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[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
1. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2020年3月25日 09:54:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1566]

フルトヴェングラーとカラヤン


フルトヴェングラーは過大評価だよね?

1 :名無しの笛の踊り:2010/02/28(日) 17:59:08 ID:NBZERu3V

悪い指揮者ではないが、崇められすぎだ
カラヤンやショルティ、アバドラのほうがいい指揮者だろう


9 :名無しの笛の踊り:2010/03/03(水) 00:12:20 ID:vkIoeWU4

知らん奴はホントにほっとけばいいと思う。
そして或る日突然目覚めてそれまでの無知の日々を激しく後悔すると...

ざまあwである(笑)

11 :名無しの笛の踊り:2010/03/03(水) 00:23:27 ID:vtxcfQiE

昔は過大評価だったが今は正当評価だと思うぞ
「過大評価だよね?」などということすら憚られた時代があったから。
そして過大評価だと言えるようになって久しい今こんな旬過ぎたネタ持ってくるあたりがしょーもない。

ざっと言えばフルトヴェングラーは20世紀の形而上学の崩壊期における最後の徒花。

奇もてらうがあらゆる音に意味付けしたがる。そういうのが好きな人もいる。
意味付けから脱却して美しければいいとしたのがカラヤンで、美しさって甘ったるいことじゃないだろ、もっとはきはきしろよ、ってな感じのアバド。

美しさの基準は時代によって異なるからなんとも言えない。


31 :名無しの笛の踊り:2010/04/24(土) 22:39:49 ID:pWYw84Tg

フルトヴェングラーが解らない=音楽が解らない
だったよな、昔…


58 :名無しの笛の踊り:2010/05/20(木) 21:40:31 ID:jy5Ed3Vo

フルトヴェングラーのベートーヴェンこそ人類の至宝と崇めて未発表の録音を血眼で捜索していた時代が懐かしいです


78 :名無しの笛の踊り:2010/06/10(木) 00:40:06 ID:r7iCCYP7

フルヴェンは我儘な指揮者だった。
初めてVPOに客演したとき、「もっとはっきりと振ってもらわなければ分かりません」と言われて
怒って帰ってしまったというエピソードが残っている。

売り出し中のカラヤンという若手指揮者を潰しにかかったという点でフルヴェンは肝っ玉の小さな奴だった。 ナチに協力して指揮活動を停止された時期、BPOを救ったチェルビダッケにも嫉妬したものな。 そんなだからロクな死に方をしなかったんだ。


93 :寝言:2010/08/18(水) 04:56:45 ID:U9paKfnL

フルベンは、モーツァルトとかバッハの演奏がとてつもなく下手くそ
比較的ブラームスが上手い
あと合唱曲も苦手だったらしい。
ミサソレの依頼があったが「振れない」と正直に断ったそうだ。
謙虚だね。


95 :sage:2010/08/18(水) 22:26:43 ID:NFdD7+Wt
だからマタイの依頼も返事保留したのか。


96 :名無しの笛の踊り:2010/08/18(水) 22:32:20 ID:clgjjKYV
>>93
新潮文庫版「音と言葉」の訳者芳賀檀の訳者解説によると、
芳賀はフルトヴェングラー指揮の「ミサ・ソレムニス」を現地で実際に聴いて、
生涯忘れがたい感銘を受けた、と書いているが・・・

97 :名無しの笛の踊り:2010/08/18(水) 22:39:33 ID:2j9ZjaJ/

まあ偽物には間違いないがカラヤンよりは分を弁えてたようだな。


110 :名無しの笛の踊り:2010/09/23(木) 03:07:16 ID:DhL9JogD

29 July 1951 Bayreuth Fes. Orc. The last rehearsal & Live(EMI=Legge)
Beethoven:Sym.No.9

そろそろこの演奏の神格化は考えた方が良い。
第一楽章のテンポは断じてベートーベンが想定したものではないし、
第三楽章も遅すぎ。音については時代を考えれば十分であり、
些細な向上が毎回製作者の金づるになっているだけ。
上級者向けにはぜひ備えたい演奏だが、初心者に勧められる演奏ではない。

ベートーベンの第九を元にしたフルトヴェングラーによる自由なファンタジーであり、興行としてのお祭り、祭典として歴史の証言である。

こういう表現もありだし、これはこれで素晴らしい名演である。
第九をここまで想像力により、原曲を改編し、聴き栄えのある形に仕上げたフルトヴェングラーの力量は大したものである。

しかしベートーベンの設定はもっとテンポが速いのである。
勿論作曲者の意図だけが唯一ではないことも事実である。
フルトヴェングラーがベートーベンを上回る天才と信じる方には、このバイロイトが唯一最高の演奏となろう。その気持ちも解らぬではない。

ベートーベンの残された楽譜を忠実に再現するだけという制約を課していては、フルトヴェングラーの時代の指揮者では不可能だった早いテンポによるベートーベンの感動的な再現が その後記録された。

その指揮者は フルトヴェングラーがいずれは自分を抜いていく才能と看破し、抜かれる前に潰してやろうと嫉妬心を燃やし、徹底的に活動を妨害したヘルベルト・フォン・カラヤンである。

カラヤンの記録では1968年のDVDにより 最高の結実を見ることができる。
そしてカラヤンは見事にフルトヴェングラーを抜き去ったのはご存知の通りである

111 :名無しの笛の踊り:2010/09/23(木) 22:28:12 ID:14fKkTfj

カラヤンの才能に嫉妬し、カラヤン潰しに奔走したフルヴェンはじつに見苦しい音楽家だった

実力も人気もかなわないとこういう醜い行動に出るフルヴェンは最低な指揮者
こんなのを神格化した日本の評論家はクソ、その批評を鵜呑みにしてディスクを買いあさった側もアホ


280 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/23(木) 12:33:39 ID:ufzijpbj

なんでフルヴェンは第九のゴーダをいつもあのやたら早いテンポにしたのか?
初期はいいとしても晩年に至るまでずっとやってたね。

282 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/23(木) 14:27:03 ID:jBaClGoi
>>280
コーダで加速すると、一回聴くだけなら非常に興奮した演奏ができる。 しかし、レコードでその演奏を何回か聴いていくと興ざめするんだよな。

レコードが一定程度普及したときの演奏のあり方に、フルベンは最後まで答えをだせなかったな。当時としては偉大な指揮者だったとは思うが。

聴衆が「来るぞ、来るぞ」と期待してたから?

112 :名無しの笛の踊り:2010/09/24(金) 02:07:18 ID:JDM8LXv0

フルトヴェングラーも若い内から称賛されてた天才型指揮者だからカラヤンの台頭には穏やかではいられなかっんじゃないか。2人共初期のナチスの思想に共感してたし(まあ当時のドイツ人の大半はそうだけど) 演奏スタイルは違うけどどちらも典型的なドイツ系のナルシストだよね

才能も自信もあるけど意外とめめしい。

113 :中川隆:2010/09/24(金) 22:53:54 ID:HkFA5snx

カラヤンは誰が見ても三流なのに人気だけあるのが気に入らなかったんだろ。

カラヤンはアルメニア系ギリシャ人でゲルマン人の血は入っていない。
だからカラヤンがゲルマン音楽をやるとムード音楽になるのさ。

115 :名無しの笛の踊り:2010/09/24(金) 23:04:08 ID:0F0ijqR8

フルヴェンが当時だから通用した(ただし欧州だけで)指揮者、アメリカでは受け入れられなかった
今ではあのような演奏スタイルは支持されない、ようするに時代遅れ
常に先を見ていたカラヤンに嫉妬したのもそのためだ

116 :中川隆:2010/09/24(金) 23:49:33 ID:HkFA5snx

アメリカ人には音楽は理解できないだけさ。

アメリカに亡命したバルトーク、ブルーノワルター、アドルフ・ブッシュすべて駄目になった。

そもそもマーラーやメンゲルベルクよりトスカニーニを選んだアメリカ人って。

118 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 02:29:16 ID:Swf5Rqyj

http://www.muzieklijstjes.nl/100conductors.htm

カラヤンが1位だな。
フルベンも3位か、意外と高評価だな。

119 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 09:18:07 ID:w7HuGZqG

カラヤン、トスカニーニ、フルヴェンか
まあ順当だな、と思ったら2位(バルビローリ)が予想外でした


120 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 09:48:21 ID:7CoEbseq
>>117
アメリカ人は、過去の栄光にすがり、惰性で仕事する奴より、日夜努力する改革者が好きなのさ。
>>119
普通ならその3人だろう、順番は異論があってもかまわない
と思うがな。

121 :中川隆:2010/09/25(土) 10:30:52 ID:qoJ7IzLk

アメリカ人に音楽がわからない理由


この「聖」と「毒」が一緒に存在する世界・・・


このようなワーグナーの世界は、ある意味において、ヨーロッパの精神世界そのものと言えるでしょう。
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じラース・フォン・トリアー監督の「キングダム」という作品の冒頭のモノローグは
「この魑魅魍魎の渦巻く沼地の上に建てられた、近代科学の粋を集めた病院」
という言葉でしたが、この言葉はヨーロッパの精神の比喩そのものでしょ?

「神」による「聖」なるもの、それに対する「毒」、あるいは「近代科学」・・・

すべてあってこそヨーロッパと言えるのだとフォン・トリアー監督は考えているようですね。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の冒頭の、全く光のない劇場に弦楽器とホルンによって立ち上ってくる音響は、ワーグナーの引用であり、この映画が「聖なるもの」と「毒々しいもの」を含んだ「ヨーロッパの精神」をテーマにした作品であることを聴き手?に印象つけるわけです。

しかし、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に舞台はアメリカですよね?
つまり、この作品の設定は、「アメリカの中のヨーロッパ人」そして「アメリカ文化?の中のヨーロッパ精神」になっているわけです。

ヨーロッパには「聖」と「毒」がある。 では、アメリカ精神には何があるの?
それは「正義」と「悪」ですね。

アメリカにはこの世を越えた「聖」はなくても、この世の規範である「正義」はあるでしょ?

自らを蝕む「毒」はない代わりに、他者を裁く「悪」がある。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、そのようなヨーロッパの「聖」と「毒」が明確に描かれています。

「聖」なるものの代表例は言うまでもなく、教会です。 この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では不思議なくらいに教会が出てこない。 死刑のシーンにつきものの、聖職者(牧師とか神父)がいないでしょ?


映画における普通の死刑のシーンでは、刑の執行される前に聖職者と会話するシーンがつきものです。 一番感動するシーンですからね。では、どうしてないの?
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、このような「聖」を思い起こすような人物は注意深く避けられているわけです。 キリスト教関係でいうと、セルマが刑務所のダクトから聞こえる賛美歌と、囚人の部屋にある1枚のキリストの肖像くらいです。

ダクトから聞こえる賛美歌・・・この賛美歌は一体どこから聞こえるのでしょうか?

他の人には聞こえない賛美歌・・・セルマの心にしか聞こえない音楽・・・

これはヨーロッパから聞こえる・・・と言えるでしょう。 勿論、物理的には無理ですが、心では聴こえているわけ。
つまり賛美歌を喜んで聴くセルマにもかかわらず、死刑において神父の立会いもない・・・

これくらいアメリカには「聖」から距離がある・・・とフォン・トリアー監督は言っているわけです。


では、ヨーロッパの「毒」とは?

それはまさにこの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、遺伝性の病気として示されているわけです。

「遺伝することがわかっているのに、何故に子供を作ったのか?」という疑問は、

「毒に満ちて閉塞感の漂うヨーロッパ文化を伝承することに、価値や意味があるのか?」

という、監督のフォン・トリアーの自問でもあるわけです。

毒に満ちた文化を伝承することによって、その「毒」も伝承される。 その価値と覚悟・・・

ヨーロッパの持っている出口のない状況と、未来一杯のアメリカ。
シリアスなヨーロッパの表現と、能天気なミュージカル仕立てのアメリカ風表現。

精神主義のヨーロッパと、商業主義から抜け出せないアメリカ家族。
約束を守るヨーロッパ人と、約束を無視するアメリカ家族。

例の事件のあった家族の庭に星条旗がはためいているのは偶然ではないわけ。 あの家族がアメリカ人の典型だ!とフォン・トリアー監督は言っているわけです。

あるいは、あの家における知性の欠落は、本棚を見ればスグわかるようになっています。 何かの全集ものがキレイに並んでいるんですね。 本棚の本がズラーと並んでいて、外見上もキレイなのは、本を読んでいない証拠。

フォン・トリアー監督がアメリカの単純さに距離を置く人であることは明白ですね。 まあ、「あんなに単純で生きられたらラクだろうなぁ・・・」と思っているのかな?

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-12/03-12-16.htm

まあ、アメリカ人にフルトヴェングラーが理解できる訳ないわな(嘲笑い)。


126 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 23:31:08 ID:u3q9lZsw

いまどき、フルヴェンを崇拝してる輩なんていないだろ?
昔はイカサマ評論家に騙されて、LPを買いあさった単細胞がいたけどCD時代になってからは耳が肥えてきたリスナーが増えたんだから あんな時代遅れの駄演盤を買う奴なんているわけねえよな

285 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/25(土) 13:58:27 ID:QKA/pZAT

フルヴェン聞いてる自分が好きなんだ、おれ。

127 :中川隆:2010/09/25(土) 23:43:53 ID:qoJ7IzLk

演奏がどうこう言う前に、音そのものがカラヤンなんかとは比較にならないよ。

128 :名無しの笛の踊り:2010/09/26(日) 06:14:42 ID:XLcQnO3j

確かに比較にならんな
フルヴェンは異常に芝居がかった演奏をするし、表現するのがちっぽけな人間的感情だけ
はっきり言って、曲を矮小化させてると思う。気持ち悪いし


129 :中川隆:2010/09/26(日) 09:50:01 ID:EBOV+P7W

芝居がからない演奏 = ムード音楽

132 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 02:31:10 ID:HM57NYyB

何度も聞くと鬱陶しい。
本人もそれわかってたみたいだし。

133 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 03:24:30 ID:OrFxSTLH

俺はシューマンの4番がフルヴェンの最高傑作と信じて疑わん!


134 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 06:37:26 ID:MX7WlJNi

俺のCDの棚にはそう言えばフルトヴェングラーのCDは少ないな。 ベートーベンの第9バイロイト、その他2〜3枚程度

人生は短いから、音の良い演奏で色々な曲や演奏を聞きたいとなると避けがちになる

135 :愛撫 先:2010/10/02(土) 07:38:01 ID:jUW+8RAO

不思議なのは、古楽器演奏や演奏法によるベートーヴェンが主流になってもフルトヴェングラーのベートーヴェンを第一とする人があまりに多い。 評論家もリスナーも。

トスカニーニだって楽譜に手を入れてるし、フルトヴェングラーはいわずもがな。 古楽器演奏や演奏法の是非はともかくとして、これを基準にするとフルトヴェングラーは演歌になってしまう。

粘るところはとことん粘り、盛り上げる部分はオケが崩壊しても突っ走る。 自分も中2のころは、「第5」の復帰演奏を毎日聴いてたが今聴くと…
「今、フルトヴェングラーの解釈をするとオケの団員からバカにされる。 今や誰も出来ないコトを(時代が違うとはいえ)やっていたフルトヴェングラーに価値を見出しているにだろう」 と思う。


136 :中川隆:2010/10/02(土) 08:44:27 ID:hSQXWzjT

ブルーノワルターもヨーロッパ時代は
粘るところはとことん粘り、盛り上げる部分はオケが崩壊しても突っ走る
だった。 メンゲルベルクも同じ様なもんだし。 これが19世紀の標準スタイル。


137 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 09:09:05 ID:b/j4ReU6

フルベンは、一回目聴くといい演奏と思うこともあるのだが、何回も聴くと本当に鼻についてしまう。

聴衆が聴きに来る曲をほとんどレコード等で聴いたことがない時代ならこの演奏方法は価値があったのだが、今となっては明らかに時代遅れとなっている。
実演では偉大な指揮者として考えるけど、正しいレコードの残し方は死ぬまで分からなかったのではないか。1954年に無くなったが、ステレオ時代まで生きていたら、おそらく評価が急落したと思う。


138 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 10:12:11 ID:z4+7UHYM
>>136
>これが19世紀の標準スタイル

19世紀って・・・せいぜい世紀末に彼らが幼少期、青年期を過ごしたってだけじゃん。
100年間もあれば演奏様式も技術も楽器の性能も変わるだろうし、ベートーヴェンからマーラーまで録音なんか残ってないのに、よくそういう見てきたような嘘をつけるね。


139 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 10:42:36 ID:bnuyrT5v

後期ロマン派スタイルだわな
それに最後のロマン派リヒャルトの演奏はまったく違うわけだし、フルヴェン流が演奏の主流だったのってほんの一瞬だったと思う


140 :中川隆:2010/10/02(土) 10:47:05 ID:hSQXWzjT

少年時代の音楽教育でその後のスタイルがすべて決まるもんだろ。
インテンポは20世紀のスタイルだよ。

楽器で進歩したのはピアノだけだろ。 19世紀のオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント奏法

それに合った指揮をしてただけだろ。

フルヴェン流 = テンポが遅い

ヨーロッパ時代のワルターもリヒャルトシュトラウスもシューリヒトもテンポが極端に速く、演奏が軽い。

これがヨーロッパ標準


142 :中川隆:2010/10/02(土) 11:23:42 ID:hSQXWzjT

20世紀最高の指揮者はワインガルトナーだというのが昔の常識だったみたいですね。


本物の貴族
テンポが極端に速く、演奏が軽い
ノンヴィブラート・ポルタメント奏法の奥義を極めた天才

143 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 11:27:12 ID:bnuyrT5v

>フルヴェン流 = テンポが遅い
すげえ、こんなの初めて知った


144 :中川隆:2010/10/02(土) 11:50:26 ID:hSQXWzjT

こういうことさ

演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。

現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。

この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。

アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。

また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。

第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。

ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。
おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。

本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。

しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。

つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
 
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html

146 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 12:03:30 ID:Dz7Mu4tB

他人のサイトの意見を鵜呑みにして「こういうことさ」って恥ずかしくないの?


147 :中川隆:2010/10/02(土) 12:22:48 ID:hSQXWzjT

これは常識だからね。

ワーグナー出現以前のスタイルというのはカペー四重奏団の演奏そのものだろ。
フルヴェンはロマンティックスタイルの代表

ノンヴィブラート・ポルタメント奏法に戻るのはもう不可能だから、フルヴェンを否定したら未来は無いのさ。


148 :中川隆:2010/10/02(土) 12:33:50 ID:hSQXWzjT

もうこんな演奏は無理だもんね

カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。
カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。

そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。

クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。 云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。


第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。 この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。

このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。

これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。

http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html

19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。

例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)

上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。
そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです

「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。

http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm

ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。

しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。

ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音は ただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。 私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。

20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。 フリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、グラマーなビブラートを始めたように思われます。

1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。 しかし、ごく徐々になのです。高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。

ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、
ウィーン・フィルは1940年までありません。

ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。

http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html


151 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 14:09:02 ID:lXJZscod
>>136,>>140
で、結局「標準」って何だ?

152 :中川隆:2010/10/02(土) 15:01:23 ID:hSQXWzjT


1.本来のヨーロッパ標準

ノンヴィブラート・ポルタメント奏法の甘味で純粋・透明な音色
インテンポ、テンポは極端に速く、演奏が軽い
ワインガルトナーとカペーSQがそのとう尾を飾った。

2.ロマンティック・スタイル

テンポの極端な変化やダイナミックレンジの広さ、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラート
テンパニの強打、金管楽器の強調
音楽の文学的な解釈、ドラマチックな盛り上げ
フルヴェンとメンゲルベルクが代表


3.現代的演奏
ムード音楽と変わらない
カラヤンが代表


153 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:07:20 ID:ydGg4Bll

そういえば何かの文献にワインガルトナーの演奏はアンチ・ビューロー
ということが書いてあった。

(ビューローの面前で「カルメン」指揮した際に逆鱗に触れたエエピソードあり)


154 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:14:03 ID:bnuyrT5v

>>136ではヨーロッパ時代のワルターをメンゲルベルクと同じスタイルだとし
>>141ではシューリヒトやRシュトラウスと並べてる。矛盾してるぞ
他にも突っ込みどころがありすぎる。かわいそうな人だ


156 :中川隆:2010/10/02(土) 15:23:46 ID:hSQXWzjT

20世紀初めは本来のヨーロッパ標準とロマンティック・スタイが共存していただけさ。

1930年代のウイーンフィルは本来のヨーロッパ標準に近かったから、ワルターのウイーン録音はヨーロッパ標準

ウイーンフィル以外のオーケストラは自由に振れたからロマンティック・スタイル

になった。

シューリヒトやRシュトラウスはヨーロッパ標準の指揮者に近いが、ポルタメント奏法が無くなった時代だからインテンポの所だけ標準に近い。


157 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:28:43 ID:HM57NYyB
>>152
ムード音楽の指揮者ってあとどの辺の人?


158 :中川隆:2010/10/02(土) 15:30:31 ID:hSQXWzjT

バーンスタイン

159 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:44:24 ID:HM57NYyB

たったそんだけ?
じゃ別にそんな大きな勢力じゃないじゃん。

160 :中川隆:2010/10/02(土) 15:57:48 ID:hSQXWzjT

オーケストラが全部ムード音楽専用オケになったという事。 今、フルヴェンが生まれてきても、もうああいう演奏はできないもんね。

161 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 16:08:06 ID:HM57NYyB

わかった、君が最近の音楽を聞いてないことはわかった。 だって聞くに値しないだろうからね。

162 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 20:39:49 ID:lXJZscod

実証も反証もしようがないから言ったもんがちだな

163 :中川隆:2010/10/02(土) 21:58:14 ID:hSQXWzjT

20世紀初頭と19世紀中頃はそんなに変わっていない。

20世紀初頭の状況はSP録音の歴史から推測できる。

従って、19世紀中頃の演奏スタイルはノンヴィブラート・ポルタメント奏法しか考えられない。

当時は早いテンポで小さい音で上品で甘い音で演奏していたんだ。

だから、フルヴェンの前にフルヴェンは無く、フルヴェンの後にフルヴェンは居ないというのは厳然たる事実だね。


165 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 09:04:04 ID:DGWEGJvm
>>160
なぜムード音楽専用オケばかりになったの?
なぜフルヴェンが今指揮してもああいう演奏できないの?
大指揮者なんだから出来るに決まってるだろ?
メンゲルベルクの第9のエンディングは「ドラマチックな盛り上げ」なの?
音楽になんで文学的解釈が必要なの?

167 :中川隆:2010/10/03(日) 09:23:17 ID:trtEv+0L

(なぜフルヴェンが今指揮してもああいう演奏できないの?)


昔はレコード会社自体がフルヴェンに輪を掛けたアレだったからできたのさ:


ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団

フルトヴェングラー・センターから会員向けにバイロイトの「第九」が発売された。

それも、編集がない、正真正銘のライブ盤だとか。

この「センター盤」が出現したことで、EMI盤が当時のプロデューサー、ウォルター・レッグによる編集を経て作られたことがほぼ明らかになりました。


 例えば、EMI盤にあった「vor Gott」のクレッシェンドは「センター盤」にはありません。

というより、「センター盤」は全体的に音楽の流れがとても自然です。
つぎはぎをされたらとてもこのように自然な流れにならないでしょう。

 気になったのは第4楽章の終結部です。もしかすると普通のテンポになっていないかと興味津々で聴いたのですが、猛烈なスピードで畳みかけるのは一緒ですが、音はよく揃っていて「ハチャメチャ」な感じは全くしません。 見事に最後の音に着地しています。

 こうなるとますます奇妙です。レッグはわざわざハチャメチャな方を編集材料に選んだことになります。

また、「vor Gott」にクレッシェンドをつけて強力に厚化粧をしています。
ライブ盤と銘打って発売するからにはこれくらいのことをしておいた方がインパクトがあると考えたのでしょうか。

実際に多くのファンに強烈な印象を与え続けたわけですから、レッグの目論見は完全に成功したと言えます。

http://www.kapelle.jp/classic/9th_symphony/beethoven.html


「EMI盤は、全体の4分の3が編集したものではないか。 EMI盤の憶測がいくつか明らかになった。

第4楽章中間あたり、”vor Gott"と合唱がフォルテで歌い、声を長く伸ばす、有名な箇所があるが、最後、瞬間的に合唱、トランペットのレベル(音量)が上がる。

これは、レコード制作時にわざとレベルを上げて、演出したのではないかという疑問だ。

バイエルン放送局盤はそのような音量の変化はない。 したがって作られたものだと判った。


______

要するに、楽員もレコード会社も聴衆も全員狂ってないとああいう演奏はできない:

何度も繰り返し再生され、なおも愛好家を増やしつつあるEMIバイロイト盤の「レコード芸術」としての歴史に、残念ながらセンター盤「真正実況盤」は敵わないように思う。

あれほどまでに聴きたいと思いつづけてきた「真正実況」だが、「今まで以上に優れたものではなかった」というレッグの実演に対する評価が、大きな実感としてshin-pの胸にのしかかった−(07/07/19)

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/comp03.htm

169 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 11:16:41 ID:mm5Di51H

いまだにムード音楽なんて引き合いに出す爺がいるのか

170 :中川隆:2010/10/03(日) 12:31:39 ID:trtEv+0L

カラヤンやバーンスタイン、ショルティ、クライバーの時代はムード音楽の全盛期だったから、彼らもその真似をしたのさ:


その場に快適な雰囲気をかもし出してくれる音楽、あるいは快適な雰囲気そのもののような音楽を、かつてムード音楽と呼んでいた。
太平洋戦争がおこなわれていた時代からアメリカで開発され、戦後の40年代後半から50年代なかばにかけて、完成の頂点を迎えた、おそらくもっとも贅沢な音楽が、ムード音楽だった。

日本では軽く扱われたが、もっとも豊かでしかも若かった時代のアメリカで、多くの天才的な才能と経費そして時間を惜しみなく注ぎ込んで、ムード音楽のLPが大量に作り出された。


1965年ごろから“ムード音楽”という言葉がもてはやされ、色々なオーケストラが出てきた。

マント・ヴァーニ、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、
パーシ・フェイス、ボストン・ポップス、アンドレ・プレヴィン、
カーメン・キャバレロ、カラベリ、ニニ・ロッソ、サム・テーラー、シル・オースティン等など。

http://kouji-trumpet.hp.infoseek.co.jp/moodmusic.htm

上にベルリンフィルやNYフィルも加えて欲しかった。


172 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 13:28:32 ID:trtEv+0L

(音楽になんで文学的解釈が必要なの?)
フルヴェンが表現したかったのはこういうのだから:


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
/:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_                 _、-、_
;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、  ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ.   /"´ ̄~''ヽ. ,.. ‐"`'ー-''`''-、
;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::
  ヽ


173 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 13:37:55 ID:7sTH8MA/
>>170
ムード音楽っていうけどさバッハの管弦楽組曲やモーツァルトのディベルティメントなんかも目的は似たようなもんだよ

それに19世紀にはコンサートオケというのはむしろ少数派でオケといえばウィーンやドレスデンのように本来はオペラが本職、そしてほとんどのオペラは芸術鑑賞と言うより社交の一環だよ

その点はどう考えるんだ?

174 :中川隆:2010/10/03(日) 14:03:07 ID:trtEv+0L


1.本来のヨーロッパ標準
貴族や大金持ち向けのサロン音楽から生まれたもの


2. ロマンティック・スタイル
インテリの中産階級を対象として生まれたもの。


3.ムード音楽
レコードを買える一般大衆向け


要するに、レコード文化と共に生まれたのがムード音楽やカラヤンの演奏

177 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 17:26:48 ID:VcxWNf3D

ID:trtEv+0Lって他所のリンク貼り付けてるばかりだな
受け売りばっかで自分の意見がないなら邪魔だから止めてくれ

178 :中川隆:2010/10/03(日) 17:36:54 ID:trtEv+0L

真実は既に知られているけど、君達がそれを知らないというだけの事さ。

179 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 17:49:36 ID:iIY0Bhgl
>>173
なかなか鋭い突っ込みだね。

>>174
その3つのカテゴリーだと、トスカニーニはどこに分類されるんだ。
毎週一千万人が聴取するラジオ放送をやっていたから、1や2でないことは明白だが。

180 :中川隆:2010/10/03(日) 18:06:20 ID:trtEv+0L

トスカニーニもインテリの中産階級が対象だからロマンティック・スタイル
ロマンティック・スタイル というのは別に演奏がロマン的という意味ではなく、伝統を否定する演奏様式なら該当する。

181 :179:2010/10/03(日) 18:29:55 ID:iIY0Bhgl
>>180
回答サンクス
なるほどね。
まあそれなら3つの分類も有りかなと思った。

182 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 18:56:29 ID:7Aw9y7+s

せっかくだからオペラ指揮についてもどうぞ
ここまでクラシック最重要ジャンルの話がまったくでないので

183 :中川隆:2010/10/03(日) 19:22:12 ID:trtEv+0L

ポッペアの戴冠が理解できたる天才と理解できないアホ


天才は
ヤーコプス&コンチェルト・ヴォカーレ、ボルス、ロランス、他(1990 ステレオ)(3CD)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3891140


アホは
ガーディナー&EBS、マクネアー、オッター、他 輸入盤 〔C
http://store.shopping.yahoo.co.jp/hmv/790492.html


天才のヤーコプスはロマンティック・スタイル

アホのガーディナーはヨーロッパ標準


ネロを悪役としているのがヨーロッパ標準のアホ演奏

モンテヴェルディが表現したかったのはこれだからね:


醴雛翩|||III;(i.'.:' .                           、.:.、'.''゙(}I}}}||IIIi゙(.( :.'.、' ' 、'.:、'.'.(.(i゚(}}}}|tq,
醴醴雛即lI゙(.'.、                    .、...:.x.(iicsij:,;、'.::‘(i゚(}}|||ロIl,( :.'.、    . `` '' .(i゙(Il}}][q,
醴醴靈瓰II,(:.:、                  . . . `' `_).''''ミ!}|||Ijj,'。:.(.(}I}||||IIi>.'.、          .'.?ミ(}照|g,、
醴醴醴翩|IIi>:                   . ' . ' ` 'テi;  :゙(}蹤|I,(.'.?.(}I}||||I;(、'..          . ' :‘(浴}}}}諭gg_、
醴醴醴雛||II,( :. .                       、゙(li:ョ涸阨[|Ili.'.:.'.ミII}}|||Ii;、.          .、:::: (i゙(I浴||||謳薑
醴醴醴雛|||I)).:: .                       . .(ii.i}浴屈[}}'、'.':: (.(II}||||I,(. .         . `.'.、.(0IIII||||醴‡゚゙
醴醴醴靈詬I;(i:.:、                      . .('゙(}}}}}笏'゙'... . .'.:ii゙(I}|||回>.           .'.、.(,(II||朋醴「...
醴醴醴醴齟|IIi'。::. .                       . `' `'゙'.'` .  、'.:.(.(泪屈Iiン. .       .、::.'_(.(II泪讃置
醴醴醴醴鑿||II,(>:、..                              丶.'_(i゙(I泪窗||Ii:、..    .、.:.'_(.(.(,(II屈醴歡

ネロが大人になる為の自立の闘いを描いているだけなのに、アホは勧善懲悪の話にしてしまうんだ。

救いようがない馬鹿。


それからこれがムード音楽


・モンテヴェルディ:『ポッペアの戴冠』 セーナ・ユリナッチ(S ポッペア)
 ゲルハルト・シュトルツェ(T ネローネ)
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ウィーン国立歌劇場管弦楽団

 録音:1963年4月1日,ウィーン国立歌劇場(ライヴ)

http://artist.cdjournal.com/d/lincoronazione-di-poppea/1398040114


幾らなんでも趣味が悪すぎる(という話を聞いた)。
アホのヨーロッパ標準スタイルの方がまだまし。

186 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 19:58:05 ID:DGWEGJvm

ムード歌謡最高!


187 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 21:15:37 ID:YiwaLXSO
>>185
カラヤンはな、アンタみたいなコピペジジイなんかが太刀打ちできる相手じゃないんだよ。てか、いいCD持ってるじゃないか?
それ売ってくれよ。 もう廃盤なんだよな。


188 :中川隆:2010/10/03(日) 21:27:45 ID:trtEv+0L

確かにカラヤンを誉めてた大指揮者もいたね:

クレンペラー「悪くないぞぉ、カラヤン。みんなが言ってる程悪くないぞ。」


189 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 23:40:36 ID:7sTH8MA/
>>180
>ロマンティック・スタイル というのは別に演奏がロマン的という意味ではなく、伝統を否定する演奏様式なら該当する。

>>152 >>2.ロマンティック・スタイル
>
>テンポの極端な変化やダイナミックレンジの広さ、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラート
>テンパニの強打、金管楽器の強調
>
>音楽の文学的な解釈、ドラマチックな盛り上げ
これ、どう折り合いつけるの?


190 :中川隆:2010/10/03(日) 23:47:35 ID:trtEv+0L

トスカニーニはティンパニを強打してるし、ドイツの伝統を無視してドイツ音楽を演奏してるからね。

ムラヴィンスキーも金管を強奏してるし、低弦のバランスが異常だし、
チャイコフスキーみたいにドイツ音楽を演奏してるからロマンティック・スタイル

カルロスクライバーはカラヤンのファンだし、カッコ付けてるだけだからムード音楽


191 :中川隆:2010/10/04(月) 00:13:04 ID:aJwK12JL

ここにアホ・カラヤンファンが居るから教えといてやるけど、

カラヤンの凄さは stax の静電型ヘッドフォン(最上級機)で聴かないと絶対にわからない。

カラヤンは聴覚能力が異常に発達していたから、凡人とは音の聞こえ方が全然違うのさ。

超高音が練り絹の様にレガートで繋がっていくのを再現できる装置でないと、カラヤンの意図は再現できない。

ここのアホファンにはカラヤンの本当の凄さはわからないのさ。


まあ、これ買ってからカラヤンの評価しようね:

SR-007A 定価 210,000円(税込)
STAXイヤースピーカーのフラグシップ機。

コンデンサタイプらしからぬ量感たっぷりの低域、滑らかな中域、
繊細無比の高域をお楽しみください。
http://www.airy.co.jp/sub_stax.htm


194 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 10:28:16 ID:isR28n0L

売れないメーカーの必死の宣伝か。。。
こんなの使ったら難聴になるのにな。
あ、そうか、難聴の爺さん向けの宣伝だったか。
でもなんだか哀れで同情を誘うぜ。 ま、がんばれや。

195 :中川隆:2010/10/04(月) 11:18:55 ID:aJwK12JL

良く知ってんね(感心)
俺は stax を使ってて耳痛くなったからカラヤンを聴くの止めたのさ。

カラヤンは確かに凄いんだけど、それは音楽としての凄さではなく、
音そのものの生理的な快感なんだよね。


197 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 12:42:06 ID:omalygRl
>>196
生理的な快感を起こせる指揮者ってすごいよな。
aJwK12JLとは親友になれそうだ。

198 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 13:02:02 ID:UGA8ddCn

カラヤンの凄さはスピーカーでは再現できないのか、ヘッドホンて嫌いなんだよね。


199 :中川隆:2010/10/04(月) 13:29:07 ID:aJwK12JL

Quad ESL57 か ESL63プロにチェロかゴールドムントの超高級アンプを使えば Stax に近くはなるみたいだけど。

ESLは振動板が3年で劣化するし、交換に何十万円もかかる。
100万円以下のアンプではいい音にならない


安いのもあるけど振動板が劣化してるとあの音にならない:

QUAD ESL57(3ペアー在庫あり、金、黒、ベージュ)ペアー¥18万
QUAD ESL63(3ペアー在庫あり、茶、黒)ペアー¥25万

QUAD ESL63PRO ペアー¥28万


ESLは全て整備済み。
http://homepage2.nifty.com/soundpoint55/newpage3.html

サウンドボックス
ESL57  22+II  ESL63の復刻・再生品 新発売
http://www.soundbox.co.jp/quad.htm


5 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/24(日) 13:01

チェロはオーディオスィート、パレット、パフォーマンスが圧倒的に良くて、他はそれ程でもないと思う。アンコールシリーズは日本では売れたけど、音は今三。

61 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/08/08(水) 22:47
>>60
チェロはアンコールはそんなに良く無いよ。
スィートとは較べものにならないと思う。
どうせ買うなら、スィートだ。今ならヴィオラオーディオでアップグレードも出来る。
中古で見掛けたら即ゲットだね。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/07 12:20 ID:8J/ZIr7M

リモコンは使えないが、スィートの音は今でも最高だろ。
アンコールは駄目だが。

39 :AI ◆4wBVGeQHPA :03/04/26 00:41 ID:???
>>38
何度も言っているけど、チェロの場合スィート以外のプリはダメだよ。
チェロの神髄はスィートを聴いて語ってね。

http://mimizun.com/log/2ch/pav/1049683747/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c1

[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
2. 中川隆[-13337] koaQ7Jey 2020年3月25日 09:58:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1567]

201 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 14:30:58 ID:K1SYU52Q
>>190
どっかのパートかセクションを強調し、ドイツ人でなければロマンティック・スタイルということになるね。
(インテンポかどうかは実は関係なく)
ちなみにモントゥーとかビーチャムはどれに属するのかな?

202 :中川隆:2010/10/04(月) 14:58:41 ID:aJwK12JL

モントゥーはブラームスが好きでドイツの伝統を尊重したからヨーロッパ標準 だろ。

ビーチャムやバルビローリも中庸だからたぶんヨーロッパ標準。

要するに、まともな人間はヨーロッパ標準
パラノイアや異常性格者はロマンティック・スタイル

になるのさ。


愛の音楽家 ブルーノ・ワルターがロマンティック・スタイルだった理由も説明しとくね:

レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。


「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

http://www.kapelle.jp/classic/archive/archive9904_b.html


205 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 17:44:22 ID:PCv3/VKg

ワルターがいくら性格悪くてもかまわない。 あの美しい音楽がすべて。
おれだってかなり性格悪いし頭も悪い。

206 :名無しの笛の踊り:2010/10/05(火) 00:35:26 ID:/NFwZQZF

じゃあどうして一銭にもならない当時病気だった宇野との文通を何年も続けたんだ?

207 :名無しの笛の踊り:2010/10/05(火) 06:59:24 ID:w+UWmkQM

ワルターはナチスに迫害されたり娘を事件で失ったりしてるんだから多少は性格悪くても仕方ない。
まあそれならアンチェルルはどうなんだとかいろいろ言えるけど、何も経験してない

俺らが言うことじゃないな。

208 :中川隆:2010/10/05(火) 09:26:50 ID:zX2qjY6K

みんなから非難されている若き日のブルーノ・ワルターの行動はすべて、女狂いから来てるんだよ。

歳取って落ち着いてからまともになったんだ。

210 :名無しの笛の踊り:2010/10/05(火) 12:00:07 ID:DmqQ66xE

だけどフルちゃんのおねだり病は異常なくらいだったらしいね。
それにニキシュの後釜がほぼワルターだったのに裏であちこちに手を廻してフルちゃんがベルリン・フィルを手に入れたんだよね。 ま、もしワルターだったとしても戦争始まったらその立場を追われるけどね。

それはともかくフルちゃんて、とても人間的。 音楽はあまり好きじゃないけどね。


211 :名無しの笛の踊り:2010/10/06(水) 22:27:53 ID:c2UQR4cG

ワルターが非難されてたのは戦後ヨーロッパで困窮してたなじみのユダヤ人のオケ団員を援助しるのを渋ったり。巨匠にふさわしい社会的振る舞いをしなかったから、ようするにせこくて小市民だったからではないか。


215 :名無しの笛の踊り:2010/10/13(水) 12:23:18 ID:ja608Fsz

試しにワーグナーの「神々の黄昏」から聴いてみた。
うーむ、どうも音楽が物々しいやらおどろおどろしいやらで、魔物か何かが出てきそうな雰囲気である。

じゃあ「ジークフリート牧歌」ならマイホーム的なホンワカ・ムードでいいんじゃないかと思ったが、これも何か深刻な家族会議ふうで、ときどきオヤジが激昂したりしていたたまれない。

「タンホイザー」も妙に壮大だったり興奮のルツボ状態だったりして、どうも暑苦しい。気を取り直してR.シュトラウスに向かったが、こちらも事情は五十歩百歩どころか、何か新興宗教みたいに神がかって鬱陶しい。

いやはや困った演奏である。なにせ鳴っている音のすべてが、いつもいわくありげなので、音楽を聴こうと思っても門前払い、あるいは置いてけぼりのような気分にさせられたり、「おうおう盛り上がってるな」とか「悩んでるな」とかいうように、ほとんど他人の不幸(?)を喜ぶようなギャラリー気分になってしまう。
でもしばらく付き合っていると、フルトヴェングラーの狙いが読めてくる。
おそらくそれは、聴き手を感動の方程式にはめ込むことである。

だからこんなに情でがんじがらめの音楽をやるのである。

しかしそれにしたって、そうしたフルトヴェングラーの術にハマるには、現在の聴き手にとって、かなり意識的、または自己催眠的にマインド・コントロールする努力が必要だろう。ましてやこちとら筋金入りのスレっからし。残念ながらそんなウブな純朴さはとうになくしてしまった。

セピア色に変色した昔の写真を見つめて、遠き日の感動をなぞるのもときにはいいかもしれない。でもそれはあくまで過去の出来事であり、いつまでも後生大事にするものではない。なんらかの「追憶」はあっても、そこに「今」を聴くことの面白さは見出せないのだから。

だからこの演奏は、ある時期には一定の影響を及ぼしたかもしれないが、「終わっている」としか言いようがない。

218 :名無しの笛の踊り:2010/10/13(水) 15:54:23 ID:jUv7npsN

ベートーベンやバッハもある時期には一定の影響を及ぼしたかもしれないが、「終わっている」としか言いようがないんじゃないの。


219 :名無しの笛の踊り:2010/10/13(水) 18:52:26 ID:TSsYnk+W

それレコ芸再発欄の石原立教の評だろ
まるまる載せるなら引用元書いておけよ

220 :名無しの笛の踊り:2010/10/14(木) 21:04:15 ID:dlVQLDJJ

主観的すぎて何書いててもはあ、あなたにとってはそうなんですかって感想しか出てこない文章だよね


>>215

221 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 08:46:57 ID:JwiL3ntH

信者にとっては絶賛以外は全部「バカの私見」だからなw


222 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 09:56:00 ID:a4fptUoV
>>221
確かにそうだね。
でも、フルベンを否定する奴を批判する奴こそ、きちんと論理性が通った文章を書けないのが現実なんだが。だから頭ごなしの否定文しか書けない。


223 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 16:18:19 ID:JwiL3ntH

否定はしてないだろ。あんな音質じゃ良し悪しの断定はできないというだけ。

224 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 17:16:27 ID:Tu3y5P5p
>>215
レコ芸にもこういうまともな評論が載るんだね。 なんか見なおした。
だけど、好きな人にはたまらないんだからお互い、いがみ合わないで棲み分けするしかない。

225 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 17:36:40 ID:CedQe6JL

フルトヴェングラーは歌謡界で言えば美空ひばりみたいな存在なんだよ
俺もフルトヴェングラー崇拝者の1人だけど、カラヤンだって初期のDGやコロンビア録音にはいいものも多い。彼の実演もいい思い出。 何でもかんでも対立軸で議論したがるのも短絡的で困り者。

でもショルティやアバドはどうだろう。フルトヴェングラーより優れていると言えるかね?

単なる好き嫌いと混同するなよ

226 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 17:50:27 ID:rD2Fcyv3

一つのスタイルを極めたってことではフルヴェンは確かに偉大だったと思うなぁ
ただ、別のスタイルを極めたカラヤン、トスカニーニやロッシーニ復活に功あったアバドも同じように偉大な音楽家

問題は彼のスタイル以外認めず、別な方法論を採った演奏家を「内容空虚」「ムード音楽」とかいうことだと思う

227 :中川隆:2010/10/16(土) 18:11:56 ID:04+WnRvX

トスカニーニは狂人の音楽


228 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 18:28:52 ID:a4fptUoV
>>227
トスカニーニは、偉大な開拓者だと思うがな。確かにある意味狂人だが、その手の批判は、茨の道をいく人間の宿命。


229 :中川隆:2010/10/16(土) 19:00:52 ID:04+WnRvX

フルトヴェンは意志薄弱のダメ男、というより男じゃない。
ほんとに情けない男だったみたいだね。 天才だけど。

230 :中川隆:2010/10/16(土) 19:20:00 ID:04+WnRvX

オケメンバーにとっては、リハーサルで失敗したとき、激怒してかんしゃくを爆発させる激情型のトスカニーニの激しい叱責より、ワルターに

「私の指揮が足らず君に失敗があった。 指揮者として申し訳ない」

と言われて涙を滲ませられると、失敗した楽団員にとってはそちらの方(トスカニーニの叱責よりワルターの涙の方)が辛かったという逸話も伝わっています


フルトヴェングラーはあまりそういった逸話がなく、良くも悪くも、フルトヴェングラーは音楽の神に自らの全身全霊を捧げており、「音楽以外はどうでもいい」という感じのする、ひたすら音楽を追求し、あまり人間的な部分を感じさせない求道者的指揮者です。

フルトヴェングラーの家がドイツの富裕な名門であることも音楽以外に気を払わない彼の求道的スタンスに関係しているのかもしれません。

http://nekodayo.livedoor.biz/archives/840652.html


本当はフルトヴェンは他人とは意志の疎通が全然できなかっただけなんだけどね。

236 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 23:23:12 ID:Mi20l35J
>>230
× 「音楽以外はどうでもいい」
○ 「音楽と女以外はどうでもいい」

231 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 19:29:26 ID:033ETuRF

フルヴェンとかトスカニーニまたはカラヤン・クラスになるといくら嫌いでも否定は難しい。 時代をリードしてきてきた大巨匠達だからね。


232 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 19:50:52 ID:JIp9hOWC

どの指揮者が好きでも嫌いでもいいが、人格と演奏を結びつけて罵倒するのは愚かなことだ。

指揮者でも作曲家でも、人格の良し悪しと作品や演奏の良し悪しは別だからな。
ワーグナーなんか嘘つき・尊大・自己中心で、身近にいたらとんでもなく厭な奴だろうけど、幸いなことに離れた立場でいられるので、作品を楽しめるわけだ。
フルトヴェングラーが偶像化されるのは下らないことだが、人格をあげつらって演奏が良くないというのもこれまた愚かなことだ。


233 :中川隆:2010/10/16(土) 20:07:47 ID:04+WnRvX

まともな人間は大指揮者にはなれないという話なんだけどね。

245 :名無しの笛の踊り:2011/01/08(土) 08:59:20 ID:jJu19gDs

やはり少し過大評価を受けているね。
確かに、偉大な指揮者の1人であるという点では違いないけど、まあネットが普及したおかげで、評価が少しずつ適正な位置に移動しようとしているけど、まだまだ実力と比べて高すぎる。

246 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 02:10:42 ID:eiNs6h1H
>>1
評価の仕方が悪い。
馬場さんのプロレスを想い起こすがいい。
技術的には大したことが無いし、技の切れも無い。

何も良いところがないようだが、感動する人には感動させた。
ゆったりと動いて、不器用に大きく振り被って、ガァっー!!と決めた。

フルトヴェングラーの音楽そのものではないか?
感じることのできる者だけが感じられるのだ。
感じられないものがとやかく言うことではない。


247 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 10:52:12 ID:w0+S9HjN
>>246
まあ、ある意味その通りと思うよ。
でも古便オタや批評家って、カラヤンやトスカニーニを散々叩きまくったじゃない。
その辺が話をややこしくしていると思うが。

248 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 11:00:58 ID:ot841RyZ

バカだなぁおまいら
ベートーベンをどう演奏しなけりゃならんかを知っていた唯一の指揮者だぞ
馬場もプロレスをどう見せなきゃならんかは弁えてたがな

249 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 13:29:51 ID:9gQRyXPu
>>247
その通りと思うなら、もう16文突っ込んで考えるんだ!
カラとかトスカとかは、デストロイヤーとかブッチャーとかドリー & テリーなんだよ!!
別の国ではヒーローでも、馬場さんの国では悪役なんだっ!!!

250 :名無しの笛の踊り:2011/01/10(月) 18:24:27 ID:E3cCL/fG
>>247
>でも古便オタや批評家って、カラヤンやトスカニーニを散々叩きまくったじゃない。
???
当時の批評家の推薦版にやたらカラヤンが多かったよ。

ほとんどカラヤン盤だったね。レコード芸術とか何とか読んだことないの?
トスカニーニやフルトヴェングラーは過去の人扱いだったよ。

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classical/1267347548

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c2

[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
3. 中川隆[-13336] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:15:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1568]

宇野功芳先生が大嫌いな演奏 _ カラヤン・レガート


カラヤン 動画

http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3

http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3&oq=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3&gs_l=youtube-reduced.3..0l4.1554.3677.0.4348.9.9.0.0.0.0.309.2022.0j2j6j1.9.0...0.0...1ac.1j4.zol2awpx5Sw
http://www.youtube.com/results?search_query=karajan&oq=karajan&gs_l=youtube.3..0j0i4j0l2j0i4j0l4j0i4.20616.23599.0.24458.7.7.0.0.0.0.125.864.0j7.7.0...0.0...1ac.1j4.6WUHbDHxc4U


カラヤン Herbert von Karajan ―音楽が脳を育てる 茂木健一郎

クラシック界の帝王と呼ばれた男、指揮者・ヘルベルト・フォン・カラヤン。
生誕100周年、没後20周年を迎え、今も世界を魅了してやまないその音の秘密を、脳科学者・茂木健一郎氏が読み解きます。

ザルツブルク・ベルリン・ウイーン。カラヤンゆかりの三都を旅し、茂木氏が辿り着いたキイワードは「レガート」。

音楽用語で「なめらかにつなげる」を意味するこの言葉こそ、カラヤンを成功に導き、現代日本に生きる我々に最も必要なことと喝破する。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-Herbert-Karajan-%E2%80%95%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%8C%E8%84%B3%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B-CD%E4%BB%98%E3%81%8D/dp/4418092234



小節の縦線が聴こえない、レガートの響き。
美とは一点の曇りもない美しい表面を持っていなければいけない。

カラヤンのレガートへの拘りは異常なほどだったという。
http://renoncule.exblog.jp/11491231/



  その頃のフルトヴェングラーはベルリンでの非ナチ化法廷での審理の最中であり、1946年12月に無罪となった後も米国を中心とする西側メディアからの追求と批判をあびていた。 その時期にカラヤンは、戦中時代からの行き違い(勿論、芸術性における解釈には違いがあるが)について、フルトヴェングラーとの和解を試みている。

1946年初冬、フルトヴェングラーが列車でチューリッヒに行く途中、カラヤンの滞在先であるザンクトアントンで途中下車し会いたいというカラヤンの願いに同意し、二人はアールベルクで対面をした。

対談自体は、フルトヴェングラーのカラヤン嫌いがあまりにも強く、修復の余地はなく失敗に終わった。しかし、後年、フルトヴェングラーはカラヤンのレガート表現の資質について、こだわりも悪意も捨ててカラヤンをほめ妻に語っている。

「カラヤンはほんもののレガートが使いこなせる。自分で学んだに違いない。
教えられて出来ることではないからな」と。

  歌うようなオーケストラ的レガートを正しく理解し、使いこなさなければ、第九交響曲や19世紀から20世紀初頭の多くのドイツ作品を指揮することが不可能であることをフルトヴェングラーはよく心得ていたからである。
http://www16.plala.or.jp/annys-house/karajan.htm



チェリダッケが、カラヤンのことを

「音は美しいが中身がない」

と言って、インタビューアーが

「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」

と言ったら

「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」

と言った話は有名です。


チェリビダッケは他にも

「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」

「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」

「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」

「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」

「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」


等、マスコミが喜びそうなことを言ってました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1377955283


クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」


__________


カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。

「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」

カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。
http://nyhanako.exblog.jp/10641334



川口マーン惠美 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』

カラヤンについては、共にその黄金期を過ごしたベルリンフィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏は、次のように語っている。

カラヤンは素晴らしい業績を残した。しかし、亡くなって、まだ二十年も経たないのに、もうすでに忘れられつつあるような気がする。

ところが、フルトヴェングラーは、没後五十年以上経つのに、いまだに偉大で傑出している。あなただって、フルトヴェングラーのために、ここまで来たのでしょう。
あなたの求めている『フルトヴェングラーかカラヤンか』という問への答えは、おのずと決まっていくかもしれませんよ。
http://blog.livedoor.jp/weidows95/tag/%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88



405 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:05:35.14 ID:7ySo7EVD
カラヤンが子供騙しな指揮者だったって事は本当ですか?


406 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:35:44.59 ID:ij4qrj9g
三分の一くらい本当です。


407 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:55:44.92 ID:n6gAFbdL
子ども騙しの最右翼はフルヴェン。
初心者のおれが「ここでこうやったらカッコイイ〜」
という解釈でやってくれるからわかりやすかった。

でもいずれネタがわかってしまい飽きてしまった。

それになにをやっても芝居がかってて鬱陶しくなった。
時代物として聞くならいいだろう。
シゲティとかカザルスとかコルトーもそう。


409 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 17:10:23.49 ID:jU7IpzTY

大衆化路線をそんなにバカにしちゃいかんよw。
カラヤンが早くからメディアの可能性に着目して、大量にレコードを出したから、批評家にも仕事のチャンスがたくさん回って、手厚く稼がせてやったわけだ。

その上アンチ批評家がフルヴェンやクナを聴け!と読者を説教したものだから、そちらのレコードもよく売れて、レコード会社は更にウマーw。

結果として俺たちは、氾濫したメディアのおかげで何時でも何処でも好きなように音楽を聴けるようになったんだし、評論家ごっこまでして遊べるようにもなったわけw。
感謝しなくちゃ。


410 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 19:04:43.55 ID:iZCOeSva
クラシック鑑賞は高尚な趣味で敷居が高い、という時代が短からず確かにあったんだよ。 それを居酒屋でオッサンが談義できるレベルまで降ろしてくれたのがカラヤン。


411 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 20:23:11.71 ID:bGTHVZUa
>>410
>>それを居酒屋でオッサンが談義できるレベルまで降ろしてくれたのがカラヤン。

いや、カラヤンではなく、宇野功芳などの俗悪音楽物書きのお陰で、クラシックが、居酒屋で呑んでるオヤジや、電車内でスポーツ新聞を広げてるようなオッサンでも語れるような庶民の文化となったのだよ。
少なくとも日本では確実にそうだと思う。


413 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 20:36:05.66 ID:cmXB50aQ
フルベンやクナなんか聴いてるの世界中で日本人だけらしい
同じ日本人として恥ずかしい
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1347016336/



岡本太郎

「きれいであってはならない。うまくあってはならない。心地よくあってはならない。
ほんとうの美とは、きれいとか、うまいとか、心地よいなどとは反対のものなのです。」


宇野功芳
「その本物の美しさと正反対なのが、カラヤンの演奏だと思う。」
http://www.geocities.jp/descanso_sabatical/music/classical/bruckner/conductor/karajan/karajan9bpo75.html


宇野功芳
現在、“帝王”と呼ばれる指揮者にカラヤンがいます。その人気はすばらしく、まさにスターですが、それはカラヤンの美男ぶりや洗練された指揮姿によるもので、音楽的な実力は明らかにベームのほうが上なのです。

芸術というものは芸術家の心が正直に反映します。カラヤンの演奏は音が美しくて、角がなくて、実にスマートですが、いささか表面的で聴く人の心を打ちのめすような内容の深さに欠けています。

彼がオペラを好み、ベートーヴェンをあまり得意にしていないのはそのためでしょう。ところがベームは違います。華やかなオペラよりは、内容できかせるモーツァルトとベートーヴェンを最も得意にしているのです
http://www.tokai-med.ac.jp/staffs/obara/sb/log/eid250.html


宇野功芳

エロイカ 朝比奈盤
カラヤン/ベルリン・フィルなど、オーケストラは数段上だが、いくら技術的に優れていても、本当に魂のこもった迫力において大阪フィルより落ちる。それはカラヤンの指揮が外面的だからであろう。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/50856054.html



指揮者の中には、実演第一主義とでも言いましょうか、コンサートでの演奏が全てであって、録音用の設備を整えたスタジオで、何回も取り直しを繰り返し、果てはテープの継ぎはぎ迄して、出来上がりの完成度を高める様な、そんな録音は絶対に取らないと言う、言わば硬派のご意見の方も多く居そうです。

その言葉が批難している対象は実はカラヤンなのです。

彼の完成させた録音はですから、プロが楽譜と突き合わせれば、恐ろしく楽譜に忠実な事に驚くのでは無いかと思われます。また、彼程耳の良い人も珍しかった様で、楽隊の鳴らす和音の中の、単一の楽器の音のずれを聞き逃さなかったと言われます。

加えて、記憶力抜群の指揮者でして、殆どの曲を暗譜で演奏したらしいのです。これは長大な時間の掛る膨大な楽譜のオペラでもそうだったと言われます。彼の残した映像を見て居ますと、協奏曲の伴奏オーケストラの指揮も原則的には暗譜で指揮して居ます。この事からも彼の暗譜力の素晴らしさが伺えます。
http://koten.kaiteki-jinsei.jp/080619.html



「売れる」演奏とは? 
カラヤンとリヒテル相容れない巨匠と名録音の知られざる裏側

ベートーヴェン作曲の三重協奏曲。
この曲、ピアノがリヒテル、ヴァイオリンがオイストラフ、チェロがロストロポーヴィチ、そしてカラヤン指揮でベルリン・フィルという、これ以上考えられない夢のような豪華な顔ぶれの録音があります。


BEETHOVEN - The Triple Concerto in C Major, Op. 56 - Oistrakh/Rostropovich/Richter/Von Karajan



 
そのレコーディングについて、リヒテルがドキュメンタリーフィルム「リヒテル(謎>」の中で知られざる裏について語っています。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
三重協奏曲のレコーディングが悪夢だった。カラヤンとロストロポーヴィチ、オイストラフと私。2対2の戦争だった。カラヤンは私の不満顔に首を傾げた。

私はうわべだけの演奏が嫌だった。
オイストラフも失望してしょげかえっている。

一方、ロストロポーヴィチはただ目立とうとする。
私とオイストラフが不満だったのは第2楽章のテンポの遅さだ。だが、ロストロポーヴィチはすぐカラヤンに追随した。カラヤンが"これでよし"と終わろうとするから、私がやり直しを頼むと

"一番大事な仕事がある!"

・・・・写真撮影さ。
我々はバカみたいにヘラヘラ笑ってる。おぞましい写真だ。見るに耐えない。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・


それにしても、一触即発の緊張感の中でのぶつかり合いだったということが想像できます。 
ロストロポーヴィチのチェロは、録音を聴く限り、気迫十分、間違いなく全盛期の演奏そのもの。実際は、ロストロポーヴィチもカラヤンと対立し、席を立って出て行ったという穏やかではない一場面もあったようです。
 
問題の2楽章、レガート奏法を多用し、艶やかで美しい音楽を追求するカラヤンからすると、やはりテンポは上げられなかったのかな、と思います。
カラヤンは、どうすれば「売れるか」ということをよく分かっていた人だと思います。
超有名演奏家を一同に集め、カラヤン美学で音楽を作り上げれば必ずヒットする。

そこが、生涯をただ純粋に音楽だけに捧げた孤高の芸術家リヒテルとは相容れなかったところだったのでしょう。
 
しかし、カラヤンのおかげで、本物のクラッシック音楽がある特定のファンのものだけではなく、一般の人々にまで受け入れられるようになったのです。そういう意味ではカラヤンの功績は大きいと思います。裏で何があろうとも、一筋縄ではいかない巨匠たちに、ここまですごい演奏をさせたカラヤンの手腕も見事。この名演奏から感じられる異常なまでの緊張感を生み出したのは、またしてもカラヤンの仕掛け?とふと思ってしまうのです。
http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/09/post-7296.html



“カラヤンの第1回目の「チャイ5」セッション録音”

チャイコフスキー 交響曲第5番 カラヤン&フィルハーモニア管
録音年:1952年5月ー6月、1953年6月 ロンドン、キングスウェイ・ホール
第2楽章ホルン・ソロ: デニス・ブレイン





参考

Tchaikovsky - Symphony No. 5 in E minor, Op. 64
Wiener Philharmoniker Orchestra, Herbert von Karajan




アナログ本来の持ち味を生かした復刻で定評のあるOPUS蔵のリリースだけに大いに期待したのですが、かつて発売されたEMI盤(7364602)よりも、音の伸び、ハリ、スケール感、各楽器の輪郭が明らかに劣ります。フーベルマンのチャイコフスキーなど、生々しい訴えかけを再現した復刻を知っている者にとっては、この結果は全く意外です。EMI盤をお持ちの方は、買い替える必要は全くありません。

演奏そのものに生命感が漲っていないものはアナログで聴いても同じ…とは決して思いませんが、少なくとも音の粒子が宿している微妙なニュアンスや深みを追及するタイプでないカラヤンの演奏は、ライヴ録音は別として、録音の美しさを前提にしなければ厳しいものがあるのでは…、と改めて考えさせる結果となりました。

演奏自体は、後年のカラヤンの基本形がここですでに完成していたことが確認できます。全体的に大人しいイメージですが、細かく聴くと例のカラヤン・レガートが後年の録音ほど練れていない分だけ露骨な形で表出されるので、その意図があからさまになりすぎて、音楽の流れを寸断する結果にも繋がっています。

時代掛かったルバートが控えめに盛り込まれているのも特徴的ですが、それがいかにも中途半端。よく揶揄される「表面的」というイメージを決定付けてしまいかねない演奏と言えましょう。

第2楽章のブレインのソロも、他の録音と聴き比べるまでもなく、彼だけが持ち得る閃きがまるで感じられない(EMI盤でも同様)のが信じられないほどで、それこそライナーに書かれている「スケール豊かなふくらみ」が抑え込まれているのですから痛恨の極みです。真に本領を発揮したときのブレインがいかに素晴らしいかを痛感していれば、「このブレインが素晴らしい」などと軽々しく言えないはずです!

第3楽章はカラヤンに相応しい楽曲のはずですが、綺麗に整えようとする意図ばかりが先走り、「ほら、こんなに素敵ですよ」と語りかけてくる箇所が見当たりません。勢いに任せた演奏=生命感のある良い演奏、とは言えませんが、人間的な自然な律動を抑えて音楽を組み立てようとすることの無理が表面化してしまい、いたたまれません。

終楽章も、展開部冒頭の8分休符がゲネラル・パウゼになっている珍妙さ以外は、後年の録音とスタイルは同じ。しかし、音自体に輝きと自信がなく、スケールも小さく、個々の奏者のセンスも封じ込まれているようなもどかしさが終始付きまとうので、当時のフィルハーモニア管の魅力を味わうとしても、肩透かしを食らいます。

しかしこの録音の後、オケの個人芸が自分より注目されることがないように徹底的に意識すること以外は熟考を重ね、1975年に(DG)に比類なき金字塔を築くのですから、この録音こそがその理想に向けての第一歩だったと言えるかもしれません。


第1楽章のツボ

後年の録音で顕著となる独特のぬめりを持つレガートがここでも出現。
メンゲルベルクほどではないが、73小節でわずかにテンポを落として19世紀的なニュアンスを漂わせるが、香りが立ち上ってこない。
活気付くことなく、媚を売るようななよなよとした進行。
まったく非の打ち所のない美しいフレージングで、響き極めて均整が取れているが、心に直に訴えかけるものに乏しい。


第2楽章のツボ
スコアを忠実に再現しているが、イメージを喚起させるニュアンスには乏しい。
注目のD・ブレインのソロも、ここでの演奏は何度聴いても彼本来の音楽性を発揮しているとは思えない。カラヤンが自分よりも彼が注目されてしまうことを恐れて何らかの操作をしたのだろうか?と勘ぐってしまう。
血の気が失せた顔で何やらワーッと叫んでいるだけのような感じ。
まるで心ここにあらず。
各小節の第1音は、縦の線をあえてずらして響きに広がりを持たせようとしているが、その全てが機械的。オケもその必然性を感じ取りながら弾いているとは感じられない。
スコアに書かれたとおりのスケール感は表出しているが、最後のぎりぎりのところで足を引っ張るような力が作用し、フォルテ4つの箇所に至っても、音楽が突き抜けないのは実にもどかしい。その原因は録音の古さだけではない。オケの弾きにくそうな顔が目に浮かぶ。


第3楽章のツボ
リズムがいかにも鈍く、楽想の持ち味が生かされていない。靴底にガムをつけたまま踊らされている感じ。
214小節からの終結部は音量を落とし、カラヤン特有のレガート節を徹底尾的に盛り込んでいるのは、後年の録音では影を潜める表現。場面転換にメリハリを与えるという点では大いに功を奏している。
http://www.wakuwakudo.net/review_chai5/karajan_opk7029.html



カラヤンの「大地の歌」をデジタルマスターリングLPで聴く

カラヤンには個性がないのではないだろうか。

それとも時代に応じて演奏スタイルを変えてきたから、統一された特徴や演奏スタイルというものが無いように見えるのか。

演奏を聴いて、それがカラヤンの指揮によるものだと特定できるものは、音響的にはあっても、音楽的には余りないことが経験的なことだ。

カラヤンはゲルマン的なところとラテン的な所を併せ持つが、逆に言えば無国籍のグローバルさ・・・インターナショナルテイックなものをもっている、というよりそうなってしまったのは・・・カラヤンの美学によって楽曲の持つローカルエリア的風土を排除したことにその要因があるような気がする。

言い換えれば、母国語があるのに、エスペラント語に置き換えてしゃべって表現するようなところがあるので、万人に理解されるようで、主観的すぎる翻訳が必ずしも上手く行ってないから、誤解を産むとが多いような気がする。

初期〜中期のカラヤンは、ザッハリヒな演奏スタイルだったが、カラヤンレガートが象徴するように、超メジャーになってからのカラヤンの演奏の特徴は、楽曲の解釈はあくまでもカラヤン自身の美学の帰結であり、誰がどこでどのような経緯で作ったのかなどは眼中にないようで、あくまでも楽譜とカラヤン自身の美学で音楽が成立する。

中期以降のカラヤンは、カラヤンレガートがあらわす如く、自分の美学に基づいて、音楽をソフティフィケートすることに専念するようになった。

注目すべきは、基本的にはザッハリヒな演奏スタイルなのだが、レガート、フェルマータなどを多用することでロマン主義的な演奏スタイルに思わせるような所があることだ。

万人に好まれるがコアなクラシックファンから嫌われるのは、カラヤンの美しさを追求する没個性の美学にあるのではないか。

マーラーの曲に内包されるものは、ドイツ辺境や周辺の地の民謡や踊りのメロディとリズムの引用、近代的和声とのシナジーを高めること、それらによって、音楽に新たな生命を宿らせた事なのではないか。

しかも楽曲には合唱やソロが登場するものが多く、つまり人間の声とオーケストラの調和と非調和、融合と拡散、協調と離反が合いまみえる曲であるといえる。

「大地の歌」では、意識しない宗教性と民族性、東洋思想、ペンタトニックスケール、現世否定と死への恐怖と憧憬、刹那的快楽主義、不条理、自己矛盾といったものが塗り込められているように思われる。

どうしても揚げておかなくてはならないのは、カラヤンは大体において、合唱を人間の声としてではなく、楽器のように扱っているということであるが、果たして合唱無しソロオンリーの大地の歌の場合はいかにしたのか。

例えばモツレクのキリエの終わりのキリエエレイソーンのフェルマ−タは、息が続くギリギリまで合唱を引っ張るが、このようなやり方は随所に見られ、声は楽器であるというカラヤンの考え方の表れであると思う。

ソロの声をも、楽器として扱うような気配があるや否やも、大事なチェックポイントである。

以上の観点を踏まえた、カラヤンの「大地の歌」、果たして如何なるものだったか。

音楽が美しい、いや美しすぎるぐらいだから、全曲をいとも簡単に聴けてしまった。
美しさの要因は、ここでもやはりレガートそしてフェルマータの乱用に近い使用である。

ソロの歌唱においてもそれは同様で、このためにソロ歌手の息が苦しそうな気配が、とくにはテナーのルネコロに著しい。

しかしマーラーを表現するテクニックとして、ひたすら美しい音楽づくりが果たして相応しいだろうか。

カラヤンはいつもたいていそうなのだが、「再生音響」に強いこだわりを持っているようで、この演奏録音では普段聴こえない音がハッキリクッキリ聴こえてくる。

ライブ映像で見る光景として、普段は中央よりやや下向きに吹く管楽器群が、一斉に楽器を上方前にして吹く事があるが、これは作曲家の指示かそれとも指揮者の指示なのか、マーラー演奏にそれが多いように思うが果たしてどうなのだろうか。

カラヤンの良いところ、それは再生装置で聞く人のことをも慮っていて、ホールの位置によってライブでは掻き消されてしまう楽器の音を、きちんと聞こえるようにしていることだ。

終楽章琵琶の音を模倣するためなのか、マンドリンの音色が今まで聴いたどれよりもよく出ており、マンドリンなどは使用してないと思うような録音がある中、音響を重視したカラヤンはマイク技術あるいはマスターリングで、それを再生装置で聞く聴衆のため、克復したとみてよいだろう。

1楽章に出てくるフルートのタンギングは、クレンペラー盤が最もよく表出していたが、カラヤン盤もよく聴こえてくる。

先日録画したアバド/BPOライブでは、フルートのタンギングが埋もれてしまいがちになったが、実際はそんなものなのであろう。

マーラーの曲は、押しなべて管楽器がハイライトされるものが多く、ホルンは勿論、特にイングリッシュホルン(コールアングレ)に活躍の場が多いが、それも含めた管楽器の音の表情付けだが、カラヤンは管楽器のソロにまで、たっぷりのレガートを要求する場面が多いから、弦が加わった暁には、滑らかに美しく聞こえるが音楽が甘ったるい蜜のようになるから、ひと舐めするには良いが、たくさん舐めると、その諄さが勝ってしまい、たちまち嫌気が襲ってくる。

確かにマーラーには、神秘主義的陶酔の感覚があるとは思うが、音楽は決して甘ったるくは無いはずだ。
ポルタメントを多用したメンゲルベルクよりさらに甘ったるくロマンティックに聴こえる。

アダージョ楽章では、ストイックで病的なものを感じることさえあるマーラーであるが、カラヤンはひたすら美しさを追求し、陶酔に導こうとするかのような演奏をする。

ソロ歌手のコロとルートビッヒだが、いずれもバックのオケとのマッチングがよくないのか、コロは神経質な歌唱が随所に見られるし、ルートビッヒも、クレンペラー盤であれだけの歌唱をしながら、カラヤン盤では楽曲の・・・詩の内容の深堀が出来てないのか、心なしか自信なさげに聴こえる。

クレンペラー盤よりも新しいカラヤン盤だから、どうもカラヤンの声も楽器という仕業のような気がしてならないが、ソロの歌唱にも無機質さを要求したのだろうか。

デジタルリマスターによるLPレコードは、確かに耳触りはよいのだが、リマスターで倍音成分まで除去してしまった結果なのか、本来持っているオケの音のエネルギーまでそぎ落としてしまったように聴こえる。従ってオケがBPOであるか否かの判断がつきにくいが、それを無視すれば、実に上手な演奏であることは間違いないことだと思われる。

カラヤンはなおさらに、録音によっても大きく評価は変わるから、今回聴いたLPのデジタルリマスターは、技術水準の問題、エンジニアの耳、商業的勇み足のいずれか、あるいはそれらの複合の産物のように小生は想っている。
http://sawyer.exblog.jp/14085204/


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カラヤンがゲルマン的でない理由

ヘルベルト・フォン・カラヤン
(Herbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)

アルメニアの姓で、「黒い肌の息子」という意味。アルメニア人は、国民の九割近くが -ian、もしくは -yan で終わる姓をもっている。
カラヤンの四代前の先祖は、ギリシア領マケドニアの生まれで、カラヤンニスというギリシア人的な語尾の姓をもっていたという。さらに、もともとは、アルメニア人であり、カラヤンのカラはトルコ語で「黒い」を意味するとある。

時間順に見ると以下のようになる。

カラ トルコ語(テュルク語) 「黒」

カラ アルメニア人の個人名になる。

カラヤン アルメニア人の姓になる。

カラヤンニス(Karaiannis, Caragianni) ビザンティン帝国に仕えたギリシャ人で、ギリシャ風の姓になる。

フォン・カラヤン(von Karajan) 高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは、現在のギリシャ共和国のコザニで誕生。1767年にウィーンへ向けて出発して最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住。兄弟と共にザクセンの服飾産業の世界で成功してフリードリヒ・アウグスト3世に仕えて1792年6月1日に爵位を受け貴族の称号である von を添えた。
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1336057.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2


1908年にザルツブルクで貴族の子として生まれた。兄のヴォルフガング(1906年-1987年)も後に音楽家になっている。

ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院とウィーン音楽院で学んだ後、親の買い上げたオーケストラによりザルツブルクでデビュー。

ドイツのウルム市立歌劇場の総監督から誘いが来て、1929年に『フィガロの結婚』でオペラ指揮者として脚光を浴び、1934年には同国アーヘン市立歌劇場で音楽監督に就任した。

1938年のベルリン国立歌劇場におけるヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌1939年にはベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位を得るとともに、イタリアのミラノ・スカラ座でオペラを指揮することとなった。

1954年、フルトヴェングラーが急逝したことで、翌1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督の地位に登りつめ、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3


■カラヤンはアルメニア系か?

祖先はアルメニア系とも言われているが、ギリシャ・マケドニア系のカラヨアンネス家の子孫の説が有力と私は考えている。


1)カラヤン本人が否定していること、アイデンティティが存在しない(アルメニア系なら肯定する)、

2)カラヤンはローマンカトリック、アルメニア系ならばアルメニア使徒教会となる、

3)カラヤニスから-nesを取ってカラヤンへ改名した事実があり、最初から-ian、-yanではなかった。


それから、大アルメニア王国(それ以前のウラルトゥ王国‖syuracom-228)は現在のアルメニアと地理的に重なるがアルメニアなのか疑問)が存在したのは紀元前190-66年の間、その後ペルシャ、ローマの支配を受け、離散している。

2000年以上も前に日本へ渡来した朝鮮半島の人は朝鮮系とは言わない。万が一、カラヤンの先祖が古代アルメニアから移住していたとしても、そのアイデンティティがないのではアルメニア系とは言えない。

以上、私の結論ではカラヤンはギリシャ・マケドニア系のオーストリア人である。

ちなみにHerbert von Karajanの「von」は貴族を表す。「von Karajan」、高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは、現在のギリシャ・コザニで生まれ、1767年にウィーンへ移住、最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住し兄弟と共にザクセンの服飾産業で成功した。この功績により神聖ローマ帝国フリードリヒ・アウグスト3世より1792年6月1日に爵位を受け貴族の称号である「von」の使用を許されている。

しかし、第一次世界大戦によりオーストリア帝国は消滅し、1919年4月に制定されたオーストリア共和国憲法によって貴族制が廃止されたことから、正式な氏名は「ヘルベルト・カラヤン」、パスポートにはこのように記されている。

「ヘルベルト・フォン・カラヤン」は芸名とも言える。
http://worldcity-mm.blogspot.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3


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A. mahler_no_2さん
♪レガート奏法はお嫌いですか?
私はカラヤンのレガート奏法が好きなんですが、お嫌いな方にお尋ねしますね!
《どんなところがお嫌いですか?》


Q1. makitabadaisukiさん
例えばモーツァルトの音楽でもフレーズが「トリスタン」の無限旋律のようにベタベタになってしまうところです。 私は、衣に油が残ってベタベタした天ぷらより、カラッと揚がっている天ぷらの方が好きです。

つまり、モーツァルトは「カラヤンときらめくストリングス」的な演奏より、虚飾がなく颯爽とした演奏の方が好き、てことです。これは好き嫌いの問題であって優劣の問題ではないことをご理解下さい。

ちなみに私は、ベタベタした「トリスタン」(をはじめ、他のワーグナー作品やマーラーなどの後期ロマン派の音楽)も好きです。



Q2.kurbane_2001さん
『春の祭典』については、作曲者に「あれは冗談だろう」と評価されたのにカラヤンはショックを受けましたが。
旧式レガード奏方自体が死んでしまった代物ですからどうしましょう?

俺的にはジュリーニが具体的に指示する細やかな指定、そこから生まれる自然なレガートが凄いと思うんですが(また贔屓の音楽に対する太鼓持ち)

カラヤンは単に流すだけ。一見するとあまりに無策なベートーヴェン。
しかしその深層?

無策通り。

ジュリーニの場合、自然なカンタービレから必然的に生まれるレガート奏法
カラヤンの場合はフォルムを整えるためのレガート。
単発録音ではそういう態度があからさまに分かってしまいます。
それはそれで楽しい時間を満喫できますが、後には何も残りません。


Q3.roland_gr1さん
簡単にシンセや打ち込みで再現できるので(嘘)有り難みが無いので嫌いです(嘘)。サンプリングの機械やソフトでもそれが売りになっています(笑)。

本当のレガートは生と録音では違う、パート分けなんかの技術的に神経を尖らせている部分が、録音の再生では消え失せるのが気持ち悪いです。

生は凄かったらしいですが、どうも、プラスチックみたいな不自然さを感じて落ち着きません。音を聴く前から生理的に受け付けませんから、たちが悪いです。聞く前から、、、

カラヤン以外にレガート奏法が得意な人の名演が聞きたいです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228628522

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カラヤン 音楽を語る


『カラヤン、音楽を語る』ききて:アーヴィング・コロディン、訳:萩原秋彦)

にこんなことが書かれていました。

 「ハ短調の第1楽章では、どうなさいますか。例のバスーンの使用について」。

 「使いますとも」とカラヤンはあっさり答えた。

「もちろん、いま私たちは、バスーンを重ねて、ホルンを吹かせています。」

 「あなたは、スコアに書かれたとおり忠実に従われるのですか」

 「だいたいはそうです」と彼(=カラヤン、ゆきのじょう注)は言った。

「テンポやメトロノーム記号・・・などについては必ずしもそうではありません。メトロノーム記号について言えば、私たちは、それに忠実に従おうとしてきました。しかし、時々、うまく行かないことがあるのです。

『エロイカ』の第1楽章には、多くの人たちがショックを受けるでしょうね。じっさい速いのです。ハ短調については、メトロノームの指示どおりに出来ると思いますよ。スケルツォでさえ96で、そんなに速くない・・・(中略)

 もうひとつ、それまでずっとやられていた旧式な解釈ではなく演奏しているところは、第九のスケルツォのリタルダンドです。しかし、今度の録音で、私は楽章全体をひとつのテンポで通しました。」


 これらのカラヤンの話が私にはとても意外に思えました。カラヤンはどちらかというと自己主張の強い指揮者だと思っていたからです。

例えば第7番の第二楽章などは連綿たるレガート奏法で始まるので、正直ぎょっとしました。また提示部の繰り返しをやっていないことも多く、田園の第三楽章でもリピートせずに演奏することもあったはずですから、ベートーヴェンの楽譜を忠実に演奏するなどということとは無縁だと思っていましたのです。それがベートーヴェンの楽譜や指定を尊重しながら録音を行っていたというのです。

 そういう視点で聴き直してみると、「第九」で畳み掛けるようだと思ったのは、実はカラヤンが楽譜通りの演奏をしようとしたからだと気が付きました。

第一楽章の冒頭、混沌とした序奏から第一主題が奏でられるところは、曲想が変わるので一旦一呼吸おいてから演奏されるのが多いように思います。しかし、楽譜には休符がないので間を置くことは「楽譜通り」ではありません。そこでカラヤンは序奏の最後をややテンポを緩めてクレッシェンドすることで違和感を与えずに、間を置かないで第一主題につながるようにしていると感じました。

また第四楽章の冒頭も同様で、残響を利用して少しリタルダントしたかのように見せかけてつながるように工夫していると思ったのです。バリトンの歌い出しも効果を狙っただけではなく、実際に楽譜には休符がないから行った、しかもそれを逆手にとって劇的にして見せたということなのだな、と想いました。

これらは、あの即物的と言われたトスカニーニも慣習的に「間」を空けて処理していた部分でした。

 カラヤンのベートーヴェンの全集での目指した姿勢は、カラヤンの死後1990年に発表されたベーレンライター版のような、学術的な視点からではないことは明白です。

使用楽譜はおそらくはブライコプフ慣行版であろうことは想像に難くはありませんし、私は何の曲の何処の部分をどうやっているかという細部を逐一検証するだけの耳も学も持ち合わせてはおりませんから、慣行版に従っているところが沢山あるだろうという想像をするだけです。

さらに前述の反復の実行の問題にしても、第九の第二楽章の反復をすべてしていないというのは慣行版の指定にすら従っていないではないか、その意味では使用楽譜通りではないだろう、という反論も当然あると思います。

 ただ、私が注目しているのは、カラヤンはただ何も考えずに、伝統的(旧来の)解釈のまま録音に供しているのではなかったということです。再録音が多かったカラヤンですが、再録音するだけの意味を常に考えていたのだと思うのです。
http://www.kapelle.jp/classic/yukinojou/karajan_bach_beethoven.html


基本に忠実

カラヤンの音楽は一般に現代的、スピーディーといわれていましたが、実は大変オーソドックスな音楽の作り方をしています。多くの指揮者があまり根拠もなくテンポを変化させたり、ルバートをするところ、カラヤンは基本的に楽譜に忠実に音楽を作っていました。楽譜に書いてあることをする・・・このごく当たり前のことを再び耳にしたのは、帰国後ラジオのインタビューで朝比奈隆さんのお話を聞いたときでした。


馬の手綱さばき

カラヤンは指揮のこつを、馬の手綱さばきによく例えていました。馬が行きたい方に行く・・オーケストラでいうと、楽員の音楽性を尊重して、その流れをつかむことにすばらしい才能がありました。


最後のばらの騎士

リヒャルト・シュトラウスのオペラばらの騎士のオーケストラ練習中、有名なワルツのところで、ウィーンフィルを前に・・・

「私にとって人生最後のばらの騎士ですが、あなた方は確かにこの曲にかけては世界一です・・みなさんが生まれたままの音楽をして下さい。ただ、本番前はワインは飲み過ぎないように!!」

ここでカラヤンはみごとにウィーンフィルの心をつかまえ、両者の間にはすがすがしい空気が流れました。演奏があっというまに生き生きとなり、ウィーンフィルの弦がポルタメントをたっぷり使い、歌い上げていきました。


ツィメルマンとリハーサル

ベルリンフィルとピアニストのツィメルマンとの初練習で。ショパンコンクールを優勝して、いよいよ初めてカラヤン&ベルリンフィルとの共演、曲はお得意のショパンの第2番、ツィメルマンの気負いに対してカラヤンはちょっと不勉強、さらっと通し、今日はおしまいといったところで・・・

ツィメルマンはスコアー片手にすくっと立ち上がり、カラヤンに対しオーケストラが合わないところがあるから、もう一回やってくれといいました・・・
楽器を仕舞いはじめていた楽員の手が一瞬止まり、それならやろうというカラヤンの一言で、ベルリンフィルがツィメルマンから指摘された場所を再び演奏しました。

今度の演奏は完璧でした・・


カラヤン  「どうですか?」

ツィメルマン「結構です」
  
カラヤン  「音楽は言葉を使うと、どんどん悪くなる!」


カラヤンのこの言葉はとても印象的でした。
たしかにすばらしい音楽は、説明がいらない。私も指揮をしていて、気に入らなくて何度もくりかえし、いろいろ注文をつけると、かえって悪くなってしまうという経験をよくします。
http://www.music-tel.com/maestro/Maestro/Karajan.html


カラヤンが好きになった

友人の家で、結構前にBSでやったらしいカラヤン生誕100年だか90年だかの記念番組の録画を見せてもらった。そこで、噂に聞いていた恐竜のような声という(ひどいしゃがれ声なのだ)のを初めて聞いたのだが、そんなことよりも内容がえらく気に入った。最初に、内藤町にあったNHKのスタジオでベルリンフィルと録画したマイスタージンガー前奏曲を見せてもらった。

「つまらんだろう?」と訊かれたが、いやすさまじくおもしろい、と答えた。すべての楽器の音色がきわめて明瞭に聞こえてくる。ヴァグナーはこんな響きの音楽を作っていたのか。これは不思議だ。(1958年ころの録画だ)

その次に、ヴィーン交響楽団とのシューマンの交響曲4番のリハーサルを見た。これが抜群だった。

たとえばこんな感じのことを言う。

「そこは、本来ピアノでの演奏を意識していたはずのフレーズです。ターンタターですからね。でもそれを弦でやろうとしているせいですごく難しいのです。弦楽器固有の撥音を抑えて演奏する必要がありますね。

余談ですがリヒャルトシュトラウスが指揮をしていたらフレーズを変えてしまうはずです。でもそうはいかないからもっとレガートにもう一度やってみましょう」


おーなるほど。カラヤンレガートというのはこういうのに由来するのかというくらい、レガートを連発する。


「ちょっと待ってください。ここでは第一ヴァイオリンとフルートが同じフレーズを演奏するわけですが、君たち、今フルートが聞こえましたか?

(楽団員首を振る)

ヴァイオリンはもっと指板に近いところを押さえて演奏してください。それによって倍音が抑えられてフルートの音が入ってくるはずです。ではもう一度やってみましょう」

おー、確かにフルートの音色が混ざって聞こえる。これは素晴らしい。

「そうです。今度はフルートの音が聞こえましたね(楽団員うなずく)」

このリハーサル風景を見て一発でカラヤンが好きになった。そしていろいろな情報が整理されて腑に落ちた。

カラヤンは位置としては新古典主義(楽譜に忠実)の完成者なのだ。しかも、それまでの指揮者ががーっとやってぱーっとやってそこでがんがん、ここでさわさわみたいなやり方をしていたのに対して、どう演奏すればどう聞こえるからここではどうすべきかということを理詰めで説明し、かつフィードバックをきちんと与えることができる。

楽団員はプロフェッショナルだから、技術に落とし込まれて説明されればそれを再現できるし、その効果が明らかならその正しさを理解できる。論理と実証が常にペアで廻って音楽を構成する。

逆に、このリハーサル風景を見て、なんか理屈をこねくりまわす技術屋(=芸術をないがしろにしている)と捉えた連中がカラヤンを悪く言っていたわけだ。

カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書) 中川 右介
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/4344980212)


(この本にも、とにかくリハーサルを繰り返すだけのチェリビダッケに対して、カラヤンのリハーサルはボウイングについての的確な指示を出すものだったことが書かれていた)

するとその後のどたばたもある程度は見えてくる。

おそらくカラヤンは1950〜60年代までは(特にヴィーン交響楽団は2流なので細かく指示をしているのだろうし、録画されていることを意識しているはずだが、それでも普段とそれほどは違わないと仮定して)、ベルリンを含めて、楽団員にとっては理論的な説明によってきわめて斬新的でモダンでありながら、伝統的な(ということが実は新古典主義の目標であるわけだし)音楽を引き出す指揮者としてありがたかったのだろうし、お互いにドイツ零年以降の音楽を作り出す同志であったのだろう。

だが、いつまでもそういうスタイルのリハーサルはできないはずだ。というのは、オーケストラは組織である以上、メンバーの入れ替わりはゆっくりだ。だが、すでに同志として結ばれた楽団員が多勢を占めている間はうまくやれる。すでに知っていることをさらに教えても意味がないし、かっては斬新であったものは普通の伝統芸になっているわけだ。

それが1970年代以降になると、音楽学校で最新の技術を習得して入団してくる演奏家が増えてきて、当然、同志たちは退団していく。そうなったとき、技術的指導者として君臨してきたカラヤンの王座が揺らぎ始めてきて……ということなのだな。

カラヤンの傑作に新ヴィーン学派の作品集がある。


新ウィーン楽派管弦楽曲集

 シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5
 シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲作品31
 シェーンベルク:「浄められた夜」作品4
 ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
 ベルク:叙情組曲からの3つの楽章
 ウェーベルン:管弦楽のためのパッサカリア作品1
 ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章 作品5(弦楽合奏版)
 ウェーベルン:6つの管弦楽曲作品6
 ウェーベルン:交響曲作品21

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
http://www.hmv.co.jp/artist_-%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%90%E3%82%B9_000000000035192/item_%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E2%88%92%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E9%9B%86%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%8F%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3_296642


Arnold Schoenberg, Transfigured Night Op. 4 (1899)




Schoenberg : Variationen für Orchester




Alban Berg : Lyric Suite - Karajan




Berg 3 Pieces for Orchestra, Op.6 Praeludium (Prelude)




Webern : Passacaglia Opus 1 - Karajan*




Webern: 3 movements op 5 - Karajan




Webern : 6 pieces for orchestra - Karajan*




これは本当に玄妙にして明解、あー、ヴィーン学派はおもしろいなぁと感じる作品だが、これを作ったときは、久々にかってやったような指導ができたのだろう。それまではばらばらでつながりも脈絡もない音が意味を持ち、つながりを持ち、音楽として構成される、そういうおもしろさを楽団員は堪能したと思う。

同じように、カラヤンの耳と演奏技術や音響についての知識が、録音技術にどれだけ貢献したかについても想像できる。また、それが音楽の技術的側面を無視する愚かな連中の憎悪を駆り立てることになったかも想像できる。

というわけで、まったく間違いなく20世紀中期においてカラヤンは偉大だったのだ。少なくともおれは技術屋だからカラヤンの偉大さを認める必要はある。

でも、田園を聴くとしたらフルトヴェングラーとウィーンなんだけどね。
http://www.artonx.org/diary/20111106.html


うーん、要するにカラヤンは自分では楽譜を忠実に音化していると思い込んでいたんですね。 惜しむらくはアルメニア人だったカラヤンはゲルマンの伝統を何一つ知らなかったし、ドイツ精神もドイツ音楽も全く理解できなかった。

ただカラヤンはピアノ調律師的な聴感と音のセンスだけは掛け値なしの天才だったので音楽がわからない楽員を驚嘆させて高い地位と人気を得た。さらに容貌もドイツ人とは全く違ってエキゾチックでスマートだったので、ミーハー女性に人気を博した。

しかしドイツ音楽の伝統を完全に無視したカラヤンのスタイルで楽譜に書かれた音符だけを忠実に音化すると、どんな深い曲でもみんなムード音楽になってしまうんですね。そして当然の事ながら本物がわかる音楽ファンからはそっぽを向かれてしまった。 そういう事でしょう。

何れにしろ、カラヤンが真剣に努力すればする程 音楽の本質から離れていくというのは間違い無いですね。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c3
[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
4. 中川隆[-13335] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:23:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1569]
「レブレヒトの嘆き」ークラシック音楽は死んだのか? 7.23.2007
http://www.fugue.us/AboutNL_LifeandDeath.html


ノー マン・レブレヒト(Norman Lebrecht)は、Maestro Mythなどの挑戦的な著書で有名になった評論家で、日本でも数冊の本が出ています。音楽ビジネスによるクラシック界の腐敗について書き続けています。素 材の選びかたに主観が強く、誇張はやや多いものの、なかなか面白い視点を持つ作家だと思います。彼は今も、記事や論説を通じ、現代の音楽業界のあり方に警 鐘を鳴らし続けています。

最近、彼の「Life and death of classical music」という本を読みました。

この人の英語はあまり読み易いものではないのですが、メジャーレーベルがいかに凋落していったかが克明に記されてお り、なかなか面白い本になっています。本の後半部に、「100 milestones of the recorded century」と、「20 recordings that should have not been made」という章があります。前者は、グールドのゴルドベルク変奏曲やリパッティのワルツ集などの定番に加え、コリン・デイヴィスの幻想交響曲、マリ ナーの「四季」など、イギリス人以外には理解できないような選択も多くあります。グラモフォン誌と同じく、イギリス人の自国趣味というのは誰でも相当なも ののようです。


「クラシック音楽は死んだ」
http://uk.reuters.com/article/lifestyleMolt/idUKL2628257720070426

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601088&sid=aaC_hhclBSlI&refer=home

レブレヒトは、「THE LIFE AND DEATH OF CLASSICAL MUSIC」や、上の論文でも、アンドレア・ボチェッリらが100万枚も売れ続ける現状を憂え、「クラシック業界は死んだ」と言っています。「10年前、 6つのメジャーレコード会社から、700の新譜が出たのに、3つのメジャーから今は100も出ない。それも半分はクロスオーヴァーや映画音楽だ」と言って います。

彼 のあげた数字がどれだけ正しいかは置くとして、たしかに、例えばドイツ・グラモフォン(DG)一つとっても、70-80年代の勢いの残滓さえ感じることが できません。あの会社から、20-30年前の音源に内容で対抗できる魅力を持つ新譜が、はたしてどれだけでているでしょうか。レコード市場の飽和、巨匠時 代の終焉、実力不足のアイドルの起用、そしてmp3音楽ファイルの登場.............。いろいろな理由で、DGを始めとするメジャーがかつて のブランド力を失う材料が揃っています。レブレヒトの悲嘆は全く根拠なきものではありません。

メジャーレーベルもかつては野心的なプロジェクトが多くあったのです。ショルティ/カルショー/デッカの「指輪」が一例です。しかし、今やメジャーはリス クを怖れ、アイドル路線、無難なプロジェクト、それとフルトヴェングラーやカラヤンらの音盤の復刻しか興味がなくなってしまったように見えます。巨大な油 田を持つが故に近代化のチャンスを逃し、競争力と適応能力を失ってしまった中東国家のようなものです。

もちろん、このような状況を招いたのは、アーティストとプロモーターの側にも大きな責任があります。レブレヒトが「Maestro Myth」で指摘したように、アーティストの報酬は50年前とは比べものになりません。1955年の厳冬、デッカがシュトラウスの「影の無い女」を全曲録 音した際、指揮者のベーム、歌手、ウィーン・フィルの面々は無報酬で良いから、と、無名の大作の録音を躊躇するデッカを説得し、経費節減のために暖房さえ 止め、各幕ワン・テイクで録音したと言われています。まだ、アーティスト達の熱意と判断でそういうことができた時代でした。しかし、音楽がビジネスとな り、アーティストが商品となった今は、そんなことは不可能になっています。実際、同じデッカが、40年後に「影の無い女」をショルティらと録音した時は、 数億円という、録音歴史上でもっとも高額なセッションとなってしまいました。世界中の歌劇場を飛び回るようになったスター歌手をセッションに縛り付けてお くことの難しさ、ギャラの高騰といった問題は、80年代以降のオペラのスタジオ録音を非常に難しいものにしています。

それでも、私は、彼の「クラシック音楽は死んだ」という意見に同調しているわけではありませんし、彼の視野の狭さ、保守性に驚きさえ感じています。その理由を三つあげていきます。


1) インディーレーベルの台頭

レブレヒトが議論をしていない事が一つあります。マイナーレーベルの台頭です。

リスナーの興味の多様化に伴い、かつてなら歯牙にもかけられなかったようなインディーレーベル、ECM、BIS、Chandos, Naxos等から、多くの質の高い録音、興味深い企画の録音が出て、しかもそれが売れるようになりました。特に、メジャーの弱点とも言える北欧や東欧の音 楽、近代フランス音楽、現代音楽での躍進が顕著です。例えば、昨年暮れ、BISが出してきた「シベリウス全集」なども、特筆すべき企画でした。シベリウス のほとんどの作品を収めた13枚組が数千円、しかも、第一級の演奏、録音ばかりで、海外版でありながら、解説書には日本語の文章まで含まれていました。今 のメジャーに、ここまで消費者重視の姿勢が取れるでしょうか。そして、メジャーが同じ企画を同じ値段で出したとして、果たしてBISの全集の魅力と内容を 超えることができるでしょうか。もはや勢力地図が20年前とまったく変わってしまっているのです。レブレヒトのような地位にある人物がそういったことに全 く気づいていないとすれば、これほど不思議なことはありません。

TIMESも、「レブレヒトの主張には穴がある」と、インディーの隆盛を指摘しています。

http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/music/article1710177.ece

これによれば、昨年一年で、ナクソスは、238種のCD、700万枚を売っているそうです。しかし、周知のように、ナクソスの地位は一夜で出来たわけでは ありません。彼らが登場した時、私を含めてほとんどの人がナクソスを馬鹿にしていました(レブレヒトのナクソスに対する文章を読む限り、彼はいまだにその 偏見から抜け出せていないようです)。ナクソスの社長はこう述懐しています。

“We don't have to make money on everything so we do a lot of crazy projects -- the complete Pend-erecki, or the Naxos Quartets [by Peter Maxwell Davies]. But at the end of the day we have to make a profit, and although in the early days I subsidised it from other businesses, in the last five years I've had to live on Naxos and I do live very comfortably."

