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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100481
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[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
25. 中川隆[-5712] koaQ7Jey 2021年4月14日 21:02:34 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[45]
audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1169.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/414.html#c25
[近代史4] QUAD の静電型スピーカーが全然売れなくなった理由 中川隆
11. 中川隆[-5711] koaQ7Jey 2021年4月14日 21:03:26 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[46]
audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1169.html
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[近代史4] イギリスのスピーカー 中川隆
23. 中川隆[-5710] koaQ7Jey 2021年4月14日 21:03:47 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[47]
audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/111.html#c23
[番外地9] 東電が汚染水を海に流してはいけない理由
東電が汚染水を海に流してはいけない理由
東電福島第一原発で増え続けている汚染水を太平洋へ放出することを菅義偉内閣は4月13日に閣議決定したという。放射性物質で汚染された水のうち回収された分は保管されているが、2022年秋には限界に達する。そこで、汚染水からトリチウム(水素の放射性度言う元素)以外の「ほとんどの放射性物質」を除去したうえで薄め、環境中へ放出するわけだ。言うまでもなく、薄めても放出される放射性物質の総量に変化はない。

 水俣病など公害が問題になった時も「薄める」という儀式を行った上で環境中へ放出していた。排水溝の近くの海から水をくみ上げ、廃液とまぜて濃度を下げるという子ども騙しのようなことが行われていたのである。

 汚染水が放出されるのは30年間とされているが、それは2051年までに廃炉できるという前提での話。イギリスのタイムズ紙は​福島第一原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定​したが、数百年はかかるだろうと考える人が少なくない。数百年間は放射性物質を含む水を太平洋へ流し続けるということだ。

 廃炉を困難にしている最大の理由はデブリ(溶融した炉心を含む塊)の存在。炉心が溶融してデブリが格納容器の床に落下、コンクリートを溶かし、さらに下のコンクリート床面へ落ちたと見えられている。実際にデブリがどうなっているのかは明確でないが、その一部が地中へ潜り込み、地下水で冷却されている可能性もあり、そうなると流れてくる地下水を汚染し続けることになる。

 福島第一原発の周辺は水の豊かな場所。その地下水によってデブリは冷却されているのだろうが、それによって大量の汚染水を作り出すことになり、捕捉されていないルートを通って海へ流れ出ていることも考えられる。

 事故当時、風向きの影響で、放射性物質の多くは太平洋側へ流れたと見えられている。それで東京ではまだ人が住めるのだが、その分、太平洋は汚染された。

 事故からしばらくすると、​ベーリング海やチュクチ海で生息するアザラシの間で奇病が発生​していると伝えられた。無気力で新しい毛が生えず、皮膚病も見つかったという。

 この件について、アラスカ大学の研究者がひとつの仮説をたてた。福島第一原発から大気中に放出された放射性物質は5日以内にベーリング海やチュクチ海に到達、海氷の上に蓄積されて東へ移動、その間、氷の上で生活するアザラシなどが外部被曝や呼吸を通じて内部被曝した可能性があるというのだ。出産なども氷の上で行うので、その時にも被曝する。放射性物質が食物連鎖の中に入るのは氷が溶けた後ということだ。

 そのほか、​カナダではニシンのひれ、腹部、あご、眼球などから出血が報告され、サケへも影響が出ている疑い​があり、​ヤマトシジミに遺伝的な異常​が出たとする調査結果もある。​アメリカの西海岸ではヒトデに異常​が報告されている。また、昨年末には​ユタ州でハクトウワシが原因不明の奇病で数週間に20羽が死亡​しているようだ。

 勿論、日本列島で被害がなかったとは言えない。福島第一原発から放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されているが、その算出方法に問題がある。

 計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、この事故では水が沸騰していたはずなので、放射性物質の除去は無理。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。

 原発の元技術者、アーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。

 放出された放射性物質が住民の上に降り注いでいたことを示す証言もある。例えば医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:

 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」

 12日の午後2時半頃にベント(排気)した、つまり炉心内の放射性物質を環境中へ放出したとされているが、双葉町ではベント前に放射線量が上昇していたと伝えられている。そして午後3時36分に爆発。

 建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片について​NRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長​は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測できるとしている。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出した。

 また、​事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆​によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。

 
福島第一原発の事故でも事実は明らかにされてこなかった。政府、企業、あるいはマスコミだけでなく、検察や裁判所、そしてWHO(世界保健機関)も共犯関係にあると言えるだろう。

福島第一原発の件ではIAEA(国際原子力機関)との関係が指摘された。​1959年にWHOとIAEAが調印した合意文書​の第1条第3項の規定により、一方の機関が重大な関心を持っている、あるいは持つことが予想されるテーマに関するプログラムや活動の開始を考えている場合、プログラムや活動を考えている機関はもうひとつの機関に対し、問題を調整するために相談しなければならないとされている。IAEAの許可がなければ、WHOは放射線の健康被害に関して発表することはできないということだ。

福島第一原発の事故の問題は構造的である。その構造に目を向け、調べる人びとに有力メディアや「権威」は「謀略論」というタグをつけ、切り捨てようとする。構造的な問題に触れたくない人びとは、このタグを喜んで受け入れる。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/304.html

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
123. 中川隆[-5709] koaQ7Jey 2021年4月14日 22:01:34 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[48]
audio identity (designing) 宮ア勝己 BBCモニター考

Date: 12月 2nd, 2008
BBCモニター考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=270


こんなことがあった。

ステレオサウンドに入ったばかりの頃、試聴室となりの倉庫に、ちょうどロジャースのPM510があった。
もちろん、さっそく聴いてみた。
まず試聴室のリファレンススピーカーの4343を聴いた後、PM510に変えた。
アンプ、プレーヤーはそのままである。

出てきた音に、すくなからず驚いた。音がとても粗い。
なぜ、こんな音がするのか、不思議なほど、特に微小域の音が粗かった。

アンプを、マイケルソン&オースチンのTVA1に変えてみた。
嘘のように、粗さは消えている。
もういちどアンプを戻すと、やはり粗い。

もしかしてACの極性が反対かと思い、反転させてみても音の粗さは変わらず。
当時、世評の高いセパレートアンプの組合せである。
4343にもう一度つなげて聴くと、粗さは感じられない。

カタログ上の音圧レベルは、PM510は94dB、4343は93dB。
ほとんど同じだから、アンプの出力もほぼ同じ領域で使っていたわけだ。
にもかかわらず、4343では聴きとれなかった、というか気にならなかった音の粗さが、
PM510では耳について、気になって仕方がなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=270


Date: 12月 3rd, 2008
BBCモニター考(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=272

4343で感じられなかった音の粗さが、なぜPM510では感じとれたのか。

スピーカーには初動感度というのがある。基本的には能率が同じならば初動感度も同じと考えていい。
ただし聴感上の初動感度は必ずしも、音圧レベルと一致するとは言えない面も持つ。

たとえば重たい振動板を強力な磁気回路を用意して動かすのと、
軽い振動板をほどほどの磁気回路で動かすとして、出力音圧レベル(能率)が同じなら、
初動感度は同じということになる。

だが実際に聴いた印象では、軽い振動板の方が、敏捷だと感じることがある。

4343とPM510の使用ユニットに投じられている物量は、4343のほうがあきらかに上である。
フレームも磁気回路もしっかりとつくってある。
オーディオマニア心をくすぐるのは、4343である。

イギリスは、4343のようなスピーカーを、この時代はつくらなくなっていた。
それ以前はタンノイのオートグラフ、ヴァイタヴォックスのCN191など、
JBLのパラゴン、ハーツフィールド、エレクトロボイスのパトリシアン・シリーズと並ぶ
大型で本格的なつくりのスピーカーがつくられていたが、
いつのまにか家庭用スピーカーとしての範囲をこえないものになっていった。

いかにもイギリス的といえるが、やはりオーディオマニアとってはさびしい面もある。
PM510もLS5/8も、そういう意味では、コストを惜しまず技術の粋を集めて、
やれるところまでやってつくられたというスピーカーではない。

けれど……、と私は思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=272


Date: 12月 4th, 2008
BBCモニター考(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=280

スピーカーの面構えやユニット構成、それまでのブランドイメージからから判断すると、
ロジャースのPM510よりもJBLの4343のほうが出力音圧レベルは高いように思われるだろうが、
先に書いたようにカタログ上の値では、PM510のほうが0.5dB高い。

スペンドールのBCIIの値は発表されていないが、聴いた感じでは80数dBぐらいだろう。
KEFの105.2が、たしか85dBだった。

LS5/8、PM510以前のBBCモニターのウーファーの振動板の材質はベクストレンで、
この材質の固有の音が、1.5kHzから2kHzで発生するため、
ダンピングのためのプラスティフレックスを塗布しなければならない。
そのせいで振動板質量が重くなり、能率の低下につながっていた。

PM510のウーファー振動板の材質、ポリプロピレンは表面にダンプ材を塗布する必要がない。
このためばかりではないと思うが、能率があきらかに向上している。
ただしエッジとの接着がひじょうにむずかしく、この部分も特許になっているらしい。

LS5/8の最大出力音圧レベルは、116dBである。JBLの4345が120dBということを考えると、
イギリスのスピーカーとしては、かなり驚異的な値といえるだろう。
ちなみにLS3/5Aは95dB/1.5mである。

ただしJBLのスピーカーが、長い時間でも、最大出力音圧レベルぎりぎりの音を出せるのに対して、
LS5/8はそれほど長い時間耐えられるわけではない。

ボイスコイルの発熱をどう逃がすか、そしてコーンアッセンブリー全体が熱にどのまで耐えられるかも、
どこまで耐えられるかの重要な要素である。

スイングジャーナル編集部に在籍したことのある友人Kさんから聞いた話だが、
山中先生が取材でLS5/8を鳴らされたとき、いい感じで鳴ったので、
ついついボリュームをあげて聴いていたら、ボイスコイルの熱によってポリプロピレンが融けてしまったそうだ。
こんなことは、JBLのスピーカーでは絶対に起こり得ない。
http://audiosharing.com/blog/?p=280


Date: 12月 4th, 2008
BBCモニター考(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=279

4343とLS5/8、同じモニタースピーカーといっても、
使われ方、求められる性能の項目が違うことがあらためてわかる。

JBLのスタジオモニターは、性能ぎりぎりのところで使いつづけても破綻をきたさないよう設計されている。
BBCモニターはモニタースピーカーといっても、大音量で使われることはまずないと聞く。
1970年代にはQUADのESLが、ヨーロッパのレーベル(たしかデッカ)のスタジオモニターとして使われていた。
旧型の ESLがスタジオモニターと通用するくらい、イギリスを含めてヨーロッパのスタジオの試聴音量は、
かなり低いということを書かれた文章を何度か目にしている。

たとえば磁気回路を見ても、BBCモニターはそれほど物量投入の設計ではない。
スピーカーユニットを開発・設計する機会のないわれわれは、
スピーカーの磁気回路の磁束密度は高いほどいいと思いがちだが、
メーカーの技術者に話をきくと、必ずしもそうではなく、
振動板の口径や重さなどとの絡みもあるが、聴いて音の良いポイントがある、といっている。
具体的な数値は教えてくれなかったが、10000ガウスよりも低いところで、ひとついいポイントがあるとのこと。

たしかにKEFのLS5/1A搭載のグッドマンのウーファーの磁束密度は、9000ガウスだ。
たまたまなのかもしれないし、他のBBCモニターの使用ユニットの磁束密度は不明だが、
ユニットそのもののつくりを見る限りそれほど高い値とは思えない。

LS5/8、PM510のウーファーの振動板ポリプロピレンも、スピーカーの振動板に求められる性能──
高剛性、適度な内部損失、内部音速の速さ、軽さの点から見ると、
お世辞にも高剛性といえないし、内部音速がそれほど速い素材でもない。
満たしているのは、適度な内部損失と軽さだけだろう。

もっもとすべての諸条件をすべて高い次元で満たしている素材はないので、
どの項目を優先するかは技術者次第なのだろう。

BBCモニターの設計、つくり方を見て思うのは、ぎりぎりの性能を実現することよりも、
バラツキのないものをつくることを優先しているように思う。
ウーファーの振動板を紙からベクストレン、そしてポリプロピレンに変更していったのも、
性能向上とともに、バラツキのないものをつくれるメリットがあることも大きい。

BBCモニターを、どれでも実際に購入したことのある人ならば、
リアバッフルにシリアルナンバーが手書きで書いてあり、
同じシリアルナンバーで末尾にAがつくものと、Bがつくものとがペアになっているか、
シリアルナンバーが連番になっていることをご存じのはずだ。

4343時代のJBLは、同じ製造ロットのものが入荷してくるのだが、
シリアルナンバーが連番ということはまずなかった。
4341、4343のユニットレイアウトもそうだが、左右対称にはなっていない。
4343はトゥイーターの2405を購入者がつけ換えれば左右対称になるけれど、出荷時点ではそうなっていない。

BBCモニターのライセンスは、要請があれば、公共機関ということもあり、原則として与えるそうだが、
その審査はひじょうに厳しいものらしい。
BBCの仕様に基づいてつくられた製品に対して、サンプルは勿論、
量産品のクォリティコントロールまでチェックした上で与えられるそうだ。

これは言い換えると、ステレオ用スピーカーとして、
左右両スピーカーの性能が揃っていることを重視している、そう言っていいだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=279


Date: 1月 31st, 2009
BBCモニター考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=434

JBLの4343のウーファー2231A(フェライトモデルは2231H)は、マスコントロールリングを採用している。
コーン紙とボイスコイルボビンとの接合部に金属製のリング(アルミ製)を装着することで、
比較的軽いコーン紙を使いながらも、振動板のトータル質量を増すことで、f0を拡張している。

マスコントロールリングなしで、コーン紙を厚くして同等の質量とすると、中低域のレスポンスが低下する。
質量の増加を、ボイスコイル付近に集中させているのが、この方式の特徴である。
というものの、やはり振動系の質量は100gをゆうにこえていたと記憶している。
38cm口径のコーン型スピーカーとしても、その質量は重量級といえる。

これを強力な磁気回路で駆動すれば、能率はそこそこ高くなる。

ロジャースPM510の軽量級のポリプロピレンのコーン紙とほどほどの磁気回路でも、
2231Aとほぼ同じ能率を実現している。
理屈の上では、能率が同じであれば、初動感度は等しい。
だが感覚的には同じとは認識しないのではないだろうか。

低能率のスピーカーをハイパワーアンプで鳴らせば、高能率とスピーカーと同等の音圧を得られる。
だからといって、高能率なスピーカーに共通する特質を、そこに聴くことはできない。

数値上でつじつまは合っていても、感覚的なつじつまはどうなのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=434


Date: 1月 31st, 2009
BBCモニター考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=437

ステレオサウンドの50号前半の数号にわたって、JBL 4343研究という記事が連載されていた。
詳細は憶えていないが、JBLのスタッフふたりによる4343の鳴らし込みといった内容の回もあった。
彼らが聴感でレベルコントロールを調整した結果(写真)が載っていたが、
左右でレベルコントロールの位置は、多く違っていた。

部屋の影響ももちろんあっての結果であるし、
4343に搭載されているユニットに、多少の音圧上のバラツキもあるのだろう。
それにレベルコントロールに採用されている巻き線式のアッテネーターの精度も、個人的には疑いたい。
意外にも、ここのバラツキが大きかったのかもしれない。

どこにいちばんの原因があるのかは置いておくとして、
少なくとも完成品としての4343は、一台一台すべての周波数特性が、
ある範囲内にぴったり収まっているわけではない。

4343のミッドバス、ミッドハイ、トゥイーターのレベルコントロールは飾りではない。
積極的に、それぞれのユニットのレベルを揃えるために必要不可欠なものだから、ついている。

彼らの調整が終った後、編集部による、
当時話題になっていたポータブル型のスペクトラムアナライザーのIvieの結果は、
左右の4343のレベルが見事に揃っていることを示していた。

BBCモニターに、4343のような連続可変のレベルコントロールがついている機種はない。
工場出荷時には、左右のペアの特性が揃えられていることも、関係していよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=437


BBCモニター考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=438

一度、ステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーだったJBLの4344のレベルコントロールを、
自分なりに徹底的に調整してみようと思い、夜、ひとりで試聴室にこもったことがある。

意外にもミッドハイのレベル差が大きく、少しずつ連続可変のレベルコントロールを動かしては音を聴き、
また席を立ち4344のところに行き、ほんの少しいじる。

あるポイントで、ひじょうにいい感じで、ヴォーカルが鳴りはじめた。
センター定位も、かなり気持ちよく、ぴたっと安定している。
もうひと息だな、とその時、思った。

このときの音は、これはこれで満足度の高い音だったが、直感的にもう少し詰められる、と感じたからだ。

さきほどよりも、さらにほんの少しだけレベルコントロールを触った。
椅子に坐り、音を聴く。先ほどの音が良かった。
ひとつ前の状態に戻した。もどしたつもりだったが、
鳴ってきた音は、もどっていない。さっきの音が鳴ってこない。

もう一度4344のところに行き、いじる。
けれども、レベルコントロールに使われている巻き線による連続可変型のためなのか、
同じ位置にしても(したつもりでも)、けっして同じ音にはならない、そんな気がしてくるほど、
不安定要素(不安要素といってもいいだろう)がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=438


Date: 5月 31st, 2009
BBCモニター考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=667

そういえば瀬川先生が、ステレオサウンド 56号に書かれていたことを思い出す。

JBLのパラゴンのトゥイーター(075)・レベルについて
「最適ポイントは決して1箇所だけではない。指定の(12時の)位置より、少し上げたあたり、少なくとも2箇所に、それぞれ、いずれともきめかねるポイントがある。そして、その位置はおそろしくデリケート、かつクリティカルだ。つまみを指で静かに廻してみると、巻線抵抗の線の一本一本を、スライダーが摺動してゆくのが、手ごたえでわかる。最適ポイント近くでは、その一本を越えたのではもうやりすぎで、巻線と巻線の中間にスライダーが跨った形のところが良かったりする。まあ、体験してみなくては信じられない話かもしれないが。」
という記述だ。

パラゴンと4344というシステムの違いはあるが、巻線抵抗のレベルコントロールは共通している。
その微妙さ(ときには不安定さ)も共通しているといえよう。

さきほどまでの、いい感じで鳴ってくれた音と、もう少しと欲張り、先に戻せなかった音の、
レベルコントロールの位置の差は、
まさに「巻線と巻線の中間にスライダーが跨った」かどうかの違いだったのかもしれない。

そうやって微妙な調整を経て、音はピントが合ってくるもの。
だから、巻線抵抗のレベルコントロールに文句を言っているように感じられるだろうが、
否定しているわけではない。

BBC モニター系列のスピーカーにレベルコントロールがついている機種は、あまりない。
ついていても連続可変ではなく、タップ切替による段階的なものである。
http://audiosharing.com/blog/?p=667


BBCモニター考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=668

KEFの105(ことわっておくが、KEF独自の同軸型ユニットUniQを採用した機種ではなく、
1977年に登場した、階段状の3ウェイ・モデルのほうである)は、
−6dB/oct.のゆるやかな遮断特性のネットワークを採用している。

各ユニットの取りつけ位置を前後にずらしていることから分かるように、
105は位相特性の、十分な配慮が特長のスピーカーシステムであるだけに、
位相回転の少ない−6dB/oct.型を採用するのは、当然といえる。

だが105 SeriesII (105.2) のネットワークは、より高次の、基本的に−18dB/oct.型へと変更されている。
ウーファーも新型ユニットに変更され、エンクロージュアの外観も多少変った105.2の音は、
残念ながら聴く機会がなかった。
できれば105と105.2を比較試聴したいところなのだが、なぜKEFは、ネットワークの変更を行なったのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=668

BBCモニター考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=669

ウーファーのハイカットを−6dB/oct.でやる場合、コイルをひとつ直列に挿入すればいい。
トゥイーターのローカットは、コンデンサーをひとつ挿入するだけ。

簡単できることなので、フルレンジユニットでもいいから、適当な値のコンデンサー、
もしくはコイルを直列に挿入した音を聴いてみてほしい。
−6dB/oct.型カーブのゆるやかさが実感できる。
ウーファーならば、特に高域まで素直に伸びているユニットならば、
高域がけっこう出ていること、つまり、あまりカットされていないことに驚かれるかもしれない。

なぜスピーカーシステムをマルチウェイ化するのか。
それぞれのユニットを良好な帯域で使いたいためだが、−6dB/oct.型ネットワークを採用するということは、
使用ユニットそれぞれは、十分な帯域幅をもっていることが前提となる。

狭帯域のユニットだと、−6dB/oct.のゆるやかなカーブでは、分割共振が増えてくる領域までも、
かなり高い音圧レベルで、ユニットから出てくることになる。
同じカットオフ周波数でも遮断特性が−18dB/oct.型となると、分割共振が目立つ帯域は、かなり抑えられる。
http://audiosharing.com/blog/?p=669

BBCモニター考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=670

KEFの105は、製造ラインをコンピュータ管理していること、
振動板の素材にバラツキの少ない高分子系のモノをつかっていることなどから、
もともと品質・特性のバラツキは少ないスピーカーであったが、
105.2になり、さらにバラツキは少なくなり、KEFの研究所にある標準原器との差は、
全データにおいて1dB以内におさめられているモノのみ出荷していた。

JBLの4344、4343からすると、このバラツキのなさ(少なさというよりもなさと言ってもいいだろう)は、
KEFという会社のスピーカーづくりのポリシー、
そして中心人物だったレイモンド・E・クックの学者肌の気質が結実したものだろう。

出荷の選別基準を1dB以内まで高めたことは、製造時のバラツキの少なさの自信の現われでもあろう。
バラツキの大きいものが作られれば、その分、廃棄されるものも増え、製造コストは増していくばかりだ。

バラツキの少ない素材の選定から製造ラインの徹底した管理などともに、
バラツキを抑える有効な手段といえるのが、ネットワークの高次化ではなかろうか。

特性を揃えるということは、できるだけユニットをピストニックモーションの良好な帯域のみで使い、
分割共振が増してくる帯域はできるだけ抑えることでもある。
コントロールがきかなくなりつつある分割共振の帯域が、レベル的に高いままユニットから出ていては、
スピーカーシステム・トータルの特性もバラついてくる。

もちろんバラツキをなくすためだけに高次ネットワークを採用したわけではなかろう。
それでも高次ネットワークと出荷選定基準の引き上げは、決して無関係ではないと考えられる。
http://audiosharing.com/blog/?p=670


BBCモニター考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=671

レイモンド・クック(Raymond E. Cooke)はステレオサウンド「コンポーネントの世界’78」のインタビューで、
これからのスピーカーはコヒーレントフェイズ(Coherent Phase)、
もしくはフェイズリニアになっていく必要がある、と答えている。

それは、やはりステレオ再生用スピーカーとして求められる条件だと、クックは考えていたのだろう。
モノーラル再生で優れた音を再現してくれるスピーカーが、
必ずしもステレオ用として優れているかどうかは断言できない。

モノーラル時代のスピーカーには求められなかったこと、
ステレオ時代のスピーカーに求められることは、左右のスピーカーがまったく同一であることも含まれる。

インライン配置の左右同一か左右対称のユニットレイアウトだけでなく、測定できるすべての項目において、
バラツキがひじょうに少ないこともあげられよう。
位相特性も重要なことだが、フェイズリニアが論文として発表されているのは、
クックによると、1936年のことらしい。モノーラル時代のことだ。
発表したのは、ジョン・ヘリアーという人で、ベル研究所の人物らしい。

コヒーレントフェイズは、クックとKEFの技術重役フィンチャムが、1976年9月、
東京で講演したのが最初だという。
そしてフェイズリニアのスピーカーとして最初に市販されたのは、
QUADのESLで、1954年のことだ、とクックは語っている。

1954年、やはりモノーラル時代のことである。
http://audiosharing.com/blog/?p=671


BBCモニター考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=672

現代スピーカー考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=163

の補足でもあるが、
クックは「105はフェイズリニアのスピーカーではない」といい、リニアフェイズスピーカーというのは、
再生周波数帯域内の位相特性が水平で一直線のことであり、技術的には不可能なこととも言っている。

「日本でリニアフェイズとされて売られているスピーカー」──テクニクスのスピーカーのことである──は、
クックによると、そのスピーカーの再生周波数帯域においてリニアフェイズではなく、
ある特定の帯域のみリニアフェイズだということらしい。
600〜6000Hzくらいの帯域でのみリニアフェイズを実現している、とのこと。

一方105はというと、位相特性のグラフの線は低域から高域にいくに従って下がっていくが、
再生周波数帯域内ではカーブを描いたり、段差がついたりせず、直線だということだ。

水平ではないが、帯域内では直線の位相特性の105、
600〜6000Hz内ではほぼ水平の位相特性だが、
600Hz以下では上昇カーブ、6000Hz以上では下降カーブを描くテクニクスのスピーカー、
どちらがステレオ用スピーカーとして、聴感上優位かといえば、個人的には前者だと考える。
もっとも位相特性をほとんど考慮していない設計のスピーカーでは、帯域内で急激な位相変化を起こすものもある。

クックは、さらに大切なこととして、「軸上だけでなく、軸上からはずれたところでも聴いて、
そのよしあしを判断すべき」であり、「スピーカーの周りをグルッと回って聴くことも必要」だと語っている。
しかも耳の高さもいろいろ変えてみると面白いとつけ加えている。

クックがステレオ用としてのスピーカーのありかたを意識していることが、
ここに伺えるような気がして、ひじょうに興味深い。
http://audiosharing.com/blog/?p=672

BBCモニター考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=673

105.2ほどではないにせよ、BBCモニター系列のスピーカーは、
左右でシリアルナンバーの揃っているモノ、続き番号のモノが出荷され、ユーザーの手もとに届く。

4343までのJBLとは、ここが違う。

モニタースピーカーという、同じ枠の言葉で括られてしまうのがおかしいほどに、
JBLのスタジオモニター・シリーズとBBCモニタースピーカーは、違いが多々ある。
JBLの場合、スタジオモニターという名が付くスピーカーだけに、これらを使う者は、
プロもしくはそれに準ずるレベルをもつ人であり、相応のシステムを装備していることを前提としていると思える。

スタジオには多素子のグラフィックイコライザーもあれば、スペクトラムアナライザーもあろう。
だからスピーカー側にも、連続可変のレベルコントロールをウーファー以外のユニットすべてにつけて、
細かく調整可能にしておけばいいと考えではなかったのか。

そうしておけば、少々のバラツキは、使い手側で、ほぼ完全に補正できるからだ。
作っている側もプロなら使う側もプロ、そういう前提を無視して、
あまりにも4343までの、JBLの一連のスタジオモニターについて語りすぎていたのではなかろうか。

そうして4343への誤解が生まれていった。
http://audiosharing.com/blog/?p=673

Date: 7月 12th, 2009
BBCモニター考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=734

JBLの4343もモニタースピーカーだし、ロジャースのLS3/5AもLS5/8も、やはりモニタースピーカーである。

モニタースピーカーとはいったいどういう性格の、性能のスピーカーのことをいうのだろうか。
コンシューマー用スピーカーとの本質的な違いは、あきらかなものとして存在するのであろうか。

たとえばヤマハのNS1000Mの型番末尾の「M」はMonitorの頭文字である。
だからといって、NS1000Mが、モニタースピーカーとして企画され、開発製造されていたとは思わない。
あきらかにコンシューマー用スピーカーなのだが、1970年代、スウェーデンの国営放送局が、
このスピーカーをモニタースピーカーとして正式に採用している。
そうなると、単なる型番の名称ではなく、「モニタースピーカー」と堂々と名乗れる。

QUADのESLも、純然たる家庭用スピーカーの代表機種にもかかわらず、
レコーディングのスタジオモニターとして採用されていたこともある。

スタジオモニターといえば、大きな音での再生がまず絶対条件のように思われている方もおられるかもしれないが、
モニタリング時の音量は、アメリカ、日本にくらべるとイギリス、ドイツなどは、かなり低めの音量で、
一般家庭で聴かれているような音量とほとんど変らないという。

だから、ESLでも、多少の制約は、おそらくあっただろうが、
もしくはESLで、なんら制約も感じないほどの音量がイギリスでのモニタリング時の一般的な音量なのだろう。
とにかくESLは、十分モニターとしての役割を果していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=734


BBCモニター考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=735

1990年前後から日本の録音スタジオにモニタースピーカーとして導入され、
知名度を急激に上げていったスピーカーがある。

絶賛する声も、現場では多かった反面、
「このスピーカーでは仕事(モニタリング)ができない」という声もあったときいている。

このスピーカーと、たとえば誰も絶賛しないけれど、誰も「使えない」と全面否定もしない、
いわば可も不可もなく、といったモニタースピーカーがあったとして、
さて、どちらがモニタースピーカーとして優れているのか、
あえて点数をつけるとすれば、どちらが高い点数を獲得するのか。
そんなことを考えてみたくなる。

前者のスピーカーには、ひじょうに高い点をつける人もいれば、
まったく点を与えない人もいるだろう。そうすると平均点はそれほど高くならない。

後者のスピーカーはどうか。高い点は得られないだろう。でも極端に低い点をつける人もいないだろう。
となると平均点は、前者のスピーカーと対して変わらない、ということになるかもしれない。

つまりこのふたつのモニタースピーカーは、ほぼ互角かというと、決してそんなことはなく、
ここがスピーカーの選択・評価の、微妙なところであり、面白さであろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=735


BBCモニター考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=736

ずっと以前は、モニタースピーカー・イコール・アラ探しのためのスピーカーと捉えられていたようだ。

いま、そういう捉え方をする人は、ほとんどいないだろうし、そういうスタジオモニターも、
ほとんどないといってもいいだろう。

ならば、モニタースピーカーの定義とは、何なのだろうか。
はっきりした定義は、いまだないように思う。

なんとなく、これはモニタースピーカー、あれは家庭用スピーカーだな、と個々人が、
勝手に、そこに境界線を引いているという、あいまいさが残ったままなのか。

どんなスピーカーにも、かならず、そのスピーカーならではの固有音がある。
固有音、つまり個性・癖がまったく存在しないスピーカーこそ、無色透明のスピーカーとなるわけだが、
いまのところも、これからもさきも、少なくともあと10年、20年ぐらいで、
「スピーカーの音」というものがなくなるとは思えない。

いまのスピーカーの原理であるかぎり、パワーアンプから送られてくる電気信号の、
ほんのわずか数%しか音に変換できない。のこりは熱となって消費されているわけだ。

これが70%以上、そんなにいかなくてもいいかもしれない。
50%程度でも音に変換できるようになれば、スピーカーの音というものは、ずいぶん大きく変容することだろう。

さらに80から90%ほど音に変換できるようになれば、ほとんど変換ロスがなくなってくれば、
スピーカーの音は、かぎりなく無色透明になっていくのであろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=736

BBCモニター考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=737

では、いま現在、無色透明な音は存在し得ないのか。

そんなことはないと思う。
スピーカーひとつひとつに固有音がある。アンプやその他のオーディオ機器に固有音がある。
もちろんレコード(録音)にもあるし、アンプやスピーカーを構成するパーツや素材にも、固有音は存在する。

固有音が存在しないものは、いまのところ世の中にはない。
そう、聴き手であるわれわれにも、固有音があるのではなかろうか。
だから、同じ部屋で同じ音を、同時に聴いて、音の評価が大きく異なることがすくなくないのも、
そのことが関係しているのかもしれない。

個々人の耳に、それぞれ固有音があるとしたら、あるとき、ある瞬間だけ、
固有音すべてが相互に関係し合い、打ち消し、補整することで、無色透明の音は存在し得ないとはいえない。

すべて人にとって共通の無色透明は音は、いまのところない。
あるひとにとって、未来永劫、無色透明な音もない。
けれど、すべての条件が、たまたまうまく絡み合ったときに、起き得ないと、だれが言えるのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=737


Date: 8月 23rd, 2009
BBCモニター考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=817

耳の固有音について考えると、もちろん個人差があるし、同じひとりの人間でも、
それまでの体験の蓄積によって、耳も成長し、耳がもつ固有音も変化していくのだろう。

ステレオサウンドの50号ごろからはじまった「スーパーマニア」の連載の初期のころに登場された方々が、
なぜ真空管アンプ(それもシングルアンプが多かったように記憶している)で、
高能率のスピーカーを鳴らされていることに、つよい関心があった。

そういった方々の多くの人は、そうとうな遍歴を経た上で、誌面に登場されたときの装置を選択されている。

そのとき、まだ10代なかばだった私は、関心をもちながらも、その理由についてはまったく想像できなかった。
けれど、耳の固有音の形成如何によっては、それまでどういう音を聴いていたかによっては、
高能率スピーカーと真空管のシングルアンプの組合せが、無色透明とはいかないまでも、
意外にも、それほどつよい個性を感じさせずに、自然と音楽が響いてくる音なのかしれないと、
ここ数年思うようになってきた。

これが歳を重ねるということなのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=817


BBCモニター考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=818

耳の固有音に関係してくるのは、時代と風土も、無視できないだろう。

ほぼ同じだけのオーディオのキャリアもつ人がふたりいたとしても、生れた時代によって、
耳にしてきた音の性格も異る。

アクースティックな蓄音器の時代から、レコードの音を聴いてきた耳の固有音と、
ステレオ時代しか知らない世代の耳の固有音、
それからCD以降の音しか知らない世代が、これからキャリアをつんだときの耳の固有音、
これらは違って当然だろう。

1963年生れの私は、オーディオに関心をもつまでに、もっとも長く耳にしていたスピーカーの音は、
それはテレビに内蔵されているスピーカーの音であり、ラジオのスピーカーだった。
幼いころにあったテレビは、まだ真空管式だったはずだ。
スピーカーは、紙コーンのフルレンジ型。

テレビも音声多重放送がはじまると、フルレンジ型だけでなく2ウェイ構成のものも登場してきた。
ラジカセも、私が学生のころはフルレンジだけだったのが、いつのまにかマルチウェイ化されていった。

テレビ、ラジオといった身近なスピーカーの音も、時代によって変化している。
外に出ればわかるが、いま音楽を聴くのは、
スピーカーよりもヘッドフォン、イヤフォンが多いという人も増えている。

キャリア(時間)が同じだとしても、
ステレオサウンドの「スーパーマニア」に登場した人たちと同じ構成の装置を、
これからの人たちの耳が選択するとは思えない。

これはどちらがレベルが高いとか、センスがいいとか、そういったことではなく、
生まれ育った時代による耳の固有音の形成され方の違いということでしかない。
http://audiosharing.com/blog/?p=818


Date: 4月 29th, 2011
BBCモニター考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=4173

少し話がずれてしまったが、無色透明であることがモニタースピーカーの条件ではない、ことはいえる。

1960年から70年にかけてスタジオモニターとして
各国のスタジオで使われることの多かったアルテックの604を収めたスピーカーシステムは、
誰が聴いても無色透明とは遠いところにいる音である。
イギリスの録音の現場で使われることの多かったタンノイにしても、その点は同じである。
音色としての個性は、どのスタジオモニターであれ、はっきりともっていた、といえる。

そういうスピーカーでモニタリングされながら、名盤と呼ばれるレコードはつくられてきた。

いまここでスタジオモニター、といっているスピーカーシステムは、
レコード会社の録音スタジオで使われるスピーカーのことである。

この項は「BBCモニター考」である。「スタジオモニター考」でも、「モニタースピーカー考」でもない。
これは日本だけのことなのかもしれないが、BBCモニター、とこう呼ばれている。

BBCはいうまでもなくイギリスの国営放送局で、BBCモニターはその現場で使われるスピーカーシステムのことで、
型番の頭には、LS、とつく。

ステレオサウンド 46号は、モニタースピーカーの特集号である。
この中で、岡先生が、当時の世界中のスタジオで使われているモニタースピーカーのブランドを数えあげられている。
資料として使われたのは、ビルボード誌が毎年発行している(いた?)
インターナショナル・ダイレクトリー・オブ・レコーディング・ステュディオスで、
この本は世界中の大多数の録音スタジオの規模、設備がかわるもの。

それによると、1975年当時、962のスタジオの使われていたスピーカーのブランドは次の通り。
 アルテック:324
 JBL:299
 タンノイ:91(うちロックウッドと明示してあるのが40)
 エレクトロボイス:60
 ウェストレーク:21
 KLH:17
 K+H:14
 カダック:13
 AR:12
これを国別でみると、イギリスとフランスで圧倒的に多く使われていたのはタンノイで、
イギリスではタンノイ:20/ロックウッド:18、フランスではタンノイ:1/ロックウッド:12。
西ドイツではK+Hとアルテックがともに同数(9)でトップ。

気づくのは、BBCモニターを作っているブランドがない、ということ。
もっとも岡先生があげられたブランドの合計は851だから、
のこり100ちょっとスピーカーシステムの中にはBBCモニターのブランドがはいっている可能性はあるが、
少なくともARの12よりも少ない数字であることは間違いない。
http://audiosharing.com/blog/?p=4173


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c123

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 BBCモニター考
audio identity (designing) 宮ア勝己 BBCモニター考


Date: 12月 2nd, 2008
BBCモニター考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=270


こんなことがあった。

ステレオサウンドに入ったばかりの頃、試聴室となりの倉庫に、ちょうどロジャースのPM510があった。
もちろん、さっそく聴いてみた。
まず試聴室のリファレンススピーカーの4343を聴いた後、PM510に変えた。
アンプ、プレーヤーはそのままである。

出てきた音に、すくなからず驚いた。音がとても粗い。
なぜ、こんな音がするのか、不思議なほど、特に微小域の音が粗かった。

アンプを、マイケルソン&オースチンのTVA1に変えてみた。
嘘のように、粗さは消えている。
もういちどアンプを戻すと、やはり粗い。

もしかしてACの極性が反対かと思い、反転させてみても音の粗さは変わらず。
当時、世評の高いセパレートアンプの組合せである。
4343にもう一度つなげて聴くと、粗さは感じられない。

カタログ上の音圧レベルは、PM510は94dB、4343は93dB。
ほとんど同じだから、アンプの出力もほぼ同じ領域で使っていたわけだ。
にもかかわらず、4343では聴きとれなかった、というか気にならなかった音の粗さが、
PM510では耳について、気になって仕方がなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=270


Date: 12月 3rd, 2008
BBCモニター考(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=272

4343で感じられなかった音の粗さが、なぜPM510では感じとれたのか。

スピーカーには初動感度というのがある。基本的には能率が同じならば初動感度も同じと考えていい。
ただし聴感上の初動感度は必ずしも、音圧レベルと一致するとは言えない面も持つ。

たとえば重たい振動板を強力な磁気回路を用意して動かすのと、
軽い振動板をほどほどの磁気回路で動かすとして、出力音圧レベル(能率)が同じなら、
初動感度は同じということになる。

だが実際に聴いた印象では、軽い振動板の方が、敏捷だと感じることがある。

4343とPM510の使用ユニットに投じられている物量は、4343のほうがあきらかに上である。
フレームも磁気回路もしっかりとつくってある。
オーディオマニア心をくすぐるのは、4343である。

イギリスは、4343のようなスピーカーを、この時代はつくらなくなっていた。
それ以前はタンノイのオートグラフ、ヴァイタヴォックスのCN191など、
JBLのパラゴン、ハーツフィールド、エレクトロボイスのパトリシアン・シリーズと並ぶ
大型で本格的なつくりのスピーカーがつくられていたが、
いつのまにか家庭用スピーカーとしての範囲をこえないものになっていった。

いかにもイギリス的といえるが、やはりオーディオマニアとってはさびしい面もある。
PM510もLS5/8も、そういう意味では、コストを惜しまず技術の粋を集めて、
やれるところまでやってつくられたというスピーカーではない。

けれど……、と私は思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=272


Date: 12月 4th, 2008
BBCモニター考(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=280

スピーカーの面構えやユニット構成、それまでのブランドイメージからから判断すると、
ロジャースのPM510よりもJBLの4343のほうが出力音圧レベルは高いように思われるだろうが、
先に書いたようにカタログ上の値では、PM510のほうが0.5dB高い。

スペンドールのBCIIの値は発表されていないが、聴いた感じでは80数dBぐらいだろう。
KEFの105.2が、たしか85dBだった。

LS5/8、PM510以前のBBCモニターのウーファーの振動板の材質はベクストレンで、
この材質の固有の音が、1.5kHzから2kHzで発生するため、
ダンピングのためのプラスティフレックスを塗布しなければならない。
そのせいで振動板質量が重くなり、能率の低下につながっていた。

PM510のウーファー振動板の材質、ポリプロピレンは表面にダンプ材を塗布する必要がない。
このためばかりではないと思うが、能率があきらかに向上している。
ただしエッジとの接着がひじょうにむずかしく、この部分も特許になっているらしい。

LS5/8の最大出力音圧レベルは、116dBである。JBLの4345が120dBということを考えると、
イギリスのスピーカーとしては、かなり驚異的な値といえるだろう。
ちなみにLS3/5Aは95dB/1.5mである。

ただしJBLのスピーカーが、長い時間でも、最大出力音圧レベルぎりぎりの音を出せるのに対して、
LS5/8はそれほど長い時間耐えられるわけではない。

ボイスコイルの発熱をどう逃がすか、そしてコーンアッセンブリー全体が熱にどのまで耐えられるかも、
どこまで耐えられるかの重要な要素である。

スイングジャーナル編集部に在籍したことのある友人Kさんから聞いた話だが、
山中先生が取材でLS5/8を鳴らされたとき、いい感じで鳴ったので、
ついついボリュームをあげて聴いていたら、ボイスコイルの熱によってポリプロピレンが融けてしまったそうだ。
こんなことは、JBLのスピーカーでは絶対に起こり得ない。
http://audiosharing.com/blog/?p=280


Date: 12月 4th, 2008
BBCモニター考(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=279

4343とLS5/8、同じモニタースピーカーといっても、
使われ方、求められる性能の項目が違うことがあらためてわかる。

JBLのスタジオモニターは、性能ぎりぎりのところで使いつづけても破綻をきたさないよう設計されている。
BBCモニターはモニタースピーカーといっても、大音量で使われることはまずないと聞く。
1970年代にはQUADのESLが、ヨーロッパのレーベル(たしかデッカ)のスタジオモニターとして使われていた。
旧型の ESLがスタジオモニターと通用するくらい、イギリスを含めてヨーロッパのスタジオの試聴音量は、
かなり低いということを書かれた文章を何度か目にしている。

たとえば磁気回路を見ても、BBCモニターはそれほど物量投入の設計ではない。
スピーカーユニットを開発・設計する機会のないわれわれは、
スピーカーの磁気回路の磁束密度は高いほどいいと思いがちだが、
メーカーの技術者に話をきくと、必ずしもそうではなく、
振動板の口径や重さなどとの絡みもあるが、聴いて音の良いポイントがある、といっている。
具体的な数値は教えてくれなかったが、10000ガウスよりも低いところで、ひとついいポイントがあるとのこと。

たしかにKEFのLS5/1A搭載のグッドマンのウーファーの磁束密度は、9000ガウスだ。
たまたまなのかもしれないし、他のBBCモニターの使用ユニットの磁束密度は不明だが、
ユニットそのもののつくりを見る限りそれほど高い値とは思えない。

LS5/8、PM510のウーファーの振動板ポリプロピレンも、スピーカーの振動板に求められる性能──
高剛性、適度な内部損失、内部音速の速さ、軽さの点から見ると、
お世辞にも高剛性といえないし、内部音速がそれほど速い素材でもない。
満たしているのは、適度な内部損失と軽さだけだろう。

もっもとすべての諸条件をすべて高い次元で満たしている素材はないので、
どの項目を優先するかは技術者次第なのだろう。

BBCモニターの設計、つくり方を見て思うのは、ぎりぎりの性能を実現することよりも、
バラツキのないものをつくることを優先しているように思う。
ウーファーの振動板を紙からベクストレン、そしてポリプロピレンに変更していったのも、
性能向上とともに、バラツキのないものをつくれるメリットがあることも大きい。

BBCモニターを、どれでも実際に購入したことのある人ならば、
リアバッフルにシリアルナンバーが手書きで書いてあり、
同じシリアルナンバーで末尾にAがつくものと、Bがつくものとがペアになっているか、
シリアルナンバーが連番になっていることをご存じのはずだ。

4343時代のJBLは、同じ製造ロットのものが入荷してくるのだが、
シリアルナンバーが連番ということはまずなかった。
4341、4343のユニットレイアウトもそうだが、左右対称にはなっていない。
4343はトゥイーターの2405を購入者がつけ換えれば左右対称になるけれど、出荷時点ではそうなっていない。

BBCモニターのライセンスは、要請があれば、公共機関ということもあり、原則として与えるそうだが、
その審査はひじょうに厳しいものらしい。
BBCの仕様に基づいてつくられた製品に対して、サンプルは勿論、
量産品のクォリティコントロールまでチェックした上で与えられるそうだ。

これは言い換えると、ステレオ用スピーカーとして、
左右両スピーカーの性能が揃っていることを重視している、そう言っていいだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=279


Date: 1月 31st, 2009
BBCモニター考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=434

JBLの4343のウーファー2231A(フェライトモデルは2231H)は、マスコントロールリングを採用している。
コーン紙とボイスコイルボビンとの接合部に金属製のリング(アルミ製)を装着することで、
比較的軽いコーン紙を使いながらも、振動板のトータル質量を増すことで、f0を拡張している。

マスコントロールリングなしで、コーン紙を厚くして同等の質量とすると、中低域のレスポンスが低下する。
質量の増加を、ボイスコイル付近に集中させているのが、この方式の特徴である。
というものの、やはり振動系の質量は100gをゆうにこえていたと記憶している。
38cm口径のコーン型スピーカーとしても、その質量は重量級といえる。

これを強力な磁気回路で駆動すれば、能率はそこそこ高くなる。

ロジャースPM510の軽量級のポリプロピレンのコーン紙とほどほどの磁気回路でも、
2231Aとほぼ同じ能率を実現している。
理屈の上では、能率が同じであれば、初動感度は等しい。
だが感覚的には同じとは認識しないのではないだろうか。

低能率のスピーカーをハイパワーアンプで鳴らせば、高能率とスピーカーと同等の音圧を得られる。
だからといって、高能率なスピーカーに共通する特質を、そこに聴くことはできない。

数値上でつじつまは合っていても、感覚的なつじつまはどうなのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=434


Date: 1月 31st, 2009
BBCモニター考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=437

ステレオサウンドの50号前半の数号にわたって、JBL 4343研究という記事が連載されていた。
詳細は憶えていないが、JBLのスタッフふたりによる4343の鳴らし込みといった内容の回もあった。
彼らが聴感でレベルコントロールを調整した結果(写真)が載っていたが、
左右でレベルコントロールの位置は、多く違っていた。

部屋の影響ももちろんあっての結果であるし、
4343に搭載されているユニットに、多少の音圧上のバラツキもあるのだろう。
それにレベルコントロールに採用されている巻き線式のアッテネーターの精度も、個人的には疑いたい。
意外にも、ここのバラツキが大きかったのかもしれない。

どこにいちばんの原因があるのかは置いておくとして、
少なくとも完成品としての4343は、一台一台すべての周波数特性が、
ある範囲内にぴったり収まっているわけではない。

4343のミッドバス、ミッドハイ、トゥイーターのレベルコントロールは飾りではない。
積極的に、それぞれのユニットのレベルを揃えるために必要不可欠なものだから、ついている。

彼らの調整が終った後、編集部による、
当時話題になっていたポータブル型のスペクトラムアナライザーのIvieの結果は、
左右の4343のレベルが見事に揃っていることを示していた。

BBCモニターに、4343のような連続可変のレベルコントロールがついている機種はない。
工場出荷時には、左右のペアの特性が揃えられていることも、関係していよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=437


BBCモニター考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=438

一度、ステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーだったJBLの4344のレベルコントロールを、
自分なりに徹底的に調整してみようと思い、夜、ひとりで試聴室にこもったことがある。

意外にもミッドハイのレベル差が大きく、少しずつ連続可変のレベルコントロールを動かしては音を聴き、
また席を立ち4344のところに行き、ほんの少しいじる。

あるポイントで、ひじょうにいい感じで、ヴォーカルが鳴りはじめた。
センター定位も、かなり気持ちよく、ぴたっと安定している。
もうひと息だな、とその時、思った。

このときの音は、これはこれで満足度の高い音だったが、直感的にもう少し詰められる、と感じたからだ。

さきほどよりも、さらにほんの少しだけレベルコントロールを触った。
椅子に坐り、音を聴く。先ほどの音が良かった。
ひとつ前の状態に戻した。もどしたつもりだったが、
鳴ってきた音は、もどっていない。さっきの音が鳴ってこない。

もう一度4344のところに行き、いじる。
けれども、レベルコントロールに使われている巻き線による連続可変型のためなのか、
同じ位置にしても(したつもりでも)、けっして同じ音にはならない、そんな気がしてくるほど、
不安定要素(不安要素といってもいいだろう)がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=438


Date: 5月 31st, 2009
BBCモニター考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=667

そういえば瀬川先生が、ステレオサウンド 56号に書かれていたことを思い出す。

JBLのパラゴンのトゥイーター(075)・レベルについて
「最適ポイントは決して1箇所だけではない。指定の(12時の)位置より、少し上げたあたり、少なくとも2箇所に、それぞれ、いずれともきめかねるポイントがある。そして、その位置はおそろしくデリケート、かつクリティカルだ。つまみを指で静かに廻してみると、巻線抵抗の線の一本一本を、スライダーが摺動してゆくのが、手ごたえでわかる。最適ポイント近くでは、その一本を越えたのではもうやりすぎで、巻線と巻線の中間にスライダーが跨った形のところが良かったりする。まあ、体験してみなくては信じられない話かもしれないが。」
という記述だ。

パラゴンと4344というシステムの違いはあるが、巻線抵抗のレベルコントロールは共通している。
その微妙さ(ときには不安定さ)も共通しているといえよう。

さきほどまでの、いい感じで鳴ってくれた音と、もう少しと欲張り、先に戻せなかった音の、
レベルコントロールの位置の差は、
まさに「巻線と巻線の中間にスライダーが跨った」かどうかの違いだったのかもしれない。

そうやって微妙な調整を経て、音はピントが合ってくるもの。
だから、巻線抵抗のレベルコントロールに文句を言っているように感じられるだろうが、
否定しているわけではない。

BBC モニター系列のスピーカーにレベルコントロールがついている機種は、あまりない。
ついていても連続可変ではなく、タップ切替による段階的なものである。
http://audiosharing.com/blog/?p=667


BBCモニター考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=668

KEFの105(ことわっておくが、KEF独自の同軸型ユニットUniQを採用した機種ではなく、
1977年に登場した、階段状の3ウェイ・モデルのほうである)は、
−6dB/oct.のゆるやかな遮断特性のネットワークを採用している。

各ユニットの取りつけ位置を前後にずらしていることから分かるように、
105は位相特性の、十分な配慮が特長のスピーカーシステムであるだけに、
位相回転の少ない−6dB/oct.型を採用するのは、当然といえる。

だが105 SeriesII (105.2) のネットワークは、より高次の、基本的に−18dB/oct.型へと変更されている。
ウーファーも新型ユニットに変更され、エンクロージュアの外観も多少変った105.2の音は、
残念ながら聴く機会がなかった。
できれば105と105.2を比較試聴したいところなのだが、なぜKEFは、ネットワークの変更を行なったのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=668

BBCモニター考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=669

ウーファーのハイカットを−6dB/oct.でやる場合、コイルをひとつ直列に挿入すればいい。
トゥイーターのローカットは、コンデンサーをひとつ挿入するだけ。

簡単できることなので、フルレンジユニットでもいいから、適当な値のコンデンサー、
もしくはコイルを直列に挿入した音を聴いてみてほしい。
−6dB/oct.型カーブのゆるやかさが実感できる。
ウーファーならば、特に高域まで素直に伸びているユニットならば、
高域がけっこう出ていること、つまり、あまりカットされていないことに驚かれるかもしれない。

なぜスピーカーシステムをマルチウェイ化するのか。
それぞれのユニットを良好な帯域で使いたいためだが、−6dB/oct.型ネットワークを採用するということは、
使用ユニットそれぞれは、十分な帯域幅をもっていることが前提となる。

狭帯域のユニットだと、−6dB/oct.のゆるやかなカーブでは、分割共振が増えてくる領域までも、
かなり高い音圧レベルで、ユニットから出てくることになる。
同じカットオフ周波数でも遮断特性が−18dB/oct.型となると、分割共振が目立つ帯域は、かなり抑えられる。
http://audiosharing.com/blog/?p=669

BBCモニター考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=670

KEFの105は、製造ラインをコンピュータ管理していること、
振動板の素材にバラツキの少ない高分子系のモノをつかっていることなどから、
もともと品質・特性のバラツキは少ないスピーカーであったが、
105.2になり、さらにバラツキは少なくなり、KEFの研究所にある標準原器との差は、
全データにおいて1dB以内におさめられているモノのみ出荷していた。

JBLの4344、4343からすると、このバラツキのなさ(少なさというよりもなさと言ってもいいだろう)は、
KEFという会社のスピーカーづくりのポリシー、
そして中心人物だったレイモンド・E・クックの学者肌の気質が結実したものだろう。

出荷の選別基準を1dB以内まで高めたことは、製造時のバラツキの少なさの自信の現われでもあろう。
バラツキの大きいものが作られれば、その分、廃棄されるものも増え、製造コストは増していくばかりだ。

バラツキの少ない素材の選定から製造ラインの徹底した管理などともに、
バラツキを抑える有効な手段といえるのが、ネットワークの高次化ではなかろうか。

特性を揃えるということは、できるだけユニットをピストニックモーションの良好な帯域のみで使い、
分割共振が増してくる帯域はできるだけ抑えることでもある。
コントロールがきかなくなりつつある分割共振の帯域が、レベル的に高いままユニットから出ていては、
スピーカーシステム・トータルの特性もバラついてくる。

もちろんバラツキをなくすためだけに高次ネットワークを採用したわけではなかろう。
それでも高次ネットワークと出荷選定基準の引き上げは、決して無関係ではないと考えられる。
http://audiosharing.com/blog/?p=670


BBCモニター考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=671

レイモンド・クック(Raymond E. Cooke)はステレオサウンド「コンポーネントの世界’78」のインタビューで、
これからのスピーカーはコヒーレントフェイズ(Coherent Phase)、
もしくはフェイズリニアになっていく必要がある、と答えている。

それは、やはりステレオ再生用スピーカーとして求められる条件だと、クックは考えていたのだろう。
モノーラル再生で優れた音を再現してくれるスピーカーが、
必ずしもステレオ用として優れているかどうかは断言できない。

モノーラル時代のスピーカーには求められなかったこと、
ステレオ時代のスピーカーに求められることは、左右のスピーカーがまったく同一であることも含まれる。

インライン配置の左右同一か左右対称のユニットレイアウトだけでなく、測定できるすべての項目において、
バラツキがひじょうに少ないこともあげられよう。
位相特性も重要なことだが、フェイズリニアが論文として発表されているのは、
クックによると、1936年のことらしい。モノーラル時代のことだ。
発表したのは、ジョン・ヘリアーという人で、ベル研究所の人物らしい。

コヒーレントフェイズは、クックとKEFの技術重役フィンチャムが、1976年9月、
東京で講演したのが最初だという。
そしてフェイズリニアのスピーカーとして最初に市販されたのは、
QUADのESLで、1954年のことだ、とクックは語っている。

1954年、やはりモノーラル時代のことである。
http://audiosharing.com/blog/?p=671


BBCモニター考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=672

現代スピーカー考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=163

の補足でもあるが、
クックは「105はフェイズリニアのスピーカーではない」といい、リニアフェイズスピーカーというのは、
再生周波数帯域内の位相特性が水平で一直線のことであり、技術的には不可能なこととも言っている。

「日本でリニアフェイズとされて売られているスピーカー」──テクニクスのスピーカーのことである──は、
クックによると、そのスピーカーの再生周波数帯域においてリニアフェイズではなく、
ある特定の帯域のみリニアフェイズだということらしい。
600〜6000Hzくらいの帯域でのみリニアフェイズを実現している、とのこと。

一方105はというと、位相特性のグラフの線は低域から高域にいくに従って下がっていくが、
再生周波数帯域内ではカーブを描いたり、段差がついたりせず、直線だということだ。

水平ではないが、帯域内では直線の位相特性の105、
600〜6000Hz内ではほぼ水平の位相特性だが、
600Hz以下では上昇カーブ、6000Hz以上では下降カーブを描くテクニクスのスピーカー、
どちらがステレオ用スピーカーとして、聴感上優位かといえば、個人的には前者だと考える。
もっとも位相特性をほとんど考慮していない設計のスピーカーでは、帯域内で急激な位相変化を起こすものもある。

クックは、さらに大切なこととして、「軸上だけでなく、軸上からはずれたところでも聴いて、
そのよしあしを判断すべき」であり、「スピーカーの周りをグルッと回って聴くことも必要」だと語っている。
しかも耳の高さもいろいろ変えてみると面白いとつけ加えている。

クックがステレオ用としてのスピーカーのありかたを意識していることが、
ここに伺えるような気がして、ひじょうに興味深い。
http://audiosharing.com/blog/?p=672

BBCモニター考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=673

105.2ほどではないにせよ、BBCモニター系列のスピーカーは、
左右でシリアルナンバーの揃っているモノ、続き番号のモノが出荷され、ユーザーの手もとに届く。

4343までのJBLとは、ここが違う。

モニタースピーカーという、同じ枠の言葉で括られてしまうのがおかしいほどに、
JBLのスタジオモニター・シリーズとBBCモニタースピーカーは、違いが多々ある。
JBLの場合、スタジオモニターという名が付くスピーカーだけに、これらを使う者は、
プロもしくはそれに準ずるレベルをもつ人であり、相応のシステムを装備していることを前提としていると思える。

スタジオには多素子のグラフィックイコライザーもあれば、スペクトラムアナライザーもあろう。
だからスピーカー側にも、連続可変のレベルコントロールをウーファー以外のユニットすべてにつけて、
細かく調整可能にしておけばいいと考えではなかったのか。

そうしておけば、少々のバラツキは、使い手側で、ほぼ完全に補正できるからだ。
作っている側もプロなら使う側もプロ、そういう前提を無視して、
あまりにも4343までの、JBLの一連のスタジオモニターについて語りすぎていたのではなかろうか。

そうして4343への誤解が生まれていった。
http://audiosharing.com/blog/?p=673

Date: 7月 12th, 2009
BBCモニター考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=734

JBLの4343もモニタースピーカーだし、ロジャースのLS3/5AもLS5/8も、やはりモニタースピーカーである。

モニタースピーカーとはいったいどういう性格の、性能のスピーカーのことをいうのだろうか。
コンシューマー用スピーカーとの本質的な違いは、あきらかなものとして存在するのであろうか。

たとえばヤマハのNS1000Mの型番末尾の「M」はMonitorの頭文字である。
だからといって、NS1000Mが、モニタースピーカーとして企画され、開発製造されていたとは思わない。
あきらかにコンシューマー用スピーカーなのだが、1970年代、スウェーデンの国営放送局が、
このスピーカーをモニタースピーカーとして正式に採用している。
そうなると、単なる型番の名称ではなく、「モニタースピーカー」と堂々と名乗れる。

QUADのESLも、純然たる家庭用スピーカーの代表機種にもかかわらず、
レコーディングのスタジオモニターとして採用されていたこともある。

スタジオモニターといえば、大きな音での再生がまず絶対条件のように思われている方もおられるかもしれないが、
モニタリング時の音量は、アメリカ、日本にくらべるとイギリス、ドイツなどは、かなり低めの音量で、
一般家庭で聴かれているような音量とほとんど変らないという。

だから、ESLでも、多少の制約は、おそらくあっただろうが、
もしくはESLで、なんら制約も感じないほどの音量がイギリスでのモニタリング時の一般的な音量なのだろう。
とにかくESLは、十分モニターとしての役割を果していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=734


BBCモニター考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=735

1990年前後から日本の録音スタジオにモニタースピーカーとして導入され、
知名度を急激に上げていったスピーカーがある。

絶賛する声も、現場では多かった反面、
「このスピーカーでは仕事(モニタリング)ができない」という声もあったときいている。

このスピーカーと、たとえば誰も絶賛しないけれど、誰も「使えない」と全面否定もしない、
いわば可も不可もなく、といったモニタースピーカーがあったとして、
さて、どちらがモニタースピーカーとして優れているのか、
あえて点数をつけるとすれば、どちらが高い点数を獲得するのか。
そんなことを考えてみたくなる。

前者のスピーカーには、ひじょうに高い点をつける人もいれば、
まったく点を与えない人もいるだろう。そうすると平均点はそれほど高くならない。

後者のスピーカーはどうか。高い点は得られないだろう。でも極端に低い点をつける人もいないだろう。
となると平均点は、前者のスピーカーと対して変わらない、ということになるかもしれない。

つまりこのふたつのモニタースピーカーは、ほぼ互角かというと、決してそんなことはなく、
ここがスピーカーの選択・評価の、微妙なところであり、面白さであろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=735


BBCモニター考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=736

ずっと以前は、モニタースピーカー・イコール・アラ探しのためのスピーカーと捉えられていたようだ。

いま、そういう捉え方をする人は、ほとんどいないだろうし、そういうスタジオモニターも、
ほとんどないといってもいいだろう。

ならば、モニタースピーカーの定義とは、何なのだろうか。
はっきりした定義は、いまだないように思う。

なんとなく、これはモニタースピーカー、あれは家庭用スピーカーだな、と個々人が、
勝手に、そこに境界線を引いているという、あいまいさが残ったままなのか。

どんなスピーカーにも、かならず、そのスピーカーならではの固有音がある。
固有音、つまり個性・癖がまったく存在しないスピーカーこそ、無色透明のスピーカーとなるわけだが、
いまのところも、これからもさきも、少なくともあと10年、20年ぐらいで、
「スピーカーの音」というものがなくなるとは思えない。

いまのスピーカーの原理であるかぎり、パワーアンプから送られてくる電気信号の、
ほんのわずか数%しか音に変換できない。のこりは熱となって消費されているわけだ。

これが70%以上、そんなにいかなくてもいいかもしれない。
50%程度でも音に変換できるようになれば、スピーカーの音というものは、ずいぶん大きく変容することだろう。

さらに80から90%ほど音に変換できるようになれば、ほとんど変換ロスがなくなってくれば、
スピーカーの音は、かぎりなく無色透明になっていくのであろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=736

BBCモニター考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=737

では、いま現在、無色透明な音は存在し得ないのか。

そんなことはないと思う。
スピーカーひとつひとつに固有音がある。アンプやその他のオーディオ機器に固有音がある。
もちろんレコード(録音)にもあるし、アンプやスピーカーを構成するパーツや素材にも、固有音は存在する。

固有音が存在しないものは、いまのところ世の中にはない。
そう、聴き手であるわれわれにも、固有音があるのではなかろうか。
だから、同じ部屋で同じ音を、同時に聴いて、音の評価が大きく異なることがすくなくないのも、
そのことが関係しているのかもしれない。

個々人の耳に、それぞれ固有音があるとしたら、あるとき、ある瞬間だけ、
固有音すべてが相互に関係し合い、打ち消し、補整することで、無色透明の音は存在し得ないとはいえない。

すべて人にとって共通の無色透明は音は、いまのところない。
あるひとにとって、未来永劫、無色透明な音もない。
けれど、すべての条件が、たまたまうまく絡み合ったときに、起き得ないと、だれが言えるのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=737


Date: 8月 23rd, 2009
BBCモニター考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=817

耳の固有音について考えると、もちろん個人差があるし、同じひとりの人間でも、
それまでの体験の蓄積によって、耳も成長し、耳がもつ固有音も変化していくのだろう。

ステレオサウンドの50号ごろからはじまった「スーパーマニア」の連載の初期のころに登場された方々が、
なぜ真空管アンプ(それもシングルアンプが多かったように記憶している)で、
高能率のスピーカーを鳴らされていることに、つよい関心があった。

そういった方々の多くの人は、そうとうな遍歴を経た上で、誌面に登場されたときの装置を選択されている。

そのとき、まだ10代なかばだった私は、関心をもちながらも、その理由についてはまったく想像できなかった。
けれど、耳の固有音の形成如何によっては、それまでどういう音を聴いていたかによっては、
高能率スピーカーと真空管のシングルアンプの組合せが、無色透明とはいかないまでも、
意外にも、それほどつよい個性を感じさせずに、自然と音楽が響いてくる音なのかしれないと、
ここ数年思うようになってきた。

これが歳を重ねるということなのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=817


BBCモニター考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=818

耳の固有音に関係してくるのは、時代と風土も、無視できないだろう。

ほぼ同じだけのオーディオのキャリアもつ人がふたりいたとしても、生れた時代によって、
耳にしてきた音の性格も異る。

アクースティックな蓄音器の時代から、レコードの音を聴いてきた耳の固有音と、
ステレオ時代しか知らない世代の耳の固有音、
それからCD以降の音しか知らない世代が、これからキャリアをつんだときの耳の固有音、
これらは違って当然だろう。

1963年生れの私は、オーディオに関心をもつまでに、もっとも長く耳にしていたスピーカーの音は、
それはテレビに内蔵されているスピーカーの音であり、ラジオのスピーカーだった。
幼いころにあったテレビは、まだ真空管式だったはずだ。
スピーカーは、紙コーンのフルレンジ型。

テレビも音声多重放送がはじまると、フルレンジ型だけでなく2ウェイ構成のものも登場してきた。
ラジカセも、私が学生のころはフルレンジだけだったのが、いつのまにかマルチウェイ化されていった。

テレビ、ラジオといった身近なスピーカーの音も、時代によって変化している。
外に出ればわかるが、いま音楽を聴くのは、
スピーカーよりもヘッドフォン、イヤフォンが多いという人も増えている。

キャリア(時間)が同じだとしても、
ステレオサウンドの「スーパーマニア」に登場した人たちと同じ構成の装置を、
これからの人たちの耳が選択するとは思えない。

これはどちらがレベルが高いとか、センスがいいとか、そういったことではなく、
生まれ育った時代による耳の固有音の形成され方の違いということでしかない。
http://audiosharing.com/blog/?p=818


Date: 4月 29th, 2011
BBCモニター考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=4173

少し話がずれてしまったが、無色透明であることがモニタースピーカーの条件ではない、ことはいえる。

1960年から70年にかけてスタジオモニターとして
各国のスタジオで使われることの多かったアルテックの604を収めたスピーカーシステムは、
誰が聴いても無色透明とは遠いところにいる音である。
イギリスの録音の現場で使われることの多かったタンノイにしても、その点は同じである。
音色としての個性は、どのスタジオモニターであれ、はっきりともっていた、といえる。

そういうスピーカーでモニタリングされながら、名盤と呼ばれるレコードはつくられてきた。

いまここでスタジオモニター、といっているスピーカーシステムは、
レコード会社の録音スタジオで使われるスピーカーのことである。

この項は「BBCモニター考」である。「スタジオモニター考」でも、「モニタースピーカー考」でもない。
これは日本だけのことなのかもしれないが、BBCモニター、とこう呼ばれている。

BBCはいうまでもなくイギリスの国営放送局で、BBCモニターはその現場で使われるスピーカーシステムのことで、
型番の頭には、LS、とつく。

ステレオサウンド 46号は、モニタースピーカーの特集号である。
この中で、岡先生が、当時の世界中のスタジオで使われているモニタースピーカーのブランドを数えあげられている。
資料として使われたのは、ビルボード誌が毎年発行している(いた?)
インターナショナル・ダイレクトリー・オブ・レコーディング・ステュディオスで、
この本は世界中の大多数の録音スタジオの規模、設備がかわるもの。

それによると、1975年当時、962のスタジオの使われていたスピーカーのブランドは次の通り。
 アルテック:324
 JBL:299
 タンノイ:91(うちロックウッドと明示してあるのが40)
 エレクトロボイス:60
 ウェストレーク:21
 KLH:17
 K+H:14
 カダック:13
 AR:12
これを国別でみると、イギリスとフランスで圧倒的に多く使われていたのはタンノイで、
イギリスではタンノイ:20/ロックウッド:18、フランスではタンノイ:1/ロックウッド:12。
西ドイツではK+Hとアルテックがともに同数(9)でトップ。

気づくのは、BBCモニターを作っているブランドがない、ということ。
もっとも岡先生があげられたブランドの合計は851だから、
のこり100ちょっとスピーカーシステムの中にはBBCモニターのブランドがはいっている可能性はあるが、
少なくともARの12よりも少ない数字であることは間違いない。
http://audiosharing.com/blog/?p=4173


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1170.html

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
95. 中川隆[-5708] koaQ7Jey 2021年4月15日 02:47:09 : vdHQ9OKOFE : UXNiT3R1T281MS4=[1]
KEFブランドストーリー 〜世界で初めて、デジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー〜
https://audio.kaitori8.com/story/kef/

「すべてのアートで、音楽は最も曖昧でありながら最も表現力が豊かであり、最も想像的でありながら最も身近な存在であり、最もはかないようで最も不滅なものです。音楽はワイヤに沿って電子のダンスに変換され、その魂は長く生き長らえます。KEFはそれを音楽としてあなたの耳や心に戻す時、可能な限り最も自然の方法で達成します……これは誇張でもなければ策略でもなく、作り話でもありません」

これはKEF創設者の言葉だが、今日お届けするのは、そんな音とデザインにこだわり続け、欧州で高い人気を誇るスピーカー・メーカー「KEF」のブランドストーリー。
目次

名称
1-1.70~80年代
1-2.90年代後半以降
設立〜60年代のKEF〜
2-1.社名の由来
2-2.創設
2-3.60年代のKEF
2-4.60年代のKEF(まとめ)
世界へ〜70年代のKEF〜
3-1.世界初・コンピューター統合システム設計
3-2.モデル104
3-3.70年代のKEF(まとめ)
Uni-Q開発へ〜80年代のKEF〜
4-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
4-2.会社の売却
4-3.LS3/5a
4-4.80年代のKEF(まとめ)
90年代のKEF
5-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
5-2.会社の売却
5-3.LS3/5a
5-4.創設者の死
21世紀のKEF
6-1.KEFの研究
6-2.ACE技術
6-3.約2,000万円のMuon(ミュオン)
まとめ

1.名称
「ケーイーエフ」か「ケフ」か。
日本におけるKEFは、しばしばその呼称が議論となる。おそらくそのどちらでも通じるが、しかし実際はどちらが適しているのだろうか。

今回はKEF製品の販売者にスポットを当て、「KEF」の最適な呼称について考えてみたい。

1-1.70~80年代
1970年代〜80年代始めは、KEF製品はBSRジャパンによって輸入されていた。

BSRはブリティッシュ・サウンド・リプロダクションズの略で、1932年に英国で設立されたメーカーだ。オートチェンジャーや高級オーディオプレイヤーなどを主に製造していたが、BSRジャパンはその日本企業であり、国内初の外資100%オーディオメーカーだった。BSRジャパン設立は1972年。その頃は世界市場の70%をBSRのオートチェンジャーが占め、世界中で愛用されていた。

しかし、1980年代始めにBSRジャパンはKEF製品の輸入を中止し、そこで一旦、KEF製品は日本に入ってこなくなる。が、1988年になるとKEF製品は再び輸入され始める。その再開を取り仕切ったのが「ケフジャパン」。つまり80年代後半では、KEFは「ケフ」が正しい呼称だったと推測される。

1-2.90年代後半以降
しかし、ケフジャパンの販売は短期間に終わってしまい、1991年にはラックスが輸入元となる。そしてKEF JAPANへと変更になり現在に至るわけだが、KEF JAPANは、「ケーイーエフジャパン」と登記している。つまりメーカーが期待するKEFの呼称は、今の日本では「ケーイーエフ」が好ましそうだ。

「ケーイーエフ」か「ケフ」か。
呼称は時代によって変動する。しかし、ひとまず2017年1月時点の結論としては、「KEF」は「ケーイーエフ」とするのが最適だろう。

2.設立〜60年代のKEF〜
2-1.社名の由来
KEFは1961年、ロンドン南東のケント州に設立された。
最初に構えた工場は、ケント州の州都・メイドストーンにある金属・鋳物工業の構内。その名称が「Kent Engineering & Foundry(ケント・エンジニアリング&ファウンドリー)」だったことから、その頭文字をとって「KEF」となった。

この感覚は日本人には馴染み深い。
田中は「田の中」、川上は「川の上流」と、地名が苗字になっているケースは多い。

KEFも同じパターンである。

2-2.創設
創設者は、レイモンド・クック。1925年生まれ、1995年没。冒頭で紹介した通り、人間の心と耳に、自然に信号を音楽へ戻す方法を追求し続けた男だった。

レイモンドは英国海軍の無線通信士として活躍した後、ロンドン大学で電気工学の学位を取得。その後BBCの設計部門へ入社。ダッドレイ・ハーウッドやD.E.Lショーターと共に先進的スピーカーの開発に携わる。そして、ワーフェデールでギルバート・ブリッグスのそばで働き、その5年後、最新の素材テクノロジーによりオリジナル・スピーカーを開発するべく、会社設立を決意する。

それがKEFである。

2-3.60年代のKEF
設立した1961年、KEFは早速3ウェイスピーカー「K1」を発表し、世間でいきなり注目を浴びる。発想が非常にユニークだったのだ。駆動部には真空成型されたポリスチレン製ダイアフラムを採用し、T15というツイータはメリネックスのダイアフラムを使用。そして、固定は金属の薄片という画期的構成。さらに翌年、KEFは技術革新により一層の話題を集める。コンパクトな2ウエイで最初の小型Hi-Fiスピーカー「CELESTE」を発表するのだ。

