

 これはどういうことかというと、石器時代には標高六〇メートルが、古墳時代には標高五〇メートルが、人間が生活できる極限線だったことを意味している。それ以下の低い土地には何らかの障害があって、人間が住むことができなかった。

 そして、住むことができなかった障害とは、そこに水があったからである。標高五〇メートル以下の土地はすべて、かつては水中であった。つまり、大和湖の湖面が、二七〇〇〜二八〇〇年前の石器時代には標高六〇メートルの線にあり、一八〇〇年ほど前の弥生時代には、標高五〇メートルまで水位が下がったということなのである。

 なぜ、北九州にではなく、大和に都ができたのか

 弥生文化が、おもに西日本で発達し、なかでも大和と北九州に大きな文化圏ができたことはよく知られている事実である。だが、なぜ、大陸文化を早くから受け入れた九州に王朝ができず、大和に日本の古代王朝が誕生したのだろうか。
 それは、大和平野に巨大な湖があり、時がたつにつれて、水位が下がっていったことに大きな原因があったと思われる。

 水位が下がったのは土地がしだいに隆起したからであるが、水が引いたあとの湖畔の土地はよく肥えていて、農業にもっとも適した土地であった。しかも、大和平野は周りを山に囲まれているため、強い風を防ぎ、夏は蒸し暑くて、水田で稲を栽培するのには好条件であった。また、地形が複雑で土地の高低差があり、斜面に恵まれていたことから、大和地方に水田稲作農耕がいち早く発達し、それが大和王朝を生んだのである。

たかばみさん提供奈良湖


 記紀に書いてあることを、学問的根拠もなしに頭から否定してしまうのは、戦前、神話をすべて鵜呑みにして「歴史」としたことと同じくらい滑稽な話である。
 なぜなら、神武天皇の話の内容は、じつは古代の大和に存在したいくつかの歴史的事実の印象や伝承を編集、つまり日本の古代社会の雰囲気を如実に表現した部分が、数多く含まれているからである。

 たとえは、地名である。

 神武天皇は九州の日向を出発し、東へ進んで大和に入ると、長髄彦・兄猾・弟猾・土蜘蛛などの未開人を平定し、畝傍山のふもとの橿原の宮で天皇の位に即いた、ということになっている。

 この長髄彦や兄猾・弟猾・土蜘蛛などがいたという土地や、橿原など、神武天皇に関係のある地名が『日本書紀』や『古事記』などに三三カ所ほど挙げられているが、これらの地名を大和の土地にあてはめると、すべて標高六○メート〜線以上に存在していることがわかる。

 しかも、その土地ほ、大和湖のまわりの小高い所で、縄文式土器の出土する遺跡とぴったり一致しているのである。

 神武天皇伝承が、奈良時代にだれかが勝手につくりあげたものなら、うっかり、標高六〇メートル線以下の、古代においては湖底にあたる地名も出る可能性がある。奈良時代には土地の隆起がいちじるしく、大和潮は幻の湖になっていた。 昔は水位が六〇メートル線にあったなどということは記録に残されていないからである。

 とくに驚くべきことは、神武天皇の都とされている橿原が、ちゃんと存在していたことである。

http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c215

[近代史02] 弥生人の起源2 中川隆
33. 中川隆[-9290] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:32:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3209]

 『逆・日本史3』樋口清之著 から
 大和平野標高六〇メートル地点の謎
http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm


 石器時代の終わりごろの遺跡が、奈良県全体で、約三〇〇近く発見されている。これらの遺跡は、大和の吉野渓谷から始まり、宇陀・三輪を通って大和平野に降りてくるが、平野の周縁部に広がるだけで、中央の平坦部にはまったくないのである。そして、周縁にある遺跡は、いずれも標高六〇メートルほどの線までである。
 これが弥生文化の一八〇〇年ほど前の遺跡になると、標高五〇メートルの線まで下りてくる。もっとも標高の低い島根山古墳も、やはり標高五〇メートルの線で止まっている。

 これはどういうことかというと、石器時代には標高六〇メートルが、古墳時代には標高五〇メートルが、人間が生活できる極限線だったことを意味している。それ以下の低い土地には何らかの障害があって、人間が住むことができなかった。

 そして、住むことができなかった障害とは、そこに水があったからである。標高五〇メートル以下の土地はすべて、かつては水中であった。つまり、大和湖の湖面が、二七〇〇〜二八〇〇年前の石器時代には標高六〇メートルの線にあり、一八〇〇年ほど前の弥生時代には、標高五〇メートルまで水位が下がったということなのである。

 なぜ、北九州にではなく、大和に都ができたのか

 弥生文化が、おもに西日本で発達し、なかでも大和と北九州に大きな文化圏ができたことはよく知られている事実である。だが、なぜ、大陸文化を早くから受け入れた九州に王朝ができず、大和に日本の古代王朝が誕生したのだろうか。
 それは、大和平野に巨大な湖があり、時がたつにつれて、水位が下がっていったことに大きな原因があったと思われる。

 水位が下がったのは土地がしだいに隆起したからであるが、水が引いたあとの湖畔の土地はよく肥えていて、農業にもっとも適した土地であった。しかも、大和平野は周りを山に囲まれているため、強い風を防ぎ、夏は蒸し暑くて、水田で稲を栽培するのには好条件であった。また、地形が複雑で土地の高低差があり、斜面に恵まれていたことから、大和地方に水田稲作農耕がいち早く発達し、それが大和王朝を生んだのである。

たかばみさん提供奈良湖


 記紀に書いてあることを、学問的根拠もなしに頭から否定してしまうのは、戦前、神話をすべて鵜呑みにして「歴史」としたことと同じくらい滑稽な話である。
 なぜなら、神武天皇の話の内容は、じつは古代の大和に存在したいくつかの歴史的事実の印象や伝承を編集、つまり日本の古代社会の雰囲気を如実に表現した部分が、数多く含まれているからである。

 たとえは、地名である。

 神武天皇は九州の日向を出発し、東へ進んで大和に入ると、長髄彦・兄猾・弟猾・土蜘蛛などの未開人を平定し、畝傍山のふもとの橿原の宮で天皇の位に即いた、ということになっている。

 この長髄彦や兄猾・弟猾・土蜘蛛などがいたという土地や、橿原など、神武天皇に関係のある地名が『日本書紀』や『古事記』などに三三カ所ほど挙げられているが、これらの地名を大和の土地にあてはめると、すべて標高六○メート〜線以上に存在していることがわかる。

 しかも、その土地ほ、大和湖のまわりの小高い所で、縄文式土器の出土する遺跡とぴったり一致しているのである。

 神武天皇伝承が、奈良時代にだれかが勝手につくりあげたものなら、うっかり、標高六〇メートル線以下の、古代においては湖底にあたる地名も出る可能性がある。奈良時代には土地の隆起がいちじるしく、大和潮は幻の湖になっていた。 昔は水位が六〇メートル線にあったなどということは記録に残されていないからである。

 とくに驚くべきことは、神武天皇の都とされている橿原が、ちゃんと存在していたことである。

http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html#c33

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
20. 中川隆[-9289] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:32:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3210]


 『逆・日本史3』樋口清之著 から
 大和平野標高六〇メートル地点の謎
http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm


 石器時代の終わりごろの遺跡が、奈良県全体で、約三〇〇近く発見されている。これらの遺跡は、大和の吉野渓谷から始まり、宇陀・三輪を通って大和平野に降りてくるが、平野の周縁部に広がるだけで、中央の平坦部にはまったくないのである。そして、周縁にある遺跡は、いずれも標高六〇メートルほどの線までである。
 これが弥生文化の一八〇〇年ほど前の遺跡になると、標高五〇メートルの線まで下りてくる。もっとも標高の低い島根山古墳も、やはり標高五〇メートルの線で止まっている。

 これはどういうことかというと、石器時代には標高六〇メートルが、古墳時代には標高五〇メートルが、人間が生活できる極限線だったことを意味している。それ以下の低い土地には何らかの障害があって、人間が住むことができなかった。

 そして、住むことができなかった障害とは、そこに水があったからである。標高五〇メートル以下の土地はすべて、かつては水中であった。つまり、大和湖の湖面が、二七〇〇〜二八〇〇年前の石器時代には標高六〇メートルの線にあり、一八〇〇年ほど前の弥生時代には、標高五〇メートルまで水位が下がったということなのである。

 なぜ、北九州にではなく、大和に都ができたのか

 弥生文化が、おもに西日本で発達し、なかでも大和と北九州に大きな文化圏ができたことはよく知られている事実である。だが、なぜ、大陸文化を早くから受け入れた九州に王朝ができず、大和に日本の古代王朝が誕生したのだろうか。
 それは、大和平野に巨大な湖があり、時がたつにつれて、水位が下がっていったことに大きな原因があったと思われる。

 水位が下がったのは土地がしだいに隆起したからであるが、水が引いたあとの湖畔の土地はよく肥えていて、農業にもっとも適した土地であった。しかも、大和平野は周りを山に囲まれているため、強い風を防ぎ、夏は蒸し暑くて、水田で稲を栽培するのには好条件であった。また、地形が複雑で土地の高低差があり、斜面に恵まれていたことから、大和地方に水田稲作農耕がいち早く発達し、それが大和王朝を生んだのである。

たかばみさん提供奈良湖


 記紀に書いてあることを、学問的根拠もなしに頭から否定してしまうのは、戦前、神話をすべて鵜呑みにして「歴史」としたことと同じくらい滑稽な話である。
 なぜなら、神武天皇の話の内容は、じつは古代の大和に存在したいくつかの歴史的事実の印象や伝承を編集、つまり日本の古代社会の雰囲気を如実に表現した部分が、数多く含まれているからである。

 たとえは、地名である。

 神武天皇は九州の日向を出発し、東へ進んで大和に入ると、長髄彦・兄猾・弟猾・土蜘蛛などの未開人を平定し、畝傍山のふもとの橿原の宮で天皇の位に即いた、ということになっている。

 この長髄彦や兄猾・弟猾・土蜘蛛などがいたという土地や、橿原など、神武天皇に関係のある地名が『日本書紀』や『古事記』などに三三カ所ほど挙げられているが、これらの地名を大和の土地にあてはめると、すべて標高六○メート〜線以上に存在していることがわかる。

 しかも、その土地ほ、大和湖のまわりの小高い所で、縄文式土器の出土する遺跡とぴったり一致しているのである。

 神武天皇伝承が、奈良時代にだれかが勝手につくりあげたものなら、うっかり、標高六〇メートル線以下の、古代においては湖底にあたる地名も出る可能性がある。奈良時代には土地の隆起がいちじるしく、大和潮は幻の湖になっていた。 昔は水位が六〇メートル線にあったなどということは記録に残されていないからである。

 とくに驚くべきことは、神武天皇の都とされている橿原が、ちゃんと存在していたことである。

http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c20

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
48. 中川隆[-9288] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:32:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3211]


 『逆・日本史3』樋口清之著 から
 大和平野標高六〇メートル地点の謎
http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm


 石器時代の終わりごろの遺跡が、奈良県全体で、約三〇〇近く発見されている。これらの遺跡は、大和の吉野渓谷から始まり、宇陀・三輪を通って大和平野に降りてくるが、平野の周縁部に広がるだけで、中央の平坦部にはまったくないのである。そして、周縁にある遺跡は、いずれも標高六〇メートルほどの線までである。
 これが弥生文化の一八〇〇年ほど前の遺跡になると、標高五〇メートルの線まで下りてくる。もっとも標高の低い島根山古墳も、やはり標高五〇メートルの線で止まっている。

 これはどういうことかというと、石器時代には標高六〇メートルが、古墳時代には標高五〇メートルが、人間が生活できる極限線だったことを意味している。それ以下の低い土地には何らかの障害があって、人間が住むことができなかった。

 そして、住むことができなかった障害とは、そこに水があったからである。標高五〇メートル以下の土地はすべて、かつては水中であった。つまり、大和湖の湖面が、二七〇〇〜二八〇〇年前の石器時代には標高六〇メートルの線にあり、一八〇〇年ほど前の弥生時代には、標高五〇メートルまで水位が下がったということなのである。

 なぜ、北九州にではなく、大和に都ができたのか

 弥生文化が、おもに西日本で発達し、なかでも大和と北九州に大きな文化圏ができたことはよく知られている事実である。だが、なぜ、大陸文化を早くから受け入れた九州に王朝ができず、大和に日本の古代王朝が誕生したのだろうか。
 それは、大和平野に巨大な湖があり、時がたつにつれて、水位が下がっていったことに大きな原因があったと思われる。

 水位が下がったのは土地がしだいに隆起したからであるが、水が引いたあとの湖畔の土地はよく肥えていて、農業にもっとも適した土地であった。しかも、大和平野は周りを山に囲まれているため、強い風を防ぎ、夏は蒸し暑くて、水田で稲を栽培するのには好条件であった。また、地形が複雑で土地の高低差があり、斜面に恵まれていたことから、大和地方に水田稲作農耕がいち早く発達し、それが大和王朝を生んだのである。

たかばみさん提供奈良湖


 記紀に書いてあることを、学問的根拠もなしに頭から否定してしまうのは、戦前、神話をすべて鵜呑みにして「歴史」としたことと同じくらい滑稽な話である。
 なぜなら、神武天皇の話の内容は、じつは古代の大和に存在したいくつかの歴史的事実の印象や伝承を編集、つまり日本の古代社会の雰囲気を如実に表現した部分が、数多く含まれているからである。

 たとえは、地名である。

 神武天皇は九州の日向を出発し、東へ進んで大和に入ると、長髄彦・兄猾・弟猾・土蜘蛛などの未開人を平定し、畝傍山のふもとの橿原の宮で天皇の位に即いた、ということになっている。

 この長髄彦や兄猾・弟猾・土蜘蛛などがいたという土地や、橿原など、神武天皇に関係のある地名が『日本書紀』や『古事記』などに三三カ所ほど挙げられているが、これらの地名を大和の土地にあてはめると、すべて標高六○メート〜線以上に存在していることがわかる。

 しかも、その土地ほ、大和湖のまわりの小高い所で、縄文式土器の出土する遺跡とぴったり一致しているのである。

 神武天皇伝承が、奈良時代にだれかが勝手につくりあげたものなら、うっかり、標高六〇メートル線以下の、古代においては湖底にあたる地名も出る可能性がある。奈良時代には土地の隆起がいちじるしく、大和潮は幻の湖になっていた。 昔は水位が六〇メートル線にあったなどということは記録に残されていないからである。

 とくに驚くべきことは、神武天皇の都とされている橿原が、ちゃんと存在していたことである。

http://kamnavi.jp/jm/yamato.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c48

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
216. 中川隆[-9287] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:34:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3212]

伝承は何年くらい伝わり・残るものか: 2016年12月28日


神話と考古学の間 創元社 (1973)  末永 雅雄, 三品 彰英, 横田 健一
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%96%93-%E6%9C%AB%E6%B0%B8%E9%9B%85%E9%9B%84/dp/4422201115


このところ物部氏の出自について、なるべく推測を交えずに語ることが出来るよう
にと様々な本を当たっています。

ただ多くの人たちが関心を持ってきた一族ですので、その量が半端ではありません。
少々時間が掛かります。

そこで今日はそんな調査の中で見つけた一つの説をご紹介します。

タイトルにある「伝承は何年くらい伝わり、残るものか」というものです。

「神話と考古学の間」という末永氏という考古学者と文献史学の先生たちの対談集
で、この点に触れています。

結論から言えばおおよそ400年と言っています。

末永先生という方は故人ですが、橿原考古学研究所の初代所長を務めた方です。
大学を出ずに色々な経験を積んで来られた異色の人物です。
ある時、町史編纂に関わっていました。

その家に伝わっていた話しを調べてみると、数百年前に実際にその通りだったと
いうことに出会われたそうです。

神武天皇は橿原の宮で即位したと伝わりますが、これは作り話しで橿原の宮は想
像の産物とされていました。

ところが昭和13年から始まった末永先生も加わった調査で縄文から弥生時代に
掛けての遺跡が発見されました。

現在の大鳥居の付近では、大きなカシの木の根も出てきました。畝傍山あたりか
ら持ってきた土で、土地の高低を調整し大きな広場を作ってお祭りをしたらしい
のです。その時の一群の土器も出てきました。

末永先生の話では、弥生の終わり頃1世紀辺りと見られる土器も出てきたので
す。

日本書紀には神武天皇が

「見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである」

と言われ都造りに着手したとあります。

私は神武天皇の即位年、辛酉を121年と見ています。
調べれば調べるほど奇妙な一致が出てきます。

庶民の家の話しが数百年残っていたとすると、皇家や大きな豪族の伝承などは、
より残り易いと考えていいでしょう。

記紀には考えていた以上に史実が含まれていた可能性があります。
http://newkojiki.com/2016/12/28/%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%AF%E4%BD%95%E5%B9%B4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%83%BB%E6%AE%8B%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8B/



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c216

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
49. 中川隆[-9286] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:35:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3213]

伝承は何年くらい伝わり・残るものか: 2016年12月28日


神話と考古学の間 創元社 (1973)  末永 雅雄, 三品 彰英, 横田 健一
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%96%93-%E6%9C%AB%E6%B0%B8%E9%9B%85%E9%9B%84/dp/4422201115


このところ物部氏の出自について、なるべく推測を交えずに語ることが出来るよう
にと様々な本を当たっています。

ただ多くの人たちが関心を持ってきた一族ですので、その量が半端ではありません。
少々時間が掛かります。

そこで今日はそんな調査の中で見つけた一つの説をご紹介します。

タイトルにある「伝承は何年くらい伝わり、残るものか」というものです。

「神話と考古学の間」という末永氏という考古学者と文献史学の先生たちの対談集
で、この点に触れています。

結論から言えばおおよそ400年と言っています。

末永先生という方は故人ですが、橿原考古学研究所の初代所長を務めた方です。
大学を出ずに色々な経験を積んで来られた異色の人物です。
ある時、町史編纂に関わっていました。

その家に伝わっていた話しを調べてみると、数百年前に実際にその通りだったと
いうことに出会われたそうです。

神武天皇は橿原の宮で即位したと伝わりますが、これは作り話しで橿原の宮は想
像の産物とされていました。

ところが昭和13年から始まった末永先生も加わった調査で縄文から弥生時代に
掛けての遺跡が発見されました。

現在の大鳥居の付近では、大きなカシの木の根も出てきました。畝傍山あたりか
ら持ってきた土で、土地の高低を調整し大きな広場を作ってお祭りをしたらしい
のです。その時の一群の土器も出てきました。

末永先生の話では、弥生の終わり頃1世紀辺りと見られる土器も出てきたので
す。

日本書紀には神武天皇が

「見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである」

と言われ都造りに着手したとあります。

私は神武天皇の即位年、辛酉を121年と見ています。
調べれば調べるほど奇妙な一致が出てきます。

庶民の家の話しが数百年残っていたとすると、皇家や大きな豪族の伝承などは、
より残り易いと考えていいでしょう。

記紀には考えていた以上に史実が含まれていた可能性があります。
http://newkojiki.com/2016/12/28/%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%AF%E4%BD%95%E5%B9%B4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%83%BB%E6%AE%8B%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8B/



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c49

[近代史3] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
21. 中川隆[-9285] koaQ7Jey 2019年6月25日 19:36:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3214]

伝承は何年くらい伝わり・残るものか: 2016年12月28日


神話と考古学の間 創元社 (1973)  末永 雅雄, 三品 彰英, 横田 健一
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%96%93-%E6%9C%AB%E6%B0%B8%E9%9B%85%E9%9B%84/dp/4422201115


このところ物部氏の出自について、なるべく推測を交えずに語ることが出来るよう
にと様々な本を当たっています。

ただ多くの人たちが関心を持ってきた一族ですので、その量が半端ではありません。
少々時間が掛かります。

そこで今日はそんな調査の中で見つけた一つの説をご紹介します。

タイトルにある「伝承は何年くらい伝わり、残るものか」というものです。

「神話と考古学の間」という末永氏という考古学者と文献史学の先生たちの対談集
で、この点に触れています。

結論から言えばおおよそ400年と言っています。

末永先生という方は故人ですが、橿原考古学研究所の初代所長を務めた方です。
大学を出ずに色々な経験を積んで来られた異色の人物です。
ある時、町史編纂に関わっていました。

その家に伝わっていた話しを調べてみると、数百年前に実際にその通りだったと
いうことに出会われたそうです。

神武天皇は橿原の宮で即位したと伝わりますが、これは作り話しで橿原の宮は想
像の産物とされていました。

ところが昭和13年から始まった末永先生も加わった調査で縄文から弥生時代に
掛けての遺跡が発見されました。

現在の大鳥居の付近では、大きなカシの木の根も出てきました。畝傍山あたりか
ら持ってきた土で、土地の高低を調整し大きな広場を作ってお祭りをしたらしい
のです。その時の一群の土器も出てきました。

末永先生の話では、弥生の終わり頃1世紀辺りと見られる土器も出てきたので
す。

日本書紀には神武天皇が

「見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである」

と言われ都造りに着手したとあります。

私は神武天皇の即位年、辛酉を121年と見ています。
調べれば調べるほど奇妙な一致が出てきます。

庶民の家の話しが数百年残っていたとすると、皇家や大きな豪族の伝承などは、
より残り易いと考えていいでしょう。

記紀には考えていた以上に史実が含まれていた可能性があります。
http://newkojiki.com/2016/12/28/%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%AF%E4%BD%95%E5%B9%B4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%83%BB%E6%AE%8B%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8B/



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html#c21

[リバイバル3] アメリカ人には食べ物の味がわからない 中川隆
35. 中川隆[-9284] koaQ7Jey 2019年6月25日 20:53:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3215]

アメリカではスシが大流行しているのだが、アメリカ人はマグロのスシにケチャップをかけて「おいしい」と言っている。

アメリカ人はハインツのケチャップをこよなく愛していて、旅行に行ってもケチャップを持参して、バナナにケチャップをかけて食べる人もいる。そうであれば、スシにケチャップをかけて食べるのがアメリカで普通になっても仕方がない。

日本人がいくら「それは違う」と言っても始まらない。スシのネタをハンバーグにしてしまっても、彼らにはそれは「スシ」なのである。
https://blackasia.net/?p=13386
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/765.html#c35

[近代史3] 市販のカレー・ルウ と レトルト・カレーは買ってはいけない、外食でカレーを食べてはいけない 中川隆
9. 中川隆[-9283] koaQ7Jey 2019年6月25日 20:55:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3216]

インド人も日本のカレーを食べて、本国のカレーとまったく違うので驚くのをよく耳にする。

「日本のカレーには味がない」とインド人は言う。日本人には濃厚な味がするように思うがインド人には味がないという。日本人がインド料理のカレーを食べると、確かにそれは日本のカレーとは違う味がする。

何が違うのかというと、スパイスの種類が違うのだ。インド人は多種多様なスパイスの違いが舌で判別できるのだが、日本のカレーにはスパイスがなく、それが味の欠如に思えてしまうようだ。

アメリカのスシが日本のスシとは違うように、日本のカレーもインドとは違うのだ。
https://blackasia.net/?p=13386
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/333.html#c9

[国際26] 報道統制の仕組みが整備されている米英(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
1. 中川隆[-9282] koaQ7Jey 2019年6月26日 03:39:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3217]
櫻井ジャーナルに騙されるな


櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。

櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。

そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。

従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。


櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:


櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html


因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に

アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた

というのは絶対に有り得ないです。

そもそも、今の韓国程度の経済力だったソ連にアメリカと対峙する力は無かった


ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし

アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人

ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし

ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた


アメリカが本気になれば1年でソ連を潰せたけど、それでは軍需産業が儲からなくなるから、意図的にソ連を超大国に見せ掛けた。


ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html


見せ掛けだけだった東西冷戦や八百長戦争だった太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景は、以下の講演を聞けば誰でも納得できます:


伊藤貫 「アメリカのネオコンは元々トロツキスト ロシア系ユダヤ人」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1a7z5Xvo1aQ

馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc

林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU  
 


▲△▽▼


櫻井春彦の詐欺の手口教えてあげる


1.天安門事件で虐殺はなかった

櫻井春彦が聞いた元々の話
「長安街では軍による虐殺が行われたが、天安門広場での虐殺はなかった」

一方、櫻井春彦が櫻井ジャーナルに書いたのは
「天安門事件で虐殺はなかった」

__


2.アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた


そんなのあって当たり前。むしろ存在しない方がおかしい。
平時にいろいろな場合を想定し、計画を練っているなんてむしろ当然の話。

アメリカが第二次大戦前に対日戦の計画としてオレンジ計画を作っていたが
それと同じ。

「ソ連に先制核攻撃された場合の計画」
「限定的な核戦争になった場合の計画」

とかいろいろな計画があって、その中に

「先制核攻撃をした場合の計画」

があるのは常識的な話だ。

そしてそのような計画がある事と、実行する事は全く別の話であってそこを混同
しているに過ぎない。

ソ連崩壊後に公表された資料でも、ソ連は「アメリカに対する先制核攻撃」を含めた無数の戦争計画を作って、いろいろな状況を想定している。

それで1980年代には開く一方の国力差から仮に全面戦争になってもソ連が不利になっていくばかりという結論が出ていたので、ゴルバチョフは新思考外交でアメリカとの関係改善に取り組んだんだ。

つまり「先制核攻撃の計画が存在した」のは米ソ双方にとっても当たり前の話でしかない。


先制核攻撃を行なったら100%報復核攻撃があるわけで、もちろん軍需産業は絶対に狙われる。

軍需産業の社長に

「おたくの本社や工場に報復の核ミサイルが降ってきますけど、先制核攻撃していいですか?」

と問うて了承する人間がいると思うか?