ナクソスの今の成功の裏には、英グラモフォン誌の強力なバックアップ、宣伝効果があったことは否定できません。しかし、それだけでなく、彼らは実際、数多 くの挑戦的な試みを行って来たのです。「日本人作曲家シリーズ」「シベリウスピアノ作品全集」「スクリャービンピアノ作品全 集」..............なかには質に問題のあるものもありましたが、いまでは曲の代表的な録音となったものも数多くあります。ニレジハージの録 音復刻に興味を示しているのも、今はそういったインディーレーベル達です。常に野心とチャレンジング精神を持つレーベルが多くある以上、「クラシック音楽 が死ぬ」ことは当分ないでしょう。


2) マルチメディアの発達

今は、DVDで、デジタルトランスファーされた映像のオペラのライヴ録音が安価に楽しめるようになりました。未発表の映像が毎月のように発表されていま す。この分野は発展途上で、例えば、リヒャルト・シュトラウスの「無口な女」「ダフネ」、アストル・ピアソラの「ブエノスノス・アイレスのマリア」と言っ た作品の映像が出る余地が残っています。また、既に映像を前提とした舞台作品も登場し始めています。小沢征爾と、「ライオン・キング」のジュリー・テーモ アの共同プロダクションによる、ストラヴィンスキーの「オイディプス王」などはその好例で、映像作品としてもきわめて高いレベルに達しています。

マルチメディアの発展も明るい材料です。雑誌や本にCDがつくことも珍しくなくなりましたし、当サイトのように本と連動させたサイトもあります。そして、 コンピューターの普及により、スクリャービンらのマルチメディア・アートを家庭で再現させることも不可能でなくなっています。Teldecから出たアーノ ンクールのモーツアルトの「レクイエム」の新録音も良い企画で、モーツアルトの自筆譜を見ながら演奏を聴ける、という興味深い趣向でした。こういった手法 を、若手演奏家の録音を出す時にどんどん使えば、過去の音源にはない魅力を与えることができるでしょう。ワーグナーの楽劇のライトモチーフの提示など、大 きな効果を発揮するはずです。楽譜だけでなく、サブ音声に演奏者によるコメントを収録するのもいいでしょうし、ファイルが重ければインターネットにサブ音 声や字幕を置いて、音声と連動させてもいいでしょう。少し前に、ジョイス・ハットーの捏造騒動がありましたが、その発想を逆手にとって、他人の演奏のリ ミックスで新しい演奏、モンタージュを作ることを目的としたCDがあってもいいでしょう。


以上の二点を考えてみても、決して、「クラシック音楽が死んだ」のではないのがあきらかでしょう。「60-80年代のメジャー・レコード会社主導方式の音 楽ビジネスが死んだ」だけの話なのです。レブレヒトは、カラヤン時代の音楽ビジネスの腐敗を追求しつづけるあまり、現代の最前線の動きを見失ってしまった のでしょうか。あるいは、彼が批判し続けた古い時代のシステムにノスタルジーを感じるようになってしまったかのでしょうか。もし後者だとすれば、これほど 皮肉なことはありません。


3) クロスオーヴァーは創造に欠かせぬもの

レブレヒトの悲嘆の理由の一つとして、「クロスオーヴァーと映画音楽がはびこっている」ということがあります。これは、私がもっとも同意できなかったことの一つでした。

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=aRcHjdWG_06U

このコラムでは、メゾソプラノのフォン・オッターが、DGから出したアルバムの数トラックに、自らが愛してやまないABBAの歌を入れていたことについて嘆いています。

"I'm not doing Benny's songs for a commercial reason," insisted Von Otter when I talked to her soon after the sessions in 2004. "No music makes me cry as his does -- like pushing a stupid button."

Her protestations notwithstanding, the refined trills of one of the finest Monteverdi and Handel singers of the day -- she performs "Theodora" in Paris and London this month -- are as wasted on the trivial ABBA ephemeral titles as a Michelin-starred chef would be in a drive-in McDonald's. What this dross is doing on Deutsche Grammophon, which the conductor Herbert von Karajan led to world classical dominance, is a matter for the conscience of a few senior executives at Vivendi SA's Universal Music Group, the yellow label's U.S.- based owner. They are dumbing down the musical content and quality faster than a Lang Lang piano prestissimo.

最高のモンテヴェルディやヘンデル歌手であるオッターが、DGで「とるにたらぬ」ABBAを歌うことは、「ミシュランのスターシェフがマクドナルドのドラ イヴインにいるようなもの」............この言葉に、クラシック音楽至上主義、メジャー・レーベル至上主義、というレブレヒトの保守性--- -しかも中途半端な保守性----がよく表れています。しかし、当のオッターが、「コマーシャル目的ではありません。(ABBA)の音楽ほど自分を泣かせ るものはないの」、と言っていることは、彼にはさして重要ではないのでしょうか。1920年代、ニレジハージがリストや、当時のポップスを弾いたことで非 難され、プログラムの改変を迫られたのです。まして音楽ビジネス隆盛の現在、ほとんどのアーティストは自身の録音内容を自分で決定できる状況にありませ ん。そのような中、数曲とは言え、オッターが、本当に歌いたい曲を録音したこと.........これは本当に素晴らしいことではないでしょうか。

クラシック界がクロスオーヴァーや映画音楽に手を出す事は、決して非難されるべきことではありません。モーツアルトもヴェルディも、かつて、大衆を十分に 意識したポップスミュージシャンと言える存在だったのです。モーツアルトの「後宮からの誘拐」など、オペラ全体が巨大なクロスオーヴァーとも言えます。も ちろん、安易なクロスオーヴァー、例えば、どこかの国のように、レコード会社にのせられたアイドル音大生が、甘ったるいアレンジで「イエスタデイ」を演奏 するようなCDばかりが氾濫するようなのは問題でしょう。しかし、演奏家達が、同時代の大衆音楽の作家を真摯に選び、それに取り組むのであれば、それは本 当に歓迎すべきことなのです。そして、現代音楽が魅力を失い、過去の大作曲家の作品が軒並み録音された今、演奏家達が大衆音楽や民族音楽に目を向けるの は、全く自然の流れなのです。ピアソラ作品がメーンストリームに躍り出、彼の自作自演盤に大きな注目が集まったのも、90年代のギドン・クレーメルやクロ ノス・カルテットによるクロスオーヴァーがあったからです。前述の小沢征爾とテーモアによる「オイディプス王」にしても、ミュージカル、モダン・ダンス、 オラトリオの優れたクロスオーヴァーでした。

レブレヒトのように、クロスオーヴァーを否定する態度こそが、クラシック音楽を博物館の陳列棚に押し込め、未来の発展の可能性を殺してしまうものなのでは ないかと危惧します。巷の音楽愛好家ならともかく、彼のように多少なりとも影響力のある人物は、時代の流れを正確に見極める眼と、より慎重な判断をもって 発言すべきではないでしょうか。

http://www.fugue.us/AboutNL_LifeandDeath.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c4

[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
5. 中川隆[-13334] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:25:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1570]
音楽家の経済学 2017.11.01
筆者:弁理士 石井 正

オーケストラの場合

 クラシック音楽を好む人は多いようで、筆者もその一人です。定期演奏会にはこの30年間、毎月通っています。そうした演奏会で音楽を聴きつつ、その経済を考えることがありますが、冷静にオーケストラ、すなわち楽団の経済を考えると、それはまことに厳しい状況にあることだろうとみています。通常、楽団には100人程度のメンバーが所属し、そこに広報などの裏方の仕事をする人が30人くらいはいるでしょう。演奏に係わる方、裏方に係わる方のそれぞれの人件費は普通のサラリーマンとほぼ同じ程度ですから、全体の人件費はおよそ想像することができるでしょう。

ところが演奏会のチケット収入を考えると、S席が7500円、最も安いC席が3000円としても、普通のコンサート・ホールでは、1回の演奏会の収入はせいぜい1000万円に届くか届かないか程度です。一方で経費は大きいのです。指揮者や独奏者に支払う出演料が数十万円から数百万円、会場使用料が150万円、広告費負担が大きく、また現代音楽の場合には著作権使用料も支払わなければなりません。結局、演奏会のチケット収入が楽団に貢献するのはその半分程度ということになるでしょう。そうなると演奏会を年間に200回行っても楽団メンバーの人件費を賄うことは無理だということとなります。ところが実際の演奏会は年間にせいぜい100回程度なのです。

苦境を乗り切るために

 演奏会の収入だけでは到底、運営していくことができないため、楽団は何らかの公的な支援か、あるいは大スポンサーを探すこととなります。そもそも欧州の音楽の歴史を見ても、貴族達の支援があって演奏家の生活が成り立っていたことを考えれば、そうした大スポンサーに頼るということも自然なことなのかもしれません。しかし楽団にも様々あって、著名な歴史ある高水準の楽団ならば、スポンサーも支援するでしょうが、その逆であれば、容易ではありません。米国の地方都市にある楽団は、80年代から90年代にその活動を停止したのが多くあります。1986年に活動停止したオークランド管弦楽団もその一つです。他方、サンディエゴ交響楽団の場合は、一度倒産の危機に瀕したのですが、IT企業の経営者からの130億円の寄付によって再建されたのです。米国の楽団の音楽監督の役割の一つは大口寄付者に対する高水準のサービスであると言われますが、それも無理もないことなのでしょう。日本の多くの楽団も国や地方公共団体からの補助金、賛助企業からの寄付金等によってなんとか維持されているのが現実です。

天才は別の次元

 音楽の世界の不思議なところは、楽団が厳しい経済状況に直面し、楽団メンバーがせいぜい普通のサラリーマン程度の所得しか得られないのに対して、天才と評価される著名指揮者や演奏家は全く別の次元の所得を得ているという現実なのです。しかもそれは20世紀に入ってから顕著となり、またそうした天才的音楽家を各楽団に仲介するエージェントによって現実化したのです。

 クラシック音楽の場合、世界のトップクラス、すなわち約100名程の天才はそのほとんどが音楽マネジメント会社CAMI社に所属し、巨額な報酬を得ることができます。このCAMI(コロンビア・アーティスト・マネジメント)社は、2015年に亡くなったロナルド・ウイルフォードが作った国際的音楽マネジメント会社で、知る人ぞ知るまさに特別な会社です。ウイルフォードは長くクラシック音楽の世界で、特にコンサートに関わる世界トップクラスの音楽家のエージェントをしてきました。彼の仕事はコンサートに出演するピアニストやバイオリニスト、それに指揮者や歌手等の出演交渉や出演料の交渉でしたが、彼のすごさは、世界の真の天才と交渉しながら、すべてと代理人契約をしていったことなのです。

(詳しくはNORMAN LEBRECHT “THE MAESTRO MYTH : GREAT CONDUCTORS IN PURSUIT OF POWER”邦訳はノーマン・レブレヒト「巨匠神話」文芸春秋社、1996年)


ロストロポービッチもカラヤンも

 ウイルフォードが仲介した天才の名前を列記すれば、亡き天才チェリストのロストロポービッチ、ピアニストのポリーニ、ミケランジェリ、歌手のホセ・カレーラス、指揮者ではカラヤンをトップにムーティ、アバード等々。もちろん小澤征爾もそうでした。小澤が世界の小澤になり得たのはウイルフォードの傘の下に入ったからだと言われています。世界の天才的音楽家はすべてウイルフォードとエージェント契約をし、ウイルフォードは世界各地のコンサートホールやオーケストラと契約交渉をしているのです。彼は世界のどこのオーケストラに対しても交渉のポジションが圧倒的に強く、彼の交渉条件を断るオーケストラはありません。もしも断るのであれば、ウイルフォードは次は誰も紹介しないからです。その結果、CAMIに所属する指揮者の出演料は巨額なものとなっていきました。1回の公演でおよそ5万ドル程度、年間契約した場合には100万ドルを超すのが普通となります。亡きカラヤンの場合、1回の公演で30万ドルという驚くような高額な契約もあります。他のCAMIに所属する指揮者や演奏家もウイルフォードの交渉によって巨額の出演料を獲得することとなったのです。

 オーケストラのメンバーの年間収入は決して多くありません。天才指揮者が一回の演奏会で得る収入が、オーケストラのメンバーの1年間の収入と同じかそれ以上となる皮肉な状況となるわけです。天才に対する報酬の難しい面であり、特殊な経済学となりますね。

https://www.fukamipat.gr.jp/discusses/217/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c5

[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
6. 中川隆[-13333] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:27:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1571]

音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も

2018.10.20連載篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」
音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も
文=篠崎靖男/指揮者
https://biz-journal.jp/2018/10/post_25188.html


 厚生労働省が発表した8月の有効求人倍率は、1.63倍。日本人の勤勉さをもってしても、よくここまで日本が持ち直したものだと思います。バブル崩壊後の1993年から2005年までの13年間、リーマンショック後の2008年から2013年までの6年間は、有効求人倍率1倍を割っていたわけで、その時代に就職活動をしていた方々は、本当に大変な思いをなされたと思います。転職なんてとんでもない時代でもありました。特に1999年には求人倍率0.48倍を記録。その年を挟んで前後数年間は、2人に1人しか就職できない状況だったわけです。

 一方、オーケストラの就職事情に目を向けてみると、世界のどこを見まわしても、求人倍率0.48倍などという“素晴らしい時期”はなかったことでしょう。最初に答えを言いますと、0.01倍にも届かないのが実情です。9月3日付本連載記事でも少し触れましたが、たとえばヴァイオリンひとつとっても、日本全国42校ある音楽大学から、毎年ものすごい数の卒業生が生まれてきます。そんな彼らに対して、日本にはオーケストラが36団体しかないうえに、各オーケストラのヴァイオリンの求人は毎年、数名程度あるかどうかなのです。オーケストラによっては、募集がまったくない年もあります。しかも、卒業して何年もオーディションを受け続けるので、著名オーケストラともなれば、たった1名の求人に対して200名以上の候補者がオーディションに押しかけて椅子を奪い合うということも珍しい話ではありません。

 この背景には、細分化された専門職集団というオーケストラの特異性があります。オーケストラは大きく、弦楽器、管楽器、打楽器、そしてハープやピアノに分けられます。たとえば管楽器では8種類あります。そのなかで一番高い音を演奏するフルートの定員は、オーケストラの規模にもよりますが、通常2名から3名程度です。それもまた、首席奏者と2番奏者に分かれます。こう聞くと、多くの方は「2番奏者としてオーケストラに入って、経験を積んで首席になるのだろう」と思われるかもしれませんが、そうではありません。ソロが多い首席奏者のほうが給料は高いことは確かですが、2番奏者も首席奏者とは違う特別な技術が必要となる専門技術者なのです。首席奏者も2番奏者も、同じ楽器でありながらオーディションは別に行われます。

 そして、当然のことながら、フルート奏者はフルートしか演奏しないので、仮にトランペットやヴァイオリン、クラリネットの求人がたくさんあったとしても、フルートに空きがなければ、その年の就職口は閉ざされてしまいます。

オーディションに受かった後にも困難が待ち受けている

 このように常に就職難の状況なので、海外のオーケストラのオーディションを受けて、日本から離れて活動をしているオーケストラ奏者も数多くいます。もちろん、留学をして当地のオーケストラのオーディションを受けた方々が多くを占めているので、日本のオーケストラが就職難だから海外で就職というケースは多くありませんが、北はフィンランドから南は南アフリカまで、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国と、どこのオーケストラに行っても、大概は日本人奏者に出会います。

 では、海外のオーケストラのほうが就職口は多いかといえば、そうではなく、事情は日本とまったく同じです。やはり、誰かが定年退職したり、途中退団してくれないことにはポジションが空きませんし、運よく空いたとしても何十人、何百人もの若い音楽家がオーディションに押し掛ける点では同じなのです。しかも近年、ヨーロッパではビザの申請基準が厳しくなっており、外国人が職を得ることが本当に難しくなってきました。

 さて、オーディションに運よく受かったとします。しかし、「もう一安心。家族親戚にも胸を張って会える」かといえば、そうではありません。ここからが本当の勝負となります。それは、1年間の試用期間です。その期間中は、実際に仕事をしながら、ずっと周りの楽員に審査をされることになります。若い奏者は経験もありませんし、そのオーケストラ独自のやり方を習得するだけでも大変なのに、これまで演奏したことのない新しい曲が毎週、押し寄せてきます。なんとか最初の2、3カ月はこなせたとしても、1年間はとても長く、そこでボロを出してしまうことも多いのです。それをすべて乗り越えたのち、最後にオーケストラの同意を得て、やっとプログラムにも正団員として名前を載せてもらえることになります。残念ながら、その試用期間を通ることができなかった奏者を、僕もたくさん見てきました。

 皆さん、「オーケストラの楽員って、大変だなあ」と思われたと存じます。僕も心からそう思います。しかし、少しは良いことがあります。僕がロサンゼルス・フィルハーモニックの副指揮者をしていた時に、当時のフルート首席奏者であるジャネット・ファーグソン氏が、こう話してくれました。

「私の主人は、ウォルト・ディズニーで仕事をしているの。良い仕事だけど、半面、いつリストラされるかわからない。だから、オーケストラ奏者のほうが安定しているのよ」

 僕はなるほどと、思いました。アメリカのオーケストラは、音楽監督(指揮者)が絶大な力を持っており、奏者をクビにできるほどの権利があるけれども、音楽家組合が強いので、実際にはできません。

 日本のオーケストラでも就職するのは大変ですが、よほどのことがない限り、リストラの心配はありません。オーケストラには一般企業とは違う根本的な理由があるからです。たとえば、いくら経済状態が悪くなっても、「この経営危機を乗り越えるために、フルートは1人だけにしよう。トランペットはなし」といったことはできません。ひとつでも楽器が欠ければ、作曲家の楽譜通りには演奏できなくなります。つまり、オーケストラは全体が一蓮托生といえるのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

●篠ア靖男

 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。

 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。

 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。

 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。

 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c6

[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
7. 中川隆[-13332] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:41:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1572]

カラヤンとナチについてちょっとだけ考えたこと 2007-08-19

テレビでは終戦の日をはさんで、色々と戦争を主題に色々な番組をやっている。特にスカパー!のドキュメンタリーなどのチャンネルではそれが著しい。

考えなくてはならないし、忘れてはならないことだと思う。更に現在進行形でイラクなどのことについても考えていたいと思う。

さて、広島に原爆が落とされた日に、産経新聞にあったカラヤンとナチスのことについての記事を読んで、またまた考えてしまった。

ナチスと関係があったことを戦後問題となった音楽家は数多い。カール・ベームやクレメンス・クラウス、ヴァルター・ギーゼキング、ウィレム・メンゲルベルク、アルフレッド・コルトー、ヴィルヘルム・バックハウス等々、大変多い。

権力を持つナチスに対して、おおっぴらに反対したりしなかった、あるいは協力したからと言って、その後追放したり、烙印を押してそれらの個人に対する反対運動を煽ったりすることは、私は大変違和感がある。

権力者が犯した過ちを、犯罪を、それと知らなかったただの取り巻きにまでその責任を問うというのは「正義」という剣の振り回しすぎに思われるからだ。

ナチはホロコーストをはじめ数多くの人道に対する罪を犯したことは間違いない。だからそれに反対しなかったからといってそこにいただけの人々も罪に問うのであれば、スターリンに追随した人々や、スペインのフランコ政権に追随した人々も同じように社会から追放するなどの制裁をしなくては公平ではないと思うからだ。

最近、プーチンがソ連は「ナチスのような虐殺もしていないし、アメリカのように無差別に民間人相手に原爆を落としたりしていないから、それほど酷くはなかった」とうそぶいているそうだ。アメリカは反論でないだろう。けれど、こういうのを五十歩百歩というのだけれど…。

戦争だから、そして我が国は、ドイツは負けたから一方的に叩かれたということなのだろう。ただ、私はどこかの辞めた大臣のように「しかたがない」と言ってすます気にはなれないでいる。

チスの蛮行はどうしても許せないが、その蛮行と直接関係のないところで、音楽を演奏したということが非難されるとしたら、当時ドイツに住んでいたことだけでも人道に対する罪であると言っているようなものではないか?

当時、ドイツにいた音楽家たちに対して、ナチとの関係を戦後も問い続け、その演奏するベートーヴェンやブラームスにナチの影を感じるとなれば、一体…。

イスラエルでは今でもワーグナーはタブーだと聞いたけれど、実際はどうなのだろう。確かにホロコーストで災難に遭われた人達が、そのことを思い出させるものとしてワーグナーがあるので辞めて欲しいと言われることについてはよくわかる。その思いを傷つけてまでワーグナーをユダヤ人の国で演奏する必要はないと思う。
しかし、正確を期すために言わせていただければ、ワーグナーがナチであったことはない。アメリカに亡命したというワーグナーの娘たちは反ナチであった。ただワーグナーの音楽をヒットラーが好み(大好きだったのはレハールなどであったそうだが)その音楽を利用したからであろう。ワーグナーの音楽はナチのプロパガンダ放送のテーマ音楽として、ヨーロッパでは有名だった。更にバイロイト音楽祭はナチスの保護のもとで戦争中も隆盛を極めていた。

しかし、だからワーグナーはナチスと何の関係もない。ヒットラーが生まれる前にワーグナーは亡くなっているのだ。

カラヤンの演奏にナチの響きを感じるというのは…。確かにカラヤンはナチの党員だった。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがナチだと言って非難する者もいるが、彼がナチであったことは一度もなかった。戦争中にドイツに留まったことが、ナチスであるという非難に繋がっているようで、ナチスのプロパガンダに利用されていたことも事実だろう。

だが、彼はユダヤ人の収容所の番人でもなかったし、殺したわけでもない。どうして亡命しなかったのかと非難しつづけた人々が、亡命しない=ナチスであるという極めて単純な思いこみにあるように思う。

彼よりずっと若く、これから成功への階段を駆け上がろうとしていたカラヤンが、その成功のためにナチの党員証を持つに至ったとしても、私には理解できるこどもある。ナチを肯定していのではないので、誤解のないようにしてほしい!!

音楽は抽象的な言葉である限り、権力に利用されるものであるのだろう。そして、カラヤンにナチを感じるという人に「それは間違いだ」とまで敢えて言う気はないけれど、「音がそんな政治的メッセージやイデオロギーを持つなんてちょっと考えられないけどねぇ」とつぶやくこととしよう。

山田耕筰の「かちどきと平和」を聞いて、戦意高揚の音楽だと非難するような愚かなことだけはしたくないものだ。ちなみに「かちどきと平和」は1912年の作品で、第一次世界大戦前の作曲である。富国強兵の時代から大正デモクラシーへと移る時代の音楽。だから「平和」であったのだと私は思う。

https://suisse.exblog.jp/6758164/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c7

[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
6. 中川隆[-13331] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:41:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1573]

カラヤンとナチについてちょっとだけ考えたこと 2007-08-19

テレビでは終戦の日をはさんで、色々と戦争を主題に色々な番組をやっている。特にスカパー!のドキュメンタリーなどのチャンネルではそれが著しい。

考えなくてはならないし、忘れてはならないことだと思う。更に現在進行形でイラクなどのことについても考えていたいと思う。

さて、広島に原爆が落とされた日に、産経新聞にあったカラヤンとナチスのことについての記事を読んで、またまた考えてしまった。

ナチスと関係があったことを戦後問題となった音楽家は数多い。カール・ベームやクレメンス・クラウス、ヴァルター・ギーゼキング、ウィレム・メンゲルベルク、アルフレッド・コルトー、ヴィルヘルム・バックハウス等々、大変多い。

権力を持つナチスに対して、おおっぴらに反対したりしなかった、あるいは協力したからと言って、その後追放したり、烙印を押してそれらの個人に対する反対運動を煽ったりすることは、私は大変違和感がある。

権力者が犯した過ちを、犯罪を、それと知らなかったただの取り巻きにまでその責任を問うというのは「正義」という剣の振り回しすぎに思われるからだ。

ナチはホロコーストをはじめ数多くの人道に対する罪を犯したことは間違いない。だからそれに反対しなかったからといってそこにいただけの人々も罪に問うのであれば、スターリンに追随した人々や、スペインのフランコ政権に追随した人々も同じように社会から追放するなどの制裁をしなくては公平ではないと思うからだ。

最近、プーチンがソ連は「ナチスのような虐殺もしていないし、アメリカのように無差別に民間人相手に原爆を落としたりしていないから、それほど酷くはなかった」とうそぶいているそうだ。アメリカは反論でないだろう。けれど、こういうのを五十歩百歩というのだけれど…。

戦争だから、そして我が国は、ドイツは負けたから一方的に叩かれたということなのだろう。ただ、私はどこかの辞めた大臣のように「しかたがない」と言ってすます気にはなれないでいる。

チスの蛮行はどうしても許せないが、その蛮行と直接関係のないところで、音楽を演奏したということが非難されるとしたら、当時ドイツに住んでいたことだけでも人道に対する罪であると言っているようなものではないか?

当時、ドイツにいた音楽家たちに対して、ナチとの関係を戦後も問い続け、その演奏するベートーヴェンやブラームスにナチの影を感じるとなれば、一体…。

イスラエルでは今でもワーグナーはタブーだと聞いたけれど、実際はどうなのだろう。確かにホロコーストで災難に遭われた人達が、そのことを思い出させるものとしてワーグナーがあるので辞めて欲しいと言われることについてはよくわかる。その思いを傷つけてまでワーグナーをユダヤ人の国で演奏する必要はないと思う。
しかし、正確を期すために言わせていただければ、ワーグナーがナチであったことはない。アメリカに亡命したというワーグナーの娘たちは反ナチであった。ただワーグナーの音楽をヒットラーが好み(大好きだったのはレハールなどであったそうだが)その音楽を利用したからであろう。ワーグナーの音楽はナチのプロパガンダ放送のテーマ音楽として、ヨーロッパでは有名だった。更にバイロイト音楽祭はナチスの保護のもとで戦争中も隆盛を極めていた。

しかし、だからワーグナーはナチスと何の関係もない。ヒットラーが生まれる前にワーグナーは亡くなっているのだ。

カラヤンの演奏にナチの響きを感じるというのは…。確かにカラヤンはナチの党員だった。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがナチだと言って非難する者もいるが、彼がナチであったことは一度もなかった。戦争中にドイツに留まったことが、ナチスであるという非難に繋がっているようで、ナチスのプロパガンダに利用されていたことも事実だろう。

だが、彼はユダヤ人の収容所の番人でもなかったし、殺したわけでもない。どうして亡命しなかったのかと非難しつづけた人々が、亡命しない=ナチスであるという極めて単純な思いこみにあるように思う。

彼よりずっと若く、これから成功への階段を駆け上がろうとしていたカラヤンが、その成功のためにナチの党員証を持つに至ったとしても、私には理解できるこどもある。ナチを肯定していのではないので、誤解のないようにしてほしい!!

音楽は抽象的な言葉である限り、権力に利用されるものであるのだろう。そして、カラヤンにナチを感じるという人に「それは間違いだ」とまで敢えて言う気はないけれど、「音がそんな政治的メッセージやイデオロギーを持つなんてちょっと考えられないけどねぇ」とつぶやくこととしよう。

山田耕筰の「かちどきと平和」を聞いて、戦意高揚の音楽だと非難するような愚かなことだけはしたくないものだ。ちなみに「かちどきと平和」は1912年の作品で、第一次世界大戦前の作曲である。富国強兵の時代から大正デモクラシーへと移る時代の音楽。だから「平和」であったのだと私は思う。

https://suisse.exblog.jp/6758164/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c6

[近代史4] ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 中川隆
7. 中川隆[-13330] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:50:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1574]
ナチス支配下で生きた最大最高の指揮者、フルトヴェングラー
伝説の「第九」を聴きながら鎮魂する
堀川 惠子 『週刊現代」2016年1月2・9日号より
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47281

年の瀬といえば「第九」。この時期、我が家のCDデッキにはフルトヴェングラーの「第九」、それも伝説のバイロイト盤が入っている。

フルトヴェングラーはドイツの誇る指揮者だ。カラヤンの前任者としてベルリン・フィルを率いた。第二次世界大戦の最中にピークを迎えた音楽人生は、ナチの歴史と背中あわせでもあった。

没後61年、フルトヴェングラー人気は日本でも根強い。今年も関連書籍の再版が相次いだ。

『フルトヴェングラー 最大最高の指揮者』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4309978673/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309978673&linkCode=as2&tag=asyuracom-22

は2011年の増補版だ。丸山眞男はじめ多様な識者がフルトヴェングラーを自由に語りあっている。

当時、ナチはユダヤ人へのホロコーストを行う一方で、その蛮行を覆い隠すために音楽を利用した。その中心にあったのが「第九」。本書によれば1941〜42年だけで「第九」の演奏会は31回。そのうち9回でフルトヴェングラーがタクトをふっている。

祖国に留まり、その伝統の中で演奏することを選んだフルトヴェングラーは二律背反に苦しんだ。ユダヤ人演奏家をかくまい、ナチから依頼される演奏を断り続けるも、巧妙に表舞台へと引き出されていく。

結果として、早くにイタリアから亡命した指揮者トスカニーニとの比較で批判され、戦後は公職追放の憂き目にあい、戦犯にされそうにもなった。祖国が独裁者の手に奪われた時、体制内抵抗者として己の職を貫く生き方がいかに困難なものか、フルトヴェングラーの生涯はよく伝えている。


芸術を絡め取る権力の詐術

暗黒の時代が去って6年後の1951年夏、人々が待ちに待ったバイロイト音楽祭が再開、その冒頭でフルトヴェングラーが「第九」を演奏する舞台が整った。演奏する側も聴衆も万感の思いがこみ上げただろう。

「未曽有の高揚感がフルトヴェングラーをも包み込んだ結果のあの演奏」となり、「忘我の高揚感」をもたらしたと本書はいう。バイロイトの「第九」は伝説となった。

草森紳一著『絶対の宣伝 ナチス・プロパガンダ1』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4892571210/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4892571210&linkCode=as2&tag=asyuracom-22


も復刻版だが、今の時代に読んでこそ面白い。著者は一章を割いて、ナチの宣伝相ゲッベルスがいかにフルトヴェングラーを利用したか、その手法を詳細に描く。

匿名の投書攻めで精神的に追いつめるのは常套手段。フルトヴェングラーからナチ主催のコンサート指揮を断る手紙が届けば、その中から都合の良い部分だけ抜き出して新聞に公表する。

一般のコンサート会場の最前列すべて買い取り、幕が開く直前にヒトラーを連れて座る。フルトヴェングラーが聴衆に向かって礼をする時、あたかもヒトラーに向かって頭を垂れる格好に見える絶好のポジションにカメラマン。演奏後は壇上に駆け上り、有無を言わさず握手、その写真を即刻、世界中に配信した。

権力の宣伝にとって芸術家や有名人がいかに絶好の素材かが分かる。人気芸能人やスポーツ選手に畑違いの議員バッジをつけさせるのも、次元は低いが同じことだろう。

去年の年の瀬は、私自身も戦争について執筆する困難の最中にあり、毎夜、バイロイトの「第九」を聴いた。重厚な旋律に、600万のユダヤ人死者たちへの鎮魂、そして苦しみの果ての歓喜を感じるようで心は奮い立った。

そもそも我が家のバイロイト盤は、夫の所有物だ。彼は高校時代から第九のスコア(総譜)に旋律を追っていたらしく、「第九は神から人類に与えられた宝物」と言ってはばからない。初演から約190年、ベートーベンが人類に遺した偉大な仕事は今も人々の心の奥深くにまでタッチする。だからこそ、権力者の介在は二度と許したくない。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html#c7

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
17. 中川隆[-13329] koaQ7Jey 2020年3月25日 11:14:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1575]
020年02月11日
原爆は「日本が降伏した後で」投下された 日本の降伏を拒否したアメリカ軍

アメリカ軍は勝利を自らの手柄にするため終戦を遅らせ、2発の原爆を使用した。

引用:http://blog-imgs-82.fc2.com/h/i/s/history365days/10616593_828729970491689_8779173433003972912_n.jpg


広島・長崎の原子爆弾は、日本が降伏しなかったから投下したとされています。

だが少しずつ公開された資料からは、日本が降伏し、アメリカが拒否して原爆を投下した事実が示されている。


日米和平交渉

1945年、日本と米国の終戦交渉が秘密裏に行われていました。

日本側は1942年のミッドウェー海戦から敗戦を続けていて、戦争を終わらせる必要がありました。

一方のアメリカは強敵のドイツ軍をやっつけて、太平洋方面に主力を移動させようとしていて、余力充分でした。

日本側では特に海軍と外務省、昭和天皇が早期終戦を望んでいて、陸軍は徹底抗戦を望んでいました。

アメリカ側はやる気充分だったが、特に軍は積極的で、日本を廃墟にするまで戦う気でした。

だが既にソ連軍の拡大は懸念材料になっていて、国務省など外交筋は早期終戦を望んでいた。


日本本土を戦場にして戦えば、ソ連が日本の半分を占領する事になり、ソ連を利する事になるからだった。

1945年7月にはまだソ連と日本は戦っていないが、既にルーズベルト大統領はヤルタ会談などでソ連参戦を要請していた。

ソ連は日本と戦う見返りとして日本の東半分、つまり名古屋から右側を要求していたとされている。


日本軍はソ連対日参戦の日を8月もしくは9月と予想し、それまでに対米戦を終了しなければならないと認識していた。

なぜなら米国だけに降伏すれば、国土は分割されず、いつかは再び独立できるが、ソ連と分割されれば永遠に復活出来ないからだった。

日本側は国土を分割しない事と憲法護持、天皇制を維持する事を条件として、米国に接触を試みました。


成功するかに見えた和平交渉

1945年4月、日本政府は最早敗戦は決定的であるとして、米国との終戦交渉に着手するのを決定しました。

このとき大本営の数人だけで極秘の決定がなされたが、ソ連に仲介を依頼する事になっていました。

同時に別案として、スイスやバチカンなど中立国で、米国と直接交渉をする事も決められました。


日本は欧州の中立国スイスに公使館を持っていて、米国など連合国側の大使と接触が可能でした。

真珠湾攻撃以降、連合国側との接触は途絶えていたが、一応こちらの方法も実施されました。

5月から7月に掛けて日本側から働きかけが行われ、応じたのがドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスでした。


7月には仲介者を通じて、日本側とアレンダレスの最初の交渉が行われ、ダレスは日本が提案した条件を呑んだとされている。


条件と言っても日本側が絶対に譲らないとしたのは、天皇制護持だけで、国土と憲法の方は譲歩の余地がかなりあった。

この時既に沖縄は米軍に占領されていたので、最悪沖縄が米国領になっても仕方が無い事だった。


日本側の出席者は政府や軍ではなく、表向き民間人の横浜正金銀行の銀行マンだったとされている。

仲介者は国際決済銀行(BIS)のペール・ヤコブソンで、これはヤコブソンの膨大なメモや資料で裏づけられています。

アレンダレスは7月15日に初めてヤコブソンと会談し、そこで日本の条件を受諾する姿勢を示したとされている。

この時日本側は8月の第一週から第二週、つまり直ぐにでも停戦したい旨を提案したとされています。


日本の降伏を無視したアメリカ軍

だがダレス1人が納得しても、アメリカ政府や大統領、外交筋や軍が了承するかは別で、特に軍は徹底的に日本を叩く気でした。

7月23日には、ダレスとヤコブソンの会談で、このルートで和平交渉を進めることを確認したが、8月に入ると事態が大きく動いた。

8月6日に広島原爆投下、8月8日にソ連が対日宣戦布告、8月9日にシベリアで日本軍とソ連軍が激突、同8月9日に長崎原爆が投下されました。


これには裏があり、米軍はダレスの交渉が成功しそうだと知っており、勝手に合意する前に総攻撃を掛けたのだった。

もし米軍が最後のとどめを刺さないまま戦争が終われば、戦争の最大の功労者は外交官だった事になる。

だがドイツを占領したように日本を壊滅させ、占領する事で戦争が終われば、手柄は軍のものになります。


ダレスの終戦交渉が頓挫したのは、米軍上層部が1945年12月まで戦争を続けるとして、日本の降伏を突っぱねたからとされている。

この時米軍は日本に10発の原子爆弾を投下する予定で、生産した爆弾や爆撃機を「消費」しなければならなくなっていた。

おかしな話だが、兵器というものも一度生産したらどこかで消費しないと余ってしまい、誰かが責任を取らされる。


1945年12月まで時間があれば、予定していた10発の原爆のかなりを使用できると考えた。

ダレスは戦略事務局(CIA)職員としてイタリア軍、ドイツ軍を降伏させ、日本との交渉もしていたから、日本が降伏を申し出たのは本国に伝わっていた。

昭和天皇は4月と5月の東京大空襲の時に、既に降伏の意思を固めていたのが、周囲の人々によって記されていました。


原爆投下後の8月14日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定し、玉音放送を録音し、8月15日に放送した。

本来は総理大臣などが発表するべきだが、陸軍が本土決戦を主張した為、末端の兵士にまで直接伝える必要が生じた。

同時に全世界にラジオ放送することで、アメリカ軍が「降伏など受けていない」と絶対に言えないようにしたのでした。


米軍は8月13日には停戦の連絡を受け、日本軍は14日に戦闘をやめているが、15日の夜になっても爆撃を続けている。

このようにアメリカ政府とアメリカ軍は、1945年7月末には日本の降伏申し出を知っていて、なおかつ原爆を使用したのでした。
http://www.thutmosev.com/archives/58195625.html

2020年03月24日
1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが、誰もその事は言わない。

引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500.jpeg


1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました。

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた。

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた。

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした。

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった。

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた。


国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった。

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた。

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた。


1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった。

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて、外務省も同調していた。

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった。


降伏を拒否したアメリカ軍

海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている。

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる。

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている。


4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました。

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった。

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した。


だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し、8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました。

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました。

もう一つの米国との交渉ルートは、中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった。


大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた。

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた。

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した。


戦後の始まり

原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた。

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した。

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる。


米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた。

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません。

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した。


それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした。

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました。

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に、解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました。


その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました。

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました。
http://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c17

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
136. 中川隆[-13328] koaQ7Jey 2020年3月25日 12:08:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1576]
巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html
t  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c136
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
137. 中川隆[-13327] koaQ7Jey 2020年3月25日 12:14:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1577]

音楽は女性ヴォーカル以外は必要ない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/575.html

ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c137

[近代史4] 巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか 中川隆
8. 中川隆[-13326] koaQ7Jey 2020年3月25日 15:34:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1578]

ヘルベルト・フォン・カラヤン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)は、オーストリアの指揮者。

1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、多大な影響力を持つに至った。20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりであり、日本では「楽壇の帝王」と称されていた。また、その独自の音楽性と自己演出は「カラヤン美学」と謳われ時代の寵児にもなった[2]。

カラヤンは1908年にザルツブルク州のザルツブルクで、騎士 (Ritter) の子として生まれた。兄のヴォルフガング・フォン・カラヤン(ドイツ語版)(1906年 - 1987年)も後に音楽家になっている。

先祖は東ローマ帝国に仕えたギリシャ人のカラヤニス家(Karaiannis, Caragianni)の出身であるといわれているが、ギリシャ化したアルメニア人(スラブ系マケドニア人の説もあり)だという説もある。

カラヤンのカラはテュルク語で「黒」を意味するが、バルカン言語地域ではその語は存在しない。アルーマニア人(中世の東ローマ帝国時代にギリシャ北部、マケドニアなどの山岳部に住んでいた、ラテン語系統の言語を話す少数民族。ヴラフ人とも呼ばれ、ルーマニア人の先祖ではないかともいわれる)の子孫という説もある[3][4]。

高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは現在のギリシャ共和国のコザニに生まれて1767年にウィーンへ向けて出発し、最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住した[5][6]。ゲオルク・ヨハネスは兄弟と共にザクセンの服飾産業の世界で成功し、フリードリヒ・アウグスト3世に仕えて1792年6月1日に爵位を受け、貴族の称号である「フォン」を添えてvon Karajanという苗字になった[7]。


7.^ http://www.karajan.co.uk/family.html


ヘルベルトの母方はスロヴェニア人の家系であり、民族的にはスラヴ人の血を引いている[8]。カラヤン自身は、自らがオーストリア人であることを強く自認していた。

出生名はHeribert Ritter von Karajan(ヘリベルト騎士フォン・カラヤン、騎士ヘリベルト・フォン・カラヤン)だが、1919年、オーストリア・ハンガリー帝国の終結に伴う貴族制度の廃止により「騎士」「フォン」が外され、以降のオーストリアでの公式名(官公庁の証明書など)はヘリベルト・カラヤン(Heribert Karajan)(母音のiが入るのはスロヴェニア系の特徴)。

芸術活動を行う上でカラヤン自身が出生名(フォン入り)にこだわり、芸名(芸術家名)として「ヘルベルト・フォン・カラヤン」(Herbert von Karajan)を名乗ることを官憲に認めさせた経緯がある。

ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院とウィーン音楽院で学んだ後、親の買い上げたオーケストラによりザルツブルクでデビュー。ドイツのウルム市立歌劇場の総監督から誘いが来て、1929年に『フィガロの結婚』でオペラ指揮者として脚光を浴び、1934年には同国アーヘン市立歌劇場で音楽監督に就任した。1938年のベルリン国立歌劇場におけるヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌1939年にはベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位を得るとともに、イタリアのミラノ・スカラ座でオペラを指揮することとなった。

1946年、ウィーン・フィルとの第二次世界大戦後初の演奏会を前に、戦時中ナチスの党員であった[9] ことを理由に、ソ連の占領軍によって公開演奏停止処分を受けた。しかし、翌1947年には再び処分保留となった。

註9
1933年4月8日、ザルツブルクにおいて当時オーストリアでは非合法政党だったナチスへの入党手続きをとった。

ナチスの党員簿によると、最初の入党後カラヤンは行方不明扱いとされ、最初の党員番号は抹消されており、同年5月1日にウルムで再入党している。

当時のことを後年「私にとってナチス党員になることはスキークラブの会員になる程度の感覚だった」と述懐している。

戦後の非ナチ化審理の際、カラヤンは1935年、アーヘン市立歌劇場のポスト就任と同時に入党と申告しているが、なぜ非ナチ化委員会でカラヤンの申告が不問にされたかは謎に包まれている。ただし、リチャード・オズボーン著の伝記では「戦後の時代に誤った情報が多く流された」とされており、議論の前提となる資料に多くの誤りがあったと述べられている。

1948年にウィーン交響楽団の首席指揮者、翌1949年にウィーン楽友協会の音楽監督に就任。また、イギリスのレコード会社EMIの録音プロデューサーのウォルター・レッグの元で、フィルハーモニア管弦楽団との演奏活動およびレコード録音も盛んに行うようになった。1951年、戦後再開したバイロイト音楽祭の主要な指揮者として抜擢される。しかし、翌年には音楽祭を主催するヴィーラント・ワーグナーと演出を巡って対立。この後、ヴィーラントの死後もバイロイトに戻ることはなかった。この時期ウィーンフィルおよびウィーン国立歌劇場とも断絶状態となっている。

1954年11月、ドイツ音楽界に君臨していたヴィルヘルム・フルトヴェングラーが急逝したことで、翌1955年にフルトヴェングラーとベルリンフィルとのアメリカ演奏旅行の代役を果たし成功をおさめ、この旅行中にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。戦後、フルトヴェングラーの死までカラヤンは同団の指揮台に2〜3回しか登場しておらず、急転直下の就任であった。

1957年には同楽団と初の日本演奏旅行を行う(カラヤン自身は1954年、NHK交響楽団を指揮するため単身来日していた)。日本公演ではワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「前奏曲と愛の死」やブラームスの交響曲第1番などが特に評価され、日比谷公会堂の客席からはすすり泣きさえ聞かれたという[10]。

1956年にはウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任。ベルリンとともに、世界の人気を二分する両オーケストラを同時にたばねることになり(しかも加えてミラノ・スカラ座でも重要な位置を占めていた)、このころから帝王と呼ばれ始める。残された録音が少ないために忘れられがちであるが、この時期を中心にウィーン交響楽団への登場も非常に多い。演奏会としてはフィルハーモニア管弦楽団の倍以上、150回に及び、これはベルリン・フィルに次ぐ数字である。特に同団とは姉妹関係にあるウィーン楽友協会合唱団との共演による声楽曲(バッハの「マタイ受難曲」やベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」など)やブルックナーがこのコンビの得意レパートリーであった。

ウィーン国立歌劇場のポストは監督のエゴン・ヒルベルトと対立し1964年に辞任。以後十数年、ウィーン・フィルとは一部のレコーディングとザルツブルク音楽祭のみでの関係となる。1950年代からはミラノ・スカラ座でも主要な指揮者として活躍していた(当初はドイツオペラ担当、のちイタリアオペラも指揮)。1964年12月17日にスカラ座での椿姫の上演が完全に失敗したため、以後スカラ座では「椿姫」の上演を封印することとなった(カラスの呪い)。このころから健康問題の不調に悩まされるようになりながらも、世界中でおびただしい回数の演奏旅行を行った。ウィーン離任後はベルリン・ドイツ・オペラにも一度登場するが、この関係は継続されず。以後彼のオペラ活動は歌劇場よりも音楽祭が中心となっていく。

1965年には映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーとともにコスモテル社を設立して、クラシック音楽の映像化事業にも着手している。1967年には、自らの理想に沿うワーグナーのオペラの上演をめざして、ザルツブルク復活祭音楽祭を始めた。1972年にはベルリン・フィルとともに3度のコンサートを行い、ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭をも創設し、自ら音楽監督に就任した。ベルリン・フィルがオペラのオーケストラピットに入るようになったのはこの音楽祭が契機となっている。1972年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団団員の養成を目的としたオーケストラ・アカデミー、いわゆるカラヤン・アカデミーを創設した。1982年、自身の映像制作会社テレモンディアルをモンテカルロに設立。ベートーヴェン交響曲全集をはじめとする、主要レパートリーの映像化にも着手した。

四半世紀にわたり、カラヤンとベルリン・フィルは良好な関係を維持したが、1983年、女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーの入団を巡り、加入を認めないベルリン・フィルと対立した。その激しい軋轢は新聞種にもなり、ベルリン・フィルの芸術監督辞任の噂もささやかれたが、翌年和解に至る(結局マイヤーは自ら退団)。晩年を迎えたカラヤンはこの騒動の後、ベルリン・フィルからの離反を強め、もう一つのヨーロッパを代表する楽団であるウィーン・フィルとの結びつきをより深めていくことになる。1988年、ドイツの雑誌『デア・シュピーゲル』は「お金の魔術師」というタイトルでカラヤン批判の特集記事を組んだ。その内容とは、コロンビア・アーティスト・マネージメントがカラヤンとベルリン・フィルの台湾への演奏旅行の条件として法外な出演料と、カラヤンとウィーン・フィルとの演奏フィルムの購入を台湾側に要求したというものだった。このスキャンダルに加え、カラヤンのベルリンでの演奏回数が減っていたという事情も手伝って、カラヤンへの批判が噴出した。ベルリン・フィルやドイツの野党からも退任を求める声が高まった。

翌1989年4月24日、ウィーン・フィルとの演奏会出演の翌日に、健康上の理由でベルリン・フィルの芸術監督と終身指揮者を辞任した。7月16日、当時ソニーの社長だった大賀典雄がカラヤンの自宅を訪ねた時、カラヤンは「左胸のあたりが調子悪いから、自宅の温水プールで泳いだ」と語った。大賀は、カラヤンに次世代のデジタルビデオ・カメラを出来るだけ早く納品する約束と、カラヤンがLDでの発売しか認めていなかったレガシー・シリーズの映像作品を8ミリのソフトで発売しないかという営業に来ていた。エリエッテ夫人がシャワーを浴びている時に、カラヤンが突然ぐったりとなり、大賀の腕に抱かれたまま心肺停止の状態になった。緊急のヘリコプターが呼ばれたが間に合わなかった。それは、カラヤンがDGからソニーに移籍する直前の死去だった。満81歳没(享年82)。

移籍に当たっては、そのテストケースとしてカルロ・マリア・ジュリーニを先にソニーへ送り込み、また「カラヤンの耳」とも喩えられたレコーディング・エンジニアのギュンター・ヘルマンスも送り込んでいた。

辞任したベルリン・フィルとの最後のコンサートは、ザルツブルク復活祭音楽祭でのヴェルディのレクイエム。生涯最後の録音と演奏会は、ウィーン・フィルとのブルックナーの交響曲第7番だった。カラヤンは逝去する前日にザルツブルク祝祭大劇場で、この年の夏のザルツブルク音楽祭でプレミエを迎えるヴェルディの歌劇『仮面舞踏会』のリハーサルを行っていた。この突然の死がなければ、ウィーン・フィルと自身のレパートリーの新録音・再録音に着手し、また、1991年には10年ぶりにウィーン国立歌劇場に復帰する予定だったともいわれている[11]。

カラヤンは指揮者の職業病とも言える脊椎の持病に悩まされ続け、生涯に12回もの大手術を受けた。1978年の脳梗塞(『家庭交響曲』のリハーサル中、落とした指揮棒を取ろうとして指揮台から落ちたのが発作の原因であった)等が追い撃ちをかけた[12]。晩年には、歩行も厳しいほど体のコントロールを失うことにもなった。その頃のカラヤンは指揮台の柵につけられた、サドル状の特製の椅子に座って指揮し、長年目をつぶって指揮していたオーケストラのみの曲でも1983年ごろからは目を開いて指揮することが多くなった。オペラや合唱曲を指揮する時は、全盛期でも目を開けて指揮しており、これは残された映像で確認できる。

音楽

同じく戦後派の指揮者カール・ベームは、カラヤンは自分の求める響きが出るまで辛抱強く楽団員を説得していたと述べている(ベームは正反対)[13]。レガートを徹底的に使用し、高弦を鋭くさせ、(1960年代後半から)コンサート・マスターを2人おき、コントラバスを最大10人と大型化することにより、オーケストラの音響的ダイナミズムと、室内楽的精緻さという相反する要素の両立を実現した。どんなに金管が鳴っていても、内声や弦パートがしっかり鳴っていなければならないことや、低音パートがいくらか先に音を出すことなどを要求した。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。

一方で、一部の評論家からは音楽の音響面の美しさばかりを追求し作品の芸術的内容を軽視していると感じられたため[14]、「音楽が大衆に媚びている」「音楽のセールスマン」などと批判されることもあった。


註14
音楽評論家の岩井宏之は

「カラヤンは、いかにもスマートで美しい響きを生み出していたものの、作品の中に込められている作曲家その人の、あるいは当の作曲家が生きていた時代の"切なさ"を十分に表出するには至らず、したがって聴き手の心に迫ってくる力が弱かった。(中略)

カラヤンがオーケストラに対すると、どんな作品であれ、美しく響かせること自体を目的にしているような趣があり、それが私には不満だった」

と述べている(カール・ベーム指揮ウィーン交響楽団・ハイドンの四季のCD POCG-2328/9 のライナーノート、5頁)。


しかし、カラヤンの正確さと完璧さの追求はLPレコード時代からその自己演出と相まって一定の評判を得ることに成功し、レコードのセールスと知名度の広がりの面で大きな成功を収めている。

細身の体を黒で統一された服装で包み、白いマフラーを長く垂らせたスタイルでスポーツカーや自家用ジェット機を自在に操る姿はダンディズムに満ち、既成の音楽家のイメージを一新させた。男性モード雑誌から抜け出したようなカラヤンのいでたちは、その作りだす音楽以外の要素でも人目を引いた。指揮者は本来、反射神経を要求する職業であるが、実際にはその激しい動作が笑いの種になってきた歴史があり、その滑稽さを皮肉るカリカチュアも19世紀以来無数に描かれ、フルトヴェングラーでさえも揶揄の対象にされてきた。

そうした既成の概念を覆すように、カラヤンの動作はスマートで美しく洗練され、目を閉じ手を静かにウェイブする姿は神秘的にすら見せることに成功し、その雰囲気に酔う聴衆も多く存在するようになった。

その美意識はオペラの配役にも及び、1977年のザルツブルク音楽祭で『サロメ』のタイトル・ロールに当時はまだ無名だったヒルデガルト・ベーレンスを起用した際、カラヤンは

「サロメという女は20歳になっていない。従って、若くて細身の魅力ある歌手がいて初めて成立するオペラなのだ」

と語った。 オペラという総合芸術の音楽監督が容姿も考慮して歌手を決めたのはカラヤンが最初だといわれ、こうした独自の美学がカラヤンの音楽づくりには徹底されていた[15]。

カラヤンはオーケストラに(長年鍛えられたベルリン・フィルの場合これが顕著であったが)指揮の打点時のずっと後に音を出すことを心がけさせ、非常に重量感のある音を求めていた。また、楽員の集中力や陶酔力を深めるためとして目をつぶって指揮したため、団員ははじめ大いに戸惑ったが、「じきに慣れるさ」の一言で押し通し、事実その通りになった。

目を閉じる指揮法については、暗譜での指揮に関しクナッパーツブッシュから「(暗譜で指揮をしないのは)私は楽譜が読めるからだ」と皮肉を言われ、それに対し演奏に集中するための暗譜であることを誇示するために目を閉じるようになったという伝説がある。

カラヤンは当時の同世代の指揮者としては非常に広範なレパートリーを有していた(同時期に活躍したカール・ベーム、オイゲン・ヨッフム、ヨーゼフ・カイルベルトといったドイツ系指揮者はドイツ系の作曲家以外のレパートリーの比率は非常に低かった)。ベートーヴェンやブラームス、R.シュトラウス、ブルックナーなどのドイツ・ロマン派の音楽や、チャイコフスキー、あるいはモーツァルトのディヴェルティメントやセレナーデなどで特に高く評価された。

また、ヴェルディやプッチーニ等のイタリア・オペラにはドイツオペラ以上のこだわりを見せ、北欧と英米以外の指揮者が演奏することの珍しいシベリウスやグリーグなど北欧の作品も手がけた。

また、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンなどの新ウィーン楽派の演奏でも高い評価を得た。

舞踏音楽、序曲、行進曲といったアンコール・ピース的な小品にも熱心で、世界最高クラスの地位にありながらヨハン・シュトラウスをこれだけ繰り返し録音し続けた指揮者というのは、少なくとも彼の世代まではクレメンス・クラウス程度しか存在しなかった。

R.シュトラウスとは個人的な知己でアドバイスをもらっており、彼の作品の演奏も高い評価を得ている。また『メタモルフォーゼン』(23人の弦楽器奏者のための作品)について、シュトラウス本人に後半部で各パートを3人に増やし69人で演奏することを提案し、同意を得ていたが、ベルリン・フィルの室内楽的緻密さによりその演奏方法の実現を可能にした。

1970年にワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の世界初のステレオによるスタジオ録音を、東西ドイツ統一前のドレスデンで行った(この録音企画の当初の指揮者はサー・ジョン・バルビローリだったが、1968年の「プラハの春」事件に際して、亡命チェコ人であるラファエル・クーベリックが音楽家たちにあてた「東側諸国での演奏自粛」という嘆願書にバルビローリが賛同して、この録音を断った。しかし、カラヤンはその代役を快く引き受けた[16])。また映像作品にも取り組み、積極的に新しい分野を開拓していった。

ヨーロッパのオペラハウスでの原語上演は、カラヤンに始まるといわれている。それ以前はコヴェントガーデンやウィーンですら、オペラの現地の言葉での翻訳上演は半ば常識であった。カラヤンの芸術監督時代のウィーン国立歌劇場で始められた原語上演への改革が、その後の今日に至る原語上演の広まりのさきがけとなった。

その他の録音・映像として、1982年におけるマーラーの交響曲第9番、1988年におけるブルックナーの交響曲第8番、ザルツブルクにおけるオペラ映像などの実績が見られる。

ライフスタイル

ジェット機を乗り継ぎ世界中を飛び回って活動するという、昨今のスター指揮者の活動様式を始めた最初の一人だった。カラヤン以前には、指揮者は一つ処でオーケストラやオペラハウスの顔という役割をするのが普通であった。また、自家用ジェット機を保有していて、自ら操縦し別荘などへ行っていた。愛機はダッソー ファルコン 10。晩年になり、80歳で期限が切れる飛行機免許の代替としてヘリコプターの免許を取得している。

無類の車好きでありスピード狂としても知られ、様々なスポーツカーや高性能車、高級車を所有し乗り継いでいた。

歴代の愛車はメルセデス・ベンツ・300SL、ポルシェ・RSKスパイダー、フェラーリ・275GTB、ロールス・ロイス・ファントムV、フォード・GT40、ランチア・ストラトス、ルノー・5ターボ、ポルシェ・911(ターボおよびカレラRS)、メルセデス・ベンツ・500SEL、アウディ・クワトロなど。オースチン・A90・アトランティック(英語版)やミニ・クーパーMk2といった、より一般的な小型車も所有したことがあり、また、日本車(スバル・レオーネツーリングワゴン)を友人のスイス人医師にプレゼントしたこともある。

運転技術はF1ドライバーのニキ・ラウダ直伝。最晩年には赤いポルシェ・959に乗っていた。エリエッテ夫人は納車された959を見て、「もっとレコードを録音してもらわなきゃね」とジョークを飛ばしていた(DVD「カラヤン・イン・ザルツブルク」にその時の様子が映像収録されている)。

カラヤンのスピード狂はスキーにも及び、直滑降の名手として山小屋の主人[誰?]から「アルプスで1番速いダンナ」と呼ばれていた。

生前は派手な生活で知られたが、自ら地元アニフ(Anif)の教会内に用意し死後に埋葬された墓地は極めて質素である。死後、ザルツブルク市は遺族に対し豪華な墓地の提供を申し入れたが、エリエッテ夫人は故人の遺志を尊重しそれを断っている[17]。


エピソード

新しいもの好きで、録音技術や映像技術への関心は極めて高く、録音技術が進歩する度に得意のレパートリーを再録音した。中でもベートーヴェン交響曲全集、ブラームス交響曲全集、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」などは、何度も再録音を繰り返した。また、映像についても自らのレーベル「テレモンディアル」を設立し、自らの主要レパートリーの映像化を成し遂げた。

1959年、ベルリン・フィルに、東京芸術大学卒のヴィオラ奏者土屋邦雄を日本人初の団員として迎えた。土屋は2001年まで在籍した。

1983年に、日本人初のベルリン・フィルのコンサートマスターとして安永徹を選んだ。コンサートマスターのオーディション曲は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』などだった。

若手指揮者の育成にも積極的で、小澤征爾、マリス・ヤンソンス、オッコ・カム、高関健、クリスティアン・ティーレマン、山下一史などを輩出した。

1975年頃、日本人のみならず東洋人として初のウィーン国立歌劇場の団員として採用された高島一恵は東洋人団員の前例が無いことから、団員やスタッフから酷いイジメや偏見に遭って悩んでいたが、当時、指揮者の世界最高権威であったカラヤンが高島を評価したことで、高島へのイジメや偏見がピタリと止んだ。このことから、カラヤンは高島にとってイジメや偏見から救ってくれた恩人的な存在であるといえる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c8

[リバイバル3] 原油価格の底値は 30ドルから 40ドル前半 中川隆
3. 中川隆[-13325] koaQ7Jey 2020年3月25日 15:53:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1579]

新型コロナで暴落した原油価格の推移予想2020年3月25日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9476

2020年に入り新型コロナウィルス肺炎の世界的流行で原油相場が暴落している。年始の高値から半額以下になっているが、筆者はこれを買い場であると考えている。ファンダメンタルズの観点からは激安であり、タイミング的にも底が近いだろう。

新型コロナで原油価格暴落

先ずは原油相場のチャートを見てみたい。

年始の高値65ドルから20ドル付近まで3分の1ほどの水準まで落ち込んでいる。新型コロナの影響で航空機が飛ばなくなっており、都市封鎖などの影響で自動車などの交通量も減っているからである。

新型ウィルスによる需要減少を考えた上で20ドル台という水準が高いのか安いのかと言うと、激安である。

まずもう少し長期で原油価格の推移を見てみよう。

まず2008年のバブルで150ドル付近まで上昇し、バブル崩壊で株価とともにそこから30ドル近くまで暴落、その後数年は100ドル近辺で推移していた。

しかしアメリカで従来の方法では掘り出せなかった場所に埋まっている原油を掘り出す方法が開発され、そうして掘り出されたアメリカの原油(シェールオイル)が世界の原油の供給を急激に押し上げた結果、2015年には原油の価格は半値となり50ドル前後で推移する新たなレンジ相場が始まった。それが5年ほど続いていた中での今回のコロナショックである。

現在の20ドル台という価格を考えるためには、それまでの原油価格が何故50ドルだったのかを考えなければならない。100ドルからの急降下が50ドルで止まったことには理由がある。それはその付近が米国シェール企業の損益分岐点だったからである。

米国シェール企業の窮地

シェールオイルは採掘困難な場所にある原油を掘り出せる分、サウジアラビアなどが行なっている通常の掘削よりもコストがかかる。例えば2019年の原油価格は平均して55ドル程度だったが、テキサスのシェール企業Marathon Oilの損益計算書は簡単に書くと次のようになっている。単位は百万ドルである。

•売上高: 5,190
•実費費用: 2,157
•減価償却等: 2,397
•純利益: 480

ざっと書いたが、実費費用とは採掘にかかった費用や人件費などその年に実際にかかった費用であり、減価償却とは採掘施設の建設のために以前行なった大規模投資を何年かに分けて計上していくものだと思ってほしい。

55ドルの原油価格ではしっかり利益が出ている一方、売上高が10%も減れば純利益は吹き飛びそうである。実際に原油価格が50ドル弱だった2017年には赤字になっており、他のシェール企業の財務諸表を眺めても40ドル台がやはりシェール企業の損益分岐点だと言える。

一方で減価償却の対象となっている採掘施設については既に買ってしまったものであるため、大雑把に言えば既に施設を持っているシェール企業が採掘を止めるかどうかの判断は売上が減価償却以外の実費を上回るかどうかということになり、売上高が5分の2になれば実費を下回ってしまうことを考えると、シェール企業が施設を持っていても稼働させれば赤字になってしまう原油価格(操業停止点と呼ぶ)は20ドル付近、つまり今の原油価格の水準ということになる。

つまり、シェール企業は今の原油価格の水準では掘削設備を動かすと赤字になり、何もできずにローンの利払いなどランニングコストを払うだけの存在となっているはずである。シェール企業はジャンク債と呼ばれる信用の低い債券の主要な発行主体であり、シェール企業の資金繰りが怪しくなっているためにジャンク債が暴落、ドルの調達需要によりドル上昇の原因となっているが、それはまた別の話である。

•ドル円上昇が示す世界的倒産ラッシュの可能性

原油価格の推移見通し

投資家にとっての問題はこのシェール企業の窮地が原油相場に長期的にどういう影響を及ぼすかである。

原油価格は元々100ドルだった。そこにシェール企業による供給増加があり、価格は50ドルになった。

ここからは2つのシナリオがある。1つは原油価格の低迷が長引き、大半のシェール企業が倒産してしまうシナリオである。

この場合、原油に投資をする投資家は価格上昇まで待たなければならなくなるが、シェール企業が絶滅するということは彼らの膨大な供給がなくなるということである。シェール企業が居なかった世界では原油価格は100ドルだった。つまり、このシナリオでは原油価格は長らく低いまま推移するものの、シェール企業が絶滅した時点で最大100ドルまで上昇する余地があるということになる。

もう1つのシナリオは新型コロナウィルスの流行減速と同時に原油価格も反発するシナリオで、この場合はシェールオイルの供給が増えすぎないところまでの上昇ということになり、上昇目標はシェール企業の損益分岐点である40ドル程度ということになるだろう。

長期投資家であれば今後数ヶ月の価格の上下を考えずに今からでも買えるだろうし、短期的な価格の上下を気にする投資家もそろそろ買い始めるべき時期だろう。

タイミングについては株式市場と同様にアメリカとヨーロッパにおける感染者数の推移を眺めることをお勧めする。以下の記事に数字を載せたが、最新のものは逐次更新してゆくつもりである。

•新型コロナ、米国の感染者数急増止まらず ヨーロッパはピーク近し

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9476
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1040.html#c3

[近代史4] アジア人の白人との戦い 中川隆
18. 中川隆[-13324] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:05:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1580]

戦前の日本は台湾・朝鮮の近代化に国家予算のかなりをつぎ込んでいた

当時の朝鮮は欧米資本に経済支配されて搾取されていたんだけど、欧米の悪事まで日本の責任にされたのです。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。

詳細は


じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91

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“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html

▲△▽▼

96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 


当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

▲△▽▼


儒教が朝鮮人をダメにした。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。

____


儒教の最大の欠点は「士太夫」は(肉体的に)働かない。むしろ働いてはいけないという価値観を造ってしまったところにある。

だから儒教の優等生である中国・朝鮮人は「働かなくても喰っていける」のが理想だと考えている。

かつては、ことさらに爪を伸ばして「食事(という労働)すら自分ではしない(出来ない)」という境遇を自慢したりもした。

今でもその傾向はある。
だから成功した老後は働かないのが当たり前で、はやく働かなくても良くなるように(今は我慢して)働いているだけなのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/859.html#c5  


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/643.html#c18

[近代史4] アジア人の白人との戦い 中川隆
19. 中川隆[-13323] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:15:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1581]

安くて従順な子供を、朝から晩までこき使う白人の裏の顔


アディダス、ナイキ、リーヴァイスは、犯罪組織 2012年01月20日


 スポーツシューズの有名ブランド、ナイキは、インドネシアで15歳以下の児童を工場で酷使し、ユニセフ等から犯罪企業として非難を浴びているが、国際的に禁止されている児童の酷使、労働を、ナイキは止めようとしない。

 ナイキのシューズは児童の酷使により、1足あたりわずかに5ドル=400円弱で製造され、1〜2万円で販売されている。原価の50倍前後であり、シューズ価格の98%がナイキの利益となっている。

 また、有名なスポーツ用品メーカーのアディダス、ジーンズのリーヴァイスは、インドネシアで同様の、15歳以下の児童による違法な労働で利益を上げている。児童は工場に閉じ込められ、学校に通う事も出来ず、十分な食料も与えられていない。これは犯罪である。

 アディダスとリーヴァイスは、児童と女性に「睡眠を与えず」死ぬまで働かせるために、覚醒剤の入った飲み物を飲ませ、麻薬中毒にし、文字通り奴隷として死ぬまで酷使している。

 アディダスとリーヴァイスのために多数の児童が「殺され」、児童と女性が麻薬中毒になっている。

 リーヴァイスは、タイではジーンズの原料となる綿花の農園で大量の農薬を使用し、河川を汚染、タイの一般市民にガン患者の多発を引き起こしている。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/247288059.html


上司が部下の女性従業員を自由に強姦出来るスポーツシューズ、ナイキ
2007/10/12(金)

 スポーツシューズの有名ブランド・メーカー、ナイキのメキシコ、インドネシアの工場では、13歳〜14歳の少女達が時給わずか17セント、20円程で働かされている。子供を学校にも通わせない、この児童労働は違法な児童虐待と言える。

 ナイキは、13歳〜14歳の少女達が生理で仕事を休むためには、少女達を上司の男性全員の前で全裸にし、出血を確認するという「義務」を強制していた。

 この義務は、従業員全員に強制されていた。

 これは極めて悪質な人権侵害である。

 また、この少女達は仕事中、強引に別室に連れ込まれ、上司の男性により日常的に強姦されていた。

 ナイキはこの犯罪事実を「隠し」、そのような事は無いと嘘を述べて来たが、2003年6月、米国連邦最高裁判所は、児童労働、人権侵害、強制猥褻、集団強姦等の犯罪で、ナイキに有罪判決を下した。

 現在、従業員の13歳〜14歳の少女達を強姦し続けたスポーツシューズ、ナイキの企業犯罪の有罪判決は確定している。
http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/25567191.html

CIAを作ったのは誰か

 バナナボートという有名な曲がある。中南米のバナナ農園で、奴隷として労働する黒人、先住民(インディアン等と差別的に呼ばれて来た)の悲哀を歌った曲である。
 かつても現在も、米国の貿易商社(穀物商社等)に支配された中米では、住民の食べる食糧を生産する事が禁止され、商社が輸出するバナナだけを生産する、単一作物農業=モノカルチャー化が推進されている(注1)。

 しかも中米全体の経済中枢が、UF=ユナイテッド・フルーツ社(チキータ・バナナ)1社によって、強硬に支配されて来た。

 かつてUFは、黒人、先住民族等の「奴隷」の反乱を押さえるため、秘密警察とスパイ組織を中米の全域に張り巡らせ、奴隷労働に反抗する奴隷=有色人種を次々と殺害して来た。「見せしめ」のために反抗した黒人の体を500片の「肉片」に引き裂く拷問を奴隷の眼の前で行い、その500片の「肉片」が動物により食べ尽くされ、腐敗して消失するまで奴隷の眼に付く場所に放置された。

 こうした奴隷労働と秘密警察による虐殺により、かつて南北アメリカ大陸に居た先住民族の95%以上が殺害された。その数は5000万人を超え、文字通り「皆殺し」である。

 この中米のスパイ、拷問、虐殺組織が、後に米国のCIAとなる。UFの経営者がブッシュ大統領一族であり、CIAの中核部隊がブッシュ一族のUFの秘密警察であったため、CIA本部が「ジョージ・ブッシュ・センター」と呼ばれる事となる。

 第二次世界大戦以前の、こうした状況は現在も変化していない。

 第二次世界大戦後、中南米諸国では、米国の穀物商社にバックアップされた軍事独裁政権が乱立し、穀物商社の農園での奴隷同様の低賃金に反抗する黒人、先住民族は軍事独裁政権の秘密警察により、次々誘拐、殺害されて来た。

 奴隷農園の農園主が、軍事独裁政権の大統領に交代しただけであった(注2)。

 中米の内陸にあるバナナ農園からのバナナを輸送するために、中米には鉄道網が整備され、それは米国本土の鉄道王ブッシュ大統領一族により建設されて来た。ブッシュ一族は、特に豊かな農園地帯であるニカラグアでは、強い支配権力を振るって来た。

 1935年、ニカラグアを植民地として支配するため、米軍の海兵隊の大軍がニカラグアに「侵撃」した。それ以降、ニカラグアは米国の「奴隷農園」になった。

 このニカラグア侵略戦争を実行した米国海兵隊の指揮官=将軍、スメドレー・バトラーは晩年、日記の中で以下のように語っている。

 「私はブッシュ、ロバートソン一族のために、海兵隊を指揮しニカラグアを支配下に置いた。」

 ロバートソン一族とは、「日本人を始めとした有色人種は、人種的に劣った人種であり、核戦争により絶滅すべきだ」と主張するキリスト教原理主義教会の指導者パット・ロバートソン一族である。若い時代、アルコール中毒患者であったブッシュ大統領を説得し、立ち直らせた現在の大統領の「育ての親」ロバートソンである。

 ブッシュ大統領の最大支持基盤であるキリスト教原理主義教会=ロバートソン一族と、ブッシュ一族の「一体化」は、その源流を中米の「奴隷農園」の共同経営に持っていた(注3)。

 中米の奴隷農園で、黒人、先住民族=有色人種を奴隷として虐殺して来た人種差別思想が、「宗教の装い」を取ったものがキリスト教原理主義教会である。


※注1・・このモノカルチャー化は、WTOによる農作物の「貿易自由化」でも同一の事が推進される。WTOの正体が何かをこれは明確に示している。現在の「貿易自由化」とは、中南米に見られた農民の奴隷化の「別名」であるという実態が、そのモノカルチャー化と言う同一の農業形態により、明確に見えて来る。拙稿「日本のコメが危ない」を参照。

注2・・第二次世界大戦後、中南米諸国に乱立した軍事独裁政権の秘密警察には、ドイツから逃亡して来たナチスの生き残りが雇用され、有色人種の虐殺を担当した。

 ナチスの生き残りが中南米に逃亡する「手配」を行ったのは、CIAとローマ・カトリック教会=バチカンであった。ナチスの生き残りは、カトリック教会の修道院の世界的ネットワークを使い、修道院から修道院へと逃亡し、ブラジル、アルゼンチン等に逃げ延びた。

この世で一番恐ろしいことは、「自分で生きていく術を失われる」ということである。自分たちで食料も生産できなくなった社会では、奴隷になる以外の生き方が存在しない。デカイ企業に時給数百円で(言い値)で雇われ続けるしかない。

新たな奴隷商売は世界で起きていることで、この日本にも入ってこようとしている。

日本のJAICAという組織をご存知だろうか?
発展途上国へいって、収入を得る術を教えに行くボランティア集団を抱えている組織である。彼らは、現地民に土地を捨て、現金収入を得るよう促す努力をしている。もちろん日本製品を販売する礎を作るためである。

それはそれでいい。が、問題は彼らから自立を奪い、現金収入に頼る経済機構を構築することにある。これがどのような問題を起こすのか。
想像できない方は、これから先の日本では生きていくことはできないであろう。
http://keifugaku.blog110.fc2.com/?mode=m&no=7


奴隷が作るインスタント・コーヒー=ネッスル社のネスカフェ 2007年10月10日

 アフリカのコートジボワールでは、近隣のマリ共和国から誘拐されて来た7歳から14歳の少女達が2万人、給料も休憩も無く奴隷として強制労働させられている。  現場監督により、この少女達は日常的に殴る蹴るの暴行を受けており、彼女達は病気になっても医者にも見てもらえず、死ぬまで奴隷として労働が強制されている。  ユニセフは、これは悪質な奴隷労働であると「非難」している。  

2万人もの少女達を誘拐し、奴隷として強制労働させている犯罪者は、ロックフェラー(ブッシュ)の経営する穀物商社カーギル=ネッスル社、クラフト・チーズで有名なクラフト社(親会社が最大手の穀物商社コナグラ社)、タバコのマルボロで有名なフィリップ・モリス社(食品加工・最大手)、クラッカーで有名なリッツ社である。  

「非難」するだけで国際刑事警察機構に刑事告訴しない所が、大企業の「味方」国連=ユニセフである。

これらの世界では、自分たちで自立をする手段が全て貨幣経済に差し替えられた。ゆえに貨幣という(紙幣か)虚構を、他人の借金を、使って生きることを余儀なくされている。

彼らの借金とは何か? IMFである。

この高利貸し集団が政府に莫大な借金をさせ、借金返済のための外貨獲得を余儀なくされている。IMFを拒否すれば、武力によって国は蹂躙されることになる。 そうして、IMFとその仲間たちはいわば合法的に奴隷商売に手を染め、莫大な利益を得ることになる。 この世界の姿が、今後の日本の姿になりえるとどれほどの人々が思っているのだろう?
教育上決して教えられない効した事実は、何も知らされない庶民を大量生産し、奴隷商売を助け、そのまま奴隷として死んでゆくのだ。
http://fuen-desu.blogspot.jp/2007/10/blog-post_12.html


安くて従順な子供を、朝から晩までこき使う白人の裏の顔


グローバル経済の中で「人件費を下げる」「コストを下げる」というのは非常に重要な部分である。コストを下げるために、企業は何でもする。そうしなければ、競争に打ち勝つことができないからだ。

消費者は、品質よりも安さを求めることが多く、他人よりも安く買えれば「得した」と満足を得て、高ければ「企業努力が足りない」と悪態をつく。ぼったくられて高い値段を払うのは誰でも苦痛だ。自分の給料や資産にも限りがあるのだから、少しでも安いものを選ばなければならないと誰もが思う。


安くて、文句を言わず、朝から晩までこき使える労働者

それがより安いものを選ぶ消費者行動になり、そして企業はその一点に向けて骨身を削るような「企業努力」を行う。その企業努力というのが、「人件費を下げる」「コストを下げる」という部分になる。

先進国の労働者はコストが高い。だから企業は先進国の労働者をみんな捨てて、新興国の安い賃金に群がる。そして、新興国の中でもより安い人材を求めて捜し回る。人件費は安ければ安いほどいい。安くて、文句を言わず、朝から晩までこき使える労働者であればあるほどいい。

そして、グローバル経済は何を生み出したのか。

いち早く新興国に工場を移したシューズ企業の工場では、より安い労働者を確保して奴隷のように働く労働者を見つけていた。それは「子供たち」である。中国でも、アフリカでも、カンボジアでも、インドでも、新興国では学校に行けない貧しい子供たちがたくさんいる。ある経営者は、そんな子供たちを捕まえてきて、二束三文で働かせて利益を生み出すようになっていた。

2004年にインド・チェンナイの裁縫工場で働かされていた12歳の子供たちは1日14時間も拘束されていた。休みもなし、食事は1日2食、それもほんのわずかな量だ。工場内は非常に暗く、高温多湿で、立ち入った検査官が気分が悪くなるような場所だった。


貧しい子供たちは、それまでずっと犠牲にされたまま

ある朝、カンボジアで食事をしているとき、ひとりの少年が私の前に立って靴を磨かさせてくれと手振りで言った。私はいらないと言って食事を続けていた。こんな少年に労働をさせたくないと思ったからだ。しかし、少年は立ち去ろうとしなかった。とても貧しい身なりの少年だった。

気がつくと、遠くに彼よりもさらに小さな少女がじっとこちらを見ていた。そのとき、ふとこの少年に「労働」させないとこの兄妹が飢えるのだと思って靴を磨いてもらい、金と一緒にテーブルのヨウティアオ(中国の揚げパン)を渡した。少年はそれを妹に渡して消えていった。

新興国では肉体労働にも子供が駆り出されている。バングラデシュを訪れたとき、ダッカ郊外に多くのレンガ工場があったが、そこで働いていたのは小さな子供たちだった。カンボジアではスタンメンチャイのゴミ集積所で大人にまじって子供がゴミ拾いをしている。タイではスクンビットでカンボジア出身の子供が物乞いを強制され、ベトナムではゴミのリサイクル工場で子供が働いている。

これは見える「児童労働」だ。

しかし、先進国の人間が100円ショップに行って安い品物を買ったときはどうだろう。その陰に、強制されて働かされている多くの子供たちの存在がある。そのことを思い浮かべる人はどこにもいない。これは見えない「児童労働」だ。

グローバル経済は、今も新興国・後進国と呼ばれている国で、平然と児童を労働に使っている。これは正しいことではない。しかし、私たちはそれを止めることはできないでいる。あなたは会社に行って

「グローバル経済は人類を幸せにしないから競争なんかやめましょう」

と言えるだろうか。社員から経営者まで誰もそんなことを言えない。競争をやめたら企業は存続できないからだ。現代文明は人類そのものを不幸にしながら暴走するしかない。

行き過ぎた資本主義、行き過ぎたグローバル経済、行き過ぎた消費文化は、いずれ行き詰まる日が来る。それまで貧しい子供たちは、犠牲にされたままだろうか。恐らくそうだろう。先進国では、誰も彼らに興味がないのだから。


2012-asyuracom-22 08:31:06 25b5592tut

以前テレビで、アフリカのどこかの国でカカオの収穫に子供を働かせているのを見たことがあります。朝から晩まで不当にこき使われて、ぶたれたり食事を抜かれたり奴隷のようでした。どの子もみんな痩せ細ってて胸が痛みました。

しかも、本人達はそのカカオがチョコレートの原料であることを知らないばかりかチョコレートを食べたこともないというのが衝撃的でした・・

以来、あまりチョコレートを買わなくなりました。ただこれはショックな事を思い出したくないという自己保身にすぎません。私のようなヘタレは現実に向き合うのがとても厳しいです。知りすぎると何も買えなくなってしまいそうです・・

安い人件費や子供達の犠牲のもとに今の入手価格があるのがわかっても、高くなるとやっぱり不満に感じてしまう・・私も含めこんな人間が多ければやはりこのような問題は解決することがないように思います。

2012-asyuracom-22 16:31:39 ssb5t21u79

子供を労働者に使うと暴動を起こしませんものね(知的障碍者を雇うってのもありましたね)。昨今、海外新興国の工場で賃上げ暴動やストが盛んです。その点、子供ならそういう発想や暴力・団結等はできない・・

搾取する側の大人は、資本主義は、「グローバル経済」とやらは本当に儲け主義で狡猾な発想を生み出します。鈴木さんが言われるように、このままエスカレートしていったら、どうなるのでしょう。

ここ何年かいろいろ購買していて気が付いたのですが、安いものであまり品質の良いものはありません。100円ショップで買ったスリッパはたった1週間で壊れました。じゃあ、と他のドラッグストアで298円のスリッパを買ってみたら、2週間ちょっとで崩れました。値段との正比例っぷりがおかしくて、自分でも納得しました。それらの安い商品は当然「Made in chaina」です。やっぱりスリッパは400〜500円の日本製のものを買わなくちゃなあ・・と思いました。

ところで、先日うちのパソコンが壊れました。グラフィックのBIOSファイルが壊れたようなので、グラフィックボードだけ買いなおすかと思いましたが、新品パソコンとたいして値段が変わらないので、新しいパソコンを買いました。買ったのは「ACER(台湾製)」です。

それまでのは「DELL」でした。たったの4年で壊れました。まあHDの内容がすべて破壊されていたわけではないので、HDは新PCに移行して主要ファイルを移してそのまま使っています。しかし実は私もダンナも日本の某電機メーカ社員です(お互い違う会社です)。当然、両社ともPCは販売しています。最初のころは、お互いの会社のPCを交代に買って穏便に済ませていました。が、その後、買い替える時に私が「うちの会社のは高いから論外!」と言うようになりました。まあ、いろいろ内情を知れば知るほど、わかるものです。

日本製は、人件費(部品は海外で作っているので安いのですが、販促や物流費用やユーザ対応等)や高い広告費等いろいろ付加され、性能が海外PCとそんなにかわらないのに高いのです。ダンナの会社の製品も価格・性能ともに50歩百歩だったので、そのうち私たちは自社のPCを買わなくなりました。だって、中身を分解して時々掃除したりして見ているし、役員や幹部のスピーチを聞く機会がありますから、いろいろわかります。でもそこでお給料をもらっている身としては、多少の罪悪感はあります。いや、多少どころかかなりです。会社の利益とそこからもらう給料、自分の家庭の経済・・これを比較して考えると頭が痛くなります。

かつて、ある役員のスピーチで私の頭に衝撃を感じたものがあります。

「法律を犯さなければ何をやってもいい、いや、ばれなければいい、とにかく儲けろ!」・・・・

この倫理観。私はこうはなれません。会場にいた管理職たちは、「オー!」とか言って応じていました。無常観を感じました。私の父も一部上場企業の役員までいきましたが、技術畑出身なのでこんな発想は決してなかったと思います。むしろ、40年以上前に「原発は危ない」とぽつりと言うような(現地を見てきてから)人でした。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120821T2341010900.html


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うーん、100年前と今と全然変わっていないのが一番問題ですね:


ビール一杯のため、黒人の手首を切り落として遊ぶロスチャイルドの部下達 

藤永茂 「闇の奥の奥」 三交社
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E9%97%87%E3%81%AE%E5%A5%A5%E3%80%8F%E3%81%AE%E5%A5%A5%E2%80%95%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89-%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%87%8D%E8%8D%B7-%E8%97%A4%E6%B0%B8-%E8%8C%82/dp/4879191671


かつてベルギー領であったアフリカのコンゴでは、ベルギー国王レオポルト2世の経営する無数の大規模ゴム農園で、黒人が凄まじい奴隷労働を強制された。

この奴隷農園を経営していた実働部隊が、ロスチャイルド一族とその盟友・銀行ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック[Société Générale de Belgique]である(拙稿「核兵器の密売人フランス」参照)。


本書p28には、ロスチャイルドによって手首を切り落とされた黒人の少年の写真が載っている。

黒人には1日に採集するゴムの量が1人1人割り当てられた。1日でもその割り当てノルマが達成できないと、ロスチャイルドはその黒人奴隷の手首をオノで切断し、制裁を加えた。相手が少年であっても容赦はされなかった。

本書に掲載されている写真が残されている事は、「写真という技術が登場し、しかもアフリカの奥地にまで持ち込める携帯用のカメラが開発・販売されるようになったつい近年まで、ロスチャイルドによる黒人奴隷の手首切断が実行されていた」事実を示す。

この有色人種を奴隷とし人間とも思わない一族が、今後、中国を支配し、原発と核兵器を大量生産する事になる。原発の事故が起こり、核戦争が起こり、アジア人=有色人種が死のうとロスチャイルドが「何とも思わない」事、むしろ不要な人種が死んで喜ぶ事を、この写真は事実として示している。

今後、国連の中心となり、国連という国際機関を「動かす」中心国となるベルギーとロスチャイルドによる、この黒人・有色人種虐殺の犠牲者は、数百万人に上る(p33)。

 国連が平和維持活動と称しPKO部隊を送り込み、有色人種の国々で虐殺を繰り返している事実は、このベルギーとロスチャイルドによるコンゴでの大虐殺に「同一起源・源流」を持つ。

本書p79にも、切り落とされた黒人奴隷の手首を持つ黒人の写真が掲載されている。
ロスチャイルドは、逆らった黒人、病気・ケガで働けなくなった黒人を射殺する事を農園の監督人に命じた。しかしライフル銃の弾丸を節約するために、殺害に使用した弾丸の数と同一の数の黒人の手首を持ち帰る事を監督人に要求した。殺害された黒人1名につき弾丸1個しか使用してはならない、という弾丸の節約命令が出されていた。
黒人の命より、弾丸1個の方が「もったいない」という事である。