この二機種は商業的にも大成功を収め、KEFは創業数年で軌道に乗る。
が、驚きはそればかりではない。

この二つのスピーカーを含むKEF初期のスピーカーは、B1814やB139など平面ユニットを搭載していた。日本でテクニクスやLo-D、SONYなどの平面スピーカーがブームとなる、実に15年以上も前のことである。

一方、レイモンドはLS5/1Aモニターシステムの生産を独占的に請け負う交渉を成功させ、BBCとの業務提携を再構築。そして、よりクリアな音を出すスピーカー開発のため、合成ゴム製で固有の質感を有するネオプレンを採用し、さらに、これを中音域全体にわたる音質をキープすべくスピーカーダイアフラムの周りに使用した。

また1967年には、「B110(5インチ低/中域駆動部)」と、「T27(B110と共に使用される3/4インチのメリネックス・ドーム型ツイータ)」を発表。さらに、「Carlton」システムを発表すると、1969年には3ウエイの「Concerto」を発売。既存のスピーカー市場を席巻した。

2-4.60年代のKEF(まとめ)
1960年代は、有能な設計・製造開発チームが少人数ながらも尽力したKEF。
ただ、このチームには、後にスピーカー部品の販売会社であるFalcon Acoustics社を設立したマルコム・ジョーンズが在籍し、1968年にはClestion and Goodman社の主任設計者であったローリー・フィンチャムが参加したことが大きい。

いずれにせよ、1960年代はこうした優秀なチームがレイモンドの先見的な理念を実現していった。

3.世界へ〜70年代のKEF〜
3-1.世界初・コンピューター統合システム設計
1970年、KEFは60年代の実績が評価され、本国イギリスで輸出業績に対する二つの女王賞を受賞する。さらにその三年後には、スピーカーセットを0.5db範囲内で一致させ、ほぼパーフェクトなステレオ再現を可能にし、世界初のコンピューター統合システム設計を採用したスピーカメーカーとして、各国で認知されるようになった。

これはKEFにとって、非常に重要なブレイクスルーだった。

そして、こうした技術革新が「モデル104」(英国産初の、放送局用モニタースピーカーの標準機種適合)の開発につながり、1970年代初頭には、KEFは正確な音響特性で名声を得るようになっていた。

3-2.モデル104
モデル104は、文字通り世界を夢中にさせた名機だった。伝統的ながらも高出力であり高感度。そして、並はずれた音響的精密さと、比較的小型であるにもかかわらずクリアな低音特性。さらに、ボイスコイルアッセンブリに螺旋状に巻いた耐熱性ボイスコイルやエポキシ樹脂仕上げのショートコイルを使用。短時間なら最低250℃、連続なら180℃までの耐熱性を実現し、故障による問題をかなり低減。そのため、今でも状態のいいものがしばしば市場に出回ることもあって、人気の高い商品だ。

モデル104。
これはまさに、KEFで最初に製造され、世界に名の知られたレファレンスシリーズだった。

3-3.70年代のKEF(まとめ)
KEFはモデル104発表以降、設計手法を洗練させることに集中。その結果、3年後にはコンピューターによる統合システム設計により、「Corelli」「Calinda」「Cantata」の開発に成功する。

そして、さらにその1年後、1977年にはレファレンスモデル105を発表したが、このモデル105は本当に特異な存在だった。フロアー型スピーカーシステムに求められる技術的ファクターを、オリジナリティ溢れるのデザインに全てまとめあげていた。

まずは低音と中/高音部キャビネットを分離することで、各々の音域のタイムラグを排除。また、全てのオーデイオ周波数にわたる均一の音放射特性と、4次のLinkwitz-Rileyクロスオーバ特性を保持。さらに、音響的機能に最適なデザインだったこともあり、モデル105は英国産スピーカーの新標準となった。

このように、KEFの1970年代はモデル104と105により世界的な称賛を博し、プレミアムReference Seriesを「優れた音響の代名詞」とのブランド化に成功させた十年だった。

4.Uni-Q開発へ〜80年代のKEF〜
4-1.エディンバラ・フェスティバルにて
1980年、エディンバラ・フェスティバル。クラウデイオ・アバドの指揮により、ベリオツ・テ・デユアムの演奏がアッシュアホールで行われた。演奏に使用されるオルガンは、1マイルほど離れたセントメリー教会にあった。そして、そのオルガンの音がBBCのFMラジオを通じて会場へ伝えられたのだが、そのときのスピーカーが105/2。36台あったそのスピーカーは、驚く程正確だった。

そんなKEFのスピーカーのおかげもあって、そのコンサートは大成功。レファレンスシリーズの信望が一層高まるイベントとなり、KEFは幸先のいい80年代を走り始める。

4-2.モデル105/2とモデル104/2
モデル105/2は、コンピューター解析により開発されたリファレンスシリーズだ。しかし、このモデルはコンピューター解析を用いて設計されただけではなく、生産ラインにもコンピューター管理を導入、それぞれのパーツ品質の安定化と均質化を実現し、デジタル解析をいっそう押し進めた製品だった。

一方、1984年に発売されたモデル104/2は、多くの台数が世界中に販売された人気商品だ。モデル104/2には大きな特徴が4つあった。
・大幅に低域特性を高めた空洞結合型低音負荷部。
・駆動部シャーシによる機械的振動がキャビネットに及ぼす悪影響の排除。
・アンプへの電気的負荷の軽減。
・小型キャビネットで、低域特性を拡張させるためのKEF万能低音イコライザ。

こうした特徴が、KEFのレファレンスシリーズの評判の柱であり、KEFの優秀性を維持した技術だった。そして、このようなハイレベルな技術が礎となり、1985年には、104/2システムで開発された空洞結合技術を用い、カーオーデイオ製品を開発。1987年には、60年代のK1,K2のバッフルを開発した起源に立ち戻る「壁埋め込み型のカスタムシリーズ」を発表。他社との差別化が次々と押し進められた。

4-3.Uni-Qシステム
そして1988年。KEFはオーディオ市場で確固たる地位を確立する。その立役者がUni-Qシステムだ。

Uni-Qシステムとは、完璧な位相特性を備えた点音源を可能にしたシステムだ。昔からスピーカーの理想型の一つとも言われている。

そんなUni-Qシステムの要は、1988年にNASAで開発された磁性材料「Neodymium-Iron-Boron」である。このネオジウムマグネットが従来のフェライト磁石の10倍の磁気を持っているため、低音ユニットのボイスコイルの中心部に小さなトゥイーターを取付けることができるようになり、単一の点音源を実現した。

点音源の環境下では、低音部と高音駆動部の位置が離れていることによって生じる垂直方向の音の干渉という欠点がない。つまり、Uni-Qシステムでは高音域の出力が音源の主軸から、たった+/- 10度の範囲に限定されることがないのである。

わかりやすく言えば、Uni-Qシステムはどのような部屋でも最適に音を聴くことができるようになるわけで、この開発により、音を聴くために最適な場所を探すのは過去の話となったわけである。

4-4.80年代のKEF(まとめ)
1961年に英国で生まれ、それまではBBC(日本のNHKに当たる国営放送局)向けモニタースピーカーを作っていたKEF。しかし、1988年に登場した「Uni-Q」によってKEFは大変貌を遂げる。

スピーカーの理想「点音源」。
それを実現したUni-Qドライバー。

1980年代のKEFは、まさに大きな転換期だった。
そして、Uni-Qは以来改良が重ねられ、名実ともにKEFの顔となり、今も他社と差別化を図る上で最も重要なものの一つとなっている。

5.90年代のKEF
5-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
1992年、第二世代のUni-Q技術を特徴とする「105/3スピーカー」が、日本の出版界で“最高の輸入スピーカー”と評された。

105/3Sは,一見3ユニットのバスレフ構造に見えるが,実は真ん中が同軸ツー・ウェイ(UNI-Qユニット)で,その上下にミッド・バス・ドライバが配置された,バーチカル・ツイン構造のスピーカーだ。エンクロージャー内部には20cmウーハーが2個,金属棒で連結されツインドライブする構造で、全体としては4ウェイ・6ユニット構造だ。

定位が非常によく,解像度も優れ,スペースファクターも良好。しかし、ウーハーのエッジがウレタンなため、こまめな交換は欠かせない。とはいえ、この105/3は今でも人気が高く、日本に限らず愛好家は多い。

5-2.会社の売却
日本では”最高の輸入スピーカー”との称号を得た1992年だったが、本国イギリスでは、KEFは自社をゴールドピーク社に売却した年となった。しかし、結果的に見れば新しいオーナーのもとでの再出発は、KEFにとっては更なる名声を得るきっかけとなった。

まず、売却した翌年の1993年には、モデル100センタースピーカーを発表。高価格帯の製品であったにもかかわらず、Uni-Qの卓越した音の広がりなどが好評を博し、ホームシアター市場に旋風を巻き起こした。さらに1994年には、その当時としては革新的だった垂直に配置したフロントスピーカーとダイポール周辺機器で構成されたTHXシリーズが話題となった。

5-3.LS3/5a
同じく1994年には、LS3/5a(シグネチャー・モデル)が発表されている。
LS3/5aはイギリスを代表する小型スピーカーとして、1975年から存在する。古くから、ロジャースやスペンドールなどが生産してきた。

そのLS3/5aをベースに、LS3/5、LS3/5aの設計者でありKEFの創設者でもあるレイモンド・クックが監修し、開発したのがLS3/5aシグネチャー・モデル(しばしばKEF LS3/5aのみで表記される)だ。

前身のLS3/5は、中継車内など狭いスペースで人間の声を正確に再現することを目的に、英国BBCの技術部門によって開発された。LS3/5はKEFが開発したベクストレン・ダイアフラムの11cm口径コーン型ウーファーB110と、樹脂系素材マイラードームの1.9cm径のT27トゥイーターを搭載しており、この二つのユニットとネットワークを、スペンドール、ロジャース、ハーベスなどBBCモニターを手掛けるメーカーに供給してきたのである。

しかし、KEFはBBCのライセンス所有していながらも、LS3/5及びLS3/5Aはシステム化していなかった。それを設計者自身の手によって製品化したものがLS3/5a(シグネチャー・モデル)というわけだ。

ユニットはオリジナルに改良を加えたB110CタイプSP1228ウーファーと、T27SP1032トゥイーターを使用。26個のパーツで構成されるクロスオーバーネットワークは、コンピューターシミュレーションを駆使。もちろん、BBC規格とBBCリファレンスLS3/5aの規格に従っている。また、この二つのユニットは左右一対で、スペックを管理し、レベル誤差が±0.5dB以内に収まるよう厳密に管理した上でペアリング。そしてシステム全体の特性も、BBCスペックの±0.25dB以内に管理されている。

リアパネルにはレイモンド・クックのサインが刻印されたゴールド・プレートが添付されている。LS3/5aは、開発者レイモンド・クック自らの直接監修による特別なバージョンであることが伺える、今なお色褪せない名機である。

5-4.創設者の死
そんなLS3/5aを発表した翌1995年、KEF創立者レイモンド・クックは他界する。ちょうど70歳だった。
しかし、KEFは創設者を失っても、創設者が残した価値観“質、誠実、献身、革新”に要約された、堅実に先を歩んで行く主義を全うすることで飛躍を続ける。

同年のことである。第四世代のUni-Qドライブユニットを装備した、レファレンスシリーズのモデル4を発表し、Hi-Fi News紙が“これまでのKEF社の製品のうちで最高のシステムである”と記したりするなど、世界中で賞賛を浴びる。

一方で、1990年代後半には、DVDの発売によりホームシアター市場が拡大しつつあった。そこでKEFは、シリーズのラインアップにセンタースピーカーやサブウーファーを追加。堅調に市場を拡大していき、優位を占める。

KEFにとって90年代は大きなものを失い、しかし大きなものを得た年だったと言えるだろう。

6.21世紀のKEF
6-1.KEFの研究
21世紀に入っても、KEFの技術は着実に磨きがかかっている。例えば、正確な音響システムのモデル化は、以前はかなり困難だったが、今では「Finite Element Analysis(有限要素解析)」により可能である。具体的には、複雑な振動部分のあるドライブユニットなどにおいては、実際に実物を製作する前に様々な条件で徹底的に調べることができるのだ。この機能の成果は、新世代のUni-Qドライバーにも見ることができるし、最新版6.5インチのレファレンス・レンジUni-Qシステムの密閉型懸架部分などにも垣間みることができる。

6-2.ACE技術
2005年、KEFはそれまで企業秘密としてきたACE技術を公開。スピーカー業界の定説「低域特性を広げるためには大きなキャビネットが必要」を真っ向から否定する。

ACE技術はキャビネットの実効容積を大幅に増加させ、いかに小型のキャビネットで低音特性を拡張させるかというものである。具体的には、活性炭によって空気の分子を瞬時に吸着・発散し、容積を実質的に2倍にする技術である。

もちろん、このACE技術はMuon(ミュオン)においても重要な役目を果たしている。

6-3.約2,000万円のMuon(ミュオン)
MuonはKEFのフラッグシップ・モデルである。
2016年11月には「MUON Upgrade」を日本でも発売を開始し、21,000,000円(ペア/税抜)の価格でも話題になった。

Muonのデザインを務めるのは、先進的な英国のデザイナー「ロス・ラブグローブ」。KEFは彼との共同開発により、”究極”のものを創り出すことを主眼にしたプロジェクトのもと「Muon」の開発に取り組んだ。

特にこの2016年の「MUON Upgrade」では、KEFブランド50周年記念モデル「Blade」で新開発したUni-QドライバーをMUON用に合わせて搭載しており、バッフルの最適化や筐体にフィットするようアルミニウム・トリムリングを備え、音の回折がスムーズになるよう設計。感動するほど均一に音を拡散できるとしている。

また、トゥイーターは「リア・ベンティッド構造」を採用し、背面に通気孔を設け歪みを低減。と同時に、2層構造のKEFオリジナル技術「スティフンド・ドーム」により、全体の剛性向上も実現している。

KEFはこれからも、音楽愛好者や熱心なオーディオファンに向け、信じられないほど素晴らしい音質をもたらすスピーカーを作り続けることだろう。

7.まとめ
KEF創設者レイモンド・クックは、人との意見交換には非常に長けていたと聞く。そして、スピーカーの開発ばかりでなく、商品の販路拡大も、自分の行動規範にかかっていると確信していたそうだ。

そんなレイモンドだからこそ、LS5/1Aモニターシステムの生産を独占的に請け負う交渉を成功させ、BBCとの業務提携を再構築する一方で、104の開発に成功できた。

また、レイモンドのオーデイオ業界への努力はとても献身的だった。それは、Audio Engineering Society(オーデイオ開発協会)への援助を見れば明らかだ。

Audio Engineering Societyといってお分かりにならなくても、「AES」といえば聞き覚えがあるのではないだろうか。AES/EBUケーブルの、あの「AES」である。AES/EBUケーブルは、AES(Audio Engineering Society;オーディオ技術者協会)とEBU(European Broadcasting Union;欧州放送連合)の二つのオーディオ団体により企画されたものなのだ。

レイモンドは、そんなAESの会長に1984年に就任し、またそのことで変換器測定装置に対して大いに貢献したことが認められ、1993年に銀メダルを受賞。さらに、レイモンドの広範囲にわたる貢献が認められ、1979年にはクイーンエリザベス女王二世よりOBE(大英帝国第五勲爵士)の称号が与えられている。

1995年、レイモンドは惜しまれつつこの世を去ったが、彼の遺産は自分が創立した会社に生き続けている。彼はKEFの理念をこう語っている。
「私は、より厳密な開発を通じて、スピーカを改良するために、理解できる数々の可能性を実行に移すことを決意した」

Uni-Qシステムを筆頭に、世界中のオーディオファンを魅了し続けるKEF。
間違いなく、今後も科学的に新機軸を打ち出し、実地試験を行い、オーデイオマニアに対して最高のスピーカー製造メーカとして、信用と名声を保ち続けることだろう。

https://audio.kaitori8.com/story/kef/  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c95

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
167. 中川隆[-5707] koaQ7Jey 2021年4月15日 02:48:16 : vdHQ9OKOFE : UXNiT3R1T281MS4=[2]
KEFブランドストーリー 〜世界で初めて、デジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー〜
https://audio.kaitori8.com/story/kef/

「すべてのアートで、音楽は最も曖昧でありながら最も表現力が豊かであり、最も想像的でありながら最も身近な存在であり、最もはかないようで最も不滅なものです。音楽はワイヤに沿って電子のダンスに変換され、その魂は長く生き長らえます。KEFはそれを音楽としてあなたの耳や心に戻す時、可能な限り最も自然の方法で達成します……これは誇張でもなければ策略でもなく、作り話でもありません」

これはKEF創設者の言葉だが、今日お届けするのは、そんな音とデザインにこだわり続け、欧州で高い人気を誇るスピーカー・メーカー「KEF」のブランドストーリー。
目次

名称
1-1.70~80年代
1-2.90年代後半以降
設立〜60年代のKEF〜
2-1.社名の由来
2-2.創設
2-3.60年代のKEF
2-4.60年代のKEF(まとめ)
世界へ〜70年代のKEF〜
3-1.世界初・コンピューター統合システム設計
3-2.モデル104
3-3.70年代のKEF(まとめ)
Uni-Q開発へ〜80年代のKEF〜
4-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
4-2.会社の売却
4-3.LS3/5a
4-4.80年代のKEF(まとめ)
90年代のKEF
5-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
5-2.会社の売却
5-3.LS3/5a
5-4.創設者の死
21世紀のKEF
6-1.KEFの研究
6-2.ACE技術
6-3.約2,000万円のMuon(ミュオン)
まとめ

1.名称
「ケーイーエフ」か「ケフ」か。
日本におけるKEFは、しばしばその呼称が議論となる。おそらくそのどちらでも通じるが、しかし実際はどちらが適しているのだろうか。

今回はKEF製品の販売者にスポットを当て、「KEF」の最適な呼称について考えてみたい。

1-1.70~80年代
1970年代〜80年代始めは、KEF製品はBSRジャパンによって輸入されていた。

BSRはブリティッシュ・サウンド・リプロダクションズの略で、1932年に英国で設立されたメーカーだ。オートチェンジャーや高級オーディオプレイヤーなどを主に製造していたが、BSRジャパンはその日本企業であり、国内初の外資100%オーディオメーカーだった。BSRジャパン設立は1972年。その頃は世界市場の70%をBSRのオートチェンジャーが占め、世界中で愛用されていた。

しかし、1980年代始めにBSRジャパンはKEF製品の輸入を中止し、そこで一旦、KEF製品は日本に入ってこなくなる。が、1988年になるとKEF製品は再び輸入され始める。その再開を取り仕切ったのが「ケフジャパン」。つまり80年代後半では、KEFは「ケフ」が正しい呼称だったと推測される。

1-2.90年代後半以降
しかし、ケフジャパンの販売は短期間に終わってしまい、1991年にはラックスが輸入元となる。そしてKEF JAPANへと変更になり現在に至るわけだが、KEF JAPANは、「ケーイーエフジャパン」と登記している。つまりメーカーが期待するKEFの呼称は、今の日本では「ケーイーエフ」が好ましそうだ。

「ケーイーエフ」か「ケフ」か。
呼称は時代によって変動する。しかし、ひとまず2017年1月時点の結論としては、「KEF」は「ケーイーエフ」とするのが最適だろう。

2.設立〜60年代のKEF〜
2-1.社名の由来
KEFは1961年、ロンドン南東のケント州に設立された。
最初に構えた工場は、ケント州の州都・メイドストーンにある金属・鋳物工業の構内。その名称が「Kent Engineering & Foundry(ケント・エンジニアリング&ファウンドリー)」だったことから、その頭文字をとって「KEF」となった。

この感覚は日本人には馴染み深い。
田中は「田の中」、川上は「川の上流」と、地名が苗字になっているケースは多い。

KEFも同じパターンである。

2-2.創設
創設者は、レイモンド・クック。1925年生まれ、1995年没。冒頭で紹介した通り、人間の心と耳に、自然に信号を音楽へ戻す方法を追求し続けた男だった。

レイモンドは英国海軍の無線通信士として活躍した後、ロンドン大学で電気工学の学位を取得。その後BBCの設計部門へ入社。ダッドレイ・ハーウッドやD.E.Lショーターと共に先進的スピーカーの開発に携わる。そして、ワーフェデールでギルバート・ブリッグスのそばで働き、その5年後、最新の素材テクノロジーによりオリジナル・スピーカーを開発するべく、会社設立を決意する。

それがKEFである。

2-3.60年代のKEF
設立した1961年、KEFは早速3ウェイスピーカー「K1」を発表し、世間でいきなり注目を浴びる。発想が非常にユニークだったのだ。駆動部には真空成型されたポリスチレン製ダイアフラムを採用し、T15というツイータはメリネックスのダイアフラムを使用。そして、固定は金属の薄片という画期的構成。さらに翌年、KEFは技術革新により一層の話題を集める。コンパクトな2ウエイで最初の小型Hi-Fiスピーカー「CELESTE」を発表するのだ。

この二機種は商業的にも大成功を収め、KEFは創業数年で軌道に乗る。
が、驚きはそればかりではない。

この二つのスピーカーを含むKEF初期のスピーカーは、B1814やB139など平面ユニットを搭載していた。日本でテクニクスやLo-D、SONYなどの平面スピーカーがブームとなる、実に15年以上も前のことである。

一方、レイモンドはLS5/1Aモニターシステムの生産を独占的に請け負う交渉を成功させ、BBCとの業務提携を再構築。そして、よりクリアな音を出すスピーカー開発のため、合成ゴム製で固有の質感を有するネオプレンを採用し、さらに、これを中音域全体にわたる音質をキープすべくスピーカーダイアフラムの周りに使用した。

また1967年には、「B110(5インチ低/中域駆動部)」と、「T27(B110と共に使用される3/4インチのメリネックス・ドーム型ツイータ)」を発表。さらに、「Carlton」システムを発表すると、1969年には3ウエイの「Concerto」を発売。既存のスピーカー市場を席巻した。

2-4.60年代のKEF(まとめ)
1960年代は、有能な設計・製造開発チームが少人数ながらも尽力したKEF。
ただ、このチームには、後にスピーカー部品の販売会社であるFalcon Acoustics社を設立したマルコム・ジョーンズが在籍し、1968年にはClestion and Goodman社の主任設計者であったローリー・フィンチャムが参加したことが大きい。

いずれにせよ、1960年代はこうした優秀なチームがレイモンドの先見的な理念を実現していった。

3.世界へ〜70年代のKEF〜
3-1.世界初・コンピューター統合システム設計
1970年、KEFは60年代の実績が評価され、本国イギリスで輸出業績に対する二つの女王賞を受賞する。さらにその三年後には、スピーカーセットを0.5db範囲内で一致させ、ほぼパーフェクトなステレオ再現を可能にし、世界初のコンピューター統合システム設計を採用したスピーカメーカーとして、各国で認知されるようになった。

これはKEFにとって、非常に重要なブレイクスルーだった。

そして、こうした技術革新が「モデル104」(英国産初の、放送局用モニタースピーカーの標準機種適合)の開発につながり、1970年代初頭には、KEFは正確な音響特性で名声を得るようになっていた。

3-2.モデル104
モデル104は、文字通り世界を夢中にさせた名機だった。伝統的ながらも高出力であり高感度。そして、並はずれた音響的精密さと、比較的小型であるにもかかわらずクリアな低音特性。さらに、ボイスコイルアッセンブリに螺旋状に巻いた耐熱性ボイスコイルやエポキシ樹脂仕上げのショートコイルを使用。短時間なら最低250℃、連続なら180℃までの耐熱性を実現し、故障による問題をかなり低減。そのため、今でも状態のいいものがしばしば市場に出回ることもあって、人気の高い商品だ。

モデル104。
これはまさに、KEFで最初に製造され、世界に名の知られたレファレンスシリーズだった。

3-3.70年代のKEF(まとめ)
KEFはモデル104発表以降、設計手法を洗練させることに集中。その結果、3年後にはコンピューターによる統合システム設計により、「Corelli」「Calinda」「Cantata」の開発に成功する。

そして、さらにその1年後、1977年にはレファレンスモデル105を発表したが、このモデル105は本当に特異な存在だった。フロアー型スピーカーシステムに求められる技術的ファクターを、オリジナリティ溢れるのデザインに全てまとめあげていた。

まずは低音と中/高音部キャビネットを分離することで、各々の音域のタイムラグを排除。また、全てのオーデイオ周波数にわたる均一の音放射特性と、4次のLinkwitz-Rileyクロスオーバ特性を保持。さらに、音響的機能に最適なデザインだったこともあり、モデル105は英国産スピーカーの新標準となった。

このように、KEFの1970年代はモデル104と105により世界的な称賛を博し、プレミアムReference Seriesを「優れた音響の代名詞」とのブランド化に成功させた十年だった。

4.Uni-Q開発へ〜80年代のKEF〜
4-1.エディンバラ・フェスティバルにて
1980年、エディンバラ・フェスティバル。クラウデイオ・アバドの指揮により、ベリオツ・テ・デユアムの演奏がアッシュアホールで行われた。演奏に使用されるオルガンは、1マイルほど離れたセントメリー教会にあった。そして、そのオルガンの音がBBCのFMラジオを通じて会場へ伝えられたのだが、そのときのスピーカーが105/2。36台あったそのスピーカーは、驚く程正確だった。

そんなKEFのスピーカーのおかげもあって、そのコンサートは大成功。レファレンスシリーズの信望が一層高まるイベントとなり、KEFは幸先のいい80年代を走り始める。

4-2.モデル105/2とモデル104/2
モデル105/2は、コンピューター解析により開発されたリファレンスシリーズだ。しかし、このモデルはコンピューター解析を用いて設計されただけではなく、生産ラインにもコンピューター管理を導入、それぞれのパーツ品質の安定化と均質化を実現し、デジタル解析をいっそう押し進めた製品だった。

一方、1984年に発売されたモデル104/2は、多くの台数が世界中に販売された人気商品だ。モデル104/2には大きな特徴が4つあった。
・大幅に低域特性を高めた空洞結合型低音負荷部。
・駆動部シャーシによる機械的振動がキャビネットに及ぼす悪影響の排除。
・アンプへの電気的負荷の軽減。
・小型キャビネットで、低域特性を拡張させるためのKEF万能低音イコライザ。

こうした特徴が、KEFのレファレンスシリーズの評判の柱であり、KEFの優秀性を維持した技術だった。そして、このようなハイレベルな技術が礎となり、1985年には、104/2システムで開発された空洞結合技術を用い、カーオーデイオ製品を開発。1987年には、60年代のK1,K2のバッフルを開発した起源に立ち戻る「壁埋め込み型のカスタムシリーズ」を発表。他社との差別化が次々と押し進められた。

4-3.Uni-Qシステム
そして1988年。KEFはオーディオ市場で確固たる地位を確立する。その立役者がUni-Qシステムだ。

Uni-Qシステムとは、完璧な位相特性を備えた点音源を可能にしたシステムだ。昔からスピーカーの理想型の一つとも言われている。

そんなUni-Qシステムの要は、1988年にNASAで開発された磁性材料「Neodymium-Iron-Boron」である。このネオジウムマグネットが従来のフェライト磁石の10倍の磁気を持っているため、低音ユニットのボイスコイルの中心部に小さなトゥイーターを取付けることができるようになり、単一の点音源を実現した。

点音源の環境下では、低音部と高音駆動部の位置が離れていることによって生じる垂直方向の音の干渉という欠点がない。つまり、Uni-Qシステムでは高音域の出力が音源の主軸から、たった+/- 10度の範囲に限定されることがないのである。

わかりやすく言えば、Uni-Qシステムはどのような部屋でも最適に音を聴くことができるようになるわけで、この開発により、音を聴くために最適な場所を探すのは過去の話となったわけである。

4-4.80年代のKEF(まとめ)
1961年に英国で生まれ、それまではBBC(日本のNHKに当たる国営放送局)向けモニタースピーカーを作っていたKEF。しかし、1988年に登場した「Uni-Q」によってKEFは大変貌を遂げる。

スピーカーの理想「点音源」。
それを実現したUni-Qドライバー。

1980年代のKEFは、まさに大きな転換期だった。
そして、Uni-Qは以来改良が重ねられ、名実ともにKEFの顔となり、今も他社と差別化を図る上で最も重要なものの一つとなっている。

5.90年代のKEF
5-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
1992年、第二世代のUni-Q技術を特徴とする「105/3スピーカー」が、日本の出版界で“最高の輸入スピーカー”と評された。

105/3Sは,一見3ユニットのバスレフ構造に見えるが,実は真ん中が同軸ツー・ウェイ(UNI-Qユニット)で,その上下にミッド・バス・ドライバが配置された,バーチカル・ツイン構造のスピーカーだ。エンクロージャー内部には20cmウーハーが2個,金属棒で連結されツインドライブする構造で、全体としては4ウェイ・6ユニット構造だ。

定位が非常によく,解像度も優れ,スペースファクターも良好。しかし、ウーハーのエッジがウレタンなため、こまめな交換は欠かせない。とはいえ、この105/3は今でも人気が高く、日本に限らず愛好家は多い。

5-2.会社の売却
日本では”最高の輸入スピーカー”との称号を得た1992年だったが、本国イギリスでは、KEFは自社をゴールドピーク社に売却した年となった。しかし、結果的に見れば新しいオーナーのもとでの再出発は、KEFにとっては更なる名声を得るきっかけとなった。

まず、売却した翌年の1993年には、モデル100センタースピーカーを発表。高価格帯の製品であったにもかかわらず、Uni-Qの卓越した音の広がりなどが好評を博し、ホームシアター市場に旋風を巻き起こした。さらに1994年には、その当時としては革新的だった垂直に配置したフロントスピーカーとダイポール周辺機器で構成されたTHXシリーズが話題となった。

5-3.LS3/5a
同じく1994年には、LS3/5a(シグネチャー・モデル)が発表されている。
LS3/5aはイギリスを代表する小型スピーカーとして、1975年から存在する。古くから、ロジャースやスペンドールなどが生産してきた。

そのLS3/5aをベースに、LS3/5、LS3/5aの設計者でありKEFの創設者でもあるレイモンド・クックが監修し、開発したのがLS3/5aシグネチャー・モデル(しばしばKEF LS3/5aのみで表記される)だ。

前身のLS3/5は、中継車内など狭いスペースで人間の声を正確に再現することを目的に、英国BBCの技術部門によって開発された。LS3/5はKEFが開発したベクストレン・ダイアフラムの11cm口径コーン型ウーファーB110と、樹脂系素材マイラードームの1.9cm径のT27トゥイーターを搭載しており、この二つのユニットとネットワークを、スペンドール、ロジャース、ハーベスなどBBCモニターを手掛けるメーカーに供給してきたのである。

しかし、KEFはBBCのライセンス所有していながらも、LS3/5及びLS3/5Aはシステム化していなかった。それを設計者自身の手によって製品化したものがLS3/5a(シグネチャー・モデル)というわけだ。

ユニットはオリジナルに改良を加えたB110CタイプSP1228ウーファーと、T27SP1032トゥイーターを使用。26個のパーツで構成されるクロスオーバーネットワークは、コンピューターシミュレーションを駆使。もちろん、BBC規格とBBCリファレンスLS3/5aの規格に従っている。また、この二つのユニットは左右一対で、スペックを管理し、レベル誤差が±0.5dB以内に収まるよう厳密に管理した上でペアリング。そしてシステム全体の特性も、BBCスペックの±0.25dB以内に管理されている。

リアパネルにはレイモンド・クックのサインが刻印されたゴールド・プレートが添付されている。LS3/5aは、開発者レイモンド・クック自らの直接監修による特別なバージョンであることが伺える、今なお色褪せない名機である。

5-4.創設者の死
そんなLS3/5aを発表した翌1995年、KEF創立者レイモンド・クックは他界する。ちょうど70歳だった。
しかし、KEFは創設者を失っても、創設者が残した価値観“質、誠実、献身、革新”に要約された、堅実に先を歩んで行く主義を全うすることで飛躍を続ける。

同年のことである。第四世代のUni-Qドライブユニットを装備した、レファレンスシリーズのモデル4を発表し、Hi-Fi News紙が“これまでのKEF社の製品のうちで最高のシステムである”と記したりするなど、世界中で賞賛を浴びる。

一方で、1990年代後半には、DVDの発売によりホームシアター市場が拡大しつつあった。そこでKEFは、シリーズのラインアップにセンタースピーカーやサブウーファーを追加。堅調に市場を拡大していき、優位を占める。

KEFにとって90年代は大きなものを失い、しかし大きなものを得た年だったと言えるだろう。

6.21世紀のKEF
6-1.KEFの研究
21世紀に入っても、KEFの技術は着実に磨きがかかっている。例えば、正確な音響システムのモデル化は、以前はかなり困難だったが、今では「Finite Element Analysis(有限要素解析)」により可能である。具体的には、複雑な振動部分のあるドライブユニットなどにおいては、実際に実物を製作する前に様々な条件で徹底的に調べることができるのだ。この機能の成果は、新世代のUni-Qドライバーにも見ることができるし、最新版6.5インチのレファレンス・レンジUni-Qシステムの密閉型懸架部分などにも垣間みることができる。

6-2.ACE技術
2005年、KEFはそれまで企業秘密としてきたACE技術を公開。スピーカー業界の定説「低域特性を広げるためには大きなキャビネットが必要」を真っ向から否定する。

ACE技術はキャビネットの実効容積を大幅に増加させ、いかに小型のキャビネットで低音特性を拡張させるかというものである。具体的には、活性炭によって空気の分子を瞬時に吸着・発散し、容積を実質的に2倍にする技術である。

もちろん、このACE技術はMuon(ミュオン)においても重要な役目を果たしている。

6-3.約2,000万円のMuon(ミュオン)
MuonはKEFのフラッグシップ・モデルである。
2016年11月には「MUON Upgrade」を日本でも発売を開始し、21,000,000円(ペア/税抜)の価格でも話題になった。

Muonのデザインを務めるのは、先進的な英国のデザイナー「ロス・ラブグローブ」。KEFは彼との共同開発により、”究極”のものを創り出すことを主眼にしたプロジェクトのもと「Muon」の開発に取り組んだ。

特にこの2016年の「MUON Upgrade」では、KEFブランド50周年記念モデル「Blade」で新開発したUni-QドライバーをMUON用に合わせて搭載しており、バッフルの最適化や筐体にフィットするようアルミニウム・トリムリングを備え、音の回折がスムーズになるよう設計。感動するほど均一に音を拡散できるとしている。

また、トゥイーターは「リア・ベンティッド構造」を採用し、背面に通気孔を設け歪みを低減。と同時に、2層構造のKEFオリジナル技術「スティフンド・ドーム」により、全体の剛性向上も実現している。

KEFはこれからも、音楽愛好者や熱心なオーディオファンに向け、信じられないほど素晴らしい音質をもたらすスピーカーを作り続けることだろう。

7.まとめ
KEF創設者レイモンド・クックは、人との意見交換には非常に長けていたと聞く。そして、スピーカーの開発ばかりでなく、商品の販路拡大も、自分の行動規範にかかっていると確信していたそうだ。

そんなレイモンドだからこそ、LS5/1Aモニターシステムの生産を独占的に請け負う交渉を成功させ、BBCとの業務提携を再構築する一方で、104の開発に成功できた。

また、レイモンドのオーデイオ業界への努力はとても献身的だった。それは、Audio Engineering Society(オーデイオ開発協会)への援助を見れば明らかだ。

Audio Engineering Societyといってお分かりにならなくても、「AES」といえば聞き覚えがあるのではないだろうか。AES/EBUケーブルの、あの「AES」である。AES/EBUケーブルは、AES(Audio Engineering Society;オーディオ技術者協会)とEBU(European Broadcasting Union;欧州放送連合)の二つのオーディオ団体により企画されたものなのだ。

レイモンドは、そんなAESの会長に1984年に就任し、またそのことで変換器測定装置に対して大いに貢献したことが認められ、1993年に銀メダルを受賞。さらに、レイモンドの広範囲にわたる貢献が認められ、1979年にはクイーンエリザベス女王二世よりOBE(大英帝国第五勲爵士)の称号が与えられている。

1995年、レイモンドは惜しまれつつこの世を去ったが、彼の遺産は自分が創立した会社に生き続けている。彼はKEFの理念をこう語っている。
「私は、より厳密な開発を通じて、スピーカを改良するために、理解できる数々の可能性を実行に移すことを決意した」

Uni-Qシステムを筆頭に、世界中のオーディオファンを魅了し続けるKEF。
間違いなく、今後も科学的に新機軸を打ち出し、実地試験を行い、オーデイオマニアに対して最高のスピーカー製造メーカとして、信用と名声を保ち続けることだろう。

https://audio.kaitori8.com/story/kef/  
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c167

[近代史5] 東電福島第一原発汚染水の太平洋への放出の影響 中川隆
1. 中川隆[-5706] koaQ7Jey 2021年4月15日 03:12:13 : vdHQ9OKOFE : UXNiT3R1T281MS4=[4]
極悪の殿堂、東京電力
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1561.html

太陽光発電・風力発電等の再生可能エネルギー発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/435.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

バイオマス発電のウソ 森林伐採しCO2増加を招く
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/322.html

バイオマス発電の為に放火による森林火災が世界中で激増
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1038.html

電力自由化 地方では弊害
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/962.html

新電力の契約プランによって「突然電気代が10倍になった」などのトラブルが多発
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1573.html

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html

調査報告/原子力発電所における秘密
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html

原発廃炉作業は放射能に強い中国人移民に任せるのが正解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/520.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/747.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/424.html

放射能汚染地帯から子供たちを避難させなかった人々
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/986.html

地球温暖化はデマだった?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/137.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/585.html#c1

[番外地9] 英米でコロナ後遺症が深刻、日本でも「なまけ病」と思われ疎外

英米でコロナ後遺症が深刻、日本でも「なまけ病」と思われ疎外
見た目は普通だが他人と同じことが出来ず、怠けていると言われ追い込まれる

コロナ後遺症が社会問題になる

日本ではコロナ感染者が激増しているが、先に流行したアメリカや欧州では後遺症に悩む人が増えている。

イギリスの累計感染者は332万人で死者は9万人未満なので、323万人がコロナから生還した事になる。

同様にアメリカの累計感染者は2360万人で死者は40万人未満なので、2320万人が感染しても生存している。

普通の病気は治癒したらそれで終わりなのだが、コロナには様々な後遺症があると言われている。

イギリス議会では英国で30万人、世界で700万人が後遺症に苦しんでいるというデータが示された。

モラン下院議員や医学雑誌ランセット、英国家統計局の資料によると、入院患者の半分は半年後も症状が続いている。

また入院していない全患者を含む1割以上は、3か月後もコロナの症状が続いている。

英国民保健サービスによると初期の症状は数週間で症状が改善し、大半は3か月以内に全快しているが、長く後遺症が続くケースがある。

同機関によると初期症状と後遺症に相関関係は見られず、最初の症状が軽かったのに後遺症が続く場合もあるという。

コロナの後遺症に決まったパターンは無く、人によって現れる症状はかなり異なるという。

疲労、息切れ、胸の痛みや圧迫、記憶力や集中力低下、睡眠障害、動悸、めまい、関節痛、精神症(うつ等)、吐き気や胃腸虚弱・食欲減退など多岐にわたっている。

イギリスをはじめ各国はこれまでコロナ感染者を「生かす」のを目的とし、後遺症の調査は後回しになっていた。


イギリスの統計では陽性患者の5人に1人が5週間以上、10人に1人が12週間以上の期間症状が持続する。

日本でも後遺症が表面化

日本でもコロナ感染後に後遺症を訴えて受診する人が増え、データが集まってきている。

後遺症で一般の診療所を受診するのは軽症患者で既にコロナが陰性になった人たちで、症状だけが続いている。

渋谷区「ヒラハタクリニック」の集計ではけん怠感97%、うつ等が86%、息苦しさ73%、脱毛52%、味覚障害が27%だった。

同院を受診した約500人のうち、114人は週の半分を自宅療養するほど後遺症が重かった。

治療中や療養中は後遺症に気づきにくいが、出社したり普段の生活に戻ると以前やっていた事が出来ないのに気付くという。

見た目はいつもと変わらないのに動作が遅い、人と同じ事ができないので、怠けていると思われ疎外感を感じる人も多い。

この症状は若い人にもあり高校生の軽症患者でも、治療後に登校を再開してから後遺症に気づくことが多い。

やはり授業や登下校時に倦怠感を感じ、他の生徒についていけず周囲からは怠けていると思われるようです。

日本ではコロナに感染して治療しても、病院では後遺症に関する説明やフォローはなにも行われていない。

世界でコロナ感染者はもうすぐ1億人に達し、日本でも今後も感染者は増え続けると予想される。

日本でもおそらく100万人以上が感染し、今後数万人単位で後遺症が出る可能性が高い。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/305.html

[番外地9] 英米でコロナ後遺症が深刻、日本でも「なまけ病」と思われ疎外 中川隆
1. 中川隆[-5705] koaQ7Jey 2021年4月15日 03:21:04 : vdHQ9OKOFE : UXNiT3R1T281MS4=[5]
英米でコロナ後遺症が深刻、日本でも「なまけ病」と思われ疎外
http://www.thutmosev.com/archives/84908390.html

見た目は普通だが他人と同じことが出来ず、怠けていると言われ追い込まれる


新型コロナ“後遺症” けん怠感や脱毛などに悩む人 受診相次ぐ _ 新型コロナウイルス _ NHKニュース


コロナ後遺症が社会問題になる

日本ではコロナ感染者が激増しているが、先に流行したアメリカや欧州では後遺症に悩む人が増えている。

イギリスの累計感染者は332万人で死者は9万人未満なので、323万人がコロナから生還した事になる。

同様にアメリカの累計感染者は2360万人で死者は40万人未満なので、2320万人が感染しても生存している。

普通の病気は治癒したらそれで終わりなのだが、コロナには様々な後遺症があると言われている。

イギリス議会では英国で30万人、世界で700万人が後遺症に苦しんでいるというデータが示された。

モラン下院議員や医学雑誌ランセット、英国家統計局の資料によると、入院患者の半分は半年後も症状が続いている。


また入院していない全患者を含む1割以上は、3か月後もコロナの症状が続いている。

英国民保健サービスによると初期の症状は数週間で症状が改善し、大半は3か月以内に全快しているが、長く後遺症が続くケースがある。

同機関によると初期症状と後遺症に相関関係は見られず、最初の症状が軽かったのに後遺症が続く場合もあるという。


コロナの後遺症に決まったパターンは無く、人によって現れる症状はかなり異なるという。

疲労、息切れ、胸の痛みや圧迫、記憶力や集中力低下、睡眠障害、動悸、めまい、関節痛、精神症(うつ等)、吐き気や胃腸虚弱・食欲減退など多岐にわたっている。

イギリスをはじめ各国はこれまでコロナ感染者を「生かす」のを目的とし、後遺症の調査は後回しになっていた。


イギリスの統計では陽性患者の5人に1人が5週間以上、10人に1人が12週間以上の期間症状が持続する。

日本でも後遺症が表面化

日本でもコロナ感染後に後遺症を訴えて受診する人が増え、データが集まってきている。

後遺症で一般の診療所を受診するのは軽症患者で既にコロナが陰性になった人たちで、症状だけが続いている。

渋谷区「ヒラハタクリニック」の集計ではけん怠感97%、うつ等が86%、息苦しさ73%、脱毛52%、味覚障害が27%だった。


同院を受診した約500人のうち、114人は週の半分を自宅療養するほど後遺症が重かった。

治療中や療養中は後遺症に気づきにくいが、出社したり普段の生活に戻ると以前やっていた事が出来ないのに気付くという。

見た目はいつもと変わらないのに動作が遅い、人と同じ事ができないので、怠けていると思われ疎外感を感じる人も多い。


この症状は若い人にもあり高校生の軽症患者でも、治療後に登校を再開してから後遺症に気づくことが多い。

やはり授業や登下校時に倦怠感を感じ、他の生徒についていけず周囲からは怠けていると思われるようです。

日本ではコロナに感染して治療しても、病院では後遺症に関する説明やフォローはなにも行われていない。


世界でコロナ感染者はもうすぐ1億人に達し、日本でも今後も感染者は増え続けると予想される。

日本でもおそらく100万人以上が感染し、今後数万人単位で後遺症が出る可能性が高い。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/305.html#c1

[近代史5] スマホ依存症はあらゆる依存症の中で一番悲惨な結果になる
スマホ依存症はあらゆる依存症の中で一番悲惨な結果になる


【ゆっくり解説】身近に潜む恐ろしい罠。危険な依存症7選
2021/04/14




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/586.html

[近代史5] スマホ依存症はあらゆる依存症の中で一番悲惨な結果になる 中川隆
1. 中川隆[-5704] koaQ7Jey 2021年4月15日 03:42:07 : vdHQ9OKOFE : UXNiT3R1T281MS4=[6]

スマホを使うとバカになる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/341.html

スマホを使っていると記憶力が無くなる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/771.html

コンピューター・ゲームをやると脳の成長が阻害される
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/793.html

スマホやノートパソコンを使っていると失明する
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/342.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/903.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/586.html#c1

[近代史4] 彼らはなぜ「車中生活者」になったのか 中川隆
3. 中川隆[-5703] koaQ7Jey 2021年4月15日 08:12:28 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[2]
人はいとも簡単にホームレスになる
https://tanakaryusaku.jp/2021/04/00024795
2021年4月14日 19:19 田中龍作ジャーナル


ネカフェから出てきたばかりの男性。=歌舞伎町 撮影:田中龍作=

 漫画家の内田かずひろさんがホームレスになったことを、朝日新聞(14日朝刊)がさもニュースであるかのように報道している。

 ホームレス取材歴20年の田中に言わせてもらえば、持ち家がなければ人は簡単にホームレスになる。

 当時者に路上に弾き出されるまでの経緯を聞くとこうだー

 不景気で仕事を失う→家賃が払えなくなる→ネットカフェ暮らし→持ち金が尽きる→路上に

 借金取りに追われて住み家を放棄せざるを得ないケースも相当に多い。15年ぐらい前だったか、住居支援を行う団体の調査によると、ホームレスになる原因の1位が借金だった。

 借金は怖い。新宿中央公園で打ち解けた野宿者が語ってくれた。

 働いて幾ばくかの現金を得たのでアパートを借りた。社会保険に入るため区役所に住民登録したところ、2週間くらいしたら借金取りが来た。

 炊き出しなどで野宿者の顔を撮影してはいけない大きな理由は、借金取りに居場所を知られる危険性があるからだ。


お椀が並び生活困窮者が集う炊き出しの風景はコロナで一変した。メシを食べながら談笑する場はなくなった=渋谷区 撮影:田中龍作=

 持ち家があってもそこそこの蓄えがなければホームレスになる。

 自らが所有するマンションに住んでいた知人は、配管の目詰まりでバスルームの排水を下の部屋に漏らしてしまった。

 普通はマンション管理組合で保険に入っているのだが、管理組合があってなきに等しかったため、無保険だった。

 知人は下の部屋の住人に200万円を請求された。いくつかの業者に見積もってもらったが、妥当な金額であるという診断だった。結局、貯金を取り崩して200万円を払った。

 貯金がなくて、200万円が集まらなければ、知人はマンションを売る他なくなる。住まいを失うのだ。

 日本全国で空き家は846万戸もある(総務省統計局2019年4月)。空き家を有効活用すれば、多くのホームレスが家のない暮らしから脱却できる。

 人間、住み家があれば落ち着いて職探しができ、仕事もできる。

    〜終わり〜
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/440.html#c3

[リバイバル3] 家を持たない生活、アドレスホッパー 都内の家賃上昇なら大量発生も 中川隆
4. 中川隆[-5702] koaQ7Jey 2021年4月15日 08:13:09 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[3]
人はいとも簡単にホームレスになる
https://tanakaryusaku.jp/2021/04/00024795
2021年4月14日 19:19 田中龍作ジャーナル


ネカフェから出てきたばかりの男性。=歌舞伎町 撮影:田中龍作=

 漫画家の内田かずひろさんがホームレスになったことを、朝日新聞(14日朝刊)がさもニュースであるかのように報道している。

 ホームレス取材歴20年の田中に言わせてもらえば、持ち家がなければ人は簡単にホームレスになる。

 当時者に路上に弾き出されるまでの経緯を聞くとこうだー

 不景気で仕事を失う→家賃が払えなくなる→ネットカフェ暮らし→持ち金が尽きる→路上に

 借金取りに追われて住み家を放棄せざるを得ないケースも相当に多い。15年ぐらい前だったか、住居支援を行う団体の調査によると、ホームレスになる原因の1位が借金だった。

 借金は怖い。新宿中央公園で打ち解けた野宿者が語ってくれた。

 働いて幾ばくかの現金を得たのでアパートを借りた。社会保険に入るため区役所に住民登録したところ、2週間くらいしたら借金取りが来た。

 炊き出しなどで野宿者の顔を撮影してはいけない大きな理由は、借金取りに居場所を知られる危険性があるからだ。


お椀が並び生活困窮者が集う炊き出しの風景はコロナで一変した。メシを食べながら談笑する場はなくなった=渋谷区 撮影:田中龍作=

 持ち家があってもそこそこの蓄えがなければホームレスになる。

 自らが所有するマンションに住んでいた知人は、配管の目詰まりでバスルームの排水を下の部屋に漏らしてしまった。

 普通はマンション管理組合で保険に入っているのだが、管理組合があってなきに等しかったため、無保険だった。

 知人は下の部屋の住人に200万円を請求された。いくつかの業者に見積もってもらったが、妥当な金額であるという診断だった。結局、貯金を取り崩して200万円を払った。

 貯金がなくて、200万円が集まらなければ、知人はマンションを売る他なくなる。住まいを失うのだ。

 日本全国で空き家は846万戸もある(総務省統計局2019年4月)。空き家を有効活用すれば、多くのホームレスが家のない暮らしから脱却できる。

 人間、住み家があれば落ち着いて職探しができ、仕事もできる。

    〜終わり〜
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/958.html#c4

[近代史4] 自分の力で金を稼いだ女性資産家は、ほぼ存在しない
自分の力で金を稼いだ女性資産家は、ほぼ存在しない


2021年04月15日
富裕層の生活、一生涯お金を使うだけ
http://www.thutmosev.com/archives/85581248.html


親から資産を受け継いだら、金のなる木が庭に生えているのと同じ


親族から資産を受け継いだ人は働く必要がない

数年前のアメリカの調査によると全米の資産家の95%くらいは男性で、女性の7割ほどは親族から資産を貰った人でした。

つまり自分の力で金を稼いだ女性資産家は、ほぼ存在しないという非常に不都合な調査結果になりました。

欧米人は自分に不都合な統計はすぐ隠すので、この調査結果はあまり知られていません。

スイスの銀行などが調べた世界の富裕層3000万ドル以上の職業は、男性は金融業や事業で女性は無職が第一位だった。

富裕層の基準を上げるほど女性は少なくなり、下げるほど女性の比率が増える傾向も見られた。

男性の場合も親が金持ちなら子供は生まれた時から金持ちなわけで、例えばビルゲイツは親が資産家でした。


対照的にジョブズはシリア人とアメリカ人のハーフで親は離婚し、ジョブズ夫妻に養子に出されたが豊かな家庭ではなかったようです。

天才的な技術者だったゲイツにくらべてジョブズは「並みの下」という所で、アップルコンピューターは友人が開発したと言われている。

ジョブズの才能は技術ではなく人をその気にさせて働かせて、その成果を最大限にするところにあったようです。


女性の場合ゲイツ型の人はたまにいるが、ジョブズ型のゼロからのし上がる人は見かけない。

ビルゲイツの娘やウォーレンバフェットの娘、クリントン夫婦の娘はそれぞれ親の事業や財団を引き継いでいる。

彼女らは生まれながらにして一生困らない資産があるので、一生なにかを生み出す必要がありません。

資産1億円あれば働かずに生きれる時代

中世の王はそういう存在だったが、現代では資産家や有力政治家の子供は生まれてから死ぬまで一生働く必要が無い。

アラブの王様の息子は本当に一生働かず、スーパーカーを集めて世界旅行をしたりして生きています。

資産家は資産運用で利益を得ていますが、超富裕層は自分で資産運用せず管理団体や財団を作ってプロが管理しています。


資産1000憶円を運用すると年利5%としても毎年50億円の利益があり、いくら浪費しても使い切れません。

年利3%としても資産1億円で300万円なので、物欲が少なければ十分生活できるでしょう。

日本では資産1億円以上の富裕層は130万世帯で、1世帯3人とすると400万人、日本人の30人に1人は富裕層です。


富裕層(の男性)の婚姻率は非常に高く、年収1500万円以上では97%が結婚し子供がいる割合も高いです。

なお女性の場合は正反対で、年収1500万円以上の女性の7割が生涯結婚せず子供もつくらない。

これだどバリバリ稼ぐ女性の遺伝子は子孫に伝わらないので、将来もバリバリ女性は増えないでしょう。


資産を相続した女性の婚姻率は残念ながらないが、想像では男性の婚姻率は高く女性は低いのではないかと思います
http://www.thutmosev.com/archives/85581248.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1631.html

[近代史5] 富裕層の生活、一生涯お金を使うだけ
2021年04月15日
富裕層の生活、一生涯お金を使うだけ
http://www.thutmosev.com/archives/85581248.html


親から資産を受け継いだら、金のなる木が庭に生えているのと同じ


親族から資産を受け継いだ人は働く必要がない

数年前のアメリカの調査によると全米の資産家の95%くらいは男性で、女性の7割ほどは親族から資産を貰った人でした。

つまり自分の力で金を稼いだ女性資産家は、ほぼ存在しないという非常に不都合な調査結果になりました。

欧米人は自分に不都合な統計はすぐ隠すので、この調査結果はあまり知られていません。

スイスの銀行などが調べた世界の富裕層3000万ドル以上の職業は、男性は金融業や事業で女性は無職が第一位だった。

富裕層の基準を上げるほど女性は少なくなり、下げるほど女性の比率が増える傾向も見られた。

男性の場合も親が金持ちなら子供は生まれた時から金持ちなわけで、例えばビルゲイツは親が資産家でした。


対照的にジョブズはシリア人とアメリカ人のハーフで親は離婚し、ジョブズ夫妻に養子に出されたが豊かな家庭ではなかったようです。

天才的な技術者だったゲイツにくらべてジョブズは「並みの下」という所で、アップルコンピューターは友人が開発したと言われている。

ジョブズの才能は技術ではなく人をその気にさせて働かせて、その成果を最大限にするところにあったようです。


女性の場合ゲイツ型の人はたまにいるが、ジョブズ型のゼロからのし上がる人は見かけない。

ビルゲイツの娘やウォーレンバフェットの娘、クリントン夫婦の娘はそれぞれ親の事業や財団を引き継いでいる。

彼女らは生まれながらにして一生困らない資産があるので、一生なにかを生み出す必要がありません。

資産1億円あれば働かずに生きれる時代

中世の王はそういう存在だったが、現代では資産家や有力政治家の子供は生まれてから死ぬまで一生働く必要が無い。

アラブの王様の息子は本当に一生働かず、スーパーカーを集めて世界旅行をしたりして生きています。

資産家は資産運用で利益を得ていますが、超富裕層は自分で資産運用せず管理団体や財団を作ってプロが管理しています。


資産1000憶円を運用すると年利5%としても毎年50億円の利益があり、いくら浪費しても使い切れません。

年利3%としても資産1億円で300万円なので、物欲が少なければ十分生活できるでしょう。

日本では資産1億円以上の富裕層は130万世帯で、1世帯3人とすると400万人、日本人の30人に1人は富裕層です。


富裕層(の男性)の婚姻率は非常に高く、年収1500万円以上では97%が結婚し子供がいる割合も高いです。

なお女性の場合は正反対で、年収1500万円以上の女性の7割が生涯結婚せず子供もつくらない。

これだどバリバリ稼ぐ女性の遺伝子は子孫に伝わらないので、将来もバリバリ女性は増えないでしょう。


資産を相続した女性の婚姻率は残念ながらないが、想像では男性の婚姻率は高く女性は低いのではないかと思います
http://www.thutmosev.com/archives/85581248.html  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/587.html

[近代史5] 富裕層の生活、一生涯お金を使うだけ 中川隆
1. 中川隆[-5701] koaQ7Jey 2021年4月15日 08:36:34 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[4]
年収5億円vs.186万円「新・階級社会」日本の真実 もはや「格差」ではなく「階級」だ
2018.02.05 週刊現代  :現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/hasan125/msg/734.html

「資産がいくらあるのか――正直、自分でも正確に把握できていないんですよ。数百億円といったところでしょうか。複数のプライベートバンカーに運用を任せていて、株や債券、外貨、資源、ゴールドなど、ありとあらゆる金融商品に分散投資をしています。

何かで損が出たとしても他が補ってくれますから、資産は安定的に増えていく。年収5億円?それくらいは優にありますかね」

頑張れば報われる――それは、昭和の牧歌的な風景だったのかもしれない。努力しても報われない、現代日本の残酷な現実。

入会金540万円のスポーツジム

仮にW氏としよう。40代男性。シンガポールに住む投資家である。元々、メーカー勤務のサラリーマンだったが、ベンチャー投資で財を成した。その後、資産は倍々ゲームで増えている。

そのW氏が語る。

「資産がいくらあるのか――正直、自分でも正確に把握できていないんですよ。数百億円といったところでしょうか。複数のプライベートバンカーに運用を任せていて、株や債券、外貨、資源、ゴールドなど、ありとあらゆる金融商品に分散投資をしています。

何かで損が出たとしても他が補ってくれますから、資産は安定的に増えていく。年収5億円?それくらいは優にありますかね」

豊かな人はより豊かになり、貧しい人はより貧しくなっていく――。トマ・ピケティ氏が『21世紀の資本』で喝破した現実は、現代の日本でも着実に進行している。

W氏が続ける。

「月に1000万円を使うって大変なんですよ。昔は酒とオンナで浪費しました。入会金100万円を払って、VIP向けの会員制交際クラブに入り、有名グループの女性アイドルを買ったこともあります。でも、実際に寝てみたら『こんなものか』という感想。

ワインは多少高いものを飲みますが、飲める量には限度がある。結局、酒もオンナもほどほどで、健康が一番という結論に辿り着きました。

ああ、時計は買いましたね。アラスカでオーロラを見た後、スイスに寄った際に。リシャール・ミルの1億円の時計を2本買った。一つは自分がつけて、もう一つは保存用です。これも希少性が高く、今では買った価格よりも高値で取り引きされているようです」


使っても使ってもカネが減らない。年収5億円以上の超富裕層が日本にも存在する。彼らに共通するのは、こんな特徴だ。

●限度額が著しく大きなブラックカードを持ち、現金は原則使わない。

●事故を起こすリスクを考え、自分で車は運転しない。移動はハイヤーかタクシーを利用する。

●会員制高級ジムに通って健康維持に励む。

資産数十億円、年収1億円の上場企業創業者A氏はこう話す。

「カネを使うのは、自己研鑽、情報収集、人脈形成のためですね。たとえば、一般の方がとても入会できない高額のスポーツジムで汗を流しています。

大手町にある超高級ホテル内にあるフィットネスクラブです。入会金は540万円、年会費64万8000円。ここには私のような経営者や投資家が集まり、体を鍛えると同時に情報交換の場になっています」

超富裕層はこういった場で、公になっていない情報をやり取りし、新しい儲けのタネを仕込んでいく。前出のW氏は、こんな豪快なカネの使い方をしたと言う。

「ミシュランの星付きの店はたいてい行きましたが、高くておいしいのは当たり前。

むしろ私は、安くておいしいものに目がありません。博多で一人前800円のもつ鍋が評判だったので、シンガポールからビジネスクラスに乗って食べに行ったこともあります。

800円のもつ鍋を食べるのに、30万円くらいかかりましたが、まあ、いくら使ってもおカネはなくなりませんので……」

7割近くが結婚していない

超富裕層の中には財布が膨れるのが嫌というだけの理由で、お釣りの小銭を全額募金箱に入れる人もいる。一方で、日々の生活もままならない「階級以下」の層=アンダークラスが登場している。

「格差社会」が社会問題として一般に認知されるようになったのは、この言葉が流行語大賞トップテンに選ばれた'06年のことだった。所得が低く、結婚もできない「非正規労働者」の存在が問題視された。

その後、格差は縮小するどころか、拡大し、今や絶対に超えられない壁=階級となった。早稲田大学人間科学学術院教授(社会学)の橋本健二氏は著書『新・日本の階級社会』で膨大なデータを用いて分析している。

「これまでの社会は、資本家階級があり、中間階級がいて、一番下に労働者階級がいると考えられてきました。労働者階級の給料は安いですが、正規労働者として身分は安定し、生活できるだけの所得はもらっていた。

ところが近年、その条件に当てはまらない非正規労働者、『階級以下』の存在(アンダークラス)が増えています。彼らはたしかに雇われて働き、賃金をもらっている労働者です。しかし、身分は不安定で、給料も安く抑えられている。

社会調査データから明らかになった、彼らの平均年収は186万円で、貧困率は38.7%。男性の未婚率は66.4%にも上ります。こうした人が929万人も存在し、就業人口の14.9%を占めているのです」

彼らの暮らしぶりはどのようなものか。東京都武蔵野市に住む日雇いバイト(45歳・男性)の話。

「20代の頃、人気グループのバックダンサーをやっていました。'90年代には小室哲哉さんと何度も仕事をしたことがありますよ。

でも年齢を重ねるごとにダンス関係の仕事は減っていき、安定した収入を得るために、洋服の包装・仕分け工場で非正規社員として働いたこともあります。

40歳を過ぎたとき、年下の上司と揉めて契約を更新されなくなりました。それ以来、イベント会場の設営などの日雇いバイトで収入を得ています。月の収入は15万円程度です。

中央線の駅から徒歩30分のボロアパートに住んでいます。家賃は6万5000円。夕食は100均で買ったカレールーを湯でとかしたもの。少し野菜も入れますが、この歳になると米は太るし、節約のために食べません。

2週間に一度、ラーメン屋に行って食べるのが唯一の贅沢です。移動は基本、人からもらった自転車。現場によっては交通費が支給されるので、それが浮くのがありがたい」


収入が低いと、異性と付き合うことにも困難を伴う。介護職に従事する男性(29歳)が物悲しいエピソードを披露する。

「学生時代から付き合っていた彼女がいたのですが、卒業後はデートをするにも交通費や食事代がかかり、厳しいものになりました。クリスマスはおカネのかかるイベントですから大変でしたね。

プレゼントは、彼女の革のブーツをピカピカに磨いてあげるというもの。おカネがないなりに相手を笑わせようとした精一杯の誠意だったのですが、彼女は笑うどころか引いていましたね。それが彼女との最後のクリスマスになりました」

一日頑張っても500円

愛知県在住の派遣労働者(26歳・男性)は、派遣労働の合間に小銭を稼ぐのに四苦八苦している。

「部品工場に派遣され、流れてくる部品を組み立てたり、運んだりします。時給900円で、一日7000円程度にはなる。

景気のいいときは月収12万〜13万円ですが、派遣先が見つからないときもあり、そういうときはネット上のニュース記事を書くバイトをしています。500文字書くと50円もらえる仕事。一日頑張ると、500円くらいにはなります」


一日頑張っても500円。かたや財布がかさばるから小銭はすべて募金箱に投げ入れ。たしかに「格差」という言葉では生ぬるい。

アンダークラスの多くに共通するのは、正規労働者になりたいという切実な願いだ。

だが、企業は一度採用するとなかなかクビを切れない正規社員の雇用を渋っている。
'03年の時点で「年収300万円時代」の到来を予見した経済アナリストの森永卓郎氏は、今後、階級間の断絶はさらに広がると指摘する。

「資本家階級と労働者階級は、同じ日本で暮らしているかもしれませんが、超富裕層にとって、自分たち以外の人は人間ですらない。彼らにとっては金儲けの道具でしかないのです。

資本家と労働者階級が対立するのが、マルクス経済学が読まれた時代の資本主義でした。しかし、今の階級社会では、両者の間に接点がないので、対立になりようがない」

これがアベノミクスの背後に隠れた「日本の不都合な真実」なのである。


「週刊現代」2018年2月10日号より
http://www.asyura2.com/17/hasan125/msg/734.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/587.html#c1

[番外地9] コロナ患者退院後12.3%死亡の衝撃 回復しても3割が再入院

新型コロナ禍は、100年前のスペイン風邪と同等の威力で、世界中を席巻している。
 急性毒性、致死率についてはスペイン風邪より劣っているように見えるが、おそらくそれは違う。新型コロナの場合は、実は感染治療後の致死率が極めて高く、1割以上の人が退院後に死亡しているとの情報がある。
 
コロナ患者退院後12.3%死亡の衝撃 回復しても3割が再入院
 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/284319

 全体の致死率も、場合によっては1割に迫っている疑いがあり、それならばスペイン風邪の死亡率と変わりはない。
スペイン風邪は、当時20億人の地球人口のうち5〜10%1〜2億人を死に至らしめたとの報告がある。
 https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/mul20181115rf.html

 実は、新型コロナ禍の場合、RNAウイルスが多重感染を媒介として、どんどん強毒化変異・感染率増大変異を引き起こす疑いがあり、現在のところ、スペイン風邪のときほどの強毒変異が現れていないことから、今年これから、そんな恐怖の超変異ウイルスが登場する可能性が小さくない。

 それに、感染率の極端に激しい変異ウイルスが登場すると、「空気感染」能力を持ち、呼吸を通じて大気汚染から地球上全員が感染する可能性がある。スペイン風邪がそうだった。
 当時、人的交流の乏しかった自給自足のエスキモーやヒマラヤ遊牧民まで集団感染させられたのだから。

 だが、スペイン風邪が3〜4年目に、感染力の拡大と引き換えに弱毒化していったように、おそらく新型コロナウイルスも、来年あたりには、弱毒化して「普通の風邪」程度になってしまう可能性も小さくない。

 今日は、新型コロナ禍が、発病中よりも、むしろ退院後に猛威を振るっている現状の報道を見つけた。
 これは、昨年3月、新型コロナ発病が「間質性肺炎」=IPFをもたらす可能性があるとの警告がなされたときから、退院後に本当の恐怖がやってくることが指摘されていた。
 
「新型コロナウイルス肺炎は間質性肺炎」岐阜大学 抗酸化研究部門 特任教授 犬房春彦 2020年3月13日
https://www.youtube.com/watch?v=QIKeQ_JQlfc&t=13s

 ちなみに間質性肺炎=IPFの5年生存率は30%、6年でほぼ全員死亡するといわれている。
https://pro.boehringer-ingelheim.com/jp/product/ofev/prognosis-and-acute-exacerbation-of-ipf-patients
今回は、間質性肺炎ではなく、大脳気質障害、精神的疾患をもたらしているとの報道だ。

 新型コロナ感染者、3分の1に「脳疾患」の症状 英研究 2021.04.07
 https://www.cnn.co.jp/fringe/35168961.html

 (CNN) 新型コロナウイルスに感染した患者の約3分の1が長期的な精神症状や神経症状を発症しているという研究結果が、6日の英医学誌ランセット・サイカイアトリーに掲載された。

 それによると、新型コロナウイルスに感染して回復した人の34%が、感染から半年以内に神経疾患または精神疾患の診断を受けていた。

 最も多かったのは不安障害で、新型コロナで治療を受けた患者の17%が診断を受けていた。次いで多かったのは気分障害の14%だった。

神経系の影響は入院した患者の方が重くなる傾向があったが、外来で治療を受けただけの患者の間でも一般的だった。

 論文を発表した英オックスフォード大学の研究者マキシメ・タケット氏によれば、新型コロナウイルスの重症度が高いほどこうした症状が出る割合も大きく、入院した患者ではこの割合が39%に増えていた。

 タケット氏は「新型コロナウイルスの方が、インフルエンザや呼吸器系の感染症に比べて事後の脳疾患や精神疾患が多いことが、我々の研究結果で示された」と述べ、半年以上が過ぎた後の経過も観察する必要があると指摘する。
 
 今回の研究は、この種の調査としてはこれまでで最大規模。研究チームは主に米国内で新型コロナウイルスに感染した患者23万6000人あまりの電子カルテを調べ、同じ期間に呼吸器感染症に感染した患者の記録と比較した。

 その結果、新型コロナウイルスに感染した患者はインフルエンザに感染した患者に比べ、神経疾患や精神疾患のリスクが44%高いことが判明。それ以外の呼吸器感染症に比べると16%高いことが分かった。

 さらに、新型コロナウイルスに感染した患者はおよそ50人に1人の割合で、脳に血栓ができる虚血性脳梗塞(こうそく)を起こしていた。

 一方、ウイルス感染との関係が指摘されることのある神経疾患のパーキンソン病とギランバレー症候群については、新型コロナウイルス感染後に発症者が増える形跡はみられなかったとしている。

 この研究にかかわっていない英ノッティンガム大学のムサ・サミ准教授は、膨大な数の患者の記録を分析できたという点でこの調査は重要だと評価。「『脳疾患』としての新型コロナウイルス感染症については相当な不安があることから、これは非常に重要なトピックだ」と述べ、新型コロナウイルスが脳や神経に与える影響をさらに詳しく調べる必要があると指摘している。
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 新型コロナ、およびアストラルゼネカのワクチンは、血栓症を引き起こすとの報道がたくさん出ている。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3340773

 血栓症は、一般にホルモン異常や調整薬で、体内の血液がドロドロになって起きることが多い。実は、私も最近、血栓症に苦しんでいたので、特筆して書いておく。
 私の場合は、血尿が続き、排尿抵抗が大きくなったことから前立腺肥大=癌を疑い、シテロン(アンドロキュア)という前立腺癌治療薬を服用していた。

 これは男性ホルモンを抑制して、前立腺癌の肥大を抑圧し、あわよくば消滅させるというものだが、女性ホルモン・男性ホルモン・ホルモン抑制剤などは、副作用として血栓症が起きることが知られている。
 医薬品の副作用欄に書いてあるのは訴訟対策ではあるが、実際にかなりの頻度で起きる副作用ばかりであり、侮ってはいけない。むしろ服用すれば必ず起きると思う必要がある。

 シテロンを服用しだしてから、息切れがひどくなった。これも副作用欄に書かれている。服用をやめてダイアンというエストロゲン剤に変えてみても、やはり息切れが停まらない。
 理由は、血栓症が肺塞栓を引き起こすケースが多く、そこまで至らなくてもドロドロになった血液では肺胞細胞の酸素交換能力が損なわれるからだ。

 私の場合、血栓症の最初の症状は、片足のふくらはぎに、やや強い痛みが続いたことだった。これは「深部血栓症」の典型的な症状で、ふくらはぎ血管に血栓ができて、これが全身に運ばれ、肺塞栓・心筋梗塞・脳梗塞の原因になる極めて危険な症状である。
  

 血栓は、肺塞栓や脳梗塞など以外に、全身に運ばれて、典型的には視力が急激に衰え、ものが二重に見えたり、ピントが合いにくくなる症状が出る。脳血管に入れば、ふらついたり、まっすぐ歩けない症状が出る。歩行中勝手に方向が曲がってゆく例もある。
  
 恐ろしいのは、新型コロナに罹患して回復、退院した人の相当な割合に血栓症が起きて、上に紹介した症状が出てくる可能性があることだ。
 まずは、退院後、数十日して、ふくらはぎに痛みが出て視力が急激に落ちた場合。息切れがひどくなった場合は、血栓症による脳梗塞・肺塞栓を疑うべきだ。
 
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/306.html

[近代史5] 新型コロナウイルス対策による経済の麻痺は富豪への資産集中を促進する 中川隆
26. 中川隆[-5700] koaQ7Jey 2021年4月15日 08:52:04 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[6]
ゴールドマン、収入・利益とも過去最高−株式トレーディング好調
Sridhar Natarajan
2021年4月14日 21:51 JST
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-04-14/QRJXUIDWLU6D01


1Qトレーディング収入は47%増、2010年以来の高水準−株式が主導
投資銀行業務の手数料収入も73%増、株式引き受けは4倍増


ゴールドマン・サックス・グループの1−3月(第1四半期)は、トレーディングと投資銀行業務がいずれも好調で、収入と利益がともに過去最高となった。

  トレーディング収入は47%増の75億8000万ドル(約8260億円)と2010年以来の高水準。株式部門が主導した。

  投資銀行業務の手数料収入も73%増えた。特別買収目的会社(SPAC)とテクノロジー企業の新規株式公開(IPO)ブームで株式引受手数料は4倍に増え15億7000万ドルとなった。


ゴールドマン・サックス・グループは1−3月(第1四半期)の収入・利益が過去最高となったSource: Bloomberg)

  M&A(企業の合併・買収)助言手数料も43%増加して11億2000万ドル。株式引き受けとともに、投資銀行業務の収入を四半期として最高の37億7000万ドルに押し上げるのに寄与した。

  株式投資の急増で資産運用部門の収入も過去最高となり、46億1000万ドルに達した。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/228.html#c26

[近代史5] コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和
コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/161.html

新型コロナウイルス対策による経済の麻痺は富豪への資産集中を促進する
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/228.html

利子付き国債の発行はこれだけ貧富の差を拡大する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/815.html

国債を買って日銀に売るだけで確実に儲かる
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/969.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/588.html

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
78. 中川隆[-5699] koaQ7Jey 2021年4月15日 09:16:13 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[7]

「音楽&オーディオ」の小部屋

新たな挑戦
2021年03月11日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/288e25ab4b7da7b2cf8482ed0551f896


3月7日が誕生日というせいもあるかもしれないが、3とか7とかの奇数がやたらに好きである。麻雀でいえば「辺(ペン)ちゃん待ち」というやつですな(笑)。

いわゆる「素数」(自分以外では割れない数、たとえば2,3,5,7,11,13・・)については日頃から縁起のいい数字として日常生活の中で何かと験(げん)を担ぐことが多い。

オーディオだって例外ではない(笑)。

今年の3月7日(日)は実に素敵な誕生日となった。経緯を述べてみよう。

我が家にはSPユニット「AXIOM80」が2セットある。オリジナル版と復刻版だが、何しろメチャ繊細な音を出す代わりに過大入力に弱く壊れやすいことでも有名だ。すぐにザザッといったノイズが出てくる。

そこで「スペア」として復刻版を温存していたのだが、「オリジナル版」が一向に壊れる気配を見せないので、とうとう「復刻版」の本格的な活用を決意するに至った。

となると「丸裸」で鳴らすのは可哀そうなので適当なエンクロージャー(以下、箱)を作ってやらねばいけない。

まあ、箱作りは上手いかどうかは別にしてけっして嫌いではない(笑)。

さらに言わせてもらえれば、箱作りを通じてユニットの背圧〈逆相の音)処理の方法、位相の問題やネットワークの構築などオーディオの本質に関わる問題を勉強できる。

まあ、この世界には上には上があるのであまり大きなことは言えませんがね・・(笑)。

その点、箱を販売しなかったグッドマン(英国)のユニットは工夫の「し甲斐」があって挑戦するのにはもってこいだ。

今回の構想としては「新しい箱にAXIOM80を容れてフルレンジで鳴らす」を基本に「低音域を別のユニットで補強する」の2点に尽きる。今のところ、これが我が家の基本的なスタイルだ。

さっそく、車で50分ほどの大分市郊外にある大規模な「DIY」店に行って、「1.2cm厚」の薄目の板を左右両チャンネル分として計12枚カットしてもらった。

ちなみに、季刊誌「管球王国」(ステレオサウンド社)に書いてあったが、AXIOM80用の箱はできるだけ薄めの板を使って共振させるほうがいいとあった。

寸法は、小振りそのもので「横50cm、縦40cm、奥行き40cm」を基本に板厚を考慮して(組み立てたときに)「はみ出さない」ように神経を使った。

自宅に持ち帰ると、すぐに組み立て開始前の準備作業に入った。

箱の内側には2か月ほど前に手に入れた「卵入れ用のトレイ」を張り付けることにした。これは新規の試みである。あの適当な凸凹が定在波の防止に良さそうな感じだが、まあ、これは勘ですな!(笑)。

それぞれの板の内側にこのトレイを張り付け、余白にはティッシュペーパーを張り詰める。正面のバッフルにはジグソーで「AXIOM80」用の穴を、裏蓋には「ARU」(背圧調整器)用の穴を開け、最後は外側に黒色のペンキを塗って自己流ながらも準備完了。

ペンキが乾くのを待って6日に大分市内のオーディオ仲間「N」さんに加勢に来てもらい二人して組み立て作業に取り掛かった。独りで出来ないことはないが、二人でやる方が正確だし圧倒的に楽だ。

「百聞は一見に如かず」で、ご覧の通り。

ネジを使わずに強力な接着剤で相互の板をくっつけて、最終段階としてNさん持参の「締め上げベルト」2本でがっちり固定した。

2〜3時間もすれば接着できるはずなのですぐに音出ししてみたかったが、「音圧による振動は強力ですから箱に与える影響を無視できません。私なら今晩は締めあげたままにしておいて明日聴きます」とNさん。

「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)」という中国の故事がある。逸(はや)る気持ちを抑えて「それもそうですね」と同意。

気忙しい性格だが、ここはぐっと我慢のしどころだ。

翌日の7日はいつもより1時間も早く目が覚めたのはどうしてだろう?(笑)

そして、ここから波乱万丈の展開になるのだが、ちょっと長くなるので次回へ〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/288e25ab4b7da7b2cf8482ed0551f896

オーディオは「芸術」と対峙するための神聖な道具なのだ!
2021年03月13日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/49f1dfaca32b24e7c57dd4b62edf0a55


前回からの続きです。

「AXIOM80」(復刻版)用の新しいエンクロージャー(以下「箱」)に挑戦して2日目のこと。

起き抜け早々に1階のオーディオルームに入るなり、すぐに箱を締め付けていたベルトを外して低音域担当の箱の上に載せた。

実はここからがひと騒動だった。

「AXIOM80」には真空管アンプ「WE300Bシングル」を、低音域担当の「AXIOM150 マークU」(グッドマン)には「2A3シングル」アンプをあてがって鳴らしてみた。

ハラハラ・ドキドキ・ワクワクする一瞬だが、耳を澄ましてみると悪くはないのだがどうも伸び伸びとした音が出てこない。

肝心の「AXIOM80」については小さめの箱なのに予想以上の出来栄えだった。

うまく鳴らしたときにだけ味わえる「柔らかさ&ふっくら感」が聴き取れたし、贔屓目かも知れないが「薄い板」と「卵用トレイ」が見事に利いてる感じ。

その一方で、「AXIOM150・・」が受け持つ低音域がいささか縮こまっている感じがしたので、ハイカットを150ヘルツ(コイルの直列2個)から350ヘルツ(コイル1個)に上げてみたところ全体的にようやく伸び伸び感が出てきた。

ウェストミンスターの大型の箱では「150ヘルツ」で、ごく自然に本格的な低音が出たが、この中型の箱となるとせいぜい「350ヘルツ」あたりが限界のようだ。

つまり箱の大きさ次第でハイカットの周波数が限定されることに初めて気が付いた。今さらだが〜(笑)。

ちなみに、ハイカットの周波数が上がれば上がるほど低音域の締りがなくなってボンヤリした音が出てくる傾向がある。

ほら、タンノイの大型システム(クロス1000ヘルツ)がそうでしょうが(笑)。

敷衍すると、オーディオは低音域を受け持つ箱のツクリとネットワークによって方向性がほぼ決まるようで、これらを「なおざり」にするとどんなに高級なレコードプレイヤーやCD機器、あるいはアンプで補おうとしてもお値段に見合った効果が得られない、と思っている。

気を良くして1時間ほどこのコンビで聴いてみたものの、そのうち「エッジレスと強力なマグネット」によるハイスピード・サウンドが売り物の「AXIOM80」に比べて、低音域のスピードの遅れが気になりだした。

いったん気になりだすともうダメ(笑)。

「AXIOM150・・」に比べてコーン紙のカーブが浅いJBLの「D123」(口径30センチ)ならもっとスピード感が向上するような気がしてきた。

そこで、倉庫の片隅に保管しているバッフル付きの「D123」を引っ張り出してきて、交換へ。我が家では困ったときの打開策として、いつも「D123」の出番がやってくる(笑)。

バッフルと箱側の双方のネジ穴を合わせているので所要時間は10分程度だから随分楽である。

これで鳴らしてみるとようやく愁眉が開いた。

二つのユニットがまるでフルレンジを聴いているような融け合った鳴り方をしてくれる。「AXIOM80」とJBLの30センチ・ユニットの異色の組み合わせも大いにありですね。

オーディオは実際にやってみなくちゃ分からん(笑)。

そして、この「品が良くて透き通った音」でモーツァルトをずっと聴いていたら、これまで「恰好の遊び道具」に過ぎないと思っていたオーディオが、まるで「芸術と対峙するための神聖な道具」かのように変貌を遂げてきたのが不思議。

「いい音」とは、リスナーの心を洗い清め「敬虔な祈り」へと昇華してくれる存在なのかもしれないと、久しぶりに精神の高揚感を覚えた。格安の投資でこれだから、まったくありがたい限り(笑)。

最後に、この箱の今後の展開性だがまず「ウェストミンスター」(クロス150ヘルツに改造)の上に載せることが考えられる。

仲間から「めったに聴けない低音」と称賛されているウェストミンスター、それにAXIOM80との組み合わせとなるとうまくいけば「鬼に金棒」だけどそうは簡単に問屋が卸すかな?