軍産複合体は言い換えれば既得権者なのだから、それを根こそぎ吹っ飛ばしかねない核戦争なんぞ望むはずがない。

そういう当たり前の考えが欠落しているから、軽々しく先制核攻撃を目論んでいたとか
いい加減なことを唱えているんだな。


▲△▽▼


櫻井春彦みたいなのを世間では詐欺師と言うんだろ

櫻井春彦は改竄・捏造の常習犯だから
誰々がこう言ったと書いていても、その内容自体が元の言葉と180度違う事が多いんだ

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/699.html#c1

[経世済民132] 子が親より早く死ぬ事例、なぜ増えているのか…平均寿命短縮化で老後2千万円も不要?(Business Journal) 赤かぶ
1. 中川隆[-9281] koaQ7Jey 2019年6月26日 03:51:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3218]
>、「今、100歳前後の長寿者がたくさんいらっしゃる半面、55歳以下でがんで亡くなる例が増えている要因をひとつ挙げよ」といわれたら、「空腹を経験したかどうか」を躊躇なくあげたい。

見当外れなんだよ

乳がんや卵巣がんの原因はホルモン入り輸入牛肉だとわかっているからね:


真実は

輸入肉を食べると癌になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html

加工乳・低脂肪乳を飲むとガンになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/726.html

長生きしたけりゃパンは食べるな
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html

ジャンクフードを食べると超絶肥満、うつ病、癌、アトピー、花粉症になる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/337.html


http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/665.html#c1

[経世済民132] 子が親より早く死ぬ事例、なぜ増えているのか…平均寿命短縮化で老後2千万円も不要?(Business Journal) 赤かぶ
2. 中川隆[-9280] koaQ7Jey 2019年6月26日 04:07:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3219]
酒を飲むとバカで癌になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html

http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/665.html#c2
[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
196. 中川隆[-9288] koaQ7Jey 2019年6月26日 04:26:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3211]

いずれわが国は、どんな言語を話せるかで階級が決まる社会になるのではないか。
2019/06/24
https://kenjisato1966.com/%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%82%8f%e3%81%8c%e5%9b%bd%e3%81%af%e3%80%81%e8%a8%80%e8%aa%9e%e9%9a%8e%e7%b4%9a%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%a8%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%86%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%ab/


わが国では目下、

いかに移民が流入しようと

移民だと認めさえしなければ

移民が増えたことにはならない

という爽快な発想のもと、

移民、もとへ外国人労働者の受け入れが進んでいます。

一時はあれこれ反対した保守派と呼ばれる人々も

いかに問題が深刻化しようと

問題だと認めさえしなければ

問題が深刻化したことにはならない

という爽快な発想のもと、

移民よりも憲法改正だの、

週刊誌の皇室報道批判だのに熱中している様子。

けれども現実の事態は、容赦なく進行してゆきます。

どうぞ。

外国人の日本語教育は国と地方の責務 推進法成立

(NHKニュース、21日配信)

外国人の日本語教育を充実させるための「日本語教育推進法」が

21日の参議院本会議で全会一致で可決され、成立しました。

「日本語教育推進法」は外国人の日本語教育を充実させる施策の実施を

国と地方自治体の責務と位置づけ、

国はその基本方針を定めなければならないとしています。

そのうえで、教育水準を向上させるため

外国人の子どもを指導する教員の配置や養成に必要な施策の実施や、

働く外国人への日本語研修などを支援することを国に求めています。

また、関係省庁が参加する「日本語教育推進会議」を設け、

日本語教育の推進に向けた関係機関との調整を図るよう国に義務づけています。

もとの記事こちら。

この法律を取りまとめたのは

およそ30名の超党派衆参議員によって構成される

日本語教育推進議員連盟。

中心となっているのは

河村建夫(衆議院・自民党・元文科大臣。連盟会長)

中川正春(衆議院・自民党・元文科大臣。連盟会長代行)

馳浩(衆議院・自民党・元文科大臣。連盟事務局長)

里見隆治(参議院・公明党。連盟事務局次長)

石橋通宏(参議院・立憲民主党。連盟事務局次長)

の5名とのこと。

しかるにですな。

2018年8月、

日本語教育推進法(当時はまだ法案)との関連で

議員連盟の活動を紹介した

AATJ(AMERICAN ASSOCIATION OF TEACHERS OF JAPANESE,

全米日本語教育学会)の記事には

しっかりこう書いてあります。

移民を少子化問 題の解決策と考える国会議員、

中央省庁官僚、ビジネスリーダーは少なからずおり、

日本としての移民政策を議論すべきという意見を時折出 している(。)

(日本語教育推進法案も)名目上は、

国内の日本語教育に関する法案だが、

日本の移民問題を議論する突破口としても考えられている。

元の記事こちら。

「あら、あっさり語るに落ちたわね」(※)お姉さまのお言葉です。

馳浩事務局長も

一般社団法人「全国日本語学校連合会」によるインタビュー

(「留学生通信」114号、2019年4月13日付)で

このように語っています。


韓国や台湾(は)、外国人材の獲得におい て、

より専門性のある職種も、

第一次産業もそうですが、

様々な実業の現場で、働く外国人 を獲得するために手を打っています。


今や世界は、獲得競争に入っている時代です。

にも関 わらず、我が国は遅れているのが実情です。

従って、外国人は母語を大切にしながらも、

と くに子供さんの場合には、母語を大切にしながらも、

わが国で働き、生活していく上で必要 な

コミュニケーションツールとしての日本語を習得してもらう、

支えることが必要です。

(明らかな誤字を一字修正)

元の記事こちら。

要するに

移民と認めない形で移民の数を増やしておいて

「日本語を(満足に)話せない人が増えちゃ困るだろ?」と

外国人にたいする日本語教育の必要性を説くことにより

それらの人々がわが国に定住する存在、

つまり移民であることを受け入れさせようという話でしょう。

(※)記事の内容と直接の関係はありません。


日本語教育推進法案が

日本の移民問題を議論する突破口としても考えられている

と喝破した、AATJのナガノ・トモノリさんの見識は

その点であっぱれと言わねばなりません。

ただし、ここで思い出すべきは

わが国は英語化の推進にも力を入れているということ。

議員連盟には文科大臣経験者が3名もおりますが

当の文科省は

「今後の英語教育の改善・充実方策について」という文書で

こう述べているのです。

社会の急速なグローバル化の進展の中で、

英語力の一層の充実は我が国にとって極めて重要な問題。

これからは、国民一人一人にとって、

異文化理解や異文化コミュニケーションはますます重要になる。

その際に、国際共通語である英語力の向上は日本の将来にとって不可欠であり、

アジアの中でトップクラスの英語力を目指すべきである。

東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020(平成32)年はもとより、

現在、学校で学ぶ児童生徒が卒業後に社会で活躍するであろう2050(平成62)年頃には、

我が国は、多文化・多言語・多民族の人たちが、

協調と競争する国際的な環境の中にあることが予想され、

そうした中で、国民一人一人が、様々な社会的・職業的な場面において、

外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される。

元の文書こちら。

実際、4月22日の記事

「国のあり方に筋を通さなければ、国語力も英語力も向上しないという話。」

で紹介したとおり、

今や政府は中高生の英語力について

数値目標まで設定して尻を叩いているのです。

達成できてはいませんがね。

だとしても

グローバル化の名のもと

外国人にたいする日本語教育の重要性を説きながら

日本人にたいしては

グローバル化の名のもと英語教育の重要性を説くとは

どういう話だ、一体?!

♬認知す〜る〜な〜ら、チョイと不協和音頭、ヨイヨイ


・・・お分かりですね。

つまり日本語教育推進の対象となっている人は

英語がしゃべれると見なされていないのです。

ずばり言ってしまえば、

途上国を中心とした非英語圏からの単純労働者が

想定されているに違いない。

これについても馳浩議員が

しっかり語るに落ちて下さっています。

先に引用した箇所で

(韓国や台湾は)より専門性のある職種も、

第一次産業もそうですが、

様々な実業の現場で、働く外国人 を獲得するために手を打っています。

というフレーズが出てきたのにご注目。

つまりこれは

(韓国や台湾は)専門性のある職種に限らず、

第一次産業を含めた単純労働についても

移民を積極的に受け入れている

という意味なのです。

さらにインタビューには、こんな発言まで出てくる。


この法案が必要だと考えた一番のきっかけは、

リーマンショックの後に、 ずいぶん外国人労働者が解雇されたが、

十分な対応がなされていない。

日系人の場合、家族 で来ておりました。

とくに日系ブラジル人の場合、子供の教育が中断される。

本国に帰るの か、転職するのか、

正直言いまして外国人集住都市においては、ずいぶんと混乱が起きました。

(※)ブラジルの公用語はポルトガル語です。

となれば法案作成の意図はこうなる。

これからの時代、英語ができない単純労働者の移民が

家族を連れてどんどん定住するだろう。

それらの人々が日本語までできなかったら、どうにもならない。

だから外国人の日本語教育に力を入れるべきだ!

当然、裏にはこういう含みがある。

専門的な技術や知識を持つ移民、

いわゆる高度人材様については

むしろこちらが英語で対応できるようにならねばならない。

だから日本人の英語教育に力を入れるべきだ!

グローバル化の名のもと

外国人への日本語教育強化と

日本人への英語教育強化が同時に叫ばれるという

なかなかにパラドキシカルな事態も

こう考えれば、すっきり筋が通るのであります。

けれどもこれは

日本に以下の4種類の人間が暮らすようになることを意味する。

1)英語ができる日本人(上級国民)。

(※)英語は話せないが、フランス語、ドイツ語、ロシア語など、

  他の主要国の言語を話せる日本人もこれに準ずる。

2)英語ができて、専門知識や技能のある移民(高度人材)。

(※)英語は話せないが、他の主要国の言語を話せる移民もこれに準ずる。

3)日本語しかできない日本人(一般国民)。

4)英語も日本語も不自由な移民(単純労働者)。

(※)英語を話せこそするものの、学歴や職歴に見るべきものがなく、

  専門知識や技能がない移民もこれに準ずる。

カッコ内の語句が示すとおり

これは単なる言語上の区分ではありません。

社会的・経済的な階層、すなわち階級であります。

たぶん2020年代には

「英語」に「中国語」が追加されたうえ、

一般国民の貧困層が「下級国民」として

移民の単純労働者と一緒くたにされるでありましょう。

これらの人々の日本語力も貧弱でしょうからね。

すなわちわが国は

どんな言語を話せるか(あるいは話せないか)で階級が決まる

言語階級社会とでも呼ぶべきものになってゆくのです。


こうして一つの国に二つの言葉が根づき、

戦乱の種子が撒かれたのだ。

──『ジュビリー』(デレク・ジャーマン監督、1978年)

「ね、令和ニッポンって爽快でしょう♥」(※)お姉さまのお言葉です。

COVER+OBI

うなずいたアナタはこちらをクリック!

アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!

ちなみに1月7日の記事

「今年から移民受入が本格化するが、外国籍の子どものうち2割は就学状況が不明である。」

でも述べたとおり

わが国ではすでに

1万6000人もの外国籍の子どもが

学校に通っているかどうか確認できません。

その中には所在不明の子や

住民票を残したまま転居した子もいると見られます。

とはいえ子どもには親がいるでしょうから、

これは足取りのつかめない外国人の親が、1万人単位で存在する恐れが強いということ。

国や自治体の義務とか言っているけど、

そんな人々にどうやって日本語を教えるの?

令和の時代は、こうして日に日に収拾がつかなく・・・

もとへ、爽快になってゆくのでありました。
https://kenjisato1966.com/%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%82%8f%e3%81%8c%e5%9b%bd%e3%81%af%e3%80%81%e8%a8%80%e8%aa%9e%e9%9a%8e%e7%b4%9a%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%a8%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%86%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%ab/
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c196

[近代史3] ナスタチウムのブログ _ 難民受入数を増やして過疎地に送る!国有林の伐採を外資を含む民間に開放!これが安倍政権の地方創生! 中川隆
3. 中川隆[-9287] koaQ7Jey 2019年6月26日 04:29:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3212]

外国人に譲歩し、貢ぎ、危害を加えられ、やがて少数派になるドイツ人。日本人も他人ごとではない。2019年06月25日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12486041883.html

昨年4月にこのような記事を書きました。

ドイツ:2060年までにはドイツ民族が過半数以下に!暗い未来に向かう今の惨状を最近の記事から紹介
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12370647503.html

それから1年経ってもやっぱり同じです。今のシステムでは変われないのです。

ドイツのことを書きますが、このままでは日本でも同じことが起きます。

ハンガリーにある「恐怖の館(博物館)」の支配人は、メルケルにはビジョンが無いと言いました。※「恐怖の館」はトリップアドバイザーによると結構評価が高いようです。


メルケルは10年以上の権力の座にいますが、歴史はそのことは忘れるでしょう。

アンゲラ・メルケルについて歴史は2つのことを覚えているでしょう。

200万人の移民を入れてドイツを破壊したことと、2008年以降の欧州経済を救うことに失敗したことです。


アンゲラ・メルケルの下でドイツは本当の東ドイツになってしまいました。

彼女は本物の大惨事です。

ドイツはかつてロマン派の国でした。シラー、ハイネ、ベートーヴェン。

今日のドイツには文化も心もありません。私がゲーテを引用しても彼らは知りません。

https://voiceofeurope.com/2019/06/merkel-has-no-vision-house-of-terror-museum-director-says/

ピュー・リサーチ・センターの数字を見ると、アラー・アクバルと叫ぶ男に罰金を科したスイスとドイツにおける移民の割合は2016年の時点で同じ6.1%なのです。

そのスイスでは、刑務所受刑者の8割が外国人です。スイスに縁もゆかりもない外国籍が5割を超えています。

しかし、スイスは他の欧州諸国よりも犯罪移民の強制送還がしっかりしているようで、2017年には1000人以上の犯罪外国人を母国へ追放しています。

移民にたかられている国は一般的に犯罪に甘いです。

他人の人権を侵害した者への手厚い人権保護は、必ずしも国民の多くが望んでいないかもしれませんが各種条約や法律でそうなってしまっています。だからでしょうか、政府の許可で入り込んだ外国人の犯罪は、政府が入れなければなかった犯罪であり、国民に知られたくないのです。だから政府は必至で隠そうとします。

あるドイツの新聞社が暴力犯罪の統計が操作されているかどうか質問しました。

ある警察官が「嘘はないし口止めもないが、意図的に除外することがある」と言いました。


市民社会の平和を維持するために、私たちの自由裁量で解釈するという命令があります。


統計を偽造する書面での指示はありません。

ある特定の用語、例えば「名誉殺人」や「性犯罪」、というものがあり、それらは可能であれば報告書に明示させるべきでないとなっています。

これらの用語が報告書にある場合、私の理解では、警察署長が報告書に「この個所を再吟味して下さい」というメモを付けます。

こうやって、刺激的で統計に否定的な影響を与えかねない用語を使用して報告書を作成した警官に注意を与えます。

報告書では、「性暴行」の代わりに「暴行」という言葉がそれ以上の説明なしに見られるようになります。

https://voiceofeurope.com/2019/02/german-police-is-hiding-facts-about-migrant-crime-statistics-to-preserve-civil-peace/

しかし、殺人事件は隠せません。

次に紹介する事件はメルケルが入れた移民が起こした事件です。

アフガニスタン人のAhmad Sがドイツ人の17歳の少女を14回も刺して殺した事件です。

事件は2018年3月12日、今年2月に終身刑の判決が出ました。(少なくとも15年は刑務所)

彼は2015年に“同伴者のいない子供難民”としてドイツにやってきました。

難民申請をしましたが却下されました。

彼は裁判で18歳を主張しましたが、裁判所が年齢テストをすることを命じました。

依頼を受けた法医学者は彼が21歳以上(21歳以上で大人扱いの裁判)であること、検査結果では29歳であることが強く示唆されると主張しました。

加害者と被害者は2年間付き合っていましたが、アフガン人は少女を個人としての価値ではなく自分の所有物と考えていました。

彼女はイスラム教徒への改宗を拒否し、被り物を被ることも断りました。

そのためアフガン人は少女を台所包丁で14回刺しました。

彼は自分で救急車を呼びましたが、彼女が自分で傷つけたと説明しました。

しかし、防犯カメラやその他の証拠からが嘘がばれ、大人同様の扱いで判決が出たのです。

右上矢印https://voiceofeurope.com/2019/02/afghan-migrant-who-killed-his-german-girlfriend-because-she-refused-to-convert-to-islam-sentenced-to-life-in-prison/

ティーンの少女が移民の餌食になる事件はよくありますが、それより幼い子供たちはどうでしょうか?

未来のドイツを作る子供たちの世界は未来ドイツ社会を予想させるものでした。

こちらの記事内にある<ムスリム生徒によるキリスト教徒とユダヤ教徒生徒へのいじめが大幅に増加>という項目を見て頂ければわかりますが、2060年に過半数を割るドイツ人が子供のうちからもうすでにいじめの対象になって、公教育の場から駆逐され始めています。

どういう子供がいじめられているかというと、豚肉を食べる子供や、ヒジャブを被らない子供です。

アヤーン・ヒルシ・アリ氏やモナ・ウォルター氏らの話を真面目に聞くべきだと思います。

しかし、そういった建設的なことは全くせず、せっせと自分たちを駆逐する外国人のために血税を注ぎ込んでいるのです。

ロイター( 2019年5月21日)の報道によると、ドイツは大金を移民に献上しています。


ドイツが昨年(2018年)、移民・難民政策に過去最高となる230億ユーロ(256億5000万ドル)を費やしたことが20日、ロイターの入手した政府の資料で明らかになった。

日本円にして2兆8千億円です。狂気の沙汰です。ゲッソリ

2017年は208億ユーロだったので、11%の増加です。

そして、国内だけではありません。


欧州連合(EU)域外に難民をとどめて母国の生活水準を改善させる政策への昨年の支出額は総額79億ユーロで、前年比16%増加した。

現在の人口を維持する

先進国はこれが至上命題みたいになっているようですが、科学の進歩やAIによる人間余剰、地球環境保全を考えると、後先考えずに大量に子供を増やしている人たちを何とかするのが最重要だと思います。

私達が適度な人口密度を保ち、緑を保全しても、続々と劣悪な環境で生息することを意にも介さない移民がやってくるなら、地球全体が第三世界の不快な状況になります。

父親の育休で子供が増えるなんていうのはどういう証拠があるんでしょうか?

ムスリムやアフリカ人や難民状態でも10人兄弟というようなロヒンギャは父親の育休があるから増えたんですか?違うでしょう?

保育園や父親の育休はあっていいんです。しかし、根本原因を探さずに支援ばかりすれば、その恩恵にあずかって日本人より増えていくのは、第三世界の外国人ばかりとなります。

彼らにも同じ額の支援が行きます。ろくに税金を払わないで、日本に敬意も払わず稼げそうだとやってきた、私たちに負担ばかりかけさせる第三世界の移民にお金をあげたくないのです。私はそのお金を日本人や日本の動植物に使いたいのです。

今まで途上国支援と言って血税を垂れ流したあのお金は何だったんですか?(今もですが)

リベラルで国籍や国境を嫌う安倍首相を「保守や右翼」と信じるなら、ドイツのメルケルがキリスト教の保守だということも覚えておいた方がいいと思います。イスラム好きな左翼ではないのです。左翼は別にいますから。

メルケル同様、安倍首相も移民を大量に入れて日本を破壊した張本人として歴史に残るでしょう。

私たちはプロパガンダに惑わされて間違えた方向に突進しているように見えます。

移民政策は私たちに隠れて休みなく進んでいます。

こちらの記事もどうぞ!