一方、監督人は木の棒等で黒人を撲殺し、弾丸を未使用のまま残し、「黒人が逆らったので銃殺した」とウソの報告を行い、弾丸を銃器販売店に「横流しし」、その利益を「小遣い」として着服する事が常態化していた。

つまり逆らってもいない黒人を撲殺し、弾丸を横流し販売する事で「小遣い」が得られた。ロスチャイルドの監督人達は、ビール1杯を飲む小銭のために、逆らってもいない黒人を殴り殺し続けて来た事になる。

このベルギー国王(英国王室と同族のザクセン・コブルク・ゴータ一族)とロスチャイルドの行った大虐殺を知り、写真を撮り世界に知らせた勇敢なジャーナリストが三名居た。

最初の告発者ワシントン・ウィリアムズ[George Washington Williams, 1849-91]は、わずか32歳(引用注:正しくは41歳)の若さで何者かに毒殺されている。

盟友の毒殺にも屈せず政府とロスチャイルドの告発を行ったジャーナリスト、ロジャー・ケースメント[Roger David Casement, 1864-1916]は「国家反逆罪」で、ベルギー政府の手で逮捕され「絞首刑」となり処刑されている。

3人目のE・D・モレル[Edmund Dene Morel, 1873-1924]も逮捕され、ケースメントと同一の刑務所に収監され、出獄後、病死している。

こうした写真は、この勇敢なジャーナリスト達が自分の命と引き換えに撮影してきたものである。

本書p142には、南アフリカで絞首刑にされ、「さらし者」にされている3名の黒人奴隷の木に吊り下げられた死体の写真が掲載されている。

裁判等抜きで、白人が「気に入らない黒人を自由にリンチ処刑している」。 同時に、リンチにされた黒人の姿を「満足気に葉巻を吸いながら眺めている白人達の姿」も撮影されている。有色人種をリンチ殺害する事は、大好物の葉巻を吸いながらそれを眺める程、「最もリラックスできる楽しい時間」であった事を、この写真は示している。 これは、携帯用の小型カメラが世界中に販売されるようになった時代のリンチであり、「つい最近」の出来事である事を、写真撮影という事実そのものが示している。 そしてコンゴだけでなく、南アというロスチャイルドの支配下に入った国・地域では、どこでもリンチ殺人が行われていた事実を、こうした写真は示している。

コンゴは、ゴムだけでなく核兵器原料のウランの最大手の生産国であり、ロスチャイルドの核兵器原料企業ソルベイ社[Solvay]が、コンゴでのウラン採掘と世界への販売を担当してきた。

このソルベイ社とベルギー国王が「国連所在地のブリュッセル」で3年に1度開催する「ソルベイ会議[Solvay Conference]」は、世界中の核兵器メーカーと核物理学者が集まり、今後の核兵器販売計画を密談する、ソルベイ社から招待された者だけが参加可能な、マスコミにも情報を出さない「隠密会議」となっている。

かつて、第5回ソルベイ会議に出席したアインシュタインが、ソルベイ社に説得され、米国のルーズベルト大統領に書簡を送り、原爆開発の推進を「提言」した事実は有名である。著名であったアインシュタインの書簡であれば米国大統領も「核兵器開発を認め、説得されるであろう」と計算したソルベイ会議は、アインシュタインを「上手に誘導し説得した」のである。

このソルベイ会議が無ければ、日本の広島・長崎への原爆投下も原爆開発も無かった。 この会議を開催している者が、ロスチャイルドとベルギー王室、つまりコンゴの奴隷虐殺者達である。

日本人という有色人種を大量に虐殺した広島・長崎への原爆投下と、コンゴでの有色人種=黒人大虐殺が、同じ「論理」、同じ企業・人間達によって行われてきた事実が浮かび上がる。その論理とは「有色人種虐殺」である。

この企業・人間達が、今後アジアの盟主として中国の政権中枢を担当する。その金融面での動きがアジア統一通貨の形成であり、それは欧米・ロスチャイルドの新しい支配戦略である。

アジア通貨の誕生をドル支配からのアジアの独立である等という寝呆けた主張は、国際情勢への無知か、自分がロスチャイルドの「手先」である事を自白しているに過ぎない。
*・・・なお、ベルギーによるコンゴ支配を描いた小説「闇の奥」の作家ジョセフ・コンラッド[Joseph Conrad, 1857-1924]は、「ベルギーのような遅れた国がこうした虐殺を行うが、自分達、英国人であれば、こうした虐殺は行わない」と英国人を自画自賛している。

英国王室とベルギー王室が同一一族である事実を知識人コンラッドが知らないはずは無く、悪質なデマをコンラッドは流している。

こうした悪質なデマを流し、真実を隠す作家でなければ「大作家」「人種差別に最初に気付いた知識人」などと言う「名誉ある称号」は手に入らない。

またコンラッドの小説を映画化し「地獄の黙示録」を製作した映画監督・「巨匠」フランシス・コッポラ[Francis Ford Coppola]は、ベルギー政府とロスチャイルドの行った、この残虐な黒人奴隷の手首切断をベトナムに舞台を移し、「ベトナム共産軍の行った野蛮な行為」として描き出している。

ベトナム戦争でベトナム共産軍を敵として戦争を行った米国政府の「ご機嫌を伺うために」、ベルギー政府の行った虐殺を「ネジ曲げ」、米国政府の敵=共産軍が行った野蛮な行為として手首切断を、「巨匠」コッポラは描いている。

手首切断を行ったロスチャイルドの米国支部はロックフェラーであり、そのロックフェラーこそがベトナム戦争を行った米国政府中枢である事を、無知からか意図的にかコッポラは無視し、デマを世界中に「タレ流している」。

こうした悪質なデマを流し、真実を隠す作家でなければ「巨匠・映画監督」にはなれない。

真実を語るものが絞首刑になり、デマを「タレ流す」者だけが「大作家」、「巨匠」になる。現代世界と芸術界は、ニセ者だけが表通りを歩く事の出来る肥溜めと化している。
http://satehate.exblog.jp/15342781/  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/643.html#c19

[近代史4] アジア人の白人との戦い 中川隆
20. 中川隆[-13322] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:16:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1582]

子供の奴隷を使っているチョコレートブランド7社 世界の裏側ニュース
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/558.html


子供の奴隷を使っている有名チョコレート企業7社
7 Famous Brands That Use Child Slaves To Make Your Chocolate

2月9日【AnonHQ】
http://anonhq.com/7-famous-brands-that-use-child-slaves-to-make-your-chocolate/ より翻訳


Vandita著:


西アフリカのカカオ豆農園では、15歳に満たない子供たち(中には5歳の子供も)が朝6時から夕方まで働いています。そしてこれら農園は、あなたの大好きなキットカットやM&Mといったチョコレートの生産のためにネスレーやハーシー(Hershey)、マース(Mars)、クラフト、ADMココア、ゴディバ、そしてFowler’s Chocolateなどと取引を行っているのです。


2015年9月、カリフォルニア州でネスレー、ハーシー、マースに対する集団訴訟が起こされました。これは同社らが社会的・同義的に責任を取っていると間違った印象を与えている一方で、西アフリカのカカオ豆供給業者による人権侵害を黙認していたためです。


2005年に子供の奴隷であった三人のマリ人が現在、ネスレー、カーギル、ADMに対して別個の訴訟を起こしており、コートジボアール国内でのカカオ豆市場で子供の奴隷の使用を支援し、教唆していたと訴えられています。


2000年に公開された「Slavery: A Global Investigation(仮訳:奴隷制度・世界的な調査)」というドキュメンタリーでは、チョコレート産業と子供の奴隷によるカカオ豆の収穫という深い闇の関連性について明らかにしています。

Slavery A Global Investigation
https://www.youtube.com/watch?v=P-mgXSojRuo


コートジボアールの当局によって奴隷の立場から逃れることのできた19人の子供の保護者は、当時の子供たちは毎日、夜明けから日暮れまで働かされた上で毎晩、鍵のかけられた小屋の中に閉じ込められた後、排尿のためのブリキの缶を渡されて服をもぎとられ、縛り付けられて定期的に暴行を受けると言う日常を、チョコレート製造企業に伝えました。


そして、数千人もの子どもたちがマリやブルキナファソ、トーゴなどの国からわずかのお金のために両親から買い取られ、あるいは一部にはあからさまに奪い取られ、コートジボワールに船で運ばれて同国のカカオ豆農園で奴隷とされるまでの経緯も伝えました。


奴隷制度を支援することを避けるために、こちらに子供の奴隷制度を食い物にし、児童労働から利益を得ている7つの人気のあるチョコレートのブランドをリストアップしました。


ネスレー


ネ スレー社は経営上の行動規範の中で、サプライ・チェーンの中での児童労働の使用を禁止しているものの、公正労働協会(FLA)の調査員は、強制労働や、子 供たちがマシェーテ(なたに似た刃物)を使用したり重い荷物を運ぶなど、危険な労働条件の下で14時間労働している子供たちと、同社の関連性を示す証拠を 発見しています。


ガーディアン紙のインタビューに対するネスレーの広報官の説明は次の通りです。


「これまでのところ、自分の家族が経営する農園で労働し(約10%が調査の対象)、児童労働に該当する危険な仕事に関与している3,933人の子供を特定しました。


当社はその児童のうち半分を、当社の「児童労働に対する観察および改善システム」に含めました。このシステムは、学校に必要な物資の提供、出生証明書の取得、そして312人の確認された児童の家族に対して所得創出活動を発展させる役割を担っています。


残念なことに、この問題の規模や複雑さはあまりにもひどいため、コートジボアールをカカオ豆の入手元としている企業はどの社も、供給チェーンから児童労働のリスクを完全に取り除くことができると保証することはできません」


ネスレー社は2014年、チョコレートの売上として916億スイスフラン(約105兆円)を計上しています。


ハーシー


アメリカ国内最大のチョコレート製造企業であるハーシー社は、製品の主な原料をコートジボアールから購入しています。しかしコートジボアールは、強制労働や人身売買、児童労働や子供の奴隷などの面で最悪の環境であると悪名の高い国です。


2012 年、同社の西アフリカで栽培されたカカオ豆のうち、子供の奴隷によって生産された可能性のあるものはどれだけなのかハーシー社の重役が把握している知識に ついて、ルイジアナ州の年金基金が疑問を投げかけたことがありました。虐待的な慣行に対する認識について、ハーシー社企業広報部長のジェフ・ベックマン氏 はConfectionerynews.comに対して次のように説明しています。


「訴訟の申立の内容は新しいものではなく、カカオ豆産出国内での長期的な課題であり、NGOを含む株主やカカオ豆供給チェーンの企業、アメリカ政府が地道に何年にも渡って取り組んできた問題です」


2014年度のハーシー社は純利益として約8.5億ドル(約952億円)を計上しました。


マース(Mars)


マース社は2020年までには(児童労働が用いられていないと)認定を受けたカカオ豆だけを調達すると2009年の時点で誓約しました。


し かしExaminer紙がマース社に対し、なぜ同社のチョコレートに一切、児童奴隷が使用されてないことが認証されるまでに2020年まで必要なのかと質 問したところ、マース社は「カカオ豆農園で人身売買され、あるいは強制労働させられている子供の数はごくわずか」とし、「西アフリカの何百万ものカカオ豆 農園の全員に手を差し伸べるのは難しい仕事」で、子供の奴隷が関与していないチョコレートと保証するのは「複雑」な問題であるため、持続可能性を保証する ためには「10年が現実的な期限」であると考えていると応えています。


チョコレート産業全体での協定として、2005年までにチョコレート産業として子供の奴隷制度を自主規制し、終わらせることを目的としたハーキン=イーグル議定書(Harkin-Engel Protocol)が2001年に調停されましたが、その期限は2005年から2008年から延期され、その後再び2010年に延期されています。


そして2016年になった今も、子供の奴隷制度の終結を誓約しつつも、虐待的な慣行から数百万ドル単位の利益を弾き出しているチョコレート製造企業が存在しているのです。


さらに、2015年の報告書によると、カカオ豆産業で働いている児童の数は2009年から2014年を比較すると51%増加し、現在では合計で140万人になっているということです。


奴隷状態の労働条件で働く子供の数は、2009年から10%増加し、現在は合計で110万人になっています。

ADM、クラフト、ゴディバ、Fowler’s Chocolate


205年、コートジボワールのカカオ豆プランテーションで強制的に労働させられたマリ国籍の者3人が、ネスレーやADM、カーギル(カーギル社はADM社の国際的なチョコレート取引部門を企業価値約4.4億ドルとして買収)が、児童労働によって収穫されたカカオ豆を購入し、奴隷制度、児童労働、虐待を「支援・ほう助」したとして、カリフォルニア州の連邦裁判所で集団訴訟を起こしました。


カカオリカー、ココアパウダー、ココアバターの製造加工業者であるADM社に対する10年越しの訴訟が継続する中、同社はココア関連ビジネスをシンガポールに拠点を置く農業総合商社オーラム・インターナショナル社に13億ドルで売却しました。


2012年、キャドバリー(Cadbury)やクラフトフーズ(Kraft Foods)を買収したモンデリーズ・インターナショナル社は4億ドル(約44.8億円)を投資し、カカオ豆生産農家の生活基準を改善し、持続可能なカカオ豆経済を創設すると誓約しています。しかし、サプライチェーンから強制労働を取り除こうとする同社の企業努力は何年も苦戦し、これまでのところ効果が出ていません。


ゴディバを含め、世界で用いられているカカオ豆の60%以上は西アフリカから供給されています。他の大規模なチョコレート製造企業とは異なり、ゴディバ社は原料が児童労働によって収穫されていないことを確実にするために同社のカカオ豆のサプライチェーンを追跡調査したり、あるいは地元と協力し合うという宣誓をしていません。


ゴディバ社は2020年までにはカカオ豆の供給の100%を持続可能な供給元から行うと約束はしたものの、公正な給料や安全な労働環境を保証し、児童労働をなくすためのゴディバ社の具体的措置については明らかににはされていません。


Fowler’s Chocolate社は児童労働を糾弾する一方で、コートジボアール産のカカオ豆を使用し続け、同社のチョコレートに児童労働が用いられてないことを保証することは不可能になっています。


2010年、BBCがイギリス国内で販売されているチョコレートの大部分に供給しているサプライチェーンについて行った調査
http://news.bbc.co.uk/panorama/hi/front_page/newsid_8583000/8583499.stm


では、人身売買や子供の奴隷が使われている証拠を見つけただけでなく、予防対策は取られているフェアトレードとして販売されているチョコレートでも、サプライチェーンで児童労働がまったく使われていないと保証することはできないということも明らかにされています。
 


(翻訳終了)


*****


【コメント】


バ レンタインですが、あまり甘くないチョコの裏側の話です。児童労働の情報については日本語でもありますが、社名を特定されていた記事があったので翻訳しま した。とはいえもちろん、ここに名前の挙がっていない企業でも同罪なところはたくさんあるので、この辺だけを避ければよいというものでもなく、さらに言え ばこのような問題のある製品はチョコレートに限定されるものでもありません。


【関連記事】


★「安い中国産製品」の裏側に潜む現代の奴隷制度
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11961955129.html

イギリスでは、大人もチョコレートが大好きな人が多く、何か行事がある度にとりあえずチョコレートでも・・・とばかりに販売合戦がすごいです。


Internet.com.の日本語サイト
http://internetcom.jp/wmnews/20120209/2.html


の情報によれば、イギリスのチョコレートの消費量は世界第三位だとか。カカオは摂り方によっては健康によい側面もありますが、チョコを買う=児童労働・奴隷を認めてそこにお金を流し、支援していることになるので控え目にしたいなとは思っています。


ネスレー社といえば、このチョコレートの問題だけでなく、このブログで取り上げてきた記事の中でも何度も登場している「常連」さんです。


ガザ地区で非人道的な侵略を行っているイスラエル政府を支援していたり、


★ボイコット・イスラエル
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11807316661.html

製品にGMOを使用していたり、


★GMOが含まれる外国(アメリカ)製品一覧
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11555568003.html

もちろん、ビルダーバーグ・グループの一部でもあります。


★99%vs1% ビルダーバーグに関連している企業一覧やデモ状況など
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11869072484.html


しかも他の多国籍企業と同様、他の企業やブランドを買収してもいますので、その周辺にも気をつけたいところです。こういう系図を見ていくと、私たちにはいろいろと選択の自由が与えられているようで、実はどの会社を選んでも親会社が同じだったということもよくありますね。


Disclose TVには、世界の水資源を利益のために販売し、子供の奴隷を用い、GMOを支援しているビルダーバーグのネスレーに宣戦布告を行っているアノニマスの動画もアップされています

(Disclose TV リンク)。
http://www.disclose.tv/action/viewvideo/175954/Anonymous__Bilderberg_Nestl_Want_to_Control_World_Water_Supply_Use_Child_Slaves_and_support_GMOs/


イ ギリスではキャドバリー(Cadbury)社もかなり大手で人気ですが、甘すぎる割にチョコの味もしないので私はあまり好きではありません。それ以前に、 ミルクチョコレートの原料になる牛の扱いが非人道的で、それを明らかにした動画を見てからはとてもプレゼント用でも買う気がしません。でも娘の学校で遠足 として、キャドバリーのチョコレート工場見学に行ったりしているんですよね〜


M &Mのチョコレートも人気ですが、フランスにあるM&Mを製造している工場の近くにある蜂の巣の蜂蜜がすごい色になった写真などを見ると・・・M&Mは果たして、人間の食べるものかなと考えてしまいます。


こちらがM&M工場の廃棄物に触れたミツバチの作るはちみつです。見た目にはきれいですが、食べ物にこだわりの強いフランス人農家は激怒していました。


日本のチョコレートを製造・販売している企業はこの問題に対して、どのような取り組みを行っているのでしょう?

子供の奴隷を使っているチョコレートブランド7社 世界の裏側ニュース
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12127771409.html




2. 中川隆[7495] koaQ7Jey 2017年4月03日 16:43:32: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7979]

▲△▽▼

何も考えないで生きていると、必ず誰かに「モノ化」される


人間は考えることを止めても生きることができる。どうするのか。支配してもらうのである。国に支配してもらい、会社に支配してもらい、親に支配してもらい、言われた通りにする。

そうすれば、自分で何か考えたり、決断したり、行動したりしなくてもいい。

独裁国家は考える人間を排除し、考えない人間だけを作り出し、そしてその「無脳集団」を自分の思う通りに動かして独裁を完成させる。

(独裁者が誕生するのは、独裁して欲しいと思う人がいるから)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20170403T0400140900.html


自分で考えないで生きるというのは、誰かの駒になるということである。人間社会は昔から、考える人間が考えない人間を支配することで成り立ってきたのだ。

それは、今も社会の中で公然と行われており、これからも続いていく。考えない人間は誰かに都合良く動かされ、要らなくなったらゴミのように捨てられる。

独裁者は国民を使い捨てにするし、ブラック企業は社員を使い捨てにする。考えない人間は奴隷のようにこき使われて、ゴミのように捨てられる。何も考えないと、必ず誰かに「モノ化」される運命が待っている。

人間のモノ化とは、抽象的な概念ではない。文字通りの意味である。人間が人間扱いされない。生きた人間そのものが「商品」や「物体」として認識され、効率的に使い捨てされるようになっていく。誰がそうなるのか。考えない人間だ。


考えないで生きていると、必ずモノ化される運命

4月になったら、多くの新卒の学生が新入社員としてどこかの会社に入る。何か目的を持って会社に入ったというよりも、まわりに合わせて自分もそうした人も多いはずだ。

何も考えないでまわりと同じようにやっていると、必ずモノ化されることになる。企業が労働者をモノ化するというのは昔から行われていることであり、すでに労働者をモノ化する手法は確立されているからだ。

労働の世界で、企業が人間をモノ化するのは今に始まったことではない。

映画『モダン・タイムス』では、チャーリー・チャップリンが強烈な風刺でそれを世に知らしめて、この映画はチャップリンの代表作になった。

日本でも「女工哀史」に見られるように、女性が機械の部品のように扱われて労働者の「人権」はどうなっているのかと世の中が嘆いた。

(日本女性が忘れた女工哀史は、途上国ではリアルタイムだ)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20141119T0212040900.html


そういった極度な労働強要はやがて姿を消すようになったが、しかし1980年からグローバル化が加速していくと、それが見えない形で復活するようになった。

まず、強制労働は途上国の、誰も見ていないところで急速に広がることになった。

中国・インド・バングラデシュでは、子供たちが薄暗く、暑く、埃の舞う衛生観念のないような場所で14時間もぶっ通しで働かせられるようになった。

(児童労働。アジアで知り合った子供たちの顔を何人も思い出す)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20130707T2126240900.html


それが常態化すると、今度は先進国で労働者の賃金格差が起きて、アメリカでは高学歴の人間がファーストフードのデリバリー、若年層はインターンという名の無償労働が起きるようになった。

そして、日本では大量に若者を採用して、つぶれるまで働かせて使い捨てするブラック企業が大量発生するようになった。

人間性を奪い取って、機械の部品のように働かせるのは、紛れもなく、人間の「モノ化」という視点がそこにあるからだ。


ポルノの世界でも、日に日に女性がモノ化していく

こういった表社会で起きている「モノ化」の視点は、もちろん裏社会にも波及している。

たとえばインターネットの普及によって凄まじく粗製濫造されているポルノは、もはや女性との出会いや愛からセックスに至るというような「まどろっこしい」描写は消えた。

欧米でも日本でも、ポルノが蔓延すればするほど、もっと剥き出しに、もっと過激に、もっと激しく女性が陵辱される行為を望んだ。

それが突き進んだ結果、普通の快楽ではもう飽き足らなくなり、過激表現はどんどん突き進んで、ポルノは暴力になる。性行為を通して、暴力的なまでに女性を痛めつけるような過激描写になって、それが喜ばれている。

そこでは女性の意思はないし、あったとしても尊重されない。これは何を意味しているのか。もちろん、女性の「モノ化」である。

その大きな流れの中で見ると、女性がどんどん「モノ化」されていることが見えてくる。本当に女性を「モノ化」するには、究極的には女性を「殺す」ことにつながる。

女性が死ねば、女性の肉体は一個の物体になる。完全なるモノ化の完成だ。

今はまだ信じられないかもしれないが、いずれは女性を殺して死姦するポルノが作られることになる。なぜなら社会が「人間のモノ化」「女性のモノ化」を望んでいるからだ。

そういった目で見れば、最近になって大量に起きるようになった女性の人身売買や拉致監禁事件の本質がどこにあるのかが分かってくるはずだ。

それらは「女性のモノ化」にあったのである。

誰かをモノ化すれば、自分の私利私欲が遂げられるというのを考える人間は悟っており、だから考えない人間を作り出し、そんな人間たちを自分の思う通りに動かそうとするのである。


考えることができるようになればモノではなくなる

私たちは、消費社会にどっぷりと浸って生きている。生まれてから死ぬまで、モノを大量消費することで生きてきた。大量消費するということは、大量に「使い捨て」するということでもある。

「モノを買って、利益を得て、棄てる」という行為が延々と繰り返されて、それが現代人の「物の見方」になっていった。だから「モノを買って、利益を得て、棄てる」という行為に、現代人は疑問を抱かない。

そうであれば、社会全体が人間をそのように扱おうと考えるようになるのは決して意外なことではないはずだ。現代社会がモノを使い捨てにすることを奨励しているのであれば、モノの扱いは人間の扱いにも反映されていくのである。

現に労働の現場では「労働させて利益を得て壊れたらクビにする」が徹底されている。労働のために人間がモノ化した。ポルノの現場では「性行為をさせて利益を得て女性を使い捨てにする」が徹底されている。快楽のために女性もモノ化された。

人間をモノ化できたら、自分の利益・快楽・楽しみのために、他人を消費して、要らなくなったら使い捨てできるわけだから、支配者がそれを求めても不思議ではない。

だから、何も考えずに他人に自分の人生を委ねるというのは、とても危険なことなのだ。

何も考えずに学校で教師の言うことを鵜呑みにし、みんなが行っているからとわざわざ莫大な借金を背負って大学に入り、みんなが会社に入るからと自分も会社に入るような生き方をしている人は多い。

みんなと同じように生きていたら何も考えなくてもいいので楽だ。政府も企業も親もあなたがモノ化していれば扱いが楽なのでモノ化するように働きかける。

だから誰もがモノ化して「考えない道」を選ぶ。

ずっとそんな生き方をしていたら、いずれ「自分で何も考えられない、決断できない、行動できない」人間と化す。何も考えられないから誰かに命令されるだけの人生になる。

そして、自分の人生が自分のものでなくなり、誰かにモノ化されて、良いように使われて捨てられる。

まずは自分が今、モノ化されていないかどうかを考えなければならない。そして、モノ化されていることに気付いたら、自分に問いかけなければならない。

「それでいいのだろうか?」

何も考えないで生きていると、必ず誰かにモノ化されることになる。逆に言えば、考える力を取り戻すとモノ化から脱却できる。考えることができるようになれば、モノではなくなる。

労働の世界で、企業が人間をモノ化するのは今に始まったことではない。

映画『モダン・タイムス』では、チャーリー・チャップリンが強烈な風刺でそれを世に知らしめて、この映画はチャップリンの代表作になった。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170403T1453160900.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/643.html#c20

[近代史4] アジア人の白人との戦い 中川隆
21. 中川隆[-13321] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:17:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1583]
「公平な貿易」は誰を幸せにするか?日本が知らないフェアトレードの今と未来=田中優 2018年1月30日
http://www.mag2.com/p/money/368677

「フェアトレード」を知っているだろうか? 途上国の生産物を「適正な価格」で買おうという運動だが、南北格差の根本解決にはほど遠い状態になっている。


子供の奴隷労働が支える豊かな生活。世界に「観客席」などないのに

「フェアトレード」とは何か

先日友人に話したら、「フェアトレードって何?」と聞かれてしまった。「公正な貿易」と答えたとしても、理解はされないだろう。現象としては「貧しい国とされる南の国の生産者に公正なレベルの報酬を支払い、適正な価格で商品取引を継続すること」となるだろうか。とりわけ近年は理解されにくくなった。おそらく人々の意識が内向きになり、海外に対する意識が乏しくなっているせいもあるだろうが、もっと大きい点は貧しくて生きるのがやっとという人々が世界の中で見えにくくなったことが影響しているだろう。

それは海外ばかりでなく、同じ国に住んでいても見えにくい。子どもの5人に1人が貧困状態にあるなどと言われても、具体的には見えないのだ。だからまず、貧しさによる生活困窮の状態を知ってもらった方がいい。2001年にはこんな事件があった。

2001年に発覚した悲惨な事件


・さまよえる奴隷船と児童労働

2001年4月17日未明のこと、西アフリカのベニンの港町「コトヌー」に一隻の船が帰港した。船はナイジェリア船籍の「MVエティレノ号」だ。全長60mほどの小さな船舶だが、その船の中には23人の子どもがおり、みな病気で食糧や水も不十分な状態だった。

この船が3月30日に同港を出港したとき、多数の子どもたちが積み込まれたというのだ。その数は130人とも180人とも伝えられた。「ユニセフ(国際児童基金)」など諸団体は警告を発した。「その子どもたちは近隣諸国の農場や家庭に人身売買される『奴隷』である」と。

このため船は近隣諸国で入港を拒否されてさまよっていたという。帰港を待ち構えていたベニン政府、警察、ユニセフなどの関係者はくまなく船内を捜索したが、船内で確認できた子どもは23人だけであった

その後調査がおこなわれ、実際に人身売買が確認されたのは13人とされた。親には子ども1人につき14ドル相当のお金(当時のレートで1400円)が支払われていたという。しかし100人以上の子どもの消息は不明のままだ。

子どもたちはどこに消えたのか。

出典:カカオとチョコのほろ苦ものがたり(4) – mamataroの未来のつくりかた(2009年5月17日配信)

しかしこの事件は氷山の一角だ。ユニセフによれば、この地域で人身売買される子どもの数は少なく見積もっても年間20万人。ブルキナファソやマリなどより貧しい国々の子どもたちが30ドルほどで売買されてくるという。受け入れ先は「ガボンや赤道ギニア、コートジボワール、ガーナ」で、待っているのは「家内労働」、「農場や漁場の労働」、「児童買春」などの強制労働だった。

船に乗せられた子どもたちは10才から14才で、強制労働や債務労働、少年兵士、児童買春などは「最悪の形態の児童労働」に就かされるという。調べると、それは奴隷労働に等しい酷使の実態であった。

なかでも注目されたのが「コートジボワールのカカオ農園」だった。「コートジボワール」は世界最大のカカオ産出国で、世界中で食べられているチョコレートやココアの40%がここで作られている。そのカカオ生産が過酷な児童労働に支えられていたのだ。

新しい21世紀だと世界が祝賀を挙げていた頃、世界の一方の片隅では、こんな事件が発生していたのだ。


たわわに実ったバナナ畑の脇で、飢えて死ぬ子どもたち

ぼく自身も海外で実際の状態を見ている。フィリピンの片隅では、山頂に近い荒れたはげ山の土地に先住民が追いやられ、そこからバナナのプランテーションに働きに出ていた。バナナの房は1つ20キロ程度あるが、それは人間が肩に担いでいかなければならない。日本に輸出されるバナナは、傷があると売れないので機械で運び出すことができないのだと聞いた。

そのバナナは、現地の人々の口には入らない。輸出専用だからだ。それを洗浄して防腐して箱詰めしてトラックで運び、船の船倉に運び込むまでが彼らの仕事だった。それでも1日の賃金は100円ほどにしかならない。そのため飢餓の状態で亡くなる子どももいるのだと。

想像してみてほしい。たわわに実ったバナナ畑の脇で飢えて死ぬのだ。書かれてはいないが、そのバナナは「日本人食用専用」だ。自らは飢餓の状態でいながら、輸出しなければならない。文字通りの「飢餓輸出」が起こっていた。

奴隷労働で学校に通えない子どもたち

マレーシアでは油やしのプランテーションを見に行った。子どももプランテーションの中で働いている。親の傍で働くので楽しそうにしているのだが、その子は学校に行っていない。学校に行こうにもそれだけのおカネが稼げない。ましてや油やしのプランテーションは、切り落としてから1日以内に精製しなければ良い油が取れないので、工場の周囲に市町村1つ分のプランテーションがなければ操業できない。市町村1つ分の面積の外に学校があっても、通うことができないのだ。

そして数字も文字も習わないまま結婚に至る。その相手もまたプランテーションの中に住む労働者の子だ。なんと一生に渡って遠くない距離にある街に出たことがない人々が住んでいた。これは奴隷ではないのか。

このようにして私たちの「豊かな」暮らしが成り立っている。そんな血塗られたチョコレートやバナナ、揚げ油にやし油を使ったスナック菓子など食べたくないと思うのは当然ではないだろうか。

「適正な価格で買ったものを食べたい」という運動

そこで人々を奴隷労働させたのではない、適正な価格で買ったものを食べたいと思ったところから「フェアトレード」は始まった。

西欧のクリスチャンに始まったフェアトレードの運動は、多分に慈善運動の要素を含んでいた。だからよく教会で販売するものは、バザーのように買うことが慈善につながると思って買われていた。だから当初は生産現場の公害問題や使っている薬品、デザインや環境的なダメージまでは考えられていなかった。

そのせいで徐々にフェアトレードの品は売れなくなっていった。いくら慈善のためと言っても、その文化圏では着られないような服を購入することはできなかったからだ。

現在もバングラデシュのジュートを使った「ジュートワークス」の籠や服などを販売している「グローバルビレッジ」が、日本にありながらそれに対応できる答えを出した。「グローバルビレッジ」の代表のサフィア・ミニーは、普通のおしゃれなお店で売られているような衣服を販売したかった。そのためにはデザインが良く、素材や染料まで天然のものに代えて、十分センスに対応できるものにしたのだ。これがいち早く日本で広がり、その手法は海外にも広がっていった。

ここからフェアトレードは「2.0」の段階に入る。海外生産者の内部にまで踏み込んで、女性や子どもの労働環境改善といった外部不経済の解決、持続可能社会の実現に向けた環境的配慮にまで活動の裾野が広がってきたのだ。慈善活動からここまで広がることによって、フェアトレードは、「買い物を通してできる身近な国際協力の形」となってきたのだ。

埋まらない南北格差

ここで「一次産品のフェアトレード」の話に戻そう。

世界での南北問題が1960年代に焦点となり、地球の北半球に位置する豊かな先進国と、南半球に分布する貧しい工業発展途上国との対立が先鋭化した。

1961年の国連「開発の10年」を契機として、南北格差を解決すべくUNCTUD(国連貿易開発会議)が国連に常設機関として決議された。ところが、発展途上国間の関税削減と非関税貿易障壁の排除・削除をはかる特恵関税は1988年になってから、一次産品の輸出に大きく依存する発展途上国に援助を提供する政府間金融機関の一次産品共通基金(CFC)は1989年と、実現までに「開発の10年」から25年以上も経っていた。1990年代からは債務削減に関するさまざまな合意へと進んだが、実に緩慢な動きだった。

その間に1973年からは第一次・第二次のオイルショックに見舞われ、南の国々は激甚な被害を受けることとなった。下図はオイルショック当時の原油、食料品、その他の一次産品の価格を指数で示したものだ。

http://www.mag2.com/p/money/368677/3

これを見ると、原油価格が急激に見上がりしたにもかかわらず、石油を使って生産している食料品も一次産品も価格が追いついていない。生産しても原油価格の値上がりに追いついていないのだから、より利益が少なくなるか赤字輸出に陥っていったのだ。これがそもそも「国連貿易開発会議」が必要になるほど困窮していた開発途上国に襲い掛かったのだ。

このオイルショックによって世界全体が不況に陥る中、世界銀行は不況によってだぼついた資金を、開発途上国に振り向けた。先進国は生産のためのプラントなどを途上国に輸出することで不況から脱していった。

特にこれら生産プラントを輸入して工業化をめざした国を「ハイ・アブゾーブドカントリー」と呼ぶが、そうした政策を取り入れた国であればあるほど赤字化した。それらの輸入したプラントは、旧式の品だったのだ。ここから世界中を貧富の格差で分割するような債務問題が発生したのだ。

先進国の付け値で販売を続けるしかない途上国

そして債務問題が深刻化すると、債務を返済させるための仕組みが始まった。国際通貨基金(IMF)が「構造調整プログラム」を債務国に課し、それに従わないと追加融資しないだけでなく、実質的に国際貿易から締め出した。

従わないという選択肢はない。そこで押しつけられる政策は、「社会構造を調整して債務を返済できるようにする」ものであり、具体的には途上国の通貨価値を引き下げること、「福祉・教育・医療」に使うようなおカネがあるなら返済させること、国内で消費するような産物は生産せず、海外への輸出に振り向けて返済に充てることを求めた。同時に途上国にある採算性の良い企業を、先進国企業に身売りさせた。

これは上の「国連貿易開発会議(UNCTUD)」の方針と真逆であることに気づいてほしい。しかも国連よりはるかに強力な国際金融機関によって推進されたのだ。この構造調整プログラムに世界銀行もまたすぐに参加した。しかし世界銀行こそ古いプラントを売り込んで借金地獄に陥れた張本人なのに。

その結果は悲惨なものだった。次の図をみてほしい。

http://www.mag2.com/p/money/368677/3

上で述べたように「一次産品の輸出に大きく依存する発展途上国」なのだ。しかし否応なしの債務返済の圧力によって、「価格が上がって戻るまで待つ」のではなく、「より多量に輸出する」ことを選んだことによって、一次産品の価格は下がり続けたのだ。

実質的に「国連貿易開発会議」の方針と「構造調整プログラム」の方針は真っ向から逆になっている。しかし国連は「一国一票」だからある程度民主主義が進められるが、IMFも世界銀行も出資国の出資額に応じて票になる。なんと先進国G7だけで投票数の過半数を超えるのだ。実質先進国が過半数を得て進めている。

このような仕組みと社会で一次産品共通基金(CFC)を作ったところで、どうなるかは火を見るより明らかだった。

途上国で生産されるコーヒー、紅茶、バナナなどの食料・飲料類、非食用原料、油脂、鉱物性燃料、金属、鉱産物などの一次産品に対しては、途上国経済が大きく依存する品である。そのため価格安定・輸出所得の改善を目的として「国際商品協定」が締結されたのだが、すでに一方には「構造調整プログラム」が進んでいた。やがて「国際商品協定」は実質的に意味を失い、人々の認識の中ですら忘れ去られていった。

実質的に失敗したまま、現在に至っている。途上国の側には価格形成権などなく、ただ先進国側の付け値で販売するしかなくなったのだから。


さらに進む先進国有利

このように実質的に途上国には全く闘う術がないという状況の中、世界はさらに先進国に有利な「経済のグローバリゼーション」の時代に入っていったのだ。その後の世界の価格市況を見てみよう。

http://www.mag2.com/p/money/368677/4

いまだに一次産品の価格指数は下がり続けている。その間にブリックス諸国の台頭、とりわけ中国の資源輸入の急増があったというのに、下がり続けている。

こうして世界の中には貴族のようにマネーゲームで暮らすような先進国と、奴隷のように働きながら食べることも困難な途上国とに分離したのだ。

フェアトレードに期待するのは難しいが…

この経過をきちんと知るなら、フェアトレードに過大な期待などできないことがわかるだろう。国連自ら機関を作って進めたのに敗北したのだ。それを強大な力で叩き潰したのが、多国籍企業とその手先と化している国際通貨基金(IMF)と世界銀行なのだ。

ところが今では「フェアトレードは偽善だ」とか、「効果がほとんどない」とか「相手の団体の組織運営が民主的でない」とか、非難するのが流行っている。もともとそんなに大きな効果はないのだ。国連すら敗北する強大な力に対して何ができるというのか。

しかしだからといって、貧しい国の人々の努力を踏みにじるような行為に加担したくないというのが「フェアトレード」なのだ。そしてさらに言えば、それをさらに進化させたい。「グローバルビレッジ」のサフィアさんは以前に言っていた。国内の農産物も販売したいと。そこに格差があるなら、なくなるようにしたいのだ。

大きな企業の「フェアトレード」への参入もある。否定したい気持ちもわかるが、それでも「悪人」にはしたくない。それほどの効果がなかったとしても、企業の企画に取り入れるのは大変なことだからだ。

フェアトレードを活かす方法とは

その中でぼく自身はさらに夢を見る。インターネットの発達と決済方法の多様化、国際的な物流の発達は、やがて世界中を覆うだろう。その時、個人から発信する商品が販売されていく時代が来るのではないか。

ぼくの友人は「現代農業」という出版社から、『小さな農家で稼ぐコツ(西田栄喜著)』という本を出版し、2年経つというのに未だに売れている。本に書かれている農場では、たった30アールの農地(普通の農地の10分の1しかない)で、年間1200万円の売り上げを出しているのだ。


しかし、インターネットを活用するにしても、画一的な価格だけが競争力になるものの販売には向いていない。私は「一品物」を販売するのに適したツールではないかと思っている。「貿易」がインターネットの発達などによって次世代の販売方法に移っていくなら、新たな「フェアトレード」が可能になるかもしれない。

ただ「フェアトレード」をそしるより、参加する人の気持ちを実現できる仕組みを編み出した方がいい。この世界の中には「観客席」はないのだ。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/643.html#c21

[近代史3] 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった 中川隆
6. 中川隆[-13320] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:49:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1584]

戦前の日本は台湾・朝鮮の近代化に国家予算のかなりをつぎ込んでいた

当時の朝鮮は欧米資本に経済支配されて搾取されていたんだけど、欧米の悪事まで日本の責任にされたのです。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。


詳細は


じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91


▲△▽▼


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html

▲△▽▼


96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 


当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


▲△▽▼


儒教が朝鮮人をダメにした。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。

____


儒教の最大の欠点は「士太夫」は(肉体的に)働かない。むしろ働いてはいけないという価値観を造ってしまったところにある。

だから儒教の優等生である中国・朝鮮人は「働かなくても喰っていける」のが理想だと考えている。

かつては、ことさらに爪を伸ばして「食事(という労働)すら自分ではしない(出来ない)」という境遇を自慢したりもした。

今でもその傾向はある。
だから成功した老後は働かないのが当たり前で、はやく働かなくても良くなるように(今は我慢して)働いているだけなのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/859.html#c5  


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/639.html#c6

[近代史4] 韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった 中川隆
1. 中川隆[-13319] koaQ7Jey 2020年3月25日 16:51:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1585]

戦前の日本は台湾・朝鮮の近代化に国家予算のかなりをつぎ込んでいた

当時の朝鮮は欧米資本に経済支配されて搾取されていたんだけど、欧米の悪事まで日本の責任にされたのです。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。


詳細は


じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91


▲△▽▼


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html


▲△▽▼


96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 


当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


▲△▽▼


儒教が朝鮮人をダメにした。

朝鮮人は儒教信者で事大主義だから

欧米人や中国人がどんな酷い事をやっても何一つ非難しない。

どんな事でもすべて目下の日本人の責任にする。

____


儒教の最大の欠点は「士太夫」は(肉体的に)働かない。むしろ働いてはいけないという価値観を造ってしまったところにある。

だから儒教の優等生である中国・朝鮮人は「働かなくても喰っていける」のが理想だと考えている。

かつては、ことさらに爪を伸ばして「食事(という労働)すら自分ではしない(出来ない)」という境遇を自慢したりもした。

今でもその傾向はある。
だから成功した老後は働かないのが当たり前で、はやく働かなくても良くなるように(今は我慢して)働いているだけなのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/859.html#c5  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/646.html#c1

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
16. 中川隆[-13318] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:15:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1586]
1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c16

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
2. 中川隆[-13317] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:17:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1587]

1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。
 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c2

[近代史3] 内田樹 嫌韓の構造 中川隆
4. 中川隆[-13316] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:26:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1588]


「朝鮮新報」のインタビュー - 内田樹の研究室 2020-03-25
http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html


「朝鮮新報」の3月1618日合併号に日韓問題についてのインタビューが掲載された。

 総連系のメディアに取材されたのはこれがはじめてのような気がする。
 紙面では字数が足りなかったので、これはロングヴァージョン。

「厄介な隣人にサヨウナラ」「韓国人という病理」――昨年、雑誌「週刊ポスト」は、記事の中でそのような言葉を並べヘイトスピーチを行った。同胞に対する異常な差別が日本社会にまん延する中、『週刊ポスト』版元の小学館に対し執筆拒否を宣言した思想家の内田樹さんが今、日本社会に対して思うことは。

―在日朝鮮人を取り巻く日本社会の状況に感じることはありますか?

 以前に比べ在日コリアンへの非寛容、差別が公然化してきたという印象があります。第一の原因は安倍政権にあると思います。安倍政権になってからの7年間で「嫌コリア」の機運が政治的に醸成されてきました。

 日本社会の在日コリアンへの差別的感情は戦前から一貫して存在しますが、それが公然化するかどうかはある種の「空気感」で決まります。「差別的なことは口に出してはいけない」という抑制の空気があれば、心で思っていても口にはしない。その抑制が安倍政権下で弱まった。「嫌コリア」言説が目に付くようになってきたのはそのせいです。

 極論やデマゴギーを語る人はいつの時代にもいますが、今の政権下では、そのような「マイナーな極論」を語る人たちがNHKの経営委員になったり、総理と一緒に食事をしたり、あたかも「権威のある人間」のようにメディアに頻繁に登場するようになりました。本来ならば市民的常識によって抑制されるべき非常識な発言が、政権への恐怖や忖度によってまかり通ってしまっている。それが日本社会全体の倫理の劣化をもたらした。

 ただ、これはあくまで潜在的な差別意識が可視化されたというだけのことで、在日コリアンに対する差別感情は見えないかたちで日本社会の中につねに潜在していた。だから、安倍政権が終わったら今ほどは目立たなくはなるでしょうけれど、それでなくなるわけではないと思います。

―様々な問題の中、安倍政権が長期にわたり続いている理由は何でしょうか?


政権のコアな支持層には「権力者は不正を働いても構わない」という道徳的なニヒリズムに侵されている人がいます。彼らは政権が資料を改竄・隠蔽しても、総理大臣が嘘をついても、支持者を税金で供応しても、「それのどこが悪いんだ」と口を尖らせます。不正をしても処罰されない、法の支配に服さないで済むのが権力者の特権ではないか、そういう特権的な立場になるためにこれまで努力してきて、その地位を得たのだから、それに文句を言うのは筋違いだと考えているのです。

 僕の友人がネット上で麻生太郎の批判をしたら「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」というリプライが書き込まれました。僕が国政批判をしても「それなら自分が国会議員になれ」というような絡み方をする人がいます。それができないのなら黙っていろと言う。社会的に「成功」している人に対する批判はそれと同じだけ「成功」した人だけに行う資格がある。それが「リアリズム」だと思っている。でも、それは「現状に不満なら、まず現状を受け入れろ」と言っているに等しい。要するに絶対的な現状肯定ということです。

 彼らが安倍総理を支持するのは、「彼が総理大臣だから」です。単なるトートロジーなのですが、それに気がついていない。

―なぜそのような考え方が生まれるのでしょうか?

 気分がいいからじゃないですか。「市民社会をもっと成熟したものにしよう」とか「雇用関係を改善しよう」という願いを実現するには多大な時間と労力が必要です。でも、目の前でそれを語っている人間に「きれいごとを言うな」と罵倒を浴びせ、切って捨てるような批判をすれば、刹那的な快感、全能感が得られる。おのれの社会的上昇に希望が持てない人たちにとって、その一瞬の爽快感が心地よいのなのでしょう。だから、ネット上では、自分よりも知識を持っている人たちや専門家の発言を定型句一つで全否定できると思っている人たちが溢れ返っている。

 大声でセクシズム、レイシズムを叫ぶ人たちも求めているものは同じだと思います。「女なんて」「朝鮮人なんて」というような「言ってはいけないこと」を平気で言える自分は「スゴイ」と思っている。「反道徳的で反社会的であることができる自分」にささやかな権力の手応えを覚えている。

 本来ならば、そのような差別的な言葉は市民たちの規範力によって抑制され、収まってゆくものです。法律で罰するという以前に、「そんな非常識なことを口にするな」という規制が働く。そのためには、市民の一定数が「まっとうな大人」であることが必要です。しかし、今の日本社会には、そのような非常識な言動に対して「いいかげんにしろ!」と一喝できるような大人が少なくなってしまった。

―そのような中で在日朝鮮人も息苦しさを感じているようです。

 日本では、職業や年収な能力で「身の程」が決定され、「その枠から出るな」という禁圧が働いています。「自分が権力者になってから権力を批判しろ」というのは要するに「自分の身のほどを知れ、分際をわきまえろ、身の丈に合わないことをするな」ということです。

 少し前にアメリカの雑誌が日本の大学生にインタビューを行った記事がありましたが、学生たちは今の日本の大学に対する印象をほとんど同じ言葉で答えていました。それは「狭いところに閉じ込められている」「息ができない」「釘付けにされている」という身体的な印象を語る形容詞でした。息苦しさを日本の若者たちは共通に感じている。けれども、そう嘆いている学生たち自身はその生きづらさが「身の程を知れ」という無言の禁圧の結果だということに気づいていない。それどころか、学生たちもまたお互いに「配役されたキャラを演じ続けろ」「らしくないことをするな」というしかたで相互規制を行い、お互いの首を締めている。

 在日コリアンの場合も「在日コリアン」というタグが貼られて、その「役」を演じることを強いられています。そして、どんどん狭いところに押し込められる。「日本に文句があるなら国に帰れ」というのは「財務大臣に文句があるなら財務大臣になれ」というのはまったく同じ論理です。「与えられた社会的枠組みから出るな。嫌なら枠組みを作っている社会そのものから出ていけ」ということです。
 
―この空気を換えるためにはどうすれば良いとお考えですか?

 かつて60年安保闘争で国論が二分したあと、岸信介の後を引き継いだ池田勇人は「所得倍増」と「寛容と忍耐」をスローガンに掲げました。「所得倍増」は政治的意見の違いにかかわらずすべての日本人にとって望ましいことでした。「寛容と忍耐」は同じ社会を構成している中には、共感も理解もしがたい隣人たちも含まれているけれど、それに耐えようと。不愉快な隣人とも"気まずく"共生しよう、と呼びかけた。

 僕はこのスローガンの選択は適切だったと思います。実際に、この路線に従って日本は歴史的な高度成長を遂げたのですから。今の日本は60年安保闘争以後最も深く国民が分断されています。ですから、必要なのはもう一度「寛容と忍耐」を掲げることだと思います。

―昨年、記事中で「韓国なんていらない」などとヘイトスピーチを行った『週刊ポスト』の版元の小学館に対し、執筆拒否を宣言されました。

 小学館のような大きな出版社には、国民の間のコミュニケーションのプラットフォームを形成する社会的な責務があります。小さな出版社でしたら、政治的に偏向した言説を流布することも許されるでしょうけれど、小学館のような規模の出版社は国民間の対話の場を設定することがその社会的責務です。さまざまな論に対話の場を提供することが仕事であって、国民間にあえて分断を持ち込み、国民の一部を排除し迫害するような行為は許されません。小学館にはその社会的責任の自覚がありませんでした。メディアの劣化がここまで進んだことに僕は愕然としています。

―表現の自由についてのお考えは?

 何のための表現の自由なのか? それを考えることが大切だと思います。言論の自由というのは「誰でも好きなことを言っていい。それが虚偽でも、人を傷つけるものでも、人がたいせつにしているものを汚すものでも、何でも表現する権利がある」というような底の抜けた話ではありません。言論の自由が存在する社会は、それが存在しない社会よりも市民が成熟するチャンスが多いから言論の自由は守られなければならないというのが僕の考えです。

 何らかの公的機関や誰か見識にすぐれた「判定者」がいて、その機関なり個人なりが専一的に「表現して良いものと悪いもの」を判定識別するということになったら、市民たちは自分の判断力を高める必要がなくなる。でも、ものごとの良否の判断を他人に委ねてしまった人間はもう決して成熟することができません。

 僕が言論の自由を守ろうとするのは、市民たちの知性的・感性的な成熟を阻害して、幼児のままにとどめおこうとする人たちに抗うためです。市民が全員、おのれの判断を放棄し、上位者にものごとの正否理非の判断を委ねても気にしない幼児であれば、管理はしやすいかもしれませんが、そんな集団は遠からず滅亡します。

 表現の自由というのは単なる原理原則ではなく、具体的な成果をめざす遂行的な装置です。それによって市民たちの成熟を支援し、集団をより強くより豊かなものにするための仕組みです。ですから、何のための表現の自由なのかということを考えもせずに、ただそのつど自分に都合のよいスローガンとして「表現の自由」を引き合いに出す人間も、「お上」に表現の適否の判断を任せろという人間も、僕はひとしく信用しません。

―今後、友好的な関係を築いていくためには何が必要でしょうか?

 日本人の多くが近現代の歴史をほとんど学んでいないということが問題だと思います。朝鮮半島の植民地化とその支配の歴史的事実について多くの日本人は何も知りません。少なくとも江華島条約からあと日韓の150年の歴史に関しては最低限の事実を知る必要があると思います。

 徴用工問題や慰安婦問題などで議論が行われていますが、政治家もメディアも65年の日韓基本条約が議論の起点になっていると言うだけで、それより以前には遡らない。

 でも、はるか以前から解決できなかった問題が65年時点でも解決できずに「棚上げ」されたものがまた蒸し返されたということです。解決できなかった同じ難問だからこそ、間歇的に甦ってくる。それを「解決済みだ」と言い切って終わりというのは単なる歴史についての無知に過ぎません。解決の難しい難問は難問として受け入れて、長い時間をかけて、両国の衆知を集めて議論し続けるしかない。解きがたい問題については、「どうしてこんなに解きがたいのか」というところまで時間を遡るしかありません。

 日韓の歴史的な関わりに関する知識では、平均的には韓国の人のほうがはるかに詳しいと思います。特に最近の韓国映画は光州事件や植民地時代の親日派に関する映画など、自国史の「暗部」を映像化し、物語として国民的に共有しようとしています。

 残念ながら日本ではこのような努力はほとんど見られません。この点では韓国に大きな知的アドバンテージがあります。このまま日本人が自国史の「暗部」から目を背け続けていれば、いずれ日韓の国力には大きな隔たりができることでしょう。国力とは突き詰めて言えば、不都合なことも含めてどれくらい自国の歴史と現実を受け入れることができるか、その器量の大きさのことだからです。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html#c4

[近代史3] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
3. 中川隆[-13315] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:27:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1589]

「朝鮮新報」のインタビュー - 内田樹の研究室 2020-03-25
http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html


「朝鮮新報」の3月1618日合併号に日韓問題についてのインタビューが掲載された。

 総連系のメディアに取材されたのはこれがはじめてのような気がする。
 紙面では字数が足りなかったので、これはロングヴァージョン。

「厄介な隣人にサヨウナラ」「韓国人という病理」――昨年、雑誌「週刊ポスト」は、記事の中でそのような言葉を並べヘイトスピーチを行った。同胞に対する異常な差別が日本社会にまん延する中、『週刊ポスト』版元の小学館に対し執筆拒否を宣言した思想家の内田樹さんが今、日本社会に対して思うことは。

―在日朝鮮人を取り巻く日本社会の状況に感じることはありますか?

 以前に比べ在日コリアンへの非寛容、差別が公然化してきたという印象があります。第一の原因は安倍政権にあると思います。安倍政権になってからの7年間で「嫌コリア」の機運が政治的に醸成されてきました。

 日本社会の在日コリアンへの差別的感情は戦前から一貫して存在しますが、それが公然化するかどうかはある種の「空気感」で決まります。「差別的なことは口に出してはいけない」という抑制の空気があれば、心で思っていても口にはしない。その抑制が安倍政権下で弱まった。「嫌コリア」言説が目に付くようになってきたのはそのせいです。

 極論やデマゴギーを語る人はいつの時代にもいますが、今の政権下では、そのような「マイナーな極論」を語る人たちがNHKの経営委員になったり、総理と一緒に食事をしたり、あたかも「権威のある人間」のようにメディアに頻繁に登場するようになりました。本来ならば市民的常識によって抑制されるべき非常識な発言が、政権への恐怖や忖度によってまかり通ってしまっている。それが日本社会全体の倫理の劣化をもたらした。

 ただ、これはあくまで潜在的な差別意識が可視化されたというだけのことで、在日コリアンに対する差別感情は見えないかたちで日本社会の中につねに潜在していた。だから、安倍政権が終わったら今ほどは目立たなくはなるでしょうけれど、それでなくなるわけではないと思います。

―様々な問題の中、安倍政権が長期にわたり続いている理由は何でしょうか?


政権のコアな支持層には「権力者は不正を働いても構わない」という道徳的なニヒリズムに侵されている人がいます。彼らは政権が資料を改竄・隠蔽しても、総理大臣が嘘をついても、支持者を税金で供応しても、「それのどこが悪いんだ」と口を尖らせます。不正をしても処罰されない、法の支配に服さないで済むのが権力者の特権ではないか、そういう特権的な立場になるためにこれまで努力してきて、その地位を得たのだから、それに文句を言うのは筋違いだと考えているのです。

 僕の友人がネット上で麻生太郎の批判をしたら「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」というリプライが書き込まれました。僕が国政批判をしても「それなら自分が国会議員になれ」というような絡み方をする人がいます。それができないのなら黙っていろと言う。社会的に「成功」している人に対する批判はそれと同じだけ「成功」した人だけに行う資格がある。それが「リアリズム」だと思っている。でも、それは「現状に不満なら、まず現状を受け入れろ」と言っているに等しい。要するに絶対的な現状肯定ということです。

 彼らが安倍総理を支持するのは、「彼が総理大臣だから」です。単なるトートロジーなのですが、それに気がついていない。

―なぜそのような考え方が生まれるのでしょうか?

 気分がいいからじゃないですか。「市民社会をもっと成熟したものにしよう」とか「雇用関係を改善しよう」という願いを実現するには多大な時間と労力が必要です。でも、目の前でそれを語っている人間に「きれいごとを言うな」と罵倒を浴びせ、切って捨てるような批判をすれば、刹那的な快感、全能感が得られる。おのれの社会的上昇に希望が持てない人たちにとって、その一瞬の爽快感が心地よいのなのでしょう。だから、ネット上では、自分よりも知識を持っている人たちや専門家の発言を定型句一つで全否定できると思っている人たちが溢れ返っている。

 大声でセクシズム、レイシズムを叫ぶ人たちも求めているものは同じだと思います。「女なんて」「朝鮮人なんて」というような「言ってはいけないこと」を平気で言える自分は「スゴイ」と思っている。「反道徳的で反社会的であることができる自分」にささやかな権力の手応えを覚えている。

 本来ならば、そのような差別的な言葉は市民たちの規範力によって抑制され、収まってゆくものです。法律で罰するという以前に、「そんな非常識なことを口にするな」という規制が働く。そのためには、市民の一定数が「まっとうな大人」であることが必要です。しかし、今の日本社会には、そのような非常識な言動に対して「いいかげんにしろ!」と一喝できるような大人が少なくなってしまった。

―そのような中で在日朝鮮人も息苦しさを感じているようです。

 日本では、職業や年収な能力で「身の程」が決定され、「その枠から出るな」という禁圧が働いています。「自分が権力者になってから権力を批判しろ」というのは要するに「自分の身のほどを知れ、分際をわきまえろ、身の丈に合わないことをするな」ということです。

 少し前にアメリカの雑誌が日本の大学生にインタビューを行った記事がありましたが、学生たちは今の日本の大学に対する印象をほとんど同じ言葉で答えていました。それは「狭いところに閉じ込められている」「息ができない」「釘付けにされている」という身体的な印象を語る形容詞でした。息苦しさを日本の若者たちは共通に感じている。けれども、そう嘆いている学生たち自身はその生きづらさが「身の程を知れ」という無言の禁圧の結果だということに気づいていない。それどころか、学生たちもまたお互いに「配役されたキャラを演じ続けろ」「らしくないことをするな」というしかたで相互規制を行い、お互いの首を締めている。

 在日コリアンの場合も「在日コリアン」というタグが貼られて、その「役」を演じることを強いられています。そして、どんどん狭いところに押し込められる。「日本に文句があるなら国に帰れ」というのは「財務大臣に文句があるなら財務大臣になれ」というのはまったく同じ論理です。「与えられた社会的枠組みから出るな。嫌なら枠組みを作っている社会そのものから出ていけ」ということです。
 
―この空気を換えるためにはどうすれば良いとお考えですか?

 かつて60年安保闘争で国論が二分したあと、岸信介の後を引き継いだ池田勇人は「所得倍増」と「寛容と忍耐」をスローガンに掲げました。「所得倍増」は政治的意見の違いにかかわらずすべての日本人にとって望ましいことでした。「寛容と忍耐」は同じ社会を構成している中には、共感も理解もしがたい隣人たちも含まれているけれど、それに耐えようと。不愉快な隣人とも"気まずく"共生しよう、と呼びかけた。

 僕はこのスローガンの選択は適切だったと思います。実際に、この路線に従って日本は歴史的な高度成長を遂げたのですから。今の日本は60年安保闘争以後最も深く国民が分断されています。ですから、必要なのはもう一度「寛容と忍耐」を掲げることだと思います。

―昨年、記事中で「韓国なんていらない」などとヘイトスピーチを行った『週刊ポスト』の版元の小学館に対し、執筆拒否を宣言されました。

 小学館のような大きな出版社には、国民の間のコミュニケーションのプラットフォームを形成する社会的な責務があります。小さな出版社でしたら、政治的に偏向した言説を流布することも許されるでしょうけれど、小学館のような規模の出版社は国民間の対話の場を設定することがその社会的責務です。さまざまな論に対話の場を提供することが仕事であって、国民間にあえて分断を持ち込み、国民の一部を排除し迫害するような行為は許されません。小学館にはその社会的責任の自覚がありませんでした。メディアの劣化がここまで進んだことに僕は愕然としています。

―表現の自由についてのお考えは?

 何のための表現の自由なのか? それを考えることが大切だと思います。言論の自由というのは「誰でも好きなことを言っていい。それが虚偽でも、人を傷つけるものでも、人がたいせつにしているものを汚すものでも、何でも表現する権利がある」というような底の抜けた話ではありません。言論の自由が存在する社会は、それが存在しない社会よりも市民が成熟するチャンスが多いから言論の自由は守られなければならないというのが僕の考えです。

 何らかの公的機関や誰か見識にすぐれた「判定者」がいて、その機関なり個人なりが専一的に「表現して良いものと悪いもの」を判定識別するということになったら、市民たちは自分の判断力を高める必要がなくなる。でも、ものごとの良否の判断を他人に委ねてしまった人間はもう決して成熟することができません。

 僕が言論の自由を守ろうとするのは、市民たちの知性的・感性的な成熟を阻害して、幼児のままにとどめおこうとする人たちに抗うためです。市民が全員、おのれの判断を放棄し、上位者にものごとの正否理非の判断を委ねても気にしない幼児であれば、管理はしやすいかもしれませんが、そんな集団は遠からず滅亡します。

 表現の自由というのは単なる原理原則ではなく、具体的な成果をめざす遂行的な装置です。それによって市民たちの成熟を支援し、集団をより強くより豊かなものにするための仕組みです。ですから、何のための表現の自由なのかということを考えもせずに、ただそのつど自分に都合のよいスローガンとして「表現の自由」を引き合いに出す人間も、「お上」に表現の適否の判断を任せろという人間も、僕はひとしく信用しません。

―今後、友好的な関係を築いていくためには何が必要でしょうか?

 日本人の多くが近現代の歴史をほとんど学んでいないということが問題だと思います。朝鮮半島の植民地化とその支配の歴史的事実について多くの日本人は何も知りません。少なくとも江華島条約からあと日韓の150年の歴史に関しては最低限の事実を知る必要があると思います。

 徴用工問題や慰安婦問題などで議論が行われていますが、政治家もメディアも65年の日韓基本条約が議論の起点になっていると言うだけで、それより以前には遡らない。

 でも、はるか以前から解決できなかった問題が65年時点でも解決できずに「棚上げ」されたものがまた蒸し返されたということです。解決できなかった同じ難問だからこそ、間歇的に甦ってくる。それを「解決済みだ」と言い切って終わりというのは単なる歴史についての無知に過ぎません。解決の難しい難問は難問として受け入れて、長い時間をかけて、両国の衆知を集めて議論し続けるしかない。解きがたい問題については、「どうしてこんなに解きがたいのか」というところまで時間を遡るしかありません。

 日韓の歴史的な関わりに関する知識では、平均的には韓国の人のほうがはるかに詳しいと思います。特に最近の韓国映画は光州事件や植民地時代の親日派に関する映画など、自国史の「暗部」を映像化し、物語として国民的に共有しようとしています。

 残念ながら日本ではこのような努力はほとんど見られません。この点では韓国に大きな知的アドバンテージがあります。このまま日本人が自国史の「暗部」から目を背け続けていれば、いずれ日韓の国力には大きな隔たりができることでしょう。国力とは突き詰めて言えば、不都合なことも含めてどれくらい自国の歴史と現実を受け入れることができるか、その器量の大きさのことだからです。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/25_0749.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html#c3

[近代史4] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
1. 中川隆[-13314] koaQ7Jey 2020年3月25日 18:32:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1590]

内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/398.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html#c1
[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
48. 中川隆[-13313] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:23:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1591]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c48

[近代史3] 日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい 中川隆
51. 中川隆[-13312] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:24:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1592]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html#c51

[近代史3] ディープステートとは何か 中川隆
11. 中川隆[-13311] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:24:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1593]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html#c11

[近代史3] これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」 中川隆
5. 中川隆[-13310] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:25:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1594]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html#c5

[近代史4] ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論 中川隆
5. 中川隆[-13309] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:26:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1595]
ユダヤ人 ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは反共だった


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。
核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/623.html#c5

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
8. 中川隆[-13308] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1596]

騰落レシオ

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(25日) 騰落レシオ(6日)
2020-03-25 19,546.63 +1,454.28 62.73 258.39
2020-03-24 18,092.35 +1,204.57 54.43 179.26
2020-03-23 16,887.78 +334.95 49.85 103.97
2020-03-19 16,552.83 -173.72 46.88 63.05
2020-03-18 16,726.55 -284.98 45.58 49.10
2020-03-17 17,011.53 +9.49 44.65 64.69
2020-03-16 17,002.04 -429.01 40.12 32.98
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c8

[近代史4] チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口 中川隆
1. 中川隆[-13307] koaQ7Jey 2020年3月25日 19:54:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1597]

徴用工問題で日本の元外務官僚が「韓国に100%の理、日本に100%の非」「日韓対立は安倍政権に全責任」と断言する理由
https://lite-ra.com/2019/12/post-5127.html


2019.12.05 横田 一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」65 徴用工問題で日本の元外務官僚が「韓国に100%の理、日本に100%の非」 リテラ
    

 安倍首相が15日からのインド・中国歴訪で、約1年3カ月ぶりに日韓首脳会談を行う方向で調整していることが明らかになった。今度こそ、トップ同士がきちんと話し合いをして、関係を改善してもらいたいが、しかし、和解を求める韓国とは対照的に、安倍首相が「徴用工判決」問題を棚上げして、輸出規制を解除する公算は極めて低いと言わざるを得ない。

 韓国がGSOMIA破棄を中止にした際も、日本は米国の圧力で話し合いのテーブルにはついたものの、結局、安倍首相が「一切の妥協はしない」という姿勢を変えず、表向き「韓国側がWTOへの提訴中止し、日本側が担当省庁局長級対話の再開に応じる」という合意だけで終わった。

 この背景には、先の戦争を正当化することを何よりも優先する安倍首相の強固な歴史修正主義がある。安倍首相はもともと「徴用工」を戦争犯罪とは捉えておらず、だからこそ「徴用工問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みであり、韓国最高裁判決は国際法違反」という主張を繰り返しているのだ。

 しかも、問題なの日本のメディアや世論がこの安倍首相の姿勢を追従していることだ。安倍政権が対韓強硬外交に踏み切って以降、日本製品の不買運動拡大や訪日韓国人観光客激減で経済的損失を招く事態に陥っている。

 普通なら「国益毀損の経済音痴」「国賊紛いのダメ首相」といった批判が噴出しても不思議ではないが、まったくそんな声は聞こえてこない。「国際法違反状態の韓国に毅然とした姿勢を貫く安倍政権」という官邸発信のフェイクニュース(大本営発表)を大メディアが受け売り、大半の国民が鵜呑みにする状態が罷り通っている。

 しかし、そんな情報統制状態の中、「韓国には100%の理があり、日本には100%の非がある」「日韓関係悪化の全責任は安倍政権にある」と批判をしている元外務官僚がいる。外務省条約局国際協定課長、アジア局中国課長、イギリス国際戦略研究所研究員などを歴任した浅井基文氏だ。

 浅井氏は「日韓関係を破壊する安倍政権」と銘打った9月10日の緊急講演会(主催は重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京、村山談話を継承し発展させる会)で、いまだにテレビや大新聞がほとんど報じない「国際人権規約」(日本は1979年に批准)の存在を紹介、安倍首相の詐欺的手口をこう暴露した。

「(韓国を国際法違反状態と見なす)安倍政権の最大の論拠は『過去の個人の請求権、過去の朝鮮の人たちの日本に対する請求権は1965年の日韓請求権交渉で全て解決済み』というところにある。その主張が正しいのかどうかをまずはっきり踏まえないといけない。

 私も外務省で25年間飯を食ったこともあり、アジア局や条約局勤務が合計で9年間あったので、『過去の請求権問題は1965年の請求権協定で全て解決済』としてきた日本政府の主張は理解している。

 しかし国際人権法が確立することによって崩れたことを申し上げたい。もっと具体的に国際人権規約Bがあります。ここに加盟(署名)したのが1978年なのだが、私は1978年に条約局の国際協定課長という立場で、国際人権規約の国会承認を事務方の先頭に立っていたものだから、非常に愛着もあるが、今回の日韓問題を議論する時に誰もこの国際人権規約のことを言わない。これが私は非常におかしいと思う。国際人権規約は条約であり、憲法上も『条約は国内法に優先する』というふうになっている」

■日韓請求権協定から14年後の国際人権規約批准で「解決済み」の結論は崩れている
    
    講演する浅井基文氏(撮影・横田 一)

 その詐欺的手口を見破るカギは、安倍首相が戸黄門の印籠のように突きつける「1965年の日韓請求権協定」締結から14年後の1979年、国際人権規約が国会承認(批准)された歴史的事実に注目することだ。安倍首相は1978年以前なら通用したカビの生えた主張を、国際人権規約批准で崩れ去ったのにもかかわらず、正論であるかのように訴えて続けているということだ。

 このことを浅井氏はレジュメを使って説明していった。まず国際人権B規約の第2条3項には「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」を義務づけるとあると指摘、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者」の「権利」や「自由」こそ、徴用工や従軍慰安婦に該当するとも指摘した。

 たしかに第7条には「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と書いてあり、また第8条には「何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する」(1項)、「何人も、隷属状態に置かれない」(2項)、「何人も、強制労働に服することを要求されない」(3項a)とあり、従軍慰安婦や徴用工に当たることが分かる。浅井氏はこう結論づけた。

「元従軍慰安婦の方々、徴用工の方々は日本国によって『効果的な救済措置』を講じるように要求する権利があることが明確にいえるのです」「まさに国際人権規約をはじめとする国際人権法ができてから、各国は過去の国が行った行為について謝罪し、補償をするということが行われるようになった。そういうことを考えると、やはり日本も従軍慰安婦や徴用工の皆さんに対して謝罪し、補償しなければいけないということが当然のこととして言えるのです」

 しかも外務省は、1991年8月27日の参議院予算委員会で「個人の請求権自体は消滅することはない」と答弁していた。その内容は、国が放棄したのは「国家の外交保護権」であり、「国と国との間でやりとりをする権利については放棄した」ということであって、「個人の請求権自体はそういう協定によっても消滅することはない」と結論づけるものだった。浅井氏は当時を「私が外務省にいた頃は(個人請求権が消滅しないことは)外務省の中で議論されてもいないことだった」と振り返った上で、今回の元徴用工裁判における韓国大法院(最高裁判所)判決を次のように全面的に支持した。

「それ(韓国大法院判決)は1991年の外務省の国会答弁から言っても、非常に正しいこと、抗弁できないことであって、認めなければいけないとことなのです」
 続いて浅井氏は、安倍政権(首相)が1991年の政府(外務省)答弁がまるでなかったかのように振る舞うことのおかしさも指摘した。

「非常におかしいことは、1991年に政府答弁をしているにもかかわらず、今回の問題が起きてからは、安倍政権はすっかりとだんまりを決め込んでいることが私は最も不誠実であり、許されないことだと思う。この点をしっかりと認識をすれば、韓国大法院の決定に対して日本政府が『1965年の日韓請求権協定で解決済だからおかしい』というのが、そもそもおかしいことになる」「国際人権規約の関連条項が、(それ以前の)『国が個人に代わって請求権を放棄できる』という伝統的な考え方をひっくり返したことが大きなポイントなのです。それなのに国際人権規約がどこかに行ってしまった。みんな『人権が大事だ』と言いながら国際人権規約があること自体をすっかり忘れていることは非常に遺憾なことだと思う」

 そして浅井氏は安倍政権の対韓強硬外交をこう一刀両断にした。

「韓国に対して居丈高に振る舞うことはいかなる理由でも許されない。『韓国には100%の理があり、日本には100%の非がある』ということを申し上げておきたい」

■外務省OBが語った、安倍首相の暴走を外務省が止められない理由

 講演後の質疑応答では、「国際人権規約の紹介は非常に重要な指摘だ」と切り出した報道関係者から、こうした対韓強行外交をめぐる外務省の対応について、以下のような質問があった。

「浅井さんは外務省のOBでいらっしゃいますよね? 同じ(外務省)条約局とか、このことについて職務として関わった公務員がいるはずですよね? 一番先にそういうことを言わないといけない人間(外務官僚)が沈黙している状況は、どうお考えになっているのか? つまり浅井さんたちの考えが後輩たちに引継がれなかったのか? 今の外務省の役人たちがなぜ政権の為政者たちに対して諌めたり、『こういうことだ』と(言わないのか)。知識もあるはずなのになぜできないのかと思うか?」
 この質問に対して、浅井氏は二つの要因をあげた。

「一つは、私が外務省にいた頃までの条約局長は今の天皇の奥さん(雅子妃)のお父さん、小和田(恆・ひさし・外務事務次官)さんまでは、いわゆる戦前世代なのです。戦争体験をはっきり意識した人たちだが、それ以降の『ポスト小和田』で非常に変わった。小和田さんまでの条約局と、それ以降ではガラッと質的に転換したことが事実としてあると思う。

 もう一つが外務省だけではなくて中央官庁すべてに共通することだが、要するに民主党政権の時に高級官僚の人事権を官邸に集中することをやった。それが見事に安倍政権によって利用されている。要するに高級官僚で『俺は出世したい』『上に立って仕事をしてみたい』という人は官邸の顔色をうかがわざるを得ない。官邸に楯突いた人は見事に外されている」

 続いて、浅井氏はメデイアの“大本営化”も、国際人権規約の存在を無視する安倍首相の世論操作(情報統制)を許す要因としてあげた。

「今、情報入手源は多様化している。しかし結局はマスメディアがこぞって政府の情報を垂れ流せば、ネット情報で逆のことを言う人がいるかも知れないが、やはりコンセンサスとしてはマスメディアが流す情報に集約されていく。これらも大きな問題だ」

 たしかに「アナクロニズム(時代遅れ)の歴史修正主義者」と呼ぶのがぴったりの安倍首相が「国益毀損の対韓強硬外交」「反日」などと批判されないのは、マスメデイアが安倍政権にとって不都合な真実である「国際人権規約」を過去の外務省答弁と共に報道しないからだ。

 これ以上、日韓関係の悪化や経済停滞を長引かせてはならない。日韓首脳会談を前に、マスコミは自らの報道姿勢を見直す必要があるのではないか。
(横田 一)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/651.html#c1

[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
1. 中川隆[-13306] koaQ7Jey 2020年3月25日 20:14:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1598]

【永久保存版】南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k&bpctr=1583040171







〔虐殺否定の書き込みの前に、まずこちらの解説文に目をお通し下さい。誤解の大半が解けると思います。解説を読まずに否定論デマを書かれた場合、荒しとして対応します〕

【右派も左派も必見の動画】

南京大虐殺に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが多いが、これは「1938年」(虐殺直後)に公開された当時のもの。

日本と同盟していたドイツ高官が「総統閣下にも見て欲しい」と公式に送った第一級の資料映像。

しかも生存者の証言が細部まで一致している。女性や子どもも無差別に殺害しており、便衣兵云々の言い訳は通用しない。

また「日本軍がやった」と外国人医師を含め誰もが詳細に語っており、「国民党軍の成りすまし」論がどれほど被害者を馬鹿にしたものか分かる。

番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。

※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞

★他の第一級資料動画

●CGで再現した南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)

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南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい。→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用­しない。

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〔補足・通州事件〕
拡散希望【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】

(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。

(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。

(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。

−−−−−−−−−

〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕

第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった(ここは非常に重要な部分)。

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〔補足3・人口のデマ〕
否定派は「南京の人口が占領前に30万人で占領後40万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区になだれ込んでいる。

参考までに以下のやり取りも紹介。

KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」

記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」

KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」

−−−−−−−−−

〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕

1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。

−−−−−−−−−

〔補足5・消えた遺体について〕

南京守備隊(5万人以上)の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。いったい何万人が揚子江に投げ込まれたのか不明ではあるが、墓がない大きな理由のひとつ。次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が「1937年12月13日の南京陥落から17日の入城式まで」、場所は「南京城内で行われた掃討戦」としているケースが多いのに対し、中国側は期間が「南京戦から3カ月」、場所は「南京周辺の農村を含んだ広大な地域」であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。それゆえ、一般市民の墓は点在しており、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所がない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。

−−−−−−−−−

〔補足6・パール判事について〕

「パール判事が日本の戦争行為に理解を示した」というのは保守派のデマ。パール判事は日本軍の残虐行為に激怒している。東京裁判は、新しく作った法律で過去の行為を処罰できないという法学者の信念から「無罪」としたのであって、「日本は悪くない」とは言ってない。南京大虐殺では「宣伝と誇張を出来る限り考慮しても、なお残虐行為は日本軍が占領したある地域の一般民衆、また、戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」と虐殺を認め断罪している。パール判事の息子は、東條英機の伝記映画『プライド』が東條を美化するため自分の父を利用していると憤慨し、田中正明(勝手に松井石根大将の文章を改変し、日本に「南京事件はなかった」と嘘をまき散らした張本人)に抗議している。

パール判事の激しい批判:

・張作霖爆殺事件は「無謀でまた卑劣である」「殺人と言う卑怯な行為」
・満州事変を「非難すべきもの」
・満州国建設を「手の込んだ政治的狂言」
・南京虐殺やフィリピンでの虐殺を事実と認定し「鬼畜行為」と批判。南京大虐殺について20箇所以上の残虐行為を指摘したうえで「鬼畜の性格を持っている」と断じ、戦争指導者は無罪であっても、殺人・強姦など通例の戦争犯罪の実行者に対する処罰は(新法で後から処罰することですら)「正当である」と述べている。

−−−−−−−−−

この問題を語るとき、もう少し相手の立場になって考えてみませんか。終戦時に中国にいた日本軍は105万5700人です。そして日本軍には補給がまともになく、基本は現地調達です。農村から命綱の牛馬鶏を奪い、穀物を奪いながらの行軍、占領です。そして少なくない部隊で強姦が起きています。抵抗すれば殺害。
この歴然たる事実を正面から見つめ、どうかネットにデマを広めないよう、同じ日本人として心からお願いします。


★その他、南京大虐殺否定派の疑問は以下の3つのリンク先で100%解決されると思います。

「南京事件FAQ」 https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/
「南京事件資料集」 http://kk-nanking.main.jp/index.html
「南京事件ー日中戦争 小さな資料集」http://yu77799.g1.xrea.com/

「人口20万の都市で30万は殺せない」デマにはくれぐれも注意を。20万人は南京特別市の一部である南京城の中のさらに一部である安全区の人口に過ぎず、犠牲者30万人が発生したという地域は南京城の外、南京特別市の広い範囲を対象にしたもの。混同厳禁です。

https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k&bpctr=1583040171

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html#c1
[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
2. 中川隆[-13305] koaQ7Jey 2020年3月25日 20:16:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1599]

日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc






★関連:南京で婦女子など大虐殺 https://youtu.be/uyVeMusrS-k

★関連:CG再現南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよという厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくある質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・難民の中に逃げ込んだ兵士は便衣兵ゲリラであり公式の捕虜ではなく『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→そもそも、ハーグ条約に「便衣兵は捕虜資格がないため殺しても良い」という条項は存在しない。“捕虜”でないのなら単なる非武装の「民間人」の殺害であり、これも戦犯以前に殺人罪。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京戦に投入された歩兵第66連隊は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「なかった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であり説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・米軍だって日本兵捕虜を殺害しており、どっちもどっち。→南京大虐殺と米軍による日本兵捕虜虐殺を並べるのは非論理的。中国人にとって無関係。また、米兵による捕虜殺害がある一方で、今日ガダルカナル、ペリリュー島、サイパン、テニアン、硫黄島などの激戦地で生き残った人たちが証言できるのは、捕虜として手厚く扱われたから。


〔まとめ〕
南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生し幕府山事件が起きた)。しかし、本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用しない。



〔他の第一級映像資料〕

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008年) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』 http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●「南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言」 http://youtu.be/uyVeMusrS-k (32分)


https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html#c2
[近代史4] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
3. 中川隆[-13304] koaQ7Jey 2020年3月25日 20:18:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1600]

南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm


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南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/751.html

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/413.html

超A級戦犯 昭和天皇の戦争責任 公開処刑
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg

天皇ギロチンは必要
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/224.html


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アホに広田弘毅が、長州憲法(明治憲法)が元凶と言った意味を教えてやるよ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/278.html

日本の恥 _ 詐欺師 TORA を放置するな _ 南京大虐殺は昭和天皇が直直に命令して実行させた
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/519.html

百人斬り 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/518.html

「南京事件の真実を検証する会」の公開質問状に中国側は答えていない
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/607.html

事実無根の南京大虐殺(何事も楽しく、過ごしたい。)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/517.html


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731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html

ニューギニアで旧日本兵が行った残虐
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/799.html
 
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/649.html#c3

[近代史02] サルはなぜサルか 2 _ タイ人が微笑む理由 中川隆
19. 中川隆[-13303] koaQ7Jey 2020年3月26日 06:41:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1601]

タイでクーデターが起きた日、私は「タクシンが暗殺された」というデマを信じた
2020.03.26
https://blackasia.net/?p=17691

「タクシン首相は殺された」という情報がやってきた。私のまわりの女性たちはみんな「タクシンが殺された、死んだ」と言っていたし、彼女たちは確信を持って私にそう断言した。彼女たちも噂を聞いてそれを信じていたのだが、その噂を現場で聞かされたら「いや、死体が映し出されていないのだから、それはデマかもしれない」と考えられるだろうか。私はできなかった。(鈴木傾城)

2006年9月19日、タイではクーデターが発生した

2006年9月19日。私はタイの歓楽地「ナナ・プラザ・エンターテーメント」のオープン・バーで女たちと下らない冗談を言い合いながら時間を潰していた。雨が降ったりやんだりする天気で、やや蒸していた夜だった。

すると突然、バーのテレビが王宮広場に結集する戦車や兵士たちの姿を映し出し、アナウンサーがタイ語で何かを報じ始めた。タイの女性たち、そしてバーで働いていたタイ人たちがみんなテレビに釘付けになって蒼白な顔になった。

「何が起きてるの?」

私がそのように尋ねると、女性たちは「クーデターが起きた。クーデターが起きている。兵士がタクシン(首相)を殺しに行っている!」と叫んだ。そうしているうちに、今度はテレビ放映が唐突に打ち切られた。すべての番組がつながらなくなった。

そして、しばらくすると国王を称えるコマーシャルだけが延々と流れて、今この瞬間に何が起きているのかまったく分からなくなった。

この当時、タイのタクシン首相と国王派の軍は激しく対立しており、国民もタクシン派と国王派に分断されていたのだが、バーの女性たちはどちらかと言うと地方でばらまき政治を行っているタクシン首相を支持していたので、不安にまみれている女性も多かった。

そして、急にあちこちで人々がこのように言い始めた。

“Thaksin was dead.”(タクシンは死んだ)

タクシンは暗殺されたものだと、その日は思い込んでいた

後でそれがデマであることを私は知った。しかし、その渦中ではそれが真実なのかどうか分かるわけがなかった。

クーデターが起きてテレビが国王の美談のコマーシャルしか流さなくなり、タイ人がパニックになり、「タクシンが暗殺された」と言っている。私は、てっきりタクシンは暗殺されたものだと、その日はずっと思い込んでいた。

クーデターが起きたのは間違いない。だから、危機意識の強い一部の欧米人(ファラン)や観光客、そしてタイ人の女性たちが一斉に逃げ始めていった。

私はどうだったのか。この衝撃的な瞬間の中でも、私はぼんやりしていただけだった。目の前で銃撃戦が始まっているわけではないので、現実感がなかったのが正直なところだ。

女性たちは「私には関係ない」という人もいれば「戦争が起こるかもしれない」と言っていた人もいた。

タイでは軍が市民を大量殺戮した事件が過去にあったことから、もしかしたら市街戦のようなことが起こるかもと言って、指でピストルの形を作って「バンバン」と撃つ真似をする女性もいた。

クーデターはどうなっているのか。バンコクは戒厳令(マーシャル・ロー)が発令されるのか。市街戦は始まるのか。これから何が起こるのか……。私にはまったく分からなかった。

タクシンは外国に外遊していてバンコクにすらいなかったと知ったのは翌日のことだが、面白いことに私も一緒にいた女性も「タクシンが生きていた」というニュースの方がデマだと思ってしまった。

それほど最初の「タクシンが暗殺された」というデマは真に迫っていたのだった。そして私は思い知った。現場で「何か」が起きたとき、情報をファクトチェックする手段はないということを……。

つまり、混乱の最中ではデマが真実として受け止められるのだ。

日本人の私は、クーデターに危機意識が持てなかった

私たち日本人は「クーデターが起きた」と現場で見聞きしても、具体的に何が起こるのかというのは、あまり「リアル」に想像できない人の方が多いのではないだろうか。

なぜなら、日本国内では近年においてクーデターが起きた経験はないからだ。確かに二・二六事件などはあったが、もうすっかり歴史の話になっている。自衛隊が政権を転覆させるという想像を多くの日本人はリアリティとして持てない。

しかし国外では逆だ。

多くの国がクーデターで政権が転覆するような事件を経験している。たとえば、南米ではベネズエラでもチリでもボリビアでも次々とクーデターが起きている。

アフリカはさらにひどくて、スーダン・ニジェール・ジンバブエ・ガボン・スーダン等々、とにかくクーデターだらけだ。彼らにとってクーデターは、リアルに暴力を感じる出来事なのだ。

私が2006年9月19日のタイのクーデターの最中にバンコクにいながら、まったく現実感がなくて「身を守ろう」とも「逃げよう」とも思わなかったのは、私自身がクーデターという「事件」にそれほど危機意識が持てなかったからでもある。

しかし、一部の欧米人、そしてアラブ人、中国人は私とはまったく違った意識でタイのクーデターを捉えた。

雨の中、私が自分のホテルに戻ると、エントランスでは多くのアラブ人と中国人が泡を食って大きな旅行カバンを持って逃げ出そうとしている姿を見かけた。雨に打たれながら必死でタクシーを捕まえようとしている中国人の姿も覚えている。

彼らは必死だった。場合によってはクーデターによって市街戦が始まり、命の危険が発生するかもしれないと直感した彼らは一目散に逃げようとしていたのだ。

結果的にこのクーデターは「無血クーデター」として終わって、翌日もそんなに混乱はなかった。しかし、それは「たまたま」そうなっただけで、もしかしたら必死で空港に向かってタイから逃れようとした彼らの方が正しかったかもしれない。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

デマが広がっても、それを受け入れざるを得ないという教訓

私が今でもこのタイのクーデターを思い浮かべるのは、「現場にいたら正確な情報が把握できるわけではなく、デマが広がってもそれを受け入れざるを得ない」ことになるという教訓になったからだ。

タクシン首相(当時)と国王派が激しく対立しているという事実は私も知っていた。そして、クーデターが起きた映像は私はテレビで確かに見た。タイ人が「兵士がタクシンを攻撃(アタック)している」と叫んでいた。ここまではすべて事実だ。

そして、「タクシン首相は殺された」という情報が次にやってきた。私のまわりの女性たちはみんな「タクシンが殺された、死んだ」と言っていたし、彼女たちは確信を持って私にそう断言した。

彼女たちも噂を聞いてそれを信じていたのだが、その噂を現場で聞かされたら「いや、死体が映し出されていないのだから、それはデマかもしれない」と考えられるだろうか。私はできなかった。

「本当なのか?」と一抹の疑問はあったのだが、そもそも私の中では「今この瞬間にクーデターが起きた」ということ自体から現実離れした出来事だった。

だから「そうか、クーデターが起こったのか。そうか、タクシンが殺されたのか」と、すっとそのデマを受け入れた。クーデターという異常事態が起きたのであれば、タクシンが殺されるくらいのことが起きてもおかしくないと思ったのだ。

デマは渦中にいたら絶対に見抜けない。正しい情報と誤った情報が渾然一体となって押し寄せているので、どれが本当でどれが嘘なのか判別もできない。

なぜ、私はこんなことを今になって思い出しているのか。

今、全世界が新型コロナウイルスによって大きな混乱の最中(さなか)にある。これから実体経済の悪化もまた押し寄せてくる。そして思うのだ。私たちは、きっと「何らかのデマ」に巻き込まれる時がくるのだろうと……。

その時、私は再び何かのデマを信じてしまうに違いない。判断できないから。私だけではない。誰もがデマに巻き込まれるはずだ。

『王室と不敬罪 プミポン国王とタイの混迷(岩佐 淳士)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4166611801/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4166611801&linkId=72d057cfb11d47982dba7b60193bfea2

https://blackasia.net/?p=17691
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/398.html#c19

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
138. 中川隆[-13302] koaQ7Jey 2020年3月26日 06:46:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1602]

20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/652.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c138
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
139. 中川隆[-13301] koaQ7Jey 2020年3月26日 06:47:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1603]
20世紀初めはこういう時代だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c139

[近代史4] 世界を変えた映画 『エマニエル夫人』 中川隆
1. 中川隆[-13300] koaQ7Jey 2020年3月26日 07:24:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1604]



Emmanuelle(エマニエル夫人)− Pierre Bachelet




Emmanuelle − Pierre Bachelet
http://www.xvideos.com/video20154645/emanuela_1974


Francis Lai & Sylvia Kristel 映画「続エマニエル夫人」 Emmanuelle II L'Anti Vierge




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/655.html#c1
[近代史4] 20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた 中川隆
1. 中川隆[-13299] koaQ7Jey 2020年3月26日 07:31:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1605]

19世紀はノン・ヴィブラートのポルタメント奏法の時代

演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。

現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。

この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。

アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。

また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。

第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。

ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。

おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。

本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。

しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。

つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
 
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html


カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。

カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。

そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。

クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。 云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。


第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。 この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。

このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。

これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html

19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。

例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)

上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。
そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです

「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。
http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm


ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。

しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。

ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音は ただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。 私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。

20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。 フリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、グラマーなビブラートを始めたように思われます。

1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。 しかし、ごく徐々になのです。高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。

ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、
ウィーン・フィルは1940年までありません。

ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html

メンゲルベルクの演奏を語る上で、よく取り上げられるのが弦楽器のポルタメント奏法 ( 音をずり上げ・下げする奏法 ) である。メンゲルベルクの演奏を「時代遅れ」呼ばわりする人々の多くが真っ先に問題にするのが、このポルタメント奏法であるが、実は今世紀半ば頃までは、この奏法は弦楽器奏者にとっては全く自然で、当り前のものだった。それが今世紀の中頃から、次第に新古典主義的・即物主義的音楽感が演奏スタイルの主流を占めるようになり、ポルタメント奏法は「時代おくれ」の烙印を押され、次第に姿を消して行くこととなる。

しかしながら、後期ロマン派の音楽を語る上で、このポルタメント奏法は決して無視することは出来ないのである。たとえば後期ロマン派の偉大なシンフォニスト、グスタフ・マーラー ( 1860〜1911 ) の交響曲のフル・スコアには、このポルタメント奏法をわざわざ指定してあるところが何箇所もある。

メンゲルベルクによるマーラーの交響曲の録音は、第四番のライブ録音 (1939年11月9日 ) と、第五番の有名なアダージェット (1926年5月 ) のみであるが、特に後者など、むせび泣くようなポルタメントが、この音楽の本質を語るうえに、いかに欠かせないものであるか、ということを実感させる貴重な証拠である。