次には、オリジナルのAXIOM80が入った箱の上に載せて「ダブルのフルレンジで鳴らす」ってのも考えられる。

春ももう目の前だし、楽しみが増える一方だね〜(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/49f1dfaca32b24e7c57dd4b62edf0a55

柳の下の二匹目のどじょうを狙う
2021年03月24日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3cc89f4c9ef59046007a1559db402f8a


先日のブログに載せたように「AXIOM80」(復刻版)用の小振りの箱を作ったところ、想像以上に良く鳴ってくれるので毎日がルンルン気分になった。まさに「春到来」だが、どうやら厚さ12mmの薄板が功を奏したようだ。

自作ということなのでどうしても「贔屓目」があるにしろ、なかなかの出来栄えだと勝手に自惚れているが、数日前にオーディオ仲間(大分市内)のお二人さんが「聴かせてください」とお見えになった。

その時に話題となったのが「箱の自作」についての是非だ。

「わたしは箱だけはプロの手に任せるようにしていますので箱づくりはしません」と、仲間のうちのお一人がキッパリ仰った。

そこで「いやあ、その気持ちよくわかります。ほんとうはプロの手に任せたいのですが、グッドマン社に限っては箱をつくってないものですから、自作するしか仕方が無いんです。それに、12mmの薄板で作った箱なんてオークションでも出品されてませんしねえ。」

さらに付け加えて、

「本格的な低音を出そうと思ったら箱の剛性が絶対に必要ですが、そうなるととても素人の手に負えません。その点、我が家の場合は低音用の箱はすべて既成の箱に任せています。ウェストミンスターにしてもJBLのD123にしてもしかりです。箱づくりの目的は我が家の場合、中高音域の倍音成分を豊かに鳴らすことに絞っています。」

と、まず言い訳がましいことを述べてから「柳の下の二匹目のどじょう」の登場といこう(笑)。

以前からウェストミンスターの上に載せているワーフェデールの「スーパー8」(口径25センチ:赤帯マグネット)を裸の状態で鳴らしているのが気になっていた。

このユニットについてはフルレンジで鳴らしていたのだが、何しろ裸なのでユニットの後ろ側に出る音〈逆相)が前に回り込んできて中低音域を邪魔していることは間違いないので、たとえ小振りの箱にしても容れるに越したことはないと判断した。

というわけで、性懲りもなく再度の箱づくりに取り掛かった。

今回も、前回の「箱づくり」の成功パターンを踏襲した。

✰ DIY店で12mm厚の木材を所定の大きさにカットしてもらう

✰ カットした木材に吸音材や定在波防止用の卵用トレイを張り付ける。そしてユニット取り付け用の穴(口径25センチ)をジグソーで開ける

✰ 組み立て時にはオーディオ仲間のNさんに加勢に来てもらう。

✰ 組み立てにはいっさいネジを使わず、強力接着剤を使用する。完成したら専用のベルトでしっかり締め上げて一晩おく

画像を見た方が分かりやすいでしょう。

ひときわ大きい赤帯マグネットを持つ「スーパー10」(ワーフェデール)。コーン型なのに強力なマグネットのおかげで、まるでホーンみたいに音が飛んで来まっせ〜(笑)

前回と違うのは、「羽毛が詰まった吸音材」を採用し底板に張り付けたこと。

これが完成形。

作業後の翌朝、朝一で早く聴きたいと逸る気持ちを抑えながら「おい、手伝ってくれ〜」と家内を呼んでこの箱をウェストミンスターの上に載せようとしたら情けないことに二人とも非力なので肩の上まで持ち上げられない。

「これはとても無理よ〜、(三軒隣の)若い〇〇さんに頼んであげる」と、急いで家内が走ってくれた。

気持ちよく駆けつけてくれた逞しい筋肉質の〇〇さん、「軽いですね〜。独りで十分です」と軽々と持ち上げて載せてくれた。

「ありがとうございます」と、深々と頭を下げてから、家内と顔を見合わせて自分らのあまりの非力ぶりに深〜いため息をついた(笑)。

さて、問題はどういう音が出るかですね。ハラハラ、ドキドキ、ワクワク〜。

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3cc89f4c9ef59046007a1559db402f8a

クラシック音楽愛好家のご来訪〜その1〜
2021年03月26日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/90a4f60de57638f0540e5bfdf12f7964


つい先日、搭載した記事「有益なオーディオ情報をタダで手に入れようとするのは甘い!」は、なかなかの好評で未だにアクセスが絶えない状況にある。

この記事の末尾に、もし「どうしても(真空管の型番を)知りたい」という方がいれば「自己紹介欄」のメルアド宛ご連絡ください。それこそ熱意に免じて「タダ」で教えて差し上げます。」と、記載しておいた。

その後、今日まで実際に問い合わせがあったのはたったの3件だった(笑)。

この記事の後、過去記事を詮索した(アクセスの)形跡が見られたので、「筆者に問い合わせるよりは自分で(過去記事を)調べてみよう」という方がいたように感じた。

変な意地(?)を張って、まったく「可愛げ」がないねえ(笑)。

アッサリ問い合わせてくれれば真空管の型番のみならず、一緒に重要な付帯情報を伝えてあげたのに・・。

とはいえ「またまた、いつものように大袈裟な表現だなあ・・」と、信じてもらえなかった可能性も十分ある(笑)。

それはさておき、その3名の方々のうち2名はこれまでメールのやり取りをしたことがあった方々だが、1名の方が初めてだった。

「この二三日、たとえ知っても買いに走ることもないんだから…と考えて控えておりましたが、やはり気になって仕方がありません。

真空管は何なんでしょうか、お明かし願えませんでしょうか?宜しくお願い致します。」

「ハイハイ、喜んで情報提供しますよ」とばかりに即答したが、これを契機にメールの交流が始まって、たまたま隣県の「福岡」の方だったので「試聴させていただけませんか」ということになった。

願ってもないことなので「わざわざお見えになって聴いていただくほどの音ではありませんが、気が向いたらいつでもどうぞ〜」と、返答したところバタバタと日程が「3月某日の午後」と決まった。

さっそく「散らかり放題」のオーディオルームの整理整頓にかかった。遠路からお客様がお見えになるたびに行うまるで恒例行事みたいなものだが、とはいっても荷物をそっくり別の部屋に運び込むだけの応急措置になるのだが(笑)。

とりあえず当日の試聴時間の節約のつもりで、メールで年齢、過去の職業や好きな音楽ジャンルなどの自己紹介をしたところ、相手の方(仮にFさんとしておこう)からも返信が来て「長年、〇〇交響楽団でヴィオラを演奏してました」とあった。

え〜ッ、いわば音楽・音響のプロじゃないですか!

思わず身が引き締まり、ひときわオーディオの調整に余念が無かったのは言うまでもない(笑)。

しかも、Fさんは音楽家には珍しくたいへんなオーディオ愛好家であることが判明した。

「スピーカーはJBLの4320、4311、タンノイのランカスター、コーネッタ、ダイヤトーンのR208、R305、DS3000が主なところです。

1番好きなのは1番小さなR208で、音の高低のバランスや伸びよりも、一瞬のリアルさが1番大事で、違うと我慢出来ない様です。

聞くのはCDが主で、主にはクラシック中心ですがジャズや昔のポップスや歌謡曲など何でも聞きます。ただオーケストラのものは検事の耳になるので余り聴きません。

弦楽四重奏が本当はやりたくて、一時は打ち込んでやっておりましたので、ヴァイオリン等の弦楽器がリアルに聴こえるのが理想です。

アクシオム80はその意味で聴いてみたいスピーカーの最右翼だったのですが、見たことが復刻版が1度、聴いたことは1度もありません。

とても楽しみにしております。」

「そりゃあ、クラシック音楽愛好家なかんづく弦楽器を愛好されるかたなら一度はAXIOM80を聴いておいた方がいいでしょうね〜」とは、心の声(笑)。

ただ、タンノイのコーネッタをお持ちとはご熱心さが伺える。VLZの代わりにAXIOM80を容れても面白そうな箱ですね。

2〜3日前まで「ぐずついた天気」がウソのように晴れ渡った3月某日、目印の積りで玄関前に出ていたら、きっかり13時25分に我が家にご到着された。

「いやあ、どうもどうも初めまして〜」。

初印象は、いかにもクラシック音楽を長年演奏し愛好されてきた雰囲気そのままのイメージどおりの方だった。

今回の試聴のポイントは次の2点になる。

1 ウェストミンスター(改)の低音域(150ヘルツ以下)は音楽のプロの耳からどのような受け止め方をされるのか。

(やたらに低音域に拘るようだが、大好きなオペラやオーケストラは豊かな低音域の支えが無いと聴けない音楽だから。)

2 AXIOM80の「オリジナル」版と「復刻版」の音色の違いについて、はたしてどのような感想を洩らされるのか。

以上、受け入れ側としても興味津々である。

以下続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/90a4f60de57638f0540e5bfdf12f7964

クラシック音楽愛好家のご来訪〜その2〜
2021年03月28日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/eacdeca505d1ce5e0717ae8a8fdd9e3e


前回からの続きです。

これまで、いろんな方々が我が家に試聴にお見えになったが、かってオーケストラの一員として活躍された方は今回のFさんが初めてである。

いわば、録音現場ともいえる生の音に精通したプロとでも言うべき方なので、我が家の「自己勝手流の音」に対してどのようなご感想を洩らされるか興味津々である。

もちろん、良くても悪くても当人の面前での評価はご遠慮されるだろうが、おおよそ素振りや雰囲気でわかるものである(笑)。

さっそく、玄関を入ってすぐのオーディオルームにご案内して、はじめに、かってのヴィオラ奏者ということで「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」(モーツァルト)を聴いていただいた。

ヴァイオリンは「五島みどり」さん、ヴィオラは「今井信子」さんと日本が世界に誇るご両人だ。

ヴィオラ奏者のFさんにとっては先刻ご承知の曲目だったが、

「ヴィオラがヴァイオリンと対等に演奏できるようにモーツァルトはヴィオラを通常より半音上げて作曲してます。ヴィオラにとってやや無理を強いられますので演奏するときは内心穏やかではありません。」

Fさんならではの、こういう専門的な話はとても参考になったし、いかにも音楽愛好家らしく目を閉じて静かに耳を傾けられる姿勢にほとほと感じ入った。

沢山のCDを持参されてきたので、さわりの部分を順番に聴いていった。

スピーカーの方は「AXIOM80(復刻版)+D123」を皮切りに「ワーフェデールのスーパー10+ウェストミンスター」、そして最後の真打は「AXIOM80」(オリジナル)へ。

次に、持参されたCDの中からコープランドを聴かせてもらった。

途中で大太鼓のズシ〜ンと腹に響いてくるような物凄い低音が鳴り響いて度肝を抜かれたが、ウェストミンスター(150ヘルツ以下)はいささかも動じることなく見事に再生したのはうれしかった(笑)。

「こういう低音は初めてです。オフ会で聴かせてもらったJBLの口径48センチでも聴けなかった低音です。ユニットは口径30センチでしょう・・。」

「ハイ、低音にはいささか自信があります。むしろユニットよりも箱の効果だと思います。それに200ボルトを100ボルトに降圧した電源を使っていますし、全面床コンクリートにしてその上に(スピーカーを)設置していますので床が共振せずに低音のエネルギーを逃がさない点もあると思います」

ただ、これはこの原稿をしたためるときになってふと思いついたことだが、クロスオーバーを200ヘルツ以下にしないと本格的な締まった低音は出てこない。

その点JBLのシステムはたとえ大型の「375」ドライバーにしても200ヘルツまでは出せないので、どうしても低音域のクロスを500ヘルツ前後にせざるを得ない。すると低音域が締まらずにボワ〜ンとふやけてしまう。そういうジレンマがあるのではないかと推察したことだった。

したがって、JBLの口径48センチをクロス200ヘルツ以下でそしてしっかりした箱で再生したときは、これ以上の凄い低音が出るような気がする。まあ、アンプにもよりけりだが・・。

(いつも言っていることだが、オーディオに関する諸説の普遍化は危険。あまりにもオーディオ環境の変数が多すぎるので、どうしても各家庭の状況に応じて臨機応変の対応が必要。つまり、この現象は我が家だけの事例なので念のため申し添えておきます)

最後のCDは「ゴールドベルク変奏曲」(バッハ)を弦楽三重奏曲に編成したもの。Fさんが大好きな曲目だそう。

「弦楽三重奏や四重奏は無駄を省いた究極のクラシック音楽の形だ」と、読んだ記憶があるが、素晴らしい演奏にウットリと聞き惚れた。使ったスピーカーは「AXIOM80」のオリジナル版で、この小編成にはもってこいだろう。

そして、聴き終えてから感動冷めやらぬままにとっておきの質問を繰り出した。

「AXIOM80の復刻版とオリジナル版とでは印象が違いましたか」。

「ハイ、まったく別物の印象を受けました。オリジナル版は落ち着いた音色でさりげなく鳴ります、これがほんとうの楽器の音色だと思いました。」

そうですか・・・。

ウ〜ン、またもや宿題が残った(笑)。

Fさんのお好きな音の傾向もだいたいわかったし、想像以上にデリケートなお耳の持ち主だったので、またのご来訪までには何とか復刻版をオリジナルと同等に引き上げなくては。

そのための秘策はいろいろある・・。

性懲りもなく果てしないオーディオへの挑戦と探求が延々と続く(笑)。
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柳の下に二匹目のどじょうがいた!
2021年04月06日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af88745796ab89904643428edfa93c48


先日のブログ「柳の下の二匹目のどじょうを狙う」の続きです。

ブログの末尾に「以下、続く」としていたが、ブログのネタが多すぎて搭載のタイミングが1週間以上ズレ込みましたけど悪しからず。

さて「AXIOM80」(復刻版)用の箱に味をしめて、再度取り組んだ「小振りの箱」。それも板厚12mmという薄さなので独特の音が楽しめるはずと踏んだが、はたして「二匹目のどじょう」は見つかったのか。

それが実際にいたんですよねえ(笑)。

今回の箱には頑丈なユニット「スーパー10」(ワーフェデール:赤帯マグネット)を容れているので、遠慮せずにじゃんじゃんパワーを入れられる利点がある。

そこで、駆動する「300B」用のアンプには、始めから「WE300B」を挿し込んで聴いてみた。

一聴するなり、かなりの低音が出てきたのには驚いた。箱が箱だけにやや締まりがないというか、制動が利いてないという低音だがタンノイなんかよりは強力な「赤帯マグネット」を有しているだけ、マシかもねえ(笑)。

これなら単体でも小編成の曲目やボーカルなどには十分対応できそうで、まずはひと安心。

低音域(150ヘルツ以下)を受け持つウェストミンスター(スーパー12内蔵)との繋がりが一層良くなったのは言うまでもない。

もうこれで十分だと思いたいが、試してみたいことが一つ残っている。

それは・・。

オーディオに望むものは人それぞれだが、自分はシンプルに考えて大きく三つに分けている。

1 繊細で豊かな響きを持つ中高音域をいかに出すか

2 150ヘルツ以下の低音域をいかに自然に響かせるか

3 1と2の繋がりをいかにスムーズに演出するか

これらがうまくいけば、まさに「鬼に金棒」だが、こういう理想的なシステムはまず存在しないし、これまでの他家での武者修行でもまず聴いた試しがない。

とはいえ、一歩でも「神の領域」に近づきたい気が無いといえば嘘になる。

将来計画として機が熟したらウェストミンスターの上に、この箱に代えてもう一つの小振りの箱に容れた「AXIOM80」(復刻版)を載せてみようと秘かに狙っているのだ。

それには「AXIOM80」の低音域をローカットする必要がある。ウェストミンスターで聴くときはオペラやオーケストラを大音量で聴くのだから、繊細なツクリのAXIOM80をフルレンジで鳴らすと、途端にガサゴソとノイズが出だす。

これまで4〜5回は修理に出しているが、そのたびに2万5千円取られるのだからたまったもんじゃない(笑)。

そこで思いついたのが「クロスオーヴァー200ヘルツの真空管式チャンデバ」だった。過大な低音を入れさえしなければまず故障することがないAXIOM80なので200ヘルツあたりでローカットできれば言うことなし。

オーディオ仲間で熟達の腕をお持ちのNさん(大分市)に持ち掛けてみたところ「チャンデバを作れないことはないけど、音質を劣化させるコンデンサーや抵抗をやたらに使うことになるので、ひときわデリケートなAXIOM80には向かないと思うよ。むしろ、容量の大きなコンデンサーを使ってシンプルに一発でローカットした方がいいんじゃない」との回答が返ってきた。

成る程!

すぐに方向転換して、ムンドルフのコンデンサーをネットでゲットした。

ちなみに、容量の47μF(マイクロファラッド)はどのくらいの周波数をローカットできるのかといえば「ネットワーク周波数早見表」により15Ω負荷で計算してみると「225ヘルツ」(ー6db/oct)となるのでピッタリ。

とりあえず、フラメンコダンサーのドスン・ガツンの音楽ソースを思い切って大きなボリュームで「AXIOM80(復刻版)+D123(JBL)」で聴いてみたところ、大型コンデンサーによる音質の劣化はいっさい感じられなかったし、一緒に聴いていたオーディオ仲間も同感だった。

そして、AXIOM80が壊れなかったのはうれしかった、内心ヒヤヒヤしていたのだが・・(笑)。

これで「神の領域」に向けて一歩前進・・。
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トライ&エラー〜スピーカー編〜
2021年04月10日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9b4e92540530ad58411c32619303fd91


去る3月23日、福岡からクラシック音楽愛好家のFさんが試聴にこられたことは2回に分けてブログに登載したとおり。

勝手な思い込みかも知れないが、概ねFさんの期待に応えられたような気がしているものの、「AXIOM80」のオリジナル版と復刻版との音質の違いについて指摘されたのがちょっと気になっている。

何か解消する手立てはないものか・・。

ことオーディオに関しては「考え込むよりも動く」のがモットーなので「トライ&エラー」の繰り返しにより、この2週間余り退屈することがなかった。


メチャ忘れっぽいので記録に残しておくとしよう。

まずは、スピーカー対策から。

1 低音域のユニットの交換

ご覧の通り、低音域(350ヘルツ以下)だけを受け持たせるスピーカーは、当初はグッドマン「AXIOM150マークU」にしていたが、悪くは無いんだけど低音が深過ぎてAXIOM80のスピード感にはそぐわなかった。

そこでコーン紙のカーブが浅くて音声信号に対する反応が早そうなJBL「D123」に変更してみたところ、AXIOM80のスピード感に遜色がなかったものの、今度は双方の「音色」の違和感が「?」となった。

Fさんが気にされたのもその辺に原因がありそうだ。

「D123」もいいところがあるんだけどなあ、と後ろ髪を引かれる思いでさらに変化を求めてグッドマン「トライアクショム」にしてみた。

比較的軽量のアルニコマグネットによりあっさりとした低音が持ち味だが、それがAXIOM80に合うかもしれないという淡い期待のもと、ダメなときはすぐに「D123」に戻すつもりだった。

この「トライアクショム」は同軸3ウェイのフルレンジで口径30センチ。このユニットを低音域だけ(350ヘルツ以下)だけ鳴らそうという算段になるが、自分で言うのも何だが実に贅沢な使い方だと思う。

ただし、コイル(ムンドルフ:6.8mh)を外してやれば、たちどころにフルレンジでも聴けるので、5番目のシステムが出来たようなものでもある。

15分ほどで交換終了。

寸分違わず、ネジ穴まで統一したバッフルをいくつも準備しているので実に楽ちん。前開きの箱の方はもともとAXIOM301が入っていたもので「ARU」(背圧調整器)付きの板厚4cmという頑丈な代物だ。

画像のとおり、下の方がトライアクショムだ。コーン紙が薄くて軽いのが特徴。

おそらくこういうシステム編成は自慢するわけではないが、世界で唯一の組み合わせに違いない(笑)。

そして肝心の音だが、期待以上に素晴らしかった!

さすがに、同じグッドマン同士の組み合わせなのでまるでフルレンジを聴いているかのように音色に違和感が無かったし、イギリス系ユニットの低音域の表現力はアメリカと違って重量感よりも分解能を優先しているとつくづく思わされた。

「シマッタ、Fさんがお見えになったときに初めからこのシステムで聴いてもらえばよかったなあ・・」と、臍(ほぞ)を噛んだのは言うまでもない(笑)。

なお、我が家にはJBLの「LE-8T」(口径20cm:初期版16Ω)が部屋の片隅で眠っている。

このユニットだけを取り外してぜひ「AXIOM80」とセットで低音域だけ受け持たせてみたい。おそらく音色の違いがネックになりそうだが、実際に聴いてみなくちゃ分からん。

それに箱の容量が大きくなったときの「LE-8T」をフルレンジで聴いてみたい気もする。

とまあ、幸か不幸か我が家のすべてのオーディオ機器は骨の髄までしゃぶり尽くされる運命にある(笑)。
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「人生に無駄な経験は一つもない」というが
2021年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b534cc3a8a7d224ebf5a37efd3bbedc3


「人生に無駄な経験は一つもない」と、何かの本に書いてあったがいまだに折にふれ過去を振り返って悔やむことが多い自分にとって、こういう前向きな言葉には大いに励まされる。

これまで長年にわたって散々拙い経験をしてきた「オーディオ」もそう思いたいところだ(笑)。

さて、およそ4年ほど前の話だがAXIOM80の復刻版をグッドマン指定の箱で鳴らしたことがある。

          

当時の画像になるが、左側の「AXIOM80」が自作の箱に容れた「初期版」で、一番肝心な「ARU」(ユニットの背圧調整器)は箱の底に付けている。その一方、右側がグッドマン指定の箱に容れた「復刻版」。

その違いはといえばスピーカーの板厚である。自作の箱が「15mm」、そしてグッドマン指定の箱の方の板厚が「40mm」。

この両者をオーディオ仲間と聴き比べたところ、二人の意見は一致した。

「自作の箱の方が伸び伸びとした音です。音響空間に漂う音の余韻が何時までも尾を引く感じがしてことのほか響きが美しい。その一方、指定箱の方は少々堅苦しくて、何だか会社員がキッチリとネクタイを締めてかしこまっている感じがします。」

軍配は明らかに自作箱の方に上がったわけで、板厚の重要性を改めて思い知ったことだった。

このことを裏付けるのが真空管専門誌「管球王国」(2017 SPRING Vol.84:ステレオサウンド社)だった。

                    

本書の172頁に「フルレンジユニットのチューニング法大公開」という特集があって、何と「AXIOM80」のオリジナルと復刻版の両方のチューニング法が公開してある!

今どき「AXIOM80」なんて時代遅れのSPを特集するなんてほんとうに奇特な記事としか思えない(笑)。

ただし、「AXIOM80」に関してはいくら場数を踏んだオーディオ評論家といえども、流した「血(お金)と汗と涙」の量はとうてい自分には及ばないはずなので、鵜呑みにするつもりはまったく無い。

案の定、やっぱり首を傾げる部分もあったが、記事の中で印象的だったのは「このユニットには板の厚みが薄い方が絶対に向いていると思います。」という言葉だった。そのとおり!

というわけで、この経験を生かしてこのほど製作した板厚がたったの「12mm」の小振りの箱に入った「AXIOM80」(復刻版)は信じられないほどの絶好調振りである。何といっても響きが美しい。

そして低音域(350ヘルツ以下:ー6db/oct)を受け持つのは同じグッドマンの「トライアクショム」だ。

この件はご存知の通り先日のブログ「トライ&エラー〜スピーカー編〜」に登載したところだが、さっそく去る3月23日に福岡からお見えになったFさんの知るところとなり、メールの交換によって再度の試聴日程が決まった。

今度こそ、元オーケストラの一員だったFさんを失望させるわけにはいかないと、細部の調整に余念がない毎日だ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b534cc3a8a7d224ebf5a37efd3bbedc3
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c78

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
11. 中川隆[-5698] koaQ7Jey 2021年4月15日 09:25:08 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[8]


Peter and the Wolf(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=34528

(その1)を書いたあとで、
そういえば、黒田先生、「音楽への礼状」でプレヴィンについて書かれていたな、と思い出した。
書き出しも憶えていた。

ある高名な評論家のことから始まる。

     *
「こういうあつかいをされるのなら、これからは、きみのところとのつきあいを考えさせてもらうよ」

 受話器からは、そのようにいう、くぐもった声がきこえてきました。声の調子から判断して、声の主が感情をおしころしているのはあきらかでした。連載を依頼している、さる高名な、そして高齢でもある評論家に、そのようにいわれ、ヴェテランの編集者である彼は、大いにあわて、同時にびっくりもしました。なんでまた、そんなことを気にするのだろう、このひとは。彼がそう思ったのは当然でした。

 電話は、彼の雑誌の、その前日の新聞に掲載された広告に、件の高名な評論家の名前がのっていなかったことについての、厭味たっぷりな苦情でした。たまたま、その号の特集にスペースをとられ、そのために、連載をしている評論家の名前をのせられなかった、というだけのことでした。その程度のことは、わざわざ広告部に問い合わせるまでもなく、彼にも予測できました。

     *

この高名な評論家が誰なのかは、なんとなく知っている。
そんなことをする人だったのか、と思ったし、
黒田先生が書かれているように、その行いは《想像を絶すること》だ。

高名な評論家といえど、いわゆる自由業である。
出版社から毎月決った額を受けとれるわけではない。

だからこそ、名を売っていかなければならない──、
そういう考えの人も多いのは経験上知っている。

十分な名声があったとしても、新しい人たちが参入してくるし、
将来が保証されているわけでもないから、名前が載ることは名によりも優先することなのだろう。

黒田先生も音楽評論家だったから、この高名な評論家と立場としては同じである。
《めだって、広く世間にその名を知られるようになる、というのは、たまたまの結果でしかなく、目的であってはならないでしょう》
とも書かれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34528
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c11

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)


Date: 6月 17th, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=4864

今年、ロジャースは創立65周年にあたり、記念モデルとしてLS3/5Aを復刻している。
ロジャースは2008年にもLS3/5Aを復刻している。

このふたつの復刻LS3/5Aは当然おなじものなはずはなく、細部の使用は異っている。
2008年版は、オリジナルのLS3/5Aを範として、現在入手できるスピーカーユニットで再現したもの。
今回の65周年LS3/5Aは、元のユニット、
つまりウーファーはKEFのB110、トゥイーターはKEFのT27そのものをできるかぎり再現したものが、
使われている、とのこと。

それ以上の情報をまだ得ることはできないが、少なくとも写真を見るかぎり、
B110、T27そっくりに仕上がっている、といえる。
B110の振動板のてかり具合も、(あくまでも写真の上ではあるが)見事に再現されている。

2008年版LS3/5Aには興味をもてなかったのに、これは気になっている。
できるだけ早く聴いてみたい、とさえ思っている。

ウェブサイトに公開されている写真を見て、私と同じように思う人もいる一方で、
どうせ中国製だから、と音も聴かずに、関心をもたない人もいるはずだ。

確かに中国製なのだろう。
でも写真のままのLS3/5Aが登場してきたら、そのことはさほど気にすることはないはずだ。
ここまでのものが作れる、という事実に、日本製だろうと、イギリス製だろうと、中国製だろうと、
それは本質的な違いとなって音に現れることなのだろうか。

もちろん中国で作られている製品のすべてが良質なものでないことはわかっている。
ひどいものがある。けれど、素晴らしいものも、やはりある。

たとえばTADのスピーカーシステムは、中国で生産されている。
このことはオーディオアクセサリー誌だったと思うが、記事になっているからご存じの方も多いだろう。

何も知らずにTADのスピーカーシステムを見て、聴いて、中国製だとわかる人がいるだろうか。

心情的にはイギリス製であってほしい、という気持は、これを書いている私にもある。
でも音を聴かずに、実物を見ずもせずに、ただ中国製だから、ということで、関心をなくしてしまうのは、
もったいないこと、というよりも愚かに近い行為だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=4864


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=5161

BBCモニターの開発過程における試聴プログラムソースに、
音楽だけではなくアナウンサー(主に男性)の朗読も使われていたのはよく知られていることだ。

そのこととLS3/5Aのサイズのことを一緒くたにして、
LS3/5Aというスピーカーはアナウンサーの声のチェック用モニターであって、
音楽を聴くために開発されたスピーカーではない──、
こんなことを言う人が、残念ながらいる。

KEFの創立者であるレイモンド・クックも、音楽以外にアナウンサーの声でチェックしている、と、
音楽之友社から出ている「ステレオのすべて ’75」の中で語っている。
レイモンド・クックは、BBCモニターの開発にも携わっていた人だから、
その開発手法のよいところは、そのまま受け継いでいるからだろうと思われるが、
クックは、音楽を聴いているとマスクされてしまうピーク、あるいはディップといった欠点が、
アナウンサーのスピーチでは聴きとれるからだ、としている。

「ステレオのすべて ’75」の、クックの発言は日本語訳がわかりにくいところがあるうえに、
省略されていると思われるところもある。
だから読み手側でクックの発言を深読み、というか、補うような読み方をしなければならない。

私なりの読み方では、次のようなことだと思う。
音楽がプログラムソースでは、音の強弱がある。ピアニッシモもあればフォルティッシモもあって、
大編成のオーケストラで優秀録音であればダイナミックレンジは広い。
その反対にアナウンサーのスピーチに、音楽のような、広い音の強弱はない。
クックのいうアナウンサーのスピーチは、朗読家による小説の朗読の類いではなく、
おそらくニュース原稿を読むアナウンサーのそれであろう。

それに音楽とスピーチとでは、録音に使うマイクロフォンの数とその使い方が大きく違う。
モノーラルならばスピーチの録音に使われるマイクロフォンの数は1本、
そこに凝った録音手法は使われることはない。

こういう違いのある音楽の音源と、スピーチの音源の両方を使い、
スピーカーシステムの開発を行っている、ということであって、
スピーチ用のスピーカーシステムとして作っているわけではない、ということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5161

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=5803

LS3/5A──、私にとってのLS3/5Aは最初に聴いたものも、
そののち手に入れたものもロジャースの15Ωタイプだったので、
私にとってのLS3/5Aといえば、ロジャース製のモノということになる。

ロジャースのLS3/5Aが、
パワーに弱い(音量を上げられない)、低音は出ないなどのいくつかの欠点をもっていながらも
日本では高い評価と人気を獲得したこともあってなのかどうかははっきりとしないが、
イギリスの各スピーカーメーカーからも、LS3/5Aが登場した。
KEF、スペンドール、チャートウェル、オーディオマスターなどがある。
これらすべて同一条件では聴いたわけではないし、チャートウェルのLS3/5Aは聴いたこともない。

同じ規格でつくられてはいても、製造メーカーが異るとLS3/5Aの音も微妙に違ってくる。
LS3/5Aに高い関心をもつ者にとっては、
どのLS3/5Aが音がいいのか、もしくは自分の求める音に近いのかが気になるところだろうが、
私はといえば、それぞれのメーカーの音の差に関心はあるけれど、
それでも私にとってのLS3/5AはロジャースのLS3/5Aであり、
ロジャースのLS3/5Aは他社製のLS3/5Aよりも、多少劣る面を持っていたとしても、
それはそれでいいではないか、と思っているところがある。

私が気になるのは、LS3/5Aそれぞれの音の違いではなくて、
LS3/5Aの良さを受け継いで、あとほんのすこしスケール豊かに鳴ってくれるスピーカーシステムに関して、である。

LS3/5Aの欠点を解消するために、ロジャースからはサブウーファーが2度、登場している。
最初はL35Bと呼ばれるもので、33cm口径のウーファーをW46×H83×D42cmの密閉型エンクロージュアにおさめ、
このエンクロージュア上部の指定された位置にLS3/5Aを置くようになっている。
LS3/5Aとのクロスオーバ周波数は150Hzで、
専用のエレクトロニック・デヴァイディングネットワークXA75にはパワーアンプも搭載されており、
L35BとXA75、そしてLS3/5Aによるシステムを、ロジャースはReference Systemと名づけていた。
1978年の製品だ。

2度目は、1990年代なかばごろに登場したAB1がある。
このモデルはLS3/5AのウーファーB110を採用し、シンメトカリーロデット方式とよばれるエンクロージュアを採用、
このサブウーファーの出力は、B110から直接ではなく、
エンクロージュア上部サイドに設けられているポートから、となっている。
AB1にはLS3/5A用の出力端子が備えられていて、バイアンプ仕様のReference Systemとは異り、
それまでLS3/5Aを鳴らしてきたシステムにそのまま組み込める簡便さをもっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=5803


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=5805

Reference Systemは一度聴いてみたかった。
XA75に内蔵されているパワーアンプではなく別途、サブウーファー用にパワーアンプを用意すれば、
より高品質な音が得られる可能性は、Reference Systemにはあったことだろうが、
写真でみるかぎりでは、大型エンクロージュアの上に、ポツンとLS3/5Aが乗っかっている感じで、
システムとしてのまとめ方のよさ──
しかもそれがロジャース純正であるだけにそういったことをより強く求めたくなるものだが──、
残念ながら備えていなかったように思える。

LS3/5Aのよさをいささか損なうことなく、スケール感をもうすこし欲することは無理な要求なのだろうか……。
KEFの105(Uni-Qユニット採用の105ではない)は、
それに近い印象を受けていたけれど、LS3/5Aの底光りする品位の良さまでは、
KEFの音は磨きあげられていないようも感じた。
105も、もちろん高品位でこれ単体で聴いている分には、その点に関しては申し分なく感じけれども、
すこし厳格すぎる性格、というか真面目すぎる性格が禍しているのだろうか、
音楽をより魅力的に響かせる方向での音の磨き方ではないようなところがある。

LS3/5Aの音には、私は、磨かれることで底光りしている音は、黒光りしている、とも感じている。
この光りの感じに、私は惚れてきたところがある。

だから、この磨きあげられることで生れてくる光りが音の中にはあり、
あとすこしのスケール感を……、ということになると、
そう難しくはないようなことに思えがちだが、意外に、そういう要求を満たしてくれるスピーカーシステムは少ない。

私がステレオサウンドにいたころ、ひとつだけ出合えた。
メリディアンのM20である。
http://audiosharing.com/blog/?p=5805


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=5826

メリディアンのM20はパワーアンプ内蔵の、メリディアンがアクティヴラウドスピーカーシステムと呼ぶもので、
使用ユニットはウーファーが11cm口径のベクストレン・コーン型、トゥイーターは35mm口径のソフトドーム型で、
トゥイーターを2発のウーファーで挟み込むインライン配置、つまり仮想同軸配置を採用している。
内蔵パワーアンプはウーファー用が70W、トゥイーター用が35Wの出力によるバイアンプ仕様。

見た目はこれといった特徴的なところはない、地味な印象のほうが強いスピーカーシステムだから、
期待はほとんどしていなかった。
だから、音が鳴ってきた瞬間に、M20が醸し出す、いい雰囲気の音に、どきっとした。
LS3/5Aの音をスケールアップした音が、いまここで鳴っている──、
その事実に、とにかく嬉しくなった。

実は試聴の前に、サランネットを外してユニットを見たわけではなかった。
もともと期待していなかったスピーカーシステムだったから、
サランネットを外すことなく音を聴くことになったわけで、だからこそ驚きは大きかった。

試聴が終り、好奇心からネットを外すと、そこにはLS3/5Aで見慣れたウーファーがあった。

ウーファーのメーカーについては発表されていないが、あきらかにKEFのB110である。
LS3/5Aと同じウーファーを奥行きが38cmと、かなり深いバスレフ型エンクロージュアにおさめている。
内容積は、LS3/5Aにくらべかなり余裕をもったものとなっている。

トゥイーターはLS3/5Aに搭載されているKEFのT27ではないが、
これも見た目から判断するとKEFのユニットだと思われる。

KEFの105のような厳格さは、メリディアンのM20にはない。
もっと音楽を楽しんで聴く、という目的のためには、
結果として、わずかな音の演出を認めているようにも聴き手には感じられるM20の音は、
艶っぽく、底光りする音で、品位も高く、LS3/5Aには求められなかったスケール感がある。

そのスケール感は大型フロアー型のようなスケールの大きさではないけれど、
当時(1980年代まで)のイギリス的な家庭で楽しむ音量としては、充分なスケールがあった。

いま、この音を聴かせてくれたM20(現物)を、そのまま持ち帰りたくなるくらい、
私にとってはLS3/5Aの、正しく延長線上にあるスピーカーシステムだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5826


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=5828

CDが登場する以前、アナログディスクがメインのプログラムソースであったころには、
LS3/5Aを鳴らすコツのひとつとして低域の適切なコントロールがあげられていた。
サブソニックによってLS3/5Aの小口径のウーファーがフラフラしていたら、
ただでさえ耐入力不足のところに、さらに不利な再生条件になってしまう。

ステレオサウンドでの組合せでQUADの405がよくとりあげられていたのも、このことが関係している。
405は大出力になると低域をカットするような設計になっている。
同じことは管球式パワーアンプについても、いえる。
アウトプットトランスを背負っていないOTLアンプは関係ないが、
アウトプットトランスの性格上、管球式パワーアンプの周波数特性をみると、
1W出力時と定格出力時とでは、低域のカットオフ周波数が、定格出力時ではどうしても高くなってしまう。
これはアウトプットトランスの性格上避けられないことでもある。

1982年にラジオ技術別冊として出た「集大成 真空管パワー・アンプ」の巻頭に、
管球式パワーアンプ15機種の回路図と実測データが載っている。
QUAD II、サンスイ AU111、ダイナコ MKIII、ダイナベクター DV8250、テクニクス 20A、40A、
デンオン POA1000B、フッターマン H3、マイケルソン&オースチン TVA1、マッキントッシュ MC275、MC3500、
マランツ Model 98、ラックス MQ36、MQ68C、SQ38FD。
測定を担当されたのは、オーディオノートの創設者、近藤公康氏。

これら15機種のなかでOTL方式なのは、テクニクスの20A、ラックスのMQ36、フッターマンのH3だけで、
残り12機種はすべてアウトプットトランスをもつ。

周波数特性は1W出力時、10W出力時、定格出力時の3つのデータが載っている。
出力に余裕があるアンプ、もしくは設計の新しいアンプでは、
!W出力時と10W出力時の周波数特性はほぼ同じか、すこしだけ低域のカットオフ周波数が上昇する傾向があるが、
小出力のものでは1Wと10W出力時でもずいぶんカットオフ周波数が違うものがあり、
定格出力時では200Hzあたりから低域のレスポンスが下降していくアンプもある。

ソリッドステートの優秀なパワーアンプの周波数特性と比較すると、
なんというひどい周波数特性なんだ、ということになりそうだが、
LS3/5Aのようなスピーカーシステムにとっては、これはむしろいい方向に働くこともある。
http://audiosharing.com/blog/?p=5828


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=5833

CDの登場は、アナログディスクにはつきものであったサブソニックから解放されたことであり、
LS3/5Aにかぎらず、1970年代に開発されたBBCモニタースピーカーに共通してあった耐入力のなさは、
ある程度解消されていった。
あきからにLS3/5Aから得られる音量は、CDによって増していた。
もっとも、増した、といっても、あくまでもLS3/5Aでの話ではある。

CDの普及とともに、LS3/5Aサイズの小型スピーカーシステム用のスタンドがいくつか出はじめたことも関係してか、
LS3/5Aは、CD登場以前とは異る聴き方がされるようになってきた。

それまでは(アナログディスク時代)は、スタンドは使わず、
しっかりした造りの机の上に、手の届く距離に置いて聴く、というスタイルが多かったのではないだろうか。
すくなくとも私は、瀬川先生や井上先生がLS3/5Aについて書かれたものを読んで、
そういう使い方をイメージしていた。

こういう置き方を含め、低域の適切なコントロールなど、
制限された使いこなしの中でうまく鳴らしたとき、LS3/5Aの魅力は最大に発揮される──、
こんなふうにも思っていた。

実際にそうやって聴くLS3/5Aのひっそりとした親密な空気をかもしだす雰囲気は、
聴く音楽も音量も聴取位置も限定されるけれど、そんなことを厭わず鳴らしたときの魅力は、
何度でも書きたくなるほどのものを、私は感じている。

でも、いい変えれば、やや面倒なスピーカーシステムといえなくもなかったのが、
CDの安定した低域によって、すこしばかり気軽に鳴らせるようになった。

いまLS3/5Aをお使いの方は、スタンドに乗せて、という方が多いのかもしれない。
けれども、私にとっては、机の上に置くスピーカーシステムであり、
つまりこのことはスピーカーを上から眺めるようなかたちで聴く、ということでもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=5833


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=5843

井上先生は「見えるような臨場感」、「音を聴くというよりは音像が見えるようにクッキリとしている」と、
瀬川先生は「精巧な縮尺模型を眺める驚きに緻密な音場再現」、
「眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する」、
こんなふうに表現されている。

どちらも視覚的イメージにつながる書き方をされている。
それこそガリバーが小人の国のオーケストラや歌手の歌を聴くのと同じような感覚が、そこにはある。
いうまでもなく、これは正しくLS3/5Aを設置して、正しい位置で聴いてこそ得られるものであって、
いいかげんな設置、いいかげんな位置で聴いていては、このような音場感は得られないし、
そうなるとLS3/5Aはパワーも入らないし、低域もそれほど低いところまでカヴァーできないし……など、
いいところなどないスピーカーシステムのように思われるだろうが、
それは鳴らし方・聴き方に問題がある、といえる。

とにかく、そういうLS3/5Aが小音量時に聴かせてくれる、
「見えるような臨場感」を、私は、LS3/5Aをすこしばかり上から眺めるような位置で聴きたい、と思う。

スピーカーシステムの位置と耳の位置の、それぞれの高さの関係については、
使っているスピーカーシステムによっても、その人の聴き方にも関係してくることであって、
ここには正解は存在しない、といえる。

たとえば瀬川先生は、背の高いスピーカーシステムを好まれない。
というよりも、音楽之友社から出ていた「ステレオのすべて」の1976年版のなかで、
菅野先生、山中先生との鼎談「オーディオの中の新しい音、古い音」でこう語られている。
     *
たとえば見た目から言ったってね、ぼくはご在じの通りね、昔から背の高いスピーカー嫌いなんです。どうしても目の高さよりね、音の出て来る位置が高くなっちゃうとね、なんだか全然落ち着かないわけね。これは本当に、この部屋に入って来て座った時から、見れば見るほど、ますます大きくなっていく感じがするわけね。すごい背が高い。
 ちっとも小さくならない、慣れても。たとえばこういう大きいスピーカーだったらぽくはどうしたって横倒しにしちゃいたいぐらいの感じです。これは横倒しにできないスピーカーだけれども。
     *
ここで語られている「この部屋」とは山中先生のリスニングルームであり、
「横倒しにしちゃいたい」スピーカーシステムは、エレクトロボイスのパトリシアン600のことである。
http://audiosharing.com/blog/?p=5843

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1171.html

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
119. 中川隆[-5697] koaQ7Jey 2021年4月15日 11:35:09 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[11]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c119

[リバイバル3] QUAD ESL57 が似合う店 _ 喫茶店 荻窪邪宗門 中川隆
22. 中川隆[-5696] koaQ7Jey 2021年4月15日 11:35:41 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[12]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/214.html#c22

[番外地9] ネトウヨの話は嘘ばかりだから、真実を伝えているだけです
ネトウヨの話は嘘ばかりだから、真実を伝えているだけです
僕が自分の勝手な意見を書いても仕方ないので、既に学問的にほぼ定説になっている事だけを紹介しています
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/307.html
[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
124. 中川隆[-5695] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:07:36 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[13]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)


Date: 6月 17th, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=4864

今年、ロジャースは創立65周年にあたり、記念モデルとしてLS3/5Aを復刻している。
ロジャースは2008年にもLS3/5Aを復刻している。

このふたつの復刻LS3/5Aは当然おなじものなはずはなく、細部の使用は異っている。
2008年版は、オリジナルのLS3/5Aを範として、現在入手できるスピーカーユニットで再現したもの。
今回の65周年LS3/5Aは、元のユニット、
つまりウーファーはKEFのB110、トゥイーターはKEFのT27そのものをできるかぎり再現したものが、
使われている、とのこと。

それ以上の情報をまだ得ることはできないが、少なくとも写真を見るかぎり、
B110、T27そっくりに仕上がっている、といえる。
B110の振動板のてかり具合も、(あくまでも写真の上ではあるが)見事に再現されている。

2008年版LS3/5Aには興味をもてなかったのに、これは気になっている。
できるだけ早く聴いてみたい、とさえ思っている。

ウェブサイトに公開されている写真を見て、私と同じように思う人もいる一方で、
どうせ中国製だから、と音も聴かずに、関心をもたない人もいるはずだ。

確かに中国製なのだろう。
でも写真のままのLS3/5Aが登場してきたら、そのことはさほど気にすることはないはずだ。
ここまでのものが作れる、という事実に、日本製だろうと、イギリス製だろうと、中国製だろうと、
それは本質的な違いとなって音に現れることなのだろうか。

もちろん中国で作られている製品のすべてが良質なものでないことはわかっている。
ひどいものがある。けれど、素晴らしいものも、やはりある。

たとえばTADのスピーカーシステムは、中国で生産されている。
このことはオーディオアクセサリー誌だったと思うが、記事になっているからご存じの方も多いだろう。

何も知らずにTADのスピーカーシステムを見て、聴いて、中国製だとわかる人がいるだろうか。

心情的にはイギリス製であってほしい、という気持は、これを書いている私にもある。
でも音を聴かずに、実物を見ずもせずに、ただ中国製だから、ということで、関心をなくしてしまうのは、
もったいないこと、というよりも愚かに近い行為だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=4864


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=5161

BBCモニターの開発過程における試聴プログラムソースに、
音楽だけではなくアナウンサー(主に男性)の朗読も使われていたのはよく知られていることだ。

そのこととLS3/5Aのサイズのことを一緒くたにして、
LS3/5Aというスピーカーはアナウンサーの声のチェック用モニターであって、
音楽を聴くために開発されたスピーカーではない──、
こんなことを言う人が、残念ながらいる。

KEFの創立者であるレイモンド・クックも、音楽以外にアナウンサーの声でチェックしている、と、
音楽之友社から出ている「ステレオのすべて ’75」の中で語っている。
レイモンド・クックは、BBCモニターの開発にも携わっていた人だから、
その開発手法のよいところは、そのまま受け継いでいるからだろうと思われるが、
クックは、音楽を聴いているとマスクされてしまうピーク、あるいはディップといった欠点が、
アナウンサーのスピーチでは聴きとれるからだ、としている。

「ステレオのすべて ’75」の、クックの発言は日本語訳がわかりにくいところがあるうえに、
省略されていると思われるところもある。
だから読み手側でクックの発言を深読み、というか、補うような読み方をしなければならない。

私なりの読み方では、次のようなことだと思う。
音楽がプログラムソースでは、音の強弱がある。ピアニッシモもあればフォルティッシモもあって、
大編成のオーケストラで優秀録音であればダイナミックレンジは広い。
その反対にアナウンサーのスピーチに、音楽のような、広い音の強弱はない。
クックのいうアナウンサーのスピーチは、朗読家による小説の朗読の類いではなく、
おそらくニュース原稿を読むアナウンサーのそれであろう。

それに音楽とスピーチとでは、録音に使うマイクロフォンの数とその使い方が大きく違う。
モノーラルならばスピーチの録音に使われるマイクロフォンの数は1本、
そこに凝った録音手法は使われることはない。

こういう違いのある音楽の音源と、スピーチの音源の両方を使い、
スピーカーシステムの開発を行っている、ということであって、
スピーチ用のスピーカーシステムとして作っているわけではない、ということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5161

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=5803

LS3/5A──、私にとってのLS3/5Aは最初に聴いたものも、
そののち手に入れたものもロジャースの15Ωタイプだったので、
私にとってのLS3/5Aといえば、ロジャース製のモノということになる。

ロジャースのLS3/5Aが、
パワーに弱い(音量を上げられない)、低音は出ないなどのいくつかの欠点をもっていながらも
日本では高い評価と人気を獲得したこともあってなのかどうかははっきりとしないが、
イギリスの各スピーカーメーカーからも、LS3/5Aが登場した。
KEF、スペンドール、チャートウェル、オーディオマスターなどがある。
これらすべて同一条件では聴いたわけではないし、チャートウェルのLS3/5Aは聴いたこともない。

同じ規格でつくられてはいても、製造メーカーが異るとLS3/5Aの音も微妙に違ってくる。
LS3/5Aに高い関心をもつ者にとっては、
どのLS3/5Aが音がいいのか、もしくは自分の求める音に近いのかが気になるところだろうが、
私はといえば、それぞれのメーカーの音の差に関心はあるけれど、
それでも私にとってのLS3/5AはロジャースのLS3/5Aであり、
ロジャースのLS3/5Aは他社製のLS3/5Aよりも、多少劣る面を持っていたとしても、
それはそれでいいではないか、と思っているところがある。

私が気になるのは、LS3/5Aそれぞれの音の違いではなくて、
LS3/5Aの良さを受け継いで、あとほんのすこしスケール豊かに鳴ってくれるスピーカーシステムに関して、である。

LS3/5Aの欠点を解消するために、ロジャースからはサブウーファーが2度、登場している。
最初はL35Bと呼ばれるもので、33cm口径のウーファーをW46×H83×D42cmの密閉型エンクロージュアにおさめ、
このエンクロージュア上部の指定された位置にLS3/5Aを置くようになっている。
LS3/5Aとのクロスオーバ周波数は150Hzで、
専用のエレクトロニック・デヴァイディングネットワークXA75にはパワーアンプも搭載されており、
L35BとXA75、そしてLS3/5Aによるシステムを、ロジャースはReference Systemと名づけていた。
1978年の製品だ。

2度目は、1990年代なかばごろに登場したAB1がある。
このモデルはLS3/5AのウーファーB110を採用し、シンメトカリーロデット方式とよばれるエンクロージュアを採用、
このサブウーファーの出力は、B110から直接ではなく、
エンクロージュア上部サイドに設けられているポートから、となっている。
AB1にはLS3/5A用の出力端子が備えられていて、バイアンプ仕様のReference Systemとは異り、
それまでLS3/5Aを鳴らしてきたシステムにそのまま組み込める簡便さをもっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=5803


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=5805

Reference Systemは一度聴いてみたかった。
XA75に内蔵されているパワーアンプではなく別途、サブウーファー用にパワーアンプを用意すれば、
より高品質な音が得られる可能性は、Reference Systemにはあったことだろうが、
写真でみるかぎりでは、大型エンクロージュアの上に、ポツンとLS3/5Aが乗っかっている感じで、
システムとしてのまとめ方のよさ──
しかもそれがロジャース純正であるだけにそういったことをより強く求めたくなるものだが──、
残念ながら備えていなかったように思える。

LS3/5Aのよさをいささか損なうことなく、スケール感をもうすこし欲することは無理な要求なのだろうか……。
KEFの105(Uni-Qユニット採用の105ではない)は、
それに近い印象を受けていたけれど、LS3/5Aの底光りする品位の良さまでは、
KEFの音は磨きあげられていないようも感じた。
105も、もちろん高品位でこれ単体で聴いている分には、その点に関しては申し分なく感じけれども、
すこし厳格すぎる性格、というか真面目すぎる性格が禍しているのだろうか、
音楽をより魅力的に響かせる方向での音の磨き方ではないようなところがある。

LS3/5Aの音には、私は、磨かれることで底光りしている音は、黒光りしている、とも感じている。
この光りの感じに、私は惚れてきたところがある。

だから、この磨きあげられることで生れてくる光りが音の中にはあり、
あとすこしのスケール感を……、ということになると、
そう難しくはないようなことに思えがちだが、意外に、そういう要求を満たしてくれるスピーカーシステムは少ない。

私がステレオサウンドにいたころ、ひとつだけ出合えた。
メリディアンのM20である。
http://audiosharing.com/blog/?p=5805


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=5826

メリディアンのM20はパワーアンプ内蔵の、メリディアンがアクティヴラウドスピーカーシステムと呼ぶもので、
使用ユニットはウーファーが11cm口径のベクストレン・コーン型、トゥイーターは35mm口径のソフトドーム型で、
トゥイーターを2発のウーファーで挟み込むインライン配置、つまり仮想同軸配置を採用している。
内蔵パワーアンプはウーファー用が70W、トゥイーター用が35Wの出力によるバイアンプ仕様。

見た目はこれといった特徴的なところはない、地味な印象のほうが強いスピーカーシステムだから、
期待はほとんどしていなかった。
だから、音が鳴ってきた瞬間に、M20が醸し出す、いい雰囲気の音に、どきっとした。
LS3/5Aの音をスケールアップした音が、いまここで鳴っている──、
その事実に、とにかく嬉しくなった。

実は試聴の前に、サランネットを外してユニットを見たわけではなかった。
もともと期待していなかったスピーカーシステムだったから、
サランネットを外すことなく音を聴くことになったわけで、だからこそ驚きは大きかった。

試聴が終り、好奇心からネットを外すと、そこにはLS3/5Aで見慣れたウーファーがあった。

ウーファーのメーカーについては発表されていないが、あきらかにKEFのB110である。
LS3/5Aと同じウーファーを奥行きが38cmと、かなり深いバスレフ型エンクロージュアにおさめている。
内容積は、LS3/5Aにくらべかなり余裕をもったものとなっている。

トゥイーターはLS3/5Aに搭載されているKEFのT27ではないが、
これも見た目から判断するとKEFのユニットだと思われる。

KEFの105のような厳格さは、メリディアンのM20にはない。
もっと音楽を楽しんで聴く、という目的のためには、
結果として、わずかな音の演出を認めているようにも聴き手には感じられるM20の音は、
艶っぽく、底光りする音で、品位も高く、LS3/5Aには求められなかったスケール感がある。

そのスケール感は大型フロアー型のようなスケールの大きさではないけれど、
当時(1980年代まで)のイギリス的な家庭で楽しむ音量としては、充分なスケールがあった。

いま、この音を聴かせてくれたM20(現物)を、そのまま持ち帰りたくなるくらい、
私にとってはLS3/5Aの、正しく延長線上にあるスピーカーシステムだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5826


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=5828

CDが登場する以前、アナログディスクがメインのプログラムソースであったころには、
LS3/5Aを鳴らすコツのひとつとして低域の適切なコントロールがあげられていた。
サブソニックによってLS3/5Aの小口径のウーファーがフラフラしていたら、
ただでさえ耐入力不足のところに、さらに不利な再生条件になってしまう。

ステレオサウンドでの組合せでQUADの405がよくとりあげられていたのも、このことが関係している。
405は大出力になると低域をカットするような設計になっている。
同じことは管球式パワーアンプについても、いえる。
アウトプットトランスを背負っていないOTLアンプは関係ないが、
アウトプットトランスの性格上、管球式パワーアンプの周波数特性をみると、
1W出力時と定格出力時とでは、低域のカットオフ周波数が、定格出力時ではどうしても高くなってしまう。
これはアウトプットトランスの性格上避けられないことでもある。

1982年にラジオ技術別冊として出た「集大成 真空管パワー・アンプ」の巻頭に、
管球式パワーアンプ15機種の回路図と実測データが載っている。
QUAD II、サンスイ AU111、ダイナコ MKIII、ダイナベクター DV8250、テクニクス 20A、40A、
デンオン POA1000B、フッターマン H3、マイケルソン&オースチン TVA1、マッキントッシュ MC275、MC3500、
マランツ Model 98、ラックス MQ36、MQ68C、SQ38FD。
測定を担当されたのは、オーディオノートの創設者、近藤公康氏。

これら15機種のなかでOTL方式なのは、テクニクスの20A、ラックスのMQ36、フッターマンのH3だけで、
残り12機種はすべてアウトプットトランスをもつ。

周波数特性は1W出力時、10W出力時、定格出力時の3つのデータが載っている。
出力に余裕があるアンプ、もしくは設計の新しいアンプでは、
!W出力時と10W出力時の周波数特性はほぼ同じか、すこしだけ低域のカットオフ周波数が上昇する傾向があるが、
小出力のものでは1Wと10W出力時でもずいぶんカットオフ周波数が違うものがあり、
定格出力時では200Hzあたりから低域のレスポンスが下降していくアンプもある。

ソリッドステートの優秀なパワーアンプの周波数特性と比較すると、
なんというひどい周波数特性なんだ、ということになりそうだが、
LS3/5Aのようなスピーカーシステムにとっては、これはむしろいい方向に働くこともある。
http://audiosharing.com/blog/?p=5828


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=5833

CDの登場は、アナログディスクにはつきものであったサブソニックから解放されたことであり、
LS3/5Aにかぎらず、1970年代に開発されたBBCモニタースピーカーに共通してあった耐入力のなさは、
ある程度解消されていった。
あきからにLS3/5Aから得られる音量は、CDによって増していた。
もっとも、増した、といっても、あくまでもLS3/5Aでの話ではある。

CDの普及とともに、LS3/5Aサイズの小型スピーカーシステム用のスタンドがいくつか出はじめたことも関係してか、
LS3/5Aは、CD登場以前とは異る聴き方がされるようになってきた。

それまでは(アナログディスク時代)は、スタンドは使わず、
しっかりした造りの机の上に、手の届く距離に置いて聴く、というスタイルが多かったのではないだろうか。
すくなくとも私は、瀬川先生や井上先生がLS3/5Aについて書かれたものを読んで、
そういう使い方をイメージしていた。

こういう置き方を含め、低域の適切なコントロールなど、
制限された使いこなしの中でうまく鳴らしたとき、LS3/5Aの魅力は最大に発揮される──、
こんなふうにも思っていた。

実際にそうやって聴くLS3/5Aのひっそりとした親密な空気をかもしだす雰囲気は、
聴く音楽も音量も聴取位置も限定されるけれど、そんなことを厭わず鳴らしたときの魅力は、
何度でも書きたくなるほどのものを、私は感じている。

でも、いい変えれば、やや面倒なスピーカーシステムといえなくもなかったのが、
CDの安定した低域によって、すこしばかり気軽に鳴らせるようになった。

いまLS3/5Aをお使いの方は、スタンドに乗せて、という方が多いのかもしれない。
けれども、私にとっては、机の上に置くスピーカーシステムであり、
つまりこのことはスピーカーを上から眺めるようなかたちで聴く、ということでもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=5833


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=5843

井上先生は「見えるような臨場感」、「音を聴くというよりは音像が見えるようにクッキリとしている」と、
瀬川先生は「精巧な縮尺模型を眺める驚きに緻密な音場再現」、
「眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する」、
こんなふうに表現されている。

どちらも視覚的イメージにつながる書き方をされている。
それこそガリバーが小人の国のオーケストラや歌手の歌を聴くのと同じような感覚が、そこにはある。
いうまでもなく、これは正しくLS3/5Aを設置して、正しい位置で聴いてこそ得られるものであって、
いいかげんな設置、いいかげんな位置で聴いていては、このような音場感は得られないし、
そうなるとLS3/5Aはパワーも入らないし、低域もそれほど低いところまでカヴァーできないし……など、
いいところなどないスピーカーシステムのように思われるだろうが、
それは鳴らし方・聴き方に問題がある、といえる。

とにかく、そういうLS3/5Aが小音量時に聴かせてくれる、
「見えるような臨場感」を、私は、LS3/5Aをすこしばかり上から眺めるような位置で聴きたい、と思う。

スピーカーシステムの位置と耳の位置の、それぞれの高さの関係については、
使っているスピーカーシステムによっても、その人の聴き方にも関係してくることであって、
ここには正解は存在しない、といえる。

たとえば瀬川先生は、背の高いスピーカーシステムを好まれない。
というよりも、音楽之友社から出ていた「ステレオのすべて」の1976年版のなかで、
菅野先生、山中先生との鼎談「オーディオの中の新しい音、古い音」でこう語られている。
     *
たとえば見た目から言ったってね、ぼくはご在じの通りね、昔から背の高いスピーカー嫌いなんです。どうしても目の高さよりね、音の出て来る位置が高くなっちゃうとね、なんだか全然落ち着かないわけね。これは本当に、この部屋に入って来て座った時から、見れば見るほど、ますます大きくなっていく感じがするわけね。すごい背が高い。
 ちっとも小さくならない、慣れても。たとえばこういう大きいスピーカーだったらぽくはどうしたって横倒しにしちゃいたいぐらいの感じです。これは横倒しにできないスピーカーだけれども。
     *
ここで語られている「この部屋」とは山中先生のリスニングルームであり、
「横倒しにしちゃいたい」スピーカーシステムは、エレクトロボイスのパトリシアン600のことである。
http://audiosharing.com/blog/?p=5843

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=5845

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=5845


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=5876

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5876


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=5880

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=5880


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=5892

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=5892


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5897

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=5899

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=5899


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=45&paged=2


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5905

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=5908

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。
http://audiosharing.com/blog/?p=5908


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5910

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=5927

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。
http://audiosharing.com/blog/?p=5927


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=5937

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=5937


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=5939

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。
http://audiosharing.com/blog/?p=5939


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=5941

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=5941


Date: 9月 23rd, 2011
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=6043

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。
http://audiosharing.com/blog/?p=6043


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=6047

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=6047


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=6070

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=6070


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=6072

長島先生の音楽の聴き方として、前のめりで聴かれる。
それに長島先生はオルトフォンのSPUをずっと愛用されてきた。
ただし晩年はリンのカートリッジをお使いだったが。

そのSPUのコンシューマー用のGタイプではなく、プロフェッショナル用のAタイプのSPU-A/Eだった。
これは、Aタイプのほうが、Gタイプよりも、音の形が鮮明だから、ということが大きな理由である。

ジェンセンのG610Bを、タンノイのあとにいれられたのも、
このことがやはり関係しているはずである。

ステレオサウンド 61号で、こんなふうに語られている。
     *
(G610Bの)怪鳥の叫びのような、耳から血がでるような、それだけのエネルギーがでる。そんなスピーカーって聴いたことがなかった。そのエネルギーがすばらしいなって、ぼくはひそかに思ったわけです。〈これはつかっていけばなんとかなる!〉と考えました。それまではタンノイでした。タンノイのやさしさもいいんですが、ぼくにはもの足りなかった。あれは演奏会のずうっと後の席で聴く音でしょう。ところが、ぼくは前のほうで聴きたかった。それはもうタンノイじゃない。そこへ、このものすごいラッパを聴いたってわけです。
     *
そんなG610Bにつないで鳴らされたパワーアンプは、マッキントッシュのMC2105だった。
このMC2105に対して、61号では、「やさしいアンプ」と語られている。
だから力量不足がはっきりしてきて、次に同じマッキントッシュの管球式のMC275にされている。
このMC275についても、G610Bのエージングがすすんでいくにつれて、
甘さが耳についてきて、「その甘さはぼくには必要じゃない」ということで、もっと辛口のアンプということで、
マランツModel 2を導入され、続いてコントロールアンプをマッキントッシュのC26からModel 7にされている。

これらのことからわかるように、長島先生は、そういう音楽の聴き方をされてきた。
だからESLを、
「ナチュラルな音場空間が得られる製品。使いこなしには工夫が必要」(ステレオサウンド 47号)と、
評価されながらも、ESLはスピーカーとして理想に近い動作が期待できる、とされながらも、
もうひとつもの足りなさを感じられたことは、容易に想像がつくことだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=6072


BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=6083

ステレオサウンド 61号には、長島先生による登場したばかりのQUAD・ESL63の詳細な記事が載っている。
1機種のスピーカーシステムに、16ページを割いている。

当然、記事の中でESL63の、ディレイによる球面波の効果についてふれられている。
     *
中域以上で球面波を作りだし、音像定位を明確にする全く新しい独創的な手法がとられていることだ。
いままで一般的に、ESLがつくりだす音像定位とステレオ感には独特のものがあるといわれてきた。これのひとつの原因としては、結果的に広い面積の振動板が一様な動きをするため、つくりだされる音の波面が平面波に近くなることが考えられる。これに対して、ふつうに使われるコーン型のダイナミック・スピーカーでは、波面はあくまでも球面波なのである。
このふたつの波面の違いは、実際に音を聴いたとき、音源までの距離感の違いとなってあらわれる。
点音源を考えたとき、発生する音の波面は球面波になる。この音をリスニングポイントで聴いたとき、音源の位置をどこに感じるかというと、波面と直角に引いた線の交点に音源位置を感じるのである。したがってESLの場合、つくり出される波面の曲率が非常に大きく平面波に近いため、球面波を発生する一般的なスピーカーよりずっと遠くに音源位置を感じてしまうのである。これがESLと普通のスピーカーの大きな違いになっている。
     *
タンノイですら、長島先生は「ずうっと後の席で聴く音」と評され、
前の席で聴きたくてG610Bにされているのだから、ESLはタンノイよりも「後の席で聴く音」になる。

長島先生はスイングジャーナルの別冊の「モダン・ジャズ読本」でESLの組合せを、
’76年度版と’77年度版、2回つくられている。
スイングジャーナルだから、当然、この組合せで鳴らされるのはジャズのレコードだ。
何も奇を衒って、長島先生はESLを使われているわけではない。
ESLの良さを十分認めておられるのは記事を読めばわかる。
だからこそ、ESLで、前のほうで聴けるようになれば、
長島先生にとってESLは理想に近いスピーカーだったのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6083


Date: 1月 8th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=12917

ステレオサウンドにいたころ、ESLを買ったことを長島先生に話した時、
スイングジャーナルでのトリプルスタックの音について話してくださった。
そして、こういわれた。

「スイングジャーナルに、まだあの時のフレームがあるはずだよ」

あの時のフレームとは、 QUAD・ESLのトリプルスタック用のフレーム(スタンド)のことを指している。
つまり、私にESLのトリプルスタックをやってみなよ、ということであった。