いずれわが国は、どんな言語を話せるかで階級が決まる社会になるのではないか。(佐藤健志))
https://kenjisato1966.com/%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%82%8f%e3%81%8c%e5%9b%bd%e3%81%af%e3%80%81%e8%a8%80%e8%aa%9e%e9%9a%8e%e7%b4%9a%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%a8%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%86%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%ab/

「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態(DIAMOND ONLINE)
https://diamond.jp/articles/-/206616


https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12486041883.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/451.html#c3

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
173. 中川隆[-9286] koaQ7Jey 2019年6月26日 04:32:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3213]
いずれわが国は、どんな言語を話せるかで階級が決まる社会になるのではないか。
2019/06/24
https://kenjisato1966.com/%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%82%8f%e3%81%8c%e5%9b%bd%e3%81%af%e3%80%81%e8%a8%80%e8%aa%9e%e9%9a%8e%e7%b4%9a%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%a8%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%86%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%ab/

わが国では目下、

いかに移民が流入しようと

移民だと認めさえしなければ

移民が増えたことにはならない

という爽快な発想のもと、

移民、もとへ外国人労働者の受け入れが進んでいます。

一時はあれこれ反対した保守派と呼ばれる人々も

いかに問題が深刻化しようと

問題だと認めさえしなければ

問題が深刻化したことにはならない

という爽快な発想のもと、

移民よりも憲法改正だの、

週刊誌の皇室報道批判だのに熱中している様子。

けれども現実の事態は、容赦なく進行してゆきます。

どうぞ。

外国人の日本語教育は国と地方の責務 推進法成立

(NHKニュース、21日配信)

外国人の日本語教育を充実させるための「日本語教育推進法」が

21日の参議院本会議で全会一致で可決され、成立しました。

「日本語教育推進法」は外国人の日本語教育を充実させる施策の実施を

国と地方自治体の責務と位置づけ、

国はその基本方針を定めなければならないとしています。

そのうえで、教育水準を向上させるため

外国人の子どもを指導する教員の配置や養成に必要な施策の実施や、

働く外国人への日本語研修などを支援することを国に求めています。

また、関係省庁が参加する「日本語教育推進会議」を設け、

日本語教育の推進に向けた関係機関との調整を図るよう国に義務づけています。

もとの記事こちら。

この法律を取りまとめたのは

およそ30名の超党派衆参議員によって構成される

日本語教育推進議員連盟。

中心となっているのは

河村建夫(衆議院・自民党・元文科大臣。連盟会長)

中川正春(衆議院・自民党・元文科大臣。連盟会長代行)

馳浩(衆議院・自民党・元文科大臣。連盟事務局長)

里見隆治(参議院・公明党。連盟事務局次長)

石橋通宏(参議院・立憲民主党。連盟事務局次長)

の5名とのこと。

しかるにですな。

2018年8月、

日本語教育推進法(当時はまだ法案)との関連で

議員連盟の活動を紹介した

AATJ(AMERICAN ASSOCIATION OF TEACHERS OF JAPANESE,

全米日本語教育学会)の記事には

しっかりこう書いてあります。

移民を少子化問 題の解決策と考える国会議員、

中央省庁官僚、ビジネスリーダーは少なからずおり、

日本としての移民政策を議論すべきという意見を時折出 している(。)

(日本語教育推進法案も)名目上は、

国内の日本語教育に関する法案だが、

日本の移民問題を議論する突破口としても考えられている。

元の記事こちら。

「あら、あっさり語るに落ちたわね」(※)お姉さまのお言葉です。


馳浩事務局長も

一般社団法人「全国日本語学校連合会」によるインタビュー

(「留学生通信」114号、2019年4月13日付)で

このように語っています。

韓国や台湾(は)、外国人材の獲得におい て、

より専門性のある職種も、

第一次産業もそうですが、

様々な実業の現場で、働く外国人 を獲得するために手を打っています。

今や世界は、獲得競争に入っている時代です。

にも関 わらず、我が国は遅れているのが実情です。

従って、外国人は母語を大切にしながらも、

と くに子供さんの場合には、母語を大切にしながらも、

わが国で働き、生活していく上で必要 な

コミュニケーションツールとしての日本語を習得してもらう、

支えることが必要です。

(明らかな誤字を一字修正)

元の記事こちら。

要するに

移民と認めない形で移民の数を増やしておいて

「日本語を(満足に)話せない人が増えちゃ困るだろ?」と

外国人にたいする日本語教育の必要性を説くことにより

それらの人々がわが国に定住する存在、

つまり移民であることを受け入れさせようという話でしょう。

(※)記事の内容と直接の関係はありません。


日本語教育推進法案が

日本の移民問題を議論する突破口としても考えられている

と喝破した、AATJのナガノ・トモノリさんの見識は

その点であっぱれと言わねばなりません。

ただし、ここで思い出すべきは

わが国は英語化の推進にも力を入れているということ。

議員連盟には文科大臣経験者が3名もおりますが

当の文科省は

「今後の英語教育の改善・充実方策について」という文書で

こう述べているのです。

社会の急速なグローバル化の進展の中で、

英語力の一層の充実は我が国にとって極めて重要な問題。

これからは、国民一人一人にとって、

異文化理解や異文化コミュニケーションはますます重要になる。

その際に、国際共通語である英語力の向上は日本の将来にとって不可欠であり、

アジアの中でトップクラスの英語力を目指すべきである。

東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020(平成32)年はもとより、

現在、学校で学ぶ児童生徒が卒業後に社会で活躍するであろう2050(平成62)年頃には、

我が国は、多文化・多言語・多民族の人たちが、

協調と競争する国際的な環境の中にあることが予想され、

そうした中で、国民一人一人が、様々な社会的・職業的な場面において、

外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される。

元の文書こちら。

実際、4月22日の記事

「国のあり方に筋を通さなければ、国語力も英語力も向上しないという話。」

で紹介したとおり、

今や政府は中高生の英語力について

数値目標まで設定して尻を叩いているのです。

達成できてはいませんがね。

だとしても

グローバル化の名のもと

外国人にたいする日本語教育の重要性を説きながら

日本人にたいしては

グローバル化の名のもと英語教育の重要性を説くとは

どういう話だ、一体?!

♬認知す〜る〜な〜ら、チョイと不協和音頭、ヨイヨイ


・・・お分かりですね。

つまり日本語教育推進の対象となっている人は

英語がしゃべれると見なされていないのです。

ずばり言ってしまえば、

途上国を中心とした非英語圏からの単純労働者が

想定されているに違いない。

これについても馳浩議員が

しっかり語るに落ちて下さっています。

先に引用した箇所で

(韓国や台湾は)より専門性のある職種も、

第一次産業もそうですが、

様々な実業の現場で、働く外国人 を獲得するために手を打っています。

というフレーズが出てきたのにご注目。

つまりこれは

(韓国や台湾は)専門性のある職種に限らず、

第一次産業を含めた単純労働についても

移民を積極的に受け入れている

という意味なのです。

さらにインタビューには、こんな発言まで出てくる。

この法案が必要だと考えた一番のきっかけは、

リーマンショックの後に、 ずいぶん外国人労働者が解雇されたが、

十分な対応がなされていない。

日系人の場合、家族 で来ておりました。

とくに日系ブラジル人の場合、子供の教育が中断される。

本国に帰るの か、転職するのか、

正直言いまして外国人集住都市においては、ずいぶんと混乱が起きました。

(※)ブラジルの公用語はポルトガル語です。

となれば法案作成の意図はこうなる。

これからの時代、英語ができない単純労働者の移民が

家族を連れてどんどん定住するだろう。

それらの人々が日本語までできなかったら、どうにもならない。

だから外国人の日本語教育に力を入れるべきだ!

当然、裏にはこういう含みがある。

専門的な技術や知識を持つ移民、

いわゆる高度人材様については

むしろこちらが英語で対応できるようにならねばならない。

だから日本人の英語教育に力を入れるべきだ!

グローバル化の名のもと

外国人への日本語教育強化と

日本人への英語教育強化が同時に叫ばれるという

なかなかにパラドキシカルな事態も

こう考えれば、すっきり筋が通るのであります。

けれどもこれは

日本に以下の4種類の人間が暮らすようになることを意味する。

1)英語ができる日本人(上級国民)。

(※)英語は話せないが、フランス語、ドイツ語、ロシア語など、

  他の主要国の言語を話せる日本人もこれに準ずる。

2)英語ができて、専門知識や技能のある移民(高度人材)。

(※)英語は話せないが、他の主要国の言語を話せる移民もこれに準ずる。

3)日本語しかできない日本人(一般国民)。

4)英語も日本語も不自由な移民(単純労働者)。

(※)英語を話せこそするものの、学歴や職歴に見るべきものがなく、

  専門知識や技能がない移民もこれに準ずる。

カッコ内の語句が示すとおり

これは単なる言語上の区分ではありません。

社会的・経済的な階層、すなわち階級であります。

たぶん2020年代には

「英語」に「中国語」が追加されたうえ、

一般国民の貧困層が「下級国民」として

移民の単純労働者と一緒くたにされるでありましょう。

これらの人々の日本語力も貧弱でしょうからね。

すなわちわが国は

どんな言語を話せるか(あるいは話せないか)で階級が決まる

言語階級社会とでも呼ぶべきものになってゆくのです。

こうして一つの国に二つの言葉が根づき、

戦乱の種子が撒かれたのだ。

──『ジュビリー』(デレク・ジャーマン監督、1978年)

「ね、令和ニッポンって爽快でしょう♥」(※)お姉さまのお言葉です。


うなずいたアナタはこちらをクリック!

アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!

ちなみに1月7日の記事

「今年から移民受入が本格化するが、外国籍の子どものうち2割は就学状況が不明である。」

でも述べたとおり

わが国ではすでに

1万6000人もの外国籍の子どもが

学校に通っているかどうか確認できません。

その中には所在不明の子や

住民票を残したまま転居した子もいると見られます。

とはいえ子どもには親がいるでしょうから、

これは足取りのつかめない外国人の親が、1万人単位で存在する恐れが強いということ。

国や自治体の義務とか言っているけど、

そんな人々にどうやって日本語を教えるの?

令和の時代は、こうして日に日に収拾がつかなく・・・

もとへ、爽快になってゆくのでありました。
https://kenjisato1966.com/%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%82%8f%e3%81%8c%e5%9b%bd%e3%81%af%e3%80%81%e8%a8%80%e8%aa%9e%e9%9a%8e%e7%b4%9a%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%a8%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%86%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%ab/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c173

[近代史3] 櫻井よしこ はその時点で一般大衆に受けそうな意見を受け売りしてるだけの無知蒙昧・無定見なオバサン 中川隆
13. 中川隆[-9285] koaQ7Jey 2019年6月26日 05:33:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3214]

社会科学者の随想 2019年05月08日

櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html


【櫻井よしこ著『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)に記録されていた「ジャーナリスト本来の〈よしこの面影〉」は,いまいずこ】

【言論界関係人士にみる「資質と才能」と「思想と精神」の劣化および溶融現象】

【従軍慰安婦問題に関する典型的二枚舌的な見解変節の「実例:櫻井よしこ」】

【この国を凋落させ,衰退させる一途に拍車をかけてきた安倍晋三政権の体たらく的なくだらなさ】


 @ 徃住(とこずみ)嘉文「 櫻井よしこ氏は『慰安婦』を『日本軍強制説』で報じていた」(『週刊金曜日 オンライン』2019年4月19日 6:20PM,『週刊金曜日』2019年4/19号,http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/04/19/news-38/)『週刊金曜日オンライン』2019年4月19日櫻井よしこ
 『朝日新聞』の日本軍「慰安婦」の記事を「強制連行を捏造した」と非難している櫻井よしこ氏が,自身も「日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たち」とテレビ,雑誌で報道していたことが分かった。自身の報道を棚にあげ,他者を「捏造」呼ばわりするのはアンフェアではないだろうか。

“   望月衣塑子ツイート2019年5月2日櫻井よしこ
 櫻井よしこ氏がキャスターを務めていた日本テレビのニュース番組「NNNきょうの出来事」とみられる動画がある。1992年12月9日,東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」を,櫻井氏に瓜二つの女性はこう放送した。

 「第2次世界大戦中に,日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たちが,当時の様子を生々しく証言しました」。画面では「韓国人元慰安婦」の字幕とともにチマチョゴリ姿の元「慰安婦」が公聴会の壇上で叫ぶ。「私の一生を台無しにして! 日本政府は隠さないでしっかり謝罪したらどうなの!」

 男性アナウンサーの声。「これは元従軍慰安婦らから事情を聴き日本政府に謝罪と戦後補償を求める公聴会です。今回初めて名乗り出たオランダや北朝鮮の元従軍慰安婦8人が当時の様子を生々しく語りました」。

 壇上では元「慰安婦」たちが泣いている。字幕の説明。「感極まって,韓国と北朝鮮の元慰安婦が抱き合った」。中国の元「慰安婦」,万 愛花さん(64歳,当時)のインタビューもある。「私は15歳でした。日本軍に襲われて両手両足を押さえられ,乱暴されました」。約3分弱の動画だ。

 フェイクの時代だ。万が一にもと日本テレビに動画の確認をお願いした。「放送したものがすべて。答えられない」。櫻井氏からも「裁判中なので」と取材を断わられた。

  ※「責任痛感すべき私たち」※


 しかし,櫻井氏は1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)でもつぎのように書いている(前掲した画像資料のこと)。

“櫻井よしこ 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。

 櫻井氏は,この記事などを再録し『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社)を1994年に出版した(右上画像はこの本の表紙カバーと帯)。少なくともこの年まで,櫻井氏は,日本が国策として強制的に「慰安婦」にしたと伝えていたことになる。ちなみに,手元にある本は櫻井氏のサイン入りだ。フェイク本ではおそらく,ない。
(徃住嘉文・報道人,2019年4月19日号)

“ ※同上記事の編注):元『朝日新聞』記者の植村 隆氏が,元日本軍「慰安婦」に関する記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして,櫻井氏を訴えた札幌訴訟について,〔2019年〕4月19日(金)発売の『週刊金曜日』4月19日号が詳しく報じている。同誌は書店などで販売する紙版のほか,アプリを使った電子版でも購読できる。


 さて『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)は昔,櫻井自身が従軍慰安婦問題について公表していた文章,「従軍慰安婦問問題の責任」(前出の『週刊時事』1992年7月18日号に初出)を,27−29頁に収録していた。この「従軍慰安婦問題」に関する “その3頁分” を画像資料のかたちで,以下に紹介しておく。これは,櫻井自身が従軍慰安婦問題について「取材して書いた文章であった」はずである。


櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』27頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』28頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』29頁


 また本ブログ内には,関連する記述がいくつかあるが,2018年11月12日に公表されたつぎの1編のみ紹介しておく。


“ 主題「安倍晋三を忖度する裁判官が下した従軍慰安婦問題関係の判決,政権のための審理をしないと左遷される裁判官の『へっぴり腰:判断』」

  副題1「従軍慰安婦問題の『裁判』に関して,『櫻井よしこ側の非』は確実に認めるが,植村 隆からの『櫻井に対する損害賠償の請求』は認めないという腸捻転の判決は,安倍晋三という『個人の首相』を忖度しただけの『国策的でありかつ反市民的な,そしてネトウヨ的な』偏向裁判」

  副題2「従軍慰安婦が歴史的に存在した事実を認めたくない安倍晋三君の意に,そのまま即した判決を下した裁判所・裁判官の『気の毒な利害状況と精神状態』」

  副題3「権力・支配・体制側の単なる召使いになり下がっている日本の裁判所は,安倍晋三サマのための判決しか出せないというみじめな現状」

  リンク先 ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1073122842.html

 A「慰安婦問題検証映画『主戦場』で極右論客たちが衝撃のトンデモ発言! 櫻井よしこ,杉田水脈,テキサス親父,加瀬英明…」(『リテラ』2019.04.27 11:30)

 a) 戦中の日本軍による慰安婦問題を題材にした映画『主戦場』が,反響を呼んでいる。

 出演者には杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏,藤岡信勝氏,テキサス親父ことトニー・マラーノ氏,櫻井よしこ氏などといった従軍慰安婦を否定・矮小化する極右ネトウヨ論客が勢揃い。「慰安婦はフェイク」と喧伝する歴史修正主義者たちと,慰安婦問題に取り組むリベラル派の学者や運動家らがスクリーンのなかで “激突” するドキュメンタリー作品だ。

 同作の見所はなんといっても,慰安婦問題をめぐる国内外の “論客” を中心とする30名余りへのインタビューだろう。

 櫻井よしこ氏ら “極右オールスターズ” の面々は「慰安婦は売春婦だった」「合法であり犯罪ではない」「慰安婦像設置の背景には中国の思惑がある」などの主張を展開。これに対して,吉見義明・中央大学名誉教授や「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈事務局長,韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹 美香常任代表らが反論を展開する。

『リテラ』2019年4月27日櫻井よしこ画像

 出演者らは顔を付きあわせて討論するわけではないが,論点を明確にして構成されていることで主張の対立点や強度を意識しやすく,ハイテンポなカット割りも相まって飽きさせない。映画は双方の主張を取材や資料を用いて細かく比較・検証し,その矛盾や恣意性を明らかにしていく。

 b) とくに,本サイトがオススメする同作の鑑賞法は,歴史修正主義者の口から発せられる主張のトンデモさをじっくりと吟味することだ。

 たとえば保守派の重鎮で,慰安婦否定論者の加瀬英明氏(日本会議代表委員)の場合,「慰安婦問題に関して正しい歴史認識をしている歴史家は?」と聞かれて「私がそのひとり」と自認する。

 しかし驚くことに,加瀬は慰安婦問題研究の第1人者のひとりである吉見名誉教授のことは「しりません」と嘯く。それどころか,保守派の歴史家である秦 郁彦・千葉大学名誉教授の著書すら「読んだことない」「人の書いたものあまり読まないんです。怠け者なもんで」などと宣うのだ。

 ちなみに,加瀬氏は「『慰安婦の真実』国民運動」という団体の代表も務めている。この極右団体は昨〔2018〕年,監事(当時)の藤井実彦氏が台湾で慰安婦像を蹴り,大きな国際問題になったことも記憶に新しい。ほかにも,同会は加瀬氏自身の名義で地方地じたいが慰安婦問題を扱う映画を後援することにクレームをつけている。そんな人物が,基本的な慰安婦研究すら「しらない」「読んだことない」などと恥ずかしげもなく開陳するのだから,呆れてものもいえない。

 c) もちろん,右派のトンデモはこれだけではない。右派陣営のインタビューからは明確な人種差別・性差別の意識が浮かび上がる。

 たとえば杉田水脈は “米国での慰安婦像設置のバックにいるのは中国” などといい出し,「どんなにがんばっても中国や韓国は日本より優れた技術がもてないからプロパガンダで日本を貶めている」と陰謀論を全開。さらには「日本が特殊なんだと思います。日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」「嘘は当たりまえっていう社会と,嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」とヘイトスピーチを連発する。
 補注)この水田水脈のとくにアジア諸国における企業経営の実態,それも技術水準に関する見解(?),「中国や韓国は日本より優れた技術がもてない」という思いこみは,まったく根拠のない四半世紀前であれば一部でいえたかもしれないそれであった。水田は,自分が産業経済・産業経営の実態に関して “本当に無知である” (まともな知識も情報ももちあわない点)をわざわざ告白するために,そのように発言したとしか受けとりようがない。

 また,テキサス親父は「慰安婦像をみにいったとき,私は(像の顔にかぶせるための)紙袋をもっていった。それがふさわしいと思ってね。ブサイクのガラクタには紙袋がお似合いだ」などと笑いながら語り,テキサス親父のマネージャーである藤木俊一氏は,「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。要するに誰にも相手されないような女性。心も汚い,みた目も汚い。こういう人たちなんですよ」といい放つ。


 映画のなかでもナレーションで「差別意識が元慰安婦は偽証しているとの考えにつがっているようだ」とはっきり指摘されていたが,まさにそのとおりとしかいいようがないだろう。

 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html

 d)「暴かれるIWG−報告書の虚構と櫻井よしこの調査費支払いの事実」 慰安婦問題をめぐる右派の性差別的・人種差別的な態度については,映画の後半でも「元修正主義者」と紹介される女性が証言する。

 補注)IWGとは「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班」の略字イニシャル。後段にも出てくる。

 保守界隈に身を置いた立場から否定主義者たちの振るまいについて語るのだが,実はこの女性は,数年前まで「ネクスト櫻井よしこ」として保守論壇で注目を浴び,実際,右派の月刊誌にもなんどか寄稿したことのある人物。だが,あるときから「ナショナリスト」たちの主張を疑うようになり,いまは距離を置いているという。

 さらに,この女性が “否定主義者の嘘” を告白する場面は,映画『主戦場』のハイライトのひとつとなっている。詳しくは劇場で直接みていただきたいのだが,ここでは予備知識として,あるいは鑑賞後のための補足情報として記しておこう。


 はじまりは,産経新聞が2014年11月1日の紙面で「著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた」として,マイケル・ヨン氏というフリージャーナリストを紹介したことだった。


 これに続けて産経は,同月27日付で「慰安婦『奴隷化』文書なし 米政府2007年報告に明記」と題した記事を掲載。ともに古森義久・ワシントン駐在客員特派員による署名記事である。書き出しはこうだ。

 「米政府がクリントン,ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で,日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「助成の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった」。


 記事のいう「大規模な再調査」というのは,2007年に米政府がまとめた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班米国議会あて最終報告」(通称・IWG報告書)のことを指している。


 産経は,「慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト,マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により,慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された」として,IWG報告書のなかに「慰安婦関連は皆無」だったことを根拠に「日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される」と書いた。


 マイケル・ヨン氏は「IWG報告書をスクープ」ともてはやされ,『正論』(産経新聞社)や『週刊文春』(文藝春秋)でも「報告書は『20万人の女性を強制連行して性奴隷にした』という事実がいっさいないことを証明している」などと触れまわった。


 これ以降,保守界隈では「結果的にIWGは『慰安婦を軍が強制連行などして性奴隷とした証拠はなかった』とするもの」(ケント・ギルバート)などとして広く流通。要するに,IWG報告書は右派陣営から “慰安婦問題の犯罪性を否定する切り札” として扱われてきた。

 e) ところが,である。映画『主戦場』では,このIWG報告書をめぐる右派の言説が見事にひっくり返される。実は,前述の「元修正主義者」の女性こそ,ヨン氏とは別の米国人とともにくだんの報告書を「発見」した人物で,いわば真のオリジネーター。その彼女が,映画のなかで後悔の言葉とともに語るのが ,“IWG報告書をめぐる右派の宣伝がいかに虚構であるか” という具体的な説明なのだ。