今日、特にバロック音楽の世界ではオリジナル楽器で演奏される事が当り前のようになり、楽曲が作曲された当時の演奏スタイルについて、実に様々な研究がなされている。しかし反面、今まで取り上げてきたマーラーやグリークなど後期ロマン派時代の音楽については、それが今日でも広い人気を持ち数多く演奏されているにも拘わらず、ポルタメント奏法をはじめとする作曲当時の演奏スタイルが、現在まったくと言ってよいほど顧みられていないのは、私にはとても不思議な気がするし、また残念である。なぜならば、マーラーもグリークも彼等が生きていた頃のオーケストラの音〜 例えばメンゲルベルク指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団のような響き 〜を念頭において作曲していたはずなのだから。
http://www.medias.ne.jp/~pas/mengelberg.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/652.html#c1

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
17. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:08:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1606]

私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム


私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き


 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c17

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
18. 中川隆[-13297] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:11:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1607]


私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム


私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き


 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。

核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。
ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。

 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c18

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
3. 中川隆[-13296] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:15:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1608]
私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム

私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き

 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/


1982年にロナルド・レーガン大統領はNSDD55を出して一種の戒厳令計画で、憲法の機能を停止、地下政府を樹立することを定めたCOGを始めた。

 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出されると対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更され、核戦争が勃発しなくても、支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。2001年9月11日にこの規定が始動したという噂がある。

 COGのベースになったFEMAは1979年にジミー・カーター政権が作り上げているが、それはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1958年に作られた秘密政府が元になっている。

1957年にアメリカ政府はソ連を約300発の核兵器で殲滅することを計画した。
ドロップショット作戦である。

核戦争時に正規の政府が機能しなくなることを想定してのことだった。

 ソ連を核攻撃する計画は第2次世界大戦が終わった直後からアメリカで練られているが、その背景にはウィンストン・チャーチルを含むイギリスの支配層が存在していた。

 反ファシストで、ウォール街を拠点とする金融資本と対立していたフランクリン・ルーズベルトが1945年4月に死亡、その翌月にドイツが降伏する。

ドイツ降伏の直後にイギリスの首相だった反ソ連のチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、そしてできたのがアンシンカブル作戦だ。
 これは参謀本部の反対で実行されなかったが、アメリカ軍、イギリス軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 チャーチルは1945年7月に首相の座を降りるが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を告げる。FBIの文書によると、​チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 チャーチル家は貴族階級に属すが、ウィンストンの父親であるランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。

 それだけなら個人的な問題ですむのだが、ランドルフにカネを渡していた人物が問題。ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたのだ。借金という形式だが、いくらでも借りられたと言われている。

 それはともかく、アメリカの収容所化には長い歴史がある。収容所化の背景には巨大な私的権力が存在している。フランクリン・ルーズベルトは私的権力が国を支配する仕組みをファシズムと呼んだ。大統領をすげ替えるだけでは解決しない問題が横たわっているのだ。米英支配層の長期戦略に反する大統領が登場したなら、あらゆる手段を使って排除されることだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c3

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
18. 中川隆[-13295] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:19:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1609]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003100000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c18

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
19. 中川隆[-13294] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:20:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1610]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003100000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c19

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
4. 中川隆[-13293] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:21:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1611]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003100000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c4

[近代史4] ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論 中川隆
6. 中川隆[-13292] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:22:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1612]


東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、ケネディ大統領暗殺、勲一等旭日大綬章


 ドイツのドレスデンを空爆した翌月、アメリカ軍は1945年3月9日から10日にかけて、東京の下町、深川、城東、浅草などを焼夷弾で焼き尽くした。この爆撃で7万5000人から20万人の非戦闘員が殺されたと言われている。

 投下された焼夷弾の中には38個の小爆弾が収納されていて、高度610メートル付近で子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後に焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組みになっている。

 東京空襲を指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。この軍人は原爆を投下する都市の選定にも加わっていた。朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。

 ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務め、50年6月に始められた朝鮮戦争で朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊して多くの市民を殺害。ルメイ自身、3年間に朝鮮半島の人口の20%にあたる人を殺したと認めている。

 朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年にルメイを含むアメリカ軍の好戦派はソ連を核攻撃する作戦を立てた。アメリカに存在した核爆弾の数は無視したもので、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。

 その2年後にSACは​核攻撃計画に関する報告書​をまとめている。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだ。この当時もSACの司令官はルメイ。

 この計画ではソ連の主要都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。

 日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていた可能性は高い。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行されて基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。沖縄の基地化はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで破れた1943年初めの時点で事実上、終わっている。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。このソ連侵略でアドルフ・ヒトラーは西の守りを無視して約300万人を投入した。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。東部戦線での敗北は戦争自体の敗北も意味していた。

 ドイツ軍がソ連侵略に失敗したのを見てイギリスやアメリカは慌てて動き始める。その年の5月に両国はワシントンDCで会談、ドイツに対する軍事作戦を作成した。7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸している。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 ドイツ軍がソ連軍との戦いに敗れると、ナチス親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。ダレスは当時、戦時情報機関OSSの幹部だったが、ドイツの巨大資本と連携していたウォール街の弁護士という側面も持っていた。

 1944年になるとダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将らと接触しはじめたが、その仲介役はダレスの部下でウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。大戦後に極秘の破壊工作機関OPCを指揮することになる人物だ。

 その後、ウォール街の住人たちがナチス元高官らをラテン・アメリカへ逃がすラットラインを作り、国務省やCIAはそうした人びとやドイツの科学者を雇う。ブラッドストーン作戦とペーパークリップ作戦だ。フランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死すると、こうしたウォール街の住人がホワイトハウスで主導権を握ることになる。

 1945年5月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)にを命令、アンシンカブル作戦が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは7月1日で、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは参謀本部が計画を拒否したからだという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この後、7月16日にニューメキシコ州のトリニティー・サイトで原子爆弾の爆破実験が行われて成功。8月6日には広島、8月9日には長崎に原爆が投下された。

 トリニティ実験の10日後にチャーチルは下野するが、翌年の3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年に​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 ルメイたち好戦派が目論む計画の障害になる人物が1961年に登場する。ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任したのだ。ケネディは1963年6月、アメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴えている。ケネディ大統領が暗殺されたのはその5カ月後のことだった。日本政府がルメイに「勲一等旭日大綬章」を授与したのは暗殺の翌年のことである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003100000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/623.html#c6

[近代史4] ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論 中川隆
7. 中川隆[-13291] koaQ7Jey 2020年3月26日 09:24:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1613]

私的権力が国を凌駕する力を持つ政体がファシズム
私的権力が世界を直接統治する体制を築こうとする動き

 アメリカは基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている帝国だが、その命運は尽きかけている。本ブログで繰り返し書いてことだが、2030年までその支配システムは持たないだろうと推測する人もいる。アメリカの支配層はドル体制を維持しようしているが、限界があることを認識しているはずだ。

 ドル体制を維持するため、1970年代からアメリカの支配層はドルを実社会から吸い上げる仕組みを作ってきた。そのひとつが産油国にドルを回収させるペトラダラーであり、もうひとつが流通するドルを吸い上げる投機市場の育成だ。

 同じ頃から彼らは公的な仕組みを破壊し、私有化を推進している。富と情報をごくわずかな人びとに集中させ、国を上回る力を持つ私的な権力を作り上げてきたのだ。これは一種のアナーキズムだが、圧倒的な力の差がある状態で「個人の自由」に基づくシステムを作れば、弱肉強食の非情な世界ができあがる。それが新自由主義にほかならない。

 そうした弱肉強食の世界における少数の強者は大多数の弱者を支配するために社会を収容所化する。監視システムを強化し、警察の軍事化を進め、洗脳や宣伝の仕組みを充実させているのはそのためだ。世界のパレスチナ化とも言えるだろう。西側の私的権力は自分たちが世界を直接統治する体制を築こうとしている。

 その強者は私的権力にすぎない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと呼んだ。強大な私的権力が民主的国家そのものより強くなることを許すなら、民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのである。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると見通している。

 1944年には大統領選挙があったが、民主党の幹部たちはウォーレスを副大統領候補からはずし、ルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマンを新たな候補者に据えた。1945年4月にルーズベルトは急死、このトルーマンが大統領に昇格しているが、もしウォーレスが大統領になったなら、ウォール街の大物たちはファシストとの関係が追及されていたことだろう。

 戦後、西側世界はウィンストン・チャーチルが主導する形で冷戦に突入し、ウォーレス政権でファシストを追及したであろう人びとはジョセフ・マッカーシーを中心とするグループに攻撃された。マッカーシズムである。

 マッカーシーの背後にJ・エドガー・フーバーFBI長官がいたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンは密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと親しく、ジョン・ゴッチなど犯罪組織の大物の法律顧問でもあった。後にコーンはドナルド・トランプの顧問にもなる。

 この人脈がジェフリー・エプスタインにつながることも繰り返し書いてきた。未成年の女性などを有力者に提供、その行為を映像などで記録して恫喝に使っていた人脈で、それはイスラエルの情報機関の仕事だった。

 また、トルーマンのスポンサーはリンドン・ジョンソンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はフランスの富豪、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発にカネを出している。

 こうした富豪を含む私的な権力は新自由主義化によって強力になり、彼らに呑み込まれた国は少なくない。現在、独立していると言えそうな国はロシア、中国、イランなど多くはない。そうした国々と西側の私的権力の熾烈な戦いが繰り広げられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003250001/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/623.html#c7

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
23. 中川隆[-13290] koaQ7Jey 2020年3月26日 10:58:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1614]

2020-03-24
天性の嘘つき安倍晋三
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/24/164242


それにしてもこれには呆れた。安倍晋三がよりによって、国会で「悪夢の民主党政権」と発言したことはない、などと言い出したのだ。


 立憲民主などの会派の芳賀道也氏(無所属)が「都合が悪くなると、首相は『悪夢の民主党』と言って一切答えない。子供の教育に悪い」と皮肉ったことに反論した。首相は「自民党大会などで『悪夢のような民主党政権』と、経済政策において申し上げている」と認める一方、「国会答弁で答えたことはない。正確な質疑をしたほうがいい」と語った。

 実際は、首相は2019年2月の衆院予算委員会などで「民主党政権は悪夢だった。間違いなく」と述べている。首相の答弁を受けた芳賀氏は「全く情けない」とあきれてみせた。【小山由宇、古川宗】

事実として、安倍晋三はこれだけ繰り返し言っている。
衆院予算委員会 2019年2月12日
◯安倍内閣総理大臣 (略)
 皆さん、悪夢でなかった、それを否定しろとおっしゃるんですが、では、なぜ民主党という名前を変えたんですか。私はそれが非常に不思議だ。
(略)

◯安倍内閣総理大臣 これもよく聞いていただきました。
 このベースアップ、ありますね、これは一四年から。この前どうなっていたと思いますか。実は民主党政権時代、私は悪夢と呼びましたが、連合は、ベースアップ、集計すらできなかったんです。していないの。なぜかというと、ベースアップの要求をしていないからですよ。とてもそういう状況じゃなかったんですよ。
(略)

 また、正規雇用だって、我々が政権をとる前の政権、民主党政権、悪夢と呼びましたが、あれは五十万人、正規雇用が減っているんですよ。我々は七十六万か八万、恐らく六年間を見ればもっとふえていると思いますよ。正規雇用をふやしたんですよ。これはもう明らかにファクトですから。

衆院予算委員会 2019年2月18日
◯安倍内閣総理大臣 (略)
 私は、二〇〇九年の我が党が野党に転落したときのことを悪夢と言っているのではないんです。悪夢はその後の民主党政権です。正直に言って、それは申し上げたいと思います。

 今よりも三割も中小企業、小規模事業者、倒産件数は多いんですよ。あのときの就職率、どうだったんですか。今よりも半分しか有効求人倍率、低かったわけですから、当然それは、それで就職できなかった人たちにとっては悪夢じゃないですか。(略)それは間違いなく、私は、そういう人々にとっては、皆さん、悪夢だったと思いますよ。
(略) 

衆院予算委員会 2019年2月20日
◯安倍内閣総理大臣
(略)
 私が、話の中身としては、いわば参議院選挙で大敗をし、そして政治が安定を失った、あれは私の責任だったということを述べ、そして、その後に、悪夢のような民主党政権が誕生した、決められない政治の中において経済は失速をし、そして、若い皆さんがいろいろ頑張ってもなかなか就職できなかった時代があった、そして、今よりも三割も倒産件数が多かった、かつ、その中で連鎖倒産という言葉が日本じゅうを覆っていた、これは事実でありまして、それを述べた。
(略)

衆院予算委員会 2019年2月25日
◯安倍内閣総理大臣 (略)
 要するに、失業者の方々は賃金をもらっていませんから、この平均賃金の中に入っていないんですよ。これをゼロで数えていただければ、相当低くなると思いますよ。民主党政権時代は、まさにこれは悪夢だったんですよ、間違いなく。
 そこで、これもファクトですから……(発言する者あり)

自己の発言に最大限の責任を負わなければならない首相という職にありながら、一瞬でバレる嘘を平然とつく。しかも、どれだけ嘘がバレても恥じることもない。
この男はおそらく、物心ついた頃から嘘を繰り返し、都合の悪いことはすべて口先だけのごまかしでやり過ごしてきたのだろう。なにもかもがおのれの損得のみ。倫理感も責任感もゼロなのだ。

こんな男が7年以上もの間首相の座にのさばっていることこそが、最大の悪夢だ。

https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/24/164242
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c23

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
24. 中川隆[-13289] koaQ7Jey 2020年3月26日 11:01:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1615]

2020-03-26
【コロナ】とにかく徹底的に仲間内の利権になることしかやらない。それが自民党であり、それが安倍政権。
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/26/082934


■ 諸外国は次々に生活破綻防止策を発表

新型コロナウイルス問題で失業したり収入が激減する人々を救済するため、諸外国はそれぞれ現金給付など、さまざまな支援策を打ち出している。
アメリカは4人家族で3,000ドル(約33万円)の現金をとりあえず4月と5月の2回給付。


フランスは営業停止を強いられる観光業の従事者に政府が時給の7割を補償、イギリスも同様に、月額32万円を上限として休業社員の給与を補償。


こうした対策はいずれも、外出制限等による経済活動の停滞で人々の生活が破綻するのを防ぐためのものだ。

■ 一方日本は「商品券」?
では日本政府はどんな対策を用意しているのかと思えば、これである。
まずは、「外食や旅行代金の一部を国が助成」。

これだけでも呆れたが、次は「和牛の商品券」と来た。

コロナ禍で収入を失う中小零細事業者やその従業員が必要としているのは、何よりも現金だ。収入があろうがなかろうが、家賃や税金、公共料金の支払いは待ってはくれないのだ。

■ 利権のないことには指一本動かさないのが自民党であり安倍政権
どうしてこれほど馬鹿げた「対策」になるのか?
単に安倍政権が無能だからではない。消費税停止や現金給付などの対策には、いくら有効でも「旨み」がないからだ。
例えば、なぜ旅行代金の助成かといえば、二階(自民党幹事長)が全国旅行業協会の会長だという、分かりやすい理由がある。

和牛などの商品券も同じことだ。特定業界に限った商品券を政府が提供するというのは、税金でその業界を直接支援することに等しい。その裏には、族議員の選挙を業界あげて支援するなど、さまざまな見返りがあるわけだ。
とにかく徹底的に仲間内の利権になることしかやらない。それが自民党であり、それが安倍政権なのだ。こいつらに権力を握らせ続けている限り、この国に未来はない。

https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/26/082934
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c24

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
1. 中川隆[-13288] koaQ7Jey 2020年3月26日 12:29:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1616]

大西 つねき - YouTube 動画
https://www.youtube.com/channel/UCkhZRVnDFiGF9A9s5zYiwxw


大西つねきの公式サイト
https://www.tsune0024.jp/


・Twitter
@tsune0024
https://twitter.com/tsune0024

・Facebook
https://www.facebook.com/tsune0024/

参議院選挙中に取材してくれた長周新聞さんの記事が人気です。
選挙後もよく読まれている記事の一位にランクされ、関心の高さが伺われます。多くの人が財政金融の嘘に気づき始めているんですね。記事はこちら。


【大西つねき氏(れいわ新選組)の演説を文字で読む 現代社会が抱える金融システムの不条理】
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12166

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c1

[近代史4] レナー弦楽四重奏団 中川隆
1. 中川隆[-13287] koaQ7Jey 2020年3月26日 13:21:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1617]

Lener Quartet & Charles Draper - Brahms : Clarinet Quintet Op.115 -1st & 2nd Mvt (1928年)









Charles Draper (1869-1952), British famous clarinetist.
recorded 10 November 1928
transferred from Jpn Columbia 78s /J-7600/02(AX-4258/60, 4289/91) 再復刻


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/660.html#c1
[リバイバル3] 水道料金「月額2万円」時代へ? 値上げと地域格差拡大の背景 中川隆
26. 中川隆[-13286] koaQ7Jey 2020年3月26日 17:50:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1618]
『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』 著・岸本聡子
書評・テレビ評2020年3月26日


 日本では改定水道法の成立によって水道の民営化が可能になったが、世界に目を向けると、水道の民営化がおこなわれていた国々で水道を再公営化する波が広がっている。しかもその速度が2010年以降加速しているという。2017年時点で世界33カ国・267自治体が再公営化を決めており、水道以外の電力、地域交通、ゴミ収集、教育、健康・福祉サービス、自治体サービスの再公営化の動きも顕著で、水道とあわせて世界で1600以上の市町村が再公営化を果たしている。

 「公的セクターは効率が悪いから、公共サービスを民間企業に任せて経費を節約すればよい」という「新自由主義の神話」のウソが広く暴露され、民間企業によるもうけのための事業をやめさせて、公共サービスを市民の手にとり戻そうとする運動が活発になっている。アムステルダムに本拠を置くNGOトランスナショナル研究所研究員の著者が、本書でいきいきとそのことを報告している。

フランス・パリでは水道料金265%も値上がり

 最初の例は、ヴェオリア社とスエズ社が本社を置く水メジャーのお膝元、フランスのパリだ。パリで近代的な上下水道が整備されたのは19世紀半ば、ナポレオン3世の時代で、以来パリ市が水道事業を運営してきた。1985年、のちに大統領となるシラクがパリ市長のとき、ヴェオリア・スエズ両社と25年間のコンセッション契約を結び、水道を民営化した。

 するとパリの水道料金は、2009年までに265%値上がりした。また両社が提出する財務報告も不透明なもので、市が両社の経営を監督するという条項は機能しなかった。そのなかで水道の再公営化を求める市民運動が起こり、それを公約に掲げた市長が当選して2010年、水道事業の再公営化を決めた。

 公営化の担い手となった水道公社「オー・ド・パリ」は、初年度から3500万ユーロ(約42億円)もの経費を節約し、それを原資に水道料金を8%値下げした。経費節約が可能になったのは、株主配当や役員報酬の支払いが不要になったことと、収益を親会社に還元する必要がなくなったことによる。また、運営するなかで、両社が長年7%と説明してきた利益率が、実は15%近くあったことが判明した。値上げなどまったく必要なかったことになる。いかに多くの利益が株主や水メジャーに吸いとられていたかである。

 「オー・ド・パリ」の理事会は、市議、労働者代表、市民組織代表で構成され、その市民組織の一つが、パリ市民なら誰でも参加できる「パリ水オブザバトリー」で、財務・技術・水道政策など開示される情報に随時意見をのべている。再公営化の後は自治体にお任せ、というのではいつ民営化路線に戻るかもしれないので、パリでは市民の恒常的な関与を重視しているようだ。

 「オー・ド・パリ」はまた、長期にわたる水源保全活動をおこなっており、その一環として、水質維持のために水源地と周辺の農家に補助金を出して有機農業を推奨している。再公営化が地域の農漁業振興ともつながっているわけだ。それができるのも、再公営化で利益の大半を再投資に回せるようになったからだ。

イギリスでは若者を中心とした市民運動

 次の例は、新自由主義とPFIの総本山、イギリスである。イギリスでは1980年代に保守党のサッチャーが、それまで国有だった電気、石油、ガス、鉄道、航空、郵便を民営化し、総仕上げとして水道事業を1989年に完全民営化(運営権だけでなく、水道施設所有権も含めすべてを民間企業に売却)した。続く労働党政権時代には、公共事業のPFI化がピークになった。

 それが今、「水道民営化は組織的な詐欺」といわれるまでに世論の転換が起こっているという。民営化から28年たった2018年、10の民間水道会社は合計510億ポンド(約7兆1400億円)もの債務を抱えるに至ったからだ。なぜか?民間水道会社は株主に巨額の配当金(年平均で18億1200万ポンド<約2537億円)を支払うために借金をくり返し、借金と膨らむ利子の返済に水道使用料金を使い続けたからだ。ある民間水道会社がタックス・ヘイブンを利用して、過去一〇年まったく税金を払っていなかったことも暴露された。そのほか、経営陣への高額報酬、インフラの更新や整備に金を使わないことも問題にされた。上下水道料金の高騰で、水道料金の支払いができない世帯が1割をこえた。

 こうして公共サービスを自分たちの手にとり戻したいという市民の願いが高まり、若者が中心となって生まれた草の根の政治運動「モメンタム」をはじめ、各地で草の根の市民運動や研究者たちの活動が活発化した。そのなかで今年1月、保守党は分割・民営化されていた鉄道の北部地域網の再国有化を決定した。

 そのほか反新自由主義、反緊縮の運動の高まりのなかでポデモスを誕生させたスペインでは、それぞれの地域にポデモスと緩やかに連携する地域組織が生まれている。その一つが水の運動のなかから生まれた「バルセロナ・イン・コモン」で、2015年の地方選挙では水道再公営化や住宅問題の解決を掲げ、定数41議席中11議席を獲得して第一党になった。著者はこの運動について、議会のなかから政治や政策を変えていく人と、議会の外で草の根の立場から政治を監視し市民運動を広げる人たちとの間に、健全な緊張関係を保っていると指摘している。

 もちろん再公営化は、グローバル企業やそれを支える国家、EUとのたたかいであり、困難がともなうのは当然だ。しかし、水道再公営化の運動が、市民の手に真の民主主義をとり戻す運動に発展していることは注目に値する。欧州を叩き出された水メジャーが次なるターゲットを日本に絞っているなかで、多くのヒントを与えてくれる本だ。
 (集英社新書、216ページ、定価820円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/16267
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html#c26

[近代史3] 韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ 中川隆
6. 中川隆[-13285] koaQ7Jey 2020年3月26日 20:48:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1619]
2020年03月26日
韓国経済破綻カウントダウンか 日米の通貨スワップだけが頼り

アメリカは通貨スワップで韓国を助けたが、後で後悔するだろう

画像引用:通貨スワップ「ドルの補給路」…KOSPIと為替レートの安定を図る : 経済 : hankyoreh japanhttps://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2020/0322/158486754137_20200322.jpg

韓国の破産を助けるのは誰か

韓国の新規感染者数は一時減少していたが3月24日に100人となり再び3ケタ台に増加した。

24日までの感染者数は9137人でなくなったのは127人、このままだと感染者1万人に達するのが時間の問題になった。

韓国はウォン下落で通貨危機に陥っていたがアメリカと600憶ドルの通貨スワップを合意し一息ついている。


米韓通貨スワップで得る600億ドルでウォンを購入すればある程度通貨下落を抑えられるが、通貨市場ではもっと巨額の金が動いている。

投機筋のウォン売り浴びせが600億ドルを超えたら資金切れになり、際限なくウォンは下落する。

それを見越して韓国政府は日本と通貨スワップ締結を呼びかけているが、日本側にはデメリットしかない。


2008年に麻生総理が日韓通貨スワップ10兆円で韓国を助けたが、韓国はすぐに謝罪要求をし慰安婦竹島騒動を起こした。

韓国側からすれば日本が韓国に屈服し服従して「お金を差し出した」のであり、日本は韓国の属国に落ちた。

麻生総理はこうした外交上の常識を何も知らず、「良い事をしたから韓国と仲良くなれる」などと言っていた。


少しは学習したのであれば日韓通貨スワップなどあり得ないが、同じ間違いを絶対に繰り返さないとは限らない。

米ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーは米国のGDPがコロナ危機で24%から30%マイナスになると予想している。

これが意味するのは欧米諸国の輸入需要が半減し輸出国が壊滅するという事で、輸出依存度の高い韓国は危ない。

前途多難で希望がない韓国

2020年2月の韓国輸出は医療関連の半導体輸出などで意外にも好調だったが、3月以降は急減速が予想されています。

韓国経済はコロナウイルス発生前の2019年から不振で、ソウルの20代失業率は非正規を含む実質で50%に達していた。

韓国の就職はかなり特殊で大学卒業時に就職内定しているのは3大エリート校でも10%未満でした。


学生は大学を卒業してから就職予備校に通うが、男子の場合は兵役もあるので就職まで5年から10年もかかる。

企業は兵役を終えていない学生を雇わないので、多くの学生は兵役を終えてから就職予備校に通い英語などの資格を取得する。

サムスングループの平均採用年齢は30歳というから新入社員が30代、退社するのは40代が多い。


大学で習った知識や予備校の資格も20年たてば古くなるので、サムスンは若い社員と入れ替えて解雇する。

大企業を解雇されると中企業に移るが、そこもやがて解雇され小企業から零細企業、最後はチキン屋台かゴミ拾いに転落する。

これが韓国の平均的サラリーマンなのでエリートと言えども将来の保証はなにもない。


韓国は表向き男女平等だが実際は女性が出世するのは困難なので、高収入な男性と結婚するのが目標になる。

だが不景気で平均的な20代男性は無職かフリーターなので、婚姻率が激減し出生率は0.9以下に低下している。

韓国の人口は速ければ2020年に減少が予想されていたが、コロナで出生率や婚姻率がさらに下がれば、急激な人口減少が予想されます。


韓国は輸出依存度が高く欧米中日が不況になると需要が減少するので、サムスンと言えども倒産する可能性がある。

http://www.thutmosev.com/archives/82535470.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/491.html#c6

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
79. 中川隆[-13284] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:01:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1620]
ピアノの歴史

ピアノが誕生して約300年になリます。

3世紀に渡って発展を遂げてきたかのように思えますが、実は20世紀になってからは、ほとんど変化がみられません。

ピアノは19世紀未に完成の域に達してしまったのか、それとも音楽そのものがピアノにそれ以上のものを求めなかったのか、はてまた・・・

そのあたりの謎を、歴史をひもときながら考察してみましょう。


最初のピアノフォルテ

現在のピアノの原型をつくったのは、イタリアのクリストフォリ(1655〜1731)であった。

チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りにハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという、現在のピアノ・ メカニズムを発明したのが、1709年。 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”(弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けた。 この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけである。

このクリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンに受け継がれた。彼はクリストフォリの発明に改良を重ねて 新しいピアノをつくった。 J.S.バッハは、フリードリッヒ大王に献呈されたジルバーマンのピアノを、王の御前で演奏している。(1747年)


ピアノフォルテの改良

ドイツのピアノ工業に最も大きな貢献をしたのは、ヨハン・アンドレス・シュタイン(1728〜1792)であった。

彼はジルバーマンのピアノのメカニズに新たな改良を加え、ドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させた。このアクションは長年にわたって評判をとった。シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトはこのピアノの明るく平均された音色を愛し、多くのピアノ曲を書いた。

一方イギリスではヨハネス・ツンペが、クラヴィコードの流れを継承して、クラヴィコードにハンマーアクションを装置したスクウェアピアノ を制作した。ピアノを初めてソロ楽器として公開演奏したのは、J.C.バッハ(J.S.バッハの息子)であったが(1768年)、そのとき使われたのがこのスクウェアピアノであった。

そしてこのツンぺの発明したイギリス式アクションに改良を加え、弦の張力を増し、フレームも強いものにしたのが、イギリスのジョン・ブロード・ウッドである。彼のイギリス式アクション(1780年頃)は、抵抗感のあるタッチと力強い音を生み出した。現代のピアノの先駆ともいえるであろう。晩年のベートーヴェンは、このブロードウッド製のピアノで数々の傑作を書いた。



ホールでの演奏に耐える音量と音域を追求

初期のピアノフォルテは、1台1台が手作りであったから、決まったモデルを量産したのではない。 従って同じメーカーでも、つくるたびに新しいアイデアを加えて、形も多少変えていった。その音域も18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったが、1800年の境を過ぎると、年を追って音域を増してくる。

フランス革命(1789年)以後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も 一般大衆化し、ピアノ工業も大きく発達したのである。1000〜2000人の人達に聴かせるためのホールもでき(18世紀末)、ピアノも音域の広がりとともに、ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになった。弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、頑丈な鉄骨が使われ始めた(1799年)。

手作りで1台のピアノを完成させることは不可能な時代に入ったのである。


現代グランド・アクションの完成

音量を増大するのみならず、ピアノ奏法の発達にともない、タッチの面でもピアノに対する要求は大きくなっていった。 素早い連打やトリルなどの装飾音、早い連続したパッセージの多用(ロマン派音楽)が作曲面であらわれるに従って、ピアノのアクションにも、より敏感なものが要求されるようになった。
この要求に応えてアクション機構も一層精密さを増し、アフタータッチがよりクリアーに感じられ、素早い連打を可能にする画期的な現代グランドアクションが、フランスのピエール・エラールにより1821年に発明された。


様々な部分に加えられた改良

1820年を過ぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われた。ミュージックワイヤーを使うようになったのもそのひとつで、それによってピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、音量が著しく増大した。

1826年には、ドイツ系のフランス人ハープが、フェルト製のハンマーを発明した。低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明である(1820年)。 また、スペース的な実用性を高めるために張弦を交叉にした「交叉弦」も、やはり19世紀前半に考案された。音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大した。

ショパンは、20歳でワルシャワからパリへ渡ってからは、生涯を終えるまでプレイエル製のピアノを愛用した。リストは、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなどのピアノを使っている。拡大されたピアノの音域と、増大された音量を縦横無尽に駆使した最初の作曲家は、リストであった。


質的向上をめざした19世紀以降のピアノ工業  〜現代のピアノの完成〜

19世紀の半ば、ショパン、リスト時代を持ってピアノのメカニズムの原理と工法は、一応の完成の域に達した。メーカーのその後の努力目標は、もっぱら質の向上に向けられていった。 ピアノの弦はさらに太い巻線になり、また全体の張力も増大したため、それを支えるために鋳物の鉄骨を組むようになった(1840年)。 そのうえに華やかな明るい音を求めるとなると、弦の張り方も限度まで張力を高めることになる。現代ピアノの張力のトータルは、20トンにも及んでいる。

ヨーロッパピアノメーカーの特色と変遷

パリのエラール社は現代の20世紀まで、フランスを代表するピアノ名門会社であった。創業者セバスティアン・エラール(1752〜1831)は、 フランスでピアノフォルテをつくった最初の人である。19世紀末から20世紀初めにかけて、エラールの品質は世界的な評判をとり、演奏会ホールや各国の王宮にもエラール・ピアノが備えられた。

ドイツのブラウンシュヴァイクのグロトリアン・シュタインヴェークは、今日のスタインウェイの前身会社で、今なお堅実な製品を出している。この一族の一人であるハインリヒ・エンゲルハルト・シュタイヴェーグはアメリカに渡り、ニューヨークに工場を開き、名前を英語読みにかえてスタインウェイをつくりはじめた(1853年)。これがニューヨークのスタインウェイである。後にまたこの一族の一人がドイツに戻って製造を始めたのが、今日のハンブルグスタインウェイである。かくしてこの会社は二種の製品を出すことになった。

ベヒシュタインの元祖フリードリヒ・ウィルヘルム・ベヒシュタインは、19世紀半ば過ぎに、ロンドンのピアノ工場で徒弟として修行を積み、バリではハープに弟子入りをして1853年にベルリンで小さな工場を開いたが、数十年で一流メーカーに進出。リストやビューローもこのピアノを愛した。

ライプチヒのブリュートナーも、1853年にユリウス・ブリュトナーが3人の仲間とともに工場を開き、創業はじめから品質の良い、音量の充実したピアノとして評判をとった。モシュレス、ライネッカ、リストなどが愛用し、1867年のパリ万国博では一等の金賞を得て一躍有名になった。

ウィーンには名門ピアノ、ベーゼンドルファーがある。イグナツ・ベーゼンドルファーによる1828年の創業で、音楽の都ウィーンを象徴する歌うような伸びのある音質が長所で高い評価を得た。

総じて19世紀半ば以後のピアノは、大会場にふさわしい音量が要求されるので、一昔前に比べて鍵盤も長く、沈みも深い。協奏曲などでオーケストラに負けてはならないので、ピアノの設計にもその対応が必要になってくるのである。また一方で作曲家もオーケストラに挑戦するような作品を書くのは、リスト時代から始まっていた。音域の面でも第一次世界大戦後は、88鍵が標準になった。

このようにして、音の質、タッチ、音域、音量、そして総合的に現代の要求に応えるピアノが完成したのである。

https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c79

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
80. 中川隆[-13283] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:03:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1621]
No.12"エラール"
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html

解説:伊藤 綾子

エラール社(1780--1959)は1780年にセバスチャン・エラールによって創業された、19世紀フランスを代表するピアノ・メーカー。

歴史的な作曲家(ハイドン、ベートーヴェン、リスト、ショパン、メンデルスゾーン、ヴェルディ、ワーグナー、シャブリエ、フォーレ、ラヴェル)がエラールを所有していただけでなく、18世紀には顧客にマリー・アントワネット王妃もいた王宮の楽器職人であった。

パリ音楽院の業者であったこともあり、19世紀後半のパリ音楽院でのレッスンはエラールのピアノで行われ、音楽家、ピアニスト、作曲家達が、その響きによって育成されている。

そして、時代の先端を行くピアニスト(若きリスト、ルービンシュタイン、パデレフスキー)が広告塔となってエラールを演奏会で使用し、その発展を促した。
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c80

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
81. 中川隆[-13282] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:04:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1622]
エラール
https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html

製作者:フランス、エラール社 
製作年:1899年
サイズ:全長=257p、幅=151p、高さ=106.5p
音域:A₂〜a⁴、85鍵

「ピアノの貴婦人」と称され、外装はホワイトクリーム色で側板や脚に見事な彫刻が施されています。全体的に、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世の時代の様式を持っている豪華なグランド・ピアノです。


ベートーヴェンとエラール

ベートーヴェンのピアノ作品のなかで1803〜1816頃はフランスのエラール製(F₁〜c⁴、68鍵)のピアノを使用して作曲していたと言われています。

ベートーヴェンはこのピアノの音域の広さをピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」に反映しています。低音の反復音で始まり、突然最高音域に跳躍して旋律が奏でられます。

第23番の「熱情」の終楽章では、このピアノの最高音c⁴がふんだんに使われています。

https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c81

[リバイバル3] ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない 富山誠
82. 中川隆[-13281] koaQ7Jey 2020年3月26日 22:10:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1623]
2017.06.14
【ショパンが愛したピアノ】なにが違う? ピアノメーカーの特徴を紹介2


こんにちは! ピアニストのRiLuMi(リルミ)です。

ピアノは持ち運びができない楽器なので、演奏の仕事では各会場にあるピアノを弾くことになります。ピアニストにとってはどこのメーカーのピアノが置いてあるのかなということも楽しみのひとつなのですが、ピアノに馴染みのない方の中にはあまりメーカーの違いに関心を寄せたことがないという方も多いようです。

そこで、ピアノの種類やメーカーについて紹介してみようと思い立ちました。前回はビギナー向けということでYAMAHAのCシリーズとSteinway & Sonsのコンサートグランドを取り上げました。


今日はフランスのピアノメーカー、PLEYEL(プレイエル)とErard(エラール)を紹介します。

どちらもピアノ好きの方以外には聞きなれない名前かもしれませんが、プレイエルは世界最古のピアノメーカーであり、かのショパンが愛用していたことでも知られています。エラールも様々な作曲家が所持し、顧客にマリー・アントワネットがいたりと、どちらも歴史的人物に関わりのあるメーカーです。

そんなロマンある2社のピアノですが、現在演奏会などで聴くことはなかなか難しいので、音源をご紹介します。

ショパンが愛した音、プレイエル
早速プレイエルの音から聴いてみましょう。




創始者のイグナッツ・プレイエルは作曲も演奏もこなす多才な人物でしたが、様々な要因とフランス革命によって市民に糾弾され、音楽家として生きていくのが難しくなります。そこでまず楽譜の出版業を起こし、その 2 年後からピアノ製造をはじめました。

息子カミーユ・プレイエルは父イグナッツから会社を譲り受け、作曲家の支援をしたり演奏会用ホールを作り事業を拡大したりします。そういった中で出会ったひとりがショパンでした。

こちらはプレイエルショールームの紹介動画です。





上記のショールーム動画内でも説明がありますが、ショパンの曲にはプレイエルがピッタリ。ピアニストのコルトーは、プレイエルのピアノを使ってショパンの録音を残しています。

もとは家具職人! 才能ありすぎのエラール

エラールの創始者であるセバスチャン・エラールは建築をはじめ機械や機構にも鋭い感性があり、家具職人からチェンバロメーカーへと移ります。

技術力のあった彼はあっという間に師匠の能力を超えてしまうと、それが理由でクビになってしまいました。次の職場も才能ゆえにうまくいかず、自分の工房を持ったのちに初のピアノを発表するも、周囲のやっかみで職人のグループから外されてしまいます。

しかし彼はピアノ作りを続けるために、時の王妃マリー・アントワネットに取り入り、多くのピアノを贈ったとされています。

そんな波乱万丈なエラールのピアノはどんな音がするのでしょう?





こちらはスタインウェイとエラールの比較動画です。音の違いがハッキリわかると思います。





動画からもわかるように、現在のピアノより鍵盤も少なく、聴きなれない音がしますよね。チェンバロからピアノへの過渡期には、様々なピアノが発明され作られてきました。プレイエルもエラールもその流れがあったことが伝わると思います。

そしてこの二社はフランス革命・世界恐慌・第二次世界大戦と大きな時代の波を受け、最終的にひとつの会社となりますが、すでに生産を終えています。

新たにピアノが作られることがないと思うと寂しくもありますが、今ある楽器は長く大切にされていくでしょう。

今後もし見かけたり、演奏する機会があるとしたら、それはとても幸運なことだと思います。

https://cosmusica.net/?p=4203

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html#c82
[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
13. 中川隆[-13280] koaQ7Jey 2020年3月26日 23:18:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1624]
アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c13

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
49. 中川隆[-13279] koaQ7Jey 2020年3月26日 23:24:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1625]
アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c49

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
60. 中川隆[-13278] koaQ7Jey 2020年3月26日 23:26:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1626]
アメリカ軍は自国の敵を強大に見せかけるほど予算を増やしてもらえるという利害関係があるので、なるべく敵を強く見せようとします。

冷戦時代「ソ連には4000発の核ミサイルがあり、米国は叶わない」と主張したが、実際には数発しか発射可能な核ミサイルを持っていなかった。


ソ連やロシア戦闘機を強く見せかけるのも恒例で、そうする事で新型戦闘機の開発予算を獲得しました。

中国製兵器についても大体は「アメリカ製に匹敵する」と書かれているが、大概にしろという感じです。

例えば中国の原子力潜水艦は、現実に外洋にでて稼動しているものが1隻もなく、従って米国にミサイルを撃ち込めないとされている。


アメリカ軍人や軍関係機関の言い分を真に受けていると、今にも中国やロシアが米本土に上陸するように思えてくる。
http://www.thutmosev.com/archives/66172033.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c60

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
1. 中川隆[-13277] koaQ7Jey 2020年3月27日 00:45:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1627]

ピアノの歴史

ピアノが誕生して約300年になリます。

3世紀に渡って発展を遂げてきたかのように思えますが、実は20世紀になってからは、ほとんど変化がみられません。

ピアノは19世紀未に完成の域に達してしまったのか、それとも音楽そのものがピアノにそれ以上のものを求めなかったのか、はてまた・・・

そのあたりの謎を、歴史をひもときながら考察してみましょう。


最初のピアノフォルテ

現在のピアノの原型をつくったのは、イタリアのクリストフォリ(1655〜1731)であった。

チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りにハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという、現在のピアノ・ メカニズムを発明したのが、1709年。 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”(弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けた。 この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけである。

このクリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンに受け継がれた。彼はクリストフォリの発明に改良を重ねて 新しいピアノをつくった。 J.S.バッハは、フリードリッヒ大王に献呈されたジルバーマンのピアノを、王の御前で演奏している。(1747年)


ピアノフォルテの改良

ドイツのピアノ工業に最も大きな貢献をしたのは、ヨハン・アンドレス・シュタイン(1728〜1792)であった。

彼はジルバーマンのピアノのメカニズに新たな改良を加え、ドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させた。このアクションは長年にわたって評判をとった。シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトはこのピアノの明るく平均された音色を愛し、多くのピアノ曲を書いた。

一方イギリスではヨハネス・ツンペが、クラヴィコードの流れを継承して、クラヴィコードにハンマーアクションを装置したスクウェアピアノ を制作した。ピアノを初めてソロ楽器として公開演奏したのは、J.C.バッハ(J.S.バッハの息子)であったが(1768年)、そのとき使われたのがこのスクウェアピアノであった。

そしてこのツンぺの発明したイギリス式アクションに改良を加え、弦の張力を増し、フレームも強いものにしたのが、イギリスのジョン・ブロード・ウッドである。彼のイギリス式アクション(1780年頃)は、抵抗感のあるタッチと力強い音を生み出した。現代のピアノの先駆ともいえるであろう。晩年のベートーヴェンは、このブロードウッド製のピアノで数々の傑作を書いた。

ホールでの演奏に耐える音量と音域を追求

初期のピアノフォルテは、1台1台が手作りであったから、決まったモデルを量産したのではない。 従って同じメーカーでも、つくるたびに新しいアイデアを加えて、形も多少変えていった。その音域も18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったが、1800年の境を過ぎると、年を追って音域を増してくる。

フランス革命(1789年)以後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も 一般大衆化し、ピアノ工業も大きく発達したのである。1000〜2000人の人達に聴かせるためのホールもでき(18世紀末)、ピアノも音域の広がりとともに、ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになった。弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、頑丈な鉄骨が使われ始めた(1799年)。

手作りで1台のピアノを完成させることは不可能な時代に入ったのである。


現代グランド・アクションの完成

音量を増大するのみならず、ピアノ奏法の発達にともない、タッチの面でもピアノに対する要求は大きくなっていった。 素早い連打やトリルなどの装飾音、早い連続したパッセージの多用(ロマン派音楽)が作曲面であらわれるに従って、ピアノのアクションにも、より敏感なものが要求されるようになった。
この要求に応えてアクション機構も一層精密さを増し、アフタータッチがよりクリアーに感じられ、素早い連打を可能にする画期的な現代グランドアクションが、フランスのピエール・エラールにより1821年に発明された。


様々な部分に加えられた改良

1820年を過ぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われた。ミュージックワイヤーを使うようになったのもそのひとつで、それによってピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、音量が著しく増大した。

1826年には、ドイツ系のフランス人ハープが、フェルト製のハンマーを発明した。低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明である(1820年)。 また、スペース的な実用性を高めるために張弦を交叉にした「交叉弦」も、やはり19世紀前半に考案された。音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大した。

ショパンは、20歳でワルシャワからパリへ渡ってからは、生涯を終えるまでプレイエル製のピアノを愛用した。リストは、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなどのピアノを使っている。拡大されたピアノの音域と、増大された音量を縦横無尽に駆使した最初の作曲家は、リストであった。


質的向上をめざした19世紀以降のピアノ工業  〜現代のピアノの完成〜

19世紀の半ば、ショパン、リスト時代を持ってピアノのメカニズムの原理と工法は、一応の完成の域に達した。メーカーのその後の努力目標は、もっぱら質の向上に向けられていった。 ピアノの弦はさらに太い巻線になり、また全体の張力も増大したため、それを支えるために鋳物の鉄骨を組むようになった(1840年)。 そのうえに華やかな明るい音を求めるとなると、弦の張り方も限度まで張力を高めることになる。現代ピアノの張力のトータルは、20トンにも及んでいる。


ヨーロッパピアノメーカーの特色と変遷

パリのエラール社は現代の20世紀まで、フランスを代表するピアノ名門会社であった。創業者セバスティアン・エラール(1752〜1831)は、 フランスでピアノフォルテをつくった最初の人である。19世紀末から20世紀初めにかけて、エラールの品質は世界的な評判をとり、演奏会ホールや各国の王宮にもエラール・ピアノが備えられた。

ドイツのブラウンシュヴァイクのグロトリアン・シュタインヴェークは、今日のスタインウェイの前身会社で、今なお堅実な製品を出している。この一族の一人であるハインリヒ・エンゲルハルト・シュタイヴェーグはアメリカに渡り、ニューヨークに工場を開き、名前を英語読みにかえてスタインウェイをつくりはじめた(1853年)。これがニューヨークのスタインウェイである。後にまたこの一族の一人がドイツに戻って製造を始めたのが、今日のハンブルグスタインウェイである。かくしてこの会社は二種の製品を出すことになった。

ベヒシュタインの元祖フリードリヒ・ウィルヘルム・ベヒシュタインは、19世紀半ば過ぎに、ロンドンのピアノ工場で徒弟として修行を積み、バリではハープに弟子入りをして1853年にベルリンで小さな工場を開いたが、数十年で一流メーカーに進出。リストやビューローもこのピアノを愛した。

ライプチヒのブリュートナーも、1853年にユリウス・ブリュトナーが3人の仲間とともに工場を開き、創業はじめから品質の良い、音量の充実したピアノとして評判をとった。モシュレス、ライネッカ、リストなどが愛用し、1867年のパリ万国博では一等の金賞を得て一躍有名になった。

ウィーンには名門ピアノ、ベーゼンドルファーがある。イグナツ・ベーゼンドルファーによる1828年の創業で、音楽の都ウィーンを象徴する歌うような伸びのある音質が長所で高い評価を得た。

総じて19世紀半ば以後のピアノは、大会場にふさわしい音量が要求されるので、一昔前に比べて鍵盤も長く、沈みも深い。協奏曲などでオーケストラに負けてはならないので、ピアノの設計にもその対応が必要になってくるのである。また一方で作曲家もオーケストラに挑戦するような作品を書くのは、リスト時代から始まっていた。音域の面でも第一次世界大戦後は、88鍵が標準になった。

このようにして、音の質、タッチ、音域、音量、そして総合的に現代の要求に応えるピアノが完成したのである。

https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php



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No.12"エラール"
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html
解説:伊藤 綾子

エラール社(1780--1959)は1780年にセバスチャン・エラールによって創業された、19世紀フランスを代表するピアノ・メーカー。

歴史的な作曲家(ハイドン、ベートーヴェン、リスト、ショパン、メンデルスゾーン、ヴェルディ、ワーグナー、シャブリエ、フォーレ、ラヴェル)がエラールを所有していただけでなく、18世紀には顧客にマリー・アントワネット王妃もいた王宮の楽器職人であった。

パリ音楽院の業者であったこともあり、19世紀後半のパリ音楽院でのレッスンはエラールのピアノで行われ、音楽家、ピアニスト、作曲家達が、その響きによって育成されている。

そして、時代の先端を行くピアニスト(若きリスト、ルービンシュタイン、パデレフスキー)が広告塔となってエラールを演奏会で使用し、その発展を促した。
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html


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エラール
https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html

製作者:フランス、エラール社 
製作年:1899年
サイズ:全長=257p、幅=151p、高さ=106.5p
音域:A₂〜a⁴、85鍵

「ピアノの貴婦人」と称され、外装はホワイトクリーム色で側板や脚に見事な彫刻が施されています。全体的に、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世の時代の様式を持っている豪華なグランド・ピアノです。


ベートーヴェンとエラール

ベートーヴェンのピアノ作品のなかで1803〜1816頃はフランスのエラール製(F₁〜c⁴、68鍵)のピアノを使用して作曲していたと言われています。

ベートーヴェンはこのピアノの音域の広さをピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」に反映しています。低音の反復音で始まり、突然最高音域に跳躍して旋律が奏でられます。

第23番の「熱情」の終楽章では、このピアノの最高音c⁴がふんだんに使われています。

https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c1

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
2. 中川隆[-13276] koaQ7Jey 2020年3月27日 00:54:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1628]

ヤマハやカワイを弾いている音大の学生には音楽は絶対にわからない



久元 祐子・エラールによる『革命』




オリジナルのエラールのよる、ショパンのエチュード『革命』です。
Chopin:Etude "Revolutionary" ;Erard 1868(original) played by Yuko Hisamoto


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久元祐子・プレイエルとエラールによるショパン。




オリジナルのプレイエルとエラールによるショパンの演奏をお聴きください。
Pleyel(1843);Erard(1868):Chopin by Yuko Hisamoto


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Satie (1866-1925) - Gnossienne No.1 played on a Pleyel Pianino (upright piano, 85keys, 1858)




プレイエル1858年製ピアニーノ(85鍵、鉄骨無し)で弾いたサティです。非常に優秀な修復のおかげで楽器からさまざまな雰囲気が生み出されるようになっており、少々時代が下りますが雰囲気が極めて独特なサティのグノシエンヌを試してみました。

このピアニーノはショパンが自宅に持っていたピアニーノと構造的にはほとんど変化がありません。ピアニーノはアップライト型でありながらこの時代のグランドピアノと使っている材料も変わらず、プレイエルの楽器作りに対する矜持が伺える気がします。

プレイエル:ピアニーノ
(1858年製造/高さ117cm/横幅131cm/奥行61.5cm/85鍵)

修復:ピアノ バルロン・ジャパン
http://francepiano.jp/home.htmlhttp://francepiano.blogspot.com/
   
さいたまピアノ工房(http://saitama-piano.main.jp/

古典鍵盤楽器奏者/筒井一貴 つれづれ草紙:
http://bergheil.air-nifty.com/blog/




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c2
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
3. 中川隆[-13275] koaQ7Jey 2020年3月27日 01:09:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1629]

フランス人だけがヤマハから美しい音色が出せる理由


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109 ハイドシェック




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Eric Heidsieck plays Chopin, Faure, Liszt, Bach, Beethoven, Debussy - live 1985






A magnificent recital by Eric Heidsieck, live in 1985. He might have played the pieces in a different order than this. The photo shows Eric sitting on a stump playing a silent keyboard in Brittany, 1964. Timing below:

00:00 - Chopin Barcarolle, op. 60
08:46 - Faure Nocturne no. 7, op. 74
16:36 - Faure Nocturne no. 8, op. 84 no. 8
18:13 - Liszt Reminiscences de Norma
37:41 - Bach Partita no. 1, BWV 825
55:15 - Beethoven Piano Sonata no. 23, op. 57, Appassionata
01:16:47 - Debussy Prelude, Book 2 no. 2, Feuilles mortes




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Handel - Complete Keyboard Suites / New Mastering + Presentation (Century’s record.: Eric Heidsieck)





Georg Friedrich Haendel (1685-1759) - Complete (16) Keyboard Suites.
Click to activate the English subtitles for the presentation (00:00-02:05)
Suite No.1
I.Prélude (00:00) II.Allemande (02:22)
III.Courante (05:18) IV.Gigue (07:59)

Suite No.2
I.Prélude (10:52) II.Toccata (14:03)
III.Sarabande (15:27) IV.Fugue (17:23)

Suite No.3
I.Prélude (19:34) II.Fugue (20:47)
III.Allemande (22:46) IV.Courante (25:54) V.Air (27:33)
VI.Variation 1 (32:23) VII.Variation 2 (33:13)
VIII.Variation 3 (34:06) IX.Variation 4 (34:57)
X.Variation 5 (35:47) XI.Presto (36:26)

Suite No.4
I.Fugue ‘’la grande’’ (39:09) II.Allemande (42:50)
III.Courante (45:01) IV.Sarabande (47:02) V.Gigue (51:54)

Suite No.5 ‘’L’harmonieux Forgeron’’
I.Prélude (53:32) II.Allemande (55:47)
III.Courante (59:21) IV.Air (1:00:45)

Suite No.6
I.Prélude (1:05:19) II.Fugue (1:09:51) III.Gigue (1:13:05)

Suite No.7
I.Ouverture (1:15:47) II.Allemande (1:21:41)
III.Courante (1:24:27) IV.Sarabande (1:25:29)
V.Gigue (1:27:35) VI.Passacaille (1:28:54)

Suite No.8
I.Prélude (1:33:31) II.Fugue (1:35:40)
III.Allemande (1:39:23) IV.Courante (1:41:19)
V.Gigue (1:42:52)

Suite No.9
I.Allemande (1:44:50) II.Courante (1:47:21)
III.Gigue (1:50:58)

Suite No.10
I.Allemande (1:55:35) II.Courante (1:57:54)
III.Air (1:59:27) IV.Gigue (2:02:31) V.Menuet (2:03:55)

Suite No.11
I.Allemande (2:09:05) II.Courante (2:11:25)
III.Sarabande ‘’La Grande’’ (2:12:51)
IV.Variations 1 à 6 (2:13:31) V.Strette (2:16:46)
VI.Gigue (2:17:14)

Suite No.12
I.Allemande (2:17:59 II.Courante (2:21:13)
III.Gigue (2:23:04)

Suite No.13
I.Allemande (2:25:56) II.Courante (2:27:56)
III.Sarabande (2:29:33) IV.Gigue ‘’La Grande’’ (2:33:07)

Suite No.14
I.Allemande (2:34:44) II.Allegro (2:36:25)
III.Courante (2:37:27) IV.Air (2:40:08)
V.Menuet (2:40:45) VI.Gavotte (2:42:42)
VII.Gigue (2:45:45)

Suite No.15
I.Allemande (2:47:42) II.Courante (2:49:39)
III.Sarabande (2:51:36) IV.Gigue (2:54:24)

Suite No.16
I.Allemande (2:55:40) II.Courante (2:57:00)
III.Sarabande (2:59:21) IV.Gigue (3:02:02)

Piano : Eric Heidsieck


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ハイドシェックの音色の秘密はここにあり。。。
エラール製のピアノと共に。
http://monchemin.exblog.jp/11777098/




フランスの好み


 どういうわけか…というのもちょっと変かもしれないが、このところフランスではピアノといえば──コンサートや録音の現場では──ヤマハを好む一派が主流をなしているようで、この国でのヤマハの支持のされ方は我々日本人から見るとちょっと意外でもあり、驚きでもある。



 この現象、いつごろからとははっきりわからないけれども、気がつくと現役のフランス人有名ピアニストの大半が、申し合わせたようにみんなヤマハを弾いているのにはどうしたわけかと不思議に思うところであるし、同時に、これは非常に興味をそそられる点でもある。



 フランス人は、横並び大好きの日本人とは正反対のメンタリティを持った人達で、ことさら人と違うもの、自分独自のものでなくては気がおさまらないところがあるから、世界的なスタインウェイ偏重の流れに一定の抵抗心と実践力があるのだとすれば、それはフランスならあり得ることのような気がする。しかし同時に、個人レヴェルで見た場合、多くがヤマハという同一メーカーばかりを談合したように弾くのは、これはこれで一種の横並びじゃないかと解釈できないこともないところではあるが。

 とはいえ、何事においても独自性を重んじ、あくまでも自分達の感性や眼力で選び抜いたものを、独特の流儀で使いこなすというのはいかにもフランス人らしい点であろう。



 そしてそれが、自国のプレイエルではなく、他ならぬヤマハであるというところが正直言って驚かされるところだが、彼らのヤマハの使い方を見ていると、なるほどと思わせられる点もなくはない。



 まったくの想像だが、フランス人のヤマハ好みの火付け役は遠くはエリック・ハイドシェック、近くはジャン=マルク・ルイサダあたりではなかろうかとも思ってしまうがどうだろう。

 彼らはキャリアのはじめの頃はスタインウェイを使っていたし、ルイサダはさらにファブリーニ(イタリアの高名な調律家で、名匠タローネの弟子)のスタインウェイを弾くなどして録音をやっていた。マロニエ君の印象としては、ファブリーニのピアノはイタリア的な華やかさというよりは、非常にコントロールの行き届いたなめらかさがあり、同時に極めて精密で均一な鳴り方をするという印象がある。ハンブルクのスタインウェイをベースに、より精度を高めると共に、ところどころの音域間にある音色の段差などは極力抑えられてムラなく繋ぐなど、どちらかというと整然とした印象で、ファブリーニ氏の理想と個性に彩られたピアノになっていると感じられる。



 そのせいか、彼が手がけたプレイエルを2種類ほど録音で聴いたことがあるが、おそらく極上の調整がされているのだとは思うけれども、それがいささかやり過ぎなのか、ひどくつまらない、面白味のないピアノになっていたことは残念に感じたものだった。

 こういうことを言うと多くの技術者から叱られるかもしれないが、それでも敢えて言わせてもらえば、楽器というのは基本は素晴らしく調整されていなくてはいけないけれども、音造りの面にまで綿密を極めた仕事を行き届かせるあまり、生来の個性までもを押さえ込んでしまうことに繋がっていくやり方は感心できない。あくまで大局的見地に立って楽器が持って生まれたものを尊重しながらピアノに自由と健康を与え、最後のところでは良い意味でのアバウトさみたいなものさえも必要ではないだろうか。それが上手く作用することによって楽器が本来の声で開放的におおらかに鳴るものだと感じるし、こういう在り方のほうをマロニエ君は好む。



 そういう意味では、あまりに厳しく統制されたガチガチのピアノはまるで自由のない盲導犬のようで、どこか技術者の技術にしめつけられた窮屈さみたいなものを抱えていて好きにはなれない。それに、細緻を極めた調整をやりすぎると楽器の器までもが矮小化する場合があると感じるのはマロニエ君だけだろうか。機械的な調整はやりすぎるということはないけれど、そういう場合、往々にして調律師も相当の凝り性であろうし、彼らの中には楽器の個性を超越したところに理想の音というのがあって、それがどうしてもピアノに投影されすぎるような場合があるように感じる。

 楽器本来の持って生まれた音色や響きを絶対優先──場合によっては「理解」というべきかもしれない──させずに、優秀ではあっても調律師個人の主観と理想によって仕上げられたピアノというのは、一見とてもクリアーで素晴らしいように感じるが、不思議と深い感銘が得られない場合が少なくなく、結局はただ技術者の技ばかりを見せつけられるだけに終わってしまう。

 これはピアノ本来の特性や持ち味と、音造りの方向性や思想が、根本のところで噛み合っていないためだと思われる。



 ちなみに、横山幸雄氏が日本で現在進めている戦前のプレイエルを使ってのショパンの録音は、すでに3枚がリリースされたところだが、その調整の見事さには本当に舌を巻くし、日本人の技術というのはまさに世界の頂点だと言っても差し支えないと思う。よくぞここまで戦前のプレイエルを完璧といいたいまでに端正に仕上げたものだと思うが、ただひとつ残念というか心に添わない点は、では、これがこの楽器の本来の響きかどうかということになると、少なくともマロニエ君はどうしてもそうは思われないところがあるのである。



 フランスのヤマハに戻す。

 上記のファブリーニを弾いた後あたりから、ルイサダはヤマハを使うようになったとおぼろげに記憶しているが、もしかしたら間違っているかもしれない。ただ、ルイサダは現在彼が獲得しているピアニストとしての地位からすれば、指のメカニックは悲しいかな相応のものではないのは周知の事実だろう。彼の演奏するショパンの評価が高いのも、ひとつには彼が技巧的な劣勢をカバーするために追求され磨き込まれたところの成果ではなかろうかという推測がマロニエ君にはある。



 同じスタインウェイでも、技術者の手が存分に入ったピアノは、弾きやすさの点、音色の美しさという点では他の平均を大きく上回るものがあるが、当然ながら逆の場合もある。そういう機械的な確実性という観点から彼らがヤマハに辿り着いたのだとしたらじゅうぶん考えられることだろう。というのも、ヤマハは単なるアクションの問題だけでなく、その音色も含めた総合的な意味において、少なくともコンサートグランドの場合、とても弾きやすくピアニストに寛大なピアノであるということは言えるような気がする。



 ルイサダはコンサートはもちろん、録音なども現在はほとんど日本でやっているようだし、中堅のミシェル・ダルベルトや古典作品を得意とするアレクサンドル・タローもヤマハをヤマハを多用、いま最も期待される実力派フランス人ピアニストのひとりであるジャン=フレデリック・ヌーブルジェに至っては、年代や収録場所の異なるCDでもピアノはすべてと言っていいほど徹底してヤマハを弾いているようだ。

 逆にこの流れに入らないのはピエール=ロラン・エマールとエレーヌ・グリモーで、彼らは一貫して定番のスタインウェイを弾いているものの、フランス人ピアニストとしてはこちらのほうがちょっと異端な感じがするし、彼らの演奏はスケールこそ大きくはないものの、そのスタイルは国際規格であって、フランスという枠内にとどまってはいない。



 ひとついえることは、フランスで録音されたヤマハを聴いている限りにおいては、日本で聴くヤマハとはかなり違うという印象がなくもない。ひとくちに言うと、これがヤマハかと思うほど、とても繊細で音が柔らかく、やや小ぶりに上品にまとまっている。そしてピアノの個性があまり前面に出ることなく、演奏をあくまでも黒子的に支えているピアノという感じだ。

 これらの要素を考えていくと、もうおわかりかも知れないが戦前のエラールを連想させるタイプという気がしてくるわけで、ピアノは完全に脇にまわり、あくまで作品と演奏が主役となっている。



 ルイサダが日本でおこなった録音の中には、同じヤマハでも本当に美しい華やかな音色のピアノがあるかと思うと、いかにも日本的な味噌汁みたいなヤマハの音で思わず抵抗を覚えるものもあるが、その点、フランスでのヤマハには目のつまった上質な布地のようなしなやかさと上品さがあって、独特の節度ある美しさがはっきり聴き取れるのはマロニエ君も認めないわけにいかない。

 その代価というべきか、楽器としての大きさはないけれども、ベーゼンドルファーのような一種独特の臭味もなしに、弱音域の繊細さを表現できる垢抜けたピアノになっている点は大いに評価したい。

 ひょっとすると、はじめからフランス人たちは確信犯的に、ヤマハにスタインウェイ的なスケール感を見切った上で、ピアノにより華やかでセンシティヴな面だけを活かした音造りをやっているのかもしれないし、それに適った演奏によって洗練された音楽表現をしていることも考えられる。



 こういう成り立ちの演奏を聴いていると、なるほどスタインウェイのいかにもスケールの大きな華麗な音色は、フランス人ピアニストの好むデリケートなニュアンスには若干齟齬を生んでいたのかもしれないという気がしてくるし、それがしだいに理解できてくるところがおもしろい。

 楽器そのものが強靱かつブリリアントで、すでにスタインウェイという色の付いたピアノであること、またこのピアノの持ついかにも英雄的な性格が、彼らの軽妙で陰翳を必要とする感性にはやや合わないことは充分考えられる。



 さらにフランス人は、ピアノに対するイメージを、今日的なコンサートの基準であるホールよりも、ショパンの時代に見られるようなサロン的な規模のこまやかさのある楽器と捉えて、よりコンパクトでデリカシーに溢れた楽器であることを求めているようにも思われてくる。決して既存の基準に盲従することなく、そのようなイメージの問い直しができる点もフランスの文化の深さを感じさせられるところで思わず唸ってしまう。



 そういう意味では、フランス人のイメージにあるヤマハは、ヤマハ自身が本来目指しているものとは少々違ったニュアンスに落とし込まれている可能性もあるのかもしれない。つまり、フランス人はヤマハをあくまで自分達流にちょっと上手に使いこなしているように感じられるのだが、そういう実に巧みな、他では思いつかないような使い方を発見する彼らの独創性にはいまさらながら敬服する。要はヤマハを使っていても、それは決してヤマハに対する全的肯定ではないのだろう。



 かつて、ミシェル・ベロフやジャン=フィリップ・コラールが彗星のごとく世に出てきた70年代の録音などは、ピアノはスタインウェイだったが、その音はかなり通常のスタインウェイとは違うものだった。いかにもフランスピアノ的華やかさに溢れたもので、スタインウェイの持つ音の太さや荘重さを犠牲にしてでも、線は細いけれども贅肉をそぎ落としたようなシャープかつ華やかなピアノだった。とうてい他の国では受け容れられないピアノだったと思う。



 その他にもジャン・ドワイヤン、セシル・ウーセ、フランソワ=ルネ・デュシャーブルなどは一時期ベーゼンドルファーを使っていたが、ドワイヤン以外はこのウィーンの強いイントネーションに最終的に馴染めなかったのか、その後はスタインウェイを弾いたようだ。ベーゼンドルファーはもちろん素晴らしいピアノだが、ウィーン特有なある種の個性──野暮ったいことを逆手にとって崇高な美にまで高めたような──は、おそらくフランス的センスの前では、民族学的にも相容れないもののほうが大きいはずだ。

 名匠イーヴ・ナットはエラールとスタインウェイを引き分けていたようであるし、コルトーは大半をプレイエル、晩年にスタインウェイ、フランソワは多くをスタインウェイで弾いていたように思う。



 これほどフランス人ピアニストがスタインウェイを使いつつもそこに安住せず、さまざまなピアノの音色に試行錯誤してきたのは、自国のピアノが大戦を境に弱体化してしまい、同じDNAを持つピアノを失ってしまったためかもしれない。



 そして、このところ彼らが目をつけたのがヤマハということだろうか。少なくともフランスに於けるヤマハへの支持の高さは並々ならぬものがあるのは間違いないようで、この勢いなら少なくともパリでは、コンサート会場はもしかしたらヤマハのほうがスタンダードという可能性もあるだろう。



 そういえば、スタインウェイに鞍替えして、生産国の日本でさえもヤマハを弾かなかったショパンコンクールの覇者アヴデーエワは、パリでのリサイタルでは、あのオフィス着みたいな黒いパンツ姿からお姫様風ドレスに大変身して、再びヤマハを弾いているのにはまたまた驚いてしまった。

 まったく何がどうなっているやらこの業界のことはさっぱりわからないが、いずれにしてもフランスはやはり独自のものを失っていないということだろうか。



 面白いのは、これほどヤマハが異例の高い評価を受けながら、カワイは見向きもされず、その気配もないのはどうみるべきだろう?

 マロニエ君の想像では、カワイにはわずかながら伝統的ピアノの源流を思わせる色があるからだと思う。その色というのは、ドイツ的とまで明確には言い切れないけれども、強いていうなら中央ヨーロッパ的とてもいうべきで、少なくとも西ヨーロッパの明るくて軽い色彩と燦々たる光りのまぶしさはない。どちらかというと、わずかな陰鬱さと深いものを求める生真面目なピアノである点をフランス人は敏感にかぎ取って、自分達の求めるものとはやや異なる要素の存在を見逃していないのだろう。

 その点、ヤマハは明るめといえば語弊があるが、少なくとも現代的な音色でありながら、しかもこれという楽器が放つ主張がない。音だけを聞いているといったいどこのピアノかまるでわからないような匿名的かつ無国籍的な音だし、しかも古臭さのない音がするところを、フランス人は自分達の必要なところだけ上手く捉えて使っているように思われる。

 ヤマハの持つこれらの要素、さらにはピアノとしてのある種の寛大さ、楽器としての潜在力があまり大きくないことがフランス人の求める色合いにたまたま適合したのではないだろうか



 かつてのプレイエルのようにフランス人そのものから出てきたような個性ならば相性も抜群だろうが、そうではない場合は、却って特徴的な音色がないほうがいいことは、エラールのようなピアノが昔からプレイエルの陰でしっかりと同時並行的に支持されてきたフランスの土壌ならではと言えるかもしれない。



 現代のプレイエルはついにコンサートグランドをカタログに載せるに至り、その音色はたいそう柔らかなものではあったが、まだまだ完成の域には達しているとは言い難い印象だった。フランス人にはどんな評価を下しているのか聞いてみたいところである。

 ちなみに、プレイエルのコンサートグランドP280はバイロイトの老舗、シュタイングレーバーによって委託生産されているということを耳にしたので、日本のシュタイングレーバー輸入元であるS氏にその旨を聞いてみたところ、現在のプレイエルにはまだコンサートグランドを製造する力がないので、おそらくそういうことだろうという回答が返ってきた。



 それが事実だとするなら、やはりピアノは民族性が色濃く出てこその楽器なので、わけてもコンサートグランドともなればぜひとも自前で作って欲しいものだし、それができないのなら、他国の工房に委託してまで作る必要があるのかと思われる。ドイツで作られたプレイエルという構図は昔も一度あったことだが(シンメル)、それでは一体何のためのプレイエルかとも思うし、だいいちこれではドイツピアノなのかフランスピアノなのかも甚だわかりにくいものとなる。



 シュタイングレーバーはドイツピアノらしい規律と実直さの中に、柔らに薫るような肉感的な響きを併せ持ち、あたかもドイツの威厳と優雅と官能が共存しているといった印象があるが、あのプレイエルP280の柔らかな要素はシュタイングレーバーの潜在力を活かしつつ、フランス的に味付けを変えて出来上がったものというわけか。

 ただし、いまだ発展途上というべきで、フランス人ピアニストたちが歓迎しているようにもあまり感じない。


 そのうちこの新生プレイエルにフランス人が触手を伸ばすのかどうかは知らないが、ここ当分はヤマハを使い続けることになるような気もする。
http://music.geocities.jp/petroler/mrn70.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c3
[近代史4] トスカニーニ(1867年3月25日 - 1957年1月16日) 中川隆
1. 中川隆[-13274] koaQ7Jey 2020年3月27日 07:14:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1630]

トスカニーニの名盤

ベートーヴェン 『交響曲第7番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html

ベートーヴェン 『交響曲第5番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/841.html

ベートーヴェン 『交響曲第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/843.html

ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/837.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/686.html#c1

[近代史4] クレンペラー(1885年5月14日 - 1973年7月6日) 中川隆
1. 中川隆[-13273] koaQ7Jey 2020年3月27日 07:47:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1631]

詳細は

メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/691.html#c1

[近代史4] ストコフスキー(1882年4月18日 - 1977年9月13日) 中川隆
1. 中川隆[-13272] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:07:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1632]

詳細は

バッハ : ストコフスキー編曲集
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/925.html



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/694.html#c1

[近代史4] ドビュッシー 中川隆
1. 中川隆[-13271] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:22:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1633]

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c1
[近代史4] シャルル・ミュンシュ(1891年9月26日 - 1968年11月6日) 中川隆
1. 中川隆[-13270] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:45:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1634]

詳細は

ベルリオーズ 『幻想交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/697.html#c1

[近代史4] アンゲルブレシュト(1880年9月17日 - 1965年2月14日) 中川隆
1. 中川隆[-13269] koaQ7Jey 2020年3月27日 08:46:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1635]

詳細は

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/819.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/695.html#c1

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
300. 中川隆[-13268] koaQ7Jey 2020年3月27日 09:14:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1636]
平野憲一の株のお話 2020.03.27 ダウ弱気相場脱出?

 26日のNY株。
 ダウは1351.62ドル高の2万2552.17ドル、ナスダックも413.24ポイント高の7797.54ポイントと大幅反発。NYSE出来高は17億0647万株。

ダウは3連騰で直近安値から20%超上昇し、弱気相場を脱出しました。

(ダウ理論:引け値ベースで底値から12%上がると20%上がる確率が高く20%上がると30%まで上がる。

因みに20%上がると強気相場、20%下がると弱気相場に入ったと表現する。

ダウ3/23の引け1万8591ドル×1.2は2万2309ドル)

 米議会上院は25日夜、個人への現金給付や企業への資金支援などを盛り込んだ総額2兆ドル(約220兆円)規模の経済対策法案を可決し、下院も本日採決する見通しです。GDPの1割に相当する大規模な経済対策への期待から、幅広い銘柄に買いが入りました。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c300

[近代史3] アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの? 中川隆
16. 中川隆[-13267] koaQ7Jey 2020年3月27日 09:46:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1637]

シェーンベルク自作自演

Schoenberg conducts Verklärte Nacht (fragment) 1928



Schoenberg conducts Verklärte Nacht (fragment) recorded in Berlin 1928

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html#c16
[近代史4] シェーンベルク 自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13266] koaQ7Jey 2020年3月27日 09:49:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1638]

詳細は

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/698.html#c1

[近代史4] マーラー ピアノロールで自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13265] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:20:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1639]

詳細は


グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/699.html#c1

[近代史4] 指揮者 リヒャルト・シュトラウス (1864年6月11日 - 1949年9月8日)_ 大作曲家が名指揮者だった時代 中川隆
1. 中川隆[-13264] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:22:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1640]

詳細は

リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/700.html#c1

[近代史4] ストラヴィンスキー 自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13263] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:33:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1641]

詳細は


20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html

ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html

ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html

ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/701.html#c1

[近代史4] リヒャルト・シュトラウス 中川隆
1. 中川隆[-13261] koaQ7Jey 2020年3月27日 10:35:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1643]

指揮者 リヒャルト・シュトラウス (1864年6月11日 - 1949年9月8日)_ 大作曲家が名指揮者だった時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/700.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/184.html#c1
[近代史4] 名指揮者 アントン・ウェーベルン、 ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を指揮する 中川隆
1. 中川隆[-13258] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:01:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1646]

詳細は


ベルクのヴァイオリン協奏曲は何度聴いても理解不能なんだけど、本当にみんな感動してるの?(強い疑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/710.html  


ピエール・ブーレーズ 「シェーンベルクは死んだ。ウェーベルン万歳」 _ 100年も前の作曲家 ウェーベルンが何故今でも現代音楽なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/711.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/702.html#c1

[近代史4] ウェーベルン 中川隆
1. 中川隆[-13257] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:02:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1647]

名指揮者 アントン・ウェーベルン、 ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を指揮する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/702.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/155.html#c1
[近代史4] ラヴェル 自作自演 中川隆
1. 中川隆[-13256] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:27:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1648]

詳細は

モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/897.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html#c1

[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
7. 中川隆[-13254] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:32:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1650]

ブラームス自作自演 幻のピアノ録音 ノイズを取り除き現代に蘇る ♪





ブラームスのピアノ演奏が蘇りました。
雑音だらけの蝋管録音を没後100年に最新技術を使ってノイズを取り除いたものです。

ハンガリー舞曲第1番、1989年12月録音

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c7
[近代史4] ブラームス 中川隆
1. 中川隆[-13253] koaQ7Jey 2020年3月27日 11:33:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1651]


ブラームス自作自演 幻のピアノ録音 ノイズを取り除き現代に蘇る ♪





ブラームスのピアノ演奏が蘇りました。
雑音だらけの蝋管録音を没後100年に最新技術を使ってノイズを取り除いたものです。

ハンガリー舞曲第1番、1989年12月録音

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/164.html#c1
[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
33. 中川隆[-13252] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:04:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1652]

2020年03月27日
経済ショックなら1ドル60円台になる可能性

物価や経常黒字からはむしろ1ドル75円が適正だった可能性がある


画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20180214/14/nickey0305/37/64/j/o0640048014131441245.jpg

1ドルは60円が適正

ずっと「1ドルは60円になる」という予想をしているが今まで一度も当たったことがありませんでした。

そう考える根拠は円が不当に安すぎるからで、本来は今の1.5倍から2倍の価値はある通貨です。

ドル円は2012年に76円だったのが安倍首相就任であれよあれよと円安になり、2015年に125円をつけました。



これと同じ展開を何度か見たことがあり、1995年に79円だったのが98年に147円まで円安になっています。

2000年に101円になっているが2002年に135円、2004年に101円だが2007年に124円となっている。

円高は阪神大震災、東日本大震災、アジア通貨危機、米利上げなどで起こり、その後数年で円安になっている。


円高後に円安になるのはは日本政府が金融緩和やドル買い、金利変更などで円安に誘導したからで自然にそうなったのではないです。

前回の円高は2011年の1ドル75円で安倍首相就任前から円安が始まって、就任後は爆発的な円安が進行した。

安倍政権下で円安になったのだ日銀の金融緩和や政府のドル買いの結果で、かなり人為的な為替操作をした。


例えば年金の海外運用や郵貯の海外運用など、政府が指示できるドル買いは色々ある。

アメリカが目を光らせている「為替介入」は財務省が日銀に指示して、日銀が直接ドルを買うもので、間接的に買えば介入になりません。

日銀の金融緩和はお金の量を増やすことで、ドルの量が同じで円を2倍印刷したら理屈では2倍円安になります(実際は理屈通りにならない)

不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。

円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。

人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c33

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
19. 中川隆[-13251] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:11:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1653]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c19

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
61. 中川隆[-13250] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:13:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1654]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c61

[近代史3] 朝鮮戦争は八百長戦争だったのか? 中川隆
8. 中川隆[-13249] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:14:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1655]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html#c8

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
25. 中川隆[-13248] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:15:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1656]
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c25

[近代史4] 1ドル 30円から40円が適正価格 中川隆
1. 中川隆[-13247] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:17:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1657]
2020年03月27日
経済ショックなら1ドル60円台になる可能性


物価や経常黒字からはむしろ1ドル75円が適正だった可能性がある

画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20180214/14/nickey0305/37/64/j/o0640048014131441245.jpg

1ドルは60円が適正

ずっと「1ドルは60円になる」という予想をしているが今まで一度も当たったことがありませんでした。

そう考える根拠は円が不当に安すぎるからで、本来は今の1.5倍から2倍の価値はある通貨です。

ドル円は2012年に76円だったのが安倍首相就任であれよあれよと円安になり、2015年に125円をつけました。


これと同じ展開を何度か見たことがあり、1995年に79円だったのが98年に147円まで円安になっています。

2000年に101円になっているが2002年に135円、2004年に101円だが2007年に124円となっている。

円高は阪神大震災、東日本大震災、アジア通貨危機、米利上げなどで起こり、その後数年で円安になっている。


円高後に円安になるのはは日本政府が金融緩和やドル買い、金利変更などで円安に誘導したからで自然にそうなったのではないです。

前回の円高は2011年の1ドル75円で安倍首相就任前から円安が始まって、就任後は爆発的な円安が進行した。

安倍政権下で円安になったのだ日銀の金融緩和や政府のドル買いの結果で、かなり人為的な為替操作をした。


例えば年金の海外運用や郵貯の海外運用など、政府が指示できるドル買いは色々ある。

アメリカが目を光らせている「為替介入」は財務省が日銀に指示して、日銀が直接ドルを買うもので、間接的に買えば介入になりません。

日銀の金融緩和はお金の量を増やすことで、ドルの量が同じで円を2倍印刷したら理屈では2倍円安になります(実際は理屈通りにならない)

不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。

円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。

人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/597.html#c1

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
7. 中川隆[-13246] koaQ7Jey 2020年3月27日 13:10:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1658]
 アメリカがロシアや中国の国境線沿いに細菌兵器の研究施設を建設してきたことは本ブログでも指摘してきたが、その総本山はフォート・デトリック。

 2001年9月11日に世界貿易センターや国防総省本部庁舎が攻撃された直後、アメリカのトム・ダシュル上院議員やパトリック・リーヒー上院議員の下へ炭疽菌で汚染された手紙が送られた。その際、有力メディアは「イスラム過激派」の犯行であるように伝えていたが、その後の調査で菌の出所はフォート・デトリックだということが突き止められた。そこで働いていたブルース・アイビンスという細菌学者が実行したという話が流されたが、名前が公表された8日後にアイビンスは死亡、裁判で事実が検証されることはなかった。

 日中戦争がはじまる直前、日本は軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部などの下で病原体を兵器として使う研究が進められ、生体実験を行うための部隊が中国で編成された。加茂部隊、東郷部隊、そして第731部隊と名称は変化している。その資料や主要な研究員は戦後、フォート・デトリックへ運ばれた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202003270000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html#c7

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
4. 中川隆[-13245] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:11:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1659]



























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Claude Debussy plays Debussy | Clair de Lune | Préludes | Images | Estampes | Arabesques | Rêverie
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Adagietto


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c4
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
8. 中川隆[-13244] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:12:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1660]


Claude Debussy plays Debussy | Clair de Lune | Préludes | Images | Estampes | Arabesques | Rêverie


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c8
[近代史4] ドビュッシー 中川隆
2. 中川隆[-13243] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:14:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1661]


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c2
[近代史4] ドビュッシー 中川隆
3. 中川隆[-13242] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:17:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1662]

クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls
He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings
Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/160.html#c3
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
9. 中川隆[-13241] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:18:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1663]

クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls

He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings

Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c9
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
5. 中川隆[-13240] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:19:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1664]


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls

He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings

Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c5
[近代史4] ラヴェル 自作自演 中川隆
2. 中川隆[-13239] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:30:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1665]

ラヴェル 自作自演


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)



Piano roll, 1912

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html#c2
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
6. 中川隆[-13238] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:31:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1666]

ラヴェル 自作自演

モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)



Piano roll, 1912

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c6
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
7. 中川隆[-13237] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:35:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1667]

ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c7
[近代史4] ラヴェル 自作自演 中川隆
3. 中川隆[-13236] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:35:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1668]


ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/703.html#c3
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
8. 中川隆[-13235] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:39:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1669]

モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』


ラヴェル 自作自演 1922
Ravel "Pavane pour une infante défunte" 1922 piano roll




Ravel at the piano playing his composition "Pavane pour une infante défunte"/"Pavane for a Dead Princess" in 1922. It was imprinted onto a piano roll, and then long after his death it was played back and recorded, which is why the sound is so clear. The tempo and dynamics were not altered in this process. Of course we cannot know what happened on the day that he performed it, but for those suggesting that he did not play it, or that he played it differently, you would be wrong.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c8
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
9. 中川隆[-13234] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:44:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1670]

フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure




Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c9
[近代史4] フォーレ 中川隆
1. 中川隆[-13233] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:45:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1671]


フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure




Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/161.html#c1
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
10. 中川隆[-13232] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:34:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1672]

バルトーク自作自演

バルトーク・ベーラ(Bartók Béla, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)


Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro






Béla Bartók plays Bartók "For Children"




For Children, BB 53 (excerpts)

Vol. 1: No. 3. Quasi adagio – No. 4. Pillow Dance – No. 6. Study for the Left Hand – No. 10. Children’s Dance – No. 12. Allegro - No. 13. Ballade – No. 15. Allegro moderato – No. 18. Soldier’s Song – No. 19. Allegretto – No. 21. Allegro robusto
Vol. 2: No. 26. Moderato – No. 34. Allegretto – No. 35. Con moto – No. 31. Andante tranquillo – No. 30. Jeering Song

rec. 1945

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c10
[近代史4] バルトーク 中川隆
1. 中川隆[-13231] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:35:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1673]


バルトーク自作自演

バルトーク・ベーラ(Bartók Béla, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)


Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro






Béla Bartók plays Bartók "For Children"




For Children, BB 53 (excerpts)

Vol. 1: No. 3. Quasi adagio – No. 4. Pillow Dance – No. 6. Study for the Left Hand – No. 10. Children’s Dance – No. 12. Allegro - No. 13. Ballade – No. 15. Allegro moderato – No. 18. Soldier’s Song – No. 19. Allegretto – No. 21. Allegro robusto
Vol. 2: No. 26. Moderato – No. 34. Allegretto – No. 35. Con moto – No. 31. Andante tranquillo – No. 30. Jeering Song

rec. 1945

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/154.html#c1
[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
228. 中川隆[-13230] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:51:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1674]
2020年3月27日
カタカナ語氾濫の背後にあるもの
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/column/15584


「パンデミック」、「クラスター」。「オーバーシュート」「ロックダウン」。ほんと、新型コロナウイルスについての報道、わけのわからないカタカナ語が蔓延してますよね。「トリアージ」とかもときどき出てきて、「なんじゃこりゃ〜、わかいやすい日本語でいわんかい」と私も思っていました。

(ちなみに、「パンデミック」は「感染症の世界的大流行」、「クラスター」は「小規模の感染者集団」、「オーバーシュート」は「患者の爆発的増加」、「トリアージ」は「患者の治療の優先順位」だそうです)。

ですので、先日の河野太郎防衛大臣の3月24日の発言にはまったく同感です。産経の記事を引用します。

***

河野太郎防衛相は24日の記者会見で、新型コロナウイルスに関する政府の説明に片仮名用語が多いとして疑問を呈した。日本語で分かりやすく説明するよう、厚生労働省など関係省庁に求める考えだ。

河野氏は、ロックダウン(都市封鎖)、オーバーシュート(爆発的患者急増)、クラスター(小規模の感染者集団)を例に挙げ、「ご年配の方をはじめ『よくわからない』という声は聞く。日本語で言えばいいのではないか」と述べた。(略)

***

「ロックダウン、オーバーシュート…「日本語でいい」 河野防衛相」(『産経新聞』令和2年(2020年)3月25日付)
https://www.sankei.com/politics/news/200324/plt2003240022-n1.html

本当に、カタカナ語が氾濫していますね。企業などが宣伝文句でカッコつけるだけならまだましなのですが、近年は、公務員や政治家、あるいは公共放送のはずのNHKまで、わけのわからないカタカナ語を多用します。

私が以前、非常に疑問に思ったのは、2018年9月の北海道での大規模停電のことでした。このとき、NHKの報道番組まで大規模停電のことを「ブラックアウト、ブラックアウト」と連呼していたので強い違和感を持ちました。「ブラックアウト」などとカッコつけずに、

「大規模停電」「全域停電」「大停電」などといったほうがどんな人にもよくわかります。

(まあ、NHKは昔の「教育テレビ」ではなく、数年前から「Eテレ」に名称変更したことからも、日本語を大切する気があまりないのはわかってましたが…)
(´・ω・`)

ちなみに、こういうカタカナ語は、多くの場合、英語だとも言い難いものです。例えば、英語で「クラスター」(cluster)とは、「類似したモノや人の集まり」ぐらいの意味です。「クラスター」だけでは「感染者の集団」という意味は思い浮かびません。英語が良くできる人でも、「クラスター」と聞いただけでは「感染者集団」だとは普通、わからないのです。

カタカナ語を多用すると、専門家やその分野に精通している人以外、よくわかりません。初めて見聞きする言葉は、説明がないと理解できません。また、記憶にも残りがたいのです。

その点、日本の伝統的な外来語の取り入れ方である漢字熟語を用いて、外来語を置き換えていくやり方は優れています。

「クラスター」や「ロックダウン」では初見ではなんのことかわかりませんが、「小規模感染者集団」とか「都市封鎖」と書けば、普通の日本人はすぐわかります。また、記憶にも残ります。

(この点について、以前、言語学者の鈴木孝夫氏の議論に触れながら、当メルマガに書いたことがあります。こちらもぜひご覧ください)。

施 光恒「日本人の底力」(「『新』経世済民新聞」2013年10月18日)
https://38news.jp/archives/02491

私は、特に、役人や政治家、公共放送たるNHKなど、公けの物事に関わる人々や機関がわけのわからないカタカナ語を得意げに使う風潮は大いに問題だと思います。
公けの物事を報じたり論じたりするときに大切なのは、なによりもまず「わかりやすさ」です。「万人によくわかること」です。

よくわかれば、その後、「問題の深刻さはどの程度なのか」「その問題に対処するためにはまず何をすればいいのか」などを一人一人が考えることにつながりやすくなります。

例えば、「ブラックアウトが生じた」では何をすべきかよくわかりませんが、「大規模停電(全域停電)が生じた」であれば、「これはまずい」とすぐに感じ、「その地域の電力供給の仕組みのどこに問題があったのか」、「一人一人は予期せぬ事態にどう対処し、何に気を付けるべきなのか」という思考に進むこともできます。
(以前、カタカナ語の多用が問題をぼかしてしまい、物事をさらに深く認識し考えることを妨げているのではないかということについて、「ヘイトスピーチ」という言葉を例に書いたことがあります。こちらもご覧ください)。

施 光恒「『ヘイトスピーチ』 レッテル貼りの恐れは」(『産経新聞』(九州山口版)2015年1月22日付)
https://www.sankei.com/region/news/150122/rgn1501220036-n1.html

では、なんで、こういうわかりにくいカタカナ語が、公けの事柄を論じるときにも多用され、蔓延してしまうのでしょうか。

もちろん、「インテリぶりたい」「カッコつけたい」などという理由も大いにあるでしょう。それに加えて私は、政治や災害報道などの公けの領域にも、ビジネスの論理が広まってしまっていることに一つの原因があるのではないかと考えています。

「ちょっとわかりにくくても、目新しい感じがし、人目を引くことができる」「その言葉を使っている人や組織が、かしこそうで素敵に見える」ほうがいいというのは、ビジネスの場面では大切なことが多いでしょう。新商品のキャッチフレーズや企業のイメージ広告では、そういう印象が優先されるのが普通でしょう。

わかりにくいカタカナ語が政治や行政、報道などにまで蔓延しているのは、そういう領域にもビジネスの論理がどんどん越境して広がってしまっているからではないかと考えます。そして、役人や政治家や公共放送の職員らの少なからぬ人々が、公けの仕事の意義を忘れ、ビジネス偏重の風潮に染まってしまっているからではないかと思うのです。

たとえば、近頃の行政の現場では、コンサルタント会社などに多くの業務を委託しています。このこともカタカナ語の氾濫の一因ではないでしょうか。

コンサルタント会社の人々が、業務の受託を目指しプレゼンテーションをする際、自分たちの企画を良く見せようとカタカナ語を多用することが結構あります。また、彼らが作った企画書や報告書などを公務員や政治家が使うことも多いでしょう。

また、地方自治体や大学の業界でもそうですが、緊縮財政主義の流行のもと、各種の補助金は、競争的に獲得していくべきだということが言われるようになってきました。ビジネス以外の領域にも、ビジネスのような競争を持ち込んで「効率化」をはかろうというのです。

こういう補助金獲得競争では、コンサル会社の場合と同様、プレゼンテーションが重視されますし、プレゼンでは他者に勝つために「よくわからないけど、目新しく人目を引くこと」「かしこそう、頭よさそう、素敵そう」に見えることが優先されがちです。

このようなかたちで、ビジネスではない公けの領域にビジネスの理屈や空気が持ち込まれるようになったことが、そして役人や政治家や公共放送の職員などが「公共に奉仕する」という本務を忘れ、それに浸ってしまったことが、政治や報道の世界でもカタカナ語が得意げに多用されるようになったことの背景にあるのではないでしょうか。

そうだとすれば、これはやはり問題です。

政治や行政、あるいは今回のような感染症の報道などについては、「万人によくわかり、正確に伝わること」が何より大切です。ターゲットにしている一定の消費者層だけではなく、お年寄りも若者も、高学歴層にもそうでない層にも、その問題に興味がある人にもそうでない人にも、よくわかることが大切です。

そのためには、目新しさやカッコよさは二の次で、たとえ泥臭い言葉だと感じられたとしても、ともかくわかりやすい、日常的な言葉で語ることが必要です。

つまり、当たり前ですが、政治や行政、報道といった公けの事柄に、ビジネスの理屈が持ち込まれてしまってはまずいのです。政治や行政、報道が語り掛けるべき相手は、そういう多種多様な人々がいる国民全体ですし、国民全体のことを何よりも考えて行動すべきなのです。