あのころであれば、まだESLの程度のいいモノをあと二組手に入れるのは、そう難しいことでもなかったし、
費用もそれほどかからなかった。
その面では特に障害はなかったけれど、
さすがにトリプルスタックをいれるだけの天井高のある部屋に住んでいたわけではなかったから、
住居探しをまずやらなければならなくなる。

音は、長島先生が熱く語られていたことからも、良かったことはわかる。
かなりいい結果が期待できる──、とはいうものの、
背の高いスピーカーに対する強い拒否反応はないというものの、
トリプルスタックのESLの高さとなると、話は違ってくる。

天井高が十分にあり、広さも十分にとれる部屋にいたとしても、
トリプルスタックに挑戦したか、というと、なんともいえない、というのが正直なところである。

それでもトリプルスタックの音だけは、一度聴いてみたかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=12917


Date: 1月 9th, 2014
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。
http://audiosharing.com/blog/?p=12931

Date: 7月 29th, 2017
BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=23235

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。
http://audiosharing.com/blog/?p=23235
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c124

[近代史5] 日本人による極悪非道の世界侵略の歴史 中川隆
10. 中川隆[-5694] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:52:08 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[15]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/537.html#c10

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
15. 中川隆[-5693] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:52:57 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[16]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c15

[近代史5] 関東大震災とJPモルガン 中川隆
7. 中川隆[-5692] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:54:27 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[17]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html#c7

[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇 中川隆
19. 中川隆[-5691] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:55:02 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[18]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html#c19

[近代史4] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト 中川隆
12. 中川隆[-5690] koaQ7Jey 2021年4月15日 12:56:10 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[19]


2021.04.15
隠された経済苦境の先に見える「新たな関東大震災」による惨状
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動によって欧米を中心に社会が収容所化され、「デジタル・ワクチン・パスポート」の導入によって人びとの行動を監視する体制が整いつつある。

 その一方、生産活動や商業活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化している。こうした事態になることは昨年1月13日に菅義偉首相が特別措置法に基づく緊急事態宣言を出した時点で見通されていただろう。

 そこで、​金融庁と日本銀行は4月16日に手形・小切手の不渡り処分を当面の間、猶予する特別措置を全国銀行協会に要請​、これを受けて同協会は翌日、新型コロナの影響を受けて資金不足で不渡りとなった手形・小切手について、不渡報告への掲載や取引停止処分を猶予するよう全国の手形交換所に通知した。

 手形や小切手の不渡りを同一手形交換所管内で6カ月以内に2回起こすと「取引停止処分」となり、その手形交換所の加盟金融機関から2年間にわたり当座取引や貸出取引ができなくなる。このルールが適用されなくなったわけだ。「不渡報告」への掲載も猶予される。

 しかし、手形や小切手の所持人に対する支払が猶予されるわけではなく、その所持人の手元に受け取れるはずの資金が入らない事実は変わらない。ルールや定義を変えても誤魔化しにすぎず、問題の解決にはならない。それでもそうした手法はとられてきた。福島第一原発の時ににも、COVID-19でも行われている。

 少なくとも一部の裁判所では申し立てを受理しても、緊急性のあるもの以外は事務処理の停止しているという。法的な手続きも含め、実態を隠すための方策であり、状況は改善されない。不渡りに関するルールは傷が全体に広がることを防ぐ方策でもあるわけで、今回の措置は副反応を伴う。アパレル大手のレナウンは先送りにすると傷口を広げると判断したのだろう。

 1923年9月1日に関東地方を襲った巨大地震によって10万5000人以上が死亡、あるいは行方不明になり、その損害総額は55億円から100億円に及んだと言われている。

 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引した。これを利用して銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引し、手形の総額は4億3000万円を上回る額に上る。その結果、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残り、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 復興にも資金が必要な日本政府は外債の発行を決断し、責任者に選ばれた森賢吾財務官はJPモルガンと交渉を始める。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 日本に対する大きな影響力を手にしたラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行した。

 金解禁だが、その結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だという考え方をする人物だった。現在の表現を使うならば、新自由主義の信奉者だった。失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、その妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日アメリカ大使として来日する。

 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。しかもグルーの妻、アリス・グルーは貞明皇后と親しかったと言われている。

 グルーが来日した1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバーを選挙で破って当選している。ウォール街にとって受け入れられない結果だった。

 大統領就任式の17日前、つまり1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの演説会場で銃撃事件に巻き込まれている。銃撃犯はジュゼッペ・ザンガラ。彼が銃を構えたことに気づいた女性が腕にしがみつきながらハンドバッグで銃をはたいている。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 1934年夏、海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将の下へ「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。その訪問者はJPモルガンと関係が深い人物で、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうと持ちかけた。

 彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、在郷軍人会を利用して50万名規模の組織を作って恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 指揮官になって欲しいと持ちかけられたバトラーは受諾する風を装って計画内容を聞き出し、それを信頼しているジャーナリストへ知らせ、そのジャーナリストは部下のポール・フレンチに調べさせる。フレンチはクーデター派から「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 こうした事実をバトラーとフレンチはアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 ウォール街のクーデター派がバトラーに声をかけたのは、彼が名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があったからだが、この人選に反対する人もいた。憲法を遵守するべきだという考え方をする人物だったからだ。反対派が推していたのはダグラス・マッカーサーである。

 アメリカにファシズム体制を樹立しようとした巨大金融資本が関東大震災以降の日本を支配していたということにもなる。明治時代に日本へ戦費を用立てたクーン・ローブと同様、JPモルガンの背後にはロスチャイルドが存在している。

 COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言した。西側の強大な私的権力が支配する新しい支配体制を築くということだろうが、その中核になると見られている団体が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物である。

 COVID-19対策で日本経済は疲弊、今後、財政負担は国民の上にのしかかり、ウォール街やシティの金融資本に呑み込まれることになる可能性がある。日本にとってCOVID-19騒動は「新たな関東大震災」なのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104150000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html#c12

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か


Date: 5月 5th, 2015
BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=16946

今年の一月だったか、そのくらいの時期、
BBCモニターのLS5/9を復刻したイギリスのグラハムオーディオがLS5/8も復刻する予定だと知った。

LS5/8には日本はチャートウェル・ブランドとロジャース・ブランドのふたつが輸入されている。
前者のLS5/8の輸入量はごくわずかである。
チャートウェルそのものがロジャースに買収されてしまったためだ。

LS5/8は他のBBCモニターと違う点がある。
それまでのBBCモニター、LS3/5AにしてもLS3/6、LS5/5にしても、
BBCがプロトタイプを開発して、それを民間のオーディオメーカーにライセンス料を聴取してつくらせていた。

LS5/8はチャートウェルが独自開発したモデルをBBCが、
LS5/8というスタジオモニターとして採用した初めての例である。
それゆえにLS5/8は、チャートウェルのPM450Eという型番も持っていて、
日本にはノアがPM450Eとして輸入していた。

LS5/8(PM450E)は、QUADのパワーアンプ405のシャーシないのわずかな隙間に、
エレクトロニッククロスオーバーを組み込み、バイアンプ駆動するというシステムだ。

チャートウェルにはこのPM450Eの他に、PM450もあった。
こちらは内蔵ネットワーク仕様モデルである。

これらがロジャース・ブランドの LS5/8、PM510となっていく。
グラハムオーディオがLS5/8を復刻すると知って、この点をどうするのかが気になっていた。
オリジナルのLS5/8を受け継いでバイアンプ駆動とするのか
(当然アンプは405が製造中止なので他のアンプに変更されるだろうが)、
それともPM450(PM510)のように内蔵ネットワークとするのか。

製品として売れるであろうと思えるのは、内蔵ネットワーク仕様である。
けれど仮にもLS5/8を謳っている以上は、バイアンプ仕様とするのか。
この点が気になっていた。

結果、登場したLS5/8は内蔵ネットワーク仕様である。
http://audiosharing.com/blog/?p=16946

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=16951

ということはグラハムオーディオのLS5/8は、
チャートウェルPM450、ロジャースPM510の復刻といえるのかというと、
写真をみると、そうともいえない点がある。

グラハムオーディオのサイトには、今日の時点ではLS5/8のことは公開されていない。
だがグラハムオーディオのfacebookには、LS5/8の情報と写真がいくつか公開されている。
それを見ると、フロントバッフルには、LS5/8、LS5/9と同じタイプのトゥイーターのレベルコントロールがある。

PM450、PM510にはこのレベルコントロールはない。
つまり今回のLS5/8は、PM450、PM510のLS5/9的モデルとでもいおうか、
BBCモニター的仕様とでもいったらいいのか、
とにかくLS5/8の正確な復刻モデルとも、PM450の正確な復刻モデルともいえない。
その中間に位置するような復刻である。

とはいえ、私は今回のLS5/8は聴いてみたい、と思っている。
LS5/8そのままの復刻でもないし、PM510そのままの復刻をめざしたモノでないからこそ、
聴いてみたい気持にさせてくれる。

グラハムオーディオのLS5/8は、
チャートウェルのPM450に、より近いスピーカーシステムのような気がするからである。

チャートウェルのPM450は、ステレオサウンド 49号に登場している。
瀬川先生が書かれている。
     *
おそらくバイアンプのせいばかりでなく、LS5/1Aよりも音のひと粒ひと粒を際立たせるような解像力のよい、自然な、しかしイギリスの良質のスピーカーに共通のどこか艶めいた美しい音は、聴き手をひき込むようなしっとりした雰囲気をかもし出す。
     *
チャートウェルのPM450E、PM450は、元PM510ユーザーとして、いまでも一度聴いてみたいスピーカーなのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=16951


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=16953


チャートウェルのPM450からロジャースのPM510にも、外観上の変更点はあった。
PM450は型押ししたフォーム・プラスチックで、縦に三本のラインがアクセントになっていたのに対し、
PM510では平織りの一般的なサランネットになっていた。アクセントとなる縦のラインもない。

LS5/8はプロ用モニターということもあって、
エンクロージュア両サイドに持ち運びを容易にするための把手があった。
PM450よりもPM510は把手がすこし下がった位置になっている。

今回のグラハムオーディオのLS5/8にも、
トゥイーターのレベルコントロールの他にいくつかの外観上の変更点がある。
まず把手が省かれている。
それからフロントバッフルがツキ板仕上げとなっている。

チャートウェルもロジャースのLS5/8、それに他のBBCモニターも、
フロントバッフルは黒の塗装仕上げである。
このことは、サランネットを装着した状態で聴くことを前提としている。

ところがグラハムオーディオのLS5/8(LS5/9もそうだが)、
フロントバッフルを外の面と同じに仕上げてあるということは、
サランネットを外した状態を、標準としていると見ていいだろう。

それとスペックをみて気づくのは出力音圧レベルに違いがある。
PM510はカタログ発表値は94dB/W/m、グラハムオーディオLS5/8は89dB SPL (2.83V, 1m)とある。
インピーダンスは8Ωだから、測定条件は同じといえるわけだから、
このふたつの発表値を信じるのであれば、5dBほど能率が低くなっている。

このことはトゥイーターのレベルコントロールの増設は関係しているような気がする。
http://audiosharing.com/blog/?p=16953

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=16960

チャートウェルのPM450、ロジャースのPM510、そして今回のグラハムオーディオのLS5/8は、
どんな違いがあるのだろうか。

PM450は1978年に登場している。日本への入荷数は数ペアだときいている。
PM510は1980年に登場。こちらは私も購入したくらいだし、けっこうな数が入荷していると思われる。
けれどもう30年以上経過しているスピーカーシステムということになる。

いまもロジャースという会社は残っているけれど、
このころのロジャースとは違ってきている。
PM510のメンテナンスをどうしたらいいのか。悩まれている方も少なくないはずだ。

ポリプロピレンコーンは特許をとっている。
その内容のすべてを知っているわけではないが、そのひとつは接着に関することである。
当時ポリプロピレンの接着は非常に難しかった、ときいている。

最近になってやっと日本の接着剤メーカーからポリプロピレンを接着できる製品が登場している。

余談だが、LS5/8、PM510は、当時のイギリスのスピーカーシステムとしては高耐入力だった。
そのためリアバッフルには”WARNING”と書かれたシールが貼られている。
耳の孔に指を差し込んでしかめっ面をしているイラストの横には、
耳を痛めるほどの大音量再生が可能なので、注意、とある。

山中先生がスイングシャーナルの組合せの取材でLS5/8を使われた。
その取材に立ち会った人から直接きいた話なのだが、
たしかにパワーは入る。それで気持ちよく聴いていたら、
ウーファーのポリプロピレンコーンが溶けてしまったそうだ。

ボイスコイルが発する熱がポリプロピレンコーンに伝わりそうなったらしい。

話を戻そう。
PM450にしてもPM510にしても新品同様のモノはもう存在しない。
充分に使い込まれ、鳴らし込まれたモノである。
そういうスピーカーシステムと、
でき上ってきたばかりのグラハムオーディオの LS5/8を並べて聴く機会が仮に得られたとしても、
参考程度にはなっても正確な比較試聴は無理である。

比較は想像の上でしか成り立たないのである。
ならば……、と想像してみよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16960


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=16962

私が1982年に購入したロジャースのPM510は、
サランネットを外すにはスピーカー本体を仰向けにして、底板前方にあるネジを二本外さなければならなかった。
いわゆるマジックテープ(面ファスナー)で固定されていたわけではなかった。

今回のグラハムオーディオのLS5/8は写真をみるかぎり、
面ファスナーでサランネットを固定しているようだ。
つまりロジャース時代のLS5/8、PM510はサランネットを装着したままで聴くことを前提としている、
そういう見方ができるのに対し、
グラハムオーディオのLS5/8はフロントバッフルもツキ板仕上げとしていることと考え合わせると、
サランネットなしで聴くことを前提としている、
もしくはサランネットなしで聴くことも想定してある、とみていいのではないか。

もちろんフロントバッフルの仕上げの違いによっても音は変化する。
塗装仕上げとツキ板仕上げでは音は違って当然であり、
サランネット装着を前提としていても、
仕上げによる音の違いを考慮してのツキ板仕上げとも考えられないわけではないが、
どちらかといえばサランネットなしを前提としているように思える。
(このへんは実際に音を聴いてみないことにははっきりとはいえない。)

個人的には音の違いがあったとしても、フロントバッフルは黒で仕上げてほしかった。
これはポリプロピレンという乳白色の半透明の素材であるだけに、
ユニットが取り付けられるバッフルは黒い方が、ポリプロピレンコーンが色気を感じさせてくれる。

そんなふうに見てしまうのは私だけなのかもしれないけれど、
フロントバッフルをツキ板仕上げ(つまり木目)にしてしまうと、
ウーファーがそこだけ浮いてしまうように感じる。

これはPM510のイメージが強く残っているからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16962


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=16977

ロジャースのPM510の記事は、ステレオサウンド 56号が最初だった。
瀬川先生が担当された新製品紹介の記事だった。
夢中になって、何度も何度も読み返した。

チャートウェルのPM450はもう聴けないとわかったので、よけいに読み返していた。
この記事の終りに、こう書かれている。
     *
 同じイギリスのモニター系スピーカーには、前述のようにこれ以前には、KEFの105/IIと、スペンドールBCIIIがあった。それらとの比較をひと言でいえば、KEFは謹厳な音の分析者。BCIIIはKEFほど謹厳ではないが枯淡の境地というか、淡々とした響き。それに対してPM510は、血の気も色気もたっぷりの、モニター系としてはやや例外的な享楽派とでもいえようか。その意味ではアメリカUREIの方向を、イギリス人的に作ったらこうなった、とでもいえそうだ。こういう音を作る人間は、相当に色気のある享楽的な男に違いない、とにらんだ。たまたま、輸入元オーデックス・ジャパンの山田氏が、ロジャースの技術部長のリチャード・ロスという男の写真のコピーをみせてくれた。眉毛の濃い、鼻ひげをたくわえた、いかにも好き者そうな目つきの、まるでイタリア人のような風貌の男で、ほら、やっぱりそうだろう、と大笑いしてしまった。KEFのレイモンド・クックの学者肌のタイプと、まさに正反対で、結局、作る人間のタイプが音にもあらわれてくる。実際、チャートウェルでステヴィングスの作っていたときの音のほうが、もう少しキリリと引緊っていた。やはり二人の人間の性格の差が、音にあらわれるということが興味深い。
     *
チャートウェルのPM450とロジャースのPM510の音の違い、
PM450はキリリと引緊っていて、PM510はモニター計としてはやや例外的な享楽派。
同じスピーカーユニット、同じサイズのエンクロージュア、おそらくネットワークも同じか、
違っていたとしてもそう大きな違いはないと思われるのに、
PM450とPM510には共通した音の性格がありながらも、はっきりとした違いがあることがわかる。

リチャード・ロスの写真も、ステヴィングスの写真も見たことがある。
一枚の写真でどれだけのことがわかるのか──、それはなんともいえないけれど、
ロスとステヴィングスの顔つきは、
レイモンド・クックとリチャード・ロスほどの違いはないけれど、やっぱりずいぶんと違う印象を受ける。

となるとグラハムオーディオのLS5/8の音を想像していく上で重要なのは、
開発スタッフの写真ということになる(?)。
http://audiosharing.com/blog/?p=16977

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=16984

頼りになるのは瀬川先生の文章である。
ステレオサウンド 56号でのPM510の記事、
それからステレオサウンド 54号の特集でのLS5/8の試聴記がある。
     *
 たまたま、自宅に、LS5/8とPM510を借りることができたので、2台並べて(ただし、試聴機は常に同じ位置になるように、そのたびに置き換えて)聴きくらべた。LS5/8のほうが、PM510よりもキリッと引緊って、やや細身になり、510よりも辛口の音にきこえる。それは、バイアンプ・ドライヴでLCネットワークが挿入されないせいでもあるだろうが、しかし、ドライヴ・アンプの♯405の音の性格ともいえる。それならPM510をQUAD♯405で鳴らしてみればよいのだが、残念ながら用意できなかった。手もとにあった内外のセパレートアンプ何機種かを試みているうちに、ふと、しばらく鳴らしていなかったスチューダーA68ならどうだろうか、と気づいた。これはうまくいった。アメリカ系のアンプ、あるいは国産のアンプよりも、はるかに、PM510の世界を生かして、音が立体的になり、粒立ちがよくなっている。そうしてもなお、LS5/8のほうが音が引緊ってきこえる。ただ、オーケストラのフォルティシモのところで、PM510のほうが歪感(というより音の混濁感)が少ない。これはQUAD♯405の音の限界かもしれない。
 いずれにせよ、LS5/8もPM510も、JBL系と比較するとはるかに甘口でかつ豊満美女的だ。音像の定位も、決して、飛び抜けてシャープというわけではない。たとえばKEF105/IIのようなピンポイント的にではなく、音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象を与える。またそれだから逆に、音ぜんたいがふわっと溶け合うような雰囲気が生れるのかもしれない。
(ステレオサウンド 56号)

最初のモデルにくらべると、低音域を少しゆるめて音にふくらみをもたせたように感じられ、潔癖症的な印象が、多少楽天的傾向に変ったように思われる。しかし大すじでの音色やバランスのよさ、そして響きの豊かになったことによって、いわゆるモニター的な冷たさではなく、基本的にはできるかぎり入力を正確に再生しながら、鑑賞者をくつろがせ楽しませるような音の作り方に、ロジャース系の音色が加わったことが認められる。低音がふくらんでいる部分は、鳴らし方、置き方、あるいはプログラムソースによっては、多少肥大ぎみにも思えることがあり、引締った音の好きな人には嫌われるかもしれないが、が、少なくともクラシックのソースを聴くかぎり、KEF105IIの厳格な潔癖さに対して、やや麻薬的な色あいの妖しさは、相当の魅力ともいえそうだ。
(ステレオサウンド 54号)
     *
54号の試聴記で最初のモデルと書かれているのはチャートウェルのPM450E(LS5/8)のことである。
ここでチャートウェルのLS5/8には潔癖症な印象があり、
それがロジャース版では楽天的傾向になり、
さらにPM510では享楽派となっていたことが読みとれる。

チャートウェルとロジャースでは、音が違う。
とはいえLS5/8というBBCナンバーで発売するスピーカーシステムであるのだから、
ロジャース版の開発を担当したリチャード・ロスも、そこから大きく逸脱することはしなかった──、
そう思えるし、そんな縛りのないPM510では、より積極的であったようにも読める。

つまりPM510ならではの、あの音の世界はリチャード・ロスによる独自の音の世界だとわかる。
ロジャースのLS5/8は聴く機会があった。
PM510と直接比較ではなかったけれど、たしかに瀬川先生が書かれているとおりの音の違いがあった。

そうなるとグラハムオーディオのLS5/8に、PM510の音の世界は、あまり期待しない方がいいだろう。
グラハムオーディオの開発スタッフの写真は見ていると、
そこにリチャード・ロス的雰囲気の人はいない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16984


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=16995

グラハムオーディオのLS5/8は、ほぼ間違いなくロジャースのPM510ではなく、
チャートウェルのPM450に近い音を出すであろう。

でも、そのことをあれこれ考えて、というよりも、
グラハムオーディオのLS5/8の写真を見た時からわかっていたことかもしれない。

チャートウェルのLS5/8の別の型番はPM450Eであり、
そのパッシヴ型(LSネットワーク仕様)がPM450であるわけだが、
チャートウェルの、このふたつのスピーカーは、実はフロントバッフルの仕上げが違う。

LS5/8はプロフェッショナル用ということもあって、黒の塗装仕上げ、
PM450はグラハムオーディオのLS5/8と同じようにツキ板仕上げである。
PM450は、ウーファーの水平方向の指向特性を改善するために、
ウーファーをフロントバッフルの裏側から取り付け、開口部を丸ではなく矩形にしているのに対し、
グラハムオーディオは矩形ではなく丸である。

ロジャースのモノも初期の製品では矩形だったが、すぐに丸に変更になっている。
ただしいずれもウーファーはフロントバッフルの裏から取り付けている。
つまりウーファーのフレームが露出しておらず、
この部分からの輻射の影響を抑えている。

チャートウェルのPM450の写真は、ステレオサウンド 62号掲載のオーディオクラフトの広告で見れる。
当時のオーディオクラフトの社長であった花村圭晟氏は、チャートウェルのPM450を、
「完全に私の好み」と表現されている。

花村氏のPM450は本来別の人のモノだったが、無理をいって借りて鳴らされていた。
広告にはこう書いてある。
     *
私は森田さんのお宅に伺うたびに、ほれにほれ込んで……といっても絶版ではどうにもなりませんしね。ロジャースの510が登場した時はしめたとばかりに飛びついたんですけどね。しかしオーディオは面白いもんでして、作る人間が変ると同じような技術でも音が違うんですね。確かに同じ系列のスピーカーシステムなんだけど、私はほれた女が悪かった。良すぎたんですね。結局510は現在お蔵入り……。510もいいスピーカーなんですけどね。
     *
花村氏はグラハムオーディオのLS5/8を聴かれたら、なんといわれるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16995

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
1. 中川隆[-5689] koaQ7Jey 2021年4月15日 13:46:16 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[20]
Date: 5月 30th, 2015
BBCモニター、復権か(胴間声)
http://audiosharing.com/blog/?p=17238

BBCモニターの開発において、
指向特性、周波数特性、位相特性、リニアリティ、高調波歪率、混変調歪率、
インパルスレスポンスなどの諸特性が測定されるともに、
耳による試聴も重要となる。

BBCモニターが開発時の試聴には、
ノイズ(ランダムノイズ)、スピーチ、音楽ソースを使い、
多角的に行っている、とされている。

ノイズテストは、二種類のスピーカーをきりかえながら、ノイズのスペクトラムを判断するのが有効であり、
スピーチは男性アナウンサーが使われることは、
ショーターの論文にある、と岡先生が以前書かれていた。

男性アナウンサーのスピーチが使われていることは、
BBCモニターに関心をもつ人ならば当然知っていることであった。

男性アナウンサーのスピーチは、スピーカーに強い共振があれば胴間声になりやすい。
BBCモニターで男性アナウンサーの声を聴いてみると、
決して胴間声になることはない。とにかく明瞭にスピーチが聞き取れることに気づく。

以前ならば、BBCモニターでは胴間声にならないんだよ、といえば通じた。
けれど、いまは「胴間声?」と聞き返されることもある。

胴間声とは……、という説明をしなくてはならないこともある。
胴間声は死語とまではいかなくとも、それに近くなりつつあるのか。

BBCモニターがさっぱり話題にならなくなった時期がある。
胴間声が通じなくなったことと無関係ではないと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17238
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c1

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
2. 中川隆[-5688] koaQ7Jey 2021年4月15日 13:52:53 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[21]
Date: 6月 9th, 2015
BBCモニター、復権か(音の品位・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17343

「コンポーネントステレオの世界 ’82」をひっぱり出してきて、
巻頭鼎談「あなただけの音楽を、音を探す旅にでよう コンポーネントはそのための興味ぶかい乗物だ」を
読みなおしていた。
この鼎談は岡先生、菅野先生、黒田先生によるものだ。

この鼎談、いま読み返してみると、やっぱりあれこれ思ってしまう。
この鼎談が行われたのは1981年の秋ごろだろう。
もう30年以上が経過している。

ここで語られていたことは、その後、どうなっていったのか。
そのことを考えながら読み返すことの興味深さは、
当時読んだときには味わえなかったものが、とうぜんのことながらある。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」をお持ちの方は、ぜひ読み返してほしい。

この鼎談の中に、音の品位について語られているところがある。
ここには瀬川先生の名前も出てくる。
     *
菅野 これは先日亡くなられた瀬川冬樹さんからきいた話ですが、あるとき、若いファンが瀬川さんに、よく先生方は、この音は品位があるからいいとか、品位が高いとかいわれるけど、その品位という意味がよくわかりません、という質問をされたそうです。ぼくもこれはいろんな意味で、たいへんおもしろい問題提起だと思う。たしかに説明しろといわれてもたいへんこまるし、ひとことで理解させるということは至難の技だと思ったけれど、強いていうとクォリティというのは、そういった意味に近いわけですね。
黒田 ぼくもそうなんです。
菅野 そうですよね。だから、決して物理特性のいいものを品位が高いとはいわない。クォリティを日本語に訳すと、品質ということになるから、これまたこまってしまう(笑い)。それで品位という言葉を使う。だから品位という言葉は、ある意味ではずるくてあいまいで、あやふやなところがある言葉だから、わからないというのはたいへん率直な質問だと思うんです。ただ、そういうものが音楽を聴く場合には大切な要素として存在しますから、あいまいであるけれども、品位という言葉を使わざるをえないわけです。
     *
音の品位。
品位は英語ではdignity、graceとなる。
この鼎談のころは、グレースというカートリッジの老舗ブランドがあった。
そんなことも思い出しながら、dignityとgraceとでは、ここでの音の品位は後者だろうな、と思いつつも、
人によっては前者のほうを思い浮べることはあろう。

音の品位といっても、人によって同じ場合もあれば違う場合もある。
これも「コンポーネントステレオの世界 ’82」で語られている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17343


BBCモニター、復権か(音の品位・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の鼎談では、音の品位に関して、
岡先生が《菅野さんのいっている品位という意味と、瀬川さんのいっている品位というのは、また違うんでしょう》
と発言されている。

菅野先生もそのことは認められていていて、
《違う場合もありますし、同じ場合もあります》と答えられ、続けてこう語られている。
     *
だから品位ということがもし普遍的に理解される概念をもつとすれば、コンポーネントには品位があってしほいわけです。しかしこの言葉は普遍的な概念としてとらえるのはむつかしいですから、何となくクォリティというほうが多少はとらえやすいような気がするんで、クォリティというふうにいっているわけです。
     *
(その1)で引用した菅野先生の発言からわかるように、
この鼎談が行われたのは瀬川先生が亡くなられた直後である。

ここに瀬川先生がおられたら、音の品位についてどう語られたであろうか。

音の品位。
最近のステレオサウンドにはどのくらい登場するであろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」のころ、音の品位がわからないと瀬川先生にたずねた若いファンは、
50をこえているであろう。
まだオーディオを趣味としている人なのか。
だとしたら、この若いファンは、音の品位を、その後どう捉え理解していったのだろうか。

たしかに音の品位について明快に語るのは非常に難しい。
もし私が若いオーディオマニアに、音の品位についてたずねられたらどうするか。
音を出して語れるのであれば、
音の品位を感じさせてくれるオーディオ機器(特にスピーカーシステム)を選んで聴いてもらう。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の当時であれば、私ならばBBCモニターを選んで鳴らす。
瀬川先生もそうされたのではないだろうか。
他のスピーカーも選ばれたであろうが、BBCモニターは間違いなく鳴らされたであろう。

だがいまは2015年。
どのスピーカーシステムを選んで鳴らすだろうか。
クォリティの高いスピーカーシステムはいくつも頭に浮ぶ。

でも、ここでは音の品位であって、
クォリティ(品質)とは微妙に、でもはっきりと違う音の性質についてである。

いったい何があるのかと考えると、音の品位については、
昔と今とでは、どちらが理解されていたであろうか、ということについて考えざるをえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

BBCモニター、復権か(音の品位・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17380

音の品位に関して、菅野先生と瀬川先生で違っているところは、どういうところで、どういうことなのか。
このことについての大きなヒントは、ステレオサウンド 60号の特集にある。

60号の特集は「サウンド・オブ・アメリカ」。
1920年代に建てられたという、90uの広さの旧宮邸を試聴室として、
当時のステレオサウンドの試聴室にはおさまっても、
サイズ的に大きすぎるスピーカーシステムを集めての試聴となっている。

この特集にはアルテックのA5、MANTARAY HORN SYSTEMのほかに、A4も含まれている。
他にはJBLのパラゴン、4345、4676-1、インフィニティのIRS、クリプシュのKLIPSCHHORN II K-B-WO、
ウェストレイクのTM3、ESSのTRANSAR III、エレクトロボイスのパトリシアン800などがあり、
マッキントッシュのXRT20もそうである。

このXRT20のページにおける菅野先生と瀬川先生のやりとりこそ、
ふたりの音の品位についての違っているところが、はっきりとあらわれている。

瀬川先生はXRT20の音について、こう語られている。
     *
 ただ、ぼくは今聴いているとちょっと不思議な感じを抱いたのだけれど、鳴っている音のディテールを論じたら違うんですが、全体的なエネルギーバランスでいうと、いまぼくがうちで鳴らしているJBL4345のバランスに近いんです。非常におもしろいことだと思う。もちろん細かいところは違います。けれども、トータルなごく大づかみな意味ではずいぶんバランス的に似通っている。ですから、やはり現在ぼくが鳴らしたい音の範疇に飛び込んできているわけです。飛び込んできているからこそ、あえて気になる点を言ってみると、菅野さんのところで鳴っている極上の音を聴いても、マッキントッシュのサウンドって、ぼくには、何かが足りないんですね。かなりよい音だから、そしてぼくの抱いている音のイメージの幅の中に入ってきているから、よけいに気になるのだけれども……。何が足りないのか? ぼくはマッキントッシュのアンプについてかなり具体的に自分にとって足りない部分を言えるつもりなんですけれども、スピーカーの音だとまだよくわからないです。
     *
瀬川先生が「何かが足りない」といわれているものとは、いったいなんなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17380


BBCモニター、復権か(音の品位・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

ステレオサウンド60号で瀬川先生が発言された「何か」については、
菅野先生なりに、JBLの4345とマッキントッシュのXRT20の違いについて語られている。
長くなるので引用は控えておくが、ひとことで言えば、音の輪郭のシャープさである。
ただそれもはっきりとわかる違いとしてではなく、
《ほんの紙一重の違いの輪郭の鮮かさの部分》としてである。

瀬川先生も、このことにはほぼ同意されている。
     *
瀬川 ぼくが口に出すとオーバーになりかねないと言ったところは、ほぼ菅野さんのいうところと似ていますね。確かに輪郭のシャープさ、そこでしょう。
 ぼくに言わせれば、そのシャープさから生まれてくる一種の輝き──同じことかもしれないんですが──それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分なんですね。それがあった方がいいとかない方がいいとかいう問題じゃない。JBLはあくまでもそういう音なんだし、マッキントッシュはあくまでもあの音なんで、そこがとにかく違いだと。
     *
「何か」のひとつは、音の輪郭のシャープさで間違いない。
けれど、あくまでも「何か」のひとつであって、すべてではない。
他の「何か」とはについて、瀬川先生の発言を拾ってみよう。
     *
瀬川 それから、菅野さんが指摘された弦、木管、これは、4345のところでも言ったように、弦のウッドの音が4345まで良くなって、やはりそれ以上のスピーカーがあるということを思い知らされた。ただ、ぼくにとって、特に弦といっても室内楽の、比較的インティメイトな弦の鳴り方、あるいは木管でもそこに管が加わったりクラリネットの五重奏とか、要するにオーケストラまでいったってそれは構わない、とにかく弦なり木管のインティメートな温かい感じね──なめらかな奥行きを伴った──それは、ぼくはマッキントッシュじゃ不満なんですよ。どっちみちぼくはアメリカのスピーカーじゃその辺が鳴らないという偏見──偏見とはっきり言っておきますが──を持っていますので。ぼくのイメージの中ではそれはイギリス(ないしはヨーロッパ)のスピーカーでなくては鳴らせない音なのです。どうせJBLで鳴らせない音なら、マッキントッシュへいくよりは海を渡っちゃおうという気がする。
     *
この弦の音。
ここにマッキントッシュのXRT20に対する菅野先生と瀬川先生の評価の違いがある。
後少しステレオサウンド 60号から世が和戦瀬戸菅野先生の発言を引用しておく。
     *
瀬川 あなたの家で「これ、弦がいいんだ」とヴァイオリンを聴かせてくれましたね。ところが、ぼくはやっぱりあのヴァイオリンの音はだめなんだ。
菅野 ぼくがいままで、ぼくの装置だけじゃない、常にずうっとJBLを好きでいろいろなところで聴いてきているでしょう。しかし、どうしてもJBLではあそこへはいかないわけ。
瀬川 JBLじゃ絶対いかない。だから、ぼくはそれがJBLで出ると言っているのじゃなくて、いっそのことヨーロッパへいってしまおうと思う。
菅野 確かにヨーロッパにはマッキントッシュに近いものがあるね(笑い)。それと同時に、ヨーロッパのスピーカーで不満なのは、ぼくは絶対的にジャズ、ロック、フュージョンが十全に鳴らせないことなんだ。ところが、マッキントッシュは、一台でその両方が出せる。これが、総合的にマッキントッシュに点数がたくさんついちゃう原因なんですね。
     *
菅野先生と瀬川先生の、音の品位に関して違っているところが、まさにここである。
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

BBCモニター、復権か(音の品位について書いていて)
http://audiosharing.com/blog/?p=17453

音の品位について書いている。
音の品位を言葉で表していくことは確かに難しい。

例えば試聴記に「品位」がどの程度出てきて、
どういう意味で使われているのかを探ろうとしても、
さまざまな試聴記を読めば読むほど、わからなくなってしまうという人がいても不思議ではないし、
実のところ、よくわからないという人の方が多いのかも知れない、とも思えてくる。

私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)で、「品位」で検索してみると、
かなりの数が表示される。

文字だけで音の品位について理解しようと思っても、それはそうとうに困難というか無理なことではないのか、
そう思えてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17453
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c2

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
3. 中川隆[-5687] koaQ7Jey 2021年4月15日 14:01:26 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[22]

Date: 6月 2nd, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=25912

(その4)までで引用してきたステレオサウンド 60号での試聴は、
個別の試聴ではなく全員での試聴である。
瀬川先生も菅野先生も、同席されての試聴である。

音の品位は、なにもスピーカーについてのみいえるのではなく、
アンプについても、カートリッジに関しても、他のオーディオ機器であってもいえる。
けれど、もっとも感覚的に捉えられるのは、やはりスピーカーである。

60号の一年半前にステレオサウンドは、スピーカーの試聴を行っている。
54号である。
この時の試聴は、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によるものだが、
個別試聴である。
試聴レコードも三氏で違うし、
スピーカーを鳴らすオーディオ機器(プレーヤー、カートリッジ、アンプ)も三氏皆違う。

それに試聴方法も違っている。
スピーカーだから、そのセッティングが重要になるわけだが、
ここも微妙に違っている。

そのうえで、特集の鼎談を読むわけだが、
ここでも音の品位について、菅野先生と瀬川先生とでは、
完全に一致しているわけではない。

たとえばグルンディッヒのProfessional BOX 2500。
     *
菅野 私は、瀬川さんがこのスピーカーに、まあ9点はびっくりしましたが、8点くらいつけるのはよくわかる気がします。瀬川さんは、あるところ非常にハードに厳しいけれど、あるところすごく甘いところがあるように思う。徹底してどちらかにいってしまう。
瀬川 ……(苦笑)。
菅野 引っかかると徹底的にハードを追求し、引っかからないと徹底的にハードを無視してソフトに行くという、そういう性癖がある(笑い)。
 このグルンディッヒはひっかかってきたひとつだと想うのです。まず音が非常に電蓄的ですね。先ほど古いとおっしゃったが、まさにその通りでノスタルジーは感じます。しかし、今日の水準で聴くと、クォリティ面で、特にユニット自体の品位があまり高くないことが露呈してくる。
瀬川 そうですか? 品位は高いと思いますけれど……
菅野 それは全体としてでしょう。バランスはそれなりにとれていると思いますが、たとえば低域は、なかなか重厚といえば重厚だが、よく聴くとボコボコですよ。
瀬川 私が鳴らすとボコボコいわないんてすよ。
     *
編集部によると、Professional BOX 2500での三氏が鳴らす音に、
それほど大きな違いはなかった、とあるが、
三氏がそれぞれに指摘している長所、短所は、同席していて納得がいくともある。

Professional BOX 2500は、60号でのマッキントッシュのXRT20とは反対に、
菅野先生は品位がない、と感じ、瀬川先生は品位があると感じられた例である。
http://audiosharing.com/blog/?p=25912


Date: 6月 4th, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=25931

ステレオサウンド 54号の特集に登場したスピーカーシステムで、
音の品位に関して、瀬川先生と菅野先生の意見が食い違っている機種は、他にもある。

エレクトロボイスのInterface:AIIIとInterface:DIIにおいては、
瀬川先生はInterface:DIIの方を高く評価され、
Interface:AIIIに関しては力に品位が伴っていない、と。

一方菅野先生は、どちらのエレクトロボイスも評価されている。
Interface:AIIIの力に品がないとは聴こえなかった、といわれている。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500も、
エレクトロボイスの二機種、どちらも私は聴く機会がなかった。

なのではっきりしたことはいえないのだが、
もし新品に近い状態の、これらのスピーカーシステムを聴くことがあったとしたら、
音の品位に関しては、瀬川先生寄りのところに、私の印象はあるのではないか、と思う。

これが音の品位ではなく、音の品質ということだったら、
あまり食い違いは起こらないはすだ。
なのに品位ということになると、ここに挙げた機種以外にも微妙な違いが感じられる。

それでいて、たとえばスペンドールのBCII。
54号には登場していないが、この素敵なスピーカーに関しては、
菅野先生も瀬川先生も、音の品位に関しては一致している。

あまり古いスピーカーばかりに例に挙げても、
イメージがまったく涌かない、という人も少なくないだろう。

ならばB&Wの800シリーズはどうだろうか。
ステレオサウンドでも高い評価を得ている。
優秀なスピーカーの代表格のようにもいわれている。

私も、優秀なスピーカーだとは思っている。
けれど、このスピーカーの音には、品位があるのだろうか、と思うことがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=25931


BBCモニター、復権か(音の品位・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26645

音の品位について語ることの難しさがあるのを実感している。
音の品位に関係してくるものに、教養のある音、というのがある。

この表現も、わかったようなわからないようなものだ。
その教養のある音にも、音の品位にも関係してくるのに、いぶし銀がある。

いまでも、音の形容詞として、このいぶし銀は使われているのだろうか。

ステレオサウンド 207号にタンノイのスピーカーは、
EatonとArden、Kensington/GRの三機種が対象となっているが、
その試聴記に、いぶし銀が出てくるのは、和田博巳氏担当のArdenだけだ。

いぶし銀はいつごろから使われているのだろうか、
ということを九年前に「井上卓也氏のこと(その20・補足)」で書いている。

いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
     *
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     *
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことなのだから、
音を銀でいぶしたような──は、正しい表現とはいえないわけだが、
とにかく英国の「教養ある音」のことであり、
それがいつしかタンノイの音の代名詞のようになっていったのではないだろうか。

とはいえ、この「いぶし銀」でどういう音をイメージするのかは、
そうとうに人によって違うようにも感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26645


BBCモニター、復権か(音の品位・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26648

教養ある音、とひとつ前に書いた。
この「教養ある音」も、わかりやすいようで、
いざ誰かに説明しようとなると、なかなか難しいことに気づく。

目の前にいくつものスピーカーがあって、
その中に、私が教養ある音を感じる音を出すスピーカーと、
その反対に教養のない音といいたくなる音のスピーカーをふくめて、
いくつかのスピーカーが用意されていたら、説明は少しは楽になり、
具体的になっていく。

けれど、いざ言葉だけで、
しかも教養ある音という意味をまったく理解していないと思われる人にどう説明するか。
結局、教養ない音を説明していくしかないのか、と思う。

私の表現力が足りないといえばそれまでであるのだが、
それでも教養ある音を見事に説明している表現に出合っていない。

たとえば別項「オーディオ機器の付加価値(その5)」に登場する人は、教養ある、とはいわない。

知識はいっぱい持っている。知識欲も高い。ついでに学歴も高い。
それが教養ある人じゃないか、といわれると、これの説明もまた困るけれど、
堂々めぐりすることになるが、結局、品がないのだ。

音の品位について書いていて、
そこでいぶし銀、教養ある音を持ち出してきておいて、
それらについて満足に説明せずに、品がない、と言ってしまう。

いいかげんな説明(にもなっていないのはわかっている)だ。
それでも、品がない、のだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26648


Date: 1月 7th, 2020
BBCモニター、復権か(音の品位・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=31022

大辞林には、教養とは次のように記してある。
(1)おしえそだてること。「父は其子を—するの勤労を免かれ/民約論(徳)」
(2)社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「—を身につける」
(3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕
単なる知識ではなく,人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。

教養ある音の「教養」とは、三番目か。
単なる知識ではなく、とある。
スピーカーの音にあてはめれば、単なる情報量ではなく、ということになろうか。

情報量ということでは、
1970年代から1980年代にかけてのBBCモニターよりも、
同クラスの現代のスピーカーシステムのほうが、上であるモノが多い、といえよう。
それに情報量の多さだけでなく、精度の高さでも、上といえよう。

古いスピーカー(に限らず古いオーディオ)をまったく認めない人たちからすれば、
私が教養ある音といっている音を出してくれるスピーカーは、
情報量の少なさを、
教養ある音、という、ひじょうに曖昧な、正体不明の音でごまかしているだけではないか──、
そんな声が挙ってもこよう。

現代の優れたスピーカーの視点からすれば、
足りないところもあったといえるのは、事実である。

1970年代に登場したBBCモニターとその系列のイギリスのスピーカーシステムは、
現在のスピーカーからすれば、制約もいくつかあった。

四十年間に、スピーカーの技術は進歩している。
けれど、音、それも音の品位ということではどうだろうか。

《人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる》音といえるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=31022
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c3

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
20. 中川隆[-5686] koaQ7Jey 2021年4月15日 15:52:19 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[24]
 10年前に比べて実感として2倍になっている食品価格
2021年04月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1464.html


 とにかく、食品が高い。生鮮野菜が高い。肉が高い。スーパーに行って店頭の価格表示を見ただけでげんなりして、とても手が出ない。
 私のような超低年金老人は、エンゲル係数が50%程度はあるので、スーパーに行くのは、値引き売り尽くしサービスが始まる17時以降に限られてくる。

 とにかく、安い食品を探して鵜の目鷹の目で陳列棚を漁る。買うのは割引表示のある消費期限が近いものばかり。アジの干物が大好物なのだが、私の買う半額干物は、生臭くて美味しくない。
 結局、何を食べているかというと、ドラッグストア(当地ではバロードラッグ)で売ってる18円のうどんと焼きそばばかりだ。バロー白だしで味をつけて、切り落としベーコンとカット野菜を入れて食べる。毎回毎回同じメニューで飽きたわい。

 野菜も高いので、バロードラッグでカット野菜の売れ残り値引き品ばかり買っている。春になれば、畑を耕して、苗を植え付け、なるべく自給自足にする。
 今年植え付けたものは、大根・トマト・茄子・キュウリ・蕪・ネギというところ。だが何よりも、肥料がめちゃくちゃ上がった。中袋500円だった油かすが二倍の1000円になっている。だから、使いたくないが安い化成肥料を使うことにした。

 この時期は、まだ凍結・遅霜が五月まで続くので、屋根のない場所に置いたら一発アウト、だからベランダの屋根の下で大きめのプランターで育てるしかない。
 種やら支柱やら、肥料やら、いろいろ金がかかって決して経済的なわけではないが、安心できる食材ということだ。

 コンポストを使いたいが、うちはカラスや野生動物に狙われて、発酵する前にむちゃくちゃ荒らされる。鶏糞は鳥インフルエンザ以来、石灰の量が増えて、酸性を好む芋類ができなくなる。
 畑の野菜も、アライグマに荒らされるので、まともな収量は期待できない。アライグマは知能が高いので、獣害対策など平気ですり抜けてくるのだ。
 野ネズミも凄い数がいて、芋類を荒らしまくる。
 
食料品が高くなり始めたのは、たぶん昨年の春頃からだ。一説によればコロナ禍の影響ともいわれるが、たぶん違う。これは世界的な蝗害と、中国の食料不足が影響を及ぼしているのだ。
 現在、主要食料としては、小麦粉が1割ほど値上げされている。米はあまり上がっていない。トウモロコシは、消費者レベルでは分かりにくいが、畜産飼料としては深刻な状態だといわれる。

 食料価格推移をネット上で調べているが、分かりやすい資料が少ない。2021年度データが含まれているのは以下くらいしかない。
 https://www.jircas.go.jp/ja/program/program_d/blog/20210215_1

syokuryou001.jpg


 上の解説をみると、中国が大規模に食料買い付けに走っている事情が見える。
 結局、食料品価格の上昇の大元には、昨年の蝗害と、中国の大水害による不作がありそうだと見えてくる。
 上のグラフは、残念ながら、都市の街角での食料品価格を反映しているようには見えないが、今年2021年は2006年のちょうど二倍に達していることが分かる。

 もっと直接的な日清製粉の小麦粉価格を見てみよう。
 https://kona-mon.com/%E6%9C%80%E8%BF%91%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E7%89%A9%E4%BE%A1%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB/

 syokuryou002.jpg

上のグラフは、2013年、キロ225円だった小麦粉が、2018年255円に上昇したことを示す。
 以下は、2020年データを含むGDFREAKのグラフ。
 https://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050006070101020/3
syokuryouhin003.jpg

 上の小麦粉指数では、2006年77程度だったものが、2020年には、111まで上昇している。これは過去最大の上昇であると書かれていて、やはり原因が中国の食料危機にあることを示している。
 メディアは、このことを、ほとんど報道していないが、実際には、昨年の蝗害と大水害の影響が、我々の食料価格に深刻に反映されているのだ。
 なぜ、メディアは伝えないのか?

 こうして調べてゆくと、昨年春から上昇が続く食料価格が、簡単には終わりそうもないとわかり、今年、再び、蝗害と中国大水害が続くなら、日本列島もとんでもない事態になる可能性を考えなければならない。食料危機が始まっているのだ!

 モス、串カツ田中、丸亀が「一斉値上げ」…ウラにある「世界の物資争奪戦」のヤバい実態 2021年4月14日(現代ビジネス)
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82211

 日本ではデフレが続いていると喧伝されており、物価は下がっているとイメージしていた人も多い。だが生活必需品は一貫して値上げが続いており、事業者側はそれを悟られないよう価格を据え置いて内容量を減らす、いわゆるステルス値上げを行ってきた。

 だが、こうした小手先の対応も今年あたりで限界となる可能性が高い。世界経済はコロナ危機と米中デカップリングが重なり、サプライチェーンが混乱あるいは縮小しており、物資の争奪戦となっている。資材価格や食料価格が急騰しており、いずれ最終製品に転嫁される可能性が高まっている。

 始まった物資の争奪戦

 今年の4月から小売店や外食などで商品やサービスの値上げが相次いでいる。ファストフードのモスバーガーが主力商品を20〜30円値上したほか、居酒屋の串カツ田中も全商品の9割について平均10円程度の値上げを実施。丸亀製麺も「かけうどん(並)」や「ぶっかけうどん(並)を300円から320円に改定するなど一部商品の値上げを行った。

 4月は消費税の総額表示義務化のタイミングと重なっており、これが価格改定のきっかけとなっているのは間違いない。だが、値上げの根本的な原因は表示の問題ではなく、全世界的な原材料価格の高騰である。

 小売店で売られる食品も価格が上がっている。食用油などを製造する昭和産業は、消費者向けのサラダ油ハンディやキャノーラ油を3月に値上げしたが、6月にも値上げキロあたり30円の値上げを行う。日清オイリオグループ、J−オイルミルズも4月に続いて6月の再値上げを決めている。

 今のところ最終商品の価格には反映されていないが、砂糖は卸価格が上昇中であり、小麦粉については政府の売り渡し価格が4月から5.5%引き上げられた。小麦は国内生産者保護のため基本的に政府が買い付けているが、2007年以降、政府の売り渡し価格は市場価格に連動する仕組みになっているので、このまま上昇が続くとパンなどにも影響が出てくるだろう。

 コロナ危機で不景気が続いているので、食品価格の上昇について疑問を持つ読者の方もいると思うが、実はコロナ危機こそが食品価格上昇の元凶となっている。

 新型コロナウイルスの感染が拡大したことで、全世界的に物流網に混乱が生じており、コンテナ船の運賃は下がるどころか逆に跳ね上がった。航空機も便数が減った分、搭載できる貨物の量が減っており、必要な量の物資を運べないという状況が続いている。このため航空貨物の運賃も上がる一方である。

 一方で、日本を除く先進各国ではワクチン接種が順調に進んでいることから、各企業はすでにコロナ後の景気回復を見込んで、商材の確保に躍起となっている。物流が混乱しているところに、コロナ後を見据えた物資の争奪戦が加わっているので、食料を中心に世界のコモディティ価格が跳ね上がっているのだ。

 国連食糧農業機関(FAO)が産出する世界食料価格指数は、2月時点で116を突破しており、コロナ前をはるかに上回っている。食料だけでなく、半導体や金属類など物資の争奪戦が始まっており、あらゆる資材の価格が急上昇している。

 トランプ政権がもたらした「中国の台頭」

 しかも、困ったことにこの動きは一時的なものではない可能性が高まっている。その理由は、トランプ政権が始めた米中分離(デカップリング)政策である。

 トランプ政権は中国からの輸入に高関税をかけて、中国からの輸入を制限した。その結果、中国は東南アジアとの貿易を拡大させ、米中の経済的関係が急速に希薄化した。これまで、米国が中国からの輸入を制限することは、中国にとって最大の脅威だったが、実際に米国が関税をかけても、思った程、中国の経済は悪化しなかった。このため、中国は米国の通商政策を恐れる必要がなくなり、米国に対して強気に出るようになってしまった。

 3月にアラスカで行われた米中会談では、冒頭から激しい議論の応酬となったが、ここまで中国側が強気のスタンスを見せたことはなかった。米国側はトランプ政権が関税カードを使い切ってしまったため、十分な交渉カードを持っていない。

 バイデン政権は人権問題を前面に出して争う構えだが、中国側から譲歩を引き出すのは容易ではないだろう。実際、ウイグル問題で東南アジア各国は、制裁を強く主張する米国には同調しない方針を明確にしつつある(困った事に米国に同調しない国の中には日本も含まれている)。

 このまま米中分離(および東南アジアと中国の一体化)が進んだ場合、世界経済は米中欧という3つの大国を核にブロック化が進むことになる。ブロック経済下においては、近隣諸国との貿易比率が高まるのは確実なので、従来のような全世界的なサプライチェーンは縮小する。

 サプライチェーンが縮小すると、遠距離の輸送コストは上昇し、仮に遠隔地から買う方が価格安い場合でも、輸送コストの関係から採算が合わないケースが出てくる。結局は多少、コストが高くても、近くの経済圏から調達する割合が高くなるので、これは価格上昇要因となる。

 脱炭素で逆に原油価格が上昇する

 コスト上昇要因はそれだけではない。このところ電気料金やガス料金など光熱費も値上げが続いているのだが、これもコロナ後の景気回復期待から原油価格が上昇した影響が大きい。だが景気回復期待が一服すれば、原油価格は下がるのかというと、そうはいかないというのが市場関係者の一般的な見方だ。

 その理由は、今後、脱炭素シフトが進むことで石油の需要減少が見込まれることから、産油国が収益を維持するため、価格を引き上げる可能性が高いからである。

 現時点においても、産油国が増産を決断すれば原油価格は下がる可能性が高いが、産油国は減産維持で一致している。脱炭素で原油の消費量が減っていくのは確実なので、産油国は需要の低下に合わせて価格を高めに誘導していくだろう。

 再生可能エネルギーの発電コストは、すでに火力の半分以下となっており、脱炭素シフトが順調に進めば、長期的にはエネルギー価格は低下が予想される。だが、これは10年〜20年というスパンの話であり、近いタームでは、産業界は値上がりした原油価格に大きな影響を受けてしまう。

 つまり、資材価格、食料品価格、エネルギー価格のいずれも上昇が続いており、世界経済の構造転換によってそれが恒常化する可能性が高まっているのだ。

 実は海外では日本ほど露骨にステルス値上げが行われるケースは少なく、原材料コストが上昇した場合には、そのまま製品価格に転嫁されることが多い。日本でステルス値上げが横行しているのは、日本経済の貧困化によって消費者の購買力が著しく低下しており、価格を上げると販売数量が激減してしまうからである。

 だが、事業者がステルス値上げで対処するにしても物事には限度というものがある。ここまで各種コストが上昇してしまうと、製品価格に転嫁できなければ、企業は利益を維持出来なくなる。筆者は、これまで継続してきたステルス値上げは今年あたりで終了になると予想している。今後、仕入れコストの上昇に直面した事業者は、いよいよ最終製品に価格を転嫁していくことになるだろう。

 どういうわけか、ネット上では「日本はデフレだ」と声高に主張する意見が多い。だが、消費者物価指数はほぼ毎年のように上昇しているし(繰り返すが、上昇率が鈍いだけで、絶対値は確実に上がっている)、何より日常的な買い物をしていれば、値上げが続いていることは一目瞭然である。

 筆者は「この人たちはスーパーに買い物に行かないのだろうか」といつも不思議に思っているのだが、いくらデフレだと叫んだところで、名目価格が露骨に上昇すれば、さすがに物価が上がっていることに気付くはずだ。公務員など特別な環境にいる人を除いて、多くの労働者の賃金は大幅に下がっているので、ほとんどの人にとって、生活はますます苦しくなる。
********************************************************
 引用以上

 上で語られていることを要約すると
 @ 昨春から始まった食料品値上げブームは、これまで価格を上げずに内容量を減らすステルス値上げで行われてきたが、すでに限界に達していて、これからは実質的値上げに転嫁される。

 A 現在、食用油・砂糖・小麦粉の値上げが予定されているので、食パン値上げが避けられない。

 B コロナ危機が物流停滞、輸送費上昇を招いている。

 C ワクチン普及後の経済回復を視野に入れて、物資争奪戦が始まっている。

 D トランプ政権の中国孤立化政策のため、逆に中国の台頭を許している。

 E このままでは、米中対立は、世界ブロック閉鎖経済を生み出す。

 F 全世界的サプライチェーンは縮小し、グローバルスタンダードは後退する。

 G 「脱炭素」政策で、石油需要が減少することで、投機筋は市場縮小を前提に、石油価格を上げてくるので、これも食料価格を押し上げる。

 H 日本はデフレではない。すべての価格が上がるスタッグフレーションに移行する。

だいたい、こんなところだが、昨年の巨大な蝗害被害や中国大水害に触れていない。
 実は、蝗害は1年だけの突発はなく、最低でも3年続くといわれているので、今年もまた昨年並みの蝗害が起きる可能性が強い。
 中国大水害も、本当の原因は、中国がインドに渇水不作をもたらすため、ヒマラヤ山麓(チベット高原)に数万カ所のヨウ化銀射出装置を設置したことで、降雨が「東亜三角弧」=長江流域のような特異地形に集中したせいと言われている。

 中国は、ヨウ化銀人工降雨政策をやめていないので、今年も、大水害が繰り返される可能性が強い。
 
長江大洪水と天河計画 2020年07月28日
 https://f2.proxypy.org/o/6c6d74682e393931312d7972746e652d676f6c622f6d6f632e3263662e3936676f6c622e616d6169616b6f742f2f3a70747468

 もしも、昨年と同じような農業被害が生じるなら、今年の食料危機は半端なものにならない可能性がある。
 あらゆる食品の大規模な値上げが避けられなくなり、本当の品不足も生じるだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1464.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c20

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か 中川隆
4. 中川隆[-5685] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:46:36 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[25]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か

Date: 10月 30th, 2014
BBCモニター、復権か(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=15192

LSナンバーをもつ、いわゆるBBCモニターが商品化、市販されるようになったのは1970年代からである。
LS3/5Aは最初はロジャース製だけだったが、
チャートウェル、ハーベス、KEF、オーディオマスターからもLS3/5Aが登場した。
これがBBCモニターの全盛だったようだ。

LSナンバーのBBCモニターは、LS5/9を最後に途絶えてしまった。
BBCモニター、BBCモニターの流れを汲むスピーカーシステムに惹かれてきた私は、寂しい思いをしていた。

LS3/5Aはいまでも人気である。
けれど日本ではBBCモニターの人気が高かった、とは思えない。
むしろ低い。

瀬川先生も嘆かれていた。
私の手元には瀬川先生のメモがある。
その中にロジャースのPM510について書かれたものがある。
三年前にも書いているが、もう一度書いておく。
     *
◎どうしてもっと話題にならないのだろう、と、ふしぎに思う製品がある。最近の例でいえばPM510。
◎くいものや、その他にたとえたほうが色がつく
◎だが、これほど良いスピーカーは、JBLの♯4343みたいに、向う三軒両隣まで普及しない方が、PM510をほんとうに愛する人間には嬉しくもある。だから、このスピーカーの良さを、あんまりしられたくないという気持もある。

◎JBLの♯4345を借りて聴きはじめている。♯4343よりすごーく改良されている(その理由を長々と書く)けれど、そうしてまた2歩も3歩も完成に近づいたJBLを聴きふけってゆくにつれて、改めて、JBLでは(そしてアメリカのスピーカーでは)絶対に鳴らせない音味というものがあることを思い知らされる。
◎そこに思い至って、若さの中で改めて、Rogers PM510を、心から「欲しい」と思いはじめた。
◎いうまでもなく510の原形はLS5/8、その原形のLS5/1Aは持っている。宝ものとして大切に聴いている。それにもかかわらずPM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体、何か?

◎前歴が刻まれる!
     *
一部、判読困難な文字がいくつかあり、数カ所、書き間違えているかもしれないが、
瀬川先生がPM510をどう思われていたのか、そして日本でのPM510の評価も知ることはできる。

私もPM510には惚れ込んだ、だから、このスピーカーシステムも相当に無理して買った。
http://audiosharing.com/blog/?p=15192


BBCモニター、復権か(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=15197

ロジャースのPM510はいいスピーカーだ。
けれど改良型にあたるPM510IIは、少しもいいとは思えなかった。

PM510の低音はぶよぶよじゃないか、という人たちは、PM510IIの方がずっといい、といっていた。
だが締っている低音が優れた低音ではないし、表現力豊かな低音でもない。
私が聴きたい音楽にとって、PM510の低音は不満となることはなかった。

PM510IIは中途半端に感じてしまう。
PM510の良さが、もう感じられなかった。

PM510IIが、他のスピーカーシステムの改良型であれば、もう少し認めることもできると思うのだが、
惚れ込んだスピーカーシステムの改良型として登場して、
惚れ込んだ男に愛想をつかしてしまう出来のモノを認めることはできない。

今年二月に、ある人のリスニングルームを訪れた。
メインのスピーカーシステムはアメリカ製のモノ。
だが部屋の片隅にPM510が置いてあった。
PM510IIではなく、PM510である。

こればかりは手離せない、ということだった。
その気持はよくわかる。

瀬川先生が《心から「欲しい」》と思われたスピーカーシステムとしての良さは、
PM510にあり、PM510IIにはないと言い切れる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15197


BBCモニター、復権か(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=15199

PM510をいいスピーカーと認めている人は確かに少ない。
それでもいいじゃないか、と思うのだが、
PM510をいいスピーカーとしながらも、PM510IIを改良型として高く評価している人をみると、
この人が感じているPM510の良さと私が感じているPM510の良さは違っているんだな、と思ってしまう。

PM510はロジャースのLS5/8の内蔵ネットワーク版である。
LS5/8は型番が示すようにBBCモニターであり、
QUADのパワーアンプ405にデヴァイディングネットワークを内蔵しバイアンプ駆動するというシステム。
ユニット構成、エンクロージュアはLS5/8、PM510は同じである。

このLS5/8はロジャース(スイストーン)が買収した会社チャートウェルが開発したモノだ。
チャートウェル時代の型番はPM450E(LS5/8)、PM450(PM510)だった。
もちろんチャートウェルのLS5/8も存在している。

ロジャース製とチャートウェル製は、若干音のニュアンスが違う、といわれている。
そうだろう。
同じ規格で作られているLS3/5Aが、各社、音のニュアンスが微妙に違うのと同じである。
チャートウェル製も聴きたいという気持はあるけれど、
ロジャースのPM510に惚れ込んでいたのだから、
どちらがいいのかを判断するようなことは、いまではどうでもよくなっている。

ロジャースからはLS5/8に続いて、中型モニターのLS5/9が登場する。
ちょうどステレオサウンドにいたころだった。
聴く機会は何度もあった。

でもLS5/8とLS3/5Aの間に位置するサイズ。
このサイズにした理由をついあれこれ考えてしまうくらいに、
私には中途半端な大きさに思えたし、そうなると出て来た音もなんとなくそう感じられてしまう。

でもPM510の低音をぶよぶよじゃないか、という人はLS5/9の方を高く評価していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15199


BBCモニター、復権か(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=15203

1983年にステレオサウンドからTHE BRITISH SOUNDという別冊が出た。
この本に岡先生によるBBCモニター物語という記事がある。
この中で、岡先生が書かれている。
《BBCモニターのことを書くべき最適任者は、故瀬川冬樹さんだったと思う》と。
BBCモニターに関心のある人の多く(すべてといっていい)が、首肯いたことだろう。

瀬川先生によるBBCモニター物語、
きっと瀬川先生自身も書きたいと思われていただろうだけに、
読みたかった……、という気持は募る。

岡先生はBBCモニター物語を書くにあたり、
ステレオサウンド編集部から、瀬川先生が渡英の際に入手されたいくつかの資料を借覧されている。

その瀬川資料の中に、BBCモニターの型番のクラシフィケーションの説明があり、
その資料を元に岡先生がLSナンバーの区分について書かれている。
     *
●LS1/ アッセンブルされたラウドスピーカーで、用途は種主あるが主力にはなっていない(現用正式モデルではない)。
●LS2/ シャーシ・ユニットのみのもの。
●LS3/ アッセンブルされたスピーカー(主として外録その他に使用される。可搬性をもつ小型のもの)。
●LS5/ アッセンブルされたスピーカー(スタジオ用)。
 将来は、LS1/、LS2/、LS5/のクラシフィケーションを用いることになり、外録用のLS3/シリーズもLS5/のコード番号のなかに組み込まれることになる、という注記がある。
     *
LS5/9は20cm口径のウーファーとソフトドーム型トゥイーター、
エンクロージュアの外形寸法はW36.0×H55.0×D36.0cm。
本来ならばLS3/8という型番がついても不思議ではないし、
むしろ、その方が、このスピーカーシステムの性格をはっきりとさせると思うのだが、
岡先生が書かれているとおり、LS3/シリーズはLS5/シリーズに組み込まれたことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15203


BBCモニター、復権か(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=15219

こういう音が好きなんだ、と実感した最初のスピーカーシステムは、スペンドールのBCIIだった。
瀬川先生が熊本のオーディオ販売店に定期的に来られていた時に聴くことができた。
そのとき、もうひとつスピーカーがあった。JBLの4341だった。

このころすでに4341は製造中止になっていて4343に切り替って二年くらい経っていたはずなのに、
なぜか4341だった。
4341はすごいスピーカーだ、と感じた。
けれどその後に鳴らされたBCIIの音に惹かれた。

スピーカーシステムとしての性能の高さは、はっきりと4341が格段にBCIIよりも高い。
けれどどちらの音に惹かれるのか、といえば、BCIIとはっきりといえた。

BCIIも、このスピーカーをつくっているスペンドールも、BBCモニターの流れを汲んでいる。
つまり、この時がBBCモニターの音との出会いだった。

それから一年くらい経って聴いたBBCモニターはLS3/5Aだった。
その前にKEFのModel 105を聴いている。
この時代のKEFのスピーカーシステムも、私にとってはBBCモニター系列に属する音である。
ややきまじめすぎる印象はあるけれど。

ハーベスのMonitor HLも、しばらくして聴いた。
それからロジャースのPM510を聴いた。

BCIIからPM510を聴くまでに、他のスピーカーシステムも聴いてきた。
その中にはイギリスのスピーカーを代表する存在であるタンノイも含まれる。

同じイギリスのスピーカーであっても、BBCモニター系列の音とは違う。
私が惹かれるのは、この時代はBBCモニターの音であった。
BCII、Model 105、LS3/5A、Monitor HL、PM510、
その音を思い出すと(美化されているのだろうが)、グッドリプロダクションとはまさにこういう音であり、
いまも惹かれていることを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=15219


BBCモニター、復権か(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=15222

ロジャースのPM510は、ピーエム・ファイヴ・テンと読む。
ピーエム・ゴーイチマルでもピーエム・ゴヒャクジュウでもない。

PM510に惚れ込んだ人に対しては、510(ファイヴ・テン)で通じる。

書いていて思い出した。
以前、PM510をことを話していたら、「ほんとうにファイヴ・テンっていうんですか」と言ってきた人がいる。
揚げ足を取りたい感じだった。
惚れ込んで買ったスピーカーの正しい呼称を間違えるはずがないし、勝手に読み方を考えたわけでもない。

PM510がステレオサウンドに登場したのは56号。
瀬川先生の文章によってだった。

PM510の音を、こう書き出されている。
     *
 PM510は、本誌試聴室と自宅との2ヵ所で聴くことができた。
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。たとえばJBLのモニターや、国産一般の、概して音をピシッと引緊めて、音像をシャープに、音の輪郭誌を鮮明に、隅から隅まで明らかにしてゆく最近の多くの作り方に馴染んだ耳には、最初緊りがないように(とくに低音が)きこえるかもしれない。正直のところ、私自身もこのところずっと、JBL♯4343の系統の音、それもマーク・レヴィンソン等でドライヴして、DL303やMC30を組み合わせた、クリアーでシャープな音に少々馴染みすぎていて、しばらくのあいだ、この音にピントを合わせるのにとまどった。
     *
音の傾向がBCIIのようなタイプとあったのが、うれしかった。
しかも「グンと格上げして品位とスケールを増した音」である。
BCIIの音に惚れ込みながらも、オーディオマニアとしてモノとしてのBCIIにのめり込めるかというと、
どこが不満というわけではないけれど、もの足りなさをおぼえてしまう。

だからこそPM510の登場と、瀬川先生の文章のこの部分に、待望のスピーカーシステムの誕生(登場)だと思った。

これはもう早く聴きたかった。
実際に聴けたのは一年くらいしてからだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15222


BBCモニター、復権か(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=15228

ロジャースのPM510を聴いたのは、オーディオフェアでの輸入元であったオーデックスのブースだった。
1981年のオーディオフェアは私にとって初めてのオーディオフェアであったし、
オーデックスのブースでは予定では瀬川先生がPM510を鳴らされる、ということになっていた。

オーディオ雑誌に掲載されていたオーディオフェアの予定表を見ながら、
これだけは絶対に聴き逃せない、と思い楽しみにしていた。
けれど直前に出たオーディオ雑誌に載っていた予定表からは、瀬川冬樹の名前が消えていた。
えっ? と思いつつも、以前の予定表と同じように、その日、その時刻にはPM510のデモが行なわれる。

結局、瀬川先生は来られなかった。
あとで知ることになるのだが、このときすでに入院されていた。

よくインターナショナルオーディオショウの条件はひどい、という人がいる。
出展社のスタッフにも来場者にもいる。
けれど、晴海で行なわれていたころのオーディオフェアの条件は、もっと厳しいものだった。

そんなところで音を聴いて、何がわかるの? という人もけっこう多い。
それでもわかることは、はっきりとある。
1981年のオーディオフェアのオーデックスのブースで、私はPM510を初めて聴いた。

いま思えばさほどでもなかったけれど、それでもステレオサウンド 56号に瀬川先生が書かれた音が、
少なくとも私には聴き取ることができた。

どんな条件で聴いても、自分にとって運命のスピーカーといえるモノであれば、すぐにわかる。
そのことを瀬川先生から聞いたことがある。

そういう存在のスピーカーがあることを感じとれるのが、直感であり、
スピーカー選びで大事なことは、この直感だけでしかない。

どんなに試聴環境を整えようと、自宅でいま鳴らしているスピーカーと時間をたっぷりかけて比較試聴しようと、
それで自分にとって正しいスピーカーが選べるとは限らない。
むしろ誤ってしまう可能性を自分で高めているだけなのかもしれない。

そうやって私はPM510を選んだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15228


BBCモニター、復権か(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=15230

1981年のオーディオフェアで、もうひとつよく憶えているのはエレクトリのブースだった。
マッキントッシュのXRT20が鳴っていた。菅野先生によるデモだった。
ブースに人がはいりきれないほどで、立って聴いていた。それでも窮屈な思いをしながら聴いた。

この年の6月に出たステレオサウンド 59号の新製品紹介のページで、
菅野先生がXRT20について書かれていた。
その数ヵ月後のオーディオフェアである。
衆目を集めるのは当然とはいえ、オーデックスのブースの人の入り具合がなんとなく悲しく思えた。

本来ならば瀬川先生が鳴らされるはずだったのが無理になったことも重なって、
これが人気のあるスピーカーとさほどでもないスピーカーの違いでもあるという現実だった。

BBCモニター系列のスピーカーシステムは、アメリカのスピーカーシステムからすれば、地味といえた。
それに物量投入という点でも、BBCモニターにはもの足りなさをおぼえていたことは、すでに書いた。
BBCモニターの音に惚れ込んでいる私でもそうなのだから、
BBCモニターの音に魅力を感じない人にとっては、よけいにもの足りなさとなるはず。

それに瀬川先生も書かれているように、クリアーでシャープな音、
いいかえれば最新の音の傾向に馴染んでしまっている耳に、
音のピントを会わせるのに時間が必要だったのかもしれない。

私はそのころは最新の音に馴染む機会はあまりなかったし、
スペンドールのBCIIの音が心のどこかに残っているくらいだったから、
条件的には決していいとはいえない環境で鳴っていたPM510の音に、ピントはすぐに合った。
というよりもとくに合わせる、という意識はなかった。

私には、PM510の音は異色などではなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15230


BBCモニター、復権か(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=15243

ロジャースのPM510を手離して、それからいくつかのスピーカーシステムを鳴らしたあと、
BBCモニタースピーカーの原点ともいってよいLS5/1を手に入れた。

まだインターネット・オークションはなかった時代だから、
オーディオ雑誌の巻末に載っている売買欄の「売ります」に、LS5/1が載っていた。

そこにはKEF LS5/1Aとあったが、実際にはLS5/1だった。
美品とあったけれど、お世辞にも美品とはいえなかった。
附属の専用アンプのオーバーホール済み(ACバランス、DCバランスともに調整済み)と書いてあったが、
中をみればわかるのだが、いったいどこを調整したの? といいたいくらい状態だった。

LS5/1とPM510の音の傾向はずいぶんと違うところがある。
それでも音が鳴った瞬間、いいなぁ、と反応してしまっていた。
改めてBBCモニターの音には惹かれてしまうことを再確認した。

これが1990年だった。
このころBBCモニターの新製品はまったく登場してこなくなっていた。
BBCの放送局で使用する性格のモノだけに、新製品が毎年登場するわけではない。
それはわかっていても、オーディオ雑誌の誌面にもほとんど登場していなかった、と記憶している。

イギリスのスピーカーといえば、タンノイがあったしB&W、ATCなどもあった。
B&WのスピーカーはタンノイよりもBBCモニターの方に近い、といえなくもないが、
同じとは決していえず、優秀なスピーカーという印象に、私の場合、留まってしまう。

もうBBCモニターの音、その流れを汲む音は忘れ去られてしまっているのか。
ますますそう感じるようになっていっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15243


BBCモニター、復権か(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=15245

忘れ去られていく音(音の良さ)というのは、確かにある。
これについてはいずれ新たに項を立てて書いていきたいテーマである。
BBCモニターの音は忘れ去れていく音に入っていた。

スペンドール、ハーベスがあったことをわすれているわけではない。
だがハーベスもハーウッドからアラン・ショウに代替わりしてからのスピーカーシステムには、
私個人は惹かれなくなっていた。
HL Compact 7ES-3が出てくるまでのハーベスのスピーカーに関しては、そのせいもあって関心が薄かった。