 しかも,映画のなかでは名指しこそされていないが,マイケル・ヨン氏は慰安婦問題をめぐって,普通ではとうてい考えられない額の「調査費」まで受けとっていたとされる。実際,ヨン氏は自身のブログに〈櫻井女史らは,私に調査をするようにお金を支払った〉と記しているのだ。あまりに生臭い話だが,映画ではこの「高額調査費」問題についても監督が櫻井氏に直撃しているので,ぜひ櫻井氏の “反応” をスクリーンで確認してほしい。
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_2.html

 ちなみに,映画の公開前には,出演者に極右歴史修正主義者やネトウヨ文化人が多数ラインナップされていることから「否定派の宣伝になるのではないか」との懸念の声もネット上で散見された。だが,この映画は単なる「両論併記」で終わらない。


 f) 本作が映画デビュー作となるミキ・デザキ監督は,1983年生まれの日系アメリカ人2世。日本での英語教師や YouTuber,タイでの僧侶経験もあるという異色の映像作家だ。


 2013年に YouTube で,日本社会のなかのレイシズムの存在を指摘したところ,ネトウヨに炎上させられた。そうしたなかで,朝日新聞の植村 隆・元記者に対するバッシングを目の当たりし,慰安婦問題への関心を高めたという。両陣営から介入されないため,クラウドファウンディングで資金を集めて『主戦場』を製作した。

 デザキ氏は本サイトの取材に対し,「両方の主張のどちらがより筋が通っているかを比較するべき」と語る。

 「論点を並べて “どっちもどっちだ” というやり方は,実のところ政治的なスタンスの表明にほかなりません。慰安婦問題に関しては,いま日本では右派の主張がメインストリームになっている。そこに挑戦を示さないことは,彼らのいいなりになるということであり,その現状を容認することにほかなりませんから。日本のメディアの多くは両論併記を落としどころにしていますが,それは,客観主義を装うことで,語るべきことにライトを当てていないということ。単に並べるだけでなく,比較することで生まれる結論があります」。

 g) 従軍慰安婦をめぐる否定派 / 肯定派の「論争」にスポットライトを当てながらも,決して “どっちもどっち” にならない映画『主戦場』。終盤では,日本の歴史修正主義の背景にある極右団体「日本会議」や安倍晋三首相に連なる戦後日本政治の流れもフォーカスされる。


 一般公開に先駆けておこなわれた日本外国特派員協会での上映会後の質疑応答では,デザキ監督に対し否定派の言論人から批判的な質問も飛んだ。


 4月19日には,日本会議が〈この映画には,日本会議に関して著しい事実誤認が含まれている〉などとする声明をHPで公表。


 4月25日発売の『正論』ではケント・ギルバート氏が「とてもみるに値しない映画」などとこき下ろしている。


 まさに大慌てといった感じだが,要するに,それだけ否定論者たちの核心に迫った映画だということだろう。いずれにせよ,判断するのは観客だ。(編集部)
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_3.html

 B「『私は歴史修正主義者ではないし日本会議とは何の関係もない』!? 植村 隆氏による名誉毀損裁判の判決を受け,櫻井よしこ氏が日本外国特派員協会での記者会見で弁明連発! 墓穴掘りまくり!! 」(『IWJ』2018.11.16,記事公開日:2018.11.19,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435811)(取材・文:IWJ編集部 文責:岩上安身)

 以下は,特集「IWJが追ったヘイトスピーチ問題〈特集 戦争の代償と歴史認識〉」(2018年11月22日全文書き起こしを追加,27日に加筆修正)である

 −−「私はリビジョニスト(歴史修正主義者)ではないし,日本会議とは,なんの関係もありません」。記者会見の冒頭,司会者から「リーディング・リビジョニスト(歴史修正主義の指導者)」と紹介され,日本会議との深い関係も指摘されたジャーナリストの櫻井よしこ氏は,「一方的な見方をしているのではないか」と述べ,「話の前提が間違っている」と強く否定した。

 しかし,どう抗弁しようとも,櫻井氏が「草の根改憲運動」を進める日本会議の会長である田久保忠衛(ただえ)氏や前会長の三好 達(とおる)氏とともに「美しい日本の憲法を作る国民の会」共同代表であることは公の事実である。改憲推進の旗振り役として,ことあるごとに広告塔の役割を果たしてきた櫻井氏のいう「なんの関係もない」とは,単に「日本会議のメンバーとして登録はしていない」というだけに過ぎない。

 2018年11月16日,櫻井よしこ氏は,元朝日新聞記者の植村 隆氏から従軍慰安婦の記事をめぐり名誉毀損で訴えられていた裁判の判決について,日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見をおこなった。

 1)櫻井よしこ氏
 元朝日新聞記者の植村 隆氏(現・『週刊金曜日』発行人)が1991年8月,朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり,記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した,ジャーナリストの櫻井よしこ氏と櫻井氏の記事を掲載した株式会社新潮社,株式会社ワック,株式会社ダイヤモンド社を植村氏が名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で,2018年11月9日,岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決をいい渡した。

 判決は,「櫻井氏の記事には植村氏の社会的評価を低下させる表現があったが,櫻井氏が参照した資料には,櫻井氏が真実だと信じるに足る相当の理由があった(真実相当性)ため,櫻井氏の表現は名誉毀損に当たらない」というものだった。

 しかし,裁判の過程で櫻井氏は,植村氏を批判した記事の根拠とした,朝鮮人従軍慰安婦,金 学順(キム・ハクスン)さんの訴状の記述が実際には書かれていないことを指摘され,これを認め,訂正している。

 判決にある「真実相当性」とは,いいかえれば,真実であると信じられるまで十分取材を尽くしたか,ということを問われているわけであるから,櫻井氏の取材が「ずさんであった」と批判は当然であろう。植村氏と植村氏の弁護団は,判決のあった〔11月〕9日,控訴することを表明している。

 2)植村 隆氏(2018年11月10日,IWJ撮影)

“【関連して付記されていた「記事の題名」の紹介】

 ※−1 【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村 隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた,悪夢のような判決」!(2018.11.9)

 ※−2 櫻井よしこ氏は,なぜ司法に「特別扱い」されたか? 改憲運動を草の根で推進する「日本会議の広告塔」だからではないか!?(11.9) 植村 隆氏裁判札幌地裁判決後の報告集会でIWJ代表・岩上安身が緊急事態条項の加憲に警鐘を鳴らす!(2018.11.9)

 ※−3 「ジャーナリスト」櫻井よしこ氏への名誉毀損訴訟 まさかの不当判決!! 「悪夢のような判決。言論で勝って,法廷で負けてしまった」(〜11.10) 岩上安身による元朝日新聞記者で現・週刊金曜日発行人の植村 隆氏・小野寺信勝弁護士インタビュー(2018.11.10)

〔記事本文はここから→〕 〔11月〕16日のFCCJでの記者会見でイタリアの「Sky TG24」の記者から「ジャーナリストとして,なぜ,植村氏に話を聞いて記事を書かなかったのか?」と質問された櫻井氏は,


 「植村氏は朝鮮半島問題の研究者である西岡 力(つとむ)氏の対談の申しこみを2回断わっている。ワックが植村氏へ反論のための紙面提供を申し出たが,それも断わっている。私は朝日新聞に質問状を送ったが『木で鼻をくくったような』回答だった。だから植村氏には話を聞かなかった」と答えた。

 櫻井氏が名前を挙げた西岡氏は,当時『現代コリア』編集長で現在は麗澤大学客員教授で,公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長。植村氏の記事が出た翌年の1992年より書籍や雑誌で記事の批判を繰り返し,1998年以降は,記事を「悪質な捏造」といって執拗に攻撃し,櫻井氏同様植村氏から名誉毀損で東京地裁に訴えられている被告である。

 自分と政治的立場が同じ西岡氏やワックの要請に応じなかったから,また,朝日新聞社の対応が悪かったからという自分の執筆活動とは無関係な理由で,自分が批判している当の本人である植村氏に取材しないまま「捏造」と攻撃することが正当とされると考えるのはあまりに馬鹿げた論理であって,話にならない。

 さらに「Sky TG24」記者に,「何人くらいの慰安婦に話を聞いたのか」と質問された櫻井氏は,以下のように答えた。

 「私は何十年も慰安婦問題を取材してきた。河野(洋平)官房長官,加藤紘一氏,外務省審議室長をしていて当時インド大使になっていた谷野作太郎氏,官房副長官の石原信雄氏,駐日韓国大使など,幅広く多くの人に取材しました。それにくわえて朝鮮半島問題の専門家である西岡氏などの話も聞いていた。慰安婦の方が語ったことの記事も読んだ。私なりに取材を尽くしたと思っているので,慰安婦の方に話を聞いてはおりません」。

 自慢話のように,長々と著名人の名前をあげてみたものの,要するに櫻井氏は朝鮮人慰安婦問題においてもっとも重要な証言者である慰安婦本人にいっさい取材をしていないということも認めたのである。(引用終わり)


 つまり,櫻井よしこは自著『櫻井よしこが取材する』(1994年)から1歩も前進することもない状態でもって,いいかえれば,従軍慰安婦問題に関しては独自の取材をしないまま,この問題に対して「事実を認める立場」から「全面的に否定する立場」に跳躍的に退歩していった。


 しかも,櫻井よしこがそのさい披露してきた立場の変化は,どこまでも言論人として基本的必要な「事実に対する調査:徹底した取材」を欠いていながら,自分が認めたくない「歴史の事実」を闇雲に否定・排除する意向だけを強弁する態度を明示していた。

 3)櫻井よしこの足跡−歴史意識の混濁化と不覚−
 問題の核心には,櫻井よしこがなぜ,従軍慰安婦問題に関する「自身の立場」をそのように「自己において矛盾するほかない方向の立場」にまで変えていったかにあった。

 最近における櫻井の言論は,たとえば「櫻井よしこ氏『憲法改正なくしてわが国の再生はない』」(『産経ニュース』2019/5/3(金)18:33 配信,https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000543-san-pol)からも伝わってくる。彼女がその後において主張するに至った「妄想的な歴史の観念」像は,「敗戦という大失敗にはまった旧大日本帝国」まで以前を郷愁するがゆえに,それまでの時代において日本が重ねてきた「歴史の過ち」を,いっさい認知したくないからであった。


 櫻井よしこ〔だけでなく同類の人たちはみなそうであるが〕は,「憲法改正なくしてわが国の再生はない」というとき,彼ら・彼女らの念頭に置かれているのは「明治憲法(大日本帝国憲法)」的な国家体制の陳腐な復活であって,21世紀の「この先にふさわしい:新しいそれ」ではない。


 明治の時代(司馬遼太郎風に表現すれば「坂の上の雲」を追い求めて,しれも自分の足下をよくみないで走りまわったすえ,結局コケてしまった「櫻井よしこ」の「みっともない姿」が目に浮かぶ。

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏は〔5月〕3日,都内で開かれた改憲派の集会で講演し,「令和の時代,立派な日本国としての歩みをさらに強めなければならない。憲法改正なくして,わが国の本当の意味の再生はない」と述べていた。

 憲法を改正しさえすれば,それで日本が「過去に栄光あったかのように映った時代」が(具体的にそれはいつだったか? そのような時代が本当に存在していたか?),必らず再来させうるし,間違いなく再興も確実にできるとでも考えているとしたら,これこそ「思いつき的な妄想どころか,完全なる白日夢である」。

 日本の政治・経済のうち経済を考えてみればいい。この後においてのこの国であるが,高齢社会がさらに高度化(深刻化)していく体制のなかで,かつての高度経済成長時代のような,あるいはこれに代わる躍動的な経済活性化が,どうやったら期待できるというのか。

 補注)ここまで落ちこんだ日本の政治・経済の実態・真相に関する分析は,最近作としてはまず,金子 勝『平成経済 衰退の本質』(岩波書店,2019年4月),つぎに,斎藤貴男『戦争経済大国』(河出書房新社,2018年4月)を挙げておく。


 前述中に登場していた安倍晋三の腹話術「人形」みたいな国会議員である杉田水脈は,これらの本のなかに書いている「敗戦後史としての日本経済盛衰の全行程」について,実は,なにもしらない・分からない〈第2次安倍政権内の・おバ▲〉国会議員の1人であった。


 より正確に批判して表現するとしたら,無知蒙昧状態のまま「国会議員」をやっている愚かな女性議員(しかも日本の全女性にとっては仇敵みたいな人物)であった。

 C 大日本帝国憲法(明治憲法)のおどろおどろしさ

 現行の日本国憲法を改正〔?〕(改悪!)し,旧大日本帝国憲法に似ている「新しい憲法」を制定してみたところで,お里は(高が)しれている。明治時代の「坂の上の雲」をもう一度夢みてみたいと思う(渇望する)のは,勝手である。だが,それでもって,21世紀における日本の政治・経済の起死回生が期待できるとか,あるいは,その程度でしかない「保守・右翼の立場」からでも,なにかよりよい変革を導きうるとでも思いこんでいるのか? 

 わけても「従軍慰安婦問題の歴史的な起源」を全面的に否定したがり,明治の時代を懐かしく思い,その時代に似たこの国の姿を追想像するしか「能のない」安倍晋三・一統は,あまりにも「自国の過去」「歴史に対する理解」が貧しすぎる。歴史を否定するにせよ,歴史を変えたいにせよそうである。

 E・H・カーは「歴史は,現在と過去との対話である」と説明していたが,もっぱら「現在に関する認識」は放置したうえで,おまけに「過去との対話」など大嫌いなまま,その「過去」が無条件でいいものだと盲信(誤信)できた安倍晋三政権的な特定の政治集団こそが,まさしく「現状のごとき〈国難〉的状況」にまで陥った「この国の惨状そのもの」をもたらしてきた。

 大日本帝国憲法(明治23:1890年)の冒頭におかれた「告文」のなかに「皇祖皇宗」「皇考」という用語が,いったい何回出ていたか。これほどまで神がかり的な文章にしておくべき憲法の前文の1種でないと,アジアで唯一後発した「大日本帝国」は,米欧帝国主義国にはとても対抗できないといった「劣等意識」(「西洋芸術と東洋〔日本?〕道徳」といった作風になる「強がり・負け惜しみの精神」)を強烈に抱いていた。

“告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ~靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟~ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメu〻國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶c諦攝iスヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ~祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
~靈此レヲ鑒ミタマヘ
 補注) なお,皇考とは,在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を指す語である。ここでは孝明天皇になる。
 まるで呪術のような文章であった。なかんずく,明治の結果:失敗は「古代史を近代史のなかにもちこみ,〈疑似神国:神聖国家〉を構想した点」が根本の原因になっていた。それでも,旧大日本帝国が体験させられた “歴史的な敗戦(敗北)の意味” は思いだしたくないらしく,いまとなっては「明治の時代」のなかになにもありうるはずもない〈宝物〉を,もう一度掘り出せるつもりでいる。しかし,21世紀のいまの時代にそのような実体はどこにも,なにもみつからない。

 明治「維新」は1868年を区切りになされたが,その後の1945年まで「77年間分の決算」は「昭和20年間分の敗北:戦時体制の終了」をもって締められた。この「歴史の失敗」を事実そのものとして,換言すれば「失敗とみなせない=〈倒錯の歴史感覚〉」そのものが,敗戦から70年以上も経った現在にもなって「またもやはっきりと」頭をもたげている。「東京裁判史観」を全面否定したところで,敗戦までの77年間における「負の歴史」じたいが「観念の世界」において一挙に払拭・消去できるわけなどない。


 大日本帝国憲法よりも,そして日本国憲法よりもいい憲法を作るための改正ならともかく,『歴史の歯車』をともかく逆に回したいだけの安倍晋三政権1派には,実のところ,まともな「歴史観」など不在であった。自分たちの頭で新しい歴史を創造できず,むろん未来への展望すら開けていない。


 明治憲法をマネしたい,だから旧日本軍(陸軍だけでなく海軍も同列であったが)のなかには「従軍慰安婦」など存在しなかった,そのような制度などありえなかったと,それも必死になって「歴史のウソ」をいいはってきた。したがって,この問題の解決に前向きであるかのような姿勢は示そうとしないまま,ただ一方的に否定しつくす考えしかもちあわせなかった。

 21世紀の現在にあってもまだ「歴史の捏造作業」,すなわち,「あった事実」を「なかった歴史:無」にしておき,なおかつ同時に,19世紀末に制定されていた明治憲法がすばらしかったかのように回想したい時代精神に,「明日はない」。それよりも,改憲するならするでなぜ,21世紀のこの先を “それこそさきどりできる憲法” を作ることに考えが及ばないのか?

 従軍慰安婦問題を “イチジクの葉っぱ” でただ隠したがるような政治姿勢は,大相撲の力士たちの星取り表にたとえていえば,「大東亜(太平洋戦争)の完敗」を,つまり成績「2勝13敗」のような事実を認められない十両西10枚目の力士のごとし……。それでも「2勝」はしていた(?)と,なおいいはるのだから,物笑いのタネにしかならない。

 安倍晋三の唱えた標語「戦後レジームからの脱却」は,在日米軍基地に首根っこを抑えられたまま,現在の日本国に関する地位を一方的かつ想念した主張であった。そのかぎりで「その脱却」はもともと無理難題であったし,できることといったらせいぜい「戦後レジームそのものの保守」化,いいかえればアメリカへの従属体制の強化である。現に安倍晋三はいつも,トランプが喜ぶ対米従属国家体制の深化・進展に全面的な協力を惜しまない。


 トランプの「お尻を舐める」ような米日主従国際関係のなかで,大日本帝国時代の従軍慰安婦問題くらいは “なかったことにしておきたい” という気持は分からなくはないものの,相手(その被害者・犠牲者)を完全に無視しなければ成立しない話題であった。


 裁判所までが安倍晋三「忖度判決」を下したところで,従軍慰安婦問題の抹消ができるわけはない。「そのもつ歴史の意味」を軽視する「国家司法の基本姿勢」は,世界中から軽蔑の視線を浴びる。このことに無頓着なこの国に特有である自己閉塞症状が露骨に現われていた。

 敗戦後史としての「対米従属国家〈日本〉」の意味を,つぎの D で考えてみたい。

 D「〈耕論〉)9条,受け取る世代は 江藤祥平さん,栗山リンダさん」(『朝日新聞』2019年5月8日朝刊13面「オピニオン」)から江藤祥平の意見を聞く

 日本国憲法が施行されて72年。原点にあるのは,第2次世界大戦での敗戦という経験だ。いま日本社会では,敗戦国としての日本像も,経済大国としての戦後日本像もしらない世代が多数になりつつある。新たな世代は9条という遺産(レガシー)をどう受けとるのか。

 江藤祥平(憲法学者,1981年生まれ)は「 “虚構” だからこそ引き受ける」という題のもとに,以下のように語っている。若干ははぶき任意に選択して段落を引用する。

 a) 2002年,米国留学した私の目に映ったのは大規模なデモの光景でした。報復的な戦争に突き進む自国政府への反対の声。他方,米国主導のイラク戦争に加担した日本は “私たちは戦争していない” という空気でした。独仏と比べても積極的に戦争を支持した国なのに,政府も国民も戦争の当事者性を引き受けていない,責任の不在を印象づけられる出来事でした。

 そんな時代に育ったせいでしょうか。「戦後日本は民主主義と平和主義の豊かな国になった」といわれても,私にはそれは虚構,フィクションとしか思えませんでした。防衛を米国に肩代わりしてもらうことで自身は経済成長に専念し,米軍基地の負担は沖縄に押しつけることでなり立っていた側面が,戦後日本にはあるからです。

 b) 憲法9条の存在じたいには意味があったと私は考えます。軍拡を抑え,軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は,国際社会の信頼をえてきました。ただし,どこまで「下からの平和主義」だったかは疑問です。市民運動もありましたが,とくに1970年代以降は市民も無関心を深め,政治や法律のプロに任せっきりだったように思います。

 昨今の集団的自衛権の行使容認にしても,それを食い止めうる「われわれ」が存在しなかったのが現実でしょう。そんないまだからこそ,9条の原点に立ち返るべきだと私は思います。憲法前文と9条の特徴は,自国だけではなく世界の平和をも実現しようとする崇高な理想が刻みこまれている点だと私はみます。

 自衛権の行使を否定しているとは考えませんが,「戦力」に当たる実力の保持は禁止しており,他国の武力に対して劣勢に立つことが織りこみずみです。他国の侵略には国連など国際社会による介入で対応することが前提とされてもおり,現実の世界をみれば,相当の覚悟を要することです。しかし,それでも正義の原理にもとづく国際社会を作りあげる取り組みを国民に求めたのが9条です。

 c) 他国の平和にまで配慮したものですから,真剣に受け止めるなら,戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ,歴史の一歩先をいく性格を帯びた背景には,多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面からみれば,弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものともいえるでしょう。

 しかし,平和な国際社会を実現する覚悟をもつ「われわれ」が立ち上がったかといえば疑問です。政治は米国に追従し,国連に本来の役割を果たさせる改革を使命とはしてきませんでした。もちろん政治は国民の映し鏡です。国民に覚悟がないから,覚悟しないことが政治家の得になったのでしょう。

 9条の理想を追求する日本国民という物語は,それが虚構であるからこそ,引き受ける覚悟がなければなり立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。現実政治をみれば,そうした「われわれ」が立ち上がるみこみは小さいでしょう。しかし,その細い道筋を絶やさず追求しつづけることが必要なのだと私は考えます。(聞き手 編集委員・塩倉 裕)(引用終わり)


 日本国憲法第9条はいうまでもなく,「在日米軍基地」の実在によって裏支えされてきた。その第1条から第8条の「天皇・天皇制」の問題も合わせ鏡の要領で存在させられてきた。だが,江藤祥平は新聞紙上に公表されたインタビュー記事のなかでは,天皇関連への言及はない。


 在日米軍基地の問題に関する発言も,憲法学者としてごく人並みであって,格別の含意は示唆されていない。日本国民「だけの立場の問題」が特別にあるかのようにも語っている。だが,そうした論理・議論だけでは,安倍晋三たちのような「改憲したい欲望」をまともにとりあげ,対抗するための理論・思想の準備はしにくい。

 憲法の「第1条から第8条まで」と「第9条」とのあいだには,日本が敗戦してからずっと置かれている「在日米軍基地の存在」の問題があった。この問題はもちろん,憲法学者が本格的に議論してきたものの,最近ではもとは素人であった矢部宏治の議論がその論点を分かりやすく解説してくれている。

 日本国の現状はいまだに半国家であり,つまり半独立国だといっても過言ではない。この現実を踏まえない9条擁護の主張も,安倍晋三たちにおける改憲の欲望も,日本に暮らし生きているわれわれの日常生活とはかけ離れている。安倍の改憲への意欲が,現状のごとき「対米従属国家:日本」の現状を,さらに固定化させる役目を発揮しないとはかぎらず,むしろその方途に向かう〈危険性〉のほうが確実に大である。