言葉に関して言えば、政治や行政、報道では、変にカッコつけることなく、万人にわかりやすい日常の言葉で語りかけることが何よりも大切なのです。

追伸
政治や行政の領域に、ビジネスの理屈が持ち込まれ、そちらのほうが「かっこいい」「優先されるべきだ」とみなされがちな昨今の風潮への疑問について、少し前に次のような文章も書きました。こちらもご覧くだされば幸いです。

【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】「公務員らしさ」の大切さ(『産経新聞』(九州山口版)2020年3月2日)
https://www.sankei.com/region/news/200302/rgn2003020006-n1.html
https://38news.jp/column/15584


https://38news.jp/column/15584
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c228

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
180. 中川隆[-13229] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:52:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1675]

2020年3月27日
カタカナ語氾濫の背後にあるもの
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/column/15584


「パンデミック」、「クラスター」。「オーバーシュート」「ロックダウン」。ほんと、新型コロナウイルスについての報道、わけのわからないカタカナ語が蔓延してますよね。「トリアージ」とかもときどき出てきて、「なんじゃこりゃ〜、わかいやすい日本語でいわんかい」と私も思っていました。

(ちなみに、「パンデミック」は「感染症の世界的大流行」、「クラスター」は「小規模の感染者集団」、「オーバーシュート」は「患者の爆発的増加」、「トリアージ」は「患者の治療の優先順位」だそうです)。

ですので、先日の河野太郎防衛大臣の3月24日の発言にはまったく同感です。産経の記事を引用します。

***

河野太郎防衛相は24日の記者会見で、新型コロナウイルスに関する政府の説明に片仮名用語が多いとして疑問を呈した。日本語で分かりやすく説明するよう、厚生労働省など関係省庁に求める考えだ。

河野氏は、ロックダウン(都市封鎖)、オーバーシュート(爆発的患者急増)、クラスター(小規模の感染者集団)を例に挙げ、「ご年配の方をはじめ『よくわからない』という声は聞く。日本語で言えばいいのではないか」と述べた。(略)

***

「ロックダウン、オーバーシュート…「日本語でいい」 河野防衛相」(『産経新聞』令和2年(2020年)3月25日付)
https://www.sankei.com/politics/news/200324/plt2003240022-n1.html

本当に、カタカナ語が氾濫していますね。企業などが宣伝文句でカッコつけるだけならまだましなのですが、近年は、公務員や政治家、あるいは公共放送のはずのNHKまで、わけのわからないカタカナ語を多用します。

私が以前、非常に疑問に思ったのは、2018年9月の北海道での大規模停電のことでした。このとき、NHKの報道番組まで大規模停電のことを「ブラックアウト、ブラックアウト」と連呼していたので強い違和感を持ちました。「ブラックアウト」などとカッコつけずに、

「大規模停電」「全域停電」「大停電」などといったほうがどんな人にもよくわかります。

(まあ、NHKは昔の「教育テレビ」ではなく、数年前から「Eテレ」に名称変更したことからも、日本語を大切する気があまりないのはわかってましたが…)
(´・ω・`)

ちなみに、こういうカタカナ語は、多くの場合、英語だとも言い難いものです。例えば、英語で「クラスター」(cluster)とは、「類似したモノや人の集まり」ぐらいの意味です。「クラスター」だけでは「感染者の集団」という意味は思い浮かびません。英語が良くできる人でも、「クラスター」と聞いただけでは「感染者集団」だとは普通、わからないのです。

カタカナ語を多用すると、専門家やその分野に精通している人以外、よくわかりません。初めて見聞きする言葉は、説明がないと理解できません。また、記憶にも残りがたいのです。

その点、日本の伝統的な外来語の取り入れ方である漢字熟語を用いて、外来語を置き換えていくやり方は優れています。

「クラスター」や「ロックダウン」では初見ではなんのことかわかりませんが、「小規模感染者集団」とか「都市封鎖」と書けば、普通の日本人はすぐわかります。また、記憶にも残ります。

(この点について、以前、言語学者の鈴木孝夫氏の議論に触れながら、当メルマガに書いたことがあります。こちらもぜひご覧ください)。

施 光恒「日本人の底力」(「『新』経世済民新聞」2013年10月18日)
https://38news.jp/archives/02491

私は、特に、役人や政治家、公共放送たるNHKなど、公けの物事に関わる人々や機関がわけのわからないカタカナ語を得意げに使う風潮は大いに問題だと思います。
公けの物事を報じたり論じたりするときに大切なのは、なによりもまず「わかりやすさ」です。「万人によくわかること」です。

よくわかれば、その後、「問題の深刻さはどの程度なのか」「その問題に対処するためにはまず何をすればいいのか」などを一人一人が考えることにつながりやすくなります。

例えば、「ブラックアウトが生じた」では何をすべきかよくわかりませんが、「大規模停電(全域停電)が生じた」であれば、「これはまずい」とすぐに感じ、「その地域の電力供給の仕組みのどこに問題があったのか」、「一人一人は予期せぬ事態にどう対処し、何に気を付けるべきなのか」という思考に進むこともできます。
(以前、カタカナ語の多用が問題をぼかしてしまい、物事をさらに深く認識し考えることを妨げているのではないかということについて、「ヘイトスピーチ」という言葉を例に書いたことがあります。こちらもご覧ください)。

施 光恒「『ヘイトスピーチ』 レッテル貼りの恐れは」(『産経新聞』(九州山口版)2015年1月22日付)
https://www.sankei.com/region/news/150122/rgn1501220036-n1.html

では、なんで、こういうわかりにくいカタカナ語が、公けの事柄を論じるときにも多用され、蔓延してしまうのでしょうか。

もちろん、「インテリぶりたい」「カッコつけたい」などという理由も大いにあるでしょう。それに加えて私は、政治や災害報道などの公けの領域にも、ビジネスの論理が広まってしまっていることに一つの原因があるのではないかと考えています。

「ちょっとわかりにくくても、目新しい感じがし、人目を引くことができる」「その言葉を使っている人や組織が、かしこそうで素敵に見える」ほうがいいというのは、ビジネスの場面では大切なことが多いでしょう。新商品のキャッチフレーズや企業のイメージ広告では、そういう印象が優先されるのが普通でしょう。

わかりにくいカタカナ語が政治や行政、報道などにまで蔓延しているのは、そういう領域にもビジネスの論理がどんどん越境して広がってしまっているからではないかと考えます。そして、役人や政治家や公共放送の職員らの少なからぬ人々が、公けの仕事の意義を忘れ、ビジネス偏重の風潮に染まってしまっているからではないかと思うのです。

たとえば、近頃の行政の現場では、コンサルタント会社などに多くの業務を委託しています。このこともカタカナ語の氾濫の一因ではないでしょうか。

コンサルタント会社の人々が、業務の受託を目指しプレゼンテーションをする際、自分たちの企画を良く見せようとカタカナ語を多用することが結構あります。また、彼らが作った企画書や報告書などを公務員や政治家が使うことも多いでしょう。

また、地方自治体や大学の業界でもそうですが、緊縮財政主義の流行のもと、各種の補助金は、競争的に獲得していくべきだということが言われるようになってきました。ビジネス以外の領域にも、ビジネスのような競争を持ち込んで「効率化」をはかろうというのです。

こういう補助金獲得競争では、コンサル会社の場合と同様、プレゼンテーションが重視されますし、プレゼンでは他者に勝つために「よくわからないけど、目新しく人目を引くこと」「かしこそう、頭よさそう、素敵そう」に見えることが優先されがちです。

このようなかたちで、ビジネスではない公けの領域にビジネスの理屈や空気が持ち込まれるようになったことが、そして役人や政治家や公共放送の職員などが「公共に奉仕する」という本務を忘れ、それに浸ってしまったことが、政治や報道の世界でもカタカナ語が得意げに多用されるようになったことの背景にあるのではないでしょうか。

そうだとすれば、これはやはり問題です。

政治や行政、あるいは今回のような感染症の報道などについては、「万人によくわかり、正確に伝わること」が何より大切です。ターゲットにしている一定の消費者層だけではなく、お年寄りも若者も、高学歴層にもそうでない層にも、その問題に興味がある人にもそうでない人にも、よくわかることが大切です。

そのためには、目新しさやカッコよさは二の次で、たとえ泥臭い言葉だと感じられたとしても、ともかくわかりやすい、日常的な言葉で語ることが必要です。

つまり、当たり前ですが、政治や行政、報道といった公けの事柄に、ビジネスの理屈が持ち込まれてしまってはまずいのです。政治や行政、報道が語り掛けるべき相手は、そういう多種多様な人々がいる国民全体ですし、国民全体のことを何よりも考えて行動すべきなのです。

言葉に関して言えば、政治や行政、報道では、変にカッコつけることなく、万人にわかりやすい日常の言葉で語りかけることが何よりも大切なのです。

追伸
政治や行政の領域に、ビジネスの理屈が持ち込まれ、そちらのほうが「かっこいい」「優先されるべきだ」とみなされがちな昨今の風潮への疑問について、少し前に次のような文章も書きました。こちらもご覧くだされば幸いです。

【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】「公務員らしさ」の大切さ(『産経新聞』(九州山口版)2020年3月2日)
https://www.sankei.com/region/news/200302/rgn2003020006-n1.html
https://38news.jp/column/15584


https://38news.jp/column/15584
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c180

[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
1. 中川隆[-13228] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:23:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1676]
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ、信じたら豪い目に遭うよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c1
[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
2. 中川隆[-13227] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:33:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1677]
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
鈴木傾城は自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ、信じたら豪い目に遭うよ
鈴木傾城は民主党政権が中国を助ける為に意図的に超円高にしたとかデマ流してるけど、ドル円の適正価格はヨーロッパと日本の物価を比較すると1ドル 30円か、40円だよ。民主党時代の為替1ドル75円 は適正価格だった。 日本企業が輸出で稼いでいたのが間違いだったんだよ。
最近の異常な超円安はアベノミクスで円を大量発行して、日本の資金がすべてアメリカと中国に投資されたからだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c2
[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
3. 中川隆[-13226] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:42:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1678]
鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている朝鮮・中国嫌い、左翼嫌いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
鈴木傾城は自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ。 今はアメリカ株を買い推奨しているけど、これから超円高になったら大損するよ。
鈴木傾城は民主党政権が中国を助ける為に意図的に超円高にしたとかデマ流してるけど、ドル円の適正価格はヨーロッパと日本の物価を比較すると1ドル 30円か、40円だよ。民主党時代の為替1ドル75円 は適正価格だった。 日本企業が輸出で稼いでいたのが間違いだったんだよ。
最近の異常な超円安はアベノミクスで円を大量発行して、日本の資金がすべてアメリカと中国に投資されたからだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c3
[番外地7] 鈴木傾城は南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている女狂い… 中川隆
4. 中川隆[-13225] koaQ7Jey 2020年3月27日 19:45:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1679]
鈴木傾城さんは南京大虐殺は無かった、慰安婦は売春婦だった、資本主義は永遠に続く、とかいう悪質なデマを撒き散らしている朝鮮・中国嫌い、左翼嫌いのヘイトだよ。最近何をとち狂ったのか、顔出しまで始めたね。
鈴木傾城さんは自称投資家だけど、日本たばこが半値に暴落する直前に買い推奨していたアホ。 今はアメリカ株を買い推奨しているけど、これから超円高になったら大損するよ。
鈴木傾城さんは民主党政権が中国を助ける為に意図的に超円高にしたとかデマ流してるけど、ドル円の適正価格はヨーロッパと日本の物価を比較すると1ドル 30円か、40円だよ。民主党時代の為替1ドル75円 は適正価格だった。 日本企業が輸出で稼いでいたのが間違いだったんだよ。
最近の異常な超円安はアベノミクスで円を大量発行して、日本の資金がデフレの日本国内ではなく、すべてアメリカと中国に投資されたからだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/557.html#c4
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
301. 中川隆[-13224] koaQ7Jey 2020年3月27日 20:24:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1680]

新型コロナ株安で割安になった優良個別銘柄一覧2020年3月27日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9544

新型コロナウィルス肺炎の世界的流行で様々な資産クラスが急落したが、そのウィルスの流行にもピークが見え始めている。

•新型コロナ感染者数、アメリカで急改善 投資家は株を買い始めるべきか

買い始める時期だというのは書いた通りだが、今回の記事では具体的な銘柄について書いてゆきたい。

原油

まずは原油だろう。

原油相場については詳しく書いたのでそちらの記事を参考にしてほしいが、20ドルという原油価格はかなりの安値である。

•新型コロナで暴落した原油価格の推移予想

銘柄としては何よりシカゴの原油先物だが、米国株の原油ETF(NYSEARCA:USO)という選択肢もある。日本株のETFでも構わないが、どちらの場合も円建てで生活する日本の投資家がドル建て価格に賭けたい場合は同額のドル円を売って円高リスクをヘッジする必要がある。

また、新型ウィルスの流行がピークを迎えても原油の需要は少しずつの回復となると思われるため、株式ほどの急反発は見込めない可能性がある。そうしたリスクを考える投資家にはプット・オプションの売り(決めた価格以下に下がらなければ利益の出るトレード)を行うことも出来る。いわば価格下落の際に保険料を支払う保険の売りのようなもので、ボラティリティの高い今の相場では行使価格をかなり下げても保険料が十分に出る。現物の買いとどちらが良いかは相場観によるだろう。

産油企業

原油が安いということであれば産油企業の株も安いということになる。しかし産油コストが40ドル台であるアメリカのシェール企業は現在の20ドルという原油価格では今後も赤字を垂れ流し続けるだけである。以下の記事では簡単な財務分析もしている。

•新型コロナで暴落した原油価格の推移予想

よって買うべきなのは20ドル台でも何とか利益を出していける低い産油コストと半年程度売上が下がっても破綻しない強固な財政を備えた企業ということになり、それは世界でもサウジアラビアのSaudi AramcoとロシアのRosneftということになるだろう。個人的にはRosneftを推したい。どちらも上場企業である。Rosneftの株価チャートを掲載しておく。

原油そのものを買うのとどちらが良いかだが、原油の良いところは原油安がいくら長引いても原油は倒産しないということである。赤字を垂れ流す企業とは違い、腐りもしないので持っていてもそれだけで損はしない(正確には保管コストがかかる)。長引けば長引くほど産油企業が倒産して将来の供給が少なくなるので、反発した時の目標高値も大きくなる。

一方で相場が反発する時には株式である産油企業の方が反発が早い可能性がある。どちらにするかは好みだろう。

空港

新型コロナウィルスの流行で真っ先に影響を受けたのは航空会社であり、飛行機が飛ばなくなれば空港の収入もなくなる。どちらも暴落しているが、半年程度の売上減にも耐えられる財政の強固な企業は航空会社よりも空港に多そうである。

以下の記事にこう書いたが、これに一番相応しいのは欧州の空港だろう。

•日本の新型コロナ感染者数に急増の兆し、東京封鎖で日本株急落の可能性


日本は流行状況に関してはこれまで頑張っていたが、頑張っていたからこそ投資対象からは外れるのである。まだ最悪ではないということは、これから最悪になる可能性があるということである。逆に既に最悪であればこれ以上状況が悪くなることはない。

よってまずはフランクフルト国際空港を運営するFraportを紹介したい。

新型コロナ前の2019年の純資産は4,623百万ユーロ、人件費は1,223百万ユーロであり、最悪数年は耐えられそうである。1株当たり純利益は4.45ユーロ、現在の株価は39ユーロである。

また、もう1つ挙げるとすれば北京首都国際空港を運営する北京首都国際機場だろうか。

新型コロナ前の純資産は234億元、年間費用はすべて足しても80億元にも満たないのでバランスシートは鉄壁である。これまで売上高は毎年15%ほど伸びていた成長株でもある。コロナ前の1株当たり純利益は0.75香港ドル(香港上場)。しかし中国株全体が不調となる可能性は留意しておくべきだろう。

Alphabet

さて、最後は新型コロナの影響をあまり受けていないGoogleの親会社である。

アメリカのハイテク株は新型ウィルスの影響をそれほど受けていないにもかかわらず売られている。Alphabetの1株当たり純利益は49.16ドル、P/Eレシオ(株価収益率)は約23.6とそれだけ見れば割安ではないが、2019年の売上高成長率は18%であり、今後5年の平均成長率を12%と仮定すると1株当たり純利益は112ドルまで上がる。

また、本業の広告の成長率はそこそこだが、クラウドサーバなどを提供するGoogleクラウドの成長率は50%を超えており、個人的にはこちらに期待している。

新型コロナの影響はある程度はあるだろうが、株価が反発するとすれば上記の銘柄よりもAlphabetなど無関係の銘柄の方が先に上がる可能性が高く、両方を持っておきたいところである。先に上がった方を利益確定して上がっていない方に振り分けるなど、臨機応変なポートフォリオの組み方をしたい。

銘柄選択の重要さ

ざっとこんな感じである。一方で米国シェール企業やホテル業の一部、ジャンク債など破綻の匂いのする銘柄は大量に存在しており、銘柄選択が非常に重要な場面となっている。レイ・ダリオ氏のコメントをもう一度掲載したい。

•世界最大のヘッジファンド: 米国では次の数週間で感染者数が劇的に増加へ


わたしの予想では、一時的なショックに耐えられる銘柄と耐えられない銘柄を市場は上手く区別できず、売上への影響にばかり注意が行き、債務への影響は過小評価されるだろう。例えば一時的に大きい影響を受けるものの現金保有が豊富な企業への影響は誇張され、経済的影響は少ないものの大きな短期債務を負っている企業への影響は見落とされがちになる。

今の相場は玉石混交ということである。優良銘柄を厳選してポートフォリオに組み込みたいところである。また、日本株のリスクについては既に記事にしておいた。

•日本の新型コロナ感染者数に急増の兆し、東京封鎖で日本株急落の可能性

このまま何もなければ良いが、このシナリオが現実化する場合、東京で展開している飲食店などの銘柄は現在の反発を利用しての空売り対象となる。

今後数日の感染者数次第となるが、とりあえず売りのポジションを持っておいて感染者数が収まれば解除するというスタンスが悪くないというのが筆者の判断である。上記の買い銘柄と同時に売りを持つことでリスクヘッジにもなる。日本の流行状況についてもここで報じてゆく必要が出てきたということである。

結論

以上銘柄のチャートは載せたが、すべての銘柄が今買いのタイミングだということではない。どの銘柄についても株価がいくらならば買えるのかを各自考えて各自のタイミングで売買すべきだろう。記事はアナリストの代わりになってもトレーダーの代わりになることは出来ないからである。

参考になるのはやはり感染者数の推移であり、そちらは今後も報じてゆく。非常に面白い相場になってきた。

•新型コロナ感染者数、アメリカで急改善 投資家は株を買い始めるべきか


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9544
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c301

[近代史4] グリーグ 中川隆
2. 中川隆[-13223] koaQ7Jey 2020年3月27日 21:02:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1681]

グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg





Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/458.html#c2
[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
11. 中川隆[-13222] koaQ7Jey 2020年3月27日 21:03:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1682]


グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg





Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c11
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
10. 中川隆[-13221] koaQ7Jey 2020年3月27日 22:03:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1683]
グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg








Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c10
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
11. 中川隆[-13220] koaQ7Jey 2020年3月27日 22:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1684]
フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure






Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c11
[近代史4] 20世紀初めはこういう時代だった 中川隆
12. 中川隆[-13219] koaQ7Jey 2020年3月27日 22:10:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1685]
ラヴェル 自作自演

モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)





Piano roll, 1912



▲△▽▼

ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.




▲△▽▼

モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』


ラヴェル 自作自演 1922
Ravel "Pavane pour une infante défunte" 1922 piano roll






Ravel at the piano playing his composition "Pavane pour une infante défunte"/"Pavane for a Dead Princess" in 1922. It was imprinted onto a piano roll, and then long after his death it was played back and recorded, which is why the sound is so clear. The tempo and dynamics were not altered in this process. Of course we cannot know what happened on the day that he performed it, but for those suggesting that he did not play it, or that he played it differently, you would be wrong.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html#c12
[近代史4] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
2. 中川隆[-13218] koaQ7Jey 2020年3月28日 01:37:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1686]
民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/971.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html#c2
[リバイバル3] 原油価格の底値は 30ドルから 40ドル前半 中川隆
4. 中川隆[-13217] koaQ7Jey 2020年3月28日 09:19:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1687]

ジャンク債反発と原油価格低迷は両立しない2020年3月27日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9588#more-9588


新型コロナ株安であらゆる資産クラスが激しい値動きをする中、株式などここ数日で反発している資産もある中、安いまま放置されている資産もある。このように荒れた相場では本来の価値から離れた動きを見せる銘柄もあり、投資家にはその乖離を取る機会が与えられる。

原油とジャンク債

さて、下がったままの銘柄筆頭は原油である。

米国シェール企業の損益分岐点は40ドル台であり、20ドル近辺という水準は産油コストの低いサウジアラビアやロシアでさえもそれほど利益の出ない水準である。しかし飛行機が飛ばない状況はあと数ヶ月は続くと見られるなか、この価格でもサウジアラビアは原油の買い手を見つけられないとの報道もあり、短期的には原油価格の頭が抑えられているのも合理的な動きである。

さて、その一方で株式以外に反発しているのが信用の低い企業の債券、いわゆるジャンク債である。ジャンク債を集めたジャンク債ETFのチャートは次のようになっている。

急降下の後の急反発である。ジャンク債についてある程度知っている読者ならばもうお分かりかと思うが、この原油とジャンク債の動きは両立しないのである。

ジャンク債の発行主体

そもそもジャンク債の主な発行主体はアメリカのシェール企業なのである。

シェール企業は従来の掘り方では採掘できなかった場所にある原油も掘れる代わりにサウジやロシアなどの掘り方よりも産油コストが高くなり、原油価格が50ドル以上という前提で借金をして採掘施設を作っているので、原油価格が20ドルではシェール企業の発行したジャンク債が返済される見込みは薄い。

よってジャンク債の反発と原油価格の低迷という動きは両立せず、原油価格が上がらないにもかかわらずジャンク債ETFがもし80ドルか82ドルを超えて反発するようであれば空売りを仕掛けていける可能性がある。同時に原油の買いを行えば効率の良いクロスポジションとなるだろう。

結論

こういう上下動の激しい(ボラティリティの高い)相場ではこういう矛盾が頻繁に起こる。数多くのチャートを毎日しっかり見てしっかり考えればそういう機会を見つけることができるはずである。今の相場は投資家にとって最高の書き入れ時である。チャンスを逃さないようにしてゆきたい。

•新型コロナ株安で割安になった優良個別銘柄一覧


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9588#more-9588
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1040.html#c4

[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
1. 中川隆[-13216] koaQ7Jey 2020年3月28日 12:51:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1688]
ベーゼンドルファーを弾くバックハウス

Wilhelm Backhaus in concert on the Bösendorfer concert grand




Wilhelm Backhaus is made the first recipient of the "Bösendorfer Ring", an award that is created to honor the world's greatest pianists.




Wilhelm Backhaus plays Beethoven, Piano Concerto No.4 - Karl Böhm, Wiener Symphoniker (1967)




LUDWIG VAN BEETHOVEN
Piano Concerto No.4 in G major, Op.58
00:00:02 I. Allegro moderato
00:17:53 II. Andante con moto
00:22:24 III. Rondo. Vivace

WILHELM BACKHAUS, piano
Wiener Symphoniker
KARL BÖHM, conductor

Recorded at Studio Rosenhügel, Vienna, 3-9 April 1967

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c1
[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
2. 中川隆[-13215] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:21:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1689]
ベートーヴェン ピアノソナタ第15・18・21番 ベヒシュタインを弾くバックハウス 1969年ライブ
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/434647284.html


タイトルを見て少し「えっ」と思った人は通です。今のピアニストは猫も杓子も使用ピアノのメーカーはスタンウェイです。誰が弾いてもそれなりに綺麗な音が鳴るという点と大ホールにも音が通るという点では確かに今の時代に合うピアノです。タイトルにあるベヒシュタインは、リストやドビュッシーなどに絶賛されたピアノメーカーです。今使用している人は少ない。


往年の名ピアニストは結構違うピアノを使用していました。晩年のグールドは改造したヤマハのピアノを使用していたのは有名な話。バックハウスはベーゼンドルファーのピアノを愛奏していました。ウィーン製の木にこだわったピアノで、ウィーンpoの響きと溶け合う。そのバックハウスが亡くなる3か月前のリサイタルで、珍しくベヒシュタインのピアノを使用した記録があります。

ベートーヴェン ピアノソナタ第15番「田園」・第18番
             ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」
             ピアノソナタ第30番

ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
1969年 ベルリン・フィルハーモニーでのライブ
録音  4.10点  演奏  4.50点
※立派なステレオ放送音源です


プログラムはえっ3大ソナタないの?と思われる方もいるかもしれませんが、通好みのいいプログラム。「月光」よりも情緒豊かでスケールが少し大きい第15番、ソナチネながら小気味いい第18番、「熱情」程のドラマは無いが凝縮されて振幅の激しい「ワルトシュタイン」。ベートーヴェンの裏3大ピアノソナタです。そして晩年の30番。テンポの良さと構成力がしっかりしたプログラミングです。



ベートーヴェン ピアノソナタ第15番 バックハウス ベーゼンドルファー使用




ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
録音:1961年11月 ヴィクトリア・ホール (ジュネーヴ)



これらの曲はDECCAでステレオ録音されていますので、ベーゼンドルファーを弾いた演奏と比較できます。最晩年のライブなのでテクニック的には綻びが目立ちますがそこには目をつむって、音の違いを少し。マニアックな内容です。フィルハーモニーという広い会場でのコンサートだったのでベヒシュタインを使用したのかもしれません。







解釈は大きく違いません。ただ印象はちょっと違い、スタジオ録音では少し物足りない18番はライブというかベヒシュタインが良く、15番と21番はスタジオ録音というよりベーゼンドルファーの方がいい。第30番は一長一短。


バックハウス。さて、ベーゼンドルファーかベヒシュタインか?


Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 18 in E flat Op. 31 No. 3



"The Hunt"


1. Allegro

2. Scherzo - Allegretto vivace (8:08)

3. Menuetto - Moderato e grazioso (13:08)

4. Presto con fuoco (16:57)

live, 1969


ピアノが違うと何が違うの?と思う方もいるでしょうが、使用している材質が違ったり音を出す仕組みがそれぞれ違います。詳細を書くと長くなるのでウィキペディアで調べてください(笑)個人的な感覚ですが、ベヒシュタインはあまり筐体が響かないようにし、低音から高音に至るまで倍音が少な目な印象。ベーゼンドルファーに比べ明晰ですが、響きと倍音が少な目な分ダイナミックレンジが少しだけ狭く感じる。

しかし、低音から高音まで音のむらが無く1音1音が明確に聴こえる。ドビュッシーが評価したのはそういう点です。このライブの演奏ではスタジオ録音ではごつごつと聴こえるバックハウスの左手の指捌きが聴こえやすい。音の分離が良く、第18番は響きすぎないため、こちらの方が曲の性格に合ってます。


ベーゼンドルファーのバックハウス入門に。LPの音はもっと高音域が伸びている。

一方ベーゼンドルファーは木製の筐体を響かせる。中低音は基音近くの倍音が多く少しこもり気味の音にも聞こえますが腹に響く中低音になる。逆に高音は音の芯が明確でありながらも澄み渡ってたなびいていくような倍音が印象に残る。下手な人が弾くとその響きをコントロールできずにぼわんぼわんの音になりますが、バックハウスはこの美点を上手く使いこなしていました。特に高音は弾んで転がるような音に仕上げています。バックハウスの美点はしっかりと左手を混濁しないように響かせたベースの上に、ピアノの音とは思えない突き抜けるけども決して刺さらない虹色の光彩を放つ高音域です。


アラウの「ワルトシュタイン」です。王道。ちなみに使用ピアノはスタンウェイ。

高低差の激しい曲の性格上、「田園」と「ワルトシュタイン」はベーゼンドルファーの方がいい。ライブの演奏では「あぁピアノを叩いているな」という感じがしますが、スタジオ録音ではピアノの存在を一瞬忘れるような響きがします。スタジオの特性と録音の差も多少あるでしょうが、何回聴いても違うなぁやっぱりバックハウスはベーゼンが似合うと思ってしまう。

このコンサートの演奏はベヒシュタインを使用しているが故にバックハウスのタッチ(ミスタッチさえも)が、スタジオ録音よりもしっかり聞き取れるのは嬉しい。やはり超一流のベートーヴェン弾きです。今日何度聴いても飽きませんでした。

今はモノラルですが、フランスの名ピアニスト イヴ・ナットのベートーヴェンを聴いています。これもまた一家言と一味ある演奏で・・・いずれまた。

http://classic-cdreview.seesaa.net/article/434647284.html




▲△▽▼


バックハウスの 1969年4月18日 ベヒシュタイン使用のベートーヴェン・リサイタル
ピアノ・ソナタ第15、18、21、30番 
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/


バックハウス[1884-1969]が世を去る 3か月ほど前におこなったリサイタルは、極め付きのオール・ベートーヴェン・プログラム、しかも完全初出のステレオ音源という最高の内容です。

【バックハウスによるレコーディング】
「ベートーヴェンのエキスパート」 にふさわしく、バックハウスはソナタの全曲を1950年から1954年にかけてモノラルでセッション録音したのちに、再録がかなわなかった『ハンマークラヴィア』をのぞいて、1959年から1969年にかけてステレオでふたたびセッション録音しています。

 このたびの2枚組のセットに収められた音源は、ベーゼンドルファーのピアノを好んで弾いたバックハウスがベヒシュタインを使用しているのも興味深いところで、すべてが完全初出の内容となります。

 ちなみに、第15番は1930年代のSP録音、1953年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1961年Deccaへの第2回目のステレオ・セッション録音、1969年6月のライヴ録音につづくもので、5種のうち4番目にあたります。

 第18番は1930年代のSP録音、1948年のセッション録音、1954年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1963年Deccaへの第2 回目のステレオ・セッション録音、さらに「バックハウス最後の演奏会」として知られる、1969年6月のオーストリア、オシアッハでのライヴ録音につづく録音となり、6種中5番目に相当します。

 第21番も1950年のDeccaへの第1回目のセッション録音、1959年のザルツブルクでのライヴ録音、1959年のDeccaへの第2回目のセッション録音、1959年ボンでライヴ録音(MM006)、そして1969年6月オーストリアでのライヴ録音につづいて、5番目で6種目にあたるもの。

 第30番は1950年モノラル、1961年ステレオと、いずれもジュネーヴでのDeccaによるセッション録音につづいて3種目になります。


【ドイチュラントラジオ・クルトゥーア・アーカイブのオリジナル・ステレオ・マスター使用】
このたびもまたベルリンRIAS収録によるドイチュラントラジオ・クルトゥーアの正規音源からの復刻となりますが、ここでステレオ音源によるリリースというのもうれしいかぎりです。2010年にauditeの社主でプロデューサー&エンジニア、ルトガー・ベッケンホーフ氏が万全の音づくりで最新リマスタリングを施しています。
 (キングインターナショナル)

【収録情報】
CD1 [68:15]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第15番ニ長調Op.28『田園』
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53『ワルトシュタイン』
CD2 [17:41]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109
 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ:ベヒシュタインE)

 録音時期:1969年4月18日
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
 録音方式:ステレオ(ライヴ)
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/



聴而不聞 5つ星のうち4.0
最晩年、ベルリンでのオール・ベートーベン・ リサイタル・ ライブ
 バックハウスが85歳で亡くなる3ヶ月前のリサイタルのライブ録音が残っていました。ベルリンのフィルハーモニー・ホールでの演奏で、使用ピアノは常用して来たベーゼンドルファーではなくベヒシュタインであることが記載されています。聴いて見ますとバックハウスの聞き慣れた音とは少し違うのがわかります。ホールの響きを取り入れた綺麗な収録です。ワルトシュタインを始め、どの曲も85歳のライブ録音として大変立派な演奏だと感じました。二枚組のCDですが、CD2にはOp. 109の一曲だけが収録されています。
 このあと1969年6月26日および28日にバックハウスは演奏会を行い、6月28日のコンサートの後半、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中で心筋梗塞と思われる症状を来たし、控室に戻りました。医師団から演奏会の中止を勧められましたが、後半のプログラムを一部変更してコンサートを終了しました。最後の曲はシューマンの幻想小曲集op.12から第1曲「夕べに」/第3曲「なぜに?」とシューベルトの即興曲 作品142-2でした。演奏終了後直ちに病院に搬送されましたが7日後の7月5日に死去しました。最後の演奏会の録音もThe Last RecitalとしてCD化されていますASIN: B0001FAC0CまたはASIN: B0000E3HKK。



KM 5つ星のうち5.0
やっぱり、星5つでしょう
このライブについての情報は、先行レビューアーさんのレビュー(2014年4月22日)が参考になる。

最近、Shigeru Kawai を購入した私は、バックハウスではなくて Kawai とベヒシュタインの音を聴き比べたくて、この CD を購入。この CD は音が良いので、ベヒシュタインの美音が快い。

このアルバムにおけるバックハウスは、必ずしも指の「動き」が、安定しているとは言えないかも知れないが、彼の2回目のベートーヴェン:ソナタ全集のおおらかさ、エレガントさに加えて、生き生きした演奏を聴かせる。このアルバムは単なる「記録」ではない…全曲が私の感覚をチクリと刺し、私の身体をピクッと反応させる。

ビワッシュ 5つ星のうち4.0
バックハウスらしさを考えるにも面白い盤
バックハウスの愛したベーゼンドルファーは、高音の華やかさ、という点では(比較するとだが)少々 ”くぐもった” 印象のある楽器だ。しかしそれはバックハウスほどのピアニストともなれば、輝かしくも感じられる高音を全体のバランスから見事に描き出してくる。(それでも他のピアノに比べると控えめな輝きの高音)

そんなバックハウスが、ここでは低音〜高音までしなやかに響かせることの出来るベヒシュタインを使用している。だから、いつものバックハウスになく華やかな音楽に聴こえる。だから、いつものバックハウスとはちょっと違う。否、かなり違う。いつものバックハウス以上に音楽が雄弁だ。
(……きっとおそらくバックハウスは常に ”自分が持つ感覚・感性を超えたところで楽器の特性に頼らない、音楽を必要以上に雄弁になんか響かせたくない” 人なのだ……だから、いままでベーゼンドルファーを愛用して来たに違いない)

正直、私もバックハウスには楽曲によって「詩味」が足りずぶっきらぼう過ぎて、例えばベートーヴェンの「7番」のソナタなども他の演奏者の方がイイな(例えば、エトヴィン・フィッシャーの演奏♪)といったものがあったりもして来た。しかしだ、しかしなのだ。そうした「詩味」溢れる演奏も聴き続けていると、ふとバックハウスの演り方が恋しくなり、奏者の勝手な思いを極力入れない表現に立ち戻ったりもするものなのだ。

やはりヴィルヘルム・バックハウスはワタシなんかの先ノ先ノ先を見、感じていた本当の芸術家、ピアニスト、なのだ(と強く感じます)。
https://www.amazon.co.jp/ベートーヴェン-ピアノ・ソナタ集-Beethoven-Sonatas-Backhaus/product-reviews/B003NEQAIQ/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


投稿日:2010/10/09
今年の9月に、バックハウスのモ−ツァルトとブラ−ムスのピアノ協奏曲のライブ録音を聴いて感動したが、このライブも極め付きだ。
ピアノがベ−ゼンドルファ−でないため、最初は少し違和感があったが、曲が進むにつれてそんなものはどこかへ消えてしまった。
いずれも彼が好んで弾くベ−ト−ヴェンのソナタであるし、どの曲も一見淡々と進んでいくように聞こえるが、これこそ彼が到達した境地であろう。

しかしながら、ブラ−ムスの協奏曲でも述べたように、これらの演奏は決して枯淡の域ではない。演奏そのものが若いし、彼自身3ヵ月後に人生の終末が来るなどとは、思ってもいなかっただろう。彼の最後の演奏会で、誰もが聴けなかった18番の第4楽章が、ここでは華やかに演奏されているし、15番は彼自身がこの曲を演奏して楽しんでいるようだ。細かいところで少しミスはあるにしても、豪放な演奏のワルトシュタイン、そして、いちばん気に入ったのは30番だ。まだ10代の頃、この曲を初めて聴いたのがバックハウスのモノ-ラルLPレコ−ドだったせいもあるが。 


投稿日:2016/04/
素晴らしいCDだ。ファンにとっては神の演奏が聴ける。
バックハウスの晩年の演奏はやはり年齢によりムラがあると思うが、亡くなる三ヶ月前のこのベルリン・ライブはよほど調子が良かったのではないか?
ミスタッチは「ワルトシュタイン」で散見(聞?)されるが、何よりあの重いタッチと音色が健在なことが何より嬉しい。

ベヒシュタインだからというのは皆さんのいわれる程気にならないが、演奏のせいもあって華やいだ気配を添えている感はある。それが素晴らしいステレオの音で聞けることに感謝したい。

『田園』は興が乗っていたのか、かなり動きの多い、というかライブならではのノリの良さが目立ち、老人はいつもより早足で田園を逍遙する。心の泡立ちを抑えられないかのようだ。渋くて動きの少ないスタジオ盤とは好き好きだろう。

Op.31-3でもそれは継続しており、如何にも嬉しそうに音楽が生起していく。老人の低回趣味はいささかも見られない。スケルツォの若やいだ心の弾み方はどうだ。最後のリサイタルで弾けないで終ってしまった終楽章もここでは闊達極まりない。天衣無縫といおうか。

「ワルトシュタイン」は、スタジオ録音が早い時期のために音質が今イチであったので、この録音の方がバックハウスの壮大なピアニズムを遥かに味わえる。フィナーレは少し疲れたかなぁという感もあるが、全体としては迫力満点で豪快そのもの。85歳時で死の少し前の人の演奏とは思えない。

Op.109(CD二枚目はこれだけ=17分)もライブらしい即興性が目立ち、主題のモチーフからして冒頭の十六分音符を短く切り上げ付点音符に引っ掛けるように弾く所がスタジオ盤と違い、アゴーギグも大きい。ここも好き好きかもしれない。でも最後の変奏曲はやはり感銘深い音楽だ。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%881770-1827%EF%BC%89_000000000034571/item_%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%95%E3%80%81%EF%BC%91%EF%BC%98%E3%80%81%EF%BC%92%EF%BC%91%E3%80%81%EF%BC%93%EF%BC%90%E7%95%AA-%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%96%EF%BC%99%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3838331

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c2
[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
3. 中川隆[-13214] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:32:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1690]

バックハウスのリサイタル

1969年4月18日のベルリンのフィルハーモニー・ホールでのリサイタルと全く同じプログラムですが、

さて、ベーゼンドルファーかベヒシュタインか?


Beethoven Piano Sonata No.15 op.28 "Pastoral" - Backhaus (Firenze, 1969)




Beethoven Piano Sonata No.21 op.53 "Waldstein" - Backhaus (Firenze, 1969)




Beethoven Piano Sonata No.26 op.81a "Les adieux" - Backhaus (Firenze, 1969)




Beethoven Piano Sonata No.30 op.109 - Backhaus - (Firenze 1969)





Live recording, Teatro Comunale di Firenze (03.05.69)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c3
[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
4. 中川隆[-13213] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:36:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1691]

ベヒシュタイン

1853年、カール・ベヒシュタインによってベルリンで創業。「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるほどの名器で、最高のピアノの代名詞である。

ベヒシュタインについてフランツ・リストは「28年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった」、

クロード・ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」と言う言葉を残している。


響板が音色を作り出すという哲学のもと、頑丈な鉄骨フレーム、高いテンションの弦、総アグラフの採用などによって弦の振動をあまり鉄骨フレームに響かせずに透明度の高い音色を実現していた。

また音の立ち上がりが早いのもこのピアノの特色であり、音響効果の高いホールでの使用を念頭において設計されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%92%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c4

[近代史4] ベーゼンドルファーを弾くバックハウス 中川隆
5. 中川隆[-13212] koaQ7Jey 2020年3月28日 13:47:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1692]

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
バックハウス 1961 ベーゼンドルファー使用





Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 30 in E major Op. 109
rec. 1950 ベーゼンドルファー使用



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html#c5
[近代史4] ヴィルヘルム・ケンプは本当にベヒシュタインを弾いていたのか? 中川隆
1. 中川隆[-13211] koaQ7Jey 2020年3月28日 15:35:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1693]

2017年 03月 24日
ヴィルヘルム・ケンプは戦後の録音で果たしてベヒシュタインを弾いたか、の巻https://mitchhaga.exblog.jp/26526816/


オーディオ好きの間では、ピアノの録音で、どのメーカーのピアノを使ったか?、というのがよく話題になります。

以前も拙ブログで、イングリッド・ヘブラーはベーゼンドルファーを弾いたか?、という問題(笑)を扱いました。
http://mitchhaga.exblog.jp/25988419/

今回はですね、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)は戦後の録音でベヒシュタインを使ったか?、という問題です。

ベヒシュタインBechsteinというのはドイツのピアノ・メーカーで、戦前は高く評価されておりました。ただ爆撃で工場が破壊され、またオーナーのヘレーネ・ベヒシュタインがヒットラーと親しかったこともあだになり、戦後は衰えます。


ケンプの戦前の録音、たとえば1940年のベートーヴェン「悲愴」の録音67682 A(当然SPレコードです)のレーベルには、「am Bechstein-Flügel」と書かれており、ベヒシュタイン使用は間違いないでしょう。


問題は、「戦後の録音にベヒシュタインは使われたか?」、です。

ケンプの戦後のベートーヴェン・ソナタの全集は2種あります。(ライブ盤は除く)

1951年〜1956年スタジオ録音(モノーラル)

1964年11月〜1965年1月ハノーファー、ベートーヴェンザール(ステレオ)


なお、ケンプが来日したときは、スタインウェイを弾いているのは間違いないです。問題は50年代のモノ全集(旧盤と呼びましょう)と60年代のステレオ全集(新盤と呼びましょう)での使用ピアノです。


実は国内外のネット上をあちこち検索して回ったのですが、決定的な記載は発見できませんでした。LPレコードやCDにはピアノのブランドに関するクレジット記載はなく、ネットの雰囲気(笑)では、おおむね旧盤はベヒシュタインではないか、新盤はスタインウェイらしい、というような伝聞(?どこから)的記載のみでした。


ベヒシュタインのホームページに行くと、ベヒシュタインを愛用したピアニストの一人として、ケンプの紹介があります。また同様にスタインウェイのホームページには、ケンプがスタインウェイを褒めたコメントが載っています。どちらも決め手にはなりません。(汗)


そこで、唯一手がかりらしいものを見つけたのがこれです。

「Steinway Legend Wilhelm Kempff」というDGGのCD2枚組アルバムです。
ヴィルヘルム・ケンプは戦後の録音で果たしてベヒシュタインを弾いたか、の巻

この収録曲を見てみましょう、録音年代順にソートしてあります。


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13 「悲愴」[1936年]

リスト: 2つの伝説[1950年]

ショパン: 夜想曲 ロ長調 作品9-3[1958年]

ショパン: 即興曲 第3番 変ト長調 作品51[1958年]

ブラームス: スケルツォ 作品4[1958年]

モーツァルト: 幻想曲 ハ短調 K475[1962年]

ブラームス: ピアノのための小品 作品119[1963年]

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 作品26[1964年]

シューベルト: 3つのピアノ小品(即興曲) D946[1969年]

シューマン: 子供の情景 作品15[1971年]

J.S.バッハ: 3つのコラール (ケンプ編)[1975年]


このアルバムは、Steinway Legendシリーズの一環でして、他にも別のピアニストの盤がいろいろでています。ジャケットには大きくスタインウェイのロゴが入っており、まあ同社の宣伝半分なのかなぁ、という感じがいたします。

ただ、そこまで宣伝しているのですから、このSteinway Legendシリーズに収録された楽曲は、すべてスタインウェイ使用ではないかと考えられます。

そうだとすると、驚きなのは、1936年の「悲愴」です。戦前のケンプの録音はみなベヒシュタインかと思っておりました。

ネット上で1936年盤のレーベルを探して見てみますと、1940年盤にあったBechstein-Flügelのような記載はありませんでした。してみると、これはスタインウェイ使用なのか、にわかには信じがたいのですが、どうなんでしょう。


まあ、それはそれとして、60年代ステレオ盤全集(新盤)のピアノはスタインウェイで決まりのようですね。そして、旧盤の録音年代は、ここでのリストとショパンの間にくるのですが、どうでしょう、どうも「ケンプは戦後は全てスタインウェイで録音した」可能性が高いのではないでしょうか。


本件の検討はこれまで。何か有力な情報をお持ちの方はぜひ教えてください。

あっ、記事冒頭の画像は、ケンプとお弟子さんのイディル・ビレット、ベヒシュタイン・ピアノの前で撮影。ケンプが自宅にベヒシュタインを所有していたのは確かだと思われます。

https://mitchhaga.exblog.jp/26526816/

Wilhelm Kempff (1895 - 1991)
recorded in 1936.
transfer from Jpn Polydor 78s / 65024(630/1)



バックハウスの 1969年4月18日 ベヒシュタイン使用のベートーヴェン・リサイタル
ピアノ・ソナタ第15、18、21、30番 
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/


バックハウス[1884-1969]が世を去る 3か月ほど前におこなったリサイタルは、極め付きのオール・ベートーヴェン・プログラム、しかも完全初出のステレオ音源という最高の内容です。

【バックハウスによるレコーディング】
「ベートーヴェンのエキスパート」 にふさわしく、バックハウスはソナタの全曲を1950年から1954年にかけてモノラルでセッション録音したのちに、再録がかなわなかった『ハンマークラヴィア』をのぞいて、1959年から1969年にかけてステレオでふたたびセッション録音しています。

 このたびの2枚組のセットに収められた音源は、ベーゼンドルファーのピアノを好んで弾いたバックハウスがベヒシュタインを使用しているのも興味深いところで、すべてが完全初出の内容となります。

 ちなみに、第15番は1930年代のSP録音、1953年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1961年Deccaへの第2回目のステレオ・セッション録音、1969年6月のライヴ録音につづくもので、5種のうち4番目にあたります。

 第18番は1930年代のSP録音、1948年のセッション録音、1954年のDeccaへの第1回目のモノラル・セッション録音、1963年Deccaへの第2 回目のステレオ・セッション録音、さらに「バックハウス最後の演奏会」として知られる、1969年6月のオーストリア、オシアッハでのライヴ録音につづく録音となり、6種中5番目に相当します。

 第21番も1950年のDeccaへの第1回目のセッション録音、1959年のザルツブルクでのライヴ録音、1959年のDeccaへの第2回目のセッション録音、1959年ボンでライヴ録音(MM006)、そして1969年6月オーストリアでのライヴ録音につづいて、5番目で6種目にあたるもの。

 第30番は1950年モノラル、1961年ステレオと、いずれもジュネーヴでのDeccaによるセッション録音につづいて3種目になります。


【ドイチュラントラジオ・クルトゥーア・アーカイブのオリジナル・ステレオ・マスター使用】
このたびもまたベルリンRIAS収録によるドイチュラントラジオ・クルトゥーアの正規音源からの復刻となりますが、ここでステレオ音源によるリリースというのもうれしいかぎりです。2010年にauditeの社主でプロデューサー&エンジニア、ルトガー・ベッケンホーフ氏が万全の音づくりで最新リマスタリングを施しています。
 (キングインターナショナル)

【収録情報】
CD1 [68:15]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第15番ニ長調Op.28『田園』
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53『ワルトシュタイン』
CD2 [17:41]
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109
 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ:ベヒシュタインE)

 録音時期:1969年4月18日
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
 録音方式:ステレオ(ライヴ)
https://www.hmv.co.jp/news/article/1005200041/

聴而不聞 5つ星のうち4.0
最晩年、ベルリンでのオール・ベートーベン・ リサイタル・ ライブ
 バックハウスが85歳で亡くなる3ヶ月前のリサイタルのライブ録音が残っていました。ベルリンのフィルハーモニー・ホールでの演奏で、使用ピアノは常用して来たベーゼンドルファーではなくベヒシュタインであることが記載されています。聴いて見ますとバックハウスの聞き慣れた音とは少し違うのがわかります。ホールの響きを取り入れた綺麗な収録です。ワルトシュタインを始め、どの曲も85歳のライブ録音として大変立派な演奏だと感じました。二枚組のCDですが、CD2にはOp. 109の一曲だけが収録されています。
 このあと1969年6月26日および28日にバックハウスは演奏会を行い、6月28日のコンサートの後半、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中で心筋梗塞と思われる症状を来たし、控室に戻りました。医師団から演奏会の中止を勧められましたが、後半のプログラムを一部変更してコンサートを終了しました。最後の曲はシューマンの幻想小曲集op.12から第1曲「夕べに」/第3曲「なぜに?」とシューベルトの即興曲 作品142-2でした。演奏終了後直ちに病院に搬送されましたが7日後の7月5日に死去しました。最後の演奏会の録音もThe Last RecitalとしてCD化されていますASIN: B0001FAC0CまたはASIN: B0000E3HKK。

KM 5つ星のうち5.0
やっぱり、星5つでしょう
このライブについての情報は、先行レビューアーさんのレビュー(2014年4月22日)が参考になる。

最近、Shigeru Kawai を購入した私は、バックハウスではなくて Kawai とベヒシュタインの音を聴き比べたくて、この CD を購入。この CD は音が良いので、ベヒシュタインの美音が快い。

このアルバムにおけるバックハウスは、必ずしも指の「動き」が、安定しているとは言えないかも知れないが、彼の2回目のベートーヴェン:ソナタ全集のおおらかさ、エレガントさに加えて、生き生きした演奏を聴かせる。このアルバムは単なる「記録」ではない…全曲が私の感覚をチクリと刺し、私の身体をピクッと反応させる。

ビワッシュ 5つ星のうち4.0
バックハウスらしさを考えるにも面白い盤
バックハウスの愛したベーゼンドルファーは、高音の華やかさ、という点では(比較するとだが)少々 ”くぐもった” 印象のある楽器だ。しかしそれはバックハウスほどのピアニストともなれば、輝かしくも感じられる高音を全体のバランスから見事に描き出してくる。(それでも他のピアノに比べると控えめな輝きの高音)

そんなバックハウスが、ここでは低音〜高音までしなやかに響かせることの出来るベヒシュタインを使用している。だから、いつものバックハウスになく華やかな音楽に聴こえる。だから、いつものバックハウスとはちょっと違う。否、かなり違う。いつものバックハウス以上に音楽が雄弁だ。
(……きっとおそらくバックハウスは常に ”自分が持つ感覚・感性を超えたところで楽器の特性に頼らない、音楽を必要以上に雄弁になんか響かせたくない” 人なのだ……だから、いままでベーゼンドルファーを愛用して来たに違いない)

正直、私もバックハウスには楽曲によって「詩味」が足りずぶっきらぼう過ぎて、例えばベートーヴェンの「7番」のソナタなども他の演奏者の方がイイな(例えば、エトヴィン・フィッシャーの演奏♪)といったものがあったりもして来た。しかしだ、しかしなのだ。そうした「詩味」溢れる演奏も聴き続けていると、ふとバックハウスの演り方が恋しくなり、奏者の勝手な思いを極力入れない表現に立ち戻ったりもするものなのだ。

やはりヴィルヘルム・バックハウスはワタシなんかの先ノ先ノ先を見、感じていた本当の芸術家、ピアニスト、なのだ(と強く感じます)。
https://www.amazon.co.jp/ベートーヴェン-ピアノ・ソナタ集-Beethoven-Sonatas-Backhaus/product-reviews/B003NEQAIQ/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


投稿日:2010/10/09
今年の9月に、バックハウスのモ−ツァルトとブラ−ムスのピアノ協奏曲のライブ録音を聴いて感動したが、このライブも極め付きだ。
ピアノがベ−ゼンドルファ−でないため、最初は少し違和感があったが、曲が進むにつれてそんなものはどこかへ消えてしまった。
いずれも彼が好んで弾くベ−ト−ヴェンのソナタであるし、どの曲も一見淡々と進んでいくように聞こえるが、これこそ彼が到達した境地であろう。

しかしながら、ブラ−ムスの協奏曲でも述べたように、これらの演奏は決して枯淡の域ではない。演奏そのものが若いし、彼自身3ヵ月後に人生の終末が来るなどとは、思ってもいなかっただろう。彼の最後の演奏会で、誰もが聴けなかった18番の第4楽章が、ここでは華やかに演奏されているし、15番は彼自身がこの曲を演奏して楽しんでいるようだ。細かいところで少しミスはあるにしても、豪放な演奏のワルトシュタイン、そして、いちばん気に入ったのは30番だ。まだ10代の頃、この曲を初めて聴いたのがバックハウスのモノ-ラルLPレコ−ドだったせいもあるが。 


投稿日:2016/04/
素晴らしいCDだ。ファンにとっては神の演奏が聴ける。
バックハウスの晩年の演奏はやはり年齢によりムラがあると思うが、亡くなる三ヶ月前のこのベルリン・ライブはよほど調子が良かったのではないか?
ミスタッチは「ワルトシュタイン」で散見(聞?)されるが、何よりあの重いタッチと音色が健在なことが何より嬉しい。

ベヒシュタインだからというのは皆さんのいわれる程気にならないが、演奏のせいもあって華やいだ気配を添えている感はある。それが素晴らしいステレオの音で聞けることに感謝したい。

『田園』は興が乗っていたのか、かなり動きの多い、というかライブならではのノリの良さが目立ち、老人はいつもより早足で田園を逍遙する。心の泡立ちを抑えられないかのようだ。渋くて動きの少ないスタジオ盤とは好き好きだろう。

Op.31-3でもそれは継続しており、如何にも嬉しそうに音楽が生起していく。老人の低回趣味はいささかも見られない。スケルツォの若やいだ心の弾み方はどうだ。最後のリサイタルで弾けないで終ってしまった終楽章もここでは闊達極まりない。天衣無縫といおうか。

「ワルトシュタイン」は、スタジオ録音が早い時期のために音質が今イチであったので、この録音の方がバックハウスの壮大なピアニズムを遥かに味わえる。フィナーレは少し疲れたかなぁという感もあるが、全体としては迫力満点で豪快そのもの。85歳時で死の少し前の人の演奏とは思えない。

Op.109(CD二枚目はこれだけ=17分)もライブらしい即興性が目立ち、主題のモチーフからして冒頭の十六分音符を短く切り上げ付点音符に引っ掛けるように弾く所がスタジオ盤と違い、アゴーギグも大きい。ここも好き好きかもしれない。でも最後の変奏曲はやはり感銘深い音楽だ。

https://mitchhaga.exblog.jp/26526816/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/707.html#c1

[近代史4] 女に選挙権を与えたのは失敗だった 中川隆
7. 中川隆[-13210] koaQ7Jey 2020年3月29日 08:56:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1694]
民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室 2020-03-26
http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html


「サンデー毎日」に不定期連載という欄を持っている。三月に一度くらい思い立ったことを書く。5000字ほど頂いているので、わりとややこしい話が書ける。今回3月29日号に寄稿したのは民主制論である。「存在すべきもの(ゾルレン)」が「存在するもの(ザイン)」を律するという、宗教や武道では当たり前の話は政治にも当てはまるよという話である。

 統治機構が崩れ始めている。公人たちが私利や保身のために「公共の福祉」を配慮することを止めたせいで、日本は次第に「国としての体」をなさなくなりつつある。
 誰かの怠慢や不注意の帰結ではない。過去30年ほどの間、日本国民一人一人の孜々たる努力の成果である。

 私はこの現象をこれまでさまざまな言葉で言い表そうとして来た。「反知性主義」、「ポピュリズム」、「株式会社化」、「単純主義」などなど。そして、最近になって、それらの徴候が「民主主義をめざさない社会」に固有の病態ではないかと思い至った。その話をしたい。

 過日、「表現の自由」について講演を頼まれた。頼まれてから、「表現の自由」とはそもそも何のために存在するルールなのか考えた。

 たしかに、私たちの民主主義的な憲法は「表現の自由」を保証し、「公共の福祉」に反しない限りその自由を抑制することはできないとしている。でも、「表現の自由」を保証することでどのような「善きもの」がもたらされるのか? 人を憤激させるような表現や、人が大切にしているものを踏みにじるような攻撃的な表現にも自由は保証されるべきなのか? 表現してよいものといけないものを公的機関が判定することは許されるか? こういう問いに即答するのはむずかしい。

 なぜ「表現の自由」は守るに値するものなのか? 

 残念ながら、その問いに対する答えは憲法本文には書かれていない。書かれていないのは、それが自明だからではない(自明なら「表現の自由」をめぐって論争が起きるはずがない)。書かれていないのは、その答えは国民が自分の頭で考え、自分の言葉で語らなければならないことだからである。

 表現の自由にしろ、公共の福祉にしろ、民主主義にしろ、それにいかなる価値があるのかを自分の言葉で語ることができなければ、「そんなものは守るに値しない」と言い切る人たち(それはすでにわが国民の相当数に達している)を説得して翻意させることはできない。

 憲法の定める「表現の自由」はいかなる「善きもの」をもたらすのか? 

 それを語らない限り、民主主義を語ったことにはならないと私は思う。
 というのは、「民主主義とは何を目指した制度なのか?」を愚直に思量し、条理を尽くして語る努力そのものが民主主義の土台をかたちづくると私は考えているからである。だから、「民主主義とは何のためのものか?」という問い手離した人々はもう民主制国家を維持することはできない。

 民主主義というのはどこかに出来合いのものがあって、それを「おい、民主主義一丁おくれ」と言えば誰かが持って来てくれるというものではない。それは私たちが今ここで手作りする以外にないものなのである。いま日本の民主主義が崩れつつあるのは、私たちがそのことを忘れたからである。

 第二次世界大戦が終わった後に、ウィンストン・チャーチルは下院の演説において民主主義についてこう述べたことがある。

「この罪と悲しみの世界では、これまでに多くの政治体制が試みられてきたし、これからも試みられてゆくであろう。民主主義が完全で全能のもの(perfect and all-wise)だという人はいない。事実、民主主義は最悪の統治制度(the worst form of Government)だとこれまで言われてきた。これまで試みられてきたすべての統治制度を除けばだが。」

 広く人口に膾炙したフレーズであるが、この言葉を引用する人たちは「民主主義は最悪の制度だ」という点を強調し過ぎるように私には思われる。民主主義は「ろくでもない制度」である。だが、それ以外の政治体制は「さらにろくでもない制度」である。それゆえ、われわれは民主主義をいやいや採用している。多くの人はそういうふうに論を運ぶ。なんだかシニカルで頭よさそうである。だが、私はその解釈を採らない。チャーチルはこの時に「民主主義は最も実現することが困難な政体である」ということを言いたかったのではないかと思うからである。

 民主主義はまだ存在しない。私はそう思っている。「まだ」というか、たぶん永遠に存在しない。民主主義は「それをこの世界に実現しようとする遂行的努力」というかたちで、つまりつねに未完のものとしてしか存在しない。
 それでいいのだと思う。

 高い目標をめざす努力というのはどれも「そういうもの」だからだ。こちらの目の黒いうちに民主主義を実現することがかなわなくても、それを目指して前のめりに息絶えたということなら私の方には特段文句はない。

 この世界には一神教徒が25億人ほどいる。彼らは世界の終わりの時にわれわれを救うために現れる救世主(メシア)の到来を信じている。だが、預言者がそう説いてからそろそろ3000年ほど経つのに救世主はまだ来ない。これまで一度も起きたことがない出来事は、帰納法的に推論すれば、これからも起きない。だが、一神教の信者たちは彼らが生涯ついに出会うことのなさそうな救世主の到来を勘定に入れて今ここでの彼らの生活を律している。

 ある概念の持つ指南力はそれが現実化する蓋然性とは関係がない。メシアが永遠に到来しなくてもメシアニズムは今ここで機能する。それと同じである。「完全で全能の民主主義」が永遠に到来しなくても、その概念が今ここにおける政治的指南力を持つことはあり得る。「民主主義」は一神教における「メシア」に比すべき超越的な概念なのだ。というのが私の仮説である。そんな変ちきなことを言う人は他にいないと思うが、そう考えると現代日本における民主主義の空洞化の説明がつく。

 民主主義あるいは民主制(democracy)とはどういう制度なのか? 

 定義はそれほど難しくない。これは主権者が誰であるかによる政体の分類だからである。民主制の他には、君主制(monarchy)、貴族制(aristocracy)、寡頭制(oligarchy)、無政府(anarchy)などいくつかの政体が同列に並ぶ。チャーチルが「これまで試みられたすべての統治制度」と呼んだものがそれだ。だから、「私は民主主義に反対である」と言う人は、これらのうちのどれかの政体を選択したと見なされる。

 では、「主権者」とはどういう人間のことか。私はこれを「自分の個人的運命と国の運命の間に相関がある(と思っている)人間」と定義したいと思う。これもまた個人的な定義であり、一般性を要求するわけではない。とにかくこの定義で話を進めさせてもらう。
 帝政や王政においては皇帝や国王が主権者である。だから、明君賢帝であれば国は治まり、暗君愚帝であれば国は乱れる。貴族政や寡頭制でも話は変わらない。主権者の賢愚や善悪がそのまま国運を決する。それなら民主制でも話は同じはずである。民主制は国民が主権者である政体、すなわち国民ひとりひとりが「自分の個人的運命と国の運命の間には相関がある(と思っている)」政体である。そして、実際に国民ひとりひとりの賢愚や善悪が国運の帰趨を決するのである。

 アンドレ・ブルトンがどこかで「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ」と書いていたが、私はこれはそのまま民主制国家の主権者の条件として使えると思う。つまり、「自分の生活を変えることと国を変えることが一つのものであると信じられること」それが民主制国家における主権者の条件である。

 自分のただ一言ただ一つの行為によって国がそのかたちを変わることがあり得るという信憑を手離さない者、それが民主主義国家における主権者である。だから、主権者は「自分が道徳的に高潔であることが祖国が道徳的に高潔であるためには必要である」「自分が十分に知的な人間でないと祖国もまたその知的評価を減ずる」と信じている。遠慮なく言えば、一種の関係妄想である。だが、このような妄想を深く内面化した「主権者」を一定数含まない限り、民主制国家は成り立たない。

 そのことは「主権者のいない民主制国家」というものを想像してみれば分かる。
 主権者のいない民主制国家では、国民は自分の個人的な生き方と国の運命の間には相関がないと思っている。自分が何をしようとしまいと、国のかたちに影響はないと思っている。公共的圏域はあたかも自然物のように自分の外に存在しており、自分が汚そうと傷つけようと蹴とばそうと盗もうと、いささかも揺らぐことはないと思っている。今の日本人はまさにそれである。

 主権者であることを止めた国民というのは「高速道路が渋滞しているときに、路肩を走るドライバー」に似ている。彼以外のすべてのドライバーが遵法的にふるまい、彼一人が違法的である時に彼の利益は最大化する。しかし、それを見た他のドライバーたちが彼を真似て路肩を走り出すと、彼のアドバンテージはゼロになる。これが民主制国家の抱える根本的なジレンマである。

 公共の秩序が整っているときにこそ私利私欲の徒は大きな利益を得る。だが、私利私欲の徒が増え過ぎると秩序は崩壊する。だから、私利私欲の徒を根絶することはできないが、その人口比は「受忍限度」を超えてはならない。どうやって「公共の福祉を配慮する人」と「自己利益だけを追求する人」の比率をコントロールするか? それが民主制国家の直面する最大の現実的問題である。

 一定数の主権者(あるいはもっと平たく「大人」と言ってもよい)、つまり「自分の利害と国の利害は結びついていると思っている人」を民主制は含んでいなければ立ち行かない。それは上に申し上げた通りである。だが、社会の民主化が進み、「大人」の数が増えるにつれて、公共の福祉を顧みず利己的にふるまう人間(すなわち「子ども」)が得る利益は増大する。社会が民主化されるほど非主権者的=非民主主義的にふるまう者はより大きなアドバンテージを享受できることになる。つまり、民主制とは、その構成員たちに絶えず「他の連中には法と倫理を守らせ、常識に従わせ、公共の福祉に配慮させておいて、自分ひとりは抜け駆けして利己的・違法的・非民主的にふるまう」ように誘いかけるシステムなのである。

 ややこしい仕組みである。「最悪の統治制度」だとチャーチルが言うのも当然である。
 しかし、それでも民主制はそれ以外の政体よりも「まし」だと私は思う。
 民主制国家においてはとりあえず一定数の国民が、自助努力がそのまま国力の増大、国運の上昇に結びつくと信じているからである。自分がまず大人にならなければならないと信じているからである。

 史書によれば、名君である尭が五十年王位にあった後、自分の統治がうまくいっているかどうかを知るために変装して街を歩いたことがあった。子どもたちは「万民が幸福なのは皇帝の徳治のおかげだ」という童謡を歌っていたが、一人の老人は腹鼓を打ちながら「帝力なんぞ我にあらんや」とうそぶいていた。皇帝の資質といまの自分の生活の間には相関があることを子どもは信じており、老人は信じていない。いずれが現実を正しく見ているかということは別にして、このあと「公共の福祉」のために汗をかく気があるのはどちらかかは誰にも分かる。

 帝政王政の国では統治者一人が賢明であれば善政は行われた。でもそれは君主以外のすべての民が何の判断力も持たない愚鈍な幼児であっても機能する制度、むしろそうである方がよりよく機能する制度であった。だから、それらの制度は廃棄されたのだと思う。
 私が民主制を支持するのは、それが「できるだけ多くの国民が適切な判断力を具えた大人であることの方がそうでないよりよく機能する制度」だからである。民主制国家は一定数の国民が大人であることを要求する。それが民主制の手柄である。

 私が表現の適否を公的機関が判断することに反対するのは、その機関がつねに誤った判断を下すと思っているからではない(多くの場合、その判断は正しいだろう)。それが国民の適切な判断力の涵養に資するところがないからである。国民の市民的成熟を目指さないからである。それは「未成年者のために大人が決定を代替する」仕組みである。そして、そのような仕組みが整備された社会では子どもが大人になる動機づけは傷つけられる。「あなたが判断しなさい」と権限を委ねない限り、人は自分の判断力を育てようとはしない。「あなたが決めるのです」と負託しない限り、人は主権者としての自己形成を始めようとしない。

 民主制はそのような「賭け」なのである。今の日本で民主制が衰微しているのは、私たちにその覚悟がなくなったからである。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/626.html#c7

[番外地6] ピケティで明けました 中川隆
34. 中川隆[-13209] koaQ7Jey 2020年3月29日 09:45:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1695]

大西つねき
21世紀の資本 トマ・ピケティ(著) は当たり前の事を700ページも使って書いた下らない本だった:

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title


▲△▽▼


「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title


資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが中央銀行の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・土地は公有化する
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局等のインフラは公営化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/562.html#c34

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
25. 中川隆[-13208] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:08:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1696]
安倍首相の「嫌われなくない症候群」2020年03月29日


安倍首相は東京五輪への風評被害を嫌って入国制限や行動制限をしなかったが、却って感染拡大を招いたと批判されている。

安倍首相の「嫌われなくない症候群」はかなり異常で、中国自身が都市を封鎖したのに日本だけ入国禁止にしていなかった。

日本国内のプロ野球やサッカーなどもすべて開幕延期になったが、大相撲春場所は無観客で実施された。


プロ野球のオープン戦も無観客の練習試合として行われているが、面白みに欠けるのは否めない。

CSやBSで中継しているが観客がいないと選手はだらけてしまい、真剣味に欠けるように見える。

格闘技のK1とプロレスは自粛要請に反して強行されたが、それなりに観客が集まっていた。

日本政府は何もしない

東京都は3月25日に外出やイベント、花見の自粛を都民に呼びかけたが、実は強制力は一切ない。

先日国会で成立した非常事態宣言法案はライブハウスやイベントの閉店を強制できるが、外出制限や禁止できない。

外出制限を強制するためには罰則が必要で、戒厳令を可能にするような非常事態法が必要になる。


野党と左翼は「戦前の復活だ」としてこの手の法律に反対したし、自民党議員も面倒ごとを避けている。

東京都は公有地の公園を立ち入り禁止にしたが、外出を禁止できる法律がない。

都民は「自粛を要請」されても無視して良く、実際一部のライブハウスは営業している。


東京封鎖も同じことで法律上の権限ではなく、通らないようにお願いするだけで罰則はない。

福島原発周辺のように立ち入り禁止区域にする法律を作ることはできるが、東京都には1000万人が住んでいるので適用できない。

結局日本では非常事態法や戒厳令法を新たに作らない限り、強制力のある行動制限はできません。

欧米ではあらゆる集会やスポーツが禁止

そんな日本と違って欧州では多くの国が戒厳令状態でイタリアやスペインは全土で外出禁止なので外を歩いたら逮捕される。

フランスやドイツやイギリスも都市での買い物や散歩以外の外出は禁止で、最低限必要な商店しか営業していない。

スポーツは全面的に禁止で有名なテニスやゴルフ大会などが次々に延期になっている。


F1やラリーやMOTOGPのような自動車レースも延期や中止され、欧州人が好きなサッカーやアメリカ人が好きなメジャーリーグも延期される。
http://www.thutmosev.com/archives/82559151.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c25

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
16. 中川隆[-13207] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:08:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1697]
安倍首相の「嫌われなくない症候群」2020年03月29日


安倍首相は東京五輪への風評被害を嫌って入国制限や行動制限をしなかったが、却って感染拡大を招いたと批判されている。

安倍首相の「嫌われなくない症候群」はかなり異常で、中国自身が都市を封鎖したのに日本だけ入国禁止にしていなかった。

日本国内のプロ野球やサッカーなどもすべて開幕延期になったが、大相撲春場所は無観客で実施された。


プロ野球のオープン戦も無観客の練習試合として行われているが、面白みに欠けるのは否めない。

CSやBSで中継しているが観客がいないと選手はだらけてしまい、真剣味に欠けるように見える。

格闘技のK1とプロレスは自粛要請に反して強行されたが、それなりに観客が集まっていた。

日本政府は何もしない

東京都は3月25日に外出やイベント、花見の自粛を都民に呼びかけたが、実は強制力は一切ない。

先日国会で成立した非常事態宣言法案はライブハウスやイベントの閉店を強制できるが、外出制限や禁止できない。

外出制限を強制するためには罰則が必要で、戒厳令を可能にするような非常事態法が必要になる。


野党と左翼は「戦前の復活だ」としてこの手の法律に反対したし、自民党議員も面倒ごとを避けている。

東京都は公有地の公園を立ち入り禁止にしたが、外出を禁止できる法律がない。

都民は「自粛を要請」されても無視して良く、実際一部のライブハウスは営業している。


東京封鎖も同じことで法律上の権限ではなく、通らないようにお願いするだけで罰則はない。

福島原発周辺のように立ち入り禁止区域にする法律を作ることはできるが、東京都には1000万人が住んでいるので適用できない。

結局日本では非常事態法や戒厳令法を新たに作らない限り、強制力のある行動制限はできません。

欧米ではあらゆる集会やスポーツが禁止

そんな日本と違って欧州では多くの国が戒厳令状態でイタリアやスペインは全土で外出禁止なので外を歩いたら逮捕される。

フランスやドイツやイギリスも都市での買い物や散歩以外の外出は禁止で、最低限必要な商店しか営業していない。

スポーツは全面的に禁止で有名なテニスやゴルフ大会などが次々に延期になっている。


F1やラリーやMOTOGPのような自動車レースも延期や中止され、欧州人が好きなサッカーやアメリカ人が好きなメジャーリーグも延期される。
http://www.thutmosev.com/archives/82559151.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c16

[近代史3] チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか? 中川隆
22. 中川隆[-13206] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1698]
安倍首相の「嫌われなくない症候群」2020年03月29日


安倍首相は東京五輪への風評被害を嫌って入国制限や行動制限をしなかったが、却って感染拡大を招いたと批判されている。

安倍首相の「嫌われなくない症候群」はかなり異常で、中国自身が都市を封鎖したのに日本だけ入国禁止にしていなかった。

日本国内のプロ野球やサッカーなどもすべて開幕延期になったが、大相撲春場所は無観客で実施された。


プロ野球のオープン戦も無観客の練習試合として行われているが、面白みに欠けるのは否めない。

CSやBSで中継しているが観客がいないと選手はだらけてしまい、真剣味に欠けるように見える。

格闘技のK1とプロレスは自粛要請に反して強行されたが、それなりに観客が集まっていた。

日本政府は何もしない

東京都は3月25日に外出やイベント、花見の自粛を都民に呼びかけたが、実は強制力は一切ない。

先日国会で成立した非常事態宣言法案はライブハウスやイベントの閉店を強制できるが、外出制限や禁止できない。

外出制限を強制するためには罰則が必要で、戒厳令を可能にするような非常事態法が必要になる。


野党と左翼は「戦前の復活だ」としてこの手の法律に反対したし、自民党議員も面倒ごとを避けている。

東京都は公有地の公園を立ち入り禁止にしたが、外出を禁止できる法律がない。

都民は「自粛を要請」されても無視して良く、実際一部のライブハウスは営業している。


東京封鎖も同じことで法律上の権限ではなく、通らないようにお願いするだけで罰則はない。

福島原発周辺のように立ち入り禁止区域にする法律を作ることはできるが、東京都には1000万人が住んでいるので適用できない。

結局日本では非常事態法や戒厳令法を新たに作らない限り、強制力のある行動制限はできません。

欧米ではあらゆる集会やスポーツが禁止

そんな日本と違って欧州では多くの国が戒厳令状態でイタリアやスペインは全土で外出禁止なので外を歩いたら逮捕される。

フランスやドイツやイギリスも都市での買い物や散歩以外の外出は禁止で、最低限必要な商店しか営業していない。

スポーツは全面的に禁止で有名なテニスやゴルフ大会などが次々に延期になっている。


F1やラリーやMOTOGPのような自動車レースも延期や中止され、欧州人が好きなサッカーやアメリカ人が好きなメジャーリーグも延期される。
http://www.thutmosev.com/archives/82559151.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html#c22

[近代史3] 新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか? 中川隆
6. 中川隆[-13205] koaQ7Jey 2020年3月29日 10:55:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1699]
2020年03月29日
チンパンジーとボノボの分岐
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_46.html


 チンパンジー(Pan troglodytes)とボノボ(Pan paniscus)の分岐について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Zihlman et al., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P 319)。チンパンジー属のチンパンジーとボノボは、250万〜80万年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。両種の分岐に関しては、チンパンジーが母集団となってボノボが派生した、との見解が広く支持されています。これは、おもに社会性・道具使用・狩猟といった行動的証拠に基づいており、ボノボの解剖学的証拠は無視される傾向にあった、と本報告は指摘します。

 本報告は、チンパンジー属の成体18頭の解剖体骨と、20頭のボノボおよび2亜種25頭のチンパンジーの骨格データに由来する、骨格および軟組織両方の証拠に基づき、チンパンジーとボノボの分岐を検証しています。一部の頭蓋顔面および歯の特徴は、チンパンジーとボノボを統計的に区別しますが、体重および頭蓋容量では区別されませんでした。チンパンジー属の体組成(骨・筋肉・皮膚など)は、雌もしくは雄の間での種内変異をほとんど示しません。年齢と体重の一致したボノボとチンパンジーの雌の比較は、いくつかの統計的に有意な程度が体幹と四肢の比率における違いを反映している、と示します。同種の雄と比較した比較した雌は、ボノボでは骨格の程度で統計的な違いを示さないのに対して、チンパンジーの雄は雌から離れます。

 これら解剖学的比較の結果はチンパンジーの雄を外れ値として示し、ボノボではなくチンパンジーが分岐した種である、という仮説を支持します。これらの比較をゴリラとアウストラロピテクス属に拡張することで、分岐したチンパンジーの解剖学と行動に関する進化史と潜在的選択圧がより明確に見えてくる、と本報告は指摘します。チンパンジー属の化石はほとんど発見されていないので、チンパンジーとボノボの分岐に関する問題の解明には、現時点では現生種の形態とゲノムの比較が有効となりそうです。


参考文献:
Zihlman A.(2020): Pan paniscus or Pan troglodytes? The case for a divergent Pan troglodytes. The 89th Annual Meeting of the AAPA.


https://sicambre.at.webry.info/202003/article_46.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/635.html#c6

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
26. 中川隆[-13204] koaQ7Jey 2020年3月29日 11:01:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1700]
「今までにない発想」の弊害 2020年3月28日

 ここまでくると、本当にこの国のトップは危機管理能力のない連中揃いなんだろうか…と笑えないものがある。アカデミックな人々のなかで小綺麗に「反知性主義者」などと呼称する向きもあるけれど、街のみんなはもっとあからさまに、学校一斉休校あたりから「バカなんだろうか?」と率直な表現で政府対応への驚きを話題にしてきた。

 元から政治に権威も信頼も乏しい状態にあったが、各国がコロナパニックの事態収束に全力を挙げ、国民生活を落ち着かせるために検査を徹底し、移動や外出を抑制する意味も込めて現金給付に乗り出しているなかで、自民党政府がしていることといえば、まず第一に東京五輪が開催できるか否かの心配であった。そのためなのか検査数を抑制し、今になって感染源の分からぬ陽性患者が首都圏でも急増し、週末の外出自粛を叫び始めている。首都圏のスーパーでは小池都知事の仰々しい記者会見を受けて、直後から食料品の買い占めまで起きている。もっとも重要だった初期の封じ込めにあたって五輪開催の願望を優先し、失敗した挙げ句の感染拡大である。

 経済活動は自粛の嵐を受けて急速に冷え込み、各種業界、業種、国民生活への影響は甚大なものになっている。ところが日本政府としては現金給付は頑なに拒み、業界利権も込み込みの旅行への補助金給付(外出や移動を促進)とか、和牛商品券の配布とか、ついにはバランスをとってお魚券の発行も検討し始めたとかで、危機的な状態にある巷の切実感とかけ離れた頓珍漢な「政策」を決めあぐねている始末だ。今月の各種支払いをどう乗り切ろうか…という企業や国民の目前の危機に対して、迅速に社会の構成員全体が安心するような経済政策、すなわち「これまで巻き上げてきた日本銀行券を大胆に配る!」を拒み、「いや商品券だ」と族議員どもが業界利権をここぞとばかりに主張しているというから呆れて言葉がない。なぜコロナパニックのさなかに、国民生活への支援策が和牛なのか、お魚なのか、旅行なのか? 当たり前に考えても意味不明であるが、そのようなバカげた「経済対策」を真顔で論議し、時間を浪費しているのである。

 ドイツではベルリン市の全自営業者に170万円の配布が決まった。イギリスは仕事ができない労働者に賃金の80%を支給するという。アメリカも同様に国民への現金支給を打ち出している。こうして各国がやっているのは、当面のお金(生活費や企業の収入減)は国家が保障するから、そのかわりに外出や営業を自粛して家でおとなしくしておいてくれという政策であり、現金給付によってまずは安心しろというメッセージを放つものだ。不用意な外出によって感染拡大が国内に広がることを抑えるという意味でも、安心を担保する政策といえる。日本政府が検討している対策との明確な違いは、その目的だろう。

 現金給付ではなく「商品券を発行する」のは、業界の利権をここぞとばかりに潜り込ませる以外に目的がない。国民が求めているのは和牛商品券でもお魚券でもなければ、旅行の補助でもないのである。それは、コロナパニックや社会全体の経済的打撃を抑え込むという目的の最重要部分が端から吹っ飛んでいること、深刻な実態について把握しておらず、危機に対応する能力を喪失していることを物語っている。

 安倍晋三は確か「今までにない発想でコロナ対策に取り組む」と豪語していた。それが和牛商品券、お魚券、旅行への補助給付なのだとしたら、確かに「今までにない発想」であり、「誰も思いつかないような発想」ではある。ただ、今必要なのはそのような「今までにない発想」やどこの国も考えつかないような愚かな政策ではなく、まともな対策である。「今までの発想」すなわち常識的な対策ができる人間に指揮をとらせることが必要だ。   吉田充春
https://www.chosyu-journal.jp/column/16301

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c26

[近代史3] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
4. 中川隆[-13203] koaQ7Jey 2020年3月29日 11:05:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1701]
「サル化する日本人」が見抜けない危機の本質 「今」を考察する力はなぜ失われたのか
内田 樹 2020/03/29



© 東洋経済オンライン 現代人は再びサルに退化し始めている……? 思想家の内田樹氏が指摘する「サル化」とは何か、質問に回答してもらった(altmodern/iStock)

日本社会が“サル化”している――。新著『サル化する世界』でそう鋭く指摘するのは思想家の内田樹氏だ。内田氏が言う「サル化」とは何か。コロナ危機に際して考えるべきこととは。編集部からの質問に回答してもらった。

ーー「サル化する世界」という挑発的なタイトルに込めた思いを教えてください。
 「サル」というのは「朝三暮四」のサルのことです。サルが今の自分さえよければそれでよくて、未来の自分にツケを回しても気にならないのは、ある程度以上の時間の長さにわたっては、自己同一性を保持できないからです。

 過去・現在・未来にわたる広々とした時間流の中に自分を位置づけることができない人間には確率、蓋然性、矛盾律、因果といった概念がありません。

「文明史的危機」に際会している

 「矛盾」も「守株待兎」も「刻舟求剣」も「鼓腹撃壌」も、いずれも時間意識が痩せ細った愚者についての物語ですが、おそらく、春秋戦国時代には「そういう人」が身の回りに実際にいたのでしょう。だから、荘子や韓非ら賢者たちは「長いタイムスパンの中でものごとの適否を判断できること」を未開からのテイクオフの条件として人々に教えようとした。

 それから2000年ほど経って、気がついたら、現代人は再びサルに退化し始めていた。この「文明史的危機」に際会して、警鐘を乱打しようと思って、このような挑発的なタイトルを選びました。

 ーー過去と未来をふくんだ視点で「今」を考察する力は、なぜ急激に失われてしまったのでしょうか。

 最大の原因は基幹産業が農業から製造業、さらにはより高次の産業に遷移したことだと思います。農業の場合でしたら、人間は植物的な時間に準拠して暮らしていました。農夫は種子をまいている自分と、風水害や病虫害を防いで働いている自分と、収穫している自分が同一の自己であるという確信がないと日々の苦役には耐えられません。

 でも、いま、最下層の賃労働者は今月の給与をもらっている自分より先の自分には、同一性を持つことができません。だって、1カ月後に自分がどうなっているかさえ予測がつかないから。

 それは富裕層も同じです。株の取引はマイクロセコンド単位で行われている。それ以上タイムスパンを広げても意味がない。企業だってそうです。今から10年前にGoogleやAmazonが「こんなふう」になると予測した人はほとんどいなかった。10年後にどうなるかもわからない。長い時間の流れの中に自分を置いて、何が最善の選択なのかを熟慮するという習慣を現代人は失って久しい。

 ーー近年、日本社会のどんな面に特にサル化の兆候は表れていると思いますか。

 一番わかりやすいのは「うそをつくことについて罪の意識がなくなった」ということです。「Honesty pays in the long run」ということわざがありますけれど、「正直は長い目で見れば引き合う」というのは、「うそをつく方が短期的には引き合う」ということです。短期的な損得だけを考えれば、多くの場合、うそをつくほうが利益が大きい。

その場その場の自己利益を優先

 政治家や官僚たちがすぐばれるうそをつき、前後矛盾することを平気で言い、その矛盾を指摘されても別に困惑する様子もないのは、彼らが「矛盾」の武器商人と同じレベルにまで退化しているからです。

 その場その場において自己利益が最大化することを優先させて、おのれの言明をできるだけ長く維持することには特段の意味を感じない。「約束を守る、一言を重んじる」を英語では「keep one’s word」といいますが、keepする時間の幅がこれほど短縮されるとは、このことわざを考えた人も想像していなかったことでしょう。

 ーーいま一連のコロナ騒動を見ていると、後手後手に場当たり的な対応をする政府から、不足物資を買い占めに走る人々の狂騒まで、まさに“サル化”する日本です。そこにはなにか日本特有の構造的要因もあるのでしょうか。

 日本固有の現象ではないと思います。無能な政府であれば、どこでも対策は後手に回るでしょうし、トイレットペーパーの買い占めも世界のどこでも起きていますから。サル化しているのは日本人だけではないよと言われて安心されても困りますが。

 ーー危機管理に真に必要な知性とは何でしょうか。

 長いタイムスパンの中で、ものごとの理非や適否を判断する習慣のことだと思います。歴史的にものを見る習慣があれば、「危機だ」と騒がれる出来事の多くが「過去に何度も繰り返されていることの新版」であることがわかるはずです。それなら浮足立つ必要はない。どういう文脈で起きて、どう展開するか、だいたいわかるから。

 そうやって「よくある危機」をスクリーニングしておかないと、本当の前代未聞の危機に遭遇したときに、適切に驚くことができません。

 ーー失われた20年のあと、アベノミクスで株価こそ浮上したもの、一向に景況はよくなりません。日本人の労働生産性は、「1人当たり」「時間当たり」ともに先進7カ国中の最下位という状態が続いていますが、日本の組織を活性化するには何が必要だと思われますか。

 管理部門に過大な資源を配分しないことです。今の日本の組織は「価値あるものを創り出すセクター」よりも「人がちゃんと働いているかどうか監視するセクター」のほうに権限も情報も資源も集積しています。労働者よりも監督のほうが多い現場とか、兵士よりも督戦隊(前線から逃げて来た兵士を射殺する後方部隊)が多い戦場のようなものです。それでは生産性が上がるはずがない。

 「管理を最低限にする」「現場に自己裁量権を与える」「成果の短期的な査定をやめる」くらいで日本の組織は一気に活性化します。でも、管理部門の人たちはそう言われても「管理部門の肥大化を適正規模に抑制するための管理部門の増設」くらいしか思いつかないでしょうけど。

 ーー”サル化した人間”にとって代わってAIが社会の中枢を担う日はくると思いますか? AI時代に人が学ぶ意味とは何でしょうか。

 AI時代は「前代未聞」の事態ですから、「こうすれば何とかなる」という正解を知っている人はいません。「こうすれば救われる」と言い立てる人がいても、あまり信用しないほうがいいです。生き延び方は、各自で考えてください。
イエスマンだけで固められた組織

 ーー消費増税の影響もあり、新年度の「国民負担率」は44.6%と過去最高になる見通しです。国民は高い税負担を強いられながらも、人口減少、貧困問題をはじめ、医療・介護・年金といった分野が危機的状況にあるのはなぜだと思われますか。

 平たく言えば、政策を起案し、実施する人たちが「あまり頭がよくない」からです。

 この四半世紀ほど、日本のキャリアパスは「上位者に対する忠誠心」を「業務能力」よりも高く評価することで、円滑な組織マネジメントを実現してきました。お金が潤沢にあるときは、それでよかったのです。組織が「円滑に回る」ことをイノベーションやブレークスルーよりも優先させても、何とかなった。

 でも、こういうイエスマンだけで固められた組織には前例主義と事大主義と事なかれ主義が瀰漫(びまん)しますから、お金がなくなったり、前代未聞の事態に直面すると、「フリーズ」してしまう。

 医療、介護、年金さまざまな制度については「頭のいい人」が画期的な制度改革の提言をこれまでも繰り返ししてきていますけれど、日本の役所はまったく相手にしませんでした。上位者におもねらない人の意見は日本では採用されないんです。
 ーー人口減少社会において、国民的資源を守り、日本人が共同体として生き残るためには何が必要でしょうか。

 とにかく大人の頭数を増やすことですね。最低でも国民の15人に1人くらいが「他の人はどれほど利己的でも、自分1人くらいは公共に配慮しないと……」と思って暮らせば、ずいぶん世の中住みやすくなります。とりあえず道ばたに落ちてる空き缶を拾うとか、妊婦に席を譲ってあげるとかから始めたらいかがでしょうか。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%ef%bd%a2サル化する日本人%ef%bd%a3が見抜けない危機の本質-%ef%bd%a2今%ef%bd%a3を考察する力はなぜ失われたのか/ar-BB11QE5E?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html#c4

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
1. 中川隆[-13202] koaQ7Jey 2020年3月29日 11:59:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1702]
>トロツキズムはグローバリズムだ

それが誤解なんだよ
国際化とグローバリズムとは全く違うものだよ
グローバリズムというのは企業が国際的に活動しやすい様に小さな政府にして、規制緩和する事、
あくまでも資本主義、というか帝国主義・植民地主義の21世紀版だよ
人、物、金が国境を越えて自由に移動できるのがグローバリズムの基本

一方、トロツキズムは全世界の共産党員が団結しろという話だから唯の国際化だよ
戦後の東欧諸国はソ連が強権支配する属国で、自由な活動、人の移動や貿易なんかできなかったから反グローバリズムだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c1

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
167. 中川隆[-13201] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:16:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1703]

二転三転! - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年03月22日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0efd2da13e6988cc7052ae52b564fcd1

1か月近く「AXIOM80の2発入り」騒動が続いたが、ようやく一段落したところで何だか違う傾向の音が聴きたくなったのはオーディオ愛好家の性(さが)というものだろうか(笑)。

というわけで久しぶりにJBLサウンドの登場である。
世間では圧倒的にジャズ向きとされているが、うまく料理すればクラシックでも十分いけることをちゃんと知ってるよ〜(笑)。

JBLのコーン型ユニットをグッドマン用とされる「ARU」(背圧調整器)付きの箱に容れているが結構しっくりきますよ〜(笑)。

最初はおとなしくネットワーク(クロスオーバー1200ヘルツ)を使ってJBL「D123」(口径30センチ)と「175ドライバー」の2ウェイで聴いてみた。

極めて明快なサウンドで、もうこれで十分だと思ったがいつものように聴いているうちに段々と欲が出てきてしまった。最高音域の周波数がもっと欲しいなあ。

そこで、直し込んでいた「075ツィーター」の登場と相成った。

となると、ネットワーク方式では間に合わなくなったので3ウェイ「チャンデバ」の出番だ。いつものパターンで段々と込み入ってくるのが我が家のスタイル(笑)。

アンプ3台、SPケーブル3本とも丸ごとウェストミンスター(改)に使用中のものからそっくり移転した。社会では3月末が近くなると人事異動がつきものだが、我が家の異動では「内示」という面倒くさい手間を省いているのが特徴だ(笑)。

3つのSPユニットと組み合わせる3台のアンプの組み合わせは改めて次のとおり。

低音域:「D123ユニット=PX25アンプ」、中音域:「175ドライバー=71Aアンプ1号機、高音域:「075ツィーター=71Aアンプ2号機」

ときに「尖った音」を出すJBLのホーン型ドライバーを羽毛のように柔らかく鳴らす秘策(?)は、小出力で素直な「71系アンプ」を使うに限ると秘かに思っている。

左が71系アンプの1号機で右が2号機。真空管の構成を忘れないようにメモしておこう。

前者の前段管は「AC/HL」(英国マツダ)、出力管は「71A」(レイセオン)、整流管は「OK-X213」(メッシュプレート)。

後者の前段管は「A-411」(ヴァルボ:バリウム昇華型フィラメント)、出力管は「71A」(レイセオン)、整流管は「380」(カニンガム)と、けっして自慢するわけではないが(笑)、いずれも古典管の希少管ばかりで、両者ともインターステージトランスを内蔵している。

これらのアンプを使うとまるでJBLが借りてきた猫のように従順になり、柔らかな響きになってクラシックがすんなり聴けるようになるのだから不思議!