スペンドールもスペンサー・ヒューズから息子のデレク・ヒューズの時代になり、
BCIIに匹敵する傑作が生まれなくなっていた。

この二社が輝いていれば、少しは状況は違っていたのか、というと、
必ずしもそうとはいえない、とも思う。
HL Compact 7ES-3はアラン・ショウのハーベスのスピーカーの中で、もっともいいスピーカーだが、
世評も良かったはずなのだが、BBCモニターの音に対する関心が高まってくるようなことはなかった、と感じている。

だがLS3/5Aに対する関心だけは違っていた。
LS3/5Aが再評価されるようになったのは、この10年くらいだろうか。
中古市場でも人気がある、ときいている。

でも、この現象はBBCモニターが、
というよりもLS3/5Aという特定のスピーカーシステムに対しての現象だと私は受けとっていた。

けれどどうも私が間違っていたようだ。
LS3/5Aだけでなく、LS3/6、LS5/9の復刻版が出ている。
LS3/6を作っているのは一社だけだが、LS3/5Aは三社、LS5/9は二社が作っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=15245


BBCモニター、復権か(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCのライセンスが与えられていることをあらわすLSナンバーのつくスピーカーシステム。
現在入手できるのは、ロジャース・ブランドのLS3/5A。
これには通常のヴァージョンの他に、65th Anniversary Editionもある。
それからLS5/9。こちらも型番の末尾に”65th Anniversary Edition”がつく。

ロジャースといっても、以前の体制とは違っていて、いまでは中国で製造されている、ときく。
とはいえ写真で見ても、販売店に並んでいるモノを見ても、少なくとも見た目の雰囲気は、
昔のロジャースのLS3/5Aそのものに感じられる。

同様に中国で生産されていると言われているのが、チャートウェル・ブランドのLS3/5Aだ。

これらとは異りイギリスで製造されているのが、
スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2とLS3/6。
それにグラハムオーディオのLS5/9である。

これらの中で、スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2の音は、
ハイエンドオーディオショウでたまたま入ったブースで鳴っていた。

LS3/5a V2の真横にもスピーカーシステムが置いてあったし、後にも複数のスピーカーシステムが並べてあったが、
鳴っていた音を聴いて、LS3/5a V2が鳴っていることはすぐにわかった。

これはきちんと聴いておきたいと思い、いちばん前の席がひとつ空いているのを見つけ坐った。
でもすぐにスピーカーが他の機種に切り替えられてしまった。

じっくりとは聴けなかった。一曲のみである。
しかも聴いたことのディスクではあった。

ただ音量が少しばかりLS3/5aには大きすぎていた。
女性ヴォーカルのCDだったが、そこでの張った声がヒステリックになりかけていた。
あきらかにLS3/5aというスピーカーに要求する音量をこえたところで鳴らしているからである。
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCモニター、復権か(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=15254

LS3/5Aはもともと大きな音で鳴らせるスピーカーではなかった。
ウーファーは10cm口径。
昔のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEを見れば、
このユニット(B110)はウーファーのところではなくスコーカーのところに掲載されている。

しかも以前はアナログディスクで鳴らされることがもっぱらだった。
低域共振の問題をうまく処理しておかなければLS3/5Aのようなスピーカーを鳴らすのは難しい。
ウーファーが余計な信号で揺すられてしまえば、そのだけパワーは入れられなくなる。

CDにはそういった問題はなかった。
低域共振の問題から解放されたLS3/5Aは、意外にもパワーが入れられる。
そうなるとLS3/5Aのセッティングも、以前とは違ったものになってきた。

LS3/5Aを持っている人は割と多い。
そういうところで何度か聴いている。
私がそうやって聴いたLS3/5Aの持主はメインスピーカーは別にもっていて、
あくまでもLS3/5Aはサブ的な使い方(鳴らし方)だった。

ただ皆2mから3mくらい離れたところに置いて鳴らしていた。
そうやって鳴らされるLS3/5Aの音を聴くたびに、
この人もLS3/5Aはいいスピーカーだ、といっているけれど、
私が感じている良さとこの人が感じている良さは、かなり違うようだ、と思っていた。

CDのおかげでパワーの心配をする必要はなくなったけれど、
それでもLS3/5Aはぐっと近づいて聴いてこそ魅力的な世界を展開してくれる。
私が理想とするLS3/5Aのセッティングは一辺が1mの正三角形の頂点にスピーカーと聴き手の頭がくる配置である。

ここまで近づいた時にLS3/5Aの音はある種の密度の高さがあり、
このスピーカーがなぜこれほど高い評価を得てきたのかが瞬時に理解できるはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15254


BBCモニター、復権か(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=15260

ハイエンドオーディオショウでLS3/5Aでの鳴らし方、
個人宅でのいくつかのLS3/5Aの鳴らし方、
これらを聴くたびに、私がBBCモニターに感じている良さは違うだけでなく、
個人的なところにつよく関係している良さであることを確認していたように思う。

BBCモニターは万能なスピーカーシステムでは決してない。
欠点も少なくない。
なのに、私の場合、これまで挙げてきたBBCモニターで聴くと、ほとんどストレスを感じない。

ジャズを眼前に鳴っているようには絶対に鳴らないスピーカーである。
PM510はジャズ好きの人が「低音がぶよぶよじゃないか」といっているくらいだから、
強烈な音のエネルギーを浴びるような聴き方にはまったく向いていない。

それではジャズがまったく聴けないのか、というと、そうでもない。
確かに眼前で鳴っている感じはしないし、強い衝撃的な音でもPM510はそのまま出してくることはない。

その意味で不満を感じる人がいるけれど、
そういった音を直接的に表現しないだけで、
聴き手には、いま鳴っている音はその種の音だということは伝えてくれる。
だから、私はPM510でもジャズを聴いていける。

このことにストレスを感じてしまう人もいれば、
私のようにストレスを感じることなく聴ける人もいる。
多くを要求しようとするとBBCモニターのスピーカーには不満が少しずつ生じてくることだろう。

それでも人は多くを求めたくなる。
私だってそうである。
PM510は一本440000円した。

このときJBLの4343はフェライト仕様のBタイプになり、価格も変った。
サテングレー仕上げが720000円、ウォールナット仕上げが730000円(その後600000円、630000円になる)、
アルニコ仕様の4343は、その半年前までは560000円と580000円だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15260


BBCモニター、復権か(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=15262

JBLの4343が一本560000円だった時期とPM510の登場には半年ほどの間があるというものの、
ほぼ同価格帯のスピーカーシステムとして見られていたことだろう。
そうなると、4343は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター、
しかもマグネットはすべてアルニコ。
PM510は12インチ・ウーファーとソフトドーム型トゥイーター。マグネットはフェライト。
こんなふうに書いてしまうと、4343とPM510はスピーカーとしてのポテンシャルに大きな違いあるように感じる。

実際に大きな違いがあった。
ステレオサウンド 56号の組合せの特集で、瀬川先生がこう書かれている。
     *
 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?
 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。
 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカーを選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。
     *
音とは正直な面があり、広範囲の要求をすれば、
PM510よりも4343に可能性がある、といえる。

PM510よりもすべての点で4343が優っているわけではなくとも、
瀬川先生も書かれているように「再生能力の可能性」ということでは、はっきりとした違いがある。

このことを承知のうえで、私はPM510を買った。
4343も欲しかったスピーカーである。

瀬川先生はKEFのLS5/1AとJBLの4341(のちに4343にされている)を鳴らされていた。
これを目標としていた。
どちらを先に手に入れるか。
迷うことなくPM510だった。

なぜか。
4343よりもPM510のほうが、私ひとりのために鳴ってくれる実感を強く感じたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15262


Date: 2月 18th, 2015
BBCモニター、復権か(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=16362

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16362


BBCモニター、復権か(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=16368

スピーカーの完成度は高くなり、完結しているのが理想ではある。
けれど完成度を高くすることを目指しているうちに、完結することを忘れてしまったスピーカーもある。

そういうスピーカーシステムのつくり手は、もしかすると完結していることを目指していないのかもしれない。
私は完成度の高さとともに完結していることをスピーカーに求めているけれど、
すべてのつくり手がスピーカーを完結させようとしているとは限らないし、
また受け手(鳴らし手)においても、私と同じように完結していることを求めている人もいれば、
ひたすら完成度の高さのみを求める人もいよう。

だから完成度が高く完結していることを理想とするのは、必ずしも一般的な理想とはいえないのかもしれない。
どちらが正しいということではなく、完結であることを求める人とそうでない人とでは、
スピーカーの評価も違ってくる。

BBCモニターは、いうまでもなくモニタースピーカーとして開発されたモノだ。
モニタースピーカーをどう定義するのかについて、ここで書いていくと、
いつまでも先に進めなくなるので割愛するが、
モニタースピーカーに完結していることは求められるのか。

私がこれまでに聴いてきたBBCモニターに感じてきた完結している良さは、
つくり手が意識していたことなのか、それとも聴き手(つまり私)の勝手な解釈にすぎないのか。

LS3/5A、LS3/6、LS5/9と復刻が続いているBBCモニターをじっくりと聴く機会はないものの、
なんとなく感じているのは、このことである。
なんとなくでしかないのだが、完結しているかどうかに関してのつくり手側の意識はないか、
稀薄になってしまったかのように感じてしまっている。

そこで、BBCモニター、復権か、と考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16368


BBCモニター、復権か(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=16370

株、為替といったものは変動することで利益が生れる。
安定してしまっていたら、これらで利益を得ることはできないのではないだろうか。
そう考えると、いまの資本主義においては、変動こそが利益なのかもしれない、と思ってしまう。

だからそれぞれの業界は変動を必要とする。そうも思えてしまう。
ブームがあるのもそのためではないのか。

私はBBCモニターへの思い入れが強い。
BBCモニターが最高のかたちで復刻されるのは嬉しいし、
さらには新しいBBCモニターが開発されること(おそらくないだろうが)も望んでいる。

そうであるから、昨今のBBCモニターの復刻を好意的にみていきたい、という気持は強い。
それでも、復刻が続いている理由のひとつは、
BBCがライセンス料で稼ぎたいということが大きく絡んでいるような気がするのだ。

BBCモニターのLSナンバーを型番に使うには、BBCにライセンス料を収めなくてはならない。
だから当時は、同クラスのスピーカーシステムよりも、
LSナンバーがつくスピーカーは高価だった。
これはいまもそうだと思う。

もしかすると、いまはライセンス料が撤廃されているのかもしれない。
だとしても、最近のBBCモニターの復刻は、こういう世の中で利益を得るための変動要素なのではないか。
そう思えてしまうところがある。

そんなことはない、と払拭しようとしても、そう思える。
これは何もBBCモニターに関してだけではない、
アナログディスクのブームにも、同じような臭いを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16370


Date: 1月 14th, 2017
BBCモニター、復権か(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=21881

(その17)で、BBCモニターのライセンス料について触れた。
そのことがあるから、素直にBBCモニター、復権、とは言い切れないもどかしさがつきまとう。

勘ぐりすぎの可能性もわかっている。
ライセンス料はすでになくなっている可能性も十分あるが、
BBCの経営状況に関する記事を数年前に読んでいるから、そう思えないところが残ってしまう。

BBCモニターの新形がまだ登場していた時代、
BBCモニターとしてのヘッドフォンはないのだろうか、と思ったことがある。

小型モニター、可搬型モニターとしてのLS3/5Aの存在があったにしても、
ヘッドフォンをBBCではまったく使っていなかったのだろうか。

使っていたとしても、簡単なチェックのみで、音質にはこだわっていなかったのか。
それとも既製品のヘッドフォンで優秀なモノを選定して使っていたのだろうか。

少なくともBBCモニターとしてのヘッドフォンの存在はなかったようだ。

BBCモニターとしてのスピーカーシステムには、
loudspeakerの略であるLSから始まる型番がつけられている。
アンプの型番はAMで始まる(amplifierの略だ)。

ならばヘッドフォン(headphone)だから、HPで始まるモニターとしてのヘッドフォンはなかったのか。

ここでふと考えるのは、いまはヘッドフォンがブームである。
となると、BBCモニターを謳うヘッドフォンが登場してくるかもしれない。

もしBBCモニター・ヘッドフォンなるものが登場したら、
やはりライセンス料がいまも……、ということにつながっていく。
http://audiosharing.com/blog/?p=21881


Date: 3月 6th, 2017
BBCモニター、復権か(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=22259

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=22259



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html#c4

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
125. 中川隆[-5684] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:47:26 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[26]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か

Date: 10月 30th, 2014
BBCモニター、復権か(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=15192

LSナンバーをもつ、いわゆるBBCモニターが商品化、市販されるようになったのは1970年代からである。
LS3/5Aは最初はロジャース製だけだったが、
チャートウェル、ハーベス、KEF、オーディオマスターからもLS3/5Aが登場した。
これがBBCモニターの全盛だったようだ。

LSナンバーのBBCモニターは、LS5/9を最後に途絶えてしまった。
BBCモニター、BBCモニターの流れを汲むスピーカーシステムに惹かれてきた私は、寂しい思いをしていた。

LS3/5Aはいまでも人気である。
けれど日本ではBBCモニターの人気が高かった、とは思えない。
むしろ低い。

瀬川先生も嘆かれていた。
私の手元には瀬川先生のメモがある。
その中にロジャースのPM510について書かれたものがある。
三年前にも書いているが、もう一度書いておく。
     *
◎どうしてもっと話題にならないのだろう、と、ふしぎに思う製品がある。最近の例でいえばPM510。
◎くいものや、その他にたとえたほうが色がつく
◎だが、これほど良いスピーカーは、JBLの♯4343みたいに、向う三軒両隣まで普及しない方が、PM510をほんとうに愛する人間には嬉しくもある。だから、このスピーカーの良さを、あんまりしられたくないという気持もある。

◎JBLの♯4345を借りて聴きはじめている。♯4343よりすごーく改良されている(その理由を長々と書く)けれど、そうしてまた2歩も3歩も完成に近づいたJBLを聴きふけってゆくにつれて、改めて、JBLでは(そしてアメリカのスピーカーでは)絶対に鳴らせない音味というものがあることを思い知らされる。
◎そこに思い至って、若さの中で改めて、Rogers PM510を、心から「欲しい」と思いはじめた。
◎いうまでもなく510の原形はLS5/8、その原形のLS5/1Aは持っている。宝ものとして大切に聴いている。それにもかかわらずPM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体、何か?

◎前歴が刻まれる!
     *
一部、判読困難な文字がいくつかあり、数カ所、書き間違えているかもしれないが、
瀬川先生がPM510をどう思われていたのか、そして日本でのPM510の評価も知ることはできる。

私もPM510には惚れ込んだ、だから、このスピーカーシステムも相当に無理して買った。
http://audiosharing.com/blog/?p=15192


BBCモニター、復権か(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=15197

ロジャースのPM510はいいスピーカーだ。
けれど改良型にあたるPM510IIは、少しもいいとは思えなかった。

PM510の低音はぶよぶよじゃないか、という人たちは、PM510IIの方がずっといい、といっていた。
だが締っている低音が優れた低音ではないし、表現力豊かな低音でもない。
私が聴きたい音楽にとって、PM510の低音は不満となることはなかった。

PM510IIは中途半端に感じてしまう。
PM510の良さが、もう感じられなかった。

PM510IIが、他のスピーカーシステムの改良型であれば、もう少し認めることもできると思うのだが、
惚れ込んだスピーカーシステムの改良型として登場して、
惚れ込んだ男に愛想をつかしてしまう出来のモノを認めることはできない。

今年二月に、ある人のリスニングルームを訪れた。
メインのスピーカーシステムはアメリカ製のモノ。
だが部屋の片隅にPM510が置いてあった。
PM510IIではなく、PM510である。

こればかりは手離せない、ということだった。
その気持はよくわかる。

瀬川先生が《心から「欲しい」》と思われたスピーカーシステムとしての良さは、
PM510にあり、PM510IIにはないと言い切れる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15197


BBCモニター、復権か(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=15199

PM510をいいスピーカーと認めている人は確かに少ない。
それでもいいじゃないか、と思うのだが、
PM510をいいスピーカーとしながらも、PM510IIを改良型として高く評価している人をみると、
この人が感じているPM510の良さと私が感じているPM510の良さは違っているんだな、と思ってしまう。

PM510はロジャースのLS5/8の内蔵ネットワーク版である。
LS5/8は型番が示すようにBBCモニターであり、
QUADのパワーアンプ405にデヴァイディングネットワークを内蔵しバイアンプ駆動するというシステム。
ユニット構成、エンクロージュアはLS5/8、PM510は同じである。

このLS5/8はロジャース(スイストーン)が買収した会社チャートウェルが開発したモノだ。
チャートウェル時代の型番はPM450E(LS5/8)、PM450(PM510)だった。
もちろんチャートウェルのLS5/8も存在している。

ロジャース製とチャートウェル製は、若干音のニュアンスが違う、といわれている。
そうだろう。
同じ規格で作られているLS3/5Aが、各社、音のニュアンスが微妙に違うのと同じである。
チャートウェル製も聴きたいという気持はあるけれど、
ロジャースのPM510に惚れ込んでいたのだから、
どちらがいいのかを判断するようなことは、いまではどうでもよくなっている。

ロジャースからはLS5/8に続いて、中型モニターのLS5/9が登場する。
ちょうどステレオサウンドにいたころだった。
聴く機会は何度もあった。

でもLS5/8とLS3/5Aの間に位置するサイズ。
このサイズにした理由をついあれこれ考えてしまうくらいに、
私には中途半端な大きさに思えたし、そうなると出て来た音もなんとなくそう感じられてしまう。

でもPM510の低音をぶよぶよじゃないか、という人はLS5/9の方を高く評価していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15199


BBCモニター、復権か(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=15203

1983年にステレオサウンドからTHE BRITISH SOUNDという別冊が出た。
この本に岡先生によるBBCモニター物語という記事がある。
この中で、岡先生が書かれている。
《BBCモニターのことを書くべき最適任者は、故瀬川冬樹さんだったと思う》と。
BBCモニターに関心のある人の多く(すべてといっていい)が、首肯いたことだろう。

瀬川先生によるBBCモニター物語、
きっと瀬川先生自身も書きたいと思われていただろうだけに、
読みたかった……、という気持は募る。

岡先生はBBCモニター物語を書くにあたり、
ステレオサウンド編集部から、瀬川先生が渡英の際に入手されたいくつかの資料を借覧されている。

その瀬川資料の中に、BBCモニターの型番のクラシフィケーションの説明があり、
その資料を元に岡先生がLSナンバーの区分について書かれている。
     *
●LS1/ アッセンブルされたラウドスピーカーで、用途は種主あるが主力にはなっていない(現用正式モデルではない)。
●LS2/ シャーシ・ユニットのみのもの。
●LS3/ アッセンブルされたスピーカー(主として外録その他に使用される。可搬性をもつ小型のもの)。
●LS5/ アッセンブルされたスピーカー(スタジオ用)。
 将来は、LS1/、LS2/、LS5/のクラシフィケーションを用いることになり、外録用のLS3/シリーズもLS5/のコード番号のなかに組み込まれることになる、という注記がある。
     *
LS5/9は20cm口径のウーファーとソフトドーム型トゥイーター、
エンクロージュアの外形寸法はW36.0×H55.0×D36.0cm。
本来ならばLS3/8という型番がついても不思議ではないし、
むしろ、その方が、このスピーカーシステムの性格をはっきりとさせると思うのだが、
岡先生が書かれているとおり、LS3/シリーズはLS5/シリーズに組み込まれたことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=15203


BBCモニター、復権か(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=15219

こういう音が好きなんだ、と実感した最初のスピーカーシステムは、スペンドールのBCIIだった。
瀬川先生が熊本のオーディオ販売店に定期的に来られていた時に聴くことができた。
そのとき、もうひとつスピーカーがあった。JBLの4341だった。

このころすでに4341は製造中止になっていて4343に切り替って二年くらい経っていたはずなのに、
なぜか4341だった。
4341はすごいスピーカーだ、と感じた。
けれどその後に鳴らされたBCIIの音に惹かれた。

スピーカーシステムとしての性能の高さは、はっきりと4341が格段にBCIIよりも高い。
けれどどちらの音に惹かれるのか、といえば、BCIIとはっきりといえた。

BCIIも、このスピーカーをつくっているスペンドールも、BBCモニターの流れを汲んでいる。
つまり、この時がBBCモニターの音との出会いだった。

それから一年くらい経って聴いたBBCモニターはLS3/5Aだった。
その前にKEFのModel 105を聴いている。
この時代のKEFのスピーカーシステムも、私にとってはBBCモニター系列に属する音である。
ややきまじめすぎる印象はあるけれど。

ハーベスのMonitor HLも、しばらくして聴いた。
それからロジャースのPM510を聴いた。

BCIIからPM510を聴くまでに、他のスピーカーシステムも聴いてきた。
その中にはイギリスのスピーカーを代表する存在であるタンノイも含まれる。

同じイギリスのスピーカーであっても、BBCモニター系列の音とは違う。
私が惹かれるのは、この時代はBBCモニターの音であった。
BCII、Model 105、LS3/5A、Monitor HL、PM510、
その音を思い出すと(美化されているのだろうが)、グッドリプロダクションとはまさにこういう音であり、
いまも惹かれていることを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=15219


BBCモニター、復権か(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=15222

ロジャースのPM510は、ピーエム・ファイヴ・テンと読む。
ピーエム・ゴーイチマルでもピーエム・ゴヒャクジュウでもない。

PM510に惚れ込んだ人に対しては、510(ファイヴ・テン)で通じる。

書いていて思い出した。
以前、PM510をことを話していたら、「ほんとうにファイヴ・テンっていうんですか」と言ってきた人がいる。
揚げ足を取りたい感じだった。
惚れ込んで買ったスピーカーの正しい呼称を間違えるはずがないし、勝手に読み方を考えたわけでもない。

PM510がステレオサウンドに登場したのは56号。
瀬川先生の文章によってだった。

PM510の音を、こう書き出されている。
     *
 PM510は、本誌試聴室と自宅との2ヵ所で聴くことができた。
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。たとえばJBLのモニターや、国産一般の、概して音をピシッと引緊めて、音像をシャープに、音の輪郭誌を鮮明に、隅から隅まで明らかにしてゆく最近の多くの作り方に馴染んだ耳には、最初緊りがないように(とくに低音が)きこえるかもしれない。正直のところ、私自身もこのところずっと、JBL♯4343の系統の音、それもマーク・レヴィンソン等でドライヴして、DL303やMC30を組み合わせた、クリアーでシャープな音に少々馴染みすぎていて、しばらくのあいだ、この音にピントを合わせるのにとまどった。
     *
音の傾向がBCIIのようなタイプとあったのが、うれしかった。
しかも「グンと格上げして品位とスケールを増した音」である。
BCIIの音に惚れ込みながらも、オーディオマニアとしてモノとしてのBCIIにのめり込めるかというと、
どこが不満というわけではないけれど、もの足りなさをおぼえてしまう。

だからこそPM510の登場と、瀬川先生の文章のこの部分に、待望のスピーカーシステムの誕生(登場)だと思った。

これはもう早く聴きたかった。
実際に聴けたのは一年くらいしてからだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15222


BBCモニター、復権か(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=15228

ロジャースのPM510を聴いたのは、オーディオフェアでの輸入元であったオーデックスのブースだった。
1981年のオーディオフェアは私にとって初めてのオーディオフェアであったし、
オーデックスのブースでは予定では瀬川先生がPM510を鳴らされる、ということになっていた。

オーディオ雑誌に掲載されていたオーディオフェアの予定表を見ながら、
これだけは絶対に聴き逃せない、と思い楽しみにしていた。
けれど直前に出たオーディオ雑誌に載っていた予定表からは、瀬川冬樹の名前が消えていた。
えっ? と思いつつも、以前の予定表と同じように、その日、その時刻にはPM510のデモが行なわれる。

結局、瀬川先生は来られなかった。
あとで知ることになるのだが、このときすでに入院されていた。

よくインターナショナルオーディオショウの条件はひどい、という人がいる。
出展社のスタッフにも来場者にもいる。
けれど、晴海で行なわれていたころのオーディオフェアの条件は、もっと厳しいものだった。

そんなところで音を聴いて、何がわかるの? という人もけっこう多い。
それでもわかることは、はっきりとある。
1981年のオーディオフェアのオーデックスのブースで、私はPM510を初めて聴いた。

いま思えばさほどでもなかったけれど、それでもステレオサウンド 56号に瀬川先生が書かれた音が、
少なくとも私には聴き取ることができた。

どんな条件で聴いても、自分にとって運命のスピーカーといえるモノであれば、すぐにわかる。
そのことを瀬川先生から聞いたことがある。

そういう存在のスピーカーがあることを感じとれるのが、直感であり、
スピーカー選びで大事なことは、この直感だけでしかない。

どんなに試聴環境を整えようと、自宅でいま鳴らしているスピーカーと時間をたっぷりかけて比較試聴しようと、
それで自分にとって正しいスピーカーが選べるとは限らない。
むしろ誤ってしまう可能性を自分で高めているだけなのかもしれない。

そうやって私はPM510を選んだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15228


BBCモニター、復権か(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=15230

1981年のオーディオフェアで、もうひとつよく憶えているのはエレクトリのブースだった。
マッキントッシュのXRT20が鳴っていた。菅野先生によるデモだった。
ブースに人がはいりきれないほどで、立って聴いていた。それでも窮屈な思いをしながら聴いた。

この年の6月に出たステレオサウンド 59号の新製品紹介のページで、
菅野先生がXRT20について書かれていた。
その数ヵ月後のオーディオフェアである。
衆目を集めるのは当然とはいえ、オーデックスのブースの人の入り具合がなんとなく悲しく思えた。

本来ならば瀬川先生が鳴らされるはずだったのが無理になったことも重なって、
これが人気のあるスピーカーとさほどでもないスピーカーの違いでもあるという現実だった。

BBCモニター系列のスピーカーシステムは、アメリカのスピーカーシステムからすれば、地味といえた。
それに物量投入という点でも、BBCモニターにはもの足りなさをおぼえていたことは、すでに書いた。
BBCモニターの音に惚れ込んでいる私でもそうなのだから、
BBCモニターの音に魅力を感じない人にとっては、よけいにもの足りなさとなるはず。

それに瀬川先生も書かれているように、クリアーでシャープな音、
いいかえれば最新の音の傾向に馴染んでしまっている耳に、
音のピントを会わせるのに時間が必要だったのかもしれない。

私はそのころは最新の音に馴染む機会はあまりなかったし、
スペンドールのBCIIの音が心のどこかに残っているくらいだったから、
条件的には決していいとはいえない環境で鳴っていたPM510の音に、ピントはすぐに合った。
というよりもとくに合わせる、という意識はなかった。

私には、PM510の音は異色などではなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15230


BBCモニター、復権か(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=15243

ロジャースのPM510を手離して、それからいくつかのスピーカーシステムを鳴らしたあと、
BBCモニタースピーカーの原点ともいってよいLS5/1を手に入れた。

まだインターネット・オークションはなかった時代だから、
オーディオ雑誌の巻末に載っている売買欄の「売ります」に、LS5/1が載っていた。

そこにはKEF LS5/1Aとあったが、実際にはLS5/1だった。
美品とあったけれど、お世辞にも美品とはいえなかった。
附属の専用アンプのオーバーホール済み(ACバランス、DCバランスともに調整済み)と書いてあったが、
中をみればわかるのだが、いったいどこを調整したの? といいたいくらい状態だった。

LS5/1とPM510の音の傾向はずいぶんと違うところがある。
それでも音が鳴った瞬間、いいなぁ、と反応してしまっていた。
改めてBBCモニターの音には惹かれてしまうことを再確認した。

これが1990年だった。
このころBBCモニターの新製品はまったく登場してこなくなっていた。
BBCの放送局で使用する性格のモノだけに、新製品が毎年登場するわけではない。
それはわかっていても、オーディオ雑誌の誌面にもほとんど登場していなかった、と記憶している。

イギリスのスピーカーといえば、タンノイがあったしB&W、ATCなどもあった。
B&WのスピーカーはタンノイよりもBBCモニターの方に近い、といえなくもないが、
同じとは決していえず、優秀なスピーカーという印象に、私の場合、留まってしまう。

もうBBCモニターの音、その流れを汲む音は忘れ去られてしまっているのか。
ますますそう感じるようになっていっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=15243


BBCモニター、復権か(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=15245

忘れ去られていく音(音の良さ)というのは、確かにある。
これについてはいずれ新たに項を立てて書いていきたいテーマである。
BBCモニターの音は忘れ去れていく音に入っていた。

スペンドール、ハーベスがあったことをわすれているわけではない。
だがハーベスもハーウッドからアラン・ショウに代替わりしてからのスピーカーシステムには、
私個人は惹かれなくなっていた。
HL Compact 7ES-3が出てくるまでのハーベスのスピーカーに関しては、そのせいもあって関心が薄かった。

スペンドールもスペンサー・ヒューズから息子のデレク・ヒューズの時代になり、
BCIIに匹敵する傑作が生まれなくなっていた。

この二社が輝いていれば、少しは状況は違っていたのか、というと、
必ずしもそうとはいえない、とも思う。
HL Compact 7ES-3はアラン・ショウのハーベスのスピーカーの中で、もっともいいスピーカーだが、
世評も良かったはずなのだが、BBCモニターの音に対する関心が高まってくるようなことはなかった、と感じている。

だがLS3/5Aに対する関心だけは違っていた。
LS3/5Aが再評価されるようになったのは、この10年くらいだろうか。
中古市場でも人気がある、ときいている。

でも、この現象はBBCモニターが、
というよりもLS3/5Aという特定のスピーカーシステムに対しての現象だと私は受けとっていた。

けれどどうも私が間違っていたようだ。
LS3/5Aだけでなく、LS3/6、LS5/9の復刻版が出ている。
LS3/6を作っているのは一社だけだが、LS3/5Aは三社、LS5/9は二社が作っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=15245


BBCモニター、復権か(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCのライセンスが与えられていることをあらわすLSナンバーのつくスピーカーシステム。
現在入手できるのは、ロジャース・ブランドのLS3/5A。
これには通常のヴァージョンの他に、65th Anniversary Editionもある。
それからLS5/9。こちらも型番の末尾に”65th Anniversary Edition”がつく。

ロジャースといっても、以前の体制とは違っていて、いまでは中国で製造されている、ときく。
とはいえ写真で見ても、販売店に並んでいるモノを見ても、少なくとも見た目の雰囲気は、
昔のロジャースのLS3/5Aそのものに感じられる。

同様に中国で生産されていると言われているのが、チャートウェル・ブランドのLS3/5Aだ。

これらとは異りイギリスで製造されているのが、
スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2とLS3/6。
それにグラハムオーディオのLS5/9である。

これらの中で、スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2の音は、
ハイエンドオーディオショウでたまたま入ったブースで鳴っていた。

LS3/5a V2の真横にもスピーカーシステムが置いてあったし、後にも複数のスピーカーシステムが並べてあったが、
鳴っていた音を聴いて、LS3/5a V2が鳴っていることはすぐにわかった。

これはきちんと聴いておきたいと思い、いちばん前の席がひとつ空いているのを見つけ坐った。
でもすぐにスピーカーが他の機種に切り替えられてしまった。

じっくりとは聴けなかった。一曲のみである。
しかも聴いたことのディスクではあった。

ただ音量が少しばかりLS3/5aには大きすぎていた。
女性ヴォーカルのCDだったが、そこでの張った声がヒステリックになりかけていた。
あきらかにLS3/5aというスピーカーに要求する音量をこえたところで鳴らしているからである。
http://audiosharing.com/blog/?p=15249

BBCモニター、復権か(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=15254

LS3/5Aはもともと大きな音で鳴らせるスピーカーではなかった。
ウーファーは10cm口径。
昔のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEを見れば、
このユニット(B110)はウーファーのところではなくスコーカーのところに掲載されている。

しかも以前はアナログディスクで鳴らされることがもっぱらだった。
低域共振の問題をうまく処理しておかなければLS3/5Aのようなスピーカーを鳴らすのは難しい。
ウーファーが余計な信号で揺すられてしまえば、そのだけパワーは入れられなくなる。

CDにはそういった問題はなかった。
低域共振の問題から解放されたLS3/5Aは、意外にもパワーが入れられる。
そうなるとLS3/5Aのセッティングも、以前とは違ったものになってきた。

LS3/5Aを持っている人は割と多い。
そういうところで何度か聴いている。
私がそうやって聴いたLS3/5Aの持主はメインスピーカーは別にもっていて、
あくまでもLS3/5Aはサブ的な使い方(鳴らし方)だった。

ただ皆2mから3mくらい離れたところに置いて鳴らしていた。
そうやって鳴らされるLS3/5Aの音を聴くたびに、
この人もLS3/5Aはいいスピーカーだ、といっているけれど、
私が感じている良さとこの人が感じている良さは、かなり違うようだ、と思っていた。

CDのおかげでパワーの心配をする必要はなくなったけれど、
それでもLS3/5Aはぐっと近づいて聴いてこそ魅力的な世界を展開してくれる。
私が理想とするLS3/5Aのセッティングは一辺が1mの正三角形の頂点にスピーカーと聴き手の頭がくる配置である。

ここまで近づいた時にLS3/5Aの音はある種の密度の高さがあり、
このスピーカーがなぜこれほど高い評価を得てきたのかが瞬時に理解できるはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15254


BBCモニター、復権か(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=15260

ハイエンドオーディオショウでLS3/5Aでの鳴らし方、
個人宅でのいくつかのLS3/5Aの鳴らし方、
これらを聴くたびに、私がBBCモニターに感じている良さは違うだけでなく、
個人的なところにつよく関係している良さであることを確認していたように思う。

BBCモニターは万能なスピーカーシステムでは決してない。
欠点も少なくない。
なのに、私の場合、これまで挙げてきたBBCモニターで聴くと、ほとんどストレスを感じない。

ジャズを眼前に鳴っているようには絶対に鳴らないスピーカーである。
PM510はジャズ好きの人が「低音がぶよぶよじゃないか」といっているくらいだから、
強烈な音のエネルギーを浴びるような聴き方にはまったく向いていない。

それではジャズがまったく聴けないのか、というと、そうでもない。
確かに眼前で鳴っている感じはしないし、強い衝撃的な音でもPM510はそのまま出してくることはない。

その意味で不満を感じる人がいるけれど、
そういった音を直接的に表現しないだけで、
聴き手には、いま鳴っている音はその種の音だということは伝えてくれる。
だから、私はPM510でもジャズを聴いていける。

このことにストレスを感じてしまう人もいれば、
私のようにストレスを感じることなく聴ける人もいる。
多くを要求しようとするとBBCモニターのスピーカーには不満が少しずつ生じてくることだろう。

それでも人は多くを求めたくなる。
私だってそうである。
PM510は一本440000円した。

このときJBLの4343はフェライト仕様のBタイプになり、価格も変った。
サテングレー仕上げが720000円、ウォールナット仕上げが730000円(その後600000円、630000円になる)、
アルニコ仕様の4343は、その半年前までは560000円と580000円だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=15260


BBCモニター、復権か(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=15262

JBLの4343が一本560000円だった時期とPM510の登場には半年ほどの間があるというものの、
ほぼ同価格帯のスピーカーシステムとして見られていたことだろう。
そうなると、4343は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター、
しかもマグネットはすべてアルニコ。
PM510は12インチ・ウーファーとソフトドーム型トゥイーター。マグネットはフェライト。
こんなふうに書いてしまうと、4343とPM510はスピーカーとしてのポテンシャルに大きな違いあるように感じる。

実際に大きな違いがあった。
ステレオサウンド 56号の組合せの特集で、瀬川先生がこう書かれている。
     *
 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?
 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。
 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカーを選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。
     *
音とは正直な面があり、広範囲の要求をすれば、
PM510よりも4343に可能性がある、といえる。

PM510よりもすべての点で4343が優っているわけではなくとも、
瀬川先生も書かれているように「再生能力の可能性」ということでは、はっきりとした違いがある。

このことを承知のうえで、私はPM510を買った。
4343も欲しかったスピーカーである。

瀬川先生はKEFのLS5/1AとJBLの4341(のちに4343にされている)を鳴らされていた。
これを目標としていた。
どちらを先に手に入れるか。
迷うことなくPM510だった。

なぜか。
4343よりもPM510のほうが、私ひとりのために鳴ってくれる実感を強く感じたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=15262


Date: 2月 18th, 2015
BBCモニター、復権か(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=16362

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16362


BBCモニター、復権か(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=16368

スピーカーの完成度は高くなり、完結しているのが理想ではある。
けれど完成度を高くすることを目指しているうちに、完結することを忘れてしまったスピーカーもある。

そういうスピーカーシステムのつくり手は、もしかすると完結していることを目指していないのかもしれない。
私は完成度の高さとともに完結していることをスピーカーに求めているけれど、
すべてのつくり手がスピーカーを完結させようとしているとは限らないし、
また受け手(鳴らし手)においても、私と同じように完結していることを求めている人もいれば、
ひたすら完成度の高さのみを求める人もいよう。

だから完成度が高く完結していることを理想とするのは、必ずしも一般的な理想とはいえないのかもしれない。
どちらが正しいということではなく、完結であることを求める人とそうでない人とでは、
スピーカーの評価も違ってくる。

BBCモニターは、いうまでもなくモニタースピーカーとして開発されたモノだ。
モニタースピーカーをどう定義するのかについて、ここで書いていくと、
いつまでも先に進めなくなるので割愛するが、
モニタースピーカーに完結していることは求められるのか。

私がこれまでに聴いてきたBBCモニターに感じてきた完結している良さは、
つくり手が意識していたことなのか、それとも聴き手(つまり私)の勝手な解釈にすぎないのか。

LS3/5A、LS3/6、LS5/9と復刻が続いているBBCモニターをじっくりと聴く機会はないものの、
なんとなく感じているのは、このことである。
なんとなくでしかないのだが、完結しているかどうかに関してのつくり手側の意識はないか、
稀薄になってしまったかのように感じてしまっている。

そこで、BBCモニター、復権か、と考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16368


BBCモニター、復権か(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=16370

株、為替といったものは変動することで利益が生れる。
安定してしまっていたら、これらで利益を得ることはできないのではないだろうか。
そう考えると、いまの資本主義においては、変動こそが利益なのかもしれない、と思ってしまう。

だからそれぞれの業界は変動を必要とする。そうも思えてしまう。
ブームがあるのもそのためではないのか。

私はBBCモニターへの思い入れが強い。
BBCモニターが最高のかたちで復刻されるのは嬉しいし、
さらには新しいBBCモニターが開発されること(おそらくないだろうが)も望んでいる。

そうであるから、昨今のBBCモニターの復刻を好意的にみていきたい、という気持は強い。
それでも、復刻が続いている理由のひとつは、
BBCがライセンス料で稼ぎたいということが大きく絡んでいるような気がするのだ。

BBCモニターのLSナンバーを型番に使うには、BBCにライセンス料を収めなくてはならない。
だから当時は、同クラスのスピーカーシステムよりも、
LSナンバーがつくスピーカーは高価だった。
これはいまもそうだと思う。

もしかすると、いまはライセンス料が撤廃されているのかもしれない。
だとしても、最近のBBCモニターの復刻は、こういう世の中で利益を得るための変動要素なのではないか。
そう思えてしまうところがある。

そんなことはない、と払拭しようとしても、そう思える。
これは何もBBCモニターに関してだけではない、
アナログディスクのブームにも、同じような臭いを感じてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16370


Date: 1月 14th, 2017
BBCモニター、復権か(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=21881

(その17)で、BBCモニターのライセンス料について触れた。
そのことがあるから、素直にBBCモニター、復権、とは言い切れないもどかしさがつきまとう。

勘ぐりすぎの可能性もわかっている。
ライセンス料はすでになくなっている可能性も十分あるが、
BBCの経営状況に関する記事を数年前に読んでいるから、そう思えないところが残ってしまう。

BBCモニターの新形がまだ登場していた時代、
BBCモニターとしてのヘッドフォンはないのだろうか、と思ったことがある。

小型モニター、可搬型モニターとしてのLS3/5Aの存在があったにしても、
ヘッドフォンをBBCではまったく使っていなかったのだろうか。

使っていたとしても、簡単なチェックのみで、音質にはこだわっていなかったのか。
それとも既製品のヘッドフォンで優秀なモノを選定して使っていたのだろうか。

少なくともBBCモニターとしてのヘッドフォンの存在はなかったようだ。

BBCモニターとしてのスピーカーシステムには、
loudspeakerの略であるLSから始まる型番がつけられている。
アンプの型番はAMで始まる(amplifierの略だ)。

ならばヘッドフォン(headphone)だから、HPで始まるモニターとしてのヘッドフォンはなかったのか。

ここでふと考えるのは、いまはヘッドフォンがブームである。
となると、BBCモニターを謳うヘッドフォンが登場してくるかもしれない。

もしBBCモニター・ヘッドフォンなるものが登場したら、
やはりライセンス料がいまも……、ということにつながっていく。
http://audiosharing.com/blog/?p=21881


Date: 3月 6th, 2017
BBCモニター、復権か(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=22259

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=22259



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c125

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
126. 中川隆[-5683] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:48:32 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[27]
audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か


Date: 5月 5th, 2015
BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=16946

今年の一月だったか、そのくらいの時期、
BBCモニターのLS5/9を復刻したイギリスのグラハムオーディオがLS5/8も復刻する予定だと知った。

LS5/8には日本はチャートウェル・ブランドとロジャース・ブランドのふたつが輸入されている。
前者のLS5/8の輸入量はごくわずかである。
チャートウェルそのものがロジャースに買収されてしまったためだ。

LS5/8は他のBBCモニターと違う点がある。
それまでのBBCモニター、LS3/5AにしてもLS3/6、LS5/5にしても、
BBCがプロトタイプを開発して、それを民間のオーディオメーカーにライセンス料を聴取してつくらせていた。

LS5/8はチャートウェルが独自開発したモデルをBBCが、
LS5/8というスタジオモニターとして採用した初めての例である。
それゆえにLS5/8は、チャートウェルのPM450Eという型番も持っていて、
日本にはノアがPM450Eとして輸入していた。

LS5/8(PM450E)は、QUADのパワーアンプ405のシャーシないのわずかな隙間に、
エレクトロニッククロスオーバーを組み込み、バイアンプ駆動するというシステムだ。

チャートウェルにはこのPM450Eの他に、PM450もあった。
こちらは内蔵ネットワーク仕様モデルである。

これらがロジャース・ブランドの LS5/8、PM510となっていく。
グラハムオーディオがLS5/8を復刻すると知って、この点をどうするのかが気になっていた。
オリジナルのLS5/8を受け継いでバイアンプ駆動とするのか
(当然アンプは405が製造中止なので他のアンプに変更されるだろうが)、
それともPM450(PM510)のように内蔵ネットワークとするのか。

製品として売れるであろうと思えるのは、内蔵ネットワーク仕様である。
けれど仮にもLS5/8を謳っている以上は、バイアンプ仕様とするのか。
この点が気になっていた。

結果、登場したLS5/8は内蔵ネットワーク仕様である。
http://audiosharing.com/blog/?p=16946

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=16951

ということはグラハムオーディオのLS5/8は、
チャートウェルPM450、ロジャースPM510の復刻といえるのかというと、
写真をみると、そうともいえない点がある。

グラハムオーディオのサイトには、今日の時点ではLS5/8のことは公開されていない。
だがグラハムオーディオのfacebookには、LS5/8の情報と写真がいくつか公開されている。
それを見ると、フロントバッフルには、LS5/8、LS5/9と同じタイプのトゥイーターのレベルコントロールがある。

PM450、PM510にはこのレベルコントロールはない。
つまり今回のLS5/8は、PM450、PM510のLS5/9的モデルとでもいおうか、
BBCモニター的仕様とでもいったらいいのか、
とにかくLS5/8の正確な復刻モデルとも、PM450の正確な復刻モデルともいえない。
その中間に位置するような復刻である。

とはいえ、私は今回のLS5/8は聴いてみたい、と思っている。
LS5/8そのままの復刻でもないし、PM510そのままの復刻をめざしたモノでないからこそ、
聴いてみたい気持にさせてくれる。

グラハムオーディオのLS5/8は、
チャートウェルのPM450に、より近いスピーカーシステムのような気がするからである。

チャートウェルのPM450は、ステレオサウンド 49号に登場している。
瀬川先生が書かれている。
     *
おそらくバイアンプのせいばかりでなく、LS5/1Aよりも音のひと粒ひと粒を際立たせるような解像力のよい、自然な、しかしイギリスの良質のスピーカーに共通のどこか艶めいた美しい音は、聴き手をひき込むようなしっとりした雰囲気をかもし出す。
     *
チャートウェルのPM450E、PM450は、元PM510ユーザーとして、いまでも一度聴いてみたいスピーカーなのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=16951


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=16953


チャートウェルのPM450からロジャースのPM510にも、外観上の変更点はあった。
PM450は型押ししたフォーム・プラスチックで、縦に三本のラインがアクセントになっていたのに対し、
PM510では平織りの一般的なサランネットになっていた。アクセントとなる縦のラインもない。

LS5/8はプロ用モニターということもあって、
エンクロージュア両サイドに持ち運びを容易にするための把手があった。
PM450よりもPM510は把手がすこし下がった位置になっている。

今回のグラハムオーディオのLS5/8にも、
トゥイーターのレベルコントロールの他にいくつかの外観上の変更点がある。
まず把手が省かれている。
それからフロントバッフルがツキ板仕上げとなっている。

チャートウェルもロジャースのLS5/8、それに他のBBCモニターも、
フロントバッフルは黒の塗装仕上げである。
このことは、サランネットを装着した状態で聴くことを前提としている。

ところがグラハムオーディオのLS5/8(LS5/9もそうだが)、
フロントバッフルを外の面と同じに仕上げてあるということは、
サランネットを外した状態を、標準としていると見ていいだろう。

それとスペックをみて気づくのは出力音圧レベルに違いがある。
PM510はカタログ発表値は94dB/W/m、グラハムオーディオLS5/8は89dB SPL (2.83V, 1m)とある。
インピーダンスは8Ωだから、測定条件は同じといえるわけだから、
このふたつの発表値を信じるのであれば、5dBほど能率が低くなっている。

このことはトゥイーターのレベルコントロールの増設は関係しているような気がする。
http://audiosharing.com/blog/?p=16953

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=16960

チャートウェルのPM450、ロジャースのPM510、そして今回のグラハムオーディオのLS5/8は、
どんな違いがあるのだろうか。

PM450は1978年に登場している。日本への入荷数は数ペアだときいている。
PM510は1980年に登場。こちらは私も購入したくらいだし、けっこうな数が入荷していると思われる。
けれどもう30年以上経過しているスピーカーシステムということになる。

いまもロジャースという会社は残っているけれど、
このころのロジャースとは違ってきている。
PM510のメンテナンスをどうしたらいいのか。悩まれている方も少なくないはずだ。

ポリプロピレンコーンは特許をとっている。
その内容のすべてを知っているわけではないが、そのひとつは接着に関することである。
当時ポリプロピレンの接着は非常に難しかった、ときいている。

最近になってやっと日本の接着剤メーカーからポリプロピレンを接着できる製品が登場している。

余談だが、LS5/8、PM510は、当時のイギリスのスピーカーシステムとしては高耐入力だった。
そのためリアバッフルには”WARNING”と書かれたシールが貼られている。
耳の孔に指を差し込んでしかめっ面をしているイラストの横には、
耳を痛めるほどの大音量再生が可能なので、注意、とある。

山中先生がスイングシャーナルの組合せの取材でLS5/8を使われた。
その取材に立ち会った人から直接きいた話なのだが、
たしかにパワーは入る。それで気持ちよく聴いていたら、
ウーファーのポリプロピレンコーンが溶けてしまったそうだ。

ボイスコイルが発する熱がポリプロピレンコーンに伝わりそうなったらしい。

話を戻そう。
PM450にしてもPM510にしても新品同様のモノはもう存在しない。
充分に使い込まれ、鳴らし込まれたモノである。
そういうスピーカーシステムと、
でき上ってきたばかりのグラハムオーディオの LS5/8を並べて聴く機会が仮に得られたとしても、
参考程度にはなっても正確な比較試聴は無理である。

比較は想像の上でしか成り立たないのである。
ならば……、と想像してみよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16960


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=16962

私が1982年に購入したロジャースのPM510は、
サランネットを外すにはスピーカー本体を仰向けにして、底板前方にあるネジを二本外さなければならなかった。
いわゆるマジックテープ(面ファスナー)で固定されていたわけではなかった。

今回のグラハムオーディオのLS5/8は写真をみるかぎり、
面ファスナーでサランネットを固定しているようだ。
つまりロジャース時代のLS5/8、PM510はサランネットを装着したままで聴くことを前提としている、
そういう見方ができるのに対し、
グラハムオーディオのLS5/8はフロントバッフルもツキ板仕上げとしていることと考え合わせると、
サランネットなしで聴くことを前提としている、
もしくはサランネットなしで聴くことも想定してある、とみていいのではないか。

もちろんフロントバッフルの仕上げの違いによっても音は変化する。
塗装仕上げとツキ板仕上げでは音は違って当然であり、
サランネット装着を前提としていても、
仕上げによる音の違いを考慮してのツキ板仕上げとも考えられないわけではないが、
どちらかといえばサランネットなしを前提としているように思える。
(このへんは実際に音を聴いてみないことにははっきりとはいえない。)

個人的には音の違いがあったとしても、フロントバッフルは黒で仕上げてほしかった。
これはポリプロピレンという乳白色の半透明の素材であるだけに、
ユニットが取り付けられるバッフルは黒い方が、ポリプロピレンコーンが色気を感じさせてくれる。

そんなふうに見てしまうのは私だけなのかもしれないけれど、
フロントバッフルをツキ板仕上げ(つまり木目)にしてしまうと、
ウーファーがそこだけ浮いてしまうように感じる。

これはPM510のイメージが強く残っているからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16962


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=16977

ロジャースのPM510の記事は、ステレオサウンド 56号が最初だった。
瀬川先生が担当された新製品紹介の記事だった。
夢中になって、何度も何度も読み返した。

チャートウェルのPM450はもう聴けないとわかったので、よけいに読み返していた。
この記事の終りに、こう書かれている。
     *
 同じイギリスのモニター系スピーカーには、前述のようにこれ以前には、KEFの105/IIと、スペンドールBCIIIがあった。それらとの比較をひと言でいえば、KEFは謹厳な音の分析者。BCIIIはKEFほど謹厳ではないが枯淡の境地というか、淡々とした響き。それに対してPM510は、血の気も色気もたっぷりの、モニター系としてはやや例外的な享楽派とでもいえようか。その意味ではアメリカUREIの方向を、イギリス人的に作ったらこうなった、とでもいえそうだ。こういう音を作る人間は、相当に色気のある享楽的な男に違いない、とにらんだ。たまたま、輸入元オーデックス・ジャパンの山田氏が、ロジャースの技術部長のリチャード・ロスという男の写真のコピーをみせてくれた。眉毛の濃い、鼻ひげをたくわえた、いかにも好き者そうな目つきの、まるでイタリア人のような風貌の男で、ほら、やっぱりそうだろう、と大笑いしてしまった。KEFのレイモンド・クックの学者肌のタイプと、まさに正反対で、結局、作る人間のタイプが音にもあらわれてくる。実際、チャートウェルでステヴィングスの作っていたときの音のほうが、もう少しキリリと引緊っていた。やはり二人の人間の性格の差が、音にあらわれるということが興味深い。
     *
チャートウェルのPM450とロジャースのPM510の音の違い、
PM450はキリリと引緊っていて、PM510はモニター計としてはやや例外的な享楽派。
同じスピーカーユニット、同じサイズのエンクロージュア、おそらくネットワークも同じか、
違っていたとしてもそう大きな違いはないと思われるのに、
PM450とPM510には共通した音の性格がありながらも、はっきりとした違いがあることがわかる。

リチャード・ロスの写真も、ステヴィングスの写真も見たことがある。
一枚の写真でどれだけのことがわかるのか──、それはなんともいえないけれど、
ロスとステヴィングスの顔つきは、
レイモンド・クックとリチャード・ロスほどの違いはないけれど、やっぱりずいぶんと違う印象を受ける。

となるとグラハムオーディオのLS5/8の音を想像していく上で重要なのは、
開発スタッフの写真ということになる(?)。
http://audiosharing.com/blog/?p=16977

BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=16984

頼りになるのは瀬川先生の文章である。
ステレオサウンド 56号でのPM510の記事、
それからステレオサウンド 54号の特集でのLS5/8の試聴記がある。
     *
 たまたま、自宅に、LS5/8とPM510を借りることができたので、2台並べて(ただし、試聴機は常に同じ位置になるように、そのたびに置き換えて)聴きくらべた。LS5/8のほうが、PM510よりもキリッと引緊って、やや細身になり、510よりも辛口の音にきこえる。それは、バイアンプ・ドライヴでLCネットワークが挿入されないせいでもあるだろうが、しかし、ドライヴ・アンプの♯405の音の性格ともいえる。それならPM510をQUAD♯405で鳴らしてみればよいのだが、残念ながら用意できなかった。手もとにあった内外のセパレートアンプ何機種かを試みているうちに、ふと、しばらく鳴らしていなかったスチューダーA68ならどうだろうか、と気づいた。これはうまくいった。アメリカ系のアンプ、あるいは国産のアンプよりも、はるかに、PM510の世界を生かして、音が立体的になり、粒立ちがよくなっている。そうしてもなお、LS5/8のほうが音が引緊ってきこえる。ただ、オーケストラのフォルティシモのところで、PM510のほうが歪感(というより音の混濁感)が少ない。これはQUAD♯405の音の限界かもしれない。
 いずれにせよ、LS5/8もPM510も、JBL系と比較するとはるかに甘口でかつ豊満美女的だ。音像の定位も、決して、飛び抜けてシャープというわけではない。たとえばKEF105/IIのようなピンポイント的にではなく、音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象を与える。またそれだから逆に、音ぜんたいがふわっと溶け合うような雰囲気が生れるのかもしれない。
(ステレオサウンド 56号)

最初のモデルにくらべると、低音域を少しゆるめて音にふくらみをもたせたように感じられ、潔癖症的な印象が、多少楽天的傾向に変ったように思われる。しかし大すじでの音色やバランスのよさ、そして響きの豊かになったことによって、いわゆるモニター的な冷たさではなく、基本的にはできるかぎり入力を正確に再生しながら、鑑賞者をくつろがせ楽しませるような音の作り方に、ロジャース系の音色が加わったことが認められる。低音がふくらんでいる部分は、鳴らし方、置き方、あるいはプログラムソースによっては、多少肥大ぎみにも思えることがあり、引締った音の好きな人には嫌われるかもしれないが、が、少なくともクラシックのソースを聴くかぎり、KEF105IIの厳格な潔癖さに対して、やや麻薬的な色あいの妖しさは、相当の魅力ともいえそうだ。
(ステレオサウンド 54号)
     *
54号の試聴記で最初のモデルと書かれているのはチャートウェルのPM450E(LS5/8)のことである。
ここでチャートウェルのLS5/8には潔癖症な印象があり、
それがロジャース版では楽天的傾向になり、
さらにPM510では享楽派となっていたことが読みとれる。

チャートウェルとロジャースでは、音が違う。
とはいえLS5/8というBBCナンバーで発売するスピーカーシステムであるのだから、
ロジャース版の開発を担当したリチャード・ロスも、そこから大きく逸脱することはしなかった──、
そう思えるし、そんな縛りのないPM510では、より積極的であったようにも読める。

つまりPM510ならではの、あの音の世界はリチャード・ロスによる独自の音の世界だとわかる。
ロジャースのLS5/8は聴く機会があった。
PM510と直接比較ではなかったけれど、たしかに瀬川先生が書かれているとおりの音の違いがあった。

そうなるとグラハムオーディオのLS5/8に、PM510の音の世界は、あまり期待しない方がいいだろう。
グラハムオーディオの開発スタッフの写真は見ていると、
そこにリチャード・ロス的雰囲気の人はいない。
http://audiosharing.com/blog/?p=16984


BBCモニター、復権か(LS5/8の復刻・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=16995

グラハムオーディオのLS5/8は、ほぼ間違いなくロジャースのPM510ではなく、
チャートウェルのPM450に近い音を出すであろう。

でも、そのことをあれこれ考えて、というよりも、
グラハムオーディオのLS5/8の写真を見た時からわかっていたことかもしれない。

チャートウェルのLS5/8の別の型番はPM450Eであり、
そのパッシヴ型(LSネットワーク仕様)がPM450であるわけだが、
チャートウェルの、このふたつのスピーカーは、実はフロントバッフルの仕上げが違う。

LS5/8はプロフェッショナル用ということもあって、黒の塗装仕上げ、
PM450はグラハムオーディオのLS5/8と同じようにツキ板仕上げである。
PM450は、ウーファーの水平方向の指向特性を改善するために、
ウーファーをフロントバッフルの裏側から取り付け、開口部を丸ではなく矩形にしているのに対し、
グラハムオーディオは矩形ではなく丸である。

ロジャースのモノも初期の製品では矩形だったが、すぐに丸に変更になっている。
ただしいずれもウーファーはフロントバッフルの裏から取り付けている。
つまりウーファーのフレームが露出しておらず、
この部分からの輻射の影響を抑えている。

チャートウェルのPM450の写真は、ステレオサウンド 62号掲載のオーディオクラフトの広告で見れる。
当時のオーディオクラフトの社長であった花村圭晟氏は、チャートウェルのPM450を、
「完全に私の好み」と表現されている。

花村氏のPM450は本来別の人のモノだったが、無理をいって借りて鳴らされていた。
広告にはこう書いてある。
     *
私は森田さんのお宅に伺うたびに、ほれにほれ込んで……といっても絶版ではどうにもなりませんしね。ロジャースの510が登場した時はしめたとばかりに飛びついたんですけどね。しかしオーディオは面白いもんでして、作る人間が変ると同じような技術でも音が違うんですね。確かに同じ系列のスピーカーシステムなんだけど、私はほれた女が悪かった。良すぎたんですね。結局510は現在お蔵入り……。510もいいスピーカーなんですけどね。
     *
花村氏はグラハムオーディオのLS5/8を聴かれたら、なんといわれるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16995
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c126

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
127. 中川隆[-5682] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:48:59 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[28]
Date: 5月 30th, 2015
BBCモニター、復権か(胴間声)
http://audiosharing.com/blog/?p=17238
BBCモニターの開発において、
指向特性、周波数特性、位相特性、リニアリティ、高調波歪率、混変調歪率、
インパルスレスポンスなどの諸特性が測定されるともに、
耳による試聴も重要となる。

BBCモニターが開発時の試聴には、
ノイズ(ランダムノイズ)、スピーチ、音楽ソースを使い、
多角的に行っている、とされている。

ノイズテストは、二種類のスピーカーをきりかえながら、ノイズのスペクトラムを判断するのが有効であり、
スピーチは男性アナウンサーが使われることは、
ショーターの論文にある、と岡先生が以前書かれていた。

男性アナウンサーのスピーチが使われていることは、
BBCモニターに関心をもつ人ならば当然知っていることであった。

男性アナウンサーのスピーチは、スピーカーに強い共振があれば胴間声になりやすい。
BBCモニターで男性アナウンサーの声を聴いてみると、
決して胴間声になることはない。とにかく明瞭にスピーチが聞き取れることに気づく。

以前ならば、BBCモニターでは胴間声にならないんだよ、といえば通じた。
けれど、いまは「胴間声?」と聞き返されることもある。

胴間声とは……、という説明をしなくてはならないこともある。
胴間声は死語とまではいかなくとも、それに近くなりつつあるのか。

BBCモニターがさっぱり話題にならなくなった時期がある。
胴間声が通じなくなったことと無関係ではないと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17238
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c127

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
128. 中川隆[-5681] koaQ7Jey 2021年4月15日 17:50:05 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[29]
Date: 6月 9th, 2015
BBCモニター、復権か(音の品位・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17343
「コンポーネントステレオの世界 ’82」をひっぱり出してきて、
巻頭鼎談「あなただけの音楽を、音を探す旅にでよう コンポーネントはそのための興味ぶかい乗物だ」を
読みなおしていた。
この鼎談は岡先生、菅野先生、黒田先生によるものだ。

この鼎談、いま読み返してみると、やっぱりあれこれ思ってしまう。
この鼎談が行われたのは1981年の秋ごろだろう。
もう30年以上が経過している。

ここで語られていたことは、その後、どうなっていったのか。
そのことを考えながら読み返すことの興味深さは、
当時読んだときには味わえなかったものが、とうぜんのことながらある。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」をお持ちの方は、ぜひ読み返してほしい。

この鼎談の中に、音の品位について語られているところがある。
ここには瀬川先生の名前も出てくる。
     *
菅野 これは先日亡くなられた瀬川冬樹さんからきいた話ですが、あるとき、若いファンが瀬川さんに、よく先生方は、この音は品位があるからいいとか、品位が高いとかいわれるけど、その品位という意味がよくわかりません、という質問をされたそうです。ぼくもこれはいろんな意味で、たいへんおもしろい問題提起だと思う。たしかに説明しろといわれてもたいへんこまるし、ひとことで理解させるということは至難の技だと思ったけれど、強いていうとクォリティというのは、そういった意味に近いわけですね。
黒田 ぼくもそうなんです。
菅野 そうですよね。だから、決して物理特性のいいものを品位が高いとはいわない。クォリティを日本語に訳すと、品質ということになるから、これまたこまってしまう(笑い)。それで品位という言葉を使う。だから品位という言葉は、ある意味ではずるくてあいまいで、あやふやなところがある言葉だから、わからないというのはたいへん率直な質問だと思うんです。ただ、そういうものが音楽を聴く場合には大切な要素として存在しますから、あいまいであるけれども、品位という言葉を使わざるをえないわけです。
     *
音の品位。
品位は英語ではdignity、graceとなる。
この鼎談のころは、グレースというカートリッジの老舗ブランドがあった。
そんなことも思い出しながら、dignityとgraceとでは、ここでの音の品位は後者だろうな、と思いつつも、
人によっては前者のほうを思い浮べることはあろう。

音の品位といっても、人によって同じ場合もあれば違う場合もある。
これも「コンポーネントステレオの世界 ’82」で語られている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17343


BBCモニター、復権か(音の品位・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の鼎談では、音の品位に関して、
岡先生が《菅野さんのいっている品位という意味と、瀬川さんのいっている品位というのは、また違うんでしょう》
と発言されている。

菅野先生もそのことは認められていていて、
《違う場合もありますし、同じ場合もあります》と答えられ、続けてこう語られている。
     *
だから品位ということがもし普遍的に理解される概念をもつとすれば、コンポーネントには品位があってしほいわけです。しかしこの言葉は普遍的な概念としてとらえるのはむつかしいですから、何となくクォリティというほうが多少はとらえやすいような気がするんで、クォリティというふうにいっているわけです。
     *
(その1)で引用した菅野先生の発言からわかるように、
この鼎談が行われたのは瀬川先生が亡くなられた直後である。

ここに瀬川先生がおられたら、音の品位についてどう語られたであろうか。

音の品位。
最近のステレオサウンドにはどのくらい登場するであろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」のころ、音の品位がわからないと瀬川先生にたずねた若いファンは、
50をこえているであろう。
まだオーディオを趣味としている人なのか。
だとしたら、この若いファンは、音の品位を、その後どう捉え理解していったのだろうか。

たしかに音の品位について明快に語るのは非常に難しい。
もし私が若いオーディオマニアに、音の品位についてたずねられたらどうするか。
音を出して語れるのであれば、
音の品位を感じさせてくれるオーディオ機器(特にスピーカーシステム)を選んで聴いてもらう。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の当時であれば、私ならばBBCモニターを選んで鳴らす。
瀬川先生もそうされたのではないだろうか。
他のスピーカーも選ばれたであろうが、BBCモニターは間違いなく鳴らされたであろう。

だがいまは2015年。
どのスピーカーシステムを選んで鳴らすだろうか。
クォリティの高いスピーカーシステムはいくつも頭に浮ぶ。

でも、ここでは音の品位であって、
クォリティ(品質)とは微妙に、でもはっきりと違う音の性質についてである。

いったい何があるのかと考えると、音の品位については、
昔と今とでは、どちらが理解されていたであろうか、ということについて考えざるをえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17377

BBCモニター、復権か(音の品位・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17380

音の品位に関して、菅野先生と瀬川先生で違っているところは、どういうところで、どういうことなのか。
このことについての大きなヒントは、ステレオサウンド 60号の特集にある。

60号の特集は「サウンド・オブ・アメリカ」。
1920年代に建てられたという、90uの広さの旧宮邸を試聴室として、
当時のステレオサウンドの試聴室にはおさまっても、
サイズ的に大きすぎるスピーカーシステムを集めての試聴となっている。

この特集にはアルテックのA5、MANTARAY HORN SYSTEMのほかに、A4も含まれている。
他にはJBLのパラゴン、4345、4676-1、インフィニティのIRS、クリプシュのKLIPSCHHORN II K-B-WO、
ウェストレイクのTM3、ESSのTRANSAR III、エレクトロボイスのパトリシアン800などがあり、
マッキントッシュのXRT20もそうである。

このXRT20のページにおける菅野先生と瀬川先生のやりとりこそ、
ふたりの音の品位についての違っているところが、はっきりとあらわれている。

瀬川先生はXRT20の音について、こう語られている。
     *
 ただ、ぼくは今聴いているとちょっと不思議な感じを抱いたのだけれど、鳴っている音のディテールを論じたら違うんですが、全体的なエネルギーバランスでいうと、いまぼくがうちで鳴らしているJBL4345のバランスに近いんです。非常におもしろいことだと思う。もちろん細かいところは違います。けれども、トータルなごく大づかみな意味ではずいぶんバランス的に似通っている。ですから、やはり現在ぼくが鳴らしたい音の範疇に飛び込んできているわけです。飛び込んできているからこそ、あえて気になる点を言ってみると、菅野さんのところで鳴っている極上の音を聴いても、マッキントッシュのサウンドって、ぼくには、何かが足りないんですね。かなりよい音だから、そしてぼくの抱いている音のイメージの幅の中に入ってきているから、よけいに気になるのだけれども……。何が足りないのか? ぼくはマッキントッシュのアンプについてかなり具体的に自分にとって足りない部分を言えるつもりなんですけれども、スピーカーの音だとまだよくわからないです。
     *
瀬川先生が「何かが足りない」といわれているものとは、いったいなんなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17380


BBCモニター、復権か(音の品位・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

ステレオサウンド60号で瀬川先生が発言された「何か」については、
菅野先生なりに、JBLの4345とマッキントッシュのXRT20の違いについて語られている。
長くなるので引用は控えておくが、ひとことで言えば、音の輪郭のシャープさである。
ただそれもはっきりとわかる違いとしてではなく、
《ほんの紙一重の違いの輪郭の鮮かさの部分》としてである。

瀬川先生も、このことにはほぼ同意されている。
     *
瀬川 ぼくが口に出すとオーバーになりかねないと言ったところは、ほぼ菅野さんのいうところと似ていますね。確かに輪郭のシャープさ、そこでしょう。
 ぼくに言わせれば、そのシャープさから生まれてくる一種の輝き──同じことかもしれないんですが──それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分なんですね。それがあった方がいいとかない方がいいとかいう問題じゃない。JBLはあくまでもそういう音なんだし、マッキントッシュはあくまでもあの音なんで、そこがとにかく違いだと。
     *
「何か」のひとつは、音の輪郭のシャープさで間違いない。
けれど、あくまでも「何か」のひとつであって、すべてではない。
他の「何か」とはについて、瀬川先生の発言を拾ってみよう。
     *
瀬川 それから、菅野さんが指摘された弦、木管、これは、4345のところでも言ったように、弦のウッドの音が4345まで良くなって、やはりそれ以上のスピーカーがあるということを思い知らされた。ただ、ぼくにとって、特に弦といっても室内楽の、比較的インティメイトな弦の鳴り方、あるいは木管でもそこに管が加わったりクラリネットの五重奏とか、要するにオーケストラまでいったってそれは構わない、とにかく弦なり木管のインティメートな温かい感じね──なめらかな奥行きを伴った──それは、ぼくはマッキントッシュじゃ不満なんですよ。どっちみちぼくはアメリカのスピーカーじゃその辺が鳴らないという偏見──偏見とはっきり言っておきますが──を持っていますので。ぼくのイメージの中ではそれはイギリス(ないしはヨーロッパ)のスピーカーでなくては鳴らせない音なのです。どうせJBLで鳴らせない音なら、マッキントッシュへいくよりは海を渡っちゃおうという気がする。
     *
この弦の音。
ここにマッキントッシュのXRT20に対する菅野先生と瀬川先生の評価の違いがある。
後少しステレオサウンド 60号から世が和戦瀬戸菅野先生の発言を引用しておく。
     *
瀬川 あなたの家で「これ、弦がいいんだ」とヴァイオリンを聴かせてくれましたね。ところが、ぼくはやっぱりあのヴァイオリンの音はだめなんだ。
菅野 ぼくがいままで、ぼくの装置だけじゃない、常にずうっとJBLを好きでいろいろなところで聴いてきているでしょう。しかし、どうしてもJBLではあそこへはいかないわけ。
瀬川 JBLじゃ絶対いかない。だから、ぼくはそれがJBLで出ると言っているのじゃなくて、いっそのことヨーロッパへいってしまおうと思う。
菅野 確かにヨーロッパにはマッキントッシュに近いものがあるね(笑い)。それと同時に、ヨーロッパのスピーカーで不満なのは、ぼくは絶対的にジャズ、ロック、フュージョンが十全に鳴らせないことなんだ。ところが、マッキントッシュは、一台でその両方が出せる。これが、総合的にマッキントッシュに点数がたくさんついちゃう原因なんですね。
     *
菅野先生と瀬川先生の、音の品位に関して違っているところが、まさにここである。
http://audiosharing.com/blog/?p=17451

BBCモニター、復権か(音の品位について書いていて)
http://audiosharing.com/blog/?p=17453

音の品位について書いている。
音の品位を言葉で表していくことは確かに難しい。

例えば試聴記に「品位」がどの程度出てきて、
どういう意味で使われているのかを探ろうとしても、
さまざまな試聴記を読めば読むほど、わからなくなってしまうという人がいても不思議ではないし、
実のところ、よくわからないという人の方が多いのかも知れない、とも思えてくる。

私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)で、「品位」で検索してみると、
かなりの数が表示される。

文字だけで音の品位について理解しようと思っても、それはそうとうに困難というか無理なことではないのか、
そう思えてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17453


Date: 6月 2nd, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=25912
(その4)までで引用してきたステレオサウンド 60号での試聴は、
個別の試聴ではなく全員での試聴である。
瀬川先生も菅野先生も、同席されての試聴である。

音の品位は、なにもスピーカーについてのみいえるのではなく、
アンプについても、カートリッジに関しても、他のオーディオ機器であってもいえる。
けれど、もっとも感覚的に捉えられるのは、やはりスピーカーである。

60号の一年半前にステレオサウンドは、スピーカーの試聴を行っている。
54号である。
この時の試聴は、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によるものだが、
個別試聴である。
試聴レコードも三氏で違うし、
スピーカーを鳴らすオーディオ機器(プレーヤー、カートリッジ、アンプ)も三氏皆違う。

それに試聴方法も違っている。
スピーカーだから、そのセッティングが重要になるわけだが、
ここも微妙に違っている。

そのうえで、特集の鼎談を読むわけだが、
ここでも音の品位について、菅野先生と瀬川先生とでは、
完全に一致しているわけではない。

たとえばグルンディッヒのProfessional BOX 2500。
     *
菅野 私は、瀬川さんがこのスピーカーに、まあ9点はびっくりしましたが、8点くらいつけるのはよくわかる気がします。瀬川さんは、あるところ非常にハードに厳しいけれど、あるところすごく甘いところがあるように思う。徹底してどちらかにいってしまう。
瀬川 ……(苦笑)。
菅野 引っかかると徹底的にハードを追求し、引っかからないと徹底的にハードを無視してソフトに行くという、そういう性癖がある(笑い)。
 このグルンディッヒはひっかかってきたひとつだと想うのです。まず音が非常に電蓄的ですね。先ほど古いとおっしゃったが、まさにその通りでノスタルジーは感じます。しかし、今日の水準で聴くと、クォリティ面で、特にユニット自体の品位があまり高くないことが露呈してくる。
瀬川 そうですか? 品位は高いと思いますけれど……
菅野 それは全体としてでしょう。バランスはそれなりにとれていると思いますが、たとえば低域は、なかなか重厚といえば重厚だが、よく聴くとボコボコですよ。
瀬川 私が鳴らすとボコボコいわないんてすよ。
     *
編集部によると、Professional BOX 2500での三氏が鳴らす音に、
それほど大きな違いはなかった、とあるが、
三氏がそれぞれに指摘している長所、短所は、同席していて納得がいくともある。

Professional BOX 2500は、60号でのマッキントッシュのXRT20とは反対に、
菅野先生は品位がない、と感じ、瀬川先生は品位があると感じられた例である。
http://audiosharing.com/blog/?p=25912


Date: 6月 4th, 2018
BBCモニター、復権か(音の品位・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=25931

ステレオサウンド 54号の特集に登場したスピーカーシステムで、
音の品位に関して、瀬川先生と菅野先生の意見が食い違っている機種は、他にもある。

エレクトロボイスのInterface:AIIIとInterface:DIIにおいては、
瀬川先生はInterface:DIIの方を高く評価され、
Interface:AIIIに関しては力に品位が伴っていない、と。