 「戦後レジームからの脱却」? 誇大妄想である。在日米軍基地をすべて撤去してから,そのような夢想をいいだしたらよいのであって,そのあとになってようやく,日本がアジアの東端に位置する国家としてどのような役割を果たすべきかについても,おのずと議論の方途が開け,そのための具体的な目標も設定できるかもしれない。


 現在のところ,どうみてもトランプの飼い犬みたいな「迷・忠犬:シンゾー」に,そうした国際政治次元の任務・課題にとりくめと指示したところで,「ネズミに向かい人間の乗る馬車を引け」というに等しい。


 このままだと日本は,今後に向けて凋落・衰退の一途しか展望できない。安倍晋三には,その展望「観」をくつがえすだけの政治理念も体系理論も,そして政治家としての覚悟も力量もない。いままでに彼が成就させてきた「日本を破壊していくための為政」であれば,これだけは確かに結果を出せている。まったくもって,にっちもさっちもいかないこの国にさせたのが,この安倍晋三という名の「亡国・国難の首相」である。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/217.html#c13

[近代史3] 自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち 中川隆
18. 中川隆[-9284] koaQ7Jey 2019年6月26日 05:41:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3215]

社会科学者の随想 2019年05月08日
櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html

【櫻井よしこ著『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)に記録されていた「ジャーナリスト本来の〈よしこの面影〉」は,いまいずこ】

【言論界関係人士にみる「資質と才能」と「思想と精神」の劣化および溶融現象】

【従軍慰安婦問題に関する典型的二枚舌的な見解変節の「実例:櫻井よしこ」】

【この国を凋落させ,衰退させる一途に拍車をかけてきた安倍晋三政権の体たらく的なくだらなさ】


 @ 徃住(とこずみ)嘉文「 櫻井よしこ氏は『慰安婦』を『日本軍強制説』で報じていた」(『週刊金曜日 オンライン』2019年4月19日 6:20PM,『週刊金曜日』2019年4/19号,http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/04/19/news-38/)『週刊金曜日オンライン』2019年4月19日櫻井よしこ
 『朝日新聞』の日本軍「慰安婦」の記事を「強制連行を捏造した」と非難している櫻井よしこ氏が,自身も「日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たち」とテレビ,雑誌で報道していたことが分かった。自身の報道を棚にあげ,他者を「捏造」呼ばわりするのはアンフェアではないだろうか。

“   望月衣塑子ツイート2019年5月2日櫻井よしこ
 櫻井よしこ氏がキャスターを務めていた日本テレビのニュース番組「NNNきょうの出来事」とみられる動画がある。1992年12月9日,東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」を,櫻井氏に瓜二つの女性はこう放送した。

 「第2次世界大戦中に,日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たちが,当時の様子を生々しく証言しました」。画面では「韓国人元慰安婦」の字幕とともにチマチョゴリ姿の元「慰安婦」が公聴会の壇上で叫ぶ。「私の一生を台無しにして! 日本政府は隠さないでしっかり謝罪したらどうなの!」

 男性アナウンサーの声。「これは元従軍慰安婦らから事情を聴き日本政府に謝罪と戦後補償を求める公聴会です。今回初めて名乗り出たオランダや北朝鮮の元従軍慰安婦8人が当時の様子を生々しく語りました」。

 壇上では元「慰安婦」たちが泣いている。字幕の説明。「感極まって,韓国と北朝鮮の元慰安婦が抱き合った」。中国の元「慰安婦」,万 愛花さん(64歳,当時)のインタビューもある。「私は15歳でした。日本軍に襲われて両手両足を押さえられ,乱暴されました」。約3分弱の動画だ。

 フェイクの時代だ。万が一にもと日本テレビに動画の確認をお願いした。「放送したものがすべて。答えられない」。櫻井氏からも「裁判中なので」と取材を断わられた。

  ※「責任痛感すべき私たち」※


 しかし,櫻井氏は1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)でもつぎのように書いている(前掲した画像資料のこと)。

“櫻井よしこ 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。

 櫻井氏は,この記事などを再録し『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社)を1994年に出版した(右上画像はこの本の表紙カバーと帯)。少なくともこの年まで,櫻井氏は,日本が国策として強制的に「慰安婦」にしたと伝えていたことになる。ちなみに,手元にある本は櫻井氏のサイン入りだ。フェイク本ではおそらく,ない。
(徃住嘉文・報道人,2019年4月19日号)

“ ※同上記事の編注):元『朝日新聞』記者の植村 隆氏が,元日本軍「慰安婦」に関する記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして,櫻井氏を訴えた札幌訴訟について,〔2019年〕4月19日(金)発売の『週刊金曜日』4月19日号が詳しく報じている。同誌は書店などで販売する紙版のほか,アプリを使った電子版でも購読できる。


 さて『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)は昔,櫻井自身が従軍慰安婦問題について公表していた文章,「従軍慰安婦問問題の責任」(前出の『週刊時事』1992年7月18日号に初出)を,27−29頁に収録していた。この「従軍慰安婦問題」に関する “その3頁分” を画像資料のかたちで,以下に紹介しておく。これは,櫻井自身が従軍慰安婦問題について「取材して書いた文章であった」はずである。


櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』27頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』28頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』29頁


 また本ブログ内には,関連する記述がいくつかあるが,2018年11月12日に公表されたつぎの1編のみ紹介しておく。


“ 主題「安倍晋三を忖度する裁判官が下した従軍慰安婦問題関係の判決,政権のための審理をしないと左遷される裁判官の『へっぴり腰:判断』」

  副題1「従軍慰安婦問題の『裁判』に関して,『櫻井よしこ側の非』は確実に認めるが,植村 隆からの『櫻井に対する損害賠償の請求』は認めないという腸捻転の判決は,安倍晋三という『個人の首相』を忖度しただけの『国策的でありかつ反市民的な,そしてネトウヨ的な』偏向裁判」

  副題2「従軍慰安婦が歴史的に存在した事実を認めたくない安倍晋三君の意に,そのまま即した判決を下した裁判所・裁判官の『気の毒な利害状況と精神状態』」

  副題3「権力・支配・体制側の単なる召使いになり下がっている日本の裁判所は,安倍晋三サマのための判決しか出せないというみじめな現状」

  リンク先 ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1073122842.html

 A「慰安婦問題検証映画『主戦場』で極右論客たちが衝撃のトンデモ発言! 櫻井よしこ,杉田水脈,テキサス親父,加瀬英明…」(『リテラ』2019.04.27 11:30)

 a) 戦中の日本軍による慰安婦問題を題材にした映画『主戦場』が,反響を呼んでいる。

 出演者には杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏,藤岡信勝氏,テキサス親父ことトニー・マラーノ氏,櫻井よしこ氏などといった従軍慰安婦を否定・矮小化する極右ネトウヨ論客が勢揃い。「慰安婦はフェイク」と喧伝する歴史修正主義者たちと,慰安婦問題に取り組むリベラル派の学者や運動家らがスクリーンのなかで “激突” するドキュメンタリー作品だ。

 同作の見所はなんといっても,慰安婦問題をめぐる国内外の “論客” を中心とする30名余りへのインタビューだろう。

 櫻井よしこ氏ら “極右オールスターズ” の面々は「慰安婦は売春婦だった」「合法であり犯罪ではない」「慰安婦像設置の背景には中国の思惑がある」などの主張を展開。これに対して,吉見義明・中央大学名誉教授や「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈事務局長,韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹 美香常任代表らが反論を展開する。

『リテラ』2019年4月27日櫻井よしこ画像

 出演者らは顔を付きあわせて討論するわけではないが,論点を明確にして構成されていることで主張の対立点や強度を意識しやすく,ハイテンポなカット割りも相まって飽きさせない。映画は双方の主張を取材や資料を用いて細かく比較・検証し,その矛盾や恣意性を明らかにしていく。

 b) とくに,本サイトがオススメする同作の鑑賞法は,歴史修正主義者の口から発せられる主張のトンデモさをじっくりと吟味することだ。

 たとえば保守派の重鎮で,慰安婦否定論者の加瀬英明氏(日本会議代表委員)の場合,「慰安婦問題に関して正しい歴史認識をしている歴史家は?」と聞かれて「私がそのひとり」と自認する。

 しかし驚くことに,加瀬は慰安婦問題研究の第1人者のひとりである吉見名誉教授のことは「しりません」と嘯く。それどころか,保守派の歴史家である秦 郁彦・千葉大学名誉教授の著書すら「読んだことない」「人の書いたものあまり読まないんです。怠け者なもんで」などと宣うのだ。

 ちなみに,加瀬氏は「『慰安婦の真実』国民運動」という団体の代表も務めている。この極右団体は昨〔2018〕年,監事(当時)の藤井実彦氏が台湾で慰安婦像を蹴り,大きな国際問題になったことも記憶に新しい。ほかにも,同会は加瀬氏自身の名義で地方地じたいが慰安婦問題を扱う映画を後援することにクレームをつけている。そんな人物が,基本的な慰安婦研究すら「しらない」「読んだことない」などと恥ずかしげもなく開陳するのだから,呆れてものもいえない。

 c) もちろん,右派のトンデモはこれだけではない。右派陣営のインタビューからは明確な人種差別・性差別の意識が浮かび上がる。

 たとえば杉田水脈は “米国での慰安婦像設置のバックにいるのは中国” などといい出し,「どんなにがんばっても中国や韓国は日本より優れた技術がもてないからプロパガンダで日本を貶めている」と陰謀論を全開。さらには「日本が特殊なんだと思います。日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」「嘘は当たりまえっていう社会と,嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」とヘイトスピーチを連発する。
 補注)この水田水脈のとくにアジア諸国における企業経営の実態,それも技術水準に関する見解(?),「中国や韓国は日本より優れた技術がもてない」という思いこみは,まったく根拠のない四半世紀前であれば一部でいえたかもしれないそれであった。水田は,自分が産業経済・産業経営の実態に関して “本当に無知である” (まともな知識も情報ももちあわない点)をわざわざ告白するために,そのように発言したとしか受けとりようがない。

 また,テキサス親父は「慰安婦像をみにいったとき,私は(像の顔にかぶせるための)紙袋をもっていった。それがふさわしいと思ってね。ブサイクのガラクタには紙袋がお似合いだ」などと笑いながら語り,テキサス親父のマネージャーである藤木俊一氏は,「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。要するに誰にも相手されないような女性。心も汚い,みた目も汚い。こういう人たちなんですよ」といい放つ。


 映画のなかでもナレーションで「差別意識が元慰安婦は偽証しているとの考えにつがっているようだ」とはっきり指摘されていたが,まさにそのとおりとしかいいようがないだろう。

 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html


 d)「暴かれるIWG−報告書の虚構と櫻井よしこの調査費支払いの事実」 慰安婦問題をめぐる右派の性差別的・人種差別的な態度については,映画の後半でも「元修正主義者」と紹介される女性が証言する。

 補注)IWGとは「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班」の略字イニシャル。後段にも出てくる。

 保守界隈に身を置いた立場から否定主義者たちの振るまいについて語るのだが,実はこの女性は,数年前まで「ネクスト櫻井よしこ」として保守論壇で注目を浴び,実際,右派の月刊誌にもなんどか寄稿したことのある人物。だが,あるときから「ナショナリスト」たちの主張を疑うようになり,いまは距離を置いているという。

 さらに,この女性が “否定主義者の嘘” を告白する場面は,映画『主戦場』のハイライトのひとつとなっている。詳しくは劇場で直接みていただきたいのだが,ここでは予備知識として,あるいは鑑賞後のための補足情報として記しておこう。


 はじまりは,産経新聞が2014年11月1日の紙面で「著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた」として,マイケル・ヨン氏というフリージャーナリストを紹介したことだった。


 これに続けて産経は,同月27日付で「慰安婦『奴隷化』文書なし 米政府2007年報告に明記」と題した記事を掲載。ともに古森義久・ワシントン駐在客員特派員による署名記事である。書き出しはこうだ。

 「米政府がクリントン,ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で,日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「助成の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった」。


 記事のいう「大規模な再調査」というのは,2007年に米政府がまとめた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班米国議会あて最終報告」(通称・IWG報告書)のことを指している。


 産経は,「慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト,マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により,慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された」として,IWG報告書のなかに「慰安婦関連は皆無」だったことを根拠に「日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される」と書いた。


 マイケル・ヨン氏は「IWG報告書をスクープ」ともてはやされ,『正論』(産経新聞社)や『週刊文春』(文藝春秋)でも「報告書は『20万人の女性を強制連行して性奴隷にした』という事実がいっさいないことを証明している」などと触れまわった。


 これ以降,保守界隈では「結果的にIWGは『慰安婦を軍が強制連行などして性奴隷とした証拠はなかった』とするもの」(ケント・ギルバート)などとして広く流通。要するに,IWG報告書は右派陣営から “慰安婦問題の犯罪性を否定する切り札” として扱われてきた。

 e) ところが,である。映画『主戦場』では,このIWG報告書をめぐる右派の言説が見事にひっくり返される。実は,前述の「元修正主義者」の女性こそ,ヨン氏とは別の米国人とともにくだんの報告書を「発見」した人物で,いわば真のオリジネーター。その彼女が,映画のなかで後悔の言葉とともに語るのが ,“IWG報告書をめぐる右派の宣伝がいかに虚構であるか” という具体的な説明なのだ。

 しかも,映画のなかでは名指しこそされていないが,マイケル・ヨン氏は慰安婦問題をめぐって,普通ではとうてい考えられない額の「調査費」まで受けとっていたとされる。実際,ヨン氏は自身のブログに〈櫻井女史らは,私に調査をするようにお金を支払った〉と記しているのだ。あまりに生臭い話だが,映画ではこの「高額調査費」問題についても監督が櫻井氏に直撃しているので,ぜひ櫻井氏の “反応” をスクリーンで確認してほしい。
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_2.html

 ちなみに,映画の公開前には,出演者に極右歴史修正主義者やネトウヨ文化人が多数ラインナップされていることから「否定派の宣伝になるのではないか」との懸念の声もネット上で散見された。だが,この映画は単なる「両論併記」で終わらない。


 f) 本作が映画デビュー作となるミキ・デザキ監督は,1983年生まれの日系アメリカ人2世。日本での英語教師や YouTuber,タイでの僧侶経験もあるという異色の映像作家だ。


 2013年に YouTube で,日本社会のなかのレイシズムの存在を指摘したところ,ネトウヨに炎上させられた。そうしたなかで,朝日新聞の植村 隆・元記者に対するバッシングを目の当たりし,慰安婦問題への関心を高めたという。両陣営から介入されないため,クラウドファウンディングで資金を集めて『主戦場』を製作した。

 デザキ氏は本サイトの取材に対し,「両方の主張のどちらがより筋が通っているかを比較するべき」と語る。

 「論点を並べて “どっちもどっちだ” というやり方は,実のところ政治的なスタンスの表明にほかなりません。慰安婦問題に関しては,いま日本では右派の主張がメインストリームになっている。そこに挑戦を示さないことは,彼らのいいなりになるということであり,その現状を容認することにほかなりませんから。日本のメディアの多くは両論併記を落としどころにしていますが,それは,客観主義を装うことで,語るべきことにライトを当てていないということ。単に並べるだけでなく,比較することで生まれる結論があります」。

 g) 従軍慰安婦をめぐる否定派 / 肯定派の「論争」にスポットライトを当てながらも,決して “どっちもどっち” にならない映画『主戦場』。終盤では,日本の歴史修正主義の背景にある極右団体「日本会議」や安倍晋三首相に連なる戦後日本政治の流れもフォーカスされる。


 一般公開に先駆けておこなわれた日本外国特派員協会での上映会後の質疑応答では,デザキ監督に対し否定派の言論人から批判的な質問も飛んだ。


 4月19日には,日本会議が〈この映画には,日本会議に関して著しい事実誤認が含まれている〉などとする声明をHPで公表。


 4月25日発売の『正論』ではケント・ギルバート氏が「とてもみるに値しない映画」などとこき下ろしている。


 まさに大慌てといった感じだが,要するに,それだけ否定論者たちの核心に迫った映画だということだろう。いずれにせよ,判断するのは観客だ。(編集部)
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_3.html

 B「『私は歴史修正主義者ではないし日本会議とは何の関係もない』!? 植村 隆氏による名誉毀損裁判の判決を受け,櫻井よしこ氏が日本外国特派員協会での記者会見で弁明連発! 墓穴掘りまくり!! 」(『IWJ』2018.11.16,記事公開日:2018.11.19,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435811)(取材・文:IWJ編集部 文責:岩上安身)

 以下は,特集「IWJが追ったヘイトスピーチ問題〈特集 戦争の代償と歴史認識〉」(2018年11月22日全文書き起こしを追加,27日に加筆修正)である

 −−「私はリビジョニスト(歴史修正主義者)ではないし,日本会議とは,なんの関係もありません」。記者会見の冒頭,司会者から「リーディング・リビジョニスト(歴史修正主義の指導者)」と紹介され,日本会議との深い関係も指摘されたジャーナリストの櫻井よしこ氏は,「一方的な見方をしているのではないか」と述べ,「話の前提が間違っている」と強く否定した。

 しかし,どう抗弁しようとも,櫻井氏が「草の根改憲運動」を進める日本会議の会長である田久保忠衛(ただえ)氏や前会長の三好 達(とおる)氏とともに「美しい日本の憲法を作る国民の会」共同代表であることは公の事実である。改憲推進の旗振り役として,ことあるごとに広告塔の役割を果たしてきた櫻井氏のいう「なんの関係もない」とは,単に「日本会議のメンバーとして登録はしていない」というだけに過ぎない。

 2018年11月16日,櫻井よしこ氏は,元朝日新聞記者の植村 隆氏から従軍慰安婦の記事をめぐり名誉毀損で訴えられていた裁判の判決について,日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見をおこなった。

 1)櫻井よしこ氏
 元朝日新聞記者の植村 隆氏(現・『週刊金曜日』発行人)が1991年8月,朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり,記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した,ジャーナリストの櫻井よしこ氏と櫻井氏の記事を掲載した株式会社新潮社,株式会社ワック,株式会社ダイヤモンド社を植村氏が名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で,2018年11月9日,岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決をいい渡した。

 判決は,「櫻井氏の記事には植村氏の社会的評価を低下させる表現があったが,櫻井氏が参照した資料には,櫻井氏が真実だと信じるに足る相当の理由があった(真実相当性)ため,櫻井氏の表現は名誉毀損に当たらない」というものだった。

 しかし,裁判の過程で櫻井氏は,植村氏を批判した記事の根拠とした,朝鮮人従軍慰安婦,金 学順(キム・ハクスン)さんの訴状の記述が実際には書かれていないことを指摘され,これを認め,訂正している。

 判決にある「真実相当性」とは,いいかえれば,真実であると信じられるまで十分取材を尽くしたか,ということを問われているわけであるから,櫻井氏の取材が「ずさんであった」と批判は当然であろう。植村氏と植村氏の弁護団は,判決のあった〔11月〕9日,控訴することを表明している。

 2)植村 隆氏(2018年11月10日,IWJ撮影)

“【関連して付記されていた「記事の題名」の紹介】

 ※−1 【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村 隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた,悪夢のような判決」!(2018.11.9)

 ※−2 櫻井よしこ氏は,なぜ司法に「特別扱い」されたか? 改憲運動を草の根で推進する「日本会議の広告塔」だからではないか!?(11.9) 植村 隆氏裁判札幌地裁判決後の報告集会でIWJ代表・岩上安身が緊急事態条項の加憲に警鐘を鳴らす!(2018.11.9)

 ※−3 「ジャーナリスト」櫻井よしこ氏への名誉毀損訴訟 まさかの不当判決!! 「悪夢のような判決。言論で勝って,法廷で負けてしまった」(〜11.10) 岩上安身による元朝日新聞記者で現・週刊金曜日発行人の植村 隆氏・小野寺信勝弁護士インタビュー(2018.11.10)

〔記事本文はここから→〕 〔11月〕16日のFCCJでの記者会見でイタリアの「Sky TG24」の記者から「ジャーナリストとして,なぜ,植村氏に話を聞いて記事を書かなかったのか?」と質問された櫻井氏は,


 「植村氏は朝鮮半島問題の研究者である西岡 力(つとむ)氏の対談の申しこみを2回断わっている。ワックが植村氏へ反論のための紙面提供を申し出たが,それも断わっている。私は朝日新聞に質問状を送ったが『木で鼻をくくったような』回答だった。だから植村氏には話を聞かなかった」と答えた。

 櫻井氏が名前を挙げた西岡氏は,当時『現代コリア』編集長で現在は麗澤大学客員教授で,公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長。植村氏の記事が出た翌年の1992年より書籍や雑誌で記事の批判を繰り返し,1998年以降は,記事を「悪質な捏造」といって執拗に攻撃し,櫻井氏同様植村氏から名誉毀損で東京地裁に訴えられている被告である。

 自分と政治的立場が同じ西岡氏やワックの要請に応じなかったから,また,朝日新聞社の対応が悪かったからという自分の執筆活動とは無関係な理由で,自分が批判している当の本人である植村氏に取材しないまま「捏造」と攻撃することが正当とされると考えるのはあまりに馬鹿げた論理であって,話にならない。

 さらに「Sky TG24」記者に,「何人くらいの慰安婦に話を聞いたのか」と質問された櫻井氏は,以下のように答えた。

 「私は何十年も慰安婦問題を取材してきた。河野(洋平)官房長官,加藤紘一氏,外務省審議室長をしていて当時インド大使になっていた谷野作太郎氏,官房副長官の石原信雄氏,駐日韓国大使など,幅広く多くの人に取材しました。それにくわえて朝鮮半島問題の専門家である西岡氏などの話も聞いていた。慰安婦の方が語ったことの記事も読んだ。私なりに取材を尽くしたと思っているので,慰安婦の方に話を聞いてはおりません」。

 自慢話のように,長々と著名人の名前をあげてみたものの,要するに櫻井氏は朝鮮人慰安婦問題においてもっとも重要な証言者である慰安婦本人にいっさい取材をしていないということも認めたのである。(引用終わり)


 つまり,櫻井よしこは自著『櫻井よしこが取材する』(1994年)から1歩も前進することもない状態でもって,いいかえれば,従軍慰安婦問題に関しては独自の取材をしないまま,この問題に対して「事実を認める立場」から「全面的に否定する立場」に跳躍的に退歩していった。


 しかも,櫻井よしこがそのさい披露してきた立場の変化は,どこまでも言論人として基本的必要な「事実に対する調査:徹底した取材」を欠いていながら,自分が認めたくない「歴史の事実」を闇雲に否定・排除する意向だけを強弁する態度を明示していた。