「AXIOM80よりもこっちの方が好みかもねえ」と、しばし陶酔のひと時を味わった。

肝心のチャンデバのクロスオーバーだが「1000ヘルツと8000ヘルツ」にしていたところ、半日ほど聴き耽ってからコーン型ユニットの「D123」を1000ヘルツまで持たせると、ちょっと間延びした音になりがちだなあとやや気になりだした。

そこでクロスオーバーを「700ヘルツ」にしてみようかな。

となると「175ドライバー」は危険な綱渡りになるので代わりのユニットとして浮上したのが、ナショナルのスコーカー専用ユニット「EAS−12PM10」。

口径12センチで200ヘルツから使える優れものだが「ネットワーク方式」のときはサッパリだったものの、チャンデバ方式で専用アンプ(71A・1号機)をあてがってやると水を得た魚のように豹変した。

チャンデバのクロスオーバーを改めて「700ヘルツと6000ヘルツ」に設定して耳を澄ますと、各ユニットとの繋がりもごく自然でこれは素晴らしい!

クラシック、ジャズを問わず、非の打ちどころがないサウンドというのはこういう音を指すのではあるまいか、と思えるほどの出来栄えで結果的には「二転三転」したけれどもう心の底から満足〜。
今のところは・・だが(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0efd2da13e6988cc7052ae52b564fcd1


「九死に一生!」、そして「怪我の功名」2020年03月28日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/430afb5c20ca67523d654d83e655c44f


「とても陽気な音ですね。見かけ以上によく低音が出ていて驚きました。いかにもアメリカン・サウンドで細かいことを言わずにおおらかに楽しみましょうや、という感じでしょうか。」と、オーディオ仲間のYさん。


我が家の「にわか仕立て」の「JBL3ウェイシステム」を聴いてもらったときの第一声がこれだった。

「日頃からイギリス系の音ばかり聴いていると、たまにはこういう屈託のない音もいいでしょう。075(ステンレス削り出しホーン付き)で聴くシンバルは格別のものがありますよ」と自分。

ただし、Yさんは基本的に「金属のダイヤフラム+ホーン」(以下「ホーン」)の音がお嫌いのご様子で20分ほど聴くと、「早くAXIOM80の音を聴かせてください」と催促された(笑)。

ホーンがお嫌いな原因は「音の勢いがあるのはいいとしても、弦楽器などの微妙な”ざわざわとさざめくような音”の再生に不向き、言い換えると音が消えていくときの微かな余韻に乏しい」とはっきり仰る。

これはジャズにはいいけれどクラシックには明らかに弱点となるが、何も音楽は弦楽器ばかりではないし、管楽器の出番も多いのだから若干割り切る必要がありそうだ。

「AXIOM80を聴く前にちょっとこれを聴いてみてくれませんか」と、中音域(700ヘルツ〜8000ヘルツ)を担当する「175ドライバー」を外してナショナルのコーン型スコーカーに入れ代えて聴いていただいたところ、「こちらの方が弦楽器の響きがきれいですね」。

JBLの3ウェイといっても、スコーカーを代えるだけで簡単に「クラシック向き」と「ジャズ向き」の二刀流が使えるので選択肢が広がるのはとてもありがたい。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/430afb5c20ca67523d654d83e655c44f

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c167

[近代史02] 世界を席巻した回転寿司 _ どんな屑ネタでも気付かずに食べさせる魔法の技術 中川隆
62. 中川隆[-13200] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:29:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1704]

2020 MAR 27 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/03/27/世界で%ef%bc%92%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%90万人、日本は%ef%bc%94%ef%bc%92万人が死ぬ/#comments


(1)寿司屋という異界の空間について

16年の海外赴任から帰国して、ありがたいと思ったのはちゃんとした寿司が食べられる幸せが当たり前のようにあることだ。ちゃんとしたというのは、もちろん味の良し悪しのこともあるが、それ以前の問題がある。清潔感だ。

握り寿司というのは生魚と粘着性の米を素手で「成型」する食物だ。ネタと酢飯を別々に口に放り込んでも分子論的には同じ食べ物だが、あの程良い塩梅にぎゅっと固めあげた食感がないとサマにならない。だから素手で圧力を投じて握るのは、衛生上はリスクがあっても割愛できない、いわば寿司に命を吹き込む行為だろう。

非常に不思議なのだが暖簾をくぐってカウンターに座った瞬間、僕は寿司を握る親方が食品衛生管理者の資格を持っているんだろうかという心配はしていない。彼の手のひらに何がしか付着しているはずの雑菌やウイルスが病変を起こす限界個数を超えている確率は何%だろうかと考えることもない。

なぜなら寿司屋はお清めされた何やら特別な空間であってレストランではない。左様な疑念を許さぬ一種の様式美のもとに成り立っている、疑うなら来るな、来たら疑うなという無言のルールがある場だ。それが客のみならず親方をも支配し、握る側は徹底して清潔であるべきであるという掟を自らに課しているはずであるという揺るぎなき確信が客を安心させるという、世界に類のない相互信頼の食域なのである。

(2)日本人の分厚い信仰心の場こそ寿司屋である

それは相撲の土俵に通じるところがある。なぜ寿司を女性が握らないのかは、なぜ土俵に女性を上げないのかと同じだ。指摘されればジェンダー問題に至ることを免れないが、しかし、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない。仮にそれを大方の客が気にしないというなら、今どき銀座あたりに美貌の女将やAKBみたいな女の子が並んでかわいく握る寿司バーが現れそうなものだがそれはない。なぜなら、大方が気にするからであろう。

外国人の親方となるとさらに厳しい。香港時代に現地の人が作るラーメンやとんかつは平気だったが寿司屋に入る蛮勇は持ち合わせなかった。「特別な空間」の佇まいが不在などころかウナギや天丼まで供している店は相互信頼の食域とは別世界だ。そこで不格好に握られた物体を寿司と呼ぶならアナゴの正体がマムシだろうが深海の奇怪なウミヘビだろうが大きな問題ではなかろうし、数時間後に腹の調子が正常なら代金を払った価値ぐらいはあったと感謝すらすべきである。

本稿は寿司礼賛がテーマではない。そんな清冽な食文化を生んだ日本人には「お清め」「清潔」への分厚い信仰心があり、国民的にそれを共有していることへの相互の信頼感があり、それらは何百年もかけてDNAレベルで根づいて醸成されてきたものという主張だ。外国人がちょっとやそっとで真似ようともどうしようもないし、仮に技術的にはうまく握れていて清潔さが厚労省によって保証されていようとも、大変に申しわけないが、僕はそれを食べてみようとは絶対に思わないのである。清冽な食文化を共有する寿司屋は文字どおり「聖域」なのだ。

女性と外国人。奥深いテーマだが、なぜかどちらも聖域ではだめなのだ。おふくろの味という家庭で許され愛されるものがなぜ寿司屋でそうでないのか。感性のみ知覚する領域なので一般化する気はないが、個人的には他家のおふくろの味にまで寛容でないのかもしれないと思う。家族という、ひょっとして腸内フローラまで共有するような生理的関係はパブリック(公的)になり得ず、どうしても本能的に一線を画し、まして国境をまたいで交わりましょうというのは根本的に困難だということ。それが清潔不潔というリスク感覚に投影されて、寿司屋という特殊な場で先鋭化して知覚されるというのが僕の理解だ。

(3)「日本教」という宗教

このことを新型コロナのここまでの感染者、死亡者数の少なさに関連付けようとするのは牽強付会に思われるしれないが、聖域を作り上げる程に練り上げられた日本人の「お清め」「清潔」への分厚い信仰心は永遠不滅の高みに至っており、その結果として、16年住んでみた海外各国との比較感として日本はスーパークリーンな国であって、偏差値をイメージするなら70以上の超優等生であることは反論の余地もない。ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう。検査数の少なさも指摘されるが、仮に2倍としても感染者、死亡者数はまだぜんぜん少ない。仮説ではあるが、それだけでは説明しきれないものが背景にあるとしか考えられない。

寿司屋や土俵への「分厚い信仰心」はすべての和食系の板さんにも、甲子園の女人禁制を主張する高野連の精神にも共通する、日本人を問答無用に呪縛する行動規範である。ヒンズー教、イスラム教が左手を不浄としたり、キリスト教が離婚、中絶を禁じたりするのが宗教であるならば寿司屋や相撲や甲子園の暗黙の了解がそうでない理由などない。これは堂々たる宗教である。そうだろうか、その割には「いや自分はそんなものは気にしない」とアンチな行動する者を表だって咎(とが)める人はいないではないかという反論もあろうが、それは当たらない。なぜかというと咎めないのも教義の一部だからである。思っても言わない。目撃した傍から「その者は “信者” ではない」と心の中で冷ややかに見放しているのである。つまり、「古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人に説明するしかないもの」に行動も思索も従順であり大いに長いものに巻かれること、それが日本人であり、その心の働きはかつて山本七平がイザヤ・ベンダサン名で「日本教」と看破したものに近い。

現在、ニューヨーク、ロンドン、パリ等が都市閉鎖状態になるなど世界の様相が急速に緊迫する中、我が東京は同じ地球上と思えないほどのユルさである。ひところクルーズ船であえぐ日本を対岸の火事と見ていた欧米が今や延焼でパニックになり、今度は日本がそれを対岸で他人事のように眺めている。こうしてウィルスというエイリアンは人間を波状攻撃で追い詰め、食い殺していく。なぜこちらが一旦は踏みとどまったか?薬もワクチンもない、検査して陽性とわかってどうなるものでもなく、国家の行動制限強制力など世界最低レベルで圧倒的に弱いのだから、ひとえに、日本教のおかげと思う以外に何があるというのか?お清め、清潔好きで、手洗いどころかお尻の穴まで毎度毎度ていねいに洗浄する世界に類例のない日本教信者の国民性に起因していると考える以外に理由は見当たらないのである。海外が驚いて調査してるらしいが、わかるわけないね。

ただし日本教には弱みもある。人間中心主義で科学を軽視することだ。以下に書く日本人しかできない防御策の、最大のウィークポイントはこれである。人の和は大事だがそれは平時の話である。今は世界大戦に匹敵する有事であり、すべての判断に科学的データが優先すべきだ。ここを取り違えれば、政治が軟弱で無能である日本はあっけなくエイリアンに食われまくるであろう。戦争で懲りたため我が国はシビリアンコントロール、文官政治に振れた。それは結構だが文官だからといって学力に欠け、科学は「専門家」に丸投げで失敗したら人を替えればいいなどという無責任な政治まで国民は許容したわけではない。テレビも毎日手を変え品を変え科学の素人が井戸端会議をくりひろげているが、公共の電波をそんなくだらないものに浪費しないでほしい。科学者だけを出すべきである。

また、日本教信者はお花見のごとき国民的遊興に弱い。まあこのぐらいとタガが緩んでしまう。それは「3つの密」戦略の効果を致命的に減殺し、国民を危機に陥れてしまう自己中の愚行だ。次の危機はゴールデン・ウィークである。国は緊急事態宣言をしても強制力や罰則規定はない。小池氏は都知事として最高権力をふるいあらゆる愚行を封じ込める強硬策を執行すること必須である。ちなみに最新ニュースとして阪神タイガースの藤浪選手の陽性が発覚したが、重要なのはプロ野球の開幕がどうのではない。「37度5分の発熱が4日」の厚労省基準をあざ笑うようにウィルスはひっそりと彼を感染させており、しかも、感染者に見えていなかっただろう彼はひっそりと2人の同僚を感染させたという事実だ。これが僕が1月30日づけのブログで指摘しているこのウィルスの最大の危険性、つまり、誰もそう見えない不顕性感染者に感染力があることの証左である。皆さん、国が言ってることを信じていてもダメだ、自分で考えないと身を守れないのだ。著名人だからニュースになったが、かように20代の健康で若い人でも誰でもかかる。同じことがそこかしこで発生している、ほんの氷山の一角である。

(4)インペリアル・カレッジ・ロンドンの確率データ

ここまで、日本教は我々を曲がりなりにも助けてきた。くりかえすが、日々テレビはやれオリンピックが大変だ、小池都知事がどう言った、学校はいつから開けるのか、プロ野球はどうなるか、国民給付はお肉券はいかがだろうか等々かまびすしいが、そういうことは人類が直面している歴史的危機においてなんら重要な変数ではない。注視すべきは科学者(の内まともな者)の発表だけだ。例えば、英国のボリス・ジョンソン首相は当初「3つの密」のようなクラスター抑制戦略をとる他国とは一線を画し、感染者は症状の軽い若者だし、安全対策に協力しない無知な馬鹿者も存在する社会的コストもあるのだから、人口の60%が感染することによって発生する「集団免疫」によって弱者を保護すればいいだろうという対極的な施策を選択した。反ユーロのにおいもあったがそれはそれで、その時点では科学的知見に立ったものだった。

ところが、インペリアル・カレッジ・ロンドンの学者が、それをやると20万人の死者が出ると計算し、ジョンソンは施策を撤回した。国家の基本戦略を間違えましたというのは元首として誠にみっともないことだが、オックスフォード大学卒のジョンソンは科学の宣託をきっちり理解したのだろう、自らテレビで視聴者に目線を合わせて「You must stay at home(家にいろ)!」と自らの言葉で強く語りかけた。官僚のペーパーを読んで関係各位と緊密な連携を図ってまいりますなんてお経をくりかえす首相とは雲泥の差のインパクトだ。現在時点の世界の死者が2万人であり、1年後にその10倍の死者が英国だけで出るという指摘だから当然だが、では日本国首相官邸はその確率データをどう読んでいるのだろう?意味がわかっているのだろうか?それとも意に介さぬだけの反証データを持っているのだろうか(全くそうは思えないが)。

英国という6600万人が密閉された島で人々の行動を平常のまま放置すれば0.3%がウィルスに殺されるという確率を有意とするデータのサンプル数があるのか否か置くとして、少なくとも現在時点でのデータからウィルスの不可避的に強い感染力と薬・ワクチンなし状況下での人間殺傷力、防御する医療体制の限界点を加味して算出し得る最悪の人口比死亡率が0.3%としたのだろう。毎日ワイドショーでどうでもいいことをご宣託している先生方の「**と思います」など比較にもならぬ重要な数字で、我々が行動の規範と肝に銘じたほうが生存率を上げてくれる結論であることは信頼に足る(それが科学的態度である)。

とするとどうなるか?「3つの密」は感染者数曲線のピークを低くして医療崩壊を防ぐ戦略であるとしては意味があるが、曲線がなだらかになると横長になり終息は遅れる。しかしウィルスの感染力が一定なら曲線を積分した値は同じであり、結局は0.3%の人がすぐに死ぬか来年死ぬかの差である。であるから、世界の死者総数は2100万人、日本は42万人が死ぬ。ちなみに、人類の生存の危機と比べればたいして重大事でもないが、「3つの密」政策がうまくいけばいくほど終息は遅れるのだから1年後のオリンピックは吹っ飛ぶだろう。

(5)人類の安息への唯一の道

それは新型コロナに対抗できる薬、ワクチンが開発されることである。それ以外にない。ということは、来年の今ごろにさあオリンピックだと世界が意気揚々となっている可能性など極めて低い。カネの問題というなら1年延期の希望的観測のコストはもっと高い。どうして中止にしなかったのだろう。学者の意見は複数あるが、おおむね、最短で1年かかり、それを世界の患者に行きわたらせるには更に時間がかかり、5〜10年という人もいる。ということは、人類が存続するためには、5年ほどはエイリアンに殺られず生き延びていなくてはならない。その間の経済悪化による生存の危機も国家の方策によって乗り越えねばならない。したがって、我々が今できる努力はとにかく3つの密を避けて感染しないこと、そして運悪く感染してもそれを絶対にバラまかないことだ。体調が悪いのを軽く見て出歩くなど人類を破滅させる行為だと自覚することだ。イタリアの市長はパーティーをやった若者に対し「火炎放射器を持った警官隊を出動するぞ」と警告したが、そのぐらいのことである。

もし幸いにも生き延びることができたなら、そこには未知の世界が広がってるだろう。それはニュー・ノーマルと呼ぶべき新しい均衡点の上に出来上がる我々の知らない “平常” だ。人類史に確実に刻まれる未曾有の厄災に我々は見舞われているのであり、台風一過で元に戻るという単純なものではない。欧州の全人口の60%が死んだペストや第1,2次世界大戦がそれまでの世界を、つまり地球上のヘゲモニーも科学も生活も根底から覆してしまったように、新型コロナは人類のあらゆる均衡を変える可能性がある。しかしそれは恐れることではない。誰も知らないのだからそれはフロンティアでなくて何であろう?未知というものは常に活力を与えてくれるのであり、人類はそこを目指して、新たな光と希望を求めて戦っていくだろう。

(6)我々日本人はどうなるのか?

この問いこそ本稿の最も重要な帰結だ。もう一度書く。日本教の支配する我が国および日本民族というものは「ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう」ということだ。何という幸運なことだろう!我々は、政府があれほどヘマや後手後手をしたのにしぶとく踏みとどまっている。政治家の出来ることは3つの密を「強制執行」し、社会不安と治安に目を配り、カネをばらまくか減税することしかない。国民に必要なのは現金だ、お肉券や旅行券など馬鹿も休み休み言え、電気代や税金をお肉で受け取ってくれるのか?こんなものを真面目に議員が議論しているなど世界の失笑をかう国の赤恥だ。インフレなどなるはずもないのだから日銀引受のコロナ国債だろうが何だろうが、あらゆることを禁じ手無視でやるべきだ。我々国民はどうするか?オーバーシュートを全員の努力と協力で回避し、感染者数が医療崩壊を起こさないレベルで推移するようピークを先送りし、1,2年後には世界のどこかの科学者が開発してくれるであろう薬とワクチンを待てばいい。その忍耐が良い成果を挙げる可能性の最も高い国は日本であると僕は思う。

それには「3つの密」を避けるだけでなく次のことが効く。日本人しかできない秘策だ。西洋式を忘れ「日本教」という宗教に徹底的に帰ること、すなわち、「お清め」「清潔」への分厚い信仰を徹底して守り、不潔を忌み嫌い、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない日本人を問答無用に呪縛する行動規範には不合理であっても異を唱えず従い、日本人にしかないであろう「自己中でなく他人を思いやる気持ち」を大いに持ち、うがい・手洗い・鼻洗浄・マスクは自分のためだけでなく他人を感染させないためという意識を強く持つこと、そして、日本人が持つ最強の我慢強さ・忍耐力でそれらを成し遂げて社会に貢献し、世界に冠たる優秀な民族であることを見せてやろうぐらいの誇りを持つことだ。

このウィルスの性質は未知数で、だから薬もワクチンもないわけだが、少なくとも僕の仮説が正しければ以上のことを国民全員が励行すればその行為がウィルスが最も嫌がる防波堤になることはここまでの数字で証明されている。それを粛々と、気を緩めずに続ければよい。日本人の生存戦略は成功するだろう。それどころか、その成功がニュー・ノーマルになっていき、我々の子孫が最も適応してそこで有利なポジションにつき、日本に生まれて良かったと幸福をかみしめて栄えてくれるのではないか。まだ何が起きるか予断は許さないが、その事を願って筆をおく。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/03/27/世界で%ef%bc%92%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%90万人、日本は%ef%bc%94%ef%bc%92万人が死ぬ/#comments
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/370.html#c62

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
2. 中川隆[-13199] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:55:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1705]
>ドイツ革命をはじめドイツや東欧の共産化の運動も、そのほとんどにユダヤ人が関わっている。


当時のヨーロッパでは音楽家でも科学者でも企業経営者でも、過半数はユダヤ人だったんだよ。 革命家の大半がユダヤ人だったというのもそういうのと同じ類だよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c2

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
3. 中川隆[-13198] koaQ7Jey 2020年3月29日 12:58:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1706]

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@mogurazz
>スターリンは反ユダヤでは無い。後妻がユダヤ人で、腹心がその兄であることは有名な話。


スターリンの反ユダヤ感情

スターリンは、少年時代からユダヤ人に対する嫌悪感を薄らながらも抱いていたが、ヒトラーのような強迫観念とは異なり、帝政時代のロシアではごくありふれた偏見の域を出ないものであった。「額に汗して働かぬ人々」というのが、長年スターリンが持っていたユダヤ人観であった。指導者になってからも、党・政府の役職にラーザリ・カガノーヴィチやマクシム・リトヴィノフなどユダヤ人などを重用し、反ユダヤ主義は犯罪であるとして糾弾する[339] など、公式には自身の反ユダヤ感情に触れることを避けていた[340]が、私生活の場では、連日催されていた深夜の酒宴などにおいて、仲間たちとともにユダヤ人に対するエスニックジョークを話題にしては楽しんでいた。また、ロシアにおける反ユダヤ主義はスターリンの支配下で大幅に高まったことが指摘されている[339][341]。第二次世界大戦中には娘スヴェトラーナの最初の恋人、アレクセイ・カプレル (Aleksei Kapler) がユダヤ人であったことから、彼を逮捕してヴォログダ収容所での5年間の重労働刑を宣告している[342]。

スターリンは当初、ダヴィド・ベン=グリオンが社会主義者だったことやキブツとソ連の農業集団化政策の類似点から、国連でのパレスチナ分割決議への支持や米国に次いでのイスラエル国家承認、チェコスロバキアを通じた武器援助を行うなどイスラエルに対する支援を行ったが[343]、冷戦が進行するとともにイスラエルは西側陣営につき、ソ連は反シオニズムを掲げることになり、スターリンはユダヤ人(特にシオニスト)に対する強迫観念に取り付かれるようになり、ソビエト体制の転覆を企むシオニズムの手先・破壊分子としてソ連国内のユダヤ人を危険視するようになった[339][344]。その代表例が医師団陰謀事件である。なお、スターリンは最晩年の1953年、「ユダヤ人問題の最終的解決」と称してソ連国内のユダヤ人全員をシベリアおよびカザフスタンに強制収容する計画を実行する予定であったといわれるが、スターリンの死によってこの計画は中止となり、後継者のベリヤにより逮捕されていたユダヤ人も全員釈放されたことで実現はしなかった[339][344]。

カフカースには元々極端な反ユダヤ主義はなかった。昔から多くの民族が隣り合って住んでいた地域であり、ユダヤ人もその民族の一つに過ぎなかった。グルジアに住むユダヤ人は、その多くが仕立て屋、貸金業者、靴職人などであり、いずれも裕福であったためか、靴作りの技術が優れていたためか、スターリンの父親である靴職人ヴィッサリオンは彼らを憎悪(嫉妬から)し、幼い息子に対してユダヤ人に対する憎悪を教え込んだ[345]ことも、スターリンの反ユダヤ感情の一因である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3#反ユダヤ感情
一部を表示
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c3

[番外地7] トロツキズムはグローバリズム? 中川隆
4. 中川隆[-13197] koaQ7Jey 2020年3月29日 13:06:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1707]
>ドイツ革命をはじめドイツや東欧の共産化の運動も、そのほとんどにユダヤ人が関わっている。
当時のヨーロッパでは音楽家でも科学者でも企業経営者でも、上の方の過半数はユダヤ人だったんだよ。 革命家の大半がユダヤ人だったというのもそういうのと同じ類だよ。
そもそもアシュケナージはDNA的にはヨーロッパ人と変わらないから、単に経済的な事情でユダヤ人になっていただけだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/561.html#c4
[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
38. 中川隆[-13196] koaQ7Jey 2020年3月29日 17:17:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1708]
2020年03月29日
中国 4年間で地下鉄建設に15兆円 鉄道全体では毎年6,000km建設


鉄道省は事故と赤字で解体されたが、民営化されて隠し方がうまくなった

引用:http://garyu-machiai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/07/25/crh110723h.jpg

中国があらたな鉄道計画を発表

中国政府は2016年からの4年間で1兆元(約15兆円)を地下鉄建設に投じると発表していました。

中国には国会に当たる機能がなく全人代は御前会議のようなものなので、抵抗勢力はなく必ず承認される。

中国はこれまでの10年間に毎年5,000kmの鉄道を新規建設し、毎年50兆円の鉄道建設費を使ってきました。


ちょうど区切りが良いので計算してみると、1kmあたり100億円になり、線路だけでなく沿線の都市開発費も含んでいます。

日本の地下鉄はネット上の資料によると地下鉄が1km200億円、モノレールは百数十億円、都市部の在来線も100数十億円

新幹線は田舎を走るので1km80億円くらい、田舎の在来線はおそらくもっと安いでしょう。


こうして比較すると中国の鉄道建設費用が1km100億円は、周辺開発費を含んでもかなり高いのが分かる。

それに周辺開発費を含めている理由は、駅前開発して不動産を販売して儲ける為なので、むしろ建設費を下げているはずです。

中国の距離あたりの鉄道建設費は日本より安くはなく、むしろ高いというのが分かります。


さらに2015年に発表した新5ヵ年計画では30,000kmを5年で建設すると書いてあり、年間6000kmの建設ペースになります。

中国鉄道省が鉄道事業をしていたころは予算が公開されていたが、民営化して国営中国鉄路になって非公開になり、一部しか公開しなくなった。

民営化したのに国営なのがおかしいが、もっとおかしいのは経営実態で、営業距離11万kmのうち黒字は2割以下といわれている。

人類史上最大の浪費

中国版高速鉄道に至っては2万キロのうち黒字路線は1300kmだけで、しかも建設費は国が払っていて、列車運行費だけで赤字なのです。

2015年の発表で中国鉄路は68兆円の負債を抱えていて、くどいようだが建設費の負担なしでこの赤字です。

中国鉄路総公司(鉄道省)は2013年に解体されたが、売上約6000億元(12兆円)に対して、鉄道開発費は2.5兆元(50兆円)も使っていました。


現在の中国鉄路の鉄道建設費は表向き10兆円なのだが、鉄道省では年間50兆円で5,000km建設だったのに、現在は10兆円で6,000kmを建設している事になっている。

民営化したら急に建設コストが5分の1以下になったわけで、JRもびっくりの超効率化が図られた事になるが、むろん事実ではない。

年間50兆円の鉄道建設費は鉄道事業では1円も回収されずに残っているはずなので、10年間では500兆円の鉄道債務ということになり、少し値引きしても400兆円近くあるでしょう。


日本国鉄の鉄道債務は20兆円で半分は事実上国が負担し、もう半分はJRが返したらしいが、国鉄総裁ですら中国鉄路の隠し債務を見たら気絶するかも知れない。

そして日本の新聞やテレビは次々に建設される鉄道を見て「さすが中国は発展している」と褒め称えていて始末に負えない。

そこへ持ってきて5年間で15兆円の地下鉄建設なのだが、年間たった3兆円なので、鉄道全体にくらべれば安いという感覚になる。


共産主義なのだから国の借金は破いて捨てればいいかというと、そうは問屋が卸さず、国の借金は必ず誰かの資産です。

国債という国の借金は銀行や生保や個人が持っている資産なので、破り捨てたら彼らの資産が紙くずになります。

中国の浪費は鉄道だけでなく道路や都市建設、空港や港湾やあらゆるインフラ、ITや軍事や無人島まで及ぶ。


西側エコノミストは中国を「人類史上最大の浪費」と評したが、その結末はどうなるのでしょうか?

http://www.thutmosev.com/archives/66782735.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c38

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
2. 中川隆[-13195] koaQ7Jey 2020年3月29日 19:09:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1709]

「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c2

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
1. 中川隆[-13194] koaQ7Jey 2020年3月29日 22:26:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1710]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c1

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
2. 中川隆[-13193] koaQ7Jey 2020年3月29日 22:51:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1711]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
国債発行は時代錯誤、資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは
貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する 国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c2

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
3. 中川隆[-13192] koaQ7Jey 2020年3月29日 23:24:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1712]

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

2016/10/02 に公開
国の借金が880兆円あると言われているけど、実は日本は世界一お金持ち。お金は国や政府が発行しているわけではない。お金の発行の仕組みとは?政府の借金を20年で完済する方法。…既存の経済理論を覆す新しい哲学で国家経営の本質を語る、フェア党代表の大西つねきさんの「目からウロコ」の経済学講座です。

「金融資本主義〜支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 1-2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

2018年5月16日の目黒講演の動画です。
資本主義とは何か?金融資本主義は何が違うのか?それがいかに人々を支配し、搾取する仕組みであるのかについて話しています。時間が足りなかったため、言い足りない部分も多々ありますが、基本的な構造は十分ご理解いただける内容です。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c3

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
302. 中川隆[-13191] koaQ7Jey 2020年3月30日 09:30:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1713]
2020年03月30日
コロナショックは10年に一度の投資チャンス


投資巧者は危機の最中ではポジションを閉じ、危機が去ってから投資をする

画像引用:中性投資家ブログ https://perfectdarkace.xyz/george-soros/

投資巧者と投資下手の違い

中国発新型コロナ騒動の影響で世界のあらゆる投資商品が乱高下し、多くは下落しています。

代表的なものは株で日本やアメリカを始めとして中国や新興国株も下落しています。

ところがこんな時でも投資巧者は慌てず利益を積み上げたり、将来利益になる投資対象を購入している。


経済危機は同じようにやってきたのに、10年前のリーマンショックでも大儲けした人と大損失を出した人に分かれました。

投資巧者と投資下手のいったい何が違うのかは研究する価値があると思います。

世界的に有名な投資会社が自社の顧客を分析したところ、勝者と敗者に特別な違いは見られなかった。


銘柄選びとかタイミングやテクニックなど、投資サイトや投資本で解説してあるような違いはなかった。

実際有名トレーダーとか大投資家が自分の予想を公表している事があるが、素人と同じ程度のように思います。

WバフェットにしてもJソロスにしてもJロジャースにしても、その辺の投資アナリストと予想は変わりません。


違うのは予想を当てる精度ではなく行動パターンで、彼らは天井買いして暴落時にナンピンしたりはしません。

普通の投資家はアベノミクスなどブームに乗って利益を積み重ね、相場が最も高くなった時に株などを買っています。

大投資家でもこれは同じだが、彼らは相場が失速すると見るやすぐ損切してポジションを手放します。

何もしないのが最良の投資

一般投資家は一度掴んだポジションをもったいなくて損切できず、ナンピン(買い増し)をします。

ナンピンをして相場が回復すれば儲かるが、そのまま下落が続けば100%破産します。

大暴落が始まった時、損切してマイナス10%くらいで抑えるのが大投資家、ナンピンして100%失うのが一般投資家です。


大投資家は相場の周期性を知っていて、10年に一度は大きな経済危機が起きると分かっている。

リーマンショックは2008年だったが1998年にアジア通貨危機、2002年にITバブル崩壊、1995年に阪神大震災とオウム事件が起きています。

2011年には東日本大震災、2001年にNY同時多発テロ、その後に対イラク対テロ戦争、1990年前後に日本のバブル崩壊、ソ連崩壊、東西ドイツ統一、天安門事件が発生している。


つまり世界的な大規模な経済危機は平均すると5年に1度以上は起きているので、そこで頑張ってもお金を失うだけです。

大投資家は経済危機が発生したら素早くポジションを閉じて損失を食い止め、経済危機が去るまでは何もしません。

一般投資家は危機の最中にナンピンしたりショート(空売り)するが、損失を拡大するだけで決して儲かりません。


危機の時に何もしないのが大投資家の特徴で、「獲物がいないのに狩りをしても仕方がない」のです。

そろそろ経済危機も終わりだなと思うと大投資家たちは以前の半額や4分の1で欲しい株や会社を手に入れます。

その後景気が回復すれば元手は何倍に増えるので、何もしなくても巨額の利益を手にします。


経済危機の最中では「あわてず騒がず何もしない」のが最良の投資です。

http://www.thutmosev.com/archives/82567482.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c302

[リバイバル3] バッド・ディールよりもノー・ディールの方がいい 中川隆
2. 中川隆[-13190] koaQ7Jey 2020年3月30日 09:34:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1714]
2020年03月30日
コロナショックは10年に一度の投資チャンス

投資巧者は危機の最中ではポジションを閉じ、危機が去ってから投資をする

画像引用:中性投資家ブログ https://perfectdarkace.xyz/george-soros/


投資巧者と投資下手の違い

中国発新型コロナ騒動の影響で世界のあらゆる投資商品が乱高下し、多くは下落しています。

代表的なものは株で日本やアメリカを始めとして中国や新興国株も下落しています。

ところがこんな時でも投資巧者は慌てず利益を積み上げたり、将来利益になる投資対象を購入している。

経済危機は同じようにやってきたのに、10年前のリーマンショックでも大儲けした人と大損失を出した人に分かれました。

投資巧者と投資下手のいったい何が違うのかは研究する価値があると思います。

世界的に有名な投資会社が自社の顧客を分析したところ、勝者と敗者に特別な違いは見られなかった。


銘柄選びとかタイミングやテクニックなど、投資サイトや投資本で解説してあるような違いはなかった。

実際有名トレーダーとか大投資家が自分の予想を公表している事があるが、素人と同じ程度のように思います。

WバフェットにしてもJソロスにしてもJロジャースにしても、その辺の投資アナリストと予想は変わりません。


違うのは予想を当てる精度ではなく行動パターンで、彼らは天井買いして暴落時にナンピンしたりはしません。

普通の投資家はアベノミクスなどブームに乗って利益を積み重ね、相場が最も高くなった時に株などを買っています。

大投資家でもこれは同じだが、彼らは相場が失速すると見るやすぐ損切してポジションを手放します。


何もしないのが最良の投資

一般投資家は一度掴んだポジションをもったいなくて損切できず、ナンピン(買い増し)をします。

ナンピンをして相場が回復すれば儲かるが、そのまま下落が続けば100%破産します。

大暴落が始まった時、損切してマイナス10%くらいで抑えるのが大投資家、ナンピンして100%失うのが一般投資家です。


大投資家は相場の周期性を知っていて、10年に一度は大きな経済危機が起きると分かっている。

リーマンショックは2008年だったが1998年にアジア通貨危機、2002年にITバブル崩壊、1995年に阪神大震災とオウム事件が起きています。

2011年には東日本大震災、2001年にNY同時多発テロ、その後に対イラク対テロ戦争、1990年前後に日本のバブル崩壊、ソ連崩壊、東西ドイツ統一、天安門事件が発生している。


つまり世界的な大規模な経済危機は平均すると5年に1度以上は起きているので、そこで頑張ってもお金を失うだけです。

大投資家は経済危機が発生したら素早くポジションを閉じて損失を食い止め、経済危機が去るまでは何もしません。

一般投資家は危機の最中にナンピンしたりショート(空売り)するが、損失を拡大するだけで決して儲かりません。


危機の時に何もしないのが大投資家の特徴で、「獲物がいないのに狩りをしても仕方がない」のです。

そろそろ経済危機も終わりだなと思うと大投資家たちは以前の半額や4分の1で欲しい株や会社を手に入れます。

その後景気が回復すれば元手は何倍に増えるので、何もしなくても巨額の利益を手にします。


経済危機の最中では「あわてず騒がず何もしない」のが最良の投資です。

http://www.thutmosev.com/archives/82567482.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/938.html#c2

[リバイバル3] チャンネル・デバイダ―は使ってはいけない 中川隆
3. 中川隆[-13189] koaQ7Jey 2020年3月30日 10:50:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1715]

Mr.トレイルのオーディオ回り道


マルチアンプ方式か?ネットワーク方式か? 2020年03月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2d65e08dd1e855d1b874814ddf097f53

JBL 3大ホーン(HL88・89・90)システム3セット共にマルチアンプ方式になりました。自宅システムは出来る限り簡便に使いたいと思って「ネットワーク方式」に拘って来ましたが、「7SPユニット駆動」では1台のアンプでドライブするには負担が大きすぎる・・・と結論しました。

「音質」を考えれば「マルチアンプ方式」ですね。但し、3ウェイだと3台のパワーアンプが必要になります。電源ケーブル・SPケーブル・ラインケーブルも増設しなければなりません。アンプやチャンデバを置くスペースも要ります。(ケーブル類のグレードを揃えなければなりません・・・結構な出費です)

3台のパワーアンプで駆動するメリットは、各アンプ当たりの再生帯域が少なくて済むので「音の密度」アップ(音数アップ)しやすい点ですね。当然アンプ自体の負荷も小さくなります・・・故障しにくくなる?

ネットワーク方式の良さは「使い勝手」だと思います。最小の機器数で構成できます。当然置き場所(スペース)も少なくて済みます。でも低域・中域・高域のバランスをそれぞれを細かく調整は出来ません。難しい処が有ります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2d65e08dd1e855d1b874814ddf097f53


マルチアンプ化して約2週間 サウンドが変わりだした 2020年03月12日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ac829031a3d2cb0db5be38a2efe1b89

自宅システムをマルチアンプ化したのは先月2月25日。それから毎日4〜5時間鳴らし続けて約2週間が経った。まだ左右のバランスが低域・中域・高域とバラバラである。特に低域の偏りが大きい。それでも「音の出方」が大きく変わって来た。オリンパスシステムと同じ様に「スピーカーの存在が消えて」来た。

自宅システムのサウンドは、オリンパスシステムより更に柔らかいサウンドで、威圧感が殆ど無い。ただまだ鳴らし込みの最中で「チャンデバの活性化度」は10%程度であろう。それでも3台のパワーアンプで鳴らす効果は十分に出て来た。

通常のステレオで有れば、ラインケーブルはプリアンプ以降なら1セットで済むが、3ウェイマルチアンプになると4セットになる。SPケーブルも3セットになる。(2セット追加)電源ケーブルも3セット追加になる。ケーブル類の増設とアンプの増設の相乗効果がマルチアンプになると出てくる。その分費用もかかる。

マルチアンプ化のメリットとデメリットを考えると、事「音質」についてはマルチアンプの方が絶対的に有利である。デメリットは費用とスペースとSW類やパラメーターの多さだろう。ただパラメーターはシンプルにセットできる。全く同じケーブルグレードで統一すると、Tr型だろうが管球式であろうが同じ傾向の「質感」に統一されてくる。主に電源ケーブルの影響が強いと認識している。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9ac829031a3d2cb0db5be38a2efe1b89

自宅システムの「ふん詰まり」が少しヌケて来た 2020年03月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f9c4e3f468482d6c2b2c2cbb6b9e541d


2月25日にマルチアンプ化して約1ヶ月。3月24日も今までと同じ様にTV音声で鳴らし込みをやっていたら、突然「音量大」になって来た。「詰まって」いた所が一つヌケた様だ。左右のバランスが大きく改善されて来た。まだ少しRch寄りでは有るが・・・。低域・中域・高域のボリューム位置は全て フル(10レベル)から中間(5レベル)へ変更。

まだまだすべてがヌケた訳ではないので、音のバランスが団子になっている。これまでも毎日変化して来ていたが、これからもまだ当分は変化していくだろう。

今回の変化で大きく変わった所は「音数の増加」である。昨日とは雲泥の差がある。この様に大きな変化(活性化)がまだ来るだろう。特に高域はまだ顕著な変化を感じ取っていない。これから順次「ヌケて」来るだろう。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f9c4e3f468482d6c2b2c2cbb6b9e541d


サンスイSP-2005を3ウェイマルチアンプで鳴らし始めました 2020年03月29日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e19abb1af5c22b04f0ab1cca080792fc


昨日到着したサンスイSP-2005スピーカーとSONY TA-N86の慣らし運転中ですが、チャンデバのSONY TA-4300Fの音出し確認が出来ていませんので、さっそくマルチアンプにして見ました。

低域にM4、中域にTA-N86、高域にGE6550Sアンプを組み合わせました。最初接続を間違って、低域アンプに高域の信号を送り・・・・なんで低音が出ないのだろう???と戸惑いましたが、一度結線をすべて外してやり直しました。この時はショボイ一般のケーブルでしました。一応問題なく音は出てくるようになりました。

2時間ほどそのまま聴いていましたが、「マルチアンプ」にした効果を感じないサウンドで、聴くのが辛くなりました。仕方なくラインケーブルだけでも自作のケーブルに交換です。

プリからチャンデバIN、チャンデバLOWからM4間の2か所はNo1グレード、MIDとHIはNo3グレードのラインケーブルにしました。ようやくSPが鳴りだした様です。

SPケーブルは低域のみ自作のN04グレード、中・高域はベルデンのものです。低域で約70%のサウンドを出しますので、特に低域を重視したケーブル仕様にしました。これで馴染ませていきたいと思っています。(一応聴けるサウンドになった)

チャンデバはちょっと訳ありで、低域と高域のボリュームが効かない…と云う事でした。リアパネルのRCA端子の清掃をして使っていますが、特に問題なくコントロールできます。TA-4300Fも異常なく使えることが分かり一安心です。後は更に鳴らし込むだけです。

JBL#4425のウーハーは凄い能力を持っていた事を痛感しました。変えてみて初めて分かる性能の違い。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e19abb1af5c22b04f0ab1cca080792fc

マルチアンプ化したのは良いけれど・・・ 2020年03月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/00285337b72f0329e08ba911a9a71377


現在マルチアンプシステムを3セット作成している。1セット目の「オリンパスシステム」は既に組んでから8年ほど経過しているので非常に安定している。安心して使えるのは精神的に非常に大きい。

自宅システムは先月末(2月25日)にマルチアンプ化した。ようやく1ヶ月が経過した状態だが、チャンネルデバイダーの「ふん詰まり」で苦しんでいる。まだまともに音量設定や音のバランスが取れる状況にない。毎日変化している状況で落ち着かない。現在の不具合は、「低域」を絞ると「ノイズ」が出てくる。これはチャンデバの「LOW」ボリュームを触るとMAXとMINではノイズは出ないが、他の部分(2〜9レベル)ではノイズが出てくる。もう一つ、Rchの音量が低い。(低域のみ)・・・連日変化している状況なので「鳴らし込んで」安定させるしかない。

そして昨日マルチアンプ化したサブシステム。新規の機器がチャンデバ、中域用パワーアンプ、スピーカーの3種。この3台はまだ来たばかりで正常なのか分からない。特にチャンデバとスピーカーには切り替え接点が沢山あり、何処かが接触不良を起こしたり起こさなかったり(ルーズコンタクトモード)をしている様だ。昨日は正常にサウンドが出ていたが、今日はRchからの音が非常に小さく、いくらチャンデバのボリューム類を触っても改善しない。そこで「大音量」になる様にプリアンプのボリュームを一気に上げたら正常化して来た。

機器はシンプルな方が良いと思う。マルチアンプにすると、トラブルが出た時に「何処が?」と探すヶ所・原因系の調査範囲が大きくなる。たった1か所の接点の接触不良でもまともなサウンドにならない。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/00285337b72f0329e08ba911a9a71377
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1025.html#c3

[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから 中川隆
1. 中川隆[-13188] koaQ7Jey 2020年3月30日 11:28:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1716]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ
反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん

   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを

新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。

ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。

アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。

ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。

エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。

後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。

しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。

もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!

ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この

時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらい

いだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシ

アに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとる

でしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなこ

とは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに

反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改

革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西

側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業

は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼

るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハ

イパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92

年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5

%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持

つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者と

なった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど

無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政

権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、

国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html#c1

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
3. 中川隆[-13187] koaQ7Jey 2020年3月30日 13:16:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1717]
「金融資本主義〜支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 1-2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c3
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
4. 中川隆[-13186] koaQ7Jey 2020年3月30日 13:33:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1718]

「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
資本主義の仕組みは既に破綻している
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3bJ_RToTXew&feature=emb_title

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c4

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
86. 中川隆[-13185] koaQ7Jey 2020年3月30日 14:01:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1719]
職員が逃げる秋篠宮家 “傘事件”でまたひとり…人手不足が慢性化
週刊新潮 2020年3月26日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/03300801/?all=1


 秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんとのご結婚が「2年後に延期」と発表されたのは一昨年2月。だが“膠着状態”を打破する兆しはいまだ窺えない。それは取りも直さずご一家の混迷を物語っており、日々お支えする「皇嗣職」もまた、累卵の危うきにあるというのだ。
 
 ***

 全世界で猛威を振るうコロナウイルス禍は、むろん皇室にも影響を及ぼしている。宮内庁担当記者が言う。

「2月23日、令和になって初めての天皇誕生日では恒例の一般参賀が中止となりました。また、3月2日に佳子さまがお出ましになる予定だった婦人発明家協会の『なるほど展』も中止に。これ以外にも、皇居などで清掃を行う勤労奉仕団の受け入れを一定期間見合わせるなど、方々で影響が出ています」

 今月10日には東京・墨田区で、東京大空襲の戦没者と関東大震災の犠牲者を慰霊する法要が営まれた。例年、秋篠宮家の方々が参列され、今年もご夫妻が出席なさる予定だったのだが、こちらも規模縮小に伴いお出ましが見送られている。

「ご公務の取りやめもあり、ご自宅で過ごされる時間が増えた秋篠宮ご夫妻は、やはり勤務先の博物館が休館中の眞子さまと接せられる機会も多くなりました。が、まるで“懸案”解決のめどは立っていません」(同)

 その懸案とは、他ならぬ「小室問題」の帰趨である。一昨年2月の延期発表を受け、秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日に際し、

〈2月で2年たつわけですね。(中略)何らかのことは発表する必要がある〉
 と述べられていた。

「注目の2月には結局、何も動きがありませんでした。“発表”は眞子さまと小室さんによる『お気持ち』が文書で綴られ、そこで“再延期”が示唆されるとみられます。現時点で眞子さまは、お気持ちをまとめる作業に取り掛かっておられず、実際の発表は4月19日に控える秋篠宮さまの『立皇嗣の礼』の後になるでしょう」(同)

 当の眞子さまは現在、もっぱら宮邸で過ごされているといい、秋篠宮家の事情を知る関係者は、

「依然として、得心のいかないご様子だと拝察いたします。何しろ、いったん上皇さまのご裁可を頂いた婚約が事実上、無期限延期を余儀なくされているのです。また、一時は手放しで賛成なさっていたご両親までが再考を促しておられるのだから“はしごを外された”といったご心境であられるのは想像に難くありません」

 ご一家は昨年2月10日、宮邸の増改築工事のため、約9億8千万円をかけて建てられた「御仮寓所(ごかぐうしょ)」へと引っ越された。現在、宮邸は工費約33億円をかけて改修中なのだが、

「お引っ越し当日、眞子さまは終始憮然とした面持ちでいらっしゃいました。そもそも一昨年11月に小室さんと結婚されていれば、御仮寓所に住まわれることはなかったはずで、それが延期となってご家族と同居される事態となった。急遽ご自身のお部屋が割り当てられ“なぜここに住まなければならないのか”といったご不満が窺えました」(同)

 現在、ご両親と向き合う時間が増えたものの、

「相変わらず“肝心のお話”は交わせない雰囲気で、重苦しさが漂っています」
 というのだ。

 平成の終盤、不測の“大難”に見舞われた秋篠宮家。それは令和の皇嗣家となられてもなお、変わらぬご心痛であり、実はお支えする皇嗣職もまた、大いに揺らいでいるという。

「昨年5月、およそ50人からなる皇嗣職が発足しましたが、ご一家特有の“事情”もあって職員、とりわけ屋台骨となる宮務官の出入りが激しく、宮内庁は人繰りに頭を痛めています」

 そう打ち明けるのは、さる宮内庁関係者である。

「新たな皇嗣家では、侍従職や旧東宮職のような『侍従』『女官』という呼び名をやめ、身の回りのお世話をする側近幹部はいずれも宮務官で統一されています。秋篠宮家では従来、両殿下やお子様方に関する仕事を、分け隔てなく職員が共有しており、その伝統が御代替わり後も継承されたわけです。これは言い換えれば、職務の垣根を越えてあらゆる作業が舞い込んでくるということでもあるのです」

 秋篠宮家といえば、宮内庁きっての「ご難場」とされ、その激務ぶりは広く知られるところである。

「ご家族が五方おられ、中でも皇位継承権を有する男性皇族がお二方おられるのだから、そのお世話は多岐にわたる。御代替わりとともに職員はおよそ2倍に増えたとはいえ、慢性の人手不足に悩まされている現状に変わりはありません」(同)

 加えて、紀子妃が職員にお求めになる仕事のレベルは高く、前出のご一家の事情を知る関係者が言うには、

「重責に耐えかねた職員が赴任早々、身体に失調をきたす、あるいは依願免職を申し出るケースがこれまでしばしば見受けられました」

発端は「ブータン旅行」

 宮務官の定員は本来10人のところ、

「直前で辞退者が出たこともあり、5月の発足時は定員以下の8人でスタートしています。その後も女性宮務官が体調を崩して休職したり、昨年暮れには都内の学校法人から出向していた別の女性宮務官が急に辞め、代わりに皇嗣職で事務の補佐を務めていた男性が充てられるなど、わずか半年ほどで顔ぶれは目まぐるしく入れ替わってきました」(同)

 その中には、こんな事例もあった。

「警察庁から出向していた30代の男性宮務官が、今年1月24日付で依願免職となっています。東大法学部出身の彼はキャリア官僚として嘱望され、昨年5月に送り込まれたのですが、夏を迎える頃、ブータン旅行の打ち合わせに際し、秋篠宮殿下のご不興を買ってしまったのです」(同)

 ご夫妻と悠仁さまは8月にブータンへ私的旅行をなさっているのだが、

「現地にはこの男性が随行する予定になっていました。ところが直前に殿下から『それには及ばない』と遠ざけられてしまい、実際に側近である宮務官は誰一人随行しませんでした。一方で、殿下と親しい人類学者が一行の“団長”として旅程を取りまとめるなど、前代未聞のご訪問となった。私的旅行とはいえ、例えば平成の時代の侍従職や旧東宮職において、侍従や女官が旅先に同行しないケースなどあり得なかったのです」(同)

 さらに、こう明かすのだ。

「10月22日、即位礼正殿の儀に先立ち、午前中に皇居内で『即位礼当日賢所大前の儀』が執り行われていました。雨の降る中、両陛下の拝礼が終わったのち、秋篠宮殿下をはじめ妃殿下や他の皇族方も続いて宮中三殿の賢所に入られたのですが、殿下はその際、差していた傘をたたまれ、脇に控えていたこの警察庁出身の宮務官らに、まるでボールを投げるかのように無造作にお渡しになったのです」

 虚を衝かれた宮務官らは傘を落としかけ、慌てて掴む場面が目撃されている。

「その間、殿下は一貫して険しい表情で、この男性と目を合わせようともなさりませんでした」(同)

 こうしたことで心労が祟ったのか、先述の通り彼は1月末、職を離れるに至った。まさに傷心の末の辞表提出だったのだ。そして、先の宮内庁関係者によれば、

「欠員を埋めるべく、すぐに同じ警察庁から男性が出向してきました。ですがキャリアの前任者とは異なり、後任は準キャリア(旧国家II種合格)の幹部。そもそも霞が関では、皇嗣職の仕事の厳しさはつとに知られており、どの省庁も手を挙げたがらない。事務職員などは現在、地方自治体から人をかき集めているのが現状です。警察庁は今回、有能なキャリアを失意のまま古巣へ戻されてしまった格好で、後任にキャリアを差し出さなかったのは“今後は考えさせてもらう”という通告であると、宮内庁内では受け止められています」

 警察庁に尋ねると、

「お尋ねの職員は本年1月から当庁暴力団対策課理事官として勤務しておりますが、個別人事異動の理由についてはお答えを差し控えさせて頂きます」(広報室)
 というのだが……。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c86

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
18. 中川隆[-13184] koaQ7Jey 2020年3月30日 14:41:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1720]
ピアノ曲だけ比較すると

バッハ、ヘンデル、ベートーヴェン>>ブラームス>>モーツァルト、シューべルト、ショパン、 シベリウス>>グリーグ>シューマン
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c18

[近代史3] 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている 中川隆
13. 中川隆[-13183] koaQ7Jey 2020年3月30日 16:17:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1721]
ディープステートとかいう馬渕睦夫のアホ陰謀論

馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html

馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html

チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html

日本の右翼のバイブル _ 偽ユダヤ人のモルデカイ・モーゼが書いた 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html

これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/191.html#c13

[近代史3] 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている 中川隆
14. 中川隆[-13182] koaQ7Jey 2020年3月30日 16:22:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1722]

安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html

浜崎洋介 _ 安倍「器」論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html

チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html

安倍首相が意図的にどんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/956.html

安倍政権下で自殺・不審死した人物
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/542.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/191.html#c14

[番外地7] スターリンは唯の独裁者で女狂い 中川隆
1. 中川隆[-13181] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:26:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1723]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。
反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん

   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを

新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。

ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。

アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。

ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。

エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。

後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。

しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。

もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!

ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/565.html#c1

[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから 中川隆
2. 中川隆[-13180] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:27:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1724]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。
反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん

   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを

新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。

ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。

アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。

ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。

エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。

後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。

しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。

もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!

ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html#c2

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
12. 中川隆[-13179] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:48:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1725]

♯70.フランスの好み

スタインウェイのいかにもスケールの大きな華麗な音色は、フランス人ピアニストの好むデリケートなニュアンスには若干齟齬を生んでいた。

 楽器そのものが強靱かつブリリアントで、すでにスタインウェイという色の付いたピアノであること、またこのピアノの持ついかにも英雄的な性格が、彼らの軽妙で陰翳を必要とする感性にはやや合わない。

 さらにフランス人は、ピアノに対するイメージを、今日的なコンサートの基準であるホールよりも、ショパンの時代に見られるようなサロン的な規模のこまやかさのある楽器と捉えて、よりコンパクトでデリカシーに溢れた楽器であることを求めている。

かつて、ミシェル・ベロフやジャン=フィリップ・コラールが彗星のごとく世に出てきた70年代の録音などは、ピアノはスタインウェイだったが、その音はかなり通常のスタインウェイとは違うものだった。いかにもフランスピアノ的華やかさに溢れたもので、スタインウェイの持つ音の太さや荘重さを犠牲にしてでも、線は細いけれども贅肉をそぎ落としたようなシャープかつ華やかなピアノだった。とうてい他の国では受け容れられないピアノだったと思う。

 その他にもジャン・ドワイヤン、セシル・ウーセ、フランソワ=ルネ・デュシャーブルなどは一時期ベーゼンドルファーを使っていたが、ドワイヤン以外はこのウィーンの強いイントネーションに最終的に馴染めなかったのか、その後はスタインウェイを弾いたようだ。

ベーゼンドルファーはもちろん素晴らしいピアノだが、ウィーン特有なある種の個性──野暮ったいことを逆手にとって崇高な美にまで高めたような──は、おそらくフランス的センスの前では、民族学的にも相容れないもののほうが大きいはずだ。

かつてのプレイエルのようにフランス人そのものから出てきたような個性ならば相性も抜群だろうが、そうではない場合は、却って特徴的な音色がないほうがいいことは、エラールのようなピアノが昔からプレイエルの陰でしっかりと同時並行的に支持されてきたフランスの土壌ならではと言えるかもしれない。

 現代のプレイエルはついにコンサートグランドをカタログに載せるに至り、その音色はたいそう柔らかなものではあったが、まだまだ完成の域には達しているとは言い難い印象だった。フランス人にはどんな評価を下しているのか聞いてみたいところである。

 ちなみに、プレイエルのコンサートグランドP280はバイロイトの老舗、シュタイングレーバーによって委託生産されているということを耳にしたので、日本のシュタイングレーバー輸入元であるS氏にその旨を聞いてみたところ、現在のプレイエルにはまだコンサートグランドを製造する力がないので、おそらくそういうことだろうという回答が返ってきた。

 それが事実だとするなら、やはりピアノは民族性が色濃く出てこその楽器なので、わけてもコンサートグランドともなればぜひとも自前で作って欲しいものだし、それができないのなら、他国の工房に委託してまで作る必要があるのかと思われる。ドイツで作られたプレイエルという構図は昔も一度あったことだが(シンメル)、それでは一体何のためのプレイエルかとも思うし、だいいちこれではドイツピアノなのかフランスピアノなのかも甚だわかりにくいものとなる。

 シュタイングレーバーはドイツピアノらしい規律と実直さの中に、柔らに薫るような肉感的な響きを併せ持ち、あたかもドイツの威厳と優雅と官能が共存しているといった印象があるが、あのプレイエルP280の柔らかな要素はシュタイングレーバーの潜在力を活かしつつ、フランス的に味付けを変えて出来上がったものというわけか。

 ただし、いまだ発展途上というべきで、フランス人ピアニストたちが歓迎しているようにもあまり感じない。


 名匠イーヴ・ナットはエラールとスタインウェイを引き分けていたようであるし、コルトーは大半をプレイエル、晩年にスタインウェイ、フランソワは多くをスタインウェイで弾いていたように思う。

 これほどフランス人ピアニストがスタインウェイを使いつつもそこに安住せず、さまざまなピアノの音色に試行錯誤してきたのは、自国のピアノが大戦を境に弱体化してしまい、同じDNAを持つピアノを失ってしまったためかもしれない。
http://www.piano-pia.com/mrn70.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c12

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
13. 2020年3月30日 17:56:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1726]

コルトーのピアノ


シュナーベルといえばベヒシュタイン、ラザール・レヴィはエラール、ギーゼキングはグロトリアン、ボレットはボールドウィン……といった具合にピアニストの名がその愛器と強く結びついた例はあげるに事欠きませんが、わがコルトーの場合、それは云うまでもなくプレイエルです。

コルトーは専らプレイエルを愛奏し、遺された録音もプレイエルを弾いているものとわたしは思っていました――しかし、恐らくこれはわたしひとりに限ったハナシではなく、それこそ「コルトー=プレイエル神話」と仮に呼んでもおかしくないような厳然たる共通認識として世に広くおこなわれているような気がします。その一例として鈴木智博氏の『コルトーのレコード録音(IV)』中の一文を以下に掲げましょうか。

「コルトーは占領下のパリで、アルベール・スタジオに於いてショパンの4作品の全曲録音を行っている。いずれの録音も、コルトーには珍しく、スタインウェイのピアノが使用されている。……(下略)」


これを要するに、コルトーがスタインウェイのピアノを弾いているのは戦時下という特別な状況のしからしむるところであり、いつもはプレイエルを愛用していたものと氏は信じておられたように思われます(少なくともわたしはかく理解しました)。日本における斯道の権威たる鈴木氏の竜言ではありますし、実際あれらの戦中録音、コルトーにしては少しく枯れた感じのあるショパンは、弾いているピアノからして三十年代の艶麗きわまる名レコードと違うのではと思わせる体のものでした――

しかるに、近年ナクソスから復刻された一連のCDに附された Jonathan Summers の解説によると、少なくとも三十年代に集中的に録音されたショパンの多くはスタインウェイによる演奏で、プレイエルで弾かれた曲はごく一部(いま手許に資料がないのですが、確か前奏曲集がそうだとか……)に限られているのだそうです。

一九三二年に録音されたフランクの『前奏曲、アリアと終曲』に至ってはブリュトナーで弾かれていたとのこと(これはAPR盤の解説による)。何とまあ、HMV盤と仏グラモフォン盤と、それぞれのエチュードやワルツは実のところ同じスタインウェイで演奏されていたというのです。

そう云われてみると、件のフランクは少し落ち着いた響きでいつものコルトーとは何となく違うような気がしないでもありません――が、ブリュトナーならではの特色、と云われてもわたしのポンコツな耳にはチンプンカンプンですし、もっと問題なことには、プレイエルとスタインウェイの場合これがプレイエル、あれはスタインウェイと云われても違いがまるで分からなかったりします(笑)。

閑話休題――小林秀雄の音楽好きは周知のところですが、レコードで使用楽器を聴き分けられることを以て得意としていたそうで、フーベルマンはグァルネリウスだと断定していたとか。しかるにフーベルマンは実際のところストラド弾きだったような気が……(少なくとも世に名高きギブソンの盗難に遭うまでは)

他山の石とするに足ります。

ネットの音盤批評サイトにも使用楽器にこだわってこの演奏は何を弾いているだの何だのと大いに拘っておられる向きがありますが、そのような方々にお聞きしてみたいものです、コルトーの録音で使用されているピアノを正確に聴き分けておられたのか、否か。
http://d.hatena.ne.jp/mischa/20090814/1250258135

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c13

[近代史4] 19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない 中川隆
14. 中川隆[-13178] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:59:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1727]

久元 祐子 (ひさもと ゆうこ) Pianist

Erard (1868)
1868年制作 (パリ) 製造番号39608
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm

1868年製作のこのエラール・ピアノをよく弾いています。

パリのエラール社は、フランスを代表する歴史あるピアノ名門会社で、19世紀末から20世紀初めにかけて、世界的な評判をとり、コンサートホールや各国の王宮にエラール・ピアノが備えられました。

リストはこのピアノを愛し、よく弾きました。制作年代から見て、リスト自身がこのピアノを弾いた可能性も捨てきれません。

典雅な雰囲気と高貴な音色が、19世紀の香りを今に伝えてくれています。

エラール社の創立者は、セバスティアン・エラール(1752−1831)です。

ストラスブールに生まれ、パリに出て、チェンバロの制作を始め、弟とともに、会社を設立しますが、フランス革命が勃発すると、ロンドンに逃れ、ピアノ製作技術を学びました。

フランス革命が終わり、フランスが落ち着きを取り戻すと、パリに戻り、エラール社を再興します。セバスティアン・エラールがこの頃制作に熱中したのがハープでしたが、甥のピエール・エラール(1796?−1855)とともに、ピアノの制作に精力を注ぐようになり、1821年にダブル・エスケープメン・アクションを完成させます。このメカニズム上の改良により、連打が楽にできるようになり、ピアノ演奏法、ひいては、ピアノ作品の可能性を大きく広げることになりました。

1830年にパリで7月革命が起こり、翌年にセバスティアンは亡くなります。後を継いだピエール・エラールは、エラール・ピアノの生産に取り組みました。

エラール・ピアノを愛用したのが、フランツ・リストです。リストは早くも、1824年の6月29日のロンドン王立劇場でのコンサートで、エラールが開発した「ダブル・エスケープメント」機能を備えた新しいグランド・ピアノを弾いて大成功を収めました。

エラールのピアノはリストの演奏と作曲の可能性を広げるにあたって大きな役割を果たし、リストが長く愛用する楽器のひとつとなります。


このエラールを弾いた感じは、走りが軽快な車を運転している気分です。免許を持たない私が言うのも変なのですが、面白いようにスピードが出て、ちょっとしたアクセルの踏み具合ですぐに反応してくれるしなやかな感性を持ち、音色は華やかで宝石のような輝かしさを持っています。

プレイエルのようなくぐもった香りとは対称的です。

リストはプレイエルを弾かなかったそうですが、エラールで華麗な演奏をしたリストの姿は想像に難くありません。

ダンパーは弦の上にあるのではなく弦の下にあります。ですから、ダンパーペダルを踏んだとき、ダンパーが上がるのではなく、下に降りるという構造です。

最初に弾いたときは、ギョッとしたのですが、考えてみるとペダルを踏む(下げる)という方向性がダンパーが降りる(下がる)という方向性に合致していて、慣れてくると足に直結したペダルのように感じてきます。

プレイエルとエラール。私は体調に関係なく?!どちらも曲によって使い分けながら弾いています。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm


Pleyel (1828)
1843年制作 (パリ) 製造番号10717
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm


ショパンが愛用した楽器として有名なプレイエル社のピアノで、ショパンが生きていた時代に制作された貴重な楽器です。

ショパンがこの楽器を弾いたかもしれません。

ショパンの生家(ワルシャワ)に1848年製の同型ピアノが、またフランス国立パリ高等学院の楽器博物館に1839年製の同型ピアノが 展示保存されています。

数年前、調律師協会主催コンサートで、プレイエル、エラール、ベーゼンドルファーと、3台のピアノを弾かせていただきました。そのときのパンフレットに記されていたショパンの言葉は、

「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」

でした。

プレイエルは、音を出すのにエネルギーが必要で、エラールは、すぐに良い音が出る、タッチがたやすくて体調が悪いときは、エラールのほうが演奏が楽。

つまり、気分が優れインスピレーションの表出、自らの内なる声を音にしたいときには、プレイエルが最も自分の分身としてふさわしい、ということだったのではないか、と想像しています。

ショパンと友情で結ばれていたカミーユ・プレイエルは、プレイエル2代目です。 ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで行われています。ジョルジュ・サンドとマジョルカ島に出帆するときにもこのピアノの手配を忘れていません。


アクションを手前に引きますとドノゴエのサインがあり、胸がときめきました。
NHKのある番組では、ドノゴエを「ショパンの専属調律師」と言い切っていましたが、ドノゴエは、当時のプレイエル社のアクション部門の主任技術者でした。ドノゴエがアクションを担当し、その際、OKがでた楽器のみに、焼き印がつけられたとされています。

プレイエルには、時折出会いますが、このドノゴエのサインが入っているものは数が少なく、ショパン時代のオリジナルアクションであり、当時の響きを再現しているという証でもあります。

(写真)

この楽器は、頭の後ろから柔らかく発声しているようなフランス語の響きにも似た、独特の魅力を持っています。タッチは、しっとりしていて、エラールのように軽やかに動くことができるタッチとは違っていて、コントロールしずらい楽器です。

「気分の優れないときはエラールを選ぶ」

と言ったと言われるショパンの気持ちがわかるような気がします。

また、プレイエルの大きな特徴として「第2響板」の存在があります。とりはずして弾くことも可能なのですが、やはりこの響板をつけて弾いたほうが、中で蠢くような情念、底鳴りするような一種独特の魅力を醸し出してくれます。

人によって好みが分かれるかもしれませんが、長年弾いてきて、私は、この第2響板をつけて弾く方がプレイエルの良さがでるような気がしています。

革命のエチュードを弾くと、最後の左手バスの音は、この楽器の最低音になります。楽器の限界ギリギリまで使って自分の心情を表現しようとしたのだと思われます。

この楽器は大きな音が出ませんが、この楽器でフォルテッシモを弾くと、かえって悲痛な思いが楽器の中でうずまくような感じがします。現代のスポーツカー並みの性能を持ったフルコンサートピアノで、余裕のフォルテッシモを出すと力強さは出るのですが、なかなか悲痛な思いが伝わりません。その点、プレイエルは、楽器自身が語ってくれるように思います。

ペダル記号をはじめ、ショパンが楽譜に書き込んだ指示記号は、このプレイエルを使って書いたものです。ですから現代のピアノで演奏するときは、少し現代用語に翻訳するような感覚でコントロールしたり、音の濁りが起きないように細心の注意を払ったりしなくてはなりません。

その点、プレイエルでショパンの指示を守って弾くと、ショパンが考えていた響き、そしてアーティキュレーション、ディナーミクを感じることができます。

右手で弾く高音部の黒鍵は、少し角が丸くなっています。ショパンが好んだ独特の指使い、黒鍵から白鍵に指を滑らせるようなレガート奏法です。

そのようにしてこのピアノは、ショパン自身、ショパンの女弟子、同時代のピアニストたちの手によって弾かれているうちに、少しずつ角が丸くなっていったのかもしれません。

プレイエルは、同音反復のしずらさ、スピードや音量の面で、エラールにははるかに及びませんでした。そうしたことから、ヨーロッパを席巻し、各地の宮殿やサロンに広まっていったのは、エラールでした。

プレイエルは、個々の楽器が手づくりの試作品のようです。一台、一台、微妙にタッチも音色もサイズ、高さも異なります。

注文を受け、芸術家とつくり手の間に濃厚なコミュニケーションが存在していた当時のピアノ界のありようにも思いを馳せることができる楽器です。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html#c14

[番外地7] スターリンは唯の独裁者で女狂い 中川隆
2. 中川隆[-13177] koaQ7Jey 2020年3月30日 19:47:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1728]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。(スターリンはマルクス主義者ではなくヒトラー的な国家社会主義者)
スターリンは反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん


   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを


新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。


ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。


アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。


ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。


エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。


後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。


しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。


もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!


ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。


 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。


 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。


 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。


 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/565.html#c2

[番外地7] 現在のロスチャイルドが反プーチンというのは、プーチンが共産党勢力に近いから 中川隆
3. 中川隆[-13176] koaQ7Jey 2020年3月30日 19:48:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1729]
スターリンはパラノイアの精神障碍者だろ。スターリンはやった事も考え方もヒトラーに非常に近い。(スターリンはマルクス主義者ではなくヒトラー的な国家社会主義者)
スターリンは反マルクス主義・反共だったから、正統派のマルクス主義者だったトロツキーを追放して、メキシコに暗殺者まで送り込んで殺したんだよ。ユダヤ人だけでなく1917年革命に加わった共産主義者も全員粛清した。

ソ連崩壊後はアメリカがロシア経済を徹底的に破壊したけど、ソ連のユダヤ人がソ連解体をしたのなら、そこまでしないよ:

プーチンはソ連共産党の後継者で反ユダヤ、反米

ロシア 聖なる我等が国

ロシア 愛する我等が国

固き意志 偉大な栄光や

永久に汝が富ならん


   讃えよ我等が 自由なる祖国

   いざ集え 兄弟よ

   先人が知恵 我等がもとに

   讃えよ 汝が誇りを


新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。


ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。


アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。


ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。


エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。


後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。


しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。


もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!


ロシアの人々は沸き立ちます。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。


 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。

 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。


 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。


 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。


 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/559.html#c3

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
303. 2020年3月30日 20:04:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1730]

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

日経平均は 2008 年以来の上昇第(1)波を 2018 年 10 月高値・24448 円で終え、その後の調整は第(2)波に相当す るとみられる。

日経平均の第(2)波下値メドは、

15721 円(2008 年から 2020 年までの上昇に対する 50%押し)、14864 円(16/6/24 安値、

第(1)波のレッサーディグリー4 波ボトム)


日経平均の 3 月 19 日安値(16358 円)はレッサーディグリー4 波安値にはまだ距離があるが、TOPIX は第(1)波 のレッサー・ディグリー4 波ボトム(1192)付近まで下げており(3/17 安値は 1199)、底打ちの条件を満たしている。

今後も不安定な動きは続くだろうが、第(2)波底打ちの可能性は高まっている。

第(2)波完了後には、第(3)波の上昇トレンドが始まる。

第(3)波の上昇幅は小さくとも第(1)波と同等になるだろ う。値幅なら 17500 円程度、上昇率なら 250%、これらが第(3)波のスケール感となる。つまり、今年 2 月高 値は優に上回ることだろう。

これまでも世界的なカネ余りといわれていたのに、今回さらに各国中央銀行から大規模な流動性が供給され、 今後もされようとしているわけである。新型ウィルス問題の終息後には空前の過剰流動性相場が起きると想 定されるが、それは日本株の第(3)波の大強気相場にまさにふさわしい環境を提供することだろう。

(歴史的な安値圏から立ち上がる日本株、

当面は日経平均 2 万円回復を目指す)

日経平均の PBR は 3 月 16 日に 0.82 倍、TOPIX の PBR は 0.89 倍に、各々低下した。

日経平均の過去最小 PBR は 0.81 倍である。これはリーマンショック後の 2009 年 3 月 10 日と 11 日に記録したもので、当時の日経平均は 7000 円処であった。

空売り比率は過去最大の 52.1%へ跳ね上がり(3/6)、TOPIX 騰落レシオは過去最低の 40.11%へ急落した(3/16)。

日本株は「歴史的な安値圏」から立ち上がり始めた。3 月 25 日、日経平均は一時 19564 円まで上昇し、1 月 からの下げに対する 38.2%戻り(19321 円)を終値で上回った。

さらに、この日は日経平均がギャップを開けて上昇し、6 営業日分の日足群(3/13~24)が離島となる底入れパターン「アイランド・リバーサル」が形成された。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c303

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
144. 中川隆[-13175] koaQ7Jey 2020年3月30日 20:06:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1731]
チャート分析はこういう風にやるもの

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

日経平均は 2008 年以来の上昇第(1)波を 2018 年 10 月高値・24448 円で終え、その後の調整は第(2)波に相当するとみられる。

日経平均の第(2)波下値メドは、

15721 円(2008 年から 2020 年までの上昇に対する 50%押し)、14864 円(16/6/24 安値、

第(1)波のレッサーディグリー4 波ボトム)


日経平均の 3 月 19 日安値(16358 円)はレッサーディグリー4 波安値にはまだ距離があるが、TOPIX は第(1)波 のレッサー・ディグリー4 波ボトム(1192)付近まで下げており(3/17 安値は 1199)、底打ちの条件を満たしている。

今後も不安定な動きは続くだろうが、第(2)波底打ちの可能性は高まっている。

第(2)波完了後には、第(3)波の上昇トレンドが始まる。

第(3)波の上昇幅は小さくとも第(1)波と同等になるだろ う。値幅なら 17500 円程度、上昇率なら 250%、これらが第(3)波のスケール感となる。つまり、今年 2 月高 値は優に上回ることだろう。

これまでも世界的なカネ余りといわれていたのに、今回さらに各国中央銀行から大規模な流動性が供給され、 今後もされようとしているわけである。新型ウィルス問題の終息後には空前の過剰流動性相場が起きると想 定されるが、それは日本株の第(3)波の大強気相場にまさにふさわしい環境を提供することだろう。

(歴史的な安値圏から立ち上がる日本株、

当面は日経平均 2 万円回復を目指す)

日経平均の PBR は 3 月 16 日に 0.82 倍、TOPIX の PBR は 0.89 倍に、各々低下した。

日経平均の過去最小 PBR は 0.81 倍である。これはリーマンショック後の 2009 年 3 月 10 日と 11 日に記録したもので、当時の日経平均は 7000 円処であった。

空売り比率は過去最大の 52.1%へ跳ね上がり(3/6)、TOPIX 騰落レシオは過去最低の 40.11%へ急落した(3/16)。

日本株は「歴史的な安値圏」から立ち上がり始めた。3 月 25 日、日経平均は一時 19564 円まで上昇し、1 月 からの下げに対する 38.2%戻り(19321 円)を終値で上回った。

さらに、この日は日経平均がギャップを開けて上昇し、6 営業日分の日足群(3/13~24)が離島となる底入れパターン「アイランド・リバーサル」が形成された。



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c144

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
145. 中川隆[-13174] koaQ7Jey 2020年3月30日 20:09:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1732]

チャート分析はこういう風にやるもの 2

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

【ダウ工業株平均・S&P500】2020 年 3 月 30 日

(現在第(4)波の調整局面とみる)

長期的な米国株高は進行中であると判断される。S$P500 とダウ平均は、18 年からの上昇の内部構造が 3 波構 成となっている。3 波構成で終わる強気相場は存在しない。

ではなぜこれほど下げているのか。ダウ平均は足元で 2018 年 12 月安値をも下回っている。
筆者の見方はこうだ。

ダウ平均は 2018 年高値からの第(4)波が「拡大フラット(A-B-C)」であり(18 年から今年 までの上昇は B 波。だから 3 波構成)、足元は(4)-C 波の下落に位置づけられる。

S&P500 は 2018 年 12 月安値を下回ったが、他方でナスダック、SOX 指数などは、2018 年 12 月安値を維持し ている。引き続き、強気ダイヴァージェンス形成の可能性がある。それは全体底打ち接近を暗示するパターンだ。

この見方によれば、現行の下落終了後に第(5)波の上昇トレンド入りとなろう。それは最高値を大きく上回る ことになろう。


(ブラックマンデーとの類似)

今回の暴落はリーマンショック級(あるいはそれ以上)とされるが、これまでのところ、パターン的にはブラッ クマンデー(1987 年)前後の動きに酷似している。

1987 年、史上最高値(当時)からブラックマンデー安値までは 9 週間(両端入れ)で 35.9%下落した。

今回、S&P500 は史上最高値から直近安値(いずれもザラバベース)まで 6 週間で 35.4%下落した。

また両者に共通する点として、高値を付けるまでの 1 年、S&P500 が大きく上昇していたことを指摘できる。

ブラックマンデー当時を参考にすると、S&P500 は今後 1~2 ヵ月先(4 月下旬〜5 月)に二番底を付けることに なる。VIX 指数は依然高止まりしており (65.54 、 3/27) 、投資家の警戒モードは続いている 。S&P500 が短期リ バウンド後に再び下値を試す、という可能性はまだありそうだ。

S&P500 がブラックマンデー前の高値を上回ったのは、1987 年 10 月底から 1 年 9 カ月後の 1989 年 7 月だっ た。今回も同様なら、S&P500 は 2021 年後半から 2021 年前半に高値を更新するとみることができる。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c145

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
304. 中川隆[-13173] koaQ7Jey 2020年3月30日 20:10:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1733]

2020 年 3 月 30 日 エリオット波動マーケット分析 宮田 直彦

【ダウ工業株平均・S&P500】2020 年 3 月 30 日

(現在第(4)波の調整局面とみる)

長期的な米国株高は進行中であると判断される。S$P500 とダウ平均は、18 年からの上昇の内部構造が 3 波構 成となっている。3 波構成で終わる強気相場は存在しない。

ではなぜこれほど下げているのか。ダウ平均は足元で 2018 年 12 月安値をも下回っている。
筆者の見方はこうだ。

ダウ平均は 2018 年高値からの第(4)波が「拡大フラット(A-B-C)」であり(18 年から今年 までの上昇は B 波。だから 3 波構成)、足元は(4)-C 波の下落に位置づけられる。

S&P500 は 2018 年 12 月安値を下回ったが、他方でナスダック、SOX 指数などは、2018 年 12 月安値を維持し ている。引き続き、強気ダイヴァージェンス形成の可能性がある。それは全体底打ち接近を暗示するパターンだ。

この見方によれば、現行の下落終了後に第(5)波の上昇トレンド入りとなろう。それは最高値を大きく上回る ことになろう。


(ブラックマンデーとの類似)

今回の暴落はリーマンショック級(あるいはそれ以上)とされるが、これまでのところ、パターン的にはブラッ クマンデー(1987 年)前後の動きに酷似している。

1987 年、史上最高値(当時)からブラックマンデー安値までは 9 週間(両端入れ)で 35.9%下落した。

今回、S&P500 は史上最高値から直近安値(いずれもザラバベース)まで 6 週間で 35.4%下落した。

また両者に共通する点として、高値を付けるまでの 1 年、S&P500 が大きく上昇していたことを指摘できる。

ブラックマンデー当時を参考にすると、S&P500 は今後 1~2 ヵ月先(4 月下旬〜5 月)に二番底を付けることに なる。VIX 指数は依然高止まりしており (65.54 、 3/27) 、投資家の警戒モードは続いている 。S&P500 が短期リ バウンド後に再び下値を試す、という可能性はまだありそうだ。

S&P500 がブラックマンデー前の高値を上回ったのは、1987 年 10 月底から 1 年 9 カ月後の 1989 年 7 月だっ た。今回も同様なら、S&P500 は 2021 年後半から 2021 年前半に高値を更新するとみることができる。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c304

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
5. 中川隆[-13172] koaQ7Jey 2020年3月31日 09:22:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1734]

ヘリコプターマネーはインフレをもたらすか2020年3月31日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767

新型コロナウィルスの世界的流行によって各国政府は経済対策を考えているが、その中には国民に直接現金を配るいわゆるヘリコプターマネーが含まれている。米国では既に法案が議会を通りトランプ大統領によって署名され、1人あたり1,200ドル(所得制限あり)が配られることが決定している。

経済政策とデフレ

投資家として考えなければならないのはその経済的影響である。これまでどんな経済政策も先進国をデフレから脱却させることはできなかった。以下はアメリカの物価成長率である。

しかしその間中央銀行は紙幣を印刷し続けている。中央銀行が作り出した貨幣の合計、つまりマネタリーベースのチャートは次のようになっている。

マネタリーベースは1980年から25倍程度になっているが、中央銀行が作り出した貨幣の総量はそのまま銀行口座に入っているお金の総量ではない。市中の銀行もまた預金者の口座に入っているお金を別の人に貸すことによって同じお金を複数の人の口座に入れ、口座残高の合計を増やすことができるからである。

銀行の増やしたお金も含めた世の中にあるお金の総量をマネーストック(マネーサプライ)と呼ぶが、このマネーストックの伸びは次のようになっている。

こちらが口座残高の実態に近い数字であり、1980年から10倍程度というところである。

つまり、マネタリーベースを増やしてもマネーストックはそれほど増えていないということになる。中央銀行が刷ったお金が現金として銀行口座の中に入っていないということである。

では何処に行ったのかと言えば、それは株式市場や不動産市場、債券市場などに行ったのである。消費に使うための銀行口座にそのお金はなく、お金があっても使わないので投資に回されているということである。これがこれまで金融緩和がインフレをもたらさなかった理由である。

何故消費に回らないのか

世の中の多くの人々はこの現象に首を傾げるかもしれない。中央銀行がお金を刷ってくれているのに誰もお金を使わないのはどういうことか。中央銀行が好き勝手に紙幣を印刷してもハイパーインフレにならなかった理由がそこにある。それは貧富の差である。

政治家と中央銀行家は経済活性化のためと言いながら、実際には所得の移転装置に過ぎない量的緩和を長年行なってきた。中央銀行による資産買い入れは資産を持っていない人から持っている人に所得を移転する政策である。紙幣印刷はそれ自体では実体経済に影響を及ぼさず、単にその影響を受ける人の口座残高を増やすだけの政策なのだから、それは単に所得を移転する装置に過ぎないのである。

大変奇妙なのは、そういう政策が資産をほとんど持っていない人々に支持されたことである。それはさておき、それがハイパーインフレに繋がらなかったのは、ドラッケンミラー氏が指摘する理由を除けば資産を持っている層が資産を使わない人々だからである。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

富裕層の消費性向

富裕層は基本的にお金を使わない。金額で言えば中間層より大きい消費をしているかもしれないが、それでも彼らの資産総額のごく一部を使っているに過ぎない。そのほとんどは投資に回されており、消費には回されていないのである。

たまには絵画やヴァイオリンなどを買うかもしれないが、それも消費されるものではない。資産が別の資産に入れ替わるだけのことである。ところで彼らは何故ヴァイオリンを買うのだろう。わたしの知っているヴァイオリン保有者のほとんどはヴァイオリンを弾けない人々である。

ともかく彼らのお金のほとんどは投資に回され、消費に使われることがない。彼らは自分でも何故自分が口座残高を増やし続けているのかが分からないのだが、たまに絵画などを買ってみてもその不思議な問題に片がつくことはない。それはともかく、結果として中央銀行の印刷し続けた紙幣はインフレにそれほど影響を与えてこなかった。それは証券口座内の数字としてだけ立派に存在し、お金を儲ける能力はそこそこあった人々の自尊心をくすぐる程度の役にしか立っていなかったのである。

ヘリコプターマネーと物価上昇

しかしマネタリーベースの上昇がインフレの上昇に繋がらなかった理由がこうした貧富の差によるものであるならば、ヘリコプターマネーは別の話ということになる。何故ならば、それは貧困層や中間層に直接現金を渡すからである。

彼らは少なくとも富裕層よりはお金を消費に回しやすい人々である。そうなればいよいよ紙幣印刷はインフレをもたらすのだろうか? ガンドラック氏によれば、そうはならないということになる。

•ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判


理論上、借金漬けの消費者にヘリコプターマネーを行なっても借金返済に使うだけだ。

しかしこれはアメリカの話である。アメリカ人はクレジットカードの仕組みを理解するだけの頭がないので、彼らはクレジットカードの支払い額を全額支払える場合にも一部だけを支払って残りを来月に残してしまう。経済学的には意味が分からないが、筆者はこういうアメリカ人に多数出会ったことがある。金利の利払いが馬鹿にならないということが分からないのである。

ともかく、こうしてアメリカではクレジットカードの支払いというローンを抱えている人が多いのである。

では日本ではどうだろうか? 日本人はアメリカ人ほど借金をしていない。彼らは消費に使うだろうか? 貯蓄に回すかもしれない。しかしそれはヘリコプターマネーが1回きりであればの話である。

かつては非伝統的手段と呼ばれていた量的緩和もついに無制限ということになったように、ヘリコプターマネーも今後10年で無制限にならないとは言い切れないのである。

•米国、量的緩和の無制限化を発表も米国株は下落

正気の沙汰とは思えないが、正気の沙汰ではないからこそあらゆるシナリオを分け隔てなく検討してゆく必要がある。

今回の新型コロナウィルスによるヘリコプターマネーはその前哨戦として経済学的に興味深い実験となるだろう。インフレになるだろうか、デフレになるだろうか? 特に閉鎖措置の影響で工場が閉まるなど供給側に制限がかかっている状態で需要を無理矢理喚起するということを念頭に置かなければならない。それでもデフレになるのだろうか?

どちらに転んでも儲ける方法のある投資家だからこそ余裕でいられるが、ほとんどの国民にとっては自分の人生をサイコロにされているようなものなのだが、量的緩和でも気にしなかった人々がそれを気にすることはないのだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c5

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
255. 中川隆[-13171] koaQ7Jey 2020年3月31日 09:23:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1735]

ヘリコプターマネーはインフレをもたらすか2020年3月31日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767

新型コロナウィルスの世界的流行によって各国政府は経済対策を考えているが、その中には国民に直接現金を配るいわゆるヘリコプターマネーが含まれている。米国では既に法案が議会を通りトランプ大統領によって署名され、1人あたり1,200ドル(所得制限あり)が配られることが決定している。

経済政策とデフレ

投資家として考えなければならないのはその経済的影響である。これまでどんな経済政策も先進国をデフレから脱却させることはできなかった。以下はアメリカの物価成長率である。

しかしその間中央銀行は紙幣を印刷し続けている。中央銀行が作り出した貨幣の合計、つまりマネタリーベースのチャートは次のようになっている。

マネタリーベースは1980年から25倍程度になっているが、中央銀行が作り出した貨幣の総量はそのまま銀行口座に入っているお金の総量ではない。市中の銀行もまた預金者の口座に入っているお金を別の人に貸すことによって同じお金を複数の人の口座に入れ、口座残高の合計を増やすことができるからである。

銀行の増やしたお金も含めた世の中にあるお金の総量をマネーストック(マネーサプライ)と呼ぶが、このマネーストックの伸びは次のようになっている。

こちらが口座残高の実態に近い数字であり、1980年から10倍程度というところである。

つまり、マネタリーベースを増やしてもマネーストックはそれほど増えていないということになる。中央銀行が刷ったお金が現金として銀行口座の中に入っていないということである。

では何処に行ったのかと言えば、それは株式市場や不動産市場、債券市場などに行ったのである。消費に使うための銀行口座にそのお金はなく、お金があっても使わないので投資に回されているということである。これがこれまで金融緩和がインフレをもたらさなかった理由である。

何故消費に回らないのか

世の中の多くの人々はこの現象に首を傾げるかもしれない。中央銀行がお金を刷ってくれているのに誰もお金を使わないのはどういうことか。中央銀行が好き勝手に紙幣を印刷してもハイパーインフレにならなかった理由がそこにある。それは貧富の差である。

政治家と中央銀行家は経済活性化のためと言いながら、実際には所得の移転装置に過ぎない量的緩和を長年行なってきた。中央銀行による資産買い入れは資産を持っていない人から持っている人に所得を移転する政策である。紙幣印刷はそれ自体では実体経済に影響を及ぼさず、単にその影響を受ける人の口座残高を増やすだけの政策なのだから、それは単に所得を移転する装置に過ぎないのである。

大変奇妙なのは、そういう政策が資産をほとんど持っていない人々に支持されたことである。それはさておき、それがハイパーインフレに繋がらなかったのは、ドラッケンミラー氏が指摘する理由を除けば資産を持っている層が資産を使わない人々だからである。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

富裕層の消費性向

富裕層は基本的にお金を使わない。金額で言えば中間層より大きい消費をしているかもしれないが、それでも彼らの資産総額のごく一部を使っているに過ぎない。そのほとんどは投資に回されており、消費には回されていないのである。

たまには絵画やヴァイオリンなどを買うかもしれないが、それも消費されるものではない。資産が別の資産に入れ替わるだけのことである。ところで彼らは何故ヴァイオリンを買うのだろう。わたしの知っているヴァイオリン保有者のほとんどはヴァイオリンを弾けない人々である。

ともかく彼らのお金のほとんどは投資に回され、消費に使われることがない。彼らは自分でも何故自分が口座残高を増やし続けているのかが分からないのだが、たまに絵画などを買ってみてもその不思議な問題に片がつくことはない。それはともかく、結果として中央銀行の印刷し続けた紙幣はインフレにそれほど影響を与えてこなかった。それは証券口座内の数字としてだけ立派に存在し、お金を儲ける能力はそこそこあった人々の自尊心をくすぐる程度の役にしか立っていなかったのである。

ヘリコプターマネーと物価上昇

しかしマネタリーベースの上昇がインフレの上昇に繋がらなかった理由がこうした貧富の差によるものであるならば、ヘリコプターマネーは別の話ということになる。何故ならば、それは貧困層や中間層に直接現金を渡すからである。

彼らは少なくとも富裕層よりはお金を消費に回しやすい人々である。そうなればいよいよ紙幣印刷はインフレをもたらすのだろうか? ガンドラック氏によれば、そうはならないということになる。

•ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判


理論上、借金漬けの消費者にヘリコプターマネーを行なっても借金返済に使うだけだ。

しかしこれはアメリカの話である。アメリカ人はクレジットカードの仕組みを理解するだけの頭がないので、彼らはクレジットカードの支払い額を全額支払える場合にも一部だけを支払って残りを来月に残してしまう。経済学的には意味が分からないが、筆者はこういうアメリカ人に多数出会ったことがある。金利の利払いが馬鹿にならないということが分からないのである。

ともかく、こうしてアメリカではクレジットカードの支払いというローンを抱えている人が多いのである。

では日本ではどうだろうか? 日本人はアメリカ人ほど借金をしていない。彼らは消費に使うだろうか? 貯蓄に回すかもしれない。しかしそれはヘリコプターマネーが1回きりであればの話である。

かつては非伝統的手段と呼ばれていた量的緩和もついに無制限ということになったように、ヘリコプターマネーも今後10年で無制限にならないとは言い切れないのである。

•米国、量的緩和の無制限化を発表も米国株は下落

正気の沙汰とは思えないが、正気の沙汰ではないからこそあらゆるシナリオを分け隔てなく検討してゆく必要がある。

今回の新型コロナウィルスによるヘリコプターマネーはその前哨戦として経済学的に興味深い実験となるだろう。インフレになるだろうか、デフレになるだろうか? 特に閉鎖措置の影響で工場が閉まるなど供給側に制限がかかっている状態で需要を無理矢理喚起するということを念頭に置かなければならない。それでもデフレになるのだろうか?