一方菅野先生は、どちらのエレクトロボイスも評価されている。
Interface:AIIIの力に品がないとは聴こえなかった、といわれている。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500も、
エレクトロボイスの二機種、どちらも私は聴く機会がなかった。

なのではっきりしたことはいえないのだが、
もし新品に近い状態の、これらのスピーカーシステムを聴くことがあったとしたら、
音の品位に関しては、瀬川先生寄りのところに、私の印象はあるのではないか、と思う。

これが音の品位ではなく、音の品質ということだったら、
あまり食い違いは起こらないはすだ。
なのに品位ということになると、ここに挙げた機種以外にも微妙な違いが感じられる。

それでいて、たとえばスペンドールのBCII。
54号には登場していないが、この素敵なスピーカーに関しては、
菅野先生も瀬川先生も、音の品位に関しては一致している。

あまり古いスピーカーばかりに例に挙げても、
イメージがまったく涌かない、という人も少なくないだろう。

ならばB&Wの800シリーズはどうだろうか。
ステレオサウンドでも高い評価を得ている。
優秀なスピーカーの代表格のようにもいわれている。

私も、優秀なスピーカーだとは思っている。
けれど、このスピーカーの音には、品位があるのだろうか、と思うことがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=25931


BBCモニター、復権か(音の品位・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26645

音の品位について語ることの難しさがあるのを実感している。
音の品位に関係してくるものに、教養のある音、というのがある。

この表現も、わかったようなわからないようなものだ。
その教養のある音にも、音の品位にも関係してくるのに、いぶし銀がある。

いまでも、音の形容詞として、このいぶし銀は使われているのだろうか。

ステレオサウンド 207号にタンノイのスピーカーは、
EatonとArden、Kensington/GRの三機種が対象となっているが、
その試聴記に、いぶし銀が出てくるのは、和田博巳氏担当のArdenだけだ。

いぶし銀はいつごろから使われているのだろうか、
ということを九年前に「井上卓也氏のこと(その20・補足)」で書いている。

いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
     *
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     *
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことなのだから、
音を銀でいぶしたような──は、正しい表現とはいえないわけだが、
とにかく英国の「教養ある音」のことであり、
それがいつしかタンノイの音の代名詞のようになっていったのではないだろうか。

とはいえ、この「いぶし銀」でどういう音をイメージするのかは、
そうとうに人によって違うようにも感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26645


BBCモニター、復権か(音の品位・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26648

教養ある音、とひとつ前に書いた。
この「教養ある音」も、わかりやすいようで、
いざ誰かに説明しようとなると、なかなか難しいことに気づく。

目の前にいくつものスピーカーがあって、
その中に、私が教養ある音を感じる音を出すスピーカーと、
その反対に教養のない音といいたくなる音のスピーカーをふくめて、
いくつかのスピーカーが用意されていたら、説明は少しは楽になり、
具体的になっていく。

けれど、いざ言葉だけで、
しかも教養ある音という意味をまったく理解していないと思われる人にどう説明するか。
結局、教養ない音を説明していくしかないのか、と思う。

私の表現力が足りないといえばそれまでであるのだが、
それでも教養ある音を見事に説明している表現に出合っていない。

たとえば別項「オーディオ機器の付加価値(その5)」に登場する人は、教養ある、とはいわない。

知識はいっぱい持っている。知識欲も高い。ついでに学歴も高い。
それが教養ある人じゃないか、といわれると、これの説明もまた困るけれど、
堂々めぐりすることになるが、結局、品がないのだ。

音の品位について書いていて、
そこでいぶし銀、教養ある音を持ち出してきておいて、
それらについて満足に説明せずに、品がない、と言ってしまう。

いいかげんな説明(にもなっていないのはわかっている)だ。
それでも、品がない、のだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26648


Date: 1月 7th, 2020
BBCモニター、復権か(音の品位・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=31022

大辞林には、教養とは次のように記してある。
(1)おしえそだてること。「父は其子を—するの勤労を免かれ/民約論(徳)」
(2)社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「—を身につける」
(3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕
単なる知識ではなく,人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。

教養ある音の「教養」とは、三番目か。
単なる知識ではなく、とある。
スピーカーの音にあてはめれば、単なる情報量ではなく、ということになろうか。

情報量ということでは、
1970年代から1980年代にかけてのBBCモニターよりも、
同クラスの現代のスピーカーシステムのほうが、上であるモノが多い、といえよう。
それに情報量の多さだけでなく、精度の高さでも、上といえよう。

古いスピーカー(に限らず古いオーディオ)をまったく認めない人たちからすれば、
私が教養ある音といっている音を出してくれるスピーカーは、
情報量の少なさを、
教養ある音、という、ひじょうに曖昧な、正体不明の音でごまかしているだけではないか──、
そんな声が挙ってもこよう。

現代の優れたスピーカーの視点からすれば、
足りないところもあったといえるのは、事実である。

1970年代に登場したBBCモニターとその系列のイギリスのスピーカーシステムは、
現在のスピーカーからすれば、制約もいくつかあった。

四十年間に、スピーカーの技術は進歩している。
けれど、音、それも音の品位ということではどうだろうか。

《人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる》音といえるだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=31022
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c128

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
20. 中川隆[-5680] koaQ7Jey 2021年4月15日 18:22:20 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[30]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 4月 22nd, 2015
モニタースピーカー論(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=16844

「正しい音はなにか?」を書いていて、モニタースピーカー論が書けるような気がしてきた。

ステレオサウンド 44号、45号はスピーカーシステムの特集だった。
46号もスピーカーの特集号だったが、44号、45号が基本的にコンシューマー用スピーカー中心だったのに対し、
46号では「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」と題して、
世界各国のモニタースピーカーの特集だった。

特集の冒頭には、
岡先生による「モニタースピーカー私論」、
菅野先生による「レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー」、
瀬川先生による「モニタースピーカーと私」が載っていた。

世の中にはMonitor Speaker、もしくはStudio Monitorと呼ばれるスピーカーシステムがある。
これらはプロ用スピーカーとも呼ばれることもある。
録音スタジオ、放送局などで使われるスピーカーシステムのことをモニタースピーカー、
もしくはスタジオモニターという。

では「モニタースピーカーとは何か?」となると、
ステレオサウンド 46号の三氏の文章をどれだけ読もうとも、
明解な答が得られたと思えない。

モニタースピーカーだからといって、
コンシューマー用スピーカーと違う方式のユニットが採用されているわけではない。
むしろコンシューマー用スピーカーのほうが、さまざまなユニットが使われているともいえる。
それでもモニタースピーカーもそうでないスピーカーも、基本的に同じといえる。

にもかかわらず、モニタースピーカーとそうでないスピーカーとの間には境界線がある。
はっきりとその境界線を見定めようとすればするほど、
その境界は曖昧なものであることに気づかされる。

それでもモニタースピーカーの定義を考えている。

いままでモニタースピーカー論は避けてきたテーマである。
まだどこまで書けるのか自信がないようなところもある。
それでも「正しい音とはなにか?」を書いてきて、
なんとなくではあるが「モニタースピーカーとは何か?」について答が得られそうな気がしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=16844


モニタースピーカー論(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=16885

数年前だった。ある中古オーディオ店にセレッションのDitton66が置いてあった。
懐しいスピーカーだなぁ、と近づいてみて気づいた。
銘板にDitton66の他に、”Studio Monitor”とあったことを、この時初めて知った。

Ditton66は1970年半ばのスピーカーシステムである。
ややトールボーイ型のエンクロージュアに、
30cm口径のウーファー、5cm口径のドーム型スコーカー、2.5cm口径のドーム型トゥイーター、
それに低域はパッシヴラジエーター(セレッションではABRと呼んでいた)の3ウェイ。

Ditton66の音は、暖かく、どこか保守的なイメージを残す響きをもつ。
ゆえに鮮明さ、鮮鋭さといった印象は、Ditton66にはない。
音のアラさがしをするような聴き方に向いていない。

イギリスならではのグッドリプロダクションな聴き方に、もっともフィットするスピーカーといえる。
そういう性質のスピーカーに、セレッションは銘板に”Studio Monitor”と入れている。
そのことが、だからすごく意外な感じだった。

当時のセレッションのスピーカーシステムには、DittonシリーズとULシリーズがあった。
瀬川先生もステレオサウンド 45号、Ditton33の試聴記に書かれているように、
ULシリーズは音をより正確に再生するシリーズであり、
Dittonシリーズはホームユースとして楽しめる音をねらっている、といえる。
ULシリーズはその後SLシリーズへなっている。

だからULシリーズを”Studio Monitor”と謳うのは、まだ理解できる。
けれどDitton66を”Studio Monitor”と謳っているのを見て、考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16885

モニタースピーカー論(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=16958

もし私が録音の仕事をすることになり、
モニタースピーカーとしてセレッションのDitton66しかない、といわれたら、
録音する音楽にもよるが、文句を言わずにDitton66を使うであろう。

コンシューマー用スピーカーとして、
というよりも家庭用スピーカーとしてといいかえたようがいいけれど、
Ditton66は好ましいスピーカーであり、充分な性能を持っている。

それでもDitton66の銘板に”Studio Monitor”とあることには、少々違和感をおぼえる。
“Studio Monitor”のStudioとは録音スタジオを示す。
レコード会社の録音スタジオ、放送局の録音スタジオということになる。
そこでスピーカーで聴くのは、ほとんどすべて音楽といえよう。

家庭できくのもほとんどが音楽である。
ならば性能が優秀なスピーカーシステムであれば、
モニタースピーカーとしてすべて使えることになるわけではないのか。

なのに、なぜモニタースピーカーという括りがあるのか。

たしかにスタジオでも家庭でも音楽であることに相違ないが、
微妙に違う点もまたある。

まずスタジオではマイクロフォンが拾った音をそのままスピーカーから聴くこともある。
すべてが録音された音楽を聴く家庭とは、ここが大きく違う。

マイクロフォンから直に音が来る──、
そういう音を体験してみると、いかに録音された音と違うのかがわかる。
つまりスタジオモニター、モニタースピーカーとは、
マイクロフォンから直に来る音を聴くためのスピーカーでもあるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=16958


モニタースピーカー論(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=16975

もちろんモニタースピーカーでも録音された音を聴く。
その意味では家庭用スピーカーと同じではないか、と思われるかもしれないが、
ここにも違いがある。

マスターテープの音とLPなりCDになった音との違いもあるが、
それ以上に違いがあるのは、
家庭で聴くのは、いわばまとめられた音楽である、ということである。

そのまとめ方のうまいへた(つまり録音の良し悪しに関係してくる)はあるけれど、
2チャンネル・ステレオで再生するための音源として仕上げられている(まとめられている)。

そのまとめられているものを制作するのがスタジオであり、
そこで使われるのがモニタースピーカーである。

完全なワンポイントマイクロフォンによる録音ならば、
このことはいえないけれど、マルチマイクロフォン、さらにマルチトラックでの録音となると、
いわばバラバラに収録したものを編集・構成して、ひとつの音楽をまとめる。

つまりモニタースピーカーに要求される性能とは、
その作業のために必要な十分な性能ということになる。
http://audiosharing.com/blog/?p=16975

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c20

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論


Date: 4月 22nd, 2015
モニタースピーカー論(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=16844

「正しい音はなにか?」を書いていて、モニタースピーカー論が書けるような気がしてきた。

ステレオサウンド 44号、45号はスピーカーシステムの特集だった。
46号もスピーカーの特集号だったが、44号、45号が基本的にコンシューマー用スピーカー中心だったのに対し、
46号では「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」と題して、
世界各国のモニタースピーカーの特集だった。

特集の冒頭には、
岡先生による「モニタースピーカー私論」、
菅野先生による「レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー」、
瀬川先生による「モニタースピーカーと私」が載っていた。

世の中にはMonitor Speaker、もしくはStudio Monitorと呼ばれるスピーカーシステムがある。
これらはプロ用スピーカーとも呼ばれることもある。
録音スタジオ、放送局などで使われるスピーカーシステムのことをモニタースピーカー、
もしくはスタジオモニターという。

では「モニタースピーカーとは何か?」となると、
ステレオサウンド 46号の三氏の文章をどれだけ読もうとも、
明解な答が得られたと思えない。

モニタースピーカーだからといって、
コンシューマー用スピーカーと違う方式のユニットが採用されているわけではない。
むしろコンシューマー用スピーカーのほうが、さまざまなユニットが使われているともいえる。
それでもモニタースピーカーもそうでないスピーカーも、基本的に同じといえる。

にもかかわらず、モニタースピーカーとそうでないスピーカーとの間には境界線がある。
はっきりとその境界線を見定めようとすればするほど、
その境界は曖昧なものであることに気づかされる。

それでもモニタースピーカーの定義を考えている。

いままでモニタースピーカー論は避けてきたテーマである。
まだどこまで書けるのか自信がないようなところもある。
それでも「正しい音とはなにか?」を書いてきて、
なんとなくではあるが「モニタースピーカーとは何か?」について答が得られそうな気がしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=16844


モニタースピーカー論(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=16885

数年前だった。ある中古オーディオ店にセレッションのDitton66が置いてあった。
懐しいスピーカーだなぁ、と近づいてみて気づいた。
銘板にDitton66の他に、”Studio Monitor”とあったことを、この時初めて知った。

Ditton66は1970年半ばのスピーカーシステムである。
ややトールボーイ型のエンクロージュアに、
30cm口径のウーファー、5cm口径のドーム型スコーカー、2.5cm口径のドーム型トゥイーター、
それに低域はパッシヴラジエーター(セレッションではABRと呼んでいた)の3ウェイ。

Ditton66の音は、暖かく、どこか保守的なイメージを残す響きをもつ。
ゆえに鮮明さ、鮮鋭さといった印象は、Ditton66にはない。
音のアラさがしをするような聴き方に向いていない。

イギリスならではのグッドリプロダクションな聴き方に、もっともフィットするスピーカーといえる。
そういう性質のスピーカーに、セレッションは銘板に”Studio Monitor”と入れている。
そのことが、だからすごく意外な感じだった。

当時のセレッションのスピーカーシステムには、DittonシリーズとULシリーズがあった。
瀬川先生もステレオサウンド 45号、Ditton33の試聴記に書かれているように、
ULシリーズは音をより正確に再生するシリーズであり、
Dittonシリーズはホームユースとして楽しめる音をねらっている、といえる。
ULシリーズはその後SLシリーズへなっている。

だからULシリーズを”Studio Monitor”と謳うのは、まだ理解できる。
けれどDitton66を”Studio Monitor”と謳っているのを見て、考えてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=16885

モニタースピーカー論(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=16958

もし私が録音の仕事をすることになり、
モニタースピーカーとしてセレッションのDitton66しかない、といわれたら、
録音する音楽にもよるが、文句を言わずにDitton66を使うであろう。

コンシューマー用スピーカーとして、
というよりも家庭用スピーカーとしてといいかえたようがいいけれど、
Ditton66は好ましいスピーカーであり、充分な性能を持っている。

それでもDitton66の銘板に”Studio Monitor”とあることには、少々違和感をおぼえる。
“Studio Monitor”のStudioとは録音スタジオを示す。
レコード会社の録音スタジオ、放送局の録音スタジオということになる。
そこでスピーカーで聴くのは、ほとんどすべて音楽といえよう。

家庭できくのもほとんどが音楽である。
ならば性能が優秀なスピーカーシステムであれば、
モニタースピーカーとしてすべて使えることになるわけではないのか。

なのに、なぜモニタースピーカーという括りがあるのか。

たしかにスタジオでも家庭でも音楽であることに相違ないが、
微妙に違う点もまたある。

まずスタジオではマイクロフォンが拾った音をそのままスピーカーから聴くこともある。
すべてが録音された音楽を聴く家庭とは、ここが大きく違う。

マイクロフォンから直に音が来る──、
そういう音を体験してみると、いかに録音された音と違うのかがわかる。
つまりスタジオモニター、モニタースピーカーとは、
マイクロフォンから直に来る音を聴くためのスピーカーでもあるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=16958


モニタースピーカー論(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=16975

もちろんモニタースピーカーでも録音された音を聴く。
その意味では家庭用スピーカーと同じではないか、と思われるかもしれないが、
ここにも違いがある。

マスターテープの音とLPなりCDになった音との違いもあるが、
それ以上に違いがあるのは、
家庭で聴くのは、いわばまとめられた音楽である、ということである。

そのまとめ方のうまいへた(つまり録音の良し悪しに関係してくる)はあるけれど、
2チャンネル・ステレオで再生するための音源として仕上げられている(まとめられている)。

そのまとめられているものを制作するのがスタジオであり、
そこで使われるのがモニタースピーカーである。

完全なワンポイントマイクロフォンによる録音ならば、
このことはいえないけれど、マルチマイクロフォン、さらにマルチトラックでの録音となると、
いわばバラバラに収録したものを編集・構成して、ひとつの音楽をまとめる。

つまりモニタースピーカーに要求される性能とは、
その作業のために必要な十分な性能ということになる。
http://audiosharing.com/blog/?p=16975

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1173.html

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論 中川隆
1. 中川隆[-5679] koaQ7Jey 2021年4月15日 19:03:15 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[31]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 6月 10th, 2015
モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17350

ソニーのもうひとつのオーディオブランドであったエスプリ。
エスプリ・ブランドの最初のスピーカーシステムは、APM8だった。


ESPRIT APM-8
¥1,000,000(1台、1979年頃)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html

ESPRIT APM-6Monitor ※受注生産品
¥500,000(1台、1981年6月発売)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html


1978年に登場したこのスピーカーシステムは、

当時日本のメーカーで流行ともいえた平面振動板が採用されている。
しかも当時日本で驚異的な売上げであったJBLの4343をはっきりと意識していた構成であった。
4ウェイで、外形寸法も4343とほぼ同じといえる。

だから、当時の私は、エスプリ(ソニー)によるスタジオモニターというふうに捉えていた。
けれど、エスプリからは二年後にAPM6が登場した。

こちは2ウェイ。価格はAPM8の100万円(一本)に対し、50万円と、
ユニットの数も半分ならば価格もちょうど半分となっている。

もちろんAPM6もアルミハニカムを採用した平面振動板のユニットである。
こんなふうに書いていると、APM8の弟分として開発されたのがAPM6というふうに受けとめられるかもしれない。

けれどAPM8は、型番の末尾に何もつかなかった。
APM6にはMonitorとついている。
APM6の正式型番はAPM-6 Monitorである。

APM6とAPM8の違いは、Monitorがつくのかつかないのか、
ユニットの数が二つなのか四つなのか、という違いの他に、
エンクロージュアの考え方に大きな違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=17350


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17361

エスプリ(ソニー)のAPM8は、
ステレオサウンド 53号の新製品紹介で初登場し、
54号の特集「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」にも登場している。

新製品紹介では井上先生、山中先生によって評価され、
54号の特集では、黒田先生、菅野先生、瀬川先生によって試聴されている。

黒田先生は、試聴記の冒頭に《このスピーカーには、完全に脱帽する》と書かれている。
試聴記の最後はこう結ばれている。
     *
いつの日かここでそのように口走ったことを後悔するのがわかっていて、これをパーフェクトだといってしまいたい誘惑に抗しきれない。すばらしいスピーカーだ。
     *
この特集の冒頭に「スピーカーテストを振り返って」という座談会が載っている。
編集部から、今回聴いた46機種のスピーカーの中で、
一台を自宅に持ち帰るとすればどれを選ぶかという質問がある。

ここでも黒田先生は《迷うことなくエスプリAPM8です」と答えられている。

菅野先生、瀬川先生の評価も高い。
ふたりとも一本100万円という価格がひっかかって、推選、特選機種とはされていない。
瀬川先生も菅野先生も価格が半値であったら10点をつけるといわれていてる。
さらに菅野先生は、
《今回のテストで、最も印象づけられたスピーカーなのです》とつけ加えられている。

瀬川先生は《あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはないですね」といわれ、
試聴記にあるように《レベルコントロールの0.5dBの変化にも反応する!》、
こんなスピーカーは他にはない、とまでいわれている。

APM8がきわめて優秀なスピーカーシステムであることが伝わってくる。
そしてAPM8は、スタジオモニターとしての性能をもっているとも感じていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=17361


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

ステレオサウンド 54号、瀬川先生のAPM8の試聴記には、
《レベルコントロールには0・1dBきざみの目盛が入っているが、実際、0・5dBの変化にもピタリと反応する。調整を追い込んでゆけば0・3dB以下まで合わせこめるのではないだろうか。これほど正確に反応するということは、相当に練り上げられた結果だといえる。》
とある。

つまりAPM8には、連続可変型のレベルコントロールがついていた。
APM6には、レベルコントロールはついていない。
当時は、これが意味することがわかっていなかった。

レベルコントロールがないんだ、ぐらいにしか捉えていなかった。
このことと、APM8とAPM6のエンクロージュアの形式の違いは密接に関係している。

APM8はソニー・ブランドで出ていたSS-G9の平面振動板タイプと、外観上はそういえるところがある。
ほぼ同じ寸法のエンクロージュアに、レベルコントロールと銘板の位置もほぼ同じである。
そして特徴的であるAGボード(アコースティカル・グルーブド・ボード)の採用。

縦横溝が刻まれたフロントバッフルは、波長の短い中高域を拡散させるものである。
APM8にもAGボードは採用されている。

SS-G9はコーン型、ドーム型ゆえ、ユニットの形状は円であり、バスレフポートの開口部も円。
APM8は平面振動板であり、ユニットの形状は四角。
そのためであろうバスレフポートの開口部も四角に変更されている。

そんな違いはあっても、SS-G9とAPM9と共通するところの多いスピーカーシステムである。

ところがエスプリ・ブランドのスピーカーシステムの第二弾であるAPM6は、
エンクロージュアの設計はSS-G9、APM8とはまったく別モノといえる。

APM6のエンクロージュアは、スーパーオーバル(超楕円)といわれる形状をしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17373

APM6が登場したとき、その形状に関しては、ラウンドバッフルをフロントだけでなくリアにまで採用した、
その程度の認識で捉えていた。

APM6の広告はステレオサウンド 61号に載っている。
設計者の前田敬二郎氏による解説が載っている。
当然、そこにAPM6のエンクロージュアの形状について書かれている。
     *
一般にスピーカーは無限大バッフルに取りつけるのが理想的で、現実に一部のスタジオのモニター設備ではスピーカーを壁面に埋めこんで使用しています。これは有限のエンクロージャーにスピーカーを取りつけると回折が起こり、指向特性を劣化させるからです。しかし理想的とはいっても個人用として無限大バッフルは、いかにも非現実的です。では、どんな方法があるか。解決はスーパーエッグがもたらしました。つまりスーパー楕円エンクロージャーです。
     *
この広告からわかるのは、
APM6のエンクロージュアは無限大バッフルを現実的な形とすることから生れたものということ。
APM6のエンクロージュアは楕円を縦四分割し、パーティクルボードと天然木を曲げながら積層し、
最後に天板と底板と一体化するという手法でつくられている。

おそらくAPM8のエンクロージュアよりも手間がかかっているはずだ。
このエンクロージュアとAPM6からレベルコントロールが廃されているのは、実は関連している。
でもAPM6登場の1981年、私はそのことに気づいていなかった。

白状すれば、APM8に魅力を感じていたし、
ほぼ同時期にテクニクスから発表になったSB-M1の方に強い関心をもっていた。

そのSB-M1には別称がある。MONITOR 1である。
このことからわかるようにM1のMはMonitorの頭文字である。

同時期にソニーとテクニクスから、モニターと名のつく平面振動板のスピーカーシステムが登場したわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17373


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=17421

ソニーもテクニクスも、それ以前に、
型番にMonitorとつくスピーカーシステムは作ってこなかった。
それが1981年のほぼ同時期に、APM6 MonitorとSB-M1(Monitor 1)を出してきた。

APM6とSB-M1、このふたつのスピーカーシステムを比較してみると、
ソニーとテクニクスの違いが実に興味深い。

APM6はすでに書いているように2ウェイ。
SB-M1は4ウェイ。
どちらも平面振動板ユニットを全面的に採用しているが、
ソニーは角形に対してテクニクスは円型という違いがある。

どちらもアルミハニカム材を使用しているが、
ハニカムコアがソニーは均一であるのに対し、
テクニクスは扇のように、中心部はコアの密度が高く、外周にいくほどコアの間隔が広がっていく。
それから駆動方式というか構造も違っている。
こんなふうに、それぞれの違いを書いていくと、それだけでけっこうな長さになっていくので、
外観からうかがえることに絞って書いていく。

SB-M1はJBLの4343を意識しているところは、ソニーのAPM8と同じである。
4ウェイのバスレフ型で、エンクロージュアの外形寸法も、APM8とSB-M1ともに、4343とほぼ同じである。

しかもSB-M1はエンクロージュアの仕上げも4343をかなり意識している。
とはいえデザインの見事さでは4343のレベルには達していない。

SB-M1は4343を意識しているスピーカーであるから、エンクロージュアは一般的な形である。
ラウンドバッフルを採用したりしていない。

わりとのっぺりした印象のSB-M1だが、フロントバッフルの両端に把手がついている。
これがけっこう長い。
ウーファーからミッドバスまでのスパンとほぼ同じである。
これが視覚的アクセントになっているわけだが、
聴感上でもアクセントになっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17421


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=17433

一般的なウーファーであるコーン型だと振動板の中心は奥にある。
つまり凹みがある。
大口径になればなるほど凹みは大きくなる(奥に引っ込む)傾向にある。

ドーム型は逆ドーム型のモノもあるが、大半は前面に出ている。
コーン型と反対で凸である。

ホーン型はホーンの形式による。
基本的にはホーンなので奥に長いわけだが、
音響レンズがついていると、前に張り出している

平面振動板には、当然なのだが、この凹凸がない。
それが平面振動板ユニットの、他の方式のユニットにはないメリットではあるものの、
実際にフロントバッフルにとりつけてスピーカーシステムとしてまとめてみると、
それまでの凹凸のあったスピーカーシステムを見馴れた目には、
振動板だけでなく、フロントバッフル全体も平面(平板)な印象になってしまいがちだ。

エスプリ(ソニー)のAPM8が細かな凹凸だらけのAGバッフルを採用したのは、
もちろん音質面での配慮からだろうが、
外観が平板にならないように、という意図もあったのかもしれない。

テクニクスのSB-M1の左右両端の把手も、そういう意図があるのかもしれない。
テクニクスの発表資料には、指向特性の改善に貢献している、とあるが、
果して、どれだけの効果があるのだろうか。

私がそう思ってしまうのは、SB-M1のレベルコントロールもそうだからだ。
ミッドバス、ミッドハイ、トゥイーター、それぞれ連続可変のレベルコントロールをもつ。
つまり三つのツマミを配したパネルは、フロントバッフルより奥まった位置に取りつけられている。
この部分には凹みができている。

エスプリのAPM6には、レベルコントロールはない。
このレベルコントロールの有無、その取りつけ方法。

ここからいえるのは、聴感上のS/N比に対する配慮の違いだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17433


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

実際に試したわけではないが、テクニクスのSB-M1から把手を外して、
レベルコントロールの凹みを良質の自然素材(たとえばウール)で埋める。

これだけで聴感上のS/N比はそうとうに高くなるはずだ。
凹み部分からの不要輻射を吸音し、把手部分の共鳴もなくしてしまえるからだ。
この手の実験はステレオサウンドの試聴室でかなりやってきた。
だから確実に、そうなると断言できる。

聴感上のS/N比が高くなることは、多くの人の耳が認めることだろう。
けれど、その音をいいと判断するかどうかは、また違ってくる。

聴感上のS/N比は確実に良くなっているのだから、
音は良くなっている──、とはいえる。
それでもメーカーは、把手込み、レベルコントロールの凹み込みで音を追い込んでいたのであれば、
聴感上のS/N比が高くなったかわりとして、音のバランスが若干変化するし、
音のアクセントといえるものがなくなり、印象としてもの足りなさをおぼえてしまうことも考えられる。

いわゆるノイズも音のうち、ということだ。

この点が、SB-M1とAPM6の大きな違いである。
スピーカーシステムにおける聴感上のS/N比の向上は、
SB-M1、APM6登場以降のスピーカーにおける潮流となっていく。

この視点からみれば、
SB-M1は1970年代までのスピーカーシステムのひとつとしての登場であり、
APM6は1980年代のスピーカーシステムのはじまりとしての登場といえる。

同じエスプリのAPM8は、SB-M1と同じといえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

エスプリ(ソニー)のAPM6が登場したころの私には、
このスピーカーシステムを、聴感上のS/N比に注目して捉えることはまだできなかった。
だから、気がつかなかったことがいくつもある。

聴感上のS/N比という視点でAPM6をじっくりみていくと、
日本のスピーカーシステムで、
いくつかの共通点を見出せるスピーカーシステムが存在していたことにも気づくことになる。

ダイヤトーンの2S305である。
NHKの放送技術研究所と三菱電機とが共同開発した、このスピーカーシステムは、
はっきりとモニタースピーカーである。

なぜAPM8にはMonitorの文字がつかず、APM6にはついているのか。
そのことを考えても、ダイヤトーンの2S305の存在が浮んでくる。

APM6の設計者の前田敬二郎氏は、
APM6の開発において2S305の存在を意識されていたのだろうか。
勝手な推測にすぎないけれど、まったく意識していなかった、ということはなかったように思える。

2S305の開発において、聴感上のS/N比が開発テーマになっていたとは思えない。
NHKがモニタースピーカーに求める性能を実現した結果として、
2S305は、あの当時として、かなり優秀な聴感上のS/N比の高さを実現したのではなかろうか。

おそらく、いまでも現代の優秀なパワーアンプで鳴らせば、
2S305は多少ナロウレンジでありながらも、
聴感上のS/N比のよい音とは、こういう音だという見本という手本のような音を聴かせてくれるはずだ。

2S305は、日本を代表するスピーカー(音)といわれていた。
それは海外製のスピーカーシステムとくらべると、パッシヴな性格のスピーカーシステムであり音である。

そのため聴き手(使い手、鳴らし手)がより積極的に能動的でなければ、
海外製のアクティヴな性格のスピーカーシステム(音)を聴いた後では、
ものたりなさを感じてしまうような音でもある。

APM6の音を、私は聴くことがなかった。
どんな音なのかは、だから正確にはわからない。
それでも2S305に通じる、パッシヴな性格をもったスピーカーシステムであるはずだ。

APM6を、いまじっくりとみつめていると、
1976年当時のオーレックスの広告にあったコピーが思い出される。

「趣味も洗練されてくると大がかりを嫌います。」
「趣味も洗練されてくると万人向けを嫌います。」

APM6の広告にもそのまま使えるのではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652

ステレオサウンド 59号のベストバイで、エスプリのAPM6に星をつけている人は、
APM8の六人(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、柳沢)に対し三人(岡、菅野、山中)だった。

ここでひっかかったのは山中先生が、APM8には入れずAPM6に二星をつけられている。
これが意外だった。

山中先生といえば新製品紹介のページでも海外製品を担当されていた。
それまで書かれたものを読んできても、国産スピーカーをあまり高く評価されることはなかった。
その山中先生が、なぜだか理由はわからないけれど、APM6に二星。
しかも多くの人が評価しているスピーカーとはいえないAPM6に対して、である。

59号の約半年後に出た「コンポーネントステレオの世界 ’82」でも、
山中先生はAPM6の組合せをつくられている。
この別冊では他に二つの組合せをつくられている。
ひとつはQUADのESL63、もうひとつはエレクトロボイスのRegency IIIである。

QUADとエレクトロボイスは、すんなりわかる。
けれど、山中先生がAPM6? と思った。

それまでのステレオサウンドを読んできた者にとって、これは意外なことだ。
APM6の組合せならば、それまでのステレオサウンドならば、
岡先生、上杉先生、柳沢氏の誰かだったはずだから。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の半年後の63号でのベストバイ。
ここでも山中先生はAPM6を評価されている。

ここでつくられた組合せの次の通りだ。

●スピーカーシステム:エスプリ APM6 Monitor(¥500.000×2)
●コントロールアンプ:エスプリ TA-E900(¥600.000)
●パワーアンプ:ヤマハ BX1(¥33.000×2)
●カートリッジ:フィデリティ・リサーチ FR7f(¥77.000) デンオン DL305(¥65,000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P3(¥600.000)
組合せ合計 ¥3.002.000(価格は1981年当時)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=17662

山中先生は、エスプリ(ソニー)のAPM6のどこによさを認められていたのか、
「コンポーネントステレオの世界 ’82」での組合せでは、どういう音を求められていたのか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのもうひとつき山中先生の組合せ、
QUADのESL63の組合せとAPM6の組合せには、共通する言葉が出てくる。

ESL63の組合せの最後に山中先生が語られている。
     *
 最近は室内楽のレコードをほんとうに魅力的に再生できるシステムが非常に少ない。この組合せにあたってドビュッシーのフルートとハープとヴィオラのソナタを聴きましたが、こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、音が空間に漂うように再生するということだろうと思います。そのあたりの雰囲気が、かけがえのない味わいで出てくるわけで、ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです。
 それをこういう装置で聴くと、またまた狂いそうで心配です。最近の自分のシステムでいちばん再生困難なソースだったけれども……。
     *
ESL63の組合せはQUADのアンプ(44+405)に、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIICとトーレンスのカートリッジMCH63、
昇圧トランスはオーディオインターフェイスのCST80E40で、組合せ合計は¥1,710,000(1981年当時)。

室内楽については、APM6のところでも語られている。
     *
 この組合せのトータルの音ですが、最初に意図した、おらゆるソースにニュートラルに対応するという目的はかなり達せられたと思う。たとえば、かなり大編成のものを大きな音量で鳴らしても大丈夫ですし、楽器のソロのような再生の場合でも焦点がピシッと定まる。決して音像が大きく広がらないで、定位の点でも問題ないし、ディテールも非常によく出ると思います。
 ただ、私の好みもあって、いろいろなソースを聴いてみますと、一番よく再生できたなという感じがしたのは、クラシック系のソースです。特に小編成の室内楽とか声楽、それからピアノの再生がかなり良かったと思います。それがこのスピーカーシステムの一つの特徴なのかもしれません。楽器のイメージというか、とくにサイズの感覚が非常によく出る。たとえば、ギターのソロの場合、スピーカーによってはギターが非常に大きくなってしまって、両方のスピーカーの間隔いっぱいに広がるような、巨大なギターを聴くという雰囲気になるんですけど、そういうことは全くなくて、ピシッとセンターに焦点が合う。しかも、その楽器の大きさらしい音で実感できる。こういう点がこのシステムの一番素晴らしいところだと思います。
     *
この、再生される楽器の大きさについては、ESL63のところでも語られている。
     *
 人間が人間の大きさでちゃんと再現される。動きもわかる。楽器がそれぞれ大きさでちゃんと鳴る。小さな楽器は小さく、大きな楽器は大きく、ちゃんと感じられる。
     *
APM6とESL63、
それに鳴らされる(組み合わされる)アンプもずいぶんと傾向の違いを感じるが、
意外にもどちらの組合せでも、共通する意図が、そして音があったことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17662


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=17678

自分がいま鳴らしている音を冷静に捉えている人であれば、
自分のシステムがうまく鳴らしてくれないレコード(音楽)を、
いともたやすく鳴らしてくれるスピーカーがあったならば、やはり惹かれてしまう。

いま鳴らしている音の延長線上にある音に惹かれることもあるし、
自分のスピーカーに不満に思い続けているところがよく鳴っているからこそ惹かれることもある。

前者の場合、グレードアップにつながっていく。
後者の場合はどうだろう。新たなスピーカーを導入するきっかけとなることだってある。

山中先生にとって、1981年の時点で、
QUADのESL63とエスプリのAPM6は、後者の場合にあたるスピーカーだったといえよう。

山中先生はESL63を導入されている。
QUADのアンプを含めての導入で、
リスニングルームではなくリビングルームにQUADのシステム一式は置かれていた。

APM6はリビングルームに置くスピーカーという雰囲気ではない。
やはりリスニングルームに置くスピーカーであるし、
型番にMonitorとつくぐらいであるからスタジオでの使用を前提としているともいえる。

そういえば、山中先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」のAPM6の記事の最後にこういわれている。
     *
 最後に、このAPM6というのは家庭に持ち込みますと意外と大きいんです。ショールームとか、どこかの展示会の会場で見ている場合には、角のない楕円形のカタチのせいか、そう大きく見えないのですが、実際に部屋に置くとたいへん大きいスピーカーで、狭い部屋ですとセッティングに苦労することがあるかもしれません。
     *
確かにAPM6はカタチのお陰で、写真でみるとそう大きくは感じられない。
けれど外形寸法はW54.4×H82.0×D37.3cmある。わりと大きめのサイズであることは確かだ。

だがESL63はどうだろう。
W66.0×H92.5×D27.0cmある。奥行き以外はESL63の方が大きい。
にもかかわらずESL63の記事では、APM6のように実際には大きいとは語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17678


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=17693

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17693


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

ソニー・エスプリのAPM6は、モニタースピーカーとして開発された、といっていいだろう。
けれど、APM6をモニタースピーカーとして導入したスタジオはあっただろうか。

CBSソニーのスタジオには導入されたのだろうか。

QUADのESL63は、家庭用スピーカーとして開発された。
にも関らず、当時のフィリップスがモニタースピーカーとして採用し、
それに応じてESL63 Proが登場した。

ESL63 Proは、型番からわかるように、モニタースピーカーとしてESL63の別ヴォージョンだ。

APM6はモニタースピーカーを目指しながら、採用されることはなかった。
ESL63は家庭用でありながら、モニタースピーカーとして採用されていった。

フィリップスの録音エンジニアは、おそらくAPM6の存在は知らなかったのではないか。
知っていたとして、音を聴いていたのだろうか。

もし彼らがAPM6を聴いていたとしても、
結局はESL63がモニタースピーカーとして選ばれたように思う。

その理由は、(その12)の最後に書いている「漂い」の再現なのだろう。

日本ではモニタースピーカー・イコール・定位の優れたスピーカーというイメージが、
アルテックの604シリーズが、広くモニタースピーカーとして使われていたことからもある。

ESL63をモニタースピーカーとして選んだフィッリプスは、
クラシックの録音を行う部門であるから、「漂い」が、その理由のように思うのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1173.html#c1

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
120. 中川隆[-5678] koaQ7Jey 2021年4月15日 19:04:50 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[32]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 6月 10th, 2015
モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17350

ソニーのもうひとつのオーディオブランドであったエスプリ。
エスプリ・ブランドの最初のスピーカーシステムは、APM8だった。


ESPRIT APM-8
¥1,000,000(1台、1979年頃)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html

ESPRIT APM-6Monitor ※受注生産品
¥500,000(1台、1981年6月発売)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html


1978年に登場したこのスピーカーシステムは、

当時日本のメーカーで流行ともいえた平面振動板が採用されている。
しかも当時日本で驚異的な売上げであったJBLの4343をはっきりと意識していた構成であった。
4ウェイで、外形寸法も4343とほぼ同じといえる。

だから、当時の私は、エスプリ(ソニー)によるスタジオモニターというふうに捉えていた。
けれど、エスプリからは二年後にAPM6が登場した。

こちは2ウェイ。価格はAPM8の100万円(一本)に対し、50万円と、
ユニットの数も半分ならば価格もちょうど半分となっている。

もちろんAPM6もアルミハニカムを採用した平面振動板のユニットである。
こんなふうに書いていると、APM8の弟分として開発されたのがAPM6というふうに受けとめられるかもしれない。

けれどAPM8は、型番の末尾に何もつかなかった。
APM6にはMonitorとついている。
APM6の正式型番はAPM-6 Monitorである。

APM6とAPM8の違いは、Monitorがつくのかつかないのか、
ユニットの数が二つなのか四つなのか、という違いの他に、
エンクロージュアの考え方に大きな違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=17350


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17361

エスプリ(ソニー)のAPM8は、
ステレオサウンド 53号の新製品紹介で初登場し、
54号の特集「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」にも登場している。

新製品紹介では井上先生、山中先生によって評価され、
54号の特集では、黒田先生、菅野先生、瀬川先生によって試聴されている。

黒田先生は、試聴記の冒頭に《このスピーカーには、完全に脱帽する》と書かれている。
試聴記の最後はこう結ばれている。
     *
いつの日かここでそのように口走ったことを後悔するのがわかっていて、これをパーフェクトだといってしまいたい誘惑に抗しきれない。すばらしいスピーカーだ。
     *
この特集の冒頭に「スピーカーテストを振り返って」という座談会が載っている。
編集部から、今回聴いた46機種のスピーカーの中で、
一台を自宅に持ち帰るとすればどれを選ぶかという質問がある。

ここでも黒田先生は《迷うことなくエスプリAPM8です」と答えられている。

菅野先生、瀬川先生の評価も高い。
ふたりとも一本100万円という価格がひっかかって、推選、特選機種とはされていない。
瀬川先生も菅野先生も価格が半値であったら10点をつけるといわれていてる。
さらに菅野先生は、
《今回のテストで、最も印象づけられたスピーカーなのです》とつけ加えられている。

瀬川先生は《あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはないですね」といわれ、
試聴記にあるように《レベルコントロールの0.5dBの変化にも反応する!》、
こんなスピーカーは他にはない、とまでいわれている。

APM8がきわめて優秀なスピーカーシステムであることが伝わってくる。
そしてAPM8は、スタジオモニターとしての性能をもっているとも感じていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=17361


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

ステレオサウンド 54号、瀬川先生のAPM8の試聴記には、
《レベルコントロールには0・1dBきざみの目盛が入っているが、実際、0・5dBの変化にもピタリと反応する。調整を追い込んでゆけば0・3dB以下まで合わせこめるのではないだろうか。これほど正確に反応するということは、相当に練り上げられた結果だといえる。》
とある。

つまりAPM8には、連続可変型のレベルコントロールがついていた。
APM6には、レベルコントロールはついていない。
当時は、これが意味することがわかっていなかった。

レベルコントロールがないんだ、ぐらいにしか捉えていなかった。
このことと、APM8とAPM6のエンクロージュアの形式の違いは密接に関係している。

APM8はソニー・ブランドで出ていたSS-G9の平面振動板タイプと、外観上はそういえるところがある。
ほぼ同じ寸法のエンクロージュアに、レベルコントロールと銘板の位置もほぼ同じである。
そして特徴的であるAGボード(アコースティカル・グルーブド・ボード)の採用。

縦横溝が刻まれたフロントバッフルは、波長の短い中高域を拡散させるものである。
APM8にもAGボードは採用されている。

SS-G9はコーン型、ドーム型ゆえ、ユニットの形状は円であり、バスレフポートの開口部も円。
APM8は平面振動板であり、ユニットの形状は四角。
そのためであろうバスレフポートの開口部も四角に変更されている。

そんな違いはあっても、SS-G9とAPM9と共通するところの多いスピーカーシステムである。

ところがエスプリ・ブランドのスピーカーシステムの第二弾であるAPM6は、
エンクロージュアの設計はSS-G9、APM8とはまったく別モノといえる。

APM6のエンクロージュアは、スーパーオーバル(超楕円)といわれる形状をしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17373

APM6が登場したとき、その形状に関しては、ラウンドバッフルをフロントだけでなくリアにまで採用した、
その程度の認識で捉えていた。

APM6の広告はステレオサウンド 61号に載っている。
設計者の前田敬二郎氏による解説が載っている。
当然、そこにAPM6のエンクロージュアの形状について書かれている。
     *
一般にスピーカーは無限大バッフルに取りつけるのが理想的で、現実に一部のスタジオのモニター設備ではスピーカーを壁面に埋めこんで使用しています。これは有限のエンクロージャーにスピーカーを取りつけると回折が起こり、指向特性を劣化させるからです。しかし理想的とはいっても個人用として無限大バッフルは、いかにも非現実的です。では、どんな方法があるか。解決はスーパーエッグがもたらしました。つまりスーパー楕円エンクロージャーです。
     *
この広告からわかるのは、
APM6のエンクロージュアは無限大バッフルを現実的な形とすることから生れたものということ。
APM6のエンクロージュアは楕円を縦四分割し、パーティクルボードと天然木を曲げながら積層し、
最後に天板と底板と一体化するという手法でつくられている。

おそらくAPM8のエンクロージュアよりも手間がかかっているはずだ。
このエンクロージュアとAPM6からレベルコントロールが廃されているのは、実は関連している。
でもAPM6登場の1981年、私はそのことに気づいていなかった。

白状すれば、APM8に魅力を感じていたし、
ほぼ同時期にテクニクスから発表になったSB-M1の方に強い関心をもっていた。

そのSB-M1には別称がある。MONITOR 1である。
このことからわかるようにM1のMはMonitorの頭文字である。

同時期にソニーとテクニクスから、モニターと名のつく平面振動板のスピーカーシステムが登場したわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17373


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=17421

ソニーもテクニクスも、それ以前に、
型番にMonitorとつくスピーカーシステムは作ってこなかった。
それが1981年のほぼ同時期に、APM6 MonitorとSB-M1(Monitor 1)を出してきた。

APM6とSB-M1、このふたつのスピーカーシステムを比較してみると、
ソニーとテクニクスの違いが実に興味深い。

APM6はすでに書いているように2ウェイ。
SB-M1は4ウェイ。
どちらも平面振動板ユニットを全面的に採用しているが、
ソニーは角形に対してテクニクスは円型という違いがある。

どちらもアルミハニカム材を使用しているが、
ハニカムコアがソニーは均一であるのに対し、
テクニクスは扇のように、中心部はコアの密度が高く、外周にいくほどコアの間隔が広がっていく。
それから駆動方式というか構造も違っている。
こんなふうに、それぞれの違いを書いていくと、それだけでけっこうな長さになっていくので、
外観からうかがえることに絞って書いていく。

SB-M1はJBLの4343を意識しているところは、ソニーのAPM8と同じである。
4ウェイのバスレフ型で、エンクロージュアの外形寸法も、APM8とSB-M1ともに、4343とほぼ同じである。

しかもSB-M1はエンクロージュアの仕上げも4343をかなり意識している。
とはいえデザインの見事さでは4343のレベルには達していない。

SB-M1は4343を意識しているスピーカーであるから、エンクロージュアは一般的な形である。
ラウンドバッフルを採用したりしていない。

わりとのっぺりした印象のSB-M1だが、フロントバッフルの両端に把手がついている。
これがけっこう長い。
ウーファーからミッドバスまでのスパンとほぼ同じである。
これが視覚的アクセントになっているわけだが、
聴感上でもアクセントになっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17421


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=17433

一般的なウーファーであるコーン型だと振動板の中心は奥にある。
つまり凹みがある。
大口径になればなるほど凹みは大きくなる(奥に引っ込む)傾向にある。

ドーム型は逆ドーム型のモノもあるが、大半は前面に出ている。
コーン型と反対で凸である。

ホーン型はホーンの形式による。
基本的にはホーンなので奥に長いわけだが、
音響レンズがついていると、前に張り出している

平面振動板には、当然なのだが、この凹凸がない。
それが平面振動板ユニットの、他の方式のユニットにはないメリットではあるものの、
実際にフロントバッフルにとりつけてスピーカーシステムとしてまとめてみると、
それまでの凹凸のあったスピーカーシステムを見馴れた目には、
振動板だけでなく、フロントバッフル全体も平面(平板)な印象になってしまいがちだ。

エスプリ(ソニー)のAPM8が細かな凹凸だらけのAGバッフルを採用したのは、
もちろん音質面での配慮からだろうが、
外観が平板にならないように、という意図もあったのかもしれない。

テクニクスのSB-M1の左右両端の把手も、そういう意図があるのかもしれない。
テクニクスの発表資料には、指向特性の改善に貢献している、とあるが、
果して、どれだけの効果があるのだろうか。

私がそう思ってしまうのは、SB-M1のレベルコントロールもそうだからだ。
ミッドバス、ミッドハイ、トゥイーター、それぞれ連続可変のレベルコントロールをもつ。
つまり三つのツマミを配したパネルは、フロントバッフルより奥まった位置に取りつけられている。
この部分には凹みができている。

エスプリのAPM6には、レベルコントロールはない。
このレベルコントロールの有無、その取りつけ方法。

ここからいえるのは、聴感上のS/N比に対する配慮の違いだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17433


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

実際に試したわけではないが、テクニクスのSB-M1から把手を外して、
レベルコントロールの凹みを良質の自然素材(たとえばウール)で埋める。

これだけで聴感上のS/N比はそうとうに高くなるはずだ。
凹み部分からの不要輻射を吸音し、把手部分の共鳴もなくしてしまえるからだ。
この手の実験はステレオサウンドの試聴室でかなりやってきた。
だから確実に、そうなると断言できる。

聴感上のS/N比が高くなることは、多くの人の耳が認めることだろう。
けれど、その音をいいと判断するかどうかは、また違ってくる。

聴感上のS/N比は確実に良くなっているのだから、
音は良くなっている──、とはいえる。
それでもメーカーは、把手込み、レベルコントロールの凹み込みで音を追い込んでいたのであれば、
聴感上のS/N比が高くなったかわりとして、音のバランスが若干変化するし、
音のアクセントといえるものがなくなり、印象としてもの足りなさをおぼえてしまうことも考えられる。

いわゆるノイズも音のうち、ということだ。

この点が、SB-M1とAPM6の大きな違いである。
スピーカーシステムにおける聴感上のS/N比の向上は、
SB-M1、APM6登場以降のスピーカーにおける潮流となっていく。

この視点からみれば、
SB-M1は1970年代までのスピーカーシステムのひとつとしての登場であり、
APM6は1980年代のスピーカーシステムのはじまりとしての登場といえる。

同じエスプリのAPM8は、SB-M1と同じといえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

エスプリ(ソニー)のAPM6が登場したころの私には、
このスピーカーシステムを、聴感上のS/N比に注目して捉えることはまだできなかった。
だから、気がつかなかったことがいくつもある。

聴感上のS/N比という視点でAPM6をじっくりみていくと、
日本のスピーカーシステムで、
いくつかの共通点を見出せるスピーカーシステムが存在していたことにも気づくことになる。

ダイヤトーンの2S305である。
NHKの放送技術研究所と三菱電機とが共同開発した、このスピーカーシステムは、
はっきりとモニタースピーカーである。

なぜAPM8にはMonitorの文字がつかず、APM6にはついているのか。
そのことを考えても、ダイヤトーンの2S305の存在が浮んでくる。

APM6の設計者の前田敬二郎氏は、
APM6の開発において2S305の存在を意識されていたのだろうか。
勝手な推測にすぎないけれど、まったく意識していなかった、ということはなかったように思える。

2S305の開発において、聴感上のS/N比が開発テーマになっていたとは思えない。
NHKがモニタースピーカーに求める性能を実現した結果として、
2S305は、あの当時として、かなり優秀な聴感上のS/N比の高さを実現したのではなかろうか。

おそらく、いまでも現代の優秀なパワーアンプで鳴らせば、
2S305は多少ナロウレンジでありながらも、
聴感上のS/N比のよい音とは、こういう音だという見本という手本のような音を聴かせてくれるはずだ。

2S305は、日本を代表するスピーカー(音)といわれていた。
それは海外製のスピーカーシステムとくらべると、パッシヴな性格のスピーカーシステムであり音である。

そのため聴き手(使い手、鳴らし手)がより積極的に能動的でなければ、
海外製のアクティヴな性格のスピーカーシステム(音)を聴いた後では、
ものたりなさを感じてしまうような音でもある。

APM6の音を、私は聴くことがなかった。
どんな音なのかは、だから正確にはわからない。
それでも2S305に通じる、パッシヴな性格をもったスピーカーシステムであるはずだ。

APM6を、いまじっくりとみつめていると、
1976年当時のオーレックスの広告にあったコピーが思い出される。

「趣味も洗練されてくると大がかりを嫌います。」
「趣味も洗練されてくると万人向けを嫌います。」

APM6の広告にもそのまま使えるのではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652

ステレオサウンド 59号のベストバイで、エスプリのAPM6に星をつけている人は、
APM8の六人(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、柳沢)に対し三人(岡、菅野、山中)だった。

ここでひっかかったのは山中先生が、APM8には入れずAPM6に二星をつけられている。
これが意外だった。

山中先生といえば新製品紹介のページでも海外製品を担当されていた。
それまで書かれたものを読んできても、国産スピーカーをあまり高く評価されることはなかった。
その山中先生が、なぜだか理由はわからないけれど、APM6に二星。
しかも多くの人が評価しているスピーカーとはいえないAPM6に対して、である。

59号の約半年後に出た「コンポーネントステレオの世界 ’82」でも、
山中先生はAPM6の組合せをつくられている。
この別冊では他に二つの組合せをつくられている。
ひとつはQUADのESL63、もうひとつはエレクトロボイスのRegency IIIである。

QUADとエレクトロボイスは、すんなりわかる。
けれど、山中先生がAPM6? と思った。

それまでのステレオサウンドを読んできた者にとって、これは意外なことだ。
APM6の組合せならば、それまでのステレオサウンドならば、
岡先生、上杉先生、柳沢氏の誰かだったはずだから。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の半年後の63号でのベストバイ。
ここでも山中先生はAPM6を評価されている。

ここでつくられた組合せの次の通りだ。

●スピーカーシステム:エスプリ APM6 Monitor(¥500.000×2)
●コントロールアンプ:エスプリ TA-E900(¥600.000)
●パワーアンプ:ヤマハ BX1(¥33.000×2)
●カートリッジ:フィデリティ・リサーチ FR7f(¥77.000) デンオン DL305(¥65,000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P3(¥600.000)
組合せ合計 ¥3.002.000(価格は1981年当時)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=17662

山中先生は、エスプリ(ソニー)のAPM6のどこによさを認められていたのか、
「コンポーネントステレオの世界 ’82」での組合せでは、どういう音を求められていたのか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのもうひとつき山中先生の組合せ、
QUADのESL63の組合せとAPM6の組合せには、共通する言葉が出てくる。

ESL63の組合せの最後に山中先生が語られている。
     *
 最近は室内楽のレコードをほんとうに魅力的に再生できるシステムが非常に少ない。この組合せにあたってドビュッシーのフルートとハープとヴィオラのソナタを聴きましたが、こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、音が空間に漂うように再生するということだろうと思います。そのあたりの雰囲気が、かけがえのない味わいで出てくるわけで、ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです。
 それをこういう装置で聴くと、またまた狂いそうで心配です。最近の自分のシステムでいちばん再生困難なソースだったけれども……。
     *
ESL63の組合せはQUADのアンプ(44+405)に、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIICとトーレンスのカートリッジMCH63、
昇圧トランスはオーディオインターフェイスのCST80E40で、組合せ合計は¥1,710,000(1981年当時)。

室内楽については、APM6のところでも語られている。
     *
 この組合せのトータルの音ですが、最初に意図した、おらゆるソースにニュートラルに対応するという目的はかなり達せられたと思う。たとえば、かなり大編成のものを大きな音量で鳴らしても大丈夫ですし、楽器のソロのような再生の場合でも焦点がピシッと定まる。決して音像が大きく広がらないで、定位の点でも問題ないし、ディテールも非常によく出ると思います。
 ただ、私の好みもあって、いろいろなソースを聴いてみますと、一番よく再生できたなという感じがしたのは、クラシック系のソースです。特に小編成の室内楽とか声楽、それからピアノの再生がかなり良かったと思います。それがこのスピーカーシステムの一つの特徴なのかもしれません。楽器のイメージというか、とくにサイズの感覚が非常によく出る。たとえば、ギターのソロの場合、スピーカーによってはギターが非常に大きくなってしまって、両方のスピーカーの間隔いっぱいに広がるような、巨大なギターを聴くという雰囲気になるんですけど、そういうことは全くなくて、ピシッとセンターに焦点が合う。しかも、その楽器の大きさらしい音で実感できる。こういう点がこのシステムの一番素晴らしいところだと思います。
     *
この、再生される楽器の大きさについては、ESL63のところでも語られている。
     *
 人間が人間の大きさでちゃんと再現される。動きもわかる。楽器がそれぞれ大きさでちゃんと鳴る。小さな楽器は小さく、大きな楽器は大きく、ちゃんと感じられる。
     *
APM6とESL63、
それに鳴らされる(組み合わされる)アンプもずいぶんと傾向の違いを感じるが、
意外にもどちらの組合せでも、共通する意図が、そして音があったことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17662


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=17678

自分がいま鳴らしている音を冷静に捉えている人であれば、
自分のシステムがうまく鳴らしてくれないレコード(音楽)を、
いともたやすく鳴らしてくれるスピーカーがあったならば、やはり惹かれてしまう。

いま鳴らしている音の延長線上にある音に惹かれることもあるし、
自分のスピーカーに不満に思い続けているところがよく鳴っているからこそ惹かれることもある。

前者の場合、グレードアップにつながっていく。
後者の場合はどうだろう。新たなスピーカーを導入するきっかけとなることだってある。

山中先生にとって、1981年の時点で、
QUADのESL63とエスプリのAPM6は、後者の場合にあたるスピーカーだったといえよう。

山中先生はESL63を導入されている。
QUADのアンプを含めての導入で、
リスニングルームではなくリビングルームにQUADのシステム一式は置かれていた。

APM6はリビングルームに置くスピーカーという雰囲気ではない。
やはりリスニングルームに置くスピーカーであるし、
型番にMonitorとつくぐらいであるからスタジオでの使用を前提としているともいえる。

そういえば、山中先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」のAPM6の記事の最後にこういわれている。
     *
 最後に、このAPM6というのは家庭に持ち込みますと意外と大きいんです。ショールームとか、どこかの展示会の会場で見ている場合には、角のない楕円形のカタチのせいか、そう大きく見えないのですが、実際に部屋に置くとたいへん大きいスピーカーで、狭い部屋ですとセッティングに苦労することがあるかもしれません。
     *
確かにAPM6はカタチのお陰で、写真でみるとそう大きくは感じられない。
けれど外形寸法はW54.4×H82.0×D37.3cmある。わりと大きめのサイズであることは確かだ。

だがESL63はどうだろう。
W66.0×H92.5×D27.0cmある。奥行き以外はESL63の方が大きい。
にもかかわらずESL63の記事では、APM6のように実際には大きいとは語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17678


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=17693

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17693


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

ソニー・エスプリのAPM6は、モニタースピーカーとして開発された、といっていいだろう。
けれど、APM6をモニタースピーカーとして導入したスタジオはあっただろうか。

CBSソニーのスタジオには導入されたのだろうか。

QUADのESL63は、家庭用スピーカーとして開発された。
にも関らず、当時のフィリップスがモニタースピーカーとして採用し、
それに応じてESL63 Proが登場した。

ESL63 Proは、型番からわかるように、モニタースピーカーとしてESL63の別ヴォージョンだ。

APM6はモニタースピーカーを目指しながら、採用されることはなかった。
ESL63は家庭用でありながら、モニタースピーカーとして採用されていった。

フィリップスの録音エンジニアは、おそらくAPM6の存在は知らなかったのではないか。
知っていたとして、音を聴いていたのだろうか。

もし彼らがAPM6を聴いていたとしても、
結局はESL63がモニタースピーカーとして選ばれたように思う。

その理由は、(その12)の最後に書いている「漂い」の再現なのだろう。

日本ではモニタースピーカー・イコール・定位の優れたスピーカーというイメージが、
アルテックの604シリーズが、広くモニタースピーカーとして使われていたことからもある。

ESL63をモニタースピーカーとして選んだフィッリプスは、
クラシックの録音を行う部門であるから、「漂い」が、その理由のように思うのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c120

[番外地9] 盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。 中川隆
3. 中川隆[-5677] koaQ7Jey 2021年4月15日 19:17:31 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[33]
天皇家は完全フリーセックスの伝統があるから苦労するだろうな
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/22/2016102220161022120000/
ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。
表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。
ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。
真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

昭和帝のご長女様が若くしてガンで亡くなった直後にミテ子は一家でリゾートに旅行し、あろうことか長女を亡くしてふさぎ込む香淳皇后に皇室のクレームをつけています。

盗宮を生んだミテ子さんは調子に乗りすぎて香淳皇后をないがしろにする態度がひどく目に余るようになり、昭和帝はリンチを命じたのだろうと伝わっています。

その後ミテ子さんは甲状腺の病気を発症してどんどん痩せて…顰蹙を買いながら昭和帝が亡くなるのを待って自分らの代になり…今に至るところでしょう。

旧宮家関係もミテ子さんのカッコウや別腹説やリンチは知っているでしょうが内々でしか話さない。

ミテ子は面倒なキャラクターだから。闘争か何だか知りませんが、清浄な中に土足で入って行って何もされないのがどうかしています。皇室を舐めてかかったミテ子さんと取り巻きが甘かったのでしょう。排除されても仕方がない事です。

≪私の返事≫
貴重な情報有難うございました。驚くべきことがあったんですね。
美智子が、徳仁ばかり可愛がって、文仁親王や、清子様に冷たい意味がよくわかりましたよ。自分の産んだ子が徳仁だけだから、愛子を女帝にと固執するのがよくわかりました。たとえ東宮は自分の腹を痛めた子でも、東宮ほど両親にも、兄弟にも、祖父母にも、母方の祖父母や叔父叔母にも似ていないのが昔から不思議でした。

私が、一部知っていたのは「美智子さんが、流産し、その時誰かから嫌みを言われたので、狂乱状態になり、拘禁服を着せられて、葉山の御用邸にいかれ、2,3か月療養されたとのこと。

何故流産ぐらいで発狂し、拘禁服を着させられたかが疑問でしたが、F氏の証言で腑に落ちました。侍従らに折檻されて、「石女(うまずめ)」にされたんですね。びっくりしましたが、表面に出ないだけで、皇室内の折檻というのは、昔からあったのではないでしょうか?

江戸時代、武家の家では妻が浮気すると、間男を捕まえ、二人を裸にして、女を上に乗せ、一太刀で真っ二つにしたそうです。

「姦婦姦夫の重ね斬り」と言います。普通の武家の家でそうですからね。

2800年続く、世界最古の王家で、しかも世界最高権威をもつ日本の天皇家に、史上初めて民間から入内した嫁が、人の良い皇太子を騙して、東宮出産後も間男と「昼下がりの情事」を楽しむなんて、戦前は大日本帝国の大元帥のヒロヒトとして、世界から恐れられた、気性の激しい昭和天皇を激怒させたのです。

「殺されなかっただけ感謝しろ」の話ですよ。

ロミオとジュリエットの様に、皇太子が熟睡した深夜、東宮御所の外の森で、逢引するぐらいなら未だ可愛げがありますが。白昼堂々ですからね。婚約交渉の時、母親の富美子が、昭和天皇に散々の悪態をつき、記者のカメラが向くと決まって不機嫌な表情をする。母親のこうした「日本人離れした」態度を見て、美智子も横着になったんでしょう。

ある皇室ブロガーさんの豊富な写真を見ると、ナルへの溢れんばかりの愛を隠さない美智子さんと、無視された無念さをかみ殺す文仁親王と複雑な表情の清子内親王の対照的な姿。

★お土産をなるの分しか用意しなかった用意しなかった正田富美、用意がいいですね(笑)ある意味、托卵を積極的に仕組んだのはこの母親です。娘が折檻されることも計算のうちだったかもしれません。

正田富美(旧姓副島、上海生まれの佐賀人;本籍多久市)のこの天皇家に対するあくなき敵意、婚約交渉中の昭和天皇に対する発言、天皇家を「あちらよばわり」「婚約はストラングル(闘争)です」、婚約後の会見で不機嫌そうに「最良の結婚と最適な結婚は違うんですよ」等々、

少なくとも武家の家柄(副島氏は多久藩2万石の下級武士)では口を裂かれても言えない言動です。どうさかさまから見ても朝鮮人です。しかも夫の正田英三郎は出自は部落民です。

石高2万石と言えば、旧日本陸軍の研究では、1万石で兵士250人、2万石だから、武士階級は500人いるかいないかの超小藩です。特に本藩の佐賀藩は、支藩に対する搾取がきつく、特に多久は、鍋島家の元主家竜造寺家(家老鍋島直茂は主人の竜造

寺家を乗っ取った)の藩ですから、搾取はより一層きつかったらしいです。

ですから、多久の下級武士は相当生活が苦しかったはずです。維新後、副島家からは、ブラジル移民も出ましたが、普通の武士階級では海外移民などいきませんよ。平民以下の人が多かったのです。

加えて戦中上海生まれとする自称日本人には在日朝鮮人がいます。

元総理の鳩山由紀夫の妻、鳩山幸が両親とも在日朝鮮人でした。なんせ、戦前は各国の租界が有り、列強の謀略戦が繰り広げられ「魔都」と呼ばれた上海ですから、日本人と

言っても疑ってかかるのが正解です。

昭和天皇は嫁が産んだ男子が、長男の子ではない、浮気相手の男の子だという事を直観的に感ずいていたのでしょう。

カッコウの雛鳥には「徳仁」の「徳」という、最も不吉な文字を付けました。

私はこれは昭和天皇が行った一種の呪詛だと思います。徳仁の即位を絶対に阻止するつもりだったのでしょう。

ご自分の死後、皇太子妃の美智子が【皇室を破壊すること】を読んでいたと思います。

東宮は両親に似ていない、弟、妹とも似ていない、祖父母、従姉とも似ていない。正田家の祖父母とも似ていない。叔父叔母とも似ていない。従姉とも似ていない。

英国、初め世界の人気者だった故ダイアナ妃は夫のチャールズがカミラ夫人との浮気を知ると、騎兵で馬術のインストラクターであったジェームズ・ヒューイットと5年間不倫しました。

英国王室の法律では、皇太子の妃を寝取った男は、死刑だそうです。未だにヒューイットは刑死していませんが、これは、チャールズも離婚後、人妻カミラと再婚した負い目もあるでしょう。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/296.html#c3

[リバイバル3] audio identity (designing)宮ア勝己 930stとLNP2
audio identity (designing)宮ア勝己 930stとLNP2


Date: 5月 20th, 2009
930stとLNP2(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=629

中野区白鷺のマンションに住まわれていたとき、
瀬川先生は、EMTの930StとマークレビンソンのLNP2を使われていた。
説明は不要だろうが、どちらにもフォノイコライザーアンプがある。
瀬川先生は、どちらのフォノイコライザーアンプを使われていたのか。

ステレオサウンド 43号では、
「ずいぶん誤解されているらしいので愛用者のひとりとしてぜひとも弁護したいが、
だいたいTSD15というのは、EMYのスタジオプレーヤー930または928stのパーツの一部、みたいな存在で、
本当は、プレーヤー内蔵のヘッドアンプを通したライン送りの音になったものを評価すべきものなのだ。」、
「TSDでさえ、勝手なアダプターを作って適当なアームやトランスと組み合わせて
かえって誤解をまき散らしているというのに、SMEと互換性を持たせたXSDなど作るものだから、
心ない人の非難をいっそう浴びる結果になってしまった。EMTに惚れ込んだ一人として、
こうした見当外れの誤解はとても残念だ。」と、
TSD15、XSD15のコメントに、それぞれ書かれている。

55号でのプレーヤーの試聴記でも、内蔵イコライザーアンプの155stを通さない使い方を、
「異例の使い方」「特殊な試聴」とも書かれている。

これらの記事を読むと、おそらく930stの内蔵イコライザーアンプを使われているんだろうと思える。
その一方で、LNP2のイコライザーアンプを使わないというのも、なんとももったいない、と思う。

それに155stの設計は古い。1970年代においてすら、最新のアンプとはいえない。
LNP2のほうが新しい。そう考えると、どっちだったのかと迷う。


1 Comment

pippin
5月 22nd, 2009
REPLY))
930stとLNP-2Lのフォノイコライザー、どちらを使うかは悩むところですね。
私はどちらも929側のフォノケーブルの差し替えで、その時の気分によって使い分けるようにしています。
1本は930stの155stからXLRケーブル(3番ホット)を経てLNP-2Lのライン入力へ。
もう1本は929アームからTH-7559を経てLNP-2Lのフォノ入力へ・・という感じです。
TSD15のみでモノラル盤もステレオ盤も聴きたい場合などは、930stの内蔵フォノイコライザー155stが便利ですね

http://audiosharing.com/blog/?p=629


Date: 5月 21st, 2009
930stとLNP2(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=630

やはり930stを愛用されていた五味先生は、どちらだったのか。
930stの内蔵アンプなのか、それともマッキントッシュのC22のフォノイコライザーアンプなのか。

「オーディオ愛好家の五条件」で真空管を愛すること、とあげられている。
「倍音の美しさや余韻というものががSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。」とある。
しかし、別項で引用したように、930stの、すべて込みの音を高く評価されている。
ステレオサウンドにいたときに確認したところ、やはり内蔵の155stを通した音を日ごろ聴かれていたそうだ。

五味先生の930stは、オルトフォン製のトーンアーム、RMA229が搭載されている。
ちなみにモノーラル時代の930のそれはRF229である。
930が登場したのが、1956年。モノーラル時代であり、内蔵イコライザーアンプは、管球式の139である。
シリアルナンバーでいえば3589番からステレオ仕様の930stになる。
これにはステレオ仕様の管球式の139stが搭載されている。

そしてシリアルナンバー10750番から、トランジスター式の155stとなり、
14725番電源回路が変更になり、17822番からトーンアームがEMT製929に変更となる。
ただ155stが登場したのが、いつなのかは正確には、まだ知らない。

ただ929が登場したのが1969年で、
155stの兄弟機153stとほぼ同じ回路構成のフォノイコライザーアンプを搭載した928(ベルトドライブ)は、
1968年に登場していることから、おそらく60年代なかばには930stに搭載されていただろう。

155stは、片チャンネルあたりトランジスター8石を使ったディスクリート構成で、入出力にトランスを備えている。
153stは、LM1303M、μA741C、μA748Cと3種のオペアンプを使い、
出力のみトランジスター4石からなるバッファーをもつ。
もちろん入出力にトランスをもつが、155stと同じかというとそうでもない。

出力トランスは1次側に巻き線を2つもち、そのうちの1つがNFB用に使われている。
電源も155stは+側のみだが、153stは正負2電源という違いもある。

回路図を見る限り、155stと153stの開発年代の隔たりは、2、3年とは思えない。
となると155stは、60年代前半のアンプなのかもしれない。
LNP2よりも、10年か、それ以上前のアンプということになる。

http://audiosharing.com/blog/?p=630


Date: 5月 21st, 2009
930stとLNP2(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=631

「幻のEMT管球式イコライザーアンプを現代につくる」、
この長いタイトルを考えたのも記事の担当者も私で、
初回のカラーページで紹介したEMT純正の139、139stはどちらも完動品で、
155stとの比較試聴もやっている。

使ったプレーヤーは私が直前に購入したトーレンスの101 Limitedで、155stは内蔵した状態で、
139と139stは外付けで外部電源と接続し、いわゆる単体イコライザーアンプとして使った。
モノーラルの139は2台用意していたので、試聴はもちろんステレオで行なっている。

電源の違いも考慮にいれなくてはならないし、もう25年ほど前のことだから、かなり曖昧だが、
意外と管球式の2機種は古さを感じさせなかった。
むしろトランジスター式の155stに、どちらもいえば古さを感じた。
とはいえまとまりのよさは見事で、いわばアクの強いTSD15をうまく補正し活かしている感じは、
155stに分があったように記憶している。

瀬川先生は、ステレオサウンド別冊の「コンポーネントステレオの世界」の80年度版か81年版だったかで、
928を組合せで使われたときに、内蔵イコライザーアンプについて、
928内蔵のモノの方が設計が新しいので、155stよりも現代的な音になっている、といったことを発言されている。

ということは、アンプ単体として見てたときは、瀬川先生も、155stには、やや古さを感じられていたのだろう。
それでも自宅では、155stを通して使われていたはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=631


930stとLNP2(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=632

昨日、偶然にも入手出来た「コンポーネントステレオの世界 ’78」で、瀬川先生は、
4343に惚れ込まれた読者のために、最高に鳴らすための組合せとして、
EMT 930stとマークレビンソンLNP2Lを使われている。

組合せのラインナップの次のとおり。

スピーカーシステム:JBL 4343(¥680,000×2)
コントロールアンプ:マークレビンソン LNP2L(¥1,180,000)
パワーアンプ:SAE Mark 2600(¥755,000)
プレーヤーシステム:EMT 930st(¥1,150,000)
インシュレーター:EMT 930-900(¥280,000)
組合せ合計:¥4,725,000

4341と4343の違い、Mark 2500とMark 2600の違いはあるが、
瀬川先生が、当時常用されていたシステムそのままといえる組合せである。

4343について「JBLというメーカーは、時代感覚をひじょうに敏感に受け取って、
その時代時代の半歩前ぐらいの音を見事に製品化した」もので、
「ベストに鳴らすためには、プレーヤーからアンプまで、
やはり現代の最先端にある製品をもってくる必要がある」と言いながら、930st、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=632

930stとLNP2(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=633

前年までと違い、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、それぞれ2組の組合せをつくられている。
瀬川先生の4343の、もうひとつの組合せは次のとおり。

スピーカーシステム:JBL 4343(¥680,000×2)
コントロールアンプ:DBシステムズ DB1 + DB2(電源部)(¥212,500)
パワーアンプ:ラックス 5M21(¥240,000)
トーンコントロールユニット:ラックス 5F70(¥86,000)
プリメインアンプ:トリオ KA7300D(¥78,000)
フォノモーター:ガラード 401(¥49,000)
トーンアーム:オルトフォン RMG309(¥43,000)
       フィデリティ・リサーチ FR64(¥50,000)
プレーヤーキャビネット:レッドコンソール LAB-II(¥67,000)
カートリッジ:オルトフォン SPU-G/E(¥34,000)
       エレクトロ・アクースティック STS455E(¥29,900)
昇圧トランス:オルトフォン STA384(¥27,000)
組合せ合計:¥2,226,400(DBシステムズ + ラックスの場合)
      ¥1,765,900(トリオの場合)