 3)櫻井よしこの足跡−歴史意識の混濁化と不覚−
 問題の核心には,櫻井よしこがなぜ,従軍慰安婦問題に関する「自身の立場」をそのように「自己において矛盾するほかない方向の立場」にまで変えていったかにあった。

 最近における櫻井の言論は,たとえば「櫻井よしこ氏『憲法改正なくしてわが国の再生はない』」(『産経ニュース』2019/5/3(金)18:33 配信,https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000543-san-pol)からも伝わってくる。彼女がその後において主張するに至った「妄想的な歴史の観念」像は,「敗戦という大失敗にはまった旧大日本帝国」まで以前を郷愁するがゆえに,それまでの時代において日本が重ねてきた「歴史の過ち」を,いっさい認知したくないからであった。


 櫻井よしこ〔だけでなく同類の人たちはみなそうであるが〕は,「憲法改正なくしてわが国の再生はない」というとき,彼ら・彼女らの念頭に置かれているのは「明治憲法(大日本帝国憲法)」的な国家体制の陳腐な復活であって,21世紀の「この先にふさわしい:新しいそれ」ではない。


 明治の時代(司馬遼太郎風に表現すれば「坂の上の雲」を追い求めて,しれも自分の足下をよくみないで走りまわったすえ,結局コケてしまった「櫻井よしこ」の「みっともない姿」が目に浮かぶ。

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏は〔5月〕3日,都内で開かれた改憲派の集会で講演し,「令和の時代,立派な日本国としての歩みをさらに強めなければならない。憲法改正なくして,わが国の本当の意味の再生はない」と述べていた。

 憲法を改正しさえすれば,それで日本が「過去に栄光あったかのように映った時代」が(具体的にそれはいつだったか? そのような時代が本当に存在していたか?),必らず再来させうるし,間違いなく再興も確実にできるとでも考えているとしたら,これこそ「思いつき的な妄想どころか,完全なる白日夢である」。

 日本の政治・経済のうち経済を考えてみればいい。この後においてのこの国であるが,高齢社会がさらに高度化(深刻化)していく体制のなかで,かつての高度経済成長時代のような,あるいはこれに代わる躍動的な経済活性化が,どうやったら期待できるというのか。

 補注)ここまで落ちこんだ日本の政治・経済の実態・真相に関する分析は,最近作としてはまず,金子 勝『平成経済 衰退の本質』(岩波書店,2019年4月),つぎに,斎藤貴男『戦争経済大国』(河出書房新社,2018年4月)を挙げておく。

 前述中に登場していた安倍晋三の腹話術「人形」みたいな国会議員である杉田水脈は,これらの本のなかに書いている「敗戦後史としての日本経済盛衰の全行程」について,実は,なにもしらない・分からない〈第2次安倍政権内の・おバ▲〉国会議員の1人であった。

 より正確に批判して表現するとしたら,無知蒙昧状態のまま「国会議員」をやっている愚かな女性議員(しかも日本の全女性にとっては仇敵みたいな人物)であった。

 C 大日本帝国憲法(明治憲法)のおどろおどろしさ

 現行の日本国憲法を改正〔?〕(改悪!)し,旧大日本帝国憲法に似ている「新しい憲法」を制定してみたところで,お里は(高が)しれている。明治時代の「坂の上の雲」をもう一度夢みてみたいと思う(渇望する)のは,勝手である。だが,それでもって,21世紀における日本の政治・経済の起死回生が期待できるとか,あるいは,その程度でしかない「保守・右翼の立場」からでも,なにかよりよい変革を導きうるとでも思いこんでいるのか? 

 わけても「従軍慰安婦問題の歴史的な起源」を全面的に否定したがり,明治の時代を懐かしく思い,その時代に似たこの国の姿を追想像するしか「能のない」安倍晋三・一統は,あまりにも「自国の過去」「歴史に対する理解」が貧しすぎる。歴史を否定するにせよ,歴史を変えたいにせよそうである。

 E・H・カーは「歴史は,現在と過去との対話である」と説明していたが,もっぱら「現在に関する認識」は放置したうえで,おまけに「過去との対話」など大嫌いなまま,その「過去」が無条件でいいものだと盲信(誤信)できた安倍晋三政権的な特定の政治集団こそが,まさしく「現状のごとき〈国難〉的状況」にまで陥った「この国の惨状そのもの」をもたらしてきた。

 大日本帝国憲法(明治23:1890年)の冒頭におかれた「告文」のなかに「皇祖皇宗」「皇考」という用語が,いったい何回出ていたか。これほどまで神がかり的な文章にしておくべき憲法の前文の1種でないと,アジアで唯一後発した「大日本帝国」は,米欧帝国主義国にはとても対抗できないといった「劣等意識」(「西洋芸術と東洋〔日本?〕道徳」といった作風になる「強がり・負け惜しみの精神」)を強烈に抱いていた。

“告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ~靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟~ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメu〻國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶c諦攝iスヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ~祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
~靈此レヲ鑒ミタマヘ
 補注) なお,皇考とは,在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を指す語である。ここでは孝明天皇になる。
 まるで呪術のような文章であった。なかんずく,明治の結果:失敗は「古代史を近代史のなかにもちこみ,〈疑似神国:神聖国家〉を構想した点」が根本の原因になっていた。それでも,旧大日本帝国が体験させられた “歴史的な敗戦(敗北)の意味” は思いだしたくないらしく,いまとなっては「明治の時代」のなかになにもありうるはずもない〈宝物〉を,もう一度掘り出せるつもりでいる。しかし,21世紀のいまの時代にそのような実体はどこにも,なにもみつからない。

 明治「維新」は1868年を区切りになされたが,その後の1945年まで「77年間分の決算」は「昭和20年間分の敗北:戦時体制の終了」をもって締められた。この「歴史の失敗」を事実そのものとして,換言すれば「失敗とみなせない=〈倒錯の歴史感覚〉」そのものが,敗戦から70年以上も経った現在にもなって「またもやはっきりと」頭をもたげている。「東京裁判史観」を全面否定したところで,敗戦までの77年間における「負の歴史」じたいが「観念の世界」において一挙に払拭・消去できるわけなどない。


 大日本帝国憲法よりも,そして日本国憲法よりもいい憲法を作るための改正ならともかく,『歴史の歯車』をともかく逆に回したいだけの安倍晋三政権1派には,実のところ,まともな「歴史観」など不在であった。自分たちの頭で新しい歴史を創造できず,むろん未来への展望すら開けていない。


 明治憲法をマネしたい,だから旧日本軍(陸軍だけでなく海軍も同列であったが)のなかには「従軍慰安婦」など存在しなかった,そのような制度などありえなかったと,それも必死になって「歴史のウソ」をいいはってきた。したがって,この問題の解決に前向きであるかのような姿勢は示そうとしないまま,ただ一方的に否定しつくす考えしかもちあわせなかった。

 21世紀の現在にあってもまだ「歴史の捏造作業」,すなわち,「あった事実」を「なかった歴史:無」にしておき,なおかつ同時に,19世紀末に制定されていた明治憲法がすばらしかったかのように回想したい時代精神に,「明日はない」。それよりも,改憲するならするでなぜ,21世紀のこの先を “それこそさきどりできる憲法” を作ることに考えが及ばないのか?

 従軍慰安婦問題を “イチジクの葉っぱ” でただ隠したがるような政治姿勢は,大相撲の力士たちの星取り表にたとえていえば,「大東亜(太平洋戦争)の完敗」を,つまり成績「2勝13敗」のような事実を認められない十両西10枚目の力士のごとし……。それでも「2勝」はしていた(?)と,なおいいはるのだから,物笑いのタネにしかならない。

 安倍晋三の唱えた標語「戦後レジームからの脱却」は,在日米軍基地に首根っこを抑えられたまま,現在の日本国に関する地位を一方的かつ想念した主張であった。そのかぎりで「その脱却」はもともと無理難題であったし,できることといったらせいぜい「戦後レジームそのものの保守」化,いいかえればアメリカへの従属体制の強化である。現に安倍晋三はいつも,トランプが喜ぶ対米従属国家体制の深化・進展に全面的な協力を惜しまない。


 トランプの「お尻を舐める」ような米日主従国際関係のなかで,大日本帝国時代の従軍慰安婦問題くらいは “なかったことにしておきたい” という気持は分からなくはないものの,相手(その被害者・犠牲者)を完全に無視しなければ成立しない話題であった。


 裁判所までが安倍晋三「忖度判決」を下したところで,従軍慰安婦問題の抹消ができるわけはない。「そのもつ歴史の意味」を軽視する「国家司法の基本姿勢」は,世界中から軽蔑の視線を浴びる。このことに無頓着なこの国に特有である自己閉塞症状が露骨に現われていた。

 敗戦後史としての「対米従属国家〈日本〉」の意味を,つぎの D で考えてみたい。

 D「〈耕論〉)9条,受け取る世代は 江藤祥平さん,栗山リンダさん」(『朝日新聞』2019年5月8日朝刊13面「オピニオン」)から江藤祥平の意見を聞く

 日本国憲法が施行されて72年。原点にあるのは,第2次世界大戦での敗戦という経験だ。いま日本社会では,敗戦国としての日本像も,経済大国としての戦後日本像もしらない世代が多数になりつつある。新たな世代は9条という遺産(レガシー)をどう受けとるのか。

 江藤祥平(憲法学者,1981年生まれ)は「 “虚構” だからこそ引き受ける」という題のもとに,以下のように語っている。若干ははぶき任意に選択して段落を引用する。

 a) 2002年,米国留学した私の目に映ったのは大規模なデモの光景でした。報復的な戦争に突き進む自国政府への反対の声。他方,米国主導のイラク戦争に加担した日本は “私たちは戦争していない” という空気でした。独仏と比べても積極的に戦争を支持した国なのに,政府も国民も戦争の当事者性を引き受けていない,責任の不在を印象づけられる出来事でした。

 そんな時代に育ったせいでしょうか。「戦後日本は民主主義と平和主義の豊かな国になった」といわれても,私にはそれは虚構,フィクションとしか思えませんでした。防衛を米国に肩代わりしてもらうことで自身は経済成長に専念し,米軍基地の負担は沖縄に押しつけることでなり立っていた側面が,戦後日本にはあるからです。

 b) 憲法9条の存在じたいには意味があったと私は考えます。軍拡を抑え,軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は,国際社会の信頼をえてきました。ただし,どこまで「下からの平和主義」だったかは疑問です。市民運動もありましたが,とくに1970年代以降は市民も無関心を深め,政治や法律のプロに任せっきりだったように思います。

 昨今の集団的自衛権の行使容認にしても,それを食い止めうる「われわれ」が存在しなかったのが現実でしょう。そんないまだからこそ,9条の原点に立ち返るべきだと私は思います。憲法前文と9条の特徴は,自国だけではなく世界の平和をも実現しようとする崇高な理想が刻みこまれている点だと私はみます。

 自衛権の行使を否定しているとは考えませんが,「戦力」に当たる実力の保持は禁止しており,他国の武力に対して劣勢に立つことが織りこみずみです。他国の侵略には国連など国際社会による介入で対応することが前提とされてもおり,現実の世界をみれば,相当の覚悟を要することです。しかし,それでも正義の原理にもとづく国際社会を作りあげる取り組みを国民に求めたのが9条です。

 c) 他国の平和にまで配慮したものですから,真剣に受け止めるなら,戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ,歴史の一歩先をいく性格を帯びた背景には,多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面からみれば,弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものともいえるでしょう。

 しかし,平和な国際社会を実現する覚悟をもつ「われわれ」が立ち上がったかといえば疑問です。政治は米国に追従し,国連に本来の役割を果たさせる改革を使命とはしてきませんでした。もちろん政治は国民の映し鏡です。国民に覚悟がないから,覚悟しないことが政治家の得になったのでしょう。

 9条の理想を追求する日本国民という物語は,それが虚構であるからこそ,引き受ける覚悟がなければなり立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。現実政治をみれば,そうした「われわれ」が立ち上がるみこみは小さいでしょう。しかし,その細い道筋を絶やさず追求しつづけることが必要なのだと私は考えます。(聞き手 編集委員・塩倉 裕)(引用終わり)


 日本国憲法第9条はいうまでもなく,「在日米軍基地」の実在によって裏支えされてきた。その第1条から第8条の「天皇・天皇制」の問題も合わせ鏡の要領で存在させられてきた。だが,江藤祥平は新聞紙上に公表されたインタビュー記事のなかでは,天皇関連への言及はない。


 在日米軍基地の問題に関する発言も,憲法学者としてごく人並みであって,格別の含意は示唆されていない。日本国民「だけの立場の問題」が特別にあるかのようにも語っている。だが,そうした論理・議論だけでは,安倍晋三たちのような「改憲したい欲望」をまともにとりあげ,対抗するための理論・思想の準備はしにくい。

 憲法の「第1条から第8条まで」と「第9条」とのあいだには,日本が敗戦してからずっと置かれている「在日米軍基地の存在」の問題があった。この問題はもちろん,憲法学者が本格的に議論してきたものの,最近ではもとは素人であった矢部宏治の議論がその論点を分かりやすく解説してくれている。

 日本国の現状はいまだに半国家であり,つまり半独立国だといっても過言ではない。この現実を踏まえない9条擁護の主張も,安倍晋三たちにおける改憲の欲望も,日本に暮らし生きているわれわれの日常生活とはかけ離れている。安倍の改憲への意欲が,現状のごとき「対米従属国家:日本」の現状を,さらに固定化させる役目を発揮しないとはかぎらず,むしろその方途に向かう〈危険性〉のほうが確実に大である。


 「戦後レジームからの脱却」? 誇大妄想である。在日米軍基地をすべて撤去してから,そのような夢想をいいだしたらよいのであって,そのあとになってようやく,日本がアジアの東端に位置する国家としてどのような役割を果たすべきかについても,おのずと議論の方途が開け,そのための具体的な目標も設定できるかもしれない。


 現在のところ,どうみてもトランプの飼い犬みたいな「迷・忠犬:シンゾー」に,そうした国際政治次元の任務・課題にとりくめと指示したところで,「ネズミに向かい人間の乗る馬車を引け」というに等しい。


 このままだと日本は,今後に向けて凋落・衰退の一途しか展望できない。安倍晋三には,その展望「観」をくつがえすだけの政治理念も体系理論も,そして政治家としての覚悟も力量もない。いままでに彼が成就させてきた「日本を破壊していくための為政」であれば,これだけは確かに結果を出せている。まったくもって,にっちもさっちもいかないこの国にさせたのが,この安倍晋三という名の「亡国・国難の首相」である。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html#c18

[リバイバル3] 中川隆 _ 売国政治家・御用学者 関係投稿リンク 中川隆
55. 2019年6月26日 06:27:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3213]
自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/461.html#c55
[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
1. 中川隆[-9286] koaQ7Jey 2019年6月26日 06:33:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3214]

映画『主戦場』が炙り出す「保守派」の虚妄と理論破綻
古谷経衡 5/20
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/


”異様”と映るのは自称歴史研究家の加瀬英明氏が登場する後半の下り。「歴史学者の秦郁彦氏の本は読んでいますか?」と問われると「秦?秦さんは私の友人ですが…。ワタシ他人の本は読まないんです。だから読んでいません」と答えるという無知ぶりをさらけ出すことだ。

 秦郁彦氏は実証史学の権威で、従軍慰安婦問題については同氏の『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮社)が史学科に在籍する学部生でなくとも読める分かりやすい必携本となっており、日本軍の強制連行について早期に否定的な見解を示しているにもかかわらず、加瀬氏はこの従軍慰安婦問題の「基礎の基礎」と言える本を「読んでいない」と公言して、あまつさえ自らを「歴史研究者です」と満面の笑みで言ってのけるのである。

 ちなみに加瀬氏は『中国人 韓国人にはなぜ「心」がないのか』(2014年、ベスト新書)という異様なタイトルの本を刊行しており、歴史研究者を通り越して単なる差別主義者の顔をのぞかせる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c1

[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
2. 中川隆[-9285] koaQ7Jey 2019年6月26日 06:41:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3215]

中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか (ベスト新書) – 2014/5/9
加瀬 英明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8C%E5%BF%83%E3%80%8D%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8A%A0%E7%80%AC-%E8%8B%B1%E6%98%8E/dp/458412440X


内容紹介

醜い隣人と美しい日本人
その精神性のルーツをたどる!

「中国人・韓国人が日本人のようになれないのは『心』がないからである」。なぜ日本はアジアで唯一近代化に成功したのか。さまざまな要因が考えられるが、その根底には日本の和の文化にある。自己中心的で現世利益しか考えない中韓と、人の心を慮り、他者と価値観を共有する日本。互いの歴史文化を比較し、その優位性を説く。

第1章 公徳心のない中国人
第2章「心」なき中韓と「心」ある日本
第3章 中韓の反日感情はなぜ生まれたのか
第4章 儒教の国と神道の国
第5章 中華民族の正体


内容(「BOOK」データベースより)

日本と中韓二つの国は、隣国であるというのにこれほどまでに文化と国柄が大きく違っている例は世界のどこにもない。日本と中国、韓国とでは、歴史も、社会の成り立ちも、人々の思考方式、価値観、行動様式もまったく違ってくる。平気で嘘をつき、事実を歪曲する、恥じることなく人を騙す中国人、韓国人と、和の心を持ち、他人の気持ちを慮る利他的な日本人。その違いはどのように形成されたのか。互いの歴史、文化を比較することから明らかにしていく。

著者について
加瀬英明(かせ・ひであき)

1936年東京生まれ。外交評論家。慶應義塾大学、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長。1977年より福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めたほか、日本安全保障研究センター理事長、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。著書に『イギリス 衰亡しない伝統国家』(講談社)、『天皇家の戦い』(新潮社)、『徳の国富論』(自由社)、『日本と台湾』(祥伝社)など。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

加瀬/英明
1936年東京生まれ。外交評論家。慶應義塾大学、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長。1977年より福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めたほか、日本安全保障研究センター理事長、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー


どらん 5つ星のうち1.0
日本人として恥ずかしい 2018年3月9日

こういう本書かれると日本人の方こそ「心がない」って思われそうだからやめてほしい。あるとしても虚栄心と差別意識しかないって思われる。他者をクソミソにけなしといて何が「和を重んじ」だよ。


MT 5つ星のうち1.0
友人知人からの話を鵜呑み、そのうらを取る努力を怠り、中韓に悪意を抱く感情に走るだけ。ただ売らんかなの願望に走る問題の書!! 2014年9月23日

68頁に載る簡体字に関する所見は、まさに荒唐無稽。永い歴史の間に築かれて来た複雑な漢字を現代に即応し、簡略にして、国民にとり文章が親しめるようにし、文盲をなくす努力が教育界と学会により続けられていた。その結果、1964年に「簡化字総表」が公布されて現代に至っている。

その頃に周恩来総理が、日本の学界にも、中日両国が共通の間体字を使えるように提案した。しかしながら、日本側は周提案に応えるまでには至らなかった。ところで、現代中国の大学では歴史や古文の授業があり、このため学生は旧漢字の読み方を学んでいる。

思うに、今回の書の著者は、中国の知人に冗談を言われて、どのように反応するか試されたのではないか。それを知らない著者は完全に相手の術策に乗せられた

127頁に防衛大学校が久里浜にあると書いているが、それは横須賀市走水が正しい。128頁にも重大な誤りがある。防衛大学校と陸上自衛隊幹部候補生学校に台湾から学生(生徒でない)が入校した事実は全くない。

また、自衛隊で将校を幹部と呼ぶのは暴力団と同類項という見方も異常である。旧軍では、将校、準士官、下士官を総称する場合、幹部と呼んでいた。また1950年に創設された警察予備隊は軍隊の取り扱いを受けなかったので、将校に当る地位を幹部と警察制度の用語を適用したのである。

助六 5つ星のうち1.0
日本人に心があるとでも? 2016年2月28日

薄情で冷酷な日本人が心がないなんてよく言えるよな。心のない鬼ばかりだから自殺者が多いのだろうが。中国韓国人よりも自国の現実をみなさい

アーバン 5つ星のうち1.0
究極の差別本 2015年1月28日

心がない、自分の国を持ち上げて、他国をけなす醜い日本人・・・日本人の風上にも置けない自己満足本。人をけなさないと自己肯定できない人・・・ネトウヨ嫌韓厨むけのB本。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c2

[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
3. 中川隆[-9284] koaQ7Jey 2019年6月26日 07:15:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3216]

2018.11.14 2019.02.09
トンデモ保守によるトンデモ少子化・晩婚化対策(加瀬英明氏の場合)
https://rondan.net/1078


保守重鎮による少子化対策・晩婚化対策

時折保守や政治界によって惹起される「日本のために女は子供を産め」的発言が代表するように、彼らは少子化や若年層未婚率に非常に神経をとがらせています。さらに保守の傾向が色濃くなると、結婚や家族の有り方にまで口を挟みだします。保守の重鎮・加瀬英明氏は、次のように『女性の深層心理』や『日本改造法案大網』の書籍を引用して、自身の見解を代弁させています。


おぞましい社会だ。…「かつて女性は十人近くの子を産んで、育てるエネルギーを持っていたが、いまでは二人、三人しか生まないので、あり余ったエネルギーを、禄でもないことに費やして、社会を混乱させている」(大意)と警告している。……「夫人は家庭の光にして人生の花なり。(略)婦人が男子と等しき牛馬の労働に服すべき者ならば点は彼の心身を優美繊弱に作らず」と、説いている。
私も女性がビジネスの世界で、「牛馬の労働」に服すべきではないと思う。

 加瀬英明「日本の母、日本の父を考える 男気はどこへ行った?」

つまり「女は外で働かずに子供を産め、それが仕事」という理論です。この理論を円滑に進めるために、加え保守にとって結婚や出産は「個人」や「夫婦」の問題なのではなく、「国家」や「一族」の問題に昇華されます。今回はそんな少子化・若年層未婚という国家問題に対する、加瀬英明氏のお言葉に耳を傾けてみましょう。

なぜ結婚できないのか?⇒男らしい男がいないから

加瀬氏による晩婚化・少子化問題の解決法は単純明快です。「男らしい男が多ければ」解決されると述べています。


きっと、若い男性に魅力がなくなってしまったからなのだろう。男らしい男が多ければ、晩婚、少子化がもたらされるはずがない。
 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 193


なお同氏の同記事によれば、褌(ふんどし)が男らしさの象徴であると説明されていますので、今の日本男性が褌を締めれば「男らしさ」がでて、晩婚化・少子化が解決されるとお考えなのかもしれません…。そんなバカな。

記紀神話の時代は皆結婚できていた

そして、加瀬氏は、昔の日本では出産奨励金や家族手当が無くても結婚できていたと主張するのですが、ここであげている例が記紀神話におけるイザナギとイザナミの結婚だからこれは酷い。


どうしたら少子化を阻止することが、できるものだろうか。日本列島を生んだ伊弉諾命と伊邪那美命は、出産奨励金や、家族手当が無かったのに結ばれた。収入だけでは、所得が高い公務員の結婚難を説明できまい。
 加瀬英明「少子化によって国を滅してはならない」『月刊カレント』55(4), 2018.4
記紀神話に説かれる結婚事例を、現代社会に当てはめて何の意味があるのでしょうか? もしや保守という不可思議な世界では、こういう比較に説得力があるのかと思うと恐ろしいものがります。私からしてみれば「ライトノベルの中で主人公は俺TUEEEでハーレム状態なのに、どうして現代人は男らしさがなくて晩婚化・少子化が進むのか?」と同レベルの議論です。

現代の結婚は一過性の快楽のためのもの

さらに、現代日本文化を毛嫌いする加瀬氏は、今日の結婚を次のように位置づけます。またこれがトンデモない。


現行憲法によれば、親や兄弟や、一族は、二人の結婚とかかわりなく、二人の結婚に干渉してはならないことと、されている。
今日では結婚は、男女二人の一過性の快楽のために行われる、軽い結びつきに変わった。

 加瀬英明「少子化によって国を滅してはならない」『月刊カレント』55(4), 2018.4

二人が人類を未来へ継いでゆくために、結ばれることがなくなってしまった。
結婚相手として、ふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家族が切り離された。

だた、世界のどこへいっても、結婚は今日のように一時的な快楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。

 加瀬英明「少子化によって国を滅してはならない」『月刊カレント』55(4), 2018.4

結婚は責任を伴い、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいあい。
結婚までが、刹那刹那の楽しみを求めるものとなった。
 加瀬英明「少子化によって国を滅してはならない」『月刊カレント』55(4), 2018.4

「今日では結婚は、男女二人の一過性の快楽のために行われる」って、今日の結婚が風俗店通いであると言わんばかりの発言です。いったいどうすればそのような理論がまかり通るのでしょうか。もしや、この人の周りの方々の「結婚」とはこういうレベルで行われているのでしょうか???