どちらに転んでも儲ける方法のある投資家だからこそ余裕でいられるが、ほとんどの国民にとっては自分の人生をサイコロにされているようなものなのだが、量的緩和でも気にしなかった人々がそれを気にすることはないのだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9767
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c255

[近代史3] アメリカの医療費は何故常識では考えられない程高額なのか? 中川隆
9. 中川隆[-13170] koaQ7Jey 2020年3月31日 09:59:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1736]
米コロナ拡大の裏で取り残される医療弱者
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19175


無保険者は2750万人

 感染者がついに10万人を超え、全米で20以上の州が外出禁止措置を取るなど、まさに国を挙げてのパニック状態に陥っている米国。特に被害が甚大なニューヨーク州では医療崩壊が始まりつつある。しかし、それでも病院で治療を受けられる人々は幸せで、国民の中には高い医療費を恐れて症状があるにもかかわらず自宅に籠もる人々が一定数いると推定されている。

 米国で医療保険を持たない人の数は2750万人。さらに不法移民が数百万人単位で存在する。これらの人々は、米国の医療制度から弾き出された存在だ。実際に筆者の身近にもガンを発病したが治療費が支払えず、治療をやめて亡くなった人もおり、こうした医療弱者の存在はかねてから米国が抱える大きな問題の一つだった。
 
しかもコロナウィルスの拡大による企業の雇い止めなどで職を失い、雇用主を通しての健康保険を失った人々もいる。カリフォルニア州だけで3月末現在失業保険の申請数は300万を超えているのだ。

 もちろん、病状があるにもかかわらずカウントされない人々が増えれば、そこから新たなクラスターが生じる可能性があるため、米医療従事者組合などでは「無保険だからといって病院が対応を変えることはない。同じ治療を受けられるので、症状がある人は検査を受け、受診してほしい」と呼びかけている。

 しかしそれは簡単なことではない。政府のガイドラインでは、疑わしい症状がある場合、まずかかりつけ医に相談し、そこから検査に該当するかどうかを判断する、としている。かかりつけ医というのは一般的に保険会社の契約に基づき、利用者が自宅や勤務先から近い、などの条件を満たす医師を保険会社のリストから選ぶシステムになっている。つまりどの保険会社と契約しているかによって選べる医師の数にも違いが出る。無保険者がこうしたかかりつけ医を持っている可能性は非常に低い。

 無保険の人々が重篤な怪我や病を発症した場合、最も多く使われるのがER、病院の救急診療部門だ。非常性からERでは無保険者を拒絶することは少なく、支払いに関しては後に病院のソーシャルワーカーと相談することが出来る。減額、ローンなどの措置が取られることも多いし、もし州が定める貧困層の所得の132%以下であれば政府が提供する貧困層向けの無料の医療保険に申請してもらえることもある。
 ただし今回のウィルスについては、感染拡大を防止するため、各医療機関のERはウィルス感染の疑いのある患者を受け入れていない。隔離病棟などのある専門病院での受診が必要となる。無保険者にとっては八方塞がりの状況だ。

 もちろん各自治体はホットラインを設け、自分がウィルス感染しているのではないか、と恐れる人々の相談に乗っているし、CDCをはじめスマホなどでセルフチェックできるウェブサイトを提供している企業も多い。しかし問題はそうした相談やチェックを行った上でウィルス感染が相当に疑わしい、と感じられる人々が、その先の助けをどこに求めるかということだ。

 この事態を受け、アフォーダブル・ケア・アクト(以前のオバマケア)では「今からでも、一時的にでも、健康保険への加入」を勧めている。しかしこれも結構曲者で、米国の場合は民間の保険会社が様々なプランを提供しているため、選択が非常に難しい。保険料が安いものは自己負担率が高い、コロナウィルスのような感染症は除外する、など細かい規定がある。しかしすべてをカバーするような保険となると、月々の保険料が2000ドルを超えるものも珍しくない。どちらを取っても低所得者にはハードルが高すぎる

無保険者が罹患すると費用はいくらかかるのか?

 では、無保険者がコロナウィルスに罹患した場合、一体どれくらいの費用がかかるのか。実際にマサチューセッツ州であったケースで、検査、入院、治療を経て無事に退院できた女性に突きつけられた請求書は3万4000ドル以上だったという。また保険を持っていても、色々な項目がカバーされない安い保険だった男性のケースでは2万ドルが請求された。

 治療は受けたが治療費は支払えない患者が増えると、今度は病院が財政破綻する危険性がある。米国ではすでに医療従事者40名が亡くなっており、現場は悲惨な状況だ。医師看護師が不足し、医療機器も不足している。そんな中で医療を継続させるためには、給与を上げるなどのモチベーションが必要となる。政府による抜本的な医療改革が起きない限り、米国の医療崩壊は防げないだろう。

 大統領選挙に立候補中のバーニー・サンダース氏は緊急の記者会見を開き、「コロナウィルスにかかる検査、入院治療のすべてを無償化する」「医療現場の危機を回避するために、政府が全力を尽くして医療機器の補充、人員の確保に務める」「企業の倒産阻止、便乗値上げなどを監視する上位機関の設立」などを訴えた。

 国民皆保険制度に懐疑的だった人々も、まさに想定外の今回の事態に直面し、その重要性を考慮する時期が来ている。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/254.html#c9

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
6. 中川隆[-13169] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:02:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。


2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c6

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
7. 中川隆[-13168] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:26:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c7

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
4. 中川隆[-13167] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:26:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。

2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c4

[近代史3] チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった 中川隆
26. 中川隆[-13166] koaQ7Jey 2020年3月31日 12:29:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。

2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html#c26

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
305. 中川隆[-13165] koaQ7Jey 2020年3月31日 14:02:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]
2020年03月31日
コロナで戦後最悪の自動車不況、自動車メーカーの多くが倒産する


全ての自動車メーカーが危機に陥る可能性があり、安全な会社は1社もない

画像引用:米の有名メディアが報じた優秀な自動車メーカーランキング【1位はなんとあのメーカー!?】 | Car Talkhttp://cartalk.tokyo/archives/5003

戦後最悪の自動車不況の可能性

リーマンショックの時アメリカ経済は終わったとかドルは紙切れになると言われたが、今もアメリカは超大国の地位にある。

新型コロナウイルスが世界経済に大打撃を与えているのはアメリカが打撃を受けたからで、中国やイタリアがどうなっても世界経済は混乱しない。

そのアメリカで3月の米新車販売は専門誌が前年比37%減と予想し、4月は50%以上減少を予想している。


今後急激にコロナが終息しない限り4月以降の新車販売は半減するので、2020年通年でも半減に近い数字が予想されます。

2019年の新車販売は1705万台だったので2020年は1000万台確保がやっとになり、1000万台を割り込むかも知れません。

中国は2月の新車販売が89%減少で3月も同じ程度、4月以降回復しても通年ではやはり半減でしょう。


日本の2月新車販売は前年比10%減だがその後感染者が増えたので3月の減少幅は拡大しているでしょう。

欧州は20年のEU新車販売を最大17%と見込んでいるが、甘すぎる予想と言わざるを得ない。

既に欧州の全ての自動車工場は生産停止か事実上操業不能に陥っていて、欧州で自動車を生産していません。


このように見渡すと2020年の世界自動車販売は主要先進国と中国が半減し、新興国も景気減速で大幅縮小する。

今までの世界自動車販売は2017年頃の9700万台だったので、全世界の国で半減すれば最悪の場合5000万台まで減少する。

1年でこれほど自動車販売が減少した事は無く、リーマンショックの2009年でも米国新車販売は1000万台以上だった。

世界の自動車メーカーの多くが経営危機

トヨタは資金不足に対処するためさっそく銀行から1兆円を借りたが、ほかのメーカーはそんなに簡単に現金を用意できない。

深刻な危機に見舞われるのは日産で、欧州と中国とアメリカのほとんどの工場が停止になり長引けば売り上げも半減以下になる。

もともと深刻な経営危機だったので資金不足に陥り、最悪の場合は再び倒産危機に見舞われる。


親会社のルノーも深刻な経営危機に陥っていて、フランス政府の国有化か他社に身売りする事になる。

日産買収に名乗りを上げたと報道されたホンダも4輪部門が赤字で、自社の存続を図るのが手いっぱいになる。

確実に経営破綻すると思われるのが米ビッグ3で、利益の大半はアメリカ向けピックアップトラックが挙げていた。


ピックアップトラックが売れなくなったらGM、フォード、クライスラーはまた政府支援を仰ぐことになる。

この数年世界販売台数首位だったVWは中国での生産が30%も占め、残りの多くは欧州での販売だった。

主要市場すべてコロナで壊滅したので、コロナが長引くと1年後にVWは存在していないかも知れない。


排ガス騒動の時資金確保のためポルシェやドカティ売却が検討されたが、今度は恐らく本当になる。

リーマンショック以降の10年間で富裕層向けの「バブルカー」が売れまくったが幸福な時代は終わった。

フェラーリ、ロールス、ランボルギーニ、マクラーレンなどは今のうちに身売り先を探したほうが良い。


主要国の販売が半減になれば世界の自動車メーカーの半分が倒産や国有化、身売りや分割することになる。
http://www.thutmosev.com/archives/82580040.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c305

[リバイバル3] 小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される 中川隆
3. 中川隆[-13164] koaQ7Jey 2020年3月31日 14:02:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]
2020年03月31日
コロナで戦後最悪の自動車不況、自動車メーカーの多くが倒産する


全ての自動車メーカーが危機に陥る可能性があり、安全な会社は1社もない

画像引用:米の有名メディアが報じた優秀な自動車メーカーランキング【1位はなんとあのメーカー!?】 | Car Talkhttp://cartalk.tokyo/archives/5003

戦後最悪の自動車不況の可能性

リーマンショックの時アメリカ経済は終わったとかドルは紙切れになると言われたが、今もアメリカは超大国の地位にある。

新型コロナウイルスが世界経済に大打撃を与えているのはアメリカが打撃を受けたからで、中国やイタリアがどうなっても世界経済は混乱しない。

そのアメリカで3月の米新車販売は専門誌が前年比37%減と予想し、4月は50%以上減少を予想している。


今後急激にコロナが終息しない限り4月以降の新車販売は半減するので、2020年通年でも半減に近い数字が予想されます。

2019年の新車販売は1705万台だったので2020年は1000万台確保がやっとになり、1000万台を割り込むかも知れません。

中国は2月の新車販売が89%減少で3月も同じ程度、4月以降回復しても通年ではやはり半減でしょう。


日本の2月新車販売は前年比10%減だがその後感染者が増えたので3月の減少幅は拡大しているでしょう。

欧州は20年のEU新車販売を最大17%と見込んでいるが、甘すぎる予想と言わざるを得ない。

既に欧州の全ての自動車工場は生産停止か事実上操業不能に陥っていて、欧州で自動車を生産していません。


このように見渡すと2020年の世界自動車販売は主要先進国と中国が半減し、新興国も景気減速で大幅縮小する。

今までの世界自動車販売は2017年頃の9700万台だったので、全世界の国で半減すれば最悪の場合5000万台まで減少する。

1年でこれほど自動車販売が減少した事は無く、リーマンショックの2009年でも米国新車販売は1000万台以上だった。

世界の自動車メーカーの多くが経営危機

トヨタは資金不足に対処するためさっそく銀行から1兆円を借りたが、ほかのメーカーはそんなに簡単に現金を用意できない。

深刻な危機に見舞われるのは日産で、欧州と中国とアメリカのほとんどの工場が停止になり長引けば売り上げも半減以下になる。

もともと深刻な経営危機だったので資金不足に陥り、最悪の場合は再び倒産危機に見舞われる。


親会社のルノーも深刻な経営危機に陥っていて、フランス政府の国有化か他社に身売りする事になる。

日産買収に名乗りを上げたと報道されたホンダも4輪部門が赤字で、自社の存続を図るのが手いっぱいになる。

確実に経営破綻すると思われるのが米ビッグ3で、利益の大半はアメリカ向けピックアップトラックが挙げていた。


ピックアップトラックが売れなくなったらGM、フォード、クライスラーはまた政府支援を仰ぐことになる。

この数年世界販売台数首位だったVWは中国での生産が30%も占め、残りの多くは欧州での販売だった。

主要市場すべてコロナで壊滅したので、コロナが長引くと1年後にVWは存在していないかも知れない。


排ガス騒動の時資金確保のためポルシェやドカティ売却が検討されたが、今度は恐らく本当になる。

リーマンショック以降の10年間で富裕層向けの「バブルカー」が売れまくったが幸福な時代は終わった。

フェラーリ、ロールス、ランボルギーニ、マクラーレンなどは今のうちに身売り先を探したほうが良い。


主要国の販売が半減になれば世界の自動車メーカーの半分が倒産や国有化、身売りや分割することになる。
http://www.thutmosev.com/archives/82580040.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html#c3

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
87. 中川隆[-13163] koaQ7Jey 2020年3月31日 16:28:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]
秋篠宮さまが遠ざける「旧東宮職」「外務省」職員 両陛下との比較をご懸念で
週刊新潮 2020年3月26日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/03310801/?all=1

 昨年8月、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、ブータンへ私的旅行をされた。そこで露わになったのは、秋篠宮さまのこんな“ご姿勢”だった。

【写真】眞子さま、佳子さま 姉妹でオーケストラをご鑑賞

「ご訪問について、報道されるまで外務省には何も伝わっておらず、ひと騒動ありました。ちょうど同じ時期、インドのモディ首相もブータンを公式訪問しており、先方に“ダブルブッキング”の負担をかける形となってしまった。あらかじめ外務省を通せば、こうした不手際は未然に防げたはずで、図らずも秋篠宮さまと外務省との“距離”が露呈してしまったのです」(宮内庁関係者)

 何しろ、秋篠宮さまはこれまでも、

「日頃から『外務省出身の人を(皇嗣職に)配属してほしくない』と仰り、遠ざける姿勢を見せられてきた。それとともに、旧東宮職出身の職員も、頑なに受け入れを拒んでこられました。外務省は皇后陛下のご出身でもあり、東宮時代から幹部に出身者が多かった。また東宮職の経験者は、皇嗣家にとって貴重なノウハウを持ち合わせており、本来であれば大いに重用すべきなのですが、殿下はそれもなさりませんでした」(同)

 というのも、

「旧東宮職の職員を登用すれば、何かにつけご自身や妃殿下のお振る舞いが両陛下と比較されてしまう。さらには、そうしたご様子が先方に漏れてしまうのではないか。秋篠宮殿下はそうご懸念されているといいます。さらに外務省出身者に関しては、殿下にとって『両陛下のお身内』と映っている。彼らの前では、ご自身の一挙手一投足が“ガラス張り”にされるようなご心境だというのです」(同)

 あるいは旧東宮職や外務省の人間は「スパイ」に見えてしまうのか――。それでも先日、思わぬ動きがあった。皇嗣職発足以来、初めて宮務官に外務省職員が採用されたのである。

「1月14日付の辞令で、ナミビア大使館参事官の女性が出向となりました。実は、あまりに宮務官の入れ替わりが激しいため、御代替わり後しばらくして宮内庁側から外務省に『誰か捻出できないか』との打診をしていたのです」(同)

 散々疎んじてきた相手を巻き込まざるを得ないほど、お住まいは混迷を深めているというわけである。

「むろん、年明けに警察庁出身の宮務官が退任することも想定していました。背に腹は代えられず、屋台骨がこれ以上きしまないよう、宮内庁としても苦肉の策だったのです」(同)

 もっとも旧東宮職出身者だけは、いまだに幹部登用されていない。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。

「秋篠宮家は、成年皇族が多くご公務が集中している上に、将来のお世継ぎである悠仁さまもおられるのに、人手が足りず職員の出入りが激しいといいます。おのずと仕事量も増え“お仕えするなら他の家へ”と願う職員も少なくないと聞きますが、現在は立皇嗣の礼を前に多忙を極めており、この状況を改善できるよう、宮内庁が配慮していかなければなりません」

 皇位継承順位1位であると内外に宣明される儀式まで、およそ1カ月である。

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/03310801/?all=1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c87

[番外地7] 大西つねきさんや山本太郎さんの政策が絶対に上手く行かない理由 中川隆
5. 中川隆[-13162] koaQ7Jey 2020年3月31日 17:10:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]
「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
自民党では経済改革ができない理由 2019/07/07
https://www.youtube.com/watch?v=Pj_j09RqO1g&feature=emb_title

「MMT(現代貨幣理論)」は最近話題ですが、根本的に物事を解決するわけではありません。今の金融システムの矛盾を維持したまま、それを続けるための詭弁です。

2019.4.29「MMT(現代貨幣理論)について」大西つねきの週刊動画コラムvol.76
https://www.youtube.com/watch?v=Q4v-i302ImQ

2019.5.13「MMT(現代貨幣理論)の前に理解すべきこと」大西つねきの週刊動画コラムvol.78
https://www.youtube.com/watch?v=3LgjRt8kEz4
https://www.youtube.com/watch?v=hdCXNW_YV7g

なぜ今、MMT(現代貨幣理論)なのか? 白崎一裕×大西つねき緊急対談ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=zCROccYD64A

「金融資本主義支配と搾取の構造」2018.5.16 講演会@目黒 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PLJJCm-3JOM
https://www.youtube.com/watch?v=_MlPsobgjGg

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
https://www.youtube.com/watch?v=k3o7lDbmCnE&feature=emb_title

資本主義の仕組みは既に破綻している:

資本主義経済を動かしているのは貸した金にかける利子、国債・企業債の利子、株の配当金と貸した土地の地代・貸家にかかる家賃で、
利子・配当金・地代・家賃が巨大投資家だけに集まるから貧富の差が生じ、階級社会になる。
これでは農奴の時代、小作人を搾取していた時代と何も変わらない。

特に国際金融資本や大資本家の利益に一番貢献しているのが政府の発行する国債

MMT論者が薦めている大量の赤字国債発行は階級社会を完成する事になる。

格差が無いまともな経済に戻すには

・国債ではなく政府紙幣を発行する
・輸出依存経済からの脱却
・人材派遣会社、鉄道、電気・ガス会社、郵便局、病院、学校等のインフラは公営化する
・高速道路無料化
・子供一人当たり月5万円の子育て資金を出す、大学までの教育費を無料にする
・ベーシックインカム
・土地を公有化する

という社会主義に近い経済体制にするしかない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/564.html#c5

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
8. 中川隆[-13161] koaQ7Jey 2020年3月31日 17:17:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]