ここでもプレーヤーには、930stと同じアイドラードライブの401を使われている。
アンプには新しいモノを使われているにも関わらず、である。

ちなみにエレクトロ・アクースティックとはエラック(ELAC)のこと。
これは瀬川先生からきいた話によると、エラックの輸入元(もしくは輸入しようとしていた会社)が、
なぜかエラックを自分の商標として登録してしまったばかりか、
エラックの輸入元が他の会社になってもそのままで、
さらに商標登録の期間がきれたら更新して、という嫌がらせとしか思えないことを続けていたため、
やむなくエレクトロ・アクースティックを使っていたとのこと。

「こんなことは許されないことだ」と、怒りのこもった口調だった。

http://audiosharing.com/blog/?p=633

930stとLNP2(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=634

DBシステムズのアンプは、マッキントッシュの製品と比較すると、およそ製品とは呼べない面をもつ、
ある種、尖鋭的なところが、音にもつくりにも感じられる。

コントロールアンプのDB1は、ガラスエポキシのプリント基板に入出力のRCA端子、
電源端子を取りつけたものを、そのままリアパネルとしている。
いちおう絶縁のためラッカーで覆ってあるものの、いわば剥き出しに近い状態である。

マッキントッシュでは絶対にやらないことを、デビュー作で堂々とやっている。
フロントパネルもそっけない仕上げで、ツマミもおそらく市販されているものをそのまま流用している感じ。
とにかく、設計者が余計と判断したところには、まったくお金や手間をかけない。
設計者の信じるところの、実質本位なつくりを徹底している。

回路構成も、1970年代のアンプとは思えないもので、
差動回路も上下対称のコンプリメンタリー回路も使っていない。
他がやっているから、といったことはまったく気にしていない。

そんなアンプなのだが、とにかく切れ込みの鋭い、繊細で尖った音を聴かせてくれた。
とっつきにくい音と受けとめられる人も少ないないかもしれないが、
それでも存在価値(いい意味でも悪い意味でも)充分なところを気にいる人も、また少なからずいたであろう。

朝沼予史宏さんが、一時期、使われていた。
まだステレオサウンドに書き始められる前、朝沼という名前を使われる前、
フリーのライターとして編集に携わられていたころだから、
私には、朝沼さんではなく、本名の「沼田さん」だった。

沼田さんがまだ独身で、西新宿のマンション住まいだったころ、
スピーカーはQUADのESLにそっくりのダルキストのDQ1とB&Oのスピーカーを使われていた時期、
アンプはDBシステムズだった。

沼田さんがいちばん尖っていたころの話だ。

DB1の尖りぐあいは、ある種のエネルギッシュな印象にもなっていた。
そんなアンプを、瀬川先生は選びながら、プレーヤーはガラードの401を選ばれたのは、
930stと同じ理由から、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=634

瀬川冬樹氏のこと(番外)
http://audiosharing.com/blog/?p=635

「コンポーネントステレオの世界 ’78」に、芳津翻人(よしづ はると)氏という方が、
「やぶにらみ組み合わせ論(IV)」を書かれている。
IVとあるくらいだから、ステレオサウンド 4号(67年秋号)からはじまり、
13号(70年冬号)、17号(71年冬号)に亘って書いている、と前書きにある。

私が読んだ4回目の記事は、小型スピーカーの組合せの記事。
スピーカー選びから始まって、ロジャースのLS3/5A、スペンドールSA1、
JR(ジム・ロジャース)JR149の組合せを、他の筆者とは違う視点からあれこれ悩みながらつくられていて、
「素人の勝手なたわごと」とことわっておられるが、どうして、なかなかおもしろい。
文章も書き慣れているという印象を受ける。

だから5回目を期待していたのだが、結局、(IV)でおしまい。
ステレオサウンドにはいってから、先輩のIさんにたずねた。
「どうして、芳津翻人さんを使わないんですか」と。

まったく想像してなかった答えだった。
「芳津翻人さんは、瀬川先生のペンネームだから」。
さらに「芳津翻人を違う読み方をしてごらん。ハーツフィールドと読めるでしょ」。

JBLのハーツフィールドは、瀬川先生にとって憧れのスピーカーだったことは、どこかに書いておられる。
ただ山中先生のところで聴かれたとき、憧れのスピーカーではあっても、
自分の求める世界を出してくれるスピーカーではないことを悟った、ということも。

それでも憧れのスピーカーは、いつまでも憧れであり、芳津翻人という名前をつくられたのだろうか。

瀬川先生だということをわかった上で読みなおすと、たしかに「瀬川氏」とよく出てくるし、
音の評価も、瀬川先生とよく似ている。

オーラトーンのスピーカーは好みと違うとあるし、ドイツのヴィソニックの評価はなかなか高い。
このへんは、まさに瀬川先生とそっくりだ。

瀬川先生がいなくなり、芳津翻人さんもいなくなった。

http://audiosharing.com/blog/?p=635


930stとLNP2(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=636

1977年には、国産のプレーヤーシステムは、ほぼすべてダイレクトドライブになっていた。
ワウ・フラッターは、930st、401よりも一桁以上少ない優秀さで、
401のように、ある程度の重量のあるそしてがっしりしたキャビネットに、取付け方法も工夫しないと、
ゴロが出るようなモノは皆無だった。

使いやすく性能も優れているにも関わらず、大事な音を再現してくれる良さから、瀬川先生は、
あえて旧式の930stや401を選択されるとともに、
「このところ少しDD(ダイレクトドライブ)不信」みたいなところに陥っているとも発言されている。

401を中心としたプレーヤーは、EMTではなくオルトフォンとエラックのカートリッジの組合せで構成されている。
これは、EMTのTSD15を単体で使ってほしくないという、気持の現われからだろう。

さらに「コンポーネントステレオの世界 ’78」では次のように語られている。
「このプレーヤー(930st)にはイコライザーアンプが内蔵されていますから、LNP2Lというコントロールアンプをなぜ使うのかと、疑問をもたれるかもしれません。事実その点について、他の場所でもいろいろな方から訊ねられます。念のためにいえば、930stのいわゆるライン出力をアッテネーターを通してパワーアンプに入れれば、スピーカーから音が出てくるわけですね。それなのになぜ、コントロールアンプを使うのか。
 これは自分の装置で長時間かけて確かめたことですが、プレーヤーのライン出力をアッテネーターだけを通して直接パワーアンプにいれるよりも、このマークレビンソンのコントロールアンプで、しかもイコライザーを使わないで、AUXからプリアウトまでの回路を通した音のほうが、いいんです。つまりLNP2Lの半分しか使わないことになるんだけれど、そうやってスピーカーを鳴らしたほうが、音楽の表権力や空間的なひろがりや音楽のニュアンスなどが、ひときわ鮮やかに出てくるんですね。このことは、技術的にいえばおかしいのかもしれません。しかし現実問題としては、私の耳にはそういう形にした場合のほうが音がよく聴こえるわけです。」

http://audiosharing.com/blog/?p=636


930stとLNP2(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=637

LNP2Lは、フォノ入力から出力まで計3つのモジュールを、信号は通っていく。
だから、フォノアンプを使わないでも、3分の2は使っていることになるし、
瀬川先生のLNP2Lはバッファー搭載だったはずだから、4分の3の使用となる。

とはいえ瀬川先生はまったくLNP2Lのフォノアンプを使われなかったかというと、そうでもないだろう。
ステレオサウンド 38号の瀬川先生のリスニングルームには、
930stの他にラックスのPD121にオーディオクラフトのAC300MCの組合せがあり、
写真をよく見ると、EMTのXSD15が取りつけてある。930stにはTSD15の旧型がついている。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも、
「自分自身では、そういいながら、トランスと組合せて単体でよく使いますけど、
これはEMTの癖を十分に知っているんでやっていることで、ふつうの方にはあまりおすすめできません」と。

これはLNP2Lのフォノアンプに接がっていたのだろう。

ところでLNP2にはなかった入力端子が、JC2にはついていた。
REMOTE PHONOという端子で、これはAUXと同じライン入力。
つまり、イコライザーアンプ内蔵のプレーヤーを接続するための端子なのだろう。

JC2が登場した1974年、イコライザーアンプ内蔵のプレーヤーシステムは、EMT以外に何があったのだろうか。
私が知る限り、少なくとも日本に輸入されていたモノには、ない。

マーク・レヴィンソンは、自宅ではLNP2よりもJC2を常用している、とインタビューで答えている。
ということは、レヴィンソンはEMTのプレーヤーを、この時期、使っていたのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=637


930stとLNP2(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=638

「インドに行き古典音楽についての勉強をアリ・アクバール・カーンの示した道に沿ってすすめたい」と考え、
1972年に旅券と飛行機の切符まで手にしていたマーク・レヴィンソンは、
録音器材を入手するために、わざわざスイスに立ち寄っている。
なにもスイスまで行かなくてもアメリカでも手に入るものだろうと思うのだが、
レヴィンソンはステラヴォックスを訪ねている。

ここでステラヴォックスの社主のジョルジュ・クエレに相談にのってもらい、演奏家の道を断念し、
オーディオ・エレクトロニクスへ向かう道を選択している。

クエレとの対話の中で、エレクトロニクスの道に進みながらでも、
「音楽に対するひとつの精神的な基盤を維持することは可能なのだという確信」を得たからである。

その基盤とは「沢山の人々がレコードをきくことに対して抱いている欲求、それを満たすために、
テクノロジーを音楽および音楽家に奉仕するものとして使うことの必然性をはっきりと認識すること」と、
ステレオサウンド 45号に掲載されている特別インタビューで語っている。

70年代当時、アメリカでEMTがどういう位置づけにあったのか、輸入されていたのかは、はっきりしない。
ステラヴォックスを買いに、わざわざスイスまで行くということは、意外にも輸入されていなかったのかもしれない。
そうだとしたらEMTも輸入されていたどうかは微妙なところだろう。
それとも輸入されてはいたけれど、旅費を使ってでもスイスで買ったほうが安かったのかもしれない。
まだ会社を興す前の話である。

スイスには、トーレンスがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=638

930stとLNP2(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=639

レヴィンソンがスイスに渡ったときに、
トーレンスのベルトドライブ機をベースにしたEMTの928の存在を知ったのか、
それ以前に知っていたのか、どうかは判断しようがないが、
ほとんどなんの根拠もない推測(妄想にちかい)だが、928を使っていたのではないかと思えてくる。

927Dst、930stのイメージと若き日のレヴィンソン自身のイメージがうまく結びつかないのと、
928ならば、なんとなくレヴィンソンが使っていても不思議ではないという気がするというだけなのだが……。

もしそうだとしたら、JC2のREMOTE PHONOの説明がつく。
電源がPLS150への変更による強化、入出力端子がRCA端子からCAMAC規格のLEMO端子になったときに、
シリアルナンバー2148番からのJC2(日本での型番はJC2L)にはREMOTE PHONO端子はない。
かわりにPHONO入力が2系統に増えている。

さらに内部も変更が加えられ、フォノカードに、A3、D5、D6の3種類が用意されるようになった。
A3が、いわゆる通常のフォノ入力で、MM型カートリッジもしくは昇圧トランス、ヘッドアンプ用。
D5、D6はMC型カートリッジ用で、D5カードの説明には、
System D5 offers 54 and 60dB gain positions. 54dB is recommended as the optimum for the EMT cartridge. The gain setting will yield an incredible signal to noise ratio without overloading for EMT.
と記されている。

D5カードがゲインを54、60dBに切り換えられるように、A3カードも、30、40dBと切換え可能だ。
こちらの説明は次のとおり。
Certain high output moving coil cartridges such as the EMT, the Supex 901, the Satin, and the Ultimo, may be used in more efficient systems with the 40dB gain implemented.

少なくともEMTのカートリッジは使っていたのだろう。

http://audiosharing.com/blog/?p=639


930stとLNP2(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=640

LNP2のモジュールの数は通常で、VU駆動用のものを含めて8つ、オプションのパッファーを加えると10。
JC2とはいうと、フォノアンプ、ラインアンプのモジュールがそれぞれ2つずつ、
それにフォノアンプ・モジュール用の専用の電源モジュールの計5つ。
オプションとして、ヘッドアンプのJC1のモジュールタイプ(JC1SM)を、
フォノアンプ・モジュールの間に組み込めるようになっている。

フォノアンプ・モジュールはフロントパネル寄りにあり、モジュールとリアパネルのあいだに、
RIAAイコライザー用のカードが挿さっている。
コンデンサー、抵抗から構成されている。このカードが、フォノアンプのNFB素子となる。
このカードを交換することで、JC2のフォノアンプは、A3、D5、D6システムへとなる。
シリアルナンバー2148以前のJC2はどうなっていたかというと、ABCDEFの6つのシステムが用意されていた。
JC2のINSTRUCTION MANUAL には、こうある。

A System
Two UP-1A cards are normally supplied with the JC-2 unless otherwise specified. This system accepts Input impedance: 47kOhms.
B System
The UP-1B system offers lower sensitivity but increased headroom for the highest output magnetic phono cartridges.
C System
This set provides exact equalization for the Brüel & Kjaer series of cartridge measurement records. Information on request.
D System
This system includes two UP-1D cards and a JC-1SM module. It offers DIRECT moving coil cartridge input.
E System
Provides equalization and DC current source for certain gauge cartridges. Information on request.
F System
Flat response amplification. Specify application and requirements.

http://audiosharing.com/blog/?p=640

930stとLNP2(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=641

LNP2のフォノアンプには、このようなキメ細かい対応は用意されていない。
両機種のブロックダイアグラムやこれらのこと、
さらにLNP2は信号系のモジュールはすべて共通だが、
JC2はフォノアンプとラインアンプのモジュールは回路構成からして異ることなどを比較してはっきりしてくるのは、
JC2はアナログディスク再生に、LNP2はライン入力に主眼がおかれていることだ。

JC2の、この構成は、のちにディネッセンのJC80を生むことにつながっていく。
そしてJC2のもつ可能性が本領発揮となるには、ML6までの時間を必要とした。
JC2は未完の大器的色あいが濃い。

このことは別項「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書く予定だが、
もう少し先、というかかなり先になりそう。

実は、この項は2回で終るつもりだったのが書いているうちに(その12)になってしまった。
ML6のことも書き始めると、かなり長くなりそうな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=641


930stとLNP2(余談)
http://audiosharing.com/blog/?p=642

瀬川先生は、ステレオサウンド 55号でも、専用インシュレーター930-900なくしては、
「930stの音の良さは全く生かされない」と断言されている。
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の組合せで、当然使われている。

930-900をお使いの方ならば、後ろ側に短いリード線が出ているのに気づかれているだろう。
意外と、このリード線をどこにも接がず、そのままにされている方も少なくないようだ。

930-900についてくる、たった1枚の説明書(ともいえいない内容)には、
どこに接続しろ、とは書いてなかったと記憶している。
不親切だともいえるのだが、930stはプロ用機器であり、
これを使うのは本来プロの現場に携わっている人たちだから、
そんなことは書かなくてもわかっているだろう、とEMTの人たちは考えていたのだろうか。

たしかにそうなのだが、それでもインシュレーターだけで約30万円もするのだから、
輸入元が独自に説明書をつけてもよかっただろうに、とは思う。

ではどこに接続するのか。

930-900から出ているリード線をよく見てほしい。
黄色と緑のまだら線だ。基本的にこれはアース用の配線を示している。
次に930stの出力端子の周辺をじっくり見てほしい。
このコネクターを固定しているネジのところに、同じ模様のリード線が接続されているはず。

私は101 Limitedを使っていたとき、ここに接続していた。
これ以外に接続はできない。ちょうどよい長さになっていることにも気がつく。

もっとも接がなかったからといってハムが出たり不具合が生じるわけではない。
ただ、いまのように高周波ノイズが飛び交っている状況では、
原則としてデッドメタル(どこにも接続されていない金属)は極力なくしたい。

デッドメタルをなくすことで、ほんのわずかSN比が向上するかもしれないし、
場合によっては、音が悪くなることもないわけではない。

ここは先入観をもたずに音を聴いて、どうするかは判断してほしい。

http://audiosharing.com/blog/?p=642


930stとLNP2(補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=643

EMTとプロ用機器のメーカー、トーレンスはコンシューマー用機器のメーカー、
トーレンスのプレーヤー(TD125)をプロ用機器として仕上げたのがEMTの928であり、
トーレンス同様、コイルスプリングによるサスペンション機構を備えているし、
三相シンクロナスモーターを使用していところは、930stも928も同じだが、
928は発振器とアンプによる駆動方式を採用することで、電源周波数の50Hz、60Hzに関係なく使用できる。

ただストロボスコープに関しては、切替スイッチがついている。

930stと928は、アイドラーかベルトかという違い以上に、
細部を見ればみるほどコンセプトそのものの違いがわかってきておもしろい。

930stとトーレンスの101 Limitedにも、ちいさな違いがある。
すべてのロットがそうなっていたのかまでは不明だが、少なくとも私が使っていた、ごく初期のモノは、
出力端子の裏側に抵抗がハンダ付けしてある。
930stの回路図には、この抵抗は存在しない。

101 Limited (930st) の出力端子は、1a、1bが右チャンネルの+と−、4a、4bが左チャンネルの+と−で、
この抵抗は1aと1b、4aと4bを結ぶように取りつけられている。
出力に対し並列に入っているわけで、インピーダンス整合のためのものであることは、はっきりしている。

930stはプロ用機器でプロが使うモノとして、この抵抗は取りつけられていない。
930stが使われる現場では、必要のないものだし、使う人もインピーダンス整合のことは理解しているからだ。

その930stをコンシューマー機器として出すにあたっての、これは、トーレンスの配慮であろう。

101 Limitedが使われるであろう、一般家庭にあるコントロールアンプで
600Ω(もしくは200Ω)の入力をもつモノは、まず存在しないからだ。

トーレンス101 Limitedは、930stの色を塗り替えただけのモノではない。
たった抵抗2本のことにすぎないが、ここにメーカーの良心を感じる。

http://audiosharing.com/blog/?p=643

瀬川冬樹氏のこと(その58)
http://audiosharing.com/blog/?p=645

知りたかったことが、もうひとつ「コンポーネントステレオの世界 ’78」にあった。
瀬川先生がヨーロッパのコンサートホールでの低音について、どう感じておられたか、があった。
     ※
パワーアンプにSAEのMARK2600をもってきたことの理由の一つは、LNP2Lを通すと音がやや細い、シャープな感じになるんですが、このパワーアンプは音を少しふくらまして出すという性格をもっているからです。
それを嫌う方がいらっしゃることは知っています。しかし私の貧しい経験でいえば、欧米のコンサートホールでクラシック音楽を聴いて、日本でいわれてきた、また信じてきたクラシック音楽の音のバランスよりも、低域がもっと豊かで、柔らかくて、厚みがある音がするということに気がつきました。そこでこのMARK2600というパワーアンプの音は、一般にいわれるような、低域がゆるんでいるとかふくらみすぎているのではなく、少なくともこれくらい豊かに低域が鳴るべきなんだと思うんですね。
     ※
やっぱりと思い、うれしかった。
この発言から30年が経っているいまも、日本では、低音を出すことに、臆病のままではないだろうか。

http://audiosharing.com/blog/?p=645


930stとLNP2(その5・補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=646

(その5)に書いた4343の組合せのトーンアームに、フィデリティ・リサーチのFR64がある。
これはFR64Sのほうではなく、アルミニウム製のFR64を選ばれている。
こちらを瀬川先生は高く評価されていた。

一般に評価の高いステンレス製のFR64Sについては、「私の試聴したものは多少カン高い傾向の音だった。
その後改良されて音のニュアンスが変っているという話を聞いたが、現時点(1977年)では64のほうを推す次第。」
とステレオサウンド 43号に書かれている。

もう1本のほう、オルトフォンのRMG309については、こう書かれている。
「SPU(GおよびA)タイプのカートリッジを、最もオルトフォンらしく鳴らしたければ、
やはりRMG309を第一に奨めたい。個人的には不必要に長いアームは嫌いなのだが、
プレーヤーボードをできるだけ堅固に、共振をおさえて組み上げれば、しっかりと根を張ったようなに安定な、
重量感と厚みのある渋い音質が満喫できる。こういう充実感のある音を、
国産のアームで聴くことができないのは何ともすしぎなことだ。」

この時期、オルトフォンのRMG212が再発売されている。
かなり以前に製造中止になっていたのだが、
瀬川先生が、1975年に来日したオルトフォンの担当者に要請したのが、再生産のきっかけである。

こうやって読んでいくと、瀬川先生がアナログプレーヤーに求められていたものが、
すこしずつはっきりしてくるような気がする。

http://audiosharing.com/blog/?p=646
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1174.html

[近代史5] 米国株のはじめ方 メリット・デメリットを解説
【初心者必見】米国株のはじめ方 メリット・デメリットを解説
2021/04/15




米国株投資が隆盛を極めています。米国は投資先進国だけあって、投資の環境が良く整っています。日本から米国株投資を行うのも決して難しいことではありません。初心者向けにメリット・デメリットを解説します。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/589.html

[近代史5] 米国株のはじめ方 メリット・デメリットを解説 中川隆
1. 中川隆[-5676] koaQ7Jey 2021年4月15日 20:44:11 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[34]
鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html

バフェットの2面性 庶民を装う超富裕層の素顔
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/715.html

株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html

バブル崩壊の歴史と これから起きる超円高によるバブル崩壊
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/388.html

日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/149.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/589.html#c1

[近代史5] 共産主義の歴史
共産主義の歴史


【ゆっくり歴史解説】共産主義の誕生 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第0回
2017/11/26



9:10​ レーニンの名前はウラジミールではなく、「ウラジーミル」です。
10:06​ 和平(ブレスト=リトフスク条約)を結んだのを、「臨時政府」と説明していますが、正しくはボリシェヴィキです。


【ゆっくり歴史解説】戦時大同盟 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第0.5回
2017/12/27



【訂正】2:06​ の野球選手はタイ・カップではなくタイ・カッ「ブ」です。
8:20​ あたりの説明で「ソ連はドイツの侵攻を予期しておらず」と述べておりますが、国内外からドイツの侵攻を警告する声があったもののスターリンが耳を貸さず、結果として不意打ちの形になったというのが正確な説明です。すなわち、一部でドイツの侵攻を予期していた人たちがいたということになります。


【ゆっくり歴史解説】計画経済について ゆっくりで学ぶ冷戦史 第0.5回 補足動画
2017/12/30



【ゆっくり歴史解説】鉄のカーテン ゆっくりで学ぶ冷戦史 第1回
2018/01/08



【ゆっくり歴史解説】朝鮮戦争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第2回
2018/02/24



【ゆっくり歴史解説】雪解け ゆっくりで学ぶ冷戦史 第3回
2018/04/30



【ゆっくり歴史解説】ベルリンの壁建設 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第4回
2019/10/21



【ゆっくり歴史解説】ゆっくりで学ぶ冷戦史 経緯説明
2019/10/21



【ゆっくり歴史解説】キューバ危機 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第5回
2019/10/27



4:31​ キャラクターがキューバ革命の年を「1951年」と言っていますが、画面右上、写真下のテロップにあるように正しくは「1959年」です。



【ゆっくり歴史解説】宇宙開発競争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第6回
2019/11/05



月面着陸の年が1961年となっておりますが、正しくは1969年です。


【ゆっくり歴史解説】ベトナム戦争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第7回
2019/12/26



ケネディ暗殺は1959年ではなく、1963年です(テロップが正、ゆっくりボイスが誤)。


【ゆっくり歴史解説】インドシナ戦争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第7回 補足動画
2020/01/01



【ゆっくり歴史解説】ニクソン・ショック ゆっくりで学ぶ冷戦史 第8回
2020/02/24



【ゆっくり歴史解説】ウォーターゲート事件 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第9回
2020/05/05



【ゆっくり歴史解説】イラン革命 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第9回 補足動画
2020/08/12



【ゆっくり歴史解説】新冷戦 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第10回
2020/08/21



【ゆっくり歴史解説】レーガン大統領のジョーク ゆっくりで学ぶ冷戦史 番外編
2020/09/05


【ゆっくり歴史解説】ソ連経済の停滞 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第11回 補足動画
2021/02/20



【ゆっくり歴史解説】ペレストロイカ ゆっくりで学ぶ冷戦史 第11回
2021/03/28





http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
1. 中川隆[-5675] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:00:30 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[35]
共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/116.html

世界で唯一成功した共産国家はバブル崩壊までの日本だけだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/117.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

脳動脈硬化症で晩節を汚した(?)レーニン _ 実際は若い時から…
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html

帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html

アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html

社会主義の20世紀 |バルトの悲劇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/788.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/963.html

ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c1

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
2. 中川隆[-5674] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:01:42 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[36]

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

J・F・ケネディ-はヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 〜プラハの春・ドプチェクの証言〜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html


▲△▽▼


エリツィン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1082.html

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

プーチン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html

プーチンは CIA右派のエージェトだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/363.html

カネも通信も丸裸、ロシア「監視社会化」の恐怖
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/599.html

ソ連の細菌兵器と炭疽菌の流出事件
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/917.html

ネット上のフェイクニュースの発信源は「ロシア」「中国」「イラン」が3大超大国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/887.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c2

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
3. 中川隆[-5673] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:03:06 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[37]
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

高校生で人生がほぼ決まってしまうフランスの超学歴社会…日本人ははるかに幸せ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/962.html

上級国民/下級国民 _ 『持てる者』は“事実上の一夫多妻”、『持たざる者』は生涯独身
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/689.html

“独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html

欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html

シリコンヴァレーで加速する「カースト制度」の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/609.html

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

マルクス経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html

マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

ト・アペイロン 経済原論概説
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html

白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html

パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html

アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

【英文資料】ソルジェニーツィン氏が、最新歴史研究書のなかでロシア革命におけるユダヤ人の役割を総括
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/753.html

ソルジェニーツィンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1236.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c3

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
4. 中川隆[-5672] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:04:41 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[38]
ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

関東大震災とJPモルガン
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

イスラエル建国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1024.html

イスラエルは中東の対立を煽る為に作られた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/833.html

欧米の中東侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/942.html

J・F・ケネディ-は東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html

キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html

ロスチャイルドの番頭で殺人鬼だったジョージ・ソロス
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1194.html

ロスチャイルドのエージェントのソロスは反共・反中国だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/215.html

イスラエル、過去2700人も暗殺? 制度化し首相決裁
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1217.html

アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1114.html

アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1108.html

ユダヤ人の「リベラル」思想とはどういうものか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/922.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c4

[リバイバル3] ソニー 平面型ユニット スピーカー ESPRIT APM-8・ESPRIT APM-6Monitor
ソニー 平面型ユニット スピーカー ESPRIT APM-8・APM-6 Monitor


Sony Esprit APM - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Sony+Esprit+APM

SONY/ESPRIT スピーカーシステム一覧
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/index.html


▲△▽▼


ESPRIT APM-8
¥1,000,000(1台、1979年頃)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html

SONYが3年の月日をかけ開発したAPM(Accurate Pistonic Motion)方式を採用した4ウェイフロア型スピーカーシステム。

低域には807cm2の平面ウーファーユニットを採用しており、アルミスキンによるハニカムサンドイッチ振動板を4つの磁気回路・ボイスコイルで4点駆動させています。
磁気回路はセンターポールプレートにスリットや溝を切り、エディカレントを押え低歪化を図っています。
また、ボイスコイルは無酸素銅リボンの線エッジワイズ巻を採用しています。

中低域にはカーボンファイバーシートスキンによるハニカムサンドイッチ振動板を採用した144cm2平面ユニットを採用しています。
ウーファー同様に低歪率磁気回路を採用し、ボイスコイル線材には純アルミリボン線をエッジワイズ巻として軽量化を図っています。また、ヤング率の高いマイカボビンにより、磁気回路で発生する力を振動板に伝達する際のロスを抑えています。

中高域には24cm2の平面ユニットを採用しています。
このユニットにはカーボンファイバーシートスキンによるハニカムサンドイッチ振動板を採用しており、磁気回路や材料構成は中低域のユニットと同様のものを採用しています。

高域には5.8cm2平面型トゥイーターを採用しています。
振動板にはカーボンファイバーシートスキンによるハニカムサンドイッチ振動板を採用しており、磁気回路はポールピースにパーメンデュールを用いることで磁束密度21,000gaussを実現してます。
また、ボイスコイルはマイカボビンに純アルミリボン線をエッジワイズ巻にすることで剛性と効率を高めています。

ネットワークや内部配線は、機械的共振による音の劣化を抑えるため、全てのコンデンサー、インダクターを内部損失の大きい音響素材SBMCで高圧成型しています。
また、プリント基板には極めて厚い無酸素銅箔を使用し、内部配線には無酸素銅線を使うとともに平行線を多用してロスやカラーレーションの低減を図っています。

エンクロージャーは高密度パーチクルボードによる内容積200Lの自重60kgエンクロージャーとなっています。
各ボードの輻射周波数を高速フーリエ変換によって算出しており、板厚や補強材の材質をコントロールすることで輻射周波数が重り合うのをふせいだり、各面の結合をできるだけ少なくする事で鳴りを抑えています。

APM-8の画像(その2) ユニット群 ネットワーク部 ユニットの構造

機種の定格

方式 4ウェイ・4スピーカー・バスレフ方式・フロア型

ユニット
低域用:807cm2平面型
中低域用:144cm2平面型
中高域用:24cm2平面型
高域用:5.8cm2平面型

再生周波数帯域 25Hz〜30000Hz
出力音圧レベル 92dB/W/m
最大出力音圧レベル 119dB/m

インピーダンス 8Ω
定格最大入力 150W
瞬間最大入力 500W
クロスオーバー周波数 320Hz、1250Hz、4500Hz
レベルコントロール +0dB、-6dB連続可変
外形寸法 幅650x高さ1105x奥行450mm
重量 102kg
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html



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ESPRIT APM-6Monitor ※受注生産品
¥500,000(1台、1981年6月発売)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html

オールホーンシステムには無い魅力を求め、APM方式やスーパーオーバルエンクロージャーを採用し、点音源の理想を追求したスピーカーシステム。

ユニットには、オールホーンシステムに匹敵する諸特性を実現するスピーカーを目指し、5年の歳月をかけて開発されたAPM(Accurate Pistonic Motion)方式による502cm2と16cm2の平面スピーカーを採用しています。

ウーファーユニットでは、アルミスキンによってハニカムコアを挟んだ振動版を、4つの磁気回路とボイスコイルで4点駆動しています。分割振動モードの節目が集中するポイントを駆動しているためピストン領域を広くとることができ、使用帯域内の分割振動を無くしています。

また、ボイスコイル内のポールピースの量が振幅の状態で変化することでインダクタンス変化が起き、変調歪が発生してしまうのを防ぐため、ポールピースの先にトップポールを設け、ボイスコイルがどの位置にあってもインダクタンスが一定になるようにしています。

また、センターポールやプレートにスリットを切ってエディカレントを抑制しており、中域の分解能を向上させています。

トゥイーターでは、カーボンファイバーシートスキンによりハニカムコアをサンドイッチした振動版を採用し、強力な磁気回路と4点駆動のポイントを押えた大型ボイスコイルで駆動しています。

このユニットでは、ダンパーを磁気回路の中に組み込むという構造を採用し、エッジとダンパーの支持部のスパンを従来の2〜3倍に拡げ、ローリングの発生を大幅に減少させています。

ネットワーク部は、ソニーがそれまでに行ってきた忠実伝送に向けてのアプローチをさらに発展させ、特に微小レベルの歪やノイズ成分の改善を徹底しています。
コンデンサーやコイル、抵抗など全てのパーツをSBMCで固定し防振性を向上させています。さらに、リード線だけでなく抵抗の巻線にも無酸素銅を使用し、コイルは全て空芯として磁気歪を防いでいます。
また、ウーファー用とトゥイーター用のネットワーク基板を出来るだけ離して設置し、磁気的相互干渉を防止しています。
そしてネットワークの各パートは、インシュレーターを介してエンクロージャーに取り付けられ、機械的振動による干渉をなくしています。

エンクロージャーには回折効果による弊害を防ぐため、楕円構造のスーパーオーバル・エンクロージャーを採用しており、スーパーオーバルという楕円形の一つのパターンを計算によって求め、ディフラクションによる音の反射を効果的に拡散しています。
構造は、ソニー独自の高度な加工技術により、天然木とパーチクルボードを交互に積層した構造となっています。



使用ユニット郡 磁気回路の構造とインダクタンス変化 トゥイーター支持方法 ネットワーク基板の配置


機種の定格

方式 2ウェイ・2スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型

ユニット
低域用:502cm2平面型
高域用:16cm2平面型

再生周波数帯域 20Hz〜20000Hz
出力音圧レベル 88dB/W/m

インピーダンス 8Ω
瞬間最大入力レベル 300W
定格入力レベル 100W
クロスオーバー周波数 1200Hz
外形寸法 幅545x高さ820x奥行375mm
重量 48kg
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html



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audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論

Date: 6月 10th, 2015
モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=17350

ソニーのもうひとつのオーディオブランドであったエスプリ。
エスプリ・ブランドの最初のスピーカーシステムは、APM8だった。


ESPRIT APM-8
¥1,000,000(1台、1979年頃)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-8.html

ESPRIT APM-6Monitor ※受注生産品
¥500,000(1台、1981年6月発売)
https://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/speaker/apm-6monitor.html


1978年に登場したこのスピーカーシステムは、

当時日本のメーカーで流行ともいえた平面振動板が採用されている。
しかも当時日本で驚異的な売上げであったJBLの4343をはっきりと意識していた構成であった。
4ウェイで、外形寸法も4343とほぼ同じといえる。

だから、当時の私は、エスプリ(ソニー)によるスタジオモニターというふうに捉えていた。
けれど、エスプリからは二年後にAPM6が登場した。

こちは2ウェイ。価格はAPM8の100万円(一本)に対し、50万円と、
ユニットの数も半分ならば価格もちょうど半分となっている。

もちろんAPM6もアルミハニカムを採用した平面振動板のユニットである。
こんなふうに書いていると、APM8の弟分として開発されたのがAPM6というふうに受けとめられるかもしれない。

けれどAPM8は、型番の末尾に何もつかなかった。
APM6にはMonitorとついている。
APM6の正式型番はAPM-6 Monitorである。

APM6とAPM8の違いは、Monitorがつくのかつかないのか、
ユニットの数が二つなのか四つなのか、という違いの他に、
エンクロージュアの考え方に大きな違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=17350


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=17361

エスプリ(ソニー)のAPM8は、
ステレオサウンド 53号の新製品紹介で初登場し、
54号の特集「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」にも登場している。

新製品紹介では井上先生、山中先生によって評価され、
54号の特集では、黒田先生、菅野先生、瀬川先生によって試聴されている。

黒田先生は、試聴記の冒頭に《このスピーカーには、完全に脱帽する》と書かれている。
試聴記の最後はこう結ばれている。
     *
いつの日かここでそのように口走ったことを後悔するのがわかっていて、これをパーフェクトだといってしまいたい誘惑に抗しきれない。すばらしいスピーカーだ。
     *
この特集の冒頭に「スピーカーテストを振り返って」という座談会が載っている。
編集部から、今回聴いた46機種のスピーカーの中で、
一台を自宅に持ち帰るとすればどれを選ぶかという質問がある。

ここでも黒田先生は《迷うことなくエスプリAPM8です」と答えられている。

菅野先生、瀬川先生の評価も高い。
ふたりとも一本100万円という価格がひっかかって、推選、特選機種とはされていない。
瀬川先生も菅野先生も価格が半値であったら10点をつけるといわれていてる。
さらに菅野先生は、
《今回のテストで、最も印象づけられたスピーカーなのです》とつけ加えられている。

瀬川先生は《あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはないですね」といわれ、
試聴記にあるように《レベルコントロールの0.5dBの変化にも反応する!》、
こんなスピーカーは他にはない、とまでいわれている。

APM8がきわめて優秀なスピーカーシステムであることが伝わってくる。
そしてAPM8は、スタジオモニターとしての性能をもっているとも感じていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=17361


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

ステレオサウンド 54号、瀬川先生のAPM8の試聴記には、
《レベルコントロールには0・1dBきざみの目盛が入っているが、実際、0・5dBの変化にもピタリと反応する。調整を追い込んでゆけば0・3dB以下まで合わせこめるのではないだろうか。これほど正確に反応するということは、相当に練り上げられた結果だといえる。》
とある。

つまりAPM8には、連続可変型のレベルコントロールがついていた。
APM6には、レベルコントロールはついていない。
当時は、これが意味することがわかっていなかった。

レベルコントロールがないんだ、ぐらいにしか捉えていなかった。
このことと、APM8とAPM6のエンクロージュアの形式の違いは密接に関係している。

APM8はソニー・ブランドで出ていたSS-G9の平面振動板タイプと、外観上はそういえるところがある。
ほぼ同じ寸法のエンクロージュアに、レベルコントロールと銘板の位置もほぼ同じである。
そして特徴的であるAGボード(アコースティカル・グルーブド・ボード)の採用。

縦横溝が刻まれたフロントバッフルは、波長の短い中高域を拡散させるものである。
APM8にもAGボードは採用されている。

SS-G9はコーン型、ドーム型ゆえ、ユニットの形状は円であり、バスレフポートの開口部も円。
APM8は平面振動板であり、ユニットの形状は四角。
そのためであろうバスレフポートの開口部も四角に変更されている。

そんな違いはあっても、SS-G9とAPM9と共通するところの多いスピーカーシステムである。

ところがエスプリ・ブランドのスピーカーシステムの第二弾であるAPM6は、
エンクロージュアの設計はSS-G9、APM8とはまったく別モノといえる。

APM6のエンクロージュアは、スーパーオーバル(超楕円)といわれる形状をしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17368

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=17373

APM6が登場したとき、その形状に関しては、ラウンドバッフルをフロントだけでなくリアにまで採用した、
その程度の認識で捉えていた。

APM6の広告はステレオサウンド 61号に載っている。
設計者の前田敬二郎氏による解説が載っている。
当然、そこにAPM6のエンクロージュアの形状について書かれている。
     *
一般にスピーカーは無限大バッフルに取りつけるのが理想的で、現実に一部のスタジオのモニター設備ではスピーカーを壁面に埋めこんで使用しています。これは有限のエンクロージャーにスピーカーを取りつけると回折が起こり、指向特性を劣化させるからです。しかし理想的とはいっても個人用として無限大バッフルは、いかにも非現実的です。では、どんな方法があるか。解決はスーパーエッグがもたらしました。つまりスーパー楕円エンクロージャーです。
     *
この広告からわかるのは、
APM6のエンクロージュアは無限大バッフルを現実的な形とすることから生れたものということ。
APM6のエンクロージュアは楕円を縦四分割し、パーティクルボードと天然木を曲げながら積層し、
最後に天板と底板と一体化するという手法でつくられている。

おそらくAPM8のエンクロージュアよりも手間がかかっているはずだ。
このエンクロージュアとAPM6からレベルコントロールが廃されているのは、実は関連している。
でもAPM6登場の1981年、私はそのことに気づいていなかった。

白状すれば、APM8に魅力を感じていたし、
ほぼ同時期にテクニクスから発表になったSB-M1の方に強い関心をもっていた。

そのSB-M1には別称がある。MONITOR 1である。
このことからわかるようにM1のMはMonitorの頭文字である。

同時期にソニーとテクニクスから、モニターと名のつく平面振動板のスピーカーシステムが登場したわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17373


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=17421

ソニーもテクニクスも、それ以前に、
型番にMonitorとつくスピーカーシステムは作ってこなかった。
それが1981年のほぼ同時期に、APM6 MonitorとSB-M1(Monitor 1)を出してきた。

APM6とSB-M1、このふたつのスピーカーシステムを比較してみると、
ソニーとテクニクスの違いが実に興味深い。

APM6はすでに書いているように2ウェイ。
SB-M1は4ウェイ。
どちらも平面振動板ユニットを全面的に採用しているが、
ソニーは角形に対してテクニクスは円型という違いがある。

どちらもアルミハニカム材を使用しているが、
ハニカムコアがソニーは均一であるのに対し、
テクニクスは扇のように、中心部はコアの密度が高く、外周にいくほどコアの間隔が広がっていく。
それから駆動方式というか構造も違っている。
こんなふうに、それぞれの違いを書いていくと、それだけでけっこうな長さになっていくので、
外観からうかがえることに絞って書いていく。

SB-M1はJBLの4343を意識しているところは、ソニーのAPM8と同じである。
4ウェイのバスレフ型で、エンクロージュアの外形寸法も、APM8とSB-M1ともに、4343とほぼ同じである。

しかもSB-M1はエンクロージュアの仕上げも4343をかなり意識している。
とはいえデザインの見事さでは4343のレベルには達していない。

SB-M1は4343を意識しているスピーカーであるから、エンクロージュアは一般的な形である。
ラウンドバッフルを採用したりしていない。

わりとのっぺりした印象のSB-M1だが、フロントバッフルの両端に把手がついている。
これがけっこう長い。
ウーファーからミッドバスまでのスパンとほぼ同じである。
これが視覚的アクセントになっているわけだが、
聴感上でもアクセントになっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=17421


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=17433

一般的なウーファーであるコーン型だと振動板の中心は奥にある。
つまり凹みがある。
大口径になればなるほど凹みは大きくなる(奥に引っ込む)傾向にある。

ドーム型は逆ドーム型のモノもあるが、大半は前面に出ている。
コーン型と反対で凸である。

ホーン型はホーンの形式による。
基本的にはホーンなので奥に長いわけだが、
音響レンズがついていると、前に張り出している

平面振動板には、当然なのだが、この凹凸がない。
それが平面振動板ユニットの、他の方式のユニットにはないメリットではあるものの、
実際にフロントバッフルにとりつけてスピーカーシステムとしてまとめてみると、
それまでの凹凸のあったスピーカーシステムを見馴れた目には、
振動板だけでなく、フロントバッフル全体も平面(平板)な印象になってしまいがちだ。

エスプリ(ソニー)のAPM8が細かな凹凸だらけのAGバッフルを採用したのは、
もちろん音質面での配慮からだろうが、
外観が平板にならないように、という意図もあったのかもしれない。

テクニクスのSB-M1の左右両端の把手も、そういう意図があるのかもしれない。
テクニクスの発表資料には、指向特性の改善に貢献している、とあるが、
果して、どれだけの効果があるのだろうか。

私がそう思ってしまうのは、SB-M1のレベルコントロールもそうだからだ。
ミッドバス、ミッドハイ、トゥイーター、それぞれ連続可変のレベルコントロールをもつ。
つまり三つのツマミを配したパネルは、フロントバッフルより奥まった位置に取りつけられている。
この部分には凹みができている。

エスプリのAPM6には、レベルコントロールはない。
このレベルコントロールの有無、その取りつけ方法。

ここからいえるのは、聴感上のS/N比に対する配慮の違いだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=17433


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

実際に試したわけではないが、テクニクスのSB-M1から把手を外して、
レベルコントロールの凹みを良質の自然素材(たとえばウール)で埋める。

これだけで聴感上のS/N比はそうとうに高くなるはずだ。
凹み部分からの不要輻射を吸音し、把手部分の共鳴もなくしてしまえるからだ。
この手の実験はステレオサウンドの試聴室でかなりやってきた。
だから確実に、そうなると断言できる。

聴感上のS/N比が高くなることは、多くの人の耳が認めることだろう。
けれど、その音をいいと判断するかどうかは、また違ってくる。

聴感上のS/N比は確実に良くなっているのだから、
音は良くなっている──、とはいえる。
それでもメーカーは、把手込み、レベルコントロールの凹み込みで音を追い込んでいたのであれば、
聴感上のS/N比が高くなったかわりとして、音のバランスが若干変化するし、
音のアクセントといえるものがなくなり、印象としてもの足りなさをおぼえてしまうことも考えられる。

いわゆるノイズも音のうち、ということだ。

この点が、SB-M1とAPM6の大きな違いである。
スピーカーシステムにおける聴感上のS/N比の向上は、
SB-M1、APM6登場以降のスピーカーにおける潮流となっていく。

この視点からみれば、
SB-M1は1970年代までのスピーカーシステムのひとつとしての登場であり、
APM6は1980年代のスピーカーシステムのはじまりとしての登場といえる。

同じエスプリのAPM8は、SB-M1と同じといえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17527

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

エスプリ(ソニー)のAPM6が登場したころの私には、
このスピーカーシステムを、聴感上のS/N比に注目して捉えることはまだできなかった。
だから、気がつかなかったことがいくつもある。

聴感上のS/N比という視点でAPM6をじっくりみていくと、
日本のスピーカーシステムで、
いくつかの共通点を見出せるスピーカーシステムが存在していたことにも気づくことになる。

ダイヤトーンの2S305である。
NHKの放送技術研究所と三菱電機とが共同開発した、このスピーカーシステムは、
はっきりとモニタースピーカーである。

なぜAPM8にはMonitorの文字がつかず、APM6にはついているのか。
そのことを考えても、ダイヤトーンの2S305の存在が浮んでくる。

APM6の設計者の前田敬二郎氏は、
APM6の開発において2S305の存在を意識されていたのだろうか。
勝手な推測にすぎないけれど、まったく意識していなかった、ということはなかったように思える。

2S305の開発において、聴感上のS/N比が開発テーマになっていたとは思えない。
NHKがモニタースピーカーに求める性能を実現した結果として、
2S305は、あの当時として、かなり優秀な聴感上のS/N比の高さを実現したのではなかろうか。

おそらく、いまでも現代の優秀なパワーアンプで鳴らせば、
2S305は多少ナロウレンジでありながらも、
聴感上のS/N比のよい音とは、こういう音だという見本という手本のような音を聴かせてくれるはずだ。

2S305は、日本を代表するスピーカー(音)といわれていた。
それは海外製のスピーカーシステムとくらべると、パッシヴな性格のスピーカーシステムであり音である。

そのため聴き手(使い手、鳴らし手)がより積極的に能動的でなければ、
海外製のアクティヴな性格のスピーカーシステム(音)を聴いた後では、
ものたりなさを感じてしまうような音でもある。

APM6の音を、私は聴くことがなかった。
どんな音なのかは、だから正確にはわからない。
それでも2S305に通じる、パッシヴな性格をもったスピーカーシステムであるはずだ。

APM6を、いまじっくりとみつめていると、
1976年当時のオーレックスの広告にあったコピーが思い出される。

「趣味も洗練されてくると大がかりを嫌います。」
「趣味も洗練されてくると万人向けを嫌います。」

APM6の広告にもそのまま使えるのではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=17624

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652

ステレオサウンド 59号のベストバイで、エスプリのAPM6に星をつけている人は、
APM8の六人(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、柳沢)に対し三人(岡、菅野、山中)だった。

ここでひっかかったのは山中先生が、APM8には入れずAPM6に二星をつけられている。
これが意外だった。

山中先生といえば新製品紹介のページでも海外製品を担当されていた。
それまで書かれたものを読んできても、国産スピーカーをあまり高く評価されることはなかった。
その山中先生が、なぜだか理由はわからないけれど、APM6に二星。
しかも多くの人が評価しているスピーカーとはいえないAPM6に対して、である。

59号の約半年後に出た「コンポーネントステレオの世界 ’82」でも、
山中先生はAPM6の組合せをつくられている。
この別冊では他に二つの組合せをつくられている。
ひとつはQUADのESL63、もうひとつはエレクトロボイスのRegency IIIである。

QUADとエレクトロボイスは、すんなりわかる。
けれど、山中先生がAPM6? と思った。

それまでのステレオサウンドを読んできた者にとって、これは意外なことだ。
APM6の組合せならば、それまでのステレオサウンドならば、
岡先生、上杉先生、柳沢氏の誰かだったはずだから。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」の半年後の63号でのベストバイ。
ここでも山中先生はAPM6を評価されている。

ここでつくられた組合せの次の通りだ。

●スピーカーシステム:エスプリ APM6 Monitor(¥500.000×2)
●コントロールアンプ:エスプリ TA-E900(¥600.000)
●パワーアンプ:ヤマハ BX1(¥33.000×2)
●カートリッジ:フィデリティ・リサーチ FR7f(¥77.000) デンオン DL305(¥65,000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P3(¥600.000)
組合せ合計 ¥3.002.000(価格は1981年当時)
http://audiosharing.com/blog/?p=17652


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=17662

山中先生は、エスプリ(ソニー)のAPM6のどこによさを認められていたのか、
「コンポーネントステレオの世界 ’82」での組合せでは、どういう音を求められていたのか。

「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのもうひとつき山中先生の組合せ、
QUADのESL63の組合せとAPM6の組合せには、共通する言葉が出てくる。

ESL63の組合せの最後に山中先生が語られている。
     *
 最近は室内楽のレコードをほんとうに魅力的に再生できるシステムが非常に少ない。この組合せにあたってドビュッシーのフルートとハープとヴィオラのソナタを聴きましたが、こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、音が空間に漂うように再生するということだろうと思います。そのあたりの雰囲気が、かけがえのない味わいで出てくるわけで、ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです。
 それをこういう装置で聴くと、またまた狂いそうで心配です。最近の自分のシステムでいちばん再生困難なソースだったけれども……。
     *
ESL63の組合せはQUADのアンプ(44+405)に、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIICとトーレンスのカートリッジMCH63、
昇圧トランスはオーディオインターフェイスのCST80E40で、組合せ合計は¥1,710,000(1981年当時)。

室内楽については、APM6のところでも語られている。
     *
 この組合せのトータルの音ですが、最初に意図した、おらゆるソースにニュートラルに対応するという目的はかなり達せられたと思う。たとえば、かなり大編成のものを大きな音量で鳴らしても大丈夫ですし、楽器のソロのような再生の場合でも焦点がピシッと定まる。決して音像が大きく広がらないで、定位の点でも問題ないし、ディテールも非常によく出ると思います。
 ただ、私の好みもあって、いろいろなソースを聴いてみますと、一番よく再生できたなという感じがしたのは、クラシック系のソースです。特に小編成の室内楽とか声楽、それからピアノの再生がかなり良かったと思います。それがこのスピーカーシステムの一つの特徴なのかもしれません。楽器のイメージというか、とくにサイズの感覚が非常によく出る。たとえば、ギターのソロの場合、スピーカーによってはギターが非常に大きくなってしまって、両方のスピーカーの間隔いっぱいに広がるような、巨大なギターを聴くという雰囲気になるんですけど、そういうことは全くなくて、ピシッとセンターに焦点が合う。しかも、その楽器の大きさらしい音で実感できる。こういう点がこのシステムの一番素晴らしいところだと思います。
     *
この、再生される楽器の大きさについては、ESL63のところでも語られている。
     *
 人間が人間の大きさでちゃんと再現される。動きもわかる。楽器がそれぞれ大きさでちゃんと鳴る。小さな楽器は小さく、大きな楽器は大きく、ちゃんと感じられる。
     *
APM6とESL63、
それに鳴らされる(組み合わされる)アンプもずいぶんと傾向の違いを感じるが、
意外にもどちらの組合せでも、共通する意図が、そして音があったことがわかる。
http://audiosharing.com/blog/?p=17662


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=17678

自分がいま鳴らしている音を冷静に捉えている人であれば、
自分のシステムがうまく鳴らしてくれないレコード(音楽)を、
いともたやすく鳴らしてくれるスピーカーがあったならば、やはり惹かれてしまう。

いま鳴らしている音の延長線上にある音に惹かれることもあるし、
自分のスピーカーに不満に思い続けているところがよく鳴っているからこそ惹かれることもある。

前者の場合、グレードアップにつながっていく。
後者の場合はどうだろう。新たなスピーカーを導入するきっかけとなることだってある。

山中先生にとって、1981年の時点で、
QUADのESL63とエスプリのAPM6は、後者の場合にあたるスピーカーだったといえよう。

山中先生はESL63を導入されている。
QUADのアンプを含めての導入で、
リスニングルームではなくリビングルームにQUADのシステム一式は置かれていた。

APM6はリビングルームに置くスピーカーという雰囲気ではない。
やはりリスニングルームに置くスピーカーであるし、
型番にMonitorとつくぐらいであるからスタジオでの使用を前提としているともいえる。

そういえば、山中先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」のAPM6の記事の最後にこういわれている。
     *
 最後に、このAPM6というのは家庭に持ち込みますと意外と大きいんです。ショールームとか、どこかの展示会の会場で見ている場合には、角のない楕円形のカタチのせいか、そう大きく見えないのですが、実際に部屋に置くとたいへん大きいスピーカーで、狭い部屋ですとセッティングに苦労することがあるかもしれません。
     *
確かにAPM6はカタチのお陰で、写真でみるとそう大きくは感じられない。
けれど外形寸法はW54.4×H82.0×D37.3cmある。わりと大きめのサイズであることは確かだ。

だがESL63はどうだろう。
W66.0×H92.5×D27.0cmある。奥行き以外はESL63の方が大きい。
にもかかわらずESL63の記事では、APM6のように実際には大きいとは語られていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=17678


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=17693

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=17693


モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=30050

ソニー・エスプリのAPM6は、モニタースピーカーとして開発された、といっていいだろう。
けれど、APM6をモニタースピーカーとして導入したスタジオはあっただろうか。

CBSソニーのスタジオには導入されたのだろうか。

QUADのESL63は、家庭用スピーカーとして開発された。
にも関らず、当時のフィリップスがモニタースピーカーとして採用し、
それに応じてESL63 Proが登場した。

ESL63 Proは、型番からわかるように、モニタースピーカーとしてESL63の別ヴォージョンだ。

APM6はモニタースピーカーを目指しながら、採用されることはなかった。
ESL63は家庭用でありながら、モニタースピーカーとして採用されていった。

フィリップスの録音エンジニアは、おそらくAPM6の存在は知らなかったのではないか。
知っていたとして、音を聴いていたのだろうか。

もし彼らがAPM6を聴いていたとしても、
結局はESL63がモニタースピーカーとして選ばれたように思う。

その理由は、(その12)の最後に書いている「漂い」の再現なのだろう。

日本ではモニタースピーカー・イコール・定位の優れたスピーカーというイメージが、
アルテックの604シリーズが、広くモニタースピーカーとして使われていたことからもある。

ESL63をモニタースピーカーとして選んだフィッリプスは、
クラシックの録音を行う部門であるから、「漂い」が、その理由のように思うのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=30050
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1175.html

[近代史5] 昭和の日本のスピーカーは世界最高峰だった 中川隆
6. 中川隆[-5671] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:25:32 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[39]
ソニー 平面型ユニット スピーカー ESPRIT APM-8・APM-6Monitor
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1175.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/443.html#c6
[近代史4] 日本のスピーカー 中川隆
5. 中川隆[-5670] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:26:28 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[40]
ソニー 平面型ユニット スピーカー ESPRIT APM-8・APM-6Monitor
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1175.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/114.html#c5
[近代史4] イギリスのスピーカー 中川隆
24. 中川隆[-5669] koaQ7Jey 2021年4月15日 23:11:53 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[42]
audio identity (designing)宮ア勝己 モニタースピーカー論
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1173.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 BBCモニター考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1170.html

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター、復権か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1172.html

audio identity (designing)宮ア勝己 BBCモニター考(LS3/5Aのこと)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1171.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/111.html#c24

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
129. 中川隆[-5668] koaQ7Jey 2021年4月15日 23:15:37 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[43]
BBCモニター復活!ロジャース「LS5/9(65th Anniversary Edition)」の魅力に迫る! 2014/04/29
https://blog.joshinweb.jp/.s/hiend/2014/04/bbcls5965th-ann-e24b.html?yclid=YSS.1000018606.EAIaIQobChMIuYX8h7aA8AIVSWoqCh3dDAXrEAAYAyAAEgK1jvD_BwE


本日は、イギリスBBC(英国放送協会)モニターで有名な老舗スピーカーブランド、ロジャースのスピーカー「LS5/9(65th Anniversary Edition)」の魅力に迫ります。オーディオの魅力や奥深さを知り尽くした方にこそお勧めしたいスピーカーです。

ロジャース 2ウェイバスレフ型スピーカー
LS5/9 (65th Anniversary Edition)

■ ロジャース(Rogers)というメーカー

ロジャースは、第2次大戦直後の1947年に設立。紆余曲折を経て、現在は香港の企業グループの傘下にあります。ちなみに、日本国内の発売元は、ロジャース・ラボラトリー・ジャパンとなっています。

BBCのモニタースピーカーの型番には必ず「LS」が付いています。これは「Loudspeaker」を意味し、BBCのモニタースピーカーの規格名になります。続いて、「LS」の次の数字は用途、「/」(スラッシュ)の次の数字は開発順を表しています。ちなみに、LS3はスタジオ用小型モニターのことで、超有名な「LS3/5a」は小型で5番目に開発されたモニタースピーカーの規格ということになります。今回取り上げる「LS5/9」は中型で9番目に開発されたスピーカーであることを意味しています。あくまで規格であるため、過去には多くのスピーカーメーカーから同規格のスピーカーが発売されていました。

■ BBCモニターとは

ここで、BBCモニターの歴史を少し紐解きます。1号機は1958年の「LS5/1」で、ツイーターも後に一世を風靡したセレッションのHF1300が使われていました。その後の「LS5/5」には、ウーファー振動板にスペンドールのBC2などでもお馴染みのベクストレン樹脂が採用されました。

70年代には「LS3/5a」「LS3/6」などの小型モニターが開発されました。特に「LS3/5a」は超小型の移動用モニタースピーカーで、ユニットには有名なKEFの「B110」と「T27」が使われていました。「LS3/5a」は、KEF、ハーベス、スペンドール、チャートウェル、そしてロジャースなど、多くのメーカーから発売されていました。箱の規格とユニットは決められてはいるものの、内部のネットワークは各社で少しずつ違いがあり、実際音も少しずつ違いました。私は、能率が非常に低いながら、音のしっとり感とヌケの良さからロジャースの「LS3/5a」を大いに気に入り、手に入れました。

そして、80年代後半(私がJoshin三宮1ばん館に赴任していた時代)に大ヒットしたBBCモニターが、ロジャースの「LS5/8(PM510ファイブテン)」と「LS5/9」でした。当時の私は、その暖かく柔らかで包容力のあるサウンドに憧れました。たくさんのお客様にご購入いただきました。今回、その「LS5/9」が「LS5/9(65th Anniversary Edition)」として約30年ぶりに発売されたのですから、大注目しないわけには参りません。

■ LS5/9の復刻版が発売に!

「LS5/9(65th Anniversary Edition)」は、1985年頃にBBCの中型モニターとして発売された「LS5/9」の復刻版で、当時と全く同一の仕様となっています。オリジナルの「LS5/9」同様、ポリプロピレンコーンのミッドバスとソフトドームツィーターを搭載した2ウェイバスレフタイプです。ロジャース65周年記念として発売されたもので、オリジナルのエンクロージャーの色は、チークとローズウッドがありましたが、今回の復刻版はシックで落ち着いた雰囲気のローズウッドのみとなっています。大変魅力的で綺麗なデザインです。オリジナルは発売当時、チークよりローズウッドの方が高く、価格は約40万円したとのことですが、今回の復刻版がほぼ同一価格を実現していることは驚異的です。

オリジナル「LS5/9」の特徴はユニットにあり、ツイーターには当時の主流であったソフトドーム(34mm)を採用し、ウーファーには振動板に半透明のポリプロピレンを使った200mmコーン型を採用しています。また現在ではあまり見られないフロントバッフル上部に、大きく口を開いた左右対称配置のバスレフポートも大きな特徴となっています。

復刻版のウーファーのポリプロピレンコーンは、かつてのような半透明ではなく、かなり透明度の高い改良型となっています。ツィーターはオリジナルと同様の34mmソフトドームです。ただグリルは、バッフルのマジックテープが丸見えと言うデザイン的な面だけでなく、音質の面からも取り外さない方がいいようです。

ちなみに、ポリプロピレン樹脂は、初期のBBCモニターや民生用スピーカーに採用されていたベクストレンが、本来その素材が持つ固有の振動音を抑えるために塗るダンプ材により振動板自体が重くなってしまうため、さらに特性の良い材料が研究されました。70年代の半ば過ぎ、ダンプ剤を塗る必要のない乳白色がかった半透明の樹脂であるポリプロピレンが選ばれたのです。これがBBCモニターにおける第2世代の振動板材料であるポリプロピレンというわけです。

■ 魅力的なサウンド

そのサウンドは、BBCモニター特有の懐の深さを持っており、大らかで肉厚な中低域、滑らかで艶っぽい中高域は大変魅力的で、音楽のジャンルを選びません。クラシックでは、大編成のオーケストラは開放感たっぷりに、小編成のストリングスはストレスのない豊かな響きが、ボーカルはその温かくナチュラルな肉質感が、そしてジャズは軽やかで屈託のない開放的なサウンドが魅力的です。近年流行の高解像度スピーカーとは一線を画する別の魅力がありました。

「LS5/9(65th Anniversary Edition)」は、決して現在的なスピーカーではありません。正直、オーディオが最も華やかかりし、良い時代のヨーロッパ系スピーカーの中でのタンノイと並ぶ一方の雄です。いわゆる、JBLをはじめとした米国系モニター系の音とは真逆の、ニュアンス豊かなサウンドに、ゆったり包み込まれるような聴き方にピッタリのスピーカーだといえます。オーディオの魅力や奥深さを知り尽くした方にこそお勧めします。

https://blog.joshinweb.jp/.s/hiend/2014/04/bbcls5965th-ann-e24b.html?yclid=YSS.1000018606.EAIaIQobChMIuYX8h7aA8AIVSWoqCh3dDAXrEAAYAyAAEgK1jvD_BwE

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c129

[番外地9] 利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです
>MMTは国債ガンガン発行しようぜという理論ではありません。
>MMTはケインズ系理論です。
>国債発行しようぜという理論ではないので、議論が混沌化しています。

利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 失業云々とは関係ありません。
完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/308.html

[番外地9] 利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです 中川隆
1. 中川隆[-5667] koaQ7Jey 2021年4月16日 07:01:25 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[1]
利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 失業云々とは関係ありません。完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。  

貨幣のプール論は正しい。
池戸万作さんは完全に誤解していますが、本来の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる
という意味です。何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると
・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼

GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg


NYダウゴールド換算のチャート
https://realtime-chart.info/%E8%AA%AC%E6%98%8E/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88/NY%E3%83%80%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E6%8F%9B%E7%AE%97.html

日経平均はゴールド何グラム?

https://realtime-chart.info/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%A0%AA%E4%BE%A1/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%87%91%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.html

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-dow-800-down.html

因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

量的緩和で上がらなかった物価が現金給付で高騰する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13296


▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西つねき あなたの世界が変わる26分「今こそ知るべきお金の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=ePNfqu12S6A

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/308.html#c1

[番外地9] 三橋さんが何時も否定している貨幣のプール論は正しい。 中川隆
4. 中川隆[-5666] koaQ7Jey 2021年4月16日 07:04:21 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[2]
三橋貴明さんが何時も否定している貨幣のプール論は正しい。
利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 失業云々とは関係ありません。完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。
 

三橋さんは完全に誤解していますが、本来の貨幣のプール論というのは

税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる

という意味です。何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると
・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼

GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg


NYダウゴールド換算のチャート
https://realtime-chart.info/%E8%AA%AC%E6%98%8E/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88/NY%E3%83%80%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E6%8F%9B%E7%AE%97.html

日経平均はゴールド何グラム?

https://realtime-chart.info/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%A0%AA%E4%BE%A1/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%87%91%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.html

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-dow-800-down.html

因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

量的緩和で上がらなかった物価が現金給付で高騰する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13296


▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西つねき あなたの世界が変わる26分「今こそ知るべきお金の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=ePNfqu12S6A

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/248.html#c4

[番外地9] 国債ではなく利子ゼロの政府紙幣を発行しろという意見が強いのですが、政府紙幣を発行すると銀行と保険会社がすべて倒産してしまうのでできないのです
>国債の保持者の内訳は?

銀行と保険会社は主に国債の利子で稼いでいます。
昔は民間企業への融資の利息で稼いでいたのですが、日本の輸出が減って銀行から金を借りる企業が少なくなったので、国債で運用して生き延びているのです。
言い換えると、日本政府が銀行と保険会社を倒産させない為にタダで金をやっているのです。
国債ではなく利子ゼロの政府紙幣を発行しろという意見が強いのですが、政府紙幣を発行すると銀行と保険会社がすべて倒産してしまうのでできないのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/309.html

[番外地9] 国債ではなく利子ゼロの政府紙幣を発行しろという意見が強いのですが、政府紙幣を発行すると銀行と保険会社がすべて倒産してし… 中川隆
1. 中川隆[-5665] koaQ7Jey 2021年4月16日 07:45:20 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[4]
銀行と保険会社は主に国債の利子で稼いでいます。
昔は民間企業への融資の利息で稼いでいたのですが、日本の輸出が減って銀行から金を借りる企業が少なくなったので、国債で運用して生き延びているのです。
言い換えると、日本政府が銀行と保険会社を倒産させない為にタダで金をやっているのです。
国債ではなく利子ゼロの政府紙幣を発行しろという意見が強いのですが、政府紙幣を発行すると銀行と保険会社がすべて倒産してしまうのでできないのです。

利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/309.html#c1

[番外地9] どうせ微分積分も線形代数もできないんだろ

どうせ微分積分も線形代数もできないんだろ
IQ70以上は有り得ないな



どうせフーリエ解析も複素関数論も知らないんだろ。
微分方程式すら解けないだろうな。
教育学部はバカが行く所だ。IQ70程度だな。

俺だって三相交流やグラフ理論 位は知ってるさ。電気関係はすべてレベル低かった。

>複素数も高一から学んでいる

おまい、コーシーの定理も知らないんだろ。そんなの数学じゃない。
高卒の数学しかできないんだから IQ75程度か。


>アイヌと呼ばれる者は民族の要件を満たしていない。同一で無いバラバラの部族で、言語的にも統一性が無く、生活習慣も違う。日本人以外の13世紀になって、モンゴルから逃れてきた者達です。

すべて嘘八百だな。 事実は
近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球人で、次いで和人/本土日本人であり、本土日本人とアイヌ人の共通性は約30%程である。

他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本列島人(アイヌ、琉球人、和人)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。

アイヌ集団にはニヴフなど和人以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる。

アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループ D1a2a が 87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%)と大半を占める。

ハプログループ D1a2aは日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。これは琉球人で50%弱、本土日本人で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。

他に北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられる C2 が2/16=12.5%と報告されている。

おまいは日本語の読解力が完全にゼロなんだ。
おまい、本当にIQ70 もあるのか?
東北のマタギの言葉はアイヌ語だろ。
沖縄や九州にはアイヌ語地名が沢山ある。
古神道の宗教関係の言葉はアイヌと全く同じだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/310.html

[近代史4] パンは食べてはいけない 中川隆
10. 中川隆[-5664] koaQ7Jey 2021年4月16日 09:23:21 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[7]
【ゆっくり解説】全国に増殖する高級食パン専門店の実態について
2021/04/15






http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/524.html#c10
[近代史4] 輸入小麦は食べてはいけない 中川隆
7. 中川隆[-5663] koaQ7Jey 2021年4月16日 09:23:45 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[8]
【ゆっくり解説】全国に増殖する高級食パン専門店の実態について
2021/04/15






http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/318.html#c7
[近代史5] テレビ・新聞による情報操作と Google・Appl・Facebook・Amazon による検閲・言論統制に歯止めがかからない 中川隆
18. 中川隆[-5662] koaQ7Jey 2021年4月16日 09:35:56 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[9]

2021年04月15日
マードックによるメディア支配 / ユダヤ人が君臨する恐怖
外資規制は抜け穴だらけ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68853908.html


Jewish media rule 004Jews 9921


  つい最近、フジ・メディアHDが公式な「外資規制」に違反したとして話題になった。かつては、日本企業の集合体であったフジ・サンケイ・グループも、得体の知れない無国籍企業の群れとなってしまい、フジ・テレビジョンなどは「朝鮮人か支那人の放送局なのか?」、と疑ってしまうほどの体たらくである。フジ・メディアHDの金光修社長は記者会見の席上で、“うっかりミス”を詫びていたが、本当に単なる事務的ミスなのか? おそらく、株に関しては委託業者に任せていたから、金光社長は内心、「俺のせいじゃねぇよぉ〜」と思っているのかも知れない。(でも、最高責任者なんだから「責任」を取るべきなんじゃないか。)

  フジ・メディアHDは以前、書類の上で外国人等の議決権比率は19.99999%(2012年9月末~2013年9月末)ないし19.9997%(2014年3月末)と公表していたが、実際は20.000042%(2012年9月末~2013年9月末)から20.00083%(20143)であった。ブシ・メディアHDは「認定放送持株会社」であるから、外国人の議決権比率を20%未満に抑えねばならない。しかし、金光社長や重役達は、この明らかな違反を隠蔽し、20%を越えていないと偽っていた。しかも、彼らはずっと「外国人の議決権は19.9999%くらいだから、放送法には抵触していません」とシラを切っていたから悪質だ。もちろん、総務省の役人も承知の上で見逃していたから共犯である。

  たぶん、20%を越えた時、フジ・メディア側の誰かが役人と接触し、「どうか御勘弁を・・・」と頼んだんじゃないか? 役所とフジは昔からズブズブの関係だから、密かな「取決め」があっても不思議じゃない。これは筆者の勝手な憶測だが、「社会正義」を振り回す地上波テレビが調子に乗って菅総理の息子と東北新社を叩きまくったから、上級官僚の誰かが“仕返し”をしたんだろう。霞ヶ関の高級官僚からすれば、「接待くらいで何だ !!」と反論したくなる。普通の役人だって、「他のテレビ局も、みんなやっているじゃないか! 何を今更とぼけたことを言ってるんだ !」と怒鳴りたくなる。だいたい、格下の下種(ゲス)供がいい気になって「官僚批判」を繰り返すなんて赦せない。となれば、秘密を握っている役人が、「俺達はオマエ等の弱みを握っているんだから、あんまりナメた事するんじゃねえぞ ! 俺達に逆らったら“どんな目”に遭うか、きっちり教えてやる !」と憤慨し、フジの違反を密告したとも考えられる。高級官僚というのは、澄ました顔をしてエゲつない事をするから、本当に油断がならない。国税庁を使った財務省の恐喝は有名じゃないか。

  一般国民は「東北新社の免許認定取消があったから、当然、フジ・メディアHDにも同様の行政処分があるんだろう」と期待した。ところが、総務省の行動は意外というか、予想通りの御白洲だった。何と、武田良太総務大臣は、フジ側の放送法違反を“違反”と認めなからも、「遺憾」とだけ述べて「お咎め無し」にしてしまったのだ。常識的な日本人は「えぇぇ〜、会社の規模で処分が違うのかぁぁ〜?!」と呆れてしまい、法の下の平等原則が幻想であったことに気がつく。まぁ、さすがにフジテレビの免許を取り消し、放送停止に追い込むことは、いくら何でもできまい。当初の目的通り、マスコミに「お灸を据える」ことが出来たんだから、それ以上の仕置きは必要ないだろう。

  そもそも、「外国人の持ち株比率や議決権の有無を規制する」というルール自体がザル法なのだ。一般の保守派国民は「日本のテレビ局を支那人や朝鮮人の手から守れ !」といきり立つが、帰化鮮人や帰化支那人が株主になれば外資規制なんて意味が無いだろう。日本で生まれ育った帰化鮮人の子供が大株主になり、それなりの議決権を有すれば、在日鮮人の株主と変わりがない。 たとえ、フジ・メディアHD側が、「外国人の議決権は20%を越えていません」と言い張っても、大勢の支那人や朝鮮人が色々な形で株主になっていれば、何らかの“忖度”や“配慮”がなされるはずだ。フジテレビの遠藤龍之介社長は、支那人や朝鮮人の旦那衆に向かって、「我々は外人の指図は受けません!」と言えるのか? (ちなみに、遠藤社長は「狐狸庵」先生で知られる故・遠藤周作の長男。) 以前、会長や社長を務めていた日枝久は、高麗大学から名誉博士号をもらって喜んでいたけど、他の重役も似たり寄ったりだろう。また、フジ・サンケイ・グループには、レコード会社の「ポニー・キャニオン」があるから、南鮮人アイドルの下らない歌でも、「どこかの馬鹿がCDを買ってくれるだろう」と予想し、無駄と思いつつも一生懸命宣伝している。平成の頃、産経新聞も営業利益を鑑み、「K-Pop」とやらを大々的に宣伝し、気持ち悪い全面広告を載せていたじゃないか。

ルパート・マードックもユダヤ人の仲間

Rupert Murdoch 001(左 / ルパート・マードック )
  1996年、ソフトバンクを率いる孫正義は、オーストラリアのメディア王ルパート・マードック(Keith Rupert Murdoch)とタッグを組んで地上波放送のテレビ朝日を買収しようと試みた。彼らは「旺文社メディア」の株を買収して朝日の大株主になろうとしたが、臨時株主総会の前にその真意を怪しまれ、せっかくの計画は失敗に帰した。緊急事態の総会は開かれず、株の払い戻しで一件落着となったから、何となくテレ朝の幹部は一安心。でも、外国人による買収劇はいつでも起こるから、いずれ何らかの形で地上波が支配される可能性はある。

  何しろ、緊縮財政による不景気で日本経済の成長が押さえられ、見る見るうちに広告収入が減っているから、どんな事態が起こるか分からない。あの電通でさえ自社ビルを売却してリストラを断行する始末なんだから。かつては輝いていたフジテレビも、下り坂を転がるように慢性的な凋落が著しく、どの番組もつまらない。以前は「面白くなければテレビじゃない!」と気張っていたが、制作費の削減を目の当たりにした社員は「バブルの頃は良かったなぁぁ〜。ちょっとした番組でも海外ロケができたし・・・」と昔を懐かしんでしょんぼり。まるで、『笑ってポン !』(1983年放送TBS)を企画してコケてしまった時の桂邦彦プロデューサーみたい。(筆者は観ていなかったんだけど、この番組にはビートたけしが出ていたそうで、人気番組になるはずが、たった3ヶ月くらいで終了となってしまったそうだ。)

  フジテレビは没落する地上波の象徴だ。得意なドラマを制作すれば失敗の連続で、視聴率は野党の支持率みたいに低い。テレ朝も惨敗続きだ。開局60周年記念番組として作った『24 Japan』は、自爆作品そのもので、米国版をそのまま日本に移したB級ドラマだった。この日本版は放送前から不安が囁かれており、信じられないけど、放送時間は深夜枠。案の定、視聴率は最低で、あまりにも低かったから、第5話以降は非公開で“内緒”となっていた。もう「無惨」の一言に尽きる。今では、子供ですら地上波テレビを見ないから、夕方以降の番組はインターネットに疎い中高年か、暇を持て余す貧民が観るだけ。こうなると、益々スポンサーが逃げて行く。今後は地上波でも、ショッピング・チャンネルに移行するしかない。それが嫌なら、マンネリの時代劇を流して、老人用オムツを宣伝するだけ。でも、これじゃあ、あまりにも酷すぎる。

  脱線したので話を戻す。テレ朝の買収劇が起こった時、日本のマスコミはルパート・マードックを「FOXテレビの経営者」とか「オーストラリアのメディア王」としか伝えなかったが、この「オーストラリア人」は血統的にはユダヤ人。なぜなら、彼の母親エリザベス・ジョイ・グリーン(Elisabeth Joy Greene)は、ルパート・グリーン(Rupert Greene)の娘で、正統派ユダヤ教徒の裕福な家庭に生まれたからだ。そして、このエリザベスは1928年に新聞社を経営するキース・ルパート卿(Sir Keith Ruper)と結婚し、三人の娘と息子を一人もうけた。この男の子が後に「News Corporation」を統括し、「21st Century Fox」を創設するルパート・マードックとなる。ちなみに、彼は両親が授けた「キース」を用いず、祖父のファースト・ネームである「ルパート」の方を常用する事にしたそうだ。ルパートの家系に関しては、以前、ワシントン・ポスト紙のリチャード・カーティス(Richard H. Curtiss)が書いていた。

Elizabeth Murdoch 11Rupert Murdoch & mother Elisabeth 1Rupert Murdoch & father Keith 1


( 左 : エリザベス・ジョイ・グリーン / 中央 : キース・ルパート卿夫妻と子供達 / 右 : 若い頃のルパート・マードックと両親)

  他のユダヤ人メディア王と同じく、ルパートのメディア帝國も優良資産が多く、「News Corporation」の傘下には「REA Group」、「News UK(旧News International / 英国紙)」、「DowJones & Company(「ウォール・ストリート・ジャーナル」を所有)」、「News Corp Australia(濠洲紙)」、「New York Post(米国紙)」、「Harper Collins(世界的に有名な大手出版社)」がある。ルパートが大衆紙の「The Sun」や「The News of the World」を傘下に収めているのはよく知られていたが、日本の一般国民は彼の「News UK」が英国メディアを代表する「The Times」と「The Sunday Times」を買収したことをあまり知らなかった。たぶん、各県の大学生に訊いても半分くらいは経営本体を知らないんじゃないか。「Sky Television」や「Sky News」を観ている日本人でも、ブリテンのメディア事情に暗い人は多い。BBCに潜むユダヤ人制作者を知っている人などは、相当なオタク族である。

  ユダヤ人は「ハラハー(Halakha / ユダヤ教にある一種の法律)の規定もあって、母親の血筋で「ユダヤ人」と判断する民族である。しかし、母親がキリスト教徒のヨーロッパ人であっても、父親がユダヤ人なら、その間に生まれた子供は、やはり「ユダヤ人」と見なされる。また、ユダヤ教の信仰が無くても、片方の親がユダヤ人なら「ユダヤ人」となり、無神論者でも反シオニストでも構わない。イスラエルは世界各地に散らばった同胞の帰国を勧めているが、優先されるのは血統上のユダヤ人で、白人系の帰還者が好まれる。しかし、エチオピアからの「黒いユダヤ人」だと、「お前、本当にユダヤ人の子孫なのか?」と疑われ、場合によってはDNA検査を求められることもある。これって、人種差別じゃないのか?