言動不一致な加瀬氏の結婚


このように加瀬氏にとって結婚は、個人間の問題ではなく、社会に対する務めであって、神聖な行為なのだそうです。ですから眞子様と小室氏との結婚を次のように評価します。


眞子内親王殿下と小室氏は、秋篠宮殿下にも、宮内庁にもはかることなく、あきらかに2人だけのあいだで、結婚を決めたのだった。

ひと昔、4、50年前だったとしたら、2人が駆け落ちしたのだった。

私はあってはならないことが、起ったと思って、強い衝撃を受けた。
「加瀬英明のコラム」メールマガジン(2018.2.26)

いやいやいやいや。この度の結婚は天皇陛下からちゃんと裁可を得ているだろうと。陛下の裁可を得ている以上は、皇室として認めているわけだから「2人だけのあいだで、結婚を決めた」のでも、「駆け落ちした」のでもないのは明らかで、一体この人は何の情報をもとにこんなことを言っているのでしょうか。天皇陛下のお言葉を無視するとは、トンデモない保守ですな。

さらにトンデモないのは加瀬氏ご本人の結婚の逸話。


条件によっては一緒になるというのでは、商取引と同じではないか。私は妻に「黙ってついてこい」といって、口説いた。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 194

おいおいおいおい。「黙ってついてこい」って、それこそ結婚が「家や社会に対する務めであって、神聖な行為」であるという自信の言葉に反しているだろうと。

このように「保守なのに天皇のお言葉を貴ばない」、「結婚は家・社会のためにすべきと言いながら、自分は「黙ってついてこい」と言って結婚してまう」という、現代保守の言動不一致が集約されているような加瀬氏なのでした。こんな勢いだけの精神論を語ってばかりだから、晩婚化・少子化がいつまでも回復しないのではないでしょうか。
https://rondan.net/1078
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c3

[近代史3] 自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性… 中川隆
4. 中川隆[-9283] koaQ7Jey 2019年6月26日 07:17:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3217]

2019.02.09 【トンデモ】女から箒(ほうき)、男から褌(ふんどし)が失われて日本はダメになった説(マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016)


外国人発掘のプロ

加瀬英明氏は、外国人保守タレントを発掘する天才。ケント・ギルバート氏やヘンリー・ストークス氏などをプロデュースしたのはまさにこの加瀬氏です。今回取り上げるのはそんな加瀬氏と、マンリオ・カデロ氏との共著『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』です。

本書を一読して驚かされることは、加瀬氏よりカデロ氏のほうが遥にマトモな感覚を持っているということです。もちろんカデロ氏は、イタリアに神社を建てちゃったり、日本の風土や文化を褒めちぎってヨイショしてくれたりして少々痛い奴なのですが、ヘイト要素は少なく、さらに日本製品に外国語表記が少ないだの日本をより良くする常識的なアドバイスもしてくれています。

一方の日本人の加瀬秀明氏は、恐るべきコテコテの保守ぶりを本書でも発揮し、戦前回帰の極みのような発言を繰り返すその姿は、もはや老害といえるレベルです。

昔はよかった…

このような加瀬氏の戦前回帰的妄言を拾い出せばきりがないのですが、その極みともいえるもののひとつを紹介したいと思います。加瀬氏は、老害オヤジのテンプレである「昔はよかった。人と人との温かい結びつきがあった」論を次のよう煽情的に語り出します。


日本は世界で一番、やさしい文化である。……
褌を締めて、暑さを凌ぐために、浴衣の前を大きく広げていた。ときどき、手にした団扇で褌の奥をあおいでいた。

男たちは、ステテコのまま、近所に出かけた。
近所の大人の男女が、片手にセルロイドの石鹸箱と手拭いを持って、銭湯から戻ってくるのに、よくであった。

家の縁側にも、人が集まった。縁側も、社交場だった。
蝉の声のなかで、団扇を使った。子どもたちが、庭先で線香花火を楽しんだ。
人々はいつも気を遣い合った。みんな、顔見知りだった。行き会うと、立ち止まって、ちょっとのあいだ、おしゃべりをした。

今日の日本では、どのような重要な用があるのか、よく分からないが、全員がいつも急いでいる。隣人の顔も知らないし、思い遣る余裕がない。
家族の温もりも、大切にしなくなったから、隣人と親しくしようとしない。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, pp. 174-175

ホントこういう老人のお言葉には耳にタコができますね…。「人々はいつも気を遣い合った。みんな、顔見知りだった」などという社会はもはや恐怖のディストピアでしかありません。そんな社会に真剣に戻りたいと思っているのは、こういう保守老害だけではないでしょうか。

「女らしさ」は箒

まだまだ老害は続きます。それどころか「女らしさ」「男らしさ」というジェンダー論まで入ってきます。


マンションは「機能的」なことを売り物としているが、周りから謝絶された牢屋のようだ。

私は母が箒で夏座敷を掃いたのを、思い出す。箒は女の心の延長だった。……主婦が、早朝に家の前の路地を掃いて、箒目をつけたから、朝を感じることができた。
醜いアスファルトによって、覆われてからは、箒目をつけようがない。
 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, pp. 175-176


箒(ほうき)が「女の心の延長」って一体…。きっと掃除機とかブロワーじゃダメなんでしょうね。ともかく加瀬氏は現代テクノロジーを否定したがります。テクノロジーの進歩で、時間的束縛から解放されてより創造性のある活動に長時間従事できるようになったという発想は全くないようです。

そして別の箇所では、なんと「紫式部がパソコンを使って、『源氏物語』を書くことが、できたものだろうか?」「和泉式部が、あの胸に迫る恋歌をワープロによって、詠むことができただろうか」とか言っています。どんな状況を想定しているのか解りませんが、もちろん「できた」に決まってるでしょ! もしパソコンがあったら何度も著者校正ができますから紫式部の『源氏物語』はもっと読みやすくなっていたでしょう。それにそもそもワープロは恋歌を「打ち込む」ものであって、「詠む」ものではありません…。

「男らしさ」は褌

そして女の象徴が箒ならば、男の象徴は褌(ふんどし)です…。


褌がなくなってから、日本の男性から男らしさが、失われてしまった。
私は英語遣いを生業としているが、「褌を締めてかかる」を英語で言おうとすると、”Roll up his sleeves.”(袖をまくりあげる)とか、”Pull up his sockes.”(靴下を引き上げる)というから、すっかり間が抜けてしまう。

凛としたところが、ない。やはり手の先や足先では、男の大切なものから遠いからなのだろう。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 176


褌が無くなったから男らしさが失われたって、「褌を締めさえすれば男らしくなるのかい!」と、突っ込まずにはいられません。

このように加瀬氏は、「日本らしさ」と言うものを定義するにあたって、様式から、形式から、外面から整えようとします。ひとまず外面さえとりあえずソレらしければ、内面は二の次なのかもしれません。ともかく「昔の日本は良かった」系の典型的老害と、その老害の目指すウザ過ぎるコミュニケーション社会の姿が、この加瀬氏の発言から確認できるのではないでしょうか。
https://rondan.net/1067
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html#c4

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 中川隆
10. 中川隆[-9282] koaQ7Jey 2019年6月26日 07:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3218]

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/228.html#c10
[近代史3] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
13. 中川隆[-9281] koaQ7Jey 2019年6月26日 07:36:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3219]

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/399.html#c13
[近代史3] 従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ 中川隆
8. 中川隆[-9280] koaQ7Jey 2019年6月26日 09:38:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3220]

社会科学者の随想 2019年05月08日

櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html

【櫻井よしこ著『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)に記録されていた「ジャーナリスト本来の〈よしこの面影〉」は,いまいずこ】

【言論界関係人士にみる「資質と才能」と「思想と精神」の劣化および溶融現象】

【従軍慰安婦問題に関する典型的二枚舌的な見解変節の「実例:櫻井よしこ」】

【この国を凋落させ,衰退させる一途に拍車をかけてきた安倍晋三政権の体たらく的なくだらなさ】


 @ 徃住(とこずみ)嘉文「 櫻井よしこ氏は『慰安婦』を『日本軍強制説』で報じていた」(『週刊金曜日 オンライン』2019年4月19日 6:20PM,『週刊金曜日』2019年4/19号,http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/04/19/news-38/)『週刊金曜日オンライン』2019年4月19日櫻井よしこ
 『朝日新聞』の日本軍「慰安婦」の記事を「強制連行を捏造した」と非難している櫻井よしこ氏が,自身も「日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たち」とテレビ,雑誌で報道していたことが分かった。自身の報道を棚にあげ,他者を「捏造」呼ばわりするのはアンフェアではないだろうか。

“   望月衣塑子ツイート2019年5月2日櫻井よしこ
 櫻井よしこ氏がキャスターを務めていた日本テレビのニュース番組「NNNきょうの出来事」とみられる動画がある。1992年12月9日,東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」を,櫻井氏に瓜二つの女性はこう放送した。

 「第2次世界大戦中に,日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たちが,当時の様子を生々しく証言しました」。画面では「韓国人元慰安婦」の字幕とともにチマチョゴリ姿の元「慰安婦」が公聴会の壇上で叫ぶ。「私の一生を台無しにして! 日本政府は隠さないでしっかり謝罪したらどうなの!」

 男性アナウンサーの声。「これは元従軍慰安婦らから事情を聴き日本政府に謝罪と戦後補償を求める公聴会です。今回初めて名乗り出たオランダや北朝鮮の元従軍慰安婦8人が当時の様子を生々しく語りました」。

 壇上では元「慰安婦」たちが泣いている。字幕の説明。「感極まって,韓国と北朝鮮の元慰安婦が抱き合った」。中国の元「慰安婦」,万 愛花さん(64歳,当時)のインタビューもある。「私は15歳でした。日本軍に襲われて両手両足を押さえられ,乱暴されました」。約3分弱の動画だ。

 フェイクの時代だ。万が一にもと日本テレビに動画の確認をお願いした。「放送したものがすべて。答えられない」。櫻井氏からも「裁判中なので」と取材を断わられた。

  ※「責任痛感すべき私たち」※


 しかし,櫻井氏は1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)でもつぎのように書いている(前掲した画像資料のこと)。

“櫻井よしこ 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。

 櫻井氏は,この記事などを再録し『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社)を1994年に出版した(右上画像はこの本の表紙カバーと帯)。少なくともこの年まで,櫻井氏は,日本が国策として強制的に「慰安婦」にしたと伝えていたことになる。ちなみに,手元にある本は櫻井氏のサイン入りだ。フェイク本ではおそらく,ない。
(徃住嘉文・報道人,2019年4月19日号)

“ ※同上記事の編注):元『朝日新聞』記者の植村 隆氏が,元日本軍「慰安婦」に関する記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして,櫻井氏を訴えた札幌訴訟について,〔2019年〕4月19日(金)発売の『週刊金曜日』4月19日号が詳しく報じている。同誌は書店などで販売する紙版のほか,アプリを使った電子版でも購読できる。


 さて『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)は昔,櫻井自身が従軍慰安婦問題について公表していた文章,「従軍慰安婦問問題の責任」(前出の『週刊時事』1992年7月18日号に初出)を,27−29頁に収録していた。この「従軍慰安婦問題」に関する “その3頁分” を画像資料のかたちで,以下に紹介しておく。これは,櫻井自身が従軍慰安婦問題について「取材して書いた文章であった」はずである。


櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』27頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』28頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』29頁


 また本ブログ内には,関連する記述がいくつかあるが,2018年11月12日に公表されたつぎの1編のみ紹介しておく。


“ 主題「安倍晋三を忖度する裁判官が下した従軍慰安婦問題関係の判決,政権のための審理をしないと左遷される裁判官の『へっぴり腰:判断』」

  副題1「従軍慰安婦問題の『裁判』に関して,『櫻井よしこ側の非』は確実に認めるが,植村 隆からの『櫻井に対する損害賠償の請求』は認めないという腸捻転の判決は,安倍晋三という『個人の首相』を忖度しただけの『国策的でありかつ反市民的な,そしてネトウヨ的な』偏向裁判」

  副題2「従軍慰安婦が歴史的に存在した事実を認めたくない安倍晋三君の意に,そのまま即した判決を下した裁判所・裁判官の『気の毒な利害状況と精神状態』」

  副題3「権力・支配・体制側の単なる召使いになり下がっている日本の裁判所は,安倍晋三サマのための判決しか出せないというみじめな現状」

  リンク先 ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1073122842.html

 A「慰安婦問題検証映画『主戦場』で極右論客たちが衝撃のトンデモ発言! 櫻井よしこ,杉田水脈,テキサス親父,加瀬英明…」(『リテラ』2019.04.27 11:30)

 a) 戦中の日本軍による慰安婦問題を題材にした映画『主戦場』が,反響を呼んでいる。

 出演者には杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏,藤岡信勝氏,テキサス親父ことトニー・マラーノ氏,櫻井よしこ氏などといった従軍慰安婦を否定・矮小化する極右ネトウヨ論客が勢揃い。「慰安婦はフェイク」と喧伝する歴史修正主義者たちと,慰安婦問題に取り組むリベラル派の学者や運動家らがスクリーンのなかで “激突” するドキュメンタリー作品だ。

 同作の見所はなんといっても,慰安婦問題をめぐる国内外の “論客” を中心とする30名余りへのインタビューだろう。

 櫻井よしこ氏ら “極右オールスターズ” の面々は「慰安婦は売春婦だった」「合法であり犯罪ではない」「慰安婦像設置の背景には中国の思惑がある」などの主張を展開。これに対して,吉見義明・中央大学名誉教授や「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈事務局長,韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹 美香常任代表らが反論を展開する。

『リテラ』2019年4月27日櫻井よしこ画像

 出演者らは顔を付きあわせて討論するわけではないが,論点を明確にして構成されていることで主張の対立点や強度を意識しやすく,ハイテンポなカット割りも相まって飽きさせない。映画は双方の主張を取材や資料を用いて細かく比較・検証し,その矛盾や恣意性を明らかにしていく。

 b) とくに,本サイトがオススメする同作の鑑賞法は,歴史修正主義者の口から発せられる主張のトンデモさをじっくりと吟味することだ。

 たとえば保守派の重鎮で,慰安婦否定論者の加瀬英明氏(日本会議代表委員)の場合,「慰安婦問題に関して正しい歴史認識をしている歴史家は?」と聞かれて「私がそのひとり」と自認する。

 しかし驚くことに,加瀬は慰安婦問題研究の第1人者のひとりである吉見名誉教授のことは「しりません」と嘯く。それどころか,保守派の歴史家である秦 郁彦・千葉大学名誉教授の著書すら「読んだことない」「人の書いたものあまり読まないんです。怠け者なもんで」などと宣うのだ。

 ちなみに,加瀬氏は「『慰安婦の真実』国民運動」という団体の代表も務めている。この極右団体は昨〔2018〕年,監事(当時)の藤井実彦氏が台湾で慰安婦像を蹴り,大きな国際問題になったことも記憶に新しい。ほかにも,同会は加瀬氏自身の名義で地方地じたいが慰安婦問題を扱う映画を後援することにクレームをつけている。そんな人物が,基本的な慰安婦研究すら「しらない」「読んだことない」などと恥ずかしげもなく開陳するのだから,呆れてものもいえない。

 c) もちろん,右派のトンデモはこれだけではない。右派陣営のインタビューからは明確な人種差別・性差別の意識が浮かび上がる。

 たとえば杉田水脈は “米国での慰安婦像設置のバックにいるのは中国” などといい出し,「どんなにがんばっても中国や韓国は日本より優れた技術がもてないからプロパガンダで日本を貶めている」と陰謀論を全開。さらには「日本が特殊なんだと思います。日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」「嘘は当たりまえっていう社会と,嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」とヘイトスピーチを連発する。
 補注)この水田水脈のとくにアジア諸国における企業経営の実態,それも技術水準に関する見解(?),「中国や韓国は日本より優れた技術がもてない」という思いこみは,まったく根拠のない四半世紀前であれば一部でいえたかもしれないそれであった。水田は,自分が産業経済・産業経営の実態に関して “本当に無知である” (まともな知識も情報ももちあわない点)をわざわざ告白するために,そのように発言したとしか受けとりようがない。

 また,テキサス親父は「慰安婦像をみにいったとき,私は(像の顔にかぶせるための)紙袋をもっていった。それがふさわしいと思ってね。ブサイクのガラクタには紙袋がお似合いだ」などと笑いながら語り,テキサス親父のマネージャーである藤木俊一氏は,「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。要するに誰にも相手されないような女性。心も汚い,みた目も汚い。こういう人たちなんですよ」といい放つ。


 映画のなかでもナレーションで「差別意識が元慰安婦は偽証しているとの考えにつがっているようだ」とはっきり指摘されていたが,まさにそのとおりとしかいいようがないだろう。

 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html


 d)「暴かれるIWG−報告書の虚構と櫻井よしこの調査費支払いの事実」 慰安婦問題をめぐる右派の性差別的・人種差別的な態度については,映画の後半でも「元修正主義者」と紹介される女性が証言する。

 補注)IWGとは「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班」の略字イニシャル。後段にも出てくる。

 保守界隈に身を置いた立場から否定主義者たちの振るまいについて語るのだが,実はこの女性は,数年前まで「ネクスト櫻井よしこ」として保守論壇で注目を浴び,実際,右派の月刊誌にもなんどか寄稿したことのある人物。だが,あるときから「ナショナリスト」たちの主張を疑うようになり,いまは距離を置いているという。

 さらに,この女性が “否定主義者の嘘” を告白する場面は,映画『主戦場』のハイライトのひとつとなっている。詳しくは劇場で直接みていただきたいのだが,ここでは予備知識として,あるいは鑑賞後のための補足情報として記しておこう。


 はじまりは,産経新聞が2014年11月1日の紙面で「著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた」として,マイケル・ヨン氏というフリージャーナリストを紹介したことだった。


 これに続けて産経は,同月27日付で「慰安婦『奴隷化』文書なし 米政府2007年報告に明記」と題した記事を掲載。ともに古森義久・ワシントン駐在客員特派員による署名記事である。書き出しはこうだ。

 「米政府がクリントン,ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で,日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「助成の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった」。


 記事のいう「大規模な再調査」というのは,2007年に米政府がまとめた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班米国議会あて最終報告」(通称・IWG報告書)のことを指している。


 産経は,「慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト,マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により,慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された」として,IWG報告書のなかに「慰安婦関連は皆無」だったことを根拠に「日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される」と書いた。


 マイケル・ヨン氏は「IWG報告書をスクープ」ともてはやされ,『正論』(産経新聞社)や『週刊文春』(文藝春秋)でも「報告書は『20万人の女性を強制連行して性奴隷にした』という事実がいっさいないことを証明している」などと触れまわった。


 これ以降,保守界隈では「結果的にIWGは『慰安婦を軍が強制連行などして性奴隷とした証拠はなかった』とするもの」(ケント・ギルバート)などとして広く流通。要するに,IWG報告書は右派陣営から “慰安婦問題の犯罪性を否定する切り札” として扱われてきた。

 e) ところが,である。映画『主戦場』では,このIWG報告書をめぐる右派の言説が見事にひっくり返される。実は,前述の「元修正主義者」の女性こそ,ヨン氏とは別の米国人とともにくだんの報告書を「発見」した人物で,いわば真のオリジネーター。その彼女が,映画のなかで後悔の言葉とともに語るのが ,“IWG報告書をめぐる右派の宣伝がいかに虚構であるか” という具体的な説明なのだ。

 しかも,映画のなかでは名指しこそされていないが,マイケル・ヨン氏は慰安婦問題をめぐって,普通ではとうてい考えられない額の「調査費」まで受けとっていたとされる。実際,ヨン氏は自身のブログに〈櫻井女史らは,私に調査をするようにお金を支払った〉と記しているのだ。あまりに生臭い話だが,映画ではこの「高額調査費」問題についても監督が櫻井氏に直撃しているので,ぜひ櫻井氏の “反応” をスクリーンで確認してほしい。
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_2.html

 ちなみに,映画の公開前には,出演者に極右歴史修正主義者やネトウヨ文化人が多数ラインナップされていることから「否定派の宣伝になるのではないか」との懸念の声もネット上で散見された。だが,この映画は単なる「両論併記」で終わらない。


 f) 本作が映画デビュー作となるミキ・デザキ監督は,1983年生まれの日系アメリカ人2世。日本での英語教師や YouTuber,タイでの僧侶経験もあるという異色の映像作家だ。


 2013年に YouTube で,日本社会のなかのレイシズムの存在を指摘したところ,ネトウヨに炎上させられた。そうしたなかで,朝日新聞の植村 隆・元記者に対するバッシングを目の当たりし,慰安婦問題への関心を高めたという。両陣営から介入されないため,クラウドファウンディングで資金を集めて『主戦場』を製作した。