なぜ今、MMT(現代貨幣理論)なのか? 白崎一裕×大西つねき緊急対談ライブ





なぜ今、MMT(現代貨幣理論)なのか?
白崎一裕×大西つねき緊急対談ライブ

2019年6月22日 · 講演録

大西 じゃ、そろそろ始めますかね。無駄話をずーっと続けてもしょうがない、ずーっとこのままいっちゃうんで。
白崎 やりましょう。
大西 ということで、すっかり皆さんリラックスされたところで、皆さん、改めましてこんにちは。
白崎 こんにちは。
大西 ありがとうございます、日曜日にこんなに集まっていただきまして。しかもMMTという、そういう題材でね。僕は、でも、これはすごく明るい兆しだと思っていて、こういうMMTみたいな、普通の人、多分1年前だったら誰も見向きもしないような、そんなテーマにこんだけの人たちが興味を持って集まってくださるということは、本当に世の中変わりだしたなというふうに思ってます。今日は、MMTとは何なのかということ、それから、そもそもMMTを知る前に絶対に知らなければいけない今のお金の発行の仕組み、それももちろん説明して、今いわれてるMMTっていうのは必ずしも完全なものではないというか、そのまんまそれでいいという話ではないんですけど、そこに取っかかりがあると。そこから先に明るい未来が見えるということをちょっと受け取っていただいて、明るい気持ちになって、希望があるということを知って帰っていただけたらなというふうに思います。ということで、改めてご紹介したいと思います。白崎一裕さんです。
会場 (拍手)
大西 白崎さんは今年『負債の網』というエレン・ブラウンさんの、ここにある本ですね、これを翻訳出版されまして。これも結局、本当の意味でのまともな通貨議論には日本にはないし、そういう書籍も少ないということで、ものすごい大変だったと思うんですけど、
白崎 大変でした。(笑)。
大西 出版されたということで。前もやったことあるんですけど、白崎さんと2人の対談を。とにかく基本的にもうものすごくよくわかってらっしゃいますし、僕よりもはるかに勉強してらっしゃるので、
白崎 いえいえ。
大西 いろいろ僕も話を伺っていて学ぶことが多いと。僕なんかは結構、なるべく本当にわかりやすく話をしちゃうので、もっと深いところとか知りたい人には物足りない場合があるんで、今日は白崎さんに来ていただいて、今までの経緯とか、それから、『負債の網』にもあるような、今までの通貨の歴史的な経緯だったりとかっていうことも含めてお話をしながら、僕はどちらかというと聞き手に今日は回ろうかなと思って、
白崎 いや、そんなことない。
大西 来てます。
白崎 (笑)。そんなことない***。
大西 ということで、さっそく始めたいと、よろしいですか。
白崎 はい。
大西 僕の紹介いいですよね。大西つねきです。YouTuberです。
白崎 (笑)
大西 (笑)。最近。
会場 (拍手)
白崎 フェア党代表***。
大西 フェア党代表です、もちろん。フェア党代表のYouTuberです。ということで、さっそく始めますかね。
白崎 自己紹介、私、ほんじゃあ、いきます(?)。今ご紹介いただきました白崎と申します。日曜の午後にこれだけ集まっていただいて、ありがとうございます。私はベーシックインカム・実現を探る会っていうのを、十余年かな、やってますね。ちょうど「3.11」の前々の年ぐらいから始めて今日に至ってるわけですけれども。ちょっと宣伝、今日いっぱい宣伝して***。これ画像で逆だっていうクレームがきますから、人間がそっち、私がそっちのほうが本当はいい、(笑)、向き的にね。それだけ最初言っときます。余計なことを言って(笑)。ちょっと宣伝しますけど、入り口のところで、『ベーシックインカムは希望の原理か』ってフェミックスさんとこで出している私の書いた本、まあ共著なんですけど、が一つあります。それから、今「お金リテラシー入門」っていうのを、『We』っていうやっぱりフェミックスさんで出している雑誌、内容は何て言ったらいいのかな、フェミニズムなんですけど、ゆるフェミっていって、がちがちの戦う女だぜみたいな、そう言うと怒られるのか、(笑)、そういうのとちょっと違いますから。もうちょっといろんな多様性のある雑誌なんですけど、そこで「お金リテラシー入門」っていうやつ、これも4年ぐらい書いてるんです。偉そうにお金リテラシーなんて書いてますけど、入門するのは私が入門するんで。私の入門のために書いてるということで、それこそお金の発行の仕組みから、国の政治のあり方から、ありとあらゆることをエッセイにして書いて、いずれ本にするつもりですけども、それがありますので、ぜひ皆さんお買い求め、今日は3点セットで安くなってるらしいので、お買い求めください。あと、ベーシックインカムのは、これは自分で言うのも何ですけど、ここに出てくる山森さんとか小沢さんとか堅田さんっていうメンバーは日本でベーシックインカムを広げた立役者の学者さんたちで、これだけ一遍にインタビューっていう、それから対談もありますけども、そろっている本ってあんまりないと思うので、ぜひお買い求めいただけたらと思います。それがちょっと宣伝です。あと、お手元に資料で、今日何にもないと愛想ないと思ったんで、この『負債の網』を書いたエレン・ブラウンっていう人がMMTについて書いたエッセイが、訳者の早川くんに訳してもらってプリントアウトしてきました。これネットにもう一応上げてはありますけれども、文字化したものがあるので、今日の内容そのままですから、ちょっとご覧になっていただけたらと思います。ただし、ちょっとやっぱり難しいんですよね。ちょっと難しいので、その内容にも、できたら今日少しふれたらと思います。それで、若干自己紹介をすると、今日のこの2人の対談ってすごい意味があると思うんですね。どういう意味があるかっていうと、私はベーシックインカム、お金の問題をやり始めてから、地域通貨っていうのも栃木の県北で始めてから大体もう20年近くたつんですけれども、今まで商売というか自分のなりわいは7回転職してるんです、大学っていうとこを一応出てから。今度は出版社で、もうすぐ私60になりますけど、7度目の転職で。大体、会社って5000円でつぶれるってよくいうんですね、資金繰りって。そういう綱渡りで何とか今まで生き残ってきたのかな、まあ何とかやってきたっていう人間です。かたや大西さんは今日のこの肩書き見ると、JPモルガン元為替トレーダーで、僕が5000円でつぶれる会社をやってたとしたら、大西さんのやつよく聞くと、1本いくらでしたっけ?
大西 1本?為替市場で?
白崎 うん。
大西 1本100万ドルですね。
白崎 100万ドルっていくらでした?
大西 100万で1億数千万ですけど。
白崎 (笑)。ね?
大西 1本はポッキー1本ぐらいの感覚です。大体10本単位でやるんで、1000万ドル単位ですね。
白崎 だからそれがね、
大西 (笑)
白崎 いっつも大西さんの話聞くと胸が胸焼けするんですよ。私のやってる会社、今、出版社もそうですけど、例えばAmazonで売れるっていったって月10万とか20万の売り上げなんですね、せいぜい。樹木希林さんの本みたいなのは別ですよ。ああいうのは別だ。普通、大体そんなもんだよ、専門書ってね。だけど大西さんの今の話聞いてると、1本(笑)、
大西 (笑)
白崎 何億ってやつなんですよ。この両極にいる2人が、でもやっぱお金の仕組み何か変だよねっていうことをずーっと追求してきて、多分、大西さんと私っていうのは、そういう意味では重なるところは全くなかったと思うんですけど、このいわゆる通貨、お金の、これからお話しすることを巡って出会って、それで、ここで一緒に***偉そうにしゃべってるということになるっていう。これ、極めて今の日本の実情を実はよく表していると思います。もう一つ自己紹介しとくと、私は、だから、ベーシックインカムを市民運動としてやってきてるんですけれども、経済の専門家でも経済学者でも何でもないです。
大西 そこはおっきいですよね。
白崎 そう。そこはおっきい。
大西 逆に専門家この話しないんですよ、なぜか。
白崎 (笑)
大西 よく中小企業の方とか、そういう、やってる方がずーっとおかしいと思ってたっていう方が結構多いです。
白崎 だから中小企業の、私、今の地元、栃木県の大田原市という小さい街ですけど、商工会とかで行って、意外に資金繰りで苦労している街のおやじさん、おばさんのほうがぴんとくるものがありますね。で、
大西 僕も1枚1000円のピザ売ってましたけど、(笑)
白崎 (笑)
大西 自分で。
白崎 そうですよね、ピザ屋さんをやってましたよね。だから、その意味、お金って何だろうっていうことをいよいよ皆さんも考えだしたのかなあというところが今日の皮切りで、まさにその市民運動とか社会運動、あるいは大西さん的な(?)政治運動として考えたときに、この通貨、MMT、あるいは通貨改革って何だろう、僕たちにとって、私たちにとって何だろうっていうことを皆さんと今日共有できたらなというふうに思います。それが前置きで。
大西 じゃあ。
(00:25:06)【MMTが広がった背景 @通貨発行問題の政治化】
白崎 今日のメインのMMTというやつなんですけど、MMTって、今日、ご存じの方どれぐらいいらしゃる?手挙げていただいていいですか。
大西 かなり詳しく知ってるぞって方、どのぐらいいらっしゃいます?
白崎 (笑)
大西 多いです。(笑)。すごいです。
白崎 すごい、すごい。でも、かなり皆さんやっぱりご存じですよね。MMTって実は理論的にはもうそれこそ15年ぐらい前、20年ぐらい前からあるんですよね。だけど、いきなり出てきたっていうところで、その意味を、背景説明みたいなことを最初スライドを使ってやりたいと思います。MMTは、ここちょっと抜けちゃってますけど、何の略かっていうとModern Monetary Theory(モダンマネタリーセオリー)、英語の、それが元です。
大西 現代貨幣理論。
白崎 そのままですね。現代貨幣理論。直訳、そのままです。モダンマネタリーセオリー。これはいったい何なのかっていうことなんですけども、その話は今日の核心の一つになるんですが、これがいきなり広がった理由をちょっと背景説明しておきたいと思うんですけど、
大西 次いきます?
白崎 いやいや、ここでちょっと一つ。三つほど、まず最初に前振りだけしときますと、今、日本で反緊縮運動っていうのがちょっと広がっていて、さっきも大西さんと話してたんですけど、山本太郎さんのれいわ新選組っていう新しい***。あそこで言っていることは要するにもう反緊縮なんですね。反緊縮って何かっていうと、要するに政府が金を出し渋ってるんですね。渋り***。渋り***。
大西 だから、財源がないからできないっていう話ですね、要するにね。
白崎 っていうやつが、
大西 緊縮はね。
白崎 それがまず背景にあるんじゃないのかなっていうのが一つ。まだそれ結論じゃないですよ。まずそれが一つと、それから日本の場合は当然、皆さん、今度の選挙、参議院、衆議院同時選挙っていうのはなくなったっていってますけど、まだわかりませんけどね。(笑)。まあとにかく消費税の問題、今度10%になる。うちなんかすごい大きい問題ですよね。本の場合ですと大きくて、今日『負債の網』5000円ぽっきりで売るっていうことなんですけど(笑)、例えばあれが定価4800円なんですよ。あれ8%と10%全然違いますからね、雰囲気がね。そういうものがやっぱりもう頭の上に乗っかりつつあるこの緊迫感があるのかなというのが二つ目。なんですけど、今日お話ししたいこのMMTの背景にあるのは何かっていうと、実は、もう最初から結論言っちゃいますけど、通貨発行権が政治化しちゃって、今日のエレン・ブラウンの資料にあると思うんですけど、通貨発行権なるものが我々の政治的な課題にどーんと飛び出してきたということなんです。でも皆さん思いますよね、通貨発行権って何なの?って。あんまり聞かないですよね、通貨発行権って。
大西 だから、そういうことを言う政治家が1人でも出てきたっていうことは、その政治化なんですね、基本的にね。僕なんかが言ってても全然政治化にならないです。例えば山本太郎みたいな現職の国会議員が自分で旗を立ててそういうことを言いだすと、それが政治化するってことですね。
(00:28:48)【MMTが広がった背景 A『エンデの遺言』から地域通貨ブームへ】
白崎 じゃあ次いきましょう。結局その通貨発行権、実はお金の仕組みが政治化する前振りって、実は私はだいぶ前からあったと思います。それは一つは何かというと、私が始めた、私だけ始めたわけじゃないですけど(笑)、地域通貨ブームっていうのはちょうど2000年ぐらい、日本だとですよ。日本で2000年ぐらいにはやりだすんです、地域通貨。
大西 『エンデの遺言』***。
白崎 そう、『エンデの遺言』っていう本、NHKでやって、
大西 きっかけですね。
白崎 あれがきっかけなんですけど。あれはすごかったですよ。ちょうど私が地域通貨を、ナスタっていうのを栃木県のほうで始めたんですけど、その報告会をやりに、たまたまあのとき、さわやか福祉財団って皆さんご存じですか。堀田さんっていう検事さんがやってるさわやか福祉財団っていう財団法人***んですけど、そこでやっぱり地域通貨始めたんですよ。時間通貨っつったかな。みんなが介護した時間をお金に換算してやり取りする、簡単に言うとそういうことです。その集会を四谷の前の生協会館(現:主婦会館)の地下でやったんですけど、あそこに、あれワンフロア300人かな。で、アメリカからタイムダラーっていう、エドガー・カーンさんっていう学者さんを呼んで講演会を***ですけど、400人、500人、満杯ですよ、地域通貨のフォーラム。ものすごい熱気***。それ2004年か5年。
大西 一応、だから、背景説明、知らない方のために説明すると、『エンデの遺言』っていう有名なNHKのドキュメンタリーがあったんですよ。当時、エンデがNHKのドキュメンタリーのホストをやっていて。その取材のためにNHKのスタッフがミハエル・エンデのドイツの家に行ったときに、エンデが問わず語りに今のお金の発行の仕組みに関する問題に対してしゃべりだしたっていうことがあって、それをずーっとテープで撮ってて、そのミハエル・エンデはそのあとすぐ亡くなったときに、そのテープを元に『エンデの遺言』っていう有名なドキュメンタリーを作ったんです。今、もし興味があったらYouTubeでも見られると思いますので、見てみてください。それから、NHK出版から『エンデの遺言』っていう文庫本にもなってます。それは何を言ってるかっていうと、今のお金の仕組みの問題、お金はそもそも、ほかのものは時間とともに壊れたり腐ったりして減価していく、減っていくのにもかかわらず、お金だけ金利で増えてると。で、借金で発行されてる。それが結局大きな問題。彼の書いたエンデの『モモ』っていう童話がありますけれども、あれは結局今の金融システムを描いた、あれは童話でも何でもなくて、どっちかっていうと警告書なんですね。そのエンデだからこそ、そういう今のお金の仕組みに対する危機感があって、それをNHKスタッフに語ったとこからスタートしたのがその『エンデの遺言』。『エンデの遺言』の中ではいろいろ地域通貨の実例だったりとか、タイムダラーっていうのは時間とともにお金が減ってくとか、要するに逆の発想の地域通貨があるという、そういう実例がいろいろ書かれていて、それをきっかけに日本で地域通貨ブームが起きて、いろんな各地で、その地域でそういう地域通貨を作って、
白崎 すごい***ものを、
大西 そういうのをやっていた時代がちょうどその2000年ぐらい。
白崎 2000年から2005年か。うちが始めたのは2004年なんですけど、千葉の西千葉でピーナッツっていう地域通貨を始めてるわけです。そこで地域通貨サミット、全国サミット。これまた西千葉って行かれるとわかるんですけど、まあ何にもないとこですよ(笑)、総武線***ね。すーごい人集まって、もう一大イベントで、そのくらいブームになったんです。だから、実は今日のこの皆さんが集まった、皆さんのお顔を見ている真剣さと熱気に似たようなもの感じます。だから、やっぱり政治、もちろんいろんな課題があるんだけれども、何かおかしいよな、お金の問題っていう、その、
大西 根っこは一緒です。
白崎 はしりが出てきて。
大西 おかしいよっていうとこから、2000年ぐらいのときから地域通貨っていう方向性に向かった。
白崎 向かったんです。
大西 それで結局、でも地域通貨っていうのやっぱり難しいんです、いろんな意味でね。あえてそこはもう今日は説明しませんけども、それでひょろひょろっとなって。(笑)。
白崎 今でも地域通貨やってるとこありますけど、
大西 ありますけど。
白崎 うちの栃木県でも私がアドバイザーっていうか、ちょっとお手伝いして、益子市、益子町か、益子焼有名なとこですけど、益子でマシリン(?)だったかな、何か役所が主導して地域通貨始めました。(益子町の地域通貨「ましこスマイル通貨」)。おととしホームページすごい立派なのができてるんですけど、広がってるかどうかはちょっとね(笑)。
大西 まあそこら辺、もう地域通貨終わった話なんで、次のお話をいきましょ。(笑)。
(00:33:27)【MMTが広がった背景 Bリーマンショックからの流れ】
白崎 で、結局その背景があるということを押さえていただいて。連続でやっぱり起きてきてるんですけど、リーマンショックが。多分、そのリーマンショックというのは大西さんにとってみると大きな転機だったと思うんでけど、
大西 そうですね。もう完全に終わったと思いました、今の金融システム。
白崎 またその話はあとで出るかもしれませんけど、そのあとに、これも印象的なのが、Occupy Wall Streetっていう、ウォール街を占拠せよっていう、アメリカのニューヨークで起きた運動、これははやったんです。これは何がはやったかっていうと、スローガンが1%対99%***。これがすごいスローガンなんです。ここにグラフ書いてあるんですけど、これ、ネットから誰でも取れますけど、アメリカで1%の人間と99%の人間何が違うかっていうと、所得。ここに書いてあるの、平均家計所得1%バーサス99%平均家計所得ってことなんです。要するに、ものすごい格差が広がってるって、アメリカ、そういうことですよね。これに対して、私は面白いと思ったのは、単に格差が広がってるってデモをしたんじゃなくって、ウォール街っていう金融の、要するに、大西さんそこにいたんでしょうけど(笑)、中枢にデモを仕掛けた、占拠せよです。いうのは、やっぱり一つの私たちの意識の表れかなと思いました。これは日本でもやっぱ1%バーサス99%結構はやって、反貧困ネットワークっていうのはずーっと事業やってますけど、それの全国集会なんかしょっちゅうやってましたね。大はやり。で、次いきまひょか。(笑)。最近起きたやつ、これも象徴的なんですけど、フランスで、皆さんこれ報道でご存じだと思う。昨年11月ぐらいから、黄色いベスト運動。フランス人はデモが好きだってみんなよくいうんですけど、それにしてもすごい街。毎週末、毎週末。これ多分、写真は凱旋門が写ってますからシャンゼリゼ通りだと思うんですけど、の前に大勢の人が集まって黄色いベストを着て。表面的な運動の、その反対側いたマクロン政権、マクロン大統領の燃料税っていうガソリンに課税するという***ね。マクロンさんは要するに環境に優しい政治をするということになってますけど、そうなると何が問題かというと、フランスって要するにパリと地方の格差がすごい大きいんです。皆さん、映画でプロバンスの何とかって見たことあるかもしれないけど、きれいなああいうところばっかりだと思うかもしれませんけど、結構フランスの地方ってすさんでて、大変なんです。田舎行くとうちの栃木県と全く一緒で、車がないと暮らせない。公共交通機関がない。そうすると、おじいちゃんおばあちゃんも1台ずつ車持ってると。一家に4台とかね。そんなんなんですよ。それでみんな所得がなかなか伸びない中、そこにまた課税されちゃうと、金持ちはいいけど我々どうなるんだということで、いわゆるフランスのパリと地方の格差に重なって、貧困層と富裕層の格差も重なって、大きなデモは今でもやってるそうです。だんだん人数は減ってると言ってますけど、ずーっとやってます。この中で出たスローガンがポイントで、これ、フランス語読める方、誰か発音してください。(笑)。これ何て書いてあるかっていうと、そのままなんですけど、私たちは銀行に支配されてるって書いてます。これ、私すごい画期的なスローガンだと思いますよ。日本でさすがに、消費税反対のデモ行進ばんばんやったと思うんですけど、我々は銀行によって支配されてるっていうスローガン掲げてる個人の団体もないでしょうね?大西さん。(笑)。
大西 うん、ないですね。日本の銀行は今とんでもない、まあ過去もそうですよ、バブル期も日本の銀行がああいうわけのわかんない土地担保融資を散々やることによってバブルを作り出してる。バブルっていうのは不動産の話じゃなくて、何の実体的な裏づけのないお金を、ただ単に所得の移転である土地の売買に大量のお金を作ってるっていうのと、それと、今、アベノミクスで大量のお金を作ったあと、そのお金を日本で売って海外資産を買っていて、今、膨大な海外資産を持ってるという。あとでそれくず資産になるのでとんでもないことになりますけど、日本の銀行の愚かさっていうのは極まっていて、本当に何とかしないといけない状況なんですよね。
白崎 そうそう、そのとおり。
大西 支配されてるというの、もう本当にあの人たちのわかってなさがとんでもなく我々の生活に影響を与えてる。
白崎 わかってなさと同時にというか、まあそのとおりで、支配されて、よくこれ見せると、例えば(?)こっちの、言って(?)、知り合いの若い男の子なんかに***見せると、銀行に支配されてるって言うと、じゃあ白崎さん、それは足利銀行つぶせばいいの?って聞かれちゃうんです。三菱UFJって悪もんだよね?でも、それは確かにそういう面もあるけれども(笑)、
大西 中では善良な人たちがいっぱい働いてる。
白崎 今、そういうことではなくて、銀行っていう、
大西 仕組みですね。
白崎 仕組み、今日の話、これ肝ですよ。銀行っていうシステム、よく2人で話すとき、映画のキアヌ・リーブスが出るカンフーのやつね。
大西 いや、あれカンフー?『マトリックス』ね。(笑)。
白崎 『マトリックス』なんです。あの映画で、映画見た方は、いろいろいいシーンあるんですけど、僕がすごく印象的なのは、あそこで1人裏切り者が出てくるんです。裏切り者はコンピューターに操られてる中で、もうわかってるからステーキ食ってるんですよね。でもこれ、マトリックスの中で食ってんですよ。そうすると、食いながら、この味だって結局仮想現実なんだよな、えへへへとか***。これすごい印象的、えへへへって笑ってるの実は我々自身。今日皆さん電車乗ってここに来て、大西、白崎の話を聞いてる、これがリアルな現実空間だと思ってるでしょ。違うんです。
大西 違うかもしれない、確かに。
白崎 違うかもしれない。
大西 もしかしたらね。
白崎 銀行が作ったマトリックスで電車が動いてる。皆さんが着てる服も。お昼何食べました?今日。ね、全部。っていう意味の、銀行によって支配されてる。それが今日のMMTとも深くかかわりますし、MMTでいいのかどうかっていうことと深くかかわるということです。こればっかりしゃべってると長くなっちゃう。次***。
大西 ちなみに、服の話が出たんで、僕が今着てる服***、
白崎 ああ、ごめんなさい。(笑)。
大西 ちょっとしゃべっていいですか。
白崎 どうぞ。
大西 全然関係ない話ですいません。僕いっつも、同じシャツしか持ってなくて、白のTシャツと、もうこれ何枚持ってるんだってよく言われるんです。大体1週間ぶんぐらい持ってますね。ある名古屋の支援者の方が、名古屋のアーティストで寺尾晴美さんっていう方がいらっしゃるんです。こういう絵を描くアーティストの方で、つねきなんでキツネだろうって、キツネの絵を描いてくれました。これ、こないだいただいたんですけど、どこでどのタイミングで着ようかって散々考えたんですけど、これだけの方が集まっていただけるんで、そうだ、ここだと思って、今日はこのキツネの、もう世界で1枚しかない一点物のこのTシャツを着て、
白崎 すごい。
大西 お話ししてます。
白崎 (笑)
大西 もうすっかり忘れてました。ありがとうございます、寺尾晴美さん、それからコバヤシリョウジさん、いただきまして、ありがとうございます。
白崎 何でキツネかなと思った。つねき、キツネですね。
大西 最近のかかわってる高校生に、しばらくつねきつねきって呼ばれてたんですけど、最初フェア党って呼ばれてたんです、
白崎 (笑)
大西 (笑)、高校生に。つねきに昇格して、最近、キツネって呼びだす連中がいて、これは容認していいものかどうか、ちょっと今考えてる最中なんですけど、ついでにちょっと着ちゃいました。
(00:41:38)【MMTが広がった背景 Cオカシオコルテス現象】
大西 で、オカシオ=コルテスさん、
白崎 ちょっと脱線しましたが、(笑)、大事なところで。じゃあ、まさにその政治の話の中核いきましょう。このMMTが話題になったのも明らかにこの人です。略してAOCっていいます。アレクサンドリア・オカシオ=コルテスさんという、多分29歳かな。
大西 まだ20代。
白崎 若い女性のアメリカの下院議員の議員さんで、民主党***ですね、の、いわゆるレッテル貼りすると民主党左派といわれる人で、バーニー・サンダースっていう、この前のヒラリー・クリントンさんと最後まで争った民主党の左派の重鎮の、お弟子さんって言うと言葉が当たってないかもしれませんけれども、その、
大西 バーニーチルドレンみたいな。
白崎 の人ですよね。それで、ニューヨークのブロンクス出身で、貧しい、貧しいっていうか、要するに、ご本人は大学出てますが、いろんな苦労されて議員になって、それで本命を打ち破って彗星のごとく現れた***いうことで、ちょうど、要するにトランプさんってやっぱりアメリカの典型的なおやじっていう感じしますから、ちょうどいいんじゃないですかね、若くてね。それで、彼女が何を言って注目されたかっていうと、このグリーン・ニューディールっていう提案を発表したんですね。これは環境に優しいっていう政策プラスアルファ、アメリカの健康保険であったり雇用政策であったり、もっと充実させましょうということで10項目の提案をして、今日の私のエレン・ブラウンの資料の中にその話はちょっと出てきますけれども、その提案をしたときに、記者の人か何かが、いや、いいことだと思いますけど、じゃあ財源はどうするんですかって聞いたんです。そしたら、このAOCさん何て答えたかっていうと、これ今でもビデオで見れますけど、いえいえ、財源なんて全く心配ありません、私たちはMMT理論を支持します、財源なんて要らないんです、赤字のほうがいいんですって言った途端に、この人のTwitterがばーっと、要するにバズるっていいますよね、ものすごい勢いでリツイートされるようになって。それでオカシオ=コルテス現象といわれるように、ちょうどアメリカが大統領選挙11月にあるんで、トランプさん出るということですけれど、民主党が誰が出るのかという候補者選びも含めて、彼女が台風の目になったというときに、MMTという、財源なんて心配要りません。
大西 そもそもそれバズった段階で、MMTって何なの?ってバズったんだろうね。
白崎 そうですね。ものすごい***、
大西 財源が要らなくなるMMTって何なの?おいしいの?とか、どんなものなの?とか、何にも知らない状態で多分バズったんでしょうね、それは。
白崎 ですね。でもそれが広がったというので。で、悲しいかな、日本のマスコミっていうのはアメリカで何か話題になると拾ってくるっていう癖があるんですよ(笑)。
大西 (笑)
白崎 今日マスコミの方***、
大西 全く。
白崎 ごめんなさい。でもそうなんです。
大西 むしろ来てほしいですね、***。
白崎 アメリカでこれが広がったから、日本でもMMTって知ってる人は、もちろん学者さんなんかで、私も若干かじってますけど、知ってる人は知ってたんですよ。でも、このわーっと広がったの、やっぱ明らかにアメリカで話題になったこれという具合にきました。これがやっぱりすごく政治的な中心にこの問題が出た一つの表れで、背景をもっかいおさらいしとくと、実は、オカシオ=コルテスさんが言ったことが、それだけみんなの心に届く背景は、やっぱり地域通貨から始まったお金の問題、マネーの問題って僕たちの政治、社会に深くかかわってんじゃないの?っていう表れなんですね。で、MMTの説明これからするんですけど、まず、
大西 アダム・スミスからね。
白崎 これ、現代貨幣理論への系譜っていう、これ英語になってたやつ訳してくださる方は、やっぱり世の中にはちゃんとした人がいまして、これネットで見れます。そうすると、こんなの説明するとこれだけで2時間ぐらいたっちゃうんでやめますけど、皆さん、多分、知ってるのはケインズとかマルクスって***。そうすると、そのど真ん中にケインズさんっていうのいるんですよ。
大西 真ん中?
白崎 真ん中っちゅうか、その、
大西 (笑)
白崎 ところで、ちょっと左。それです。ケインズ。ケインズさんっていうのは何した人か。これも話せば長くなっちゃうんですけど、ケインズさんが言ってたことに関するMMTがらみで言うと、MMTっていうのは今の、例えば黒田総裁***とかね、日銀***、ああいう人たちからするとトンデモ理論、そんな財源がないなんていうのは、いいかげんなこと言うんじゃねえよ、そういう話になるんですけど、MMTの人たちからすると、いえいえ、あなたたたちも知ってる大ケインズ先生、つまり今の経済学の大本を作った代表的な学者さんの説を私たちは正当に受け継いでますよって言って、ケインズの理論の私たちは正当な後継者ですって言ってる。なぜか。ケインズの一般理論っていう、岩波文庫で、なかなか何回読んでもわかんない本なんですけど、あるんですけどね(笑)。その中に穴掘りの話っていうのがあるんですよ。つまりケインズはこう言ってるんです。世の中が金がなくなって失業者が増えた場合、どんどん政府が金を投入して失業者を減らさなきゃいけない。穴を掘ってその中に、そこがあった(?)***お札が入ってるとすると、それを埋めといて、また掘り起こしてっていう、そういう穴掘りの、何の意味もないでしょ、何の意味もない労働だけど、そういうものでもやらないよりはやったほうがいいよ、政府はそのため金出せよと言ってるわけです。だから、その政府が金出せよっていうところはMMTはばっちり受け継いでますよっていうのが、このMMTの人たちの大きな主張の柱***。MMTの人はどこにいるかっていうと、***ね。レッテル貼ると、これ、ポストケインズやん、要するにケインズの後釜ですと。代表的な人たち、モズラー、ミッチェル、レイ、フォステイター、ケルトンっているんですけど、来月、7月16日かな、この一番下に、ステファニー・ケルトンさんって女性の学者さんですけど日本に来て講演会を、多分、京都と東京と、2日でやると思います。学者さんたち***とか来てやると思いますけど、ステファニー・ケルトンさんが、さっきのバーニー・サンダースさんの経済***。来ますけど、今日主に私がネタにしているのは、そのケルトンさんと仲のよい前2人の、レイ***。これがレイさんっていうんですけど、ランダル・レイっていう方、学者さんです。この人の理論が一番よくまとまって、多分、翻訳が今年中に出ると思うんです。解説は立命館の松尾匡(まつおただす)さんっていう人が、今、赤薔薇運動、さっき山本太郎さん***けれども(?)、私も知ってますけど、彼の解説で出る予定になってます。だから、松尾さんの本が出ると盛り上がる可能性あるかわかりません(?)、何か話題になると思うんですけど、このランダル・レイさんの理屈をちょっと説明、今日しながら話を進めたいと思いますが、位置的に言うと、だから、ケインズの理論をいろいろ受け継いでいくんだけれども、私たちが正当な受け手ですよと言ってる人たち、一番末裔にいるわけです。で、どうしますかね。お金の発行の仕組みいく前にMMTの効用にいくか。
大西 多分、これ、飛ばすのはかなり難しいですね。
白崎 難しい。
大西 要するに、結局MMTを理解しようとしてもMMT単体では理解できないんです。何かっていうと、結局MMTが言ってんのは、要するに緊縮財政要らないと、政府が借金をしてお金を発行し続けて財政出動をすればいいって、ただそれだけのことなんです。何でそんな話になってるのか、その前のところを理解しないと、何でMMTみたいなものが出てきてるかって理解できなくて、結局MMTがいいか悪いかっていう、そういう出口の議論しかしてないんです、今。正しいか正しくないか。そこじゃなくて、根本的に何でこんな話になってるか、大本の、そもそも全部今のお金の発行の仕組みが原因で、それを解決するためにどうしたらいいか、そうやって考えていくとMMTがどういうものなのか理解できます。なんで、この話、白崎さんと、じゃあどうやって説明しようかっていろんな話をしたときに、MMTの話をずーっとしても多分わかんないまま終わるだろうな。それ以前に、一番肝心なお金の発行の仕組みから説明して、それを理解すると簡単にわかるからっていうことをやろうと思って、ここでも皆さんにお金の発行の仕組みを説明します。
(00:50:49)【MMTを理解するのに必要な「お金の発行の仕組み」】
大西 そもそもお金の発行って何なのか、それ以前にお金って何なのか。皆さんお金ってあると思ってるでしょ?お金存在するってほとんどの人が思ってるんですよ。でも実際どうかっていうと、お金って、じゃあ日本にどのくらいあるの?っていうふうに、それを全部数えると、皆さんが持ってると思ってる現金と預貯金、全部足すと今1000兆円以上になってます。だけど実際に現金であるのはどんくらいかっていうと、100兆もないです。10分の1もないんですね。お金ってあるの?みんなが自分のお金を下ろしに行ったら、ないです。存在しないです。みんながお金をあると思ってるんですよ。どうやってその1000兆円以上のお金をみんなが自分は持ってるというふうに認識するに至ったか、そこが実はポイントで。お金の発行の仕組みって何かっていうと、結局、みんなが自分のお金だと思ってる、預金も含めてお金ありますね。それがちょっとずつ増えて、日本全体で増えること、それがお金が増えるっていうことで、お金が増えるっていうのはお金の発行ですよね。ちょっとこれわかりにくいんで、実際、
白崎 これポイントですよね。
大西 そう。実際にどうやってそうなっちゃってんのかっていうの説明したほうが早いんです。講演会でも僕はこれ必ず説明してます。最近、講演会の前にこの説明をする前に、『マトリックス』の動画を見せて、赤い薬を飲むか青い薬を飲むか、選択させてから見せることにしてます。
白崎 (笑)
大西 (笑)。ちゃんと赤い薬飲むんだね?って。これ一回知っちゃったら後戻りできないんです、そもそも。
白崎 赤い薬飲むともうマトリックスに戻れないって、
大西 戻れない。
白崎 いうやつです。キアヌ・リーブスが飲む。
大西 裏切り者になんないと戻れないですよ、(笑)、ステーキ食うね。お金の発行の仕組みってどうやるかっていうと、例えば白崎さんが100万円をA銀行に預けに行きますよね。銀行はそれを預かったら金庫に入れて。で、銀行はもちろん金庫に入れっ放しにしてるんじゃなくて貸すって商売してます。今、預金準備制度って決まってるんですね。預金準備制度っていうのがあって、銀行は必ず預かった預金のうちの準備率ぶんは日銀に預けなきゃいけない仕組みになってます。その預金準備率が仮に1%だとします。実際は1%より低いんですよ、0.0何%。1%だったとすると、100万円を預かったらA銀行は1万円を日銀に預けて、預けなきゃいけないっていう仕組みです。それが今の預金準備制度っていう仕組みですね。でも1万円だけ預ければいいんで、ほかは別に貸してもいいです。僕が例えばA銀行に99万円を借りに行ったとすると、必ず僕はそこに口座を持つことになります。口座を持たせるんですね。じゃないと銀行貸せないんですよ。銀行は僕に99万円貸すときに何をするかっていうと、僕の口座に99万円って書くだけです。だから、口座がないと書けないんで、必ず持たせます。書いた瞬間に僕の預金口座99万円ありますよね。白崎さんの預金口座にも100万円ありますね。199万円に増えてます。僕自身はあんまり持ってる感じはしません、自分が借りてるのを知ってるんで。だけど、これをもしB銀行の誰かに送金してしまえば、これを受け取った人は、もうこれが僕の借金だったかどうかなんて知りませんね。知ったこっちゃない。純粋に自分の預金として認識するんで、99万円持ってると思います。で、白崎さんの100万円もあります。この瞬間にもう199万円になってるんですね。もちろん、この99万円を新たに預かったB銀行はそのうちの1%の9900円を日銀に預けて、残り98万100円を誰かに貸すことができる。貸すとまた同じことが起きます。この人がまたC銀行の誰かにこれを送金してしまえば、これを受け取った人は完全に、純粋に自分の預金と認識しますね。この段階で既に、この人は自分の98万100円を持っている、僕が送金した相手、99万円、この人動かしてないです。それから、もちろん最初の100万円の白崎さんの預金も動いてないんで、もう300万円に増えてます。もちろんC銀行は新たに預かった98万100円のうちの1%の9801円を日銀に預けて、残り97万299円を貸すことができる。貸すとまた同じことが起きる。結局、ぐるぐるぐるぐるやってるうちに貸せる金額はだんだん減ってきますけども、もともとの100万円の現預金から割ることの0.01、預金準備率ぶん、イコール1億円まで作り出せる、これが信用創造という現代のお金の発行の仕組みです。この結果、皆さんが自分のお金だと認識してる預金がいっぱいできて、1000兆円以上のお金が自分のお金と認識されてる。実際にあるかというと、別にないです。銀行は勝手に作って誰かに貸して、数字上貸して、それがぐるぐる回って、みんなが自分のお金と認識してるだけの話です。
白崎 そこはすごい重要ですよね。それがさっき言ったマトリックス銀行システム***。
大西 実際、だから存在してないものをみんなあると思ってるんです。これ、いくつか本当に必要なポイントがあって、お金を銀行が貸したときにお金が生まれる。逆に借金を返したときにお金が消えるってことですね。借金をするときにお金が作られる、返すときには消える。僕が99万円借りた瞬間に99万円作ってます。自分の預金99万円入ってるし、それを使う権利も持ってる。だけど、これもしかしたら返せないかもしれないなと思って、びびってすぐに返したとしますね、99万円を。そうすると、借りた瞬間99万円持ってんだけど、返した瞬間に99万円なくなります。借金もなくなります。相殺してなくなるんです。借りたときには99万円あるんだけど、返すとなくなる。だったら僕はそれを借りきって、誰かに送金して使っちゃったとしますね。そうすると99万円使っちゃったんで、僕んとこに残るのは99万円の借金だけです。何とかそれを、1年ローンで借りたとすると、1年後までにかき集めてこないと大変なことになりますね。1年後に世の中から99万円集めて返します。返すっていうことは、そのときにそのお金を消す、借金と相殺、消すことになります。つまり僕は世の中から99万円のお金を消しちゃうことになります。これ、すぐ返しても1年後に返しても一緒です。借金を返すっていうことイコールお金を消すっていうことです。借金をするってことイコールお金を作るっていうことです。だから、結局このシステムは何かっていうと、みんながこうやってお金を作ってるということは、借金は返しちゃいけない仕組みなんです。借金返しちゃうとお金が消えちゃう仕組みが今の金融システム。だけど銀行は返せ返せって言いますね。借りたら絶対返さざるを得ない。毎月返しますね。僕も返します。っていうことは、お金を借りた人はみんな返す、でも返すたんびにお金が消えていくっていうことは、そのぶん誰かまた別の人が借り続けてくれないと、この金融システム回らないんです。しかも僕は99万円だけ返せばいいんじゃないんです。利息が5%ついたとします。1年後には104万円返さなきゃいけない。世の中から104万円を一生懸命集めるわけです、消すわけです。みんなが自分の元本で作ったお金以上のお金を集めようとする。消しちゃうわけ。何が起きるか、お金足んなくなりますね。そのぶんお金発行されてないから。例えばここに100人いたとします。1人100万円ずつ借りてください、銀行に。そうすると、1人100万円ずつのお金を作ることになります。それぞれの預金通帳に100万円って書かれるんです。そうすると1億円の預金が生まれます。それでみんな経済回してください。肩たたきでも手もみでも何でもいいです。そうして経済ぐるぐるぐるぐる回して、1年後みんなが100万円返す。みんなが100万円1年後に返したらお金消えますね。で、もしこれが5%の利息の世界だったら、みんなが105万円集めようとします。要するに、100万円かける100人ぶんの1億円のお金しかない経済でみんなが105万円を集めようとすると、何が起きるかっていうと、これ巨大な椅子取りゲームです。誰かが必ず破綻します。必ず破綻する仕組みなんです。だけど、破綻しないためには、みんなが105万円ずつ返すためには500万足んないわけですね。500万誰かがやっぱり生み出してくれなきゃいけない。ここに100万円を借りる人がもう5人必要なんです。そのお金が500万行って、初めて皆さんは105万円ずつめでたく返すことができる。でも返しちゃったらお金なくなってますね。ここに500万円の借金だけ残ってます。これも返すためにまたさらに5人必要なんだけど、それにも利息がついて、またそこに穴だけ、借金だけ残るわけ。そもそもお金1億あったはずなのに1円もない状態ですよね。で、元の状態に戻すのにもう一部屋必要なんです。100人、それ以上。つまり何を言ってるかというと、常にお金と借金を増やし続けないと今の金融システム回らないんです。これが、例えば人口が増えて、順調に経済成長が、要するに部屋が毎年1個ずつ増えて、そういう本当に人口がどんどん増えていて、しかも増え続けるお金と対応したような実際の価値、どんどんどんどん作れば売れる時代はよかったんです。20世紀はそういう時代でした、高度経済成長です。とっくの昔に終わってるんです。とっくの昔に終わったのにこの仕組みが続くかっていうと、続くはずがないんです。小学生でもわかります。今の金融システム、お金と借金を無限に、永遠に増やし続けないと立ち行かない仕組みが続くはずがないんです。これはもう日本の場合はとっくの昔に実は終わっていて、もう続かなくなってんですね。考えてみりゃ当たり前なんですよ。1億3000万しかいないのに、その1億3000万しかいない人たちに借金とお金をとにかく増やし続ける。誰がそんな借りるんだって話、誰がそんな借りたいんだって話です。誰も借りたくないし、誰も借りられないし、銀行も貸せないんですから。だから、これはもう実際にとっくの昔に止まってんですね。
(01:01:20)【この30年間で実際に世の中のお金がどうなったか】
大西 それはデータを見ると明らかなんです。実際にこの30年間どうなってるか。これは本当にいつも必ず皆さんに見せます。このデータを見るとMMTも簡単に理解できます、今の金融システムの問題点を。これは1980年から2018年までのデータです。まず青い線を見てください。これは何かっていうと、マネーストックM2です。要するに、日本中の現金、預貯金全部合わせたらいくらになるの?日本でお金いくらあるの?っていうデータがこのマネーストックM2です。ちなみに、僕がこれから見せるデータは全部日銀から取ってます、日銀のホームページから。だから、誰でもこのデータ引っ張ってこれます。これを見ると、1980年にたった200兆だったお金は、今、1000兆円を超えてます。さっきも説明したとおり、もうお金と借金が増え続ける、そのとおり右肩上がりに真っすぐお金って増え続けてます。これ当たり前なんです。何でかっていうと、このお金を作るために作った借金が利息で膨れ続けるから、それを返し続けるためにもっと、常に多くのお金が必要だから必ずこうなるんです。じゃあこのお金どうやって作ったか。簡単です。この緑の線です。これは日本の銀行の民間に対する貸し出しの残高です。要するに日本の銀行が借金どんだけ貸してるっていう、ここを見ると一目瞭然なんですよね。この緑の線(銀行貸出残高)が青い線(マネーストックM2)を作ってるのわかります?一目瞭然。これ当たり前です。だって借金でお金を作るんだから、お金と借金、並行して伸びるに決まってるんです。ただ、いつの間にか大きく乖離を始めてるんです。追いつかなくなってるね。これは銀行が、バブルが崩壊してから不良債権処理をして、貸し渋りをして、貸しはがしをして、実は貸し出しを大きく減らしてる、100兆近く減らしてるんですよ。何でかっていうと、これ、そもそもGDPなんですけど、オレンジの線がね、GDPはほぼ横ばいなんで、経済成長がなくなったら銀行が貸し続けるったって、誰に貸しゃいいんだって話ですよ。誰がそんなに借りるんだって話です。もちろん経済成長は無限には絶対続きません。必ず止まるもんです。で、実際止まりました。これ世界中そうですよね。止まるんですよ。止まったら銀行貸せなくなります。そうするとお金増えなくなりますね。困っちゃうんですよ、お金増やさないと。実際お金増えました。真っすぐ右肩上がりに。誰かが借金をしたんです。今のお金の仕組みっていうのは誰かが借金をしないとお金が生まれない仕組みだから。じゃあ誰が借金をしたかっていうのは、答えがこの赤い線です。これ日本の政府の国債の残高です。要するに、日本の政府が借金をしてお金を発行し続けてきた。まさに緑の線(銀行貸出残高)が青い線(マネーストックM2)を支えきれなくなってから急に上がってますね、この赤い線(国債残高)が。今や、ここ見ると一目瞭然なんですよ。この赤い線(国債残高)が青い線(マネーストックM2)支えてんのわかります?作って、並行して伸びてますね。つまり政府が借金をしてお金を発行し続けたっていうその証拠です。データはうそをつきません。政府が借金でお金を発行し続けた。その結果、今やお金が1000兆円、で、政府の借金900兆円ですね。
(01:04:47)【政府の借金を税金で返す選択肢は存在しない】
大西 政府の借金が900兆で皆さんのお金が1000兆円ってことは、じゃあ政府の借金を返すためにはいくら税金が必要でしょう?900兆ですよね?政府の借金900兆なんだから。皆さんのお金が1000兆円しかないのに900兆円の税金取ったら何が起きるか。お金消えちゃいますよね。つまり、この赤い線(国債残高)がゼロまでいくってことは、青い線(マネーストックM2)も一緒になってゼロになるってことですね。借金でお金を作るっていうことイコール借金を返したらお金が消えるってことです。皆さんいまひとつぴんとこないのは、政府の借金でお金を発行するってどういうこと?ってちょっと思ったでしょ?政府が借金してどうやったら皆さんの預金が増えるの?もうちょっとわかりやすく財政で説明してみましょうか。日本の政府の一般会計予算の税収って、今、1年間、年間約50兆円です。僕が政府だとしますね。皆さんが国民だとします。そうすると、50兆円ぶんの税収、税金を集めるってことは何が起きるかっていうと、僕が50兆円取っちゃうわけですね、皆さんから。そして皆さんの現金、預貯金が50兆円減ります。減っちゃいますよね。もし僕が50兆円ぶんの予算を組んだとします。政府の予算っていうのは公務員の給料とか政府事業の支出とか、民間にいきますね、50兆円ぶんの予算。だから50兆円ぶんの予算を組めば、50兆円ぶんの税金を集めて50兆円ぶん使うんで、行って来いですね。同じ人とは限んないですよ、こっちからもらってこっちに回すかもしれない。こっちの人たちは怒るかもしれないね。だけど全体で見たら一つの経済でぐるぐる回るわけです、それでね。だから行って来いになるんですよ。でも、もし僕が70兆円の予算を組んだとしましょう。50兆円最初税金集めるとき皆さんのお金は50兆減ります。で、70兆円ぶんの予算を組むんだけど、20兆円足りませんね。どうするかというと、僕が、政府が借用書を書きます。これが国債です。それを銀行に買わせるんです。銀行それ買ってくれるんで20兆来ますけど、銀行はその20兆どっからお金を持ってきて買ってるかっていうと、皆さんの預金ですよね。だけど皆さんの預金減りませんよね、政府の国債を買うときに。政府の国債買うから君の預金いきなり半分になるって言われたら怒るでしょ、みんな。起きないんですよ。これは例えば、僕が最初99万円借りたのに白崎さんの100万円のお金は1円も減らないでしょ。それとおんなじなんです。銀行はお金を作って貸すんです、ないところから。だから、20兆円ぶんの政府の国債を銀行が買うときも、20兆円作ってるんです、銀行は。だから20兆円政府に来て、政府は70兆円使いますね。そうすると、皆さんの税金、税収、最初税金払うときに50兆円しか減ってないのに、今度20兆円ぶん足されて戻ってるんですよ。だから差し引き20兆円ぶん皆さんの預金が増えてるんですね。自分はもらってると思わないかもしれないけど、誰かがもらって、それがぐるぐる回ってきて、飲み屋のお姉さんとこに行くかもしれないし、どこに行くかわかんないけど回ってます。そうやって結局、政府の借金と皆さんの預金っていうのは平行して増えてくんです。借金ぶんお金を作って政府が使うから皆さんの預金が増えてる。その結果、こうやって平行して伸びてるんですね。逆をやったらまたお金が消えるのもわかります。税収70兆にしたとしますよね。で、予算50兆しか組まないです。そうすると皆さんの預金が70兆円最初に減るわけですね、税金を集めたときに。で、50兆円しか予算を組まないから50兆円しか戻ってこない。要するに、皆さんの預金は差し引き20兆円消えちゃうわけです。どこ行ってるか、僕の黒字になってます、政府の。それをもし返せば、そのお金と政府の借金20兆円、相殺して消えますね。皆さんのお金も20兆円減ります。これをずーっとやってると何が起きるかっていうと、900兆円の借金消せますよ。消すけど皆さんのお金も900兆円ぶん消しますよね。もちろん利息ぶん、もっと消します。多分お金なくなっちゃうんです。何を言ってるかというと、そんな選択肢は最初から全く存在しないってことです。政府の借金を税金で返すなんていう選択肢は全く存在しないし、それから、借金でお金を発行し続けた金融経済の上にお金をとにかく増やし続けなきゃいけないから、財務省が言ってるようにプライマリーバランスみたいな考え方ももう成り立たないんです。だからMMTが出てきたんです。要するに今の金融システムを維持するためには、この状態で、経済成長も止まって、民間の信用創造も止まって、あとは政府が借金をし続けてお金を発行し続けないと、今の金融経済そのものが崩壊するから、だからずーっと政府が借金をし続けたらいいという、そういう話になってるんです。僕から言わせると、当たり前でしょ。論理的な帰結なの、それは。そんなこととっくの昔からわかってるでしょ。だからといって政府が借金をし続ければいいって話にはならないよと。それだってもちろん弊害があるよっていう話なんです。この弊害についてはあとでまた話します。だから、皆さんに理解してほしいのは、そもそも今のお金の発行の仕組みを理解すれば、最終的に民間の信用創造は必ず止まります。何でかっていうと、経済成長は世界的に必ず止まるんです。地球1個しかねえんだから、経済成長無限に続くはずがないんで、それを前提にした金融システムは続かないんです。それが止まったときに何が起きるかっていうと、その金融システムを維持するために最後まで借りられる政府が借金をし続けてお金を発行し続けなきゃいけないってことです。これは政府じゃないとできないんですよ。考えてみてください。50年間日本の政府っていうのはもう税収の範囲内でやってないです。毎年赤字なんです。っていうことは、1円も50年間返してないってことですよ。(笑)。50年間1円も返してない人に銀行が貸しますか、貸さないですよね、絶対。政府だから貸すんです。でも全然返してないから、これそもそも借金って呼べるの?って話ですね。絶対返ってこないものを借金って呼べるの?って。
白崎 (笑)
大西 という、そもそものとこです。これを理解したときにMMTが理解できるんです。
白崎 で、MMTが言ってるスローガン的な内容で、今の大西さんの話をおさらいすると、政府の赤字は皆さんの黒字というのがもう一大スローガンです。
大西 それはそのとおりなんですよ。政府が借金して皆さんの預金を作ってる。だから、みんなのお金が1000兆しかないのに900兆政府に貸してしまったと、俺そんな貸した覚えないよってみんな思いますよね。貸してないです。そうじゃない。逆なんです。政府が借金をして皆さんの預金を作ってきたわけです。次。
(01:12:05)【借金一人当たり800万円のうそが生んだ悲劇】
白崎 で、いわゆる政府が借金をして作っているシステムなんだけれども、ずーっといわれていることは、さっき大西さんも言われたように、プライマリーバランス。要するに、限られた税収の中で政治、経済をやってください、赤字経済というのはあり得ないんですっていうことで、一生懸命、一生懸命、財務省、安倍さんも含めて税収を増やして、財政規律、要するに赤字をなくしますと、子々孫々にツケを回しませんというのがスローガンになってる。それが実は私は非常に深刻な問題を起こしてると思っていて、それは何かっていうのをちょっと説明させていただきます。MMTの効用です。MMTが広がることによって何が我々の頭の中から消え去るか。皆さんご存じのとおり、津久井やまゆり事件っていうのがあった。私、実はこの25年間は福祉の仕事をしてきまして、私やってたのは障がいのある脳性麻痺の子どもたちの福祉用具輸入販売なんで、要するに一番末端のお仕事をしてたんですけれども、それと関係があるのでこの例を出したいんですが。津久井やまゆり事件って、皆さんご存じのとおり、容疑者の若い人がやまゆり園の人たちを刺し殺した***。前代未聞です。これが刑事司法でこれからどうなっていくかっていうまた別の課題がありますけれども、この容疑者の人とずーっと、雑誌『創』(つくる)っていう、編集長の篠田さんって私すごい尊敬してる人ですけれども、篠田さんがずっと往復書簡をしていて、それが、今、これYahoo!ニュースで読んで、下、この『創』って雑誌が読めるんですけど、その中に、割に最近の容疑者さんの発言はちょっと私追ってませんけれど、ずーっと彼が一貫して言ってる、変えてないことがあるんです、逮捕されたあとでも。逮捕されてない中で何を彼が一貫して言ってるかっていうと、赤字にしましたけれど、彼の主張はこうです。日本人に1人800万円の借金がありますよね。さっき言った大西さんのあれですよね。要するに国が借金をして支えてるっていう***。そうすると、それは一人当たりに直すと800万円の借金です。よくマスコミの方もやるじゃないですか。日本人の借金は、
大西 国の借金ですね、一人頭。
白崎 そう。一世帯当たりに直すといくらありますよっていうやつですよね。家計にするわけです。家計にすると800万円借金があるから、これ大変だという、そんなの返せませんよねっていう話になって、この容疑者の人はどういう、
大西 ***のほうが大変なんですね。(笑)。
白崎 そう。容疑者の人はどういう発想になったかというと、そんな借金があるから福祉に金使ってる暇はない。で、彼の言う定義ですよ、これ、彼の言う定義なんだけど、心失者、つまり心を失った人っていう、つまりコミュニケーションを彼が取れないと思っている重度の障がい者はいてもしょうがないんで、不幸を生むだけだから、無駄だから死んでくださいっていうのが彼の理屈ですよ。これは、我々、障がい者問題やってる人たちの中からは、これは優生思想だと。つまり健常な人間のほうが優等で、障がいを持った人は劣っているから、その人たちはいなくなってもいいという、そういう思想をベースに生まれてきたから、けしからん。例えばナチスのようなやつですね。けしからんということで、いろんな集会が行われて、それは私は正しいと思います。私もそう思います。ただ、優生思想だけではどうしても弱いって。弱いというのは何かっていうと、これなんですよ。彼がだまされていたのは、実は我々とおんなじ、やっぱりマトリックスの住人なんです。一人当たり800万の借金が、つまり、財務省とか政府が言っていることそのまんま、皆さん、借金が増えて大変ですよ、子々孫々ツケが回りますよって言われてることを間に受けて、この犯罪を起こしてる。人間ってやっぱり思想的動物ですから、何らかの自分の考えによって動くわけです。それを擦り込まれたのは、実は我々がずーっと言われ続けて、さっき大西さん言ってましたよね、50年間借金返してない。(笑)。それをこういう負のかたちで彼が体現して、実はそれ我々にも通じてるわけです。それは福祉の仕事やるとよくわかります。福祉の現場行くと、この20年、30年ぐらいかな。橋本構造改革っていつありましたかね、1990年代前半からやってると思うんですけど、ずーっと節約節約ですよ。白崎さんの輸入して、うちアメリカから輸入して***、脳性麻痺の子の歩行器いいねって、でも国にも地方にもお金がないんですよっていう具合に、必ず役所の人も言うし、それから、私の機器の場合はドクターが意見書書いて、それから初めてお金が出てくるんですけど、お医者さんも言うんです。専門家みんな、白崎さんの言ってるのは理想ですよ、でも税金がないんですよ、だから私、意見書書きません。ドクターは医学的判定してくれればいいだけなのに(笑)、私は税金無駄遣いしたくありませんからって必ず言います。そういうのがたくあん石か漬物石みたいにずーっとずーっと20年以上のしかかってるんです。それですよ、これ。私、これ由々しき問題だと思うんですね。こういうたくあん石を突き飛ばしてくれるのが、さっき言ったあのAOCさん、オカシオ=コルテスさんじゃないけれども、財源なんて心配ないですよ、何が赤字で悪いんですかという話で、でも、何が赤字で悪いんですかという本当の意味は、今、大西さんがずっと説明してくれた我々のお金の仕組み、つまり、お財布の中だけにあるお金がお金じゃないよ、銀行が作ってますよというところが一番のポイントなわけ。で、ちょっと次***。
(01:18:08)【本当の問題「国債費」】
白崎 そうすると、津久井やまゆり園の容疑者さんに会ったら僕言おうと思ってるんですけど、あなた借金がありますって言うけど、これ、日本の歳出って、要するに出てくお金を、日本の会計って一般会計と特別会計って二つあるんでややこしいんですけど、今日その話はしませんけど、これ二つ合わせちゃって、まとめたんですよね。そうすると、あの円グラフちょっと暗くてわかりづらいんですけど、国債費38%、90.1兆円ってあるんです。つまり出てくお金の国債費って何かっていうと借金証書だから、借金を借り換えする利子と、元本を借り換えて、ずーっと日本、何十年、大西さんが言われたとおりにやってるんですけど、これが一番予算を食ってるわけですよ。赤字っていってます。ね?だから、国債費のこのぶんがぶーっとなくなると(笑)、あと社会保障費確か83兆円ありますけど、これ全然違うわけでしょ。だから問題はこの円グラフにある、この国債費なる38%、これ要するに、借金を一旦返してまた借金してっていうのをずっと続けてるわけですよね。自転車操業のこれこそが問題なんですよ。だから、津久井やまゆり園の容疑者さん、あなたが殺すべき相手は障がいのある人じゃなくて、これ。これを何とかしなきゃいけない。で、この国債費の38%をそのまま続けていけばいいですよって言ってるのがMMTです。何の問題もないと。容疑者くんよ、君がそんな不安になることはないんだ、MMTがあれば、そのまんまやってけばいいんだよっていうのがMMTです。ただ、僕と大西さんはこのまんまやってけばいいんだよっていう具合には思ってない。ここがMMTと違うとこです。
大西 そもそもこの90兆円っていうのは利息だけじゃなくて国債の借り換えも含んでるんですよ。つまり、これ何かっていうと、予算でそのぶんお金払わなきゃいけないけど、そのぶん国債で借り換えてるんで、行って来いで、何の意味もないんです、そういった意味で言うと、そもそもが。あと、利息はどのぐらいになってるかっつうと、年間9兆円ぐらいになってます。今、大体900兆円ぶんの元本に対して1%ぐらいの利息がかかっていて、9兆円の利息っていうのは、結局どこまでいっても利息なんで、どこに行くかっていうと、おおむねお金を持ってる人のとこに行く仕組みですよね。貸してる人のとこに9兆円行く仕組みなんですよ。やっぱり所得の移転なんですね、これ。そもそも、ミハエル・エンデとか、古くはイスラム教なんかも何で金利がおかしいって言ってるかというと、不労所得なんですよ。要するに何も作り出してない人がただお金を持ってるっていう、ただそれだけのためにお金をさらに得るっていう仕組みなんですね。思想的におかしいんですよ。で、それが年間9兆円、この30年間で300兆円以上の累計利息が発生してます。それが当然300兆円がこの30年間で所得の移転として、おおむね資産を持ってる人のところに行ってるんですね。日本の国債っていうのはほとんどは機関投資家が持ってます。銀行とか生命保険とか損害保険とか年金運用基金。そういうとこに資産がある人、それからそういう機関っていうのはもう今、結構な割合が外国人投資家に握られていて、株主がね、そういうところが企業としてもうけてるっていう。結局吸い取られてしまう、300兆。これ、巨大な格差拡大マシーンになってるんですよ、今の金融システム。
白崎 あとでまたその話ちょっとやるんですけど。まさに格差拡大システム。ちょっと時間も押してきたので。
(01:21:56)【MMTのポイントおさらい】
白崎 それで、じゃあMMTが言っていることのポイントをもう一度おさらいしたいと思います。基本は、この1番に赤く書いたところで、何度も言いますけれども、国家財政において、いわゆる税金が先にあるわけじゃないんだと。最初にあるのは財政支出、つまり使うほうが先にあるんじゃなくて、収入でみんな考えるんで。家計で言うと、要するに収入が入ってこなかったら使えないじゃんっていうんじゃなくって、家計とおんなじじゃありませんよと。まず最初に財政支出が先立つっていうのがMMTの大きな思想の柱と。これ英語で言うとスペンディングファーストといってるんですけど、要するに使うのが最初です。これがMMTの考えの大きな柱です。
大西 要するに、集めて使うんじゃなくて、先にお金をあげて集めるって発想ですね、どっちかというとね。
白崎 そうです。
大西 (笑)
白崎 だから、ちょうどこれがさっき大西さんが説明してくれた銀行の信用創造と似ていて、厳密に言うと、預金をそのまま貸し出すんじゃなく、銀行に、要するに預金通帳にばばばばって打ち出せば、それがもう預金で通貨なんです。だから、最初に金ありきじゃなくて、貸し出し最初にありき。銀行貸し出しが最初にあってお金が作られる。お金があって預金が生まれるんじゃなくて、預金があってお金が生まれる、この逆と同じなんです、MMTの発想。税収があって国家財政がまかなわれるっていう具合に普通の人みんな考えるし、そうやって洗脳されて津久井やまゆり園の事件も起きてるけど、そうじゃないよ、違いますよ。税金があって財政を支出するんじゃなくて、まずみんなの財政の支出のためのプログラムがあって、そっちが先ですよ、使うほうが先ですから。そっから税金があとで生まれる。何であとで税金が生まれるかっていうのはもっと先に説明しますけど、そういう順番なんです。だからひっくり返る。でも、ひっくり返ってるほうが正しいです。
大西 ちょっと歴史的に考えてみると、何でひっくり返るか。昔は、もう金融システムとかない、本当、江戸時代とか、多分、先に米作ったんです。米作って年貢米として集めてたのね。物(ぶつ)だから、ないと集めらんないし、集めないとないわけ、配れないでしょ。逆に金融経済になると、お金が人が動くきっかけになってる。お金がないと動けないってみんな思っちゃってるんで、そうなるとね。そうすると、そのシステムの中ではお金を先に誰かに渡して米を作ってもらうってかたちにしないと、米を持ってくるんじゃなくてね。そういう、多分、いつの間にかひっくり返っちゃったんです、考え方がね。
白崎 ひっくり返った大きな理由が、今、ヨーロッパが作り出した銀行経済システムって、その話は、ぜひ皆さん『負債の網』買ってもらえれば(笑)、『負債の網』に詳しく書いてあるんですけど、そこなんですよ。割に健全なのは、日本の江戸時代ですよ、今、大西さん言われてたように、お米を、お米の先物取引があったとか何とかって経済学者言うけれども、お米で回した。つまり実体経済ですよね、最初にあるのは。そこがちょっと病気になったヨーロッパと、そうじゃない国の差ですよ。それは話が脱線するんで、それはそこまでにしときますけど。1番のその赤いとこがポイントです。そのために何が必要か、2番の、さっき言った通貨発行権。国っていうのは自分でマネーを発行できる権利を持っているから、それをうまく使えば、つまり世の中に出回ってる実体経済っていうもの、ものとかサービスに合わせた通貨をきちんと発行すれば経済が運用できるんで、別に赤字だって関係ないですよっていうのが2番目。で、3番目。税金はどういう価値持ってるかっていうと、税金が価値を持つっていうのは、要するに、それが税として国に納める手段に使えるからっていうのがMMTの考えです。税金として皆さんが納めるから、お金としてありがたがってる。わかります?みんなのお金は税金として納められる日本円だから日本円なのっていうのがMMTの理屈です。これ私ちょっと疑問があるんですけど、その話長いんでしませんけど、一応MMTはそういってる。もう一つ、4番目に、そのMMTはじゃあ財政支出をする最終目標をどこに置いてるかっていうと、これはアメリカでAOC現象でも出てくるんですけど、みんなを完全雇用するってことです。失業ゼロの社会を作りましょうということで、よく日本銀行のことを、中央銀行のことを最後の貸し手、つまり、ずーっと借金してって、最後取りつけ騒ぎが起こんないように日銀は最後にとりでとなって守るっていうんですけど、それに同じように引っかけてるんですけど、MMTの場合、最後に国が何をやるかって、最後の雇い手。最後は雇用に責任を持ちますよっていうのがMMTの理屈で言うとこの国家の基本なんです。そのための財政支出。
大西 ここはそもそも古いよね。
白崎 古いんですよ。(笑)。
大西 何でかっていうと、完全雇用なんて別に必要ないわけ。要するに、みんなが完全に仕事なくなる状態がベストでしょ。(笑)。何を言ってるかというと、完全、さっき言ったような穴掘り事業の話なんですけど、穴を掘って埋める、お金を渡すために穴を掘らせるっていう無意味さに早く気づいたほうがいいね。(笑)。
白崎 そう。あと、
大西 どんどん効率化してAIとかで仕事が減るっていうときに、仕事をどうやって減らすかって話で、完全雇用なんて目指すべきではないよね。お金を渡すために働いてもらう必要がないんだから、
白崎 ない。
大西 働いてもらう必要がなくて。それこそみんなが働かなくて全自動ですべてのものが作られるようになったら、みんな働く必要はないわけ。そこに、だから働いてお金を渡すってその思想そのものがもう、多分、とっくの昔に時代遅れになってるのね。
白崎 そうです。
大西 そのまま。
白崎 MMTも結構古くさいですよ。
大西 そう、本当に。
白崎 これ、ニューディール政策って皆さん社会で習ったよね、前の大恐慌のときルーズベルトが公共事業やりましたとか、失業なくしました、あれの現代版なんですよ。
大西 だから、国家経営のやり方として、完全雇用が目的なんじゃなくて、要するに皆さんの時間と労力を使って何をするか。やることが本当に地球のためになるとか、未来の子どもたちのためになるとか、それであればみんなで分担してやるべきだって話ですね。
白崎 その辺がMMTは結構、国家観古いんです。だから、ランダル・レイさんは、この私が訳した、ベーシックインカムに反対なんです。わかりやすいでしょ。一人当たり10万なんて現金給付したら働かないからです。ランダル・レイさんは、
大西 すごい古いんだ、レイさん。
白崎 そう。
大西 (笑)
白崎 ベーシックインカムに反対です。ただ、MMT全体いろんな学者さんがいるので、ベーシックインカムに親和的な人もいますけど、ランダル・レイさんは反対です。ちょっと時間がない、先、飛びますけど、5番目。もう一つMMTのお金の観念の中で大事なのは、すべてのお金は借金だっていうのは彼らも認めてるんです。すべてのお金は借金です。だから、どうせ借金なんだから財政赤字したって問題ないじゃないか、借金は借金なんだからっつって、どんどん増やせよっていうのがMMTのもう一つの大きな柱です。6番目。じゃあ税金は最後何するか。皆さん納める税金は税収として財政規律に使うんじゃなくて、MMTがやっぱり心配してるのは、これはMMTを批判する人たちがよく言うのと同じなんですけど、そんなお金作るのいいよって、でもお金作りすぎたらインフレになっちゃうじゃん、ハイパーインフレになっちゃう、お金の価値がなくなっちゃうじゃんっていう批判が必ずくるんですよ。それに対してMMTが用意してる答えは、いいえ、皆さんが納める税金というのは、インフレを調整するために税金を納めればいいんです。つまり世の中に出回ったお金を回収するために税があるんです。っていうことで、ランダル・レイの言い方をすると、税が社会を動かすと言われてます、そういう意味じゃ。税が社会を駆動するという、国家を動かす。その意味は、余ったお金を集めてくる、回収するための道具だということで税金があるということです。それがMMTの一つの、一つのっていうか最後の柱です。
(01:30:38)【MMTの実際の金融財政システムはどうなるか】
白崎 一応3時に休憩にしたいので、あと10分だから、もうちょっといきます。MMTの実際の金融財政システム、どういうことかっていうのを私なりに図にしてみました。ただ、MMTの図解っていうのは詳しくやるとむちゃくちゃ大変なんですよ。貸借対照表ってあるでしょ、会計の、貸方、借方とかって(笑)、あれを使わないと本当はよくわからないところあるんですが、そんなのやってるとものすごいめんどくさくなるんで、もっとすごーい単純にして、これ白崎バージョンなんで、かなりはしょったやつです。はしょったやつですけど、何となく概念はわかっていただけると思うんですけど、まずMMTの基本は、一番左、中央銀行と政府は一体化したものとして考えますっていうのが一つの柱です。これが統合政府っていうやつで、これ、今、ネットで見るとMMTを、TwitterだかFacebookでもういろんな人がいろんなこと言ってますけど、この統合政府って一つの柱になってます。統合政府って要するに単純に言うと、日銀と日本政府一体化して考えちゃう。そうすると、片っぽ借金してて片っぽ借金が戻る図になるんで、だから相殺できちゃうわけです。プラマイゼロにできるっていう発想なんです。だから、中央銀行と政府は一体化して貸し借りなしにしちゃおうぜってやつです。これがまず一つの柱なんです。あとはどうするかっていうと、やっぱり国債を発行して、国が借金作ったら、それを中央銀行買って、それで現金を発行するっていうシステムは今までと全く同じなんです。この買い方は実はMMTの中でもいろいろあって、これは多分、休憩のあとの話になると思うんですけど、僕と大西さんが散々言っている政府通貨の発行と全く同じ仕組みを取っても構わないというぐらいに言ってます。だから、ここちょっとあとでまたお話ししますけど、政府通貨発行バージョン、国債買ってくる、つまり借金を増やすバージョン、三つぐらい用意してるんです、MMTは。それから、今、アベノミクスで量的緩和っていうのやってますよね。これをマスコミ的に言うと、日銀は1年間に80兆円の大量の国債を買い入れて、皆さんに放出してます、出費してます、よく言ってるじゃないですか。今80兆円ないですけども、今減ってるんですけど、言ってるじゃないですか。この量的緩和っていうお金がどこに行ってるかっていうと、これは全然別の話なんですけど、これとおんなじことをMMTもやるんです。そのお金はどこにたまるかっていうと、今、日銀のホームページ見ると、右側に、今日皆さん書いてあるの見て、日銀のホームページの右側に日銀当座預金残高って出てます。必ず見れます。多分、今、三百何十兆円でしたっけ。
大西 今は400。
白崎 400兆円かな。本当にそう、ものすごく膨らんでんです。このアベノミクスが始まる前っていうのは多分50兆円とか、そんなもんなんです。それがずーっと安倍さんになって増えて、増えてって400兆円ぐらいになって、金融用語でブタ積みっていいます。たまってるんです、これ。そこにあの丸が書いてあって、市中銀行の当座預金っていうところにたまってるんです。これはどういうことかっていうと、私の地元で言うと足利銀行が有名ですけど、足利銀行は必ず日銀の中に自分とこの口座を持ってる。銀行口座、銀行だけ持ってるんです。我々日銀口座持ってない(笑)。銀行が持ってるんです。そこに振り込まれるんですよ。
大西 多分、わかってない人がだいぶ、
白崎 だいぶ(笑)。
大西 置いてきちゃった感じがするので、まずちょっと基本的なことから説明しますね。まず中央政府、政府と中央銀行の一体化、結局、財政政策と金融政策、今まで分かれてたんですよ。金融政策っていうのはお金の量の調節です。どうやるかっていうと、中央銀行が金利を上げ下げして、何で上げ下げするとお金の量が調節できるかっていうと、お金の量ってもう皆さん理解したと思うけど、借金の量の調節なんですね。借金が増えるとお金が生まれるし、借金が減るとお金が消えるっていう仕組みです。だから、金融調節っていうのは基本的に借金の量の調節。中央銀行はどうやってやるかっていうと、基本的には金利の上げ下げでやってたんですね。だけど金利がもうゼロまでいってます、今、日本の場合は。で、そのあと量的緩和っていうのやってます。量的緩和って何かというと、日銀が市場にある国債を買っちゃう、銀行から。銀行から国債を買うと、要するに国債っていうのは今まで銀行がそれを持っていて、利息を取っていた、もうかっていたものなんですね。それを日銀が銀行から買っちゃうと現金に変わっちゃう、利息がつかないものになっちゃうね。そうすると、銀行もうかんなくなっちゃうでしょ。だからもうけるために何をするかって、それを誰かに貸しなさいと、貸さないと収益悪化するでしょって。で、皆さんマイナス金利って聞いたことある***けど、マイナス金利っていうのは市中にはないです。我々マイナス金利でお金借りられたためしはないですね。結局、日銀の中にある銀行の当座預金だけにかかるものなんですね。銀行が持ってる日銀の中の当座預金っていうのは一応3段階、松竹梅に分かれていて、一番下には金利がちょっとついて、金利がゼロで、一定以上お金積んじゃうとマイナス金利かけられちゃうね。そうすると、今まで国債を持っていて稼いでたお金にマイナス金利かけられちゃうから、これは大変だっていうことで、必死になって貸そうとするわけ。貸したらお金が増えるでしょっていうのが量的緩和なんです。実際どうなったかっていうとほとんど効いてないわけ、今まで。銀行はそれはやっぱ大して貸してないわけ。結局どうなってきたかというと、政府が、さっきも説明したみたいに、借金、政府の赤字でお金を作り続けてきた、この数十年。つまり、本来は金融調節、お金の増減っていうのは中央銀行の仕事だったものが、いつの間にか意図せず政府の仕事になってたわけ、知らない間に。多分、これ、意図してやったんじゃなくて、赤字財政を繰り返してるうちに、それがみんなのお金を増やしてきてしまった、結果的に。だから、これもう完全、実は今の政府がやることは、金融政策っていうのは、それをわかってないまま多分やっていて、多分、このMMTっていうのは政府がやることも認めて、要するに中央銀行と政府を、もうこれは一つのものとしてね。要するに、政府が借金をしてお金を使うなり、国債を発行することによってお金を作るという、もう意図的にやってしまった中央銀行の仕事も、もうちゃんとそれをもう政府の機能というふうに認めて、それを基本的にやりましょうという、
白崎 そうです。機能として認める。
大西 考えですね。
白崎 そういう意味では現状追認なんです、それは、全く。大西さん言われたように、実は市中銀行の預金口座っていう日銀にあるところから、一般銀行は貸し出ししないとお金が増えてかないんですけど、増えなかった。
大西 そう。
白崎 さっき、大西さんのグラフの緑のとこにあるように、銀行貸し出しは増えなかった。増えなかったから、さて困ったっていうことになって、量的緩和は、今、さてどうしましょうっていうことになってんですけど。MMTはそこで何を言うかっていうと、いや、だから、使えるように財政政策を重要視して、ランダル・レイ的に言えば完全雇用に近づくような政策をしたらいいじゃないですか。今、山本太郎さんなんかも言ってるMMTを基盤にして反緊縮やってる人たちはどういうこと言うかっていうと、いや、こんなにお金余ってんだから、これを皆さんに還元すればいいじゃない。例えば一部をベーシックインカムにしたらいいじゃないか、一部を福祉に回せばいいんじゃないか。つまり緊縮じゃなくて反緊縮でどんどんどんどんお金をみんなに配ればいいじゃないという具合に政策転換しなさいよということが今のMMTの延長に***。だから、ここにある市中銀行って、うちの地元、足利銀行も、その政府の金融政策と財政政策をただつなぐだけのものになるんです。ただし、ただしですよ、これ休憩のあとになると思いますけど、この銀行の信用創造のあり方はそのままです。借金でお金を貸す構造はMMTは変える必要がないって言ってます。ランダル・レイさんも含め、みんな。そこが大きなポイントです。借金でお金を貸す構造、大西さんがさっき説明した、我々のお金が増えていく構図自体はMMTは全く問題にしないです。ここで休憩したほうがいい?(笑)。
大西 どこまでいっても借金とお金を増やし続けるっていう、官民一体でという考え方ね、多分。もしかしたら、銀行が借金をしてお金を作る仕組みを変えたくないから、政府が借金をしてお金を作る仕組みも変えたくないんじゃないの?といううがった見方***。
白崎 私はそういう具合に見てますけど。だから逆に言うと、MMTが日本で今出た理由というのは、実はいいこともあるんだけれども、本当は本丸中の本丸を隠す。つまり大西さんや私が政府通貨発行しなきゃだめじゃん、つまり銀行貸し出しそのものを廃止しないとだめじゃんっていうのはあまりに過激で、それこそ救世主ネオでもできないことだから、そこは、
大西 やるよ、それ、俺。
白崎 そこは見ないようにしようっていうMMT独特のごまかしって言うとMMTやってる学者さんに怒られるかもしれないけど、私はそういう気がしています。ということで休憩したほうがいいですかね。
大西 でも、そこは功績のとこに入るじゃん。
白崎 そうですね。
大西 要するに、MMTが出てきたことによって、お金の発行の仕組みについて考える人が増えて、
白崎 増えれば。
大西 ***とてもいいことです。
白崎 いいことです。
大西 そこまで行き着いちゃうと、逆に逆戻りできないです。もうここまで理解してしまったら、違うでしょって、本当にやんなきゃいけないことは違うでしょってみんなが理解し始めれば、MMTを通過してここまでいけるんですよ。で、あと、2番目の白崎さん、これも今までの全部常識ですよね。
白崎 そうですね。だから、この国会で散々言ってるプライマリーバランス、プライマリーバランスって、もう私口が回んないです、プライマリーバランスって(笑)、これがいんちきなんですよ、こんなもん。
大西 おまえら今まで何の話をしてた?って話です。
白崎 でも国会でも、
大西 国会の予算委員会っていうのは、
白崎 無駄。
大西 あれは何なの?何なんでしょうね。茶番だか、能なんだか、日本の伝統芸能なのかよくわかんないですけど、完全に意味のない、
白崎 意味のない伝統芸能ですわ、国会という。
大西 あと、税の定義、再定義。ただ僕弱いと思うんです、税の再定義としてはね。これ、あくまでも財政とか金融的な側面しか見てなくて、税制の一番大事なとこって何かっていうと思想なんですよ。何に課税して何に課税しないか***。よく僕は軍事課税の話もするし、本当に課税しなきゃいけないとこには課税しなきゃいけないし、その一番大事な税制の思想に関しては残念ながらMMTは一切言ってない。再定義、まあちょっと、
白崎 言ってないっていうよりも、さっき言った税で回収するっていう、そこだけ言ってるんですよね。大西さんが言われるように、実は税の思想っていうのは経済学者はほとんどが考えてこなかったんですよ。
大西 経済学者だからかもね。
白崎 税金って歴史的に言うと、発生、例えば日本で言うと、次のスライド***、もう、
大西 もういっちゃうね?
白崎 うん。
大西 ここまでいっちゃおうか。
白崎 いっちゃう。これ、私の師匠の関曠野(せきひろの)さんから教わったことなんですけど、所得税って日清戦争で、相続税は日露戦争で、厳選所得税は大東亜戦争、括弧つき、大東亜戦争ね、アジア太平洋戦争なんで。要するに、何でも税金って戦争とくっついて出てきてんですよ。大量殺戮で。(笑)。大量消費、大量殺戮のために税金ってシステム化されて、これ世界的にそうです。で、そっから一歩も進んでないですよ、税金に対する思想。だから私、大西さんの本読んだときに、土地の公有化うんぬんかんぬんとか書いてあるじゃないですか。これ皆さん読まれたと思うんですけど、あれは、大西さんってものすごいな、別にここにいらっしゃるからおだてるわけじゃないですけど(笑)、すごいと思いましたよ。あそこまで考えるプロが、経済学のプロがほとんどいないんじゃないか。大西さん***プロ中のプロなんだけど、すばらしいと思ったんですけど、やっぱりそういうくらい、税って何か僕たちって単に日本国憲法で納税の義務って書いてあるだけで、取られる一方でそのままになっちゃってるっていう現状がよく出ているなと思いました。っていうところで、休憩しましょっか。
大西 そうですね。じゃあ、ここで一旦3時10分まで休憩を入れますので。皆さん、おトイレはそこ、真ん中のドアを出て、下、地下にあります。
白崎 あと、ぜひいろいろ本売ってます。買ってください。(笑)。
(01:44:05〜01:54:09 休憩)
(01:54:09)【MMTの前に考えておくべきこと】
大西 そろそろ後半いきます。で、次。
白崎 じゃあ休憩終わりということで、皆さんお戻りでしょうか。始めます。さっきの続きですけど、税金は何のためかわかんないままきちゃったので、経済学っていうのは見逃してきたっていうことも一つなんですけれども、その次にもうちょっといきたいんですけれども、今日の後半部分の話の肝です。MMTが考えていることの前に、私たちが考えておかなきゃいけないことは何かっていうことで、もうこの赤字そのままです。私たちの銀行マネーシステムは、何回も今日出てくるフレーズですけど、銀行マネーシステムだということがポイントなんです。借金でお金を、
大西 借金マネーシステム***ね。
白崎 これです。今ちょっと控え室で大西さんとしゃべってたんですけど、今、MMTを進めてる日本の学者さん何人かいますけど、例えばこの前、私はベーシックインカム学会っていうのを、ツアーやって、そのとき松尾匡さんに記念講演やってもらって、日本でMMTを進めてる松尾さんにちょっと話を個人的にしたんですけど、彼も最終的には政府通貨、つまり今日の後半出てきますけど、要するに借金マネーシステムをやめるしかないっていうのははっきり言ってます。論文にも書いてます。でも、経済学者の人たちがちゅうちょするの何かっていうと、そんなマトリックスを根底から覆すような破壊的なものを、破壊的***、ラディカルなことは皆さん本当にできるんですか。つまり政治の課題としてそれが本当に可能なのかどうかっていうところで経済学の人たちは一応、ちゅうちょするっていうか、びびるんですよ(笑)。これも言葉適切じゃなかったらごめんなさい、松尾さん。(笑)。びびるんですよ。一歩手前とどまる。だから、MMTのほうがやや軟弱でいいんじゃないかって***。
大西 我々が勇気を与えてあげましょ。
白崎 (笑)
大西 突き進む連中が増えてくれば、みんなついてきますんで、そこへ。
白崎 だから、経済のテクニカルな議論で言っても、MMTがそのまんまでいいとは、やっぱり良心的な経済学の人たち思ってないことがよくわかります。でも、僕たちがターゲットにしているのはこの銀行マネーシステム。さっき言ったように、お財布に入ってるお金だけがお金じゃないってことです。で、ちょっと先***。いいですか、大西さん。
大西 はい。
白崎 これはちょっと小さくて多分皆さん見にくいと思うんですけど、国債を誰が買ってるかって円グラフです。一番左の円グラフの緑の部分で薄緑が日銀が買って、これ平成27年のちょっと前のデータなので、まだ日銀の割合がそんなに多くないです。
大西 でも、だいぶ買ってますよ。
白崎 でも、これでも200兆円、
大西 そんなんじゃなかったです。
白崎 300兆円ぐらいか。
大西 銀行が持ってたぶんですけど。
白崎 あとは大部分の同じぐらいの割合を銀行が買ってるっていうやつですね、この国債を。それは生命保険会社が買ってます。要するに、さっき大西さんが言われた、国債を買っている利息まがいの、我々から、税金から搾り取られた***どこに行くかっていうと、やっぱ金融機関に行くんですよ、銀行とか生命保険とか。ここにたまってっちゃうんです。だから、国債のシステムって、我々の税金の、要するに金持ちシステムに移行するため、さっき大西さん何つったっけな、要するに移行システムの、
大西 格差拡大マシーン。
白崎 格差拡大マシーン。
大西 これ、まだ外国人に握られてないだけまだまし。
白崎 まだましか。
大西 少なくてもみんな日本人なんで。
白崎 少しいるんですよ、外国人投資家。
大西 もちろんそう、外国人投資家もいるし、
白崎 少しですけど。
大西 銀行とか大手の生命保険とかの株主もかなりの割合外国人投資家になってるっていうのはもちろん問題で、富は流出してますよ。
白崎 要するに、この富の拡大移転がなぜ起きてるかっていうと、国債の利払い部分は金融機関に行っているというかたちなんで、一応(?)、(笑)。
大西 そもそも、だから、お金って皆さんの生活に必要な、すべての生活の基盤になってるような、そこの発行システムでごく一部の人たちがもうける仕組みっておかしいでしょ。要らないでしょ、そんなの、そもそもね。という話ですよね。
白崎 よくベーシックインカムやったら働かなくなるとか働くとかっていう議論必ず出てくるんですけど、働く働かないっていったって、資産が、世界の人口の8人が何でしたっけ、36億人と同じ?
大西 そんなこと言ってますね。
白崎 そんなふうに言ってますけど、そんな労働ってあるんですか(笑)。時給いくらにしたらそんなにたくさんもうかるんですか***。つまり働いてないじゃん、***至上8人の人たちとかね。だから、働く働かないって議論っていうのはもう全くナンセンスだと思います。
大西 そもそも、我々こんな働かなくていいのに、
白崎 (笑)
大西 こんだけ技術発展がして、これだけ効率的にものをたくさん作れるようになって、全然我々の時間開放されてないのは、ごく一部の人たちがそれを持ってってるという、その成果をね。
白崎 次いきましょうか。これは歴史の話ですけど、これは『負債の網』にちょっと出てきますけど、この、いわゆる富の移転マシーンっていう国際体制っていうのは実はヨーロッパで作られている原型があって。16世紀のオランダに、これやっぱ戦争なんですよ。なぜかっていうと、当時、王様って、権力者ってやっぱ借金するんですよね、戦争って膨大な費用を使う。それを踏み倒す、力があるから。俺はおまえらに金払わねえぞって。こんな国のために戦ったんだから、もう俺は借金はおめえには返さないっていうので何回も踏み倒してた。そうすると、さすがに金融家たちは困るんです。で、王様に踏み倒されないためにはどうしたらいいか考えて、そのときに議会っていうのを作ったんですよ。みんなで決めたから、王様、もうしょうがないじゃないですか、議会で決議上げたんだからだめでしょっていう具合に、議会とくっついてこの国債の発行のシステムを作って、なおかつ、このときに中央銀行っていうの作ってもらうんですよ、王様にお墨つき与えてもらって。じゃあ、あなたたち銀行の代表もこれは国の代表機関と同じに扱いいますから、それで税金取って国民から集めてくればいいじゃないと、それで俺に返してくれよっていう、この王様と結託した、権力者と結託したシステムを16世紀のオランダに作り上げた。だから、税金で取るっていうことと国債で権力者が資金をまかなうっていうのがくっついていて、なおかつ議会制っていう、我々議会制っていうと民主主義でおめでとうっていうふうに思うでしょ。そうでもないんですよ。議員さん今日いらっしゃって、怒られるか、議員さんって怪しいんですよ。(笑)。これなんですよ、だから。だから、議会と借金マネーシステムは実は歴史的にくっついてるということだけ押さえとけばいいと思います、今日。怪しい***。次は、これもさっき言ったおさらいでそのまま読んでおきますね。政府の通貨システムの不備って、さっき言った、津久井やまゆり園事件の、
大西 これ、政府の通貨システムの不備っていうか、今の通貨システムの不備ってことですよね。
白崎 そうです。今の通貨システムの不備が財政難を引き起こしたということ。これはシステムの不備なんです。パソコンで言うとOSの不備ですよね。その不備は何かっていうと、やっぱりこれはもう大西さんがさっき何回も言ったように、この銀行通貨システムで、利子つき負債マネーシステムで、どんどんどんどん借金を膨らましていかないと成り立たない。実は資本主義ってそういうもんだっていう***ということです。ここは前半戦の実は結論で、お金を発行するところが、実はよくある通貨発行権っていうのは日銀、中央銀行と一般の銀行、二つあるっていわれてるんですけど、メインは、何回も言いますけど、一般の銀行、市中銀行は皆さんにお貸し出し、住宅ローンとか、あと、会社経営されてる人たちに貸すとか、そこで初めてお金が生まれるんですよ。だから、通貨発行権を持ってるのは民間銀行です。日銀は確かに通貨発行の発行権は持ってます。要するに日銀券であの1万円のあれを刷って持っとく権利は持ってる。けども、日銀って要するに銀行のパシリなんです。使いっぱ。中央銀行だけど、銀行システムを最後のとこで使いっぱで支えてるものだと考えてください。だから、通貨発行権は一般の銀行が貸し出すところにある。それを支えてるのが中央銀行。全体として銀行システムが成り立ってるということで考え***。これも繰り返しになりますけど、お金は預金の流れから生まれるわけじゃないんですよ。銀行貸し出しで、ただ皆さんが何とか銀行の帳簿に載るじゃないですか、パチパチパチパチ、デジタルの、あの数字がお金ですね。だから、預金が先立つんじゃなくて、銀行貸し出しが通貨を生み出す、銀行貸し出しが先立つというところが今日の大きな柱です。これはMMTを根底から理解するときもやっぱり必要な考えだと思います。
大西 よく、だから通貨発行権とか中央銀行の通貨発行権とかいうけど、中央銀行が通貨発行権を持ってるわけではなくて、中央銀行って何やってるかというと、民間銀行の貸し出しをコントロールしてるだけなのね。民間銀行がお金を貸すとか貸さないかっていうのを、要するに金利の調節で誘導してるだけで、実際この数字を、日銀っていうのは大したこと何にもやれてないんです。一生懸命金融緩和しようとしてるんだけど、金利は下げられないし、必死になって国債を買ってるんだ、これ買いオペっていうんですけど、買って、要するにその代金を各銀行の当座預金にお金を置くんだけど、それを貸してくださいねって言ってマイナス金利までかけるんだけど、銀行は貸せる相手を見つけらんないんです。何でかっていうと1億3000万しかいないから、貸し続けるったって無理なんです。だから何もできてないと、基本的にね。通貨発行も実際できてなくて、しょうがなく今まで何をやったかっていうと、じゃあ銀行は誰に貸せるの?って。唯一、今、貸せるようになってるのは、この数十年、日本の政府だけなんです。だから、日本の政府にお金を貸し付けて、日本の政府がお金を使って皆さんの預金を作ってきたっていう、そういう仕組みです。だから、通貨発行権うんぬんとか、日銀の株主が半分誰だかわかんないとか、どうでもいいです、それは。大した意味ないです。通貨発行権持ってるのは各銀行の融資担当者がみんな通貨発行権持ってます。
白崎 ***大事です。
大西 仕組みを理解するとシンプルな仕組みで、誰か融資担当者がお金を貸すって決めた瞬間にお金が生まれるんですね。そういった意味で考えると、どこに不備があるかっていうと、システムに不備があるんです。という話。
白崎 そのとおりです。全くそう。システムに不備があるっていうことで、本当はここが前半戦の***。
大西 僕、最後に***話そう***、これ、結局、今の金融経済こうやって考えると、何で我々はこんなお金を奪い合ってんのか。結局、我々、仕事って今何をしてるかっていうと、売れ売れ売れってみんな言われるでしょ。
白崎 全くそうです。
大西 要するにお金をもらえって言われてるんですよ。何でかっていうと、常にすべてのお金が借金で発行されていて、そこに利息がついてる状態だと、さっき言ったみたいに、100人、100万円お金借りてもらって、そこに5%の利息がつくと、巨大な椅子取りゲームになるんですよ。足んなくなるからね。で、これが例えば、毎年毎年5%ぶん借金を増やせるだけの人口増があって、それに対応するだけの財の生産があって、売れまくってっていう高度経済成長期はいいんだけど、必ずそれ止まります。止まったときにお金の伸びがなくなるわけですね、借金増えなくなるから。そうすると、お金が足んない状態でみんな一生懸命利息ぶんを集めようとするんですよ。そうすると、何をしだすかっていうと、どんどんどんどんとにかく自分たちのコストを削るようになります、買ってもらうために、お金が足んないんで。それがデフレに向かうんですね。それから、それをやり続けることによって結局何が起きるかというと、お金をもらうゲームになって、本来、経済っていうのは価値の生産と交換のためのものです。みんなに必要なものを作って提供するのが経済です。だけどお金をもらうほうが主になっちゃうと、何でもいいからとにかく売りつけて、お金をもらうための言い訳になってます、今の経済。とにかくもう何をやるかっていうと、例えば安かろう悪かろうを作って、例えば1万円で今まで作っていたものを5000円で作ると。5000円で作るんだけど、作ったものっていうのは、多分、1万円で作ったものの半分ももたないんですよ。そうすると、同じ期間の間に2回買ってもらえるね。それで買ってもらう機会をどんどんどんどん増やしてく。そうしないと今の経済回んないわけ。何が起きるかっていうと、とにかく買ってもらったら捨ててもらいたい、壊してもらいたい、また買ってもらいたいということをどんどんどんどん続けると何が起きるかっていうと、当然こうなりますよ。我々もう捨てるために作ってるんです。こんなものを今日買っちゃいましたけど、これ買ったんじゃないよな。もうペットボトルなんて捨てるために作ってるんです。(笑)。もう本当に何のために経済を回してるのかっていう、これ、金融の話じゃなくて、我々の頭ん中の話です。根本がおかしくなってんです。今の金融経済、狂気です、そういうこと言うと。お金をもらうための経済になっていて、本来の経済のかたちとはひっくり返ってしまっていて、そこを根本的に、今、考え直さなきゃいけない時期にきてる。
白崎 本当そうですね。
大西 それが前半の、本当は終わるとこだったんですけど、後半、(笑)、
白崎 ***ちょっと***。
大西 こっから***。
(02:08:48)【じゃあどうしたらいいか 具体的な政策】
大西 で、じゃあどうしたらいいかって話ですよ。何が問題なのかもう多分皆さんわかったと思います。誰かが借金をしないとお金が生まれない仕組みが全く無意味なんですよ。そんなことをやる意味が全然ないんです。多分、かつて、昔はそれをやってよかった時代があったのね。それは何かっていうと、借金っていうのはお金の発行なわけです。だから、要するにお金を作るっていうことは、お金っていうのはそれだけでは意味がなくて、それ以外の実体価値、対応する実体価値があって初めて意味があるんで。借金でお金を作った時点ではそれに対応する価値がない状態ですね、その状態では。だから、それ作ってもらわないとバランス崩れちゃうんです、お金だけ生まれちゃうと。だから、借金としてお金を発行して、それに利息をつけて、要するに、お金を借りた人はそれを使って生産活動しないと返せない状態に追い込むわけ。そうすると作りますね、何かをこの世に提供します。そうすると、その生まれたお金に対応する実体価値が生まれることになりますね。それでみんながたくさん作ることによって幸せになった時代があった、それができた時代。ただそれは無限には続かなくて、もうそれは時代遅れになってるという、そういう、今、状況です。今何をしなければいけないのかというと、こういう借金でお金を作る仕組みを根本的に変える。要するに誰の借金でもないお金を政府が責任を持って、過渡的にですよ、今はね、作るのが一番妥当な解決策。これはもう白崎さんもずーっと言ってる話です。政府通貨を発行するのは一番簡単で、一番シンプルで、一番それが自然なかたちだと***。お金を例えば発行したときに、今度逆に、それこそ今のMMT論者が言ってる中で、税金っていうのはそれを回収するための一つの手段、それは正しいです。僕は本に書いてます。そうやって政府通貨をばんばんばんばん発行して、ちょっとこれはお金を回収したほうがいいなっていうときには税金を上げるんです。消費税とかじゃなく、所得税をみんな一律上げる、不公平にならないようにね、というかたちでお金を回収すると。まずお金の発行の仕組みのところだけ説明する。まずそれが、そもそも、これみんな、まあここにいる人たちはほとんど知ってると思いますよ。一人頭、国民の、国の借金が850万みたいのがいかにうそか。さっきも言ったみたいに、もちろん日本の政府の国債を持ってるのはほとんど機関投資家とか、ほとんど日本人です。だから、国内で貸し借りチャラの話なんですね、政府の借金は。逆に国家として見れば日本は世界一のお金持ち国。それはこの主要国の対外純資産とうキーワードでネットで検索すると財務省のホームページが一番上に出てきます。これ最新のデータですね。それを見ると、一番上に日本、ぶっちぎりのトップですよ、常に。341兆円、世界一の対外純資産。対外純資産ってことは、日本が世界中に貸してる金額から日本が世界から借りてる金額を差し引いたNET金額です。それが世界一だっていうことは一番お金を貸してる国だってことですね。何でそんなことになったかというと、ずーっと日本が黒字を稼ぎ続けた結果ですね。実際、だから、341兆円なんですけど、基本的に黒字で稼いでるんで、すべて、これ、ほぼ外貨です。約3兆ドルの外貨で、外貨なんで、ほぼすべて海外に貸しっ放しです。だから、日本が世界一のお金持ち国であるって言われてもぴんとこないのは、ほとんど皆さんのためには使われてないんですよ。アメリカに、例えば投資してると、その国でドルは使われて、その国の人たちの給料を払って、それで買ったものは全部その国の人たちに提供されるんで、何にも入ってこないんです。例えて言うと、世界一のお金持ち家庭があったとして、うちは世界一のお金持ちだねっていうふうに子どもに言うんだけど、そのお金全く使わないで貯金しっ放しなんで、子どもは、うそだね、絶対貧乏だって言うわけですよ、何にも入ってこないから。皆さんその状態です。世界一のお金持ち国なのに何にも入ってこないから、使えてない。黒字を使わなきゃいけない、本当はね。どうやって使うか。例えばどうやって使うかというと、政府通貨を発行するんです。フェア党が政権取ったら1人100万円配ります。全員に、全部で130兆円です。何が起きるかというと、そうすると、多分、皆さん働くのやめますよね、少しね。4人家族で400万来たら、お母さんはちょっと働くのやめようと思うじゃないですか。今まで5日パートに出ていたお母さんが2日で済ませるね。お父さんもこの機会だからフリーランスになって週休3日にする。何が起きるかっていうと、生産が落ちますよ。生産が落ちるとおそらく輸出が減ります。余計に余暇の時間ができたから何をするかっていうと、休んだり遊んだりしますね、国内旅行でも何でも、そうすると消費が増えます。余計にドライブするようになると余計に原油の輸入が必要になって。要するに消費が増えると輸入が増えるんですね。輸入が増えて働くのやめるから輸出が減りますね。そうすると赤字になっちゃうかもしれませんね、日本がね。赤字にしなきゃいけないです。何でか、世界一の黒字国でしょ。黒字を使うためには赤字にする以外の方法ないじゃないですか。そうやって黒字を減らしてく。それが皆さんのために使うってことなんです、黒字を。皆さん本当はずっと昔に、もうこの膨大な黒字を稼ぐ以前に働くのをやめなきゃいけなかったんです。一旦やめなきゃいけなかったんだけどずーっと働き続けて、自分たちの身を削って。だから、本当に皆さんのために、黒字を使うために何をするかっていうと、お金を作って配る。簡単なんですよ、130兆。どうやってやるかっていうと、例えば130兆配る、一人100万円必要なので、政府が1兆円紙幣を130枚作ればいいです。それを日銀に預けます。日銀はそれを金庫に入れて、日銀はお金預かったんで、それを通帳に書きます、政府の通帳。政府預金口座に130兆、数字を書くだけですよ。これで終わりです。あとは民間に、皆さん一人一人に振り込みゃいいんですよ。そうすると、皆さんは自分の預金口座が50万円だったものが150万円に増えます。4人家族のお父さんだったら、もしかしたら450万、代表して受け取る、もらうかもしれないです。それを使うときには今までどおりの送金をするんで、引き出すときには今までどおりの1万円札で引き出すんで、政府通貨を発行したといって、それが今までの紙幣と混同するからいけないみたいな話は一切なりません。何でかっていうと、この1兆円紙幣130枚は日銀の金庫から出てこない。だから1兆円紙幣でいいんです。場所取らないでしょ、そのほうが。万が一流出しても使えない、1兆円紙幣だったら。お釣り誰が出せるんだって話ですよね。
会場 (笑)
大西 同じことを、例えば政府の借金を消すときにできる。900兆の政府の借金あるんだったら、900兆政府がお金作っちまえばいい。そもそも政府借りっ放しで返す気ないんでしょ。これ借りぱくなんだよね、そもそもね。だったら借りぱくですって言って消しちゃえばいいですよ。どうせ返さないんだから。政府が1兆円紙幣を900枚作ればいいです。それを日銀に預けますね。日銀はそれを金庫に入れて、政府預金口座に900兆って書くだけです。あとはこれを、お金を貸してくれる人たちに返せばいいんですけど、誰が貸してくれてるかというと、今まで従来はほとんど銀行なんです、日本の。銀行に900兆返す、銀行が国債山ほど持ってた***。で、900兆返せばいいんですけど、今、さっきもグラフで見たみたいに面白いことが起きていて、アベノミクスの異次元の金融緩和で山ほど日銀が国債を買ってるんです。もう半分以上買っちゃってます。400兆か500兆ぐらい買っちゃってるんです。だから国債がこう行ってるんですね、日銀に。何も起きてないでしょ、別に。金利も動いてないしインフレにもなってないし、別に生活的に何も変わってないですよね。あとは全部買っちゃえばいいですよ。全部買っちゃえばいいです、900兆ぶん。何が起きるかというと、このときに、そしたら、あれ?この日銀の金庫の中に900兆円ぶんの国債あるじゃん、これ政府に貸してる。900兆の政府の預金があるんで、政府から預かってる。日銀のバランスシートの左右に900兆両方あるんです。***消しちゃえばいいんです。多分、何の変化も皆さん感じないです。もうそれこそチョウがそこに羽ばたいたぐらいの変化も感じないです、全く。だけど、このバタフライ効果っていうのはものすごいあとででかくなります。何でかっていうと、年間9兆円の利息が消滅するわけですよ。誰かが受け取ってた9兆円の利息が消滅するわけ。この30年間の間に300兆移転していた利息が、累計利息が今後はゼロになる。多分、これ、巨大な格差拡大マシーンだったものが、その運転を止めるという。誰が一番困るかっていうと、銀行が一番困ります。今、死にそうになってます、半分買われた状態で。何でか、現金に換わっちゃってるからね、今まで利息を稼いでたのが。だから、これを一気にやれとは言わない。これを一気にやると銀行もっとおかしなことやるから。銀行、今、既にだいぶおかしなことをやっていて、無理やりでも貸さないと、要するに収益が悪化するんで、無理やり貸すわけですよ。だからスルガ銀行なっちゃうのね。
白崎 そう、スルガ銀行(笑)。
大西 (笑)。それから、銀行が無理やり貸そうとすると、大丈夫そうなとこに貸すんだけど、そうすると、不動産担保融資になるわけ。何でタワーマンションがぼんぼんぼんぼん建ってるんだと思います?貸しやすいんですよ、担保融資だと。これから人口が減るっていうのにそういう無駄なことをやるのは、お金がそっちに流れるから。このままもし銀行から国債を全部買っちまえば、銀行は多分ひどいことをやるんで、そういうことを含めて、ちゃんとしっかりと網をかけながらやんなきゃいけないんだけど、これでできちゃいますよって話。これがもう何をばかなことを?って思うでしょ。だけど、もう実は歴史的にやってんですよね。これ白崎さん***。
(02:19:12)【 『負債の網』に見る政府紙幣の実例】
白崎 歴史的にそれはもう実例があるっていうのが今日持ってきた『負債の網』の本の流れです。だから、あれ、経済の本じゃなくて、通貨の歴史の本、ないしは、もうちょっと深く言うと政治の本です。政治の歴史の本。著者のヘレン・ブラウンさんはアメリカ人なんで、彼女が理想としているタイプっていうのがあって、それは政府紙幣っていうのはもう実例があって、今、アメリカの建国時の共和国精神の中にちゃーんと埋め込まれてますよっていうふうに***ね。それがあの本にずーっと書かれてます。だから、あの本読むのが大変だっていう人は最初まず1、2章を読んで、あと、いっぱい世界史の実例が、それこそデリバティブからもう何からいっぱい出てくるんですけど、それは辞書的に読みたいところだけまず読んでいただければいいと思います。その最初の基本のアメリカの共和国精神に何が生まれたかっていうと、最初に出てくるんですけど、これ、3分の1の大陸紙幣っていうんです。これ政府通貨です。これはどういうところ作ったかっていうと、独立戦争って、皆さん、要するにアメリカがイギリスから独立するっていうときに、政治的なことを考えますけど、あのときに、ポイントは、やっぱりイギリスの経済的な支配から自分たちの独立、それこそ経済的に独立することだったんです。それは通貨を発行する権利をイギリスから奪うこと、つまり闘争で取ることだったんですね。そのときに作ったモデルが、あのときは13州っていう州に分かれてるわけですけど、その州ごとにいろいろ紙幣を作る。で、その一つの例はこれなんですけど、もう一つは次のスライド。ここにありますね。ペンシルバニア植民地政府紙幣ってあるんですよ。これ有名で、『負債の網』の中にも出てくるんですけれども、アダム・スミスって、さっきやった経済学者の系譜がありましたが、あの一番親玉の経済学作った人、アダム・スミスさん***ますけど、その人もこのペンシルバニアの植民地政府紙幣っていうのは非常にうまくいってる例として挙げてます。だから、やっぱりこれはイギリスの銀行支配から独立して、自分たちの政府のための通貨、人民のための通貨を作るってことをもう歴史的にアメリカはやったんですよ。そういう具体的な例です。で、
大西 イギリスの銀行からの、
白崎 そう、離脱ということですね。
大西 離脱ってことですよね。
白崎 で、これの伝統をずーっと『負債の網』ではいろんな歴史的例を挙げて書いてますけど、そのもう一つの大きな柱にしてるのが、ちょっと戻っていただいてよろしいでしょうか。皆さんご存じのアメリカあのリンカーン大統領のグリーンバック政府紙幣っていうのあるんですね。これはグリーンバックって何かっていうと、ドル紙幣ってあの緑っぽい色してるんですけど、それのことをいってるんで、これを民間は南北戦争のときに、自分のところの戦費の調達のために政府紙幣として発行して、これがうまくいった***。このグリーンバック紙幣っていうのは、単に北軍、南軍で北軍勝ったとかっていう話ではなくて、やっぱり南軍のもとにあった、要するにイギリスからの通貨的な監視を、植民地的な扱いに対して、やっぱりもう一度アメリカが独立精神を取り戻すということで、これを発行してるんですけれども、その精神に立ち戻るべきだというので、『負債の網』の中ではこのグリーンバックっていうのが何回も出てきます。これ、政府紙幣の代表なんですけど、実はこの成功例っていうのは世界史の中にいくつもあるんです。『負債の網』の中に、今回は個人名は出てきませんけど、高橋是清さんという、戦前、高橋財政、日銀直接引き受け、これいわゆる政府紙幣なんですけど、これ発行したりとか。あと、これは取り扱い注意ですけれど(笑)、ナチスのときにやっぱり政府紙幣発行して、シャハトという人が金融独裁でナチスの経済を作り上げる。もちろん彼はヒットラーと対立してあとで辞めちゃうんですが、そういうこととか、ゴットフリート・フェーダーって、フェーダー通貨って***も『負債の網』に出てくるんですけど、フェーダー通貨っていうのは実に危険思想的***。フェーダーさんっていうのはナチスの将校ですけど、彼が言ってたのは、利子つき負債じゃない、負債のない政府通貨を発行するのが一番のドイツ帝国の基本だって提案した人物です。これ、ナチスとくっついてるので、大体みんな取り扱い注意、ふれないんですよ。ふれないんだけれども、エレン・ブラウンはこれを、ナチスでやったことはひどいことだけれども、それをまず置いといて通貨政策として見たときに、やっぱりグリーンバック精神のある種の表れという具合に見言って、ナチスをちゃんと理解するためにもこの通貨の問題をきちんと勉強すべきだっていうのは言っています。というように、いくつもあるんですよ。大体これを攻撃する人たちの論点というのは、MMTに関してもそうですけれども、正統派の経済学者や政治家たちは必ず、政府通貨なんてインフレになって、ハイパーインフレになっちゃうからだめだよ、必ず言う。でも、それは歴史的にそうじゃないんだよっていう例を、このエレン・ブラウンのあの分厚い本で書いてますんで、今日ぜひ皆さん買っていただいて(笑)、よろしくお願いします。
大西 分厚い本ですけど、前のピケティの『資本論』よりはるかに中身がある。
白崎 ピケティのよりはいい。(笑)。
大西 ピケティの『資本論』は厚いだけで、表紙だけ読めばいい。「r(資本収益率)>g(経済成長率)」って、資本収益率が常に経済成長率よりも高いって当たり前じゃん。で、金利のことは一つも書いてないの、あれ。
白崎 ピケティのずるいところは、銀行信用創造の話はほとんどふれてないですよね。ちょっとふれてますけどね。
大西 もうあんな意味のない本は***。
白崎 何であんないんちきな本が10万部以上***。
大西 押し花作るの***。
白崎 (笑)。それに比べると、私のところで出した本は、皆さんに、
大西 いや、本当に面白いですよ。『オズの魔法使い』の話とかね。僕『オズの魔法使い』がお金の仕組みの話だとは知らなかったんですよ。
白崎 あれは要するに、
大西 改めて読んでみよう。
白崎 『マトリックス』と一緒ですね。現代版の『マトリックス』はお金の、通貨の比喩なんですけど、『オズの魔法使い』は要するに昔からということで、非常に対応してるということですね。時間がなくなってきました(笑)。それで、当然あのエレン・ブラウンのこの政府通貨の問題については、これからの具体例として、こうやったらうまくいきますよっていう具体例を出すんですけど、それの一つです。これ、本の中にも出てきますけど、ダグラスという人ね。これ、さっきお話しした関曠野さんに私も教わって、関さんもちょうど私がベーシックインカムの会を始めた10年前に、東京で講演会やったときに再評価のまとまった提案をしてくれたんですけど、その話が出てきます。ダグラスの話すると長くなっちゃうんで、簡単に言うと、三つ柱があって、ダグラスの政策は公共通貨、政府通貨発行と、国民配当、ベーシックインカムの、この二本立てです。適正価格っていうのジャストプライスっていうんですけど、これちょっと今日省略して。要するに政府通貨で国民配当、さっきの大西さんのやつで、政府通貨で何でした?黒字配当?
大西 そう、とりあえず100万配れ。
白崎 あれとおんなじです。ダグラスの目指していたのは、要するに、デフレ状態にある経済をどう克服するかってことなんです。経済学っていうのは、簡単に言っちゃうと、いけいけどんどんに対応した学問です。経済が成長してもうかって、インフレ状態に対しては何か対処法を経済学考えてきたけれども、デフレでものが売れない、みんながお金使ってくれないことに対して対応する策はほとんど何もないんですよ。デフレに対して弱点なのが経済学。それに対してダグラスは、いや、いや、デフレって要するに一人一人の、さっき大西さんが言った、使うお金、難しく言うと購買力がないからでしょ。だから、購買力皆さんにつけてもらうために、お金って、お金は別にものじゃないんだけれども、購買力を取ってくる印として、切符みたいなものです。皆さんにお配りしましょうっていうのがベーシックインカム。ダグラスはベーシックインカムって言葉使ってません。ナショナルディヴィデンド、国民配当、私こっちの言葉のほうがいいと思ってんですけど、これを提案した人です。これは今、実は翻訳を私が監修で引き受けて、いずれは、これ実は私の出版社じゃない別のところでダグラスの主要著作は翻訳予定で、解説を関さんに書いてもらうんですけど、なるべく早く出したいと思ってます。
大西 いずれにしても、こういう同じ考え方をした人が過去にもう何人もいたってことですね。
白崎 いてる。もう一つの例が、これは次のスライド。これが『キャピタリズム』という映画ありましたよね。マイケル・ムーアっていう監督の映画があったんですが、その中にもこれ出てくるんですが、アメリカで、銀行なんだけれども、唯一政府通貨をやってる、この非常に近い例をやってる公共銀行、英語で言うとパブリックバンキングっていうのをやってるところがありますよっていうやつで、ノースダコタ州にはノースダコタ銀行、これ州立の銀行なんですよ。州立の銀行だけど、東京都銀行と違いますよ。(笑)。これ農民が作って、簡単に言うと、政府通貨やるみたいに、お金を、もちろんドルは使うんだけれども、ドルを使うんだけれども、州の予算に全部貸し出したやつ、利息とか貸し出しは戻ってきて、それは州の公的な、なるべく事業に使います***分配するんです。農民のために作った銀行ですから、農業のためです。あと、農家の人が大学にいったり、専門学校にいったり、奨学金ですごく安い低利で貸すという事業をやってるやつで、アメリカではここはもう、リーマンショックのときにものすごく失業率が高かったんですけど、このノースダコタだけは失業率がものすごく低かったっていうのもそういう政策の表れだと思います。だから、このパブリック銀行というのも完全な政府通貨じゃないんだけれども、一つの成功事例としてエレン・ブラウンはやってみたらいいんじゃないかということで、すごくたくさん紹介してます。だから、今日渡した資料の中にも、タイトルが、最後、公共銀行***けど、それはそういうことです。これがノースダコタ銀行です。これもネットにいろいろ資料がありますから、皆さん一回見てみてください。ここで『負債の網』を一つの実例としてご紹介をさせていただきました。ではそれで、***(笑)、次いきましょうね。
(02:29:51)【資本主義から抜け出す六つのパターン】
白崎 結局、さっき大西さんが言った政府通貨、つまり借金じゃなくなるお金、借金じゃなくなるお金っていうことは、利息払いが一部の超大金持ちにだんだんだんだん偏っていく。要するにお金のヒエラルキーを生んでると思うんですけど、階層構造ができてくということとつながっていて、我々のやっぱ資本主義社会ってどうしてもこのピラミッド型になるんです。今、ピラミッドの上は、ものすごい先端はとがっていて、ホリエモンとかもそうかもしれないですよね。ホリエモン、いろいろネット上で税金がどうとかってもめてましたけど、ああいう人たちって保釈金何億円ってすぐ払えるわけでしょ。(笑)。全然想像つかないですよね。要するに、その人たちと、それから下は、今、『アンダークラス』って、早稲田大学の橋本さんっていう学者さんが最近本にしましたけど、要するに、年収が100万とか、ぎりぎりのところで生きてる人って大体1100万人ぐらいいるんですよ。それがどんどんどんどん増えていて、中間層がどんどんやせ細って、どんどんどんどん年収が下がる下がる下がるっていうのに入ってきて、そういうピラミッド構造になっちゃってるんです。これはまさに銀行信用経済を作った一つの負の遺産、ピラミッドですね。で、これを超えるヒントっていうのを、私、最近考えて、あの上に書いたんですけど、そのときに作った手描きの図なんですよね。要するに、資本主義から抜け出す六つのパターン。1が、
大西 これは全体っていう意味よりも1人、個人としてね。
白崎 そう、個人として何ができるか。
大西 あなたがどうやって資本主義から抜け出すかっていう話ね。
白崎 逃げられるか。資本主義から逃げられるために、まず何でみんな金持ちになりたいかっていうと、要するに、俺は一生遊んで暮らすって、金をもうけたらこのピラミッドからぽーんって抜けてっちゃう。今、超大金持ちって、例えば、税金逃れるためにタックスヘイブンってケイマン諸島に自分の資産を移して、税金も逃れて自由に動き回って。もちろん働く必要なんかないです。資本主義のまず構造の問題点っていうのは、労働市場に我々っていつでも縛りつけられてるわけです。だから、一種、賃金奴隷制なんです。稼がないと食ってけないって、当たり前なんですが。そうじゃない人たちがいるから、これを、私、ハイパー資本家戦略***。ハイパーなんですよ。資本家は飛び出ちゃってるんで。これが一つ。それから2番目は、生活保護ってありますよね。生活保護をとにかく積極的に受給して、とにかく最低のラインで生活保護だけで食っていこうぜと。これの例は障がい者運動で青い芝の会っていう***。青い芝の人で脳性麻痺の人たちがいるんですけど、労働できない。労働できないんだけど何が悪いの?生きてることだって労働なんだから、***生活保護ばんばんばんばんもらって、俺たちは最低でも人間の尊厳を守って生きていくぞ、そういうやつ。これを、だから私は生活保護戦略、これが二つ。それから三つ目が、これは割に常識的で、ピラミッドに踊り場作ってあるんです。要するに、福祉政策っていうのは階級制度の不安とか矛盾をちょっとは収めるかっていうことで、階段を作って、とにかく例えば年金だったりとか、年金の話、今日本当はやりたかったんですが、多分、できないと思うんですけど、そういう福祉制度で何とかごまかそうっていう、ごまかすって言うと言葉は過ぎますけど、そういうやつが福祉国家戦略、3。それから、私が意外に支持している最近のやつですけど、図の4がオルタナ生き方戦略というんです。これは若い人に多いんですよ。ミニマリストって聞いたことありますか。要するに、生活保護とか福祉とかもう頼らないけど、年収を100万ぐらいでとにかく生きてみよう。商売するんだけど、小商いっていって、たくさんもうかんないかもしれないけど、とにかく私がいる栃木県の田舎に行ってちょっとしたパン屋でもやろうとか、農業でもやろうとかっていうことで、お金で測れないもので生きていこうと。オルタナティブってもう一つの生き方ってことで、三角形から抜け出ちゃいます、これで。抜け出るというか、より自分の世界を作る。これがオルタナ戦略。それから、図の5が私と大西さんが一番推進するやつですけど、通貨改革とベーシックインカム戦略ってやつで、これは要するにピラミッドがたくさんできるんですよ。皆さんお一人お一人が黒字配当金もらって、皆さんお一人お一人が私有財産を持つんです。労働市場に縛られないで、休みたいときは労働市場から離れる。労働市場に戻りたいときには戻れる。そういう自由を得て、自分が本当にやりたいことをやるっていうことで、それで、ベースがあって、その上にみんなそれぞれ三角形作る。だから、もうけたい人はもうけてもいい、全然、そんなもん。っていう、いっぱい三角形がごつごつごつごつできるやつが図の5。最後、これよく若い人が説明しにくるんですけど、ベーシックインカムって言うと、それは共産主義でしょって必ずくるんですよ。共産主義って要するにどういうのかっていうと、一応、理屈としては私有財産はなくなるんですよ。どこに行くかっていうと、上におっきい四角あるでしょ。あれ、金正恩(キム・ジョンウン)さんです。
大西 髪型もね。
白崎 上が持ってっちゃう。権力のある人が私有財産を持ってっちゃう。四角に集めて、下にいっぱいひもがぶら下がってて、あのひもの下にいる黒い点が皆さんお一人お一人。その大きい権力に実は縛られてる。私有財産なくなるんだけど、それよりはるかに重い管理社会なんです。中華人民共和国はそうかどうかっていう議論があるところではありますけれども、私は近いんじゃないかと思うんですけど、そういうのが共産主義戦略。っていう六つパターンがあって、僕たちが目指すのはやっぱり図5の、っていうか僕たちがやってる役は、ここ15年やってるんですけど、やっぱり通貨改革とベーシックインカムをセットでやる。つまり、銀行負債マネーではないかたちで皆さんお一人お一人がお金を資産として持つという、そういう社会が望ましいのではないでしょうかという***。
(02:36:00)【通貨改革は生き方を根本的に変えるための一つのパーツにすぎない】
大西 ここ、もちろん資本主義の話になったんですけど、僕はもちろん政治家として、思想家としてずっと言ってるのは何を言ってるかというと、もちろんお金の発行の仕組みっておかしいよ、大事だよ、変えなきゃいけないよ、政府の財政の仕組みもおかしいよ。ただ、それはそこのところだけ切り取って言ってるんじゃなくて、そもそももっと何がおかしいかっていうと、我々の生き方だったりとか働き方が根本的におかしくなってると。それを大きくどうやったら変えるかという中での政府通貨だったり、今の金融システムの変更なんね。だから、例えば今のMMTで言うところの、今の仕組みのままずーっと財政金融、政府が借金を膨らませ続ければいいんだとか、そういう話じゃなくて、本当に皆さんの生き方とか働き方を根本的に変える、そういうおっきな思想の中での一つのパーツにすぎないと。そうやって考えると、本当におっきな変化が僕はきてると思っていて。それこそ白崎さんが言ったみたいに、今の資本主義っていう仕組みそのもの、もちろんMMTはそんなことは一言も言ってないわけ、今の資本主義がおかしいとか。でも今の資本主義はおかしいよね。はっきり言っちゃうと、狂った仕組みです。もう完全に時代遅れ。資本主義って何かって、簡単に言うと、資本家が労働者を安く使って、高く売りつけるっていう仕組みです。企業の利益ってこれやんないと出てこないんで、労働者を安く使って高く売りつけるっていうことを世界中の企業がやってるんです。そんなことやれば、当然、利益がどんどん上のとこに集まってきますね。資本家が全部利益を挙げる仕組みになってる。それを我々はずっと容認してやり続けてきてるから、世界で最も裕福な8人とか26人が世界で最も貧しい36億人と同じだけの資産を持ってるってことが起きてるわけ。常に10億人ぐらい近くの人たちが餓死寸前の状態に置かれてるわけ。そもそも我々の文明的な人間社会の仕組みとして完全に時代遅れなんですよ。これを根本的にそろそろ考え直さなきゃいけない時期にきていて、そんなことをやり続けると、どんどんどんどん、もちろん環境は破壊されるし、そもそも我々一人一人自由意志を持って生きてるのに、結局、今の資本主義の中でその自由意志を発揮できない。1日のうち長い時間を、資本家とか上司とか、そういう人たちの言うことを聞きながら生きなきゃいけない。何かがおかしいんですよ。もっと我々は本当は自由に生きていいわけ。資本家が偉いの?何で言うこと聞かなきゃいけないの?それをもっと本質的に考え直したほうがいい***、そういうおっきな流れの中での通貨改革。あともう一つ。今の金融システムっていうのは俯瞰で見るとどういう仕組みかというと、そもそもお金なんて意味ないですよ。お金だけあったって何の意味もないです。それ以外の実体価値があって初めて、それと交換できて初めてお金は意味をなすわけ。だから、実体価値とのバランスすごく大事で。実体価値っていうのは、だけど時間とともに必ず腐ったり壊れたりします。これ、まさに『エンデの遺言』で言ってることですね。それなのに、それを交換するためのお金が時間とともに増え続ける、これ矛盾なんです。その矛盾を我々は抱えながら何とかごまかしてきた。増え続けるお金と合わせるように無理やりたくさん作って売って消費してっていうことを続けた結果、地球がぼろぼろになってるんです。世界規模でこれをやって。続くはずがないです、こんなものが、そもそもが。あとも一つ、ほとんどの人がこっちの部分知らない、忘れてるっていうか知らないんです。誰かの借金でお金を発行するってことイコール、皆さんが持ってると思ってるお金とほぼ同額の借金が存在するってことです。今日グラフで見ましたよね。お金が1000兆あったら900兆の政府の借金があるんです。何でかっつうと、その政府の借金で皆さんのお金を作ってるから。ということは、その借金を返したらお金が消えますね。つまり左側、これ、無だってことです。『マトリックス』で言うところの、無だ、スプーンなんてないって言うシーンがあるんですけどね、『マトリックス』のシーンで。存在しないもんなんです、お金って。存在しないのに無理やりお金と借金をシステム上作ってるだけの話です。概念だけ作ってるんです。これ何かっていうと、左側、無なんで、ゼロサムゲームです。みんなで平等に仲よく分けるとみんながゼロになります。だから、みんなで決して仲よく分け合えない。必ずお金を奪い合って借金を押しつけ合うという、熾烈な競争社会ができあがります。これ日本だけじゃないです。世界的にそうです。そんな中で我々は生きていて、必ず一定割合の人たちは貧困に突き落とされる仕組みになってるんです。この仕組みそのものがおかしいんです。要するに、政府が借金し続けて経済が回るとか、そんな話じゃないんです。我々の生き方、死に方の問題。で、人間としてのあり方の問題です。そう考えると、この仕組み変えないという選択肢はないんです。とてもこのまま子どもたちには渡せない。そろそろ我々はそういう、本当の意味での我々の生きる社会の変革、日本だけじゃなくて世界を変えてく。僕、だからずっと言ってますよ、日本から世界変えようって。フェア党ってどんな政党って一言で言うと、もう国益とか日本の何とかとか、そんなことのために政治やってません。日本中のどうのこうのっていうんじゃなく、世界中のですよ、世界中の子どもたちの未来のためとか、あと、地球上のあらゆる命のために政治やってます。今、そのレベルで政治やんないとでっかい数なんか作れないんです。だから、そういうおそらく唯一の政党で、そろそろ僕は講演会、本当に最近いろいろ、あちこちに呼んでいただいて話す機会が増えてますけど、何を言ってるかというと、一緒にみんなで日本から世界変えにいこうぜって言ってます。そのためのチームビルディングのつもりで、僕、全国回って講演会してるんです。今日難しい話しましたよ、MMTとか金融システムとか。でもそんなことじゃないんですよ。それで世の中は変わんないです。逆にみんなが本気で世界をよくしようと思ったときに世界は変わります。そのためのチームビルディングを僕はやってます。なので、だいぶちょっと最後は話はずれましたけど、そろそろ、本当にそういう動きを、
白崎 そういう感じしますよね。
大西 やりたいなと思ってます。
白崎 さっき、金融が議会制度とくっついてる、言いましたけど、要するに今の選挙で何々党がどうとかってことではなくて、やっぱ大西さんもよく言ってますけど、今の国会とか議会の外に、本当に金融システムを抑える大きな世論のうねりという、何か僕たちが作っていかなきゃいけないと思うんですね。さっき、このことだけちょっと補足しますけど、価値を作るってことですけど、私、20代の半ばは東京で不登校の子たちの塾やってたんですけど、赤羽で警察ご厄介な10人ぐらいの、うち***来てたんですけど、彼らと話していてすごく思って、ショックだったのは、将来、君、何になりたいの?って言うと、てめえ、このやろう、将来のことなんか聞くんじゃねえよって僕に恫喝するんですよ、彼ら。(笑)。てめえ、おい、将来のことなんか関係ねえよ。でもこれって、将来のことなんか聞くんじゃねえよっていうことを若い人に言わせるシステム。つまり、価値を作って僕たち生きてかなきゃいけないのに、結局、今、若い人、例えば就活とか、コミュニケーション不足だから何とかしましょうとか、大学でコミュニケーション教育しましょうってみんなうそでしょ、あれ(笑)。この無であるところのお金を稼いでこいって言ってるわけで、それを僕の塾に来てた、中学だけでもう高校なんかいきたくねえよって子たちは、いわゆる偏差値っていったら、彼らもう本当に、いわゆる最低なんですよ。彼らは直感的におめえらが作ってきた世の中間違ってんじゃねえかってことを言ってるわけですよ。これは僕の塾だけじゃなくて、ほぼ同時、1975年ぐらい学校が荒れだしたときに、定時制の先生たちは研究会やってましたけど、ほぼ同時に、関東地区だと、てめえこのやろうって言いだした、1975年ぐらいなんですが、ちょうど日本の国債が2度目に大発行されたオイルショックのときからなんです。こんなもん社会科学的に誰も因果関係説明できないと思うんですけど、私はすごく印象的な、僕らの社会、資本主義社会の間違いを若い子どもたちが大人に言ってると今になっても深く思います。
大西 本当にそう思います。そろそろ大人が責任を持って、その変化の一歩を起こしていかないと、子どもたちに申し訳が立たない***。ということで、僕と白崎さんの話は大体これでね、MMT、最後のほうは結構こういう話になっちゃうんです、いつも。一番大事なとこは結局MMTとかいう、そういう技術論じゃないです。
白崎 と思います。
大西 どんな社会に生きたいのかとか、その価値とは何なのかっていう、そういうことですね。ということで、白崎さんの本が、
白崎 私の本じゃないですよ(笑)。
大西 白崎さんが出版されたエレン・ブラウンの本が出てます。今日、5000円で、何と、消費税入れて普段5400円ですよね。
白崎 いや、そんな、五千何百円。ちょうどきりがいいので、お釣りの問題も(笑)。
大西 今日は5000円ぽっきりでございます。
白崎 ぜひ***。
大西 お買い求めください。それから、もう一つ私が去年の12月に出した『私が総理大臣ならこうする』まさかここに来てる人でこれを読んだことがないという人はいないと思いますが、
白崎 (笑)
大西 (笑)
白崎 今日サイン入りでしょ?
大西 サイン入り、読んだことない人、これぜひ読んでください。何でかというと、僕、あくまでも動画でしゃべっても講演会でしゃべっても断片です。あの260ページぐらいある本を全部講演会でしゃべれるはずがなく、そこに基本的にはすべてパッケージで入っていて、それを全部読まないと、多分、大西つねきの思想とか哲学とか政策が理解できないと思います。大層なタイトルつけましたけども、だけど、少なくとも核野党の党首がこのぐらいの本を書いて出てこいって、僕は挑戦状をたたきつけてます。これを超える本が誰か書けるのか、多分書けません、誰も。断言します。だから、俺がやるっつってるんですよ。で、それを、おまえやれって言うのは皆さんです。だから、まず読んでいただかないと何やろうとしてるのか理解していただけないんで、まず読んでください。読む価値は保証します。多分、世の中、世界を変えるための本です、あれは。世界が変わる本ですね。なんで、今日は、僕がもしサインしていいんであればさせていただきますし、消費税をカットして1600円で販売してますので、
白崎 (笑)
大西 ぜひ買っていただければと思います。ということで、皆さん、長い間ありがとうございました。
白崎 ありがとうございます。
会場 (拍手)
大西 時間が4時半まで質疑応答。これ結構、質疑応答、今日はくるんじゃないかと***長めに用意しました。なので、質疑応答、
白崎 ***。
大西 すいません、マイクをもう1本ありましたよね?多分。なかった?
白崎 いや、僕、
大西 あれ?
白崎 これ回しときゃ***。
大西 3本***。すいません。ウエノさん。どなたか1人、多分、外から呼んでいただいて、***、質問ある方にマイクをお渡ししてください。もう1本あると思う***。
男性A 質問がある方***。
大西 はい、どうぞ。マイクお願いします。
(02:48:07)【政府通貨を作ってどう配分するか ますます権力者の好き勝手に使われるのではないか】
男性B 埼玉から来ましたイカリ(?)といいます。大西さん、この本、当然読みました。それから大西さんの動画は控えめに言っても大体6割か7割ぐらいは見てます。
大西 ありがとうございます。
男性B 今日質問したかったのは、政府が直接、今のお金っていうのは銀行をとおしてしか世の中に行きませんので、それをやめて政府が直接お金を民間に流すわけですよね?
大西 はい。
男性B そのときに、どこにどれだけ流すかという配分の基準、私、これ、石井紘基さんの『日本が自滅する日』っていうのあるんですけど、これ読むと、特に特別会計とか、ああいうものが闇の中で、要するに役人の皆さんが、まあ言ってみれば好き勝手に分けてるような感じになるので、政府紙幣を発行するというときの皆さんの反応は、ますます好き勝手に使うようになるんじゃないかという疑問がよく出されるんですね。それに対してどういうふうに説明すればわかってもらえるのか。それと、政府、予算の審議の、本当に明示的にできるようにしないといけないんじゃないかと思うんですけど、その辺についてちょっとお尋ねしたいと思ってます。
大西 それはまさにダグラスの言ってる社会信用論のとこですね。
白崎 どうします?大西さん答えられます?
大西 要するに、信用できる政府を作るしかないんですよ、本当に。まさに何に作ったお金を何に使うかって一番大事なところで、それをちゃんと、しっかりと思想に基づいた政府、みんなに信用される政府を作んなきゃいけないという、そこを、でもあきらめたら、
白崎 そうです。そこ、今すごくいいご質問で、多分そこは今日の話の隠れたテーマで、大きな柱です。つまり僕たちが通貨の、技術論的なことっていうのは、今、MMTでいろいろ議論してることとか、政府通貨で我々言いたいこととか、各種評論家の人が言ってることっていうのは、詰めていけば、大西さんが言ってるプランにほとんど収斂すると思うんです。だけど最大の難問は、おっしゃられたように、その通貨をどう分配するかということで、それのヒントっていうのは、すごくずばりってのはないと思うんですけど、言葉にすれば今大西さんの言うようことなんですが、一つアイデアとして言うと、民主主義っていうのは、ルソーとかモンテスキューとかが制度として考えたときに彼らがよく言っていたのは、民主主義は小さいサイズにおいてのみ成功するって言ってるわけですね。つまり大きいサイズになるとよくわからない。だから、私が今考えているのは、私住んでいる栃木県大田原市、人口7万ぐらいです。それで、合併する前の黒羽町って、これまた松尾芭蕉が一番逗留長かった有名な町で、俳句の町なんですけど、これが今、過疎の、私が住んでるとこで、ほぼ人口1万5000で、どんどん減ってます。サイズとしてはこの1万5000の元黒羽町ぐらいの予算をみんながどう考えるかっていう、小さな予算委員会を日本に作っていく。これを実は国連がブラジルでやったことがあって、市民参加予算っていうプランがあるんです。要するに、小さいサイズで、ブラジルだったらファヴェーラっていう貧困地区***、そこの住人たちに自分たちで水道料金いくらにするかとか、じゃあ学校に費用が要るんだったら学校どうするか、建物をどうするか、みんなで自治で決めてくっていうシステムを小さいサイズでまず作ってみるんです。これ大きいシステムで、例えば国の防衛費がどうとかってなってくると、もうなかなかわけわからないんで、自分たちが住んでいる、例えばここだったら渋谷区かな、渋谷区だったら渋谷区の何々地域でまずやってみるっていう、そういう予算配分の試みを民主主義の中で取り入れていく必要が僕はあると思っています。それが上にどんどんボトムアップで積み上がっていって、国の予算になってくるんですけれども、その国の予算をどう管轄してくかっていうのは我々の自治体のあり方。つまり、今、市区町村があって、県があって、国っていうレベルになってますけど、このヒエラルキーをどういう具合に転換していくかっていう、自治体の制度のあり方にまたつながると思うんですけれども、一番いいの、やっぱり地方の小さい自治体が連合体を組んで、予算協議会みたいのを作って、県予算を作って、県予算を国に上げるとか、そういうボトムアップの体制を作ってく必要が同時にあるってことです。それはすごく大仕事ですけど、そんなプランを考えます。少なくても今の銀行信用創造に任せておけば、バブル経済を見てもわかるように、銀行家たちは自分たちのもうけでしか動かない、そういう予算配分に当然なってしまうということだと思います。だけど、ポイントは民主主義、デモクラシーは小さいサイズで成り立つ、ここは一つヒントじゃないかなと僕は思っています。その実例はさっきのブラジルもあるし、日本だと埼玉県志木市とか、三重県の名張市とか、いくつか例はあるようです。そんなお答えになっちゃうんですけど。
大西 大丈夫ですか。いまひとつ?ちょいずれた?
男性B そういうことが果たしてできるのか***。
白崎 できるようになりますよね。
大西 要するに、だからそうです。最大の問題は、そもそもみんな政府のこと信用してない、政治家とかね。それは我々自身を信用してないってことですね。自分たちが選んでる政府、政治家を信用してないから、それ天につばつけるようなもんで、そこをあきらめちゃったらどうしようもないんですよね。少なくとも、今の仕組みは根本的に間違ってるんで、それを変えたときにそれをちゃんと運用できるかどうかっていうのも我々しだいになると。そこら辺は、できないって言う人は、君ができないって言うんだったらできないかもね。(笑)。でも、やれるよっていうふうにやっぱり変えてく、多分、必要があると思うんですけど、なかなかもう一言で説得するのは難しい***。
白崎 難しいですね。あと、やっぱり僕らの覚悟が問われるわけで、本当に民主主義って、投票して誰か代表者を選んで、それにお任せっていうのは絶対やめなきゃいけないと思います。
大西 そうですね、本当に。フェア党を選んでおきゃ大丈夫っていう、今、ならないです。
白崎 大西つねきにそのTシャツ着て頑張ってくれよって言うだけじゃだめなんです。
大西 そうなんですよ。やっぱりみんなに変わってもらわないと(?)。
白崎 そこはすごい大きなポイント。
男性B それが日本の官僚システムの、本当にどこまで使命感を持って国民のために働いてくれるかっていうところは、しっかりしないと、なかなか難しいよな。
白崎 官僚って一番身近で言うと市役所の職員さんだったりするわけでしょ?
男性B 財務省とかあの辺です。
白崎 それを使うのも実は我々な***。
大西 そうなんですよ。やつらは、官僚は、要するに上司の言うことは基本的に絶対なので、上司を代えちゃうってことです。つまり大臣を代えちゃう。大臣を俺たちで作るって話で。やっぱりそうすると、内閣を自分たちで作る、政治家をどうやって選ぶかって話になるんですね。だから、どこまでいっても我々なので、まあやりましょうよ、みんなで。ね。
白崎 だから、やっぱり今日の話の落ちなっちゃうかもしれませんけど、やっぱり政治運動をどう作っていくかっていうことだと思うんです。
大西 そうなんです。僕がこんなタイトルの本出したのは、これ、絶対政治家じゃないとできないんです、最終的には。学者がいくら話したところで何にもできないんで、おまえそれやれって言われたら、はい、やりますって言う人間が自分の頭から出して言わないと多分だめだと思ってるんで、こういうタイトルにしてます。ほか質問ある方***。
(02:56:14)【アメリカからの独立に対する大西さん覚悟をお聞かせください】
男性C 大西さんに本当に聞きたいことがあるんですよ。私は前に大西さんの通貨のお金の仕組みとか聞いて、まだ***、多分***、総理大臣になると、それもそうだけどそれだけじゃないなって。権力の***できないと。そこで聞きたいんですけど、権力を取るっていうことは、日本は今、安倍さんがああいうかたちでいろいろやっていただいて、丸見えになってきたとこいっぱいあるんですけど、実は、いろんな方たちが今発言し始めてますけども、アメリカの属国の***ってるわけ。これは皆さんご存じかどうか知りませんけども、今までの政権のときは「2+2(ツー・プラス・ツー)」で、米軍と日本の防衛省とか、そして外務省が月1回ぐらいは日米合同委員会ってあって、まあご存じだと思いますけど、そこで日本のいろんなこと決めてるわけですよね。それが最近毎日になってるらしいです。モーニングミーティングっていって、そこを***さした人がそれを国民の前で話し始めたんですけども、***抹殺されてる。とか、あるいは、天皇制が、今、議論されてますけれども、あれはアメリカが作った、平和憲法だといってますけど、例えば天皇っていうものがいなくなったら、日本は憲法を変えて何もできなくなってしまう。議会民主主義もへったくれもないっていうことを、最近、憲法学者的な方たちが言い始めてるわけですよね。憲法のこととか。そういったいろんなことが、アメリカの支配を脱却しないと、例えば大西さんがやりたいと思っても、アメリカが日本のおいしいとこを全部、今、牛耳ってますから、そこを反するようなことやるってなれば、大西さんは何もできないぐらいに(笑)、民主主義なんか、くそもあったりもしないというとこもあるっていうところを、多分、大西さんは知ってると思うんですよ。そういった対アメリカの親米独立、親米従属じゃなくて、親米は親米でもいいんですけども、親米独立するといったところの構想っていうのが、総理大臣ならこうするところに、そらまあ書くわけいかないから、ちらっとヒント的には書いてますけども、その辺を、ちょっと覚悟みたいのを(笑)、お聞かせ願え、これネットでやってるから、ちょっとしゃべれないこともあると思いますけど。
大西 具体的にどうするかっていうのは、今、僕、何の力もないので、できないです。基本的にどこまでいっても、我々みんなの覚悟じゃないですか、これ。我々が本気で独立国として、日本として独立するんだっていう覚悟を持つんですね。その覚悟の示し方の一丁目一番地は在日米軍みんな出てっていただくという、その覚悟をまずしないと。で、それを掲げた政治家を作る必要ありますね。まずは民意を反映するためにね、すくい上げるために。で、つぶされるのかつぶされないのかわかんないですけど、それが一定割合の本当に力を持つようになれば、あとはもう面と向かって言うのが一番いいと思うんです。もう在日米軍出てけと言ったら、多分、出て行かざるを得ないでしょ?アメリカも。面と向かって言ったら。誰も、多分、忖度して言わないんですよ、それ。そもそもみんながそれ本当に言えって言って政治家選んだら、それ言うでしょう?そういう政治家はさすがに言わざるを得ないじゃないですか。だから、僕はもちろん考え方として本にも書いてあるとおり、僕が本で前半部分で言ってることはすべて、9章ぐらいになると、アメリカから独立しないと何もできませんよって書いてあるんですよ、全部読むと。だから、それが一丁目一番地で、それをする覚悟はあるかどうかっていうのは、僕の覚悟じゃなくてみんなにあるかっていう、それを問わないといけないわけですね。だから、まずはそうなるまでに我々はそういう議論を進めてく必要がある。そういうことを誰かが言いだして、どうかなと、俺は嫌だなとか、俺は出てってほしいなとか、そういう、みんながまず考えることによって決断していくと。どこまでいっても最終的に一人一人の決断、それから一人一人の生き死にの問題になります。例えば、他国に攻め込まれたときに相手を殺しに行くのかどうか、自分だったら。それを自分がやれないんだったら誰かにやらせるのか。何で自分ができないのに誰かにやらせることができるのか。そういう一人一人の生き死にの問題からちゃんと発送して、ちゃんと態度を決めてく必要がある。その結果、多くの人たちがどういう結論を出すかっていう。多分、思想とか哲学とか生き方とか死に方とか、そういう議論のビルドアップから最初からしていかなくちゃいけなくて、僕のプランとしてはそれをまずひたすらやるところが、今、1歩目だと思ってます。政治活動しながら政治家としてそういう発言をすることによって、みんなが自分の身近な問題として、政治課題として考えるようになるっていう、それをやってかないと、そういう大事なことを言わないまんま、勝手に忖度して集団的自衛権行使容認とかやってるのが今の政権じゃないですか。みんなに考えさせないことをしてるわけ。僕はみんなに考えさせることをします。それ一番大事だと思ってるんで。その結果どうなるかっていうのは最終的にはわかんないですよね。僕がどっかの時点で死ぬのか、(笑)、排除されるのか、どんな目に遭うのかわかんないですけど、でも、それまではそういうスタンスでやるつもりでいます。ありがとうございます。どなたかほかにいらっしゃいます?こちら先でしたね。
(03:02:36)【ベーシックインカムを配当する根拠は何ですか】
男性D 今日の講演会、非常に楽しみに来て、非常にお二人の連携もよくて、よくわかって、大変有意義な時間でした。私、実は10年少し前ぐらいから大西さんのおっしゃるように何か変だなって思い始めたんですね。自分でいろいろ考えていく中で、話すと長いんですけども、結局、やっぱり通貨改革と、それから、個人の人生保障がないといけないというふうに、帰結としてそういう結論を自分で得たんですね。その中で、通貨改革についてはやはり政府通貨の発行、個人的には国民銀行の通貨権あたり。それを原資にして、国の国家運営、言葉を使うと歳出でいいのかな、歳出も全部政府紙幣で行って、それを起点にして経済を回す。先ほどおっしゃったのは、今の通貨改革は、通貨制度は借金が先にあって、あとからお金が回るというお話で、私もそれじゃおかしいと思うので、やっぱり起点は政府が作るべき。政府のやってるものに、国家経営について、例えば医療、教育、基本生活、あとでBI(ベーシックインカム)ってありますけども、基本生活、基礎研究、安全保障、BIでまかなえない部分の、BIは社会保障とは思ってないんですけども、まあ社会保障、その他、全部政府通貨でやって、もう国債と税の国家運営をやめると、これが一つですね。その中で、ちょっと話長くなっちゃうとまずいんで一つだけ絞るとすると、私、ベーシックインカム非常に必要だと思ってるんですけども、最初、白崎さんのホームページで田中康夫さんとの対談の動画あったんですけど、そっから初めて見て、やっぱり自分の考えてることはある程度正しいんだっていうこと確信得ました。そのあと大西さんの動画を見て、通貨改革は肝で、その中にBIがあるっていうふうには確認しました。で、今日話聞いて、お二人一致してるのが、やはり通貨改革とベーシックインカムっていうは絶対必要だっていうことおっしゃってたので、これで私のいろんな疑問点っていうのは全部払拭されて、今日はこのセミナーを通じて確信になりました。政府通貨発行の通貨改革、プラス、ベーシックインカム、これがもう肝だっていうのは確信しました。間違いない、130%確信した。その中で、白崎さんのおっしゃってる、ホームページありますよね、探る会の。そこのメニューの上のほうにもう政府通貨出てますよね、左。その中のBIですよね。BIをやるときに、政治としてやるときには必ず根拠が必要だと思うんですね。法律の根拠に基づいた政策ですよね。その根拠は何なのかっていう話は今日出てなかったんで、もしその根拠が今あるんであれば、教えてもらいたいなと思います。お願いします。
白崎 根拠というと、二つ、多分あると思うんですけれども、一つは法的な根拠だと思うんですけど、僕がよく言うのは、皆さん、例えば選挙権っていうのお持ちですよね。普通選挙権という具合にいいますけれども、普通選挙権とおんなじように、基本的人権の一つとして収入権というのがあって、お一人お一人が基本的な収入を得る権利が基本的人権として、僕はマネーは基本権だってよく言うんですけれども、憲法に普通収入権は万人が等しく持つという具合に書き込むぐらいの基本的人権の一つという具合にやったらいいというふうに思ってます。それからもう一つは、根拠として経済的な根拠なんですけど、経済的な根拠って、ダグラスがさっき国民配当って言ったのが一番典型なんですけど、配当ってした意味は、お金ってやっぱり大西さんが言ってるように、本当はないんですよ。ないんだけど、あるいは、我々のお金、財布に入ってる1万円だって、あれトイレットペーパーにもならない、何の役にも立たないんですけど、なぜあれが価値を持つかっていうと、それは社会や皆さんにある富を取ってくる請求権、要するに、まさに切符を入れて電車に乗るのとおんなじように、請求するための、一つ、印としてあるわけですよね。だから、具体的に皆さんのサービス、ものを生産する力を引き出してくる権利としてマネーがあるという具合に、経済的には根拠がいっぱいある(?)と思ってるので、その二つの面が大事だと。それで、政治的な権利と経済的権利が一体化する。つまり我々って今、選挙権がある、政治的な自由があるようなふりをさせられてますけど、本来はやっぱり国民配当があって、経済的な裏づけがないと、本当の政治的な権利も実体は持たないんですよね。だから、政治的権利と経済的権利が一体化することだというふうに思ってます。
男性D ありがとうございます。私も先ほどBI必要だっていうお話ししたと思うんですけども、やっぱり政治で政策にするためには法的根拠だって今私も言いました。自分が考える法律的な根拠は憲法の第25条、生存権の保障、これがてっぺんにきていいんじゃないかなというふうに思ってるんですが。
白崎 これも話すと長いんですけど、生存権って今の25条はすごい欠陥があると思っていて、「健康で文化的な最低限度の生活」ってなってるでしょ。よく言うんですけど、私も講演会で。健康や文化の最低限度って何ですかっていうことなんですよね。あれ、最低限度入れることによって、最低の限度を決めるのが厚生労働大臣というふうに、裁判上、判例でなって、結局、生活保護だとか私のやってた福祉機器だとかをみんな決めるのは行政裁量で決められて、私たちの権利に本当はなってないんですよね。だから、25条はもともとベアテ・シロタさんっていう人がGHQ憲法作るときにあの辺担当してたんですけど、最低限度じゃなくって、当時の国際法を参考にして、人間の尊厳ある生活をまかなうための給付っていう具合に彼女はプランを立てたんですけど、上司のホイットニーだったかな、何かにそんなのだめだってカットされちゃったんですよね。最低限度ってあとで出てくるんですけれども、最低限度っていうのはずして、人間尊厳のための***とか何とかっていう具合にすれば、おっしゃるように憲法の上位に持ってったらいいと思います。
男性D 私も、憲法に、今ある生存権の保障っていうのは非常に不備があって問題があると思って。じゃあどうしたらいいかって考えたときに、今、憲法改正論で、憲法9条のことばっかりやってるんですね。そうじゃなくて生存権の保障をまず一番最初にやって、今おっしゃったように必要最小限ではなくて、ベーシックインカムでもお金を配るときに生活の最小限の金額イコール5万円とか7万円とかやってるんですよね。じゃなくて私は、憲法でうたってしまえばいいところは、必要十分な金額というふうに変えて、じゃあ必要十分って何かっていうと、例えば我々が今生活してる中で収入を得なくて何やるっていうと衣食住ですよね。衣食住にいくらかかるのか。それから、文化的な生活するために白物家電をそろえますよね。
大西 質問じゃなくなってるんで、
男性D (笑)。すいません。
大西 ***。質問ほかにある方いらっしゃいますか。
男性D すいません。じゃあ私これで終わりにします。
白崎 でも議論はよくわかりますけどね。
(03:11:28)【資本家や官僚は通貨改革を止めたいのではないか】
男性E 今日はありがとうございました。大西さんの動画を何回か見ただけで、ちょっと、うち、まだ知識としてないので、憲法の話と学術的な話とか出てこないんですが。ざっくり聞きまして、例えば僕が銀行の資本家とか官僚でここに来てたとしたら、普通のサラリーマンで年収もまあぼちぼちなんですけど、***もう絶対止めたいなと思うはずなんですね、この流れを。
大西 とは限んないと思います。
男性E (笑)
大西 そこら辺、僕はみんなのことをある意味信頼してるというか、個人としてね。いろんな立場それぞれあるでしょう。だから、あんまりこの方向性は自分の立場的にプラスになんないなと思っても、個人としてそれに賛同していただければ、多分、その人も変わっていけると思うし、そういった意味で言うと、いろんな人がいて、いろんな反対意見があって、全然それで構わないと思うし、それぞれの感じ方でいいんだと思うんですよ。大事なのはそれぞれが一人一人の意見とか、それを尊重して、それでいいんだよと。基本的に、だからどんな人が来ても、それを止めたいと思う人が来ても、まあそれはそれだし、それでいいと思ってます。(笑)。
白崎 それちょっと、補足でいいですか。そのとおりなんですけど、銀行の話は面白い話があって。私、今、里山舎って会社作って全然お金がないんで、それこそ、不本意ながら、地元の足銀、融資を***(笑)。それで、どういう本出してんですかっつったら、これはあんたのとこのこと書いた本だよって、『負債の網』って見せたんですよ。若い銀行の融資担当者がぜひ読ませてくださいって(笑)、借りたんですよね。で、それ融資の参考にしますって、融資の参考にしたら金貸してくれねえんだろうなと思ってんですけど(笑)。ただ、彼が言いたいのは、若い行員さんが今、地方銀行の行員さんってすーごい大変なんですよ。なぜかっていうと、銀行はもうかんないから。さっき大西さん言った、国債をほとんど日銀が買い上げて、国債の利息も入んないし、貸し出しも増えないし、地方銀行って今、死に絶えそうな、これいっぱいあるんですよ。行員が、例えばうちの足銀***黒羽支店って行員さんの9割はパートさん、非正規、ほとんど女性です。正規の行員さんって3人とか、次長と支店長と若い子、3人ぐらいしかいないんです、田舎だと(笑)。その若い子が一生懸命融資担当とかっつって頑張って営業やって。でも彼の頭の中にあるのは、俺がこんな融資業務をずーっと続けてられんのかなってことだ思うんですよね。つまり、銀行貸し出しを仕事として自分は果たしてやれるんだろうかっていう疑問がわいたんで、この白崎っていう変なやつが作ってる本を読んでみようかなって思ってくれた***、僕はすごいある意味革命的なことだと思って、内心はいいことだ、これで金貸してくれなかったら嫌だなと思ってんですけど(笑)、いいことだと思います。だから、『負債の網』の序文のところにリード・シンプソンさんっていう銀行員が評を書いてんですよ。あれは、自分が銀行員だったときは全くこのマネーシステムのことは考えもしなかった、でもエレン・ブラウンの話を読んでみると、なるほど、僕たちはどういうところで働かされていたのかということをよくわかりましたって言ってるんですよね。だから、そういう銀行の中からの改革っていうのは、半沢直樹じゃないけれども、これから起きる可能性って私はゼロではないというふうに思ってはいます。そのぐらい苦しい状況に、今、地方銀行は置かれているので。
大西 どうぞ。順番的に、オオニシさんと、あと3名ぎりぎりですね。手短に、じゃあお願いします。短く、こっちもございますそ。じゃ、後ろのオオニシさん先で、次。
(03:11:28)【資本家や官僚は通貨改革を止めたいのではないか】
男性E 今日はありがとうございました。大西さんの動画を何回か見ただけで、ちょっと、うち、まだ知識としてないので、憲法の話と学術的な話とか出てこないんですが。ざっくり聞きまして、例えば僕が銀行の資本家とか官僚でここに来てたとしたら、普通のサラリーマンで年収もまあぼちぼちなんですけど、***もう絶対止めたいなと思うはずなんですね、この流れを。
大西 とは限んないと思います。
男性E (笑)
大西 そこら辺、僕はみんなのことをある意味信頼してるというか、個人としてね。いろんな立場それぞれあるでしょう。だから、あんまりこの方向性は自分の立場的にプラスになんないなと思っても、個人としてそれに賛同していただければ、多分、その人も変わっていけると思うし、そういった意味で言うと、いろんな人がいて、いろんな反対意見があって、全然それで構わないと思うし、それぞれの感じ方でいいんだと思うんですよ。大事なのはそれぞれが一人一人の意見とか、それを尊重して、それでいいんだよと。基本的に、だからどんな人が来ても、それを止めたいと思う人が来ても、まあそれはそれだし、それでいいと思ってます。(笑)。
白崎 それちょっと、補足でいいですか。そのとおりなんですけど、銀行の話は面白い話があって。私、今、里山舎って会社作って全然お金がないんで、それこそ、不本意ながら、地元の足銀、融資を***(笑)。それで、どういう本出してんですかっつったら、これはあんたのとこのこと書いた本だよって、『負債の網』って見せたんですよ。若い銀行の融資担当者がぜひ読ませてくださいって(笑)、借りたんですよね。で、それ融資の参考にしますって、融資の参考にしたら金貸してくれねえんだろうなと思ってんですけど(笑)。ただ、彼が言いたいのは、若い行員さんが今、地方銀行の行員さんってすーごい大変なんですよ。なぜかっていうと、銀行はもうかんないから。さっき大西さん言った、国債をほとんど日銀が買い上げて、国債の利息も入んないし、貸し出しも増えないし、地方銀行って今、死に絶えそうな、これいっぱいあるんですよ。行員が、例えばうちの足銀***黒羽支店って行員さんの9割はパートさん、非正規、ほとんど女性です。正規の行員さんって3人とか、次長と支店長と若い子、3人ぐらいしかいないんです、田舎だと(笑)。その若い子が一生懸命融資担当とかっつって頑張って営業やって。でも彼の頭の中にあるのは、俺がこんな融資業務をずーっと続けてられんのかなってことだ思うんですよね。つまり、銀行貸し出しを仕事として自分は果たしてやれるんだろうかっていう疑問がわいたんで、この白崎っていう変なやつが作ってる本を読んでみようかなって思ってくれた***、僕はすごいある意味革命的なことだと思って、内心はいいことだ、これで金貸してくれなかったら嫌だなと思ってんですけど(笑)、いいことだと思います。だから、『負債の網』の序文のところにリード・シンプソンさんっていう銀行員が評を書いてんですよ。あれは、自分が銀行員だったときは全くこのマネーシステムのことは考えもしなかった、でもエレン・ブラウンの話を読んでみると、なるほど、僕たちはどういうところで働かされていたのかということをよくわかりましたって言ってるんですよね。だから、そういう銀行の中からの改革っていうのは、半沢直樹じゃないけれども、これから起きる可能性って私はゼロではないというふうに思ってはいます。そのぐらい苦しい状況に、今、地方銀行は置かれているので。
大西 どうぞ。順番的に、オオニシさんと、あと3名ぎりぎりですね。手短に、じゃあお願いします。短く、こっちもございますそ。じゃ、後ろのオオニシさん先で、次。
(03:18:41)【政府通貨の会計上の仕訳はどうなりますか Facebookやアマゾン銀行についてどう思いますか】
男性G 手短に二個だけ質問させてください。一つはあえてさまつな話なんですが、政府紙幣を発行したときの会計上の仕訳がどうなるかっていう話と、仕訳の経理の仕方ですね。それからもう一つは今話題になってるFacebookやアマゾン銀行の話ですね、この動きについてどう思うか。借方、貸方の***。
大西 借方、貸方っていうのは、政府通貨ですよね?
男性G ええ。
大西 政府通貨の借方、貸方?
男性G 例えば政府が政府通貨を、政府にとって政府通貨を発行するってことは、政府にとっては負債なんでしょうか、それとも資産になるとか、その辺。
白崎 要するに、今の会計システムとは違うシステムになるかどうかっていうことです?
男性G ええ。もしくは、会計システムの中に落とし込んだら、単純にどういうふうに記載されるか、そこがちょっとわかんなかったです。
白崎 それはいろんな議論が多分あると思うんですけど、今の段階でも日銀券っていうのは負債の項目に挙がってるんですね。だけど、あれも僕はおかしいと思っていて、負債の項目に挙げる必要は本当は日銀券もないと思うんですよ。だから、それとおんなじように、政府通貨も負債項目に挙げる必要はなくて、純資産にしたほうがいいのか、ちょっとその辺は今すぐ答え出ませんけれど、会計項目は変えたほうがいいとは思います、まず。それから今の二つ目の質問が大事で、Facebook通貨、Libra(リブラ)でしたっけ?
男性G Libraと、アマゾン銀行とか。
白崎 仮想通貨に関して言うと、Libraもそうなんですけど、あれ、今読んでる情報からだけだと、今の現在の法定通貨で100%リンクするっていうのを書いてありますよね。だから、暗号通貨でブロックチェーンは使うけれども、結局、僕らが使ってる電子マネーとほとんど機能は変わらないんじゃないかということがまず一つと、ただし運用してったときに、やっぱり暗号通貨の最大の問題っていうのは、要するにマネーは公共のものなんですよね。パブリックなものじゃなきゃいけないのに、ああいう私的な大企業が、たとえマーケットが大きいといっても、運用することに政治的な正義性があるかっていうことを僕はすごい疑問を感じていて、そこでやっぱり破綻するんじゃないかなっていう、これあくまで予測ですけどね、気はします。だから、さっそく、どこだっけな、Libraに関しては中国だったかどこだったか、すぐちゃちゃ入れてました。アメリカも入れたと思うんです。
男性G みんな入れてます。
白崎 入れてますよね。
男性G 銀行業が逆に要らなくなっちゃいますから、既存の。
白崎 だから、いわゆる暗号通貨の持っている通貨発行の権利を銀行や国家から分散するというとこの発想はわからないでもないんですけれども、結局、それは通貨の価値をインフラから実は特権的なものにすり替えちゃうっていう***。
男性G 寡占的に巨大なIT企業が総取りしようっていう、
白崎 そうです。
男性G たくらみが***。
白崎 私はそういう具合に見てます。結局GAFA(ガーファ Google、Amazon.com、Facebook、Apple Inc.)の問題っていうのは、インターネット事業っていうのは要するに消費だけを分散したけれども、利益だけはものすごい一極集中で、銀行経済を最も極限にしたものです。やっぱりそれは僕たちの目指す社会ではあり得ないと思います。
男性G わかりました。ありがとうございます。
大西 次。これ最後になるかな、時間的に***。
(03:22:10)【MMT勢力と一緒になったほうがいいのではないか】
男性H まず考え方は間違いないかなっていうことで、いろいろあったですので(?)、大西さんの***続けて(?)***と思って(?)はます。それで、基本的には支持。ただ、今日はMMTとのかかわりで話をされて、これが経過措置的には意味があるけれども、その先についてはどうかわからないけど、この部分では走らせるなら走らせていいという部分があるということで、れいわなんかも悪評はしないっていうことで、意味が見えました。が、ちょっと思うのは、自民党の西田議員とか安藤議員とか、MMT勢力はかなり強いし、しかもMMTでやってる中野、
大西 中野剛志さん?
男性H ええ。あと、
大西 ***。
男性H ***はやっぱりすごいなあというふうに思うんで、一大勢力として、こういう勢力を何らかのかたちで、まあ相手は嫌がるかもしれないけれど、結集して大きな運動にしないと、選挙金かかりすぎるし、遠すぎるし、時間(?)がすごい大変だと。だから、努力ものすごくわかります。で、支持します。が、香港のああいう運動じゃないけれど、もう少しそういう***のものを入れないともたないんじゃないかっていうか、そういう***なんじゃないかって、***からMMTでもう少し***て***してって、まずそこは経過措置かもしれないけど、もう少し***絞れ(?)ないかなっていうのが僕の考えです。
大西 そもそもああいう、僕なんかは、西田さんとか、そもそも自民党の議員さんと何かができるかというと、もう全然相手にもされないので、(笑)、僕ができること多分全然ないと思うんですよ、そういった意味で言うと。僕にできるのは自分にできることをやるだけの話なんで。どこまでいっても、もう本当にさっきからずーっと言ってるんですけど、MMTとか財政金融とか、そういう話じゃないです、今起きてるのは。本当にこれから起きるのはもう世界変革です。断言します、これ、パラダイムのシフトがきてます。だから価値観の転換なんですよ。いくらテクニカルなMMTがどうのこうの、考えが似てるとか何とかっていうのも、全部似て非なるものです。何でかっていうと、そのおっきなビジョンがないんです、彼らには、どこまでいっても。その人たちといくら固まってやったところで、本気にでっかい数はできません。僕、本気で信じてるんですよ、世界変えるって。で、世界もう変わり始めてると思ってます。みんな、皆さん一人一人の心の中で変わってるんです。みんなわかってるんです。それを、本当、顕在化させるのは、実はこういう難しい講演会じゃないです、MMTとかでは。もっと本当に、一般の女性たちだったりとか、子どもたちの未来を心配してる、逆にお金の話とか何にもわかんないけど、本当に何かいいことのために(?)、いい未来を求めてる人たちが気持ちで動きだすってね。難しい頭でじゃなくて。その人たちを集めてでっかい固まりにしないと、僕は絶対政治は動かないと思うし、既に今までのあらゆる野党系の政治運動、全部失敗してきたのは頭でやってるからです。そういった意味で言うと、僕、実はこんな話をしながらやろうとしてることはそういう人たちとは全然違うんです。皆さんも、多分、僕に直接話を聞くまで理解できないと思うんですよ。今日もこういう話は僕あんまりしませんでした。基本的に今日はこういう趣旨の会なんで、MMTとか金融とか経済の話しますけど、実際に僕の講演会、3時間ドア締め切って散々聞かされると、こいつは全然違うんだなって理解できる。それは金融とか経済の人じゃないっていうことを理解する。僕はメッセンジャーです。メッセージ発信です。この地球にもう本当にそろそろおっきな変化を地球上に起こさないといけませんよって、そういうメッセージ発信をしている、もうはっきり言っておかしな人です。
会場 (笑)
大西 経済の専門とかそうじゃなくて、完全に頭のいかれたおかしなやつです。もう***。そうじゃないと、今、でっかい変化は起きないんです。それを本気でやろうとしてます。だから、そういう、今、考え方で言うと、れいわなのか、あと、オリーブの何とかとか、いろいろいわれてますけけど、そんな次元の話じゃないです。もう全然違う次元の話を僕はしてます。僕はメッセージを発してるのは、多分、こんな短い間でも何か伝わったと思います。その次元のメッセージを発してます。その次元で感じた人がじゃあ一緒にやろうってなるかどうかっていうことをやってます。っていうことで、今日の話を締めたい***。僕の3時間の講演ぜひ聞きに来てください。この話が3時間続きます。(笑)。
会場 (笑)
大西 まあそんなことはないですけど、お金の発行の仕組みもしますけど、でも本当にこの次元のメッセージを発して、それで、僕はでっかい数を作ろうと思ってます。っていうんで、とりあえず、でも、短い間でも、短いっていうか今日3時間ありましたけど、こういう、言葉だけじゃない、言葉を超えた何かを聞きに来てくださって、僕は本当に感謝してます。ありがとうございました。
会場 (拍手)
大西 白崎さん、ありがとうございました。白崎一裕さんでした。
会場 (拍手)
大西 このあと、僕、ホールに行きますんで、もし本買っていただいて何か一言書けっていう場合は書きますので、***ます。あと、白崎さんの本も売ってますんで、ぜひ今日買ってって読んでみてください。
白崎 ありがとうございました。

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