Michael Wolf 2Eric Alterman 11(左 : マイケル・ウォルフ / 右 : エリック・オルターマン )
  それにしても、なぜ日本人や一般の西歐人はルパートの素性(血統)を知らないのか? それは主流メディアのジャーナリストが暴露したがらない、あるいは単に無知であるからだ。つまり、知っている者でも、意図的に隠しているからだろう。例えば、2012年、マードックは軽率にもユダヤ人を批判したことでマスコミに叩かれたことがある。イスラエル支持者のルパートは非ユダヤ人を装い、イスラエルを擁護した。彼はイスラエルに辛辣な記事を載せるユダヤ系メディアを叱責し、「どうしてユダヤ人が所有する新聞社は、いつも反イスラエルの姿勢を取るのか?」と述べた。こうした非難を日本人や歐米人が聞けば、マードックを非ユダヤ系オーストラリア人と思ってしまうだろう。(註 / 彼は1985年にアメリカ合衆国に帰化している。) 事実、ルパートに関する記事を書いたマイケル・ウォルフ(Michael Wolff)やエリック・オルターマン(Eric Alterman)は、ルパートがユダヤ人であることを紹介しなかった。ただ単に知らなかったのか、意図的に隠したのか分からないが、彼らはルパートの宗教に言及しても、彼の家系については述べていない。

   ルパートは“イギリス人”のエリート・コースを歩み、母親が属するエピスコパル教会に通い、名門のオックスフォード大学に入った。(Michael Wolff, "Rupert Murdoch and the Jews", The Guardian, 19 November 2021. と Eric Alterman, "Rupert Murdoch and the Jewish Owned Press", The Nation, November 28, 2012.を参照。) ここでは直接関係ないけど、マードックの結婚生活も大富豪らしく華々しい。第1夫人はパトリシア・ブッカー(Patricia Booker)で、二人は1956年に結婚したが1967年に離婚する。第2夫人はアナ・マリア・トーヴ(Anna Maria Torv)で、オーストラリアのジャーナリスト兼小説家であった。彼女はスコットランドで生まれていたが、父方の祖先はエストニア系で、有名女優のアナ・トーヴ(Anna Torv)は彼女の姪ににあたるそうだ。役者のアナもオーストラリア生まれで、母親はスコット系なんだが、父方の血筋でエストニア系スコット人となっている。彼女はFoxテレビの人気ドラマ『Fringe』で主役を務めたから、日本の一般人でもアナ・トーヴを知っているんじゃないか。「やはり」と言ってはなんだが、このドラマもユダヤ人の作品で、制作の総指揮はあのJ.J.エイブラム(Jeffrey Jacob Abrams)とアレックス・カーツマン(Alex Kurtzman)であった。

Patricia Booker 1111Rupert Murdoch & Anna Maria Torv 2Anna Torv 002


(左 : パトリシア・ブッカー / 中央 : アナ・マリア・トーヴとマードック / 右 : アナ・トーヴ)

  アナとの間には三人の子供ができたが、ルパートは1999年にアナと離婚する。独身となったマードックは、離婚した年に支那人女性と再婚した。第3夫人となったのは、支那人のウェンディー・デン(Wendy Deng / ケ文迪)。彼女は江蘇省生まれで、結婚前は香港でTVの仕事をしており、マードックの「Star TV」で副社長を務めていたという。(ウェンディーも以前ジェイク・チェリーという亭主がいたので、彼女も再婚者。) 彼女との間には二人の娘をもうけたが、この子達は「ユダヤ系支那人」になるのか? それはともかく、二人の間には亀裂が入ってしまい、マードックは2013年に離婚する。

Rupert Murdoch & Wendi Deng 02Wendi Deng & Tony Blair 11Wendi Deng & Daughters 1


(左 : マードックとウェンティー・デン / 中央 : トニー・ブレアとウェンディー / 右 : 二人の娘とウェンディー)

  でも、支那人との結婚は何かと問題が多く、米国の諜報機関はマードックと北京政府の関係を疑っていた。そして、ウェンディーには更なる厄介事があって、それはトニー・ブレア首相との不倫関係だ。英国の「Daily Telegraph」紙や米国の「Vanity Fair」誌も、二人の不貞行為を報じていたから、この噂は案外ホントなのかも知れない。確かなのは、長年の友人関係であったトニー・ブレアとマードックは不仲になった、という事だけ。

  そう言えば、共和党院内総務のミッチ・マコーネル(Mitch McConnell)上院議員も北京政府と昵懇で、女房の家族を通して支那ビジネスで儲けていた。しかも、エレイン・チャオ(Elaine Chao)はブッシュ政権で労務長官に就任し、トランプ政権では運輸長官を務めていたんだから、アメリカの政界が支那人に浸食されていたというこだ。もっと情けないのは、民衆党下院議員のエリック・スウォルウェル(Eric Swallwell)で、彼は支那人スパイのクリスティン・ファン(Christine Fang)、すなわち権力者を狙った「ファン・ファン」ちゃんに「女の武器」で籠絡されていた。彼は典型的な「ハニー・トラップ」に引っ掛かった訳だが、事もあろうに国家機密を扱う下院諜報委員会のメンバーであった。もうギャグ漫画レベルの話である。

Elaine Chao 01Eric Swallwell 002Christine Fang 21


(左 : エレイン・チャオ / 中央 : エリック・スウォルウェル / 右 : クリスティン・ファン )

  しかし、この「ファン・ファン」の魔力に見せられたのはエリックだけじゃなく、同じカルフォルニア州選出のロー・カナ(Ro Khanna)下院議員(民衆党)も彼女と友人関係にあったそうで、選挙の時には頼もしい助っ人になっていた。ところが、彼女のスパイ容疑がとりだたされると、慌てて火消しに取りかかったそうである。また、ファン・ファンはオハイオ州の市長二名にも接近していたそうで、彼らの接触はFBIの監視下にあったらしい。一人の市長はファン・ファンとクルマの中で“何か”をしていたそうで、どうやらFBIの捜査対象になっていたようだ。英国の「Daily Mail」紙によると、アーカンソー州のリトルロックで市長をしていたマーク・ストッドラ(MArk Stodola)も、素早くファン・ファンとの接触記録を抹消したというから、何となく怪しい。「Business Insider」や「Axios」といったメディアは具体的な名前を挙げていなかったが、もしかすると、罠に嵌まった市長に心当たりがあるのかも。まぁ、日本の政治家や新聞社の論説委員も支那人のハニー・トラップに掛かっているから、アメリカ人のことは馬鹿にできないが、我が国の公安はちゃんと実態を把握し、妖艶な行為を記録している? 案外、在日アメリカ人のスパイが政治家の「弱み」を握っているのかも知れないぞ。

Eric Swallwell & Christine Fang 111Ro Khanna 15Mark Stodola 1


( 左 : エリック・スウォルウェルとファン・ファン / 中央 : ロー・カナ / 右 : マーク・ストッドラ )

  2016年にマードックが再婚したのは、元モデルで女優のジェリー・ホール(Jerry Faye Hall)だ。この第4夫人は日本人でも知っている通り、超人気ミュージシャンで「ナイト」の称号をもらったミック・ジャガー(Sir Michael Philip Jagger)の元女房。二人の間にはエリザベス(Elizabeth)とジョージア・メイ(Georgia May)という娘が生まれている。姉のエリザベスは人権活動家になってしまったが、妹のジョージアはフッション・モデルになったから良かった。マードックやドナルド・トランプもそうだけど、アメリカの金持ちにとって若い女と再婚するのはちょっとした理想だ。2016年に再婚したマードックは何と85歳だった。しかし、相手のジェリーも59歳だったから、まぁ驚くほどでもない。それよりも、遺産がどうなるのか、そっちの方に興味がある。

Georgia May Jagger 3Elizabeth Jagger 1(左 : ジョージア・メイ / 右 : エリザベス)
  かなり脱線してしまったが、マードックに関する記事を書いたウォルフは作家で、オルターマンの方はニューヨーク市立大学の教授だ。彼らは共にユダヤ人。アメリカのユダヤ人なら、同胞のマードックが「ユダヤ系オーストラリア人」と直ぐ判るのに、明言しないなんておかしい。筆者はテレ朝の買収劇が起きた時、「なんで朝日新聞はマードックの血筋を紹介しないだ?」と怪しんでいた。日本国籍を持つ朝鮮人と濠洲のユダヤ人が手を組んで日本のテレビ局を狙っていたのに、朝日の連中は何も言わなかったんだから、もしかすると意図的に言及しなかったのかも・・・。橋下徹の時はさんざん血筋について暴いていたのにねぇ〜。テレビ朝日はずっとCNNと契約関係にあったんだから、CNNのユダヤ人に訊いてみればよかったじゃないか。詳しい奴は居るはずだ。それにしても、朝日新聞は在日朝鮮人とかユダヤ人になると、どうして血筋を隠してあげるのか? 何か特別な配慮でもあるのか?

Jerry Hall & Mick Jagger 14Rupert Murdoch & Jerry Hall 1133


(左 : ジェリー・ホール ミック・ジャガー / 右 : マードックとホール )

  当ブログでは何度もユダヤ人のメディア支配について述べてきたけど、本当にアメリカの放送業界はユダヤ人に牛耳られている。どこの大手メディアを覗いてみても、必ずユダヤ人が君臨しているんだから異常である。もし、我が国の地上波放送や衛星放送、新聞社、出版社の創設者や経営者、所有者が朝鮮人だらけなら、一般国民はゾッとするに違いない。一部の国民は金光修社長の名前を目にして、「もしかしたら朝鮮系?」と疑ったくらいだ。以前の記事で日本国籍を取得した朝鮮人企業家を紹介したけど、ほとんどの日本人は有名企業の経営者が実は元在日朝鮮人だったことを知らなかった。官報で告知されても、一般国民は誰なのか判らないし、顔写真が附いていないので、人物の特定は困難だ。歌手や俳優だと藝名自体が偽名だし、その私生活で「通名」を使っているので、誰が帰化人なのか判らない。

ユダヤ人だらけのメディア業界

  一般の日本人は支那人や朝鮮人による企業買収を心配しているが、アメリカのメディア界は既にユダヤ人の天下になっている。ちょっと見渡しただけでも、トップの連中は西歐人とは思えない異人種ばかり。「Viacom」の総帥で既に亡くなっているサムナー・レッドストーン(Sumner Redstone)は、直ぐユダヤ人と判る「マレー・レッドシュタイン(Sumner Murray Redstein)」という本名を持っていた。彼のメディア帝國は老舗の「CBS」や音楽ビデオで有名な「MTV」、映画スタジオの「Paramount & Dream Works Movie studio」などを傘下に収めている。エドガー・ブロンフマン・ジュニア(Edgar Bronfman, Jr.)もユダヤ人。彼は日本でも飲料メーカーとして有名な「シーグラム(Seagram)」を経営する一族の出身だ。エドガーは実家の稼業を継いでいたが、娯楽メディア業界にも進出し、「Warner Music Group」、「Time-Warner Corporation」、「NBC Television」、「Turner Broadcasting」、「CNN」、「Time誌」を経営した。

Sumner Redstone 2Edgar Bronfman Jr. 002Mortimer Zuckerman 004Peter Chernin 1


( 左 : サムナー・レッドストーン / エドガー・ブロンフマン・ジュニア / モーティマー・ザッカーマン / 右 : ピーター・チェルニン )

  モーティマー・ザッカーマン(Mortimer B. Zuckerman)は、全米で購読される『US News & World Report』や『New York Daily News』、世界的に有名な長寿雑誌の『The Atlantic』、ビジネス雑誌の『Fast Company』を所有する大御所だった。ピーター・チェルニン(Peter Chernin)は、マードックの「News Corporation」で経営を任された部下。彼は「NewsCorp」のCEOを務めたり、「American Express」の経営もしていた。「グラハム・ホールディングス社」の総帥を務めたドナルド・グラハム(Donald E. Graham)は、庶民でも知っている名家の御曹司で、母親は「女帝」と呼ばれたキャサリン・M・グラハム(Katherine Meyer Graham)だ。彼女の父親ユージン・マイヤー(Eugene Meyer)は有名なユダヤ人で、FRB(連邦準備銀行)の議長を務めたこともある。そして、ユージンの母親であるハリエット・ニューマーク(Harriet Newmark Meyer)は、ユダヤ教のラビになったジョセフ・ニューマーク(Joseph Newmark)の娘であった。ジョセフはNYのマンハッタンにある「B'nai Jeshurun」というシナゴーグを建てた共同創設者であった。ちなみに、グラハム一族が所有していた『ワシントン・ポスト』紙はドナルドに引き継がれたが、この新聞社は2013年、2億5千万ドルで「ナッシュ・ホールディングス(Nash Holdings)」に売却されてしまった。そして、この持株会社は「アマゾン」でお馴染みのジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)が創設した企業である。

Donald Graham 3Katherine Graham 03Eugene MeyerJoseph Newmark 001


( 左 : ドナルド・グラハム / キャサリン・M・グラハム / ユージン・マイヤー / 右 : ジョセフ・ニューマーク )

  テレビ業界もユダヤ人だらけで、CNNは偏向報道を仕組んだジェフ・ザッカー(Jeffrey Zucker)が社長を務めてい。しかし、彼は元々NBCを取り仕切っていた人物だ。ABCテレビのエンターテイメント部門で社長を務めていたロイド・ブラウン(Lloyd Braun)は、元々「Yahoo Media Group」を率いていた辣腕弁護士で、人気コメディー番組(Sitcom)『サインフェルド(Seinfeld)』に出てくる「ロイド・ブラウン」は彼がモデルとなっている。ロイド役はピーター・ケレハン(Peter Keleghan)。ちなみに、この「サイフェルド」を発案したのは主役のジェリー・サインフェルド(Jerome Allen Seinfeld)とプロデューサー兼役者のラリー・デイヴッド(LArry David)である。この二人もともにユダヤ人。「ジョージ・コスタンザ」役(イタリア系)で登場するレギュラー共演者のジェイソン・アレクサンダー(Jason Alexander)もユダヤ人。一般人は彼の藝名しか知らないが、その本名は「ジェイ・スコット・グリーンスパン(Jay Scott Greenspan)」という。如何にも「ユダヤ人」らしい氏族名なので、ユダヤ人の俳優は出自を隠すために改名するとこが多い。

Jeff Zucker 2Lloyd Braun 1Jerry Seinfeld 1Jason Alexander 1


(左 : ジェフ・ザッカー / ロイド・ブラウン / ジェリー・サインフェルド / 右 : ジェイソン・アレクサンダー )

  話を戻す。ロイド・ブラウンは「Yahoo」の役職を退任すると、メディア技術を商う「Berman Braun」を運営することにした。彼はこれを拡張して「Whalerock Industries」と改名したそうだ。「Warner Brothers」で社長や会長を務めたテリー・セメル(Terry Semel)は、退任すると「ヤフー(Yahoo)」の社長や会長になった。かつて、「ABC」でプロデューサーを務めていたニール・シャピロ(Neal Shapiro)も他のユダヤ人と同じコースを進み、「NBC News」の社長を経たのち、報道番組を扱う「WNET」局の経営に乗り出した。

Terry Semel 01Neal Shapiro 4Gail Berman 11

(左 : テリー・セメル / 中央 : ニール・シャピロ / 右 : ゲイル・バーマン )

  「Fox Broadcasting Company」の社長を務めたゲイル・バーマン(Gail Berman)も遣り手のユダヤ人で、彼女の在任期間中に放送された番組には結構ヒット作が多い。例えば、全米で高視聴率を稼ぎ出した『American Idol』、キーファー・サザーランドの代表作である『24』、ヒュー・ローリー主演の『House』、日本でも人気が高い『Bones』などである。バーマンは2005年に「パラマウント・ピクチャーズ」の社長に就任したし、前述のロイド・ブラウンと組んで「BermanBraun」の共同経営者にもなった。その後、彼女は「Elvis」や「The Adams Family 2」といった娯楽番組を制作する「The Jackal Group」の社長や会長になっている。

Sandy Grushow 11( 左 / サンディー・グルーショウ)
  「Fox Entertaiment Group」の会長を務めたサンディー・グルーショウ(Sandy Grushow)もヒット作を生み出しており、彼の在任期間中には世界中で人気を誇ったTVドラマ・シリーズの「The X-Files」や、日本でも人気が高かった「メルローズ・プレイス(Melrose Place)」がある。今はどうか知らないが、このドラマに出ていた女優は一躍有名になった。コートニー・ソーン・スミス(Courtney Thorne-Smith)はもちろんのこと、『デスパレートな妻たち』で脚光を浴びたマーシャ・クロス(Mercia Cross)、「モトリー・クルー」のトミー・リーや「ボン・ジョヴィ」のリッチー・サンボラと結婚したヘザー・ロックリア(Heather Locklear)などはよく知られている。ヒット作を輩出したグルーショウは退任後に「The Weather Company」の重役に就いている。

Courtney Thorn Smith 006Mercia Cross 001HeatherLoclear 001

( 左 : コートニー・ソーン・スミス / 中央 : マーシャ・クロス / 右 : ヘザー・ロックリア )

  「Turner Broadcasting」の社長を務めたジェイミー・ケルナー(Jaimie Kellner)は退任後、TV放送を行う「ACME Communications」の会長になっている。彼は2001年に「ワールド・レスリング(World Championship Wrestling)」を終了させた人物として、プロレス・ファンから怨まれている。しかし、彼がFOXテレビにいた頃はヒット作を生み出しており、彼の在任期間中には『Simpsons』や『Married with Children』、『Beverly Hills』などがある。要するに、辣腕経営者は「泣いて馬謖を斬る」タイプの人間で、視聴率が下がった番組は容赦なくキャンセルする、というこだ。

Jamie Kellner 001Robert Rosenthal 002Phil Bronstein 001Martin Peretz 22


(左 : ジェイミー・ケルナー / ロバート・ローゼンタール / フィル・ブロンシュタイン / 右 : マーティン・ペレツ )

  雑誌社や新聞社にもユダヤ人がゴロゴロいる。例えば、ロバート・ローゼンタール(Robert J. Rosenthal)は「サン・フランシスコ・クロニクル」のマネージメント編集者を務め、フィル・ブロンシュタイン(Phil Bronstein)は同紙の編集長だった。マーティン・ペレツ(Martin Peretz)は「New Republic」誌を創刊し、熱心なイスラエル支持者である。名門ザルツバーガー家のアーサー・ザルツバーガー・ジュニア(Arthur Sulzberger, Jr)は、「ニューヨーク・タイムズ」と「ボストン・グローブ(Boston Globe)」紙を経営したが、2017年に引退し、息子のグレッグ(Arthur Gregg Sulzberger)に経営を譲った。このグレッグは、当然ながら、ユダヤ系のアーサー・シニア(Arthur Ochs Sulzberger, Sr.)とアーサー・シニアの義父であるアドルフ・オックス(Adolf Ochs)の血を引いている。

Arthur Sulzberger Jr 002Arthur Hays Sulzberger 001Adolph Ochs 001


( 左 : アーサー・ザルツバーガー・ジュニア / 中央 : アーサー・ザルツバーガー・シニア / 右 : アドルフ・オックス )

  CNNにもユダヤ人のキャスターが多く、亡くなった看板キャスターのラリー・キング(Larry King / 本名 : Lawrence Harvey Zeiger)は日本でも有名だ。 大御所アンカーマンたるウォルフ・ブリッツァー(Wolf Blitzer)は、アメリカに住むイスラエルの代弁者と言っていい。CBSの長寿番組『60ミニッツ』にいたユダヤ人記者と一緒。亡くなったマイク・ウォレス(Myron Leon Wallace)、モーリー・シェイファー(Morley Safer)、ボブ・サイモン(Robert David Simon)を思い出せば分かるだろう。その他、CNNにはウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)や元CBSアンカーのポーラ・ゾーン(Paula Zahn)もいたし、アンドレア・コッペル(Andrea Kopple)は、ABCの「Nightline」で有名なテッド・コッペル(Edward J. M. Koppel)の娘だ。

Wolf Blitzer 003Mike Wallace 2Morley Safer 2Bob Simon 11


( 左: ウォルフ・ブリッツァー / マイク・ウォレス / モーリー・シェイファー / 右 : ボブ・サイモン )

Steven Rosen & Keith Weissman 01( 左 : スティーヴ・ローゼン / 右 : ケネス・ワイズマ )
  二世ジャーナリストのアンドレア・コッペルは、CIAで中東アジアを担当する分析官のケネス・ポラック(Kenneth Michael Pollack)と結婚した。彼もイスラエル贔屓のユダヤ人で、あの恐ろしいユダヤ人団体の「AIPAC」と親密だった。このポラックはクリントン政権時代、国家安全評議会(NSC)のアドヴァイザーを務めたが、AIPACのスティーヴ・ローゼン(Steven J. Rosen)とケネス・ワイズマ(Kenneth Weissman)に国家機密を流したんじゃないか、と疑われたことがある。しかし、決定的な証拠を摑めなかったのか、この容疑は後に却下された。おそらく、AIPACの有力者が裏で政治家に圧力を掛けたんだろう。そもそも、ジョージ・W・ブッシュの政権には、ネオコンのユダヤ人がウヨウヨいたし、大統領自身がユダヤ人の支援で当選した訳だから、AIPACにとって不利になる処罰はしないだろう。また、AIPACに睨まれた政治家は落選の脅威を感じるから、この団体を敵にするより、恩を売って味方にした方がいい。政界で正義を貫く議員は馬鹿である。

Ted Koppel 0021Andrea Koppel 3Kenneth Pollack 01

( 左 : テッド・コッペル / 中央 : アンドレア・コッペル / 右: ケネス・ポラック )

  話を戻す。公共ラジオ放送の「NPR(National Public Radio)」もユダヤ人に牛耳られており、イスラエルの支援組織みたいになっている。NPRにはニュース分析を担当する、ベテラン・ジャーナリストのダニエル・ショール(Daniel Schorr)がいたし、「Weekend Edition」という番組で司会をするスコット・サイモン(Scott Simon)や、この番組に加わったリアン・ハンセン(Liane Hansen)もユダヤ人だ。「All Things Considered」の司会を務めたロバート・シーゲル(Robert Siegel)と一緒に司会を務めていたスーザン・スタンバーグ(Susan Stanberg)もそうだし、リポーターのエリック・ワイナー(Eric Weiner)やイスラエル特派員のリンダ・グラドシュタイン(Linda Gradstein)もユダヤ人。「類は群れる」というが、アメリカのメディア業界はユダヤ人の巣窟となっている。

Daniel Schorr 03Scott Simon 2Liane Hansen 1Eric Weiner 11


( 左 : ダニエル・ショール / スコット・サイモン / リアン・ハンセン / 右 : エリック・ワイナー )

  今、紹介した人々は全体のごく一部に過ぎず、アメリカのメディア界や独立系のジャーナリスト、コラムニスト、報道アナリスト、各分野のニュースでコメントを寄せる御用学者にもユダヤ人は雲霞の如く居る。一部の日本人は巨大な秘密組織の存在を信じているが、あまりにも漠然としていて筆者には信じられない。確かに、巨大なユダヤ人組織は存在するが、明白な陰謀が露見することは少なく、その多くは闇に包まれている。だから、ちょっとづづ事件や情報を繋ぎ合わせて、巧妙な裏工作を暴いて行くしかない。丹念に小さな事実を積み重ねれば、いかがわしい連中の全体像がぼんやりと摑めてくるものだ。

Susan Stamberg 12Linda Gradstein 1Robert Segal 01


(左 : スーザン・スタンバーグ / 中央 : リンダ・グラドシュタイン / 右 : ロバート・シーゲル )

マードックの怪しい人脈

  ルパート・マードックが何らかの「陰謀」を働いているとは思えないが、彼の人脈を探っていくと、やはり強力な「ユダヤ・コネクション」があるんじゃないか、と思えてくる。例えば、マードックはあのラリー・シルヴァーシュタイン(Larry Silverstein)やルイス・アイゼンバーグ(Lewis M. Eisenberg)と昵懇だった。シルヴァーシュタインは“偶然”にも、2001年1月にWTCのリース権を得て所有者になっていたので、テロ事件後、莫大な保険金を手にすることができた。一方、アイゼンバーグはWTCを管理する「NY・NJ港湾公社(Port Authority of New York and New Jersey)」の責任者(Chairman)であった。

Rupert Murdoch 055Larry Silverstein 003Lewis Eisenberg 021Frank Lowy 03

 

 


(左 : ルパート・マードック / ラリー・シルヴァーシュタイン /ルイス・アイゼンバーグ / 右 : フランク・ローウィー )

  シルヴァーシュタインには相棒の不動産業者がいて、それがチェコスロヴァキア生まれで、オーストラリアへ移住したフランク・ローウィー(Frank Lowy)だ。彼は9/11テロの6週間前に「WTC(国際貿易ビル)」の所有権を取得し、ちゃっかり「損害保険」を掛けていたので、事件後、シルヴァーシュタインと共に莫大な保険金を得ることができた。まるで、事前にテロ攻撃を知っていたかのように、彼は多額の保険を掛けていた。以前、当ブログで「踊るイスラエル国民」を紹介したことがあるけど、彼らはなぜか事前にテロ攻撃の日時を知っており、ニュージャー州側からWTCの惨状を撮影していた。どうして、彼らは悲劇の前にビデオ・カメラを用意し、飛行機が突入する瞬間を捕らえる事がきたのか? ホント奇妙だ。それに、逮捕されたユダヤ人たちは、なぜか直ぐに釈放され、イスラヘルへ帰ることができた。どうしてなんだろう?

  このフランク・ローウィーは通常、「オーストラリアのビジネスマン」と紹介されるが、実際はイスラエル政府の協力者みたいな商売人で、彼はオーストラリア国籍の他にイスラエル国籍も得ていた。なぜなら、彼はイスラエルの建国に寄与した「ハガナー(Haganah)」の元メンバーで、この準軍事組織はテロリスト部隊としても世に知られている。ローウィーはショッピング・モールを手掛ける「Westfield Corporation」や「Centre Group」の会長を務めていたが、濠洲の中央銀行である「Reserve Bank of Australia」の長官も務めていた。彼は晩年の2018年にイスラエルへ移住し、2020年の12月にテルアビブで亡くなっている。最期は心の故郷(ふるさと)であるイスラエルで死にたかったのだろう。彼は2017に英国のボリス・ジョンソン首相からナイト(Sir)の称号をもらったけど、やはり忠誠を誓うのはオーストラリアじゃなく、同胞が住むイスラエルだったのかも。

  シルヴァーシュタインやローウィー、アイゼンバークと同様に、マードックも熱烈なイスラエル支持者で、ユダヤ人団体の「ADL」や「United Jewish Appeal」、「Museum of Jewish Heritage」と仲良しだ。こうしたネットワークは「いざ」という時、物凄い力を発揮する。普段は商売や慈善活動に従事するユダヤ人でも、仲間が助けを求めてきたり、何らかの協力を要請すれば「あいよっ、ガッテンだ !」とばかりに呼応する。2020年の大統領選挙みたいに、共通の敵(トランプ大統領)が現れれば、全力を傾けての総攻撃となる。テレビ局や新聞社に巣くうユダヤ人は、仲間の掛け声に応じて偏向報道や湮滅工作に精を出す。まるで、「無垢の巨人」か「鎧の巨人」みたいだ。米国に張り巡らされたユダヤ人のネットワークはチタン合金で作られた蜘蛛の巣みたいなもので、一旦、ユダヤ人の巨大な歯車が次々と稼働すれば、現役の大統領だって身動きがとれず、グチャっと踏みつけられて一巻の終わりだ。

  こうしたユダヤ人支配を肯定するかのように、オーストラリアの政治家もマードックによる情報操作に警鐘を鳴らしている。濠洲の元首相であるケヴィン・ラッド(Kevin Rudd)は、マードックのメディア帝國をデモクラシーへの脅威と語り、自身のSNSで非難していた。また、マルコム・ターンブル(Malcolm Turnbull)元首相もマードックを批判し、彼の膨張主義に危機感を募らせている。事実、マードックはロシア・メディアの「RT」や「Sputnik」と提携し、ロシアへの進出も企んでいるようだ。あのプーチン大統領がこのユダヤ人と組むとなれば、何からのメリットがあるに違いない。おそらく、アメリカやオーストラリア、ブリテンのみならず、他の西歐諸国にもロシアのメディア工作を浸透させ、微妙な形で情報操作を仕掛けるつもりなんだろう。プーチンは非常に頭がいいから、歐米諸国の隅々に張り巡らされた水路(ユダヤ人メディア・ネットワーク)を利用し、その水脈に“毒”を流せば、歐米の庶民は簡単に中毒症状を起こす、と踏んでいるのかも。たとえ、そうでない場合でも、無自覚の病気に罹ってしまうから、ロシアとしては好都合だ。

Kevin Rudd 11Malcolm Turnbull 001Rupert Murdoch & Putin 2

(左 : ケヴィン・ラッド / 中央 : マルコム・ターンブル / 右 : プーチン大統領とマードック)

  とにかく、普通の日本人はどんな人物が米国のメディア界に潜在するのか知らないし、どんな人脈で繋がっているのかさえも知らない、ときている。しかし、各メディア会社を運営する重役や、報道番組を制作するプロデューサーおよびディレクター、新聞や雑誌の方針を決める編集者、記事を配信するジャーナリストの顔ぶれくらいは、心に留めておくべきだ。もし、報道姿勢や編集方針を決める連中の顔ぶれを目にすれば、「えっ、こんな人達がアメリカ人なの?」と驚いてしまうだろう。一般的に我々が「アメリカ人」と聞けば、西歐系の白人を連想するが、主流メディアを支配する人々は違っている。司令塔に陣取るユダヤ人は、「エイリアン」と呼ぶに相応しい異人種だ。たとえ、アメリカ国籍やブリテン国籍を持っていても、現地では異星人と変わりがない。

  これは日本人にとって貴重な教訓となる。もし、我が国の地上波テレビや衛星放送が朝鮮人に牛耳られ、各局の社長や会長、報道局長、文化部の部長、番組プロデューサー、チーフ・ディレクター、制作子会社の社長やスタッフなどが、ほんど“朝鮮系”だったら、日系日本人はどう思うのか? NHKを筆頭に、在京キー局の大株主や経営者が、帰化支那人や帰化鮮人の子孫だったら本当に恐ろしい。さらに、スポンサー企業も朝鮮系なら、背筋が凍りつくほどの恐怖だ。フジテレビの社長が遠藤周作の息子ならまだいいけど、金王朝の手下とか密入国者の孫だったら厭だよねぇ〜。でも、未来の日本では実現しそうだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68853908.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/513.html#c18

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはセレッション HF1300が使われていた
audio identity (designing) 宮ア勝己 ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはセレッション HF1300が使われていた


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=25795

セレッションのDitton 25のことを書いていて、
Ditton 25のことについてあらためて眺めていると、
そういえば、と気づくのは、私が好きな音色スピーカーには、
ほぼ必ずといっていいほどトゥイーターにセレッションのHF1300が使われていたことだ。

最初に、その音色に惚れ込んだスペンドールのBCII。
この素敵な音色のスピーカーにもHF1300が使われていた。

BCIIはカタログ上では3ウェイだから、HF1300はスコーカーではないか、といわれそうだが、
クロスオーバー周波数は3kHzと13kHzで、2ウェイ・プラス・スーパートゥイーターという構成でもある。

KEFのLS5/1A。
瀬川先生が愛された、このスピーカーにはHF1300が二本使われている。
私が中古で手に入れたのは、LS5/1。もちろんユニット構成は同じで、HF1300が二本。

HF1300は、おそらくHigh Frequency 1300Hzを表わしているはずだ。
13kHzまでを受け持つトゥイーターということだ。
いまの感覚からすれば、13kHzなんて、たいして高域がのびているわけではないと思われがちだが、
HF1300は1956年に発表されたトゥイーターであり、当時としては十分な性能の周波数特性だった。

イギリス製のトゥイーターはいえば、ソフトドーム型をイメージしてしまうが、
HF1300はアルミ製タンジェンシャルエッジの振動板に、
音響負荷をかねたディフューザーを組み合わせた構造の、
他に同様の構造のユニットが思い浮かばない独自のものである。

この独特のユニットが、Ditton 25にも使われている。
それからDitton15。
B&Wのスピーカーでは、DM4、DM2もそうだ。

Ditton 15はスーパートゥイーターはないが、
DM4、DM2はHF1300の上にスーパートゥイーターを加えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=25795


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=25855

セレッションのDitton 25もKEFのLS5/1A、
どちらもHF1300を二発使っている。
縦方向に二本並べて配置している。

Ditton 25のウーファーとトゥイーター(HF1300)とのクロスオーバー周波数は2kHz、
LS5/1Aは1.75kHzと発表されている。
どちらも同じくらいの値だ。

HF1300を使っている他のスピーカー、
Ditton 15は2.5kHz、B&WのDM2は2.5kHz、DM4は4kHzとなっている。
スペンドールのBCIIとBCIIIは3kHz。

Ditton 25とLS5/1Aが、他よりも若干低いのは、二本使用ということも関係してだろう。
ただ二本使うことで、高域にいくにしたがって定位への影響も懸念される。

Ditton 25はだからだろう、9kHz以上は別のユニットに受け持たせている。
LS5/1Aは2ウェイだから、どうしているかというと、
上下に配置されている上側のHF1300については、3kHzからロールオフさせている。
そのためトータルの周波数特性は高域がなだらかに減衰していくため、
専用のパワーアンプ(EL34のプッシュプル)には、高域補正回路が組み込まれている。

LS5/1Aの定位は、確かにいい。
私が一時期鳴らしていたのはLS5/1だったが、その定位の良さには、
良いことを知っていても驚かされた。

瀬川先生は、ステレオサウンド 29号にLS5/1Aの定位の良さについて書かれている。
     *
 LS5/1Aのもうひとつの大きな特徴は、山中氏も指摘している音像定位の良さである。いま、わたくしの家ではこのスピーカーを左右の壁面いっぱいに、約4メートルの間隔を開いて置いているが、二つのスピーカーの中央から外れた位置に坐っても、左右4メートルの幅に並ぶ音像の定位にあまり変化が内。そして完全な中央で聴けば、わたくしの最も望んでいるシャープな音像の定位──ソロイストが中央にぴたりと収まり、オーケストラはあくまで広く、そして楽器と楽器の距離感や音場の広がりや奥行きまでが感じられる──あのステレオのプレゼンスが、一見ソフトフォーカスのように柔らかでありながら正確なピントを結んで眼前に現出する。
     *
井上先生も、同じことを38号で書かれている。
《このシステムは比較的近い距離で聴くと、驚くほどのステレオフォニックな空間とシャープな定位感が得られる特徴があり、このシステムを選択したこと自体が、瀬川氏のオーディオのありかたを示すものと考えられる》

これはほんとうにそのとおりの鳴り方であって、
私は六畳間で鳴らしていた。
長辺方向にスピーカーを置くわけだから、かなりスピーカーとの距離は近い。

LS5/1は当然だがLS5/1Aよりも古い。
私のLS5/1は1960年前後に造られたモノ。
その30年後に、追体験していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=25855


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=26214

セレッションのトゥイーター、
個人的には名トゥイーターといいたくなるHF1300。

いまBBCモニターのLS3/5Aの復刻モデルが、各社から出ている。
LS3/5Aに搭載されていたKEFのユニットは製造中止になって久しいから、
オリジナルの復刻にはユニットの復刻から、始めることになる。

そうやった復刻されたユニットを見ると、なかなかの仕上がりだ。
BBCモニターの復刻はLS3/5Aだけではない。

グラハムオーディオからはLS5/8とLS5/9も出ている。
LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか。

LS5/5の復刻にはHF1300(正確には改良型HF1400)が不可欠だと、思っている。
ここが他のトゥイーター、どんなにそれが優秀であってもLS5/5の復刻とは呼べないはずだ。

ようするにどこかHF1300を復刻してくれないか、と思っているわけだ。
HF1300を単体のトゥイーターとして使ってみた(鳴らしてみた)ことはない。

自分でそうやって使う(鳴らす)ことで、確かめたいことがある。
それはHF1300独自の音色について、である。

ここでのタイトルは、
好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた、としている。
そうである。

そうなのは確かだが、HF1300は各社のスピーカーシステムに使われている。
組み合わされるウーファーもさまざまだ。

そこにおいて音色のつながりに不自然さを感じさせるスピーカーシステムはなかった。
ということは、HF1300はそれほど主張の強い音色をもっていないのではないか。
そう解釈することもできるからだ。

ステレオサウンド 35号「’75ベストバイ・コンポーネント」で、
井上先生は、
《英国系のスピーカーシステムに、もっとも多く採用されている定評のあるユニットだ。滑らかで、緻密な音質は、大変に素晴らしく他社のウーファーとも幅広くマッチする。》、
瀬川先生は、
《イギリス製のスピーカーシステムに比較的多く採用されている実績のある、適応範囲の広いトゥイーター。BBCモニターの高域はこれの改良型。高域のレインジはそう広くない。》
と書かれている。

HF1300は適応範囲の広いトゥイーターだということが読みとれる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26214

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=28954

ほぼ一年前の(その3)で、
グラハムオーディオからLS5/5は復刻されないものか、と書いた。

書いているけれど、あまり可能性はないと思っていた。
ドイツで開催されていたオーディオショウ、
HIGH ENDでのグラハムオーディオのブースの写真が、
グラハムオーディオのfacebookのページで見ることができる。

そこにはLS5/5の復刻版が写っている。
今日現在、グラハムオーディオのウェブサイトには、LS5/5の情報はない。
けれど、期待していい、と思っている。

写真を拡大していくと細部は粗い。
トゥイーターは、いまのところHF1300(もしくはHF1400)の復刻版ではなさそうである。
LS5/8に採用されているトゥイーターの同じようである。

ユニット配置、コーン型ユニットの取り付け方などはLS5/5を踏襲している。
肝心なのは、その音と音色である。

どうなんだろうか。

LS5/5の資料はBBCのウェブサイトから
“The design of studio monitoring loudspeakers Types LS5/5 and LS5/6”が
ダウンロードできる。

ラジオ技術選書「スピーカ・システム(山本武夫 編著)」に、LS5/5のことは載っている。
そのころから気になっていたスピーカーである。

なのでどういう構成のスピーカーなのかは、割と知っている。
それでも、LS5/5は、実物を見たことはない。
当然、音を聴いていないし、周りにきいたことのある人もいない。

グラハムオーディオのことだから、いいかげんな復刻モデルではない、と信じている。
グラハムオーディオのLS5/5、どんな音色に仕上がっているのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=28954


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=29793

数日前、facebookを眺めていたら、グラハムオーディオのfacebookのページに、
BBCモニターLS5/5の写真が公開されていた。

四ヵ月前に公開された写真とは違い、ぐっとスピーカーに寄ったものであり、
前回の写真ではなんともはっきりしなかったところも、今回の写真はきちんとは伝えてくれる。

トゥイーターは、やはり復刻版のLS5/8やLS5/9に採用されているものと同じに見える。
HF1300と外観的にもかなり違うトゥイーターではあっても、
ロジャースのPM510やLS5/8に採用されていたオーダックス製のトゥイーターによく似た感じだ。

コーン型のウーファーとスコーカーは、ベクストレンの振動板のようだ。
それからエンクロージュアのプロポーションが、奥にかなり長い。

オリジナルのLS5/5は聴いていない。
聴いていないからこそ、今回のグラハムオーディオによる復刻は、
これはこれでいいんじゃないか、と、かなり魅力的に思えてくる。

オーディオマニアとして、音に対して強くありたい、とは常々おもっている。
それでも、今回のLS5/5のようなスピーカーの報せをみると、そのへんがぐらぐらとしてしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=29793

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=31651

(その3)で《LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか》と書いたところ、
その一年後、イギリスのグラハムオーディオがLS5/5の復刻を発表した。
2019年のことである。

こうなると、LS5/1の復刻を期待したくなる。
まぁ、でも無理だろうな……、と思っていた。

先ほどグラハムオーディオのfacebbokに、
LS5/1用のエンクロージュアが届いた、という写真が公開されていた。

バスレフポートの形状と数は違うが、
ウーファーは15インチ口径を、ストロットを採用している。
トゥイーターは、二つ取り付けられるようになっている。

ユニットの写真は、まだない。
どんなユニーットが搭載されるのかを含めて、非常に楽しみである。
http://audiosharing.com/blog/?p=31651


ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(余談)
http://audiosharing.com/blog/?p=25857

(その2)へのfacebookでのコメントに、
ヤフオク!にLS5/1Aが出品されている、とあった。

KEFのLS5/1Aではなく、BBCモニターのLS5/1Aが出ていた。
ただ出品されているLS5/1Aは、付属アンプがどうもないみたいだ。

スタンドもついている。
けれど肝心の専用アンプがない。
もちろん専用アンプがなくとも、音は鳴る。
けれど(その2)に書いているように、専用アンプの高域補正がなければ、
中域より上がなだらかにロールオフしていく周波数特性である。

瀬川先生も、付属アンプで鳴らすよりも、
トランジスターアンプで鳴らすようになって本領を発揮してきた、と書かれているから、
付属アンプにこだわる必要はない。

それでも瀬川先生は付属アンプでの音を聴かれた上で、
高域補正が行われていることをわかったうえで、別のアンプで鳴らされているわけだから、
トーンコントロールで、そのへんはうまく処理されていたはずだ。

わかっている人が鳴らすのであれば、アンプがなくともかまわない、といえるが、
初めてLS5/1Aに接する人は、やはり付属アンプで鳴らす音を一度は聴いておいてほしい、と思う。
それが、ひとつの基準となる音なのだから。

私がLS5/1を手離した理由のひとつは、
ウーファーのボイスコイルの断線がある。

私が20年ほど前に鳴らしていた時点でも、製造されてから30年、
いまなら50年ほどが経過している。

スピーカーユニットのトラブル発生のリスクも考えておいたほうがいい。
ウーファーが断線しても、同じユニットを探して出して……、と考える人もいるだろう。
グッドマンのCB129Bという型番、38cm口径のウーファーである。

当時はインターネットなかった。
探すことはしなかった。
仮にCB129Bが入手できたとしても、実はそのままでは交換できない。

LS5/1(A)は、バッフル板の横幅をぎりぎりまで狭めているため、
ウーファーフレームの両サイドを垂直にカットしている。
この加工ができなければ、CB129Bを入手できても無駄になる。

他にもいくつか書いておきたいことがあるが省略しよう。
とにかくLS5/1Aは古いスピーカーである。

入札している人は、そのへんのことを分った上なのだろうか、とつい思ってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=25857
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1176.html

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて 中川隆
1. 中川隆[-5661] koaQ7Jey 2021年4月16日 10:40:25 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[11]
Date: 5月 23rd, 2020
定番(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=31039


定番といえるモデルをもつメーカーとそうでないメーカーがある。
型番だけが定番を受け継いでいるから、といって、
そのモデルが必ずしも、誰もがみてもはっきりと定番といえるわけでないことは、
日本のメーカーの製品には、少なくない。

型番は違ってきているけれど、定番といえるそうモデルはある。
QUADのコンデンサー型スピーカーシステムである。

現在のQUADコンデンサー型は、ESL2812、ESL2912となっているが、
1981年に登場したESL63と基本的に同じままである。

ESL2912はパネルが六枚になっていて大型化されたモデルだから、
ESL63のそのままとはいえないが、基本的に大きく違っているわけではない。

ESL2812はパネル数もESL63と同じである。
外観は多少は変更されている。

けれどサンスイのプリメインアンプの607、707、907シリーズが、
新モデルが出るたびに、別のアンプに変っていったこととは対照的である。

日本ではQUADのESL2812の存在はないに等しいのかもしれない。

さっきQUADの輸入元のロッキーインターナショナルのサイトをみたら、
スピーカーのところに表示されるのは、小型ブックシェルフ型のみで、
ESLは、そこにはない。

ROCKY international
http://www.rocky-international.co.jp/quad_index.html


QUAD本家のサイトをみれば、そこには2812、2912ともにきちんとある。


Home - Quad
https://www.quad-hifi.co.uk/


製造中止になったわけではなく、ロッキーインターナショナルが取り扱いをやめたのだろう。

輸入元が取り扱いブランドの全製品を輸入しないのは、昔からよくあることだ。
日本市場では売れそうにないと判断されたモノは取り扱わないようだ。

たとえばハーベスのトップモデル、Monitor 40.2は、
まだMonitor 40だったころから気になっているモデルなのだが、
Mプラス コンセプトのサイトには、ずっと以前からいまも、Model 40のページはない。
http://audiosharing.com/blog/?p=31039
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1169.html#c1

[番外地9] 日本の実質失業率は50%だよ 中川隆
7. 中川隆[-5660] koaQ7Jey 2021年4月16日 12:10:01 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[13]
企業にコロナ給付金を出すのは間違い _ 大事なのは生活に困っている貧困者を助ける事であって、潰れそうな企業を救済する事ではない
日本の本当の失業率は50%です、やってもやらなくてもいい仕事の GDP や需要・供給に意味は有りません
財政出動してもその金は事業投資には使われず不動産や株に投資されてバブル経済になるだけでしょう:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
日本は大昔から供給過剰な国で、食べ物、住居、自動車、家電等は作ろうと思えば必要量の何倍でも直ぐに作れるのです。 しかし余計に作っても売れないので、日本人の過半数は食べる為にやってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事をやっているのです。 従って、三橋貴明さんが何時も言っている 需要・供給というのは やってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事の 需要・供給なのです。 インフレ・デフレとは関係ありません。

有っても無くても何も変わらない商品の値段が上がっても下がっても、世の中に溢れている生活必需品の価格が変わらなければインフレにもデフレにもなりません。三橋貴明さんが何時も騒いでいる 需要・供給とインフレ・デフレの関係は明らかな間違いなのです。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:

大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない


10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。


「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

______


失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/222.html#c7

[番外地9] 三橋さんが何時も否定している貨幣のプール論は正しい。 中川隆
5. 中川隆[-5659] koaQ7Jey 2021年4月16日 12:15:45 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[14]
赤字国債新規発行は、我々の子孫の代での円の貨幣価値を棄損し階級社会にしてしまうので、絶対にやってはいけない

利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。
 
三橋貴明さんは完全に誤解していますが、本来の貨幣のプール論というのは

税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる

という意味です。何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると
・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼

GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg


NYダウゴールド換算のチャート
https://realtime-chart.info/%E8%AA%AC%E6%98%8E/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88/NY%E3%83%80%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E6%8F%9B%E7%AE%97.html

日経平均はゴールド何グラム?

https://realtime-chart.info/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%A0%AA%E4%BE%A1/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%87%91%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.html

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-dow-800-down.html

因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

量的緩和で上がらなかった物価が現金給付で高騰する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13296


▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西つねき あなたの世界が変わる26分「今こそ知るべきお金の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=ePNfqu12S6A

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/248.html#c5

[番外地9] 日本の実質失業率は50%だよ 中川隆
8. 中川隆[-5658] koaQ7Jey 2021年4月16日 12:26:41 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[15]
企業にコロナ給付金を出すのは間違い
大事なのは生活に困っている貧困者を助ける事であって、潰れそうな企業を延命させる事ではない
日本の本当の失業率は50%です、やってもやらなくてもいい仕事の GDP や需要・供給に意味は有りません
財政出動してもその金は事業投資には使われず不動産や株に投資されてバブル経済になるだけでしょう:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
日本は大昔から供給過剰な国で、食べ物、住居、自動車、家電等は作ろうと思えば必要量の何倍でも直ぐに作れるのです。 しかし余計に作っても売れないので、日本人の過半数は食べる為にやってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事をやっているのです。 従って、三橋貴明さんが何時も言っている 需要・供給というのは やってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事の 需要・供給なのです。 インフレ・デフレとは関係ありません。

有っても無くても何も変わらない商品の値段が上がっても下がっても、世の中に溢れている生活必需品の価格が変わらなければインフレにもデフレにもなりません。三橋貴明さんが何時も騒いでいる 需要・供給とインフレ・デフレの関係は明らかな間違いなのです。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:

大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない


10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。


「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。
______

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/222.html#c8

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規事業する人が居なくなったのです。
>金利が上がるときは物価も上がる、物価が上がれば税収も上がる

金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです
プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規事業する人が居なくなったのです。
それで日本の資本家は国内投資ではなく海外投資しかしなくなりました。
民間銀行から融資を受ける企業が無くなったので、資金需要が減り、金利が下がったのです。
日本では物価だけ上がって賃金が全然上がらなかったので内需が壊滅しています。
それが輸入品物価や貴金属・鉄・銅・原油・穀物・大豆の商品価格だけ爆上げして、国内物価が全然上がらない理由です。
財政出動をして、これ以上輸入品物価や貴金属・鉄・銅・原油・穀物・大豆の商品価格だが上がったら日本経済は壊滅します。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
1. 中川隆[-5657] koaQ7Jey 2021年4月16日 12:52:29 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[16]
>金利が上がるときは物価も上がる、物価が上がれば税収も上がる

金利が上がらないのは輸出製品製造目的の起業や新規事業で儲からなくなったからです
プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規事業する人が居なくなったのです。
それで日本の資本家は国内投資ではなく海外投資しかしなくなりました。
民間銀行から融資を受ける企業が無くなったので、資金需要が減り、金利が下がったのです。
日本では輸入物価、公共料金や社会保険料だけ上がって賃金が全然上がらなかったので内需が壊滅しています。
それが輸入品物価や貴金属・鉄・銅・原油・穀物・大豆等の商品価格が爆上げしているのに、国内消費者物価だけが全然上がらない理由です。 給料・人件費が上がらなければ国内消費者物価は上がりません。
財政出動をして、これ以上輸入品物価や貴金属・鉄・銅・原油・穀物・大豆等の商品価格が上がったら日本経済は壊滅します。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c1

[近代史3] 日本製のスピーカーは どんな名作でもすぐに消えてしまう理由 中川隆
73. 中川隆[-5656] koaQ7Jey 2021年4月16日 13:13:12 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[18]
Date: 1月 25th, 2021
日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)
http://audiosharing.com/blog/?p=34008


昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。
http://audiosharing.com/blog/?p=34008
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/450.html#c73

[近代史3] 日本のガレージメーカーは欧米有名ブランドの1/10以下の値段で同レベル製品を作っている 中川隆
11. 中川隆[-5655] koaQ7Jey 2021年4月16日 13:13:31 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[19]
Date: 1月 25th, 2021
日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)
http://audiosharing.com/blog/?p=34008


昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。
http://audiosharing.com/blog/?p=34008
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/462.html#c11

[近代史4] イシノラボ 平野紘一 連載 日本オーディオ史 中川隆
2. 中川隆[-5654] koaQ7Jey 2021年4月16日 13:13:49 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[20]
Date: 1月 25th, 2021
日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)
http://audiosharing.com/blog/?p=34008


昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。
http://audiosharing.com/blog/?p=34008
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1159.html#c2

[近代史3] 日本のオーディオメーカー 中川隆
16. 中川隆[-5653] koaQ7Jey 2021年4月16日 13:14:08 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[21]
Date: 1月 25th, 2021
日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)
http://audiosharing.com/blog/?p=34008


昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。
http://audiosharing.com/blog/?p=34008
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/466.html#c16

[近代史4] 安井章のアンプ _ いくら音が良くても日本人が設計したアンプは売れない 中川隆
4. 中川隆[-5652] koaQ7Jey 2021年4月16日 13:14:25 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[22]
Date: 1月 25th, 2021
日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)
http://audiosharing.com/blog/?p=34008


昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。
http://audiosharing.com/blog/?p=34008
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/530.html#c4

[近代史3] 日本のアンティーク・オーディオ関係のガレージメーカーの実力は凄い 中川隆
9. 中川隆[-5651] koaQ7Jey 2021年4月16日 13:14:48 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[23]
Date: 1月 25th, 2021
日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)
http://audiosharing.com/blog/?p=34008


昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。
http://audiosharing.com/blog/?p=34008
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/455.html#c9

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
2. 中川隆[-5650] koaQ7Jey 2021年4月16日 14:08:36 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[25]
>円安の原因は財政出動ではなく金融緩和です。ゼロ金利なのもこれが原因

違うよ、ゼロ金利は日本だけでなく世界中で起きている事だよ。
資本家がお金をすべて手に入れてしまうと労働者には食べていく金すら残らないんだ
そして世界中で内需が減って資金需要が無くなった、それで世界中で金利が下がったんだよ。
資本主義というのは資本家が投資して利子や配当で稼ぐシステムだから、世界中がゼロ金利になったというのは資本主義システムが既に破綻したという事だ。資本家がすべての金を握って、労働者が食べていく金すら無くなったら内需が壊滅して経済崩壊するに決まっているんだよ:

ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c2

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
3. 中川隆[-5649] koaQ7Jey 2021年4月16日 14:30:34 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[27]
日本で金利が上がらないのは輸出製品製造目的の起業や新規事業で儲からなくなったからです
プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規事業する人が居なくなったのです。
それで日本の資本家は国内投資ではなく海外投資しかしなくなりました。
民間銀行から融資を受ける企業が無くなったので、資金需要が減り、金利が下がったのです。
日本では輸入物価、公共料金や社会保険料だけ上がって賃金が全然上がらなかったので内需が壊滅しています。
それが輸入品物価や貴金属・鉄・銅・原油・穀物・大豆等の商品価格が爆上げしているのに、国内消費者物価だけが全然上がらない理由です。 給料・人件費が上がらなければ国内消費者物価は上がりません。
財政出動をして、これ以上輸入品物価や貴金属・鉄・銅・原油・穀物・大豆等の商品価格が上がったら日本経済は壊滅します。

因みに、ゼロ金利は日本だけでなく世界中で起きている事です。

資本家がお金をすべて手に入れてしまうと労働者には食べていく金すら残らない
そして世界中で内需が減って資金需要が無くなった、それで世界中で金利が下がったんだ。
資本主義というのは資本家が投資して利子や配当で稼ぐシステムだから、世界中がゼロ金利になったというのは資本主義システムが既に破綻したという事だ。資本家がすべての金を握って、労働者が食べていく金すら無くなったら内需が壊滅して経済崩壊するに決まっているんだよ:

ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c3

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
4. 中川隆[-5648] koaQ7Jey 2021年4月16日 14:50:22 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[29]
>本来であれば資産家は低金利で調達したマネーを設備投資なりで実体経済に落とす
>しかしそのマネーは実体経済ではなく株式市場に流れた

だから、内需が有れば生産設備を増やすとか国内投資するんだよ。
国内投資では儲かりそうもないから不動産や株を買うんだよ
平成バブルの時も財政出動した金は生産投資に使われないで、すべて不動産や株を買うのに使われた。
バブルというのは内需が壊滅していて、政府の財政出動でお金だけ有り余っているから起きるんだよ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c4

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
5. 中川隆[-5647] koaQ7Jey 2021年4月16日 15:13:54 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[30]
​ @T T
>平成バブル崩壊の原因は消費税だと言われてます

それは間違い、事実は

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした。アメリカは10年間で総額430兆円の公共投資の実施を日本政府に約束させ、意図的に平成バブルを起こさせた。

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから売り攻勢をかけ 7607円まで暴落させるのに成功した。 更に日銀に金融引き締めをさせ、外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった
_________

輸出壊滅で GDPが増えなくなったから増税しただけだよ。
増税や公共事業を減らしたから景気が悪くなった訳じゃない,
公共事業にかける金はGDPから判断するんだ、公共事業を減らしたから GDP が増えなくなった訳じゃない
原因と結果が逆なんだ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c5

[番外地9] 日銀の異次元緩和で円は紙屑化している

20年前とではマネーストックも円の価値も全然違うからそういう比較は無意味だよ:
日銀の異次元緩和で円は紙屑化している:

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

江戸時代の一両金貨に含まれる純金の量を半分に減らせば、一両で買える製品の量が半分になるのと同じさ。
円紙幣を倍に増やせば1万円で買えるゴールドや穀物やマクドナルドの量が半分になるに決まってるだろ。
三橋さんは消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因です。

http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/312.html

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
26. 中川隆[-5646] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:35:42 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[32]

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E5%AE%98-%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9FGHQ%E5%90%8D%E7%B0%BF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E6%AD%A6%E5%88%A9/dp/4106108941

 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/20785
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c26

[近代史4] 戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった 中川隆
4. 中川隆[-5645] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:35:59 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[33]

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E5%AE%98-%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9FGHQ%E5%90%8D%E7%B0%BF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E6%AD%A6%E5%88%A9/dp/4106108941

 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/20785
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html#c4

[近代史3] 日本は共産党にとって天国だった 意外と知られていない世界の共産党事情 中川隆
9. 中川隆[-5644] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:36:29 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[34]

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E5%AE%98-%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9FGHQ%E5%90%8D%E7%B0%BF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E6%AD%A6%E5%88%A9/dp/4106108941

 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/20785
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/565.html#c9

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない 中川隆
10. 中川隆[-5643] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:36:57 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[35]

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E5%AE%98-%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9FGHQ%E5%90%8D%E7%B0%BF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E6%AD%A6%E5%88%A9/dp/4106108941

 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/20785
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html#c10

[近代史4] 日本国憲法を作ったのは軍隊のアルバイト 中川隆
1. 中川隆[-5642] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:37:15 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[36]

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E5%AE%98-%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9FGHQ%E5%90%8D%E7%B0%BF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E6%AD%A6%E5%88%A9/dp/4106108941

 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/20785
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/946.html#c1

[近代史4] 醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった? _ アメリカはわざと日本人を飢えさせた 中川隆
2. 中川隆[-5641] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:37:50 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[37]

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E5%AE%98-%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9FGHQ%E5%90%8D%E7%B0%BF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E6%AD%A6%E5%88%A9/dp/4106108941

 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/20785
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1104.html#c2

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
7. 中川隆[-5640] koaQ7Jey 2021年4月16日 17:39:27 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[39]
​ @T T
>GDPの個人消費が60%、公共投資が20%、設備投資が15%、輸出は10%程度ですから

GDPはやってもやらなくても良い仕事が大半だから、内訳なんか全然参考にできないんだよ。
そもそも輸出は10%程度だから無視できるというなら、アベノミクスで400兆円も使った為替操作をやる筈ないだろ。
消費税も輸出戻し税で輸出企業の利益を増やす為にやっているんだ:

日本の本当の失業率は50%です、やってもやらなくてもいい仕事の GDP や需要・供給に意味は有りません
財政出動してもその金は事業投資には使われず不動産や株に投資されてバブル経済になるだけでしょう:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
日本は大昔から供給過剰な国で、食べ物、住居、自動車、家電等は作ろうと思えば必要量の何倍でも直ぐに作れるのです。 しかし余計に作っても売れないので、日本人の過半数は食べる為にやってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事をやっているのです。 従って、三橋貴明さんが何時も言っている 需要・供給というのは やってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事の 需要・供給なのです。 インフレ・デフレとは関係ありません。
有っても無くても何も変わらない商品の値段が上がっても下がっても、世の中に溢れている生活必需品の価格が変わらなければインフレにもデフレにもなりません。三橋貴明さんが何時も騒いでいる 需要・供給とインフレ・デフレの関係は明らかな間違いなのです。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:

大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない


10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。


「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。
______

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c7

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
9. 中川隆[-5639] koaQ7Jey 2021年4月16日 17:57:44 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[41]
>国内で行われる消費と所得と投資の金額は全てイコールです。やってもやらなくてもいい仕事は実体経済には存在しません。

GDPの所得の大半は資本家の所得で労働者の所得はごく一部だよ
内需は労働者の所得で決まるからGDPでは経済はわからない
アメリカでもGDPはどんどん増えているけど、労働者の所得の寄与は昔と殆ど変わっていない。
GDPでわかるのは資本家の資産がどれだけ増えたか、という事だけだ。 内需がそれだけ増えた訳じゃない。
そもそも日本企業の生産性が低いのはやってもやらなくてもいい仕事をしているからだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c9

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
10. 中川隆[-5638] koaQ7Jey 2021年4月16日 18:12:55 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[42]
>金融資産とGDPは違いますからね

GDPが増えた分だけ資本家の金融資産が増えるんだよ。

>日本の場合まだまだ富裕層が全体に占める割合はわずか、国民総所得の大半を圧中間層以下が占めてますから

日本株の3割は外資所有だよ、外資が日本人の財産を奪っているんだ。
配当や日本株の上げで儲けた金の大半は外国の資本家のものになる。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c10

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
11. 中川隆[-5637] koaQ7Jey 2021年4月16日 18:20:15 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[43]
>金融資産とGDPは違いますからね

GDPが増えた分だけ資本家の金融資産が増えるんだよ。

>日本の場合まだまだ富裕層が全体に占める割合はわずか、国民総所得の大半を圧中間層以下が占めてますから

日本株の3割は外資所有だよ、外資が日本人の財産を奪っているんだ。
配当や日本株の上げで儲けた金の大半は外国の資本家のものになる。
日銀がETFを買っているのは株価を上げて外資に儲けさせる為だよ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c11

[番外地9] 金利が上がらないのは起業や新規事業で儲からなくなったからです プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったので、国内で起業や新規… 中川隆
12. 中川隆[-5636] koaQ7Jey 2021年4月16日 18:22:08 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[44]
>金融資産とGDPは違いますからね

GDPが増えた分だけ資本家の金融資産が増えるんだよ。

>日本の場合まだまだ富裕層が全体に占める割合はわずか、国民総所得の大半を圧中間層以下が占めてますから

日本株の3割は外資所有だよ、外資が日本人の財産を奪っているんだ。
配当や日本株の上げで儲けた金の大半は外国の資本家のものになる。
日銀がETFを買っているのは株価を上げて外資に儲けさせる為だよ。
日本政府が法人税を下げたのは外資の配当収入を増やす為だよ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/311.html#c12

[リバイバル3] オールド マランツ 中川隆
68. 中川隆[-5635] koaQ7Jey 2021年4月16日 18:38:46 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[45]
Date: 10月 31st, 2016
一人称の音(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=21139

マランツの真空管時代のコントロールアンプといえば、
Model 7を誰もが挙げるであろうが、
Model 7の完成度の高さを認めながらも、
音はモノーラル時代のModel 1の方が好ましい、という人もいる。

Model 1の音は一度だけステレオサウンドの試聴室で聴いたことがある。
岡先生所有のモノが、メンテナンスのためステレオサウンドにあったからだ。
作業を行ったのは、サウンドボーイ編集長のOさんだった。

なので私が聴いたのはモノーラルの音である。
それにステレオサウンドの試聴室でModel 7を聴いてはいない。
Model 1とModel 7、
どちらの音が好ましいのかはなんともいえないが、わかる気はする。

Model 1はマランツの最初のアンプである。
それは最初の製品ではなく、最初のアンプと書く方がより正確である。

ソウル・バーナード・マランツが自分のために作ったアンプが、
彼の周りのオーディオマニアにも好評で市販することにした──、
という話はいろんなオーディオ雑誌に書かれているので、お読みになっているはず。

Model 1と書いてしまったが、正しくはAudio Consoletteであり、
のちにツマミの変更などがあり、Model 1となる。

Model 7とはそこが違うといえよう。
もちろんModel 7も、
ソウル・バーナード・マランツが自身のためのつくったアンプともいえなくもないが、゛
Model 7の前にModel 1を二台とステレオアダプターのModel 6をウッドケースにおさめたモデルがある。

それにModel 7を手がけたのはシドニー・スミスだともいわれている。
Model 1とModel 7。
どちらがいい音なのかを書きたいわけではない。

いわば処女作のModel 1だけがもつ音の好ましさがあって、
それに惹かれる人がいる、ということである。

つまりModel 1の音は、ソウル・バーナード・マランツの一人称の音といえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=21139


Date: 9月 29th, 2016
スピーカーシステムという組合せ(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=20777


マランツの管球式のModel 3は、1957年に出ている。
真空管はECC83を三本使った2ウェイ用で、スロープ特性は12dB/oct.。

カットオフ周波数は、
100Hz、150Hz、220Hz、350Hz、500Hz、700Hz、1kHz、1.5kHz、2.2kHz、3.5kHz、5kHz、7kHz。
この12ポイントから、低域側/高域側のカットオフ周波数を選べる。

つまり低域側のカットオフ周波数を350Hzにして高域側を500Hzにするということも可能である。
このことは意外にも重要視されていない節があるが、
スピーカーシステムを構築していく上では、ありがたい機能である。

エレクトリックデヴァイダーはスイッチ、もしくはカードの差し替えで、
クロスオーバー周波数を変更できる。
けれど多くは低域側と高域側のカットオフ周波数を同時に変更する。

つまり低域側を350Hzにしら、高域側も350Hzになってしまうわけだ。
それで何が不都合なのか、と思う人は、
一度低域側と高域側のカットオフ周波数を個別に変更できるようにした音を試してみたらいい。
(なかなかそういう機会はないと思うけれども)

マルチアンプシステムは、LCネットワークよりも計算通りのスロープが得やすい。
スロープ特性がスピーカーユニットのインピーダンス特性とその変動に影響を受けることはない。
それでもスピーカーシステムを構築していくということは、
そう理論通りにはいかないもので、
時として低域側と高域側のカットオフ周波数を離したほうが好結果が得られたりもする。

井上先生は、Model 3のこの仕様を評して、
ソウル・マランツはスピーカーのことがわかっている男だ、といわれていた。

ただModel 3の、この仕様は、ソウル・マランツによるものなのだろうか、
それとも1954年にマランツに入社してModel 2をデザインしたシドニー・スミスによるものなのか、
そのへんははっきりしない。
http://audiosharing.com/blog/?p=20777


Date: 9月 29th, 2016
スピーカーシステムという組合せ(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=20781

パスラボが2004年に発表した4ウェイのアクティヴ型スピーカー、Rushmoreもそうだったと記憶している。
どの帯域だったのかまでは記憶していないが、
カットオフ周波数をあえて離すことをやっている。

長年アンプを手がけてきたネルソン・パス初めてのスピーカーシステムにおいて、
この手法をとっていることに、相当に聴き込んで調整していったものだと想像できる。

アンプのエンジニア(電気屋)がつくるスピーカーは特性はいいけど……、
ずっとずっと以前はそんなことがいわれていた。
そういう出来のスピーカーシステムも、昔は少なかったのだろう。

でもアンプのエンジニアであっても、
魅力的なスピーカーシステムをつく上げられる。

ソウル・バーナード・マランツは1968年に、
マランツの社長職をしりぞいている。
よく知られるように、マランツ初のチューナーModel 10Bの開発が長引いてしまったことで、
開発費がかさみすぎて、1964年にスーパースコープの傘下に入っている。

ソウル・バーナード・マランツは1970年にダルクィストの創立に協力するとともに、
製品開発のコンサルタントをシドニー・スミスとともに手がけている。

ということはダルクィストのスピーカーシステムDQ10のネットワークはどうなっているのか。
このことに関心がわく。
DQ10はある種アヴァンギャルド的な要素を持っていた。

あえてQUADのESLのアピアランスに似せている。
そういうスピーカーシステムだから、ネットワークが教科書通りの設計とは思えない。
http://audiosharing.com/blog/?p=20781



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/635.html#c68

[番外地9] 日本政府が大規模財政出動や公共事業をやっていた時代も有りましたが、結果は大失敗に終わり、日本株の3割が国際金融資本に乗っ取られました
​ @T T
>あと日本企業の外資比率が増えたのは小泉と竹中平蔵がやった金融再生プログラムからで、その時の政策ブレーンがアトキンソンだって知ってましたか?

それは間違い、事実は
日本政府が大規模財政出動や公共事業をやっていた時代も有りましたが、結果は大失敗に終わり、日本株の3割が国際金融資本に乗っ取られました。 マネーストックがいくら増えても、起業するより多国籍企業の株や不動産を買った方がリスクが低いので、物価や実質賃金は上がらず、株価と不動産価格だけが暴騰するバブルになるのです。 そして相場のプロの国際金融資本がバブルを潰してボロ儲けし、日本株が国際金融資本に乗っ取られるという何時もの結果になります:
1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです。つまり、輸出企業の仕事が無くなったので内需振興で国民の仕事を増やそうとしたのです。
日米構造協議(1989年)は双子の赤字に苦しむアメリカが、見えない貿易障壁となっていた日本の商習慣や制度を改めさせるために仕掛けた貿易戦争で、「10年間で総額430兆円の公共投資の実施」を日本政府に約束させました。
その段階で日本政府は財政出動・公共事業で国内需要を増やしました。

そしてその結果、円の貨幣価値が暴落して、日本のGDP,、日経平均と日本の不動産価格は暴騰しました。
しかし労働者の実質賃金は全く上がらなかったのです。
円の貨幣価値が暴落したのを見てCIAは日本経済を完膚無きまでに破綻させる為にバブル崩壊を仕掛けました:

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIAは、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、y uday a系の金融機関であるソロモン・ブラザーズという証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。
 
 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、しかも、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。
 1989年11月、ソロモン・ブラザーズはニューヨーク・ウォール街で「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。
____________
アメリカが国策として日本経済を潰したから今みたいになったんだ。
公共事業とか消費税廃止程度で元に戻せるわけないだろ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/313.html

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