 デザキ氏は本サイトの取材に対し,「両方の主張のどちらがより筋が通っているかを比較するべき」と語る。

 「論点を並べて “どっちもどっちだ” というやり方は,実のところ政治的なスタンスの表明にほかなりません。慰安婦問題に関しては,いま日本では右派の主張がメインストリームになっている。そこに挑戦を示さないことは,彼らのいいなりになるということであり,その現状を容認することにほかなりませんから。日本のメディアの多くは両論併記を落としどころにしていますが,それは,客観主義を装うことで,語るべきことにライトを当てていないということ。単に並べるだけでなく,比較することで生まれる結論があります」。

 g) 従軍慰安婦をめぐる否定派 / 肯定派の「論争」にスポットライトを当てながらも,決して “どっちもどっち” にならない映画『主戦場』。終盤では,日本の歴史修正主義の背景にある極右団体「日本会議」や安倍晋三首相に連なる戦後日本政治の流れもフォーカスされる。


 一般公開に先駆けておこなわれた日本外国特派員協会での上映会後の質疑応答では,デザキ監督に対し否定派の言論人から批判的な質問も飛んだ。


 4月19日には,日本会議が〈この映画には,日本会議に関して著しい事実誤認が含まれている〉などとする声明をHPで公表。


 4月25日発売の『正論』ではケント・ギルバート氏が「とてもみるに値しない映画」などとこき下ろしている。


 まさに大慌てといった感じだが,要するに,それだけ否定論者たちの核心に迫った映画だということだろう。いずれにせよ,判断するのは観客だ。(編集部)
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_3.html

 B「『私は歴史修正主義者ではないし日本会議とは何の関係もない』!? 植村 隆氏による名誉毀損裁判の判決を受け,櫻井よしこ氏が日本外国特派員協会での記者会見で弁明連発! 墓穴掘りまくり!! 」(『IWJ』2018.11.16,記事公開日:2018.11.19,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435811)(取材・文:IWJ編集部 文責:岩上安身)

 以下は,特集「IWJが追ったヘイトスピーチ問題〈特集 戦争の代償と歴史認識〉」(2018年11月22日全文書き起こしを追加,27日に加筆修正)である

 −−「私はリビジョニスト(歴史修正主義者)ではないし,日本会議とは,なんの関係もありません」。記者会見の冒頭,司会者から「リーディング・リビジョニスト(歴史修正主義の指導者)」と紹介され,日本会議との深い関係も指摘されたジャーナリストの櫻井よしこ氏は,「一方的な見方をしているのではないか」と述べ,「話の前提が間違っている」と強く否定した。

 しかし,どう抗弁しようとも,櫻井氏が「草の根改憲運動」を進める日本会議の会長である田久保忠衛(ただえ)氏や前会長の三好 達(とおる)氏とともに「美しい日本の憲法を作る国民の会」共同代表であることは公の事実である。改憲推進の旗振り役として,ことあるごとに広告塔の役割を果たしてきた櫻井氏のいう「なんの関係もない」とは,単に「日本会議のメンバーとして登録はしていない」というだけに過ぎない。

 2018年11月16日,櫻井よしこ氏は,元朝日新聞記者の植村 隆氏から従軍慰安婦の記事をめぐり名誉毀損で訴えられていた裁判の判決について,日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見をおこなった。

 1)櫻井よしこ氏
 元朝日新聞記者の植村 隆氏(現・『週刊金曜日』発行人)が1991年8月,朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり,記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した,ジャーナリストの櫻井よしこ氏と櫻井氏の記事を掲載した株式会社新潮社,株式会社ワック,株式会社ダイヤモンド社を植村氏が名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で,2018年11月9日,岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決をいい渡した。

 判決は,「櫻井氏の記事には植村氏の社会的評価を低下させる表現があったが,櫻井氏が参照した資料には,櫻井氏が真実だと信じるに足る相当の理由があった(真実相当性)ため,櫻井氏の表現は名誉毀損に当たらない」というものだった。

 しかし,裁判の過程で櫻井氏は,植村氏を批判した記事の根拠とした,朝鮮人従軍慰安婦,金 学順(キム・ハクスン)さんの訴状の記述が実際には書かれていないことを指摘され,これを認め,訂正している。

 判決にある「真実相当性」とは,いいかえれば,真実であると信じられるまで十分取材を尽くしたか,ということを問われているわけであるから,櫻井氏の取材が「ずさんであった」と批判は当然であろう。植村氏と植村氏の弁護団は,判決のあった〔11月〕9日,控訴することを表明している。

 2)植村 隆氏(2018年11月10日,IWJ撮影)

“【関連して付記されていた「記事の題名」の紹介】

 ※−1 【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村 隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた,悪夢のような判決」!(2018.11.9)

 ※−2 櫻井よしこ氏は,なぜ司法に「特別扱い」されたか? 改憲運動を草の根で推進する「日本会議の広告塔」だからではないか!?(11.9) 植村 隆氏裁判札幌地裁判決後の報告集会でIWJ代表・岩上安身が緊急事態条項の加憲に警鐘を鳴らす!(2018.11.9)

 ※−3 「ジャーナリスト」櫻井よしこ氏への名誉毀損訴訟 まさかの不当判決!! 「悪夢のような判決。言論で勝って,法廷で負けてしまった」(〜11.10) 岩上安身による元朝日新聞記者で現・週刊金曜日発行人の植村 隆氏・小野寺信勝弁護士インタビュー(2018.11.10)

〔記事本文はここから→〕 〔11月〕16日のFCCJでの記者会見でイタリアの「Sky TG24」の記者から「ジャーナリストとして,なぜ,植村氏に話を聞いて記事を書かなかったのか?」と質問された櫻井氏は,


 「植村氏は朝鮮半島問題の研究者である西岡 力(つとむ)氏の対談の申しこみを2回断わっている。ワックが植村氏へ反論のための紙面提供を申し出たが,それも断わっている。私は朝日新聞に質問状を送ったが『木で鼻をくくったような』回答だった。だから植村氏には話を聞かなかった」と答えた。

 櫻井氏が名前を挙げた西岡氏は,当時『現代コリア』編集長で現在は麗澤大学客員教授で,公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長。植村氏の記事が出た翌年の1992年より書籍や雑誌で記事の批判を繰り返し,1998年以降は,記事を「悪質な捏造」といって執拗に攻撃し,櫻井氏同様植村氏から名誉毀損で東京地裁に訴えられている被告である。

 自分と政治的立場が同じ西岡氏やワックの要請に応じなかったから,また,朝日新聞社の対応が悪かったからという自分の執筆活動とは無関係な理由で,自分が批判している当の本人である植村氏に取材しないまま「捏造」と攻撃することが正当とされると考えるのはあまりに馬鹿げた論理であって,話にならない。

 さらに「Sky TG24」記者に,「何人くらいの慰安婦に話を聞いたのか」と質問された櫻井氏は,以下のように答えた。

 「私は何十年も慰安婦問題を取材してきた。河野(洋平)官房長官,加藤紘一氏,外務省審議室長をしていて当時インド大使になっていた谷野作太郎氏,官房副長官の石原信雄氏,駐日韓国大使など,幅広く多くの人に取材しました。それにくわえて朝鮮半島問題の専門家である西岡氏などの話も聞いていた。慰安婦の方が語ったことの記事も読んだ。私なりに取材を尽くしたと思っているので,慰安婦の方に話を聞いてはおりません」。

 自慢話のように,長々と著名人の名前をあげてみたものの,要するに櫻井氏は朝鮮人慰安婦問題においてもっとも重要な証言者である慰安婦本人にいっさい取材をしていないということも認めたのである。(引用終わり)


 つまり,櫻井よしこは自著『櫻井よしこが取材する』(1994年)から1歩も前進することもない状態でもって,いいかえれば,従軍慰安婦問題に関しては独自の取材をしないまま,この問題に対して「事実を認める立場」から「全面的に否定する立場」に跳躍的に退歩していった。


 しかも,櫻井よしこがそのさい披露してきた立場の変化は,どこまでも言論人として基本的必要な「事実に対する調査:徹底した取材」を欠いていながら,自分が認めたくない「歴史の事実」を闇雲に否定・排除する意向だけを強弁する態度を明示していた。

 3)櫻井よしこの足跡−歴史意識の混濁化と不覚−
 問題の核心には,櫻井よしこがなぜ,従軍慰安婦問題に関する「自身の立場」をそのように「自己において矛盾するほかない方向の立場」にまで変えていったかにあった。

 最近における櫻井の言論は,たとえば「櫻井よしこ氏『憲法改正なくしてわが国の再生はない』」(『産経ニュース』2019/5/3(金)18:33 配信,https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000543-san-pol)からも伝わってくる。彼女がその後において主張するに至った「妄想的な歴史の観念」像は,「敗戦という大失敗にはまった旧大日本帝国」まで以前を郷愁するがゆえに,それまでの時代において日本が重ねてきた「歴史の過ち」を,いっさい認知したくないからであった。


 櫻井よしこ〔だけでなく同類の人たちはみなそうであるが〕は,「憲法改正なくしてわが国の再生はない」というとき,彼ら・彼女らの念頭に置かれているのは「明治憲法(大日本帝国憲法)」的な国家体制の陳腐な復活であって,21世紀の「この先にふさわしい:新しいそれ」ではない。


 明治の時代(司馬遼太郎風に表現すれば「坂の上の雲」を追い求めて,しれも自分の足下をよくみないで走りまわったすえ,結局コケてしまった「櫻井よしこ」の「みっともない姿」が目に浮かぶ。

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏は〔5月〕3日,都内で開かれた改憲派の集会で講演し,「令和の時代,立派な日本国としての歩みをさらに強めなければならない。憲法改正なくして,わが国の本当の意味の再生はない」と述べていた。

 憲法を改正しさえすれば,それで日本が「過去に栄光あったかのように映った時代」が(具体的にそれはいつだったか? そのような時代が本当に存在していたか?),必らず再来させうるし,間違いなく再興も確実にできるとでも考えているとしたら,これこそ「思いつき的な妄想どころか,完全なる白日夢である」。

 日本の政治・経済のうち経済を考えてみればいい。この後においてのこの国であるが,高齢社会がさらに高度化(深刻化)していく体制のなかで,かつての高度経済成長時代のような,あるいはこれに代わる躍動的な経済活性化が,どうやったら期待できるというのか。

 補注)ここまで落ちこんだ日本の政治・経済の実態・真相に関する分析は,最近作としてはまず,金子 勝『平成経済 衰退の本質』(岩波書店,2019年4月),つぎに,斎藤貴男『戦争経済大国』(河出書房新社,2018年4月)を挙げておく。

 前述中に登場していた安倍晋三の腹話術「人形」みたいな国会議員である杉田水脈は,これらの本のなかに書いている「敗戦後史としての日本経済盛衰の全行程」について,実は,なにもしらない・分からない〈第2次安倍政権内の・おバ▲〉国会議員の1人であった。

 より正確に批判して表現するとしたら,無知蒙昧状態のまま「国会議員」をやっている愚かな女性議員(しかも日本の全女性にとっては仇敵みたいな人物)であった。

 C 大日本帝国憲法(明治憲法)のおどろおどろしさ

 現行の日本国憲法を改正〔?〕(改悪!)し,旧大日本帝国憲法に似ている「新しい憲法」を制定してみたところで,お里は(高が)しれている。明治時代の「坂の上の雲」をもう一度夢みてみたいと思う(渇望する)のは,勝手である。だが,それでもって,21世紀における日本の政治・経済の起死回生が期待できるとか,あるいは,その程度でしかない「保守・右翼の立場」からでも,なにかよりよい変革を導きうるとでも思いこんでいるのか? 

 わけても「従軍慰安婦問題の歴史的な起源」を全面的に否定したがり,明治の時代を懐かしく思い,その時代に似たこの国の姿を追想像するしか「能のない」安倍晋三・一統は,あまりにも「自国の過去」「歴史に対する理解」が貧しすぎる。歴史を否定するにせよ,歴史を変えたいにせよそうである。

 E・H・カーは「歴史は,現在と過去との対話である」と説明していたが,もっぱら「現在に関する認識」は放置したうえで,おまけに「過去との対話」など大嫌いなまま,その「過去」が無条件でいいものだと盲信(誤信)できた安倍晋三政権的な特定の政治集団こそが,まさしく「現状のごとき〈国難〉的状況」にまで陥った「この国の惨状そのもの」をもたらしてきた。

 大日本帝国憲法(明治23:1890年)の冒頭におかれた「告文」のなかに「皇祖皇宗」「皇考」という用語が,いったい何回出ていたか。これほどまで神がかり的な文章にしておくべき憲法の前文の1種でないと,アジアで唯一後発した「大日本帝国」は,米欧帝国主義国にはとても対抗できないといった「劣等意識」(「西洋芸術と東洋〔日本?〕道徳」といった作風になる「強がり・負け惜しみの精神」)を強烈に抱いていた。

“告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ~靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟~ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメu〻國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶c諦攝iスヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ~祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
~靈此レヲ鑒ミタマヘ
 補注) なお,皇考とは,在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を指す語である。ここでは孝明天皇になる。
 まるで呪術のような文章であった。なかんずく,明治の結果:失敗は「古代史を近代史のなかにもちこみ,〈疑似神国:神聖国家〉を構想した点」が根本の原因になっていた。それでも,旧大日本帝国が体験させられた “歴史的な敗戦(敗北)の意味” は思いだしたくないらしく,いまとなっては「明治の時代」のなかになにもありうるはずもない〈宝物〉を,もう一度掘り出せるつもりでいる。しかし,21世紀のいまの時代にそのような実体はどこにも,なにもみつからない。

 明治「維新」は1868年を区切りになされたが,その後の1945年まで「77年間分の決算」は「昭和20年間分の敗北:戦時体制の終了」をもって締められた。この「歴史の失敗」を事実そのものとして,換言すれば「失敗とみなせない=〈倒錯の歴史感覚〉」そのものが,敗戦から70年以上も経った現在にもなって「またもやはっきりと」頭をもたげている。「東京裁判史観」を全面否定したところで,敗戦までの77年間における「負の歴史」じたいが「観念の世界」において一挙に払拭・消去できるわけなどない。


 大日本帝国憲法よりも,そして日本国憲法よりもいい憲法を作るための改正ならともかく,『歴史の歯車』をともかく逆に回したいだけの安倍晋三政権1派には,実のところ,まともな「歴史観」など不在であった。自分たちの頭で新しい歴史を創造できず,むろん未来への展望すら開けていない。


 明治憲法をマネしたい,だから旧日本軍(陸軍だけでなく海軍も同列であったが)のなかには「従軍慰安婦」など存在しなかった,そのような制度などありえなかったと,それも必死になって「歴史のウソ」をいいはってきた。したがって,この問題の解決に前向きであるかのような姿勢は示そうとしないまま,ただ一方的に否定しつくす考えしかもちあわせなかった。

 21世紀の現在にあってもまだ「歴史の捏造作業」,すなわち,「あった事実」を「なかった歴史:無」にしておき,なおかつ同時に,19世紀末に制定されていた明治憲法がすばらしかったかのように回想したい時代精神に,「明日はない」。それよりも,改憲するならするでなぜ,21世紀のこの先を “それこそさきどりできる憲法” を作ることに考えが及ばないのか?

 従軍慰安婦問題を “イチジクの葉っぱ” でただ隠したがるような政治姿勢は,大相撲の力士たちの星取り表にたとえていえば,「大東亜(太平洋戦争)の完敗」を,つまり成績「2勝13敗」のような事実を認められない十両西10枚目の力士のごとし……。それでも「2勝」はしていた(?)と,なおいいはるのだから,物笑いのタネにしかならない。

 安倍晋三の唱えた標語「戦後レジームからの脱却」は,在日米軍基地に首根っこを抑えられたまま,現在の日本国に関する地位を一方的かつ想念した主張であった。そのかぎりで「その脱却」はもともと無理難題であったし,できることといったらせいぜい「戦後レジームそのものの保守」化,いいかえればアメリカへの従属体制の強化である。現に安倍晋三はいつも,トランプが喜ぶ対米従属国家体制の深化・進展に全面的な協力を惜しまない。


 トランプの「お尻を舐める」ような米日主従国際関係のなかで,大日本帝国時代の従軍慰安婦問題くらいは “なかったことにしておきたい” という気持は分からなくはないものの,相手(その被害者・犠牲者)を完全に無視しなければ成立しない話題であった。


 裁判所までが安倍晋三「忖度判決」を下したところで,従軍慰安婦問題の抹消ができるわけはない。「そのもつ歴史の意味」を軽視する「国家司法の基本姿勢」は,世界中から軽蔑の視線を浴びる。このことに無頓着なこの国に特有である自己閉塞症状が露骨に現われていた。

 敗戦後史としての「対米従属国家〈日本〉」の意味を,つぎの D で考えてみたい。

 D「〈耕論〉)9条,受け取る世代は 江藤祥平さん,栗山リンダさん」(『朝日新聞』2019年5月8日朝刊13面「オピニオン」)から江藤祥平の意見を聞く

 日本国憲法が施行されて72年。原点にあるのは,第2次世界大戦での敗戦という経験だ。いま日本社会では,敗戦国としての日本像も,経済大国としての戦後日本像もしらない世代が多数になりつつある。新たな世代は9条という遺産(レガシー)をどう受けとるのか。

 江藤祥平(憲法学者,1981年生まれ)は「 “虚構” だからこそ引き受ける」という題のもとに,以下のように語っている。若干ははぶき任意に選択して段落を引用する。

 a) 2002年,米国留学した私の目に映ったのは大規模なデモの光景でした。報復的な戦争に突き進む自国政府への反対の声。他方,米国主導のイラク戦争に加担した日本は “私たちは戦争していない” という空気でした。独仏と比べても積極的に戦争を支持した国なのに,政府も国民も戦争の当事者性を引き受けていない,責任の不在を印象づけられる出来事でした。

 そんな時代に育ったせいでしょうか。「戦後日本は民主主義と平和主義の豊かな国になった」といわれても,私にはそれは虚構,フィクションとしか思えませんでした。防衛を米国に肩代わりしてもらうことで自身は経済成長に専念し,米軍基地の負担は沖縄に押しつけることでなり立っていた側面が,戦後日本にはあるからです。

 b) 憲法9条の存在じたいには意味があったと私は考えます。軍拡を抑え,軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は,国際社会の信頼をえてきました。ただし,どこまで「下からの平和主義」だったかは疑問です。市民運動もありましたが,とくに1970年代以降は市民も無関心を深め,政治や法律のプロに任せっきりだったように思います。

 昨今の集団的自衛権の行使容認にしても,それを食い止めうる「われわれ」が存在しなかったのが現実でしょう。そんないまだからこそ,9条の原点に立ち返るべきだと私は思います。憲法前文と9条の特徴は,自国だけではなく世界の平和をも実現しようとする崇高な理想が刻みこまれている点だと私はみます。

 自衛権の行使を否定しているとは考えませんが,「戦力」に当たる実力の保持は禁止しており,他国の武力に対して劣勢に立つことが織りこみずみです。他国の侵略には国連など国際社会による介入で対応することが前提とされてもおり,現実の世界をみれば,相当の覚悟を要することです。しかし,それでも正義の原理にもとづく国際社会を作りあげる取り組みを国民に求めたのが9条です。

 c) 他国の平和にまで配慮したものですから,真剣に受け止めるなら,戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ,歴史の一歩先をいく性格を帯びた背景には,多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面からみれば,弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものともいえるでしょう。

 しかし,平和な国際社会を実現する覚悟をもつ「われわれ」が立ち上がったかといえば疑問です。政治は米国に追従し,国連に本来の役割を果たさせる改革を使命とはしてきませんでした。もちろん政治は国民の映し鏡です。国民に覚悟がないから,覚悟しないことが政治家の得になったのでしょう。

 9条の理想を追求する日本国民という物語は,それが虚構であるからこそ,引き受ける覚悟がなければなり立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。現実政治をみれば,そうした「われわれ」が立ち上がるみこみは小さいでしょう。しかし,その細い道筋を絶やさず追求しつづけることが必要なのだと私は考えます。(聞き手 編集委員・塩倉 裕)(引用終わり)


 日本国憲法第9条はいうまでもなく,「在日米軍基地」の実在によって裏支えされてきた。その第1条から第8条の「天皇・天皇制」の問題も合わせ鏡の要領で存在させられてきた。だが,江藤祥平は新聞紙上に公表されたインタビュー記事のなかでは,天皇関連への言及はない。


 在日米軍基地の問題に関する発言も,憲法学者としてごく人並みであって,格別の含意は示唆されていない。日本国民「だけの立場の問題」が特別にあるかのようにも語っている。だが,そうした論理・議論だけでは,安倍晋三たちのような「改憲したい欲望」をまともにとりあげ,対抗するための理論・思想の準備はしにくい。

 憲法の「第1条から第8条まで」と「第9条」とのあいだには,日本が敗戦してからずっと置かれている「在日米軍基地の存在」の問題があった。この問題はもちろん,憲法学者が本格的に議論してきたものの,最近ではもとは素人であった矢部宏治の議論がその論点を分かりやすく解説してくれている。

 日本国の現状はいまだに半国家であり,つまり半独立国だといっても過言ではない。この現実を踏まえない9条擁護の主張も,安倍晋三たちにおける改憲の欲望も,日本に暮らし生きているわれわれの日常生活とはかけ離れている。安倍の改憲への意欲が,現状のごとき「対米従属国家:日本」の現状を,さらに固定化させる役目を発揮しないとはかぎらず,むしろその方途に向かう〈危険性〉のほうが確実に大である。


 「戦後レジームからの脱却」? 誇大妄想である。在日米軍基地をすべて撤去してから,そのような夢想をいいだしたらよいのであって,そのあとになってようやく,日本がアジアの東端に位置する国家としてどのような役割を果たすべきかについても,おのずと議論の方途が開け,そのための具体的な目標も設定できるかもしれない。


 現在のところ,どうみてもトランプの飼い犬みたいな「迷・忠犬:シンゾー」に,そうした国際政治次元の任務・課題にとりくめと指示したところで,「ネズミに向かい人間の乗る馬車を引け」というに等しい。


 このままだと日本は,今後に向けて凋落・衰退の一途しか展望できない。安倍晋三には,その展望「観」をくつがえすだけの政治理念も体系理論も,そして政治家としての覚悟も力量もない。いままでに彼が成就させてきた「日本を破壊していくための為政」であれば,これだけは確かに結果を出せている。まったくもって,にっちもさっちもいかないこの国にさせたのが,この安倍晋三という名の「亡国・国難の首相」である。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html#c8

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100054  g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。